[#表紙(表紙1.jpg)] 海嶺(上) 三浦綾子 目 次  開《かい》の口《くち》  良参寺  截断橋《さいだんばし》  土《ど》 蔵《ぞう》  夜の声  己《おの》が家  冷 雨  角《かく》 帆《ほ》  怒《ど》 濤《とう》  黒瀬川  遠い影  重右衛門日記  月の下  初 春  神々の名  再び重右衛門日記  鴎《かもめ》 [#改ページ]   開《かい》の口《くち》      一  文政《ぶんせい》十三年(一八三〇)陰暦《いんれき》六月——。  天候不順の年にしては、珍しく暑い日だ。すぐ近くの裏山から、蝉《せみ》の声が間断《かんだん》なく聞こえてくる。煎《い》りつけるような激しさだ。 「暑うのうてくれて、ありがたいのう」  眠っていると思っていた父の武右衛門が、音吉のほうに顔を向けた。庇《ひさし》の深い家の中はややうす暗い。武右衛門はまだ四十二だというのに、二年前から神経痛でほとんど床についている。 「うん、夏はやはり暑いのがええなあ」  十二歳の音吉は、部屋の真ん中にある箱火鉢《はこひばち》の傍《かたわ》らに、膝小僧《ひざこぞう》を抱いて、煎《せん》じ薬の煮えるのをじっとみつめていた。武右衛門に似て、眉《まゆ》の秀《ひい》でた賢そうな顔だ。昨年、文政十二年は、江戸に大火があったと聞いたが全国的に大豊作の年であった。だが今年は、春先から天候が不順で、梅雨《つゆ》があけても、ともすると冷たい雨が降り勝ちだ。それが、武右衛門の神経痛にもひびく。  部屋の中には、煎じ薬の匂いが一杯に漂っている。まだ遊びたい盛りの音吉が、一日に三度、父のためにこの煎《せん》じ薬を煎じて飲ませる。僅《わず》かばかりの炭火で、結構薬を煎じることができた。  時折《ときおり》、潮風が磯《いそ》の匂いを運んで来て、家の中を吹きぬける。小さな窓から、そして戸口から風は涼を運んで来た。 「父《と》っさまぁ、今、薬を持ってくで……」  音吉は縁《ふち》の欠けた湯呑《ゆの》み茶碗《ぢやわん》に、土瓶《どびん》の煎じ薬を注いだ。静かな部屋の中に、薬を注ぐ音が思いがけなく大きくひびいた。  武右衛門の傍《そば》に薬を持って行くと、武右衛門はせんべい布団に横になったまま、 「おおきに」  と、低い声で言った。そして、ほおっと太いため息をついた。飲んだところで、もう自分の病はなおるまいと、諦《あきら》めた表情になっている。音吉は素早くその父の気持ちを察して言った。 「父っさまぁ。必ず元気になるでな」 「そうかのう」  武右衛門は、煎じ薬の湯気をみつめていた目を音吉に移した。音吉をいつくしむまなざしだ。  武右衛門は、千石船《せんごくぶね》の水主《かこ》であった。十八の年から二年前まで、数え切れぬほど船に乗った。大坂に江戸にと、幾度航海をしたことか。  武右衛門の住む小野浦は、伊勢湾に面した知多半島にあった。知多半島は、人の足の膝《ひざ》から下を横から見たような形をしている。膝裏のあたりに名古屋があり、ふくらはぎの細くなるあたりに、陶器《とうき》で名高い常滑《とこなめ》がある。小野浦は、ちょうどその踵《かかと》のあたりにあった。爪先《つまさき》に師崎《もろざき》があり、その師崎港に千石船が常時何|隻《せき》も集結していた。武右衛門たち小野浦の水主たちは、四里の山道を歩いてこの師崎に出、春の初航海にのぞんだ。そして半年船に乗り、伊吹《いぶき》おろしが冷たくなる頃に、師崎から陸路を通って小野浦に帰る。だが、一航海|毎《ごと》にも小野浦に帰る。その時は千石船《せんごくぶね》を小野浦の沖に碇泊《ていはく》させ、そこから伝馬船《てんません》に乗って妻子に会いに来たものだ。  その一航海の度《たび》に帰って来る武右衛門を、吉治郎、音吉、さとの三人兄弟は、首を長くして待っていたものだ。江戸や伊豆や、大坂の土産《みやげ》が珍しかったからだ。  その武右衛門が倒れて、今は十六歳の吉治郎が、武右衛門の乗っていた宝順丸に乗っている。働き者の母の美乃は、家の周囲にある僅《わず》かばかりの畠《はたけ》に、里芋《さといも》、胡麻《ごま》、麦、冬瓜《とうがん》などを作っている。今日も美乃は畠の草取りに出ていた。  海に向かった窓から、ひときわ強い風が入った。僅か三部屋の小さな家の中を、磯臭《いそくさ》い風が吹き過ぎると、音吉は窓に寄って海を見た。かっと照りつける日ざしが目を射た。  音吉の家は、丘のような低い山を背に、海から二、三丁離れた所に建っていた。窓から浜の松林が色濃く見え、その松の木立越しに、伊勢湾の海がぎらぎらと午後の日を返し、海の向こうに鈴鹿山脈が見えた。  浜べで遊ぶ子供たちの声が、風に乗って聞こえて来る。音吉も泳ぎたかった。が、音吉にはまだまだ仕事がある。井戸の水を汲《く》み上げねばならぬ。父の寝巻きを洗わねばならぬ。昼飯の後始末もせねばならぬ。 「音吉」  ようやく煎《せん》じ薬を飲んだ武右衛門が重い口をひらいた。口を利くのさえ大儀なのだ。 「父《と》っさま、しょんべんか」  音吉が察する。 「うん、すまねえの」 「ううん、何でもないで」  音吉は窓から離れて、武右衛門の傍《かたわ》らに行った。武右衛門は音吉の小さな肩につかまって、よろよろと立ち上がった。その父の背に手をまわして、音吉はそろそろと歩く。この時が、音吉の一番うれしい時なのだ。とにかく父が起き上がることができる。そしてよろけながらも、土間の隅の厠《かわや》まで行くことができる。そう思うと肩にかかる父のその重みさえ、音吉にはうれしいのだ。  小野浦の人々は、音吉の父を「正直者の武右衛門」と呼ぶ。戸数二百六、七十の小野浦には、武右衛門という者が他にもいた。その武右衛門は街の中で風呂屋をしていた。小野浦には二軒の風呂屋があって、武右衛門は大きなほうの風呂屋を持っていた。街の者は、この武右衛門を「風呂屋の武右衛門」と呼び、音吉の父をわざわざ「正直者の武右衛門」と呼んだ。  船乗りに荷抜きはつきものだった。千|石《ごく》の米を積むと、そのどの俵からも、いくらかずつ米を抜いた。荷上げの際、抜き打ちに量目の検査がある。どの俵を役人が検査するか、予《あらかじ》め知ることはできない。だから水主《かこ》たちの主《おも》だった者は、褌《ふんどし》の中に、一俵から抜いた分を隠しておく。 「量目あらためーっ!」  突如《とつじよ》声がかかると、その俵は口をあけて一粒残らず吐き出さなければならない。その時何げない顔をして、立ち合いの水主は褌の米を巧みにその中に落とすのだ。たいていの場合、この操作を船頭がした。だが万一に備えて、何人かの水主たちは褌に米を隠し持っていた。だが武右衛門は、決してそれをしなかった。油を積んだ時は、油を抜いた。塩を積んだ時は塩を抜いた。が、武右衛門だけは、仲間に笑われようと、船頭にいやみを言われようと、それに与《くみ》したことはない。一事が万事で、武右衛門は嘘《うそ》ひとつ言えない正直者であった。  しかし、兄の吉治郎は、父が「正直者の武右衛門」と言われることを嫌《きら》った。 「正直者と言われるのはな、馬鹿者と言われるのと、同じことだで、音吉」  吉治郎は蔭《かげ》でよくぼやく。誰に似たのか吉治郎は、まだ十六歳なのに、船荷をくすねることがうまかった。他の水主たちは、船頭と共に一味になってくすねたが、吉治郎はそのくすねた品物を、更に自分一人でごまかすのである。だがそれに気づいている者はまだいなかった。 「さすがは正直者の武右衛門さんの息子、くるくるとよく働きなさる」  人々はそう言ってほめていた。だが、音吉は更にほめられ者だった。音吉にはまさしく武右衛門の正直がそっくり伝わってい、その上母に似て、よく働き、親切者であった。  今、武右衛門の全身の重みに耐えながら、音吉は父の歩き方が、少しよくなったように思った。 「父《と》っさま、やっぱり少しよくのうてきとるわ。足つきがいつもよりしっかりしとるで」 「そうかも知れん」  武右衛門の声も少し明るい。  武右衛門の尿《いばり》する音が、長く長くつづく。恐らく、我慢するにいいだけ我慢していたのだろう。 (わしに遠慮して)  音吉は父の尿の音を聞きながら、そんな父親を哀れに思った。  武右衛門を床に臥させ、煎《せん》じ薬の茶碗《ちやわん》を片づけて、音吉は庭の井戸に水を汲《く》みに行った。母の美乃が汗を拭《ふ》き拭き、畠《はたけ》の草を取っている。そのつぎはぎの野良着《のらぎ》は、音吉がもの心ついてから、ずっと同じものであった。 「母《かか》さま、ひと休みせんか」 「ああ、もうひと息だで……」  美乃は草を取る手を休めず、日焼けした顔を音吉に向けた。 「母さま、水を飲みとうないか」  音吉は釣瓶《つるべ》の綱を手ぐりながら言う。 「いらんわ。水を飲むと汗になるばかりだでな」  深い井戸に、音吉の姿が映っていた。釣瓶が水に落ち、ぱちゃんと音がはね返って来た。釣瓶に水を一杯|汲《く》みこんで、音吉は重い綱を手ぐり上げる。汲み上げた水を手桶《ておけ》に注ぎ、音吉は土間の水瓶《みずがめ》に運んで行く。幾度手桶を運んだことだろう。幾度運んでも、音吉は水一滴こぼしはしない。いつか父の武右衛門が言った。 「船乗りはのう、水が命だでの。陸《おか》にいて水を粗末にする者は、きっとその報いを受けるで」  その言葉を、子供心に、音吉は心にとめて聞いた。それまでは、水瓶に水を移すまでに、足も裾《すそ》もよく水でぬらしたものだ。音吉もやがて、兄につづいて水主《かこ》になるつもりであったのである。      二 「父《と》っさまー、千石船《せんごくぶね》だあっ!」  水を汲み終わって、窓べでひと息つこうとした音吉が、海を指さした。松の木立越しに、大きな帆を上げた千石船が見えたのだ。 「何!? 船が戻《もど》うたか」  武右衛門が枕《まくら》から首をもたげた。小野浦の沖に泊まれば、小野浦の船なのだ。小野浦には数多くの船主や船頭がおり、千石船が二、三十|隻《せき》もあった。  長男の吉治郎は、千石船に乗って江戸に行った。大坂から米を積んで行った筈《はず》だ。そしてその船がそろそろ帰る筈だった。 「うん、きっと兄《あに》さの船だ」  音吉の声が弾む。 「父っさま。船さ行ってもええか」  音吉の声がうわずる。しっかり者といってもまだ十二歳だ。音吉は今しも浜のほうに上がった子供たちの歓声を聞いて、じっとしていられない。 「ああ行ってもええ」  武右衛門は目をつむった。武右衛門は、自分が船に乗っていた時のことを思い出す。往《い》きには米や油を積んで、荷は満載《まんさい》だが、帰りは空船だ。その船に船主や船頭が、自分の才覚で帰り荷を積む。船底が軽くては航海が危険でもあるからだ。天城《あまぎ》のけやきや女竹、そして伊豆石を積んで武右衛門たちもよく帰って来たものだ。そして小野浦の沖に碇《いかり》をおろし、艀《はしけ》で荷を運んだものだ。しばらくぶりに妻子たちに会える喜びで、重い石も重くはなかった。その石や材木が、船主や船頭を富ませ、自分たち水主《かこ》の生活といよいよ隔たったものにすることさえ、誰も思う者はない。初めから、船頭や船主は土蔵を幾つも持ち、塀《へい》に囲まれた家屋敷に住む者と思って怪しまなかった。船頭が富んでも、水主には関わりのないことだった。只《ただ》、一航海終われば、何がしかの金とささやかな土産《みやげ》を妻子に持って帰ることができる。 (うれしかったものだ)  煤《すす》けた天井を見上げる武右衛門の目尻に涙がたまった。  家を飛び出した音吉は、真っすぐに浜に向かおうとして、仲良しの久吉《きゆうきち》のことを思った。久吉の家は八幡神社の西手にあって、音吉の家から四|丁程《ちようほど》の所にある。つまり音吉の家は、久吉の家とは反対に神社の東にあった。  暑い日ざしの中を音吉は走る。胡麻畠《ごまばたけ》の傍《そば》を通り、里芋《さといも》畠の傍《かたわ》らを駈《か》けぬける。駈ける音吉の影も短く地に走る。  千石船《せんごくぶね》が沖に泊まると、音吉たち子供らは、いつも千石船に泳いで行くのだ。真っ白い米の飯を食わせてくれるからだ。塩をつけた大きな握り飯が目に浮かぶ。生唾《なまつば》が出る。ふだんは粟《あわ》か麦飯しか食っていないのだ。  畠を駈けぬけた所に、船主樋口源六の白壁の土蔵が並んでいた。その土蔵と土蔵の間に、妹さとのうたう声がした。音吉ははっと立ちどまった。さとはまだ七歳だが、樋口の家の子守に雇われていた。この暑いさ中、さとは小さな体に、赤ん坊をくくりつけられ、歌をうたっていた。 「ねんねよう、おころりよう」  ふとった赤ん坊が、肩からずりさがり、さとのふくらはぎのあたりまで足が来ている。さとは並外れて小さいのだ。音吉は、 「さと」  と呼んだ。さとも千石船につれて行ってやりたかった。さとはふり返って、 「兄さ」  と、うれしそうに笑った。のぞいた八重歯が愛らしい。 (千石船さ、握り飯食いに行くべ)  と、言いたい言葉を呑《の》みこんで、音吉はふり切るように走り去った。さとは、日の暮れるまで、赤ん坊の守《も》りをしなければならない。千石船が来たと告げるわけにはいかないのだ。  と、どれほども走らぬうちに、向こうから走って来る久吉の姿があった。 「千石船が来たぞっ!」  二人は鳥居の前で同時に叫んだ。久吉もまた、音吉に千石船が来たと告げに出て来たのだ。二人は顔を見合わせて笑った。そして笑いながら走った。道べの浜木綿《はまゆう》の白い花が風にゆれていた。 「千石船が来たぞっ!」  叫ぶ音吉に、 「しっ! 黙っとれ」  走りながら久吉が言う。 「何で黙っておらんならん?」 「だって、わしらの食いぶちが少なくなるやないか」  久吉が口を尖《とが》らせる。構わずに音吉が叫ぶ。 「千石船が来たぞうっ!」 「それはうそだでーっ」  久吉が叫ぶ。そして二人はげらげらと笑った。  暑い日中、ひっそりとしていた家並みのあちこちから子供たちが走り出す。二人、三人、五人と、走る数が増える。松並木を横ぎると、白い砂浜が西に大きく湾曲してひろがっていた。砂が足の裏に焼けつくようだ。女の子たちも素っ裸になって海に飛びこむ。その中に、船主樋口源六の孫娘|琴《こと》と、久吉の妹品がいた。  音吉は、琴がその紺の浴衣《ゆかた》のひもを手早くほどき、浅黒い引きしまった体をあらわにするまでの一瞬を、目の端に見た。不意に音吉の胸が鳴った。琴の胸が、小さくふくらんでいるのを見たからだ。  音吉は幼い時から今まで、琴の全裸を見ている。このあたりの子供たちは、一糸まとわず海に入るからだ。が、今まで、琴の胸は決してふくらんではいなかった。 (いつのまに……)  少しの間、ぼんやりと突っ立っていた音吉を、琴がふり返ってにっこりと笑った。音吉は不意に、自分が素裸であることが、なぜか恥ずかしく思われた。音吉はあわてて海の中に飛びこんだ。琴も品も、音吉につづいて泳ぎ出す。  左手に磯《いそ》があった。その磯を避けて、荷を積んだ艀《はしけ》が近づいて来た。 「見たか、音吉」  久吉が泳ぎながら言った。 「見たかって、何や?」 「お琴の胸や」 「…………」 「おれ、見たわ。お琴の奴《やつ》、色気《いろけ》づいたで」  久吉は音吉より一つ年上だ。音吉は知らぬ顔をして抜き手を切った。  千石船《せんごくぶね》の開《かい》の口《くち》へ、子供たちが次々と縄梯子《なわばしご》を伝って上って行く。水主《かこ》の一人が手を伸べて引き入れてくれる。音吉は、他の子供が上りきるのを見てから、最後に上った。  賑《にぎ》やかに子供たちが握り飯を食べ終わった頃《ころ》、のっそりと水主部屋に入って来た若い男があった。 「小うるせえ餓鬼《がき》どもだ」  男は口をへの字に曲げた。赤銅《しやくどう》色の半裸が逞《たくま》しい。押し黙った子供たちを男はじろりと見廻《みまわ》し、傍《かたわ》らにいた琴の乳房をむずとつかんだ。音吉がはっと息を飲んだ時、男はもう琴から離れていた。 「しょんべんくせえや」  笑った男の片頬《かたほお》に凄味《すごみ》があった。これがはじめて音吉の見た、熱田在の岩松であった。      三  夜空を仰いで、岩松は胴の間に突っ立っていた。天《あま》の川《がわ》がぼおっと白砂を撒《ま》いたようだ。 「星屑《ほしくず》か」  岩松は吐き捨てるように呟《つぶや》き、しかし心の中では、 (星って一体何だろう)  と、思った。小野浦出の水主《かこ》たちがみんな陸に上がって、船の中には岩松と、そして伊勢若松の千之助、新居浜《にいはま》の勝五郎の三人だけだ。辰蔵も小野浦の者ではなかったが、船頭の重右衛門について、今夜は小野浦泊まりだ。  船の中はひっそりとしている。千之助と勝五郎は水主部屋で花札でもひいているのだろう。岩松は小野浦の町の灯に目をやった。  低い丘を背に、小野浦の灯が点々と見える。船から十二、三丁|程《ほど》の距離だ。ひときわ明るいのは、遊郭《ゆうかく》のある所だろう。岩松はごろりと、胴の間に仰向けに寝た。空がのしかかるように、岩松の上にあった。波がひそひそと船腹を洗う。伊勢湾の海は穏やかだった。  岩松はふっと、熱田にいる妻の絹を思った。目の涼しい、やさしい口もとの絹は、師崎の女だった。知多半島の突端にある師崎は、千石船《せんごくぶね》の碇泊《ていはく》する港で、船宿もあれば水主《かこ》長屋もあった。そして、身を売る女たちもいた。絹はその私娼《ししよう》の一人だった。 (因業《いんごう》婆め)  岩松は絹の母親かんの吊《つ》り上がった目を思い出す。かんに強いられて、絹は体を売っていた。絹が岩松から金を取らなくなった時、それを知った母親のかんが、絹の髪を手にまいて引きずりまわした。ある日岩松は、そんな場面にぶつかって、驚いてとめに入った。かんは岩松にむしゃぶりつき、岩松はかっとしてかんの頭を殴《なぐ》りつけた。かんはその場にうずくまったが、その翌朝かんは死んでいた。医者は卒中だと言ったが、岩松は自分のこの手で殴り殺したのだと思っている。 「ふん、化けて出るんなら出てみろ」  星空を眺《なが》めながら、岩松はそれが癖《くせ》の口を歪めた。  かんの死んだあと、絹は岩松と一緒に熱田に来た。そして今は、岩松の父母に仕えて留守を守っている。  とその時、櫓《ろ》の音が聞こえて来た。岩松は立ち上がった。この時刻になれば、いや、もう来る頃《ころ》だと思っていたのだ。岩松は船べりに寄って海を見おろした。二|隻《せき》の磯船《いそぶね》に五つ六つ、女たちの白い顔が闇《やみ》の中に浮いていた。 「三人でいい」  抑揚《よくよう》のない声で岩松が言った。 「たった三人?」  がっかりした声が返って来た。 「おう、三人だ」  岩松が答えた時、開《かい》の口のひらく音がし、 「待ってたでえ」  新居浜の勝五郎の声がした。女たちが三人、次々に縄梯子《なわばしご》を伝って上って来る。他の女たちは思い切り悪く、 「もう一人ぐらい、ええだろうに」  と声を上げた。 「一人で二人は抱けんでのう」  勝五郎の朗《ほが》らかな笑い声がした。  女が一人ひっそりと胴の間に入って来た。岩松はふり返って女をじろりと見た。柱に吊《つ》るしたほの暗い灯りに、女の顔がおさなかった。 「何を見てた?」  女が寄ってきた。 「小野浦の灯だ。お前の家はどのあたりだ?」 「見えんわ。あの右の丘の蔭《かげ》やで」  女は甘えるように言った。 「年は幾つだ?」 「十六」 「十六か。いつ嫁に行く?」 「来年の秋までに行きたい思うている」 「来年の秋までにか」  岩松は、不意に女の肩を荒々しく引き寄せた。赤く塗った唇《くちびる》がかすかにあいている。  このあたりの娘たちの中には、自分の嫁入り道具を買うために、千石船《せんごくぶね》の男を相手に体を売る者がいる。それはいわばしきたりで、咎《とが》める者はいない。娘たち自身も、そのことで心を痛めることもない。だが岩松は、かすかに口をあけて自分を見上げている娘の顔を見て、ふっとむなしい思いがした。妻の絹が親のために身を売っていたのとちがうのだ。女にとって、男に身を委《まか》すとは一体どういうことなのか。  岩松は肉づきのよい女の体を軽々と抱きかかえて胴の間の板敷きに横たえた。 「こんな所で?」  答えずに岩松は、娘の横に仰向けに寝た。再び夜空がのしかかった。 「あんた、変わっとるね」  しばらくじっと夜空を見ている岩松に、娘は頭をもたげて言った。 「人間は一人一人ちがうでな」  怒ったような言い方だった。 「何を怒っとるの?」 「何も怒ってはいないさ」  言いながら岩松は、自分がいつも何かに腹を立てているような気がした。かんの死に会ってから、こんな人間になったような気がする。 (いや、生まれつきかな)  岩松は、天の川をよぎる雲を見ながら思った。 「どうしてあんた、わたしを抱かん?」  不思議そうに娘は言う。 「今に抱く。その気になればな」 「その気になれば?」  船のどこかで、女の笑う声がした。 「あんた、どこの生まれ?」 「知らん」 「知らん? 自分の生まれた所を?」 「知らん。俺はな、熱田神社の境内《けいだい》に捨てられてあったんだ」 「ま、ほんと? うそばかり言って」 「どうしてうそだ」 「どうしてって……じゃあんたに親ごさんはないの」 「捨て子の俺を、拾ってくれた親はいるさ」  岩松は、父の仁平と母の房の顔を胸に浮かべた。仁平夫婦には子供がなかった。瓦葺《かわらぶ》きの職人だった仁平は、仏の仁平と言われるほど柔和《にゆうわ》な男だ。その仁平が熱田神社に朝早く詣《もう》でに行った。新しい仕事にかかる時、仁平は必ず神社に参詣に行く。そして松の根方で泣いていた捨て子の岩松を拾って、育ててくれたのだ。捨て子の珍しい時代ではない。見て見ぬふりをしていれば、やがてその子の息は絶える。しかも、岩松が捨てられたのは、秋も深い十月末の朝であった。 「よく犬にも食われなんだものよ」  近所の者が、井戸端《いどばた》で岩松のことを話し合っているのを聞いたのは、岩松が十二の時だった。戸をあけて手を伸ばせば、向かいの家に届くような狭い露地に、岩松は育ち、今も住んでいる。  仁平と共に、瓦葺き職人になるつもりだった岩松が、船に乗りたいと思うようになったのは、その話を聞いてからだ。 (なぜ海に出たかったのだろう)  岩松は十三の時から千石船《せんごくぶね》に乗った。それから十二年、岩松は海に生きて来た。別段育ての親の仁平と房がうとましくなったのではない。だが確実に、岩松の性格にかげりができた。そのことに岩松自身気づいたのは、船に乗って三年ほど経ってからだった。 「何で黙っている?」  女が身をすり寄せて来た。と、岩松はがばと身を起こした。そして財布を腹巻きの中から出すと、女に何がしかの金を与えた。 「あら、先にお代をくれるの?」  女は不思議そうに言った。 「帰ってもいいぜ」  岩松はぶっきら棒に答えた。 「まあ! 帰れって。あんた、わたしが嫌《きら》いなの」 「嫌いも好きもない」 「いやだわ、何だか」  女は体をねじらせた。岩松はぷいと立ち上がって、船べりに近づいて行く。女は黙って、寝たまま金を数えはじめた。波の音がひそひそと聞こえるばかりだ。      四  船の中は静まり返っている。 「音を立てるでないぞ」  吉治郎は音吉の耳にそっとささやく。 「みんな眠っているでな」  音吉はうなずく。女たちが帰った後の船の中に、荒いいびきが聞こえた。吉治郎は、抜き足さし足で先に立つ。 (忘れ物って何やろ?)  音吉は、今もまた不審な顔になった。吉治郎は、今夜寝ようとした音吉にこう言った。 「俺、忘れもんをして来たで、今夜のうちに取りに行かんならん。明日は早いでな」 「忘れもん?」 「そうじゃ。音も船まで一緒に行かんか」  音吉は眠かったが、吉治郎が一人で千石船《せんごくぶね》まで行くのも気の毒な気がした。 「行く」  音吉は吉治郎の後について家を出た。家を出る時も吉治郎は、 「父っさまや母《かか》さまには内緒や。ええな」  と、こっそり家を出た。  吉治郎は、浜に上げてある磯船《いそぶね》を海に入れ、巧みに櫓《ろ》をこいだ。千石船が海の上に黒々とひどく大きく見えた。潮の満ちて来る夜の海を、音吉は黙って見ていた。口をひらくことを吉治郎にとめられていたからだ。が、心の中では、その忘れ物は次に帰ってくる時でもいいではないかと、音吉は幾分不満だった。  二人は胴の間の板を踏んで、三の間に近づいた。胴の間の踏立板《ふたていた》がみしっと音を立てた。 「しっ! みんな寝とるでな」  吉治郎はふり返って、音吉の足もとを指さした。三の間の戸に、吉治郎は手をかけた。そしてそろそろと静かにあけはじめた。一寸、三寸、五寸、人一人入れるほどにあいた時、吉治郎は体を横にしてするりと中に入った。三の間はいわば物置で、太い綱や帆などが、山のように積んである。音吉は、暗くぽっかりとあいた三の間の入り口をみつめたまま、じっと突っ立っていた。と、吉治郎が、大きな風呂敷包みを両手に下げて姿を現した。 「兄さ、何じゃ、それ?」  音吉はささやいた。 「しっ!」  吉治郎は素早くあたりを見まわし、その一つを音吉の背に負わせた。ずしりとしたその重みは、米のようであった。 「黙ってついて来い」  吉治郎は、自分も風呂敷包みを背負うと先に立った。音吉は足をしのばせながら、こんな大きな忘れ物をした吉治郎が不思議だった。  吉治郎と音吉が、開《かい》の口に近づいた時だった。ぬっと二人の前に立ちはだかった男がいた。吉治郎はぎょっとして後退《あとじ》さった。音吉は只《ただ》ならぬ気配《けはい》にはっと胸をとどろかせた。  男は無言のまま、二人の前に突っ立っている。吉治郎の体がこまかくふるえた。音吉にはまだ、事のすべてがわからない。が、言いようもなく無気味な気がした。と、男が言った。 「吉! その荷をおろせ!」  吉治郎はへたへたと床にすわりこんだ。 「早くするんだ」  おさえた声だ。音吉は、それが昼に見た男であることに気づいた。船頭の娘お琴の乳房を乱暴につかんだあの男だ。  吉治郎はふるえる手で、風呂敷の結び目を解いた。岩松はその風呂敷包みを持ち上げて、にやりと笑った。そして音吉に近づくと、荒々しく風呂敷包みに手をかけた。音吉はあわてて、結び目も解かずに首から外した。 「帰れ!」  岩松は開《かい》の口のほうをあごでしゃくった。だが吉治郎はおどおどして、まだ床の上に坐《すわ》りこんだままだ。  今、吉治郎は、はじめて船に乗る時に示された数々の定めを思い出した。 [#ここから2字下げ]  一、搏打賭事《ばくちかけごと》を致すまじき事  一、上陸の節は酒を謹《つつし》むべき事  一、決して盗みを働くまじき事 [#ここで字下げ終わり]  等々、役所よりの定めを、船頭は吉治郎に読んで聞かせた。そして言ったのだ。 「ええか。これをよく守るだで。この定めを破ったら、二度と船には乗れん。その上、仲間にも罰が下るでな」  その定めを吉治郎も、最初は守った。が、幾度か船に乗るうちに、そんな定めなど、守っても守らなくてもいいような気がして来た。なぜなら、船頭から水主《かこ》まで、誰一人守っている者はなかったからだ。暇になれば仲間同士で、花札を引いたり、双六《すごろく》をした。むろん金を賭けてのことである。陸に上がれば、酒を謹むどころか女も買った。第一この宝順丸の神棚《かみだな》の下には、「鈴の尾」が飾られている。なめらかなビロードでつくられた飾り物で、細長い枕《まくら》を三つつなぎ合わせたような、陸では見かけぬ代物《しろもの》である。鈴の尾には、贈り主の江戸の遊女の名が刺しゅうされてあった。船頭の馴染《なじ》みの女だと言う。船頭は、 「これはのう、航海の無事|安泰《あんたい》を祈る縁起物じゃ。どの船にも飾ってあるわ」  と、自慢げに水主たちに言って聞かせた。  また、酒や女どころか、抜き荷やごまかしは、日常|茶飯事《さはんじ》で、荷主の米や油や塩などを抜かぬことは一度もない。しかもこの宝順丸は、千石船《せんごくぶね》と公称してはいても、実は千五百石の船だ。積載量に応じて税がかかる。その税をごまかすために千石積みと公称している。それもこれも、結局は盗みではないか。次第に吉治郎は、積み荷をくすねることに馴れてしまった。良心の疼《うず》きを覚えることがなくなった。いつしか吉治郎は、炊事場《すいじば》の米をくすね、陸に持ち出して売ることを覚えた。初めのうちは僅《わず》かずつだったが、今回はいつもよりも、大きくくすねたのだ。炊《かしき》の吉治郎は、米を磨《と》ぐ係だった。 (米の二|升《しよう》や三升)  そう思いながらも、今、吉治郎はふるえがとまらなかった。吉治郎は岩松が恐ろしかった。岩松は単なる水主ではない。腕の立つ舵《かじ》取りである。その度胸《どきよう》と判断力は、船頭も一目《いちもく》置いていた。しかし何か底の知れない恐ろしさがあった。それが時折《ときおり》荒々しい挙動となって現れる。そんな岩松が吉治郎には苦手であった。 「帰れ! 帰るんだ!」  岩松は言葉短く命じた。 「…………」  あやまろうとしても、上あごに舌が張りついたようで、吉治郎は声も出ない。明日からはもう二度とこの船に乗れまいと、吉治郎は覚悟した。船頭ならば、たとい殴《なぐ》りつけても許してくれる。だが、岩松は容赦《ようしや》のない語調で追い立てんばかりである。 「すまなんだ」  吉治郎は床に頭をすりつけた。岩松は三度帰れと言った。吉治郎はようやく立ち上がり、しおしおと縄梯子《なわばしご》を降りた。音吉もそれにつづいた。 (兄さは……)  音吉は兄のしたことに、ようやく気づいたのだ。 (兄さは、船のものば盗った)  二人は磯舟《いそぶね》に降り立った。そして吉治郎が櫓《ろ》を持った時だった。 「待て」  潮で鍛えた岩松の声が低くひびいた。はっと二人が見上げると、岩松がするすると梯子を降りて磯舟に乗り移った。吉治郎が再びおどおどと岩松を見上げた。 「すまんことをした。もう二度としないだで、かんべんを……」  岩松はその吉治郎を黙って見ていた。が、やがてぽつりと言った。 「お前の父《と》っさまと、俺は一緒に船に乗っていたことがある」 「は、はい」  吉治郎は身を縮めた。 「この子は吉の弟か」 「はい」 「何てえ名だ?」 「音吉と言いますで」 「音吉か。音、お前も船乗りになるんか」 「はい」  音吉は、こんな男と同じ船に乗るのはいやだと思いながら答えた。 「そうか、じゃこれはお前にやる」  言ったかと思うと、岩松は肩にひっかけていた先程《さきほど》の風呂敷包みを音吉の足もとに置いた。 「す、すまんことで……」  吉治郎の言葉をみなまで聞かず、岩松は縄梯子《なわばしご》に飛び移り、猿《ましら》のように駈《か》け登って行った。驚く二人の前に、縄梯子が大きく揺れていた。 [#改ページ]   良参寺      一  良参寺の境内《けいだい》に、大きな楠《くす》の木が緑の葉を色濃く繁《しげ》らせている。その下に、十坪ほどの寺子屋《てらこや》が建っている。子供たちは神妙な顔をして筆を持ち、手習いの最中だ。当山の大和尚《おおおしよう》、魯覚玄道禅師《ろかくげんどうぜんじ》が、一人一人の手習いをうしろから手を添えて直してやる。  今日は久吉も音吉も、珍しく寺子屋に来ていた。音吉は父の看病と母への手伝いで忙しかったし、久吉も父について漁に出かけることが多く、月に二、三度も寺子屋に出席できない。  音吉はまじめな顔をして、「い、ろ、は、に、ほ」と書いていく。父の武右衛門が、 「音、船乗りになるんなら、字を覚えて置かねばならん。読み書きのできんもんは、船頭にはなれんでのう」  と、よく言う。船頭は日誌もつけなければならない。荷主や役人と、文書もかわさなければならない。 (どうせ船に乗るんなら、いつかは船頭にならにゃあ)  と、音吉も思っている。一心に字を習っているその音吉のうしろに来て、 「音、うまいぞ、なかなかいい字じゃ」  と、和尚《おしよう》が頭をなでてくれた。音吉の小さな髷《まげ》に和尚の太い指が当たった。すぐ前にいた久吉が、くるりとふり返って音吉を見、ニヤリと笑った。 「ほめられたな、音吉」  久吉の鼻の先に墨がついている。久吉と並んでいる琴もふり返ってうなずいて見せた。女は琴と、松乃という、庄屋の娘の二人だけだ。女には、裁縫、活《い》け花などを教える寺子屋があったが、琴と松乃はどうしたわけか読み書きが好きだった。琴は仮名ばかりか、漢字もかなり覚えている。 「ようし、今日はみんな、おとなしくよく勉強したで、少し話をしてやろう」  和尚が正面の台に腰をおろした。 「このお寺は、何というおっさまをまつっとるか、その一人でも知っとるかな」  血色のよい和尚の口が、ぱくぱくと大きくひらく。久吉はその口の形ばかりをみつめている。ぱらぱらと手が上がった。 「お琴、答えて見い」  お琴はぱっと赤くなったが、元気よく答えた。 「はい。空海《くうかい》さまです」  途端に久吉が、 「ちがう! 弘法大師《こうぼうだいし》だで」  と笑った。和尚が、 「久吉、空海も弘法大師も、同じお方じゃ」  子供たちがどっと笑った。久吉はぺろりと舌を出してまたうしろをふり返り、音吉を見た。 「では、もう一つ聞くでな。ほら、この寺にまつってある薬師如来《やくしによらい》様な、あれは漁師共の崇拝《すうはい》の的《まと》じゃが、それはなぜじゃか知っとるか」  今度は誰も手を上げない。 「うん、昔な、今から五十五、六年前の話じゃ。安永《あんえい》三年の話じゃからのう。中村|良重《よしえ》という網元《あみもと》がおっての。ある日、地曳《じび》き網をひいていたところが、魚の中にぴかーっ、ぴかーっと光るものがある」 「うん」  久吉が一人、相槌《あいづち》を打つ。 「何じゃろう、と網元は胸をとどろかせた。金の鯛《たい》か!? と思うたんじゃのう」 「わかった、それが如来様じゃ」  久吉が、また一人で口を挟《はさ》む。 「そうじゃ、久吉、よくわかったのう」 「馬鹿でもわかるで、和尚さまぁ」 「これは一本参ったのう。久吉は賑《にぎ》やかな子じゃ」  子供たちは再びどっと笑った。 「では、今日はこの寺について、もう少し話を聞かそう」  子供たちは一斉《いつせい》にうなずく。 「この寺はのう。順応禅師《じゆんのうぜんじ》という方が、天正《てんしよう》十三年につくられたのじゃ。天正十三年というのはのう、秀吉公《ひでよしこう》が関白《かんぱく》の頃《ころ》のことじゃ。今から二百四十何年も前の話じゃ」 「へえーっ、二百四十年も前。ずいぶん昔の話だなあ、みんな」  久吉は立ち上がって、ぐるりとみんなの顔を見渡す。三十人余りの子供が久吉を見る。音吉ははらはらした。なぜ黙って聞いていられないのか。音吉には不思議なのだ。だが、この賑《にぎ》やかな久吉を音吉は好きだった。 「そうじゃ、昔の話じゃ。この和尚《おしよう》は偉かったでのう。ここに寺をひらいて、十六年程経った慶長《けいちよう》五年のこと、九鬼嘉隆《くきよしたか》という大将が、あの伊勢から……」  と、和尚は伊勢湾の向こうの伊勢の方角を指さし、 「大船に数千人の兵をひきいて、この小野浦に攻めて来た」 「うん」 「徳川家康討伐《とくがわいえやすとうばつ》のための軍用金をつくろう思うて乗り込んで来たのじゃ。秀吉の子、秀次《ひでつぐ》の命令を受けてな」 「うん」 「手に手に槍《やり》を持ち、刀を持って、そこの上《あ》ゲノ浜から襲って来た」 「うん」 「さあ、村は上を下への大騒ぎ。みんなあわてふためいて、山へ逃げた」 「うん」 「ある男は、先祖伝来の熊の皮をかぶって山奥に逃げ、熊の皮|清兵衛《せいべえ》という名前をもろうた」  子供たちはまた笑った。 「もっとも、これは熊の皮ではなく、牛の皮だったという話もある。逃げたのではなく戦こうたのだという話もある。それで、牛皮という苗字《みようじ》を賜《たまわ》ったとも言われておる」 「どっちが本当やろ」  久吉が頓狂《とんきよう》な声を出すと、他の一人が、 「熊の皮着て逃げたのが、ほんとやないか」  と答える。 「とにかくのう、四|斗樽《とだる》の水の中にかくれた男もいて、そいつは水いたちという仇名《あだな》を取った。寺の雲水《うんすい》もみな逃げた。だが、この順応禅師は、只一人じーっと坐禅《ざぜん》しておられたのじゃ」 「ふーん」  また久吉が相槌《あいづち》を打つ。 「ところがじゃ。それを見た兵が、いきなり禅師の首を斬《き》り、九鬼嘉隆のところに持っていった。九鬼嘉隆は、それが順応禅師と知っただでのう、いたく後悔したという話じゃ。その時、惜しくもこの寺まで焼かれてしもうた」  今度は久吉も声が出ない。子供たちも残念そうに吐息をつく。 「だが、そのあとこんな立派な寺が建ったのじゃ。そして、お前たちも知ってのとおり、大名が訪ねて来るほどのな、格式のある寺となった。ひとつの寺にも、いろいろな歴史があるものじゃ」 「和尚《おしよう》さまぁ。惜しいことをしたなあ。坐禅などせんで、熊の皮をかぶって逃げたら、助かったになあ」  久吉は本気で悔《くや》しがった。 「しかしのう、久吉。人間はみんな死ぬもんじゃ。いつか教えてやった歌を知ってるじゃろう。一休《いつきゆう》和尚の詠《よ》まれた歌じゃ、人はみな死ぬという歌じゃ」  子供たちは首をひねった。覚えているようだが思い出せない。下の句は覚えているが、上の句は忘れている。上の句は覚えているが、下の句は忘れている。そんな顔だ。その中で、音吉の手が上がった。 「おお! 音! 覚えていたか」  和尚がうれしそうに言った。 「はい。生まるれば死ぬるなりけりおしなべて釈迦《しやか》も達磨《だるま》も猫も杓子《しやくし》も」 「うむ、よーく覚えていた。みんな思い出したか。みんな声を揃《そろ》えて言うてみい」 「生まるれば死ぬるなりけりおしなべて釈迦も達磨も猫も杓子も」  とりわけ久吉の声が大きくひびいた。      二  手習いが終わって、子供たちはばらばらと外に飛び出した。敷石を踏んで、一目散《いちもくさん》に山門を出て行く者も幾人かいる。先程《さきほど》降っていた小雨も晴れ、蝉《せみ》もかしましく鳴き出した。久吉が、 「おおい、みんな、かくれんぼせんか」  と呼びかける。みんな喜んで久吉のまわりに集まった。琴もその中にいる。が、音吉は帰ろうとした。今日は母の美乃も畠《はたけ》仕事を休んでいて、父の武右衛門の世話は母がしている。だから寺子屋に手習いに来ることができたのだ。少し遊んで行きたい気もする。だが早く帰らねばならないような気もする。 「何だ、音、帰るんか」  帰ろうとする音吉に素早く気づいて、久吉が声をかける。 「うん、帰るで」  音吉は久吉の傍《そば》にいる琴の顔を見た。 「遊んで行けよ。たまには」  年上の久吉は命令口調になる。他の子供たちも、 「音吉、遊んで行けや」  と、誘った。音吉はまたちらりと琴を見た。琴の目が涼しく音吉に注がれていた。 「うん。少しな」  音吉が言って、じゃんけんになった。  久吉が鬼になった。久吉は楠《くす》の木に寄って目を両手でおおった。寺の縁の下にかくれる者、灯籠《とうろう》の蔭《かげ》にかくれる者、みんな素早い。 「もうええかあ」  久吉が叫ぶ。 「まあだだで」  返事をしながら音吉は焦《あせ》った。久しくみんなと遊ぶことを忘れていた。音吉がかくれようとする所には、既《すで》に誰かがかくれている。 「もうええかあ」  再び久吉の声がする。 「もうええで」  高い縁の下にかくれた子供の声がする。音吉はあわてて、すぐ傍《かたわ》らにある鐘楼台《しようろうだい》の戸をあけた。そして急いで戸を閉めた。鐘楼台の下は物置になっていて、鍬《くわ》や鋤《すき》や草刈《くさか》り鎌《がま》が壁に立てかけてあった。二坪|程《ほど》の小さな物置だ。右手に階段がついて、それを登って鐘《かね》をつくのだ。その階段を見上げて、音吉ははっとした。琴が階段の途中に腰をかけて、音吉をみつめていたからだ。音吉は思わず顔が赤くなった。短い着物の裾《すそ》から、琴の足が二本のぞいている。琴がにっと笑って、 「音吉つぁん、こっちに来ない?」  と、ひそやかに言う。音吉は赤くなったまま突っ立っている。 「ねえ、おいでよ」  甘えるように琴が言う。だが音吉は、戸を背に動こうとしない。二人はじっと顔を見合わせたままだ。少し経つと音吉は息苦しくなって、目を外《そ》らした。と、本堂のほうで、 「見つけたぞう、竹造!」  と久吉の声がした。久吉の声は、鐘楼台から遠かった。つづいて、 「作市! 甚太! 見つけたでえ」  浜育ちは声が大きい。父親の又平と漁に出ている久吉の声は、わけても大きい。久吉の声を幾度か聞くうちに、音吉の緊張がほぐれた。 「音吉つぁん、あんた千石船《せんごくぶね》に乗るって、ほんと?」  琴が首をかしげる。琴は音吉と同じ年だ。 「うん、そのつもりだ」  音吉がはっきりとうなずく。 「やっぱりほんとなの。うちの父っさまがね、音吉つぁんなら、きっといい船頭になれるって、言うてたわ」  ささやくような声が、音吉の胸をくすぐる。 「船頭になんか、おらあなれん」  音吉は思いとちがうことを言った。船頭には、船主が船頭を兼ねる直乗《じきの》りの船頭と、水主《かこ》上がりの沖船頭がある。船頭はほとんど世襲《せしゆう》だが、全くなれぬと限ったことではない。 「いや、音吉つぁんならなれる。でもね、船に乗ったらあかん」  と立ち上がった。 「何であかん?」  音吉が言うと、琴は黙って階段を降りて来、音吉の傍《そば》に立って、真剣な顔になって言った。 「嵐はこわいでな、陸《おか》にいてほしいわ」 「陸にいてほしい?」  音吉の胸が高鳴った。とその時、がらりと戸があいて、久吉の顔がのぞいた。 「あ、いたいた、へえー、お琴とたった二人で、何してた、音」  からかうように久吉が二人を見た。音吉は赤くなり、 「かくれてた」  と、言ったかと思うと、外に飛び出した。  かくれんぼを三、四度するうちに、子供たちは飽きた。良参寺の境内《けいだい》はあまりに広く、かくれる場所が多過ぎる。見つける者もかくれる者も、退屈してしまうのだ。何人かは途中で帰ってしまった。琴も松乃と帰って行った。 「本堂に入ってみるか」  久吉が音吉を誘った。 「うん」  音吉は広い、しんとした本堂が好きだ。二人は本堂に上がった。上がったすぐの畳に賽銭《さいせん》箱があった。習ったことはないが、この賽銭箱という字を、音吉は読むことができる。小さい時からよく寺に来ているからだ。  須弥壇《しゆみだん》の左手に、十六|羅漢《らかん》の像が飾ってある。合掌《がつしよう》している者、坐禅《ざぜん》をしている者、腰かけている者、立っている者、様々な姿勢だ。表情も、怒り顔、笑い顔などなど、十六羅漢は生き生きとしている。だが久吉は、板の間を通って、右手の地獄極楽の絵図の下にあぐらをかいた。音吉は板の間をそっと歩く。鶯張《うぐいすば》りの板の間は、そっと歩くとかえってよく鳴るからだ。音吉はその板の間を行ったり来たりした。 「何をしとる」  と、久吉が呼ぶ。 「うん、何もしとらん」  音吉はようやく、久吉の傍《そば》に行った。と、待ちかねたように久吉は尋《たず》ねた。 「お前な、さっき鐘《かね》つき堂の中で、お琴と何しとった?」 「何もしとらん。かくれてただけだで」 「何もしとらんことがあるか。あんなにすれすれに、近《ちこ》う立っていたでないか。音、お琴の手え握ったな」 「握らん、手なんて」  音吉の顔がまた赤くなった。 「嘘《うそ》を言え。嘘を言ったら、ほら、この地獄極楽の絵を見てみい。この亡者《もうじや》のようにえんま様に舌をぬかれるで」  久吉は脅《おど》す語調になった。 「俺は嘘は言わんで、正直武右衛門の息子だでな」  言ってから音吉は、この間の夜、兄の吉治郎が千石船《せんごくぶね》に米をくすねに行ったことを思い出した。地獄極楽の絵には、物欲の強かった女が、亡者となっても手を差し伸べて、何かを得ようとしている。が、その亡者の欲しい物は、すぐ目の前にあっても手が届かない。音吉は吉治郎を思って、胸が重たくなった。 「ふーん。ではほんとに手え握らなかったな」 「うん、ほんとに握らん」 「じゃ、どこかにさわったな」 「さわらん。どこにもさわらん」 「ほんとかお前、あんなにそばにいて、胸にも尻にもさわらんかったか」 「さわらん、どこにも」 「そうか、お前は正直武右衛門の倅《せがれ》だでな」  久吉はごろりと畳の上に横になった。そして格《ごう》天井を見上げて言った。 「俺な、音吉。俺、お琴に惚《ほ》れとるでな、だから気になったんや」 「惚れとる!?」  惚れるという言葉に音吉はどきりとした。 「うん、惚れとるでな。音吉はどうや。惚れとらんのか」 「惚れるなんて……」 「そうやな。お前、まだ餓鬼《がき》だでな。色けづくのはまだ少し間があるわな」  一つしか年上ではないが、久吉はいかにも年長者のような口をきく。 「音吉、お前見んかったか。千石船に米のまんま食いに行った時よ、お琴の胸ばがっつとつかんだ男よ」  音吉は答えなかった。 「お前は握り飯食うていて、見なかったかも知らんが、あれを見てな、俺はかーっと頭に血がのぼったんじゃ。一度でいいから、俺もお琴の胸をきゅーっと握ってみたいでな」 「そんなこと……それこそえんまさんに針の山に追い上げられるでえ」  音吉は地獄の絵を見上げた。亡者たちが針の山に髪をふり乱して追い上げられて行く。 「なあに、地獄極楽なんぞ、あるかないか、死んで見にゃわからんことだでな」  久吉は大声で笑いとばした。      三  音吉は、妹さとが船主樋口源六の家から帰るのを待ちかねて外に出た。  赤い夕日に映えて、海は今、紫、浅黄《あさぎ》、赤、緑と、幾層にも染め分けられている。音吉は目を細めてその海を見た。波打ち際に、金色の光が荒く乱れて散っている。今、夕日は鈴鹿《すずか》山脈に静かに落ちて行くところだった。真っ赤な櫛《くし》のように見えていた夕日が、次第に一の字になり、遂に光の破片となって山にかくれた。  日が沈むと、海は一様に紫に変わりはじめた。 「兄《あに》さー!」  と呼ぶ、さとの声がした。ふりむくと、小さなさとが向こうから走って来る。 「おさとーっ」  音吉も呼んだ。 「兄さ、これ、鰈《かれい》もろうて来たでえ」  さとは叫びながら畠《はたけ》の中の小道を走って来る。さとは、船主の家から、一日の子守を終えて帰る時、干魚や若布《わかめ》などを時折《ときおり》もらって帰る。それがさとの子守の報酬《ほうしゆう》なのだ。いや、報酬は船主の家で食べる朝飯と昼飯が正当な報酬だった。さとは朝、母に起こされると、眠い目をこすりこすり井戸端《いどばた》で顔を洗って、すぐ船主樋口の家に飛んで行くのだ。それだけで音吉の家では口べらしになる。その上、時折今日のように土産《みやげ》がある。  音吉は、さとの小さな手から五枚の干鰈を受け取って胸が痛んだ。さとが休む間もなく子守をしていることを思うと、時折息ぬきに寺子屋に行ったり、遊んだりする自分が、情けうすい人間に思われるのだ。 「うまそうだな、さと」  うれしそうにさとの差し出した干鰈《ほしがれい》の匂いを嗅《か》ぎながら、音吉が言う。さとはにっこりうなずいて、音吉より先に家の中に駈《か》けこむ。 「母《かか》さま、父《と》っさま」  一日見ることのできなかった親の顔を、さとは一刻も早く見たいのだ。 「おう、おおきにおおきに」  布団の上に坐《すわ》っていた武右衛門が、首だけを向けた。  厨《くりや》にいた母の美乃が駈けよって、さとのかぼそい肩を抱きしめた。 「母さま」  さとは甘えて半泣きの声を出す。一日を他人に取り囲まれて過ごした幼いさとは、何となく泣きたくなるのだ。 「母さま、さとが鰈もらってきたでよ」  音吉が突っ立ったまま、干鰈を高くかざしてみせた。 「それはそれは、いつもありがたいことやのう」  武右衛門が両手を合わせた。美乃も、 「ほんにありがたいことじゃ。さとがよく働くからじゃ」  と、さとの頭をなで、 「すぐに焼いて、いただくかのう」  と腰を上げる。音吉が、 「いや、俺が焼くで、母さませんでええ」  と、土間に降り、かまどの下から燠《おき》を七輪に手早く移した。  食事の終わる頃《ころ》には、さとはもう、傍《かたわ》らの美乃によりかかって、眠りこけていた。いつもこうだ。七つのさとの体には、赤子の守りは応《こた》えるのだ。だが、さとよりもっと年下で、子守に出ている者もいる。音吉はそう思いながら、さとの柔らかな体をそっと抱き上げて、横にしてやる。行灯《あんどん》の光に、さとの丸い顔が愛らしい。襖《ふすま》をあけ放した奥の間に、蚊遣《かや》りの煙がなびいていく。  美乃が後片づけをしたところに、戸口で声がした。 「今晩は、武右衛門さん。体の具合はどうかね」  さとの雇い主の船主樋口源六が、恰幅《かつぷく》のいい姿を現した。源六は吉治郎の乗っている宝順丸の船主で、琴の祖父である。琴の父重右衛門は、宝順丸の船頭として、一年のうち九か月は海にいた。 「おう、これはこれは親方さま」  寝たばかりの武右衛門が、両手を突っぱって起き上がろうとした。 「いやいや、そのままで」  源六は柔和《にゆうわ》に両手をふってみせる。その手の甲に茶色の汚点が幾つか浮いている。 「ほんにいつも、吉治郎やさとが……今日もええ鰈《かれい》を頂戴《ちようだい》して」  半身を起こして、武右衛門が実直に頭を下げた。 「いや、なんのなんの。船主と水主《かこ》とは親子の間だでな。これはまんじゅうじゃ」  源六は下げていた風呂敷包みを美乃のほうに差し出した。 (まんじゅう!?)  たちまち生唾《なまつば》が音吉の口の中にひろがった。まんじゅうなど、めったに食うことがない。良参寺で、檀家《だんか》の法要に偶然出くわした時など、和尚《おしよう》からわけてもらえるぐらいのものだ。友だちの久吉は不思議に法要のある日を嗅《か》ぎつけて、寺の掃除《そうじ》などに駈《か》けつけると聞いた。が、音吉にはそんな嗅覚《きゆうかく》はない。とにかくまんじゅうは、大変な馳走《ちそう》なのだ。 「これはこれは、ありがたいことで」  ひれ伏すように美乃が受け取ると、源六が言った。 「いやいや心ばかりじゃ。ところでお前さんとこの音吉は、大変な利口者《りこうもの》じゃとのう」  唾をのみこんでいた音吉は、自分の名が出てびくりとした。 「お琴が言っていたで。三十人もの寺子屋の中で、一休《いつきゆう》和尚の歌を覚えていたのは、音吉一人だったとな」  音吉はうつむいた。 「はあ、一休さんの?」  武右衛門は何のことかわからない。 「どんな歌だったかな、音吉」  源六が音吉に声をかけた。 「はい、あの……生まるれば死ぬるなりけりおしなべて釈迦《しやか》も達磨《だるま》も猫も杓子《しやくし》も」 「なるほどなるほど、いかにも一休和尚の詠みそうな歌じゃ。お釈迦さまや、達磨大師も、吾々《われわれ》猫や杓子も、生まれた以上、みんな死んで行く者だでなあ」  源六はうなずきながら歌を味わっていたが、 「それにしてもじゃ。この歌をまちがいなく覚えていたのは、この音吉一人じゃったそうだで、お琴がえらい感心しておったわ」  琴が感心していたと聞いて、音吉はうれしかった。が、なぜか、琴の顔が浮かばずに、いきなり岩松の顔が目に浮かんだ。 「ところで、今日は折り入って頼みがあって来たでのう、武右衛門さん」 「は、頼みと申されますと?」  武右衛門は床の上に起き上がった。 「いや、そのままそのまま」  と、両手でおさえるようにして源六は言い、おもむろに腰の煙管《きせる》を抜いて、煙草を詰めた。 「話と言うのはじゃな、実はこの音吉を、うちの使い走りに、しばらく貸してもらえんかと思ってのう」 「え? この音吉を?」 「実はの、長助が昨日の朝から、急にいのうなってな」 「急に? と申しますと……」 「御蔭参《おかげまい》りじゃ、お蔭参り」  源六が苦笑した。 「ははあ、御蔭参り、つまり脱《ぬ》け参りということで」  音吉も御蔭参りのことは聞いていた。何でも、六十年毎に御蔭参りが流行するという。今年はその御蔭参りの年で正月早々伊勢神宮の札《ふだ》が、日本中に、天から降ったという噂《うわさ》が立った。御蔭参りの年にはこのお札が降るらしい。  音吉は、お札が降ったと幾度か聞くうちに、自分もこの目で見たような錯覚をおぼえた。空からお札が風にのって、あっちの山の上、こっちの軒の下、そっちの浜べに降ってきたのを本当に見たような気がするから不思議だ。  このお札の噂が立つと、どこの土地からも、伊勢神宮に五人、十人、二十人、あるいは四十人と、一団になって参詣が始まる。御蔭参りの特徴は、誰にも断らずに、いつ何時飛び出してもいいということだ。金を一文持たなくても、握り飯一つ持たなくても、この参詣人たちを泊める善根宿《ぜんこんやど》や、接待所が道中に出来る。食べ物も銭も、駕籠《かご》も馬も、風呂もみんな必要に応じて与えられる。しかも主人や親や、夫や妻や舅《しゆうと》に断りなく飛び出しても、誰も咎《とが》めることはできない。万一それを拒む者がいれば、たちまち神罰が下ると、人々は信じていたからだ。 「なるほど、長助が御蔭参りに脱け出しましたか」 「仕方がないことでのう。事はお伊勢さまのことだで、誰も反対もできん」 「それにしても、一言の相談もなく……」  武右衛門は納得のいかない顔になる。 「おもしろいことがはやるもんだ。とにかく御蔭参《おかげまい》りの年にお伊勢さまに参れば、特別のご利益《りやく》がたんとあると言うでのう」  船主の源六は、御蔭参りはこんなものだと、最初から諦《あきら》め切った顔をしている。 「しかし旦那《だんな》、長助はいつもおとなしく、大きな声一つ立てん子なのになあ」 「それだで、武右衛門さん。御蔭参りに出て行く奴《やつ》は、ふだん虫も殺さぬ顔をした奴が多いそうだでのう。それと、ふだんから遊び好きの奴よのう」 「なるほどなるほど」  武右衛門がうなずく。常々上の者に頭の上がらぬ者ほど、御蔭参りに一時の自由を得たいと思うのであろう。 「長助はの、従弟の久吉と、野間から船に乗って行ったらしいのじゃ」 「久吉が?」  音吉が驚きの声を上げた。つい二、三日前、良参寺でかくれんぼをした久吉は、御蔭参りのことは、おくびにも出さなかった。 「おう、お前と仲よしの久吉じゃ。あの久吉が長助を誘ったんじゃなかろうかとわしは思うがのう」 「久吉がのう」  音吉は、久吉が御蔭参りに飛び出した気持ちがわかるような気がした。久吉の父親は、短気で、口より先に拳骨《げんこつ》が飛んでくるような男だ。母親は明るい女で、久吉はその母親に似たらしいが、それでもふだん父の鉄拳の下にあるのはつらかったのかも知れない。 「という訳《わけ》だで、長助の帰って来るまででも、住みこんでもらえんかのう」 「こんな子供でも、役に立てば……」  武右衛門はかしこまって、布団の上に両手をついた。 「そうか。貸してくれるか。それはありがたい」  と、源六は煙草を深く吸いこんで、満足そうに音吉を見、「とにかく今年の春には、僅《わず》かひと月の間に、二百万以上の人間が、お伊勢さんに参ったというでな」  話がまた御蔭参《おかげまい》りに戻《もど》った。 「ほほう! 二百万人!」  武右衛門が首を小きざみにふるわせた。 「二百万人ねえ」  美乃も驚いて言う。音吉には、二百万がどれほどの数か見当もつかない。この小野浦の戸数は、二百何十軒とか聞いている。その家を一軒一軒数えて歩くさえ、大変なことだ。 「たったひと月の間にじゃ。一日に分けても大変な数だで。それが、幟《のぼり》を打ち立てたり、まんどうを掲げて、『お蔭でさ、するりとな、脱《ぬ》けたとさ』とうたいながら、踊り歩くそうじゃ」  源六は踊る手ぶりをしてみせた。 「へえー、大変な騒ぎでござりますなあ」 「うん、大変なことよのう。それだけの人間に、只《ただ》で飯を食わせるだけでも、容易なことではない」 「ほんとにねえ」  美乃もうなずく。音吉は、久吉が大勢の大人たちの中に入って、 「お蔭でさ、するりとな、脱けたとさ」  と、人一倍大きな声で、ひょうきんに踊って歩く姿が目に浮かんだ。音吉も、そんな仲間の中に入って、知らぬ他国を旅してみたい気がしないではない。だが、さとでさえ子守をして働かなければならないわが家を思うと、如何《いか》にご利益《りやく》のある御蔭参《おかげまい》りとはいえ、気儘《きまま》に飛び出すわけにはいかないことだった。 「武右衛門さん、御蔭参りに事よせてのう、河内では大勢で物持ちの家に押しかけ、土足で部屋に上がって踊ったそうじゃ。そしてのう、酒や肴《さかな》を出させたり、年貢《ねんぐ》減らしを頼んだり、借金棒引きまで交渉したそうじゃ」 「へえー、大勢の力というものは、恐ろしいものでござりますのう」 「日頃《ひごろ》の不平不満が、どっと一度に出て来るんじゃろうのう。上に立つ者も考えねばあかん」 「ほんとでござりますのう」 「何でも、男が女のかっこうしたり、女が男の姿をしたり、踊り狂っているそうだで」 「まあ! 女が男の姿して?」  美乃が呆《あき》れた。 「そうだとさ、お美乃さん。奇妙な世の中じゃ。今年は熱田にも、お伊勢さんの宮魂《みやだま》が、ぱあっと光って飛んで来たそうじゃ。それで熱田神宮にも御蔭参りが押しよせて大騒ぎと聞いたわ」  熱田がどんな所か、伊勢がどんな所か、音吉にはわからない。だが見知らぬ地の話を聞くことは、何か胸のとどろく思いがする。武右衛門と共に源六の話に聞きほれている音吉に、源六が言った。 「では、音吉、行こうか」 「えっ? 今晩から!? 親方さま」 「明日の朝が早いでなあ」  ゆったりと笑って、源六が立ち上がった。 「はい、それでは……」  音吉も立ち上がった。が心の中で、父の看病を母が一人でするのかと、気の毒な気がした。すぐ目と鼻の先に行くというのに、音吉はうしろ髪をひかれる思いで家を出た。  その夜、音吉はなかなか寝つけなかった。音吉の与えられた寝部屋は、塀《へい》を入ってすぐ横の使用人部屋であった。作男《さくおとこ》や下男が四人程同じ部屋にいた。男臭い部屋だった。音吉は、垢染《あかじ》みたせんべい布団の中に、じっと目をあけていた。この布団に寝ていた長助は音吉より三つ年上の十五歳である。長助は今頃《いまごろ》、どこかの宿で、久吉とどんな夢を見ていることだろう。 (長助は帰ってくるだろうか)  帰って来なければ、自分はいつまでもこの家に住みこまなければならない。先程源六が言った。 「朝起きたら、先ず水|汲《く》みじゃ。いいな。夜明けと共に起きるんだぞ」  夏の夜明けは早い。早く眠らねばと思うのだが、どうも寝つけない。 「何だ、音、眠れんのか」  傍《かたわ》らにいた若い男が言った。藤造という男だ。 「うん」 「長助が帰って来たら、長助に恨みごとを言ってやるといい。あいつおとなしい顔してるに、一人で脱《ぬ》け参りしおって」  藤造が闇《やみ》の中で、ぶつぶつ言った。と、その向こうの男が、 「俺も今夜は、眠られんわ。何やむずむずしてのう」  と、むっくり起き上がった。そして、ぷいと外へ出て行った。厠《かわや》にでも立ったのかと思ったが、男はなかなか戻《もど》らない。しばらく音吉は、男がどうしたのかと気になった。 「あの人、どうしたんかな」 「ああ、奴《やつこ》さんか。奴さんは夜這《よば》いに行ったんやろう」  藤造はこともなげに笑った。 「夜這い?」  夜這いのことは、子供の音吉も聞いている。だが聞いているだけで、本当に夜這いに行くのを見たことはない。 「音、夜這いって何か知っとるか」 「……ようわからん」  音吉は正直に答えた。 「まあ、知らんでもええわな。しかしな、ここのお嬢に目をつけている男もいるでな。お前、妙な男が入って来たら、騒ぎ立てなあならんで」  最初の夜から、音吉はずっしりと重荷を負わされた心地だった。 [#改ページ]   截断橋《さいだんばし》      一 「大した騒ぎだ」  船から岸に飛び降りて、岩松は呟《つぶや》いた。  岩松は今、熱田の築地町|七里《しちり》の渡し場に着いたのだ。七里の渡しとは、東海道筋にある渡し場で、ここから桑名まで、海上七里を船で行く。岩松は船を降りると、石で造った広い階段を数段登った。その段を上がった所で、岩松は浜沿いの街道筋の賑《にぎ》わいを見た。  腰に小さな柄杓《ひしやく》をつけた御蔭参《おかげまい》りの老若男女がぞろぞろと行く。この曲《まげ》物の柄杓さえ持っていれば、天下ご免の御蔭参りができるのだ。頬《ほお》かむりをした者、尻をからげた者、半裸の者、ひる下がりの暑い日射しの下を行く人々の姿は、さまざまだった。 「ふん」  岩松は皮肉に笑った。話には聞いていたが、これほどまでの人出とは思わなかった。岩松は、驚くというよりも、少し呆《あき》れた。  岩松自身、実は御蔭参りに名を藉《か》りて、宝順丸を鳥羽で降り、熱田行きの船に乗ったのだ。熱田住まいの岩松は、熱田神宮にわざわざ御蔭参《おかげまい》りをするつもりはない。只《ただ》、子供の時からの習慣で、熱田に帰ればいつも一度ぐらいは参詣に行く。いや参詣というより、物思いにふけりに行くと言ったほうがいい。自分が捨てられていたという松の木の根方に、岩松はじっと立ちどまってあたりを眺めるのだ。そして想うのだ。その時まで自分を抱いていた母親が、赤子の自分をそこに捨てる時の、その姿を思うのだ。 (捨てられるとも知らねえで)  岩松は、その時の自分の姿をも想像する。無心に母の胸に抱かれていたであろう自分を想う。その母親が幾つであったのか。どんな顔をしていたのか。むろん知る由《よし》もない。  だが、いつの頃《ころ》からか、岩松の胸の中に、色白の弱々しい、二十前後の女が目に浮かぶようになった。