TITLE : 死体は生きている 本作品の全部または一部を無断で複製、転載、配信、送信したり、 ホームページ上に転載することを禁止します。また、本作品の内容 を無断で改変、改ざん等を行うことも禁止します。 本作品購入時にご承諾いただいた規約により、有償・無償にかかわ らず本作品を第三者に譲渡することはできません。 目 次 ㈵ 匿名の電話 不 倫 いたずら ためらい創《きず》 安易な対応 蹴《け》とばされた女 理と情の間で 子供の事故 転 落 誤 診 証拠隠し 危険な演技 死因は戒名 監察医 延命術の波紋 親指隠せ homosexuality ㈼ 炎の画策 ㈽ 約 束 危険防止 死者の声 行政解剖 提《ちよう》 燈《ちん》 死《し》 斑《はん》 雪上の靴跡 出会い 年齢の推定 田舎芝居 怪《け》我《が》の功名 逆探知 轢《れき》断《だん》事件 赤鬼・青鬼 因《いん》 縁《ねん》 仏は生きていた スポットライト   あとがき 「死体は生きている」文庫化に際してのあとがき ㈵ 匿名の電話  私は停年を待たずに退職した。  医師の中でも、とくに保健所の医師と監察医はなり手が少ないためか、他の医師よりも停年が五年延長され、六十五歳と優遇されていた。  公務員というぬるま湯の中で、三十年も監察医として検死や解剖をしていると、たしかに特殊な仕事ではあるが、やはりマンネリズムに陥りがちである。  しかし、死者から学びとることは多い。  死人に口なしというけれど、丹念に死体を観察するとものいわぬ死者が真実を語りだす。  死者ほど雄弁なものはない。  この体験をまとめ、生者に伝えるのも自分の仕事であろうと思ったとき、とても停年まで待ちきれなくなり、五年を残して退職し、著書『死体は語る』(時事通信社)を上《じよう》梓《し》した。  公務員というしがらみや、勤務時間というようなわくに制約されることなく、自適な時間と自在な活動のできる場がなければ、今までやってきたことを集大成することはできないと考えたからでもあった。    ある事件を担当したときのことである。  ビルの工事現場で墜落事故があった。  救急車で病院に収容されたが、鼻や耳からも血を流し意識不明のまま、開頭手術をすることもできず、数時間後に死亡した。  真夏のできごとであった。  墜落という外力による死亡であり、また業務中でもあったから労災保険の適用になるので、当然警察に変死届が出された。  捜査の結果、事故の発生状況は本人があやまってバランスを失い、五階部分の足場から墜落したことがわかった。  翌日、監察医の死体検案(検死)が行われることになった。  その夜、警察に、 「事故ではない。けんかで突き落された」  という匿名の電話が入った。  警察の霊安室に遺体は保管されていた。  ゆかたを着せられ、頭部には血液がにじんだ包帯が巻かれていた。これをほどき、全裸にして検死がはじまる。  後頭部に墜落外傷と思われる打撲と頭《ず》蓋《がい》骨《こつ》骨折がみられた。それ以外に外傷はない。  突きとばされたぐらいの外力では、からだに外《き》傷《ず》がつくはずはない。しかしからだはよろけバランスを失い、柵《さく》のようなものがなければ墜落の危険はある。  少しの外傷も見逃さぬよう慎重に死体を観察したが、それ以上の外傷は発見できなかった。 「着衣はどうですか。見せてください」  ズボンはニッカボッカー、上着はアンダーシャツ一枚、地下タビをはいていた。  うす汚れた汗まみれのアンダーシャツを丹念に調べると、右脇《わき》腹《ばら》付近に鶏卵大の範囲にギザギザ模様の泥がついていた。  地下タビの底の模様のようであった。  警察はアンダーシャツを証拠に、けんか相手を問いつめ事件を解決したのである。  口論のすえ、腹部を足《あし》蹴《げ》りにしたのであった。  死体を含めて着衣なども、検死の対象として重要な資料となる。  この事件は、事実を隠し、口裏を合わせ、たくみに偽装したにも《か》拘《かわら》ず、その不正義を許せない仲間から、匿名の電話という思いもよらぬ手段によって、あばかれてしまった。 不 倫  日常生活の中で、自分の能力を越えた霊感のような予知能力が働くことがある。  私が監察医になって間もないころの話である。  木工場で夜勤をしていた男が、材木の倒れる音がしたので見《み》廻《まわ》りに行き、立て直した。しかしどういうわけか、再び材木は倒れた。すぐ立て直しにいって来たのだったが、またもや倒れたのである。風もないのに同じ材木が三度も続けて倒れたことに、男は不吉を感じ胸騒ぎを覚えた。  虫の知らせとでもいうのだろうか。急に家のことが心配になり、会社をぬけ出して自宅の様子を見に行った。夜の十一時を少し過ぎていた。自転車でとばして十五分。普段なら一家は寝ている時刻である。しかし、今夜は電燈が点《とも》っていた。  玄関を開けようとしたが、鍵《かぎ》がかかっている。裏の勝手口へと歩みかけたとき、家の中の灯が消えた。  はてな? と男は思った。  勝手口も開かない。こじ開けて中へ入ろうとすると、妻が寝巻き姿で入ってくる夫を拒むように立ちはだかった。  何かある? そう思った夫は、妻を突きとばして座敷の方へ入っていった。  電気をつけると布団が一つ敷いてあり、枕《まくら》が二つ並んでいる。自分は夜勤なのに。夫は家の中を見渡した。子供達は壁ぎわの二段ベッドで寝ていた。  なにやら人の気配を感じた。玄関の暗がりをみると、背広姿の見知らぬ男がうずくまっている。  ことここに至っては、どうするすべもない。妻とその男はうなだれるように座敷に出て来て、ひれ伏して不義を詫《わ》び始めた。  間《ま》男《おとこ》をしていたのである。今でいう妻の不倫である。  カァーッとなった夫は、いきなり妻の頬《ほお》へ往復びんたをくらわした。それでもあきたらず、蹴《け》とばしたのである。  左脇《わき》腹《ばら》付近であった。間もなく妻は腹痛を訴えた。様子がおかしいので夫は、救急車を呼び入院させた。顔色が蒼《そう》白《はく》となり、口唇はチアノーゼを呈し、血圧は計れぬほど低下していた。  医師は左脇腹を蹴られたための脾《ひ》臓《ぞう》破裂の疑いがあると診断。緊急手術の用意をはじめたが、ときすでに遅く患者は死亡してしまった。  検視のため、検事も現場に来ていた。病室での監察医の検死には検視官、捜査一課、鑑識課、所轄警察署員など大勢の担当官が立会っていた。先ず所轄署の担当警部補から事件の概要についての説明があり、つづいて入院から死亡までの経過について、主治医の説明があった。事件の全容をふまえた上で検死をしてみると、死《し》斑《はん》は少なく貧血状で、注射針痕《こん》以外に外傷は見当らない。夫の暴力に問題があるように思われた。  結局、検事指揮による司法解剖が行われることになった。死因はやはり、脾臓破裂による腹《ふく》腔《くう》内出血であった。  不倫がもとで母は死亡し、父は傷害致死で囚われの身となれば、残された二人の幼な児達は一体どうなるのだろう。  虫の知らせ。それは偶然であったかも知れないが、結末はかなしかった。 いたずら  四年前からわが家ではマルチーズを飼っている。  大学生の息子がもらってきたのだが、生後一か月。それはぬいぐるみの動くオモチャのように愛くるしかった。  飼う気持ちはなかったが、純粋無《む》垢《く》なひとなつっこい仕草を見ているうちに、気持ちは変った。  丁度娘は嫁いでアメリカ住い、空白な心を埋めるかのように、小犬はわが家に居ついてしまった。  ちょろちょろ動き回って、赤ん坊のようにひとときも目を離せないヤンチャぶりであるが、すぐにダッコをしろと寄ってきたり、膝《ひざ》の上にのって居眠りをしたりする。  わが家では最も由緒正しい血統書付きである。  両親はともにコンクールでチャンピオンになっている。雌犬で名前はフェアリーとついていたが、あまりにもちょろちょろするので、チョロとあだなをつけた。  以来すっかりチョロとなって、フェアリーと呼んでもふりむきもしない。  その後、息子は大学を卒業し結婚もして、近くに居をかまえて独立したので、わが家は家内とチョロの三人暮らしになった。  家内は杉並の区議会議員をしているので、出歩くことが多い。  私が机に向かって、もの書きをしていると、チョロはかたわらで居眠りをしている。  次の文句が浮かばずにもたもたしていると、私の気持ちを読みとるのか、散歩に出ようと吠《ほ》え出す。考えていても書けそうにないから、誘われるまま三十〜四十分、近くの神田川沿いを歩いてくることにする。  散歩は健康のためでもあり、チョロのためでもあって、気分転換に大いに役立っている。  犬を連れて散歩をしていると、ときどき俳優の三国連太郎さんと出会う。三国さんも中型の白い雄犬を連れている。犬同士は近寄ってじゃれ合うので、私も三国さんと言葉を交し、挨《あい》拶《さつ》をするようになった。  捨て犬を拾って育てたと語っていた。  三国さんのお人柄が、わかるようである。    警察の依頼で検死に出向いたときのことである。  路上で職人風の男が死亡していた。かたわらにコーラの瓶が転がり、中身がコンクリート路上に流れ出ていた。  検死をしたが外部に死因を思わせるような外傷や異常所見は見当らない。身元もまだ判明していないが、警察の捜査から口論、けんかなどの事実は出て来なかった。  多分酔っぱらいがコーラをのみながら歩いているうちに具合が悪くなり、急病死でもしたのであろうと推定された。  しかし、死体には病名を引き出すだけの特徴的所見はない。  結局監察医務院に遺体を搬入し、行政解剖をして死因を究明することになった。  解剖すると、胃粘膜が赤くびらんし、異臭があって検査の結果は、青酸塩であることが判明した。  その他に死因となるような外傷や病変はない。  死亡の原因は病死などではなく、青酸中毒であった。  警察はあわてた。捜査はふり出しに戻った。  かたわらにあったコーラの瓶からも青酸が検出され、瓶に付着していた指紋も男と一致した。  こうなると自殺ということになろうが、そのためには警察は自殺の動機を明らかにしなければならない。  間もなく身元がわかった。身内や職場の関係者から事情聴取をしたが、自殺をするような状況は出て来なかった。残る可能性は他殺かあるいは不慮の中毒事故である。  検討中、同じ警察署管内で高校生が道端で拾ったコーラを持ち帰り飲んだところ、突然苦しみ出し死亡するという事件が発生した。状況が状況だけに、これははじめから検事の指揮下で犯罪を前提とした司法検視、司法解剖の手続きがとられた。結果は、誰かがコーラに青酸を混入させ、道端に放置した悪質ないたずらであることがわかり、大々的に報道された。  そっちのけになっていた職人風の男の死亡事件は、病死から自殺へそして事故死か他殺かと警察を翻《ほん》弄《ろう》したが、倒れていた現場が高校生がコーラを拾った現場の近くであり、死因も同じ青酸中毒であることなどから、一躍注目を浴びることになった。  捜査の結果、一連の事件と判断され、騒ぎは一層大きくなった。  二人の犠牲者。悪質ないたずらではすまされない。不特定の人をねらった殺人ともいわれ、きびしい捜査が行われたが、犯人の検挙には至らなかった。  幼いころ読んだ童話を思い出す。  子どもが池のカエルに石を投げつけた。子どもはふざけて投げたのだろうが、カエルの親子にとっては死活問題である。  この事件も、犯人はいたずら半分であったかも知れないが、被害に遭《あ》った方は一命を落している。  してはならないこと、心すべきである。 ためらい創《きず》  生きるということに価値観を見出しえなくなったとき、自殺という結論が出されるのだろうか。  長いこと自殺の検死をし、現場に立って遺書などを読み、家族から事情を聴取していると、それなりの心情がわかってくることもある。  しかし、なぜ死を選ばなければならなかったのか、理解できないケースも多い。  一概に自殺というけれど、自分の命を絶つという行為は、そう簡単に出来るものではない。  死に対して人は誰でも本能的に恐怖感をもっている。裏を返せばそれは生への執念、執着があるからであろう。それらがすべて取りはらわれたときに、自殺行動がとれるのかも知れない。  自殺を研究する人の中には、死ぬことだけしか考えていないから、死への恐怖は頭の中になく、また手段など選択することはない。そのとき、その場で出来る方法で咄《とつ》嗟《さ》に自殺を決行するという。  しかしそうと限ったことではないと思う。  死を覚悟するには、それなりの決断がいる。  私などは死ぬ勇気がないから、生き続けているのかも知れない。  ある若者が、とび降り自殺をした。  日記を読んでみると、八階建てのマンションの屋上から下を見たら、恐くなってとび降りられなかったと書いてあった。やはり恐いのだなと、私自身も納得した。  しかし、数日後にその場所から決行したのである。なぜとび降りられるようになったのか、日記はそこで終っているので知る由もないが、筆にはつくせない心の葛《かつ》藤《とう》、苦悩が続いたのであろうと推察する。  自殺の手段を観察して気がつくことは、職業意識というか自分の得意とする手段方法によって、自殺する傾向がみられるようである。  たとえば、電気にくわしい人などはタイマーをセットし睡眠剤をビールと一緒にのみ、熟睡中に感電死できるような工夫がなされている。また薬化学の専門家などは、青酸カリをきちんと微量のはかりで致死量の倍はかって服毒しているなど、几《き》帳《ちよう》面《めん》な性格あるいは習慣がのぞかれる。あるいは椅《い》子《す》に腰かけたまま、おもりが落下することによって自分の首が絞まるような方法で、窒息自殺した現場をみたことがある。これは物理系の技師であった。  左胸に三寸釘三本を打ち込み自殺した大工さん。麻酔剤を服用したり注射して自殺した医師や看護婦など、職業的な習慣というか本人にとっては、ごく自然で当り前の方法であるかも知れないが、検死(検視)をする側からすれば奇異に映るし、普通とは違うのであるいは犯罪がらみなのかと身がまえることもある。    ある日、睡眠薬を服用して自殺するとの遺書を残して死んでいる人の検死に臨んだ。ところが現場には睡眠剤の空箱や薬包紙などは見当らない。遺書があるからには自殺であろうが、死体には睡眠剤中毒の所見はないので、監察医務院で行政解剖を行うことになった。胃の中に睡眠剤らしい白い粉末は見当らない。心臓の栄養血管である冠状動脈の硬化が強く、虚血性心不全を思わせる所見があった。  睡眠剤服用による自殺という状況であったため、解剖終了の時点で死亡原因を断定するわけにはいかない。化学検査の結果待ちとなった。一か月後胃内容、尿、血液などの分析結果が出た。微量の睡眠剤が検出されたが、致死量にはほど遠い。結局このケースは冠状動脈硬化による急性虚血性心不全という、病的発作が死因となった。  この事実から逆に死亡前の状況を推理すると、不眠症で睡眠剤を常用していたものが、ある日厭《えん》世《せい》的になり睡眠剤を多量に服用して自殺をしようと決心し、遺書をしたためたが実行に移る前、突然心臓発作を起こして急死したもののようである。偶然が重なったとはいえ、すぐには納得しがたい出来事であった。  しかしごく稀《まれ》ではあるが、このようなことが起きている。遺書がありながら脳出血あるいは心筋梗《こう》塞《そく》という病的発作で死亡したケースを何件か経験している。  かなり以前、都市ガス(石炭ガス)を放出し自殺しようとした人が、その前に好きなタバコを吸ってからにしようと火をつけたとたん、爆発火災になった。火事は消し止められ、本人は救急車で入院手当をうけたが二日後に死亡した。入院中警察の事情聴取で実態がわかった。都市ガスを吸って一酸化炭素中毒による自殺を意図したが、結果はガス爆発による全身火傷、災害死となったのである。  笑えぬ本当の話なのだ。  また自殺にはしばしば、ためらい創《きず》を見ることがある。たとえば右手にカミソリを持ち、左手首に刃をあてて切れ味をためすかのように浅く小さく数条切って、血が出るか痛くはないか、本当に死ねるのか、いややめようかとためらいながら何度も切ってみる。そのうちに決断がついて一気に強く深く切り自殺する。だから、致命傷以外の浅い切創を法医学ではためらい創と呼んでいる。このためらい創は自殺意図の現われと判断し、検死の際自殺のきめ手として重要視されている。ためらったあげく、切るのをやめて首つりとか睡眠剤を服用するなど、別の手段にかえて自殺している場合もある。  やはり死ぬ決心をしたとはいえ、自殺にはかなりのためらいがあるように思える。だから逆に自殺を思いたった人に心から相談にのってあげられるならば、ある程度の歯止め、予防は可能であると思う。他《ひ》人《と》の心の中まで見ぬくことはむずかしいが、死のうと決心した人が死ぬ気になれば何んでも出来る、と居直って強く生きられるようになったという話もある。発想の転換は、しばしば窮地を救うことがある。  それにしても、医師の間でよく話題になることがある。  自殺のために睡眠剤をのんだ人が、救急車で運び込まれた場合、この人は死を望んでいるのだからと治療をせずに、放置するわけにはいかない。  治療の結果、命を取りとめた患者に、なぜ死なせてくれなかったと、かみつかれても、医師には医師の使命がある。  弁護士にも同じようなことがある。  凶悪犯に愛想がつき、こんな悪者に弁護の余地はないと放棄すれば、弁護士にあるまじき態度として処分をうけるという。  命と人権はこうしてまで保護され、尊重されているのである。  命を無駄にしてはならない。 安易な対応  自転車にのり、交差点を直進しようとペダルを踏み込んだそのとき、右側の道路から進行してきたトラックと軽く接触し、自転車にのったまま男は路上に転倒した。運転手は倒れた男にかけより、手をさしのべて「大丈夫ですか」と声をかけた。六十近い職人風の男は、打撲した頭をなぜながら、「大したことはない」と立ち上った。少し酒の匂《にお》いがした。夜の十時すぎ、人通りは少ない。運転手はとりあえず被害者を医者にみせなくてはいけないと思い、腕をかかえようとしたが、男は再び「大丈夫」とそれをふりはらった。  二人は歩いて近くの病院へ出向いた。手足の軽い擦過傷と頭部に小さいこぶがあった。薬をつけ、包帯を巻いて大したことはないからと帰された。  警察へ届けるほどの事故ではなかったので、両者は簡単な話し合いの後別れた。  男は妻や娘に内緒で酒を飲み、その上交通事故を起こしたことがわかっては、具合が悪いと思ったのだろう、巻いてあった包帯を取り自転車にのって帰宅した。家族はすでにねていた。翌朝、妻が大いびきをかいてねている夫を起こしたが、返事がない。様子がおかしいので救急車を要請。病院の検査で頭《ず》蓋《がい》骨《こつ》亀裂骨折、脳硬膜外血《けつ》腫《しゆ》が判明した。  さらに夫の作業ズボンのポケットから包帯、診察券それに運送会社の名刺などが出て来て、昨夜交通事故に遭ったことがわかった。しかし手術は間に合わず死亡した。運送会社の被害者に対する対応は機敏であり、かつ丁重であった。  検死に行くと家族の人達は、交通事故というよりは、最初に診察した病院の医師が、大したことはないと簡単な手当をしただけで帰した、その対応の悪さをしきりに指摘していた。無理からぬことである。しかしこのようなケースは決して稀ではない。初めは転んで打った外傷の痛みだけである。一〜二時間たつと骨折部からの出血が少しずつ頭蓋内にたまって、五十 《グ》瓦《ラム》位になると、脳を圧迫しほろ酔いのようなふらふら歩きが出現する。本人も無論、周囲の人も酒のせいだろうとしか思わない。  そのころには帰宅し、就寝中であったりすると、誰れもが異常には気付かずじまいである。その中に頭蓋骨と脳の間の出血量が増え脳圧迫が強くなると、いびきをかき昏睡状態になる。半日位し出血量が百五十〜二百瓦位になると、脳に損傷がなくても脳圧迫のために死亡する。  このような経過をたどるので、最初は軽傷と判断しがちであるが、とんでもない危険が潜んでいる。  少なくとも一晩は入院し、専門家の経過観察が必要である。  誤診なのか対応の悪さというべきなのかはともかく、医師の責任をめぐってトラブルに発展する。  そのとき、医師としての平均的医学常識の有無、あるいは経験の問題なども含めて検討されるであろうが、つまるところ裁判所の高度な判断を、あおがねばならないことになるであろう。  法医学者は、死という結果が出てから、その事件に介入していくことになるので、常に結果論としての意見をのべることになる。  臨床医の労苦を無視したような、冷酷な判断が示されることもあるし、死者の側に不利な結論になることもある。  いずれにせよ、周囲の雑音にとらわれることなく、死体所見から真実を引き出す、それが法医学なのである。 蹴《け》とばされた女  派手な化粧をした若い女が、腹痛を訴えて病院にやって来た。午前一時ごろである。かなり酔っていた。  宿直の内科医は簡単な診察をすませ、痛み止めの注射と内服薬を持たせて帰した。しかし女の症状は好転しなかったとみえ、数時間後再び来院したのである。  少し肌寒さも感じられる十月、早朝のことだった。  下腹部が痛いと外科の診察を希望した。右下腹部に圧痛があり、白血球が増えていたので急性虫垂炎と診断され、直ちに入院。  その日の午後には手術の段どりがついた。  外科医長の執刀で予定通り手術が始まった。おなかを開けると、腹《ふく》腔《くう》内に少量の血液がみられた。虫垂炎が進行してやぶれ、膿《うみ》や血液がおなかにもれたのだろうか。  しかし虫垂には異常はなかった。このぐらいでベテランの執刀医はあわてない。  女性の虫垂炎の手術でよくあるあやまりに、子宮外妊《にん》娠《しん》の破裂があるからである。  さらに切開を加えて手術創をひろげ、左右の卵管を観察した。だが子宮外妊娠の事実はなかった。  早く出血部を見つけ出し、止血の処置をしなければならなかったが見つからない。あせりといらだちを抑えながらの手術は、長い時間かかったけれど、結局わからずじまいであった。仕方なく虫垂を摘出して手術を終えることにした。  手術後、女の容態はほぼ順調に回復に向かっていた。  翌朝にはガスの放出もあり、おもゆも食べ夕方にはベッドの上に起き上ったりした。  患者の経過が順調であったから、手術の際の腹腔内出血に対する不安はなくなっていた。  その翌朝のことである。  女がベッドから起き上ろうとした際、再び強い腹痛とともに顔面蒼《そう》白《はく》となり、やがてショック状態となった。  看護婦から知らせをうけて主治医と医長がとんできた。  緊急手術が始められた。  医師達は腹部中央を縦に大きく切開した。  腹腔内には多量の血液がたまっていた。  どこから出血しているのかを見つけ、素早く止血処置をしないと女の命は危ない。  輸血をしながら、出血部を探した。  やがて女の顔に赤味がさし、徐々にショックから覚めていった。  脾《ひ》臓《ぞう》破裂が確認された。しかし出血は自然に止っていたので、これ以上手を加えることはないと判断して、ゴムドレーンを三本腹腔内に装置し、手術を終えることになった。  医師達には一抹の不安があったが、患者は元気をとり戻していた。  そのころ、男が病室を出入りしていたが、夜になってから姿はなく、年格好から情夫のように思われた。  手術の結果は虫垂炎でもなく、外妊でもない。全くの誤診であり、再手術によっても完全な手当ができなかった不手際に、医師達は憂うつであった。  脾臓破裂は外力の作用によって生ずるものである。  しかし女の口はかたく、なぜこうなったのかの説明はない。  主治医と医長は病室へ行き、何かを隠している、隠していると病気は治らない、素直にいいたまえと、高圧な態度で女にせまった。  顔色はまだすぐれないが、それほど悪いということもなく、手術後の状態としてはまあまあである。  しかられてはじめて女は、男に殴られたこと、蹴《け》られたことを言葉少なに語った。  いわれてみると、右頬《ほお》と右腰部に軽度の皮下出血があるのがわかった。  それから数時間後、女はベッドに横たわったまま外傷性脾臓破裂による腹腔内出血のため、再度ショック状態になり、死の経過をとってしまった。  傷害発生より三日目であった。  病院から警察へ変死届が出されたことはいうまでもない。  警察の調べで判明したことは、三日前の夜十一時ごろバーのホステスをしているこの女は、同《どう》棲《せい》中《ちゆう》のチーフバーテンの目の前で泥酔して若い客と醜態を演じていた。  男は嫉《しつ》妬《と》心《しん》から、女を外に連れ出し客扱いが悪いといって、殴る蹴るの暴行を加えた。  女はそのまま帰宅したが、腹痛のため午前一時ごろアパートの近くの病院に出向いたのである。  腹部などを蹴った場合、その部の皮膚に皮下出血や打撲傷を残さず、内部の臓器に損傷を生ずることがある。  とくに左脇《わき》腹《ばら》を蹴られると、脾臓破裂を起こすことが多い。  けんかなどで相手が無抵抗、無防備状態で倒れているところを、蹴ったりするのはきわめて危険なことである。  同棲中の男は、傷害致死で逮捕され、女は大学で司法解剖に付されることになった。  暴行をうけても男をかばって医師に真相を語らず、それがために誤診を招き、再度の手術をするなど翻《ほん》弄《ろう》された医師達。  そして遂には死の経過をとってしまったあわれな女。  検死をしながら、私は最初にひと言本当のことをいっていれば、適切な治療がうけられ死なずに済んだものをと思った。  女は何を考え、何が女をそうさせたのか。私には理解できなかった。  歌の文句じゃないけれど、男と女の間には、深くて暗い川がある……のかも知れない。 理と情の間で  私が監察医務院長当時、日本法医学会の中に“脳死に関する委員会”がつくられた。会員の考え方をアンケート形式により集めると同時に、脳死や臓器移植についての見識を高める役割を果たした。私も委員の一人であったが、監察医務院は東京都の衛生行政にたずさわる一機関でもあり、私の見解は当然厚生省、東京都衛生局の考え方に沿ったものでなければならなかった。とくに人の死に関わる問題を行政のレベルで決め、その見解を国民に押しつけるべき性質のものではなかったので慎重に対応してきた。  医学的には脳死は人の死と理解できるが、臓器移植は別の問題であるとの考えは、法医学会員の多数意見でもあり、私の考えと同じであった。  脳死と臓器移植を推進しようとする専門家は、脳死が死であるならば今すぐにでもこれを希望する患者の立場を考え、実施したいのであろうが、わが国においては脳死は国民的合意を得るまでに至っていない。医師の考え方だけではどうにもならない現状では、どうしても法律的裏付けが必要であったから、法律家の同調を期待した。しかし、人の死は医学上の問題で法律で規制すべきものではないとの考えが、法律家の大勢をしめ、投げたボールは結局投げかえされてしまった。  反復する論議の中で、国民の関心はたかまり、以前に比べると脳死に関する理解が深まり賛成意見は増えている。  とはいえ、論議はどうどうめぐりで結論はでない。誰れかがどこかでゴーサインを出さない限り、結着はつきそうにない。そのゴーサインとは、国民的合意なのであろうか。  私は法律にはうといが、もしも許されるならば、脳死を承認した家族と移植を希望する人との間に合意が得られれば、国民的合意を待たずに実施してもよいのではないかと思っている。これはあくまでも純粋な善意が前提であり利害、打算があってはならない。しかし、このようなことが許されると、水が低きに流れるように、人の命がやがては粗末に扱われるのではないかという危《き》惧《ぐ》が残るのも事実である。  いうまでもなく死という現象は一つであるが、三十年間監察医として二万体にものぼる異状死体を現場におもむき検死をしたり、解剖をしていると死のとらえ方が果して医学的だけでよいものかと、疑問を抱くことがある。  とくに子に先立たれた母親の嘆きは見るにしのびない。 「まだあたたかい。死んではいない」 「もう一度、ママと呼んで」  と、わが子を抱きかかえ、名を呼ぶ母の姿を見ることもある。  生きるものにとって、死を科学的にのみとらえることは必ずしも十分な対応ではないことを思い知らされた。  このような側面をもった人間社会の生活の中で、脳死をどのように理解し、具体化させていくのか。  むずかしい問題であり、結論を急いではならないと思うのである。 子供の事故  幼児の墜落事故の検死に出向いたときのことである。立ち会いの警察官に案内されて、病院の霊安室に入っていくと、身内の人たち数人が母親をいたわるように付き添っていた。  子供の検死が一番にが手である。  寿命からいっても、子が親を送るのが順序であろう。それが逆になって、しかもかわいい盛りの幼児だから悲しみはひとしおである。  親が子を思う気持ちは、子が親を思う気持ちの比ではない。  