[#表紙(表紙.jpg)] 無花果日誌 若合春侑 目 次  花が咲くのに無花果《いちじく》だなんて  乳房よ、乳房、永遠の  たおやかに、しなやかに、やわらかに  奉仕の氣持に、なることなんです  根性の使い道を誤ってはイケナイのだ  怒って鎮まれ! 十七歳、夏休みは近い  真夏の箱庭で迷子になった、ふたり  取り敢えず、ナニゴトもなしの憂鬱  教えて。命の在り処は、誰が決めるの?  曖昧《あいまい》な果実は、フリーザーの中で  走り出す。直線で行くと決めた  謹賀新年。真正面の彼方にあるものは [#改ページ]   花が咲くのに無花果《いちじく》だなんて  生き物は、必ず死ぬ。  なまものは、やがて腐る。  腐ってしまえば、捨てられる。  けれども、腐敗の前に加工すれば、少しだけ寿命が延びる。  私は今、十七歳。うちの八百屋に来るお客の大半であるオバサン達にも、大昔、十七歳だった時期があったのだと思うと、不思議な気分になる。どのオバサンにも、確実に一年間だけ、十七歳だった事があるのに、若かりし頃の瑞々《みずみず》しい過去をすっかり忘れて日常を生きるという事は、年齢を重ねる事で加工するのとは違い、どちらかというと腐敗の過程を放擲《ほうてき》している事になるのではないかしら。  いつかは熟し終えて、死に近いひとになってしまうという事が、今の私には理解出来ない。理解というよりも想像が出来ない。年老いる感覚を知るには、まだ生きる経験が足りない。けれども、強欲で、おしゃべりで、図々《ずうずう》しくて、社交辞令やおべっかの上手なオバサン達は、無愛想で嫌味ばかり言うひとは別として、年をとったから腐っているのではなくて、腐っているかも知れない事に無自覚になるほど日々の暮らしに一生懸命なんでしょうね、と思う。オバサンを未加工のなまものとして捉《とら》える事自体、無理があるのかも知れないけれども。  そういう意地悪な眼でお客を見ている私は、小生意気な八百屋の娘でしかない。勿論《もちろん》、こういう自分の底意地の悪さを自覚しているからこそ、お愛想好《あいそよ》く店に出る。父さんの商売の手伝いをする、母を亡くした不憫《ふびん》な女子高生として、掛け値なしの同情と仕入れに儲《もう》けを上乗せした野菜を売っている、いわば『岩岸青果店』の看板娘。こういう風に胸を張るのは地元にいる時だけで、三十分電車に乗って南下した県庁所在地にある学校では、家業が八百屋だなんて、とても言えない。商社マンや会社役員や医者の子女ばかりの同級生に家業を打ち明けたりしない。自分を育ててくれている親の職業を卑下するなんて、私は性格がイケナイのかも知れない。だけど、自覚しているだけマシでしょ、と開き直ってもみる。  コンクリートの床に野菜|屑《くず》や土がこぼれる店は、青臭いような、糠味噌《ぬかみそ》のような、野菜や果物が放つ新鮮な匂いと腐った臭いが入り交じり、清潔とは言えない空間だ。二十畳にも充《み》たない小さな店は茶の間に続いていて、茶の間の奥に台所とトイレと風呂場《ふろば》がある。台所の右横に階段があって、二階には、廊下を挟んで私の部屋と弟の部屋のそれぞれ六畳間が向かい合っている。  店の臭いは、階段を伝って私の部屋に籠《こも》る。窓を開ければ港が見える。昔は東洋一と言われたらしい魚市場を中心に、冷凍冷蔵工場や倉庫、海苔《のり》や鰹節などの乾物問屋、漁船を所有している会社の事務所、ガソリンスタンドがポツンポツンと建っていて、その区画を廻《まわ》る広い通りは、朝はトラックや保冷車でにぎわうけれども、夕方は人気《ひとけ》がなく、眠っているのか死んでいるのか分からなくなる。  港湾に淀《よど》む海の水と死んだ魚と野菜とガソリンと排気ガスが交ざり合った生々しい臭いを嗅《か》いで育った私には、セーラー服の紺サージの匂いが崇高で気品ある芳《かんば》しい香りだと思える。毎朝、制服を身にまとった時点で私のからだに染み付いた雑多な臭いは封印され、清く芳しい、お嬢様高校の生徒に変身する、という訳。  学校の正門を潜ると、昇降口の入り口近くにマリア様のブロンズ像が建っている。高校に合格して制服の採寸に訪れたのはヴァレンタイン・デーの直後だった。そのせいか、チョコレートの像に見えて、美味《おい》しそうなマリア様だ、と私は思った。実在したかどうかも分からないマリア様の像の匂いを嗅いだところで金属臭しかしないのだろうけれども、なまよりも加工したもののほうが美しく感じられる。大自然の豊かななまの匂いのほうが素晴らしいのだ、と説く大人もいるだろうし、自然派の方々から見れば女子高生の青い考えだろうけれども。と言いながら、蒲鉾《かまぼこ》や味醂干《みりんぼ》しといった魚を加工する工場の周りは決して清らかではないので、加工品がすべて美しい、というのは間違っていると気付く。我が家の前の通りをしばらく行くと水産加工場ばかりの区画になり、そこには独特の臭いが漂っているもの。蒲鉾工場で作るさつま揚げの油の臭いも加わって、水産加工場ならではの死んだ魚の内臓や血ばかりの汚水が流れているのだから、こうやって認識の足りなさに自分で気付いて、自分で暴き、いちいち訂正したり、撤回したりして、自分の発言に揺るぎない自信が持てないあたり、言わずもがな、私は正真正銘、子供なんです。  港のほうから濁った海水と腐った魚の臭いが流れて来た。  港湾に淀んで腐敗して発酵した海水の悪臭が私の部屋を汚染するのは風向き次第だ。  臭い、臭い、この町は臭い。死んだ魚とヘドロの臭い。脳味噌がヘドロになる町。ヘドロの脳味噌の大人が銭勘定で生きる町。気品など欠片《かけら》もない。バスの中に女子高生の乗客、つまりセーラー服姿の私がいるのに大声で猥談《わいだん》をするような魚市場で働く下品な親父達は、あの臭いを嗅ぎ過ぎて頭がおかしくなり、品性や神経も麻痺《まひ》してしまったのだ。そうに違いない。  いつだったか、バス停に立っていたら、擦れ違い様に乳房を鷲掴《わしづか》みにされた。無言で、いきなり、むぎゅっ! と。驚いて息が止まり、声も出せずにいる私を見て、鼻の下を伸ばし、えげつなく笑い去ったあの親父も魚市場関係者だ。アジアのどこかの国の主席と同じような灰色の作業着を着ていたし、朝の競りで屋号代わりにする番号札の付いたキャップをかぶっていたから、間違いない。猥雑な、猥褻《わいせつ》な、下品な町にしたのは、そういう大人達だ。  子供の頃、外で遊んでいておしっこが我慢出来ず、仲卸《なかおろし》市場のトイレに入ったことがある。パンツを下ろしかけて、慌てて引き上げた。壁に大人の女のひとが裸で足を開いている絵が描いてあったからだ。子供ごころに見てはイケナイと別の個室に移動したけれども、そこにも同じ絵が描かれていた。次々と移動してみたら、すべての個室の壁に同じ絵が丁寧に描いてあり、結局、観念して、一番奥のトイレでその絵とさし向かう形になった。否応《いやおう》無し。鑑賞する事にした。黒マジック、青マジック、赤マジックで毛の一本一本、割れ目の襞《ひだ》まで克明に描かれていた。仕事をさぼり、時間をかけて描いたのだろう。漫画みたいに台詞《せりふ》も書いてあったけれど、読んでも意味不明だったせいか内容は覚えていない。それにしても、便器にしゃがんでニヤニヤする親父達の助平面《すけべいづら》が想像出来る。  なんという下劣な町に育ったものか、と私は中学時代に悟った。  私はこの町を捨てなければならない、私の自尊心に見合う生き方をしなければならない、下劣を魂の隅々まで浸透させてはイケナイ、それには、生きる環境を変えなければならない、県内で一番のお嬢様学校に入ろう、あの上品なセーラー服を着よう、お嬢様言葉を習得しよう、御挨拶《ごあいさつ》は「ごきげんよう」だ、私は清く芳しい白い花の如きお嬢様になる、と決めた、十五の春。  ほんもののお嬢様は馬鹿ではイケナイ。  品格を身につけるには高い学力も必要だった。偏差値も学費並みに高いカトリック女子高に入るには、私の学力では無理で、推薦という手を使ってお嬢様の世界に潜り込んだ。生徒会の会計を務め、部活動でも紅一点の剣道部員で活躍していた私は内申点が良かったから、推薦枠には悠々と入れたのだ。  土曜の夕方で、店は閑散としている。うちの店が一番忙しいのは平日のお昼頃で、それは魚市場で働くオバサンや仲卸市場に買い物に来た人達が、家へ帰るついでに野菜も買って行くからだ。時々、大量の野菜を遠洋漁業の船に積み込む事がある。幾日も遠洋で操業する大型漁船が出航する直前は、我が家も商売繁昌、大忙しになる。  父さんは、さっきから「鰹《かつお》の刺身を食べるのに根生姜《ねしようが》を切らした」という蒲鉾屋のオバサンと世間話をしている。顔馴染《かおなじ》みのオバサンに会釈して、私は売れ残った小粒の苺《いちご》を集め、台所へ運んだ。オバサン達に見向きもされずに売れ残った小粒の苺を救済するのだ。腐敗する前に商品価値を反故《ほご》にして、ジャムを作ろうと思い立った私が苺十パックだけでなく檸檬《レモン》を四個も持ち出すのを、父さんは横眼で見ただけだった。  台所でひと仕事をする前に、トイレに入る。  ふと、昨日の放送朝礼での校長先生の訓示を思い出し、なんだか独り、首を傾げた。 「皆様、お手洗いのおペダルを、お足でお踏みになるような、お下品な御行為をなさいませんように、御注意なさいませ」  トイレ、便所、お手洗い、御不浄、厠《かわや》、雪隠《せつちん》、憚《はばか》り。  トイレの呼び方は様々だけれど、普通、便器のペダルの事を『おペダル』なんて言うかしら。修道女でもある校長先生は、どういう育ちか知らないけれども、教室にも、試験にも、休みにも、点数にも、雑巾《ぞうきん》にも、『お』を付ける。呼び掛けは「皆様」「〜様」。 「皆様、お雑巾は、きちんとお洗いになった後、お雑巾掛けにお掛けくださいますように」 「皆様、お試験が始まりました。皆様のお点の素晴らしくありますようにお祈りしております」 「皆様、本日はたいへん喜ばしい御報告が御座います。我が校の第一回の卒業生であらせられます下山《しもやま》キン子様が、先日、お目出度《めでた》くも、満百歳のお誕生日をお迎えになられました。下山様は、我が校のモットーで御座います『良妻賢母』のお言葉通り、それはたいへん素晴らしく御立派な生き方をなさり」と続く。  いつだったか大分前だけれど、天皇陛下と皇后様の記者会見で、天皇陛下が皇后様に「『努力賞』を」と仰《おつしや》ったのを受けて、皇后様は「陛下に『お点』ではなく『感謝状』を」と仰っていたから、点数に『お』を付けるのは決しておかしい事ではなく、『汚点』ではなくて結構な事であらせられますけれども、校長先生の『お』付き連発の御訓示に対して「奇妙」と感じる私は、幼稚園時代|迄《まで》なら「お手々」「お耳」「お口」「お靴」「お空」などと頻繁に『お』を付けていたのに、成長するに従って付けなくなった訳で、やはり、お育ちがよろしくないのかしら。  それにしても校長先生の丁寧語の用い方は基準が曖昧《あいまい》だ。どうせなら名詞のすべてに『お』をお付けになればよろしいのに。「我が校は、おフランス系のおカトリック校で御座います」とか。 「足で踏むのがどうしてイケナイのかしら、手で押すほうが不潔よね」 「全員が手で押せば汚れない、ということでしょう」 「私は、嫌よ、そんなの」 「そもそも今どき、和式のお手洗いなんて遅れているんじゃなくて?」  放送朝礼の後、がやがやと、学校のトイレについて話し合っていた時、 「ラバトリーとリバティーは、似ていると思わない?」  思い付いて、前の席の升本千春《ますもとちはる》に、こう尋ねた私は、お粗末でした。  一瞬、あなた、なにを、仰ってるの? という怪訝《けげん》な顔で眉間《みけん》に皺《しわ》を寄せた升本は、鼻でせせら笑い、即座に否定したのだった。 「似ていないわよ、全然」 「あなた、英語の感覚が鈍いんじゃなくて?」  升本だけでなく、帰国子女の山原美帆《やまはらみほ》にも小馬鹿にされてしまった。 「ラバトリーとリバティーに共通する要素なんて、ラ行で始まり、語尾を伸ばす、それだけでしょう」 「あなた、嫌アね、どうしてソンナ発想をなさる訳? とても信じられない」 「親父ギャグの足元にも及ばないんじゃない?」 「ギャグって面白いからこそ、認定される訳でしょう? なのに、なんなの」 「ラブラドール・レトリバーとラバトリーも似ている、なんて言い出すんじゃないでしょうね」 「やめてよ、うちのカレンちゃんが、どうしてお手洗いになっちゃうわけ?」  普段から嫌味な升本と、犬のカレンちゃんの飼い主である山原に、犬にも劣る言い方で散々|侮蔑《ぶべつ》された私は確かにお馬鹿でしたけれども、個室で自由に排泄《はいせつ》する、自由と個室、排泄と沈思、孤独と自由、という意味で繋《つな》がるかと思ったんです。  ま、いいや。いや、でも、学校での発言には気を付けよう。迂闊《うかつ》な事を言えば、お口のお達者なお嬢様達から猛烈な反論を浴びせられてしまうもの。  我が家のトイレの窓は、五月にもなると鬱蒼《うつそう》とした緑葉の陰になる。  私の頭の高さ程に位置する小窓を開けると、葉の間に青い小さな実が生《な》り始めたのが見えた。  実は、夏に向かって徐々に膨らみ、やがて赤茶色に熟す。私が生まれる前に植樹された無花果《いちじく》の木は、手入れもしないのに、毎年、よく茂り、よく実る。父さんによれば、昔は、便所の汲《く》み取り口の傍に無花果の木を植えている家が多かったそうだ。陽の当たらない裏庭でも無花果はたっぷりと栄養をとって肥えて、夏には美味《おい》しい実を鈴なりにつけたのだけど、何故、無花果が肥えるか。それは、今のような水洗便所ではなかったから、根が土中に滲《し》み出た天然肥料のエキスを自動的に吸収するせいだ、という。腹を空《す》かせた悪ガキでも、汲み取り式便所の中味を連想して無花果を嫌う者もいたそうな。  無花果は、中世ペルシャ語を中国で音訳して『インジークォ』と発音するのが、日本に来てから転じて『いちじく』となったらしい。『映日果』とも書く。日に映えて育つ果実であるはずの、花も実もある『いちじく』を、どうして無花果と表記するようになったのか。それは雌雄の花が実の中に隠れてしまうように見えるからで、実に見える部分は花托《かたく》である、と辞典には書いてある。  花が咲くのに、無花果だなんて。  日本人は見た目で、有るものも無い、と書いてしまう民族なんだわ、と思えば、少し憤りを感じるし、無花果に少し同情してみたりする。花も実もある無花果のように、花の咲かない女にはなりたくない。  ちなみに、夏の終わりに店頭に並ぶ無花果は、我が家のトイレの傍に生ったものではなく、青果市場で仕入れたもの。愛知や和歌山が主産地で、定かな話ではないけれど、一時、何かの病気が蔓延《まんえん》して日本全国の無花果が全滅しかかった事がある、と父さんが言っていた。タルトとか白ワインのコンポートとか、そういう小洒落《こじやれ》た細工をするより、そのままガブリと食べるのが、私は好き。私をそのままガブリとやられるのは御免だけれど。こういう事を書くと、ませてHな女子高生のようだけれど、父さんが冗談めかして言う『不純異性交遊』には無縁なままです、断っておきますけれども。  果物ナイフで一個ずつ苺のヘタを取り、水洗いをしてザルにあけ、余計な水分を落としてからホーロー鍋《なべ》の半分くらいまで入れる。そこにグラニュー糖をまぶす。それから残りの苺を鍋いっぱいに入れ、さらにグラニュー糖をまぶす。  母さんの形見と言うべき『新しい家庭百科事典』には、一晩おいておく、と書いてあるけれども、私はそのまま弱火にかける。そうすると苺の中の水分がどんどん染み出して来て真っ赤な汁が出来る。そこで、今度は檸檬の皮を剥《む》き、半分に切って種を取り、ぎゅっと搾って鍋に加える。市販の苺ジャムの場合は凝固剤としてペクチンを添加するみたいだけれど、手作りジャムは自然のペクチンが果実のうまみを生成するのだ。自然に出来た苺自体の煮汁で弱火でコトコトと時間をかけて煮詰めて行く。ぷくぷくと白い泡が出てくるのを掬《すく》いながら。  ホーロー鍋の中の苺は白い泡を出し続けている。  灰汁《あく》を掬う。 「灰汁は悪魔だと思って掬いましょう」  天井に響くような高い声でほがらかに仰ったのは平野レミさんだった。テレビでポトフの作り方を説明していた時の台詞《せりふ》。灰汁は飽くまでも悪魔です。これは升本に馬鹿にされても仕方ない、親父ギャグだ。つまらない駄洒落が口からこぼれたのを恥じて独り言を脳裏で回収し、根気強く丁寧に灰汁を掬う。  大型連休の後、店の中の気温はぐんぐん上昇し、なまものが急速に腐っていく。小粒の苺《いちご》はところどころ白くなり、徐々に茶色から黒染みだらけに変化する。「ちいさい苺はヘタを取るのが面倒でね」と言うオバサン達に「そんな事が面倒なら生きているのも面倒なんじゃないですか」と口答えをするのは止めて「甘いですよ、あまいとうまいは、同じ漢字だって知ってます?」と言ったら如何《いか》にも嫌なガキだと思われるから、それを言うのも止めて、大粒の宝石の輝きを放つ高価な苺の購買を奨励する。私は父さんよりも商売の勘がいいかも知れない、と自惚《うぬぼ》れるのは、オバサン達が「お姉ちゃんに勧められたのは、みんなおいしいわ」とお世辞を言った時だ。私、オバサンのお姉ちゃんになった覚えはないのですけどね、と言い出しそうで、自分の口が怖い。 「姉ちゃん、晩飯、なに?」  塾へ行く前の匠《たくみ》が聞いて来た。中学三年の受験生である匠は週に五日も塾へ行く。私は行かなかったのに。塾で補習をしなければ志望校に入れないなんて頭が悪い。 「えー、まだ、考えてない、だって今、ジャム、作ってんだもの」と答えると「ジャムは飯のおかずになんねえだろ」と文句を言うから、上品と下品な言葉を交ぜて指図する。 「只今《ただいま》、ガスコンロのひとつは使用中でございます、冷凍庫の焼きおにぎりでもチンして食ってけば」  電子レンジは匠のために買った。からだじゅうが胃袋、頭蓋《ずがい》骨の中味も胃袋なんじゃないの、と思うほどの大飯食らいの匠は、飯、飯、とうるさく言う割に自分で料理をしようとしない。  電子レンジは確かに便利。でも、電磁波はにんげんのからだによくないのだ。いい訳がない、匠の成績が悪いのは電磁波まみれの食べ物を多量に摂取したせいかも知れない。塾へ行くよりも電磁波から遠ざけたほうが賢明だと思う。しかし、いちいち手間暇かけて食わせてやるのも煩わしい。こんな時、母さんなら残り御飯をさっと握ってやるのだろうな。  母さんは、電子レンジを使わないひとだった。機械音痴なのではなくて。 「『原始レンジ』で作った食べ物がにんげんのからだに一番自然でいいのよ」  洒落た事を言ってガスコンロで煮炊きをしていた。  それにも拘《かかわ》らず、母さんの肉体は蝕まれてしまった、初めに乳房の片方から。  母さんの死は、まだ記憶が新しすぎて、苺が自分で真っ赤な汁を出すように、私の胸から鮮血のような涙が噴射しそうになるから、なるべく考えないようにする。  母さん。 [#改ページ]   乳房よ、乳房、永遠の  振り向けば、いつも母がいた。  私の背後には、必ず、母がいた。  今は目には見えない姿になってしまったけれども、私の背中を見詰めている。でも、あの日の母さんを思い出すと、言葉より先に涙が出ちゃう。  匠とふたりだけで病院にお見舞いに行った時の事。「日が暮れてしまうと危険だし、心配で眠れなくなるから、そろそろ帰りなさい」と言われて渋々帰る事にした。その頃の母さんは、まだ歩く事が出来た。玄関まで見送ってくれた。大きなガラスの自動ドアと客待ちのタクシーに挟まれて、こちらを見ていた。振り返って手を振ると、母さんも左胸の辺りに上げた掌《てのひら》を小さく振った。母さんの掌は、笑い顔に見えた。顔も笑っていたけれど、心配なような、嬉《うれ》しいような、寂しいような、だけど気丈であるような、なんだか複雑な表情だった。  たくさん振り返ると、わあっと泣き出してしまいそうで、私は俯《うつむ》いて歩いていたけれども、匠は「ママー、ばいばい、明日も来るね」と叫び、手を振りながら後ろ向きで歩いた。「ちゃんと前を見て歩きなよ」と注意しながら、私も振り返った。風が冷たいのに母さんは病室へ帰ろうとはしなかった。  匠のセーターの袖《そで》を掴《つか》んで病院の門を出る時、もう一度、振り返ったら、まだ立っていた。母さんは私達の姿が視界から消えてしまうまで、にこにこマークみたいな掌をこちらに見せて、ずっと立っていたのだった。  駅まで歩くうち、涙が溢《あふ》れた。  ぽろぽろとこぼれ落ちた。 「やーい、泣き虫だな、明日も父さんと来るんじゃないか、泣くなよ、バーカ」と早口で言う匠は「それにしても、うまかったなあ、明日も食べられるといいなあ」と言って舌を出し、唇の横をぺろりと舐《な》めた。  母さんの病院へは父さんの車で行く事が多かったけれど、その日は青果商組合の会合があると言い、私と匠だけで電車に乗って出掛けたのだった。六人部屋の病室の一番奥のベッドの上に、水色のパジャマに紺色のカーディガンを羽織った母さんは上半身を起こしていた。中学二年の私と小学六年の匠、子供がふたりだけで電車に乗って来た事を、如何にもお手柄だ、というように大袈裟《おおげさ》に褒める同室のお婆さん達は、シュークリームやジュースを勧めてくれた。匠は満面の笑みで頬張った。無邪気なガキそのものだった。お孫さんに久しく会っていないお婆さん達は、そういう匠が可愛くて、これもあれもと勧めるのだった。匠のガキ振りはお婆さん達を喜ばせたのだ。  母さんは私に「ごめんね、たいへんでしょ」と謝った。  入院の前に家事のやり方を教えてくれた。  洗濯をする時は、汚れ具合や繊維の質や色で分別してから洗濯機に入れる事、浜風で湿っぽくなるから二階の廊下に干したほうがいいけれども、時々は日光に当てたほうがいい事、お天気のいい日曜日は、病院に来る前に布団を干したほうがいい事、干した布団を叩《たた》くと中綿の繊維が壊れるので、そっと表面のゴミを払う程度でいい事、寝る前にお米を研ぐ習慣をつける事、トイレに入ったら出る時に必ず振り向いて点検し、汚れをその場で拭《ふ》いておけば掃除が楽な事、その他いろいろ、家庭科で習った事も習わない事も、細かく教えてくれた。父さんの誕生日には毎年、赤飯を炊くのだけれども、その年は私が炊いた。前の晩から水に浸した餅米と下茹でした小豆《あずき》を蒸籠《せいろう》で蒸す、昔ながらの本格的なやり方を母さんが教えてくれた。それをお重箱に入れて同室のお婆さん達に振る舞った時、一生分の褒め言葉を一度に降り注がれたようだった。娘が過剰に褒められて、謙遜《けんそん》ばかりの母さんも誇らし気だった。家事の練習をした事が後になって役に立つなんて、その時は考えもしなかった。私は臨時の代用主婦だと思っていたのだ。 「ごめんね、たいへんでしょ」と謝った母さんの顔を思い出すと、主婦の仕事も頑張れる。でも、病院の玄関前にずっと立っていた姿を思い出すと、せつなくなる。  入院するずっと前の夜、母さんが珍しく一緒にお風呂《ふろ》に入ろうと誘った。私の家では、匠、私、父さんと母さんの順でお風呂に入る。父さんと母さんは毎晩一緒にお風呂に入っていたのに、その晩、父さんは匠と入って、先に寝てしまった。 「大きくなったね」と母さんが笑うので、私は両腕で胸を隠した。胸が大きい事は、学校で男子にからかわれるし、恥ずかしくて苦痛だった。今は四十八キロだけれど、その時は六十四キロも体重があり、乳房も他の部分同様、肥満しているだけだと思っていた。けれど、痩《や》せた今でも、まだ大きい。『巨乳は低能の象徴である』というような事を貧乳の升本千春に言われた事もあり、今でもやっぱり苦痛である事には変わりなく、自慢どころか切り取ってしまいたいくらいだ。ちなみに私の身長は百五十六センチです。 「ボインちゃんなのね、母さんに似なくてよかったわ」  母さんは『ボインちゃん』という古臭い言葉で巨乳を表現し、それが恰《あたか》も美人の要素みたいに言った。  私は父方のお祖母ちゃんを少しだけ恨んだ。僻地《へきち》と言っても叱られないような田舎で農作業に精を出すお祖母ちゃんのおっぱいは、凄《すご》い。七十過ぎとは思えない。化け物みたい。でっぷりと太った体にラグビーボール大の肉の固まりを二個、ぶら下げている感じ。ぽこんと膨らんでいる胃袋の上に載せているようでもある。シャツをたくしあげ、おっぱいの付け根の大汗をタオルで拭いているのを何度も目撃した。びっくり仰天、卒倒しちゃう。九人の子供を母乳で育てたというのにピンク色のきれいな乳首をしているのだ。年をとると色素が抜けてしまうのかしら。  母さんは私の乳房を微笑んで見ていたけれども「ちょっと、触らせてね」と言い、私の返事も待たず、片手を私の右乳房に当て、揃えた四本の指と親指で挟むように揉《も》んだ。乳房の側面を徐々に移動させ、乳房の中味を確かめるようだった。俯いてじっと母さんの指を見つめていたら、次に母さんは、自分の小さな右乳房を同じ方法で触り始めた。そして「うん、やっぱり、そうなんだわ」と何か納得したように頷《うなず》いて、風呂場の電灯を見上げた。  次の日、母さんは近所の産婦人科へ行った。電車で二十分も行った先の国立病院に入院したのはまもなくの事だった。  実は、こういう事を書いていいのかどうか、ためらうのだけれども、国立病院に入院するまでの幾日間か、父さんと母さんは、盛大に、という言い方はおかしいか、激しい、と書けば嫌らしいか、熱意を込めて、というのも相応《ふさわ》しくないのだけれど、毎晩、長い時間、目一杯、セックスしていたのだった。  夜中、母さんの泣き声が聞こえたから部屋を出た。からだの具合が悪くて苦しんでいるのだと思った。お店に繋《つな》がる茶の間は両親の寝室でもある。階段を降りて「だいじょうぶ?」と尋ねようとして息をのんだ。布団の上の母さんは全裸だった。同じく全裸の父さんに下からしがみつき、泣いていたのだった。足を開いた母さんに覆い被《かぶ》さっている父さんも泣いているのか、背中を震わせていた。丸裸の赤ちゃんを抱いた経験はないけれども、自分が小さい頃、父さんにだっこされて湯船に浸《つ》かった遠い記憶が蘇《よみがえ》り、素肌と素肌が触れ合う感触が懐かしい、と思いつつ足音をしのばせて部屋へ戻った。  と、こんな風に書くのは親のセックスを覗き見た後ろめたさを誤魔化《ごまか》すためで、当時、中二の私にもセックスの知識はあった。耳年増《みみどしま》というやつだ。親友の田畑明子《たばたあきこ》が既に初体験を済ませていて、彼との行為をこっそり聞かせてくれた事もあったし、我が家とは違って部屋が幾つもある広い家で、明子のママがセックスの時、ものすごいヨガリ声を上げるという話も聞いていた。二階の端の明子の部屋には聞こえないだろうと高を括《くく》っているのは明子の両親だけで、一人っ子の明子はヨガリ声が聞こえると布団を被って耳を塞《ふさ》いで凌《しの》ぐらしい。そのうち、自分もセックスするようになり、彼に「おまえ、声が大きいよ」と指摘されてママと同じ体質である事を知った明子は、色情も遺伝するという事に衝撃を受けた。けれども、そのうちに開き直った。セックスした翌朝のママがどうして御機嫌うるわしくなるのか、実感した上で理解したからなんだって。  次の朝、母さんは泣き腫《は》らした眼をしていた。そうして「眠り過ぎて瞼《まぶた》が腫れちゃった」と笑った。父さんの瞼も腫れていた。「母さん、最近、塩分の摂《と》り過ぎかも知れん、顔が浮腫《むく》んでしまったよ」と夫婦揃って誤魔化した。大恋愛の果てに駆け落ちをした夫婦だ。その愛情を継続させる仲の好さ。夫婦|喧嘩《げんか》なんかした事がなかった。  私は早速、学校で明子にその事を打ち明けた。にやりと笑った明子は、ふーんと少し考えた後、急に深刻な顔をした。そして「ほんとうに泣いていたんじゃないの?」と言った。その時の明子の洞察力には今でも感心する。大人の女の賢明さには圧倒される。今になって考えてみれば、明子の言う通りだった。  父さんと母さんは、泣いていたのだ。  命の期限を宣告されて泣いていたのだ。  私は何も知らないで早く家事から解放される日を願っていた。「ママー」と甘える匠と同じ程度の幼稚な洞察力しか持っていなかった。  それにしても、母さんは父さんにたっぷりと愛された。私の未来もそうだといいのだけど。  登校する時は、東口と呼ばれる小さな改札口から駅裏に出て、納豆工場の横から石の階段を昇り、線路の上の架橋を斜めに横切り、旅館とコーヒー豆の卸問屋の間の路地を進み、右、左、右と角を曲がり、小さなパン工場の隣の通用門を潜って校舎に入る。  駅裏の道は、鍛冶《かじ》だの大工だの、そういう町名の、職人ばかりが集まって住む地域へと続く。架橋の先の線路沿いには硝子《ガラス》戸二枚分の入り口しかない小料理屋と居酒屋が連なっている。しまい忘れたのか色褪《いろあ》せた暖簾《のれん》を下げたままの店もある。  学校のある区画はと言うと、戦前は芸者置き屋の多い地域だった、と誰かが言っていたように、修道院もある学校の清く芳しいイメージとは程遠い。教室の窓際でおしゃべりをしながら外を眺めていた時、升本千春がクラスで一番お勉強のできない小松《こまつ》ひとみに向かって「あなた、大学へ進学なさらないなら、あそこに就職なされば」と指し示したのは『東京天国』というソープだった。