自分を松の根方に寝かせる前に、その胸を押しひろげて、心ゆくまで乳房をふくませたにちがいないと思ってみる。そして、一心に乳房を吸う自分の顔を、涙にかきくもった目でみつめていたであろうその女の顔を、想うことができるのだ。 (よっぽどの事情があったんだろう)  岩松はそう思うことにしている。  子供の頃岩松は、どこの神社であったか、ある絵馬堂で、恐ろしい絵馬を見た。それは、洗い髪の女が、赤子の首を両手でしめている絵馬であった。貧しい家に生まれた子は、こうして闇《やみ》から闇に葬られたと聞く。そして今もまだ水子《みずご》は絶えない。間引《まび》きされる赤子の話は珍しくない。それにくらべると、とにかく自分は殺されはしなかった。誰かが拾ってくれるだろうと、自分が拾われるまで、物蔭でそっとみつめていたかも知れない女の姿を想っても見るのだ。そんな岩松にとって、熱田神宮は、神宮というより、もっと身近な存在であった。  だから岩松は、御蔭参《おかげまい》りに憑《つ》かれたように踊って歩く姿や、度を越えた賑《にぎ》わいを見ると、つい皮肉な笑いが浮かぶのだ。  街道筋には、大小の二階建ての家がずらりと並んでいた。旅籠屋《はたごや》もある。飯屋《めしや》もある。その二階の手すりに寄って、通りの賑わいを見おろしている男や女もある。その手すりに、白い手拭《てぬぐ》いが汐風《しおかぜ》にゆらいでいた。  渡船場《とせんじよう》に面したこの街道筋のすぐ裏に、岩松の家はある。妻の絹が、岩松の養父母と共に、住んでいるのだ。飛んで行きたい懐かしさをこらえて、岩松は岸べの灯籠《とうろう》に近づいて行った。この灯籠は熱田神宮の常夜灯である。灯籠とはいえ、切り石を重ねて建てたこの灯籠は、人間の倍ほどの高さがある。むしろ低い灯台と言ったところだ。これに灯が点《とも》ると、船は航行を禁じられた。由井正雪《ゆいしようせつ》の乱以来、船は夜の航行を禁じられるようになったのである。だからこの常夜灯は、船のための灯りではなく、航行禁止の標示でもあるのだ。  いつの頃《ころ》からか、岩松は船から上がると、この灯籠に手を触れずにはいられなくなった。灯籠に手を触れて、はじめて熱田に帰ったという実感が湧く。  実はこの灯籠に思い出があった。絹を娶《めと》った翌年、岩松が江戸から帰った時だった。予《あらかじ》め、何日頃には帰るだろうと知らせてはあった。だが途中、風の向きが変わって、予定が三日程遅れた。岩松は船縁《ふなべり》に寄って、近づく熱田の町を見ていた。近づくにつれて灯籠もはっきりと見えて来た。と、その灯籠にもたれて、姿のよい女が立っているのが秋陽の下に見えた。 「おう、いい女じゃのう」 「うん、あの灯籠《とうろう》を背にした女じゃろう」  旅人たちが軽口《かるくち》を叩《たた》いた。 (お絹ではないか!?)  岩松は目をこらした。船が近づくにつれて、それはやはり絹であった。絹は泣き出しそうな表情で、船の岩松をじっとみつめていた。その時岩松は、この世にたったひとつ、信ずることのできるものを見いだしたような気がした。あの時の思いが、ついこの灯籠に手をふれさせるのかも知れない。  岩松は、今も灯籠に寄って、遠く右手にかすむ桑名の城を見た。 (お絹の奴《やつ》、喜ぶだろうな)  十一月まで、岩松は熱田に帰る予定はなかった。それが急に、絹の顔を見たくて、鳥羽で宝順丸を降りたのだ。突然|舵取《かじと》りの岩松に降りられては、後の航海に差し支えがある。それを百も承知で、岩松は船を降りた。それは、鳥羽の港で、宝順丸が熱田行きの船と隣り合わせになったからだ。その船に会わなければ、今頃《いまごろ》は大坂に向かっていたであろう。  時ならぬ時に帰った自分を、絹はどんな顔で迎えるであろうと、岩松は微笑した。が、その岩松の胸に、絹の母親かんの死に顔が浮かんだ。岩松は舌打ちをして灯籠を離れた。      二  岩松は、人で賑《にぎ》わう街道筋を横切って、その裏手の路地に入った。この路地には、長屋が向かい合って建ってい、突き当たりには井戸があった。大八車《だいはちぐるま》が一台入れるか入れないかの狭い路地だ。この裏長屋には、大工や船職人が多く住んでいた。その長屋の中程《なかほど》に岩松の家はあった。どの家も、戸をあけ放しにして、中は丸見えだ。閉じているのは、独《ひと》り者の住まいだけだ。あちこちから赤子の泣き声や、子供の笑う声が聞こえる。 「おや、岩さんじゃないか」  家の中から岩松を見て、声をかける女もいる。 「よう、しばらく」  岩松は答えるのももどかしく通り過ぎた。と、自分の家から、ひょいと出て来た男がいた。半纏姿《はんてんすがた》の若い男だ。男は岩松に気づかずに、井戸の近くの一番奥の長屋についと入って行った。晴れ晴れとしていた岩松の顔が、ふっとかげった。岩松は考える目になって、自分の家に入った。 「おや、岩松! まあ! 岩松じゃないか」  驚きの声を上げたのは、養母の房だった。 「今、帰った。おっかさん変わりは」 「ああ変わりはないよ」  答える房に岩松は、六畳ひと間に四畳半二つの小さな家の中を、土間に突っ立ったまま見まわして、 「お絹は?」  と尋《たず》ねた。岩松が帰って来て、絹が家にいなかったことは、今までになかったことだ。 「ああお絹な、お絹はの、表の古田屋さんに頼まれたでな、この春からずっと、手伝っているのさ」  房は肥った体を、それほど大儀そうにもせず、すすぎのたらいに、水桶《みずおけ》の水を汲《く》みながら言った。 「古田屋?」  岩松はむっとする。古田屋はこの裏長屋を持つ大きな旅籠《はたご》屋だ。が、このあたりの旅籠屋には、飯盛《めしも》り女が置かれている。飯盛り女は、いわば宿場女郎《しゆくばじよろう》だ。まさか、人妻の絹を飯盛り女に使いはしまいと思いながらも、岩松の胸は波立った。  熱田には神宮と渡し場があるために、旅籠屋の数も東海道随一だ。大小百五十軒からの旅籠屋が、目白押しに並んでいる。そのほかに、大名の泊まる本陣が二つ、脇本陣格《わきほんじんかく》の大旅籠が十四、五軒ある。だが古田屋はその脇本陣格の中には入らず、飯盛り女を置いていた。  むっとしたまま、わらじを解いている岩松に気づかず、房はうれしさのあまり言葉をつづける。 「ねえ、岩松、驚くわのう。この御蔭参《おかげまい》りの賑《にぎ》やかなことと言うたら。江戸から、博多から、新潟から、仙台から、日本国中から、次から次とやって来るだでねえ。まるで人間が湧《わ》いて来るようなものさ。はじめはお伊勢に参る人たちでな、ここの渡し場が賑わったもんだが、今はお伊勢参りと、熱田参りが重のうたでな、そりゃ大変なものさ」 「…………」 「何でも、お伊勢さんから熱田さんに、ぼうっと光る神魂《かみだま》が飛んで来たとかでな。まあお前も行って見い。本殿《ほんでん》の上に、その神魂が光って見える言うことだで。……と言うわけでな、猫の手も借りたい忙しさだで、長屋の女たちも表に狩り出されてな。みんな大喜びだよ。なにせ、お宝が少しでももらえるわけだからさ」  岩松はぬるい水で乱暴に足を洗い、雑巾《ぞうきん》で拭《ふ》くと、 「それで、おっかさん、お絹は古田屋に泊まりっきりですかい」 「いえね、寝る時だけは、帰って来るでな。夜遅くな。しかし、おまんまは朝昼晩と、古田屋さんで食べさせて下さるで、こんなありがたいことはないよ」  岩松は足を洗った水を、路地に向かってばさっと音を立てて撒《ま》き、 「夜にならなきゃあ、帰らねえか」  と、家に上がった。 「よかったねえ、無事に帰って来てさ」  房はいそいそと行李《こうり》から浴衣《ゆかた》を出し、あぐらをかいた岩松に言った。 「ひるはすんだのかい。ちょうど銀次さんにもらった団子があるよ」 「銀次、聞いたことのない名前だな。どこのどいつだ」 「この五月に移って来た、船大工の銀次さんだよ。独《ひと》りもんで、気前のいい男さ。団子だ、まんじゅうだ、せんべいだと、あたしの好きなものを、いつも持って来てくれるでな」 「ふーん、いやに親切な野郎じゃないか」 「ほんとうに親切な人さ。お父《と》っつぁんも大喜びでな」 「ふーん。その銀次ってえの、今しがたここから出て行った男じゃねえのか」 「ああそうだよ。お前見かけたのかい。いい男前だったろ」  岩松は答えずに、ごろりと横になった。何か不安だった。 「お父っつぁんは?」  養父の仁平は今は瓦《かわら》職人をやめて、家でぶらぶらしていた。 「そうそう、それがさ。お父っつぁんまで、古田屋の風呂|焚《た》きに狩り出されてさ。ま、みんなそろって働けるのは、ありがたいことだで」  岩松は、僅《わず》かの間に、自分の家ががらりと変わったような気がした。いつもなら、絹がこの部屋で仕立物をしている。器用な女で、六つ七つの頃《ころ》から自分の着物を縫ったという絹は、誰に教えられたわけでもなく、人の物さえ縫えるようになった。その仕立物の仕事もさておいて、絹は古田屋でどんな毎日を送っているのか。只《ただ》でさえ人目につく女だ。男たちが黙って見過ごすだろうかと、岩松の不安は次第にふくらんで来た。  岩松は不意に体を起こして浴衣《ゆかた》に着替えると、 「ちょっと行ってくるぜ」 「まあ、どこへさ。団子は食べんのかい」  驚く房に、 「団子はいらん」  言い捨てて、岩松は下駄《げた》を突っかけて外に出た。  岩松たちは、古田屋の店子《たなこ》だ。その古田屋に頼まれれば、店子は拒むわけにはいかない。古田屋も無茶を言う人間ではない。客までとらせはしまいとわかっていながら、いや、わかっているだけに、岩松は文句の言い様がない。だが、久しぶりに帰って来て、絹の顔を見ることができないのは、何としても不満だった。  岩松は古田屋の前に立ち止まった。その店先は、出る客、入る客でごった返しだ。旅人たちは誰も彼も、柄杓《ひしやく》を腰につけている。この柄杓さえつけていれば、泊まるにも食うにも心配はない。 (御蔭参《おかげまい》りか。迷惑な話だ)  岩松は絹の姿を求めて、しばらく古田屋を眺《なが》めていたが、諦《あきら》めてぶらぶらと歩いて行った。向こうから「大神宮御蔭参り」と墨で書いた白い菅笠《すげがさ》をかぶった旅人たちがまた一団やって来た。先頭の男が幟《のぼり》を立てている。岩松は、茶漬けや茶菓の接待をしている休み所を横目で見ながら、次第に孤独になっていった。御蔭参りへの施行《しこう》は、小金を持つ一般の民衆や豪商、そして各藩の蔵屋敷からも出ていた。参詣がこう集団化されては、接待をゆるがせにはできない。いつ不測の暴動が起きるかわからないからだ。三月だけでも、二百二十八万の伊勢参りがあったというこの騒ぎは、次第に下火になったとはいえ、七月の今日にも、七里の渡しのある熱田の宮宿《みやじゆく》は、相変わらぬ賑《にぎ》わいがつづいていた。その賑わいの中を、岩松は淋《さび》しい顔をして歩いて行く。  いつしか岩松は、截断橋《さいだんばし》のたもとに来ていた。截断橋は幅三間程の精進《しようじん》川にかかっていた。橋のたもとに、擬宝珠《ぎぼし》がある。孤独な思いになると、岩松は子供の頃《ころ》から、よくここに来たものだ。そして擬宝珠に彫られた悲しい仮名文字を読む。それは、天正《てんしよう》十八年に、わが子を合戦《かつせん》に失った母親が、この橋を建立《こんりゆう》して、わが子の菩提《ぼだい》をとむらった時の言葉である。 〈天正十八年二月十八日に、小田原への御陣、堀尾金助《ほりおきんすけ》と申す十八になりたる子を発《た》たせてより、またふた目とも見ざる悲しさのあまりに、今この橋を架けるなり。母の身には落涙《らくるい》ともなり、即身成仏《そくしんじようぶつ》し給え。  逸岩世俊《いつがんせいしゆん》と後《のち》の世のまた後の世まで、この書きつけを見る人は、念仏し給えや。三十三年の供養《くよう》なり〉  この言葉を読むと、なぜか岩松は悲しみや淋《さび》しさが静まってくるのだ。「逸岩世俊」とは、十八歳で戦に死んだ金助の法名《ほうみよう》と聞いている。三十三年の供養と書いてあるから、死んだ子が五十一になった年の言葉ではないか。とすればこの母は、とうに白髪《しらが》の老婆の筈《はず》である。何と長い間、母親という者は悲しみを持って生きているものかと、生母を知らぬだけに岩松はその言葉が身に沁みるのだった。 (逸岩世俊)  岩松は心の中でその法名を呟《つぶや》いてみる。何を信ずることはできなくても、この截断橋を建立《こんりゆう》した母の心だけは、真実である。この橋の擬宝珠《ぎぼし》に彫られた言葉を岩松に教えてくれたのは、同じ長屋に住む占い師の男であった。岩松はその男のあごに、黒いひげが長く垂れていたことだけを知っている。長屋の者たちは竹軒《ちくけん》先生と呼んでいた。岩松もその男を竹軒先生と呼んでいた。本名は知らない。岩松が仮名を覚え、僅《わず》かでも漢字を覚えているのは、この占い師にかわいがられて、教えてもらったお蔭《かげ》である。この占い師は岩松が千石船《せんごくぶね》に乗ると言い出した時、何を思ったかこの橋につれて来て、これを読ませたのであった。そして、天正十八年には秀吉が北条氏《ほうじようし》を攻めるべく、小田原に戦いを進めていたこと、その合戦で、この金助なる若武者が死んだこと、それを悲しんで母親が、このように悲しい言葉を残したことなどを聞かせたのだ。 「世には真実な心というものがあるものじゃ。求めていけば、いつかはその真実にめぐり会うものじゃ。岩松の今の父《とと》さま母《かか》さまも、この母の心と同じ心でお前を育てたのじゃ。それを決して忘れるまいぞ」  こう諭《さと》してくれたのであった。それが年を経るにつれ、岩松の心の底に深く沈んでいった。占い師はいつしか長屋を去ったが、その言葉だけは胸に残った。 「お絹」  岩松は妻の名を呼び、絹だけは決して自分を裏切らぬと、自分自身に言い聞かせた。その岩松を、久吉が橋の上でみつめていることに、岩松は気づく筈《はず》もなかった。 「お蔭《かげ》でさ、するりとな、脱《ぬ》けたとさ」  また一陣、幟《のぼり》を押し立てた御蔭参りの一団が賑《にぎ》やかに踊りながら近づいてくるのを岩松は見た。      三  思いがけぬ所で岩松を見た久吉は、驚いた。久吉が岩松を見たのは、千石船《せんごくぶね》に米の飯を食べに行った時だ。岩松は、裸の子供たちをじろりと見、 「小うるせえ餓鬼共《がきども》だ」  と、子供たちを恐れさせたのだ。そして、琴のふくらみかけた乳房をむんずとつかみ、久吉たちを仰天《ぎようてん》させたのだ。あの後、久吉は岩松に会ってはいない。いやな男だと思っていたのに、久吉の胸に懐かしいような思いが湧《わ》いた。  久吉にとって、熱田は遠い他国であった。どっちを向いても、見知らぬ人間ばかりであった。従兄《いとこ》の長助に誘われて、喜んで伊勢参りに出て来たのだが、その長助に、久吉は置き去りにされてしまったのだ。  昨夜、熱田の善根宿《ぜんこんやど》に、金のない長助と久吉は泊まった。その宿で、長助がこう切り出した。 「久吉、お前、江戸に行く気はないか」 「え、江戸?」  突然のことに久吉は、驚いて頓狂《とんきよう》な声を上げた。ちょうど夕食を終わったばかりで、相客の男は、手枕《てまくら》でごろりと寝ころんでいた。長助は言った。 「うん、江戸だ」  長助は真剣なまなざしだった。 「江戸いうたらお前、えらい遠い所やで」  久吉には、江戸が熱田の西か東か、見当もつかない。只《ただ》、公方《くぼう》さまのいる大きな町だと聞いているだけだ。 「遠くったって、地つづきだで、歩いて行きゃあ、いつかは着くわ」 「何でお前、そんなに江戸に行ってみたい思うのや」 「うん。お前は子供でまだわからんのや。俺な、船主の親方の所に住みこんで三年、来る日も来る日も、まじめに働いた。しかしな、給金は年に一両にもならんのやで」 「…………」  久吉は、熱田名産の大きな団扇《うちわ》を手に取り、蚊《か》を追い払いながら、一両という金は大した金ではないかと思ってみる。  久吉には、金の価《あたい》がよくわからない。千石船《せんごくぶね》の船頭は、年に三両もらうという。多くても五両だと聞く。舵《かじ》取りが二両か三両で、水主《かこ》たちは一両の給金とか。飯炊《めした》きの炊《かしき》は、僅《わず》かに二分だ。むろん、一航海ごとに歩合給はあるから、一年の収入はそう少なくない。とは言っても、命をかけての水主の賃金と同じ一両であれば、ずいぶんといい待遇《たいぐう》ではないかと、子供の久吉は思う。第一、一両の小判など、久吉は手に持ったことがない。 「俺は蔭《かげ》日向《ひなた》なく働く男だ。だがな、この頃《ごろ》働くのがいやになったわ。いくら骨身削って働いたところでな、ちゃらんぽらん働いている奴《やつ》と、同じ給金だでな。親方んところに、このあと十年働いてみても、よめをもらえる見込みもないわ」 「よめ?」  自分より僅《わず》か二つ年上の長助が嫁のことを言い出したので、久吉はぽかんとした。 「久吉、俺は江戸へ行く。お前だって、漁師で一生暮らすよりは、花のお江戸で、大店《おおだな》にでも住みこんだらどうだ。年季《ねんき》があけたら、のれんを分けてもらえるでえ」 「いやだ。俺は小野浦が好きじゃ。この熱田まで来ただけでも、俺は何やら淋《さび》しゅうなった。俺は父《と》っさま母《かか》さまのいる小野浦がええ」 「父っさま母さまでなくて、久吉お前は、お琴のいる小野浦がいいんじゃろう」  長助はにやりと笑った。久吉は大きくうなずいて、 「ああ、俺はお琴が好きじゃ。あのにこっと笑った顔は、えも言われぬほど好きじゃ。長助は、あんなかわいいお琴のいる家から、何で逃げ出したいんや」  久吉は真顔《まがお》だった。 「お前は餓鬼《がき》だでな、何も知らん。江戸に行けば、お琴のような娘は、掃き捨てるほどおるわ」 「長助、お前、お琴に惚《ほ》れんかったのか」 「惚れたって、どうなるものでもない。お琴は俺たち風情《ふぜい》の嫁になる筈《はず》はないでな」 「嫁にせんでも、惚れたらいいでないか。惚れるというのは、いい気持ちのものだで。俺はお琴に惚れとる。お琴のちょっぴりふくれた胸を、俺は毎晩目に浮かべて寝る。それだけで、もう楽しいわ」 「一人前の口を利く奴《やつ》だ。思うだけでええなら、江戸に行ってもできる。な、江戸に行こう、江戸に」  長助は熱心だった。 「江戸なんて、いやだ。俺は総領だ。うちの跡取りだで、親ば捨てて行く訳《わけ》にはいかん」  久吉は、持っていた大《おお》団扇《うちわ》をばたばたとふった。と、こっちに背を向けて手枕《てまくら》をしていた男が、むっくりと起き上がって言った。 「おい、お若えの、お前さんほんとに江戸に行くつもりかね」  目尻の下がった、四十過ぎのやさしそうな男の笑顔に、長助はこっくりとうなずいた。 「そいつはいい了見《りようけん》だ。で、お前さんの親御さんは?」  男は一見《いつけん》町人風だが、商人とも見えない。 「はい。親は二人共、早くに死にました」 「なるほどなるほど。それじゃ、ますます江戸に行ったほうがいい。江戸はいい所だ」 「あのう、あんたさんは江戸のお方で?」 「ああ、江戸で生まれて、江戸で育った生粋《きつすい》の江戸っ子よ。江戸という所はな、〈鐘《かね》一つ売れぬ日はなし江戸の春〉ってな。大変な大きな町さ」 「かね一つ……?」  久吉が首をひねった。 「おお、そうよ。お寺のあの、ゴーンと鳴らす吊《つ》り鐘じゃ。あんなでっかい鐘が、売れねえ日はねえという江戸だからな。住むんならお江戸よ。人間と生まれて、何も片《かた》田舎《いなか》に埋もれて暮らすことはない。働き次第で誰でも大金持ちになれるのが江戸だ。辛抱《しんぼう》のし甲斐《がい》のある所よ」 「そうですか! 誰でも、働き次第で、分限者《ぶげんしや》になれますか」  長助が目を輝かした。 「なれるとも、なれるとも。そんな人間ばかりの集まりだ。金さえ持ちゃあ、いい女は寄ってくる。江戸には吉原《よしわら》ってえ、いい所があってな。大名にさえなかなか頭をふらぬ、そりゃあ天女《てんによ》のようなおいらんがいる。しかし金さえ持ちゃあ、そのおいらんを落籍《ひか》すこともできるんだ。住むんならお江戸よ。公方《くぼう》さまのお膝《ひざ》もとよ」  男は浅草の見世物小屋の賑《にぎ》わいや、両国の花火や、歌舞伎《かぶき》役者の話、相撲《すもう》取りのことなど、おもしろおかしく語って聞かせた。久吉も一旦《いつたん》は、江戸に行ってみたいと心が動いたほどだった。そしてとうとう、長助はその男と、今朝朝食を食べるや否や、江戸に向かって発《た》って行ってしまったのだ。  久吉は泣きたい思いで船着き場に行ってみたが、今日小野浦に行く船はない。根がのんきな久吉も、急に淋《さび》しくなって、熱田の町をあっちへぶらぶら、こっちへぶらぶら歩きまわって、今、截断橋の上に来たところだった。そして、精進川に身をすすぐ旅人たちを、欄干《らんかん》にもたれて、ぼんやり眺《なが》めていたところだった。  精進川は、川底の石が一つ一つ数えられるほどの澄んだ水で、ここに身を清めて、熱田に詣《もう》でる旅人たちも多かった。それを眺めるともなく眺めていて、久吉は半分泣きたい思いになっていた。  その久吉の目に、截断橋のたもとにいた岩松が目に入ったのだ。 「あっ! あれは?」  誰一人見知らぬ土地にいて、好きも嫌《きら》いもなかった。いや、たとえ鬼であっても、見知った顔は懐かしかった。小野浦の樋口源六の持ち船、宝順丸に乗っていた岩松は、久吉にとっては親しい小野浦の人間の一人に思われた。久吉は吾を忘れて、岩松のほうに駈《か》け出した。  と、一人の若者の肱《ひじ》に久吉は突き当たった。 「この野郎!」  遊び人ふうの男が、そのまま走りぬけようとする久吉の肩を、ぐいっと引き戻《もど》した。大きな力であった。それを岩松がじっとみつめていた。      四  岩松のほうに駈け出そうとして、いきなり、 「この野郎!」  と引き戻された久吉は、一瞬ぽかんとした。相手が、突き当たった久吉を咎《とが》めているとは当の久吉は気がつかない。久吉は熱田に来てから、雑沓《ざつとう》の中で幾度人に突き当たったか知れない。自分から突き当たったばかりでなく、人からも突き当たられた。だから、相手が何を怒っているのか、十三歳の久吉にはわかる筈《はず》はなかった。が、男は昼間から酒が入っていた。ぽかんと自分の顔を見た久吉に、腹を立てた男は、久吉の体を宙に持ち上げた。久吉はふるえ上がった。そのまま地面に叩《たた》きつけられるか、川に投げこまれるかと、青くなったのだ。 「助けてくれえーっ!」  久吉は足をばたつかせた。人々が遠まきにこの二人を見た。岩松も見ていた。  岩松は久吉を助ける気はなかった。岩松は元来子供が嫌《きら》いだ。どこの子もみな、わがまま勝手に見えてならない。両親に思う存分甘えて育ったように見えてならない。 (ふふん)  岩松は内心せせら笑って様子を見ていた。男は久吉を高く掲げたまま、欄干《らんかん》に近づいて行く。久吉がその頭にしがみつく。 「この餓鬼《がき》があ。人に突き当たっておいてえ!」  叫んだ男の声を耳にした時、岩松は不意に気が変わった。男の言葉は熱田の言葉ではなかった。熱田は尾張藩《おわりはん》である。が、熱田神宮の神領ということで、熱田には熱田の自治があった。それが、熱田|気質《かたぎ》を誇り高いものにしていた。  岩松が久吉を助ける気になったのは、単に男が他国者であっただけではない。その横顔が、先程見た銀次に似ていたからであった。銀次か、銀次でないかはどうでもよかった。銀次に似ているというだけで、岩松の気持ちはあおられた。  今まさに、久吉を橋の上から投げ落とそうとした男の手を、岩松はその逞《たくま》しい手で、ぐいと押しとどめた。男は二、三歩うしろに押された。 「何でえ、お前!」  男の濃い眉《まゆ》が上がった。 「餓鬼《がき》を相手に、阿呆《あほう》な野郎だ」  岩松は低い声で言った。 「阿呆とは何だ、阿呆とは!」  男は久吉をいかにすべきか一瞬迷った。久吉に両手を取られていては、この屈強な岩松を相手に、喧嘩《けんか》はできない。そう判断した男は、久吉を地面に叩《たた》きつけようとした。が、その手に岩松はいち早く逆《さか》ねじを食わせた。 「いててて……」  男の声に見物がどっと笑った。男はかっとして、そのこめかみに青筋を立てた。男は低く構え、いつのまにか腹巻きから出した短刀《どす》を逆手に握っていた。久吉は四つん這《ば》いになって、人垣《ひとがき》のほうに逃げて行った。岩松は、欄干《らんかん》を背に、男を睨《にら》みつけていた。  岩松はこれまで、幾度か海賊と渡り合った経験がある。千石船《せんごくぶね》には幾つかの千両箱が積んである。その千両箱を狙《ねら》って海賊が襲う。船には、海賊に備えて、槍《やり》やなぎなたなどの武器があった。岩松は、水主《かこ》とは言いながら、他の者より度胸《どきよう》があった。特に槍の使い方が鮮やかで、その度に海賊を撃退して来たものだ。言ってみれば実戦の経験がある。短刀の一本や二本ふりかざされたとしても、びくともする岩松ではなかった。  無手の岩松に、御蔭参《おかげまい》りの幟《のぼり》を放ってよこした者がいた。岩松はすばやくその幟をひろうと、相手の胸板にぴたりと突きつけた。男の額に、脂汗《あぶらあせ》が滲《にじ》んだ。岩松は微動だにしない。それが男を恐れさせた。岩松がじりっと一足引き退《さ》がり、同時に幟《のぼり》をぐいっと手元に引いた。次の瞬間幟が鋭く突き出され、 「うっ!」  男は仰向けに橋の上に倒れた。が、ようやく立ちあがると、大声で何か喚《わめ》きながら逃げ出した。群衆は手を叩《たた》いて喜んだ。岩松は幟を欄干《らんかん》に立てかけると、さっさと橋を渡って、精進川の土手を歩き出した。 (つまらん手出しをした)  岩松は内心舌打ちをした。銀次という男に似ていると思ったが、正面から見た感じでは、少しも似てはいなかった。職人ふうの銀次と、遊び人ふうの今の男とは、身なりからして別人だった。だが岩松は、横顔が銀次に似ているというだけで、気持ちがあおられたのだ。 「お絹」  小さく口に出してその名を呼び、岩松は土手に腰をおろした。 (銀次ってえ男は、いつ頃《ごろ》越してきたんだろう)  団子だ、せんべいだ、まんじゅうだと、わたしの好きなものを持ってくると房は言っていたが、それらは絹の好きなものでもあった。今日の房の話の様子では、父の仁平も銀次が訪ねて来るのを喜んでいるらしい。年寄りという者は、ちょっとやさしい言葉をかけられれば喜ぶものだ。 (しかし、目当てはお絹にちがいない)  岩松は、夏の日のぎらつく精進川を見た。宮参りの男たちが幾人か、身を清めている。 (身を清めて、宮参りをして、飯盛《めしも》り女を抱くか)  岩松の片頬《かたほお》には皮肉な笑みが浮かんだ。岩松は幼い時から、神宮があるので熱田の宮宿にも女がいると聞かされて来た。宮参りが、即《すなわ》ち女遊びを意味すると知ったのは、十四、五の頃だ。伊勢神宮にも、同じように飯盛り女がいると聞いた。それを思うと、一心に身を清めている男たちの姿が、どうしてもこっけいになる。街道には、全身を清めるための「清め茶」も売っていた。茶を一杯飲めば全身が清まるのだから、こっちのほうが手数がかからない。 (お絹の奴《やつ》、銀次という男をどう思っているんだろう)  今、銀次に似た男と渡り合っただけに、思いはついそっちに行く。と、その時、 「あのう……」  と、声がした。見ると、今しがた、川の中に叩《たた》きつけられようとした久吉だった。 「何だ?」  にべもなく岩松は答えた。 「助けてもろうて、ありがとうございました」  岩松はじろりと久吉を見、 「別にお前を助けたわけではないで」  と、そっぽを見る。 「はあ?」  久吉は首をひねった。今まさに、川の中に叩きこまれようとしたその瞬間、助けてくれたのはこの人だ。が、岩松は苦々《にがにが》しげに、お前を助けたわけではないと言う。 (妙な人だ)  久吉は思ったが、 「でも……」  恐る恐る久吉は言いかけた。 「でも、何だ?」 「でもあんたさまに助けてもらっただで……」 「そんなことは、どうでもええ」  そう言われても、久吉は岩松の傍《そば》を離れる気がしない。確かにこの人は、宝順丸に乗っていた人だと、久吉は思う。見馴《みな》れぬ顔だが、小野浦の人間かも知れない。小野浦の人間であれば、必ず小野浦に帰って行くにちがいない。従兄《いとこ》の長助に置き去りにされた十三歳の久吉は、岩松が何を言おうが、小野浦に帰るものなら、つれて行ってほしかった。 「あの……あんたさまは、宝順丸の人ではないですか」 「何だ、俺を知ってるのか」 「知ってます。知ってます」  久吉は喜んで、 「俺、船に、米のまんま食いに行ったで、あんたさまば見ました」 「それで?」 「俺、つれのもんに置き去りにされたで、それで小野浦まで、つれてってほしいんで……」 「小野浦につれて行け? そいつはごめんだな」  岩松は立ち上がるや、すたすたと大股《おおまた》で立ち去って行った。 [#改ページ]   土《ど》 蔵《ぞう》      一 「ゴーン、ゴーン」  明け六つの良参寺の鐘《かね》が鳴る頃《ころ》には、音吉はもうあらかた水を汲《く》み終わっていた。雀《すずめ》が賑《にぎ》やかに囀《さえず》りながら礫《つぶて》のように庭に飛び降りる。かと思うと、ぱっと飛び立つ。左右を忙しく窺《うかが》いながら餌《え》をあさる雀を横目で見て、音吉は最後の水汲みをする。  水汲みが終わると、庭の掃《は》き掃除《そうじ》、廊下の拭《ふ》き掃除が待っている。雨戸をあけ放った縁側に立って、船主の樋口源六は、家の者たちの働きを見ている。  赤土で造られた竈《へつつい》に飯を炊《た》く者、蔵の中から荷を運ぶ者、誰もがそれぞれ忙しい。コの字型の船主の家は、その中央に立てば、家の者の働きを見て取ることが出来る。  音吉は庭を掃き始めた。その頃にはもう飯の炊き上がる匂いが流れてくる。音吉は先ず庭に水を打ち、竹箒《たけぼうき》を持つ。 「掃き掃除はの、風の向きに逆ろうてはならん」  父の武右衛門から、もう何年も前に音吉は教えられた。その教えられたとおりに、掃除の前に音吉は必ず風の向きを見定める。そして竹箒の先を跳《は》ね上げぬようにきちっととめながら、ごみを集める。その音吉を見て、 「ふーん」  と、源六は満足そうにうなずく。今までこんな掃《は》き方をする者はいなかった。風に向かってごみを撒《ま》きちらすように掃く者が多かった。注意しても、すぐに忘れて埃《ほこり》を立てる。たったそれだけのことを、なぜ幾度も注意されねばならぬのかと、根が穏やかな源六も、腹に据《す》えかねることが度々《たびたび》あった。だが音吉は、最初の日から源六の心に叶った。 (さすがは武右衛門の倅《せがれ》じゃ)  源六は心の中で感歎《かんたん》する。その源六の視線を気にもとめず、音吉は門の外の掃除《そうじ》に取りかかる。この時が音吉の一番うれしい時だ。左手一|丁《ちよう》半|程《ほど》向こうに、自分の家が見えるからだ。家はすぐそこにあるというのに、しかし一旦《いつたん》他人の家に住みこむと、自由に帰ることができない。  音吉は竹箒を使いながら、幾度も視線をわが家のほうに向ける。 (父《と》っさまの具合はどうだろう) (母《かか》さまは、一人で大変だろうなあ)  自分が家にいた時は、水汲みや食事の後始末などをしてやった。薬を煎《せん》じるのも、父の足をさするのも音吉の仕事だった。それらの仕事を、母が畠《はたけ》仕事の傍《かたわ》ら、一人でしなければならない。そう思うと胸が重くなってくる。 (長助はいつ帰るんだろう)  御蔭参《おかげまい》りをする者を咎《とが》めては神罰《しんばつ》が下るというが、傍《はた》迷惑なことだと、内心音吉は母が憐《あわ》れになってくる。  蔵の周囲を掃《は》く頃《ころ》に、必ず妹のさとが駈《か》けて来る。音吉は掃く手を止めずに、頃合《ころあ》いを計ってわが家のほうを見る。さとの小さな影が家から飛び出すと、つづいて母の姿が見える。母がさとのうしろ姿を見送っている。さとはふり返りふり返り駈けてくる。母が手を上げる。自分のほうを見ているのかも知れぬと、音吉も手を上げる。こんなに母が懐かしいものかと思うほど、胸のつまるひと時だ。 「兄さ!」  息を切らしながら、さとが音吉の傍《そば》に駈け寄ってくる。 「さと、父《と》っさまはどうだ」 「うん、ねてる」  返ってくる言葉はいつも同じだ。幼いさとには、顔色がいいとか、痛みが少ないようだとか、告げる術《すべ》を知らない。さとには、父はいつも寝ているだけなのだ。それでもいい。 「父っさまはどうだ」  と聞くことで、音吉の心は休まる。  さとがすぐに門のほうに駈けて行く。これから日暮れまで、さとの子守が始まるのだ。裏の竹林が風にさわさわと鳴った。その手前の鉄砲百合の群れがゆっくりと首をふった。門のうちから風鈴《ふうりん》の音が涼しく聞こえた。音吉は竹箒《たけぼうき》を持ったまま、朝なぎの海に目をやる。カモメがひと所に群れて白い紙を撒《ま》きちらしたように光って見える。  掃き掃除《そうじ》が終わると、次は拭《ふ》き掃除だ。小さなたらいに水を汲《く》み、音吉は昨日洗って乾かして置いた五枚の雑巾《ぞうきん》をたらいに入れた。一枚一枚きっちり絞って、縁《えん》に置く。そして四つん這《ば》いになって、きゅっきゅっと力をこめて、磨くように拭《ふ》いていく。これは母の美乃に習ったことだ。雑巾を一度に洗っておき、それを四つに畳むと、裏表八回使うことが出来る。すると、幾度も雑巾を洗わずとも、一度で仕上がると教えられていた。その拭き方をも、源六はうなずきながらみつめている。長年よく拭きこまれてきた欅《けやき》の廊下は、顔が映るほどだ。コの字に建った家のうち、その二辺が縁になっている。縁を拭き、敷居《しきい》を拭き、次は柱を磨く。樋口家の柱は、これも伊豆の欅造りだ。これは糠袋《ぬかぶくろ》でみがく。  柱を磨く途中で、たいてい朝食になる。 「音さん、ご飯だよ」  女中に呼ばれて、音吉が広い台所にいくと、みんなはもう朝飯を食べ始めていた。豌豆《えんどう》の味噌汁《みそしる》と茄子《なす》の漬《つ》け物《もの》だけがお菜《さい》だ。麦は入っているが、米の割合が音吉の家より多い。腹が空《す》いている音吉には、味噌か塩だけでも充分にうまい。  音吉は飯を食べながら、さとのほうを見る。さとは、もう赤ん坊を背負って、庭先で立ち食いをしている。握り飯をその小さな手に持たされて、さとは背をゆすりゆすり食べている。口もとに飯粒が二粒三粒ついている。音吉の視線は、茶の間の琴のほうに行く。源六と、琴の母紋、琴の弟甚一、そして琴がちゃぶ台を囲んでいる。  音吉の場所から見えるのは、甚一と、紋の背中、琴の横顔、源六の正面の顔だ。  みんなが黙々と食べている。飯の時に話をするのは行儀《ぎようぎ》が悪いとされているからだ。食べているうちに、誰の額にも汗が滲《にじ》む。 (今日も暑いな)  鳴き出した蝉《せみ》の声を聞きながら、音吉はまたひょいと琴を見た。と、琴が音吉のほうを見た。音吉の胸が大きく動悸《どうき》を打つ。琴がにこりと笑う。 (ああ、今日も俺を見てくれた)  音吉は体に力がみなぎるのを感じた。この家に来て半月、琴は必ず音吉を見、微笑を送るのだ。それが音吉の大きな喜びであった。  音吉は急いで食事を終え、他の者より先に立ち上がった。これも武右衛門の仕込みなのだ。 「人より後に箸《はし》を取り、人より先に箸を置く。その心がけがなければ、人さまに遅れを取るでな」  これは兄の吉治郎にも、まだ幼いさとにも、よく武右衛門が言って聞かせる言葉だ。さとのほうを見ると、さとはまだ握り飯を持っていた。  音吉は庭の桐《きり》の下に、莚《むしろ》を敷《し》き、そこにいじこ(藁《わら》の籠《かご》)を運んで来た。この場所は、家と木の蔭《かげ》になり、日の当たらない涼しい場所なのだ。琴の母親の紋は、家の中で赤子が泣くのを嫌《きら》い、暑い昼日中《ひるひなか》でもさとの背中に負わせて外に出した。さとは涼しい場所を選んで子守をしたが、それでも、赤子の胸にもさとの胸にも汗疹《あせも》が出来た。それで音吉が、庭にいじこを置かせてもらって、朝食が済むと、その中に赤子を置いた。さとは赤子が好きで、赤子もまたさとが好きだった。さとは飽きずにいじこを揺すったり、話しかけたり、歌をうたったり、時にはかわいい声を上げて笑ったりさえした。  今も音吉は、さとの背から赤子を受けとり、いじこの中に入れて、 「さと、目を放すでないぞ。ええな」  と、さとの頭をなでた。 「うん」  さとがあどけなくうなずいた。他人の中で見るさとは、音吉にはとりわけ愛くるしく思われる。音吉は再び柱磨きを始めた。指の滑りそうな欅《けやき》の柱を、音吉はより一層力をこめて磨く。糠《ぬか》の油で手がすべすべになる。  朝食が終わった源六が爪楊子《つまようじ》を使いながら、座敷に入って来た。 「音、それが終わったら、一の蔵《くら》の片づけをするでな」 「はいっ」  音吉の声は元気よく出る。濁りのない声だ。 「昼からは八幡神社に、わしと一緒に行くんだ」 「はいっ」 「その後はな、一の蔵の二階の整理じゃ」 「かしこまりました」  気持ちのよい声がまた返る。満足げに源六がうなずいた時だった。いつのまに来たのか、琴が源六に言った。 「じいさま。じいさまったら、朝から晩まで、音、音って、音吉つぁんばかり使いなさる。音吉つぁんは休む暇がないではないか」  と詰《なじ》った。音吉はどぎまぎした。用を言いつけられるのは、音吉には光栄なことだ。源六からばかりでなく息つく暇もないほどに、あちこちから、 「音、これを頼む」 「音、これを運んでくれ」  と声がかかる。しかも今日は、日頃《ひごろ》から一度入って見たいと思っていた土蔵《どぞう》の中に入ることができるのだ。その上、八幡神社に供をするのは、そう悪い仕事ではない。供物を持って行けばよいだけのことだ。  琴の抗議に、源六が首をなでて、 「おや、そうじゃったか。音吉は満足のいく仕事をしてくれるでな。それでつい、音、音と、声がかかるのじゃ。しかしお琴、お前はまだ年端《としは》もいかぬに、人のつらさがよくわかるのじゃな」 「そりゃあわかる。誰も彼も音吉つぁんばかり使う。うち気の毒だわ」  琴は率直だった。音吉は、琴の言葉がうれしかった。が、二人の話は耳に入らぬかのように、音吉はせっせと柱磨きに精を出した。 「そりゃ悪かったのう。これからは気をつけるでな」  源六の妻は三年前に死んだ。息子の重右衛門は千石船《せんごくぶね》に乗って留守勝ちだ。重右衛門の妻紋は口が重く、話し相手にはならない。が、琴は気性《きしよう》が勝ってはいても、明るく思いやりがある。源六にはこの孫娘がかわいくてならないのだ。      二  土蔵《どぞう》の重い扉が、ギイッと音を立ててひらいた。源六のあとについて、音吉は蔵《くら》に入った。ひやりとした空気が肌《はだ》に快い。 (蔵の中って、涼しいもんだなあ)  音吉は目を凝らして、蔵の中を見た。蔵の中は五十畳もあるだろうか。源六が小窓をあけてまわって、ようやくはっきりと中の様子が目に入った。千石船の模型が二つあるのが先ず目についた。大人の腰の高さほどの台が、壁に沿って置かれ、その上に様々な船の道具が置かれている。その一つ一つに目をやる暇もなく、源六が言った。 「ここにあるのは、うちの家宝じゃでな、めったに人には見せん。が、音はていねいに掃除《そうじ》をするだで、特別にここの掃除をさせてやろう。いいかな。決して落としたり、こわしたりしてはならんで。傷一つつけてはならんで。ていねいに一つ一つ、はたきをかけるのじゃ」 「はいっ」  緊張して音吉は答えた。並べられているものは珍しいものばかりだ。尾張藩《おわりはん》の紋入りの小田原|提灯《ちようちん》がある。お札《ふだ》入れの小さな宮がある。それも一つ二つではない。五つもある。恐らく千石船の水主《かこ》の部屋に、打ちつけて飾ってあったものであろう。音吉はそっと一つ一つ抱えては、蔵の入り口に来て、はたきをかけた。年に幾度か埃《ほこり》を払うのか、思ったほど埃はない。うっすらと、細かいちりがかかっているだけだ。 「うーむ」  源六が興味深げに古い大福帳を繰っている。大福帳は幾つも重ねられ、その傍《そば》には仕入帳もあった。何やら色のついた、横長い本もある。 「見てみい、音。これが日本の地図だで」  釣《つ》り灯籠《どうろう》にはたきをかけていた音吉を、源六は手招いた。 「日本のちず?」  とっさに、音吉には何のことかわからない。源六の傍《そば》に近寄ると、長ひょろい芋虫《いもむし》のような絵が黄いろく描かれている。地色は青い。 「これが日本じゃ」  音吉の目に芋虫と見えたのは、日本の地図であった。口をあけているように見える頭のほうを源六は指さし、 「ここが陸奥《むつ》じゃ」  と言った。陸奥と言われても、音吉には小野浦からどれほど離れた所か見当もつかない。 「小野浦はここらじゃ」  源六は虫の真ん中の腹あたりに、ちょこんと出張ったあたりをさして言った。そしてその横に引っこんでいる青い色を、 「ここが伊勢湾じゃ。ここが師崎、ここが鳥羽。お伊勢さんがここで、大坂がここ」  源六はその太い指で、一つ一つおさえながら言う。 「お江戸は? 親方さま」 「江戸か。江戸はここよ。ここが四国、そして九州、陸奥の上にほんのちょっぴりのぞいているのが蝦夷《えぞ》が島じゃ」  音吉は声もなくうなずいた。自分の住んでいる小野浦が、日本のどのあたりにあるか、音吉は知らなかった。が、日本の真ん中あたりにあると知って、音吉は何となく満足だった。 「お前の父《と》っさまは、このお江戸に、大坂に、何十回行ったものやら。わしも、北前船《きたまえせん》に乗っていた時は、この瀬戸内《せとうち》を通って、金沢を過ぎ、新潟を過ぎ、陸奥まで行ったものよ」  音吉は相槌《あいづち》の打ちようもない。只《ただ》、江戸は遠いと聞いていたが、地図で見るとほんの人指し指ほどの距離しかない。この間を何日もかかって行くとすれば、日本をひとまわりするのは、大変な旅だと、音吉は初めて知った。 「あの、親方さま。熱田はどっちで?」  音吉はふっと、岩松のことを思った。米をくすねに、兄の吉治郎は夜の千石船《せんごくぶね》に音吉をつれて行った。音吉は何も知らずについて行ったが、その時岩松は、 「お前の父っさまと、俺は一緒に船に乗っていたことがある」  と言って、音吉に、 「お前も船乗りになるか」  と尋《たず》ねた。乗るというと、岩松はずしりと重い米を、音吉に返してくれたのだ。  あの男が熱田の人間で、岩松という名であると吉治郎から聞き、音吉はそれを忘れなかった。 「熱田か。熱田はここじゃ。熱田も御蔭参《おかげまい》りで賑《にぎ》やかなそうな」  源六はそう言い、 「長助や久吉はいつ帰るやら。お伊勢参りに行っている筈《はず》だが……」  と、再び人指し指の腹で伊勢をなでた。 「音、お前、船に乗ると言うたな」 「はい」 「うん、音は見込みのある男じゃ。きっといい船乗りになるじゃろう。頑張《がんば》れよ」  言った時、蔵《くら》の入り口に琴が現れた。 「じいさまぁ、庄屋さまが見えとるわ」 「庄屋さま? 何じゃろう。こんな早うから」  源六はふり返り、 「お琴、お前、この蔵に誰も入って来んように、見張っとれ。ええな」  返事も聞かずに、源六はそそくさと蔵を出て行った。  不意に音吉は体が固くなった。うれしいような、恥ずかしいような、そして幾分迷惑な心地なのだ。 「ねえ、音吉つぁん」  琴が音吉の傍《そば》に来た。音吉は黙って琴を見た。外の光を背に、琴はひどく美しく見えた。 「長助が帰らんといいわ。長助は、うちを好きやと手を握ったことがある」  琴がそう言って、音吉の顔をのぞきこんだ。      三 (長助が、お琴の手を握った!?)  音吉は、まさにその場面をまじまじと見たような気がした。顔のほてる思いだった。が、さりげなく大福帳を五、六|冊《さつ》抱えて、蔵の戸口に出た。音吉は黙って、はたきをかけ始める。船主の源六は、第一の蔵には宝物があると言ったが、音吉の目から見ると、何の変てつもない物もある。この大福帳もその一つだ。表紙一杯に「大福帳」と楷書《かいしよ》で書かれたこんな物は、どこの店にもある。しかし音吉は、ひとつひとつうやうやしく取り扱う。琴はその音吉を台にもたれて眺《なが》めていたが、 「長助は戻《もど》らんでもええけど、久吉つぁんは早く戻ればええなあ」  と言った。音吉の胸がまた高鳴った。 「久吉?」  音吉の、はたきをかける手が早くなる。 「うん、うち久吉つぁんが好きや」 「…………」 「あの人、いつも賑《にぎ》やかでええわ。寺子屋に久吉つぁんが来ると、みんな喜ぶわ」 「…………」 「長助と久吉つぁんはいとこなのに、ちっとも似とらん」  音吉は黙って、大福帳を元のとおりに並べておく。次は仕入帳だ。仕入帳と大福帳は同じ大きさだ。 (そうか。お琴は久吉が好きか)  はたきを使いながら、音吉は少し淋《さび》しい。 (久吉も、お琴が好きだと言ってたな)  黙って音吉は、仕入帳を大福帳の傍《そば》に置く。次は算盤《そろばん》だ。上に二つ、下に五つの珠《たま》が並んでいる。大きな算盤だ。音吉はしっかと両手に抱えて、また戸口に来た。琴も戸口まで出て来て、部厚い蔵《くら》の扉にもたれて、音吉を見おろした。音吉は屈《かが》みこんだまま、算盤の珠を布で拭《ふ》きはじめる。算盤はひょろ長い箱になっていて、中には埃《ほこり》がたくさんたまっていた。音吉は手頃《てごろ》な細い棒に布をまきつけて、算盤の珠の下の埃をていねいに取っていく。その音吉を、琴がじっとみつめて、 「音吉つぁん、何をそんなに黙っとるの」 「別に……」 「音吉つぁんたら、まじめな顔ばっかりして、久吉つぁんとちがうな」 「…………」 「久吉つぁんのようにおもしろうないわ」  琴の言うとおりだと、音吉も思う。こんな時、久吉なら一体どんな話をするのだろう。考えてみるが、想像がつかない。 (どうせ俺は、おもしろうない人間だでな)  久吉のような、ひょうきんな表情もしぐさも出来ない。大声でうたうこともできない。 (そうか、お琴は久吉のような賑《にぎ》やかな子が好きなんやな)  音吉は、母屋《おもや》の庭先にいるさとをちらっと見た。赤ん坊が眠ったのか、さとは莚《むしろ》の上にうつむいて、土に何か書いていた。 「でもな、音吉つぁん、うちは、あんたのほうが……」  言いかけて琴はぱっと顔を赤らめた。 (俺のほうが!?)  音吉は、琴を見上げた。蔵《くら》の前を、|※[#「奚+隹」、unicode96de]《にわとり》が二羽|餌《えさ》を啄《ついば》みながら過ぎた。琴は扉に寄りかかったまま、※[#「奚+隹」、unicode96de]を見た。少し怒ったような横顔だった。  音吉は、今言った琴の言葉と、真っ赤になった顔を思いながら、算盤《そろばん》の埃《ほこり》を取っていく。何と返事をしていいのか、音吉にはわからない。音吉は考える。琴は恐らく、 「あんたのほうが、久吉つぁんより好きだ」  と言おうとしたのだと思う。そしてそれは、ずっと前から音吉にもわかっていたような気がする。  ややしばらく、琴も黙っていた。音吉は次第に胸苦しくなっていく。琴がほっと吐息《といき》をついた。 「うちも手伝う」  琴はそう言って、手伝いはじめた。が、音吉ははらはらした。琴は音吉のように、ていねいに物を扱わない。音を立てて物を置く。 「あんな、お琴。これはみんな宝物やで」 「わかっとる」 「落としたり、傷つけたりしては、いかんでな」 「わかっとるったら」  琴はすねたように言ったが、不意ににっこり笑って、音吉をみつめた。音吉はどぎまぎして目を外らした。琴は、その音吉をいたずらっぽく見たが、壁にかかっているはたきを取って、手伝いはじめた。  音吉は、琴が何か言ってくれるかと心待ちにしながら、硯箱《すずりばこ》、小さな船|箪笥《だんす》などに、次々にはたきをかけていく。だが、琴は黙っている。音吉がちらりと琴を見ると、琴はまた少し怒ったような顔で、仕事をしている。音吉は何と言葉をかけてよいかわからない。琴が今しがたにっこりと笑った時に、なぜ目を外らしたのかと、自分が間抜け者に思われてくる。 (俺が笑わなかったでな、お琴はまた怒ったんや)  何か話しかけなければと、音吉は思う。 (ほんとに、俺はおもしろうない男やな)  心焦るが、何と言ってよいのか、ますますわからなくなってくる。と、先程《さきほど》源六に見せてもらった日本の地図が思い出された。音吉はほっとして、 「なあ、俺、親方さまに、日本の地図っちゅうものを見せてもらったで」  幾分誇らしげに、音吉は言った。 「日本の地図? なんや、そんなの、うちはずうっと前に見たわ」  琴はちょっと勝気《かちき》な語調になって、 「うちは、世界の地図も見とるわ」 「世界の地図!?」  音吉は目を見張った。 「うん、世界の地図や」 「世界って、日本のことやろ」 「日本は日本や、日本と世界はちがう。日本の国のほかに、国はたくさんあるのやで」 「ふーん」  自分の知らないことを、琴が知っている。音吉は素直に感心した。たまにしか寺子屋に行かない自分と、毎日のように寺子屋に行く琴とは、ちがうと思う。珍しいものをこんなにたくさん持っている家に育った琴と、何の珍しいもののない貧しい家に育った自分とは、ちがうと思う。 「音吉つぁん、世界が見たいか?」  琴がやさしく尋《たず》ねた。 「見たいけど、仕事中だでな……」 「すぐに見れるわ。ほら、この箱の中や」  そう言って琴は、大きな桐《きり》の箱を指さした。箱の前面は観音《かんのん》びらきになっていて、紫の房《ふさ》が取っ手にさがっている。ひらくと、中に地球儀があった。 「何や!? まるいもんやな」 「まるいもんよ」  琴は答えて地球儀を箱から出した。 「ふーん」  音吉は再び驚きの声を上げた。どこがどこやら音吉には見当もつかない。 「日本はどこや」  源六に見せてもらった芋虫《いもむし》のような日本を思い浮かべながら、音吉は地球儀に顔を近づけた。琴は、よくしなう指で地球儀をくるくるまわしていたが、 「あった! ここが日本や」  と、音吉を見た。源六に見せてもらった日本は横に長かった。が、地球儀で見る日本は縦に長かった。が、それは余りにも小さ過ぎた。 「これが日本?」  音吉はがっかりした。日本という国は、もっともっと大きいと音吉は思っていた。 「そうや、日本や、ほら、オロシャはこんなにひろいんやで」  琴は地球儀の上のほうのロシヤをぐるりと指でなで、 「そしてな、ここが唐の国やって」 「ふーん」  唐もまた日本の国が幾つも入るほどに広かった。 「この青い所は、どこの国や」  音吉は広い太平洋を指さした。琴は笑って、 「音吉つぁん、そこは海や。アメリカまでつづいている大きな海や」  何という海か、その名を琴も知らなかった。 「海!? こんなにひろい海か」  音吉の知っている海は、伊勢湾だけだ。小野浦から見ると、伊勢湾の向こうに鈴鹿山脈が見える。その伊勢湾でさえ、音吉には広い広い海であった。その伊勢湾は、地球儀の上ではあるかないかの凹《くぼ》みになっている。 「アメリカにつづく海か」  音吉は地球儀の半分近くもあるように見える広い海を、右にまわし、左にまわして、つくづくと見た。が、まさか自分が、この海を千石船《せんごくぶね》で漂流し、地獄の苦しみをなめることになろうとは、夢にも思わぬことであった。 「ここがな、アメリカやって」  琴がアメリカを指さした。 「ここがアメリカか」  アメリカの名は、どこかで一度ぐらい聞いたことがあるような気がする。 「日本とアメリカは海つづきか」 「そうや、海つづきよ。このほかに、インドもオランダもエゲレスもあるのや。もっともっと国は何十もあるんやで」 「何十も!?」 「そうや、何十もや。これな、地球儀っていうんや。じいさまはこれ、正月にしか見せてくれせん」  琴は地球儀を箱の中に入れながら言った。音吉はもっともっと見ていたいと思った。が、再びはたきを手に取った。先程の琴に対するはにかみが、いつのまにか取り払われていた。 「お琴、地球って何じゃ」  音吉は、御用状箱の埃《ほこり》を払いながら尋《たず》ねた。 「地球って、地球や。うちらの住んでいるこの土や。海も山も地球やで」 「ふーん。じゃ、世界は地球か」 「そうや。地球の上に世界があるんや」 「だけど、今見たのは、まあるい形していたな」 「そのとおりや。地球はまるいだで」  当然と言わんばかりの琴の答えに、音吉は首をひねった。 「ほんとに地球はまるいんか」 「まるいんよ。良参寺の和尚《おしよう》さんも、地球はまるい言うてたわ」 「そうかなあ」  まだ音吉には腑《ふ》に落ちない。 「お日さまもお月さまも、まるい。それと同じじゃと、和尚さまが言うてたわ。じいさまも言うてたわ」 「和尚さまや親方さまの言うことなら、まちがいあるまいが、だけどなあお琴、まるいのに、どうして海の水がこぼれせんのやろ?」 「ほんとやなあ。そう言われれば、不思議やな。ほんとに、海の水は地球からこぼれてしまいそうやなあ」 「水だけでないわ。家だって、人だって、どうしてこぼれせん?」  二人共、手は休めずに話し合う。 「ほんとや。地球の上にも下にも、横にも、人は住んでいるだでな。下に住んでいる人は、頭を下にして歩いてるのやろか。とにかく下にいれば、こぼれ落ちる筈だがな」 「お琴にもわからんか」 「わからんわ。和尚さまは、地球も月のように宙に浮かんでいるのじゃって、言うてたけどな」 「宙になあ。こんな重たい山や、石や、岩や、家があっても、浮かんどるのかなあ。何かの台の上にのっかっとるのと、ちがうか」 「ほんとにな。地球は真っ平かも知れんで、音吉つぁん」  二人は子供らしい話に夢中になっていた。琴が手伝うので仕事がはかどる。琴は今、御用提灯《ごようぢようちん》を台の上にひろげたところだった。が、その視線が壁ぎわの大きな丸木にいくと、 「音吉つぁん、これ、これを見て。これが亀浮木《かめうき》だでえ」  と言った。 「亀浮木!?」  思わず音吉の声が弾んだ。海で亀が流木に乗っているのを、極く稀《まれ》に船乗りたちは見る。その流木を亀浮木と言って、人々は縁起のよいものとしていた。そしてその浮木を村に持ち帰り、村中で宴をひらいて賑《にぎ》やかに祝う。亀浮木を手にすることのできた者は、莫大《ばくだい》な儲《もう》けをするという言い伝えがあったからである。そのことは、音吉も知っていた。 「これが亀浮木か」  壁ぎわの、何の変てつもない、五、六尺ほどの太い丸太を、音吉は眺《なが》めた。その丸太には注連縄《しめなわ》が飾られていた。 「この亀浮木のお蔭《かげ》で、お琴の家は、銭《ぜに》を儲《もう》けたんかなあ」 「そうかも知れんな」  戸口に近づいていた琴が、提灯を持ったまま、ふり返って笑った。  その時である。琴はふっとつまずいてよろめいた。途端に提灯《ちようちん》が琴の手から落ち、琴の足がそれを踏んだ。 「あっ!」  琴と音吉は、思わず叫んだ。既に提灯の骨が折れ、紙が破れていた。提灯は御用《ごよう》提灯だった。日の丸入りの扇子が、御用提灯の紋章である。その扇子の紋章が無残に破れている。 「うち、どうしよう」  琴が泣き出しそうな顔をした。源六が御用船を勤めていた記念にと、大事に保存しておいた提灯である。それを琴は知っていた。 「どうしよう」  同じ言葉を、音吉もおろおろと言った。 「じいさまにきつう叱《しか》られる」  琴は破れた提灯を、情けなさそうに手に取って言った。 「そうやろうなあ」  屈みこんでいる琴の手から、音吉はその提灯を取ってつくづくと見た。どうつくろいようもない破れだ。  と、その時、蔵に近づいて来る足音を二人は聞いた。 「どうしよう」  おろおろと、琴は立ち上がった。 「どうだな。少しは仕事が片づいたかな」  源六が蔵に入って来た。が、音吉の膝《ひざ》にある御用提灯を見ると、 「何じゃ、それは!?」  と、驚きの声を上げた。音吉はとっさに、 「親方さん、すまんことをしました」  と、床に手を突いた。すると琴が大声で叫んだ。 「音吉つぁん! 何であやまる! こわしたのはうちやで」  源六は、琴を見た。琴の顔が歪んでいた。 「ちがう! 親方さん俺や。俺が悪かったで……」 「音吉つぁん! つまずいて、提灯踏んだのはうちやで。うちがわるいんやで」  源六は黙って、二人を代わる代わる見た。その沈黙が、音吉にはひどく長く恐ろしく思われた。 「親方さん、堪忍《かんにん》を……」  音吉は床に額をなすりつけた。琴が叱《しか》られるのは、自分が叱られるよりつらい気がした。  と、黙っていた源六が言った。 「音吉。さっきわしは、この蔵の中のものは宝物だ。こわさんようにと言うたことは、覚えているな」 「は、はい。よく覚えております」 「その宝物をこわしたんや」 「はい」  次に来る怒声を覚悟していた。 「じいさま! それはうちが……」 「お琴は黙っとれ」  源六はきびしく琴を見、再び音吉に言った。 「大事なものと知っていてこわしたのは、まさか、こわしたくてこわしたのではあるまい。こわすまい、こわすまいと、音吉のことや、大事に大事に扱っていたんやろ。だが、いくら気をつけても、人間、失敗ということはある。そんなことがわしにもようあった」  源六は穏やかな語調でそう言った。小さな過失は咎《とが》めても、大きな過失は咎めまい、というのが源六の信条であった。大きな過失は、既《すで》に本人が悔《く》いていることを、何十年も船頭として人を使ってきた源六には、よくわかっていたからである。 [#改ページ]   夜の声      一  絹は赤いたすきを外《はず》しながら、下駄《げた》を突っかけた。古田屋のお内儀《かみ》に、 「岩さんによう似た人が、うちの前に立っておったが」  と言われたからだ。 「もし岩さんなら、あとはわたしが何とかするからさ」  男まさりのお内儀は、絹の背をぽんと叩《たた》いてそう言ってくれた。礼の言葉もそこそこに、絹はすぐ裏手のわが家に走った。 (うちの人が帰って来た!?)  それは絹にとって信じ難いことだった。岩松が帰ってくるのは、十二月に入ってからと決まっていた。師崎の港に千石船《せんごくぶね》を囲い、山伝いに小野浦に出、すぐ隣の野間から船に乗って熱田へ帰って来る。そして三月にはもう千石船に乗るのだった。つまり、岩松が熱田のわが家にいるのは冬の間だけだ。 (こんな暑いさなかに……)  絹には、岩松の帰宅は信じられなかった。家に戻《もど》ったが岩松の姿はなかった。姑《しゆうとめ》の房が、 「そうなんだよ、思いがけなく帰って来てねえ。ところがさ、ぷいとどこかへ行ってしまってな。何が気に入らんかったのかねえ。岩松は根がやさしいが、かんしゃくさまへのお参りが足りなかったのかも知れせんな」  土間に立っている絹に、房は立てつづけにそう言った。かんしゃくさまとは、熱田の境内《けいだい》の、日除橋《ひよけばし》の傍《そば》にある小社《こやしろ》で、熱田の親たちは、子供たちをつれてこの小社によく参詣《さんけい》した。ここに参ると、祭神|天照大神《あまてらすおおみかみ》の和魂《にぎみたま》が、子供を柔順な、そして和《やわ》らぎを好む人格に育ててくれると伝えられていた。つまり癇癪持《かんしやくも》ちの子供にご利益《りやく》のある神さまと言われていたのだ。 「おっかさん。わたし、ちょっと探してきますで」  絹はそう言うと、再び通りのほうに駈《か》け出して行く。  絹は、行き交う人の中に岩松の姿を必死になって探した。不機嫌《ふきげん》に家を出て行ったという岩松の気持ちが絹にはわかる。きっと岩松は、妻の自分が古田屋に働いていると聞いて、あらぬ想像をしたにちがいない。が、絹にとってそれは、心外なことだった。絹は実母のかんに脅《おど》され、すかされ、なだめられて、師崎で身を売ってはいた。親の言いなりになることは、親孝行だと信じていたからだ。死ぬより嫌《いや》なことでも、親のためなら耐えねばならぬと思っていたからだ。だが今では、絹にとって、岩松は只《ただ》一人の大切な夫であった。まさか岩松が、同じ長屋の銀次を見かけて、機嫌を損《そこ》ねたとは、絹は夢にも思わない。  絹は通りを外《はず》れて、渡し場の傍《そば》の常夜灯の前に行って見た。ここから桑名の城を眺《なが》めるのが好きだと、岩松は言っていたからだ。が、岩松はいなかった。渡し場から、お伊勢参りの一団が、賑やかに船に乗って出て行くところであった。 (じゃ、截断橋《さいだんばし》だわ)  絹には岩松の行きそうな場所がわかっていた。だが截断橋の上にも、岩松の姿はなかった。絹は首筋に流れる汗を前垂れで拭《ふ》き、おくれ毛をかき上げると、 「お前さんたら」  と、小さく口に出して呟《つぶや》いた。  しばらく絹は、截断橋のたもとの擬宝珠《ぎぼし》に手をふれていた。そして擬宝珠に刻みつけられた文字を眺《なが》めていた。絹はもともと字を習ったわけではない。が、岩松が冬の間に、ひら仮名を教えてくれた。何かの時に役に立つだろうと、岩松は暇々に、いろは四十八文字を教えてくれたのだ。擬宝珠に刻みこまれた供養《くよう》文は、全文ひら仮名で書かれてあったから、絹にも読める。だが絹は今、眺めるだけで読んではいなかった。今しがた、常夜灯の傍で、 「截断橋の上で喧嘩《けんか》があった」  といううわさを、ちらりと絹は小耳《こみみ》に挟《はさ》んだ。