取り乱して泣き叫ぶ母、じっとこらえる母。さまざまではあるけれど、子に先立たれた母親の心情が伝わって、もらい泣きするようなこともある。できることなら、子供の検死はしたくないと思う。  気持ちを落ちつかせて検死が始まる。  身内の人たちにはしばらく廊下で待っていただき、警察官と監察医だけで検死をする。  事故の状況を警察官から聞く。  三歳の男の子はふろしきをマントのように肩にかけ、スーパーマンだといって二階の窓から空に向かってとび出した。  テレビの人気番組そのままを真《ま》似《ね》たのである。  しかし現実はコンクリート路面に頭から墜落して、意識不明のまま数時間後に死亡した。  架空の世界と現実の区別がつかない幼児の夢は、瞬時にして破壊されたのである。  幼児ならではのいたましい事故であったが、大人としての責任を痛感する。  幼児連続殺人事件の容疑者として、宮崎勤が逮捕された。詳しいことはわからぬが、ホラービデオに夢中になったという彼の精神構造は、一面幼児と同じようなところもあったのではないだろうか。それにしても、分別のある大人が一度ならず四度も同じ殺人をくり返すとは、異常というか言語道断、許せるものではない。  最近、九十九里沖で十一人が乗ったモーターボートが荒海に出て、間もなく横波をうけ転覆した。  大人五名は救助されたが、子供たち六名はすべて死亡するといういたましい事故が発生した。  地元の漁師さえ、船出しない大荒れの海へのり出したこと自体が問題であるが、死亡した子供は高校一年と中学生、それに一番小さいのが小学一年であった。  大人が助かり、子供だけが死亡した。  体力の差からいっても当然と考えているのか、これを疑問視する人はいなかった。  当時の水温は摂氏十五度であったから、冷たくてすぐ死んでしまうようなことはない。  プールでは泳げても、海は荒々しい自然であり勝手が違うので、泳げないという子もいる。とくに荒海に放り出されると、恐怖心が先に立って冷静さを失う。  水面に浮いていても、大波に巻き込まれて水をのむ。その際、鼻の奥から鼓膜のうら側に通ずる耳管にも水が入り込む。毛細管のような耳管に水の栓ができ、続けて海水を嚥《えん》下《げ》(のみ込む)すると、そのたびに耳管の水栓がピストン運動を起こし、鼓室やこれに通ずる乳様蜂巣に陰圧、陽圧がくりかえし生ずるために、乳様蜂巣内の被膜や毛細血管が、圧の急変で破《は》綻《たん》する。いわゆる耳の奥で中耳や内耳をとり囲む骨(錐《すい》体《たい》)の中に出血が起こるのである。  その骨の中心には三半規管があり、錐体内うっ血や出血のために、その機能が低下してめまいを覚え、平衡感覚が失われる。意識はあるが平衡感覚が保てないから、自分は立っているのか、逆立ちしているのかわからない。そのために泳ぎが上手でも、溺《おぼ》れてしまうことになる。  この耳管という細いパイプが、子供のときは比較的ストレートであるが、成長するにつれて、少しねじれを生じて完成する。そのため子供は大人より耳管に水が入りやすい構造になっている。  溺《でき》死《し》の共同研究者である小野忠彦博士(耳鼻科医)は、学童の溺れに関してこのような学会発表を行っている。  大人だけが助かったのは、単に体力の差だけではない。  また、子供の事故には想像もつかないような事態が発生するので、周囲の特別な監視が必要である。  大人の事故と違って子供の場合は、監督義務者の過失の有無あるいは補償問題も含め、法律上複雑な問題を伴うことが多い。  買い物に出かけるので、子供を近所の親しい友人にあずけた。友人はあずかった子とわが子を遊ばせていた。そのうちに、あずかった子が二階から転げ落ちて死亡してしまった。  家族ぐるみで親せき同様のつき合いをしていた仲であったが、この死によって責任、補償の問題などがこじれて裁判になってしまった。  あずかった以上は、保護、監督の義務があろう。いやあずかったとはいえ契約、商取引などではなく、善意であるから責任はないとやり合った。  事故発生の状況あるいは死因などにもよるだろうが、この事件はあずかった側にも責任があると考えられた。  大人から見れば突拍子もない子供の事故も、子側から見れば至極当然のことなのかもしれない。そのギャップを埋め、生活環境を整えないと、子供の安全は保たれないように思う。 転 落  真夏の太陽が照りつける中、流れる汗をふきふき二階のトタン屋根にのぼって、テレビのアンテナを取りつけていた。そのうちにアーッと大声が聞えたと思う間もなくドタン、ドスンと音がして男は転落した。  地上まで五〜六 《メ》米《ートル》はあっただろうが、幸いにも庭の土の上であった。意識不明のまま救急車で入院、治療をしたが蘇《そ》生《せい》はしなかった。  転落事故による頭部外傷と診断された。  しかしこのような事故死(外因死、つまり外力の作用による死亡)は医師がいかに治療をしていたとしても、死亡すると異状死体として警察に届出をしなければならない。  警察では事故がどうして起きたのかを調査する。  炎天下で頭がボーッとなったためか、病的発作を起こしたためか、足をすべらせての転落か、自殺かあるいは誰れかにつき落されたのかなど、転落の原因を明確に調べるのである。  医師は患者を治療しているから、死因はわかるがなぜ屋根から転落したのかは医師にはわからない。  周囲の人達の話を聞いて、医師が事故死と認定すべき性質のものではない。  そんなことが許されるならば、この世に殺しはなくなってしまうであろう。  やはり他人の秘密に立ち入り、捜査のできる警察官が調査し、公正に判定するものでなければならない。  このケースは、土がクッションの役目をしたのか外部所見に、致命傷は見当らなかった。  検死では明確な死因はつかめなかったため、監察医務院で行政解剖をすることになった。  監察医は、死の現場に臨み死体検案(検死)をして死因の解明を行う。検死で死因が判明しなければ、行政解剖をして死因を明らかにしていく。  このような仕事をしているので、初対面の人はびっくりしたような顔をして、 「検死や解剖をして、気持ち悪くないですか」  と質問してくる。  あるとき中年のご婦人に、 「解剖した後、ご飯が食べられますか」  と質問されたことがある。  即座に、 「検死や解剖をしないと私は、ご飯が食べられないのですよ」  と答えたら、彼女は笑いころげてしまった。    警察と監察医は現場と死体所見の両方を、あらゆる角度から検索し、検討を加えて真実を追求していく。  その結果、屋根の上で立ち上り左手をあげた際、たるんでその上を走る裸電線に指が触れ感電、そのショックでバランスを失い、屋根から転げ落ちたことがわかった。  薬指に小豆《あずき》大の電流斑《はん》が見つかったのである。  転落のため軽度の脳《のう》挫《ざ》傷《しよう》もあったが、落下の原因は感電であった。  単なる転落事故を警察官と監察医がよってたかって、解剖してまで調査する。  その行為は一見、非情に思えるかも知れないが自殺か他殺か、病的発作のためかあるいは本当に災害事故であるのかを明らかにして、社会不安を取り除き、死者の人権を守っているのである。  後日、危険な配線の違法性の是非、責任の有無が問われ、配線の改善などの処置がとられ、二度とこのような事故が起きないよう、対策が講じられた。  監察医制度は、ただ単に変死者の検死、解剖をしているだけではない。  データは必ず、生きている人に還元されるのである。  そして、予防医学にまた衛生行政に役立たせている。 誤 診  医療には誤診がつきものである。  みぞおちのあたりが痛むので医者へ行ったら、胃炎だといわれ薬をもらってのんでいたところ、ある日突然胸苦しくなり急死したというようなケースがしばしばある。  検死後、行政解剖をすると心臓の栄養血管である冠状動脈に硬化(血管壁にコレステロールがたまって、もりあがり血管内《ない》腔《くう》が狭くなった状態)があって、その部位で血液の流れが悪くなっていた。死因は急性虚血性心不全つまり心筋梗《こう》塞《そく》である。  心臓の発作は痛みが胃に放散したり、左肩がこったり、左の背中が重く感じたりすることもあって、症状は一様ではない。  あるいは人間ドックで種々の検査をうけ、悪いところはない、心配なしといわれ喜んで帰宅途中、急死した例などを解剖したことがある。やはり心筋梗塞であった。  科学的検査を駆使しても、からだに潜む病態を予知することはむずかしい。  医者の診断と天気予報は、あてにするなという言葉さえあるほど、生態は複雑微妙なのである。  また腎《じん》炎《えん》を単なる風邪と誤診したり、気管支炎だといわれ、薬をもらってのんでいたが一向によくならず、別の病院へ行ったら肺結核で即入院だという話を聞いたことがある。  以前と違って今は、肺結核の患者が少ないので、レントゲン写真をみて結核と診断できる医師が少なくなっていることも事実である。  これらは、いずれも大事に至らずに治るから、とくに問題になることはない。  いちいち取り上げて罰していたら、医師のなり手はいなくなる。  その意味では、医師の誤診は処罰の対象になっていない。  重大な過失がある場合は別である。  眼科医が右と左を間違えて健康な目を手術したり、整形外科医がよい方のひざを手術したり、また子供のほしい患者に避妊手術をした婦人科医など、ここに取り上げるのもはばかるような不謹慎きわまりない話もある。    変死の現場にも誤診は多い。  自動車の中で運転手が死んでいた。頭部に小さい円形の刺《さし》創《きず》様の外傷があるだけなので、医師はキリのようなもので刺したと推定した。あとでわかったのだが、実はピストルで射殺をくりかえし、全国を逃げ回っていた手配中の犯人の仕業であった。銃創をみたことがなければ、キリによる刺創と判断するのも無理からぬことである。  ある団地の階段のおどり場に中年の女性が倒れていた。医師は転落事故死と診断したが、警察は、顔面のうっ血、溢《いつ》血《けつ》点《てん》は転落外傷では説明がつかない。頸《けい》部《ぶ》圧迫による窒息の可能性が強いと判断して、司法解剖したところ甲状軟骨が折れていて、絞殺であることがわかった。  年老いた父親が酒乱の息子に意見をしたところ、殴る蹴《け》るの暴行をうけ、父親はぐったりとなった。布団にねかせて往診をたのんだ。医師が来たときには死亡していたが、脳軟化症、病死と診断した。  通夜に集まった身内は不審に思い警察に通報。調査を依頼したところ数本の肋《ろつ》骨《こつ》骨折があった。こうなると監察医の判断で行う行政解剖ではなく、犯罪を前提とした検事指揮による司法解剖になるのである。  肋骨の骨折端が肺に刺さり、肺臓損傷による胸《きよう》腔《くう》内出血で死亡したことがわかった。息子は傷害致死で逮捕された。  医師は往診の際、死亡している死体を診て警察へ変死届もせず、安易に脳軟化症と診断したのである。また裸にして死体検案をしなかったので外傷に気付かなかったと語ったという。  これらは検死の現場における医師の誤診といえないこともない。  しかし、一般の医師は生きている人の診療が主であり、学生時代に法医学の講義を受けてはいるものの、実際に死体を診てのトレーニングはしていない。  その意味では、場数を踏んだ警察官の方がはるかに死体所見に詳しいのである。おかしな現象であるが、現状はそうなのである。  死体のある現場の状況などにとらわれず、死体をくまなく検索して、医学的事実を明らかにし、これをもとに状況などと組合せて、事件の真相を解明していかなければならない。  そのためには、先ず死体所見に精通した監察医あるいは法医学者が検死をすることが望ましい。  検死だけで死因がわからなければ、容易に解剖できる監察医制度やこれに類似の制度を確立しなければ、社会不安は除かれない。  検死の現場における誤診は、死者の人権をないがしろにし、社会不安をつのらせる。  死後も名医にかかれるような、制度づくりが必要なのである。 証拠隠し  昭和二十一年、日光中禅寺湖畔の旅館が全焼した。焼けあとから経営者の家族五人が焼死体で発見された。  現場検証と検視の結果、災害事故死と判断された。  ところが一年後、別件で留置中の男が殺人放火したことを自供した。  男は客を装って旅館に泊まり、一家五人を殴り殺し金品を盗み、放火した。  当時、炭化状にこげた死体を外表から検視しただけで、解剖はしなかった。  いくら炭化状であっても解剖をすれば、火事により焼死したものか、それ以前に死亡していたかの区別はつく。  もしも、火災の中で生きていたとするならば、すすを気管内に吸い込んでいるから、気道粘膜にはすすが付着し黒くなっている(気管内炭粉吸引)。  また、上気道粘膜に熱傷があったり、赤血球に一酸化炭素が結合して暗赤色の血液色調は鮮紅色に変化している。  さらに化学検査をすると、血中の一酸化炭素ヘモグロビンが高濃度を示すなどの所見があるので、死後の焼却とは容易に区別することができる。  解剖の重要性を示す事例であった。  以来、焼死体はほとんど解剖をするようになったのである。    空き地で若い女性の焼身自殺があった。  ガソリンを浴びていることがわかったが、容器やマッチ、ライターがみつからなかった。  三日後、女の身元がわかった。  二十九歳のOLで、ふだん自殺するような言動はなく、また現場があまりにも住居地から遠く離れすぎていることや、外出時所持していたワニ革のハンドバッグ、真珠のネックレス、純金の指輪などが見当らないなど不自然さが目立ち、捜査がすすむにつれ他殺の疑いが濃厚になってきた。  交友関係から一人の男が浮かんだ。  彼女と結婚を約束し金をまきあげては派手な生活をしていた。  そのうちに妻がいることがばれてしまった。  奥さんと別れ、結婚をしてほしいとせがまれ、男は彼女をなだめたが聞き入れられず、「男らしくない」「背信行為」だとののしられて、犯行に及んだのである。  自動車で人通りの少ない空き地に連れ出し殴って失神させ、ネックレス、指輪、ハンドバッグなどを奪い、車に用意しておいたポリ容器のガソリンを彼女のからだにかけ、火をつけたのである。  犯行のヒントは、ガソリンによる焼身自殺の新聞記事であった。  身の回り品などを奪って焼けば、身元はわかりにくく、顔も指紋も外傷も火傷でわからなくなり、完全犯罪ができるだろうと考えたのである。  しかし、解剖所見には顔面の打撲傷と焼死の所見がみられ、男の供述と一致した。  警察の捜査もさることながら、専門家による解剖をあなどることはできない。    監察医としていろいろな事件に関与していると、どうすれば完全犯罪ができるのかと質問されることがある。 「証拠を残さないことだろうが、証拠を残さずに人の命を奪うことはできない」  と私は答える。  たとえば、ひもで首を絞めればそこに索溝が残る。しかし、泳げない人を岸から突き落せば、遺体にはきずは残らないから、殺人とは考えにくいかも知れないが、岸に近いから泳げなくても溺《おぼ》れずに岸にたどりつく可能性もある。  また水中転落の原因を探っていけば、自殺の状況はない。災害死といっても血中からアルコールは検出されないなど、不自然さが目立ってくる。  生きているものはそう簡単には死なない。  死ぬには医学的にも、社会的にも相当な理由、原因があるはずである。  ましてや殺人ともなれば、いかに完全とはいえ、生から死への移行には必ず無理、矛盾が潜んでいる。  周囲の状況を病死のように見せかけ、あるいは事故死のように見せて、うまく偽装しても、遺体は殺人死体であるから、死因に一致した所見が遺体のどこかに残存している。  だから素人を胡《ご》麻《ま》化《か》すことができても、専門家が見れば、アフリカの原野に熊がいるような絵であっては、すぐにわかってしまう。よしんばライオンを描いたとしても、動物園のライオンと野生のライオンとでは、体形が違うのである。  証拠を隠すといっても、専門家の目は確かなのである。 危険な演技  ひと昔前の東京での自殺は、睡眠剤やガス(石炭ガス)放出によるものが多かったが、近年は睡眠剤の購入がむずかしくなり、またガスも天然ガスに切り替わって中毒しにくくなった。そのためか首つりや高層ビルからのとび降り、電車にとび込むなど、時代の変遷とともに、その手段もかわってきている。  首つり(縊《い》死《し》)は、ひもなどに自分の体重をかけ、首がしまって呼吸ができなくなり、窒息するように見えるので、法医学の教科書にも窒息の項目に分類されている。たしかに首がしまって呼吸ができなくなり、顔面にうっ血、溢《いつ》血《けつ》点《てん》が生じ、窒息の経過をたどって痙《けい》攣《れん》発作などを生じ、死ぬ場合がある。このような経過で死亡するのを非定型的縊死といって、ひものかかり方が左右対称性でないとか、足が床について全体重がひもにかからないような場合などをさす。  しかし、索状物が左右対称性にかかり、からだは完全に宙づりになって全体重がいっきに首に作用している場合などは、両側頸《けい》部《ぶ》神《しん》経《けい》叢《そう》の圧迫で反射的に心停止をきたし急死する。あるいは頸部の動静脈が一瞬にして圧迫閉そくされて急死する。  これを定型的縊死といい、窒息する非定型的縊死と区別している。この場合は顔面のうっ血や溢血点などはない。当然首もしまり気道も圧迫されているが、窒息の経過に入る前に心停止を生じて死亡している。  喉《こう》頭《とう》癌《がん》などで手術をし、気管に呼吸孔を形成した人が首つり自殺をしたり、木のまたで首つり自殺している珍しいケースがある。前者はひもで首がしまっても、その下方に呼吸孔があるので、呼吸はできるはずである。  後者の木のまたでの首つりも、両側頸部は圧迫されているが、前頸部の気管はV字形の木のまたで間隔があるから、圧迫閉そくされてはいない。にもかかわらず死んでいるのは、定型的縊死は窒息死ではないことを物語っている。しかし、法医学の教科書は定型的縊死をいまだに窒息の項に入れて論じている。    ある劇団所属の若い俳優さんが首つりをした。天井のハリにロープを固定し宙づりになり、そのかたわらに踏み台がころがっていた。顔面のうっ血や溢血点はなく、定型的縊死であった。  しかし、遺書はなく自殺をするような状況もない。それどころか現場には鏡と台本があって、どうも演技の練習中にあやまって本当に首つりになってしまったようなのである。  鏡を前にして迫力のある首つりの演技を練習していたのであろう。  素人考えで首がしまり苦しくなったら立ち上がるか、手を首のひものところへあげれば防御できると思っていたのであろう。ところが実際に体重をひもに移動したとたん、手足はまひして動かず、心停止という思ってもみない事態になったのではないだろうか。  首つりは真《ま》似《ね》するだけでも危険である。 死因は戒名  ある寺の墓地の中で、男が死んでいた。  墓の間の細い通路にあお向けに倒れていた。  墓参りに来た人が発見し、すぐ住職から一一〇番されてパトカーがやって来た。  首には麻のロープがぐるぐる巻きになっている。  事件だ!  現場はすぐ立ち入り禁止となり、警察のきびしい捜査活動が始まった。  ズボンに白いYシャツ姿で、左足はサンダルをはいているが、右足のサンダルはなく裸足である。  顔は暗赤褐色にうっ血し、溢《いつ》血《けつ》点《てん》が著しい。  さらに舌を噛《か》んだ状態になっているので、窒息死したことは明らかであった。  とりあえず遺体だけをその状態のまま、警察署に運び、現場の状況はさらに細かく検証をつづけることになった。  警察の霊安室で監察医の検死が始まる。  先ず正面像を写真にとってから、背面の観察をするため遺体を裏がえしにすると、なぜかYシャツの両腕の部分だけが泥で汚れている。背中は汚れていない。  ズボンも尻《しり》の部分よりも、すその方が泥の付着が著しい。  足の裏は、サンダルがぬげていた右足も左足と同じように泥の付着はなく、きれいであった。  格闘でもあったにしては、着衣の状態と足の裏の様子が合わない。  鑑識のカメラに逐一記録しながら全裸にする。  首のロープは七重に巻かれ、左前頸《けい》部《ぶ》で男結びになっていた。注意深くほどいていくと、はじめの二条は先に巻いたロープの上を回っていたが、あとの五条は直接首の皮膚にあたり、ロープのあみ目がくい込み索溝をつくっていた。  現場には争った形跡はない。  右足のサンダルは三 《メ》米《ート》 《ル》離れた隣りの墓の植込みにひっかかっていた。  他殺か。自殺か。その区別を死体と現場から読みとろうと警察官も監察医も必死であった。  現段階では殺人事件という積極的な決め手に欠けていたため、取りあえず監察医務院で行政解剖をすることになった。  頸部圧迫による窒息と診断されたが、自殺か他殺かは今後の捜査状況と合せて考えなければ判らない。  他殺とすれば、加害者が首を絞めたとき、ロープは一重巻きにして絞め、無抵抗になってからぐるぐる巻きにしたと考えるべきで、五条の索溝の中で一条だけは索溝内に擦過傷や小出血などが出現していなければならない。  さらに首を絞められた被害者は、苦しさのためロープの下に自分の指をこじ入れ、防御するからそこに自分の指や爪《つめ》による、ひっかききずや皮下出血ができる。つまり殺しのサインとしての防御創がみられるべきである。  しかし、一切みられない。  それにしても着衣の泥の付着状態や右足サンダルの散乱などは、格闘ではないかと疑ってみたが、現場の乱れはなく、また両足のうらはきれいなのである。  ちぐはぐな様相に、事件の謎解きはむずかしかった。  自絞死というのがある。  字の如くひもなどで、自分の首を絞め自殺するものをいう。  そんなことが出来るのだろうかと思われるかも知れないが、首にひもを巻きその両端を握って引っぱり、自分で自分の首を絞める。やがて意識を失いぐったりして握っていたひもを放してしまう。そのとき、ひもがゆるめば息を吹き返すが、結び目がしまったままであれば、窒息して死ねるのである。    女医である妻を絞殺したとして懲役十三年の有罪となり、高裁で控訴棄却、最高裁で上告棄却がいい渡された夫の青年医師は、絶望してか東京拘置所の独房で自殺した。  自殺の仕方は、畳糸をぬきとり三重にして首に巻きつけ、サインペンをはさんでねじり、自分で自分の首を絞めたのである。  そんなことが出来るものなのか。不自然な気がする。殺しではないのかと疑問をもった記者から問い合せがあった。  この方法を自絞死というが、さほど珍しいものではない。  しかし、ひもがきわめて細い場合は、気管が絞まって窒息するというよりは、首の静脈が圧迫されて脳のうっ血、血流の停滞による脳機能障害が死因となることもありうる。  ともあれ、墓前であぐらをかき、用意したロープをぐるぐると首に巻き結ぶ。間もなく呼吸困難となってあお向けに倒れる。無呼吸状態が二〜三分続くと痙《けい》攣《れん》を起こす。臀《でん》部《ぶ》が地面につき手足はつっぱるようにこわばり、頭や背中もやや前かがみのような姿勢で、地面からわずかに離れて痙攣する。  手足部分のYシャツやズボンが地面にこすれて泥がつく。右足のサンダルもそのときの痙攣で三 《メ》米《ートル》ばかりふりとばされたと考えれば、現場の状況も死体所見も説明がつく。  そう考えたが、もしも殺しだったら死者にも、その家族にも申し訳がない。  どこかで殺して、運んできたのだろうか。  不安を感じながら、その日は終った。  翌日、警察から身元が判明したとの連絡が入った。  遺書はないが、家業がうまくいかずご先祖様に申し訳がないと悩んでいたことがわかった。  先生の推察通り、自殺と判断して捜査を終了するというのであった。  三週間後、胃内容、血液、尿などの化学検査に毒物なし、組織検査にも病変なしと判明して、すべての検索は終了した。  死因は頸部圧迫による窒息、死亡の種類は自殺となってこの事件は終結した。  死者とかかわって一と月あまり。  真相は解明された。  死因がつけられ、人権は擁護された。  死者は死体となり、仏様となって私から去っていく。  いうなれば、死因は私にとって戒名なのである。 監察医  よくあることだが、酔って路上に転倒したり、階段などから転げ落ちたりすることがある。入院治療をするが打ちどころが悪かったのか、意識不明のまま数日後死亡するようなことがある。  主治医は脳《のう》挫《ざ》傷《しよう》、災害死という死亡診断書を発行する。これによって患者は鬼籍に入り、葬儀が行われる。  当然のことのように思われるかも知れないが、それは間違いである。監察医制度のある地域では、このような外力の作用で死亡した場合(外因死)はすべて変死扱いになり、ドクターは死亡診断書を発行しないで、先ず警察に変死届をしなければならない。  なぜならば医師は患者を診察し治療をしているから、脳挫傷という死因はわかるが、どうして階段から転落したのか、その理由は医師にはわからない。付添った身内の人が、あやまって階段を踏みはずしたための転落事故だと語っていたから、ドクターは災害死と判断したというのは、一見正しいように思われるが、考えてみると話を鵜《う》呑《の》みにしているだけで真偽を吟味したわけではない。  ドクターが判断すること自体、おかしなことである。  事故発生の状況は、他人の秘密に立ち入って捜査のできる警察官の仕事である。  家族の中につき落した犯人がいないとは限らないので、すべての外因死は変死扱いにする立前になっている。  届出をうけた警察では、状況を捜査する。医師は死因を判断する。それぞれの専門分野で知識を発揮し協力し合ってはじめて、自らを語ることなく死んでいった人々の人権が擁護されるのである。  これが警察官の検視であり、これに医学的協力をするのが医師の死体検案すなわち検死なのである。  これを制度化したものが、監察医制度で東京、横浜、名古屋、大阪、神戸で施行されている。  この制度のない地方においても、変死の届出(医師法第二十一条)は同じであり、検死が行われているはずである。しかし必ずしもそうではない場合もあるようである。  どのようなケースが変死扱いになるのか、その見解が一致していないからであろう。  人が死亡した場合まず病死(自然死、主治医が死亡診断書を発行する)と犯罪死(検事の指揮下で司法解剖をする)に分けられる。  しかしその中間に医師にかからずに突然死したり自殺、災害事故死あるいは病死なのか犯罪に関連があるのか不明の死がある。  このようなケースは社会的にも医学的にも不安を残した死に方である。この疑わしい死に方はすべて変死(不自然死、異状死体)として警察に届けられなければならない。  警察では事件の内容を充分捜査した上、ドクターに検死を依頼し、不安を取り除くのである。  この中からときには隠された殺人事件などを発見することもある。    警察官に案内されて、あるアパートの一室に入った。死亡したお年寄りがゆかたを着せられ布団の中に安置されていた。  検死をするため顔にかかった白い布を取ると、ゆかたの襟が顎《あご》の下の高い位置で交差していた。おかしな着せ方だなと思って、襟を開けると首に日本手《てぬ》拭《ぐい》が巻かれてある。どうしたものかと尋ねると、立会官の話ではここ数日前から風邪気味で、咳《せき》や痰《たん》が出てノドが痛かったので手拭を巻いていたというのである。そして昨夜遅く息子が帰宅すると、父親の様子がおかしいので近くの医師に往診をたのんだ。ドクターが来たときには、この姿のまま死亡していた。たぶん肺炎か心筋梗《こう》塞《そく》の病死だろうが、死亡診断書は書けないから警察へ届けておくといって、そのドクターは帰ったという。  息子に確かめたが、答えは同じであった。  検死をするため巻かれた手拭を取ると、首にかすかな索溝(ひもなどで首を絞めた痕跡)が見えた。顔はややうっ血し、眼《がん》瞼《けん》結膜下には溢《いつ》血《けつ》点《てん》が出現していた。  絞死の所見である。病死などではない。  息子はすぐ取り調べられた。  定職もなく酒好きな息子が酔って帰宅するなり、ねている父親の枕《まくら》の下から財布を取り出した。父は財布を取り戻そうとしたが、息子にはかなわない。奪い返すことが出来なかったので、意見をはじめたところ、口論となった。そのうちに、 「うるせえ!」  といって息子は、そばにあった日本手拭で父の首を絞めたというのだ。  間もなく死んだことに気がついた。風邪などひいてはいない。  首にひものあとが薄く赤く見えたので、手拭を巻いてかくし、ゆかたを着せかえて布団にねかせ、往診をたのんだというのである。  風邪をひいてねていれば、病死の死亡診断書がもらえると思ったのであろうか。往診を依頼されたドクターが変死届を出したから、この事件は発覚し、解決したのである。  もしも息子のいいなりに病死の診断書が出されていれば、完全犯罪が成立していたかも知れない。  