TITLE : 愁月記    愁月記   三浦 哲郎   目次 愁月記 ヒカダの記憶 からかさ譚 夜話 居酒屋にて 海峡 病舎まで  あとがき 愁月記 愁月記    一  夕食のとき、おふくろが不意に両手で顔を覆《おお》ってすすり泣きをしたことがあった。  食事時には茶の間の炬燵《こたつ》をそのまま食卓にしていたから、あれは、おふくろの足腰がまだしっかりしていて時々北の郷里から寒さ凌《しの》ぎにやってきていたころの、冬か春先だったろう。  いつものように、家族全員で——というのは、私たち夫婦と、三人の娘たちと、そのころ同居していた妻の末の妹と、それに遠来のおふくろとで、大きな炬燵板に皿小鉢《さらこばち》を隙間《すきま》なく並べた食卓を囲んで、頂きますと賑《にぎ》やかに食べはじめてから、まもなくであった。おふくろが、なにやらうろたえたように箸《はし》を置き、両手で顔を覆い隠して、指の間から、ひい、というちいさな声を洩《も》らした。初め、娘たちのうちの誰かが箸を使い損ねて、おふくろの顔に熱い汁のとばしりを浴びせたのかと思ったが、そうではなかった。手は顔を覆ったままで、あたりをぬぐう様子がない。見ていると、両手と着物の袖口《そでぐち》からむき出しになった腕とが小刻みに顫《ふる》え出し、やがて肩もしゃくり上げるように動きはじめた。込み上げる笑いを堪《こら》えているようにも見えたが、誰もひどい冗談はいわなかったし、おかしな素振りもしていない。 「お母さん、どうなさったんです?」  妻が訝《いぶか》しそうに尋ねたが、声が半分笑っていた。  おふくろは、大きな吐息をして、かぶりを振った。それは、なんでもないという意味なのか、それとも、なにもいってくれるなという合図なのかわからなかったが、かぶりを振った直後に、顔を覆っている指の股《また》から、光るものが手の甲を伝って流れるのが見えた。  意外なことに、おふくろは泣いているのであった。  私たちは互いに顔を見合わせた。みんな呆気《あつけ》にとられて、茶碗《ちやわん》や椀《わん》を手に持ったまま、箸を途中で止めたままであった。おふくろがなぜ突然泣き出したのか、その理由は誰にもわからなかった。予想もしなかった悲しみの不意打ちを食らったとしか思えぬような泣き方だったが、そんなひどい悲しみが、いったい、どこから、どんなふうにしておふくろのなかに入り込んだのだろうか。その場は、まず和気あいあいとして、どんな種類の悲しみをも誘うような雰囲気《ふんいき》ではなかったのだ。 「どうしたんですか、いったい。」  私は努めて穏やかにいったが、おふくろは無言でかぶりを振るばかりである。 「それだけじゃわかりませんよ。なにか気に障ることでもあったのかな。だったら、はっきりいってくださいよ、改めますから。」  そういうと、おふくろはなおもかぶりを振りながら、歪《ゆが》んだ口でとぎれとぎれになにかいったが、私の耳には、「おらばかり」と「こったらに」の、二つの言葉しか聞き取れなかった。おらばかり、は田舎言葉で〈自分だけ〉、こったらに、は〈こんなにも〉という意味である。けれども、「おらばかり」と「こったらに」だけでは、なにがいいたいのかわからない。  仕方なく、私たちは箸を休めて、おふくろが泣き止《や》むのを待つほかはなかった。  上は高校生、下はまだ小学生だった娘たちは、もう八十にもなる祖母が子供のように泣きじゃくるのを見るのは初めてで、そわそわと伏せた目を上げては不安げに私や妻の顔を見詰めたり、また、おふくろへ痛ましそうな目を向けては急いでうつむいたりを繰り返していたが、私にしても、おふくろが人前で泣くのを見るのは実にひさしぶりのことであった。  時には親もむせび泣きをするのを知ったのは、まだ学校へ上る前の子供時分で、急死した姉のひとりの弔《とむら》いのとき、私は寺でおふくろに寄り添って坐《すわ》っていたが、見知らぬ黒服のひょろりとした老人が祭壇の前に立ち、躯《からだ》をゆらめかせながら死んだ姉の名を呼び、次いで、あなたはなぜ死なれたのですか、なぜ私らを残して先にひとりで遠くへいかれてしまったのですかと嗄《しやが》れ声で語りかけ、すると突然、おふくろがハンカチを口に当ててむせぶように泣きはじめて、びっくりした。釣《つ》られて私も泣き出すと、隣でうつむいていた次兄が憤懣《ふんまん》を押し殺したような低声で、おい、泣くんじゃない、といった。次兄は、初めて見るこわい目で刺すように私を睨《にら》んでいた。  私は、六人兄弟の末弟で、だから本来ならば家族の末席にいるべきであったが、兄や姉たちとは齢《とし》がかけ離れて幼かったから、お情けで母親のそばに坐らされていたのだろう。それにしても、あのとき隣の下座にいて泣くなと私を叱《しか》ったのは、確かに次兄で、長兄ではなかった。すると、長兄はどこにいたのだろう、まだ家を出て行方を晦《くら》ます前だったはずだが。  郷里の生家の台所には囲炉裏があって、やはり子供時分に、いちどだけ、そこの炉端でおふくろがひとりで泣いているのを見たことがある。下働きの女たちもどこかへ出払った昼下りだったが、おふくろは、炉端にきちんと膝《ひざ》を揃《そろ》えて、腹を抱くように背中をまるめ、右手で火箸の頭をつまむように持って、灰になにやら文字のようなものを書いては消し、書いては消ししながら、泣くともなく静かに涙を流していた。私は、背戸の土間の暗がりに立ちすくんでいたのだが、おふくろの鼻の先から間遠くしたたり落ちる雫《しずく》が天窓からの明りにきらりと光るのを見て、まるで春先に軒のつららが融《と》けるときのようだと思ったことを憶《おぼ》えている。  それ以後は、ずっと前に父親が死んだときを除けば涙を流すのを見た記憶はなかったのだが——その晩のおふくろは、両手で顔を覆ったまま三分ほども泣きじゃくっていたろうか。  やがて、おふくろはいつも畳んで帯締めに挟《はさ》んでいるハンカチを抜き取って濡《ぬ》れた顔を丁寧にぬぐうと、上目遣《うわめづか》いに私を見て、 「おらは、なんと、とんだ無調法をしたもんせなあ。堪忍《かに》してくんせ。」  と恥ずかしそうに笑っていった。  それで、私もほっとして、けれども挨拶《あいさつ》の言葉に窮して、ただ、 「びっくりさせるなあ。」  とだけいって笑った。  おふくろは、妻と、妻の妹と、娘たちにも、いちいち頭を下げて無作法を詫《わ》びた。 「せっかくの御馳走《ごちそう》を台なしにして、ごめんな。齢をとると、抑えが利《き》かなくなって、自分でも困るのえ。はあ、なんでもないすけにな、おらには構わずに食べなせ食べなせ。」  それから、よろよろと立ち上って、ふところのチリ紙をさぐりながら茶の間から出ていった。みんなは私の顔を見た。 「心配するな。なんでもないんだ。」と私はいった。「お祖母《ば あ》ちゃんもああいってるんだから、なんでもなかったということにして、冷めないうちに食べよう。」  実際、台所で洟《はな》をかんで戻ってきたおふくろは、もう普段の温和な顔に微笑さえ浮かべていて、妻がぬるくなった味噌汁《みそしる》を温め直している間、せっせと箸を動かしている娘たちを何事もなかったように目を細くして眺《なが》めていた。  あの晩の出来事は、その後もおふくろは自分から一と言も弁明しなかったし、私たちもおふくろを泣かせた激情を呼び戻すのを恐れて詮索《せんさく》するのを差し控えていたから、いまでも謎《なぞ》のままになっている。  またの日。  おふくろは私のところに滞在中、めったに近寄らない私の仕事部屋を珍しくひとりで訪ねてきたことがあった。  おふくろは、冬でなくても、偶《たま》に発作的とも思えるような急な旅立ちをしてきて、しばらく滞在することがあったが、あのときは暑からず寒からずという季節だったから、そんなふうにして上京してきた折の、初夏か秋口だったろう。  娘たちが三人とも学校へ出かけたあとで、履き馴《な》れないスリッパを持て余しながらのろのろと階段を昇ってくるおふくろの足音が、部屋のなかにいても手に取るようにきこえた。子供部屋でも覗《のぞ》きにきたのかと思っていると、私の部屋の戸口まできて、よその家でも訪問するように、 「ごめんくんしゃんせ。入ってもいいかえ。」  といった。  どうぞ、と答えると、おふくろはそろそろと襖《ふすま》を開けて入ってきて、戸口近くにちんまりと坐った。私は、なにか用かと、机の前から肩越しに振り向いていたが、おふくろが坐り込んだまま動きそうにもないので、躯を横向きにして座椅子《ざいす》の背に片腕をかけた。急いで上京してきたものの、別段用事があるわけではなく、見物や買物に出かけるでもなくて、毎日家のなかを行きつ戻りつして暮らしているのだから、さぞかし退屈を持て余しているのだろうと思って、そう尋ねてみると、ちっとも退屈なんぞしていないという。なにか不自由なことはないかと訊《き》くと、不自由なことなど一つもないという返事である。そんなら、まず、ゆっくりしていけばいい、と私はいった。ほかに自分からいうことはなにもなかった。  おふくろもそれきり口を噤《つぐ》んで、茶室を拝見する正客《しようきやく》のようにしげしげと部屋のなかを見回している。ここが私の仕事部屋だと知っての上で、なにしにきたのか、おふくろの真意を測りかねてただ見守っていると、おふくろはやがて、煙草《たばこ》のけむりが籠《こも》っているから出窓をすこし開けたらどうか、といった。いわれた通りにすると、今度は、随分重たげな本ばかり沢山《ずつぱり》あるな、といった。それで、これは全部辞書のたぐいだと教えてやったが、きょとんとしているので、辞書を字引きといい直すと、おふくろは魂消《たまげ》たようにうしろ手を突いて、字引きだけでもこんなに要るとはまことに容易ならぬ仕事だといった。  私は、思わず笑ってしまったが、ふと、おふくろはなにか内密な相談事を持ってきて、切り出すきっかけを見つけかねているのではないかという気がした。それで、いつまでもそんなところに坐っていないで、こっちへ寄るようにと誘ってみた。 「焙茶《ほうじちや》でもよければ淹《い》れますよ。といっても、湯呑《ゆの》みは一つしかないけれど。」  すると、では馳走になろうかと、おふくろはようやく両手と膝とでおずおずとにじり寄ってきた。私はポットのお湯で自分の湯呑みを濯《すす》いでから、茶殻《ちやがら》を捨てて新しく淹れ替えてやった。おふくろは、かしこまったふうに両手で湯呑みをちょっと押し頂くと、一と口飲んで、この湯呑みは何焼きかといった。薄い青磁色の、肉が厚くて握り具合のいいところだけが取り柄《え》の粗末な湯呑みで、何焼きかは私にもわからなかった。おふくろは、熱い茶を一とすすりしては、微《かす》かな音をさせて長々と吐息をした。そのたびに目が細くなり、背中がいよいよまるくなった。日なたで居眠りしかけている猫《ねこ》に似ていた。  仕方なく、こちらも調子を合わせて煙草をふかしながら気長に待っていると、唐突に、今日は何曜日かといった。壁のカレンダーを見て教えてやると、 「せば、今日は家の稽古日《けいこび》だな。」  おふくろは半分独り言のようにそう呟《つぶや》くと、また目を細くして動かなくなった。  ひところは上に五人もいた兄弟たちが次々と思い思いに身を滅ぼして、いまは郷里でおふくろと暮らしている姉が一人いるだけだが、十歳年上のこの姉は、不運にも生まれつき色素のない躯で、子供のころに教え込まれた琴をいまでも唯一《ゆいいつ》の生き甲斐《がい》にしている。ひとりで気慰みに弾くだけではなく、自宅のほかに、隣の町と、そのまた隣の町とに稽古場を持って、何十人かの弟子たちに教えている。おふくろが家の稽古日といったのは、町の弟子たちが自宅に集まる日のことだ。  おふくろは、この姉を絶えず案じていて、私と二人きりのときなど、何度でも繰り返さずにはいられないというふうに、自分にもしものことがあったら後の世話をよろしくと言い言いするから、姉についてなにか相談事でもあるのかと思って、 「偶には姉さんも一緒にくるといいのにね。」  と水を向けてみたが、おふくろはそれきりなにもいわずに茶を飲み干すと、ごっつおさんと湯呑みを置いて、着物の裾《すそ》を直しながら立ち上った。 「もう帰るんですか。」 「あい。おらは、はあ、これでよがんす。」  なにやら要領を得ない返事であったが、おふくろの顔には、さも満足そうな笑みが浮かんでいた。  私は、邪魔をしたなと、首をすくめるようにしてそろりそろりと出てゆくのを見送ったあと、しばらくの間ぼんやりしていた。おふくろがなにしにわざわざ仕事部屋までやってきたのか、その用向きがいっこうにわからなかった。  またの日。  おふくろがひさしぶりに上京した日か、その翌日だったが、滞在中は自由に使って貰《もら》うことにしている裏二階の部屋で、長女と次女が、新しく入れた箪笥《たんす》になにか細工をしているのを見かけたことがある。なにをしているのかと尋ねると、そばを歩いても引手の金具が音を立てないように古い繃帯《ほうたい》を巻きつけているのだと長女がいった。 「この辺の畳の具合がおかしくて、どすんとすると簡単に音を立てるの。ほら。」  と次女もいって、すこし乱暴に足踏みして見せた。  なるほど、引手の金具が一斉《いつせい》に鳴る。 「これが厭《いや》なんだって、お祖母ちゃんが。寝るときこの音を聞いたりすると、眠れなくなっちゃうらしいの。」  そのとき、私の耳の奥で、不意に一つの古い声がよみがえった。 『そういえば、たった一遍だけ、気弱になって、よからぬことを考えたっけな。寝ていて、ぼんやり箪笥の引手を見上げて、あのいちばん上のやつに腰紐《こしひも》を掛けたら……そしたら早く楽になれるなあって、そう考えた。魔が差したって、ああいうときのこったえなあ』  すこし笑いを含んだ女の声だが、その声が誰のものかはわからなかった。いまよりもずっと若いころのおふくろの声に似ているような気もするが、そうだと断定するには声があまりにも古びている。けれども、おふくろ以外に、まだ年若い自分の前でそんな打ち明け話をしてくれるような女が身近にいたとは思えなかった。記憶にも、そんな女の影すらない。  すると、これはやはりおふくろの声なのか。まだ元気だったころのおふくろがなにかの拍子に口を滑らせたのを、耳が聞き憶えていたわけか……。  ——私は、北へ向う新幹線の窓から曇空の下にひろがる黄ばんだ稲田を眺めていた。膝の上には、乗る前にたっぷりあった待ち時間の間に駅ビルの書店で買ったイソップ寓話《ぐうわ》集がひらいたままになっていた。単純に、断片的で、読み易くて、しかもなるべく人間臭のないものをと考えて道連れにした本だったが、どうやら選択を誤ったらしい。たとえば、こんな話を読んでいると、活字の蔭《かげ》からふとあらわれたおふくろの病み窶《やつ》れた顔がみるみる行間を押しひろげてきて、そのたびに私は本から目を上げてしばらく窓の外でも眺めているよりほかはなかった。 『蠅《はえ》が肉の入った壺《つぼ》の中へ落っこちて、その汁のために溺《おぼ》れ死にそうになった時、ひとり言に、「ままよ、私は食べもし、飲みもし、湯もつかった。たとい死んでも、私に心残りはない。」と言いました。  この話は、死が苦痛を伴わないで直ちにやってくる時、人間たちは死を容易に堪え忍ぶということを明らかにしています』  それにしても、こうして窓外の秋景色を眺めていると、おふくろの謎めいた言動ばかりが次から次へと思い出されるのは、なぜだろう。いつかはさりげなく尋ねてみたいと思っていたが、もはやそんな機会が永遠に失われてしまったからだろうか。  秋分の日をからめた三連休の初日の午後で、車内は行楽の人々で賑《にぎ》わっていた。なかには墓参を兼ねて帰郷する客もいるらしく、荷棚《にだな》には土産物で膨らんだ紙袋も多く目についた。私も郷里へ帰るところだったが、土産はなかった。喪服を入れた鞄《かばん》だけが私の荷物であった。郷里では、おふくろが死にかけていた。いや、今時分はもう冷たくなっているかもしれない。いずれにしても、私はおふくろの死を見届けるために郷里へ帰ろうとしていた。    二  おふくろは、五年前の冬、例年にない暖かさに惑わされて避寒に上京するのをためらっているうちに、脳血栓《のうけつせん》で倒れて以来、郷里の町の病院で寝たきりの入院生活を送っていた。倒れたのが八十七の年で、いまは九十一歳になっていた。  私は、最初の危機を脱して半身不随になったとき、このまま生き延びるにしても、やがて老衰したおふくろの命はたとえば芯《しん》の燃え尽きた古蝋燭《ふるろうそく》の火のように、ある日、揺らめくいとまもなしに忽然《こつぜん》と掻《か》き消えてしまうだろうと思い、遠く離れて暮らしている自分などは到底死に目に会えないものと諦《あきら》めていた。それで、心残りのないように、せめて生きている間は毎月いちど暇を見つけて見舞いに帰り、あとは平常心で死の知らせを待つことにしていたのだが、寝ついてから四年の間は何度か危機を凌《しの》いで生き延びてきたものの、五年目に入って食欲を失ってからは急に衰えが目立つようになって、夏ごろには手を握っても握り返す力がまるでなくなっていた。  夏の終りに見舞ったときは、入院してまもなくのころからずっと世話をしてくれている付添婦の石崎さんが、耳許《みみもと》で私がきたことを大声で告げても、おふくろは微かに頷《うなず》くばかりで、去年までの輝きを失った目は私を捉《とら》えかねていた。私は、しばらく枕許《まくらもと》のまるい木の椅子になすこともなく腰を下ろしていてから、石崎さんに目配せして廊下へ誘った。 「どうも、いよいよいけないようですね。」 「はい……。」  石崎さんは頷くと、眼鏡の奥で伏せた目をしばたたきながら、胸のところに組んだ両手をゆっくり揉《も》むようにした。いまはもう頼みの点滴注射の針を刺せる場所も容易に見つからなくて、衰えを食い止める手段がなくなっているという。 「主治医の先生はどういわれてますか。」 「とにかく最善を尽くすとだけ……。」 「あなたの経験から判断して、どうですか。あと、何日保《も》つでしょう。」  石崎さんは、戦争中、乗り組んでいた病院船が潜水艦に撃沈されて漂流中を運よく駆逐艦に救助された従軍看護婦の生き残りで、戦後は病院の婦長を勤めた経験もある。独り身を通してきたせいか、そろそろ七十になるとは思えない張りのある温顔に、これまで見せたことのない苦渋の色が浮かんでいた。 「さあ、私にはなんとも……。」 「十日……どうでしょうか。」  当てずっぽうだったが、石崎さんは否定もせずに、東京のみなさんによろしくと小声でいって頭を下げた。  その後、一週間ほどの間に、妻や娘たちがかわるがわる最後の見舞いに帰郷したが、おふくろはまだ辛うじて意識を保っているらしく一人々々に目顔で頷いていたという。姉が電話で伝えてきたところによると、娘たちの誰かが枕許にそっと置いてきたお守袋を石崎さんが見つけて、手に握らせてやると、おふくろは自分でそれを寝巻の襟《えり》の内側に入れて、裸の胸の上に置いたということであった。  けれども、おふくろは愚直にも私の当て推量に義理立てしたかのように、ちょうど十日目から意識を失い、昏々《こんこん》と眠りつづけたまますでに二週間が過ぎていた。  昨夜、私は仕事部屋で夜明しをした。いつ郷里から悪い知らせがきてもいいように手許の仕事を片付けておく必要があったからだが、今夜あたり、寝入った途端に電話が鳴りそうな予感がして、横になる気がしなかったのも事実であった。何事もなく夜が明けたが、まだ誰も起き出さないうちに、部屋へ回しておいた電話が鳴った。姉からであった。 「朝っぱらからごめんね。」と姉は早口でいった。「いま病院から知らせがあったんだけど、呼吸がだんだん荒くなるし、血圧もじりじり下る一方だって。これからいってみるけど、心準備しておいた方がいいと思うの。またむこうから様子を……。」  そこで、電話がぷつりと切れた。顫《ふる》える手から思わず受話器を取り落したような切れ方であった。あわただしく家を出て、道の小石に躓《つまず》きながら朝靄《あさもや》のなかを病院へ急ぐ弱視の姉の姿が見えるような気がした。  仕事をつづけようとしたが、できなかった。階下へ降りて、起きてきた妻に姉の言葉を伝えると、 「いまのうちにすこし眠っておいたら?」  と妻はいったが、眠れそうにもなかった。  二度目の電話は、九時過ぎにきた。 「まだ病院にいるの。輸血やいろんな注射で、いまのところどうにか落ち着いてるけど、この先、いつ急変するかわからないんですって。係の先生も看護婦さんも付きっきりなの。」 「わかった。これから支度して帰るよ。」  と私はいった。もはやこれまでのような奇蹟《きせき》は望めそうにもないと思われた。私自身にしても、平常心が失われたいまは仕事部屋にいるのがかえって苦痛であった。 「そうしてくれる? ほんとに帰ってきてくれる? 助かるわ。いざとなると、ひとりじゃ心細いのよ。」  姉の声には安堵《あんど》が溢《あふ》れていた。  帰るといっても、今回は、いつものようにほとんど手ぶらでというわけにはいかなかった。運よく臨終に間に合っても、また間に合わなくても、おふくろの弔《とむら》いを出すことになれば、私が末弟ながら喪主の役を務めなければならない。子供たちはともかく、私と妻は、一旦《いつたん》帰郷すればそのまますくなくとも十日は滞在しなくてはならないだろう。  私は、取り敢《あ》えず自分だけ先に帰るが、何時の電車に乗れるかわからない、もしかすると、そっちへ着くのが夜になるかもしれない、と姉にいった。 「仕方がないわ。でも、なるべく急いでね。あんただけでもきてくれると安心なの。家には鍵《かぎ》をかけてきたから、まっすぐ病院の方へきて頂戴《ちようだい》。じゃ、待ってるからね。」  姉は声を弾ませて電話を切った。  あいにく連休に入ったばかりで仕事先との連絡に手間取り、留守の間の打ち合わせを残らず済ませてやっと家を出たときは、もう昼を過ぎていた。案の定、新幹線の始発駅は混雑していて、四時発の座席しか手に入らなかった。郷里までは、終着駅の盛岡からなおも北へ特急で一時間ほどもかかるから、四時に発《た》つと、盛岡からの接続がよくても町に着くのは夜の八時過ぎになる。私は、電話で家に連絡をとったあと、使い馴《な》れないコインロッカーに重い鞄《かばん》を押し込み、人出で賑わう駅ビルで遅い昼食をしたり、商店街を漫然とぶらついて時間を潰《つぶ》したりした。  昨夜から一睡もしていないのに、車中は、イソップを読んでいても窓の外を眺めていても全く眠気をおぼえなかった。曇天のまま日が暮れて、盛岡に近づいたときはもうすっかり夜になっていた。まもなくの到着を知らせる車内放送のチャイムが南部牛追唄《うしおいうた》のひとふしを奏《かな》で、途中で空いた隣席に荷棚の鞄を下ろして、一服していると、東に当る右手の低い山の端《は》から、突然、月がぬっとあらわれた。すこし歪《いびつ》な、赤い月であった。  日が落ちるまで青空がどこにもなかったから、その明るい月の出を見たときは、意外な気がした。窓ガラスに額を押しつけて見渡すと、空はいつのまにかきれいに晴れ上って、雲はわずかに山の端に沿って細長く蟠《わだかま》っているにすぎなかった。このところ東京は曇天つづきで、一昨夜の仲秋名月も、昨夜の十六夜《いざよい》の月も見られなかった。今夜は十七夜、立待月《たちまちづき》か、なんにしてもまるい月を見るのは随分ひさしぶりだと眺めていると、昔の飛脚屋が、立待月を〈忽《たちま》ち着き〉ともじって、十七屋とも呼ばれたということを、前になにかの本で読んだのが思い出された。すると、この月を浴びながら帰った途端に、病人が忽ち息を引き取るのではないかという妄想《もうそう》が頭をよぎって、私はそそくさと席を立った。  盛岡からはあいにく接続が悪くて、四十分余りも待たなければならなかった。その四十分がもどかしくて、私は改札口を出るとタクシーに乗った。タクシーでも一時間半はかかるだろうが、駅でじっと待っているより絶えず郷里へ近づいている方が気休めになる。そう思ったのだが、行先を告げると、運転手は一と声唸《うな》ってスピードを落した。 「これから遠出は、ちょっとねえ。」と彼はいった。「むこうの道はよく知らないし、帰りが空車になっちゃうからねえ。」 「気が進まないなら、乗り換えるよ。」 「悪いけど、そうしてくれませんか。すぐ、そっちの方へ帰る車を呼びますから。」  運転手は駅前広場の出口に車を停《と》めると、無線のマイクを手にしてなにかいった。すると、まもなく、広場の溜《た》まり場にでもいたらしい別のタクシーがするすると寄ってきて、うしろに停まった。 「すみませんねえ。」と、降りる私に運転手がいった。「あれは、お客さんの町の、すぐ手前の村の車なんですよ。夕方から客を待っとったんだ。喜んで安くしてくれるかもしれませんよ。」  私は、うしろの車に乗り換えた。中年の人の好さそうな運転手が、走り去る前の車に無線のマイクで、ありがとうよと嬉《うれ》しそうにいった。 「助かりましたよ。空車じゃ帰りたくないからねえ。町のどの辺です?」  県立病院と答えると、時々病人を運ぶから道はよく知っていると運転手はいった。 「病院の先生で?」 「いや……親が入院してるんでね。」 「見舞いですか。汽車はもうないのかな。」 「あるんだけど、待ち合わせ時間が四十分もあってね。」 「じゃ、お急ぎで。」 「うん……病人の容態がよくないもんだから。」  そいつぁ、と運転手がいってスピードを上げた。  市街地を抜けると、北へ向うバイパスつづきの国道は燈火《とうか》も乏しく閑散としていて、ライトに浮かんで見えるのは路傍の木立や野づらばかりであった。しばらくしてから、野なかに点在する家々の屋根が時折白っぽく光るのに気づいて、うしろの窓から振り返って見ると、先程よりいくらか赤味の薄れた立待月がぽっかりと空に浮かんでいた。しばらくしてまた振り返ると、やはり空のおなじあたりにおなじ明るい月がある。  ふと、月はおふくろの目ではないか、という気がした。おふくろはおそらくすでにこの世にはいないのだと思われた。死は、おふくろに、苦痛を伴わずに直ちにやってきたろうか。おふくろは死を容易に堪え忍んだろうか。あの肉汁の壺《つぼ》に落っこちた蠅《はえ》のように、ままよ——私に心残りはない、と思えただろうか……。  月は、振り返るたびに、すこしずつ高く、ちいさくなり、時にはおぼろになったり、また白く冴《さ》えたりしながら、いつまでも窓から離れなかった。    三  町の病院には、九時すこし前に着いた。おふくろはこの前私が見舞った直後に六人部屋から個室へ移されたと聞いていたが、月影にひたされて暗く静まっている建物のなかで、三階のその個室とおぼしい窓だけが明るんでいた。 「あの病室で?」  と運転手が小声でいった。  多分そうだろうと答えると、彼はそこがどんな患者を入れる病室なのかを知っているらしく、それきり口を噤《つぐ》んで、払った料金を軽く二、三度押し頂くと、足音を忍ばせるように走り出してから、ドアをきちんと閉める音をさせた。  玄関は外よりも暗かった。下足を預かる窓口はとっくに板戸で鎖《とざ》されていて、隅《すみ》のダンボール箱から薄い合成ゴムのスリッパが溢れ落ちている。脱いだ靴《くつ》を片手に提げて、人気のない廊下にスリッパを鳴らしながらエレベーターの方へ歩いていると、宿直の事務員らしい男の人が職員の手洗いから出てくるのに会った。おふくろの名をいって新しい病室のありかを訊《き》くと、その人は即座に、三階のナースセンターの真ん前だと教えてくれた。  横揺れのする広いエレベーターで三階まで昇り、暗い廊下に電光が溢れ出ている方へ歩いていくと、その明りに照らされている真向いのドアに、面会謝絶の貼紙《はりがみ》があり、そばにおふくろの名札がすこし斜めに掛かっていた。私は、ドアの内側にちょっと耳を澄ましてから、ノックをして開けた。 「お帰り。間に合ってよかったぁ。」  そういう声と一緒に、姉が飛びつくように駈《か》け寄ってきた。ベッドにはまだおふくろが寝ていて、部屋のなかには姉と石崎さんのほかに、隣町に住んでいる父方の従妹《いとこ》もきていた。私はみんなに頭を下げて、鞄と靴を病室の隅に置いた。 「見てくんせ。こんなになってしもた。」と、姉は私の腕をとってベッドの枕許の方へ導きながら、堰《せき》を切ったように喋《しやべ》りはじめた。「これでも午前中に比べれば持ち直した方だえ。みんなで、あんたが帰ってくるまではって、手を尽くしてくれたおかげなの。今朝、あんたに電話してからきて見たときは、もうとても……。」  おふくろは、鼻腔《びこう》にゴム管を差し込まれた顔をすこし左へ傾けて、目を閉じたまま荒い呼吸を繰り返していた。意識が失われたままなのは一と目でわかった。喉《のど》がぜえぜえ鳴っていた。息を吐くよりも吸うのが困難だと見えて、軽いしゃっくりのように力を入れて息を吸うたびに、眉根《まゆね》が顫える。半びらきになった唇《くちびる》の間から、動かなくなった舌の先が乾いた小石のように見えていた。  姉が今朝からの容態の一進一退をとめどもなく話すのを聞きながら、私は、脳死という言葉を思い浮かべていた。脳死という意味からすれば、おふくろはもうどのぐらい前から死んでいるのかわからなかった。 「……だから、今朝から何十本注射したかわからないわ。とても数え切れないくらい。でも、注射は躯《からだ》にではなく、ほら、全部これにするのえ。」  姉はそういって、ベッドの片側に吊《つる》してある点滴注射の袋を指さして見せた。姉は周囲がどんなに手を尽くしてくれたかを私に納得させたいのだ。ベッドのもう一方の側には、血液の入った袋が吊されていて、これも点滴で絶えず注入されているらしい。枕許に置かれている小型テレビのような器械には、緑色の波形の線が平行に二本浮かんでいて、その横では八十台から九十台の数字がおなじ緑色でせわしなく点滅していた。  夜勤の看護婦たちがかわるがわる様子を見にきてくれるたびに、私は椅子《いす》から腰を上げて礼をいった。尿を採る袋が今朝から乾いたままだということで、おふくろの顔が前よりむしろ太ったように見えるのは排泄《はいせつ》機能が全く停止したせいだとわかった。注射液が躯に溜《た》まる一方で、むくんでいるのだ。 「でも、ひところよりも大分盛り返しましたよ。お帰りになったことがわかったんでしょうかねえ。」  看護婦のひとりがそういってくれたとき、私は、ただの気休めだと思いながらも、そうでしょうか、といって笑った。病院側の尽力には感謝しなければならなかったが、私には、おふくろはもはや生きているのではなく生かされているにすぎないのだと思われて、辛《つら》かった。眉根を顫わせて器械のように荒い呼吸を繰り返すだけのおふくろを見ていると、悲しいというよりは可哀相《かわいそう》で、早く楽にしてやりたいという気持が自然に湧《わ》いた。  しばらくしてから、私はひとりで病室を出て、階下の待合室から電話で妻におふくろの容態を知らせた。 「みんなは持ち直したといってるけどね、注射と輸血だけじゃそう長く保《も》つはずがないよ。せめて俺《おれ》が帰るまでと思って、無理に生かしておいてくれたんだろう。だから……。」  暗い待合室には、柱の蔭《かげ》のライティングデスクの上に緑色の豆ランプが一つともっているだけで、人影はなかったが、私は両手で受話器を抱え込んで囁《ささや》き声で話していた。妻は急いで発ってくるといった。といっても、この時間では夜行列車にも間に合わないから、 「明日の朝一番の新幹線に乗ります。」 「それでいいよ。もう、行ったり来たりはできないからね。そのつもりで支度してこないと。じゃ、あとは頼んだよ。」  黄色い電話の箱のなかを硬貨が滑り落ちる音が、あたりに高く響いた。  電話を切ると、そばのベンチの端に腰を下ろして、煙草《たばこ》を一本ゆっくり喫《の》んだ。頭も胸も空っぽで、なんの想《おも》いも考えも浮かばなかった。眠気も空腹も感じなかった。私は、ただ煙草をふかしながら、深く吸い込んでは薄闇《うすやみ》のなかへまっすぐに吐き出すけむりの行方をぼんやり眺《なが》めているだけであった。  廊下のむこうでエレベーターの扉《とびら》の開く音がした。スリッパの音が近づいてきて、従妹が横顔を豆ランプの色に染めながら通るのが見えた。私は吸殻《すいがら》入れに煙草を捨てて声をかけた。従妹は踵《かかと》の低い靴を手に提げていた。 「電話は済みました?」 「ええ。明日の朝一番に乗るんだって。」 「一番というと、六時発でしょう。じゃ、お家は……。」 「四時半には出なければ。」 「大変ねえ。」  従妹は、二十年ほど前に持病の治療に上京して、しばらく医師の自宅に身を寄せていたことがあり、妻とはそのとき買物に誘い合ったりして親しくなった。父親が婿養子《むこようし》だったから、父方の親戚《しんせき》とはつい疎遠になっていて、普段から気易く往《い》き来《き》しているのはこの従妹の一家だけであった。 「私たち、いつのまにか、こんなことでもなければゆっくり会えなくなったのねえ。叔母さんには悪いけど、明日が楽しみ。」  従妹は言葉尻《じり》を呑《の》み込むと、ちょっと首をすくめて笑った。  靴を持っているから、帰るのかと思うと、そうではなかった。 「なにか食べるものを買ってこようと思って。私は太りすぎだから節食した方がいいんだけど、お姉さんも石崎さんも昼からなんにも食べていないから。みんな食べるのを忘れてたの。あなただって晩御飯まだでしょう? そんな顔してる……。」  一緒にいこうかと私がいうと、 「ひとりでも大丈夫。夜道は馴れてるもの。その代わり、大したものは買えないわ、きっと。都会と違ってこのあたりは店が早く閉まるから。」  従妹は、とにかく探してみるといって、足早に玄関へ出るドアから消えた。  病室へ戻ってみると、顔馴染《かおなじ》みのトヨさんがきていた。トヨさんというのは、この春まで、おふくろとおなじ六人部屋で意識のないまま十数年も生きつづけているという嫁入り先の母親に付添っていた初老の寡婦《かふ》だが、その母親も春にはとうとう亡《な》くなって、いまは病院のすぐそばの家に引き揚げていた。 