なんて嫌らしいんだろう、愚劣、下劣にも程がある。風俗店の事じゃなくて、そういう笑えない事を平気で言う、歪《ゆが》んだ根性の升本千春。最低。  納豆工場は相変わらず大豆を腐らせた臭いをそこらじゅうに吐き出している。私と三島葉子《みしまようこ》はハンカチで鼻を塞ぎ、足早に架橋へと歩く。その通りには、時々、吐瀉物《としやぶつ》がある。はじめのうちは、この辺りでおなかの具合を悪くする人が多いのだと思っていた。腐った料理を出して客を食中毒に陥らせる飲食店は、早く保健所が調べて営業停止にすればいいのに、何故、いつまでも営業させているのだろう、と不思議でもあった。その朝も、石段の脇にもんじゃ焼きが丸く広がっていた。黄土色の中味の多くはラーメンだった。 「酔っ払いって嫌アね、吐くまで飲まなきゃいいのに」  目を背けた三島葉子は急ぎ足で先に石段を昇って行ったけど「あら、いやだ」とハンカチ越しのくぐもった声を上げ、何かを避けるような慌て方で架橋の上へと駆け上がった。  十段ほどの石段の真ん中に、半透明の黄緑色の長いゴムが落ちていた。ビヨーンと伸び切った、よれよれのゴムの袋だ。中に白い液体が入っているのが見えた。 「何、見てるのよ、早くいらっしゃいよ」  石段の上から三島葉子が真っ赤な顔で怒鳴った。どうしてソンナに怒るのよ、と返しながら私も石段を昇る。使用済みのコンドームが落ちているのも、朝の通学路の特徴なのだ。 「大人の男って嫌アね」  公立高の校長の娘で考えの固い三島葉子は、嫌悪を露《あらわ》にしてハンカチで鼻と口を塞ぎ、学校に向かって突進する勢いで走り出した。旅館から出て来た大人の男女にぶつかったのに謝りもしないで、その男女の間を駆けて行った。仲を裂かれた男女は白けた顔でそれぞれ別の方向に目を遣《や》り、無表情でオフィスビルの立ち並ぶ大通りへと歩いて行った。  大人の女も嫌アね、と言えばいいのに。セックスは男ひとりじゃできないでしょ。それにしても、野外、しかも石段でするなんて。お布団もお風呂もお手洗いもなくてたいへんだろうに、ホテルに行くお金がなかったのかしら。コンドームを使用するのは好《よ》いとして、終わった後、公共の場に捨てて行くのは不道徳だと思う。  私はのろのろと歩く。  三島葉子と改札口で合流する前に、電車の中で我孫子郁《あびこかおる》クンに手作り苺《いちご》ジャムを渡した状況を反芻《はんすう》しながら、ゆっくりと歩く。  母さんが入院していた国立病院近くの駅から電車に乗る郁クンは、私よりも一歳年上の高校三年で、今どき珍しい詰め襟の黒い学生服を着て、昔からの形の黒革の鞄《かばん》を提げている。郁クンの学校は県内の私立男子高で一番偏差値が高い。付属の幼稚園から大学院まであるのは、うちの学校と同じだけれども、こちらはカトリックで、むこうはプロテスタント。お金持ちの子弟が多いのも似ている。郁クンだけでなく、その学校の生徒は、皆、さっき美容院へ行って来たばかりなんだ、というような髪をして清潔な感じだし、顔まできれいな子が多い。同じ駅で下車するとはいえ、郁クンの学校は新聞社や中央郵便局やオフィスビルの多い街の中に在るから、大きな改札口を通って駅の正面に出る。  わずか駅三つ分の間でしかないけれども、郁クンに会うと思えば寝坊しないで身だしなみを整え、魚市場と最寄駅を結ぶ七時九分のバスに乗り遅れないようにするのだって苦にならない。私達は、毎朝、同じ車両の同じドアで待ち合わせている。ほんの短い時間だから、大した会話も出来ないけれども。 「苺ジャムを作ったの、加代子《かよこ》さんに、お味見してください、って伝えて」  男の子が持ってもおかしくないデザインの紙袋にきれいにラッピングした苺ジャムの瓶を入れて、渡した。 「お、さんくす、加代子、喜ぶよ」  郁クンは、にはっと笑った。 「じゃあ、また明日な」と片手を挙げて正面口の改札に繋がる地下道へと去って行く後ろ姿を、私はうっとりと見送った。身長は百七十五センチと言っていたけど、もっと高く見える。筋肉質で、贅肉《ぜいにく》なんか一ミリも付いていなさそうだし、姿勢がよくて動きがシャープ。幼い頃から芸事に打ち込んだ歌舞伎役者の御曹子みたいだし、塵《ちり》や埃《ほこり》なんぞ寄せつけないような立ち居振る舞いで、カッコイイんだもの。  加代子さんは郁クンのママだ。  初めて加代子さんと対面した日、私は加代子さんにも見とれてしまった。  美人ではないけど華麗、おしゃれだけど派手じゃない、オバサンだけどオバサンじゃない、若いけど幼稚じゃない、世間知らずなようで博識、大雑把なようで繊細、非常識なようで正統派、ぐうたらなようで勤勉、のんびりしてそうで闊達《かつたつ》、そういう両極端な雰囲気を醸し出す不思議なひとだ。  母さんの病気が進行して、もう立って歩けなくなった頃、それでも、まだ意識がはっきりしていて話すのは平気だった頃、加代子さんは母さんの隣のベッドに入院して来たのだった。  肩までの赤い髪をシャギーにして、ピンク色のチェックのパジャマを着た加代子さんは、私が病室を訪れた時、婦長さんに叱られていた。 「我孫子さん、入院の前に注意したでしょ、どうして約束を守れないんですか、マニキュアとお化粧はダメって言ったでしょ、爪も顔色も、患者さんの状態を知るのに大事なんですよ、すぐに落としてください、いいですか、分かりましたか」  大きな声でしつこく言われても加代子さんは「いいじゃないの、これっくらい」と言って取り合わないから、婦長さんはすっかり怒ってしまい、「私の言う事を聞かないなら、退院してもらいますからね」と入院したばかりの患者さんを脅迫するのだった。 「まったく、もう、本気で治すつもりがないなら入院しなきゃいいのに、もっとたいへんな患者さんがたくさんいるのに」と捨て台詞《ぜりふ》を残し、寝たきりのお婆さんのベッドの下に置いてあったオマルを掴《つか》んだ婦長さんは、いかにも不愉快だという足取りで肩を怒らせて病室を出て行った。  お婆さん達にお辞儀をしながら病室の一番奥の母さんのベッドに行き、ドーナツ形の椅子に腰掛け、遣り取りを聞かないようにして聞いていた私は、御挨拶《ごあいさつ》をするために立ち上がって振り向いた。三十歳くらいの独身女性に見えた。  点滴の管で拘束されて横たわる母さんは、顔を横に向けて「加代子さん、娘です」と私を紹介した。母さん達は早々と仲良しになったらしく、早速、友達のように名字ではなく名前を言った。  婦長さんに叱られた後なのに、あっけらかんとしている加代子さんは私の顔を真っ直ぐに見て「やっほ」と言い、うはっと笑った。相手がいくら中学生でも初対面なのに崩れ過ぎた挨拶だった。  加代子さんの左手首には点滴の針と短い管がテープで貼り付けられていた。一日に数時間だけ点滴をするのに、毎回、針を刺すと血管が破けたりして痛むから、栓をした十センチくらいの管と針を一緒に付けたままにしておく。その事は後から聞いた。血液が逆流して半透明の管が赤くなっており、一日中、点滴をしている母さんよりも痛々しい感じがした。加代子さんは「突発性難聴なの、左耳に砂嵐がふきすさぶ音が聴こえるの」と病状を言った。「放送終了後のテレビをつけっぱなしにしているみたいなの、スイッチがあるなら消したいわ、耳に届くリモコンでもあるといいのにね」と笑った。面白い人だなあ、と思った。  加代子さんと郁クン、母と息子、揃いも揃ってカッコイイ。大きい目玉や高い鼻や卵形の輪郭は、母と息子、瓜二《うりふた》つ。今は退院しておうちで仕事をしているらしい加代子さんにも会いたいけれど、郁クンとデートしたい。私達は、まだ、手を繋《つな》ぐくらいの関わりなんです。郁クンは、今年の夏休み、付属の大学へは行きたくないと言う割には予備校にも行かず、自動車教習所に通うらしいからデートする暇はなさそうだけど。  あ、遅刻しちゃう。通用門で待ち構えている風紀委員に文句を言われるのは鬱陶《うつとう》しい。急がなくちゃ。  それにしても、入院中の加代子さんは、面白かった。いろんなお母さんがいるものだ。一番いいお母さんは、長生きするお母さん。だからってうちの母さんがダメという訳ではない。私の家では、まだ、母さんの話は禁句に近い。匠は中三になっても、おいおいと泣いてしまう。私もだけど。 [#改ページ]   たおやかに、しなやかに、やわらかに  クラス全員、机に突っ伏している。  縦六列、横八列、ドミノの駒が倒れたみたい。  私も重ねた手首に額を載せて、机の匂いを嗅《か》いでいる。 『那由他《なゆた》いびり』が始まったのだ。  三時間目のチャイムが鳴った時、帰国子女の山原美帆が号令を発した。 「よくって? やるわよ! あーゆーれでぃー?」  随分と御機嫌がうるわしいのね、と嫌味のひとつも言ってあげたいくらい、こういう事になると異常に張り切る山原は、そそくさと自分の席へ戻り、居眠りのお手本はこうです、と言わんばかりに前屈《まえかが》みの背中を見せた。皆は山原の命令というより自分達の意思で同調する。『那由他いびり』とは、英語の平岡《ひらおか》那由他先生を虐《いじ》める事で、全員で寝たふりをして授業をボイコットするのだ。  赴任したての平岡先生はひょろひょろとした若い男で、髭《ひげ》の薄い色白な皮膚をして、いつも紺かグレーのVネックのセーターを着ている。最初の授業の日、黒板に名前を書いて「珍しいでしょう? 『那由他』というのは古代インドできわめて大きい数量を言い、梵語《ぼんご》の音訳なんです」と自己紹介した時、すかさず升本千春が手を挙げ「『なゆたけ』ではないのですか?『なよたけのかぐやひめ』の『なよたけ』は、『なゆたけ』と同じ意味で『萎《な》える竹』と書くんですけど」と英文法の授業だというのに、わざわざ中学の時に習った『竹取物語』を持ち出して自己顕示欲を発揮したのだった。 「いや、『け』は付いていないんだよ」  平岡先生は涼やかな顔で微笑んだ。 「あら、やだ、鈴木先生に聞かれたらまずい発言じゃなくって? 毛が無いなんて。貶《けな》し言葉の『けなし』でもある訳?」  挙手もせず、山原が一気にべらべらと喋《しやべ》り、茶化した。平岡先生は、一瞬、困った表情をしたけれど「僕は、この名前が気に入っているんだよ」とさりげなく言い、出席簿を開いて名前を読み上げた。 「いわきしとうこさん?」  平岡先生は、私の名前を正しく読み上げてくれた。イワキシキリコじゃ、キリキリ舞いのキコリみたいだけれども『桐子』は『とうこ』と読むのだ。昔は、娘が生まれると桐を植樹してお嫁入りの時に切り倒して箪笥《たんす》にしたらしいけれど、私の場合は、母さんが娘時代に生田《いくた》流の箏曲《そうきよく》つまりお琴を習っていたのに駆け落ちをしたため断念せざるを得なかったという事もあり、ちょっと過去にこだわって琴の材料である桐を私の名前に付けたらしい。琴のように繊細で優雅でしなやかな女性になりますように、という願いも込めて。  ふりがなが付いていても『キリコ』と読んでしまう粗忽《そこつ》な大人が多い中、平岡先生は私の顔をきちんと見て、きちんと読み上げてくれた、そういう誠実なお人柄なのだ。その平岡先生を虐めるなんて私には後ろめたいのだけど、反旗を翻す程に英文法を学びたい訳でもない。  机の匂いを嗅いでいると眠ってしまいそう。  眼を閉じてうつらうつらしていたら、開け放した教室の窓からパン工場の匂いが漂って来た。隣の『ひよこ製パン』は学校の購買部にも卸していて、刻んだゆで卵とパセリのマヨネーズ和《あ》えや焼そばやナポリタンを挟んだり、一般的なコッペパン、メロンパン、あんパンなど種類が豊富で、安いし、美味《おい》しいのだけれども、工場から吐き出される香ばしい匂いは「お昼休みには『ひよこ製パン』をどうぞ」と広告しているようなものだ。朝食抜きの子が殆《ほとん》どだから、三時間目あたりになると授業に身が入らなくなる。それで月曜日の英文法はボイコットを試みるという次第。  教室の扉の開く音がして、平岡先生が入って来る気配がした。私はこころもちからだを硬くして先生の出方を窺《うかが》っていたけど、しーんと静まり返ったままだ。  恐らく皆、私と同様、居眠りの姿勢を固めているに違いない。誰もが次の展開を期待しているのに、毎度の事とはいえ、先生は今日も絶句しているらしい。  やがて、本かノートを開く紙の音がして、軽い咳払《せきばら》いの後、「二十四ページ、とうこさん、読んでください」という声が聞こえた。え? 私? どうして私に御指名なの? 私は呆気無《あつけな》く共同戦線離脱。顔を上げて教科書を開くと、数名が身を起こしていた。升本がわざとらしく「つまんないの」と言った。  私の英語の朗読には独り間《あい》の手が入る。  えと、あっと、んっと、えっと。  途中で発音を考えてしまうからつっかえてしまうのだ。家でならスラスラと読めるのだから、私は意外にも緊張しやすい体質なのかも知れない。  案の定、ほんの数行の例文を、三回程、躓《つまず》いて読み終え、正面を見ると、山原美帆が斜めに振り向いて私を睨《にら》んでいた。「イラツクわね、まったく」という顔だ。こちらこそムカツクから振り向かないでよ、という意味を込めて私も睨み返した。  バイリンガルの山原は英文法が嫌いだ。喋るのは達者でもテストの点数が悪いから。平岡先生を小馬鹿にして授業妨害をするのはそういう理由による。「観光旅行に毛の生えた程度の留学しかしていないのに、よくもまア、英語教師になったモンだわ」の台詞の後には決まって「あたしなんか三歳から十一歳までニューヨークに住んでたんだから」と続く。それがどうした、山原美帆。私なんかお祖母ちゃんの方言を通訳する事が出来るのよ、現代の日本では希少な通訳者なんだから。自慢にならないけど。  授業が進められた。平岡先生は悪戯《いたずら》をしてみたい年頃の私達の扱いが上手になったみたい。勿論《もちろん》、修道女《マ・スール》に告げ口したりするような先生ではないし、スマートで優しくて、升本の言った通り、弱竹《なよたけ》のようでもあるけれども、弱竹だって、若々しくてしなやかな竹という意味だし、私にとってはこの世の男の中で五番目くらいに好感が持てる。 『那由他いびり』なんぞ、決してしなかったかのように、皆、教科書を開き、姿勢をただしている。他の人が指されている間、私は我孫子郁クンの事を考える。  郁クンは今、何の授業を受けているんだろう。  郁クンの事を考えると連鎖的に加代子さんを思い出す。入院中の加代子さんは不思議な人だった。  加代子さんの行動は観察のしがいがあった。  本を読んだり、何か文章のようなものを書く時は、枕元のほうに向かってベッドの上に正座する。背筋を伸ばして写経でもしているような座り方だ。そして、やおら顔を上げ、名札やナースコールのボタンをじっと見詰めていたかと思うと、可動式の横長のテーブルに頬杖《ほおづえ》をつき、何かを思案する。そうかと思うと、再び何かを書き始める。勿論、手首に点滴の針とチューブをつけたままだ。  加代子さんは御飯を食べるのが遅い。お婆さん達が食べ終わっても、まだお箸《はし》を持っている。食べ終わると、のっそりとベッドを降り、自分のお盆を持って廊下へ出る。そこまでは普通だけど、頼まれもしないのにお婆さん達のお盆を運び出す。何も言わないで、ふたつずつ持って、二往復。食後のお茶を飲んだ後、いつまで経っても看護婦さんがお盆をさげに来てくれないので、お婆さん達は寝ている。そういう頃を見計らって運び出す。加代子さんにお盆を片付けてもらった事に気付かないお婆さんもいる。お礼を言われるのを避けるように、さっさとやってしまうのだ。それが終わると小さなポーチをふたつ持って病室を出てしまう。  パジャマと同じピンク色のスリッパを履いた加代子さんの食後の行く先は、お手洗いだ。必ず歯を磨く。それは普通だけど、歯磨きが終わると化粧を直す。あれほど婦長さんに叱られたのにファンデーションを叩《はた》いて口紅を塗る。ところが、せっかく塗ったのにティシューで口紅を拭《ふ》き取る。あ、なるほど、と私は気付いた。まったく塗らなければ白いだけの唇でも、一旦《いつたん》、塗って落とせば、血色のよい、きれいな薄紅色になるのだ。眉毛《まゆげ》はきっちりと描く。でも、マスカラをつけたり頬紅をつけたりはしない。パジャマ姿に似合う化粧の仕方を会得しているらしい。私は偶然を装ってお手洗いへ行き、さりげなく観察していた。鏡越しに、えへ、と笑う加代子さんは、化粧が終わると何故か病室へは戻らず、どこかへ行ってしまう。それもエレベーターに乗らず、三階から階段を降りて。  どこかへ行って帰って来た加代子さんは、やはり直接には病室へ入らず、必ずお手洗いに立ち寄る。手を洗ってうがいをする。指先を鼻に近付けたり、パジャマの胸元を摘《つま》み上げて、くんくんと匂いを嗅《か》ぐ。それから鏡の中の自分と対面し、一通りの仕事が完了したという表情で病室へ戻る。私に会っても加代子さんは「やっほ」と言うだけで、余計な話をしない。無口なのかと思えば、母さんの枕元に座って、大人の女同士の話をする。それも、母さんが疲れない程度に、ゆったりと、ふんわりと。  それから不思議な事に、加代子さんが同室になってから母さんの洗濯物がなくなった。紛失したのではなくて、洗濯しなければならない汚れ物がなくなったのだ。母さんの下着やタオルなどは、父さんが週に一回まとめて家に持ち帰って洗濯していたのだけど、すべて何も汚さなかったようなきれいな状態で、きちんと畳まれていた。付き添いの人を頼んでいないし、完全看護と言っても看護婦さんはそこまでしない。これまた頼まれもしないのに加代子さんがやっていたのだった。父さんがお礼を言うと「あくまでも、ついでだから。ひとり分も、ふたり分も、同じだもの」と言い、全然、どうって事ないという顔をしていた。母さんは男のひとに自分の下着や肌着を洗濯してもらう事に抵抗があるといった様子はなかったにしても。  寝たきりになってしまった母さんの髪をとかしてくれたのも加代子さんだったのだと思う。バタバタと忙しそうな看護婦さんがやってくれるとは思えないもの。からだの自由が利く加代子さんは、私達がお見舞いに行くと殆どの場合、母さんの枕元に座っていた。  その加代子さん自身の病状といえば、砂嵐を消すリモコンがなかなか見つからない様子で、普通の突発性難聴なら二週間くらいで退院できるらしいのに、ひと月以上、入院していた。お見舞いに来るのは私と同じくらいの中学生の男子とダンディーなおじさまだった。その中学生が郁クンだったのだけど、いつもぶっきらぼうで、物凄《ものすご》く不機嫌な表情をしていた。感じ悪いやつ、というのが第一印象。何故なら、母親に向かって名前を呼び捨てにした上、偉そうな口ぶりで怒るんだもの。 「加代子、いい加減にしろよな、いつまでも退院できねエだろ」  なんて親不孝な馬鹿息子だろうと思った。きれいな顔をしてるのに、なんなんだ、この言い方は、と蔑《さげす》みたいくらいだった。  加代子さんは郁クンが来るたびに虐められた。  加代子さんのベッド脇の物入れの引き出しを開けた郁クンは、小さなポーチを取り出し「これは持って帰るからな」と言った。  黒い布製のポーチで名刺の箱が入る大きさだった。 「やめてよ、置いてってよ、これでも気を遣ってんだから」  困った顔の加代子さんは点滴の針のついていない右手で素早くそのポーチを取り上げて「これがなかったら、あたし、死んじゃうもの」と半分だけベソをかく真似をした。 「気を遣うなら自分に気を遣えばいいだろ、矛盾した事を言ってんじゃねエよ、アタマ悪いな、相変わらず」  酷《ひど》過ぎる暴言に、私はすっかり腹が立ち、加代子さんが世界一不幸なお母さんに思えて気の毒になった。聞かないふりをして聞いていたのだけど、思わず、その馬鹿息子を睨み付けたくらいだった。  郁クンが怒った理由は、夕御飯の後で判明した。  見ちゃった、ぷかーっと煙を吐き出して、はうっと大きな溜《た》め息をつき、極楽だなあ、という顔をしてる加代子さんの姿を。  行方不明になるのは、煙草を吸いに行っていたからだった。それも喫煙室ではなく、病院の裏口を出たゴミ置き場。手を洗ったりうがいをするのは煙草の匂いを消すためだったのだ。病院の売店には、病院だというのに煙草を売っている。小さな矛盾と大きな矛盾に気付き、こころあたたまる暴言を吐いた郁クンと、息子にちょっと甘えている加代子さんの事が好きになった日だった。  郁クンの今日のお弁当は何だろう。加代子さんのお料理の腕はどうなんだろうか。  お弁当の時間になると、皆、机の向きを変えて寄り合いのテーブルを作る。私は右隣の矢萩《やはぎ》さんと後ろの北田《きただ》さん達と一緒に食べる。県外出身の矢萩さんは寮母さんが作った海苔弁《のりべん》を出し、またか、と小鼻を歪《ゆが》めた。北田さんのは、幼稚園児用なんじゃないの? というくらい小さくて彩りのいいお弁当。  私は苺《いちご》ジャムの瓶を包んだハンカチの結び目を解《ほど》いた。これとクラッカーとグリーンサラダが今日の私の昼食。御飯を炊き忘れたのではない。 「それって、お弁当じゃなくて、おやつなんじゃないの? 校則に違反してるわよ、マ・スールの許可は得てるの? お菓子を学校に持って来ちゃダメなのに」  目ざとい升本が批判がましい事を言って来た。面倒だと思ったけれども、この時ばかりはと、私は猛然と反論した。 『ひよこ製パン』のジャムサンドがよくて、どうしてこれがいけないの? ジャムは私の手作りで、どこかのお母さんみたいに冷凍食品を揚げたり温めるだけのおかずとは違うのよ。パンと同じ小麦粉から作られたクラッカーが、何故、いけないの? スパゲティーやうどんと同じ原料でしょ。ジャムが果物じゃなくて小豆《あずき》で、クラッカーがパンならいい訳? これの、どこがいけないのよ、昼食の時間以外に食べればお菓子だろうけど、主食とする限り、これは立派なお弁当でしょ。  升本は「あら、失礼したわね」と膨れっ面をして席を離れて行った。  差し出がましい批判は犬にでも食わせろ、と言ったら犬が可哀想だけど、カロリーが低くて脳味噌《のうみそ》のエネルギー源となる素晴らしい取り合わせの昼食を、みすみす断つ訳にはいかないもの。  ジャムを載せたクラッカーをお裾分《すそわ》けしようとすると、矢萩さんも北田さんも「甘いものは太るから」と言って拒絶した。  私はジャムの効能を説明してあげた。  脳のエネルギーはブドウ糖でしか補えないようになっている、ジャムの成分がぶどう糖や果糖に分解されて脳の働きをよくするのだ、メラノイジンという物質は活性酸素を減らし、透明なペクチンは水溶性の食物繊維であり、間違いなくジャムは健康に良い、だから大量に摂取しなければ太らないし、午後の授業にも役に立つ。 「そうなの、知らなかった」  北田さんがクラッカーに手を伸ばしてくれたので、私は嬉《うれ》しくなり、ジャムの作り方も伝授してあげようかと考えた。矢萩さんもおずおずと手を伸ばし、口に入れる前にちょっとだけ会釈をして「しょっしなっしー」と言った。 「え?」ひとくち齧《かじ》った北田さんが「今、なんて言ったの?」と尋ねた。 「あ、しまった」  矢萩さんは慌てて口元を押さえた。 「また出てしまった、私、母国語、捨てたはずなのに」  訛《なま》りを無理に矯正した訥弁《とつべん》の矢萩さんは耳まで真っ赤にさせた。 「ありがとうの意味だよね」  私がフォローすると、矢萩さんは感心したように「よく知ってるね」と顔をほころばせた。 『しょっしなっし』を丁寧語に直すと『�おしょしいなあ�と思う事で御座います』となる。『おしょしい』というのは、私の住む県では『お恥ずかしい』という意味なのだけれども、隣の県では『これはこれは、まことに自分がお恥ずかしく思える程にありがたい事です』という意味にどんどん変化して、お礼を言う時に用いられるようになったらしい。 「方言は漢字で書ける場合が多いのよ」と教えてくれたのは母さんだった。  東京育ちの母さんは、大学の農学部で野菜作りの研究をしていた父さんと知り合って田舎へ辿《たど》り着いたのだけれども、最初のうちは方言が理解出来ず、短気なお祖母《ばあ》ちゃんは、スッとぼけて他人の話をまともに聞かない女だ、と偏見を持ってしまい、都会育ちの娘に百姓育ちの息子の嫁は勤まらない、と結婚に猛反対したという訳。  母さんに言われて辞書をひいてみると『おしょしい』はちゃんと載っていた。但し『笑止』で。『しょっしい』『おしょしい』は漢字交じり文にすると『笑止い』『お笑止い』である。気の毒で滑稽《こつけい》な自分を謙遜《けんそん》して、やがて「お恥ずかしい」と用いるようになった、とある。  そういう発見をきっかけに私の方言へのこだわりは加速度を増し、今や、蝦夷《えぞ》征伐の平安武将、坂上田村麻呂《さかのうえのたむらまろ》の時代からこの地に住み続けているのではないかと思えるような近所のお婆ちゃんの話も理解出来るようになったのだ。  母さんにべったりとまとわりつく匠に「あらー、なんだべ、そべでは」と客のお婆ちゃんが言った時も、私は二階へ上がって辞書を開いたものだ、と威張ってみる。  方言の『そべでは』は『そばえては』が訛ったものだ。『そばえる』は『戯える』と書く。「馴《な》れて戯れる、ふざける、あまえる」という意味で『枕草子』には「そばへたる小《こ》舎人童《どねりわらは》」とあるらしい。そういう例文が出ていた。また、『戯える』は「風がおだやかに吹く」「日が照っているのに雨が降る」という意味でもあるらしい。風が戯れるように吹くという事は、そよそよとした暖かい風なのだなと想像出来るし、おてんとうさまがちょっとふざけて雨を降らせ、雨乞《あまご》いをする農民の皆様がたを喜ばせるという微笑ましい田園風景や、いいお天気だなあ、とのほほんとしている人をからかって意地悪にならない程度に雨を降らせる情景が浮かんで来る。なるほど、凄《すご》いなあ、感心しちゃう。やっぱり方言は古文に繋《つな》がるれっきとした正しい日本語なのだ。 「いいのよ、自分の言葉で話せばいいのよ、堂々と方言を遣っても構わないのよ」  母さんの口調を真似たくなり、実際、声に出して言ってみた。 「ありがとう、そう言って戴《いただ》けると安心するわ」  矢萩さんは標準語で丁寧に言った。  あれ。今気付いた。郁クンも加代子さんも方言を話さない。我孫子家はどこから来た方々なのだろう。  北田さんがふた切れ入っていた卵焼きをお弁当箱の蓋《ふた》に載せて「召し上がれ」と私に差し出した。お砂糖やだしの入っていないプレーンな味だった。明日は、店の一番高い果物でも持って来ようかな。  カトリック女子高の昼休みは、つつまし気なお弁当をお行儀よく戴いて、のどかに、たおやかに、過ぎてゆく。 [#改ページ]   奉仕の氣持に、なることなんです  学校の中の色彩は、暗から明、濃から淡へと変化した。  紺一色のセーラー服から白地|長袖《ながそで》の夏服に替わったのだ。  鼠色のマ・スール達の修道服も涼し気な薄い灰色になった。  夏服は、ルイ王朝の紋章に似た校章と三本の細い白線の付いた紺色の襟、カフス、タイの他に、身ごろの左脇を小さなスナップで留めるだけという簡便な作りになっており、満員電車で引っ張られて襟やカフスが外れたりしたら不様になるし、全部で二十個以上もあるスナップをいちいち留めたり外したり、着脱の手間が掛かる。でも、気持ちは軽やか、からだは清らか、魂まで純白に変化したよう。真夏に歓迎されている気もするし、逆に、こちらから猛暑に向かって行くような、そんな感じ。  衣更《ころもが》えの日は丁度、月に一度の全校礼拝のある月曜日だった。普段は『タブリエ』という真っ黒い割烹着《かつぽうぎ》というか、幼稚園児が着るスモックのような上っ張りを着る。黒いタブリエに身を包んだ私達は、他校の生徒から『カラスの集団』と揶揄《やゆ》されたりする。でも、体育館での礼拝の日は着ない。身だしなみチェックがあるから。入り口の両脇に先生達が並び、その間を生徒の行列が抜けて行く。  冗長な校長先生のお説教が漸《ようや》く終わり、礼拝終了のお祈りをして、しめやかに、ぞろぞろと、黙々と、渡り廊下のほうへと無表情の行列が進む。一言も話さず整然と監視の眼の間を潜り抜けて行く様は女囚の大移動のよう。行列は五十音の学籍番号順で、私の前は安曇《あずみ》さんと綾瀬《あやせ》さんしかいない。私達の前を行く一年星組の子が、監視員のひとりに腕を掴《つか》まれ、摘《つま》み出された。  監視員の中に那由他先生が余り気乗りしていなさそうな顔で交ざっており、その横に妙に取り澄ました顔のマ・スール菱川《ひしかわ》が立っていた。しかめっ面をしていてもエクボが出来てしまう顔をどんなに引き締めたところで、だらしなく惚《ほう》けているようにしか見えない。 「菱川って、ピンクのパンティーを穿《は》いてるのよ、しかも安っぽいスケスケのナイロン製」  マ・スール菱川はおっちょこちょいの国語の先生で、何年か前、放課後のお掃除で床の雑巾掛《ぞうきんが》けに加わったのはいいけれど、どん! と前につんのめり、瞬間、修道服の裾がめくれて下着が丸見えになったらしい。おまけに、市内一大きな丸吉デパートの下着売り場で、大量の小銭をじゃらじゃらと出してお勘定を払っていたという目撃情報が加えられたため、ルルドの泉に投げられたお賽銭《さいせん》みたいな小銭をネコババしたのだとか、毎日少しずつ小銭を貯めていたブタさんの貯金箱を壊してパンティーを買ったのだとか、菱川の伝説は乙女の想像と邪推で脚色されている。