日野啓三 あの夕陽 目 次  あの夕陽  野の果て  無人地帯  対岸  遠い陸橋  私の原風景——あとがきにかえて [#改ページ]   あの夕陽  夕食を終って、私だけ妹の部屋を出た。  妹の部屋は、一階の共同炊事場の横にある。妻が食事をつくるかわりにその部屋を食事室にも使うというのが、去年の春、短大を出て就職した妹が、この同じアパートに住むことになったときの約束だった。それまでは、食事の度毎に、二階の私たちの部屋まで運び上げねばならなかった。  アパートといっても、近くの小学校に停年まで勤めたという元小使さんの老夫婦が、自分たちの古い平屋《ひらや》の二階に四畳半三室と六畳一室、一階に六畳一室と共同の炊事場と便所を建て増しただけの、下宿屋に近いごく小さなアパートである。事実、二階の四畳半は三室とも学生が大家《おおや》の賄付で入っていて、炊事場もいまでは私たちの専用の形になっている。  玄関の板の間から、大家の部屋の襖を斜めに切り上げるような格好で、急な階段が二階に通じている。二階の廊下の小さな裸電球の灯が、ニスの塗りの剥げかけた狭い木造階段に黄色く淀んでいた。  階段を途中まで上りかけたとき、ちょうど足許のあたりの襖越しに、咳の音が聞えた。引攣《ひきつ》るように苦し気な喘息性の咳だ。  大家の妻君の方は、体付もがっしりと骨太で抜け目ない眼をしているのに、主人は小柄な体に髪が真白で、私たちが結婚して間もなくここに移ってきた三年ほど前から、ほとんどずっと寝たきりだった。春の終り頃や秋の半ばの風のない陽射の穏やかな昼過などに、ネルの寝巻姿のまま縁先に蹲って、細く白い脛《すね》を陽向に出しては足の爪を切っているのを、時折、見かけたことがある程度だ。そして季節の変り目になると、必ず激しく咳こむ。ひどいときはその音が、二階の私たちの部屋まで床《ゆか》を通して聞えてくる。黒い折り鞄を下げて駈けつけてくる近所の医者と、玄関でぶつかりそうになったこともあった。  夏の熱気を吸いこんだままの生温い階段の板が、一段毎に素足の裏にじっとりと貼りついてくるようだったが、夏が終ったのだ、ということが、初めて自然に実感された。  長かったな、と改めて思う。半年余の特派員の任期を終えてソウルから戻ったのは六月初めだったから、まだ三ヵ月余りしかたっていないのに、それが六ヵ月も、それ以上もの感じだ。例年になく長かった残暑の一日一日、入居してからずっと裏返したこともない古い畳のうえをゆっくりと移っていった西陽の色が、目に見えるようだった。  戻ったらすぐにも別れようと思ってきたのに、ずるずると一日のばしに、ひと夏が過ぎたわけだ。それとなしには仄めかしてきたし、妹や友人たちとも一緒に、持って帰ってきた8ミリのカラー・フィルムを映してもみせた。その終りの方に、古い王宮の庭の池や、郊外の渓谷のバンガローを背にした彼女が長々と出てくるのだ。 「あの女のひとは誰? 素敵なひとじゃない」  とそのとき妹がきいた。 「ガールフレンドさ」  とさり気なく冗談めかして答えながら、私はそっと妻の令子の方を窺ったが、電燈を消した薄闇のなかで、その表情は見えなかった。  その後も、食事の途中に妹が「あの、ミス李っていうガールフレンド、どうしてる? 手紙来ないの?」と、令子を横目で見やりながら、きくことがある。 「手紙なんか来ないさ」  あわてて私は打消すが、ウソだった。勤め先の新聞社の方に、もう何通も手紙が届いていた。日本語の字はたどたどしいが、「帰国したらすぐに招待状を作って送ると約束したのに、あなたは毎日何をしているのですか」と、書いてあることは彼女の性格のままに直截だ。  そういうとき、令子は聞えない振りをして箸を運びつづける。もとから感情を露わに浮べることのない平べったく大きめの顔が、このところ一そう無表情になってきた。今夜も、私が食卓を立ったとき、令子はまだ一膳目をわざとのようにのろのろと食べつづけていた。  いつまでもこんな中途半端でいるわけにはいかない——鳩尾《みずおち》のあたりに不快に沈みこんでくる苛立ちを押し上げるように、私は階段の最後の段を上った。  二階の廊下は、仄暗く静まり返っていた。安っぽいニスを塗ったベニヤ板張りの同じつくりのドアが四つ、どれもしまったままだ。  学生たちはまだ帰っていないらしい。帰ってきていても、おとなしい学生ばかりで、ラジオをたまにつけてることはあっても、仲間を連れてきて騒ぐようなことは滅多になかった。大家の妻君が、きびしく人を選んで入居させるのだろう。  私たちが私鉄の駅前の周旋屋で「二階角、南向六畳、日当良、閑静」というガラス戸の貼紙を見て、周旋屋と一緒に初めてここを訪れたときも、妻君は玄関の板の間に立ったまま、眉根を寄せてしばらく私たちを眺め下してから、半白の髪を無造作にうしろにひきつめた見かけに似合わぬ気取った口調で言った。 「子供さんが生れたら、出ていただきますが、それでよござんすね」  そういう条件は前もって周旋屋から聞いていなかったので、いささか気にさわったが、私はすぐに答え返した。 「結構です。もちろん、そんなことなら」 「あとで面倒なことはイヤですからね。本当に、いいんですね。奥さんも」  妻君は令子の方を向いて重ねて念を押した。  私が全然子供を欲しがっていないことを、令子は承知しているはずだった。ところが、令子は体の前でハンドバッグの留金を頑《かたく》なに握りしめたまま、押黙っている。一瞬、気まずい沈黙が流れて、靴の裏で三和土《たたき》の粗いセメントの粒が、じゃりとつぶれる感じがした。  それから、令子は俯向いたまま、まるで私に向って言うように、低くこもった声で言った。 「主人のとおりでいいんです」  結局、その後も子供が欲しいという気持には私は一度もならなかったが、令子はそのことについての不満をいささかも洩らしたことはない。  他のほとんどのことについても、そうだった。公団の団地が次々と建てられた時期だったが、「あんなコンクリート製の蜂の巣みたいなところは、絶対にイヤだな」と私が言うと、彼女も二度と団地のことは口にしなかった。出まわり始めたテレビをはじめ、洗濯機、掃除機、冷蔵庫、炊飯器、ミキサーなどの電気製品も、私が嫌うのを知ってから、欲しがったことはない。  一度だって、彼女が私に楯突いたり、私の言動を批判したことがあっただろうか。廊下を鉤の手に曲った一番奥の部屋に入りながら、私は思わず背後を振返るような気持で思い出そうとしてみたが、ひとつもその記憶は思い浮ばなかった。遅くまで酒を呑み歩いてきても、本を幾ら買いこんできても、気が向かないといって勤めを休んでも、急に単身赴任で特派員に出ることになっても、不平らしい顔をしたことは一度もない。不満をおさえて耐え続けてきたとは思えない。私の言うことなら、たとえそれがつまらぬ意地や、いじけた反発から出る理屈にならない理屈でも、令子はいつも「あなたの言うことだから」と、すすんで賛成してきたのだった。  それが不自然だとはっきり気付いたのは、ソウル滞在の終りに近く、偶然に知り合ったミス李と思いがけなく親しくなってからだ。女学校の二年のときの独立以来、ずっと使ってなかったという彼女の日本語は初めは決して滑らかではなかったが、物怖《ものおじ》しない性質のせいか、私と会うたびに驚くほど上手になった。そして仮借なく私をやっつけた。  レストランで一緒に食事をすると、私のスープの飲み方が上品でないと言い、洋服の趣味が悪いと言っては私を洋服屋に引張って行って、勝手に生地を選んだ。約束の時間を一時間以上も遅れて、待ち合わせの喫茶店に現れたとき、いい加減だと私がなじると、平然として彼女は言った。 「待ってるのがいやなら、さっさと帰ればいいのよ。あんたをみてると、いつも何かに追われて、他人を気にして、本当はしたくないことばかりしているみたい。そわそわと落着かないで」  もちろん所詮は女の理屈にすぎないことも多かったけれど、漠然とは気付きながら強いて見ようとはしなかった自分自身のイヤな部分を、彼女の眼は鋭く射当てていた。これまで東京で付合った女たちには、感じたことのない不思議な手ごたえだった。それとも、私が、小中学校の十年間を育った土地に思いがけなくやってきて、いつのまにか自然な自分を取戻していたからだろうか。  畳のうえに立ってちょうど膝あたりの高さになる南向きの大きな方の窓の敷居に背をもたせて、両手で膝を抱くような格好に坐りこんだまま、ぼんやりとそんなことを考えた。ここで手ごたえのない妻と住んできたというより、私自身が不自然にいじけ、殊更に傲慢だったのではないか。引揚げてきて、金もなく古い友達もなく、焼跡の東京を生きねばならなかった心の無理が、外側には敏感すぎる殻を、内側には逆に鈍い傲慢さをつくり出してきたのだろう。  ぜひ東京に行ってみたいというミス李と、もう一度必ず会いたいとは思う。だが国際結婚などということは、もちろん話し合ったこともなければ、考えたこともなかった。ただ彼女が来たとき、妻に隠れてこそこそと会うようなことはしたくないし、そういうことを気位の高い彼女は強くいやがるだろう。たとえ彼女が来られないとしても、私に賛成するだけの令子と住みつづければ、自分がいよいよダメになるような恐怖が、いつのまにか心の底に沁みこみ始めている。  ふと、斜め前の畳にしみのようなものがうっすらと浮出しているのが、眼にとまった。昼間もよくこの窓の敷居にもたれて坐っていることがあるが、陽射の下では明るすぎて見えない薄暗いしみだ。初めは、妹が下の部屋に移ってくるまで、ここで食事をしていたころに付いた醤油かソースのしみかと思ったが、やがて、去年の夏の初めに、私が吐いた血の痕だったことに気付いた。  本来呑めもしない体質のくせに、その頃は毎晩のように酒を呑んだ。その夜も、友だちと何軒も安ウイスキーを呑み歩いた末、十二時すぎてアパートの前までやっと帰ってきて門をあけようとした途端に吐気をおぼえた。門のわきの溝に屈みこんで、指先を咽喉に突っこんではかなりの量を吐いた。普段ならそれで一応すっきりして中に入るのだが、そのときはそっと玄関を入り、足音を忍ばせるようにして階段を上りながら、まだしきりに吐気がこみあげた。部屋に入ると、いつものように起きて待っている令子に、私は「洗面器を持ってきてくれ」とやっと言った。  急いで炊事場まで下りていった令子が戻ってくるまで、私は部屋の真中に坐りこんで、両手で口をおさえながら、懸命に吐気をこらえ続けたのだが、令子が洗面器を下に置こうとしたとき、とうとう激しくこみあげてきたものが、手の指の間から溢れ出した。咽喉が灼けるように痛かったので、胃液だろうと思ったのだが、あとからあとから続けざまに吐き上ってきて一杯になった洗面器をふとのぞきこむと、底の方にどろりとかなりの量の真黒なものが溜っていた。胃液に酸化された血だったのだ。  本物の胃潰瘍というより、十二指腸に近い胃壁の一部が薄くなって血管の先が切れただけだったとあとでわかったのだが、薄暗くしてあった灯のせいもあって、少しの赤味もなく黒々と洗面器の底一面に淀んだその血は、胃の中からというより、もっと体の奥の方から、私の生活そのものから滲み出してきたようだった。  だが令子は少しも責めなかった。黙って畳の血を拭きとり、洗面器の中身を捨てにいって、すぐに私を寝かした。そしてそのまま枕許に坐りつづけて、夜があけるとともに近所の医者のところに駈けつけた。翌日は一日中、水も飲まされなかった。  二ヵ月ほど令子は、甲斐甲斐しく、ほとんど楽しそうに、私を介抱した。私は素直に、おろしたリンゴをスプーンから食べさせてもらい、野菜スープをのみ、幼児用のウェファースと衛生ボーロを食べた。そんな彼女に私は本気で済まないと思ったけれども、心の奥では、これは単なる胃壁の破れではなくて私の生活の破れだということを、ぼんやりと考えつづけていた。子供を生ませる気に少しもならない女と何となく結婚したような、引揚げて以来の殊更自分自身を投げたような生活の当然の結果だということを。  医者は少くとももう一ヵ月静養した方がいいと止めたが、予定通りに私はソウルに赴任した。まだプロペラ機だった旅客機がゆっくりと羽田空港を離陸して、朝の東京の街の一角が斜めに傾きながら遠ざかってゆくのを眺め下しながら、もしかすると向うでまた倒れるのではないか、という気がしきりにした。ソウルでも節制しなかった。すすめられれば、幾らでもまた酒を呑んだ。  夢のようだな、という思いが、自然に心に浮ぶ。いまこうして再びこの部屋に坐りこんでいることが、しかももう一度どうにかして生き直そうとまでしている自分自身が。  だが、そんなことが本当におれにできるだろうか——身震いのようなものが、体の奥を過ぎた。  令子はまだ上ってこない。食卓で妹と洋服の話をしているのか、炊事場で食器を洗っているのだろう。  以前は食事を令子がつくる代りに後片付は妹がしていたようだが、このところ後片付も一緒にか、令子ひとりでしていることが多い。しかもその時間がだんだん長くなっている。なかなか二階に上ってこないのでどうしたのかと思って、時々下りてみると、流し台にかがみこむようにして、フライパンをたわしで幾度も磨き直している。妹の部屋の隅に置いた食器戸棚のなかの食器を外に出して、棚の隅を拭き直していたこともあるし、小型の盥を流し台にあげて、靴下やハンカチなどの小物類を洗濯していることもあった。  この六畳のなかで私とだけ顔を合わせる時間を、少くしようとしているようだ。といって、外に出ることも少くなっている。必要最低限の食料品の買物には出ているようだが、ひとりでデパートに行ったり友だちを訪れたりすることはほとんどない。だが私が休みの日などに外に出ようか、と言うと、よろこんでついてくる。外に出ることが本当は嫌いではないのかもしれない。  子供時代の話を、結婚直後には時折しかけたこともあったが、私が本気で聞こうとしなかったために、いつのまにかしなくなった。戦争末期の空襲で焼け出されるまで子供のころをずっと荒川に近い下町の方に住んでいたらしい。ところが、私は東京に出てきてから東横線、中央線の沿線に住んできて、下町の方は一度も住んだことがない。まして戦前の下町は、いくら話に聞いても一向にイメージの湧かない外国のようでしかなかった。  父親は戦前に浅草で軽演劇の演出をしていて、名前を覚えている人もかなりいるが、私自身は全く聞いたこともない。戦争が始って間もなく父親が病死し、ついで小学生のとき空襲で家も道具も焼かれ、それから母親と兄姉と一緒に都内を転々と移り住んで、結婚するころは、品川に近い工場地帯の町の小さな公民館の管理人室に住んでいた。壊れかけた倉庫の片隅のようなところで、私も二、三度行ったことがあったが、冬の夜の隙間風が至るところから吹きこんできて、置き炬燵に深く脚を入れても背中にオーバーを羽織らないと寒くてたまらなかった。  だがそこも立退かされて、いま母親は家政婦をしながら他人の家に住みこんでいる。父親の生きていたころ、父親の一座でレビューに出ていたという姉は、いろいろと男出入があって、一緒になったり別れたりした末、大阪の方に行っていた。結婚式にも来なかったし、私も一度ぐらいしか会っていない。令子とちがって丸顔の男好きのする顔で、若いとき舞台で踊っていたころは、結構人気があったのだろうと思えた。  朝鮮で父親が平凡な銀行員だった私には、想像できない世界だが、令子の子供時代はきっとかなりのびのびと派手だったのだ。それに朝鮮人の冷い視線にいつもどこからか見つめられているような感じで育った私とちがって、戦前の東京の下町には土地と家と人間とが自然な細やかさで結びついた落着もあったのだろう。それが父親の死に続く戦災で、令子の世界は急変し、そのために怯えきって萎縮した心が内側に頑にこもってしまったにちがいない。私に対する彼女の態度には、明らかに死んだ父親とその背後の世界への充たされない憧れがこもっていた。  無理もないことだ、といまそのことが私にはよくわかる。十五年ぶりにソウルに行ってみて、私もかつてそれなりに自然な生活に恵まれていたことを(その恵まれていたことの罪について、幾度となくあからさまに責められはしたけれども)、そして引揚げて以後、心を閉じて投げやりな日々を過してきたことを、改めて思い知ったのだった。  そうだったな——しばらく思い出さなかったソウルの街が、不意にやさしく甦ってきた。私はよりかかっていた窓の敷居から身を起して立ち上ると、8ミリのフィルムを机の一番下の抽出から取り出した。映写機を押入から引き出してコードをセットし、電燈を消そうとして、一瞬耳をすました。令子の上ってくる気配はない。机の椅子をどけて壁の空間をつくった。  最初は、市の中心部にある国営ホテルの屋上から撮った市の全景だ。市を取巻く形で連る岩肌の山々が、銀色の微粒子を一面に撒いたように燦き光る空のなかに深い紫の襞を刻みこんでいた。  冴えきった空の静寂がそのまま凝縮したような、その青黒い岩山を仰ぎ見るようにゆっくりと写してから、カメラは市内を眺め下す。山の裾の方や郊外にはかなりの人家がふえているが、中心部の街並も主な建物もほぼ変っていない。カトリック教会や、父の勤めていた銀行の尖った屋根や、中央駅や、いまは中央政庁になっている旧総督府や、デパートなど、記憶に懐しい建物が次々と壁の画面に大写しに浮び上った。  次に、市の南の端を流れる漢江の昔のままに悠々と豊かな水量と、以前はなかった難民のバラック小屋が現れ、続いて程近いかつて私たち家族の住んだ丘の蔭の町が、記憶の底をなぞるように繰返し写し出された。  内戦で内部を焼きつくした中央政庁の裏手にある旧王宮の庭園のシーンを撮った冬の日のことも、はっきりと覚えている。大雪のあとの晴れた日で、凍りついた池の氷のうえにも、かつて優雅な宴会が開かれたにちがいない池の中の壮麗な楼台の屋根にも、女官たちの房と思われるひっそりと軒の低い紙戸の建物を囲む目かくしの樹々の葉にも、深々と雪が積って、それが凜と透き通った陽に光っていた。  だがその頃はまだ彼女と知り合っていなくて、画面に出てくる人物は私の助手と他社の日本人特派員だけだ。三十八度線地区の米韓合同演習のときの幾つものシーン、春とともに急速に激しくなった反政府デモの画面に続いて、それから彼女が登場する。  令子を含めて他人と一緒に、また私ひとりでも、すでに何度もこのフィルムを写してきたのだが、その度に反政府デモのシーンが終りに近づくにつれて、実際にこれから彼女と会うような情感が高まってくるのだった。  明るいブルーのワンピースを着た彼女が春先の穏やかな陽射の下で、目の前に屏風のように切り立った岩壁を見上げながら、後向きに立っているカットが最初だった。手脚は大きめなのに撫で肩の後姿がゆっくりとズームで手許にひきよせられる途中で、写されていることに気付いて振り返って怒った顔が画面一杯になる……  映写機の調子は順調だった。息をつめるようにして、私は机の横の白壁の画面を見つめながら、カタカタと齣を送る小さく正確な音を聞いていた。画面では、学生たちが火のついた松明《たいまつ》を騎馬警官に投げつけ始めた。ホテルの窓から下の広場のそのデモを撮っていた私は、このあとすぐカメラを置いて急に荒れ始めた騒ぎの取材に部屋をとび出して行ったのだ。  と、画面が急に明るくなって、カラカラとヘンな音がした。巻きリールがフィルムの端を振りながら空転していた。接続部が切れたのかと思って、送りのリールにさわった。だがまだかなり残っているはずの送りのリールは、からっぽだった。  しばらく私は信じがたい思いで、ただチラチラと黄色っぽく明るいだけの壁の空白を眺めていた。暗い部屋のなかで、その壁のきっちりと四角い部分だけが、ひどくうつろに明るかった。高まったままに不意に中断された情感が、重苦しく淀んだ。  私はそっとスイッチを切った。壁の画面は消えたが、胸の中にからっぽの四角形が焼付けられたように残った。  立上って電燈をつけると、フィルムの端を調べた。デモのシーンの終ったところで、フィルムは正確に切られていた。齣ひとつ狂いのない見事に真直な切り方だった。  8ミリの齣はとても小さい。明るい陽にかざしながら手にとって余程熱心に見ない限り、齣の内容はわからない。令子はこの長いフィルムをいちいち手にとって陽にかざしながら、ミス李の出てくる最初の齣をひとつひとつ探したにちがいない。  もうひと月以上、これを写していなかったから、実際にいつその作業をしたのかはわからないが、私が新聞社に行っている残暑の部屋のなかで、令子は何時間もかかって、切断箇所を探したのだろう。それから汗で額に貼りついてくる前髪をかき上げて、いつものあの気味悪いほどの無表情のまま、落着いて傍に用意しておいた鋏を取り上げ、プツリと切り落す。私が新聞の切抜き用に使っている文房具屋で買った鋏ではなく、布地を裁断するときに使う令子自身の大きな鋏で。  握るところは黒く塗ってあって刃の部分だけが銀色に光る裁ち鋏と、部屋にこもった残暑の感触が、生々しく浮んだ。  私は手早く残りのフィルムを巻き戻すと、映写機は押入に、フィルムのケースは机の抽出へと、それぞれ元の場所に戻した。  間もなく、階段をそっと一段ずつ上ってくる足音が聞えた。私は重く不快な心の底の方から、少しずつ荒々しい気分が滲み出てくるのを意識しながら、近づいてくる素足の足音をじっと聞いていた。  夜明け方に一度、目をさました。咽喉のあたりはじっとりと汗ばんでいるのに肌寒い。夏の間のとおりに、窓の雨戸の端を細目にあけたまま寝ていたのだった。灰色の光とともに、意外にひやりとする空気が、部屋のなかに流れこんでいた。  令子は、隣の布団で私の方に背を向けたまま、体を縮めて丸まるような格好で眠っていた。雨戸を締めようとして、そっと起き出すと、胸の前で両手を固く握りしめているのが見えた。  眼をさましているかと思って一瞬はっとしたが、よく見ると肉の薄い肩が、かすかだが規則正しく寝息とともに動いている。浴衣の寝巻の襟首から伸びきった強《こわ》い後毛に、従順そのもののような日頃の態度のかげに隠された彼女の一面をふと見たような気がした。  一緒になった初めから、令子は生理日の度に、顔が静脈の透けて見えるほど蒼白になり、額に脂汗を滲ませて苦しむ。歯をくいしばり体を折り曲げて、畳のうえを転げまわるようなことさえ度々ある。そしてその期間中は、貝が急に殻を閉じたように口を一切きかなくなるのだった。初めは何とも理解できないままに、腹を立てもしたが、そのうちにその期間だけはおかしくなるのだと考えることにしてきた。  だが、そうではなくて、そのときの殻を閉じた貝のようにしぶとい彼女こそ、彼女の本当の姿なのではないか、という思いが初めて浮んだ。夫婦関係も、彼女は私の求めを一度だって拒んだことはないが、体そのものを熱く開いたことも一度もない。  雨戸をしめようとして、夜でもなく朝でもない奇妙に白々とした外が見えた。  戦前のまだここが新開地だったころの安い建売住宅だったらしい同じような造りの平屋の低い屋根瓦の連りが、黒というより灰色に近い色褪せた鈍さで乾ききっている。程近い私鉄の踏切の警報機の音も、自動車の音も聞えず、ところどころに門灯か街灯らしい灯が、朝靄の底で二重三重に暈《かさ》をかぶって滲んでいるだけだった。新聞や牛乳の配達人たちもまだ動いてはいない。  時間のとまったようなその荒涼と白けた光景が、思いがけなく自分の内側深く覗きこんだように、おぞましく身近に感じられた。まるで生きてこなかったみたいだ——私は寝巻の襟元を両手で合わせた。  振り返ると、令子はさっきのまま、縮こまって眠りつづけている。何の夢をみているのだろうか。きつく眉根を寄せて胸元に屈みこむような寝顔から、恐らく楽しい夢ではあるまい。  だが、不思議に不憫だという気持も自責の念も、一向に湧いてこない。冷え冷えとした気分だけが、静かに亢《たかぶ》ってくる。たとえ、この女が私の目の前で死ぬようなことがあっても別れよう——という決心が、不意に意識の底を走った。心は閉じ合ったまま、あからさまには決して言い合いも争いもしないで過ぎてきた三年余の時間、そしてこれから、私さえその決心をしなければ、多分、あと何十年もこのままに続くにちがいない形だけの生活の連りというものが、急に笑い出したくなるほど滑稽に思われた。  自分自身を思いきり剥き出しにしたいという一種兇暴な気持だった。その剥き出しの状態で、ミス李ともう一度会ってみよう。ソウルでだって、私たちが急にあんなに親しくなって、自分自身さえよくわからない激しい眩暈のような一ヵ月を過したのも、「一緒にこうしていられるのも、あと十何日、あと何日」という崖の縁を歩くような不安な一日一日を、いつも痛いほど実感していたからではないか。  雨戸をしめて再び自分の床に横になってからも、心のなかを掠めすぎる荒々しい気分のうねりに、なかなか寝つけなかった。  大家の主人の苦し気な咳の音が、下の方から幾度か聞えた。  再び眼をさましたときは、隙間だらけの安物の雨戸の隙間から、幾条もの光が斜めにさしこんでいた。そのひとつが私の顔のうえを越えて、横の畳の表を照らしている。いつのまに起き出したのか、令子の布団は押入の前にきちんと畳んであった。光の筋のなかを、細かな綿埃が漂っているのが見えた。  すでにかなり高い陽が、雨戸の表を明々と照らしつけているのだろう。明け方には肌寒いほどだった部屋のなかが、汗ばむほどの温度にこもり始めている。  だが、自然にすっと起き出す気がしない。昨夜は、令子が上ってきてから、切られたフィルムのことを幾度か言い出そうとしかけては、辛うじて自分を圧さえて、早々と床に入った。明け方に少し起き出してしばらく寝つけなかったものの、かなりの時間、眠ったはずだ。  ソウルでの終りの頃は、前夜、どんなに遅くベッドに入っても——翌日夕刊用の原稿を幾度もタイプで打ち直すこともあったし、彼女が部屋を借りていた郊外の友だちの家から深夜通行禁止時間のぎりぎりにホテルに戻ってくることも多かったが、朝は、岩山の頂から朝陽が窓にまわりこんでくるとともに、必ずひとりでに眼がさめたものだった。  春先でもサングラスをかけて少しもおかしくない強い光が、みるみる白い天井と壁にきらめき返って心のなかまでさしこんでくるのを感じながら、その日いち日の仕事の段取と彼女と会う時間を素早く頭のなかでまとめる。それから両足の先をそろえて一度宙に上げ、弾みをつけてべッドから跳び下りると、一杯に栓をあけてシャワーをかぶるのだった。あけ放したままのドアから洗面所のなかまで入りこんでくる朝の光に、シャワーの水滴が、きらめきながら裸の体のまわりを散った。  あんなことは、あの何週間だけだったな、と仄暗くこもった部屋の畳のうえで考える。きょうは日曜だが、日勤で早く起きなければならない日でも、朝の感覚が体のなかできらめかない。  本社の外報部での、外国通信社の英語記事や特派員からのローマ字電報を翻訳し、デスクに直された原稿を整理部まで運んでゆき、あるいは使わなかった電報を棚の前に立って国別に仕分けしたり、各社の新聞にのった外電記事を切り抜いてはスクラップに貼りつける仕事の単調さが、味気ないというだけではなかった。学生のころ武蔵野の奥に下宿していたときも、北向きの窓のすりガラスがいつも同じ半透明の鈍さに曇っているのを、寝床のなかからうつろな気分で眺め上げていたものだ。  一番イヤだったのは、中学四年の秋の暮に京城から父の郷里の広島に引揚げてきた直後の数ヵ月だった。田舎の古く薄暗い屋敷の黒い天井を見上げ、裏の藪で騒ぐ山鳥のしわがれた叫び声に苛だちながら、京城の市と、全国にちりぢりに引揚げていった友人たちのことばかり考えていた。転入学した暗い木造校舎の中学校が嫌いでよく休んでは、本当に一日中、南天の葉の影がうつる裏座敷の障子の横にしいた万年床に転っていた。  翌年の春先、東京の高等学校の入学願書を前にして、夜明けまで机の前に坐っていた夜の冷えを思い出す。数学と物理の好きだった私は、航研機をつくった木村秀政のような飛行機設計家になるつもりだったのだが、敗戦によって飛行機も軍艦も製作は禁止になった。どうせ飛行機をつくれないなら理科にはゆくものか——何ものへともない怨みと夜明けの寒さに震えながら、私は明け方近く、願書の志望学科欄に「文科」と乱暴に書きこんだ。敗戦が私から過去を奪い去ったのなら、将来なんか自分から投げすててやる、いや、わざと自分のしたくないことをしてやる——  そうだったんだな、と改めて気付いた。何の期待もなく高校は文科を、大学は一番何もしなくてすみそうな社会学科を、そして新聞社を、と、その時々に、私は自分自身を嘲笑うような気持でわざと心にもない道を選んできた。そして令子との結婚も、そうだったのだ。  就職して三年ほどたった夏の休暇で郷里に帰ったとき、私は父に「結婚するよ」とわざとさり気なく言った。 「どういう女だ。相手は」  と驚いて父は尋ねた。 「喫茶店に勤めてる」 「どうして、そんな……」  父は絶句した。不機嫌になると、若いとき白内障で痛めた片方の眼が吊り上って三角形になる父の顔を見返して、私は答えた。 「そんなって、じゃ、うちがどんなに立派なんですか。屋敷だけはどうにか残ってるけど、家中で百姓してやっと生きのびてるだけじゃない。ぼくだって引揚者奨学金のおかげでやっとどうにか学校を出て、食うだけで精一杯さ」  どんな女と一緒になったって、どうせシアワセになどなりはしないし、むしろシアワセになりたくなんかないんだよ、と私は心のなかで言った。 「ろくに学費も送れなくて、お前にはすまんと思ってる」  父は俯向いて低い声で言った。 「そんなこと言ってるんじゃないよ。ぼくが勝手にその女と一緒に住む。世間体もあるから式だけはするけど、来たくなかったら来なくていいんだよ」  結局、父だけが上京して式に出たけれど、不機嫌に黙りこんで、令子の家族ともろくに話もしなかったし、私も強いて話し合ってもらおうとも思わなかった…… 「いつまで寝てるのよ。もうお昼じゃない」  いきなりドアを叩く音と一緒に、妹の妙にはしゃいだ声が聞えた。 「うるさいな。いま起きようと思ってたとこだ」  私はわざと素気なく答え返したが、内心、止めどもなく内側に巻きこんでくるようなイヤな記憶から引上げられたように、ほっとした。 「窓、あけるわよ。臭いわねえ。兄さんのとこは」  勢よくドアをあけて入りこんできた妹は、私の布団をズカズカと踏み越して、南向きの大きい方の窓と西向きの小窓とを次々と引き開けた。忽ち、昼近い強い陽が、部屋中に溢れこんできた。 「兄貴は、ソウルから帰ってから、すっかりだらしなくなったわねえ。前だって、まあそうだったけど」  私の机の前の椅子に浅く腰かけて、妹は生意気に軽く両脚を組んだまま、私の着換えるのを眺めながら言った。 「男らしくないったら。したいことがあったら、さっぱりとやればいいじゃない」 「何のことだ」  私はズボンに片脚を入れかけたまま、振り向いた。 「さあ、何のことかしら」  組んだ両脚をほどくと、今度は机のうえに肘をついて両手で顎を支えて窓の外を眺め始めた。田舎の新制高校を出て短大の受験に初めて東京に来たときの、おずおずと子供っぽかった妹のことを思い出しながら、私は黙ってズボンをはき終えた。 「おはぎをつくってんのよ。いま」  トンと軽く跳び下りるように、妹は椅子から下りて、ドアの方に歩き出した。 「お彼岸なのか、きょうは」  自分の布団をぐるぐると巻いて、丁寧に畳んである令子の布団のうえに、私はほうり投げるように積み上げた。 「お彼岸はまだ先よ。