量子力学の世界 はじめて学ぶ人のために 片山泰久 著  序 文 湯川秀樹  量子力学ときいただけで「そんなものは自分となんの関係もないし、興味がない。」と、そっぽを向く人が多いようである。それも一応むりのないことである。今までに書かれた量子力学の解説書には、むずかしそうな数式がたくさん入っていた。高等数学に関するあるていどの予備知識がないと、理解できないようになっていた。もちろん少数の例外はある。たとえばガモフの「不思議の国のトムキンス」は、数式のかわりに巧妙な比喩を使い、想像力に訴えて、相対性理論や量子力学がどんなものかをわからせようとする試みであった。私には、この本は大変面白かった。物理をよく知らない人たちにとっても面白い読み物だったかも知れない。しかし、それが量子力学への入門書として役立ったかどうかには疑問がある。  最近、片山泰久君が数式を使わない量子力学の解説書を書いているときいて、ちょっと信じられなかった。長い間、私といっしょに素粒子論の研究を続けてきた片山君は、めんどうな数式を扱うことに慣れすぎている。「数式を使うな」という条件をつけられて、さぞ困っているだろう……。そんなことを想像していた。  ところが序文を書いてほしいといって、届けられてきた原稿を見ると、なるほど数式はひとつも入っていない。対話調になっているので、読みやすい。しかも書かれている内容は相当高級である。それをなんとかわかってもらおうとする苦心が、私にもよくわかる。これだけの内容を言葉だけで表現するのは並み大抵のことではない。ほかにちょっと類例のない書物だと感心した。  片山君がはなはだしく人間ばなれした素粒子を直観的にとらえるのに苦労してきたかいあって、より具象的な量子力学の説明が案外、楽にできるようになったのかも知れない。最近、工学部の学生を教えるようになって、彼の教育技術が一段と進歩したのかも知れない。  私が中学生だった頃、相対性原理が世界的に流行した。時間・空間・エーテル・万有引力など、だれでもがなんとなく知っていることが問題になっていたのだから、多くの人の興味をひいたのも不思議でなかったかも知れない。しかし平生、物理学などに関心のない非常に多くの人たちが、一時的とはいえ、相対性原理を日常の話題にまでしたのは異例なことだった。それ以後、こんなことは二度と起こっていない。  量子力学の始まりはプランクの量子論である。それは一九〇〇年に現われた。アインシュタインの相対性理論は、それより五年おくれている。しかしアインシュタインは一〇年ほどの間に、ほとんど独力でそれを完成してしまった。量子論が量子力学という形で一応完成するまでには二五、六年かかっている。そのためには多くのすぐれた物理学者の努力の積みかさねが必要であった。その間、量子論や量子力学は、相対性原理のようなブームを一度もひき起こさなかった。そのかわり学界では静かなブームが続いていた。物理学を変革した量子力学の影響は、自然科学の他の分野へ急速にひろがっていった。今日の化学は量子力学を基礎理論とする点で、物理学と共通の地盤の上に立つことになった。電子工学におけるトランジスタやメーザー、レーザーのような画期的な発明は、量子力学なしには、ありえなかった。生命現象の理解も、基本的レベルにおいては量子力学抜きにはできないことになってきた。  そればかりではない。科学文明の中で生活する以上、量子論あるいは量子力学は「そんなものは関係ない。」と片づけられなくなってきているのである。人体やばい菌に対する紫外線の作用が、目に見える光線とちがうことはだれでも知っている。その説明は光量子をもってこなければできない。揮発しにくい物質の塊《かたまり》を熱すると赤くなり、さらに温度を高めれば白熱する。こういうよく知られた現象を説明しようとして、プランクが苦心した結果として量子論が生まれたのである。鉄がどうして磁石になるか、水素や酸素などの原子の間の化学結合の本質は何か。こういう種類の疑問はいくらでもあろうが、それらに正しい答えをあたえてくれるのが量子力学である。  相対性原理は哲学的な色彩を帯びていた。それが多くの人の関心の的《まと》となった理由の中の一番重要なものであった。しかし、量子力学は相対性原理にまさるとも、おとらぬ哲学的な問題を投げかけたのである。特にひとつの原因のひき起こす結果は、かならずしもひとつにきまっていないという不確定性は、私たちのものの考え方に深刻な影響をおよぼさざるをえないのである。  そういうことを考えあわせると、量子力学は、おそかれはやかれ皆の常識の一部となってゆくはずのものなのである。ただ多くの人にとって、なかなかとりつきにくいために、常識化がおくれているのだと思われる。とりつきにくさの壁を破ろうとする片山君の苦心の作が、多くの人に読まれることを期待するしだいである。    はしがき  この本は、現代の科学に興味をよせる多くの社会人や学生と、これから科学の門に入ろうとする若い人たちのために書いたものです。したがって、科学や数学の予備知識なしで読めるように努力しました。とくに数式は一切使ってありません。  量子力学は、目に見えない原子、分子の世界を理解するための、欠くことのできない会話法です。それは、私たちの日常の世界で通る常識とは非常に違っています。そのために量子力学は、正確を期する必要から高度な数学のよろいをつけているのがふつうです。だから、量子力学を数式なしにのべることは大変な冒険なのです。  しかし、その冒険をあえてしようと思った理由がふたつあります。ひとつは、現代では原子、分子の世界が私たちの生活と深いかかわりあいをもってきており、その世界を理解することはすべての人々に欠かせないものとなっているからです。ふたつめは、量子力学が見出した考え方やものごとを確かめる方法は、私たちの常識をしりぞけるよりもむしろ反省させたもので、その考え方や方法はいろいろな面で役立たせることができるからです。こうして、量子力学がすべての人々にとって新しい常識となる時代が、すぐにやってくるように思います。そのためには、科学者は自分たちの常識をもっと広い人々のものにする冒険をすべきだと思ったからです。この本が果たして希望通りにできたかどうかわかりませんが、そういう著者の望みを読者がいれてくださるならば、おそらくこれからも、もっとすぐれた本が生まれるだろうと思います。  量子力学は二〇世紀に作られ、短期間のうちにめざましい進歩をとげたものです。著者はこの本を書くにあたって、昔同じような希望で書かれた小冊子を手にしました。昭和一四年刊の田村松平著『量子論』(定価五〇銭)です。著者の恩師のひとりである田村先生は、最近、京都大学を退官されましたが、その本には新しく生まれた量子力学をすべての人々にわからせようとする青年学徒の若々しい情熱が感じられます。それから三〇年の歴史は、量子力学を驚くほど広い分野にひろげました。これからもそうです。だから、おそらくこの本で書かれた内容も間もなく書きかえられるでしょう。この本を読んだ人のなかから、もっと広げられた未来の量子力学を書く人が出てくださることを、著者は心から期待しています。  なお、巻頭に序文をくださった湯川秀樹先生、この本を作る機会をあたえられた中村誠太郎先生、またこの本を出版するために努力をおしまれなかった講談社の田沢雄三氏、末武親一郎氏、やっかいなさし絵に労をはらってくださった永美ハルオ氏に大変感謝しております。    一九六七年春  京都下鴨にて 片山泰久  目 次 ㈵ 身近になった量子 コーヒーと量子力学 新しい常識 見えない世界をたたく杖 際限のない小型化 せまくて広大な天地 メートル原器もセント・ヘレナ島へ 時は原子がきざむ 宇宙の果てが見える光 人類を支配下におくたらいの水 原子力が最後の火とはかぎらない ㈼ 量子はこうして生まれた  1 自然は飛躍する 発端はドイツ鉄工業 �黒�の箱から出た謎 青の公式 赤の公式 Xマスに量子の扉をたたく者  2 光は粒である 光にたたかれる電子 光はかぞえられる プランク公式を知らなかったアインシュタイン  3 原子の言葉の解読 コーヒーをにごらす原子の光 光は言葉である バルマー老の文法  4 hが支配する世界 トムソンのスイカと長岡の土星 原子には芯があったが 光量子の救い 長すぎた論文 エネルギーは階段をとぶ  5 ついに量子をとらえた 古い物理学とのけつべつ ド・ブロイの波紋 量子を導く美しい数式 古い革袋に新しい酒 ㈽ 量子力学の考え方  1 粒子がどうして波であるのか 波は不確かさのあらわれである 位置と速度は同時に確かめられない 物理学は何も決定できないのか  2 �不確かさ�の理論 確率で電子を波立てる 不確かさの確かめかた アインシュタインの抵抗  3 量子の地図 エネルギーがきめ手 原子の新しいポートレート 古い物理学へのかけ橋 トンネルをほる量子  4 因果と量子力学 殺猫問答 時間に向きがあるか 原子と人間のさかい ㈿ 量子は科学を結ぶ  1 周期表の理論的解明 電子の雲 左まき電子と右まき電子 パウリの原子設計  2 化学は電子に支配された 雲から手が出る 原子の雲か分子の雲か 反応の峠ごえ  3 固体のなかの海 音と結びつく熱現象 電子の海 固体物理とエレクトロニクス  4 原子核の中へ 科学の処女地 核の中の魔法の数 新しい火の化学 ㈸ 量子は可能性を開拓する  1 量子の開く世界 いくらでもある量子○○学 未知と矛盾の狩人  2 量子力学の終点 電子も消える 世界と反世界 量子電気力学という模範答案 朝永のくりこみ理論  3 極低温の世界 エレクトロニクスの前途 ひとりでにはい出す液体 量子が目に見える  4 超高温の世界 星の火と量子力学 プロメチウスの火 湯川が開いた素粒子の箱 � 量子は何を教えたか 永遠の真理とは 量子力学にも限界がある 知識よりも考え方のパターンを 人間から離れ人間にかえる I 身近になった量子 コーヒーと量子力学  季節を忘れさせる、日の光のこころよい昼さがり、大学の研究室をぬけ出して近くの喫茶店に入ったA教授は、そこで思いがけない友人を見つけた。学生のころ親しくして、いろいろと議論をしあった仲間のB氏である。文科系の学部を出て、たしか出版社につとめたと聞いていた。  ところが、再会をよろこんだふたりが世間話の二つ、三つもしないうちに、B氏がとんでもないことをいいだした。  B「いつか一度ひまを見つけて、きみを訪ねようと思っていたところだ。量子力学とはどんなものか教えてもらおうと思ってね。どうだろう。」  A教授はちょっとたじろいだ顔をした。彼はさきほどまで教壇に立って量子力学の講義をしていて、その疲れをなおすためにコーヒーを飲みに来た。それなのに、ここでもう一度リハーサルをさせられてはたいへんだと思ったのである。  A「まってくれよ。簡単にそういわれても、ひとことですませられる話ではないんでねえ。」  B「いや、実はぼくもそんなつもりではない。もしよかったら、数回ぐらいきみのところに通ってもよいと思っているんだ。それでも、教科書に書いてあるようにやられたらとてもついていけない。第一ぼくが数式に弱いことはきみも知っている通りだ。だから多少時間をかけても、数式をいっさいつかわないでお願いしたいのだが、むりだろうか。つまりこうやってコーヒーを飲んでいる気もちで、というわけなんだが。」  A「なるほど、コーヒーを飲んでいる気もちで量子力学をか。これはちょっと難題だね……。」  A教授はいささか考えてしまった。なにしろ、量子力学は高等な数学を土台として作られたものといわれている。だから学生のころは、数学ぬきで量子力学がわかるものかと思ったこともある。しかしこのごろでは量子力学のおもしろさはその数式のよろいとは別物であると思うようになった。A教授が学生であったころと今とは事情はかなり違ってきている。量子力学が一部の理論物理学者の手で開拓されていた時代から、すべての自然科学者によって使われる時代に移りかわっている。すでに量子力学は科学者の常識のひとつである。そして、あらゆる人々にとっても常識となる時代がすぐに来るだろう。すると、量子力学もコーヒーを飲むような気もちで誰にでも親しめるものになってよいはずだ。  A「とにかく、できるかどうかやってみよう。」  A教授はそう答えて、冷たくなりかけたコーヒーを飲みほした。 新しい常識  A「ひとつうかがっておきたいことがある。いったい、きみはどういうわけで、今になって量子力学などに関心をもち出したのかね。」  B「まとはずれかどうかわからないが、思った通りをいってみよう。このごろ、いろいろな科学に少しずつ関心をもち出しているのだが、目まぐるしいほど進み方がはやい。原子力しかり。原子爆弾ができたのにびっくりしていたのは昔のことで、今では原子力発電や原子力船が実現している。トランジスタを中心としたエレクトロニクスしかり。化学調味料、プラスチック、人工繊維と次々に新製品を生み出した石油産業しかり。かぞえ出したらきりがないけれど、ともかく、どんな分野もいっせいにすばらしいはやさで動いている。  この進歩の原因はいったいなんだろうと考えてみた。たしかにいろいろの要素はあるのだが、どんな科学の分野をつきつめていっても、結局、電子とか原子、分子というところまでいくらしい。電線のなかを流れているのは電子であるし、物を作っているのは原子や分子だというのはわかる。だが、わからないのは、なぜそんな目に見えないものがすべての科学を超スピードでおし進めているのかということだ。電子とか原子、分子といわれると、そんなものかと思うのだけれど、よく考えるとちっともわかっちゃいない。  電子や原子をよく知ろうと思ってしらべると、今度は量子ということばにつきあたる。つまり、現代社会をゆり動かす巨大な科学を支える理論的支柱、というよりは大黒柱の一本に、この量子力学が当たるのではないだろうかと考えた。とまあこんなしだいで、量子力学を現代の常識のひとつとして吸収しようと決心した。まちがっているだろうか。」  A「いや、まちがいどころか、りっぱなものだ。優等生の答弁をきいているみたいだよ。それだけの心づもりなら、ぼくのほうも話しやすい。かえって、こっちのほうが楽しみになったくらいだ。」  A教授とB氏の協定はともかくこうして成立した。二人ともこの約束を果たすことになったのはもちろんである。 見えない世界をたたく杖  約束の第一日。定刻よりはやめにあらわれたB氏は、はじめてのA教授室なのでややなれない様子だった。学生のころを思い出したのかもしれない。あちこち視線を走らせていたが、開口一番、変な質問を始めた。  B「きみは物理学を研究していると聞いていたので、ついでにいろいろな装置を見せてもらおうと思っていたのだが、失礼ながらそんなものはどこにもない。これで研究ができるものかね。それとも相手が小さいので装置もぼくの目に見えないほど小さいのかな。」  A「ごあいさつだね。そういうことはこれまでもたびたび質問されてなれている。実験装置は相手が小さくなればなるほど逆に大きくなっていくので、ぼくの専門の場合には、ちょっとした大工場の規模だ。だからこんな小さな部屋では何もできないということもあるが、ほんとうはそういう大きな装置になると問題が複雑になって、いろいろな面をひとりでやるわけにいかない。それで実験ばかりをやる実験屋と、紙と鉛筆だけの理論屋とにわかれる。昔は、理論をやって実験をするという研究者もあったけれど、だんだん話がこみ入ってくると、両方に才能をわけるのはかえって損なわけだ。実験をしなくても物理学の研究をすることは山ほどある。」  B「研究する相手が小さくなると実験装置が大きくなるというのは、よくわからないがおもしろいことだね。」  A「ぼくたちの目はうんと小さいものを見るには適していない。そこで、それをおぎなう手段として顕微鏡が発明された。おかげで病原菌が見つけられたが、顕微鏡で見える範囲は、だいたいこのくらいの大きさまでである。ところが、もっとやっかいな菌、ろ過性病原菌といわれたウイルスをしらべるには、光線のかわりに電子線を用いる電子顕微鏡が登場する。それには電子を動かすための高い電圧装置が必要になる。これは光学顕微鏡のようにそこらの机のすみでまにあうような大きさではない。この部屋の半分くらいは占領される。では電子顕微鏡でどのくらいまで見えるかというと一〇〇万分の一センチていど、最新の装置を用いても一〇〇〇万分の一センチぐらいまでである。これでは原子もたいていの分子も簡単には見えない。」  B「ええと、原子の大きさは一億分の一センチだから、さらに一〇倍、一〇〇倍ほどよく見えるように改良する必要があるというわけか。」  A「ところがそうじゃない。可視光線や電子線を用いるかぎり、こういう装置には限度があって、どうやってもこの事情は良くならない。こうなると盲人がものを見るのと似たようなわけで杖でたたく以外に方法はない。もちろん、杖といっても原子を相手とするには原子くらいの大きさでなければ意味がない。すると原子ほどの大きさのものにじゅうぶんな力をあたえることが必要になる。ぼくたちが使うものはすべてばくだいな原子の集まりだから、そのなかの原子ひとつひとつにじゅうぶんな力をあたえるとなると、全体としてはものすごい力になるわけだ。そのためには装置も大きくなる。」  B「大きな装置といえば、どのくらいのものか。」  A「電子顕微鏡のかわりをするものは、まずX線装置で、これで原子のなかの電子の様子がわかる。つぎに原子の芯《しん》を見るとなると、静電高圧装置とかサイクロトロンという粒子加速器が登場する。これらのうち簡単なものは、ぼくらの家くらいの建物でもおさまる。ところが、原子の芯のなかをくわしく知ろうとすると、加速器をどんどん大きくする必要が起こる。現在世界の中心となっているような装置は国会議事堂くらいの大きさにまでなっている。最近、アメリカなどでは、長さが三キロにおよぶようなものまで作られるしまつだ。もちろん大きくなればそれだけこまかいところがしらべられるが、かかる金額も相当なものだ。億円の単位ではすまない。そのうえ、一けた小さいところをしらべるには、だいたい倍額いるという計算もあるくらいだ。」 際限のない小型化  B「小さな相手をしらべるのに、大きな装置が作られていく一方で、小さな相手、たとえば電子の性質を巧妙に利用するおかげで、ぼくらのまわりの電気製品はどんどん小さくなっている。電子工業の花形はトランジスタだと思っていたが、最近では、I・C(集積回路)というものが登場してきて、かなり小さくなったラジオが今よりもっと小さくなるらしい。どこまで小さくなるのだろう。」  