自分ひとりが納得して悦に入る自己陶酔型の授業をするマ・スール菱川には威厳など一切感じられない。今日の五時間目には『進路指導ガイダンス』がある。進路指導員のひとりでもある菱川に、どういういきさつで国語教師を兼ねた修道女《マ・スール》になったのかを尋ねてみたいものだ。ま、私は発言や質問などしないだろうけど。  列のずっと後ろのほうで、何かが倒れ落ちる音の直後、きゃあ! と叫ぶ誰かの声がした。咄嗟《とつさ》にマ・スール久保田《くぼた》が踝《くるぶし》まである長い修道服の裾をバタバタいわせて駆け出した。他の先生も追随したので監視員の人垣で狭められていた入り口は大分広くなった。 「二年菊組の保健委員はどなた?」  久保田の声に、私と右隣を歩く薄磯《うすいそ》さんが挙手し、列を離れた。矢萩さんが倒れていた。 「保健室へ運んで!」という久保田の指示を薄磯さんが遮り、毅然《きぜん》とした表情で提言した。 「原因不明の卒倒の場合、絶対安静が肝要だと思われます。私の祖母が脳卒中で倒れた時も、決して動かさず医師の到着を待つべし、と母が申しておりました」 「あ、そうね、そうで御座いましたわね」  久保田は学年トップの成績で利発な薄磯さんの発言に相槌《あいづち》を打ち、私に「じゃあ、岩岸さん、養護の白井《しらい》先生を呼んでいらっしゃい」と命じた。  保健室の白井は手鏡を覗き込み、ビューラーで睫《まつげ》のカールをしている最中だった。  白衣に不釣り合いな厚化粧の白井を伴って体育館へ戻った時には、薄磯さんと矢萩さん以外の生徒達はすっかりいなくなっていた。  床に寝転がされたままの矢萩さんは目を開けていて、野次馬程度の存在でしかないマ・スールや先生達に覗《のぞ》き込まれていたのだけど、私の顔を見るなり苦しそうに顔をしかめて片目を瞑《つむ》り、何か言いたそうにした。  白井が矢萩さんの顔色を窺《うかが》い、自分の腕時計を睨《にら》みながら脈拍をとるという形ばかりの診察をし始めると、か細い声で「だいじょぶです」と、ほんの少し訛《なま》りながら呟《つぶや》いた。 「大丈夫なのね、立てるのね、歩けるのね」久保田は質問するばかりで手を出そうとはしない。私と薄磯さんとで、矢萩さんの両腕を支えて保健室へ連れて行き、ベッドに寝かせた。 「スカートのホックを外して、もしもガードルを穿いているなら脱がせてあげて」  白井に指図されて私が手を出そうとすると、矢萩さんが「生理中だから」と頬を真っ赤にさせ、恥ずかしそうに自分でスカートのホックを外したものの、ガードルを脱ごうとはしなかった。 「もう授業が始まるけど、しばらく、どちらかがついててあげて」と白井が言う。  養護教諭の職務とは生徒への命令と委託ばかりなのか、と思ったけど口には出さず、私が残る事にした。  ベッドの横のパイプ椅子に座って矢萩さんの大福餅《だいふくもち》よりも白い肌を見詰めていたら、母さんの傍らにいつもいてくれた加代子さんの姿を思い出した。 「あのね」  カーテンの向こうにいる白井には聞こえない囁《ささや》き声で、矢萩さんが私の目を見て、何かを訴え始めた。 「生理痛が、酷《ひど》いの、内側から壊されそうなの、腰の骨が、砕かれそうに、痛いの」  目が潤んでいた。 「鎮痛剤、貰《もら》おうか?」  私も無声音で尋ねると、いいの、と微《かす》かに首を横に振った。 「てんばつ、くだったの」と、さらに小さな声で言い、矢萩さんは、もっと小さな声で「ねえ、耳、貸して」と私のほうに顎《あご》を突き出した。  なあに? と私は髪の毛を耳の上にかけて、矢萩さんの唇に近付けた。  はじめてのえっちのあと、さいしょのせいりは、たいへんなんだって。  えーっ!  私は声に出さずに驚き、しちゃったのお? と口をパクパクいわせると、矢萩さんの頬は苺色《いちごいろ》の大福餅になった。そして、はにかみながらも、にんまりと、嬉《うれ》しそうに、なんていうのでしょう、如何《いか》にも幸福な女の顔になり、うん、と笑った。  すごーい、だれと?  それは、あとでね。  ひゅう〜!  純情で、朴訥《ぼくとつ》で、可憐《かれん》で、引っ込み思案で、一生、処女のままでいそうな矢萩さんの衝撃的な告白だった。私はなんだか幸福のお裾分けを戴《いただ》いたようだった。明子の告白の時よりも、矢萩さんのほうが何倍も初々しかった。  矢萩さんは静かに目を閉じた。破瓜《はか》の痛みの余韻に浸っているように見えた。  一時間目が終わった休み時間、担任の須賀《すが》チビがやって来て「矢萩、早退したほうがいい、俺が寮まで送って行くから。岩岸、御苦労、教室へ戻れ」と言うので、私は矢萩さんにウィンクして保健室を出た。  しちゃったのかぁ、いいなあ、というのが率直な私の感想で、いつか、そのうち、私もそうなるのでしょう、という期待を込めて、耳年増《みみどしま》が過剰になっても構わないから、もっと話を聞いておこう、と思った。 「我が校の卒業生は、国際社会において素晴らしい能力を発揮いたしまして、世界中の方々に奉仕なさり、たいへんな活躍をなさっておいでです。皆様も賢明な選択をしなければなりません。我が校で培われた奉仕の精神は、家庭のみならず社会において立派な女性として認められ、感謝されるに相違御座いません」  体育館の演壇に立つ菱川は、あらかじめ用意したノートや本を広げ、演壇の天板に対して話している。私達からの一斉の視線を避けているような棒読みだ。  マ・スール菱川、御自分はどうなんです? 国語の時間を居眠りに活用させて戴いている私達は、まず、睡眠を補給出来る事に感謝、その事を咎《とが》めもせず勝手に授業を進めて行く事に感謝、誤答に〇が付いている採点ミスが多い事に感謝、国語への興味を損なわせる程度の教鞭《きようべん》の御奉仕に感謝しなければならないのでしょうか? 指導要領そのままとしか思えないような指導力しかなく、別に、鼠色の修道服には似合わない薄いスケスケのピンクのナイロン製パンティーを穿いているらしい事はどうでもいいけれども、陰で生徒から侮られる粗忽な性格の人が、何故、修道女になったのか、不思議。  聖職に就く事で世界中の方々に御奉仕出来ると信じるなんて、相当な自己過信であり、買い被《かぶ》りなのじゃないかしら。  私にとって、奉仕という言葉から連想するのは、中原中也の『春日狂想』の1だ。 『愛するものが死んだ時には、自殺しなけあなりません。』から始まり、『奉仕の氣持に、ならなけあならない。』で終わる。  生きている限りどうしようもなく深く長い哀しみを抱えた人自身を救済するのが、奉仕なのだろうなあ、と思う。生々しい哀しみを体験した人は、少なくとも未経験の人よりは、他人の哀しみや苦悩を認知出来るだろうし、誰かに自分のおこないを捧《ささ》げる事で、暗闇に埋没して逼塞《ひつそく》した状態から抜け出せそうな気がする。母さんが亡くなってからの私が、弟の匠の世話をしたり家事に勤《いそ》しむのは、姉だから、家に主婦がいなくなったから、匠や父さんに感謝されたいからとか、そんな属性や利便性や見返りへの期待とは無縁なところから理屈抜きに湧いてくる、自分でも驚くくらいの優しい気持ちに因るものだと言える。理屈っぽい事を書いちゃうのだけど、自然発生的に優しい気持ちになって行う事こそが奉仕だと思う。でも、うちの学校の部活動で一番歴史のある『社会奉仕部』の活動を批判したりはしません。学校名、団体名を名乗ってしか出来ない奉仕もあるだろうから。  マ・スール菱川の授業は、奉仕の精神を履き違えている、と私は考える。居眠りさせないくらいに面白い授業をして欲しい。だって、私は国語が好きなんだもの。  国語教師になるにしても、修道女になるにしても、進路を決意した時の心境や状況を知りたいと思うのに、進路指導では、如何に偏差値の高い大学や短大に入るか、如何に地元の優良企業に入るか、そのためにどんな準備をしなければいけないか、そればかりだ。『マ・スールへの道』と題して、生涯、宗教の世界に身を捧げるに至った経緯でも講演して欲しい。けれども、それは無理だろうな。マ・スール達は個人的な打ち明け話などしない。両親が敬虔《けいけん》なカトリック教徒だったからとか、少女時代にキリスト教に人生を捧げたいと思ったからとか、当たり障りのない理由しか公言しないし、生い立ちは勿論《もちろん》、実年齢を明かす事さえ皆無だもの。実際はどうなんでしょう。生娘時代にレイプされて身も心もボロボロになり救いを宗教に求めた、なんていう悲劇的経歴を持つ人はいないのかしら。  ガイダンスの帰り、教室まで椅子を運び歩くのは、徒労にしか感じなかった。  朝の通学路とは違い、大通りを歩いて駅の正面改札前に立つ。  時刻表の横の大きな時計は、待ち合わせまで、あと十分もある事を示していた。どこぞの誰かの視線はないか、注意深く人込みを見回す。脇目も振らず改札を潜って電車に乗るべきセーラー服の女子高生は、本日、無届けの寄り道をします。誰かにこの姿を見られてはイケナイ。  校則では制服着用のままの寄り道は厳禁で、下校途中にどこかへ行く時は、どんな些細《ささい》な用事でも目的地と理由を書いた保護者の署名|捺印《なついん》付きの生徒手帳を担任に提出しなければならない。しかも街のいたる所に出没する卒業生、いわゆる同窓会のおばさま方が、校外での後輩を監視する奉仕に勤しんでくださり、買い食いしたり、喫茶店などに入る生徒を発見したなら「母校が、制服が、穢《けが》れる!」と激怒し、御親切にもわざわざ学校に通報してくださる。  お陰様で現役の私達は学校の外でも一挙手一投足を見張られている事になる。その見張りは、時々、御満悦の微笑みとなり「まあ、懐かしいわ、わたくしも同じ制服を着た時代がありましたのよ。しっかりお勉強なさってね」などという唐突でお節介な御鞭撻《ごべんたつ》に転じたりもする。子供を産んでいる癖に、マリア様みたいに処女懐妊でもなかった癖に「卒業して数十年経って尚《なお》、わたくしは未《いま》だ清く芳しく麗しい白い花の如き処女なんですの。宜《よろ》しくて、わたくしは御覧の通り、処女なんですのよ」と主張するように、見ず知らずの後輩を捕まえては図々《ずうずう》しく話し掛けて来たりする。  改札口で待ち合わせているのは、我孫子郁クン。  男子高校生と連れ立って電車に乗る後輩を発見したなら『半径二メートル以内に肉親や教師以外の男性を近付けてはならない』という校則があった時代の教育を受けたおばさま方は、きっと「時代が変わったとはいえ、母校の生徒の、なんと不埒《ふらち》で、尻軽《しりがる》で、穢らわしく、ハシタないこと」とお嘆きになるだろう。  朝の電車で「加代子が、明日、トーコをうちに連れておいで、って言ってるんだ」と郁クンに言われた時は、校則も同窓会も、倫理もお作法も、奉仕も親切も、夕方の家事も匠の世話も、何もかもが吹っ飛んでしまい、わぁ! うれしい! と思わず顎《あご》の下で両手の指を絡み合わせ、お祈りをする時の仕草をしてしまった。ちなみに、郁クンは何故か、女に敬称を付けるのは損だ、と思い込んでいるようなふしがあり、私の事を「おまえ」とか「トーコ」と呼んでいる。加代子さんが私を呼び捨てにしているのではない。  今、ここで、もしも先生やマ・スールや同窓会のおばさま方と出くわしても、私は堂々と郁クンと並んで歩くつもり。腹違いの兄なんです、肉親なんです、と嘘をつく覚悟は出来ている。公共の場で郁クンと待ち合わせをするのは命懸け。  地方随一の駅構内の彩りは、たいそう地味で、茶色、灰色、黒、土色、麦色、稲刈りの終わった田んぼ模様の服を着ている人が多い。目付きの暗い人も多い街だから、華やかさ、鮮やかさ、艶《あで》やかさとは程遠い。くすんだ街の中を歩く郁クンには後光が射しているように見えるはず。  待ち合わせ時間ぴったりに、一際、精彩を放って光り輝く存在がこちらへ向かって来た。真っ白いシャツと黒い学生ズボンは、折り目がシャープで、如何にも清潔で、その上に端整な顔を乗せているのだから、同窓会のおばさま方だって「すてきねえ」と見とれてしまうに違いない。  よお! と片手を挙げて近付いた郁クンは、改札口からホームまで歩く途中で強引に手を繋《つな》いで来た。そんなぁ、イケマセン、公衆の面前で、しかも、制服姿で異性と手を繋いで歩くなんて! と拒絶しなければならないのに、私は有頂天の上機嫌で郁クンの手を握り返したのだった。  母さんが亡くなった国立病院から歩いて五分位の場所に、なにやら高級そうなマンションが建っていた。電車の中でも繋いでいた私の手を放した郁クンは、マンションの入り口へとさっさと歩いて行き、自動ドアの横にある数字の並んだボードに暗証番号を入れた。  すっとドアが開いた。  郁クンの背中にくっついて中に入ると、そこは大きなソファや観葉植物が置いてあるフロアで、一流ホテルのラウンジのようだった。  エレベーターで六階まで上がる。  中庭を囲んだ空中回廊のような通路を進む。歩きながら郁クンはズボンのポケットから鍵《かぎ》を出し、ひとつのドアの前で立ち止まった。  ここが加代子さんや郁クンの住む場所。  私は圧倒されるばかりだ。私立ミッション系高校に通っているのは同じでも、生活環境が余りに違う。貧富の差を感じてしまう。うちなんかダイニングもリビングもない店舗付き3Kだもの。卑屈になってしまう。でも、父さんが可哀想だから胸を張って、いえ、大き過ぎる胸は目立たないほうがいいのだけれど、背筋を伸ばして生きなければ、なんて大袈裟《おおげさ》に決意する。  ドアを開けた郁クンは、脱いだ黒革靴を揃えもしないで上がり框《かまち》に並んでいるスリッパをつっかけ、どんどん中へ入って行った。「加代子ぉー、トーコ、連れて来たぞぉー」と大声で言いながら。  玄関の三和土《たたき》に立つ私は、どうして好《よ》いのか、案の定、戸惑った。  広々とした玄関フロアの正面には壁をくり貫《ぬ》いたようなアーチ形の棚があり、純和風の生け花が飾ってあった。加代子さんが生けたのだろうか、池坊《いけのぼう》とか小原《おはら》流とか、流派はちっとも分からないけど、すっと立つ紫色の菖蒲《しようぶ》に似た花に黄色い小菊が寄り添い、鮮やかな葉の緑が調和して美しい。  オリエンタルな好い香りがする。  ふと足元に目を遣《や》ると、陶器の傘立ての傍の床に三角錐《さんかくすい》の灰を載せた小皿があった。お香が燃えた跡らしい。仏壇にあげるお線香の白檀《びやくだん》に、何か違う香りが調合してある匂いだ。なんて上品な香りなんでしょう。母さんの位牌《いはい》にも嗅《か》がせてあげたい。  突き当たって右側の廊下から加代子さんが姿を現した。 「やっほう」と加代子さんらしい挨拶《あいさつ》をしながら、躍り出て来た、という感じ。  あ、タブリエだ。  元々タブリエは、フランス語で『ドレスなどの汚れ防止用に着る衣類』で様々な形があるから、前掛けも、エプロンも、割烹着《かつぽうぎ》も、みんなタブリエなんだけど、加代子さんはうちの学校の購買部で売っているような、胸元で切り替えのある、真っ黒い割烹着を着ていた。  あがって、あがって、そこのピンクのスリッパ、履いて、と促され、私は漸《ようや》く靴を脱ぎ、郁クンの分もきちんと揃えた。  私の部屋の四つ分位の広いリビングには、ベージュの革のソファとアンティークなリビングボードの他、焦茶色の書棚がずらりと並べてあった。窓辺にはカーテンやブラインドではなく障子紙のスクリーンのようなものが下げてあり、全体的に和洋折衷で、壁には額縁入りの日本画が飾られていた。やわらかで精緻《せいち》でしっとりとした淡彩の、そんな風景の中に白い馬が二頭並んだ絵だった。  意外です、加代子さん。  私は、何故、招待されたのか知らされていなかった。加代子さんが言うには「苺《いちご》ジャム、やや酸味が強かったけど、美味《おい》しかった、お返しにプリンをたくさん作ったから、匠くんとパパに持って行って」と、そういう事なのだった。  チーズの焦げる匂いがして来た。プリンとは別に何かを焼いているらしい。 「トーコー」  郁クンが私を呼んでいた。  ソファから腰を上げ、どこへ行けばいいのか狼狽《うろた》えていると、キッチンから半身だけ出した加代子さんが「あっちのドア」と指差した。リビングには玄関と直結する廊下へ続く他に、窓から向かって右側にもうひとつのドアがあった。  ドアを開けると、両側にさらにドアがあり、ひとつだけ開いていた。白いポロシャツとカーキ色の綿パンツに着替えた郁クンが、こっち、と手招きをしていた。郁クンの部屋だった。  入るなり郁クンは、セーラー服の上から私の左の乳房を掴《つか》んだのだった。 [#改ページ]   根性の使い道を誤ってはイケナイのだ  ひっ! という声にならない悲鳴。  あまりの驚きで、全身硬直、鳥肌総立ち。  郁クンは大きな目玉で私の顔を覗《のぞ》き込み、イーっと白い歯を剥《む》き出して、笑った。 「Eカップ、加代子の負け」  ど、どうして分かるの? 他の女の子のおっぱいを触った事があるって訳? 一体、何なの、このおこないは! 魚市場勤務のヘドロ脳味噌《のうみそ》親父の蛮行と同じじゃないの! もう信じられない、幻滅、失望、恋心も信用も一切撤回、裏切り者、ひとでなし!  いくら相手が郁クンとはいえ、不躾《ぶしつけ》で無礼極まりない行為に、猛烈に激怒し、大いなる非難、的確なる批判、もしくは郁クンの大事なところを握りつぶすくらいの報復を行った上で、いえ、そんな下劣な行為は魂が腐敗しても出来っこないけれども、せめて速攻で謝罪を申し入れるべきなのに、痴呆《ちほう》というのか阿呆《あほう》というのか、私の言語体系は完全崩壊。何も言えず固まるだけの木偶《でく》の坊状態。  とにかくびっくりした。  左の乳房全体に郁クンの長い指の感触がじんわりと残って、熱い。付け根の辺りは指先で押されて五個の凹《くぼ》みが出来てしまったみたいだ。心臓を片肺ごと鷲掴《わしづか》みにされたようで、今、鏡で自分の顔を見せられたなら、あまりに惚《ほう》けた表情をしている自分に絶望して舌を噛《か》み切って死んじゃいたいと思うだろう。  郁クンは悪戯《いたずら》っぽく「でかいね」と笑って、それから、自分は何もしてません、と言わんばかりにスッとぼけて「トーコに、いいもん、あげようと思って」と言い、机の脇にある黒枠のキャビネットを指差した。おっぱいを掴むなんて、最低! と罵《ののし》るどころか、私は「えっ、なあに?」と素直に反応してしまった。何というお目出度《めでた》さ。純情|可憐《かれん》な声で聞き返した自分にも驚く。  郁クンの部屋は、いたってシンプルだった。薄いベージュのカーテンとベッドカバーがお揃い、机、オーディオ、キーボード、本棚、全部、黒。ベッドとクローゼットの間に立て掛けられたギターケースも黒、本棚の前に譜面台と椅子があり、その上に置いてあるヴァイオリンらしき四角いハードケースも黒。ゲームのキャラクターのポスターが貼ってある色彩に統一感のない匠の部屋とは大違いで、なんだかクールで大人っぽい。それにお菓子やホコリ臭い匠の部屋とは違い、整髪料の匂いが少しだけ籠《こも》っている。のぼせそうだ。頬が熱い。完熟リンゴみたいな紅色のほっぺになっているに違いない。  郁クンは私の興奮を感知せず、まったくもって鷹揚《おうよう》かつ平然としている。自宅にいる人と客の立場でいる人との体温の差だろうか。 「この中で、気に入ったのがあれば、あげるよ」  観音開きの硝子《ガラス》扉を開けた郁クンは、見てごらん、と私を促した。  隣の本棚よりも背の低い縦長のキャビネットは、中仕切りも硝子板で三段に区切られ、すべての段に腕時計がずらりと並べてあった。お金持ちの御子息のコレクションは腕時計ですか、はあ、と感心し、私は溜《た》め息をつき、前屈《まえかが》みになって見入った。カジュアルなデザインで外国製ばかりらしい。  私は茶色い革ベルト付きの婦人用時計しか持っていない。それは中学に入る時に母さんが譲ってくれたものだ。やがて形見のひとつになるなんて、その時は予想も出来なかったけれど、渋いわねエ、と田畑明子にからかわれても新しいものを買おうとは思わなかった。腕時計は一個あれば好い、両方の手首に時計をする人はいないのだし、狂わずに時を刻めばそれで好し。それ以上の疑いも所有欲もなかった私の常識を覆す郁クンのコレクション。  なんだか目眩《めまい》がしそうだ。  決して安くないであろう時計をプレゼントしようとする気前の好さも不可解だ。しかし、私の横に立って「どれがいい?」と首を傾げる郁クンに「いらない」とは言えない。 「いいの?」と念を押して、上段から丁寧に見て行く。  普段の郁クンは歯車が透き通って見えるプラスチック製のオモチャみたいな時計を着けている。それに似たのがあればいいなあ、そうするとペアになる。朝の通学で一緒になる頭の固い三島葉子になら自慢してもいい。升本や山原には見せない。褒められても貶《けな》されても羨《うらや》ましがられても、奴らに何らかの評価を下されるのは御免だもの。 「これ、かわいいね」  私は薄いピンク色の透き通ったタイプの腕時計に人さし指で触れてみた。郁クンのと色違いだ。  おし、と言って手に取った郁クンが私の左手首に着けてくれようとするので、私は母さんの形見を外してスカートのポケットに入れた。  郁クンの前髪が私の鼻先に掛かりそう。まるで十字架の前で永遠の愛を誓い、指輪を交換する新郎新婦のよう。いいのだろうか、貴重品を戴《いただ》いてしまって。過剰な御接待のような気もする。  左手首に透明なピンクが光る。文字盤は濃いピンク。針は銀、数字は黒い丸文字風。私の為に買い置きしてくれたようなデザイン。可愛い、嬉《うれ》しい、ほくそ笑む。 「ありがとう」という声がこころなしか震えて出て来た。加代子さんが不在なら、眼を閉じて、唇を突き出し「キスでお礼に代えさせて」とこちらから初めてのキスをおねだりしてもいいくらい。  ともあれ私は、うぶなんだか、おませなんだか、異常に、極度に、緊張している。かような状況体験はなにしろ初めての事ですので、戸惑うのは当然の事といたしましても、緊張で脈打つ生々しい心臓を取り出して自分の掌《てのひら》で撫《な》でて宥《なだ》めてあげたいくらい幼気《いたいけ》な私。なのに郁クンは「似合うじゃん」と言って、もの惜しみなんぞ欠片《かけら》もないという顔をしている。  不可解な人格、我孫子郁氏。  深呼吸をふたつして、もう一度「ありがとう」と言い、瞬くばかりの眼を本棚に向けた。 「ロクな本がないだろ」と郁クンが謙遜《けんそん》する割には、私の興味の範疇《はんちゆう》に入る人気作家の本がズラリと並べられていた。世の中をおちょくって、書いた本人も読む人も賢い愉《たの》しみが得られるタイプの、私は一冊しか読んでいないけれども、美形で有名な男性作家が書いたものだ。ここで本を借りて帰ったら次に会う時の話題になるし、再びこの部屋を訪れる大義名分が出来るかも知れないと閃《ひらめ》いたけれど、腕時計を貰《もら》った事自体、既にステディーな存在として認知されたのかも知れず、言うなれば再び会う事は保証されたのだろうし、貰った上に貸して欲しい、なんて図々《ずうずう》しいにも程があるので、控えた。  小説も腕時計同様に収集するらしい郁クンは、推測するところB型の血液だろうか。収集癖のある人はB型に多いと血液型占いの本に書いてあった。疑問を抱けば即座に尋ねてみたいから、郁クン、B型なの? と尋ねようとしたら「音楽、やってるの?」と質問していた。おかしい、私の言語能力は発想と連動していない。にんげん、緊張の度合いが過ぎると認識と行動がちぐはぐになるらしい。 「いや、ヴァイオリンを小さい頃にほんのちょっとだけ」  うわあ。  私は、ヘ音記号のドがどこにあるのかも分からない。それ程、音楽に関する教養が無い。小学校時代は神社の境内にある剣道場に通う他は算盤《そろばん》を少し習っただけで、今も、音楽、美術、書道の三コースに分かれる芸術の授業では書道を選択しているから小中学校の音楽授業の範囲を超える知識はない。ヴァイオリンを習ったというだけで尊敬してしまう。  郁クンは「久し振りに触ってみるか」と言ってハードケースの蓋《ふた》を開けて弓を取り、指で摘《つま》む部分の端にあるネジを巻いた。弛《ゆる》んでいた平面状に束ねてある白い毛がピンと張った。それから青色のケースの内側にあるポケット部分から黄色いフェルトに包まれた五百円玉を十枚くらい重ねた大きさの、円筒型で半透明の、茶色い石のような、キャンディーのような、石鹸《せつけん》のようなもので弓の白い毛を擦《こす》り始めた。 「松脂《まつやに》っていうんだ」  職人の手付きで擦る郁クンは、本棚の一番上の段から楽譜を選び、譜面台に載せて開いた。 「バッハのヴァイオリン協奏曲、第二番ホ長調、アレグロ・アッサイ、恐らくどこかで聴いた事があると思うけど」と言った後、下手だよ、耳、塞《ふさ》いでおけ、と付け加え、唐突に弾き始めた。  ちゃららららん、ちゃらちゃらちゃら、ちゃららら、らっらー、と私には聴こえた。  ちゃら、ちゃら、ちゃら、ちゃらららら、ちゃらちゃらちゃら、ちゃららららら。  軽快でノリの好い曲だ。片足を半歩前に出して構え、力みなく弓を動かす郁クンは、鼻でフンフンとリズムを取りながらサラリと弾いている。  上手下手など分からないけれど、音楽大学へ進学しない郁クンのヴァイオリンの腕前について専門家がどう評価しようと、私は、凄《すご》い! うまい! 天才! 素晴らしい! と絶賛したい。音楽は聴いた人が気持ち好いと感じるのが一番正しいのだ。カッコイイ、郁クン、謙遜なんかしなくても好いのに。そういう事をしつこく口にすると、何をやっても「じょうず、じょうず」と拍手する子供騙《こどもだま》しの褒め言葉になってしまうから、私は余計な事は言わず、聞き惚《ほ》れた。  顔の好《い》い人って、何でも出来ちゃうのね、凄いなあ、ああ、カッコイイ、とうっとりしていたら、我孫子郁氏のリサイタルは、これまた唐突に打ち切られたのだった。リビングのほうから、加代子さんの怒鳴り声が聞こえたからだ。 「かおるぅ、弾くなら、こっちでやれー、オラも聴きてー」  なんて事だ、加代子さんが訛《なま》ってる。しかも品なく吼《ほ》えている。 「ちぇ、うるせーな」と舌打ちをした郁クンは「もったいねーから聴かせてやんねーよ」と怒鳴り返してヴァイオリンをケースに収めてしまった。案外、ケチなのかも。腕時計のことも、ほんとうは加代子さんが、一個くらいプレゼントしなさいよ、と命じたのかしら。  ダイニングテーブルに小太鼓の面くらいの大きさのピザが三枚、湯気を立てていた。一度に三枚も焼けるオーブンがあるなんて、いいなあ、うちなんかだと一枚ずつ焼いて時間差でしか食べられないもの、と思いながらタバスコやナイフやフォークがきちんと揃えてあるテーブルに眼を見開いていると、タブリエを脱いだ加代子さんが「口の中が火傷《やけど》するくらい熱いうちに、食べて。ソースと具はお手製だからね」と私に勧め、自分のピザに物凄い勢いでタバスコを振り掛けた。 「そうやって刺激の強いものばかり食ってるから耳が聴こえなくなるんだ、ド阿呆《あほ》」 「禁香辛料、それと禁煙しろよ、壁が汚れるだろ」 「焼きが足りない、もう少しカリカリに焼いてくれ」  ああ、喧《やかま》しい! 文句言わずに食え! と加代子さんが片耳を塞《ふさ》いだ程、郁クンは、細かくて、うるさい。神経質なA型みたいだ。偉そうな俺様根性のO型か? 血液型占いなんて信憑性《しんぴようせい》がないものなのね、と私は胸の中で独り言《ご》ちていた。  ふたりの遣《や》り取りは、母と息子の仲の好さを見せつけられるようで、居心地が悪かった。  なんだか急に寂しくなった。  熱々のピザはおやつなのかお夕飯なのか分からないけれども、お母さんの手作りのピザを当たり前のようにして食べている郁クンが、贅沢《ぜいたく》に慣れた不遜でイヤな子に見えて来た。私の一番イケナイ僻《ひが》み根性が湧いて来たのだ。  なんだか泣きたくなった。  お客さんて、寂しい。  そういうのを押し隠し、食べた。  実は、気を遣って緊張しているのはお客のほうではなくて、迎えたほうなのだと気付いたのは、加代子さんが夕陽の落ちて行くベランダに案内してくれた時だ。  ほら、あそこ、と指を差した先に、母さんがこの世の最後の場所にしてしまった国立病院が建っていた。  何かのお花がまだ蕾《つぼみ》を付けず葉を伸ばしているプランターを蹴飛《けと》ばさないようにベランダの手摺《てすり》に寄り掛かり、病院を眺めた。加代子さんが隠れて煙草を吸っていたゴミ置き場も見える。煤《すす》けたコンクリートの壁がオレンジ色を撥《は》ね返して、きれいに映えていた。  母さん! と叫んだら病院の廊下の窓から身を乗り出して手を振ってくれそう。  有り得ないのに、絶対に、叶《かな》わないのに。  加代子さんは、毎日、母さんのいた病院を見て暮らしている。それはそれとして、わざわざ私に母さんの臨終のシーンを蘇《よみがえ》らせる建物を見せるなんて意地悪なんじゃないかなあ、とふと思い、込み上がって来る涙を押し止《とど》めた。  郁クンは加代子さんに命令されて、食器を洗っている。どんな恰好《かつこう》でキッチンに立っているのか興味があるけれど、こんな不自然な感傷で歪《ゆが》んだ顔を郁クンには見られたくないから、都合が好い。 