そのことも絹には気がかりだった。  絹は目の下を流れる精進川に目をやり、そして、向こうの土手を見るともなく見た。と、そこに思いがけなく土手を歩いて来る岩松の浴衣《ゆかた》姿が見えた。 「あ!」  小さく叫んで、絹は再び駈けた。絹の日和下駄《ひよりげた》の音が、橋の上に高くひびいた。  岩松は背筋をしゃっきりと立て、天を睥睨《へいげい》するような姿勢で歩いて来る。絹は、岩松が不機嫌《ふきげん》であったと聞いたことも忘れて、土手を走った。と、岩松が立ちどまった。絹はなおも駈《か》けた。  次の瞬間岩松も、大きく駈け出した。  二人は一|間程《けんほど》隔てて向かい合った。 「お絹!」 「お前さん!」  二人の視線が絡み合った。 「よく帰ってくれて……」  うれしいという言葉は、胸に詰まって出てこない。その絹の表情の中に、岩松は絹のすべてを見た。 「お絹達者だな。達者でよかった」  岩松が微笑した。微笑すると、ひどく優しいまなざしになる。くるみこむようなまなざしだ。この目が、本当の岩松だと絹は思う。 「ごめんなお前さん。折角《せつかく》帰ったのに、わたし、家におらんと……」  絹の声はやさしい。 「仕方ないわな。古田屋の頼みだでな」  絹はちらりと岩松を見た。古田屋の手伝いを岩松は別段|咎《とが》めているようでもない。 (では、何を怒ったのだろう)  絹は不安になった。幼い時から、絹は母のかんに、よく折檻《せつかん》された。かんはすぐに大声を出した。絹は叱《しか》られることを極度に恐れるようになった。岩松は絹にとってやさしい夫だ。が、時折《ときおり》いらだつ表情をみせ、不意に荒々しくなることがある。それが絹には一番つらいのだ。 「熱田の夏は暑いな。こりゃあ、やっぱり日本一だぜ」  岩松が歩き出した。絹が三歩程遅れて歩く。夫婦だからといって、肩を並べて歩く者はほとんどない。三歩では近過ぎる程だ。岩松は、先程から銀次にこだわっていた。が、絹の顔を見ると、そのこだわりは不要な気がした。 (絹は俺の女房だ)  絹は裏切ってはいないと確信して、岩松の足は軽かった。その二人のあとを、久吉が見え隠れにつけていた。      二  日がとっぷり暮れて、仁平が古田屋から戻って夕餉《ゆうげ》となった。 「それじゃ船頭さんが困ったろう」  仁平が僅《わず》かな酒にもう瞼《まぶた》を赤くしていた。ちゃぶ台の上には鯛《たい》の尾頭《おかしら》付きに、もずくの酢の物や|煮〆《にしめ》、そして赤飯と、銚子《ちようし》が二、三本並べられている。尾頭付きの鯛に赤飯は、岩松が帰った時には無事を祝って、必ず食卓につけることにしていた。今日も突然の帰宅だが、同じように食事は作られた。行灯《あんどん》の灯影も心なしか今日は明るい。 「そりゃあ、お父《と》っつぁん、困ったろうよ。しかし、困ろうが困るまいが、そんなことは俺の知ったことではないでな」  岩松は絹の酌《しやく》を受けながら、答える。 「そんなこと言っても、舵取《かじと》りのお前に、俄《にわか》に脱《ぬ》けられちゃあ……」 「舵取りだろうが、おやじ(炊頭)だろうが、船の上だ。俄《にわか》に倒れることもある。それであわてるようじゃ、船頭は勤まらんでな、お父っつぁん」 「ま、それもそうだ」  仏の仁平と言われるおとなしい仁平は、それ以上は言わない。 「ま、何とかやっているさ。なあ、お絹」  絹はにっこり笑ってうなずき、 「船のことなど忘れて、のんびりしたらええで、お前さん」  と、銚子《ちようし》を持って台所に立つ。その絹のうしろ姿を、見るともなく岩松は見て、 「それより、お父っつぁんおっかさんが達者で何よりだ」  岩松が仁平の盃《さかずき》に銚子を傾ける。事実岩松は、船が熱田に近づく度に、万一仁平が倒れていないか、母が病気になっていないかと、思わぬことはない。血のつながりがないとはいえ、岩松にとって、親はこの二人のほかになかった。 「ありがたいねえ」  岩松のたったそれだけの言葉に、房は袖口《そでぐち》で目を拭《ふ》いた。表の古田屋の賑《にぎ》わいが時折《ときおり》聞こえてくる。長屋のどこかで、夫婦げんかでもしているのか、男の大きな怒声がひびく。と思えばどこかで笑う女の声もする。  絹が銚子を持って岩松の傍《そば》に戻《もど》った時だった。 「今晩は。お絹さんは戻ったかい」  と、戸口で男の声がした。岩松の顔がさっとこわばった。  房が障子《しようじ》をあけ、 「おや、銀次さんかい。戻ってますともさ。ま、お上がりよ」  と、愛想よく答えた。 「いや、ちょっとばかり着物の袖《そで》がほころびてね、じゃ、邪魔をするよ」  と、入りかけて銀次ははっと岩松を見た。 「おっと、これは……」  戸惑ったように銀次は敷居《しきい》に膝《ひざ》をついた。眉《まゆ》の秀《ひい》でたきりりとした顔だ。仁平が、 「ああ、これが倅《せがれ》の岩松だ。岩松、同じ長屋の銀次さんだ。留守中世話になっているで、お礼を言いな」  銀次は如才《じよさい》なく、 「いやいや、世話んなってるのはあっしのほうだで」  と、頭を下げた。岩松はその銀次をじろりと見たまま、黙って盃《さかずき》を口にした。 「ちょうどいい。さ、銀次さんもここへ来て、いっぱいどうかね」  房が銀次を促した。が、銀次は、 「いや、あっしはこれから行くところがあるで、すまんけどこの袖のほころびを、頼んます」  と、持っていた着物を、房の傍《そば》に置き、早々に引きあげて行った。 「あしたまでに縫っておくでな」  戸口を出て行く銀次に、房が立って行って、ちょっと気の毒そうに声をかけた。何やら答える銀次の声がして、房が座に戻った。  岩松はむっつりと、鯛《たい》の塩焼きをつついている。絹はその岩松の顔をちらりと見た。房が赤飯をひと口、口に入れて、 「おや、おいしい赤飯だよ、お絹」  と絹を見、岩松を見た。岩松は、誰の顔も見ようとはしない。絹が銚子《ちようし》を持って酌《しやく》をしようとした。が、岩松は、 「お前の酌なんぞ、いらねえ」  と銚子を取り上げ、自分で自分の盃《さかずき》に酒を注いだ。酒があふれて、ちゃぶ台にこぼれた。岩松はその盃を一気に飲み干し、すぐにまた注いだ。四、五杯立てつづけに、岩松はあおった。房は仁平を見た。仁平が困ったようにうなずいて見せた。 「岩松、お前急にむっつりして、どうしたのさ」  とりなすように房が言った。 「どうしたあ? そんなこと聞かなきゃ、わかんねえのか、おっかさん」  はじめから岩松の声は尖《とが》っていた。 「銀次さんが来たのが、気に入らんのかねえ」 「おお、気にいらなくて悪かったな。え、お絹」  絹はいきなり名前を呼ばれて、はっと顔を上げた。仁平がなだめるように言った。 「岩松。あの男はな、気のいい男でな。毎日のようにまんじゅうだ、せんべいだと届けてくれる男でな」 「…………」 「半月程前、俺が腹痛《はらいた》起こした時もよ、夜道を駈《か》けて医者を呼んで来たりしてな。何かと世話になっているんだ」 「…………」 「そうだよ、岩松。お父《と》っつぁんの言うとおりだよ。銀次さんには、親も兄弟も女房もないだでな。わたしたちのことを、何だかほんとの親みたいだなんて、やさしいこと言ってくれてねえ」 「…………」 「何もお前、そんなに怒ることないで」 「そうかね、おっかさん。そんなものかね」  岩松は片膝《かたひざ》を立てた。行灯《あんどん》の灯影がゆらいだ。四人の影もゆらいだ。 「俺はな、船乗りだ。年に一度帰って来て、春にはまた海に出て行く船乗りだ」 「うん」  仁平がうなずく。 「言ってみりゃあ、年中家をあけてるわけだでな。親にも女房にも、満足なことはしてやれん」 「そんなことないで、今日だってたんまり小遣《こづか》いやら土産《みやげ》を持って来てくれたでな」  房があわてて言う。岩松は、江戸に行けば江戸で、大坂に行けば大坂で、その度に半襟《はんえり》だの櫛《くし》だのと細やかに買いととのえて、何航海かするうちに、大きな包みとなるほど土産を買いこむ。喜ぶ絹や親たちの様子を目に浮かべながら、あれこれと買うのが旅先の岩松の楽しみだった。 「いや、俺はよくわかったよ。何をしてやるより、傍《そば》にずっといるほうが、親孝行だとな。遠くに離れている俺なんぞより、毎日顔を見せる銀次とかいう野郎のほうが、さぞ頼りになるんだろうさ」 「そ、そんなこと、あるわけないで。な、お父っつぁん」  房がいよいよ困った顔になる。 「いや、遠い親戚《しんせき》より、近い他人ってな。よく言ったものよ。いつもかつも家を留守にしてる倅《せがれ》より、毎日まんじゅうだのせんべいだの持ってくる近所の男のほうが、かわいいってえもんだ」 「馬鹿を言うでないで、岩松」  房がたまりかねて、声をふるわせた。 「ああ、馬鹿だよ。馬鹿だからこんなことになったんだ。な、お父っつぁん。え、お絹。今、奴《やつ》が入って来る時、何と言いやがった。お絹さんは戻《もど》ったかい、と入って来たじゃねえか。ありゃあ一体どういうことだい」 「どういうことってお前、別にどういうことでもないで。なあ、お絹」 「どういうことでもねえ? ここの家に入って来るのによ、三人いるんだ。何もお絹の名を呼ぶことはないだろうが。ええ、そうだろうが。お絹! お前と野郎は、一体どういう仲なんだ」 「どういう仲? お前さんは何を勘ちがいしとるの」  黒目勝ちの目が、真っすぐに岩松を見た。 「白っぱくれるな、お絹。何の仲でもねえ奴が、袖《そで》のほころびを縫ってくれ? 冗談じゃないぜ。袖のほころびぐれえ、男だって縫えねえわけはねえ。俺たち船乗りは、いちいち故郷《くに》の女房にほころびを縫ってもらいやしないぜ」  三人は押し黙った。岩松は、銚子《ちようし》に口をつけて、ごくごくと飲んだ。 「お絹! お前は奴《やつ》の、着物だの下着だの、今までずっと、その手に取って、つくろってやっていたんだな。それが赤の他人のすることか」 「まあ、お前さん! それはあんまり……」 「そうだよ、岩松。お絹はそんな女じゃないよ」  房がかばう。仁平が腕を組んで言った。 「なるほど。言われてみりゃあ、岩松の怒るのも当然だで。つい心安だてにしたことだが、しかし岩松、お絹は決してそんな女ではないでな。それは誰よりもよく、お前が知っているでないかのう」  岩松は首を横にふって口を歪め、 「わかった、わかった。どうせ俺は、お父《と》っつぁんおっかさんの本当の倅《せがれ》じゃねえ。そんなに銀次って野郎がかわいいんなら、俺の代わりに倅にしてくれてもいいんだぜ。そしてお絹の亭主にしてくれても、いいんだぜ。天涯《てんがい》孤独で、親切で、いい男前なら、誰にも何の文句もないというもんだ」  岩松の目尻に光るものがあった。 「何て情けねえことを言うんだ、岩松。お前は、俺たちのたった一人の倅でないか。あんまりなことを言って、親を歎《なげ》かすもんでないで」  さすがの仁平の声もふるえた。と、絹がついと立ち上がった。かと思うと、障子《しようじ》をあけて暗い外に出て行った。 [#改ページ]   己《おの》が家      一 「着いた!」  久吉は、野間の浜に上がった時、思わずそう叫んだ。久吉が従兄《いとこ》の長助に誘われて、熱田に御蔭参《おかげまい》りに家を出てから、既《すで》にひと月以上経っていた。その長助は江戸に行き、十三歳の久吉は、一人熱田の宿に取り残された。来る日も来る日も、久吉は小野浦へ帰る船を探したが、桑名に渡る渡し船ばかりで、めったに大きな船は入らない。ようやく、野間に寄るという鳥羽行きの船に乗ったのが、三日前だった。それまで久吉は、善根宿《ぜんこんやど》で使い走りをしながら、日を過ごしていた。  さて船に乗ったものの、この伊勢湾のあちこちに寄る小船は、果たして野間に寄るのかどうか、不安であった。常滑《とこなめ》に着いた時、久吉はよほど常滑から小野浦まで歩いて帰ろうかと思った。それが今、確かに小野浦の手前の野間に着いたのだ。  うれしさのあまり、久吉は一人で大声にうたいながら踊り出した。 「お蔭でさ、するりとな、脱《ぬ》けたとさ」  人が指さして笑っているのも気づかずに、久吉は身ぶりもおかしく踊って行く。 「お蔭でな、こうして、帰って来れたもな」  そううたったところで、久吉ははじめてまじめな顔になり、急ぎ足になった。 (御蔭参りなんて、何のご利益《りやく》もなかったわ)  久吉は胸の中で呟《つぶや》く。 (おっかねえ目に会ってな)  熱田の截断橋《さいだんばし》の上で、あの荒くれ男に宙に持ち上げられた時、これまでだと思った。橋の上に叩《たた》きつけられると思ったのだ。が、男が欄干《らんかん》の傍《そば》まで行った時は、 (川ん中なら、何でもあらせんわ)  水を見て、久吉はとっさにそう思った。いつも小野浦の岩礁《がんしよう》の上から、音吉たちと飛びこんで育った久吉だ。男の頭を蹴《け》って、自分から飛びこんでやれと、一瞬思った時、思いがけなく岩松に助けられた。 (変な男だった)  陽気な久吉も、ちょっと腑《ふ》に落ちない顔になる。道べの竹林が、海風にさやぐ。もう野間の町をぬけて、小野浦へは半道足らずだ。久吉の足が次第に速くなる。岩松の、幟《のぼり》をぴたりと荒くれ男の胸板に突きつけた姿を久吉は思い出す。 (侍《さむらい》のような奴《やつ》だったでえ)  短刀《どす》を持った相手を、殺さぬ程度に突き倒し、うしろも見ずにさっさと土手に降りて行った。それが久吉には、凄《すご》い男に思われた。 「だけど、お琴の乳房《ちち》を、ぎゅっとつかんだ男だでな」  久吉の口がちょっと尖る。 (あれは変な男だ)  助けてくれた癖《くせ》に、久吉が礼を言っても、にこりともしなかった。小野浦に帰るのなら、一緒につれて行ってくれと頼んだのに、 「そいつぁごめんだな」  と、にべもなかった。親切なのか、不親切なのか、いい人間なのか、悪い人間なのか、見当もつかない。  それでも久吉は、一日に一度、そっと岩松の家の傍《そば》まで行った。もしや岩松が、小野浦まで帰るのではないかと思ったからだ。が、岩松は帰る気配《けはい》がなかった。時には岩松と顔を合わせることがあっても、岩松はそ知らぬ顔をしていた。岩松の妻の絹には幾度も会った。会う度に絹は、にこっと笑い、 「お前のうちはどこ? いつ越して来たの」  とか、 「おや、今日も会ったわね」  と、やさしく声をかけてくれた。 (あの小母さんは、観音《かんのん》さまみたいだった)  あんなやさしい美しい女を、今まで見たことがない、と久吉は思った。 (お琴もきれいやけど、お琴はきかんでな)  そうだ、お琴は小野浦にいるのだと、久吉は走り出す。が、少し走って久吉は立ちどまった。浜木綿《はまゆう》の白い花が、久吉の丈《たけ》よりも高い。 (父《と》っさまは、怒っとるだろな)  雷のような大きな声で、また怒鳴られるのかと思うと、さすがの久吉も身が縮む。 (だけどな、御蔭参《おかげまい》りやで。御蔭参りに行ったもんを咎《とが》めることは、殿様でも親でも、できないんや。神罰下るでな)  久吉は、善根宿《ぜんこんやど》で聞いた旅人たちの話を思い出す。 「いつもいつも、俺たちを見下している奴《やつ》らがよ。御蔭参りには、へいこらへいこらじゃ。大きな屋敷に土足で踊りこんでも、膳《ぜん》をこさえて、酒を飲ませて、小遣《こづか》いまでくれるんじゃ」  久吉は目を丸くして話を聞いた。 「とにかく、大勢集まれば強いんや。その上、天照大神《あまてらすおおみかみ》さまがついているからな。文句は言えんのよ。何せ神さまが許したことだ、逆らえば神罰が下るんだ」 「そしたら、毎年御蔭参りをやったらええ。只《ただ》で飲み食いできるでえ」  久吉が言った。 「馬鹿を言うな。御蔭参りはな、六十一年目でなきゃあ、やって来ねえんだ。それにしても今年の御蔭参りは、お前のような餓鬼《がき》や、娘女房がやたらと多い。こりゃ一体どうしたことかな」  そんな言葉が思い出される。確かに、女、子供がどこの街道筋にもたくさんいた。時代がそのように動いていることを、久吉はわかる筈《はず》もない。とにかく父親に叱《しか》られたら、今年の御蔭参りは子供が多いのだと返答するつもりだった。  しばらく足もとの土を這《は》う蟻《あり》をみつめていた久吉は、また歩き出した。一か月も着たままの着物は、あちこちほころびて、うす汚れている。汗と埃《ほこり》にまみれた着物の裾《すそ》をからげて、久吉は再び早足になる。 「なあに、父《と》っさまが怒ったって、雷さまとおなじで一時だ。首をちぢめて黙って聞きすごせばいいのやで」  久吉は笑顔になった。雲は厚いが、雨の降る気配もない。鈍い光を反射して、海もおだやかだった。      二  久吉が小野浦に向かって歩いていた八月十五日。その日は小野浦の八幡社の祭りであった。毛槍《けやり》を持った男が二人行列の先に立ち、陣笠《じんがさ》をかぶり、裃《かみしも》をつけた男たちがその後につづく。  音吉はさとの手を引いて、進んで来る行列を眺《なが》めていた。文箱《ふばこ》を担いだ男が来る。弓矢を持った男が来る。陣笠に陣羽織を着、威儀《いぎ》を正した顔役たちがやって来る。  今、音吉は、琴が現れるのを待っていた。琴は今日、船頭たちの子供たちと共に山車《だし》をひくのだ。山車は千石船《せんごくぶね》を型どった珍しい山車だ。 「音吉つぁん、見たらいかんで」  琴は昨日からそう言っていた。 「何でいかんのや」 「だって、うち恥ずかしいもの」  琴はぱっと顔を赤らめた。だが音吉は琴を見たかった。  さとが、次々に過ぎて行く行列を見ている。さとも今日は小ざっぱりとした着物を着て、他の子供たちのように幸せに見える。そのさとを見て、俄《にわか》にいじらしくなった音吉は、 「さと!」  と思わずさとの頭をなでた。さとはその手にも気づかずに、一心に行列を見ている。  今日の祭りと、藪入《やぶい》りだけは、みんなに暇が出る。祭りの日はいつもより来客も多く、船主樋口源六の家は多忙である。だが源六は、若者たちを休ませることにしていた。只《ただ》、飯炊《めした》きの老爺《ろうや》と、勝手働きの女と、そして嫁の紋だけは、いつもの日より忙しい。 「みんなの遊ぶ日には、お前たちも遊びたいだろう」  源六はそう言って、今朝、下働きの男たちや、音吉やさとにも、紙にひねった小銭《こぜに》をくれた。音吉は早速わが家に帰って、その銭を母に渡した。さとも真似《まね》をして差し出した。母の美乃は、そのまま銭を返してくれたが、音吉はその半分を取って、父の枕《まくら》もとにおいた。すると、さとも真似て同じことをした。 「音、お前はさすがは親方さまの目がねにかなっただけのことはある」  と、父の武右衛門は、わざわざ床に半身を起こして、その二人の銭を押し頂いた。 「親方さまの目がねにかなっただけのことはある」  と武右衛門が言ったのには訳がある。  音吉と琴が、土蔵の片づけをした日の夜、源六が音吉を自分の部屋に呼びつけた。音吉は恐る恐る源六の部屋に入った。と、源六は、じっと音吉の顔をみつめていたが、やがて口をひらいて言った。 「音、お前に言いたいことがある。だがお前一人に言うわけにはいかぬ。お前のおやじどのの所に行こう」  そう言って源六は立ち上がった。  音吉は、源六と共に外に出た。提灯《ちようちん》を持った音吉は、源六と並んで歩き出した。昼間とちがって、三歩|退《さが》って歩くというわけにはいかない。肩を並べて歩くことが、音吉にはひどく窮屈なことに思われた。その上、源六が、父の武右衛門に何を言おうとしているのか、音吉にはわかるような気がする。 (きっと、あの宝物の提灯《ちようちん》のことだ)  源六は叱《しか》らなかったが、音吉は叱られなかっただけに、妙に心に応《こた》えている。提灯を踏みつけたのは琴だった。音吉ではない。にもかかわらず、音吉は自分に責任があるように思われてならない。 (父《と》っさまの前で、咎《とが》められるんやろか)  十二歳の音吉はそう思ってみる。提灯の灯りが丸く道の上を照らす。その丸い輪が歩く度に右に左に小さく揺れる。源六は押し黙ったままだ。音吉は吐息《といき》をつきたくなる。源六の家から音吉の家までの僅《わず》かな道のりが、音吉にはひどく遠い道に思われた。 「父っさま。親方さまがござったでえ」  音吉は戸口で叫んだ。美乃が仕切りの障子をあわててあけた。うす暗い行灯《あんどん》の光が、大きく揺れた。  源六が茶の間に上がると、武右衛門は驚いて頭をもたげた。音吉がその背に手をかけて起こそうとすると、武右衛門は自分の力で床の上に起きた。 (あれ、父っさまは元気になられた)  音吉は驚いた。世話をする音吉がいなくなって、武右衛門はかえって自力で動くことを覚えたのだ。 「遅くにやってきて、すまんのう。その後体の具合はどうかな」 「いつもいつも、子供らがおせわになりまして……」  武右衛門は、自分の体のことより、礼を先に言った。 「いやいや、それより、少し元気そうで、安心じゃ。実はな、武右衛門さん。今夜は音吉のことで話があっての、それで来たがのう」  と、源六は膝《ひざ》を正したまま言った。武右衛門は、はっと源六を見、うなだれている音吉を見た。茶をいれかけた美乃も、不安げにその手をとめる。 「お話……と申しますと、何か音吉が粗相《そそう》でもいたしましたか」  武右衛門がそう言ってかしこまると、 「いやいや、実はのう、本来ならわしが直接来れる筋合いではないがのう……」  と、源六は美乃の出した茶を膝もとに置いて言った。音吉には、今言った源六の言葉がわからない。 「と申しますと……」 「実はの、これは誰か仲に人を立てて頼むべき話なのじゃが、思い立ったが吉日と言うでな。年を取ると気が短うなってな」  武右衛門と美乃は、半分口をあけたまま、源六を見た。 「実は、音吉をお琴の養子婿《ようしむこ》に、願えんものかと思ってのう」 「えっ!? この音を、お琴さんの?……」  武右衛門が驚く。美乃が目を見張る。 (お琴の婿に!?)  音吉も動転した。 「うむ。あまりに唐突《とうとつ》な話だで、驚くのも無理はないがな。だがの、わしもこの辺では、ちっとは知られた男だ。単なる思いつきで、言い出したことではない」 「しかし……親方さま、あまりに身分がちがいます。この音吉が……そんな大それた……罰があたります」  正直武右衛門と言われる武右衛門は、体をふるわせた。美乃が代わって、 「親方さま、こんな音吉に、そうおっしゃって頂くだけでも、身にあまります」  と、ひとまず礼を言った。 「いやいや、事の次第を聞いてもらいたい。わしはもともと、武右衛門さんの正直にも、お美乃さんの働きぶりにも、感じ入って今日まで見て来た。おさとを見ても、ほんにまじめな子だと、わしはかわゆう思うていた」  音吉は体を固くしながら、全身を耳にしている。 「今回、長助が御蔭参《おかげまい》りに脱《ぬ》けたでな。それで音吉に来てもろうたがな。わしは今まで、音吉のように蔭《かげ》日向《ひなた》なく働く子を、見たことがないで。しかもな、雑巾《ぞうきん》がけひとつするにも、庭をひとつ掃《は》くにも、音吉はよう考えて仕事をしている。使いに外に出しても、無駄《むだ》な使いをしたことがないでな」  そんなにほめられることを、自分はしているだろうかと、音吉はもじもじした。 「いえいえ、親方さま」  手を横にふる武右衛門に、 「まあ、聞くがええ。俗に子供の使いと言うが、音吉は使いに出る時、必ずわしにいろいろなことを尋《たず》ねてな。万一相手がいなかった時は、この手渡す物を、留守の者に預《あず》けて来てもいいのか、隣の家に頼んで来てもいいのか、などとな」 「そんなことは、親方さま……」 「いやいや、まだ話がある。実は今日、蔵《くら》の整理を音吉に委《まか》せたがな。蔵の物は、わしにとってはみな宝物じゃ。そんな宝物を僅《わず》か十二の子供にと、人は言うかも知れんがの。だがの、音吉には大人より安心して委せられると、わしは思うているでな」 「もったいないことでござります」  武右衛門がいよいよ身を縮める。 「ところがのう、ちょうど庄屋が来ての。わしが四半時《しはんとき》ばかり蔵を離れた隙《すき》に」 「何か粗相《そそう》をいたしましたか」  美乃がせきこむように言った。 「うん。わしが蔵に戻《もど》ってくると、音吉が破れた御用提灯《ごようぢようちん》を持って、蔵の中に坐《すわ》りこんでいてな」 「では、音が……」  音吉は目を伏せた。 「音は、わしに両手を突いて詫《わ》びたがな。わしは、お琴の様子をみて、それがお琴の仕業《しわざ》だとわかった。音吉はお琴の罪をかぶったのじゃ。だが知らん顔をして、夜になるまで音吉の様子を見ていたがの」 「…………」 「わしはむろん、音吉を叱《しか》ったわけではないがな。しかし音吉は自分からぬれ衣《ぎぬ》を着たわけだでな。気が滅入るのが当然じゃ。にもかかわらず、音吉はのう武右衛門さん。いつもと変わらずきびきびと働きおったわ」 「…………」 「それを見てな、わしは、この音吉になら、樋口家を委《まか》せても心配いらんと思った。知ってのとおり、お琴には甚一という弟がいる。あれは体も弱く、気も弱く、到底《とうてい》樋口家を嗣《つ》ぐだけの人間にはなれせん。どうかな、祝言《しゆうげん》は音吉が十五、六にでもなった時に、ということでな、今は約束だけでもしてもらえんもんかと思ってのう」  源六はそう言って、頭を下げたのだった。武右衛門も美乃も、身分ちがいを楯《たて》に固く辞退したが、源六の熱意にほだされた。遂に話は決まった。 「息子の重右衛門も、嫁の紋も、わしのすることには何ごとでも異存がないでな。お琴と音吉には、まだ何も言ってはいなかったが、この二人も異存はない筈《はず》だ。のう音吉」  源六は声に出して笑った。音吉は真っ赤になって下を見た。  今、その許婚者《いいなずけ》の琴が、山車《だし》の綱をみんなと一緒にひいて来るのだ。      三  いつもは静かな向かいの八幡社から、祭りのざわめきが絶えず聞こえてくる。久吉の父又平は、片膝《かたひざ》を立てて茶碗酒《ちやわんざけ》をあおっていたが、 「ふん、祭りか。おもしろくもねえ」  と、妻のりよを見た。りよは昼食の後片づけをしながら屈託なげに言う。 「さっきから、同じことばかり言って、いくらおもしろくない言うてみても、仕方がないわ。戻《もど》らんもんは戻らんでな」 「大体、お前がそんなのんき者だで、あんな久吉みたいな息子が出来たんや」 「そうかも知れせんな。けどな、久吉だってあれで結構近所の皆さんに、かわいがられとるでな」  りよはのんびりと答える。目鼻立ちのぱちりとした明るい顔立ちだ。久吉の妹品が、父親似の細い目で、ちらちらとその二人を見ながら折り紙を、膝の上で折っている。品も今日は晴れ着を着て、いつもより愛らしい。又平は、むすっとして、立てていた膝を小刻みにゆすりはじめた。膝をゆするのは、決まっておもしろくない時なのだ。りよは気にもとめず、片隅《かたすみ》の煤《すす》けた戸棚《とだな》に、品の食べ残した|煮〆《にしめ》を入れた。小さな神棚の下には久吉の蔭膳《かげぜん》が据《す》えてあって、その膳の上には、赤飯、鰈《かれい》の煮付け、煮〆などが並べてある。りよは蠅《はえ》のついている蔭膳を見て、ちょっと考えてから、その蔭膳のものも戸棚にしまい始めた。  境内《けいだい》で、わっと大きな歓声が上がった。草《くさ》相撲《ずもう》が始まるらしい。  久吉の家の前には、幅一|間半程《けんはんほど》の澄んだ小川が流れている。裏手の山から流れてくるのだ。その小川の向こうが境内であった。境内にはうばめがしや五葉松《ごようまつ》などのこんもりと茂る森があり、その小高いあたりに社があった。  久吉は、又平に叱《しか》られると、すぐこの境内に逃げて行く。久吉にとってこの境内は、わが家の庭のようなものであった。祭りの度に、久吉は宮司《ぐうじ》の手伝いをしたものだ。そのことを又平は思い出しているのだ。 「あの餓鬼《がき》め。帰ってきたら、肋《あばら》の一本もぶち折ってやるわ」  又平は音を立てて、茶碗《ちやわん》をちゃぶ台の上においた。 「おや、お前さん、久吉の肋を折ったら、何かいいことになるのかねえ」  りよは相変わらずのんびりと言いながら、小さな箱火鉢《はこひばち》にかけてある鉄瓶《てつびん》の湯を急須《きゆうす》に注いだ。 「何を言う、この馬鹿が。親にこんな心配をかけよった息子だで。畜生! 帰ってきてみい。一歩も家になんぞ入れてやらんぜい」  久吉が家を出てからというもの、又平は同じ怒りをくり返してきた。  品が折り上がった鶴を口に当てて、ふーっと息を吹き入れた。りよはむっちりとした手を伸ばして、 「おや、これはうまく折れたでないか」  と手にのせた。又平が怒鳴った。 「なんだ品! 鶴じゃねえか。何でそんなもの折らんならん。飛んでいくもんなんぞ、見たくもねえ。しかし久吉も久吉なら、長助も長助だ」 「お前さん、御蔭参《おかげまい》りにはなあ、文句をつけられんで、神罰《しんばつ》が仰山《ぎようさん》当たるでな」 「神罰う!?」  口を尖《とが》らせたが、又平は黙った。神罰という言葉は漁師の又平には、聞くだけでも恐ろしくひびくのだ。赤銅《しやくどう》色の潮焼けした顔を、団扇《うちわ》のような大きな手でなでると、少し語調を変えて、 「なあ、おりよ。あの野郎は、帰らんつもりかのう」 「それがわしも心配でなあ。東屋《あずまや》の倅《せがれ》が、この春御蔭参りに行ったきりだでなあ」 「しかし、東屋の倅は十八だ。久吉はまだ十三やでえ」 「十三言うても、お前さん。あの子はもう体は大人だでな」 「大人? なら夜這《よば》いにでも行ったか」 「わからんでお前さん。とにかくな、あんまりお前さんが口やかましいだでな。それで久吉も逃げ出したかも知れんで」 「逃げ出した? 俺が口やかましいからとな? 俺の口やかましいのは、お袋の腹ん中からだ。今からなおせるかい」 「それじゃ仕方あらせんな。お品、またお祭りを見にいかんのか」 「もう行かん」  品は淋《さび》しそうに壁に寄りかかって言う。 「どうして行かん?」 「兄さがいないで、つまらん」  膝《ひざ》の上に、奴《やつこ》を器用に折りながら品が言う。 「兄さがいなくても、友だちがいるだろうが。子供が祭りも見んと、壁にへばりついているもんでないで」  りよは櫛《くし》で頭を掻《か》いた。 「だって……」  品はもの言いたげにりよを見た。 「だって何や」 「だって……」  品は同じ言葉をくり返す。品は久吉のことより、実は自分の晴れ着のほうが心にかかっているのだ。品は今朝ほど、境内《けいだい》を出て行く祭りの行列を見た。山車《だし》を曳《ひ》く女の子たちは、長い袂《たもと》の晴れ着を着ていた。 (うちの着物ときたら……)  品は、きわだって華やかな琴の振り袖《そで》を目に浮かべた。品の晴れ着は三年前の七つの時につくってもらった晴れ着なのだ。年々少しずつ上げをおろして、今年は全部おろした。が、膝《ひざ》がようやく隠れるほどの短さなのだ。これではふだん着と同じ長さだ。その上、賑《にぎ》やかな久吉もいない。品は折り上げた奴《やつこ》を、ちゃぶ台の上に放り出した。 「だって、だってと、何を言いたいのや」  徳利《とくり》から、一人で茶碗《ちやわん》に酒を注いでいる又平をちらりと見て、りよは言う。 「だって、母《かか》さま。うちの着物はこんなに短《みじこ》うなって」  品は立ち上がって着物を見せた。りよも又平も黙った。 「みんな長い袂を着ているのに。うちだけやで。こんなに裾《すそ》も袂も短いのは」 「…………」 「お琴やみんなは、そりゃあきれいな着物を着てるでえ」  品はベソをかいた。 「ほんまになあ」  品に言われなくても、りよは気になっていたのだ。だが、少しばかりのほまち[#「ほまち」に傍点]を、久吉が茶箪笥《ちやだんす》の引き出しから御蔭参《おかげまい》りに持ち出してしまったのだ。と、突如《とつじよ》又平が怒鳴った。 「品! お琴は船頭の娘やでえ。船主の孫やでえ。俺たち漁師とはえろう身分のちがいだ。おなじかっこができるか。そんなことが、わからせんのか」  品は黙って、再び坐《すわ》った。りよは、今朝《けさ》品に晴れ着を着せた時、品が黙って裾《すそ》を見ていたことを知っている。しかし品は、何も言わずに境内《けいだい》に出かけて行ったのだ。  りよは品の頭をなでながら言った。 「あんなあ、お品。父《と》っさまの言うことは本当だでな。うちは貧乏や。今年はべべをつくってやれせんかったがなあ、来年はきっとつくってやるでな。それまでしんぼうせいな。人間しんぼうせんと、ろくな者になれんでな」  りよは諄々《じゆんじゆん》と言う。 「うん。うち、しんぼうする」  品は素直にうなずいた。品の目からぽろりと涙が落ちた。品はしんぼうには馴《な》れているのだ。又平は見て見ぬふりをして、酒をがぶりとのんだ。  境内で、また歓声が上がった。草《くさ》相撲《ずもう》がたけなわらしい。      四  懐かしい八幡社の森が、家並みの向こうに見えて来た。うばめがしの葉が、折々《おりおり》さざ波のように風に動くのが見える。久吉は胸の痛くなる思いがした。あとひとっ走りでわが家である。  だが、久吉はのろのろと歩いて行く。やがて久吉は、曲がり角に来た。そこを左に折れると、あと二丁と歩かずにわが家に着くのだが、久吉は小川の縁にしゃがみこんだ。澄んだ川底に青い藻《も》がゆらいでいる。ちょろりと動いた影は小鮒《こぶな》だ。 「困ったなあ」  久吉は思わず呟《つぶや》いた。  久吉は先程《さきほど》、小野浦の町に入って初めて、今日が八幡社の祭りであることに気づいた。久吉は今日が何日であるかを忘れていたのだ。久吉は喜んで、道々出店を見、行き交《か》う人を見た。僅《わず》か一か月しか離れていないのに、もう何年も離れていたかのように、見るものすべてがひどく懐かしかった。が、ある呉服屋の店先で、立ちどまってあたりを見ていた時、いきなり水をかけられた。乞食《こじき》だと思われたのだ。ふだんならともかく、みんなが晴れ着を着ている祭りの日に、垢《あか》と埃《ほこり》にまみれた久吉の姿は、乞食に見えたのかもしれない。久吉は不意にがっくりとし、家に帰ることが俄《にわか》に不安になった。父の怒った顔が、まざまざと目に浮かんだ。  こうして久吉は今、曲がり角まで来たのだが、何とも気が重い。久吉はじっと小川の流れに目をやりながら父の怒りを考える。小川を見ている久吉の耳に、突如境内《とつじよけいだい》から歓声が聞こえた。 「あ! 草《くさ》相撲《ずもう》をやっとる」  八歳の時から、毎年久吉は草相撲に出て来た。子供の草相撲は大人の相撲の先に始まる。 (そうか! したら家はからっぽだな)  相撲好きな父は、毎年祭りには子供の草相撲も見る。きっと今年も見ている筈《はず》だ。品も当然遊びに出ているにちがいない。母のりよだけなら、さほど恐れることはない。  久吉は立ち上がった。ひどく腹が空《す》いている。 (祭りのごちそうがあるやろな)  久吉はにこっとした。祭りには決まって、赤飯に上等の魚がつく。漁師はしていても、ふだんは滅多に魚は口に入らない。たまに鰯《いわし》が食膳《しよくぜん》にのぼるくらいのものだ。 (鰈《かれい》かな。鰤《ぶり》かな)  久吉は心も軽く立ち上がった。茅葺《かやぶ》きのわが家がすぐそこに見えて来た。軒が深く、窓の小さな、二十坪ほどの家だ。その手前に、門構えも立派な、瓦葺《かわらぶ》きの隣家がある。船頭嘉市の家だ。隣家の前まで来て、久吉はまた立ちどまった。 (もし、父《と》っさまがいたら……)  父の又平は手が早い。頭にこぶができたことも、二度や三度ではない。 (まあ、仕方あらせんな)  久吉は自分に言い聞かせてみる。 (けどなあ……)  久吉はためらう。 (長助のことを何と言ったらええかなあ)  江戸に行ったと告げたなら、叱《しか》られるのは久吉だ。長助は早くにふた親を亡くし、船主源六の家に住みこむまでは、又平に育てられていた。 (父っさまあ、怒るぞう。なんでとめんかったと、怒鳴るやろなあ)  久吉の家の向こうには、家が一軒あるだけで、だらだらと山道にかかる。 (はぐれてしもうたと言ったらええやろか) (いやいや、はぐれたなんぞと言ったら、なおのこと叱られるやろな)  のんきな久吉も、わが家を目の前に、さすがに思案顔《しあんがお》になる。長助のことが、こんなに重荷になるとは思わなかった。 (こりゃ、えらいことになったわ。けど、悪いのは長助だ。俺はとめたでな)  腹がくーっと鳴った。のどもからからに乾いている。 (どっちにしても叱られるのは俺や)  久吉は吐息をついて、そっと家に近づいた。と、戸口まで行かぬうちに、 「あの久吉の野郎!」  いきなり、窓から又平の声が聞こえた。久吉はぎょっとした。 「帰って来てみい! 只《ただ》じゃおかんでな!」 (どうしよう)  久吉は窓の下にそっと屈《かが》んだ。と、何やら又平に答える母の声がした。 「なにいっ!? 何だとう!」  潮風で鍛えた又平の声が、びんびんと外までひびく。久吉は首をちぢめて、 「父《と》っさまぁ。神罰《しんばつ》が当たるでえ」  呟《つぶや》いてみる。りよがまた何か言う声がした。と、又平が、 「おりよ、久吉はもう戻《もど》らんでえ。あれは馬鹿者だでな」 (父っさま、戻ったでえ)  久吉はにやっとした。父の怒声には馴《な》れている。聞いているうちに、久吉は次第にその怒声さえ懐かしくなった。 (ああ、腹がすいた)  久吉はひょろひょろと立ち上がった。途端に、 「久吉も久吉なら、長助も長助だ!」  と、怒声が飛んだ。久吉は、再び首をちぢめた。が、 (そうや! 隣の小母《おば》さまに頼もう。隣の小母さまに詫《わ》びてもらお)  久吉は隣家の黒い塀《へい》を見た。船頭嘉市には又平も頭が上がらない。 (うまいこと考えついたわ)  久吉はたまに嘉市の使い走りをすることもある。特にその久吉を、嘉市の妻はかわいがり、 (久吉はほんまにおもしろい子や)  と、よく飴《あめ》や麦こがしをくれる。久吉は急に元気が出て、嘉市の家の門に入った。が、妙にひっそりしている。裏に廻《まわ》ると、飯炊《めした》きの女が出て来て、 「何や、久吉か。えらい汚《きたな》らしいかっこして、今帰って来たんか」  と、驚きの声を上げた。 「うん、帰って来た。たった今な。ところで小母《おば》さま、いるやろか」 「おかみさんも旦那《だんな》さまも、出かけて留守や」 「何や。留守か。困ったなあ」 「何が困ったね」 「小母さまに、うちの父っさまに詫《わ》びを入れてもらおうと思ってな」 「詫び?」  中年の飯炊《めした》き女は、二重にくびれたあごを突き出すようにして、 「いかんいかん。誰が詫びを入れたって駄目《だめ》や。又平さんは朝から晩まで、お前のこと怒っとるだでな。とにかく早うお帰り。でもまあ、よう無事に帰って来たなあ。うちのおかみさんも、えろう心配していたわ」  言われて久吉は、仕方なく歩みを返した。久吉は再び、わが家の窓の下に屈《かが》みこんだ。が、どうしたことか又平の怒声は聞こえない。何かりよと品の声がする。久吉はほっとした。又平が境内《けいだい》に遊びに行ったのかと思った。品の声が少しした。 (しめた。二人っきりやな)  久吉はあけ放った戸口をそっとのぞいた。家の三分の一は土間で、土間には鍬《くわ》や鋤《すき》や漁具が並べてある。|煮〆《にしめ》の匂いもうまそうに漂っている。久吉は、 「あのう……」  と、及び腰になり、 「今、戻《もど》りました」  と小さな声で言った。 「あれ? 今誰か、なんぞ言ったか?」  又平の訝《いぶか》る声がした。久吉はギクリとした。が、今更《いまさら》逃げることもならない。足を一歩土間に踏み入れて、久吉は声を励まし、 「あの、父《と》っさま、今……」  言いかけるや否や、 「何だ!? 久吉でないか!」 「何や! 久吉の声やないか」  又平と、りよの声が同時にした。と思うと、ころがるように又平が土間に降り、 「久吉かあーっ!」  と、いきなり久吉の体を、その逞《たくま》しい腕の中に抱きしめた。久吉はきょとんとした。 「久吉かあーっ! よう戻ったなあ」  痛いほどに又平は久吉を抱きしめ、不意に号泣《ごうきゆう》した。 「久吉っ!」 「兄さ」  りよも品も飛びついて来た。 「父っさまぁ!」  久吉も又平にしがみついて泣いた。と、 「この馬鹿があっ! この馬鹿があっ!」  と、又平は久吉の頭を、二つ三つ殴《なぐ》りつけた。      五  今日も昨日にひきつづいて、朝からからりとした秋晴れである。久吉と音吉は、それぞれ大きな風呂敷を肩から斜めに結んで歩いて行く。音吉の風呂敷の中には、小作頭《こさくがしら》伝八への、源六の手紙が入っている。久吉の風呂敷は空である。  朝飯が終わるとすぐ、二人は源六に呼ばれた。 「この手紙はな、音吉。大事な手紙だでな、落とさずに伝八の所に届けるのだぞ」  言われて渡された手紙を、音吉は源六の前でくるくると風呂敷に包んだ。そして、途中でほどけぬように、音吉は風呂敷のまん中を細ひもで結んだ。 「うん、相変わらず音吉は周到じゃのう」  源六は満足げにうなずき、 「伝八はきっと、畠《はたけ》の物を何か背負わせてくれるにちがいない。久吉も大きな風呂敷を持って行くがええ」  言われて、二人は揃《そろ》って外へ出た。  外へ出るや否や久吉は、 「俺、使いが大好きや。走ろう」  と、音吉を促した。 「どうして走る?」 「どうしてって、音、走ったら時間が浮くがな。山には木《もく》まんじゅう(あけび)や、茸《きのこ》がたくさんあるだでな」  そう言いながら、久吉は走り出していた。が、たちまち二人共|片腹《かたはら》が痛くなった。 「いかん、食べてすぐ走るのは」  久吉ががっかりしたように言い、二人は顔を見合わせて笑った。  久吉が熱田から戻《もど》っておよそ四十日になる。長助が江戸に行ったと知った時、又平は激怒《げきど》した。そして長助の代わりに、久吉を源六の家に奉行させることにしてしまった。  今まで音吉がしていた庭|掃《は》き、水汲《みずく》み、拭《ふ》き掃除《そうじ》などは久吉がするようになった。が、音吉は樋口家の将来の跡取りとして、算盤《そろばん》や字を習うために、仕事の合間を見ては、良参寺の寺子屋にやられるようになった。音吉の仕事は、ほとんど源六の傍《そば》にいて、源六の小間使いをすることであった。  源六が外に出る時は、必ず音吉が供をする。こうして音吉は、源六から、千石船《せんごくぶね》の生活や体験、その他様々な知識を毎日のように与えられるようになった。  久吉は、琴と音吉が許婚者《いいなずけ》になったと聞いた時、目を丸くして驚いたが、すぐににやりとして音吉の耳にささやいた。 「音吉、俺とお前で、お琴ば仲間にせんか」 「仲間?」 「そうや。別に減ることあらせん。お前だけでひとりじめすることはないでな」 「そ、そんな」  驚く音吉に、 「何や、俺とお前は、友だちやないか。けちけちするな」 「けちとちがう!」  音吉が気色《けしき》ばむと、久吉は、 「阿呆《あほ》やなあ。冗談や、冗談や」  と、笑ったものだった。それ以来、音吉は何となく久吉の言葉が気にかかる。 (あれは冗談や)  そうは思っても気にかかる。  道べの白い芒《すすき》が秋日に輝く。松の幹に絡まる葛《つた》の葉はまだ色づかない。山道にかかった二人の耳に、潮騒《しおさい》がひびく。  同じ家に奉公するようになったが、二人がゆっくりと話し合う暇はない。音吉はいつも源六の傍《そば》にいるからだ。久吉が来てからは、音吉は源六の隣室に寝るように命じられた。 「なあ。音吉。今朝、お琴はみんなと一緒に飯食わなかったな」  久吉はにやにやした。 「そうやったな」  音吉もそのことは気になっていた。 「お琴は、ほかの部屋で、一人で飯食ってたな」 「ふーん。そうか」  音吉はそこまでは気がつかなかった。 「なんでか、知っとるか」  御蔭参《おかげまい》りから帰って来た久吉は、体も一段と大きくなった。 「知らん。どうしてや?」  音吉が答えた時、久吉が、 「や、でんでん虫や」  と、傍《かたわ》らの茅《かや》の根に手を伸ばした。でんでん虫はついと頭をちぢめた。久吉は自分の肩にでんでん虫をのせ、 「音は何も知らん奴《やつ》やな。俺が来てから、お琴はこれで二度目の別鍋《べつなべ》やでえ」 「ふーん」  音吉は山道に映る自分の影を見ながら、ふっと母の美乃のことを思った。美乃は時々、別の部屋で、別鍋で炊《た》いた飯を食べる。それは音吉が幼い時からのことだった。 「母さま、どうしてこっちで一緒に食べせん」  音吉が尋《たず》ねると、 「定めやからなあ」  美乃はそう答えるだけだった。女の月の障《さわ》りには、鍋も席も別にする慣《なら》いだったのだ。が、音吉は何の定めか知らなかった。 「あのな……」  久吉は道べの芒《すすき》の穂をぐいと引きぬいて言った。 「音、お琴はもう女になっているんだで」 「女になっている? お琴は生まれた時から女でないか」 「阿呆《あほ》やな。この間までは子供だったわ。女ではなかった」 「けど、女の子でないか」 「わからんな、音は。女になったいうのはな、子を生める体になったということや」 「ふーん」  音吉は何のことか定かにはわからない。だが胸のあたりがもやもやと、妙な心地がした。 「音、女は嫁に行くまで、みんなのものだでな。いつ誰が夜這《よば》いに行っても、かまわんのやで」 「そんな……お琴は俺の……」 「許婚者《いいなずけ》だと言うんやろ。そんなのかまわん」  このあたりの若者たちは、時折《ときおり》大挙して、他の村に夜這いに行く。時には男同士が鉢合《はちあ》わせすることもあった。そんな話は音吉も聞いている。だが、琴の所に他の男がやって来るのは、理不尽な気がした。音吉のその困ったような顔を、久吉はニヤニヤ見ていたが、 「お、木《もく》まんじゅうや」  と、あけびを指さした。卵ほどの大きさのあけびは、紫色に熟していた。久吉は手を伸ばしてそのあけびを取ると、一つ二つ音吉にも与えて、たちまち自分の口を紫にした。音吉はあけびを手に持ったまま、木の間越しに紺青の海を左手に見おろした。まっさおな空を映して、海もまたあくまでも青い。その向こうに鈴鹿山脈がくっきりと見える。二人は頂上に立って少しの間景色を眺《なが》めた。音吉は、青い海を眺めているうちに、何かたまらなく琴がいとしくなった。胸をしめつけられるような思いなのだ。こんな気持ちになったのは初めてだった。 「何を考えとる。行こう行こう」  久吉は三つ目のあけびを口に入れながら言った。歩き出すと、向こうから子供が二、三人、竹鉄砲を打ちながらやって来た。すぽっ、すぽっと快い音がする。槙《まき》の実を弾丸《たま》にしているのだ。去年まで、音吉も槙の実で同じことをして遊んだ。が、今年はもう竹鉄砲をつくる気にはならない。音吉も少しずつ、子供の世界から大人の世界に移りつつあった。  やがて二人は小山を越えて、田上への田舎《いなか》道を歩いていた。両側に狭い稲田がつづく。右手の山に炭焼きの煙が白く立ちのぼっている。このあたりの炭はうばめがしを焼いてつくる。叩《たた》くと金属音を発するほどの硬さだ。うなぎの蒲焼《かばや》きに向く炭だ。 「あ、もう血の池だ」  音吉が言い、道べの池を指さした。 「血の池? ああ義朝《よしとも》の首を洗った所な。只《ただ》の古池でな。珍しくもないわ」  久吉は興味がなさそうに言った。が、音吉は小さなその古池に、良参寺の地獄極楽の絵を思った。ここでまさしく源義朝の首が洗われたのだ。何百年も前の話にせよ、その事実があったことに、音吉は感ずるものがあった。  この近在で、大人も子供も、義朝の名を知らぬ者はない。近くに内扇《うとげ》という村落がある。内扇では、正月の十五日間は餠《もち》を食べず、強飯《こわめし》を手づかみで食う習慣がある。それは謀殺《ぼうさつ》された源義朝への同情からであった。  平治《へいじ》元年(一一五九)十二月二十八日、源義朝は四人の従者を従えて都から落ちて来た。六波羅《ろくはら》の合戦で、平家に破れたからである。従者の一人|鎌田政家《かまたまさいえ》の舅《しゆうと》、長田忠致《おさだただむね》が野間の荘園《しようえん》の司《つかさ》であったからだ。  長田の館《やかた》に至る途中、義朝一行は内扇に着いた。折《おり》から農家では、正月の餠《もち》つきの為に米をふかしていた。空腹と疲れに義朝は餠のつき上がるのを待てず、その強飯《こわめし》を手づかみで食った。  その日義朝一行は長田の館に辿《たど》り着いた。長田一族は娘婿《むすめむこ》の主君義朝を、下へもおかぬもてなしをしたが、年が明けるや長田は変心した。義朝の首を平清盛《たいらのきよもり》に献じて、恩賞を得ようとしたのである。  こうして正月二日、先ず鎌田政家が殺され、翌三日、その変事を知らぬ義朝は入浴中不覚にも謀殺《ぼうさつ》された。  この義朝に、内扇の人々は同情して、今もなお正月に強飯を手づかみで食べるのだ。音吉も久吉も、寺子屋で、良参寺の和尚《おしよう》から幾度となく聞いて知っている。 「せめて木太刀《こだち》の一本でもあらば……」  と、義朝が無念の最期《さいご》を遂げた話は、幾度聞いても音吉の心に沁《し》みる。自分がその場にいたなら、鎌《かま》でも鍬《くわ》でも義朝に差し出して助太刀したものをと思うのだ。  義朝の首を挙げた長田は、池の水に首の血を洗って清盛に届けたが、この池が今も血の池と言われる九間に三間程の半月型の池なのだ。「只《ただ》の池」と久吉が言ったが、義朝の死後、世に凶事《きようじ》がある度に、この池は血のように赤くなると伝えられていた。音吉はなぜかそれが信じられるのだ。  血の池を過ぎて少し行くと、右手に磔《はりつけ》の松と言われる大きな松の木がある。長田は義朝の首を平家に献じたが、平|重盛《しげもり》の怒りを買って、何の恩賞をも与えられなかった。只、壱岐守《いきのかみ》という名を与えられたに過ぎない。やがて平家が衰え、頼朝の時代が来た。頼朝は義朝の長子である。長田父子は、最早《もはや》身の置く場所もない。止むを得ず自らの罪状を頼朝の前に申し出た。その長田に頼朝は言った。天下|平定《へいてい》の暁《あかつき》は美濃尾張《みのおわり》を汝《なんじ》に与えるであろう。感奮《かんぷん》した長田父子は大いに軍功を立て、やがて頼朝に召し出された。このくだりの話が、音吉は好きだ。和尚《おしよう》の言葉によれば、 「さあ喜んだのは長田|父子《おやこ》じゃ。約束どおり『美濃尾張』を賜《たまわ》る日が来たとな。長田父子は喜び勇んで頼朝公の前にまかり出た。するとな、頼朝公は長田父子をはったと睨《にら》み、この裏切り者|奴《め》が、今日こそ約束どおり、『身の終わり[#「身の終わり」に傍点]』を与えてやろうぞ、と縄《なわ》でぐるぐる巻きにし、磔《はりつけ》の松に打ちつけたのじゃ。長田父子は色を失ったがもう遅い。その時の辞世《じせい》がこうじゃ。 [#2字下げ]永らえて命ばかりは壱岐守《いきのかみ》 [#4字下げ]美濃尾張をば今ぞ賜《たまわ》る」  子供たちはここで、げらげらと笑う。幾度も聞いているが、誰も飽きる者はない。 「あれが長田の松やな」  久吉は両手をひろげ、白目《しろめ》をむき、舌を長く出して磔になった姿をして見せる。 「磔になるのは悪人やなあ、久吉」 「そうよ。切腹《せつぷく》ならまだしも、磔は恥さらしやからな」  音吉は、ひときわ太い老松に目をとめる。長田父子の最期《さいご》の形相《ぎようそう》が目に浮かぶ。血の池と言い、磔の松と言い、生まじめな音吉には、血なまぐさい地獄の中を行くような気持ちだ。が、久吉は不意に、手ぶりもおかしく踊りはじめた。 「御蔭《おかげ》でさ、するりとな、脱《ぬ》けたとさ」  踊りながら久吉は、音吉にも踊れと言う。音吉は首を横にふった。 「あっちから人が来るでえ」  向こうから竹馬に乗った子供が二人やって来る。 「かまわんがな」  久吉は言ったが、ひょいと思い出したように、 「音吉、お前、お琴の乳房《ちち》をつかんだ男を覚えているやろ」  と、踊りをやめた。 「ああ、知っとる。岩松と言う舵取《かじと》りやろ」 「へえー、岩松と言うのかあの男。俺な、あの男に熱田で会ったわ」 「熱田で?」 「そうや。あの男、強いでえ」  久吉は截断橋《さいだんばし》の上で、岩松に助けられた時のことを詳しく話した。 「そうかあ。危なかったなあ」 「なあに、いざとなりゃあ、川に飛びこむつもりだったでな」  久吉は威張って見せた。そして不意に声を低め、 「音吉、あの人の嫁さんな、観音《かんのん》さまみたいだで。きれいで、やさしうて」  大げさにうっとりした顔を、久吉は空に向けた。白い小さな雲がひとひら、北のほうに遠く浮かんでいる。 「ふーん。そんなにきれいか」  お琴より美しくはないだろうと音吉は思った。 「きれいも何も、あんな顔は見たことないわ。小野浦にも野間にも、あんなのは一人もおらん」 「一人も?」  音吉は不服だった。 「お琴なんか、及びもつかんでえ」  久吉はからかうように言った。音吉は赤くなって足を速めた。が、あの岩松の妻が美しくやさしいと聞いて、何かひどく不思議な気がした。 「久吉、あの岩松って、いい人やろか、悪い人やろか」 「そうやなあ。多分悪い男やろ」  けろりとして久吉は言う。 「だって、お前助けられたんやろ」 「助けたは助けたけど、あれは気が向いたからやったことよ。あの後な、あいつ、つばもひっかけんでえ」  久吉は岩松に冷たくあしらわれたことを、忘れてはいない。 「俺はそんなに悪い人やないと思うがな」 「お琴の乳房をつかんでもか」 「そんなこと、久吉でもするやろが」 「なにい? 音吉、お前いつから一人前の口を利くようになったんや」  久吉は目をむいて見せたが、 「音の言うとおりや。お琴の乳房をつかむくらい、朝飯前や。音吉気をつけるとええで。俺は何をするかわからん男だでな」  と、げらげら笑った。音吉は、久吉を不思議な人間だと思う。いつも喧嘩《けんか》になりそうな所で、喧嘩にならない。強引《ごういん》かと思うと、ひょいと退《ひ》く。怒ったかと思うと、急に笑う。久吉は憎めない友だちだった。 「あのな、音吉。あの岩松という男は、もう千石船《せんごくぶね》に乗らんそうや」 「ふーん、なしてや」 「長助と同じや。御蔭参《おかげまい》りに脱《ぬ》け出して、もう船に乗りとうなくなったんや。無理もないわ。あんなやさしい嫁さん持っていたら、そりゃあ、自分の家にいるのが一番いいでな」  久吉は岩松の妻絹から、岩松はもう千石船に乗らないと聞いて来たのだ。だが久吉は知らなかった。岩松が家に帰って半月後に、同じ長屋の銀次が引っ越して行ったことを。そしてその銀次のために、岩松が千石船に戻《もど》らなかったことを。 「したらもう、あの人には会えせんのか」  音吉は、兄の吉治郎と共に、宝順丸にしのびこんだ夜のことを思い出した。どっしりと重い米包みを、音吉に返してくれた岩松に、もう一度会いたいような気がした。  いつの間にか二人は、一里近い道を歩いて、小作頭《こさくがしら》の伝八の家に近づいていた。 [#改ページ]   冷 雨      一  御蔭参《おかげまい》りの年から二年は過ぎた。すなわちこの日、天保《てんぽう》三年(一八三二)の十月一日——。久吉と音吉が、田上の小作頭《こさくがしら》の家に使いに行った日のように、山にはあけびが熟し、芒《すすき》が白く輝く秋のひと日であった。  今朝、朝日が海にきらめく頃《ころ》、樋口家の持ち船宝順丸が、小野浦の沖に碇《いかり》をおろした。いつもは、碇をおろすや否や、伝馬《てんま》こみが真っ先に取り外《はず》され、帰り荷が艀《はしけ》に積みおろされる。が、今朝小野浦の浜に到着した伝馬船には、舵取《かじと》りの万蔵《まんぞう》が長々と横たわっていた。万蔵は昨夜、突如卒中《とつじよそつちゆう》で倒れたのである。万蔵の傍《そば》には、その息子|唐蔵《とうぞう》が不安げに見守っていた。十七歳の唐蔵は宝順丸の炊《かしき》であった。  万蔵が戸板で自分の家に運びこまれたあとは、何事もなかったかのように、浜はおろし荷で賑《にぎ》わった。樋口家の材木置き場に、天城欅《あまぎけやき》や女竹がうず高く積み終えられた頃は、もう正午を過ぎていた。  樋口家の広い台所では、水主《かこ》や下働きの男たちが、振る舞い酒に酔っていた。その中で、一番大きな声で話しているのは久吉だ。 「全く、胸がすーっとしたで。何せ、一着やからなあ。一着やでえ」  久吉は得意そうに目の前の音吉を見た。音吉の傍《そば》には、琴が下働きの女と一緒に給仕をしていた。  久吉は去年から宝順丸に乗りこんでいる。音吉も去年は二度|程《ほど》船に乗った。が、今年は船主の源六が音吉を重宝《ちようほう》がって、自分の傍《そば》から放さなかった。 「来年は音も十五やからな。そしたら、船に乗せてやるでな」  源六はいつも弁解するようにそう言った。今年久吉は十五、音吉は十四だが、肩幅も広く、背丈も五尺を越えている。琴の肩にも娘らしい丸みが出、頬《ほお》から首にかけて、ふっくらと色白な娘となっていた。 「一着か。大したものだなあ」  音吉が相槌《あいづち》を打つ。 「おう、大したものよ。何せ大坂から江戸まで、たったの四日だでな」  久吉は骨太くなった指を四本突き出して、男達や下働きの者たちを見た。 「へえー、四日なあ。大坂から江戸までは、半月もかかると聞いとったが……」  男の一人が、空《から》になった徳利《とくり》を耳の傍《そば》でふりながら、感心したように言う。 「何せ新酒番船の競争だでな」  音吉はおとなしくうなずく。新酒番船には、新酒を積みこむ。新酒は前年度に仕込まれた寒中酒だ。この新酒を積みこんだ何|隻《せき》もの千石船《せんごくぶね》が大坂を出る時は、三味線《しやみせん》や太鼓《たいこ》で、賑《にぎ》やかに見送られる慣いだった。着荷が早ければ早いほど、江戸の問屋は、酒の値を吊《つ》り上げることができる。通常二週はかかる江戸までの船路を、風が幸いすれば三日で着くこともあった。第一着の千石船は、見送りの時にも劣らぬ賑《にぎ》わいのうちに迎えられる。船頭はこれも慣わしの赤襦袢《あかじゆばん》一つで、手ぶりもおかしく踊りながら繰りこみ、祝い酒と金一封を振る舞われるのだ。  この一着を、今年は宝順丸が勝ち取ったのだ。が、その時の無理が、舵取《かじと》りの万蔵の上にかかったことを、久吉は知らない。久吉は只、一着になったことが無性《むしよう》にうれしいのだ。 「船頭さんはなあ。踊りがうまいでえ。赤襦袢一つでよ。こうやってなあ」  立ち上がって久吉は、片足を高く上げ、両手をかざし、首を傾けてみせた。琴や女たちがおかしそうに笑った。久吉は得意になって踊ってみせる。音吉も笑った。と、その時、 「音吉」  と、あけ放した次の間から源六が大声で呼んだ。一瞬、誰もがしんとした。ふだん源六は、滅多に大きな声を出さない。いつも穏やかにものを言う。 「はい」  音吉は坐《すわ》りなおした。源六は盃《さかずき》を置きながら言った。 「音吉、宝順丸から病人が出た。それは知っとるな」 「はい、知っております」 「宝順丸の水主たちは、わしの家族も同然や。それも知っとるな」 「はい」 「知っておればよい。自分の家族に急病人が出た時、余り大声で笑わぬものじゃ」 「はい。すまんことをしました」  音吉は素直に詫《わ》びた。大声ではしゃいだのは久吉だ。ひょうきんに踊って笑わせたのも久吉だ。が、源六は久吉を咎《とが》めず、音吉を咎めた。その心を音吉はすぐに悟《さと》った。ふだん源六は音吉に言い聞かせているからだ。 「目下《めした》の者の手柄《てがら》は、目下の者の手柄だ。自分の手柄も目下の者の手柄だ。但《ただ》し、目下のあやまちは自分の責任じゃ。お前が、お琴のあやまちをかぶったのと、同じことじゃ。これが上に立つ者の第一の心がけじゃ」  源六は音吉を、将来の船頭船主として育てていた。音吉自身、幾度そう言われてみても、自分より年上の水主《かこ》たちを、自分の部下と思うことはできなかった。だが今、大勢の前で、源六から咎められた時、音吉は、将来少なくとも、久吉の主《あるじ》になるのだということは、わかったような気がした。水主たちはお互いに顔を見合わせた。と、源六がつづいて言った。 「音吉、万蔵が倒れ、唐蔵も船をおりる。それでな音吉、お前を唐蔵の代わりに乗せることにした。みんなもわかったな」 「へえーっ」  一同が頭を下げた。 「だがのう。舵取《かじと》りの代わりは、すぐにはみつからん。十月十日には、御用米を熱田で積んで、江戸にまわらねばならんでな。困ったものじゃ」  「ほんまに困ったこっちゃなあ、親方さま」  水主の利七が答えた。まだ二十歳になったばかりの、元気のいい若者だ。 「こんな時に、岩松がいたらなあ」  顔も体も細い三四郎が言った。船頭の重右衛門がうなずいて、 「全くよのう。岩松っちゅう男は、変屈者だが、仕事の出来る男だでなあ」 「あいつ、御蔭参《おかげまい》りに脱《ぬ》け出してもう二年。そのまま梨《なし》の礫《つぶて》や」  勝五郎が言った。 「あいつは確か、熱田の宮宿だと聞いていたが……」  重右衛門が、盃《さかずき》を口に運びながら言った。 「宮宿と言うても、広いでなあ」  利七が言った。 「誰か、岩松の家を知らんかのう」  重右衛門が真剣な顔をした。江戸への航海に、腕利きの舵取《かじと》りが必要なのだ。 