TITLE : 性に眼覚める頃 性に眼覚める頃   室生犀星   目次 性に眼覚める頃 ヒッポドロム 音楽時計 ゴリ チンドン世界 医王山 生涯の垣根 性に眼覚める頃 性に眼覚める頃  私は六十に近い父と一しょに、寂しい寺領の奥の院で自由に暮した。そのとき、もう私は十七になっていた。  父は茶が好きであった。奥庭を覆《おお》うている欅《けやき》の新しい若葉の影が、湿った苔《こけ》の上に揺れるのを眺めながら、私はよく父と小さな茶の炉《ろ》を囲んだものであった。夏の暑い日中でも私は茶の炉に父と一緒に坐っていると、茶釜《ちやがま》の澄んだ奥深い謹しみ深い鳴りようを、却って涼しく爽《さわ》やかに感じるのであった。  父はなれた手つきで茶筅《ちやせん》を執ると、南蛮渡《なんばんわた》りだという重い石器時代のうつわものの中を、静かにしかも細緻《さいち》な顫《ふる》いをもって、かなり力強く、巧みに掻《か》き立てるのであった。みるみるうちに濃い緑の液体は、真砂子《まさご》のような最微な純白な泡沫となって、しかも軽いところのない適度の重さを湛えて、芳醇《ほうじゆん》な高い気品をこめた香気を私どものあたまに沁《し》み込ませるのであった。  私はそのころ、習慣になったせいもあったが、その濃い重い液体を静かに愛服するというまでではなかったが、妙ににがみに甘さの交わったこの飲料が好きであった。じっと舌のうえに置くようにして味うと、父がいつも言うように、何となく落ちついたものが精神に加わってゆくようになって、心がいつも鎮《しず》まるのであった。 「お前はなかなかお茶の飲みかたが上手《う ま》くなったが、いつの間に覚えたのか……」などと、父は言ったりした。 「いつの間にか覚えてしまったんです。いつもあなたが服《の》んでいるのを見ると、ひとりでに解ってくるじゃありませんか。」 「それもそうじゃ。何んでも覚えて置く方がいい。」  そういうとき、父はいろいろな古い茶碗を取り出して見せてくれた。初代近い窯《かま》らしいという古九谷《こくたに》の青や、まるで腐蝕《ふしよく》されたような黒漆な石器や、黄と緑との強い支那のものなど、みな幾十年来の数繁き茶席の清い垢《あか》と光沢とによって磨かれたのが多かった。そういうものは私にはわからなかったが、父の愛陶の心持がいつの間にか私をして、やはり解らぬままに陶器を好くようにさせていたことは実際であった。  父は、そのなかから薄い卵黄色の女もちにふさわしい一つの古い茶碗をとり出して、 「これはお前ののにするといい。」と、私の手にわたした。  私はそれを茶棚の隅に置いて、自分のもちものにすることが嬉しかった。  父は童顔仙躯《せんく》とでもいうように、眉まで白く長かった。いつも静かな看経《かんきん》のひまひまには、茶を立てたり、手習いをしたり、暦を繰ったり仏具を磨いたりして、まめまめしい日を送っていた。若いころに妻をうしなってから、一人の下男と音のない寂しい日をくらしていた。茶を立てる日になると、井戸水はきめが荒くていけないというので、朝など、 「お前御苦労だがゴミのないのを一杯汲んで来ておくれ。」  と、私がうるさく思いはせぬかと気をかねるようにして、いつも裏の犀川《さいかわ》の水を汲みにやらせた。東京では隅田川ほどあるこの犀川は、瀬に砥《と》がれたきめのこまかな柔らかい質に富んでいて、茶の日には必要欠くことのできないものであった。私はそんなとき、手桶《ておけ》をもって、すぐ磧《かわら》へ出てゆくのであった。庭から瀬へ出られる石段があって、そこから川へ出られた。  この犀川の上流は、大日山という白山《はくさん》の峯つづきで、水は四季ともに澄み透って、瀬にはことに美しい音があるといわれていた。私は手桶を澄んだ瀬につき込んで、いつも、朝の一番水を汲むのであった。上流の山山の峯のうしろに、どっしりと聳《そび》えている飛騨《ひだ》の連峯を靄《もや》の中に眺めながら、新しい手桶の水を幾度となく汲み換えたりした。汲んでしまってからも、新しい見事な水がどんどん流れているのを見ると、いま汲んだ分よりも最《も》っと鮮かな綺麗な水が流れているように思って、私は神経質にいくたびも汲みかえたりした。  この朝ごとの時刻には向河岸では、酒屋の小者《こもの》の水汲みが始まっていた。小者はみな裸体になってあふれるほど汲んだ二つの手桶を天びんにかついで、街の方へ行った。静かな朝など、桶からはみ出た水が光って、まるで白刃のように新しい朝日に輝いていた。私の故郷にはこの川の水から造られた「菊水」という美しい味をたたえた上品なうまい酒がとれた。  この磧からは私の住む寺院がよく見えた。二本の高い栂《つが》の樹をその左右にして、本堂を覆うた欅《けやき》や楓《かえで》の大樹のひろがった、枝は川の方へ殆んど水面とすれすれに深く茂り込んでいた。そこは、用水から余った瀬尻が深く水底を穿《うが》ってどんよりと蒼蒼《あおあお》しい淵《ふち》をつくっていた。鮎《あゆ》や石斑魚《う ぐ い》などを釣る人が、そこの蛇籠《じやかご》に跼《かが》んで、黙って終日釣り暮すのを見受けることがあった。  父は私の汲んで来た一番水を毎時《い つ》もよく洗われた真鍮《しんちゆう》の壺に納めて、本堂へ供えた。それを日の入りには川へ流すのが例になっていた。あとの水は、茶の釜にうつした。午前九時ごろになると、釜は、父の居間で静かに鳴りはじまって、ことに冬など、襖越《ふすまご》しにそれが遠い松風のように、文字通りな時雨《しぐれ》の過ぎ去ってゆくような音を立てた。  そういうとき、父は一つの置物のように端然と坐って、湯加減を考えるように小首をかたげていた。夏は純白な麻の着物をまとうて、鶴のように痩《や》せた手を膝《ひざ》の上にしている姿は、寂しさ過ぎて厳《いか》めしく見えた。時時、仲間の坊さん連のやってくる外は、たいがい茶室で黙ってくらすことが多かった。  私は私で学校をやめてから、いつも奥の院で自分のすきな書物を対手《あいて》にくらしていた。学校は落第ばかり続いていたので、やさしい父は家にいて勉強したって同じだと言ってくれたのを幸いにして、まるで若隠居のように、終日室にこもっていた。  そのころ私は詩の雑誌である『新声』をとっていて、はじめて詩を投書すると、すぐに採られた。K・K氏の選であった。私はよく発行の遅れるこの雑誌を毎日片町の本屋へ見に行った。この『新声』の詩壇に詩が載ることは、ことに私のように地方に居るものにとっては困難なことであったし、実力以外では殆んど不可能なことであった。そのかわりそこに掲載されれば、疑いもなく一個の詩人としての存在が、わけても地方にあっては確実に獲得できるのであった。私は、本屋までの途中、載るか載らないかという疑惑に胸さわぎして、ひとりで、蒼くなったり赤くなったりした。 「『新声』ですか。まだ来ていませんよ。来たらおとどけいたします。」  などと、本屋の小僧は、まるで私の詩が没書にでもなったような冷たい顔をして言った。私はそのたびに、 「あ。そう。」と、きまり悪くそそくさと帰った。  そんな日は私は陰気に失望させられていたが、その夜が明けると、もう朝のうちに本屋へ行って『新声』が来ているかどうかということを確めないと、落ちついて室にもいることができなかった。私は本屋の店さきに立って、新刊雑誌を一と通りずっと見渡して、まだ着いてないことが判っても、もしも荷がついてまだ解かないのではなかろうか(そんなこともあったのだ。)などと思って、一度問い訊《ただ》して見なければ気がすまなかった。 「君。『新声』はまだ来ないかね。」と言って私は赤くなった。 「今お宅へとどけようと思っていたところです。お持ちになりますか。」 「あ。持って行く——」  私は、雑誌をうけとると、すぐ胸がどきどきしだした。本屋から旅館の角をまがって、裏町へ出ると、私はいきなり目次をひろげて見た。いろいろな有名な詩人小説家の名前が一度にあたまへひびいてきて、たださえ慌《あわ》てている私であるのに、殆んど没書という運命を予期していた私の詩が、それらの有名な詩人連に挟《はさ》まれて、規律正しい真面目な四角な活字が、しっかりと自分の名前を刷り込んであるのを見たとき、私はかっとなった。血がみな頭へ上ったように、耳がやたらに熱くなるのであった。  私はペエジを繰る手先が震えて、何度も同じペエジばかり繰って居た。肝心の自分の詩のペエジを繰ることのできないほど慌てていた。やっと自分の詩のペエジに行きつくと、私はそこにこれまで見なかった立派な世界に、いまここに居る私よりも別人のような偉さを見せて、しかも徹頭徹尾まるで鎧《よろい》でも着て坐っているように、私は私の姿を見た。東京の雑誌でなければ見られない四六二倍の大判の、しかも其中に自分の詩が出ているという事実は、まるで夢のように奇蹟的であった。私は七月の太陽が白い街上に照りかえしているのに眼を射られながら、どこからどう歩いてどの町へ出たか、誰に会ったか覚えていなかった。私はまるで夢のように歩いて、いつの間にか寺の門の前に来ていた。  私は室へ這入ると雑誌を机の上に置いて、あまりの嬉しさにしばらく茫然《ぼうぜん》としていた。何を見るともない眼で、微笑をうかべたまま障子のそとの磧を見ていた。磧から大橋が見えた。通行人がたえず歩いて行った。私はそのとき初めて大橋をいま渡って来たことを、たしかに下駄の踏み工合で地面とは異っていたことを思い出した。けれどもやはりどの道を歩いたか覚えなかった。  私は雑誌を机の上に置いたり読んだりしているうちに、これは是非父に言っておかなければならないと思いながらも、何だか非常に恥かしくも感じたが、しかし言いたくてしかたがなかった。私は父の室へ雑誌をもって這入って行った。 「東京の雑誌に私の書いたものが載ったんです。この雑誌です。」  と私は『新声』をとり出した。 「そうか。それはいい塩梅《あんばい》だった。一生懸命にやれば何んだってやれるよ。お見せなさい。」  と、父は私の詩をよんでいたが、解りそうもないらしい顔をした。いくたびも読みかえして、 「むかしの漢詩みたいなものだ。それとは違うかな。」 「まあ同じいものです。」  と、私は苦笑した。  私は自分の室へかえると、自分の詩が自分の尊敬する雑誌に載ったという事実を今ははっきりと意識することができた。そして、あの雑誌を読む人人はみな私のものに注意しているに違いないと思った。この故郷の人も近隣の若い娘らまできっと私の詩をよむに違いない。私は全世界の眩《まぶ》しい注目と讃美の的になっているような、晴晴しい押え難い昂奮《こうふん》のために、庭へ出て大声をあげたいようにさえ思った。私の詩のよしあしを正しく批判するに値する人は、決してこの故郷にはいないように思われた。私は私の故郷に於《お》いて最も勝《すぐ》れた詩人であることを初めて信じていいと思った。  私はその翌日から非常に愉快に生活することができた。私は毎日詩作をした。机にかじりつきながら、どうかして偉くならなければならないという要求のために、毎日、胸さわぎと故もない震えようを心に感じながら、庭の一点をみつめたままで暮すようなことがあった。それから選者のK・K氏に長い手紙をかいて、自分は決して今の小ささでいたくないことや、これからも殆んど自分の全生涯をあげても詩をかきたいことなどを伝えた。K・K氏は強烈な日夜の飲酒のために、その若い時代をソシアリストとして、しかも社会主義詩集まで出した人であった。返事が来た。 「君のような詩人は稀れだ。私は君に期待するから詩作を怠るな。」とあった。それから、ハガキで朴訥《ぼくとつ》な、にじりつけたような墨筆で「北国の荒い海浜にそだった詩人に熱情あれ。」というような、何処《ど こ》か酒場にでもいて書いたもののようなハガキも来た。  私はその選者の熱情に深い尊敬をもっていた。そのころ詩壇では新しい口語詩の運動が起りかけていたが、流行を趁《お》うことなき生一本なK・K氏の熱情にたいしては、その芸術よりも私は深く敬愛していたのである。 いろ青き魚はなにを悲しみ ひねもすそらを仰ぐや。 そらは水の上《へ》にかがやき亙《わた》りて 魚ののぞみとどかず。 あはれ、そらとみづとは遠くへだたり 魚はかたみに空をうかがふ。 (明治三十七年七月処女作)    そのころ私と同じく詩をかいている表棹影《おもてとうえい》という友人が居た。この友は、街のまん中の西町という処に住んでいた。私に交際したいという手紙をよこしてから三日目に、この見ず知らずの友は、私の寺をたずねにやって来た。  表は大柄なのに似合わない可愛い円い頬をしていて、あまり饒舌《しやべ》らない黙った人であった。かれは私と同じ十七であった。私たちはすぐに仲よしになった。  私もすぐにこの新しい友を訪ねた。姉さんと母親との三人ぐらしで、友の室は二階の柿の若葉した瑞瑞《みずみず》しい窓際に机が据えられてあった。『新声』や『文庫』という雑誌が机の上に重ねてあった。 「君の『新声』の詩を読んで感心しました。たいへんうまいと思いましたよ。」  と言って、自分の短歌を見せた。「麦の穂は衣へだてておん肌を刺すまで伸びぬいざや別れむ」「日は紅しひとにはひとの悲しみの厳《おごそ》かなるに泪《なみだ》は落つれ」の二首は私を驚かしたものであった。このような立派な美しく巧みな歌をよむ友が、私以外にもこの故郷にいたことを喜んだ。それと同時に「おん肌を刺すまで伸びぬ」はたいへんうまいと思った。表の作品はすべて情操のしっとりとした重み温かみを内にひそませているものが多かった。ことに「君」という相対的な名詞が私の注意を惹《ひ》いたのみならず、きっと「君」というからには、ラバアがあるにちがいないと思った。  表はたえず手紙をかいて女のところに出していた。そして幾人の女からも手紙をもらった。それをよく私に見せた。 「どうして君はそんなに女の人と近づく機会があるんだ。」  と、私は寂しい思いをさせられながら訊《たず》ねると、 「女なんかすぐに友達になれるよ。君にも紹介してやるよ。」と、わけもなく言った。 「僕にも一人こさえてくれたまえ。」  などと私は思わず言うと、かれは「もうしばらく待ちたまえ。」などと言った。  ある日、表と私とは劇場へ行った。私どもは二階にいた。表はそわそわと階下へ降りたり上ったりしていたが、 「あの女はちょいときれいだろう。今手紙を送ったんだ。あす返事が来るよ。」  などと、頤《あご》で掬《しやく》って、桝《ます》を指した。そこには女学校に通うているらしい十七八の桃割の、白い襟首《えりくび》と肥えた白い頬とが側面から見えた。すぐよこにお母さんらしい人が坐っていて、前の方には、この城下町の昔から慣例《しきたり》のようになっている物見遊山に用いられる重詰の御馳走がひらかれてあった。 「どうして手紙を渡せるんだ。あそこへ君は持って行ったんじゃなかろうが。」 「なあに君、たいがいの女は手紙をうけ取ってくれるもんだよ。」 「だってあの女の人が、お母さんに言いつけたら君はどうするんだ。」 「言うもんかね。大丈夫言いはしないよ。そんな頓馬《とんま》なことを言ったらあべこべにお母さんに叱られるばかりだよ。ほらこっちを向いたろう。手紙を読みたくてしようがないんだよ。」  実際、色白な娘が、そしらぬ振をしながら、此方《こちら》をときどき盗み見た。私ははっとしたが、表は落ちついていた。どちらかといえば不思議なような、それでいて馴れやすい目をもった女は、私よりもやはり絶えず表に注意をしながら二階の方を素知らぬふりで幾度も見た。 「このつぎの幕間《あい》に僕はあの女を呼んで見せるよ。僕の近所の女なんだよ。向うだって知っているに決っている。」 「だって呼ぶってどうするんだ。向うにお母さんがついているじゃないか。」 「まあ見ていたまえ。」  と、表らしく落ちついて、次の幕のハネるのを待つように言ったので、私はその娘の桃割と派手なつくりのお太鼓とを見つめていた。そのおとなしそうで内気な女が、いま私の傍にいる友の手紙をうけ取ったということさえ殆んど奇蹟的であるのに、表が彼女を呼んで見せるということが、これまた信じることの出来ない不審なことであった。表は女性にたいしては無雑作であるようでいつも深い計画の底まで見貫《みぬ》く力をもっていることは実際であった。かれは決してきむすめ以外には手出しをしなかったし、生娘《きむすめ》なればたいがい大丈夫だとも言って居た。 「駄目な時には初めっから駄目なんだ。向うが少しでもいやな顔をしたり、手を握らせなかったりしたら、どんなに焦《あせ》っても駄目さ。そんな奴はやめてしまうさ。それに成るべく美人の方がやりいいね。」 「なおむつかしいじゃないか。」  と、私は問い返した。 「きれいな女は二三度引っかかっていなけりゃ、子供の時分から人に可愛がられているから馴れていてやりよいのさ。」  と表は真面目な顔をした。 「そんなもんかなあ——僕はその反対だと思っていたんだ。」  私は表の言葉の中に、本当なところがあるような気がした。 「だから美人はたいがい堕落する——僕の経験から言っても、わるい女はきっと刎《は》ねつけるようだね。」  私だちがひそひそ話しているうちに、幕が引かれた。表は騒がしい埃《ほこり》の立った桝の方をじっと凝視していたが、急に立って廊下の方へ行った。そして女の桝からやや隔《はな》れた桟敷の囲いのそとに永く立っていた。私は胸に鼓動をかんじながら見ていると、女はお母さんと何か話をしいしい表の方へ目をやっていた。表は右の手を自分の膝のところで、妙に物を掬《すく》うような恰好《かつこう》をして、一種の秘密な手招きをやっていた。女は私の目にも判るほどおろおろした、落ちつかない様子で、ぼんやり引幕をながめたり、また急に表の方を気にしたりしていた。それらの態度の狼狽《うろた》えた内気な、それでいて怖れに充ちているのが、私には限りなく優しいものに見えた。表は表で、他の見物にそれと分りかねるような、狐憑《つ》きのような手招きを執拗《しつよう》につづけていた。そのうち女はもうどうにもならない様な中腰になってまで、しばらく躊躇《ためろ》うていたが、ふと立って廊下の方へ出て行った。なりの高い頸《くび》の細い女であった。そのとき表もすぐ娘の出て行った廊下へうろたえて行った。  私は娘が立った瞬間から、頭にかっと血が上ったように、呼吸さえ窒《つま》るような昂奮《こうふん》を感じた。そして、すぐ表のそばへ行って見たいような気がした。何だかあの娘が可愛想な気がしたりして、もう坐っていることができなかった。私は立って階下へゆこうとしたが行ってはいけないようにも思われるし、行かなければならないようにも思われ、自分でないほどふらふらと目まいまでが仕出した。  そこへ表がかえって来た。れいの優しい目つきで、しかも何処《ど こ》か昂奮したらしい少し震いを帯びた声で、 「もう仲善しになってしまったんだ。見ていたのかい。」 「うん。すこしばかり——話しをしたの。」 「明日ね。さっきの返事をよこすって言っていた。」  私は黙り込んでいた。表も私を前に置いてああまでしなければよかったと云うような顔をして、気まずく黙っていた。そして、 「君にも紹介するよ。」と、気休めらしく言ったが、私はわざと黙って、席についた桃割をじっと見ていた。女がいますこし前に表と話したりしたという事実が、ああも手早く簡単に行われたということが、殆んど有り得べからざるもののように思えた。烈しい嫉妬《しつと》をかんじながらも、あまりの不審さと余りに奇蹟的なのに私は呆れ返っていた。  女はつぎの幕間には、ときどき表の方を向いてはそれとなく微笑して見せたりした。表はそんなとき思いきった大胆な微笑を送った。それがいかにも開け放しで、つき込んだ微笑であった。私は心の中で益益ひどい寂しさをかんじた。私より表は柔らかい輪郭と優しい目とをもっていることなども、いつも思うことながら私の気を益益鬱《ふさ》ぎ込ませた。  私達は芝居を見るとすぐに別れた。  表の眼だけを見ていると、そのいつも近眼鏡の下に温和しく瞬《またた》いていて子供のように円円してそこに狡猾《こうかつ》さも毒毒しさもなかった。わけても縁日や劇場でああまで大胆に女に接近するさまは、不審すぎるほど不審で、いつも一歩も仮借しなかった。  あるとき、劇場などで、わざわざ娘らしい女の坐った足に躓《つまず》いて見せて、 「どうも失礼しました。」と、白白しく、しかも丁寧に詫びると、却って対手《あいて》が赤くなって、 「いいえ。」と、はにかむと、彼はいつも其隣席へ割り込むのであった。  そして、幾時間も一しょに坐っているうちに、彼は実にたくみに話しかけては対手の心をだんだんに柔らげると、いつの間にか手を握るところまで、図図しく衝き込んでゆくのが癖であった。傍によその人が注視していても、それにはまるで気に懸けないで、殆んど無智なほど大胆で巧妙であった。  かれは、いつも眼鏡のそとから、じろりと秋波めいたものを送るとき(彼は私と対談しているときも厭《いや》な横目をした。)何かしら厭らしい淫猥《いんわい》な、陰険な気持を含んでいた。しかも彼が私と同じい年頃であるに拘《かか》わらず、その長い髪を真中《まんなか》から分けているところや、気のきいた帽子をかむっていた点は、私の学生じみた恰好よりも、ずっとませ込んでいた。  私は表の「君」という相対語の意味がだんだん解りかけていた。それに一方嫉妬をかんじながらも、私は何かしら彼が懐かしかった。別にかれが「女を紹介する。」と言っても、紹介しもしなかったが、そのもの柔らかな言葉や、詩の話などが出るごとに、あの悪魔的な大胆な男が、よくもこうまで優しい情熱をもっているかと思うほど、初初《ういうい》しいところがあった。それに詩作では全く天才肌で、何でもぐんぐん書いて行った。(数年後私は上京したときK・K氏が表は全く驚異すべき天才をもっていたということを聞いた。)  かれは子供のときから印刷工場に勤めていたといわれていたが、私と知るようになってから、もう何処へも勤めに出てはいなかった。かれは私と同じように毎日机にむかって、姉に保護されていた。  寺のことはたいがい父がしていた。本堂に八基の金燈籠、観音の四燈、そのほか客間、茶室、記帳場——総《すべ》て十二室の各座敷の仏画や仏像の前には、みな燈明がともされていた。それらは、よちよちと油壺と燈心草とをのせた三宝を持った父が、朝と夕との二度に、しずかな足袋ずれを畳の上に立てながら点《とも》して歩くのであった。寺へ来る人人は、よく父の道楽が、御燈明を上げることだなどと言っていた。それほど父は高価な菜種油を惜まなかった。父自身も、 「お燈明は仏の御馳走だ。」と言っていた。  しかし境内の二基の瓦斯《ガ ス》燈は、ときとすると下男のいないときは、いつも私が点さなければならなかった。  私が読書などしていて午後五時ごろになると、もう父のお燈明配りが始まっていた。幾十年来点しつけている其手つきは枯れたものであった。新しい燈心草を土器に挿《さ》すと、油壺は静かに寛《ひろ》くその土器にそそがれ、そしていつも点火された。それは実に静かで、いかにも清浄な仕事で私は見ていていつも感心していた。  襖襖《ふすまふすま》がすーと音がして開いたり閉ったりすると、足袋ずれが次の室から次の室へと遠のいて行って、そのたびに、一つ一つの室に新しい燈明がぱっちりとあかるく点されてゆくのであった。それを見ていると、まだそとが明るいけれど、もう晩になったような気がしてくるのであった。  私はよく夕方境内を歩くことがあった。幾抱えもある大きな栂《つが》が立っていて、どんなに雨が降っても其根元を湿《うるお》すことがなかった。その下に迷い子の墓碑があって、子供が道に迷ったりすると、この墓碑に祈願すれば、ひとりでに子供の迷うている町が判るといわれている苔蒸《む》したこの墓碑は、いつも私が佇《たたず》んだり凭《もた》れたりするに都合がよかった。  廓《くるわ》に近い界隈《かいわい》だけに、夕方など、白い襟首をした舞妓《まいこ》や芸者がおまいりに来たりした。桜紙を十字にむすんだ縁結びを、金毘羅《こんぴら》さんの格子に括《くく》ったりして行った。その縁結びは、いつも鼠啼きをして、ちょいと口で濡してする習慣になっているらしく、私はその桜紙に口紅の烈しい匂いをよく嗅《か》ぎ分けることができた。そのうすあまい匂いは私のどうすることもできない、樹木にでも縋《しが》みつきたい若い情熱をそそり立て、悩ましい空想を駆り立ててくるのであった。  私の幼年のころ川から拾い上げた地蔵尊は、境内の堂宇に納まっていた。私はそこへゆくといつも姉を思い出した。姉は間もなく隣国の越中へ行って、永く会わなかった。あの小さい姉とこの地蔵尊のお祭りをしたことも、いつも、そのころ建てた流れ旗や三宝や仏器が今もこの堂宇に納まっているのを見ると、私が寺院に貰われて来たことにも、みな深い因縁があるように思われた。行方不明になった母は、死んだと云う人もあり、まだ生きているという人もあったが、死んだ方がたしかに事実らしかった。父が法名を書いてくれて仏壇に納めてあった。父が法名を書いてくれた日を命日として、私は心まで精進していた。  いろいろな噂をとりあつめると、私の母は派手なところがあって、虚無僧《こむそう》が塗り下駄をはいてお城下さきを尺八をながしてあるくのを見ると、若い母は、その翌日は虚無僧と同じい黒塗りの下駄をひっかけた。そういう小さな例からも、私はあの落ちついた母にそういう軽はずみな若いときがあったかと、却って嬉しそうにしている姿を目に見るようで不快ではなかった。私が養家さきから、ひっそりと会いに行って、つい寝込んでしまった母の膝のふれ心地のよかったことも、ずっと頭の奥の方に、いまも温かにふうわりと残っているような気がするのであった。  私は地蔵尊のそばへゆくと、それらの果しない寂しい心になって、いつも鬱《ふさ》ぎ込むのであった。私は人の見ないとき、そっと川から拾い上げた地蔵尊の前に立って手を合せた。母を祈る心と自分の永い生涯を祈る心とをとりまぜていのることは、何故かしら川から拾った地蔵さんに通じるような変な迷信を私はもっていたのである。自分が拾いあげたという一つのことが、地蔵さんと親しみを分け合えるように、幼年の時代から考えた癖が今もなお根を張っているのであった。  参詣《さんけい》人のなかにはもう見知り顔もできていた。あるじが長い航海に出ているのを平穏無事にと祈願しにくる中年の婦人は、いつも静かな、温かい母親の示すような挨拶をいつも私にした。そのひとは、いつも手を合せて、永い間、懐中から手帛《ハンカチ》につつんだ写真をとり出して、それを膝《ひざ》の上にのせては低い声で何か祈りながら、板敷の上に坐っていた。毎日、毎日、まるで印刷にしたように午後になるとやってきて、二時間あまりも坐ってお詣《まい》りしてゆくのであった。時には、父におみくじを引いてもらって、海上生活が安穏であるかどうかということを見てもらっていた。もう三十をよほど越した人であったが、内気なような皮膚の美しい人であった。  それから中婆さんの手癖のよくないのもいた。その中婆さんはいつも他の参詣人のいないとき、たとえばお昼飯《ひ る》のころとか、午後の四時近いときかに、たくみに参詣人の途絶えたとき、賽銭箱《さいせんばこ》の錠を開けることが非常に上手であった。それは、一本の釘を錠穴《じようあな》から挿し込んで、逆にねじあけると、いつも容易に開くのであった。  その中婆さんは、すぐ裏町に娘と二人で住んでいて、いつもやって来ては、あり金を掻き集めて持ってゆくことが、私にはよく判っていた。あるとき私は、わざと錠に釘をつき込んだとき、本堂の内部からガタガタ音させてそれとなく注意したが、ひょいと本堂の内部を窺《うかが》うだけで、やはり錠を開けはじめたのであった。二三度顔も見知っていたので、年寄を責める気にもならず、と云って、記帳場(寺の事務所)へ告げる気にもならなかった。一つには中婆さんに娘もあったせいもあった。娘はせいの高い堅肥りのかなりな器量をもっていた。東京へ逃げて行ったこともあり品行も悪いという評判であったが、それとは反対に瑞瑞しい若さ美しさに富んでいた。  毎月十八日のお観音の祭日には、きっと親子揃《そろ》ってお詣りにやってくるのであった。そして二人とも揃いも揃った一種の盗癖をもっていたのである。中婆さんはいつも手近に落ちている銅貨をたくみに膝頭に敷き込んでは、ふくら脛《はぎ》のあたりへ手をやっては、袂《たもと》へ捩《ね》じ込んでいた。それは、たとえ隣によその人がいても、ちょっとの隙《すき》に礼拝するように板敷の上へ額をこすりつけている間に行われるので、たいがいの人には判明《わ か》らなかった。  私は記帳場の重い板戸の節穴から、すべての参詣人が何をしているかということが、よく眺められるのを幸いにして、よく彼の娘を見ることができた。彼女は中婆さんのすることを横目でちょいちょい見ていたが、すぐ自分の左の膝から二三寸前の方に落ちている銅貨に、たえず気を奪《と》られているらしく、いくども横目でじろじろ見ていたが、急に膝の下に敷き込むということもなかったし、まさか、この美しい娘がわずかなものを掠《かす》めとるということも考えられなかった。彼女はもう十九か二十歳に見えたほど大柄で、色の白い脂肪質な皮膚には、一種の光沢をもっていた。その澄んだ大きな目は、ときどき、不安の瞬きをしていた。  私はそのとき彼女の左の手が、まるく盛り上った膝がしらへかけて弓なりになった豊かな肉線の上を、しずかに、おずおずと次第に膝がしらに向って辷《すべ》ってゆくのを見た。指はみな肥り切って、関節ごとに糸で括《くく》ったような美しさを見せていて、ことに、そのなまなましい色の白さが、まるで幾疋《ひき》かの蚕《かいこ》が這うてゆくように気味悪いまで、内陣の明りをうけて、だんだん膝がしらへ向って行った。彼女の手がその膝がしらと畳との二三寸の宙を這うようにしておろしかかったとき、彼女は鋭い極度に不安な、掏摸《す り》のように烈しくあたりの参詣人の目をさぐって、自分に注意しているものが居ないということを見極めると、五本の白い蛇のように宙に這うていた指は、その銅貨の上にそっと弱弱しく寧《むし》ろだらりと置かれた。と同時にその手はいきなり引かれて、観音の内陣の明るい燭火に向って合掌された。  私はそれを見ていて息が窒《つま》るような気がした。心持からか、彼女はすこし蒼ざめたような頬をして、その合せた左の手が不自然な、柔らかい恰好をして握られると、いきなり袂の中へ飛び込んだ。なぜ、ああいう美しい顔をしているのに、小さな醜い根性が巣くっているのかと、私はじっと見ていた。——彼女はそういう手段で幾度も幾度もやったが、だんだん機敏に、いきなり目的に向って、さきのような不必要な細心さや周到な注意を払うことがなかった。また、誰もこの美しい娘が小さな盗みのために坐っているとは思えなかった。私はこのことは記帳場へは話をしなかった。記帳場ではよくありがちなことであるから大概は意見をするだけで、見て見ぬ振りをするのが多かったからである。  それから二三日後、私は記帳場から何気なく境内の門のそとの道路を見ていると、一人の若い女が門のうちへ入ってくるのが見えた。そして私ははっとした。それは十八日の晩の女であったから私は驚いたのである。私はすぐにある不吉の場面を想像した。そしてすぐに例の秘密な節穴から彼女を監視することにした。  彼女はさっぱりした姿で、紅い模様のある華美《は で》な帯をしめていた。彼女はいきなり板敷の上に坐ると、あたりを見廻した。格子の内部は暗い内陣になっていたので、そこを透して誰か居るかと見ていたが、こんどは境内を見渡した。夏のことで暑いさかりの参詣人も途絶えて、湧くような蝉《せみ》時雨《しぐれ》が起っているばかりであった。彼女は一本の釘をとり出した。そして母親のする通りに錠穴から挿し込んで、逆にねじあげると、錠はかっちんと鳴って、賽銭箱から離れた。彼女は自分でその音に驚いたように非常に蒼白い顔をして、あたりを丁寧に見廻した。誰か不意に参詣人が来はしないかという懸念《けねん》や、本堂の内部から見ていはしないかという心配に、何者かのけはいに聞耳を立てていたが、その白い手は夥《おびただ》しく震えているのが私の方からも見えた。その指はすんなりと長くて肥って、一本一本の関節がうす紅くぼかしたようになって小さい可愛い靨《えくぼ》さえ浮いていた。  私はそのとき、どうしたはずみであったか、板戸に額をふれさせたので、重い板戸がことんと音を立てた。そのとき、彼女は吃驚《びつくり》していきなり板戸の方を凝視した。ちょうど私の覗《のぞ》いている節穴の正面に、しかも一生懸命になっている烈しい恐怖におそわれた、ありとあらゆる不安をあつめた彼女の大きな眼は、むしろ凄艶《せいえん》な光をたたえてじっと私の額に熱い視線を射りつけたのであった。私はすぐ節穴から離れようとしたが、そうすれば節穴が明るい記帳場のひかりを透すであろうと思って、わざと不動《じ つ》としていた。それに節穴が非常に小さかったのと、あたりがやや暗い堂内であったために、すぐ彼女はそのしつこい視線を解いた。私は膝頭が震えて、からだが、すくみ上るような堅苦しい息窒りをかんじた。彼女は誰も見ていないと知ると、こんどは、賽銭箱から一銭二銭の銅貨や五銭の白銅、または紙にくるんだのなどをすっかり小さな女持の、紅い美しいガマ口におさめてしまった。ガマ口に容れきれないのは、別に紙につつんで帯の間にはさみ込んだ。そして、また、がっちりと錠を卸して、あとをも見ずに寺を出て行った。そのせいの高いすらりとした後ろ姿は、その紅い帯とともに私の目にいつもありありと描き出された。  私は然《そ》うした彼女の行為を見たあとは、いつも性慾的な昂奮と発作とが頭に重りかかって、たとえば、美少年などを酷《ひど》くいじめたときに起るような、快い惨虐《ざんぎやく》な場面を見せられるような気がするのであった。それと一しょに、彼女がああした仕事に夢中になっている最中に飛び出して行って、彼女をじりじりと脅かしながら、そのさくら色をした歯痒《はがゆ》いほど美しい頬の蒼ざめるのを傲然《ごうぜん》と眺めたり、または静かに今彼女のしている事はこの世間では決して許されない事であり、してはならないことであることを忠告して、彼女がこころから贖罪《しよくざい》の涙を流して泣き悲しむのを見詰めたりしたら、どんなに快い、痛痒い気持になることであろう。そしてまた彼女が悔《く》い改めて自分を慕って、しまいには自分を愛してくれるようになったら、自分はきっと寂しくないにちがいない。そうでなくとも、彼女の弱点につけ込んで、自分はどんな冒涜《ぼうとく》的なことでもできるのだなどと、私は果しもない悩ましい妄念《もうねん》にあやつられるのであった。表なれば、きっとこんな時彼女を脅迫《きようはく》してしまうにちがいない。そして直ぐに自由にしてしまうにちがいない。  私は板戸をはなれて記帳場へくると、執事の年寄りが彼女が盗みをしたかどうかということを訊《たず》ねた。四五日前に来たときにも、どうも素振りがあやしいし、あの女のきた日は賽銭がすくないなんて言った。私はそのたびごとに「何もしなかったようですよ。この間はきっと出来心ですよ。あんな女のひとが盗みをするなんてことはありません。」と言って、決して言わなかった。 「そうですか。ともかくもいい塩梅です。わるいことをされると此方で黙っているわけにゆきませんからね。」と年寄達は言っていた。  しかし彼女は益益はげしく、殆んど毎日のようにやって来た。しまいには記帳場でも厳しい監視をしていたが、やはり彼女に疑いはかかっていても、彼女であるということが判らなかった。そういう話のでるたびに、 「きょうも怪しい男が本堂のところに休んでいましたよ。どうもおかしい奴だった。」  と、私は見もせぬ作りごとを言っておいた。 「そうですか。気をつけなければいけませんな。」と年寄は不安そうに言っていた。  しまいに父までが、 「このごろは少しもお詣りがないのか、あがりがないようだね。」  と記帳場の帳面を見ながら言っているのをきいて、私ははっとした。年寄達もふしぎがっていた。だんだん何んだか私が盗んでいるような、やましい気がしてならなかった。ことに記帳場の手前もあったので、私が盗んだように思われるのが厭だったので、彼女があり金をそっくり持って行ったあとに、私はそれほどの金高をあとから小遣《こづかい》のなかから割いて、こっそりと賽銭箱に入れて置いたりした。