「とこちゃん、あのね」  加代子さんは病院のほうへ眼を遣ったまま、話し出した。 「とこちゃんのママと私、高校時代、一緒のクラスだったのよ」  なるほど、元々知り合いだったんだ、ふうん、と頷《うなず》く。入院中の母さんと加代子さんの親密そうな関わりの裏付けが簡単に取れた。 「病院でお部屋が同じになったのは、偶然というより、強引。卒業してからも年賀状だけの付き合いはあったから、ママがこちらに引っ越して来た事も、お子ちゃまがふたりいる事も知っていたのよ。入院したのを知ったのは、まさしく偶然で、病院の待ち合い室でバッタリ再会したの」  ふうん、ともう一度頷いて「どうして今まで教えてくれなかったの?」と尋ねた。 「そのうち、ゆっくり話せる時が来るだろうと思って」  母さんの死は中学生の私が受け止めるには大き過ぎるだろうし、渦中と言ってもいい時期に、一遍にたくさんの情報を取り入れるのは辛《つら》くて持て余すだろうと考えた加代子さんは、いずれ時間が経って私が落ち着いたら、母さんの若い頃の話をしてあげよう、と決意したらしい。内心では、女の子を育てた経験がないから自分自身の思春期を参考にする他ないし、その経験も万人に通用するものではないから、どう関わっていいのか分からなかったという。但し、旧友の娘という属性を抜きにして、私の事を気に入ってくれて、この子とはずっと仲良くしていたい、と思ってくれたのですって。 「高校時代のママはね」  記憶を辿《たど》るというよりは、胸の中に渦巻いている鮮明な映像をそのまま映し出すように、滑らかな口調で加代子さんは話し続けた。  加代子さんの口から高校生の母さんがふわりふわりと現れる。  どんな髪型をして、どんな教科が得意で、どんなエピソードがあったか。どんなお弁当箱で、どんなハンカチを持っていて、どんな事で才能を発揮したか。どんな友達と、どこへ遊びに出掛けたか。そして、どんな男の子に恋をして、どんな男の子に慕われたか。生まれてから数える程しか会っていない母さんのお母さん、つまり東京のお祖母ちゃんの事も。  加代子さんが映し出す母さんは、私の知らないひとりの昔の女子高生だった。  確かに私は母さんが遣り取りしていた年賀状の差出人の名前も宛先も知らず、友達の名前だってひとりとして聞いた事がなく、小学生時代は子供の頃の話を聞いたけれども、高校時代の話は当時の私には時期尚早だと判断したのか、聞いた事がなかった。娘として聞いておきたい事、聞いておくべき事がたくさんあったはず、そして、この先、私がお母さんになった時、子育てに迷ったり苦しんだりする時が無いとも言えないから、年齢や時期に見合った知識を提供出来ない母さんの代わりに加代子さんが再生してくれているのだ、と私は何となく考えた。 「もう少し経ってからのほうが、今よりもっと理解したり共感したり出来るかも知れないし、ママと私は別の人間だから参考にならないかも知れないし、パパのほうが私よりもママのほんとうの姿を知っていると思う。けれども、おんな同士でしか出来ない話っていうのもアリでしょ、だから」  加代子さんは私のほうにゆっくりと顔を向けて、少し首を傾げ「ま、年齢差のある同性の友達として認定してやってよ」と笑った。  うん、と声に出さず、私は大きく頷いた。  メタリック・シルバーの右ハンドルのドイツ車は、産業道路と呼ばれるトラックやタンクローリーの多い道を北上している。右手の海岸線に沿って走る道の先は港湾に突き当たり、左側に大きく迂回《うかい》して魚市場の入り口に入るのだ。ハンドルを握る加代子さんは白い手袋をして、まるで黒塗りハイヤーの運転手みたい。  私と郁クンは後ろの座席で、だらんとした姿勢で寛《くつろ》ぎ、加代子さんの目を盗んで指なんか絡めちゃって、不良です、不埒《ふらち》です、ふしだらです、でも、純愛です、今のところ。 「お、似合うじゃん」と加代子さんまで褒めてくれた色違いのお揃いの腕時計は、ピザを御馳走《ごちそう》になった時に湧き上がった僻み根性について、私に猛省を促す。  ほんの少しでも穿《うが》った見方をした私は最低な奴だ。  捻《ひね》くれ根性の升本にも劣ると思う。胸が苦しいくらい反省している。  泣きたいくらい、イケナイ事だったと思う。  根性の使い方を誤ると、無知で愚かなまま年ばかり食ってしまうのだ、と自戒しなければならない。  加代子さんは特大のクリスマスケーキが入りそうな程に大きな箱に、耐熱硝子で出来たやわらかなクリーム色のコップに作ったプリンをぎっしり詰めて持たせてくれた。ラップを掛けたコップには若草色の細いリボンが結んであり、コップの色とプリンの黄色によく似合って見た目の美味《おい》しさを引き立てている。  匠、喜ぶだろうなあ、と思いながら電気オーブンや電子レンジを使わない簡単プリンの拵《こしら》え方を加代子さんに口頭で伝授して戴《いただ》く。  ボールに牛乳一リットルと卵五個を割り入れる、お砂糖は目分量でよし、自分の舌で加減する、但し甘味の味覚度と温度は反比例するので、冷めた時には温かい時より甘さが減るように感じられる事も考慮する、そこにバニラエッセンスを適当に入れ、泡立て器で攪拌《かくはん》し、濾《こ》し網に潜らせて白身が固まらないようにしながらコップに注ぐ、コップを並べた大鍋に、沸騰してもコップの高さを超えない量の水を入れ、蓋《ふた》の下に布巾《ふきん》を被《かぶ》せて水滴がプリンの中に入らないように、布巾に引火しないように端を蓋の上に折って、蒸す。時間は、えーっと、どのくらいだったかな、中火で五分とか十分、いや十五分、計ってないから分かんないや、適当に蓋をあけて、プリンのぷるぷる状態で判断したほうがいいみたい、それからえーと、生クリームを加えるとプリンの上のほうにレアチーズに似た層が出来て、その食感もかなり好い、焦茶色のシロップは砂糖水を焦がすだけなんだけど、カロリーオーバーになるし要らないと言えば要らない、なんて事を運転しながら教えてくれる加代子さんは、ほんとうは息子じゃなくて娘が欲しかったらしい。 「だったらこれから産めばいいじゃん」と郁クンが言うと「誰から精子を貰《もら》うのよ、独身なのに、しかも、今は恋人もいないし」と答えたので、びっくりした。  病院にお見舞いに来たダンディーなおじさまは? と尋ねると、あれは俺の叔父さん、加代子の弟だ、という。  連続して驚かされるために我孫子家を訪問したような日だ。郁クンのお父さんは? とは流石に聞けなかった。でも、どうやってあんな高級な暮らしを支えているんでしょう。加代子さんの正体は謎だらけだ。  魚市場へ続く道へと右折した時、我が家の前まで行って欲しくないなあ、なんて父さんに申し訳ない見栄《みえ》っ張《ぱ》り根性が出て来て、少し俯《うつむ》いてしまった。 「あれ? パパじゃない?」  加代子さんが左手の歩道を歩いている父さんを発見して、急に車を止めた。 「父さん、どこに行くの?」  窓を下げて大声で呼び、プリンの箱を抱いて車を降りた。  加代子さんに気付いて丁寧にお辞儀をした父さんは、街灯の少ない薄暗い通りを見渡し、心配そうな顔で「匠が、いなくなっちゃったんだ」と呟《つぶや》いた。 [#改ページ]   怒って鎮まれ! 十七歳、夏休みは近い  果報は寝て待て。  果報という言葉を単純に好《よ》い知らせと捉《とら》えてはイケナイ。  因果応報あるいは巡ってくるしあわせという意味であって、家出人がひょっこり帰宅するとか、居場所が分かったとか、そういう速効の朗報とは違うのだ。 「先に寝ていなさい、そのうち腹が減ったら帰って来るよ」  家のうちと外を幾度か往復していた父さんは、僕は匠の意思と体力と運の強さを信じるよ、と言わんばかりに卓袱台《ちやぶだい》に向かい、すっかり冷めた夕御飯の箸《はし》をとった。  家出したネコなら軒下に餌を置いておけば翌朝にも戻るだろうけれど、匠の所在は不明なままだ。茶の間の壁時計は十一時半を回った。  私は腹が立って仕方がない。心配の度を超えると怒りになる、と初めて知った。  果報は寝て待て。  幸運は人の力ではどうにもならないから、あせらず時機が来るのを待つがよい。  我が家の一大事をどうにかしてくれるのは誰だというのだろう。  弟が行方不明なんです、思春期で激しく血迷う年頃なんです、あの子の身に何かあったら、私はどうして生きていけましょう、寝てなんかいられよか。  天にまします我らの父よ、願わくは、以下省略。  こんな時、マ・スールなら天にいらっしゃる私達のお父様に祈りを捧《ささ》げるところだろう。  一旦《いつたん》は自分の部屋へ上がったものの眠れるものじゃない。階段を幾度も昇り降りして「そんなふうにウロウロされたら御飯がノドを通らないじゃないか」と父さんに窘《たしな》められた私は仏壇の前に正座し、じっと頭《こうべ》を垂れ、一心に母さんの魂とコンタクトをとろうとしている。匠に関する願いごとなら赤の他人の天のお父様より生みの母に頼んだほうが確実だもの。  匠がいなくなったのは給食の後らしい。夕方、赤井《あかい》君から連絡網の電話が入り、用件の後「匠クンの具合はどうですか?」なんて尋ねられ、それで父さんは匠が学校を早退した事を知った。具合が好いも悪いも帰宅していないので分からない。塾へ行く時間になっても帰って来ないから、知り得る限りの友達の家や塾にも電話で問い合わせたけれども、匠の行方、杳《よう》として知れず。本気で心配し始めた父さんが魚市場の構内や岸壁や近所を捜そうと歩いていたところに、私と郁クンを乗せた加代子さんの車と遭遇したという次第。  加代子さんや郁クンには我が家の緊急事態を告げず、父さんは丁重にお礼を言い、深々とお辞儀をして車を見送った。加代子さんは白い手袋の片手を挙げ、郁クンは車の窓からずっと手を振ってくれた。プリンの入った大きな箱を抱えた私は、一番上等の笑顔で郁クンと視線を合わせ続けたのだ。  腹が立つ。  郁クンの家へ行った事のあれこれを反芻《はんすう》して、詳細を記録したい夜なのに。  よりによってコンナ素晴らしい事のあった日にケチをつけるなんて、匠の奴、私の恋路を邪魔する悪党としか思えない。  何やってんだ、あいつ、いい加減にしろよ、何、考えてんだ、どうかしてるよ、家出なんて。  六月下旬の中学三年生は、脆《もろ》く壊れやすい感受性を自在に扱う技術を習得していないんです、ちょっと思慮を深めれば愚行だと分かる事でも、つい考える前にやってしまい、勢いが余り過ぎて止められないものなんです、だよね、匠。  今さらながら匠の心境を思い遣《や》る。受験に関する悩みか、失恋でもしたのか、それとも常軌を逸した行為への憧《あこが》れか。  いや、果たして家出かどうかも不明だ。事故にでも遭ったのではないか、そう考えるといてもたってもいられない。通学路で事故に遭って瀕死《ひんし》の重傷を負った匠は運転手によって車のトランクに入れられ、どこか山奥に運ばれて捨てられたのではないか、岸壁からヘドロの海へと投げ落とされたのではないか、不良にイチャモンをつけられ、殴られ蹴《け》られて暗闇の広場で動けなくなっているのではないか。  想像は悪い方向にばかり発展して行く。  透明度なんぞゼロに等しい海に落ちたなら死ぬ確率は高い。匠は泳げるはず。けれど、足の届くプールならまだしも衣服を着たまま深い海で泳ぐのは至難の業だろう。  匠、生きているなら這《は》ってでも帰って来なさい、どこで何をしてるのよ。  母さん、幽霊になって匠を叱り飛ばして家へ連れ戻して。  ぼろぼろになって血を流している匠の姿が見えそうだ。  ベソかいちゃってる、私。 「警察に頼んだほうがいいんじゃないかな」  父さんに言ってみた。 「捜索願か? でも、大袈裟《おおげさ》にしたら匠が帰って来た時、匠自身が困るだろう、大丈夫、帰って来るよ、匠は男なんだし」  どうして男なら心配しなくてもいい訳? 男は男でも子供でしょ。  父さんを責めてしまいそうな私は、心配が募り過ぎて気が狂いそう。匠が帰って来たらぶっ殺してやりたいくらいだ。  せっかく無事に帰って来ても殺されるんじゃ意味がないと、匠は私が怒っているのを超能力で察知して帰って来られないのだろうか。  殺さないから、どうでも好いから、早く帰って来て欲しい。  子供が神隠しに遭ったという話をテレビの特別番組で見た事がある。情報網が複雑に発達した現代でも突如として子供が消えてしまい、何年経っても帰って来ないという事件は本当に有るらしいのだ。もしも匠が帰って来なかったら、私と父さんはこれから何年も苦しい思いで生き続けなければならない。  母さんが生きていたら、こういう場合、どう対処するのだろう、泰然自若としているのだろうか、気丈な母さんでも泣くのだろうか。  もう、いや! じっと待つのは辛《つら》い。  匠の首根っこをひっ捕まえて連行して、母さん。  風呂はどうする? と父さんに尋ねられて、私は普段着のTシャツの胸元を見た。  先に寝なさい、と言った父さんも、私も、お風呂《ふろ》に入る事を忘れていた。  郁クンに掴《つか》まれたおっぱいの感触が消えるのは勿体《もつたい》ないから、今日はお風呂に入らなくてもいい、こんな状況下でなかったら、そう考えるだろうけれども、こんな状況下だからこそ、何かあった場合、すぐに出掛けられる恰好《かつこう》をして待機すべきだという気がして迷い、私は入らなくてもいいけど、父さんは? と尋ね返した。父さんは朝早くから八百屋の仕事をしているのだから汗を流したいはず。  私は答えを待たずに風呂場へ行った。残り湯を洗濯機に移し、スポンジで湯船を洗い、新しい湯を入れた。じっと待つしかなくて辛い時は、何かせわしく仕事をしているほうが楽だと分かる。  そうか、こんな時、母さんなら台所で普段以上に念を入れてガスレンジを磨いたり、食器棚を拭《ふ》いてみたり、それよりも匠が帰って来た時のためにおにぎりを握ったり、そうやって立ち仕事をして気を紛らわせるのだろうな。  白い湯煙を立てて流れ落ちるお湯の音が、どっどっどっどっと私の心臓の鼓動のように聞こえる。  茶の間に戻ると父さんが食べ終えた食器を重ねていた。私が台所へ運び、早速、洗う。ふと思い付いて「父さん、プリン、食べない?」と振り向いた。  加代子さんの特製プリンは、家に着いてすぐ店の冷蔵ショーケースに入れた。「いや、匠が帰って来てからにしよう」と答えるのだろうと思ったら、父さんは「食っちゃうか」と笑って立ち上がり、箱ごと卓袱台へと運んで来た。  おお、うまそうだな、と子供みたいな顔をして父さんは手を伸ばした。私はスプーンを、敢《あ》えて三本、持って来た。たった今、匠が帰って来たら、匠の存在を忘れたり無視したのではないという意思表示をするため、というのは半分ウソで、食べ物に釣られて帰って来るように、陰膳《かげぜん》と言ったろうか、帰らぬ人の分も御飯を作って並べる、そういうのをちょっと真似てみたのだ。 「うまいな」  リボンとラップを外してひとくち食べた父さんの顔は、食い意地|旺盛《おうせい》な匠とそっくりだ。私は急に哀しくなり、リボンの結び目を解《ほど》いているうちに涙をぼたぼたと落としてしまった。  店のシャッターを地面から一メートルくらいの高さに開けたまま、店には蛍光灯を一本だけつけている。 「たでぇーま」と匠が帰って来る姿を想像しながら、シャッターと地面の間の暗い空間を睨《にら》む。  もう二時を過ぎた。  父さんは茶の間に布団を敷く事はせず、朝まで起きているつもりらしい。一睡もしないで仕事をするつもりなら、私だって学校へなんか行っていられない。そうすると朝の電車で郁クンに会えない。せっかくもてなしてくれたのに、せっかく色違いの時計をプレゼントして貰ったのに、お礼も言えないなんて。もしも昨日の今日、私が電車に乗らなかったら、郁クンはおっぱいを掴んだ事を反省しちゃうんだろうか。後悔しないでね、郁クン。私、全然、気にしていないから、それよりも、もっと、えっと、その先の、ああ、やだな、こんな時にこんな発想をするなんて。  父さんはお風呂に入り、髭《ひげ》を剃《そ》ってさっぱりとした顔で昨日の夕刊を読んでいる。パジャマに着替えないでいるという事は、私と同様、いつでもすぐさま出掛けられる態勢をとっているのだ。  塩鮭を焼いて特大おにぎりを六個も作った私はする事がなくなり、ぼんやりと膝を抱えて仏壇に背を向けて座っている。眠いのに眠くない、泣きたいのに泣きたくない、叫びたいのに声を出すのも嫌だ、そんな気分だ。  外はまだ深閑とした闇だ。父さんが捲《めく》る新聞紙の音しか聞こえない。  うつらうつらと居眠りを始めた私に「上へ行って、ちゃんと寝なさい」と父さんが言った、その時だ。  シャッターをガタガタと鳴らす音がした後、ガラガラと上がって行くのが分かった。  私と父さんは飛び跳ねた。 「たでぇーま」  自分の背丈までシャッターを持ち上げた匠が「いやあ、疲れた」と言い、何やらせいせいとした顔をしている。  私はすかさず「何やってんのよ、謝れ!」と怒鳴った。  一体、何時だと思ってんのよ、どうして心配掛けるのよ、どこで何をしてたのよ、家族に心配を掛けるなんて、極悪人だ、謝れ、父さんにも、私にも謝れ!  怒鳴っているうちに頭がくらくらして呂律《ろれつ》が回らなくなり、私は大声で泣き出し、泣きながら怒鳴り続けた。 「お帰り。まずは手を洗って、うがいをして来なさい、どこも怪我していないんだろう?」 「家に入る前に、謝罪が先だ!」  私は仁王立ちになって両手を広げ、匠の進入を阻止した。 「まあ、事情を聞こうじゃないか」  父さんが穏やかに言うので、匠はようやく自分の行動が何事もなく済む話ではない事に気付いたようだ。 「ごめんなさい」  神妙な顔をして項垂《うなだ》れる匠の肩を、父さんが「ほら、姉さんにも謝ってな」と叩き、家の中へと促した。 「飛行機が見たかったんだ、ほんとうは、峰村《みねむら》が住んでいる街を歩きたかったんだ」  峰村というのは、五月の連休明けに父親の転勤に伴ってロンドンへ行った匠のクラスの女子で、転校直前の運動会で凄《すさ》まじい活躍をした子だ。徒競走ではダントツの一位、クラス対抗リレーで五人抜きをやってのけた。生徒会の会長でもあり、勉強もトップ、ちょっとした美形で、聡明《そうめい》で闊達《かつたつ》で人望も厚いという、何から何まで恵まれていて、年上の私でも憧《あこが》れてしまうようなタイプだ。 「学校から空港まで五時間も掛かったんだ。飛行機を見ていたら時間なんて忘れてしまって、気付いたら夜になってて。こんな時間になるなんて計算外だった」  家に電話、出来なかったの? 「だって、俺、十円玉一個も、持ってなかったんだぜ」  空港まで歩いて行ったの? 「当たり前だよ、だって、金、ないもん」  なんで峰村な訳? 「今日、と言っても既に昨日、峰村からクラスに絵ハガキが届いたんだ。そしたら我慢出来ないくらい、峰村に会いたくなったんだ」  峰村の事、好きだったの? 「うん、あいつが転校してから、俺、蛻《もぬけ》の殻だもん。そんで、絵ハガキを読んでたら熱が出て来て、顔が真っ赤になって、皆にからかわれるし、なんつぅか、身の置き場に困ってですね、そんで早退を思い付いた訳」  聞いて呆《あき》れる。センチメンタルの度が過ぎる。 「あのさア、あの空港、ロンドン行きの便、ないのな」  当たり前じゃないの、ローカルな国内線専用の空港だもの、それに一文無しでパスポートも持っていないおまえがロンドン行きの飛行機に乗れる訳がないでしょ!  おにぎりを頬張り、私が温め直した味噌汁をズズッと音を立てて飲む匠は、疲れたけど、さっぱりした、と満足そうだ。 「おまえ、どのルートを歩いたんだ?」  店の戸締まりをして茶の間に戻り、私の罵倒《ばとう》めいた尋問と匠の自白を聞いていた父さんが尋ねた。 「国道をずっと歩いた」という答えに、おまえ、ほんとうに馬鹿だな、という顔をして「空港は海の近くにあるだろ、海岸線に近い道を歩いて行けば片道二時間半で行けたぞ」と父さんが言う。  あっそうか! 匠は感心した風に拳骨《げんこつ》で卓袱台を叩《たた》いた。  道を知らないという事は無駄な回り道をしなければならず、知識が足りないという事は余計な労力を発生させるのだ、なるほどね、と私も感心したけど、匠をぶっ殺してやりたい気分と安堵《あんど》して精神がよろける気分とで匠をつくづく眺めるだけだった。  やがて朝になり、私はひと風呂《ふろ》浴びて仮眠をとり、いつもの電車に乗った。  郁クンにお礼を言ってから「睡眠不足なの」としょぼしょぼとする目を指差すと、郁クンは「俺の事、考えてたんだろ」なんて物凄《ものすご》く自惚《うぬぼ》れた事を言って笑った。 「夏休み、ふたりでどこかへ行こうよ」加代子同伴だって嘘ついて、泊まりがけでさ、と入れ知恵までする郁クンは、大きな目玉で私の唇をじっと見詰めていた、ような気がした。  国語の授業が終わり、マ・スール菱川が黒板の文字を消している。  私は立ち上がり、前に進み出た。それから意を決して「菱川先生」と呼び掛けた。振り向いた菱川は私が差し出した文庫本を一瞥《いちべつ》して「あら」と言ってから口をパクパクさせた。 「先生も、この本をお持ちなんですね」  印籠《いんろう》のように文庫本を突きつけた私に、菱川は何か話し出そうとする素振りを見せたものの、チョークの白い粉を付けた指で教科書や指導要領の本を掴《つか》み、そそくさと教室を出てしまった。  失望した。  少しは真っ当な反応を返してくれるかと思ったのに。  私の右手で所在を無くしたのは現代教養文庫の中村|稔《みのる》編著『中也のうた』だ。  私は菱川に、こう言ってやりたかった。  御自分で問題をお作りにならないで、既成の著作物から安易に転用して宜《よろ》しいんでしょうか、著作権などの問題は発生しないのでしょうか、菱川先生、こんなお粗末な試験問題を出して、国語教師としての誇りはないのですか、先生、答えてください、なんて。  期末試験に、読んだ覚えのある文章が出たのだ。しっかり暗記していた訳ではなかったにしても、なまじ記憶がある故に、そして�私の中也�に関するが故に、私はこだわった。こだわり過ぎて迷い、散々解答をこねくりまわし、先に書いた鉛筆書きの答えを完全に消す事も出来なかった。迷いを断ち切れず、仕方なく答えたものの、結局、その大問は0点だった。最初に書いた答えは、なんと完全正解だった。  ああ、切歯|扼腕《やくわん》、悔しくて堪《たま》らない。  初めて読んだ文章であれば素直に答えられたはず、既製品をそのまま出題したお粗末な菱川が悪い、国語の点数が悪かったのは菱川のせいだ。『中也のうた』を見せつけたのは、その腹いせなのだ。   海にゐるのは、   あれは人魚ではないのです。   海にゐるのは、   あれは、浪ばかり。   曇つた北海の空の下、   浪はところどころ齒をむいて、   空を呪つてゐるのです。   いつはてるとも知れない呪。 【2】次の文は中原中也の『北の海』について書かれたものです。( )に適した言葉を選んで答えなさい。  詩人の心はさむざむとした《》にみちているが、だからといって《》しているわけではない。彼の心は、波の《》だがくりかえして倦《あ》きないに《》をみているのだし、うかびくる人魚の《》と、それを打ち消すことに心の《》を覚えている。そして、ここには詩人の北の海への《》がある。   徒労 幻想 荒廃 寂寥 慰め 安らぎ 単調 共感 ≪私の答え≫詩人の心はさむざむとした(単調)にみちているが、だからといって(徒労)しているわけではない。彼の心は、波の(荒廃)だがくりかえして倦きない(幻想)に(共感)をみているのだし、うかびくる人魚の(寂寥)と、それを打ち消すことに心の(慰め)を覚えている。そして、ここには詩人の北の海への(安らぎ)がある。 ≪正答≫詩人の心はさむざむとした(寂寥)にみちているが、だからといって(荒廃)しているわけではない。彼の心は、波の(単調)だがくりかえして倦きない(徒労)に(慰め)をみているのだし、うかびくる人魚の(幻想)と、それを打ち消すことに心の(安らぎ)を覚えている。そして、ここには詩人の北の海への(共感)がある。  文脈から判断すれば確かに、私の国語力の足りなさがそのまま点数に反映されたのだ。馬鹿なのは私だ。しかし、私よりもっと馬鹿なのは菱川だ。こんなのは愚問というんじゃないのかしら。  寒々しいのは単調だからであり、それは決してくたびれ儲《もう》けにならないし、荒れ狂う波は倦きない幻想となり得るし、寂しそうな人魚を慰めてあげたいし、そういう優しい気持ちになれば安らぐ事もあるかも知れないじゃないの。しかも、詩の読解というものは偉い先生の解説だけが絶対ではないはず。  私は、�私の中也�を、私なりに読んだんです。もしも中也が生きていたら「いい子だ」と頭を撫《な》でてくれるかも知れないのに。  もういい! こんな主観的な怒りは鎮めよう、もう夏休みだもの。どんなに驚く事でも体験してやろう、郁クンとなら、と思う今日この頃。 [#改ページ]   真夏の箱庭で迷子になった、ふたり  来た、来た、やっと来た。  そら色のボディに群青色のラインをつけた教習車のうちの十七番。憮然《ぶぜん》とした表情でハンドルを握る郁クンが見えて来た。  私は教習生控え室から自動車教習所のニセモノ道路を眺めている。坂道発進や踏切通過ならここからでも見えるけれども、今日は車庫入れだとかで構内の奥にいて、長い時間、帰って来なかったのだ。  郁クンの横にオバサンが座っている。紺色のジャケットに臙脂《えんじ》色のネクタイをしめた教官は圧倒的にオジサンが多いのに、郁クンの今日の担当は五十がらみのオバサンで、漫才のかぶりものみたいな金色のクルクルパーマの頭に真っ赤な口紅も鮮やかなキツネ顔。教官なら前方を注視すべきなのに、そのオバサンのからだは露骨なまでに運転席の郁クンの方に向いている。若い男の子とドライブでもしているつもりなんだろうか。あんな狭い車内で私の郁クンと同じ空気を吸っているなんて許し難い。郁クンの息を吸わないで、オバサン、勿体《もつたい》ないから。それより、オバサンが吐き出した二酸化炭素なんか吸わないで、郁クン、ケガレなき白い肌がくすんでしまうじゃないの。ああ、嫌な感じ! こんな風にオバサンを差別する私の歪《ゆが》んだ性格も。  横断歩道で一旦《いつたん》停止した郁クンの車は、憤怒《ふんぬ》と嫉妬《しつと》と自己嫌悪で凝り固まった視線を投げ掛けている私に気付きもせず、また左奥の方へ行ってしまった。  大きな扇風機が一台置いてあるだけの控え室には、大学生、主婦のような女性、免許を取り直すらしいオジサンがいて、教本とカードを手に細長い椅子に腰掛けて、みんなぼんやり間抜けヅラ。蒸し暑い。私は籐籠《とうかご》のバッグから、薄緑色に可愛い金魚が泳いでいるデザインの扇子を取り出して顔をパタパタと煽《あお》いだ。ワンピースに汗が滲《にじ》んでしまったら困るなあ、なんて思いながら膝の上に置いた麦藁《むぎわら》帽子の天辺《てつぺん》を撫でてみる。  夏休みに入って一番最初にした事は、お洋服の買い物だった。夏休み中に郁クンと三回はデートすると予測して、三パターンの洋服をコーディネートしてみた。今日の装いは、その中で最もおとなしげなお嬢様風。胸が目立ってしまうので襟なし丸首の生成りのワンピースはウエストを絞らず、お尻《しり》の辺りで緩やかなリボン結び。たっぷりと広がる裾《すそ》は膝下《ひざした》十センチ。麦藁帽子、籐籠バッグに合わせてサンダルも枯れた麦色、もちろん素足。あとふたつのパターンはリゾート用で、海編、山編。郁クンが誘ってくれたならどこへでも行っちゃう、そういう覚悟と準備は出来ています、といったところ。  父さんから貰《もら》ったお洋服代のうち最も高価なのは、実は下着だった。大き過ぎる胸は、高校生にも拘《かか》わらずチープな私に仕立て上げてくれない。つまり、ブラジャーが高いってコト。私のサイズに合うものが少ないから仕方ない。AからCならお洒落《しやれ》なデザインのものが安売りコーナーのワゴンで売られているのに、私の場合、ブルジョアのおばさまが着けるようなゴージャスなデザインのものしか手に入らない。大人の男性用のお茶碗《ちやわん》が優に入るくらいカップが大きい。ものものしくて、ごつくて、恥ずかしい。匠や父さんに見られたくないから、深夜、こっそり洗濯して、丸い洗濯物干しの内側に掛け、周りをハンカチで覆って自分の部屋に干す。日の目を見る事のない私の下着。太陽の光を決して浴びる事なく、部屋やお洋服の内側で密《ひそ》やかに呼吸する。嫌だなあ、日陰の女みたい、ブラジャーって。  さっきから不躾《ぶしつけ》な視線が喧《やかま》しい。  うるさいなあ、と邪険に手で払いたいのを堪《こら》えて、ほんの僅《わず》かだけ斜め後ろを見た。面皰《にきび》の痕を顔じゅうの模様にしている二十歳くらいの男と目が合った。 「これから実習?」と聞いて来た。  いいえ、違います、とは答えず。 「俺は今日から路上なんだ」と勝手に言う。  はぁん、そうですか、とも答えず。 「終わったら、お茶、どぉ?」  私は無視して再びニセモノ道路を眺め、郁クンが一刻も早く戻って来るようにと念じた。すると男は私の視界を独占したのだ。私の真ん前に立ちやがった。  邪魔! あっちへ行け! しっしっ! 郁クン、早く助けに来て。暴漢を目前にした危機迫るお姫様の気分だ。 「ねえ、大学生なんだろ? 俺はトンペイの一回生」  トンペイとは地方名がそのままついた国立大の中国語読みだ。