「知らんなあ」 「俺も知らん」 「あいつは変わりもんだったでな。家のことなど聞いたこともない」  口々に言った時、音吉がはたと膝《ひざ》を叩《たた》いた。 「久吉、お前確か岩松さんの家を知ってたな」 「本当か、久吉!?」  久吉が答えるより先に、重右衛門が体を乗り出した。久吉は首をかしげて、 「岩松? そんな男、知らんがな」 「知らんことないやろ。お前、熱田の橋の上で、川に投げられそうになった時……」  言いかけた音吉に、 「なんや、あの男か! そう言えば岩松とか言うたな。知っとる、知っとる。七里《しちり》の渡《わた》しのすぐ傍《そば》や」  久吉の言葉に、一同が色めき立った。 「おう! 久吉が知っておるのか。七里の渡しと言えば、今度米を積む港だ。久吉、その男の家を、はっきりと知っておるな」  源六が念を押した。 「知っとるどころか、目をつぶってでも行けますで、親方さま」  久吉は目をつぶって、にやっと笑ってみせた。先程《さきほど》源六にそれとなく咎《とが》められたことを、久吉はもう忘れている。 「音吉つぁん」  琴が音吉の袖《そで》を引いた。音吉がふり返ると、琴が目まぜをし、すっとその場を立って行く。しばらくしてから、音吉はさあらぬ態で席を立った。琴が門の前の楠《くす》の木の下に立っている筈《はず》なのだ。門を出ると、案の定《じよう》琴が木の下に頼りなげに佇《たたず》んでいた。 「音吉つぁん、船に乗るの?」  琴が不安げに言った。 「なんや、お琴、泣くことはあらせん。ほんのひと月もすれば、すぐに帰るでな」 「でも……」 「みやげを買ってくるで。赤いかんざしでも買って来ようか」  音吉は大人びた口調で言った。が、琴は激しく首をふって、 「いらん、うち、音吉つぁんと離れとうないのや。ほんの一時《いつとき》だってな」  白桃のような頬《ほお》に、涙がこぼれ落ちた。      二  今日も朝から冷たい雨が柾《まさ》屋根に音を立てている。午後になっても降り止まない。 「滅法《めつぽう》寒いのう。まだ十月やというのに」  岩松の父の仁平が、火鉢《ひばち》に汚点《しみ》のある手をかざして呟《つぶや》く。 「ほんとに寒いねえ。今年は春も夏も、ええ天気が少なかった」  母の房が、頼まれた仕立物を膝《ひざ》の上にひろげた。岩松は、絹の膝に膝|枕《まくら》をしながら、心地よさそうに耳の垢《あか》を取ってもらっていた。  一昨年。御蔭参《おかげまい》りに熱田に帰って以来、岩松は二度と千石船《せんごくぶね》に乗ろうとしなかった。朝に夕に、同じ長屋の銀次という若者が、自分の留守中出入りしていたことを知ったからだ。岩松は、以前仁平に見習って働いたことのある瓦《かわら》屋根の職人になった。岩松は元来《がんらい》器用な男で、する気になれば、大工でも左官でも、玄人《くろうと》裸足《はだし》の仕事をした。  岩松が家に居つくと知って、間もなく銀次は他の長屋に越して行った。それでもたまに岩松の留守中立ち寄ることはあるらしい。  岩松が瓦職人になってから幾日も経たず、絹が妊《みごも》った。そして生まれたのが岩太郎だった。岩松はよく働き、他の職人より給金がよかった。だが今年は、夏を過ぎてからめっきり仕事が減った。物の値が上がって、家を建てる者が少なくなっていたからだ。いたしかたなく、近頃《ちかごろ》では岩松は漁師を始めていた。  だがこの二、三日、何となく気が向かず、家の中にごろごろしていた。 「惜しいことをしたなあ」  ぽつりと岩松が言った。 「惜しいこと?」  絹が、手をとめずにやさしく聞きかえす。 「鼠小僧《ねずみこぞう》を仕置きにしてしまってよう」 「あら……」  絹はふと笑った。また始まったと思う。鼠小僧次郎吉が江戸で処刑されたのは二か月前のことだ。東海道の宿場である熱田には全国の出来事が何かと早く伝わって来る。 「何やら、俺と兄弟のような気がしてな」  岩松は、傍《かたわ》らにすやすやと眠っている岩太郎の寝顔に目をやりながら言う。 「そんな馬鹿な」  絹が言い、房も、 「またいやなことを言うで」  と、眉《まゆ》をひそめた。仁平が岩松を見て笑った。火鉢《ひばち》の炭が小さく跳《は》ねた。と、岩太郎が目をさまし、むっくりと起き上がると、小さな両手を前にのべて、絹の背にもたれた。 「ようし、起きたな」  寝起きのいい岩太郎を、岩松は起き上がって高く抱き上げた。岩太郎が喜んで、その柔らかい足で岩松の肩を蹴《け》った。 「こいつ!」  笑って見上げた岩松の顔に、小便がかかった。 「や、や、や、や、や」  岩松が笑い、 「あら、まあ」  他の三人も一緒に笑った。岩松の笑顔が最もうれしそうであった。  絹が岩太郎のむつきを取り替えた時だった。 「ごめんやす」  と、戸口に声がした。入って来たのは船頭の重右衛門と久吉だった。 「おう、これは親方、久しぶりやなあ」  岩松もさすがに驚いた。 「久しぶりやなあ、ほんとに。お前をずいぶん探したぜい。あれから二年になるなあ」  土間に立ったまま言う重右衛門に、房がその肥った体をかしこまらせて言った。 「ま、そんなところでは、話も何ですがな。ちょっとお入りやす」  言われるままに重右衛門は茶の間に上がった。久吉も重右衛門の後について上がった。 「へえー、宝順丸の船頭さんで……。その節は岩松がえろう迷惑をおかけしまして」  仁平はいんぎんに挨拶《あいさつ》した。房も絹もていねいに頭を下げる。 「今日はなあ、岩さん。早速だが頼みがあって来たでなあ」  重右衛門は言いながら、土産《みやげ》の菓子を差し出した。岩松は礼も言わずに、 「親方ぁ、千石船《せんごくぶね》に戻《もど》れと言う話なら、ごめんだで」  と、にべもない。 「お前そんな……」  房はあわてて、 「岩松、よう話を聞いてからお答えせんかいな」 「しかし、親方ぁ俺は船に乗る話なら、きっぱり断る。見てのとおり、年取った親父《おやじ》とお袋がいるだでな」 「なるほど、なるほど。だがのう、実はわしらもほとほと困ったことになってな。ほら、岩さんも知っての万蔵な、あいつが突然卒中で倒れてよ」 「万蔵?」  岩松の顔が動いた。万蔵は気のいい男で、岩松にも何かと親切にしてくれた男だ。 「うん。万蔵や。あいつが舵取《かじと》りをしていたんやがな。あれに倒れられて困っとるんや。長く乗ってくれとは言わん。あとひと往復か、二往復や。助けると思って、舵取りをやってくれんかのう」 「ひと往復か、二往復?」  岩松の目が絹に向けられた。絹は岩松を見たが、すぐに伏し目になった。絹も、岩松が船に乗るのを喜ばない。が、仁平が言った。 「岩松、お前もそのぐらいのことをする義理はあるやろう。御蔭参《おかげまい》りで、突然|脱《ぬ》けてしもうたでな」  房も言った。 「ほんとや、ほんとや。その節《せつ》は岩松がえろうすまんことをしましたな、親方さん」  重右衛門が大きく手をふって、 「いやいや、御蔭参りは天下御免《てんかごめん》だでな。只《ただ》な、突然の病人が出たで、わしらもあわててな」  と岩松を見た。岩松は、 「一度乗ると、またずるずると乗ってしまうかも知れせん。悪いが、やはり断るわ」  と、そっ気ない。絹は重右衛門と久吉の前に茶を出した。そして、 「あら!?」  と、軽く驚きの声を上げた。絹は、二年前の久吉を思い出したのだ。毎日のように久吉は、この長屋の小路をうろついていた。久吉はそれと気づかれて、 「えへへ」  と笑って首をすくめた。岩松はその久吉を怪訝《けげん》そうに見たが、 「なんや、あん時の餓鬼《がき》か。もうすっかり大人やないか」  と、笑顔になった。その岩松の膝《ひざ》の中に、岩太郎がすっぽと腰をおろした。 「ええ坊ややなあ」  重右衛門が手を伸ばすと、岩太郎は岩松にしがみついた。が、久吉が手を伸ばすと、すぐに久吉の膝に移った。それを眺《なが》めながら、重右衛門は重ねて言った。 「なあ、岩さん。今回|只《ただ》の一回きりや。熱田から米を積んで三日後には出るんや。何とか助けてもらえんかのう」  岩松は腕組みをしたまま、返事をしない。その岩松を、仁平、房、絹がじっとみつめた。 「そうかあ。やっぱりいかんか」  重右衛門はがっかりしたように言い、 「どうしてまたあんなに船の好きなあんたが、船を見限ったものかのう。いや、えらい邪魔をした」  と立ち上がった。 「えらいすまんことで」  仁平と房が額を畳にすりつけた。久吉は岩太郎を岩松に渡そうか、絹に渡そうかと戸惑った末、岩松に手渡した。岩松は岩太郎の頬《ほお》に、自分のひげ面をすり寄せながら、不意に言った。 「親方、今度一度だけなら、乗ってもいいで」      三  熱田の船着き場に横づけになった宝順丸の水主《かこ》部屋で、大きな声がする。 「親方ときたらあ、何でまた岩松なんて野郎を、呼び戻《もど》す気になったんかなあ」  水主頭《かこがしら》の仁右衛門の声だ。音吉は炊事場で夕食の米を磨《と》ぎながら、その声に耳を傾けていた。仁右衛門の声は、声の大きな水主たちの中でも、とりわけ大きい。がっしりとした体つきも、水主頭の名に恥じなかった。 「しようがないがな。舵取《かじと》りの万蔵さんが倒れたでな」  答えているのは、いつも元気な利七だ。 「舵取りぐらい、俺でもできるで。何もな、航海の途中でよ、船を下りるような不心得《ふこころえ》もんを使うことはねえんだ。そんな話、俺は見たことも聞いたこともないぜい、利七」  確かに水主頭の仁右衛門が言うとおりなのだ。船主や船頭たちは、仕事の途中で船を抜け出した者は、たとえ他の船の水主であったとしても、決して雇わぬと言う暗黙の約束があった。後にはこれは明文化さえされた取り決めである。 「それはそうだが、岩松つぁんの場合は、御蔭参《おかげまい》りだで、文句は言えんわ」  利七はどうやら、岩松の肩を持っているようだと、音吉はほっと胸をなでおろした。  ここ水主部屋は艫《とも》(船尾)に近い。屋根のついた水主部屋はおよそ三十畳|程《ほど》の広さである。「宝順丸」と書かれた船額の横に神棚《かみだな》がまつられ、床には莚《むしろ》が敷かれてあった。水主部屋の下は船倉で、炭や薪《まき》がぎっしりと積みこまれている。  音吉は、磨《と》ぎ上げた米を釜《かま》に入れ、造りつけの深い水槽《すいそう》から柄杓《ひしやく》で水を汲《く》み取った。水槽は艫の両側に深々と水を湛《たた》えている。水槽の板の内側は、火に焼かれてあって、水の腐らぬ工夫が凝らされている。  音吉は船に乗って初めて、父武右衛門が常々言っていた言葉が、身に沁《し》みてよくわかった。 「船乗りはのう、水が命だでのう、陸《おか》にいて水を粗末にする奴《やつ》は、必ずその報いを受けるでな」  幾度も、幼い頃《ころ》から聞いてきた言葉だ。だから音吉は、井戸から水を汲み、それを土間の水瓶《みずがめ》に運ぶ時も、一滴の水もこぼさぬように気をつけてきた。  今、音吉は、細心の注意を払って、水槽から釜《かま》に水を入れた。 (あの人は、この船に乗ることを承諾《しようだく》するやろか)  音吉はひどく岩松が懐かしい気がした。が、琴の乳房を荒々しくつかんだ岩松を思うと、恐ろしい気もする。 (岩松つぁんって、どんな人やろ)  水主たちには親切な水主頭《かこがしら》の仁右衛門が、岩松を快く思っていないらしい口ぶりに、音吉は何か不安なものを感じた。再び仁右衛門の声がした。 「しかし、俺はおもしろくないで。何も親方が、わざわざ菓子折りを持って、あんな奴《やつ》の所に頭を下げて行くことはないだろうが」  外は雨だ。千五百|石《こく》の米を積み込む作業は明日から始まる。船の中の仕事も一段落して、陸に上がった者もいれば、一服している者もある。今、働いているのは炊頭《かしきがしら》の勝五郎と音吉だけだ。久吉も炊だが、船頭の重右衛門について、岩松の家に行っている。岩松が承知をしなければ、舵取《かじと》りは仁右衛門が兼ねるかも知れない。 (乗ってもらったほうがいいか、悪いか)  音吉は大根の皮をむきながら思った。船端にひたひたと寄せる波の音が聞こえる。油紙を貼《は》った障子に、雨がさわさわと音を立てる。 (あの人が来たら、おやじさん〈水主頭〉とぶつかるかも知れせんな)  音吉は争いが嫌《きら》いだ。父の武右衛門も、母の美乃も、大きな声で争ったことはない。妹のさとと自分も、大声で喧嘩《けんか》をしたことなど、なかったと思う。武右衛門はよく言った。 「人に手を上げるもんではないで。殴る癖がつくと、必ず大ごとになるでな」  またこうも言った。 「いいか、音。獣と人間のちがいは、何やと思う。獣は口を利けんが、人間は口を利く。口の利けん獣は、噛《か》み合うたり、殺し合うたりするが、人間は言葉で話し合えば、それでいいだでな」  音吉は父の言うとおりだと思っている。  音吉が千石船《せんごくぶね》に乗ったのは、昨年二度だけであった。そして今、小野浦から熱田まで、美濃米《みのまい》を積みに来た。たったそれだけの経験の中で、只《ただ》一ついやなことがあった。仕事をする時は、みんな心を合わせてするのだが、酒が入ると、一人か二人、必ず大声で人に絡む者がいる。それをまた真に受けて怒鳴り返す者がいる。一夜明ければ、互いにけろりとしてはいるのだが、その怒鳴り合いが音吉には耐えられない。 (岩松って人も、怒鳴るかも知れせんな)  思いながら音吉は、自分が小胆だと思う。久吉から聞いた、截断橋《さいだんばし》の上での岩松の武勇伝《ぶゆうでん》は、琴の乳房をつかんだ荒々しい仕ぐさと重なって、音吉を恐れさせる。だが一方、あの夜の、自分に対したやさしさもまた、信ずることができるような気がする。 (妙な人や)  音吉は、大根を千切《せんぎ》りにとんとんと刻んでいく。それほど巧みではないが、久吉よりは器用だ。刻みながら、音吉は琴の顔を思い浮かべた。  昨日、一年ぶりに千石船に乗る音吉を、母の美乃も、妹のさとも、浜まで見送りに来た。他の水主たちの家族も何人か見送る中に、なぜか琴の姿が見えなかった。 「気をつけるんやで音吉。みんなの邪魔にならんようにな、よう働くんやで」  美乃はそう言い、兄の吉治郎に向かって、 「吉治郎、音吉に負けんと働かなならんでな。そしてな、音吉に、何でも教えんといかんで」  いかにもしっかり者らしい美乃の言葉だった。吉治郎は、 「わかった、わかった。それより、母さまも父っさまを大事にして、末長う仲よく暮らすんやで」  と笑った。が、美乃は笑わずに、 「吉治郎、何やその挨拶《あいさつ》。まるで……」  長の別れの挨拶のようだと言おうとして、美乃は口をつぐんだ。吉治郎は、 「まるで、長の別れのようだと、言いたいんやろ。そうかも知れせんで」  と、軽口《かるくち》を叩《たた》いた。 「吉治郎、またそんなことを言うて。ま、そんなことを言うた者で、死んだ者はいないと言うだでな」  美乃も笑って、艀《はしけ》に乗る音吉と吉治郎を交互に見た。  久吉の母のりよも見送りに来ていた。 「何せお前はひょうきん者だでな。ふざけて船から落ちたらいかんで」  妹の品も、 「ほんとや。兄さは、ふざけてばかりやからな」  と笑った。久吉は、 「なあに、俺は河童《かつぱ》や。海ん中も、陸も変わりあらせん。な、音吉」  と言って、艀《はしけ》に飛び乗った。  音吉は、琴の姿が見えないので、気になった。 (一体お琴は、どうしたんやろう)  艀に乗った音吉は、あたりを見まわした。と、人々から少し離れた松の木立の中に、顔だけを木蔭《こかげ》からそっと出して、自分のほうを見ている琴を見つけた。 (何や、あんな所にいたのか)  音吉が手をふった。琴の手も高く上がった。音吉は、手で空に一の字を書いた。琴も一の字を書いた。今度は琴が円を書いた。音吉も円を書いた。これは二人だけの暗号だった。一の字は「一番好きや」と言う暗号で、円は「無事で」と言う暗号だった。人目の多い樋口の屋敷の中で、二人がひそかに交わし合っていた、子供らしい暗号であった。  琴は、父の重右衛門が、一航海ごとに帰って来、発って行くことに馴《な》れていて、時には浜まで送りに出ないこともあった。そんな琴が、人々から離れて、そっと自分をみつめていてくれたことに、音吉は満足を覚えた。久吉は琴に気づかず、 「音吉、お琴の奴《やつ》、送りに来《き》いへんかったな。冷たい奴やな」  と、音吉をからかった。  音吉は、今、大根を刻みながら、琴の顔を思うと共に、昨日の妹さとの姿を思った。  艀が動き出した途端、さとは、 「兄さー!」  と叫んで、思わず二、三歩、冷たい海の中に足を踏み入れたのだった。そのさとを思うと、琴へとはまたちがった愛《いと》しさがこみ上げて来る。 (江戸の土産《みやげ》に、さとには何を買ってやろうか)  音吉は、大根を刻み終わった。どうやら少し雨が小降りになったようだ。水主頭《かこがしら》と利七の声も、いつしか途切れていた。      四  船頭の重右衛門と、久吉が岩松の家を訪ねて、三日目。今日は宝順丸が熱田を出る日だ。風は寒いが空は晴れている。  朝飯を終えた岩松の背に、絹は黙って刺し子を着せた。その岩松の足に岩太郎がまつわりついている。黙っている絹の気持ちが、岩松には痛いほどわかる。  重右衛門が、再び船に乗らぬかと訪ねて来た時、岩松は先を制して、 「千石船《せんごくぶね》に戻《もど》れと言う話ならごめんだで」  と言った。が、心のうちでは、重右衛門が訪ねてくれたことに、岩松は深く心を打たれたのだった。こともあろうに舵取《かじと》りの自分が、御蔭参《おかげまい》りに名を藉《か》りて船を脱《ぬ》け出した。そのことは、岩松も心にかかっていた。二度と船に乗ることができなくても、文句の言える筋ではなかった。幸か不幸か、銀次という男の出現に、岩松も船に乗る気を失った。だが時折《ときおり》、岩松は夢に千石船を見た。帆柱のてっぺんに突っ立っている自分を見たこともあれば、胴の間の積み荷の上に寝ていて、肩のあたりがむやみに寒いと思って目がさめたこともある。そしてその度に思い出す船の生活は、岩松にとって、ふるさとのように懐かしくもあった。だからこそ、重右衛門の顔を見た途端に、二度と船には乗らぬとあえて宣言したのだった。  だが、落胆《らくたん》の様子もあらわに、重右衛門が家を出ようとするのを見た時、岩松はたまらなくなって言った。 「親方、今度一度だけなら乗ってもいいで」  重右衛門は喜んで帰って行った。  が、絹はその夜、床の中で言った。 「お前さん、もう船には乗らんといて」 「一度だけだ」  突っ放すように岩松は言った。 「どうしても乗らんならん。折角《せつかく》家に居ついてくれたのに」 「居ついてくれた?」 「ええ。もともとわたしは、船乗りのお前さんに惚《ほ》れたのだから、お前さんが船に乗るのは諦《あきら》めていたけどな。でも、来る年も来る年も留守番ばかり、どんなに淋《さび》しかったことか知れせんで」  絹は、隣室の仁平や房に聞こえぬように、ひっそりと言った。 「…………」 「お前さんがこうしていつも家にいてくれることだけで、わたしはどんなに幸せかわかりやしない」 「幸せ? ほんとかお絹?」  岩松は思わず聞き返した。年毎《としごと》に新しい着物を買ってやるわけでなし、朝晩うまいものを食べさせるわけでもなし、只舅《ただしゆうと》と姑《しゆうとめ》に仕える生活が、絹の毎日なのだ。その生活を絹は幸せだと言ってくれる。 「ほんとうだともさ。幸せってのはね、お前さん。いつも無事な顔を合わせていることだでな」 「ふーん」 「おまえさんが船に乗っている間、わたしはむろんのこと、お父っつぁんやおっかさんだって、どんなにお前さんのことを案じていることか。熱田の空がくもれば、お前さんのいる所もくもっていはしないか、熱田に風が吹けば、お前さんが嵐に遭《あ》っていやしないか、いつもそんな心配ばかりしているのやで」  ふだんは言葉数の少ない絹が、掻《か》きくどくように言った。 「そうか。そんなに心配してくれていたのか。しかし今まで、そんなことお絹は言ったことないで」 「それは、もう船乗りの女房と覚悟を決めていたからさ」 「じゃ、今は、その覚悟を失うたというわけか」 「ええそうなの。だってもう金輪際《こんりんざい》船に乗らんと、お前さん言うてくれたでないか。だからすっかり安心して……安心しちゃったもんだで、何だか淋《さび》しくって」 「わかった。そいつは悪かった。しかし、今度一度だけは江戸まで行ってくる。船乗りの世界じゃあ、本当は俺のようにして辞《や》めた男は、二度と雇《やと》ってはもらえんものよ。それを、わざわざ親方は訪ねてくれたんだ。その親方に、今度一度だけは……」  言いながら、岩松はうれしかった。自分のようなすね者を、妻の絹も、育ての親の仁平も房も、心から大事に思ってくれている。近頃《ちかごろ》は、瓦《かわら》職人の頃より収入《みいり》も少なくなって、思ったこともしてやれない。それでも、愚痴《ぐち》一つ言うでもなく、房も絹も、仕立物の賃仕事で家計を補ってくれていたのだ。 「ほんとに、今度一度だで、お前さん」  布団の中で、絹は岩松の小指に自分の小指を絡ませてきた。冷たい細い指だった。岩松はその手を両の手に包んで、 「ああ、一度っきりだ。二度と船には乗らん。それならいいだろう」 「ええ、一度だけなら仕方がない」  岩松はふっと銀次の顔を思い出した。自分が江戸に行って帰って来るまでのひと月余りの間に、銀次は必ず訪ねて来るような気がした。今は遠くに移ったとは言え、たまには岩松の留守に顔を見せると聞いていた。 「お絹、ひと月|経《た》ちゃあ帰って来るだでな。銀次なんてえ奴《やつ》が団子を持って来たって、甘えるんじゃないぜい」 「まあひどい! 銀次さんはお父《と》っつぁん、おっかさんを訪ねてくるのよ。自分の親みたいだって」 「お絹、お前それを真《ま》に受けているのか」 「真に受けているともさ。お前さんどうしてそんなことを聞く?」 「将を射んと欲せば馬を射よってこともあるだでな」 「何のこと、それ?」  不審そうに聞き返す絹を、岩松は黙って抱きしめた。この絹を疑ってはならぬと岩松は思った。信じなければならぬと思った。 「とにかく俺は、あの銀次って奴《やつ》が気に食わねえ」  只《ただ》それだけを岩松は言った。  刺し子を着た岩松は、今、足もとにまつわる岩太郎を抱き上げて言った。 「じゃ、お父っつぁん、おっかさん、行って来るでな」 「そうか。行って来るか。気をつけてな」  仁平が言い、房がつづけて、 「やっぱり船に戻《もど》ることになったなあ」  と、がっかりしたように言った。が、自分で自分の気を引きたてるように、 「ま、親方さんがわざわざ見えられたことだでな、義理を果たさにゃあな」  と、元気のよい声になった。 「義理か」  岩松はちょっと笑って、 「なあに、ひと月だあ、すぐに帰って来る。じゃあ、坊、おとなしく待っているんだぞ」  と、頬《ほお》ずりをすると岩太郎を絹に渡した。  草履《ぞうり》を突っかけた岩松に、 「わたしも浜まで見送りに行く」  と、絹は岩太郎を抱いたまま土間におりた。 「風が寒いで、わざわざ来んでもええ」 「じゃ、岩太郎だけおいて行くわ。おっかさんおねがい」  絹は岩太郎を房に手渡した。 「じゃ俺も岩松を送るとするか」  仁平の言葉に岩松は笑って、 「珍しいことを言うでお父っつぁん」  と、ちょっとふり返って、戸をあけた。風が絹の裾《すそ》を煽《あお》った。 [#改ページ]   角《かく》 帆《ほ》      一  少し風は弱いが、雨もすっかり上がって、朝日が背にあたたかい。  宝順丸が熱田を出て間もなく、船頭重右衛門は、引き戸をあけて、水主《かこ》部屋(艫《とも》の間)から自分の部屋に入った。岩松が船に戻《もど》ることを拒んでいた水主頭《かこがしら》の仁右衛門も、いざ岩松が船に乗りこむのを見てからは、さして不満そうな顔も見せずに、水主たちを指図していた。今、重右衛門の心にかかるものは何もない。  重右衛門は、三畳ほどの船頭部屋にぽつんと坐《すわ》って帖箱《ちようばこ》をあけた。帖箱は、懸硯《かけすずり》、衣裳櫃《いしようひつ》と共に船箪笥《ふなだんす》と呼ばれていて、透明の漆塗《うるしぬ》りであった。このうちの帖箱を文机《ふづくえ》代わりにも使っていた。  重右衛門はふと思いついて、父源六の書いた宝順丸の見取り図を出して膝《ひざ》の上にひらいた。いつの頃《ころ》からか、重右衛門はこの図面を持ち歩くようになった。父源六が傍《かたわ》らにあるような気がするからだ。  船は大まかに言うと、|舳|《おもて》(船首部)と艫《とも》(船尾部)の二つに大別される。舳から順に言えば、小間、三の間、二の間、赤の間、胴の間、そして次の部分は、三畳ほどの船頭部屋、同じ広さの三役の部屋(脇《わき》の間)、この二つの部屋が帆柱の立っている柱道《はしらみち》(小部屋)を挟《はさ》んで、横に並んでいた。三役とは舵取《かじと》り、岡廻《おかまわ》り、水主頭《かこがしら》を指す。  つづいて、四|間《けん》半に四間半の水主部屋があり、ここには火床《ひどこ》と呼ばれるかまどのほか、帆を巻くためのろくろが二基、部屋の左右に一対となって置かれてあった。この水主部屋は、船頭部屋とも、三役の部屋とも、引き戸で仕切られている。  この三つの部屋の上は、屋根を兼ねた作業|甲板《かんばん》になっていて、帆柱もあれば舵柄《かじつか》もある。帆柱は二尺八寸角の寄せ木の松明《たいまつ》柱だ。  父の源六は、これらの見取り図を、実にわかり易く、几帳面《きちようめん》に書いてある。これは、まだ八歳だった重右衛門に、船の構造を教えるために書いてくれたものなのだ。年々、源六は千石船《せんごくぶね》について、様々なことを重右衛門に教えた。舵が畳八枚ほどの大きさもあること、従ってそれを動かすための舵柄は二十五尺もあること、この大きな舵が、二|股《また》に分かれた船尾の間にぶら下がっていること、浅瀬ではこの舵を引き上げねばならぬこと、この舵を動かすためには、少なくとも二人の力を要すること等々、舵についてだけでも、数々のことを学んだものだ。 「親父さまも、齢《とし》になったのう」  古びたこの見取り図を見ると、重右衛門は若かった頃《ころ》の源六を思い出す。 「無理もない。六十をとうに過ぎたでな」  重右衛門は父源六を尊敬していた。 「親父さまほどの徳が自分にあったらのう」  重右衛門は呟《つぶや》きながら、懸硯《かけすずり》から矢立てを取り出した。この矢立ても父源六から引き継いだ物だ。ついで懸硯から、船日記を取り出した。懸硯は二重造りである。いざという時、海に投げ入れても、中の物が損なわれることは先《ま》ずない。だから、日記や帳簿などの重要書類を懸硯の中に納めておく。  重右衛門は船日記をひらき、 「天保《てんぽう》三年十月十日六つ半(七時)熱田港を出帆《しゆつぱん》す」  几帳面《きちようめん》な性格をそのままに、重右衛門は楷書《かいしよ》で、固い字を並べた。熱田は常夜灯の点《つ》いている暮れ六つから明け六つまでは航行を許されていない。 「乗組員十四名は次のとおり也《なり》」  姿勢を正して重右衛門は書く。波の穏やかな伊勢湾の海は、船の動揺も僅《わず》かだ。 [#ここから3字下げ] 「船頭  樋口重右衛門  小野浦在  舵取《かじとり》岩  松熱田宮宿在  岡廻《おかまわり》六右衛門小野浦在  水主頭《かこがしら》仁右衛門同 右  水主利  七同 右  水主辰  蔵伊勢|波切《なぎり》在  水主政  吉小野浦在  水主三 四 郎同 右  水主千 之 助伊勢若松在  水主常 治 郎小野浦在  水主吉 治 郎同 右  炊頭《かしきがしら》勝 五 郎新居浜在  炊《かしき》久  吉小野浦在  炊音  吉同 右」 [#ここで字下げ終わり]  重右衛門は筆を置いた。が、目は音吉の二字に向けたままである。 (音吉か)  重右衛門は少し苦い顔をした。  音吉を琴の婿養子《むこようし》に決めたと、源六から聞かされたのは、もう二年前になる。源六は言った。 「わしの目に狂いはない。音吉はよい婿になる。よい船頭になる」  重右衛門は黙って頭を下げた。この家では、源六の言葉を返すことのできる者はいない。と言って、源六は威圧的なのではない。誰もが、源六のすることにはまちがいがないと心服しているからだ。  わけても息子の重右衛門が、源六を尊敬していた。源六の言葉には、偽りがなかったし、すべての面において判断が確かであった。気魄《きはく》はあるが、高圧的ではない。重右衛門の最も誇るべき存在が、この父源六であった。 (だが、あの時だけは……)  重右衛門は腕組みをして目をつむった。二年前のあの日のことが、ありありと目に浮かぶ。琴はまだ十二歳であった。重右衛門にとって、初めての子である琴は、言いようもなく愛《いと》しい存在であった。琴はやや利かぬ気だが、思いやりのある素直な性格だ。一年のうち、十か月近くの間船に乗っている重右衛門にとって、帰宅するごとに、目に見えて成長する子供たちの姿ほど、うれしいものはない。  十二歳の琴は、まだまだ重右衛門には稚《おさな》い童《わらべ》であった。家に帰ると、琴は重右衛門に抱きついて喜んだ。夜寝る時、琴は枕《まくら》を抱いて重右衛門の床に入って来ることもあった。そんな幼い琴に、婿養子《むこようし》が決まった。自分に一言の相談もなく、妻の紋にさえ何の話もなかったという。  確かにその日まで、すべては源六の裁量によって、決定して来た。それに不満はなかった。が、娘琴のことになると、これは別であった。 (琴の婿だけは、わしが決めたかったのう)  自分の宝を預けるべき相手を、自分で決めたかったと、重右衛門は未《いま》だかつて持ったことのない不満を源六に対して抱いた。しかも、音吉の家と樋口の家では身分がちがう。その上、音吉も十二歳という稚さであった。  以来、二年、重右衛門は重右衛門なりに音吉を見てきた。確かに音吉は、気立てもよく、利発でもあった。これと言った欠点もなく、誰からもかわいがられた。昨年二度、炊《かしき》として江戸までつれて行ったが、音吉は今までの炊の中でも、衆に優れていた。何の文句もつけようがないのだ。だが重右衛門には、音吉を婿養子としては認めたくない思いが、依然として心に残っていた。 (確かに難はない)  今も重右衛門は心のうちに思った。重右衛門自身が他に婿養子を探したとしても、音吉ほどの者は、見つからないような気がした。にもかかわらず重右衛門には承服し難いのだ。それは、言って見れば重右衛門の、男親特有の、娘に対する情愛の故《ゆえ》であったかも知れない。 (琴を誰にもやりとうない)  それが父親としての、重右衛門の胸の中の叫びであった。 「琴の奴《やつ》……」  重右衛門は呟《つぶや》いた。小野浦の浜を、艀《はしけ》に乗って出立した時を、重右衛門は思い浮かべたのだ。琴の視線は、父親の自分に注がれなかったような気がする。琴は一心に音吉を見ていた。二人が一の字を書いたり、円を描いたりして、ひたすら別れを告げていた様子が、重右衛門の胸に刺さっていた。  ついこの間まで、父親である自分の床の中に、甘えて入って来た娘が、も早自分をふり向かなくなった。十四歳の琴の胸には、音吉だけがいる。それが重右衛門には何とも淋《さび》しく思われるのだ。  と、引き戸の外で声がした。 「親方さま。お茶を持って参じました」  音吉の澄んだ声音であった。      二 「ま、一服せんか音吉」  朝食の後始末を終えるとすぐ、炊《かしき》たちは昼食の用意をしなければならない。その昼食の用意も終えたが、音吉はあたりの雑巾《ぞうきん》がけに精を出していた。 「うん、これで終わりだで」  にこっと笑って、音吉は久吉をふり返った。 「お前がいるとよ、よく働くから俺も助かるけどな。だけど……」 「だけど何や?」  洗った雑巾をきちんと片隅に置き、音吉が聞き返した。 「だけどな、あんまり働かれるとな、こっちは怠《なま》けられんでな」  久吉が口を尖《とが》らせた。 「そりゃ悪かったな。だけど性分《しようぶん》だでな。そう簡単になおらんで」  二人は作業|甲板《かんばん》に出た。  風を大きく孕《はら》んだ角帆が、音吉にはのしかかるように見える。二尺五寸幅|程《ほど》の帆布《はんぷ》を何枚もつなぎ合わせた二十八|反《たん》帆は、宝順丸を包みこむほどの大きさだ。 「なあ、音吉。帆の大きさは、固いところ一体どのくらいあるんやろう」  帆を見上げる音吉に久吉が聞いた。 「よう知らんけど、長さも幅も七十尺は超えるんやないか」 「ふーん、七十尺なあ」  今更のように久吉は帆を見上げた。音吉も、こののしかかるような帆の大きさには、いつも目を見張る思いがする。 「ほんとに大きいなあ久吉。これがな、昔は全部|刺帆《さしほ》だったんやで」 「刺帆? ああ、二枚合わせて刺した帆やな」 「そうや。けどな、この頃《ごろ》は松右衛門帆が多いやろ。織帆《おりほ》な」  松右衛門とは、刺帆を改良した播州高砂《ばんしゆうたかさご》の元船頭松右衛門のことだ。刺帆の面倒を避けて、帆をはじめから太い糸で織ったものだ。天保の今の世に刺帆を用いる船は少なく、この松右衛門帆がほとんどだ。この織帆は、刺帆よりはるかに丈夫なのだ。 「ところで音吉、お前十四やな」  久吉がにやにやした。 「十四や。久吉より一つ下だでな」 「十四言うたら、もう子供ではあらせんな」 「まだ子供や」  音吉は、久吉が何を言おうとしているかを察して、船べりに体を寄せた。水脈《みお》が長く尾を引いている。秋日を返して、眩《まば》ゆい海であった。とうに熱田は見えず、右手に知多半島、左手に鈴鹿山脈がつらなっていた。 「お前、お琴と寝たか」 「何を言う。わしとお琴は、まだ祝言《しゆうげん》をしとらんのやで」 「阿呆《あほ》やな、音吉は」 「阿呆?」 「阿呆に決まっとる。祝言などどうでもいいんや。そんなこと、音吉だって知っとるやろ」  音吉は黙って、再び水脈に目をやった。音吉はこの水脈を見るのが好きだ。荒い泡《あわ》が遠ざかるに従って細かくなり、それが更《さら》に粉のように白くなり、やがてはすうっと水の中に消えていく。見ていて、何となく胸をしめつけられるような甘い淋《さび》しさがあった。 「いつかも言ったやろう、音吉。女子《おなご》はな、嫁入りまではみんなのもんや。いつ誰が夜這《よば》いに行くか、わからせんで」 「大丈夫や。お琴は操《みさお》が堅いでな」 「操が堅い?」  久吉の笑い声が、波の上に、風にちぎれて飛んだ。 「何を笑うんや」 「この間なあ、桶屋《おけや》のお静が嫁に行ったやろ」 「うん、行った行った」  音吉は、うりざね顔の静の顔を思い浮かべてうなずいた。目鼻立ちの整った、だが少し冷たい感じのする娘だった。 「俺、あのお静の所にな、夜這いに行ったことがあるんやで」  誇らしそうに、久吉は音吉を見た。 「お静の所へ?」  音吉は信じられなかった。静は、みだりに男を近づけるような、そんな雰囲気は持っていない。 「そうや。あの娘《こ》、着痩《きや》せして見えるけど、肉づきのいい、むっちりとした娘やったで」 「そんな」  音吉は久吉が出たらめを言っていると思った。 「久吉、あれは堅い筈《はず》の女や」 「阿呆《あほ》を言うな。女に堅いも柔らかいもあらせんで。お琴も同じや」  久吉はからかった。 「ちがう! お琴は別や」  音吉は真に受けて言い返す。  と、その時、傍《かたわ》らを足音も荒く、艫《とも》の端に歩いて行った男がいた。岩松だった。そのうしろ姿が、音吉にはなぜか親しみ深く見えた。岩松はすぐに二人のほうに引き返して来た。 「岩松つぁん」  人なつっこく久吉が呼んだ。が、岩松はじろりと久吉を見ただけで、二人の傍らを足早に通り過ぎた。 「何や、あいつ」  久吉は首をすくめて見せた。音吉は黙って、知多半島のほうに目をやった。もうすぐ常滑《とこなめ》が見えてくる筈《はず》だ。久吉が音吉の傍《そば》にすり寄って、 「あいつ、偏屈やな」  と、ささやいた。 「うん。偏屈やけど、俺好きや」 「ふーん。あったらもんが好きか。ま、音吉は鬼でも仇《かたき》でも好きなほうだでな」  と笑って、 「お前見たろう。岩松つぁんのおかみさん」 「うん」  思わず音吉は大きくうなずいた。今朝《けさ》、常夜灯を背に、じっと岩松をみつめていた絹のたおやかな姿は、音吉の目にも焼きついている。全身で何かを訴えるような、悲しみのみなぎった姿であった。 「きれいな人やったろ」 「うん、きれいやった。やさしい感じだったな」 「いつか、俺の言うたとおりやろ。観音《かんのん》さまみたいやろ」 「観音さまって、見たことはないけどな」  音吉は、観音さまと絹はちがうような気がした。 「お琴より、きれいやろ」  久吉は音吉の顔をのぞきこんだ。 「そうとも言えんで。お琴はまだ十四だでな、大人とはちがうわな。だけどお琴はいつもかわいい顔をしとるわ」 「こいつ、ぬけぬけと言うわ」  と、久吉は人差し指で音吉の額をこづいたが、再び声をひそめて、 「だけどな、あの岩松の家にな、時々若い男がささりこんでいたんやで」  久吉は音吉の耳に口をつけて言った。 「まさか」  音吉の声が、思わず大きくなった。 「しっ!」  久吉は口に指を立て、 「ほんとやで。紺の半纏《はんてん》の似合う、いなせな男やで」 「…………」 「岩松つぁんがいないと知ると、ちょろりとやって来てよ。俺、毎日、半月もあのあたりをうろうろしてたでな。俺、ちゃあんと見てたわ」  久吉は妙に大人臭い顔になった。 「だけどな音吉、こんなこと、誰にも言ったらいかんで。舵取《かじと》りは滅法腕《めつぽううで》っ節《ぷし》が強いでな」  と、舳《へさき》のほうをあごでしゃくった。 「久吉、けど、あのおかみさんは、ほかの男なんか、目もくれんやろ」 「さあ、なあ。何せ、男と女だでなあ」  久吉はそう言って、自分自身でうなずき、 「あ、常滑だ。常滑が見えた」  と、陸を指さして、邪気のない声を上げた。幾箇所《いくかしよ》から、陶器を焼く窯《かま》の煙か、横になびく白い煙が見えた。      三  船は師崎《もろざき》に近づいていた。師崎には船奉行千賀志摩守《ふなぶぎようせんがしまのかみ》がその任に当たっていた。尾張藩《おわりはん》から、その船奉行へ届ける品があって、宝順丸は師崎に寄ることになっていた。 「さあて、師崎が見えて来たぞ」  三の間の合羽《かつぱ》(甲板《かんばん》)にくくりつけた伝馬船《てんません》に坐《すわ》っていた岩松が立ち上がった。舵取《かじと》りの岩松は、常時この伝馬船に坐って、山立てをし、また岩礁《がんしよう》や、他の船を見張り、進路を定めるのだ。  日は既《すで》に没して、夕闇《ゆうやみ》が海の面を覆《おお》いはじめていた。岩松は注意深く波間を見つめながら、 「とりかーじ」  と大声を上げる。胴の間の積み荷の上に中継ぎの水主《かこ》がいて、岩松の言葉を受けて叫ぶ。と、艫櫓《ともやぐら》の上で、舵柄《かじつか》に取りついていた二人の水主が、 「とりかーじ」  と復唱し、力を合わせて舵柄をまわす。帆はすでに三分まで下がっている。  師崎の港に碇《いかり》をおろす頃《ころ》は、あたりはもうすっかり暗かった。水主たちはその暗い海に、碇《いかり》をおろした。四つの爪《つめ》を持つ八番碇だ。宝順丸の舳《へさき》には、百二十貫の一番碇から八番碇までが積みこまれている。二番碇は百十五貫、三番碇は百十貫と、五貫刻みになっている。  碇をおろし、帆も下げ終わった頃、風は待っていたかのように、ぱたりと落ちた。水主部屋の一劃《いつかく》にある炊事場《すいじば》では音吉と久吉が炊頭《かしきがしら》を助けて夕食の仕度《したく》をしていた。 「おだやかやったなあ、今日の伊勢湾は。なあ久吉」  目刺しを焼きながら音吉が言う。焼き上がった目刺しを久吉が次々に皿につけている。 「おだやかなのは、伊勢湾だけやでな。明日からはわからんで」  久吉が先輩面をする。 (そんなことはわかっとる)  音吉も江戸までは去年二度行っている。 「そやそや、明日からはわからんでえ。秋の遠州灘《えんしゆうなだ》は恐ろしいでな」  他の水主《かこ》たちと共に、今まで帆の身縄《みなわ》をろくろで巻きほどいていた兄の吉治郎がろくろの傍《かたわ》らで言う。炊《た》き上がった飯の甘い匂いが、目刺しの匂いと共に、水主部屋一杯に満ちている。吊行灯《つりあんどん》が四つ天井から吊るされ、それが船のかすかなたゆたいと共に動く。 「何が恐ろしいか、この意気地《いくじ》なしが」  板壁に背をもたせて煙管《きせる》を銜《くわ》えていた利七が笑った。利七は人一倍威勢のいい男だ。吉治郎はむっとして、 「何い、嵐に遭《あ》ったこともないもんに、遠州灘の恐ろしさがわかるか」  吉治郎は利七より年下だが、船に乗った回数は多い。炊頭《かしきがしら》の勝五郎が、一|升徳利《しようどくり》を二本、部屋の真ん中に置き、 「灘の生《き》一本はうまいが、灘の嵐はうまいとは言えんでなあ」  と、冗談めかして吉治郎の肩を持った。確かに、熊野灘から遠州灘にかけて海難事故が多い。特に秋から冬にかけて事故が多発する。シベリヤからの北西季節風が吹きよせるからだ。台風とちがって、季節風は何日も吹きまくるのだ。 「俺だって遠州灘の嵐は知ってるぜい。が、恐ろしいなんぞという言葉を吐くことが、意気地なしだと言うてるんだ」  利七は、煙管を煙草盆に強く打ちつけた。と、その時、操船場からの急な梯子《はしご》を伝わって、他の水主たちがどやどやと入って来た。同時に船頭部屋から重右衛門が、三役部屋から水主頭の仁右衛門と、岡廻《おかまわ》りの六右衛門が水主部屋に入って来た。  利七と吉治郎の様子に、いち早く気づいた仁右衛門が、 「若いもんは腹が減ると、すぐに喧嘩《けんか》をおっぱじめるわい」  と、窓際にどっかとあぐらをかいた。重右衛門は、 「いや、結構結構、元気のある証拠だでな」  と笑った。利七も吉治郎も、頭を掻《か》いた。刺し子を着、股引《ももひき》姿の水主《かこ》たちはあぐらをかいて輪になった。 「ところで親方ぁ、今夜は陸《おか》に上がってもいいんですかい」  水主頭の仁右衛門が言った。 「さてのう。風次第では、夜をかけたほうがいいこともあるでのう」 「そりゃあそうだが親方、今夜ぐらいは……」  言いかける水主に、 「水主頭、やっぱり舵取《かじと》りの意見も聞いてみなければのう」  と、おだやかにおさえて一座を見まわし、 「おや、まだ舵取りが戻《もど》っていない。音、すぐに呼んで来い」  と命じた。音吉が直ちに部屋を出ようとした時、誰かが言った。 「舵取りは大方、師崎の灯にみとれているんじゃろう。何せ、かかあのいた師崎だでな」  何人かが卑猥《ひわい》な笑い声を立てた。 「そんなことを言うもんじゃねえ」  重右衛門の声を背に、音吉は梯子《はしご》を登って艫櫓《ともやぐら》の上に出た。真上に星が出ている。が、東のほうには、雲があるのか星は見えない。音吉は両手を口に叫んだ。 「おーい、舵取《かじと》りさーん。飯の用意ができたでー」  岩松はこの声を、三の間の合羽《かつぱ》の上で聞いた。が、岩松はじっと、師崎の街の灯をみつめていた。近くの船宿の障子《しようじ》に、華やぐ灯りと人影が見える。街には明るい灯、うす暗い灯が点々とつづく。数年前まで、この灯の中に、妻の絹も住んでいた。じっとみつめていると、思い出すのは絹の顔よりも、絹の母、かんの顔であった。岩松から金を取らぬ仲になったことを知って、かんは絹を苛《さいな》んだ。ある夜、かんは、絹の長い髪をぐるぐると手に巻きつけて、引き倒した。悲鳴を上げる絹に、見かねた岩松はそのかんを殴《なぐ》り倒した。翌朝、かんは死んだ。そのことがどうしても思い出されてくるのだ。 (あんな因業《いんごう》な婆は死んだっていい)  そう思うのだが、じっと師崎の灯を見つめていると、かんの顔がどうしても大きく浮かぶ。 (別に俺が殺したわけじゃねえ)  そう思っても見る。だが、どうしてこうも、かんの顔が目の前に迫ってくるのか。 「舵取りさーん。親方さまがお呼びだでー」  精一杯に叫ぶ音吉の声が聞こえる。悲しいほどに澄んだ声だ。 (やっぱり俺が殺したのかなあ) (いや、あれまでの寿命だったんだ) (第一、あの婆が生きてりゃあ、絹が幸せにはなれなかった)  岩松は、絹が自分は幸せだと言った言葉を思ってみる。 (とにかく、お絹が幸せならそれでいいんだ)  岩松は、かんの凄《すさ》まじい形相《ぎようそう》を追い払うように立ち上がった。見上げる夜空に、星の光が強かった。 「星の光が強すぎる!」  岩松は口を歪めた。星の光が強いのは、明日の強風を予告していると見たからだ。と、近くで、三度音吉の声がした。 「舵取りさーん。みんなの顔がそろったでえー」 「わかった。今行くと言え」 「はーい」  音吉の黒い影が、積み荷の上を素早く走って消えた。岩松は再び夜空を見上げた。      四  岩松が水主部屋《かこべや》に入った時には、もうみんなに酒が入っていた。 「おう! 舵取《かじと》り、先にやってたぜ」  重右衛門が言うと、 「遅くなって……」  と、岩松は空《あ》いていた重右衛門の隣に坐った。 「ご苦労さんだったな」  岡廻《おかまわ》り(帳場)の六右衛門が、岩松の湯呑《ゆの》み茶碗《ぢやわん》に、一|升徳利《しようどくり》を傾けた。 「いやいや」  岩松は言葉少なに受けて、ごくりと一口飲んだ。大きなそののどぼとけが動いた。 「それにしても、何で遠州灘《えんしゆうなだ》には海難が多いんやろな」  遅れて来た岩松が座につくと、利七が話をむし返した。 「そうやなあ。あのあたりには、大船の逃げこむ港がないだでなあ」  水主頭の仁右衛門が、目刺しを頭からかじりながら言うと、 「いや、何より、風が激しいだでな」  水主の辰蔵が言う。 「ふーん。しかしそれだけかい」  利七が解《げ》せぬ顔をする。 「それに、船も弱いしな」  岩松がぶっきら棒に言った。と水主頭《かこがしら》の声が不意に尖《とが》った。 「船が弱い? 何を言うかね、岩さん。大船に乗った気持ちで安心せえって言葉もあるんやで。船が弱いんじゃない。嵐が強いんだ」  仁右衛門は、船頭の重右衛門に気がねして言った。重右衛門の家は船主なのだ。その船に吝《けち》をつけるようなことを、面と向かって言った者は一人もいない。いや、それだけではない。仁右衛門はじめ水主たちは、千石船《せんごくぶね》を安全な船と恃《たの》んでいる。岩松はうっすらと笑って酒を口に含んだ。  海難は天災だけではなく、人災でもあると岩松は知っている。岩松は三年ほど、北前船《きたまえせん》に乗ったことがある。北前船は大坂から下関廻《しものせきまわ》りで蝦夷《えぞ》まで行く。その長い航海の中で、大小の嵐に幾度も遭《あ》っていた。  そしてその度に千石船の弱点を身に沁《し》みて知った。例えば胴の間は甲板《かんばん》ではなく、取り外《はず》しのできる踏立板《ふたていた》が並べられているだけだ。大波をかぶれば、たちまち水は船を浸すのだ。また、畳八畳もある大きな舵《かじ》は、船尾にぶら下がっているだけで、固定されてはいない。だから追い波を受けて破損することが少なくない。その他幾らでも弱点をあげることができた。なぜそれらの構造が改良されないか。それは、鎖国を固執《こしゆう》する幕府の方針に合致《がつち》する造りだからだ。つまり千石船は遠洋に耐え得ない近海船であった。  音吉は岩松の暗い笑いが気になった。と、その時、久吉がひょうきんな声を上げた。 「親方さまぁ、千石の米を馬で運べば、一体どれだけの馬と人が要るんですかい」  みんなが笑った。重右衛門は、ほっとしたように答えた。重右衛門は今の仁右衛門の言葉の中に、岩松に対する敵意を感じたからだ。 「おお久吉、それはなかなかおもしろい問いだ。馬に五|斗俵《とだわら》が幾つつくな」 「二俵かな、親方さま」 「まあ、せいぜいそんなところかな。では千石なら、馬が何頭要る?」 「何頭やろな、音」  久吉はどんぶり飯を抱えたまま、音吉を見た。水主の中には、久吉と一緒になって頭をひねっている者もある。 「一頭が一|石《こく》やろ。だから馬は千頭要るやろ」 「へえー! 千頭!? そんなに馬が要るんかいな」  久吉が目をむいた。 「そうなるやろ。一石で一頭。十石で十頭、百石で百頭、千石で千頭や」 「さようか。なんや、雑作《ぞうさ》のないことやな」  合点《がてん》する久吉に、再びみんなが笑った。岩松さえ笑っている。 「それやったら、馬子《まご》も千人要るんやなあ」  重右衛門がうなずいて、 「そのとおり、そのとおり。馬子も千人要るわ。こりゃ大変な給金やで」 「そうやなあ、親方さま。では千石船は、馬が千頭、馬子が千人の価《あたい》があるんやな。しかも人は十四人しか要らん。こりゃ大した儲《もう》けや」  三度みんなが笑った。利七が、 「全くや。なあ岡廻《おかまわ》り、千頭の馬と千人の馬子ちゅうたら、食わすだけでも大変な掛かりやなあ」 「そやそや、大変な掛かりや」  水主頭の仁右衛門が、 「何と千石船は、大した便利なもんだでえ、こう考えてくるとなあ」  と、岩松をちらりと見た。重右衛門が、 「ところで舵取《かじと》り、明日の日和《ひより》をどう見るかね」  と、岩松に酒を注ぐ。 「親方はどう見たね」 「うん、明日の遠州灘《えんしゆうなだ》は無事だと見たが、水主頭《かこがしら》はどう見たね」 「そうやな、わしもこの分じゃ、いい船路になると見たが」 「そうかね」  岩松は暗い目を上げて一座を見まわした。そして言った。「星が光ってる。星が近い。できたら今夜のうちに、船出したほうがいいんじゃねえかと思うんだ」 「今夜のうちに?」  誰かが、がっくりしたような声を上げた。 「そうだ、今夜のうちにだ。風を待って出るのよ」  岩松はきっぱり言い切った。 「星が光ってりゃあ、明日は風だとほんとに決まっているんかねえ」  利七が疑わしそうな顔をした。仁右衛門は腕組みをして、 「まあそうは言われているがな。星がいつもより、大きく光っていたら、次の日は風が強いとな。しかしな、そうとばかりも言えせんのよ」 「そやそや。朝日が黄色く見えたらどうとやら、海の水がぬるくなると大風が吹くとやら、いろいろ言うけどな。だが、百発百中といかんところが、むずかしいんや」 「百発百中なら、嵐に遭《あ》う阿呆《あほ》はいないで。どこの船にも年輩者が乗っとるわ。それでも嵐に遭う時は遭うだでな」 「天気を見るのはなあ、大変なもんやで。風という奴《やつ》は、ほんとにつかみどころあらせんでな。順風だと思って船出すれば、すとんと風が落ちて、海の真ん中で立ち往生《おうじよう》することもある」 「ああ、去年の秋な。あれには参った」  みんなが口々に言う。 「まあ、年中、船に乗りゃ、様々なことはあるだでな」 「親方さま。ちょっと伺いますが」  また久吉が口を挟《はさ》んだ。 「何や、久吉」 「星が光ってる次の日は、何で風になるんやろ」 「ようは知らんな、空ではもう強い風が吹きはじめているということかも知れせんな」 「すると、それは星の光ってる所だけの話やな」 「ま、そういうことやな」 「じゃ、遠州灘《えんしゆうなだ》のほうは、今夜星空でないかも知れせんわけやな」  久吉が考え考え言う。 「おう、よう考えた。そう言うこともある」 「昨夜、遠州灘の星が光っとったら、今日はもう風が吹いとるんやな。じゃ、親方さん。どこの天気がどうなるやら、長い船路では、わからせんな」 「そのとおりじゃ。長年船に乗っていても、天気ばかりは、なかなか当てられんでのう。ところで、それはそうと水主頭《かこがしら》、もう一度天気を見定めて来ようかの」  重右衛門は、岩松の言葉が気になって立ち上がった。 「そうしますかのう」  仁右衛門も立ち、利七も後につづいた。階段を上がって行く三人を、水主たちが見上げた。久吉も音吉も見上げた。が、岩松はうつ向いて、茶碗《ちやわん》に徳利《とくり》を傾けている。音吉はそのきびしい横顔に、視線をうつした。なぜ岩松だけが、ああも暗い顔つきをしているのだろう。大声で笑うこともなければ、軽口を叩《たた》くこともない。酒が入った今も、素面《しらふ》の時と同じく、にがい顔であった。  何となくみんなは黙った。艫櫓《ともやぐら》に上った三人が気になるのだ。いや、天気が気になるのだ。できたら今夜、この師崎の港で骨休めをしたい。三千|俵《ぴよう》の米を三日がかりで積んだ疲れが肩に残っている。人夫も使ったとは言え、荷積み作業は大変な労苦であった。が、今夜体を休めておけば、疲れはすっかり回復するだろう。  水主たちの勤務は二交替であった。進路を定める舵取《かじと》り、帆の上げ下げと回転を指図《さしず》する水主頭、それを助けて舵を取る水主、ろくろを回す水主と、一日中休む間のないほど、仕事はあった。入った港で、そのままぐっすり眠りたい気持ちは誰にもあった。  やがて重石衛門たちが作業|甲板《かんぱん》からおりて来た。 「風はまだとまったままだの」  真っ先におりて来た重右衛門が言った。風がなくては船は動かない。 「じゃあやっぱり、日和《ひより》待ちだな」  誰かが安心したように言うと、水主頭が、 「星の光もふだんと変わっておらんで」  と岩松を見た。利七が、 「師崎の星は、舵取りに特別に光ってみせたんやないか」  と、揶揄《やゆ》した。何人かがくすりと笑った。音吉はひやりとして岩松を見た。岩松の顔に動きはなかった。      五  夕食を終えた重右衛門は、船頭部屋に引き揚げた。  仕切り戸一枚向こうの水主部屋《かこべや》から、誰かの太い笑い声が聞こえる。博打《ばくち》でも始めたらしい気配《けはい》だ。 「丁《ちよう》だ!」  ドスの利いた声は辰蔵か。  重右衛門は茣蓙《ござ》の上に横になったが、何となく先程《さきほど》の岩松の表情が気にかかった。 (腕の立つ男だが……)  胸の中で呟《つぶや》きながら、重右衛門は腹這《はらば》いになって煙草盆を引きよせた。水主頭《かこがしら》の仁右衛門が、岩松を心よからず思っているのが、今夜の様子でよくわかった。仁右衛門はやはり、岩松が突如《とつじよ》船を脱《ぬ》けて、御蔭参《おかげまい》りに行った二年前のことが気に入らぬのだ。 「今時の若いもんは……」  岩松が脱け出した時、仁右衛門がそう呟いたのを覚えている。二年前、仁右衛門は四十一、岩松は二十六であった。  だが、仁右衛門もそれ以上は言わなかった。事は伊勢神宮への御蔭参りである。世は挙げて御蔭参りに浮かれていた。女子供でさえ、家人《かじん》に断りもなく脱け参りをしていたのだ。  船子たちの伊勢神宮への信仰は、金比羅権現《こんぴらごんげん》への信仰と共に、殊《こと》のほか厚い。それは絶対的とも言えるほどであった。その伊勢神宮の神罰《しんばつ》を恐れて、仁右衛門はそれ以上のことは言わなかったのだ。 (だが、利七までがなあ)  煙草を煙管《きせる》に詰めながら、重右衛門は屈託ありげに、六角の吊《つる》し行灯《あんどん》を見た。利七は、明るい性格の男なのだ。それが、今夜の利七は少しちがっていた。仁右衛門と一緒に、岩松に対して厭味《いやみ》を言った。 「師崎の星は、舵取《かじと》りに特別に光ってみせたんやないか」  はっとするような厭味だった。よく岩松が怒らなかったものだと思う。岩松の女房絹が、師崎で体を売っていたことを知っての、利七の厭味だった。 (そうか!)  利七が岩松に厭味を言ったのは、絹が美し過ぎたからかも知れぬと、重右衛門は気づいた。絹は熱田の港まで岩松を見送りに来た。ひたと岩松をみつめていた絹の美しさは、二十の利七には妬《ねた》ましかったのかも知れぬ。船が熱田を出てから、誰かが利七に、 「あの女なら、俺も買うたことがあるぜ」  と、積み荷の蔭《かげ》で言っていた。  それを思いこれを思うと、重右衛門は、今夜|出帆《しゆつぱん》したほうがいいと言った岩松の言葉が更に気にかかった。幸か不幸か、風がぱたりと落ちたので、出帆の仕様がなかった。だが、今夜の水主たちには、岩松の言葉を無視したい空気があったように思う。  船頭である重右衛門は、常に水主《かこ》たちの和を計らねばならぬと思っている。そしてそのためには、人を立てねばならぬと考えていた。が、事によっては、すべての人を立てるわけにはいかぬ。そこに重右衛門の決断が問われた。  だが、源六という優れた父を持った重右衛門は、幼い頃《ころ》から、いつも父の決定に従う癖がついていた。それが船頭となって何年かを経た今も、まだ心の片隅に残っていた。誰かの決定を待ちたい思いがともすれば頭をもたげた。それが時には、三役への一任という形に出ることもあった。そしてそのことが、今までのところ、三役たちを満足させてもきた。 「おや?」  重右衛門は銜《くわ》えていた煙管《きせる》の灰を、煙草盆に軽く叩《たた》いて、行灯《あんどん》を見上げた。先程《さきほど》より、少し行灯の揺れが大きくなったように思ったからだ。 「風が出て来たのかな」  重右衛門はむっくりと起き上がった。  重右衛門は、欅《けやき》の引き戸をあけて、水主《かこ》部屋に入った。案の定《じよう》、仁右衛門を中心に、水主たちは博打《ばくち》に興じている。壺《つぼ》ふりは相変わらず千之助だ。片肌脱いで、今、千之助は、鮮やかな手つきで壺をふっていた。どこの水主頭《かこがしら》もそうであるように、仁右衛門もまた博打に強い。 「半!」  仁右衛門の声が冴《さ》える。 「丁《ちよう》!」  利七の声が張る。賽《さい》の目は半と出た。みんながどっとどよめく。 「いや、おやじにはかなわん」  利七が頭を掻《か》くのを、水主《かこ》たちは見て笑った。その騒ぎをよそに、音吉と久吉が、幼い顔をして片隅に寝入っていた。  重右衛門は梯子《はしご》を登って、一人|艫櫓《ともやぐら》の上に出た。冷たい風が頬《ほお》をなぶった。先程《さきほど》、ぱたりと風が落ちたのは、一時《いつとき》だったのだ。重右衛門は空を見上げた。星がまたたいている。 (やはり、今夜のうちに遠州灘《えんしゆうなだ》を突っ切ったほうが、よいかのう)  重右衛門は、岩松の言葉どおりに、出帆《しゆつぱん》したほうがよいような気がした。   伊豆の下田を 朝山巻いて   晩にゃ志州領の 鳥羽浦へ  という歌の文句のとおり、風によっては一日で遠州灘を突っ切れる。今はまだ宵《よい》の口だ。すぐに出帆すれば、朝飯は下田の港で取ることができるかも知れない。お誂《あつら》えの風だと重右衛門が思った時、すぐ傍《かたわ》らを出て行く船があった。重右衛門の心は定まった。  重右衛門は、胴の間に堆《うずたか》く積んだ米の上を通って、岩松に声をかけた。岩松は舳先《へさき》に一人突っ立っていた。 「舵取《かじと》り、風が出てきたのう。帆を上げることにしようか」 「そのほうがいいと思いますで、親方」  岩松が自信ありげに答えた。重右衛門は艫櫓に戻ると、梯子《はしご》にひと足かけて叫んだ。 「帆を上げろ!」  さすがに凛然《りんぜん》とした下知《げち》であった。仁右衛門はじめ水主たちが、すっくと立った。      六  音吉は、夜空に白くふくらんだ帆を、積み荷の上に坐《すわ》って見上げていた。風が冷たい。寝入りばなを起こされて、音吉はまだ眠かった。が、船の動いている間は、二交替で働かねばならない。音吉は舳《へさき》にいる岩松の命令を、艫《とも》にいて舵柄《かじつか》をまわす水主《かこ》たちに伝えねばならない。炊《かしき》は、炊事《すいじ》ばかりではなく、あらゆる雑用に使われるのだ。  船は帆をひらいて「思舵《おもかじ》走り」をしている。「思舵走り」とは、右から吹いて来る風を、帆を斜め横にひらいて、受けて走る走り方だ。外海に出れば、この風が追い風になる。追い風になると船は「真帆《まほ》走り」に変わる。真帆走りは帆をふつうに上げ、追い風をまともに受けて走るのだ。 「音、眠いやろ」  吉治郎が傍《かたわ》らにやって来た。吉治郎は今夜、ろくろ廻《まわ》しの当番なのだ。が、ろくろは帆の上げ下げや、重い碇《いかり》を上げ下げする時にだけ使うので、間なく働く必要はない。 「兄さ、今のうちに休んどけ」 「俺は寝てしまったら、起きるのが大儀だでな」  吉治郎は夜空を見た。星空が先程《さきほど》よりずっとひろがっている。 「なあ音。お前、この船の船玉《ふなだま》さんのことを知っているやろ」  船玉とは、船に祀《まつ》る神である。筒《つつ》という船底に据《す》えた帆柱の受け材の中に、その御神体《ごしんたい》をどの千石船《せんごくぶね》にも納めてあった。明日は船が進水するという日、この御神体は厳粛《げんしゆく》な儀式によって納められた。幅が一寸二分、長さ一寸八分程の穴を二つ掘り、一つには五|穀《こく》と十二|文《もん》の金、そしてさいころが二つ納められる。もう一つの穴には、夫婦雛《めおとびな》と女の髪が入れられてあった。この御神体を納めて埋め木をする。ふつうこの女の髪は、船主の妻の髪が入れられてあるという。  水主たちは、この船玉を、船玉さんと言って、船の魂とし、また守り神として信じていた。 「知ってるって、何のことや? この船の船玉さんも、おんなじやろ」 「音吉、お前知らんのか。船主さんにはお内儀さんが、おらへんのやで。だからな、ここに納めた船玉さんの女の髪は、船主さんのお内儀さんのものではないんやで」 「では、親方さんのお内儀さんのやな」 「そう思うやろ。じゃ、やっぱりお前は、何も知らんのや」  吉治郎はにやにやした。 「何も知らんて、何のことや」 「お前、ゆくゆくは船頭になるんやろ。お琴の婿《むこ》になるんやろ。