A「トランジスタの本体は、せいぜい一ミリ四方だが、これにリード線その他の付属品をつけたりするので、全体はやや大きくなる。  トランジスタの作業技術も最近ではかなり進んで、一まいの結晶片の上で、数千個のトランジスタを作ることもできるようになったが、なんといっても欠点は電気回路とつなぐという点にある。そこで考えられた方法は、トランジスタの本体の上に、じかに電気回路をやきつけるということだ。本体は半導体という性質のゲルマニウムやシリコンで、その上に酸化物をかけ、さらに金属でおおってサンドイッチのようなものを作る。あとは顕微鏡を操作しながら光線をあてて金属をとかして回路をプリントする。だから、顕微鏡で見える範囲ぎりぎりまでいけるし、サンドイッチにどれだけ必要な回路がのせられるかにかかっている。」  B「すると、回路の間隔をせまくしても早晩限界がくるわけだね。」  A「たしかに、現在のやりかたをしているかぎりは、いくらでも小さくなるとはいえない。そこで、物質のなかでどういうことが起こり、利用されているかという点を見れば、これは原子スケールの現象なのだから、いくらでも小さくできる。ただ現在ではこの原子スケールのものを軌道にのせる点で、回路のような原子スケールでないものをはさまなければならない。この点が変われば、今考えられている限界などはなくなるだろう。」 せまくて広大な天地  A「さて、このトランジスタの生いたちだが、エレクトロニクスが真空管を中心として進みはじめた一九三〇年代のはじめころ、物理学の最前線には古典物理学にかわって、量子力学を主軸とする新しい物理学のさっそうとした姿があった。気体のなかの電子は古い物理学でじゅうぶん間に合う。ところが、半導体のような固体のなかで起こる現象は新しい物理学、量子力学によってはじめて理解できるものなのだ。  固体を研究する物理学者たちは、金属の電気伝導を説明した量子力学と同じ手口を用いて、半導体のなかで何が起こっているのか、ほぼ推量できた。だが残念なことに、当時の材料の質と技術はこれを確かめるには低すぎた。  戦中から戦後にかけて、気体エレクトロニクスは一つの困難につきあたった。真空管では、電子をわざわざ気体中にとり出すから、ガラス管内が電子の活躍する天地である。真空管の足の数がふえれば管内の極もふえるから、それだけ電子の天地もせまく、増幅できる周波数の高さにも、管の寸法にも限度がある。消費電力の大きいこと、こわれやすい点をふくめると、たとえば電子計算機のようなたくさんの部品がいる装置を真空管でつくろうとすれば、かかる手間と費用はばくだいなものになる。この点に気づいた人々は、大学での地味で基礎的な物理学の研究を放っておかなかった。  半導体物質の開拓が始められ、不純物を少なくしたゲルマニウムやシリコンが作られた。半導体の特色はそのなかに不純物があるおかげだが、それはできるだけわずかなほうがよい。固体を研究する物理学者とベル電話研究所の協力体制ができた。ついに一九四八年、バーディーン、ブラッテイン、ショックレイの三人によって、トランジスタの発明がなしとげられた。」  B「トランジスタが歓迎された点はどこだろう。」  A「トランジスタの原理は別に学ぶ機会があると思うので、ここでは、ゲルマニウムやシリコンの固体のなかに、わずかにある不純物の電子による効果だといっておこう。  固体は人間の作った真空管よりはるかに堅固で耐久性のある容器といえる。電子にとっては真空管のような広大な天地がないように思われるかも知れないが、ひとつひとつの原子の内部にしても、じゅうぶんすぎるくらいの広さがある。半導体のなかの電子は、奇妙なことに、気体のなかの電子より身軽である。金属の陰極、フィラメントを加熱して電子をたたき出す労力にくらべれば、不純物から目的の電子をはぎとったり、それに電子をくっつけたりすることは、きわめて簡単な話だ。耐久性に富み、小型で、しかも電力が少なくてすむというのだから、まさに真空管のいきづまりを破るかっこうなチャンピオンだったわけだ。  ここで歴史は変わって、気体エレクトロニクスが固体エレクトロニクスへとうつることになる。エレクトロニクスが、人類の指先を物質の中にまでのばした量子力学によって、姿を変えたといってもよいだろう。」 メートル原器もセント・ヘレナ島へ  B「たしかに、電気製品を見ていても新しい科学領域の開拓とともにわれわれの世界が変わっていくことはわかるが、ぼくらの生活がいつもそれと結びついているわけではない。もっと身近な変化はないだろうか。」  A「それじゃこういう話はどうだ。ぼくらは生活をしていく場合にいろいろ数を使っている。長さ、時間それに重さなどという数だ……。」  B「それは、ぼくでも知っているCGS単位のことだろう。時間を秒、分、時であらわすのは十二支を用いるよりは便利だが、長さや重さなど尺貫法になれた者にはいささか奇妙で、何坪の土地が何平方メートルだといわれても、�駅から徒歩何分�などという土地ブローカーの殺し文句と同じで�だまされるものか�などと思ったりする。 �何ミリリットルの日本酒をのみました�などといわれてもピンとこないけれど、科学と日常生活を結ぶためにはよいことだろう。」  A「それではうかがうが、このCGS単位というのは何を規準にしているのか。」  B「長さのCは、メートル原器の一〇〇分の一、重さのGも重量原器、それから時間のSはグリニッジ天文台の標準時計だったと思うが。」  A「きみは、昔だったら満点をもらったかも知れないが、現在では長さと時間については零点だ。」  B「たしかぼくの知っているかぎりでは、メートル原器は、フランス革命の結果生まれたフランス国民議会が文化政策のひとつとして出して世界的に認められ、同型の複製原器が各国におかれたと思っていたが。」  A「科学の進歩は、このくるいやすい代物をそのままにしてはおかなかった。光の波長ていど、つまり一万分の一万分のセンチメートルほどのものがはかられるようになると、メートル原器のもととなった地球の寸法はかなりあてにならないものであることがわかる。原器は温度によっても変わるし、くるわないように保存するのも一苦労である。世界中どこでもいつ測っても差のない規準を用いるほうが、よほど合理的だ。そこで原子の出す光の波長が注目されはじめた。」  B「原子の出す光の波長はきまっているのか。」  A「気体になった元素を熱して光を出させると、それぞれの元素のちがいに応じてその元素特有の色をもつ光を出す。カドミウムは赤色、クリプトンはダイダイ色といったぐあいだ。これは原子が出している光で、その波長はきちんときまっている。そのことが量子力学を生み出す手がかりとなったわけで、原子内の電子が量子力学の法則に従う証拠でもあるのだが、その話は後にまわそう。  結局一九六〇年に、クリプトンのダイダイ色の光の波長が長さの規準として採用されることになった。これをもとにすると、一メートルは一六五万七六三・七三倍であるが、今までにくらべると約一〇〇万分の一の原器が誕生したわけだ。」  B「なるほど、そんなにこまかくしてもそのほうが合理的であるし、原子や分子が主役をなす現代の科学では、はるかに実用性をもっているというのか。すると二〇世紀の原子の科学は、メートル原器をもナポレオンと似た運命をたどらせたというわけだね。」 時は原子がきざむ  A「つぎは時間の話だ。時間を正確にはかるために、天体の運動にたよる方法はずっと昔からある。天体は永久に変わらないと信じられているからだ。そこで地球の自転周期(平均太陽日)が、さらに一九六〇年からは地球の公転周期(太陽年)が時間の尺度の規準として用いられてきた。しかし、もっと信頼のおける絶対時間をきざむものがある。」  B「最近�天地創造�という映画を見たが、そのなかで、ノアの箱舟が四〇日間、豪雨のなかをただよう場面がある。昼夜の区別がないのでどうやって日数をかぞえるかというと、箱舟にのっている動物たちの鳴きかたや卵を生むことなどの生理作用の周期性を利用するのだそうで、なかなかおもしろい。腹時計などもこの伝だが、これは当てにならない。」  A「本当にきちんとした周期性をもつ現象があれば、それが何でも時計はできるわけだが、こうやってできるだけ精度のよいものを残していくと、話はまた原子や分子までいく。分子のなかでは、原子はコチコチに結びつけられているわけではなく、振動したり回転したりいろいろと周期的な運動をしている。原子のなかの電子も同じことで、周期的な自転運動をしている。これらの運動は量子力学に従っているために、特別の振動数、つまり周波数がわかるというわけだ。これを利用すればいちばん精度のよい時計ができるのだが、なかなかすぐには問屋がおろさない。」  B「あまり小さくて時計にならないというのか。」  A「いや、時計装置のほうの問題ではない。それは電波で動かせるようにしておけばよい。むずかしいのは、分子内の原子、原子内の電子の運動周期は電波でいうとマイクロ波に相当している点だ。だから、マイクロ波をじゅうぶんとりあつかえる技術が進まないうちは手が出ない。  第二次大戦中のレーダー研究のおかげで、マイクロ波の技術が進んだ結果、これもようやく実現できることになった。原子、分子内の運動の周期をとり出すには、外からこれと似た周波数の電波を送りこんで、それが吸収される様子を見てやればよい。この場合は、ちょうど、ブランコをおす場合と似たことが起こる。ブランコは、ゆれている周期に合わせて力を加えなければ、うまくおすことはできない。これを共鳴というが、送りこんだマイクロ波は原子、分子の運動周期の周波数と同じところを大きく共鳴によって失ってしまう。だから、出てくるマイクロ波は一定の間隔で印がつけられる。その電波で時計を動かせばよい。  こうして原子時計が作られると、緊急に必要だという理由もあって、長さの規準の改正をおいかけるように、四年後の一九六四年に時間規準の改正がきまった。  セシウム原子の吸収周波数は毎秒九一九万二六三一・七七サイクルというから、約一〇〇〇万分の一秒間隔で時間をきざむわけだ。いつかは、天体に頼る時間との差もでてくることだろう。」  B「なるほど、長さや時間の尺度も量子力学のごやっかいになっているというわけか。」 宇宙の果てが見える光  A「ついでの話だが、原子が一定の波長の光を出したり、原子、分子が一定の波長のマイクロ波を吸収したりする性質にはもっと別の使いかたがある。アンモニア・ガスのなかに多数ある分子はみな同じ状態にあるとはかぎらない。一つの分子は外からくるマイクロ波を吸収する体制にあるが、別の分子は同じ波長のマイクロ波を逆に放出する。ただあとの分子は比較的数が少ないので、ガス全体としては吸収が見られるというのが原子時計の原理だ。  すると、マイクロ波を出す分子だけよりわけて集めると、電波発振ができるだろうと考えられる。もし分子だけで発振をおこすにじゅうぶんではないていどにしておいて、外から微弱な電波をおくれば、その分子は発振を始めて電波の増幅ができる。これがメーザー(この言葉は�輻射線の誘導放出によるマイクロ波増幅�という英文の頭文字をとって作った)である。  これを用いると雑音なしの受信機ができるし、送信電力が弱くても遠距離連絡ができるという理想的なものができる。発振としてもミリ波以下の電波を実用化するのに適しているので、いろいろと注目され出した。波長の短いものまでふくめると、レーザーという一般的な名前が用いられている。  レーザーの光は強いので宇宙のなかの遠距離の通信に使えるほか、宇宙の果てからくる微弱な電波もつかまえられるわけだから、宇宙生物を探すとか、それと通信するという場合には欠かせないものになる。」  B「量子エレクトロニクスという言葉を聞いたが。」  A「メーザー、レーザーの原理は、一九五四年にタウンズたちによって発展させられたものだが、この機構については量子力学がつくられる際にしばしば論じられてきたものだ。電子や原子が量子力学に従っているためにはじめて生じる効果という意味で、量子エレクトロニクスとよぶ人もある。本当をいえば、すべてのエレクトロニクスは将来もっと量子力学に密着していくだろうから、この部門だけを量子と関係していると考えてはいけない。」 人類を支配下におくたらいの水  B「電子、原子と量子力学が活躍するいろいろな話をうかがったけれども、今度はもっと小さい原子核のことをおたずねしよう。原子核エネルギー、つまり原子力が発見されてから時間もたち、いろいろな方面で研究されるようになっているね。」  A「そうだね。フェルミがシカゴ大学に作った原子炉に人類最初の原子の火をともしたのが一九四二年だから、四半世紀たったわけだ。日本でも東海村の原子力研究所、熊取の京大原子炉実験所などの各大学の研究炉、原子力発電会社の原子炉をはじめとして、北陸の原電二号炉や関西電力の一号発電炉など、いろいろ問題はあったが生まれてきた。原子力船の開発も多くの会社で行なわれている。  この原子力が開発された歴史ほど、まったく思いもかけぬ研究がすばらしい結果を生むという事実を、ドラマチックに見せてくれたものはない。この教訓を忘れて、目先だけの問題のみをとりあげていくようでは、後に悔いを残すことになる。」  B「では、その教訓をうかがおうか。」  A「原子力が生まれるそもそものきっかけは、フェルミのたらいのなかの実験だ。彼がいろいろな元素に中性子をあてて、放射性元素を作ることを思いついたのは一九三四年のことだった。  中性子を出すラドンとベリリウムの容器を元素のそばにおく。すると元素はいつの間にか放射性をもつのである。そんなことを続けているうちに、中性子を出す容器と元素の間に水を入れたほうが放射性を帯びる割合が多くなることに気づいた。実験はたらいのなかで行なわれるようになった。  水中を走る中性子を用いて、天然にある九二個の元素をつぎつぎと的に選んでいくうちに、その実験の意味がわかってきた。中性子をあてられた元素はベータ線を出して原子番号がひとつ大きな別の元素になっている。元素を人工的にかえる錬金術をやったわけだ。  彼はさっそくこの方法の特許をとった。九二番めの元素はウランである。これに中性子をあてるとどうなるか。九三番めの元素(さらに九四番めも)は自然界にはない。すると、こうしてできたものは、今までにないまったく新しい元素のはずで、超ウラン元素とよぶべきものであろう。後の分析によると、この時確かに九三番ネプチニウムと九四番プルトニウムができていたと推測される。  ところが実際にはそれ以上に重大なことが起こっていたのだ。このローマの古い大学の研究室で行なわれた簡単な実験が、人類の未来を左右する重大な事実、原子核の分裂という現象を実現していたこと、たらいの水がその結果を人類の支配下におくためにかかすことのできない方法を示していたことは、世界中の誰もが、当のフェルミでさえ気がついていなかった。  超ウラン元素をめぐって学会にさわぎが起こる。この元素の存在を信じて最後までねばったドイツのハーンが、とうとうウランの原子核がほとんど真二つにわれている事実を見つける。この情報がマイトナー女史とフリッシュから原子物理学の大御所ボーアに伝わり、何も知らずにアメリカに逃亡したフェルミにふたたび話が戻されて、とうとう原子炉ができあがる。最後は大分はしょったけれど。」  B「電子、分子や原子などは小さいといっても、結局はぼくらのまわりのさまざまの現象を支配するからそこまで考えることは必要だし、また大いに役に立つ。ところが原子核となると、特別な例外を除けば日常の生活にあらわれない。だから原子核を研究するのは意味がないなどといっていたら今日の原子力時代は生まれなかった。そう考えてよいだろう。」  A「こういうことは、これからもいつも考えておかねばならない。」 原子力が最後の火とはかぎらない  B「原子力の開発はどういう方向に進むのだろう。」  A「いろいろあるが、まず炉の型の改良。高速中性子炉、増殖炉というものがあらわれてきた。はやい中性子を用いれば、天然の大部分を占めるウラン二三八も燃料として使えるので燃料費が安くなる。次は原子炉よりも発電を主眼とするが、現在のやりかたは原子炉の熱を蒸気にかえタービンを動かすというわけで、火力発電と同じ手口だ。これでは二〇世紀の科学と一九世紀の科学が同居しているようで能率はすこぶる悪い。原子力から発電までもっと現代的な能率のよい方法があるはずで、直接発電の方式がいろいろ考えられているがまだ試験の段階だ。  原子力のとり出せるそもそもの理由は、原子核のなかで陽子や中性子がどのくらい強く結びついているかというていどが、いろんな原子核で差があるためだ。ウランとその半分ほどの重さのバリウムやクリプトンをくらべると、ウランのなかのほうが結びつきかたは弱い。この強弱の差がエネルギーとしてとり出されるわけだ。こう考えると、もっと結びつきかたの弱いものがほかにもある。水素の仲間である重水素だ。これだとウランと違って材料は無限にある。それが、前の分裂反応に対して、融合反応といわれる。」  B「水爆に使われたものだね。たしか、太陽や星のエネルギーの大部分はそれだと聞いた。」  A「残念だが、これには反応を起こすためのいろいろきびしい条件があるため、水爆以外の形では実現していない。しかし、非常に可能性があることなので、世界中の学者がしのぎをけずって研究している。」  B「その話はまた別の機会にゆっくりうかがうことにして、それでは融合反応によってとり出されるものが人類が得ることのできる最後のエネルギーなのか。」  A「そうとはかぎらない。原子力を得ることのできる原因、原子核のなかで陽子や中性子がどんなふうに結びついて、その結びつきかたに差が出るのか完全には理解できていない。原子核の示すいろいろな性質や行動は、量子力学を用いることによってかなりくわしくわかってきた。それでもまだ原子核を完全に支配できていない。  陽子や中性子は素粒子といわれる。陽子と中性子を結びつける力を量子力学によって求めると中間子とよばれる素粒子に原因している。こうして原子核の話は素粒子の世界につながっていく。ところで素粒子は量子力学で完全に取りあつかえるのかどうか、まだわかっていない。そのうえ、素粒子の間に考えられる力は、現在ぼくらが原子力としてとり出している原子核内の力でつきるものではなさそうにみえる。だから道はずっと先まで続いているのだ。」  と、そこまで話したA教授は、窓外に夕やみのせまってきたのに気づいて、口をとざした。すでにB氏の頭のなかでは、これまで難解で縁遠いものと思われていた量子が、しだいに身近な親しさをもって近づいて来はじめていた。 ㈼ 量子はこうして生まれた 1 自然は飛躍する 発端はドイツ鉄工業  A「熱心なものだね。