その何より一番困ることは、賽銭の性質上、すべて銅貨でくずして入れておかなければならないことであった。そのために、よく向いの花売りの店でこわしてもらっては、そっと入れておいた。その効果はすぐに現われた。記帳場の年寄は、 「このごろ来なくなったようですよ。本当にいい工合だ。」  と言うのを聞いて、私はひとりで苦笑した。しかし、ここに困ったことは三日や四日はゴマ化したものの、毎日そう小遣が私に無かったために、父に毎日のように此間から貰っているので、言いにくかった。と言って賽銭箱の方を打っちゃって置くわけにもゆかなかった。ある日、父の金箪笥《たんす》の中から少額ではあったが、銀貨や銅貨をとり出した。箪笥の中は紙幣やら銀貨やらで、だらしなくなっていたので判りそうもなかった。味をおぼえて次の日もこんどは紙幣の束からそっと幾枚かを抜き出した。そしてくずしては例の箱の中へ入れておいた。私は重い金箪笥に手をかけるときその金具ががちゃがちゃ鳴るのを気にしながら、いつも人の善い父の微笑を思い出した。ことに、少年として過分な小遣を貰っているのに、いつも小言一つ云わないでくれる父を、私は私の盗みをするときにのみ「済まないな」と切にかんじた。しかし私にはそうするより外に方法がなかった。それは彼女の盗みの埋め合せばかりでは無くなって、だんだん自分の用途にも使うようになっていた。ノートや青いインキ壺などが、次第に私の机の上を新しく賑《にぎ》やかにして行った。  そとでは毎日彼女はやって来た。  いつも午後三時ごろの、日ざかり過ぎの静かな埃《ほこり》っぽい時、彼女のやや明るい紅い帯が、そのすっきりした高い姿とともに寺領の長い廊下の中に現われた。私はそんなとき、すぐに「困ったな、また来たな。」と心でつぶやいた。その一面には何んだか永い間待っていた人が来たような気もした。しかし私は彼女の盗みを記帳場へは絶対に知らすまいと思っていた。一つは可愛想でもあるし、また、そういうことが知れたら決して彼女は寺へ来られなくなるだろう。来なくなるということは、私にとってはいまは可成りに寂しいことであった。そうかと言って彼女の仕事の最中に飛び出して叱責する勇気はなかった。また一方にはそうそう父の金箪笥に手をかければ、しまいに発見するにちがいない。私はどうしていいか分らなかった。内と外とで示し合せたような盗みが行われているのが、私には実に堪《たま》らない苦しさであった。彼女さえ盗みをしなければ、私は勿論ああいう盗みをしなくていいのだ、とさえ思うようになった。何んだか、ときには女の人にとり縋《すが》って姉にたいするような甘えた心持で、それを訴えて見たいような、まるで子供らしい考えに耽《ふけ》ることもあった。  私はある日、彼女のやってくる時刻に、一通のてがみを書いて、それを賽銭箱の中へ入れて置いた。そうすれば、金と一しょに辷り出てゆくにちがいないし、出れば読むに決っていると思った。それは、「あなたは此処《こ こ》へ来てはいけません。あなたの毎日せられたことはお寺にみんな知れているから、この手紙を見たらもう来てはいけません。」と書いたのだ。私はそれを箱の中へ入れてからも、これを見たら彼女が来なくなるだろうという寂しい心持になった。そして入れなければよかったと思い、とり出してしまおうかと、落ちつかない心持になった。  しかし時間はもう彼女のやってくる時に迫っていた。私はれいの板戸のところで、くらやみから這い出てくる蚊をはらいながら待っていると、彼女はやってきた。そして、もうすっかり馴れた手つきで素早く釘をつっ込むと、錠はあいた。そして箱をしずかにななめに傾けると、一方の錠のあいた方から、銅貨や銀貨がぞろぞろと辷って出た。そのとき、私の入れた手紙が出た。「田中様に」とかいておいたので、彼女は一と目見るなり、さっと顔を赤めた。私はれいの節穴から一心に見詰めていた。恐ろしい好奇心に瞳を燃しながら、彼女の一挙一動を見逃すまいとして——かの女は顔を赤めた瞬間、すぐに稲妻のような迅速な驚愕《きようがく》を目にあらわしながら四辺《あたり》を見廻した。見るうちに彼女の手や膝頭や、それらの一切の肢体が激しく震えた。彼女はおそるおそる手紙をとると、その瞬間、一種の狡猾《こうかつ》な表情と落着きとを現わして、表と裏とを見くらべたりして封を切った。読んだ。その刹那《せつな》彼女の眼は実に大きく一時にびっくりしたような色をおびた。そして読み終るとすぐさま手紙を懐中へねじ込んで、まるで蹴飛ばされたように急いで雪駄《せつた》をつっかけると突然《いきなり》駈け出した。寺の門のところで一寸《ちよつと》振りかえって見た。これは本当に二分間もかからなかった間のことである。  私はそのうしろ姿を見ていて、非常に寂しい気がした。私はああするより外仕方がなかったのだ。彼女は驚きと極度の恐怖との中に駈け出したのだ。あれで彼女が正しくなれば私の書いたことはよかったのだ。彼女は怨《うら》んでいるにちがいなかろう。これより永く彼女が寺へくることになれば、私も同じ苦しみ盗みの道に踏み迷わなければならないのだ。  私は「なぜああいう美しい顔をして、ああいう汚いことをしなければならないか。」ということを考えたり、また、ああいう手紙をかいたものが私であるということを知っているだろうかなどと考え込んだ。しかし私は自分の持ち物をそっくり棄ててしまったような術《すべ》ない寂しさに閉されはじめた。しかし私はその日から父の金箪笥に手をふれることをしなくなった。幸い私のやったことは判らなかったので、私はいつかは父に謝《あや》まる時があるだろうと、それきり、あの重い箪笥のそばへも寄らなかった。  私は間もなく、毎時《いつも》、彼女のやってくる午後三時ごろになると、境内をあちこち歩いたりして、もうあれきり来なくなったのを非常に寂しく感じた。小さくお太鼓に結んだ紅い帯地の模様を、時時、あたまの中で静かに考え出しては、ぼんやり栂の老木の根元にしゃがんで、二時間も三時間も高い頂に登ったり下りたりしている蟻《あり》の行列を眺めたりしていた。私はなぜ、彼女にああいう手紙をやって注意したのか、なぜ、あのまま彼女を毎日寺の方へ来させて置かなかったのか。しかし段段考えると、うちのものに見付けられるより私が発見したのはよかったのだ。私はどうにもならないやきもきした感情で永い間、来もしない彼女の姿を門内の長廊下や、堂前の板敷の上に描き出して、白いえくぼのある顔や、盛りあがった坐り工合を想像した。そういうとき、私は一言も話したことのない彼女との間に、ふしぎに心で許し合ったようなもの、お互いの弱点をつき交ぜたものが彼女との隔離を非常に親しく考えさせた。  私はどうかしてもう一度彼女を見たいと思った。ああいう手紙をやったものが私であるという卑しい報告によって、明らかに彼女の胸に私が救い主であることを善解させたいと思った。その一面には、彼女が自分の悪事を看破《みやぶ》られた理由から、あるいは、私を却って憎憎しく考えるにちがいないという不安もあったが、ともかく、私はもう一度彼女を見たいと云う欲求に燃えた。  彼女は私だちの町のすぐ裏になっている、お留守組町に住んでいることを私は知っていた。加賀藩の零落《おちぶ》れた士族の多く住んだ町で、ちょうど彼女の家は前庭のある平屋で、それも古い朽ちはてた屋根石のあいまあいまには、まだ去年の落葉を葺《ふ》き換えない貧しい家であった。小さい柴折戸《しおりど》のような門構えのなかは、すももと柘榴《ざくろ》とが二三本立っていて、柘榴の小さいやつが実りはじめていた。  家のなかはしんとしていて、台所口の水の音がちゃぶちゃぶしていた。私はそのとき、すぐ胸がおどおどして直覚的に彼女が台所に居るような気がした。水を何かにかける音がざあーとすると、こんどはタワシでごしごし桶《おけ》のようなものを洗っている音がした。私はすぐさま、あの白い餅《もち》のように柔らかい靨穴のたくさん彫られた手を思い出して、あたまのそこまでしんとしてその美しい形や円みを描いた。  彼女がうちにいるという事実をたしかめるに有力な証拠としては、紅い鼻緒の立った籐表《とうおもて》の女下駄が、日ぐれどきの玄関のうす明りに、ほんのりと口紅のように浮んでいるのを見たとき、たしかに家にいると云うことが感じられた。それは、あの紅い鼻緒の下駄をいつも彼女がはいては寺へ参詣にやって来たからであった。堂前のだんだんにいつも脱いであるのを殆んど私は毎日のように眺めもしていたし、あざやかに私は頭にきざみ込まれていたからである。  台所口に格子の小窓がついていて、そこに黒い濃い束髪が動いているのを見たとき、疑いもなく彼女であることを知った。私は胸がわくわくするのと、音を立てないで通りに立って居るのとで、膝がしらがぶるぶる震えるのを、おさえるようにしていたが、砂利に下駄が食《く》い込んでがりがりと音を立ててしまったので、はっと汗をかいた。そのとき、彼女はふいと小窓から通りを見て、私の立っているのを見ると何だか顔色をかえたように思われた。それがいかにも賽銭箱をこじ開けたときの彼女とは、全く別な美しい顔であって、その大きな目さえ、厳格に正面から私を瞠視《み つ》めたのである。  私はその大きな、艶透な目の光を感じると同時に、いくらか肉肥りした姿のよい鼻と唇《くちびる》と、多血質な美しい皮膚とを射るように視線のなかに感じた。それらの喜ばしい艶《つや》やかな雑作は一瞬の間に、彼女が卑しい盗みをやったことを思わせたが、やはり、そのときは別な、美しい女性としての威光をもって、ぶしつけに垣のそとに立っている私を譴責《けんせき》するもののように思われた。私は一目見たいという望みが充たされたばかりでなく、彼女のこころよい皮膚の桜色した色合いがしっとりと今心にそそぎ込まれたような満足をかんじた。「あの人の盗みをしたことと、あの人の美貌とは決して係《かかわ》っていない。あの人はいつまでも美しい。そして盗みはみにくい。別々なものだ。」と私は考え込んだりした。そしてまた「あの人は美しいから盗みをしても不快ではないのだ。美しい手で錠をこじあけたから私は惹《ひ》きつけられたのだ。」——私はそういうことを考えながら、そっと柴折戸を離れた。私はそのとき要垣《かなめがき》の朱い葉を二つ三つ千切《ちぎ》った。その深い茜《あかね》に近い朱色な葉ッ葉のなかにも、彼女の皮膚の一部を想像することができたからである。  私は裏町から通りへ出て、犀川《さいかわ》のへりの方を歩いた。磧《かわら》の草叢《くさむら》は高く茂り上って、橋の腹にまでとどいて、水は涸《か》れ込んでいた。鉄橋の方は殆んど岸もわからないほどの一面の草原になって、涼みかたわら歩く人も多かった。私はそれらの景情にひたりながらも、さきから引き続いた女の幻影を、こんどは、かえり途《みち》にもう一度見たいという執念強い要求のもとに縛《しば》りつけられて、私はまたあの裏町へ歩いて行った。  間もなく彼女の家近くまで来ると、胸さわぎと同時に急に早足で歩かなければならないような、足は足で、別に命令されたもののような歩き方をしてゆくのであった。そこの柴折戸の前までくると、いきなり玄関の格子戸が開いて、彼女は何処かへ外出するらしい他処《よ そ》着《ぎ》をして出かかるのと、私の眼とぴったりと突き当った。私は思わず赤くなって目を伏せると、彼女はにっと微笑したように思われた。気のせいであったのか、それとも一種の幻惑の種類であったのか、ともかく、彼女の厚い唇《くち》もとから鼻すじへかけて、深い微笑の皺《しわ》が綟《よじ》れこんだ事は実際であった。それと同時にいきなり柴折戸のところへやってくるので、私はいそいで、今来た道へ引き返すような様子をした。彼女は隼《はやぶさ》のように柴折戸をあけると、私と反対な道へ行った。ふりかえると、もう一町もさきへ行って、向うからも振りかえった。  私はあんな手紙などやらなければよかったような気がし出した。そして彼女の弱点につけ込んでゆくような卑しい恥かしさが度を増して、彼女が町角をまがって見えなくなってしまったあとで、ひとりで顔が赤くなった。  寺の記帳場では、 「近頃ちっとも彼《あ》の女が来ないようですね。あの人が来なくなってから、間違いがなくなったが、やはりあの女は怪しい——」と記帳の年寄が言った。 「だって僕が幾度も隙見をしていたけれど、怪しいことがなかったんだもの。」  と言っておいた。しかし心の内では、年寄連が私のああした仕事を知っているらしくも思われたりして、いつも、いい加減に座をはずすのであった。  私は机に向っているときでも、よくあの女の皮膚の一部や、粗雑なだけ親密になれるような物腰、それとははっきり判らなかったが、印象の深い微笑などがあの日から目にうかんで来て、我知らず、お留守組町まで用もないのに歩くことがあった。たとえば、玄関先の雪駄の紅い鼻緒にしろ、要《かなめ》の若葉の朱いのにしろ、その前庭の土の工合までが、一つ一つ懐しいもののように目に触れてくるのであった。ことにああいう盗みなどをするという大胆さの底の底には、きっと優しい、私の心を容れてくれるものが湛《たた》えられているように思われた。  私はその日もふらふらと釣られるように彼女の家の前までくると、家の内部は寂然《せきぜん》として、気のせいか女の声らしい話しごえがしているようであった。前の庭はきれいに掃いてあって、柘榴の蔭にはおいらん草が裏町の庭らしく乏しい花をつけているのが、わけても今日はなつかしく眺められた。しずかな家の内部はいかにも彼女の温かい呼吸や、血色のよい桜色した皮膚に彩色せられたように、そこに何ともいわれぬ温かい空気が漂うているように思われた。  いつまで立っていても、人のけはいがしないので、私はすごすご去ろうとするとき、庭の石のところに、糸屑《くず》を丸めたのが打棄てられてあるのが、その紅や白の色彩とともに、ふいと目にとまった。それがどういう原因もなしに、ふいとほしくなり出した。しかし其処《そ こ》まで這入るときはどうしても柴折戸を開かねばならなかったので、私はしばらく考えていたが、急に柴折戸をそっとあけた。柴折戸はべつに音も立てなかったので、私は十歩ほど忍び足になって、糸屑を拾うことができた。  糸屑はいろいろな用にたたないのを丸めてあったので、彼女を忍ぶよすがもなかったが、そのふわふわした筋ばった小さい玉を、握りしめて見ると、何かしら一種の女性に通じている心持が、たとえば無理に彼女の手なり足なりの感覚の一部をそこに感じられるように思われるのであった。その糸屑を拾うときに殆んど突然に玄関先に脱ぎすててある紅い緒の立った雪駄をほしいような気がしたのは、自分ながら意外であった。何ということなしに、その雪駄の上にそっと自分の足をのせて見たら面白いだろうという心持と、そこに足をのせれば、まるで彼女の全身の温味を感じられるように思われたからである。私は子供のときから姉の雪駄をはいてはよく叱られたものであるが、それよりも、もっと強い烈しい秘密な擽《くす》ぐったいような快さが、きっと私が雪駄に足をふれさせた瞬間から、私の全身をつたわってくるにちがいない。丁度、踵《かかと》からだんだん膝や胸をのぼってきて、これまで覚えたこともない美しいうっとりした心になるにちがいないと、私は雪駄をじっと怨めしく眺めたのであった。それに誰でも男は女の下駄を思わず引っかけて見たい一種の好奇心があるように、私の場合では、籐表のところで思うさま手を擦《こす》って見たいような、も一つはその雪駄を緒は緒、表は表、裏は裏という順序にばらばらに壊《こわ》して見たいような惨忍に近い気持が、また、ふいに顔を出して来たりした。  も一つ心の奥からの悪戯《いたずら》の萌《きざ》しかけたのは、ともかく私がこの庭まで忍び込んだという証拠として、また、その事実を彼女に何かしら知らしめたいということから、彼女の雪駄を片足だけ(私はこの場合両方が決して欲しくなかった。)盗んでみたらとさえ思うようになったのである。それは一つには私があの雪駄を盗んでも、それはきっと彼女に発見されても、許して貰える理由をつかんでもいたし、また彼女としてそれを叱責しないような気もするのであった。玄関には格子戸が閉っているので、それを開ければきっと音がするに定っているし、音がすれば誰か出てくるにちがいないという不安があった。私はどうして格子戸を開けたらいいかということを考えた。それに人通りのすくない裏町であるとはいえ、やはり途切れながらも通る人があった。そういうときは、やはり散歩する人のようにゆっくりと歩いて見せて、人が通って行ってしまうと、いそいで私は玄関の内部を窺《うかご》うた。そこには紅い緒の雪駄が、もはや雪駄以上な別な値のあるもののように、べつな美しい彼女の肢体の一部分を切離して、そこに据えつけてあるような、深い悩ましい魅力をもって私を釘づけにしたように立たせるのであった。  私はそのとき、何者かがいて急に私に非常な力を注ぎこんだような戦慄《せんりつ》を感じながら、あたりの人通りに注意した。ちょうど途絶えた其隙に私は何者かから背後から押し込まれたように柴折戸を辷り込んで、そっと玄関の格子戸に手を触れると、私はまるで雷に打たれたような震えが全身に荒い脈搏をつたえたのを知りながら、少しずつ格子を開けはじめた。格子戸は思ったよりも静かに、特に軋《きし》むということなく二寸三寸と開かれて行った。もう私の小さな体躯《からだ》をよこにして這入れるようにまで開けると、私は素足になって玄関の中へ這入りこんだ。そととは異ったひいやりした湿り気のある涼しい空気と、庭のたたきの冷たみが踵裏から全身につたわってきて私はなお烈しい慄えをかんじた。私は見た。そこにあった紅い緒の雪駄を——いきなりそっと掴《つか》むと殆んど夢か幻の間に格子をするりとぬけて庭から、柴折戸を渉《わた》って外へ出た。そのとき柴折戸に着物が引っかかったので無理に引いたので、柴折戸はやや高い軋るような音を立てた。私はそのとき殆んど眼まいを感じながら一散にかけ出した。  寺へかえると、私は懐中から女雪駄をとり出した。まだ新しい籐表のつやつやしたのであった。私はそれを凝乎《じ つ》と見詰めていると不思議にこの雪駄を盗み出したことが、非常に恐ろしい罪悪のように暫くでも持っていてはならないような、追っ立てられるような不安と焦躁とを感じ始めた。まるでそれは一つの肉体のような重さと、あやしい女の踵の膏《あぶら》じみた匂いとを漂わした。私はそれを懐しげに眺めるというよりも、自分がなぜこういうものを盗む気になったかということを考えた。私は机の下に入れて置いたが、ふいと父にでも見つけられてはと思い、こんどは縁の下の暗いところへ蜘蛛《く も》の巣と一しょに押し込んで置いたが、その暗いところにありありと隠されてあるのが目にうかんで落ちつけなかった。私はしまいにはどうしても此雪駄を持っているうちはじっと落ちついて坐っていることさえ出来なかった。  私の心はだんだん後悔しはじめた。どんなに彼女が捜していることだろう。そしてもし私のしたことだと判明すれば私は彼女と同じい罪を犯したも一般だ。私は恐ろしくなりはじめた。私は縁の下からまた取り出して土を払って、そっと懐中へ入れて、また寺を出て行った。彼女の家の前へ来たのは、殆んど前に忍び込んだときとは一時間ほどの後であったので、家の中はやはり寂然としていた。私はそっと柴折戸から入って、玄関へ雪駄《せつた》をそっと挿し込むように入れて置いて、すぐに通りへ出た。さきの位置に雪駄を置くときは、格子を一尺近くあけなければならなかったので、私は犬でもいたずらしたように見せるために、すぐ閾《しきい》のよこに置いたのであった。奥のたたきの上には、つれに離れた片方の雪駄が寂しそうにひとりで、やがて来るつれを待っているように取り残されていた。  私はそののち暫く外出をしないで、室にばかり籠《こも》っていた。殆んど自分でも予期しない、ああした発作的な悪戯をしてからというものは、たえず外出をすれば何者かに咎《とが》められるような気がして仕様がなかった。だんだん日が経つにしたがって、私のああした悪戯が真実に行われたかどうかということさえ疑わしく思われた。  もちろん彼女はもう寺の前をも通らなかった。私は父を本堂へ上るときに手を引いたり、茶の湯の水汲みをやったりしていた。寺にはあやしい御符という加持祈祷《かじきとう》をした砂があってよく信者がもらいにやって来た。わずか五粒か六粒ほどずつ紙につつんで、清い水で嚥《の》むと、ふしぎに〓《つ》きものや、硬《こわ》ばった死人が自由に柔らかくなるという薬餌《やくじ》であった。私はそれを見るごとに不思議な気がした。  もう一つは「おくじ」をひきに来る女が多かった。此市街でもかなり名のある日本画家の中年の母親は、いつも娘の縁談があるごとに、父に会いに来て、そして「おくじ」を引いて判断してもらっていた。その娘は有名な美しい娘であった。いつも母親と一しょにお観音にお詣《まい》りに来た。奇体なことには、この古いお城下町は古くから仏教信者が多かった。それは年寄ばかりではなく、若い娘をもつ母親は、もう娘の六つか七つの時にお寺詣りにつれてあるいて、娘らのこころに信仰を築きあげることや、宗教が女の生活に最も必要なことを教えたり、あるいはお寺詣りに拠《よ》ってそれらを暗示したりしていた。その画家の娘は実に凄《すご》いほど色の白い、どこか肺病のような弱弱しい悩ましさを頬にもっていた。  母親はいつも父に、 「こんどの嫁入口はたいがい良い方なんでございますが、念のため『おくじ』を引いて下さいませんか。」と言って父に「おくじ」を引かせた。  父は本堂から下りて来て、 「おくじにあらわれたところは、あまり思わしくないんですけれど、あなたさえよければお嫁入りさせたらいいでしょう。」と言った。  それは画家の妻がもう三年越しに娘の幸福な嫁入口をさがして歩いて、いつも「おくじ」を引くと凶が出るので、父も気の毒に思って然《そ》う言ったのであった。 「まあ、おくじが悪いんですか。」  と言って彼女はいつも失望したばかりではなく、折角の縁談も中止するのが常であった。私はいつもあの「おくじ」一本によって人間の運命が決定される馬鹿馬鹿しさと、それを信ぜずに居られない母親のかたよった心を気の毒に思っていた。 「あの人はおくじを引きにくるけれど、おくじを信じることができない人だ。」と父が言っていた。  私は先月父にこんなことを「おくじ」に引いてもらった。あたるかあたらないかを私自身ではっきり見たいためもあった。 「東京へ送った書き物がのるかのらないかを見て下さい。」と。  父は本堂から降りて来て、 「出る。たしかに出る。」と言った。何んだか父が私が失望しはせぬかという懸念のためにいい加減に言われたような気がした。 「本当ですか。どんな『くじ』なんです。」 「旭《あさひ》の登るが如しと言うのじゃ。」  と言って、竹の札(くじ箱にはそれが百本入っていて、一本ずつ振ると出て来る。その偶然が人人にとっての運命になっている。)を見せた。それには文字通りの「上吉」が出ていた。  そして私の詩が印刷された。私はそれからは信じきれないうちにも、時時信じるようになっていた。神秘に近いものが毎時《いつも》「おくじ」に現われているようにさえ思うのであった。米の相場師などがよく朝早くやって来た。「吉」が出ると、 「買っていいんですな。本当にいいんですな。」と血眼《ちまなこ》になる人もあった。 「おくじ」の出たとおりにやって儲《もう》かった人は、よく大きな金燈籠や真鍮《しんちゆう》の燭台や提灯《ちようちん》などを運んでお礼まいりに来たりした。  若い芸者などはよく縁の有無を判断してもらいに来た。父は、どんな人にも口数をきかなかった。要領だけ言っていつも奥へ這入《はい》ることが多かった。  そのころから十年前に寺の庫裏《くり》から失火して、屋根へ火がぬけたことがあった。まだ宵のくちであったから、火はすぐに揉《も》み消すことが出来た。けれどもあとで気がつくと父の姿が見えなかった。捜すと父は本堂の護摩壇で槃若経《はんにやきよう》を誦《よ》んでいた。と目撃した人は、「あの小さいお上人《しようにん》さんがまるで鐘のような声でお経をよんでいたのは本当に凄かった。」とあとで言っていた。 「お前お茶をあがらんか。」  と、父は私の読書している室へ呼びに来ることがあった。寂しいほど静かな午後になると、そういう父も寂しそうにしていた。 「え。ごちそうになります。」  父の室へはいると相変らず釜鳴りがしていた。父はだまって茶をいれて服《の》ませた。それに羊羹《ようかん》などが添えられてあった。父は草花がすきで茶棚には季節の花がいつも挿《さ》されてあった。 「お前も早く成人しなければいかん。」  などと時折に言った。  私は父の顔を凝視するごとに、この父もきっと世を去るときがあるにちがいない。それも近いうちにあるにちがいないと云う観念をもった。そしてなおつくづくと父の顔を眺め悲しんだ。  父の立てた茶は温和にしっとりした味いと湯加減の適度とをもって、いつも美しい緑のかぐわしさを湛えていた。それは父の優しい性格がそのまま味い沁みて匂うているようなものであった。  父はいつも朱銅の瓶《かめ》かけを炉の外《ほか》にも用意してあった。大きさから重さから言っても実に立派なものであった。父はいつも、 「わしが死んだらお前にこの瓶かけを上げよう。」と言っていた。  そして時おり絹雑巾で朱銅の胴を磨いていた。私もほしいと思っていた。(父の死後、私はこの瓶掛を貰った。いまはこの郊外の家の私の机のそばにある。)  表の評判は悪かった。表が劇場や縁日を夜歩きすると、町の娘らは道を譲るように彼を避けるほどになっていて、みな、うしろから指をさしながら、この優しい不良少年を恐《こわ》がった。女学校などでもたいがい表の名前が知れていたらしかった。  そのころ、表は公園のお玉さんという、掛茶屋の娘と仲よくしていた。藤棚のある小綺麗な、噴水の池が窓から眺められる茶店で、私もよく表につれられて行った。お玉さんはメリンスの前垂れをしめていて、表とはいつのまにか深い交際をしていた。  よく表と二人で散歩のときによると、 「きょうはお母さんが留守なんですから、ゆっくりしていらっしゃいましな。」  などと言った。表はそういうとき、 「然《そ》う、では露助《ろすけ》にもらった更紗《さらさ》をM君に見せてあげなさい。M君はあんな布類が大変すきなんだから。」 「そうですか、ではお見せしますわ。」  と言って、いろいろな布類のはいった交ぜ張りの、いかにも娘のもつらしい箱をもって来たりした。ちょうど露西亜《ロ シ ア》の捕虜《ほりよ》がいるころで、みんなこの茶店へ三時の散歩にはやって来たもので、なかにひどく惚れこんでいるのもいた。 「これなんぞ随分きれいでしょう。」  それは真正《ほんと》のロシア更紗で、一面の真紅な地に白の水玉が染め抜かれてあった。なかにはこまかな刺繍《ししゆう》を施《ほどこ》した布面に高まりを見せた高価なハンカチなどがあった。それから古い銀の十字架細工のピンなど、実に立派なものが多かった。  表はそんなとき、 「戦争にゆくのによくこんなハンカチなぞ持っていたものだね。やっぱり露西亜人はのんびりしているね。」と言った。私は、 「そして捕虜がいつも来るんですか。」とたずねると、 「え、散歩の時間になりますと入らっしゃいますの。」  と言って、表に気をかねてお玉さんは黙った。表はそんなとき不機嫌にしていた。そして午後三時ごろになると表はやけな調子で、 「もう三時だ。散歩の時間だ。かえろう君。」  と、表は嫉《や》け気味な皮肉を言って出てゆくのであった。まだ十七になったばかりのお玉さんは、何か言いたいような可憐《かれん》な寂しい目をして送っていた。表が此処でビールをのんでもいつもお玉さんが家の前をとりつくろうてくれて払わせなかった。  私はお玉さんが非常に表を愛していると思った。あのおどおどした目つきが、いつもの表の一挙一動毎《ごと》にはらはらしているさまが見えたからである。そしてああいう可憐な娘にはいつも非常に愛される質《たち》を彼はもっていた。やり放しのようで、それでいて、いつも深い計画のもとに働くのは表の巧みな、女にとり入る術であった。  ある日のこと、表の不在中、警察から高等刑事が来て、表の平常の生活を調べて行ったりした。そして巡査がやって来て、夜あまり外出させてはいけないと母親に言って行ったと、あとで表は笑いながら言っていた。けれども表はやはり縁日や公園へ行ってはお玉さんを誘い出したりして、永く夜露に打たれたり、更けて帰ったりしていた。  ある日、表をたずねると、かれはすこし蒼《あお》いむくんだような顔をしていた。そして、 「君、僕はやられたらしい。」と私に言った。 「肺かね。しかし君はからだが丈夫だから何んでもないよ。気のせいだ。」というと、 「そうかなあ——」  そして私どもはよくお玉さんのところへ出かけた。もう私はビールの味を知っていた。私どもにお玉さんを加えて、時時黙って永い間坐っていることがあった。そんなときは、きっと表がお玉さんと二人きりで話したいという心になっていることが、私にももう判るようになっていた。  そんなとき、私だけはさきにかえった。お玉さんは坂の上まで送って来たりした。 「またいらしてくださいましなね。」 「ありがとう。表はからだをわるくしているようだから、ビールをあまりすすめない方がいいね。」 「ええ。私もすこし変に思っていますの。時時厭《いや》な咳《せき》をなさいますもの。」 「だいじにしてお上げ。さよなら。」 「さよなら。」と別れた。  そういう日は、表は黙って拝むような目を私にしていた。私はなぜだか表の弱弱しい一面が好きであった。あの大胆な女たらしのような男に、何ともいえない柔らかい微妙な優しさがあるのを私は恋に近い感情をもって接していた。私は晩など、お玉さんによく握られたらしい彼の手を強く握ったものであった。柔らかいしかし大きい手であった。  私はかれの病気は真正の肺であることを疑わなかった。頬がだんだんに赤みを帯びて来るのが不自然であり、その徴候でもあるらしく思った。  かれは『文庫』で短篇を発表していた。 「晩などよく呼びに来るんだよ。口笛を吹いてね。」  と表はお玉さんが呼出しにくるのを嬉しそうに言っていた。あの西町の静かな裏町の夕方などに、表の家の前を往《い》ったり来たりして口笛を吹くお玉さんの下町娘らしい姿を私はよく浮彫りにするように、心で描いて見た。それに表はお玉さんができてから、よその女にはあまり目をかけなくなっていた。こういう二人の間のやさしい愛情を私は詩のように美しい心になって考えていた。決して妬《ねた》ましいという心など微塵《みじん》も起らなかった。ああいう可憐な女性によって、あの友の顔までが心と一しょに美しくなるようにさえ思われるのであった。  ある日、私は久しぶりで表をたずねた。かれは奥の間に床をとって臥《ふせ》っていた。 「とうとう床についてしまった。」  と青い顔をしていた。わずかの間にかれは非常に瘠《や》せ衰えていた。 「今朝ね。もう柿の葉が散り出したのを見て、非常に寂しくなってしまった。」  と言った。庭には鳳仙花《ほうせんか》がもう咲いていた。 「君がねようとは思わなかった。当分外へ出ないんだね。」 「しばらく養生するつもりだ。今死んではたまらない。もっと色色なものを書きたくて耐《たま》らない。」  と力強く言った。唇《くちびる》ばかりが熱で乾いて赤く冴《さ》えていた。 「お玉さんは知っているのかい。君の臥《ね》たことをね。」 「いや知らないらしい。でね。夕方などよく呼びにくるんだよ。口笛が合図になっているんで、床にいてもはらはらするの。出たいけれど出られないしね。母の前もあるしね。」 「お母さんは知らないのか。」 「感づいていないらしい。すまないけれど君が会って僕のことを話してくれないか。」 「じゃ今日帰りによってあげよう。」  私は凝然と狭い庭をながめていた。そして心の中で柿の葉が散ったのを見て寂しくなったという友のことを考えた。  私どもはしばらく黙っていた。 「僕はどうしても死なないような気がするんだ。死ぬなんてことがありそうもないようにね。」  表は私の顔をじっと見た。弱い精のつきたような眼の底に何かしらぎらぎらと感情的な光を見せていた。私はそれには答えないで黙っていると、 「君はどう思うかね。死の予期というものがあるだろうか。」 「さあ。僕はいまどうと言って言えないが、死の瞬間にはあるだろうね。」 「死の瞬間——死の間際《まぎわ》だね。」  とかれはまた考え沈んだ。かれはまた永い間経《た》って言った。 「僕はお玉さんのことを母に言おう言おうとして言えないよ。僕はあのことを言わないで置きたいのだ。母にも姉にも心配をかけ通しだからね。」  私も時時表のお母さんにいっそ言った方がよかないかと考えたが、やはり言い出せなかった。表の顔を見ると決していえないような気がした。いろいろな自由な生活をした放埓《ほうらつ》さがどうしてもお母さんに今更ら表に女があるといえなかった。 「そうね。言わない方がいいね。知れる時には知れるからね。」 「知れる時には知れる——」  と表は口ごもって神経的に目をおどおどさせた。私は表が殆んど此前に会ったときよりも、非常に神経過敏になったことや、少しずつあの大胆なやり放しな性格が弱ってゆくのがだんだん分って来た。  私は間もなく暇《いとま》を告げて立ちかけると、 「明日来てくれるかね。」 「明日はどうだか分らない。来られたら来るよ。」 「来てくれたまえ。臥ていると淋しくてね。待っているからね。」  と、私の顔をいつもにもなく静かではあったが、強く見詰めた。私はややうすくなった友の髪を見ると、急に明日も来なければならないと思った。 「きっと来るよ。それに『邪宗門』が著《つ》いたから持ってくるよ。」 「あ。『邪宗門』が来たのか。見たいなあ。今夜来てくれたまえ。」  表は急に昂奮《こうふん》して熱を含んで言った。 「明日来るから待っていたまえ。じゃさよなら。」 「きっとね。」  私は街路へ出ると深い呼吸をした。  公園の坂をあがりかけると、もう蝉《せみ》の声もまばらになって、木立が透いて見えた。私はお玉さんの茶店へよった。  折よくお玉さんが出て来た。私は何かしら顔が赤くなったような気がした。いつも会っていたけれど一人のときはすくなかったからである。 「いらっしゃいまし、よくこそ。」  とお玉さんは、なめらかな言葉で言った。しばらく見ない間に余計に美しく冴えた顔をしていた。 「表はとうとう床につきました。きょう寄ってきたんですが——そう言っておいてくれとのことでした。しかし大したことはないんです。」と私は言った。 「まあ。わたしもそんな気がしておりましたの。そしてひどいことはないんでしょうかしら。」 「え。しかしだいぶ痩《や》せました。」  私どもは暫く黙っていた。突然お玉さんが言った。 「やっぱりあの病気でしょうか。あの病気は仲仲なおらないそうですってね。」 「十に九までは駄目だと言いますね。しかし表君はまだそれほど心配するほどでもありませんよ。」  お玉さんの目ははや湿《しめ》っていた。生一本な娘らしい涙をためた美しい目は、私の感じ易《やす》い心を惹いた。そして女は涙をためたりする時に、へいぜいより濃い美しさをもつものだという事を感じた。 「こんど何時いらっしゃいますの。」 「明日もゆきます。お伝言《ことづけ》があったら言って下さい。」  お玉さんは稍稍《やや》ためらっていたが、 「どうぞね。おだいじになすって下さいと言って下さいまし。わたしもお癒《なお》りになることをお祈りしておりますから。」  私は表とお玉さんの交情が、あたかも美しい物語りめいたもののような気がして、私の表に対する懐しい友愛は、とりもなおさずお玉さんを愛する情愛になるような気がするのであった。二人をならべて見るとき、私のかたよった情熱はいつもこの二人をとり揃《そろ》えて眺めることに、より劇《はげ》しい滑らかな愛をかんじるのであった。 「あなたは本当に表を愛しているのでしょうね。」  と私は思わず言った。そしてお玉さんが顔を赤めたとき、言わなくともよいことを言ったと思った。 「ええ。」  と、お玉さんは低い声ではあったが、心持のよい声で言った。そして、 「うちのものがうすうす知っていて、ずいぶんなことを言いますけれど……」  私は力をこめて、 「表はいい人です。永くつきあってあげて下さい。」 「ありがとうございます。」と涙ぐんだ。  私は間もなく別れを告げた。