「今夜はいつまでも窓が明るいから、どうなさったのかと気になりましてね。なにかお手伝いできることがあればと思って……。」  トヨさんは、ベッドの脇《わき》から毛布の下に両手を入れて、おふくろの腕をさすったり指先を温めたりしてくれていた。ちょっと庭先へ出てみたついでに、通用口からでも入ってきたのか、長袖《ながそで》シャツの上に毛糸の袖無しを着て、膝《ひざ》の出た黒ズボンのままであった。私は、そんなトヨさんを病室の隅から見ていて、ついこの春先まで、この人の実に辛抱強くてまめまめしい看病ぶりが病院中の評判だったことを思い出した。いつか、おふくろの寝巻の着替えを手伝ってくれたトヨさんから、意識を失ってただ昏々《こんこん》と眠りつづけているように見える病人にも、機嫌《きげん》のよい日と悪い日がある、それは医者にも誰にもわからないが自分にだけはよくわかるのだ、という話を聞いて、感じ入ったことも思い出した。  従妹が折の包みを二つ抱えて戻ってきた。たった一軒だけ店を開けていた鮨《すし》屋も暖簾《のれん》を下ろす寸前だったそうで、どちらの折にも海苔巻《のりまき》だけが詰まっていた。それを人数分の小皿に分けて、みんなで食べた。石崎さんがナースセンターから湯呑みの足らない分を借りてきて、茶を淹《い》れてくれた。 「この町もバイパスが出来てからすっかり静かになったのねえ。」と、従妹が箸《はし》を使いながらいった。「大通りをずっと歩いてきたけど、人にも車にも会わなかった。月夜だから、こわくはなかったけど、静かすぎて、正直ちょっと気味悪かったわ。」  実際、みんなが黙って口を動かしていると、きこえるのは病人の荒い息遣いだけであった。月は、カーテンを閉め忘れている病室の窓からも見えていた。輪郭のくっきりした、よく光る月であった。  当人が目の前でまだ息をしているにも拘《かかわ》らず、私にはやはり、あれはおふくろの目だ、という気がした。    四  夜半を過ぎても、おふくろの様子にはなんの変化も起こらなかった。呼吸は速くも遅くもならず、強くも弱くもならなかった。永久に止まらない器械のように、おふくろはただ荒くて間合いの正確な呼吸を繰り返していた。 「あんた、目が窪《くぼ》んでるわ。」と弱視の姉が、顔を小刻みに振り動かして焦点を合わせながら私をまじまじと見ていった。「あんまり眠ってないんだえ? 家で一と眠りしてきたら?」  いや、大丈夫、寝不足には馴れているから、と私はいった。 「でも、いつまでもここにこうしていたって仕方がないもの。私たちにはなにもしてやれないんだから。帰って一と眠りしてらっしゃい。その代わり、朝になったら私と交替してな。」  そういわれると、いまのうちにすこしでも眠っておいた方がいいようにも思われた。石崎さんも、そうなさいと勧めてくれた。 「いいのかな。朝まで……このまんまかな。」 「この分なら大丈夫よ。」と、姉は石崎さんと頷《うなず》き合っていった。「万一、様子が変ったらすぐ電話で知らせるから。ベルがよくきこえるように、茶の間に寝ててな。」  町を横切っている川を見下ろす崖上《がけうえ》の家まで、歩いてもわずか五、六分の道程だったが、私たちが話している間に機転を利《き》かせて抜け出していったらしいトヨさんが戻ってきて、もうタクシーの手配を済ませてきたといった。せっかくだから、それではと私は荷物を持って、いちどおふくろを振り返ってから、病室を出た。  眠っているところを電話に起こされてきたに違いない運転手は、むっつりとして、行先を告げても返事をしなかった。車はタイヤをぱりぱり鳴らしながら白い夜道を乱暴に走った。橋を渡るとき、すこし川上の瀬のところが月光を砕いて煌《きら》めいているのが見えた。  降りた車が走り去ると、川音がして、あたりは月明りと影だけになった。暗闇を閉じ込めている家の鍵《かぎ》を開けるのに、ライターの火を借りるまでもなかった。家に入ると、あちこちに点燈《てんとう》して歩き、一と息入れてから、また不要な明りを消して歩いた。家のなかはどこもきちんと片付いて、冷え冷えとしていたが、姉が今朝急いで出かけるときに躓《つまず》いたものか、きれい好きには珍しく茶の間の座卓のそばに急須《きゆうす》が一つ転がっていて、なかの茶殻が畳の上にこぼれたままになっていた。  それを片付けて、寝床を作り、鞄《かばん》に入れて持ってきたパジャマに着替えた。それから、このまま眠れるかと自問して、電話に近い障子を開けにいったついでに、台所までいって冷蔵庫を開けてみた。姉が合奏相手をねぎらうために入れておくビールが、一本だけ残っていた。そいつとコップを持って引き返し、寝床にあぐらをかいてビールの栓《せん》を抜いた。  電話が鳴ったのはそのときであった。  一瞬、妻からかと思ったが、受話器からきこえてきたのは石崎さんの早口であった。 「容態が急に変ったんです。すぐおいでください。」  返事をする暇もなく電話は切れた。  私は、脱いだばかりの衣服を手早く身に着けて、点燈したまま家を出た。道へ出てすぐ、鍵をかけ忘れてきたのに気がついたが、構わぬと歩きつづけた。町の街道へ出るゆるい下り坂の細い路地を、時々小走りになりながら急いでいると、あちこちで靴音に目を醒《さ》ました犬が吠《ほ》えた。  病院の様子は、一見、数時間前に着いたときとすこしも変りがなかった。けれども、三階に昇ってみると、おふくろの病室のドアだけが開いたままになっていた。まず、石崎さんとトヨさんとが枕許《まくらもと》に立ってうなだれているのが目に入った。そばの木の椅子には姉が背中をまるめて腰掛けていた。どうしたのかと尋ねる前に、おふくろの息遣いが全くきこえないのに気がついた。石崎さんは私を見ると、なにもいわずに手で口を覆《おお》って、またうつむいた。 「ごめんね。」と、姉は横顔を見せたまま椅子から立って道をあけた。「ついさっき、息を引き取ったの。あっという間に。せっかく帰ってきてくれたのに、ごめんね。」  私は姉に代わって椅子に腰を下ろした。おふくろの顔は先程までとあまり変らなかったが、荒い息遣いが止《や》んでいるだけ穏やかに見えた。眉根が弛《ゆる》み、鼻腔のゴム管もとれて、ほっとしているように見えた。額に手のひらを当ててみると、肌《はだ》は生前よりも濃いうるおいを帯びていて、この五年間、毎月のようにこれが最後になるかもしれないと自分にいい聞かせながら感じ取って帰ったあのぬくもりが、まだ残っていた。 「看護婦さんたちがみんな掛かりで裸にして人工呼吸をしてくれたけど、駄目《だめ》だったの。」と姉はいった。「呼吸が止まってしまったときは、あんたに悪かったと思ったっけが、みんながみるみる母さんを裸にして、かわるがわるのしかかるのを見てからは、かえってあんたがここにいなくてよかったと思い直したんだけど……。」  姉は、おふくろが死んだという事実よりも、そんな人工呼吸の光景に強い衝撃を受けているらしかった。 「でも、やっぱり悪かったなあ。せっかく間に合うように帰ってくれたのに、一と足違いになってしもた。堪忍《かに》してな。」 「いいんだよ、これで。」と私はいった。「さっきは、こっちもその気になって帰ったんだし、こうなってもいいように、これまで毎月顔を見にきてたんだからね。それに、俺だって、そんなところは見たくなかったよ。気にしなさんな。」 「母さんも、あんなひどい恰好《かつこう》をあんたに見せたくなかったんだと、そう思ってくれる?」  私は頷いて腰を上げた。十数年前、頭部のヘルペスを病んで大事にしていた髪を坊主《ぼうず》に刈られたとき、不意に見舞いに帰った私の前で、急いで頭を隠そうと小娘のようにうろたえたおふくろの姿が思い出された。  姉は石崎さんとこれからの段取りを相談しはじめ、私は猫背《ねこぜ》の自分が映っている窓辺に寄って外を眺めた。外気が冷えて、靄《もや》が出てきたのか、月は中天近くでめっきり艶《つや》を失っていた。    五  おふくろの遺体はやがて消毒室へ移されるというので、私は、ナースセンターを訪ねて主治医や看護婦たちに礼をいい、石崎さんとトヨさんの言葉に甘えて病室の後始末を二人に任せて、姉と一旦《いつたん》崖上の家へ引き揚げた。ナースセンターで貰《もら》った死亡診断書には、死亡時刻が昭和五十八年九月二十四日午前一時四分、死因は消化管出血とあった。  姉によれば、おふくろがまだ元気だったころから、死んだときにはこれを着せてくれるようにと自分で用意しておいた衣類があり、それを私が病院に届けて、そのまま午前三時に病院へくるという葬儀屋の遺体運搬車を待つ、姉はその間に家で遺体を迎える支度をしている、そういう段取りにした。  おふくろが用意しておいた衣類というのは、紋つきの黒い錦紗《きんしや》の単衣《ひとえ》に、いずれも晒《さらし》で縫った長じゅばんと肌着とお腰で、それがきちんと畳んで風呂敷《ふろしき》包みにしてあった。その包みを持って、私はすぐ病院へ引き返した。外は靄が次第に濃くなっていて、月もいまはただの白い円盤になり、物影も薄れて街道の水銀燈も霞《かす》んで見えた。  ナースセンターに風呂敷包みを届けて、面会謝絶の貼紙《はりがみ》も名札もとれた病室を覗《のぞ》くと、遺体はすでに運び出されたあとで、誰もいない部屋の隅《すみ》に、五年間の病院暮らしの残滓《ざんし》がいくつかのダンボール箱に詰め込まれて積み重ねてあった。 「御遺体は消毒したあと霊安室へ運ばれます。待合室の廊下を通りますから、下でお待ちください。」  看護婦にそういわれて、私はまた緑色の豆ランプがともっているだけの待合室へ降りた。いまのうちに妻へ知らせておこうかと思ったが、昨夜はおそらく遅くまで支度に手間取ったろうから短い眠りを中断させるまでもないと思い直した。ベンチに腰を下ろして、父親が死んだ二十五年前の夏の記憶を呼び戻しながら、これから自分が主になって済ませなければならない弔《とむら》いの行事をあれこれと思い浮かべていると、やがて薄暗い廊下の奥から何人かの看護婦たちが脚に車輪のついた寝台でおふくろの遺体を静かに運んできた。 「御苦労さまです。」と、私が立ち上るのを見て年嵩《としかさ》の看護婦がいった。「お持ちになった着物を着せてあげましたから、一緒にきて御覧になってください。」  私は、看護婦たちのあとについて廊下のはずれまでいった。霊安室は、粗く塗ったコンクリートの床を窓のない板壁が囲んでいるだけの、農家の納屋《なや》か、車庫を思わせるような殺風景な部屋で、外に面した一方だけが内側に閂《かんぬき》のついた観音びらきの扉になっていた。覆っていた白布を除《の》けると、おふくろは確かに黒の錦紗を着せられて、湯あがりのようなさっぱりとした顔になっていた。九十過ぎにしては黒毛の多い髪も艶やかで、それに清潔な長じゅばんの半襟《はんえり》のせいか、病に倒れる前まで若返ったように見えた。看護婦たちも口々に、綺麗《きれい》な仏さんだといってくれた。そこへ、石崎さんとトヨさんが一緒に車へ積み込むダンボール箱を運んできて、霊安室はいっとき人声で賑《にぎ》わったが、やがて一人去り、二人去りして、私のほかには頬《ほお》にまだ少女の赤味を残している体格のいい看護婦だけになった。  その看護婦は、おふくろからすこし離れて立って、所在なげに組んだ両手の指を反らせたり、また弛めたりしていたが、なにもない部屋のどこかで蟋蟀《こおろぎ》が鳴き出すと、不意に、あの、といって私に目を上げた。 「……とってもいいお婆《ばあ》さんでした。」  私はちょっと面食らったが、迷った末の思い切ったようないい方だったから、素直に受けて、ありがとう、といった。 「あたし、何遍も握手しました。お婆さん、とっても柔かい手をしていて……。」  私は黙って笑っていた。意識を失う前のおふくろは、ベッドに近づく人には誰彼構わず握手を求める手を出すので、握手お婆さんと呼ばれていた。 「それで……お孫さんと間違えられたことも何遍かあります。」  ほう、と私は、相手の顔を見直したが、三人いる私の娘の誰とも似ているようには見えなかった。おふくろの孫といえばその三人だけである。 「あなたとおなじ年頃《としごろ》のがいるから。」と私はいった。「僕も親戚《しんせき》の見舞客に間違えられたことがありますよ。そう思い込むと、その顔に見えたらしい。迷惑したでしょう。」  看護婦は強くかぶりを振った。 「迷惑なんかじゃなかったんですけど、なかなか手を放してくれないから……仕方がなくて、お孫さんのふりをしたこともあります。そのときは、あたしの方でもお婆さんを自分の……。」  看護婦は口を噤《つぐ》んでうつむいた。 「あなたのお祖母《ば あ》さんは?」 「三年前に死にました。だから……。」  看護婦は、おふくろへともなく私へともなく、詫《わ》びるように深く一礼すると、身をひるがえして走り出ていって、あとは蟋蟀の鳴き声だけになった。  しばらくすると、どこにいたのか石崎さんや看護婦たちが一緒にどやどやと入ってきた。 「いま葬儀屋さんの車が出たそうです。近くですから、まもなく参りましょう。」  石崎さんがいった。ちょうど三時になっていた。  若い看護婦が二人掛かりで閂を抜いて、扉を軋《きし》ませながら押し開けた。外は白い闇《やみ》であった。そのあまりの白さに、私は一瞬、もう夜が明けたのかと錯覚したが、溢《あふ》れ出た明りのなかに佇《たたず》む看護婦の姿が忽《たちま》ち霞むのを見て、靄だとわかった。私は、壁際《かべぎわ》に置いた靴に履き替えて外へ出てみた。立ち籠《こ》めるというよりも、隈《くま》なく塗り籠めたような濃い靄で、もはや空の月はおろか、すぐそこにあるはずの玄関の車寄せさえ見えなかった。  まもなく、玄関前の広場の方で車のエンジンの音がして、植え込みの蔭《かげ》あたりから不意に二つ目のライトがあらわれ、それが黄ばんだ明りの暈《かさ》を次第に大きくしながら近づいてきた。荷台の長いライトバンであった。馴れている葬儀屋は、大胆なハンドルさばきで向きを変え、霊安室の戸口に後輪を同時につけてぴたりと停めると、すぐに運転席から飛び降りてきた。頭の禿《は》げた小太りの中年男で、こざっぱりとした薄鼠色《うすねずみいろ》の作業服を着ていた。彼は、私には目もくれずに、うしろのドアを大きく開けて、よいしょと乗り込み、ほいきた、と看護婦たちに声をかけた。寝台が素早く車の荷台に寄せられ、おふくろの遺体は敷布団《しきぶとん》ごと、足の方からずるずると車のなかへ引き入れられた。次いでダンボール箱が積み込まれ、石崎さんも遺体を守るように乗った。私は助手席に乗るようにいわれたが、ステップがいやに高い上に躯《からだ》がいつになく重たくて、三度地面を蹴《け》ってようやく乗れた。車はすぐに走り出し、戸口で見送る看護婦たちの影法師もみるみる薄れて見えなくなった。 「なるべく、ゆっくりやってください。」  私は、おふくろの乗物の速さに酔う癖を思い出して、つい、そういった。葬儀屋は鼻で嗤《わら》ったようだった。 「急げといわれたって、この靄じゃあな。どもなりゃんせん。」  車はライトで足許を確かめながら、白い闇のなかをのろのろと走った。  崖上の家でも、病院の霊安室とおなじように縁先の靄だけをわずかに明るませていた。そこに車が横づけになると、石崎さんがうしろの荷台で、さあ、お家《うち》ですよ、お家に帰られましたよ、とおふくろにいい聞かせるのがきこえた。姉が縁側のガラス戸を大きく開け放った。おふくろが寝所にしていた茶の間の隣座敷に、布団が北枕に敷いてあり、私たちはみんなで運び込んだ遺体をそこに移した。枕許の小机に燭台《しよくだい》を置いて蝋燭《ろうそく》をともし、香も焚《た》いた。  茶の間は、私の寝床も座卓の上もきれいに片付いて、真新しい座布団が出ていた。 「こんな夜中に、御苦労さんでした。おかげさんでした。」  姉が車の後始末をしてきた葬儀屋に茶を淹《い》れた。葬儀屋は、胸のポケットから使い込んだ手帳を出すと、あいにく明日は日曜日だから町営の火葬場は休みになる、だから明日は納棺だけを済ませて祭壇を作り、火葬は明後日に回すほかはない、と無愛想にいって茶をすすったが、祭壇の費用をきめる段になって、私があっさり手頃と思われるランクを選ぶと、それが胸算用を上回っていたせいか、急に機嫌《きげん》を直して丁重になった。 「それでは、明日午前十一時納棺ということで。」と、膝《ひざ》を揃《そろ》えて葬儀屋はいった。「それから、今日は土曜日でやんすから、昼前に役場へいって書類を書いてきて頂かなくてはなりゃんせん。火葬場使用許可申請書、死体火葬許可申請書、それに霊柩車《れいきゆうしや》使用許可申請書と、この三通でやんす。そのときは、死亡診断書と印鑑をお忘れにならないように。うっかりすると、何遍も行ったり来たりすることになりますんでな、念のために……。」  葬儀屋が帰ると、私たちは、おふくろの枕許に水を入れた湯呑《ゆの》みと短冊《たんざく》に切った半紙を盛った盆を用意し、順番に、半紙の先を水にひたしては遺体の唇《くちびる》を濡《ぬ》らして、拝んだ。それから、石崎さんに改めてこれまでの手厚い介護の礼をいった。実際、石崎さんの世話はまことに懇切を極めていて、一例を挙げれば、寝たきりの五年間、おふくろは床擦れの苦痛というものを全く知らずに死んだのである。石崎さんも、それだけがせめてもの慰めだといって、泣いた。これでもう付添いの仕事は終りにして、近在の自宅で茶道でも教えながらゆっくり暮らしたいといっていた。  私たちは、これから病院へ戻って身のまわりの整理をするという石崎さんを送り出したあと、茶の間の座卓に向い合って、互いの労をねぎらい合った。 「父さんが亡《な》くなるときは、なんにもしてやれなかったっけが」と姉はいった。「今度はできるだけのことをしてあげたから、心残りはないわ。母さんも満足して亡くなってくれたと思うけんど、どうだえなあ。」  私は、そう思っていいだろうと答えた。 「もしも悔いが残ったとすれば、あんたたちと一緒に暮らせなかったことだけよ。母さん、どんなに東京へいきたがってたか……。」  それは私も知っていた。寝ついてからも、何度私の首に腕を巻いて引き寄せては、東京へいきたい、みんなと一緒に暮らしたい、と耳に囁《ささや》いたかしれなかった。けれども、五年前までのおふくろは、いくら私が一緒に暮らそうと誘っても、ひとりになる姉を案じて同意しなかった。私の方は二人一緒でも構わなかったが、それでは姉の唯一《ゆいいつ》の生き甲斐《がい》を奪うことになる。おふくろの晩年は、概《おおむ》ね平穏だったといっていいが、心は絶えず姉と私の間を揺れ動いていたのに違いなかった。 「母さん、あんたのところで倒れるのが本望だったんじゃないかしらん。」 「そんなことはないさ。」と私は笑っていった。「こっちで寝ついて、あんたには気の毒だったけど、御本人としてはこれでよかったんだ。親しい人たちがしょっちゅう見舞いにきてくれたし、付添いさんにも恵まれたしね。あれこれ余計なことは考えないで、ともかくも寿命が尽きるまで辛抱して生き延びてくれて、よかったと思うことにしようよ。」  それから、ふと気になって、隣座敷へ立っていってみると、いまはおふくろが足を向けている箪笥《たんす》の引手の金具には、古びた布ぎれが薄く巻きつけたままになっていた。障子に嵌《はま》った模様ガラスの隙間《すきま》から見えるガラス戸の外は、まだ白々としていたが、今度は本当に夜が明けるらしく遠くから雀《すずめ》の囀《さえず》りがきこえていた。    六  その日の午後、役場からの帰りに二つ三つ用足しをして戻ってみると、妻と次女と三女とが、さっき着いたばかりだといってまだ遺体の枕許《まくらもと》から動かずにいた。勤めに出ている長女も、その晩、近い親戚だけで通夜《つや》をしているところへ駈《か》けつけてきた。  酒にすこし酔った遠来の叔母が、遺体ににじり寄っていって、孫たちの顔が揃ったと声に出して報告した。この叔母は、おふくろのたった一人の妹だが、もう八十過ぎで曾孫《ひこまご》もいる。 「外はいい月夜だえ。姉さんは、他人の都合ばかり気にして、暑くもなく寒くもなくていい日和《ひより》がつづく季節に死にたいってよくいってたっけが、その望みばかりは叶《かな》えられたなあ。」  叔母はついでにそんなことを話しかけて、また両手と膝とで自分の席へ戻った。  翌朝、葬儀屋がくる前に、女たちが遺体の顔に薄化粧をしてやった。姉は、化粧といっても色素のない眉《まゆ》に眉墨を塗ることしか知らないから、初め叔母がパフで白粉《おしろい》をはたいてやったが、頬紅をさすところで急に目が見えなくなって、妻と代わった。叔母はハンカチで目を拭《ふ》きながら、遺体の肌がしっとりしていて白粉ののりがとてもいいといった。妻はほんのりと頬紅をさし、髪を梳《くしけず》り、自分の口紅を小指の先に取って唇に塗ってやった。  葬儀屋は約束の時刻きっかりにきた。寝棺のほかに、さまざまな小道具を用意してきていて、みんなの注視を浴びながら、ひとりで遺体を横向きにしたり手足をかわるがわる持ち上げたりして手際《てぎわ》よくあの世行きの旅支度をさせた。三角印のついた鉢巻《はちま》きのようなものは、いちど自分の頭に締めて結び目を作ってから遺体の頭に嵌めようとしたが、へっ、大きな頭だ、と独り言を呟《つぶや》いて、輪をひとまわり大きく作り直した。  棺に納めるときは、頭の方を葬儀屋が、足の方は親戚の力持ちが引き受けてくれた。父親のときは坐棺《ざかん》で、窮屈そうだったが、寝棺だから小柄《こがら》なおふくろにはゆったりで、一緒に入れる品々を残らず入れてしまっても、まだ隙間がありすぎた。私たちは、白い菊の花を多くして隙間を残らず埋めることにしたが、葬儀屋は凝って、あちこち手直ししているうちに、どうも枕が低すぎるといい出した。 「明朝出棺するときまでは蓋《ふた》をずらしておきますからね。仏さんのお顔は、顎《あご》が上っていては見映えがしません。」 「……本はどうかしら。あの本。」  と、妻が私の顔を見ていった。  それだけで、私にはどの本かすぐわかった。私は、葬儀屋にちょっと待って貰って、隣の部屋の本箱から自分の著書を一冊引き抜いてきた。『柿《かき》の蔕《へた》』という書名の、おふくろが出てくる話ばかりを集めた短篇集で、いまはちいさな出版社を経営している学生時代の同人雑誌仲間が、どういう手蔓《てづる》があったのか高名な染色の大家に装幀《そうてい》を依頼して作ってくれた、私には贅沢《ぜいたく》すぎるような限定本であった。本文は手漉《てす》きの和紙で、帙《ちつ》の表面は書名にちなんでわざわざ柿渋で染めたものだと聞いていた。  それを葬儀屋へ手渡すと、彼は、大きさと厚みだけをざっと見て、これでなんとか間に合うだろうといった。それから、お愛想のつもりか、 「本好きのお婆さんだったんですな。」  といった。  妻と娘たちが一斉《いつせい》に私の方へ目を上げたが、私は黙って、急に込み上げてくるものを堪《こら》えていた。  葬儀屋が本を枕の下に入れると、なるほど遺体の顔はいくらか威厳を取り戻したかに見えた。  その翌朝、私たちは遺体に最後の別れをしてから、河原から拾ってきた小石で順番に釘《くぎ》を打って棺を閉じ、町はずれの山裾《やますそ》の火葬場へ運んで荼毘《だび》に付した。  私は、頑丈《がんじよう》な鉄の扉《とびら》のむこうで焔《ほのお》が轟々《ごうごう》と音を立てるのを聞きながら、とにもかくにも、おふくろがしきりに厭《いや》がっていた薪《まき》で焚《た》きつけるかまではなくて、よかったと思った。私が『柿の蔕』を書いたころは、町にはまだ薪を焚くかましかなくて、あるとき、おふくろが知合いの婆さんの骨《こつ》拾いに出向いたところ、取り残された爺《じい》さんが故人の好物だった柿を棺のなかへ入れすぎたために、すっかり焼けるのに随分時間がかかった上に、かまから出てきた骨の間でまだ柿の蔕がくすぶっていたという。  そんな話を聞かされて『柿の蔕』を書いたのだったが、いまはおふくろ自身が、その話をおさめた本を枕にして焼かれている。  小一時間もすると、焔の音が止《や》んだ。かまから出てきたおふくろは、焼け爛《ただ》れた鉄板の上でばらばらに砕いた小枝のような骨片になっていた。私たちは鉄板を囲んで、長い木箸《きばし》で骨片をつまみ上げては素焼きの壺《つぼ》へおさめたが、頭蓋骨《ずがいこつ》の下からうっすら熟柿《じゆくし》の色に染まった骨があらわれて、寺の住職に尋ねると、 「そこには脳味噌《のうみそ》がありますからね。だけど、よく見る骨の色と、ちょっと違うなあ。」  といって住職は首をかしげた。火葬場の従業員も、なんのせいだかわからないが珍しい色だといっていた。  とすれば、枕にした本の帙から、染色家が染めてくれた柿渋の色が染み込んだのだと思うほかはない。私は、骨があらかた壺におさまってから、自分でその色づいた骨片を拾い、いちばん上にのせて、蓋をして貰った。  その日も、おふくろが望んでいた通りの好天で、骨拾いにきてくれた人たちもぬかるみで難儀をすることもなく済んだ。いよいよちいさくなったおふくろを抱いて迎えの車を待っていると、壺から木箱へ、木箱からそれを包んでいる白布へとにじみ出てくる焼けた骨のほとぼりが、指先から、憶《おぼ》えのある程よいぬくもりになって身内に伝わってきた。自分の母親が、この世からいなくなったとは思えなかった。  相変らず、煙突のけむりを忽《たちま》ち山襞《やまひだ》へ追いやった風が吹きつづけていたが、暑くもなく、寒くもなかった。コスモスの花が咲いていた。 (イソップ寓話《ぐうわ》集からの引用は山本光雄訳による) ヒカダの記憶    一  私の亡母は夢にこだわる性分で、生前はよくひそひそと夢語りをした。まんざらでもない夢を見たときは、いい齢《とし》をして、醒《さ》めてがっかり、などと笑うばかりだったが、醒めてからも気になるような夢を見た朝は、ないしょ話でもするように顔を寄せてきて夢の中身を打ち明けた。ひそひそ声ながら、熱心に話した。もしかすると、いちどそうして誰かを相手に夢語りをすれば、それでもう気掛かりの種も雲散霧消するのだと思い込んでいたのかもしれない。  そんな性分が、晩年になっても改まらなくて、私がしばらく帰省を怠っていると、近頃《ちかごろ》夢見がよろしくないが変りはないか、と様子を尋ねる手紙をよこした。指先が痺《しび》れて手紙が書けなくなってからは、もっぱら料金の安くなる夜間電話をかけてきた。電話口に呼ばれて、出てみると、おふくろはいつものように、おらだえ、というが、夢見が悪いと訴えるときに限ってそのあと妙に口籠《くちごも》るから、すぐわかる。それで、またかと、相手をしょげさせない程度に嗤《わら》ってやって、今度は誰の夢を見たのかと訊《き》くと、おふくろは、一緒に暮らしている姉の耳を憚《はばか》る例のひそひそ声で、夢に見た人物の名前だけを素早く答えるのがならわしであった。  その人物は、一人のこともあれば数人のこともあったが、いずれも、とっくの昔におふくろの身辺を去ってしまった肉親の誰かにきまっていた。おふくろ自身の両親。先に病死した夫。若いうちに自分から命を捨てた二人の娘。家を出たきり生死不明の二人の息子——この七人のうちの誰かである。  夢語りを何度も聞かされていれば容易に察しのつくことだが、おふくろは、これらの肉親たちが出没する夢を、ほかのどんな夢よりも厭《いや》がっていた。同時に、厭がる自分を恥じてもいた。それで夢語りが毎度ひそひそ話になるのだが、おふくろは人を嫌《きら》っているのではなくて、肉親たちが昔の姿で夢に出てくること自体が厭なのであった。夢に出てきても彼等は別段はらはらするような言動を見せるわけではない。むしろ、ひっそりしている方が多いのだが、おふくろにはそれがかえって辛《つら》かった。たとえば、死んだ娘のひとりが夢の片隅《かたすみ》にただ黙って坐《すわ》っているのを見かけただけでも、醒めたあと、その記憶がなんとも厄介《やつかい》な気掛かりの種になるのである。  おふくろは、はっきり口には出さなかったが、たとえ上の子供たちがはやばやと離散したのが自分のせいではなかったにしても、やはり一人の母親として、自分の親や夫や子供たちに生涯《しようがい》強い引け目を感じつづけていたのだろう。  私はいつも、おふくろの話を聞くだけ聞いてから、まあ、墓参りをするときは寺の石段に気をつけて、といって電話を切ったが、実際おふくろは、悪い夢見が重なると、道さえぬかるんでいなければひとりでこっそり寺へ出かけたりした。    二  私自身は、おふくろとは違って、これまで夢とはあまり縁がなかった。子供のころから眠れば熟睡する質《たち》で、その上、寝酒というやつがあるから、夢の方で寄りつかない。偶《たま》に見ることがあっても、寝床を離れた途端に忘れてしまうたぐいの、他愛のない、あわあわとした夢ばかりである。だから、悪夢に魘《うなさ》れたという経験も指折り数えるほどしかなくて、それがどんな凄《すご》みの悪夢だったかは、もう思い出せない。いまでも鮮明に憶《おぼ》えているのは、死刑囚の自分が木蔭《こかげ》の草の上に家族と車座になって、刑の執行までの短い時間をなにやら談笑しながら過ごしている夢ぐらいのものだ。時々、むこうの小高い丘の上で明るい日ざしを浴びている刑場の方へ目をやっては、自分自身へともなく家族へともなく、いいんだよ、これでいいんだよ、という呟《つぶや》きを繰り返している、そんな夢である。  ところが、去年の秋あたりから、私はたびたび夢を見るようになった。死んでちょうど一年になる、おふくろの夢を見るようになった。  おふくろの流儀でいえば、近頃めっきり夢見が悪くなったということになるが、私は死んだ肉親を夢に見ても、べつになんとも思わない。だから、おふくろのようにひそひそと夢語りをする代わりに、夢を見たことに気づいた朝はそのまま寝床に留《とど》まって、まだ湿り気のある断片を寄せ集めては気楽に夢の復元を試みる。どうにか復元できたときは、それを眺《なが》めながら、ここはどこだろう、これは何歳時分のおふくろだろう、そばにいるのは誰だろう、などと、謎解《なぞと》きでもするように考えてみる。そんなことをしていると、時には妙な発見をする。  ある朝、集めた断片を点検しているうちに、おふくろが風変りないでたちで夢にあらわれているのに気がついた。黒っぽい布地の、膝小僧《ひざこぞう》がやっと隠れるくらいの裾《すそ》の短い着物を着て、膝から下をまる出しにしている。まるで子守女か幼女の恰好《かつこう》だが、夢のなかのおふくろはそのどちらでもない。襷《たすき》をかけ、頭には手拭《てぬぐ》いを姉様《あねさん》かぶりにして、大きな商家の台所のような板の間でなにやら忙しそうに立ち働いている。  それで思い出したが、大人だか子供だかわからない夢のなかの自分も、そんな見馴《みな》れない母親の姿に確かに面食らっていた。いつも裾の長い着物にきちんと帯を締めている母親とは、あまりにも違いすぎていて、首から下は別人ではないかと思われた。だから、わざわざそばまでいって母親に間違いないのを確かめて、ようやくほっとしたのだったが、そのときの安堵感《あんどかん》は目醒めたあともまだはっきりと憶えていた。  どんなふうにして確かめたかというと、なんのことはない、相手の脛《すね》を一瞥《いちべつ》しただけである。私は子供のころからおふくろの脛をよく知っているから、脛だけで母親とよその女を判別できるのである。脛にあるヒカダの模様で、すぐわかる。  ヒカダというのは、私の郷里の方の土地言葉だが、漢字を当てれば火形だろうか。火は、焔《ほのお》ではなく、炭火の方で、形は強い炭火に焙《あぶ》られた跡の意味だと思えばいい。  私の郷里は東北の北はずれに近い太平洋岸だが、冬は積雪がすくない代わりに空っ風が吹き荒れて、寒気が厳しい。私が生家で暮らしていた子供のころは、冬の暖房といえば炭火ばかりで、大概の家では掘り炬燵《ごたつ》に炭火をどっさり置いて暖をとっていた。寒さが募るにつれて炭火の量も多くなり、外から凍えそうになって駈《か》け戻った子供たちや水仕事を終えてきた女たちが、灰のなかに埋もれている赤く熾《おこ》った炭火を掘り返し掘り返しするから、真冬の炬燵のなかは櫓《やぐら》が焦《こ》げそうなほどに熱かった。  そんな炬燵に出たり入ったりしながら一と冬を過ごすと、女たちの脛の前面に、強い炭火に焙られた跡が茶色の模様になって浮かび上る。男たちはズボンや股引《ももひき》を穿《は》くから直接肌《はだ》を焙られずに済むが、女たちはスカートにしても着物にしても、炬燵に入ると裾が割れて脛がむき出しになりがちである。時には暖をむさぼって、自分からむき出しにすることもある。そこを炭火に、すこしずつだが繰り返し焙られるのだ。  その脛に浮かんだ茶色の模様を、郷里の人たちはヒカダと呼んでいた。ヒカダは痛くも痒《かゆ》くもないが、一種の火傷《やけど》の跡だから、洗っても落ちない。ひとりでに薄れて消えるのを待つほかはないが、やっと薄れかけたころにはまた冬が巡ってくるのである。女たちはヒカダから逃れようがない。  私は、おふくろが四十のときの子供で、兄や姉たちからは大分遅れて生まれた末弟だから、赤ん坊のころからおふくろのヒカダをつい鼻先に見ながら育ったようなものであった。けれども、おふくろの脛にある茶色の模様を〈おふくろのヒカダ〉としてはっきり意識するようになったのは、生家の湯殿の竈《かまど》がひどく破損してしばらく町の銭湯へ通わなければならなくなってからであった。私はもっぱら女湯に出入りしたが、ヒカダは自分の母親ばかりではなくどんな女にもあるもので、しかも、その模様は一律ではなく人によってまちまちだということを知って、驚いた。  私はいつも先に洗って貰《もら》って、あとは、おふくろが自分を洗い終るまで湯舟の縁から周囲の裸の客を眺めていたが、ヒカダは誰も隠さないから観察するのが容易であった。ヒカダの模様は、生家の店にある反物の柄《がら》に似ていた。縞《しま》になっているのもあれば格子《こうし》になっているのもあった。市松模様もあれば絣《かすり》模様もある。