なにごとも、あやふやに処理してはならないと、つくづく思う。  そのために監察医制度があり、監察医がいるのである。死者は、どのような制度があっても、生き返らないなどとあきらめてはならない。  死者の側に立って、人権を擁護している医師もいるのである。 延命術の波紋  医学のめざましい発展の中で、臓器移植という新しい治療法が開発されてきた。  脳出血で倒れたり、あるいは頭部外傷などで脳にかなりのダメージをうけると、呼吸中枢、心拍動中枢などが障害されて死亡する。  この患者に人工心肺器をセットし、脳の指令にかわって人工的に肺に酸素を送り、また心臓を動かし、栄養を補給し続けるとかなりの期間、生きながらえるようになった。  延命術と呼ばれるものである。  普通人体の細胞は障害をうけると、周囲の細胞が分裂増殖して破壊された部分を修復する性質がある。  切り傷が治り、機能的にも元に戻るのはこのためである。  ところが全身に指令を出し、コントロールしている脳の神経細胞だけは、再生能力がないので、一度障害されると二度と復活されないという特性がある。  つまり一個の神経細胞は一人の寿命と同じ運命をもっているのである。  脳には約一四〇億の神経細胞があるといわれ、少々の神経細胞が障害されても、日常生活には支障をきたさないが、高齢になるとからだの動きや思考の衰えがくるのは、長い年月の間に相当数の神経細胞が崩壊されたためでもある。  このように脳は、神経細胞の特性からいっても、また機能的にみても、きわめて重要な臓器であるから、その周囲は頭《ず》蓋《がい》骨《こつ》という骨に取り囲まれている。こんなにかたくガードされた臓器はほかにない。  その次に重要な臓器は心臓と肺臓であろう。これは、駕《か》籠《ご》のようなあばら骨で被われている。  次に重要なのは肝臓、腎臓、脾臓、胃、腸などおなかの臓器であろうが、これらは殆《ほと》んど骨というよりは筋肉でしかガードされていない。  おなかの臓器だって重要だから、骨のガードが欲しいのである。しかし、ここまで骨でかこっては人間としての動きが出来ないから、そこはそれでよしとしなければならない。  このように人体の構造を観察していくと、創造の神の気くばりというか、偉大さがわかってくる。  ところで脳、心、肺という重要な三つの臓器が永久にその機能を停止した状態を死と定義してきた。  この瞬間、生体は死体となるが、まだ個々の細胞のレベルでは、血液中の酸素をつかって生きている。しかし、この状態を死と宣告して社会的にも法律的にも、また医学的にも何ら支障はない。  したがって死は瞬間としてとらえられ、死亡時間は、何時何分と記入することになっている。  ところが延命術が発達してきたことによって、脳の機能が全く停止しても、人工心肺器をセットすると肺臓と心臓が機械的に動かされて機能する。  勿《もち》論《ろん》このセットを取りはずせば即、死となるが、この延命術によって生かされている間、いかなる治療をほどこしても一度ダメージをうけた神経細胞は回復能力がないから、脳は生きかえらない。  この状態を脳死といった。  脳死になった患者は、いかなる方法を講じても二週間位が限度で、結局は死んでしまうので延命術も、煎じつめれば死者に治療をしているようなものであるとさえいわれだした。  医学的には脳死は人の死であることから、臓器移植という治療法が、クローズアップされたのである。  死体からの移植でもよいのであるが、死後直ちに必要な臓器を取り出さなければ、移植にはつかえないので、突発的に提供者が現われても間に合わない。提供者はできることならば、若くて健康な人が災害事故などで脳にダメージをうけ、回復することのない脳死に陥り、数日後に死亡するようなケースが最適なのである。  提供者側と受給者側の準備期間などを含め、ある程度の時間的余裕が必要なのである。  従来の死の定義は脳、心、肺の永久的機能停止のとき、ドクターは死の宣告をした。その瞬間、生体は死体とされた。  しかし、脳死の場合は死は瞬間としてとらえられなくなった。  先ず脳死がはじまった時間があり、数日後肺臓、心臓の機能が停止した従来通りの死の時間とがある。  つまり、脳死は瞬間死ではなく、時間的に大きな幅がある。その幅の中で臓器移植が行われるのである。  わが国ではまだ脳死というものに、国民的合意が得られていないので、準備は整っているが実施されてはいない。  また、提供者の条件を満たす若者の災害事故などは、変死扱いになるため警察官による検視、医師の死体検案(検死)が行われたあとでなければ、臓器移植はできないので、その手順を踏んでいると、死亡後の時間がたち過ぎて臓器は移植につかえない状態になってしまうなど、いろいろな問題がある。  これらをのり越えないと、わが国の脳死、臓器移植は実現しそうにない。  それはともかくとして、法医学の現場においては、死亡時間をめぐるトラブルは多い。  たとえば、火災事故などで一家五名が焼死したようなとき、厳密には死亡時間はそれぞれ異なるであろうが、実際に差を見つけ出すことはむずかしいから、ほぼ何時何分頃と同じ時刻と判断して問題は起こらない。  ところが、病死の場合にはそうはいかない。  老夫婦二人暮らしの場合など、久し振りに訪れた身内のものが、死亡している二人を発見するようなことがある。  変死届が出され、警察が捜査すると現場の状況から自殺や他殺ではないことが、明らかにされると、夫婦はともに病死ということになる。となれば、死因は勿《もち》論《ろん》、死亡時間などが同じであるとは限らない。  死亡時間が異なれば、先に死亡したものよりも、あとに死亡した側に遺産相続の権利が有利に作用する。    私が臨場したとき、浴室の流し場で妻は素裸のまま死亡していた。夫は服を着て妻の背後から、両脇《わき》をかかえて救助中の姿で死亡していた。  八十前後の老夫婦で、ともに動脈硬化、高血圧症、冠不全などで投薬治療をうけていた。  警察では妻が入浴中、心臓発作か何かで流し場で倒れた。あまり長湯なので夫が様子を見に行くと妻は倒れていた。驚き、あわてふためき救助作業中に、夫も心臓発作を起こして死亡したのではないかと推定していた。  妻が先に死亡し、夫はあとから死亡したと判断したのである。  当然であろうが、監察医は状況からではなく、あくまでも死体所見から死因や死亡時間を見出さなければならない。  どちらかが腐敗し、片方に腐敗がないとか、死体硬直に大きな差があるとかで、死後経過時間に歴然たる差が生じていれば、見分けはつくが、どちらも死後一日位たっているようで時間的な差を見つけることはむずかしかった。  狭い浴室から両者を座敷に移して、全身をくまなく検死をすると、老妻の背中と右脇の下に淡黄色をした十糎《センチ》位の線状表皮剥《はく》脱《だつ》がみられた。  注意深く観察すると、爪《つめ》のひっかき傷のようであった。  夫が救助作業中、ひっかいたように思われた。傷には生活反応がない。  生前のひっかき傷であれば、軽度の出血を伴って赤褐色の線状表皮剥脱になっていなければならないが、それは淡黄色で真皮の下の脂肪がすけて見えているので、死後の損傷であることがはっきりした。  念のため警察官が浴室から遺体を座敷に移動するときに、つけたものかと疑ったが、彼らは常に現場保存を心がけているから、白い手袋を使用しているので、遺体に傷をつけるはずはなかった。  この所見を調書に記載し、死亡時間は妻が先に死に、救助中夫が死亡したと三十分の差をつけて事件を処理したことがある。  高齢者の一人暮らしで茶のみ友達から再婚するようなケースが増えている。  同時死亡か否かの区別はむずかしいが、死亡時間をめぐる遺産相続のトラブルは多い。  死を瞬間としてとらえてもトラブルが起きているのに、幅をもたせたならばこの混乱はさらに広がるのではないだろうか。  延命術は脳死を産み出し、臓器移植へと発展し、さらに死亡時間の問題をもまじえて法律的にも、医学的にもそして社会的にも、大きな波紋を投げかけている。 親指隠せ  大きなランドセルを背負った子供が、泣きながら歩いてきた。 「どうしたの?」  犬を連れ、散歩中の私は立ち止って声をかけた。  しゃくり上げながら子供は、不審そうに私を見ていたが、うしろの方を指さした。  遠くの方に学校帰りの子供ら四〜五人が、たむろしているのが見えた。お兄ちゃん達にいじめられたのだろう。 「おじさんが、視《み》ていてあげるから、泣かないでお家へお帰り」  と元気づけた。  しかし、その子は、 「ママが死んじゃうの」  といったのである。  母の悲報をうけ、急ぎ下校中の子なのだろうか。こんな小さい子が、と思った瞬間、 「おじさん、こうやらないとママ、死んじゃうの?」  といいながら、子供は両手の指を握って見せたのである。  何んのことだか、私にはわからなかった。 「それ、何んなの?」  子供の説明は、仲々理解できなかったが、どうやら霊《れい》柩《きゆう》車《しや》を見たら、四本の指で親指を隠すように握りこぶしをつくらないと、親が死んでしまうという意味らしかった。  はじめて聞く話であった。  子供の世界の迷信のような、遊びのような風習でもあろうが、子が親を思う気持ちがほのぼのと感じられ、近ごろにしては心温まる出来事であった。  その子はそうした動作を知らなかったために、先輩達に親指を隠さなかったから、お前のママは死んじゃうぞ、とおどかされたのであろう。 「大丈夫、大丈夫。坊やのママは死なないよ」  といって、頭を撫《な》で、私は立ち去った。  迷信とはいえ、子供らの仕草はいじらしかった。  結婚して間もないころ、葬儀に参列して帰宅すると、家内は玄関先で塩をまき、清めてから私を家へ入らせた。これも迷信、風習の類であろう。  私は監察医で検死や解剖をするのが仕事である。それこそ毎日、死者と対面している。おかしなことは、しないでくれといって笑ったことがある。  これらの話は、笑い話ですまされるが、深刻な事件も多い。  金属バットで子が親をなぐり殺した事件。家庭内暴力が社会問題になっている今、子供側にも、また親の側にもそれなりの原因はあるのだろうが、ニュースに接するたびにやりきれない気持ちになる。  親の子を思う気持ちが、子に伝わらないはずはない。  三十近くにもなって、親にカメラをねだり、買ってくれなければ家に火をつけると暴れ出し、石油ストーブを倒したり、母親を殴る、蹴《け》るなどしたため、見かねた父親が電気コードで首を絞め、わが子を殺してしまった。高校時代から家庭内暴力を振るっていたという。  その息子も幼いころ、霊柩車を見て親指を隠していたのではないかと思うと、ひどくむなしくなってしまった。  どこかで、なにかがかみ合わなくなっている。  現代の世相と、かたづけるわけにはいかない。 homosexuality  男の顔は履歴書であるといったら、女の顔はと聞かれ、しばらくして請求書だといったという話がある。  男と女の対比としては、面白い表現であるが、これは男からみた女性像で、請求書といわれるような女性には、コビを含めた可《か》愛《わい》らしさが感じられる。  しかし、現代の女性は男にはない感覚、才能を発揮し、すばらしい仕事をしている人達が多くなった。  世は性別にこだわらない社会になりつつある。  そうはいっても、女の顔が履歴書になってほしくない。  ところで、今日のテーマは性にこだわるどころか、性そのものの裏面をとりあげてみた。  少し古い話であるが、自傷事件が起こった。    登山ナイフで胸や腹を刺し、三十二歳の男が自殺した。  普通の自殺と少し違うのは、同居中の男友人を刺したあと、その場で自傷自殺をはかったのである。  二人とも救急車で病院に収容されたが、刺された友人は急所がはずれていたために、一命はとりとめた。  しかし、本人は腹や胸を深く何度も刺していたため、出血多量で死んでしまったのである。  調べによると二人は三年前から同性愛 homosexuality の関係にあった。  男色とかおかまとかいうもので、いわば男同士の鶏《けい》姦《かん》である。  友人は鶏姦者(男役)、本人は被鶏姦者(女役)であった。  話には聞いていたが、実際にこのような人種を目のあたりにしたことはなかった。  胸腹部の刺創は全部で六か所あったが、すべて手術縫合されていた。左前胸部の刺創が致命傷のようであった。  乳房は皮下に合成樹脂でも入っているのだろう、不自然な形で隆起していた。  陰部は男そのものであり、肛門はやや開き気味で、男のような毛深さはない。  一見女のようであり、男のシンボルをもった化けきれない狸《たぬき》といった感じがあって、おかしくもまた不気味であった。  半年前、男役に恋人が出来た。本物の女性である。そのために男同士の、二人の関係がくずれはじめた。  女役の男は、ひどく嫉《しつ》妬《と》したため男役はこわくなり、恋人と二人で大阪から東京へとかけ落ちでもするかのように姿をくらました。  自分をもて遊んだあげく、捨て去った男を許すわけにはいかないと、二人の行方を必死に探していた。その甲《か》斐《い》あって、東京での住居をつきとめ、女役はかくし持った登山ナイフで男を刺したのである。  出来ることなら、よりを戻してもらおうとしたのであったが、かなわなかったのだ。  立会官に見せてもらった女役の写真は、とても男とは思えないほど和服姿のすばらしい美人であった。  男同士の、二人の関係がくずれたにせよ大したことではない。なぜそこまで大ごとに発展しなければならなかったのか、私には理解できなかった。  それから間もない日、再び同じような検死を担当することになった。  男役が結婚することになり、女役との関係を清算しようとしたが、聞き入れられなかった。  三日がかりでやっと説得した。  最後の交りをもって就寝したが、目を覚すと女役が首つり自殺をしていたのである。  遺書には“私の人生は終った”とあった。 「先生、男同士の関係は激しいと聞きますが、本当ですね」  と刑事が話しかけた。  そういえば、女同士のレズビアンにはこのような成り行きに終ったケースを経験したことはなかった。 「一度、おかまをかうとくせになるそうですよ」  と古手の刑事がいう。  いわれてみて、ああそうかと何んとなく解ってきた。  解剖学的に肛門に人さし指一本を入れたあたりに、男には前《ぜん》立《りつ》腺《せん》がある。間違っても、まえだて腺とは読まないでほしい。その下側に精のうという小さな袋があって、睾《こう》丸《がん》でつくられた精子がそのあたりに貯留されている。  鶏姦の場合、ここが相手方のペニスによって刺激されるから、精液が洩《も》れるような快感が一気に生ずる。  これをこらえようと肛《こう》門《もん》括《かつ》約《やく》筋《きん》を収縮させると、相手方は膣《ちつ》括約筋よりもはるかに強いしまりに合うから、もう何をかいわんやである。  男役も女役も同時に、最高の快感に到達できる。  だから一度、体験するとやみつきになり、女性はいらなくなるとまでいわれている。  解剖学、生理学的に立脚したこの男同士のつながりは、精神的にも深い関係に入っている場合が多いから、くずれるときには相当な葛《かつ》藤《とう》が生じても不思議はない。  女同士の場合は、そこまでのつながりはないから、わりと淡白になっているのだろう。  しかし、まともな感覚では homosexuality は理解できない。  だから相手が男と知り、怒って殺害したケースも何件かあった。  監察医は人間の終局の姿を直視する仕事でもある。  自分とはまるで異なる世界を垣《かい》間《ま》見《み》ることも多く、社会の裏面史をのぞくようで、面白おかしく、またかなしくもある。  この同性愛 homosexuality、そしてこれにまつわる事件なども、通り一遍の観察では奇妙な人達のおかしな出来事としてしか受けとめられない。  深い理解の上に立ってはじめて、事件の何んたるかがわかり、なぜそうなったのか、他人の心の中を読みとることができるものだと思うのである。 ㈼ 炎の画策 一  社内では昨日から、怪文書をめぐり大騒ぎであった。  営業課第一係長犬山が売り上げ金を横領し、数千万円をバーのホステスに入れあげているという内容のものであった。  犬山は積極的に仕事をし、その売り上げ高もトップクラスで上司のうけはすこぶるよかった。しかし、この怪文書は意外というよりもやっぱりそうだったのかと、同じ課では受けとめられていた。  とくに島第二係長とは何につけ対比されていた。性格や好み、人生観なども異なり誠実な人柄として同僚や部下の評価も高い島に対して、犬山はかなりのライバル意識を燃やしていた。  背が高く仲々の美男子で、身のこなしもスマートでOLの間では人気があったが、彼を知るものの間では自分本位で他人を押しのけ、手柄を一人じめするような出世欲の強い男として敬遠されていた。  来春の人事異動では万事要領のよい犬山が営業課長に昇進するであろうことは、ほぼ確実視され、本人もその気になっていた矢先に、この内部告発的な怪文書が会社の複数の幹部宅に郵送されたのである。  調べてみると確かに、この半年の間に帳《ちよう》尻《じり》の合わない金が三千五百万円程あることが、わかった。犬山は決算期の三月までには入金されるもので、横領ではないととりつくろい、それよりも自分への羨《せん》望《ぼう》、中傷であると弁明につとめていた。  しかし、バーでの遊興、なじみのリサとの派手な交際で出費は一介のサラリーマンの範囲をはるかに逸脱していたのだ。  ライバル島の仕業かあるいは何かと意見の対立があり、命令に従わない部下の山田ではないかと、犬山は憶測で二人を名指して上司に申し開きをしていた。  それにしても今年中には三千五百万の穴をうめねばならなかった。  これさえのり越えれば、疑惑は晴れ中傷した相手をみかえすことが出来、昇進への道は開かれるであろうと、彼は必死であった。 二  それから半年たった五月の中旬、郊外の建売住宅街で火災が発生した。  朝の四時半頃、帰宅した夫が火事を発見。すぐに対応したが火の廻《まわ》りは早く、妻子を助けることは出来なかったと朝のニュースは報じていた。  夫は事情聴取のため警察へ出向くことになり会社に連絡をとった。  犬山係長の家が火事で、奥さんと子供さんが焼死したとの話は、すぐに社内にひろまった。  警察の火災捜査班による現場検証の結果、出火の原因は石油ストーブの不始末のようであった。  母親は布団の中でねたままであったが、五歳の女児は布団からはい出した状態で死んでいた。  現場で司法検視の後、遺体は大学の法医学教室で司法解剖に付されることになった。  女児はうつ伏せになっていたため、背面は頭から足まで黒色炭化状に焼けこげていたが、からだの前面はあまり焼けてはいなかった。前《ぜん》頸《けい》部《ぶ》に絞殺のようなひものあと(索溝)はない。側胸部や側腹部をみると、火傷のある部と火傷のない皮膚の境目が紅色を呈し、水《すい》疱《ほう》を形成して生前の火傷のように反応していた。  さらに気管を切開すると、気管粘膜には黒い炭粉が付着していた。これは火災の中で呼吸し生きていた証拠である。  また胃袋は空で、空腹の状態であった。食道と胃の入口付近の粘膜には唾《だ》液《えき》に混じって炭粉がのみ込まれ、血液は鮮紅色で化学検査により一酸化炭素ヘモグロビンが五十%検出された。  これらのことから、死因は焼死と決定された。  次いで母親の解剖に移った。  仰《あお》臥《む》位《け》で腰のあたりまで布団をかけてねていたために、布団から出ていた上半身は、黒色炭化状に焼けこげていた。その他の部位は布団にカバーされていたので火傷は少ない。  背面には暗赤褐色の死斑が中等度に出現していた。  胸部付近の火傷の部と腹部の火傷のない皮膚の境目は、紅色の火傷の反応や水疱の形成もなく、丁度するめを焼いたような感じである。  先に解剖した子供の死体所見とはまるで違う。  気管を開けると、炭粉の吸引、付着はなかった。  立会の警察官の動きは急に、あわただしくなった。  火災が発生したときには、母親は既に死亡していたことになるからである。 「死因は何んでしょうか?」  警察官は先を急いで、執刀医に尋ねた。  血液は暗赤褐色で、ガス中毒のような鮮紅色さはない。化学検査で一酸化炭素ヘモグロビンも陰性で、アルコールやその他の毒物も検出されない。  胃内容は千 竓 《ミリリツトル》で未消化状態であるため、食後間もない時間に死亡していることは確実である。     内臓に損傷や死因となるような病的変化は見当らない。  頸部は炭化状に焼けこげているので絞殺、扼《やく》殺《さつ》の事実があったにせよ、その痕跡は焼却されて不明なのである。  頸部の筋肉に出血もなく、舌骨や甲状軟骨、気管軟骨にも骨折はなかった。  死因となるような所見は見当らない。 「先生、殺しでしょうか、病死でしょうか」  無言の執刀医に対して、何んとか医学的解説を引き出したいのである。  警察官も焦りいら立っていた。  執刀医もこの所見からでは解説のしようもなく、実のところこまっていたに違いない。  とはいえ、うかつな発言はできないので、慎重に言葉を選びながら、 「肺のうっ血、肺胸膜下の溢血点、気管粘膜の充血などから考えると、窒息状態からの死亡と考えられないことはないが」 「それじゃ、絞殺と考えてよいのですか」 「いや、そこまではいえないですよ。第一、首には絞めたという証拠はないし、肝《かん》腎《じん》なところは焼けて見えないしね」 「そうですか? そうですね。しかし、絞殺とすれば凶器のひもがあるはずだが、それも焼けてしまっている」 「そう、その通り。首を絞めれば頸部に当然索溝が残る。しかし、そこはこの通り」  と執刀医はメス先で真黒に焼けている頸部を指した。 「絞殺であれば呼吸困難で顔はうっ血しているはずだが、それも見えないように焼却され、すべての証拠を殺害後に隠《いん》蔽《ぺい》するために放火したのであれば、敵もさるものだね」 「先生、あまり驚かさないでくださいよ」  と会話にも冗談が混じるようになってきた。  そこまで考えてやっているのかどうかは推測しかねるが、単なる火の不始末による火災ではなく、殺人放火の疑いが濃厚な事件として、警察は捜査を開始した。  現場は消火活動によって、かなり乱れてはいたが、がさった形跡はなくもの取りや強盗の可能性は薄らいでいく一方、生き残った夫、犬山への疑惑は高まっていった。 三  重要参考人として事情聴取が始まった。  犬山は当日六時頃、めずらしく早目に仕事を終えて退社している。  電車を乗りついで郊外の自宅に帰ったのは、七時半をすぎていた。  八時頃一家三名は夕食をとっている。その後、妻は子供をねかせるため添寝しながらテレビをみていたが、いつの間にかねてしまった。  犬山も、うとうとしていたが、目を覚すと九時を少し過ぎていた。  会社へ出ても周囲の目は冷たく、家へ帰っても殆んど生活費は入れずに愛人をつくって遊び廻っていることも、ばれているので妻とてそっけない。会話といってもすぐに口論になってしまう。  家庭は崩壊寸前殺伐の毎日であった。  自分を理解し、温かく迎えてくれるのはリサしかいない。それが犬山にとっては、唯一の慰めであり、安らぎの場であった。  いつの間にかカウンター越しにリサと向き合っていた。 「その時の時間は?」 「たぶん十時半頃だと思います」  と刑事の問いに答えている。  午前〇時四十分頃、店がはねてから犬山はリサを車の助手席にのせ、彼女のマンションまで送っていった。マンションの前の小さな公園の横に車をとめたが、話がはずんで四十〜五十分車内で話をして別れた。 「どんな話?」 「結婚の話です」 「妻子があるのにか?」 「はい、今の生活はもう終りです。別れる以外にないのです」 「奥さんも承知しているのか」 「えー、ある程度」 「帰宅したのは午前四時半に間違いないね。なぜ車を自宅の三百 《メ》米《ートル》も手前のバス停付近に駐車させたんだ。家の前にいつもとめているそうじゃないか」 「朝帰りで近所の人に迷惑がかかってはと思いまして」 「それじゃ、もう一度聞くが、車から降りて真直、自宅へ歩いて行ったんだな」 「はい」 「自宅を通りすぎ、約三十 《メ》米《ート》 《ル》程先になにがある」 「空地があります」 「資材置場になっていて、砂利が山積みになっているのを知っているね。そこで何をしていた」 「え! 何をしていたって?」 「とぼけるな!」  刑事はどなった。 「缶ビールをのんだだろう。嘘《うそ》いったって調べはついているんだ。空缶にお前の指紋がついているんだ。タバコの吸いがらからもお前の血液型が検出されているんだぞ」  犬山はそこまで調べがついていることに驚いた。  隠しきれないと思い苦しまぎれに、リサとの話を妻に伝え、別れるべきか否か、ビールをのみながら、またタバコを吸いながら思案していたことを、ボソボソと語りはじめた。  車で自宅近くに着いたのが三時半、帰宅したのが四時半だから、一時間もそこで思案していたことになる。 「寒いのによくもそんな長い時間、おかしいじゃないか」  玄関の戸を開けると、ドーン、とにぶい音をたてて家の中は火の海となり、火事になったというのは、前回の調べでもそうであったし、近所の聞き込みとも一致していた。  午前四時半頃、ドーン、という音がしたので、外へ出てみると犬山さんの家から火がふき出し、火事になっていた。  犬山は茫《ぼう》然《ぜん》と玄関前に立っていたという。  リサの調べも行われたが、犬山が店に来た時間などはほぼ同じで、二人の会話の内容にもさしたるくい違いはなかった。  犬山の供述に嘘はないようであった。  しかし、同僚のホステス達の話によれば、 「リサは小柄で可愛いらしいから、若く見えるけど、本当は三十近いオバンなのよ」 「仲々の女でさ。早く結婚してスナックでもやりたいといってたけど」 「相手は犬山さんだったのかしら?」  リサにほれ込んだ犬山はかなりの見栄張りで、それを見越してリサは相当な金をつかわせていた。  悪い結果にならなければと不安に思っていたと、教えてくれた。 四  火事から数日後、警察はきわめて重要な事実をつかんだ。  犬山がつい三か月前に家屋に一千万円の火災保険をかけ、妻に三千万円、子供に一千万円の生命保険をかけていた。  とくに生命保険は災害倍額補償付の特約になっていたのだ。この火事によって犬山には、計九千万円の大金が入ることになる。  金と女がからみ、犯罪の舞台は出来上ったが、肝腎の主役が決まらない。  限りなく黒に近い犬山であったが、逮捕にふみきるだけの確証はつかめない。  これといった捜査の進展もないまま、年は明けた。  犬山は火災保険会社と生命保険会社それぞれに、支払いの請求を出した。  しかし、保険会社は警察の捜査結果を待たないと支払いには応じられないと、保留したのである。  金の切れ目は縁の切れ目で、リサからも相手にされないどころか、冷たくあしらわれるようになった。  結局、会社の金の工面も出来ぬまま三月に入ると、追い打ちをかけるように人事異動も発表された。  営業課長は島第二係長が昇格した。  火事で妻子を失い、保険金の支払いもない上、頼りにしていたリサからも迷惑がられる始末になり、昇格は無論のこと勤めをつづけることすら危ぶまれる状態に陥っていた。  丁度そのころ、司法解剖の結論が出た。  大学教授作成の鑑定書が提出されたのである。  警察では鑑定書が何らかの意味で、事件解決の突破口になるであろうと期待していた。  子供の死因は焼死。死亡時間は午前四時四十分頃となっていた。  問題の母親はどうだろうか。  死因は窒息死と推定されると書かれている。しかし、その手段方法は遺体の焼却の度合が強いため不明であり、死亡時間は火災発生前の午後八時三十分頃とされている。  母親はなに者かにより、殺害された後、放火され、子は寝ていて焼死したものであろうとの結論であった。  胃内容をみてもわかるように、子供の胃袋は空であるから、夜の八時頃食事をしたとすれば、火災は午前四時半だから八時間半もたっているので、空腹状態は当然である。  母親は未消化食物約千 竓《ミリリツトル》 も入ってほぼ飽食状態であるから、食後三十分位の間に死亡したことになる。  したがって死んでから八時間後位に、焼却されたと考えられるのである。  それにしても、殺害の手段方法が解剖所見からある程度明確にされないと、犯人逮捕はおぼつかない。  この鑑定結果では、警察も動きようがなかった。 五  リサとの交際、会社の金のつかい込みなどが妻にばれ、夫婦の仲は冷え別れ話がもち上っていたころ、リサも妻の座を犬山に強く要求していた。  しかし、子供がいるし意地でも妻は離婚に同意をしようとはしない。  犬山もどうしたらよいのか、迷い悩んでいた。  金が都合つき、社内の信用を取り戻せれば課長に昇進でき、中傷したやからをみかえすこともできる。そのための手取り早い方法は、妻の命を金にかえることである。  