きちんと約束の時間にあらわれた。このごろは学生でも定刻にきちんと来るのは少ない。そのくせ講義がおもしろくないとか教師は不勉強だとかいう。」  B「それはぼくが不平をいうのをあらかじめ封じるためか。�このごろは�なんていうのは年寄りくさい気がする。そういうことはいわないほうがいいよ。」  A「これは参った。では今日は、�量子という考えがどうして生まれてきたか�という話をしよう。量子力学の作られる足場だ。」  A教授はこういって黒板に向かいチョークをとろうとしたとたん、数式を使わないと約束したことを思い出して、間の悪そうな顔になり、やり場のない手をストーブにかざした。年はあけたが、まだ季節は冬であった。A教授はゆっくりと話し出す。  ——ストーブが赤々と燃えている。これは熱せられたセラミック板が出している光が赤いためで、内部ではガスが青く燃えている。このように、物は熱すると光を出す。この光はさまざまな波長のものがまじっているのがふつうだ。さらに温度をあげると、光は赤味を帯びた色から黄色に、そして青色にと変わっていく。なぜだろうか。物語はこの問いから始まる。  これは単なる好奇心から生まれた問いではなかった。ナポレオン三世をセダン要塞に破ったドイツは、五〇億フランというばくだいな賠償金とアルザス、ロレーヌ地方をフランスからせしめた。有名な普仏戦争だ。そこで、この大金とアルザス、ロレーヌの鉄を使ってジャガイモ国ドイツを鉄工業国にしようと思いたった。しかし、鉄を精製するには高い温度がいるし、加熱技術が進まねばならない。ひらたくいえば、鉄はどの温度ではどんな色を出すかを知る必要があった。  そのためにベルリンにドイツ国立物理工学研究所がたてられ、二五歳の青年ウィーンは助手として採用された。この秀才はすぐ頭角をあらわし、四年後の一八九三年に�物体が発する光のうち最も強い光の波長はそのときの温度に反比例する�という法則を見つけ出した。  もちろん、どんな温度でも物質はさまざまな波長の光を出しているが、全体の色は最も強い光の波長できまる。だから彼の法則は、物体の温度を上げると出てくる光は赤から黄、黄から青としだいに波長の短い色に変わるというような経験的事実を正確にあらわしたわけである。しかし、本当に正確にこのことをいおうとするには、温度をきめた時どんな波長の光がどのくらいまじっているかわからなくてはならない。それにはどうするか。  勝手な物体をもってきて出る光を観察してもだめだ。物体にはそれぞれ個性があるから、どれにも通用する答えを出すにはその個性がじゃまになる。  たとえば、ナトリウムはブンゼン灯の炎で燃やすと黄色の光を出す。これはほとんど単色光だ。ところがアーク灯の出す光は赤から紫までさまざまな波長の光を出している。かりにこのふたつをとってみても、共通の答えを出すのはむずかしいことがわかる。となるとどうしても、そのものの個性とは関係なしに、光の波長と温度の関係だけが知れるような物体を見つけなくてはならない。 �黒�の箱から出た謎  しかしながら、ナトリウムの黄色光とアーク灯の光からも重大な結論が出せる。ナトリウムの光は単色光で、プリズムを通してもわかれないで黄色の光の当たる部分のところだけ明るい。アーク灯は逆に、プリズムを通すと赤から紫までの範囲に広がった光を見せる。  次に、ナトリウムをブンゼン灯で燃やしておき、そのうしろに強い光を出すアーク灯をおく。ブンゼン灯をへだててアーク灯の光をプリズムを通して眺めると、前にアーク灯だけで見た広がった光の帯が、ちょうど黄色の部分だけ歯の抜けたように欠けてしまう。もちろん完全にそこが黒いのではなく、ナトリウムだけで見た黄色の線より明るいのだが、アーク灯の出すほかの色の部分よりは暗い。  古い城の町ハイデルベルクでキルヒホッフはこの事実に気がついた。彼はこれについていろいろ考えたすえ、物質は自分が発する光と同じ波長の光を吸収するのだと結論した。話は古く一八五九年のことであった。ナトリウムは黄色の光を出す。だから、同じ黄色の光をアーク灯から吸収してしまう。ナトリウムを通したアーク灯の光で黄色が欠けてしまうわけである。  このキルヒホッフの発見は�いろいろな光を出す物体でその固有な性質があまり問題にならぬもの�を探すヒントになっている。この発見によれば、温度に応じていろいろな光を出せるものは、いろいろな光を吸収できる物体、つまり�黒�の物体である。  そこで�黒�の物体を探せということになったのだが、いざとなると本当に黒いものがみつからない。もちろん物理学の話だ。炭や煤《すす》が試みられたことはもちろんであり、そのほかに酸化鉄、白金を鉄でメッキしたものなどがためされたが、いずれも理想的とはいえなかった。  多くの人が黒いという言葉にこだわっていた。しかし、ウィーンはまったく別のものを考えついた。それは、内部をピカピカにみがいた箱で外側に小さな穴が一つあけてあるものだ。別に外は黒いわけではない。なぜ彼はこれを�黒�の物体であるというのか。手品の種は小さな穴にある。 �黒�とは何かといえば、どんな波長の光でも吸収するということだ。そこで光をこの箱の小さな穴から内部に入れてみる。光は箱のなかで何度も反射して、そのたびに少しずつ吸収される。もう一度小さい穴から出るのは容易のことでないから、その前に完全に吸収されてしまうはずだ。これはまさしく�黒�の定義ではないか。いわれてみると簡単明瞭でコロンブスの卵である。目的にあうものは、黒い物体ではなく�黒�の箱であった。ウィーンの工夫によって、どの波長の光がどのくらいの強さででるかが精密にはかれるようになった。  ところが黒の箱から新しい�謎�が生まれる。実験も結果も正しい。しかし、黒の箱が示す事実は矛盾に満ちていた。どこかが狂っているのだ。プランクの大胆きわまる着想に救われるまで、人類は頭をかかえこむことになるのだが、その話をつづけよう。 青の公式  黒の箱を作って人々を�あっ�といわせたウィーンは、つづいて第三のヒットをはなった。この箱から出る光は、ある温度ではどんな色の光がどんな強さでまじりあっているかという公式を導いたのだ。  熱せられた箱のなかには波長の違った光がいっぱいある。ところで、熱せられたガスのなかで分子が縦横にはげしく運動していることを示したのはボルツマンであり、これで熱現象はくわしく論じられるようになった。ウィーンはこの考え方を今の問題に当てはめてみようと思った。�黒�の箱の内部にある光は分子と似ているに違いないと考えたのである。  だが、この奇抜な思いつきは今度は非常に不評であった。光は波以外の何物でもないと信じきっていたすべての人々に、分子のような粒子であるとする考えがうけ入れられるはずはない。熱学の元祖のようなケルビン卿は�熱理論もとうとう頭にきた�となげいた。だが、ウィーンの公式は不思議と実験によく合うのだ。——  B「話はうまく行っているようで、ウィーンはすばらしい天才だったと思うのだが。どういう点でうけ入れられないのだろう。」  A「ウィーンが光に分子の類推をしたのは当時としては驚くべき着想だった。しかし、君も知っているように、それまで光の本性についてニュートンに始まる粒子説と、ホイヘンスの波動説との長い論争の歴史がある。そして波動説が完全に勝利をおさめ、マックスウェルの電磁波論が確立された状況のなかだったのだから、彼の考えが古いもののむしかえしと思われたのも無理はない。それに、光の波長という言葉を粒子の考えでカバーするために、彼は相当飛躍した筋道をたどらねばならなかった。実験もじゅうぶんではなかった。」  ——果たして実験の精度があがるにつれて、ウィーンの公式も弱点があらわれてきた。公式は短い波長の光の強さの分布をよく説明しているのに、長い波長の部分でのくい違いがひどくなってきたのである。ウィーンの式によれば赤い色がかなり弱まり全体として青くなる筈だが、実際に出てくる光はそれより赤味がかっている。これは、いわば青色に適した�青の公式�なのだ。 赤の公式  問題はとうとうドーバー海峡の向こう側、英国に移って、大物理学者レーレイ卿がのり出してきた。卿は、黒の箱のなかにいっぱいになっている光は、振動している波の集まりだという正当な解釈から出発して、得意の腕をふるった。  箱のなかで振動している波は両側面で節を作るから考え得る波は限られる。波の長さを区切って考えると、それぞれの区画に属する波の数がかぞえられる。そしてそれらの波に同量のエネルギーが分配されているとすれば、光の強さの分布はきまる。こうして導かれた公式は、なるほどウィーンの公式が失敗した長い波長の光の分布をうまく説明した。  しかし、これで当時の正統派が勝利をしめたわけではない。レーレイ卿の公式にも大きな欠点がある。箱のなかで両端が節になる波の数をかぞえると、長い波の区画に属するものは少ないが、短い波の区画ではこきざみに違った波がいくらでも考えられる。ひとつひとつの波に同量のエネルギーを配分すると、短い波のわけ前はばくだいなものになる。つまり箱の中には無限のエネルギーがなくてはならなくなる。無限のエネルギーをもった箱があるものだろうか?  これは明らかに実際と違っている。だから、レーレイの公式はウィーンの公式と逆に、長い波長の部分が説明できるのに短い波長の部分についてははじめから話にならない。前と似たいいかたをすれば、赤色に適した�赤の公式�である。 Xマスに量子の扉をたたく者  ウィーンの青の公式とレーレイの赤の公式には一長一短がある。青の公式は短い波長を中心としてかなり実験に合うのだが、長い波長の光が弱すぎて実験と合わず、しかも光と分子を結ぶ奇妙な考えに根ざしている。赤の公式は波の理論のうえでは非のうちどころはないのだが、長い波長の部分を説明するにすぎない。いずれにもはっきり軍配をあげるわけにいかない。そこでまた話はドイツにかえって、いよいよプランクが登場するわけだ。——  B「量子論の創始者といわれる人だね。ドイツに行くと名実ともにプランクなしではという感じがする。名のほうはこれからうかがうわけだが、実のほうはその顔がのっている二マルク貨幣がそれで、毎日プランクなしではすごせない。聖徳太子とはいかないけど。こわそうな顔をした人だね。」  A「プランクはウィーンよりあとで出てくるけれど六つ年上だから、天才型のウィーンにくらべると大器晩成型だ。それでも、はやくからベルリン大学の教授になった。先代までの教授連がえらかったので、あまりパッとしないといわれて、彼も大分気に病んでいたという話がある。自然はおうおうにしてこういうタイプの人に微笑をなげかけるものらしい。」  ——二〇世紀がまさに明けようとする一九〇〇年の暮れのことである。ベルリンのドイツ物理学会はXマス・パーティーをかねて講演会を開く。その席上、彼は重大な発見を発表した。——  A「失礼な話だが、君があちこちに借金をしているとしよう。そこに思いがけずまとまった金が入って借金を返そうと思った。残念ながら入った金は全部の借金をつぐなうには足りないし、だれも分割しては受けとらないとするとどうするだろうね。」  B「全部かえさないといったら答えにならないから、返す場合を考えよう。その場合はこまかい借金のほうが整理しやすいから、それからとりかかり、大口の分は失礼せざるを得ない。」  A「プランクもそう考えた。」  ——物体のなかのエネルギーにはかぎりがあるので、短い波長の光にもち分以上要求されるのをことわるにはどうすればよいか。  プランクはこういう案を出した。彼はレーレイのように気前のよい無制限なエネルギー分配をやらない。どんな波長の振動もエネルギーをもらう権利はあるが、それには制限がある。それぞれの振動は振動数に比例(波長に反比例)する単位量のエネルギー、またはその整数倍のエネルギーしかやりとりできないと考える。つまり、その単位量以下のエネルギーは、あっても受けとれない。  こうしておくと、分配を多く要求しても、もとが少なければ支払ってもらえない。つまり借金をしているほうからいえば、大口の支払いはご遠慮申し上げることになる。波長の短い振動はエネルギーを要求する単位が大きい。だから、波長が短くなればなるほど、分配をうける可能性は少なくなる。いくら数が多くても分配量が少なければ、光の強さはおさえられる。  彼は振動数に比例した分配量の単位の定数を小文字のエッチ(h)であらわした。これが有名なプランク定数だ。この着想にもとづいてプランクが導いた公式は、長い波長から短い波長にわたって、みごとに�黒�の箱の実験結果を説明した。長い波長の部分では赤の公式と、短い波長の部分では青の公式とつながっている。しかもそれだけではない。プランクの考えのなかには、自然現象に飛躍があるという今まで考えられなかった大胆な考えがあった。  当のプランクも、その不連続という革命的な考え方をつつましやかにしか表わさなかった。ましてそのほかの人は気がついていたわけではない。絶対正しいと信じられていたニュートンの力学やマックスウェルらの電磁気学では、とびとびのエネルギーなどは考えられないからだ。人々が、このプランクの講演が、明けようとする二〇世紀へのいかにすばらしいXマス・プレゼントであったかを知るには、時間が必要であった。——  B「プランクは掘り進んで大鉱脈につき当たった。けれど、その鉱脈が純金だとは誰も気がついていなかったということになるね。」  A「そう、彼は�黒�の箱が投げかけた謎をとこうとして、実は知らぬ間に量子力学のとびらである量子という考えにつきあたったのだ。」 2 光は粒である 光にたたかれる電子  A「テレビが発達して家庭での楽しみがふえた。見ているほうは茶の間でのんきにかまえていればよいのだが、テレビ・スタジオでは大変らしいね。」  B「スタジオにいくと電線の太いパイプが何本も蛇のように走っている。俳優もドーランを厚くぬりつけた上に、相当強い光のなかで動くのだから夏など大変だ。大汗をかきながら寒い冬の場面などを演じている。あんな強い光はどうしても必要なのか。」  A「スタジオではじゅうぶんな光を当ててそれを電流にかえる。この器械を撮像管といっている。現在使われているのはアイコノスコープとか、イメージ・オルシコンとかよばれる最新の器械であるから昔ほどに強い光でなくても良い像は得られる。  いずれにしても、光を金属面に当てると電子がとび出すという現象を利用していることに変わりはない。この現象を光電効果といい一八八九年にレーナルトによって発見された。光電管という形に工夫したのはエルステルとガイテルという二人の中学教師だ。  テレビは発明当時は光電管をそのまま利用していたので、焼けるように熱い光をあてなくては像を送れなかった。  この光電現象はふたつの事実が特徴的だ。第一は、一定の振動数の光を当てるかぎり出てくる電子のエネルギーは変わらない。光の強弱によって変わるのは電子の数である。第二は、ある定まった振動数以下の光ではどんなに強い光を当てても電子はとび出さない。しかし、それ以上の光になると、とび出す電子のエネルギーは振動数に応じて増していく。  従ってとび出した電子をつかまえてじゅうぶんな電流を得ようと思えば、あるきまった振動数以上の光の量を多くするか、振動数の大きな光を当てねばならない。あとの場合はそう簡単ではないから、光をじゅうぶんにしてとび出す電子の数をふやす以外にない。」  B「光の量がじゅうぶん必要なことはわかるが、改良された撮像管が前より弱い光でよいのは。」  A「大分横道にそれるけれど、とび出した電子は何もそのまま電流として使わなくてもよい。うんと弱い光でも使えるために、いったんとび出した電子で別の金属をたたいて、二次的な電子をとび出させるという現象を利用する。電圧を適当にかけておけばたたく電子より多くの二次的電子がとび出すので増幅ができるというわけだ。これで明るさの感度は一〇〇倍以上ますことができる。」  B「なるほど、光が電子をたたき出したり、電子が電子をたたき出したり、そして最後に家庭のブラウン管では電子が光をたたき出すというわけだな。光も電子も非常に似たように利用されている。」  A「その通りだ。それがここで話そうと思っていた問題なのだ。」 光はかぞえられる  ——話を前にもどそう。プランクのプレゼントをもらった二〇世紀が明けたけれど、はじめの数年は何も起こらなかった。彼のかけた目覚まし時計のベルに気がつかず多くの物理学者はねむっている。最初にベルの音に気づいたのは、ベルンの特許局の青年技師アインシュタインであった。彼は光が電子をたたき出す光電効果に目をつけた。  光電効果を理解する手はひとつしかない。それは光が波であるという従来の考え方からはなれて、光も電子と同じように一定のエネルギーをもち、ひとつふたつとかぞえることのできるもの、すなわち粒と考えることではあるまいか。  物質のなかの電子は簡単にはとび出せないようにしばられている。玉にゴムひもがついて他の端が釘にむすびつけられているようなものだ。ゴムを切って玉をもち出すにはエネルギーがいる。振動数の小さい光の粒は、もっているエネルギーも少ないので、電子がこれを吸収してもまだとび出せるほどの力はない。ある振動数以下の光では電子がとび出せないわけだ。強さ(光の粒の多さ)に無関係に電子が出ないのは、電子はひとつの光の粒しか吸収していない証拠だ。しかし、振動数の大きな光の粒は電子をとき放つにじゅうぶんなエネルギーをもっている。光を吸収した電子はそのエネルギーの一部をとき放つために用いて、なお余分があればそれだけはげしい勢いでとび出す。  アインシュタインは玉つきの玉のような働きをするこの光の性質から、初めて光量子という言葉をもちだした。  光量子はエネルギーの粒である。光が粒であるといういいかたは古いニュートンの説のむしかえしを思わせる。しかし、ニュートンの理論では光は徹底的に力学に従う質点のような粒であった。だが、アインシュタインの粒は、光の振動数に比例したエネルギーの粒であって、波の考え方なしにはあらわせないものだ。—— プランク公式を知らなかったアインシュタイン  B「プランクとアインシュタインとの関係はどうなったのか。プランクの説をアインシュタインが補強した感じだけれど。」  A「結局そういうことになるのだが、歴史を追うとおもしろい。まずアインシュタインはプランクのエネルギー不連続の考えを知らなかったらしい。次に、プランクはアインシュタインの光量子についてはこれを認めようとしなかった。プランクは自分の考えを最後まで古い理論と調和させようと努力していたので、アインシュタインのように進んでしまうことができなかった。