縞の靴下《くつした》でも履いているように脛の中程から下の部分に模様が集中しているのもあれば、斑《まだら》模様が膝の上にまで及んでいるのもあった。互いに似たような模様はあっても、そっくりおなじ模様は二つとないように思われた。  色も、肌色のように人それぞれで、濃いのもあれば薄いのもあり、綺麗《きれい》な色のもあれば汚く濁った色のもあった。概して、色の濃淡は年齢に比例していたが、なかには、まだうら若いのにヒカダの色だけは三十回も冬を過ごしたかのように濃い人もいた。そんな人が着物姿で町歩きなどしているのに出会ったりすると、つい、おらは知ってらえ、という気持になった。  おふくろのヒカダは、太めの紐《ひも》で粗く編んだ網の目模様で、色は、年季の入った濃い色であった。縫い物が得意のおふくろは、毎年冬の間は炬燵でせっせと針を運んでいるから、ヒカダは薄れる暇がなくて、夏でもおふくろの両脛は亀甲形《きつこうがた》の脚絆《きやはん》をつけているように見えた。  それをいまでもよく憶えているから、仄暗《ほのぐら》い夢のなかでも、脛さえ見せてくれればおふくろだと一と目でわかる。その後も、時々おふくろが脛をまる出しにした恰好で夢のなかにあらわれるが、私はヒカダの色具合から判断して、まだ五十前のおふくろではないかと思っている。    三  私は、三十男になってから、いちどだけ同郷の老婦人と真顔でヒカダの話をしたことがある。  その老婦人というのは、私たち兄弟全員を取り上げてくれた藤波さんというクリスチャンの助産婦だが、そのころはすでに郷里を引き払って東京の息子さんの許《もと》に身を寄せていて、私は、ある日、そこを訪ねて藤波さんと二十年ぶりの再会をした。勿論《もちろん》、ヒカダの話をするためではなくて、息子さんから母が会いたがっているという手紙を貰っていたからである。  私が知っているお産婆《さんば》さん(おふくろが敬愛してそう呼んでいた)は、いつもぴんと膨らんでいる黒革のちいさな鞄《かばん》を片手に、飾り気のない引っ詰め髪の頭をいくらか前のめりに傾けながら下駄履《げたば》きでせかせか道を歩いていて、帽子をとってお辞儀をすると、あらまあ、大きくなったこと、と目を大きくして見せるのが常だったが、いまは、息子さんの邸宅の離れのベッドに寝たきりのちいさな八十婆さんになっていた。けれども、目も口もまだまだ達者で、耳がすこし遠くなったせいか張りのある大きな声で話した。 「こんなところまで呼び出したりして、ごめんなさいね。口が利《き》けなくなる前に、どうしてもあなたにお伝えしておきたかったことがあるの。あなたには厭なことかもしれないけど、聞いてくれますか。」  勿論伺います、と私はいった。 「私はね、自分が取り上げたお子さんの赤ちゃん顔を全部、頭のどこかで憶えてるらしいの。だから、そのお子さんたちのひとりが立派な大人になって、ひょいと目の前にあらわれても、お顔をしばらく見ているうちに、その人の赤ちゃん顔がどこからともなく目に浮かんでくるんです。でもね、あなたは特別。いまのお顔を見なくても、お名前だけですぐ思い出すから。赤ちゃん顔だけじゃなくて、あなたが生まれてくるときのこまごましたことまでもね……お母さんからなにかお聞きになった?」  いいえ、なにも、と私は答えた。 「……そうよねえ。」と藤波さんは私から目をそらして頷《うなず》きながらいった。「お母さんにはどうしても話せないでしょうねえ。やっぱり私が話して上げなくっちゃ。勇気を出して。」  藤波さんの話は、要するに私自身の出生にまつわる秘話のようなものであった。  それによると、おふくろは五人目を出産したあと、もう子供は産むまいと固く心にきめていたにも拘《かかわ》らず、十年経《た》って、うっかり私を身籠ってしまい、自然に流してしまう試みにもことごとく失敗して、とうとう藤波さんに、堕胎を黙認してくれるようにと頼み込んだのだという。勿論、藤波さんは反対した。結局、おふくろは藤波さんに説得されて産む決心をした。ざっとそんな話の内容であった。  あぶなかったな、と私は笑った。 「あなたは運がお強いのよ。二つも三つも関所を通り抜けて無事に生まれてきなすったんだもの。あなたを取り上げる日は私にも大きな関所でしたけどね。」  御心配をおかけしました、と私はいって頭を下げた。 「そりゃあ心配しましたよ。勇気を出してお産みなさいとはいったものの、どんな子が生まれてくるかは誰にも予測がつきませんものね。何千人も取り上げたけど、あんなに緊張したことなかった。だから、最初黒い髪の毛がちらっと見えたときは、もう嬉《うれ》しくってね。あとは夢中で取り上げて、まっさきに目を見たら、真っ黒でしょう。それで思わず大きな声でいったの、奥さん、元気な赤ちゃんですよ、お目々の黒い坊ちゃんですよって。」  そのときの藤波さんの気持は、私にも容易に想像できた。藤波さんは、私の前におなじ母親から髪も肌も真っ白で目が灰色の女の子を二人も取り上げている。おふくろが私を産むまいとしたのも、ひたすら三人目を恐れたからであった。 「あなたを産みなさるまでのお母さんの気持、わかって上げて。」と藤波さんはいった。「それから、うんと感謝しないと。」  おふくろよりも、お産婆さんに、と私はいった。 「私はいいの、産婆として当り前のことをしただけだから。結局はお母さんの勇気があなたを産ませたんですよ。……あなた、お子さんは?」  一人います、女の子ですが目も肌も黒い子です、と私はいった。藤波さんは笑って頷いた。 「時には、蛮勇みたいなものが必要ですね、自分の道を切りひらくには。」  それから、ゆっくり目を閉じた。お疲れでしょう、と私はいった。 「ええ、ちょっとだけ。でも、胸がすっきりして、とてもいい気持。」  このまま眠るのではないかと見ていると、やがて唇《くちびる》だけが動いて、 「お母さんのヒカダは、いまでもあのころのままかしら。」  私は、まさかこんなところへ郷里のヒカダが出てくるとは思わなかったので、びっくりした。 「きっちりした模様の、綺麗なヒカダでしたね。ヒカダを綺麗なんていうと、むこうの人に嗤《わら》われるけど、実際綺麗に見えることがあったの。女が子供を産むとき、ありったけの力で息むでしょう。それを何度も繰り返していると、腿《もも》の内側からふくらはぎにかけてが、ぽおっと赤く汗ばんできて、そうすると、ほんのちょっとの間だけど、脚の芯《しん》に灯《ひ》がともったように見えるときがあるのね。そのときの、ヒカダが綺麗。みんながみんなというわけにはいかないけど、お母さんのはよく憶えてますよ。……あなたが生まれるときはそれどころじゃなかったけど。」  藤波さんはそういって、目を閉じたままくすくす笑った。    四  おふくろは、七年前に脳血栓《のうけつせん》で倒れて、それから五年の間、郷里で寝たきりの病院暮らしをつづけた末に、一昨年の秋、満九十一歳で生涯《しようがい》を閉じたが、遺体に旅支度をさせてやるとき、私は実にひさしぶりにおふくろの脛《すね》のヒカダを見た。  葬儀屋が、遺体の足に糊《のり》のきいた白足袋を履かせてやるのに手間取っていると、着物の裾がひとりでに滑って、片方の脛があらわになったのである。  私は、葬儀屋にちょっとと声をかけて、遺体の足許にしゃがんでみた。おふくろの脛は哀れに痩《や》せ細って、白い粉でもまぶしたように艶《つや》を失っていた。けれども、見憶えのある網の目模様はまだうっすらと残っていて、それが眺めているうちにすこしずつ昔の色を取り戻すかに見え、私は不意の悲しみに打たれて立ち上った。 「もう、よござんすか。」  と葬儀屋がいった。  私は黙って頷いて、馴れた葬儀屋の手が白い脚絆でみるみるおふくろの脛を覆《おお》い隠してしまうのを見守りながら、これでヒカダが消える、おふくろと一緒にヒカダもこの世から消える、と思った。 からかさ譚《たん》    一  浅草の仲見世で、からかさを買った。  近頃《ちかごろ》は、昔ながらの下駄《げた》屋が街から姿を消して、履物店というのを探しても下駄は容易に見つからない。傘《かさ》屋を覗《のぞ》いても、洋傘ばかりで、からかさなどは見当らない。  からかさが一本欲しいのだが、どんな店で買えるものやらわからなくて、所用で下町へ出かけたついでに浅草まで足を伸ばし、和装小物の卸問屋でもありそうな横町あたりから探しはじめたところ、なんのことはない、いちばん当てにしていなかった仲見世に、からかさの専門店が数軒あった。  こんなことなら、最初から、お上りさんや外人観光客のように、まずは雷門《かみなりもん》をくぐればよかった。からかさを専門に売る店の一軒は、雷門から入っていくらも歩かないところにあったのだ。  間口のせまい店であったが、左右の壁には、細身の蛇《じや》の目《め》傘や、骨太の番傘や、踊りに使う柄《え》の長い華奢《きやしや》な傘などがぎっしりと立て並べてあり、店の入口の廂《ひさし》には、写楽の役者絵を大きく写し取った黄色い傘がひらいたまま吊《つる》してあった。どうやら、街から消えたからかさは、いまやこんなところで外人たちの観光土産になっているらしい。  その写楽の傘の下をくぐっていって、壁の蛇の目を物色していると、最初は、はい、いらっしゃい、と気のなさそうな声だけがした奥の方から、ようやく初老の女の人が立ってきた。 「どなたがお使いになるんでしょう。」  女の人は、急に愛想よくそういったが、それには答えずに、なるべく薄い紙を使った傘が欲しいのだがと私はいった。 「……といいますと?」 「できるだけ音に敏感なやつが欲しいんだけど。」  相手はちょっと面食らったように目をしばたたき、音に敏感、と呟《つぶや》きながら左右の壁に目を迷わせていたが、やがて爪先立《つまさきだ》って蛇の目の一本を手に取ると、心得顔に私を仰いで、 「芸能界の方ですね?」  といった。  品質や体裁よりも、雨が当る音のよしあしで選ぶというのだから、おおかた時代物の芝居かなにかの小道具にするつもりだろうと思われても仕方がなかったが、私はあいにく芸能界の人間ではない。黙って笑っていると、相手は独り合点《がてん》に頷《うなず》いて、ぱりぱり音をさせながら蛇の目をひらき、張った紙のところを指先で軽く弾《はじ》いて見せた。 「ほら、敏感でしょう。上等の和紙に、絹を貼《は》り合わせてますから。これなら、ちょっとした雨でも鼓《つづみ》みたいに鳴るわ。」  鼓はともかく、これ以上紙の薄い傘はほかの店にもないはずだというので、私はそれを貰《もら》うことにした。緑色のと、薔薇色《ばらいろ》のがあったが、からかさは、なにかの拍子に紙の色が差している人の顔に映ることがある。姉は白くて、どんな色にも染まり易いから、なるべくなら暖色の方がいい。そう思って、薔薇色の方を選んだ。一万二千円もした。  布袋に入れたのを、包装紙ですっぽり包んで貰い、しばらく浅草寺《せんそうじ》の境内をぶらついてから、路地伝いに広い通りへ出てみると、ちょうど角に刃物の専門店があったので、ついでにそこで手頃な鉈《なた》を一挺《ちよう》買った。 「枯枝を薪《まき》にするのに使うんだから、そんなに切れるやつでなくてもいいんだが。」  というと、そこの倅《せがれ》かもしれない若い店員が親指の腹で刃に触ってみながら、 「うちではあいにく、なまくらな刃物は商《あきな》ってねえんで。」  といって笑った。  ちょっと触らせて貰うと、まるで剃刀《かみそり》みたいで、ぞくっとする。 「なあに」と店員がいった。「使っているうちにちょうどいい切れ味になりますよ。刃物の方も使ってくれる人の力にだんだん馴染《なじ》んでくるもんです。」 「このまま持って帰れるのかな。」  持ち主次第では物騒な兇器《きようき》にもなるこんな刃物を、と私は思ったのだが、 「勿論《もちろん》、紙に包んであげます。大丈夫ですよ、軽いですから。」  と店員はいった。  私は、彼が厚紙を二つに折って刃を覆《おお》い、輪ゴムをいくつもかけて、手際《てぎわ》よく包装するのを眺《なが》めながら、夏に北欧へ出かけたとき、ラップ人が射止めたトナカイを解体するのに使う鋭利で姿のいいナイフがいくらでも手に入れられたのに、帰国の途中で悶着《もんちやく》の種になるのをおそれて土産にするのを諦《あきら》めたことを思い出していた。  いまになってみると不可解だが、あのときはなぜあんなにあのナイフが欲しかったのだろう。ケースのなかに横たえてあるのをガラス越しに見ているだけでも、ひとりでに胸が騒いでくるようなナイフを持ち帰って、いったい、なにに使うつもりだったのか。  きちんと包装されると、もう鉈には見えなかったが、それでも、からかさの包みと一緒に腰のところに抱えて歩道へ出ると、なにやら侍の大小に似ていて、私はつい、急ぎ足になった。  地下鉄の始発電車に乗ってから、傘の包みの端をこじ開けて、なかの匂《にお》いを嗅《か》いでみた。すると、子供のころに郷里の生家で嗅ぎ馴《な》れた油紙の匂いがして、忘れていた古い記憶が噴き上げるようによみがえってきた。これは誰かの背中でよく嗅いだ匂いだ、と私は思った。誰の背中だったろう。父親ではない。父親の背中は煙草《たばこ》のやに臭かったし、田舎の武骨な大男が蛇の目など差すとは思えない。すると、おふくろだったろうか。子守女だったろうか。それとも、企《たくら》んで私の誕生日を選んで死んだとしか思えない、あの姉だったろうか。  私は、よく背中で退屈して、蛇の目の内側の数えきれない小骨を縢《かが》ってある色のついた糸のほつれを毟《むし》り取ろうと手を伸ばしては、子守の主に叱《しか》られた。手をきつく握り取られたり、指を軽く噛《か》まれたりした。いきなり傘の天井が落ちてきて、坊主頭《ぼうずあたま》を抑えつけることもあった。油紙が臭かった。  学校へ通うようになると、子供用の黄色いからかさを買って貰って、差して歩いた。中学に入るころには、背伸びをして、黒い漆で生家の呉服屋の屋号を大きく書き巡らしてある骨太の番傘を差すようになった。あの番傘は重たくて、吹き降りの日は腕が痺《しび》れそうだった。  あのころは、からかさが家に十本以上はあったはずだが、戦後、店を畳んで父親の在所の村へ引っ込んでからは、しがない暮らしのなかで残らず使い古して捨てたと見えて、いまは、郷里と呼んでいる隣県の町の借家には破れ傘すら一本もない……。  家に戻ると、玄関を開けにきた妻が二本の紙包みを見て怪訝《けげん》そうな顔をした。 「……なんのお土産?」 「土産じゃない、どっちもヤチガンで使う道具だよ。」  そのまま二階へ持って上ると、取り敢《あ》えず傘の包みは本棚《ほんだな》の蔭《かげ》に立てかけ、物騒な刃物は仕事机の脇《わき》に寝かせて置いた。  ヤチガンというのは、いわば私のところの家庭語の一つで、おふくろがまだ存命中は信州八ヶ岳のことを田舎訛《なま》りでよくそういったので、笑ってそれを真似《まね》ているうちに、いつのまにか私たちの口癖にもなってしまった。八ヶ岳の山麓《さんろく》には、私が時々一人暮らしをしにいく木立に囲まれた小屋がある。    二  数日後、私は、からかさと鉈の包みを、一週間分の食糧や寒さ凌《しの》ぎの衣類と一緒に車へ積み込み、長女に運転させて信州の小屋へ出かけていった。十月下旬のうすら寒い曇り日だったが、山麓といっても標高千六百メートルの高原になっている小屋のあたりは濃い霧に包まれていて、車から降りた途端に身顫《みぶる》いが出た。  小屋の周囲の木立のうち、闊葉樹《かつようじゆ》の紅葉はそろそろ錆《さ》びかけていたが、黄ばんだ唐松にはまだあちこちに青いところが残っていた。車のトランクから荷物を出して小屋のベランダへ運びはじめると、秋口に新しく据《す》えたばかりの暖炉の角張った煙突の上から鷹《たか》がゆっくりと飛び立って、なにかが軋《きし》むような羽音をあたりに響かせながら霧のなかへ融《と》け込むように消えていった。 「これはなにかしら。」  小屋を開けてベランダのものを運び入れるとき、長女が、からかさの包みを手にしてそういった。いずれわかることだから、 「蛇の目傘だよ。といっても、わかるかな、いまどきの娘に。」 「ジャノメって蛇《へび》の目と書くんでしょう? そんな傘があるってことは知ってるわ、まだ手に取って見たことはないけど。」 「じゃ、あとで見せてやってもいい。」  と私はいったが、荷物の整理を済ませてから暖炉の焚《た》き方を教えてやると、長女は忽《たちま》ちそれに熱中した。 「こうして木を燃やすのは、ずうっと前にお祖母《ば あ》ちゃんとこでお盆の迎え火を焚かせて貰ったとき以来だわ。」  長女は子供のように目を輝かせて、暖炉の前から動けなくなった。  私の方は山暮らしの古着に着替えて、いつものように小屋の裏手の犬の墓に食パンを一枚手向けてきてから、この前きたとき、膝《ひざ》で折りかねて残しておいた枯枝の太いところばかりを、ベランダの前で朽ちかけている大木の切株へ運んで、鉈の使い初めをした。鉈は思った通りの切れ味で、軽く振り下ろすだけでおもしろいように切れる。つい、時が経《た》つのを忘れていると、長女が赤く火照《ほて》った顔でベランダへ出てきて、 「濡《ぬ》れますよ。もうそのくらいにしてなかへ入ったら?」  と妻の口調そっくりにいった。  気がついてみると、いつのまにか霧が薄れて雨がぽつりぽつりと降りはじめていた。私は、手頃な長さに切り揃《そろ》えた薪を集めて、濡れないようにベランダの下へ隠した。 「東京の家と違って、雨粒が屋根に当る音がよくきこえるの。さっきの傘をあげましょうか?」  と長女はいったが、鉈など持った男に赤い蛇の目は似合わない。 「おまえが差してみろよ。あれだって雨の音がよくきこえるよ。」  と切株のまわりを手早く片付けながら私はいった。  鉈を物置小屋に仕舞って、戻ってくると、藪路《やぶみち》を見下ろすベランダのはずれに長女が蛇の目を差して立っていた。 「ひらくとき、ぱりぱりって大きな音がするから、破けたんじゃないかとびっくりしたわ。」 「絹張りの和紙だもの、そう簡単に破けやしないさ。どうだい、音の方は。」 「とってもよくきこえるわ。ほら。」  そういってベランダの手すりの外へ傘を出すので、私は濡れたついでに笹藪《ささやぶ》を漕《こ》いでその真下までいってみた。そこから仰ぐと、傘は乳色の濁り水に浮かんだ一枚の大きな花びらに見える。色は、いまはもう盛りを過ぎているドウダンツツジの紅葉に似ていた。  雨はまだ小降りだったが、なるほどぱらぱらという軽やかな音が微《かす》かにきこえていて、長女が傘を別の手に持ち替えようとすると、忽ち骨の先から光る雫《しずく》が落ちてきた。  長女は一と晩泊って、翌日の午後、暖炉の火に焙《あぶ》られてかさかさになった顔や両手にたっぷり乳液をすり込んでから、また車を運転して引き揚げていった。もう雨も霧も霽《は》れていて、ひとりになると、小屋のなかは時折暖炉で薪がはぜる音だけになった。  私は、その晩遅く、郷里の姉と電話で話した。 「昨日からヤチガンにきていてね。今夜から一人暮らしなんだ。」 「嬉《うれ》しそうね。こっちは年中一人暮らしだけど。」  私は、姉が含み笑いをするのを聞いて、今夜は虫の居所が悪いのかと思った。姉が含み笑いをしながら話す言葉に、私は時々、刺すでもなく擽《くすぐ》るでもない、そのくせ当分は目に入ったごみのようにごろごろと存在を主張してやまない、和毛《にこげ》のような棘《とげ》を感じることがある。つい口籠《くちごも》っていると、 「暖炉の具合はどう?」  と姉はいった。 「なかなか悪くない。火を見てると、なんだか気持が落ち着くね。」 「火って、赤い火?」 「勿論。薪を焚くんだもの。」 「いいねえ。竈《かまど》に薪を焚いてたころが懐《なつ》かしいわ。こっちは毎日、ガスの青い火ばかり見てる。」  姉はまた含み笑いをした。  私たちは、先月末におふくろの三周忌を済ませたばかりだったが、おふくろは晩年の五年間、町の病院で寝たきりになっていていちども帰宅の機会に恵まれなかったから、姉の一人暮らしも、数えてみればすでに足掛け八年目に入っていることになる。  黒く煤《すす》けた天井の高い梁《はり》のあちこちから、なにに使ったのかわからない古縄《ふるなわ》が垂れ下っている台所の窓際で、背中をまるくして目を細め、顔を左右に小刻みに振って生まれつきの弱視の焦点を合わせながら、ガスの火を調節している姉の姿が目に浮かんだ。 「だから、気が向いたらいつでもおいでよ、気晴らしに。」 「春に気晴らしさせて貰ったじゃない。」 「春は春だよ。秋にもおいでよ。前に約束したでしょう。」 「どんな約束?」 「今度は秋に出てくるって。ちょうど唐松が落葉するころにきて、そのときはこっちの山にも寄ってみるって。」 「……そんな約束、したっけかなあ。」 「したよ、お寺の石段の途中で。」 「いつ?」 「おととし。四十九日の法事の帰りに。」  姉は黙ってしまったが、その日はよく晴れた風の強い日で、墓の燈明《とうみよう》が吹き消されないように半紙を水で濡らして蝋燭《ろうそく》に巻きつけたことまで、私ははっきり憶《おぼ》えている。  墓地を引き揚げるとき、姉が歩きながら片手でしきりに顔の前を払っていた。どうしたのかと訊《き》くと、さっきから藪蚊《やぶか》のようなものが顔に当るのだという。けれども、十一月も半ば近くに藪蚊が飛んでいるわけがない。  姉の顔のまわりをよく見ていると、藪蚊ではなくて唐松の枯葉だとわかった。風花《かざはな》のように遠くから風に運ばれてきたらしい、爪楊枝《つまようじ》を二つ折りにしたほどの黄色い枯葉が、横になって竹トンボのようにくるくる回転しながら降っている。気がついてみると、姉ばかりではなく、みんなの頭や暗色の衣服にも点々と黄色い枯葉が見えていた。  私たちは、山門の軒下で一と息入れながら、肩を並べた同士で互いに相手の髪や背中から枯葉をつまみ合った。私の相手は、おふくろが息を引き取るまで何年間も付ききりで世話をしてくれた付添婦の石崎さんで、染めたばかりで黒すぎるほどの姉の頭は私の妻が見てやっていた。 「私のはいいんです。」と妻は姉を制していった。「襟首《えりくび》から入ったらしくて、背中がちくちくするの。あとで取りますから。」 「唐松の枯葉って、そんなに細かい?」  姉がそういうので、妻は自分の胸元から一つつまんで、 「こんなの、お姉さん。」  と手のひらにのせてやったが、淡い枯葉は忽ち姉の肌色《はだいろ》に紛れた。  姉は指先で探り取ってから、 「ああ、これ……随分細かいのね。」  と、はにかみ笑いをしていった。  そのとき、私は不意に、山の小屋を囲んでいる唐松の木立が落葉するところをいちど姉に見せてやりたいと思った。山の唐松は、一旦《いつたん》落葉しはじめると、梅雨時のしとしと雨のように小止《こや》みなく降る。晴れた日にはちかちかと陽《ひ》をはじきながら降る。あの盛んな落葉なら、姉の目にも見えるかもしれないと思った。もし見えなかったら、せめて落葉の音だけでも聴かせてやりたいと思った。 「いつか、秋に出てくるといいな。」と私は姉と並んで石段をくだりながらいった。「そしたら一緒にヤチガンへいこうよ。唐松の落葉が目の前で見られるよ。風でも吹けば金色の雨みたいに見える。」 「聞いただけでも眩《まぶ》しそうだわ。」  と姉は笑っていった。  姉の目は眩しいものがなによりも苦手なのだ。 「いつも金色とは限らないさ。とにかく、いちどきてごらんよ。」 「でも、山はいまごろ寒いでしょう。」 「寒いけど、ストーブぐらいはあるからね。そのうちに暖炉も入れようと思ってるんだ、真冬でも暮らせるように。」 「じゃ、暖炉が入ったらいこうかな。」 「本当だよ。入れたらすぐ知らせるからね。気軽にきてよね。」  そういって念を押したはずなのだが……。 「そうそう、思い出したわ。」と、電話口の姉はいった。「でも、よく憶えてるわねえ。本気だったの?」 「勿論ですよ。」 「私はまた、ちょっと慰めてくれただけかと思ってた。」  私はいいかけた言葉を嚥《の》み込んだ。 「それに、暖炉もこんなに早く入るとは思わなかったし。」 「俺《おれ》は、気休めなんかいわないよ。」と、私はようやくいった。「暖炉のことだって、こないだ帰ったとき話したでしょう。あのときも誘ったはずだけど。」 「それは憶えてるわ。」 「すぐにも出てきそうな口振りだったのに。」 「じゃ、本気にしてもいいのかな。」  私は、むっとして口を噤《つぐ》んだ。暖炉へ目をやったが、焔《ほのお》は立っていなかった。そのまま鬱陶《うつとう》しい気持で沈黙を守っていると、やがて姉がわざとらしい吐息を洩《も》らすのがきこえた。 「わかったわ。じゃ、考えてみる。」  私は一瞬、自分から姉にものを頼んだような錯覚をおぼえた。 「そうしてよ。ぐずぐずしてると、唐松の落葉に間に合わないよ。」 「そんなこといったって、こっちには琴のお弟子が大勢いるんですからね。」 「いっそ、こっちで稽古場《けいこば》をひらいたら、どう?」  姉は、呆《あき》れたような声を上げて、黙った。 「じゃ、日がきまったら知らせてよ。俺は気休めなんかいわないからね。」  と私はもういちどいって電話を切ると、暖炉のそばへいって、くすぶっている薪《まき》の尻《しり》で樹液がぐつぐつと煮え立っているのをしばらく眺《なが》めていた。    三  先日、おふくろの三周忌で妻と一緒に帰郷したとき、姉は私たちの前で一つ気になることを口にした。  法事をまずまず無難に済ませた晩、私たちは三人だけで慰労の小宴をしたが、二本目のビールを抜くころになってから、姉が突然、こういったのである。 「ああ、これで私の役目は全部終ったわ。ほっとした。あんた、母さんのお位牌《いはい》、持ってくなら持ってったっていいからね。」  私は驚いて姉の顔を見た。もう酔ったのかと思ったが、姉の白く粉を噴いたような顔にはただうっすらと血の色が滲《にじ》んでいるだけであった。 「どうして俺が位牌を?」  と私はビールを一と口飲んでから訊いた。 「だって、母さん、あんなに東京へいきたがってたもの。あんたたちに毎朝拝んで貰《もら》った方が嬉しいんじゃないかと思って。」  姉はそういうと、ちょっと下唇《したくちびる》を噛《か》むようにして例の含み笑いをした。 「うちでは、あの写真を拝んでるよ。」と私は、葬儀に使った額入りの写真のことをそういった。「あれだって、あんたが写真だけでも連れてってやれっていうから、貰っていったんだよ。淋《さび》しくないようにみんなが集まる茶の間の棚《たな》に飾って、毎日、水と線香を上げている。あんたも春にきたとき見たでしょうが。俺んとこはあの写真だけでたくさんさ。第一、そうする必要もないのに家族の位牌を分けるというのは、よくないと思うな。母さんはここの仏壇で静かにしているのがいちばんいいんだよ、父さんや姉さんたちと一緒にね。」 「そうかしら。なんなら、お仏壇ごと持ってってくれてもいいんだけど。」  どうしてそんなことをいうのだろう。私には姉の心のうちが読めなくて、呆気《あつけ》にとられたまま謎《なぞ》めいた笑顔を見守っていると、それまで目を伏せて私たちのやりとりを聞いていた妻が急に壜《びん》を手に取って、 「やっぱり、位牌や仏壇を動かすなんていけませんよ、お姉さん。」  と宥《なだ》めるようにいいながら姉のコップへ注《つ》ぎ足した。 「そういうものなの?」 「そういうものだと思いますけど。だって、いま急に仏壇がなくなったら、親戚《しんせき》の方々はびっくりなさるでしょう。私たちだって、三周忌が済んだら仏壇まで持ってったっていわれたら、厭《いや》だわ。」  姉はおもしろそうに声を上げて笑った。 「それじゃ、お仏壇との縁もなかなか切れないわけね。」 「そりゃあ、そうですよ。仏壇を東京へ移すときは、お姉さんも一緒。」 「あら、私もついていくの? 掃除係で?」 「お掃除でもなんでも私がやりますよ、そうなったら。」 「だけどね、あなた」と姉は急にいきいきとして、「簡単にそうおっしゃるけど、お仏壇って案外世話が焼けるものなのよ、あれで。朝のお膳《ぜん》やお水の上げ下げから、香炉の掃除まで、いつ、誰が拝みにきてくれてもいいようにしておくのは大変なの。それだけでくたびれちゃうわ。」 「でも、娘が三人もいますから。」 「あなたのとこにはね。ここでは、私ひとりだもの。」  妻は言葉に詰まって、私を見た。 「まあ、なにかと御苦労かけるけど、もうしばらくあんたが面倒見てやってよね。」  私がそういうと、姉は小猫《こねこ》のように舌を鳴らして、急に田舎言葉をまる出しに、 「したら、まんず、もすこし辛抱してみるべかな。」  と早口でいった。  位牌や仏壇の話はそれきりになったが、夜ふけて寝間に引き取ってから、妻が二階の耳を気にする声で、 「さっきはお姉さん、どうかしちゃったのかと思ったわ。」  といった。 「ああ、仏壇の話か。あれには面食らったな。」 「私もびっくりしたわ。あんなにお母さん思いだったお人が、位牌も仏壇もあっさり手放すっていうんだもの。それに、こういっちゃ悪いけど、ちょっと邪魔にしたようないい方だったでしょう。あれは、どういう心境の変化かしら。」 「要するに、くたびれてるんだよ、一人暮らしに。」と私はいった。「なにしろ、母さんが倒れて入院して以来、ずうっとだからな。それまでは一人暮らしなんかいちどもしたことがなかったし、普通の人と比べて二重にも三重にもハンディキャップを背負ってるから、俺たちの想像以上に参ってるんだ。」 「そういえば……今夜もだけど、お祖母ちゃんが亡《な》くなってからは目立って変ってきたような気がするわ。」 「生きているうちは気が張ってたろうからね。がっくりした拍子に、これまでの疲れが一遍に出たんだ。いまはもう、なにもかも、仏壇の世話さえも面倒臭くて、どんなことからも解放されたい一心なんだよ。」 「じゃ、私たち、どうしてあげればいいのかしら。」 「いまのうちは、時々出てくるように声をかけて、あとは好きなようにしていて貰うより仕方がないんじゃないのかな。」  二階に養蚕室の跡もある古びた田舎家だから、姉が寝返りを打つたびに床板のわずかに軋《きし》むのが、明りを消したあともしばらくの間きこえていた。  翌日、私たちは新幹線で郷里を引き揚げてきたが、車中で昨夜のやりとりをあれこれと思い出しているうちに、ふと、唐突に、姉は結局おふくろを心の底から許せなかったのではないかと私は思った。  姉が色素のない躯《からだ》に生まれついたのは、誰のせいでもない。けれども、姉にすれば、産んだおふくろのせいだと思うほかはなく、おふくろもまた、自分が産み損なったのだと思わずにはいられなくて、一方は絶えず相手を和毛《にこげ》の棘《とげ》で責めつづけ、一方はそれを甘んじて受けながらひたすら相手を案じることで、二人は根強く結ばれていたのではなかろうか。  いま、姉は、子供のころから一方的に愚痴や忿懣《ふんまん》を注いできた唯一《ゆいいつ》の相手を失って、戸惑い、動揺している。私はそう思った。すると、これで自分の役目はすべて終ったという姉の言葉も、ただの安堵《あんど》ばかりではなく、一種の虚《むな》しさに裏打ちされていたように思い出されて、気掛かりになった。若いころにいちど自分を無用の者と思い込み、無理に人生を降りようとしてしくじった姉が、六十半ばになって、またぞろその気を起こすとは思えなかったが、それにしても、先に生死の境をたやすく飛び越えてしまった上の姉たちとおなじ血を分け合っているのだ。取り越し苦労を億劫《おつくう》がってはいけない。  この秋は、是非出てくるように誘わなければ。唐松の葉が落ち尽くすまでに山の小屋へ案内して、囲炉裏の代わりに暖炉の前で姉の好物の梅酒でも飲みながらゆっくり話そう——私はそのときからそんなつもりになっていた。  小屋で五日ほど暮らしたころ、妻から電話で、姉が年内は上京を見合わせるそうだと知らされた。私は落胆して、おまえがさっさと旅費を送らないからだと文句をいった。 「都合がつかないところへ旅費を送ったりしたら、かえって負担になるでしょう。」 「躯具合でも悪いのか。」 「弾き初め会の準備で、どうしても暇がとれないんですって。」 「弾き初めなら正月じゃないか。」 「でも、いまからなにかと気忙《きぜわ》しいのよ、お師匠さんとしては。今度はいろいろ済んだから、ひさしぶりに大きな会になるらしいの。来年は早くから段取りしておいて是非出かけるからって。」  姉がこないのであれば、小刻みに東京へ帰ることもないから、私は乏しくなった食糧を宅急便で補給してくれるよう頼んで、受話器を置いた。  それからまた五日ほどした霜の朝に、ようやく真っ黄色になった唐松の葉が落ちはじめた。昼近くなると、いくらか風が出たと見えて、唐松の木立の風下に金色の靄《もや》がなびいた。勿体《もつたい》ないから、蛇《じや》の目《め》を持ち出してベランダから藪路《やぶみち》へ降りていくと、あたりの笹《ささ》の葉が雨に打たれたように揺れている。傘《かさ》をひらくと、予想していた通りの弱いしぐれの雨音がした。  私は、柄《え》を握った手に傘の色が映るのを見て、童女の血色を取り戻した姉の顔を想像した。それから、せいぜい姉の身になって、落葉の雨に耳を傾けながら藪路を何度か行きつ戻りつした。 夜話    一  飼犬が死んだので、骨《こつ》にして、夏の仕事場にしている八ヶ岳山麓《さんろく》の小屋の裏手の、笹藪《ささやぶ》に埋めた。  飼犬というのは雄のブルドッグで、肩幅広く、胸厚く、散歩の途中、丘の上の神社の境内を暴走していってそのまま石段の下まで転落しても、けろりとして、石畳を転げていったついでに鳥居の根元へちょっと片肢《かたあし》を上げて見せたりするほどの、まるで鋼《はがね》のような体躯《たいく》と図太い神経の持主だったが、六歳と二ヵ月でフィラリアにやられた。  この犬は、犬舎の主人に抱かれてきたときから、すでにケルー・オブ・ゴールド・コトブルという鹿爪《しかつめ》らしい名前を持っていたが、これでは呼ぶのに長すぎて舌を噛《か》みそうだから、家族はボスと綽名《あだな》をつけていた。