それでよう船頭になれるな。船玉さんの御神体も知らんでな」  吉治郎はじらすように言った。音吉は、吉治郎に時折《ときおり》、 「それでよく、船頭になれるなあ」  と言われるのが厭《いや》だった。そう言う時の吉治郎は、弟の自分が船頭になるのを拒んでいるように見えるからだ。だが、そう言う吉治郎の気持ちも、この頃《ごろ》は少しわかってきた。兄弟といえども、人の出世は妬《ねた》ましいものなのだ。それが音吉にも、次第にわかってきたのだ。だから音吉は、今も逆らわずに言った。 「ほんとにな。知らんことばかりや。これじゃ船頭になられせんな」  素直に言うと、 「実を言うとな、俺も知らんかったんや。昨日、政吉が親方さんに、こう聞いていたんや。うちの船玉《ふなだま》さんは、どなたの髪が納めてありますかいなって」 「ふーん、それで」 「したら、親方さん何と答えられたと思う」 「わからん」 「驚くなよ、音吉」  吉治郎は声をひそめ、 「それはな、お琴のやって、親方さんが言うたんや」 「へえー、お琴の髪か」  音吉は、不意に胸が動悸《どうき》した。 「したらな、政吉が驚いてな。へえ、お琴さんのやったかいな。親方さんのご寮《りよ》おんさんの髪とちがうのかいな、と目を丸くしてたわ」 「そりゃあ、目を丸くするわな」  音吉も、毎日船玉にお詣《まい》りする。だがそこに埋めてある髪が、お琴のものだとは知らなかった。 「うん、驚くわな。だが、船主さんはな、孫のお琴がかわいくて、罪汚れのない子供の髪のほうが、御神体《ごしんたい》の価《あたい》があるって、そう言うたんやそうだ。きっとな、船主とお琴のおふくろさんとはうまくいっていないんやな」  そう言い捨てて、吉治郎は音吉を離れた。 (そうか。船玉《ふなだま》さんにはお琴の髪も祀《まつ》ってあるんか)  音吉は言い知れぬ喜びを感じた。琴が身近にいるという実感が湧《わ》いた。 (何せ、髪は女子《おなご》の命やからな)  その命の髪が、この宝順丸の御神体《ごしんたい》なのだ。音吉は、松の木蔭《こかげ》から手をふっていた琴の姿を思い浮かべながら、 「お琴」  と、低く呼んだ。  船は伊良湖度合《いらこどあい》に近づきつつあった。 [#ここから4字下げ] 阿波《あわ》の鳴門《なると》か 銚子《ちようし》の口か 伊良湖度合の 恐ろしや [#ここで字下げ終わり]  よく水主《かこ》たちがうたうように、それほど伊良湖度合は恐れられていた。音吉は、船に当たる波が少し荒くなって来たような気がした。遠くに伊良湖岬の灯《あか》りが見えて来た。  知多半島から外洋に向かうあたりには小島が多い。昼間ならば、三河湾の佐久島、日間賀島、篠島、野島などが左手に見え、行く手には神島、大築海島、小築海島、そして答志島、浮島、牛島、菅島が見える筈《はず》なのだ。  普通、熱田を出た船は一旦《いつたん》鳥羽に入り、日和《ひより》を見定めて外洋に出る、潮も風も、伊勢湾の内海と、外海ではちがうからだ。だが、師崎に寄港した宝順丸は、直接伊良湖度合を出て行こうとしていた。と、その時音吉は、頭上の帆が不意にばたばたと音を立ててはためくのを聞いた。 (風が変わったんやな)  外洋に近くなったせいだと、音吉は気にもとめずに帆を見上げた。夜空に浮かぶ帆は、巨大な白い生き物のように見えた。  風は俄《にわか》に募《つの》って来た。帆を張る四本の太い身縄《みなわ》が揺れた。艫櫓《ともやぐら》の上にいた水主頭《かこがしら》の仁右衛門が何か叫んだ。その声が風にちぎれて音吉の耳には達しなかった。が、やがて帆が七合目まで下げられるのを音吉は見た。 「とりかーじ一杯」  伝馬船《てんません》の上で岩松が叫んだ。 「とりかーじいっぱーい」  音吉は声の限りに艫のほうに向かって叫ぶ。と、仁右衛門と重右衛門が、艫櫓から積み荷の上へと飛び移って来た。  船の揺れが一段と強くなった。帆がなおもはためく。二人は音吉には目もくれず、舳《へさき》の岩松に近づいた。仁右衛門が先ず言った。 「舵取《かじと》り、風の模様が怪しくなったで。波のうねりも大きい」  岩松は黙ってふり返った。重右衛門が言った。 「一旦《いつたん》鳥羽に入ったほうがよさそうだが」  言う間も風は吹き募り、帆柱が軋《きし》んだ。音吉は思わず荷に取りすがった。何百枚の苫《とま》が荷を覆《おお》い、その上に綱を縦横にかけめぐらしてある。その綱の一つに、音吉は両手で取りついた。 「こったら風で、鳥羽へ逃げこむんですかい」  寂《さび》た岩松の声に、 「こったら風?」  仁右衛門の声が尖《とが》った。 「内海でこれだけの風と波だで。外海は時化《しけ》だ。そんなことぐらい、舵取《かじと》りが知らんわけがあるまいが」 「風は強いが、追い風だ。遠州灘《えんしゆうなだ》はあっという間に過ぎ去るぜ」 「馬鹿を言え。こりゃあ嵐だ」  仁右衛門がいきり立つ。重右衛門がその肩を叩《たた》いてなだめ、岩松に言った。 「舵取り、ひと先ず鳥羽へ廻《まわ》してもらおうか」  と、おだやかに言い、艫櫓《ともやぐら》に向かうと、 「鳥羽へ入るぞうっ」  と、叫んだ。つづいて仁右衛門が何か叫びながら艫櫓に飛び移って行った。  岩松は口を歪めてその声を聞いた。が、間髪《かんぱつ》を入れず、 「とりかーじ!」  と叫んだ。音吉が取りつぎ、舵柄《かじつか》の傍《そば》で利七が応じた。 「とりかーじ」  舳先がゆっくりと鳥羽に向きを変えた。音吉の体が風に煽《あお》られそうになった。船が大きく上下する。宝順丸は今、間切《まき》り航法に変えた。逆風に向かって帆をひらき、じぐざぐに進む方法を間切り航法または間切り走りと言う。  間もなく風は、雨さえ交じえてきた。 (やっぱり嵐や)  音吉は思わず空を仰いだ。師崎の空に光っていた星はもうどこにもない。 (鳥羽に逃げこむことにして、よかったなあ)  船頭の取った処置はやはり最善だと音吉は思った。如何《いか》に追い風とは言え、雨風の中を遠州灘《えんしゆうなだ》に出るのは恐ろしい気がした。  鳥羽は小野浦の浜から、伊勢湾を隔てて南方にある志州の港だ。江戸から大坂に向かう船も、大坂から江戸に行く船も、必ずと言ってよいほどこの鳥羽の港に入る。鳥羽は日和《ひより》を見るのに格好な港なのだ。  三万|石《ごく》の城下町である鳥羽の港に、宝順丸が入ったのは、既《すで》に八つ半(午前三時)を過ぎていた。港には幾|隻《せき》かの千石船《せんごくぶね》が入っていた。  音吉は、水主《かこ》部屋に入ると、柳行李《やなぎごうり》から出したかいまきにくるまって久吉の傍《かたわ》らに、身を横たえた。船腹を波が蹴上《けあ》げるように打つ音がした。が、たちまち音吉は眠りの中に引きずりこまれた。  どの位眠った頃であったか、 「音吉! 起きろっ」 炊頭《かしきがしら》に肩を揺り動かされた時、音吉はちょうど夢を見ていた。 「ドン、ドン」  という太鼓《たいこ》の音が遠くに聞こえ、音吉は祭りの行列の来るのを待っていた。琴が山車《だし》を引いてくる筈《はず》なのだ。だが、待っても待っても、琴は来ない。来るのはみな頭を丸めた僧ばかりであった。祭りだというのに、良参寺の雲水《うんすい》や、小僧たちが墨染《すみぞ》めの衣《ころも》を着てつづく。 (お琴はどこへ行った!? お琴は?)  そう思った時、炊頭に起こされたのだった。 [#改ページ]   怒《ど》 濤《とう》      一  十月十一日、六つ(午前六時)を少し過ぎて、宝順丸は鳥羽を出た。昨夜の烈風もいつしか順風に変わり、雨はとうにやんでいる。大きくうねってはいるが、波もさほど高くはない。船が鳥羽に逃げこんでから、僅《わず》か二刻《ふたとき》(四時間)ばかりで、宝順丸は再び帆を上げたのだ。 「変わりやすいなあ秋の空って、女みたいやな」  水主《かこ》部屋の片隅にある火床《ひどこ》にかけた味噌汁《みそしる》の鍋《なべ》に、久吉は味噌をときながら笑った。炊頭《かしきがしら》の勝五郎が、 「そのとおりや、昨夜嵐になるかと思ったが、今朝《けさ》はもうおさまっとるでな」  と、大釜《おおがま》の重い蓋《ふた》を取った。湯気が音吉の顔にあたたかくまつわった。 (女か)  火床の傍《かたわ》らの戸棚《とだな》から、音吉は盆を何枚も取り出す。女という言葉を聞くだけで、すぐ琴の顔が胸に浮かぶ。今朝の夢の中で、琴は現れそうでなかなか現れなかった。それが妙に心残りだ。  他の水主《かこ》と共にろくろを廻《まわ》していた吉治郎が、 「さあて、出すものを出してから、食うか」  と、腹のあたりをなでながら、火床の傍らの戸をあけて、外艫《そととも》(船尾)のほうに出て行った。外艫には向かって右側に流し台、左側に水桶《はず》が据《す》えつけられてある。この流し台と水桶の間にはすぐ下に海が見おろされる。ここに板を渡して水主たちは用を足した。いわば、流し台のすぐ傍《そば》を厠《かわや》としていたわけである。  水主たちが交替で朝食を終えた頃《ころ》、船は昨夜の伊良湖度合にさしかかろうとしていた。潮の流れの荒い伊良湖度合は、満潮時、干潮時は特に船が難儀する。潮の向きと船の向きが同じ時は潮に乗ればいいが、反対の時は幾時間も、潮待ちをしなければならない。しかし今日は、その伊良湖度合を宝順丸は無事に越えた。あとは風に追われて、遠州灘を突っ切ればよい。 「何のことはない。このぐらいならいい船路や」  ろくろの傍で言う吉治郎の声を音吉は聞いた。 「そうやそうや。星の光が強いだで、明日は風だなんぞと言うたのは、どこの誰かいな」  吉治郎の相棒《あいぼう》の利七が、鼻の先で笑った。 「しかしなあお前たち、天気というもんは、むずかしいもんだでえ」  炊頭の勝五郎が一服つけながら、二人をたしなめた。 「それはそうと、やっぱりあの舵取《かじと》りは、腕が立つのとちがうか」  床に腰をおろして、膝頭《ひざがしら》を抱いていた久吉が言った。が、利七も吉治郎も答えない。二人は何となく、岩松に反感を抱いていた。吉治郎は、いつぞや米をくすねようとしたところを、見つけられたことがあるし、利七は自分に目をかけてくれている水主頭《かこがしら》仁右衛門の側についていた。と、炊頭《かしきがしら》が、 「ほう、久吉。お前にもそれがわかるか」 「へへ、わかるというほどじゃないけどさ。あの伊良湖度合の乗り切り方が、鮮やかだったでな」  吉治郎が言った。 「なあに、腕ではあらせん。風と潮の向きがよかったまでのことよ」 「そうや。俺もそう思う」  利七が吉治郎に応じた。炊頭はおだやかに笑って、 「吉治郎、利七、船乗りはのう、何でも公平に物ごとを見んといかんでな。日和《ひより》を見るにもな、人を見るにもな、公平を欠くといかんのやで」  と、煙草を詰めかえた。  利七と吉治郎が、不満そうに口を尖《とが》らせた頃《ころ》、岩松は今日も三の間の合羽《かつぱ》の上にくくりつけた伝馬船《てんません》の上にどっかと坐《すわ》って、海を見つめていた。明け方一|刻半程《ときはんほど》眠っただけだが、若い岩松の疲れはもう取れていた。岩松の助手に千之助がいたが、この遠州灘《えんしゆうなだ》だけは人に委《まか》されぬと思っていた。岩松は腕を組み、左手の陸地を見た。千石船《せんごくぶね》は陸地を見ながら航路を定める。即ち地乗り航法である。  これが同じ灘でも熊野灘なら、その沿岸に港が多い。そして陸地も高い。だから山や岬の形によって、自分の船の位置を知ることができる。だが遠州灘から見る陸地は山が低い。不馴《ふな》れな者には、その低い陸地は何の目標にもならなかった。  船の傍《かたわ》らを時折《ときおり》飛び魚《うお》が飛んだ。飛び魚が波間に消えたと思うと、つづいて幾匹も鱗《うろこ》を光らせて飛び上がる。岩松はふっと、熱田の稲田に飛ぶ飛蝗《ばつた》を思い浮かべた。その飛蝗が、更《さら》にわが子岩太郎を連想させた。 (岩太郎も、すぐに飛蝗を追うようになるだろう)  岩松は幼い頃《ころ》、熱田の杜《もり》に飛蝗を追った自分の姿を思い浮かべた。とその時、 「舵取《かじと》りさん、昼飯《ひるめし》だで」  と、久吉が盆の上にどんぶり飯を運んで来た。どんぶり飯と言っても、飯の上に沢庵漬《たくあんづけ》が三切れと鉄火味噌《てつかみそ》が少しのせてあるだけだ。岩松は黙って盆を受け取った。今、自分がやさしい表情で岩太郎のことを思っていたことを、岩松は誰にも知られたくなかった。  箸《はし》を取ってすぐに飯を食いはじめた岩松に、久吉が言った。 「いい船路やなあ、舵取りさん」 「うん」  岩松は怒ったような声で返事をした。が、昨日からそんな岩松を見て来た久吉は、平気な顔で言った。 「なあ、舵取りさん。あの截断橋《さいだんばし》の上でさ、俺を持ち上げて、川に投げようとした男、どうしているやろか」  岩松はじろりと久吉を見た。あの截断橋に岩松が出かけて行ったのは、ひどく孤独だったからだ。孤独だったから、截断橋の擬宝珠《ぎぼし》に彫りつけてあったあの供養《くよう》文を、読んで見たくて出かけたのだ。その孤独感は、半年ぶりに帰ったわが家に、妻の絹の姿がなかったからだけではない。馴《な》れ馴れしく出入りしている銀次という若い男の存在を知ったからだ。 (いやなことを思い出させやがる)  岩松はそう思いながら、黙って飯をかきこんだ。 「舵取《かじと》りさん。舵取りさんはどうして水主《かこ》部屋で昼飯を食わんのや」  昨日も岩松は、この伝馬船《てんません》の上で昼食を取ったのだ。 「海っ原が、俺の飯のお菜《さい》だ」  岩松はにやりとした。不愛想に扱っても、人なつっこく話しかける久吉が、岩松にはおもしろく思われてきたのだ。 「へえー? 海っ原がお菜?」  と久吉は目を丸くして見せ、 「それは安上がりだ」  と笑った。 「久吉、お前、幾つだ」 「十五、正月が来たら十六になるで」 「十五か。もう一人の相棒《あいぼう》も十五か」 「いや、音吉は一つ年下や」 「ふーん。あいつは十四か」  岩松の目が優しかった。 「お代わり持って来るで」 「うん」  久吉が手を出すと、岩松が盆のまま突き出した。飛び魚《うお》がまた目の前を飛んで消えた。      二 「滅法冷えこみはじめたのう」  水主《かこ》部屋からの梯子《はしご》を登って、艫櫓《ともやぐら》に出た船頭重右衛門が、仁右衛門に言った。 「それだで、親方」  不安げに仁右衛門はうなずいた。いつしか空が灰色に垂れこめ、海も鉛色にうねっている。夕暮れにはまだ間のある八つ半(午後三時)頃《ごろ》である。嵐の来る前には、こんな寒さに体の冷えることがある。  と、舳《へさき》で岩松が船尾に向かって何か叫んだ。中継ぎの久吉が、 「雲だーっ!」  と、水平線を指さした。ぽつりと小さな黒雲が船の後方の洋上に現れていた。 「おっ! 疾《はや》て雲だ!」  重右衛門が指さした時、二つ三つと、見る見る黒い雲が並んだ。 「舳先《へさき》を陸にまわせーっ!」  重右衛門の声がうわずった。  この黒雲の恐ろしさを水主たちは皆知っていた。  舳がもどかしいほどにゆっくりと、遠州の陸に向いた時、真っ黒い雲は既に頭上一杯にひろがっていた。魔物にも似た黒雲の動きであった。 「あーっ! 稲妻だあーっ!」  重右衛門と仁右衛門が、異口同音《いくどうおん》に叫んだ。厚い黒雲を引き裂くように稲妻が走った。水主《かこ》たちはこの稲妻を、火を打つと言い、嵐の前兆《ぜんちよう》として大いに恐れていた。 「水主頭《かこがしら》! 帆をおろせ!」  重右衛門が言うや否や、仁右衛門が下の水主部屋に向かって叫んだ。 「嵐が来るぞおーっ! 帆をおろせえーっ!」  その声を待っていたように、戌亥《いぬい》の風(北西風)が突如として襲いかかった。七丈の帆が無気味な音を立て、帆柱と帆桁《ほげた》が大きく軋《きし》みはじめた。  船が突き上げられるように、大波の上に乗った。たった今まで、おだやかなうねりを見せていたのに、海の姿は一変したのだ。久吉が積み荷の上から、ずるずるとずり落ちた。そのすぐ上を、岩松が艫《とも》に向かって走った。 「親方ーっ! ひと足遅かった!」  岩松がよろめきながら、作業|甲板《かんぱん》に飛び移って叫んだ。悲痛な声であった。  が、次の瞬間、岩松は自ら舵柄《かじつか》に飛びついていた。仁右衛門が下の水主部屋に顔を突き出して叫んだ。 「帆をおろすんだ、帆を!」  が、強風をはらんだ帆は重かった。艫櫓《ともやぐら》では何人かが帆足を力いっぱい引っぱっていた。その間も風は激しく吹き募《つの》る。風の音か、波の音か、船縁を激しく打つ音が、船中にとどろく。 炊頭《かしきがしら》が、火床《ひどこ》に水を打った。その灰かぐらがひとしきり水主部屋に舞い上がる。音吉も久吉も渾身《こんしん》の力をこめてろくろの柄《え》を押す。  ようやく六合目まで下がった帆を見上げながら、重右衛門が大声で命じた。 「七番|碇《いかり》と八番碇を舳《へさき》からおろせーっ!」  仁右衛門と共に、三人の水主が舳に走ろうとして、思わず甲板《かんぱん》にへばりついた。激しい突風が襲ったのだ。舵柄《かじつか》に取りついている岩松と利七をさえ、もぎ取るばかりの烈風であった。作業甲板に、大波が打ちこんだ。と同時に、稲妻がひらめき、間をおかずに雷鳴が真上でとどろいた。岩をも砕く音だ。  仁右衛門が飛び起き、素早く積み荷に取りすがる。三人がよろめきながらあとにつづく。船が波の底に引きこまれる。  四人が力を合わせて碇を舳から投げこんだ時、雨が容赦《ようしや》なく叩《たた》きつけた。額を頬《ほお》を抉《えぐ》るばかりに叩きつける横なぐりの雨だ。  波はますます高くなり、風はいよいよ吹き募《つの》る。岩松は三合目まで下がった帆を見上げた。帆が全く下がれば、舳先《へさき》を風の来る方向に向けるつもりだ。 「不意打ちだな、舵取り」  共に舵柄に取りついていた利七が言う。岩松に取りすがる眼だ。いつもの元気はどこにもない。 「全くだ」  岩松が短く答えた。昨夜、岩松は星の光が鋭いとみんなに告げた筈《はず》だ。だが今更《いまさら》それを言い出すつもりはない。天気を見定めることは、誰にもできないことなのだ。  利七が言った。 「やっぱり、師崎の星は光っていたんだ、舵取《かじと》りの言うとおりだった」 「…………」 「昨夜あのまま、伊良湖度合を越えていりゃあよか……」  利七はうっと頭を下げた。強風がまともに襲いかかったのだ。  その時岩松は、高さ三丈もあるかと思われる波が、狂奔しながら押し迫って来るのを見て怒鳴った。 「大波だ、伏せろーっ!」  言ったかと思うと、利七と共に、岩松が舵柄《かじつか》にぐいと腕を絡ませた途端に黒い波は、宝順丸をひと呑《の》みにするように襲った。が、次の瞬間その巨大な波頭《なみがしら》は、宝順丸を飛び越えて過ぎた。ほっと顔を見合わせる間もなく、次の波が船に打ちこんで来た。 「みんな無事かーっ!」  余りの大波に、重右衛門が叫ぶ。その声がたちまち風にちぎれる。  風と波を食らって、船は揺れに揺れる。  八畳もある舵の羽板が波にもまれて激しく音を立てる。 「利七! 舵を上げるんだ!」  しかし、岩松の決断は一瞬遅かった。船が真っぷたつに引き裂かれたかと思われる激しい音響があたりを震わせた。 「しまったーっ!」  岩松が唇《くちびる》を噛《か》んだ。舵の羽板はすでに激浪《げきろう》に破壊されてしまっていた。 「畜生っ!」  思わず岩松は舵柄《かじつか》を打ち叩《たた》いた。 「舵取りーっ! 仕方がねえーっ!」  利七が岩松を励ます。重右衛門と仁右衛門が、駈《か》け寄って来た。 「今の音は何だあーっ?」  重右衛門の声に、 「親方、すまねえっ! 舵がやられたあ」 「舵があっ!?」  仁右衛門の顔が歪んだ。重右衛門が言った。 「舵取り、心配するな。舵は造ろうと思えば、何とか造れる」 「しかし、なぜもっと早く舵をあげなかったんだい、舵取りぃ」  仁右衛門が詰《なじ》った。三人がのぞきこむ海の中に、壊れた羽板が波に煽《あお》られ、外艫《そととも》を激しく打ちながら宙に踊った。その凄《すさ》まじい反響を、岩松は只《ただ》じっと聞いていた。  一方船倉では岡廻《おかまわ》りの六右衛門の指示で、水主《かこ》たちが柱道の下に入りこみ、アカ(船底にたまった海水)を汲《く》み出していた。二人がかりで、スッポン(排水ポンプ)の柄《え》を踏んでいる者、手桶《ておけ》にアカを汲み、次々に手渡して開《かい》の口《くち》から投げ捨てる者、何れも無言だった。  すっかり帆布を下げた船の上に、帆柱だけが一本、黒雲をかき廻すように揺れ動き、異様な音を立てて軋《きし》みつづける。その帆柱を目がけて稲妻がひらめき、雷がとどろく。 「荷を捨てろっ! 荷打ちだーっ!」  重右衛門が、胴の間の積み荷の上で叫んだ。何人かの水主が重右衛門の傍《かたわ》らによじ登って行く。船が大きく揺らぐ。波がしぶく。船がみるみるせり上げられ、そしてずるずると波の谷間に落ちる。 「荷打ち!?」  アカ汲《く》みを指揮していた岡廻《おかまわ》りが、声を上げた。荷打ちには、役人の激しい吟味が、水主《かこ》たちを待ち受けることを意味していた。が、重右衛門は、 「止むを得ん!」  と大声で答え、胴の間に積んだ二百|俵《ぴよう》の米を先《ま》ず捨てる覚悟を決めた。米俵《こめだわら》は一俵また一俵と床にほうり出され、水主部屋から開の口へところがされて行く。水主が、次々に米俵を海に投げ落とす。も早《はや》誰もが無表情だ。今は只《ただ》必死なのだ。舵《かじ》を失った船は、ともすれば横波を受けて大きく傾く。その度に水主たちは一斉《いつせい》に床に倒れる。起き上がる。またころぶ。ふらつく腰で、米を、海水を、水主たちは左右の開の口に運んでは捨てる。それは、いかにももどかしい作業であった。手桶《ておけ》に一杯のアカを汲み出す時、その何十倍もの波が打ちこむ。と、上げ板の隙《すき》から、かぶるように船底へと海水は落下する。  その流れ落ちる水をかぶりながら、音吉も久吉も、船底でアカ汲みに必死だった。初めは膝《ひざ》のあたりだったアカが、今は腰を越えようとしていた。冷たい海水に、股引《ももひき》も刺し子もとうに水浸しだ。汲んでも汲んでも、水は増すばかりだった。冷たさに、足腰の感覚は既《すで》に失われていた。      三  雨も風も、激しくなるばかりだ。  夜も五つ(八時)を過ぎた頃《ころ》、 「あーっ!」  船倉で水主《かこ》たちの叫びが上がった。岩に激突したかと思う衝撃に、久吉も音吉も、他の水主たちと共に、アカ(海水)の中にころがされた。そして次の瞬間、ばりばりと鋭い音がした。  舵《かじ》の羽板に激しく打ちつけられて、既《すで》に半壊していた外艫《そととも》が、激浪《げきろう》にもぎとられたのだ。外艫には流し台と水桶《はず》があった。真っ黒い夜の波の中に、流し台も水桶も、瞬時にして呑《の》みこまれていった。 「もう駄目《だめ》や」  アカの中から起き上がった吉治郎が泣き声を上げた。 「馬鹿っ! ぐずぐず言わず、アカを汲《く》めっ!」  岡廻《おかまわ》りが叱咤《しつた》する。吊行灯《つりあんどん》が絶えまなくゆれながら、あたりを照らしている。どんなに大きく揺れても、油が漏《も》らず、灯の消えぬ吊行灯が、今、船のあちこちに淡い光を放っていた。その淡い光の中で、水主たちは必死になってアカを汲む。が、アカはたまるばかりだ。それは、限りなくむなしい作業に思えた。しかし手をとめれば、たちまち水船となる。 「無駄やー! もういかんわ」  くり返し念仏をとなえていた吉治郎が再び音《ね》を上げた。 「ほんとや」  他の水主たちも、アカの中に突っ立った。と、音吉が叫んだ。 「無駄ではないっ!」  年少者とは思えぬ凛《りん》とした声であった。 「そうや、音吉のいうとおりや。手桶《ておけ》に一杯|汲《く》み出せば、汲み出しただけのことはあるで。汲まねば沈没や」  岡廻《おかまわ》りが諭《さと》すように言った。沈没という言葉に脅《おび》えて、みんなまたアカを汲みはじめた。音吉はアカを汲んだ手桶を下げて、よろめきながら胴の間に出た。岡廻りが交替を命じたのだ。胴の間には、既《すで》に米俵《こめだわら》はなかった。胴の間に上がった音吉に、風と波が容赦《ようしや》なく襲いかかった。音吉は足を踏みしめながら、手桶を他の水主《かこ》に手渡した。  船はまたしても大波の上に上がり、また下がる。すでに船は、舳《へさき》から四頭の碇《いかり》をたらして逆艫《さかども》になっている。踏立板《ふたていた》の一部をはずした胴の間で、荷打ち(捨て荷)を指揮していた仁右衛門が叫んだ。 「親方あっ! 帆柱を切らにゃーっ!」  船倉から米俵を胴の間に引きずり上げていた岩松が、 「何いーっ? 帆柱を切るとーっ?」  と、大声で聞き返した。 「おう、帆柱に当たる風で、船の傾きがひどいわ。その上、流されて陸から遠くなるばかりや!」 「しかし、水主頭《かこがしら》ーっ!」  岩松は夜空にそびえる太い帆柱を見上げた。帆柱の先は闇《やみ》に紛れて見えない。風に無気味に軋《きし》みつづけるばかりだ。 「帆柱を切りゃあ、二度と帆を上げることはできんでえ!」 「馬鹿を言え、舵取《かじと》り! 帆を上げるかどうかより、船が引っくり返るかどうかの瀬戸際《せとぎわ》だあっ!」  仁右衛門の声に殺気《さつき》があった。 「引っくり返るうー? 千石船《せんごくぶね》がひっくり返ったためしがあるか。帆柱に当たる風は、たかが知れてるでえ!」 「何をぬかしやがる! 親方! この嵐じゃあ、帆柱を切るより仕方あらせんで」 「さあてのう、切ったものかどうか、わしにもわからんが……」  船頭の重右衛門が呻《うめ》くように答えた。と、三人の体が大きく揺らいだ。船がしたたかに大波を受けたのだ。 「親方っ!」  岩松が傍《かたわ》らの米俵《こめだわら》にすがりながら言った。 「俺は北前船《きたまえせん》で嵐に遭《あ》った。あん時は帆柱を切らんで助かった。嵐は一時《いつとき》だあ。嵐が去ったら、どうやって帰るんだっ!」  岩松の言葉に仁右衛門が喚《わめ》いて、 「わからねえ奴《やつ》だな、舵取り! 嵐の時に帆を切るのは慣《なら》わしだ。こんなでっかい帆柱がなけりゃー、こうまで船は流されはしめえ。揺れもしめえ。親方! 早く切らせてくだせえ」 「よし! では伊勢大神宮の神さまにお伺いを立てるとしよう」  重右衛門は雨と風に叩《たた》かれながら決断した。と、その時、炎のような稲妻が閃《ひらめ》いた。一瞬、荒れ狂う海が視界に浮かび上がって消えた。つづいて雷鳴が頭上の闇《やみ》をつんざいた。重右衛門が大声で言った。 「水主頭《かこがしら》! 舵取《かじと》り! かくなる上は、もとどりを!」 「おう! もとどり! それが先決じゃった」  仁右衛門が答え、岩松も大きくうなずいた。もとどりを切ることは、神への真心を披瀝《ひれき》することであった。  三人は、神棚《かみだな》のある水主部屋に駈《か》け入って小刀でもとどりを切った。呼ばれて岡廻《おかまわ》りと勝五郎、そして音吉も三人にならった。  事の決定に迷う時、船乗りたちはみくじを引いた。みくじに出た答えに従えば、反対者も納得したのだ。それほどに船乗りたちは、みくじの答えを絶対と信じていた。重右衛門は今、仁右衛門の意見と、岩松の意見が真っ向から対立したのを見て、みくじを引こうと決意したのだ。  音吉は命ぜられたとおり、一|升《しよう》ますに穴のあいたふたをし、重右衛門の前に置いた。重右衛門は紙を一寸四方に二枚切り、その一方に〇印を、他方に×印を記してまるめ、ますに入れた。×印は帆柱を切る、〇印は切らぬ託宣《たくせん》の印であった。  重右衛門は神棚の戸をあけ、中から御幣《ごへい》を取り出すと、右に左にふりながら、一心に祈った。仁右衛門も岩松も、勝五郎も、その赤銅《しやくどう》色の手を合わせて一心に祈る。音吉もみんなにならって祈りつづけた。神の前に祈るということが、こんなにも必死なことかと、音吉は初めて知った。念じているうちに、音吉は何か安らぎの湧《わ》いてくる思いがした。  岩松もまた、みくじが帆柱を切れと出るか、帆柱を切るなと出るか、胸苦しいほどの緊張で待っていた。 (帆柱がなくて、どうして帰ることができる!)  戌亥《いぬい》の風が、確かにこの船を陸地から遠くに追いやっていることを、岩松は感じていた。未《いま》だかつて、これほど陸地から遠くに追いやられたことは、岩松はなかった。だがそれは帆柱があるためではない。仁右衛門のみならず、誰もが帆柱に当たる風の強さを恐れている。だが岩松は、船倉になお重い米を残している限り、帆柱一本で船の安定を全く失うとは、思えなかった。 (何日つづいたとしても嵐はどうせ一時《いつとき》だ!)  またしても岩松は思った。この一時のために帆柱を切ることは何としても避けたかった。 (帆柱をこのままに……)  岩松はひたすらそう念じた。  音吉には、帆柱は切るべきかどうか、わからなかった。只《ただ》、音吉の胸の中にあるのは、年少ながらも、船主樋口源六の婿養子《むこようし》としての自覚だった。責任感であった。その自覚と責任感が、凄《すさ》まじい嵐の恐怖から、音吉を救っていた。  一同は念じつづけながら、幾度も床の上によろけた。が、嵐は時折《ときおり》、ふっと勢いを殺《そ》がれることがあった。今も、嵐は幾分か衰えたようであった。音吉は、神の前に祈ったからだと、素朴にそう信じた。  やがて、重右衛門は、ますをたたき、中から飛び出たみくじを開いた。 「皆の衆、神のお告げじゃ」  ざんばら髪の五人は、一斉《いつせい》に頭を下げた。岩松は息をとめた。 「伊勢大神宮の大御神は、帆柱を切るべしと託宣《たくせん》されたぞ」 「ははーっ!」  一同は額を床にすりつけた。船が谷底に沈むように、波間に引きずりこまれた。  みくじの結果に岩松は唇《くちびる》を噛《か》んだ。      四  風は激しいが、雨が小降りになっていた。  音吉は六角|行灯《あんどん》を手に持って、帆柱の傍《かたわ》らに立った。重右衛門も行灯をかかげた。船が揺らぎ、帆柱が絶え間なく軋《きし》む。足がふらつく。 (こんな中で帆柱が切れるのか)  音吉は固唾《かたず》をのむ思いだった。  命綱《いのちづな》を体に巻き、斧《おの》を持った岩松が、風下《かざしも》に立った。行灯の灯影に、岩松の緊張した顔が照らし出された。岩松の頬《ほお》がひくひくと動いたかと思うと、 「エーイッ!」  裂帛《れつぱく》の気合《きあい》が風に飛び、斧がふりおろされた。帆柱が斧を跳《は》ね返すような音を立てた。が、次の瞬間、岩松は強風にたたらを踏んだ。 「気をつけろーっ!」  重右衛門が叫ぶ。岩松が再び斧をふり上げる。途端に大波が打ちこむ。ふらつく足を大きくひらいて、岩松は船の揺れの間合いを待つ。 「エーイッ!」  再び鋭い気合と共に斧《おの》が打ちおろされる。斧はかすかに柱を削った。つづいてまた斧をふりかざす。打ちおろそうとして、また風に体が揺らぐ。見ている重右衛門、仁右衛門、音吉たちの体も、岩松と共に大きく揺らぐ。揺らぎながらも、手を握りしめて岩松を見守る。  その間も、船倉からはアカが汲《く》み出され、米俵《こめだわら》を打ち捨てる作業がつづけられていた。 「ようやく雨もやんだのう」  重右衛門がそう呟《つぶや》いたのは、岩松が斧を持って帆柱に切りこんでから、四半刻を過ぎた頃《ころ》であった。 「どれ、今度は俺が替わる」  仁右衛門が手を出した。が、重右衛門がとどめて、 「利七! お前替われ」  と命じた。その声に眉《まゆ》を上げた利七が、 「おう!」  と答えて、岩松の斧を取った。二尺八寸角の柱は、それでもようやく幅五寸|程《ほど》の荒々しい切り口を、見せていた。岩松は肩で大きく息をした。ざんばら髪が額の汗にへばりついている。音吉は畏敬《いけい》の念を持って岩松を見た。  さすがの岩松もその場に坐《すわ》りこんだ。重右衛門は、帆柱を切ることに反対した岩松に、あえて第一番に斧を持たせたのだ。それは重右衛門の好意でもあった。が、岩松は複雑な思いで、自分の切りつけた帆柱を見た。  岩松に替わった利七は、若さにあふれていた。が、斧《おの》を持つと、一瞬|脅《おび》えた表情を見せた。それでも、利七も必死に斧をふるった。利七もまた、幾度も足をすべらせ、床に膝《ひざ》をつき、そして立ち上がった。大木に斧を入れるのは、陸地でも大変な業だ。まして、風と波に揺れやまぬ船の上での作業だ。  利七は四半刻《しはんとき》と経《た》たぬうちに、息も荒々と喘《あえ》いで、その場に坐《すわ》りこんでしまった。仁右衛門が替わる。そして再び岩松が斧を持った頃《ころ》には、重右衛門の下知《げち》によって、布団やかいまき、その他|苫《とま》などが垣立《かきたつ》にくくりつけられていた。帆柱の倒れた時の衝撃をやわらげるためであった。  ようやく風下《かざしも》側の切りこみが終わり、今度は風上《かざかみ》にまわって、辰蔵が斧をふるった。風下の受け口より、七、八寸高目の所に切り口を入れるのだ。行灯《あんどん》の光があるとは言え、夜半の作業は捗《はかど》らない。幸い、宵の口よりは風の激しさは衰え、雷鳴も間遠《まどお》になっていた。とは言っても、波のうねりは更《さら》に大きく、いつ果てるとも見えなかった。  ひと打ちしては、つんのめり、二打ちしては息を整える。辰蔵の頬《ほお》に疲労がありありと浮かぶ。嵐が来てからは、食する間も休む間もなく働き詰めなのだ。しかもその上に、不安と恐怖が絶えず襲う。誰もが、倒れることなく働いていることが、不思議なほどだ。  辰蔵につづいて千之助が斧を持ち、更にまた仁右衛門が替わった。切りこまれる度に、帆柱の破片が狂ったように飛び散り、暗闇《くらやみ》に吹き払われていく。  こうして二刻半(五時間)ほども経った頃、重右衛門は、岩松を従えて舳《へさき》に立った。筈緒《はずお》を切るためであった。筈緒は帆柱の頂上から、船首に張ってある綱である。この筈緒を切るのに間合いが要る。風上側の切り口が半ばに達するか達しないうちに、帆柱は風圧によって倒れるのだ。その瞬間を捉《とら》えて、筈緒を切らねばならない。早くても遅くてもならない。帆柱が船上のどこに倒れるかわからないからだ。しかも、船は揺れに揺れている。切る間合いがよければ、帆柱は風の力で、海中に落ちてゆく。  重右衛門は、抜き身の脇差《わきざし》をしっかと右手につかんで間合いを図る。その手許《てもと》を岩松のかざした行灯《あんどん》が照らす。  胴の間の積み荷が捨てられて、艫《とも》への見通しがよくなっていた。帆柱を照らす行灯が三つ、船と共に闇《やみ》に上下している。  やがて、幾人かが大声で叫び、帆柱のそばから水主《かこ》たちの一斉《いつせい》に飛びすさぶ影が見えた。素早く重右衛門が刀をふり上げた。と、その手を岩松が、ものも言わずにむずとつかんだ。 「な、何をする!? 気でも狂うたか!」  重右衛門は声をうわずらせて岩松を見た。  が、次の瞬間、 「今だっ! 親方っ!」  岩松が叫び、重右衛門の脇差がさっとふりおろされた。と筈緒が見事に断ち切られて宙に飛び、同時にメリメリと音を立て、帆柱は頭から怒濤《どとう》の中に突っこんで行った。胴の間でどっと歓声が上がった。  重右衛門は、へたへたとその場に坐《すわ》りこんだ。 「お見事!」  言いながら岩松も坐りこんだ。  重右衛門は、ややしばらく気のぬけたように動かなかった。が、やがて、ようやく口をひらいて言った。 「舵取《かじと》り、先程《さきほど》わしの刀をとどめたのは、何でや」 「出過ぎた真似をして、すまんことをした。だが、親方。あん時は、波がぐいぐいと船を突き上げて、盛り上がって来たところだったでな。船の盛り上がる時に帆柱が倒れりゃ、船が危ないと思ったで、それで……」 「波が!? なるほどのう。わしは無我夢中だったで、波の上下までには、心が及ばんかった。そうか。波がのう」  ようやく人心地のついた顔で重右衛門はうなずき、 「もうひと振り早ければ、垣立《かきたつ》を壊したかも知れせん。いや、垣立どころか……。よくやってくれたのう、舵取り」 「いや、親方の手並みが鮮やかだったでえ」  岩松はぼそりと言った。  重右衛門と岩松が、胴の間まで歩いて行った時、仁右衛門はじめ水主たちも、艫櫓《ともやぐら》にべったりと坐《すわ》りこんだまま、帆柱の失われた空を呆然《ぼうぜん》と見上げていた。切り倒すまでは、誰もが懸命であった。だが、切り倒したあとの虚《むな》しさが、どんなに大きいものか、誰も想像することができなかったのだ。朝に夕に、水主たちは帆柱を見上げて働いていた。帆のおろされることはあっても、帆柱がおろされることはなかった。師崎の港に船を冬囲いする時だけ、帆柱は艫の車立と、舳《へさき》の車立の上に横たえられた。帆柱は言わば、帆走船《はんそうせん》である千石船《せんごくぶね》の中心であった。中心であればこそ、その下に船玉《ふなだま》を祀《まつ》りもしたのだ。帆柱を失ってはじめて、水主たちは失われたものの大きさを知った。  重右衛門も岩松も、夜空を見上げた。もはや先刻までそびえ立っていた二尺八寸角の太い帆柱はない。絶えず軋《きし》みつづけていたその軋みも消えた。七丈の高さの帆を張って海上を走った宝順丸は、再び帆を張って走る術《すべ》を失ったのだ。  が、呆然《ぼうぜん》と突っ立っていた重右衛門が、仁右衛門たちに命じた。 「アカ汲《く》みじゃーっ!」  水主たちののろのろと立ち上がる黒い影が見えた。 (アカ汲みだけか)  岩松は、心のうちに呟《つぶや》いた。水主《かこ》たちはもはや、ろくろを巻いて、帆の身縄《みなわ》をしめることもゆるめることもなくなった。岩松も、舳《へさき》に坐《すわ》って、舵《かじ》の動きを命ずることもなくなった。舵柄《かじつか》を取る水主も要らなくなった。中つぎで叫ぶ水主も要らない。  この激浪《げきろう》の中に、今、しなければならない仕事は、アカ汲みしかないのだ。そして、船の揺れ具合を見つつ、荷を捨てるか捨てないかを定めることしかないのだ。 (舵取り……か。舵を失っては、もう舵取りでもあるまい)  岩松は思いをふり払うように船倉におりて行った。そして叫んだ。 「吉治郎も久吉も、交替だ。上へ上がって少し休め」  アカは岩松の臍《ほぞ》まで浸した。 [#改ページ]   黒瀬川      一  五日四晩|猛《たけ》り狂った嵐は、十五日の午《ひる》過ぎになって、嘘《うそ》のようにおさまった。  今、水主《かこ》たちは、アカ(海水)にぬれた薪束《まきたば》を、船倉から胴の間に運び出していた。誰もが筒袖《つつそで》の桐油合羽《とうゆがつぱ》を着、荒縄《あらなわ》を腰に結んでいる。刺し子も股引《ももひき》も、他の着替えも、何れもずぶぬれになったからだ。それらの衣類を行李《こうり》ごと胴の間に運び出す者もいる。  五日四晩というもの、水主たちはどれほども眠ってはいない。が、誰の顔にもほっとした安堵《あんど》の色が浮かんでいた。 「眩《まぶ》しいなあ。ありがたいもんやなあ、おてんとさまって」  久吉が薪をひろげながらうれしそうに言った。 「ほんとやなあ。雨も風もやんでくれてよかったなあ」  音吉もしみじみと言う。外艫《そととも》がもぎとられ、舵《かじ》の羽板は流され、帆柱も失った宝順丸は無残だった。だが、青空が大きくひろがり、日の光が背にあたたかく照っている今、何か新たな力が身うちから湧《わ》いてくるような思いだった。 「船玉《ふなだま》さんのお蔭《かげ》やな」  目をくぼませた久吉がにやっと笑った。 「うん、俺もそう思う」  音吉は、嵐の最中にも、必ず船玉が守ってくれると信じていた。琴の髪が船玉として祀《まつ》られている以上、自分を守ってくれないわけはないと思っていたのだ。 「お琴の髪が船玉さんやもな。俺も安心や。音吉のお蔭で大安心や」  ひさしぶりに久吉らしい軽口が出た。と、うしろのほうで吉治郎の声がした。 「うわあ、ぐしゃぐしゃや」  刺し子と股引《ももひき》を両手に吊《つ》るしてみせ、吉治郎はがっくりしたように言う。 「しぼって船縁にかけたらええ」  一緒に衣類を広げていた辰蔵が言った。 「だけどなあ、干したからって、いつまた嵐が来るか知れせんで」  吉治郎がぼやく。 「ぐずぐず言わんと、早くせんかいな」 「どうせまたぬれるかも知れせんのになあ。ああ、もう嵐はこりごりや。いやになってしもうたわ」  吉治郎は突っ立ったまま動こうとしない。その吉治郎を音吉はちょっと悲しげに見た。が、近づいて行って、 「兄さ、折角《せつかく》嵐がやんだことだでな、喜ばにゃあ船玉さまに申し訳ないで」 「ふん、なんや偉そうに」  吉治郎は呟《つぶや》いたが、ぬれた刺し子をふりまわしながら船縁の傍《そば》に立った。 「何だ、吉治郎。お前、弟に説教されてるのか」  利七が、運んで来た薪《まき》を足元に置いて笑った。 「利七、嵐がやんだら、滅法元気になったな」  吉治郎が鼻先で笑った。利七は聞こえぬふりをして、薪を広げた。  師崎の港に船が入った時、利七と吉治郎は、口喧嘩《くちげんか》をした。秋の遠州灘《えんしゆうなだ》は恐ろしいと言った吉治郎に、 「何が恐ろしいか、この意気地《いくじ》なしが」  と利七が嘲笑《ちようしよう》したのだ。吉治郎はむっとして、 「嵐に遭《あ》ったこともない者に、遠州灘の恐ろしさがわかるか」  と言い返した。  ふだんは元気のいい利七が、嵐の間中、南無阿弥陀仏《なむあみだぶつ》の念仏を絶やさなかった。時折《ときおり》、大声で、 「助けてくれーっ」  とさえ叫んだ。吉治郎もその仲間だったが、ふだん元気な利七の悲鳴のほうが、水主《かこ》たちの印象に残った。  今日の昼、みんなは久しぶりにあたたかい飯を食った。水桶《はず》は流れたが、水主《かこ》部屋の真下の船倉には、貯水槽《かよいはず》があり、水樽《みずだる》も幾つか、栓《せん》をして積みこまれてあった。その水に干飯《ほしいい》をしばらく浸して、嵐の最中には、それを飯代わりにしていた。  あたたかい飯を食いながら、水主たちは、のどもと過ぎた熱さのことを口々に話した。そしてその中で、利七の悲鳴が話題になった。 「おい、人間って、わからんもんやな。利七があんな弱気な男だったとはなあ」  誰かが言うと、 「全くや。利七はどんな嵐に遭《あ》っても、どんと来いと胸を叩《たた》いているほうかと思ったがな。滅法信心深くて、念仏ばかりとなえてよ」 「そやそや。吉治郎より弱気やなあ、利七は」 「いやいや、利七のことは笑えんで。お前だって、同じだでな」 「何を言う。そう言うお前も、お父《と》っつぁーん、おっかさーんなんぞと、おらびやがって……」  みんな勝手なことを言いはじめた。嵐になって一日二日は、誰もが驚くほどの力を出して、根《こん》限りに働いた。言葉を交わす暇もなかった。言葉を発せずとも、みんなは一つ体のように心を合わせて働いた。突き刺すような烈風も、沁《し》み入るようなアカの冷たさも、乗り越えて働いた。眠くもなかった。腹も空《す》かなかった。それが二昼夜を過ぎる頃《ころ》から、不安と恐怖におののきはじめた。恐怖の中で、不意に睡魔にも襲われた。四日目頃には、 「母《かか》さまーっ! 助けてくれーっ!」  と泣き出す者が出、一人が泣くと幾人もが泣いた。 「もう駄目《だめ》だあーっ! お父っつぁまぁーっ!」  と悲鳴を上げる傍《かたわ》らで、 「南無阿弥陀仏《なむあみだぶつ》南無阿弥陀仏、伊勢大神宮さま、金比羅《こんぴら》さま、八幡さま……」  と、知る限りの神仏の名を呼んで、 「どうか助けてくだせーっ!」  と泣き叫んだ。利七は船頭重右衛門の肩にすがって、 「親方さま! うちさ帰してくれ、早くうちさ帰してくれーっ!」  と喚《わめ》き立てた。誰もが動転していた。その中で、只《ただ》一人岩松だけが、ほとんどいつもと同じ顔をしていた。自然|水主《かこ》たちは岩松を頼みはじめていた。 「舵取《かじと》りーっ! 助かるかーっ?」 「舵取りーっ! 嵐はいつやむんかー」  と、岩松の顔さえ見れば聞くようになった。が岩松は、 「助かる時には助かる」 「風のやむ時にはやむ」  と、そっけなく答えた。答えにならぬ答えだが、それでも水主たちには頼母《たのも》しかった。岩松についで仁右衛門が落ちついていた。 「泣くなっ!」 「大丈夫だーっ!」  短いが声音《こわね》があたたかかった。元来が世話好きの、親分|肌《はだ》の男なのだ。そして次が船頭重右衛門だった。重右衛門は船頭としての責任の重さに、時におろおろとうろたえることもあった。それは重右衛門の気の弱さからきた。決断力の弱さからきた。この重右衛門よりは、むしろ音吉のほうがしっかりしていた。音吉は、十四歳の年少者とは思えぬ落ちつきをもって、敏捷《びんしよう》に働いた。兄の吉治郎とはちがって、泣きごとを言わなかった。父や母の名も呼ばなかった。 炊頭《かしきがしら》の勝五郎は、念仏こそ絶やさなかったが、なすべきことは手順よく取り運んだ。千石船《せんごくぶね》には常時、非常食の干飯《ほしいい》が積みこまれていたが、勝五郎は梅干しの用意も充分にしておいた。師崎を出た夜、海が荒れた時、いち早く焼き味噌《みそ》をつくりもした。焼き味噌は鍋《なべ》の蓋《ふた》に味噌を厚くぬり、それを直火《じかび》で焼いたものだ。これが今度の嵐に役立った。干飯と梅干しと焼き味噌が、水主《かこ》たちに精気をつけた。  その上勝五郎は、荷打ちが始まると同時に、米二十|俵程《ぴようほど》を三の間に移した。ここは船倉とちがって波もかぶらずアカも浸《つ》かない。それら周到な計らいが、水主たちに計り知れぬ力を与えていた。  意外に意気消沈したのは岡廻《おかまわ》りの六右衛門であった。この宝順丸の中で、最も物知りなのは六右衛門であった。算盤《そろばん》はむろんのこと、読み書きも達者であった。冷静で物ごとに動ずる男とは見えなかった。が、三日目あたりから、俄《にわか》に背中がまるくなり、歩き方までよたよたとなった。みんながアカ汲《く》みをしたり、胴の間に物を干したりしている今も、六右衛門だけは、しめっぽい布団にくるまって、三役の部屋に眠っていた。 「泣いたのは、お前も一緒やな。俺だけではあらせんで」  晴れ上がった空を見上げる利七はふだんの利七の顔に戻《もど》っていた。      二  岩松は腕を組んで作業|甲板《かんぱん》に突っ立っていた。帆柱のささくれだった折れ跡を秋の日が明るく照らしている。今、帆桁《ほげた》を帆柱の代わりに立てようとして、千之助はじめ水主《かこ》たちが五、六人、切り残された帆柱を抜きとろうとしていた。それを見守りながら、 (ここは一体どこなのだ)  と考えていた。岩松には、未《いま》だかつて、自分の船の位置が全くわからなくなった経験はなかった。 (あの方角が日本か)  遥《はる》か日本とおぼしき方向に、岩松はまた目を凝らした。が、点ほどの島影もない。水平線が宝順丸を中心に、輪を描いたようにまるい。海は決して、だだっぴろい平面ではなかった。風はほとんどないのに、船は潮に流されていく。茄子紺《なすこん》のこの海の色は、黒潮特有の色であった。 「舵取《かじと》り、日本はどっちの方向かのう」  いつの間にか重右衛門が傍《かたわ》らに来て言った。その声が老人のようにしわがれている。  宝順丸にも磁石はあった。が、方位を示すだけで、船の位置を知らせてはくれない。 「あっちの方向かと俺は思うのだが……」  岩松は暗い声で指さした。と、重右衛門と共に来た仁右衛門が言った。 「何だ、あっちのほうか。俺はまた、こっちのほうかと眺《なが》めていたが」 「どっちがどっちやら、わからなくなってしもうた。三宅島《みやけじま》のあたりは、とうに通り過ぎたのかのう」  重右衛門は心もとなげに言った。 「まさか、八丈島を過ぎたわけではあるまいな」  仁右衛門も気弱そうに言う。仁右衛門は後悔しているのだ。確かに岩松が言った通り、嵐が如何《いか》に長くても、せいぜい七日か八日だ。言わば一時のことなのだ。今考えると、千石船《せんごくぶね》がひっくり返った話を聞いたことはない。水船になって沈んだことは聞いても、帆柱への風当たりが強くて、ひっくり返った話は聞かない。仁右衛門は、帆柱を切らねば、帆柱への風当たりで、船が陸から遠く押し流されると案じたのだが、帆柱を切ったところで、何の役にも立たなかったような気がする。風は容赦《ようしや》なく、ぐいぐいと船を沖に押し出したからだ。 (岩松の言い分が正しかったかも知れぬ)  師崎から真っすぐ外海に出たならば、あの嵐に遭《あ》わなかったと、そのことも仁右衛門は悔いていた。だが帆柱のことにも、あの夜のことにも、岩松は一度も触れない。 (御蔭参《おかげまい》りに脱《ぬ》け出しやがって……)  無責任な偏屈男《へんくつおとこ》と思っていたが、何となくそれが見当ちがいであったような気がしはじめていた。帆柱を切り倒す時の、真摯《しんし》な岩松の働きぶりも仁右衛門の胸にある。  重右衛門もまた、岩松に負い目を感じていた。帆柱を切ったことにも、鳥羽に入ったことにも、仁右衛門と同じ思いを抱いていたが、筈緒《はずお》を切る瞬間を、岩松は正確につかんでくれた。しかもそのことを、岩松は誰にも言わない。 (仕事のできる男と思ってはいたが……)  新たな信頼を、重右衛門は岩松に感じていた。  船は、茄子紺《なすこん》の黒潮に乗って、絶え間なく流されている。が、大海の真ん中では、さして流されているようには思えない。黒潮の恐ろしさを水主《かこ》たちは聞いていた。しかしまだ、その本当の恐ろしさを誰も実感してはいなかった。帆柱の代わりに帆桁《ほげた》を立て、帆を上げれば、風を待っていつかは故国に帰れるような気がしていた。  やがて、垣立《かきたつ》の傍《そば》に片寄せられてあった帆桁が、水主たちの手によって立てられた。帆桁の長さは七丈余りだった。だが、船底の帆柱の座に据えつけるために、作業|甲板《かんぱん》から上の高さは五丈に足りない。切り倒した帆柱は、全長九丈五尺もあったのだ。  新たな帆桁には、数本の水棹《みさお》をつないで使った。こうしてやっと仮帆を上げたが、帆は元の四半分の広さもない。それでも、舳《へさき》には小さな補助帆の弥帆《やほ》もあった。  だが仮帆はいかにも貧弱に見えた。七丈もある二十八反帆を日夜見上げていた水主たちにとって、七反帆の仮帆は、ひどく心もとなく思われた。 「これで、国に帰れるのやろか」  夕焼け空に上がった帆を見上げて、吉治郎が呟《つぶや》いた。 「帰れるとも」  利七が言下に言ってのけ、 「たとい小さくても、帆は帆だでな。東風《こち》さえ吹けば国に帰れるで」  岩松はその二人の声を背中に聞いたまま、黙って海をみつめていた。 (この黒潮から逃れ出るには、舵《かじ》がなければならぬ)  舵を失ったことは、自分自身の責任だと岩松は思っていた。 (とにかく、何よりも羽板を作らにゃあ)  元の羽板は八畳敷の広さを持っていた。だが、せめてその二分の一の羽板でも、岩松は欲しいと思った。 (五尺を使うか)  五尺とは舳《へさき》の船べりにある、取りはずしのできる板である。重右衛門も羽板は作ることができると言ったのだ。岩松は、明日中に羽板を舵柄《かじつか》に取りつけようと思った。 (俺は帰るぞ。どんなことがあっても帰るぞ)  常夜灯の壁を背に、いつまでも自分を見送っていた絹の姿を、岩松は言い難い思いで思い浮かべた。 (岩太郎、父《と》っつぁんは帰るからな) (お父っつぁん、おっかさん。すぐに帰って行くでな)  帆柱を切り落としてしまった時、岩松は国へ帰る手だてを失ったと心のうちに帰国を諦《あきら》めた。だが今こうして、小さくとも帆が無事に上がり、舵の羽板を取りつける見通しがつくと、俄《にわか》に岩松の胸は大きくふくれ上がった。  と、同時に、不意に命が惜しくなった。激浪《げきろう》の中では、死んだつもりで岩松は働いた。絹には不憫《ふびん》ではあっても、死ぬのはいたし方なしと、早くも諦めていた。それが俄に死が恐ろしくなったのだ。 (帰るぞ。帰って見せるぞ!)  岩松は幾度も自分自身に向かって誓った。 (しかし、それにしてもこの海の色は……)  黒瀬川と呼ばれる黒潮の流れが、次第に無気味なものに思われてきた。 「一度入りこんだら、逃れることはできない」  と聞いた言葉が胸にひろがってきた。だが、その思いをふり切るように、岩松は呟《つぶや》いた。 「なあに、舵《かじ》さえあれば、この潮から逃れて見せる」  舵取りとしての自信を岩松はまだ失ってはいなかった。小さくとも、帆と舵がある限り、国に帰れると思ったのは、必ずしも岩松一人の気負いではなかった。誰の顔にも、喜色が浮かんでいた。寝こんでいた岡廻《おかまわ》りの六右衛門までが、帆が上がったと聞いて、胴の間に出て来て帆を仰いだ。  夕色がいずこからともなくしのびより、空に星がまたたきはじめた。あたたかい静かな夜を、水主《かこ》たちは交替で寝た。船底にアカを汲《く》む音を聞きながら、岩松もその夜は二の間で深い眠りにひきこまれていった。      三  船頭の重右衛門は、胴の間に出てひげを剃《そ》っていた。今日も眩《まば》ゆいばかりの日の光が、宝順丸を一杯に照らしている。久吉の持った鏡をのぞきこみながら、重右衛門はゆっくりと剃刀《かみそり》を使う。その傍《かたわ》らには、一昨夜の雨にぬれた手拭《てぬぐ》いが置かれてあった。  久吉はその重右衛門の顔をつくづくと見ていた。頬《ほお》がこけ、目がくぼんでいる。しかも髪はもとどりを切ってざんばら髪であり、七日も剃《そ》らなかったひげは長く伸びていた。その片頬《かたほお》のひげが、ぞりぞりと音を立てて剃られていく。ひと所血が滲《にじ》んでいる。 (何を考えているのやろ)  いつもの重右衛門なら、何か言葉をかけてくれるのだ。それが、鏡を持たせたまま、何か考えこんだままひげを剃っている。  胴の間には、今日も衣類や布団や、薪《まき》や米や、様々な物が干されている。作業|甲板《かんぱん》では朝早くから、岩松と水主《かこ》たちの、羽板を造る鋸《のこぎり》の音や、釘《くぎ》を打つ音がしていた。夜通し汲《く》んだ船倉のアカは、ようやく三寸|程《ほど》に減り、そこでもまた船を補強する金槌《かなづち》の音が聞こえていた。言わば、船には活気が満ちているといえた。だが重右衛門の心は重かった。昨日、帆柱の代わりに帆桁《ほげた》を立て、仮帆を上げた。そしてその時は、とにもかくにも、帆を上げ得たことに、重右衛門は安堵《あんど》した。しかし今朝、重右衛門は胴の間に立って、帆を見上げた時、思わずぎょっとした。いつも覆いかぶさるような七丈の帆を見上げていたその習慣が、身についていた。仮帆を上げたのを見てはいたのだが、つい、重右衛門は、いつも見慣れていた帆のつもりで、ひょいと仮帆を見上げたのだ。そして、その余りの貧弱さに驚いたのだった。  そこには二尺八寸角の太い帆柱がそびえている筈《はず》だった。だが、帆桁を代わりに使ったその帆柱は、太い所でさし渡し一尺七寸、しかも先のほうは次第に細って、僅《わず》か一尺であった。二十八|反《たん》の帆は今は七反、それは余りにも哀れな姿であった。 (もし、もう一度嵐が来たら……)  重右衛門はそう思って、心が萎《な》えたのだ。その上、今日もまた船は、黒潮の中を何処《どこ》へともなく漂っていた。昨夜のうちに、どれほど流されたのか、今、船が何処にいるのか、見当もつかない。  勢いこんで羽板を造り、アカの流れ入る隙《すき》をふさいでいる岩松や仁右衛門たちのことを思うと、尚《なお》のこと重右衛門は気が重かった。その暗い重右衛門のまなざしを見ながら、久吉は言った。 「な、親方さま」 「うん」  重右衛門は久吉が傍《そば》にいることを忘れていた。 「何や」  重右衛門は弱々しく答えた。 「親方さま。何でみんなもとどりを切ったんですか」  嵐の最中に、水主《かこ》たちは次々にもとどりを切った。久吉も命じられてもとどりを切った。そのざんばら髪が微風になびく。 「おお、もとどりか」  重右衛門は吾《われ》にかえったように久吉を見、ひげを剃《そ》る手をとめ、 「もとどりを切ったはのう、神仏の前に、吾らの真心を披瀝《ひれき》するためじゃ」 「真心?」  久吉は不審な顔をした。 「ほら、何かのことで、よく頭を坊主にすることがあるだろう。船の中では、坊主にする余裕はないだでな。だが、気持ちはそれと同じことだ」 「なるほど、頭を剃ることと同じことですか、親方さま」 「そうや。第一な、もし難船した時に髪を切っておらんとな、お上のお咎《とが》めがきびしいのじゃ。真実こめて働いたかどうかと、お上の吟味がきついでなあ」  重右衛門はちょっと声をひそめた。が、すぐに苦笑した。その幕府に取り調べられる日が来るかどうかと、重右衛門はふと思ったからである。  見渡す限り、四方八方|只《ただ》海原だ。微風とはいえ、東風《こち》が吹いているというのに、船は潮に乗って風に向かって流れている。この潮をさかのぼる程の風が吹けば、細い帆柱はすぐさま倒れるにちがいない。だが、重右衛門はそれを口に出せなかった。 (岩松や仁右衛門は、何と思うていることやら)  釘《くぎ》打つ音を聞きながら、重右衛門の心は滅入った。その重右衛門の心には頓着《とんちやく》なく、久吉が言った。 「では親方さま、ひげは剃《そ》ってもかまわんのですか」 「そうよのう。つるりとした顔をしていては、これまたお上のお咎《とが》めにあうかも知れぬ。だがのう、国に帰るまでには、まだまだ時が要るでな。あまりむさくしていては、老いこんだように見えて……」  お前たちも心もとなかろうと、言う言葉は胸にのみこんだ。が、重右衛門はそう言いながら決意した。今後どれほどの長い期間、今の状態がつづいても、毎日ひげだけは剃らねばならぬと。それは、日常心《にちじようしん》を失わぬためであった。ざんばら髪になった自分が、ひげ面になっては、水主《かこ》一同の気持ちにも影響すると重右衛門は思ったのだ。その重右衛門の言葉を心にとめてか、とめずにか久吉が言った。 「親方さま。船は国のほうに動いているんやろうか。それとも反対に流されているんやろうか」  さすがに心細げな声であった。      四  音吉は開《かい》の口《くち》から、綱をつけた手桶《ておけ》を海の中にするするとおろした。音吉は海をのぞきこんだ。青い海だ。開の口から水面まで、六尺はある。音吉はふっと、小野浦のわが家の裏にある井戸を思った。井戸の中に落とした釣瓶《つるべ》は、ばちゃんと谺《こだま》して、自分の影が散ったものだ。が、海におろした手桶は、音も立てずに、いきなりぐいと重い手応《てごた》えがした。音吉は素早く綱を手《た》ぐる。両足を台に踏んばって、息を詰めて手ぐる、台の傍《かたわ》らには五|升《しよう》の米を入れた桶があり、それに並んでもう一つの空桶がある。 「どれ」  いつのまに傍《そば》に来たのか、兄の吉治郎が手伝って、開の口から桶を運んでくれた。 「兄さ。すまんな」  音吉は不意に胸が熱くなった。未《いま》だかつて、吉治郎がこんな親切を見せてくれたことはなかった。  汲《く》み上げた海水を、音吉は米の入っている桶に四分の一ほど入れた。そして手早く磨《と》ぎはじめた。子供の時からしなれた米磨ぎだ。音吉は満遍《まんべん》なく、隅《すみ》から隅まで米を磨ぐ。潮臭《しおくさ》い水だ。磨ぎ水がたちまち白くなった。その磨ぎ水を空桶に移す。そしてもう一度、音吉は米を磨いだ。 「音」  吉治郎が傍らに跼《かが》みこんで、音吉の米を磨ぐ様子を見ていたが、ぼそりと呼びかけた。 「何や、兄さ」 「水桶《はず》が流されたでな、大変なことになってしもうたな、音」 「うん、ほんとや」  水主《かこ》部屋のすぐうしろにある外艫《そととも》が、激浪《げきろう》にもぎ取られてしまったのだ。外艫には、流しもあれば水桶もあった。厠《かわや》もあった。何より惜しかったのは、何|斗《と》も入っていた水桶だ。四角く大きい水桶には、まだ水が充分にあった。貯水槽《かよいはず》や予備の水樽《みずだる》が船倉にあったからよいものの、なければあの瞬間から、たちまち水主たちはのどの乾きに耐えられなくなるところだった。  だが船倉の水にも限りがある。嵐がやんで、はじめて米を炊《た》く時、音吉は炊頭《かしきがしら》の勝五郎に、 「米は潮水で磨《と》げ」  と命ぜられた。今日はそれから三度目だ。潮水で米を磨ぐのは何となく淋《さび》しい。 「音」  再び吉治郎が言った。 「うん」  音吉の米を磨ぐ音が、シャリッシャリッと引きしまった音になってきた。 「お前、水がのうなったら、人間は死ぬんやで」  あたりをはばかる声だ。 「うん」 「やがて水はのうなるんや。そんな時、お前どうするつもりや」 「どうするって……」 「水がないとな、人間は死ぬんやで」  音吉も、水がなくなった時のことを思うと、身ぶるいがする。が、音吉は答えた。 「兄さ。心配は要らんで。雨も降るし、らんびきもできるでな」 「らんびき? ああ、潮水から飲み水を取る方法な。釜《かま》で煮《に》て、湯気《ゆげ》を水にするやつな。だけど、薪《まき》が尽《つ》きたらどうするんや」 「それまでには、どこかの島に着くだろうが」 「馬鹿言え。いいか、音。今のうちにな、水をくすねて置くんや」  吉治郎は更に声を低めて言った。胴の間には、岩松たちの釘《くぎ》を打つ音がかしましい。声を低めずとも、他に聞こえる恐れはなかった。 「くすねる?」 「そうや。水のあるうちにな、せめて徳利《とくり》に一杯でも、かくして置くんや」 「兄さ。