藤棚の下の坂道を下りかけると、見送っていたお玉さんがいそいで走って来て、そしてもじもじしながら、 「あの——わたしお願いがございますの。」と低い声で言った。  あたりはもう暮れかけて涼しさが少し寒さを感じさせるほどになっていた。お玉さんはぴったり私により添って、 「いちど逢わして下さいまし。」  と、思い詰めたように言った。彼女の顔から発散する温かみが遠い炭火にあたるように、私の頬につたわった。それに烈しい髪の匂いがした。 「それは私も考えているんですけれど、表はそとへ出られないし、あなたは公然と訪ねて行けませんしね。」 「ほんとに私わがままを言いましたわね。ごめんなさいましね。」  彼女はじっと地べたを眺めて言った。その細いきゃしゃな襟首《えりくび》がくっきりした白さで、しずかに呼吸につれてうごいた。 「わたし、わるうございました。失礼します。」  と、彼女は坂を上って行った。重い足どりが坂を下りて行く私にきこえなくなると、私は何気なく振りかえると、お玉さんは停《とま》って私の方を見送っていた。その愁《うれ》わしげな姿は私をして胸をおもくした。  私は翌朝、父に表の病気の一日も早く全快するように誦経《ずきよう》してくれるよう頼んだ。父は、法衣《ころも》を肩にまきつけながら、 「あのお人かい。そりゃお気の毒だ。お経をあげましょう。」と言って本堂へ上って行かれた。  私もじっと父の誦経が降るようにきこえる下の壇で、一心に静かに祈っていた。どうにもならない病気とは知りながらも、何故かよそから力が加わることを信ぜずには居られなかった。父の枯れ込んだ腹の底からな声は、古い本堂の鐸鈴《す ず》にひびいたりした。厳《おご》そかな一時間がすぎた。  父は本堂を降りて来られた。その顔は憂わしげな、なにか不吉なものの予言に苦しめられているようであった。  父は言った。 「おいくつかね。」 「十七なんです。」 「実はね。お経中にお燈明が消えてしまったのじゃ。その方《かた》はむずかしいようだね。時時そういうお燈明のきえたことがあるが、そんなときはむずかしいね。」  と、父は私の顔をみつめた。 「ほんとうでしょうか。」 「疑いなさんな。」  と言葉少い父は次の茶室へ這入って行った。私は信じていいか悪いか決める事ができなかった。  午後、私はしきりに表のことが考えられて仕方がなかった。病み衰えた蒼白い顔が目にうかんだ。それが静かに室の隅の方で私の名を呼んだ。「室生君」という声がきこえた。私はすぐに友を訪ねるために外へ出て行くのであった。  私は果物をすこし買った。  友の家の前で私は永い間、聴耳を立てて何事か起っては居はしないかと窺うていたが、家の中は寂しく静かであった。ときどき力のない咳の音がした。私はその音をきくと、とんと胸を小衝《こづ》かれたような恐怖をかんじた。やはり悪いのだなと思いながら入った。  表は私の顔を見ると嬉しそうに、飛びかかるように言った。 「よく来てくれたね。今朝から表の方で下駄の音がすると、君が来てくれたのかと幾度も幾度も立ちかけたんだ。——君はいま表でじっと内の様子をきいていたろう。下駄の音が突然やんだので分ったよ。」  私はぎくりとした。けれども嘘はいえなかった。 「ずいぶん過敏になっているね。」  と私は表のお母さんが座をはずした隙《すき》に、 「昨日お玉さんに会って話しておいたよ。」 「そう。ありがとう。」  と、表は私から報告される言葉を期待しているように、目をかがやかした。 「あの人は君を愛しているね。君がねていると言ったら、だいじにしてくれるように言っていたよ。」  表は黙っていた。 「でね。いちど逢いたいって——僕は何だか気の毒だった。ほんとに優しい人だね。君は仕合せだ。」 「でも女はわからないよ。心の底はどうしても分らないよ。」 「でも君の人は君を心から愛しているよ。感謝したまえ。」  表はいつかしたような疑い深そうに、自分の手を見つめていたが、 「僕だって愛されていると思うが、何故か信じられなくなってね。僕はいろいろなことを考えると生きたいね。早く癒ってしまいたいね。」 「きっとよくなるよ。林檎《りんご》をやらんか。」 「ありがとう。少しやろう。」  私は林檎の皮をむき出した。林檎はまっかな皮をだんだんにするするとむかれて行った。表はそれを眺めていたが、 「こんど手紙をもって行ってくれたまえ。たのむから。」と、やや明るい言葉でいった。 「いいとも。かきたまえ持って行くから。」 「その林檎はいい色をしているね。」 「あ。」  私達はこの柔らかい果物をたべていた。突然また表が言った。 「逢いたい気がするね。」 「よくなってからさ。」  この西町の午後は静かで、そとの明るい日光が小さい庭にも射し入っていた。私はそれを見ていたが、約束の『邪宗門』を出して見せた。 「もう出たんだね。」  表は手にとって嬉しそうに見た。草刷のような羽二重をまぜ張った燃ゆるようなこの詩集は彼を慰さめた。感覚と異国情調と新しい官能との盛りあがったこの書物の一ページ毎に起る高い鼓動は、友の頬を紅く上気せしめたのみならず、友に強い生きるちからを与えさえした。  友はこの書物をよこに置いて、 「此間短いのを書いたから見てくれ。」とノートを出して見せた。  ノートも薬が沁み込んで、頁をめくるとパッと匂いがした。私はしばらく見なかった作品を味うようにして読んだ。 この寂しさは何処よりおとづれて来るや。 たましひの奥の奥よりか 空とほく過ぎゆくごとく わが胸にありてささやくごとく とらへんとすれど形なし。 ああ、われ、ひねもす坐して わが寂しさに触れんとはせり。 されどかたちなきものの影をおとして。 わが胸を日に日に衰へゆかしむ。  私はこの詩の精神にゆき亙《わた》った霊の孤独になやまされてゆく友を見た。しかも彼は一日ずつ何者かに力を掠《かす》められてゆくもののように、自分の生命の微妙な衰えを凝視しているさまが、私をしてこの友が死を否定していながら次第に肯定してゆくさまが、読み分けられて行くのであった。 「病気になってから書いたんだね。」 「四五日前にかいたのだ。やはりその気持から離れられないのだ。」  私だちはまた暫く黙っていた。表はその間に二三度咳をした。ちからのない声は、私をして面をそむけさせた。私はときどきは伝染《うつり》はしないだろうかという不安を感じたが、しかしすぐに消えて行った。  私は間もなく別れてかえった。かえるときにひどく発熱していた。  もう夏は残る暑さのみ感じられるだけで、地上の一切のものは凡《すべ》て秋のよそおいに急ぎつつあった。寺の庭の菊がつぼみをもったり、柿が重そうに梢《こずえ》にさがり出した。けれども土は乾き切って白かった。なぜかそれらを見ていると、夏の終りから秋の初めに移る季節のいみじい感情が、しっとりと私のこころに重りかかってくるのであった。  秋のお講連中が三十三ヶ所の札所廻りに、よく私の寺の方へもやって来た。寂しい白の脚絆《きやはん》をはいた女連れのなかに、若い娘たちも雑《まじ》っていた。それらの連中が観音さんのお堂の前で御詠歌を誦《よ》んで去ると、賑《にぎ》やかで寂しい一と頻《しき》りの騒ぎが済んだあとゆえ、ことに秋らしい淋しさを感じるのであった。  私は毎日詩作していた。友が病んだ後は私一人きりな孤独のうちに、まるで自分の心と一しょに生活をするように、川近い書斎にこもっていた。  その日も表をたずねた。この友は四五日見ない間に非常に瘠《や》せ込んで、もう臥たきりで起き上らなかった。 「どうかね。きっと快《よ》くなると信じて居れば快くなるもんだよ。」  と言うと、かれは白いような、淋しい微笑を浮べた。それが自分の病気を嘲《あざけ》っているようにも、また私が彼の病気にかかわっていないことを冷笑しているようにも受けとれるのであった。深刻な、いやな微笑であった。 「どうも駄目らしく思うよ。こんなに瘠せてしまっては……」  と友は手を布団から出して擦《こす》って見せた。蒼白い弛《ゆる》んだつやのない皮膚は、つまんだら剥《は》げそうに力なく見えた。 「ずいぶん瘠せたね。」  と私は痛痛しく眺めた。 「それからね。お玉さんと君と友達になってくれたまえな。僕のかわりにね。この間から考えたんだ。」  と、かれは真摯《しんし》な顔をした。私はすぐ赤くなったような気がしたが、 「そんなことはどうでもいいよ。快くなれば皆して又遊べるじゃないか。何も考えない方がいいよ。」 「そうかね。」と力なく言って咳入った。  と、彼は突然発熱したように上気して、起き直ろうとして言った。 「僕がいけなくなったら君だけは有名になってくれ。僕の分をも二人前活動してくれたまえ。」  私はかれの目をじっと見た。眼は病熱に輝いていた。 「ばかを言え。そのうち快くなったら二人で仕事をしようじゃないか。」  と、はげましたが、友はもう自分を知っていたらしかった。あのような衰えようはこの頑固な友の強い意志をだんだんに挫《くじ》いた。  しかし彼はまた言った。 「僕が君に力をかしてやるからね。二人分やってくれ。」 「僕は一生懸命にやるよ。君の分もね。十年はやり通しに勉強する。」  と、私はつい昂奮して叫んだ。  二人は日暮れまでこんな話をしていた。間もなく私はこの友に暇を告げてそとへ出た。そとへ出て私は胸が迫って涙をかんじた。秋も半ばすぎにこの友は死んだ。  表の葬《とむら》いの日は彼岸に近い寂しく白白と晴れた午後で、いよいよ棺《ひつぎ》が家を出るとき、お玉さんが近所の人込みの間に小さく挟《はさ》まれたようにひっそりと唯一人で見送っているのが、いじらしいその涙ぐんだ眼とともに私の目にすぐに映った。参詣《さんけい》人といってもわずか四五人の貧しい葬いは、長長とつづいた町から町を練って野へ出て行った。野にはもう北国の荒い野分《のわき》が吹きはじまって、黍《きび》の道つづきや、里芋の畑の間を人足どもの慌《あわただ》しい歩調がつづいた。  表の短い十七年の生涯は、それなりでも、かなりな充実した生涯であった。私はかれがいろいろな悪辣《あくらつ》な手段をもって少女を釣ったり、大胆な誘惑を、しかも何等外部から拘束せられることなく、また少しも顧慮しないで衝《つ》き進んだこともだんだん私の心の持ちようにも染《し》みてゆくところがあった。しかしまた一面には何ともいわれない優しい友愛をもっていたことも忘られないことであった。  葬いが済んでから、私は家へかえって寂しい日を送って行った。ある日、公園のお玉さんのところへ行ってみるような気になった。いちど行こうと思いながらも、死んだ友人の愛した女を訪ねてゆくということが、しきりに気が咎《とが》めてしかたがなかった。一つには、もう表も居なくなったら、却ってゆっくりお玉さんと話ができるという邪魔者のない明るい心持と、表もいろいろな悪いことをやったのだから、私があの人と交際したって構うものかという心と、も一つは、死んだ魂の前に対する深い恥かしさとが、私をしてつい彼女を訪ねさせなかった。  もう公園の芝草のさきが焦げはじめて、すすきや萩《はぎ》の叢生《そうせい》したあたりに野生の鈴虫のなきさかるころで、高い松の群生したあたりをあるくと、自分の下駄の音が、一種のひびきをもつほど空気が透《とお》った午後であった。  茶店へよると、お玉さんが出て来た。そのしおらしい赤い襷《たすき》もよく冴えて、はっきりと目にうつった。 「よくいらしって下さいましたわね。」と言って、彼女はいちはやく私を見ると、すぐ表を思い出して涙ぐんだ。私も二人きりで会ったことがよけいないだけ、すぐに彼女の眼の湿《うるお》うたのに誘われながら、やや胸が迫るような気がした。  私たちはいろいろなことを話した。死んだ表がたえず私だちの間に、しょんぼり坐っているようにも思われたりした。そして、いつか「お玉さんと交際してくれたまえ。君となら安心できるから。」と表が言ったことを思い出した。よそのひとなら僕は死にきれないが君となら安心できると言った表は、自分でそう言いながら寂しい顔をした。 「これから時時いらしって下さいまし。わたし本当にお友だちがないんですから。」と、彼女は言った。  人間一人の死は、私と彼女との間にはさまって、ことに娘らしい弱い彼女をだんだんに安心させて私に近づかせて来るようであった。私は私で、表の死んだのを餌にしているような心苦しさを気にしながら、なれやすい優しい女の性《さが》からくる親しみをすこしずつ感じた。 「あの方のことはもうおっしゃらないで下さいまし。わたしいろいろなことを思い出して悲しくなりますから。」と言った。  私はそれを聞くと、彼女ができるなら少しでも表のことを忘れるようにつとめているのを感じた。私はそれが物足りない気がした。また一方には死んだものをいつまでも慕うていることも、しおらしい彼女にとってはしかたがないことであったが、なんだかこれまで経験したことのない妬《ねた》ましさをもかんじた。 「表さんの病気はうつるって言いますが本当でしょうか。」とお玉さんは言った。  それと同時に私も表と一しょによく肉鍋をつついたり、酒をのんだりしたことを思い出して、自分にも伝染しては居ないかと、一種の寒さを感じた。 「食べるものからよく伝染《う つ》ることがありますね。からだの弱い人はやはりすぐにうつりやすいようです。」  と言いながらも、いつか表が咳入っていたとき、蚊のような肺病の虫が、私の坐ったところまでぱっと拡がったような気のしたことを思い出した。そのときは、なに伝染るものかという気がしたし、友に安心させるためにわざと近近と顔をよせて話したことも、いま思い出されて、急に怖気《おじけ》がついて来て、とりかえしのつかないような気がした。 「わたし此のごろ変な咳をしますの。顔だって随分蒼いでしょう。」  というのを見ると、はじめて会ったころよりか、いくらか水気をふくんだような青みを帯びているように思われた。そして私はすぐに表と彼女との関係が目まぐるしい程の迅《はや》さで、二つの唇の結ばれているさまを目にうかべた。あの美しい詩のような心でながめた二人を、これまでいちども感じなかった或る汚なさを交えて考えるようになって、妬みまでが烈しくずきずきと加わって行った。いま此処にこうした真面目な顔をして話をしていながら、いろいろな形を亡き友に開いて見せたかと思うと、あの執拗な病気がすっかり彼女の胸にくい入っていることも当然のように思えるし、また何かしら可憐な気をも起させてくるのであった。また一面には小気味よくも感じ、それをたねに脅《おど》かしてみたいような、いらいらした気分をも感じてくるのであった。そうかと思うと、彼女と表との関係があったために、このごろ毎日家で責められていたり、すこしも寛《くつ》ろいだ気のするときのないことや、よく表に融通したかねのことなどで絶えず泣かされることを聞くと、私は「表もずいぶん酷《ひど》いやつだ。」と考えるようにもなった。 「みんな私がわるかったんですから、わたしあの方のことなんかすこしも怨《うら》みません。」と言って私を見た。 「表ももうすこし生きて居れば、何とかあなたのことも具体的にできたのでしょうけれど。」  と私は言いながらも、いつも表の感情が決して的確な地盤の上で組み立てられていないことを、ことにお玉さんの身の上にもかんじた。表はただ享楽すればよかった。表は未来や過去を考えるよりも、目の前の女性をたのしみたかったのだ。私は表のしていたことが、表の死後、なおその犠牲者の魂をいじめ苦しめていることを考えると、人は死によってもなおそそぎつくせない贖罪《しよくざい》のあるものだということを感じた。本人はそれでいいだろう。しかし後に残ったものの苦しみはどうなるのだろうと、私は表の生涯の短いだけ、それほど長い生涯の人の生活だけを短い間に仕尽して行ったような運命の猾《ず》るさを感じた。 「このごろ死ぬような気がしてしようがないんですの。」 「あんまりいろいろなことを考えないようにした方がいいね。」 「でもわたし、ほんとにそんな気がしますの。」  と、女のひとにありがちな、やさしい死のことを彼女も考えているらしかった。私はまたの日を約して別れた。  十一月になって、ある日、どっと寒さが日暮れ近くにしたかと思うと、急に大つぶなカッキリした寒さを含んだ霰《あられ》になって屋根の上の落葉をたたいた。その烈しい急霰《きゆうさん》の落ちようは人の話し声もきこえないほどさかんであった。私が書院の障子をあけて見ると、川の上におちるのや、庭のおち葉をたたきながら刎《は》ねかえる霰は、まるで純白の玉を飛ばしたようであった。私は毎年この季節になると、ことにこの霰を見ると幽遠な気がした。冬の一時のしらせが重重しく叫ばれるような、慌《あわただ》しく非常に寂しい気をおこさせるのであった。父は茶室にこもりはじめた。しずかな釜鳴りが襖越《ふすまご》しに私の室までつたわって来た。「お父さんはまたお茶だな。」と思いながら私は障子をしめた。梅が香の匂いがどの室で焚《た》かれているのか、ゆるく、遠くただようてきた。  私は夕方からひっそりと寺をぬけて出て、ひとりで或る神社の裏手から、廓町《くるわまち》の方へ出て行った。廓町の道路には霰がつもって、上品な絹行燈《きぬあんどん》のともしびがあちこちにならんで、べに塗の格子の家がつづいた。私はそこを小さく、人に見られないようにして行って、ある一軒の大きな家へはいった。 「先日は失礼しました。どうぞお上りなすって下さいまし。」  と、二階へ案内された。私はさきの晩、なりの高い女を招《よ》んだ。私はただ、すきなだけ女を見ておればだんだん平常の餓えがちなものを埋めるような気がした。 「金毘羅《こんぴら》さんの坊ちゃんでしたわね。いつかお目にかかったことのある方だと思っていたんですよ。」  と言って、小さい妹芸者を振りかえって笑った。私はいつも彼女を寺の境内で、そのすらりとした姿をみたときに逢って話したいと思っていて、こうしてやって来て、いつも簡単に会えるのがうれしかった。 「雨のふるのによく入らしったわね。」  と、彼女は火鉢の火を掻《か》いた。この廓のしきたりとして、どういう家にもみな香を焚いてあった。それに赤襟《あかえり》といわれている美しい人形のような舞妓がいて、姉さんと一しょに座敷へやって来るのが例になっていた。 「お酒を召しあがりになりますの。」  と、彼女はちょいと驚いた。 「すこしやれるんだから、とって下さい。」  と、このごろ少しくやれる酒を言い附けた。 「あなたはいつも黙っているのね。」  と、女は手持無沙汰らしく言った。私はべつに話すこともなかったし、妙に言葉が目まいしたように言えなかった。それにこの廓町へはいると、いつもからだが震えてしかたがなかった。ことに女と話していると、その濃厚な大きい顔の輪郭や、自分に近くどっしりと坐っているのを見ると、一種の押されるような美しくもあやしい圧迫をかんじた。それがだんだん震えになって、指さきなどがぶるぶるして来るのであった。お玉さんなどと会っていても身に感じなかったものが、いつも此処《こ こ》では感じられてくるのであった。 「じっとしていらっしゃい。きっと震えないから。」  と女は言ったが、じっと力をこめていてもやはり手さきが震えた。こらえれば、こらえるほど烈しい震えようがした。そこでは、いつも時間が非常に永いような気がした。たとえば女と私とが僅か三尺ばかりしか離れていないために、女のからだの悩ましい重みが、すこしずつ、その美しい円いぼたぼたした坐り工合からも、全体からな曲線からも、ことにその花花しい快活な小鳥のくちのように開かれたりするところからも、一種の圧力をもって、たえず私の上にのしかかるようで、弱い少年の私の肉体はそれに打ちまかされて、話をするにも、どこかおずおずしたところがあるのに気がついた。 「妾《わたし》ね。昨日もおまいりに行ったとき、あなたがもしも境内にでも出ていらっしゃらないかと思って、しばらく廊下にいましたの。」 「僕は奥にいるからめったに外へ出たことがない——」と、女がなんだか、ありそうもないことを言ったようで変な気がした。それにしきりに先刻から寺のことが考えられて仕方がなかった。父のことや、父を欺《だま》して貰って来た金のことなどが、たえず頭のなかで繰り返されて来て、落ちつかなかった。たとえば私のこんな遊びをしている間に、ひょっとしたことから火事でも出たら大変だという懸念《けねん》や、何か特別な天災が起って来そうに思われて仕方がなかった。ことに此麼《こんな》はでな座敷のいろいろな飾り立てや、女のもって来た三味線や、業業しく併《なら》べ立てられた果物の皿などが、寺の静かな部屋とくらべて考えると、ここに坐っているだけでも非常な悪いことのような気がした。しまいには、ひとりで顔が蒼《あお》くなるほど煩《うるさ》く種種なことを考え出して胸が酸《す》っぱくなって一時も早く帰らなければならないような気がした。 「僕は今夜はすこし急ぐから。」と言って立ち上った。 「もっとゆっくりしたっていいじゃありませんか。あまり晩くなるとお家へいけないでしょうが、でもまだ九時よ。」  と引止められても、私はどうしても帰らなければならない気がして、外へ出た。  寺へ帰ると、父の顔が正視できないような、今までいたところをすっかり父が知っているような気がした。 「だいぶ遅いようだが若いうちは夜あまり外出しない方がいいね。」  と、父がやさしく言う。 「つい友達のところで話し込んでしまったものですから。」  と、逃げるように自分の室へはいるのであった。  自分の室はすぐ縁から犀川の瀬の音がするところにあった。今夜はなぜかその瀬の音までが、いつものようにすやすやと自分をねむらせなかった。私はながい間目をさましながら、もっと女のところに居ればよかったとも考えた。 「あなたのようなお若い方はおことわりしているのですが、おうちをよく存じ上げているものですから……」  というおかみまでが、しみじみした、これまでにない或る種類の人情をかんじた。しかし私は座敷へ呼んで見た女が、どうしても寺へお詣りに来て、いつもちゃんと坐って熱心な祈願に燃えている有様と、まるで別人のような気がしてならなかった。その合掌して、目を閉じて頻《しき》りにすすり泣くようなこえをあげて祈っているのが、記帳場にいてもそれときき分けられるほど、鋭い艶艶《つやつや》しい性慾的であるのに、会っていると、あれほどの刺戟《しげき》性もなければ美しさもなかった。それに彼女の銀杏《いちよう》返《がえ》しが本堂内で見るとき、天井から吊《つる》しさげられた奉納とか献燈とか書いた紅提灯との調和が非常によく釣り合っているのにくらべて、目の前で見ていると、ただの女のようで味気なかった。私の求めて行ったものがいつも失われているような気がした。  その結果、私はもう行くまいと考えたり、自分がああいうところに行くようになったことを非常にわるいことに考えられて仕方がなかった。  私はひとり机に向っているときでも、いろいろな恋の詩をかいたり、または、いつまでも一つところを見て、何をするということもなくぼんやりしていることが多かった。妙にからだ中がむずがゆいような、頭の中がいらいらしくなって、たえず女性のことばかり考えられてくるのであった。たとえば自分の蒼白い腕の腹をじっと見つめたり、伸ばしたり曲げたりしながら、それが或る美しい曲線をかたちづくると、そこに強烈な性慾的な快感を味ったり、自分で自分の堅い白い肉体を吸って見たりしながら、飽きることのない悩ましい密室の妄念《もうねん》にふけっているばかりではなく、ときとすると、新聞の広告に挿入《そうにゆう》されたいまわしい半裸体の女などを見ると、自分の内部にある空想によって描かれたものの形までが手伝って、永い間、それを生きているもののような取扱いに心は悩みながら、快感の小さい叫びをあげながら、その美しい形を盛りあげたり、くずしてみたりするのであった。  朝朝の目ざめはいつもぼおっとした熱のようなものが、瞼《まぶた》の上に重く蜘蛛《く も》の巣のように架《かか》っていて、払おうとしてもとりのけられない霞《かすみ》のようなものが、そこら中に張りつめられているようで、懶《ものう》い毎日がつづいた。  私はふらふらとそとへ出た。  霰が二三度降ってきてから、国境の山山の姿は日に深く、削り立てたような、厚い積雪の重みに輝いていた。磧《かわら》の草はすっかり穂を翳《かざ》しながら、いまは、蕭蕭《しようしよう》とした荒い景色のなかに顫《ふる》えて、もう立つことのない季節のきびしい風に砥《と》がれていた。誰しも北国に生れたものの感じることであるが、冬のやってくる前の息苦しい景色の単調と静止とは、ひとびとの心にまで乗りうつって、なにをするにも鈍な、かじかんだところが出て来るのであった。  向河岸の屋根は曇った日のなかに、そらと同じい色にぼかされ、窓窓の障子戸ばかりがさむざむと水面に投影しているのが眺められた。私はそれから坂をあがって、公園の方へ出た。  冬のはじまりは公園の道路に吹きしかれた落葉にも、掛茶屋のぴったり閉めきった障子戸にも、刈り込められた萩の坊主株が曲水のあちこちに寂しくとり残されたあたりにも感じられた。葉をふるいおとした明るい雑林に交って咲いたさざんかの冷やかに零《こぼ》れた土の湿り気は、もう、いつでも凍れるような荒さを夜毎の降霜や、霰にいためられながら、処処にむくれ上っていた。  私はその疎林を透して、やや下地になった噴水の方を見た。たたた……たたた……と水面をたたいて落ちる飛沫《ひまつ》は、小さい其処《そ こ》にあるつつじの葉ッ葉をぬらして、たえまなく、閑寂な、冷やかな単調な音をつづっていた。私はしゃがんで、表がよくここらでお玉さんとあいびきしたことを考えた。すぐ噴水のそばに彼女の家があったが、ひっそりと静まりかえった障子戸のうちは、深い山里の家のような寂しさを私に思わせた。ことにこの頃になると散歩する人もなくなっていたから、いたずらに掃く園丁の忠実な仕事振りも、ただ、そこらの道路をひとしお寂しく白白と眺めさせるのみであった。  私はお玉さんの家の前へ行った。そして「ごめんなさい。」というと、なかからひそひそ声がした。それは誰の声とも分らなかったが、なぜかしら不安な気をおこさせた。そのひそひそ声が止むと、お玉さんのお母さんが出てきた。二三度会っていて知っていた。 「入らっしゃいまし。」と言ったが、私はその母なるひとの顔を見ると、何か取り込んだ落ちつかぬ色を見た。「お玉さんは。」というと母親は私のそばへ寄るようにして、 「実は先日からすこし加減をわるくして寝《やす》んでいますので……」  といわれて、私はぎっくりした。すぐ、この前に会ったときの蒼い水気をふくんだ顔をすぐ思い出した。 「うつったな。」という心のなかの叫びは、すぐに、「やられたな。」とつぶやいた。 「よほどお悪いんですか。」 「え。よかったり悪かったりして、お医者では永びくだろうと言ってらっしゃいましたが、やはり表さんと同じい病気だと思うんでございますよ。」  と言った。いくらか皮肉なところもあったので、私は、 「御大切になさい。どうかよろしく言って下さい。」と、すぐ表へ出た。  私は途途《みちみち》、あの恐ろしい病気がもうかの女に現われはじめたことを感じた。私自身のなかにも、あの病気がありはしないだろうかという不安な神経をやみながら、あの小さい少女らしい可憐《かれん》な肉体が、しずかに家に横臥《よこた》えられていることを考えると、やはり表のように、とても永くないような気がした。私はじっと噴水のたえまなく上るのを見ながら沈んだ心になって、公園の坂を下りて行った。 「わたしこのごろ死ぬような気がしますの。」  と此間言っていた言葉が、真実にいま彼女の上に働きかけていることを感じた。 ヒッポドロム  曇天の灰白い天幕が三角型に、煉瓦《れんが》の塔の際に、これも又曇った雪ぞらのように真寂《まさび》しく張られてあった、風の激しい日で、風を胎《はら》んだ天幕の脚《あし》が、吹き上げられ、陰気な鳴りかぜが耳もとを掠《かす》めた、その隙間《すきま》に、青い空が広濶《こうかつ》とつづいていた。  真赤な肉じゅばんを着た女が、飴色《あめいろ》の馬上であきの蜻蛉《とんぼ》のような焼けた色で、くるくる廻っていた。馬の顔はだんだんに膨《ふく》れ、臼《うす》のようになったところに、女の紅い脚は、さかさまにぐいと衝き立てられ、踵《かかと》の、可愛い靴さきが腰部から次第に細まっているだけ、なお、馬の背中の上の、これも逆《さかさ》に顎《あご》さきを立てた顔が捩《ね》じられた。——くるくる廻っている馬の影が、柔らかい木屑の土俵の上に、ちぢまりながら趁《お》い行き、ふくれて停まるとき、れいの臼のような顔だけが映っていた。  ふしぎなことは紅い服の女の姿は、まるで小さい影絵のようにふらふらしている間に、フイに消えてしまった。そしてこんどは、暗い肌衣《はだぎ》をした蝙蝠《こうもり》色の瞳をした女が、はりがねの上をつるつる辷《すべ》っていた。鬼灯《ほおずき》色《いろ》の日傘をさし、亀甲《かめのこう》のような艶《つや》をした薔薇《ば ら》色の肌をひらいて、水すましのように辷っては、不思議なうすい藍《あい》ばんだ影を落していた。何んでもないことだが、一ト渡りすると、微笑《わ ら》ってみせるので、美しくけはい立って見えた。というより、この異国の女の鼓動が胸を透して優しい花のように文字どおりに、すこしずつ高まったり低くなったりして、ちかちかした胸衣の飾り玉の青や黄いろを煌《ひか》らせた。  しまいに、二つの膝がしらを揃《そろ》え、ぺたんこに坐ってしまって、よくある例の手〓《ハンカチ》を口に啣《くわ》え、地獄から今かえってきたような顔付をして見せたときに、わたしは少し不愉快だった。あそこまで見せなければならないこともないのに、フイに人目に立たないほどの厭気《いやけ》で、唾を吐いた。が、すぐにその顔は毒のない、よく芸人にみるうすばかめいた微笑にかえられたので吻《ほつ》とした。  間もなくわたしはマテニを見ることができた。この露西亜《ロ シ ア》女を見るだけに、しげしげ通っているのだが、さてどこがよいと言って明らかにはいえない。顔色も濁っている。瞳もうつくしくはない。だが暗い夜の肌衣を纏《まと》っている柔らかい肉体が、宙を舞うというばかりで好きなのではない。ただ何となく好ましいのである。楽隊の下から飛び出してくる最初の瞬間から……そう全く、右足で拍子を取って素早く片足ずつで飛び出してくる時から、わたしは好きになっているのである。  ……というのは、わたしは晩ねむられないときに、毎時《い つ》もブランコの上で、さか立ちをしたり巴《ともえ》のように舞ったり、不意に身がるに飛び下りたりするくせを持っていて、そのうちに睡れるのだ。宙にからだが浮くという気が羽根の上をわたるようなうす擽《くすぐ》ったさで、そしてかるがるしい気になり、遠いところにいる睡りをすこしずつ呼びもどすような気がするのだった。それ故、マテニは、わたしの睡りぐせを全く現実にしてくれるので、あるいは左《そ》ういう点からも好きになっているのかも知れない。それは一方から不意にブランコに飛びついて、その激揚に乗って、さきのブランコに乗っている男が、両手を提げているのに飛び移るのである。それが殆《ほと》んど一分間くらいの間にすらりと遣《や》ってのけてしまうのである。  その日、マテニは、腰と頸《くび》すじとに、白い布帯を巻いた青いうすものを着ていた。わたしはその青い服よりむしろ黒い服の方がこのましかった。間隙《かんげき》のない隆起と堆積《たいせき》との肉感を覗《のぞ》かせた姿は、全体としてつるつるあぶらを流したような滑らかさを持っていた。独逸《ドイツ》鯉によくみる肥りようと生々しさとを兼ね、どこかとかげのようなくねりの自由をもそなえていた。マテニは二人の若い露西亜人と一緒にかわるがわるに宙に飛びうつった。そのうちでもマテニは一番拙《つたな》い方であった。  彼女は鞦韆《ブランコ》の鉄棒を握るとき右の手は内へ向けて握り、左はいつもそとへ向けた。X印になるわけである。手もとへ引きよせた鉄棒は、下からの高さが四間は充分にあった。それを握ると、すらりとあぶら流しに足さきを揃え、前へハネ、うしろへ弯曲《わんきよく》させて惹《ひ》くときには、もうブランコはさきのうつ向きになり、これもゆるく揺れている男の両手へ向っているのだった。それゆえ、その一と呼吸で男の手にぴたっと飛び乗り、乗りうつると、大揺れに、ぐいと天幕のうらへまでとどく位に、揺れ傾くのだった。そのとき、うしろ向きの向きをくるっと手に握りかえ、さきに離したブランコの揺れ近づいたときに、はっとする間もなく、飛び移るともう空宙をひとうねりして、もとの踏み場へもどるのだった。彼女のあぶらながしのからだがしなって、足さきをそろえたまま、白い曇った天幕うらへ浮くときに、つまり男の手の向きをかえるときに、その日も、向きの握りをしくじり、そのままの優しいからだが浮いたまま、墜落してしまった。下には網を張ってあるから大丈夫ではあるが……。  しかし私のいうのは、そのブランコをしくじり、空中から網へ落ちてゆくときの、そのなめらかさだった。人間が空間に浮いているときの、わけても重い花のようなからだが鈍に、なるままに辷って落ちるときに、わたしは、ながれている身体じゅうの線が、ただの線ではなく凡《すべ》て美しいゆるい水のように見えた。いちど網へ落ちたあとで、網は張り工合でマテニのからだをハネ返した。そのときの円状をえがいた自然なからだは、ときにはまるいゴム玉のように飛び上った。そういう失敗のあとでは彼女は真赤な顔をし、そして再《ま》た遣りなおしたりした。わたしは左《そ》ういう失敗のあるごとに、マテニを好ましくかんじた。それは芸人によくみる高慢さもなければ澄ましたようなところもなかった。帝政時代にはどこかの娘として生い立ってきたような温雅な、ひとのよい、おっとりした顔立ちをしていた。わたしは最後に彼女がそのよく肥えたからだをとかげのように、ブランコの上に潜《くぐ》らせ、黒い百合のように捩《ね》じらせたときに、全くふいにさきのブランコに飛び乗ったときに、深く嘆賞した。しかもそのブランコを離れたときの、きれのよい足さきがくの字なりに、空をよぎったときに、なんだか滴《しずく》の垂れる花をみたような気がしたのだ。  また或る日に、真赤な肉じゅばんの、青いバンドの入った優しい悪鬼のような姿で、はれイ! と掛声《かけごえ》をした彼女を見た。足のさきまで、秋の日照りに冴《さ》えた唐辛《とうがらし》の莢《さや》のように鋭く、かっと、輝き出し、彫り込んだように際《きわ》立ち、そして瞬間のうちに散ってしまった。ただ何のことはない、紅い線からなる滑らかな優しい悪鬼は、微塵《みじん》のような羽虫のように目にくッついて離れなかった。再た或る晩のマテニは、純白のしなやかな光る服で、そのすこし紅みを濁らせた悲しげな表情で、わたしの目の前にあらわれた。ブランコから下り立ったときの女のあまいろの髪がそそけ、呼吸《い き》切れをしながら、いくらか隠々したれいの悲しげな表情で、すこしずつ後退《あとず》さりながら、楽隊の下の重い粗末なカーテンの陰へかくれてゆくとき、わたしはそれが晩であるためか、残りおしいさもしい心になるのを感じた。白い夢のように純白な姿は、まだ空間をすべり歩いているようで、わたしは何度も人家の暗い屋後を瞻《み》入ったほどだった。——わけても晩は、電燈のあかりの中にさらされた身体が、芸人でありながらも余りにあざやかで、あまりに惨《むご》いものの美しさを剥《む》き立てていた。それゆえ、わたしは三度藍碧《らんぺき》の服をつけた彼女を明るい午後の、うすぼんやりした光で見いだしたとき、なぜか一種の悲哀をさえ感じた。それはあれらの曲馬団という概念にたいする悲哀でなく、何となく左ういう女の生活しているといういみじい或る概念に対してであった。わたしだち見物人と直接関《かか》わりのあるようで、それでいて全然別途な生活であるということが、そういう生活に指さきをも触れることのできないというもどかしい物悲しさであった。世にこれを恋というものの内容に追い入れようとするものがあれば、わたしは容易にうなずくに違いないと思われた。なぜだといえば、あまりにばかばかしくしかも余りに屡々《しばしば》わたしは同一人の芸風に足をはこんでいるからである。  も一つは私の空想であるところの、睡りくせであるところの、ブランコに移乗しながらいるからだ工合が、ますます激しくはびこってきたからである。