父親がボストン生まれだった上に、仔犬《こいぬ》ながらいかにも太身の葉巻が似合いそうな面構《つらがま》えをしていたからである。家族というのは、彼と妻と三人の娘だが、彼は時折仕事で長旅に出たりひとりで山麓の小屋に籠《こも》ったりする。犬を飼うことにしたのは、彼が家を空けると留守が女子供ばかりで不用心だからで、ブルドッグを選んだのは、見かけは獰猛《どうもう》だが主人には従順忠実だし、なによりも頑健《がんけん》だから飼うのに楽だと、犬好きの知人に勧められたからであった。  飼ってみると、なるほど知人のいう通りだったが、この種の犬は改良に改良を重ねたひずみで思わぬところに欠陥を持っているものらしく、ボスにも、耳の穴が薔薇《ば ら》の花のように襞《ひだ》が折り重なっていて時々耳だれになるという弱点があった。ブルドッグは、後肢が短い上に、踏ん張る力ばかりが強くて不器用だから、耳を掻《か》くのには一と苦労する。痒《かゆ》みがひどくなってくると、耳を地面にこすりつけようとして転げ回ることになる。そんなときは、いつもの獣医に往診を頼むほかはなかったが、獣医は、ボスを取り抑えて耳に薄桃色のスプレーを吹きつけてから、こわいのはこんな耳だれなんかよりもフィラリアだといって、予防注射をしてくれたり、餌《えさ》に混ぜて与える粉薬をどっさり置いていってくれたりした。 「でもねえ……」と、獣医は時々、手を洗いながら目をしばたたいて弁解するようにいうことがあった。「こんなことをしても、ほんの気休め程度の効果しか期待できないんですよ。フィラリアは蚊《か》が媒介するんですが、戸外で飼ってると蚊は防ぎきれませんからね。いちどフィラリアの病虫が血液のなかに蔓延《はびこ》ると、もう注射や薬では根絶できません。病虫の命は七、八年といいますから、犬の年齢がそれを上回れば生き延びられるわけです。ですから、なんとかそれまで発病しないように祈るより仕方がないんですよ。」  そのフィラリアのせいもあって、ブルドッグの平均寿命はまず六、七歳というところだろうと獣医はいっていたが、ボスも四歳を過ぎると、躯《からだ》つきや動作から粗野な若さが影をひそめて、なにやら分別ありげな様子を見せはじめ、夜など、太った中年男とそっくりな鼾《いびき》をかくようになった。夏にもめっきり弱くなり、暑いさかりになると、朝から喉《のど》をぜえぜえ鳴らして喘《あえ》ぐようになった。犬の汗は涎《よだれ》になるというが、ボスが日蔭《ひかげ》を追って居場所を変えると、忽《たちま》ち顎《あご》の下の乾いた地面に、間断なくしたたり落ちる涎の黒いしみがひろがった。  とりわけ暑さが応《こた》えた日の夕方、妻が見かねて、試しに冷蔵庫の氷を一つ口のなかへ入れてやってみると、ボスはビスケットでも食うようにこりこりと音をさせながら旨《うま》そうに食った。 「毎日いまごろの時間になると、ぜえぜえいう喉もくたびれて、嗄《しわが》れてくるの。それを聞いてるのは辛《つら》くって。誰か八ヶ岳へいくとき一緒に連れてってやるわけにはいかないかしら。」  と妻はいった。  彼の小屋がある場所は、山麓といっても海抜千六百メートルの高原だから、真夏でも最高気温が二十五度を越えることはない。それに、周囲は唐松と白樺《しらかば》の林で、あまり鼻の利《き》かない人間でも暇潰《ひまつぶ》しの種には不自由しないし、斜面に建っている小屋の床下は風通しがいいから昼寝の場所に打ってつけである。アスファルトの熱気で日中は散歩もできない東京の犬には別天地だろうが、問題はボスをそこまで運ぶ方法で、それがその晩の食卓の話題になった。  彼は車を持たないから、山麓へはいつも中央線の電車でいくが、連れがブルドッグでは電車には乗れない。やはり車で運ぶのが無難に思われるが、揺れの激しいトラックは避けてライトバンでも頼むとすると、運転手を安心させるためにもボスをちいさな檻《おり》に閉じ込めねばならない。山麓まで四時間余り、ボスは果してそんな窮屈なドライブに耐えられるだろうか。  獣医の意見を訊《き》いてみると、犬は車に酔い易くて、ひどく酔うと心臓が衰弱して命を落すこともある。たとえば猟犬のように車に乗り馴《な》れている犬なら別だが、ボスをいきなり四時間のドライブに連れ出すのは無理だ、およしなさいという返事であった。犬の躯をよく知っている医者がそういうのだから、妻も諦《あきら》めるより仕方がなかった。  五歳の夏も、相変らず喉を鳴らして喘ぎながら涎をしたたらせる日々であったが、家族は誰しも、これがおそらくボスにとっては最後の辛い夏になるだろうと思っていた。その年の春から短大生になった上の娘が、夏の休暇を利用して車の運転を習いはじめていたからである。 「来年の夏はきっと山へ連れてってやるからね。」と、長女は時折ボスの口に氷を滑り込ませてやりながらいい聞かせていた。「酔わないように窓から風を入れながら、ゆっくり走ってやるからね。パンとチーズをどっさり積んで、〈野ばら〉を聴きながらいこうね。」  パンとチーズというのは、その二つをなによりの好物にしていたからで、〈野ばら〉はシューベルトの歌曲のことだ。ボスは、どういうものか、ヘルマン・プライというバリトン歌手の〈野ばら〉が好きで、誰かがそのレコードをかけると、庭先にきちんと前肢を揃《そろ》えて坐《すわ》り直し、潰れた鼻を思いきり天に向けて一緒に歌い出すのが常であった。歌詞も節回しもない、晴れた空に輪を描いてひろがってゆく寺の鐘の音のような、野太い声の風変りな歌だったが、吠《ほ》えるでもなく唸《うな》るでもなく、気持よさそうに目を細くして、ごわん、ごわん、ごわん、るるるるう、と喉をながながと顫《ふる》わせるさまは、やはり歌っているとしかいいようがなかった。  長女は、早手回しに、レコードからプライの〈野ばら〉をカセットテープに取ったりしたが、それを車のステレオでボスに聴かせる機会は遂《つい》にこなかった。    二  六歳の誕生日の翌朝、ボスは突然、褐色《かつしよく》のどろりとしたものを多量に吐いた。前夜は、普段の餌を少な目にしてなにかと好物を与えたりしたから、食べすぎかと思われたが、吐いたものがゆうべの鶏《とり》の臓物にしてはいささか量が多すぎた。それに、犬は吐いたものを自分で舐《な》めてしまうようなら病気ではないと聞いていたが、吐き捨てたきり見向きもしないのも気掛かりで、獣医に診て貰うと、案の定、吐いたものは食べすぎた餌ではなくて血だということであった。ボスは金網の檻に入れられて、憂鬱《ゆううつ》そうにうなだれたまま獣医の車に揺られていった。  十日ほどすると、獣医から検査結果を知らせる電話があった。獣医は、いいにくそうに、ボスはフィラリアを病んでいるといった。しかも病気は思いのほか進んでいて、肝臓が大分やられている。実は、こっちへ連れてきた直後にまた吐血して、衰弱し、いちどは遺骸《いがい》を届けることになるかもしれないと観念したが、運よく持ち直して、すこしずつだが食欲も出てきた。このままもうしばらく養生させてから連れ帰ることにしたい——そういう獣医の報告であった。  ボスは、獣医のところに一と月近くも厄介《やつかい》になって、また金網の檻で帰ってきた。獣医の話から想像していたほど窶《やつ》れてはいなかったが、それでも、筋肉で盛り上っていた肩がなだらかになり、腰もほっそりとして、躯全体がひとまわりちいさくなったように見えた。以前はまるまるとしていた顔も、大きく裂けた口の両側に頬《ほお》が垂れ下って、細長く見えた。  妻は、せいぜい餌に気を配ってやったが、食欲はひところの半分以下に落ちていた。それでも、ボスはすこしずつ太ってきた。腹のあたりが張ってきた。食が進まないのに、なぜ太るのかわからなかった。妻は自分のせいにして喜んでいたが、気をつけて見ていると、太ってくるのは腹だけだとわかった。太るというよりも、膨れてくる。まるで仔を孕《はら》んだ雌犬のように、腹だけが日ましに目立って膨れてくるのだ。  獣医に電話で尋ねてみると、腹が膨れるのは腹水のせいで、腹水が溜《た》まってくるのはフィラリアの末期症状の一つだと、獣医はいった。いずれそうなることを予測していた、なんの動揺もない、仕方なさそうないい方であった。その腹水をなんとかできないものかと尋ねると、あまり苦しそうだったら抜きにいってあげてもいいが、いくら抜いてもすぐまた溜まる、ちょうど湧《わ》き水を柄杓《ひしやく》で掻い出すようなもので、と獣医はいった。  ボスは、もともと伊達《だ て》には吠えない犬だったが、発病してからも、苦痛の声というものを一と声も洩《も》らしたことがなかった。泣きも、呻《うめ》きも、叫びもしない。ただ頭を垂れて黙々と耐えているだけである。だから、それから何日かして、やはり獣医にいちど腹水を抜いて貰うことにしたのは、ボスが苦痛を訴えたからではなかった。膨れ切った腹のために寝そべることもならなくなったボスが、立ったまま塀《へい》によりかかって眠っているのを見て、妻や娘たちの方が苦痛の声を洩らしたからであった。  獣医が、立ったままのボスの重たげに垂れ下った腹へ管《くだ》になった太い針を突き刺すとき、彼のそばにいた中学生の三女が急いで両手で耳を覆《おお》った。腕まくりしてボスの前後に控えていた長女と次女も身構えたが、ボスには何事も起こらなかった。突き刺した針の末端から、生肉から滲み出る汁のような色をした液体が勢いよく流れ出ただけであった。ボスは、頭を低くしたまま身じろぎもせずに、すこし離れたところに立っている妻を上目で見上げていた。口から舌の先を覗《のぞ》かせて軽く喘いでいたが、苦痛の色は全く見えなかった。針の末端からは腹水が絶え間なく流れ落ちていて、くたくたに疲れた尿に似た臭気があたりに立ち籠《こ》めていた。  ボスの腹は萎《しぼ》んだが、それもほんの束《つか》の間《ま》で、獣医の言葉通りに湧き水のような腹水がまた腹を膨らませはじめた。ボスはもう全く食欲を失っていた。好物を鼻先まで持っていっても受けつけなかった。ただ、水だけはよく飲んで、そのせいか唇《くちびる》がいつも冷え切っていた。けれども、どんな動物でも水だけでは長くは生きられない。ボスに死が忍び寄っていると思わないわけにはいかなかった。  その年の五月二十二日は、好天に恵まれた穏やかな一日であった。その朝、家族みんなで食卓を囲んでいると、庭でボスが珍しく一と声だけ低く吠えるのがきこえた。高校生の次女が立っていってガラス戸を開けると、ボスが沓脱石《くつぬぎいし》の上にこっちを向いて坐っていた。 「あら……よくそこへ昇れたわね、大きなお腹で。」  次女がそういうと、ボスは耳を伏せて躯を小刻みに顫わせた。 「嬉《うれ》しそう。すこし力が出てきたのかも。」  次女はガラス戸を開けたままにして戻ってきた。みんなは箸《はし》を休めてボスを見ていた。 「せっかくそこまで昇ったんだから、入ってこいよ。こっちへおいで。」  彼は手のひらで腿《もも》を叩《たた》いた。ボスはまた耳を伏せて身を顫わせたが、それ以上昇る力はないらしく、上り框《かまち》に片肢《かたあし》をのせただけであった。爪がガラス戸のレールに当って音を立てた。みんなは、顔を見合わせてちょっと笑ってから、また食事をつづけたが、しばらくすると、不意にどさっと重たいものが地面に落ちる音がして、見ると、ボスの姿が消えていた。また次女が急いで立っていった。 「まあ、ボスが転げ落ちたわ。でも、大丈夫そう、小屋の方へ歩いていくから。うしろから見ると河馬《かば》そっくり。」  次女はそういってガラス戸を閉めた。  その日の夕方、ボスが、排便の場所にしている木犀《もくせい》の木の下の窪《くぼ》みに坐り込んだまま、前肢だけでそこから這《は》い出ようとしてもがいているのを、妻が見つけた。みんなで飛び出していって、やけに重たい骨太の躯を小舎《こや》の前まで運んでやったが、ボスはもう腰が立たなくなっていた。  しばらくして、地面に落ちたままの腰を前肢で引きずりながら飲み水の方へ首を伸ばすので、水の入った鉄鉢《かなばち》を引き寄せてやると、ひとしきり、あたりに水玉を散らしながら荒々しく飲んだ。それから、今度は逆に、自分の口から薄墨色の水を激しく吐き出したかと思うと、急に肩をがくりと落し、沈み込むように横ざまに倒れて、動かなくなった。    三  死んだ飼犬を、家の庭へは埋めてやらずに、獣医が紹介してくれた家畜霊園で骨にして貰《もら》って八ヶ岳の山麓《さんろく》まで運んだのは、せめて骨だけでも涼しいところに眠らせてやりたいという妻の案にみんなが賛成したからであった。骨は、妻が学校帰りの長女と途中で待ち合わせて、一緒に郊外の霊園までいって受け取ってきた。白い紙の帽子をかぶせた木箱に、素焼きの小振りな骨壺《こつつぼ》が納めてあって、蓋《ふた》を開けてみると、人の骨だといわれればそうかと思うほかないような白い骨片が、口のところまでぎっしりと詰まっていた。  梅雨入り前のある土曜日の午後、彼は、長女と次女と三人でそれを埋めに山麓へ出かけた。木箱ごと風呂敷《ふろしき》に包み、ブティックの名入りの紙袋に入れて、電車の網棚にのせたり三人でかわるがわる手に提げたりしながら運んでいって、小屋の裏手の北側の、いくつかの窓からよく見える林の縁の笹藪に埋めた。墓標はいずれ用意するとして、取り敢《あ》えず目印の棒きれを立て、食パンの上に一片のチーズをのせて手向けた。  魔除《まよ》け代わりに、白木の額に入れてきたボスの写真は、ストーブを据《す》えてある部屋の板壁に掛けた。それは、ボスがまだ若くて威厳に満ちていたころ、ある愛犬雑誌のカメラマンが及び腰で撮ってくれたものの一枚で、耳がちいさく、垂れ目で、獅子鼻《ししばな》で、頬《ほお》には深い皺《しわ》が何本となく刻まれていて、広く裂けた口の真ん中から舌の先を波形に覗かせているボスの顔が、八つ切りの印画紙いっぱいに写っていた。  翌朝、三人は、朝食前にちょっと騒いだ。次女が、ボスの墓にいちばん近い風呂場の窓からふと覗いて、昨日手向けたはずの食パンがなくなっているのに気づいたからである。三人は急いでボスの墓までいってみた。すると、チーズだけは残っていたが、やはり食パンはどこにも見当らなかった。  このあたりを暮らしの縄張《なわば》りにしている獣の仕業だと思うほかはなかった。この一帯には、人に危害を加えるような獣はいないが、狐《きつね》や狸《たぬき》をはじめ小動物がたくさんいる。そのうちのどれかが、昨夜のうちに、こっそり巣へ運んでいったのに違いなかった。 「でも、チーズが残ってるのはどういうわけ?」  長女がそういうので、 「あれは臭いからな。食い馴《な》れないやつには鼻が曲るような匂《にお》いだ。」  と彼はいった。  三人は、今日の分として新しく食パンを一枚手向け直してから、おなじ食パンで朝食をした。  それから小一時間ほどして、彼が自分の仕事部屋の揺り椅子《いす》にいると、娘たちが頓狂《とんきよう》な声を上げながら駈《か》け込んできた。何事かと思うと、 「お父さん、ボスがパンを食べたわ。」  次女が目を輝かせてそういった。 「さっき上げたパンが、もうないの。嘘《うそ》だと思ったら見てごらんなさい。」  と長女もいった。  彼は、年甲斐《としがい》もなく高まってきた胸のときめきを抑えながら、わざとのろのろ立っていって、北側の窓の雨戸を手繰ってみた。ボスの墓はそこからも見えるが、なるほどさっき手向けたところにパンはなかった。わずか二時間足らずの間の出来事であった。  結局、そのときは何者の仕業かわからずに引き揚げることになったが、それ以来、彼は時々、「ボスがパンを食べたわ。」という次女の言葉と、それを聞いたときの自分の胸のときめきを思い出すようになった。ついでに、食パンが一枚、横にして楽々と入ってしまうボスの大きく裂けた口を思い出し、ボスが自分の墓の前の地面から鼻で食パンをゆっくりめくり上げるさまを、いつか見た光景のようにくっきり想像したりした。  彼は、山麓の小屋へ出かけるたびに、途中で買っていった食パンを一枚ずつボスの墓へ手向けた。すると、そのパンはきまって一時間か二時間のうちになくなった。彼には、次女の冗談半分に共鳴して、ボスが食ったのだと思って見て見ぬふりをしていたいという気持が募っていたが、おなじことが度重なると気掛かりでもあった。  その年の秋に滞在したとき、彼はふとした拍子に気紛《きまぐ》れを起こして、部屋の北窓から辛抱強く二時間近くも監視をつづけ、供物泥棒《くもつどろぼう》が野鼠《のねずみ》の仕業だということを突き止めた。ゴルフボールほどの大きさの、青味がかった灰色の毛がふっくらとした野鼠である。それがたった一匹で、せっせとパン切れを引きずっては灌木《かんぼく》の繁《しげ》みのなかへ運び込んでいる。  翌朝は、食べ残しのすこし固くなりかけたのを一枚手向けて、どうするかと見ていると、野鼠は懸命にまわりを齧《かじ》って半分ぐらいの大きさにすると、あとは、さっと背中に引っ担《かつ》いで繁みのなかへ駈《か》け込んでしまった。どんなふうにして担いだのかはわからないが、不意に野鼠の姿が見えなくなったかと思うと、パンだけがするすると繁みの方へ走ったのである。あっという間の早業であった。  これで気掛かりはなくなったが、なにか味気ない気がしないでもなかった。    四  おととしは冷夏で、山麓へはいちど出かけて三日泊ってきただけであった。その代わり、去年はいつもの年より早く、新緑のころに妻と小屋を開けに出かけたが、そのとき妻が小屋のなかでおかしなものを見つけた。  着いてまもなく、雨戸という雨戸を開け放ってから、ベランダの椅子でぼんやり小鳥の声を聞いていると、 「ちょっときてごらんなさい。なんだか変なの。」  なかからそういう妻の声がきこえた。  妻は濡《ぬ》れ布巾《ぶきん》を手にしたまま、食卓のそばの板壁に掛けてあるボスの写真をまじまじと見ていた。 「その写真がどうかしたのか。」 「なんだか変なものが見えるけど。あなたにはどう?」  彼は、妻と並んで写真を見詰めているうちに、ボスの裂けた口の両端から、白っぽい筋が一本ずつ垂直に垂れ下っているのに気がついて、おやと思った。 「これはなんだ。」  と指さしたついでに、指先でそこのガラスをこすってみたが、それは埃《ほこり》でも汚れでもなかった。 「変でしょう。どうしたのかしら。」 「わからない。外して調べてみよう。」  彼は、白木の額をベランダへ持ち出して、なかの写真を抜き出してみた。白い筋は、ガラスの内側の汚れでもなくて、写真そのものに付着していた。いや、指の腹でこすってみても異物の感触が全くなく、いっこうに落ちそうな気配もなかったから、そこになにかが付着しているのではなかった。それは、まるで目や耳や鼻と一緒に写った写真の一部であるかに見えた。 「うちのアルバムに貼《は》ってたころは、こんな筋なんかなかったでしょう。」 「なかった。いちばんよく撮れたやつを選んで額に入れてきたんだから。」 「去年はほとんど閉め切ってたから、寒さか湿気のせいで出来たのかしら。」 「それにしても、口の両脇《わき》だけというのは、どういうことだ。」  彼は、写真を元通り額におさめて、もういちど眺《なが》めた。 「なんだかボスが涎《よだれ》を流してるように見えない?」  妻が笑ってそういった。そういえば、したたり落ちる涎のように見えなくもない。 「最初それに気がついたとき、あ、ボスが涎を流してる、そう思ったの。そしたら、ボスが食物をねだるときの声が耳にきこえるような気がしたわ。」 「ボスが催促しているわけか。」  彼は額を板壁に戻すと、妻と一緒にボスの墓へ食パンを手向けにいった。  翌朝、彼は妻に揺り起こされた。 「ボスの写真を見て。涎が消えてなくなってるわ。」  妻は目を瞠《みは》るようにしてそういった。まさかと思ったが、起きていってみると、妻のいう通りであった。昨日は確かに口の両端から垂れていた涎が、きれいにぬぐい取ったように消えている。額をベランダへ出してみても、涎なんぞの跡形もなかった。夫婦は顔を見合わせた。 「……そうすると」と妻はいった。「あの白い筋はいったいなんだったの?」 「いろいろ調べてみれば理由《わ け》のあることだろうけど、俺《おれ》たちにはボスの涎でいいじゃないか。」  と彼はいった。  歯ブラシをくわえて風呂場へ入ると、窓から、ボスの墓が澄んだ日ざしを浴びて明るんでいるのが見えた。いつものことながら昨日のパンは影も形もなくなっている。彼は、歯ブラシを口から抜き取ると、 「ボスが食った。」  と呟《つぶや》いて、また歯ブラシを口に戻した。 居酒屋にて  初めは、さりげなく乳首を摘《つま》みにくるいたずらな指先の話であった。  朝、病室へ血圧をはかりにいって、寝ている患者の二の腕に血圧計の腕帯を巻きつけると、まっすぐに伸ばした腕の先が、屈《かが》み込んでいるこちらの胸に触れそうになる。腕の長い相手なら、下向きになった乳房を手のひらで支えるような恰好《かつこう》になる。  女の病室では何事もないが、男の二人部屋や個室では、時として、看護服の胸のたるんだところが、もぞもぞと虫でも這《は》うような音を立てることがある。患者の指先がおずおずと乳首を探っているのだ。  寝ぼけているのかと思うと、そうではない。ためしに、胸をほんのわずか右へ左へずらしてみると、指もちゃんとついてくるから、相手がはっきり目醒《めざ》めていることがわかる。指先にも、表情がある。  何度逃げても、諦《あきら》めないときは、目を上げて顔をまともに睨《にら》んでやる。血圧計の目盛りを見詰めたまま、独り言のように、あらあら、どんどん上るわ、などと脅かしてやることもある。 「仕様がないねえ、男って。病人のくせにさ。」  と、おかみが煮込みの鍋《なべ》を掻《か》き回しながらいう。 「でもね、その程度なら、べつに厭《いや》らしいとも思わないのよ、あたし。かえって嬉《うれ》しくなっちゃうの。」 「あれ……立派なものを持ってる人は違うねえ。」 「厭だわ、おばさん。あ、この人は治るな。助かるな。そう思って、嬉しくなるのよ。だって、病人がそんな気を起こすのは、持ち直したっていう証拠だもの。生命力のあらわれだもの。」 「……そうか。病気が進んでいるうちは、いくら男だってとてもそれどころじゃないもんねえ。」  おかみは湯気のむこうから相槌《あいづち》を打つ。  煮込みの鍋のすぐそばのカウンターに両肘《ひじ》をのせて、焼酎《しようちゆう》のお湯割りをちびりちびりとやりながら、恢復《かいふく》期の男患者たちのいたずらな指の話をしているのは、どうやら市内の病院の看護婦らしい。二十前後の、赤味を帯びた髪をポニーテールにした大柄《おおがら》な女で、白いセーターの胸は盛り上り、まるい木の椅子《いす》からはみ出ているジーンズの腰がはち切れそうに見える。連れは、いない。  夜ふけのさびれた居酒屋で、若い女がひとりで焼酎などやっているのを見かけることは珍しいが、おかみとのやりとりの様子では馴染《なじ》みのひとりのようである。すると、近くの病院の夜勤を終えて家か寮かに帰る途中、ここの縄暖簾《なわのれん》をくぐって一と息入れていくのがならわしなのだろうか。それにしても、色白の頬《ほお》はすでに耳の方まで桜色に染まっている。お湯割りも何杯目になるかわからない。若い女の寝酒にしては、ちと、すぎるのではないか。  外では、冬の名残りの冷たい夜風が吹き荒れていて、時折、乾いたばかりの春泥《しゆんでい》の粒が縄暖簾と一緒にガラス戸を叩《たた》く。私は、おなじカウンターのはずれの椅子で、煮込みを肴《さかな》に女とおなじものを飲んでいた。ひとり旅の気楽さで、通りすがりに、ガラス越しに見える暖かそうな湯気に釣《つ》られてふらふらと入った居酒屋であった。先客は女ひとりで、すでに舌がなめらかになっていたから、話の脈絡はわからない。いったい、なにからそんな話になったのだろう。  女たちが黙ると、入口の赤提灯《あかちようちん》が風に煽《あお》られて歯ぎしりのような音を立てるのがきこえた。土間のストーブで黒くひしゃげた薬罐《やかん》が煮え滾《たぎ》っている。俎板《まないた》でなにかを刻む音が店の板壁に甲高く響く。 「……ところがさ」と、やがて客の若い女が口のなかのものを呑《の》み込んでいう。「病気が進み切って、もう手の施しようがないところまで追い詰められてから、急にその気を起こす人もいるのよね。これがどうにも厄介《やつかい》なのよ。」 「もう助からない人がかい?」と、おかみが包丁を洗いながら呆《あき》れたようにいう。「そんな人にもぞもぞされたんじゃあ、叶《かな》わないねえ。」 「もぞもぞなんて、そんな悠長《ゆうちよう》なもんじゃないのよ、切羽詰まってるんだから。いきなり手を合わせて拝むのよ。」 「そりゃあ、白衣の天使だもの。こっちだって腹を切ったときはあんた方の後姿を拝んだ口よ。」 「だったら、ただ拝むだけにしてくれるといいんだわ。なのに、たったいちどだけって、涙を浮かべて拝んでは手を伸ばしてくるんだから。やりきれないわ。」 「相手が助かる見込みのない人じゃあ、嬉しくなんかなれないよねえ。」 「持ち直した人のもぞもぞとは、わけが違うのよ。こっちまで泣けてくるわ。」 「だけど、それだって生命力とやらの証《あかし》じゃないの?」 「そうだとしても、燃え尽きる寸前の火花みたいなもんなのね、きっと。みんなお爺《じい》さんばっかりだし、拝むと間もなく亡《な》くなるから。だから、生涯《しようがい》最後のお願いだって、それは真剣なの。あの縋《すが》りつくような目を見てると、なんともいえない悲しい気持になっちゃって……。」 「つい、ほだされるわけね。」 「どうしても厭だとはいえないの、あたし。」 「……でも、いいじゃない、それで病人が安心して死ねれば。一種の人助けよ。それに、見せてあげるだけで減るもんでもなかろうしさ。」 「見せてあげるだけじゃないわ。」  と、客の女が小声でいう。 「……それにしたってさ」と、おかみがすこし間を置いてからいう。「相手は死にかけている爺さんなんだから、傷なんかつける力はないでしょうに。びくともしないわよ、あんたみたいな若い躯《からだ》は。かえって相手の指が弾《はじ》かれるんじゃない?」 「でも……。」  また赤提灯の歯ぎしりがきこえる。 「でも、あの患者さんの目と顫《ふる》えながら伸びてくる手が、忘れられないのよ。目をつむると、はっきり見えるの。」  実際、客の女は目を閉じていたが、やがて不意に背筋を伸ばして身顫いすると、急いでコップの残りを一と息に飲んだ。  おかみと客の女のやりとりを聞くともなしに聞いているうちに、私は、三十年も前に死んだ自分の父親のことをひさしぶりに思い出した。父親が死の床で見せた指の動きに、思い当るふしがあったからである。  そのころ、私は大学を出たばかりで、職もなく、東京の場末の安アパートで妻と売り食いの貧乏暮らしをしていたが、夏のさかりに突然郷里から父倒るの電報で、旅費だけどうにか工面して帰ってみると、父は左半身不随の上に口も利《き》けなくなっていた。数年前からわずらっていた軽い脳軟化症の二度目の発作で倒れたのであった。  郷里の家では、独り身の姉が子供たちに琴を教えて細々と生計を立てていた。とても父を病院に入れる余裕などなく、町医者に往診を頼むだけで精一杯であった。私たちは医者の指示を仰ぎながら交替で病人の世話をした。昼の間は主に母と姉とが、日が落ちてから夜が明けるまでは私たち夫婦が分担した。下《しも》の世話は母がひとりで引き受けていた。  私と妻とは、二時間交替で病床の右側に坐《すわ》って、片手で病人の右手を握り、もう一方の手では、ときおり吸い飲みの湯冷ましで渇《かわ》きの早い口を濡《ぬ》らしてやったり、顔のあぶら汗を拭《ふ》いてやったり、団扇《うちわ》で風を送ったりした。病人の左半身は、水を吸った丸太みたいで、動くのは、右の手足と、目玉と、唇《くちびる》だけであった。なかでも自由なのは右手ばかりで、他の動きは鈍かった。その、たった一つ自由な右手を付添いが握っていなければならなかったのは、時として、それが不意に意味不明の突拍子もない動き方をするからであった。母によれば、倒れた直後はびっくりするほど荒々しく、頻繁《ひんぱん》に動いて、両手で抑えつけるのもやっとの思いだったというが、私たちが帰ってきたときは、もう落ち着いて、発作的な動きも間遠になっていた。握っていると、手首も、指先も、すこしずつ意志を取り戻しているのがわかった。  父は、夜中に目を醒ましたりすると、振りほどくようにして抜き取った右手を、おとなしく顔の前にかざして不思議そうに眺《なが》め入ることがあった。五本指を曲げたり伸ばしたりする。それから、ぎごちなく鼻を掻いたり、目をこすったり、ひび割れた唇や胡麻塩《ごましお》の髭《ひげ》が伸びた頬や顎《あご》を軽くつねったりする。耳に口を寄せて、どこか痒《かゆ》いなら掻いてあげようというと、腰のある粘液のように鈍く光りながらのろのろと動く目だけが、微《かす》かに笑う。どうやら父は、ただ右手の指が思い通りに動くのを何度も確かめては安堵《あんど》しているだけかに見えた。  ある晩、父は、握り直そうとした私の手を振り払って、胸元へ腕を伸ばしてきた。なにをするつもりかと見ていると、シャツのボタンに指先を触れて、それをボタン穴から外そうとした。私はべつに驚かなかった。父はボタンに挑戦《ちようせん》しているのだと思い、父を喜ばせたくて、そのままじっとしていた。  父は武骨な指をしていたが、見かけほどには不器用ではなかった。もう七十近かったが、老眼鏡さえあれば、多少風のある川原ででも釣針に糸を結びつけることなどお手のものであった。けれども、いまは、指先が痺《しび》れているのか集中力の衰えのせいか、ただボタンをいじくり回すだけで外すのには随分手間がかかった。父の手は、二つ目の半ばで急に力を失って私のあぐらの膝《ひざ》の上に落ちた。  それ以来、父は、付添いのボタン外しに情熱を燃やすようになった。実際、ボタンへ手を伸ばす父の目は力を帯びて、なかでなにかが燃え立っているかのようにどぎつく揺らめいて見えた。母と姉は浴衣《ゆかた》ばかりだったが、父は私だけではなく妻のブラウスのボタンも外そうと試みた。それがはじまると、みんなは顔を見合わせてひそひそ笑い合ったが、そんな父の仕草については誰もがおなじ意見であった。父は指先を験《ため》しているのだ。本気でボタンに挑《いど》んでいるのだ。ボタンを一つ外すたびに、父は満足し、望みを繋《つな》ぎ、自分を励ましているに違いない——医者は難しげに首をかしげていたが、私たちは、父は持ち直すかもしれないと思っていた。  私の郷里の年寄りたちは、中風病みの喉《のど》でごろごろ様が鳴りはじめたら、諦めた方がいいといっている。ごろごろ様というのは雷で、喉に濃密な痰《たん》が絡《から》む音のことである。やがて私の父の喉も遠雷のような音を立てはじめたが、ボタンに寄せる父の執念はいっこうに衰える気配がなかった。  ある夜ふけに、私は、仮眠から目醒めて、父の手が妻の胸に挑むのを見た。  北の地方でも、一と夏に何度かは昼の炎暑のほとぼりで寝苦しい夜がある。その晩もひどく蒸暑くて、妻はボタンのない薄手の半袖《はんそで》シャツを着ていたが、見ると、父はボタンを捜しあぐねて妻の乳首に挑んでいるのであった。  摘《つま》み損ねては、指先で小突き、指の背で下から揺すり上げ、人差指と中指を鋏《はさみ》にして挟《はさ》もうとする。けれども、乳首は柔かく、ボタンのようにじっとしていないから、父のおぼつかない手つきではとても捉《とら》えられない。それでも、父は諦めずに、乳首をなぶることに熱中し、妻もまた逃げようともせずに、困ったように笑いながら小声で父をたしなめていた。私が目醒めたのはその声のせいであった。  妻は私に気がつくと、そろそろ交替の時間ですからと父にいい含めて、立ってきた。おやじはボタンと間違えてたんだよ、と私はいった。妻はなにもいわずに、笑ってちょっと首をすくめただけで、蚊遣《かや》りがくすぶっている縁側の方へ出ていった。  父は、放心したように天井へ目を向けていた。息が荒くなっていた。喉のごろごろも一段と高くきこえた。  ——父はその翌々日に痰を喉に詰まらせて死んだが、私は、ひさしぶりにあの蒸暑かった夜ふけの父を思い出し、ひょっとしたら、あのときの父も、涙ぐんで豊満な胸の若い看護婦に哀願する死に際《ぎわ》の老患者たちとおなじ目をしていたのではなかったか、と思った。なぜ父があれほど付添いの胸のボタンに執着したかはわからないが、あの夜ふけばかりは、おそらくそれとは別種の衝動に突き動かされて、息を荒くしていたのではなかったか。近在の郷士の末裔《まつえい》で、母のところへ婿養子《むこようし》にきてからは、不出来な子ばかり六人産ませ、あとはひたすら小心実直な田舎の呉服商人として伏目勝ちな生涯を送ってきた父は、せめてもの名残りに、できることなら妻の乳首をじかに摘み、手のひらで乳房を覆《おお》い、握り締め、揺さぶって、思うさま愛撫《あいぶ》したいと切望したのではなかったろうか。  けれども、事実そうだったにしても、あのとき、哀れむべき父親のために、私になにがしてやれただろう。いましばらく眠ったふりを装っているべきだったろうか。それとも、なりふり構わずに、シャツの裾《すそ》を高くたくし上げてくれるよう、妻に懇願すべきだったろうか。だが、たとえ寛容な妻がそれを聞き入れてくれたとしても、未熟だった私に、妻の乳房が父親の手に委《ゆだ》ねられるのを果して黙って見ていられたろうか……。 「お代わり頂戴《ちようだい》。」 「また?……もう、いい加減にしたら?」 「いいから、頂戴。」 「……わかった。今夜もまた、拝まれてきたんだ。」 「そうなの。だんだん手垢《てあか》にまみれてくるわ。」 「手垢なんか、洗えば落ちるよ。」 「ところが、落ちないのよ。そのたびに、アルコールで消毒するし、ひりひりするほど洗いもするんだけど、落ちないの。あたしには見えるのよ、だんだんひどく汚れてくるのが。もう、お嫁にいけないわ、あたし。」 「なに、いってんのよ。相手はみんな死んじゃうんじゃないの。あんたさえ黙っていれば、誰にもわかりゃしないわよ。」 