プランクのように徹底して古い理論を信じていながら、その頭のなかから新しい理論が生まれねばならなかったということがおもしろいわけだ。」  ——光が光量子であるという考えに従えば、プランクの公式の意味が明らかになる。黒の箱のなかではいろいろの振動が、ある単位の整数倍のエネルギーを出し入れするというプランクの考えは、振動を光量子の集まりでおきかえて説明できる。熱せられた黒の箱の壁のなかの電子は、温度に応じて箱のなかへ光量子を出したり入れたりしている。箱の内部には光量子がいつもそれと増減の収支が釣り合う数だけある。この釣り合いが成り立つことから光量子の数の分布はきまる。これにエネルギーを振動数に比例して分配すれば、プランクの公式が簡単に得られる。  この方法は、ウィーンが青の公式を導いたのと非常に似通っている。それもそのはずで、ウィーンは光を分子のようなものと考えたが、アインシュタインの考え方も光を粒としたからだ。  光の分子説では、エネルギーは分子ごとに勝手な値を考えているが、光量子説ではエネルギーは光の量子の個数に応じた整数倍しか許されないという違いがある。エネルギーの同じものでくらべると、振動数が大きくなると光量子の単位も大きいのでほとんどウィーンの光の分子とひとつの光量子が対応している。だから振動数の大きいところ、青い光の部分ではウィーンの式の答えもプランクの式の答えも同じになる。ところが振動数の小さい場合は光量子の単位も小さいので、光の分子には多くの光の量子が対応してしまう。そこでウィーンの式とプランクの式はずれてくる。  また、振動数が小さくなると光がエネルギーの粒だという考えもきわだった特徴を示さない。光の出し入れは連続したエネルギーの出し入れとほとんどかわりはない。だから、この部分では光を波と考えるレーレイの赤の公式と一致するわけだ。  プランクの公式を光量子で考えてみると、光量子の二重性格がわかる。高い振動数になると、光量子は確かにウィーンが考えた古いイメージの分子のような粒に等しくふるまう。逆に低い振動数になると、レーレイが考えたように波と見てもよい。ではいったい、この波とも粒ともいいきれない光量子とは、どういう性格をもったものかという疑問につきあたる。——  B「結局、光はエネルギーのかたまりだというところに落ち着くが、そのあらわれかたは、ある場合には粒子になり、別の場合には波になったりするという奇妙なものだというわけだね。」  A「そう、つまり、粒であり波であるという、従来の力学法則や常識では律することのできないものが出てきたわけで、それをとりしまる新しい力学がどうしても必要になってきた。」 3 原子の言葉の解読 コーヒーをにごらす原子の光  B「一度聞いておこうと思っていたのだが、蛍光灯という光源、このごろではどこの家庭でも使うようになった。この光をぼくはどうも好きになれない。百貨店などで洋服を作ると、大分落ち着いたものを注文したつもりでもいざできてきて見ると、とんだ派手なものであったりする。コーヒーは泥水、ビフテキは鯨肉のように見える。」  A「大分ふんがいしているが、蛍光灯もはじめのころにくらべれば大分改良されたから、きみのいうように極端なことはない。  蛍光灯はガラス管内に塗った蛍光塗料を紫外線で光らせたものだ。この光はふつうの電球のように紫から赤までいろいろな色の光をふくんでいるのだが、ひとつの欠点は赤さが足りないことだ。そこで赤い色をはなつ蛍光塗料をぬることで自然昼光色の蛍光灯が生まれてきた。ところがこれでも自然光で見た色と一致しない。  蛍光灯が色についていたずらをするのは、光源の水銀ガスが特別な可視光線を出すからだ。蛍光灯の光をプリズムでわけると、一様な色がならぶなかに紫、青、緑、黄の四本の線がくっきり浮かぶ。これらは水銀の出す光で、色の見えかたを狂わせる元凶だ。光を波長に従ってわけたものを光のスペクトルというが、水銀ガスはこのような線スペクトルをもっている。」  B「するといまある蛍光灯も、前にうかがったカドミウムやクリプトンと同じ原子の光がいたずらをしているのか。」  A「そういうわけだ。そこで今度は原子の出す光について話そう。」  B「その光を手がかりに、いよいよ原子の国へ入りこむ。量子という考え方がそこでもシャーロックホームズそこのけの謎ときをするわけかね。」  A「大変察しがいい。しかし、プランクのエネルギー量子にしろ、アインシュタインの光量子にしろ、この段階ではそう考えればつじつまがあうという仮説にすぎない。また、量子がどういうものかということも定義されていない。ニュートン力学の堂々とした殿堂にせまるにはまだまだ規模や実力の点でおよばない。これからこの芽がどうのびてゆくかだ。」 光は言葉である  ——熱した気体から出る線スペクトルを最初に見つけたのは、一七五二年の昔のことだ。メルヴィルはアルコール・ランプの炎のなかに塩、明ばん、硝石などを落とし、その光をプリズムを通して眺めた。すると、黄色の光が他の色を圧して輝く。ナトリウムのD線、つまりドライバーに親しみぶかくなったあの色である。この輝く黄色から隣の色への移りかわりは急であって、明らかにスペクトルのなかに線を浮き上がらせている。  貧しいガラスみがきの家に生まれて父の手伝いをしているうちに、フラウンホーファーは一本に見えるナトリウム線が、本当は二本の線であることを発見した。これはわずかだけずれているのでレンズの屈折率をしらべるには非常に役立つ。  次に彼はこのD線を見るための光源として太陽の光を用いてみた。ところが、ここで見たのは、光った線ではなく無数の暗線だった。この暗線の謎が後にキルヒホッフによってとかれた話は前にのべた。  暗線はそれを吸収する物質があることを意味している。いろいろな物質がどんな線スペクトルをもつかがわかっていれば、それと暗線をくらべて、太陽のなかや太陽光が通ってくる道すじにどんな物質があるかがわかる。  これは太陽にかぎった話ではない。どんな遠方の星でも、光のスペクトルが得られるならば、行ってみるまでもなく、その星にどんな物質があるかわかるはずだ。物質は自分の存在をスペクトルの暗線によって語っている。すると、物質が出す光の線スペクトルも同じ意味で、言葉だといえる。  一九世紀のなかごろから、スペクトルの研究、分光学とよばれる分野が急速に進みだした。気圧の低い気体内の放電によって光を出す放電管が、プリュッカーとガイスラーによって考え出されたからである。水素、窒素、硫黄などが蒸気のときに出す光では弱い帯状スペクトルと明るい線スペクトルが見られる。蒸気の温度をあげていくと帯スペクトルは線スペクトルに変わる。これは分子が高温で原子にわかれるためだとみれば、線スペクトルは原子の出す光であり、帯スペクトルは分子の出す光と考えられる。  こうして多くの原子、分子について、スペクトルの知識が積みあげられていった。だがいくら単語の数をふやしても、文法を知らなければ言葉の意味はわからない。そこで原子の言語を発掘する努力が始まるのである。—— バルマー老の文法  B「人間の言葉を分析する言語学がようやく形をなしたのは、一九世紀後半だ。ちょうど物理学者が原子の言葉を探しつつあった時期と一致しているのはおもしろい。  発せられた音が言葉であるかないかは、一連の音声と意味断片のむすびつきが、言語行動のなかに繰り返しあらわれるかどうかにあるといわれている。原子の光のスペクトルは、いわば音声や意味断片にすぎない。だから、言語体系をなす規則性を求めようというわけだね。」  A「原子の言葉などという擬人的ないいかたがよいかどうか、誤解されると困るけど。ともかく人間が原子にふれ合う最初の問題がスペクトルだった。だから、光は原子が語りかける言葉だったといってもよいだろう。」  ——一八八四年、女学校の教師をしていてそろそろ還暦を迎えようとしていたバルマーは、水素のスペクトルのなかにあらわれる四つの可視光線、赤、青、ふたつの紫の間に簡単な関係があることに気がついた。  四つの光の波長の比を有理数であらわしてみると、、、、である。これは意味のない数列のようにみえる。だが、二番目と四番目の分母と分子に4をかけると、事情ははっきりする。比は、、、となり、各〓の分数の分子をみると、、、、となっている。分母はそれぞれの分子からを引いた数となるではないか。  彼はこれは何かあるとにらんで、念のためにこの方法で数列の一五番目までを計算してみた。ところが、この結果はすべて測定された値と驚くほど一致したのだ。確かに原子にも言葉の体系があった。  バルマーの数列はそれだけでもみごとなものだったが、これはさらにリュードベリによって整理された。波長のかわりに振動数の比をつくると数列の各項はふたつの数の差になる。の逆数から、赤は、青は、ふたつの紫はそれぞれとの逆数を引いた美しい形になる。そして頭になるの整数をかえさえすれば、数列は水素の別の系列のスペクトルにも、整数よりわずかずれた数を用いればそれ以外の原子のスペクトルにも使えることがわかってきた。こうして、水素のスペクトルにバルマー系列以外の新しい系列、ライマンの系列(一九〇六年)、パッシェンの系列(一九〇八年)、ブラッケットの系列(一九二二年)、プントの系列(一九二四年)等がつぎつぎと発見されていくことになる。  この公式のおかげで水素の場合にかぎらず、すべての原子のスペクトルについて重要な特徴がつかみ出された。それは線スペクトルに関係する重要な量は振動数であり、振動数はかならずふたつの項の差であらわされる。ふたつの項はそれぞれ適当な整数をつかってあらわされているから、スペクトルの線に応じた振動数はいずれもふたつの整数で指定される量というわけである。  これはすでにわかっているスペクトルの線から、新しい線を予言するのに役立つ。ある振動数を指定するふたつの整数のうち、ひとつの整数が共通なふたつの線があるとする。それぞれの振動数がわかれば、それらを加えたり減じたりして異なっている側の整数ふたつであらわされる振動数の線が予想できるというわけである。この方法を発見したのはリッツである。これは原子の言葉の文法といってもよいだろう。——  A「熱せられた物体のエネルギーのやりとりが整数に関係する。原子の出す光の振動数もまたふたつの整数を使ってあらわされる。このいずれもが今まで思ってもみなかったことだ。これはふたつとも深い関係がある。このふたつの発見がお互いを助けあって原子それ自身をとくヒントになり、量子力学へと直進していくわけだ。」 4 hが支配する世界 トムソンのスイカと長岡の土星  B「光が原子から出るという話だが、本当は光を出すのは電子だろう。その点については光を研究していた人々はどう考えていたのか。」  A「電子は今でこそ流行語のようなものになっているけれど、これほど時間と手間をかけて登場した粒子はない。一八三三年にファラデーが電気分解から電気素量の存在をいい出してから、陰極線のなかでちらちらと姿を見せていたのだが、原子のスペクトル線が追求されているころにもまだ、本当には確認されていなかった。ついに電子をつかまえたのはトムソン卿で、一八九七年のことだ。この間に六〇年余の歳月がたっている。原子のスペクトルと電子の関係を考えるようになるのはそれからのことだ。」  ——電子が運動すると光を出す。原子も光を出すわけだから、原子と電子の間には何か関係があるのではないかと真剣に考えられるようになった。原子にくらべると、電子ははるかに軽く小さい。電子が原子のなかにあると考えるのが自然である。電子の生みの親トムソン卿が、電子の住みかとして原子を考えたのは親心というべきかも知れない。そのために、原子の家の主人の地位まで電子に与えてしまった。彼の考えた原子はスイカに似ている。赤い肉は正電気を帯びていて、そのなかに電子が黒い種子のように埋められている。  本物のスイカとトムソンの模型とがわずかに違っている点は、肉も種子も電気をもっていることだ。この種子はお互いに反発しあうし、肉からは引っ張られるから、種子は勝手に埋められるのではなく、釣り合いの位置におかれるはずである。これから計算してみると、電子は同心円のうえにならび、しかもそれぞれの円上には限られた数の電子の席しかない。彼はこの模型でメンデレーフの周期表が説明できるのではないかと考えた。  原子のなかの電子を同心円の内側からつめていくと最後の円には空席ができたりできなかったりする。この空席のあき具合だけに着目すれば、いろいろ違った数の電子をもつ原子の間に、周期性があらわれるだろうというのが彼のねらいであった。  では彼の考えた原子はどうして、まえにのべたような線スペクトルをもつ光を出すのか。彼は、原子のなかの電子が外部から余分なエネルギーをもらって振動するからだと考えた。ところが、骨のおれる計算をいくらやっても、電子が出す光は線スペクトルにならなかった。  トムソンが原子のスイカ模型を発表した同じ年の一九〇四年に、これとまったく正反対の模型が長岡半太郎によって提案された。彼はトムソンのように電子に主人の席を与えなかった。原子の主人公は中心にある重いプラスの電気をもつ極であり、電子はその周囲を輪をえがいてまわっている。ちょうど土星とその輪を想像すればよい。  実際に、長岡はマックスウェルが土星系をとり扱ったのと同じ手口を使おうと思ったのである。九つある土星の衛星は土星からもお互い同志からも万有引力で引っ張られるため、本当は完全な円軌道をとらないで、円の軌道のまわりに小さな振動を生じる。衛星を電子に、土星をプラスの極におきかえてみよう。違うのは極からは電気的に引かれ、電子同志が反発しあう点だけである。電子が円軌道からずれて振動すれば光を出す。円が違えば振動の仕方もそれぞれ違ってくるだろう。そこでそれぞれ違った一定の振動数に応じて光は線スペクトルになるはずだというのである。—— 原子には芯があったが  B「トムソンのスイカ模型の良い点は元素の周期表が説明できそうだということ、悪い点は光の線スペクトルが導けないこと。長岡の土星模型の良い点は線スペクトルが説明できること、悪い点は周期表について何もいえないこと。こういってよいだろうか。」  A「原子の模型を作る時のねらいが違っていたのだから、それぞれの目的は果たしたともいえる。」  B「しかし、まったく反対の模型が同じひとつのものについてあるのはおかしい。」  A「昔、シェイクスピアのハムレットに出てくる名文句を迷訳した人がいた。�あります、ありません。それが問題です�(To be or not to be. That is the question.)というのだ。いずれの原子の模型が正しいのか、きめ手は中心にある重いプラス電気の極が、この文句の通りということになる。」  ——原子が重い芯《しん》をもっているとする土星模型が正しいのか、あるいはまったく芯のないスイカ模型が本当なのか、これをしらべようと考えたのはラザフォード卿であった。それには光など使っていてはラチがあかない。原子を直接たたいてやるにこしたことはない。  彼は放射性元素が崩壊していろいろな放射線を出す現象を研究していたので、アルファ線がヘリウム・イオンの粒子であることを知っていた。アルファ粒子はプラスの電気をもっているから、これを原子にうちこめば原子の電気によって進路をまげられる。その結果は原子のなかの電気がどう分布しているかに左右される。もし、重いプラスの電気をもった芯があれば、そのためにアルファ粒子はかなり大きく進路をまげられるはずだ。逆にプラスの電気がスイカの肉のように原子全体にちらばっていれば、原子のなかに入ったアルファ粒子はそれほど大きな影響をうけずにとび出してくるだろう。  こう考えたラザフォードは、放射性元素から出るアルファ粒子の束をいろいろの金属の薄い箔にあてて、いろいろな方向にはねとばされる粒子の数をかぞえてみた。とばされる粒子は途中においた蛍光スクリーンにぶつかり、ピカリと火花を出す。これを顕微鏡でのぞいて指でかぞえるのである。今ならガイガー計数管と電子回路で答えまでタイプがたたきだしてくれるから、コーヒーを飲んでいてもかぞえられるのだが、当時は相当根気と努力がいる仕事だった。  この結果、彼は金属箔をぬけるアルファ粒子の進路がかなり大きくまげられることを認めた。もっと正確にいえば、大半のアルファ粒子は初めの進路に近い方向に進むが、なかには大きな角度でまげられるものがかなりある。  これは、恩師トムソンには申し訳ないが、中心のごく小さな領域にプラスの電気が集中していると考えねば説明できない。念のため、原子の中心近くの小さな部分にプラスの電気をもつ粒子があるとして、中心からいろいろの距離のところを通る粒子のまがる様子を求める公式を作ってしらべると、実験と非常によく一致した。  原子の芯は、原子のほとんど全部の質量をうけもち、プラスの電気を荷なったものである。その大きさは原子にくらべてかなり小さい。彼はこれを原子核と名づけた。原子は重い原子核とそのまわりをまわる電子からできているという模型が生まれた。一九一一年である。長岡の土星模型は大体において正解に近かったわけだ。  後にガイガーとマースデンが明らかにしたのだが、原子核の正電気の量と電子の数はいずれも原子の周期表の席順、原子番号に等しい。線スペクトルは複雑であるから、長岡は土星模型に非常にたくさんの電子を動員した。ところが、水素原子は複雑なスペクトルをもちながら、ひとつしか電子をふくんでいない。線スペクトルの出る理由は長岡の考えとは別のようだ。—— 光量子の救い  B「長岡先生といえば日本の物理学の草わけのような人だそうだが、もうそのお弟子さんたちがそろそろ第一線からしりぞく時代になっている。聞くところによると大分こわいカミナリオヤジだったそうだが。」  A「そういう点では、ラザフォードも大分こわい先生だったらしい。」  B「すると、原子に芯を考えようとしたのも、そこらの似た点が働いたのかな。」  A「それは何ともいえないね。彼らが原子の芯を考えたのはよいが、本当は原子全体の堅さが説明できなかったのだ。」  B「原子核のまわりを電子がまわっているのだから、原子の堅さはまわりの電子が保証してくれるのではないか。」  ——長岡からラザフォードにうけつがれた原子の模型には、説明できない仮定が入っていた。それは電子が原子核のまわりに円軌道をえがいてまわるという点である。原子を土星に似せても実際とは違う。電子はマイナスの電気をもって動きまわる。長岡は円運動からずれる振動だけが光を出すと考えたが、電磁気理論からすれば円運動をするだけでも光を出す。光を出せばそれだけ電子はエネルギーを失うから、もはや前の半径の円周上をまわるわけにいかない。もっと小さな円周に変わるはずだ。