二百二十日を過ぎなくちゃね」  ドアの柱に片手をかけて、妹は振り返る。 「二百二十日なんか過ぎたはずだ」 「あら、これからじゃないの?」  薄笑いを浮べてそう言い捨てると、さっと廊下に出て、やがて階段を勢よく下りてゆく足音が遠ざかっていった。  妹の部屋も、思いきり開け放した窓から光が一杯に流れこんでいた。窓のすぐ前に低い板塀があるのだが、狭い通りひとつ隔てた隣の小学校の塀の内側に並んだ桜の樹々の葉にはね返ってくる陽射が、かすかに青味を帯びて爽やかだ。  私は食卓に新聞をひろげたまま、あぐらをかいて坐りこんでいる。令子は炊事場でやわらかく炊きあげた糯米《もちごめ》を、丸く握っている。妹は炊事場との境の戸を開けたまま、その戸柱によりかかって、大きな鍋に煮上げた小豆を、杓文字《しやもじ》の背でつぶしている。小豆の濃く香ばしい匂いが漂っていた。 「小豆が煮たったとき、水を全部入れかえたか」 「ちゃんとしましたよ」 「じゃいい。昔、うちでよく日曜日のお昼はおはぎを食べたのおぼえてるか」 「昔って、いつ頃のこと?」 「朝鮮のときさ」 「おぼえてないわ。広島で、お砂糖がなくて、小豆に薩摩芋を入れておはぎつくったのはおぼえてるけど」  酒を呑まない父が好きで、よく母がおはぎをつくったのだが、あれは砂糖がまだあったシナ事変のころのことで、妹はまだ赤ん坊だったわけだ。私が小学生で、京城に移るまえ、釜山と大邱の間の密陽という小さな町に住んでいた。 「おれが小学校の四年のときだった。母さんが大邱の病院に入院して、その留守にひとつかふたつだったおまえが夜になると、泣くんだ。夜どおしおんぶして、家の横の小さな公園を歩きまわってやったんだぞ。おぼえてないだろ」 「おぼえてるはずないじゃない。ねえ、お姉さん」  わざと甘ったれた口調で、令子の方を向いて声をかける。 「ひとつやふたつじゃ無理でしょうね」  聞いてないと思っていた令子が、流し台の方を向いたまま答えた。意外に穏やかな声で、一瞬ほっとすると同時に、妙に荒々しく苛立ってくる。 「密陽のときでしょ。お母さんもあのころが一番落着いてよかったって、よく言ってたわ」 「六年間も住んだんだからなあ」  父は銀行の支店長だったが、行員十人ほどの小さな支店で、夏は午後三時で店をしめると、自転車のうしろに西瓜と妹をのせて、私と洛東江の支流の水量豊かな町はずれの川に泳ぎに行く。時々、母も麦わら帽子をかぶってついてきて、砂浜でみんなで西瓜を食べた。食べ終った皮は、砂を掘って埋めた。上流の淵になったところに、竜が棲んでいて、川を汚すと怒って大水を起すと言われていたからだ。  駅の裏手の山の崖下にあるその淵の淀んだ水面が、記憶の底にのぞけて見えた。崖に陽を完全に遮られているのに、水は底の方から濃い緑色にいつも気味悪い輝きを帯びていて、竜が棲んでいるということを、子供の私たちは本気に信じていた。朝鮮人の老人たちが年に一度、崖の上から子豚を捧げ物に投げこむのである。あの朝鮮南部の小さな町が、私がこれまでに一番長く住んだ町だ。日曜毎におはぎを食べた町、そして竜の棲む淵のある町。  町というのは、山に登って見下すとひと目で見渡せるひとつの世界のことで、東京にもう十五年ほど住んだことになるわけだが、東京は町なんてものじゃない。  日勤の日のひまな午後、そっと新聞社を抜け出して、私はよく銀座通りと昭和通りを横切って、佃島の見える川岸のコンクリートの垣に坐っていることがある。糞尿船が油の浮いたどす黒い水を押しわけるようにして通り過ぎ、人気ない倉庫の並びと動かないクレーンの列の彼方に、晴れていても何となく弱々しい陽が下町の一帯をうっすらと照らしているのが、遥か遠い別の世界のようにしか感じられない。 「お姉さん、こっちはもうできたわよ」  妹が杓文字の裏にこびり付いた餡を、指先で拭きとって口に入れた。 「こっちも、もうこれ位でいいわね」  小さく握った糯米をほぼ一杯に並べた大きな皿を捧げるようにして、令子が炊事場をゆっくりと横切ってくる。まだかすかに湯気のたつやわらかい糯米の真白なかたまりが艶やかに光って見えたが、令子の白い顔はひどく遠くに感じられた。 「さあ、新聞をどけて」  妹も立ち上って餡の入った鍋を、立ったまま食卓のうえにどさりと置いた。令子は大皿を静かに置いて坐った。 「どうもありがとう。餡はわたしが付けるから」 「じゃ小皿をもってくるわね」  妹は食器戸棚から小皿と箸を取り出して食卓に並べ、令子は鍋の餡を片手ですくいとって、糯米のかたまりにひとつずつ餡をまぶし付け始めた。まるで餡をむらなくまぶし付けるという以外の一切のことを、頭から追い払うためのように、俯向いたまま丁寧すぎる手の動きだ。  そうして一個ずつ小皿に盛られてゆく程よい大きさのおはぎの餡の、不思議な深味を帯びた濃い茶色の光沢に、私もふっと気分が和《なご》みかける。この光沢は、やはり本物の砂糖を使わないと出ないのだな。薩摩芋しか使えなかったときの、水っぽく締まりのなかった餡の色が、浮んで消えた。  小学校の桜の葉が穏やかな風にかさかさと揺れると、部屋の光も餡の艶も微妙に変化するような気がした。 「紫蘇の実の塩漬でもあると最高ね」  食卓の端に片肘をついて妹が言った。 「紫蘇の葉なら、梅干の壺のなかにあるわよ」  手の動きは休めないで、令子が落着いた声で答える。 「酸っぱいのは合わないのじゃないかしら」 「じゃイカの塩辛でも付けたら」  古道具屋で安く買ってきた安物の食卓だったが、陽射の具合か、表面が沈んで輝きを帯びて、皿の白い縁の線と三つの顔の輪郭が淡く映って見えた。ふたりのやり取りの声も、その穏やかに反射する光の奥からひびき返ってくるようだ。  実は何もなかったのではないか、という奇妙な感覚が静かに心を浸した。明け方に雨戸の蔭で考えたことや決心したことが、夢の続きでしかなかったように他愛なく感じられた。私自身さえ、このままでいいのだ、という気にだけなれば、桜の緑を照り返すこの静かな光とよく拭きこまれた食卓の澄んだ水面に似た時間のたゆたいのまにまに、流れ過ぎてゆくこともできるのではないか。  数日前の日勤の日に新聞社で夕刊の締切が終ったあと、最近結婚したばかりの若い同僚が部長の机の横に立って、一枚の書類に判を押してもらっているところに、偶然通りかかったときのことを思い出した。初めは、どうしてあいつ、あんなに照れた顔をして突っ立ってやがんだろう——と思ったのだが、しばらくして、そうか、あれは人事部に出す結婚届の書類だったんだ、と気付いたとき、結婚届が必要なら離婚届も部長に判をもらって人事部に出さねばならないはずだ(税金上の扶養家族の異動だし、妻帯手当の取消になるわけだから)と、急に背中の重くなるような気分を覚えたのだった。 「どうしてまた、離婚なんぞするんだ」  と部長が重い口調できく。 「ひとりになりたいんです」  と俯向いてぼそぼそと答えてる自分。そう答えながら、しきりに意識の裏に絡みついてくるミス李のことで、一そう後めたい気持になる自分。窓際に並んだ外国通信社の自動テレタイプのコツコツコツと単調な音が、やけに大きく頭のなか一杯にひびいてくる——  そのときは実に生々しく思い浮んだそんな場面が、淡い影絵のようだ。 「先に食べてて。わたしは手を洗ってくるから」  そう言って令子が餡のついた両手を持ち上げるような格好のまま、立ち上る。 「いいよ。待ってるよ」  久し振りに、私は令子の顔をまともに見上げた。だが令子はすっと私の視線をかわして、そのまま炊事場の方に歩み去った。  片肘ついたまま、妹が軽く肩をすくめるのが、視野の端に見えた。  午後の陽は、西側の小さい方の窓から最初、部屋の北側の押入の襖にさしこんでくる。そのときはまだ白い、というより無色な光そのものだ。  襖の表装は、下半分が一面の紺色で、上半分は白い地に左右合計五羽の黄色い折り鶴の模様が刷りこまれ鶴のまわりには銀粉が撒かれているのだが、四度の夏の陽をまともに浴びた鶴の黄色はすっかり色褪せ、銀粉だけが、いよいよ安っぽくきらめく。  それから陽射が少しずつ下って、押入につづく壁の前に置いた令子の整理箪笥の方に移るにつれて、黄色味を帯びてくる。整理箪笥のうえに、小さな鏡台と、臙脂色の裁縫箱が置いてあるが、陽は整理箪笥の下の二段目ぐらいを照らすだけで、鏡に反射することも、裁縫箱を赤く燃えたたせることもない。  私は、すでに陽のさしこまない南側の窓の下に枕だけ出して寝転って、空想科学雑誌を読んでいる。去年の初めから出始めたその雑誌は、かつて辛い思いで切り捨てた少年の日の夢への遠い感傷をこめて、去年から私の落着かぬ日々を充たしてくれるほとんど唯一の慰めだった。  だが、いま私の気持は雑誌に集中していない。私の意識は、西側の窓の下に坐って縫物をしている令子の方に向いていた。そこは、その前に立って胸から上が窓、下が壁になっていて、従って壁のすぐ前に坐っていれば、陽は遥か頭のうえを通り越すことになる。  おはぎの昼食のあと、妹は三人で映画をみにいこうと言った。私も賛成したが、令子は「映画なんかみたくない」と言い張って、妹がいくら誘っても、うんと言わなかった。これまで妹の誘いは断ることがあっても、私が賛成すれば一度だって反対したことはなかったのだ。 「ふたりで行ってくればいいじゃない。わたしはどこにも出たくないの」  結婚のとき、数少い令子の学校友達のひとりがお祝いにくれた夫婦《めおと》湯呑茶碗を両掌で握って、そう言いながらかすかに震え始める彼女の口許を、私はまじまじと見つめていた。夏でも熱いお茶を呑むのは令子だけで、夏は水しか呑まない私と妹は、ガラスのコップを手にしていた。  朝鮮人はお茶を呑まない。普通の家庭では、ご飯を炊いたあとの釜にお湯をわかしてそれを呑む。日本や中国式のお茶は栽培しないのだ。私も冬にはお茶を呑むこともあるが、肉や油っこい食事のあとはむしろコーヒーの方が多い。何焼というのかわからないが、表面にこまかなひび割れの模様の入った夫婦茶碗の片割を握った令子に、私は強く内地人を感じた。 「兄貴はどうする?」  妹がわざとのように意地悪い口調できく。  私がすぐには答えかねている間に、令子は空いた皿を重ねて炊事場に持って行った。 「よすよ」  と私は皿を洗い始めた令子の硬い後姿を横目で見ながら答えた。 「そう、じゃご自由に。私だけ行ってくるわ。帰りにお寿司でも買ってきましょうか」  あとの方は、声を上げて令子の方に言った。 「ええ」  とだけ、令子は流し台に屈みこんだまま答えた。  後片付をすませて令子が二階に上って来たのは、ちょうど陽射が襖の表を這い下りて、整理箪笥の角にかかる頃だった。  残暑のやりきれない激しさはもうないが、まださすがに陽は強い。ほとんど風のなくなった狭い部屋のなかは、首筋や膝の内側の皮膚のやわらかい部分に、いつのまにか汗が滲み出てくる。 「やはりまだ暑いな」  私は寝転んだまま雑誌を胸の上におろして、そっと入ってきた令子に声をかけた。 「だから、冷房のきいた映画館に行けばよかったんですよ」  押入をあけて、なかから縫いかけのまま入れてあったらしい布切やら物差やら鋏やらをひと抱え取り出しながら、令子は落着いて答えた。  おまえをひとりで残しておくのが可哀想だったから行かなかったんだぞ——と言いかけようとして、さすがにその言葉が滑稽でしかないことに気付いて黙った。令子も静かに押入をしめると、西側の窓の下に坐りこんで、黙って自分の仕事を始めた。  陽射だけがじりじりと、整理箪笥の方へと移って行った。  そのうち不意に、布を切る鋏の音がした。びくっとするほど、その音が大きく聞えた。大きくだけでなく、鋭く突き刺さるように、体の奥の方までひびいた。と同時に、さっきから私はあの鋏のことを、心の一部で意識していたことがわかった。握りの部分が黒く、刃の部分が銀色に光る大きな裁断鋏。  そっと顔だけ振り向くと、令子は畳にひろげた黒っぽい生地のうえに這いつくばうように屈みこんで、左手にその鋏を握っていた。  そうだった、令子は左利きだったんだな、とそんなどうでもいいことが思い浮んだ。子供のころ左利きだったのを、父親が無理に右利きに直したのだ、と聞いたことがある。  箸や鉛筆やドアの把手を握るときなど、普通の場合は右手を使う。だがどういうわけか、刃物は左手に持つことがある。炊事場で時々、左手に庖丁を握ってキャベツをこまかく刻んだりしているのを見かける。「どうしてだ」と大分前にきいたことがあった。 「危いなって不安なときは何となく左手に持っちゃうのよ。左手だと安心なの」  そのときは、無理に右利きに育てられた左利きの心理ってそんなものか、とちょっと興味を覚えた程度だったのだが、いま彼女が左手に鋏を持っているということは気味悪かった。右手では不安な何かがあることになる。いま彼女は生理日ではない。  小さな8ミリフィルムの齣の境目も、左手の鋏であんなに正確に切り落せたのだったのか、と気付いた。  だが、刃渡り二十センチはある大鋏を、いきなり令子が私に突き立ててくる、といった想像は浮ばなかった。坐ったまま背筋を伸ばして低く屈みこんだ彼女のちょうど首の下あたりを、鋏の刃は動いていた。俯伏せになって自分の咽喉にそれを突き刺す令子の姿が、ゆっくりと心の奥から浮出してきた。胸のうえで開いた雑誌の頁を握っている自分の両手の掌まで、いつのまにか汗ばんでいる。  私の眼の前で彼女が死ぬことがあっても——と、ごく自然に思った明け方の気分が、また少しずつ甦ってきた。つい先程、爽やかに陽射の明るかった下の部屋では、全く非現実的なことにしか感じられなかったのに。整理箪笥の表面にくっきりと木目のうねりを炙《あぶ》り出しながら、いま西陽の色はかすかな赤味さえ含んで黄色い。光のなかに影も溶かしこんでいるような明るすぎる暗さだ。  記憶の深みで、緑色の淵の水面が燐光のように光っている。危いからあそこに行ってはいけないと、学校でも家でも禁じられていた。だが私たちは急な崖の曲りくねった小道を岩角につかまりながら、一年に何度かその淵を覗きに行った。心底から怖いのだが、駅の構内や裏山の南側の斜面で遊び飽きて、皆が何となく黙りこんでしまうようなとき、誰かが「あそこに行こう」と言い出すのだった。陽は少しも当らないはずなのに、淵は気味悪い緑色にいつも仄明るかった。  ソウルの古い離宮の庭園にもそんな池があった。中央政庁の裏の旧王宮ではなくて、もう少し東の方にある植物園と隣合っている離宮の奥の「秘苑」と呼ばれる庭園で、かつては一般の人は入れなかったし、いまも年中公開されているわけではない。ミス李と知り合って間もない春先のまだ風の冷い日曜の午後に、私たちは見物客の多い宝物殿のあたりを過ぎ、古い土塀の蔭の小道を辿って、いつのまにか深い林の奥のその池のほとりに出ていた。入り組んだ透かし彫りの欄干をめぐらした亭《ちん》が、ひとつだけ岸にたっていて、入ると腐りかけた床板がみしみしと音をたて、風化した欄干の木の粉が掌に白く残った。  日韓合併の直前か直後のころ、乱入した日本人の暴漢たちが白刃を振って、皇太后と女官たちを何十人も斬り殺したという場所も、その林のなかのどこかにあるはずだった。池の氷は溶けかけていたが、岸から垂れ下がった柳のしなやかな枝の先が凍りついていて、まわりの黒い樹立とそのうえを悠然と流れる雲の映った水は、澄み切った空を見上げるようにどこまでも深かった。  彼女もこんな人気のない奥まで来たのは初めてだと言った。普段はよく喋る彼女が余り口をきかなかった。春先の早い夕暮の気配がまわりの樹立の間から滲み出してくるまで、私たちは並んで蹲って、黒光りする池を黙って覗きこんでいた。そのうち自然に私たちは初めて唇を合わせた。気の強い彼女のしなやかな躯が、怯えたように小刻みに震えていた。私も眼の前の池に一緒に沈みこんでゆくような、暗い眩暈をおぼえた……  正確に間合いをおいて続いていた鋏の音がふっと跡切れた。 「いつまで、わたしたちこうやってるつもり?」  険を含んだ声だ。びくっとして起き上りかけた。 「もう少し涼しくなったら、銭湯に行こう」  令子も上体を起していた。鋏を左手に握ったまま、きつい視線が私を見据えている。 「そんなことじゃないわ」  いつも低目の声が、尖がった。私は起き上って、南側の窓の敷居を背にすると身構えるように坐り直した。 「わたしの行くとこはないのよ」  令子はそう言って視線を落した。骨は太いが肉の薄い肩が張っている。とくに細いわけでもないのに、首筋の線が頼りなく子供っぽく見えた。  令子の言葉が意識の表面だけを浮き沈みして、内側に入りこんでこない。急に麻痺したように、気持が固くうつろだ。整理箪笥を滑り下りた陽射が、赤茶けた畳のうえをのろのろと伸び始めている。  令子がゆっくりと顔を上げた。こんな思いつめた令子の顔を、確かこれまでに一度だけ見たことがあったな、とぼんやりと思う。  この部屋ではない。ここから私鉄の電車で二つほど奥に入ってキャベツ畠のなかをかなり歩いた農家の庭先にあったもっと小さなアパートの四畳半だった。令子の店の休みと私の新聞社の公休の重なる日に、令子は訪れてきては部屋の掃除をしたり洗濯をしてくれた。そんなことがどのくらい続いたかはおぼえていない。確か冬の日だった。窓の前の、葉を落ちつくした柿の梢の先が夕空を引掻くように鋭かった。陽が落ちてから、いつものように畠のなかの道を駅まで送ってゆこうとして私がオーバーを着こんでも、令子は壁にもたれて坐りこんでいた。家具らしい家具もない北向きの四畳半の部屋を、裸電球の寒々とした灯が照らしていた。 「遅くなるよ。いこう」  と私はオーバーのポケットに両手を突っこんで声をかけた。それまで彼女の手を握ったこともなかったのだ。 「帰りたくないの。あんなところ」  いやいやをする子供のように、令子は上眼遣いに私を見上げながら、頭を横に振った。 「だめだよ。お母さんに怒られるぞ」 「友だちのところに泊ってくると言ってきたの。きょうは」  聞き分けのない子供のような表情の奥から、思いつめたひとりの女の顔が現れていた……  あの頃はまだ公民館の隅にでも帰るところがあったのだが、いまはそれすらもないのだな、と自分でも思いがけなく突きはなした気持で考える。  私が帰国してから一度だけ、私のいるときに令子の年とった母親が訪ねてきたことがあった。妹が勤めに出て空いている下の部屋で、令子と何やらひそひそと話しこんでいた。夕方近くなって便所に下りたついでに私は「晩御飯、食べていったら」と声をかけた。すると母親は急に立ち上って「もうそんな時間? 早く戻って夕飯の仕度をしないと怒られる。今度、ちゃんと休みをもらってお邪魔しますから」と言うと、あたふたと帰って行った。腰の曲りかけたその後姿を、見送りながら「いまいる家が、ひと使いが荒くってイヤだとこぼしてたわ」と、令子がぽつりと言った。  その後、別のところに変ったかどうかは知らないが、決して私の顔をまともに見返したことのない母親の、いつもおどおどした小さな顔の記憶を、私はそっと押しのけた。そんな私の気持を、感じとったように、令子の声が一そう陰にこもった。 「あんたが他の日本の女と一緒になるのだったら、わたしは死んでも別れないわよ」 「…………」  私は黙って、彼女の汗ひとつ浮んでいない顔を見返す。すると、これまで一度も見たことのない奇妙な薄笑いが、令子の眼許に浮んだ。 「あの朝鮮人と一緒になるんなら、別れてあげてもいい」  朝鮮人というところだけ、わざと引きのばすように、ゆっくりと言った。 「ただ、わたしもどこか部屋を借りなきゃならないのね」 「…………」 「あの朝鮮人は金持なんでしょ。上等な洋服を着てたわね」  そんなことを考えてたのか。私は気持の定まらないまま、酔ったようにしゃべり出した令子の薄い唇をじっと眺めた。 「でも、あんたみたいに気の小さい男が、朝鮮人と結婚できて?」  部長の机の上におずおずと結婚届を差出す自分がぼんやりと浮んだ。部長はきっと言うだろう。 「朝鮮の女と再婚するって? 前に離婚するときは、ひとりになりたいからだ、と言ったじゃないか。ろくに記事も送ってこないで、お前は女の尻ばかり追いかけてたんだな」  西陽が畳の目をひとつずつ動いてくるのが、はっきりと眼に見えるようだ。  早く何とか答えなければ、と頭のなかは激しく苛立ちながら、いぜんとして気分はうつろだった。まるで西陽が私の心のなかまで照らしこんで、のろのろと移ってゆくような気がした。  アパートの門を出て一軒おいた四つ角のひとつが、小さな雑貨屋になっている。煙草屋も兼ねていて、煙草を並べたガラスのケースが、沈みかける光に赤黒く染まっていた。  光は西の方へと伸びる人気ない道を真直に射しこんできて、小学校の長いセメント塀に沿って薄れてゆく。塀のなかの桜の繁みには、夕靄がこもり始めていた。  開け放したガラス戸の前に立つと、奥から女主人の細く高い声がした。 「あら、きょうはおひとり?」  私が石鹸箱と着換えの下着を入れて片手に抱えた洗面器を見てそう言うのだ。アルマイトの洗面器の縁も、うっすらと赤く色付いている。  まだ若かったとき夫が戦死して、それからずっとひとりで店を続けながら息子を育ててきたという気のいい女主人は、私と令子が連れ立って出るところに出会うたびに「いつも一緒で羨しいわねえ」と、声をかける。片側が広い畠になっている小学校の塀沿いの道は、夕方からほとんど人通りがなくなるので、銭湯も令子と一緒に行くことが多かった。 「奥さんどうしたの?」  粉シャンプーの包みを渡しながら、太った女主人は言った。 「どうもしない。家にいるよ」  と答えながら、そのうち別の答えをしなければならない夕方が来る、と心のなかで考えた。そのときは何て答えるのだろう。「出て行ったよ」と言うのか、「逃げられちゃったよ」か、それとも「追い出したよ」だろうか。そのどれも間違いではないが、どれかひとつだけでは正しくないような気もした。 「体の具合でも悪いの」 「いや、まあ、元気だよ」  と受取ったシャンプーを洗面器のなかに落しこみながら、私はさり気なく答えたが、先程、私が「風呂に行く」と言って急に立ち上ったとき、黙って見上げた薄黒く窪んだ眼窩の奥で、異様に光っていた令子の眼がふっと思い浮び、イヤな予感が心を掠めた。  小学校の塀の下を歩きながらも、その不安は暗く尾を引いた。私たちが来てから補修作業をしているのを一度も見かけたことのない舗装道路には、至るところに窪みができていて、それが底のない穴ぼこに見える。眼の前を細長く伸びる私の影が、穴だらけのようだ。黄葉してもいないのに、もうかなりの桜の葉が塀を越えて落ちていて、路面に貼りついて乾ききっている。鼻緒のゆるんだ下駄の音が、高く長い塀に反響して、急に濃くなる夕暮の気配とともに消え残る。  私が怯えながら決心しかねていたことを、すでに令子の方が先に決心していたわけだ。三年以上も一緒に住みながら、おれは何もわかっていなかったということになる。だが、きょうの明け方、私が心の奥でついにひとつの境界を踏み越えたことを、令子の心が正確に感じ取ったのかもしれない。  学校の塀の切れたところで、右に小道に入ると、ラーメン屋と八百屋が並んで、その隣に銭湯の見上げるような構えが、畠の方を向いている。畠には穂を垂れ始めた陸稲と並んで、白菜か小松菜か、菜っぱの苗が見事に列をつくっていた。小道の乾いた土埃はひと足ごとに汗ばんだ足の裏にざらついてくるが、夕方、水をやったらしい菜っぱの列の土だけは黒々と湿って、暮れ残った光と銭湯の入口の灯の両方から照らされた若い苗が、思わずどきりとするほど、みずみずしく青かった。  ちょうど夕食時で、銭湯のなかは意外にすいていた。熱い湯の嫌いな私は、浅い方の風呂の隅で、頭をタイルの縁にのせて体を伸ばした。子供のころから毛深かった細い手脚はゆっくりと湯の底に沈んでいったが、気分はしきりに亢って浮き上る感じだった。  黄色でもなく赤でもない粘りつくような色、じりじりと心の底を炙りつづけるようで、佗びしい気配が肌身に沁みこんでくるような光、あの夕陽の色は、多分、生涯私の心から消えないだろう、次に私にどんな生活が始まり、あるいはまた崩れるとしても——体を沈めたまま眼を閉じると、そういう他人のような声が、どこからともなく聞えた。  と、流し場で誰かがタイルの床に桶を裏返して置いたらしい音が、いきなり高くひびいた。  はっとして眼をあけると、天井の中央の湯気抜きの小窓から、夕陽の最後の光が消えてゆくところだった。見えない手がかき消したように光の翳ったあとには、すでに夜の闇が下りていて、立ちのぼる湯気の白い流れがはっきりと浮き出して見えた。  できるだけ丁寧に髪を洗い体をこすった。単純な手の動きにだけ意識を集中した。そのためにまた洗面器をかかえてすっかり暗くなった外に出たときは、幾分気持も落着きかけていた。銭湯の入口からの明りがちょうど闇に薄れる境目のあたりの菜っぱの並びを、しばらく立ち止って眺めた。懸命に伸びようとする細く頼りない茎の白さが、眼に沁みた。  八百屋でことし初めての梨を買った。二十世紀を三個包んでもらってから、一個を令子の好きな長十郎に換えてもらった。洗面器のなかに入れると、ごとりと重く腕にこたえた。  学校の塀に沿った舗装道路も暗くなって、四つ角までの途中に一本だけ傾きかかっている街灯の裸電球の灯が、からっぽの道と陸稲畠の一部を鈍く照らしていた。  四つ角を越えて、先程、夕陽の射しこんでいた道の先から、私鉄の無人踏切の音が聞えてきた。初めは澄んでかすかに間遠な自動警報機の音が、次第に甲高くせわしくなって、電車の通り過ぎるすさまじいひびきとまじり合ったと思うと、また元の静けさに戻った。遠く私鉄の駅前のあたりだけ、闇が明るく溶けている。  街灯の光の輪を横切って、また闇のなかに戻ると、少しずつ私のアパートが見え始めた。ちょうど角の家は小さな平屋なので、私の部屋の南側の方の窓がじかに道から見えるのだが、窓は暗かった。まさか、令子はあのまま灯もつけないで西側の窓の下に坐りこんでいるのではあるまい。多分、もう妹が戻って下におりているのだろう。  だが四つ角に近づいて見ると、下の妹の部屋も灯がついていなかった。さっきの予感がまた少しずつ滲み出てきた。私は重くなった洗面器を抱え直して道を急いだ。梨がぶつかり合って鈍い音をたてた。下駄の音が闇のなかに残るようだった。  門の前でひと息つきながら、もう一度、二つの部屋の窓を見直したが、やはり灯はついていない。妹の部屋の暗い窓の下の乾いた地面に、枯れかけたオシロイバナが小さな赤い花を懸命に開きかけていた。いつもは下駄箱に入れる下駄を玄関の三和土に脱ぎすてたまま、まず妹の部屋のドアをあけた。こもった化粧品のにおいが鼻をついただけだった。洗面器を炊事場の流し台の下に置いて、二階に上った。  階段の途中で足を止めて耳をすましたが、二階で物音はなく、大家の主人の咳も今夜は聞えなかった。二階の廊下はいつもの通り静まり返っている。奥の部屋のドアの把手に手をかけながら、一瞬、息をつめるような切迫した気分と、自分でも思いがけなく醒めた意識とを、同時に感じた。  静かにドアを引いた。両方の窓が開け放しになっているため、部屋のなかは意外に仄明るい。入口に立ったまま、部屋のなかを素早く見まわしたが、何の変ったこともなかった。令子の姿と、令子が膝の前にひろげていた生地と裁縫道具が片付けられている他は、先程、私が出て行ったときのままだ。整理箪笥のうえの小さな鏡台も、裁縫箱もそのまま置いてある。  急に何か思いついて、たとえば明日の朝食のための食パンとか、裁縫に必要な色の糸とかを買いに出ただけかもしれない。多分そんなところだ。自分に言いきかせるようにそう考えると、ゆっくりとドアをしめ、電燈をつけた。鏡台の鏡に、電燈のコードと傘が小さく映っているのが見えた。別れ話を初めて口にした日のうちに、とくに声を荒げて言い争ったわけでもないのに、そのまま出て行くということは、まず考えられないことだ。  押入と整理箪笥をあけてみたが、衣類も少しも減ってはいなかった。夫婦茶碗を贈ってくれた友だちも、去年結婚して大阪に行っている。着のみ着のままで行くところはないはずだった。  だが、ぼんやりと部屋の真中に立ちつくしながら、眼に見えない何かが、この部屋のなかから消えているのを、私は本能的に感じた。愛情とか夫婦とか生活とか、そんなまともな言葉になるような確かなものではない。奇妙にくいちがった関係でしかなかったが、とにかく女と男が、きょうという日までは一度だって言い争うこともなく、ひとつ部屋で三年もの一日一日を過してきたという事実の匂いのようなものだ。  初めてこの部屋に入った日のことが、鮮やかに思い出された。 「ちゃんと畳も取り換えたし、襖も貼り換えてありますからね」と言いながら、勿体ぶってドアをあけた大家の妻君のあとから、私は部屋に入った。四畳半に住んできた眼に、道具ひとつない六畳は実に広かった。妻君が窓を勢よくあけると、陽が青々と真新しい畳表一杯にひろがり、藺草《いぐさ》が息苦しいばかりににおった。  いま、私の机と椅子、本棚、洋服箪笥、令子の整理箪笥に周りを囲まれた部屋は、すっかり狭くなっている。私の机もここに入ってから買い換えたものだ。ふたりで買った家具のひとつひとつを、私は次々と見まわしていった。令子の顔を思い浮べる以上に、それらの家具のひとつひとつが、三年という時間の匂いを帯びて見えた。  だがそのうち私の眼が、それらの家具のなかからやがて令子が持ち去るにちがいないものを、ひとつずつ消していっているのに気付いた。鏡台、裁縫箱、押入のなかの卓上ミシン、布団、そして整理箪笥。  整理箪笥が本当に少しずつ薄れてゆくような気がした。それにつれて押入の横の畳に、整理箪笥の運び出された跡が見えてくる。正確に四角いその畳の跡は、あの初めの日のままに、そこだけ無体に引き剥かれたように生々しく青白かった。 [#改ページ]   野の果て  それが海鳴りだとはっきりわかったのは、三日目の、それも夜が更けてからだった。どの方角からともなく、低く野面を這うように陰々と遠い音がひびいてくる。  最初の夜は、夜通しかなりはげしい風が吹き荒れて、裏手の疎な松の林がごうごうと鳴り続けたし、一年ぶりでともかく体だけはお互いに無事に再会できたことを喜び合って、そんな音など全く気付かなかった。  二日目の夕方になって風がおさまってから、おばさんとふたりで夕食の支度の七輪に焚く枯枝や松かさを裏の林で拾い集めているとき、下草の茂みに踏みこむたびにふっと虫の声が跡絶える静けさの奥で、地鳴りに似たかすかなひびきが聞えるような気がして、私は声をかけた。 「何か聞えるよ。汽車の音かな」  おばさんは粗い木綿の前掛のなかに松かさを包みこんで、以前から具合のよくなかった片脚を軽く引きながら近寄ってくると、私と並んで松林の彼方を眺め渡した。ゆるやかに起伏する野は黄ばみ始めた芋の畠がどこまでもひろがって、その果てはじかに空に連っている。空は高く鱗雲を浮べて、地平線のあたりだけが淡い紫色に色づいていた。 「ああ、あれなら海の音」  おばさんは事もなげにそう答えてまた松かさを拾い始めたし、いつのまにかまた虫がそこここの茂みで鳴き始めていたので、私もそのまま深く気にもとめなかった。  きょう三日目も、昼の間はすっかりその音のことは忘れていた。一番近い農家でさえ低い丘の蔭に塀代りの丈の高い樹の囲みの先端がやっと見えるだけで、あたりには他に人家もなければ草に覆われた野道に人通りもなく、別に昼間だからといって外がざわめいているのでもないのに、どうして聞えなかったのだろうか。