「他人の目なんか、どうでもいいの。あたしの気持の問題よ。こんなに汚れた躯じゃ、とってもお嫁になんかいけないわ。」 「じゃ、一生ひとりでごしごし洗いながら暮らすんだね。」 「そうする。そうするから、お代わり頂戴。」 「仕様がないねえ。酒で洗えば落ちるのかい?」 「落ちやしないけど、忘れて、ぐっすり眠れるのよ。飲み足らないと、きまってこわい夢を見るんだから。」 「じゃ、これっきりよ。これで、おしまい。」 「でも、薄めちゃ駄目《だめ》よ。四分六《しぶろく》でよ。」 「あいよ。お湯が六ね。」 「違うわ。お湯が四。間違わないでよ。」 「あいよ。」  と、おかみの苦笑いが湯気に沈んで、一升瓶《びん》を抱えてまた浮かび上る。  外の風は止《や》みそうにもない。 海峡    一  一年ぶりで佐井の海辺にきてみると、去年の夏、子熊《こぐま》の縫いぐるみがあおのけに浮かんでゆるく輪を描いていた岩浜の裂け目に、今年は、切り揃《そろ》えた菊を十本ばかり束ねたのが迷い込んで、打ち寄せる小波に揺れていた。花びらはすでに残らず抜け落ちていて、変色した葉の形から辛うじて菊だとわかる、腐れかけた花束である。  それを岩浜のふちから見下ろしていると、去年の連れの言草が思い出された。 「この熊はどうやら雌ですな。」  ほほう、と同行していた土地の公民館館長が腰を屈《かが》めて、浮かんでいる縫いぐるみの白い腹のあたりを覗《のぞ》き込んだ。  私たちは、その館長の案内で、岩浜を見下ろす高台の寺の墓地をいっとき歩き回ってきたところであった。梅雨が明けたばかりの初々《ういうい》しい夏の陽《ひ》と、岩浜を吹き抜ける海風とが、高台の陰気な森のなかでは黙りがちだった連れの口を軽くしていた。 「……わかりますかな。」 「ええ、一と目で。」と連れはいった。「飛び込み心中すると、男の死体はきまってうつぶせに、女の方はあおのけに浮かぶっていいますよ。つまり、その、極めて正常な体位にのっとって……。」  連れがわざとらしくいい淀《よど》むと、なるほど、と初老の館長は、まるめたハンカチでせわしなく首筋の汗をぬぐいながら、顔をくしゃくしゃにして笑った。 「日頃《ひごろ》の癖が出るんでしょうかな。」 「いや、癖じゃなくて、やはり自然の摂理というものでしょうね。」 「……それにしても、こいつは見たところほんの子熊ですがな。近頃は子供でもなかなか油断がならないと聞くが、こいつなら、よしんば雌だとしても、まだ生娘《きむすめ》でしょう。」 「ところが、その、経験のありなしには関係ないらしいんです。心中に限らず、水で命を落した遺体は、水浴びしていて溺《おぼ》れた子供たちでも、男の子はちゃんとうつぶせに、女の子はあおのけに浮かぶんですって。」 「でも、それは、人間ならばの話でしょうが。熊の場合は、いささか事情が違うのではないですかな。もし、お説が熊のような獣にも当て嵌《は》まるとすると、雌の方もまたうつぶせに浮かんでいなければ自然の摂理に合わんことになりましょう。」 「なるほど」と連れは笑い出しながらいった。「そうすると、熊も、犬や馬と同様、雄雌ともにうつぶせになるのが最も正常というわけですか。」 「多分……いや、小生も浅学にしてその方面には疎《うと》いのですがな。」  それから二人は、あたりに陽気な笑い声を響かせて煙草《たばこ》に火を点《つ》け合ったが、私はそのまま岩浜の先まで出ていって、するとあのころ十九の生娘《きむすめ》だった自分の姉も、やはり、あおのけに浮かんだままこのあたりを漂い流れていったわけかと、明るい日ざしを浴びている凪《なぎ》の海峡にしばらく目を細めていた。  地図で見ると、本州北端の下北半島は、刃を西側に向けたマサカリに似ている。佐井は、その刃の部分に当る南北にほぼ垂直な海岸線の、北の方から三分の一ほどのところにある古い漁村で、そこの岩浜に海を臨んで立つと、晴れた日なら、左手の穏やかな陸奥《む つ》湾口のむこうに津軽半島の突端が、正面から右手には、津軽海峡を隔てて北海道の陸地がうっすらと見える。海峡には、日本海から太平洋へ抜ける海流があり、その流れとあらがいながらのろのろと進む青函《せいかん》連絡船やフェリーボートの船影も、遠くにぽつりぽつりと見えたりする。  佐井の港は、いまでこそ小型漁船の船溜《ふなだ》まりと、近くの海岸景勝地へ通う観光船のための短い桟橋《さんばし》があるきりの、鄙《ひな》びた漁港にすぎないが、往時は檜葉《ひば》材の積み出しで大いに賑《にぎ》わった港だそうで、去年、私たちが初めてこの村を訪ねたのも、江戸時代の延享《えんきよう》年間に、この浦を出帆して江戸へ回航する途中、大時化《おおしけ》に遭って梶《かじ》と帆柱を失い、およそ半年間の漂流の末に千島列島のオンネコタンという島に流れ着いた、千二百石積みの弁財船に関《かか》わる資料を手に入れるのが目的であった。  史書によれば、島に上陸した生き残りの船乗りたちは忽《たちま》ちロシアの役人に捕えられ、シベリアの都イルクーツクまで連行されて、命ぜられるままに日本語学校の教師などしながら帰国の許可を待ち侘《わ》びていたが、結局、一人としてふたたび故国の土を踏むこともなく彼の地に骨を埋めたという。  村役場で紹介してくれた郷土史家でもある公民館の館長は、二、三の資料を出して見せてから、その漂流船の船主の墓があるといって、私たちを村はずれの高台にある古刹《こさつ》へ連れていった。おそらく槻《つき》だと思われる大木に覆われたそこの墓地には、自然のままの波打つ地面に苔《こけ》むした小振りな墓石がそれぞれ勝手な方向へ傾いたまま立ち並んでいる一郭があり、私たちは、辛うじて崩落を免《まぬか》れている墓碑銘を指先で拾って判読しながら歩き回った。  漂流船の船主は、自ら船頭としてその船に乗り組んでいて漂着直後に飢え死にしたはずだから、墓があるとしてもあとで遺族が建立《こんりゆう》した供養塔《くようとう》のたぐいだろうが、郷土史家としては、その船主が間違いなくこの村の出だという証拠を私たちに見せたかったのだろう。  墓地の森は、高台にしては風も通らず、蝉《せみ》の声が籠《こも》って暑苦しかった。私たちは、一と汗かいてから、館長が確かにこれだとする古碑の一つを船主の墓だと思うことにして、それでは裏手の岩浜へ降りて涼しい風に吹かれようと小道を奥の方へ歩いていった。  すると、森を出外れた崖《がけ》ぶちに、淡いオレンジ色に塗ったコンクリート造りの小屋のようなものが、ぽつんと日ざしを浴びているのが目についた。私は、それが古い墓地には似合わない建物に見えたから、並んで歩いている館長に、あれはなんの建物かと尋ねた。 「……ああ、あのコンクリの」と彼は私の視線を辿《たど》って、つまらなそうに答えた。「あれは、なに、無縁仏の供養碑です。」 「あのなかに碑があるのですか。」 「いや、あの建物全体が碑というわけです。」 「あれが碑ですか。屋根のある碑とは珍しいな。」  屋根は軒の深い切妻屋根で、それもコンクリートで出来ているように見えた。 「以前は石碑でしたから、そう呼んでおるんですが」と館長はいった。「いまは、なかが一人ぐらいなら出入りできるほどの空洞《くうどう》になっておりまして。空洞といっても、棚《たな》だらけですが。つまり、無縁仏の安置所ですな。」 「骨《こつ》にして保管してあるわけですね。」 「そうです。一人分ずつ骨箱に納めて、棚に並べてあるんですが、引き取り手はめったにあらわれないもんですから、仏さんは増える一方でして……。いずれまた、棚を作り直さなければなりますまい。」 「そんなに無縁仏が出るのですか。」 「何年かに一体ぐらいのものですが、確実に増える一方です。勿論《もちろん》、土地からは出やしません。なにしろここは、前に海峡を控えてますからな。ここの無縁仏といえば海峡から流れてくるのがほとんどです。」  私は、思わず足を止めた。ちょうど安置所の方へ昇る低い石段の下まできていた。墓地の小道は、そこを過ぎると下り坂になって、下のアスファルト道路に突き当る。先をゆく連れの陽を浴びた後姿が、足許《あしもと》から沈んでいって消えてしまうと、ガードレールのむこうに光る海が見えた。 「なにか忘れ物でも……。」  館長が、あらぬところに立ち止まった私を怪訝《けげん》そうに見ていた。いや……と私はポケットからハンカチを出して顔を拭《ふ》いた。 「ちょっと道草を食わしてください。どうも私はひどい汗っかきで……。」 「どうぞ。一と息入れてください。今日の墓地は暑かったです。いつもはこんなじゃないんですが、梅雨が明けたばかりだからでしょうか。」  館長は、そこならすこしは風がくるかもしれないといって石段を昇り、私もそれにつづいて、湿ったハンカチをのろのろと畳み直しながら安置所を眺《なが》めた。  石段の上には短い石畳みの道があり、安置所の正面には、なんの変哲もない薄茶色の金属ドアが一つ。そのすぐ前には、香炉や蝋燭《ろうそく》立てや花筒を備えた御影石《みかげいし》の台が出入りを拒むように据《す》えてある。ドアの上には、横長の大きな額が壁に嵌《は》め込んであって、なるほど〈法界無縁精霊之《の》碑〉という八文字が黒い枠《わく》のなかに浮き出ている。側面の軒下には、なんのためなのかガラスの嵌まった小窓があった。花筒の花は立ち枯れていた。 「このなかで」と、私は安置所へ目を向けたままいった。「海峡から流れてきた無縁仏たちが引き取り手を待っているわけですか。」 「そうです。はっきりいえば、全員が連絡船から身投げした人たちでしょうな。」  そうだろう。それ以外の溺死者《できししや》や遭難者なら、無縁仏になんぞなるわけがない。 「海峡の漂流物は……勿論そんな無縁仏も含めてですが、大概このあたりの浜へ流れ着くのでしょうか。」 「さあ……大概といっていいかどうかわかりませんが、この浜に寄り易いことだけは確かなようです。御存じかと思いますが、この海峡には西の龍飛崎《たつぴざき》の方から日本海の対馬《つしま》海流というのが流れ込んでおりまして、これが海峡を通り、太平洋に抜けて、尻屋崎《しりやざき》の東の沖合いで千島寒流と合流します。海峡内での平均時速が二ノットから四ノットといいますから、その流れにうまく乗りさえすればそのまますんなり通り抜けるんですが、乗り損ねると、このあたりをふらふら彷徨《さまよ》うことになる。連絡船の航路はずっと西寄りですから、海流から外れてゆっくり東へ漂ってくれば、ちょうど南北に伸びているこの海岸に寄り着くわけです。一年のうちでも、とりわけ春と冬には漂着物が多いようです。」 「……どうしてでしょう。季節で違いがあるのですか。」 「多少はあるようです。ここの海流の水量は季節によって変るんだそうで、多分そのせいでしょうな。夏季に増えて、冬季には減る。水量が減れば海流の勢いが衰えて、この半島沿いに南下することになる。ですから、漂流物は、よほどうまく流れの中心に乗らない限り、半島のどこかの浜へ打ち揚げられることになります。それに、春の木の芽時というやつは人の気持を妖《あや》しく揺さぶるものですからな。」  私の姉の場合も、春の三月半ばだったが、遺体は遂《つい》に見つからなかった。それでも姉の死を認めざるをえなかったのは、青森の桟橋で投函《とうかん》した父親宛《あて》の遺書めいた手紙と、船室に遺されていたわずかばかりの所持品のせいである。姉は、海峡のほぼ中央で、夜航する連絡船上から不意に姿を消したのであった。私たちは、おそらく姉の遺体は海流に乗って大海原へ流れ去り、遥《はる》か遥かの沖合いで海に溶けたのだと思うほかはなかった。  ところが、ここにこうして、姉とおなじように海峡を漂流してきた無縁仏たちの安置所がある。姉の遺体は当時随分捜したには違いないが、もしかしたら、なにかの拍子に、人知れず無縁仏の仲間入りをすることになったのでは、と私は思った。それは、全くありえないことだろうか。 「これは、わりと新しい建物ですね。もっと古い供養碑のようなものはないのですか。」 「供養碑もなにもなかったところに、十年ほど前にこの安置所を建てたんですよ。昔からこの場所が無縁仏の墓所だったのです。」  と館長はいった。私は改めてあたりを見回した。 「この寺の住職によりますと」と館長はつづけた。「おそらく藩政時代からのこったろうといいますから、随分古い話です。そのころから、このあたりの浜に漂着した無縁仏はすべてこの寺に運ばれてきて、この場所に埋葬されるのがならわしだったらしい。勿論、このあたりは土葬でしたがね。十年ほど前、この安置所を建てることになったとき、墓所を丁寧に掘り返してみました。頭蓋骨《ずがいこつ》が八つ出てきましたから、八体の無縁仏が葬《ほうむ》られていたものと思われます。それらを他の骨と一緒に火葬にして、一体分ずつ骨箱に納めました。その後、数体増えて、現在ここには十数体分が安置されております。」 「横の壁に小窓がありますね。」 「ええ。明り採《と》りの窓ですな。電気は引いてませんから。」 「あそこから覗いて見ても構いませんか。」  館長は、なんという物好きな、と呆《あき》れたような表情を見せたが、私は姉のことを彼に話す気にはなれなかった。 「さすがに好奇心旺盛《おうせい》ですな。」と館長は微笑していった。「どうぞ、ごらんになりたかったら。但《ただ》し、ガラスが汚れてますよ。」  私は、切妻屋根の軒下へ入っていって、爪先立《つまさきだ》ってなかを覗いた。窓がちいさい上に、壁の厚みがなおさら視野を狭《せば》めていたが、それでも内部の一角が、水中のような青味を帯びた仄暗《ほのぐら》さのなかに思いのほかはっきりと見えた。  白木造りの粗末な棚に、白布に包まれた骨箱がたっぷりと間隔を置いて並んでいる。骨箱はみなおなじ大きさだが、それを包んでいる白布の白さはまちまちで、ここの無縁仏たちにも歳月が流れていることがよくわかる。私は、むこう隅《すみ》に傾いている、煮染《にし》めたように変色した骨箱に目を惹《ひ》かれた。  来年は姉の五十回忌をしなければならない。 「ああ、ここでしたか。」  という連れの声で、私は小窓を離れた。  連れは石段の下まで戻ってきていた。 「ごめん。ちょっと道草をしてたんだ。」 「なんですか、その建物は。」 「なに、無縁仏の供養碑ですよ。」  と館長がいった。  岩浜へ降りる坂道で、あんな無縁仏の安置所はこの半島のほかの浜にもあるだろうかと館長に尋ねると、建物はどうか知らないが供養碑ならあるかもしれないという返事であった。来年、姉の五十回忌を済ませたら、その記念にひとりでまたこの半島にきて、海峡を眺めながらそんな供養碑を巡拝することにしたらどうだろう。私はみんなに遅れて坂をくだりながら、そんなことを考えていた。  今年は、いつになく梅雨が長引くのに業《ごう》を煮やして、雨具持参できてみると、下北は曇天ながら東京よりも空気が乾いて、冷え冷えしていた。昨日、暗くなってからこの村に着いて、宵《よい》の口には通り雨が何度か宿のトタン屋根を叩《たた》いて過ぎるのを懐《なつ》かしく聴いたりしたのだが、今朝は、まだしらしら明けのうちに海猫《うみねこ》どものけたたましい啼《な》き声に眠りを破られた。海猫は時として、さかりのついた猫さながら艶《なま》めかしさを競い合うかのように啼く。私の部屋は二階だったが、真上の屋根で啼き騒ぐのだから、いちど目醒《めざ》めたらもううつらうつらもできない。起きて窓を開けてみると、雨気が消えて、切れた雲間から淡い青空さえ覗《のぞ》いていた。  私は、七時過ぎには朝食を済ませた。この村の墓地を訪ねてから、八時半のバスで半島の中心まで戻り、そこでまた別のバスに乗り換えて尻屋崎までいくつもりであった。流れ仏の供養塔は、その後の調べで、この佐井村のほかには尻屋崎にしかないことがわかったからである。あとは、纏《まと》めて恐山《おそれざん》に祀《まつ》ってあるという。それで私は、まずこの村を再訪し、それから尻屋崎、恐山と回って、今度の巡拝を済ませたことにしようと思っていた。  支度をして帳場へ降りていくと、隣の小部屋の食卓にいた女主人が、びっくりしたように口のなかのものを嚥《の》み込んで立ってきた。 「バスにはまだ早いでしょうが。」 「ちょっと寄るところがあるんでね。」  私は、忘れたふりをして寺への道順を訊《き》いた。 「墓参りでやんすか。」 「まあ、そんなところです。」  女主人は、ここを宿舎のようにしている築港の工夫たちが脱ぎ散らかしていったらしいゴムのスリッパを両手で芥《ごみ》でも押し除《の》けるように一方へ片寄せながら、帰りに余裕があったら是非とも恐山へ寄るようにといった。恐山はちょうど夏の大祭で、信心深い人たちで賑《にぎ》わっている由《よし》であった。私は、ついでに花を売る店を尋ねて宿を出た。  花は、百合《ゆ り》とぽんぽんダリアを混ぜた小束を買った。ほかに、蝋燭と線香と、姉が好きだったという草餅《くさもち》も買った。  雨上がりの朝の、まだ早い時間で、墓地に人気がないのも、空《から》の花筒に昨夜の雨が程よく溜《た》まっていたのも、好都合であった。線香の束を半分にして火を点《つ》けると、青い煙が墓地の方へ秋口の雲のようにくっきりと流れていって、槻の太い幹に巻きつくのが見えた。  私は、しばらくしてから手向けた草餅の一つを二つにちぎって、片方を石畳みに腰を下ろして口のなかに入れた。私の郷里では、仏前に供えたものはかならず一部をその場で食べて死者と交歓するのがならわしである。佐井の草餅は、私の舌にはすこし甘すぎたが、ならわし通りに時々舌鼓を打ちながら、ゆっくり食べた。明り採りの小窓から見える限りでは、棚の流れ仏たちは増えも減りもしていなかった。  バスの発車時刻にはまだ間があったので、去年のように裏の岩浜へ降りてみた。去年、子熊《こぐま》の縫いぐるみを見たときもそうだったが、この腐れかけた花束も海峡からの漂着物に違いないと、すぐにそう思った。私は、家に三人いる娘たちが姉の享年《きようねん》とおなじ十九になるたびに、その子を連れてこの海峡にくる。青森から、姉が乗ったのとおなじ夜航の連絡船に二人で乗って、姉の短かった生涯《しようがい》や、姉をこの船の回廊にまで追い詰めた事情の数々を、隠さずに話して聞かせる。その折に、海峡のまんなかあたりで同行の娘が暗い海面に落してやる菊の花束が思い出された。  甘さにしびれた舌を慰めようと、煙草を出してくわえると、指先から、さっきちぎった草餅が匂《にお》った。    二  定刻に車庫前を発車したターミナル行きのバスには、私のほかに女ばかりの五人連れが一と組乗っただけで、がらんとした車内を吹き抜ける朝風が涼しすぎるほどであった。この路線は、マサカリ形の半島の刃の部分を北上し、最北端の大間崎から海峡に面した北側の海岸線を東へ走って、二時間半で中心部のターミナルに着く。私は、窓から海峡がよく見えるように左側の座席にいたが、海など珍しくもないらしい五人連れは通路を隔てた右隣に陣取って、なにやら浮き浮きと短い言葉を交わし合っていた。  老婆《ろうば》が二人に、中年女が三人。言葉の様子からすればいずれも土地の住人だろうが、ひさしぶりにターミナルまで遠乗りをすると見えて、それぞれ、地味ながらもよそゆきらしい、こざっぱりとしたなりをしている。老婆のひとりは、肩に畳み目が山稜《さんりよう》のように尖《とが》っている単衣《ひとえ》を着て、頭には真新しい手拭《てぬぐ》いをかぶっていた。ほかの四人は、プリントのワンピースや、ブラウスにズボン姿で、申し合わせたように白い薄手のカーディガンを着ていた。  五人とも、自分の荷物を携えているところを見ると、隣近所が誘い合わせて買物に出かけるのでもないらしい。荷物というのは、風呂敷《ふろしき》包みや紙の手提げ袋だが、どちらも膨らんでいるわりには、さほど重たくもなさそうに見える。中身の見当はつきかねるが、一つの紙袋からは真っ赤な風車《かざぐるま》が二本も頭を突き出しているのがなんとも異色で、それらが時折、窓から吹き込んでくる風に勢いよく回る。  いつの間にか、雲の切れ間がひろがって、そこから洩《も》れる日ざしが筋になって見えていた。海はまだらに明るんでいたが、西の海峡は靄《もや》に鎖《とざ》されて見えなかった。  大間崎では、これもめかし込んだ夫婦者らしい初老の二人連れが、手ぶらで乗った。男の方は、隣の五人連れの誰かと顔見知りらしく、煙草の脂《やに》で汚れた歯を剥《む》き出しにして、鳥打帽のひさしに手をかけた。連れの女はにこりともしない。 「いぐどごが(いくところかい)」  と隣の女がいった。 「そせ(そうよ)」  と男は答えて、潮焼けした首を締めつけているワイシャツの襟《えり》の内側へ、きつくてとても叶《かな》わんというふうに人差指をこじ入れて見せた。  それきりで、二人連れは最後部の席までいった。女の方がそばを通り過ぎるとき、夏着にしては厚ぼったい服の脇《わき》ポケットから、ガラス玉の数珠《じゆず》がはみ出ているのが見えた。  大間崎を過ぎて間もなく、いちど視野から消えていた海がふたたび左手にあらわれて、窓辺近くに迫ってくる。おなじ海でも、こちらは佐井のある半島の西側とは違って、直接外海に接しているから、海面は低いうねりに揺れて岩浜にちいさな波しぶきが上っている。バス道路は、その岩浜沿いに延々と東へ伸びている。  隣の女たちは、代わる代わる自分の荷物から中身を取り出しては、見せ合っている。人形。おもちゃの船。可愛《かわい》らしい花柄《はながら》の綿入れ半纏《ばんてん》。空色のズック靴《ぐつ》。てっぺんに大きな玉のついた赤い毛糸の防寒帽——いずれも小児用の新品ばかりだが、単衣の婆さんが膝《ひざ》の上でほどいた風呂敷包みから、新しい藁草履《わらぞうり》が十足余りも出てきたのには目を瞠《みは》った。  連れたちも感嘆の声を上げている。どうやら、その婆さんがひとりで夜なべをして編み上げたものらしい。婆さんはにこにこ顔で、藁草履を一足ずつみんなに分ける。女たちはそれを一人一人押し頂いて、自分の荷物に仕舞い込む。  下風呂《しもふろ》という名の温泉場があって、そこで近在から骨休めにきたと見える老人ばかりの一行を乗せた。道のすぐ左手は防波堤があるだけの漁港で、檣《マスト》の間に裸電球を吊《つ》り並べた小型のイカ釣《つ》り漁船が十艘《そう》ばかり舫《もや》ってある。右手には何軒かの温泉宿が海に向って窓を並べているのが見える。私はふと、もし日が暮れるまでに巡拝を終えられたら、今夜はここへ戻って一泊することにしようかと思った。流れ仏の供養にきたのだから、海峡の見える宿で精進落しをするのも悪くないと思われた。  バスが走り出してしばらくすると、隣の方からしきりに鼻水をすする気配がして、窓の風が冷たすぎるのかと思ったら、中年女のひとりが泣いているのであった。膝の上に畳んだ綿入れ半纏に人差指でなにやら文字を書くようにして泣いている。連れの四人は、前後の席から背もたれ越しに見守っているが、目をしばたたくばかりで、なにもいわない。窓から日が差し込むと、うつむいた女の鼻先が光る。  関根浜という漁村を過ぎると、バスは急に海岸線を離れた。  ターミナルには、十一時すこし前に着いた。案内所で調べると、尻屋崎行きは日に三本しか出ていなくて、次のバスまでは十数分しか間がなかった。所要時間は一時間とすこしだが、帰りは四時まで待たねばならない。しかも、その最終バスが出るのは尻屋の村で、供養碑のある岬《みさき》の鼻からは歩けばかなりの道程だという。最終バスに乗ったとしても、ターミナルに着くのは五時過ぎで、それから恐山へ出かけたのでは、途中で日が暮れてしまう。私は、仕方なくバスを諦《あきら》めて、タクシーを雇うことにした。  市街地を抜けて、しばらく走ると、また左手に海が見えてくる。大間崎からずっと眺めてきたのとおなじ海だが、空はいつの間にかすっかり晴れ上っていて、海の色もさっきまでより青々と見える。 「そろそろ梅雨明けだね。」 「そうならいいんですがね。」と、人の好さそうな中年の運転手がいう。「ここは本州でも気候は北海道に近いですから、もともと梅雨らしい梅雨はないんですがね。あの梅雨明け宣言というやつが出ませんと、どうもね。観光客はさっぱりです。」  それから、お客さんは燈台《とうだい》の写真でも撮りにきたのだろうかと運転手はいった。いい齢《とし》をして、梅雨の晴れ間をねらってひとりで岬の鼻までいこうというのだから、助手も雇えない絵葉書かなにかの写真家だとでも思ったのだろう。私は曖昧《あいまい》な返事をして、世間話の合間にさりげなく供養碑のありかを尋ねてみた。つい、無縁仏とも、流れ仏とも口にしかねて、このあたりの海岸に流れ着いた死人、といった。 「ああ、この辺の海で遭難した人たちの供養碑ですね。」 「べつに遭難とは限らないんだけど。」 「要するに、死体で岬の浜へ揚がった人たちね。」 「そういう人は多いんだろうか。」 「このごろはあんまり聞かないけど、昔は多かったみたいですよ。十年一と昔のむかしですけどね。私らもよく見たんですが、あの岬の浜から難破船の残骸《ざんがい》が全然なくなるってことはなかったんじゃないかな。ひどいときには、二、三艘もでっかい肋骨《あばらぼね》をさらしてたもんです。海流の関係なのか、殊《こと》に燈台の手前の浜はそうだったな。」 「その、燈台の手前の浜を見下ろす崖《がけ》のどこかにあるらしいんだけど。」 「ああ、供養碑が。さあねえ……シーズン中はよくお客を乗せてくるんだけど、降ろせばすぐ戻っちゃうからね。」  運転手は、なんなら燈台の人にでも訊いてあげようといった。  バス道路から岬の方へ岐《わか》れるところに、簡単な木製の遮断機《しやだんき》が下りていた。なんのための遮断機かと思えば、ここから先は牛馬の放牧場になっているから、いわば柵《さく》の一部なのだという。運転手は車を停《と》めると、小走りに降りていって、自分で遮断機を押し上げた。  芝生に覆《おお》われた岬の鼻には、白い燈台と、茶店を兼ねたちいさな雑貨屋が一軒あった。燈台の門へ駈《か》けていく運転手のほかには、人影が一つも見当らなかった。燈台の人は留守らしく、運転手はすぐに出てきて手を横に振って見せると、そのまま帽子を上から抑えて茶店の方へ歩いていった。  車から出てみると、海から風が強く吹き寄せていたが、冷たくはなかった。七月下旬の陽《ひ》が頭の真上から照りつけていたが、暑さもまるで感じなかった。燈台の左脇から海の方へすこし突き出ている岩山の上に、なにやら赤いものが立っているので、目の端に崖下の岩浜がちらつく小道伝いに近寄ってみると、五つ六つの子供ぐらいの石地蔵であった。頭には濃い桃色の布地で縫った襞《ひだ》のある頭巾《ずきん》をすっぽりとかぶり、鮮やかな空色の着物の上から頭巾とおなじ色の布地をインドの僧のように巻きつけて、海を背にして立っている。足許《あしもと》には、浜百合の花が二輪、饅頭《まんじゆう》が三つ、それに一円玉が一と握りほど供えてあった。  供養碑とはこの地蔵のことだろうか、と私は思った。いずれにしても、こんなところに地蔵があるのは海の死者への供養のためだろうから、取り敢《あ》えず十円玉を三つ四つ手向けて拝んでいると、うしろから運転手の呼ぶ声がした。運転手は、両手で口を囲ってなにか叫んでいるが、聞き取れない。私は風に煽《あお》られてよろけながら車の方へ戻った。 「どうも、こっちらしいですよ。」と、運転手はさっききた方角を指さした。「この崖に沿って二、三百メートル戻ったところにあるはずだっていうんですがね。」  道は、戻るにつれて崖ぶちから遠くそれている。運転手が遮断機のところで待っていてくれるというので、私は歩いて捜すことにした。 「鞄《かばん》は置いてったらどうです。」  運転手にそういわれたが、いや、と私は持って出た。鞄のなかには、佐井で買った供物《くもつ》が半分入っている。 「代わりに、ここまでの料金を払っておこうか。」 「厭《いや》だねえ。」と運転手は笑っていった。「その点、ここは安心でね。乗り逃げしようったって、海しか逃げ場がないんだから。」  タクシーは走り去り、私は燈台に背を向けて歩きはじめた。  崖の上は一面の芝生で、ところどころにハマナスだと思われる灌木《かんぼく》の茂みがある。右手は実に広い海で、長い、円味を帯びた水平線を一と目で端から端まで辿《たど》ろうとすると、首を回しただけでは足りなくて躯《からだ》をくるりと一回転させなくてはならない。崖は、あるところではなだらかに、あるところでは絶壁をなして海の方へ落ち込んでいる。崖の裾《すそ》には、幅の狭い石ころだらけの浜があり、そこにはおびただしい数の角材や板きれが打ち揚げられている。難破してばらばらになった木造船の船材だろうか。私はふと、シベリアにいるような錯覚をおぼえた。佐井の漂民たちの足跡を尋ねて旅したとき、バイカル湖の湖畔に打ち揚げられた流木群が延々と帯をなしているのを列車の窓から見たからである。  三百メートルほど歩いても碑は見当らなくて、代わりに、海に向ってゴルフのアイアン・クラブを振る男がいた。そういえば、崖の芝生は、ゴルフ場ならちょうどラフと呼ばれる部分に相当する。あたりに車も自転車もないから、この近くに住む人であろう。私はそう思い、供養碑のことを訊いてみるつもりで、こんにちは、と声をかけたが、男は素知らぬ顔で返事もしない。そのくせ、私に見物させるつもりらしく、額の汗もぬぐわずにせっせと力強いスイングを繰り返している。クラブヘッドが大袈裟《おおげさ》な唸《うな》りを上げて風を截《き》る。  そこからなおも百メートルほど歩いて、やっと四角な土台石だけを見つけた。それは深々と土中に根を下ろしていて、上には確かに石碑らしいものを載せていた痕跡《こんせき》があったが、どうしたことか肝腎《かんじん》の石碑はなくなっていた。あたりを捜してみたが、見つからなかった。土台石だけでは、そこに流れ仏の供養碑が立っていたとは断定できない。私は、線香を焚《た》くのを見合わせて、土台石の上の土くれを払い落すだけで引き揚げることにした。  運転手から教わった通りに、海とは反対の方角へ歩いていったが、間もなく湿地帯へ迷い込んで、立ち往生した。もう三メートルも進めば乾いた草地に出られるのだが、無事に渡れそうな道が見つからない。まごまごしているうちに、むこう側の背の低い松林のなかから、放牧の馬がぞろぞろと出てきた。合わせて六頭、ゆっくりこっちへ向って歩いてくる。  私は、間に柵のないところで裸馬の群れと出会った経験がない。相手が獰猛《どうもう》な獣に見えた。それで、だんだん近づいてくるにつれてたじたじとなったが、やがて馬の方も私に気づいて、立ち止まった。私は、自分に敵意がないことを示そうとして、すこし横向きになり、そらした目の端で彼等の様子を窺《うかが》っていた。  しばらくすると、馬は別段合図を交わし合った様子もないのに、一頭だけを残して動き出し、鼻面《はなづら》を下げて草を食《は》みはじめた。一頭だけは、元のところにじっとして私を見守っている。馬の大きな目は優しげで、ひとりで流れ仏の巡拝などしている私を哀れんでいるようにも見えた。けれども、敏感な耳の動きは、沈黙のうちに勝手な真似《まね》は許さないぞと告げていた。 「おい、そんなにまじまじと見るな。」と、私は独り言よりも大きな声でいった。「おまえは見張番らしいが、俺《おれ》は怪しい者なんかじゃない。ここで足の踏み場を捜していただけだ。」  それから、そろそろと後じさりをし、すこしずつ横に移動しながら、馬の群れを離れた。    三  私が見てきた土台石は、以前、この岬の沖合いで遭難した船員たちの慰霊碑を載せていたことが、タクシーへ戻ってからわかった。運転手が、遮断機のそばに駐車して私を待っている間に、通りかかった尻屋の村の知合いから話のついでに聞き出したのである。  その慰霊碑は、数年前に、なにかの工事の邪魔になるという理由でどこか別の場所へ移されたらしいが、移された場所までは訊いてもはっきりしなかったという。 「でも、尻屋の村へいって調べてみればわかるかもしれません。寄ってみますか。」  運転手はそういったが、私は、ここはこれで切り上げて恐山へ回ることにしたいといった。燈台の手前の浜を見下ろす崖ぶちには、ほかに碑らしいものが見当らないのだから、私が聞いていた供養碑というのはその慰霊碑のことだったのだろう。流れ仏などになんの関《かか》わりもない人たちにとっては、おそらく、無縁仏の供養碑も遭難者の慰霊碑も大して変りがないのである。  運転手は、風変りな客だと思ったろうが、ただ、ちょっと気の毒そうに、 「せっかくここまできたのに、無駄足《むだあし》でしたね。」  といっただけで、車を出した。  話好きでも、妙な穿鑿癖《せんさくぐせ》のないのがありがたかった。  またバス・ターミナルのある市へ戻り、二人で遅い昼食をして、その店の電話で下風呂温泉の宿を予約してから、恐山へ向う。山とはいっても、霊場への道は、初めにすこし登るだけであとはくだる一方である。薄暗い檜葉《ひば》の原生林のなかを、なにかしら不安になってくるほどくだりにくだる。 「……こんなにくだったかね。」 「前にも見えたことがあるんですか。」 「いちどだけね。随分前だ。二十年も前。」 「じゃあ、初めてみたいなもんだ。」と運転手は笑う。「初めての人は誰でも不思議がりますよ。山へいくのに、なんでこんなにくだってばかりいるんだって。地獄へ落ちていくみたいで気味が悪いという人もいます。ここは火山の広いカルデラのなかで、霊場はそのカルデラの底の湖のほとりだから、外輪山を越えてくればもうくだる一方なんだと教えてあげると、やっと納得するんです。」  タクシーはくだりながら観光バスを何台も追い抜く。 「たいへんな人出だな。」 「大祭ですからね。二十年前はこんなじゃなかったですか。」 「僕がきたのは普通の日だったから。もう季節も思い出せないけど、宇曾利湖《うそりこ》も菩提寺《ぼだいじ》の境内もひっそりしてたな。砂地に立ってると、足許から硫黄臭いガスの噴き出る音が、ふつふつと、はっきりきこえた。」 「普段はそうなんですが、夏の大祭のときばかりは別でしてね。湖畔は車で、境内は人でいっぱいになります。