私はよく目を閉じ、暗い己れの部屋のなかで、マテニの、その滑走をゆめ見たからである。鉄棒から手を離し、次の鉄棒に飛び移るときの、気の遠くなるような、すうと空間に浮き上る気もちは、左ういうしなやかな身体をだんだんに夢を見るような心にならしてしまった。わたしは寝床に這入《はい》ってから二時間ぐらい睡れないのであるが、其二時間というものはわたしは間断なく空間をゆききする、気の遠くなるような、空中移乗の瞬間を想像しているうち、ふしぎな睡眠にさそわれるのであった。ときにはどうかすると私自身すら手を辷らし、鉄棒からハッと思う間もなく身体を墜落してしまうのだった。そういうとき誰でもよく夢にみるように、何とも言われない浮々しいそれでいて昇降機で下降するときのような、陰気な冷たいズーンとした惹き呼吸を窒《つ》められるようで、厭な居ぐるしい気がして、睡りから醒《さ》めたりした。  それゆえ、わたしは彼《あ》の雑鬧《ざつとう》の公園で、さまざまな色彩を混ぜくり返した小屋がけの中で、しかも代赭《たいしや》色になった塔のわきに、雪の日の曇天のような天幕張りの、ツマんで吊したような白っぽい変に淋しい屋根をみるときに、いつも木戸口にがやがや立ち騒ぐ露西亜人の窪《くぼ》んだ眼窩《がんか》や、唐黍《とうきび》色の髭《ひげ》や日に焼けた色をみるとき、みんな露西亜を逃げ出してきた人々であることに気が付き、そして一様にだらりとした物憂い風俗をしているのを、よく心に沁《し》みて眺めることができた。なかには単にギタアとマンドリンを鳴らせるばかりに、親子五人づれで興味もなく出てくるのなどあった。どれもこれも一様に日本語がかなり出来るのも、妙にその発音が稚《おさな》い子供のように寂しかった。三日もつづけて通っている私は、彼らの道具をあつかったり、ハリガネを張ったり木屑を掃いたりして同じい仕草を、昨日と同じいようにのんびりと倦《だ》るそうにしているのを二度も三度も見ているわたしであるゆえに、これも又物憂そうな目付でながめ込むのであった。マテニの出ないときのわたしは、わざわざ忙しいひまを盗んででてきたことのはかな過ぎることや、少々ばかばかしい恥かしさを感じることや、誰か知りあいに見られはしないかと、そういう気ばかりあせりいらいらしていた。そのためか種々な危険を予想すべき筈の芸当が、だんだん目に馴れてしまってそれさえも物珍らしくなくなって了った。ただそういう仕業に慣れているために、本人は何んでもなく遣《や》っていて、それほど危ない命がけのほどのものでないという風に、わたしの心はずうずうしく馴れて了った。けれども何故かマテニの空中移乗をみるときには、ふしぎにそのふやけた気もちから離れて、いつもハッとして物に驚異する気もちを失わなかった。わたしの手には汗とあぶらと、その目には類いまれな花を翳《かざ》しつけられているように、その匂《にお》いにあこがれていた。こういう風に拙くそしてあらわに書いてしまうと口さがもなく罵《ののし》られそうではあるが、しかしわたしにとっては詢《まこと》にゆめかうつつのような空中移乗が、ゆめをそのままにあらわしてくれるのでわたしは、わたしの夢にさえひたって居ればよいのであるとしか考えられなかった。夢といえば何一つ夢でないもののない此の世はこうまでわたしの夢の符帳に合っているものはなかった。くらがりにそれと同じいブランコを攀《よ》じのぼるわたしをそのままに、女はきょうも昨日と同じい危険さと試練とに身をまかせ、そして蝙蝠《こうもり》いろの手と足とをひるがえした。アンネット、ケラマンの人魚をみたときに、わたしはこれと同じい姿勢とたわやかな美しさとを感じた。そういえば彼女はただに空中をかける人魚のむれであるか、それとも同じい柔らかい鳥類の一員ででもあろうか、いや、そういうものではない。何となくロップスの煤《すす》ばんだ熊手形の新月のさしこんだ窓際で、亀甲色をした肌にあぶらを練り込んでいる深夜の、足のさきまで黒い女のようで、それでいて何となく鳥類のなめらかな濡羽を畳み込んでいるような色をしていた。  あまりしばしば私はあたまを疲らせるごとに、よく天幕のそと側へ出、そして駱駝《らくだ》のつながれている小屋がけのそばへ行った。駱駝と同じい背だけに、ひわ色のすじの硬いまぐさが積まれ、それとすれずれに悲しげな駱駝の背中が二タ峰をつくり立っていた。わたしは無心でいつも秣《まぐさ》をたべている老齢者めいた駱駝が、同じ口つきで、ほんの少しずつの、味いのすくないとも思われる乾草を拾い拾いして食うているのを、かなりぼんやりした焦点のない心もちで眺めていた。粟《あわ》ばかり食べている小鳥のように、まぐさばかり食べている駱駝もさびしかろうと思えた。なぜかと言えば、そのうしろに積まれた乾草の山を若《も》し時々駱駝がふりかえり見て、そしてもし考え込んだとしたら耐《たまら》ないだろうとも思えた。あまりにまざまざと自分の食物を明日の分までを眺めるということは、それに何らかの考えが纏いつくとしたら寂しいだろうと思えたからである。  それにも一つ、其処《そ こ》の天幕の白い山のしたに、この駱駝がいたから、なおわたしの心をひいたのである。——わたしが佇《た》っている間に、れいの露西亜人のギタアを弾く男の子供が、汗をながして自転車に乗ることを稽古していた。外国の子供らしい白い額に清浄なとも思われるくらいの汗の玉が、美しくきらめいていた。わたしは又布地の厚い天幕をくぐって場内へはいったときに、れいの緋羅紗《ひラシヤ》の服でかっきりからだを固めた騎馬の女が、くるくる、火の輪をめぐらし、鞭《むち》の音が花火のように輝き音がしていた。わたしの目のうちに紅い長いものの影が映り近づきそして遠のいて消えたかと思うとその線は太まり光った。間もなく病的に蒼褪《あおざ》めた臼《うす》のような馬の大きな頭が、わたしの目路《めじ》ちかくに鼠色とはいえ明色ではない悒々《ゆうゆう》しい影をひいて停《とま》った。わたしはそれの影と同様につかれた心を引きずり、いくらか喘《あえ》いで、その臼様のかげをながめた。そのかげの中から、赤い緋羅紗の女が突然飛び出した。ふしぎにわたしの頭はその女が赤い足を二本ずつ立てているのを、さも珍らしいもののように眺めているうち、その隙間から向う側の見物席にいる子守めいた女が何か餅のようなものを食べているのを、遠いせいか写真のように縮《ちぢ》まっているのを眺めた。 音楽時計  階下では晩にさえなると、音楽時計が鳴りはじめた。ばらばらな音いろではあるが、静かにきいていると不思議に全《すべ》てがつながれ合った一つの唱歌をつづり合してきこえた。昨日も今夜も、毎日それがつづくのである。ネジがなくなるにしたがって、音色が次第に物憂くだるい調子になって、しまいには、まるで消えてしまうように何時《い つ》の間にか止《や》むのである。あとはしんとした小路の奥の、暗い椎《しい》の垣根をめぐらした古い家が、何一つ音もなく降りつづく雨にとざされているのであった。 「お母さん……」  又その弱々しい腹のそこから出たような声音が、二階のわたしの机のそばまで聞えた。わたしはその声を耳に入れると、梯子段《はしごだん》を下りて茶の間をあけた。  そこには痩《や》せて小さくなった白瓜《しろうり》のような顔が、ひくい電燈の光をうけて、すぐ私のほうを眺めた。病めば病むほど大きくなった瞳孔が澄んで懶《ものう》げに私のかおにそそがれた。 「いまね、お母さんが通りへ買いものにいらしったんです。だから用事があるなら言ってごらん。」  私はそう言って覗《のぞ》き込むと、小さい病人は黙って目をつむってしまった。物言うことも厭《いや》なような疲れた顔をしていた。 「言ってごらん。また遠慮をしているんでしょう。」  そのとき小さい病人はまたぽっかりと目をあけて私のかおを見た。そしてにっと柔《やさ》しく微笑《ほほえ》んで見せて、ちいさな声で、 「時計にネジをかけて下さいな。」と言って弱い竹紙《ちくし》のような微笑んだ皺《しわ》を頬にあらわした。 「あ、そうか、少しも気がつかなかった。」  私はすぐネジを巻きはじめた。その手つきを病人は愉《たの》しそうに見つめていたが間もなく音楽時計がいつもと同じい調子で鳴りはじめた。それは明るい華やかな曲がちょうどピアノのような美しい音と色とをもって、絶えず暗い一室にくりかえされた。  と、子供の喜びそうな単純さと質朴さとを絶えず繰り返すのである。小さい病人は目をあけて、それを一心に楽しそうにきいていた。そして、しまいには熱そうな小さい腕を床のなかから辷《すべ》り出して、 「お母さんは遅いわね。」と突然に病人が言い出して病的に涙ぐんだ。妙に音楽にでも誘われたような柔しくうっとりとしたような声であった。  階下からだるい声でよくこう呼ばれたが、おかみさんは通りへ買物にでかけたあとなので、誰も返事がなかった。雨の音だけが屋根をたたいていて、その小さい病人のだるい声をひびかした。雨の日は妙に人声が重く響くものである。 「お母さん……」 「もう十分も経《た》つとね。」  私はどう言っていいか分らなかったので、気やすめにそう言ったとき、病人はまた突然に、 「雨がふっていて?」  そう私のかおを見つめた。低い、聞えるか聞えないかの程度で、そとは永い雨も終ろうとする微《かす》かな雨の音をつづけていた。 「すこし降っていますよ。あすになると晴れるでしょう。」  病人はまた目を閉じてしまった。時計はだんだんネジのゆるむにしたがって、ゆるい絶え絶えな音いろをつづけていた。  又ぽっかりと、病人は目をあけて、低い声でささやいた。 「おじさん。二階へ行って勉強していてください。もういいの……」  大人のように言って微笑んだ。子供も病気をすると大人のような気もちを有《も》つようになるものだと思いながら、 「ご用があったら呼びなさい。関《かま》わないから。」  そう言うと「ええ。」と首肯《う な》ずいて、目をとじた。二階へあがりかけると、この古い家の梯子段が暗くて、へんな闇の匂《にお》いのような湿《し》けたくさみがした。ひとりでも病人がいると、どうしてこんなに陰気になるものだろうと、そこらの壁や板べりなどに、なにか陰気なものがべっとりと食付いているような気がして寂しかった。  通りから小路へ這入ってくるらしい足音がした。傘をうつ雨脚《あまあし》がだんだんに近づいてきたので、母親がかえってきたことに気がついた。 「唯今、どうもありがとうございました。」  おかみさんは梯子段のところでそう言って、すぐ茶の間へはいった。しばらくすると、れいの時計が鳴り出した。  私は懈《だる》い毎日を二階に送っていたが、時々階下へ行っては、おかみさんの洗濯や、買ものに出かけたときに、少しずつ用足しをしていた。  小さい病人は日に日に痩せて、気むずかしくなって、音楽時計のネジばかりかけさしていた。  その上、くるしそうにだるい声で、 「あううん、ううん。」  と熱に浮されては唸《うな》っていた。風の工合とか、雨の晴れまなぞに、その唸りごえが遠くなったり小さくなったりしていた。その声をきくたびに、私はくらい気持になって、わざと梯子段のそばまで行って耳をすました。  ときには階下へおりると弱々しい声で、なにかぶつぶつ言うのが、いつの間にか分らなくなっていた。もう何も食べないばかりでなく、何時《い つ》息をひき取るかわからなくなっていた。 「病気がなおったら、僕がいろいろな処へつれて行ってあげますよ。動物園でも上野へでもね。」  そういうと、女の子は、私のかおをまんじりと眺める。そして、 「あたし癒《なお》るかしら。なおらないかも知れないわ。」  こう言うと、さびしそうに微笑《わ ら》って、ぼんやりと白い障子をながめるのであった。 「きっと癒りますよ。病気したって死ぬなんて決っていないんだからね。」  私は病人の懈い目のひかりが、何か特別なものを感じているように思われた。たとえ、私が気休めに何を言っても、女の子は自分のことをちゃんと知っているらしかった。何も彼も知っていて、私に癒るかどうかというのかも知れなかった。 「あなたにも大へんお世話になりましたわね。あたしお礼を言いますわ。」  女の子はそう言って、私の目のいろを読んで悲しそうにした。 「そんなことを言わない方がいい。それより癒ることを考えるといい。今は雨がふっているけれど、きっと晴れますよ。そしたら何処《ど こ》へでも連れて行ってあげよう。」  女の子は、楽しそうに、しかも何処か頼りなさそうに聞いていた。 「あたしね。死んだら音楽時計を一しょに入れてくださいな。」 「音楽時計って、あれですか。」  私は驚いてそういうと、女の子はすっかり嬉しそうに、 「ええ、あの時計よ。」  そう言って静かに耳を澄した。時計はやはり鳴っていた。同じい譜を繰りかえしては、毎日のように鳴るこの時計を一しょに入れてくれというのが、私にとって余りに突然で悲しい気がしたのである。 「そんなことを言わない方がいい。きっと癒るから。」  というと、 「入れて下さらないの。」  神経的にびくっと私のかおを稍々《やや》きびしい目つきで眺めた。ひいやりとして直ぐに答えた。 「入れてあげますとも、お母さんにも言って必然《きつと》そうしてあげますよ。僕はうそは吐《つ》きませんよ。」  そう慌《あわ》てて答えると、やや安堵《あんど》したらしく微笑んで、 「あたし大切にしていたのだから、此の間もお母さんにお願いしたんですわ」  女の子は、こういうと烈しく咳をして、からだを藻掻《もが》くようにした。昂奮《こうふん》しすぎたせいか、こんどは反対にうとうと睡り出した。私はその病みつかれた小さいからだを淋しく眺めたが、それは最《も》う再度《に ど》と健康な身体《からだ》になれそうにも思われなかった。  しばらくしてから又ぽっかりと目をあけたが、すぐ閉された。  お母さんが外へ出るごとに、 「ちょいと薬をとりにゆきますからお願いしますよ。」  と言って出たあとになると、女の子は定《きま》ったようにれいの力のない声で、 「お母さん。お母さん。」  と呼ぶのが、妙に重いような響をもって二階へきこえてくるのである。私はそのたびごとに、自分でも胸が痛むような気がして、二階から降りてゆくのであった。 「どうしたの。寂しいのかね。一人だから……」  そういうと、女の子はれいのまじまじした目で永い間私の顔を見つめていたが、 「お母さんは?……」  と低い声でたずねた。 「いつものお薬を取りに行ったんですよ。もう直ぐかえってきますからね。」  というと、頭の毛をうるさそうに握って手でたくしあげると、 「あたしお薬なんか既《も》ういらないの。そう言って頂戴。」と、きっぱり言った。 「だって薬を服《の》まないと、よくなりませんよ。」 「だっていくら服んだって同じことですもの。」  蒼白《あおじろ》い顔をそっと少女らしく頬笑ませて、もう自分でも回復《な お》らないことを感じているらしかった。私は黙って室を出た。間もなくお母さんが帰ってきた。  医者はもう幾日も保《も》たないと言ってしまってから或る日の女の子は、母親に、 「あたしね。もうすぐいけなくなるんですから。」  そう言って小さい鏡台を指さした。そこには女の子の用いるいろいろな白粉や刷毛《は け》の類が曳出《ひきだ》しにしまわれてあった。母親は、その指さきと鏡台とを見つめていたが、女の子が何を言っているのか分らなかった。 「鏡台が見たいの。」というと、女の子は、 「いいえ。」と頭をふった。 「では、どうしたらいいのかね」というと、 「あたし……あの……。」と言って恥かしそうに顔をあかめた。そのとき母親ははじめて女の子が化粧したいと言いよどんでいるのが解ったのであった。  母親は、それを感じると同時に、女の子が死ぬとき綺麗にお化粧をしてやるものであることを知っていたのである。  母親は、間もなく女の子に、あたためたおしろいを形ばかりに塗ってやっていた。蒼白い顔は、すこしばかりの水気によってやや湿《うるお》うたが、その皮膚はもう冷たくなっていたのである。  小さい病人は、形ばかりの化粧がすむと、少女らしく満足げに、美しいものが美しいものを保護するために、こうした最後の化粧に微笑んでみせた。  小さい病人は、また突然にこう言って母親を悲しがらせた。 「お母さん、きょうは幾日?」  そう言っただけで、母親はハッキリと娘の顔になにものかの冷たい影が這いかけたのを知った。  医者が来た。すると女の子は、じっと医者の顔を見つめていたが、突然に微笑をうかべた。医者はびっくりしたような顔をして女の子をながめた。 「おじさんは明日もまた来て下さるでしょうか。」  彼女はこういうと、寂しい細々した微笑をもらした。医者はすぐ元気そうな声で、はっきりと病人の耳元でささやいた。 「明日も明後日もきますよ。それからずっと後もやってきます。あなたのすっかり癒るまでは。」 「明日も明後日も……」  弱々しい声で同じことをいうと、医者はまた機械的に、 「明日も明後日もね。」  と言ったが、医者の額には悲しげな荒い筋があらわれた。もう駄目だと思われた。医者は母親と目と目とで囁《ささや》いた。  私はそのとき室へはいると、彼女は薬のせいで、ほそぼそと睡って行った。 「化粧をしましたね。」  そうお母さんにいうと、母親は湿《しめ》った声をして、 「自分でも既う駄目だとおもっているらしいんですね。先刻化粧をしてくれと言いましてね。」  呼吸がしずかにあるかないかの境を、たえだえにつづいていた。  しばらくすると、また女の子はぽっかりと目をあけた。 「お母さん。さっきから其処《そ こ》にいらしったの。」  と言って、まんじりと母おやの顔をながめた。 「さっきから居たの。何かほしくないかね。」 「時計にね。」と懈《だる》い声で言った。 「ネジをかけるんですか。」と母親は時計のそばへゆくと、 「ええ。」  と嬉しそうにほほ笑んだ。時計にネジがかけられた。と、しずかなしかし単調な音楽がしずかにあたりにひびいた。  女の子はうっとりとした目をして、その音楽にききほれていたが、母おやは俯向《うつむ》いてしずかに泣いていた。そばにいた私もうつむいた。時はだんだんに進んで行った。 ゴリ    一、豹《ひよう》といえる男  ブルドッグ・ゴリは異様な嘗《かつ》て見たことのない、一頭の巨大な動物を見付けた。この動物は湯の川ホテルの玄関の敷石の上に、重い鉄の鎖で繋《つな》がれていたが、ブルドッグ・ゴリを眼に入れると再びゴリを見返ることがなかった。明らかに此の動物のアタマの中にブルドッグ・ゴリが存在しないような容子だった。別の意味でゴリが歩いて来たこと、それがお互いに動物同士であることは意識されているに違いなかったのだ。それはゴリを見た瞬間から絶対にゴリの方を見ることのない故意ずくめの不動の姿勢が、既にそれらの悪感情を証明していた。ゴリはその意識を恐怖とも無意味とも読みがたい不思議な気持で、取急いで判断して見ようとした。  この動物のチイサイ神経質な耳、その耳の尖端《せんたん》は意地悪くゴリの方向に微動していた。こういう三角形の肉厚な粗暴な耳は初めて見る耳だった。背中の毛並は削り立ての稍々《やや》縮《ちぢ》れ加減な粗々《あらあら》しい艶《つや》を持っていて、歯の立たない程深いものらしく、未だ感情的な逆毛《さかげ》は一本も立っていなかった。ゴリはゴリを見て逆毛を立てない動物に出会ったことがなく、歯を剥《む》きウナリ声を立てない敵手を見たことがなかった。ゴリは此の動物を見た瞬時から既に軽蔑されている自分の位置を感じ、その軽蔑に対抗しがたい強敵の暴威を感じた。ゴリの経験によると彼よりも強靱《きようじん》な敵手を感じた時は、何時《い つ》も神経的にグッと圧迫される空気の手重さを覚えるのが例であった。ゴリはそれらの圧迫感の上に乗りかかって行くことで、何時も敵手から受ける弱気を一掃した。しかし此《こ》の金茶に漆黒を交えた円々した一塊の巨大な動物には、ゴリが嘗て経験したことのない戦慄《せんりつ》さえ覚えた。事実、虎の斑《ふ》の交ったゴリの後脚の太股《ふともも》がヒリヒリ震えて、敵手の雰囲気の上に乗りかかることが容易に出来なかった。  ゴリの飼主の俗称豹といわれている男は、ゴリの頭を二三度柔《やさ》しく敲《たた》いて見せて上機嫌に話しかけた。ゴリはその男の表情と眼の色を注意しただけで、彼《あ》の動物を見よという言葉を直覚した。だが豹の顔色は穏やか過ぎるくらい、暢気《のんき》そうな容子をして一向に此の動物を問題にしていなかった。そこでゴリはともかくも習慣的に低い含み籠《こも》った陰気な唸《うな》り声を立てて見せ、敵手の感情に絡《まつ》わり付く準備をはじめた。しかし此の動物は依然顔をこちらに向けることをしなかった。対手《あいて》を殆んど眼中に入れていないと同様だった。只、小さい截《き》り立った耳がゴリの方に靡《なび》くように動いた。重い鈍感な動き方だ。「あいつはお前にゃ鬼門だ。だがお前さえ飛びかかる気なら遣《や》らしてもいいんだが、だいいちお前のイノチにかかわるというものだ。」豹はゴリの顔とすれすれにそう言って惚々《ほれぼれ》と金茶色をした動物に見恍《みと》れた。それは強敵を憎むよりも最《も》っと激しい羨望的な気持だったのだ。  巨大な動物のそばに毛の交ったジャケツを着た此の動物の飼主である「彼」が立っていた。彼は先刻からゴリの姿と飼主の豹とを等分に目に入れていたが、自然にゴリの剽悍《ひようかん》な後足のハネ工合と、前脚の地面に着いた構えとを立派に感じた。 「却々《なかなか》強そうですね。まるで悪魔のような形相《ぎようそう》をしている。」  彼は彼の奇怪な動物の頭の毛を二三度撫《な》でて見たが、指さきに触れた耳は熱い鉄のように硬くなり、そのへりの方は鋭い激怒の情に変っていることを感じた。彼は此の動物の太いぶきっちょうな脚のさきに、深い毛を冠《かぶ》った鍋のような固まりのなかから、鼠色の半透明をした百合《ゆ り》の芽のような五本の爪がしらが、確《しつ》かりと漆喰《しつくい》の上に突ッ立てられているのを見付けた。鋼鉄、ハガネ、電力をもった打撲の闘将、一秒間に一尺の皮を剥《は》ぐ生きている巨大なる機械、——  ゴリの挑戦的な連続する唸りごえが再び豹の引綱の下から、低く底ぢからを含んで発せられた。 「こいつはもう準備しているんだ。こいつを怒らせると困るから静かに行ってください。こいつは三日ぐらい斯《こ》うして対手を見ないでいる気の永いやつです。」  豹は気味悪げにその動物を見て、ゴリに唸るんではないと命令した。ゴリは凡《あら》ゆる気勢の上で最《も》う闘いを挑む気持になっていた。彼は時間的に恐ろしい習慣的な宿命を感じていたのだ。闘犬の柵《さく》と土俵とにブチ込まれた、止みがたない、ドウにでもなれという自暴《や け》な気持にいつの間にか変貌していた。ゴリの最も恐怖しているものはやはりふさふさした脚のさきにある、得体の分らない図々しい爪を隠す真黒な手の塊だった。あれがどう来るのか分らない。あの脚にハイッて行けば万が一行けないことはないと思われた。アノ脚を噛《か》み砕いて死守するよりほかに一切の戦術と奇襲との効果が絶無であることが、柵と土俵に永い間噛み合うたゴリの経験から推察された。牛の骨を噛み慣らしているゴリのキバ、豹の精神的な表現である一つの野性、象牙《ぞうげ》色のキバの歯齦《はぐき》から毒を含んだ新しい唾液《だえき》を沁み出すブルドッグ特有の注射液、——ともかくもゴリは戦闘とその場面を考えていた。しかし豹は珍らしく彼に中止を命じたのだ。ゴリは並々ならぬ強敵であることを中止命令の下で再び事新しく感じ出したが、もうウナリ声を立てることをしなかった。ただ、ゴリは静かにその動物が今まで格闘した何者よりもドッシリした、表《うわ》べはおだやかそうに見える素晴らしい粗暴さを、その変に烈しい嗅覚《きゆうかく》のなかに籠《こも》らしていることを感じた。  豹はゴリを先に歩かせ、午前十一時の日光のみなぎった温泉げむりの籠った道路を、トラピスト修道院の近くにある、闘犬場に向うた。町角あたりから同じい闘犬を引いたH市から来た仲間の姿が見え、烈しい犬族同士のウナリ声が起った。豹は身ぶるいしながら一日も血を見ずにいられない、素晴らしいゴリの呼吸を朝日のなかに白々と見て、一層快適な気持になった。  闘犬場は葉を落しかけた木立を前にした、とある百姓家の前庭に八角型の低い木柵を繞《めぐ》らし、柵のなかはズックの敷物がしかれてあった。豹は落葉の日だまりにそれぞれ飼犬をつないだ顔馴染《なじ》みの連中が先着しているのを見た。それぞれの犬はゴリの姿を見ると唸りかかるのや吠《ほ》え猛《たけ》るのや、繋いだ立木を揺ぶって飛び掛ろうとするのや、足掻《あが》いて枯草や泥土を蹶散《けち》らすのや、殺気と緊張とが皆の頭に行き亘《わた》った。  豹はいつもそうするようにゴリの頭を軽く叩いて見せて、シッカリせよという意味を愛撫によって示した。そして得意らしい快活な笑い顔をして立木のかげに、ゴリを繋いだ。なるべく闘犬同士の顔を避けるような自然な作法と用意とが必要だったのだ。天気はよく気勢はどの犬にも素晴らしい元気を見せていた。その日豹はゴリにつけて遣《や》る約束をした、若いブル・テリヤを持った裁判所の判事の妻君がもうH市から来ていることに気がついた。判事の夫人は道ばたにホテルの女中と連れ立っていたが、豹の顔を見ると親しそうに眼と口を半開きにして挨拶をした。此処《こ こ》では判事の夫人も豹とは親密な上に親密でなければならなかった。彼女は近くの飼犬にいじめられ通しの自分の飼犬を哀れむよりも、口惜《く や》しさの方が先に立ってつけて貰いに来たのだ。そのために豹につけることを頼んだのだ。豹はその夫人がゴリを運動させに歩いている途中で行き会うと、定ってわざわざ遣って来て、飼い方、馴らし方または闘犬場に一度つれて行ってくれとせがむのだ。そのせがみ方は親しい甘えた口調でそういうのが常だ。大抵の女は強い人間に向う時はみなそういう傾向をおびて来る。——それは特別に偉大な人物とか名誉ある人格者に対するときは自然に誰でも機嫌を損じない畏敬《いけい》を交えた程度の注意を払うものであるが、彼女の豹に対する態度や言葉つきの中にも、なれなれしい以上にどこか甘えて見るような、いくらかぞんざい過ぎるほどに言葉を取乱して親しげに話すのが例だった。彼女はH市の知識階級の中でも美人ではあり、しっくりしたハイカラな夫人だった。彼女のハイカラさは彼女のよく纏《まとま》った姿勢によくうつっているのだ。豹はせがまれる度に何時もこういう返事をしていた。「あなたなんぞおいでになるところではございません、アラクレ男ばかりなんです。」夫人は単にそれだけではどうしても承知をしない。是非一緒に行って見せてくれというのだ。そこで豹は或日夫人のおどおどした中に勝気と好奇心とにみちた、どこか眇《すがめ》にみえるような美しい目をみいりながら、では、こんど連れて行ってあげましょう、そうでなければ場所と時日とを知らしてあげましょうと約束をした。豹の神経には闘犬の賭《か》ケを見破られる不安があったのだ。しかし此の夫人がそれを夫の判事に密告するようなことは無かろう。  判事の夫人は何時もよりずっと臆々とした、落着きのないそわそわした歩き振りで、豹のそばに来ると、豹よりも先にゴリに向うてお愛想をいい、頭をなでるのだった。 「ゴリ、お前は負けはしないわね。」  豹は夫人と町であう時よりも、此の枯木立と雑草の間で見る夫人の方がずっと勝《すぐ》れて美しいものに見えた。 「若《も》し噛みころされたりなんかしたら、どうなるの、そんなことも無いことはないでしょう。」 「口輪を嵌《は》めるから心配はいりません。」  豹はゴリに嵌める口輪を用意していた。素人《しろうと》犬をつける時は対手を噛まないための用意だった。夫人は豹の手から金網づくりの口輪を受け取ると、感謝の表情が露骨にあらわれてナミダぐんで見せた。豹は心よげに口輪を用意して来たことを自分ながら周到に思うた。 「番組前だから先にやったらどうだ。」  百姓家の主人は柵の向うで、髭《ひげ》と垢《あか》と日焼けのした脂《あぶら》くさい顔を明るい日光のなかに突き出した。湯ノ川一帯の闘犬土俵の持主である彼の顔は、惨忍すぎて厳格にさえ見える表情をしていた。「ではやらして貰おう。」豹は夫人に首輪を柵の中へはいる前に取り除くように言うた。そしてあとはおれがいいようにするから待っていてくれとぞんざいに言ったが、判事夫人は只ならぬ殺気めいた昂奮《こうふん》状態に早くも取り憑《つ》かれ、猛ける自分の犬をおさえる為《ため》に一生懸命だった。 「おくさん、こちらに持って来てください。」  豹は夫人から犬を引き奪《と》るようにすると、手早く用意してあった手拭に水を含めて、ブル・テリヤの口のなかを一杯に拭き上げ、耳の下や喉《のど》もとに水で濡れる程度にしめした。豹の手の下でブル・テリヤは赤ン坊犬のように手や足を自由に取り扱われていても、抵抗するような気はいは見せなかった。豹はスッカリ用意をしてしまうとそれを夫人の方へ子猫でもあやすように背後から一ト突きに押し遣《や》った。夫人は豹によく聞えない程の声で何やら感嘆したが、彼女は豹に媚《こ》びなければならぬ気持をも感じた。 「うまいわね。」夫人は豹に対《むか》うのに素直な十七八の娘に似た、変にポカンとした顔つきにさえなっていたのだ。  豹は自分の犬に口輪をかけ柵のなかに連れ込むと、片方の隅にしずかに坐らせた。お前が教える番になったのだと言って聞かせたが、ゴリはおとなしく口輪のまま、敵手を待つ心持になっていた。ゴリは此の柵の中の殺気と惨虐とに慣れていて、柵の中では尻尾《しつぽ》を振って喜びの情をあらわし、臭《にお》いを嗅《か》いで廻り、あたりに顔をつき出している土俵の持主の顔を見たりして、新鮮な敵手を想像することで自ら壮烈にさえ感じられた。ゴリは此処ではどういう敵手にも充分に闘うことのできる、不思議なヤケクソな気持が度胸を落着かせていた。それに此の柵の中は馬鹿馬鹿しいほど余裕のある静かさがあったのだ。ゴリが此処で新しい敵手を期待する数瞬間は多少の不安をも交えていたが、同時に敵手の生温かい肉体にざっくりとキバを深くつッ込み、噛み絞って揮《ふる》う気持は、からだじゅうの力が歯やキバにあつまって行くだけ、平常のうざうざした気持が明確に消散して行くのであった。豹の峻烈《しゆんれつ》な命令は人に噛みついてならないことにあったが、ゴリは闘犬場に行かない日が一週間も続くと自然にヨダレが流れだしてならない、噛み付かねば居られぬ要求に苛《さいな》まれるのだ。それ故ゴリは自制的に不可能な時は仕方なしに噛み付かないまでも、人のまわりをぐるぐる吠え立って廻りながら、自分の気勢を消散させていた。その円形をえがいている間に段々に円形を狭《せば》めてゆく自分に気がつき、人間の足や手にふれなければ居られない気持になることは、ゴリ自身にも病的な恐怖だった。  ゴリは豹が柵の片戸を開けて連れ込んだ敵手を見たときに、それが生ヤサしい白いぶよぶよと柔らかく贅沢《ぜいたく》に肥った、尾を垂れ胸をふるわせている未だ柵のなかへ一度も這入ったことのない、子供同様のブル・テリヤであることを知った。それ故ゴリは口輪を嵌められていることを覚り、自身から進んで立ち対うことをしなかった。  豹は判事夫人の犬をゴリの方に向ってつき放した。この白いブル・テリヤはこの種の犬族によくある凄《すさ》まじい勢いでゴリに飛びかかって行ったが、ゴリは口輪のなかから歯を剥《む》いて唸り、その口全体の熟練された打撲的な調子で、テリヤの噛み付こうとするところを素晴らしい速力で、引き外し辷《すべ》らし追い打ちにし、その鋼鉄のように固い頭で上から圧迫したりした。明らかにテリヤの遅鈍な間の抜けた戦術は素人犬らしい、弱々しい唾《つば》とヨダレとを流しはじめた。まだゴリはその地盤を少しもずらせないうちに、テリヤはゴリの周囲を幾度廻ったか知れなかった。テリヤは彼自身の焦躁と急速な運動と激怒のために、既に著しい困憊《こんぱい》を招来していた。けれどもブル・テリヤ独得の気ぜわしさと負けぬ気性は、声と肢体《したい》にまだ残っていて、それを完全にゴリが打挫《うちくじ》く迄にはまだ少しの時間があった。  柵を取り囲んだ顔は凡《あら》ゆる闘犬家に見られる、冷笑と惨忍と冷静と悪巫山戯《わるふざけ》と罵声《ばせい》とのなかに、最も可笑《お か》しい生真面目さを一脈たたえた、変質的な表情の蒐集《しゆうしゆう》だった。尖《とが》った顴骨《かんこつ》、ヒラタイ口、痙攣《けいれん》している眉と鼻孔、ヘビのような悪相な人、ヤモリのような平ったい下司《げす》の形相、片眼、髭の密集、——桶《おけ》、下駄、冬瓜《とうがん》、唇ばかり舐《な》めているカメレオン、乱次《だらし》のない笑いと笑いの間をさまよう筋のなくなった顔、ユガンだもの、ネジマゲられたもの、圧搾されたもの、そういう顔と顔の間に豹はゆっくりと冷笑をふくんだ面持で、大して興味なげにそれでも熱心に見入っていた。折々夢中になった判事夫人の真蒼《まつさお》になった顔に日の光が当って、それの反射が眩《まぶ》しい渦を目のなかに入れて来てならなかった。それに判事夫人は体躯《からだ》じゅうを震わせているのが、豹とすれすれにならんだ着物の工合で打透して感じられた。豹の最も気になったのは上気した彼女の唇がカラカラに乾いて、何か言おうとしながら喉《のど》の湿《うるお》いを失うているために、声が出ない苦しげな喘《あえ》ぎを見せる状態だった。それが一層烈しくなった時は、ゴリは完全に口輪のままの口がしらでブル・テリヤの頭をおさえ、それに前脚をかけて捩《ね》じ倒し、上からおさえた瞬間から起ったのだ。ブル・テリヤの顔は唾と泡とヨダレとで石鹸水の中に突き込まれたようになり、眼は動かないでヒイイという声さえ立たなくなっていた。疲労は彼の一切を消耗させ起《た》たせなくなったのだ。それは唯たんに細い途切れがちな嘆息に似た呼吸《い き》づかいを、やっと地面にしいたズックの上の埃《ほこり》を吹いているに過ぎなかった。対手に噛み付くために機械的に折々ウナリながら開ける口さえも、只、開けるだけにすぎない。甚《はなは》だしいのは開けた口が上から押される苦しさに、もう口以外では呼吸をつけないらしかった。勿論、口のなかは自分自身の歯と歯によって空ラ噛みをしたために、乳いろの泡の中に夥《おびただ》しい血が沁み込んでいた。  判事夫人の顔はパラピン紙のようにお白粉気を失うて、何度も豹の腕に自分のからだを擦《こす》りよせ、豹の着物の一端を掴《つか》まえずにいられなかったのだ。彼女はこういう凄惨《せいさん》な場面を見たことは初めてであり、こういう惨虐さを見入るにはあまりに順調な生活者だった。夫人は何度も豹に対《むこ》うてもうやめてよ、やめないと死ぬわ、やめてよ、とそう言って彼に泣くような声でその胸を押しつけるのだったが、豹は寧ろ厳格な顔貌《がんぼう》になり取り合おうとしなかった。一面には何かなぐさめるような気持をも漂わせながら、辛くとも我慢なさい此処でうんと苦しませて置けば彼奴は噛むことを覚えてゆくんです。だからあなたにお断りをしていたのに無理におっしゃったじゃないか、豹のそういう声は圧倒的で夫人はナミダっぽい眼のまま、やはり或る時間的な経過を我慢をしなければならなかった。そういう間にテリヤの弱り方は殆《ほと》んど抵抗力を完《まつた》きまでに失いかけていた。豹の目はカガヤいて、声は迅雷《じんらい》のようにひびいた。 「時間。」 「十七分。」  土俵の持主の百姓が大きな銀側時計を、硬い手のひらから出して此方《こちら》に向けて見せた。夫人は機械的に腕時計を見た。豹はゴリを引き止め、それを仲間に持たせると、テリヤを引き分けた。二頭の犬は烈しい身ブルイをして別れた。豹はテリヤの喉や首すじをまた水で拭き上げて遣った。判事夫人は水をやってくださいと慌《あわ》てて言ったが、豹は水をいまやったら呼吸《い き》が切れてしまう、左《そ》う言って夫人を叱りつけた。夫人はその時の豹の顔をコワそうに小さくなって眺めた。拭かれたブル・テリヤは飼主の夫人を何年かの間会わなくて、いま急に会った喜びを表わしたように悲鳴をあげて鳴き立ったが、それは夫人の真白な胸、腹、足にまつわるほど可憐《かれん》なものだった。 「わたし、どうなるかと思ったわ。それにあれだけの時間が十九分なんてわたし一時間も経ったかと思ったくらいよ。」  豹は疲れていないゴリの口輪をとると、ご苦労さまと言ってテリヤの見えない方につないだ。  