保険をかけ殺害し、放火すればすべては焼却されて証拠は残らない。  その際、火災の発生が放火であれば疑われるが、自然発火のかたちをとれば完全犯罪は成立する。  そこまで犬山とリサは相談し合っての犯行ではないかと、警察では今までの捜査結果を踏まえて推理し、検討を加えていた。  九千万円という大金は二人にとって、魅力があり、犯行の動機になり得ると考えたからであった。  同じ型の石油ストーブをつかい、傍らに布団を敷き、新聞紙やマンガ雑誌などを束ねて近くに置いたり、洗濯物を部屋に吊《つ》ったりして、火事の現場に似た状況をつくっての実験が、科学捜査研究所でくりかえし行われていた。 六  犬山は三月で会社をやめた。  実家へ戻ったが、これといった職にもついていない様であった。  一方警察では、司法解剖の記録、証拠写真、その他すべての資料を再検討するため、専門家を訪ね意見を求めていた。  しかし、火災現場は焼却の度合がひどく散乱していて原形をとどめない。遺体も同じようで解剖はしたものの明確な所見はつかめていない。  やはり、これといった新しい見解を引き出すことはできなかった。  そんなある日、大野木監察医は捜査の指揮にあたっている警察幹部の訪問をうけた。  事件から一年半もたっていた。  監察医はあらゆる死亡事例を数多く検死し、また解剖もしているので経験は豊富である。そのことを警察は知っている。 「ご無《ぶ》沙《さ》汰《た》しております。その節は、大変お世話になりました」  部下と二人連れであった。 「いや、どうも」  と大野木は答えたけれど、その節はとは、何を指しているのか思い出せなかった。  何度か会った顔である。  警察大学での講義や研修あるいは事件に関する医学的質問などで、警察幹部との交流は多いのですぐには思い出せない。 「あの事件は、食後一時間以内という先生のご指摘の通り、解決いたしました。ありがとうございました」  といわれて、気が付いた。  胃内容の写真と解剖記録を持参して、消化の程度から食後どの位の時間に死亡したのか解らないだろうか、と質問に来た警視であった。犯行時間の推定に必要であったからだった。 「そうですか、それはどうも。で今日は、むずかしいこといわれても、私は答えられないよ」  と先ず釘《くぎ》を刺した。 「先生、またまたご冗談を」  といいながら、警視は部下が持ってきた大きなカバンを開け、束ねられた書類を数冊出しながら、 「実は、この事件は……」  と犬山に関する今までの経過を長々と語りはじめたのである。  緻《ち》密《みつ》な捜査の上に考え出された、犯行の筋書きに大野木は興味を覚えた。  そしてこれを裏付ける証拠を持参した資料の中から、見つけられないだろうかといいながら、火災現場の写真や解剖時撮影した死体所見などを示して、こまごまと説明を加えた。 「もうないの?」 「いやまだ沢山ありますが、とりあえず説明に必要な写真だけを並べました」 「解剖の際とった写真は全部見たいですね。死体所見からものを考えるのが私の専門ですから」  脳、心、肝、腎《じん》……あらゆる臓器が撮影されていたが、どれにも損傷や病的異常は見られなかった。 「頭《ず》蓋《がい》底《てい》の写真、ありますか」 「ええ、あると思います。あ、ありました」  さし出された写真を無言で受取り、くい入るように見ていたが、 「これ一枚ですか」 「はい、頭蓋底の写真はこれしかないです」  頭蓋骨を開け脳を取り出すと、ドクターはすぐ脳の観察に移る。  脳の変化は死因になることが多い重要臓器だから当然であるが、取り出したあとの頭蓋底は一《いち》瞥《べつ》する程度で終ってしまう。  頭部外傷で頭蓋底骨折があるような場合などは写真にとり、骨折の状態を丹念に記録するが、そうでないケースは頭蓋底の骨の変化など死因と何んのかかわりもないので、充分に観察するドクターはいない。  大野木は頭蓋底の変化に興味をもっていたから、解剖したケースは必ずこと細かく記録していた。  頭蓋底のほぼ中央から左右の耳にかけ、山の峰のように盛り上った錐《すい》体《たい》という骨がある。  耳の穴の奥にある中耳、内耳を取り囲む骨が錐体である。  溺《でき》死《し》の六割ぐらいに、この錐体という骨の中に出血がある。  泳げる人が溺《おぼ》れるのは、遊泳中呼吸のタイミングをあやまり、鼻から水を吸い上げ中耳に水圧が加わって錐体内にうっ血や出血を生ずるためである。  錐体は内耳をとり囲む骨で、そこにうっ血や出血が生ずると、内耳の血液循環が乱れ、三半規管の機能が低下し、平衡感覚がとれなくなって、めまいを起こす。そのため、いかに泳ぎが上手でも、背の立つ浅瀬でも溺れてしまうという学説である。  決して心臓麻痺などといういい加減なものではない。 「錐体内にうっ血があるよ。ほれ、この淡青藍色の変化」  と指さす。 「えっ! 錐体内うっ血ですか。先生、先生の学説は教わったので知っていますが、このケースは溺死ではないですよ」  彼は警察大学で、大野木の講義を聴いて、そのことを覚えていたのである。  溺死でなくても首を絞めると、そこを通る血管が圧迫され、錐体内にうっ血を生ずるのである。とくに心臓から出ていく外頸《けい》動《どう》脈《みやく》は血管壁が厚く、しかも筋肉の深いところを通っているので圧迫をうけにくい。ところが頸静脈は血管壁が薄く、皮下の浅いところを通っているから、強い圧迫をうけ心臓に戻る血流がよどむから、顔は暗赤褐色にうっ血する。  外頸動脈は顔や頭蓋骨に分布しているから、顔面がうっ血している場合には、頭蓋骨にもうっ血がきているはずである。  つまり錐体内にうっ血があるということは、首を絞められた証拠である。  理論的説明に警視は大きく二度、三度とうなずき、絞頸による窒息死の証拠が頭蓋骨の中にある意外性に驚いたのである。  だから絞殺後、証拠を隠滅しようと放火し、首の索溝、顔面のうっ血を跡形もなく焼却し、犯人は完全犯罪をねらったとしても、頭蓋底の専門家にかかっては正に頭かくして尻《しり》かくさず、いやこの場合はお尻かくして、頭かくさずだよと大笑いした。 「それにしても先生。舌骨や甲状軟骨、気管軟骨などに骨折があって然《しか》るべきではないでしょうか」  警察幹部の質問は鋭い。 「いや、そうとは限らないよ。幅の広いタオルや襟巻きなどで絞めると骨折のない場合もありますよ」  彼は早く上層部に、このことを報告しなければと思ったのだろう、帰り仕度にとりかかった。  お茶はすっかりさめていた。 「感心ばかりしていないで、熱いコーヒーでものみましょうよ」  と大野木はポットの湯をカップに注いだ。 七  それからの警察の対応は早かった。  大野木監察医に再鑑定の依頼が出され、出来上るのを待って、犬山を逮捕、殺人放火の容疑で起訴したのである。  調べがすすむにつれ、意外なことが判明した。  怪文書の投書は、ライバル島第二係長か部下の山田ではないかと思われていたが、何んと犬山の妻であったのだ。  意外というほかはなかった。  犬山は初めから仕掛人は、あの二人しかいないと思い込んでいたから、仲間の部下をつかいそれとなくさぐりを入れていた。  島と山田は性格的にも似たところがあり、ウマが合うのか、昼休みなどよく談笑することがあった。  とくに山田は、犬山との関係が悪くなる前、彼に連れられ同僚らとバーに行きご馳《ち》走《そう》になったことがある。そのときのホステスの一人がリサであることを後日仲間から聞かされ、二人の関係がかなり親密であることまで知っていた。  怪文書が流れてから三か月ほどたった夏の暑い日、犬山は子供を乗せてスーパーへ買物にいった。  電車が走っていた。  車の窓ごしにパパ新幹線だと子供は、はしゃぎ出した。今まで電車としか表現したことはない。 「新幹線? 新幹線知っているの?」 「知ってるよ、ママと見たよ」  といったのである。  犬山は考えた。  郊外に生活するこの子が、新幹線を見るはずはない。見たとすれば絵本かテレビであろう。しかし待てよ、怪文書はそういえば東京中央郵便局の消印が押されていた。  もしかすると妻が東京駅まで娘を連れて出しに行ったのかも知れない。  思ってもみない妻への疑惑である。すぐに妻にそのことを確かめたい気持ちであったが、リサのことでけんかが絶えない現状では、妻とて素直に答えるはずはない。  リサと相談してからにしようと思い直した。  二人がまとめた考えはこうであった。というよりも、リサの意見が強かったのだが、とりあえず奥さんに今までのことをわびることである。そしてリサと別れ話をしてきたから、許して欲しい。これしかないというのである。  数日後、筋書き通りにことを運んだ。  はじめは警戒していたが、次第に妻は話にのってきた。  女と別れ真《ま》面《じ》目《め》にやるという。疑うならリサに直接確かめてみるがいいと犬山はつけ加えた。そして、女にだまされていた。頼りになるのはお前だけだ。許して欲しいとわびたのである。  この告白に心が動かぬはずはなかった。  演技はまだ続いた。  それにしても、投書されたので会社をクビになるかも知れない。俺の人生をめちゃくちゃにしたあの二人だ。ただではおかぬぞ、と話の流れを投書にもっていった。  安心させてから徐々に核心にせまったのである。  投書が夫の生活基盤まで奪ってしまうなどとは考えてもみなかった。夫をリサから取り戻せればと、ただそれだけを考えてやったことである。影響の大きさに妻は驚いた。  話をしている中に、妻はだまり込んでしまった。  夫が謝罪した以上、自分も本当のことを話して、許してもらおうと思いはじめたからである。  犬山の勘は見事に的中した。  妻が事実を語り出したとき、犬山は怒りを通り越し殺意のようなおぞましい感情がこみ上げてきたが、抑えに抑えて自分が悪かったのだからと、妻をいたわる仕草をした。  その夜、妻は心のわだかまりがとけ、長い苦悩からのがれ、久し振りに夫と愛を確かめ合うことができたのである。  犬山の犯行は単なる金と女だけではなかった。  夫である自分を投書という形で、会社に公表した妻の裏切り行為。信頼するものにあざむかれたくやしさが、殺意の根底にあったのである。  夫を愛人から取り戻そうとしてやった、そもそもの原因は犬山自身にあるのだが、そんなことは少しも考えないし、そうも思わない身勝手な男である。  警察では殺人に最も必要な殺意を見つけ出すことができ、逮捕から起訴へと踏み切ったのである。  夫婦の仲は、以前にも増して冷えていった。  以来、犬山とリサの密会は頻繁になった。  犬山の妻への憎しみとリサの打算とが、かみ合ったねじれた愛は、共通した目的に向かって動き出した。 八  九月に入ると計画通り、妻子に生命保険をかけ、家屋にも保険をかけた。  あとは実行するだけである。とはいえ妻子を殺して放火するという大胆不敵な計画に犬山はためらいを感じ、おじけづいていた。  弱音をはく犬山にリサは再三金が入れば、二人でスナックを経営し豊かな生活ができる。私のためにもがんばってと激励していた。  しかし実行できぬまま十二月に入った。  リサは犬山を男らしくない。優柔不断だ。こんな男性とは思わなかった。出来ないなら今までの話は全部ないことにして別れましょう。 「やっぱり、奥さんが好きなんだ」  といってリサは涙を流した。  はじめて見るリサの涙に、犬山は愛を感じた。そして決心へと心はかたまったのである。 九  犯行の当日、いつもより早めに帰宅した。  八時頃夕食をすませ、妻は子供をねかせるため添寝しながらテレビをみていたが、いつの間にかねてしまった。犬山は新聞をひろげ読むとはなしに、妻の寝息をうかがっていた。  いびきが聞えはじめた。  犬山は妻の首に巻いてあったマフラーの両端を持って、一気に首を絞めたのである。  ウーッ、とかすかな声をあげ、全身をつっぱるように痙《けい》攣《れん》して間もなく、こときれたようであった。子供はねむったままであった。  布団のわきには石油ストーブが赤々と燃えていた。  座布団を三枚重ね、その上に妻と子供の衣類などをまるめてストーブのすぐ前に置いた。一〜二時間もすれば衣類に火がつくであろうと、計画通り工作してから、車を運転して外出した。九時を少しすぎていた。  十時半頃、バーへ行き水割りをたてつづけに二杯のみ、大きく息をついた。  リサはカウンター越しに微笑をおくった。  暗黙の了解であった。  犬山はひどく疲れていたが、午前〇時半の閉店を待った。ママやほかのホステスに愛想よく挨《あい》拶《さつ》をして店を出た。  アリバイをつくって置きたかったからである。  リサを自分の車に乗せ、マンションまで送った後、郊外の自宅へ向かった。  この時間であれば、工作して六時間はたっている。火事で自宅付近は大騒ぎになっているだろうとの計算であった。  家の近くのバス停まで行ったが、何んのかわりもない。静かな住宅街はねむったままである。  道路わきに車を止めて、歩いて自宅の様子を見に行った。  何事もない。  急に胸に高なりを覚えた。計画通りにはいかない誤算とあせりのためだろう。  車に引き返した。  しかし、どうしたらよいのか予期せぬ事態に直面したので、次の手段が浮かばない。タバコに火をつけ、気を落着かせることにした。  缶ビールの栓を開け、のみながら再び暗《くら》闇《やみ》の中、家の方へ歩いていった。  玄関前に立ち止って様子をうかがったが、何んの変りもない。通りすぎて空地の砂利の山かげに腰をおろし、ビールをのみながら家の様子を見守っていた。  タバコを吸っては消し、出火を待った。  四時二十分を時計はさしていた。ビールもなくなり、寒さがこたえた。これ以上は待てない。  夜が明ければ、計画は失敗する。そう考えて犬山は腰をあげた。  家の中は熱気にあふれていた。  暗くて中の様子はわからないが、ストーブのあかりで赤く腫《ふく》れ上ったような妻の顔が、怒りに満ちてにらんでいるように見えた。  一瞬すくんだが、すぐ気を取り直した。  石油ストーブの前に積み重ねた衣類は、茶褐色にこげているが、出火には至っていない。  咄《とつ》嗟《さ》に犬山は五〜六枚の新聞紙をまるめて、ストーブと衣類の間に置いた。見る間に新聞紙に火がつき燃え上った。  急いで玄関から外へ出ようとしたとき、ドーンという鈍い音をたてて家の中は、火の海となった。  すべてやり終えた。  もうあとへは引けない。  目の前の炎は、すべての過去を焼きはらうかのように激しく燃え上っていた。 一〇  殺してから死体を含めて、現場を焼却すれば証拠は残らない。  火災も自然発火の形をとれば、完全犯罪は成立する。そう考えて妻と子の命を金にかえ、リサとの将来に夢を託したのである。  そのために熟慮して状況を工作した。  見事な計画であった。  しかし、法医学的には素人だから死体はそのままで、手は加えられない。  そこが誤算なのだ。  いかに焼却しても、絞殺による窒息の所見は死体のどこかに残存する。  法医学は死者の側に立つ医学である。  丹念に死体を観察することによって、やがて死因は解明され、凶器もその作用方法も、そして死亡時間などもわかってくる。  ものいわぬ死体が、真実を語り出すからだ。  犯罪には金や女がつきものである。だからといって、金や女が犯罪をつくり出すのではない。己の中に根源がある。 “心正しからざれば、道また正しからず”  大野木の好きな言葉である。     この作品は、本編の中の他のノンフィクションとは異なり、事実を基にして、それを小説化したものです。 ㈽ 約 束  赤道に近い中米のホンジュラスという国から、裁判医をやっているというドクターが、日本の監察医制度を視察にやってきた。  監察医務院という独立した庁舎をもち、この制度を完全に実施しているのは、わが国では東京都だけである。  だから諸外国からの見学者は多い。  一週間という短い期間であったが、通訳付きで私と一緒に現場に行き検死をし、また解剖も見学していった。  衛生行政の中で効率よく住民サービスしているこの制度に随分と興味を覚え、勉強になったようである。  ホンジュラスには、このような制度はなく、法医学者も彼一人であるらしく、これからという感じであった。  私もそのような国があることすら知らなかった。  話をしている中にスペイン語圏であり習慣、風習などがかなり違っているのに驚いた。  たとえば賭《と》博《ばく》と売春は人間の本能ともいえるものであるから、罪の対象にしていないという。  だから服役中の人でも、妻との面会の際には、個室が用意されるし、金さえ払えば刑務所の個室に売春婦を呼び、遊ぶこともできるという話にびっくりした。  日本では考えられないことなので、どうしてと尋ねると、罪は罰するが、人間性そのものは処罰しないというのだ。  日本でも罪をにくんで、人をにくまずなどという言葉は聞くが、服役中の人がそこまで許されてはいない。  随分とおおらかな国もあるものだなと、驚くやら感心するやらであった。  アメリカでも屋根に上った泥棒が、天窓を踏み破って床に落ち、重傷を負い、四《し》肢《し》麻《ま》痺《ひ》となってしまったが、その家族が補償を求めて裁判を起こした。  泥棒が補償を要求するとは、もってのほかだと訴訟はもつれて長期化し、結局両者は和解したという。  たしかにこの訴訟には問題があるだろう。  しかし、アメリカ人の考え方は、生涯四肢麻痺で生活していかなければならなくなった人を救済することに、焦点を合わせている。  そこが、日本と違っている。  国が違えば、風習も考え方も違うのは当然であろうが、善し悪しは別として、本質を論じているのが素晴しい。  明治の末期、中学生であった伯父がカンニングをしたときの話である。  クラスメートに英語によわい男がいた。  試験の前日、伯父によろしくたのむと相談にやってきた。結局答案をみせてやることになった。もしも、ばれた場合には知らぬ存ぜぬで押し通してくれと、虫のよい約束が二人の間にでき上った。  試験は無事終った。  これで進級することができると友人は喜んだ。しかし数日後、伯父とクラスメートは英語の先生に呼び出された。 「知りません、そんなことをした覚えはありません」  と二人は必死に否定した。 「お前達の実力は知っている。しかし、お前らの答案の一字一句がなぜ、同じになっているのか。カンニングとしか思えない」  と先生は、答案を見せてくれた。  なるほど先生の疑いが当然であるかのように、答案の文句は同じであった。  一瞬ばれたと思ったが、二人の間には約束がある。男同士の堅い約束のために、あくまでも嘘《うそ》をつき通さなければならないのだ。  二人は頑強に否定しつづけた。  いつしか外には夕やみがせまっていた。  先生は教頭に応援を求めた。  伯父は英語の先生に、友人は教頭に連れられて、別々の部屋で一対一で調べられた。  そのときほど嘘をつくことのつらさを身にしみて感じたことはないと、伯父は語っている。  それから、一時間位たったころ、 「先生、解決しました」  教頭が得意げに、部屋に入ってきた。 「はきましたよ、カンニングですよ、やっぱり」  伯父は、しまったと思うと同時に、心の中にはりつめていた大切なものが粉々にこわれていくような、そして情けないようなくやしさで一杯であった。 「おい、いつまでもしらをきってもだめだぞ! 相棒は白状したのだから」  と先生にせめられて、伯父も観念した。  結局、カンニングの全《ぜん》貌《ぼう》が明らさまになった。  伯父とクラスメートは教頭と英語の先生に連れられ、校長室に入った。  教頭から、詳しい事情の説明がなされた。  校長はだまって聞いていた。  そのとき伯父は、突然隣りに立っているクラスメートの頬《ほお》を思いきりぶんなぐり、 「馬鹿野郎。貴様は俺《おれ》とばれてもあくまで嘘をつき通してくれと約束したではないか。約束したから俺は必死で最後まで嘘をつき通してきたのに、自分から約束を破棄して白状するとは何ごとか!」  校長も教頭も英語の先生も、このハプニングにびっくりした。  クラスメートは泣き出した。  校長は、 「よくわかった。お前達の行為は悪い。しかし悪いとはいいながら、約束を最後まで守り通そうとした、お前の行動は立派である」  と伯父は逆にほめられた。  嬉《うれ》しかった。苦しく、悲しい立場にある自分を、こんなにも理解してくれている校長。  教育者として実に立派な人だと述懐している。  数日後、クラスメートは落第、伯父は三日間の停学をいいわたされた。  本来ならば同罪であるべきところ、この処分にあずかったのは、校長の英断であったろう。  その後伯父は、外交官、英語教師などをやって、すでにこの世にはいない。  悪いことには違いないのだが、本質を見すえて処理しているから、しかられる側にも反省があり、納得がいくのだろう。  古きよき時代の話であるが、国が違っても時代が違っても、本質は通じ合うものである。 危険防止  監察医は死体を検案(検死)して、そこに見られる所見から、なぜこの人が死亡したのか、死因をはじめどのくらい前に、どのようにして死に至ったのかなど、知りうるすべての事柄を発掘するのが仕事である。  しかし、死体はわれわれが布団に横たわって寝ているような感じで、死亡している場合が多いので、死因特有の所見をもっているケースは少ない。  また、一言も言葉を発しないから、こわれたテレビを外側からみて、どこがこわれているのかをいいあてるようなもので、検死というものはむずかしい。  あいまいのまま死因を決定することは許されない。なぜならば、殺しを病死と判断するようなことがあっては、社会の秩序は守れないし、死者の生前の人権も擁護できないからである。  したがって、検死で死因がわからなければ解剖することができるのである。  これが監察医制度であり、この解剖は行政官である監察医の判断で、容易に行うことができるので、行政解剖と呼ばれている。  殺人などの犯罪死体は、検事の指揮下で司法検視、司法解剖として行われ、行政解剖とは法的基盤を異にしている。  行政検死、行政解剖の対象は、原則的には犯罪死体ではないが、社会的にも医学的にもかなりの不安をもった死に方であることには違いない。その謎《なぞ》をとき、不安を取り除くためにも、行政上必要な制度であり、さらに一歩進めて病気の原因を究明したり、また元気な人達の突然死の解明なども行い、医学的データを予防医学に応用して、住民サービスにつとめるので、衛生行政上も重要な役割を果している。    風邪で会社を休んでいた課長が夜中、カプセル入りの売薬を取り出し服用した。間もなく気分が悪いといい、苦しみ出した。家族はすぐ救急車を要請し、病院に向かったが、到着前に救急車の中で死亡してしまった。  変死扱いになった。  普段心臓もあまり丈夫ではなかったというが、日常生活に支障をきたすようなことはなかったし、風邪にせよ急死するような病状ではない。  検死しても、外見から死因となるような所見はつかめない。死因不詳として、監察医務院で行政解剖をしたところ、心臓の栄養血管である冠状動脈に軽度の硬化があったが、年齢相応のもので、死因となるようなものではなかった。  胃粘膜は赤褐色にびらんし、異臭が感じられ化学検査をしたところ、青酸が検出された。  死因は、青酸中毒である。 「風邪薬から、青酸反応」 「他殺か」  と大きく報道された。  きびしい捜査の結果、数日後実態が明らかになった。  その家の祖父が病弱のため、自殺しようと思い、カプセル入りの風邪薬の中味をぬきとり、カプセルの中に青酸を入れ、用意して置いたものであることがわかった。  このように工作したあと、再び薬箱の中に入れたまま、忘れていたというのである。  それにしても、危険きわまりない話である。    ある事件の容疑で逮捕された男が、警察に連行された。取り調べ中急に苦しみ出した。  病院に収容したが間に合わなかった。  状況から心臓発作と考えられたが、解剖の結果なんと青酸服用による自殺とわかった。  青酸塩は即効性の毒物であるが、カプセル入りであったため、胃でとけるのに時間がかかったこと、あるいは服用量が少量であったことなどから、服用してから死亡するまでの時間が長びいて、一見心臓発作のように思われた。  このようなことがニュースに流れたりすると、類似の事件が起こることがある。    帰宅するなり、口から泡をふき苦しみ出した。病院へ収容されたが急死した。  医師は心不全の病死と判断したが、苦《く》悶《もん》の中で妻に、ある男にだまされて薬をのまされたといった。そのため遺体は毒殺の疑いで、司法解剖されることになった。  犯人と目された男は、否認のまま起訴され結局、死刑判決をいい渡された。  今、無実を叫び、再審を求めているという。  この事件の真偽について述べるつもりはないが、問題なのはこのようなカプセル入り薬剤の中身を素人が簡単にすりかえられることである。  安心させて服用させることのできる巧妙な殺しのテクニックには、何らかの防御策が必要である。  一般的には、カプセルそのものは胃に入ると十分以内に殆《ほと》んどが溶けなければならない、規定になっているという。しかし、これはあくまでも試験管内での実験であり、人間の生体内に入った場合とは異なるので、多少のずれは考慮しなければならない。  当時カプセルはキャップをかぶせるような構造になっていたが、その後封入式になり薬の中身は入れかえられないようになってきた。    話は変るが、同じような事件がある。  子供達が、悪ふざけをして遊んでいた。  その中に一人が階段をかけ降りた。追いかけていた子が持っていた傘をやり投げのように投げつけた。  運悪くその子の頭に当った。  金属製の傘の先端が細長くなっていたため、加速度のついた傘は頭に突き刺さったのである。  頭《ず》蓋《がい》骨《こつ》骨折、脳障害、細菌感染から脳《のう》脊《せき》髄《ずい》膜《まく》炎《えん》を起こし死亡してしまった。  大人のけんかでも、同じ事件があった。  口論からけんかになり、傘で相手の顔を突いた。眼に当ったからたまらない。眼《がん》窩《か》の頭蓋骨の厚さはハガキぐらいの薄い骨なので、傘の細長い先端は、骨を突き破り脳に達した。そのため細菌感染を生じ、脳脊髄膜炎となって死亡した。  殺すつもりはなかったのであるが、最悪の結果になった。  このような事件があって傘の先端は、改良されとくに子供用のものは、先端が太く丸味のある危険性の少ないものになってきている。  薬にしろ、傘にしろ一つの事件を契機に、再び同じことが起こらないよう防止対策がとられることは望ましい。  事件が起こってからでは遅いのである。  一歩踏み込んで、製造の段階で業者がつかう側の気持ちになって、工夫改良することが最も大切なことだと思うのである。 死者の声  私は監察医を三十年経験した。  監察医といっても、どのような仕事をしている医者なのか、正確に知る人は少ない。  簡単にいうと、東京都の衛生局に所属し、二十三区内に発生したいわゆる変死者を検死(死体検案)したり、解剖して死因を究明しているのである。  身分は東京都の地方公務員で、ここでの解剖を行政解剖という。殺人などの犯罪死体は司法検視、司法解剖といいこれとは目的も法的基盤も違うのである。  全死亡の八十五%はいわゆる自然死といわれる病死で、主治医が死亡診断書を発行する。残る十五%は不自然死で変死扱いになる。元気な人の突然死とか自殺、災害事故死などは、直接犯罪に関係がなくても不審、不安を感じさせる死に方であるから、変死扱いとして行政検死、行政解剖の対象になっている。  もちろん、不審、不安を一掃するため変死は、先ず警察に届けられ、充分に捜査される。そのあと、監察医に検死の依頼がくる。  だから警察官立会のもとに検死は行われるが、監察医は警察サイドに立って検死しているわけでもなく、また遺族側に立って仕事をしているわけでもない。  あくまでも厳正に遺体を検死し、解剖してなぜ自らを語ることなく死亡したのか、死者の声を聞き、事実を解明して死者の生前の人権を擁護しているのである。  交通事故などで加害者、被害者の利害対立の中に入って、死体所見から真実を引き出し、公正な判断をするなど、いわば医学的裁判官のような役割もしているのである。    わが国の経済的高度成長期に、交通事故死が多発したころの話である。  大学生四人が一台の自動車を交代で運転し、ドライブに出かけた。  親友同士、東京を離れ神奈川県を通りぬけ、静岡県へと快適にドライブは続いた。  帰り路、急カーブを曲りそこねてガードレールを突き破り、車はもんどりうって急斜面の森林の中に転落した。  スピードを出し過ぎたための事故であった。  二人は即死状態。一人は病院に収容されたが間もなく死亡。残る一人も意識不明のまま三日後に、頭部外傷で死亡するという事故になった。  絶景のドライブウェイの出来事である。  ところが葬儀が終って間もなく、これらの家族は事故当時運転していた者の不注意によって、うちの息子も道づれになったといい出し、運転していた友人に損害賠償請求をする動きが出てきた。  