このあたりの人たちは、死ねばかならず恐山へいくものだと信じてるんです。恐山は仏が集まる山なんですね。それで、大祭になると、肉親に死なれた人たちがさまざまな土産や供物を持って仏に会いにくるわけですが……イタコって、わかりますか。」 「ああ……盲目の巫女《み こ》、といえばいいのかな。」 「巫女といっても、イタコは大概年寄りですがね。あの世から仏を呼び下ろして仏の言葉を伝えてくれる霊媒《れいばい》ですが、夏の大祭にはそのイタコも大勢出張してきます。ですから、供養に集まってきた人たちは、仏の思い出話をしたり、仏と一緒に飲み食いしたり、イタコに口寄せして貰《もら》って仏と話したりして、一日、仏をすぐ身近に感じながら過ごすんです。どうですか、お客さんもイタコに口寄せして貰ってみては。」 「でも、イタコの言葉は、僕にはとても聞き取れそうもないからな。」 「言葉も語り口調も独得ですからね。私らにだって、とても全部は聞き取れません。でも、いいじゃないですか、言葉の意味がわからなくても、仏の供養になれば。イタコに口寄せして貰うと、仏はとても喜ぶそうですよ、よく忘れないで呼んでくれたって……。」  湖畔の霊場には、半時間足らずで着いた。私は、ここでも鞄を手に提げて、人波に押されながら菩提寺の山門をくぐった。石畳みの参道を挟《はさ》んで、シートを屋根にした小店が軒を並べているところを通ると、おもちゃ屋の店先に真っ赤な風車が太い束になっているのが目について、すぐに、朝のバスで佐井からターミナルまで一緒だった五人連れのことが思い出された。  私は、長蛇《ちようだ》の列に加わって、白々とした地面と泡立《あわだ》ったまま冷えた熔岩《ようがん》とが入り雑《まじ》って複雑な起伏をなしている丘陵地帯を一巡した。登りくだりの激しい細道に沿って散在している石地蔵は、どれも色とりどりの晴着を幾重にも着せられ、頭には頭巾や帽子や頬《ほお》かむりの手拭《てぬぐ》いが顔も隠れるほどに折り重なって、足許には雑多な供物が小山のように積まれている。地面からなにかが噴き上げたように見える数十本の風車のなかに、ちいさく蹲《うずくま》っている地蔵もあった。白地の浴衣《ゆかた》を頭からかぶるように着て地味な夏帯を締めている等身大の地蔵の前には、二十足余りの藁草履《わらぞうり》が供えてあった。  私は、赤いちゃんちゃんこに着脹《きぶく》れて、湖畔の砂浜近くに一つだけぽつんと離れている名も知れぬ地蔵に、草餅《くさもち》の残りを手向けて、ほんの一と口だけお相伴《しようばん》した。  イタコは、丘陵をめぐる細道が尽きるあたりの平坦《へいたん》な広場に、左右に十人ずつ、周囲をシートで包んだ箱のような店を並べて向い合っていた。どの店も、ほんの一と坪ほどの広さしかない。イタコは、奥の仕切りを背にして坐って、膝《ひざ》の上で黒玉の大きな数珠《じゆず》を爪繰《つまぐ》りながら低い声で語っている。客たちはイタコの前に垂れた頭を寄せ合って聞き入っている。なかには手拭いで目を抑えている人もいる。  どういうものか、順番を待つ人が群れている店と、ひっそりとしてそれほど待たずに済みそうな店とがあって、私は、人込みのなかを何度か行きつ戻りつした末に、やはりいちばん空《す》いている店が無難だろうと思った。突然イタコに呼び下ろされた姉が、イタコの口を借りてなにをいい出すかわからないという不安があったからである。  私が選んだイタコは、縞《しま》の和服の上に、経文らしい漢字がぎっしり並んでいる手拭いを襟《えり》にした白い上っ張りのようなものを着ていた。頭の上の名札には〈五日市マサ〉とあり、苗字《みようじ》には〈エツカエツ〉と土地訛《なま》りのルビが振ってあった。五分も待たずに番がきて、私は靴《くつ》を脱いでイタコの前の薄い座布団《ざぶとん》に正坐《せいざ》した。 「お願いします。」  と頭を下げると、 「なんですか。」  とイタコがいった。  私は、そんな質問は予期していなかったから、面食らった。イタコはおそらく頼み事の種類を訊いたのだろうが、私はどう答えればいいのかわからなくて、 「姉のことですが。」  といった。 「はあ……。」 「五十年前に亡《な》くなった姉です。」  それから呟《つぶや》き声で、ここの海峡で、とつけ加えた。  イタコはなにも尋ねなかった。頷《うなず》くように会釈《えしやく》をすると、すぐに数珠を爪繰りながら、静かに泣くような、かぼそい声で語りはじめた。私は茣蓙《ござ》に片手を突いて耳を傾けたが、案の定、イタコの言葉はほとんどわけがわからなかった。姉がイタコの口を借りてなにを私に伝えようとしているのだろう。私はそれが知りたかったが、イタコの言葉が理解できない以上、知る術《すべ》がない。私には、ただイタコの淡々とした語り口だけが慰めであった。姉は、運転手のいうように、私が会いにきたことを喜んでいるかどうかはわからなかったが、すくなくとも不機嫌《ふきげん》ではないらしいと私はイタコの穏やかな口調から判断した。  十五分もすると、イタコは数珠を膝の上にぱたりと落した。 「終りました。」  それだけいうと、イタコは背中をまるくして黙ってしまった。そのまますこし待ってみたが、イタコはもう、なにもいわない。私は、礼をいって、千五百円の料金を払い、両手でしびれた足をさすって靴を履いた。姉の供養になればいい、供養になればいい。私はそう心に繰り返した。それから、また人込みのなかを山門の方へ歩きながら、まだ耳のなかで尾を引いているイタコの泣くような語りの節を、ちょっと口のなかで真似てみた。  下風呂の温泉宿では、電話で注文した通り窓から広く海峡の見える部屋をとっておいてくれていた。私は、岩風呂で汗を流してくると、さっそく海峡に面した窓の戸障子を開け放って精進落しの酒を飲んだ。膳《ぜん》に並んでいる肴《さかな》は海のものばかりで、獣の肉もなければ酌婦《しやくふ》もいない、いかにも十九で世を去った仏の供養を済ませたあとにふさわしい素朴《そぼく》で淡泊な精進落しであった。  窓の下はアスファルトの街道で、海峡ラーメンとやらのチャルメラが通った。道のむこうは夜釣りのイカ船が出払った無人の港の岩壁である。星もない暗夜だったが、海峡は夜空よりも暗く、赤々とした漁火《いさりび》が五つ六つ水平線のあたりで明滅していた。実際、漁火の一つ一つに目を凝らしていると、なんのせいなのか、一瞬ふっと掻《か》き消えては、またすこし離れたところにぽちりと点《と》もる。五つ六つの漁火が、そんなふうに、幼い人魂《ひとだま》が戯《たわむ》れてでもいるかのように代わる代わる明滅していた。 病舎まで    一  四月のある朝、起きて寝床を離れようとすると、不意に右膝《みぎひざ》が、かくりとした。痛みもなく、痺《しび》れもなくて、ただ膝頭からふっと力が抜けたような感じであった。  おや、と思ったが、ふた足目からはもうなんともない。そのまま部屋を出て、洗面を済ませ、食卓についた。食欲は普段と変りがなかった。  ところが、食事を終えて、椅子《いす》から立って歩き出そうとすると、またしても右膝が、かくりとした。さっきと同様、痛みも痺れもなくて、二歩目からはなんともない。  仕事部屋のある二階への階段は、いつものように難なく昇れた。昇りながら、意識して右膝に体重をかけてみたりしたが、違和感はなかった。それでいて、昇り切ってから一旦《いつたん》足を止めて、また歩き出すと、やはり第一歩の右膝が急に力を失ったように、かくりとする。  ——膝が大分くたびれているな。田舎の時計屋の老主人みたいに、毎日あぐらで坐《すわ》ってばかりいるからだ。  私はそう思った。ほかに思い当ることはなにもなかった。  月刊誌に書きつづけている長い仕事が足かけ四年目に入って、最後の難所にさしかかっていた。ただでさえ人の死にざまを記述するのは気骨の折れる作業なのに、登場するうら若い男女が次から次へと自ら命を絶ったり、思わぬ陥穽《かんせい》にはまって落命したりする息苦しい物語で、すでに二人の女を自滅させ、その衝撃と悲しみとで一人の男が茫然《ぼうぜん》自失するくだりをようやく書き終えたところであった。  このあと、男は絶望のあげく家を出たきり消息を絶ち、さらに女がもう一人、自裁の道を辿《たど》ることになる。  途中までは道もわからぬ山登りだったが、いまは頂きがすぐそこに見えている。残りは胸突き八丁だが、もう一と息の道程である。一日も早く登りたかった。一刻も早く頂上に自分のピッケルを立てて、この気鬱《きうつ》で難儀な山登りに終止符を打ちたかった。そのためには、毎日休まずに一歩でも二歩でも前へ進まなければならない。足を止めれば、それきり立ちすくんでしまうおそれもあった。くたびれているのはわかっていたが、どこで、どんなふうにして一と息入れるべきかが、わからなかった。大《おお》晦日《みそか》にも、元日にも休まなかった。毎日朝から日が暮れるまで、鉄筆でガリ版の原紙を切るようにしながらじりじりと前へ進んでいた。  右の肩から腕全体がいつもより変に重いのに気づいたのは、机に向って筆記用具を手にしてからであった。膝とおなじく痛みも痺れた感じもないが、指先にまで怠惰な血が澱《よど》んでいるかのように腕全体がかったるくて、肩がひとりでに傾いてしまう。けれども、野球の投手ではあるまいし、肩が重いぐらいでベンチに引っ込んではいられない。膝といい、肩といい、仕事が厭《いや》で不平を鳴らしているのではないか。ためしに指の関節を折り曲げてみると、ぽきぽきと、さも油が切れていますというふうな乾いた音ばかりする。思わず鼻で嗤《わら》ってしまった。躯《からだ》のふしぶしがぐるになって一服をねだっているのかもしれないが、その手には乗らない。構わずに筆記用具を握り直してみると、いつものようになんの不都合もなく握られる。それ見ろ、その気になればちゃんとできるではないか。  机の前は、暮に貼《は》り替えたばかりの出窓の障子で、晴れた日でもそこを閉め切ったまま机の上にスタンドを点《と》もし、ひとり白夜を過ごしているような雰囲気《ふんいき》にしてある。  その朝は、スタンドの明りがいつになく暗く思われた。目もどうかしているらしく、机の上の紙が遠くなったり近くなったりして、何度も書き損じた。自分の目と、紙との間合いがうまく掴《つか》めない。文字は書けるのだが、書かれたものはいつもの自分の文字ではなかった。平仮名の尻尾《しつぽ》が必要以上に長く伸びて右の方へ流れている。きちんと打ったはずの句読点も、原稿用紙の枡目《ますめ》の外へはみ出ている。前の障子を開け放って、やり直してみたが、何度繰り返しても結果はおなじであった。  思いのままに自分の文字が書けないなんて。自分になにか信じられないようなことが起こっている——そんな気がした。うろたえて、 「いったい、どうしたんだ。」  と独り言を呟《つぶや》いた。  これはきっと眼鏡のせいだ。そう思いたかった。五、六年前から老眼が出て、仕事のときだけ眼鏡をかけているのだが、この眼鏡の度が合わなくなったのだ。それで焦点距離がうまく掴めない。眼鏡屋へいってレンズを換えて貰《もら》えば済むことだ。  けれども、いますぐは出かけられない。時間が惜しい。眼鏡屋のある私鉄の駅前通りまでは、歩いて片道十五分ほどだが、煙草《たばこ》屋で煙草を買ってくるようなわけにはいかないだろう。検眼もし直さなければならないし、レンズを交換するにも手間がかかる。かれこれ小一時間も潰《つぶ》すことになる。勿体《もつたい》ない。  もうしばらく我慢して、この仕事を済ませたらすぐに都心の大きな眼鏡屋へいこう。ついでに、フレームをもっと軽いのに換えてもいい。近頃《ちかごろ》は、眼鏡のようなものまで重たく感じる。実際いまの眼鏡は飴色《あめいろ》のずんぐりしたやつで、書き渋っていると顔に脂《あぶら》が浮き出るせいか、なにかの拍子に鼻筋をすっと滑り落ちることがある。  そのまま、微妙にずれる焦点を合わせながら仕事をつづけていると、時々ふっと乗物酔いに似たものを感じて、やがてはそれが軽い吐き気を伴うようになった。やっぱりこいつがいけないのだと、眼鏡を外した。そう強い老眼ではないから、眼鏡なしでも仕事ができなくはない。どうせいつもの文字が書けないのだから、かえってはっきり見えない方が気が楽であった。酔った感じも、吐き気も消えた。ただ、辞書をひくときはやはり眼鏡が必要で、かけたり外したりが煩《わずら》わしかった。仕事は捗《はかど》らずに、疲労感だけが早くきた。日の暮れるのが待ち遠しかった。  夕方の六時になると、どこかのスピーカーからオルガンで弾く夕焼け小焼けの童謡が流れてくる。そろそろ家に入ろうと遊んでいる子らに呼びかける教育委員会かなにかの有線放送だが、それがきこえてくると、今日はこれまでと筆記用具を擱《お》き、とにもかくにも休まずに前へ進んだことに満足しながらスタンドの明りを消して、階下へ降りる。  部屋を出るとき、また右膝が、かくりとした。ふと、なぜ右だけなのかと、不思議に思った。それまでにも何度か部屋を出ていたが、そのたびにきまって右膝が、最初の一と足だけ、かくりとした。右腕の重いのはわかるような気もするが、脚はあぐらをかいているだけである。坐り疲れたものなら右も左もおなじだろう。けれども、かくりとするのは右膝だけで、左はなんの異状もない。なぜ右だけなのか。腕の重さとなにか関連があるのか。  手を洗って、台所を通ると、流しに立っていた割烹着《かつぽうぎ》の妻が振り向いて見て、 「あら……痺れが切れて?」  といった。 「痺れ? なんの話だ。」 「だって足をちょっと引きずってるから。」  へえ、と驚いて、足許《あしもと》を見た。自分ではちっとも気がつかなかった。 「どっちの足を?」 「こっちの。」  妻は濡《ぬ》れた手の、甲の方で、自分の右の太腿《ふともも》を軽く叩《たた》いて見せた。すると膝がかくりとする方の脚だ。この脚を本当に引きずっていたのだろうか。 「もういちど歩くから、見ていてくれないか。」  五、六歩歩いて見せると、妻は笑ってかぶりを振った。 「いまは普通だけど、さっきは確かに変だったわ。」 「変といえば……朝から変だと思ってたんだ、自分でも。」  いつもなら、話しかけられても生返事でまっすぐ棚《たな》の酒壜《さけびん》の方へ急ぐところだが、その日は足がひとりでに妻の方へ向いた。  こちらの足取りを見ていた妻は、顔を見直して、笑うのをやめた。 「ちっとも変なふうには見えないけど……どうかしたの?」 「躯の右側がなんだか妙な具合でね。」  歩きはじめの第一歩で膝がかならずかくりとすること。肩から腕にかけてが水を吸った砂袋のように重いこと。急に眼鏡の度が合わなくなったこと。多分そのせいで今日はいちにち自分の文字が書けなかったこと——妻は真顔で聞いていたが、話し終って今夜の酒の肴《さかな》を尋ねると、それには答えずに、 「眼鏡屋よりも、お医者の方が先じゃないかしら。私はそう思うけど。」  といった。 「医者? 眼医者へいくのか。」 「眼鏡の度を合わせることぐらい、いつだってできるでしょう。内臓の方が先ですよ。明日、菱田《ひしだ》先生に診て貰ったら?」 「冗談いうな。俺《おれ》は病気じゃない。」 「でも、あなたが自分でそう思っているだけかもしれないわ。お医者へいくのは病気の人ばかりじゃないでしょう。病気でないのを確かめて貰いにいく人だっているはずよ。」  菱田先生というのは、私鉄の駅のむこう側で開業している二十数年来の掛かり付けの医者だが、こちらは年々懶惰《ものぐさ》が昂《こう》じる一方で、年にいちどという約束だった血液検査も、別段故障がないのをいいことにもう四、五年も怠けている。  妻は、いい機会だと思ったらしい。 「だけど、これといった症状もないのに、医者へいってどうするんだ。」 「立派な症状じゃないですか、膝だって、腕だって、目の具合だって。」 「膝も腕も運動不足で鈍《なま》ってるだけだよ。目は老眼が進んだんだ。」 「でも、軽い眩暈《めまい》や吐き気がするといったわ。」 「それは合わない眼鏡をかけていたからだよ。眼鏡を外してからはなんともなかった。」 「じゃ、昨日まではどうだったんですか。」 「昨日までは、べつになんとも感じなかった。」 「あの眼鏡で?」 「あの眼鏡で。」 「そうすると、あなたの老眼は、ゆうべ一と晩のうちに吐き気がするほど度が進んだわけ?」 「……そうとしか思えないだろう。」 「だったら、ますますこわいじゃないですか。老眼でさえ、たった一と晩でそんなに進むことがあるんだから。昨日までは病気じゃないと思っていても……。」  妻はちょっと口を噤《つぐ》んでいたが、やがて声を落して、 「私、なによりも、躯の右側だけっていうのが気に入らないのよ。」  といった。  それだけで、妻がなにを怖《おそ》れているのか、すぐにわかった。去年、郷里で死んだおふくろは、脳血栓《のうけつせん》で、晩年の五年間は半身不随の寝たきりであった。父親も脳軟化症をわずらって、二度目の発作で死んでいる。 「まず、血圧を測って貰えというんだな。」 「ええ。いまは、それだけでいいと思うの。血圧さえ正常であれば、躯の右半分が少々おかしくったって悪い徴候じゃないんだから。まずは一と安心でしょう。血圧の方がなんでもなかったら、帰りに眼鏡屋へ寄ってきましょうよ。」 「おまえも一緒にいくのか。」 「お供するわ、いつかみたいに途中から横道へそれないようにね。」  妻は、この機会にどうでも連れていくつもりらしい。そうでなくても、聞き手に右半身とはっきり指摘されたりすると、漠然《ばくぜん》と自覚していただけに多少は不安も萌《きざ》してくる。 「……じゃ、明日も今日みたいに変だったらな。」 「きっとですよ。」 「但《ただ》し、夕方早目に切り上げてからだよ。たまには外の空気も吸うつもりで出かけてもいい。」  今夜ぐらいは控えたら、と妻はいったが、そのまま黙って棚へ酒壜を取りにいった。  こちらは毎日、朝から作中人物の死の影に浸《ひた》り切っている。それを忘れて、悪夢におびやかされることなく安眠するためには、せいぜい手近なところで酒の力でも借りるほかはないのである。    二  翌日は、膝や腕ばかりではなく、脚の付け根にも脱力感があった。机の前に坐ってからも、目のなかで絶えずなにかが揺らめいている気配で、自分の文字を書けないのも、そうするまいと気をつけているのに平仮名の尻尾がついと右の方へ流れてしまうのも、前日と同様であった。  昼前に、妻が部屋を覗《のぞ》きにきた。 「どうですか、具合は。」  そういってから、眼鏡を外しているのに気づいたとみえて、宥《なだ》めるように、 「やっぱり今日はお医者へいきましょうね。」  といった。仕方なく、 「約束だからな。」 「今日は信江が午後から休講だといってたから、帰りが早いの。だから、車でいきましょう。」  女子高校を出て、お茶の水の学校へ進むとすぐに運転免許を取った次女は、夕方の四時過ぎに帰ってきた。どうせ軽い散歩のつもりだから、普段着の久留米絣《くるめがすり》に兵児帯《へこおび》を巻いて、煙草とライターをたもとに入れた。よく晴れた暖かな日で、素足に下駄《げた》が快かった。  運転する次女の隣に乗って、煙草をふかした。 「こうして菱田先生とこへ出かけるのは、何年ぶりかしら。」  うしろで妻がそういったが、この前がいつだったか思い出せなかった。 「おまえたちはどうなんだ。」  私は先々月、と妻がいい、あたしは去年の暮に、と次女がいった。 「呆《あき》れるねえ、現代の婦女子には。まるで美容院へいくみたいにして医者へいくんだからな。」 「お父さんはどうしてそんなにお医者嫌《ぎら》いになったの?」  と次女がいった。 「嫌いになったんじゃない、医者へいく必要がなかったんだよ。」 「違うのよ。」と、妻がうしろから娘に教える口調でいった。「本当はね、お医者へいくのがこわいのよ。いけば、かならずなにか厄介《やつかい》な病気が見つかると思い込んでるの。」 「早く見つかったら、それだけ軽くて済むはずなのに。」 「でしょう? だから、先生と約束したように毎年健康診断を受けていれば、こんなにあわてることはなかったのよ。」 「俺はあわててなんかいないよ。」と私はいった。「それに、なにも医者がこわいんじゃない。これまでその気にならなかっただけだ。第一、自分の仕事の先生にだってずっと御無沙汰《ごぶさた》しているのに、医者なんかへいけるか。」  頑固《がんこ》ねえ、と母娘は笑った。 「そんな思想って、わからないなあ。」と、次女が冗談めかして首をかしげた。「どこから仕入れてきたのかしら。」 「仕入れたんじゃなくて、子供のころから身についてるのよ。」と妻がいった。「戦中育ちだから。ちょっとやそっとのことで音《ね》を上げちゃいけない、そう教え込まれて育ったのね。だから、子供のころから頑張りすぎる癖がついてるの。」  不意に、斃《たお》れてのち已《や》む、という軍国少年時代の教えが頭によみがえったが、黙って窓の外を眺《なが》めていた。  こうして陽《ひ》の光のなかへ出てみると、自分がすこぶる頑健な躯の持主に思える。歩けば膝がかくりとする、それがなんだ。腕が砂袋のように重い、それがなんだ。やはり眼鏡屋の前で車を捨てるべきではなかろうか。こんな病気とも思えない躯で医者へいくのは恥ずかしい。そう思った。  私鉄の駅のむこう側の路傍に駐車して、血圧を測るだけだから二十分もすれば戻れると思い、次女を車に残して、菱田医院までゆっくり歩いていった。膝も、脚の付け根もなんともなくて、しばらく出歩かなかったせいか、下駄で踏む石畳みの歩道がいやに固くてごつごつすると感じただけであった。  妻は、受付の小窓を覗いてなかの人と親しげに挨拶《あいさつ》を交わし、いえ、今日は主人なんです、といった。待合室には老婦人が二人いるだけであった。散らばっているマンガや週刊誌を取り除《の》けて長椅子の端に並んで腰を下ろすと、妻が小声で、 「いまごろがいちばん空《す》いてるの。もうすこしすれば、学校帰りや勤め帰りの人たちで込んでくる。ちょうどよかったわ。」  といった。  室内の様子が記憶とは大分違っていて、初めての医院にいるような気がした。診察室のドアを開けて名を呼ぶ看護婦の顔にも見憶《みおぼ》えがなかった。  十分も待たずに、順番が回ってきた。妻も一緒に立ち上り、案内するように先に立つので、そのあとから診察室へ入った。 「どうも御無沙汰しました。」 「やあ、しばらくですね。どうしました。」  私と同年輩の菱田医師は、机の上のカルテに書き込む手を止めて、肩越しに張りのある快活な声でいった。髪はいくらか薄くなったが、相変らず色艶《いろつや》のいい顔で、一瞬そこに、毎朝洗面所の鏡からつい目をそらしたくなる自分の蒼黒《あおぐろ》くくすんだ顔が重なって見えた。 「ちょっと痩《や》せたじゃないですか。」と、医師は自分の椅子を回して、前の診察椅子に掛けるよう手振りをしながら笑顔でいった。「それとも、なんとか窶《やつ》れかな。いま体重はどのくらいです?」 「七十三キロです。」 「そんなにありますか。骨太なんだな。背は僕とおなじぐらいだから、十キロは太りすぎです。僕らぐらいの齢《とし》になったら、一キロでも標準体重に近づける努力をしないとね。近頃、五十前後で太りすぎの人がよく斃れるんですよ。それで?」  医師は、私の症状ともいえないような体調を、ふん、ふん、と頷《うなず》きながら聞いていたが、途中で、 「とにかく血圧を測ってみましょう。腕を出してください。」  といった。  右の二の腕に、血圧計の腕帯が巻かれた。 「陽に焼けてますね。ゴルフでもやってるんですか。」 「誘われて去年の夏からはじめたんですが、せいぜい三月《みつき》に一遍ですから、やってる内には入りません。」 「僕もここんとこ暇がなくて。大分腕が落ちてるでしょう。」  医師は肘《ひじ》の関節の動脈に聴診器を当てた。 「この前は、いくつあったんだっけな。」 「確か上が百四十そこそこでした。」  下は忘れて、思い出せなかった。 「そんなら、まあまあだったわけだ。といっても、もう何年も前のことだが……あれから他所《よ そ》で測りましたか。」 「いいえ、いちども。」 「いけませんな。」  腕帯が送り込まれる空気を孕《はら》んで、腕をきつく締めつける。血圧計はこちらに背中を向けていて、目盛りは見えない。それで、医師の顔に表われる反応を読み取るほかはなかったが、見守っていると、腕帯がゆっくり弛《ゆる》みはじめて間もなく、医師の口から、え、というちいさな声が洩《も》れて、眉根《まゆね》が寄った。それから、腕帯が弛むにつれてみるみる表情がこわ張った。  ふたたび腕帯に空気が送られてぱりぱりとはち切れそうな音を立て、それがまた徐々に弛んで空気がすっかり抜けてしまうと、医師は突然、聴診器の管先をもぎ取るように耳から外して、 「これはいかん。」と、こちらにきつい目を向けた。「上が二百十八で、下が百三十です。」  背後で妻が音をさせて溜息《ためいき》をついた。  医師は勢いよく立ち上り、えーと、えーと、と呟《つぶや》きながら、室内のあちこちに忙《せわ》しく目を迷わせていたが、 「先に降圧剤を注射するか。それとも、心電図か。やっぱり心電図だ。」  と大きな声で独り言をいうと、 「心電図をとりますから、上だけ脱いでそこへあおむけに寝てください。」  と厳しい口調でいった。  急に椅子《いす》から立ち上ると、膝《ひざ》から力が抜けてよろけそうになり、背中を妻の手に支えられた。着物だから、襟《えり》の合わせ目を押しひろげて諸肌《もろはだ》を脱ぐだけでよかった。妻が手を貸しながら、 「よかったわ、一緒にきて。」  と小声でいったが、口にする言葉が見つからなくて、無言のまま診察ベッドに横たわった。  看護婦が手早く心電図の支度をした。指先で肋骨《ろつこつ》のありかを慎重に確かめながら、何ヵ所かにひんやりとする糊《のり》のようなものを塗りつけ、そこを洗濯挟《せんたくばさ》みのようなもので次々に摘《つま》んでいく。両方の足首にもおなじようにした。  しばらく重苦しい沈黙がつづいた。 「……そのくらいでいいだろう。」  そういう医師の声がして、 「はい、もうおしまいです。」  と看護婦は胸や足首に取り付けた器具を外し、タオルで糊のようなものを拭《ふ》き取った。  医師は、立ったまま二メートルほどもある細い紙の帯を両手で持って、するすると一方へ滑らせていた。 「やっぱりいかんな。今日はもう家へ帰れませんよ。」 「入院でしょうか。」  と妻が訊《き》いた。 「勿論《もちろん》です。それもできるだけ早い方がいい。ここからすぐお連れしてください。さて、どこがいいだろう。」  こういう場合のルートでもあるのか、医師は即座にいくつかの病院の名を挙げて、迷っていたが、結局、最短距離のK病院を選んだ。 「途中で渋滞に引っかかったりしたら、えらいことになる。K病院なら、近いし、設備も整っています。大学病院より気が楽でしょう。救急車を呼びますか。」  妻と顔を見合わせたまま、なんとも返事ができずにいると、 「そうか、救急車だとかえって緊張して、よくないか。」 「車じゃ……娘の運転できてますけど。」  と妻がいった。 「そんなら好都合じゃないですか。じゃ、娘さんを呼んでいらっしゃい、道順を教えますから。そうか、その前にベッドが空《あ》いているかどうか確かめなくっちゃ。」  医師があわただしく電話のダイヤルを回し、妻が急ぎ足で娘を呼びに出ていくのを、ベッドに腰を下ろして腕に看護婦の注射を受けながら、他人《ひ と》事《ごと》のようにぼんやり眺めている自分の平静さが、我ながらいささか奇異に思われた。    三  K病院では、個室なら空いているということであった。  診察ベッドから降りて、弛んだ帯を締め直している間に、菱田医師は名刺に紹介状を書き、それを畳んだ心電図と一緒に封筒へ入れてくれた。 「もう正面玄関は閉まってますから、左の方へ回って時間外の入口から入ってください。野崎という先生が待っているはずです。」  それから、眩暈《めまい》はしないか、吐き気はないかと医師はいったが、どちらもなくて、さっきよりすこし動悸《どうき》がするだけであった。医師が血圧計の目盛りを読み違えたのではないかという気がした。 「弱ったな。」  思わず声が洩れた。 「なにがですか。」 「どうしても入院ですか。」 「やむをえないでしょう、この血圧と心電図じゃ。」 「もうすこし先へ延ばせませんか。」  医師は眼鏡の奥で目を剥《む》いた。 「とんでもない。どうしてです? 仕事ですか。」 「一つ、やりかけのがあるんですが。」 「諦《あきら》めるんですな。ドクター・ストップというやつですよ。」 「なんとかなりませんか。」 「だから、なんとかしようとしてるじゃないですか、いまのうちにね。脳の血管か心臓がやられてしまったら、仕事どころじゃないでしょう。」  思わず、ボクサーがファイティング・ポーズをとるように両手の拳《こぶし》を胸のところでこすり合わせて見せたが、医師は首を横に振るばかりであった。  駈《か》けつけてきた次女と、妻とに挟まれて、診察室を出てみると、待合室の椅子は先がつかえて溜まってしまった通院の患者たちで埋まっていた。その人たちの注視を浴びながら玄関を出ると、狭い商店街をゆき交う車の風圧に負けて、つい、ふらふらとした。妻が両手で腕を掴《つか》んだ。 「しっかりして。」 「なに、腹が減って、ふらつくだけだ。」 「痩せ我慢はもう結構ですよ。」  けれども、痩せ我慢ではなかった。多少足許《あしもと》が頼りないものの、ほかにこれといった自覚症状もない。自分の躯が、医師が動顛《どうてん》するほどの危険を孕《はら》んでいるとは思えなかった。 「あの血圧計、狂ってるんじゃないのか。」 「まさか……先生、首をひねってらっしたわよ、あんなに血圧が高いのによく平気でいられるって。普通では考えられないことですって。」 「人はそう医学書通りにはいかないってことさ。だけど、菱田さんも齢をとったな。医者があんなにあわてちゃいけない。」 「そんなふうにいったらいけないわ、心配してくだすってるのに。誰だってびっくりするでしょう、下駄履きで煙草をぷかぷかさせながらやってきた人の血圧が二百以上もあるんだから。」  余計なことはよせというのに、妻は握った私の腕を胸に抱え込んだまま、車の切れ間をねらって道のむこう側へ渡った。下校途中のセーラー服があやうく突き当りそうになり、いい齢をして、という目の色で身を寄せ合った私たちの傍《かたわら》をすり抜けていった。  次女の車に乗り込むと、妻はようやく腕を放した。次女はうしろから急《せ》き立てるせっかちなクラクションに顔をしかめながら車を出した。 「ちっとも病人らしく見えないけど、倒れそうなの?」 「いや、お母さんが、倒れそうだと思っているだけだよ。俺《おれ》は大丈夫だから、前をよく見てゆっくりやってくれ。」 「でも、そうゆっくりもしていられないの。できるだけ急いでね。」  妻がそういうので、次女は困ったように笑った。道はそろそろ夕方の混雑がはじまっていた。 「急げといわれても、これじゃあ救急車みたいにはいかないわ。一本道だから、流れに乗ってるしかないんだけど。」 「それでいいんだ。こっちは病人じゃないんだから。自然の流れに乗ってるのが、いちばんいい。」  妻は呆《あき》れたような顔で私を見たが、なにもいわなかった。しばらくしてから、 「どのくらい入院するのかしら。」  と次女が独り言のようにいった。 「それは病院の医者がきめることだ。」 「そうね。さっきはよくわからなかったんだけど、血圧がひどく高いんですって?」 「そうだって。菱田さんとこの血圧計ではな。」 「まだ他人事みたいにいってるわ。どこで測ったって、おなじですよ。」と妻が怒ったようにいって吐息をした。「やっぱり血圧だったのよ。どうも怪しいと思ってたんだけど、当ってたんだわ。」 「前からそう思ってたの、お母さんは。」 「なんだかね、そうじゃないかという気がしていたの。」 「どうして?」 「だって、お父さんには前科があるから。」 「前科?」  と次女は驚いて大きな声を出した。 「血圧の方の前科よ。」と妻は声を和らげていった。「もう随分前になるけど、いちどお医者に高血圧だっていわれたことがあるの。」  ——そのころはまだ二十代で、妻を連れて郷里へ都落ちして無為徒食の暮らしをしていたが、急に東京から働き口が見つかったという知らせがきて、けれども着ていく洋服が一着もなく、地元で唯一《ゆいいつ》の綜合《そうごう》雑誌と掛け合って稿料の代わりに吊《つる》しの背広を一着貰《もら》うという約束をやっと取り付け、そのために新開地の怪しげな宿に一と晩籠《こも》って書きものをした翌朝のことであった。  宿へ迎えにきた雑誌の人に書いたものを手渡し、さっそく吊し専門の洋服屋へ同行する途中、不意にひどい立ち暗みがして歩けなくなり、街路樹の根元にしゃがみ込んでしまった。  勿論、前夜は一睡もしていない。その朝の食事もまだで、要するに疲労困憊《こんぱい》のせいだとしか思えなかった。 『大丈夫です。一と晩眠れば治ります』 『でも、近所に知った医者がいるから、念のために葡萄糖《ぶどうとう》でも打って貰おう。上京前の大事な躯《からだ》だからね』  雑誌の人はそういい、私の腕をとって、古い板塀《いたべい》に囲まれたちいさな医院へ連れていってくれた。どてらの上にくたくたの白衣を着た町医者は、まず、顔をまじまじと見て、目が黄色いね、といった。それから、注射の用意をする前に、血圧を測った。私は血圧など測るのは初めてで、見当違いなことをすると思ったが、ほら、なんと百六十もある、と医者は胸を張って自分の炯眼《けいがん》を誇るようにいった。尿を調べてみると、蛋白《たんぱく》が出ていた。あんたは腎性高血圧症だよと医者はいった。  ところが、それから三日後に再度尿を調べてみると、蛋白はきれいに消えていた。三度目の尿検査でも、蛋白は認められなかった。躯がひどくくたびれたときに一時的に蛋白が出ることがある。そいつだったかもしれないな、と医者はいった。血圧も百五十に下っていた。 『それにしたって百五十は高いやね。年齢に九十を足した数値が標準だから。