豹は夫人にきょう闘犬をしに来ている仲間が、あなたの犬は仕込みさえよければ今に見違えるくらいの剛胆な犬になるだろう、ブル・テリヤは仕込み次第でどうにもなるものだと言った。夫人は酷《むご》たらしい先刻の格闘を考えて見たが、あの時よりか余程冷静な自分に還っていることに気がついた。  暫時《しばらく》して番組の闘犬が初まったが、それは若い奥羽産の猪《いのしし》犬と土佐犬とを闘わせただけに、美しい凄惨さは一層明るいなかで格闘された。猪型の奥羽犬は「声」があったし土佐犬にはそれが無かった。毛並の深い猪型犬は美人だった。頭に蝕《むし》ばんだ多くのキバと歯の痕《あと》を見せた土佐犬は、戦場を経ただけに巧みな攻勢を見せ、立上ると彼等はお互いに最も有利な急所を狙うために、頭と頭、歯と歯とをブチ合せ、ウナリ合せてから確かりとその狙いを外さないで咬《か》み合うた。土佐は猪型犬の耳もと深く抉《えぐ》り、猪型犬は土佐の前足の股《もも》に食い入っていた。彼等はそれが定石であるごとく食い付いた場所をお互いに離すことはなかった。離せば又新しく咬み込まれる、また離せば更らに食い付かれる、結局一ところを死守するために圧倒的に対手を打伏せるのが有利だった。彼等の毛並には血がにじみ、唾と泡とすさまじい荒々しい息の下で吹かれ合うた。  柵から隔《はな》れた立木のかげでゴリはウナリ声と叫び声とを聞き、前脚をそろえてその格闘の状態を頭にウカベテいた。彼から離れた芒《すすき》の叢《くさむら》のなかにも、百姓家の薄暗い裏口の方にも、立木のなかの地蔵堂の前側にも、また土手のしたの日向《ひなた》の窪地にも幾頭かの敵手となるべき闘犬が用意せられ、時間が来るのを待ち設けていた。彼等犬族は神妙に坐っていたが、耳の動きと、鼻の微動と、視神経の躍動は素早く対手を想像するために、ガツガツと餒《ひも》じい気持ちと同様に餓えかつえていた。  柵の中では猪型犬が組み敷かれていた。  猪型犬の持主である男は不機嫌に犬の傷の手入をし、焦《あせ》るからイケネエ、と何度も呟《つぶや》いてその咬傷《かみきず》を自分の口に吸っては、血を吐き出して遣っていた。  続いて幾番も取組は進行した。裂傷、咬喚《こうかん》、叫びとウナリごえ。  その時分から闘犬家等の眼は疲れと昂奮とでギラギラし出し初めた。  冬近い北海道の木ノ葉枯ラシの風が吹き出て、犬も人間も殺伐の気風に変っていた。飼主らは冷静に皮肉に腹気をみせるために、各々自重しなければならなかった。しかし彼等はアブラぐんだ皮膚と同様に気持の荒《すさ》むのを匿《かく》しきれなかった。  豹は判事夫人が番組が進んでゆくと反対に落着きを見せて、眼の中に一杯にガラスを嵌め込んだ様に美しいカガヤキを見せながら、熱心に愉快に見とれているのを、闘犬場の空気に慣れたせいだろうと単純に解釈していた。しかしそれにしては余りに腑《ふ》に落ちぬのを感じていた。しかも最も場慣れない闘犬同士の凄惨な噛み外しの多い猛けり合った最初の何分かが、夫人には最も興味があるらしく思われた。 「おもしろいわね。」彼女のそういう美しい匂うような肉顔は、豹には異体の分らない尊敬に似た感じを起させるのだ。豹は自分を信じてくれる夫人を手掴《てづか》みにした上、それをどうにでも処分できるものに思考せざるを得なかった。  ゴリが出場した。  ゴリは柵のなかにはいると、真赤な口をあけて欠伸《あくび》を一つした。彼等は悲哀の情に迫られると生白い欠伸をすることによってそれを表現した。  ゴリは先ず何よりも咬むことに餓えかつえていたのだ。ゴリは噛みつかねばならなかったのだ。  ゴリは敵手の温かいうすあまい、むしゃむしゃとした擽《くす》ぐったい毛の下に噛み入らねばならなかった。  ゴリは首輪を外され、丸裸になった体躯を振って見せた。  ゴリは例によって一ト通り柵のなかを一と廻りした。  ゴリは主人の豹の顔を見て急速に尻尾《しつぽ》を振って、あらゆる質問を試みていたが、豹は気むずかしげな何時も柵の中でする顔付で、むんずりと黙りこくっていた。ゴリはそこでまた尻尾をふって媚《こ》びて見せた。  ゴリのからだに鯱《しやちほこ》のような逆毛が一すじ走った。  ゴリは低い陰鬱なウナリ声を出し、それを続けた。  敵手の土佐犬が出場した。  敵手の顔に古い咬傷が禿《はげ》になって残っていた。  敵手はウナリながら猛り立った。  敵手を支えるその飼主は豹に合図をするために何か怒鳴った。  豹は甲高《かんだか》い声でそれに答えた。  同時にかれらはズックの上に衝ッ放されて行った。  空に捩《よ》じ上げられた二頭の犬は同じいウナリと歯を剥《む》くことで、再三その姿勢を繰り返した。彼等は空間に捲き上げられるように見えた。  彼等は噛み合い、噛み合うたところを死守した。  彼等はずるずる引き廻され、廻されるたびに新鮮な闘志を踴躍《ゆうやく》させた。  かれらの尻尾はトテモ烈しい勢で打ち振られた。  ゴリは動かずに死守した。  注意深い目付でしかも豹は冷静に自分のゴリを見ては、ほんの少しばかりの笑いを一すじその顔にとどめていた。彼は一言もいわなかった。実力と実力の前では誰も物を言う隙間《すきま》がなかったのだ。ズックを擦り剥く脚と脚、爪と爪、絶え間のないウナリ声、フウフウという粗暴な呼吸づかい、——ゴリの敵手は純粋な土佐犬だった。彼の二倍くらいの体重があったからそれを咥《くわ》えて振るということは、ゴリの押し強い圧力から言っても不可能だった。只、彼は敵手に頭をくわえられたまま、喉とえりくびの噛み込みを死守していた。十五分、二十分、二十三分後には土佐犬の首は次第に右へ曲りはじめたのだ。正面から噛み込まれていても圧《お》して行くちからには次第に引き摺《ず》られはじめたのだ。その時ゴリは突然に振り立て猛り立った。今迄比較的に受身だったゴリがこういう盛り返しを、しかも充分に過剰された余裕を示した態度に出ようとは、敵手の想像外の苦手であり盛り返しであった。 「お得意の手と来ました。」  下駄のような顔をした男がホッとしたような声でそういうと、皆は一度にそれを機会に笑い出した。皆は大して可笑しくもないのに笑い出した。皆は片足を柵にもたらせ依然一すじの笑いを漂わせたままでいたが、その笑いは物凄い黄味をおびた皺のように伸びて、鼻翼の片側に凝りついて消えていた。  も一人笑って中途で笑い顔を氷らしてしまった男がいた。ゴリの敵手の土佐犬の飼主だ。  二十五分。  二十八分にはゴリのあごの下に大きな白い土佐犬の頭がネジ伏せられ、その余勢を返して起きあがる容子がもはやどう贔屓《ひいき》目に見ても見られなかった。  三十分で引き分けが行われた。  此の驚くべき永い時間の後に、判事夫人はお日様の色が黄《きい》ろく見えるほど、眼を極度に疲らせてしまった。頭の中はツーンとしたものが一本感じられるきり、やっと豹が何やら言った時にお日様の色が元どおり明るい色に感じられた。  闘犬の予定は遂に終了した。  井戸端の砂地に犬の傷口を洗った、美しいナマナマしい血がにじんで、なまぐさい漂いを臭わしていた。犬と人間とのいなくなったあとの、一軒だけ離れた百姓家は風のなかで人声さえ起らなかった。    二、ミーチャといえる熊を飼う男  その朝は殊《こと》に上機嫌だった巨大な動物は、仰向きになり、頑丈な太い足と手とを巫山戯《ふざけ》る猫のように泳がせて、彼の足もとにジャレついていた。彼は此《こ》の動物とよく抱き合うて、自分から先に転《ころ》がり出し負けて見せるのだ。此の動物の荒い毛並は深々と温かい、歯がゆい、猛獣特有の肉感的なるものを持っていた。それはつまり猛獣であるためにそれを手籠《てご》めにして見る肉感的な愉快さがあったのだ。その太い首すじを確《しつ》かり擁《だ》いて見る気持は類《たぐい》ない荘厳な快適さを味うに似ていた。どういう異性よりも最《も》っと適切な抱擁が彼女、——此の日光のなかでは金茶色に見え、陰では真黒に見える二歳になる熊にあったのだ。彼女は真赤な三角型の口のなかにまで毛並に似た、黒いハグキを見せていた。彼は此の動物と組み合うときは自分で負けてやり、彼女は勝つと上機嫌になるのを楽しみにしていた。実際、彼女は相撲《すま》うことは下手だった。  彼はその優しい小さい、疑い深そうな眼のなかで熊の機嫌がいいか悪いかを見分けることが出来たのだ。機嫌のわるい時は幾日も彼は此の熊のそばに近寄らないのが常だった。  彼は熊とその朝巫山戯《ふざけ》ているうちに、そうしてはならない熊のからだを横倒しにしたのだ。ハズミについ突き倒したのだ。熊はノロノロと起き上ると彼の方に向って、別に顔を見ることもなく小さい眼を静かに見据えていたが、突然にヒョイと顔を彼の正面に向け変えた。その眼には女性的に見える嫉妬《しつと》めいたムラムラしたものがぎらついていて、それが電力的に彼に何か重大さを暗示した。彼は熊の鎖が余裕のあることを知って後方に退こうとした時だった、熊は唐突に彼の胸を目がけて飛びかかり、彼はその真黒な巨大な塊から完全に離れた時に、熊の鈍重な鉄塊的な手が彼の眼前からはすかいに打下ろされて行った。ウナリ声はそれきり再び発せられなかった。そういう発作の後にも拘《かかわ》らず熊は依然静かに何事も仕なかったように松の根元に蹲《うずく》まって、手のひらをベロベロ舐《な》めはじめていた。その鈍馬《のろま》なテンポは明らかに熊のなかに不機嫌さが滞っていることを証明していた。彼は熊から離れて客間にはいって行った。  ホテルの客間には滞留客の二三人のほかに、隅の椅子に判事夫人と豹《ひよう》とが向き合うているのを見出した。判事夫人はコチラへいらっしゃいというように、椅子の空いたところを指さして見せた。  豹は此間の熊の飼主である彼に挨拶をすると、すぐ熊のことを話し出そうとした。どうして熊を手に入れたかと豹は珍らしげに問《たず》ねたが、彼はS薬種店の主人から貰ったのだと言ったが、東京へは連れてかえる意志のないことを明した。彼は、何故《な ぜ》か今日は熊の話をすることが憂鬱で気重たくてならなかった。猛犬や野獣をあつかうものの最も気鬱になるのは、その野獣の本性を見た時に起る陰気な気持だった。飼うことも見ることも嫌《いや》になるものだ。人間は野獣に対してもその感情を人間並に或る程度まで向上させなければならない動物だった。尠《すくな》くとも野性の粗悪さを整えることで彼ら人間はその感情的技術を信じなければならなかった。それを裏切られることは不愉快である。彼はそれ故熊の話を努めて避けるように心がけた。  判事夫人は湯上りのまだ温かみのあるからだを、その人によくそれが似合うような長い足を組んで、豹と茶を飲んでいたらしい様子だった。豹との対照は妙なものだったが、反対にそれが全然相違している階級人の対照だったために、何か建築上の用向か他の必須《ひつす》な要件のために対談しているもののように、或る意味で目立たない調和を見せていた。 「此方は建築の請負をしていられる方ですわ。」  豹は紹介されて笑った。  判事夫人は彼を紹介する時に一寸《ちよつと》考えていたが、単に学者だというように紹介した。  判事夫人は彼の腹のところに目を止めていたが、気づいて言った。 「ボタンをお落しになりましたね。」  彼は胴衣の一番上のボタンに手をやって見て、忽《たちま》ちにからだ中に走る悪寒《おかん》を感じた。  先刻の熊の巨大な手が掠《かす》めてボタンを落したのだ。もう少しで彼はその胸をやられるところだった。  彼はその機会に自分の部屋にかえって、鏡の前に立って詳しく胴衣を査《しら》べた時に、ボタンの糸がカッキリと布地のところから断ち切られていることを発見した。彼は新しく身ブルイを感じた。彼は危険なものを飼うていることを此の機会に痛感したのだ。  彼は東京を発《た》つ前に妻を離別した。彼は何故にこういう不愉快な事件を思い出したか?  彼の妻とこの単なる動物である熊との間に何等の関係はないのだ。  しかし彼の妻とこの熊との差別はどれだけも違っていない。  だが、彼の妻はどの意味に於《おい》ても危険だらけの動物だった。彼は熊と妻とを妙な関聯《かんれん》のもとで想像した。熊は鎖で繋《つな》がなければならないのだ。だのに彼は彼の妻が人間であるために、完全に鎖でつなぐことを忘れていた。  彼の妻は彼のところに来る女性の手紙を破封して読んだ。  彼の妻は彼の外出は勿論、夜更けてからかえると、彼がそとで女を見て来た理由で、性的行為を拒絶することによって対抗した。  彼の妻は彼の研究室に出入りする若い研究生達と、自由に散歩したり映画館に出没した。  彼は最後に飼犬だけを彼女の手元から連れて来て、別れたのだ。彼女は署名してある彼の書籍を旅行中に無断で売却して、彼等はそれを喫茶の代にかえていた。彼はそれらの一切をひっくるめて、一日も彼女と同居することを極端に嫌うた。  彼はこんどの旅行で頭を変えて新鮮になるつもりだったが、時々不逞《ふてい》の妻だった故にその妻を思い出す理由を、自分で軽蔑せずにいられなかったのだ。  彼はまたそれが退屈な余儀ない理由からか、豹という男のことを時々頭にうかべた。豹は突然に現われた暴風的な男だった。何等の前後の関係なく判事夫人と彼との眼の前に、大跨《おおまた》にあるいて真黒なブルドッグを連れた男にすぎない。彼は豹の何時もつれているブルドッグに肖《に》た顔を、古い肖像画集のなかに見た覚えがあった。彼は全くの市井によく見るハイカラから離脱された、一見土方風にも労働者あがりの男のようにも見えた。頑丈な生一本そうな、見るからに野性だけで生活している男だった。判事夫人と豹との間に何が意味されているのか知らない、しかし彼は有り得べからざる事実と有り得る実在との間隙《かんげき》が、的確に分離しているとは思わなかったのだ。彼自身もすでに有り得べからざる事件のなかで、彼自身を発見した経験を持っているからだ。  豹は言わば英雄のようなものだった。すくなくとも判事夫人の繊細なきめに、それがこれまで存在していなかったら必要でなかったろうが、その英雄の存在が彼女に掴《つか》めたことによって、もはや英雄の必要があるに違いなかった。自分のまわりに無かったものを発見したことで、それの不必要になるまでは人間には時間以外それを処理してくれないものらしいのだ。  彼は再びサロンに出てゆくことが気持を重くした。  彼は夕方に部屋の裏にある物置小屋に熊を繋ぎに出たが、充分な警戒をしていたに拘《かかわ》らず、熊は大して不機嫌な様子は見せなかった。薄暗い土間に藁《わら》をしいて餌《え》をやったあと、熊はゴロリと横になってフザケル真似をして見せ、先刻とは別なほど上機嫌だった。仄《ほの》ぐらい土間の上にこのごろ目立つようになった喉《のど》もとの月の輪が、可憐なシオらしい感じを与えた。彼は納屋を出ようとすると何時になく人懐こく熊は不恰好な頭を小振りに振っては、彼のズボンに頭を親しげに擦《す》り寄せた。こういうことは珍らしいことだった。しかも熊は彼の出した手のひらを舐《な》め、舐めることによってその親愛さを表わそうとしている気はいを示した。そのコワい毛並をなでて遣り、漸《ようや》く危険な年齢にはいってゆくために彼は心で警戒をしながら、そのガッシリした頭を抱いて見ない訳にはゆかなかった。熊の頭はちょっと豹という男の頭の恰好に似ていたのだ。豹の頭と判事夫人のほそぼそしい感じとは釣り合わなかったが、豹の強健と英雄じみている様子は、彼のからだの羸弱《るいじやく》さに較べて羨《うらやま》しくないこともなかった。  彼はまた彼の家庭にはいり込んでいた若い研究生を思い出し、急に不愉快になった。彼は熊を物置の中に稍々《やや》冷淡な気持になって無理に押しやって、外へ出たが、ホテルの窓やサロンの天井にも電燈が点《つ》いているのを見た。彼は薄暗の中で何度も頬にさわるものを覚え、手のひらを出して見ると雨ではなかった。それは乾いた冷たい今年はじめて降って来た雪であることを知った。彼は熊が人なつこい気持を見せたことを直ちに理解した。のみならず風さえ加わって蔦《つた》の葉のひからびて擦れ合う音が、吹かれる落葉のように聞え出した。  彼はベッドの中にはいってから一時間ばかり眠ったあとに、突然にドアが開いたような気がして眼をさました。半ば開かれたドアの隙間から赤ちゃけた二つの人間の顔が彼の方に向いて何か囁《ささや》き合うていた。それは何秒かの後に露西亜《ロ シ ア》人であることと、多少酒気を帯びているために一層悪相に見える、西洋人独得の悪魔めいた顔つきであることを知った。彼は最初に誰何《すいか》した時にかれらはその捜し者のあてが外《はず》れたための狼狽《ろうばい》を示し、何度も彼に向うて頭を下げて見せた。彼は半身をベッドのなかから持ちあげた時に、彼等は慌ててドアを閉めて出て行った。彼は何か悪魔が下界に下りて来たような気がした。彼の部屋は離れにあったので戸惑いをしたのかも知れない。突然に異国人を夜中に見ることは気味のわるいものだ。服装の汚い点から言っても無頼漢かも知れなかった。彼はベルを押して支配人を呼んで詰問したが、支配人は情婦がホテルに泊っていると考え、昼間たずねて来た二人連れの露西亜人かも知れないと答えた。  彼は支配人が詫《わ》びて行ったあと、何か寝苦しく、寒さは今年はじめての峻烈《しゆんれつ》さを身に覚えた。一時間ばかりすると彼はまた何か物音がして眼をさましたが、物を引っ掻《か》くような物音は依然壁の外に起っていた。硝子《ガラス》戸の外は雪がふかぶかと庭も寝静まっているらしく見えたが、物音は益益烈しく止《や》むけはいがなかった。彼は起きて電燈をひねって宵の口にはいって来た露西亜人のことを思い出した。明らかにドアの隙間から覗いた二つの悪相な顔貌は、まだ彼の脳のどこかに引っかかっていた。しかし物音はドアの方から起って来るのではない。気味わるく大胆に無遠慮な引っ掻くような調子だった。彼は壁の方に耳を向けた。物音は壁の方からして来るのだ。今度は砂の崩れるような柔らかい音がして、続いて呼吸づかいが聞えて来た。彼は半ば笑みをうかべ、半ば不思議な気持で寝台から下りた。同時に板のようなものを剥《は》ぎ起す音響がし出した。壁のそとは物置だった。物置のなかに熊がつないであった。  彼はドアから廊下づたいに廻って見ると、熊は壁を崩した砂けむりの中に起きていて、彼を見ると、夕方のように頭を擦りよせて近づいて来るのであった。壁一重の隣は彼の部屋だった。熊は彼の部屋を知っている筈だ。そうでなくとも人間の臭《にお》いはよく熊にわかる筈だ。彼は物置に寝させて置くことが危険であり、夜中に壁を破ってはいられてはこまることも考えた。何時も繋《つな》ぐ松の木を見たが、雪をかむった庭は硝子のなかを歩くような鋭い寒さだった。彼は仕方なしに檻《おり》の中に入れようとしたが檻は熊がよほど素直にはいらないかぎり狭くて這入《はい》れそうもなかった。どんなに欺《だま》しても熊は檻の前にしゃがんで動かない。動かないとなると熊は性質上テコでも同じい姿勢をくずすことがなかった。それに反して熊はしきりに頭をすりよせて人なつこい容子を続けた。熊は冬の初めには旺盛《おうせい》になり気候になじむことに敏感だが、これほど親愛な情を表わすものであることは始めて知る気持だった。  彼は支配人を起して熊を適当な場所に繋ぐことを頼んだが、支配人は石畳のある廊下に繋げば大丈夫だろうと言った。彼と支配人は熊を引摺るようにして廊下に出て、石を敷いてある柱の下に結《ゆわ》えたが、熊はその間にも妙に人懐こく体躯《からだ》をすりよせ、しまいにはかれの機嫌のよい時によくやるように、仰向きになって遊んでくれという、愛すべき子供らしいしなをつくった。彼は寒くはあり早く寝ろとそう熊を叱るのだが、熊は依然ころがり出して起きなかった。 「雪がふるからでしょう。」  支配人が去ったあとも熊はもはや傍を離れた彼に頓着《とんちやく》なく、ひとりで巫山戯ていた。  彼はサロンから反対の硝子戸のある廊下をかえりかけると、雪の庭のなかに何か黒いものの動くのを見かけた。彼は硝子戸に鼻がしらを擦りよせて見た時に、それがブルドッグ・ゴリの姿であることを知った。ゴリは建物のかげにある空箱を積んだ蔭に、動かずによこにまんまるくなって寝ていたが、彼の顔が硝子戸に食ッついた時から、ゴリの首は彼の方に向いて鋭敏な耳と眼光とが注意ぶかく、凍《し》み亘《わた》る夜半の空気のなかに引き据えられた。彼は喉がツマル気持の切迫を感じた。彼は低い、あたりを憚《はばか》る声音で言った。 「ゴリ!」 「ゴリ!」  ゴリはその声を聞き分けたのか、起き上って雪の上に歩き出した。そして彼の顔をゆっくり見てから、低いウナリ声を立てたのだ。ゴリの飼主の豹が何処かに来ていることが直覚され、その直覚力は彼に胸のイタクなる針状の感覚をもって脅迫した。ゴリが今度は突然に吠えた。吠えたかとおもうと同時に猛《たけ》り立って彼の佇《たたず》んでいる硝子戸のしたに飛び付いて、最大限のウナリ声と吠え声とを続けざまに濫発《らんぱつ》した。彼はしまったと思いそしてブルドッグ・ゴリに憎悪《ぞうお》を感じた。彼がゴリに持った憎悪は妙に肉体的なものだった。  彼はあわてて自分の部屋に引かえそうとしたが、ゴリの吠え声は寝静まったホテルの建物にひびいて、彼はゴリの飼主の豹が出て来はせぬかと、豹に会うては気拙《きまず》いと思われてならなかった。殊にこういう夜更けに彼が何の為《た》めに起きているかも、神経に応《こた》える思惑があった。それに豹を起したくなかったのだ。彼は豹を英雄だと信じるよりも、豹について何等の嫉妬も交えない、好感的な小気味よいものを感じている。  ゴリの、吠え声は廊下のしたから庭さきを縫うて、彼のいる部屋の窓下まで一層烈しい勢いで追撃された。彼はべッドの中にはいって執念深い忠実なゴリの声が、歇《や》んでから、ゴリが雪の上をかえってゆくらしい跫音《あしおと》を耳に入れた。豹がどの部屋に来ているのか、彼はそれを殆んど普通のありがちな事にしか思わなかった。    三、ブルドッグ・ゴリの最期  暖かい初冬の一日だった。彼は熊の上機嫌なのに釣られ、熊と巫山戯《ふざけ》てその背中に乗って歩かせ、またその太い首すじを抱擁したりした。熊はその頑丈な手を彼の肩さきにかけることがあっても、あの鉄製の爪に力を入れることはなかった。馬や牛の肉体をも裂く能力のある爪は穏やかに深い手さきの毛の下に眠っているだけだった。歩くたびに爪と爪とが触れおうて可憐なカチカチいう音を立てていた。彼は此の爪の音を愛し、その爪を弄《いじく》って見たりしたが、熊は擽《くす》ぐったそうに手を引込めるくらいだった。  彼は熊に鎖をつけて根崎の浜に出ようと、ホテルを出たが、熊は従順によく歩けない子供のような足どりで彼の右の手にさわる程の背丈でヨチヨチ尾《つ》いて来た。一町も歩かないうちに熊は突然にちょっと止まり、何か前方に見出したのか急激に鎖を一杯に引いて、荒い息をはいて馳《はし》り出そうとするのであった。彼は鎖を短かく縮《ちぢ》めて足場を定めた。一緒に馳り出すことを喰い止めようとしたのだ。引き摺られて馳っては止めることが出来ないからだ。だが、熊は前のめりに近眼のひとのように頭を下げて、ぐいぐいちから一杯に牛のように引くのだ。彼は勢いで引き摺られて走らねばならなかった。電柱に鎖を捲きつけて止めるつもりだったが、余裕はなかった。こういう時は性質として走るだけ走らさねばならないのだ。彼は真青になり危険を感じた。それは半町ばかり離れた道路に西洋人がひとりの女の子供を連れて、ゆっくり散歩をしていた。女の子供は真赤なジャケツを着ていて、熊がその真赤なジャケツの色を目がけて走っていることは、彼によく分っていたのだ。分っているだけにそれを食い止めなければならなかった。  彼は声を出して危険だから匿れてくださいと叫んだ時に、熊は西洋人と十間と離れない距離に近づいていた。彼は何度もそう注意したが、西洋人の女は子供に「ミチカ」「ミチカ」と言って熊を見よと言って、笑って指差して見せているのだ。子供のジャケツは午後の日ざしのなかで、カッとした色を一層明るくした。彼はこんどは手を振って逃げろという命令的な声を出してみたが、やっと西洋人は熊が自分を襲うていることが分ったらしく、叫び声をあげて人家の裏側に入って行った。彼はそこの電柱に取りついて、鎖をひと巻さして熊を止めることが出来た。そういう瞬間から熊はケロリと凡《すべ》てを忘れて了って、もう追いつづけることをしなかった。こういうことは初めてで無かったが、何時野性が現われるか知らない気味わるさを彼は新しく感じた。彼は右の肩さきにちからを入れて引いていたので、肩の筋肉がちごうたように痛んだ。  熊はその発作のあとは従順になり、彼と一緒にポプラの並木づくった道をあるいていた。こういう穏やかさは彼に熊を一入《ひとしお》親しませるのだ。彼は釣堀のある道ばたを曲ろうとしたが、釣に来ている人のらしいムク毛の犬が一疋《ぴき》突然吠えかかって来たが、彼は小石を投げてそれを追った。追われた犬が盛り返して吠えかかった時は、別のテリヤ種の斑《まだら》の犬が一頭加わっていることに気がついた。彼はそれを追いながら浜に出たのだ。熊は例によって犬の吠えることには平気でノソノソ歩いて、気にとめないらしく見えたが、耳は固く凝り上っていた。此の動物はすでにその全身的に敵を警戒する「固まり」をゆきわたらしていたのだ。火のつくような吠え様にも関《かか》わらない虚心平気そうに見えるのは、彼の鈍重なそのポーズに現われただけのもので、その感情には決して油断のならないものを準備していた。彼は試みにその鎖を引いて見たけれど、鎹《かすがい》を打ちつけたような剛情さがそのからだを動かさなかった。  砂地に生える菅《かや》のくさむらは灰ばんで、立枯れのまま潮かぜにざわついていた。彼は熊を坐らせ自分も坐ろうとしたが、突然に先刻とはべつな雑種の日本犬が二頭、菅のくさむらの裏から吠えかかり、急には近づかずに彼と熊とを遠巻きにして、キバを剥《む》き耳を立てて凡《あら》ゆる声の限りで唸り立てるのだ。彼はそういう屡々《しばしば》なる昂奮《こうふん》を強制される熊に注意ぶかく警戒し出した。しかも二頭の此の犬族は対手《あいて》が強敵であることを直覚しているのであろう、決して近寄ろうとしない逃げ構える準備をしながら吠え立っていた。熊は明らかにその小さい眼のなかに彼の怖《おそ》れる、執念深いギラギラな色をうかべた。二頭の犬は狂堯《きようぎよう》しながら馳《か》けずり廻り、一面に砂けむりを立てて吠えさかるのだ。  その時突然に二頭の犬族は鳥渡《ちよつと》の間吠えることを中止して、渚《なぎさ》づたいの遠方を見やったが、それと同時にまた先刻とは一層激しい勢いを示した。彼は渚の方を何気なく眺めた。一町くらい前方に真黒なものが馳《はし》って来るのだ。その真黒なものは殆んど飛ぶと同じい速力で遣って来るのだ。彼はそれが直ちにブルドッグ・ゴリであることを知った。異種類の動物の臭気に刺戟《しげき》されたゴリの鼻は、その臭気をつきとめる迄馳るのだ。ゴリの肉迫は彼に取って此ままでは済まないものを予期せずにいられなかった。  彼はゴリが近づいた時、ゴリに近づいてはならないと命令した。この叱責の声は聡明なゴリを躊躇《ためら》わせはしたものの、直ぐまた飛びかかろうとする身構えをした。彼は声のかぎりゴリを遠退《の》かせようとはしたが、ゴリは突然に彼に向ってウナリ声を出すようになった。彼は此間の晩の執拗なゴリの追撃をおもい出し、ゴリを食い止めることの徒労であることを知った。ゴリは更《あらた》めて彼の叱責の止むと同時に熊に対《むこ》うてキバを剥《む》いた。  彼は起き上ったが熊は動かなかった、テコでも動かなかった。その不機嫌さは忽ち彼に或る場面の陰惨を直覚させた。  ゴリは近づくと間隔を置いて止った。  ゴリは隙《すき》間を狙うているらしく細心にウナリ声をつづけ、熊のまわりを少しずつその描いてゆく輪を狭《せば》めながら周到な注意のもとに、近づき寄っていた。  二頭の日本犬はゴリの輪のそとに、ぐるぐる目まぐるしく猛烈に吠え立って廻っていた。  熊は動かずゴリや他の犬の方を一切見なかった。その執拗な一つの姿勢を固守するありさまは極端に底気味のわるいものだった。彼は熊の荒々しい毛並がゾックリと逆毛を立てたのを見たが、それは初めて見る逆毛《さかげ》だったのだ。鉄の棒をつッ立てたと同様に太い、逞《たくま》しいギラギラした金茶色の逆毛だった。彼は早く豹《ひよう》が来てくれればよいと思うた。それでなければゴリは危なかった。現にゴリの攻勢的にえがく輪廓は次第々々に狭まって行き、もう一間くらいに近づき、それも隙間さえあれば飛びかかろうとしているのだ。輪を縫いながら輪から時々飛び出しては三尺と離れないところに近づいても、熊は鬱然として動かなかった。しかも彼は熊の鎖を手離すことはできずに、立っているより外に方法がなかった。彼はゴリに向い危険だから止《や》めろと烈しく命令したものの、その危険さを知ってかかってゆくゴリには彼の声が聞えても、行動を止めることは不可能だった。実際、ゴリは全身的に捨身になって噛み付く狙いに焦《あせ》っていたのだ。ゴリの上瞼《うわまぶた》は腫《は》れ上ったように嶮《けわ》しく黒ずんで、口は餓えて涎《よだれ》が一杯に溜《たま》りだらだらと砂地に垂れていた。ゴリはもはや自制的なものを失いかけ、強敵のなかに完全に投じたようなものだった。勿論、ゴリの頭に嘗《かつ》てはじめて強敵を見出したホテル前の記憶と感覚はあったものの、もはや激怒と昂奮に狂うているゴリにはそれらのものが既に失われていた。ゴリは柵の中にいて敵手と闘う自信あるゴリであり、敵手を噛み砕く気概をもつブルドッグ・ゴリの本性のままを行動するかれであった。只、ゴリに失われているものは余裕ある思慮が、今のゴリの気持のなかから滅びてしまっていることだった。そういう意味で長い闘犬的生涯の戦術や奇襲、熟練などの一切の規則と特徴とが、ゴリの肉霊のなかから早くも麻痺《まひ》されているものにさえ見えた。只、一介の犬として対抗する可也《かなり》なシドロモドロさえ生じていたのだ。あるいは豹がいたらその命令の声を聞くだけでも、ゴリは規則正しい戦術を行うたかも知れない。それ程ゴリに取っては飼主であり命令者である豹が必要だったのだ。豹の意志はゴリの意志を行動する別の意味の脳髄でさえあったのだ。  ゴリは熊の背後にいても背後からは対わなかった。闘犬は決して背後から対う卑怯《ひきよう》なものではないのだ。その平然たる熊のからだは張り詰められて何処にも隙は無いらしく、唯、じりじりに詰め寄るばかりだった。その時熊はやっとゴリにその物憂そうにみえる眼を向けた。それは圧力をもった恐怖すべき陰気くさい一瞥《べつ》だった。ゴリはほんの少しばかり顔の動いた隙間に、熊の太い首すじを目がけて飛び付き、飛びつくと同時にその肉体に噛《か》みついた。噛みついたときにゴリの牙《きば》は何時ものようにザックリと敵手の肉に食い入れないばかりか、その深いコワイ毛並はゴリの顔全体を埋めるほどだった。その牙が対手の肉にさわった程度だったに過ぎない。その時熊の左の手がはすかいにヒョイと伸びただけで、ゴリは嘗て経験したことのない重い底力のある打撲を耳の下に受け、訳なく張り飛ばされた。ゴリの耳の下に赤いものを見せたかと思うと、真黒な肉体はめらめらと断ち切られた。それはふさふさした毛の下にある鋼鉄のような熊のつめのためだった。ゴリは再び陣営を立て直した時に不思議に再びかれは闘犬的足場と狙いを復活させた。それはゴリが受けた致命的な傷は可也《かなり》に深く、可也に記憶を全身的に呼びさますものを持っていたからだ。ゴリから言えば今はかれが習い得た戦術を行動するよりほかに、何等の実力をもって対闘することが出来なかったからである。  ゴリは死力的な狙いを定めた。ゴリは食い付いたら離れぬ犬だった。それが訳なく離されたのだ。ゴリの最もおそれたのは此の点にあったのだ。  ゴリはじりじり寄るよりも迅《はや》く、再び飛びかかって熊の耳の一端を噛み切った。(ゴリにもそれが完全に噛み切ったような気がした)。歯は耳の裏側に徹《とお》って喰い込んだのだ。ゴリはその耳の噛《くら》い付きを忽ちの間に移動し出した。耳の下にあるふくらはぎのような柔らかい、呼吸を窒息させる急所をめがけて、かれの歯とキバは畳針のように急速に縫いはじめたのだ。ゴリは硬《こわ》ばった耳を咥《くわ》えたまま敵手のために烈しく左右に打ち振られた。ゴリの七貫五百目ある肉体はその瞬間に熊のかけた右の手のさきにある、巨大な爪の為に背《せ》すじを引懸けられ、再度断ち切られたのであった。それでもゴリはだめだと思い、烈しく振られるために体重の関係で、熊の耳からややともすると歯を喰い破って落ちそうだった。ゴリは深く食い入ろうとする程逆に離れそうだった。ゴリは凡《すべ》てが不利であり遣られたと思うようになった。  ゴリの耳に鋭い飼主の豹の声が突然に聞えた。  豹がかれのうしろから叫喚しながら命令者の声を絞《しぼ》った。  ゴリはそれを全身的に浴び揮《ふる》い立とうとしたが力は尽きていたのだ。  ゴリは自分の考えを抛擲《ほうてき》するより外には何も出来そうもなかったのだ。  考えや戦術を抛《なげう》つことは敗北を意味して来るのだ。  其処にいない筈《はず》の豹の声、命令、ケシ懸、叱責、罵倒《ばとう》、それらの一切が交錯してゴリに響いたが、ゴリはそれを快楽的に聞き入るよりほかに、本能のちからがもはや働かなかった。ゴリはうっとりとした極度の疲労のなかに、いまはどうにでもなれと云う気持だけが残った。  熊は第三撃目を充分に苛酷にゴリに加えた。ゴリは自分の体重と熊の打撃とによって、熊の耳を噛み裂いたまま、地ひびきを打って砂上に打ち下ろされた。ゴリは動こうとしても動けずに先刻より最っと快楽的な気持になった。もはや豹の声も命令も聞えなかった。頭ガイ骨が打撲によって砕かれたのだ。ゴリはうめいた、そのうめき声は低い凄惨な顫《ふる》え声で続けられ、その船底のような胸部はひと荐《しき》り荒い波型の鼓動を打っていたが、肋骨《ろつこつ》が透いて見えるほど烈しいのも間もなく動かなくなった。ゴリは何事も聞えず又何等の闘いを戦う責務を負うことが無くなり、終年その放れたことのない鎖からいまは全く釈放されたのであった。  しかもそれは刻々に弱って行き、充血した眼はやっと開いているばかりだった。熊は敵手が僵《たお》れたあとは決してゴリのからだに爪をかけることが無く、少時《しばらく》見詰めたままでいたが、突然顔を熊から離して、手の出しようもなく茫然と立っている彼の方に向けた。彼はゴリの息がもう絶えたであろうと思われる時に、そばで低い熱情的な声音でその名前を呼んで見た。 「ああ、ゴリ!」  しかしゴリの眼は彼の方には注意されなくなり、開いたままで動くことを終っていた。胸部には顫えも残らなくなり、只、尻尾のさきがヒクヒクと微《かす》かに弱々しく震えているだけだった。勇敢と剛邁《ごうまい》とによって飽くことを知らないブルドッグ・ゴリの一生は、その凡《あら》ゆる実力と死闘を尽すことで、再び飼主である豹の顔とその命令の声を聞くことができなかった。かれは闘犬が飽迄戦闘的生涯を経なければならない、人間と人間の間に規定された、単なる約束のためにその息を終えたのであった。 チンドン世界    一  常設館アズマ・キネマは何度も館内の手入れをし、新興キネマの特約作品以外に様々な映画会社の季節はずれの作品を看板にし、表側を新しいペンキに塗り代えるほかに七周年記念興行というもくろみを立てたりして、苦しい汗やあぶらをにじませて経営者の望月《もちづき》はあせりにあせって見たが、それらの事態は特に看客を刺戟《しげき》するほどのこともなく、依然、さびれのかかった館内を賑《にぎ》やかにするものではなかった。料金も割引券五百枚を刷って新聞に挟み込みをして観覧料を弐十銭に引下げ、子供はその割引券の半額のただの十銭であった。そのほかびら札に添える招待券や館の出入りの無料看観者は料金を支払った看客の二分の一くらいで正味の収益は階下三等の百人の入場者のうちで、料金は割引券利用の七十人分、十四円くらいにしかならなかった。土曜日と日曜日は相当に混むにしても平均百人を超えることがない。階上の一二等はそっくり空《から》の席ばかりで多い日は二十人くらいしかなく、雨のじめつく日の足場の悪いこの場末では看客はあちこちにぽつんと坐っているにすぎなかった。  