家のなかだって、ずっとおばさんとふたりきりで静かだったのに。多分、海が夜更けてから荒れ出すのか、風の向きが昼間と変るのだろう。  おばさんは引揚者への特配らしい軍隊毛布を、顎まで引きあげてとっくに眠りこんでいる。敷布団もどこで手に入れたのか、綻び目から張りのなくなった古綿がのぞいてみえる。だが枕だけは桃色の緞子《どんす》の羽枕だ。 「これは本物の白鳥の胸毛が入ってるんだから。鶏や鴨の毛などとは全然ちがう。これだと本当に、ゆったりと空を飛ぶように眠れるのよ」  と、京城で私が下宿していたころ、おばさんがよく自慢していた枕である。そして敗戦になって引揚げねばならなくなってからも「何も惜しくないけど、これだけは絶対に持ってゆく」としきりに言っていたが、本当に持ってきたわけだ。  おばさんを真中に、向う側でさっきまで枕許に石油ランプを置いて明日の授業の下準備をしていた沢子も、いつのまにか教科書の頁を開き放しのまま、俯伏せになって眠りこんでいる。昼間、私が火屋《ほや》を磨いておいた小さなランプが、じりじりと時折芯を焦がす。遠くごくかすかな音なのに、海鳴りは心の底にじかにひびいてくるように、切れ目なく続いていた。  両国駅から汽車で二時間余り、千葉県の海に近いあたりとは知っていても、海までどのくらいあるのか、その海が鹿島灘なのか外房というのかよくわからない。  小学校の地理の教科書で、最初に習ったのは朝鮮のことで、日本本土は次の学年になってからだった。私が朝鮮に渡ったのは五歳のときだったので、父の郷里の広島の田舎や母の実家のあった東京の赤坂近辺の、切れ切れな記憶が幾つか意外に鮮やかに残ってはいても、全体として親しく思い浮べることのできない本土の地理は、上海とかマジノ線とかと同じように遠い知識にすぎなかった。  そのうえ、去年の秋、広島の郷里に引揚げ、この九月に東京の高校(旧制)に入学してきてから、まだ数週間しかたっていない(旧軍関係の学生の入学を制限するとかしないとかでもめて、入学試験は春にあったのに、合格の発表は夏まで遅れたのだった)。東京のなかでさえまだ全然知らない私は、近県の地理などわかるはずもなかった。僅かに鹿島灘や犬吠岬は波が荒いということを、おぼろげに知っているだけだ。  戸は隙間だらけなのに風がないので、ランプの焔は穏やかに燃えている。夜の闇というより、部屋のなかで七輪を燃やす煙の煤のために、天井は、さっき小便をしに外に出たとき眺めた野の夜空よりも黒い。家具ひとつない剥き出しの板壁も煤けきっていて、板敷の部屋の隅に埃まみれのまま積みあげてある藁布団だけが、気味悪く浮き出して見える。ここはもともと、村の避病院なのだ。  病院とはいっても、医者はもちろん管理人がいるのでもなく、病院の格好をしているのでもない。村に伝染病患者が出たとき、多分死ぬまでほったらかしておくための隔離小屋である。  手紙で知った住所だけを頼りに二日前の夕方、やっとここに辿りつくまで、私もそのことは知らなかった。途中で畠仕事をしていたひとに幾度か道を尋ねたとき、申し合わせたように、眉をひそめるような、薄笑うような何となく妙な表情を浮べたのも、そのためだったのかと、あとになって気付いた。  途中で見かけた農家と同じように、夾竹桃に似た細長く強《こわ》い葉の密生した樹が小屋を囲んでいたが、何年も手入れをしていないためらしく、樹の高さも葉の茂り具合も不揃いなら、立枯れたままの樹が幾本もあった。その枯れた枝越しに、雨戸を一枚あけただけの、障子もない縁側に腰をおろしたおばさんが見えた。  雨戸も板壁も黒ずんでひび割れ、腐りかけた屋根の藁はへこんでいた。縁先の粗い地面に、何列か植えてある芋まで葉は小さく、蔓は萎びている。  京城とここと一体何百キロ隔っているのか正確には知らないが、別々に海峡を越えて引揚げてきてやっと再会できるうれしさも、東京の高等学校に入学できたことをよろこんでもらおうと思ってきた弾んだ気持も、この野中の荒家《あばらや》を前にして、急にしぼんでいった。入学前に広島の郷里の方に届いたおばさんからの手紙に「ひどいところ」とは書いてあったが、これほどとは思っていなかった。  母屋から離れて、板切れを打ちつけただけの便所らしい囲いがある。一応ブリキ板が上にのせてあるが、雨の降りしきるときはきっと濡れるにちがいない……塀代りの樹のかげに、私はしばらく息をひそめるようにして立ちすくんでいた。京城でおばさんの家の二階に移ったその日か、その次の日だったか、便器のなかにスリッパの片方を落してしまって、どうしようもなく恥しく途方にくれたときの感じが、生々しく思い浮んだ。  それが去年の初め、わずか一年半前のことだとは信じられない。一昨年の秋の初め、銀行に勤めていた父が京城からずっと北の元山の支店に転勤になったのだが、中学三年の二学期に入っていた私は転校したくないと言って、銀行の独身寮に入れてもらってひとりだけ京城に残った。だがその寮も、独身の行員たちが次々と兵隊にとられて空部屋だらけになり、冬休みに元山の家族のところに行っている間に、急に閉鎖されることになった。  そこで、父が私を預ってもらえないか、と電話で頼んでくれたのが、おばさんの家だったのだ。銀行で父の先輩にあたる夫はすでに亡くなっていて、五十歳を過ぎたばかりのおばさんが娘とふたりで広い家に住んでいた。 「部屋はあったけど、食糧事情がこうでしょう。お父さんからいきなり電話で頼まれたとき、電話口で一瞬、迷ったわよ。でも、何とかなるって気が、ふとした。で、どうぞって答えたんだけど、そのあとで話したら、初江が怒ったわ。自分たちも食物のないときに、他人《ひと》の子供を預るなんて、どうかしてるって」  あとになって、おばさんがそう話してくれた。長女の初江は結婚して家を出ていたが、電車で二停留所ほどの近くに住んでいたので始終やってきていた。次女の沢子は私の五歳うえだった。  閉鎖になった銀行の独身寮から、自分で机や寝具をリヤカーで運んで移ったおばさんの二階家は、それまで平屋の小さな社宅にしか住んだことのない私には、ひどく立派な家に見えた。ドアの横に色ガラスの小窓のある広い玄関、ピアノのある応接間、壁一面に造りつけた本棚一杯の本。古道具屋で買った粗末な机や、一学期間の独身寮住まいで汚れた布団を、私はおずおずと気恥しい思いで運び入れた……  汽車の駅から道を尋ねながらだったので、一時間以上かかって野道を歩いてくる間に少しずつ吹き始めていた風が、いつのまにか芋畠の土埃をまき上げながら、囲いの樹の枝を激しくゆすり始めていた。茂り放題の葉がざわめき、便所のブリキ板がめくれてきしむ甲高い音もまじった。肩から羽織っただけの黒羅紗のマントが、あおられそうになる。  内側から両手でマントを体にまきつけながら、私は風に圧されたようなかたちで、囲いのなかに入った。おばさんは赤鉛筆を手に、皮表紙の部厚い本を読んでいた。私が近づいても気付かない。右手に握った短い赤鉛筆の色だけが、場違いのように鮮やかだった。  黙って傍に立つと、やっと顔をあげた。そして、幾分とび出した感じの白眼がちの大きな眼でじっと私の顔を見つめてから「ああ、来たのね」と言った。まるで数日前に別れたばかりのように。  色ガラスのはまった玄関で初めて顔を合わせたときも、ずっと前からの知合のように、これとそっくりのさり気ない言い方をしたように思う。私の方は全然瞬きしないきつい大きな両眼の感じにすくむような気持だったが、軽いバセドー氏病の気《け》のせいだと後になって教えられた。  敗戦の一ヵ月前に運よく元山から京城の本店に転勤になって戻ってきた家族と一緒に、去年の十一月初め私の方がひと足早く京城を発つことになった。その日の朝、沢子にピアノで伴奏させながら「また逢う日まで」という讃美歌を幾度も歌ってくれたことを思い出しながら、私は道々、十ヵ月ぶりの再会にふさわしい言葉を考えていたつもりだったが、おばさんは赤鉛筆をはさんで聖書を閉じると、すっと立ち上って薄暗い室内に入った。私も「強い風だね。いつもこんななの?」と言いながら、縁側に腰をおろして、靴の紐をほどき始めた。古い兵隊靴は土埃で汚れていた……  海鳴りの音が、朝鮮海峡からひびいてくるような気がする。なかなか出ない輸送船の出航を待って、釜山の埠頭で倉庫の軒下にごろ寝しながら、岸壁に激しく砕ける波の音を幾晩も聞いた。本土の波打際は、転校した広島の中学から入試の途中と、この間の入学の上京のとき、興津のあたりで見かけただけだ。空も海も濁って、汽車の轍のひびきで波の音は聞えなかった。  おばさんが寝返りを打ちながら、何か寝言を言っているが、よく聞きとれない。深々と白鳥の羽枕に頭を沈めて、飄々と空を飛び海を越えて京城の夢でも見ているのだろうか。引揚げてきて一応落着ける郷里のあった私たち家族とちがって、近い身寄りもないままに幾つかの土地を転々として結局こんなところに流れつくまで、いろいろと苦労をしたにちがいないのに、とくにやつれても老《ふ》けてもいない。穏やかな寝顔だ。  沢子は両手を床《ゆか》の薄べりの上まで投げ出すようにひろげ、首をねじ曲げて俯伏せに横顔を枕に押しつけている。不自然な格好のため、セーターをとおしても肩甲骨の角が険しく尖っているのがわかる。むこう向きになった顔は見えないが、眉根をきつく寄せているのだろう。  私はそっと起き出すと、毛布を背中まで引きあげてやり、ランプの芯を下げて吹き消した。一瞬、闇の奥で海鳴りが一そう陰にこもってひびき、沢子の体に、せめて髪にでも指先でも触れたい衝動が激しく気持の底をゆすったが、そのまま自分の床《とこ》に戻った。  この沢子はもうあの沢子ではない——眼をとじながら、繰返し私は自分に言いきかせた。  翌朝、眼をさましたとき、おばさんはもう土間に蹲って七輪に枯枝を投げこんでいた。枯れきっていない枝がまじっているらしく、煙が天井を這って半開きの雨戸から、外に流れ出てゆく。外は澄んだ秋の朝陽が、窓もない小屋のなかの暗さを嘲笑うようにきらめいていた。  沢子は半開きの雨戸のかげに坐りこんで、髪を梳いていた。戦争の終るときまで長目の髪にウェーブをかけ続けていた彼女が、短くした髪をうしろできつく束ねているだけだ。向うでは最後までもんぺを一枚もつくらなかったのに、いまは紺色のサージのもんぺをはいている。  田舎町の小学校の代用教員という仕事のうえからそうしなければならないのだろう、とは思っても、重く胸にこたえた。姉の初江は九州の夫の郷里に行ったし、稼ぎ手は沢子だけなのだ。生き続けてゆかねばならないということの白々とした辛さが、想像もしなかった沢子の変り方を眼の前にすると、腹立たしいまでに心を圧さえつけてくる。  私がリヤカーを引いて初めて彼女たちの家に着いた日——朝鮮の冬に特有の三寒四温のちょうど寒のときにあたる曇り空の底冷えの昼過ぎ、おばさんのあとについて食事室になっている奥の温突《オンドル》の部屋に行くと、私がいままで見たこともない絹のように落着いて光る生地に、こまかな花模様が一面に刺繍してある軽くて温かそうな布団の下から、長い髪を片手でゆっくりとかき上げながら上半身を起こしたのが、沢子だった。 「風邪気味なんで失礼してよ」  薄桃色の薄地のセーターの下で膨んだ胸のあたりが、眩しく私の眼に映った。家同士親しく付合う親類や知人もなく、地味に育ってきた私には、若い女らしい女と口をきいたことがなかったのだ。いきなり固い温突の床に両膝をついて、「よろしくお願いします」と、どぎまぎと頭を下げた。 「あの娘《こ》はいつだって、ああやってごろごろしてるんだから。女学校を出たとき、東京に洋裁の勉強に行きたいと言ったんだけど、そろそろ戦争もひどくなっていたし、まだ生きていたお父さんが、娘ひとりで東京なんかに行ってろくなことはないって怒って、行かさなかったの。その腹いせでもないでしょうが、そろそろお嫁に行けといっても、全然いやがって、ああやってるのよ」  私のために用意してくれた二階の一室で、私が荷物を片付けるのを手伝ってくれながら、おばさんはそう言った。  本当に沢子は気ままに生きているように見えた。夜遅くまで温突に坐りこんで翻訳の小説を読みふけっていたかと思うと、朝早くから何時間もピアノを弾き続けては、曲の途中でふっと弾きやめてしまう。私が三学期の中間試験で夜遅くまで二階で勉強していると、いつの間にか部屋に入ってきていて、隅の柱に片手をついて私の方を眺めている。そしてつかつかと近づいてくると、いきなり私の右手を自分の両手の掌で包みこんで「手が冷えてるじゃない」と言って、また出て行ってしまう。  春が近づいてから、幾度か夕食後に「勉強なかったらついてきてくれる?」と言われて、山のかげの道を通って女学校時代の友だちの家へ遊びに行くのに連れだされた。沈丁花のにおう夜道を並んで歩きながら、私は自分自身が灯火管制の暗い夜のなかに溶けてゆく眩暈のような気分を味った。  春が来て四年生になると、五月から近郊の造兵廠に泊りこみの勤労動員に出なければならないことになっていた。すでに米軍のB29は飛行機雲の尾をひいて、京城の上空にも偵察飛行に現れていた。朝鮮が空襲されるときは、その造兵廠が第一の目標になることを、教師たちも隠していない。これが私の最後の春だ、と言いきかせながら、沢子と日ましに親しくなる日々の一日一日を、私はそっと掌のなかに握りしめるようにして過した。  釜山に近い南の方の小さな町の小学校を出て京城に移り住んできてから三年余たっていたが、京城という街の道のひとつひとつが、街を囲む岩山の形がこんなに美しいと思ったことはなかった。戦争はいよいよ不利になり食糧事情は一そうきびしくなったが、春は正確にめぐってきて、柳の絮《はな》もアカシアの芽も連翹《れんぎよう》の花も一時に開く。  そんな春の匂いで空気が淀んで感じられるような夜、かつてなく厳重な防空演習があって、少しでも明りが洩れると怒鳴られた。いつもなら、窓に防空幕をひいて電灯は筒形の黒布をかぶせその下で、三人それぞれに黙って本を読むのだが、その夜は「面倒だからみんな消してしまいましょうよ」という沢子の意見で、家中の灯を消した。  そのうち何かの用事で、おばさんは呼ばれて隣家に行った。沢子と私だけが真暗な広い家のなかに残った。空には探照灯の光が幾本も交錯して動き、サイレンが幾度も鳴った。その長々と尾をひく無気味なひびきは、私自身の人生がもう数ヵ月しかないことを告げているように思われた。造兵廠行きまであと二週間だった。  いきなり沢子の手が闇のなかで私の手をつかんだ。私たちは生温い温突の固い床で抱き合った。ただ抱き合って震えながらじっとしていただけだったが、そのとき私は気ままなように見える沢子も心の底で怯えながら、前方を強《し》いて見ないようにして生きていることを感じとった……  痩せたのだろうか、逆光になった沢子の腕の線が固い。あの防空演習の夜に温突の床で心の不安がじかに露わになったようにこまかく震えていた彼女の腕の撓やかさは消えていた。 「きょうは土曜日だから昼には帰れるんでしょう」  というおばさんの言葉に答え返す声も、私の記憶のなかの気だるいような彼女の声ではなかった。 「職員会議があるわ」  それだけ言って立上ると、もんぺの紐を締め直しながら床のうえに坐りこんでいた私を見下した。 「あんたはいつまでいるの」 「日曜の夜までに寮に戻る」 「じゃあしたの午前中は一緒にいられるわね」 「うん」  彼女に対して意識して張りつめていた気持がふっとゆるみそうになる自分自身をおぼえながら、私はわざと素気なく答えた。  そのとき表の小道の方で、自転車のベルを鳴らす音がした。 「いま行くわよ」  沢子は外に向って勢よくそう言うと、手早く教科書やノートを風呂敷に包み始めた。 「ご飯は食べて行かないのかい」  おばさんが土間から声をかける。 「いいわ。町でパンを買うから。パン屋の子供がわたしのクラスにいるのよ」  のぞかなくてもわかっていた。一番近い農家の息子が、毎朝、町まで自転車のうしろに沢子を乗せて行ってくれるのだ。  きのうの朝もそうだった。雨戸のかげからそっと眺めると、いかにも飛行兵か水兵帰りといったどこかやくざっぽい男が、頑丈なつくりの自転車のうしろの荷台に沢子を乗せて走り出すところだった。  髪を短く刈り上げた男の、陽焼けした太い襟首に、床屋に行ったばかりらしい剃りあとがなまなましく青白かった。沢子は荷台に横坐りになって、片手に風呂敷包みを抱え、もう一方の手でサドルの下の金具を握っていたが、それが男の腰につかまっているように見えて、私は視線をそらした。 「あのひとのお蔭で助かるよ。女の足で歩けば一時間近くかかるところを二十分で町まで行けるものね。それに米や野菜もよく持ってきてくれるし」  沢子があわただしく出て行ったあと、ふたりだけで雑炊の朝食をとりながら、おばさんは言った。  私は黙って大根を刻みこんだ雑炊をすすりながら、去年の八月十五日の午後、雑音だらけのラジオ放送で、戦争が終ったらしいとわかったあとに感じた白々しい想いを、改めて思い出した。 「肺浸潤の疑い」ということでその数日前から、私は工場の寮から京城に戻っていた。すでに元山から転勤になった私の家族が郊外の新築の社宅に住んでいて、その新しい自分の家で放送を聞いたのだが、放送のあとぼんやりと縁側に坐りこんでいると、引越してきたばかりで手入れしていない庭先の乾ききった地面の粗い土が、すっと色をかき消されたように見えたのだ。地面だけでなく、雲ひとつなく晴れ渡った真夏の空までが一面に艶を消したようだった。その白々とした光景が、不思議に自分の気持と溶け合って感じられた。  くやしさでも、解放感でも、衝撃でもなかった。これで死ななくてすんだ、というほっとした気分ではさらになかった。これからまた生きていかなきゃならないんだな、という気の遠くなるような疲労感だった。もうあと何ヵ月、何週間しか先がない一日一日ではなく、果てのない一日一日の同じような連りを、どこまでも生き続けねばならない恐怖だった。  きのうと同じように、お昼は芋をふかして食べた。寮の食堂の皮の厚い水っぽい芋とちがって、何という名前の品種なのか、見かけは細く小さくて貧弱だが、赤く薄い皮を剥くと灰色に近い不透明な色の中身がねっとりと濃く甘く、隠元豆の餡のようだった。 「あれがみなこの芋なの?」  私は野原にひろがる芋畠の方を眼で示しながら聞いた。 「そうじゃない。あれは供出用の、量は多くとれるけどおいしくない種類よ。これは農家が自分たちのために少しだけつくる種類」 「そんなものなんだね」  人間の知恵や努力など溶かしこんでしまうように茫々と広いこの野のなかでも、やはり生きるための懸命な営みが行われているわけだ。浅墓なことだ、と言い切ってしまいたい気持の裏で、そうでなくちゃいけないのではないか、という気がうずくのを感ずる。 「ねえ」  と、薄暗い土間に立って後片付をしているおばさんに声をかけた。 「いつも昼間ずっとひとりでここにいるんだね」 「そうよ」  形ばかりの流し台に屈みこんだまま、おばさんは答えた。 「何ともない?」 「こんなところまで来る泥棒なんていないもの」 「そんなことじゃないんだよ。何ていうかな、さびしくない?」  水の残り少くなった甕《かめ》の底にぶつかる柄杓《ひしやく》の音が聞えた。 「それはさびしいわ」  自然な口ぶりで答える。 「だから、あんたが来てくれたのをよろこんでるじゃないの」 「それとも少しちがうんだよ。生きてることがつまらなくならないかっていう意味」 「そうねえ」  初めておばさんは前掛で手を拭きながら振り向いた。ネルのような厚地の灰色っぽい着物を着ている。正確に同じかどうかはわからなかったが、京城の広い家のなかでもいつも洗いざらしのような古く地味な着物だった。というより形振《なりふり》にほとんど気を使っていなかったことを思い出す。  土間からの上り框《がまち》に腰をおろして、額に乱れかかった髪を無造作にかきあげる。心もち白髪がふえたような気もするが、京城でも白髪の方が多かった。 「前にも話してあげたことがあったと思うけど、写真だけ見せられて結婚するために朝鮮に渡ったときの方がつらかった。そのときはお父さん(亡くなった夫のことをおばさんはそう呼ぶ)も田舎の支店まわりで、日本人は学校の先生と巡査に、他に十軒ほどしかない山奥の小さな町でね。お父さんとは十歳以上も年齢《とし》がちがうし、余り話をするひとでもなかったし、どうしてこんなところまで来てさびしい思いをしなければならないんだろうとばかり考えてたものよ。いまのあんたよりちょっとうえ、二十歳になったばかりぐらいだった」  私は板の端の腐りかけている傾いた縁側に、膝を両手で抱くような格好で坐りこんでいた。きょうも風はなく、動かない囲いの樹の枝の隙間から、畠の起伏が地平線まで見渡せた。 「それでね、一度、生れて間もなかった初江を連れて、郷里《くに》に帰ったことがあるのよ。瀬戸内海の小さな島で、わたしの父はそこで小学校の先生をしてた。わたしは長女だったけど遅く生れた子で、父はもうかなり年とってたわ。もう戻らない、ここでこの子を育てるってわたしが言ったら、ついてこいって、海岸に散歩に連れだしたの。何か言うのかと思ってついて行ったら、父は波打際の流木に腰かけたまま、じっと坐ってるだけなのよ。夏の終りで砂浜にはもう人影もなかった。おだやかな波だけが寄せては返すだけ。父は黙ってその海を眺めてた。一時間も二時間もひとことも言わないの。そのうちわたしは、父が若いころ学者になるといって東京に出て苦学したことを思い出した。そのこととね、小さな島の砂浜の波の音とが一緒になって、わたしは生きなければならないって気がしたのよ。すいません、朝鮮に戻りますって、わたしは父の後姿に言った」 「……」 「ここの野原は波の穏やかな瀬戸内の海に似てるわね。農家の樹の囲いが、点々と島みたいで。だからそんなに嫌いじゃないのよ」  私の入った高校は全寮制度で、東京に家のある者も寮に入らなければならない。東京の中学から来た生意気で気の利いた連中のなかで、まだわずか一ヵ月ほどの寮生活なのに、私はすっかり自信をなくし、気がひるみかけていた。学校を休んでここに来たのも、おばさんや沢子に会いたかったためだけでなく、朝起きて夜寝るまで、さり気ない会話の端々までが才気の戦いのような毎日から、逃げ出すためでもあった。  それだけに、瀬戸内海の郷里《くに》に逃げ帰ったという初めて聞くおばさんの話は、自然に納得できた。だがいまのおばさんの年齢《とし》まででも、私はこれから三十五年も生きねばならない。野の奥を覗きこむような眼も眩む遠さだ。地平線が無限に遠ざかってゆくように見えた。  芋の葉の濃い緑の連りの間に、点々と陸稲の畠が昼過の陽を照り返して金色にきらめいている。野菜でも取入れたあとなのか、赤黒い地肌が露わになった斜面も見えた。  しんしんと静かだった。海鳴りの気配はどこにもなかったが、心の奥で、ふとかすかな音が鳴っているのに気付く。かさかさと乾いた葉が風に揺れる音だ。  八月十五日のあと十一月初めに引揚げるまで、引揚げ列車の順番を待って、私たちは家財道具を朝鮮人の知人たちに譲ったり、ぎりぎりの必需品を入れたリュックを幾度も詰めかえたり、用のなくなった庭の隅の防空壕のなかで本や古着類を焼いたりしながら、落着かぬ日々を過した。無事に引揚げられるのか、内地に戻ってどういう生活が始まるのか、見通しも予感さえなかった。ただ秋の空と光だけが、毎日怖しいほど美しかった。  家具もすっかり運び出されてがらんとした郊外の社宅の部屋にぼんやりと寝転っていると、裏の丘に植えてある丈の高い高粱《コウリヤン》の、玉蜀黍《とうもろこし》に似た細長く乾いた葉が、風もないのに、絶えずかさこそとうつろな音を立てているのが聞えた。  その記憶のなかの気配が、あたりの静けさと溶け合いそうになるのに気付いて、私ははっと顔を起こした。 「もうすぐ寒くなるね。薪がいるな」 「そうね。炭も煉炭も手に入らないし、枯木を部屋のなかで焚かなきゃならないでしょうね」 「鉈《なた》のようなものがある?」 「こんなのなら」  とおばさんが土間の隅からひっぱり出してきた錆だらけの鉈を受けとると、私は外に出た。 「この囲いの樹の枯れたのは切っちゃおう」 「さあ、いいかしら。村のものなのよ」 「いいったら。生きのびるためさ」  鉈は刃が欠けているうえに、柄がぐらぐらして、ともするとすっぽ抜けそうになったが、私はシャツ一枚になって枯木の幹に鉈を打ちこみ始めた。固く乾ききった幹は、ぼろ鉈を軽くはね返したが、私はその作業に熱中した。どうしようもなく沁みとおってくる野の気配を、体中で押し返すような気持で。  五本の枯木を倒し、残りの樹も思いきり下枝を落した。切り落すというより、鉈の重さでもぎ落す毎に、なまなましい樹肌が剥き出しになった。自分の心の殻を引き剥くような、痛みとも快さともつかぬひりつくような気分を覚えた。  おばさんは縁先に立って黙って眺めていた。時々振り返ってみたが、屋根の端からずり落ちかけている藁のかげになって、表情は見えなかった。あるいは私を見ていたのではなく、隙間だらけになった囲いの彼方に、暮れ始める「瀬戸内の海のような」野原を見つめていたのかもしれない。  昼間思いきり体を動かしたせいで、夜はぐっすりと眠ったらしい。海の音も気にならなかったし、朝も一番早く眼がさめた。  そっとひとり起き出すと、鉈を下げて裏の松林に行き、幹に絡みついている葛《くず》に似た蔓を切ってきて、きのう切り揃えておいた枯木と下枝を縛って、幾つも薪の束をつくった。蔓を強く引っぱりながら結ぶと、滲み出る青臭い汁が掌に染みついた。  井戸端で土をこすりつけながら手を洗っていると、土間の板壁の隙間から、煙が流れ出てくるのが見えた。家に戻ろうとして、心の一部が怯えているのを感じた。このまま沢子の起き出すのを待たないで、立去りたい気持が強く心をかすめたが、思いきって土間に入った。  ちょうどおばさんが雨戸をあけようとするところだった。布団は畳まれて、小さなちゃぶ台が出されていた。鴨居も敷居も歪んでしまってなかなか動かない雨戸がやっと開くと、ちゃぶ台に向って横坐りに坐っていた沢子の脹脛《ふくらはぎ》が煤で汚れた薄べりのうえに浮き出した。もんぺをはかない彼女はこの五日間で初めてだった。茶色の地味な色だが、スカートをはいている。  態度も幾らか、元の気ままな沢子に戻っているように思われた。朝食の間、彼女は子供たちの話をし、私は寮の委員長が九時間もしゃべり続け、その間、新入生は絶対に便所に立てない入寮式のつらかったことや、晴れた真昼でも窓の外を湯気のたつ雨が上の階の窓から降ってくる寮雨のことなどを、わざと面白く話して、ふたりを笑わせた。  朝陽の斜めに室内深く射しこんでくる朝のうち、荒れ果てた避病院の室内は一番惨めに照らし出されるのだが、久しぶりにかすれ気味の沢子の笑い声を聞きながら三人で坐っていると、ふと去年の春の日の続きのような、もう一度あの、一日一日を生きていると実感できた日々を取り戻せるような気分を覚えるのだった。  もうせめて二年、私が早く生れているか、彼女が遅く生れていたら、そうなれるかもしれないのに——めっきりと陽にやけ頬の肉が落ちてきつくなった沢子の顔を眺めながら、そんなことを思ったりもした。  食事が終ると、沢子は約束どおり散歩に行こうと誘った。  きょうも晴れ渡った空の一角を掃いたような巻雲が、二筋三筋と尾を引いていた。何日も雨が降っていないらしく、道と畠の土は乾いているのに、道にかぶさった草も芋の葉もみずみずしく濃かった。道も方角もわからない私は、沢子のあとを黙って歩いた。道は狭いうえに雑草が生え放題に茂っていて、ふたり並んでは歩けない。刺のある草が時々おばさんの古下駄をひっかけてきただけの素足の甲を刺し、小さな黄色い花をつけた草も眼についた。  しばらくして振り返ると、藁屋根も囲いも見えなくなっていた。ぐるりと地平線が銀色にきらめきながら廻っている感じだ。 「覚えてる? 三月の初めごろ、初めてふたりで山のふもとの道を通って、竜山に行ったとき。あのとき、沢ちゃんは真黄色のワンピースを着てたんだ。兵営の横を通ったら、兵隊たちが塀のうえから、わいわい騒いでのぞいていた。あの頃、ワンピースで外を歩く女のひとなんていなかったもの」  そのときの恥しく晴れがましいような気分を、はっきりと思い出しながら私は、うしろから声をかけた。 「そうだったかしら。忘れたわ」  沢子は歩みをゆるめたが、振り向きもしないで言った。 「そんな古いことより、相談したかったことがあるのよ」  朝方、家に入りかけて心を過った怯えが甦った。 「その辺に坐りましょうか」  そう言って沢子は道をそれると、なだらかに盛り上った丘にのぼっていき、草の丈の低くなった一角に、両手を膝の下に入れてスカートの裾をおさえながら立膝の格好で坐った。私もその横に、やや間隔をおいて腰をおろした。 「家だと母さんが心配するでしょ。だからなんだけど、本当は町の学校がいやでたまらないのよ。子供たちは可愛気がないし、他の先生たちは意地悪だし、町や村の人たちは余計者扱いだし」  でも、毎朝自転車に乗せてくれるあの男はひどく親切じゃないか、という言葉がふっと口に出かかったが、沢子の顔を見ないように俯いて、 「それで?」  とだけ言った。 「それでね。早く東京に出たいの。仕事はどうにかしてわたしが探すけど、探すためにもまず東京に出なくちゃ。ここからじゃ日帰りもできないし。で、部屋を探してほしいのよ。あんたの同級生の家で、置いてくれるところないかしら」  こういう話なのではないかと予感していたことに気付く。 「さあ、すぐには思いつかないけど。何しろまだ同級生だってやっと顔見知りになった程度なんだ」  そう戸惑って言いながら、沢子の横顔を窺った。顔を起こして、彼女はじっと地平線の方を見つめている。私は急いで言い足した。 「寮の食堂の入口に、アルバイトの仕事や本の交換なんか、いろんなことを勝手に紙に書いて貼りつけておく便利板がある。そこに貼り出してみるし、東京に家のある同級生にもすぐきいてみる」  沢子は膝の下から片手を抜くと、傍に一本だけ長く突き出た雑草の茎に指をからめて、きゅっと音をたてて引き抜いた。 「そうね。あんたがせめて大学にでも行ってるんなら、いろいろと頼めるのに」 「……」 「別に無理に頼んでるんじゃないのよ」  沢子はもう一本茎を引き抜いて、膝の前に投げ捨てた。 「できるだけやってみる」  と答えた自分の声が、かすれそうになるのがわかる。 「口では言わないけど、母さんの体も弱ってるのよ。冷えると脚に悪いの。あんな吹きさらしの小屋に置いとけると思う? 雪でも降ったら潰れちゃうわ」  薪を作ったのも無駄なことだったのか、という思いが辛く沈みこんできた。そっと掌を鼻に近づけると、蔓草の青臭いにおいがまだ染み残っていた。 「ああ、疲れたわ」  そう言って沢子は、いきなり草むらに上体を倒して仰向けになった。体のことより生き続けてゆく疲れのように、私には思われた。  何か早く言わねばと思い、言うべきことが一杯あるような気もしたが、彼女に必要なのはいま言葉ではないのだ——私は心のなかに浮びかける言葉をひとつずつゆっくりと消していった。片脚だけを曲げて立てた彼女の膝頭が、視野の端で眩しく光っていた。 「帰りましょう」  とやがて沢子は独り言のように呟いて起き上った。一年前の彼女からは聞いたことのない声だ。投げやりめいていて、暗い芯がこもっている。  あとについて丘を下りながら、沢子の肩のところに刺のある草の実がひとつ付いているのが見えた。そっと手を伸ばして取って捨てた。