死亡した四人は親友という間柄であったが、親同士は殆《ほと》んど面識はないから感情むき出しの状態になって、責任を追及し出した。  山中の出来事で、救急車や警察官が来る前に通り合わせたドライバー達によって、四人は車外に運び出されていたために、誰れがどこに乗っていたのか、はっきりしない。  当時運転していたと見なされ即死した一人を相手どって、他の三人の家族は賠償を求めたのである。請求された家族も、うちの息子が本当に運転していたかどうか、証拠があるのかと逆襲したため、混乱状態になった。  警察の調べでも運転者を正確には特定しかねていた。  現在では交通外傷にくわしい専門家もいて、医学的にもまた法医学的にも、交通外傷は分析解明されているから、あまり問題になることはないが、当時は研究がまだ緒についたばかりで、専門家も少なかった。  それに引きかえ東京都の監察医は連日、数多くの交通事故死を扱い経験は豊富であった。  県警の担当官が相談にやって来たのは無理からぬことである。  早速、警察の調査資料、現場写真、四遺体の写真、カルテの写しなどを提示し、事件の経過について説明がなされた。  事故の概要を頭に入れてから、資料に目を通すことにした。  全裸にした死体の写真を丹念に見ていくと、胸の中央と下《か》顎《がく》部に打撲傷のある者がいた。あとの三名は主として顔や頭の外傷、手足の打撲傷などであった。  死因はいずれも頭《ず》蓋《がい》骨《こつ》骨折、脳外傷となっていた。  即死した二人は外部所見などから、助手席とその後の座席に乗っていたものと推定され、運転者にはハンドル外傷として、衝突の際胸や下顎部を打撲するケースが多い。  また車が転落するとき、足をふんばりハンドルを握っているので、からだは固定されるから、その他の部位に損傷をうけることは少ないため、生存率も高い。  同乗者は車内でふり廻《まわ》されて頭や手足に打撲傷を負う。  当然このような自動車事故の場合は、危険の度合からいうと、助手席が最も危険であり次いで後部座席の順となり、一番安全なのは運転者ということになる。  運転者と見なされ、即死した男にはハンドル損傷はなかった。どう見ても助手席に同乗していた者の外傷である。  逆に生存期間の長かった者の家族が、最も激しく損害賠償を主張していたが、彼の下顎部と胸に打撲傷があり、カルテにも治療の記載があった。  まさしくハンドル損傷であり、運転者であることが、死体所見から立証されたのである。  その後、この事件はどう結着したのか聞いていない。  最近では単車の事故に、同じようなケースが増えている。  若者が二人乗りして猛スピードでカーブを曲りそこねたりして事故を起こす。  単車からかなり離れた位置にはねとばされて、二人とも死亡したような場合、どちらが運転者で同乗者なのかわかりにくいがその区別は、重要である。  しかし、一瞬の出来事であるから目撃者の証言も明確ではない。  とくに、夜中の事故で二人とも同じようなライダースタイルであったりすると、お手上げである。  しかし、死体観察を丹念に行えば、単車の運転者外傷としての特徴的な所見を見つけ出すことができる。  衝突して単車からふり落されるとき、運転者の内《うち》股《また》は燃料タンクなどに強く擦過されて、小さな皮下出血などを形成することがある。  後部の同乗者にはない外傷である。  目撃者の証言を根拠に、同乗者の家族が運転者側に損害賠償請求をしたが、死体所見から請求者側に内股の皮下出血がみられ、運転者であることがはっきりして、立場は逆転したケースを扱ったことがある。  目撃者の証言も大切であろうが、事実の体験者である死者の声を聞くのが、最も重要なことである。  法医学は、死者の声を聞く学問でもある。 行政解剖  誰れでもそうであろうが、自分のやっていること以外のことについて、詳しく知っている人は少ない。  当然であろうが、医者の世界のことを世間の人はあまりご存知ないようである。  たとえば、内科医は医学部に入るとはじめから内科だけを専門に勉強し、外科医は外科の勉強だけをして卒業するかのように思われているようである。  決してそうではなく、大学の低学年は教養学科を学び、中学年になって基礎医学を勉強する。この基礎医学というのは解剖学、生理学、生化学、病理学、薬理学、細菌学等々直接患者に接する前に医師として知っておかなくてはならない医学知識である。  これらと平行して公衆衛生学(予防医学)と法医学(裁判医学)を勉強する。この二科目は社会医学系と呼ばれている。  これらを学んだ後、高学年になってはじめて臨床医学の講義をうける。内科、外科、産婦人科、整形外科、眼科、皮膚科、耳《じ》鼻《び》咽《いん》喉《こう》科、精神科等々の患者に対応する医学である。  したがって、医学部を卒業するまでは、全員が同じ過程を踏み、国家試験に合格してはじめて、それぞれが自分のめざす科目を選び、専門家としての勉強をすることになる。  ところが卒業生の殆んどは、臨床医になってしまい、基礎医学系をめざすものは一割程度であり、社会医学系を希望するものは、いないというぐらい少ない。  医師である以上は、やはり患者の治療にあたるのが本筋であり、また収入の点からいっても格段の差があるから致し方がない。  私は法医学を専攻したが、一大学で十年間に一人いればよいぐらい希望者の少ない部門である。  だから医師千人の中で法医学専攻者は、一人位という計算になる。  医師の資格があるからたとえば、途中で法医学がいやになったからと、内科に変更しても一向にかまわないのである。  私は大学の法医学教室で四年間学んだ後、実際に変死者を検死したり、解剖する東京都の監察医になった。  毎日死者と対面し、検死や解剖をしているので、臨床医のように診察、治療をしていないから、それらの知識は日ごと忘れる一方となり、自分自身が医者だという意識もうすれている。  だから夜中に、子供が高熱を出したときなど、妻に早く医者を呼べなどとどなったりする。 「なにいっているのよ。自分は医者でしょ」  とたしなめられて、あっ! いけねぇ。医者だったと、気をとり直して子供の病状を医師の立場で診療するという、腑《ふ》甲《が》斐《い》無《な》さである。  監察医在任中は、都立の看護専門学校で解剖学の講義を担当し、かれこれ二十年にもなり、現在も継続しているが、はじめのころ学生からよく、先生は医師ですかと聞かれた。  なぜそのような質問をされるのか、わからなかった。ところが、最近妹に聞いた話であるが、 「貴女のお兄さんは解剖をする人だそうですね」 「そうですよ。休みで実家に帰ったりすると開業医の父の仕事を手伝ったりしています」  というと、 「えっ、お医者様ですか?」  と不思議そうに尋ねたという。  どうも患者を診療するのが医者で、解剖をするのは医者ではなく、別の職業の人という理解であるらしい。  思いもよらぬ話に、私は驚いたのだが、自分自身も医者であることを忘れているような状態だから、看護学生の質問と合せて考えると、一般にはそう思われているのも止むを得ないことだと思った。    ある日、検死に出向いたが、死因はわからなかった。  警察の事情聴取に妻は、夜中気がついたときには夫は、からだを強直してウーッとうなり、呼びかけにも答えず、意識不明であったと説明していた。  普段の健康状態に異常はなく、大した病歴もない。自殺するようなことも全く考えられない。  どうも急病死のようであるが、死因まではわからない。  検死に時間がかかるので、とりあえず監察医補佐に解剖の必要があることを遺族の方々に説明しておいてもらった。 「ご遺体をおあずかりして検査をすることになります」  と補佐はきりだした。 「検査ってどういうことですか」  と奥さんは、聞きかえした。 「検死しただけでは、死因がわからないので、死亡診断書(死体検案書)が書けません。監察医がくわしく検査して、病名をはっきりさせるという意味です」  というと、 「解剖するのですか」 「そういうことです」 「それは困ります」 「研究材料にするつもりなのか」 「バラバラになってしまうではないか」 「可哀《かわい》そうだから、そんなことはさせません」  と居合せた親《しん》戚《せき》の人達までが、話に加わって解剖に反対しはじめた。  補佐も懸命に説得につとめていた。 「死んだ人が生きかえるならば、解剖でも何んでもしていただくが、生きかえるわけではあるまい」 「死んだ人をまた殺すのか」  などと、ありとあらゆる言葉を駆使して反対を唱え出した。  行政解剖は、監察医の判断で家族の承諾なしに実施できるが、行政官として家族によく説明し納得していただいた上で行っているのが現状である。  しかし、解剖という言葉に拒否反応を示す人達もいる。解剖というものをどのように理解しているのかは、個々人によって違っているようであるが、要約すれば先の言葉のようなイメージなのであろう。  私も監察医として、ご遺族の方々に解剖の主旨を説明した。  元気な人が寝ていて急に死亡するはずはない。それが事実死亡しているのだから、社会的にみても一抹の不審、不安があるし、医学的にもそれなりの原因があるはずである。それが皆目わからないから解剖しなければならない。そうすることが、ご当人の人権を擁護することになると、説明するがなかなか納得してもらえない。  いやがるご遺族の気持ちはわかるが、それを何んとか説き伏せ解剖しようとするのは、研究のためでもなんでもない。その人のためなのである。不安を取り除き、安心を得る。それは社会秩序の維持につながるのである。  それでも、解剖を拒否するようなときには、 「解剖すると、何か不利益な事態が生ずるのでしょうか」  と切りかえす。  ただ可哀そうだからというだけの感情的な理由だけで、法律に定められた行政解剖を拒否することはできない。拒否があまり強すぎると、警察としても逆に死体に解剖されては困るような秘密が隠されているのかと疑惑を抱くことになる。  このような会話のやりとりのあと、解剖して殺しを発見したこともあった。  しかし、殆《ほと》んどの場合解剖によって遺体がバラバラになってしまうと考えて、拒否しているようである。  決してそのようなことはない。  行政解剖のやり方を簡単に説明すると、解剖台にのせられた遺体の右手側に、執刀医である監察医がメスをもって立つ。  左手側には執刀医と向い合うように、臨床検査技師が解剖助手をつとめる。スタッフは死者に一礼をした後、執刀医は胸腹部の中央を縦に切開して解剖は、はじまる。  解剖台の周囲には二名の監察医補佐がついて、諸臓器の重量計測などを手伝う。解剖が終れば補佐は遺体の清拭、納《のう》棺《かん》、遺族に遺体の引き渡しなどを行う。  執刀医は解剖の進行に伴い、いろいろな所見を口述する。それを記録する監察医もいて、スタッフは一チーム五名である。  その他に主要所見を写真に残す場合は、写真技師が解剖室に控えていて、撮影してくれる。  遺族は待合室で、通夜に間に合うようにあるいは火葬の時間に間に合うようにと、解剖の終了するのを待っているので、行政解剖はゆっくり時間をかけてやっているわけにはいかない。  大体一時間内外で終らせねばならない。それに一日平均六〜七体の解剖がある。  だからといって、ぞんざいに扱うことは許されない。また手ぬきをすることもなく、丁重にかつ迅速に一定の術式にのっとって終了させるのである。  心、肺、肝、腎《じん》、脾《ひ》、胃、腸とすべての臓器を検査し、死因となる異常はないか、さらに臓器の小片を取り組織標本を作製して、顕微鏡下で検査をする。  頭も頭《ず》蓋《がい》骨《こつ》を開け、脳を調べる。  その後、頭も胸腹部もきれいに縫合するから、からだがバラバラになるようなことは全くない。  解剖が終ると、全身をお湯で洗ってふき、ゆかたを着せ、納棺して、ご遺族にお返しする。  すべては元通り。  きれいになったと感謝されることもある。  ご遺体は都内であれば無料で、ご自宅までワゴン車で返送する。  検死から解剖まで、一切の費用は無料である。  血液、胃内容、尿なども化学的に検査し、また毒物検査も行い、総合的な検査結果に基いて、監察医が最終的に診断を下す。  このような行程をとるために、どうしても解剖してから諸検査のデータが揃うまでに、三週間から四週間はかかってしまう。  このケースは、心臓の栄養血管である冠状動脈にコレステロールがたまって、血液の流れが悪くなったための心臓発作つまり、心筋梗塞であった。  解剖を拒否する理由はなかったのであるが、その後警察からの連絡では、夫婦関係中急に具合が悪くなり急死したため、奥さんはびっくりするやら、他人には言えないやらで、ひたすらそのことを隠し通そうと、解剖に反対したとのことであった。  逆に、はじめから解剖を希望するケースもある。  元気であった人が、突然死亡するとは考えにくいし、もしそうであったらどのような原因があるのか、家族のものも知っておきたいからだという。  理にかなった考え方であり、死因が判ればその病気に対する予防対策もたてられるので、家族にとってもきわめて有益なのである。  監察医制度は、生きている人のために応用されるべきものであり、このように住民が制度を利用し、公務員は住民に充分なサービスをするのが本来の姿であろう。  一生の終りである死が、理由もはっきりしないまま葬られるのは、やはり心もとないことだと思うのである。 提《ちよう》 燈《ちん》  監察医は明けても暮れても、検死と解剖の毎日である。  連日、死者との対面というような仕事をしていると、精神的にも疲労し息がつまる思いがする。  週一〜二回は研究日として大学に出向いて、自分の研究をしたり、学生の講義をするような時間がないと、長続きはしない。  大学との連携は自分自身の充電になり、気分の転換にもなり、また大学にとっても新しい事件から研究のヒントを得たりして、持ちつ持たれつの関係が保たれ、人事交流もあって、慢性的な監察医不足の補充などにも役立っている。  監察医は朝九時すぎ、検死に出発する。  二十件近い事件は、検案車五台分にふり分けられ、しかも車で廻りやすい地域別に五つの検死班が編成される。  監察医、補佐、運転手が一組になって車にのり込むが、誰れがどこへ検死に行くかは、朝監察医が事件の内容をみて選択する。  窒息に興味のあるドクターは首つりを選び、頭部外傷を研究しているものは交通事故を、自殺の研究者はとび降り、とび込みなど自殺事例を選んで出かける。  しかし、出発してからもカーテレフォンで次から次へと事件が追加されるから、ありとあらゆる事例を消化することになる。  その日、私は選ぶ事例もないまま車にのり込んだ。  病死のような事例二件は、死因不詳のため、行政解剖の必要ありとして医務院に連絡。遺体は別の搬送車によって監察医務院に運ばれ、解剖当番の監察医らによって解剖されることになった。  私達は、次の検死へと移動する。  交通事故、とび降り自殺と四件を処理し、疲れ気味で私は車の中で居眠りをしながら、次の現場へと向かっていた。 「先生、つきました」  と運転手に起こされた。  遺体はすでに警察署に運び込まれていた。  裏庭へ案内されると、大勢の作業服を着た警察官が遺体をとり巻くように立ち、脚《きや》立《たつ》の上にのった鑑識係がカメラのフラッシュをたいていた。 「どうも、ご苦労様です」  と金ピカの制服を着た顔なじみの刑事課長が挨《あい》拶《さつ》した。 「係長。先生がお見えだよ。状況を説明して」  課長にいわれて遺体の傍らで作業していた警部補が、事件簿をひろげながらこっちへやってきた。  検死の立会官である。  男と女がビニールシートの上に並べられているのが見えた。  若そうな服装である。  心中か。母子心中はときどきあるが、若者の心中はめったにない。  わけのありそうな話でも、あるのかと期待した。  立会官は、会社の独身寮の車庫ですといいながら三枚のポラロイド写真を私に示した。  古い木造の二階建て家屋の玄関を改造した車庫であった。一台しか入れないスペースである。ガレージの戸を開けると車が入っていて、運転席にこの男性が、助手席にはこの女性が、このようにして発見されたのですと、写真とビニールシート上の遺体を交互に指さしながら説明し出した。  運転席の男は、助手席の女によりかかるような姿勢で死亡していた。  暮から正月にかけ、会社は休みになり、独身寮は三十日から三日まで閉鎖されることになっていた。  五日から仕事が始まったが、車の持ち主は戻らない。おかしいと同僚が車庫をのぞきに行くと、このありさまであったという。  女は婚約者で、男は休暇を利用し、郷里の両親や姉弟らに彼女を引き会わせるため、二十九日の夜、寮で待ち合せた。そこまでは、はっきりしている。 「車は車庫に置いたままですが、とりあえず遺体だけは詳しく調べる必要がありましたので、署へ運びました。男は右側の運転席に、女は助手席で服を着てますが、この状態なんです」  ビニールシート上に置かれた女性は、なぜかズボン、パンティーストッキングそれにパンティーまでが足元までずり落ち、下半身は裸である。露出された下半身の皮膚は赤褐色に乾燥し、上半身はセーターを着用していた。  口からは嘔《おう》吐《と》物《ぶつ》があって、顔に乾燥附着している。  男は背広を着ているが、ズボンのチャックだけが開いたままになっていた。  顔は暗赤褐色に腐敗し、そのためかややふくらんでみえる。  写真をとり終えると、刑事の一人が、 「先生、服をぬがせますがよろしいでしょうか」  二人とも、全裸になった。  正面像、背面像の写真をとり終えると、立会官から、 「お待たせしました」  と声がかかった。  私の出番である。  男は顔と同じように、全身に腐敗は進行して暗赤褐色に変色していた。  女は、露出された下半身は赤褐色に乾燥し、着衣に被《おお》われていた上半身には腐敗はなく、蒼《そう》白《はく》な皮膚の色を保ち、背面にはガス特有の鮮紅色の死《し》斑《はん》が出現していた。  車のトランクには、みやげものが入ったままで、調べによっても郷里に帰った形跡はない。  結局、二十九日夜二人は寮で待合せ、出発しないままなのである。  しかし、満タンのガソリンは半分まで消費されている。  それよりも不思議なのは、二人の死後変化に大きな差があることであった。  男は五〜六日前に死亡したようであり、女は二日位前の感じである。  状況、死体所見がそれぞれにちぐはぐで、どう解釈すべきか、警察でも頭を悩ませていた。  服装の状態から推定すると、出発する前ガレージ内の車に、二人は乗り込んだ。エンジンをかけ、ヒーターを入れた。  寮にはもう誰れもいない。  ガレージの戸をしめ、密室にして若い二人は愛を確かめ合ったのではないだろうか。  女は下半身をむき出しに、男はズボンのチャックをはずしても不思議はない。  夢中になっている中に、狭いガレージに排気ガスは充満する。  車内にもガスが入って気がつかぬ間に、二人とも一酸化炭素中毒状態から死亡したのではないのか。  女が嘔吐しているのも中毒のためであろうと思われる。  狭いガレージはやがて酸素欠乏となり、満タンのガソリンは半分を残して、エンジンは切れた。  自殺や殺しの状況は出て来ない。 「捜査上はそう考えたいのですが、先生。二人の死後変化があまりにも違い過ぎるので、不安は残るのですが、いかがなものでしょうか」  と立会官の説明に課長も補足を加えながら、私に問いかけた。  見事な推理である。  納得出来る内容であった。  ただ残る疑問は、二人の腐敗差をどう説明するのか。これが事件のカギであり、警察は監察医の判断待ちといった様子で、私を眺めている。  私も二十数年前に運転免許証を取得しているが、はじめから運転をするつもりはなかった。交通事故の検死をするのに車の構造や道路交通法などを知っておく必要があったからで、実際に運転したのは免許取りたてのころ、二〜三度だけであとは殆《ほと》んどペーパードライバーであった。  ポラロイド写真を手にして、私はそこにとめてあったパトカーの運転席にのった。  隣りの助手席に立会官をのせ、死亡した二人と同じような姿勢をとりながら、運転席の構造を見直した。  実際にエンジンをかけ、ヒーターを入れてみようとパトカーの運転者に席をゆずり、私は後部座席に座って中腰で、運転者の操作するのを見ていた。  ヒーターをつけると間もなく温風が吹き出てきた。丁度運転席と助手席の間の足元あたりからであった。  男の所有する車も、ヒーターの位置はほぼこのパトカーと同じであった。  大体の様子はつかめた。  温風は下半身裸の女の皮膚に直接吹きあたって、からだの水分を蒸発させ、乾燥させているから、腐敗はおこりにくい。  ところが男は着衣におおわれているから、温風によって着衣は温ためられ、体温は高くなるので、腐敗の進行は早いと考えられる。  車の排気ガスの一酸化炭素含有量は多い。  小さいガレージにガスが充満し、車内にも入って二人が中毒するのは三十分とはかからないだろう。  ほぼ同時刻に死亡したと考えても矛盾はない。  その後、酸欠になってエンジンが止まるまでには三〜四時間はかかるはずである。  その間、車内の温度は高くなり、やがてエンジンが切れたところで今度は、徐々に温度は低下して外気温に近づいていく。  発見されるまでに七日間という期間があった。たとえ同じ環境の車の中とはいえ、裸と着服という条件が違っているので、その間の腐敗の進行にはかなりの差が生じておかしくない。 「これらの条件を加味すれば、二人の死亡時間を同時刻と考えて、一向に差支えないと思いますがね。  どうですか。課長さん」  と私は、警察側の反応をうかがった。 「いや、ありがとうございます。同時刻じゃないと、これをどう解釈するのか困っていたところです。専門の先生のご意見ですから、私どもは何もいうことはございません」  と課長は安心したようにいう。 「ありがとうございました。腐り方があまりにも違いすぎていたので、余計なことまで考えて心配していましたが、よかったですよ。いや、疲れました」  と立会官もホッとした様子であった。  検死は思いのほか、時間がかかった。  冬の日は短かい。  検案車はライトをつけて、帰路についた。  このような遅い帰りを、私達は提燈をつけて帰るといっている。 「お疲れさま。今日もまた提燈をつけてのお帰りだね」  と私は、運転手と補佐にねぎらいの言葉をおくった。 死《し》 斑《はん》  勤めに出ていたころ、私はラッシュアワーのすし詰め電車に乗るのがいやで、朝の出勤時間は早かった。  七時には家を出て、電車を乗りつぎ七時四十分には役所に着いていた。  九時までの間、文書類に目を通し、検死や解剖記録の整理をし、また記録写真、新聞の切りぬき、文献の収集など資料の整理をすませるのが日課であった。  その日は、九時半ごろ検死に出かけ七件の事件を処理して、帰院したのは午後の四時近くであった。  すでに面会者が私の帰りを待っていた。  十日前に私が検死した五十三歳の土建業者の奥さんと息子さんが、死亡した父親のことで相談したいことがあるからと、面談を約束し、来院していたのである。  早速、応接室に入っていただき、話をうかがうことにした。  息子さんは大学で法律を学んでいた。  朝、用意して置いた資料を持って、私は二人に対面した。  ビルの建設工事現場で一階の床面に倒れ、意識不明になっているのを近くで作業していた同僚に発見され、病院に収容されたが、昏睡状態のまま死亡した事例であった。  病院の霊安室で検死をしたが、外傷はなく、そこのドクターは診療時間が短く診断がつかぬまま亡くなられたと説明していた。  なるほど、検死でも死因はわからなかった。  結局、監察医務院で行政解剖をすることになった。  若い監察医が執刀した。解剖が終って、遺体を引き取る際、遺族は窓口で病死の脳出血であるとの説明をうけている。  しかし、薬化学検査、病理組織学的検査などが終っていないので、最終診断は三〜四週間後になるが、肉眼的に脳には大きな出血がみられるので、諸検査によって死因が変更されるようなことは先ずないだろう。  普段、血圧が高かったが、あまり治療はしていなかったらしい。また、従業中の死亡であるが、病死なので労災の適用は無理であった。  母と子は、 「解剖が終って父を自宅に引きとってから、納棺された姿をもう一度見直したところ、首のうしろに紫色になった皮下出血がありました。おかしいと思ってゆかたをぬがせて、背中を見ると、全体に皮下出血があるのです」 「夫は一階の床面に倒れていたらしいのですが、本当は上の方で作業をしていて転落し、頭や背中を打って皮下出血や脳出血を起こしたのではないでしょうか」 「労災事故だと思うのですが」  というのである。  なるほど、素人は素人なりにうがった見方をするものだと思った。  検死の際に、死体所見を撮影してあったので、私は、 「ここに資料がありますが、もしもおいやでなければカラー写真をご覧いただきたいと思います。その方がわかりやすいと思いますので」 「父の写真があるのですか」  と息子は、私に確認してから母親と顔を見合せ、二人は承知した。  息子は、写真を手にするなり、 「これです。これ」  と背中の部位を指さした。  死斑であった。  いや困った。死斑を皮下出血と思い込んでいる。  しかも皮下出血であれば、転落という労災事故となり、日給の千日分を補償金として、家族は受け取ることができる。  死斑であれば、単なる病死であるから労災の補償はない。  この判断は家族にとっては、重大事である。  二人して出かけて来たのも無理からぬことであった。  説明は簡単だが、それとわかったときの母と子の落胆を思うと、私の心は重かった。  人が死ぬと心臓がとまり、血液の流れも止まる。すると、血管内の血液は重力の方向に下垂してくる。つまり背中を下にして死亡していれば、背中の血管に血液は流れ込み、上になっていた部分の血管には血液がなくなるから、蒼《そう》白《はく》な皮膚の色となる。  背中の皮下の静脈にたまった血液の色が、皮膚を透して見えるのが死斑である。暗赤褐色の色調で、見たことのない人は皮下出血と思うのも無理はない。  日常生活の中で、よほどのことがない限り死んだ人を見るという機会はない。ましてや死斑を見るようなことは殆《ほと》んどなく、知らないのが当然である。  死斑は、死亡して二〜三時間たつと、血液が下垂して少しずつ、見えてくる。しかし、背中の中央部やお尻の部分は、体重によってからだが床面に圧迫されているから、その部の静脈はつぶれて血管の中に血液は流れ込まない。だから圧迫を受けない部分に死斑は出現する。  たとえばパンツのひもが、腰を圧迫していると、その部には死斑は出現しない。  死後十時間以内位までは、出ている死斑を指で押してすぐ指を離すと、押した指跡の血液は排除されて指あとは蒼白な皮膚の色となるが、五〜六秒もすればまた血液が集まってきて、元通りの死斑になる。  この時間帯に、たとえば死体を腹《はら》這《ば》いに裏返しにすると、血液は再び重力の方向に移動して、死斑は顔、胸、腹の方向に徐々に出現してくる。しかし、死後二十時間以上たつと、死斑はほぼその位置に固定され、指で押しても指跡はつかないし、からだを裏返しにしても死斑は移動しなくなる。  このように、死斑の出現から固定されるまでの状態を観察することによって、何時間前に死亡したものなのかを推定することができる。  首つり死体の場合には上半身は蒼白で、下半身に死斑は出現する。  いろいろな事例の死斑の写真を見ていただき、息子さんは死斑というものがどんなものだか、わかったようであった。 「やっぱり、死斑なんですか」  残念そうにいう。 「そうなんですね。だから首つりした人の背中に死斑があったとすれば、どういうことだかわかりますか」 「あっ、そうか。殺したあと犯人が首つり自殺に偽装した」  と正解したのである。 「それじゃ、死斑が殆んどない死体は」 「死斑がないのは、血液がない」 「そう、そう。だから」 「えーと、出血した場合ですか」 「そうです。あなたは頭がいい。刺殺されたようなときです」  と話ははずみ出した。  溺《でき》死《し》の場合などは水圧で、からだの表面の血管は圧迫され、あるいは水流などによって体位が始終変換するので死斑は出ない。  また一般の死斑は暗赤褐色だが、一酸化炭素中毒や凍死の場合などは、鮮紅色になるため、死斑の色で死因がわかる場合もあるのです、とつけ加えた。  すっかり、法医学に興味を覚えたようであった。  お母さんの方は、死斑といわれてショックだったのだろう。黙り込んでしまった。  しかし、私は皮下出血との区別についても、簡単に触れておかなければならないと思って、話を徐々にその方に向けていった。  皮下出血は、生きているときに皮下の血管が破れ、血圧によって血液が皮下の組織の中に入り込んでいる。