望月館主はいままでの年増めいたお内儀《か み》さんのような案内女を追い出して、麻雀《マージヤン》倶楽部《ク ラ ブ》から一人球突きから一人抜いて来て、館の入口に酸《すつ》ぱい白粉顔をならべさせ、ぺちゃくちゃ蓄音機のようにしゃべり立てさせ、これも何かの足しになるわいと、用もないのに入口と黒いカーテンの間をうろうろ歩いて見たが、来る客も割引券付でなければ、碌《ろく》でもない招待券利用の客すじばかりであった。下足番や掃除人や案内女の知合いが家鴨《あひる》のように挨拶がわりに首を振って見せ、ざらざら下駄を引き摺《ず》ってただの見物にありつくのを眼に入れると、望月は下足番や案内女を手厳しい眼付で睨《にら》みつけ少しの思い遣りのない小者どもをどうしてくれようかとさえ、腹立たしく憎々しげに見据えるのであった。それに音楽のボックスではいつでも勝手なはやり唄ばかりキイキイ掻《か》き立てていて、それが望月には金払え金払えというように聞え、三ケ月分の給料のたまっていることを絶えまなく請求されるようで参っていた。時代劇の三味線をひくお時婆さんだけは毎日塩茄子《な す》のような顔を望月の勝手口につきつけては、給料を完全に支払わせていた。五十銭三十銭一円というふうに望月の妻君の紙入れから引き抜いてゆくのであるが、妻君も慣れてしまって商人手帳のはしに何時幾ら支払ったかをお婆さんに書かせて、紛れぬようにして置くのであった。 「お時婆さんも考えたものだわ。纏《まと》めて取れっこはないと思っているものだから。」と望月にそういうのだが、望月はゴミや埃《ほこり》のはいった額の皺《しわ》をよせて苦笑しながらあのばばあはアズマ・キネマの古猫だよ、まったくあいつの三味線が創館以来ひと晩だってじゃらつかないことがないんだからね、と、その度に妻君からいま取られたばかりのお時婆の一円とか五十銭とかいう金をこんどは妻君に絞り取られるのであった。そんな小金も望月の財布におさまってないときは内輪でいながら端《はし》た金をそう小っぴどく取り立てなくともいいではないかと、三度に一度は諍《あらそ》い事に疳声《かんせい》をあげるのであるが、望月の妻君はお時婆さんが持って行ったからと言って、あなたのお酒や肴《さかな》をそれだけ減《へ》らせるわけには参りませんからね、と、金のことになると眼尻をきつく震わせてかかる妻を彼はだまって我慢して見ていなければならなかった。内輪にいてさえこうだもの音楽士が暑そうな長髪を掻き上げてなぶる弓づるが、望月には誰よりも応《こた》えるのだ。ひと頻《しき》り間奏時間をこしらえて高級な音楽をきかせるようにして見たが、場末の経師屋、大工、商家の店員、植木屋などを対手《あいて》にしていては、欠伸《あくび》をしたり、あああ、という退屈声をあげられたりして何時のまにか中絶してしまった。音楽士の今田などもこのごろ眼に立ってやけに時間を遅らせて出勤して、望月の出ている日はわざとらしいトンチンカンな流行唄などをひいて当てつけるのであった。音楽などのわからない看客には却ってはやり唄があまく聞えて面白いんです。そんな真摯《しんし》な西洋の曲目をあさって弾いていても見物人は一向可笑《お か》しくも悲しい顔もしないんですよ、と、望月につんつんいって依然何やら外にきこえても極りのわるい唄ばかりをひいていた。カフエにかかるような小唄は見物人の大半が諳《そら》んじているので、何処かのすみで誰かが悲しいヴァイオリンに合せて小声であとをつけると、反対の側の薄ぐらいあたりからも尾《つ》いてゆき、そうかと思うと突然子供の声らしいのが大声でわめき立てたりして、まるで映画館だか安カフエだか分らない蕪雑《ぶざつ》な光景に変るのであった。そういう看客にタクトをとる今田音楽士はキイキイ鳴る弓づるのあいまに、おりおり看客の方へ諂《へつら》って振り向いて笑って見せるので、看客は一そう面白がり、軽快な節をあやつッてまるで映画などどうでもいいように合唱をはじめるのだ。そういう時に酔ぱらいがきまって一人か二人居合せてこれがまた訳のわからない声をふりあげて唄い出すのだ。今田音楽士の面《つら》あてらしいこのタクトは望月の額にじりじり汗あぶらをにじませ、暗い館のなかにいながら顔が赧《あか》くなり立っても居てもいられぬほどだった。何て態《ざま》だ情けないことをしてくれるのだと望月は乱次《だらし》のない不秩序な館の中で休憩時間のあいだじゅう冷汗を掻いていたが堪《たま》らなくなると、奈落から休憩室をさしてくる音楽士を待ち構えていうのだ。今田君まるであれは君と看客とがぐるになって映画の邪魔をするようなものではないか。看客が当然悲嘆の涙にくれなければならんときに君はわる巫山戯《ふざけ》た浮《うわ》調子にヴァイオリンを軋《きし》らせるものだからまるで安カフエのようになり、皆げらげら笑い出してしまうではないか、まじめに仕事は仕事らしくやってくれんと困るではないかと望月がいうと、今田はこれは意外な咎《とがめ》をうけるという空とぼけた語調でいうのだ。 「見物人がみんな喜んで居ればそれでいいじゃありませんか。しかし僕の音楽がわるかったら他に代りを入れて下さい。」  望月はここまで今田に斬り込まれるとこの次に給料を支払ってくれと出て来るから、そして此間のように楽器をかかえるとそれきり下宿にかえって迎えの行くまでは、さんざんにじらせておいて漸《や》っともどるのだ、そういう遣口《やりくち》を呑みこんでいる望月は強く締めつけるということは損であることを知っていて、残念ながらだまして使うよりほかに途《みち》がなかった。それにこの場末では音楽士をすぐに雇い入れるということができても、今までの館の不況を知っている外部の者は殊に音楽士は前金でなければ使えなかった。全く望月の手が広目屋《ひろめや》を雇うにしても日当は朝早く館の前で人員が揃《そろ》うたときに支払わねばならなかった。 「君も音楽家だからどういう時にどういう曲をひけばいいか位わかっているのだから、わしに恥をかかせんようにやってくれたまえ。」  望月はこれだけいうと後はくどくど分りきっている金のことになるから、見切りよく今田から離れてしまうのであった。下宿住いの放埒《ほうらつ》な今田は可成に手剛《てごわ》く望月をやっつけても、それ以上に望月を窮《こま》らせ館を出るということも彼の私生活の事情がゆるさなかった。今田音楽士はアズマ・キネマの給料不払を口実にしてずっと下宿料を払わなかった。すぐ泣声を出すお内儀《か み》さんのゆうれいのような顔が今田の部屋にあらわれると、ではアズマ・キネマの望月さんに会って取れるだけ取って見てください、実際僕は四ケ月くらいというものは昼から晩まで腹をへらして給料というものは一文も取らないで、弾きづめに弾いているようなもんです、嘘だとお考えなら望月さんにお会いになって確かめて貰ってもいいのですというのであった。ゆうれい顔のお内儀さんはアズマ・キネマに望月を態々《わざわざ》たずねて行き、今田音楽士と自分の事情を話してどれだけでもいいから支払って貰えませんかというと、望月館主は事情はお気の毒の至りですが、アズマ・キネマもいま一息というところで悪戦苦闘している始末ですから、館員一同にも忍べるだけは忍んで時節を待っていて貰っているわけなんですから、相当の収入があれば何を置いても今田君の給料をおはらいいたしましょう、それも今田君直接ではまた間違いのうえに間違いを塗り上げるようなもので、お困りのあなたを一そう困らせるようなものですから私からじかにあなたにお払いするように仕様じゃありませんか。望月のこういう誠意のあふれたように一応は受けとれる言葉づかいは、橘《たちばな》館のお内儀さんの顔いろを夜明けのように明るくさせるのであった。では旦那様をあてにいたしますから何分にもおたのみしますとお内儀さんはかえって行くのだが、望月は今田がうまく自分を利用してあのゆうれいを操っている腹が見えすいてならなかった。いままでに音楽のボックス近くにべちゃつく女どもは望月の眼にも数える程いたが、こんど入れた二人の女だけには手をつけさせぬように見張りをしておかなければならんと思うのもすぐ解雇することの出来ない事情の今田への竹箆《しつぺい》返しのひとつでもあった。  望月館主の憂慮の深さは足の股《もも》の肉まで殺《そ》ぎ取られるほど、金のことでめちゃめちゃに憔悴《しようすい》して行った。階上の一二等のボックスのバネは大抵落ち込んでいて、これを修繕するということはゆめにも思えない困難な仕事であった。しかも上張りのゴブラン擬《まが》いの布はまだ新しく傷《いた》んでいないし、七年間にどれだけの人間が腰かけたかも見当のつくくらいであったから、これも家具屋に一杯喰わされたものにちがいなかった。畳張りの座席はひどく汚れてにちゃついていたけれど、どこをどう切り詰めても畳替えの費用の出どころがなかった。白布を覆うた座布団を廃止したのもつい最近のことであったが、この白もめんの洗濯料だけでも月末には決してすらりとは支払えないくらい嵩《かさ》張っていたのだ。そのほか洗面所や階段のズックの破損、三等席のコンクリの毀《こわ》れやカーテンの裂けたのや硝子窓《まど》のつくろいなどを一つあて修繕してゆくことも、これまたゆめにも見られない莫大な出費であった。フイルムの賃借料の前金は二タ月遅れになっていたけれど、これだけで殆《ほと》んど入場料の三分の一をおさめなければならなかった。映写技手の金森へはそれこそ五日も給料がおくれるようなことがあると、映写時間になっても煙草ばかりふかしていて機械はカチッともうごかなかった。望月は殆ど拝まんばかりに機械室の窓口から困り切った顔つきで、片手に五円紙幣を四ツたたみにしたのを乗せていうのであった。 「金森さん、とにかくこれだけおさめて機械をなおしてくれたまえ。」 「あとは何時戴けるんです。」 「あとはあとにして直ぐに機械をうごかしてくれませんか。」  田舎の映画館を潜りぬけた擦《す》れに擦れぬいた金森技手は、そんな生優しいことでカチカチいう機械をうごかす男ではなかった。仮令《たとえ》、看客がわいわいさわいでいても落着きはらって困った顔つきすら色に出さなかった。先々月あたりからフイルムの賃借出費を節約する都合から二時間かかる作品のテンポをのろくした上、三時間にひん伸ばしたときも望月は金森に五円紙幣を一枚手渡して実行させたのであったが、看客はあまりに間伸びしているので何とかぶつぶつ喚《わめ》き立てていたけれど、金森技手は少しも慌《うろた》えることはしなかった。「ゆっくり見られていいじゃないですか。」と望月に笑ってみせたが、さすがに望月はあおざめた唇をふるわせて看客の罵声《ばせい》に耳をおちつかせることができなかった。そんな折のくそ度胸を持った金森であるから僅かな金のくいちがいにも猶予などしないのだ。 「明後日まで待ってくれたまえ。」  望月館主のこういう宣誓の言葉を耳に入れると、ライトが入れられ機械が静かにうごきはじめた。金森の顔はべつに怒っているでもなく又皮肉った笑いをうかべるでもない、色の白い男に見られる普通な表情で終始せられているのであった。阪妻《ばんつま》流行時代に田舎の弁士をして食い廻っているうちに器用に覚え込んだ映写技術で叩き上げ、いまでは技手としての触れ込みで昔の子守や下婢や煙草屋の女房をたぶらかして、娼郎《じよろう》買いの金を節約していたころの彼とは違ってどこか堅実な大学出の若い技手のように人品がそなわっていた。実際の収入はアズマ・キネマの手当だけであったが、服装や所有の装身具は相当に金目のかかったものが多かった。と言って今田音楽士のようにべたつく女どもに取り入るということや、ことさらに看客の美人を物色するという有勝ちな不身持すら、人前で決してあらわさなかった。望月の考えでは相当の女でもくいこんでいるのであろうと思われていたが、誰とも深い交際《つきあい》をせずに人を訪ねさせない金森技手がどういう暮しをしているかは、全く判然と分っている者はなかった。ただ、この好色的な謂《い》わば色白い、にやけたなかにきりっとしたようなところのある美しい表情は、或る種の女をひきずり込んだら最後何処まで堕《お》ち込ませるか判らない、五里霧中の惑わしい操縦術が涼しい眼のなかに待ち構えているようであった。  いつも事件《こ と》もなげにゆうゆうと振舞うている物腰は、望月館主のひどい苦手であったのだ。ただ、仔細にこの男を観察すれば午前十一時の出勤時間にすでに彼の顔のどことなく、夕暮時の人間にみる疲労がおそうていて、それがその前の晩からのものであること、その前の晩のものは、その二日も三日も或いはずっと何年か前からよどんでいるところの絶えまもない疲れであることを、みとめることができるのであった。望月館主の妻のりあ子のいうところによれば金森さんのような人は或る種の女の眼から見れば、すぐわかるものがある、つまりすぐわかるものがあるということは女であって初めてわかるものだ。「あんな男は娘さんから好かれないが何も彼も分った女にはちょっと引っかかるところがあるわ。」と、望月はこういう彼女の眼に何年も見たこともなく忘れてしまった好色のなまなましさを感じ、女というものはひょんなときにひょんな眼をするものだと思うのであった。女というものは一生涯油断していられないものを持ち合していながら平気でそのままそれを萎《な》えさせて了《しま》うものらしく思われた。「女の方から引っかかって見たいと考えるほどの男は、よくよく女好きのするものを持っているものよ。」そういう妻のりあ子を望月はむしろ憫《あわれ》むような妬《ねた》みめいたものを感じたが、この女にもまだこんな戯談気《じようだんげ》が沢山あることに注意せずにはいられなかった。 「おれは彼奴《きやつ》から給料をせびられると、どうにも金をつくらなければならない切羽詰ったところへ突き出されるような気がするのだ。あの男の顔を見ただけでも死人に物をいわれるように心臓がわるくなるのだ。女というものは悪党を悪党と知りながら惚《ほ》れるものらしいんだね。」 「それはそうよ。はじめから悪党では惚れないけれど、関係がついて了えば悪党ほど頼《たの》もしい気がしてくるものだわ。」 「では何かい、悪党も一種の魅力に変ってゆくんだね。」 「生優しいありふれた男よりかどこか悪の強いのが面白くてうずくような感じを持っているものだわ。」  望月は子供を生んだことのないりあ子の従順さが、その従順さのまま教育されて行っていまでは望月の胡魔化しなども利《き》かないようになっていることを、やはり望月自身が建増《たてま》してやったようなものであると思うた。ほそ身づくりで締れるだけ締ったからだには左《そ》ういう女には疲労の回復が速《すみや》かであるように、りあ子にもぴしぴしした強さがあることを感じないわけにゆかなかった。望月の昨日今日の憂慮はりあ子のからだなどに慰めをもとめるにはあまりに、酷《ひど》い傷手《いたで》と心配の積みかさなりであった。高利の借金の書き換えの苦しい遣り繰りのあいだにチラチラとりあ子の肉体の明りがさしてくることがあるが、それが一層りあ子の生活負担まで覆うてくるようで重苦しかった。    二  アズマ・キネマはこの新東京に編入された場末の谷間の湿《し》けた三ツ辻の行当りにあったが、隣は大きなマアケットに続きその二個の建物を中心にして八百屋雑貨屋薬局寿司屋などが軒をヘシ合い、道路は乗合自動車が道幅一杯に通ってゆき荷車自転車が揉《も》みおうて、買出しの奥さんやお内儀さんなどで夕方は火事場のように盛る巷《ちまた》であった。その朝は半年遅れの日活の時代劇のフイルムを借り出し、それを表看板にし毒々しい大岡政談大会の主演役者の顔を街路に張り出した望月は、こんどこそ相当の成績をあげなければ後腹《あとはら》の痛みが恐ろしく、おそらく館の運命もこの興行で決定するようなものであった。しかもフイルムの賃借料やびら札や表看板などの費用をのぞくと、望月はまったくの一文なしだった。広告楽隊は五人一組で幾らか軍楽隊風な勇壮なものを雇うことは望月の理想ではあったが、費用の関係から渡しをつけることができずにただの広目屋の圭助夫婦をわずらわしたにすぎなかった。  前の晩に望月は以前に下足を拾わしていた関係もあり、がらになくふくふくした女房を見てもわるくない気持から、俗にいう窪《くぼ》という谷間の町にある圭助の家に立ち寄って見たが、三軒棟割《むねわり》のまんなかにある圭助の家だけが暗く、角の運転手の家と長屋のはずれとが明るくなっていて、どう考えても留守の様子であるらしかった。家の前に立ちながら圭助さんは留守かね、望月だが仕事があって来たんだがというと、百姓家づくりの土間の次の間の台所で留守だと思うていた圭助が七輪に焚付《たきつけ》を拵《こしら》え、たったいま燐寸《マツチ》を一本擦ったばかりのところであった。 「や、これは旦那、じきじきのお出でで恐れ入ります。」 「明りを点《つ》けたらどうだい、暗いので留守かと思って帰ろうとしたところだよ。」 「いま、明りをつけます。」  圭助は皿の上にある細い仏壇ろうそくに火をつけると、きちんと坐って望月の用向きを畏《かしこま》って聞いてから、ほっとした顔つきで愉快げに膝をすり出した。仕事にあぶれて困っている矢先だから他人をつかうことも無駄だからと言い、 「嬶《かかあ》と二人でやりましょう。」  その方が収入《みいり》もまとまるからと、圭助は晩のお菜を買いに出てかえりの遅い女房をもどかしがった。 「僕はなるべく軍楽隊を組で雇いたい考えなんだが、今晩中に間にあいそうもないからね。」 「軍楽隊なんて奴はぶうかぶうかドンドンで、ずっと街を素通りにしてしまって何にも効力はありませんや。それよりか町の女や子供にまで面白がられるひろめ屋さんに限りますよ、だいいち印象的で町の人だちとも顔なじみがありますからね。」 「では明朝早くに来てくれ。」  望月は手金を置いて土間から出て行ったが、ふと立停って圭助さん、君のところだけは停電になっているじゃないかと、笑い声で言ったが、圭助は、何かというと会社の奴、電燈を消しやがってあっちがその気なら、こっちにも考えがありまさ、それに結構ろうそくで間にあいますからねとこたえた。それは圭助ばかりの問題ではなくアズマ・キネマの電燈料はすでに二百何十円の借りになり、何度も消燈されようとしていたが名義上の株主方面から懇談の上、三分の一ずつ支払っていままで引摺って来たものの、おそらく今度の興行の結果電燈会社でももはや泣きを容《い》れてはくれまいと望月は考えていた。会社の政策としても消燈問題は直ちにアズマ・キネマの存亡に関していることがらであるから、うかうかと普通住宅の電燈を消すような訳にゆかなかった。と言って幾ら取り立てても後月《あとづき》への繰越高ばかり嵩《かさ》んではどう手の尽しようもなかった。望月はそんな重苦しい気の遠くなるような問題のなかでじたばた跪《もが》くほど、深みにずり込み手足を奪《と》られることになれていたものの、寧《むし》ろ望月は圭助のほうが余程らくだわいと思うた。  朝の蜜柑《みかん》いろに晴れた道路に圭助は前打《まえうち》太鼓を首からぶらさげ、ラッパを吹き立てながら余る左の手でじゃんじゃん銅鑼《どら》を叩き、殆んどからだじゅうに使用しない部分のないほどの精勤振りでドンチンドンチンと街へ進行して行った。前列にアズマ・キネマ革新興行という流旗《ながし》を押し建てた女房のくりの背中に、伊藤大輔監督、大河内伝次郎主演と書いたビラ札を負うて、余る左の手で割引券を撒《ま》きちらしながら何時の間にか圭助のドンチンドンチンにお臀《しり》をふり立てながら妙に拍子を合しているのであった。少し馬鹿づらに見えるがその馬鹿づらゆえに子供っぽく程よく日にこげたパンいろのくりの顔は今朝ほどよく洗ったらしいつやを持っていて満更すてたものでないという、今田楽士の批評どおりの美人に近い美人であった。笑うと歯ぐきがあらわれるのは見る人によっては不潔な感じをあたえるが、きちんと旗を持って唇もとを引きしめ汗ばんでふつふつするような肌工合は決して化粧などの必要のない人生の喜びを完全に暗示するものであった。普通、道路人夫などが圭助の嬶をみるとすぐにこいつあこたえられねえといい、若い書生などは惜しいもんだねチンドン屋のお内儀さんにして置くのはといい、商家の店員などはそりゃ来た嬶自慢のひろめやが来たといいそれほど町の人びとから喝采《かつさい》と賞讃とを擅《ほしいまま》に受けていた。あとから蹤《つ》いてゆく圭助は世間にバカ者どもが多いのに呆れる、ひとの嬶が佳《よ》いとかわるいとか勝手にほざきゃがって何の足しにするつもりだろうと、女房の噂を耳にいれると苦り切ってわざとじゃんじゃん延金の銅鑼をかち合せるのであった。だが悲しいことには町の人びとはかかる大がかりの革新興行であるに拘らず、誰も美しい赤木綿に白文字でぬいたアズマ・キネマの今期興行に注目するものはいなかった。かれらは物憂げにその旗の文字をよんでから口々に何のこともない捨てぜりふをぶっ飛すにすぎなかった。 「なんだアズマ・キネマか。——」 「ありゃもうどうにもならないのさ。——」  そういう声を耳に入れると圭助はその商家の小店員らしいのに、こんだの活動はトテモ面白いんだ。ただの二十銭で昔のことがみんなわかるんだ。たまに活動見物でもして眼の学問をした方がいいぜとどなってから、彼は町角の広告屋が立ち停って口上を述べやすい小ぢんまりと温かそうな煙草屋と子供服を売る路地の角で、更《あらた》めてチンチンドンドン、ドンチンチンと拍子を取って音楽のしめくくりをつけてから、口上をしゃべるのであった。 「皆様ごぞんじのアズマ・キネマでは今秋の大興行として日活提供の大岡政談大会をひらき、全十八巻打通しに高覧に供する次第であります。剣鬼剣魔啾啾《しゆうしゆう》として夜鳴きをはじめ紆曲波瀾《うきよくはらん》至らざるはなく、加うるに監督伊藤大輔氏と大河内伝次郎氏の提携は思わず十八巻の短かきを嘆ぜしめる次第、館内更生の清潔、館員一同不眠のサアビス、巻中剣戟《けんげき》の光あまねからざるはなく生殺汗を生じしめるところ、今夕六時よりの開演、ひとえに賑々《にぎにぎ》しく御光来のほどねがいあげたてまつる。」と圭助は大声をあげてしゃべった。今朝出がけにこの口上書を何度もくり返して復習しながら、圭助は思わず質問せずにいられなかった。 「旦那、こいつあ少々難かしいじゃありませんか。」 「そうか、しかし語呂としてしゃべりよいではないか。」 「これじゃ、ちんぷんかんぷん分らないですよ。高尚すぎらあ。」 「まあ、やって見い、口上なんてわからない方がいいのだ。」  圭助はまた改めてラッパを吹いて太鼓を叩き、表通りをひと廻りすると小売商家のありそうな町をいつものくせでぐるっと遠廻りをすると、場末はずれのごちゃごちゃした路地をぬける時分は、女房は旗竿《はたざお》の重さにヘタ張って肩にかつぐような恰好をしはじめたので、圭助は醜体なような気がして何べんもうしろからどなり散らした。 「旗が地べたに引きずるじゃないか、こん畜生め出がけに按摩《あんま》でもしてほしかったのかい。」 「お前さんの太鼓の釣紐《つりひも》に気をつけた方がいいわ。いまにも前につンのめりそうじゃないの。」 「全くてめえの家鴨《あひる》づらを見ると、夫婦かせぎも考えものだて。」 「亭主の口上をいう馬鹿づらを見ていると、わたしゃ穴にでもはいりたいさ。」  町はずれの丘のふもとで古い寺の前の空地にかかると、ふかふかした雑草の土手の上に圭助は腰をおろし、くりは旗を立木にもたらせかけた。くりは、腰にからげた包みのなかからお八ツの塩せんべいを取り出し、これどう、と亭主の前におしやった。気が利《き》いていると思うたが圭助はだまってばりばりぱくついた。 「こんなに広告したってアズマ・キネマがきゅうに富士館のように賑うなんて考えられないじゃないか。」圭助は面白くもなさそうにそういうと、「何しろおれのいた時分、二階のお客の下足がいつも三十足くらいさ、それも来るお客がきまっているので汚ない屑屋でもご免蒙《こうむ》りたい代物《しろもの》ばかりさ。」 「望月さんもお気の毒だわ、けれどもあんなに眼のチカチカ震えているような写し方じゃ見ている方がくたびれてしまうわよ。」 「機械も悪いし第一場所がわるいんだ。町はずれが吹きさらしの畑と来ちゃ人間対手《あいて》の商売じゃうだつがあがらないんだ。」  圭助はごろりと横になり明るい空に眼をほそめて見入っていたが、くりの着物の前捌《さば》きが雑草にもつれ、ふとった股がはだけて見えるのを何やらふしぎに異ったところがあるように眼に入れた。「いっそのこと、望月さんが悧巧《りこう》にアズマ・キネマを投げ出してしまえばいいんだ。いつまでも虎の子のようにボロ建物を大切にしたって、ボロはなおボロになってしまうばかりなんだ。あんな商売下手なお人もないもんさ。田舎の家や地面もそっくりアズマ・キネマが呑み込んでしまって、いまじゃ望月さんは一文だって持っていないだろう。全くガラン洞の建物はしまいに望月さんの命まで呑み込むか、そうでなかったら差押えを食って黴《かび》臭くなることだろう。トタンとペンキと硝子張りの古椅子だらけじゃ薪にも出来ないだろう。」と、圭助は辛辣《しんらつ》に毒づくと、「そろそろ出かけようぜ、何が何でもこちとらの仕事だけでもそこらに触れ込まなきゃ、日当を貰っていて済まない訳だ。」  圭助は道路に出ると勇ましい太鼓を一つどんとはたいて、二三度踊るような恰好をふざけてして見せると、くりはあんたも随分お馬鹿さんだわねと、圭助の前に出て歩いて行った。くりがいつのまにかお臀《しり》をふりはじめると、圭助はにがにがしい声でうしろからどなった。 「やい、お臀をふるのは止《よ》しなよ。」 「だって旗が重いんだもの、仕方がないのよ。」  昼少し前に圭助はアズマ・キネマにかえって来たが、くりは重そうに旗を肩さきにかついで、圭助は太鼓やラッパを一纏《まと》めに背負うて草臥《くたび》れ切っていた。望月が奢《おご》ってくれた食物を二人はたべてしまうと、まだ開館に間があるのに今田音楽士が出勤して来て、何やら圭助の女房にからかったがそのうち背中をどしんと叩く音がして、圭助はくりにふざけるない、見っともないじゃないかとどなったけれど、くりは、面白くて仕方のないことがあるようにホクホク笑っていた。  例の最近雇い入れた案内女は弁士の顧歩《こほう》のいうように双子《ふたご》のように能《よ》く肖《に》ているほど、ちゃべちゃべした顔付で小まめに三等席の掃除をしながら、わいざつな顧歩弁士に調戯《からかわ》れていた。そして何か困ったことがあると機械室の方に向いて甘えた声音で金森技手のことを金ちゃんと呼んで、顧歩さんがいけないことをするのよといい、早く叱ってやって頂戴、とか、あれエ、顧歩さんがわるをするわ金ちゃんに云い付けてよ、とまた大声をあげたりして、水換え時の金魚のようにいちゃついていたが、金森技手は何をいってやがるというような融通のきかなそうな顔付で、べつに返事ひとつしなかった。それなのに二人のちゃべちゃべ女は金森技手のことを金ちゃん兄さんというようになついていた。  げらげら笑いで女をからこうている最中に望月はのっそり出て来たが、圭助にご苦労だったといい、金森技手に目礼をすると、ちゃべ女どもがこそこそカーテンの陰にかくれる姿を目にいれた。注意すべき人物は今田音楽士よりむしろ弁士の顧歩であったかと、顧歩をじろり眼に入れたが、顧歩は今田音楽士にてれかくしのようにいうのであった。「あんな娘ッ子に少しからかってやると、もうとても嬉しそうにふざけやがることったら!」望月はその厭《いや》らしい言葉に背中一杯がぞくぞくするくらいであった。  しかし出勤すべき人達も出揃《そろ》い掃除万端が事なく済んだ館内に、圭助が気を利かして如露水で埃をしずめ、盛塩も三ところに清められて盛られていた。開館時刻になると先ず嚠喨《りゆうりよう》たる音楽が今田の手によって吹奏されると、望月はこんどの興行がうまく行くように変に感情的になって女どもに早く切符売場に坐るように命令した。    三  望月館主は終日金融方面を馳《か》けずり廻って見たが、どこの応接間でも煙草一本喫《す》い終らない間に断わられて了った。品川の高利の借金を書き換えそれを糶《せ》り上げるより方法のない望月は、今度で五回の書き換えを終ればもうアズマ・キネマを打抛《うつちや》ってしまうも同様の破目になることであった。それでも今日じゅうに作らなければならぬ金の入用はとうとう中西の玄関前まで足を搬《はこ》ばせたが、れいの悪書生が取次に出ると望月の顔を見るなり中西は不在だといい、望月はでは暫く待って見ようと言ったが、待つよりも何よりも少時《しばらく》憩《やす》みたかったのである。応接間で書き換えの計算をしていると今度話がうまく纏まっても、四千八百円の額面になり手取り五百円の内約五十円の利引きになれば、正味四百五十円にしかならない、それでもそこまで漕ぎつけなければならぬ。四千八百円の額面も四年間かかってせり上ったもので、望月は正味千五百円くらいしか受取っていないのだ。自分で借りた金が勝手に利子を殖《ふや》して行ったきょうでは抵当を三番まで設定して行かなければならなかった。  中西は電燈が点いてかえって来たが、何と言っても書き換えをして呉れなかった。全くの見込みを失うている望月は一たん厭という中西には釘を打つにも打ち様がなく、人情で通らないこの道ではもはや引きとるより外はなかった。望月は自宅にかえると妻のりあ子に八方塞《ふさ》がりだといい、およそ腹をきめなければならぬ時節だともいった。りあ子はいちもにもなく、アズマ・キネマを早く手離すことをいつものように力説して歇《や》まなかった。 「一文にもならないことをあなたは七年間もむだ骨を折っているんですもの。商売馬鹿もあなたくらいになると堂にはいったものね。」 「そうさ七年間ただの一度もおれの心配を心配してくれないお前のためにも、国の山まで売り飛ばしてみついだキネマ小屋をむざむざ手放して堪《たま》るものか。おれ自身でお客様の下足番をしたって館に立て籠《こも》るつもりでいたんだ。だが、もう出来るだけのことを仕尽して了ったし、おれのちからももう起《たち》上れない位に萎《な》えているのだ。」 「何かと仰有《おつしや》るとわたしのせいになさるけれど、あんな活動小屋にお金を食われるより寝ころんで涼しい顔をしていた方が、どれだけ体の保養になっていたかも知れないわ。あんまり事業のことでは女のせいにしないものよ。」 「お前の言い分ももう聞き飽いてしまったよ。そんな気なら、何時でもおれを置いてきぼりにして何処《ど こ》へでも好きなところへ出掛けるのがいいさ。」 「そんな時があったら黙って出てゆくからいいわ。」  望月は昼すぎに館に出てゆくと、しんかんとして階下に目ぼしい看客もなく顧歩弁士の熱のない喋《しやべ》り様が神経にさわり、妙に声帯を殺したぎぁぎぁ声ばかりがひびいていた。だれるに委《まか》した音楽も薄睡い同様な曲ばかりくり返して、あれでは機械もおなしだと思うほどであった。望月は階上一等席のすみのほうに坐ってじっとして考え込んでいたが、僅か看客は七人と赤ン坊が一人、梨の皮やキャラメルの殻が畳一杯に取り散らされてあった。望月は先刻から廊下のほうでどたんばたんという足音を耳に入れていたが一たい、誰が何をしているのであろうと何気なく出て見ると、十くらいの少女が二人でひとりは窓ぎわに結びつけた紐を張って手に持ち、一人は大きな足をひろげてその紐を飛び越える稽古をしているところだった。 「縄とびのお稽古ですか。」  望月は映画を見ないでいて縄とびに夢中になっている少女だちを、これは余りな仕打だと腹立たしげに打ち眺め、おれの仕事ももうお終《しま》いだと眼のさめぎわのようにハッキリとそう感じた。 「お嬢さん、縄とびなら外でなすってください。」  望月は半笑いの悲しげな眼をして、柔和な叱言《こごと》を少女だちに言った。少女だちはおとなしく座席にもどって見物し出した。望月はなお暫時《しばらく》がらんとした一等席の椅子に坐っていて、そのまま階下に行く元気もなく、また家に戻る気もなく溶暗のなかに失神的な神経をやっと支えているにすぎなかった。  だが、再三の警告にも拘《かかわ》らず今の手の尽しようのない建物の軒のへりにあった装飾電燈と同様に、この半病人のような内部のあらゆる明りが料金不払のために、最後の切札であった消燈が実行されて行った。望月は電燈会社に出かけて掛合いをして見たが、かかりの者は全くお気の毒ですがこれ以上電燈を点けておくことは、ほとんど前例ないまでの猶予であって何遍も会計から詰責されたくらいです。望月さん明日午前中にせめて百円でも納めていただけませんか。それなら何とか骨折って見ましょうにと館の内幕を知っている知り合いの向田氏が言ってくれた。望月は品川まで出かけたのはその翌日であったが、高利貸の中西は大阪に今朝出発したばかりであって遅くも帰京は四五日後になるということであった。望月は絶望の青い唾《つば》が喉《のど》に引っかかり館に引きかえして見たが、下足番ももはや館内に踏みとどまっていず、明るいごちゃごちゃした狭苦しい三辻の角にあるアズマ・キネマの暗い羊羹《ようかん》色の四角な建物だけが、二三人の通行人の足を停めているだけで、古い下駄箱のように汚ならしく見えていた。自分の姿をすぐ通行人に見られそうな気がして望月はこそこそと路地のなかに身を匿《かく》してしまった。しかもいまは百円どころか五十円の借出しもできなかった。堕《お》ちるだけずり堕ちて行った望月はもう踏み停るちからもなかった。頭のなかにある考える機械もはずれてしまい、家にもどると広告屋の圭助を呼びよせ、明日館員一同に集るように触れて歩くことを命じた。  りあ子はそういう望月の苦しげな命令をしている様子を見ていたが、圭助が出て行ってしまうと、 「どうなさるおつもり?」  と、望月のあおく腫《は》れなやんだ顔を見つめて言った。 「一週間以内に売り飛ばしてしまうのだ。だが誰一人として困らせることをしないつもりだ。おれだけは一文なしになるだろうがね。」 「わたしたちはどうなるの。」 「勿論、おれと同じい文なしさ。それくらいのことは覚悟していてくれ」 「余裕をつけてお金を匿しておかなければだめよ。皆の給料なんぞこの際支払っていた日には仮令《たとえ》相当な値段で売れたにしても、際限がないわ。そんな馬鹿な真似をしていた日にはわたしたちは日干しになってしまうわよ。」 「おれはきれいに支払うつもりだ。金なんぞ匿すなんて卑怯《ひきよう》なことはしないよ。仕事は遣り損《そこな》ったらなお後々をきれいに拭いておくものだ。」 「世間体ばかりよくしてわたしたちは食べずにいるつもりなの。」  望月は妻にはこたえないで予《かね》て話のあった買手を頭のなかに考えながら、永い間ほとんど肉に食い込んでいた建物の重荷が少しずつ肩から抜けるような気がした。  アズマ・キネマの裏口から望月がはいってゆくと、事務室には金森技手、今田音楽士、顧歩弁士、お時婆さんに例のちゃべちゃべした案内女のほかに下足番が一人暗いろうそくの明りを取り巻いて黙り合っていたが、望月の姿を見ると一せいに目礼した。望月は何から言ってよいか見当がつきかねたが、これで全部ですねと言って見た。 「こんどはいろいろご心配です。」  金森技手のこの言葉をきっかけに望月はこんども諸君にたいへんに心労をかけたが、どうにも起き上がることができずに面目ない次第だと言い、いままで持ちこたえたのも諸君のおかげであり、これ以上諸君に迷惑をかけることも心苦しいので時節到来するまで一先ずアズマ・キネマを休館することに決めたのですと言った。 「つまりつつまずにお話すれば即刻に私はこのアズマ・キネマを売物に出してしまい、その全額面の金子を以って償《つぐな》うべきものを償いたいのです。私としては殆んど手を尽すだけのことはやって見たのですが、もう逃道も抜けて出るところもなくなったのですから、この際潔《いさぎよ》く処決した方が事業家としての小気味よい最後だと考えたのです。私はごぞんじでしょうが自分の財産はもちろんのこと、故郷の田地も売ってしまった程事業に投資したのですが、今日になってはもう旗を巻いて退くよりほかに途《みち》がなくなったのです。」 「ここに諸君におたのみしたいことがある。それは諸君の給料のことですが此処ですぐお払いするのが当然ですけれど、それは自身の意志であっても不如意の只今のところそれを実行することが出来ません。恐らく今月末までには諸般解決を見ることと思いますから、それまで枉《ま》げてお待ちをねがいたいのです。なお、これは借り方と売却高の概算ですが、念のためにこの統計によって諸君に給料を支払える可能を信じられたいのです。」  