これを繰り返すと電子の円の半径はどんどん縮まって、原子はまたたく間に原子核の大きさにつぶれてしまうだろう。それに、電子は大きな円から小さな円に連続的にうつると思われるから、放出する光が線スペクトルをなす理由はない。ラザフォードの実験では確かに電子は原子核のまわりをまわっているし、光は線スペクトルとして放出されているのに原子はつぶれない。  ラザフォードのそばで原子模型のでき上がる苦労を見ていた青年ボーアは、何とかしてこの危機を自分の手で救おうと思い立った。まず考えられることは、電子が運動しても円がつぶれないですむ、つまり光を出さないですむ逃げ道があるかどうかだ。それはあった。アインシュタインの光量子という考えである。電子が一定の半径でまわっていれば光を放出できるかも知れないが、光をエネルギーの粒として出す限り、連続的にだんだん半径を縮めるというわけにはいかない。すると、光を出したとたんに電子の円の半径は段階的に縮小する。この半径は電子のもつエネルギーによってきまるから、電子が光を出すとそのぶんだけエネルギーを失うので半径が縮小するわけだ。こうして、最後に電子はこれ以上光量子を出せないぐらいに消耗して、最小の半径の円に達するはずだ。この円の半径こそ原子をつぶさないでかたちどるものになる。  次は光の線スペクトルである。前の考え方からすれば、原子内の電子はいつも最小の半径の円にあるとしてはならない。電子がもっと大きな半径の円周上を動いている可能性も考える。これらの円の半径を適当にえらべば、各円上の電子のもつべきエネルギーが連続的でなく段階的にきまる。すると、円から円へ電子が移るたびに光を出し入れするのだから、出し入れする光量子の振動数は当然、段階的に制限されて線スペクトルになる。 長すぎた論文  こうしてボーアはふたつの仮説を立てた。先ず電子にはいろいろな半径の円軌道があるとする。その軌道を走るかぎり光は放出しない。電子がこのようにどれかの円にあることを定常状態にあると名づける。次に、電子が円から円にとびうつるとき初めて、光を放出したり吸収したりすると考える。電子は光量子を出し入れして飛躍するのである。  奇妙なようであるが、ボーアはこの着想を発表するほんの少しまえに、初めてバルマーの公式を知った。円周上にある電子のエネルギーは円の半径に反比例している。いま最小の円の半径を単位として他の円の半径をその整数の平方倍になるようにとれば、電子のエネルギーは整数の平方に反比例する。違った円上の電子のエネルギーの差として放出される光量子のエネルギーが振動数に比例することを思い出せば、振動数は、ある整数の平方に反比例するもの(電子がある円上にあるときのもの)から別の整数の平方に反比例するもの(電子が他の円上に移ったときのもの)を引いた形になるだろう。これはバルマーの公式をリュードベリが書き直したものとズバリ一致する。  すべてはうまくいった。たくさんの水素原子を考えると、電子はある原子では三番目の円に、別の原子では四番目の円にというように勝手な円にいる。電子がとつぜん二番目の円にうつるとすると、三番目から来たものは赤色、四番目からは黄色、五、六番目から来たものは紫色の光を出す。これが水素の可視光線のスペクトルだ。  ボーアは自信をもって論文を書き、さっそくラザフォードに送った。ラザフォードは大いに喜ぶと思っていたのだが、この原子模型の提案者は一言のもとにその論文を送りかえしてしまった。�貴方の論文はドイツ流で長すぎる。こんなのはこのごろははやらないから三分の一にしなさい�。  おこったボーアは英国まで飛んでいき、とうとう彼をなっとくさせた。一九一三年であった。—— エネルギーは階段をとぶ  B「なるほど、これが有名なボーアの原子構造論か。光量子の考えが重要なキーポイントであったこともわかった。しかし正直をいうとわからないことがふたつほどある。電子は目に見えないけれど物質なのだからとつぜん消えたりなどしないと思うのに、ある円の上を走っていたものが光を出したとたんに、別の円に急にあらわれて走るというのは、ちょっと考えづらいね。まだぼくには量子力学的考え方ができないというわけだが。」  A「電子が消える消えないという話はあとでするつもりだが、そこまでいくうちに君の疑問は氷解すると思うよ。本当をいうと、ボーアの論文が発表されたころには、多くの人は君と同じ疑問をもった。そこで想像したことは、ふたつの円の間で突然の飛躍などなくて、円と円の間にはわれわれが気づかない秘密の間道があって電子はそこを抜けているのだというわけだ。実際にこんなことはないのだが、運動は連続的だという考えは根づよいものだった。」  B「次の疑問は、いろいろな円を考えろという点だ。光量子がエネルギーのかたまりだというのは何となくわかる。すると光量子を出し入れする電子の運動も段階的に制限されるから、とびとびの半径をもつ円が考えられるという理屈だろう。だが、実際このような円があるのだろうか。」  ——原子のなかにいろいろな半径の円があるというボーアの考えを直接に確かめようとしたのは、フランクと、電波の発見者ルドルフ・ヘルツの甥《おい》グスタフ・ヘルツであった。  半径の違う円上の電子が違ったエネルギーをもつことは、とりも直さずそれらの電子をもっているそれぞれの原子が、違ったエネルギーをもつことだ。だから、原子がとびとびのエネルギーの値をとる事実が確かめられればよいわけになる。  彼らは原子に電子の弾丸を打ち込んではねかえる電子のエネルギーを測ることにした。外から入ってきた電子が原子と衝突すればこのふたつの間にエネルギーのやりとりが行なわれる。原子にエネルギーを与えた電子は、最初より小さなエネルギーをもって出てくる。しかし、原子のとり得るエネルギーが不連続であるならば、原子は次の高いエネルギーの原子になるに必要なエネルギーしか受けとらないはずだ。エネルギーをじゅうぶんもっていない電子は原子からエネルギーをとられないでもとのまま出てくるが、じゅうぶんなエネルギーをもつ電子は原子によってエネルギーをとられて、よろよろ出てくるだろう。その電子の失ったエネルギーを測って、その値が光のスペクトルから予想されたエネルギー間隔になっていれば、ボーアの考えは正しいわけだ。結果はみごとに適中した。スペクトルから予想した通りの間隔をおいて電子はエネルギーを失うのである。  このようにしてボーアの円軌道という考え、とりもなおさず原子を量子の考え方で律することの正しさが確かめられたわけだ。しかし正確にいうならば、フランクとヘルツの実験で確かめられた原子のエネルギーの階段は、電子のまわっている円そのものの発見というわけではない。電子が水素原子核のまわりを円をえがいているとしての話だ。  ボーアはさらに、円上の電子のエネルギーは整数の平方に反比例するという結論を出す根拠を探した。いろいろな円をむすびつける簡単な関係は、光を考えにいれなくても出せるはずだ。  彼は電子をあらわす量のうちで、ひとつの軌道から次の軌道へ同じ量ずつ増加していくものを見つけだすことができた。それは電子の運動量と軌道の長さの積、つまり力学で出てくる作用という量である。軌道から軌道への変化はこの作用の整数倍でおこる。その量の単位はアインシュタインが光量子のエネルギーに用いたプランク定数と一致する。結局、原子のなかで電子がいろいろな円をえがくのは、電子の作用という量がhを単位としていたためである。  作用という考えをもとにして水素原子を見直すと、同じエネルギーをもつ電子の軌道は、かならずしも円ではなく楕円でもさしつかえない。ゾンマーフェルトはこうしてボーアの円に、同じ資格で楕円を仲間入りさせた。最も小さいエネルギーに応じた第一の円を除いては、第二の円には三つの楕円が、第三の円には八つの楕円が追加された。——  B「ボーアの原子はちょうど太陽系のようで簡単だけど、今度は大分複雑になってしまうね。」  A「複雑にはなったけれど、いろいろな観測事実をますますよく説明できるようになった。しかし、太陽系と似ている点はなくなってくる。電子がひとつひとつの軌道、円とか楕円とかの間でとびうつるといういいかたは、あまりはっきりした意味がなくなる。結局、重要な意味が残るのはフランクとヘルツの実験が示したようなエネルギーに階段があるという点、つまり電子が定常状態にあるということだけになる。」  B「原子の模型は、はじめは直観から入っていったけれど、いろいろな性質をつかまえてみると、だんだんと直観から離れていく。その訳は原子を支配する法則がプランクのhに関係していて、ぼくらの日常の法則と違っているからだというのだね。」  A「話も大分大づめにきた。量子力学の完成はもうすぐのところだ。ところが、この道をひとまたぎにとびこしてしまうようなクリーン・ヒットがド・ブロイによってうたれる。hの考えが、ぼくらの日常の法則と違ってまったく奇妙に見えることがますますはっきりしてくるのだ。」 5 ついに量子をとらえた 古い物理学とのけつべつ  ——一九二三年といえば、わが国では関東大震災のあった年だが、物理学の歴史の上では古い考えと決定的に別れをつげるふたつの重要なできごとがあった。  ひとつは、コンプトンによってアインシュタインの光量子の仮説を決定的なものとする実験が行なわれたことだ。光を金属面に当てると電子が出るという光電効果が光量子の考えの出発点になったが、当てる光の振動数を大きくしていくとどんなことが起こるかをコンプトンはしらべた。そうすると、電子のほかに光もとび出してきた。その光は、最初に当てたものと同じかどうかを測ってみるとそうでもない。なかには、エネルギーを失って振動数の小さくなった光が出ている。これは光をエネルギーのかたまりとしただけではすまない話で、電子と同じく運動量のような性質まで考えねば説明がつかない。光を電子のような粒子として、このふたつが玉突きの場合と似た衝突をしていると考えればよい。  ところが、ふたつめのできごとはこれとまったく正反対なものである。電子は波であるとド・ブロイ公爵がいい出したのだ。  ボーアの原子のなかの円軌道の半径は、整数の平方に比例していた。この理由はなぜか。ド・ブロイは電子を波と考えれば簡単に説明がつくことだという。電子を波と考えなおして円軌道を波の模様でおきかえてみよう。波が円周上の一点から出発して、そこを波の節として振動しながら一周し、はじめの点でまた節になるためには波長をうまく調節しなければならない。それには円周の長さを波長でわった値がわりきれる、つまり一、二、三……という整数であることが必要だ。だから逆にいうと、電子の波の波長をきめると、一波長でまわる円、二波長でまわる円……といった円ができる。いま、電子の運動量(質量×速度)が波長に反比例しているとしよう。すると、運動量の平方は軌道半径に反比例するという惑星に適用される法則から、軌道半径が波長の平方に比例するという結果が出る。波長は円ごとに整数倍になっているから、軌道半径が整数の平方に比例するというボーアの結論が出てくる。——  B「昔、ギリシアでは自然の美しさは整数であらわされるという考えがあった。その証拠として、美しい音をかなでる弦の波が整数倍の波長をもつことがあげられた。整数というものを考える近道は波を考えることだというのが、ド・ブロイの出発点だったのだろうか。」  A「多分そうだろう。おもしろい話がある。ド・ブロイは若いころ第一次大戦に従軍した。気象観測隊であったので毎日天気とにらめっこ……。そのうちに、天気を知るにはカエルを見ているにしかずと気がついて、戦争中ずっとカエルとくらしていたそうだ。カエルが水にとびこむ波紋が、電子の波のヒントであったとしたらどうだろう。」  B「えーと、つまり光が波と粒子の両方の性質を示すことが実験的に確かめられた。そして、こんどは粒子と考えられていた電子が波の性質をもつことがわかってきた。なんだか、電子も量子の仲間入りができるようだね。」 ド・ブロイの波紋  ——X線は光の一種であるが、これを結晶のなかに通すと回折を起こし、明暗の縞《しま》を乾板上にえがく。電子を波とすれば、その波長はX線と同じくらいの長さになるので、結晶を通せば回折の縞が見えるかも知れない。一九二七年に、デヴィソンとジャーマーがみごとに電子の回折縞を確かめた。  だが、ド・ブロイが電子波をいい出した当時、その波の本性は誰にもわからなかった。電子は質量も電気ももっていて、明らかに粒子としか考えられない。ド・ブロイもそう考えた。電子は粒子であるが、その粒子がいつも波にのって運動しているのだと。しかし、奇妙なことに電子の波は、電子が完全に真空中にあってもつきしたがっている。電子がゆっくり動くと波長はずっと長くなり、電子がはやく動くと波長は縮まる。  ド・ブロイは、ある物理学会のおりあやまって池に落ち、あわや溺死するかと人の悪い物理屋をたのしませた。ド・ブロイが落ちてできた波は、彼がもがけばもがくほど波立つ。しかし、これは彼と池の水との相互交渉の結果である。しかし、電子と電子波はこれとは全く違って、相互交渉では説明できないもっと深い関係にあるらしい。  次に、彼は電子は実際には波であり、粒子は見かけ上でてくる性質だと考えてみた。いろいろな波長の波を重ねていくと、振幅が空間の一部分だけに大きくなり、他ではほとんど零になるようにすることができる。それを波束というが、見かけ上ちょうど粒子のようにふるまう。電子はこの波束ではないかというのだ。ところが、波束はそれをつくるひとつひとつの波のデリケートなかねあいの結果であるため、わずかな時間のうちにどんどんこわれてひろがってしまう。粒子としての電子は時間がたっても広がらないから、これも正しい解答ではない。 量子を導く美しい数式  このように電子の波についての本性がわからないままでいたにもかかわらず、数年後にはシュレーディンガーによって美しい数学の形が与えられた。電子の波はその行動をシュレーディンガー方程式とよばれる数式によって定められることになった。  この方程式を用いると、水素原子の場合ばかりでなく、もっと複雑な原子の電子についても答えを出すことができる。その方法は、古い考えの物理学と見かけが非常に似ているので、多くの人々のなっとくをえた。しかし、方程式をといて出てくる答えの意味は、電子の波がどんなものかわからないうちは本当に明らかになったとはいえない。——  B「数式に弱いのでどうなったのかわからないが、ド・ブロイの電子波の解釈は間違いで、電子波の本性がわからないままに、シュレーディンガーの方程式が生まれた。それをとくと答えがうまく出るというが、わからないものの方程式をとくと答えが出て、それがわかるというのはどういうことなのだろう。」  A「ちょっと説明が足りなかったようだ。フランクとヘルツの実験をのべたね。あれは原子がエネルギーについてどんな段階的な値をとっているかを示したものだ。この結果はボーアの円だけからでも、また楕円まで考えても、ド・ブロイの波からでも出てくる。つまり量子という鍵さえあれば、原子のなかがどうなっているかわからなくても出せる答えがある。シュレーディンガー方程式が出た当時はそのようにうけとられていた。ではそれで話がすむかという問題が残る。」 古い革袋に新しい酒  ——話をボーアの原子の理論にもどそう。ボーアの仮説によって光の線スペクトルの説明に成功したといったが、この問題について完全に片がついていたわけではない。多くの人々がなお、電子が軌道をとぶという考えに賛成しない理由があった。それは、ボーアの理論はスペクトルにどの波長の光があるかを教えたが、その光がどれくらいの強さで輝いているかについては何も示さなかったからだ。ところが、古いマックスウェルの電磁気の理論は光の明るさが説明できるという利点をもっている。  新しい理論は、けっして古い理論の何もかもを破壊してしまうものではない。古い理論のなかの長所は、新しい理論のなかにも生かされる。だから古い理論の長所を足場として新しいものを組み立て、古い理論の欠点をおぎなっていくというやり方が正攻法である。  古い理論は革袋であり、新しい理論は望む酒である。古い革袋に新しい酒をもろうとボーアは考えた。  原子から出る光のスペクトルについて、古い理論は連続の、新しい理論は不連続の答えを与えるから、これらふたつはおり合わないように見える。しかし、ボーアは重大なことに気がついた。原子内の円上の電子のエネルギーは整数の平方に反比例している。このため原子のエネルギーは階段状になるが、整数が大きくなると階段は間隔を縮めていく。大きな整数に応じた円上の電子が隣の円に移って出す光は、どれもそれほど振動数が違っていないから、この部分のスペクトル線は密集してほとんど連続しているように見える。ここでは新しい理論と古い理論の答えはほぼ同じであるから、この部分ではふたつの理論をつなぐ橋ができる。まずこの橋の向こうの古い理論でスペクトルの明るさを求め、次に橋のこちらの新しい理論に移す。こうしておいて、この結論を新しい理論で問題になる小さな整数のところまで広げていけば、新しい理論でもスペクトルの明るさを求める方法が見出せるはずだ。  ボーアのこの推理は非常にすばらしいものだった。というのは、新しい理論を作る材料は、すべて古い理論にひな型を見つけることができるからだ。  この考えを実行に移すまえに、もうひとつ考えておくことがある。新、古ふたつの理論では、電子の光の出し入れのしくみが非常に違っている。古い理論では電子が軌道を走る間に光を出すが、新しい理論では軌道から軌道へとび移る時だけに光を出す。新しい理論では、光の振動数でわかるように、すべての量が電子がとび移るはじめとおわりのふたつの軌道に関係してくる。つまりそれぞれの軌道を示すふたつの整数で指定されるものになる。このような量を数学的に取り扱っていく複雑な手続きは、ハイゼンベルクによって仕上げられた。  一九二六年、ふたつのまったく違った型の理論が発表された。ひとつは前にのべた電子波の考えにもとづくシュレーディンガーの理論で、もうひとつはハイゼンベルグの理論である。  世間の人々はびっくりした。この違う型の理論が、いろいろな問題にまったく同じ答えを与えるのだから、どちらを信用してよいのかわからない。物理学では使いなれないマトリックスという数学の道具を用いたハイゼンベルクの理論にくらべると、シュレーディンガーの理論は親しみやすい。しかし、電子波とは何か。  このふたつの理論、マトリックス力学と波動力学は実は同等なものであることが間もなくわかった。そして、電子波の意味も明らかになる。こうして人類はエネルギー量子、光量子、電子波など、古い物理学ではつかみ得ない奇妙な性質を説明し、それらを律する新しい力学法則を見つけだした。