その事は、お兄さんがそこの大学の医学部生だという北田さんから聞いて知っていた。馬鹿タレばかりの私立大生ではなく国立大生だとわざわざ自己顕示している男を、私は上目遣いで睨《にら》んだ。  私のどこが大学生に見えるのよ! れっきとした高校二年生なのに。  属性を見間違えた奴は憎しみの対象になり得る。老け顔と宣言されたも同然なのだから、こういった乙女の怒りは天のお父様でも御理解くださるはず。  無言のまま右横に視線を逸《そ》らすと、男はわざとらしく舌打ちをして「なんだよ、気取りやがって、何様のつもりだ」と捨て台詞《ぜりふ》を残し、トイレの方へ去って行った。  何様って、岩岸桐子様に決まってるじゃないの。  気取りの自覚はなかったけれども、気分|爽快《そうかい》。お嬢様に気取りは必定です。格調高く、鼻高く、胸元も天にそびえるくらいに高々と、つんと澄ましていなければなりません。  私はどうやらお嬢様の雰囲気を醸し出す風格を身につける事に成功したらしい。客観的自分というやつは、誰かに指摘されないと認識出来ないものなんです。むふむふと下品に笑ってしまいたいくらい、御満悦。  線路脇の細い道を歩きながら、郁クンと手を繋《つな》ぐ。  汗ばんだ掌が私を俯《うつむ》かせる。  郁クンは相変わらず真っ白いポロシャツとベージュの綿パンツ姿で、月に何回、美容院へ行っているのか、髪の毛も短くさっぱりと刈り込んで、如何《いか》にも清潔そう。 「俺、ひとりなんだよ、今」  えっ! と驚いて、郁クンのでっかい眼を直視した。 「加代子が墓参りに出掛けて、再来週まで帰って来ないんだ」  へぇ、加代子さんがお墓参りだなんて。意外にも御先祖様を大事にする人なんだ、とますます驚く。お墓、どこに在るの? と尋ねて、さらにびっくりした。ポートランドだって言うから。  東欧のポーランドじゃないよ、アメリカの北西部、シアトルの南、と郁クンは笑った。 「加代子は日系三世だったんだ」  我孫子家の歴史は、案の定というべきか、日本の一般家庭とはちょっと違うのだった。加代子さんは明治時代後期の移民の孫で、第二次世界大戦中の日系人収容所でせっかく頑張った郁クンのお祖母ちゃんが戦後十年も経ってから離婚した時、加代子さんは満七歳。お祖母ちゃんと日本に帰国して以来、ずっと日本で暮らしていて、大人になってからは年に一回、里帰りをするらしい。いつもなら三月中旬、ポートランドで有名な日本庭園の桜が満開になる頃に出掛けるのに、今年は加代子さんの仕事の都合で夏に延びたそうな。  我孫子家の先祖の人生をもっと知りたいと思ったけれど、私は以前から興味のあった加代子さんの職業について尋ねてみた。翻訳家とか、そういう仕事なのかと思った。 「ヤクザ。但し、チンピラではない」と郁クンは答えて、ひとりで爆笑した。  ヤクザな仕事ってなんだろう、と考えながら私は電車のホームの時刻表を見上げた。  郁クンと私の家は自動車教習所の最寄駅を挟むと正反対の方向にある。ここで終わらないよね、上り電車に乗って行って、お茶くらい飲むよね、と微《かす》かに期待していると郁クンが「俺んちに来いよ」と言った。  予想を遥《はる》かに超えた驚きと嬉《うれ》しさで、すかさず、うん、と頷《うなず》いた。  いいのだろうか、加代子さんの留守中にお邪魔しても。  それに、父さんには北田さんと映画を観に行くと嘘をついて出て来たのだ。  郁クンと会う事を正直に言えなかったのは何故だろう。余計な心配を掛けたくないとか、詮索《せんさく》されるのが面倒だとか、そういう理由ではない。実際、郁クンの事は父さんも「なかなか見所のありそうなタイプだねえ」なんて褒めていたし、加代子さんと父さんは亡くなった母さんが引き合わせた良縁みたいで、いっその事、再婚しちゃえばいいのに、なんて考えなかった事もない。でも、そうなると加代子さんは八百屋の御《お》内儀《かみ》さんにならなければイケナイし、郁クンと私が戸籍上の兄妹になってしまうのは御免|蒙《こうむ》りたいし、それに生活水準が違い過ぎるし、このまま母さんを偲《しの》ぶ間柄のまま、ずっと仲良しでいて貰えたら好いと思うのは父さんも私と同じだろう、と自信を持って言えるのだけれども、どうして今日、父さんに本当の事を言えなかったのだろう。恐らく、父さんに対して後ろめたい事件をも受容しよう、などという不埒《ふらち》な考えがあったせいだ。  デリバリーのチキンとピザとサラダを頼んだ。  割り勘にしようよ、と申し出たけれど郁クンが支払った。  加代子さんの居城であるようなキッチンに入るのは盗人猛々《ぬすつとたけだけ》しい気分だった。郁クンに頼まれて麦茶を出すために冷蔵庫を開けると、びっしりと食糧が詰まっていた。作り置きの料理らしい半透明の密閉容器が幾つも重なっており、パック入りのお肉もお魚も加工品もギュウギュウ詰めだった。 「こんなに食材があるなら、私が作ったのに」と声を掛けると、じゃあ、今度、作ってくれよ、と答えた郁クンは、ソファに寝そべって鼻くそでもほじくり出しそうな程、すっかり寛《くつろ》いでいた。  自動車教習所で見学していた時、どうぞカッコイイ姿が惨めに見えるような粗相をしませんように、教官に叱られるようなヘマをしませんように、と保護者の心境で祈った自分に気付いたのだけれども、おうちの中での郁クンもまた、カッコイイままでありますように、と願わざるを得なかった。というのは、ベランダの洗濯物の干し方がぞんざいで、皺《しわ》だらけの乾物状態だったからだ。つい「これはね、こうやって干すと乾いた時に畳みやすいのよ」なんて、主婦特有のお節介な指導力を発揮して、せっかく乾いた洗濯物を洗い直し、お手本を見せながら干し直してしまいそうだった。  端整な郁クンのイメージが崩れる様を見るのは、絶対に、拒絶。  何日前からひとりなのか、テーブルの上には、数冊の雑誌、飲み終えたコップ、テレビとビデオのリモコン、新聞のチラシ、丸めたティシュー、それから煙草の吸い殻が山積みになった灰皿が、それはもう凄《すさ》まじく乱雑に置いてあり、郁クンが煙草を吸うのだと知って呆《あき》れたりもして、デリバリーの到着前に私がきれいに片付けたのだった。  清らかな住まいをひとり息子が汚している。高校三年生の男子を残して行くからには加代子さんも承知の上だろうし、仕方ないよね、という状態であるにしても、郁クンの普段の美しさはお母さんのフォローによってしか成り立たないのではないか、なんて穿《うが》った見方も出来そうだ。必要に迫られたに過ぎないとはいえ、自分で洗濯をするだけマシだけど。  ふたりでテーブル一杯に食い散らかして、私が汚れたお皿やフォークをキッチンに運び始めると、郁クンは口元や指先を拭《ふ》いたティシューを集めて捨ててくれた。  加代子さんのキッチンに立つ。  スポンジに洗剤をつけて泡だてる。  のっそりと近付いた郁クンが左横に並んだ。  お皿についたチキンの油や洗剤がワンピースに飛び散らないように、慎重に洗う。  慎重と緊張は似ている。  あ、こんな事、学校で言ったら升本千春や山原美帆に馬鹿にされる。 「あなた、言語感覚がおかしいんじゃなくて? 慎重と緊張に共通する要素なんて、ちょー、これだけでしょ」  はいはい。でも、からだの筋肉や神経が強張《こわば》るという点で似ている、と独り思う私は、隣の郁クンの存在が気になって、からだじゅうをガチガチに凍らせている。  私の指先に見入っていた郁クンが、お尻のリボンをちょんちょんと突いた。  きゃ! と小さな悲鳴を上げて、泡だらけの手で郁クンを叩《たた》きそうになった。  男に暴力を振るう女にだけはなりたくない。でも咄嗟《とつさ》に手が出てしまう。剣道をやっていたせいだ。イケナイ。  宙に浮いた手のやり場に困り、慌てて濯《すす》いだ。  郁クンは、吸い込まれてしまいそうな大きな眼で悪戯《いたずら》っぽく笑っていた。  吸い込まれてもいいや、と思う。そう思ったら、吸い込まれた、唇。  エアコンの風がちっとも涼しく感じられない。  郁クンのベッドは、朝、起きたままの形で、カバーが床にずり落ちていた。シーツも皺だらけだった。  暑い。リビングより数段に狭いのだから、即座に涼しくなってもいいはずなのに、額や腋《わき》の下から汗が噴き出す。  これ、洗ってからね。  俺の部屋に移動しようよ、と郁クンが言った時、私はそう誤魔化《ごまか》したけれども、ほんのふたり分のお皿やコップなんて、すぐに洗い終えた。  キスしちゃった、私。  すごい。郁クンとキスしちゃったぁ、と半ベソをかきたいくらいだった。嬉しいのか困ったのかが曖昧《あいまい》で、足元がふらついた。けれども倒れなかった。郁クンが私の腰に手を廻《まわ》して項《うなじ》の辺りに鼻を近付けたのだ。  流し台をきっちり拭いたり、布巾《ふきん》を洗って広げる間じゅう、郁クンはぺったりと私の背中に貼り付いていた。すっかり片付け終えたのを見計らった郁クンは、私の肩を掴《つか》んで自分の方に向かせた。そして、今度はほんとうに、目眩《めまい》がしそうな、すごいキスをした。同じものを食べたのに、郁クンの唾液《だえき》のほうがさらさらしていて、おいしかった。飲んじゃった。でも余りにのぼせてしまい、放っておいたら鼻血がつつつーと流れそうだった。血圧、上がりまくり。思考能力は測定不可能。だから、促されるままに郁クンの部屋へ来てしまったのだ。  背中のファスナーを下ろそうとする郁クンを拒絶して「あのね、私、処女だから」と断りを入れると「分かってるよ、俺も、初めてだもん」と小刻みに首を縦に振った。 「だから、あのね、初めてのキスの日に、全部、っていうのは、なんだか性急な感じがするのだけど」  やっとの思いで、途切れ途切れに言う。卒倒しそう。  いやなの?  いやじゃないけど。  だったら、いいじゃん。  でも、お楽しみは、先延ばしにした方が。  お楽しみ! そうなのか?  あ。  俺のコト、好きだろ?  好きだけど。じゃあ、私のコトは?  好きに決まってんだろ。  でも、あのお。  私は考えた。今日、ここで郁クンと初めてのHをするとして、その先、私はどうなってしまうか、という事を。  単純な予想として、私は、きっと泣く。  郁クンはモテるはずだから、私は、四六時中、気が狂うといわんばかりに浮気を疑い、募って解消出来ない嫉妬《しつと》でのたうち廻り、我が身の不遇に苦悩し、従って、演歌の世界の女の人のように男を待つだけの女となり、待つ事自体を生きる支えにする納得の仕方をせざるを得ず、愛人と本妻の役をひとりでやってのけ、郁クンの後ろ姿だけを遠くから見詰める女になる。そうに違いない。  愛なんて一過性だもの。  ウチの父さんや母さんみたいな組み合わせは希少であって、愛は不幸の種であり、だからこそ歌や物語が出来るのだ。  悲劇こそが芸術や文化を拵《こしら》えるのだ。  夫婦仲の好い家庭に育ったにも拘《かか》わらず、愛というものに懐疑的な私は、読まなくても好い本を読んで洗脳されてしまったのだろうか。  教養は女を盲目にさせないものなんですね、と感心している場合ではない。結果として悲劇になろうが喜劇になろうが、ドラマは既に始まっている。ヒロインが舞台の途中で降りる訳にはイカナイ。しかも、まだ展開の導入部でしかない。覚悟も、期待も、予備知識も、真新しい下着も、準備万端整えて、こういう場面に臨んだのだから、ここで幕を下ろしてはイケナイのだ。  幕と膜は違う。  破られてこそ始まる何かがあるかも知れない。  しかし、たとえ郁クンが相手であっても自分の肉体を童貞喪失の道具に貶《おとし》めないために、念を押すべき事は押しておこう、という気になった。  当分の間は、仲良くしてくれる?  ナニ言ってんだ、当分って、なんだよ。  Hをしても、私を見捨てないでくれる?  どうして、そういう発想になる訳?  不安なの。  大丈夫だよ、ずっと仲良くするよ、誓うよ。  誓わないで、嘘になるから。  何かで読んだか聞いた事のあるような台詞《せりふ》が自然に口から出て来て、自分でもたじろいでしまったけれど、私は「一切承知しました」と宣言して、ワンピースの裾《すそ》を捲《まく》り上げ、ガードルに指を掛け、一気に引き下ろそうとした。 「な、なにすんだよ」  私の突然の行動に慌てた郁クンは「あのなー、そういうのは、女が自分でやるもんじゃないらしいぜ」と言いながら呆れた顔をしたが、ほくそ笑んだみたいな感じ。  箱庭のような自動車教習所の構内をすいすいと動き回る郁クンでも、狼狽《うろた》えたり、逡巡《しゆんじゆん》したり、困り果てたりするのだ、と分かった。  明子や矢萩さんから聞いていた初体験の激痛は、なかなか訪れないのだった。  カーテンを閉め切った部屋で灯《あか》りをつけず、倒れた裸のマネキン人形の如くベッドに横たわる私に覆い被《かぶ》さった郁クンは、過剰な緊張で筋肉も関節も硬直した私の両足を開かせるのに苦心していた。私の立場としても、この場合、協力を惜しむべきではないのだけれど、脳からの指令が末梢《まつしよう》へ届かず、思うようにからだが動かないのだから如何《いかん》ともし難い。からだ用の柔軟剤でもあったら飲んじゃいたいくらいだ。  まいったなア、と呟《つぶや》いて、郁クンは「迷子になったみたいだ」と溜《た》め息をつきながら、私の横に寝転んで腕枕をしてくれた。滑らかな肌がくっついて、これだけで、もう満足だと思えた。  どこが入り口なのか、分からない。  迷路に嵌《はま》り込むには、入り口がスタートであって、出口が分からないからこそ、迷子というものが成立するのに、入り口が分からない、と郁クンは繰り返す。  入りっこないよなア、困ったなア、どうしたら好いンだろうなア。  右腕に私の頭をのせた郁クンの左手がどの辺りにあるのか、天井を見詰めるだけの私からは見えない。でも、私の中に入りっこない何かを握っている気配もする。  困ったなア、どうしたら好いのか、私にも分からない。  小さな箱庭で迷子になった私達は、真夏の午後、エアコンの風に吹かれながら、それぞれの頭の中で現況の打開策を練り始めたのだった。 [#改ページ]   取り敢《あ》えず、ナニゴトもなしの憂鬱《ゆううつ》  独りベッドに残されて、からだが急に冷えて行く。  胸の高鳴り消えぬ間に、早く戻って抱き締めて、と呟《つぶや》きたいところだけれど、そんなのは気色悪い、女臭い。  上半身を起こした私は、タオルケットで裸の胸を隠し、恨めし気にドアを見た。 「ちょっとトイレ」と言い置いて、郁クンはグレーのチェックのトランクスを素早く穿《は》き、部屋を出て行った。  なかなか帰って来ない。  トイレで長々とナニやってんだろ。物事を順調に遂行出来ないもどかしさで気分が悪くなったとか、排出しそびれたモヤモヤが体内で悪循環を齎《もたら》して体調を崩したとか、それとも、うんち?  こんな詮索《せんさく》をするなんて、お嬢様にあるまじき発想。はしたない、お下劣。  冷房が急速に利き出して、全身に鳥肌が立っている。私はタオルケットを広げて頭から被《かぶ》り、雪国在住の人のように目と鼻だけを出して縮こまり、ひたすらドアを凝視する。  ここしか、ないんだ、と郁クンが言った。  真夏の箱庭で迷子になり、出口ではなく入り口を探して彷徨《さまよ》っていた時、郁クンは私の足の間を極薄の氷の板にでも触れるように、そぉっと指先でなぞっていたけれども「無理だな、トーコに怪我を負わせるだけだ」と簡単に諦《あきら》めの言葉を吐き出した。  そんなあ。  永遠に苦痛が続くなら地獄に陥落した罪悪人だろうけれど、一過性の痛みだと聞いているし、その後は地獄とは正反対の天国の楽園とか愉楽へと辿《たど》り着くとも聞いている。  どうか堪えて、郁クン。最後|迄《まで》、頑張って。  どちらがどちらの何の痛みを辛抱しろと言っているのか、ちぐはぐだけれども、そういう奨励めいた事を面と向かって言える訳がない私は、内心はどうあれ、微《かす》かに頷《うなず》いてはみた。初体験の知識に関して立派な耳年増《みみどしま》を誇る私でも、実際に自分が体験するとなれば、いつかどこかの誰かと誰かの組み合わせと、今ここ郁クンと私のそれは全く別個のものなのだと痛感させられて、教養なんて当てにならないものなのね、と覚るしかない。それでも、現況打開を阻む羞恥心《しゆうちしん》やら緊張感など、頑《かたくな》なこころの一切を麻痺《まひ》させて、とにかく試みる事を提案したのだった。  痛くても、絶対に泣かないから、怪我をしても、どんなに辛《つら》くても、本当に後悔しないから。  これって、してしてしてして、とせがむのと同じじゃないの、と自分の露骨な要求に赤面しつつ、このまま帰るほうが、もっと辛いもの、と訴えた。しかし、いよいよ郁クンが進入して来る段になって、まったくほんの僅《わず》かだというのに、私は思いもよらない違和感に、あうっ! と叫んでしまい、からだを丸めて硬直し、微動だにせず、というテイタラクだった。滑らかで、温かくて、芯の硬そうな、あれが、アレなのね、と感触を反芻《はんすう》する間もなく「わ、ごめん、大丈夫か?」と慌てた郁クンは、瞬時にからだを離してしまったのだ。  そんな訳で私達は、乾いたベッドの砂浜で、からだを寄せ合いまどろむだけの、二頭のアザラシになりました。  遠くから救急車のサイレンが近付いて来る。国立病院は救急指定になっていないから、恐らく大手術の必要を迫られた別の病院の重症患者さんが運ばれているのだろう。  タオルケットの中から左手首を出し、素裸になっても外さなかったピンクの時計を見る。そろそろ家に帰って夕御飯の支度をしなければならない時刻。  このまま帰ってしまうなんて、惜しい。鼻から大きく息を吐く。  時間がない、焦っちゃう。このままじゃ、帰れない。  やがてトイレらしきドアがバタン! と閉まる音がした。こころもち表情を可愛らし気に繕って郁クンが戻るのを待ったけれど、期待を裏切って、戻らず。来客をほったらかしにするなんて、ホストとして失格だよ、郁クン。すると今度は、何やら硝子《ガラス》と硝子が触れる音やドンドンと床を踏み鳴らす音が聞こえ、足でドアを蹴破《けやぶ》るようにして、両手に麦茶のボトルとグラスを二個持った郁クンが部屋に入って来た。  グラスを二個とも受け取り、麦茶を注ぐ郁クンの長い指先をじっと見詰める。  机の上にボトルを置いた郁クンは、片手を腰に当てて私が差し出したグラスの麦茶を一気に飲み干した。それから、私に横顔を見せるようにしてベッドに腰掛けて、言った。 「取り敢えず、ナニゴトもなしっていうのも、好いんじゃないかと思うんだ」  困惑や混乱に直面した時、取り敢えず、当たって砕けろ! という積極的打開策もあるけど、今の俺とトーコの場合、時期尚早なのかも知れないし、何よりも無理矢理コトを進めれば、トーコのからだに傷をつけるだけだ。取り敢えず、何もしないでやり過ごす、というのもひとつの手だろ。  ナニゴトもなし?  失望した。  腹いせに、僻《ひが》みきった本音を言ってみた。  物事がスムーズに運ばないという事は、これからの関係もスムーズにイカナイって事かも。これから先、私と郁クンは、駄目なのかも。  そんな言葉を口に出しただけで、私は絶望感にうちひしがれて半ベソをかいてしまいそうだ。 「性急過ぎるって言ったのはおまえだろ。焦らなくても、そのうち、うまく行くよ」  郁クンは「なっ!」と何を納得させるつもりなのか相槌《あいづち》を求めて、曖昧《あいまい》に頷く私に一瞬だけのキスをして、タオルケットの上から私のからだをぎゅっと抱き締めた。  暫《しばら》くの間、ふたり、無言のまま、そうしていた。 「おまえ、誕生日、いつ?」  帰宅時間を気にしながら、郁クンの背後の窓が激しいオレンジ色に変わって行くのを眺めていたら郁クンが尋ねて来た。  もう、終わった。  もう、済んでしまった。いえ、今年の私の誕生日。  来年も再来年も生きていれば、何度でも訪れる誕生日ではあるけれど「私、四月生まれだもん」と答えて、だから、なあに? と聞き返した。 「トーコの誕生日を『喪失記念日』にしてやろうかと思ってさ」  私は、フウとも、ブウともつかない息を吐いて、唇を尖《とが》らせた。誕生日というのは年齢を重ねる日であって、何かを減らしたり無くしたりする御命日ではないのに。  郁クンの誕生日は? と尋ねたら、六月だって。  どちらも、もう、終わってる。  一瞬、もしも郁クンの誕生日が間近なら「郁クンの誕生日を『バージン贈呈記念日』にしちゃおうかな」と言おうとしたのに、そういう閃《ひらめ》きさえ反故《ほご》にされた。  来年なんて待てないよ、郁クン。  バージンを、奪う、捧《ささ》げる、と表現した言い出しっぺは誰なんだろう。  肉体の部分的名称やら実体としては、膜、これだけ。膜というものは薄いはずなのに、私と郁クンの場合、ふたりの間にそそり立つ頑強で分厚い壁みたいだ。  結局、夕御飯の支度には完全に間に合わない時刻になって、私は消化不良の蟠《わだかま》りを感じながらも駅まで郁クンに送ってもらい、呆気《あつけ》無く帰宅したのだった。  つまんないの。  でも、普段は威張ってばかりで強気な郁クンの、思い掛けない優しさが身に染みて、愛されてるんだわ、と肯定的にこじつけてもみた。  電車の中で考えるのは郁クンの事だけ。  つい今し方迄、誰かと一緒だった部屋にひとりで戻れば、空間を持て余すような寂しさを感じるはず、夕御飯は何を食べるのだろう、私は一家揃って食べるけれども、郁クンはたったひとりで食べる。  そんな図を想像したら、とてつもないせつなさが込み上げて、涙が溢《あふ》れそうになった。  観てもいない映画を面白かった、と言い切り、北田さんと話していたらすっかり時間を忘れちゃって、と虚言を吐いた。ただ、帰宅が遅くなった事だけを謝った。夕御飯は父さんが拵《こしら》えていたのだった。咎《とが》められない事が後ろめたさや自己嫌悪を引き出して、私は普段よりかなり無口になって卓袱台《ちやぶだい》に向かった。  父さんは最近、天麩羅《てんぷら》に凝っていて、綺麗《きれい》で形の好い海老天《えびてん》や色とりどりの野菜天をカラリと揚げる。胡麻《ごま》油の温度調整も見事で、もしかしたら母さんの天麩羅よりも上手。それは好いのだけど、大家族でもないのに大きなお皿にテンコ盛り。明日のお昼まで天麩羅定食が続いちゃうに違いない。  んめえ、んめえ、と山羊《やぎ》みたいな声を発して天麩羅を次々と食べる匠は、日中、夏期講習を受けていて、夕御飯の度に聞かれもしないのに講習でのあれこれを報告する。 「あのさあ」箸《はし》も置かず、口の中の食べ物を飲み込みもせず、匠は講師と喧嘩《けんか》した顛末《てんまつ》を話し出した。模擬テストで失敗して、志望校のレベルを下げるように言われたらしい。 「俺は諦めねーからな」  天麩羅の油でキトキト光る唇から御飯粒を吐き出しそうな勢いで、匠はやけに憤っている。  初志貫徹だ! 俺は二高に行くって決めてんだ! 三高やそれ以下なら、わざわざ講習なんて受けねーんだよ! レベルアップのために行ってんのに、最初から諦めろなんて、どうかしてると思わねえ? ねえ、父さん!  ムキになって話す匠を少し笑いながら、父さんは「初志貫徹か、まあ、好きなように頑張んなさい」と答え、如何《いか》にも呑気《のんき》そうにビールを飲んだ。  初志貫徹だって。  私は改札口で見送ってくれた郁クンの姿を思い描き、今日の結末への口惜しさや、遣《や》り切れなさや、匠の強気の発言への鬱陶《うつとう》しさで、なにやら気分が複雑に低下したのを感じた。  初志貫徹なんて言葉、気持ち悪いよ! と卓袱台をひっくり返して暴れ出しそう。  八つ当たりなんて、貧しく浅ましく、最低最悪、愚の骨頂。  それも分かっているけれど。  ちぇ、何が初志貫徹だよ!  初志貫徹、紀貫之《きのつらゆき》、突貫工事、貫一お宮、貫禄《かんろく》十分、寺内貫太郎、百貫デブ。  貫くという字が憎くなる。  現状打破、未来への打開、新展開の一切にお預けをくらった腹いせだ。  貫という字が恨めしい。  漢字に罪はないけれど。  未来の予測としては、私の卑屈さゆえの直感が当たってしまいそう。ついでに、郁クンの馬鹿! とこころ密《ひそ》かに罵《ののし》ってみたけれど、気分は一向に晴れないのだった。  父さんは憂鬱な顔をしている私を見て見ぬ振りをしてくれた。高校生の娘の感受性に侵入する図々《ずうずう》しさがないというよりは、面倒臭いんだろうな。  父さんが茶の間に布団を敷いて軽い寝息をたて始めた十時過ぎ、店から茶の間に上がる辺りに置いてある電話を階段へと引っ張り、こっそり明子に電話を掛けた。 「今からおいでよ、カウンセリングしてあげる」  流石、頼りになる、明子は!  勝手口から家を出て自転車に乗った。  今日の事を私だけの極秘日誌に書き出そうとしたものの、気持ちは堂々巡りをするばかりで何の解決にもならず、誰かに聞いて欲しかった。  闇に点在する街灯を頼りに夜遅く一心不乱にペダルをこぐなんて、お嬢様の為《な》すべき事ではないけれど、いくら職務に忠実なお巡りさんだって猛烈なスピードで突進して行く私を止められない。  門の付近を煌々《こうこう》と照らして電力の無駄遣いをしている明子の家は、水産加工食品会社の社長宅が多い住宅地にある。自転車を下りた途端、全身で号泣するみたいに汗が噴き出して、勝手口の鍵以外にはハンカチも持たずに飛び出したのを後悔した。  二階の窓から私が到着するのを窺《うかが》っていた明子が玄関を開けてくれた。武田泰淳《たけだたいじゆん》の『貴族の階段』のような、なだらかにくにゅりと曲がる絨緞《じゆうたん》敷きの階段を昇る。俯《うつむ》きがちに明子について行く。久し振りに会った明子の足首が太く見えた。なんだか浮腫《むく》んでいるみたい。  前に訪れた時と同じように、私は薄桃色の絹のカバーで被《おお》われたベッドに腰掛けた。  勉強机に頬杖《ほおづえ》をついて頷きながら私の話を聞いていた明子は「うーん、残念だったね」と妙に大人ぶって慰めてくれた。そして「もう破けてると思うよ」と言った。  ほんの僅《わず》かとはいえ、一旦、激痛を感知しちゃったんでしょ、次に試した時には、楽に入っちゃうはずだよ、なんて言う。  じゃあ、私はもう、処女じゃないってコト? えー!!  ショックを隠せない私に「本格的な喪失はその先にあるから、心配要らないよ、外傷の鋭角的な痛みじゃなくて、内部的な鈍痛に襲われるはずだから。骨格を変形させられて、頭蓋《ずがい》骨や骨盤の内側に、がんがん! どんどん! どっかーん! と響くみたいな」と、前にも聞いた事のある処女喪失におけるホンモノの痛みをあらためて説明し出した。  でも、それも最初だけだし、徐々にからだが順応するようになっているんだよ、そうでなければ種の保存のための営みは苦痛でしかないじゃないの。理屈で考えなくても潤滑油みたいな液体が分泌して、行為自体、快楽そのものになるんだから。  耳年増《みみどしま》の復習であっても、微妙な実体験を得た私にさらなる理解を深めさせる明子の解説。  はあ、やっぱり経験豊富な女の言う事は違うね、なんて感心していると「世界中の九十九パーセントの女が当たり前のように経験するんだからさア、その辺のおばちゃんやお婆ちゃん達だって、皆、非処女なんだよ」と明子が笑い飛ばした。それから、無理にコトを進めなかった郁クンを「正義感あるね」と讃《たた》えたので安堵《あんど》した。勇気のない腰抜け、臆病なだけじゃん、中途半端に事を放り投げる無責任男、なんて侮蔑《ぶべつ》するかも知れないと怖れていたから。 「明子って、肝っ玉母さんみたい」と言ったら、明子は大笑いして「うん、来年早々、お母さんになるんだ」と答えたので、私は絶句した。  そりゃあ、びっくりするに決まってる。  妊娠してるんだ、五ヶ月に入ったとこ、学校はやめる、結婚はしない、うちで育てる、パパもママも承諾した、彼氏とはもう別れた、と明子は矢継ぎ早に話し出した。私のカウンセリングというよりは、明子の近況報告を聞きに来たようなものだけど、コンナ話、過激、電撃、衝撃の度が過ぎる。私と同じ十七歳だっていうのに。  父さんが青果市場へ行く明け方近く迄《まで》、私は思い掛けず、悪阻《つわり》だの、産婦人科の診察だの、母子手帳だの、浮腫《ふしゆ》が出る妊娠中毒症だの、今の自分にはおよそ関係の無い、しかし将来はきっと役に立つであろう話を聞かされ、ますます耳年増を助長させられたのだった。  あーあ、どうしてこう、明子と違って私の人生における実体験はまどろっこしいんだろうなあ、というのが、帰りの自転車をこぎながら考えた事。  つまんないなあ、イライラする。  夏休みは、ナニゴトもなく、過ぎてしまった。 「ソクラテスに関する本を読んで感想を書いて来なさい」という倫理の宿題に頭を痛めながら、郁クンの自動車教習所に付き合ったり、手を繋《つな》いだり、キスをする以上、ナニゴトもなく、私と郁クンの夏は終わってしまった。初めてのキスを経験した分、ナニゴトもなかったというのは事実に反するけれども、隠密《おんみつ》のお泊まり旅行をする事もなかったし、海や山へ行く事もなかったし、加代子さんの帰国が急に早まった事もあり、あの日以来、我孫子家にお邪魔する事もなかった。  夏休みが来る前に、あれこれ期待していた幾つかの事を中途半端にはぐらかされて、私は苛立《いらだ》ちを募らせ、理由もなく泣いたり、匠に喧嘩を売ったりして、滅多に声を荒げない父さんを怒らせたりもした。  