腎臓《じんぞう》でないとすると、本態性ってやつだな、多分。内臓はどこも悪くないのに、血圧だけが高いってやつ。どうしてそうなのか。原因はいろんな説があるが、定説はない。まあ、若いうちはいいけど、齢《とし》をとったら気をつけるんだな。なるべく塩分を控えること。太りすぎないこと。夜はぐっすり眠ること』  けれども、ふたたび上京すると、そんな田舎の町医者の忠告などきれいに忘れてしまった。  女の子ばかり三人生まれて、それが代わる代わる菱田医師の診察を受けるようになり、時々付き添っていっては、ついでに血圧を測って貰ったが、いつも上が百四十いくつで、そこから上りも下りもしなかった。そのうちに年齢の方が追いついて、百四十いくつが正常値ということになった。  四、五年前に、菱田医師と笑いながら交わした会話を、まだ憶《おぼ》えている。 『べつに節制もしていないのに、血圧がいっこうに上らない。これはどういうことでしょう』 『理由はともかくとして、いい傾向じゃないですか』 『この分だと、だんだん齢を重ねているうちにやがては低血圧ということになるわけですね』 『そういけば理想的ですがね。齢をとったら血圧は低い方がいいんです』  ところが、そうはいかなかった。菱田医院の血圧計に狂いがないなら、意外にも知らぬ間に血圧はじりじり上っていたのだ。    四  四階建てのK病院はすぐ見つかった。 「この病院なら、電車の窓から何度も見たことがあるわ。」  次女がそういって、玄関脇《わき》の駐車場に車を入れた。ガラス張りの正面玄関は、暗くて人気がなかった。矢印に従って左手の方へ回っていくと、アスファルトの中庭をコの字型に囲んでいる建物の奥に時間外の入口があり、そこまでの通路が、入口の手前で数段の階段になる道と、平らなままで緩やかに登る坂道とに分れていた。なんとなく、なるほど、という気がした。だらだら坂はいかにも病人臭くて、そうでない方の道をゆくと、乾いた下駄《げた》の音があたりに響いた。  妻が受付で来意を告げている間、薄暗い通路の壁ぎわの椅子で何気なく煙草《たばこ》をくわえると、急ぎ足でそばを通りかかった看護婦が一本足でくるりと振り向いて、 「あの、ここは禁煙になってるんですけど。」  といった。  あ、失礼、と煙草を袋に戻したが、そのとき、自分がすでにこれまでとは別な世界にいることに、ようやく気づいた。固い椅子にしばらく待たされた。このように殺風景な薄暗い通路のようなところの汚れた壁ぎわに、夫婦が無言でじっと腰を下ろしている場面を、古いフランス映画で観《み》たことがあると思ったが、なんという映画だったかは思い出せなかった。黙っていると心細くて、 「灰皿がないとは不自由なとこだ。」  と小声で不平をいった。 「病院はどこだってそうですよ。」と、出産で入院経験を重ねた妻は笑っていった。「もう煙草は当分駄目でしょう。預かりましょうか?」 「余計なお世話だ。牢屋《ろうや》へ入るわけじゃあるまいし。」  そういってから、ふと、あのフランス映画の夫婦は刑務所で面会を待っていたのではなかったか、と思った。  不意に、長身で眼鏡をかけた白衣の人が足早に廊下の角を折れてきて、受付の隣の部屋へ入っていった。間もなく、おなじドアから若い看護婦が顔を出して、私の方へ、どうぞといった。リノリュウムの床に下駄が似合わなかった。開けたままのドアから音を殺して小刻みに入っていくと、そこは簡素な診察室で、さっき白衣の裾《すそ》をひるがえして前を通った眼鏡の人がデスクに向ってボールペンを握っていた。 「そこへお掛けください。菱田先生からの紹介状と資料を拝見しました。」  そういうので、その人が野崎という医師だとわかった。三十を二つ三つ越したと見える年輩で、浅黒い顔に粗《あら》い口髭《くちひげ》をたくわえていた。  円い木の椅子に腰を下ろして、野崎医師の問診を受けた。根掘り葉掘りの、けれども気取りがなく、ざっくばらんで、なかなか好感の持てる問診であった。 「酒はお好きですか。」 「好きです。」 「僕も好きですが、よく飲まれますか。」 「毎晩です。」 「ゆうべも?」 「勿論《もちろん》、飲みました。」 「どのくらい飲まれました?」 「ウイスキーの水割りをダブルで三杯ぐらいです。」 「いけますね。それで、ゆうべは、飲んだあと激しく動いたりはしませんでしたか。」  医師は、カルテのようなものに答えを残らず書き取っていて、いちども目を上げなかったが、その質問のときは、口髭を動かして微《かす》かな笑い声を洩《も》らした。 「とてもそんな余裕はありませんでした。」 「といいますと?」 「ひどくくたびれていたからです。」 「なるほど。よくわかりました。」  問診が終ると、医師はようやく顔を上げて、部屋の奥の方でなにかしている二人の若い看護婦に心電図の用意を命じた。 「その前に血圧を測ってみましょう。菱田先生のところでは、いくつでしたっけ。」 「上が二百十八で、下が百三十でした。」  医師はなにもいわなかった。ただ、数値を正確に記憶しているかどうかを確かめただけのようだった。  また診察ベッドにあおむけになって、右腕に血圧計の腕帯を巻かれた。さすがに使いこなされた、厚いガーゼのような感触の腕帯であった。医師の足が私の脱いだ下駄を転がした。 「失礼……下駄ですか。懐《なつ》かしいな。ここへはタクシーかなんかで?」  菱田医師も、血圧を測る前には相手の気持を寛《くつろ》がせるような対話を試みる。 「娘の車できました。」 「一緒の和服の方は、奥さんですか。」 「はい。ひとりでくるつもりだったんですが……。」 「よかったじゃないですか。ひとりだったら、菱田先生のところで腰が抜けてたでしょう。」  野崎医師は笑いながら腕帯へ空気を送りはじめたが、途中で、あれっ、といった。それきり急に腕帯がしぼみ、また改めて膨らみはじめたが、やはり途中で、腕を締めつける力をまだ充分残したまま、音を立ててしぼんだ。血圧計の調子がおかしいのかと思ったら、そうではなかった。 「これは測れないや。途中で目盛りがなくなるんですよ。目盛りは二百六十まであるんですが、途中で目盛りいっぱいまでいっちゃう。ですから、これ以上いくらあるかわかりません。」  医師の口調に、絶望的な暗さのないのが救いであったが、そんなら下はいくつだろうと訊《き》く勇気もなくて、ただ天井へ目をしばたたいているほかはなかった。 「吐き気はありませんか。」 「ありません。」 「よくここまで歩いてこられましたね。気丈な方ですな。」  なんとも答えようがなくて、口のなかの唾液《だえき》を舌で掻《か》き集めているうちに、看護婦たちが心電図をとるために諸肌《もろはだ》を脱がせてくれた。 「あら、前の検査の跡が残ってるわ。」  とひとりが小声でいった。菱田医院の看護婦が洗濯挟みみたいなもので肌を摘《つま》んだ跡だろう。 「ほんと。正確かな?」  馴《な》れた指先が素早く胸のあちこちをさぐって、 「はい、全部正確。」 「感心。」  それから、ひんやりとした糊《のり》のようなもの。  器械の作動する音は、そう長くはつづかなかった。紙の帯が滑る音と一緒に、胸を摘んでいた装置がさっさと外された。いつの間にか、寝たまま躯が揺れるほどの動悸《どうき》がしていた。 「すぐ入院して、構いませんか。」  構いません、という返事が喉《のど》にくっついた。 「とにかく、この血圧を下げませんとね。ゆっくり起き上ってください。では、のちほど。」  医師が大股《おおまた》で出ていくと、入れ替わりに看護婦のひとりが車椅子《くるまいす》を押して入ってきた。 「どうぞ。病室へ御案内します。」 「これに、乗るんですか。僕は自分で歩けますが。」 「いえ、お乗りください。」 「……下駄を脱いでですか。」 「そのままで結構です。」  まさか、車椅子に乗ることになるとは思わなかった。診察室を出ると、妻は長椅子から立ち上って目を瞠《みは》っていた。前を通るとき、私はてれ隠しに、 「乳母車だよ。楽ちんだ。」  といった。  妻も一緒にエレベーターで三階まで昇り、川の中州のようなナース・ステーションをぐるりと巡って、六畳ほどの個室へ運ばれた。車椅子から降りると、躯が異様に重たくて、そう高くもないベッドへよじ登るのに苦労した。腕も脚もままならなくて、とても自分の躯だとは思えなかった。  妻に後押しされて、やっとベッドの上に横たわると、ひとりでに大きな溜息《ためいき》が出た。自分は病人になった。車椅子でここまで運ばれてくるたった二分か三分かの間に、すっかり病人になってしまった。そう思った。    五  病院暮らしをするのに必要なものを整えるために一旦《いつたん》帰宅する妻が、ベッドの上でよじれている着物の裾を手早く直して、出ていこうとしたとき、 「下駄は置いてってくれよ。」  という言葉がひとりでに口を突いて出た。  妻は訝《いぶか》しそうに振り向いた。 「下駄ならベッドの下にありますよ。でも、どうして? 下駄に、なにか用でも?」 「いや、べつに用はない。」  ただ、なんとなく、下駄さえあればと思っただけだが、 「怪しいわ。変な気を起こしちゃいけませんよ。いまここを脱け出したりしたら、それこそ取り返しのつかないことになるんですからね。」  妻は、釘《くぎ》を刺すように睨《にら》んで、ベッドの下へ身を屈《かが》めると、 「これはもう退院のときまで用がないから、ここへ入れておきますね。」  洗面台の左手に作り付けてある洋服箪笥《だんす》を兼ねた収納庫の細長い扉《とびら》をぎいぎいと開けて、下駄をなかへ仕舞い込んでから急ぎ足で出ていった。  しばらくすると、窓の真下のあたりから耳馴れた車のエンジンの音がきこえてきた。外はすでに日が暮れていて、カーテンを開けたままの窓越しに、盛り場の灯火で明るんだ白っぽい夜空が見えていた。いまだにバックの苦手な次女は、玄関脇の狭い駐車場で向きを変えるのに難渋しているらしく、小刻みに前進後退を繰り返していたが、やがて妻を乗せるドアの音をさせて走り去った。すると、思いがけなく、見知らぬ土地に置き去りにされたおさな児《ご》の心細さが湧《わ》いてきた。  ドアをノックして野崎医師が入ってきた。 「どうですか、変りありませんか。」 「はい……ただ、さっきより躯が重くなった感じがします。動くのが大儀になりました。」  このベッドへもひとりでは上れなかったといって笑うと、医師も白い歯を見せた。口髭のせいか歯がとても白く見える。 「急に入院することになった患者さんは、大概そういいますよ。安心するか、諦《あきら》めるかして、いちどに気が弛《ゆる》むせいですかね。重いのは躯だけですか。頭はどうですか。」 「頭は……重いというより、ぼんやりします。」  けれども、それは計器の目盛りを突き抜けるほどの血圧のせいではなくて、ただ思わぬ事のなりゆきに気が顛倒《てんとう》しているだけなのかもしれなかった。 「でも、痛みはないし、意識も濁っているわけじゃありません。」 「そのようですね。」  医師は、両手の指先を揃《そろ》えて、こちらの耳の下のあたりと、足首を、やんわりと揉《も》むようにしてから、血圧を測った。両腕で二度ずつ測ったが、数値は口にしなかった。 「まず、血圧を下げる処置をしましょう。何度も測りにきますから、今夜はよく眠れないかもしれませんよ。そっちが一応落ち着いてから、血圧を高くしている原因を調べることになります。」 「大分かかりそうですか。」 「日数ですか。そうですね、いろんな検査がありますから、無理のないペースで一週間から十日というところでしょうか。検査の結果次第では、それに治療日数が加算されることになりますがね。」 「検査だけで、十日ですか。」 「うんざりですか。でも、仕方がないでしょう。やろうと思えば、もっと短期間でやれないことはないんですが、せっかくのいい機会ですからね。どうやら医者がお嫌《きら》いなようだし、この際、多少時間がかかってもあちこち丁寧に調べて、手を打つべきところにはいまのうちに打っておいた方がいいと思うんですが。あとあとのためにも。」  多分、医者のいう通りだろうと思ったが、自分をすっかり観念させるのに手間取っていると、 「まあ、いまはあんまり先まで考えないことです。何事も気に病んじゃいけません。誰が担当になるかわかりませんが、あとの検査は病院に任せて、頭を空《から》っぽにしていてください。ぼんやりしてるのがいちばんいいんです。」  野崎医師は、なにかあったらそのボタンを押すようにと、枕許《まくらもと》の呼鈴を指差して帰っていった。  それから妻が戻ってくるまでの間に、何人もの医師や看護婦たちが入れ代わり立ち代わりやってきて、体温を測ったり、腕に注射をしたり、血圧計の腕帯を巻きつけたり、水で薬を嚥《の》ませたり、胸に聴診器を当てたり、瞼《まぶた》を押しひろげて目玉を眩《まぶ》しい光線で照らしたりした。おとなしく、されるがままになっていると、その都度、自分が急な勢いでいかにも病人らしくなっていくような気がした。  ひとりのときは、野崎医師の言い付け通りにただぼんやり天井を眺めていた。天井の格子《こうし》模様が、仕事部屋の机の上に残してきた紙の枡目《ますめ》に見えてくると、目をつむった。妻の帰りが随分遅いという気がしたが、実際には出かけてからどれだけ時間が経《た》っているのかわからなかった。風呂《ふろ》へ入るとき以外には外したことのない腕時計が、いつの間にかなくなっている。ここまでくる途中、なにかの必要があって外したのに違いなかったが、それがどこだったか思い出せない。外した時計をどうしたのかも思い出せない。たもとを手探りしたが、入っていない。  病室の入口は、洗面台のある壁面の蔭《かげ》になっていて、寝たままでは見えなかったが、廊下との境をさえぎるものはなにもないらしく、人が出入りするときドアを開閉する気配がなかった。医師たちは、どこかを軽くノックしたり、ノック代わりに咳払《せきばら》いをしたりして入ってくる。看護婦たちは小声で私の名を呼びながら入ってくる。廊下の床をゆっくり叩《たた》きながら通るスリッパの音や、小刻みに急ぐサンダルの固い踵《かかと》の音なども、手に取るようにきこえる。テレビかラジオの声も微かにきこえる。  ここはドアのない部屋か、と思った。そういえば、車椅子でここへ運ばれてきたとき、不意に廊下を右折したと思ったら、もう目の前にベッドがあった。看護婦は、ぶざまにベッドへよじ登った自分に、 「そのままで……着たままで結構ですから、楽な姿勢で寝てください。」  そういい残して、空の車椅子を押しながらするすると廊下へ出ていった。  車椅子から見たよその病室に、ドアがあったか、なかったか。白っぽい一枚カーテンの記憶だけがあった。まだ春先なのに、入口に一枚カーテンだけが垂れているのは、ドアがない証拠ではなかろうか。病室にドアがないとすれば、それは、何時なんどきでも医師や看護婦や医療機器を載せたワゴンが迅速且《か》つなめらかに出入りできるようにするためではなかろうか。すると、この並びの病室は、いずれも明日をも知れぬ重症患者のための病室なのだ。……  またひとり、看護婦が、鼻唄《はなうた》のように私の名を呼びながら風のように入ってきた。若さではちきれそうな白衣姿が、入口を見えなくしている壁面の角から不意にあらわれる。 「これ、トイレに置きますからね。」と、手に提げてきた溲瓶《しびん》を持ち上げて見せた。「これからのおしっこは全部これにとって溜《た》めてください。もうトイレに入りました?」  まだいちども、と答えると、看護婦は入口を入ってすぐ右手のあたりでドアを開ける音をさせた。 「ここがトイレになってます。隅《すみ》に黒い壺《つぼ》が置いてありますから、これでとったおしっこをその壺に溜めてください。」  トイレにはドアがある。そう思って、ほっとした。ついでに時間を尋ねると、八時半をすこし回ったところだという。  すると、いつもなら、今時分は悪い夢を追い払って安眠するための酒を飲んでいるころだ、と私は思った。それが、夕刻から普段着のまま下駄履きで煙草《たばこ》をふかしながら家を出てきて、いまはこんなところに鉛を詰め込まれたような躯を横たえている。醒《さ》めながらにして悪い夢を見ているような気がした。    六  突然、ドアが軋《きし》んで、閉まる音がした。廊下から迷い込んできた誰かがトイレに入ったのかと思ったが、そうではなかった。遅くなりました、と声を先にして妻があらわれ、つづいて長女と次女が両手の紙袋をがさごそさせながらあらわれた。 「なんだ、ドアがあったのか。」  独り言のつもりだったが、妻が聞き咎《とが》めて、怪訝《けげん》そうに眉《まゆ》を寄せた。 「……なんですって?」 「いま閉めたのは入口のドアか。」 「そうですよ。どうして?」 「音がしたから……。」 「乱暴だったかしら。」 「いや……ドアがないんだと思ってたから。あるならあるでいい。」  妻が真顔で寄ってきて、こちらの目を覗《のぞ》き込むようにまじまじと見た。 「どうしたんですか。なにかあったの?」 「いや、なんでもない。ずっとこうして寝ていただけだ。」  それから、ベッドの裾《すそ》の壁ぎわに並んで神妙な顔をしている娘たちに、 「そんなに珍しそうに見るなよ。なんでもないんだ。二日酔いに輪をかけたようなもんさ。」  と私はいった。  三人は、ほっとしたように顔を見合わせ、それからようやく縄《なわ》を解かれたように、ベッドの上の空いたところや、椅子や枕許の小机の上に紙袋の中身を取り出しはじめた。さっそくベッドの上でパジャマに着替えることになり、部屋から追い出された娘たちはそのまま近所の雑貨屋へ途中で思い出した忘れものを買いに出かけた。 「蕗子《ふきこ》さんが訪ねてきたんですよ、ひょっこり。」  窓のカーテンを閉めてくると、妻が手を貸しながらそういうので、へえと私は驚いた。蕗子さんというのは、郷里で琴を教えている姉の古いお弟子のひとりで、四国の方へ嫁《とつ》いだ人だが、聞けばこの春から大学生になった長男に付き添って上京してきて、ついでに訪ねてくれたのだという。 「あの人、うちへくるのは初めてだろう。よく道がわかったな。」 「所番地だけはお姉さんに聞いて控えてたから、それをたよりに尋ね尋ねしてきて、やっと探し当てたんですって。」  次女と急いで帰ってみると、玄関の前で、あわれにも締め出しを食らった高校生の末の子が通学鞄《かばん》を手に提げたまま和服の中年婦人と立ち話をしていた。誰かと思うと、二十何年かぶりの蕗子さんだから、びっくりした。事情を話すと、今度は蕗子さんがびっくりした。末の子もびっくりした。 「こんなときに、なんて間が悪いんだろうと思って……。」 「昨日だったらな。」 「今日の午前中だってよかったわ。」  パジャマになると、急に躯が軽くなったような気がしたが、新しいスリッパを履いてみようとすると、眩暈《めまい》がした。枕に頭を戻しても、天井が傾きそうになるので、目をつむった。 「話すのがいけないんじゃないのかしら。」 「いや、多分さっきの注射か薬のせいだ。……で、蕗子さんにはすぐ帰って貰《もら》ったのか。」 「いいえ。だって、こっちからそうはいえないでしょう。あちらからすぐ帰るというんなら、お引き留めできないけど悪《あ》しからずっていうんだけど。」 「帰るっていわないのか。」 「口ではひどくびっくりしてたけど……でも、無理もないわ、せっかく探し当てたんだもの。それに、二十何年かぶりだから、話したいことが山と溜まってたんでしょうからね、きっと。」  相手が姉の古いお弟子だから、妻は言葉を選んで話していた。 「それじゃ、おまえたち、困ったろう。」 「……そりゃあ気が気じゃなかったけど、とにかくお茶を一つといって上って貰って、しばらくお相手したわ。そこへ、ちょうど珠子が帰ってきてくれたから、助かったの。」  長女の珠子へは、病院を出るとき、ちょっとためらってから勤め先へ電話で知らせたのだが、それがよかった。やがて蕗子さんは、娘たちが家のなかを忙しく動き回る気配にようやく事態が嚥み込めたらしく、これで気が済みましたといって帰っていった。 「おかしな日だわ、今日は。」  と妻はいった。  長女と次女が買物から帰ってくると間もなく、廊下の天井にでも埋め込まれているらしいスピーカーから、オルゴールの〈白鳥の湖〉がきこえてきた。耳を澄ましていると、やわらかな女性の声がなめらかな口調で、もう九時になるから面会人は引き取って貰いたいと繰り返した。娘たちは顔を見合わせて、互いに眉を上げ合った。 「じゃ、御苦労さまね。」と妻がいった。「気をつけて帰って頂戴《ちようだい》。留守番に、途中でハンバーガーでも買ってってやったら?」  家では、末の子が一人で留守居をしている。妻は最初から泊り込むつもりで、娘たちの買物のなかにうっかり置き忘れてきたという自分用の歯ブラシも入っていた。  娘たちが帰ると、それを待っていたかのように、まだ幼顔《おさながお》の看護婦がドアをノックして入ってきた。 「入口のドアはきちんと閉めないで頂きたいんですけど。夜間の巡回のとき音を立てると患者さんの睡眠の妨《さまた》げになりますから。」  けれども、看護婦はわざわざそのことを伝えにきたのではなかった。紙を挟《はさ》んだ画板のようなものと、筆記用具を持ってきていた。 「えーとですね、今後の治療の参考までにいくつかの質問に答えて頂きたいんですけど、よろしいでしょうか。」  と、看護婦は暗誦《あんしよう》するような口調でいった。どうぞ、というと、 「御両親は御健在でしょうか。」 「どちらも死にました。」 「病死、でしょうか。」 「そうです。」 「じゃ、亡《な》くなったときの病名を教えてください。」  父は、二十六年前に脳軟化症で死んだ。六十八歳であった。母は、六年前に脳血栓《のうけつせん》で倒れ、去年の秋に九十一歳で死んだ。死亡診断書の死因の欄には〈消化管出血〉と書かれていた。  看護婦は、片腕で画板を支えて書き取っていた。ほっそりとしたむき出しの腕が妙に蒼黒《あおぐろ》く見えるのは、顔に似合わず毛深いせいだと気がついたとき、私はわけもなく厭《いや》な予感がした。 「御兄弟は……。」  果して看護婦は画板に目を落したまま無心にいった。 「六人、でした。」 「……でした、といいますと?」 「いまは二人だけです。姉がいます。」 「じゃ、あとの四人は亡くなられたわけですね?」 「ええ、まあ……。」 「病名を教えてください。」  口籠《くちごも》っていると、頭が忽《たちま》ち充血して膨れ上るのがわかった。 「姉たち二人は」と、ようやくいった。「病気じゃなかったんです。」 「……といいますと?」 「その姉たちのことを話しても、なんの参考にもなりませんよ。」 「どうしてでしょうか。」  看護婦は見下ろして、あどけなく笑った。 「自殺でしたから。」  看護婦は無言で筆記用具を動かした。 「……つづけてください。」 「全部話すんですか? なんの参考にもならないことを?」 「参考になるかならないかは、こちらで判断します。どうぞ。」 「もう一人の姉も……。」  といいかけたところで、息切れがした。顳〓《こめかみ》が脈打ち、耳鳴りがし、胸が上から抑えつけられるように重苦しくて、口を開けても舌が動かなかった。 「あの、伺いますけど……」と妻の声がした。普段と変らない声であった。「そのあとは、私が代わりにお話してはいけません?」 「構いませんよ。」  と看護婦はいった。 「じゃ……ちょっと廊下へ出ましょうか。」  二人が病室を出ていって、ドアが閉まると、 (それを書いてたんだよ、俺《おれ》は!)  と私は叫びそうになった。 (まさにそんな問いの答えを書いてたんだよ、俺は。ついさっきまで家の仕事部屋で!)  しばらくすると、妻が一人でひっそり戻ってきた。目が合うと、薄く笑って頷《うなず》いた。 「ありがとう。」  と素直にいえた。  妻は、なにもいわずに窓ぎわまでいくと、指先で暖房のパイプをピアノでも弾くように軽く叩いてから、 「あら、まだスチームが入ってるわ。」  と独り言のように呟《つぶや》いた。    七  耳鳴りも、顳〓の脈もいつしか消えたが、胸の重苦しさだけは、妻が天井の明りを壁のスポットランプに切り替えてからも尾を引いていた。  けれども、初めのうちはそれをただの鬱屈《うつくつ》だと判断して、兄や姉たちの一件でこんな気分にさせられるのはこれで二度目だな、などと思ったりした。一度目は、大学を出る年にある新聞社の入社試験を受けたときで、そのときの試験官の顔はいまでもはっきり憶《おぼ》えている。  窓から風を入れて部屋に籠った煙草のけむりを追い出すように、胸のなかの澱《よど》んだ空気を入れ換えるつもりで深い呼吸を繰り返していると、もう三十年近くも前のその日の場景のひとこまが、ひとりでに思い出された。  ——入社試験は、神田にある某大学の校舎の一部を借りておこなわれたが、午後、最後の科目の答案用紙が配られる前に、試験官が教壇に立って、こういった。学科試験はこれでおしまいだが、このあとまだ用が一つあるから帰らぬように。そんなに手間を取らせない。まず十五分から二十分もあれば足りるだろう。勿論《もちろん》、試験ではないが、だからといってこれを軽視する者は入社を許されないから、そのつもりで。  その用とはなにかと思うと、二枚つづきの詳細な身上調書を作成することであった。 「これは試験ではありませんから、気楽に書いてください。しかし、嘘《うそ》を書いてはいけない。我々は嘘やごまかしを摘発するのに馴《な》れています。」  試験官はそんなことをいって、受験生たちを笑わせた。ともかくも学科試験を済ませて緊張から解放された受験生たちは、試験官のちょっとした軽口にもたやすく陽気な笑い声を上げる。それに煽《あお》られて試験官も調子づいていた。 「さあ、はじめてください。どんどん片付けましょう。早く済めばそれだけお互いに助かるからね。迅速に、しかも正確に書く、これが新聞記者の最も基礎的な心得です。書き終ったら、調書をそのまま机の上に残して、帰ってよろしい。お帰りはあちら……あのドアからどうぞ。」  身上調書は、子供のころに学校で何度か書かされた簡単な家庭調べと同様に家族欄が中心になっていた。家族の名前を列記して、続柄《つづきがら》、年齢、職業などを書き入れるのだが、そのほかに、初めて目にする項目が一つだけあった。〈死因〉という項目である。欄外の但書《ただしが》きには、家族の名前は洩《も》れなく記入し、すでに死亡した者についてはその死因を明確にすること、とあった。  家族は、両親と、末子の自分も入れて男が三人、女が三人の六人きょうだいで、全員の名前を列記するのは容易である。けれども、六人きょうだいのうち、すでに四人が欠けていた。長兄と次兄、長姉と次姉の四人だが、その四人については、どの欄に、どのような文字を書き入れるべきかがわからなかった。  事実をいえば、兄たちはどちらも行方不明で、長姉は睡眠薬自殺、次姉は投身自殺である。行方と同時に生死も不明の兄たちについては、適当な項目がないから、備考欄にでもその旨《むね》を書き入れるとして、姉たちは明らかな死亡者だから、当然死因の記入が必要である。けれども、そこの欄に自殺と書き入れるのには、抵抗があった。  病死や事故死をした人と違って、姉たちは自らの意志で死を選んだのである。死因とは死亡するに至った原因だが、姉たちにとって自殺は死に至るための方法にすぎなかった。自殺者には自殺者の死因があって、死を望むに至った原因こそが自殺者の死因でなければならない。自殺者はみなそれぞれの死因を背負っている。姉たちの死因を、病死や事故死と同列にただ自殺として片付けるのは、いささか酷ではないかという気がした。  それは兄たちの場合も同様で、一と口に行方不明といってもさまざまである。どの失踪者《しつそうしや》もそれぞれのっぴきならない風で帆を孕《はら》ませているが、兄たちとしては、駆け落ちや夜逃げのたぐいと一緒にされては堪《たま》らないだろう。  もし書くとすれば、姉たちが死を望むに至った原因と、兄たちが失踪するに至った事情を文章で説明するほかはなかったが、そうしようにも四人分では紙幅も時間も不足であった。それでは、どうすればいいのか。  あたりを見回すと、誰もが伸びやかな表情で澱みなく筆記用具を走らせている。時計を見ると、用紙が配られてからすでに十分が過ぎていた。早くも書き終えて席を立つ者もいた。書かなければさっきの学科試験がふいになる。焦燥に駆られてやっと万年筆のキャップを外したが、やはり書く気にはなれなかった。いっそ目をつむったつもりで、ありのままを書こうかと思った。  けれども、この調書は、ただ書きさえすればそれでよいというものではない。この受験生はどんな家庭で育った人間であるかを知る資料になる。いわば入社試験の一部である。もし事実だけを書き連ねたら、読む人は異様なものを感じて眉《まゆ》をひそめるに違いない。八人家族のうちの半分が人生の落伍者《らくごしや》である。なにがあったのか知らないが、一家から自殺者を二人、失踪者を二人出しているとは、ただごとではない。しかも、四人ともまだ若年のうちに道を踏み外している。なんという惨憺《さんたん》たる家庭に育った男か。気の毒だが、こういう薄気味の悪い男とは関《かか》わり合いになりたくないものだ。なにもわざわざ厄介事《やつかいごと》の種子《た ね》を拾うこともない。新聞社の人事担当者はそう思いながら、この調書を指先で摘《つま》み上げて屑籠《くずかご》のなかへ落すだろう。  ……不意に肩を軽く叩《たた》かれて、振り向いてみると、いつの間にか試験官がそばの通路に立っていた。 「きみ、なにを考えてるの。これは試験じゃないんだよ。」  試験官は、前へ回って怪訝《けげん》そうに顔を見て、あれ、といった。 「この人、おでこに汗かいてるよ。どこか具合でも悪いのかい?」 「いえ……ただ暑くて息苦しいだけです。」  ポケットには、厚く重ねて四つに折ったチリ紙しかなかったから、それを取り出して額をこすると、濡れてちぎれて細長くよじれた紙片が、なにも書いてない調書の上にぽろぽろと落ちた。 「なんか熱があるみたいな顔をしてるよ。さっさと書いてしまって休めばいいのに。」  試験官はそういうと、腰に両手を組んでぶらぶら前の方へ歩いていく。書いても書かなくても不採用になるなら、書かずにおこう。咄嗟《とつさ》にそう肚《はら》をきめると、万年筆を仕舞い込み、調書を裏返しにして、試験官が向きを変えないうちに忍び足で廊下へ出た。  その晩、住んでいるアパートに近い三軒茶屋の屋台店で、モツの煮込みを肴《さかな》に梅酢で色をつけただけの安い焼酎《しようちゆう》を飲みながら、今日の調書に書けなかった兄や姉たちの短かった生涯《しようがい》と死因をいつか自分の手でかならず書こう、勿論彼ら一人一人のためにも、彼らを恥じて残りの生涯を伏目がちに生きた両親のためにも、置き去りにされた末弟のひそかな追慕の証《あかし》として、かならず書こうと、ひとりで誓いを立てたものだが、肝腎《かんじん》の自分自身がいっこうに熟さなくて、それを実現させるのに二十五年もかかってしまった。  このところ、毎日休みなしにつづけていた、気鬱《きうつ》で難儀な山登りにも似た仕事というのが、懸案のそれで、だから、その仕事をいきなり中断させられて、まだ幼顔の看護婦の誘導で素材のおさらいをした揚句に、あの入社試験のときとおなじ鬱屈まで抱かされたのは、なにやら因縁の匂《にお》う偶然であった。    八  学生時代の鬱屈は安酒で簡単に退散したが、今度はなんの力も借りようがなくて、黙って耐えているより仕方がなかった。鬱屈は我物顔に居坐《いすわ》って、次第に重苦しさばかりか痛みも伴って胸を締めつけてきた。痛みは初め胸全体に薄くひろがっていたが、だんだん心臓のある左の胸に集まってくるようであった。胸だけではなくて、肩から背中の方まで重苦しく痛んだ。おかしなことだが、躯《からだ》の下にあるはずのベッドに圧迫されているような気がして、右を下に横向きになった。  夜がふけるにつれて、眩暈もひどくなってきた。ひとりではベッドから降りることすらできなかった。妻が思い出してトイレから溲瓶《しびん》を持ってきたが、横になったままではうまく使えなかった。べつに不能になったわけでもないのに、それに似た恥ずかしさをおぼえるのは不思議であった。 「寝小便の経験があったらねえ。ところが、俺には寝小便をした記憶がない。うんとちいさいころから、妙に寝小便をしない子供だったそうだ。おふくろはよくいってたよ、それだけは大いに助かったって。」  てれ隠しにそんなことをいえるうちは、まだよかった。妻の手を借りていても壁にぶつかるようになり、室内にあるトイレとの往復だけで顔に粘っこい汗が浮くようになった。しまいには、枕《まくら》から頭をちょっともたげただけで目の前が真っ暗になった。  真夜中に、肩から背中へかけての痛みが堪らなくなって、妻に両手でさすって貰《もら》った。さすると痛みがやわらぐようで、うとうとするが、やがて目醒《めざ》める。それを何度も繰り返した。妻はいつまでもさすりつづけた。 「くたびれたら、やめてもいいんだよ。」 「大丈夫。こうするのには馴れてるから。」  妻とは、まだ学生のころに知り合ったが、そのころいちど肝臓をわずらっている父親に会ってくれといわれて、栃木のちいさな町まで出かけたことがあった。妻の一家は、戦災で深川の洲崎《すさき》から焼け出されてきて、その町の町はずれの神様さえも住まなくなった朽ちかけた社殿に住みついていた。妻の両親は戦後になってから躯を損ねて、母親の方は手遅れの乳癌《にゆうがん》で一と足先に亡くなり、父親もここへきて急に容態が重くなって、東京へ出て仕送りしていた妻が店から暇を貰って看取《みと》りに帰っていたのだ。  ちいさな社殿を、一と間きり、というのもおかしいが、まわりを黒ずんだ板壁に囲まれた部屋の奥の薄い布団《ふとん》に、痩《や》せこけた父親が横向きに寝ていて、まだ中学生や小学生の弟妹たちが交替で背中をさすっていた。 「もう、駄目《だめ》なの。肝臓が縮んで小石みたいになる病気ですって。ああして四六時中、背中や脚をさすってやるだけ。」  