ときに、ニュートン力学が生まれてからおよそ二〇〇年を経過していた。確固とした量子力学がここに誕生したわけである。——  B「ざっとふりかえると、まず熱せられた物体の光のことから量子の考えが生まれ、次に光電効果をとおして光量子にまとめられた。問題は原子の出す固有な光に移り、原子の模型に関係して電子が問題になる。ここで筋はふたつにわかれて、一方で電子をつっこんで考え、他方ではもう一度光のスペクトルを考え直して、量子力学の骨組みとなるふたつの理論が生まれるが、結局それは同じものだったということだね。」 ㈽ 量子力学の考え方 1 粒子がどうして波であるのか 波は不確かさのあらわれである  B「この前は量子力学が生まれるまでの話をしてもらったが、わからないことがいろいろある。�光は波、電子は粒子�という古くからある考え方が、量子という概念をさかいにして、光は粒子で電子は波だというふうに入れかわる。とはっきりいってしまえばわかりがよいが実はそうでもなく、光は波でも粒子でもあり、電子も粒子でも波でもあるような割り切れない事情のようだが……。」  A「確かに、物理学者は同じものについて朝に�波�夕べに�粒子�と考えていた。そんな事情のなかで量子力学が作られたといってもよいだろう。しかし、量子力学という形にまとめあげられてみると、このパラドックスは明らかになる。今日は量子力学の考え方を順をおって問題にしてみよう。」  ——われわれは日常の常識によって、波とか粒子とかいうものの振舞を知っている。水の波から�波�を、小石の運動から�粒子�を考える。  電子は確かに、トムソン卿が電場や磁場をかけて陰極線の曲がりかたを測定した時も、ミリカンが油のなかの電子を上下させて電気量をきめた時も、粒子と考えてよかった。  しかし、デヴィソンとジャーマーのとった電子波の回折の写真も誤りではない。それでは、波の性質を示すこの事実も、電子を粒子とする立場から説明できないものだろうか。答えを先にいってしまえば、そうはいかないのである。  板に小さな穴をあけ、これに電子線をあてて穴のうしろで写真をとると回折像が得られる。これで電子も光と同じように�波�であると結論するわけだが、もう少しその理由を考えよう。電子が�粒子�ならば、とんでくる電子は穴を通ってうしろの乾板上の一点に当たって像を結ぶから回折像にはならない。�波�であればこそ穴のふちで進路を変えてまわりこんで回折像ができる。  電子線のなかにある電子はひとつではない。本当の写真は電子の当たる点をどんどんふやした結果にちがいないから、ひとつの電子だけで議論をすませるのは正しくないと思うかも知れない。そこでこれに答えるためにふたつの場合を考えよう。  理想的な場合には、電子の数をましても、どの電子も名人の射た矢のように同じひとつの的の点を何度もたたくだけである。しかし、話をもう少しゆるめて、電子が穴を抜ける時、何かのひょうしで穴のふちにぶつかり、その進路が曲がるものもあるとしよう。確かに乾板の上の点はちらばる。だが、このちらばりかたは波の回折像には似てこない。乾板上の電子の点は中心から遠くにいくにつれてまばらになるが、回折での分布は中心から暗い部分と明るい部分が交互に輪を作っている。それでは、電子同志が人間のように集団謀議をして、お前は第一の輪に、きみは第二の輪にと、穴を通るすぐまえにしめし合わせるのであろうか。  この考えも正しくない。たとえば集団謀議の機会を与えないために、電子線を弱くしてひとつの電子が乾板に当たるまで次の電子を出発させないようにして実験を行なう。長い時間をかけじゅうぶんな数の電子が当たった後に見ると、やはり回折像が得られる。電子の集団で像ができているにもかかわらず、回折像を作る性質はひとつひとつの電子にあるとしか考えようがない。——  B「もうひとつある。電子たちがあらかじめ出発する際に金属の中で相談しておく場合だ。」  A「それは明らかにおかしい。電子は穴に入るまでは穴があるかないか、あるいは穴がもっとたくさんあるのかどうか知っているはずはない。実際、穴がふたつあればまったく違った像になる。電子を発生する装置と穴のあいた壁は何も関係がないだろう。」  B「写真になった回折像はひとつの電子でできたものではないことはわかる。しかし、ひとつの電子でも回折像を作る性質、つまり�波�の性質をもっているというのは、実際に見ている現象とどうつながるのだ。」  A「ド・ブロイやシュレーディンガーは、写真でとった回折像そのものが電子波のあらわれだと信じた。その問題をめぐって、彼らと、電子波の実在を否定するハイゼンベルクたちの深刻な論争が行なわれた。そして結局、ボルンが論争の仲裁を買って出ることになった。ボルンは電子の�波�は、われわれののがれられない知識の不確かさをあらわすものだと主張したのだ。」 位置と速度は同時に確かめられない  B「おかしいな。電子を粒子とみて乾板上に像を作る場合に、もし穴のどの位置をどの速度で通り抜けたかを測れば、乾板上のどこにとんでゆくかはわかり、一個一個の電子の動きがつかめるはずだ。何が確かめられないのだろうか。実際には電子の数も多くて全部については確かめられないからそうもいえるが、今の場合は原理上の問題だろう。」  A「その通りだ。そこできみの質問に答えながら、なぜわれわれは不確かさが避けられないかをのべよう。」  ——写真にとられた回折像の点について、そこに像を結んだ電子は確かに�粒子�の力学に従って穴からとんできている。これから逆算すれば穴を通った時の電子の位置も速度も確かめられる。しかし、逆算すればそうなるというだけで、ほんとうにその通りに電子が動いたかどうかは、現場をつかまえなければいえないことだ。スリの現行犯をおさえるのに似ている。そこで本当にやりたいのは、穴を通る時の位置と速度をおさえて、乾板上でどうなるかを予測することだ。  穴の附近で電子の位置と速度を測るにはどうしたらよいか。電子は穴のどこかを確かに抜けている。もっと正確にいうためには、穴をどんどん小さくしていけばよいだろう。これで位置のほうは望みのままに正確に測れる。  ところが、穴を小さくすると電子は穴のふちにぶつかりやすくなる。壁にぶつかれば、電子の運動量の一部は壁にもっていかれるから、電子の速度は変わる。そして壁は固定されているので、どのくらい電子の運動量が変わるか、壁の動きから知るわけにいかない。穴を小さくして位置を正確にするためには、速度の正確さが犠牲になる。  それでは、壁を動けるようにして電子から壁が受けとった運動量を測り電子の速度を知るように装置を改良してやるとどうなるか。たしかに運動量から速度は求まる。しかし、壁が動くたびに穴も動き、電子の通った位置がわからなくなる。電子の速度を正確にしたために今度は位置が不正確になってしまう。  結局、穴の附近の電子の位置と速度の知識を同時に正確に知ることはできないから、乾板上のどの点に像を作るかをいうわけにはいかない。電子の位置と速度は同時に正確には確かめられない量だったわけだ。もっと正確にいえば、電子の位置と運動量は不確定の関係にある。この事実に最初に気づいたのはハイゼンベルクである。  彼は、この不確定な関係を仮想的な実験によって示した。  電子の位置を光学顕微鏡で測るとしよう。まえにのべたように可視光線ではあまり正確には見えないからもっと波長の短いガンマ線を使う。もちろん、こんなガンマ線顕微鏡は実際にないが原理的には考えられる。電子にガンマ線をあてると散乱させられたガンマ線がレンズを通って像を結ぶ。位置を正確に知る、つまり分解能をあげるために波長の短いガンマ線をえらび電子との距離に対してレンズの口径を大きくする。光量子は大きな運動量をもっているので電子をとばす。電子が光量子から受ける運動量は、散乱後のガンマ線から逆算できるはずだが、光量子は口径を大きくしたためレンズのどのあたりから入ったかがわからないので、それだけ電子の運動量が不明になる。もちろん、電子の位置は分解能のゆるす範囲でしかわからないから、この実験では、位置も運動量も不明になりそうだ。しかし、よくしらべると、位置の不明さと運動量の不明さの間には反比例の関係があって、ふたつの積はちょうどプランク定数になる。——  B「ハイゼンベルクの不確定性原理というやつか。これが回折像とどうつながるのか予想もつかないね。」  A「まあ、もう少しだまって聞いていたまえ。」 物理学は何も決定できないのか  B「ハイゼンベルクの仮想実験では、位置も運動量も正確に測れないように見えるけれど。」  A「この仮想実験はうまく考えられているが、そういう誤解をまねくおそれがある。物理学者ではないが、哲学者のなかにはそう誤解して物理学は何も決定できないと思った人もある。  しかし本当は、位置も運動量もお互いの知識を犠牲にすればいくらでも正確に測れるのだ。つまり、不確定の関係は、何も正確に測れなくなるという意味ではなくて、どんなことをやってもかならず原理的に相互に測定が制限される事実があることを示しているわけだ。」  B「�相互に�という意味は位置と運動量の間ということか。」  A「位置と運動量は代表であるが、その組だけにかぎらない。たとえば、時間とエネルギーもそうだ。」  ——時間とエネルギーについても不確定の関係があることを示すために、ボーアは仮想的な時計の装置を考えた。時計はふつうのゼンマイ巻きでもよいが、その目もりは箱につけられたシャッターを開いた時、なかから出る光によって見えるように工夫しておく。ところで、光がシャッターを通りぬけるとき、開いて閉じるまでのどの瞬間に光が通ったかで時間に誤差が生じる。この誤差はシャッターがはやいほど少ない。光はシャッターを通りぬける時、それに運動量を与え、従って光のエネルギーは変わる。そのエネルギーの変化はシャッターの動きが遅いほど少ない。つまり、時間とエネルギーの不正確さは反比例して、ちょうど位置と運動量の関係と似た結論が生まれる。  量子力学では原理的に測定できる量をオブザーバブルとよんでいる。位置、時間、運動量、エネルギー等すべてオブザーバブルである。そのどれもが、物さしや時計やメーターの針で値をきめることができると考えてよいだろう。  そこで、ある実験でオブザーバブルのひとつについてメーターを読み、同時に別のオブザーバブルの値を知ったとしよう。これはどんな組についてもできる。たとえば電子の位置と運動量についてもだ。ところが、もう一度同じ実験を行なって、ひとつのオブザーバブルについて同じ値を得たのに、別のオブザーバブルについては前と違った値になる場合がある。何度繰り返しても事情は変わらない。こういうふたつの量は相互に不確定の関係にあるというのだ。  位置と運動量でもそれぞれの値はひとつひとつの実験で決定できる。しかし、何度も同じ実験を繰り返したとき、たとえば位置が同じ値になれば運動量が前と同じ値をとるとはかぎらない。この事情にあるオブザーバブルはいくつあっても不思議はない。  言葉の使いかたを正確にすれば、量子力学では、いろいろな量はけっして�不決定�ではなく、相対的に�不確定�になる。このことが電子の�粒子�と�波�の二重性をとく鍵になるわけだ。——  B「つまり、こういってよいね。電子は�粒子�であるとする。ところが�粒子�として確かめられるはずの位置と運動量が同時には確かめられないから、�粒子�とはいい切れない。そこでこの不確かさを認めていろいろの場合の電子の動きを考えると�波�の性質が説明できるというわけだろう。」 2 �不確かさ�の理論 確率で電子を波立てる  A「もう一度整理させてもらうよ。ド・ブロイは電子波をいい出した。彼は最初に電子につき従う波、逆にいえば電子がのっている波を考えた。ところがこの波は電子がとまるとかぎりなく広がり、電子が動くとはやさに応じて縮まってしまう。電子の運動に応じて自由自在に広がったり縮んだりするのは奇妙なものだ。そこで第二案として、波をたくさん集めて粒子に似せた波束で電子をあらわそうとした。ところが、この波束もまたたく間にくずれて広がってしまう。電子がひとつの場所にあるとわかると、ふたたび波をかき集めて波束を作らねば話があわない。このように考えるのはあまりにわざとらしくてなっとくできない。では波という考えはそもそもナンセンスかといえば、一方では電子波の存在を示す写真が得られている。  そこでよく考えてみると、電子の乾板に像をつくる粒子としての電子のいろいろな量が、かならずしも確定できないことがわかる。」  B「ひとつひとつの電子に波の性質を考えねばならぬ事実と、われわれの知識の不確かさをどう結びつけるか。だいたい今問題になっているのはこんなところだろうか。」  A「そこで電子波を実際にあるものと考えるのはやめてしまおうというのがボルンの提案だ。」  ——もう一度穴を通る電子線の問題にかえろう。穴の附近での電子の位置と運動量は同時には確かめられないから、その結果、電子が乾板のどの点に像を作るかわからない。それではわれわれは乾板上の像についてまったく無知なのかといえばそうではない。ひとつの電子をかりに波のように考えて乾板上にその結果の下書きをしておき、次に多数の電子を使って実験するとその下書き通りの回折像ができあがる。  これと似た事情はサイコロをふる場合にもある。インチキでなければサイコロをふってどの目が出るかわからない。確かにどれかの目が出る。出た目の回数をかぞえると、はじめは不規則に見えてもふる回数を増すと、すべての目が同じくらいの回数出ることがわかる。  そこでひとつのサイコロをふる場合にも、下書きを書く。どの目にも六分の一分のという数をわりあてる。これは確率という概念だ。確率は実際にサイコロをふって次に出ることをあらわしているわけではないが、ふる回数を増せばけっして意味のないことではない。実際に特定の目が出る総数は、全回数にこの値をかけたものに近づいていくから、少なくとも、ある予想を立てられる。そして、実際にたくさんの回数の場合を考えるには、きわめて確かな法則となる。  穴を通る電子は、穴の附近で位置や運動量の一方かあるいは両方が不確かになった結果、いろいろな可能性が出てくるだろう。電子線のなかには無数の電子があるから、考えられる可能性は、かならずどれかの電子が実現するはずだ。すると、ひとつひとつに可能性の確率を考えることはじゅうぶん意味をもってくる。乾板の上に、この点にはこのくらいの確かさでつき当たるという予想によって下書きを書くことができれば、実際の写真ではその絵の通りのものが確実に得られる。  サイコロではどれかひとつの目の出る確率が六分の一分のだということは簡単にいえたが、電子の場合にはいささか複雑な手続きがいる。その手続きとは電子波のシュレーディンガー方程式をあつかうということだ。ここで得られたものは波動関数とよばれるが、この波動関数の平方が確率に関係してくる。——  B「つまり量子力学の理論的、数学的な骨組みができる下敷きとなるのが確率という考え方だというのだね。」 不確かさの確かめかた  ——ド・ブロイやシュレーディンガーが考えた意味での電子波は実在しなかった。しかし、電子がどこにいる可能性があるかという確率をきめるためには、電子波は欠くことのできない概念だ。電子線が穴を通過する場合、古い理論であつかうならば乾板には一点を中心にして遠方にいくほど点が少なくなるような分布の地図しか考えようがない。ところがひとつひとつの電子の不確定な要素を考慮した上で、確率で電子の動きをとらえれば実際通りの回折縞が数学的に導かれる。  装置を工夫して、穴の附近で電子の位置を測るために穴を小さくしたり、電子の運動量を知るために壁を可動にすると、乾板に得られる回折像は違ってくる。位置を測れば、運動量が不確定になった結果として波模様が導かれるし、運動量を知れば位置が不確定のために波模様が導かれる。これらはすべてシュレーディンガー方程式をとく場合の条件になる。——  B「粒子であって波である——よくこのパラドックスを頭から認めるのが新しい考え方だ、などとケムリにまかれていたが、これでスッキリしたよ。」  ——もっと事情をはっきりさせるために、壁にふたつの穴をあけ電子線を当ててみよう。この時乾板にうつる像は、結晶のX線写真のような干渉縞である。それはひとつの電子についていえば、電子はふたつの穴のどちらを通ったかわからないから、両方の穴を通る確率の波が干渉する結果だ。ところが、電子がいずれかの穴を通ることを知るために、一方の穴をふさげば干渉縞はなくなり、前に考えた回折縞しか得られない。ふさいだ穴について確率を問題にする必要はないからだ。  シュレーディンガー方程式をといて出てくる答えは、どういう条件でとくかによって違う。すると、方程式の複雑な手続きを説明しなくても、条件と答えとは密接に関係しあうことが想像されるだろう。そうすると、平方して確率になる量とか、波動関数とかいう数学の言葉をやめてしまって、状態という言葉を使ったほうが適切である。つまり、電子は与えられた条件にあった状態にあるといういいかたをしよう。  位置か運動量かいずれか一方をきめれば、他方がきまらない。しかし、きまらないものについての確率的な分布はきめられる。この事情をあらわすのには状態という言葉はふさわしい。たとえば位置をきめた場合、電子の位置をきめた状態が完全にきまったのだといういいかたができる。量子力学は不確かさを本質的にふくんでいるけれど、それを状態という概念で代表させて、状態が確定するのだといういいかたをするのだ。  位置を知るために穴を小さくした実験では、電子の運動量はわからなくなるが確率で考えられる波はきちんと求められる。だから、これは電子の位置を知った状態がきまったという。運動量を測るために壁を可動にした実験では、電子の運動量を知った状態がきまったという。  前に、位置や運動量にかぎらず原則的に測れる量をオブザーバブルといった。どのオブザーバブルについてもそれを測れる状態はきめられるが、これは別のオブザーバブルをきめる状態とはかならずしも一致しない。ふたつのオブザーバブルがまったく別の種類の状態をきめることも起こる。位置と運動量で示されたような不確定の関係にあるオブザーバブルの場合がそうだ。しかし、不確定の関係にないオブザーバブルについては、きめられる状態は一致するので、個々の知識はさらに正確に状態を特徴づけるために動員できる。結局、このようなオブザーバブルの仲間を多く集めれば、それだけ正確詳細に状態はきまるわけだ。——  B「大分ややこしくなったけれど、つまりは量子力学は単に不確かさを主張するのではなくて、今までと別の確かさをつかまえた。