望月は細かい統計によって借り方や売却高の概算と剰余金による給料支払が決定的であることをその表の数字によって示した。望月は金森技手にその表を手渡したが、金森技手はそれを一通り読みかえすと例の疲れた色白い瞼《まぶた》を睡そうに瞬《またた》かしたまま、何も言い出しはしなかった。そして彼はその表を誰に渡すべきかを惑うている間に、ちょっとそれを見せてくれたまえと今田音楽士が急がしく取り上げてしまった。その表の数字に食い込んだ彼の眼が険しくあげられると望月さんと更《あらた》めて館主を呼んでこれで見ますと建物と権利の売却高の予算額はあなただけの御予定でしょうがそれがこの表の数字よりか三四割方も下げられた場合のお考えが加わっていないようですが、そんな時に我々の給料支払額の予算にくるいが生じやしないかと思われますが奈何《いかが》なものでしょうと、今田音楽士らしく尖《とが》って食ってかかろうとした。同時に皆はきゅうに今田と望月の顔を見くらべ、何やら蒼《あお》くさい気はいが皆の顔いろを領して行った。  望月は三割方安値の場合は最初からの予算のなかに削減してあって、お読みになれば分るが殆んど子供のように控え目にこの統計表は作成されているのです。万が一のことを慮《おもんぱか》って諸君の給料は権利金のなかからも支払えることになっているのだと、更《あらた》めて別表の支払方を示した。今田音楽士はやっとそれが呑み込めると、新しい抗議を申し出た。つまりそれは支払期日の励行に可能性のあるなしの最も望月の苦しんでいる肺腑《はいふ》を衝《つ》いた言葉であった。 「私どもは何よりも支払いの確かな日限が知りたいのです。それの的確な証明を得たいと思うのですが。」  この申出は顧歩弁士が賛成するまでもなく皆の腹に蟠《わだかま》っていた問題であった。お時婆さんのごときも、それが一番かんじんなこっちゃ、そんな表なんかわたしらが見てもわからんよって、としゃべり出し、呼吸《い き》づまるこの会議にいくらかの笑いごえを揺り起した。望月はなるほどそれは尤《もつと》もだといい、いまから月末までに二週間あるのだから、仮りに私に手続上の怠慢があるにしても債権者は猶予しないでしょうし、事実は瞬刻を争うべき性質のものであるから、これは事件の性質からも法律上の進行からも最も迅速に処理されるであろうと述べた。望月のこの証言には何ら疑うべきものがなかった。今田音楽士は更に何らかの提議を持ち出そうために顔じゅう皺《しわ》だらけにして考え込んでいた。 「念のためにおたずねしたいのですが、私だちは給料の全部を支払っていただけるのでしょうか。」 「勿論です。それに幾らかの手当も出したい方針です。」  望月は言下にそうこたえ顧歩弁士が再び容喙《ようかい》すべきところを無くしてしまった。顧歩弁士は何やら今田に低い声でささやくと、今田音楽士は臆面もなく言い出した。 「手当と仰有いますが、たとえば賞与のようなものを意味しているものでしょうか。」 「それは望月館主のお考えにあることだ。つまらんことを云い出すのは止したまえ。」  金森技手は突然そう注意すると又だまり込んでしまい、今田は何やら沸々《ぶつぶつ》口のうちでつぶやいて赧《あか》くなった。  望月は少時《しばらく》して、では諸君にご異存がなければこれで今日はお引取りをねがいたいのです。ことにやっと入館したばかりのあなた方お二人には、何ともお気の毒の至りです。何とかそのつぐないはしますからと二人の案内女に、——ひとりは玉突きの女王に、ひとりは麻雀《マージヤン》倶楽部《ク ラ ブ》にぬくぬくと巣ごもりしていた揃《そろ》いも揃ったちゃべ女に向うて望月はしゃべったが、ちゃべ女は悲愴ゆえに泪《なみだ》っぽい目をぱちくりやって、この連中のなかで一番真実そうに思われた。いいえ、お役にも立ちませんで、何とも申しあげようもございませんで、けんそんな彼女らは明日はまた何処へでも勤めに出られそうな顔つきをして言った。望月は若い女というものはのん気なものだと思うた。 「きみたちは来るとすぐ失職するわけになるが、全く気の毒だがどうも仕方がないね。」  今田音楽士はこれも望月に当てつけがましく言ったが、金森技手はにがり切って何もいわなかった。  お時婆さんはおしまいになって湿った言葉で、ぶつぶつしゃべり出した。わたしも此処から出ればもうチャンバラの三味線はひかなくともいいし、また誰も雇い手もございませんから、その手当とやらはどなたよりも余分に戴けるものに考えて居りますと言った。 「ここに集った皆さんのなかで、創立当時からいらっしゃる方は、わたし一人なんですもの。どなたの分よりも二倍くらい余計にいただかなければ間《ま》しゃくにあいはしません。今田さんもごぞんじですがわたしは外のものが弾けないように耳が悪くなってしまいました。わたしの心持はやはり音楽をおやりになられた方でないと、おわかりになりません。今田さん、どうかわたしに尽力してくださいな。」  今田音楽士は何をこのくそ婆めというような顔をし、例のちゃべ女にちょっと舌を出して見せた。ちゃべ女はくすっと笑ってみせたがお時婆さんはすぐ見付けて怖《こわ》い目をした。 「そんな問題はですね。望月さんの御意向にあることで我々の与《あずか》り知らないことだが、一応はお耳に入れておいてもいい訳だ。上山さんなぞは随分貯めているんだからまァいいとして問題は僕ら自身のことさ。」 「たまるものは垢《あか》くらいなものです。今田さんも飛んでもないことを仰有る方だ。」お時婆さんは慌《あわ》ててそういうと小面憎そうに今田音楽士を睨《にら》んで見せた。  望月はにがり切ってだまっていた。全くあなたは創立以来の館員ですからご尤もですと、先刻から何かしゃべる機会を待っていた顧歩弁士が茶化すように言った。  皆がそろそろ腰をあげても、金森技手だけは落着いて立たなかった。皆が戸口から出ようとすると金森技手は、望月にちょっと話があるといい、二人きりになると例の顔いろ一つうごかさぬ眼を向けると、静かに詰め寄って言った。 「きょう少々要《い》りようなんですが、二枚ばかりどうぞ。」  望月はまたこの手にかかったかと、なけなしの紙幣を二枚そっと皆がうしろ向きになって出てゆくときに金森技手に手渡しした。 「彼奴《あいつ》らはこれきりで縁切りにしたっていい奴らですよ。余分なことをなさるのおやめなさい」  と、金森技手は笑み一つうかべない惨忍な蝋《ろう》のように美しい頬を望月に見せて、それきり振りかえりもしないで颯爽《さつそう》と外に出て行った。相《あい》不変《かわらず》凄《すご》いところのある奴だと思うたが、お前にもやらないぞと独り言をいうと、一人で皆の煙草火を消して当分ここへは来なくともいいと鍵をがっちりと卸《おろ》した。 医王山  登記簿というものは一つの町に一冊か二冊くらいに割り当てられていて、長い家数の多い町になると三冊にも四冊にも続いている。袋小路などは薄っぺらな一冊で間にあっていて、貧弱な町の様子がわかるようであった。たとえば日本橋とか京橋とかの繁華な町の登記簿はその土地の所有者が絶えず代っていて、記入が烈しいために帳簿までが手垢《てあか》などでひどくよごれ、何時まで経《た》っても記入のすくない山の手の静かな町などにくらべ、やはり大通りだということが分るのであった。大てい、町はイの一番地からさきに帳簿になっているから、賑《にぎ》やかな大通りの家々の所有者が書き代えられるごとに、一つの土地の記入欄がくろぐろと細かい文字によって、何年何月の幾日かにあるいは誰々に売買されたとか、競売になるとか仮差押《さしおさ》えにあったとかいう悲しい事実が明記されている。そしてそのつぎにまた何ノ某が抵当ながれを引受けたとか、それをふたたび新しい債権者がさきの債権者の承諾を得て、もう一遍何千円かを借り入れたとかいうことまで、こまごまと人間生活の垢《あか》やゴミや苛立《いらだ》たしい憂目などが、固くるしい定規的な記入によって満たされている。或る家と土地の簿記面はあまりに烈しい抵当権の設定やその設定の抹消《まつしよう》をくり返しているために、もはや書き加えられる余白もないほどに汚れていた。抵当を抹消するときはその記入は朱の線をひいて、きれいに消されていていかにも肩の凝《こ》りがとけたように快く見られるが、これが半年も経たないまにもう新しい債務のために、前に借り入れた二倍くらいの金額の抵当権を設定するのであった。一番抵当に五千円借りた人はそれの抹消後にもう七千円くらいの借りられるだけの金を借り入れるのであった。そういう借りられるだけの腹をもった債務者はまもなくその町から名前を削り取られるのである。自動車の車庫をもちヒマラヤ杉でかざった広大な贅《ぜい》を尽した邸宅の門がしめられ、檜葉《ひば》の朽葉の厚くたまっているあたりに屑屋の空車がじっとしている、つまりそういう邸宅がこの簿記面ではもう何ノ某の所有ではなくなっているのである。  私だちは永年登記所につとめている関係から債権者というものが、絶えず金を貸しつけることで何時も商売をしているように見える。彼等は代人をつかわずに自身で申請をし、永い一日を控所で待ちあぐんで登記済の書類を手に入れると、それと引きかえに控所の椅子の上でごそごそと紙幣をかぞえて渡すのであった。債務者というものはいつも何か考え込んでいてきょときょと落着かずに、私だちに物をいうときにもびっくりしたような眼付で、何町の某でありますがまだ登記済になりませんでしょうか。少し急ぎで夜汽車で発《た》つことになっていますから特別なおはからいを願えませんでしょうかと、心労で蒼《あお》ざめた瞼《まぶた》をぱちつかせるのであるが、こちらは大勢の書類を取りあつかっているのであるから、却々《なかなか》きみ一人だけを早く登記済にするわけに行かないと答えるのであった。そういう急ぎの抵当権設定は百件あれば百件ともみんな急ぎの用事であって、時間というものにくたくたに頭をつかっている人達であった。そして一度そういうふうに急がしてくる人は午前中に一ぺんと、おひるすぎ二時ころに入念にまた受付に顔だけを出し、云いにくいために一層おどおどして先刻おたのみした夜汽車で発つものでございますが、まだお調べがすみませんでしょうかとこれ以上待つことが出来ぬような切羽詰った顔つきでいうのであった。そんな人の顔ばかり見ているせいか私だちは仕方なくきょうじゅうに出来るが、きょうじゅうといってもあと二時間だからというふうになだめていうのである。登記済の分は給仕が控所に行って何の某殿と大声で名前を呼んで知らせるのであるが、待ちくたびれている人々は給仕の声に耳をすまして自分の番が廻って来ないと、あおざめた唇をなめて悲しそうにするのである。債権者は却々金を渡さずにいるし、その金を又待ちくたびれている人が遠い町にいるのだ。  私は或る日書類を見ていると、すぐに河北《かほく》郡二俣《ふたまた》村という村の名前をよんでから二俣村というのは医王山という山のふもとにあって、そこから医王山の登山口になっていることや、十九の時に登山してザラザラした残雪の粗面にころんで肘《ひじ》の皮を剥《む》いたこと、残雪は軽石のように固いことなどをおもい起した。この村は五六十戸くらいしかなくてちらほらと子供が庭鶏《にわとり》の餌をつッつくあいだに見え、農家は昼でも睡そうにくすんで湿っぽく、谿流は美しさにうずいているだけであった。こういう生活費なぞも幾らもかからない、温かい芋や冷たいぜんまいを食べていてたまに生の鮭《さけ》や鰺《あじ》をご馳走にかんがえる村人に、なぜに千円という多額の入費がかかるのであろうか。私は書類を調べているうち広野あいが債権者になっていること、広野あいというのは後家の金貸しであって彼女が家や土地を手固い抵当に入れて、貸付をしている数は莫大なものであることを知っていた。型のように抵当の額面は三年くらいのあいだに二百円くらいずつ、せり上って行き最後に競売になるか広野が差押えをしてしまうかして、彼女の貸家はいまでは市中でも数十軒をかぞえるようになっていた。広野は小肥りをした柔和な兎のような年増であったが、物の言い振りも低い声をし歩きぶりも兎のようにちょこちょこしていた。美しい訳ではないが何か温かそうな年増だった。そういう彼女が手厳しい民事上の事務を取って債務者を片ッ端から整理してゆき、取るべき土地や家々はちゃんと自分の名義に書き替え、そういう必要のない土地は片ッ端から競売にしてしまうのであるが、そんな苛酷な才能があるとはうわべだけでは見られない、何か隠し男でもあってそんな事務をとるようにも考えられるが、事実は彼女は弁護士のところに三十分も坐っていると、すっかり事件をまかしてしまって例の兎のようににこにことして、新しい貸付の金を用意をし又にこにことして誰にでも貸しつけるのであった。ただ、彼女は土地なら土地を半日がかりでゆっくりと査《しら》べ、みみずの荒らすような畑や家々の柱の工合や土台の腐りなどをこくめいに調べないと、すぐには、うんと言わないのであった。広野あいは黄金《き ん》の吸口のあるきせるでたばこを旨《うま》そうに喫い、楽しそうに他人の地面がどういう向きであるか、どういう傾斜をもっているかを眺め渡すのであった。美食をしているせいか色つやもよく、まだ腿《もも》の肉も落ちてはいないのみならず、年増というものだけがもつ脂《あぶら》ぎった喉《のど》は白いよりも幾らかしめった蒼黄《あおぎい》ろさを見せているくらいであった。彼女はそういうふうに土地や家屋を査べて永年の経験から、この土地は幾ら幾らであってこの家ならば幾らまで融通できることを胸算用で決めてから、それを一たん口で出して金高をいうと対手《あいて》がどれだけ拝むように頼んでも、れいの和々《にこにこ》した顔つきでいて、さあそれはお心もちはよくわかりますけれど、唯いまのところでは遊んでいるお金はそれくらいしかございませんのでお気の毒さまながらそれでお済ましくださいまし、と言ったきり決して追加なぞするようなことがなかった。彼女は美しい樹木の生えている土地も好きではあるが、何よりも町の中にあって地価のせり上るようなところが殊に好きであるらしかった。彼女の貸付をしている土地や家屋は向う十年も経てば二倍くらいの高価になる傾きがあって、それの眼利《めきき》が抜目なく刺し透《とお》されていて、私たちのごとく土地の評価について充分な調査をしている者でさえ、ひそかに広野あいの細かい計算と周到な着眼に学ぶところが多かった。  広野あいはいつも役所にくるときはちゃんとしたみなりをしていて、受付では永年通いなれているのできょうはお寒うございますとか、いつまでも悪いお天気で鬱陶しゅうございますとかいい、となりに別の申請人がいてもそれには関《かま》わずに自分の書類をすうと差し出してしまうのであるが、そんな素早さが決して素早さを人に感じさせないで、うまうまと先に受理してしまうようにするのであった。実際の年はいくつになるか知れないが娘がひとりと息子がひとりあって、姉は学校を卒《お》えてぶらぶらしているが息子は中学にまだ通うていた。姉は広野あいに似てまるこくて白く膨《ふく》れていることも母親に似ていた。町の噂ではこの娘と一緒に散歩をしたりした男がかなりあって、或るきっかけさえつけば彼女は誰とでも歩き廻るということであった。そして彼女と散歩をしたことのある軍楽隊の或る男は、彼女の肌着は羽二重の肌着であって贅沢《ぜいたく》なものであると触れて歩いていたが、あるいは実際平常から羽二重の肌子《はだこ》くらい着こなしかねないハイカラであった。私は出勤の途上しばしば広野あいの表を通りかけることがあるが、広野あいはたとえば門のうちがわでちらと私の姿をみるとガラガラ門をあけて出て来てれいの和々《にこにこ》の顔を一そう和々とさせ、わざわざていねい過ぎるように媚《こ》びたあいさつをするのであった。それをたとえていうなればお役人さまお早うございます。お役目ご苦労にぞんじます、お役所ではどのようにお疲れにおなりになるか、あなたさまがどのようなお勤め振りをなされ、どのようにペンと簿記のつかい分けなさいますかはよくぞんじて居ります。他の多くの上役である方々、同僚であってお机をならべていられる方々とくらべてあなたさまのお勤め振りがどれほどご熱心な、お手早い捌《さば》きを事務の上にお執《と》りになるかがちゃんと控所のはじの方から見られるのでございます。陰《かげ》日向《ひなた》のないお仕事振りはちょうどあなたさまがご潔癖でいらっしゃいますようにそれが永い間通いなれている広野あいはよくぞんじているのでございます。あなたさまがお役人ぶらないでいて親切になさることは、あなたさまのお受持になった登記済の書類が誰よりも早いのが証拠でございます。ほんとうにお礼の申しようもございません、と、そういうふうに言わんばかりの広野あいの必要以上に鄭重な挨拶に私はむしろ擽《くすぐ》ったくなり逃げるがごとく門前を通りすぎるのであった。これはわたくしの娘でございますと何時かあいさつされたときに、私は白い若い女の顔をまともに見たので、女の顔が一間くらいの大きさに見えるほどびっくりしたのであった。  私は下級でこの役所のなかで一番びりの雇《やとい》であったといえば、私という人間を知っている人はははん成程とうなずくであろう、私は度々の失敗と軽率な帳簿の誤記によって区裁判所の監督判事の前に呼びつけられ、もう一度こういう落度があれば辞《や》めて貰わにゃならんと言われ、私はぺこぺこ頭を下げてお辞儀をていねいにすることで幾らか監督判事の怒りを和らげる気持で、判事の前から引退《ひきさ》がるのであった。この天狗《てんぐ》のような顔の監督判事のそばから自分の机のところにかえって来ると、こんどは主任書記が私が椅子に腰をおろすやいなや、きみ、ちょっとと呼んで、監督判事はどう仰有ったかそれを言って見たまえというのであった。私は仕方なくこのつぎにこんな失敗があったら辞めさせるからと言われたというと、そら見たまえ我輩がつねづねきみに注意しているに拘らず、きみはいつも茫乎《ぼうつ》と仕事をしているから申請人から田地の誤記を指摘されるようになるのだ、尠なくとも監督書記からのお叱言《こごと》くらいで済むならまだいいが、監督判事からそう言われたことは事重大に及んでいると思いたまえというのであった。ちょうど、午後の書類を下げる時間であったので申請人はぎっしりと受付に詰っていて、ちょうどその正面に私の顔が見えるような位置にあった。私は汗とあぶらとをながし恥かしさに赭《あか》くなって、ひと言いえば、はあ、と返事をしてかしこまっていながら、私自身がすでに四十六にもなっていてこの態《ざま》はどうだろうと悲しむのであった。意地の悪い主任書記は申請人の前であるせいも手伝って一そう厳粛に声は低めにちからを込めた語勢で、ぶつぶつと晒《さら》し首をおもちゃにするように叱言をつぎから次へと考え出して言うのであった。広野あいはこういう時にれいの和々の顔つきでみんなと同じい退屈ざましに、私の顔をまんじりともしないで見詰めているのであるが、私はさんざんに叱言を食って机のところにかえって来ると、もう煙草を喫《の》む元気も失せて了った。なるほど、私たちの譴責《けんせき》を食うのは私たちの主任書記であるひらめのような顔をしている男がいうのであるが、その上役は監督書記であってそこまで失敗が聞えることは恐怖に値すべき去就の問題になっていた。そのまた上役の監督判事の耳に聞えるような失策はこれは青天の霹靂《へきれき》以上の大事件であり、真に戦慄《せんりつ》すべき最後の叱責であってこの後にのこるのは馘首《かくしゆ》の問題だけであった。私の受けた譴責はいわば免職を暗示されていると同様なものであったから、私は青くなった舌の上に給仕のくばる午後のお茶を喫む元気さえなかった。  私はこの登記所に二十五年奉職していたが、私と雖《いえど》もはじめは地方裁判所詰になっていて、裁判所長閣下や判事部長や最も高位の監督書記殿や会計主任の方々と、長い廊下で行き合うと挨拶をしたり時々閣下の登庁《とうちよう》される玄関で、蝙蝠《こうもり》傘《がさ》を受け取ったりする光栄を負うところの派手な本庁づめになっていた。区裁判所と違い賑やかな綺羅星《きらぼし》のような高位高官の間に勤めているので、私は元気で愉快であってでっぷり肥った閣下の姿を大玄関までの石畳のうえに見つけると、ああ、この閣下のためには身命を抛《なげう》って奉職すべきであると思うのであった。閣下の高級の月収の二日分が私の月俸であるが、私はそれで満足であり充分に足りたのであった。白状すれば私が本庁にいたのが一年くらいであって、間もなく階上から北端の建物である登記課に廻されたのであった。勿論、私は本庁づめの才能学問資格さえなかったので、私は辞令を取った翌日から登記所の一番はじの卓について小さくなって事務をとり始めたのだ。私のことを人びとは鈍物といいお人善しだといい就中《なかんずく》ボンヤリさんということに、一致したあだ名をつけていた。併乍《しかしながら》、私は最初この登記課づめになっていても本庁にいた威厳と上品さを失うまいと心がけ、よく気をつけて物を言い人びとには鄭重《ていちよう》にあいさつをし、主任書記の机の上は早く出た日は給仕のぞんざいな拭き掃除をニガニガしく思い、自分で拭いておくように心がけていた。勿論、仕事に忙しい給仕が三時のお茶がいれられずにいる折は、私はすすんでお茶を入れかえ余り濃くないように、また余りに熱くないような旨いお茶を入れて、先ず主任書記から順番に配るのであるが、主任書記は私が心から淹《い》れたお茶の旨さに感激したようにいうのであった。きみ、もう一杯くれたまえと。そしてそれが習慣になり二十五年間というもの私は午後の茶を淹れ通しに淹れなければならなかった。つまりその二十五年間に給仕は十一人ばかり代ったが、どの給仕も午後の三時ころには茶碗と茶筒と熱いお湯の用意をすると、私の机のそばに来て筒井さんどうぞというのであった。十一人の少年達はおたがいに言い伝えてでもいるように皆私にお茶をいれるようにいうのだ。同僚も永い間の習慣から筒井さんそろそろお茶の時間ですというのだが、習慣の恐るべきことは私をしてお茶をいれることも仕事のうちに数えしめたほどで、この頃になり私は初老に近いためか少しずつ恥かしい思いがし、こんどの給仕が来てから二十五年間の習慣を破ることに努めた。それも機嫌のよい日はついお茶を淹れて了うので、ほい、しまったと思いついてもその翌日もそのようにしてしまい三日目に断乎として給仕をして淹れさせるように素知らぬ顔をするのであった。そのほか主任書記のスリッパを直すとか、急ぎの手紙を自分で投函《とうかん》しにゆくとか、電話や弁当の世話や煙草をかいに行くとかいうことで、私の一日はかなり忙しいのであった。それにも拘《かかわ》らず私は家庭では充分に立派な官吏としておあきには朝はネクタイを直させ、長女がこくめいに光らしてくれた靴をはいて、朝は山吹色の朝日がさす表へ皆が行っていらっしゃいというこえをうしろに聞き、夕方は、五人の子供が前とうしろとでぶら下がるために、路地の角で一応威厳を正して元気で快活なふうをして来る私を、やあお父さんが帰って来たぞ、と一度に迎えてくれるのであった。私は重々しい優しみのこもった声でいまかえったぞ、おとなしくしていたか、お母さんの仕事の邪魔をしてはならんぞ、さあ、みんなで飯だぞ、飯はよく噛んで食べるものであってそんな鵜呑《うの》みにしては、腹を悪くしてこわすぞ、ご飯は自分でよそって食べなきゃお母さんが食べる暇がないじゃないかと、慊《なだ》めることを慊め、針仕事で目をうすめている妻には妻でいたわらなければならなかった。そして私についているお菜の肴《さかな》をみんなに分けてやると、誰々が少しよけいだとか僕の分はすくないとか言って一騒ぎするのであるが、哀れな私はこの囂々《ごうごう》たる子供たちのなかにあって昼間お茶を淹れて廻ることや、監督判事から恐ろしい譴責を食ったことを些《ち》っとでも考えはじめると、私は役所を辞めさせられたらどうしていいやら、まるで方向のない、浮かぬ顔をして子供たちには空返事ばかりしているのであった。縊《くく》る首は持っているがそんな訳にゆかず、四十六になっている私はもはや仕事を代えては食うことが出来なくなっているから、どのように恥かしいことでも仮令《たとえ》他人の出来ないことでも、引き受けてしなければならなかった。長女は十二になって級長になり次男は九つでこれも副級長だった。六つと四つの女の子と、それにやっと乳ばなれした三つの子供を持っていては、うかうかと人並に短気を起し上役に盾《たて》つくことはできなかった。それに私が本庁づめの威厳なぞはどこへ行ったやら、そんな気はとうのむかしに消え失せていた。私がいくらかきりッとするのは朝の出勤の折くらいで、長屋の奥さんだちには間もなく検事か判事に昇進するような顔をし、おあきは近所の奥さんだちから羨《うらや》ましがられるほどの役人勤めに、貧乏のなかにいてもホッとしているようであった。だから彼女はお役所だけはやめないでください、あんな立派なお役所をやめてしまったらそれこそ一生のうちにもう二度と勤めることができなくなります。ご用商人をはじめ誰が聞いていても裁判所に勤めて居りますといえば、もうそれだけで対手《あいて》の人はびっくりしたような顔つきで、まあそれはお仕合せな立派なお勤めですと物の言い振りまで違って来るんですもの、月給が尠《すく》ない多いは何でもございません、ただ名誉がかんじんですから、毎日つらいつらいと仰言いますけれど、それはお勤めはおつらいでしょうが決しておやめになるようなことがあってはなりません、月給で不足の分は眼がうすくなって針の先がもやもやになって見えても、ちゃんと諸払にことを欠かさぬようにいたしますから、どうぞ、忍べるだけは忍んでおつとめくださいませ。上役様にしてもそのまた上役様がおありなさいますゆえ、やはり気苦労がおありになるにちがいございません、あなたばかりがおつらいとか、ひどい勤めだとか、そういうわけではございませんから、どうぞ、子供たちのためにも我慢してお仕事をだいじになすって下さいませ。おあきはこう言って私をなぐさめ励ましてくれるだけに、 一そう勤め大切にすればするほど仕事の上でしくじりのあることは、自分でもふしぎに思うくらいであった。主任書記が私のことを上役に言い付けたりすることを考えると、私は本統のノラクラであり鈍物であってもう脈がないものとしか思えないのだ。私は毎朝出勤するときに途々《みちみち》考えることは神よ、きょうはしくじりがなく目出度く勤め終えるように、上役からの叱言がなく昨日のように何ごともない日であれと胸一杯に思いつめるのであるが、来る日も私の考えとは反対な結果が表われ帰りはいつもガックリと首を垂れ、その日のしくじりを悔み悲しむ心で一杯であった。みんなのように新調の服にステッキをつき、煙草を考えなしにすぱすぱ吸って快活に歩くこともとうの昔に忘れてしまったのであろう。つまり同僚のみんなは安心をして仕事についているが、私にはそのような安心がない、心配が重なり合い心は酢のおひたしもののようにぐたぐたになり、ちょっとしたことにもはアはアと息が喘《あえ》ぐようになっていた。主任書記はひらめのように色が白くて眼と眼のあいだが離れているが、その顔は殆んど毎日私を叱責することが道楽でもあるように、私を呼びつけると歯がゆくて仕方がない時の圧《お》しつけるような眼づかいで、きみという人はまア何んという呆《あき》れた男だ、あれほど注意しているのに他人の帳簿にある田地に、こんなひどい間違をするということがあるものか。おれはもうきみに注意することが厭《いや》になったくらいだ、第一、きみの愚鈍なる着実さが気に入らん、人を馬鹿にするようなペコペコ頭を下げてばかりいるのが気に入らん、いつもはいとかはあとか安請合ばかりしている返辞も気に入らん、こんなに大勢の諸君がいるなかで、と主任は執務中の雇員一同をひと渡り眺めわたしてから、きみくらい手数のかかる人はいないし、きみくらい何度言っても言い甲斐《がい》のない人間はいないのだ、きみなんぞ本統にどこへでも行ってくれと主任書記は腹立ちまぎれに机の上を平手でぽんと一つ叩いて、眠っているのなら眼をさましたまえと叫びつづけた。私はその時はっと自分にかえって本統に眠っていたのではなかったかと、驚いて反《そ》り硬張《こわば》るのであった。喫驚《びつくり》したのは私ばかりでなく同僚の全部が私の方を慌《あわ》てて振り顧《かえ》ったくらいであった。いままで主任がこのように激怒の情を表わしたことがなかったからだ、そして折も折、申請人は私の顔と主任の顔を見てこれらもみんな喫驚したような眼をしているのであった。私は何と言っていいやら一そこのまま卒倒して死んでくれればいい、そうすれば恩給もつくし人びとは職に殉死したとでも言って褒《ほ》めてくれるであろうに、私は卒倒もしなければめまいも起らなかった。ただ、おあきがひちくどく口ぐせのようにいうところのああいう立派な役所を、たとえ、あなたが半死になるような恥かしく忙しいことがあっても、決しておやめくださらないように、若《も》しおやめになるようなことがあれば五人の小鳥どもがちゆちゆ囀《さえず》っているのもその日からしんかんとして了って、誰一人としてうたすらうたうものがいなくなります。私の針仕事もあなたがお勤めに心を砕《くだ》いていらっしゃるからあなたゆえに働いては居りますものの、あなたに若しものことがあれば私はその日からもう元気がなくなり、動かなくなった機械のようにガッタンともコットンとも音がしなくなります、どうかお父さま、子供だちのお父さま、眼をつむり我慢ができなくともして戴きとうございます、と、そういう声がこうして叱られている間の私の頭にぴかぴか光って聞えるのであった。ああ、おあきよ、小鳥どもよ、我慢をして辛抱をするとも、勤め上げるとも、眼をつむっているとも、半死になるとも、そして又お前だちと晩飯を囂々いうなかで騒いで食べるとも、おあきよ、針仕事でしまいに白内障《そ こ ひ》という眼病になってくれるな、心配してくれるな、決して案じて役所をやめるなどと夢にも考えてくれるな、近所の奥さんがたに肩身をせまくさせはせん、恥をかかすようなことはせん、立派な煉瓦《れんが》の建物のなかで毎日愉快につとめていることを自慢しろ、しまいに判検事の試験も通るかも知れんと言えよ——私がこういうことを考えている間に主任はもういいから彼方《あつち》へゆきたまえと言い、私は自分の机のところにもどると積み上げた帳簿のかげに顔をかくして、しばらく頭を擡《もた》げることが出来なかった。私は私の熱い呼吸が机から反射して再び私の頬を熱くしてくるなかで、おあきよ、子供たちよと一人でしずかに呼びつづけた。  私はなぜ二俣村の静かな山村の書類をしらべ出したか、ああいう山間僻地《へきち》の山林田地を抵当にして金を借りなければならない農家のことを、私はなぜに身にしみて考え出したか、そして広野あいのような金貸が見るかげもない山林に金を融通したことを不思議に考え出したのである。私は事務の上でもいつも山間僻地の登記記入を好いていたのは、せめて静かな山の畑をあたまに浮べるだけで苦しい勤めのなぐさめになるからであった。そして私の医王山行きは日曜日の明け方に着いて、私は早起の農家を眺め、ああいう役所にお助けで勤めているよりも、山の芋や大根や粟《あわ》を食べてもいいから安楽に親子七人の暮らしをしたいと考えるのであった。活動写真や電車や自動車なんぞの無いこういう土地の朝霧のこめた谿流《けいりゆう》で朝は顔を洗い、夕方はぽっちりと点《つ》いた洋燈《ランプ》の下で熱いおみおつけを啜《すす》って暮らしたら、どんなに気楽で暢気《のんき》でいいかも知れない、文字を知らない村人に手紙を代筆してやり子供たちに夜学を教え、自分は昼間は畑に出て働くことにしたら洋服もいらないし帽子もいらない訳だ、ひらめの主任書記や判事閣下から叱言をくうこともなく、同僚から嘲笑《ちようしよう》される憂《うれえ》もなくてのんびりと生きられるのだ。私はこう考えながら神社の階段から山登りをはじめたのである。  医王山は白山《はくさん》連峰とは関係のない孤独の山嶽《さんがく》で、わずかに飛騨《ひだ》の重巒《ちようらん》が子供を生みつけたくらいの低い五千尺の山であるが、却って富士山や日本アルプスや立山《たてやま》や白山や黒部谿谷《けいこく》にくらべて、未開の深山の趣きがあって登山者も極めてすくなかった。深山というものは人間から忘れられている山のことであって、天下の名山は悉《ことごと》くいまの時代にあっては俗地俗山であった。それに私は二十一の時から役所通いをした町の屋根越しや橋の上で、毎日この薄い鼠色と紫色の風呂敷をかむっている医王山を眺めない日はなかった。夏のはじめまで歯のようにのこる雪は花が咲いて青葉の時分まで光って見えた。それがいつの幾日まで見えたかに注意していても、いつの間にか消えてしまい、医王山は暗緑の厚いふくらみにつつまれて見えた。十九の時に登ったけいけんがあったし私は案内者なしに登って行ったが、ひとすじの道はわずかに残って草が悩んでいるように、片方に靡《なび》いて見えた。人間がたとえ一人でも通ったあとはどういう草むらのなかでも、径《みち》らしく草の葉が裏向きに灰ばんだ色を見せたりして、よく分るのであった。第一峰である鷲《わし》の巣というところから私の勤め先の市街が双六《すごろく》のように雲烟《うんえん》の間に見えたが、私はなるべく朝のうちに大池のほとりへ出て見たかったので、ひどい傾斜の径を下りて行った。十九の時に通った径と少しもかわらずに小径はかすかに残っていた。雪崩《なだれ》で低い若木は綱のようになぎ倒されて、その間をくぐり抜ける径がついていた。大池というところに出ると、私は夜つゆでからだがびっしょり濡れ寒さに慄《ふる》え出した。出しなにおあきが別に用意してくれたメリヤスの襯衣《シヤツ》を着ようとして油紙の包を解くと、一枚の紙片が草の間に落ちたので私は慌《あわ》ててひろいあげて見ると、何にも書いてない小学校でつかう綴方《つづりかた》の原稿用紙であった。どうしてこんなものが入っていたのか分らなかったが、洗濯物と子供の学校用品とごっちゃにして押入にしまってあったので、挟まれて来たのかも知れない。私はそれを四つにたたんでポケットにしまい込んだが、まさか、おあきがわざと入れたのではあるまいと考えた。  この大池は医王山の胸にあたるところで、深い清水体《てい》の水が八方から湧くためか美しさが少しずつ顫《ふる》えていて、岸の水底に雪くずれのために古くから樹木がはまり込んでいて、水中にも森林があるようで奇妙な感じであった。柴の浮洲《うきす》があってそれを踏むと水が靴さきをぬらしてくるけれど、沈むことはなかった。杖を柴の間に入れると深さは測り知れないほどだった。池のまん中に大きな十畳敷くらいの石があって私はその上に辿《たど》りつくと、しんかんとした明るい空を見せて、二方に断崖《だんがい》を削り立てた池の広さが始めてわかるほどであった。勿論、登山の人はひとりもいなくて死のうが生きようが自由であった。私は碧《あお》い水を手ですくって見ていたがやはり役所に出るのがいやで、そのことばかりが考えを一杯にしてしまった。只、主任書記ばかりでなく建物のなかにいる同僚と顔を合すのがいかにも意気地なしに思われ、毎日、顔に唾《つば》を吐かれていると同じい憂目にかんがえられた。しかし私は四十六であってこの年齢では誰も雇い手のないことは分っているのだ、それであるのに私はおめおめと役所に出てゆくのに既《も》う我慢できるだけして来たのであった。きみは自分からこの際辞めた方が凡《すべ》てに利益がある、それを無理にきみが勤め通そうとするならば、気の毒だが辞令を下ろさなければならない、いまはきみが未練がましく停《とどま》っている時ではないと言われたのだ。私はわざわざ主任書記が書類を入れる庫の中に連れて行ってそう言ったときに、はい、では辞めることにいたします。永い間めんどうを見ていただいて何とお礼のしようもございませんと答えてから、私は一週間勤めたのであった。勿論、おあきにはこのことを話をせずに置いて、他に心あたりのある方面へ履歴書をとどけておいたのであるが、それも旨《うま》くゆかなければおあきにも話して当分のうちはやはり勤めているように近所に見せかけ、朝は出かけて行って別の勤め口をなるべく早くに見つけなければならなかった。とにかくこの話をおあきにするのが気が弱るので、私はぐずぐずに延しておいたが、もうそんな悠長なことを言っておられなかった。