そんなことをして……父《と》っさまが泣くで」 「泣くも泣かんも、父っさまの知らんこっちゃ。俺たちが死んだら、それこそ父っさまが泣くわ。母さまが泣くわ。おさとも泣くわ。いやそれより、お琴が泣くわ」 「兄さ。わしら人間のすることは、みんなおてんとさまが見てござる。わしらにとって大事な水は、みんなにとっても大事な水だでな」  音吉は磨《と》ぎ水の入った桶《おけ》を、台の上に上がって、垣立《かきたつ》から海に捨てた。捨て終わった時、吉治郎はもう傍《そば》にはいなかった。  音吉は、磨いだ米を水主《かこ》部屋の火床《ひどこ》の傍《そば》に持って行った。 「おお、磨いだか。ご苦労やな」  勝五郎が言い、手桶《ておけ》を持った。真水《まみず》を汲《く》みに行くのだ。船倉の貯水槽《かよいはず》から水を汲み出すのは、勝五郎だけの仕事だ。決して他の者にさせることはない。船倉の貯水槽の蓋《ふた》には鍵《かぎ》がかかっている。  やがて勝五郎の手によって真水が運ばれ、釜《かま》の中に注がれた。音吉はその水を、身じろぎもせずにみつめた。 「水をくすねておくんや」  と言った吉治郎の言葉が、今更のように恐ろしく思われた。 「音、ひと休みせい」  勝五郎が床に腰をおろしながら言った。 「はい」  音吉は答えたが、 (もし水がなくなったら……)  と思った。吉治郎の言葉が、もしかすると、水主《かこ》たち全部の思いかも知れぬと気づいたのだ。 (そのうちに大変なことになる)  船倉の貯水槽の水が尽き、幾樽《いくたる》かの水も尽き果てようとする頃《ころ》、水主たちは水を欲しさに、何をしでかすかわからないのだ。貯水槽に鍵のかかっている理由が、音吉には今はじめてわかったような気がした。が、次の瞬間、 (いやいや、やがては雨も降る。潮水から真水も取れる。そのうちにどこかの島に着く)  音吉は自分自身に言い聞かせた。  まだ十四歳の音吉には、海には島がつきものだと思っていた。師崎から外海に出るまでに、たくさんの島があった。江戸の近くにも、大島《おおしま》、三宅島《みやけじま》、八丈島《はちじようじま》などのあるのを聞いている。九州のほうには、屋久島《やくしま》や、種子島《たねがしま》のあること、その他どこにあるかは知らないが、隠岐島《おきのしま》や佐渡《さど》ケ島《しま》という大きな島のあることも聞いている。だから海には、島がたくさんあるのだと音吉は思うのだ。  いつか、樋口源六の蔵《くら》の中で、地球儀を見せてもらった。が、太平洋がどれほど広いものかを、実感として理解できる筈《はず》はなかった。それは単に、音吉が十四歳という年齢のせいばかりではなかった。水主《かこ》たちのほとんどが、明日にもどこかの島が見えてくると信じていた。重右衛門ほどに打ち沈んだ気持ちになっている者は、まだなかった。 (大丈夫や。水がなくなる前に、島が見えるわ)  音吉が再びそう思った時、船倉の梯子《はしご》から三四郎が顔をのぞかせて言った。 「音、手がすいてるんなら、手伝わんか」  勝五郎が、音吉の答える前に言った。 「音は今、坐《すわ》ったばかりやで」  三四郎は聞こえぬふうに、 「じゃ、音、水主頭《かこがしら》が待ってるで」  と、忙しそうに顔をひっこめた。音吉は半裸のまま船倉に下りて行った。 「おお、来たか。常治郎たちに手伝って少しアカを汲《く》め」  仁右衛門がふり返って音吉に命じた。 「はい」  音吉はきびきびと手桶《ておけ》を取り、三寸|程《ほど》たまったアカを汲《く》みはじめた。いつのまにか吉治郎や久吉たちもアカ汲みをしていた。と、仁右衛門が言った。 「おい、音。ちょっとここに来い」  胴の間の踏立板《ふたていた》を少し外《はず》しているので、今日の船倉は光が差しこんでいる。音吉はアカがその光に揺れる中を、仁右衛門の傍《そば》に近づいて行った。仁右衛門は釘《くぎ》を打ちながら、 「いいか、音。アカはな、大ていこの戸立《とだて》の底あたりから入って来るでな。そんな時はな、応急にぼろきれを突っこむことがある。だがな、釘のゆるみをなおすのが肝心や。そのほかな、いろんなことをせねばならん。とにかく俺はな、そのアカの入って来る所をお前に教えておくでな」  しみじみとした声だった。 「はい」  音吉は無邪気に答えた。 「音、お前や久吉は、一番元気があるでな、何でも知っておいてもらわにゃあ……」  言われて音吉は、ふと淋《さび》しい気がした。仁右衛門の言葉に、何となく不吉な予感を覚えたからだ。  海水の浸入してくる箇所を、アカの道と呼ぶ。だからこのあたりには、釘の利きの悪い杉材を使わない。そのことを仁右衛門は説明しながら、 「このアカの道を早うみつけんとな、大変なことになるでな」  三四郎も常治郎も、政吉も、手をとめてうなずく。その時音吉が言った。 「水主頭《おやじ》さま。船底に区切りがあれば、アカの道をみつけやすいのではないやろか」 「それだ。それだって。わしもなあ、千石船《せんごくぶね》の船底が、こうだだっぴろけりゃ、どこからアカが入っても、底が一面に水浸しになる。区切りがありゃあ、水のたまり具合で、どのあたりの釘《くぎ》がゆるんだと見当がつく。そうだ、親方さまに伺って、せめてこの辺《あた》りにでも、二尺ばかりの高さの仕切りを一つ造って見るか」  仁右衛門の言葉に常治郎が言った。 「なあるほど、そりゃあ名案だあ。このあたりさえ区切っておきゃあ、ほかのほうには水は来ねえ。音、お前いいことを考えるじゃねえか」  常治郎が目尻にしわをよせて笑った。  音吉は自分の言葉が取り上げられたので、勢いこんでアカ汲みをはじめた。三寸|程《ほど》の深さのうちに、全部汲み干してしまえば、他のアカ道も突きとめることができる。 (恐ろしいのは水だ)  音吉はつくづくと思った。海という巨大な水も恐ろしければ、真水の欠乏も恐ろしい。そう思いながら手桶《ておけ》を持って梯子《はしご》を上がろうとした時、上が俄《にわか》に騒がしくなった。 「なんだ? 何が起きたんだ!?」  仁右衛門が言い、他の者が梯子の傍《そば》に近寄って来た。 (何やろ?)  音吉は動悸《どうき》しながら梯子を上がって行った。 [#改ページ]   遠い影      一  アカを湛《たた》えた手桶《ておけ》を持って、音吉が水主《かこ》部屋への梯子《はしご》を上がると、炊頭《かしきがしら》の勝五郎が、今|艫櫓《ともやぐら》への梯子を登ろうとしていた。艫櫓では、騒ぎ立てる水主たちの声がする。 「炊頭《かしきがしら》さま、何ですか」  音吉が声をかけると、勝五郎がふり返りざまに言った。 「島や! 島が見えたんやと」 「島!?」  思わず音吉が叫んだ。一瞬、目のくらむ思いだった。音吉はその場に手桶を置いて、勝五郎のあとを追おうとしたが、音吉は、心を静めて、手桶のアカを開《かい》の口から捨てると、船倉に向かって、 「おやじさまーっ! 島が見えたとー!」  叫ぶなり、音吉は艫櫓への梯子を駈《か》け登った。船倉から、仁右衛門や他の水主たちの声が追って来た。  艫櫓《ともやぐら》では、水主《かこ》たちが口々に何か言いながら、はるか右手前方を指さしている。 「きっと島じゃ」 「ほんとに島やろか」 「島に決まっとるじゃろが」  誰もが、おさえきれぬ興奮をあらわにして、あれを言い、これを言う。 「ありゃあ、船とちがうか」 「船なら帆が見えるわい」  風はおだやかとは言え、大海の真ん中だ。波のうねりが大きい。そのうねりの上に船が上がると島は見え、下がると見えなくなる。 「どこの島じゃろか」 「日本ではないで」 「八丈島とちがうか」 「八丈島とはちがうわい」 「オロシャの島か」  岩松はみんなが口々に言うのを聞きながら、じっと青い影に目を凝らしていた。 「鯨《くじら》かも知れんな」  利七が言うと、誰かが、 「馬鹿を言え。鯨があんな遠くに見えるわけはあらせん」 「雲とちがうか」  仁右衛門が言う。が、水主たちは、 「雲じゃねえ。どう見ても雲とは思えん」  と騒ぎ立てる。確かにその影は島に見えた。音吉の目にも雲とは見えなかった。と、重右衛門が岩松の傍《かたわ》らに立って言った。 「舵取《かじと》り、どうや。あれは島かのう」 「さあて、島と思えば島にも見える。雲と思えば雲にも見える。だが俺は雲と見た」 「うむ、雲のう」  岩松の言葉に、水主たちが、 「何いっ! 雲だとう? 雲じゃあらせん!」 「舵取りっ! あれが何で雲に見えるんじゃ! どう見ても島じゃ」 「そうや、島じゃ島じゃ! 島にちがいないわ!」  といきり立った。 「まあまあ、近づけばわかるでなあ」  重右衛門のなだめに、水主たちが静まり、更に一心に薄青い影をみつめる。息をつめ、まばたきもしない。音吉の耳に、久吉がささやいた。 「音、ありゃ島じゃ。島だな」 「うん、島だ」  音吉もうなずいた。音吉は島にちがいないと確信した。 「どんな島じゃろうか」  久吉が言う。 「わからん」 「人が住んでおるやろか」  言われると、無人島のような気もした。 「鬼が島とはちがうな」  どこかに、鬼の住んでいる島があると、幾度も聞かされてきた。久吉がまたささやく。 「鬼が島ならえらいこっちゃ。鬼は人を食うだでな」 「鬼が島ではあらせん。きっと人が住んどる」  音吉がささやき返す。その時、仁右衛門が言った。 「親方さま、とにかく船をあの方向に向けますかい」 「うん。それがよい。折よく舵《かじ》の羽板も取りつけたところじゃ。舵取り! 水主頭《かこがしら》! 頼むぞ」 「わかりやした」  仁右衛門と岩松が頭を下げ、重右衛門が大声で下知《げち》した。 「位置につけえーっ!」 「ようそろう」  水主たちは勢いよく答えて、それぞれの位置に就《つ》いた。  垂らしていた碇《いかり》を引き上げにかかる者、水主部屋の二基のろくろに取りつく者、舵柄《かじつか》を握る者、何れも期待に胸を弾ませた顔だ。  岩松は、三の間の上の伝馬船《てんません》の上に、久しぶりに坐《すわ》った。濃紺の海は日を弾いて輝き、空はあくまでも青かった。太い綱で幾重《いくえ》にもくくりつけていたとは言え、よくもあの嵐に、伝馬船が波にさらわれずにすんだと思う。岩松は、薄青い影をみつめていたが、 「おもかーじ!」  と、艫櫓《ともやぐら》をふり返って叫んだ。  やがて船は、おもむろに向きを変えた。新しい羽板は、失われた羽板と同様に、充分に役立ったのだ。岩松は深い安堵《あんど》を覚えた。船はようやく、舳《へさき》を先に、船尾をうしろにして動きはじめた。嵐で羽板を失って以来、船は碇《いかり》を垂らして逆艫《さかども》で進んでいたのだ。 「舵取《かじと》りーっ、羽板が働いているでえ。よかったなあ」  中つぎの利七が、胴の間に立って叫ぶ。 「おお、よかった」  岩松は珍しく白い歯を見せた。利七は共に羽板を造った一人だ。 (島かな)  岩松は薄青い影が、僅《わず》かに色濃くなってくるのをみつめながら思った。島であってほしいと岩松も思う。小さくても帆があり、そして舵も元に復《もど》った。風は弱くとも、とにかくこの天候なら、何とか思った所に近づくことができるかも知れない。 (しかし……島にしては……)  長年、舵取りとして働いてきた岩松の目は他の者より確かだ。岩松にはなぜか、動かぬその影が島影とは思えないのだ。今まで、幾度も島に似た雲を岩松は見てきているからである。 (とにかく島であってくれれば……)  念じながら岩松は、妻の絹の白い顔を思い浮かべた。不意に胸のしめつけられる思いがした。      二  音吉は再び、船倉でアカを汲《く》みはじめた。飯《めし》を炊《た》くまでには、まだ四半刻《しはんとき》ほどある。久吉も、炊頭《かしきがしら》の勝五郎も、船倉にいる。勝五郎は、帆の操作を命ずる仁右衛門に代わって、アカ道をふさいでいるのだ。常治郎と三四郎に手伝わせ、勝五郎は器用に釘《くぎ》を打っていく。何をさせても手先の器用な男だ。 「音、もう大分近づいたやろか」  船倉に入って来たばかりなのに、久吉はすぐにそう言った。 「今下りて来たばかりやないか。そんなに近づくわけあらせん」 「それもそうやな」  まじめにアカを汲む音吉の傍《そば》で、久吉は気もそぞろにアカを汲みながら、 「俺が捨ててくるで」  と言った。 「代わる代わるや」  音吉も今日は譲らない。島か雲か、早く確かめたいのは、二人共同じなのだ。 「じゃ、音、こうしよう。じゃんけんや。勝った者が行くんや」 「いや、代わる代わるがいい」 「いや、じゃんけんや。そのほうがおもしろいで。俺はおもしろいことが好きだでな」 「そんなことより、はよアカを汲《く》まにゃいかんわ。じゃんけんなんぞしたら、遊んでいると思われるで」 「思われてもええわ。ほら、じゃんけん……」  久吉が鋏《はさみ》を出した。つられて音吉が石を出した。 「なんや、お前勝ったではないか」 「そうや、俺の勝ちや」  音吉はアカを汲み入れた手桶《ておけ》を下げて、いそいそと梯子《はしご》を登って行った。先程《さきほど》の青い影が開《かい》の口からは少し低く見えた。 「兄さ、やっぱり島やなあ」  水主部屋のろくろの傍《そば》にいた吉治郎に顔を向けると、 「そりゃそうや。あんな雲見たことあらせんで」  水主たちもみなうなずいた。 「けど、舵取《かじと》りさんは、雲やと言ったがな」 「そりゃあ舵取りでも、まちがうことはあるだでな」  吉治郎も今は岩松への反感をあらわにはしなかった。あの嵐の夜、命綱をつけ、帆柱を懸命に切り倒した姿を、吉治郎といえども忘れてはいない。 「そんなら、やっぱり島か」  開の口から音吉は再び島のほうを眺《なが》めたが、すぐに急いで船倉に下りて行った。 「どうや、やっぱり島やろう」  久吉が待ちかねて言った。もうアカは手桶《ておけ》に三つほど並んでいた。 「大丈夫や、島は逃げん」 「そうか、じゃ今度は俺が捨てに行く」 「何や、さっきじゃんけんと言ったやないか」 「言うたは言うたけどな、やっぱり音の言ったとおり、代わる代わるがええ」 「いや、じゃんけんがええ」 「いや、音はじゃんけんが強いでな」  二人は子供のように争ったが、勝五郎の声が飛んだ。 「何をしとる! しゃべっても、手をとめたらいかん」  二人は首をすくめた。が、久吉は、 「じゃ俺が行くで、たくさん汲《く》んどけや」  と、両手に手桶を持って、ぱちゃぱちゃとアカの中を歩いて行った。そして、やや経《た》って戻《もど》って来た久吉が、 「音、大変や」  と目をむいて見せた。 「大変?」 「うん。島が見えんようになった」  久吉は声低くささやいた。 「え!? 島がなくなった?」  音吉が思わず叫ぶと、勝五郎がふり返って噛《か》みつくように言った。 「何!? 島がのうなった?」  水主たちもふり返った。久吉は、 「いや……あの、音をからかったんや音を。すまんすまん」  と、ざんばら髪の頭を掻《か》いた。 「この阿呆奴《あほめ》が! 馬鹿も休み休み言え。血がかーっと頭に上がったぞ」  勝五郎に叱られて、久吉は、 「すまん。すまんことを言いました」  と素直にあやまった。 「久吉、お前はおもしろい子だで、悪気《わるぎ》のないのはようわかる。しかしな、下手な冗談を言うと、海ん中へ突き落とされるでな。よう気をつけい」  勝五郎が苦労人らしく説いて聞かせた。そして言った。 「お前ら、あとはすっぽんを踏め。アカももう少のうなったで、汲《く》みにくいやろ」  と、また金槌《かなづち》で釘《くぎ》を打ちはじめた。久吉と音吉は、既《すで》に汲んでおいたアカを捨てに上がったあと、すっぽんを踏みはじめた。すっぽんは大きな水鉄砲と言えた。一人が足で踏むと、水を吸いこみ、もう一人が踏むと水が飛び出て、管を通って海へ落ちる。嵐の時には、すっぽん一つではすぐに間に合わなくなる。どうしても手桶《ておけ》で、手渡しに運び出さねばならないのだ。すっぽんは、帆柱の受け台のすぐ傍《そば》にあった。つまり、船玉《ふなだま》を祀《まつ》っている傍《かたわ》らだ。二人は何となく神妙《しんみよう》に船玉に手を合わせ、それからすっぽんを踏みはじめた。  が、どれほども経《た》たずに、久吉はにやっと笑った。 「驚いたやろ」 「うん、驚いた。足がふるえたわ」 「音はすぐに真に受けるでな」 「誰だって真に受けるわ。炊頭《かしきがしら》だって、頭に血が上がったと、怒ったでないか」 「全く音には、冗談も言えせんな。こんな糞《くそ》まじめな奴《やつ》を、お琴はなんで好きになったんかいな」 「そんなこと知らん」 「また真に受けたな。かなわんわ、お前には」  足だけは休めずに言う。 「久吉、お前は年がら年中、冗談ばかりやなあ。羨《うらや》ましいわ」  しんみりと音吉が言った。今、久吉の口からお琴の名を聞くと、小野浦の家々がありありと瞼《まぶた》に浮かんで、やりきれない思いになった。 「羨ましいのはこっちのほうや。お前のほうが何と言っても、みんなに信用があるからな」 「だけど、久吉のほうが人気があるわ」 「人気だけでは、お琴の婿《むこ》にはなれせんでな」 「…………」 「音」  不意に久吉はまじめな顔になって、 「家を出てから何日めや?」 「九日目や。今日は十六日やからな」 「ほう、よう日を覚えているわ。俺はもう、何日が何日やら忘れてしもうた。あんな嵐の中では、船が横にゆれるやら、縦にゆれるやら、はらわたを掻《か》きまわされるようなあんばいやったでな」 「ほんとうにひどい嵐やったもな」 「父《と》っさまや、母《かか》さまは、あの嵐で俺たちやられたと思うているやろかな」 「どうやろな。まだ九日目やで、江戸に着いたかどうかと案じてはいるやろけど……」 「そうやな。音の言うとおりやろな。まさか嵐に遭《あ》って、帆柱まで切り倒したとは、考えんかも知れせんな」 「けどな、あのひどい嵐やったから、無事やどうかと、それは心配やろな」 「うん、親って心配するもんやからな」  久吉もしみじみと言う。自分が御蔭参《おかげまい》りに脱《ぬ》け出したあと、どれほど自分を案じてくれたかは、帰り着いた日に、久吉は知った。 「あの久吉の野郎!」  父の又平は家の中で怒鳴っていた。 「帰って来てみい、只《ただ》じゃおかんでな」  ふるえ上がるような声であった。そしてまた、 「久吉はもう戻《もど》らんで。あれは馬鹿者だでな」  そうも言っていた。それが、久吉が土間に入るや否や、又平はころがるように土間に下り、 「久吉かーっ!」  と、いきなり抱きしめてくれたのだ。 「久吉かーっ! よう戻ったなあ」  痛いほどに抱きしめていた又平が、そう言ったかと思うと、急に号泣《ごうきゆう》した。あの時は久吉も、又平にしがみついて泣いた。が、不意に又平は、 「この馬鹿がーっ! この馬鹿がーっ!」  と言うなり、久吉の頭を力一杯二つ三つ殴《なぐ》った。その時のことは、久吉もさすがに昨日のことのように覚えている。 (あん時は痛かったなあ)  笑おうとして、しかし久吉の顔が不意に歪んだ。 (万一……このまま帰って行けなければ……)  一体どんなに父母は嘆くだろう。久吉は、 「俺、ちょっと小便してくるで」  と、その場を離れた。音吉もまた、わが家のことを思っていた。父の武右衛門の飲む煎《せん》じ薬の匂いが漂ってくるような気がした。子守をしている妹さとのあどけない顔が目に浮かんだ。きりきりとよく働く母の姿が思い出された。 (船玉《ふなだま》さま。無事に帰らせてください)  一人ですっぽんを踏みながら、音吉は心の中に祈った。  と、その時、 「音! 大変だ、島が……」  久吉の声がした。 (また、久吉がかつぐわ)  音吉は思った。 [#改ページ]   重右衛門日記      一   十月十六日  本日天気快晴。風おだやかなれど、海うねりあり。一同アカ道をとめ、羽板を造るなど、朝より働く。そのうち、島見ゆと利七が叫び、船中騒然となりたり。櫓《やぐら》に上がり、一同目を凝らすに、いかにも島に見ゆ。皆々心踊りて行く手の島に船を向けしに、途中にて島の形変わる。その右つ肩大いにふくらみきたれば、さては雲なりしかと、吉治郎船を打ち叩《たた》きて嘆く。仁右衛門言うよう、いやいや島には折々雲を生ずることある故《ゆえ》、その雲なるやも知れず。  船中仕事も手につかず見守るに、哀れ左の裾《すそ》消えゆくに、も早雲と断ぜざるを得ず、何れも肩を落として嘆き合う。それより皆ごろごろと横に臥《ふ》し、只愚痴《ただぐち》のみ言い暮らす。岩松一人相も変わらぬ面持《おもも》ちにて、舳《へさき》に坐《ざ》しおりたり。   十月十七日  本日再び東風《こち》より戌亥《いぬい》に変ず。いよいよ故里遠くなりたれば、船内心|倦《う》みたる者、嘆く者、賭博《とばく》なす者、水垢離《みずごり》を取る者様々なり。かくてはならじと、水主頭《かこがしら》仁右衛門言い出ずれば、岡廻《おかまわ》り、舵取《かじと》りらと対策を協議す。岡廻り言うには、大神宮の神勅《しんちよく》を伺わん。水主頭言う。何を伺うや。岡廻り言う。故国より何方《いずかた》に、何里の所にあるかを伺わんと。水主たちにその旨をふれ出すに、倦《う》みたる者も打ち臥したる者も、皆々垢離を取りて神前にぬかずく。  音吉に命じ、米を一|升《しよう》ますに八分方《はちぶかた》入れしむ。そのますに二百里、百五十里、百里、八十里、五十里、三十里など、記しし紙を丸めて入れ、一万遍のお祓《はら》いをなす。お祓いを始むれば、水主たち一同思い思いの神々に念じ始む。かくてお祓いにつきたるくじをひらけば、八十里と出でたり。もはや百里も二百里も彼方に流れたりと思い諦《あきら》めいしも、八十里と聞きて一同涙流して喜べり。大神宮の神勅なれば、万に一つも違《たが》うことなしと、吾《われ》も一同に向かいて宣《の》べたり。されば故国に帰るは幾日後ならんか、再び伺い給えと岡廻り言う。他の者また口々に同じことを願う。炊頭《かしきがしら》進み出で、一度に二つも伺いを立てては神の怒りを買うやも知れず。今日はこの御告《おつ》げにて足れりとせよ。一同肯きて言う。神の機嫌《きげん》を損じてはならじと。かくてようやく一同生色を取り戻《もど》す。   十月十八日  本日もまた戌亥《いぬい》(北西)の風吹く。昨日も今日も、帆をおろして漂えり。帆を張りてはいよいよ流され行くばかりなり。午より、風|悪《あ》しく心に委《まか》せず。波次第に高くなり、海上に泡《あわ》数多《あまた》浮かぶは、台風の前兆《ぜんちよう》ならずやと、水主たち立ち騒ぐ。  それさえあるに、炊頭《かしきがしら》の勝五郎、このあと、水幾日も持たずと告げ来たる。今日もまたみくじを引かんと、水主一同言い出しければ、幾日後に帰国できるや、大神宮に伺いを立つ。またまた一同|水垢離《みずごり》を取り、一万回のお祓《はら》いをなす。  白紙には、二十日より百日まで、十日刻みに日数を記したり。またまた一同一心に祈りたれば、五十日との託宣《たくせん》あり。五十日と聞きて喜ぶ者、長過ぎると言う者あれど、必ず帰国できる望み出でて、大方の者|安堵《あんど》せり。神の御告《おつ》げの力は大いなり。堅く信じて動かさるるべからず。  されど岩松|吾《われ》に言う。このあたりの海、東風《こち》弱く、戌亥の風は強し。潮流はまた風の向きと同じなれば、いかにして故国に帰り得べしと。吾答う。神の御告げ断じて疑うべからずと。   十月十九日 暁《あかつき》より戌亥《いぬい》の風激し。濃き筋を引きたる泡沫《ほうまつ》、海面に著し。波逆まき、絶えずしぶけり。ために視界悪し。帆を下げ、舵《かじ》を上げ、舳《みよし》より碇《いかり》を流し、再び逆艫《さかども》とせり。   十月二十日  明けてますます風|募《つの》る。海も空も灰色に似て一つのごとし。午《ひる》に至りて、船大きく波に揺られ、再び嵐に巻きこまる。波の打ちこみ激しく、たちまち船倉に三尺四尺とアカたまり来たる。一同念仏をとなえ心一つにしてアカを汲《く》み出せど、再びの嵐に心|萎《な》え、泣き出す水主《かこ》幾人もあり。慰めん方なし。   十月二十一日  引きつづきの嵐いよいよ激し。食わず眠らず、一同|只《ただ》アカを汲む。この日、三四郎船倉より梯子《はしご》に登らんとして頭を打ち、アカの中に倒る。勝五郎抱き上げて名を呼ぶも答えず、幾人かにて二の間に運び移す。死にたるやと鼻に手を当つるに、かすかに息する気配《けはい》。勝五郎|附《つ》き添いて看病すれば、夜に至りて目をあけしとぞ。肩をも打ち、傷つきいたり。   十月二十二日  嵐来りて三日、空晴れて風衰う。この間雨降らず、風のみ吹きたれば、飲み水余すところ、僅《わず》かになりたり。  荒波静まりたれば、一同|安堵《あんど》して朝より眠る。されど吾《われ》、あれを思いこれを思いて眠るあたわず。嵐にて記さざりし三日分の日記を、概略|追記《ついき》す。  ああ、伊勢大神宮の大神、願わくは御告《おつ》げの如く五十日にして、一同をその故里に帰させ給え。吾《わ》が命は捧《ささ》ぐるに惜しからねど、親や妻子の待つその故里に、水主《かこ》一同を何卒《なにとぞ》無事に帰させ候《そう》らえ。南無船玉様《なむふなだまさま》、金比羅大権現様《こんぴらだいごんげんさま》、御先祖様、八幡様《はちまんさま》、お諏訪様《すわさま》、富供《ふぐ》神社様、お大師様、薬師如来様《やくしによらいさま》、何卒この祈りを聞き上げ給え。   十月二十三日  戌亥《いぬい》の風三日吹きたれば、船東南に流されたるや、気温上がる。船は何処《いずこ》へともなく流れ居り。  水主らみな半裸にて打ち過ごす。嵐に気落ちしたる水主ら、言葉少なくなりたり。その中に勝五郎よく働く。即《すなわ》ち、久吉音吉を手伝わしめ、干飯《ほしいい》を作る。干飯|既《すで》に尽きたればなり。仁右衛門また、船倉に水主を励ましてアカを汲《く》む。  吉治郎帰国の望みうすくなりしと、しきりに泣きて一人打ち臥す。気の滅入ること一方《ひとかた》ならず。本日も雨なし。   十月二十四日  東風《こち》吹くに碇《いかり》を上げ帆を上ぐ。されど船は故国の方に吹き戻《もど》さるる気配《けはい》なし。今更《いまさら》に帆柱切りたるを水主《かこ》ら悔やめど、吾《われ》言う。伊勢大神宮の御告《おつ》げによりて切りたるなり、そはよきことなりしと。神の御告げ露疑うべからずとも訓《さと》す。水いよいよ残り少なになりたれば、吾、勝五郎と共にらんびきす。即《すなわ》ち潮を汲《く》み、釜《かま》に入れて煮え沸《たぎ》らせ、底に竹筒《たけづつ》を差したる桶《おけ》を、釜に載せり。更にその上に冷却用の海水を入れたる鍋《なべ》を吊《つ》り下げ置く。かくすれば、湯気竹筒より上がる故《ゆえ》、冷たき鍋底に当たりて桶にしたたる。かくして一日に七、八|升《しよう》は水を得。らんびきのこと、父源六より学びたれど、よもや必要の時かくも早く来たらむとは。父の面《おもて》しきりに浮かびて辛《つら》し。   十月二十五日  空晴るれど、風やや強し。西風なり。海原に白波多し。吉治郎、今朝食を取らず、いささかのことにて利七と争う。水主ら数人、博打《ばくち》にふける。岡廻《おかまわ》り依然として口数少なし。今、心頼むは、仁右衛門、岩松、勝五郎の三人《みたり》なり。   十月二十六日  小野浦の吾が家に眠りいる夢を見たり。傍《かたわ》らに母居て縫い物して居りしが、吾に言い給う。重右衛門、今日はお萩《はぎ》を作りて進ぜようと。今日は何の日ならむと思いめぐらすに、はっと気づきたり。母上の命日《めいにち》なり。その母上、目の前にいて娘の如く若し。よくよく見るに、母にあらずお琴なり。お琴お琴と、ふたたび三度呼びて目覚めたり。  覚むれば暁《あけ》の波、船端を打つが聞こゆ。ああ夢なりき。正しく本日、母上の命日なり。何を言わんとて、暁の夢に母上立ち給うや。母を思い、父を思い、妻を思い、子らを思いて、枕《まくら》に涙落つ。  この日|曇天《どんてん》。されどひと所に青空のぞけり。水主ら、念仏をとなうる者多くなりたり。立ち歩む者なし。仁右衛門来りて吾《われ》に言う。水主《かこ》らに仕事を与えむと。吾言う。濡《ぬ》れ米《まい》を干《ほ》させよと。   十月二十七日  西風。  一日事もなし。四方八方、眼凝《まなここ》らして見渡すに、本日も島見えず、船見えず、島影さえも見えず。只飛《ただと》び魚《うお》のみ、折々《おりおり》船の横を前を、勢いよく飛ぶのみ。千之助言う、吾にも翼《つばさ》あれば、故国目指して飛び行かむものをと。その飛び行くべき方角さえわからず、心|淋《さび》しと言うも愚かなり。  夜に至りて月明るし。明るき月も恐ろしげに見ゆるなり。故国にて、家族の者らもこの月を見るにやあらむと、岡廻《おかまわ》り言いて泣きたり。   十月二十八日  西風やや強し。毎日ひげを剃《そ》らむと心決めたれど、ひげ剃ることも物憂《ものう》し。近頃《ちかごろ》は一日置き、三日置きと、気儘《きまま》になりたり。吾《わ》が心また恃《たの》み難し。  岩松今日も、伝馬船《てんません》に坐《すわ》りて一日ありたり。岩松は不思議なる男なり。いかなる時も心顔に出《いだ》さず。その心の裡《うち》のぞき難し。師崎《もろさき》を出でたる夜、遠州灘《えんしゆうなだ》を渡らむと言いしは、岩松なり。帆柱を切らずと言い張りしも岩松なり。されどそのことに、全く触るることなし。もはや船に乗るまじと言いたる岩松を口説《くど》きて、誘いたる吾をも恨《うら》まず、よくその任に励む。かの幼子、眼《まなこ》にちらつきて胸痛し。  午后《ごご》より、南の方曇り来たれり。久吉の唄《うた》う声聞こゆ。年弱《としよわ》なれど賑《にぎ》やかなる性《さが》なり。父母恋しと口に出したき齢《よわい》なるを。   十月二十九日  雲|何処《いずこ》にか去りて、今日も雨降らず。ようやく吾も、体疲れ心疲る。今日もらんびきをなして水を得。音吉よく働く。父源六の目高しと、改めて思おゆれども、音吉、お琴のもとに帰る日のありやなしや。十四歳を一期《いちご》として、この海の何処にか果てんと思えば、仲々に哀れなり。  岡廻《おかまわ》り六右衛門、今日も床より起きず、屡々《るる》泣き居り。算盤達者《そろばんだつしや》の学ある男なれど、心弱きこと吉治郎と相似たり。吉治郎もまた、臥して起きず。吾、心の裡《うち》に思う。先ず心の弱き者より、体衰えて死ぬるにあらざるかと。吾や先、人や先の経文にはあらざれど哀れなることなり。さてここに二、三書き残し置くべし。  大風の兆《きざ》しに左の如きものあり。 [#ここから1字下げ] 一、海原に泡《あわ》数多《あまた》浮かぶはそのしるしなり。 一、風穏やかなるに、海騒然とするは大風近きと知るべし。 一、塵芥《ちりあくた》海面に多き時は、厳に警戒すべし。 一、波黒々と見え、且俄《かつにわか》に騒がしき時は風間近に来り居るなり。 一、海の潮ぬるむ時、大風来ると心得べし。 一、冬季、霞《かす》める如く暖かきは、これ大風のしるしなり。  続きて沖に雷光《らいこう》見ゆれば、これ一つ雷《かみなり》にて、一つ光《ひかり》とも言う。たちまち水平線の点々たる雲空を覆い、嵐となる。これ、宝順丸初めに遭《あ》いたる嵐の姿なり。嵐は必ずしも雨を伴わざること、一同知るが如し。 [#ここで字下げ終わり]  以上おおよそのことなれど心得置くべし。特に、音吉、久吉など、幼き者のために記し置く。   十月晦日  いささかの水より摂《と》らざるに、昨夜二度小用に起きたり。艫《とも》より暗き海に尿《いばり》するに、海中に何やら光る物あり。見定めんとすれば消え、立ち去らんとすれば見ゆ。気味悪き心地して立ち去り難し。故国にて、何か異変ありしやと心乱る。  寝難《いねがた》きまま、一同の行く末を思う。米は充分にありとは言え、水は恃《たの》み難し。薪《まき》にも限りあれば、らんびきにも限りあり。雨仲々に降らず、晴天の打ち続くは、伊勢大神の如何《いか》なる思《おぼ》し召しにや。   十一月|朔日《ついたち》  本日も雨降らず、雨雲は世界の何処《いずこ》に行きしやと、久吉言いたり。仁右衛門、岩松先立ちて、抜き置きし帆柱を鋸《のこぎり》にて切る。薪《まき》にせんためなり。切りたるを他の水主《かこ》ら割り、三の間に積む。三の間は、波も風も侵さざる故《ゆえ》なり。仕事なければ、水主たち争い始むる故に、仁右衛門、岩松、心配りたるなり。只《ただ》ごろごろと打ち臥して居ては、体力衰えるばかりなり。唯一の野菜なりし蓮根《れんこん》も尽き、若布《わかめ》少しく残りたるのみ。勝五郎、音吉久吉らと共に、折々流れ寄る藻を掬《すく》い始む。その姿いとも侘《わび》し。されど吉治郎|岡廻《おかまわ》りは起き出でんとはせず。岩松大声に叱咤《しつた》して言う。心弱き者は、海に投げ捨つると。慌《あわ》てて、岡廻り、吉治郎よろよろと立ち上がる。その姿哀れと思えど、おかし。   十一月二日  本日も雨来らず。  船倉に入り行くに、アカ大方《おおかた》引きて、二寸|程《ほど》残り居るのみ。船倉の船尾の方に、何やら黒き影あれば、誰何《すいか》するに答えなし。近寄り行けば、久吉声をしのばせ泣き居たり。言葉かけんにも言葉なし。肩を抱きて吾《われ》又泣く。海に馴《な》れたる吾と雖《いえど》も、日に幾度か涙こみ上ぐるに、久吉が涙するは当然なり。  夜、やや酒を多く振る舞うに、一同の口ほどけ、恨《うら》みつらみとめどなし。帆柱を切りたるが悪しと言うあり。師崎を出でしが悪しと言うあり。岩松の言うことを聞かざりしが悪しと言う者あり。言い合ううちに、故国のことなど言い出し、誰も彼も愚痴《ぐち》をこぼす。例の如く吉治郎泣き、岡廻り泣き、つづけて皆々泣き始むるに、岩松のみ腕を組みて天井を見つめいたり。吾も泣きたき思いなれど、岩松泣かぬに泣くあたわずして吾《われ》言う。雨乞《あまご》いをせんと。  皆々思い直して垢離《こり》を取り、雨乞いを始めんとす。雨乞いの祀《まつ》りは、様々あれど、雨乞い踊りという踊りもあれば、手を打ち叩《たた》きて踊り始む。 「雨、ゆうべ、海竜王《かいりゆうおう》」  と歌いつつ、皆々踊り始む。わけても久吉喜びて、手ぶり足ぶりもおもしろく踊るに、皆々これに従《つ》きて踊りたり。  踊り疲れて一同眠りしは幸いなり。由《よし》なきことを言いて愚痴《ぐち》るよりは、海竜王に雨を乞うかたよろし。今日船倉に泣きいし久吉の、健気《けなげ》に踊りしが、とりわけ心に沁《し》みたり。   十一月三日  明けて辰《たつ》の刻(二時)と覚ゆる頃、大粒の雨降り来る。昨夜雨乞い踊りを踊りしばかりなり。霊験《れいけん》あらたかなるに一同打ち驚き、大いに喜びて、鍋《なべ》、釜《かま》、手桶《ておけ》、水桶《はず》、あらゆる器を胴の間に並べたり。  かくあらたかなる霊験あれば、一同心を奮い立て、帆柱を切りたるも神の御告《おつ》げに従いしこと故、愚痴言うまじ。五十日後には故里の土を踏み得るとの御告げも既に受けたるなれば、悲しむまじと、互いの肩を叩《たた》きて励まし合う。  一同、雨水を思うがままに飲みて生気《せいき》もつき、皆々心を合わせて一日元気に過ごしたり。されど吾思う。この海の果てに陸ありや、はたまた島ありや。その陸地の見ゆるは何時《いつ》の日なりや。吾とても、神の御告げは真《まこと》なりと信ずれども、早家を出でて、ひと月近くなりたれば、心弱りて、斯《か》くは思うなり。  神の御告げ、夢疑うまじと思えども、真実一点の疑念も湧《わ》かじとは言い難し。さりとて、この疑い、誰に語る訳にもならず。水主《かこ》たちを欺《あざむ》くようなれど、これ欺きにあらず。神は信ずべきものなり。信ぜざるは己《おのれ》が悪し。神の御告げ夢疑うなかれと、再び吾と吾が心に言い聞かすなり。  さるにても岩松は何故《なにゆえ》、斯《か》くも心強きや。 [#改ページ]   月の下      一  十月十日に熱田の港を出て、早二か月半は過ぎた。宝順丸は太平洋に漂い出ていた。太平洋を吹く風は、ほとんどが北西風であった。滅多に東風《こち》の吹く日はない。それは、ますます日本から遠ざかっていることを示していた。折角造った帆柱に、帆を上げる日も少なかった。帆を上げては、風に流されて故国から離れるばかりだからだ。潮の流れと、小さな仮帆では、間切《まき》り航法もほとんど用をなさなかった。  舵柄《かじつか》を握ることにも、ろくろの身縄《みなわ》を巻くことにもほどくことにも、水主《かこ》たちは倦《う》み疲れていた。どこへともなく漂っているだけの今は、何をすることも無駄《むだ》に思われた。  そんな中で、炊頭《かしきがしら》と、炊の久吉音吉だけは、勤勉に働いていた。食事の仕度だけは欠かすことができないからだ。それが三人を、他の水主たちよりも元気にさせていた。  今も音吉は、吉治郎と岡廻《おかまわ》りの看病をしていた。既《すで》に幾日も前から、二人は三役部屋に寝こんでいた。今夜の夕食も、二人のためには別鍋《べつなべ》で粥《かゆ》を炊《た》いた。岡廻りは半分とのどが通らぬようであった。が、吉治郎の食欲はまだ衰えていず、岡廻りの残した粥をもすすりはじめた。月代《さかやき》の伸びた額の下に、吉治郎は鼠《ねずみ》のような目をきょろきょろとさせながら、愚痴《ぐち》を言い言い粥をすすった。 「音、俺はもう死ぬ。もうじき死ぬでえ」  また始まったと思いながら、 「兄さ、またそんなことを言う。兄さはまだ十八やないか。十八の若者が、何でそう早う死なんならんのや」  と、励ました。 「音、十八やって十六やって、死ぬ者は先に死ぬんや。俺はなあ、体ん中から生きる力が全部|脱《ぬ》け出たような気がするわ」 「兄さ、そんなことはない。兄さはまだ物を食えるではないか。岡廻《おかまわ》りの残した分まで、食えるでないか。人間食えるうちは死なんで」  箸《はし》をおくや否や、うとうととまどろむ岡廻りの顔を横目で見ながら、音吉は低い声で言う。かすかに揺れる吊行灯《つりあんどん》の下に、口をあけて寝ている岡廻りの顔を、面変《おもが》わりしたと音吉は思う。岡廻りには子供が三人いる。年老いた母親もいる。音吉は、船主の樋口源六の使いで、岡廻りの家に幾度か行ったことがある。子供たちは三人共男だった。十歳八歳五歳の男の子たちは、音吉が行くと、にこっと笑ってお辞儀をする愛らしい子供たちだった。岡廻りの母親は、腰の曲がった白髪《しらが》の老婆だったが、柔和《にゆうわ》な顔をしていた。 「ご苦労やなあ、音吉つぁん」  と、音吉の行く度にねぎらってくれた。が、岡廻りの妻は病弱で淋《さび》しい面立ちの女だった。岡廻り六右衛門は、家に残したそれらの家族を思って、心配のあまり、心も弱り果ててしまったにちがいない。頭のいい男だけに、先々を打ち案じて、かえって体に障ったのかも知れない。今、口をあけて寝ている岡廻りは、どんな夢を見ていることかと、音吉の心は痛んだ。  が、兄の吉治郎の場合は、本当の病気のようには音吉には思えないのだ。 「目まいがする。息切れがする」  と訴えながら、 「音、また粥《かゆ》か。俺は飯《めし》のほうがええ。飯に味噌《みそ》をたっぷりつけて持って来い」  と言って困らせたりする。  音吉は、食事を終えた吉治郎の足をさすりはじめた。さすりながら、やはり、さほど弱った体とは思えなかった。股《もも》の肉が落ちると危ないと聞いてはいる。確かに、使わぬ足は幾分か柔らかくはなったが、まだ皮膚は瑞々《みずみず》しい。音吉は内心安心している。格別に吉治郎に可愛がられた思い出はないが、音吉には唯一の兄だ。何としてでも、元気になってほしいと、音吉は心をこめて足をさする。さすりながら、音吉は、同じようにさすってやった父武右衛門の足を思い出す。武右衛門の足はしなびた大根のようであった。今の岡廻《おかまわ》りの足と同じであった。 「な、兄さ。父っさまや、母さま、どんな思いしているやろな」 「そうやな。一度に倅《せがれ》が二人死んでしもうたと、思うているかも知れせんな」 「そうやろな。ここにこうして、生きているとわかったら、どんなに喜んでくれるやろな。兄さ、何とかして生きていることを知らせてやりたいな」 「そうやな。おさともどうしているかな」  おさとと聞いて、足をさする音吉の手がとまった。小野浦を発つ時、さとが海の中に二、三歩入って、一心に手をふっていた姿がありありと目に浮かんだ。 (あれが最後の別れやろか)  音吉はたまらなく淋《さび》しかった。音吉とさとは仲がよかった。「兄さ」「兄さ」と、さとは音吉を慕った。琴の家で、朝から晩まで、子守をしていたさとの、走って帰ってくる姿も瞼《まぶた》に浮かぶ。 「兄さ、何としても、生きて帰らにゃいかんで。父《と》っさまや母《かか》さまや、おさとが歎《なげ》くでなあ」  が、吉治郎は不意に憎々しげに言った。 「音、父っさまや母さまが歎《なげ》くのは、自業自得《じごうじとく》や。己《おの》が子を、こんな危ない船乗りにさせた罰《ばち》や」 「兄さ! そんな罰当たりな!」 「何が罰当たりなものか。わしらをこんな目に遭《あ》わせたのは、親の欲や。親に働かされて、こんな目に遭ったわしらのほうが、どんなに辛《つら》いか。親の歎くぐらい、当たり前や」 「兄さ! 親をそんなに言うたらいかん。何で親がわが子を、辛い目に遭わせたいものか。なあ兄さ、わしらはな、船乗りになるより仕方がなかったんや。家《うち》は金がないだで、商売も出来ん。猫の額のような土地だで、畠《はたけ》でも食えん。船乗りの子は船乗りになるより、仕方のない世の中だでな」  音吉は吉治郎の足をさすりさすりなだめた。 「船乗りの子は船乗りになるより、仕方があらせんと? 大工にでも左官屋にでも、なる道はあった筈《はず》や。音、偉そうなことを吐《ぬ》かすな」  言ったかと思うと、吉治郎は自分の足をさすってくれる音吉の手をいきなり蹴上《けあ》げた。音吉はさすがにむっとした。が、すぐに心を静めた。 (兄さにはまだまだ力がある)  音吉はそう思って安心した。吉治郎の足に意外に力があったからだ。音吉は何としても吉治郎に、元の体になってほしかった。  と、岡廻《おかまわ》りがかすかに目をあけて、 「お咲、お咲、小便や」  思わず音吉は岡廻りの顔を見た。が、立ち上がって、小便|桶《おけ》を取りに胴の間に出た。くろぐろとした水平線を、今、月が離れようとしていた。  無気味なまでに大きな赤い月であった。      二  その夜、水主《かこ》たちはぐっすり眠りこんでいた。仕事らしい仕事のない毎日だったが、その日、水主頭仁右衛門が、水主たちに船内を隅《すみ》から隅まで拭《ふ》かせたのだ。水主部屋の中はむろんのこと、胴の間から舳《へさき》の甲板《かんぱん》まで、空布《からぶ》きんをかけさせ、船縁も磨かせた。曾《かつ》てないことであった。来る日も来る日も無為に過ごしていた水主たちは、絶えずいらいらし、些細《ささい》なことで争った。時には殴り合い、つかみ合いが始まることもあった。相手のざんばら髪を引きずりまわすような乱暴を働く者もあった。  一旦《いつたん》嵐になると、一同は心を合わせて船倉のアカを汲《く》み、念仏をとなえて励まし合った。が、嵐が去るとたちまち和は崩れた。そんな水主たちを見て、新たな仕事を水主頭《かこがしら》は考えついたのだ。水主たちに体を休める暇を与えぬことが先決と見たのだ。  それが効を奏して、水主たちは夕食の後、いつもより早く寝についた。その水主たちの寝息やいびきが、静かな部屋の中に満ちていた。  その真夜中のことだった。三役部屋の仕切り戸が静かにあいた。吉治郎だった。吉治郎は入り口に突っ立ったまま、一人一人の寝顔を、見まわした。薄い布団から、半身をはみ出して寝ている者、かいまきを頭までかぶって寝ている者、様々だ。だが、みんな一様に眠りこんでいる。  安心した吉治郎は、三役部屋の近くに寝ている炊頭《かしきがしら》の勝五郎の傍《そば》に屈《かが》みこんだ。勝五郎のいびきは人一倍大きい。その首にかかったひもに、吉治郎は息をつめて手を伸ばした。ひもに貯水槽《かよいはず》の鍵《かぎ》がついている。  吉治郎の顔が緊張した。貯水槽の鍵を吉治郎は取ろうとしていた。吉治郎は、勝五郎の寝息を窺《うかが》いながら、吊行灯《つりあんどん》の淡い光りを頼りに、ひもの結び目を解き始めた。  と、勝五郎のいびきがぱたりととまった。吉治郎ははっと手を引いた。が、まもなく勝五郎は更に大きないびきを立て始めた。ほっとして吉治郎は再び手を伸ばした。  吉治郎は今夜、のどが乾いてならなかった。何としても水がほしかった。ここしばらく雨は一滴も降ってはいない。風の激しい時でも、雨を伴わなかった。雨乞《あまご》い踊りをしても、いつかのようにあらたかな霊験《れいけん》はなかった。毎日、らんびきをして潮水から真水を得たが、それも一日八|升《しよう》がぎりぎりであった。五升の米を炊《た》くには五升の水が要る。あとの三升のうち、一升四|合《ごう》を十四人の飲み水とした。一日一合では足りる訳はない。が、公平に分配して、一合|宛《ずつ》で満足せねば、たちまち水飢饉《みずききん》となる。今日は、常より作業が多かったから、水主《かこ》たちには五|勺《しやく》宛追加があった。少しずつ貯めて来た水があったからだ。  しかし、一日中寝ている岡廻《おかまわ》りと吉治郎には、追加の水は与えられなかった。それが吉治郎には不服でもあった。が、何より、夕食時に岡廻りの分まで味噌《みそ》をなめたのが悪かった。夜の更けるに従って、のどがひりついてきた。懸命に舌を動かしてみたが、唾液《だえき》は思うように出ない。只《ただ》、口の中が粘つくだけだった。 (ああ、水が飲みてえ)  思うと、吉治郎は矢も楯《たて》もたまらなくなった。 (俺は病人だ。病人には水が要るんだ)  そう理屈をつけて見た。 (せめて、盃《さかずき》にひとつでもいい)  吉治郎はそう願った。が、貯水槽《かよいはず》には鍵《かぎ》がかかっている。その鍵は、炊頭《かしきがしら》の勝五郎が常時首にかけている。 (仕方がねえ)  ひりつくのどの乾きに耐えながら、吉治郎は眠ってしまおうと思った。が、眠ろうとすればするほど、船端を叩《たた》く波の音が耳につく。波の音は即《すなわ》ち水の音であった。 (なぜ、海の水が飲めねえのか)  潮水を飲むと、気が狂うと聞かされてきた。飲めば尚更《なおさら》のどが乾くとも聞いてきた。 (よし! 鍵を借りて水を飲もう)  万一見つかっても、殺されることはあるまいと、吉治郎はふてぶてしく思った。 (勝五郎の奴《やつ》、自分だけは腹一杯飲んでいるかも知れせんな)  だから勝五郎は元気なのだと、吉治郎は勘ぐった。そう思うと、勝五郎の鍵《かぎ》で、貯水槽《かよいはず》の蓋《ふた》をあけ、少しくらいの水を飲んでもかまわぬような気がした。  吉治郎は一日中寝こんではいるが、歩けないわけではない。大小便の時には胴の間に行って、桶《おけ》に用を足す。只《ただ》、起きる気にならないだけだ。  もし、鍵を取ろうとしている所を見つかったら、よろめいて手をついたと、弁解する言葉も用意して、吉治郎は水主《かこ》部屋に入って来たのだった。しかし、その心配は要らなかった。  勝五郎は少し赤い顔で、高いびきをかいていた。吉治郎は腹を据《す》えて、鍵のひもを解いた。  鍵を握りしめた吉治郎は、再び三役部屋に入り、胴の間に出た。月が皎々《こうこう》と輝いている。吉治郎はあたりに気を配りながら、踏立板《ふたていた》を外し、船倉に下りて行った。目指す貯水槽は船玉《ふなだま》を祀《まつ》った傍《そば》にある。吉治郎は息をとめて錠前《じようまえ》に鍵をさしたが、さすがに手がふるえた。さしこんだ鍵を廻《まわ》すと、錠前はかちりと音を立てて開いた。のどが一段とからからになった。舌が上あごにぴたりとついたままだ。吉治郎は蓋を取り、こわごわ中をのぞきこんだ。意外に水は貯水槽の半ばまであった。吉治郎は水槽の中に吊《つ》り下がっている柄杓《ひしやく》を取り、水を掬《すく》った。水はかすかな音を立てた。  その柄杓に、いままさに口をつけようとした時だった。吉治郎の持った柄杓を、ぐいと取り上げた者がいた。はっと胸をとどろかした瞬間、吉治郎はしたたか突き飛ばされていた。 「この野郎!」  利七の声だった。 「太い野郎だ。病人の癖《くせ》に!」  利七の声が、船倉の中にこだました。踏立板《ふたていた》を外した一劃《いつかく》から、月光がさしこんでいる。 「利七、見、見逃してくれ。た、頼むから水を飲ましてくれ。ひと口でいい。たったひと口でいい」  吉治郎は這《は》いつくばった。 「ならん。水を飲むことだけは、絶対許さん」  言いながら利七は、吉治郎の肩を蹴《け》った。吉治郎は意気地なく引っくり返りながら、尚《なお》も頼んだ。 「頼む、拝む、このとおりや」  吉治郎は両手を合わせた。  騒ぎを聞きつけたのか、胴の間に足音が乱れた。 「どうした!? 何が起きた!」  叫んだのは船頭の重右衛門だった。 「吉の野郎が、水を盗もうとしたんでえ」 「何!? 水を?」 「吉の野郎があ?」 「太い野郎だ。殴っちまえ!」  声が乱れ飛び、水主《かこ》たちがどやどやと船倉に下りてきた。が、吉治郎は、恥も外聞もなかった。重右衛門の足に腕を絡ませ、 「親方さまーっ! 水ば飲ませてくれーっ! 水ばーっ! もう死にそうやーっ!」  と、声を上げて絶叫した。 「それはならん、吉治郎。おきてはおきてだ」  重右衛門は首を横にふった。水主たちはいきり立って、 「親方さまっ! 吉をどうするつもりですかい?」 「みんなでぶんなぐって、他の者へのみせしめにしなけりゃあ」 「そうだそうだ。水はみんなの命だで。水を盗む者は命を盗む者だ。絶対許してはならん」 「病人の癖に、とんだことをしやがる!」  水主たちは吉治郎を小突《こづ》きまわした。それを押しとどめて重右衛門は言った。 「ま、それぐらいでやめておけ。ところで利七、お前どうして気づいたんだ?」 「へえ」  利七が大息をついた。水主たちが利七の言葉を待った。 「わしは、何となく寝そびれて、故里《くに》のことなんぞ思い出していたんですわい。すると三役部屋の戸がすっとあいた。はてな? と、うす目をあけて窺《うかが》ったら、吉の奴《やつ》が突っ立っている。何の用かと思ったが、用を足してやるのも面倒だで、眠ったふりをしていたら、吉が炊頭《かしきがしら》の首のあたりに手を伸ばしたんですわい」 「うむ、そしてどうした」  重右衛門が促す。 「へえ、それから野郎は、炊頭の肌身《はだみ》離さず持っている鍵《かぎ》を盗もうとして、ひもを解きはじめやした」 「なるほど、それでお前はここまで尾《つ》けて来たと言うわけか」 「へえ、現場をおさえなきゃ、と思ったで」  誇らしげに利七が言った。水主《かこ》たちは口々に、 「この野郎! とんでもねえ野郎だ」 「明日から叩《たた》き起こして、追い使ってやらにゃ」 「いや、ぶんなぐらにゃわからんで」  と罵《ののし》った。その時、水主たちの前に、音吉がころがるように飛び出してきた。 「すまん。兄さがすまんことをした。皆さん、どうか許してやって下さい」  と船底に頭をすりつけ、 「親方さまっ! わしは明日の飲み分も、明後日の飲み分も要りません。どうぞ兄さに、たった今、ひと口でも飲ましてやって……」  音吉はわっと声を上げて泣いた。      三 「いよいよ、今年も明日で終わりじゃのう」  船頭の重右衛門は、部屋に呼び寄せた仁右衛門、岩松、勝五郎の三人を見まわした。天保《てんぽう》三年|大《おお》晦日《みそか》の前日である。岩松は背を水主部屋との仕切り戸にもたせて、あごの不精《ぶしよう》ひげを一本抜いた。仁右衛門は正座をし、勝五郎は背をまるめて、あぐらをかいている。  朝の海はおだやかで、船の揺れは少ない。 「そうですのう」  答える仁右衛門の声に元気がなかった。 「こうして寄ってもらったのはほかでもない。正月を、どのように迎えたらよいかと思うての」  思案顔の重右衛門に、 「と申しますと……」 「みんな承知のとおり、千石船《せんごくぶね》には千石船の正月のしきたりがあるでな。だが、岡廻《おかまわ》りもついこの間死んだことだし、どうしたものかと思うてのう」 「なるほど」  仁右衛門と勝五郎はうなずいたが、岩松は聞いているのか、いないのか、一本また一本と、不精ひげを抜いている。  岡廻りの六右衛門は十日|程《ほど》前に死んだ。食事がのどを通らなくなって、僅《わず》か二日目に意識がもうろうとなった。歯ぐきが紫に腫《は》れ、歯の間から血が流れた。それでも、 「海、海」  と、手を伸ばし、岡廻りは海を見たがった。水主《かこ》たちはその岡廻りの枕もとに集まったが、声もなく見守るばかりだった。  が、岩松は、 「岡廻り、海を見せてやるぜ」  と、すっかり痩《や》せ細った岡廻《おかまわ》りを抱き上げた。岡廻りは、どこが痛むのか、顔をしかめて、 「痛い、痛い」  と訴えたが、海を見せると、 「おお、小野浦が見える。ほら、小野浦じゃ、小野浦じゃ」  と、あらぬ方を指さして、 「帰って来たぞ。お咲、帰って来たでな!」  と叫んで、まもなく息を引き取った。その岡廻りの骸《むくろ》は、空樽《からだる》に入れて一の間に置くことにした。仁右衛門が、海中に葬ると言ったが、重右衛門が首を横にふった。 「いやいや、それはなるまい。万に一つも、故里に帰る日がないでもない。その時、遺骸《いがい》がなくては、家族の者が悲しむじゃろう」  水主《かこ》たちも重右衛門の言葉に賛成した。 「そうやそうや。わしらが死んでも、海に捨てられとうはない。この宝順丸から離れとうはないわ」 「ほんとや。こんな大海原の真ん中に捨てられては、いくら死んだからというて、淋《さび》しうてならんわい。魚に突っつかれて、食われるわが身が目に見えて、かなわんわい」  こうして、岡廻りの骸は一の間に安置された。が、それをまた無気味がる水主たちもいた。 「夜なあ、恐ろしいなあ。小便にも行けせん」 「そうや。何ぞ岡廻りが、うしろから抱きついてくるようでなあ。ぞーっとするで」  岡廻りの死は、俄《にわか》に水主たちに生気《せいき》を失わせた。自分たちにも急速に死が近づいてきたような恐怖に襲われるのだ。  岡廻《おかまわ》りの臨終を思い出しては語り合い、あげくの果てに誰もが泣いた。が、岡廻りが哀れなのではない。やがては同じ運命を辿《たど》るであろう己《おのれ》が哀れでならないのだ。  水主《かこ》たちは、朝起きると、まずお互いの歯ぐきを見せ合うようになった。 「どうや、わしのは?」 「わしのほうこそ、紫になっておらんか」 「いや、わしのが腫《は》れているのやないか」 「岡廻りの歯ぐきのように、紫に腫れて、血が流れて、そして死んでいくんやろうかなあ、わしらも」  水主たちはひとしきり嘆き合い、訴え合うのだ。  今朝《けさ》もそんな水主たちを仁右衛門は見ていた。それを思い出しながら、 「親方」  と、顔を上げて、 「岡廻りが死んだばかりだでなあ。正月の祝いはどんなものかのう」 「うむ、わしもそう思うて、こうして相談するわけじゃ」 「親方、水主たちは、みんな心が弱っているで。しきたりに従って、祝うたところで、祝う心にもなれまい。いや、それどころか、これが最後の正月かと、一層心が暗くなるとわしは思うが」  仁右衛門が悲痛な顔をした。と、勝五郎が、組んでいた両腕をほどいて、 「親方さま。正月の作法《さほう》はともかく、食い物だけは正月らしく調《ととの》えてはいかがですかい」 「正月らしく? 米と味噌《みそ》と塩ばかりで、正月らしくも何もできたものであるまい」  驚く重右衛門に、 「確かに故里にいる時のように、黒豆もあらせん。膾《なます》の材料もあらせん。だが幸い、米は腐るほどありますでな。米を炊《た》いてこねれば、餅《もち》に似たものぐらいはできますわい。それを飾ったり、汁に入れて雑煮《ぞうに》代わりにしたり……それに酒もまだ幾らかありますでな」 「なるほど、もち米でなくても、そのくらいのことはできるか」  重右衛門がうなずいた時、仁右衛門が大きく手をふって、 「わしは反対だ。折角《せつかく》餅を真似て造っても、それは本物じゃあらせん。かえって、思い出して愚痴《ぐち》るばかりじゃ」 「なるほど、そう言われればそれもそうじゃのう」  重右衛門は迷った。岩松は黙ったままだ。勝五郎が言った。 「しかし、正月だというのに、同じ物を食わせれば、それもまた愚痴の種になりますぜ」 「なるほど、それもそうじゃ」  重右衛門は眉間《みけん》に深くしわを寄せ、 「舵取《かじと》り、舵取りの意見はどうじゃ」  と、岩松を促した。岩松は重右衛門を見、仁右衛門と勝五郎に視線を向けたが、 「大海原の真ん中であろうと、故里にいようと、正月は正月、めでたい日はめでたい日のようにやったらええ」 「なるほどのう。確かに舵取りの言うとおりじゃ。陸にいようと海にいようと、正月には変わりはないでのう」  うなずく重右衛門に、仁右衛門が言う。 「親方ぁ、しかし、時と場合によりますぜ。そりゃあ、帰る目当てでもありゃあ、陸にいようが、海にいようが、めでたかろう。だが、わしらは一体どうなるんですかい。いつ、どこに着くんですかい」 「…………」 「こんな、雨もよう降らん大海原では、幾ららんびきをしたところで、焚《た》く物にも限りがありますわい。薪《まき》が尽きりゃ真水も取れねえ。米だって、限りがありますわい」 「…………」 「しかも、仮帆は所詮《しよせん》仮帆だ。帆が小さくては、船は思うように走らねえ。船が走ってこそ舵《かじ》も役に立つというもの。幾ら向きを変えても、船が走らにゃ……」  仁右衛門ののどが、不意にぐっと鳴った。嗚咽《おえつ》をこらえたのだ。と、岩松がふり切るように言った。 「親方、この船はこのまま、どこの陸にも着かずに終わるかも知れん。が、着くかも知れん。言わば丁か半だ。半分は望みがなくても、半分は望みがある。わしは、どこかの陸に必ず着くと賭《か》けておりますぜ」 「ほほう、賭けてのう」 「そういうことですわい親方。死ぬかも知れんが、助かるかも知れん。助かるかも知れんと思えば、何も泣いて暮らすには及ばんじゃないですかい。どうせ正月を祝うても祝わなくても、愚痴《ぐち》る者は愚痴る。泣く者は泣く。それなら、祝うたほうがいいとわしは思う」 「舵取《かじと》りの言うことも、もっともじゃ。どうするな、水主頭《かこがしら》、勝五郎」 「わかりやしたで親方。あっしは一生懸命工夫して、正月らしい膳《ぜん》を造って見せますわい」  勝五郎が答えたが、仁右衛門はうつ向いたまま思案していた。 「よし。では、正月はめでたく祝おうぞ。死んだ岡廻《おかまわ》りには悪いが、祝わせてもらうとしよう」  重右衛門はうなずいた。 [#改ページ]   初 春      一  船乗りには船乗りの、元日の作法《さほう》があった。だが、重右衛門は、この漂流のさ中に、その作法そのままを踏み行う気はなかった。もし作法どおりにするとすれば、船より出て、神社参りに行くきまりもあり、艀《はしけ》に乗って、船から船に年始にまわるならいもある。いかに作法どおりにしようとしても、この海の真ん中では、不可能であった。仁右衛門の反対もあり、岡廻《おかまわ》りの死んだ正月でもあるので、尚《なお》のこと重右衛門は、作法を簡略にすることにした。  元日、水主《かこ》たちが、寅《とら》の刻《こく》(午前四時)に起きた頃《ころ》、重右衛門は既《すで》に、絹つむぎの着物に着更《きが》えていた。水主たちも、今日ばかりは柳行李《やなぎごうり》の中から着更えを出して身にまとった。ひげも剃《そ》り落とした。その水主たちを引きつれて、重右衛門は舳《みよし》に出た。  白い薄紙のような月が西に傾き、東の洋上が、萌黄《もえぎ》色に明るんでいた。 (わしは今日から十五やな)  音吉には、十五という齢がひどく大人に思われた。頭上にはまだ薄墨色の空が静まり返っている。西風が強かったが、身を刺すほどではない。船は前に揺れ、後ろに揺れた。  音吉はまばたきもせず、今しものぼろうとする太陽を待っていた。  と、一点、鋭い金色の光が音吉の目を射た。と思うと、その光はみるみる親指大となり、櫛《くし》の形となり、ぐいぐいとのぼってきた。正《まさ》しく元日の太陽であった。  重右衛門が重々しく拍手《かしわで》を二つ打った。水主《かこ》たちがそれにならった。そしてそのまま手を合わせて、みんな一心に何ごとかを祈りはじめた。  音吉も祈りながら、思いをふるさとの小野浦に馳《は》せた。音吉の家から見る初日《はつひ》は、低い向山から出る。すぐ近くの山だ。去年の今日、音吉は琴の家の門の外で初日を拝んだ。その一丁半ほど向こうに音吉の家があった。その家の前に母とさとが出て、初日を拝んでいた姿が、逆光線の中に影絵のように見えた。あの時琴は、自分と一緒に初日を拝んだ。その産毛《うぶげ》の生えたうなじが、今もはっきりと目に残っている。 (船玉《ふなだま》さま。無事に帰らせて下さい。父っさまや、母さまや、おさとやお琴を守って下さい)  今頃《いまごろ》、同じように、初日を拝んでいるかも知れない故里の一人一人を、音吉は思った。  既《すで》に水平線を離れた太陽を、祈り終えた水主たちは感慨深げに眺《なが》めていた。誰の顔にも、初日を拝んだという晴れ晴れとした表情はなかった。 「これが最後の初日か」  千之助が呟《つぶや》いた。 「そうやろな」  情けない声で、常治郎が答えた。それにはかまわず、重右衛門が先に立って水主部屋に入った。  一同が打ち揃《そろ》ったところで、重右衛門はまず神棚《かみだな》に向かって手を合わせ、平伏した。つづいてその下にある仏壇の戸をひらいて合掌した。そしておもむろに水主《かこ》たちのほうを向いて、一同を見まわした。