それが状態とよぶものだ。それは相互に邪魔せずに測れるものを、そろえればそろえるほど、不確かさなしにきめられるというわけだね。」 アインシュタインの抵抗  A「量子力学がオブザーバブルとそれによってきまる状態という考えの上にできているという事情は、考え方によっては非常に抵抗を感じるものだ。こういう点に最後まで反対したのはアインシュタインだった。」  B「アインシュタインは光量子説を出して量子力学の口火を切った人のはずだが、それはどういうわけなのだ。」  A「彼にかぎらない。プランク、ド・ブロイといった量子力学を作るもとを開いた人々も、すべて、でき上がった量子力学に多少とも抵抗している。その話はまたあとでするとして、アインシュタインの抵抗をのべよう。」  ——たとえば電子をひとつとりあげよう。電子はわれわれが見るとか見ないということに関係なく、�ある�と心のなかに思っている。しかし、思うだけでは電子が�ある�といえないから、位置を測ったり運動量を測ったりして電子の�ある�ということを確かめるわけだ。位置を知れば位置に関係した電子の�ある�という要素が確かめられるし、運動量を測ればそれに応じた電子の�ある�という要素が確かめられる。その場合に測ることで相手をまったく変えてしまわないようにすれば、確かに電子が�ある�といい切れるだろう。ところが量子力学では位置と運動量は同時に確かめられないから、ふたつの量から考えられるそれぞれの要素を同時に認めて、�ある�といってはならない。  この考えはおかしいのではないか、というのがアインシュタインの意見だ。彼は同じ電子について相手を変えずに、位置も測れるし運動量も測れることを示して、それぞれの量に関係した�ある�という要素が確かめられる以上、そのふたつの同時存在をゆるさない量子力学は間違っているといい出した。一九三五年のことだから、量子力学が作られて一〇年もたってからだ。  たとえば、ガンマ線顕微鏡で電子の位置を測るのには、光量子を電子に当てて、はねられた光量子が定められた点以外にそれる割合を極度に小さくしてやればよい。光量子の運動量はわからなくなるが、それは電子と交渉したあとのことであるから電子には影響しない。光量子から電子の位置が逆算できる。今度は顕微鏡のかわりに、はねられた光量子を穴に通して回折像をとると、光量子の波長がわかり、初めとおわりの光量子の運動量を比較すると、電子の運動量が確かめられる。この場合にも光量子の位置はわからなくなるけれど、それは電子に影響しない。結局、不確かさは、前の場合には光量子の運動量に、後の場合には光量子の位置にあらわれるけれど、それに関係なく電子の位置も運動量もきまるというのだ。量子力学の結論と違っているじゃないかとアインシュタインはふんぞりかえった。  ところが、量子力学の立場を終始弁護してきたボーアは、これはあたりまえのことで量子力学と少しも矛盾していないという。ボーアは、アインシュタインがふたつの仮想実験を結びつけているけれど、まったく関係のないふたつの量をはかっているにすぎないので、不確定な関係が生まれないのは当然であると親切に解説までつけて答えた。初めの実験で実際に見ているのは、光量子の位置でも電子の位置でもなくそれらの相対的な位置である。あとの実験も、光量子の運動量ではなくて光量子と電子の全体の運動量を見ている。このふたつは不確定の関係にない。  さらに彼はものを測ることが装置に無関係ではないことを力説した。つまりどんな状態にあるか、その状態をきめているオブザーバブルは何かを考えることが重要だというのだ。前の実験のオブザーバブルは相対的な位置で、後の実験では運動量の和である。電子はたしかにその変わりかたが今の場合問題にならぬように見えるけれど、われわれが本当に知りたいのはこの次に何が起こるかということだ。それなしに電子の存在は意味をもたない。こう考えると、電子の位置や運動量よりも状態の考えが、電子の存在を確かめる重要な要素というべきだろう。——  B「なるほど、ボーアの説は正しいように思うが、アインシュタインは満足したのか。」  A「多分そうではない。量子力学にもまだ問題は残っているが、新しい物理学を作ることに貢献した人たちでも、古い考えから完全に抜け切れなかったといってもよいだろう。」 3 量子の地図 エネルギーがきめ手  B「量子力学では状態という考えが重要なことはなっとくしたが、考えてみるとボーアが原子の構造を考えた時、すでに定常状態という言葉を使っていたね。電子は原子核をまわる軌道上にあるし、円の半径から運動量もわかるようになっていたから、これは量子力学で用いる言葉と同じではないのだろうか。」  A「原子核のまわりを軌道をえがいて電子が走るという原子の像は、量子力学をつくるまでの足場にすぎない。原子の姿を通俗的に示す場合には今でもこの図が書かれているけれど、電子が原子核のまわりにあるには違いないが、果たして電子がまわっているのかどうか本当は確かめようがない。原子核の外側のどこかにあるという確率で示される波しか考えられない。  もしひとつひとつの原子の写真がとれるならば、たとえば水素原子ならば、原子核と電子が広大な天地にぽつんとおかれた殺風景な絵になるだろう。たくさんの原子の写真を一枚一枚くらべると、電子は原子核のまわりのあちらこちらに姿をあらわす。それらを全部重ねると電子は原子核をかこんで、はしがぼけたような雲の形を示すはずだ。ある場合には丸い雲になり、別の場合は奇妙な花びら型の雲になったりする。原子を無数に集めてみなければ電子のようすは理解できないわけだ。」  B「わかった。この場合も電子のようすは確率の波としてしか理解されないというわけだね。」  A「ド・ブロイが考えていた内容とは多少違っているけれど、彼が電子の軌道を波でおきかえて成功したのはこのためだ。ボーアが用いた状態という言葉は量子力学になってもそのまま生きている。そのかわり常識的な軌道という考えはすてなくてはならない。」  B「それでは原子の状態をきめているもの、つまり原子のオブザーバブルとは何だろう。」  A「原子で一番問題になるのはスペクトル線のようなエネルギーの出し入れの話だ。だからエネルギーを確かめることが原子の状態のきめ手といえる。」  ——さて原子にかぎらず、量子力学を適用する問題の大部分は、エネルギーを確かめることに主眼がおかれている。だから、量子力学ではエネルギーのゆくえを追うことが重要な問題である。そこでこんどはエネルギーをどうあつかうか、その考え方をのべよう。  高い所から小石を落とすと、初めはゆっくりと落下するが下にいけばいくほどはやくなる。これは小石が高さに応じてもっている位置のポテンシャル・エネルギーをどんどん失って、かわりに運動のエネルギーを獲得しているのだ。つまり、落下するにつれてポテンシャル・エネルギーは運動のエネルギーに変わっていく。どの瞬間をとってもポテンシャル・エネルギーと運動のエネルギーの和は変わっていない。これがエネルギーの保存法則というものである。  小石のエネルギーの和、これを単にエネルギーとよぶと、それとポテンシャル・エネルギーがわかっていれば、運動のエネルギーもすぐ知れるからいちいち小石のあとをおわなくても運動のようすを知ることができる。小石の問題ではポテンシャル・エネルギーをきめるのは重力であるから、小石の質量を知ればよい。  このエネルギーの保存法則はどんな現象にもあてはまる。量子力学が活躍する原子、分子の世界でも例外でない。 原子の新しいポートレート  今度は糸の先に小石をつけた振子の運動を考えてみよう。糸を張ったまま小石を適当な位置からはなしてやると、小石は弧をえがいてだんだんはやくなり真下の点に達するが、その勢いで今度は反対側にあがりだんだん遅くなってはじめと同じ高さまでいき、また逆もどりをする。  横に中央からの距離を、縦にポテンシャル・エネルギーの大きさをとって小石の運動をあらわすと、上に開いた放物線になる。次に小石を中央からどのくらいはなれたところからはなしたかを測って、放物線の上に印をつけ、それを通る水平線を引けば、それは小石のもつエネルギーをあらわしている。小石は真上から見るとつねにこの水平線上を往復しているが、横の距離を与えたとき水平線と放物線の間の長さが小石の運動エネルギーになっているから、はやさはこれから求められる。  ポテンシャル・エネルギーを書きこむ図は古典論でも量子力学でも変わるものではない。考えている対象にどんな力が働いているかできまる。ところがエネルギーとして引かれる水平線には古典力学と大きな違いが出てくる。相手が小石の場合にはどの高さからでもはなして運動をさせることができる。考えられるすべての場合の運動について水平線を書きこむならば放物線のなかは真っ黒に塗りつぶされる。  量子力学ではこの事情はまったく違ってくる。実際にシュレーディンガー方程式が示す答えを求めると、第一の水平線は放物線の底よりある単位の長さの半分上に、第二の水平線はさらに単位の長さだけ上に、以上単位の長さの等間隔な水平線がずっとならぶのである。量子力学ではこの各〓の線の上でしか物体は運動を許されないのだ。——  B「小石の運動がそうだとすれば、われわれは勝手な高さに小石をもち上げて振れないということになるが。」  A「今問題にしているのはまったくスケールの違う世界での話だ。小石や糸はばくだいな数の原子、分子からできているから、上のような量子力学の効果は全く無視できる。しかし、電子のような相手については非常に大きな効果であるのだ。」  B「つまり原子の本当の姿を図に書くと、そうなるというのか。」  ——今の問題と原子の場合は本質において違いはないが、正確にいうと多少ずれる。原子のなかの電子にはたらく力は、ほとんど原子核が引っ張る電気力である。この電気力によるポテンシャル・エネルギーの図を書くと、縦軸の下半分にある双曲線の片われになる。さきほどのは釣り鐘型であるが今度のはアサガオの花に似たラッパ型ともいえるだろう。  この場合に電子のエネルギーを求めると、下半分のラッパのなかでの水平線はまばらであるが、等間隔ではなく、ラッパの口に近い上のほうにいくにつれてしだいにつまっている。口から一番下までの長さを土台とすると、次のものは、、といった長さのところにくる。この結果がバルマーのスペクトル線から推定され、ボーアが軌道を足場にして導いたものである。  シュレーディンガー方程式は、上のようなエネルギーの値をきめることによって、同時に電子の原子内の状態をきめている。つまり電子がどんな確率でもってどう分布しているかがきまっているわけだ。それが前にのべた雲の姿である。状態がエネルギーできちんときまるということならば、ボーッとした雲を書くまでもなく、エネルギーの図に水平線を書きこんで、その線でひとつひとつの状態をあらわすほうが話は簡単になる。だから、物理学者が量子力学に従ってえがく原子の姿は、エネルギーの図の水平線だといってもよいだろう。——  B「つまり、エネルギーという考えかたは古典力学から量子力学に移っても変わっていないから、一番はっきりとした状態のあらわしかただというわけだね。」  A「だから物理学者は好んでエネルギー図を書きたがる。」 古い物理学へのかけ橋  B「エネルギーの図では古典力学と量子力学での答えは非常に違うようだけれど、状態のほうの電子の確率分布は古典物理学と量子力学でどう違うのだろう。」  A「それにはシュレーディンガー方程式をといた答えと、古典力学で勝手な時刻にカメラのシャッターを切ったものを何枚も重ねた結果とをくらべてみるのがよいだろうね。」  ——まず振子の問題をくらべてみよう。小石を振らせて上方からカメラでとり、その結果どのあたりにあったかの回数をグラフにしてみよう。書いてみるまでもなく、回数の分布は振子の両端に多く中央は少なくなる。これは中央の附近では動きがはやいので、カメラにつかまる割合は少ないからである。  ところで相手が電子のような量子力学を使う必要のある場合には答えはまったく違ってくる。もしかりに量子力学に従う振子があったとすると、一番エネルギーの低い状態では、中央附近にある確率が最も大きく、両端にいくほど少なくなる。次に高いエネルギーの状態では中央にある確率はまったくなくなり、中央からはずれたところが大きくなる。さらに高いエネルギーもこれと似ているけれど、確率の少ないところと多いところが交互にあらわれる。エネルギーが高いものほど高低がはげしくなるが、しまいにはそれがびっしりとつまってしまう。そこでこの部分を遠くから見ると、ちょうど小石の振子の場合の回数の分布とほとんど一致するのだ。つまり、高いエネルギーの場合には、古典力学と量子力学の答えは一致する。これはボーアが量子力学を作る時に利用した橋である。しかし、エネルギーの低いところは似ても似つかぬ。  原子の場合も同じである。古典電磁気学に従うと電子は原子核におちてしまうが、ここではそれを忘れてカメラのシャッターを開くことにしよう。すると、電子は原子のなかに一様に分布しているはずだ。しかし、量子力学での答えはそうならない。エネルギーがもっとも低いときは電子が中央附近にある確率は一様だが、エネルギーが大きくなると、確率の高低の輪ができる。なおやっかいなことに、ある方向で確率が多く別の方向で少なくなる凹凸の分布もまじってくる。ところが、この場合にもエネルギーの大きい場合には高低も凹凸も目立たなくなり、ちょうど前にのべたような一様に塗りつぶした結果に近くなる。つまり古典物理学の答えと似てくる。 トンネルをほる量子  いまの結果は、電子がラッパのなかの水平線で示される状態にあったときの話だ。これは電子が完全に原子核に引っ張られて原子を構成している場合に相当していて、電子がエネルギーの図の下半面にあってエネルギーが負になるときである。それでは電子のエネルギーが正である場合はどうか。  電子のエネルギーが正であるのは、電子が原子核につかまえられて原子を構成していないことを意味している。このときはエネルギーの水平線は勝手に書きこむことができる。つまり、ラッパの上では真っ黒にぬりつぶされた図が書かれる。  それでは雲というか霧というか、つまり状態も一様にぬりつぶされた分布になるかというとそうではない。電子が原子核のそばに近づけば、電気力によってそれだけ加速される。つまり運動エネルギーが大きくなって速く通りすぎる。すると、カメラを向ければそのあたりでつかまる割合は小さくなるから霧はうすくなるというわけだ。そして、やはり古典力学との違いがあらわれて、エネルギーが大きいほど量子力学の場合には高低の差が生じてくる。——  B「すると電子のエネルギーの正、負によって、状態まで考えねばならぬ場合と、エネルギーの図だけですませられる場合とにわかれるのか。」  A「本当をいうとそう簡単にはわけられない。古典力学でいうようにエネルギーも相対的なものだから、どこを規準にするかによって正、負が変わる。たとえば、ポテンシャル・エネルギーの形が噴火山のようなかっこうをしているとする。噴火口のなかが釣り鐘型でもラッパ型でもよいが、そのなかだけ見ているかぎりでは、前の振子や原子の場合と少しも違いはないだろう。その口のなかの適当な高さの水平線は、口を規準にすれば負になり、外の平地から見れば正である。これはどうだ。」  B「なかにある電子に着目すれば、前と同じように口のところから測ればよいと思うのだが、それではいけないのか。」  ——噴火山の型のポテンシャル・エネルギーの問題をはじめて考えたのは、ロシア生まれで渡り鳥のようなガモフである。電子(実際に考えたのはアルファ粒子だが)が噴火口のなかにあると、確かにそのエネルギーはとびとびの値をとり、それに応じてエネルギー図に水平線が書きこめる。さて、この電子の確率の分布は前のように噴火口のなかだけ考えてすませられるかといえばそうではない。水平線が外で平地より高くなっているならば、電子がある確率は外でもゼロではない。これは古典力学で出てこない結論だ。  古典力学では、ポテンシャル・エネルギーの山が高くて、粒子のエネルギーがそれをのりこえるだけなければ、粒子がなかでどうあがいても外には出られない。ところが量子力学によって答えを出すと電子の確率の波は山の外でもゼロでなくなり、なかにある電子がいつの間にか外に出ることも起こり得ることになる。これは噴火口にとじこめられる場合にかぎらない。電子のエネルギーより高いポテンシャル・エネルギーの壁があっても、その高さが有限であれば、電子は壁にトンネルをほって向こうにぬけ出る。——  B「実際にそんなことが起こるのだろうか。」  A「ガモフがアルファ線が原子核をぬけ出す問題に用いてみごとにアルファ線放出の実験結果を説明した。そのほかにもぬけ出る力のない電子がいつのまにか壁を通りぬけていた、というような現象がある。これをトンネル効果というのだが、こういうことは量子力学の状態という考えによってはじめて説明されるもので、量子力学のひとつの輝かしい勝利といえるだろう。」  B「量子力学が原子、分子の法則にかぎられていてよかった。日常世界でこんなことがあれば、いくら厳重な戸じまりをしても泥公はゆうゆう仕事ができることになるね。」  A「ここで話したかったことは、量子力学にはふたつの柱がある。ひとつはエネルギー図を書くこと、もうひとつは確率分布をあたえる状態をきめること。このふたつがおぎないあっていろいろな問題を解いていくわけだ。」 4 因果と量子力学 殺猫問答  B「よく聞く話だけれど、量子力学ではふつうの意味での因果法則がないそうだが、これは次のように考えてよいのだろうか。  小石を投げる場合にわれわれは最初に投げる位置も速度も知っている。だから重力のもとで物体がどのように運動するかという力学法則を用いれば、それから何秒後には小石はどうなるかをぴたりといいあてられる。ところが、量子力学の対象となるものでは最初の位置と速度が同時に確かめられないからこのような予言はできない。」  A「だいたい君の理解している通りでよい。ただし、量子力学が因果法則をすててしまったというように受け取られがちだが、そうではない。電子や光量子は波と粒子の二重人格をもつ奇妙な対象であった。これを最も合理的に受け入れる手はなにかという問題から量子力学の考えが出てきたわけだから、相手が悪かったともいえよう。それにもかかわらず、量子力学では別の意味での因果法則が成り立っているからこそ、電子線を穴のあいた壁を通すとどんな像ができるか、完全にいいあてることができる。これは多数の電子の協力ではじめて実現する因果法則だ。」  