彼女は少しも気付かないで足を早める。  京城で彼女と歩いたときは、何を話していたのだろう、と思い出そうとしたが、少しも思い浮ばない。兵営を見下す坂道の横の赤土の崖の色、本町通りへ抜ける南山の山蔭の道にこもっていた樹々の匂い……そんな記憶だけが切れ切れに生々しく甦った。まるで京城の街が、あの地平線のすぐ向うにそのまま在るようだ。こうして見知らぬ野原のなかを歩いている自分の方が、逆に夢のなかを歩いているように思われた。沢子の影が道にかぶさる草むらのうえに、現れたり消えたりした。  間もなく芋畠のゆるやかな起伏の蔭から、褐色の藁屋根が見えてきた。ようやく天頂に近づいて一そう透徹ってきた秋の陽射の下で野はいよいよ広く、村はずれの小屋はそのなかを漂う点のようだった。囲いの樹の前に出ているおばさんの姿も見えてきた。その姿もひどく小さく見えた。  そのうち、恐らく冬の訪れる前に、ふたりはあそこを出てゆくだろう。いつどういうところでまた会うことになるのだろうか。からっぽの荒家に還る小屋を思い描いた。ただ海鳴りだけは夜更けになると、毎夜同じように陰々とひびき続けるにちがいない。 [#改ページ]   無人地帯     1 「どうして、そんなところに行きたいのか」ときかれた。  どこにも属さない土地というのは大変魅力的だからだ、と答えかけたが、思い直して「大変珍しいところだからだ」とだけ答えた。  その答えで納得したのかどうかはわからなかったが、米軍情報将校は手にしたわたしの身分証明書の写真と実物の顔とを幾度も見比べてから、黙って一枚の書類を手渡した。  受け取った英文の書類には、タイプ印刷らしいかすれた字がぎっしりと並んでいた。「万一取材中に負傷、行方不明あるいは死亡した場合も、一切の損害賠償請求の権利を放棄し……」という一節も目についたが、ひと通り眼を走らせただけで、所定の箇所に手早くサインして書類を返した。  受け取った書類を机の上に置くと、将校は電話で次々に数ヵ所と連絡をとった。受話器をつかんだ将校の大きな手の甲から手首にかけて密生したこまかな毛が、窓越しの明るい秋の陽射に金色に光るのを、わたしは眺めていた。隣室でタイプを打ちつづける正確で単調な音が、切れ目なく聞えた。  ようやく電話を終えた将校は、机越しにわたしの眼を真直に見つめて言った。 「きみの行きたいという村は、二つの国境の間の立入り禁止地帯にあって、正式にはわれわれの管轄地域の外になる。われわれ自身も勝手には行けない。まして外国人のきみの出入ということは微妙な問題だ。いま電話で問い合わせた他のセクションの見解も様々で一致しなかった」  そこで一たん将校は言葉を切ったが、わたしがうなずいただけだったので、さらに説明を続けた。 「ただ実際には、北朝鮮側との暗黙の了解事項として、時々軍のトラック便をその村に出している。他に外部との交通手段がないからだが、幸い明日その便があるそうで、それに乗せてもらえるかもしれない。とにかく明日午前八時までに、前線司令部の方に来てみてくれということだ」  必ずしも満足すべき回答ではなかったが、おそらく断わられるだろうと予期していたので、丁重に礼を述べた。将校も立ち上って片手を差し出しながら「それだけしか助力できなくて残念だが」と言い、それからやや声の調子を落してこうつけ加えた。 「つまらない小さな村がぽつんとあるだけで、他には何もないところだ。わざわざ無理に出かけるようなところではないと思うがね」  わたしは将校の毛深い大きな手からそっと自分の手をひきぬいて、そのまま情報部の部屋を出た。廊下までタイプの音が聞え、人影のない広い赤土の営庭と、それを囲んで並ぶ煉瓦建ての兵営の壁が、昼過ぎの透き通った陽を受けて同じように鮮やかな赤褐色に輝いているのが見えた。  かつて、これらの建物が日本軍の兵営だったことを思い出し、血を流して戦い合った二つの国の兵士たちが同じ兵営に起居するということが、妙に滑稽に思われた。  風の強い野外でも焔の消えないジッポーのライターに煙草三個、身分証明書入れを兼ねた札入れ、メモ帳二冊とボールペン二本——前夜用意しておいた簡単な所持品をひとつずつ手にとって確かめてから、洋服の内と外のポケットに分けておさめた。  いたまないように窓の外に出しておいたサンドウィッチの包みを取り入れようとして窓をあけると、意外に冷たい夜明け前の風が室内に流れこんだ。  ホテルの下の広場にはまだ街灯がついていて、その緑がかった淡い光に照らされた薄暗い広場の表面が、濡れた爬虫類の肌のように青黒く光っている。遠くで市内電車の、恐らくは始発電車の走るらしい音がかすかにひびいていたが、広場には動くものの気配はなかった。  こんな時刻に広場を眺め下ろしたことはなかったので、わたしはしばらく半開きのままの窓のそばに立っていた。昼間は連日のように学生や失業者たちのデモや集会が荒れ、夕方は通勤者たちの列で雑踏する広場とは、別の場所のようだった。剥き出しのアスファルトの沈黙のひろがり、夜でも朝でもないあいまいな暗さが、荒涼と心に沁みた。 「何もないつまらないところだ」と忠告してくれたときの情報将校の表情がふと浮んだ。その顔に向って「何もないから行きたいのさ」と心の中で答え返しながら「うまくトラックに乗りこめるといいのだが」と呟いた。  サンドウィッチの包みを注意してトレンチコートのポケットに押しこみ、カメラを肩にひっかけて部屋を出た。  廊下はまだ夜だった。厚い橙色のじゅうたんが、明るい電灯の光を吸いこみつづけていた。かなり夜遅くまでどこかで必ず部屋を歩きまわる足音や便器かバスの水を落す音が聞えるのだが、さすがにこの時間は一切の物音が跡絶えて、ひとつの部屋の扉の前にきちんとそろえて出してある一足の黒靴だけが、なまなましく人の気配を感じさせた。  昼過ぎの安静時間の病院の廊下や夜更けの地下鉄の連絡通路など、明るく人気のないからっぽの場所で、いつも眩暈に似た軽い興奮をおぼえるのだが、いまもがらんと筒抜けの明るいホテルの廊下を歩きながら、浮き浮きした気分になっている自分を感じた。じゅうたんの真中をわざと爪先立って忍び足で歩いてみたり、不意に背後を振り返ったり、曲り角では壁に背中を貼りつけるようにして片手でカメラをおさえながら、そっと首を突き出して角の向うをうかがってみたりした。  そうした自分でも理由のよくわからない上機嫌は、ひとりエレベーターに乗りこんでからも続いた。磨きあげられた中間色の四囲の壁面が頭上のすりガラス越しの照明をむらなく照り返し、清潔でおだやかな光が固く閉ざされたわたしだけの空間を、少しの翳りもなく照らし出していた。扉の左脇に取りつけられた操作盤のステンレススチールの銀色の輝きが、とくに快くわたしの眼をひいた。各階の数字を鋭く白く彫り刻んだ真黒なボタンが、正確に二列に並んでいた。  何気なくそのボタンの列を眺めているうちに、4のボタンのないことに気づいた。3の次が5になっている。この国の言葉でも多分4の発音が死という字の発音に通ずるからなのだろう、と一応は納得しながら、同時に、�存在しない階�という想念はわたしの心の内側を楽しく刺激した。 「いや、四階は存在しないのではなく行けないだけかもしれない」と声を出して言ってみた。「そしていつか全く偶然に間違ってエレベーターがそこに着くことだってありうるんじゃないのか」  わざとめちゃくちゃに、二列のボタンを次々と不規則に押した。エレベーターは降りては上り、上っては降りながら、停る毎にゆっくりと扉を開いた。その度、上体を乗り出して廊下をのぞいてみたが、同じように両側に固く扉を閉ざした部屋の並ぶ静まりかえった廊下が見えただけだった。  自分の思いつきに本気になったわけではもちろんないのに、軽い失望をおぼえながら、結局一階のボタンを強く押した。よりかかった側壁から、降下の滑らかな震動を肩に感じながら、もしその実在しない階に着いたとしても、見たところは他の階とほとんど変らないのではないか——と考えた。同じ橙色のじゅうたん、同じ部屋のつくり、同じような宿泊人とボーイ、女中たち。だが何かが、どこかが、ごく僅かに微妙にちがっているはずだ。壁の硬さ? 窓から見える空の深さ? 人たちの言葉づかい? 影の輪郭?  確かなイメージの浮ばないままに、エレベーターは一階に着いた。いつの間にか薄青く色づき始めた夜明けの最初の光が、まだ締め切ったままの玄関のガラス扉をとおして、広いホールの床に斜めにさしこんでいた。だがホールの壁に沿って置かれた幾つもの鉢植えの樹の広く厚い葉の蔭には、濃い夜の気配が残っていて、フロントデスクも灯だけが明るく係員の姿は見えない。  舌打ちしながら、交換手に係員を呼んでもらおうとして、デスクの電話に手をのばした。するとキーボックスの蔭から、眼をこすりながら若い係員が姿を現し、「ああ、あなたでしたか」と照れくさそうに笑った。  恐らく勤務規定に違反して、仮眠していたのだろう。日頃からわたしが通りかかると、何かと話しかけてくる気のいい青年だったが、普段より一そうなれなれしい調子で肩をすくめてみせた。 「もうお出かけですか。こんなに早く。お互いつらい仕事ですねえ。まだ夜ですよ」 「もう朝だよ」  わたしはわざと陽気に言った。 「玄関をあけてほしいな」 「わかってます。いまあけますが、そんなに急いだって、まだタクシーは通っちゃいませんよ」  鍵束を手にしてデスクをまわってくると、並んで玄関へと歩いていった。 「タクシーなら、きのうの夜、頼んでおいた。もう来てるはずだが」 「本当だ。あそこに一台待ってる。そんなに前の晩からタクシーを頼んだりして何かあったんですか」 「いや、別に」 「じゃ一体どこまで」 「誰も行けないところ」  かがみこんで鍵穴に鍵をさし入れていた係員は、手の動きを止めて振り返った。 「そんなところはありませんよ。この国には」 「この国じゃない。といって北側でもない。どこでもないところだ」 「冗談でしょう」  そう言って彼はまた鍵穴にかがみこんで、二度三度重そうに鍵をまわした。急に水中を浮び上ってゆくように、厚いガラス戸の一面が見る間に、藍色から青、青から空色へと色を変えていった。ホテル前の通りの向う側に黒塗りの小型タクシーが一台停車しているのを眼で確かめながら、わたしは言った。 「冗談ではない。非武装地帯のなかの村にいくのさ」  ちょうど鍵をあけ終って上体を起こしかけていた係員が、振り向いて言った。 「あそこは行けません。誰も」 「だから、そう言ったじゃないか」 「それはそうですが」と口ごもりながら、係員もきのうの情報将校と同じように、急に眼を細めてひどく遠くのものを眺めるような眼つきで、わたしの顔を見つめて言った。 「どうしてまた、そんなところまで行かねばならないんです」  わたしは軽く肩をすくめただけで、開いたばかりのホテルの玄関を出た。  市を囲む岩肌の山越しにかすかに射しはじめた夜明けの光から逃げ出すように、車は一気に市の中心街から北西の国境地帯へと向った。  街灯はすでに消えて、アスファルトの肌は夜のぬめりを失い、白けて粗い舗道の端に、落葉と紙屑の吹き寄せられているのが見え始めた。人たちはまだ起き出していない。動くものは、市内電車の軌道の敷石を埋めて一面に群がった雀たちと、歩道に持ち出された塵芥の容器に首を突っこんでいる野良犬だけだ。野良犬たちは前足を容器の縁にかけて口を動かしつづけたまま、首だけ振り向いて車を見送った。雀の群は車が近づくと、一せいに騒ぎたてながら、電車の架線と葉の散りかけた街路樹の梢をかすめて、次々と舞い上った。時々、逃げ遅れた雀がフロントガラスにぶつかりそうになる。  真直な通りの彼方に、まだ暗褐色の未明の色を残した山肌を背にして中央政庁の石造のドームが白く浮き出してきた。かつての総督府の建物で、十年前の内戦で内部を焼きつくしたままだ。車が近づくにつれて、かつて窓だった空洞の列が見え、ちょうど朝陽の最初の光に照らし出された花崗岩の壁に、窓から吹き出した炎の痕が、いまも黒々とねじれ歪んで染みついている。いきなり、自分の過去かあるいはいまの自分自身の形を眼の前にしたような、戸惑いと奇妙な親しみとを感じた。  車はその真下を左に道を曲り、両側の山腹までバラック建ての家々のたてこんだ山あいの切り通しを抜けて、市外に出た。  すでに刈り入れを終え切り株だけを残してひび割れた畠の中を、黄葉したポプラ並木の道路がほぼ真直に北に向かっている。軍用道路を兼ねた国道というより、実情は国道を兼ねた軍用幹線道路のため、路面の舗装は厚い。ジープを改造したタクシーは、外見は不格好でスプリングは固いがエンジンは強力で、頑丈なタイアが市内より平坦な路面に吸いつくように疾走した。  朝陽が両側の褐色に乾いた畠の表面のひび割れから、遠くなだらかに起伏する山肌の疎らな松林のくすんだ緑の斑点まで、隈なく照らし出している。時計を見た。指定された時刻より三十分早く前線司令部に着けそうだった。運転手が前夜の約束どおりの時間にホテルまで来てくれたおかげだ。新しい煙草の封を切って背後から黙って運転手に差し出した。  もう若くない運転手はバックミラーに向って目礼してから、片手で落ちついて煙草を抜き取った。それから片手だけで器用にマッチをすって煙草に火をつけながら「この国は初めてですか」と声をかける。 「ああ、初めてだ」  簡単に答えた。  そう答えておく方が話は単純に済むことを、この一ヵ月ほどの経験で知っていた。「実は戦争が終るまでこの土地で育ったんだよ」と答えたりすると、「どこに住んでたか」とか「ではこの国の言葉を話せますね」とか、時には「昔の方が暮し良かったですよ」とこちらがかえって戸惑いするような会話がかえってきたりして、結局は植民者が陽当りも見晴しもいい高級住宅地に租界のようにして住み、土地の言葉を全然知らなくても少しの不便もなかったという互いに気まずい過去を改めて思い起こす結果になり、視野の奥を白々とした亀裂が鋭く走るのを意識することになるのだった。  反対に「初めてだ」と答えておけば、あとは「印象はどうですか」というぐらいの質問しかありえない。その場合は「空が実にきれいだ」と答えればいい。  だが運転手はそのまま二度と話しかけてはこなかったので、わたしも黙って、急速に透明な光の満ちてくるこの土地のこの季節に特有の�実にきれいな空�と、異様なほどなまなましく鮮やかな黄褐色の野面と、わらぶきの農家の低い屋根と、丘の斜面の土葬の墓地と、樹の少い山肌とを、眺めつづけた。幾つか通りすぎた農村は、少年の日の記憶のとおりに貧しそうだったが、どういうわけか、まるで光の中に眼に見えぬ微細なワニスの粉でもまじっているように、陽射が強まるにつれて、陽を照り返す地表のすべてが濃い黄色ないし明るすぎる褐色に輝いて見えた。  その奇妙な光沢について、遠い記憶の印象をさぐってみたが、明らかな記憶はなかった。とすると、引揚げてから再びこの土地を訪れるまでの十五年間の日本での生活が、わたしの視覚を、それも心の視覚を変えていたということか。剥きだしの地肌と明るい光に対するこの敏感さは、わたしが大地と光に飢えていながら、心の底ではそれを意識しないように努めてきたことを、意味するのか。  大学時代の三年間をほとんど閉じこもって暮した古い雑木林のかげの、北向きの三畳の下宿部屋のイメージ、薄暗い冷気と苛立ちの日々とを、身震いするような思いで思い浮べ、そして事実頭を振ってその記憶を振り落した。  どうにか卒業だけはしたが他にとくにしたい仕事もないままに新聞社に入ってから、急にここに来るまでの数年間の記憶は、強いて振り落すまでもなく、他人のことのように稀薄でしかなかった。 〈何てことだ〉  ひとり座席の隅で肩をすくめて、声を立てずに笑った。 〈この土地での過去は口にできず、あの土地での過去は影のようでしかない〉  谷間の前線司令部の一室で、わたしははっきりと言った。 「ぜひそこに行きたい。リポーターとしての職業的興味より、むしろ個人的な関心の方が強いかもしれませんが」  情報将校は、かすかに薄笑いを浮べながら答えた。 「われわれは個人的な問題には全然興味がない。きみの証明書《ペーパー》が完全かどうかそれだけが問題だ。実際上の問題については、きょうは肥料を五トン積みこんで行くのだが、体重はどのくらいかね」 「五十四キロ、百二十ポンド」 「ではきみをひとり乗せても、パンクすることはないだろう」  そう言って片眼を軽くつぶってみせた。ぴったりと身に合ったオリーブ色の制服を着ていた首都の司令部の将校とちがって、ここの情報将校はつやのない暗緑色の戦闘服を着け、短い皮ゲートルのついた軍靴には赤土の泥が付着している。 「では一応ペーパーを見せてもらおうか」  幾枚もの身分証明書、記者証を手渡すと、将校はろくに見もしないで傍のデスクに坐っていた下士官の前にほうり出して「番号を控えておいてくれ」と言った。それからわたしが片手にぶら下げていたカメラに鋭く眼をとめると、かまぼこ型兵舎の天井の低く狭い室内を、せかせかと歩きまわりながら言った。 「非武装地帯に入ってからはいくら写したって勝手だが、国境手前の防衛地帯ではレンズにふたをしておいてほしいな。地雷原があるし、それに驚くべき新兵器が丘のかげにすえつけられてるかもしれん。注意はそれだけだ。いや、もうひとつ、武器は持っていないね。つまらない質問だとは承知してるが、一応決まりなんでね」  わたしは両腕をひろげてみせた。 「OK。これで面倒なことは全部終りだ。トラックの出るときは知らせる。コーヒーでも飲んで待っててくれ」  下士官が黙って部屋を出てゆき、すぐに紙コップに入れたコーヒーを持ってきて手渡してくれた。コーヒーの味は薄かったが、起きてから何も食べていないわたしは、ひと口ずつ噛むようにして熱いコーヒーを飲みこんだ。  半開きの窓から、山あいに点在する幾つものかまぼこ型兵舎、その間をつないで谷間を屈折する道路、PXの帰りらしく茶色の紙包みを抱きかかえてその道をのぼってくる薄桃色の顔色の若い兵士の姿が見え、さらに谷間の下手には平坦な野と畠がいよいよ明るい光に輝いてひろがっているのが見渡せた。静かだった。 「何か見えるかね」  いつの間にか将校が傍に立っていた。 「実におだやかな景色ですね。ここが前線地区とは思えない」  空《から》になった紙コップを手にしたまま答えた。 「このあたりまではね」  将校はそう言いながら机に戻っていった。  将校の言ったとおり、トラックが谷間を出てさらに北方へとしばらく走ると、両側の眺めが目に見えて違ってきた。  路面だけは同じように完全に舗装されていたが、道路は起伏する丘の斜面を、蔭を、稜線上を、幾度も上ったり下ったりした。いつの間にかポプラの並木が消え、樹らしい樹は全く目につかなくなった。地表はもはや畠でも野原でさえもなく、しばらく乾ききった粗い赤土の地肌が剥き出しにつづいたかと思うと、急にひとかかえもある石や泥の塊《かたまり》の一面に転がる荒地になった。  低いわら屋根に土壁の農家も、土まんじゅう型の墓も、牛の姿も消えた。枯草の茂みさえ見当らなくなった。人の住む気配は完全に失われた。  代りに、荒れ切った地面の至るところに砲弾の痕らしい窪みが次第にふえてきた。そして小高い丘の頂きには必ずといってよいほど、石碑の立っているのが見えた。多分、「某中隊激戦の地」とか、「死闘の丘」とか刻みこんであるのだろう。地面に下りて探せば、薬莢や骨の破片が容易に探し出せそうな感じだった。  石碑は立派そうなものほど不快だったが、樹も草も鳥の影さえも見えない荒れた丘の感触は、ひりひりと心の肌に沁みとおって快かった。無数の透明な針のような陽射が灰白色の石塊の連りにはね返り、赤土の地肌を鋭く刺し貫いている。 「このあたり、大分激しくやったようだね」  と、隣でわたしの知らない曲を軽くハミングしながら運転する黒人の兵士に言った。 「いや、本当に激しかったのは、もっと中央部の山岳地帯の方だったというよ。おれは去年来たんで、その頃のことは実は知らないし、別に知りたくもないがね」  兵士は屈託ない表情で答えた。 「あそこもこんなかい」 「いや、見たところは全然ちがう。だがやはり妙なところだな」 「どういう意味だ」 「行けばわかるよ」  大きな川を渡った。急造されたらしい新しい自動車用の橋と並行して、かつて鉄橋だったと思われる別の橋の支えの石台だけが残っていた。その頑丈そうな石台の表面も、砲弾の削りとった痕が白々と見えた。  水辺の砂が夏の増水時の水位のあとをそのままに残して一面陽にきらめいていた。ここしばらく雨ひとつ降っていないはずなのに、豊かな水が渦巻いて流れ、山の迫った対岸の川岸は岩肌の崖がほとんど垂直だった。崖下の水は黒くよどんでいるように見えた。  荷の重いトラックは速度を落し、時間をかけて仮設橋を渡った。渡り切ったところに、検問所の小屋があり、完全武装の憲兵に、運転手も私も証明書《ペーパー》の提示を求められた。わたしたちがトラックの窓から差しだした証明書をもって憲兵は小屋に入ったが、すぐに出てきて証明書を返すと、白い手袋をはめた腕を大きく振って「通れ」と合図した。アクセルを踏みこみながら、黒人兵は悪態をついた。 「いつだってペーパーだ。ペーパーさえ持ってれば、スパイだって悪魔だって通してやる気だぜ」  人間の方が確かだとも思わないな、と言いかけたが黙っていた。  不意に陽が翳った。片側に岩山が迫っていた。岩の肌は錆びた鉄板を少しずつずらして幾枚も貼り合わせた形で、ところどころにいじけた松がしがみついていた。それほど高い山ではなさそうなのに、岩肌が暗く急斜面なため、空が不自然に遠く白けて見えた。  片方は、葉の枯れた蔓草が巻きついた灌木の連るなだらかな斜面で、その果てにいま渡ってきた川がゆるく彎曲しながら、赤茶けた灰色の荒地の中を流れ下っているのが見渡せた。  道は岩山の下をまわりながら次第に急な上り坂になり、黒人兵士は幾度もギアを入れかえた。きらめく川の彎曲と荒野の起伏が岩蔭にかくれてはまた現れ、そのたびに川は細く長くなり、野は一そう荒々しくひろがった。蔓草の這いまわる乾いて粗い斜面の土の至るところに、「地雷」と赤字で書かれた小さな標示板が押しこまれていた。 「ここを転がり落ちたら完全に終りだな」  と話しかけたが、黒人兵は振り向きもしなかった。ハンドルの上におしかぶさるようにして前方をにらみながら、はげしく右へ左へと急な曲り道のハンドルをきった。わたしも次第に息苦しい感じをおぼえた。いよいよ国境に近づいたらしい。  積み重なる暗灰色の岩山、その蔭に押しつぶされるようにかたまるバラック、乾いた風と啼きさわぐカラスの群——そんな村のイメージが急に濃い陰影をもって浮んできた。  そしてついに境界の外へ出るという畏れに似た気分と、何か別の世界に迷いこんでゆくような興奮とを、わたしは覚えた。  樹がふえてきた。岩山の鋭さが崩れてきた。蔓草しか這いまわっていなかった地面に、草むらが目につき始めた。陽射もやわらかくなり、何よりもあたりが一そう静まりかえってきた。単に物音がしないというのではなく、静けさそのものとでもいうような不思議にしんとした気配が漲ってくるのが感じられた。  エンジンの音もほとんど聞えない。それなのに車体の震動がはげしくなっている。腰を浮して前方をみると、いつの間にか道路の舗装がなくなっていた。たっぷりとタールを滲みこませた黒光りする舗装のかわりに、白茶けて乾ききった長い坂道が、ほぼ真直に黄葉した林の中へと下っていた。 「まだ遠いのかい」  わたしは隣の黒人兵士に声をかけた。  いつの間にか彼は普通の姿勢にもどって、上体でかすかにリズムをとりながら、低くハミングを始めていた。爪だけが黄色い濃い褐色の両手は、軽くハンドルの上に置かれているだけだ。 「もう十分、いや五分かな」 「じゃここはもう非武装地帯なのか」 「気がつかなかったのか。さっき境界線を通り過ぎたじゃないか。白いテープが張ってあっただろ」  何となく樹がふえてきたように感じられたあたりで、約二十メートルほどの間隔に簡単な棒杭が打ちこまれていて、それを伝って一本の細い白テープが、山腹から谷間を下りまた丘を横切って続いていた。わたしは地雷原のしるしかあるいは何か防衛線のめじるしだろうと思った。 「あれが境界線、つまり事実上の国境だったのか」  あんな子供でも押し倒せそうな杭と、手でも引きちぎれそうな一本のテープが、本来はひとつの国、ひとつの民族を引き裂き、引き離す境界なのか。 「道路わきに標識板が立っているんだが、そちら側からは見えなかったわけだ」 「その標識板には何て書いてある」 「ここから先は非武装地帯。特別の許可のない人間と、武器弾薬の持ちこみは禁じられている」  幾度もこの道を通ったらしく、黒人兵はすらすらと答えた。 「それだけ?」 「そう、それだけ」  内戦の最中に、親子兄弟離れ離れになってこの境界を越えて来た人たち、あるいは向う側へと越えて行った人たちの話を、わたしは首都で幾度も聞いていた。また逮捕を覚悟で、この境界線をなくし本来ひとつであるものがひとつになるべきだと公然と主張しはじめた学生たちの幾人もと、わたしは親しくなっていた。私服の秘密警察を警戒しながら喫茶店の隅で、あるいは隠し盗聴マイクを気にしながらホテルの部屋で、この分断線こそあらゆる悲劇の根源だと、くりかえし声をおさえて語る学生たちのつきつめた暗い目の色と、たった一本の布テープとを思い比べて、わたしは奇妙な気がした。 「どうかしたのか」  黒人兵がわたしの顔を見た。 「いや、何でもない。国境というのは、刑務所のような高い厚い塀か、頑丈な鉄条網ででもつくってあるものだ、と思ってたので、ちょっとおかしかっただけだ」  坂道を下りきると、川の手前の地域に似た丘の起伏がひろがっていた。人家と畠の見えないことは同じだったが、ここは樹と草が茂り放題に伸び茂っている。  樹は明るすぎる静寂の中に存分に枝をのばし、枯れた草の茂みが両側から道路の内側まで覆いかぶさっていた。時折、かつて畠だったらしく区画された平坦な地面を見かけたが、熊笹の群が四方から畦道を乗り越えて白い地下茎の触手をなまなましく伸ばしている。  破壊されたまま放置された軍用トラックの残骸にも蔓草が隙間なくからみつき、地下壕陣地跡の入口では、木枠の木が崩れ風化して折れ重なり、破れた土のうからひょろ長い草が密生していた。枯れ切った草むらの蔭に、赤錆びた砲弾の薬莢がごろごろと転がっているのも見かけた。  不意に視界の端をよぎる影があった。道路わきの樹の茂みから一羽の雉《きじ》が飛び立って、ゆっくりと滑空すると、道路の前方に着地した。運転手は急ブレーキをかけ、重いトラックの車体はきしみながら速度をゆるめた。だが雉は道路の真中に立ったまま、燃えるような羽の金色の斑点をきらめかせて、近づいてくるトラックを眺めている。 「畜生」と黒人兵はうめいた。「人間を見たことがないので、車も人間も全然こわがらないんだ。この道を通るといつもこうで、この間などは鹿が道の真中に寝そべってやがって、車を下りて尻を押してやっとどいていただいた始末さ」  逞しい黒人兵がひとりで悪態をつきながら鹿の尻を押している光景を想像して、わたしは笑った。  雉はやっとはねるように歩いて道を横切った。 「天国みたいだな」  とわたしは言った。 「動物たちにはな」  黒人兵はアクセルを踏みながら答えた。 「人間には?」 「人間のいないところなんて、おれは絶対にごめんだ。こんな広くてからっぽで明るすぎるところなんて、頭が変になっちまうさ」 「でもこの中に住んでいる人たちもいるんだろ」 「それは自分たちの生まれたところだからだ」 「このあたりで生まれた人間が全部残ってるわけではあるまい」 「多分、頭が変になっちまった連中だけが残ってるんだ」  それからひとり言のように呟いた。 「とにかく気味の悪いところだ」  道は丘を幾つかのぼって下りた。林はますます厚くなり、黄から褐色までの様々の種類の木々の葉が、夕焼の海面のように無気味なほど鮮やかに輝きながら、うねりつづいていた。その涯に向う側の国境の山脈が、水平線の暗い波頭のように見えた。  乾いた赤土の一本の道、金色に燃える林、黒ずんで見えるほど冴えた空、時折ゆっくりと舞い上がる鳥の群——すべてが単純で明瞭だった。そしてその明るさには、確かに黒人兵の言ったように、狂気を誘うような異様にしんとした気配が漲っていた。  少しずつ自分自身も透き通ってゆくような麻痺感がひろがってくるのを感じた。車の震動に酔ったのかと思ったが、吐気はなかった。軽く目を閉じた。瞼の裏でも、黄色の濃淡の縞がゆっくりとうねり、小さな光の点が陽射の中の羽虫たちのようにきらめきながら、明滅した。  ホテルのからっぽの廊下を思い出した。ひどく遠い感じだった。つづいてやはりよく晴れた朝早く、海峡を越える旅客機に乗りこむため、空港の長い廊下を歩いたことも思い浮んだが、そのとき何を考えながら歩いたのかは全然思い返せない。二度と行けまいと諦めていた生まれ育った土地を、急に再び訪れることになった心の弾みを感じながらだったろうか。わずか一ヵ月前のことが全くあいまいでしかなかったが、そのことに別に不安も不自然な感じもおぼえない自分に、わたしは満足した。  道が大きく曲ったらしく、車が傾いて上体が揺れた。目を開けた。林が切れて、そこに村があった。     2  林に覆われた台地の端が、かなりの急角度で枯草の広野へと傾いている。  斜面には、薄《すすき》に似て穂の長く丈の高い秋草が、一面に生い茂っていた。その間を真直に村へと下る道を、エンジンをとめたトラックがブレーキをきしませながら一気に走り下りると、そのあおりの風で、枯れきった穂の連りが一せいに波打って、眩しいほど白く光った。  白い穂波の彼方で、わらぶきの農家の屋根が同じようにおだやかに陽を照り返しているのが見えた。 「いいところじゃないか」  と思わず声を出して呟いた。 「見たところはな」と黒人兵士は幾分皮肉な口ぶりで答えた。「だが、正確には何百キロの長さがあるのか知らないが、この半島を長々と横切る非武装地帯の中で、人間の住みついているのがここだけだと考えると、おれはいつも何となく気味が悪くなるね」  そう言われてみると、急な斜面の一角にほとんど重なり合うようにしてかたまった村は、何かに——背後の台地を覆いつくす深い林の沈黙か、あるいは野の果ての薄青い空虚の気配かに怯えて、息をひそめて肩を寄せ合っているようにも見えた。  本当にどんな思いで暮してるのだろう——という関心が息苦しくなるほどの身近さで、心の底にうずいた。目に見えない心の枠が、あたり一面の明るすぎる静けさの中にすっと溶け消えてゆくようだ。  前かがみにフロントガラスの奥をのぞきこむと、急速に近づいてくる村の中心らしい小さな広場が見えた。広場の隅に数人の男たちが立っているのも目についた。速度を落したトラックが広場の周囲をまわる間、その男たちの顔を熱心に眺めおろしたが、重い眼つきで黙ってトラックの動きを追ういかにも農夫風の男たちの顔には、何も特別の表情はなかった。  黒人兵は黙ってエンジンを切った。カメラを手にしてドアをあけ、外に出ようとすると、黒人兵が言った。 「三十分もあれば、荷物はおろせるだろう」 「それは困る」とわたしは振り返った。 「三十分じゃわたしの仕事ができない。村の中を歩いて少し話もききたい。出発は一時間後にしてくれ」  黒人兵は薄笑いを浮べて言った。 「わかった。一時間待とう。ただ、こんなところを三十分余計に歩いてみたって、同じことだと思うがね」  トラックをおりると、わたしの手にしたカメラに目をつけて、小さな子供たちが何人か寄ってきた。