どうしようもない私。  二学期が始まって間もなくの修学旅行だって気乗りがしなかった。お土産を買うのも、神社仏閣を見学するのも、史跡をあちこち訪れるのも億劫《おつくう》で、グループリーダーの北田さんが指図する通りに行動していただけだった。  私は、郁クンのコト、ほんとうに好きなのだろうか、と自問自答すれば、好き、と結論はちゃんと出る。でも、会う度に物足りなくなって来た。  会う度に、というよりは、会って別れる度に、見事なくらい爽《さわ》やかにサヨナラの手を振るんだもの、郁クンは。歩く時は必ず手を繋ぎ、時々、人目も憚《はばか》らずキスをしてくれた事もあったけれど、郁クンはそれ以上の行為は絶対に慎むと決意したらしい。  そんな決意なんて要らないのに。  途中で決めるくらいなら、最初からナニゴトもなかった方が好かったのに。  旧暦のお盆が過ぎた頃、郁クンは仮免許が取れて嬉《うれ》しそうだった。でも、所詮《しよせん》は高校三年生に過ぎず、学校に内緒で免許を取るからには大っぴらな運転は出来ない訳で、しかも、加代子さんの車を借りて、どこへ、何をしに行きたいのか、もともと何の目的で免許が欲しいと思ったのか、私にはよく分からず、オモチャじゃなくてホンモノの自動車を操作してみたいだけの小僧に思えて来たし、嬉しさを共有出来ない寂しさも手伝って「よかったね」とうわべのお祝いを言ってみたものの、何だか急にしらけちゃった。  儚《はかな》いものなんだなあ、恋心なんて。  そういう訳で、郁クンへの修学旅行のお土産は『生八ツ橋』ひと箱だけ。  つまらない私に成り下がってる。  憂鬱の消し去り方を知りたいのに、考えれば考える程、憂鬱は日焼けの後のソバカスより酷《ひど》く、からだじゅうの皮膚に染み付いて剥《は》がれない。  ソクラテスに関する感想文のうち、北田さんや三島葉子の文章がプリントで配られた。  ト・ダイモニオン、ヌース、ヒストリア、パトス、ロゴス、イロニー、アレテー、ソフォス、プロンティステリオン、アルコン、テクネー、エリスティケー、ディアレクチケー、イデア、エレンコス……。  カタカナばかりの字面をぼうっとして眺める私は、この他のソクラテスに関わる人々の名前や地名などのカタカナだけじゃなくて、産婆術だの、形而上《けいじじよう》学だの、普遍だの、無知の知だの、死命の思想だの、日本語の意味すら理解出来なかった。駅前の本屋で活字が一番大きくて易しそうに見えた清水書院の新書判『ソクラテス』は中野幸次という女子大の助教授が書いたもので、中高校生にも分かるように言葉を噛《か》み砕いて書いてくださっているのだろうけれども、異国の言語のよう。 �私の中也�の言葉なら乾いた大地に雨が染み込むようにすぅーっと吸収出来るのに、私の脳味噌《のうみそ》は哲学用語を受け入れないみたい。  外国語や難解な用語を翻訳しながら理解を進めるなんて至難の業だ。同じ日本語だというのに。聖書を読む方が簡単な気がする。それはそうか、万人に理解出来るようでなければ布教にならないものね。  皆、お手本のようなプリントの文章を食い入るように読んでいる。私は他人事《ひとごと》のように眺めている。ザビエル禿《はげ》の伊東《いとう》先生が「どうだ、北田や三島はたいしたもんだろう」と、恰《あたか》も自分のお手柄みたいな満面の笑みをたたえて絶賛した。  その時、授業中だというのに、黒板のある前方の引き戸が静かに開いた。  神妙な顔のマ・スール菱川が伊東先生を手招きしているのが見えた。 [#改ページ]   教えて。命の在り処は、誰が決めるの?  気付いたら、虫食いの教室。  白い夏服の教室のそこかしこに茶色い空席が出来ている。  マ・スール菱川が廊下から手招きをした日、おやっと顎《あご》を突き出して軽く会釈をした伊東先生は、怪訝《けげん》な面持ちで廊下へと出て、まもなく教室へ戻ったのだけど、どういう訳か妙に厳粛ぶった表情を拵《こしら》えていて、喉《のど》に引っ掛かった煙草の脂《やに》を払い落とすようなわざとらしい咳払《せきばら》いをしてから、升本と山原の名前を呼んだ。ふたりは顔を見合わせて「なんなのぉ」と恍《とぼ》けた笑いをしながら教壇へと進み、何やら伊東先生が囁《ささや》いたのを聞くと「あーあ」と肩を竦《すく》めて教室を出て行った。廊下で待機していた菱川に連行されたふたりは、きゃっきゃっと笑い声を響かせたけれど、すかさず窘《たしな》められたみたいで、足音を立てずにどこかへ去って行った。それきり授業には戻らなかった。ふたりの鞄は、次の休み時間、菱川に命令されたらしい他のクラスの子が取りに来た。  底意地の悪い嫌味コンビの事だから、菱川の逆鱗《げきりん》に触れるような悪さでもしでかしたんだろうと一瞬だけ思ったけれど、私には奴らの事なんてどうでも好《よ》かった。夏休み明けから憂鬱《ゆううつ》に漂い過ぎて、奴らだけじゃなくて、他人をかまう暇はないんだもの。  未完に終わった初体験の日以来の払拭《ふつしよく》しきれない憂鬱を、朝の電車で会う郁クンには覚られないように懸命に繕っているにしても、どうにもならないくらい思慮や精神に余裕がない。明子が妊娠しているという重量級の衝撃を受けた今の私には、寧《むし》ろ、日常に大きな変化が齎されるほうが望ましい。だからって別に、升本と山原に対して羨望《せんぼう》なんぞ消しゴムのカス程も抱きたくもないけど。  嫌味コンビは次の日から登校しなかった。  一生、来なくていいよ、とせせら笑っていたら、意外にも菱川は翌日の生物の授業中にも複数の生徒を連れ出したのだった。連れ出された生徒は、不思議な事に揃いも揃って次の日から学校に来なくなった。  朝の放送礼拝の後、薄磯さんが担任の須賀チビに「最近の奇怪な現象について御説明|戴《いただ》けませんでしょうか」と申し出た。でも須賀チビはどうやら詳しい説明を避けたい様子で「おまえらには関係ない事だから」と誤魔化《ごまか》して具体的な事は何ひとつ教えてくれなかった。  私は日に日に増えて行く教室の空席をぼんやりと眺め、二学期早々席替えをしたせいか、空席に座るべき人が誰だったのかも思い出せないでいる。何もかもが遥《はる》か遠い世界の出来事のようだ。でも他の皆にとっては、学校の椿事《ちんじ》というのかスキャンダルというのか、面白おかしい大事件らしい。 「あんまり生意気だから、山奥の修道院にでも入れられて、性根の更生を強要されちゃってるのよ」 「そうかしら、おてんばの才能が認められて体育専門の高校にスカウトされたのよ」 「違うわよ、根性を叩《たた》き直すために勤労奉仕に駆り出されたのよ、今頃、たぶん海水浴場やキャンプ場でゴミ拾いでもやらされてるのよ、うつくしき魂にこそボランティア精神が宿る、これだわ」  クラスの皆は口々に勝手な事を言い合っていた。  凄《すご》い想像力だなあ、噂話の好きなおばさまがたみたいだ、大人になったら碌《ろく》に新聞も読まないで朝っぱらからワイドショーに釘付けの主婦になるに違いない、と私は感心半分、呆《あき》れ半分で聞いていた。  ところが、なんと品行方正で成績も良い薄磯さんと北田さんまでが呼び出され、それまでの人達と同じように学校を休み出したから、流石に傍観者でしかない私も関心を持たざるを得なくなった。  一体、どうしちゃったんだろ、薄磯さんと北田さんは升本や山原とは違う理由で欠席しているんだろうか。  須賀チビに問い質《ただ》す積極性は皆無なものの、気になる、すごく気になる、嫌味コンビに対しては欠片《かけら》もない「心配」という慈愛の気持ちで。  文化祭が近いというのに、クラス単位の出し物を相談する事も出来ないくらい、人数が少なくなった。 「やっぱり、お酒、飲んだら、駄目だよね、未成年だもんね」  帰りのお掃除が終わって昇降口へと向かう途中、矢萩さんが他の人の耳には届かない声で私に言った。 「ん、なあに? お酒って?」  矢萩さんの苺《いちご》大福みたいな頬に目を遣《や》ると「修学旅行の時、あのね、皆で、お酒、飲んでたの。岩岸さん、毎晩、先に寝ちゃったから気付かなかったでしょうけど」と囁く。 「へえ、そうなんだ、全然、知らなかった」 「昨日ね、北田さんのおうちに電話したの、十四日間の停学だって」  世の中って、私の知らないうちにおおいなる変化を齎すんだなあ、私が寝ていても時は巡り、事件は起こるんだなあ、と微《かす》かに驚き、自分ひとりが成長を止めたような違和感が込み上げたけれど、眠った時間の分だけ世情に疎いからこそ眠り姫は純粋|無垢《むく》なのよね、と自分を慰めてもみた。  矢萩さんが聞いた話によると、校長室に呼び出された北田さんのお母さんが「クリスマス・イヴなどに家族揃ってシャンパンを戴いたりするのは、よくある話で御座いましょう、ほんの僅《わず》かな飲酒で停学だなんて、なんと大袈裟《おおげさ》な」と校長先生に苦言を呈したら「そんな御家庭の教育だからお子さんが不良まがいの行動を起こすのです」とすごい剣幕で叱られたらしい。  飲酒イコール不良という図式は世界共通じゃない気がするけど、まあ、いいや、私には飲酒なんて興味も縁もないもの。  矢萩さんは自分がお酒に合わない体質で、勧められても紙コップに口を付けなかったのを「九死に一生を得るってこういうコトなのね」と胸を撫《な》で下ろすように言い「私が停学になったら、わざわざ県外に出してるのにって、お母様に大泣きされるところだった」としみじみ呟《つぶや》いた。  それから「あのふたり、自分達だけが退学処分にされるのが癪《しやく》だからって、告げ口したんだって、修学旅行のお酒の事」と付け加えた。 「あのふたりって? 升本と山原? 退学するの?」 「もぉ、岩岸さん、何も知らないのね、撫子《なでしこ》組の繭美《まゆみ》さんと日奈子《ひなこ》さんの事よ」  普段、内気でおとなし気な矢萩さんが情報通だったなんて意外だ。  考えてみれば矢萩さんは既に非処女だ。もしかしたら処女喪失を機に消極性をも捨て去ったのか。いいなア、私も早く経験したいなあ、と郁クンの顔や肌触りを思い出していたら、矢萩さんは何も知らない私を憐《あわ》れんでか、知り得る限りの事件の詳細を話し出した。  繭美さんと日奈子さんは、修学旅行の解散の後、直接おうちに帰らないで、駅からそのまま東京方向へ逆戻りしちゃって、それが親に無断だったから、当然、それぞれの親は学校に問い合わせをする訳で、そしたら電話に出たのが菱川先生で、職員室中、大騒ぎになって、ほら、うちの学校の生徒なら身代金目当ての誘拐とか考えられるでしょ、それで菱川先生に勧められて捜索願が出されたの、結局、上野駅で発見されたのはいいけど、連れ戻す時、菱川先生も親と一緒でね、帰りの新幹線の中がモンダイだった訳、繭美さんがトイレから戻った時の臭いから煙草を吸ってるのがバレちゃって、ふたりの手荷物を検査したら、くしゃくしゃになった制服の下から煙草とライターとコンドームが出て来ちゃって、それで一旦《いつたん》は無期停学処分にされたけど、間もなく退学処分になるらしいの。 「へえ、そうなんだ」  同じ相槌《あいづち》ばかりを繰り返す私は「へえそうなんだ主義」でも作っちゃいたいくらいだ。これ以外の相槌があるとしたら、例えば「ふうん、それで」「ええっ、ほんとう?」「やだぁ、信じられなぁい」「ほお、ほお」「あらあら、なんとまあ」「ふむ、ふむ」などか。  私達の菊組は大学文系コースだけど撫子組は短大就職コースで、担任の堀越《ほりこし》先生は家庭科のおっとりしたおばちゃま先生だし、スカートや上着の裾を詰めたり、透明なマニキュアをつけたり、ファンデーションを塗る子もいたりして、何となく自由で呑気《のんき》そうで、ちょっと毛色が違う事は確か。  菱川の嗅覚《きゆうかく》はたいしたもんだなあ、野獣並みだなあ、それにしても、告げ口かあ、さもしいなあ、嫌な話だなあ、と私は眉を顰《ひそ》めた。実際、カトリック女子高の厳粛さが露呈されて、連日、数珠つなぎみたいに停学処分に遭う人が出ているから、学校中、不気味な雰囲気に包まれている。 「もしかしたら、学校創立以来の不祥事なんじゃないの」と他人事《ひとごと》のように言って上靴を下駄箱《げたばこ》に入れた時、ピンポーンとチャイムが鳴った。 「教職員の皆様、大至急、職員室へお戻りください」というアナウンスは、菱川の声だ。  焦っているのを押し隠すような声で、三回、繰り返された。  学校がおかしくなってる、尋常じゃない、どうしちゃったんだろう、どうなってしまうんだろう、どうでもいいけど。  次の日の朝、登校すると教室の後ろに何人かが集まっていた。  皆、俯《うつむ》いていて、そのうちの三人はハンカチを目頭に当てて泣いていた。  教壇のほうへ背中を向けている誰かが、突然、興奮した声で「許せないわよ、こんな事!」と叫んだ。  机の上に鞄《かばん》を置いたまま呆然《ぼうぜん》と皆の様子を眺めていた矢萩さんと、目が合った。 「どうしたの? 何があったの?」と尋ねると、矢萩さんはいつもより一層、声をひそめて「撫子組の、日奈子さんが死んじゃった、自殺しちゃった」と喉元《のどもと》から、ほあんと空気を漏らすように言った。  どこの誰から情報を仕入れてくるのか、矢萩さんは新聞社の社会部記者の素質あり! と私は睨《にら》んだ。と同時に、急に頭がポカンとなった。  自殺だって、自殺だなんて。  前日とは違って矢萩さんは、私が尋ねもしないのに、しんみりと語り出した。  日奈子さんはね、繭美さんに誘われて東京に遊びに行ったけど、お酒も煙草も男の人との事も、繭美さんに勧められただけで、ほんとうは乗り気じゃなかったらしいの、でね、これは酷《ひど》い話なんだけど、渋谷《しぶや》でナンパされてね、ホテルでマワサレちゃったらしいのよ、繭美さんはそういうのが好きだから平気だったらしいけど、それに、お酒の事を学校に告げ口したのは繭美さんなのに、日奈子さんまで悪者になっちゃって、それで、昨日の午後、おうちのお座敷の鴨居《かもい》に電気コードを垂らして、首を括《くく》っちゃったんだって、日奈子さんと仲良しの福島《ふくしま》さんから、さっき、聞いたの、もしかしたら、生理が間近で、理性を失っていたせいかも知れないとも言ってた、日奈子さんは、毎日、反省文を真面目に書いてて、堀越先生は日奈子さんのほうだけでも退学にならないように働きかけてたらしいんだけど。  ナンパ、ホテル、マワサレ、平気。  縊死《いし》、電気コード、生理直前、理性喪失。  一体、これらの単語は何をどう認識しろというのだろう。大人の女性なら関連性を端的に説明出来るのだろうか。  私は日奈子さんと会話をした事がなく顔を知っている程度でしかないけれど、冬休みのいつだったか、魚市場の前で小型保冷車の助手席に座っているのを一度だけ見た事がある。日奈子さんのおうちは町の魚屋さんで、私と同じブルーカラーなんだなあ、とお父さんの仕事にくっついて魚市場へ来た日奈子さんに親しみを感じた事もあった。でも、いつも一緒にいる繭美さんが、派手で、蓮っ葉で、粗暴で、不潔な印象だから、何となく避けていたのも事実だった。強い性格の繭美さんに引っぱりまわされているみたいな日奈子さんは垢抜《あかぬ》けない素朴さに満ちていて、どことなく痛々しかった。その日奈子さんが自分で死んじゃうなんて、なんだか痛々しく見える人柄と符合するような気もする。  緊急の朝礼が開かれ、体育館で校長先生の厳格で悲痛なお説教を聞かされた。  キリスト教において自殺は認められない最悪の行為である、自分の命は自分の所有物ではないのだ、神様から与えて戴《いただ》いたものである、自殺をした者は、未来|永劫《えいごう》、業火でからだを焼かれ、それでも尚《なお》、絶命出来ない永久の苦しみに陥る、彼女は天のお父様のいらっしゃる天国へ行く事は決して出来ない、しかし、私達はせめて天のお父様が彼女をお赦《ゆる》しくださるようお祈りしましょう、なんて話、死者を労《いたわ》って弔うどころか、自殺という行為自体のみを誹謗《ひぼう》して、死んだ日奈子さんを罵《ののし》っているだけにしか聞こえない。  どうしてこう、誰かの胸の苦しみを察してあげる優しさが欠如しているんだろう。  天のお父様にかしずく修道女というものが、こんなにも死者に対して冷酷で残忍だとは思わなかった。  私は校長先生を睨み付けて、露骨な怒りの態度を表した。けれども、運転席を開けて保冷車に乗り込む時の、仲卸市場の牛乳屋で買ったらしい温かそうな白い瓶を日奈子さんに渡したお父さんの、嬉しそうな優しそうな赤ら顔を思い出したら、からだじゅうが震え出し、鼻の奥がごーんと熱くなり、涙を塞《せ》き止める事が出来なくなった。  あちらこちらから啜《すす》り泣きの声がして、誰かが「彼女は自殺したんじゃありません! 先生達が彼女を殺したんだ!」と叫んだ。 「静粛に! 静粛に!」と校長先生が演台を叩いて怒鳴り、叫んだ生徒はマ・スール達によって列の間から摘《つま》み出された。恐らく礼拝室へ連れて行かれるんだと思う。あそこは、まるで反省室みたいに無機質で殺風景な空間だから冷静さを呼び戻すのには適している。 「先生達が地獄に堕《お》ちるべきよ!」  腹の底から吼《ほ》える生徒は撫子組の平良《たいら》さんで、叫びの止まらない口を押さえるマ・スール達の手を振り解き「こんな学校、やめてやる!」と喚《わめ》いた。  啜り泣きの声は号泣の渦となって体育館の天井に反響した。  幼稚園から高校が同じ敷地内に在る学校の、三百人足らずの高校二年生のうち、停学処分の明けていない生徒と亡くなった日奈子さんを除く全員の悲しみや口惜しさで、体育館の中には熱気が充満し、呻《うめ》き、叫び、泣き声で爆発寸前のようになった。  私の隣で嗚咽《おえつ》する遠藤さんは、停学処分を終えてから初めての登校で、額を掌で押さえて唇から聞き取れない言葉を吐き出し、震えていた。  私は奥歯を固く噛《か》み合わせ、唾《つば》を飲み込み、時々、肩で息を吐き、よろけそうなからだを必死に立たせていて、泣き叫ぶ人間の無邪気さみたいなものに吐き気を催していた。  ぎゃーぎゃー喚いて、何になるの? 生理が近いんじゃないの? 女はこれだから鬱陶しいんだ、落ち着いてよ、ったくさぁ!  そんな風に誰かを批判する事で理性を取り戻そうとしていたのも事実だった。  校長先生が演台の天板に額を載せるように崩れた。灰色の頭巾《ずきん》で顔を隠してはいるものの、泣き出したように見えた。しかし、すぐに姿勢を整え「修道会に入りまして三十有余年、教職に就きまして二十八年、こんな辛《つら》い出来事は御座いません」と自分の心情を語り始めた。「皆様、どうか静粛に」と繰り返し、彼女を停学処分にした学校の方針に誤りはないと確信していると、さらに死者に鞭打《むちう》つ事を言い「命について、あらためて考えてみましょう」と締め括ってお説教を終えたのだけれども、ステージから僅か五段ばかりの階段を下りる足元が覚束《おぼつか》なくて、手を差し伸べるマ・スール久保田に縋《すが》り、ようようの体《てい》で壁寄りに置かれたパイプ椅子に腰を下ろしたのだった。  日奈子さんに手を差し伸べる先生は、人柄の好《よ》いおばちゃまみたいな堀越先生以外、誰もいなかったのだろうか。  キリスト教に基づく教育方針とは、罰して処分するばかりなんだろうか。  日奈子さんの両親の心境を慮《おもんぱか》れば、悲しくて仕方ない。学校もキリスト教も娘を救済してはくれなかったと恨むより先に、親として至らなかったと悔やみ、苦しみでのたうち廻っているんじゃないかしら、と思う。『可哀想』なんて言葉は、高校生の私が遣うには生意気で、安易過ぎるかも知れないけれども、そうとしか言い様がない。  母さんが死んだ時の私の心境や状態は、と言えば、実は、記憶がすぽんと抜けてしまって、よく思い出せない。空白になった頭で何かを感じたり考えたり、それより、ちゃんと呼吸をしていたのかさえ思い出せない。ただ、ずっと加代子さんが私の肩を抱き、髪を撫でていた、その時の甘い香りは鼻の奥に残っている。やわらかな、優しい、ふくよかな、好い香りだった。  父さんが母さんのからだを抱き締めたきり、いつ迄《まで》経っても離れないから、主治医の先生や看護婦さんに背中を摩《さす》られて、漸《ようや》く匠と私に向かって無言で何度も頷《うなず》いた顔とか、真っ赤に充血した眼とか、早速、葬儀屋が来て段取りを進めようとしたのにムカツイタのとか、そうして、匠が「ママあ、ママあ」と泣いて揺さぶるのに、母さんがちっとも反応してくれないから、とうとう床の上に転がって大暴れしたのとか、そういうのは何となく覚えている。  お通夜やお葬式の間じゅうの事は、お手伝いに訪れた近所のおばさまがたが忙しそうに立ち振る舞うのを、ただ呆然と眺めていただけだった。放心状態って、ああいう事を言うのかな、と今となっては解釈出来る。  亡くなる前日から、父さんと匠と私、そして加代子さんがずっと母さんに付き添っていて、皆でベッドを囲んでいた時、すっかり痩《や》せて干涸《ひから》びた母さんの指が私の頬へと伸びて来たので「なあに、母さん、なあに」と一生懸命になって尋ねたら、母さんの唇が微《かす》かに動いた。読唇《とくしん》術なんて分からないし、はっきりと声が聞こえた訳でもないけど「とこちゃん、あとは、よろしくね」と言ったような気がして「大丈夫、頑張るからね、大丈夫、頑張るからね」と同じ台詞《せりふ》の、しかも今後の自分の決意ばかりを繰り返すしかなくて、その時が、やたら悲しかった。この世の何もかもが寸断されてしまうみたいな、終末の、絶望の、どうにもならない気分だった。  教室へ戻ると、須賀チビが「今日は授業を変更して、俺、ちょっと話すから」と教壇に両手をついて、校長先生とは違う主旨の「おまえらの命は肉親にとってかけがえのないものなんだぞ」なんて、ごく一般的な大人の見解を話し始めた。「人間の命は神様の所有物だなんて、どうかしてるよな」とは言わない迄も、須賀チビの大学時代に自殺した同級生の例を出し、書き残した日記や遺書の内容や遺族の様子を、極めて穏やかに、言葉を慎重に選びながら、クラス皆の顔をひとりひとり見詰めながら話したので、結局は、死んで行った人の立場よりも遺《のこ》された人の立場を思い遣《や》るしかないんだなあ、と私は思った。  だけど、教えて。  自分の命の扱いは、自分で決めてはイケナイものなの? 日奈子さんはあんまりにも辛くて、遺される人の胸の痛みを察する余裕もないくらい辛過ぎて、どうしようもないから自分で自分の命を始末した訳でしょう。  自殺は、どうしてイケナイ事なんだろう。  自分の命の在り処《か》は、誰が決めるの? [#改ページ]   曖昧《あいまい》な果実は、フリーザーの中で  生き物は、必ず死ぬ。  そんな事は、とっくに承知していたはず。  永遠に死なない人間は、世界中、どこを探したって、ただのひとりもいない、それもちゃんと分かってる。  だけど、病気や事故、老衰、天災や戦争以外で死ぬなんて、私の認識の範囲外だった。  十七年半生きて来て、あくまでも自分自身に関してだけど、自分の死因予想に自殺というキーワードはなかった。  自殺は死因ではなく動因であって、医学的には呼吸不全とか出血多量とか心不全とか、他にいろいろな要因が死亡へと至らしめるのだろうけど、冷静に考えれば考える程、怖くなる。  自分で自分を殺すなんて凄《すご》い事だ。  他人を殺す場面を想像するだけでも怖いのに。  自殺を図ってから絶命する何分の一秒の間に、やっぱり止めておけばよかった、死にたくない、生きたい、と後悔したらどうするんだろう。  死ぬのが怖いというよりは、自殺を後悔する事のほうが恐ろしい。でも、冷静に考える余裕がない状態で実行するのだろうし、後悔する可能性を考えるくらいなら死ぬのを諦《あきら》めるに決まってる。  私は今、打ち身だらけの果実のようだ。  お盆過ぎの桃みたいに、ちょっと掴《つか》んだだけで指が触れた形のまま茶色く腐ってしまう程には繊細じゃないけれど、さしずめ、うっかり床に落として、凹《へこ》んだ皮の内側がプニプニとやわらかくなったリンゴといったところだろうか。  思考も気分も空回り。  不意に地べたに落っこちて、幾ら元の位置に戻っても再び落っこちて、頭はタンコブだらけで、全身の皮膚には青や赤や紫の痣《あざ》で模様が出来ちゃってる、そんな気分だ。  凹んだ肉体の一部から壊死《えし》が始まりそうだ。  具体的にどこが痛いというのではないけれども、あまりにからだがだるい。それに、異常なくらい、眠い。体育の時間でも気を緩めた途端、校庭の土の上で寝てしまいそう。睡眠時間は足りているはずなのに。 『ひよこ製パン』が放つ発酵したパンが焼ける匂いと、どこかで咲いている金木犀《きんもくせい》の甘い香りとが混ざり合った奇妙な匂いが教室に漂っていて、ニセモノ香料のキンモクセイを置いたトイレで吐こうか吐くまいか便器を覗《のぞ》いて逡巡《しゆんじゆん》しているみたいだ。どこにいてもトイレの縦長で四角い空間をすっぽりと着込んでいるみたい、そんな感覚。  那由他先生の英語の時間、昨日までお気に入りだったチョコレート色の消しゴムを摘《つま》んだ瞬間、人工的なカカオとバニラの匂いに悪寒が走り、那由他先生が黒板に書いたアルファベットが剥《は》がれて舞い飛び、まるで粉々に砕けたガラスの破片となって全身に突き刺さるような痛みが走って、それで、ああ、なあんだ、私は具合が悪いんだ、と漸《ようや》く自覚した。  家に帰って熱を計ってみたら、平熱とほぼ変わらず。  体温計は明確な数値で私のからだの変調を表してくれない。  風邪の初期症状なのか、浮遊感と悪寒と倦怠《けんたい》感に漂いながら、朧《おぼろ》げな意識でお米を研いでいて、生理が遅れている事にも気付いた。  大量停学処分や日奈子さんの自殺以来、学校中、どこか苛立《いらだ》ち、何かに怯《おび》え、訳の分からない怒りや苦悩や不安に駆られ、無邪気とか屈託のなさとは程遠い沈痛な雰囲気が充満している。一見、何でもなさそうだけれど、ぼんやりとどこかの一点を見詰めていたり、沈思黙考というよりは虚《うつ》ろな目をしている人が増えた気がする。自殺した日奈子さんの事じゃなくて、自分自身のお悩みとか、何故、ひとは生きるの、なんて哲学的な問題に埋没しているんだと思うけど。  精神的な打撃は乙女の体内時計を狂わせる。皆、生理が遅れたり止まらなくなったりしているんだ、きっと。  停学処分の当事者でもなく、日奈子さんの件でさえ傍観者でいた私までが影響を受けるとは思いも寄らなかった。生理は伝染するというけど、それに似た非科学的な作用なんだろうか。  停学処分を受けた全員が刑罰を終えて登校し始めたものの、日奈子さんの担任の堀越先生が責任をとろうと辞職願を出したため、撫子組の平良さんや福島さん達を中心に『堀越先生を辞めさせないでください』の嘆願署名運動が始まった。  そういった生徒の行動を制止しようとするマ・スール達は、休み時間でも放課後でも教室や校内のあちこちに出没して監視の目を光らせるようになった。  私は私で、興奮したり理屈を並べ立てる誰かをウンザリした気分で眺めたりしたけれども、季節の変わり目って、どうしてこう体調が悪いんだろうなあ、と風邪薬の副作用で眠くて仕方ない目を無理にこじ開けて机に向かっていた。実際、何度か居眠りをしちゃってた。気温が変動するのだから調子が狂うのも当たり前かも知れないけれど、時期が来れば制服が替わるように、時間が経てば、学校にしても自分にしても、それを取り囲む空気に色や匂いをつける霞《かすみ》や煙は解消するはずなんだ。時の効用ってヤツ。  けれども、校長先生が「今年の文化祭は中止します。但し、講演会だけは予定通り行います」と宣言したため、再び学校はひと騒動。  ぎゃーぎゃー喚《わめ》く声を聞くのは二度と御免だ。  喧《やかま》しいったらありゃしない。  女って、ほんと、感情に走る獣なのね、感情を持つだけ進化した動物ではあるのだろうけど、むきになっている自分の姿を客観的に見て御覧よ、と言いたいのを堪《こら》えるのも面倒臭い。  講演会というのは、矢萩さんと同じ隣の県出身で、ウチの学校と同じ市内で育った偉いおじさま作家を招いて『日本語探訪』の演題で講演して戴《いただ》くというもので、当初は若くて美形の人気作家に打診したのだけど、人気を反映してか日程が合わないと断られ、やむを得ず他の作家を探したところ全然駄目で、結局、高校卒業までウチの学校と同系列の修道会が運営している養護施設で過ごし、上京後、大きな賞をとったりベストセラーを連発して全国的に有名になった地元の出世頭みたいなおじさま作家にお願いしたらしい。  黒縁の丸い眼鏡をかけて誰かと話している様子の写真を、新聞だったか雑誌だったかで見た事がある。ハンサムじゃないけど、能弁かつ知識が豊富で、日本語の達人という印象だった。  匠の志望校よりワンランク上の高校時代のエピソードを満載した小説はユーモアに溢《あふ》れていて、映画化されて大ヒットしたし、養護施設時代の、貧しさ故の弟とのせつない遣《や》り取りを描いた短編小説では、私も思わず泣いた。  お顔のほうはどうあれ、私の好きなおじさま作家だから講演会が中止されなくて好かった。せっかくお引き受け戴いたのに、学校の不祥事のせいで依頼した側から断る訳にもいかなかったにしろ、めでたし、めでたし。