その血液の色が暗赤褐色に皮膚を透して見えるので、死斑と同じように見えるが、皮下出血は初めからその場所に固定され、移動することはなく、指で押しても死斑のように指跡が蒼白に褪《たい》色《しよく》するようなこともない。  見慣れれば簡単に区別はつく、と説明した。  また、頭には打撲傷はなく、転落による外傷性脳出血は否定され、病的発作であることを説明してわかってもらった。 「お力になれなくて、誠に申し訳ありませんでした。でも立派な息子さんをお持ちで……」  とお母さんに慰めの言葉をかけた。 「がっかりしましたが、仕方ありません。でも、先生のお話はやさしく、とてもわかりやすかったです」  と感謝して、母と子は帰っていった。  現実はきびしい結果に終ったが、事実を正しく理解するという点においては、この面談は有意義であった。    それから数日後、中学三年生の入水自殺を検死に行った。  成績がよくなかったので、先生から希望校の受験は無理だといわれ、自殺したというものであった。  成績が悪いことを本人にわからせることはいいが、希望まで失わせるようなことがあってはならない。  対応の仕方が問題だと直感した。  待てよ。先達ての母と子の件は、あれでよかったのだろうか。  事実の説明のために理屈だけを相手に、押しつけはしなかっただろうか。  自分自身の行為が急に気になり出した。  理屈でその場を切りぬけても、心のかよった対話でなければ、相手を説得するどころか、失望を与えるだけだろうと今、反省しきりである。 雪上の靴跡  法医学を専門にしているとよく一般の人から、死んでもひげや爪《つめ》がのびるのかと質問されることがある。  なぜそのような質問をするのか、逆に問いかけると、死んだおじいさんの顔をきれいにしようと、のびたひげや爪を切って死に装束を整えたのに、通夜を終え告別式の前に身内が集まって、納棺されたおじいさんと最後のお別れをしたとき、剃《そ》ったはずのひげがのび、切ったはずの爪がのびていた、と驚きの体験からの質問であることがわかった。  死とは脳、心、肺の永久的機能停止とされているから、ドクターはこの三つの機能停止を確認して患者の死を宣告している。  ところが、からだの個々の細胞は血液の中の酸素をつかって、数時間は生きつづける。死の宣告をうけても、細胞のレベルではまだ完全に死んではいないのである。  血液の色は赤いというが、動脈血は酸素を含んで鮮紅色、静脈血は酸素が少なく炭酸ガスが多いので同じ赤でも暗赤色と表現するほど、色調は違っている。  病気などで吐血したときなどは、消化器系からの出血であるから、静脈血性で暗赤色であるが、喀《かつ》血《けつ》となると肺からの出血で、酸素に富む動脈血性であるため、鮮紅色なのである。  殺傷事件の現場に残る血痕を見ても、動脈が切られている場合には、飛散の度合が著しく、色調も鮮紅色を呈しているが、静脈切創の場合は、飛散も弱いし血液の色も暗赤色である。  だから死後二〜三時間以内に解剖をすると、心臓の左心血は動脈血で鮮紅色、右心血は静脈血で暗赤色となっていて、色調は明らかに違っている。  ところが、五〜六時間以上経《た》って解剖した場合には、左心血と右心血の色調に差はなくなり、どちらも暗赤色となっている。  そのわけは、死の宣告がなされても細胞のレベルでは、まだ生きている。個々の細胞が動脈血の酸素をつかって生きつづけ、酸素がなくなった動脈血は、暗赤色の静脈血性となるからなのである。  しかし、細胞の死を待たずに死を宣告して、医学上も法律上もまた社会通念としても、何んの不都合もない。  とすれば、ひげがのび、爪がのびてもおかしくはないのである。 「やっぱり、のびるのだ」  とわが意を得たりと、うなずく。  しかしながら、個々の細胞が生きていたとしても、血液の循環は止っているから、細胞が分裂増殖するほどの活力はないから、ひげがのび、爪がのびるというような、活発な生活反応は示さない。だから、死後にそのような現象は起こらないと、つけ加えると、 「えっ! のびないの? いや、違うよ。確かにのびていたよ」  と体験した人などは、一段と声をはり上げる。  これを見たとき、驚きのあまり居合せた人を呼び、皆んなで見直したが、本当にのびていたと反論する。 「いや、そうでしょう。皆さんの見られたことに嘘《うそ》はないと思います」  と私は合《あい》槌《づち》を打ってから、法医学ではこの現象を死後の乾燥と説明していることを、詳しく話した。  つまり、死後もからだの水分はどんどん蒸発するので、死体は次第に乾燥する。  とくに皮膚の乾燥が著しいから、毛穴のもり上りが水分を失って平坦になると、その分だけ毛がのびたように見えてくる。実は、のびたのではなく、皮膚のもり上りがなくなるから、のびたように見えるのである。  爪も同じで、指先の皮膚の水分が失われて乾燥萎《い》縮《しゆく》するから、爪が指先よりも突出して、相対的にのびたように見えるのである。 「うーん。なるほど、そういうものか」  と不満を残しつつも、納得してくれる。がしかし、理屈による説明よりも、おじいさんが家族と最後のお別れをするまでは、毛や爪がのび生きているかのような感じであった方が、はるかに情がかよい合う。  種明かしは、家族が抱いている親しみの情を、ぶち壊したようでベターではなかった、と後悔している。    ある朝、目を覚すといつもより部屋が明るかった。  寝すごしたかと、はね起きたがその日は自分の定休日であった。  監察医務院は年中無休であるから、日曜、祭日が休みとは限らない。各自が交代で休みを取っているので、子供が小さかったころは、家族と休日を一緒にたのしむようなことはめったになかった。  休みか。それならも少し寝ようと思いながら、窓ごしに外を見ると一面真白く、雪が降っている。  久し振りの雪であった。それで部屋が明るかったのだ。十糎《センチ》位は積っている。  雪かきでもしようと、小犬を連れて外に出た。  犬は雪に半分からだがうまりながらも、喜んでかけ回っていた。  道路には、まばらに新しい靴あとがあるだけで、もの音一つしない静かな朝であった。  長靴をはいていたので、降り積った雪の上を小犬を追いかけて遊んだ。  そのとき、自分の靴あとをみて、ふと感ずるものがあった。  五〜六歩、歩いてみてはふりかえって靴跡を眺めた。  歩く方向に長靴のかかとは、雪を押しつぶすように斜め前方にうまっていき、やがてかかとが路面に達すると、からだの重みで靴底のギザギザ模様が雪道につくられていく。  自分だけではなく、どの靴あとも同じパターンであった。  これだなと、自分の考えていることがはっきりしてきた。  それというのは、一週間程前ある事件の鑑定を依頼され、考え込んでいた。そのことが頭にこびりついていたので、なにげなく雪道の靴跡を見ている中に、ひらめくものを感じたのである。  鑑定というのは、頭《ず》蓋《がい》骨《こつ》の頭頂部に五百円玉ぐらいの円形陥没骨折のある写真を見せられ、意見を求められていたのである。  目撃者もなく、また凶器も発見されていない。犯人とおぼしき男は、犯行を否認している。  この写真から、凶器は何か。どのようにして円形陥没骨折は形成されたのか、の二点について答えねばならなかった。  陥没骨折は、丁度頭のてっぺんにあり、全体的に七〜八粍《ミリ》ほど陥没している。ただ前頭部寄りの骨折の円囲に沿って密着するように、小さい弓状をしたひび割れのような骨折が、二条附随していた。  警察の説明によると、すでに三大学の教授が、三者三様の鑑定をしていた。  しかし、いずれもこれまでの警察の調べと合致した結論になっていないという。つまり頭蓋骨の円形陥没骨折という死体所見と、犯行当時の捜査状況が一致しないというのである。  事件解決の場合には、死体所見と状況はほぼ一致するものである。その点からすれば、このケースは鑑定か捜査状況か、どちらかに無理があるように思われた。  A教授の鑑定によれば、円形陥没骨折の状態から、凶器はハンマー(金《かな》槌《づち》)であろうと推定している。  しかし、その成因については他殺と断言することはできない。自殺の可能性もありうるというものであった。  B教授は、凶器はハンマーで、成因はそのハンマーで殴打したものであるとし、さらに攻撃方法は被害者の正面から、加害者がハンマーをふり上げ、頭頂部を強く殴打したものであると説明している。  理由は、ハンマーをスナップをきかせるように強く打ちおろし、頭に当てると、ハンマーの攻撃面の遠位側が最も強く頭蓋骨の後頭部側に当って骨折を生じた後、近位側が前頭部側に当り、円形陥没骨折を形成する。  そのときに前頭部側の骨折部の円囲に沿って、弓状のひび割れ骨折が生じたものであると鑑定していた。  C教授の鑑定は、凶器はハンマーなどではなく、丸味のある石の可能性が強いと推定している。  加害者は石を握って殴打したもので、石の形状がはっきりしないから、どの方向から殴打したのかは、判断しにくいとしていた。  正に三者三様で、どの鑑定がこの円形陥没骨折を満足させるのか、私も頭を悩ませていた。  ハンマーをふり上げて、スナップをきかせ頭頂部を殴打したとすれば、被害者は加害者より低い位置あるいは低い姿勢でなければならない。その際、ハンマーは振り子のように弧を描いて頭に当る。その瞬間をスローモーション映画でも見るように分解すれば、ハンマーの攻撃面の遠位側が先ず頭髪の上から、頭皮に当る。  そのときの外力で頭蓋骨に小さな弓状ひび割れが生ずる。次の瞬間ハンマーの遠位側は弧を描きながら、わずかに手前にずれて頭皮に挫《ざ》創《そう》を生じて、頭蓋骨に直接当りそこに強い骨折を生ずる。  次いで、ハンマーの攻撃面全体が頭蓋骨にくい込み、円形陥没骨折を形成する。  このように分析すると、円形陥没骨折の円囲に沿う小さな弓状ひび割れ骨折のある部位が、最初に攻撃をうけた場所ということになる。  雪道に残された靴跡は、私にそのことを示唆していた。  雪が頭皮で、路面を頭蓋骨と考えると、歩く方向に向かって靴のかかとは、斜め前方に雪を押しつぶすように、うまっていき、やがてかかとは路面に達する。  ハンマーの攻撃方向は、弓状ひび割れ骨折の方向からであると確信した。  このケースのひび割れ骨折は、前頭部側に形成されているから、加害者は被害者の後方からハンマーをふり上げ、攻撃したことになる。しかもスナップをきかせていることを考慮すると、加害者と被害者には高低差が必要である。  したがって、被害者は低い姿勢(坐《ざ》位《い》、前かがみ、段差のある場所など)であったと思われる。  B教授のいうように、正面から攻撃を加えているという見方とは、全く正反対の考えである。  ましてや凶器は石などではなく、また後方からの攻撃と考えるので、自殺の外傷ではありえないと考えた。  前三教授の鑑定とは違った見解になったが、この理屈で事件を説明してみようと、自分なりの結論を引き出すことができた。    鮮紅色の動脈血が死後五〜六時間経つと、暗赤色に変化することや、死後も毛や爪がのびるかのような一つの現象を、正しく理論的に説明するのが、理想的な鑑定であるが、このケースのように、目撃者がいなかったり、いてもはっきりしないなど、どの鑑定が正しいのかの判定が困難な場合もある。  また裁判は、疑わしきは罰せずで、一たす一は必ずしも二にならないのが現実である。  そんなことを思いながら、雪の降る道を靴跡だけを眺めて歩きつづけた。 出会い  医師にかかると必ずカルテが作成され病歴、症状、診断名、治療、経過などが克明に記録される。死亡した場合には、死亡診断書が発行される。  それと同じように、変死の場合には検死が終ると、監察医は死体検案調書を作成する。これは、臨床医のカルテに相当するもので死亡時間、死体所見、警察の立会官の氏名、死亡前後の状況、死因、病死か災害死かあるいは自殺か他殺かなどの区別、そして最後に監察医の署名捺《なつ》印《いん》が入る。  この死体検案調書は監察医務院に永久に保存されると同時に、所轄警察にも保管される。  次いで死亡診断書にかわるものとして、死体検案書を記載し、家族に無料で交付する。  これは死亡届といわれる書類である。  死亡診断書と死体検案書は、その名称が違うだけで内容は全く同一である。  ドクターが患者の生きている状態から死亡までを診察していた場合は、書類のタイトルを死亡診断書とし、死体を検死して死因を決定した場合には、そのタイトルを死体検案書とすることになっている。    ある日、首つり自殺の検死が終ってその家の茶の間のテーブルを借りて、立会官から死亡者の住所、氏名などを聞きながら、死体検案調書を記載していた。  家族構成は、会社勤めをしている本人と妻、それに小学生の子供二人の四人暮らしであった。  本人は生《き》真《ま》面《じ》目《め》の上、内向的性格で口数の少ない男であった。近々、転勤の予定になっていたのを苦にしていたらしい。転勤といっても遠隔の地ではなく、同じ都内の営業所であり、妻も気にはしていなかったが、突然首をつってしまったのである。  妻は動転して、警察の調べも思うにまかせず、落着くのを待つほかなしという状態であった。  死体検案書も縊《い》死《し》、自殺と判断され書類の作成は終った。  監察医補佐が、奥さんに、 「お気の毒様でした。検死は終りました。あとはこの死体検案書の戸籍に関する記載欄に、ご主人のことを記入して区役所の戸籍係に提出してください。そうすると、火葬埋葬の許可証がもらえます。その許可証がないとお葬式は出せませんので」  と説明した。 「わかりましたか」  と念を押したが、奥さんは泣きながら話を聞いてはいるが、何度同じことを説明しても理解はできていない。  子供は部屋の片隅で、おどおどしている。  そのうちに、補佐は、 「奥さん、しっかりしなさい」  と一喝した。  びっくりしたように泣くのをやめて、奥さんは補佐の顔を見た。 「泣いている場合じゃないでしょう。この子供さんを見てごらん。かわいそうに。お母さんがしっかりしないと、皆んながだめになってしまうでしょう」  大きな声であった。  結局、居合せた隣家の人に説明し、書類を渡してわれわれは引きあげた。  平穏な暮らしの中で、ある日突然一家の大黒柱が自殺をしてしまった、幼ない子供二人をかかえた妻の驚きと動揺は無理からぬことである。  帰院中、検案車の中で補佐が、 「先生、ついどなってしまって、すみませんでした」  公務員にあるまじき対応であったことを、上司である私にわびたのである。  ただどなり散らしたのではない。愛がこめられていたから許されるであろうなどと、話をしながらその日は終った。  それから一か月程たったある日、中年の女性が監察医務院を訪れ、私に面会を求めた。  見覚えのない顔であったが、話を聞いてみると、夫に死なれ泣いてばかりいた奥さんであることがわかった。当時とは服装も違い、化粧もして小ぎれいになっていたので、見違えたのである。  早速、そのときの補佐を呼び、奥さんに会ってもらった。  夫の死を発見したときの驚き、そして二人の子供をかかえてこれからどうしたらよいのかと思ったとき、気は動転してしまいました。  一家心中するしかないと、そのことばかり考えていたというのである。  しかし、先生方が検死に来られて、 「あの一喝で、目が覚めました。本当にありがとうございました」  とくりかえし、お礼をのべ持参の菓子折をさし出した。  呼び出されたとき、補佐は都民からの苦情でおしかりを受けるのかと緊張していたが、今は充実感に顔はほころんでいた。  われわれの仕事は、警察官と一緒に現場に行き、検死をし死因を究明するだけではない。身内の人の急死にあって驚きと不安を抱いている家族の方々に、慰めと希望を与えることが出来るならば、これは最高の仕事をしたことになる。  患者の病気を治して感謝される晴れやかな病院のスタッフとは違い、われわれは死者を対象とする暗いイメージの地味な仕事である。  今日のようなことは、めったにあるものではない。  奥さんは補佐に、深々と頭を下げお礼をのべて帰っていった。    私は、都立看護専門学校の解剖学の講義を担当して二十年になる。  毎日の仕事が死者との対面というハードなものだったから、高校卒の若い女性を前にして、週一回の講義は気分転換に大いに役立った。  解剖学は構造の学問であるから、殆《ほと》んどが暗記である。決して面白いとはいえない。学生はむしろ苦痛であろう。  教える方は、なんとか興味をひきつけ、注目を集めなければ講義は成り立たない。  そこで、骨格の項では白骨事件。血液循環器の項では殺傷事件。肝臓の項では慢性アルコール中毒の話など、スライドをふんだんに使用して、実例と結びつけ話をすすめた。  結構、学生はついてきた。  ある年の四月、入学して最初の講義の日に、私は学生に向かって、 「君達がもしも、何にでもなれる能力をもっていたとしたら、それでも看護婦の道を選んだであろうか。それとも別の道を選んでいただろうか」  とアンケートをとった。  半数は看護婦、あとの半数はスチュワーデス、ジャーナリスト、芸能関係、教師、短大や大学への進学などを希望していた。  自分の体験した、医学部などとは大違いであることに、とまどいを感じながら集計した。  同じタイプの人間が集まっているよりも、いろいろな人間が集まっていた方が、有益であろうと思った。  それから半年、解剖学の講義は最終日を迎えた。  私は再び同じアンケートを行ってみた。  意外な結果に驚いた。  なんと全員が、看護の道を選んだことに悔はないというものであった。  半年の間、一般教養科目と専門科目の講義が続いたのであるが、私はその間、アンケートによれば、君達のあこがれはスチュワーデスなどにあるらしい。彼女らは国際的な感覚をもち、格好よい制服を着て世界の空をかけ廻る。危険を伴うが、高給取りである。確かに魅力のある職業であろう。  それにひきかえ、看護婦は三年間の専門教育をうけた後、国家試験に合格しなければ資格は得られない。  人の命にかかわって仕事をするために、人間的にも学問的にも、常に洗練されていなければならない。その意味で看護婦は、知的な職業であり、いわゆるブレイン・ワーカー(頭脳労働者)でもある。にもかかわらず資格、労働の割に、待遇は必ずしもよくはない。しかし、徐々に社会的評価は高まっていくであろうと、私の考えをのべて自覚と希望をうながしておいた。  同じようなことが、それぞれの講師によって、担当科目を通して看護の道が説かれたのであろう。  たった半年の間に、高校卒の若い女子学生達、殆んどすべてがこの道に喜びを見出していたのである。  教育の成果があったと嬉《うれ》しく思う半面、教育というものの恐ろしさを痛感した。  冷静な自己批判も、必要であると思った。  しかし、夫に先立たれた奥さんにしろ、看護学生にしろ、人との対話の中に、生きるきっかけを見つけ出したり、希望を見出すことができるならば、こんなすばらしい出会いはないと思うのである。 年齢の推定  私は初対面の人と話をするとき、無意識のうちに相手の年齢、職業などを考えて共通の話題を探し出し、応対しているようなことが多い。しかし、他人の年齢を当てるのはなかなかむずかしい。  生活環境などによって、それ相応の人相というか顔がつくられてくるのであろうが、人間には樹木の年輪のような器質的特徴がないので、わかりにくい。  とくに女性の年齢推定はむずかしい。    姉が入院していたとき、母は付添っていた。  慣れない鉄筋コンクリートの病室での生活に、疲労困《こん》憊《ぱい》していたのであろうが、娘の回復を信じはりつめた気持ちで介護していた。  しかし、半年後帰らぬ人となった。  姉は外科医であり、父と私も医者であった。  死亡の一と月程前、主治医から父と私は死の近いことを聞かされていた。  母や兄、妹らは医者ではなかったので、父と私は主治医の話を家族に伝えるべきか否か迷っていた。とくに父は、病室で懸命に付添っている母の姿を見ては、とてもそれを話すことはできないというので、二人だけの秘密にし家族には知らせなかった。  そうすることが、父の家族に対する思いやりであったからである。  以来、私は母の姿を見るのがつらかった。  結局、真相を知ることなく、母は突然娘の死に直面したのである。  容態が急変し、主治医をはじめ院長さんもかけつけて来て、死の宣告がなされたとき、ベッドサイドに立っていた母は、くずれるように床に倒れてしまった。  すぐ抱きかかえ起こそうとしたが、母は立ち上がれなかった。  それから半年の間、母は腰がぬけたようになり、歩行の出来ない生活となってしまった。  精神的ショックと肉体的過労が原因であったのだが、今にして思えば主治医の話を少しでも、母に伝えておいた方がある程度ショックをやわらげることができたのではないかと悔まれた。  一年後、やっと普通の生活に戻ったが、父と同じ年齢であった母は、めっきり老け込んでしまった。  ある日、来客があった。  父と話をし、母は父の隣りに座っていた。私が茶を入れ接待していると、客人が父に、 「お袋さんですか」  と母のことを尋ねた。  いや私の家内ですよ。と父は笑いながら答えていたが、夫婦が他人様には親子のように見える、この老け込みように私は、母の悲しみの深さをあらためて感じた。  このように、生きている人の年齢でさえいい当てるのはむずかしいのに、法医学の現場では身元不明の死体を扱い、年齢を推定するという作業が始終行われているのである。  一般的には容《よう》貌《ぼう》や身なりなど、全体的雰《ふん》囲《い》気《き》などから感じとっている。  ところが、日が経《た》って発見された腐乱死体などになると、体内に腐敗ガスが発生して仁王様のような恐ろしい容貌にふくれあがったりするので、身内のものが見ても別人だといって納得しないことも、しばしばである。  義歯、ホクロ、手術瘢《はん》痕《こん》などからやっと納得するようなことがある。  だから、簡単に年齢の推定といっても容易なことではない。つい服装や身なりにたよりがちになるが、それは邪道であくまでも死体所見から年齢は推定すべきものである。  このような場合は、歯牙の咬耗あるいは磨耗度などから年齢を推定するが、これとて個人差があって必ずしも明確なものではない。後日、身元が判明してみると十歳や二十歳も違っていることはざらである。    若い女性の漂流死体を、全裸にして検死をしていたときのことである。  腐敗などはなく、死後間もない死体であった。  乳房の発育は成熟した女を思わせ、とくに処女膜には亀裂があって男を知ったからだであったことなどから、二十歳位と推定したが、数日後身元がわかり警察から身元確認の訂正文書が送られてきたのを見ると、なんと十五歳の少女であった。  わが目を疑ったが、中学を卒業したばかりの少女に間違いはなかった。  男としても、また監察医としてもそのような若い娘のからだを見るような機会は少なかったからでもあるが、女性の年齢を推定するのに、男を知ったからだか否かなどを基準にすべきではないことを、思い知らされた。    都内の建設現場などから、白骨が発見されることがある。  大半は戦時中の東京大空襲によるものが多い。  骨の鑑定は、経験や勘にたよるものとは違って形状、長さ、太さの計測値から性別、年齢などを推定する研究が開発されているので、苦にはならぬが、個人を特定するとなるとどの程度正確なものか疑問が残る。  バラバラ事件などでは、腕だけ、足だけあるいは胴体だけという場合があり、それも腐敗が加わって性別の特徴すら見分けられないこともあり、年齢も子供か大人か老人かぐらいの、大ざっぱな区別しか出来ない場合もある。  腕一本の検死のときに、五十歳と推定し数日後、足が発見され別の監察医が検死に行き、たとえば三十五歳と推定してくるようなこともある。これらは司法解剖によって、同一人物であるか否かが判断されるが、同一であれば執刀医によって統一された推定年齢が、つけられることになる。  警察ではドクターの推定した年齢をたよりに、身元を探し当てる作業に入るので、大きな誤差があっては、作業は遅れてしまうことになる。    真夜中、空地で火の手があがった。  近所の人がかけつけてみると、人間が火だるまになっていた。ポリ容器に灯油が少し残っていて、これをからだにかけライターで点火、焼身自殺したようであった。  翌朝、警察の霊安室で検死をすると、全身黒色にやけこげ焼死体特有のボクシング姿勢に屈曲していた。  顔は個人を識別することはできないほど、黒色炭化状にやけていた。頭髪もやけて一〜二粍《ミリ》に短かくなっているが、よく見るとわずかに白髪がまじっている。陰毛も同じようにやけて短かくなっているが、二〜三本白毛がみえる。  老婦人のように思えた。  歯を見ても若いとは思えないが、口の中に何か入っているのが見えた。ピンセットでつまみ出し、警察官に見せると、 「先生。ガムです」  という。  おかしいと思って、着衣を見せてもらったところ、大半はやけてボロボロになっているが、Gパンをはいている。靴も若い女性のものであった。  身なりからいうと、若い女性としか思えない。警察では三十前後と推定している。  しかし、私は六十前後のように思えるのだがと、意見は食い違った。  監察医補佐は、先生、白毛は個人差があるから、あてにしない方がよいのではとアドバイスをしてくれた。  いずれにせよ、理論的根拠などはなく勘にたよった判断であったから、私は中間をとって四十五歳推定として、検死を終えた。  数か月経って、身元が確認され訂正文書がきたのを見ると、五十九歳となっていた。  監察医はあくまでも死体所見から、ものごとを判断しなければならないのだと、つくづく思った。  からだの中で環境には影響されず、時間にだけ反応するようなものを、見つけ出せれば年齢の推定は確実になるのだがなどと、勝手な想像をする。  それにしても、このめざましい医学の発展の中で、法医学の現場はまだまだ勘や経験にたよった方法が、まかり通っているのである。 田舎芝居  わが国は今、種々の事情で核家族化がすすみ、お年寄りとの共同生活は少なくなってきている。だから子供達は祖父母の存在を、あまり深く理解していない。  三世代同居の家でも、子供達は年寄りとは一体何者なのだろうという感じで見ているところもある。  両親はそれぞれに仕事をもち忙しい。自分達だって学校が終われば塾通い、好きなテレビやファミコンなどで遊んでいてはしかられる。  塾へ行かない子を未塾児というそうだが、そんな子は少なくなっている。  親だけでなく、祖父母などからも何かと口うるさくしかられたりする。  ところが年寄りは、勤めに出るでなし一日中家に居て、テレビなどをみてこれといってする仕事もない。お年寄りって何んだ、とさめた目で見ている面もある。  昔はテレビもなく、絵本にしたって仲々買ってもらえなかったから、親や祖父母に昔ばなしなどを聞くのが、大変な楽しみであった。  また祖父母が親に意見をしているようなところを見たりしているから、子供心にも年寄りは偉いものだと思っていた。  子供が茶《ちや》碗《わん》を割って、母親からひどくしかられた。数日後今度は祖母が茶碗を落して割ってしまったが、母は何もいわなかった。ばあちゃんはいいなと、子供はしみじみといったので、夕《ゆう》餉《げ》のひととき一家は大笑いしたという話を子供のころ聞いたのを思い出す。  今の子は年寄りが、人生経験豊富であるというだけでは承知しない。常に人間として同格と見ているからであろう。  知識、情報が氾《はん》濫《らん》しているから年寄りの回りくどい話などに耳をかさない。それよりもテレビやマンガ本の方が、はるかにおもしろいのである。  家の中で年寄りの存在価値は、薄らいできている。  また家は狭いし、物を大事にしようとしても、とって置く場所とてない。使えるものですら、古くなると新しいものに買い換える。使い捨て時代になっている。年寄りはついていけない。  それどころか、粗大ゴミなどといわれて自身さえ捨てられそうな時代である。  過去の栄光などは少しも評価されることもなくなっている。  つい先ごろ、高校生の孫が祖父を殴り死亡させる事件が起こった。学校をさぼり、両親に反抗的であったため、祖父に度々説教され反感をもっていたというものである。  年寄りから得るものは何もない、などと子供達はうそぶくのである。  驚くべき世代になったものだと思う。  老人を敬愛するようなことが、少なくなってきた。  平成元年度の警察庁の「自殺白書」によれば、全国の自殺者数は男女ともに前年より減少したが、高齢者だけが増加を続け、全自殺者の三分の一以上が六十歳以上の年代であるという。  自殺の動機は大半が病苦(七十五%)となっている。  毎度のデータである。  日本ばかりではなく、諸外国においても老人の自殺の動機は、トップが病苦となっているが、本当の動機は身内の人々によって修飾され、隠されてしまっているのである。  