振り向くと立ち止まり、歩き出すと忍び足で近づいてしきりにささやき交しながら、レンズをのぞきこもうとする。追い払うわけにもゆかなかったが、機嫌をとる気もなかった。気づかないふりをして、カメラを肩にかけコートのポケットに両手を突っこんだまま、幾分うつむき加減に広場を横切っていった。  粗い赤っぽい地肌のところどころに石英の細片が小さくきらめいていて、大型トラックの荷台の影が切ったように鋭い輪郭で、その上に覆いかぶさっていた。村の中にいるということが、まだ自然には実感できない。立ち止まって振り返ると、子供たちの背後で男たちがじっと見つめている。  広場からは幾本かの小道が、村の中へと出ている。そのうち上りになっている道を見定めて、わたしは入りこんでいった。まず高い場所にのぼって全景を見渡しでもすれば、村の実感が湧くだろうと思ったからだ。  上りの小道には、流れ下ってくる雨水が深く表面をえぐりとった痕が幾つもすじを刻みつけていた。その底に乾ききった落葉やわらくずが埃にまみれてへばりついているのを、両側の農家の庭の樹の枝を洩れてくる昼下りの陽が突き刺すように照らし出している。落葉の葉脈が正確に透けて見え、少しずつ落ちついてきた。  近くで眺めると農家は意外に立派だった。何となく、首都の郊外の山腹にひしめいていたようなバラック小屋の陰気な集落を思い描いていたのだが、撫で肩の低いわら屋根、窓の小さい厚い土壁、煙がかまどから床下を通るようになっている炊事と暖房兼用の煙突など、平地の村々と同じ立派な農家だった。軒に接するほど積みあげられている薪の束、必ずといってよいほど牛小屋のあること、庭の広いことなどは、首都から谷間の司令部までの国道沿いに遠望したどの村よりも豊かそうに思われた。何しろ村の外には、薪も飼料の草も土地も無尽蔵にあるわけだ。  わら屋根の斜面に、中身をくりぬいて水汲み用に使う冬瓜に似た植物の丸く大きな実が、ずっしりと熟し切っていた。庭先では、唐辛子の実が濃い炎の色に燃えている。生垣の上から牛がぬっと顔を出して、少しの翳りもなく透き通った茶色のおだやかな目で、わたしを見送った。 〈光と雨と土——それだけで十分じゃないか〉  わたしは生まれ育ったのではない自分の国、もはや外国になってしまった生まれ育った土地と、自然には心を開くことのできない二つの国のことを考えた。  戦争のときは学校から駆り立てて兵器工場にぶちこみ、負けると貨車に詰めこんで見も知らない本土に送りつけ、そして食う物もない焼跡の中をうろつかせて……国はおれたちに一体何をしてくれたというんだ——小道の凹凸に伸びたり歪んだりする自分の影を見つめながら、うつむいて一歩ずつ、次第に急になる坂道をのぼった。  のぼるにつれて両側の樹が疎らになって、じかにさしこむ陽の下で、小道の地肌は一そう剥き出しになり、わたしの影はますます濃くなった。のっぺらぼうの黒い小さな影だけが、土の上をひょこひょこと動いてゆく。  透き通るような現実感が、不意に心の中を照らした。それは遠近法のあいまいな溶暗の地面を、誰かに追われて逃げているのか、何かを探して歩きまわっているのかも不明なままに、とにかく懸命にどこへともなく歩きつづけている自分を夢にみるときの、場面全体に漲る不思議に生々しい感じに似ている。  ただ地面というだけの地面——ざらつく粗い地肌の感触が、心の中にまでそのままに感じとれるような気がした。日頃、どこに立ってもどこを歩いても、無意識のうちに心を翳るさまざまの怯えや反発の影が、まるで明るすぎる静寂の中に気化したようだ。  いまどこにも属さない土地を歩いている、という事実が自然に実感できた。  だが間もなく、農家の並びが切れて見晴しがきくようになると、先程越えてきた国境の岩山の連りが意外に近くにあった。それに少し視線を移すだけで、反対側の国境地帯の山脈の一部も見えた。向き合った二つの山脈は同じように青黒く無表情に、澄んだ秋の陽を硬くはね返しながら、野の果ての地平で触れ合うほどに近づき、ほとんど一点に重なり合うようにさえ見えた。  どちらの側でもない土地は、改めて眺め渡してみると、位置だけあって幅はないという幾何学の線の定義のように狭かった。  そう意識すると、たちまちにがい影が心をかすめた。思わず足を止めて、向き合う山脈のきつい稜線をにらんだ。  やがて丘の斜面を掘り崩したかなりの広さの平地と、その中に棟が高く窓の大きい木造建築のたった場所に出た。それが学校だとは、しばらく気付かなかった。というのも、この村をバラック小屋の集落程度にしか想像していなかったわたしの頭の中に、学校などというイメージは全然存在しなかったからだ。何かまぶしいような思いで、しばらく柵のない校庭の隅に立っていた。  教室が二つに職員室風の小さな室、それにやや離れた小使い部屋らしい小屋。それだけの校舎だった。校庭にも、体操の時に教師が上る台らしい木箱がひとつ小さく濃い影を落している以外、国旗掲揚台とか銅像といった余計なものもない代りに、鉄棒やブランコなどの必要なものもなかった。  教室の中にも校庭にも子供たちの姿は見当らなかったが、教員室の窓があいていた。すでに授業は終って子供たちは帰り、教師だけが残っているようだった。  一体どんな教師だろう、とぼんやり考えながら、下の広場と同じように粗い赤土の校庭の真中を通って、教員室の方へ歩いていった。こういう特殊な場所の学校にどういう教師がいるのか見当もつかなかったが、とにかく教師なら何とか言葉も通じるだろうし、要領よく村の事情も説明してくれるかもしれないな、という気がした。  しめきった教室の窓の下の花壇に、葉のすっかり枯れ落ちた鶏頭の花がほとんど色あせて傾いているのが目についた。ここよりずっと南方の海峡に近い小さな町の、わたしが通ったやはり粗末な木造一棟だけの小学校でも、教室の窓の下が花壇になっていて、秋になっても百日草や鶏頭のような乾いた赤い花が枯れ残っていたことを、思い出した。  四年生の時から卒業までの担任だったひとりの教師のことも、遠い記憶の彼方から甦ってきた。わたしが二年生のとき大陸で戦争が始まり、旗行列とか廃品回収とか神社の境内掃除とか、勉強以外のことが次第にふえていったのだが、その教師だけはそういうことを少しも強制しなかったし、幾らサボっても決して本気には怒らなかった。もしかすると、あの教師は戦争で息苦しくなった本土を逃れて、比較的統制のゆるかった朝鮮の田舎の小学校へと進んで赴任してきたのではなかったのか……  頭上で人の声がした。女の声だった。視線をあげると、若い女が教員室の窓ぎわに立ってわたしを見おろしていた。  見なれぬ人影を見つけて驚いて外をのぞいたというより、何となく外を眺めているところに、わたしが通りかかったので何気なく声をかけたという感じだった。呼びかけられた言葉の意味は聞きとれなかったが、咎めだてた語調ではない。  女は直射日光を避けて、ちょうど光と影の境のあいまいな薄明りの中に立っていた。そのため顔つきも表情も見定めにくかったが、片手で開け放した窓枠をにぎって心もち上体を傾けたその姿勢は、教師というイメージとは何かがずれていた。  焦点の定まらない気持のまま、わたしも花壇の縁に立って黙って窓を見上げていた。長い間、日向に居つづけた目のせいか、女の背後の室内がひどく暗く見え、陽を照り返す窓ガラスの反射がまぶしかった。女の姿は背後の暗がりから浮き出すように見えたかと思うと、また陽射に押し戻されるようでもあった。  そうしてしばらく黙って向き合っていたが、不思議に気づまりではなかった。昼すぎのけだるいような静けさが、心の中まで沁みとおっては、半透明の雫《しずく》になって一滴ずつ意識の表面に滴り落ちてゆく音が、聞えるような気がした。  視野の隅で、赤茶けて傾いた鶏頭の花の輪郭が少しずつぼやけていった。そこだけ開け放しになっている教員室の窓が、遠く筒抜けの穴があいたように見えてくる。その薄暗がりの中に女の白い顔だけがじっと動かない。  ふと女の顔が揺れた。短く何か言った。やはり意味がわからないまま、声の調子だけが耳に残る。落ちついた低い声で、わざとのように語尾をひきのばす発音の仕方に、しなやかな陰影が感じられた。  わたしは何となく微笑しながら、首を横に振ってみせた。 「外国のひとね」  英語だったので、ようやく理解できた。わたしはうなずいてから、日本語を話せるかときいた。  やや間をおいてから、一語ずつ区切るように、だが意外にも正確な発音で、女は日本語で答えた。 「話す方はだめです。長い間使っていないから。でも聞く方は大体わかります」  別に恥かしがってもいなければ、わたしに後めたい思いをさせる調子でもない自然な態度だった。 「では日本語で話してもいいですね」  彼女はうなずいてから、窓の横枠に両肘をついて上体を乗り出した。長目の首と形のいい顎の線が陽射の中に現れた。この国の青磁の肌に似て、透き通るようにきめ細かく滑らかな表面の奥に、冷たい翳りを沈めたように見える皮膚の感じが、印象に残った。 「あなたはこの村のひとではありませんね」  と思わず尋ねた。女はうなずく。 「では首都の生まれ?」  また女はうなずいてみせる。 「どうしてこんなところへ来たんです?」  質問の意味が通じたようだが、簡単には答えられないのか、あるいは答えたくないのか、微笑しながらそっと首を横に振った。  おそらく複雑な事情があるにちがいない。ちょうどわたしの世代が戦争で多くのことが狂ったように、この国ではわたしより幾つか下のこの年頃の人たちが、内戦で最もつらい影響を受けている。それを話そうと思ったが、そういう多少とも微妙な事柄は説明できないと考えて、コートのポケットに両手を入れたまま女の眼を見上げるしかなかった。  女も何か言いかけたようだったが、指先で口のところにそっとさわって、うまく言えない、と身振りで示した。幾分もどかしい気がしないでもなかったが、こうした不自然な仕方がもしかすると最も正しい会話の形かもしれない、という気も強くした。言葉の通じない部分は想像で補わなければならない。想像が当っているかどうかは不確かだとしても、言葉の上だけで通じるということも、果してどこまで確かなのか。  言葉は完全に通じるはずの自分の国で、他人と自然に通じ合えたと実感できた記憶のほとんどないことに、改めて気付いた。「一体どういう思いで、こんなところで暮しているのです?」という一番尋ねたいことも、よく考えてみれば、「わたし自身がどういう思いで戦争後の十何年かをあそこで生きてきたのか」という質問と同じことだろう。わたしが完全に彼女の言葉を聞きとることができ、あるいは彼女が自由に話すことができるとしても、それは言葉で伝え合うことはできない。  結局、言葉の上ではごく簡単なことを話し合っただけだった。女はここにきて二年になる、と言った。わたしはいま黄葉した林と褐色の枯草に覆われた台地と野が、一面に雪にとざされる二度の冬を想像した。  また国籍はないと女は答えたが、首都から来たはずの彼女がどうして国籍をなくしたのか、ここにくると自動的に国籍を喪失するのか、国籍を捨てるためにここに来たのか、といった入り組んだ事柄は説明できなかった。ただ「ここに満足しているわけではないが、戻りたいとは思わない」と言った彼女の言葉を聞きながら、本当に帰りたいと思う場所のない自分自身に改めて気付いたりした。  彼女に質問することは結局、わたし自身の不安を改めて意識し直す形になった。そして落ちついた低い声の彼女の単純な答えは、そのわたしの不安に不思議な鎮静作用を及ぼすように思われた。こんなに自然に、自分の心を開いたことはなかったような気もした。  この広すぎる無人の野の明るさがそのまま闇に変る夜の深さを思い描きながら「夜はどうして過ごすのか」ともきいた。彼女は「ひとりで音楽をきいてる」と答え、わたしの国で作られる有名なトランジスター・ラジオの名前をあげて「いいラジオだ」といって笑った。  気がつくと、黒人兵士と約束した一時間をすでに過ぎていた。 「まだいろんな話をしたいのだけれど、もう行かなくてはならない。実はわたしはこの村の取材に来たのに、あなたと話しているうちにそんなことは忘れてしまった。どうしてだかわからないけれど」  と語尾まではっきりと発音しながら、ひとつひとつの言葉にできる限りの感情をこめて言った。  彼女は「わたしも楽しかった」と言い「今度はいつここに来ますか」と尋ねた。  手続きが面倒でいつこられるかわからない、と答えかけたが、簡単に「必ずまた来る」とだけ言い、急いで窓の下を離れた。  校庭の真中で振り返ると、彼女が手を振っていた。急に思いついて、遠すぎるとは思ったが、あわててカメラをセットして続けざまに何枚もシャッターを切った。そしてわたしも手を振ってから、小走りに校庭を横切って坂道を一気にかけ下りていった。  広場ではトラックがもうエンジンをかけて発車するばかりになっていた。黒人兵は「遅いな」と言い、それから目で横を見ろと合図した。助手席には目をとじたままの子供を抱いた母親が、緊張した顔つきで坐りこんでいた。 「子供が急病だそうだ。うしろで我慢してくれ」  黒人兵は真剣な表情で言った。 「わかった」とだけ答えて、トラックのうしろにまわった。積んできた肥料の包みは、すでに広場の一角にきれいに積み上げられ、幌をかけた荷台の中はからっぽだった。  荷台の枠に両手をかけてよじのぼりながら、結局取材らしい取材はひとつもしなかったことに思いついたが、そのまま荷台に乗りこんだ。幌のカゲから首を出して丘の上の学校の方角をのぞいてみたが見えなかったので、荷台の一番奥の運転席との仕切り壁に、背をもたせて坐りこんだ。話してる間は、あいまいだった彼女の顔が浮んできた。写真を送ると約束しながら、名前さえきいてこなかったことに気づいて、ひとり苦笑した。  間もなくトラックはゆっくりと発進し、広場に沿ってまわり始めた。子供たちが車のあとについて走り出した。鉄板がむき出しの荷台は想像以上に苦痛だった。この低速でもこんなに揺れるのなら、全速で山道をとばし始めたら、どうなるのかと恐れた。積み荷のないトラックは、来たときとは別の車のように軽々と加速していった。と、突然、ブレーキがかかって急停車した。車について走りまわっていた子供が転びでもしたのだろうと思って、幌の端を押しあけて外を見た。  中年の男が助手席の窓ガラスを叩いて叫んでいた。それから女がドアをあけて、二人でしきりに言い合いを始めた。早口の言葉は全然聞きとれなかったが、何か大事なものを忘れているらしかった。こういう特殊な村から国境の向うの病院に入るには、多分いろいろと面倒な書類やら証明書が必要なのだろう。間もなく男は助手席を下りて姿を消したが、トラックは発車しない。忘れ物を家まで取りに行ったにちがいない。  広場の隅に数人の男たちが立っているのが目についた。何か聞き出せるかもしれない。わたしはカメラを隅に置いたまま、荷台からとび下りて真直に、その方に歩いていった。  男たちはおし黙ったまま暗い目つきで近づいてゆくわたしを見た。同じように陽にやけた顔の奥の目つきの暗さが一瞬わたしをひるませた。普通だったらわたしは多分躊躇しただろう。だがいまは時間がなかった。小さな村だ。忘れ物を取りに行った男も、五分もすれば戻ってくるだろう。  わたしは踏みこむようにして、米軍の古い作業服を着た背の高い中年の男の前に立って、英語で「あなたたちの言葉はうまく話せないのだが、答えてもらえるだろうか」と尋ねた。  男は不機嫌にうなずいてから、意外に巧みな英語で言った。 「われわれはあまり自分たちのことを書きたててもらいたくない。そっとしておいてもらいたいんだ。何しろわれわれの立場はよそとちがうんだから」 「そのことなら理解しているつもりだ。だが誤ったことを書いてもらいたくなければ、わたしの質問に答えてくれないか」  わたしは早口に言った。男は左右の人々の顔をうかがった。わたしはメモ帳とボールペンを取り出した。男たちが少しずつわたしを取り囲むように輪になった。中にはメモ帳をのぞきこもうとする者もあった。  先程男が走り去った方角とトラックの動きとを注意しながら、次々と質問し、メモ帳に書きこんでいった。「国籍——なし」「税金——なし」「警察——なし」 「警察がないと困るだろう」 「われわれの中に悪いことをする者はないから、そういうものは必要ない」 「最後にもうひとつ。どうしてこんな不便で危険なところにあなたたちだけ残ったのか」 「他に行っては食えないからだ」と男は薄笑いを浮べて答え、その答えを周りの者たちにくり返したらしく、人々がいっせいに笑い声をあげた。押しつけられたような感じで、うしろを振り返った。  トラックが動き出していた。あわててメモ帳をつかんで走った。だが黒人兵はわたしが荷台から下りていたのを知らなかったらしい。トラックは余分の遅れを取り戻すようにみるみる速度をあげ、たちまち村を囲む丘を越えて見えなくなった。風はなく、トラックがまきたてた土埃だけがいつまでも丘の斜面を漂っていた。  肩で息をつきながら、しばらく広場の端にぼんやりと立っていた。それから「まずいことになったな」と口に出して呟いてみた。川の岸の検問所で憲兵が黒人兵士に「新聞記者はどうした」ときくだろう。黒人兵士はうしろの荷台を指さす。憲兵がのぞく。カメラがひとつ転がっているだけだ。人のいい黒人兵はさぞびっくりするだろう。  走った時に何か落しはしなかったか、ポケットを調べて、身分証明書も金も無事だったことを確かめた。それさえあれば、あとはどこだってたいていどうにかなるだろう、と自分に言いきかせながら、広場に引き返した。陽はまだ高かったが、かすかに色づき始めている。広場の土が一そうよそよそしく赤っぽく見えた。  作業服の男の他に数人の男たちが、積みあげられた肥料の包みの傍に立ってわたしを眺めていた。その方を真直に見てゆっくりと歩いた。  あたりも静かだったし、わたしの内側もしんとしてうつろだった。自分でも意外なほど不安はなかったし、予期しなかった事態に興奮しているわけでもなかった。どこか宙の一点から、自分自身を黙って見下している感じだった。 〈おれはこんなところで、一体何をしてるのだろう〉  そんな声のない言葉が頭の中を流れてゆく気がした。視野の端に、土埃をかぶって白茶けた自分の靴の先が見えた。わたしの意志とは無関係に、汚れた靴がひとりでに赤土の地面を踏んでゆくようだった。  男たちは重苦しい沈黙で、わたしを迎えた。彼らもこの思いがけない事態に当惑しているように見えた。 「困ったことをしてくれたな」  と作業服の男がやがて口を切ったが、強く非難する口調ではなかった。他の男たちも、暗い目でわたしを見つめていたが、視線が合うとそれとなく目をそらした。先程ごく短時間の質問にさえあれだけ警戒したのだから、わたしが滞在するということは本能的に避けたいことにちがいない。 「すまなかった。わたしがもっと注意すればよかったんだ」  率直に謝ってから、電話はないのか、と尋ねた。男は首を振った。 「他に何か連絡の方法は?」 「あんたの乗ってきたトラックしかない。二、三日中に肥料の残りを運んできてくれることにはなっているが」 「ではそれまでどこかに泊めてもらえないだろうか。迷惑はかけないつもりだ」  と言いながら、女教師のことを思い浮べている自分に気付いた。そしてしばらく前から無意識のうちにもう一度彼女と会うことを考えていたような気がした。少くとも彼女だけは、この男たちのように�よそ者�を見る暗い目でわたしを見ないだろう。  顔を寄せ合って相談を始めた男たちに向って、さり気ない調子で言った。 「実はさっき学校の先生と知り合いになったのだが、学校に泊まれないだろうか。あそこなら広いし、夜はあいている」 「あんなところまで行ったのか」  男は本気に驚いた様子だった。他の男たちが、何を言い出したのだ、という表情で一せいに長身の男の顔を見た。男たちはまたしばらく相談をつづけたが、やがて相談がまとまったらしく、男はわたしの方に向き直って言った。 「ごらんの通りの貧しい村だ。外国人を泊められるような家はない。先生さえいいといえば、われわれとしては異存はない。早速使いを出して先生に来てもらうことにした。それでいいかね」  あの教師自身はどこに住んでるのか、と聞うとしたが、何となく遠慮して止めた。多分、学校の近くの家に下宿してるのだろう。わたしはうなずいた。早速、子供がひとり呼ばれて坂道をかけ上っていった。  わたしたちは申し合わせたように押し黙って立っていた。ほんの一、二時間取材するつもりだったこの村に、二、三日も過さねばならないということが、まだ実感できない。いつの間にかめっきりと長くなった足もとの自分の影を眺めながら、妙なところで妙なことになったな、という皮肉な思いが、また心をかすめた。  まず使いの子供が走り戻ってきて、男たちに何か言い、それから小道の方を指さした。やがて小道に沿ったポプラの樹の並びの蔭を下りてくる彼女の姿が見えた。  斜めに傾き始めた夕陽に照らされて黄葉したポプラのとがった枝の先が、ゆらめき燃える金色の焔のように見えた。小道にも小形の葉が一面に散りしいて陽に輝いていた。広場の剥き出しの地面は赤黒く翳り始めている。  黒いスラックスに白いセーターを着た彼女は、まるでわざとのようにゆっくりした足取りで道を下りてきた。髪を無造作に横分けにしてとめた留め金が、樹の影を抜けるたびにきらりと光った。  思ったより長身の体つきはしなやかだが、体全体の輪郭にどこかあいまいで消えそうな感じがあった。広場に出て顔を真直に起こして男たちの方に近づいてきながらも、わたしたちのうしろを眺めているような目つきだった。わたしはそっと背後を振り返ったが、すでに土埃も消えた道路が真直に丘の斜面に続いているだけだった。  男たちの前に足を止めたとき、確かにわたしを認めたようだったが、表情は変らなかった。男たちが丁寧な口のきき方をしたので、やや意外な感じがした。首都には学校を出ても職のない若い人たちが多かったが、こういう特殊な場所に住みつく者は、滅多にいないからなのだろう。  男たちが多くしゃべり、女は軽く二、三度うなずいただけだった。それから女はわたしに向かって「行きましょう」と言った。わたしは男たちに何か言うべきだと思ったが、すでに彼女は背を向けて、近づいてきたときと同じ自然な足取りで歩き始めていたので、軽く頭を下げただけで彼女のあとを追った。男たちがじっとわたしたちを背後から眺めている感じだったが、彼女は二度と振り向かなかった。  ポプラの落葉の黄色い小さな三角形を踏んで、わたしたちは黙って歩いた。ポプラの葉がこんなに形のそろった正確な形をしているのを、初めて見たような気がした。少しまくれ上った葉の縁がはっきりと見えた。道のくぼみの蔭に、夕方の気配がひっそりと沈み始めている。 「何となくまた会えるような気がしてた」  という言葉が自然に出た。彼女は答えなかったが、わたしの感情が伝っている手ごたえを何となく感じることができた。 「二、三日あとでないとトラックは来ないそうだ。時間はたっぷりある。いろんな話ができるよ」  考えてみれば、具体的にいろんなことがあるはずだった。果たしてあの小さな学校に宿直室のようなものがあるのだろうか。夜はもう冷えこむ季節だが寝具はどうするか。食事は? 質問しなければならぬことは次々と浮んだが、落ちついて歩きつづける彼女の態度をみると、わたしまで「どうにかなるさ」という気分になるのだった。ただ前から気になっていたひとつのことだけをきいてみた。 「あなたはどこに住んでるんです」 「学校」  彼女が簡単にそう答えたので、思わず足を止めて問い返した。 「ではあなたのところに泊まるわけ」 「そう」 「あの男は説明してくれなかった。知ってたらぼくから学校にとめてくれとは言い出さなかった。きっと、あの男たちは変に思っただろうな」 「他のひとは他のひとです」  別に意地を張る調子ではなく言う。 「でもあなたは学校の先生だ。迷惑じゃないの」  彼女は黙って首を振った。  前方に学校が見え始めた。丘の稜線と校舎の屋根の頂きが、赤黄色い炎の列のように輝いている。  並んで校庭の端に立って、暮れてゆく野を眺めた。眼下の村はすでに薄青い黄昏の色に沈み始め、高い樹々の梢だけが丘の斜面に沿ってさしこむ夕陽に照らされて、ローソクの火をともしたように点々と光っていた。広場だけはかろうじて認められたが、いまのぼってきた道はすでに見分けられなかった。  昼間はっきりと見えた国境の山脈も、すでに夕靄に溶けこんでいる。襞のなくなった野と丘の起伏だけが、一面に濃い橙色に染まって果てもなくうねりつづき、空は一そう空虚の気配を濃くしていた。目のとどく限りの空間に人間のいるのは、この眼の下の哀れなほど小さく頼りない村だけだということが、余計荒涼とした気分を強める。黒人兵士が言ったように、こんなところに住みつづけられるのは、まともでない人間だけなのかもしれない…… 「よくひとりでこんなところに、いられると思うよ」  と声をかけたが、すでに彼女は校庭を横切って歩き出していた。粗い地面の小さな凹凸のために輪郭の線が絶えずかすかに震えながら、細長く伸びた彼女の影はからっぽの校庭を動いていった。     3  やっと本格的に火が燃えついたらしい。焚き口にかがみこんだ彼女のうつむき加減の顔が、はっきりと見えるようになった。  といっても、炎がゆらめくたびに、その表情は様々に変った。まるでわたしなど存在しないかのように、深く自分にだけ閉じこもった面《めん》のような固い無表情に見えたかと思うと、新しい薪が燃えあがったらしく、激しい火の色の移り変りが、ややまくれ気味のふくれた下唇から、心もち眼尻の吊り上った両眼のまわりまで、生き生きと色づかせたりした。あるいはどういう炎の加減か、それほどきつくは見えなかった顎の線が急に鋭くなって、濃い影が首すじのあたりをひどく頼りなく見せたり、形のいい額の髪の生えぎわの線がくっきりと浮き出して見えたりもした。  平たい石を敷きつめた上を幾枚もの厚い油紙で貼った温突《オンドル》の床下を、炎と煙がまわり通ってゆくにつれて、徐々に部屋は暖まってくる。わたしは机にもたれて、そうした彼女の表情の変化を眺めていた。というより、どれが一体本当の彼女の顔なのだろう、といぶかりながら、昼の光の下で見たはずの顔を思い浮べようとした。多少とも確かに浮んでくるのは最初に教員室の窓ぎわの陽射のかげに、あいまいな表情で立っていたときの姿だけだ。  あのときわたしが立っていた花壇の右手の方に、小使部屋と思われた粗末な離れの小屋が、彼女の住まいだった。入口を入り、土間の真中に立って、あたりを見まわしたとき、眼に見えぬ大きな黒い手がすっと空をかすめでもしたように、暮れ残っていた光が不意に消えて、夜がこの小屋を包んだ。  一瞬わたしは闇の中にひとり剥き出しにされたような心許ない気分になって、その場に立ちつくしてしまった。たしか先に中に入ったはずの彼女の姿ももちろんかき消えてしまい、名前を呼ぼうにもまだ名前も聞いていない。身動きするにも勝手はわからず、じっと息をひそめて彼女の気配をうかがったが、どういうわけか彼女の動く気配も、息づかいさえも感じられなかった。  そして国境の外に何の保証もなくひとり取り残されてしまったことが、初めて取り返しのつかない厳然たる事実として実感された。あのときもっと大声をあげ、もっと本気でトラックのあとを追うべきだったと後悔めいた気持さえ滲み出してきた。万一ここでわたしが消されるようなことになっても、村の人たちが全部「そんな人間など全然知りませんね」とか「あっちの林か野原の方へ行きましたよ」とでも言えば、それでわたしの痕跡は全く跡絶えてしまうわけだ——といった極端な想像さえ、ちらりと頭をかすめ、きのう首都の情報部で簡単にサインした書類の中に、たしか「行方不明」といった文字のあったことも思い出したりした。  もちろんそんな想像はわずか一瞬思い浮んだだけでたちまちかき消えはしたものの、普通では考えられぬあらゆる事が起こって不思議ではない場所に、いま自分がいるということが、改めて奇妙な現実感をもって感じられた。それは濃い夢から不意に醒めてぼんやりあたりを見まわしたとき、見なれている自分の部屋の天井や窓枠や道具類や、きょうが何日の何曜日だということなどより、むしろ醒めたばかりの夢の中の事態の方がはるかに濃密な現実のように感じられるのに似ていた。  こうして取り残されたのは偶然だとしても、ここに来たのはわたしにとって決して偶然でも気まぐれでもない、こういうからっぽの地帯にひき寄せられる空洞のようなものが、もともとわたしの中にあったのだ、と思った。  そのとき、ほっと音をたてるようにして、灯がついて、急に石油のにおいが鼻に感じられ、ランプを手にした彼女の影が、土間を上った部屋の壁を大きくゆっくりと動くのが見えた。何となくいまに電灯がつくものとばかり思っていた自分のうかつさが、おかしかった。  彼女は土間から一間だけの部屋にあがる上り口のところを、照らした。わたしも黙って上り口に腰かけて靴の紐を解くと、部屋にあがった。わたしが坐りこむのを待ってから、彼女はランプをそっと机の上におき、机の向う側に横坐りの姿勢で坐った。  沈黙の儀式めいた雰囲気と、形式ぬきの身近な感じとが、重なり合って妙な感じがした。昼間のときは教員室の窓の上と下という適度の隔たりのためにかえって気楽に話が出来たのに、こうしてひとつの部屋の中で向かい合って坐ってみると、取材のための訪問者という態度をとることもできず、男と女がじかに同じ平面で向き合った形で、何となく言葉を切り出しにくい。と同時に、いきなり黙って手をとってもいいような感じでもあった。  そんな姿勢の決まらぬ気持のままに、わたしは煙草をすい続けた。白っぽい煙はゆっくりと流れて、ランプの火屋《ほや》の真上にくると急に激しく渦を巻いて舞い上っては、意外に高い天井の薄暗がりに見えなくなる。その煙の動きを追いながら、二人の視線がふと出会うと、彼女の眼の中に小さな黄色い炎がうつっているのが見えた。 「夜になると、寒くなります」  とひどく遠くから聞えてくるような声で彼女は言った。わたしが無意識のうちにトレンチコートを着たまま坐りこんでいたのを、彼女は見ていたのだろうと思う。ランプを残したまま、彼女は立ち上って暗い土間におりてゆき、間もなく温突の焚き口がぼっと明るくなった。  時折、薪の小枝を彼女が手折るらしいびしっと鋭く乾いた音がする。吸いこまれるように消えてゆくその音の行方を無意識のうちに追いながら、わたしは、斜面の村を越えて無人の野と台地へと連なる沈黙のひろがりと、自分自身の内部の手ごたえのなさとが、ひとつに溶け合うような、しんと冴えた感覚をおぼえた。  とまた一本、新しく枝が折られてほうりこまれ、燃え上った炎で彼女の顔の隈取りが一段と濃くなり、彼女の背後の闇も一段と深くなる。闇に浮んだ彼女の顔が、その微妙に変化するあいまいな表情のままに、次第に身近く、そこに、手をのばせばとどくようにさえ感じられだす。  彼女は葱を卵で包みたっぷりと胡麻油でいためた料理を、わたしのためにとくにつくってくれた。辛い料理は食べられないんだ、と遠慮がちにわたしが言ったためだが、彼女は簡単に「そう」と答えて、別に気にする様子もみせなかったので快かった。  無理に自分の国の料理をすすめて、仕方なくこちらが水やビールでのどに流しこむようにして食べてみせると、本気にうれしそうな顔をする単純な人たちが、わたしは嫌いだった。