本来なら文化祭の催しのひとつとして公開されるはずだった講演会が非公開になろうが、あるいは文化祭とは切り離されて開催されようが、面白そうなおじさま作家のお話を聴けるんだから、私にはどちらでも好い。滅多にない事だもの。  文化祭中止の件は、美術部や書道部が「どうしても作品を披露したい」と顧問の先生に訴え、顧問から校長先生へと生徒の切なる願いを届けて貰《もら》って、一挙に解決した。いや、半分解決。家族や親族、特に親しい人を生徒が招待する半非公開の形で行われる事になった。生徒一名につき三名のみの御招待で、生徒の署名付きの招待状を受付に出してから校内へ入る事が許可されるらしい。  帰宅部の私は取り立てて披露したい作品なんて無いし、クラスの出し物と言ったって視聴覚室から借りて来たビデオで映画『十戒』を上映するだけだし、実に面白くない文化祭になる事は予想がついたけれど、朝の電車で一緒になる日課だけは辛うじて続けている郁クンに『二年菊組 岩岸桐子』の招待券を渡したのだった。郁クンの学校の生徒なら、ウチの学校では一番人気があるし、郁クンがお友達を連れて来たら、皆、きっと喜ぶもの。でも、来てくれるかどうか、よく分からない返事だったから、どうせつまらないと思うの、無理に来なくても好《い》いの、とだけ言っておいた。  講演の開始時刻だというのに、おじさま作家は登壇しなかった。  遅筆で有名でもあるおじさま作家の事だから新幹線に乗り遅れたなんて事も考えられるけれど、マ・スール久保田がステージ脇のマイクで「まもなくお見えになります」と畏《かしこ》まって宣言したから、学校に到着したのは間違いない。  校長室で社交辞令まみれの談話でもしているのか、講演の内容にいちいち注文をつけられているのか、二分過ぎ、三分過ぎても現れない。  学校の陰鬱《いんうつ》な雰囲気を察知して「気乗りがしないから、ボク、帰る」とゴネて「そんな、何を今更」なんて引き止められているのかしら、と空想していたら、校長先生にかしずかれて、のっそりと体育館の壁と私達の間を歩いて来た。  歓迎の拍手に耳を塞《ふさ》ぐように片手を右耳に当て、のっそりとステージに上がり、白い小菊を生けた花瓶とコップで蓋《ふた》をした水差しを置いた演台に両手をつき、数秒間、目を瞑《つむ》って何かを考え、それから、のっそりと顔を上げて私達女子高生の集団を見回し、ぼそっと名前を言って挨拶をした後、開口一番「本当は来たくなかったのですが、ヨゼフ神父に頼まれて、仕方なく、久し振りに帰郷したという訳です」とマ・スール達が苦笑しちゃうような事を仰《おつしや》る。  正直で、皮肉の機転が利いたお話が聴けそうだ。 「ボクが白ばらホームにいた事は御存知かと思いますが」と過去の話を始めたので、マ・スール達は「如何《いか》にカトリック精神やカトリックに基づく教育が素晴らしいか」と述べてくださるものと信じているらしく、取り繕った澄まし顔の口元をきゅっ! と上げ、ひと言ひと言に相槌《あいづち》を打ち、上品ぶった笑みをたたえている。  ところが「えー、今日は『日本語探訪』というテーマなので」と前置きして本題が始まってから、雲行きが怪しくなった。  私の斜め前に見えるマ・スール菱川は赤面し、久保田は顳《こめ》|※[#「需+頁」、unicode986c]《かみ》をひくつかせているに違いなく、校長先生は対応に苦慮しておられるだろう、と推測出来た。  コトもあろうに、おじさま作家は、『女性器の呼び方』について話し出したのだ。 「隣の県を例に出しますと、地域や町々によって名称が変わる訳です」と、それはもう詳しく、イントネーションや発音の微妙なところまで実際に声に出して、どこがどう違うのかを説明なさる。  仲卸市場のトイレのいたずら書きにあった言葉と、おじさま作家の仰る単語が符合したので、私は大きく細かく頷《うなず》いて、拍手|喝采《かつさい》したいくらいだったけれど、私のように野蛮な世界を垣間見《かいまみ》ている女子高生は希少な訳で、お育ちの好い他の人達は、方言を使わず知らない子も多いから、言葉の意味と内容、言葉からイメージする世界がよく繋《つな》がらないらしく能面のような表情でステージのほうを見上げているだけだ。  隣のクラスの列では、『社会奉仕部』の明石《あかし》さんが懸命にメモをとっていた。偉い作家のお言葉を聞き漏らす事なく、全部、メモしなければならないと思い込んでいるらしい。おじさま作家が明瞭《めいりよう》に言い放つ『方言での女性器の呼び方』をも御丁寧にせっせと書き留めていた。  そんなのメモして、おうちに帰ってお母様にお見せしたら卒倒なさるわよ、仮にお母様が言葉の意味を御存知ならば、のお話だけれども、と私は内心、意地悪な気分でせせら笑っていた。  赤面の顔を俯《うつむ》かせていた菱川は、片手で鼻や目を隠し始めた。  おじさま作家の声だけが粛然とした体育館に響く。  マイクを通してはイケナイ単語が連発されている。きっと、この地方に限ってならテレビやラジオでも放送出来ないだろう。  本当は来たくなかったにしても、カトリック女子高で話すにはかなりの勇気が必要だし、皮肉にしても過激だ。  赤面している菱川は単語の意味を知っているからこそ恥ずかしがっている訳で、そういう処女ぶったカマトト修道女をからかうにしても、凄《すご》い。  このおじさま作家は、おんなこどもが嫌いなのではなく、宗教かぶれの気取り屋をおちょくるのが好きなのだろうな、と私は推察した。  菱川の他、何人かのマ・スールが体育館を出て行った。拝聴するのに耐えられませんの、と言わんばかりだけど、高名な作家に失礼がないように、しずしずと足音を立てず、微風《そよかぜ》に流されるように消えて行った。  おじさま作家は、それでも話を続けた。  どんなに貞淑な校長先生でもさすがに止める事は出来ないのだ。でも、おじさま作家は場の空気を読み取るのに敏感で「もう二度と、この学校に呼ばれる事はなかろうかと思います、先生方、修道女の皆様には顰蹙《ひんしゆく》を買う話で申し訳なかった」とほんのちょっとだけお詫《わ》びをして講演を終えた。  ウケを狙って話し出したのに、ちっとも盛り上がらないし、誰も笑わないし、殆《ほとん》ど反応がないので、おじさま御自身、話していてつまらなかっただろうな、と私は思った。  型通りの拝聴感謝の拍手の中、おじさま作家は再びのっそりとステージを下りて、のっそりと体育館の外へと歩いて行った。その後を鼠色の頭巾《ずきん》で顔を隠さんばかりに俯いた校長先生が随《つ》いて行った。  時計を見たら終了予定時刻|迄《まで》、五分も残っていた。  三十分間の約束だった講演は、五分遅れて始まり、五分早く終わったのだから、正味二十分。  それでも講演料が減らされる事はないだろうから、作家として出世するには効率の好い商売上手でなければならないんだなあ、素晴らしい! と青果商の娘である私は感心したのだった。  教室に戻ってから講演の感想文を書く時間を与えられたのだけれど、皆、何を書けば好いのか分からない様子で、普段、筆のたつ北田さんでさえ頭を抱えて藁半紙《わらばんし》を凝視していた。「方言と標準語の違いを発見するという点で書けば好いのよ」と珍しく私が北田さんに助言したりして。  かつて方言の中に古語を発見した私は「現在の田舎の人達については分かったけれども、古代の人達は、女性器を何と呼んでいたのか、しかも何故、その名称となったのか、由来も教えて戴きたかったので、これから私自身で調べて行こうと思います」と書いてから、この文章は、直接、おじさま作家に手渡されるのではなくて、国語の菱川か担任の須賀チビの検閲が入るのだと気付いて書き直そうとしたけれど、他に書く事がないし、時間も来たので、そのまま提出した。恐らく、おじさま作家の手元へは届けられないだろうな。  これは、懐疑ではない。  キリスト者への、不信だ。  見えもしない神の存在や力を絶対に信じないと言い切れる程、私は頑固でも偏狭でもないつもりだけど、神につかえて啓蒙《けいもう》を施す宗教者、あるいは神の教えを伝播《でんぱ》させる教育者という職業に殉じる人間への、憎悪とか、軽蔑《けいべつ》とか、嫌悪やらの悪感情が募って、まったく消化出来ない。  もう決定的。  にんげんとして最低なのは、マ・スール久保田。  地獄に堕《お》ちるべきなのは、あなたのほうだ、と罵《ののし》ってやりたいくらいだ。  おじさま作家の講演の翌日、国語の菱川に代わって久保田が私達の授業を受け持った。一年と三年の古文を担当している久保田は、その時間は偶々《たまたま》空いていたらしい。  その朝、菱川が修道院の自室で倒れ、脳梗塞《のうこうそく》で危篤状態にある事は、担任の須賀チビから聞かされていたけれども、深刻ぶった表情の久保田は普段にも増してゲジゲジ眉毛《まゆげ》の間を狭めてやって来て、教壇に立つなり「あの子は、悪魔です」と言い放ったのだ。  マ・スール菱川がお倒れになりましたのは、たいへんな御心労を重ねられたからで、悪魔のこころを持った生徒のせいです、大量停学処分という不祥事の発端となった星田《ほしだ》繭美さんと安倍川《あべかわ》日奈子さんのせいです、とりわけ星田繭美さん、あの子さえいなければ、こんな事にはならなかった、あの子はマ・スール菱川を殺そうとしたのです、あの子は、悪魔です。  日奈子さんのようにみずから死を選んで謝罪するどころか反省の欠片《かけら》も見せない繭美さんは、退学処分を正式に言い渡された数日前の校長室で「この学校の不祥事をマスコミに売ってやる」と脅したらしい。まるでチンピラの足掻《あが》きみたいな繭美さんの悪態に、菱川は生活指導を重んじる教諭としての自責の念に駆られて不眠症に陥り、ここのところゲッソリと痩《や》せたのは私達も薄々は気付いていた。授業でもヘマばかりしていたし。誤字脱字ばかりの文章を黒板に書いたり、生徒の名前を取り違えたり、ふとした瞬間、立ったまま気絶しているみたいな顔をしたり、時にはゆらゆらとからだをよろめかせて今にも教卓に突っ伏して泣き出しそうな様子を見せていたから、幾ら歴代の生徒達から侮られている間抜け面の菱川とはいえ、哀れだなあ、なんて思いながら私は見ていた。  その菱川が倒れたと聞いて、謎めいた閉鎖的空間である修道院中、てんやわんやの大騒ぎだったろうなあ、なんて想像したり、身も心もきよらかな修道女でも病気になったりするんだ、なんて当たり前の事に妙な感心をしていたり、どんなに純粋かつ熱心に祈りを捧《ささ》げたところで、世の中、どうにもならない事があるもんね、なんて白々しい気分でお祈りのポーズをとっていたりして、うーん、私だって悪魔的な要素を持っている、そうは思うけど。  あの子は、悪魔です。  凄い台詞《せりふ》だ。  子供は、皆、天使じゃないの? 十七歳の私達は、まだ子供じゃないの?  あの子は、悪魔です。  怖い台詞だ。  マ・スール久保田に、にんげんの子供を悪魔である、と審判をくだす権利を与えたのは、神様?  例えば、傷害だとか、殺人だとか、そういう国家的法律上の大犯罪をおかした訳ではなく、単に校則に反したり、親や先生に心配をかけただけなのに、退学という追放処分を受けさせた。神様はほんとうにそれをお望みなの?  罰というのは、いとも単純に追放するのじゃなくて、矯正にいたらしめる教育を施す事じゃないの?  繭美さんの人間性に関する好悪を別として考えれば、繭美さんの一番の罪は、自己認識の甘さ、この一点だ。自由|気儘《きまま》に生きたい自分の性格を知っていたらカトリック系の学校を選択しないでしょ? もしかしたら、繭美さんのおうちは、繭美さんからは想像も出来ない尊厳に満ちた上品な御両親が築き上げたもので、学校の選択は繭美さん自身がしたんじゃないかも知れないけど。私とは違って中学からエスカレーターで上がって来た繭美さんの入学や高校への進学を許可した学校にも責任があるんじゃないの? 一方的過ぎるんじゃないかしら、マ・スール久保田。  もうすっかり嫌いになった。  マ・スール久保田だけじゃなく、キリスト教の神様に身を捧げる類《たぐ》いの人達が。  他の宗教なら、もっと寛容なんだろうか。  日本には八百万《やおよろず》もの神様がいて、持ち場ごとに力を発揮して恩恵を授けてくださっているらしいし、それに皆、御多忙だから、キリスト教におけるお父様のひとりやふたり、どこの馬の骨か分からない神様が増えたところで、大した事はないだろう。  にんげんの行為を主観的に判断しては、罰して処分する、そんな事ばかりじゃなくて、日本の神様のうちのどなたかみたいに、一緒に船に乗って海で漁をしたり、一緒に田畑を耕して作物を育てて収穫したり、にんげんと一緒に汗水垂らして働きなさいよ、キリスト教のお父様。  文句や注文ばかり言って、ちっとも労働しない家長みたい。  うちの父さんのほうが、ずっと偉くて、スマートだ。  国語好きな私は宗教の成績も良くて、記述テストではずっと九十点台をキープしているから通信簿もずっと『5』だけれど、聖書の持ち込み可の記述テストにはコツがある。それは私自身で発見したもので、北田さんや矢萩さんにも伝授しないで密かに持続させていた。とにかく、平身低頭の謙虚な気持ちで文章を書く事、聖書の言葉を引用する時には、神様への尊敬をちりばめて、なにもかも有り難がって、なにもかも神様のお陰です、みたいな気持ちで書く事、それだけで良い点が取れちゃうんだ。採点するマ・スールの御機嫌伺いみたいなもの。  でも、今日からは一切、そんな気持ちや技術は捨て去る事にする。  私は別に、キリスト者になりたくてこの学校を選んだ訳じゃないもの。  お嬢様になりたい、目的はそれだけだもの。  それにしても。  八百屋の娘からお嬢様に成り上がろうとするには宗教系の学校に潜入するしか手立てがなかった私の場合、それは所詮《しよせん》、にわかづくりの、ニセモノの、束の間の、似非《えせ》お嬢様に過ぎないのだろうか。  そもそも学校の規律が厳しければ厳しい程、お嬢様度が高くなる、という法則は、一体、どういう事なんだろう。  被抑圧+宗教+伝統+文化=お嬢様、一丁上がり?  これって、錯覚なんじゃないの?  目くらましなんじゃないの?  厳格であればある程、謎が多くなる訳で、あけっぴろげな日本の神様より、幻想的で、魅惑的で、高貴な感じがしちゃうだけなんじゃないの?  いずれにしても、徹底的な規律の厳しさは婦女子に我慢という理念を植え付けて躾《しつ》けるには都合が好いのだろうな。  日本の女神様みたいに火の神様を産んで大事なところに大|火傷《やけど》を負ったり、気に入らなければ捨てちゃったり、自分自身も黄泉《よみ》の国なんていう地獄に行って醜い姿で過ごしたり、あとはあれだわ、笑いのためならストリップどころか、大事なところ迄大勢の神様に見せびらかしたり。高貴な婦女子が慎みやら嗜《たしな》みがないんじゃ困る訳で。  キリスト教にしても日本の神様にしても、とことんお勉強した訳でもない私は、無知なるが故に大言をほざく小娘に過ぎなくて、もしも専門家がこの文章を読んだらお怒りになって、お叱りを受けるだろうけど。  ま、いいや、これは私しか読まない日誌だし。  あ、今、気持ちの好《い》い閃《ひらめ》き、キャッチ。 『無花果《いちじく》日誌』と名付けよう、たった今、決めた。  理由も理屈も、なにもなし。無花果が好きだから。  字面も好きだけど、なんとも言えない味の無花果に魅せられた私の内情ばかりの日誌は、当然ですが、門外不出。  暗幕を下ろした教室での、三回目の上映中、私は家の冷蔵庫のフリーザーに置き去りにした無花果について考えていた。  案の定、文化祭の来客は少なく、学校中の飾り付けは勇み足みたいな寂しい空振り状態。ひとクラス分の椅子を並べた教室で、他の催しを見学する時間を捨てて迄じっくりと映画を鑑賞する暇な人などいない。お愛想で腰掛けたものの中座する人ばかりだ。  廊下に出し物の貼紙をしただけで、数少ないお客様にお誘いさえしない運営委員のひとりである私にしても、一日に二回上映される『十戒』は一回観ただけで「もう結構です、分かりました」という感じだし、退屈を凌《しの》ぐには頭の中で別世界に浸るしかない。  悪化せず治りもしない軽い風邪を引き続けている私は、前の晩、やっと生理が終わって安堵《あんど》したのだけど、どうも頭痛もするし、微熱があるみたいだから、アイスノンで頭を冷やして寝ようと冷凍室を開けた。夏の食べ残しのアイスクリームのカップや、大食い匠のための冷凍チャーハンや焼きおにぎりの袋の下から平べったいアイスノンを取り出そうとしたら、霜だらけの無花果がごろりと三個、床に落ちて、慌てて拾ったのだった。  無花果が旬《しゆん》の時季、産毛の生えたプヨプヨの赤茶色い皮のまま、中央部分の僅《わず》かな空洞の内側にびっしりと着いた小さな種ごと、がぶりと食らい付いて、皮に近いピンクからクリーム色に染まるやわらかな果肉を味わっていたのだけど、匠に「そんなモン、よく食うなあ、気持ち悪いよ、それ、果物のくせにさあ、甘くもなく、酸っぱくもなく、中途半端で」と眉《まゆ》を顰《ひそ》めて批判され「なによ、私が好きなんだから、いいじゃないの」とすかさず反論し、無花果に整腸作用の効能がある事も付け加えたのだけど「おえっ!」と吐く真似をされて返す言葉を失い、食べようと手にしていた無花果をじっと見詰めているうちに、なんだか下手物《げてもの》食いの鬼婆《おにばば》にでもなった気分になり、すっかり悄気《しよげ》てしまった。  元気があればジャムにしたり乾燥させたりして保存を利かせるのだろうけれど、夏休み明けからずっと憂鬱《ゆううつ》な気分を引き摺《ず》っていたから、夕御飯を済ませて綺麗《きれい》に片付けた台所を汚すのも億劫《おつくう》になり、父さんが私のために残してくれた売り物の無花果を『一旦無花果保管計画』と銘打って、冷凍室にポイポイしまい込んだのだ。  それからずっと、そのままなんだ。  中途半端で曖昧《あいまい》な味の果実は、冷凍室の中で白い黴《かび》のような霜にまみれて、じっと蹲《うずくま》っている。  食べられもせず、加工もされず、寿命は確かに延びてはいるけれど、真っ暗闇の中でカチンカチンに凍って、存在の意味が発揮されるはずの解凍の時を待っているんだ。  風邪がすっかり治ったら、どうにかすれば好いじゃないの、と思うけれど、ハッキリしない症状がだらだら続いて、どうにも元気が出て来ない。  何だか泣きたくなる。  上映が終わって電灯がついた教室の隅で、しょぼくれて椅子に座っていたら、郁クンが「よお!」と片手を挙げて近付いて来た。  ちょっとびっくりして戸惑っていると、北田さんや矢萩さんが、何故か知らないけど、如何《いか》にも嬉《うれ》しそうに「岩岸さん、じゃあね」と言って教室を出て行った。気を利かせたつもりなんだろうか。  お友達と、どうぞ、と誘ったのに、郁クンはひとりだった。 「何時に終わる?」  来たばかりだというのに、私の下校時刻を尋ねた郁クンは「俺、今日、車で来てるんだ、近くの立体駐車場に入れて来た」と窓の向こうを指差した。 「何時でもいいみたい、決まってないの」と答えると「後片付けはしなくていいのか?」と聞いて来た。  うん、しなくて、いいの、明日もあるし。  なら、出ようよ、車で出掛けないか。  えー、他の教室は見なくていいの、それと映画は?  トーコの学校に潜入しただけで、もう、いいよ。  初心者マーク、つけて来た?  そんなもん、つける訳ないじゃん、行こうよ、早速。  いいのかなあ、危険じゃないのかなあ。  まかせておけって、運転、うまいんだぞ、俺。  ほんとぉ?  こんな会話をしている私と郁クンの様子を「いやらしいわね、まったく」という歪《ゆが》んだ顔で升本と山原が見ていた。  もっとベタベタして郁クンとの仲を見せつけてやろうかと思い付いたけれど「じゃあ、正門の前で」と待ち合わせをして、郁クンの後ろ姿を見送った。 「岩岸さんて、結構、やるのね」  腕組みをしてハスに構え、嫌味たっぷりな表情で近寄って来た升本に、これ以上、余計な事を言わせないために、私はそそくさと教室を出た。  郁クンが私をどこへ連れて行き、何をしようとしているのか、これまた余計な想像だと思えて、敢《あ》えて何も考えず、昇降口へと急いだのだった。 [#改ページ]   走り出す。直線で行くと決めた  戦う相手を間違えないで。  あなたの敵は、私ではないから。  こんな台詞《せりふ》、私の脳味噌のどこに潜んでいたのかしら、と自分でも驚いた。  鬱陶《うつとう》しさを振り払うように、はっきりと冷淡に言い切った私に、一瞬、怯《ひる》んだ升本は、流石に次の言葉を呑《の》み込んだけれど、普段の強気のままに小鼻を歪《ゆが》めて「どういう意味?」と尋ねて来た。一重瞼《ひとえまぶた》の目玉の奥が憎悪の光に満ちていた。 「意味は自分で考えなさいよ。でも、教えてあげる。あなたの敵は、あなたの内側に在るのよ。私に関心を持たないで。まさかと思うけど私に気があるとか? それとも私の彼が気になるの? 彼と私の事はあなたには無関係。他人の事より自分自身を知るといい、少しは内省なさいよ」  これ迄《まで》に溜《た》め込んだ升本への鬱憤晴《うつぷんば》らしをするには絶好の機会だと思えて、そう矢継ぎ早に並べたら、やだ、お母様にも批判された事がないのに、何て事を、と言わんばかりに青ざめ、ふがふがと鼻から息を吐き、それから少し涙目になって「岩岸さんて、何なのよ! 何よ、あの男!」と吼《ほ》えたきり、恨みを込めて私を睨み、ぷいと踵《きびす》を返して教室のある二階へと走り去った。  馬ッ鹿じゃないの! と無声で吐き捨てた私は、自分で放った『私の彼』とか『彼と私』という関係を顕著にした言葉にくらくらと酔ってしまいそうだった。 『彼』だって。郁クンの事を『彼』だって!  郁クンと待ち合わせた正門前へと急ぐ私を追って来て「どこへ行くのよ、ねえ!」と後ろから私の左腕を鷲掴《わしづか》みにしたのが、升本千春だった。 「ちょっと! こんなに早く帰っていいと思ってるの? それに、他校の男子をうちの文化祭に呼ぶのってどうかしてない? 限定公開の意味がないじゃないの。そもそもうちの生徒なのに男女交際なんかしていいの? あなた、自分のおこないには正義があるなんて勘違いしてるんじゃないでしょうね」  はぁ? 何、言ってんだ、コイツ。  私は、升本の細い目を真っ直ぐに見据えて「勘違いしてるのは、あなたのほう。いい加減になさいね」と、まるで幼児を相手にした大人の女の気分で窘《たしな》めた。郁クンのママの加代子さんだって、差し出がましく非難する升本なんかと対峙《たいじ》したなら、こんな風に毅然《きぜん》と言い返すだろうと閃《ひらめ》いたから。  コイツに余計な事を言わせないために足早に昇降口へ下りたのに、わざわざ追い掛けて来るなんて、どうかしてる。だから、これ以上は無視するつもりで下駄箱《げたばこ》の黒革靴に手を伸ばした。なのに「何よ! 何がいい加減な訳? あなたのほうが何百倍もいい加減なんじゃないの、神聖な学校に男を連れ込んだりして」と執拗《しつよう》に絡んで来て、今度は靴の踵《かかと》を掴んだほうの手首を握るので、振り向き様にバッグを放り投げて、もう片方の手でほっぺたを引っぱたいてしまいそうな衝動をぐっと堪《こら》え、深呼吸をひとつして冷静を取り繕い、通告したのだ。自分の性格を正確に知りなさいって。  威勢よく暴力的な啖呵《たんか》を切ってしまえば野蛮な環境での成長過程がバレるし、ここはひとつ穏便に事を済ませて、とにかく郁クンのもとへ急がなければ、という目的意識が私をちょっとだけ升本より大人にさせたんだ。否、加代子さんを真似て背伸びしてみたかっただけかも知れない。加代子さんが誰かを叱っている姿なんて垣間見《かいまみ》た事すらないにしても。  升本は、案外たやすく退散した。  恐らく今頃、山原美帆に慰められているか、切歯|扼腕《やくわん》のていでお手洗いの個室に籠《こも》っているか、どちらかだろう。  私は憮然《ぶぜん》として考える。  何でもない日常に在りながら絶えず臨戦態勢でいる人間て、一体、何なんだろう。  咄嗟《とつさ》に誹謗《ひぼう》したり嫌味を言ったりする機転の速さには感服するけれども、私は誰とも戦いたくない。  少なくとも今の私は、誰からも攻撃されたくないし、誰に対しても牙を向けたくない。  無闇な喧嘩《けんか》への誘いは徴兵より酷《ひど》い。  押し付けがましい争いは、寄り道を強要されているみたいで、不毛だもの。  所詮《しよせん》、升本って、おこちゃまなんだ、幼児性、攻撃性、僻《ひが》み、やっかみ、お節介を丸出しにしたガキそのものなんだ、郁クンがあんまりにも美形だから嫉妬《しつと》したんだ、誰かに因縁を付ける事でしか自尊心を支えられないんだ、と人格分析に勝手な結論を出す。  郁クーン! と叫びたくて仕方ない口を押さえて、生徒手帳と定期券入れとお財布とハンカチとティシューしか入っていない学校指定の校章付きナイロン製紺色バッグを大きく振りながら、私は駆け出した。  マ・スールや他の生徒に見咎《みとが》められないように、構内をジグザグに行くのではなく通用口から外へ出てコンクリートの塀沿いに真っ直ぐに、体育の短距離走でも出せない猛スピードで、プリーツスカートを翻し、途中、ひゃっほう! と万歳でもやってのけたいくらい、大笑いをしながら、一目散に走った。  やった!  お口の達者な激烈に捻《ひね》くれたお嬢様をピシャリとやってのける能力が私に潜在していたなんて。  こんなに理知的で、クールな自分がいたなんて。  意外な自己発見にのぼせ上がりそうで、それに、かなりの優越感が込み上げて、からだが熱くなって来た。  停滞するばかりの憂鬱や治り切らない軽い風邪なんて完全に吹き飛んでしまったみたいに、からだが軽やかに感じられた。  本音としては、升本を撃退した台詞は単なる存在への拒絶でしかなく、自分でも完璧に意味を理解しているとは言い難いし、いつかどこかで読んだ本の受け売りでしかないのだけれども、言えた、というだけマシなんだ。  郁クンは、ひとつ目の角を曲がった先にある正門ではなく、『東京天国』というソープへと続く路地の入り口辺りに佇《たたず》んでいた。  私に気付いて、こっちだよ、と手招きをしていたから、無重力で空間移動をするように、飛びつく勢いで駆け寄った。  どうした? おまえ、顔が真っ赤だぞ、熱でもあるのか?  大丈夫か? と私の顔を覗《のぞ》き込む郁クンに、息をゼイゼイ言わせながら、ううん、と首を横に振り、にんまりと笑ってみせたら「なんだよ、気色悪いな、変なコト、想像すんなよ」と言われて、頬が最高潮に熱くなった。升本との事や何かが足りない自己認識とは別の意味で。  一秒でも早く学校から離れるために、私達は手を繋《つな》いで立体駐車場へと急いだ。 『私達』っていう言葉の響きもステキだなあ、と走りながら思った。『私と彼』という表現よりも密着度が高い気がする。 「こらあ! 君達、待ちなさい!」と背後から怒鳴られている訳でもないのに、郁クンは私を引き摺《ず》るような全速力で走り、私は人さらいにでも遭っているみたいだった。誘拐犯が郁クンだから、軽快で爽快《そうかい》な足取り、疑う余地無しの絶好調。快感!  高層ビルやホテルやマンションで込み入った市街を抜ける国道を北上していた。  私はフロントガラスの正面から迫り来る風景じゃなくて、郁クンの左横顔ばかり見ている。こんなに鼻が高ければ、自尊心と比例して、たとえ傲慢《ごうまん》になろうとも許される、しかも、すっきりと形良く、妖精《ようせい》だって滑り台にしちゃいたいだろうと思うくらいにスラリとしているもの、ああ、きれいだなあ、と郁クンの鼻ばかりをうっとりと見詰め続けていた。  制服のままじゃ、気が重いだろ、あれ、着てなよ。  郁クンが後部座席に置いた丸首の真っ赤なセーターを指差すので、私は頭からすっぽりと被《かぶ》った後で、セーラーカラーの上着を脱いだ。更衣室のない小学校時代の体育の授業前後にやった着替えの仕方で、もそもそ、もこもこと。  郁クンの整髪料の匂いがするセーターをくんくんと嗅《か》いでいると、なんだか恍惚《こうこつ》として来た。  おまえ、痩《や》せたんじゃないか?  横目でちらりと私を見た郁クンが、すぐさま正面に向き直って、呟《つぶや》いた。 「え、そうかな、そうでもないと思うけど」と慌てて答えたら、おっぱいが萎《しぼ》んで垂れてるみたいに見えた、なんて言う。きゃっ! と短い悲鳴を上げた私は純情|可憐《かれん》な少女というよりカマトトみたいだ。一旦《いつたん》、俯《うつむ》いて胸元を見下ろした私は「そんなコトないよ」と頬を膨らませ、再び郁クンの横顔に視線を戻した。  横顔越しの風景は、電車のガードを潜り抜けて自衛隊駐屯地の前を通過しているところだった。郁クンと加代子さんの住む国立病院の在る町は、とうに後ろの後ろへと追い遣《や》られていると知り「ねえ、どこへ行くの?」なんて聞いてみた。 「伝説の湖に行くのだ」  アニメの主人公みたいな声で、郁クンが言う。  そんなの、この先にあったっけ? 『母子石《ははこいし》』の伝説がある湖があるだろ。戦《いくさ》に出た男を待ち続けて、立ったまま死んだ妻と子の足形付きの石が残ってるとこ。戦じゃなくて、本当は、築城の人柱にとられたんだよな。真実を告げてから出掛けさえすれば、起こり得なかった悲劇の現場。  あれって、湖じゃなくて、伊達男《だておとこ》の殿様が掘らせた農業用水の人工沼だったような。