仁右衛門がひと膝《ひざ》にじり出て、 「親方さま、明けまして、まことにおめでとうござります」  と、うやうやしく頭を下げた。水主たちも声を合わせて、 「親方さま、明けましておめでとうござります」  と、一斉《いつせい》に頭を下げた。仁右衛門は両手をついたまま、 「昨年中は、ひとかたならぬお世話様に相成りました。本年も何卒《なにとぞ》よろしう、おねがいいたします」  と、挨拶《あいさつ》を述べ、水主たちが再び頭を下げた。 「うむ。今日からは年が改まって、めでたいことじゃ。故里を出てから、も早三月近くになる。まさかこの大海原の真ん中で、このような正月を迎えようとは、思いもよらなんだが……」  重右衛門は声を途切らせたが、自らを励ますように言った。 「この年がどのような年になろうものやら、それは誰にもわからぬ。だがのう、皆の衆ようく聞くがよい。たとえ陸にいても、この年、思わぬことに出遭《であ》う人間は数多《あまた》いる。死んでいく者もたくさんあろう。こうして、大海に漂っているからといって、いかなるよいことが待っているか、これまた人間の身にはわからぬことじゃ。思わぬ船が現れて、故里まで送り届けてくれるかも知れぬ。今十日も経てば、花咲く美しい島が現れ、清い水の流れる岸べに臥《ふ》すことができるかも知れぬ。思わぬ災難に遭ったように、思わぬ幸せに遭わぬものでもない」  重右衛門がそう言った時、 「ほんとやなあ。ええことが待っとるかも知れせんなあ」  と、うれしそうな声を上げたのは久吉だった。何人かの顔に、明るい表情が浮かんで消えた。 「そうや。久吉、よう言うた。何が待っているにせよ、とにかく心丈夫に生きねばならぬ。岡廻《おかまわ》りを見てのとおり、先々まで心配したところで、命をすり減らすだけじゃ。どうせ生きるなら、一日一日を、楽しく仲よく生きることじゃ。心さえ強く保っておれば、人間そうたやすく参るものでないでな。それが証拠に、お前たち今日まで、無事に生きて来たではないか」  言われてみんなはうなずいた。 「遠州灘《えんしゆうなだ》ではひどい嵐に遭《お》うた。あのあと幾度か嵐がきた。だが、みんなが力を合わせてアカを汲《く》んだ故《ゆえ》、水船にもならず、今日まで生きてきた。よいか、船は決して引っくり返りはせぬ。皆々心を一つにして、大神宮に祈るなり、それぞれの信ずる神に祈るなら、きっとよいことが待っていようぞ。春になれば風も変わる。必ず東風《こち》が吹く。東風が吹けば、故里に帰れる、よいな、皆の衆。勝五郎が心をこめて調《ととの》えてくれた膳《ぜん》に、喜んで向かおうではないか」  音吉は深くうなずいて聞いた。確かに難船した者だけが死んでいくとは限らない。陸にいても、思わぬ災難や疫病《やくびよう》で、人は死んでいくものだ。  用意された膳を運びながら、久吉が、 「ほんとやなあ。ええことが待ってるかも知れせんのやなあ」  と、また賑《にぎ》やかな声を上げる。 「しかしなあ、去年の今日は……」  千之助が愚痴《ぐち》を言いかけた。と岩松が言った。 「去年の今日がどうしたと? ぐだぐだ言うことないで。めでたい正月だでな」  きびしい声に千之助が口をつぐんだ。 「しかし舵取《かじと》り、ぐだぐだも言いとうなるわい」  仁右衛門が膳《ぜん》の上を見ながら言った。膳の上には、うすい味噌汁《みそしる》仕立ての雑煮《ぞうに》があった。雑煮と言っても、むろん餅《もち》ではない。米の飯をすりこぎでこねた団子《だんご》である。汁の実は何もない。それでも、干した小魚が、尾頭《おかしら》付き代わりに皿についていた。どこにしまってあったのか、流れ藻で作った酢の物もある。一同が盃《さかずき》を干すと、 「大変な馳走《ちそう》じゃ。勝五郎、ようやってくれたのう」  重右衛門がねぎらった。勝五郎は、両|膝《ひざ》をきっちりと合わせて、膳の前に坐《すわ》ったまま顔を上げようとしない。その鼻が赤くなっているのを音吉は見た。 「ほんとにごっつぉうや。ほんとの餅よりうまいわ」  久吉がまた大声で言った。 「そうか、ほんとの餅よりうまいか」  重右衛門の声がうるんだ。と、たまらなくなって、常治郎が泣き、利七が泣いた。泣きながらしかし、 「うまい……うん、うまい」  と、椀《わん》を持った手をふるわせた。久吉が、 「うちではな、白い餅なんぞ、食ったことあらせん。粟餅《あわもち》やったでな。ほんとうにうまいで、これは」  と、うれしそうに言う。すると仁右衛門が口を歪めて、 「餓鬼《がき》には、嬶《かかあ》も子供もいねえからな」  それが聞こえたか、聞こえないのか、岩松が、 「久公、お前はなかなかの根性《こんじよう》やな。大人より偉いで」  と、珍しく大声を上げて笑った。      二  急いで食事を終えた音吉は、三役部屋に寝ている吉治郎のもとに膳《ぜん》を運んだ。口の中にはまだ、小魚の干物が入っている。 「遅くなって悪かったな、兄さ」  音吉が枕もとに膳を置くと、吉治郎はひげだらけの顔を音吉に向けた。岡廻《おかまわ》りが死んでから、吉治郎は三役部屋に一人寝ている。夜には音吉がその横に寝る。床に茣蓙《ござ》を敷き、その上に薄い布団を敷いただけだ。  吉治郎は起き上がろうともせず、黙って音吉を頭から足先まで、見上げ見おろしていたが、 「ええ着物やな」  と、抑揚《よくよう》のない声で言った。 「うん。ええ着物やろ」  音吉はさっぱりした棒縞《ぼうじま》の着物を着ていた。船主の源六が、一年|程《ほど》前にくれたものだ。その反物《たんもの》を母の美乃は押しいただいて、 「ありがたいことやな。ほんとにありがたいことだで」  と、早速正月に間に合うようにと縫ってくれたものだ。音吉が源六の使いで、わが家に行った時、美乃は薄暗い行灯《あんどん》の傍《そば》でこの着物を縫っていた。その時の母の霜やけの手が目に浮かぶ。 「母《かか》さまの縫ってくれた着物やもな」  まだ躾《しつけ》糸の取れていない袖口《そでぐち》のあたりをみながら、音吉は一年前のことを思い出した。 「音、お前、自分だけいいもの着ているんやな」  吉治郎の目が光った。 「自分だけ?」  音吉はどぎまぎしながら、 「兄さだって、行李《こうり》の中に着更《きが》えを持っているやろが。けど、病人やから……」  言いかける音吉に、 「音、病人には正月も何もないというのか。着更えの必要もないというのか」  と、絡んだ。 「そんなわけであらせん。只《ただ》、着更えるの、おっくうでないかと思うたから」 「着更えぐらい、何がおっくうなものか」 「じゃあ、今、兄さの行李から着更えを出してやるでな」 「もういいわい。どうせ俺は病人やからな。……最後の正月かも知れんのに、着更えもせんと、不親切なもんや。兄弟のくせに……」 「兄さ、そんなつもりはあらせん」 「そんなつもりか、こんなつもりか、俺にはわからんがな」  吉治郎は干割《ひわ》れた唇《くちびる》をなめながら言った。 「兄さ、俺が気がつかんで悪かった。正月早々怒らせて悪かった」  あくまでも音吉は下手《したて》に出た。  吉治郎は、水を盗み飲みしようとして以来、ひどくひがみっぽくなっていた。あの夜、音吉が船底に頭をこすりつけて、船頭の重右衛門に、 「わしは明日の飲み分も、あさっての飲み分も要りません。どうか兄さに、たった今ひと口でも飲ませてやって……」  と、泣いて頼んだことなど、吉治郎は忘れたかのようであった。利七に見つけられ、みんなに小突《こづ》かれ、殴られた屈辱だけが胸にあるのだ。あの翌日、音吉は約束どおり、水を飲もうとはしなかった。 「阿呆《あほう》! 人間水が絶えたら、死ぬんや。音! 飯は食わんでも、水だけは飲まねばならん!」  勝五郎はそう言って、音吉に水を飲ませようとしたが、 「わしの分は、兄さが昨夜飲んだでな、とてもすまのうて、飲まれせん」  音吉は、飲みたいのをこらえて言った。それを重右衛門が聞いて、 「さすがは正直武右衛門の倅《せがれ》や」  と、ほめ、 「同じ武右衛門の子でも、吉治郎は正反対や」  と言った。  その翌日も、音吉は約束を楯《たて》に水を飲むのを拒んだが、勝五郎が言った。 「お前が飲まんのなら、わしも飲まん」  この一言に、音吉は勝五郎の差し出した水を飲んだ。  吉治郎のために、一日水を飲まなかった苦しさは、たとえようもなかった。 (兄さも、あの夜は、こんな思いだったのやな)  音吉は、余りののどの乾きに、目がくらむほどであった。もしできることなら、自分もまた、鍵《かぎ》を盗んででも、水を飲みたいと思った。そして、水を盗もうとした吉治郎の辛《つら》さを共に味わったのだ。  だが吉治郎は、そのことでかえって音吉を憎んでいた。他の水主《かこ》たちが、 「音とお前は出来がちがうな。月とすっぽんや。音はお前のために、一日水をこらえたんだぜ」  と、遠慮|会釈《えしやく》なく言い立てたからだ。  今、音吉は、吉治郎をなだめなだめ、布団の上に起き上がらせた。そして、吉治郎の行李《こうり》の底から着更《きが》えを出し、着せようとした。ぐずぐず言いながら、吉治郎はしばらく拒んでいたが、それでもようやく着物を着、改めて膳《ぜん》の上をつくづくと見た。 「何や、これが正月の膳か」 「…………」 「膾《なます》もうま煮もないんか。何ぞ陸《おか》の物はないんか」 「それは無理や。兄さ、これでも炊頭《かしきがしら》が一心に工夫して、調《ととの》えてくれたんやで」 「ふーん」  吉治郎は疑わしそうに音吉を見、 「病人の俺だけが、こんな膳《ぜん》とちがうか。みんなはもっとうまい物を食うたんとちがうか。さっき、うれしそうな久吉の声が聞こえていたでないか」 「久吉はな、兄さ。みんなの気い引き立てようとして、うれしそうにふるまったんや。兄さも、わしらも同じ食い物やで」  音吉は情けなさそうに、吉治郎の長くなったひげを見た。何度か剃《そ》ってやろうとしたが、吉治郎は顔に触れさせなかった。 「ほんとか、どうか知らんが……」  吉治郎は飯米で作った団子《だんご》をひと口食いちぎり、涙をこぼした。 「兄さ、何で泣く?」 「何で泣く? 音、お前はそんなこともわからんのか。思いやりのない奴《やつ》やなあ。今日は俺の最後の正月だで。次に死ぬのは、俺の番やで」  吉治郎は肩をふるわせた。 「兄さ、兄さは死なん。死なんでくれ」  音吉も、涙をこぼした。いかにひがみっぽくなっても、吉治郎は音吉の兄であった。この宝順丸で、只《ただ》一人の肉親であった。幼い時は、八幡社の境内で一緒に蝉取《せみと》りもした。床下の高い良参寺の縁の下にもぐりこみ、共に池の鯉《こい》を釣《つ》って、和尚《おしよう》にみつかり、怒鳴られたこともあった。鐘撞《かねつき》堂に二人で上がって、時ならぬ時に鐘を鳴らし、いち早く逃げた思い出もある。竹馬を造るのがうまくて、幼かった自分に竹馬を造ってくれたのも、吉治郎だった。  次から次と、思い出がかけめぐって、音吉も声をしのばせて泣いた。と、吉治郎が言った。 「音……俺が死んだら、お前ら喜ぶやろな」 「え!? 兄さ何を言う」  驚いて顔を上げた音吉に、 「だってそうやろ。役に立たん奴《やつ》でも、生きていれば、大事な水を飲ませにゃならん。わしが死ねば、一日に一|合《ごう》の水が浮く。岡廻《おかまわ》りと二人で二合やな。二合の水が……」  音吉は、言葉もなく吉治郎の顔を見守った。      三  水主《かこ》部屋から、岩松が出て行くのを久吉は見た。雑煮《ぞうに》の膳《ぜん》が片づけられたあと、水主たちが次第に口重になり、自分の股《また》ぐらに頭を突っこむように首を垂れたり、所在なげに横になったりしはじめた頃《ころ》だ。 「あーあ」  やりきれなさそうに声を上げる者もいる。が、岩松を恐れて、下手に愚痴《ぐち》も言えない。そんな水主たちを見て、岩松は部屋を出て行ったのだ。  岩松が部屋を出るや否や、果たして声を上げた者がいる。 「とんでもねえ正月だ」  常治郎だった。久吉はその声を背に、胴の間に出た。  岩松はいつものように、伝馬船《てんません》に坐《すわ》っていた。久吉はニコッと笑った。先程《さきほど》岩松は言ってくれたのだ。 「久公、お前はなかなかの根性《こんじよう》やな。大人より偉いで」  久吉は滅多に人にほめられたことがない、いつも「おもしろい奴《やつ》や」「陽気な奴や」と、半分からかうような語調で言われるだけだ。それが今日は、大勢の前で、根性があると言われたのだ。大人より偉いと言われたのだ。しかも元旦《がんたん》早々だ。久吉はこの浮き浮きした気持ちに水をかけられたくなかった。そして、もっと岩松の傍《そば》にいたいような気がした。  が、胴の間に出た久吉は、伝馬船に坐った岩松の、いつものきびしいうしろ姿を見た。岩松の周囲に、冷たい空気が張りついているような、そんなうしろ姿だ。 (いつもああだでな)  久吉は少しがっかりして胸の中で呟《つぶや》いた。 (だけど、あれでいいんやな)  そうも思った。近づき難いほうが、岩松らしくていいような気がした。久吉は船縁に寄って海を見た。もう飽きるほど海ばかりみて過ごしてきた。正月とは思えぬ暖かい日ざしだ。北西の風に吹かれて、船はやや南東に向かって漂っているらしい。日の光に、海のひと所が白くてらてらと光っている。その他は、濃紺の、波のうねりの大きい海だ。波のうねりを見ていると、久吉は淋《さび》しくなる。 (伊勢湾とはちがうなあ)  久吉は、父の又平に従って、伊勢湾で漁をしていた。伊勢湾の海はいつもおだやかだった。そのおだやかな伊勢湾に、鰯《いわし》が岸近くまで押し寄せてきたものだ。時おり鰯が宙に躍《おど》った。 (蛸《たこ》も釣《つ》ったなあ)  浮きの樽《たる》が、ぽこんぽこんと浮かんでいた小野浦の海がたまらなく恋しい。海から見る小野浦は、低い小山に抱かれた平和な村だ。 「久吉!」  網を手ぐりながら怒鳴る父の声が、耳にひびくようだ。 (帰りたいなあ)  久吉は胸が熱くなった。と、その時、音吉が傍《そば》に寄って来た。 「久吉、何をしとる?」 「何もしとらん」  視線を海に向けたまま、久吉は手の甲で目尻を拭《ぬぐ》った。 「帰りたいなあ」  音吉も言った。 「いつか帰れるわ」  久吉は笑ってみせ、岩松のほうを指さし、 「舵取《かじと》りさん、何を考えてるのやろ」  と、ささやいた。 「やっぱり、故里《くに》のことやろな」 「そうやろな。みんな同じやろな」  久吉は再び海を見た。先程《さきほど》までの陽気な久吉ではなかった。何だか泣きたくなるのだ。 (変やなあ)  久吉は思った。 「舵取りさんのそばに行こうか」  久吉は音吉をかえりみた。 「うん。だけどな……」  舵取りは一人でいたいのではないかと、音吉は思った。岩松はいつも、 「誰も傍《そば》に寄るな!」  と、言っているように見えてならない。 「行こう行こう」  久吉が先に立って歩き出した。ためらったが、音吉も従《つ》いて行った。 「舵取りさん」  久吉が、岩松を見上げた。岩松は向こうをむいたままだ。 「舵取りさん」  かまわずに久吉が呼んだ。 「何や?」  ようやく岩松がふりかえった。 「傍に行ったら、いかんか」  岩松はいいとも悪いとも言わなかった。 「いいとよ」 「だって久吉、返事をせんかったで」  音吉は久吉を突ついた。 「悪かったら悪いと言うわ。黙ってるのは、いいということや」  久吉は三の間に上がって行った。 (久吉って、楽な性分《しようぶん》やなあ)  ふり返って手招きする久吉にうなずいて、音吉も上がって行った。  岩松は黙って前方を見たままだ。初めて会った時以来、岩松はほとんど同じ表情だ。黙っている岩松を、久吉はちらちらと見ていたが、 「舵取《かじと》りさん、この船はどこに行くんや」 「わからん」  相変わらずそっけない声だ。 「どうして帆をおろしてるんや」 「西風が吹いているでな」 「西風だって、いいやないか。帆を上げんかったら、漂っているだけやないか。帆を上げたら、船はどこかに向かって、もっと走るんやないか」 「そうや」 「なら、走ったらええやないか。こんな、漂っているだけでは、いつまで経っても海の真ん中や。らちあかんわ」 「そうや。お前の言うとおりや。だけどな、西風に追われては故里《くに》が遠くなる。今日からは春やでな。ぼつぼつ東風《こち》が吹く筈《はず》なんや。吹けば日本に帰れる。それで帆を上げんのや」  それは、終始変わらぬ船頭重右衛門の意見だった。岩松も最初はそう思っていた。東風さえ吹けば、たとえ仮帆でも、国へ帰れると思っていた。が、海流は明らかに東へ東へと流れていた。そしてまた、東風は数えるほどしか吹かなかった。ほとんど北西の風であり、西風であった。たとえ羽板を補強したところで、この西風に逆らって船を西に向けるのは、無理なことだと岩松にもわかって来た。風が潮流の方向を定めるのかと思うほど、風は潮と同じ方向に吹いていた。岩松も、いっそのこと、風と潮流に乗って、少しでも東に進むべきだと思っていた。だが重右衛門も仁右衛門も、 「この海の果てに、陸があるものやら、島があるものやら、わからんではないか。万一あったところで、見も知らぬ異国では、全員殺されてしまうかも知れん。先《ま》ず日本に帰ることを考えねばならぬ」  と言って、譲らなかった。そして春を待っていた。新しい年を待っていた。だが、漂うことに、さすがに岩松も倦《う》んでいた。一《いち》か八《ばち》か、西風に帆を上げて、精一杯走ってみたい思いがしきりにしていた。 「帰りたいやろな、お前たちも」  不意に岩松の声がやさしくなった。 「うん」  音吉も久吉も同時に答えた。 「久吉にはきょうだいがいるのか」 「うん。妹がいる」  久吉は品の顔を思い浮かべた。品は父親似の細い目だ。 「仲がよかったか」  久吉はちょっと首を傾げたが、 「まあ、ふつうやな」  と笑った。が、そう言った途端、たまらなく品が愛らしくなった。 「音にも妹がいるってな」 「はい」 「二人共、残った妹が親孝行をしてくれるかも知れんな。しかし、女だでな、何としても帰って、親を安心させにゃいかんな」 「はい」  と、音吉は答え、久吉は「うん」とうなずいた。 「お前たち、字を知っとるか」  岩松が不意に別のことを言った。 「仮名ぐらいなら……な、音吉」 「そうか、漢字は知らんのか」 「いや、十ぐらいは知っとるかな。な、音吉」 「そうか。じゃあ、俺が字を教えてやるか。と言うほど、俺も知らんが」 「字を!?」  音吉は目を輝かした。 「人間、することがなけりゃいかんでな。一日にひとつでも二つでも、字を覚えりゃ、何かの励みになるだろう」  岩松はまだひげも生えぬ幼い二人の顔を交互に見た。      四 「……舎利子《しやりし》、色不異空《しきふいくう》、空不異色《くうふいしき》、色即是空《しきそくぜくう》、空即是色《くうそくぜしき》……」  般若心経《はんにやしんぎよう》を読む重右衛門に、水主《かこ》たちの唱和する声が、水主部屋に満ちている。音吉は重右衛門のうしろに坐《すわ》って、顔に白布をかけられた吉治郎の遺骸《いがい》を見守っている。水主部屋の正面には、宝順丸の船額が掲げられ、その下は帆柱の立つ柱道との仕切り戸になっている。仕切り戸の右手に固く戸を閉ざした神棚《かみだな》があった。神棚の下の仏壇はふだん引き戸が立てられていたが、今夜はその引き戸が取り払われ、仏壇の前に、吉治郎の遺骸が安置されていた。 「是諸法空相《ぜしよほうくうそう》、不生不滅《ふしようふめつ》、不垢不浄《ふこふじよう》、不増不減《ふぞうふげん》、是故空中《ぜこくうちゆう》……」  小野浦の良参寺の檀家《だんか》は、死者が出た時、檀徒たちが主になって通夜《つや》を営んだ。その慣わし通りに、今、吉治郎の通夜も営まれていた。 (兄さ、辛《つら》かったやろな)  またしても、涙の盛り上がる音吉の目に灯明がかすむ。  吉治郎は今朝、突如《とつじよ》胸を掻《か》きむしったかと思うと、ぱたりと息が絶えた。傍《そば》に寝ていた音吉が、目ざめたばかりの時であった。正月からまだ二十日と過ぎていない。 「……無有恐怖《むゆうきようふ》、遠離一切顛倒無想《えんりいつさいてんとうむそう》……」  水主《かこ》たちの読経《どきよう》がつづく。経本を手に持つ重右衛門の声が一番高い。目を半眼にしたまま、経を誦《ず》する者、目をつむって唱和する者、様々だ。船の揺れに従って、水主たちの体もかすかに揺れる。その中で利七が、口をあけたまま、力のない目で天井を見上げていた。それを時おり見ながら、仁右衛門が一心に読経している。香の煙が水主たちの頭に漂っている。  正月十日、宝順丸は幾度目かの嵐にまきこまれた。その嵐が、誰の体にも目に見えて祟《たた》った。アカを汲《く》む作業が以前のようには捗《はかど》らない。大きな嵐に遭《あ》って、水主たちは自分の体力の衰えをはっきりと悟った。とりわけこの嵐は、身も心も弱っていた吉治郎を、衰弱させた。そして、予想よりもはるかに早く、死へと追いやったのだ。 (兄さ、折角《せつかく》水がたくさん……)  音吉の唇《くちびる》がふるえた。嵐は、何十日も降らなかった雨を持ってきた。その雨を、あらゆる器に並べて、水主たちは貯めた。今|貯水槽《かよいはず》にも、多くの水樽《みずだる》にも、雨水は一杯に入っている。伝馬船《てんません》にさえ水が湛《たた》えられた。この雨が、弱っていた水主たちの体に、新しい力を与えた。だが、吉治郎にはその水さえ、既《すで》に何の力にもならなかった。絶えず翻弄《ほんろう》される船の中で、吉治郎は恐怖の余り、力が萎《な》えた。  嵐の前、既に、吉治郎の体には薄い斑点が浮かびはじめていた。壊血病《かいけつびよう》のきざしであった。それが、嵐の過ぎたあとには、あまりにもどす黒い斑点となっていた。吉治郎はその斑点の浮かんだ手をかざして、一日中|眺《なが》めては嘆き暮らした。血は鼻からも歯ぐきからも滲《にじ》み出て、毎日増える一方となった。その吉治郎の症状に、音吉も内心|怯《おび》えていた。岡廻《おかまわ》りの死の前と、あまりにも似た症状であったからだ。  死ぬ二日ほど前、寝につこうとした音吉に、吉治郎が言った。 「音、すまんかったなあ」  低いが、別人のようなやさしい声であった。 「兄さ、何がすまん? すまんことは何もあらせんで」 「いや、何もかもすまんかった……俺はなあ、音とちがうでなあ。それはようわかっていたんや……」 「…………」 「音、お前は、四つ五つの時から、みんなのほめられもんやったもなあ。だけどなあ、俺はほめられたことは、一度もなかったでなあ……」  喘《あえ》ぎ喘ぎ言う吉治郎の口から、血が滴《したた》り落ちた。その血を拭《ふ》いてやりながら、音吉は、自分が何か悪いことをしてきたような気がした。自分がほめられる度《たび》に、傍《かたわ》らにいた兄の吉治郎は、どんなに淋《さび》しい思いをしてきたことであろう。その淋しさを、音吉は今、初めて気づいたのだ。自分がほめられることは、暗に吉治郎が、くさされることであったかも知れない。ほめられて自分が喜んでいる時に、吉治郎が淋しい思いに耐えていたのかも知れない。 「兄さ、すまんかったのは俺や」  音吉はそっと、吉治郎の額の脂汗《あぶらあせ》を拭いてやりながら言った。 「いや、俺は、お前が時々憎うなってなあ、お琴は俺かて好きやった……」 「…………」 「だが、そんなことを言うたって、しようもないわなあ。音、俺はなあ。ほんまに死にとうない。なあ、死にとうないで」 「兄さ……兄さは死なん」 「いや、もう諦《あきら》めているでな。だけどな、父っさまや母さまの顔をな、一度でいいから見たいんや」  吉治郎の目尻から、涙がころがり落ちた。 「音、それでもな、俺はまだ幸せやな。音がこうして傍《そば》にいてくれるでな」 「…………」 「俺が死んだらな、きっとお前を守ってやるで。どんなことがあっても、俺が守ってやるでな」 「兄さ……」 「だからな、音、安心せい。音は必ず生きて帰るでな。……その時はな、俺のこの髪ば、父《と》っさまや母《かか》さまに、必ず届けるんやで」  そう言って、吉治郎は泣いた。  その時の吉治郎を思い浮かべながら、音吉は今、嗚咽《おえつ》をこらえていた。  半時《はんとき》以上つづいた読経《どきよう》がこの般若心経《はんにやしんぎよう》をもって終わった。重右衛門が鐘を鳴らして合掌《がつしよう》した。水主《かこ》たちも手を合わせて、 「南無阿弥陀仏《なむあみだぶつ》南無阿弥陀仏」  と、低くとなえた。  何もかも、岡廻《おかまわ》りが死んだ時と同じだった。岡廻りの死から、ひと月と経《た》たぬうちに吉治郎が死んだ。水主たちの心の中に、次は誰の番かという不安が、一段と大きく広がっていた。 「吉治郎、成仏《じようぶつ》するんやで」  重右衛門が吉治郎の顔にかかった白布を取って、その頬《ほお》をなでた。慈愛に満ちた声であった。と、すすり上げる声があちこちに起きた。吉治郎を悼《いた》む思いと、己《おの》が身を儚《はかな》む思いとが交じり合って、こらえ切れなくなったのだ。わけても、水を盗もうとした吉治郎を、小突《こづ》いたり蹴《け》ったりした夜のことが、誰の胸をも噛《か》んでいた。 (酷《むご》いことをした) (どんなにか、水を飲みたかったんやろな) (あれで急に弱ってしもうたのと、ちがうか) (吉治郎、許してくれや)  それぞれの目が、それぞれの悔いを語っていた。  用意してあった空樽《からだる》の中に、吉治郎もまた、岡廻りと同じように納められることになった。仁右衛門が吉治郎の体を抱いた。思わず音吉が、 (痛くはないか、兄さ)  と、口に出すところであった。吉治郎の体は、どこもかしこも痛んでいた。特に末期には、足にさわられるのをひどく嫌《きら》った。蛙《かえる》のような恰好《かつこう》のまま、決して足を伸ばそうとしなかった。  吉治郎は、膝《ひざ》小僧を抱えるような姿で、樽の中に納められた。 「吉、痛くはないか」  勝五郎が、吉治郎の組んだ手をなでた。  仁右衛門が言った。 「もう痛くもなければ、のどの乾きもなくなったなあ、吉」  音吉はたまりかねて泣いた。死後、勝五郎がひげを剃《そ》り落としてくれたが、そのひげの下にも、黒い斑点が大きく現れた。それが今、吊行灯《つりあんどん》の下に、ひどく無残に見えた。吉治郎は首を自分の肩に押しつけるようにして、その白茶けた顔を傾けていた。数えて十九歳の最期《さいご》の姿であった。 (兄さ、兄さの言うたとおり、最後の正月だったなあ)  音吉は胸の中で呟《つぶや》いた。元旦《がんたん》の膳《ぜん》に向かって、吉治郎は団子《だんご》をひと口、口に入れるや、はらはらと涙をこぼした。その吉治郎に、 「兄さ、何で泣く?」  音吉は尋《たず》ねた。 「何で泣く? 音、お前はそんなこともわからんのか。今日は俺の最後の元旦やで。次に死ぬのは俺の番やで」  吉治郎は肩をふるわせて泣いたのだ。 (兄さ、ほんとに思いやりがなかったなあ、俺は)  死なれてみなければ、兄の悲しみがわからなかったのかと、音吉は心責められてならなかった。      五  通夜《つや》の夜が更《ふ》けていく。 「音、淋《さび》しうなったな。力落とすなよ」  仁右衛門は、運ばれてきた煎餅《せんべい》をつまみながら、音吉をかえりみた。煎餅と言っても、米の飯をすりつぶし、黒砂糖を少し入れて、炭火でこんがり焼いたものだ。正月からは、炊《かしき》の仕事をみんなで代わる代わるすることに決めていた。いつ誰が倒れても、飯の用意だけは欠かせない。誰もが炊の仕事を心得ていなければならない。と言うのが、重右衛門の言い分だった。が、ほかに理由もあった。炊の者は、他の者より水を多く飲むのではないか、と言い出す者が出たからであった。そしてまた、ひそかに隠している食糧があるのではないかと、勘ぐる者が出てきたからだ。炊頭《かしきがしら》は変わらなかったが、こうして、久吉や音吉の仕事は、他の者もすることになった。そんな中で、この煎餅を考え出したのが、水主頭《かこがしら》の仁右衛門だった。仁右衛門は、妻が時折《ときおり》つくってくれた煎餅を思い出し、つくってみたのだが、これがみんなに喜ばれた。煎餅は今日で三度目であった。酒は正月三日を限りに尽きてしまっていた。 「酒のない通夜か」  辰蔵が呟《つぶや》いた。 「岡廻《おかまわ》りの時は、それでもまだ、茶碗《ちやわん》に半分ぐらいは酒が出たな。な、炊頭」  千之助が言う。 「酒がなくても、生きているだけで、ありがてえ」  勝五郎がそっ気なく答えた。みんな輪になって、煎餅を食ったり、特別に出された水を飲んだりしている。ひと頃《ころ》とちがって、一日三|合《ごう》の水をこの頃は与えられていた。 「しかし、親方さまぁ。人間は死んで、一体どこへ行くんですかねえ」  先程《さきほど》からぼんやりと天井を見上げていた利七が、思いつめたような声で言った。 「うむ、良参寺の和尚《おしよう》さまは、極楽か地獄だと言われたがのう……」 「地獄か、極楽か? そのほかに行く所はないんですかい?」 「なんだい、妙なことを言うじゃねえか、利七」  千之助が煎餅《せんべい》をひと口、口に入れたまま言った。 「だってなあ、俺は極楽には行けそうもねえだでな。と言うて、地獄には行きたくねえ。だからよ、地獄でも極楽でもねえ所が、ねえかと思ってよ」 「利七、お前は、地獄に行くに決まってるぞ。喧嘩《けんか》っ早いしな。それに小意地《こいじ》が悪い」 「そうだ、そうだ。第一な、利七。吉治郎が炊頭《かしきがしら》の鍵《かぎ》を盗んだ時、お前、うす目をあけて見てたんだろう」 「ああ見てたでえ」  利七は仏頂面《ぶつちようづら》になった。 「そいつが俺は気に食わねえんだ。盗もうとした時にだぞ。お前なんで声をかけんかった。声さえかけりゃあ、吉治郎は罪をつくらんでもすんだじゃねえか」 「そうともそうとも。利七のやり方は汚えや。しかも、水槽《はず》の錠《じよう》をあけて、今水を飲もうとした途端に、おさえやがった。かわいそうに、飲ませてやりゃよかったのによう。情けねえ奴《やつ》だ」  みんなが口々に利七を責めはじめた。 「利七! 吉の野郎、かわいそうに、お前を恨んで死んだぞう。吉はきっとお前に祟《たた》るから見ていろ、この次はお前の番かも知れねえな」  政吉がおどした。利七は顔色をさっと変え、 「やい政吉! 縁起でもねえことを言うぜい。確かに俺は、吉治郎の水盗《みずぬす》っ人《と》をつかまえたぜ。だがな、一番手荒に小突《こづ》きまわしたは誰だい? 政吉、お前だでえ」 「冗、冗談じゃねえ。三四郎だって、千之助だって」 「何い! 俺だとう! 俺は見てただけだぜ」  千之助がいきり立ち、三四郎も怒鳴った。音吉は、そのいがみ合う様子をはらはらと見ていた。仁右衛門が両手を大きく上げ、 「静まらんか!」  と、大声で叱咤《しつた》し、重右衛門が吉治郎の前に置かれた香炉《こうろ》に焼香《しようこう》した。岩松は懐手《ふところで》をしたまま片膝《かたひざ》を立て、黙って一人一人の顔を見まわした。 「とにかく吉治郎は、必ず化けて出るぞう、化けてな」  辰蔵が誰へともなく言った。いつもながらどすの利《き》いた声だ。辰蔵と、壺《つぼ》ふりのうまい千之助とは日頃《ひごろ》仲がよい。 「そうだ。辰蔵の言うとおりだでな。みんな船倉へ行く時は気をつけろよ。吉治郎が水の番をしてるかも知れせんでな」  と、千之助が笑った。みんなあれを言い、これを言って、仁右衛門の制止も耳に入らない。誰もが、吉治郎の死に、うしろめたい思いを持っているからだ。 「とにかく、利七が悪いんだ。なあ、みんな」 「そうだそうだ。岡っ引きじゃあるめえし……。利七って、もっといい男だと思ってたがな」  再び利七に非難が集中した。と、突如《とつじよ》利七の体がぶるぶると震え、目が据《す》わった。 「お前らあ! 俺をいじめる気かあ!」  利七が立ち上がりざま叫んだ。水主《かこ》たちが一斉《いつせい》に腰を浮かした。その途端、重右衛門が怒鳴った。 「この場を何と心得ておる! 吉治郎の通夜《つや》の席だぞ! 冥福《めいふく》を祈る席で喧嘩口論《けんかこうろん》とは、呆《あき》れた奴《やつ》らだ!」  重右衛門の怒声は珍しかった。はっと水主たちは浮かした腰をおろした。が、利七は、いきなり政吉に殴りかかった。 「この野郎っ! 殺してやるーっ!」  利七の手が政吉の首にかかった。一瞬のことだった。と、岩松がふらりと立ち上がり、利七の襟首《えりくび》をぐいと引き戻《もど》した。 「離せえっ! 誰だあっ!」  利七が喚《わめ》いた。 「俺だ。利七も、お前らも、餓鬼《がき》のような真似はよせ。どうせ、死ぬ日は近いんだ。せめて死ぬ日まで、人間らしくやって行けねえかい」  誰も岩松には頭が上がらない。ふだん重右衛門は温厚過ぎた。水主頭《かこがしら》の仁右衛門は、判断にむらがあった。だが岩松には、誰にもない頼もしさがあった。真っ青になった利七を元の席に坐《すわ》らせてから、岩松は言った。 「お前らなあ。利七が悪いなんて、そんなことを言える奴《やつ》は誰《だれ》もいねえ筈《はず》だ。みんなで吉を小突《こづ》きまわしたでな」 「…………」 「いや、一人だけ利七を責める資格のある男がいるで。炊頭《かしきがしら》だ」  水主《かこ》たちは訝《いぶか》しそうに勝五郎を見た。 「いくら大いびきを立てて寝ていたとは言え、自分の首から鍵《かぎ》を取られるのを、炊頭が知らんかった訳はねえ。それを知らん顔をしていてやったんだ。炊頭は吉治郎に水を飲ませてやりたかったんだ。その炊頭の気持ちのわからねえ利七も馬鹿だが、お前らも馬鹿だぜ。吉治郎に化けて出られたって、しようのねえ奴《やつ》らばかりだ」  岩松の声にみんなが静まった時、 (兄さ、兄さは化けてなど出やせんわなあ。俺を守ってやると言うたくらいだでな)  音吉は心の中で吉治郎に呼びかけた。 [#改ページ]   神々の名      一  深い疲れを覚えて、重右衛門は今朝《けさ》床の中から起き上がるのがおっくうであった。 (何でこんなに疲れたものか)  頭がぼんやりとしている。重右衛門は昨日の一日を思い浮かべてみた。別段疲れるほどの働きはしなかった。が、手の指がこわばっている。その指を一本一本もみほぐしながら、重右衛門はゆっくりと床の上に起き上がった。起きると同時に、毎朝|水垢離《みずごり》を取る。これは重右衛門に限ったわけではない。水主《かこ》たちは皆、誰もが水垢離を取って神仏に祈願する。一日中横になっている者でも、これだけは欠かさない。もはや神仏に頼るより仕方がないからだ。  重右衛門は、いつものように舳《みよし》に出て、結びつけてある桶《おけ》を海の中に落とした。三月の雛《ひな》の節句も過ぎ、もやもやと暖かい朝だ。珍しく東の空がくもっている。重右衛門は裸になった。そして、水桶《はず》をいつものようにたぐり上げようとした。が、今朝は息切れがする。 「何や、こんなことぐらいで」  口に出して重右衛門は呟《つぶや》いた。水桶がひどく重いのだ。ようやくたぐり上げた水桶を前に、しばらく息をととのえてから、重右衛門は水垢離《みずごり》を取った。  手拭《てぬぐ》いで体を拭きはじめた重右衛門は、はっと目を凝らした。左の二の腕に、うす黒い斑点を見たからだ。重右衛門は指に唾《つば》をつけて、そのうす黒い斑点をこすった。が、斑点は消えなかった。汚れではなかった。 (来たか! とうとう……)  重右衛門はその場にへたへたと坐《すわ》りこんだ。  二月の末以来、黒い斑点が水主たちの誰彼《だれかれ》の肌《はだ》に現れていた。吉治郎が死んでひと月過ぎると、先ず千之助の手首に斑点が出た。次に三四郎、そして思いがけなく、それまで元気だった勝五郎に斑点が出た。常治郎も利七も、二、三日前から顔色が灰色に変わっている。 (とうとう……わしも)  重右衛門は、船縁についた干からびた塩を見た。幾度か海水をかぶった船は、至る所に塩を噴いていた。それを指でこそげ落とす時、ひどく淋《さび》しい気持ちになる。その塩を、重右衛門はぼんやりと見、そして再びうす黒い斑点に目をやった。深い絶望が、じわじわと体の隅《すみ》まで沁《し》みこんでいくようであった。  重右衛門はふらふらと立ち上がると、よろめく足を踏みしめながら、船頭部屋に向かった。船が傾いて、水平線が斜めに高く上がった。 (わしが死んだら、この船はどうなる……)  黒い斑点は死のしるしだった。千之助も、最初はうすい斑点が一つ出来ただけであった。が、今は体のあちこちに無気味な黒い斑点をみせている。斑点のできた順に、体の痩《や》せが目立ち、顔色の悪さが目立っていく。 「父《と》っさま」  船頭部屋に坐《すわ》りこむなり重右衛門は、少年のような気持ちで、父の源六を呼んだ。 「父っさま」  父はまだ老いたとはいえ、かくしゃくとしている。その倅《せがれ》の自分が、この大海原《おおうなばら》の中で、幾何《いくばく》もない命を保っているのだ。 「お琴」  妻の名より、先に娘の名が口から出た。 (わしも死ぬのか)  四十を過ぎたばかりで、死んでいく自分がひどく哀れに思われた。この齢まで、幾度嵐に遭《あ》っても、無事にわが家に帰り着いたものだ。が、今は海の只中《ただなか》に死のうとしている。自分がこの世から消えさることが、ひどく恐ろしかった。それは想像を超えた恐怖だった。 (この手が冷たくなってしまう。そして腐っていくにちがいない)  一の間に安置している六右衛門と吉治郎の遺体を想像した。幾日か屍臭《ししゆう》を放っていた二つの死体は、眼窩《がんか》が落ち、肉が腐れ、次第に干からびていく。 (ああ……)  重右衛門ののどぼとけが大きく動いた。重右衛門は下唇《したくちびる》を噛《か》み、まなじりを拭《ぬぐ》った。 (死ぬのか、わしも……)  底知れぬ穴に落ちこむような恐怖が、全身をつらぬいた。  が、やや経《た》って重右衛門は、 「わしが先に死んではおられぬ」  と、眉《まゆ》を上げた。すべての水主《かこ》たちの最期《さいご》を見届けぬうちに死ぬことは、無責任に思われた。 (まだ、うすい斑点だで、あるいは消えるかも知れぬ)  かすかな希望が、重右衛門の胸のうちに甦《よみがえ》った。 「そうじゃ。気を取り直さねばならぬ」  痩《や》せても枯れても、この宝順丸の船頭だと、重右衛門は自分自身を叱咤《しつた》した。すると不思議に心の動揺がおさまった。  心に平静が戻《もど》ると、俄《にわか》に死が恐ろしくなくなった。覚悟が定まったのだ。  重右衛門はしばらく目をつむって、自分のなすべきことを考えてみた。その第一は、水主たちを如何《いか》に励ますかであった。絶望的な生活の中で、死におびえる水主たちを、如何に力づけるかであった。そして次には、船長《ふなおさ》日記を、より克明に書き記すことであった。船長日記は、いつか読むかも知れぬ遺族のためにも必要なのだ。 (そうじゃ。遺言状も早めに認めたほうがよい)  そう思うと、重右衛門は一層心が落ちついた。  遺言状さえ書いておけば、いついかなる時でも従容として死ねるような気がした。やがて重右衛門は静かに立ち上がって、水主部屋に入って行った。  水主たちは重右衛門を見ると、口々に朝の挨拶《あいさつ》をした。毎朝の、見馴《みな》れた光景だ。が、今、重右衛門は胸の熱くなるのを覚えた。 (まだ十二人生きている!)  一人一人がいとおしく思われた。重右衛門はいつもの座につき、神棚《かみだな》に向かって手を合わせた。水主たちも手を合わせた。が、口から出る言葉は様々であった。 「南無阿弥陀仏《なむあみだぶつ》」 「伊勢大神宮様」 「金比羅大権現《こんぴらだいごんげん》様」 「船玉《ふなだま》様」 「南無妙法蓮華経《なむみようほうれんげきよう》」  等々、低くとなえるその声が、一つになって異様な呻《うめ》きのように聞こえた。それらの声もやがて途絶え、深いため息が水主《かこ》たちの口から洩《も》れた。その中に|炊頭|《かしきがしら》勝五郎の疲れ切った顔が、ゆらゆらとゆらいでいるのを重右衛門は見た。      二  明日は五月という夜、勝五郎が死んだ。勝五郎の死は、水主たちを打ちのめした。長い間、勝五郎の手による食事を取ってきた水主たちにとって、その死は大き過ぎた。米以外にはほとんど何もない中で、勝五郎は実に心を配って、食事を調《ととの》えてくれた。元日に、飯《めし》をこねて雑煮《ぞうに》をつくってくれたのも勝五郎だ。自分の枕《まくら》の小豆《あずき》を取り出して、元日の夜、小豆飯を炊《た》いてくれたのも勝五郎だ。勝五郎はみんながそば殻の枕を持っている中で、一人小豆を入れた枕を持っていたのだ。ある時は、一口ほどの小さな握り飯を、ある時は三角の握り飯をと、握り飯一つつくるにも、形を変えてつくってくれた。自分が床に打ち臥すようになってからでも、 「今日は粥飯《かゆめし》がよい」  とか、 「今日はむしろ固めの飯を、よく噛《か》んで食ってもらったほうがいい」  とか、音吉や久吉たちに何くれとなく指示していた。言わば勝五郎は、船頭の重右衛門とはまたちがった、母親的な存在であったのだ。  音吉も、勝五郎の死骸《しがい》に取りすがって泣いた。毎日あたたかい言葉をかけてくれた勝五郎の顔をさすりながら、しゃくり上げた。兄の吉治郎の死とはまた別の悲しさであった。 (俺が水を飲まんと言ったら……お前が飲まんのなら、わしも飲まんと言って……)  音吉は、吉治郎が水を盗もうとした時、明日も明後日も水を飲まぬと約束した。その約束を守って、水を飲むまいとした音吉に、勝五郎はその二日目、 「お前が飲まんのなら、わしも飲まん」  と言ってくれたのだ。この一言で、音吉は水を飲むことができた。のどがひりつくような渇きの中で、あの時の勝五郎の言葉ほど、ありがたい言葉はなかった。まだ元気だった頃《ころ》、水主《かこ》たちは時折卑猥《ときおりひわい》な話をした。その度《たび》に、 「ここには音も久もいるだで、いい加減にせんかい」  と、たしなめてくれたのは勝五郎だった。それでも話がやまぬ時は、 「お前ら、胴の間で休んで来い」  と、二人に言ってくれたものだ。その一つ一つが、音吉には今更《いまさら》のように身に沁《し》みる。とりわけ、炊《かしき》の仕事に真実こめて取り組んだその生き方は、音吉には忘れ難いものだった。  勝五郎の死んだ夜、音吉は米を磨《と》ぎながら、釜《かま》の中にとめどなく涙を落とした。米の磨ぎ方から、水盛りの仕方まで、きびしく、しかし親切に教えてくれた最初の日が思い出されてならなかったのだ。 (何で人は死なんならん) (死んで一体、どうなるんやろう)  勝五郎の死後、音吉は幾度も幾度もそう思った。  が、勝五郎の死を存分に悲しむ間もなく、その三日後に千之助が死に、二日置いて三四郎が死んだ。十四人の乗組員が、九人になってしまったのだ。死ぬ者は皆、体が腫《は》れて死んだ。  不思議に元気なのは、音吉、久吉そして岩松の三人であった。病人の中では、仁右衛門と重右衛門、そして辰蔵がまだよろめきながらも、大小便の用を足すことができた。  だが、日一日と、誰も彼もが死に近づいていることを否《いな》めなかった。元気な岩松たち三人にしても、日毎《ひごと》に体力の衰えは感じていた。既《すで》に五人が死んだこともあって、船の中には陰鬱《いんうつ》な空気がよどんでいた。  今日も朝から、水主《かこ》たちの大方《おおかた》は寝たままで思い思いの愚痴《ぐち》を言っていた。 「先に死んだ奴《やつ》が羨《うらや》ましいな」 「そうだ、そうだ。今日か明日かと、自分の番を待っているのは、もうやりきれんわ」  呂律《ろれつ》も怪しくなった政吉が言う。 「女房の奴、俺のこの苦しみも知らねえで……」 「知るわけないさ。とうに死んだと思っているやろ」 「みんな死に絶えるのかなあ」 「そうに決まっとるで。恨《うら》みつらみなしや」  利七がふてくされたように、天井を見たまま言う。 「だが、音や久は、いやに元気だぜ」 「まだ餓鬼《がき》だからよ。しかし、あいつらだって、今に黒い斑点ができるでな」  大息をつきながら、辰蔵が干割れた唇《くちびる》をなめる。 「しかしなあ、何で岩松には……黒い斑点ができんのかな」  恨めしげに誰かが言った時だった。岩松が部屋に入って来た。みんなはひたと口をつぐんだ。 「おいみんな。これを見てみろ」  岩松が、短い刺し子の前をまくった。太股《ふともも》にうす黒い斑点があった。 「舵取《かじと》りさん!」  久吉と音吉が同時に叫んだ。誰の目にも驚きの色が浮かんだ。岩松だけは不死身のように思っていた。岩松だけは、いつまでも元気でいると思っていたのだ。 「舵取りも、体がだるいだろうが……」  仁右衛門が弱々しくいたわった。 「何、大丈夫だ。みんなも気を確かに持てば、病気に打ち勝つことができる筈《はず》だ」  岩松は腰をおろした。 「打ち勝つことができる? どうやってだ? 舵取り」 「第一は気力だ」 「第二は?」 「第二も気力だ」 「第三は?」 「第三も気力だ」 「なあんだ、それだら助かりっこあらせん」  がっかりしたように、利七は枕《まくら》に頭をつけると、半泣きになった。 「すぐにべそをかきやがる。いいか、みんなも知ってのとおり、この船に二月|頃《ごろ》から貝がついた。小指の先程《さきほど》の小さな貝で、食うこともできなかったが、俺が見てきたところでは、もうそろそろ食えるで」 「えっ!? ほんとか!」 「そ、それはほんとの話か!?」  みんなが声を上げた。 「何で嘘《うそ》をつかんならん。久公、音、腰に縄《なわ》をゆわえて、ざるに一杯取ってこい。何貝か知らねえが、貝は体の薬だでな」  仁右衛門と辰蔵が、いつのまにか布団の上に起き上がっていた。 「それに、もう一つ……」  と、岩松はみんなの顔を見渡して、 「ありがてえじゃねえか。船に藻がついたで。藻も体にはいい筈《はず》だ」 「そうか! 藻がついたか」  仁右衛門が喜んだ時、常治郎が嘆いた。 「船に貝や藻がつくほど月日が経《た》ったのか」  常治郎は声を上げて泣いた。と、常治郎の泣き声に誘われて、水主《かこ》たちは次々に泣いた。仁右衛門が怒って、 「この馬鹿共がっ! 折角《せつかく》、貝と藻が口に入ると言うのに、それを恨《うら》む馬鹿がどこにおる! さ、みんな、知っている限りの神や仏にお礼を申し上げるのじゃ。お礼をな」  叱られて水主たちは、寝たままで口々に神や仏の名を呼んだ。  そのひと時が過ぎると、利七が言った。 「おやじさま、神や仏の名を口々にとなえても、もしかして忘れた神や仏があったら、罰《ばち》が当たらねえかなあ」  仁右衛門が答えた。 「それもそうだ。何しろ日本には、たくさんの神々がおられるでな。よし、舵取《かじと》り、すまんが、半紙に神や仏の名を、次々に書いてもらえんかのう」 「そうだ、そうだ。失礼した神がたくさんござるぞう、こりゃあ。その神罰《しんばつ》もあるかも知れせんでなあ」 「早く書いておきゃよかったなあ」  岩松は、船頭部屋から、二、三十枚の半紙と、筆と硯《すずり》を借りてきた。みんなは色めき立って口々に神の名を上げはじめた。 「先《ま》ず伊勢大神宮だ」  言われたが、岩松は「熱田宮」と書いた。自分が拾われたのは熱田の宮の森だ。熱田の神に自分は守られていると、岩松は近頃《ちかごろ》しきりに思うようになった。他の者が次々に倒れていっても、なぜか岩松には壊血病《かいけつびよう》は取りつかなかった。それで岩松は、熱田の宮で拾われた自分には、特別の加護があるのだと思うようになっていた。ところがその岩松の太股《ふともも》に、うす黒い斑点があることを、岩松は三日程前に見いだした。さすがの岩松も、一時は絶望感におちいったが、しかしなぜか、自分だけは死なないような気がした。それは理屈ではなかった。熱田の宮に対する絶対的な信頼であった。そして今日、岩松は船腹に小指ほどの貝がついていたことを思い出し、自らの目で確かめた。船腹には青い藻が苔《こけ》のようにへばりついていた。その藻の傍《そば》に親指の腹|程《ほど》に大きくなった貝の群れを見つけたのだ。  黒い斑点が出来るのは、野菜の欠乏のためだと水主《かこ》たちは知っている。海藻は野菜ではない。が、恐らく野菜と似たものにちがいないと岩松は思っていた。 (やっぱり俺は守られている)  だから今、真っ先に熱田宮の名を書いたのだ。 「伊勢大神宮」「金比羅大権現《こんぴらだいごんげん》」などと、次々に二十程書きつらねたところで、水主たちは、はたと詰まった。と、誰かが言った。 「そうだ。京都の加茂《かも》神社があった」 「江戸の神田《かんだ》の大明神《だいみようじん》も有名だぜ」  話し合っては、また書きつらねていく。どこの社寺にも失礼のないようにと、水主たちは真剣だった。余りにも素朴な信仰ではあった。      三  貝と藻の採《と》れた翌暁《よくぎよう》、岩松は三役部屋で目を覚ました。岩松が最初寝ていた一の間には、岡廻《おかまわ》りをはじめ五人の遺体が置かれている。今三役部屋には岩松が一人寝ていた。この部屋で、岡廻りと吉治郎が死んで行った。縁起をかついで、誰もこの三役部屋には寝ようとしない。  目を覚ました岩松は、昨日とは打って変わって、気力が体に充実しているのを感じた。 (貝と、藻を食ったせいか)  食い物とは恐ろしいものだと思いながら岩松はすぐに胴の間に出た。太股《ふともも》の斑点が気になるのだ。早朝の海はまだ青黒い。岩松は右足の太股に目をやった。心なしか斑点がうすれて見える。岩松ははっと目を凝らした。 (まだまだ日が出ないせいかな)  岩松は右足を船端に高く上げ、まじまじと斑点を見た。やはりうすくなったような気がする。 (こんなに効き目があるものか)  岩松は頭をひねった。そして思った。 (そうかも知れん)  毒を飲めば、たちまち毒に当たる。同じように、薬になるものを食えば、てき面に効能があるのかも知れない。岩松は単純にうなずいた。ともあれ、昨日とは打って変わって全身に生気《せいき》が満ちている。 (やっぱり俺は熱田の宮の申し子だ)  岩松は独り言を言った。そして、碇《いかり》の綱のつけ替えを今日はしようと、心に決めた。この二、三日、心にかかっていたのだ。舳《へさき》には、碇が垂らされている。その綱がすり減って、取り替えねばならなかったのだ。だがそれをする気力が、さすがの岩松にもこの幾日か失われていた。 (まだまだ貝はある。藻もある)  この千石船《せんごくぶね》は長さ十六|間《けん》、幅五間はある。その船腹や船底についた貝や藻は、決して少なくない筈《はず》だ。そう思って岩松は安心した。 (大丈夫だ。まだ死ぬことはねえ)  船縁にもたれて岩松は眼下の海を見た。と、その岩松の目が光った。何かがひしめいている。 「おおっ! 魚だ!」  その声に応えたかのように、空中に魚が飛んだ。さすがの岩松も、あわてて水主《かこ》部屋に走った。 「おいっ! 魚だ! 魚だぞ」 「何!? 魚?」  真っ先に飛び起きたのは久吉だった。  つづいて音吉も飛び起きた。 「みんな待っていろ。たくさん釣《つ》ってやるで」  岩松は胴の間に取って返した。釣り道具は三の間にある。  岩松が竿《さお》の一つを手に取り、船端に寄ると、久吉も音吉も同じように竿を手にして岩松に並んだ。 「銀流しやないやろな」  台の上に上がった久吉が呟《つぶや》いた。父親と共に魚を獲っていたから漁のことは詳しい。 「銀流し? それ何のことや」  音吉が尋《たず》ねた。 「銀流しってな、魚が横になって、銀色の腹を見せて泳ぐことや。腹が一杯の時はそうするんや。だから銀流しは釣《つ》れんのや」  言いながら、久吉は海を見やった。が、 「大丈夫や、銀流しではあらせん」  と、バケを海に放りこんだ。 「さすがは久公、鮮やかだな」  岩松も、音吉もバケを放りこんだ。バケは牛の角《つの》で鰯《いわし》の形に作ったものだ。つまり餌《え》である。その尾の部分はフグの皮で包み、そこに釣り針があった。  岩松がバケを放りこむとほとんど同時に、ぐぐっと強い手応《てごた》えがあった。と見る間に、竿《さお》が大きく弓なりに曲がった。胸がとどろく。岩松の両手に力が入る。腰を落とす。太い釣り糸が棒のように張る。と、二尺|程《ほど》もあるかと思われる魚が海面を離れ、みるみる空中に踊った。次の瞬間、魚は胴の間に落下し、ばたばたと音を立てて跳《は》ねまわった。 「鰹《かつお》だっ!」  岩松が叫んだ時、久吉の釣り上げた鰹が、胴の間の板に叩《たた》きつけられた。 「釣れたっ!」  つづいて音吉が叫んだ。岩松は暴れる鰹を鷲《わし》づかみにして、針を外《はず》した。はち切れそうに油ののった紡錘形《ぼうすいけい》の鰹は、背が青黒く、腹は銀白色だ。その銀白色に、四、五本のうす黒い筋が縦に走っている。三匹の鰹が朝日を弾いた。 「鰹だっ! 見事な鰹だ!」  三人は亢《たかぶ》る思いを抑えて、次々にバケを投げこむ。二、三十本も釣《つ》り上げたところで、岩松が早速刺し身にした。水主《かこ》たちはその刺し身をものも言わずに食った。  食い終わって、はじめて利七が大声で言った。 「こんなうまい刺し身を食うたことはあらせん」 「全くだで。天の恵みや、これは」  仁右衛門が答える。 「神々の名を書いたのが、よかったのやのう」  重右衛門も言う。と、岩松が、 「まさか、こいつら貝を食いに来たわけじゃないやろな」 「なるほど、貝をなあ」  誰かが答えると、重右衛門が、 「この鰹《かつお》はおもしろい魚でのう。鮫《さめ》に蹤《つ》いて歩くことがあるそうや」 「鮫に?」 「そうじゃ。鰹の群れが鰯《いわし》を取り巻く。すると鮫はその鰯を横取りする。だがの、言ってみればこれは賃金じゃ。鰹を食いに来るマカジキなどを追っぱらってくれるのじゃ」 「なるほど。持ちつ持たれつか」 「そうじゃ。それを鮫附《さめつき》と言ってな。鯨《くじら》につくのが鯨つきじゃ。ところがの、何を勘ちがいしてか、鰹《かつお》は古木にもつくそうじゃ。これを木附《きづき》と言うそうじゃ。この鰹共も、宝順丸を鮫《さめ》か鯨とまちがえて、ついてきたのかも知れせん。何《いず》れにせよ、神々や仏のお蔭《かげ》だ。ありがたいことよのう」  音吉は久しぶりに、人間の世界らしい会話を聞く思いがした。昨日の貝、そして藻に引きつづいて、今日の鰹が、一人一人に生きる力を与えたようであった。  残った鰹を、岩松、久吉、音吉の三人は、煮付けにしたり、干したりしながら、昼過ぎまでひとしきり忙しく立ち働いた。だがその夜、またしても一人が死んだ。政吉であった。既《すで》に、鰹も、貝も、政吉の生きる力にはなり得なかった。 [#改ページ]   再び重右衛門日記      一   五月十一日  西風弱し。曇天《どんてん》なり。  昨夜、政吉|敢《あ》えなくなりたり。折角《せつかく》のうまき鰹《かつお》も、政吉の病いを癒《い》やすこと能《あた》わざりき。政吉にて六人目なり。あとに残る者、仁右衛門、岩松、辰蔵、利七、常治郎、久吉、音吉の八人なり。次に一人死なば半数となるなり。いと心|淋《さび》しきことなり。通夜《つや》終わりて仁右衛門言う。政吉を納むる空樽《からだる》なしと。吾《われ》答う。岡廻《おかまわ》りを海に送らむかと。利七言う。それは酷なり。されど樽なければ、吾言う。海に入らばあるいは故国を指して泳ぎつくやも知れず。利七あくまで反対す。仁右衛門言う。かかる大事は伊勢大神宮に問い給えと。久方ぶりに、み告《つ》げを占う。紙二つに、〇印と×印を記し、×印|出《い》ずればこのまま船に置くべしと定む。み告げは〇と出でたり。岩松、久吉、音吉の三人にて、岡廻りを海に送りぬ。その髪のみ剃《そ》ぎて、仏壇に祀《まつ》れどもいたく淋し。岡廻り二度死にたる心地《ここち》にて、涙こぼれてならず。その樽を清めて、政吉を入れたり。これまた哀れなり。   五月十三日  四日続けて魚獲れたり。こは藻に虫生じたる故《ゆえ》ならむと岩松言う。今まで幾度となく、魚かからぬかと釣針《つりばり》を垂れたれど、雑魚二、三度釣れたる外《ほか》は、かかる見事なる魚に会わざりき。黒き斑点体に現れ、身も心も弱りいたることなれば、この鰹《かつお》、神の使いの如く思おゆ。死にたる政吉の外は、この鰹四日つづけて食いし効目《ききめ》現れたり。辰蔵も利七も、人心地つきし顔にて、胴の間にふらふらと歩む程に回復す。仁右衛門然り吾《われ》然り。八百万《やおよろず》の神々に朝夕礼を申し上げざるべからず。   五月十七日  晴天。  足の痛み手の痛み去りて爽《さわ》やかなり。この分ならば、再び生き長らうる望みあり。故里にては何の花咲く頃《ころ》か、思いたるのみにて、胸熱し。  利七、辰蔵、常治郎の三人、少しく元気になりたれば、朝より喧嘩《けんか》口論絶えず。浅間しきことなり。午《ひる》過ぎ、岩松何を思いしならむ、髪剃《かみそ》りを持ち来たりて吾らに言う。手足出すべしと。何をなすやと問うに、斑点の黒き血、切りて絞り出さんと。恐ろしきことを言い出したりと、皆顔を見合わすに岩松言う。北前船《きたまえぶね》に乗り居たる時、黒き斑点を剃刀《かみそり》にて切らば命助かると聞きたり。その時は気にもとめず今まで打ち忘れていたるが、確かに命助かるものならば、その黒き血を切り出すがよしと。利七言う。黒き血と共に赤き血も出でてとまらざらば如何《いか》になすや。死ぬより外《ほか》なかるべしと。吾《われ》も仁右衛門も、共に同じ思いなれば、またの時にすべしと断る。  されど常治郎のみ手を出す。岩松ためらいもせず剃刀にて切り、黒き血を出し、そのあとに、塩をすりこめば、常治郎|呻《うな》りを上げてまろびのた打つ。岩松恐ろしき男なり。   五月二十一日  二日二夜の嵐去りたり。激しき嵐なりき。アカ汲《く》みは岩松、久吉、音吉の僅《わず》か三人にて、さだめし難儀ならむと思えども、吾も仁右衛門も、ようやく足腰立つのみなれば、何の役にも立たず。嵐の最中。利七不意に笑い出したり。その眼|据《す》わりたる様にていと無気味なり。嵐去りて、胴の間に飛《と》び魚《うお》三尾|叩《たた》きつけられて死にいたり。   五月二十二日  四方の水平線、海とも空ともわかち難し。再び嵐来るならむかと心騒ぐ。利七、今朝《けさ》手づかみにて飯を食う。この度の嵐にて、あるいは乱心か。   五月二十三日  雨天。  朝より珍しく雨降る。例の如《ごと》く手桶鍋《ておけなべ》など、胴の間に持ち出してこれを受く。吾も仁右衛門も、ようやく元気つきて、少しく手伝うを得。驚くべきは常治郎の回復なり。吾らより齢若きこと無論なれど、かの黒き斑点常治郎の体より全く消え去りたり。さては岩松が荒療治効を奏したるや。あるいは魚のはらわたすすりたるが効きたるや。何《いず》れにせよ驚くべきことなり。  夕刻、利七胴の間に出て行くを目くばせして、辰蔵に後を尾《つ》けしむ。いつ海に飛びこまんかと、ひそかに憂いいたればなり。と、胴の間にて相争う声す。何事ならむと打ち出で見たるに、利七|折角《せつかく》貯め置きし雨水に小便をばらまきいたるなり。岩松三の間より太き綱を持ち来たり、利七をろくろに繋《つな》ぎたり。利七|喚《わめ》けども岩松そ知らぬ顔なり。   五月三十日  利七朝より泣きて止まず。聞けば西瓜《すいか》を食いたしと言う。音吉共に泣きて、水を持ち来たり、これ西瓜なりと言えば、利七喜びて飲む。西瓜と水の区別もつかずなりしか、哀れなり。   六月七日  仁右衛門も吾《われ》も、昨日岩松の荒療治を受けし故《ゆえ》か、元気なり。思わざる回復なり。米あり、水あり、干したる鰹《かつお》あり、船腹には尚《なお》少しく貝あり、藻あり。早く死にし者哀れなり。されど生き残りたる者また哀れなり。思うは誰も只《ただ》、親兄弟のことなれば、流すまじと思えども涙流れざる日とてなし。利七この二、三日穏やかなり。   六月十日  朝、水垢離《みずごり》を取らんと胴の間に出ずれば、白き霧かかりて、一歩先も見えず。暗闇《くらやみ》を歩くに等し。白き闇なり。   六月十八日  再び鰹《かつお》来たり、一同勢いつく。一人利七のみ泣き喚《わめ》くなり。おばば、おばばと言うは、祖母のことならむか。明るき男なりしに、かく気が狂わんとは。人の心は計り難し。岩松の奨《すす》めにて、刺身と共に腹わたを充分に食す。魚の腹わたは野菜の代わりと岩松言いたればなり。終日、魚を煮る臭い水主《かこ》部屋に漂う。不図《ふと》部屋|隅《すみ》に妻のお紋いるが如き思いす。   六月十九日  胴の間にて日を浴びいるに、辰蔵来たりて言う。利七を同じ部屋に寝《い》ねしむるは危険なりと。何故《なにゆえ》かと問えば、利七は心狂いたる者なれば、いつ吾《われ》らを殺《あや》めるやも知れずと言う。よもやと打ち笑いて捨て置く。   六月二十五日  故里《くに》にあらば、暑さ耐《た》え難き頃《ころ》なるに、船少し北に流れいるや、程《ほど》よき暑さなり。裸にてもよし。薄き物着てもよし、凌《しの》ぎよき気候なり。故里を出でて、早|八月《やつき》を過ぎたり。さるにても何と広き大海原《おおうなばら》ぞ。八月漂いても、島影も鳥影も見えず。船影さえも見えず。この海原の果てに、果たして陸《おか》ありや。陸ありとしても、そこに辿《たど》りつくまで、生きの命のありやなしや。夢に現《うつつ》に、親兄弟、女房、子供の現れぬ日なし。恋しとも恋し。利七、この幾日か、いたく穏やかなり。正気《しようき》づきたるか。   六月二十七日  利七の綱、辰蔵ほどきやりたり。利七喜びて辰蔵に礼言う。今日も西風なり。いかなるわけにや、今日は飛《と》び魚《うお》低く飛ぶ。  岩松、今日も久吉音吉に、字を教えたり。和紙は食らうほどに積みあれば、勝手に使わしむ。