買ひものをする女 三宅やす子 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)一寸《ちよつと》 |:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号 (例)一人一人|膳部《ぜんぶ》が /\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号) (例)ピカ/\ *濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」 -------------------------------------------------------  買ひものといふ事は、女性とは大変に密接な関係があるやうである。買ひものをする女の心持や態度は、千種万様である。  娘の頃は学用品や身の廻りの一寸《ちよつと》した買物、女学校でも卒業すると、反物の選び方に腐心するやうになるが、家庭にはいつて、買物の範囲はグツとひろめられて来る。  新家庭時代、少くともそれから暫《しばら》くの間は八百屋、魚屋、それから醤油はどれがよいとか、紙は何が徳用だとか云ふやうなこま/″\した買物に興味を持つ時代もあるが、次第にこれが日常の常習になつてしまふと、定《きま》りきつた面倒なものとなつてしまふ。  それよりも、日常の生活の必需品でないもの、生活品の中でも、菓子、果物というやうになれば、そこに選択の余地があつて少し許りの興味はひく。けれど、女性が一番楽しみを交へて、といふよりは楽んで買ふのは、やはり服装に関した品物であらう。  生活してゆくための費用の中から、半襟《はんえり》一つでも余裕を見出した時の嬉しさ、もつと大きな買物をするときの輝かしい喜び、選択する間の希望にみちた心、そして買つて来て、幾度か箪笥の抽斗《ひきだし》に納《しま》つたり、出したりして眺める時の心持。  よかつたとか、悪かつたとか云ひ乍《なが》ら、実は押《おさ》へ難《がた》い愛着を其品物に感じて居るなつかしみ。  かうした事を云ひ出したらきりがないかも知れない。  今の三越呉服店が三井呉服店であつた其前身の越後屋時代には、十円以上買物をした人は別室で一人一人|膳部《ぜんぶ》が出たものであつたといふ。  私が子供の時に行つた時は、金額の制限がいくらになつて居たか知らないが、何でも、紫縮緬《むらさきぢりめん》の被布を買つて貰つた嬉しさと、少し薄暗いやうな部屋に、ピカ/\光る着物を着た番頭に「何卒《どうぞ》こちらへ」と案内されて、塗つたお膳の上の煮肴《にざかな》に箸《はし》をつけた事だけをかすかに記憶して居る。  それが顧客の購買力が増すにつれて、いつか廃止されるやうになり、其次《そのつぎ》は、何円以上は手拭、風呂敷、メリンスの風呂敷といふやうに、買物額に応じて品物を添へて貰つたものであつたがもうそれも廃せられて、今は得意先に盆暮に配られる十二支の風呂敷の他に、木綿風呂敷や手拭は見かけないやうになつた。  それほど、次第に多くの人が呉服物を買ふやうになつたのである。  そして、其大部分は女の人が買つてゆくのである。  はじめ買物する人の便宜のために設けられた大呉服店の食堂といふのは、今では、食事そのものを半《なかば》以上の目的にして出掛ける子供連れの客や、近所に用達に行つた人の簡便な食事場となつている。  時間をつぶして、電車代をかけて、おまけにおすしの一つも食べては、少し位割安なものを買つた処《ところ》が、結局高いものになるから、近所で間に合わせておきませう、などと云つた時代もあつたが、人々の趣味性の向上からか、何でも大呉服店のマークが附いて居ないと幅が利かないといふ訳《わけ》なのか、時にも費用にもかまはず、今は皆下町に足を運ぶやうである。  それ故食堂に入つて、中に居る人、其注文の品、そんなものを観て居ると、本当に種々《いろ/\》で、平素の生活状態や、趣味|嗜好《かうし》[#「嗜好《かうし》」はママ]といふやうなものが、さながらの縮図となつて展開されて来る。  そして、一般に現代の向はうとしてゆく趣味なども此処《ここ》でよく見あらはされるのである。  此頃は買物をしても大抵包紙でつゝんで提げられるやうにしてくれるから、下町に買物にゆくには風呂敷を用意しなくても、可成《かなり》な分量を手に提げて電車にのれるだけはいくらでも買物をする事が出來る。  大きな風呂敷包をこさえて、それを夫人や令嬢が自身で持つのを厭《いと》つて、女中や書生のお伴をつれた人が銀座通りなどを歩いて居た図は、もう此頃は殆《ほとん》ど見られない。これも一つの時代の進歩であらうか。  私の育つ頃などは嫁入前の娘はお豆腐を買ひに行つたりする事はなりません、みつともないと云はれたものである。  指環や書物を買ひにゆくのは自慢で、何故《なぜ》豆腐一挺買ひに行つてはならないのか、理屈が分らないと反抗したのを覚えて居るが、今は貴婦人の商売人もあり、辻でビラをまき、物を売る事もあるやうになつた。  おさむらひ気質《かたぎ》がすたれて、次第に実力で押し通す時代が現出されて居る時、買物をする女の心も、昔のやうに浮々としないで根拠のあるものになつてゆくのであらう。 底本:「日本の名随筆 別巻60 買物」作品社    1996(平成8)年2月25日第1刷発行 底本の親本:「三宅やす子全集 第二巻」中央公論社    1932(昭和7)年6月発行 入力:浦山敦子 校正:noriko saito 2008年6月6日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。