妻は外へ出てから小声でそういったから、夜、弟や妹たちが眠ってしまえば、あとは自分が朝までさする役を引き受けていたのだろう。先に亡くなった母親も妻が最期《さいご》まで看取ったというから、母親の背中もせっせとさすったかもしれない。  そんなことを思い出していると、妻がだしぬけに、 「ごめんなさい。」といった。「馴れてるなんて、悪いことをいっちゃったわ。お願いだから気にしないでね。」  すると、妻もおなじことを思い出していたのだ。 「平気だよ。俺は死なない。」  と私はいった。  けれども、なにかにつけて躯がいよいよ自分のものではなくなっていくように思われるのは、正直いって心細かった。たまには外の空気も吸うつもりで出かけてきたのは、何日も何十日も前の出来事だったような気がするが、あれからまだ半日も経《た》っていないのである。家にいるうちはひっきりなしに煙草を吸ったし、コーヒーも飲んだし、自家製のラーメンも食った。右腕と右膝《みぎひざ》に脱力感はあったが、立居振舞にはなんの不自由もなかった。菱田医院へいく途中の交差点では、信号が変りかけていたので小走りに急いだりした。  ところが、この病院にきてからは刻々と病人めいてくる。いまはもはや頭も上らない病人だ。どうしてこんなことになったのだろう。まるで、目に見えない何者かが、生きている肉としての自分に向って、病気になれ、病気になれと、しきりに囁《ささや》きかけているようではないか。 「罰が当ったのかね。」 「罰?」と妻が手を止めた。「罰って、なんの?」 「俺は、でたらめ書いてるのかもしれないからな。」  なにぶん齢《とし》の離れた末弟で、子供のころに次々と姿を消した兄や姉たちの記憶はほとんどないも同然だから、これまでに聞き集めた雑多な話や、わずかばかりの遺品や写真のたぐいを基に、自分なりの想像でそれぞれの像を創《つく》り上げているのだが、それがでたらめだとまでは思わないにしても、実像とはどこか違っているのではないかという危惧《きぐ》は絶えず感じていた。 「そうは思わない方がいいわ。」  と、すこし間を置いてから妻はいった。 「そうかね。みんなで寄ってたかって俺《おれ》にこんな罰を与えて、いまの仕事を中断させようとしてんじゃないのかね。」 「そんなことはないでしょう。私だったら、あなたがあやうく斃《たお》れるところをみなさんが助けてくださったんだと思いたいけど。一と休みしてから、また先をつづけて貰うために。」  妻は笑いを含んだ声でそういうと、また背中をさする手を動かしはじめた。    九  ……水の濁った浅い川を、小刻みな浮き沈みを繰り返しながら流れているような眠りから醒めてみると、粗い布地のカーテン越しに窓が白んでいるのが見え、その窓のむこうから高架線を渡る電車の音がきこえていた。  妻は、足許《あしもと》の方で椅子《いす》に腰かけたままベッドに頬杖《ほおづえ》を突いて眠っている。背中の痛みはもうなくなっている。  電車の音が遠退《とおの》くと、窓の上の軒端《のきば》のあたりで雉鳩《きじばと》が啼《な》いた。  夜中の出来事がきれぎれに思い出された。医師や看護婦たちのあわただしい足音。脈をとる指先のぬくもり。血圧計の腕帯の圧力。聴診器が汗ばんだ肌《はだ》から離れるときの、ミルクを盗み飲みする小猫《こねこ》の舌鼓《したつづみ》にも似た密《ひそ》やかな音。裸の目に突きつけられたライトの眩《まぶ》しさ。胸を前後から洗濯板《せんたくいた》ででも挟《はさ》まれたような、ごつごつとした圧迫感。誰やらの爺《じじ》むさい咳《せき》ばらい、小声のやりとり……。  いったい、なにが起こったのだったろう。  大酒を飲んだわけでもないのに、記憶が寸断されているのが薄気味悪くて、すぐに尋ねてみないではいられなかった。妻は、一と声かけると忽《たちま》ち目醒めた。 「ああ、夜が明けたのね。知らないうちに眠ってた。」  妻は椅子から立ってきた。 「どうです、気分は。」 「いまは悪くないよ。だけど、ゆうべはなんだか騒々しかったな。俺がどうかなったのか?」  ところどころ、それも妙なことしか憶《おぼ》えていないのだがというと、いちど背中の痛みが急にひどくなって、急報の呼鈴を押したのだと妻はいった。医師や看護婦たちが急ぎ足でやってきて、さまざまなことをした。 「私は邪魔にならないように離れてたけど、胸の写真も撮ったみたい。」 「写真? レントゲンか。」 「よくわからないけど、技師みたいな人が器械を運んできて、胸の上でなにかしてたから。背中の下にも板みたいなものを敷いたようだったわ。」  洗濯板のようなごつごつしたものの圧迫感は、多分そのときの記憶だろう。 「一時は、どうなることかと思ったわ。」 「どうしたんだろう。医者はなんといってた?」 「私には直接なにもいわなかったけど、話の様子では血圧が急に下りすぎたせいらしいの。急に上ったり、下ったり、随分敏感な血圧のようね。」  妻は一と眠りして、冷やかす余裕を取り戻していたが、そのときはいまにも死にそうだったかと尋ねると、血圧を下げる薬はあっても上げる薬はないと聞いていたのを思い出して、正直いうと、ちょっと厭《いや》な気がしたという返事であった。それでも、高すぎるのを下げようとした結果の下りすぎだから、注射や内服薬の効力が切れるまでの辛抱だと思い直して、気を張っていたのだという。  実際、血圧は徐々にまた元へ戻りつつあるらしく、枕から頭をもたげても目の前が暗くならなかった。起き上っても眩暈《めまい》はしない。そのままベッドを降りて用便にいったが、躯がまるで水にでも浮いているように軽くて、ふらふらするだけであった。それにしても、高かったときより低いと思われるいまの方がずっと病的だという気がした。 「いつまでもこのままだと困るな。」 「いつまでもこのままってことはないでしょう。昨日の今日ですもの。血圧計の目盛りがなくなるくらい高かったのを急いで下げたんだから、躯の調子が狂ってるだけですよ。退院するまでには元へ戻るわ、きっと。」 「元へか。それじゃ、なんのために血圧を目が回るほど下げたりしたんだ。」  妻は笑い出した。 「元へ戻るというのは、躯の調子がですよ。血圧を急いで下げたのは、あんなに高い状態が長くつづけば危険だからじゃないですか。血圧を高くしていた原因を突き止めて治療すれば、血圧の状態も躯の調子もちょうどよくなって、つまり健康になって退院できる……そういう意味。」  躯のためにはそれでいいのかもしれなかったが、退院するときは自分が全く違った人間になっているのではないか、という不安があった。もう大分前のことだが、郷里の町医者に高血圧症だといわれたのを根に持って、たとえ自分が高血圧でも無理に血圧を下げようとはしたくない、血圧が下ると肉体ばかりではなく精神にも微妙な影響が及ぶのではないか、これまで血圧の高い躯でさしたる支障もなくやってきたのだ、この状態を崩したくない、血圧が正常になったおかげでなにもできなくなったのでは困るのだ、だから自分はこの先も血圧を下げる算段などしないつもりだ、などと、なにかに書いたのが思い出された。それを口にすると、妻は、そのときといまとでは年齢が違うと一笑に付した。 「いまは、斃れる前に気がついて幸運だったと思わなくっちゃ。まあ、あんまり取越し苦労はしないで病院に任せてみましょうよ。躯も気持も若返るかもしれないし、これまでとは違った新しい道がひらける望みも持てるじゃないですか。それに、いつ爆発するかわからない危険物を抱えて暮らしているよりどんなに安心かしれないわ。」  妻は、ともかくも急場を凌《しの》いで、ほっとしているようだった。カーテンを開けると、よく晴れた朝空が見えた。妻はついでに窓も開けて、部屋の空気を入れ換えた。ぼつぼつ前の道を近くの駅へ向うらしい急ぎ足の靴音《くつおと》がきこえはじめていた。  六時になると、廊下の方からオルゴールの〈白鳥の湖〉と、昨夜とおなじ女性の声で朝の挨拶《あいさつ》がきこえてきた。検温の時間だから枕許の体温計を腋《わき》に挟んで待つようにといっている。いわれた通りにしていると、やがて看護婦が小走りにきて体温を紙に書き取っていった。熱はむしろ低すぎるほどであった。入れ違いに別な看護婦がきて、血圧を測った。 「どうですか。」 「普通……だと思います。」  看護婦が帰ったあと、妻と顔を見合わせて首をひねった。 「普通って、どういう意味だ。」 「正常ってことじゃないかしら。」 「おまえのいうように、薬が切れてちょうど正常に戻ってるわけか。妙なもんだな、血圧ってやつは。二百六十も正常も、こっちにはさっぱり自覚がない。」  正常とはどういうものかと、すぐにベッドから降りて五、六歩ずつ行きつ戻りつしてみたが、頭も躯もふらふらとして、頼りないことおびただしい。 「正常って、情けないもんだな。このまま入院するのは考えものだぞ。」 「せっかちねえ。」と妻は笑った。「ふらふらするのは、躯が弱ってるせいですよ。ゆうべはろくに眠らなかったし、昨日の昼からなんにも食べてないでしょう。」  そういわれて、ものを食うことなど忘れていたのに気がついたが、食欲はまるでなかった。 「眠ってないのも食べてないのも、おまえだっておなじだろう。」 「でも、私は血圧を無理に下げたりはしなかったから。食欲がないなら、朝の食事を半分食べてあげてもいいわ。」  と妻はいった。  七時を過ぎると、頭を白布で包んだ初老の女の人が、お茶はいかがと入ってきて、それから間もなく最初の食事が運ばれてきた。丼飯《どんぶりめし》、味噌汁《みそしる》、それに笹《ささ》かまぼこと大根の煮物がついていたが、飯は飯の味がするだけで、あとはなんの味もしなかった。舌がどうかしたのかと思って、妻にも半分食べさせてみたが、やはり御飯がいちばん美味《お い》しいといった。味噌汁もほとんどそれらしい色だけであった。 「こんなものを、これから三度三度食うのかね。」 「仕方がないでしょう、高血圧には塩分が禁物だっていうから。」  うんざりしているところへ、野崎医師がきた。 「どうですか、ゆうべは辛《つら》そうだったけど。」 「今朝はふらふらするだけですが、ゆうべはどうなったんでしょう。」 「いや、ちょっと血圧を下げすぎましてね。」  妻の推測通り、医師は苦笑してそういうと、両方の腕で血圧を測った。 「このくらいあった方が楽みたいですね。」 「というと、どのくらいでしょう。普通ですか。」 「いや、普通より大分高目です。数値でいえば、やはり高血圧の部類ですね。」 「さっき看護婦さんが測ったときは普通でしたが。」 「血圧には微妙なところがありましてね、ちょっとしたことで上ったり下ったりするんですよ。測るたびに違いますし、測る人によっても違います。あなたの場合は右腕と左腕で多少の違いがあるようです。」 「自覚症状がほとんどないんですが、微妙に上ったり下ったりする原因は精神的なものですか。」 「そう思っていいでしょう。主に精神的な緊張や圧迫感で血圧は上ります。それから、躯が消耗したときですね。逆に、リラックスして休養充分であれば、下って安定するわけです。いまでも奥さんが測れば、さっきより低いかもしれませんよ。看護婦が測ったときよりもね。」 「じゃ、自分ひとりで測ればもっと低いことになりますね。」  医師は頷《うなず》きかけて、妻を見て笑った。 「そうすると、昨日あんなに高かったのも精神的なものが原因だったんでしょうか。」 「多分そうだと思いますね、ほかの先生たちとも話し合ったんですが。御自分では意識されなくても、精神的なストレスや疲労が蓄積していたんじゃないでしょうか。その上、菱田先生のところからここへくる間に、緊張が極度に高まったんですね。血圧ってやつは、自分で高いと意識すると、それ以上に高くなるんですよ。ですから、神経質な人や臆病《おくびよう》な人はびっくりするほど高くなることがあります。」  妻が、くすっと鼻を鳴らしてうつむいた。 「僕もそのひとりというわけですか。」 「いや、それはわかりません。」と医者も笑った。「ただ、そんな傾向があるのは確かでしょうね。でも、正常だった血圧が、緊張したぐらいでいきなりあんなに高くなるとは考えられませんから、普段からある程度は高かったんでしょう。あんなに高くなる土台は前からあったということです。あなたぐらいの躯《からだ》で常時あんな血圧だったら、とても心臓も脳も血管も保《も》ちませんからね。」  その土台を作っているものがなんなのかを、これから徹底的に調べてみようと野崎医師はいった。 「どうですか、立っても眩暈はしませんか。」 「大丈夫です。」 「それでは、さっそく午後からはじめましょうか。無理のないように、毎日一つか二つずつ。まず、目からということにしましょう。眼底出血をしてないかどうか。網膜の血管がいちばん破れ易いんです。」  それから野崎医師は、申し遅れたが自分が担当することになった、よろしくといって帰っていった。  午後、車椅子に乗せられて一階にある眼科の外来診察室へ出かけたが、眼底にはべつに異常がないということであった。一階の待合室やエレベーターの前の廊下の椅子には、順番を待つ外来患者たちが大勢いて、昨日までの自分を思うと、若い看護婦の押す車椅子に乗せられてそこを通るのが恥ずかしくてならなかった。  眼科から廊下伝いに、別棟らしいレントゲン室へ回った。水色の、片方の肩にボタンがついた丸首の上っ張りのようなものを着た若い男が一人いて、パジャマの上着を脱いで細長い簡素なベッドにあおむけに寝るようにと言い付けると、自分は別なドアからガラス張りの小部屋へ入っていった。いわれた通りにしていると、天井のあたりからマイクを通した男の声が降ってきた。 「あ、ズボンの前のところにもボタンがついてますね。」  その通りだと答えると、 「ボタンがあっちゃ困るんですよ。外して、下腹のところをひろげてくれませんか。」  のろのろと前をひろげて、 「このくらいですか。」 「あれ、下にはなにも穿《は》いてないんですか。どうしたんだろう。」  男は呆《あき》れたようにそういったが、こちらはただ、寝巻の下にはなにも着けない北国の子供だったころの習慣を、別段不都合なこともないからいまでもつづけているにすぎなかった。 「仕様がないな。」と男は笑いを含んだ声でいった。「じゃ、もうすこしひろげて、しばらくそのまま我慢しててくださいね。」  撮影が済んで、ベッドから降りてパジャマの上着を着ていると、男が笑顔で小部屋から出てきた。 「入院されたばかりですか。」 「ええ、ゆうべから。入院するのは初めてなんです。」  男は、道理で、というふうに頷いた。 「入院中は下になにか穿いてた方がいいですよ。いつ、どんな検査をすることになるかわかりませんからね。」 「そうします。御親切に、ありがとう。」  レントゲン室を出ると、急いでどこからか戻ってきた看護婦が車椅子の背に両手を掛けて、どうぞ、といったが、顔はなにも知らないというふうにそっぽを向きすぎているように私には思えた。黙って乗ると、随分くたびれたという気がした。  病室へ戻ると、女子高校の二年生になったばかりの末の子がきていて、高架線を電車がゆき交う風景を窓から珍しそうに眺めていた。 「昼前に家へ電話したとき」と妻がいった。「花瓶《かびん》を届けてくれるように頼んだんですよ。花でもないと殺風景すぎるから。」  それは御苦労とベッドに寝ると、末の子はこちらの様子を横目でちらちら盗み見ていたが、妻が花瓶を洗いに廊下へ出ていくと、 「お父さん、頭の具合はどう?」  と小声でいった。 「頭の具合?」 「お姉ちゃんたちが、頭がどうとか心配そうに話してたから。ゆうべ、お母さんと一緒にここへきたとき、お父さんが急にドアがどうしたとかいい出したって。」  ああ、あれか、と思わず笑って、舌うちした。 「ゆうべは、ちょっとね。でも、いまはもうなんともない。」 「本当?」  末の子は、ベッドの下から素早くなにかを取り出して、背中に隠した。 「じゃ、試してあげる。花の名前を当ててみて。」 「花があるのか。」 「花瓶だけじゃ淋《さび》しいでしょう。取り敢《あ》えず途中であたしの好きな花を用意してきたの。ヒントはね、青い色の、可愛《かわい》らしい花。」  ふと、散歩道の路傍が目に浮かんだので、 「露草か。」  というと、途端に、末の子は目を瞠《みは》ってみるみる真顔になった。 「露草だって。そんな花、持ってくるわけないじゃない。」  怒った口調でそういうと、答えを待たずに自分から背中の花を突き出した。ちいさなスミレの花束であった。 「そうか。スミレとは思わなかった。やっぱりすこし頭の具合が悪いのかな。」  そういって笑って見せたが、末の子は窓の外に目を向けたまま帰るまで不機嫌《ふきげん》そうに黙りこくっていた。  下まで送っていって、戻ってきた妻に、 「あいつ、なんだかぷりぷりしてたな。」  というと、妻がにやにやしながら、 「あなたが露草なんていうからよ。」  と意外なことをいった。 「あれは露草が嫌《きら》いなのか。」 「花は嫌いじゃないかもしれないけど、学校で露の命という言葉を教わったばかりなんですって。露のように消えやすい命……露って、はかないっていう意味だから、それを咄嗟《とつさ》に思い出して厭《いや》な気がしたらしいの。」  と妻はいった。    十  毎朝、あちこちの検査室へ出向いて、内臓を虱潰《しらみつぶ》しに点検するのが日課になったが、高血圧の原因はなかなかわからなかった。初め、医師たちは腎臓《じんぞう》に疑いをかけて丹念に調べてくれたが、結局なんの異常も見つからなかった。肝臓には長年の飲酒の疲れが見え、血糖値も正常の数値を上回っていたが、いずれも病気と名付けるほどではなかった。脳も胃腸も正常であった。心臓だけは、肥厚して、心電図以外の検査でも軽い異常が認められたが、野崎医師によれば、仮に一を正常とし五を最悪の状態として五段階に分ければ、その異常さは大体二段階あたりに相当するということであった。  最初の晩を切り抜けてからは、血圧よりも思わぬ臓器から思わぬ病気が見つかるのではないかと気になっていたから、そんな検査結果はむしろ意外に感じられた。  内臓にさしたる故障がなくても、日に何度か測る血圧は相変らず高かった。自分では意識しないつもりでも、看護婦が測るときより医師が測るときの方が余程高い数値が出た。 「やはり本態性というやつですか。」 「これまでの検査結果では、そういう診断になりますね。」 「本態性プラス小心者の高血圧ですか。」 「どうやら、そのようですね。」  と野崎医師は笑った。  病院暮らしの四日目からは、車椅子はよして貰《もら》って自分の足で指示された階下の検査室へ出かけ、検査を終えて戻ってくると、花と薬のほかはなにもない部屋をのろのろと流れる透明で水っぽい時間の扱い方がわからなくて、日頃《ひごろ》とんと馴染《なじ》みのない午前の街の風物を窓から漫然と眺めて過ごすようになった。  窓は建物の前面にあって、日当りがよく、見晴らしもよかった。目の下は正面玄関前の花壇のあるちいさな広場で、外来患者や見舞客や付添いらしい人々がひっきりなしにそこを通って玄関の小屋根の下に吸い込まれるのが見えた。門も柵《さく》もない広場に沿って近くの駅へ通じる曲りくねった道があり、その道の片側には食堂や日用雑貨を商うちいさな店が軒を並べて病院と向い合っている。商店街の裏手は住宅地で、ところどころに芽吹きはじめて日増しに梢《こずえ》が色付いてくる欅《けやき》の木立があり、瓦《かわら》屋根の重なり合うむこうを電車の高架線が走っている。高架線の上は広い空で、左手の遠くに盛り場の高層ビルが霞《かす》んで見えていた。  昼近くなると、駅寄りの家並の蔭《かげ》から大きな紙袋を手に提げた妻の姿があらわれて、足早に広場へ入ってくる。妻は、二晩だけ病室に泊って、その後は毎日、子供たちを送り出して一と通りの家事を済ませてから、昼の弁当持参で通ってくるようになっていた。窓の視線から隠れるように、晴れた日には日傘《ひがさ》を、雨降りなら雨傘を深く傾けてくるが、下半身だけで妻だとすぐにわかった。  妻の紙袋には、その日の朝刊と、届いたばかりの郵便物と、手作りの弁当と、自分で飲む緑茶がすこしと、それに、病院食の献立をはじめ病室にいる間のさまざまな見聞を自分の流儀で書き留めておくためのノートと筆記用具とが入っていた。  窓ぎわの椅子を妻に明け渡してベッドへ戻り、妻のお喋《しやべ》りを聞きながら新聞や郵便物に目を通しているうちに、昼食が届く。すると、妻もポットのお湯で緑茶を淹《い》れて、弁当をひらく。妻の弁当は、いつも手頃の大きさの握飯二つときまっていた。ほかにお菜《かず》はなにもなくて、握飯のなかにも詰めものがない。ただ白い飯を三角に握って少量の塩をまぶしただけの弁当であった。 「佃煮《つくだに》ぐらいは入れてくればいいのに。」  見かねてそういったりすると、 「あなたが味のない食事に馴れたらね。そばで旨《うま》そうなお菜を食べてても平気になったら。それまではこれでいいの。」  と妻は答える。  全く、相変らず病院の食事は三食とも、北の海岸育ちで塩気が染み込んでいる舌にはほとんど味というものが感じられなかった。肉といえば、脂気《あぶらけ》のない鶏《とり》の笹身に限られていて、野菜の煮物が多かったが、人参《にんじん》は人参の、カボチャはカボチャの味が微《かす》かにするだけであった。卵も、竹輪も、蒲鉾《かまぼこ》も、目にはそれとわかるばかりで、口に入れると味がなかった。 「ここの患者は誰でもこんな食事をしているのかね。」 「そうじゃなさそうよ。食事を運んでくるワゴンを見ると、違うお菜が載ってるお盆もあるの。きっと病気の種類で食事の献立も違うのよ。あなたのは、高血圧症プラス心臓疾患プラス糖尿病用の献立なんだわ。」  妻は、参考のためにといって、毎食主なお菜の味見をしてはノートに感想を書きつけた。 「見た目にはどれも美味しそうなんだけどね。」 「レストランのショーウィンドーだよ。」 「私のお握りと交換する?」  妻は時々冗談のようにそんなことをいったが、それではせっかく巻きつづけているゼンマイを途中でほどいてしまうような気がして、 「まあ、よしておこう。医者に隠れて一時凌《しの》ぎをするつもりなら、そんなお握りと交換するより途中で稲荷《いなり》鮨《ずし》でも買ってきて貰うさ。」 「そうね。私のお握りだって、外側にちょっと塩気があるだけで中身は丼飯とおなじなんだから。」  その丼飯だけは、どういうものか病人食とも思えぬほど量がたっぷりしている。 「この飯、家で食ってた一食分より多いんじゃないか。」 「そうねえ。御飯って丼によそると多目に見えるもんだけど……それでも家のお茶碗《ちやわん》で一杯半はあるかしら。多かったら残してもいいのよ。」  けれども、戦中戦後の食糧難時代に食いたいさかりを過ごした口だから、出された飯など一と粒も残せない性分で、食欲もいっこうに衰えていない。それで、食後に、味気ないながらもとにかく食事らしい食事をしたという満足感が味わいたくて、先に飯だけ半分食ってしまうことにしたのだが、意外にもそうして仕方なしに咀嚼《そしやく》する飯がいちばん旨《うま》かった。  中学生のころ、軍の要塞《ようさい》造りに狩り出されて雪山の窪地《くぼち》の杉木立のなかで顫《ふる》えながら齧《かじ》った冷たい握飯の味が思い出された。上京する夜汽車のなかで、まわりが寝静まってからこっそり取り出し、貼《は》りついた包み紙を剥《は》がし剥がし咀嚼した固い握飯の味も思い出された。母親が持たせてくれる握飯はいつも味噌塗りで、なかには口が曲るほど酸《す》っぱい梅干しが入っていた。形は三角ではなく、円くて、両脇《わき》の窪みには右手の親指の付け根の跡が残っていた。それを、なによりも丈夫だからといって家が商いをしていたころの大福帳をばらした和紙に包むものだから、夜ふけにいくら丁寧に剥がしても細い紙の繊維までは取り切れなくて、暗い車内燈《とう》の下でも握飯がまるで産毛《うぶげ》に覆《おお》われているように見えたものだ。  妻は、夕方まで、ベッドの足許《あしもと》の方を机代わりに日記をつけたり、退屈凌ぎのお喋りをしたり、時には見舞客と応対したりして、夕食の味見をしてから引き揚げていく。子供たちの誰かが帰宅の途中にひょっこり顔を見せて、一緒に帰っていくこともあった。  夜は消燈前にきまって野崎医師がひとりで血圧を測りにきて、これまでの検査結果や翌朝の検査の内容を説明してくれる。 「よく眠れますか。」 「眠れます。この米粒みたいな薬はよく効きますね。これまで睡眠薬なんか嚥《の》んだことがなかったせいでしょうか。」 「極く弱い薬なんですがね。睡眠薬というより精神安定剤の一種です。」  それでも、たった一錠で忽《たちま》ち眠って、朝のオルゴールが鳴るまで目が醒《さ》めなかった。時折、あわただしく廊下を走る足音や、呻《うめ》き声や、女の泣き声を夢うつつに聞いたが、はっきり目醒めたことはいちどもなかった。  目ぼしい検査の結果が出揃《でそろ》った晩、野崎医師は正式に本態性高血圧症という病院側の診断を伝えて、できればこのままもう三週間ほど入院した方がいいだろうといった。 「当分の間は、いま嚥んで貰っているような何種類かの薬をつづけることになりますが、厄介《やつかい》なのは退院後の食事でしてね。これまでとはがらりと変るわけですから、作る方も食べる方も大変です。もうすこし病院の食事に馴れてから退院なさった方が楽でしょう。」 「退院したあとも、いまのような食事をつづけるんですか。」 「理想をいえばね、そういうことになります。本態性ってやつは、薬で血圧を抑えながら体質をすこしずつ変えていくより仕方がありませんから。あなたの場合は、塩分のほかにカロリーも制限しませんと。身長百六十五センチで七十四キロは大分太りすぎですから、心臓の負担を軽くするためにできるだけ減量した方がいい。退院前に栄養士からくわしい説明があるはずですが、大体病院と似たような食事だと思っていいでしょう。なに、そのうちには馴れますよ。舌って、どんな味にも馴れるものです。胃袋だって、食べる量が減るとひとりでにちいさくなりますしね。まあ、あと三週間もつづければ充分だと思いますが。いかがですか。」 「……仕方がありませんね。」 「なにか不都合なことがありますか。」 「なにも。不安はありますが。」 「どんな不安でしょう。」 「といっても、極めて個人的な気掛かりですから……。」 「よかったら聞かせて頂きたいですね、参考のために。」 「取り越し苦労と思われるかもしれませんが、退院するとき、自分が妙に変っていやしないかという不安です。」  野崎医師は微笑した。 「変っていなかったら意味ないでしょう。血圧が安定して健康体に近づいているわけです。妙に、といいますと?」 「精神面で、という意味です。躯《からだ》が健康に向うのは結構なんですが、もしもそのために精神面で失われるものがあったらと思うと……。」 「つまり、仕事ができなくなるんじゃないかという不安ですね?」 「ええ、大雑把《おおざつぱ》にいえば、そうです。」  野崎医師は頷《うなず》いた。 「わかりました。実は、僕等も一応それを考えたんです。血圧は下ったけれども仕事ができなくなったじゃ、お困りでしょうからね。それで、ちょっと厄介《やつかい》な患者さんだと……。」 「というと、やはりそんな前例があるんですか。」 「いや、いまのは冗談ですよ。医局で、せっかく血圧を下げてあげたのに後で恨まれるようなことになったら困るなあって、笑い合っただけです。そりゃあ、躯が変るんですから精神的にも多少の変化が生ずるのは当然でしょうねえ。変化といっても、頭が軽くなったとか、気分が晴々したとか、いい方へ変化する人が多いようです。なかには、精神的な影響を全く自覚しないという人や、なんとなく活力がなくなった、根気がなくなったような気がする、という人もいることはいますが。でも、血圧が下って仕事ができなくなったという話は聞いたことがありません。」 「私も、仕事ができなくなるとまでは思いませんが、仕事の上にどんな微妙な影響が出てくるのかと気になるんです。」 「でも、いい影響が出るかもしれないじゃないですか。たとえば、これまでとは別の新しい面がひらけてくるとか、これまで見えなかったものが見えてくるとか。」 「そう考えれば、むしろ楽しみなような気もしますが、正直いって、いまは良くも悪くもなりたくないんです。途中で変ると困る仕事を抱えているもんですから。」 「……困りましたね。」  と野崎医師は笑った。 「いや、先生がお困りになることはない、こっちが勝手に気にしているだけなんですから。話してみろといわれるから話したまでです。」 「お話はよくわかりました。」と野崎医師はいって、腕時計を覗《のぞ》いた。「あんまり話して眠れなくなるといけませんから、今夜はこれで引き揚げますが、僕としては、やはり最初の日に戻って考えるより仕方がないんじゃないかと思いますね。はっきりいうと、あなたがここへこられた日の血圧はかなり危険な状態でした。憶えておいでだと思いますが、測っているうちに血圧計の水銀柱があるだけの目盛りを突き抜けましたね。いつ、なにかの拍子に脳の血管が切れても、心臓がやられても、ちっとも不思議ではない数値でした。ですから、まず、命拾いをしたと思って頂きたい。それから、たとえこの先、思考力や感覚なんかにどんな変化があらわれたところで、脳出血の後遺症に悩まされるよりはまだ増しだと思って頂きたいんです。あなたの場合、果して変化があるのか、ないのか、あるとすればどのような変化なのか、それは正直なところ僕にも予測がつきません。ですが、もしもあなたにとって好ましくない変化があらわれたときは、御一緒にそれを矯正《きようせい》する努力をするつもりです。僕の立場としては、このまま入院加療をつづけて頂きたいと望むほかはないんですが……。」 「わかりました。当分ここで暮らしましょう。」 「そうなさるといいと思います。お気持はわかりますが、あまり神経質になってはいけません。なるべく頭を空っぽにしていてください。」 「これでもそうしているつもりですがね。頭は空っぽで、無気力、無感動。まるでクラゲです。」 「それで結構です。病院にいるうちはクラゲみたいにふわふわしているのがいちばんです。じゃ、今夜はこれで。おやすみなさい。」  野崎医師は、両手で膝《ひざ》を軽く叩《たた》いて椅子から立ち上った。  翌朝、いつものように、オルゴールの放送が終ると間もなくやってきた看護婦に寝たまま血圧を測って貰っているうちに、腕帯を巻かれて長く伸ばしたままの左腕の先端が、時折、看護婦の白衣の胸を微かに撫《な》ぜるのに気がついた。聴診器を腕の血管に押し当てたまま、前屈《まえかが》みになって血圧計の目盛りを見守っている看護婦の膨らんだ胸の頂きに、伸ばした左手の中指の腹が、下から軽く押し上げるように触れたり、離れたりしている。若くて、やわらかそうな躯つきの看護婦であった。こちらが指を動かさなくても白衣が触れてくるのは、看護婦の躯が息をするたびにわずかに揺れるからだが、指先が触れているのが膨らんだ白衣だけなのか、それとも白衣の内側のやわらかい肉の一部もなのかは、よくわからなかった。  そんな自分の左手の中指の腹と、看護婦の白衣の胸の膨らみとの軽やかな接触は、おそらく入院以来、何度となく繰り返されてきたことだろうが、白衣の内側のやわらかな肉の存在に私が気がつき、はっきりそれを意識したのは、その朝が初めてであった。私は、ある精神的なものの恢復《かいふく》を自覚したが、そのまま、クラゲのように手足をだらりとさせたまま大気の揺れるに任せていた。  間もなく看護婦が仕事を終えて、身を起こした。 「当分厄介になることになった。よろしくね。」 「こちらこそ。ゆっくり静養なさるといいです。」 「今朝はどうです?」 「いつもとおなじぐらいです。でも、今朝は脈搏《みやくはく》がすこし高いみたい。」  看護婦は私には目もくれずに、立ったまま画板のようなものに挟《はさ》んである紙に数値を書き入れながらそういうと、器具を抱えてさっさと病室を出ていった。白いストッキングのふくらはぎがはち切れそうで、足首が細くくびれている。私は、クラゲの目でそのうしろ姿を見送った。   あとがき  自分の肉親たちや自分自身に関《かか》わる作品ばかりで一巻を編むのは、実にひさしぶりのことである。この前、この種の作品集を出したのはいつのことだったのか、それがなんという書名だったのか、もう思い出せない。  もしかすると、中身が肉親たちや自分に関わる作品だけという本は、私には案外初めてだったかもしれない。まるで、処女出版のときのように、胸がしきりにときめいてくるのはそのせいではなかろうか。  ここにおさめた七篇のうち、「愁月記」をはじめ、「ヒカダの記憶」、「からかさ譚《たん》」、「夜話」、「居酒屋にて」の五篇は、一昨年秋から昨秋にかけて刊行された『三浦哲郎自選全集』(全十三巻)の第十一巻に、単行本未収録作品としてすでに発表済みである。また、この機会に、「海峡」と「病舎まで」の二作品には大幅に加筆した。  この作品集は、もっと早い時期に世に出るはずだったのだが、私が全集完結直後、北の郷里へ帰省中に思わぬ吐血に見舞われ、入院加療を余儀なくされたりして、当初の予定が狂ってしまった。けれども、おかげで推敲《すいこう》の時間が充分に得られたし、私自身もいまはすっかり健康を取り戻して新しい仕事に意欲を燃やしている。     平成元年初冬の月の夜に 三 浦 哲 郎   この作品は平成元年十二月新潮社より刊行され、 平成五年九月新潮文庫版が刊行された。 Shincho Online Books for T-Time    愁月記 発行  2002年7月5日 著者  三浦 哲郎 発行者 佐藤隆信 発行所 株式会社新潮社     〒162-8711 東京都新宿区矢来町71     e-mail: old-info@shinchosha.co.jp     URL: http://www.webshincho.com ISBN4-10-861200-0 C0893 (C)Tetsuo Miura 1989, Coded in Japan