遠足で行ったコトあるよ、遠くも見渡せるように石の上に立って待ってたんだってね。で、その石だけど、たまたま出来た凹《くぼ》みが大小ふたり分の足形に似てるだけだと思った。立ったまま死ぬなんて有り得ないし。  おまえ、意外に現実的なんだな。好《い》いんだよ、伝説は伝説のままで。『龍の子太郎』だって実在したかも知れないんだし。  へんなの、今日の郁クン。  空想癖の少年でも見守る微笑ましい気分で、私は笑った。それから「今日は学校、どうしたの? 土曜といっても、一度おうちに帰ってから、あんな時間にウチの学校へは来られないでしょ」と尋ねると、創立記念日と重なったんだ、だから休みなんだ、と前を向いたまま答えた。  郁クンの運転は本人の申告通りに確実で安全で安心だった。今となっては自動車教習所のオバサン教官の気持ちがよく分かる。私のからだも郁クンのほうへ向きっぱなしだもの。万が一、酷い事故に遭遇しても、夢見心地のまま絶命するに違いない。  やがて左へ左へと内陸に道を進め、郁クンが言うところの『伝説の湖』じゃなくて、ただの『農業用水の沼』に着いた。  由来が彫られた記念碑ごと柵《さく》で囲まれた母子石のすぐ傍に駐車した郁クンが、出てみようよ、と言うので車を降りた。  広々とした水面を覆い隠すくらいに鬱蒼《うつそう》とした木々が生い茂っていて、紅葉を映しもしない暗くて深い水の底に巨大|鯰《なまず》でも棲息《せいそく》していそうな雰囲気だった。  こちら側を開口部にしたUの形の沼は、海でもないのに水際にさざ波が立っていて地球の引力を実感させ、対岸には木々の隙間から山姥《やまんば》がこちらを覗いているような大きな森があった。歴史の時間の分だけ伝説を捏造《ねつぞう》するのも無理ない不気味さが醸し出されている。  ふうぅと長い息を吐いた郁クンは、両手の指を絡めた腕を頭上高く上げて背伸びをした。それから「トーコ」と呼び捨てて、私の肩をぐいと引き寄せたのだった。  夏以来のキスをした。  あの日よりも数倍もの精神的余裕があった。郁クンの腰に両手を廻《まわ》したもの。真っ赤なセーターに紺色のスカートを穿《は》いた私は、グレーのセーターにベージュの綿パンツ姿の郁クンにからだを密着させ、グレーの内側で鼓動する心臓の音を聞いていた。暫《しばら》くの間、そうしていた。  真正面の、あの森へ行ってみようよ。  水が染み込む砂利の上に立ち、私のからだを抱き寄せた郁クンが山姥のいそうな森へと顎《あご》をしゃくった。  うん。  即座に同意した。  もう迷わない、一緒に行く。  でも、ミズスマシじゃないから水面を渡っては行けない。  一直線に進んで行けたら好いのに。  ええい、私達はほんの少し迂回《うかい》して、最終的に初めの一歩の直線上へと突き進むのだ。  郁クンが私の手を引き、行くぞ! と宣言してスタートを切った。  獣道さえない雑草の生い茂る林の中を突き進む。  追われてもいないのに、ふたりして走り出した。  想像以上に深い森で民家のある場所とは随分と離れているものの、山姥の気配はないのだった。  真向かいに加代子さんの車が見えた地点で漸《ようや》く足を止めた。  ここなら、誰も来ない、誰にも見られない。  枯れ葉の上に私を座らせ、郁クンが私の膝《ひざ》に手を置いた。それからまたキスをした。覚悟を決めたというより、ここから一直線の行為へとさらに突き進む事を、私は望んだ。  母さん。  すごく痛かったです。鉛の無花果《いちじく》を膣《ちつ》の中に百万個くらい詰め込まれたままのような異物感が残っているし、明子が言っていた通りの骨盤を砕かれる物凄《ものすご》い鈍痛もまだ消えていないけど、うれしいです。でも、おセンチな気分で泣き出しそう。  母さんにも、若い頃、こういう瞬間があったんだよね、私、ステップアップしちゃった、女として。  郁クンがぎゅっとからだを抱き締めてくれているのに、内心では、母さん、と呼び掛けて、涙がこぼれるに任せていた。  痛かったか、ごめんな、と何度も謝る郁クンは白いハンカチで私の脚の付け根を拭《ふ》いてくれたのは好いけれど、しっかりと紅色に染まっていたので狼狽《うろた》えてしまったみたい。  大丈夫、うれしいもん、大丈夫、と涙声で途切れ途切れに言う私は、とうとう郁クンの胸に縋《すが》っておいおいと泣き出してしまったのだった。  辛抱強く泣き止むのを待って、ずっと髪を撫《な》でていた郁クンは「何だか俺のほうまで泣き出しそうだ」と私の顔を覗き込み、口をへの字に歪《ゆが》めて苦笑いをしていた。  ふたりしてお互いのセーターに付いた枯れ葉を丁寧に払い、顔を見合わせて、にまーと笑ったら、私は急に子供みたいに甘えたくなって「えーん、えーん」と声を上げて泣いちゃった。  おまえ、泣き過ぎー! と額を人さし指で小突かれて、えへへ、と笑い、そうして駆けて来た道無き林の中を手を繋《つな》いでゆっくりと引き返した。  俺の父親、行方不明のままなんだ、もう魚の餌食《えじき》になって、骨だけ水の底に沈んでるんだと思うけど。  右手に見える水面を見遣りながら、郁クンが話し出した。  まるで『母子石』の伝説みたいに、加代子と俺、父親の生還を待つばかりの時期があったんだ、嘘臭い話だろ、でも俺らのは伝説じゃないんだ、俺が三歳くらいの時の話、だから、ここにトーコと来たかったんだ。  植物の放つたっぷりの酸素を吸い込んで、うんうんと聞いていたけれど、お父さん、船乗りだったの? それとも客船が沈没したの? 釣りをしていて高波に襲われたの? なんて質問は一切しないで、郁クンの手を強く握り締めるだけの私だった。  トーコとここに来たかったんだ、と郁クンは繰り返した。  それ以上は「理屈じゃ説明出来ない感情とか感傷でしかないんだけどさ」で止《とど》まり、しんみりと、照れたような、納得したような、満足を得たような、そういう頷《うなず》き方をしていたから、母子石は母恋し、でも本当は、父恋しなんだよね、なんて親父臭い駄洒落《だじやれ》は言わないでおいた。  車を発進させた郁クンは、少し大人っぽく見えた。  その分、私は幼くなった気がした。  蛍光塗料みたいな橙色《だいだいいろ》の夕焼けが訪れる前に、郁クンは私を送って行くのだと思った。けれど、どういう訳か私の家の方向ではなく、つい二時間前に走った国道を逆行した。  国立病院の建物が見えた時点で、ああ、そうか、郁クンちに行くんだ、と分かった。  まさか、加代子さんに本日の出来事を報告するんじゃないでしょうね、とか、結婚前提の交際宣言とか婚約宣言でもされたら、どうしましょう、なんて考えが過《よぎ》ったのだけれど、地下駐車場への車庫入れも見事な郁クンと同時に車を降りた瞬間、目眩《めまい》がして、貧血でも起こしそうで、車の窓を鏡にして自分の顔を見たら雪女みたいな蒼白状態だった。  足元が覚束なくて、歩いているんだか、浮遊してるんだか、ふわふわとエレベーターのある所へ行こうとする私に、おんぶしてやろうか、なんて郁クンが言うから、えいやっと背中に張り付いて郁クンの両掌で支えてもらうように脚を広げた。そうしたら何だか脚の付け根がスースーして、膣の中から鉛の無花果がぼろぼろと落下しそうで、妙な羞恥心《しゆうちしん》が込み上げた。  下りの順番で数字が点滅し、エレベーターの扉が開いても郁クンは私を下ろさなかった。でも、扉から出て来た男のひとが郁クンの姿を認めて「あ、坊ちゃん!」と大声を上げたので、私のほうから下りた。 「坊ちゃん、姐《あね》さんは、どこに行かれたんです? お宅に伺っても留守なんで」  姐さん? 加代子さんのコト? 「坊ちゃん、姐さん」なんて呼ばれる身分や立場のひとって、どんなひと? 「加代子、事務所に行ってないの?」と郁クンは逆に尋ねた。 「ええ、三時半の約束だったんですが。来客を待たせたままなんで」  困り果てたように頭を掻《か》く男のひとは角刈りで礼儀正しく、目付きが鋭くて、如何《いか》にも勇ましい精悍《せいかん》な顔をしていた。任侠《にんきよう》映画にでも出て来そうな風貌《ふうぼう》で、もしも郁クンと一緒でなければ近付くのが怖い感じ。ヤクザ? 暴力団? まさか。  そのウチ、行くと思うけど、加代子のコトだから婚約者とホテルでセックスでもしてんだろ、今頃。 「はあ、じゃあ、事務所に戻ってますんで」  深々と会釈をして、馬鹿でかい黒塗りの外車へと男のひとは歩いて行った。  婚約者って? 加代子さん、再婚するの?  うん、夏にポートランドで知り合ったんだって、身長が二メートルもある黒人のナイスガイって加代子は言ってるけど。  わぁ。絶句。  セックスの相性が好いから結婚するんだって。  ねえ、姐さんて? 加代子さん、どんな仕事をしてるの?  ん、キャバレーの経営者だよ、でっかいの、あるだろ、トーコの学校の近くに『グランド・キャニオン』てヤツ、俺の父親がやってたのを相続しただけだけど、あと、『東京天国』ってソープ、あれもそうだ。  わぁ。ますます、絶句。  前と同じように、我孫子家を訪れる度に度胆を抜かれる。びっくりしてばかりだ。世の中って色々あるんだ、私の知らない世界が。  加代子さんと言えば。  母さんとの関係についても、幾つかの謎が謎として残されたままだ。  偶然、病院で再会してから付き合いが復活したのは分かるけど、その後の加代子さんの強引さは、どう考えたって常軌を逸していた。高校時代の友人だからって、それに母さんが重病患者で寝たきりだからって、同じ病室に入院して、下着まで洗濯するかなあ。加代子さんは「あくまでも、ついでだから」と言っていて、中学生の私は親切な大人の女性だなあと思ったし、実際に助かったから素直に感謝していた。  加代子さんを過剰な親切へと導いたのは、何が原因だったのだろう。  もしも私なら、二十数年後、どこかの町で北田さんや矢萩さんとバッタリ再会しても、加代子さんと母さんのような関係にはならないだろうと想像出来るだけに、何か事件やら大事な記憶を共有している気がしてならない。ひとりの男の子を取り合ったとか、女子高にありがちな同性同士の恋があったとか。  邪推だろうか。  加代子さんに尋ねてみようかなあ。やめておいたほうが好いよね。  大人の女性が、永きにわたって大切にしまっている記憶を、高校生の好奇心で探ったり引き出したりするのは、下世話だ。  そのうち、加代子さんのほうから話してくれるのを気長に待っていよう。今日みたいに、意外な素顔が分かる事もあるんだし、第一、そんな詮索は野暮だものね。  ぼんやりとそんな事を考えていたら、郁クンに背中を軽く叩《たた》かれてドキリとした。  閉まりかけたエレベーターの扉を片手で押さえ、しゃがみ込んだ郁クンは「ほら、乗れよ」と後ろ手でおんぶを促した。私はうんと嬉《うれ》しくなってグレーの背中に抱きついた。 [#改ページ]   謹賀新年。真正面の彼方《かなた》にあるものは  背筋を伸ばして、胸を張る。  自分の目の高さで、裸の自分と差し向かう。  どんなに湯気が立ち籠《こ》めても曇らない鏡に、郁クンと頬を寄せ合う私の上半身が映っている。両腕で隠した胸は「堂々としてなよ、大丈夫、きれいだから」と郁クンに言われて、はだけた。  足の伸ばせる大きなバスタブにふたりで浸《つ》かり、言葉少なに指や視線を絡めている間、私は森での出来事を反芻《はんすう》しながら痛みの余韻に漂っていたのだけど、ふたり同時に湯船を出ようとして、お、ジャスト・タイミング! と郁クンが笑うので私も笑い、液体ソープを泡立てたタオルでお互いのからだを洗い合っていて、何気なく壁の鏡に映る自分達の姿を横目でちらりと見たら、私の視線の先に気付いた郁クンが私を鏡の前に座らせ、自分も横に並んだのだった。  あれでよかったんだよな、後悔してないよな、なんてひと言も発していないけれど、鏡の中の郁クンは、自分達に関するあらゆる行為を肯定し確信する眼差《まなざ》しで私を見詰めている。  緊張が解け切らない私は、普段よりも三倍くらい多い瞬《まばた》きをして、見詰め返した。  私をおぶったまま玄関の鍵を開けた郁クンが背中の大荷物を下ろしたのは、リビングのソファではなく、自分の部屋のベッドだった。そして、ちょっと休んでなよ、と言って部屋を出て行った。うん、と短く答えた私は、ぼんやりと、温かいココアが飲みたいなあ、なんて考えながら、ふと斜め下に目を落として、思わぬ発見をした。郁クンの机の引き出しの前に置かれた屑入れの周りの床が、まるで放課後の教室みたいに黒や灰色の消しゴムのカスにまみれており、そればかりか黒い机の上にも溜っていたのだ。  消しゴムのカスは、郁クンが猛烈にお勉強していると知らせていた。受験生だから当たり前かも知れないけど、どこか適当な私大にでも入るのだろうなんて程度に想像していた私は迂闊《うかつ》だった。私自身が高校を選択するに当たって「お嬢様になる」と決意した時、それを仲良しの明子にさえ打ち明けなかったように、郁クンもまた、容易には入れないレベルの志望大学を密《ひそ》かに決めているのだ、たぶん。  机の上に並べられた数冊の本は、すべて書店のカバーで覆われていた。ギシギシと軋《きし》むような腰を押さえてベッドから下り、右端の本をこっそりと開いてみたら、吃驚《びつくり》。それは現代社会の参考書で、本全体の四分の三にわたって整った小さな字でびっしりと書き込みがしてあり、それはもう余白が見えない程。その左隣の化学の参考書もまた同様で、私は部屋の主の秘密を盗み見た後ろめたさもあって、急いで本を戻し、呆然《ぼうぜん》、朦朧《もうろう》とする意識のそのままにベッドに倒れて、ふぅと天井を仰いだ。  凄《すご》いひとなんだ、郁クンて。  おおいなる尊敬を捧《ささ》げちゃって憚《はばか》りません。  暫《しばら》くして部屋へ戻った郁クンは腕捲《うでまく》りをしており、折り上げた綿パンツの裾を僅《わず》かに濡らしていた。  お湯、入れて来たんだ、からだ冷えたろ、風呂《ふろ》に入って行けよ、帰りは送ってくし。  郁クンは机の前の黒い椅子に腰掛け、私の具合を心配するみたいな顔をしていた。  郁クンのたっぷりとした優しさに甘える私は、何だかこれ以上、優しくされると骨盤だけじゃなく魂や精神や脳味噌《のうみそ》が粉々に砕けて、理性が雲散霧消になりそうで、しっかりしなくちゃ、とばかり考えた。  もう一度バスルームへ行って戻って来た郁クンに、ふたりして入ろうよ、と促されたついでに「大学、どこ受けるの?」なんて尋ねてみたくて仕方ない私は、来年の春になれば分かる事をわざわざ問い質《ただ》すなんて下世話なおばさま根性そのものだと自分を戒め、代わりに「加代子さんが帰って来たら、困らない?」なんて聞いてみた。家長の留守中にお風呂を戴《いただ》くなんて図々《ずうずう》し過ぎるもの。 「大丈夫、どうって事ない」  郁クンは泰然として私の手をとったのだった。  やっぱり、郁クンが、好き。  真夏、この部屋で一度は迷子になった私達だけど、物語みたいなロストバージンで、よかった。  でも、物語って、所詮《しよせん》、かつて誰かが拵《こしら》えたものを踏襲しただけであって、結局、既製品の真似事でしかないのでしょ。  森の中で、なんていうのは私達の世代では滅多にない展開や場面であるにしても、大昔の若い男女だったら、ああいうところで最初の一歩をからだに刻んだりした訳で、時代によっては陳腐なシチュエーションに過ぎないのでしょ。  否、物語の有形無形なんて、どうでもいいんだ、ほんとは。  私と郁クンにしか為《な》し得なかったのだし、コトの後の郁クンは処女を奪った男の責任とか事後のフォローとか、理屈とは掛け離れた労《いたわ》りを表してくれているもの。  そう感じ入るだけでも、私のロストバージンは一生の宝と認定するに余りあるんです。明子に自慢しちゃっても罰が当たらないと思う。明子の事だから「可愛いねぇ、彼もトーコも、ロマンチックな甘えん坊なんだねぇ」なんて嫌味なく笑うのだろうけど、甘えん坊だからこそ、自分に優しい分だけ相手にも優しくなれるんだ。  知らず知らずのウチに素直になって行きそうな自分が見える。  ものすごく、郁クンが好き。誰に宣言していいのか分からないけど。  先にバスルームを出た郁クンが、洗面台の脇の引き出しから真っ白いバスタオルを出して渡してくれた。  ふかふかとした毛足の長いタオルを纏《まと》ったら、森の中で遊ぶ白兎になったよう。  からだじゅうに水滴を残したまま腰にタオルを巻いた郁クンが、さり気なく私の額に口付けた。  郁クンのほうだって初体験のはずなのに、どうして発作的に相手の喜ぶ行為が出来るのだろう。母さんが仕組んだのだろうか、私の初体験が素晴らしくありますようにって。  我が家の受験生、中三の匠は、頭に運動会で使った赤い鉢巻をしたまま階段を降りて来た。 「父さん、あのさあ」  先に卓袱台《ちやぶだい》に向かっている父さんに何やら相談があるらしい。  夕刊を畳んで顔を上げた父さんは、匠を見て「おまえ、どこかの会社の労働組合員みたいだな」と噴き出し「御飯の時くらい戦闘意欲を捨てたらどうだ? 妙に似合ってるけど、それ」と笑った。  お、これか、と頷《うなず》いた匠は鉢巻を外して「滑り止めのコトなんだけど」と言いながら階段に一番近い定位置に座り、箸《はし》をとった。  私が「手を洗って来なさいよ」と言うのを無視して「俺、二高以外は絶対に行きたくないから、滑り止めは要らないんだよ、でも、担任も塾の講師も、受けろ受けろって喧《やかま》しいんだ」と唇を尖《とが》らせて食事を始めようとしたから「こら、御飯の前には、手、洗え!」と私が怒鳴ると、しようがねえなあ、と言わんばかりに台所へ行き、洗うと言うより濡《ぬ》らすばかりで蛇口を締め、流し台の手前に掛けてあるタオルに水滴や手垢《てあか》を擦り付けて戻った。  県立二高を受験する場合、私立の滑り止めと言えば郁クンの学校しかない。それ以外はかなりレベルが低くなり、学力よりも運動能力重視の学校ばかりになる。 「俺さ、宗教絡みの学校へは行きたくないんだよね、姉ちゃんと違って」  私が捏《こ》ねて丸めて焼いたハンバーグ一個を、たったふた口で食べた匠は「子供がふたりとも私立じゃ、父さんがたいへんだろうなとか、そういう理由じゃなくて悪いんだけどさ」と大人ぶって言う。 「おまえ、八百屋を継ぐつもりはないんだろう? 将来、外国人と関わる事もあるだろうし、キリスト教は勉強しても無駄にならないと思うぞ」  なあ、と父さんは私に相槌《あいづち》を求めた。  すかさず私は同調して「面白いよ、キリスト教はどうあれ聖書は。旧約聖書を読む時なんかねぇ、『主《しゆ》』とか『神』とある部分に好きな人の名前を入れたりすると、結構、笑えたりする。『主』を『峰村』に置き換えて読んでみるといいよ」なんて、ちょっと場違いだけど、ロンドン在住の峰村への片思いを振り捨てた匠をからかう事を言ってみた。 「ちぇ、なんだよ、せっかく諦《あきら》めたのに、思い出させんなよ」  匠は私を睨《にら》み、父さんはきょとんとした顔をしていた。  そうなのだ、私は宗教の時間や礼拝で聖書を読む時。  例えば、旧約の詩編16。 「主はわたしの運命を支える方」「わたしは主をたたえます。主はわたしの思いを励まし、わたしの心を夜ごと諭してくださいます」の『主』を『郁クン』に、同じ詩編51だと「神よ、わたしを憐《あわ》れんでください 御慈しみをもって」の『神よ』をやっぱり『郁クン』に、そうやってこころ密かに遊んでいる。 『主』も『神』も『仏』でさえも、祈りを捧げる対象は『郁クン』、ただひとすじに『郁クン』なのだ。  とは言え、「神よ、わたしの内に清い心を創造し、新しく確かな霊を授けてください」という部分を読んだ時は、どぎまぎした。だって、それって、つまり郁クンの赤ちゃんをお腹に宿してくださいってコトでしょ、違うのかな。違うのだろうけど。  万が一、二高に落ちても弟が郁クンの後輩になるのは喜ばしいので「受けておきなさいよ」なんてお節介口調で言ってから、父さんや匠がちっとも気付かない秘密を抱えている自分にかなりの違和感を抱いた。  でも、ここにいる自分も、郁クンと一緒の自分も、学校にいる自分も、たったひとりでいる時の自分も、まごうことなき確固たる自分であると思うし、多重人格性の器用さみたいなものを自画自賛したりして。多重人格という言葉は当て嵌《はま》らないかも知れないけれど、誰だって居場所や関わる相手次第で態度が違うはずで、それが社会性というヤツなのだと思う今日この頃。  いかにも、たった今思い出したというふうに、私は父さんに尋ねた。 「二十五日、加代子さんのおうちに行ってもいい?」  敢《あ》えて郁クンではなく加代子さんの名前を出して、我孫子家のクリスマス・パーティーに招待された光栄を強調してみた。  実は、半分、嘘。  加代子さんは来年三月に結婚式を挙げる予定の教会でクリスマスを迎えるため渡米中。郁クンと私だけの、ふたりきりのパーティーなのだ。 「お、いいねえ、じゃあ、特大|苺《いちご》のパックでも包もうか、手ぶらじゃイカンだろ」と父さんが言う。  娘の嘘にちっとも気付かない父さんのひとの好《よ》さに胸が痛んだのだけど、私は蝋《ろう》で拵えたみたいな粒揃いの苺を思い浮かべて単純に嬉しくなり、フリーザーの中の無花果《いちじく》を救済しようと決意した。解凍して皮を剥《む》いて砂糖で煮込んでジャムにして、冷凍パイ生地で包んでレンジで焼けば立派なお菓子になる。  花が咲くのに花の無い果実なんて名付けられた無花果を加工して、郁クンと食べる。  これこそ無花果|冥利《みようり》に尽きるんじゃないかしら、とこじつけ、仲卸市場と隣接する業務用包材店で、赤と緑のリボン、星形シール、クリスマス模様の紙ナプキン、ショートケーキ用の箱をバラ売りして貰おうと張り切り「およばれ用の洋服も買いに行かなくちゃ」と嘘の上塗りで父さんにお小遣いをせがむ私に、匠が「家族愛が欠如してんじゃねえのか、ここに命懸けの受験生がいるってのに、自分だけ他所《よそ》んちでパーティーかよ」と文句をつけた。ズキンと響く痛みとは裏腹に、駅前のブティックでポーズをとっていたマネキン人形の顔を自分の顔に挿《す》げ替えて、やわらかに光る紺色のビロードのワンピースを着た自分を想像していたら「阿呆《あほう》ヅラすんな」と匠にどやされて、しょぼん。  クリスマス礼拝の後、大掃除をして、二学期が終わった。  私の成績は四十五人中二十一番、まあまあってとこ。  郁クンとの初体験は矢萩さんにだけ報告した。いつだったか矢萩さんのを教えてもらったお返し。耳年増《みみどしま》時代の情報通り、初体験の後の生理痛は地獄の激痛で、私も矢萩さんと同じように保健室で休んだのだった。  升本はあれ以来、決して私と目を合わせなくなり、休み時間は山原とも離れてひとりで本を読むようになった。いい傾向。どんな本を読んでいるのか興味はないけど。  終業式の翌日の我孫子家訪問は、恙無《つつがな》く終了しました。  恙無し=ナニゴトも無しではない。  恙虫というダニに食われて心配に陥るなんて事はありませんでした、という意味。  無花果パイとフライドチキンを食べて、加代子さんが買い置いたワインなんか飲んだ私と郁クンは、恙無く森の続きを執り行ったのだった。  初めての時よりはスムーズだった。  コンドームを買っていた郁クンの用意周到振りにはちょっと戸惑ったけれども、原始時代から人類は、こうやって男女の営みを続けて来たのだなあ、なんて感慨に耽《ふけ》ったりして。暖房の利いた郁クンの部屋で裸になって、随分、長い時間、絡み合っていた。呼吸が乱れる。深呼吸で動悸《どうき》を整える。セックスって有酸素運動みたいだ。健康に良いに違いない。でも、幾ら若い私達でも流石に疲れた。  夕暮れのベッドでまどろんでいたら、郁クンが脈絡もなしに言い出した。  あのさ、トーコに言ってなかったけど、俺の志望校、東京なんだ。落ちても向こうの予備校にしようと思ってるんだ。  鼻の奥を「うん」と鳴らして「受かるといいね」と答えたものの、そうか、来年の春からは朝の電車に郁クンは乗らなくなるんだ、郁クンと会うのが今よりもっと限定されてしまうんだ、と思ったら肺と肺の間を極寒の突風が通り抜けて行く寂しさを感じた。  ごめんな。  どうして謝るの?  離れ離れになるのを知っていて、トーコとこんなふうになって。  連休とか夏休みとか、帰って来た時に、会えるよね。  うん、おまえのほうも会いに来いよ。  まだ先の話だというのに、私達はまるでさようならのシーンを語り合っていた。  一直線に突き進んだ森の先には未《いま》だ訪ねた事のない箱庭が在り、そのまた向こうにはさらに知らない箱庭がある。  近い未来の展開に不完全な予想をしながらも、取り敢えず、入ってみなくちゃ分からない。  脇目も振らず、真正面へと行くしかないんだね、なんて郁クンに語りかけようとして、自分の進路について具体的にはなにひとつ決めていない事に気付いた。  郁クンがこちらへからだを向けて私の髪を撫《な》で、唇を胸元のほうへと移動させた。  初体験の後の男の子ってお猿さんが発情したみたいに猛烈な性欲を露《あらわ》にすると聞いていた私は、あれ以来の郁クンの自制心とか抑制力に感心していたのだけれども、その日の郁クンは堪《こら》えていた全部を吐き出す猛々《たけだけ》しさだった。そういう行為に順応する私のからだは、この先、どう変化して行くのだろう。不安だ。  父さんがLサイズのミカンの箱を開けて、店に立ち寄る人達に試食のサービスをしている。さっきから地味な色模様のスカーフで頬かむりをしたオバサンふたりが、試食どころか次々とミカンに手を伸ばして食べているものの、購買の表明なし。  釣り銭の入った大きなポケット付きの前掛けをした私は、客の注文を受けて段ボール箱にいろいろな野菜を詰めては電卓で計算したり、沢山の客をさばくのにてんてこ舞いだ。  年末の仲卸市場は一年で一番の喧噪《けんそう》に満ちている。お正月料理の買い出しで素人のお客さん達が観光バスや自家用車を連ねてやって来るのだ。去年|迄《まで》は配達係をしていた匠が塾へ行き、父さんは市場の広い駐車場を縦横無尽に走り回っている。 「お姉ちゃん、Mサイズのミガン、ひと箱《はご》、出してけさい」とオジサンの声がしたので、すぐさま返事をして重いミカン箱を店先に運んだら、頬かむりコンビの談合が聞こえて来た。  あめえげっと、オラ、もすこし酸っぺほうがいいなや。んだいが、オラはうめど思うげっとも。農協のほうが安いんでねえべが。んで、行ってみすか。なじょすっぺ。  私は頬かむりコンビに敢えてニコニコと笑い掛けながら封の開いたミカン箱を持ち上げて、他の客に試食を勧め、さり気なく別の場所へ移動した。以前の私なら嫌味のひとつも言って、わざとらしくムカツク態度をとったのだろうけれど、少しは大人になったものですから対応も穏やかなんです。  頬かむりコンビは揃いも揃って口の周りに剛毛みたいな髭《ひげ》を伸ばし放題、眉毛もぼうぼうの赤ら顔。  この御婦人がたにもお子様がいらっしゃるとしたら、つまり、非処女な訳で。  きゃぁ! このオバチャン達もセックスした事があるんだぁ! うわぁ、信じられない! と喚《わめ》いて踊り出したくなり、はしゃぎ始めた私の商売熱はますます上昇し、父さんに重ねた嘘への贖罪《しよくざい》も兼ねて、威勢よく接客したのだった。  そうやって大晦日《おおみそか》は薄利多売の忙しさでごった返しているけれども、二時、三時には呆気無《あつけな》いくらい閑散としてしまう。それから我が家は年越しの準備に掛かるので、除夜の鐘の鳴る時刻には我慢のしようもない睡魔に襲われる。  母さんは大晦日の晩、私達が眠った後も台所で何かを作っていて、元旦《がんたん》には私達よりも早く起きておせち料理を詰めたお重箱を並べていた。仕事もして家事もして疲れただろうに、見事にきっちりやってのけた。おんなのひとの仕事には体力が必要なんだ、とあらためて思う。  母さんが亡くなってからは、元旦の朝に父さんとふたりでお雑煮を作るのが恒例になった。お餅《もち》を焼く担当の匠は、塾主催の初日の出に合格を祈念する行事で真っ暗な時刻に出掛け、お雑煮が出来上がった頃に帰って来た。 「あけましておめでとう、今年も宜《よろ》しく」  父さんが私と匠の顔を見比べながら挨拶をした時、電話が鳴った。  郁クンかも知れない、初詣《はつもうで》の約束、ダメになったって知らせかも、と恐る恐る受話器をとったら、明子だった。  今、病院なの、一昨日《おととい》、女の子が生まれたの、予定日より早かったけど、母子ともども丸々と太ってブタさんみたいなの、なんてふざける声は突拍子もない程に明るかった。 「おめでとう」を重ねて言える元旦は、他人事《ひとごと》でも、しあわせそのもの。  底抜けに明るい声に背中を押される御機嫌のよさで、郁クンと待ち合わせた駅に向かった。  皇后様が皇太子を出産なさる時に安産祈願をしたという�海と産み�を守る神社の二百段以上もある階段を、郁クンとしっかり手を繋《つな》いで、はあはあと息を切らし、遥《はる》か遠い斜め上で迎える朱色の鳥居を見据えて、一段一段、昇る。  真正面のその先には、人々のあらゆる願いを承る神様がいる。  郁クンの大学合格の他に、私は何を祈ろう。  こんな時は『神』を『郁クン』に置き換えても仕方ないのだろうなあ、なんて思いながら。 この作品は、二〇〇二年二月、小社より刊行の単行本を文庫化したものです。 角川文庫本『無花果日誌』平成17年7月25日初版発行