なぜこのようなことをいうかというと、監察医として警察官と一緒に老人の自殺の検死に、一般家庭に赴き現実を直視しているからである。  ここで感ずることは、独り暮らしの老人よりも、三世代同居の老人の自殺率が高いことである。  年寄りは心身の機能が低下し、社会的役割もなく、収入も少ないから家庭内では、重荷として扱われ疎外されている。  生活の中で会話や団らんもなく、片隅に追いやられた状態が目につく。息子夫婦から自殺の動機を聞いても、実にあいまいで何一つ不自由なく生活していたはずだから、原因はわからないという。  自分達のことは棚にあげて、自殺したお年寄りを迷惑がる始末である。  しかし、生きることに耐えきれなくなって死を選んだからには、それなりの理由があるはずで、一緒に生活している身内が知らないはずはないと、切りかえすと、そういえば神経痛がひどくなっていたからでしょうかなどと、病苦を動機に持ち出してくる。  人生の荒波を乗り越えて七十年、八十年と生きてきた人が、なぜここで神経痛ぐらいで死ななければならないのか、とつっ込むとお茶を入れてきますと、奥へ引っ込んで出て来ない。  病苦は本当の理由ではない。  世間体を考え、体裁を整えているだけのことである。  家族はも早や、親を重荷として疎外しているからにほかならない。  現場の雰《ふん》囲《い》気《き》でそのことは、すぐに推察されるのである。しかし、プライバシーにかかわることだから、そんな馬鹿な、嘘《うそ》でしょうなどとつっ込むことは出来ない。だから調書には、家族のいうように自殺の動機は病苦とせざるを得ないのである。  病苦といっても死に迫った病気などは殆《ほと》んどなく、血圧が高いとか神経痛などで苦痛、苦悩は少なく、身内の温かい介添えやいたわりがあれば充分癒せるものばかりで、老人に対する家庭内の対応が冷たかったためと思われるものが多い。  本当の動機は病苦ではなく、家庭の中に潜む冷たさである。  独り暮らしであるから、寂しく孤独であるのではない。独り暮らしは自分の城をもち、訪れる身内や近所の人達と交際し、それなりに豊かなのである。むしろ同居の中で信頼する身内から理解されず、冷たく疎外されていることのわびしさが、老人にとって耐えられない孤独なのである。  老人たちは自分を主張することもなく、また子供達を恨むでもなく「お世話になりました」などと遺書を残しているのである。  検死の現場で、このようなケースに遭遇することが多くなって、私はだまってはいられなくなってきた。  同僚らと一緒に調査分析して「老人の自殺」と題して、東京都の衛生局学会に発表した。  昭和五十一年から五十三年までの統計であったが、すぐに新聞やテレビに取り上げられ、福祉関係者の注目を集めた。  その後、この論文が国の福祉政策に少なからず影響を及ぼし、改善されたという話を聞いて、自らを語ることなく死んでいった老人の代弁者になれたことをうれしく思った。  統計上、老人の自殺の動機は病苦がトップになっている。プライバシーにかかわることであるから、調査上止むを得ないが、本当の動機は前述のように家庭内の対応の冷たさにあり、八割以上はこれであるといって過言ではない。  これを理解せずして、老人問題を論ずることはできない。  昭和は終り、平成の時代になったが高齢者の自殺だけは増えつづけている。  これは単に福祉の問題だけではない。社会的最小単位である家庭のあり方から出直さなければ、この問題は解決しないと思うのである。  しかし、老人をめぐる悲しい事件が、今も起っている。    子供のときに脳性麻《ま》痺《ひ》となり、ねたきりの生活になっていた六十四歳の女性は、母親のつきっきりの介護でどうにか生きてきた。  近くに六十歳になる妹が、世帯をもっていた。時々母と姉の様子を見に顔は出すが、自分達の生活をするのが精一杯であった。  母親は八十五歳と高齢で、最近は健康もすぐれず、介護に限界を感じていた。  この子を残して、母は死にきれない。  結局、母子無理心中という結末に終っている。  同じようなケースがある。  ねたきりの姉の世話に疲れた妹は、姉を殺し、自分も自殺した。  姉妹とも八十歳をすぎていた。  悩み苦しみ、どうにもならない瀬戸ぎわに追いつめられての行動であったことを思うと、福祉の手がさしのべられなかったことに、いら立ちを覚える。  これら家族には介護という、愛の手が不可欠なのである。福祉には莫大な予算が当てられているのであろうが、キメの細かさが足りないように思われる。  福祉とは、安心であるというが、正にその通りである。    戦後、娯楽の少なかったころ、私は北海道の積《しやこ》丹《たん》町で何年か過ごした。  小さな漁師町であったが、映画館に時々芝居がかかった。出しものはいつも時代劇の人情ものときまっていたが、常に満員であった。  その夜も親分が大勢の子分を引き連れ、借金の形にいやがる美人の娘を無理やりに連れ去ろうと、病床にある父親をいじめる。  娘は父親をかばい、父は娘をかばうが窮地に追い込まれ、どうしようもない場面になっていた。  そのときである。  観客席から、漁師姿のじいさんが長靴のまま舞台に上っていった。 「ええかげんにしろ! 一体いくら出せばいいんだ」  と酒の勢いもあって、じいさんは懐に手を入れながら、悪玉の親分の前に立ちはだかった。 「かわいそうで、みていられねぇー」  このハプニングに劇場は、拍手と喝采が湧《わ》き上った。  昔は、こういうじいさんがいたのである。  座長がとび出して来て、これは芝居ですからとその場を納めたが、すばらしい光景であった。  さびれた漁師町で、今は観光地になっているが、切りたった断《だん》崖《がい》と青い海。  そこにはぐくまれた人情豊かな積丹町は、私の心のふる里でもある。  私も年寄りの部類に入ってきたが、だからといって年寄りを大事にしろとはいわない。  わが国も人情豊かな福祉国家であるように、そしてまた、若い者に敬愛されるような人間になろうと努力していきたいと思うのである。 怪《け》我《が》の功名  私達は日常生活の中で、いろいろな外《け》傷《が》を経験する。  たとえば、転んで膝をすりむくとか、包丁やナイフで指を切ったりするが、原因によって出来る外《き》傷《ず》の形もまちまちである。  それと同じように、検死の際死体にもいろいろな外傷を見ることがある。  殺人事件はもちろんのこと、交通事故、転落事故あるいは行路病死などに、様々な損傷をみることがある。  その外傷の形状から原因となった凶器(成傷器)を推定するのも法医学の重要な役割なのである。  果物ナイフで胸をひと突きにされた刺殺事件などでは、左前胸部中央にナイフによる刺創があり、深く胸の中に創洞をつくり、心臓に達していることがわかることがある。  たとえば、果物ナイフを粘土に刺し、引きぬけばそこに刃物の形が残る。刃物の刃側はV字形の切れ込みとなり、峰の側は[字形をしている。この形状や創洞の形などを合せ考えれば、ある程度凶器(成傷器)を推定することが可能である。  ところが実際には、刃物を刺したときと引きぬくときでは、加害者も被害者もともに格闘するなどの動きがあるので、一つの刺し外傷をみても、刃側の方には刺した際の切れ込みV字形とぬいた際の切り外傷がV字形となり、W字形になっていることが多いので、単純に考えることはできない。  また刺創といっても、刺しながら切っている場合もあるから、創《きず》口《ぐち》から凶器を推定するといっても、むずかしいのである。  その他に被害者は、手や腕をつかって攻撃をかわすから、そこに多くの切り外傷や刺し外傷をみる。これを防御創というが、刃物を手のひらでつかんだりすると、手のひらの防御創は大きく深くなる。  このように外傷の多い検死をしていると、犯行時の模様がそれなりに見えてくる。だから、まだつかまらぬ犯人に向かって、こんなひどいことしやがって、許せないなどと憤る刑事もいる。  これが捜査の原動力になっているのかも知れない。    警察の霊安室で、ある殺人事件の検死をしていたときのことである。  前頭部に手拳大の打撲傷があり、顔面には刺創、切創が沢山あって外傷には生活反応がみられた。  刺創、切創の形はそれぞれまちまちで、凶器が一つとは思えなかった。それ以外の部位に外傷はない。 「状況はどうなんですか」  と私は、立会官に尋ねた。 「昨夜、何者かに襲われたらしいのですが、はっきりした状況は目下捜査中であります」  との返事であった。  凶器の推定は、事件の解決上きわめて重要である。ましてや凶器発見の有無は、証拠裁判上不可欠のものである。  だから犯行後、凶器を山に捨てたといえば山を、川に捨てたといえば川を、大勢の警官が探しているテレビ報道をみることがある。  凶器は何んだろう。  検死のあとで、警察官からきっと質問されるに違いない。わからない、では法医学者として恥かしい。だからといって、でたらめをいうわけにもいかない。  少年のころ読んだ江戸川乱歩の推理小説に、犯人が高い所から頭めがけて氷塊を落として殺し、死体が発見されたときは、凶器は溶けてなくなっていた。  難解な凶器なき殺人事件を、見事に解決していく名探偵を思い出す。  しかし、現実はそうはいかない。  この事件は、私にとって難解であった。  わからない。  気ばかり、あせっていた。  待てよ。一個の打撲傷と刺創、切創が沢山ある。  もしかすると、犯人は一人ではなく複数なのかも知れない。凶器も複数。  それならば、ばらばらな外傷ができても不思議はない。  そう思ったとき、少し気が楽になってきた。  落着きを取り戻して検死をはじめた。  先ず、頭髪の上から頭を触って損傷の状態を観察した。毛髪には顔面刺切創から流出した血液が付着していたので、私の手のひらは血で汚れてしまった。それでも両手で丹念に頭を触ってみると、打撲傷のある部位の頭皮は少し腫《は》れている。しかもその付近の頭《ず》蓋《がい》骨《こつ》に骨折があることがわかった。  そうしている中に、指先にチクッと痛みが走った。  何んだろうと手を引き寄せ、よく見ると指先に小さい何かが刺さっている。  少し出血していた。  すぐに消毒しないと梅毒、B型肝炎、エイズなど感染の危険がある。その意味では不用意な検死は危険である。  補佐に簡単な手当をしてもらい、中断した検死を再開した。  三十分位で一応の検死を終え、監察医としての見解を立会官に伝えた。 「凶器はビールびんだと思いますが」  というと、周りにいた警察官達は作業の手をとめ、驚いたような顔をして私を注目した。  犯人はビールびんの口の方を握って、被害者の前頭部を一撃。びんは割れガラス片と中身のビールは現場に飛散する。犯人の手に握ったびんの先端はギザギザに割れ、鋭利な刃物のようになっている。これで意識不明になって倒れている被害者の顔を突いたものと推定するが、どうだろう。  警察では、大《おお》凡《よそ》の状況はつかんでいたが、何も知らない監察医が死体をみただけで、ここまでいい当てることに驚いたのであろう。  立会官は、現場の状態は正に先生のご指摘の通りですが、どうして凶器がビールびんであることが判ったのか、不思議そうに尋ねるので、私は手当をしたばかりの指を見せて、頭を検死しているときに、ビールびんの小さいかけらが指に刺さったので、と種明かしをした。  補佐は私の方を見てニヤニヤ笑っていた。  びんの割れた面で突き刺しているので、顔に形成された外傷の形状はまちまちである。  翌日、犯人は逮捕された。  複数ではなく、単独犯であった。  複数人による、複数の凶器などといっていたら、今ごろは笑いものにされていたに違いない。  それにしても、検死しただけで現場の状況から凶器まで、いい当てることが出来たのは、怪我の功名というほかはない。  思い返しても、こんな形で事件が解決したのは、後にも先にもこれしかなかった。 逆探知  裏通りの道路わきに中年の男が、口と鼻から血を流して死んでいた。  朝の五時ごろ、新聞配達人によって発見された。届けをうけた警察では現場をひと通り調べた上、交通事故の可能性もあるとして慎重に捜査を開始していた。  体温の下降度や死体硬直の程度から、死亡は午前一時から二時の間とみられていた。付近の聞き込みでも、夜中の異状に気づいたものはなく、また目撃者もいなかった。  遺体は間もなく警察の霊安室に運び込まれ、監察医の検死がはじまったのは、午前十時をすぎていた。  裸にすると、左の腰から大腿部外側面にかけて淡青藍色の皮下出血がみられ、左側胸部に数本の肋《ろつ》骨《こつ》骨折があり、さらに後頭部に打撲傷があって、口と鼻から少量の血が洩《も》れていた。  死体の左側に外傷が集まっていることと、後頭部に打撲傷があることから考えれば、交通事故の可能性もある。つまり、自動車の前面と歩行者の左側面とが接触し、はねとばされて歩行者は路上に転倒して、後頭部を打ったと考えられるからである。  その際の加害車両は、被害者の外傷から衝突した前面は、ほぼ平坦と思われるので乗用車タイプではなく、ボンネットのないボンゴ型のものと推定される。しかも、轢《れき》過《か》されたような外傷はない。 「現場はどんな状態ですか」  と私は尋ねた。 「いや、それが路面にブレーキ痕もなく、車の部品やガラス片も落ちていないので、交通事故と断定しにくいのです」  と立会官はいう。  刑事事件か交通事故か、わからないのでとりあえず、両面から捜査は行われていた。  もしも交通事故でないとすれば、死体所見から墜落なども考えてみる必要があった。  私は現場を見ていないから、はっきりしたことはいえないが、交通外傷は横から外力が作用し、転落は上から作用する。その違いはあるけれど、人体に生ずる外部の損傷は、ほぼ似たような場合が多いから、注意すべきであろうと意見を述べて検死は終った。  明確な死因とくわしい死体所見をつかんでおく必要があったため、監察医務院で行政解剖を行うことになった。  午後一時から解剖は行われた。  本庁から検視官、所轄からは立会官をはじめ鑑識係など数名の刑事、それに交通の警察官も立会っていた。  からだの外部にみられる出血の部位に一致して、筋肉内出血がみられた。内臓は左《さ》腎《じん》、脾《ひ》臓《ぞう》の破裂があり、左骨盤の骨折もみられさらに右側にある肝臓も、破裂していた。  後頭部に頭皮下の出血があり、頭《ず》蓋《がい》底《てい》にわずかな骨折があって、軽度の脳《のう》挫《ざ》傷《しよう》があった。  全体的にからだの左側を強打しているのに、右側にある肝臓までが破裂しているところをみると、交通事故というよりはもっと衝撃の強い、墜落のような外力が作用したと考えた方が合理的のようであった。  そのころ、身元が判明した。  同時に現場には道路に沿って、四階建ての会社があり、その屋上に一足のサンダルがあって、身内の人に見せたところ本人のものと確認されたというのである。  四十九歳の自営業者であったが、最近営業不振でノイローゼ気味になっていて、死にたいなどと語っていた。  昨夜来、帰宅していなかったこともわかり、遺書はないが自殺と思われるとの連絡が、解剖室の立会官の元によせられた。  ビルの外階段から屋上にのぼり、裏通りに向かってとび降りれば、コンクリート塀の外側の道路わきになるというのである。  交通事故は否定され、とび降り自殺として落着した。    似たような事件があった。  老母が道端で倒れていた。  息子が抱きかかえ、救急車で病院に収容したが間に合わなかった。  車にはねられたと事情を説明していた。  警察はすぐ対応したが、交通事故らしい状況は出て来ない。  検死してみると、からだの外傷は思ったよりひどく肋骨骨折、骨盤骨折それに手足の骨折もある。高齢者は骨がもろいから、外力が加われば簡単に折れてしまう。  それにしても、右大《だい》腿《たい》部《ぶ》背面に辺《へん》縁《えん》性《せい》出血がある。  これは、おかしい。交通事故などではない。  辺縁性出血というのは、硬く平坦な路面などに手足が強くたたきつけられたような場合に、形成されるものである。  具体的には路面に大腿部が強くたたきつけられると、路面と大腿部の骨が強く速く圧迫される。するとその間にある皮下の血管内血液は、圧迫部分の辺縁に向かって圧出され、そこに皮下出血を起こす。  だから強い圧迫をうけた骨の部分には、出血は起こらず蒼《そう》白《はく》で、その周辺の皮下に出血が生ずるから、骨の形が鮮やかな紋様となって見えてくる。これが辺縁性出血であり、墜落外傷の特徴ともいえるもので、交通事故などには出来る外傷ではない。  息子は老母がとび降り自殺をしたことを、隠したかったために、嘘《うそ》をついていたことをすぐに白状した。  またあるとき、お年寄りの検死に行った。  布団にねたまま死亡していたというのである。しかし、首には首つり様の索溝がみられ、どう見ても縊《い》死《し》であった。  息子夫婦に聞いても、昨夜ねたままで今朝布団の中で死亡しているのが発見されたものだから、病死ではないかと思いますというのである。  老妻も寝室が別だから、詳しいことはわからないとのことであった。  そんな馬鹿な話はない。  もしも、それが本当であるならば殺人の可能性もあるから、解剖してはっきりさせましょうと、解剖の話を進めていたとき、奥座敷から老妻が出て来て、 「先生、申し訳ありませんでした。実は朝起きると、夫がかもいに腰ひもを巻き、首をつっていました。自殺では世間体が悪いと思い、すぐにひもを切って布団にねかせたのです」  とあやまった。  これらの話は、いずれも人騒がせの事件であったが、警察の捜査と監察医の共同作業によって、真相は解明され社会の秩序は保たれたのである。  それにしても、一つの事件を逆探知して、不透明な状況を明らかにしていく。  職務とはいえ、大変な作業である。  とくに警察官の努力には、本当に頭が下がる思いである。 轢《れき》断《だん》事件  医師の診療には外来と往診がある。  外来は診療所内で多くの設備を利用して、患者の病状をチェックし、治療の面でもそれなりの対応は可能である。ところが往診の場合は、ご存知のように簡単なことしかできない。  われわれが行う変死者の死体検案(検死)は、殆《ほと》んどが現場に出向いて行うもので、往診の形になる。簡単な対応のように思われるかも知れないが、実はそうではなく法医学の専門家が現場に出向くことには、大きな意味がある。  なぜならば、死体は言葉を発しないから、死因を分析する上で死亡の現場を観察することは、きわめて重要なことである。  海底の絵があって、そこに金魚が泳いでいれば誰れだっておかしいことに気づくであろう。しかし、鯛《たい》やひらめが描いてあれば何んの不思議もないが、専門家がさらに細かく観察すれば、どこかに矛盾を感ずるような箇所が見つかるかも知れない。  警察官の観察とは一味違った、法医学者としての目が必要なのである。  だから医務院で監察医が待機し、遺体だけが搬入され検死するようなことが、ときにはあるがベターとはいえない。  検死は発生現場で行うのが原則である。  昔は、列車や電車にとび込み自殺などがあると、頻繁に電車の通る線路わきで、現場の状況を観察した上で検死をしたものであった。  しかし、発生から検死終了までにはかなりの時間がかかるし、交通の妨害にもなり、また人だかりが出来たりして、とても腰をすえて検死をするわけにはいかなくなってきた。  そんなわけで、時代とともに検死のあり方も少しはかわってきた。  ケースバイケースであるが、現在では現場の状況を素早く記録し、また写真に保存するなどして、遺体は警察の霊安室に移しかえ、現場はすみやかに元の状態に復帰させるようにしている。だから現場の状態は、ポラロイド写真などを参考にして、検死をしているのである。    発生現場で検死をしていたころの話である。  警察官に案内され、行きかう電車の間をかいくぐって何本もの軌道を横切り、線路わきの現場にたどりついた。  とび込み自殺ということであった。  丁度線路は大きくカーブし、ものかげからとび込めば、運転手はなすすべもないような場所であった。  遺体の傍らには、制服の警官が一人立っていた。長いこと私達の到着を待っていたのであろう。お互いに、ご苦労様です、と挨拶を交す。  検死をするため被われていたシートをはがすと、腹部全体が横に挫《ざ》滅《めつ》轢《れき》断《だん》された状態になっていて、腸が露出していた。着ていたシャツはちぎれて胸には電車の油脂がベットリと付着し、額《ひたい》にはクルミ大二個の挫創があった。  補佐はハサミで着衣を切り、遺体を全裸の状態にする。  詳細に死体検案をしていく。  胸部を触診すると、数本の肋《ろつ》骨《こつ》骨折があった。  轢断後、車体に巻き込まれて長い距離移動したようである。  立会官は、 「先生、生活反応はありますか」  と不安げに尋ねた。  そのころはまだ国鉄総裁の下山事件は記憶に新しかったので、当然の質問であった。  生前の轢断か、死後の轢断かで日本中が大騒ぎをし、生活反応という法医学用語がポピュラーになったのも、このときである。  以来、警察では轢断死体の生活反応には、とくに神経をとがらせていた。  腹部の轢断部はもちろん、前額部挫創にも生活反応はあった。  しかし、一瞬のうちに全身に強大な衝撃が加わり即死するような場合、たとえば高所からの墜落とか、列車にとび込むようなケースでは、全般的に生活反応は弱く、出血なども少ないものである。 「生活反応はありますよ」  といいながら、でも、 「心配なら、腸を調べてみましょう」  と私は轢断部から露出している腸を、詳しく観察し出した。  腹部が横に轢過され、しかもそこに生活反応があれば、ほぼとび込み自殺と考えてよいであろう。  しかし、生活反応がないとすれば、死後の轢断ということになる。そうなれば、これは殺しである。  犯人は殺害後、死体をレールの上に運び電車に轢過させたわけである。死んでいるのになぜそのような工作をする必要があるのかを考えれば、おわかりのように殺人の隠《いん》蔽《ぺい》にほかならない。となれば、犯人はどのような殺し方をしたのか憶測することができる。  つまり、刃物で腹を刺して殺したのである。その刃物の刺創をレールの上に置き、挫滅轢断させて殺人を隠蔽し、とび込み自殺に見せかけようとしているに違いない。  だから、心臓刺殺をして、腹部を轢過させるような馬鹿な犯人はいない。  さらに死んだ大の男を一人では運べないから、犯人は複数であろうなどと、推理はふくらむのである。  下山事件があったころ、私は学生であったから詳しいことは知らないが、目撃者のいない事件だけに、いろいろな場面が想定され、捜査されたであろうと想像する。  とくに腹部表面の刺創は挫滅轢断されて、隠滅されているだろうが、おなかの中の腸は、うねっているから腸のあちこちに刺創はできるので、轢過されても見ることはできるはずだ。となれば、ガスを含んでふくらんでいる腸には刺創はない。刺創のある箇所は創口からガスや腸内容が洩《も》れ、臭く汚ないところである。  ゴム手袋をして、丹念に腸を調べたのはそのためである。 「大丈夫です」  心配は無用であった。  所持品は飲屋のマッチ一個で、遺書もなく身元を明かす何ものもなかった。  しかし死体所見、現場の状況から自殺以外に考えられる要因はなく、炎天下での検死は終った。  法医学の道に入ってから、下山事件に直接関与した先輩達から話を聞くと、全身の挫滅がひどい上に、スコールのような雨に遺体はさらされ、事件は最初から波《は》瀾《らん》を含んだスタートであったという。  それにしても一つの轢断事件が、これほど大騒ぎになったのは、法医学そのものがまだ充分に開発されていなかった時代でもあり、戦後の混乱した時代であったためなのかも知れない。  しかし、時の流れはすべてをのみ込んで、昭和は終っている。  東京では近年、電車にとび込むという自殺手段は縊《い》死《し》、とび降りに次いで第三位と増加している。同時に学問的にも進展しているので、今後生前の轢断か死後の轢断かで、論争になるようなことはないだろう。  それよりも、自殺というプライベートな行動が、公的交通機関を一時的にせよ混乱させることに、腹立たしさを感ずる。 赤鬼・青鬼  子供のころ、こわいものといえば鬼やお化けであった。  鬼は女や子供をさらったりして、きわめて攻撃的であったから本当に恐ろしいと思っていた。  お化けは真夜中に出てきて、一人の人をおどろかす。こわいことはこわいのだが、夜中に一人にならなければ、出会うことはない。  さけられるのである。  やはり鬼の方が恐ろしいように思った。  しかし、お化けが出た話は聞くが、鬼に出会ったり、危害を加えられた人の話は聞いたことはない。子供心にもなんとなく、架空の話だと思うようになった。  長ずるにしたがって、そのイメージは道化もののような感じになっていった。  昭和十年ごろ、私は小学校一年から四年までを、網走の在で生活した。  晩学であった父は、医者になるとすぐ東京を離れ、北海道の開拓地を選んで開業したためである。無医地区に働く人々のためにと、その心意気は子供の私にもよくわかった。  卯《う》原《ばら》内《ない》という寒村で、ジャガイモ畑がかぎりなく続いていた。  汽車にのり時々網走へ母に連れられて出向くことがあった。途中、汽車は網走刑務所の農場の中を走る。  記憶をたどれば、当時青い囚人服を着た人達が農場で作業をしていた。また赤い囚人服を着たグループもあり、この人達はロープかくさりで数珠《じゆず》つなぎにつながれた状態になって、作業していたように思う。  畔《あぜ》道《みち》には何人かの刑務官が馬に乗ってぐるぐる回り、看視している。  赤い囚人服は重罪人で、青い服は罪の軽い人だと聞いていた。  赤鬼、青鬼。異様な光景にこわいと思っていたが、しかし列車がここを通るときに、乗客のおじさんやおばさん達は、窓を開けてタバコやキャラメルを畑に向かって投げていた。  あの人達は、きっとひもじい思いをしているのであろう。看守に見つからぬよう、拾って食べるのであろうか。私も母にならって自分のキャラメルを投げたのを覚えている。  そんな経験からか、赤鬼、青鬼はもっと身近な存在になり、そしていつしか忘れられた存在になっていた。  ところが監察医になって、初めて腐乱死体の検死をしたとき、忘れていた鬼のイメージがよみがえってきた。  隅田川に漂流死体が発見され、川沿いの派出所に遺体は安置されていた。  派出所前に検案車を止め、ドアーを開けたとたん、悪臭が鼻をつく。  腐っているな、と覚悟した。  裏庭へ通されると、悪臭は一層強烈で、遺体にはむしろがかぶせられていた。  ハエが群がっていた。 「先生。はじめますか」  といって監察医補佐が、むしろをとりはらった。  巨大な赤鬼のような顔。仁王様のように目をむいている。一瞬悪臭を忘れ、その形《ぎよ》相《うそう》に見入った。  法医学の教科書には、巨《きよ》人《じん》様《よう》顔《がん》貌《ぼう》と表現されている。  からだ全体が風船人形のようにふくらみ、シャツやズボンがひきちぎれそうになっている。はさみで補佐が着衣を切る。全裸にすると全身に腐敗ガスが充満し、遺体ははち切れんばかりにふくらみ、汚《お》穢《わい》赤褐色に変色して巨人様観を呈していた。  正に赤鬼である。  桃太郎の絵本などに出てくる鬼達は、昔の人がこのような腐乱死体をモデルに、描いたのではないかと思うほど似ていた。とくに陰のうはゴム風船のように腐敗ガスを含んで、大きくふくらんでいる。  腐敗は消化器系からはじまる。  なぜならば、生きているときには胃や腸は、内容物である食べものだけを消化するが、人が死ぬと胃酸や腸の消化液は、胃腸そのものを消化しはじめる。つまり酵素による自家融解が起こってくるからである。  そのうちに細菌類が繁殖して、腐敗は加速する。腐敗ガス中に含まれる硫化水素が、血液のヘモグロビンと結合して硫化ヘモグロビンがつくられると、先ずはじめに腹部が淡青藍色に変色する。やがてその変色は全身に波及し、腐敗ガスが発生すると全身はふくらんでくる。  この状態が青鬼である。  さらに腐敗が進行してくると徐々に暗赤褐色に変色し、腐敗ガスの充満が高度となって顔は巨人様顔貌、全身は巨人様観を呈して、赤鬼といわれるように、風船人形のようなふくらみをもち、仁王様のような恐ろしい形相になってくる。  気温の高い季節は、腐敗の進行は早いが、いろいろな条件や個人差があって、一定したものではない。  水底に沈んでいた死体も、腐敗ガスがたまってくると浮力をうけて水面に浮き上ってくる。  からだに重い石などをつけ、入水自殺をしても腐敗ガスが発生すると、おもりごと遺体は浮上する。  土左衛門といわれる赤鬼の状態から、さらに腐敗が進行すると、今度は黒色に変色し、黒鬼に変身する。そうなると、からだの組織は腐敗汁を出して融解しはじめる。  遂には骨が露出されてくる。  蛆《うじ》が発生していれば、その速度は早くなる。  