おあきの失望をかんがえると私はそれを一日でも延して置こうとし、事情はそんなことをして居られなかったし、私は気が沈んで変になり、さっぱりしたいために山に登りに来たのであるが、山の景色よりも考えは家のこと役所のこと子供のこと近所のことで一杯であった。私のように気が小さくて弱い人間がもう何も彼もいやになって、山の中へでも打倒れようと考えるのは当り前のことかも知れない、その方が結局私はらくになるかもわからないのだ。  池から三重の滝の断崖をつたってゆき、滝の上に出たときは滝壺は真暗であった。その真暗ななかに白いけむりと霧とが舞うているだけであった。私はそのすぐ際《きわ》まで行ってめまいがし、めまいを我慢しているうちに何時の間にか別の岩の上にめまいを避けていた。全く私は意気地なしであった。そこから雪渓になり雪をまんまるくくり抜いて、浅い冷たい川が流れていた。つまり私が何十年も町にいて眺めていた歯のような残雪は、此処らが光って見えるのであった。私は懐かしいよごれた雪をふんで私がその歯のうえにいま一つの黒い点をえがいて見えるのであろうと考えた。この考えは妙に私に生々した感じをあたえ、明日は町にかえってこの歯のような残雪を眺めるときに、もっと別様な、生きた私をえがいて見ることができるであろうと思うた。私は残雪は甚《はなは》だ歩きにくいもので何処か山の隠しどころや急所のように思うた。  朝日はとうに昇っていて白禿《しらはげ》御前に着いたときは、頂上の赤土が一杯の朝日に蒸しついていた。北方に枝のない立木は此処には一本も生えていなくて、黒と紫を絞ったつつじの花が甘い香気のなかに赤金襴《あかきんらん》のように縮《ちぢ》んで見えた。大飛騨《ひだ》の連峰へ一飛びに飛んで行かれそうな深い渓谷が、馬の胴のように柔らかく青々とよこたわっていて、ちょっと撫でてやりたいくらいであった。山も渓谷も此処では落着き払った大人のようになり、みんな、だまりくさっていた。私ははじめて主任書記が何んだいという遣りっ放しな気持になり、また同僚の誰彼なんぞ何だいという気も昂《たかぶ》っていた。おあきも子供もそんな面倒くさいものはいずに私は背伸びをし、みんな腐ってしまえという気がした。私はむしろボンヤリした空っぽな大きさにすっかりだまされているように、心が甚だ横着に大きくなって行くようでならなかった。主任書記が私をにくむのは人間の相性があわないそれであって、たとえば嫌いな顔と好きな顔とがあるそれであって、主任は私の顔をみただけでむらむらと厭気がさしてゆくのであろう、好き嫌いは女の間にばかりあるものではあるまい、全く彼と私とは前の世に敵同士であったのであろう、そして私は一度も勝ったことがなく負けつづけたのであった。私はまたしても主任書記を思い出したがもう私はあの男の顔をみることがいやになり、二三日うちに私は辞職をすることになるであろう、これは誰にも話はしないがもう私は決心しているのだ、この医王山中に行き倒れにもならず滝壺にもはまり込めなかった私は別に生きることを考えなければならぬが、その前に私はあの役所をやめてしまうことが肝要であった。私は頂上にある堂宇のトビラに月と日と私の名前を書き入れて、もう一度、馬の胴のような飛騨の山々を見ると大声で気狂いのように叫んで見て、ひとりでに顔があかくなった。こんどは長女の名前である、きみこお、と叫んで見てその通りこだまを返してくれるので私はさびしく笑って下山の途について行った。今夜こそおあきに一さいのことを明して話をしてやろう、おあきが何と言っても私は何にも聞かないつもりだ。私の考えをうごかすことはもう何人《なんぴと》でも出来ないのだ。  私は夕方すこし前に家にかえったが、路地の角ですぐ子供が私を見つけ家に知らせに行った。私が家の格子戸をあけて這入ると、おあきは改まった言葉づかいでおかえりなさいませと、いつになく手をついて迎えたのに私は驚いたが、すぐおあきの眼に一杯の涙がふくまれているので、奴は昨夜しきりに山登りを止めたりしたが何かを感づいていたのだな、そして私が無事にかえって来たので唏《な》いているのだな、と、私は思うた。ばかに更《あらた》まったりなぞして可笑《お か》しいじゃないかというと、始めてほッとした顔つきででもよくかえっていらっしって下さったと何度もそういうのだ。ではお前が子供の原稿紙を襯衣《シヤツ》の間に入れておいたのかというと、手紙をかくひまがなかったからあの紙を入れておいたのですと言った。私はポケットから四ッ折の原稿紙を取り出しておあきに見せたが詰らんことをしなさんなと言った。そして私は何となく気が軽くなって、なアおあき、あんまり喫驚《びつくり》してくれんようにな、じっくりおれのいうことを能《よ》く聞くんだよ、わかったかね、というと、おあきは湯から上ったときのようにハッキリした眼をぐっと私の眼に見入り、どうぞ、何でもおっしゃって下さいませ決してびっくりなぞいたしませんからと言った。実はおれはこんど役所をやめようときょうも山でゆっくり決心をつけて来たんだ。おれにはもうどんなにしても勤められそうもないし草臥《くたび》れてしまったのだ、お前に済まないけれど今度は決心をしたのだから、それを今更変えるということは出来んのだよと、いうと、おあきはそのことならもう何も申し上げません、一日も早くお辞《や》めになり心をおしずめなさいませ。と予《あらかじ》め覚悟をしていたように言い、お辞めになったらすぐ郊外に越してゆき庭のある家をかりて野菜や鶏を飼い、よい空気と日あたりのいい家なら蜜蜂も飼ってもいいし、子供たちも達者になりましょう、そのうち、あなたに何かお仕事が見つかり私も針仕事をすれば今まで少し貯《たくわ》えたお金もありますから、二た月や三月くらいは悠《ゆつ》くりと遊べるわけですから、明日は役所にご出勤になり主任書記とやらの机の上に辞職届を叩きつけて、そして永い間無理な仕事をおしつけて下すったお礼を仰有いませ。決してそのほかのことは仰有らないで、——あなたのいわゆるひらめさんとおわかれになれば、あなたはもっと快活におなりになります、と、おあきは言ったが、ではお前は何も彼もちゃんと知っていたのかというと、役所においでの時とおかえりの時とのお顔がこのごろになってわたしには見ていられなくなるほど、何ともいえず苦しいものになっていたのです。あなたのうしろ姿を見ていますと後から行って家へお呼びもどしたいくらいでございました。或る日はそんなことをしては悪いのですけれど、わたしはそっとお役所の申請人控室の硝子戸越しに、あなたが帳簿に記入をなすっていらっしゃるのを見てお顔の色つやのわるいのに驚いたくらいです。けれど働く人がいなくなっては大変でしたから今までは無理にお勤めをおねがいしたのですけれど、もう、さっぱりとお役所の埃《ほこり》っぽい空気からおやすみなさいませ。  きょうもお山にお登りになると聞いたので内心蒼ざめた気持でいましたけれど、おかえりになったのでどれほど嬉しいか分りません。今夜は辞職のお届でもおかきになり久振りでお酒でも召し上れ。おあきはこう言って何時になくはればれとした顔つきをした。やはりおあきは何も彼も知っていたのだ。おあきのいうように明日はひらめに辞職届を叩きつけてやろう、そして二十五年間の役所の垢をさっぱりと洗い落してやろう、仕事がなかったら筆耕でも郵便配達夫にでもなろう。人間は一つところにいることは耐《たま》らない、なあ、おあき、おれは明日こそほんとうに何年振りかで笑い顔をして出かけるよ、大手を振って検事のような顔つきをして、そこらの石ころを蹴飛ばして誰にもペコペコしないで、遠慮なんかみんな忘れて出かけるよ、ご近所の奥さん方におあいしたら言って置け、あの人もこんどは役所をやめて鶏でも飼って郵便配達をしてくらすそうなんですが、わたしはその方が結局気が楽に暮らせるのでそうなさいませと言ったんです、とね。おあきよ、明日は大威張りで出かけるぞ。 生涯の垣根  庭というものも、行きつくところに行きつけば、見たいものは整えられた土と垣根だけであった。こんな見方がここ十年ばかり彼の頭を領していた。樹木をすくなく石もすくなく、そしてそこによく人間の手と足によって固められ、すこしの窪《くぼ》みのない、何物もまじらない青みのある土だけが、自然の胸のようにのびのびと横わっている、それが見たいのだ、ほんの少しの傷にも土をあてがって埋め、小砂利や、ささくれを抜いて、彼は庭土をみがいていた、そして百坪のあふるる土のかなたに見るものはただ垣根だけなのだ、垣根が床の間になり掛物になり屏風《びようぶ》になる、そこまで展《ひろ》げられた土のうえには何も見えない、彼は土を平手でたたいて見て、ぺたぺたした親しい肉体的な音のするのを愛した。土はしめってはいるが、手の平をよごすようなことはない、そしてこれらの土のどの部分にも、何等かの手入れによって、彼の指さきにふれない土はなかった。土はたたかれ掘り返され、あたたかに取り交ぜられて三十年も、彼の手をくぐりぬけて齢を取っていた。人間の手にふれない土はすさんできめが粗《あら》いが、人の手にふれるごとに土はきめをこまかくするし、そしてつやをふくんで美しく練《ね》れて来るのだ。  若い女中が彼のことをあんなに家にばかりいて、なにが愉《たの》しくて生きているんだろうと、裏庭を掃きながら言っていたが、一人の女中はあれでも何か愉しみがあるのよ、庭でしょうさといって笑った。彼も書斎にいてそれを聞いてひとりで笑った。つまり彼に最後にのこったものはやはり庭だけなのだ、終日掃きながら掃いたあとのうつくしさが見たいばかりに、そのうつくしさに何かを、恐らく一生涯の落ちつく先をちらとでも見たいのだ、ばかばかしい話だが、そんなふうに言うより外はない。一生涯の落ちつく先を土に見たって何になるといえばそれまでだが、掃いたあとを見かえると、いままでにないものが現われている、毎日掃くのだから落葉とかゴミとかいう些細《ささい》な固形物すら見当らないのに、やはりよごれがあった。その眼にとまらないものを掃き上げると、そこからべつな澄んだ景色が見えて来ていた。彼はその景色が見たいばかりに掃くのだ、いやなことを心にためて置くと、どうにも心の置場のないような不愉快を感じるが、それを書いてしまうとさっぱりする、さっぱりした心持で何かをあらたに受けいれようとする構えに、するどい動きとも静観ともいいがたいものがある、あいつだよ、あんなふうなものが掃いたあとの、土の上に見られるのである。いろいろなものに取り憑《つ》かれ、さまざまなものに熱中して見たが、行きついて見るとつまり庭だけが眼に見えて来ていた、朝起きてから夕方まで眼の行くところは庭よりほかはない。或る意味でそれは庭であるよりも、一つの空漠たる世界が作り上げられていて、それが彼を呼びつづけているのだとでも、ふざけて言ったら言えるのだろう。  彼は猫が庭に出ると叱って趁《お》った。猫は庭で過《あやま》って蝶とか、とかげなぞ趁うと、土の上に爪あとをのこした。猫の爪あとは土をかみそりの刃のようにほそく切り、あとで土をあてがってなおそうとしても、切れ傷は深くのこった。だから猫が庭に出ると彼は縁側に出て、えたいの判らない言葉で呶鳴《どな》った。えたいの判らない言葉はえたいのわからないままに、猫は叱られたことを意識に入れた。だから彼の家の猫は庭に下りられぬものに心得、庭では垣根にそうたすみずみをつたって歩き、決して広場の土のねているなめらかな処を通らなかった。猫が庭を歩いてはならぬきまりをつけたのも、彼だったのだ。勿論、植木やは彼の庭でしごとをする前には、庭の入口で地下足袋を脱いで、裏にもようのない足袋にはきかえねばならなかった。地下足袋のうらには、じごくのようながじがじした、いやらしい蛇腹文様《じやばらもよう》があって、土にくい込み、土を一どきにきざんでしまうからである。  彼がはじめてこの土地に家を建てた時に、民さんという男をつかっていたが、どうにも怠け者で朝出の時間が喰い違ったり、不意に休んだりするので我慢ができなくなり、納得ずくで別れた。君が来てくれない日はこちらでも仕事に手がつかずに、一日をふいにしてしまう、君ももう判っているだろうから別れようじゃないかということになり、民さんも済みませんと素直にそういい出入りしなくなった。それから十何年かが経ったが、その後、この男が夢の中にあらわれたことは何十度だか分らない、庭手入れのたびに民さんのことがしじゅう頭にあった。はじめて家を建て、庭を作った時の男だから彼には女のようにわすられなかったのである。女でもこうはゆくまいと思われるくらいだ、殆んど最初二三年のあら庭の時代には、毎日民さんとあい、木の事、石の事、下草の事をはなし合い、意見をまじえて庭作りをやった。民さんの生あたたかい小便をしているうしろから、どうかしたはずみに、きんたまを見たことがあった。きんたまは、昼すぎの斜めの日にうかんで、いろは白かった。きんたまにも、白いのもあり黒いのもあることを知ったが、この男のぽかんとした放心状態のなかから下っているきんたまは、やさしいなりをしていた。彼はお三時の茶を植木やと一緒にしながら言った。 「君のきんたまは白いね。」 「旦那は何時それを見たんです。」 「先刻、納屋《なや》の前で見た。何故あそこで小便をした。」 「済みません。」 「しかし君にも似合わない色白なきんたまを持っているね。」 「あはは、こいつあ遣られた。」 「おれはね、きんたまという奴はみんな黒いもんだと思いこんでいた、ところがそうじゃない。」 「はは、よくそんなに見なすったものだ。」 「僅《わず》かな時間でも大切なものはよく見とどけられるものだよ。」  民さんに二番目の男の子ができた時、彼は名付親になりうんと気取って、秋彦という名前をつけてやった。他人の子供に名前をつけたのがはじめてだった。民さんは植木屋の夏がれどきに八百屋をやり、貸シが多くなりもだもだのあげく、長屋のお内儀《か み》さんの顔をぶん殴り、その場で巡査につかまって留置場にほうり込まれた。民さんのお内儀さんが来てたすけてくれといい、彼は海岸にある大森警察署に行って、請人《うけにん》の印形《いんぎよう》を捺《お》してこの男が鉄柵の中から出てくるのを迎えた。はんこを捺して人間の身柄を引取ったこともはじめてだったが、変な気のものであった。 「湯にはいったらどうか。」 「済みません。」  丁度、品川近くの風呂屋の前にかかったからである。  民さんは二三日の留置場の生活がよほど応《こた》えたと見え、松の手入れをしていながら、此処でこうしていた方がどれだけいいか分らないといった。ああいうところには、二度と行くものではないと、彼も民さんの手つだいをしながら、柔らかい日ざしの晩春をたのしんだ。どういうものか民さんはよく顔をこするくせがあって、泥の手で顔をこするのですぐ顔はよごれて、くろくなった。そのたびに彼は白い少年のようなきんたまを眼にうかべた。  なりの高い早足のこの男とあわない日はなく、はじめて家を建てた時の植木屋というものは、こんなにも親身に可愛くなるものかと思われるくらいだった。何をするにも民さん、何を食うのにも民さんというふうに、お昼のお菜まで彼は民さんにわけるようになっていた。君ちょっと肩を叩いてくれとか、雨のふる日は納屋にはいって竹の簀子《すのこ》を編もうとか、或る一処にとくさを植え合い顔をつき寄せたり、二人で植木溜《だめ》に行くために奥馬込《まごめ》の田圃《たんぼ》道を行き、くたびれると、おい一服しようと、土手の草の上に跼《しやが》んで煙草を喫《の》み、ほとんど終日食っ付いて一日をくらしていた。好きになるということは恐ろしいことに違いない、どこにもこの男に秀《すぐ》れたところなぞなく、怠け者で小汚ないが、受け答えの返事の声が、ずば抜けて早く大声で元気だった。何よりもらくにつき合える。どういう彼のまわりの人間よりも、らくに民さんとなら話される、こういうことがかねがね彼に必要であったし、その必要が民さんによって、申分なくみたされていたからだ。彼は民さんとのつきあいを男女の関係について考えてみたが、好きになるということは顔にある器量なんか、しまいにもんだいでなくなることも判ったし、好きということは毎日のすることがらが、だらしなく批評なしで解きあえることも、しだいにわかって来ていた、それに男女間には肉体のつながりがあるから、好きになったら堪《たま》ったものではない、きらいになるまで続くのであろう、好きときらいと、このふたつの言葉を抛《ほう》り出してしまえば、そのほかの言葉は人間の世界ではいらないことになる、民さんが女なら彼はもっと好きになっていたのであろう、全くどこがどうということもないのに、何でも聞いてやるようになるものだ。  彼ははじめ篠竹《しのだけ》ばかりを庭のまわりに植えたが、三年経ってから篠竹の庭を壊しはじめた。竹はだんだん彼にうるさい思いをさせ、よわよわしい末流の風雅につき落されそうで、危なくてひやひやしてならなかった。飽きることもそうだが、土が見られないのと、土のうつくしさが荒されることもおもな原因だった。そこで彼の命令によって民さんは篠竹の株を起しはじめた。たいへんな数の篠竹は二十や三十の株ではなかった。藪畳《やぶだたみ》を起す風塵《ふうじん》と同様の捲き起しは、民さんの顔をまっ黒にさせ、株はまるでどうにも手のつけ様のないほど山積されて行った。何処にも貰い手のない篠竹はとなりの寺の土手に植え、そして後の分は空地なぞに棄てることにした。牛車《うしぐるま》で搬《はこ》んだものを勿体ないには勿体ないが、取り棄てるより外に用いようはなかった。一本ものこさずに抜き取った庭は、がらんとして空あかりばかりが、あふれて翻《ひるがえ》った、民さんは言った。 「次ぎに何を植えるんです。」 「次ぎには、……」  彼はなぜか羞《はず》かしそうに、芭蕉《ばしよう》をうえるのだといった。その理由はわからないがこの男の前で、何時もあらたに木を植えるときには、なぜか口ごもった遠慮がちな言い方をしていた。樹木のことでは何でも知っている男の前には、彼といえどもいくらかの羞恥《しゆうち》の気ざしなしには、ものが言えなかった。一体、芭蕉は何処に植えるのだといったから、家のまわりに植えるのだといった。そんなに芭蕉が大量に集るかも問題だが、植木溜にあってもほんの五六本くらいである、あとは素人《しろうと》買いをして歩かなければ集らないと、民さんは事の困難なことを仄《ほの》めかした。池上《いけがみ》本門寺の下寺の庭、馬込界隈《かいわい》の百姓家の庭、大森は比較的暖かいので芭蕉を植えるのに、育ちも悪くはないから、こくめいに捜し歩いてあそこで一本、此処で二本というふうに頒《わ》けて貰ったり、売ってくれるものなら買いとるように気永にやるほかはなかった。一どきに篠竹の谷をこわして移植したようなわけにはゆかない、あの時も悪場から掘り出すのに、まるで竹と毎日すもうを取っていたようなものだと民さんは言った。  芭蕉は間もなくいくつかの森を形取って植えられ、彼はその下をくぐりぬけ生々しい緑を見上げたが、その緑がペンキのようになま新しくて、妙に落ちつきがなくそわそわしたものばかりであった。彼は三十何本かある植込みから、芭蕉の広葉の数をすくなくするため、片っ端から広葉を切り落して行った。そしてそこに見たものは不自然な、がらんとした身にそわぬ明るさだった、こんなつもりではなかったと、彼は葉かげで無理にもおちつこうと向きをかえようとして見たが、もう彼は完全にこの派手な葉の広い旺盛《おうせい》なものが、庭を一挙に打ちこわしていることに、眼がとどまった。しかも茎も幹も、うそのような旺盛さが、彼のしたことの過ちであることを教えた。 「しまった、こんな物を植えるんじゃなかった。」 「旦那、こいつはね、遠見のものですよ。」  彼ははなれて民さんのいう遠見で引立つことを知った。芭蕉は庭の奥にほとんど思いがけない場所に、捨て置きに植えるよりほかはなかった。彼は一たい何を考えていたのだ、何を芭蕉の森からさぐり当てようとしていたのだ、それから先きに聞くべきであった。彼は答えることを知らなかった。 「では、抜きますか。」 「君さえ我慢してくれればいいんだ。」 「抜いてしまいましょう。」  民さんは彼の頭にあることをうまく、言いあててくれた。あれほど六十日の間苦心してあつめた芭蕉を、抜いてしまうために彼は民さんにその言葉をいいあらわすことには、さすがに言うべき度胸がなかった。人間の労力というものが応《こた》えてくるのだ、二三日後にそれを言ってもいまはそんなことは言えない、幾ら何でもまるでめちゃくちゃ見たいなことは、らくにいえるものではない、僕はね、こんどは少しの疑いもなく、うまく嵌《は》まると思いこんでやったのだ、だが、まるでようすが違ってしまった、君はどうか、彼は民さんの返事を待ったが、民さんは居処を嫌われたんです、こいつはすみの方にいた方がよかったのですといった。いどころを厭《いや》がっていることも判るが、こんな派手なものがどうして好きになったのかと言ったら、民さんは派手なのも、くすんだのもみんな、好きずきですといい、彼もやっとそれを人間くさい解釈をして見て笑った。芭蕉は掘り返され近所のほしい人にも頒《わ》け、幹のほそい分はそのまま畑のわきに捨てさせた。わずか一本の芭蕉でも、根土を〓《たた》き込んだ重量は、それが二三本立のものになると荷車につけないと、重くて肩では運べなかった。彼は掘り返された土のどろどろした、荒廃の感じをどうまとめるかにも、頭が奪《と》られた。そして次ぎに起るもんだいは、どういう樹木をその芭蕉のあとにあしらうかということだった。何を持って来ても呼吸のあわない庭畳には、最後に彼は松よりほかにえらぶべき樹木のないことが、判って来た。 「松だね、松よりほかにないな。」 「だからわたしははじめっから松だといったんです。旦那は固くなるからといってつッぱねた。」 「松はいやだがやはり松だね。」 「松は掘り返して棄てるわけに行きませんよ、あいつは金を食う。」 「溜に行こう。」  彼は民さんと植木溜に出かけた。大森の奥の奥沢というところに、松ばかりの広大な植木溜があった。赤土の禿山や谷をそのままあしらった松の溜場には、姿を生かしてどんな松でも、おもうように選ぶことができていた。永年にわたる松のこしらえはどの松を見ても、枝をためされ撥《ばち》と搦《から》み竹をはさみこんで、苦しげにしかし亭々として聳《そび》えていた。或る松は何十年もはりがねでしばられたまま、伸びればしんを折られ、幹ばかり太るようなしつけで生き続けていた。或る松はうつ向きに捩《ね》じ伏せられ、起き上ろうとすればいやでも地上を這うような形のままで、勢いをためされていた。しかも或る松はいきなり倒れかかるような位置をつづけ、そのなりで固まったふしぎな形相《ぎようそう》で小さい谷間から、ぶら下っていた。どれにも、人間の手でいわゆる面白いかたちを折檻《せつかん》されながら、かたちを作っているのだ、それらの松は凡《すべ》て根元に二人、さきに二人というように人夫四人がかりでないと、搬出できないところの背丈は三四間くらいあった。或る松はわずか六尺しか丈はなかったが、侏儒《こびと》のようにいじめつくされた枝と幹ばかりが太くなり、不具者のような形態が崎嶇《きく》として枝をまじえていた。こんな松がおもしろいという褒《ほ》め言葉にあずかるのだ。よくいじめた松がよく売られるし市価がつくのだ。 「まるでかたわ者ばかりじゃないか、そこらじゅうで啼き声が立っているようだ、君は何とも思わんか。」 「旦那のかんがえていることはばかばかしいことですよ、わたしなぞ松の溜場にはいると、きゅっとからだが緊《しま》って来るほど快《い》い気持です。」 「ところが僕はここに来ると人間の化の皮が見えてくるんだ、それぞれに小細工をして生かしているのを見ると、金魚の方がよほどありのまま生きているようだ。」  これらは決しておもちゃの盆栽ではない、盆栽でないこれらの松は太さはそれほど眼に立たないが、ことごとく普通の自然に生えた樹木にくらべると、先ずすでに初老のよわいをかさねているのだ。苦しんでいるものは人間ばかりではない、ここにも、軽業芸《かるわざ》をつくして広大な空の下で、いわゆる、なんにも言わないでいる黙っている人がいたのだ、この松どもは、どれを見ても人ですよ、どれも人と一しょにくらして、植木屋のいうとおりになって育ってきたものどもですよ、民さんのそんな言葉に対《む》きあっている松は、成程、どれも、人に似ていた、人も人、はりつけになっているようなもの、横殴りになぐられて倒れかかっている奴、あるいは飢えて這いつくばい、なお起き上がろうとしているのもあったが、どれにも、喜びとか、踊り上るとかいう歓相のそれがなく、小さな叫びごえや唏《すす》りなきの声でなければ、妙に息苦しいものが喘《あえ》ぎながら見えていた。樹木というものから悲しみをおぼえるということは、その形からでは容易にくみとれないものだ、しかし此処にある乱立相鬩《あいせめ》いでいる松どもは、淋漓《りんり》たる悲しいものを人間から与えられていないものはない、普通の樹木に決して見られない人くさいものが、立派な形の奥の方で悶《もだ》えているのだ、この悶えのつらいものほど美しい形をととのえて迫っていた。 「まるでこりゃ芸者だね。」 「どうして芸者に見えるんです。」 「さんざ吊られてさ、そのあげくまた売られてしまうとこなぞ、よく似ている。」 「苦しめられて休む間がないんですよ、しじゅう根は切られていてそいつが治《なお》る間がないんだ。」 「幹のいろがもう老年《としより》だ、しかも変にそだった年寄だね。」  此処で二本とか三本とか組み合っている松に、しるしをつけて買い入れた、蔽《おお》いかぶさっているものには、それを受けとどめるような形の松をえらび、さらに一本きりで立たなければならない松には、裏にも表にも、見どころのあるものをえらんだ。 「松をいじくればもうあとに、何もないな。」 「行きどまりですよ。」  おもちゃはここで絶えていた。翌日から彼と民さんとは、二十何本かの松を植え込み、曇り日にはゆううつな暗緑のかたまりを、庭のまわりに眺めた。落着きはらったものが、どうやら庭をかたちづけて来た、此の間じゅう、民さんは怠けて朝は遅く、どうかすると迎えにやっても、昼頃にならなければ出て来なかった。彼は庭じゅうをうろうろして民さんを待ち、何度も使を出し、表にかれのやってくる方向をながめに出た。どの道路からも、植木屋はやって来ないで、彼のむかっ腹は我慢のならないものになった。部屋に上って仕事をしようとしても、そんな落ちつきを失った彼には、書くべきことがらが怒っているために、片っ端から逃げを打っていた。  庭はまだ出来上っていない、あせればあせる程、この植木屋さんの朝出の時間が遅れ、彼自身が迎えにゆくと、やっと起きて出て来て、済みませんというだけであった。その顔色にゆうべの酒気がのこり、寝てから何時間も経っていないしぶしぶした、そんな睡眠不足の眼付だった。こういう幾日かを過ごしてから、彼はこの男と納得ずくでわかれたのである。後でかれの内儀《か み》さんが、浅草のどこかに勤めていることを聞いたが、その勤め先に仕事仕舞から晩に出掛けていたらしく、ごたごたがあって相当永い間民さんは夜も睡れないことがあるらしかった。かれの内儀さんはあさぎいろの皮膚をした、かれの好きらしい、ちょっとどこか女ざかりを見せている女だったのだ。彼はそれきり民さんとはあわず、三年経ち五年経ち、戦争があって民さんは家を売って田舎に落ちて行った。彼は民さんの代りに来た村さんに、しじゅう民さんの動静を聞いたが、それが彼のくちぐせになり、もう一度民さんと庭のことで顔をつき合し、たった一言で事を片づける無遠慮な声が聞きたかったし、かれと柔らかい下草を植えるために跼《しやが》みこんで見たかった。そんな仕事のあいだに一本の煙草をすう旨《うま》さ、軽い冗談のやりとりをするしたしさは、彼の持つ社会的などこにも見当らない親密なものばかりであった。彼は妙な男なのだ、いちど別れた職人を、機会をえらんで会おうとするのである。彼の民さんに対する考えがだんだんに固まって来たのは、つい此の間坂の下で民さんと行きあい、彼はちょっと驚いて一度遊びに来るようにいって、そのまま別れたときから、一そうかれのことが頭から離れなかった。金屑物が金になっている時分で、民さんは金物をあつめる車を引いているといい、また普通のバタ屋になっているという噂もあり、その片手間に植木屋もやっているが、おもに鉄屑買いに身をやつしているということだ、彼はこの話をふんがいするような顔付で、べつの植木屋から聞いたが、黙ってそれの批評はしなかった。  何か民さんにさせる仕事はないかと、彼は彼の庭をぐるぐる見廻したが、植木も石も入れる余地もなく、職人をつかって重い石の据付に監督をする気なぞ、もう頭のどこにもなかった。かれに与える仕事は先ずない。仕事はすくなくとも纏《まとま》った金のしごとでなければ、折角出してやっても何にもならない訳だ、そんな金のかかる仕事は彼の庭では何一つなかった。庭はそのままで完成され、どう動かしようもないのだ、樹木は枯れて行っても、それはそのまま庭の景色には一向差支えのないような、他の景色の振合いが補っていてくれていた。土を見たい彼には、全く土がしだいに広場をつくり、他の何物にも及びがたい重畳たるおもむきを加えていたから、樹木の枯れたのには、それに代るものを植え付けようとはしなかった。完成されたものはその内部でこわれていても、外がわの美しさがそれを保っていてくれたからである。  彼は三十年もかかって、やっと辿《たど》りついたような例の土と垣根だけを見る庭の談義を茶の間で一とくさりしゃべると、例によって庭をぐるぐる廻った。檻《おり》の中のくまみたいに彼は用があっても、なくても、庭をぐるぐる廻るくせなのである。何とかして民さんにしごとを出すものが、見つからないかと捜して歩くのだ、庭というものはぐるぐる廻って居れば、やり直すところ、向きをかえる物、鋏《はさみ》を入れるものなぞが、自然にわかって来る。しかし相当な手間代になるような仕事は、何処《ど こ》にも見つからなかった。少時《しばらく》して彼は縁側に腰をおろして茫然《ぼうぜん》と庭を眺めた。そしてやっと、彼はかなり大きな仕事であり彼にもちょっとこれには手を出すと困るようなものを、見つけた。僅かな印税でくらしている彼には、かなりに重荷になるものだが、どうしても、これはやりかえなければならないものであった。彼は老職人の村さんとお三時の時にいった。 「垣根をそっくり代えよう。」  村さんは驚いてまだあの垣根は三年くらいにしかならないのに、代えなくともよいのにといった。彼はいった。君と民さんと二人でこの仕事をやってくれまいか、外の職人をつかうならこの仕事はやらないつもりだ、二人で仲善く、君はあの人をたすけるつもりで遣《や》ってほしいのだ、昔、この庭を作った男が鉄屑を拾って歩いていると聞くと、この仕事を出して、ほっとさせてやりたいのだと彼はいった。 「つまり僕はもう一遍あの男に庭ではたらいて貰いたいのだ、あの男がうろうろ動いているのが見たいんだ。」 「へえ。」 「垣根はいまやりかえると僕の生きている間のしごとでは、この垣根をつくるのが大方お終《しま》いの仕事らしいんだ、わかるね、このお終いのしごとをあの男にやらせたいのだ。」 「成程。」 「垣根は何年持つかね。」 「何の垣根です。」 「胡麻穂だ。」 「七八年はもちますね。」 「そしたらこれは最後の垣根になるな、もう二度はやりかえなくとも、よいわけじゃないか。」 「そんな気の弱いことを仰有《おつしや》って、……」 「いや正直なところそうなんだ、そこで民さんとやって貰いたい意味もわかるだろう。」 「わかります。」 「庭でも家でも、はじめに働いてくれた人はわすられないものだよ、そこで、君が民さんをたずね、どれだけ費《い》るか請負にして貰いたい。」 「はい、きっと民さんも喜ぶことでしょう。」 「すぐかかってもいいんだ。材料の金は先きに渡すことにしよう。」 「そうして頂けば明日にもかかることが出来ます。旦那は妙なお人だね。」 「僕は妙な人間なんだ。」  胡麻穂というのは黒竹の小枝の葉をふるい、それを揃えて仕上げる垣根だった。仕上りはすだれ文様になり、どうぶちは青竹でおさえ、垣の上は割竹で笠を作り棕梠縄《しゆろなわ》で編みこんだものである。彼の好みのまま、永年この垣根ばかり作らせていた。ただ、黒竹の小枝の揃え方の如何《いかん》によって垣を美しくも、みにくくもさせていた。  翌日の夕方、民さんは村さんと一緒に仕事帰りに来たが、民さんの背後に若い男が一人つれ立ち、彼をみるとていねいにお辞儀をした。彼はこの若者を見たことがない、民さんは無沙汰をわび、仕事を出してもらえた礼をいった。ところで大体どれくらい費《かか》るか、損のないように予算を話してくれというと、民さんは、ええと、胡麻穂が一把二百五十円とすると二十把はいるし、青竹は十本束で幾ら幾らになり、棕梠縄は二十束と見ていくらいくらになります、それに手間代だが職人十五人かかるとすると、それがこれこれになるといって、すぐ埒《らち》の行く民さんらしい即答の妙を現わしたが、手間代なぞ孰方《どつち》に廻っても自身のものだからと、かれらしい大雑把《おおざつぱ》な言い方で二万円くらいかかるでしょうといった。折角の仕事だから後でお腹《なか》のいたむような請け方はするなと、彼は注意して言った。仕事は綺麗に出していただいたのであるから、あとも綺麗にしますと、彼は感激していい、きゅうにうしろを振り返って例の若い男を彼に引き合せた。若い男はまたていねいに彼に挨拶をした。 「こいつは名をつけていただいた二番目の秋彦です。」 「秋彦君だったか、どうもそうらしいと思ったが、……」  脚の長いおやじに似た秋彦は、また、鄭重《ていちよう》に頭を下げた。民さんと村さんは用件の話が済むと、したしい背後《うしろ》姿を見せて戻って行った。彼は飲みさしの手がついているけれどと言って、和製のぶどう酒を一本秋彦の手に渡した。こういうときは、おやじが受け取らないで、この場合従者である息子の方が受け取るものであることも、秋彦はこころえているらしかった。庭はもう闇が亘《わた》っていたので、十何年ぶりかで庭を見る民さんは、すぐには庭のもようについては何もいわなかった。  翌朝、民さんはしごとにかかる前に、おぼえのある彼処《かしこ》此処に眼をとめていたが、かれの最初の言ったことは庭は十五年前とはずっとよくなった、何処にもみがきがかかっていて、何処でも眼が遊べるようになっていますと、えらいことを言った。きっと、これくらいには、大せつにまもられてはいると思ったが、こりゃまるで、はこいりむすめですねと、久しぶりでかれは奇矯の言葉を弄《ろう》して見せた。 「しかし旦那、まるで松は半分伐《き》ってしまいましたね。」  一年に一本くらい枯れて行ったから、十五年間には十五本枯れたことに、なっていた。かれはまた柘榴《ざくろ》、柚子《ゆず》、紅梅、……ずいぶん枯れてしまいましたね、柏《かしわ》、杏《あんず》、柿、いたや、なぞはまるで見ちがえるように、枝にも瘤《こぶ》がついて大した木にふとっていますな、時々、ひょんなしごとをやっていて、ふいにお宅の庭のことを人にもはなしたり自分でもおもい出したりしていましたが、あの時分は木がやすくてすぐに手にはいったが当節では庭を作るということも、家を建てるよりかもっとかかりますね、しかしあの大きい松だけたすかっているのは、全くの拾い物ですね、よかったですな、かれはそういうと百年くらいの松をくるまで搬《はこ》んだ時の苦心と、町家の間を引いて来るのに困ったと言った。その時、裏門から音のしないように這入って来た息子の秋彦は、おやじの眼を趁《お》うて木の間、垣根の際などをことさらに尊敬しなければならないような眼付をして、ながめた。彼はこんな眼を庭の中で他人から見られたことは、今までになかった。 この作品は昭和三十二年三月新潮文庫版が刊行された。 Shincho Online Books for T-Time    性に眼覚める頃 発行  2002年11月1日 著者  室生 犀星 発行者 佐藤隆信 発行所 株式会社新潮社     〒162-8711 東京都新宿区矢来町71     e-mail: old-info@shinchosha.co.jp     URL: http://www.webshincho.com ISBN4-10-861231-0 C0893 (C)Suzuko Murou 1957, Coded in Japan