食物の好き嫌いにまでどうして国が関係してこなければならないんだ——と、ふと別の世界のことを思い出すような感じで考えている自分に気づいて、笑いかけた。  不審そうに、彼女が長い銀色の匙を手にしたままわたしの顔を見つめたので 「半日車に乗っただけなのに、とても遠くまで来たような気がしておかしいと思っただけさ」  と説明する。彼女はまた滑らかに匙を動かし、匙の肌をランプの灯が揺れた。 「静かだなあ」  と思わず呟く。  意味をとりちがえたらしく、急に彼女が立ち上って壁ぎわに置いた低い箪笥の上のトランジスター・ラジオのスウィッチを入れようとしたので、あわてて止めさせた。 「静かでいいというつもりだったんだ。でもひとりだと、この静けさはたまらないだろうと思うよ」  村も一番高いところにあるここでは台地の林がすぐ頭上のはずだが、と思い出して耳をすましたが、少しのざわめきも聞えなかった。 「もっと寒くなると、ヌクテの声がします」  と彼女が言う。この土地の山岳地帯に残っている狼の一種のことだ。 「どうしてこんなところに来る気になったんです?」  昼間たしか一度聞いた質問をもう一度くり返してみた。昼間のときは幾分の取材的興味もまじっていたが、今度はそうではなかった。情報将校やホテルの係員からわたし自身、同じような質問をされたことを思い出す。 「あちらはね。たくさん面倒なことがあります。いや、ありました」  と言いながら、強く眉をしかめてみせた。  多分言いたくて言えない様々のことがあるのだろうと想像しながら、わたしも心をこめてうなずく。 「戦争に関係があるんだね」  彼女がうなずく。 「前にも学校の先生をしてたの?」  首をふる。 「何をしてたの?」 「何もしてません」  きっといい家の育ちなのだな、と思う。わたしなどの想像できないいろんなことがあったのだろう。驚いたことにそのわたしの考えが伝ったように、いきなりランプのそばに両手の甲をそろえてさし出して、彼女はつきつめた口調で言った。 「前はみながわたしの手をきれいと、そう言いました。でもこのとおりです」  指の長い美しい手ではない。顔の輪郭に似て卵形のふっくらとした感じの手だが、別に荒れているようには見えなかった。 「いまでもきれいな手だよ」  この国の金持の女たちはすべてを女中まかせで、生まれてからハンカチ一枚自分で洗濯をしたことはないと別に自慢するのでもなく言った女も知っていた。 「いえ、ちがいます。前は指を動かしてもひとつのしわもありませんでした」  そう言ってゆっくりとくり返し両手の指を屈伸した。眼が慣れてきたとはいえ、薄暗いランプの光で指のしわまで見えるはずはなかった。だが言われたとおりに、黄色い光の輪の中に差し出された手を、じっと見つめつづけるうちに、その手が体とは別にひとりでに動く物哀しい生物のように見えてきた。 「もういい。たしかにしわが見えたよ」  そう言って、押し戻すように、その手の甲を上から両掌でにぎった。吸いつくように肌理《きめ》のこまかくしなやかな、それでいて磁器の肌のように乾いて冷たい手だった。そのまま掌に力をこめながら、彼女の手を包みこんでいった。彼女はことさら力をこめるのでもなく抜くのでもなく、そのまま腕を差しのばしている。  女の手というより、ひとつの気配の手ごたえのようなものを、わたしは感じた。トラックが無人地帯に入ってから全身に感じた荒涼としてしかもあたり一面金色に燃えているようななまめいた気配を、思い出したのだった。  わたしが掌をゆるめたのか、彼女がそっと引きぬいたのか、いつの間にか、ランプの光の輪の外に坐り直していた彼女が、つと立ち上って、机の上の食器を土間の方へと運んでゆく影が、箪笥の角で折れ曲りながら移動していった。  わたしは自分の魂が抜け出して歩いてゆく影を見るような思いで、その影の動きを見守りながら、彼女と会って以来彼女と話をしていたというより、ほとんどわたしが彼女になって自分自身と話してきたような感じがした。  床が暖まってから部屋の隅に脱いでおいたトレンチコートを肩の上にひっかけると、わたしは靴をつっかけたまま、外に出た。  ここに入る前、一応校舎の中を彼女が見せてくれたとき、便所の場所も教えておいてくれたのだが、校庭を横切って野を見渡す崖の端まで行った。  昼間、透明な秋の陽射の奥に空は無限に遠かったのに、いま同じように晴れ渡った夜空は、紙の星のきらめくサーカスの天幕ほどの近さに見えた。星というものがこんなに多かったのか。それは美しいというより、むしろ無気味なほどなまなましかった。ずっと横の方の、台地のはずれを斜めに切る星座の連りは、じかに黒い林の中に溶けこんでいるのではないか、とさえ見えた。  星と星との間の黒い隙間をのぞきこもうとしたが、そうして眼をこらして見上げつづけると、かえって闇に慣れてゆく眼が新しい星の瞬きを捉えてしまうのだった。そうした一面の星空がのしかかるように覆いかぶさって、昼間はあんなにも妖しく輝いて見えた野のひろがりが、ひどく冷え冷えと見えた。  肩をすくめて引き返す。急に寒さが身にしみて、羽織ったコートの下で腕を組み合わせ、右手で左腕を、左手で右腕をにぎりしめる。自分自身のかすかな体温が、かろうじて感じられた。校舎の影は背後の黒い崖の肌に溶けこんで見分けられない。近づくにつれて、彼女の部屋の窓の灯がやっと認められ、その黄色い光に吸いよせられたように、まわりの闇がとくに濃く深かった。  後ろ手にそっと戸をしめて土間に入ると、彼女は部屋の中を片付けていた。わたしは何となく土間に立って待った。眼が闇に慣れたせいか、土間に積み上げられた道具類の輪郭がぼんやりと見える。土間は学校の道具置場にもなっているらしい。木箱のようなもの、棒のようなもの、籠のようなもの、それにおそらくテントの幕にちがいない厚い布地のものが丸められているのも眼についた。  彼女が時折ランプの位置を変えるらしく、部屋の入口から流れ出てくるかすかな光が不規則に移り動くにつれて、それらの道具類も様々に陰影を変えながら、ただそこに放り出され積み上げられているというわびしい感じを強めた。正確な形も使途も不明なままに、それらの黒い物体は、ひっそりと闇と溶け合っている。星のきらめきは押しつけがましかったが、それらのがらくたはそっと自分たちのささやかな存在を守り通しているように思われた。  わたしは心に沁み徹るような頼りない気分と、彼女へのうずくような身近な感じとを同時に覚えた。  振り向くと、ちょうど彼女は布団をしき終ったところだった。多少無理すれば二人分の布団をしくだけの広さはあるはずなのに、布団はひとり分だけのようだ。部屋の真中にあった机は窓ぎわに移され、ランプの芯を下げているらしく、天井にうつった彼女の影の輪郭が、少しずつ確実に薄れていった。  彼女が何を考えているのか一向にわからないが、そのことが別に気にならない。すべてが自然で濃密だ。おだやかにゆらめく炎、暖まった部屋の空気、土間にこもる闇、積み上げられた道具たちのひっそりとした気配、そして星明りの校庭の彼方につづく黒い野の沈黙の連り。星の回転。  わたしのコートと上衣を部屋の隅にかけてくれると、彼女は黙って部屋を出ていった。わたしはズボンとワイシャツをたたんで机の下に入れ、靴下をぬいで布団に入った。薄目の敷布団をとおして、温突の暖かさが徐々にしみこんでくる。手足をのばして、地熱を思わせるそのおだやかな暖かさを感じとる。  大地にじかに横たわっているようだ、と思う。  渡り廊下を戻ってくる彼女の足音がゆっくりと近づいてきた。     4  谷間の司令部への道路と国道との分岐点のやや手前の道端に、わたしは車を止めさせていた。一度ジープが車の横に止まって憲兵が「何をしているんだ」と尋ねたが「非武装地帯の村から戻るトラックで知人がくるのを待っている」と説明して、軍司令部発行の身分証明書をみせると、黙って走り去った。  一ヵ月前の自分自身の経験からも、あの村から帰ってくるトラックの時間が必ずしも正確ではないことを知っていたので、わたしは司令部で聞いた予定時間の一時間近く前から来て待っていた。だが予定の時間を三十分過ぎても、地平線と直交する道路上にトラックの姿は現れなかった。  数日前に降ったことし最初の雪も、首都ではもう消えていたが、この北寄りの荒野はまだほとんど一面雪に覆われている。わずかに幾つかの小高い丘の南向きの斜面に褐色の地面が露出し、あとは地平線へとほぼ真直に続く道路がひとすじアスファルトの肌をみせているだけだった。  一度だけ雲が切れて陽がさし、雪の野面が一面にきらめいたが、またいつの間にか低い暗灰色の雲が、谷間から野の果てまでを閉ざしてしまった。運転手は眠りこんでいる。わたしは後部座席の端に軽く腰をかけ両腕を助手席のバックシートの上にもたせて、フロントガラス越しに道路の先を見つめ続けていた。午後もまだ早い時間なのに、視野の全体が夕暮のように不透明だった。  学用品や教材を買うために首都に行く、という彼女からの簡単な手紙の届いたのがきのうの朝だった。軍のトラック便で運ばれたらしい検閲済みの印のついた封筒を、しばらく両掌の間にじっとはさんでから、封をあけた。だが彼女の来るという日が翌日なのを読んで、思わず大きく息をした。もしわたしが少し遠くへ取材にでも出ていたら、間に合わないところだったからだ。だがこうした現実的には間抜けたやり方こそ彼女らしいとも思えた。  戻ってからも、原生林に近い無人地帯の林の明るすぎる静けさを、赤土の校庭を斜めに照らし出す夕陽の色を、ランプの灯の輪のまわりによどんだ闇の気配を、わたしはしばしば思い出した。  だが雪もよいの街の歩道をコートのえりを立ててうつむいて歩きながら、あるいはホテルの白々と高い漆喰の天井をぼんやりと眺めあげながら、絶えず思い浮べるそれらの情景は、同じ土地の遠い一角の記憶というよりもっとはるかな、夢の記憶に近い感じだった。とくに彼女自身のイメージは、記憶の奥を意識してのぞきこめばこむほどあいまいにぼやけてゆき、結局、ランプの灯も吹き消した闇の底に並んで横たわっていたときの、夜空の無限の静寂が頭の芯にまでじかに浸みとおってくるようだった異様な感覚だけが甦ってくる。  演習に出るらしい重戦車の列が不意に谷間のかげから次々と現れては、ディーゼル・エンジンの重苦しい音と、キャタピラーが路面の舗装を打つ硬いひびきを残して国道を遠ざかってゆく。  手ごたえがないといえば、あれほど手ごたえのない感覚はない。だがあのときほど、夜のひろがりと物たちのひそやかなたたずまいに対し、透き通るように開かれた自分を感じたこともない。それが彼女のためなのか、あの土地のせいなのかはわからないが、わたしの心は、その感覚を、あの土地を、彼女を、求めつづけている——  わたしは一そう身を乗り出して前方を眺めた。地平線にはさらに低く雲が重なり合い、雪の野は暗い灰色に沈んでいる。国境地帯はもっと雪がつもっているのだろう。雪に降りこめられた村の中の坂道を下りてくる彼女の姿がぼんやりと浮び、真白な林の中の道をのろのろと進むトラックの形も見えるような気がした。だが現実の視界の中には、動くものの影は一向に現れなかった。  最初にトラックを見つけたのは、いつの間にか目をさましたタクシーの運転手だった。 「やっときましたよ」  とフロントガラスに顔をつけるようにして地平線をのぞきながら、運転手は言った。自分が乗っているときはかなりの速度を出しているように感じたのに、遠くから眺めると、雪の中の一本道を進んでくる暗緑色の軍用トラックは一匹の昆虫のようにのろかった。  トラックは谷間の入口にある衛兵所の前で一たん停車して検査される。そこで彼女をおろしてもらおうと考え、わたしは車を出て国道を進み、谷間への分かれ道を曲った。道路には戦車のキャタピラーから落ちた泥まじりの雪のかたまりが溶けかけていた。両側の雪の表面には稲の切り株がわずかだけ顔を出し、その間に鳥の足跡が点々とついていたが、鳥の姿はどこにもなかった。かまぼこ兵舎の煙突から薄青い煙が流れ出して、谷間を這いおりていく。  近づくにつれてトラックの動きは早まり、国道を折れてから再びのろくなった。きょうは運転手は黒人兵ではなかった。助手席にも人影が見えたが、男の顔だった。停車すると、後尾に走り寄って幌の中をのぞいた。太いロープが丁寧に巻かれて薄暗い床に転がっているだけだった。  トラックが再び走り出し、わたしは車に戻った。内側からドアをあけてくれた運転手に、短く「帰ろう」とだけ言って、深く座席に坐りこんだ。  車が急角度に路上でUターンすると、灰色の地平線が眼球に切りこむように真横に流れた。  その夜、わたしは酒に酔った。必ずしも彼女が現れなかったことに関係はない。かねてからその夜に会合があることに決まっていて、彼女が現れて夜も一緒に過すことができるようなら断ることにしていたのを、出席したためだった。  だが普段なら相手が「わたしの盃を受けられないというのですか」と怒れば怒るほど、かえって意地悪く断っては、コカコーラをとくに持ってこさせて飲むところを、その夜は断らなかった。ビールのコップになみなみと薬罐からつがれる清酒を、たてつづけに幾杯も受けた。そうすると本気になってよろこぶ人たちの顔を眺めては、同じ液体を同じ容器で飲み合うというような単純な行為が人間同士の距離を縮めるかのように思われていることが、改めて嫌悪をそそった。 「ここに来てどのくらいになりますか。もう二ヵ月ですって? ではとっくに可愛いひとができてるでしょうな」  髪を短く刈りあげた首のふとく赤い男が、そう言ってはまたわたしのコップに黄色い液体をつぐ。隣では少しもおかしくもない話をしては、自分で高笑いしている男があり、向うでは音階のはずれた声で一時代前の流行歌をどなっている者もある。 「ひとついい娘《こ》を紹介しましょうか」  首のふとい男が顔を近づけて小声で言う。 「実は、もういいひとがいますから」 「それは失礼、この店ですか。それとも……」と男は一流の料亭の名前を次々とあげる。わたしは次々と首を振る。 「そのどこでもありません」 「かくすこともないでしょう」 「国境の向うで」 「あなたの国のことですな。でもそれはそれとして……」  この土地にくる半年ほど前に軽い胃潰瘍を患って、それ以来アルコールをとっていないわたしの体には、急速に酔いがまわり出している。弛緩する思考の流れの中を「あなたの国」という言葉がむなしく漂った。  わたしは送りの車を断って、そう遠くないホテルまでの夜道をひとり歩いた。  冬の夜気に触れると頬は平手打ちをくったように痛く熱かった。急に冷えこみが強くなったせいか、深夜の通行禁止時間までまだかなり間があるはずなのに、すでに人通りは跡絶えがちだった。  至るところの建物の壁や塀で、ちぎれかけた様々な決議文や宣言文の貼り紙の端が風に鳴り、歩道を落葉とアジビラが吹き飛んでゆく。焼跡の東京の街で同じようなポスターを壁や電柱に貼ったり、人ごみでアジビラを配った記憶が、切れ切れに浮んでは同じように吹き飛んでいった。  このあたりの道筋と建物は昔のままのはずだ。百貨店も父が勤めていた銀行のとがった屋根も見える。だがすでにわたしの記憶が細部を失って風化しかけているように、建物も、壁の色に、窓枠の錆びに、石段の角の減り具合に、十五年の時間の痕が微妙に読みとれる。いっそ街全体が新しく変っていれば、ここの土地もただ近いというだけのひとつの外国として突き放したうえで受け入れられるにちがいないのに。 「何となく昔の通りで、何となくちがっている、それがいけないんだ」  と声に出して言ってみる。  到着して間もなく、昔住んでいた住宅街の一角を訪れたことがある。市電の終点も、電車通りを曲る角の散髪屋も、文房具屋も、記憶通りの場所にあった。銀行の社宅の列もめっきりと古び汚れながら残っていた。その前を幾度も行ったり来たりしているうちに、路地で遊んでいた子供が、かつて三年間わたしの暮した家にかけこんでゆき、間もなく中年の婦人が門の扉の中から顔を出して、わたしをにらみつけた。「変な男が家の前をうろついてるよ」と子供は母親に警告したにちがいない。婦人のきつく眉をひそめた視線を背中に感じながら、急ぎ足で立ち去った……  そのときの思わず笑い出したくなるような自分に対する皮肉な気分が急に甦り、葉を落ちつくした街路樹に、両手を突き両脚をひらいて、根もとのところに苦く酸っぱい液を吐いた。  吹きさらしの街路樹の樹皮の冷たさが、刺すように指先にしみる。苦い液体はあとからあとからと幾らでもこみあげてきてのどを焼き、自分自身が内側から溶け爛れて、黄色くねじくれた奇妙な形に変ってゆくような気がした。  ようやくホテルの前まで辿りついたが、このまま部屋に上る気がしなかった。しばらく玄関わきの車寄せの隅に立っていた。吐いたせいでやや気分はよくなっていたが、風が舞いこむ度に上体がふらつくような気がした。耳と鼻と手足の指先とが麻痺して感覚がなく、口とのどに残る胃液の苦味だけがまだ宙に浮いて漂っている感じだった。  帽子のひさしに金の飾りのついた高級将校が、ミンクの半コートを羽織った背の高い銀髪の婦人の肘を片手で軽く支えながら玄関を出てきて、駐車してあった大型の乗用車に乗りこんだ。車が走り出してからも女の方がくぼんだ眼窩の奥から不審そうな鋭い視線を、わたしに注ぎつづけていた。彼女はこなかったのだな、という事実が初めて辛く意識の底を走った。  ふらつく足の無感覚な指先に努力して力をこめて、狭く曲りくねった路地を抜け、ホテルの裏手の通りの一角にある行きつけの喫茶店に入った。閉店間近の時刻で、隅の座席で若い兵士と女友達が低い声で話し合ってるほかに客はなく、店内の灯は半分消されてストーブも残り火だけになっていた。  この喫茶店はちょうどわたしが到着した日の夕方、ホテルのまわりを見物しながら偶然「新装開店」のささやかな飾りつけを目にして入ったのがきっかけで、昼食のあとや夕食後にタイプに打った記事を電報局にとどけに行った帰りに、しばしば立ち寄る店だった。  紅茶を運んできた女主人が、そのままストーブをはさんで向いのいすに坐りながら「顔色が悪いようね」と声をかけた。  この市では喫茶店の経営者は女性が多い。この店の主人もわたしの助手がどこかから聞いてきたところだと、一時は詩と政治運動で一部に名を知られた女だという。わたしの想像を越える暗い体験を耐えぬいてきたような陰影のある落ちついた人柄が好きで、客のないこうした夜遅くなどは話し合うことが多かった。多弁ではないが日本語を巧みに話した。 「会合でかなりのんだ」  とわたしはストーブにかがみこんで答えたが、わたしより二、三歳年上の女主人は、たしなめるような口調で言った。 「それだけじゃないようね」  酔っていなかったら、しゃべりはしなかったはずだ。これまでも純然たる個人的な事柄については話したことはなかった。だがこのときのわたしは酔いのために気持の制御がゆるんでいたにちがいない。  一ヵ月前の無人地帯での出来事を、手短に話した。  しばらく女主人はひとり考えていたが「その女教師の名前は何ていうの」ときいた。わたしは名前を告げた。 「話をきいてるうちに、そうじゃないかなとは思ったのだけれど、どうやらわたしの知ってる人らしい。ただその名前はよくある名前で、同名異人の可能性もかなりあるけど、もしわたしの推測どおりだとすると……そのひとは姉さんのことを話さなかった?」 「いや、自分の家族や過去のことはほとんどしゃべらなかった」 「そうかもしれない。実はそのひとの姉さんとわたしが同じ学校の出身で、一時は同じ組織に属していたことがある。頭がよくて意志の強いひとだった。もちろんきれいだったし、有名だったわ。ところが、そのひとは内戦のとき撤退する軍隊と一緒に国境を越えて向う側へ行ってしまった。その後はどうなったか知らないけれど、そのために他の家族が大変な苦労をしたのよ。あなたがたにはわからないでしょうがね。内戦というのは戦闘そのものより、そのあとが大変なのよ。占領したあと、あるいは反対側が再占領したあと、前の側についていた人たちの徹底的な粛清と追及が行なわれる。家族の中にひとりでも敵側についた者がいると、残りの家族はいつまでも監視され意地悪く差別されて、生活できないような状態になるのよ。あなたの出会った女教師がそんなところに行ったのも、多分そのためだと思う」 「そういえば、面倒なことがいやだったと言ってた」 「そう。本当に面倒なこと、いやなことがたくさんあった」  しばらく二人とも黙って消えかけてゆくストーブの炎を見つめていた。戦争とか政治とか国などというものは——とわたしは突っかかるような気持で考えようとしたが、酔いのまわった頭のなかはただ吐気に似た不快な気分が渦巻くだけだった。  そのとき剥き出しのコンクリートの床を近づいてくる重い足音がした。何気なく顔をあげると、黒い皮のジャンパーに黒いソフトをあみだにかぶった体格のいい男が、わたしをにらみつけているぎらつくような視線に出会った。 「おい、おまえは日本人か」 「そうだが」  とわたしも立ち上ったが、背も肩幅もわたしのひとまわりは大きかった。 「やっと追い出したと思ったら、またいつの間にか戻ってきやがって、女を相手に自分の国の言葉を図々しく大声でしゃべりまくっている」  そういう男の言葉は正確な日本語だった。酒くさいにおいがした。酒の入っているわたしにさえこれだけにおうのだから相当のんでるな、と思った。 「一体今度は何を取りにまた戻ってきたんだ」  わたしはここの政府発行の記者証を出してみせた。 「ニュースを取りにさ。形のあるものは何も取りはしない」 「生意気いうな。おれはおまえたちの顔も言葉も、絶対に見たくもないし聞きたくもない」  そう言いながら、男はそれまでジャンパーのポケットに突っこんでいた両手を出して、一歩前に進んだ。わたしは思わず後にさがろうとする体の動きを、かろうじて押えた。 「おれの父は関東大震災のとき、日本人になぐり殺されたんだ。わかるか。犬のようになぐり殺されたんだぞ。だからおれもおまえをなぐり殺してやる」  男の体から強い腋臭のような濃密な気配が急に放射してくる感じがした。これが殺気というものらしいと思ったが、酔いのせいか、意外に恐怖はなかったし、それに何か現実感がなかった。自分の外側で自分とは無関係な事柄がひとりでに進行している感じだった。 「その大震災のとき、わたしは生まれてもいなかった。生まれる前のことで仕返しを受けるわけか」 「おまえの国の奴らのやったことじゃないか」  十何年か前にやはりこの市の中学校で、放課後、柔道場の裏に呼び出され「おまえはどうして陸士も海兵も受けないんだ。非国民!」と同級生たちからなぐられたことを思い出し、不意にひどく滑稽な気分がこみあげてきた。事実わたしは少し笑いかけたらしい。 「何がおかしい。馬鹿にするのか」  男の体の気配が一瞬鋭く張りつめた。それまで黙っていた女主人がわたしたちの間に割って入った。彼女は男の顔を正面から見上げて、この国の言葉で鋭く何か言った。男の緊張感が一瞬ゆるんだように見えた。  その隙にわたしの方を振り向いて、女主人は「早くホテルに帰んなさい。あとはわたしが始末するから」と早口にささやいた。男のわきをまわって急ぎ足で店を出た。男は追ってこなかった。  一そう冷えて鋭くなった風の吹き抜ける通りの端を歩いた。通行禁止時間が迫って、通りのどこにも人影はなかった。時折、タクシーが猛スピードで走り過ぎてゆき、後尾灯の赤い灯がはげしく揺れた。  どこの国でもないあの地帯が、懐しく思い浮んだ。だがあそこでも男たちの眼は暗くきびしかった。また嘔気がしきりにした。が、もう出てくるものはなかった。     5  雪は街を囲む山の頂きから降り始める。冬に入って一そう無気味に黒ずんできた頂きの岩の表面が、急に刷毛で掃いたように細かな筋をひいてかすみ始めたかと思うと、見る間に白い薄幕が山肌に沿って垂れ下ってくる。雪だな、と思ったときには、すでに街はゆっくりと舞い下りてくる無数の白い斜めの線の向うに消えだしている。  乾いた土地のはずなのに、雪の粒は意外に大きくたっぷりと水気を含んでいて、窓ガラスに当るとたちまち溶け崩れ、水滴はしばらく懸命に自分の重さを持ちこたえてから、次々とガラスの表面を一気に滑り落ちてゆく。その水滴の簾越しに、ホテルの下の広場をあわただしく行き交う人たちと自動車の動きが見えかくれするが、それもやがて不透明の白い水底に沈んでゆく。あとには、市の中心の高台に聳えるカトリック教会の黒い尖塔だけが、濃霧にとじこめられて沈んでゆく船のマストの先端のように身をよじって震えつづけながら、白い視界の中に残った。  一、二度、偶然に、そうして街がかき消されてゆく光景を眼にしてから、窓ぎわに置いたテーブルの前に坐りこんだまま、外を眺めていることが多くなった。壁ぎわのソファーの上には、もう何日分もの土地の新聞がそのまま積み重なっている。テーブルの上の携帯用タイプライターには電報用紙がはさみこまれたままだ。  初めの頃は不快な義務として一日に最低三人の人に会って話をきくことにしていたのだが、いまはもう滅多に外にも出ない。いわゆる事実の組み合わせと動きというのは、初めに恐れたほど複雑でもなく、期待したほど陰影深くもなかった。起りそうなことが起り、作用には正確に反作用が伴った。知り合いの学生たちの何人もが逮捕されては、一そう眼に暗い光を加えて出てきて、また逮捕されていった。  時折、裏町の喫茶店の隅で彼らとだけは会うことがあったが、彼らはすでにわたしの助言の範囲を越えていたし、わたしも彼らがあたりをしきりに見まわしながら、低いつきつめた声でしゃべる考え方や行動の計画よりも、彼らのひとりがかけている眼鏡の片方のつるが折れてなくなっていて、かわりに白紐を耳のうしろにまわして補っているのや、学生服の上衣の肘が破れてしわくちゃになった下着が内臓のようにはみだしているのが目についた。また、ちょうど店の窓を洩れてくる夕陽が彼らの背後の、剥げかけた壁紙の隅に、どういう具合か三角形の赤い輝きをうつし出しているのが、妙に強く心に焼きついたりした。  物が見えるようになったともいえるし、見えなくなったともいえた。雪がとければポプラ並木の国道を行進して北上し、あの無人地帯で向う側の国の学生たちと直接話し合う計画をたて始めている、と学生たちは教えてくれた。そういう計画を、もし彼らが公表するか実現の準備でも始めれば、たちまち強烈な反作用を受けることは目に見えるようだったが、次第に狭い店内に濃くなる黄昏の色の中に並んでわたしを見つめる幾個もの彼らの眼は、同じように暗く不透明で、わたしの視線を通さない。  疲れているのではなかった。わたしはよく眠り、よく食べた。むしろ疲れているとき、すでに慣れてきたホテルの部屋の壁の色、テーブルの形、電灯の明るさ、窓から見える岩山の屈曲する稜線などが、それぞれの遠近と自然な組み合わせの中にわたしを組みこんでくれるように思われた。だが十分に眠って自然に目をさましたときとか、気に入った食事がちょうど消化し終って煙草がひどくうまく感じられるとき、ふと目についた物が前面をせり出すようにして膨らみを帯び、内部が急に充実してゆくように見えた。そしてそこまでの距離の空白がはっきりと見え、何かにつかまらないとその空白に落ちこみそうな感じになる。そっと寝台のヘッドボードの端とか、ソファーの背をつかむ。一瞬身を支えた気分になるが、すぐその手自体が木や布の手ごたえとともに遠のいてゆき、わたしだけが宙に浮いたような不安をおぼえる。  といってその不安は必ずしも不快ではなかった。次々と視線を移すにつれて、道具や壁紙のしみの形や岩山の頂きが、静かに殻をとじる貝のように、それぞれの沈黙の重心を内に包みこんでかっちりと輪郭をとざしてゆき、海の底を思わせる濃い静寂がどこからか滲みだしてきて、広くはない部屋をみたしていった。  とくに雪のあとの夜は、実際にほとんどの物音が吸いとられて、わたしの部屋の中だけでなく、山に囲まれたこの街の全体の空間が、本来の姿を取り戻す。ビルとビルの間、街路樹の裸の梢の隙間、風に鳴る電線のまわり、路地の蔭、家々の軒下、オーバーのえりを立て前かがみになって広場を横切ってゆく人の影に、目に見えぬ巨大で鋭利な刃物がたったいま、刳りとっていった痕のような、黒い静けさの傷口が深々と口を開いているのが見えた。  わざと思い切り引きあけた窓から身をのり出して街を眺めつづけていると、冷えきって冴えた夜気の底で、建物が、電柱が、車のタイアの跡が、岩山の影絵が、次第に凍りついて凝縮し、代って日頃は街の単なる余白か隙間としか見えない広場や通りや路地や、ビルとビルとの間のからっぽの空間が、透き通った厚みとひろがりを増してゆき、形ある物たちの方が、逆に空虚の気まぐれな影のようにさえ感じられてくる。  そうして鼻の先や耳たぶがちぎれそうに痛くなって、ようやく顔を窓からひっこめながら、あの境界の向うの地帯からこちら側を眺め返しているような気になるのだった。彼女からその後何の連絡もなく、こちらからも連絡の仕様もないまま、直接にあそこのこと、彼女のことを思い出す日は次第に減ってきたにもかかわらず、むしろそのためにかえって、あそこはわたしの意識の裏側でひそかに確実に増殖しているような具合だった。  時折、下におりてフロントデスクの前を通りかかると、若い係員が声をかける。 「この頃、あまり出かけませんね」 「実はこの間、喫茶店でこわいおじさんからなぐり殺すと言われてから、すっかり外がこわくなったのさ」 「それはどうも。でもそんなひとは滅多にいませんよ。気にしないで下さい」  気のいい若者があまり真剣な表情をみせるので 「冗談だよ」  とわたしは笑ってみせた。 「それならいいけど。どこか体の具合でも悪いのかと思った」 「そう、ここの具合が悪いんだ」  と自分の頭を指さしながら言うと、今度は若者が声をあげて笑いながら 「冗談でしょう」  と言う。 「いや、これは本当だ」  そう言ってわたしはデスクの前を離れて、玄関を出てゆく。  車道の雪が溶けかけて、泥と油で汚れていた。少し速度をあげた車が走りすぎると、びしょびしょの飛沫が街路樹の根もとにとび散って、薄黒いしみをつける。歩道の陽のあたる部分の表面は乾ききって敷石の隙間に乾ききらない泥が踏みつけられているだけだったが、建物のかげでは昼間表面だけ溶けかけた雪が夜中に凍り、凍った上に新しい雪が降り積もり、さらにその表面をこまかな煤の層が覆っていた。  直接の陽射にはかすかな暖かみが感じられたが、陽かげの雪と氷の堆積がそのわずかな暖かみも容赦なく吸いとって、空気は薄青く色づいて感じられるほど冴えて冷たい。人たちは厚い防寒着の中に身を縮めて、(老人と子供たちは耳まで隠れる毛布の深い帽子か、ウサギの毛でつくった白や灰色のドーナツ型の耳覆いをつけている)足早に通り過ぎてゆく。陽かげの部分でとくに足を早めようとするのだが、凍りついた路面が滑るのでかえって歩みは遅くなる。  わたしは安全カミソリの刃とライターの油を百貨店のわきの闇屋の屋台店に買いに出ただけなのだが、久しぶりの晴れ間のせいか、いつもより人出の多い街の、せわしげに浮き立った感じが、わたしの気持を固くした。  街は余白を失って建物と色とりどりの看板が重なり合い、人群のあわただしい流れと電線の交錯が隙間を埋めている。歩道の人波をかき分けながら、できるだけあたりを眺めないようにして歩いた。  泥のかたまりをかかとにつけた靴や、すその濡れたズボンが、まるで一匹の巨大な生物の活発にうごめく無数の足のように、うつむいたわたしの視野を埋めてざわめいた。