岩松の教うるを聞けば、甚《はなは》だおもしろし。日と言う字を書きて、読み得るやと二人に聞く。二人はひ[#「ひ」に傍点]と答う。月を書きて再び読み得るかと聞く。二人つき[#「つき」に傍点]と答う。明と書けば二人読めず。日と月と共に出ずれば明るかるべし、これ明るしと読む。二人手を打ち叩《たた》きて感心す。日を書き、その下に生と書きて、星は日より生まれしものぞと教う。二人打ちうなずきて喜ぶ。それを眺《なが》めていて、常治郎笑う。この大海にいて、誰に文《ふみ》を書かんとて字を習うや。久吉音吉顔を見合わせたり。常治郎かく言うはいつものことなり。   六月晦日  西風やや強く波荒し。  辰蔵、梯子《はしご》を登りて櫓《やぐら》に出で行く。利七つづきて登り行きたり。利七この頃喚《ごろわめ》かず泣かず、いたく無口なり。居て居ぬが如し。ややありて、二人部屋に降り来たり、何処《いずこ》にも何も見えずと言い、打ち伏したり。   七月七日  この日|七夕《たなばた》なり。故里《くに》にては、門に竹を立て、星祭りの賑《にぎ》やかなる宵なり。一同打ち出でて夜空を仰ぐに、幸か不幸か、空に薄雲かかりて、星二つ三つ見ゆるのみなり。一同言葉なく、早々に寝たり。辰蔵の嗚咽《おえつ》につづきて、常治郎、仁右衛門、音吉、久吉と、みな泣き出ず。吾《われ》しばし黙念と坐《すわ》りいしが、耐えかねて己《おの》が部屋に入り、涙|拭《ぬぐ》う。三役部屋に、岩松一人|如何《いか》にありや。   七月十日  一日、さすがに暑し。故里の夏に相似たり。利七の目、時折《ときおり》また据《す》わりはじむ。が、おらばずおとなしき故《ゆえ》、綱には繋《つな》がずに置く。一日快晴。ひと雨欲しき思い切なり。   七月十五日  盆の十五日なれば故里の者共、吾らの新盆《にいぼん》なせるべし。施餓鬼《せがき》にはひやむぎ持ちて、檀家《だんか》こぞりて良参寺に集まりたりき。胡瓜《きゆうり》、茄子《なす》、西瓜《すいか》、里芋《さといも》、桃など持ち行きしことなど思い出すなり。わけても新盆を迎うる家は、三角袋に米を入れて捧げしものなり。吾が家族も今年は三角袋を持ち行きしか。あれを思いこれを思いて一日過ごす。久吉言う。盆踊りの太鼓の音恋しと。   七月二十一日  今日も雨降らず。僅《わず》か八人の者なるに、なかなか心ひとつとならず。わけても、辰蔵、常治郎、ともすればいがみ合い、罵《ののし》り合うなり。この二人、世界の涯《はて》に二人になりても、かくは争うべしと、仁右衛門|呆《あき》れて吾に言う。      二   七月二十七日  西風。波のうねり大きく、何事も物憂《ものう》し。南の方に雲高し、真白き入道雲なり。  朝早く、水主《かこ》部屋より泣き声聞こゆ。何事かと入りて行くに、音吉床に伏して泣き居たり。かかることかつてなかりし故《ゆえ》に、皆口々に声をかく。されば音吉答えず。ますます声を上げて泣く。泣きやみし後、音吉言う。故里《くに》の夢を見たりと。父の声、母の声まざまざと聞こえ、その暖かき膝《ひざ》に手を触れしに、そは夢なりしと。恋しさにこらえ難くなり、泣きしとなり。  音吉利発なれぱ、吾《われ》ら大人よりもすべてにこらえ忍び居たりしが、その心の中の思い、今朝《けさ》は涙となりてあふれたるなり。僅《わず》か十五歳なれば、その涙いと哀れなり。  利七、一日部屋の片隅《かたすみ》によりて動かんとせず。ぶつぶつと独《ひと》り言《ごと》を言うのみなり。   八月三日  西風ややに激し。晴天なり。波|時折《ときおり》船端を越えてしぶく。嵐というにもあらざれど、アカ少し船倉にたまりたり。岩松、辰蔵、音吉、久吉も一日よく働らきたり。   八月十日  夜に至りて、久吉言う。小野浦の海に、時折火の玉飛びたり。されどこの大海にては見しことなし。如何《いか》なる故《ゆえ》にやと。音吉も故里を思いて言う。夏ともなれば、浜に櫓《やぐら》を立て提灯《ちようちん》を数多吊《あまたつ》るしたるなり。この灯《あか》りを慕いて蟹《かに》寄りきたり、女も子供も手桶《ておけ》に拾いたりしと。  目をつむれば、故里《くに》の山、家、人など、まざまざと目に浮かぶに、ああ再び見《まみ》ゆる日のありやなしや。   八月十五日  一日|曇天《どんてん》。風穏やかなり。  朝より皆々小野浦のことを言い出ず。今日は八幡社の祭りなればなり。久吉言う。三年前の今日、御蔭参《おかげまい》りより小野浦に帰り着きたりと。彼《か》の日の如く、如何《いか》にもして故里に帰り着きたしと。一同打ち沈みて答える者なし。やがて岩松言う。必ず帰るべし。心を強く持ちて、必ず必ず帰るべしと。その言葉に一同声を上げて泣きたり。   八月二十九日  本日もまた西風なり。この大海は西風以外は吹かざるか。何やら侘《わ》びしき心地《ここち》して、今日も只《ただ》漂い行くなり。陸にありて、これほど耐え忍びて生くるならば、如何なる苦難もいと小さきことなるべし。昨夜吉治郎の夢を見たり。吉治郎小野浦の海べを泳ぎて何か喚《わめ》きいたり。月|皎々《こうこう》と照らして、吉治郎の顔|物凄《ものすご》く見ゆ。覚めて心に残る夢なり。されど音吉には言わず。武右衛門も如何にあるかと心にかかるなり。   九月二日  風穏やかにして波また穏やかなり。  音吉、久吉、おとなしく筆にて何か紙に書きつけ居り。うしろよりのぞき見るに、饅頭《まんじゆう》、あけび、煎餅《せんべい》、ぜんざい、大根、茄子《なす》、人参《にんじん》、鯛《たい》、鰯《いわし》などなど、食物の名をつらね居り。何を書き居るやと問えば、久吉答えて言う。食いたきものの名なりと。悲しきことなり。音吉、久吉共に、漢字をかなり覚えたることも悲し。  利七、この二、三日元気なり。   九月四日  今日は何という悪日ぞ。岩松音吉、朝飯《あさめし》に握り飯と藻の酢の物を調《ととの》えくれたれば、一同|殊《こと》の外《ほか》うましと食いたるなり。その後、辰蔵|梯子《はしご》を登りて櫓《やぐら》に行く。これ辰蔵の慣《なら》いなり。辰蔵は来る日も来る日も飽くことなく島影見ゆるを望み居たるなり。櫓に登りて手枕《てまくら》をし、何処《いずこ》にか島見えんと一日待ち居たるなり。その辰蔵の後を、珍しく利七追い行きたり。日頃水主《ひごろかこ》部屋の片隅《かたすみ》に籠《こも》り居し利七、ようやく元気になりしかと話し居りしに、突如《とつじよ》大声にて叫ぶ声櫓の方より聞こゆ。仁右衛門|苦々《にがにが》しげに又|喧嘩《けんか》なるべしと言う。岩松、梯子を登りて仲裁に行きしが、直ちに大声にて吾《われ》らを呼ぷ。二人の姿なしと。皆々打ち驚きて登り行くに、辰蔵も利七も姿なし。岩松、腰に綱を結びて辺《あた》りを泳ぎ探しまわれど、如何《いか》なることにや、遂に二人を見出《みいだ》す能《あた》わず。かくて皆々語り合う。恐らく利七、うしろより辰蔵の首を締め、諸共《もろとも》に櫓より海に落ち、沈みたるべしと。さるにても、辰蔵も利七も泳ぎ得る者なるに、海の中に欺《か》くも脆《もろ》くも果てしものなりや。今にして思えば、辰蔵虫の知らせたるにや、利七を同じ部屋に寝さしむるは危険と言いしことありき。いつ吾《われ》らを殺《あや》めるか知れずと言いき。よもやと思いて打ち捨て置きしこと、只々《ただただ》悔ゆるのみ。遂に総勢六人となりたり。夜、遺骸《いがい》なき二人のために経を読む。   九月十日  さるにても激しき嵐なりき。常治郎言う。辰蔵の霊、海に入りて暴れたるにやと、四日四晩腹わた飛び出さんばかりの揺れようなりき。貝と藻にて、黒き斑点も消え、体の節々の痛みも去りたりしに、この度の嵐には足腰再び立ち得ぬかと思うほどに疲れ覚ゆ。船今天にありと思うに、たちまち谷底に引きずりこまれ、次にまた波の山に高々と上るなり。打ちこむ波の激しく、アカたちまち膝《ひざ》を没す。僅《わず》か六人の人数なれば、アカ汲《く》むのみに只々疲れ果てたり。よくもこの嵐に、船返らざりしよ、打ち砕かれざりしよ。嵐去りて生き居ること只に不思議なり。雨を二日|程《ほど》伴いたれど、潮とも雨ともわかちがたき雨なれば、飲料にすべくもあらず。伊勢大神宮よ、南無阿弥陀仏《なむあみだぶつ》よと、日頃水垢離《ひごろみずごり》を取りて祈り居たれば、斯《か》くは助かりたるか。皆々心を一つにして、只々神仏を念じたり。   九月十五日  西風早し。夕べに至りて、遠くに雷鳴聞こゆ。岩松、仁右衛門、常治郎、音吉等残りたる者の顔を順々に見つむれば耐え難く侘《わ》びし。十四人のうち八人は逝《ゆ》き、あとの六人、如何《いか》なる順に死にゆくや。  嵐の後、常治郎も仁右衛門も、吾と同じくいたく疲れたる様なり。   九月十七日  常治郎、今日も床に臥す。吾《われ》も起き難し。胴の間に出ずるさえ物憂《ものう》し。岩松、吾が体を半刻余りも擦《さす》り呉るるなり。  岩松に、何故《なにゆえ》に疲れざるやと問えば、吾は熱田神宮の守り厚ければと、言葉少なく答えたり。信心|篤《あつ》ければ、不安少なきものなり。不安少なければ、顔の色艶《いろつや》又よきものなり。されど岩松は、只《ただ》信心のみにて健《すこ》やかなるや、天性《てんせい》心のうちに動ぜざるものありて、健やかなるや、計り難し。いつまでも心の底のぞき難き男なり。   九月十八日  常治郎、遂に再び黒き斑点出でたり。鰹《かつお》の大群幾度か来たりて、その度《たび》に助けられしも、船に付きし藻も貝も、おおよそ食われしためなり。恐ろしき死の淵に吾も立ちたる心地《ここち》す。常治郎、力落とすこと限りなし。   九月二十一日  晴天、風やや強く、波頭白し。糠《ぬか》喜びと言うは、喜ばざるより悪《あ》し、身心に悪し。夕刻近く、櫓《やぐら》に登り居し久吉|慌《あわただ》しく叫ぶ。船見ゆると。急ぎ岩松、音吉、仁右衛門らと櫓に登る。南の方《かた》に確かに船影見ゆ。俗に、帆影七里船影三里と言うなれぱ、ともかく近き所に船あるなり。早速|舵《かじ》をまわして船影に吾が船を近づけんとす。彼方《かなた》よりも、こなたの船見ゆるならんと、久吉音吉狂喜して声を限りに叫ぶ。聞こゆる筈《はず》なしと言えども、手をふり叫びて止まず。  彼方の船、向きを変えたる如く見えたれば、さては気づきたるやと、胸|轟《とどろ》けり。何処《いずこ》の船なるか知らざれど、とにも角にも助け呉《く》るるべしと吾《われ》ら言う。然るに仁右衛門言う、必ず助け呉るるとは限らず。海賊船なるやも知れずと。帆の形、異国の船と思えど、彼の船に人ありと思えば、只《ただ》に心奮いて近づくを待つ。  ややありて一同、衣服を更《あらた》めんと言い、急ぎ水主《かこ》部屋に戻《もど》り着更《きが》えたり。部屋の内乱れ居るは、これ日本の恥と、部屋ぬちをも整え再び櫓《やぐら》に戻る。櫓に戻れば、こは何と言うことぞ、確かに此方《こなた》に向かいて進み来しと見えし船の、いつしか向きを変えて去り行くなり。  久吉言う。此方《このほう》に人影見えずして、無人の船と思いしならむと。さほどまでは近寄らざりしかば、さりとは思えず。いかなる故《ゆえ》に去り行きしならむや。一同声もなく櫓に坐《すわ》りこみたりき。   九月二十七日  風寒し。遂に常治郎命絶えたり。人の命はげにも儚《はかな》し。昨夕、その母の名をしきりに言い居りしに、も早その口動くことなし。この度斑点出でし折《おり》、岩松又|剃刀《かみそり》にて黒血を出さんと言いたるに、常治郎固く拒みて受けつけず。死ぬる方《かた》よしと言い張りて聞かざりき。生くるより死ぬるは楽なりと、吾もこの頃《ごろ》は同じことを思うなり。この大海余りに広ければ、漂うことに吾又|倦《う》みたり。   十月七日  去年の今日、小野浦の港を出でしを思う。遂に一年、この大海に漂いたり。長き長き一年なりき。苦しき悲しき一年なりき。されどこの苦しき漂流も、やがて終わるべし。吾《わ》が手首に黒き斑点出でし故《ゆえ》なり。吾《われ》も又、常治郎と同じくこの黒き血を切り出さむとは思わず。生くるに倦《あ》きたればなり。  松の木立に手を振りて居しお琴思われて悲し。お琴も甚一も達者なりや。重二郎も駈《か》けまわり居るべし。   十月八日  この頃《ごろ》、天気を記すことさえ怠り居り。終日部屋に籠《こも》り居ればなり。米と水あらば、人間死ぬることなしと思い居しが、そは陸に居りてのことにて、海の上にては然らず。  去年の今日ならむか、岩松が家を尋ねて、今一度船に乗りてくれぬかと乞《こ》いしは。かの日岩松の膝《ひざ》にありし赤子思えば胸痛し。老いたるその父その母、かの美しき妻女もまた哀れなり。   十月九日  人数|僅《わず》か五人となりたる故、飲み水に困らず。らんびきも久しくなさず。これ喜ぶべきことか、悲しむべきことか。この頃食欲とみに衰う。   十月十日  外は雨なりしと。膚《はだえ》寒くなりたり。  去年の今日、熱田を出でしが、そのこと言う者なし。吾《われ》も言わず。今日も一日、部屋に臥したり。   十月十一日  筆を取るさえ物憂《ものう》し。足痛し。歯ぐきより血出でて生臭《なまぐさ》し。   十月十二日  お紋——南無阿弥陀仏《なむあみだぶつ》。   十月十三日  お琴、甚一、父上。お紋。さらばさらば。   十月十四日  宝順丸、ああ——      三  重右衛門の日記はここで終わっていた。重右衛門が死んだのは、それから十日目である。その日、初めて雪が降った。ほんのひと時の間だった。が、雪は斜めに鋭く降った。その雪の降るさ中《なか》に重右衛門は死んだ。 「仲ような……」  それが重右衛門の最後の言葉であった。父源六の名も、妻の名も、子供たちの名も呼ばなかった。残されたのは、仁右衛門、岩松、久吉、音吉の四人となった。しかもその仁右衛門の足首には、既《すで》に死のしるしである斑点ができていた。  侘《わ》びしい通夜《つや》であった。仁右衛門は時折《ときおり》体を横たえながら、低い声で経を読んだ。一人岩松の声だけが、はっきりと聞こえた。久吉、音吉は、只《ただ》しゃくり上げながら口を動かすだけであった。 (やっぱり親方さまでも死ぬんやなあ)  音吉はつくづくと思った。なぜか船頭というものが、自分たちとはちがった人間のように思っていたのだ。そう易々《やすやす》と自分たちに先立って死ぬとは思わなかった。 (この次は水主頭《かこがしら》か)  限りなく気が滅入った。喧嘩《けんか》をしても、つかみ合いをしても、仲間たちが生きていたのは、よいことだったと改めて思う。 (水主頭の次は誰や?)  そう思って音吉はぞっとした。自分かも知れない。久吉かも知れない。あるいは岩松かも知れないのだ。久吉が死ぬのは、思っただけでも吾《わ》が身を引き裂かれるような気持ちだった。と言って、岩松に死なれるのは、太陽が天から落ちるようなものであった。音吉は心の底で、自分がどんなに岩松を頼りにして来たかを、しみじみと思った。岩松に死なれて、久吉と二人だけ残されたとしたら、到底《とうてい》生きていく気力はない。久吉と二人だけの、この大海での生活を思うと、目の先が真っ暗になる思いであった。 (親方さま! 何で死んだんや。もうこれ以上誰も死なんといてくれ)  音吉は心の中にお琴を思い、船玉《ふなだま》に祈った。 (わしには、お琴の髪を納めた船玉さまと、兄さの魂の守りがあるでな)  そう自分に言い聞かせた時、読経《どきよう》は終わった。重右衛門の死体もまた樽《たる》に納められた。政吉の遺骸《いがい》を海に送ったあとの樽に、重右衛門は泣いているような、笑っているような顔で納められた。  その夜岩松は、船頭部屋の懸硯《かけすずり》の中に、二通の遺言を見いだした。一通は水主《かこ》たちの家族に宛《あ》てたものであり、一通は重右衛門の家族に宛てたものであった。重右衛門は、生前岩松に遺言のことを洩《も》らしたことがあった。 「生き残った者が、遺言状だけは必ず故里《くに》に持ち帰って欲しい」  その言葉を思いながら、遺言状をひらいて見た。 〈父上  思わぬ嵐に遭《あ》い、船を壊せしこと御許し下され。大事な水主たちを次々に死なせしこと、御許し下され。わしも又、先立つこと重々《かさねがさね》の不孝と、まことに申し訳なし。これ又御許し下され。世間の皆様に何卒《なにとぞ》お詫《わ》び申し伝えて下され。  お琴、甚一、重二郎、  父《と》っさまは、大きな嵐に遭《お》うて、大海の中にて死に行く。いかにもして、いかにもしてお前たちの顔を見たしと思えども、それもかなわず。心引裂かるる思いなり。この上は祖父《じじ》様|母《かか》様を大事に、姉弟仲よう暮らすべし。お琴、音吉も死ぬかも知れぬ。何年待ちても音吉帰らぬ時は、良き婿《むこ》に嫁ぐべし。 お紋、  後のこと一切《いつさい》頼む。難儀かけて相済まぬ。    天保《てんぽう》四年十月|朔日《ついたち》 [#地付き]重右衛門〉   岩松はくり返し遺書を読んだ。意外に短い遺言だと思った。十月朔日といえば、二十四日前のことだ。これだけ書くのが精一杯の体力であったのだろう。恐らく重右衛門は、まだまだ言い残したいことがあったにちがいない。その言い残したいことを充分に書ける体力のあった時は、生き残れると信じて書かなかったのかも知れない。  重右衛門は船頭としての責任感から、いつも口癖のように、 「死んでは居られぬ」  と、言っていた。恐らく、体力の限界を感ずるぎりぎりまで、遺言を書く気にはならなかったのではないか。いや、もしかすると、もっと早くに遺言を書き、縁起でもないと、それを破り捨てたのかも知れない。岩松は、短い遺言を読みながら、いつも温和だった重右衛門の心を様々に思いやった。そして思った。何としてでも、この遺言を自分が届けてやらねばならぬと。 [#改ページ]   鴎《かもめ》      一  船端を叩《たた》く波の音が、今朝《けさ》はひときわ強い。朝食もとらずに、うとうととまどろむ仁右衛門の枕《まくら》べに坐《すわ》っていた岩松は、ふっと立ち上がって水主《かこ》部屋を出た。そのうしろ姿を、久吉と音吉がぼんやりと見ていた。重右衛門が死んで一月《ひとつき》過ぎた。現《うつつ》ともなく眠っている仁右衛門のまわりに、何か侘《わ》びしい空気が漂っている。岩松が出て行くと、急に部屋の中が森閑《しんかん》とした。 (たった四人か)  思った言葉を、しかし音吉は口に出さなかった。重右衛門が死んでから、音吉も久吉も俄《にわか》に生きる気力を失った。仁右衛門は尚《なお》のことである。  音吉は、自分が仕方なく生きているような気がした。 「どこまで行っても、海ばかりやな」  一日に幾度か久吉が言う。全く久吉の言うとおりなのだ。一年以上も、島影一つ見えない海の真っ只中《ただなか》に漂ってきたのだ。これは一体どういうことなのか。どれほどこの海が広いのか。この海に行きつく果てがあるのか、幾度も幾度も考えてきたことを、音吉はまたしても思う。 (十四人もいたのになあ)  音吉は今更のように水主《かこ》部屋を見まわす。あの片隅《かたすみ》に利七がいた。辰蔵と千之助はあのあたりにいた。兄の吉治郎がよく坐《すわ》っていたのは、ろくろの傍《そば》だ。炊頭《かしきがしら》の勝五郎は、坐ったり、立ったり、いつも忙しかった。時折喧嘩《ときおりけんか》はしたが、全員が生きていた時は、賑《にぎ》やかだったとしみじみ思う。この頃《ごろ》は炊《た》く米の量もほんの僅《わず》かになった。  久吉がごろりと茣蓙《ござ》の上に仰向けになった。どこか一点をみつめて、その目が動かない。音吉は何となく神棚《かみだな》を仰いだ。神棚の傍《かたわ》らに、神々の名を記した美濃紙《みのがみ》が貼《は》られている。岩松が書いた字だ。 (こんなにたくさん神さんや仏さんがいるのに……)  音吉はひどく虚《むな》しい思いがした。一番初めに死んだ岡廻《おかまわ》りも、二番目に死んだ吉治郎も、嵐の度にどれほど真剣に拝んだかわからない。いや、二人だけではない。死んだ誰もが毎朝|水垢離《みずごり》を取り、朝に夕に、神に頼み、仏に念じた。重右衛門など、口から念仏を絶やすことのないほど、信心していた。みんな助かりたくて祈ったのだ。何とか生きのびて、故里《くに》に帰りたいから祈ったのだ。それが、祈った甲斐《かい》もなく、次々と十人も死んだ。やがて仁右衛門が死に、残った自分たち三人も死んでいくにちがいない。としたら、祈っても祈らなくても、結果は同じではないかと、音吉は思った。と、その時、寝ころんでいた久吉が言った。 「音、何考えてる?」 「うん、あの神さんや仏さんの名前を見ていたところや」 「ふーん。俺と同じやな」  乾いた語調だった。 「久吉、お前も神や仏のことを考えていたんか」 「ああそうや。俺はな音、神や仏って、もっとお慈悲のあるもんかと思っていたんや。みんな毎日、ほんとに毎日、欠かさんで祈ったんやで。頼んだんやで。どうか無事に家に帰してほしいと……」  久吉の声がくもった。 「うん、そうやなあ。ほんとにみんな真剣に祈ったわな」  兄の吉治郎や、炊頭《かしきがしら》の勝五郎が、茣蓙《ござ》に額をすりつけていた姿がありありと目に浮かぶ。 「それなのに……なあ音、順々によう殺してくれたもんやなあ」 「…………」 「わしは、神さんや仏さんほど酷《むご》い者はないと思うで。こんなに一心不乱に祈った者の命を、みんな奪ってしもうた。なあ、音、人間のわしだって……あんなに一心に頼まれたら、何とかしてやりたいと考えるで。神や仏は、人間より悪いわ、わしより悪いわ」 「久吉、そんな……そこまで言うちゃあかん。神罰《しんばつ》がこわいでな」  あわてる音吉に、久吉はにやりと笑った。 「音、わしはな、神罰なんて……何とも思わん。こう言うてわしが罰が当たって、たった今ころりと死んだって、五十歩百歩や。どうせそのうちに死ぬ命だでな」 「あかんな、そんなことを言うて」 「何や、音、お前まだ神や仏が頼みになると思うとるのか」 「……それはなあ、わしにもわからんようになった。だけどな、折角《せつかく》今日まで祈ってきたんやからな、久吉のようにそうあっさりとは言えんわ」 「ふーん、お前まだ船玉《ふなだま》さまを信じているんやな。お琴の髪の毛が入っているでな。だけど船玉さまって一体何や。人間の髪の毛に、そんな大きな力があるんか」 「…………」 「音、わしは、そんなものに何の力もないと思うわ。力があるんなら、どうして親方さまが死ぬ? 親方さまはお琴の父《と》っさまやで。自分の親を見捨てる神さんなんぞ、あるわけないやろ」 「それもそうやな」 「お琴はええ気性《きしよう》やったでな。親方さまが病んでるのを見たら、足をさすったり、背中をさすったり、きっと一生懸命看病するやろな。だけどな、髪の毛だけではな、どこをさすることもできん。人間より力がないわ、船玉さんなんて……」  久吉に言われてみると、全くそのとおりのような気がする。神や仏には、慈悲もなければ、力もないような気がする。その無力で無情な神や仏に縋《すが》るということは、一体どういうことなのか、音吉にもわからない。と言って、神や仏は、全くいないとも音吉には言えないのだ。 「久吉、もしかしたらなあ、もっと力のある情け深い神さんがいるんかも知れせんで。その神さんの名前を、書かんかったで怒っとるのとちがうか」 「音、お前、ほんとにそう思うのか」  久吉は起き上がって片膝《かたひざ》を立てた。そしてその立てた膝に自分の肱《ひじ》を置き、頬杖《ほおづえ》をついた。 「うん、それがなあ、神さんや仏さんって、わしも正体を見たことがあらせんしなあ」 「正体なんぞ、見なくたってわかるわ。第一正体なんてあらせんのよ」 「…………」 「不満そうな顔やな。だけどな、音、お前今、もっと力のある情け深い神がほかにいるんやないかって、言うたやろ。それが第一おかしいんや。ほんとうに力があって、ほんとに情け深いんなら、頼まんでも助けてくれる筈《はず》やないか」 「なるほどなあ、久吉、お前頭がええな」 「こんなこと、頭がなくたってわかるわい。だってそうやろが。俺たちだって、ほら、覚えてるだろが。小野浦の浜でよ、子供が溺《おぼ》れてばたばたした時、音と二人で助けたやないか。別に頼まれもせんかったけどなあ」 「そうやったなあ。そうかあ、ほんとの神なら、祈らなくても助けてくれるのがほんとやなあ」 「そうや。わしらが神社に行ってお賽銭《さいせん》上げるのも、守ってくれるからお礼に上げるんやろ。わしもな、八幡社に何遍《なんべん》お賽銭上げたか、知れせんで。あのお賽銭を受け取った義理だけでも、助けてくれてよさそうなものやがな」 「ほんとやなあ。神さんって、人間を守るためにあるんやろうしなあ」 「そうよ、守ってくれると思うから、ぺこぺこ頭を下げていたんや。守ってもくれせんもんに、何で頭を下げんならん?」 「…………」 「それによ、わしだって、舵取《かじと》りだって、御蔭参《おかげまい》りに行ってるんやで。御蔭参りに行ったらいいことあるなんて、あれは嘘《うそ》八百や。これこのとおりとんだ災難に遭《お》うてしもうたでないか」  うなずきながら音吉は、ひどく淋《さび》しい気がした。船玉《ふなだま》にはほんとうに力がないのか。お琴の髪の毛を納めた船玉に、音吉は限りない信頼を寄せていたのだ。 (ほんとに、神も仏もないんやろか)  口をあけて、肩で大息をついている仁右衛門を見ながら、音吉は言いようもない暗い思いに閉ざされていった。      二  時々雲間を出ていた日が、やや西に傾いて、波が少し荒くなってきたようだ。布団に寝ている仁右衛門も、右に左に大きくゆれる。漂流して二度目の十二月に入っていた。去年の十二月は暖かかった。が、今年の十二月は時折雪が降る。すぐに吹き散らされるほどの雪だが、その雪を見ると、音吉たちの気持ちは滅入った。 「北に流されているんやな」  横なぐりに降る雪を見ながら、昨日岩松が言っていた。風は来る日も来る日も南西風だ。そのためか、雪が降ることはあっても、突き刺さるほどの寒風ではない。股引《ももひき》を穿《は》く日も穿かぬ日もある。  今、岩松、音吉、久吉の三人は、所在なげに仁右衛門の傍《かたわ》らに寄っていた。船頭の重右衛門が逝《ゆ》き、仁右衛門が臥《ふせ》たっきりになってひと月半は過ぎた。  仁右衛門の体にできた薄黒い斑点は意外に濃くもならず、広がりもしなかった。だが仁右衛門は、も早起き上がる気力はなかった。絶えず肩で大息をつき、顔のむくみも次第にひどくなってきた。この幾日かは、食欲もめっきり衰え、今日も昼になって僅《わず》かひと口|粥《かゆ》をすすっただけだ。  水主《かこ》の中で一番がっしりしていた仁右衛門とは思えないほどの痩《や》せようだ。顔だけがぶよぶよと青ぶくれにむくんでいて、到底《とうてい》仁右衛門の顔とは見えない。時折《ときおり》熱も出す。寝汗は毎晩のようにかく。その度に岩松、音吉、久吉の三人が、仁右衛門の痩せた体を拭《ふ》いてやり、布団を取り替えてやった。布団は何枚もあった。死んだ者たちの残していった布団なのだ。 「水、水」  眠っていると思った仁右衛門が、力なく言った。 「おやじさん、今、持ってくるでな」  腰の軽い音吉が、そう声をかけて、部屋|隅《すみ》に行った。部屋隅には水桶《はず》が置かれてある。飯茶碗《めしぢやわん》に入れた水を、音吉はそろそろと運んで来た。岩松は仁右衛門の首をもたげさせて、その水を飲ませた。水が口の端から少しこぼれた。 「うまい」  吐息のような仁右衛門の声だ。岩松は仁右衛門の口端を、腰の手拭《てぬぐ》いでそっと拭ってやった。 「すまん。すまんな、舵取《かじと》り」  仁右衛門がしみじみと言う。 「何の」  岩松はぶっきら棒に答える。岩松たち三人にとって、仁右衛門の看病は唯一の張り合いでもあった。痩せてはいても、骨格のいい仁右衛門の、汗にぬれた寝巻きを取り替えたり、下《しも》の世話をしたり、床を移したりするのは、疲れている三人にとって、そう楽なことではなかった。が、その度に仁右衛門が、「すまん、すまん」とやさしくねぎらう声を聞く時、三人の心は和《なご》んだ。 「うまかった」  仁右衛門の片目がかすかに笑った。 「水でもうまきゃあ、大丈夫だ。水主頭《かこがしら》、あとひと月もしたら、また春が来るでな」  岩松は口端を拭《ふ》いてやった手拭《てぬぐ》いで、仁右衛門の目脂《めやに》を拭ってやった。 「舵取《かじと》り」  じっと岩松を見た仁右衛門の目に、うっすらと涙が浮かんだ。 「何や」  岩松がまたそっけなく言った。涙を見せられるのがたまらないのだ。 「わしはなあ……」 「何や」 「わしは舵取りに、あやまっておかねばならんことがあるで……」  そう言って、仁右衛門は喘《あえ》ぐように息をした。 「あやまる? 何のことや? 水主頭」  岩松が仁右衛門の顔をのぞきこんだ。音吉と久吉が顔を見合わせた。 「舵取りが宝順丸に戻《もど》ると聞いた時な……舵取り、わしは誰よりも反対したんやで」 「そりゃあ、当たり前だで。わしは御蔭参《おかげまい》りに船から脱《ぬ》け出した者だでな」 「……わしはなあ、舵取りはいい加減な男やと、はなっから決めつけていたんや」 「そのとおりや。わしはいい加減な男やで」  岩松は笑ってみせた。その岩松の顔を、久吉はつくづくと見た。音吉は、何か膝《ひざ》を正したいような気がした。 「いやいや、舵取《かじと》りはわしらとはちがう。何か知らんが、根性《こんじよう》がちがう……。なあ、音吉」  音吉はこっくりとうなずいた。が、うなずいてから、仁右衛門に悪いことをしたような気がした。 「舵取り、あやまらにゃならんのは、それだけではない」  口を半びらきにしたまま、仁右衛門は、苦しそうに息をついた。 「水主頭《かこがしら》、もういい。体に障るでな」  岩松の言葉に、仁右衛門はかすかに頭を横にふった。 「いやいや、いつか言おう、いつか言おうと思ってきたことや。このままでは、死ぬにも死ねんでな」 「…………」 「師崎の夜な、素直に舵取りの言うことを聞いて、船を出していたら、こんな目には遭《あ》わんかった」 「…………」 「あん時、鳥羽に逃げこまずに、思い切って遠州灘《えんしゆうなだ》を突っ走りゃあなあ……舵取りの言うとおりになあ」 「…………」  音吉も久吉も、仁右衛門の言うとおりだと思った。誰もが幾度となく悔いていたことなのだ。 「……舵取《かじと》り、すまんことをした。……許してほしい」 「許すなんて……ま、そんなことを気にせんで、とにかく何としてでも生きぬくことや、水主頭《かこがしら》」  言ったかと思うと、岩松はつと立ち上がって部屋を出た。  沖は灰色にくもっている。南西の風が強い。飛沫《ひまつ》が白い霧のように船の上を流れた。岩松の髪が、みるみるその沫《しぶき》にぬれた。と、その時、岩松は何かの声を聞いたような気がした。絹の声に聞こえた。が、次の瞬間それは、猫の声に聞こえた。猫の声は空に聞こえた。はっとふり仰いだ岩松の目に、白い鳥が飛んでいるのが見えた。  岩松はかっと目を見ひらいた。黄色い嘴《くちばし》が見える。 「鴎《かもめ》だっ!」  岩松の全身が震えた。今まで一年以上も海に漂っていたが、鳥の姿はついぞ一度も見なかった。それが、今、確かに、頭上に鴎が舞っているのだ。岩松は大声で叫びながら走った。 「音っ! 久っ! 鴎だあっ!」  水主部屋をあけると、久吉も音吉も、きょとんと岩松を見た。 「鴎や! 鴎だあっ!」  岩松はそう言い、仁右衛門の枕もとに膝《ひざ》をつくと、 「水主頭っ! 鴎が飛んでいる! 陸《おか》の近い証拠や」  と、声をふるわせた。音吉と久吉が、ようやくそれと知って、胴の間に飛んで出た。岩松があとにつづいた。紛《まぎれ》もなく鴎が二、三羽|啼《な》きながら舞っている。 「助かったぞーっ! 助かったぞーっ!」  岩松が声をふり絞って叫んだかと思うと、がくりと両膝をついた。その岩松にしがみついて、音吉も、久吉も泣いた。ひとしきり泣いてから久吉が言った。 「舵取《かじと》りさん! ほんとに助かったのやな。ほんとやな」 「ほんとや。鴎《かもめ》がいるのは、陸が近い証拠だでな」  岩松もさすがに男泣きに泣いていた。三人は寄り添って視線を凝らした。が、水平線と空の境目は定かではなかった。波が風に白くしぶいているからだ。 「ほんとに、神も仏もあったんやな、音」  久吉が再び声を上げて泣いた。      三  冷たい雨が降っている。赤い花が限りなく一面に咲いている。その花を、妹のさとが摘んでいた。背中に赤ん坊をくくりつけられ、その赤ん坊の足がひどく大きかった。 「さと、雨にぬれるで」  音吉が言った。と、その時、不意に琴が現れた。琴が蛇《じや》の目の傘《かさ》をさとにさしかけて、何か言っている。優しい顔だ。 「お琴、どこにいるんや!」  音吉が言うと、琴は、 「いつもここにいるやない?」  と、かぼそい声で言った。その顔が青ざめている。 (お琴はどこか病気やな)  音吉はそう思い、その琴の体に、さとの摘《つ》んだ花が効くのだと、何となく合点《がてん》した。 「その花、何の花や?」  尋《たず》ねてみたが、琴もさとも答えない。と、突如《とつじよ》、はるか彼方《かなた》から、大波が襲いかかってきて、琴の姿も、さとの姿も一瞬の間に波の中に呑《の》まれてしまった。  はっと思った瞬間、音吉は目をさました。 「何や、夢か」  呟《つぶや》いたが、胸がまだ動悸《どうき》している。琴やさとの上に、何かが起こったような気がした。 (いやな夢やなあ)  なぜ、波の中に二人の姿がかき消えてしまったのか。夢ではあっても、何かいやな心地《ここち》がした。音吉はそっと起き上がり、いつものようにかまどに火をつけた。火打ち石の音が、今朝は妙に侘《わ》びしくひびいた。琴とさとの波に消えた姿が、音吉の心にかかって離れない。  音吉はかまどの蓋《ふた》をあけて、昨日|磨《と》いでおいた米の水盛りを、改めて調べた。米だけはまだ充分にある。十四人の水主《かこ》たちのうち十人も死んだため、まだ一年や二年、米に困ることはなかった。  だが音吉は知らなかった。故国日本では、去年の天保《てんぽう》三年以来|飢饉《ききん》が始まり、天保四年の今年は、多くの餓死者が出ていたことを。そしてこの天保大飢饉が、今後何年もつづくことを、知る筈《はず》もなかった。更に、この大飢饉が、音吉たち自身の運命を大きく狂わすことになろうとは、夢想だにできぬことであった。 「音、起きたんか」  火打ち石の音に目をさました久吉がむっくりと体を起こした。 「ああ。久吉はもっと寝ていてもいいで」 「音、寝てなどいられんわ。今日の天気はどうか。陸《おか》が見えるかも知れせんでな」 「そうや! ほんとや」  琴とさとの夢に、音吉の心はふさがれていた。昨夜寝る時、明日は何より先に櫓《やぐら》の上に上がって、陸地があるかないかを見定めようと思ったのだ。まだ眠っている仁右衛門をちらりと見ながら、二人は梯子《はしご》を登って櫓《やぐら》に出た。と、既《すで》に岩松がそこに立っていた。 「舵取《かじと》りさん。お早うございます」  声を揃《そろ》えた二人に、岩松は遠く右手を指さした。昨日の雲は吹き払われて、水平線がはっきりと見える。その向こうに、帯状に白く輝く山脈が見えた。 「雲やな」  久吉がのんきな声で言った。 「ちがう! 陸や」  凛然《りんぜん》と岩松が答えた。 「陸!? ほんとか舵取りさん」 「ほんまだ。わしの目に狂いはない」 「雲とちがうか。あんなに白い陸なんぞ、見たことあらせんで」  朝の太陽が輝いている。その光を受けて遠くに輝くのは、雲か、陸か、音吉はじっと目を凝らした。雲を陸と見まちがえた苦い経験がある。が、とにかく昨日は鴎《かもめ》を見たのだ。陸が近いことだけは確かだ。岩松が言った。 「久吉、今は冬だでな。山脈《やまなみ》に雪がかぶっとるんや」 「だけど舵取りさん、小野浦から見える鈴鹿山脈は、七合目位までしか、雪はあらせんで。あんなに下まで真っ白やないで」 「久吉、ここは北やで。それにな、陸は高い所から順々に見えてくるんや。もっと近づけば、山裾《やますそ》も見えれば、家も見えてくるかも知れせん」  視線を彼方《かなた》に据《す》えたまま、岩松は深い感動の面持《おもも》ちで言った。刺し子を着、股引《ももひ》きをはいているとはいえ、この朝早くから、岩松は一人、長いこと櫓《やぐら》に上がっていたにちがいない。音吉も、大きな感動を覚えて、遥《はる》か彼方の白い輝きに目を凝らした。 (あれが陸か、陸なんやな)  この一年二か月、夢にみつづけて来た陸の姿を、音吉はじっとみつめた。陸には人が住んでおり、水があり、土がある。 (土があるんや、土が!)  こみ上げてくる思いに耐えながら、音吉は岩松の傍《かたわ》らに立っていた。ふと岩松を見上げると、岩松の頬《ほお》に涙が光っていた。音吉の目にも涙が盛り上がった。 「ほんとに陸なんやなあ」  久吉の声も泣いていた。鴎を見た時のあの喜びとはまたちがった深い思いが、胸をしめつける。風は陸に向かって吹いていた。この分だと、三日も経《た》てば着くにちがいない。音吉は白く輝く山脈から目を外らすことができなかった。 (どんな国があるんやろ)  手の甲で涙を拭《ぬぐ》いながら、音吉は岩松を見た。きりっと結んだ岩松の唇《くちびる》が、かすかにふるえている。岩松は死んで行った仲間たちのことを考えていたのだ。死んで行った大方の者は、生きる意欲を失って死んで行った。 (なぜ今まで生きていれなかったのだ)  岩松はそう問いたいような気がしていた。十四人一人残らずこの日まで生きていたら、どんなに心強かったことか。そう思う岩松に久吉が言った。 「どんな人が住んでいるんやろな。舵取《かじと》りさん」 「さあて、なあ」  岩松は、いつか一度見たことのある異人の絵を思い浮かべた。髪が縮れ、目がくぼみ、鷲鼻《わしばな》のその顔は、何とも親しみの持てない顔であった。 「舵取りさん、どんな国の人でも、人間にはちがいないわな」  音吉の言葉に、 「そうよなあ」  と、岩松は考える顔になった。故里《くに》を出て一年二か月になろうとしている。その一年二か月も経《た》たなければ、着くことのできないほどの遠い国だ。如何《いか》なる人種が住んでいるのか、見当のつく筈《はず》もない。とてつもない大男が住んでいるような気もする。鬼のような男がいるような気もする。 「色の真っ黒なのとちがうやろか」  久吉が言う。 「そうかも知れん」  二十九歳の岩松にも、海外の知識はほとんどない。北前船《きたまえぶね》に乗って蝦夷《えぞ》の江差《えさし》まで行った時に、アイヌを見たことがあった。彫りの深い、目の大きい、見馴《みな》れぬ顔立ちだったが、みな純朴な男たちであった。また、長崎の出島《でじま》には、オランダ人がいると聞いた。が、その出島には番所があり、日本人は自由に出入りができない。オランダ人もまた、勝手にその出島から出ることはできぬと聞いた。二百年に及ぶ鎖国《さこく》の中で、日本人が異国の人々に触れることはほとんどなかった。 「舵取《かじと》りさん、まさか取って食われはせんやろな」  不意に久吉が不安な顔になった。 「うん、そうやなあ」  岩松の目がかげった。折角《せつかく》陸が近いと喜んでは見ても、そこは全く未知の世界なのだ。久吉が、 「だけど、海の中よりええわなあ。土があるだけでもええわなあ」  と、自分自身に言い聞かせるように言う。 「そりゃあ土があるだけでもええ」  音吉がうなずく、とにかく海には倦《あ》きたのだ。当てどもなく海を漂う生活には倦《あ》きたのだ。 (きっといいことが待っている)  あの白く輝く山脈の下に、悪いことがあるとは音吉には思えなかった。いつのまにか、岩松が二人を両腕で抱き寄せていた。その腕のぬくもりが、音吉と久吉を力づけた。      四  岩松、久吉、音吉の三人は、もう長いこと黙りこくって、死んで行った水主《かこ》たちの柳行李《やなぎごうり》を一つ一つあらためていた。今までは、たとえ死者の行李とはいえ、他の者の行李に手をふれることはためらわれた。だが、やがて上陸する時のために、三人は、遺族に持ち帰る遺品を選びはじめたのだ。音吉は、兄の吉治郎の行李をひらいていた。紺の刺し子、膝《ひざ》のあたりの少し擦《す》り切れた股引《ももひ》き、木綿縞《もめんじま》の着更《きが》え、一つ一つ見馴《みな》れたものばかりだ。これを着、これをはき、胴の間で、大きな声で何か言っていた姿が目に浮かぶ。 (兄さ、陸が見えてきたで)  音吉は心の中で呼びかける。行李の隅《すみ》には、思いがけなく鳩笛があった。いつ、どこで買ったものか、音吉にはわからない。鳩笛は、裸のままころがっていた。その鳩笛を、音吉はそっと口に当てて吹いた。もの悲しい音色がひびいた。岩松と久吉が音吉をふりかえった。 「何や、鳩笛やないか」  尋《たず》ねる久吉に音吉がうなずいた。 「ああ、兄さのや」  岩松も久吉も黙ってうなずいた。 (この鳩笛を、兄さは吹いたことがあるのやろうか)  吉治郎の唇《くちびる》がこの鳩笛にふれたことがあるのかと思うと、音吉は懐かしさに胸が迫った。 (きっと、八幡社の祭りで買ったんやなあ)  一瞬、小野浦の祭りが目に浮かぶ。音吉はその鳩笛を、形見に持って帰ろうと思った。形見に持って帰る物は、肌身《はだみ》離さず持ち歩ける小さなものでなければならない。  吉治郎の行李《こうり》の中をきちんと整理し、次に開いたのは仁右衛門の行李だった。吉治郎の行李とちがって、少し大型の行李であった。 (おやじさん)  音吉は唇《くちびる》を噛《か》んだ。 (あんなに……喜んでいたのに)  昨日の昼のことを、音吉は思い返した。  岩松、久吉、音吉の三人は、昨日、櫓《やぐら》の上で彼方の山脈を見つめていたが、やがて水主《かこ》部屋に降りて来た。と、仁右衛門が眠りから目をさまして、 「何かあったんか」  と、三人の顔を見上げた。三人の顔に浮かぶ興奮の色を、いち早く見て取ったのだ。岩松が言った。 「水主頭《かこがしら》! 驚いちゃいけねえ。とうとう陸《おか》が見えたんや」  枕《まくら》もとに膝《ひざ》をつき、岩松は声をふるわせた。 「な、なに!? 陸が見えたと? 陸が?」  水主頭の歯ががちがちと音を立てた。黄色くむくんだ顔に血の色がのぼった。 「うん。陸だ。確かに陸だ」  岩松は立ち上がって開《かい》の口の引き戸をあけ、そこに坐《すわ》って、遥《はる》か彼方《かなた》に目を凝らした。が、すぐさま立ち上がると、 「水主頭《かこがしら》! ここからでも見えるで、音、久公、さ、おやじさんの布団を、ここまで運ぶんだ」  と促した。音吉と久吉は、静かに仁右衛門を、布団のまま開《かい》の口まで引きずって行った。 「いいか、水主頭」  岩松はそっと仁右衛門の肩を抱き起こし、うしろから支えた。音吉が素早くかいまきで仁右衛門の体を包んだ。 「ほら、白く見えるだろう。あれが陸や」  岩松が指さす。 「おう! あれが陸か」  仁右衛門の声もふるえた。 「そうや、あれが陸や、あれが……待って待って、待ちくたびれていた陸や」 「そうかあ、とうとう、陸が見えたかあ」 「うん、見えた。あとひと息で、あの陸に上がるんや」 「…………」  仁右衛門は何も言わずに、幾度も幾度も只《ただ》うなずいた。目尻から涙がひと筋流れている。音吉も久吉も、たまらなくなって再び泣いた。 「よかったのう」  元の場所に布団を戻《もど》した時、仁右衛門はしみじみと言った。ひどく優しい声であった。  その時の声が、今もまだ、まざまざと音吉の耳にある。  だが、それから半刻も経たぬうちに、仁右衛門の容体が急変した。激しい感動が、衰弱していた心臓を悪化させたのかも知れない。まともに受けた冷たい風も、死を早めたのかも知れない。安堵《あんど》が、かえって生きる力を奪ったのかも知れない。何《いず》れにしても、音吉たち三人にとって、それは余りにも早過ぎる死であった。 (おやじさん、何で陸に上がるまで、生きていられせんかった)  仁右衛門の行李《こうり》を整理しながら、音吉は歎《なげ》いた。仁右衛門の持ち物は、吉治郎とは比較にならぬほど多い。着更《きが》えは三枚も入っており、下帯《したおび》の数も多い。剃刀《かみそり》、小刀、手拭《てぬぐ》い、そして縞《しま》の財布もあった。博打《ばくち》に強い仁右衛門は、財布の金も多かった。片膝《かたひざ》を立て、よく透《とお》る声で、 「丁《ちよう》!」 「半!」  と叫んでいた姿が思い出される。 「いい人やったなあ」  死なれてみると、その親しみやすい性格が改めて思い出される。 (もう一度、元気になってくれたらよかったのに)  今は、岩松と久吉と自分の、たった三人になったのかと、やりきれない思いがする。体の頑丈《がんじよう》な水主頭《かこがしら》が生きていてくれたら、どれほど心強かったことかと思う。 (さぞ陸に上がりたかったろうに……)  そう思いながら、手は仁右衛門の残した品々をまとめていく。と、音吉ははっとした。行李の底に赤子の涎《よだれ》かけがあったのだ。幾度か洗ったらしい、しかし白い涎かけだった。 (おやじさん!)  豪快《ごうかい》そうに見えた仁右衛門も、己《おの》が乳呑《ちの》み子のことをいつも心にかけていたのだと、初めて音吉は知った。その涎かけを音吉はくるくると小さく巻いた。これを持って帰ろうと思ったのだ。  音吉は岩松と久吉のほうを見た。二人共それぞれ黙りこくって行李《こうり》の整理をしている。ふっと岩松の手がとまった。何を見たのか、岩松の背が動かない。音吉はその岩松の背をじっとみつめていた。      五  宝順丸は右手に遠く大陸を見ながら、風に押されて進んでいた。帆桁《ほげた》を帆柱にしたその仮の帆柱も、長い漂流の中で、幾度か嵐に遭《あ》い、半《なか》ばからへし折られて無残な姿だ。僅《わず》かに舳《へさき》に弥帆《やほ》をかけて走っている。疾《と》うに舵《かじ》も失った宝順丸は、相変わらず舳に碇《いかり》を垂らしているだけだ。  激しい風だ。嵐になるかも知れぬと、小用に立った岩松は、用を足しながら、雲に見え隠れする半月を見た。無気味なほどに赤い半月だ。 (八《や》つ頃《ごろ》〈午前二時〉だな)  岩松はちぎれ飛ぶ雲を見ながら、期待と不安の入り交じる思いに耐えていた。遠かった白い峰《みね》の輝きも、呼べは答えるほどに間近に見える。峰の手前には、黒々とした森林がどこまでもつづく。 (何とかして、あの岸につけぬものか)  心は焦るが、舵も壊れている。近くには見えても、船と陸との距離は、十五、六里はあるようだ。岩松は運を天に委《まか》せる思いで踵《きびす》を返した。かなりの激しい風が、厚い刺し子の裾《すそ》をあおる。 「南風だな」  呟《つぶや》いてから、 「南風でもたんと吹きゃ寒い」  半月の光を受けた岩松の片頬《かたほお》が苦く笑った。  風が変わったらしいと気づいたのは、それからどれほども経たなかった。かなり激しい風であることは、船の揺れ方でわかった。岩松は急いで胴の間に出た。途端に岩松は、 「あーっ!」  と叫んだ。暁闇《あかつきやみ》の中に黒ぐろと立ちはだかる島を岩松は見た。その島を目がけて、宝順丸は今、狂ったように突進して行くのだった。  島に当たって砕ける波が白い。島は、高さ三、四丈、長さ二、三丁と、岩松はとっさに見て取った。そしてその向こうに、黒々とした大陸が、暗闇の中にくっきりと見えた。島まで、まだ三、四丁はあると見た。岩松は素早く水主《かこ》部屋に走って、 「起きろ! 音! 久!」  と怒鳴った。大きく揺れる船の中でうとうとして二人は、はっと飛び起きた。 「来いっ!」  何が起きたのか二人は知らない。胴の間に飛び出た二人は、岩松のあとについて走った。 「碇《いかり》をおろすんだ!」 「碇?」  不審そうに問い返す久吉に、岩松は目の前に迫る島影を指さした。大波がその岸に、高々と白い沫《あわ》を上げている。久吉と音吉の顔が引きつった。二人は物も言わずに船縁の四番碇に飛びついた。百五貫もある碇だ。  三人が掛け声と共に碇を突き落とした。が、碇が海底につくかつかぬうちに、異様な音響が体を突き上げた。船底が暗礁《あんしよう》に激突したのだ。三人はしたたか床に打ち倒された。と、立ち上がる間もなく船は斜めに向きを変え、次の瞬間、左舷《さげん》がぐらりと傾き、右舷が三人の頭上にあった。 「飛びこめ! 島に取りつくんだ!」  間髪を入れずに、岩松が海に飛びこんだ。つづいて久吉、最後に音吉が飛びこんだ。  三人はたちまち激浪《げきろう》に呑《の》まれた。  音吉は限りなく海底に引きずりこまれるのを感じた。息苦しさに気が遠くなりそうになった時、首が海の上に出た。目の前に黒い岩の頭が忽然《こつぜん》と現れ、そして波に隠れた。 (岩場だ!)  音吉はおののいた。再び体は波の中に引きずりこまれる。髪の毛が逆立《さかだ》つ。 (船玉《ふなだま》さまーっ!)  心のうちに音吉は叫んだ。再び体が浮いた。岩松の姿も、久吉の姿も見えない。音吉の背に逆巻く波が踊りかかる。音吉は、今目の前に浮かんだ岩に取りすがった。が、引き返す波に、またしても波の中に放りこまれる。打ち寄せられ、打ち返され、音吉は次第に浅瀬に押し上げられていく。足が岩にふれた。また波をかぶる。音吉は、束《つか》の間現れる岩に取りすがる。滝のような波に、目が、耳が、口が叩《たた》かれる。音吉は歯を食いしばった。その音吉の目に、岩礁が墓原のように現れて波に消えた。 (浅瀬だ!)  これからが危険だと、音吉は心をひきしめた。岩角にでも叩きつけられたなら、ひとたまりもない。小野浦の海にも岩場はあった。が、嵐のさ中に泳いだことはない。岩場の恐ろしさを誰もが知っていた。  音吉は、右の小岩に取りすがり、左の小岩に手をさし伸べながら、無我夢中で島岸に近づいて行った。  やがて音吉は、木の匂いを嗅《か》いだ。松の木の匂いだ。海は尚《なお》背後に咆《ほ》えていた。が、波はもはやここまで襲いかかることはなかった。 (草や! 松や!)  一年二か月ぶりに嗅ぐ草木の匂いだった。音吉は自分が夢を見ているような気がした。深い安堵《あんど》と激しい疲労が、たちまち音吉を眠りの中に引きこんでいった。  岩松と久吉は、島の南端に取りついていた。音吉の打ち上げられた所から一丁|程《ほど》離れた所だった。波の打ちこみが幾分おだやかだ。 「もう一息だ、久吉!」  岩に取りついて這《は》いつくばった久吉に、容赦《ようしや》なく波が襲いかかる。ずるずると体が引き戻《もど》される。傾斜はそれほど急ではないが、ぬれた岩が滑る。久吉の手を岩松がぐいと引く。 「舵取《かじと》りさん、もうあかん」  久吉は喘《あえ》いで動こうともしない。 「何があかん! この弱虫が!」  岩松が渾身《こんしん》の力をこめて引き上げる。その二人の背に波がしぶく。 「さあ、立つんだ! あと十歩だ」  岩松が叱咤《しつた》する。久吉のもうろうとした目がふっと吾《われ》に帰る。久吉はよろめきながら立ち上がった。が、二、三歩登ってがっくりと膝《ひざ》をつく。 「この意気地《いくじ》なしが!」  岩松の手が久吉の頬《ほお》に鳴った。久吉が再び立ち上がる。三歩、四歩、岸をよじ登る。その足首を波が捉《とら》える。 「もう一歩だ!」  岩松は気をゆるめない。久吉が大きく喘《あえ》ぐ。手を引く岩松も大きく喘ぐ。 「頑張《がんば》るんだ!」  叫ぶ岩松の声を、とどろく波がかき消す。  打ち寄せる波を避け切って、岩松と久吉は岩の平にへたへたと坐《すわ》りこんだ。その島の上を、雲が矢のように走っていく。いつのまにか、夜はすっかり明けていた。 「音はどこや」  ひと息つく間もなく、岩松が辺《あた》りを見まわした。と、すぐ目の前の陸地に、立ち並ぶ大きな木造の家々を岩松は見た。そしてその前に、ひと塊《かたまり》になって立ち騒ぐ人々を見た。はっと岩松は息をのんだ。今の今まで、岩松はこの島のほんの足もとしか見ていなかった。まさかすぐ目の前に、人家があるとは夢にも思わぬことであった。 「久公! 久公!」  ともすれば眠りかける久吉の肩を岩松は激しく揺さぶった。 「人がいるで! 人が!」  岩松は思い切って、人々に向かって手をふった。せいぜい三、四丁ほどの距離だ。久吉もはっと目をあけて、向こう岸を見た。 「ほんとや! 人や! 人や!」  久吉は狂ったように手をふった。が、誰一人手をふる様子もない。 「見えんのやろか?」  久吉は立ち上がった。 「見えてる筈《はず》や」  再び二人は手をふった。とにかくあそこに人間がいる。泣きたい思いで二人は手をふった。が、二人は知らなかった。陸の者たちがみつめていたのは、宝順丸が打ち倒されている姿であったことを。      六  午後になって風はおさまった。怒濤《どとう》のとどろきもやんだ。太陽が三人の這《は》い上がったオゼット島を照らしていた。だが、それまでの時間が、岩松と久吉には余りにも長く思われた。気温は小野浦の冬より高かった。 「おっ! 舟が出る!」  岩松が叫んだ。対岸の人々が二人に気づいたのは、二人が手をふって間もなくであった。が、荒れ狂う海に舟は出せない。その舟が今出ようとしているのだ。 「よかったな、舵取《かじと》りさん」  二人は抱き合ったまま、向かってくる舟をみつめた。長い丸木舟だ。 「音はどうしたかな?」  幾度もくり返した言葉を、岩松はまた言った。 「音ーっ!」  久吉が口に手を当てて叫ぶ。が、何の声もしない。二人が這《は》い上がった所から、地つづきに行く道はなかった。険《けわ》しく切り立つ岩礁《がんしよう》がつづいている。 「音はどうしたかなあ。まさか、岩に打ちつけられたわけではないだろうな」  岩松は二|艘《そう》の丸木舟に目を注《と》めたまま、案じていることを口に出す。 「折角《せつかく》ここまで来て……音が死んだらどうしよう」  久吉は岩松に一層体をすりよせて、泣き声を上げた。 「駄目《だめ》かも知れせんなあ。この岩だらけの海だ。それにあの大波じゃあなあ」  あの怒濤《どとう》の中では、泳ぎを知っていても、どれほどの助けにもならないことであった。 「舵取りさん。音はかわいそうやなあ」 「うん。しかし、まだ死んだと限ったわけじゃねえ」  とは言え、この島のどこかに打ち上げられたとしても、眠りこんでは命が危ない。岩松は眉根《まゆね》を寄せた。久吉も幾度睡魔に襲われたかわからない。その度に岩松は久吉の頬《ほお》を叩《たた》いた。 「舵取《かじと》りさん、あの船は変な舟やな」 「ああ、丸木舟や」 「丸木舟?」  無数の白い鴎《かもめ》が低く舞う中を、丸木舟は巧みに岩礁《がんしよう》の間を縫って次第に近づいてくる。 「もしかしたら、ここは蝦夷《えぞ》かも知れせんで」 「蝦夷?」 「そうだ、蝦夷のアイヌたちは、丸木舟を使っていたでな」  岩松は北前船《きたまえぶね》で松前まで行った時のことを思い出していた。この島にも、向こうの陸地にも直立した松が立っている。形が蝦夷で見た松によく似ている。 (あの人間たちがアイヌなら……)  おだやかな民族だと、岩松は幾分|安堵《あんど》しながら、 (しかし、ここが蝦夷であるわけがない)  と思いなおした。一年二か月も、東へ東へと漂流して、まさかまた日本に戻《もど》ってきたとも考えられない。世界の地図を岩松は知らない。蝦夷の近くにロシヤがあること、その地つづきに支那《しな》があること、その程度しか岩松は知らなかった。岩松は疲れ切った頭の中に、蝦夷の風物を思い浮かべた。そして、今自分たちの助けられることが、なぜか人ごとのように思われるのだ。  が、丸木舟が近づいてくるにつれ、岩松の目に不審の色が浮かんだ。 「何や!? 棒や斧《おの》を持っている!」 「ほんとや!」  久吉の声がふるえた。 「たった二人に、何で槍《やり》や刀がいるんや」  さすがに岩松もおののいた。その二人を尻目に、丸木舟は次第に近づいてくる。男たちの誰もが半裸だった。暗い銅色の肌だ。髪が黒い。 「どうする、舵取《かじと》りさん!」  久吉のふるえが岩松の体に伝わる。 「観念するよりしようがないで、久吉」 「ここで、殺されんならんのか」 「泣くな、おとなしくしてろ」  殺されるとしても、只《ただ》では殺されはせぬと、岩松は素早くまわりを見まわした。岩の上には石ころもなかった。何がなくても一人や二人殺すことはできると、岩松は覚悟を決めた。丸木舟がぐんぐん近づいて来る。久吉が手をすり合わせて拝んだ。久吉は地べたに頭をすりつけ、幾度も手を合わせる。丸木舟は、五間程向こうでとまった。何かがやがやと言っている。全く異国の言葉だ。と、そのうちの年嵩らしい男が、右手を高くかざし指を二本立てた。 「何のことや?」  久吉がますますふるえる。岩松は黙って、指を三本出した。男たちは顔を見合わせて何か言いはじめた。伴《くだん》の男が三本の指を突き出した。岩松はうなずいて、再び三本の指を高々と上げた。男たちはまた大声で何か言い立てる。 「何のことや?」  久吉が岩松にしがみついたまま尋ねた。 「わからんが、二人だけか、と聞いたんだろう。だから三人だと答えたんだ。したら、三人? と聞き返した。それでそうだと答えたんだ」  岩松はまばたきもせず丸木舟の男たちをみつめながら言う。先程《さきほど》の男が指一本突き出した。岩松は首を右に左に曲げ、辺《あた》りの海を指した。と、男たちは何を思ったか、丸木舟の方向を転じた。近寄ってくると見えた舟は二人から離れた。 「何や!? 助けてくれせんのか?」  ふるえていた久吉が、がっくりと肩を落とした。岩松は突っ立ったまま男たちを見ていた。舟を追うように鴎《かもめ》が舞う。 「疑うてるんだ。俺たちの仲間が、もっとたくさんいないかとな」 「舵取《かじと》りさん、どうしてわかる」 「見たこともない人間を、疑うたり恐れたりするのは、どこの国の人間も同じだろ」  自分にしても、初めてアイヌを蝦夷《えぞ》地で見た時、理由もなく恐れたものだと岩松は思う。二人はぬれた刺し子を岩にかけたままだ。ぬれた刺し子を着ているよりは、じかに肌《はだ》を日にさらしているほうが暖かい。 「俺……俺、殺されるかも知れせんな」  久吉がしゃくり上げた。 「殺されはせん」  岩松はどっかと地べたにあぐらをかいた。 「どうしてわかる?」 「もし殺すんなら、さっきいきなり殺しにきた筈《はず》だ」  岩松はゆっくりと空を見上げた。青い空だ。海も青い。底まで透けて見えるような澄んだ水だ。命までは取るまいと見定めて、いよいよ岩松の心は定まった。 「じたばたするなよ久公、日本人の名折れだでな」 「日本人?」  久吉はきょとんとした。日本人という意識を、久吉は持ったことがなかった。小野浦の名折れということは知っている。しかし、日本人の名折れなどという、そんな大仰《おおぎよう》な言葉は思ったこともない。いつも言われるのは家の名折れ、宝順丸の名折れ、樋口家の名折れという言葉で、小野浦の名折れという言葉さえ、滅多に使ったことはない。 「うん、久公、俺たちは日本人だでな」 「日本なあ」  久吉はとらえどころのないまなざしをした。日本とは何か。定かにはわからない。 (お上《かみ》とはちがうんやな)  久吉の頭の中で、日本とお上が一つになりそうであった。 「音はどうしたかなあ。音が心配だ」  二人は、島蔭《しまかげ》に姿を消した丸木舟の再び現れるのを待っていた。と、半時《はんとき》も経たぬうちに、二艘の丸木舟は二人の前に再び姿を見せた。その一|艘《そう》に、音吉がぐったりと横たわっている。 「音ーっ!」 「音ーっ!」  岩松と久吉が同時に叫んだ。途端に若い男が五、六人、舟から岸に飛び降りた。岸に飛び降りるや否や、男たちは二人のいる岩の上に、素早く駈《か》け上がって来た。男の一人が、岩松の肩を棒の先でぐいと突つき、あごでしゃくった。  岩松は逆らわずに立ち上がった。その岩松にしがみつく久吉を、他の若者が乱暴に引き離した。久吉は意気地《いくじ》なく悲鳴を上げ、頭の上に両手を合わせた。その久吉を男たちは容赦《ようしや》なく引き立てる。二人は小突《こづ》かれながら、丸木舟に移った。  音吉を乗せた舟は既《すで》に岸を離れていた。 (音は生きてるか)  岩松は先を行く舟に目をやった。六、七|間《けん》は充分にある丸木舟だ。櫂《かい》を漕《こ》いでいく男たちの歯が白い。岩松は観念して、同じ舟にいる男たちを順々に見た。あごひげを生やした暗銅色の顔が、どこか日本の男たちに似ている。髪の毛は黒く、縮れてはいない。背丈も日本人と同じ程《ほど》だ。すぐ前にいる男が鋭い視線で岩松を見ている。ひどく意地の悪そうな男だ。岩松はいやな予感がした。が、その男の肩越しに、若い男の顔が岩松を見て人なつっこい笑みを浮かべた。岩松は軽くうなずいて見せた。若い男は、再び白い歯を見せてにこっと笑った。岩松の不安がうすらいだ。  岩松は目の前の男の鋭い視線を避けて、岸に目を転じた。低い緑の山を背に、家が二十戸程海岸近くに建っている。どれも大きな家ばかりだ。山から海まで、半丁とないような狭い海岸に見える。 (あそこで、何が待っているのか)  岩松はふり返って、うしろにいる久吉を見た。久吉は蒼白《そうはく》な顔を上げて、すがりつくように岩松を見ていた。 「心配するな」  言った途端、岩松は目の鋭い男に足を小突《こづ》かれた。喋《しやべ》るなということなのだ。人なつっこい若者が、唇《くちびる》に指を立てて見せた。岩松はうなずいた。  岩松は再び、近づく渚《なぎさ》を見た。その岩松の目が、ふっと和《やわ》らいだ。幼い子供たちの駈《か》けまわっている姿を見たからだ。 角川文庫『海嶺』昭和61年11月25日初版発行         平成14年1月30日25版発行