黒鬼はやがて白骨つまり白鬼となって終るのである。  腐敗の順序は青鬼、赤鬼、黒鬼そして白鬼になって終る。  赤鬼のこの遺体は身元不明で、触わると表皮は簡単にむけ、髪の毛もすぐにぬけてしまう。五十がらみの男のようであった。  腐敗ガスのために舌は大きく口から外に突出し、よく見ると奥歯が二本欠如していた。また右下腹部に虫垂摘出術の瘢《はん》痕《こん》があった。  警察官はふやけてしわしわになった手のひらから、苦労しながら指紋を採取しているが、あとは歯と手術痕ぐらいしかこの人を特定する所見はない。  自他殺災害の区別は不明であるが、遺書はないし、ズボンのボタンがはずれているところをみると、酒に酔って川に向かって立小便中に、転落するケースは多いので、その可能性が強いと警察は見ていた。とはいえ他殺を否定する根拠はない。  死因は溺《でき》死《し》のように思われたが、死後変化が強いので検死だけで確定するわけにはいかない。  結局、行政解剖をすることになった。  検死後、石《せつ》鹸《けん》で何回も手を洗ったが悪臭はとれなかった。  十日後、身元が判明した。行方不明になってから三日後に発見されていた。解剖所見と合せ入水自殺による溺死と決定して、この事件は終った。    五日間の出張から帰宅した夫が、妊《にん》娠《しん》中の妻が布団の中でねたままの姿で死亡しているのを発見した。  警察の調べでは、心臓弁膜症があり現在は妊娠五か月で、体調はあまりよくなく医者にかかっていることがわかった。  遺体は腐敗のため赤褐色に変色し、ややふくらんだ状態になっていたが、悪臭は少なかった。  夏の夜のことである。  明日の午前中には監察医の検死があるから、そのままにしておくようにと、警察官は夫に伝えて引きあげた。  立会官に案内されて現場に着いたのは、翌日の昼近くになっていた。  十世帯位が入っている木造のアパートであったが、玄関に入るとすでにアパート全体に悪臭はたちこめていた。  二階の奥まった彼女の部屋に入ると、悪臭は一段と強烈であった。  扇風機を回しているが、この暑さではどうしようもない。腐敗はかなり進行していた。  昨夜《ゆうべ》検視した警察官は、 「こんなじゃなかったんです」  としきりに説明する。  巨人様にふくらみ、赤鬼状態になっている死体を見て、まるで別人のようだと驚いている。  私達は夏場によく経験することであったから、別に驚きはしない。  検死をするから着物をぬがせようと、補佐と警察官がゆかたの帯をとき、前をはだけると彼女の股ぐらに黒褐色の小猫ぐらいの、かたまりがある。 「あっ!」  と警察官は驚く。 「なんだ、これは」  と補佐は黒褐色のかたまりに顔を近づけ、確認しようと目をこらしている。 「先生。胎児だ。胎児です」 「ええ!」  私も驚きながら、そっちを見る。  黒褐色に腐敗した胎児であった。  臍《さい》帯《たい》は母とつながっている。  立会官は、昨夜の検視のときには母親一人でしたが、 「死体が子供を産むんですか」  と不気味そうに、また不思議そうに尋ねた。  私も教科書に記載されているので知識としては知っていたが、実際に体験したのはこれが初めてであった。  死後の分《ぶん》娩《べん》とか棺内分娩とかいうもので、腹《ふく》腔《くう》内《ない》や子宮に大量の腐敗ガスが発生すると、子宮が反転して死亡した胎児が娩出されることがある。 「不思議ではないが、めずらしい現象です」  妊婦が死に、胎児も死ぬ。そのあと放置され腐敗が進行すると、充満したガスによって母体は死胎児を娩出するというもので、事件には関係ありませんと説明した。  嬰《えい》児《じ》殺しとか、死体損壊とか、ともかく事件に無関係であることがわかって、立会官は安心したようである。 「監察医を長くやっていても、このような現象を見る機会は少ない。本当にめずらしい体験をされたと思いますよ」  と私は別れぎわ、立会官に言葉をかけた。 「先生。人間の生命力を見せつけられたような気がします。すごいものですね。死んでも子供を産む」  と彼はまだ興奮からさめやらぬ様子であった。    私はいろいろな死にかかわって、仕事をしてきたので、これにまつわる不思議な話は沢山あるのかも知れない。  しかし、この不思議に科学的メスを入れていくので、すべては理論で説明されてしまうから、私には不思議はないのである。  とはいうものの、警察官が、 「死んでも子を産む生命力」  と表現した言葉は、いつまでも私の耳に残った。 因《いん》 縁《ねん》  世の中には不思議なめぐり合いというか、因縁めいたことがあるものだ。  昭和四十三年の十月、東京タワー近くのホテルでガードマンが射殺されるという事件があった。  検死をしたが、日本では射殺は珍しい。  真夜中に男がホテルの非常用外階段を降りてくるのを、庭にいたガードマンが発見。  不審に思って、声をかけ近よったところ、いきなりピストルで頭を撃たれたのである。  男は逃走し、ガードマンは意識不明のまま十時間後に死亡した。  検死の際、犯人が降りたという非常階段を立会官の案内で歩きながら、犯行の模様について細かく説明をうけた。  現場に立っての検死は、迫力があり勉強にもなった。  それから三日後、京都の八坂神社で巡回中の警備員が、銃で撃たれた。三時間半後に死亡したが、 「十七、八の子供や」  と警備員は語っている。  また、銃声を聞いてかけつけた人は、学生風の男だと証言したが、結局犯人はつかまらず逃走してしまった。  それから十二日。函館でタクシー強盗があった。運転手は意識不明のまま死亡。  頭部を鈍器のようなもので殴られ、鼻をキリで刺されたための死亡とされた。しかし二週間以上もたってから、詳しい調査の結果、ピストル射殺であることが判明した。  これらは弾丸が同一で、連続ピストル射殺一〇八号事件として大きく報道された。広域重要事件に指定されたのである。  十一月に入って間もなく、今度は名古屋で同じようにタクシーの運転手が射殺され、売上金と腕時計がなくなった。  全国をまたにかけ射殺をくりかえしている犯人に、日本中は不安を感じていた。  昭和四十四年の春、東京の渋谷でビジネススクールを警備中のガードマンが、盗みの男を発見。格闘の末、ピストル三発を発射して逃走したが、緊急配備中のパトカーによって犯人は逮捕された。ガードマンはかすり傷だけであった。  これが永山則夫、当時十九歳であった。  五件の事件を起こし、四人は射殺されたが五人目はかすり傷で、連続ピストル射殺事件は終った。  事件があってから二十二年目。永山は最高裁で死刑が確定した。  その間、獄中で『無知の涙』などの小説を書き、また獄中結婚、離婚などもあって注目されていた。  私は直接永山個人と面識はないが、最初の射殺事件を検死しているというかかわりがあったので、関心をもって見つめていた。  ただそれだけであったのだが、平成二年三月五日、日本文芸家協会の定例理事会で、永山則夫の入会申込みをめぐって論争となったのをニュースで知った。  結局、この日の理事会は、永山の入会拒否を決めたものの、実はその数日前、本人が申込みを取りさげていたことが明らかになり、入会拒否の決定が宙に浮いたまま決着がついた。  文学と犯罪をめぐるこの問題は長びきそうである。  それはとも角として、そのとき私も文芸家協会に入会手続きをとっていたのである。  永山と一緒に理事会の審査をうけ、私は入会を許可されたのであったが、永山は拒否に遭い、自ら入会を取りさげたのであった。  こんな因縁が、私と永山の間にあったことは誰れも知らない。  しかし、その後この話をある人にしたところ、あなた自身はどう考えますかと質問されてしまった。  会員になったからいうわけではないが、いかなる理由があるにせよ、四人もの命を奪い、国民の名において裁かれ判決をうけた以上は、罪をつぐなわなければならない。  死刑がよいのか悪いのかは別として、死をもって罪をつぐなわなければならないのに、入会云《うん》々《ぬん》はないであろう。  文学と犯罪は別ということはわかるが、永山に書くのをやめろというのではない。また彼の文筆活動を制限することは、何人もできないのである。  ただ文芸家が集まって、権益保護の職能団体をつくったのが協会であり、時には対社会的発言などもする組織である以上は、もはやプライベートなものではなく、それなりの社会的対応もあるので、このような場合は、入会拒否の対象になって当然であろう。  しかし、自衛隊に乱入して多くの人に傷を負わせて死んだ、三島由紀夫は除名されていない。協会の考え方が一貫していないなどの批判やその他いろいろな意見はあろうが、永山に関しては、私はかように思っている。  新入りの会員がこんな意見を述べるのは僭《せん》越《えつ》かも知れないが、自ら入会を辞退したということに救いを感ずる。  文芸作品は協会員であろうが、なかろうが関係はない。よいものはよいのである。 仏は生きていた  三河島列車二重衝突事件のことである。  昭和三十七年五月三日、常磐線三河島駅付近で下り貨物列車が脱線、右側の下り客車用の線路に傾き、併進中の電車に衝突した。そのため乗客約一三〇〇名の大半は事故と知って、電車から降り上り電車の軌道内を歩いて避難していた。  そこへ取手発、上野行きの電車が猛スピードで進行してきたからたまらない。軌道内を歩いていた人々をはねとばし、あるいは轢《れき》過《か》し、さらに現場に傾いていた下り電車に激突したのである。その衝突で即死した人、転覆した車両の下敷きになった人など、一瞬にして一六〇名もの命が奪われるという、大惨事になった。  受傷者は病院に収容され、死者は付近の病院やお寺などに分散収容された。  監察医務院では、特別検死班を組織して対応した。  私の班は、現場近くの小さな病院を担当することになった。  立会官に案内されて、玄関を入ると廊下にはムシロが敷かれ、端から端までぎっしりと遺体が並べられていた。  現場から運び込まれたそのままの姿であろうが、血だらけの服のまま、泥まみれの服のままであった。  まだ身元はわかっていないので、とりあえず番号札をつけ、端から検死をすることにした。  先ず鑑識係が遺体の写真をとる。これは顔や着衣などを記録し、個人識別にそなえるためである。  次いで警官が着衣の特徴を記録しながら、監察医補佐と一緒に脱がせ、全裸にする。この状態を再び写真にとる。これは外傷を記録するためである。  このような手順のあと、監察医が検死をする。  外傷や異常所見をメモし、致命傷から死因を決定して、次から次へと検死をしていかなければならない。大量死の場合には、ある程度スピード処理が必要なのである。  後日、身元が判明したときに、そのメモをもとに死体検案調書と死体検案書(死亡診断書)を作成し交付する。  こうして八体の検死が終り、九体目の検死に移ろうとして補佐が中腰になって、死者の背広に手をかけたところ、 「ウーッ」  と死体が低い声を上げたのである。 「オーッ」  と補佐は驚きの声を上げ、手を引込め、たじろいだ。  補佐ばかりではない。  私も警察官も、びっくりした。 「生きている。先生、生きてるよ」  と補佐は叫んだ。  一瞬、私の心臓は止った。  仕事の対象は常に、死体ときまっていた。  その死体が「ウーッ」と声を発したのだから、ビックリするのも無理はない。  こんなに驚いたことはなかった。  すぐに看護婦さんに連絡して、治療室へ運んだが、そっちはそっちで、てんてこ舞いの状態であった。  職業とはいえ、生きている人に驚く医者なんてあるのだろうか、とあとで大笑いした。    監察医になってこの方、生きている人には縁はなかったが、あるとき警察からこんな電話が入った。  男と同《どう》棲《せい》していたホステスが、浮気がばれてしまった。  怒った男は、彼女の髪の毛をつかんでハサミでジョキジョキ切ってしまった。  ネッカチーフをかぶって警察にやってきた。この頭では外にも出られないし、仕事も出来ない。元の髪に戻るまで生活の補償と損害賠償請求をするというのである。  髪の毛がのびるのに、どの位の月日がかかるものかとの質問であった。  殆《ほと》んど丸坊主のトラガリである。  一般的には毛髪は、一日に〇・三粍《ミリ》のびるとされている。三日で一・〇粍《ミリ》弱、一か月で約一・〇糎《センチ》。どうしても一年以上たたないと、女性の髪は戻らない。  刑事は電話の向うで、なる程そうですかと真剣にメモしているようであった。  私は、男と女の行動を思い浮べ、おかしくてたまらなかった。  その後、この事件はどう決着したのか聞いていない。    またある日、警察から電話があって、鑑定してもらいたい物件があるので、これから先生の所へ伺ってもよいかという。  四時過ぎになれば、時間が空くからと約束した。しかし、その日は解剖当番で件数が多く、解剖が終って自室に戻ったのは、四時半を過ぎていた。  二人の刑事は待ちくたびれていた。 「お待たせしました」  と私は挨《あい》拶《さつ》した。顔見知りの刑事であった。 「こちらこそ、お世話になります。お忙しいところ、すみません。早速ですが、これなんです」  と封筒から、ちり紙に丸め包まれたものを取り出し、私の目の前にひろげた。  プラムの種子のような形をし、干し柿のような感じで、暗赤褐色に乾燥していた。  見慣れぬものに目をやり、何であるのかを見極めようとしたが、わからぬままに、 「なんですか。これ」  と私は尋ねた。  実は三週間前の真夜中、酒に酔って二人の男が口論をはじめた。  若い方は大男で、中年の方は小男であった。その中に、大男が小男を殴ったために、とっくみ合いのけんかになった。  乱闘中に大男の耳が切れて、出血がひどくなった。  けんかは中断され、救急車で病院に運ばれた。医師は刃物で切られたもので、切れ端はないが、外傷は全治二週間と診断している。  夜が明け警察で現場検証をしたところ、切られた大男の耳たぶの一部が路上のすみに落ちていた。 「これが、それなんです」  小男は刃物は持っていないし、切った覚えもないと、犯行を否認した。  酒に酔い、興奮しての乱闘であったため、どうして耳が損傷されたのか、二人とも覚えがないのである。  簡単で結構ですから、調べて欲しいというのである。  二〜三日あずかることにした。  落着いて観察すると、ちぎれた耳たぶは不整形に断裂し、刃物で切ったような感じではない。  生活反応があり、拡《ル》大《ー》鏡《ペ》で断端を細かく見てみると、歯型状の痕跡になっている。  刃物ではなく、咬《こう》創《そう》による断裂の可能性が強かった。  けんかで耳たぶを噛《か》み切ったようなんだけれどと、警察へ電話した。  数日後、警察から返事がきた。  先生のご意見を念頭にして調べ直したところ、乱闘中小男が大男の髪の毛を両手でつかみ、頭をひき寄せ耳に噛みついたらしい。  大男はこれをはらいのけようとして、からだを引き起こした。そのときにどうも耳たぶが噛み切られたようであった。  そういえば、小男は大したけがはないのに、口や顔が血だらけになっていたという。 「そんなわけで、ありがとうございました」  これで一件、落着したのである。  生きた人のケースは、初めてであったから鮮明に記憶している。    死体でも生体でも、監察医の出番は、人生の裏側を垣《かい》間《ま》見《み》るようで、ひどく人間臭く、それなりに味わい深い。 スポットライト  私はこれまで機会ある毎に、変死者を検死する監察医制度を五大都市(東京、横浜、名古屋、大阪、神戸)にとどまらず、全国的に普及しなければならないことを力説してきた。  東京都の監察医を三十年間やってきたが、平成元年八月に退職した。  これを記念して、自からの体験談を通しこの制度の必要性と全国的普及を願って『死体は語る』(時事通信社)を上《じよう》梓《し》した。  その甲《か》斐《い》あってか、全国の読者からこのような制度のあることをはじめて知った、自らを語ることなく突然死した人々の、生前の人権を守るという立派な制度が、全国的になっていないというのは、おかしいとの手紙や電話を沢山頂《ちよう》戴《だい》した。ありがたかった。    田舎で長男の家族と老父が暮らしていた。  父が急逝したので帰るよう東京在住の次男に連絡があった。妹にも知らせて二人は急いで帰省したが、父は納棺され、葬儀の段どり、遺産相続の書類なども用意され、自分達の印鑑を押すばかりになっていた。  仕事の関係もあって、葬儀をすませるなり、すぐ東京に戻ってしまったが、今考えれば一年前のあのとき、父は脳出血、病死ということになっていたが、もしかすると兄嫁がたくらんだ殺しかも知れない。  そういえば、裏庭で父は倒れた。  居合せた兄嫁が発見して座敷にねかせ、すぐ兄に知らせたが、一時間後兄が急ぎかけつけたときには、父は既に死んでいた。  なにかにつけ手回しの早いことを考えると、兄嫁はあやしいと弟妹はいう。  警察の検視もなく、病死の死亡診断書で葬儀は行われた。  監察医制度のある東京では、変死扱いになり、警察の捜査があった後、監察医が検死をする。それだけで死因がわからなければ行政解剖をして、真相を解明してくれる。身内の人々が抱いている不審、不安をこの制度は取り除いてくれる。  過ぎ去ったことで、今更どうしようもないが、そのことが気になるのでという電話相談や手紙が実に多かった。  事実は次男らの思いすごしかも知れないが、そのわだかまりのために、兄弟の間はギクシャクしてしまう。  第三者の立場になってみれば、馬鹿げた話かも知れないが、疑われた兄嫁の方は、それならはっきりさせてもらいましょうということになる。  後日、このような不審、不安が出てくることは多々あるので、やはり死亡の時点で行政のレベルで容易に検死や解剖ができる制度の確立は必要なのである。  ところが、この変死(異状死体、不自然死)についての概念が漠然としているために、地域によって取り扱い方が必ずしも一定していない。  たとえば、臓器移植の際に問題になったことは、監察医制度のある地域では、交通事故や災害事故などの外因死(外力の作用で死亡したものをいう。病死は内因死である)は監察医による検死が行われた後でなければ、移植手術はできないので、時間がたちすぎて結局のところ臓器移植はできなくなってしまう。だから、この制度は移植の邪魔になっているという話を聞く。  しかし、これは全くの誤解であり、検死を必要とする変死の法律は、日本全国同一であり、監察医制度のないところでは、検死をしないでよいはずはないのである。  このようなことがいわれているところをみると、検死をしなければならない変死者が、みすごされうやむやに処理されている場合が、多々あるように思えてならない。  とくに外因死の場合は、医師は患者を診療しているから死因はわかるが、なぜその患者が致命的な外力を受けたのか、その原因について医師はわからない。  周囲のものが、災害事故だというのを聞いて医師が判断すべきものではない。そんなことがまかり通るのであれば、わが国の殺人事件は簡単に隠《いん》蔽《ぺい》されてしまうだろう。  やはり、このような死亡は医師法第二十一条にのっとり、医師が変死届をし、警察官の捜査によって病死なのか、あるいは自殺か他殺か災害死なのかを判断しなければ、ものいわずして突然死した人々の生前の人権は擁護できない。  警察官と医師の専門知識の相互協力によって、死者にまつわる不審、不安を取り除き、社会秩序を維持するのが、警察官の検視、医師の検死なのである。  これを制度化したものが、監察医制度である。  死体解剖保存法第八条に基づき、五大都市において施行されている。  わが国では東京都だけが、監察医務院という独立した庁舎(四階建て、地下一階)をもち、専任監察医十名、非常勤監察医二十名(大学の法医学教授、助教授などが多い)その他技術系、一般職員など五十名、計八十名のスタッフで、年中無休の体制でローテーションを組み、都内の変死(年間七千三百体、一日二十体)を扱っている。  司法検視、司法解剖(殺人事件のような場合の犯罪死体を検事の指揮で行うものをいう)によらず、行政のレベルで検死ができ、死因がわからなければ、容易に解剖をすることができ、病死か犯罪死かあるいは自殺か災害死かなどを区別する。  一見非情に思われるかも知れないが、死者の生前の人権を行政のレベルで擁護する制度である。  同時にデータは必ず生きている人に還元され、予防医学にまた衛生行政に役立っている。  戦後わが国にこの制度が導入されたのは、焼け野原となった東京での死因の殆《ほと》んどが、餓死であったためである。  極度の食糧不足であったから、当然のように思えたが、占領国であるアメリカは、その死因に不審を抱き、日本はこのような変死者をどのような制度によって、死因の究明を行っているのかを調査した。  結果は、街の開業医による簡単な診察だけで、死亡診断書を発行していることがわかった。もちろん解剖はしていない。  そこで、アメリカで施行されている Medical Examiner System を導入し、監察医制度と命名して変死体の行政検死を確立したのである。  そのシステムによって、餓死したと思われた人々を検死、解剖したところ死因の殆んどは肺結核であった。  もちろん、栄養状態は悪いのだが、そのために餓死したのではなく、結核病巣が悪化しての死亡であった。  このように死因を究明し、事実を明らかにしていくこの制度は、充分に機能を発揮し、住民の健康を守り、衛生行政上また社会治安上にも不可欠のものとなっていった。  統計上、全死亡の十五%は検死の対象になる変死体である。  ものもいわずに突然死する、これら多くの人々の死をないがしろにしてはならない。  やはりこの制度は、全国的でなければならない。  そのための方法として、既存の監察医制度をいきなり導入するのは予算上からも無理があろう。  そこで、地方自治体に任された制度であるから、一件の検死や解剖にたとえば十万円の予算をつけるとすれば、一千万円で年間百件の変死体の死因究明が可能である。  わずか一千万円で、一県の治安は保たれるのである。  幸い一県一医大となっているので、医学部の法医学教室を足場にして、県と警察と医師会が協力し合えば、司法以外に行政のレベルで検死、解剖が容易に実施され、地域の人々に安心を与え、公衆衛生の向上に役立つのである。  是非、ここにスポットライトをあてて欲しいと切望してやまない。 あとがき  医師として自分が歩んできた三十四年間をふりかえってみると、監察医というのは随分と風変りな職種であったように思う。  仕事に熱中していたから、じっくりと自分を見つめるようなことはなかったので、考えてもみなかったが、退職して集大成のつもりで『死体は語る』(時事通信社、平成元年九月)を上梓したところ、読者の反響から、そのことを逆に思い知らされた感じである。  変死者をじっくりと検死していくと、ものいわぬ死体が、 「病死ではない。殺されたのだ」  などと真実を語りだす。  珍らしい事件の数々。  そして、監察医がどのように事件にかかわり合っていくのかがわかって、興味がわき、やはり死後も名医にかからなければ、死者の生前の人権は擁護できないことが、理解されたのだろう。  監察医制度が限られた都市のみではなく、全国的な制度にならなければならないと、一層の理解を深める結果になったことは、私にとってこの上ない喜びであった。  普段、元気で活躍しているときは、自分のからだを意識することはない。しかし、胃の調子が悪くなれば、そこに胃があることを意識する。  また、小指をケガすれば、普段は小指の存在など考えたこともないが、生活の中で小指がいかに重要な役割を果しているのかを、あらためて認識する。  それと同じで、医学も殆《ほと》んどは生きている人のための治療医学、予防医学であるが、死者の側に立った法医学、監察医学も重要な役割を果しているのである。  私は監察医として体験した珍らしい事例だけを書こうとは思わない。これに関連のある一般社会現象を折りまぜ、その間に自分のコメントやら人生観を挿入することにつとめた。  そのことがかえって共感をさそったのか、老若男女を問わず広い読者層を得たようである。  とくに有名私立校(駒場東邦)の中学二年生の道徳の授業に『死体は語る』がとり入れられ、講演を依頼されたのには驚いた。  生命の尊厳という視点から、行間に溢《あふ》れるヒューマニズムを感じとったというのである。  うれしかった。  そのうちに、続編の話があちこちからもち上ってきた。  しかし、私は書くつもりはなかった。  主義主張を書きとどめ、まがりなりにも集大成して発表することができたから、これ以上は望まなかったのである。  また、書くことはむずかしいことであり、なりわいとしていなかったので、そう簡単には書けない。  しかし、読者はあの中学生達のように、続きを読みたがっていると、出版社の編集者はけしかけてきた。  保存してある資料の中から、暇をみてまとめているうちに、話はいつの間にか具体的になって、続編は出来上った。  勤めをやめ、自適な時間と自在に活動できる場がもてたためであろうと思っている。  それにしても、角川書店編集部大和正隆氏、佐野真理氏のお世話になった。心から謝意を表する次第である。 一九九〇年九月 著 者 「死体は生きている」文庫化に際してのあとがき  私が東京都の監察医を辞したのは、平成元年八月である。  以来、事件が発生しても直接現場に出向いて検死をしたり、解剖するようなことはなくなったが、法医学評論家という立場で、テレビや新聞、雑誌などで知り得た少ない情報をもとに、死因や犯人像などを整理したり、事件の現場からお茶の間に向け、解説するような仕事が増えてきた。  トリカブト事件、甲府OL誘拐殺人事件、愛犬家連続殺人事件、美容師バラバラ殺人事件、つくば妻子殺人事件、オウム事件と凶悪犯罪が続発し、日本は政治経済だけではなく、社会秩序までもが混乱し、低迷してしまった。  とくにバラバラ事件などが報道されると、だれだって残忍で怨《えん》恨《こん》がからんだ変質者の犯行のように思ってしまう。しかし、目先きにとらわれず冷静な法医学の目で事件を観察すると、保身の心理が見えてくる。  犯人は他《ひ》人《と》を殺しておきながら、自分は警察に捕まりたくない。そのためにバラバラにする。そうすれば運びやすく、捨てやすい。そして遺体が発見されたとしても、身元がわかりにくいので、自分に捜査が及ばない。隠れみのとして、行動していることが読みとれる。とはいえ、怨恨が殺人の動機になっていることは多い。しかし、いかに激しい怨恨があっても殺害し、それでもなお許せないと、死体をさらに切りきざむような犯人はまずいない。それよりもいかに見つからないようにす早く死体を隠《いん》蔽《ぺい》するかに専念する。  だから遺体を病死のように見せかけたり、山中に埋めたり、水底に沈めたり、あるいは焼いたり、バラバラにしたりと様々なことをやっているのである。  なにも犯罪に限ったことではない。政治家も役人も、人間だれしも多少は責任のがれの保身の心理が働くから、それを責めようとは思わないが、事件を複雑にしていることは事実である。  ここで真相を見あやまってはならない。そのための専門家であり、解説者なのである。  時代の変遷とともに生活様式も変り、人間の考え方も変って、徐々に犯罪の傾向も変ってきた。その背景には身勝手で、他《ひ》人《と》の痛みがわからない人が増え、それが命の軽視につながって、安易に殺人が行われているのかも知れない。    私は「医は仁術なり」を全うした父のような医者になろうと志したのだが、いざ医者になったら、生きている人には縁がなく変死者の検死や解剖をする監察医になっていた。  思いもよらぬ選択であった。  しかし、法医学はおもしろく、そのなかに自分を完全燃焼させて生きてきた。そして六十になったのを機会に、監察医をやめたのだが、今度はもの書きやら法医学評論などをやらされたりして、これも予期しない方向へと、私の人生は動き出した。    今回「死体は生きている」の文庫化に当って思うのだが、正にタイトルと同じで『死』というテーマを通して、命の尊さ、いかに生きるべきかを訴えたいのである。  これからも自分を完全燃焼させながら、生きていこうと思っている。   一九九六年十月 著 者 死《し》体《たい》は生《い》きている  上《うえ》野《の》正《まさ》彦《ひこ》 ------------------------------------------------------------------------------- 平成12年9月1日 発行 発行者  角川歴彦 発行所  株式会社 角川書店 〒102-8177 東京都千代田区富士見2-13-3 shoseki@kadokawa.co.jp Masahiko UENO 2000 本電子書籍は下記にもとづいて制作しました 角川文庫『死体は生きている』平成8年11月25日初版刊行