通りの曲り角で夕刊売りの少年が、わざと哀調を帯びた声で叫んでいる。  ビルとビルの間のせまい路地が薄暗くしずまり返っているのに気づいて、ほっとしてのぞきこもうとすると、独得の嗅覚で外国人とわかるらしく、ドル買いの老婆がそっときょうの闇相場の数字を記した紙切れを目の前につきつけたので、急いでまた人波にまぎれこんだ。  顔面を刺す寒気にもかかわらず、生温かい瘴気が一面に立ちこめているようだ。瘴気は人波だけでなく、窓、壁、看板、ショーウィンドー、屋台店に並んだ商品、街路樹の梢、電柱の貼紙からも絶え間なく滲み出してきては、建物の輪郭と空の奥行を崩し、わたしは耐えがたい息苦しさをおぼえる。耳許で視野の奥で、絶えず何かがざわめいている感じだ。  かつて父の勤めていた銀行と中央郵便局と百貨店とが取り囲む小さなロータリーに出たが、すでに見慣れたせいか、昔の記憶はかすかな気配だけで明らかな形をとって甦ってはこなかった。赤い点と青黒い色のかたまりがぼんやりと意識をかすめ、それがかつて戦争の終った直後の真夏の日に、このロータリーの花壇に咲き乱れていたカンナの花の遠い残像と、中央郵便局前にとまっていた装甲車の記憶の余韻らしいとは思われたが、すでに何の感慨も誘い出さない。いまはとにかく早く買物をすませて、日毎に無関心の表情を深めてゆく壁や道具類の中で、落ちついて放心できるホテルの部屋に戻りたいと思い、最初に眼についた屋台店で闇商人の言いなりの値段でカミソリの刃とライター油を買って、ロータリーをまわる歩道の端を急いだ。  また白い花壇が眼につき、赤い斑点が意識の底で浮んだり消えたりした。ふと、それが真紅の鮮やかなカンナの色ではなく茶色がかって枯れかけた鶏頭の花の記憶だと気付いた。つづいて赤土の校庭にきらめいていた雲母か石英の破片の小さなきらめきと、しめきった校舎の窓ガラスに反射していた明るい陽射の記憶が、重苦しく閉ざされていた心を内側から照らした。足をとめてあたりを見まわした。  肉眼がうつしだすものは何も変ってはいない。花壇の雪にうつる中央郵便局の影が先程よりわずか移っているくらいで、自動車は雪どけの泥水をはねとばしてロータリーをまわり、人群は歩道を流れてゆく。だがわたしの心の中は、不思議な明るさに静まり返っていた。記憶の中身がわたしの心を明るくしたというのでは必ずしもなく、ひとつの鮮やかな空間が、わたし自身の意志と予感に反して、わたしの中を不意に一瞬通りすぎていったその不意ということ自体の輝きのように思われた。  わたしは意識して、自分の内側を眺めた。すると肉眼にうつっていた冬の都会の姿が、次第に色あせて厚みを失い、急に雪でも降りこめてきたように視野一面がかすんでくるのが感じられた。 〈人間は本当は閉じこめられてはいないのだ〉という想念が鋭くひらめいた。国境などという枠はもちろん、現在という枠、それに対応する意識の形にさえ縛られてはいない。だからその枠を何かが不意に通り抜けて過ぎるとき、このような開かれた気分になり、手ごたえらしいものが還ってくるような気分になるにちがいない。  ともすると眼前の冬の午後の陽にかき消されそうになる内部のほのかな明るさを、心の中にそっと守るように、わたしは一そう視線を落し背をかがめて、陽かげの汚れた雪の凍りついた路地を伝って裏通りからホテルへ戻った。 「コノゴロ キジヲオクッテコナイガ ドウシタノカ ビョウキナラ ビョウジョウヲ シラセロ デスク」  ボーイがドアを叩いて手渡していった電報の封を切ると、ローマ字でそう書いてあった。別に驚きもしなかった。落ちついて二度繰り返して読み、どちらかの国の電報局のオペレーターのタイプのミスを二個所見つけた。 「カゼヲコジラセタダケ シンパイスルナ」  タイプに巻きこんだままうっすらと埃のついた電報用紙に、それだけ一気に打った。しばらくぶりに打ったタイプのこつこつと固く乾いた音と正確な自分の指の動きが快かった。  打ち終った用紙を抜き取ると、何となく机のひき出しから新しい用紙をとり出してシリンダーに巻きこんだ。そしてキー盤に両手の指をそっと置くと、やがて指がひとりでに動き出すように、ローマ字を打ち始めた。  ペンや鉛筆で書くのとちがって、タイプは自分の字が気になることもなく、文章を書いているという感じもほとんどない。指によってキーを打つ強さの差はあったが、非個性的な文字が正確に並んでゆく機械的な感じは、大洋の真中で沈みかけている船から不特定の相手に向って無電信号を送ってでもいるような気持にする。 「マタ ユキガハゲシク フッテヤンダ ソラモ マチモ ワタシモ シズカスギル」  これまで、新聞の文章を打ってきたときはそれほど感じなかったのだが、いま自分自身のことを偶然タイプに打ってみると、自分の心の動きや状態を一種抽象的な事象のように眺められることがわかった。  電話でボーイを呼び、最初に打った本社あて電報をチップと一緒に電報局に届けるよう頼むと、そのまままた机の前に戻り、思いつくままの言葉を思いつくままに並べる作業に熱中した。 「モウイチド ココニキテヨカッタ ソウデナカッタラ カイキョウノムコウニ コキョーガアルヨウナキモチカラ イツマデモ ヌケラレナカッタダロー」  故郷という言葉も KOKYOO と打つと、完全に湿り気が抜けて、抵抗なく打てる。 「イワヤマカラ フキオロスカゼガ ヒロバノユキヲ マキアゲテユク ドコニモ ヒトノケハイハナイ」  そうやって打っていると、もはや窓から顔をのぞき出さなくても、外の冷気と空虚をそのままに感じられた。あそこのことも、彼女のことも、素直に考えられた。 「�ナニヲ カンガエテイルノカ�ト ワタシガヨコニネテイルカノジョニ キクト�ナニモ�トイッタ シバラクシテ コンドハ カノジョガオナジシツモンヲシタ ワタシモオナジヨウニ コタエタ ホントウニ ナニモカンガエテイナカッタノダ」  そこで紙が終ったので、新しい紙を巻きこんで急いで打ち足した。 「ナニモカンガエナイトイウコトハ スバラシイコトダ」  何日か、わたしはこの新しい発見に夢中になった。打つという作業自体が楽しみだったから、一度打った文章を二度と読み返すことはなかった(ローマ字は普通の文章のように斜め読みするわけにはゆかない)。  打ち終るはしから、通し番号もつけていない紙が背後のソファーの上にほうり投げられて積み上り、それがやがて床に落ちて散乱した。掃除係の女中は初め一枚ずつ拾い上げてソファーに戻していたが、そのうち諦めて拾わなくなった。  食事もルーム・サービスに頼んで部屋に運ばせた。ベッドに入ってからも何か思いつくとまた起きてタイプに向い、目がさめると急いで夢の記憶を辿り、記憶が切れると、勝手に(といっても自分のそのときの気持あるいは指の動きに自然に、という意味だ)想像の夢を打ちつづける。するとその想像の夢のつづきが本当の夢に現れてきたりもした。  一度、フロントの若い係員が室料の請求書を届けにきたことがある。ドアを開けると、彼はタイプした紙の散乱した室内を見まわしてから、驚いてわたしの顔を見つめた。 「閉じこもって仕事してらっしゃったのですね。さぞ素晴らしい仕事でしょうねえ」 「仕事じゃないよ」 「わたしには隠すんですか。それとも秘密の仕事ですか」  彼は床とわたしの顔との間に、忙しく視線を移しながら、幾分恨みがましい表情になった。わたしはわざと真剣な口調で言った。 「そうだ。秘密の仕事だよ。誰にも言わないでくれ」 「わかりました。どうぞ頑張って下さい」  若者は眼を輝かせてそう言い、それからやや声を低めてつけ加えた。 「部屋代の方は、仕事が終ってからでいいですよ」 「いつ終るか、わからんぞ」 「結構です。マネージャーにはわたしが何とかうまく説明しておきます。病気だとか」 「そう、ここの病気だ」  頭を指さすと、若者は片目をつぶってみせて部屋を出ていった。  わたしは、部屋の中と窓から見える物たちの時間と天候による変化、比較的近い過去の記憶をほぼ打ちつくしてから、少しずつ想念の視界を遠い過去や見えないものにまでひろげていった。  そうして肉眼で見えるものと見えないものとの区別、時間的に遠いものと近いものとの差を、次第に越えてゆくにつれて、無人地帯の夜にぼんやりと予感し、何日か前にロータリーのそばでかなり明確に実感した内部の明るさ——意識の枠や境界が不意に消え去る瞬間の不思議な充実感が、かすかながら持続するように思えてきた。  寝台に横になるとちょうど顔の上にあたる天井のひび割れの線の記述のあとに、すでに三ヵ月近くも前、この市の郊外の空港に旅客機が着地する寸前にかなり急角度で旋回したとき、大きく斜めに傾きながら鮮やかな黄褐色に輝いて見えた大地の色がタイプされ、つづいて予科練に行って死んだ中学時代の同級生の家の犬の顔が描写されては、ソファーの下に滑りこんだ。  それらは決して連想されたものではないが、といって完全に切れ切れの思いつきでもないようだ。そのところの微妙な関係は不明だったし、また不意に思いがけない遠くから甦った情景でも、強く心を明るくするものと、それほどでもないものとがあり、その質の相違についてもあいまいだったが、そうして思い浮ぶイメージや想念を片端から、非個性的な異国の字形に凝縮しては椅子のうしろに投げ捨てて、自分の内部を空っぽにしてゆけばゆくほど、より思いがけないイメージが浮んできて、世界がより異様にしんと静まり返る感じだった。  そう気付くとき、わたしはよく、トラックを運転してくれた黒人兵が無人地帯の林の中で「こんなところに住んでいるのは、頭のおかしい連中だけだ」と言った言葉を思い出してはひとり微笑した。  そうしていわば、心のなかの無人地帯に踏みこむような状態、少くともそうしようと試みつづけることが、わたしを幸福にしたのか、より孤独にしたのかはわからないが、それなりに犠牲を伴ったことは確かだった。  というのは、この作業を始めてから、わたしは電話のベルが鳴っても取らないことにしていた。たいていの場合、三度鳴ってもほうっておけばベルは鳴り止むのだが、その夜は五度鳴ってさらに鳴りつづけた。  腹を立てたわたしは、わざと机から最も遠い隅の床に置いた電話機のところまで幾枚もの紙を踏みつけて歩いてゆき、受話器をとるといきなりきつい声で交換手に文句を言った。 「ちょうど寝かかったところなのに、目をさましてしまったじゃないか。こんなに夜おそく。眠ってるらしいといって断ってくれよ」  ところが交換手は何も答えない。線のつながっている音が確かにするのに、向う側は黙っている。わたしは同じ言葉を、一そう苛立った口調でくり返した。  すると、かろうじて聞きとれる女の声が伝ってきた。 「すいません、わたしです」  彼女の声だった。  わたしはあわてて、どこでかけているのか、いつ来たのか、いつ帰るのか、と次々に質問した。初めて電話を通して聞くと、彼女の声はわたしの記憶よりさらに低く翳りがあった。 「三日前に、来ました。何回も、電話しましたが、いつも、あなたは、居ませんでしたね。わたしは、明日の朝、帰ります」 「すまなかった。仕事が忙しくて。のばせないのか。ぜひ会いたい。いまどこだ」 「だめですね。あなたのようにトラックに遅れることは、できません。ここは、学校の友達の家です」 「じゃこれからすぐ行くよ。場所を教えてくれ」 「それも、だめです。もう、通行禁止時間を、過ぎています」 「…………」 「では、さようなら」  そして電話は切れた。  受話器を置きながら、夜明けにタクシーで追いかければいいと考えた。予約しておかないで、朝早くタクシーがつかまるかどうか心もとなかったが、つかまり次第、全速力で追いかければ途中で追いつけるだろう。  検問所のある大きな川のこちら岸までは、特別の手続きなしにも一応行けることになっている。うまく追いつけても言葉を交す余裕もないかもしれないが、顔だけでも、もう一度見られればいいのだ。  確実な保証もなしに、雪の広野の国道を全速力で追いかけるという不意に思い浮んだ想像は、思いがけない記憶が過去の地平線の彼方から甦ってきたように、わたしの心を開いた。みるみる遠ざかってゆくわたしを乗せたタクシー、雪に覆われた丘の起伏、すでに固く凍りついている大きな川が見えてくるようだった。  いまこの同じ市のどこかに彼女がいる、という事実の奇妙さに驚きながら、わたしは窓際に立って外を眺めた。  彼女の友達の家が、この暗い街のどのあたりにあってどういう家なのかは見当もつかなかったが、川岸の検問所の小屋の形、壊れた橋の石台の砲弾の痕ははっきりと思い浮び、それにつれて凍りついた川面の透き通った氷の層の厚みが、陽射の加減で青いような緑色のような複雑な色に変化するきらめきまでが、浮んできた。  わたしはその氷の層を眼の前にのぞきこむような気持で、動くものの気配ひとつない通行禁止時間の街の、黒々と冴えた夜の奥をいつまでも眺めつづけた。 [#改ページ]   対岸  到着したのは夕暮だった。空軍基地と兼用の滑走路の両側に並んだ戦闘爆撃機の翼が、南国の激しい夕陽に染まっていた。「まるで血のようだ」と思ったのは、内戦の首都に到着した気分のたかぶりのためだ。  市内に入る間に日が暮れた。丈の高い街路樹と、はだしの子供たちの群と、ねっとりとよどみ始める夜気の中に静まりかえった旧植民地別荘風の邸の白い壁が、薄闇の奥に見えた。新しいビルの角張った影とレストランのネオンの中を過ぎて、タクシーが止まったとき、予約しておいたホテルが、市の中心街にあるらしいことに、私は安心した。  ところが、翌朝窓のカーテンを開けると、ホテルの前が信じられないほどの大河だった。三百メートルを優に越す河幅一杯に、青黒い水が漲っている。しかも対岸は水際に粗末な民家と椰子の樹が点在するだけで、その先きはただ縁の広野が視界の限り地平線までひろがっていた。一瞬、昨夜見たはずの熱気のこもったビルとネオンは夢だったのかと思ったほどだった。  もちろん夢ではなかったことは、午前中に大使館、政府の情報省、軍の広報部と、手続きにまわってみてすぐにわかった。主な役所、幾つかのレストラン、土地の主な新聞社、デパート風の商店など、仕事と生活に直接必要な施設は、ほとんど歩いて行ける範囲内にあった。  その後数日のうちにさらにひろく市内をタクシーで走ってみて、その街が若干特殊の構造になっていることもわかった。街はほぼ空港のあたりから始まって、いわば火の玉(あるいは人魂)の形に少しずつひろがりと密度を増して東方にひろがり、行政上、商業上の中心街になってから、急に河に削りとられたように消える。そのため私のホテルは中心街の端にあって、同時に原野に面するということになる。  河の両岸にまたがった街、あるいは郊外を河のめぐる街というのは私も幾つも知っていたが、中心街の横腹がじかに荒野に剥き出しになっているというこの街の構造は、何か異様だった。  たしかに異様だった。内戦のさなかといっても、豊かな南国の自然の恵みのためか、少くとも中心街の商店、市場、レストラン、ナイトクラブは、夜遅くまで灯は明るく、食物と高級な酒が並び、通りはざわめいていた。ところがホテルの部屋に戻って窓から外をのぞくと、ただ茫々と濃すぎる闇がひろがっているだけだ。時折、軍用機の赤い標識灯がゆっくりと流れたり、夜更けて見えない地平線の彼方から鈍く砲声のひびいてくることもあったが、そうでもなければ一点の灯も、物音も、河のかたちさえ溶かしこんだ闇と静寂が、剥き出しに、ただそこにあった。  昼間は、連日少しの翳りもない強い陽射が、乾季の盛りが近づいても一向に水量の減る気配のない河面に、激しくはね返っている。澄みも濁りもしなければ、風があっても波もたたない無気味な河面は、ほとんど流れているとは見えないほどだ。  植民地時代に建てられたホテルは、ひどく天井が高く調度の塗りも剥げかけて、決して近代式とはいえないけれども、対岸の水辺に散在する民家は、水中に杭を打ってその上に床を張っただけの、ほんものの原始的な小屋である。その草ぶきの屋根を覆うように垂れた椰子の厚い葉の茂みが、緑色の鬼火のように原色に燃えている。  こちらの岸に向いて立てられた幾つかの大きい白い看板——タバコや歯みがきの広告だけが、こちら岸の都会を反映していて、その背後は丈の低い植物の連りに陽炎が一面にきらめいている。そのきらめきと空の光が溶け合い反射し合って、どこまでが野で、どこからが空なのか、見分けられない。野の果でがそのまま天に連っているようにさえ見えた。  ある午後、昼寝からさめきらないままぼんやりと外を眺めていた私は、奇妙なものを見た。南の方角にあたる野のなかに、真白な汽船が一隻、浮んでいるではないか。二本のマストに、赤い縞の入った煙突、陽を照り返す船橋のガラス。かなりの豪華船である。それが緑の野を、ゆっくりと滑っていく。  初めは蜃気楼かとも思ったが、蜃気楼なら逆さまになるはずではないかと思い返しながら、真昼の光と静寂の野の中を遠ざかってゆく白い船を、私は夢の残像を追うような異様になまなましい気分で眺めつづけた。あとになって、河の下流が野の果てを大きく彎曲していて、そこをごくたまに遠洋航海の客船が出入することを知ったけれども。  実際、到着まもない頃は、日に幾度となく外を眺めた。朝は、バスルームの窓を開け放って便器に腰かけていると、暗灰色の輸送船が中流でゆっくりと向きを変えている。五千トンはあると思われる大型船にもかかわらず、河はほとんど波らしい波もたたない。輸送船の後甲板にそなえつけた機関砲の砲身がひどく小さく見えた。夕方、軍事記者会見から汗まみれになって戻ってシャワーを浴びながら、河も水辺の椰子の茂みも野面も空も、同じように毒々しいほど濃い夕陽に染めあげられ、それがみるまに、深く不安な紫色へと変ってゆくのも眺めた。  ほとんど予備知識らしいものも先入観もなしに急に到着した私には、周りでめまぐるしく起こる事態の筋道を辿ることも、イメージを描くこともできないままに、全く手ごたえのない空白の中を、手さぐりに漂うような不安な気分だった。広すぎる河と野と空の無意味なひろがりは、そのまま、かたちない私の心のかたちでもあった。一向にわけのわからぬ事態が次々と起こる背後の街は耐えがたく不安で、毎日ただ緑色の陽炎が正確に同じようにきらめく自然だけが、確かだったのだ。  だがやがて、少しずつ事態が見えてきた。指先でなぞるようにして筋道がついてきた。空白の画面に影絵のようなものがうつり始めた。  話し合う知人ができ、夕方の記者会見のあとに立ち寄るキャフェテリアもでき、ホテルの部屋でもタイプライターに向う時間が多くなった。便器に腰かけては土地の新聞を読むようになり、昼寝からさめるとすぐにカメラをつかんで街に出た。タクシーを雇って夕暮まで郊外をまわることもあり、早朝から軍の輸送機で地方に出る日もあった。滅多に窓の外を眺めることもなくなった。  事態そのものへの興味というより、むしろ内部の空白への恐怖から、何とかかたちらしいかたちをつくり出そうとして、やみくもに歩きまわり聞きまわらねばならなかったのだ。  夜明け前の広場の一角で少年の銃殺を見、数日後には少年を縛りつけた杭のあとに、もう砂糖きびの噛みかすや当りはずれの宝くじの切れはしがたまっているのを見た。夜の舗道の表面に、テロのまきぞえになった子供の血を見た。遠い高原地帯から爆撃を逃れてきた難民たちのうつろな眼を見た。裏町の寺院のバルコニーで焼身自殺した女子学生の死体から滲み出た脂が、煤けた床の隅に溜っているのも見た。  土地の言葉も幾つかおぼえ、裏町にまで入ってゆけるようになって、街のイメージがほぼ形づくられるとともに、街そのものから滲み出てくるやりきれなく重いものが、私の内部に沁みこんで沈澱していくのがわかった。  そうしてある日の真昼、もはや意識的には何の関心もなく、久しぶりに河向うを見るともなく見ていた私は、大きな歯みがきの広告のかげにそれまで気づかなかったものを、ふと認めた。木造の白っぽい小さな家だった。広告板が白く塗られているために、これまでよく見えなかったのだ。「あんなものがあったのか」といった程度の無関心に近い気持で、視線を凝らした。  平屋の屋根の一角が小さな塔のようになっているのがわかった。塔というよりほとんど煙突に近いその突起の先端に何かがついている。しばらくしてそれが十字架らしいとわかった。どこにも人影はなかった。  私自身は十字架の信仰をもってもいないし、とくに親しんだわけでもない。にもかかわらず、視線をゆるめると単なる木切れか煙突の先端としか見えない遠い小さな十字架が、強く私の心を捉えた。感動ではない。衝撃ともちがう。眩暈に似て不意にあたりがしんと静まりかえるような、激しくうつろな気分だった。  実際、かなり疲れきった神経で急に明るすぎるところを見つめすぎたための軽い眩暈だったにちがいない。ゆっくりと意識がかえってくるとともに、再び十字架は視野の一点におさまり、全く人気ないその家が廃屋らしいこともわかってきた。改めて見直すと、壁や屋根の白い塗りもほとんど剥げかけていて、窓には木切れが打ちつけてあるようだった。  だが不思議におだやかな光の感覚が残った。対岸の野が何となくちがって見えた。陽射が強いというのではなく、野のひろがり自身が明るく、明るさそのものがひろがっているようだった。これまでは遠い陽炎のゆらめきの中で野の果てが空に連っていると感じられたのが、逆に空の奥が野のうえにまで垂れさがってきているように思われた。対岸がひどく遠くに見えた。そして遠ざかった対岸が、かえって妖しく私をひきつけた。  そのとき電話が鳴った。聞きとりにくい旧式の受話器から、また新しくやりきれない事態の動きが切れ切れに伝えられてくるのを、私はほとんど憎悪に近い気持で聞きながら、対岸が改めて見えてきた理由のひとつがわかったような気がした。対岸が変ったのではなく、こちらの岸で私自身が変ったのだ、あられもなくうろつきまわっては、他人の悲惨をはしたなく嗅ぎまわりすぎたのだ、ということを。  だが、その後、街をうろつきまわるのをやめたわけではなく、むしろ憑かれたように情報をあさり、一そうどこにでももぐりこんだ。まるで、こちら岸にのめりこむことが、向う岸に近づくことであるかのように。  平気で警官のポケットに紙幣を押しこむことができるようになったし、寺院では信徒たちにまじって、極彩色の本尊の前で、いかにもつつましく合掌した。戦死者の友人だと偽っては、死体処理場にも入りこんだ。刑務所のように高い塀をめぐらした倉庫の中で、前線から後送されてくる兵士たちのちぎれ砕けた死体を、どうにか格好をつけて粗末な棺に詰めこむ。床は血と汁でぬるぬると滑ったが、腐臭には意外に早く鼻がなれ、外に運び出された棺に線香と果物をそなえて泣きつづける遺族たちの横顔を、隠しカメラで幾枚も撮った。  夜は、輪タクの運転手に声をかけられるままに、熱気の名残りとこの土地特有の調味料のにおいのこもる裏通りを幾つも曲ってもぐりの淫売屋に行く。互いにもたれ合って辛うじて立っているバラック建ての民家のひとつで、剥き出しの土間に並べた幾つかの寝台が粗末なカーテンで仕切られているだけだ。  事前に、女は土間の隅に掘った小さな穴にまたがって放尿する。裸電球の黄色い光が、すでに何人も子供を産んだらしい女のたるんだ下腹の皮膚を照らしている。その背後の隙間だらけの板壁越しに、赤ん坊のむずかる声、ことさらひきのばした物悲しい調子でこの国の古い歴史ドラマを語るラジオの音が聞えてくる。余りに自然に日常と同居しているために、その部屋だけでなくあたりの生活そのものまでが、荒涼とこの世ならぬものに感じられてくる。  まだ薄暗い夜明けにそっと路地を抜けて、人気ない裏通りをかなり歩いてからやっと車をつかまえ、ホテルの前で下りる。河岸通りも、やや上流の海軍基地の方に衛兵らしい人影の立っているのが見えるだけで、他に動くものはいない。ホテルの玄関がしまっているようなので、通りを横切って岸の端に立った。  まだ薄闇の底に沈んでいる対岸がひどく遠い。看板らしい白いものが幾つかぼんやりと浮き出して見えるだけだ。ホテルの五階の部屋から眺め下ろすときには、ほとんど流れていないように見える河の水が、近くで見ると、かなり激しく流れているのがわかる。濁ってはいないが澄んでもいない暗い無機質の色だ。岸近くで水は幾つも複雑な渦をまいている。そしてその渦と一緒に、木切れや紙屑や果物の皮が水面をまわっているのが目についた。  渦は急に早まったり遅くなったり絶えず動きを変え、あるいは不意に消えてはまた思いがけないところに現れ、そのたびにごみたちはめまぐるしく回転したり、何となく漂ったり、岸に打ち寄せられたりした。暗い流れを漂うそんなごみの無意味な動きを何となく見下しているうちに、こんな遠い土地で、他人の戦争と不幸を追いかけまわして興奮したり傷ついたりしている自分が、ひどく滑稽なものに思えた。追いかけまわしているつもりで、実は追いたてられているだけなのだというむなしさが、痛切に身にしみた。  役人にも会社員にもなりたくはなかったが、そうかといって大学に残って学者になる根気も、もの書きで食える自信もないままに、何となく新聞社に入り、外国語が達者でも外国に行きたいわけでもないのに外信部にまわり、命令されたままにこんな南国の果てまで特派員にきた。そして報道の使命感とか、特派員としての成績をあげるといった意識とはちがった焦燥感に追いたてられて、ただやみくもにうろつきまわっている…… 「何ということだ」  水をのぞきこんだまま、声に出して言ってみる。夜明けとはいっても外気はじっとり汗ばむほどなのに、何か冷え冷えと麻痺するような感覚が、体の芯の方から徐々にひろがってきた。  ごみの群は同じように気ぜわしく渦をまいていたが、いつのまにか河の水面は暗い輝きを増し、対岸の民家の並びが遠い影絵のように浮び始めていた。岸からでは背後の野のひろがりは見渡せないが、少しずつ青味を深めてゆく空の奥行が、吸いこむような眩暈を感じさせる。対岸に渡ってどこまでも歩いて行ってみようという考えが、朝陽の最初の光のように、不意に薄暗い意識の中を貫いて走った。  だが実際に私が河を渡ったのは、それからかなりたってからだった。というのは、まわりからのゲリラたちの圧力に加えて、首都の内部でも入り組んだ権力争いが激しくなって私たちは連日街の中を駈けまわらねばならなくなったし、それに一緒に行ってみないか、と誘ってみた特派員の仲間たちの誰も関心を示さなかったからでもある。 「あんな何もないところに行ったって、全然記事にはならんね」  とひとりは吐き捨てるように言ったし、他のひとりは真顔でこう言った。 「あんた、それ本気なの。そんなのん気なことしてると、戻ったら政府が変ってたなんてことになるよ。そりゃおれだって、何もかもほうり出して逃げ出したい気持、わからないことないがね」  逃げ出すんじゃないよ、と思わず言い返そうとして、私は黙った。ある意味では確かに逃げ出すことだったし、それ以上のことは自分自身にさえうまく説明できそうになかったからだ。  ホテルのフロントの係員や、バーの女の子や、土地の新聞社のカメラマンたちにも聞いてみたが、意外なことに、土地の人でも実際に対岸に行ったことがあるという者は、滅多にいなかった。どこかに渡し場があるはずだが、という質問にさえ、肩をすくめるだけだ。 「おやめになった方がいいと思いますね」  行きつけのキャフェテリアのもう若くない主人は落ちついた口調で言った。 「本当に何もありませんよ」 「家らしいものが見えるよ。岸のところだけだけど」 「ああ、あれはずっと遠くの山の方から逃げてきた人たちです。この街の人間ではありません。危い人たちです。腕時計一個のために平気で人を殺します」 「まさか」 「いえ、本当です。まともな人間の住めるところではありません。水が悪いのです。蛇も多い」 「そうかねえ。河ひとつ隔てただけなのに」 「あの河は見かけ以上に深いのです。底は岩です。だから下の方で渦をまいていて、小さな舟は吸いこまれます」  親身な忠告にもかかわらず、主人の話はかえって私の向う岸への関心を一そうかきたてる結果になったようだ。最初から私の目をひいた河の水の奇妙な青黒さも、河底が岩だとすれば説明はつく。だが四方のどこを見渡しても山らしいものはなく、地面は粒子の細かい赤っぽい粘土質の土で石ころというものを見かけることのないこのあたりで、どうしてあの河底だけが岩なのかはわからない。  朝、とび出したきり夜までホテルに戻らないあわただしい日が続いた。乾季の盛りを過ぎて、いよいよ一年で最も耐えがたい時期にさしかかっていた。乾ききった空も街も土も、激しい陽炎の中で燃えさかるようだった。顔に汗の出ることはない。たちまち蒸発してしまうからだ。汗は髪の間から首のうしろを伝って背中にだけ流れ落ちる。  事態の動きの仕組みがわかって空白の不安がなくなったかわりに、好奇心も薄れた。故意の、あるいはいい加減のデマ情報にふりまわされることはなくなったが、それとともに事実らしきものの実感も失った。ひとつの通りで凄惨なデモが起っても、路地ひとつ隔てた裏の通りは気だるい暑さに静まり返っていたし、冷房のある中心街の喫茶店でやっとひと息ついている間に、空港の近くでは軍の一部が不穏な動きを始めていた。幾つかの太い筋道が見えるだけに、実際に起こるのはその筋道の幾つもの枝道のひとつであって、別の可能な事態が同時にあらゆる街角でひしめいているのが、感じられるような気さえした。  ひとつの通りを歩いていると、すでに勝手知った他の幾つもの通りや路地や広場を同じように熱気にうなされながら茫然と歩いている自分の姿が思い浮ぶ。天井の大きな扇風機がのろのろとよどんだ空気をかきまわしている午後の部屋で気のない会話を続けていると、いつかそっくり同じ部屋で同じ話をきかされたことがあった気がしてくる。  その日も、市内である人物と重要なはずの話をするためにホテルの玄関を出たのだったが、ホテルの角を市内への通りの方角に曲ろうとしたとき、急にその人物の家までの道筋、いつも同じ鮮やかな緑の街路樹の茂みからのぞく毎日同じ藍色の空、同じ町角の同じ屋台店、その家の門の脇にいつも薄赤く咲き乱れている造花のように乾いた小さな花の茂みから、そこを歩いてゆく自分の後姿までがありありと思い浮んで自然と足が止まった。ちょうど街のなかを歩いてゆく夢をみながら、もうひとりの自分が、それを夢だと知りながら眺めているような具合だった。  しばらく曲り角に立って、路上で重なり合った街路樹の高い梢を洩れてくる陽射が、点々と光の斑点を落している通りの彼方をぼんやりと眺めていたが、そのまま角を曲らないで河岸の道を上流の方へと歩き始めた。必ずしもそのとき、対岸まで行こうと決心したのではない。ホテルの玄関を出てからの方向を強いて変えなかっただけだ。灰色のフリゲート艦が一隻、かなりのスピードで私を追いぬいて上流へと進んでいった。  間もなく海軍基地の前に出た。丸太に有刺鉄線をまきつけて組み合わせた移動鉄条網が何列も門の前に並べてある。何気なくのぞいていると、いつのまにか完全武装の衛兵が横に近よってきて、自動小銃の台尻で「さっさと立ち去れ」と私の肩をこづいた。面倒を起こす気分は全くなかったので、おとなしく足早にさらに上流へと歩く。基地の長い塀が切れるとともに舗装が消えて乾ききった土の道になった。  一足毎に土埃が舞い上って、土手の内側へゆっくりと流れてゆく。その土手の下に民家は次第に疎らになり、土手の人通りもなくなってきた。陽射がじりじりと激しくなって、私はただ機械的に初めての土手の道を歩きつづけた。そしていつのまにか、渡し場らしい場所に出ていた。  土手の急斜面を斜めに下りたところに、長方形の木の台が岸の杭にくくりつけられて水辺に浮いている。河に面した方に古いタイアが二個縛りつけられてあった。浮き台の上には大きな籠によりかかるようにして幾人かの女たちが、ひっそりと蹲っている。  波もないのに浮き台はゆっくりと揺れていた。その不安定な感じが、ひどく自然に私には感じられた。  小型の漁船を改造したらしい渡し船はゆっくりと岸を離れたが、中流に出るとかなり激しく揺れた。盛り上がるような水面の向うで一本の真直な線になった土手の連りが小刻みに震える。船首を斜めに上流の方に向けてやっと船は真直に進む。  甲板にうつった自分の影を、私は奇妙な思いで眺めた。いま自分は揺れる小さな船の隅に立っている、という鋭く突き刺さるような実感と、どうしてこんな妙なところにいるのだろうという深く訝しい思いとが交錯した。ぼんやりと土手の向うの街を歩いている自分、あるいは遠く空と海の彼方の自分の国の街を歩いている自分を思い描いてみたが、そのどれが本当の自分という気もしなかった。これまでほとんどの日々を、実は心から興味をおぼえてもいない事柄に追われながら、いつもこの�任意の気分�を心の底に抱きつづけていたように思えた。  そんなことを考えているうちに、眼が近づく対岸に沿って、あの十字架のある白い家を探しているのに気づいた。だが岸辺の水中に床を張り出した小屋のような家々ははっきりと見えてきたが、白い家はどこにも見当らない。水上の小屋のまわりで裸の子供たちが走りまわっていた。  船はそれらの家並みの間の簡単な船着き場にとまった。大きな荷物のかごをかかえた女たちのあとから、小屋のかげの薄暗い小道をのぼる。いつだったかキャフェテリアの主人が忠告してくれた言葉を思い出し、そっと周囲をうかがってみたが、街の裏通りの貧しい住宅街や郊外の難民部落ととくに変っているようにも見えない。白眼がちの犬が耳を立てて私を見送っただけだった。  坂道をのぼりきると、急に強い陽射が照りつけた。先きを歩いていたはずの女たちはいつの間にか消えていた。荒れた赤土の道が左右にのびている。椰子のまじったバナナの樹の茂みが、野の眺望をさえぎっていた。  私は道を右手に、つまり下流の方に曲って歩き始めた。すぐに家はなくなったが、バナナの林が道の両側に続いていた。時折、土埃に白く汚れた広い葉並みの間から、河の水面の輝きが透けて見えた。風はなく熱気が林の間の道にこもっていた。妙なところで妙なことをしている——という気分がまた強まった。厚い緑の茂みの中をあてもなく歩きつづけている自分を、細長く開いた空の上から覗きこんでいるような感じだった。いつのまにか靴が真白になっていた。汗が首筋から背中を流れ伝ってゆくのがわかる。  不意に林が切れて野が開けた。やはり畠ではなく丈の低い野生植物が隙間なく生えひろがっていた。  私は道をそれて、なだらかな斜面を原野に入りこんでいった。ほとんど頭上から直射日光が照りつけてきたが、林の中のようにこもった熱気ではない。幾らか風もある。蛇が多いというキャフェテリアの主人の忠告を思い出さなかったわけではないが、急に開けた明るすぎる視界の中にひきこまれるように私は大股に進んでいった。  湿地帯らしく、ところどころのくぼんだ部分には濁った水がたまっている。足をとられないように小高い部分を伝うようにして歩く。水辺の草は膝ぐらいまであるが、小高いところの草はくるぶしまでしかなく、足は地面を踏む確かな感じがあった。その感じを自分自身に言いきかすように、私は一歩ずつ草を踏みしめて歩いた。「おれは歩いている」「おれが歩いている」「こうして歩いているのがおれだ」——そんな切れ切れの言葉を、何ものへともなく突っかかるような気持で、声に出して言ってみた。  振り返ると岸のバナナの林がはるかに遠ざかって、陽炎の向うに薄れかけていた。さらに真直に歩いた。のどが渇きかけてきたが、足の疲れは感じない。平坦な野と光と空と私と、単純で明瞭だ。溢れつづける光と熱が、私の内部にじかに流れこんできて、私自身が無限にひろがってゆくようにさえ思われた。  だがさらにしばらく行ってあたりを見まわすと、何も変っていないことに気づいた。バナナの林は遠ざかったまま陽炎にゆらめいていたし、銀色に光る地平線は一向に近づかない。そのうえ、低い水たまりの部分が次第にふえ、草の丈がのびてきて、高い部分の地面も幾分しめってきた。  真直に進んでいるつもりで同じところを廻っているのではないかとも思い、左右の歩幅を意識して等しくしながら歩いてみたが、事態は同じだった。地面の柔かさが急に増してくる。湿地帯にはまりこむかもしれないという恐怖がかすめた。  あたりで一番小高く固そうな場所を探して私は初めて腰を下した。  眼と同じ高さになった野は一そう広まった。途中で遮られることなしに、視線がじかに地平線に吸いこまれる感覚を初めて味った。広すぎ、明るすぎ、そして静かすぎる。じっと視線を固定していると、私自身がそのまま消えてゆきそうな感じだった。  急いで視線を移動する。だがどちらを向いても、同じように透明な無関心のひろがりだけがあった。動くものの影はどこにもなかった。せめて頭上にヘリコプターでも、膝の下を小さな蛇でも動いてくれたら——と思った。  つい先程までの昂揚した気分は急速に萎えて、後頭部を不意にカミソリの刃で切り開かれたような空虚感が沁みこんできた。自分の内部がじかに真空にさらされたようだ。背後の空間には、冴えかえった鋭い気配が漲っていた。陽はじりじりと激しいのに、心の中は冷え冷えと翳った。眩しいほどの一面の明るさが、ふっと黒ずんで見える。  原野の空虚が不意に私の中に押し入ってきたのか、それとも私自身の空虚さが正確に剥き出しにされただけなのか。私の中に確からしい何かがあるとは思ってはいなかったけれども、本当にこんなにからっぽでしかないのか——哀しみに似た痛切なものが体の中を貫いて過ぎた。  いつの間にか両手で膝をかかえていた。額を膝頭に押しつけて眼をとじた。だが瞼の裏にはかたちらしいかたちの残像はなく、赤黒くくすんだ薄闇がひろがっていた。掌で膝を思いきり押さえてみる。骨と僅かの肉の手ごたえも、後頭部のあたりから背後に抜けていった。  それからまるで手がひとりでに動いたようにズボンの前のジッパーをひき、中のものをひき出して握った。私は底知れぬ空の深みを覗きこむような眩暈とともに、草むらに上体を倒してゆき、空の奥から知っている女たちの影を呼び出しては引き寄せた。少しずつ濃密な影が空の光を押しのけてひろがり、捩れながら暗転した。私自身の光が腰骨から背骨を貫いて野を走り、陽射よりも熱いものが手の甲を伝ってゆっくりと流れた。  しばらくじっと横になったまま、空を見上げていた。むなしい思いはいぜん空と心を充たしていたが、生きているということの、どうしようもない哀しみのようなものが、少しずつ体のなかに沈澱してくるのを、ぼんやりと感じつづけた。  やがてゆっくりと起き上って、野原を引き返した。二度と背後の野を振り返らなかった。  河岸の椰子の茂みとバナナの林が近づいてくるのを時折、確かめながら、足もとの草を見ながら歩いた。芹に似た草が多かった。疲れが出てきて、往きの倍ぐらいの時間がかかった。ようやく河岸の道についたときは陽が傾き始めていた。  真直に歩いてきたつもりだったが、幾分下流の方に寄ったらしく、道にあがると、椰子の幹の列の間から、ちょうど夕陽を背にして影絵のように街の輪郭が浮き出していた。私のホテルを中心にして積み重なるように浮んだ街の影は、激しい戦乱の首都というより、地上の任意の街、空と野の空虚の中に、人間たちがやっとつくり出した哀しい夢のかたちのように見えた。  河を渡ってそこに戻れば、たちまちまたやり切れない思いに浸されることはわかっていたけれども、私は眩しいような思いで街を眺めながら、人間がどうして、必ずしも美しくはない街を、家を、面倒な他人を、やがては朽ちてゆくはかない体を必要とするのか、初めてわかりかけたような気がした。 [#改ページ]   遠い陸橋  屋根の端をまわりこんだ夏の夕陽が、白っぽく乾ききってざらついたプラットホームを一面に照りつけている。東京とちがって、炙《あぶ》り出すように強くこもった西陽だ。  プラスチック製の虫籠を肩から斜めに掛けた息子が、見送りの母に手をひかれて、私の数歩先を歩いてゆく。その先に、上り線ホームへ渡る陸橋の上り口が開いている。昔のままに煤煙にすすけきった腰板、角のすり減った仄暗い階段……何かを思い出しかける。  と、階段を上りかけた息子が、急にうしろを振り向いた。一週間近く田舎を駆けまわって存分に陽に焼けて、顔はすっかり少年らしくなったのに、眼が頼りなげに私を探す。ボストンバッグを下げていない方の手を、改札のあと握ったままの切符と一緒に軽く上げて合図してやりながら、夕陽をまともに受けた息子の頸筋のあたりが、私に似て細いのが改めて目につく。七歳になったばかりだ。  息子が立ち止まったのに気付いて、母も足を止めた。一瞬、二つの影が鋳込まれたように、しんと階段の表面に折れ曲ってうつった。が、派手なシャツ姿の若者たちが声高に笑い交しながら、その影のうえを駈け上がっていった。 「あんまり時間ないわよ。急がないと」  私と息子のどちらへともなく声をかけて、母は陸橋を上り始めた。だが声も態度も別にあわてても苛立ってもいない。小さな花模様のすかしの入ったかなり派手な青っぽい洋服を着た母は、むしろ浮き浮きと上機嫌な感じだ。そのためか、階段の真中に立ち止まったまま、私の追いつくのを待っている息子の姿が、妙に不安気に見えた。  切符を胸ポケットにおさめてから差出した私の手を、汗ばんだ小さな手がひどくきつく握り返した。夏休みに東京から山陽沿線の父の郷里に来たのは、去年につづいて二度目だが、私と妻との結婚に賛成でなかった私の父母が息子の前に姿を見せたのは、息子が幼稚園に上がるようになってからだった。それも数えるほどしか会っていない。 「大丈夫か」  と声をかけてやると、 「あんまり元気ないんだよ。じっと動かないんだ」  虫籠をちらりとのぞきこんでから、私を見上げた。私は息子のことをきいたつもりだったのに。虫籠のなかには、父の屋敷の庭でつかまえた小さなゴマダラカミキリが入っている。  今度は私と息子が手をつないで、母のあとから熱気のこもる階段を上り始めた。片手で虫籠をしっかりとおさえて階段を上りつづけながら、息子がふっと言った。 「ママ、帰ってきてないんじゃない」  去年は妻と三人で来たのだが、あんな蛇や虫だらけの田舎なんかもうこりごりだ、と言って、ことしは妻はソウルの実家にひとりで戻ったのだった。実家といっても、両親ともすでに亡くなっていて、幾人ものきょうだいのうちで一番仲のいい妹のところに行ったのだ。  息子がまだ小さかったころ二度ほど妻はソウルに戻ったことがあるが、いとこたちとも言葉が通じないうえに、向うの食べ物は全く食べない息子の面倒をみるために、昔の友達ともほとんど会えなかったと、帰ってきてから妻はこぼした。  このところ次々と体の具合が悪く、神経も苛立ちつづけている妻に、ひとりでゆっくり休んでくるといい、と言い出したのは私の方からだった。だが、一週間前の朝、タクシーのなかで、二人もいる女中が何でもしてくれるという妹の家のことや、運転手つきの車で誘いに来るにちがいない友人たちのことを、妻が次々としゃべるのを聞きながら、私は次第に不快な気分になった。 「前のとき一度だけ、ホテルのコーヒー・ショップに妹と入ったときも、何人も昔の遊び友だちが、ミス李じゃないかって、声をかけてきてね。うるさくてしようがなかった」  とも言った。私の親きょうだいたちとも仲が悪く、親しい友だちもなくて、いつも神経を逆立てては身構えるようにして生きている妻にしてみれば、むかし派手に遊び暮していたソウルに行くのは楽しいことにはちがいないと、頭ではわかっても「何が、ミス李だ」と普段より余計念入りに化粧して年齢《とし》よりずっと若く見える妻の横顔を眺めながら、心のなかで呟いてしまう。  東京駅で私と息子が下りた。「いい子して、よく食べるのよ」と、妻はタクシーの窓から声をかけたが、息子は黙ってうなずいただけだった。 「いや、いまごろ羽田に着いてるさ」  と答えながら、妻が日頃、私と言い争ったり、息子が言うことをきかなかったりするとき「誰もわたしのことを考えてもくれない。どこか好きなところに行って、もう帰ってこないから」と、眼を吊り上げて口走るのを思い出す。そういうとき、息子は上眼遣いにじっと妻を見つめ返して押し黙っている。息子の沈黙が、私の心の底に痛いように沁みる…… 「あら、上りの急行は新しいホームから出るのよ」  いきなり母の声がした。驚くというより、思いがけない新しい事態に興奮気味の声だ。これまでの上り急行用のホームへと下りる曲り角の壁に、「本日より上り急行列車は、新幹線用新設ホームに発着します」と書かれて、大きな赤い矢印のついた貼紙がしてあった。  去年の夏は整地さえしてなかったこれまでの駅の構内の端の方に、ことしは新幹線用の高架ホームがほとんど出来上っているのを、一週間前に到着したとき見かけてはいた。だが新幹線が岡山から西にのびるのはまだ二年ほど先と聞いていたし、改札口でもそんな掲示は目につかなかった。 「大変よ。もう時間ないわ」  腕の時計をみると、確かに岡山で新幹線と接続の急行の着く時間まで五分ほどしかない。 「本当に、大変だ。急ごう」  私は息子の手を握り直すと、赤い矢印の方向に本気で足を早めた。  どういう事情で、こんなに急いで列車の発着ホームを変えたのかわかるはずもないが、私たちはそれから幾つも階段を下りては上り、まだ電線のコードや木切れやセメント片を端に寄せただけの急造の薄暗い通路を幾度も曲らねばならなかった。  時折、板塀の割れ目から人通りのない駅の裏手の家並が見えた。店先に西瓜を積みあげた雑貨屋風の店の前に立てかけた葦簀が、夕陽に赤く染まっていた。その前を、白い日傘をさした若い母親が、陽に焼けて元気そうな男の子の手をひいて、落着いて通り過ぎる。  階段を上りきると、出来上ったばかりの新幹線用ホームは、遠くから眺めた以上の高架だ。目の下に旧駅の全景が見渡せた。 「間に合ったようね」  母は蝋纈染めの手さげ袋から、丁寧に折りたたんだハンカチを出して額を叩いた。私も自分の顔をごしごしとこすった。 「ひどいな。改札口にちゃんとわかるように掲示しておかないなんて。もう少し遅く来てたら乗り過すところだった」  広い高架ホームを見まわしたが、まだ大時計は取り付けられていない。だがホームの数ヵ所に遠距離客らしい大きな荷物をもった人たちがゆるい列をつくって並んでいるのを見ると、急行はまだ着いてないらしい。 「楽しかった?」  と母が息子にきく。だが入り組んだ通路を急いで歩かされて疲れたらしく、息子は「うん」とうなずいただけで、多くは答えない。この市から車で三十分ほど川沿いの道を山間部に入る父の家を出てくるときも、畦道の途中まで見送りに来た父に、息子はろくにあいさつしなかったばかりか、妙に黙りこんでいた。  すぐ頭上のマイクがいきなり甲高い音を立てた。キーンという電気音がしばらく続いてから、駅員の声が流れ始めた。 「九州地方で順法ストのため、上り遠距離列車はどれもかなりの遅れが出ております。ご迷惑さまですが、もうしばらくご辛抱下さい」 「何だ」  と私は母と顔を見合せて舌打ちした。 「そんならあんなに急いで走ることなかったのに」  そう言えば、父の家で見たこの数日の新聞に順法ストの記事が出ていた。だが、何となく九州の話など遠いことだという感覚で、ろくに読みもしなかった。だが岡山で新幹線の接続はどうなるのだろう。東京行きの最終便に乗り継ぎの指定券を、やっと手に入れて来たのだった。  私はホーム中央の駅員事務室風の部屋まで歩いてゆくと、またマイクに向かおうとしている駅員に窓から首を入れて呼びかけた。  自分ながら突っかかるような口調だと思う。 「急行が遅れたら新幹線も待ってくれるんですか」 「多分、待っていますよ」  駅員は卓上マイクをにぎったまま、首だけ振り向いて答えた。 「多分じゃこまるんですがね。岡山で積み残されたら、ホテルに泊らなければならない」  いかにも地方の人らしく、駅員は私の苛立った口調にも反発しない。 「大丈夫ですよ。岡山に問い合わせてみますがね」  戻ってくると、息子は母のそばにしゃがみこんでいた。  これまでの上り線と下り線とそれに山間部に入る支線と三つのホームの屋根が並び、その向うには上から見下すと意外に貧弱な駅の建物と、そして引込線に沿って倉庫が幾棟も連っている。枕木の間に雑草の茂った引込線を、切り離された貨車が一輛ゆっくりと滑ってゆく。  すでに夕陽は傾ききって、それらの駅の全景は見る間に、熱気のこもった濃い黄昏の色のなかに沈みこみ始めている。三つの古いホームを結ぶ陸橋だけが、夕陽の最後の光をまともに受けて赤黒く色付き、宙に浮いたように見えた。 「新幹線は待ってくれるらしい」  と私は母に言った。 「そうでしょう。国鉄の責任なんだから」  母はたいして心配そうでもなく答えた。 「母さん、もう帰ってもいいよ。会に遅れるよ。ぼくらは大丈夫だから」  母は今夜、この市で俳句の例会があるのだった。母は三、四年前から急に俳句に凝りだしていた。地方版に俳句の欄があるからといって、それまでとっていた私の勤め先の新聞を別の新聞にとりかえていた。その新聞に、自分の俳句が何度か入選したとうれしそうに言っていた。  母が六十歳を幾つも越えた年齢にしてはかなり派手な洋服を着ているのも、俳句の会を心から楽しいものと思っているからだろう。何となく浮き浮きした感じも多分そのためだ。 「まだ時間はあるわ。いいのよ」  手首を裏返して、母は小さな腕時計をのぞきこむ。その手首にも、めっきりと肉が付いていた。  敗戦で朝鮮からこの父の郷里に引揚げてから長い間、田舎になじまなかった病気がちの母が、このところ心身ともにすっかり元気そうになったのも、俳句を始めたためにちがいない。俳句をつくることによって自分の心に形を与えるということだけでなく、同好の人たちとにぎやかに談笑することが、母にはよかったのだろう。この春、土塀が崩れて余計よく見えるようになった屋敷前の小山に山|躑躅《つつじ》が満開のころ、うちで例会を開いて皆によろこばれた、とこの一週間のうちに何度も聞かされた。  引揚げてから何年もの間の、痩せて、眼ばかり異様に光っていたころの母とは、別人のようだ。さすがに髪に白いものがまじり始めてはいるが、毛は豊かだし顔の色艶もいい。  私が東京の大学に行っていたころ、農薬をのんで便所の中で倒れているところを妹が見付けて、大さわぎになったことがあったと、妹から聞いたことがウソのようだ。そのころ夕食のあとで父と言い争っていきなり裸足のままとび出して屋敷の裏の川の土手を走って行ったときも、苦労して探して連れ帰ったのだ、と妹は冷い口調で言った。 「川のずっと下の方の、真暗な竹籔の蔭にじっとしゃがみこんでいたのよ。髪をふり乱して。恥かしいったらなかったわよ。うちのお母さんは、自分のことばかり考えてるのよ。要するに、我儘なのよ」 「そう言うな。いろいろ辛かったんだ」  と私は妹に言ったが、私自身も実は、母のなかの何か不安定なものを小さなときから内心で恐れていたことを、改めて思い出したりした…… 「来年の夏、こんどあんたたちが来るときには、あの陸橋ももうなくなっているわね」  いつのまにか母も私と一緒に陸橋を見下していた。  鉄骨を組み上げてそこに頑丈な板を無造作に筒形に張り付けただけのどこの駅にもある陸橋である。  東京の高校、大学に行っていた間、アルバイトに疲れて帰省する度に、私はそこを渡った。敗戦の年の秋の末、博多港から無蓋貨車の引揚列車で夜どおし寒さに震え上って眠れなかった明け方に、汚れきったリュックの包みをほうり投げ下してから跳び下りたのも、あの陸橋の下だった。駅の柵越しに眺めた市は完全に近い焼け跡だったが、陸橋だけは焼け残っていた。  いつも煤煙に汚れ、剥き出しの鉄骨は赤錆がこびりついていた。階段はすり減って、なかは陰気に薄暗かった。夏は熱気がこもり、冬は隙間風が容赦なく吹きこんだ。  二十年前もそうだった。三十年前もそうだった。いや、そのもっと前、敗戦数日前の空襲で焼きつくされるまえの、黒い屋根瓦に落ち着いた厚い白壁と太い格子の老舗がひっそりと不思議な威厳をもって並んでいたころも、あの陸橋はやはり同じように汚れ煤けて荒涼と立っていた。 「ねえ、汽車いつくるの」  虫籠を膝のうえに両手でしっかりと抱いてしゃがみこんでいた息子が不安そうに声をかけた。しゃがんだまま無理して上を向いているため、細い頸の両脇で筋が張り出して突っ張っている。 「コーラでものむか」 「うん」  とうなずいた拍子に、華奢な体つきに似合わぬ豊かな耳たぶがちらりと見えた。  小学校に上る前だったから、いまのあいつよりもっと小さかったわけだ——真新しい売店で買ったコーラのビンを下げて戻ってきながら、長いホームの向うに母の後姿とそのそばにしゃがみこんでいる息子の姿が目についたとき、先程、陸橋の手前で思い出しかけた遠い記憶の光景が、ゆっくりと炙り出されたように浮び出してきた。  母は和服だったのか、洋服だったのか、そこのところはあいまいだが、決して特別なよそゆきの着物ではなかった。私もズックの運動靴のままで、駅前でバスを下りた。まだ祖父母の生きていた村の屋敷から、市に買物に出て来たのだった。妹はやっとまともに歩き始めたばかりだった。  だが片手に妹の手をひいた母は、片方に小さな風呂敷包みを下げて市の方ではなく、駅のなかに入って行った。そして切符を買って改札口を出ると、ホームをさっさと陸橋の方へと歩き出したのだった。 「どこに行くの? どうして汽車に乗るの?」  妹をひきずるようにしてずんずんと歩いてゆく母のあとを小走りに追いながら、私は幾度も声をかけた。だが、母は思いつめたようにホームを進んでゆく。その後姿の異常な気配と、ひとりでに迫ってくるような黒々とした陸橋の暗く大きな上り口に、私は怯えきった。  小学校へ入る直前に私たちが朝鮮へ出発したのは、東京からだったから、そのとき母は確かに私と妹を連れて、買物に出たまま、東京の実家に戻ってしまったのだ。  白い蒸気をホームのうえまで吹き出しながら滑りこんできた機関車の無気味に黒い姿と、ホームの隅に咲いていたグラジオラスかカンナらしい赤っぽい派手な花のイメージが、いまも濃い不安の陰影を帯びて、鮮やかに心の奥に見える。これまでも私が何かに怯えるような事態になるとき、必ずそのイメージが思い浮ぶ。  その時期の父の記憶は不思議に全然といっていいほどない。そのときすでに父は先に朝鮮に渡っていたのだろうか。田舎の屋敷の記憶のなかに浮んでくるのは、父でなくて祖父の姿である。  祖父といっても、父の本当の父ではなくて、父からは叔父に当る。メキシコに渡るんだといって、東京の外国語学校でスペイン語の勉強をしているとき、本当の祖父が急死したため、呼び戻された。そして兄の未亡人と結婚させられ、一生を田舎の地主屋敷に閉じこめられた形になったのだった。  恐らくそのためだろうと思う。次々と田地を手放しては、最上の食物、最上の着物しか受けつけず、朝から酒をのんでは、のめばのむほど顔は青くなった。年上の祖母はいつもおどおどと怯えきっていた。庭の池に猫を投げこんで、やっと這い上がってくるところを繰返し突き落している祖父を、植込みの蔭から息をひそめて見つめていたことがあるような気がする。  あるいは、大きくなってから父か母から聞かされたいろいろの話から、私がひとりでにつくりあげた記憶かもしれない。だが、これだけは間違いのない記憶——秋の末らしい灰色の夕方、どういうわけか子供の私は祖父と二人で、瓦ぶきの門の前に立っていた。  村の隅にある屋敷はやや高台になっていて、村の田んぼが眺め渡せた。どこかで稲か枯れ草を焼く白い煙が、田のうえを低く這っていた。田のひろがりの向うに、幾棟かの農家と土蔵のかたまり合っているのが見えた。その土蔵のひとつの屋根のうえ高く、欅の木が一本だけぬっと聳えたっている。その背後には、頂まで鬱蒼と樹々の茂った山が深々と覆いかぶさるように迫っていた。どこにも陽射の色も、青空もなかった。  そのとき、祖父が唇だけが薄赤い青白い顔を急に近付けて、あの高い樹の下の家で人殺しか首吊りがあったのだ、と囁くように言ったのだ。のしかかってくるような青黒い山の色も、底のない古沼をのぞきこむように恐ろしかったし、老木の下の土蔵の壁の陰気な白さも、不吉な迫力をもって私を怯えさせたが、それ以上に人殺しや首吊りのようなことを、平気で、いや内心楽しそうに囁く祖父が、私はこわかった。  こらえられなくなった私は、わっと泣き出して門のなかに駈けこむと、広く暗い屋敷のなかを、母を探してまわった。 「さあ、買ってきたぞ」  私はわざと暗い記憶を追いやるように、大きな声で言った。 「あまり冷えてないよ」  母とも口をきかなかったらしく、不安気な表情でしゃがみこんでいた息子の汗に汚れた顔が、内側から明るくなったように綻びた。 「パパがいない間に列車が着いたら、どうしようかと思ってたんだ」 「列車の入ってくる前には、マイクで言うさ」 「この子ったら、あんたが見えなくなると急にそわそわして。男の子のくせに」  母は少しの翳りもない声でそう言って、ハンカチで額をおさえた。母は陸橋の全景を目の下に眺めていても何も思い出しはしないのだろうか。  母が忘れきっているのなら、それでいいのだし、忘れた振りをしているだけなのなら、余計きくこともないのだ。一瞬、泡立ちかけた気持が引くと、頸筋のあたりと腰のまわりに目に見えて肉がついて穏やかに落着きかけた母の姿が、改めて目にうつった。 「俳句の会はどこでやるの」  あちこちにネオンの灯が目だち始めた駅の彼方の市街を眺めながら、私はきいた。 「あのデパートの裏手の方、駅からすぐよ」  駅前から真直に広い通りがのびて、その右手にデパートらしい高いビルが見える。屋上はビアガーデンらしく、色つきの提灯の並びに灯がつき始めていた。 「都会らしくなったもんだな」 「またひとつデパートができるそうよ」  母はごく自然にうれしそうな口調で応じた。  朝鮮に渡る前に母の実家で過した日のことが自然に思い浮んだ。母の実家は赤坂の高い土手に囲まれた広いT宮邸の敷地の一角にあった。満州事変のあとで、まだ東京は戦前のはなやかな空気が残っていた頃だ。  赤坂五つ木の縁日の夜、並んだ屋台店のアセチレン燈のにおいをおぼえている。伊勢丹のスケートリンクもおぼえている。スポーツで有名な大学のアイス・ホッケー部のキャプテンだった叔父が、茶の間であぐらをかいて出前のシューマイをひとりで食べていた。おしゃれで知られた私立の女学生だった叔母が、ぴらぴらとやたらに襞のついた洋服を着こんで、鏡の前でポーズをとっていた。  祖父は役人だったはずなのに、母の家には、何となくいかがわしい自堕落で華美な空気が漂っていた。親類たちが終始、出入りして、人声や笑い声が絶えなかった。小さな私は、そうした東京の母の家に、眩しいような気持でひかれながらも、自然にはその中に溶けこんでゆけない自分を感じていた。あれだけ恐れた父の郷里の暗い山と屋敷が、いつも背後から自分を見つめているように思われたのだ。  マイクが延着した急行の到着を告げた。岡山で新幹線は発車を遅らせて待っているとも説明した。 「よかったわね」  母が浮き浮きと言った。朝鮮に行く前のごく短い間、赤坂の実家で過していたときの何となく浮ついたように楽しそうだった母に似て見えた。 「じゃ、来年の夏休みもいらっしゃい。ママによろしくね」  明るい声で母が息子に言っている。 「ママ帰ってきてるかな」  息子はのろのろと起ち上りながら、呟くように言った。  黒い蒸気機関車ではなく、ツートン・カラーの軽快な電気機関車の急行が滑るように、ホームに近づいてきた。何となく私はホームを見まわしたが、新設の高架ホームのどこにも、花壇も赤い花もなかった。 [#改ページ]   私の原風景——あとがきにかえて 「六月二十八日午前四時半」——と、記されてある。日記などという殊勝なものでもないし、創作ノートといった大層なものでは更にない。折に触れて、心の激したとき、迷ったとき、故知らぬ憂愁の想いに駆られたときに、思い出したようになぐり書きする雑記帳の一頁である。 「余りに生々しい夢で眼がさめた。起き出して、机に坐る。小雨の夜明け。一面に白っぽい靄とともに、もはや夜でもなく、まだ朝でもない不思議な時間。窓の下の環状6号の道路も、さすがに車の通りは疎らで、街灯だけが薄蒼く滲んでいる。  まるで、夢の内側に目ざめたような異様な感覚だ。  夢——社会部のAというベテラン記者が、落合でもたまプラーザでも朝鮮でも、あんたと同じところばかり住んでいたと言った。その前、小さな町を、私は歩きまわっていた。ひどく親しく懐しい感じの町。昔、親しかった女たちも住んでいて、訪ねようと思えば訪ねられるのだが、行ってはいけないと思った。両親が居る感じも漂っていた。いまの女房とふたりで、住むところを探していろんなところを歩きまわったな、と思い、それが大切なことなのだと納得する。新しく外報部の部長になったYらしい男と、Miteinander-Sein という話をして(ふたりともドイツ語はできないはずなのに)意思が一致した。自分自身の決心なんてむなしいもので、機熟さずしては何事も成らない、と私は言った……  前夜、急に外報部長交替の緊急部会があった。部員たちも私も動揺している。五年前に部長が変って急にデスクにされたときも、強く不安な夢をみて、それが元になって私の最初の小説らしきもの『還れぬ旅』を書いた。  街灯がここで、あそこで、ひとりでに消えてゆく。薄明が体中の毛穴から、ひたひたと沁みこんでくる。数日前読んだ短篇小説の末尾に、Life is but a dream という英語の歌が原語で書いてあったのを、ふと思い出す。そうじゃなくて、Life is the very dream だという実感が不意にこみあげてきた。  生こそ真の夢、夢のなかの夢だ(男のなかの男というのと同じ語法で)。夢を否定的にとってはならない。そうすることによって、生の不安定さがそのまま確かなものと観取される。  リアリティーといううまく日本語にならぬ�あのこと�が、やっとわかりかけたという感じ。生が生であり、夢は夢でしかないならば、小説も畢竟、エソラゴトでしかない。人間は夢みることができ、夢の焦点を絞ったものが生の芯であるから、小説がどうしても成立つのだ。 (死とは夢の終りなのか、もうひとつ奥の夢なのか)  長い間、迷っていた『新潮』の小説(『あの夕陽』)を、ようやく書き始められる気がする。倫理の次元より深いリアリティーがあるはずだ。  不思議な夜明けだ」 �原風景�は時間的な過去にひとつだけ固定されてあるのではない。つねに今の奥に、ひそんでいる。何者がそれを送りつけてくるのか、知らない。いつ浮き出してくるかも、わからない。だが、一九七四年六月二十八日午前四時半から五時にかけて、私は窓の外と、私の内部に、異様に不安でリアルな薄明の風景を見た。  その風景の余韻が、いまも残っている。理屈めいた部分の感じは、すでに薄れかけている。次は、いつ、どんな�原風景�と出会うだろうか。 この作品は昭和五十年三月新潮社より刊行された。