B「つまり君が何度も強調するように、状態というものについては因果法則が成り立つというわけか。」  A「先まわりをされたね。ところが、この状態を考えていくと、いろいろと複雑な問題が起こって簡単に割り切れなくなる。そこでひとつの例を話そう。」  ——シュレーディンガーは奇妙な装置を考えた。猫を殺すと化けて出るそうだから、誰がいつ殺したかわからないようにしようというのだ。泥棒猫をとっつかまえて鋼鉄の箱のなかに入れる。この箱のなかには猫がさわれない場所に青酸カリの小びんがおいてある。小びんはふたがしてあるが次のように仕掛けられている。  ガイガー計数管のなかにきわめて小量のラジウムを入れる。その量は一時間の間にラジウム原子のどれかひとつがアルファ粒子を出すか出さないかというぐらいに加減しておく。アルファ粒子がとび出すと、計数管に放電が起こりそれが増幅され、小槌を動かして青酸カリの小びんを割る。すると猫はコロリと参るというわけだ。  さて、この仕掛けを一時間放っておいたらどうなるだろうか。猫はなお生きているか、あるいはすでにあの世に行っているか。  ラジウム原子からアルファ粒子が出るのは、前にのべたようにポテンシャル・エネルギーの山をトンネルをほってぬける問題である。つまり、量子力学の確率分布だけにたよるから、アルファ粒子がとび出すかとび出さないかを正確にいうことはできないわけだ。箱のふたを開けて見るまでは猫の生死はわからない。ふたを開けるまでは猫の生死に関する状態は、死んでいる確率も生きている確率もふくんだ分布関数で与えられるだろう。  これは奇妙である。猫は半分死んで半分生きているということはあり得ないから、ふたを開けてみるまでもなく絶対に死んでいるか生きているかのどちらかだろう。すると、量子力学は猫の運命についての予測もできないものだということになる。  しかしこういうことはいえる。猫を数千、数万匹あつめてきて、同じような装置のなかに入れて一時間後にふたをいっせいに開けてみると、確かに死んだ猫と生きている猫の数は量子力学の教える結果になっている。それだけではなく、たとえば箱にガラス窓をつけて猫の様子を連続的に観測していれば、猫の生死の数の割合が時間の経過とともに変わっていくさまが、量子力学の予想と寸分違わないことがわかるだろう。結局、量子力学は一匹の猫の偶然的な運命を認めながら、一匹の猫の背後に多数の猫を想像して、避けられない必然の未来を追求しているのだというわけだ。—— 時間に向きがあるか  B「猫の運命という話になったけれど、われわれ人間は全体として量子力学の対象ではない。しかし、その運命は相当偶然的なものに支配されていると思うが、いつかは死ぬという運命は避けられない。これは統計のうえで必然なことのように見える。」  A「つまり、箱のなかの猫と人間は非常に似ているというのだろう。しかし、これは本当は非常に違っている。猫の場合には、何も猫を用いる必要はなく、猫や青酸カリや小槌のかわりに電気メーターをつないでもよい。ラジウムからアルファ粒子が出るかどうかが重要な点だからだ。  アルファ粒子の出るかどうかはどこまでいっても偶然な現象だ。人間の場合に運命がわれわれにとって偶然的なのは、われわれが運命を左右している原因すべてを知らないために起こっている。だからとことんまでいけば、将来のできごとを全部予知できる超人が考えられても、不思議ではない。これをラプラスの悪魔とよんでいるけれど、それがないから�目に見えない糸にあやつられた数奇な運命�などという表現が生まれてくる。ところが、量子力学の支配する世界まで入りこむと、ラプラスの悪魔といえども一個の電子のこれからの行動を正確に予言することなどできないだろう。同じ統計法則が支配しているようでも本質はまったく違っている。」  B「猫とメーターでは非常に違いがあるように感じられる。メーターは針が動いてもまたもとに戻る。しかし、猫は一度死ねば生きかえらない。」  A「ここには問題がふたつある。ひとつはメーターと猫の動作の違いだ。もうひとつはラジウムがアルファ粒子を出す現象を何でつかまえるかという話だ。そこでまず第一の点を考えてみよう。」  ——メーターの針がふれるというような現象は可逆的といい、猫が死ぬのは不可逆現象といわれる。生きている猫が死ぬことがあっても、死んだ猫は絶対生きかえらないから、そこには動かすことのできない自然の順序がある。  わきたった湯を入れたやかんを氷のうえに置けば、氷は解けて水になり、やかんの湯もつめたくなる。しかし、水のなかにやかんをつけておくと、水が氷になり、やかんの中の水がふっとうするということはない。  これは非常にあたりまえの現象であるけれど、物理学ではやっかいな問題だ。なぜやっかいかといえば、このような一方的な時間の向きを指定する基本的な法則は何もないからである。この問題について一九世紀にボルツマンが初めて答えを出した。彼は現象を分子の運動までさかのぼって、多数の分子がいろいろの運動をする確率を考え、分子の運動が乱雑になるほうが整頓される場合より起こりやすいことによって、時間の進む向きがきまるとした。  しかし、古典力学では分子の運動は初めの位置と速度できちんときまるはずだから、かならずしも乱雑な方向にいくとはかぎらない。初めの条件を適当にとれば、乱雑から整頓の方向にももっていけるからだ。だから、分子ひとつひとつについて、そんな調節のできる悪魔、これをマックスウェルの悪魔というが、それが存在しないと考えねばならない。どこかで確率という考えを密輸入してこなければならないわけだ。個々の現象は知らないとして全体の統計法則によって避けられない必然性を出すという手口である。  ところが、量子力学では確率という考えは知らないためではなく、不確かのために本来から存在している。だから時間の向きのある現象という話はもっと基礎から考えられてよいのだが、これはそれほど簡単ではない。この場合にも量子力学の基礎には時間の向きをきめる種子はないといえる。  この答えを出したのはのちに電子計算機の開祖となったノイマンである。量子力学ではあるオブザーバブルを測ると状態がきまるという話は前にした。これをそのオブザーバブルの純粋状態ということにする。ところで、観測しても対象の状態がどれかが判定不可能であるとしたらどうなるか。いえることはオブザーバブルが甲の値をとる状態も考えられるし、乙の値をとる状態も考えられる。これを彼は混合状態と名づけた。もし、観測者が気づかずにいれば、こういう経過によって混合状態はますます純粋状態からはなれて、相手に対する知識は乱雑になる。これが時間の向きが出てくる仕組みだというわけだ。 原子と人間のさかい  もうひとつの、現象を何でつかまえるかという問題にうつろう。ラジウムがアルファ粒子を出す現象についてメーターをよむのと、箱のなかの猫の死を確かめる方法とを考えたが、これにもいろいろある。  箱のふたを開けて猫の生死を知るかわりに、箱にガラス窓をあけて猫の死を確かめることもできる。この場合にはメーターの針がもどるのに猫は生きかえらないという違いはない。前の場合には、猫までが観測の対象になっているが、あとの場合は猫はメーターの針と同じ測定の道具であって、青酸カリの小びんがわれたかどうか、対象は青酸カリの小びんから向こうになる。今度は逆に猫が散乱した光が見ている人の眼の網膜に像を作ったといえば光線までも観測の対象になる。さらに網膜のさきに神経系を、脳細胞とそのなかの変化まで考えていけば、どんどん対象はふえて結局は抽象的な観測者までいきつく。  ノイマンは、観測を三つの部分にわけた。対象と装置と観測者である。そして、装置は対象の側においても、観測者の側に考えても同じ結果になることを主張した。たとえば、猫は観測の対象として箱のふたのなかは全部量子力学で考えても、猫を観測者の側として死をメーターの針として用いても同じ答えになるというわけだ。  しかし、これでは非常におかしなことが出てくる。猫の生死の確率分布は箱のふたを開けるまでは生にも死にもひろがっている。ところが、箱のふたを開けたとたんに生か死かに分布はかたよるわけだ。つまり、生とか死とかいうことを知った状態に変わってしまう。これはそれまで確率分布がシュレーディンガー方程式に従って変わってきたのとはまったく違った変わりかただ。ノイマンの考え方からすれば、結局、観測者は抽象的な自己までいくから、確率分布が突然変わる原因をそこまでもっていくことができる。すると、抽象的な自己が確率分布の最終決定を支配するという結果になる。——  B「つまり人間の自意識が自然を支配しているということになるね。」  A「観念論を信じる哲学者が喜んだのはこの点だ。ボーアをはじめとするコペンハーゲン学派とよばれる人々も、すべてていどの差こそあれ、この考えを支持してきた。」  B「少しおかしいね。猫の確率分布が生と死のいずれにもひろがっているといういいかたは。猫はすでに死か生かにきまっているはずで、それをわざわざどちらの可能性もあるというのは詭弁じみていると思う。」  A「その通りだ。徹底した経験論はある意味で変なものになる。何しろわれわれが物理学を考える場合、ていどの差はあれ客観的な実在ということを前提としているのだから。」  ——猫の生死は対象に影響をおよぼさずに窓をのぞいて確かめられる。だから、ここで確率分布は変わっていると考えたほうが常識的である。すると、このやりかたはもっと先まですすめることができる。原則的には対象に影響を与えなければ、そのぎりぎりまでもっていけよう。これは常識的に量子力学を用いずにすむような装置の範囲まで許される。すると残るのは観測が相手に影響を与えるような、本当に量子力学をつかわねばならぬ対象になる。確率分布の変わり方はここで起こるので、主観とか自意識に作用されない非常に客観的な過程になる。ここが対象と観測者のさかいであると武谷三男は主張している。これと同じ考えをグリーンものべている。——  B「今日は量子力学の考え方というわけで大分むずかしかったが、だいたいはのみこめた。しかし、完成された体系と思われていた量子力学にも、基本的にはいろいろ問題が残っているわけだね。」  A「そういうことだ。もうひとつふれなかったけれど、量子力学の確率という解釈に不満をもっている人はたくさんいる。われわれがまだ知らない変数があって、本当は因果法則がもっときちんとできているのではないかという意見だ。ところが、例のノイマンは量子力学ではそのような隠された変数はないという証明をしてのけた。ド・ブロイはそのために彼の主張である電子波の実在性をひっこめた。しかし、ボームたちはまだそういう可能性を考えることを全く捨ててはいない。だから、まだまだ問題は残っている。」 ㈿ 量子は科学を結ぶ 1 周期表の理論的解明 電子の雲  B「きみの話もいよいよ量子力学の開花というところに来たが、今日は量子力学が現代の科学畑でどんなみのりをあげたか聞かしてほしいものだ。」  A「ぼくもそのつもりでいるけれど、話はきみの想像以上にいろいろの方面にわたるので、覚悟してくれるね。」  ——まず話の続きとして原子の問題から入ろう。水素原子の出す光のスペクトルがボーアの理論を生み、ついに量子力学を完成させた。だから、量子力学は原子の問題についてまず答えねばならない恩がある。ボーアの理論は水素スペクトルの意味を解明したばかりでなく、もっと複雑な原子、ことにリチウム、ナトリウム、カリウムといった原子のスペクトルの解読にも、精密とはいえないが正しい見通しを与えた。この理由は次の通りだ。  これらの元素(アルカリ金属)はわずかのエネルギーで一価の陽イオンになりやすい性質をもっている。つまり一個の電子がゆるく結びつけられている。この電子は価電子とよばれて、その他の電子と区別される。�価電子�と�その他の電子と原子核の集まり�すなわち�原子芯�とは、ちょうどボーアの理論の水素原子の�電子�と�原子核�に似ているからだ。  ところがアルカリ金属のスペクトル線をくわしくしらべてみると、ふたつの点で水素の場合と違っている。第一の相違点は、特定の波長間隔にあるスペクトル線にはいくつもの独立な系列が組み合わされていて(水素原子のばあいは特定の波長間隔にはひとつの系列しかない)しかも、それぞれの系列がいずれも最後には共通の線に間隔を縮めて近づいていく。第二の点は、これらの系列のひとつを除いては、どの線も間隔のせまい二重線からできているというフラウンホーファーが見つけた事実だ。このふたつの点はボーアの理論では説明できなかった。  価電子の軌道がかならずしも円でないことがわかってみると、価電子が原子芯の雲のなかに入りこむ可能性が考えられる。そうすると、実際に光のスペクトルに関係がないと思われた原子芯のなかの電子の様子が、このスペクトル線の複雑さをとく鍵となってくる。  価電子がエネルギーの異なる軌道へ移る際に出したり吸収したりする光のスペクトルは、赤外・可視・近紫外の領域にあるが、原子芯の中にある電子が出す光は一オングストロームよりもはるかに短い波長のX線である。だから、これらの電子の雲をあばき出すにはX線を利用しなければならない。  いろいろな元素の発する特性X線が非常に規則正しい様子を示すことを発見したのはモーズリーである。多くの元素が出すX線をならべると、元素によってずれるが、いくつかの、K、L、M、N……という名の系列がうまれ、その系列のX線の振動数は原子番号の平方に比例していることがわかった。アルカリ金属元素も例外でない。  これはボーアの水素原子の場合と似ている。そこで、ボーアの理論にもとづいて、原子芯の中でも、K、L、M等に応じた電子の軌道と、それを飛び移る際にX線を出すという模型が考えられたのは当然のことだ。だが、この場合に水素と違っている点があった。  光のスペクトルは水素の電子やふつうの原子の価電子がそれより外側に用意されたたくさんの住み手のない軌道の間で、エネルギーの高い所から低い所へ飛び移ることによって生じている。反対に光が吸収される場合は、最低のエネルギー状態にある価電子が、どんな振動数の光でも全部吸収しようとして待ちかまえているからおこる。ところが原子芯にX線を吸収させてスペクトルを得る場合はこれと違って、それぞれの系列に予想されるようなエネルギーの波長ではうけ入れられず、系列の極限に相当するエネルギー以上の波長の短いものをえらばねば吸収されない。だから、スペクトルをみるとそのエネルギーのところに鮮やかな吸収のさかい目ができる。これは価電子以外の電子がそれぞれ完全に各軌道の席を占領しているからである。ひとつの電子がどれかの波長のX線を吸収しようとしても、それがとびあがる先には先任者がいる。だから系列より外の軌道へ一挙にとべるだけのエネルギーでないとうけつけない。上のポストが全部ふさがっていれば、いやでも下級のポストをさがさねばならないのと同じわけだ。価電子以外の電子は、新参者をよせつけぬよう殻をとざしている。X線を出す場合も似たことになる。内側の殻に外側の殻から電子が飛び移りたくとも空席がなくては問題にならない。しかし、何かのひょうしに一度空席ができれば、どこかの電子が、たとえばK線を出して昇格すると、そのあとそのあとというようにしてL、M……線が出る。これでモーズリーの発見したX線スペクトルの系列も説明できるわけだ。——  B「なるほど、水素原子の電子は自由業であったけれど、アルカリ金属原子では価電子だけが自由業で、それ以外の電子は、ポストのきまった会社員のようなものだということがわかったわけだね。」 左まき電子と右まき電子  ——アルカリ金属原子のスペクトル線にあるもうひとつの問題、なぜ二重線があらわれるかの説明は一九二五年までつかなかった。ウーレンベックとハウトスミットは、このような微小な波長のずれはおそらく、何かの性質がきわめてわずかに違った電子がふたつあるためだろうと考えた。  電子を区別するために今までどれだけのものが考えられただろうか。電子は三次元の空間のなかを動きまわるから、これを追いかけるには三つの変数が必要である。電子に与えられた自由度といってもよい。量子力学においても電子の自由度の数は同じである。そのひとつは電子のエネルギーで、あとのふたつで電子がどんな図形をえがくか、あるいは電子の確率の雲がどんな姿をしているかをきめている。ところが、電子にはもうひとつ、たいへん重要な性質がかくされていた。  フィギュア・スケートを考えてみよう。技術を別とすれば、まず必要なのは基本図形のスクール・フィギュアであるが、これだけでは勝負にならない。そこでフリー・スケーティングが加えられる。スピンという要素が重要になる。量子力学の創設者たちが次に到達した結論もよく似ていて、電子にスピンの能力を与えることだった。  しかし、スピンする、つまり自転するには電子は点では困る。電子が発見されて以来、人々はいつの間にか電子に点のようなイメージを与えてしまったが、これではいけない。彼らは電子が空間的に広がった物体と考えなおして、一定の軸のまわりの自転、すなわちスピンを導き出した。もちろん、量子力学はこの運動についても制限を与える。アルカリ金属原子のスペクトルの二重線を説明するには、スピンにふたつの運動が許されればよい。つまり、軸に対して右まわりと左まわりの自転だ。  電子は単位電気量をもっているので、もしこれが自転すると磁石のはたらきをする。その能力を磁気能率といっている。だから、スピンがあるかないかは、磁場をかけてみればわかる。磁石には磁場をというわけだ。  元素のスペクトル線が磁場のなかでさらにこまかくわかれることは、一八九六年にゼーマンが発見して、その大部分の問題はローレンツが片づけてしまった。が、ナトリウム金属元素の二重線がさらに複雑にわかれるようす、たとえばナトリウムのD線のひとつが四本に、他が六本にわかれることは、電子のスピンによって初めて説明できる。そのほか、スピンが解明する化学的問題は後にくわしくのべる。  このようにして、アルカリ金属元素の二重線は、電子に質量と単位電気量以外にスピンという性質をつけ加える役目を果たした。——  B「電子は自転しながら動きまわっているというわけか。それで先ほど電子は点でないといったが、量子力学で考えられる電子の大きさはどのくらいなのだろう。」  A「これは非常にむずかしい問題で、現在でもはっきりしたことはいえない。予想ではセンチ単位で小数以下ゼロが一三ぐらい並んだ先にくる数ではないかと思うね。それから念のためにことわると、電子のスピンを大きさを考えて導くかわりに、スピノルという性質をもつ量を出発点にして考えてしまおうという理論が、ディラックによってその三年後に作られた。」  B「すると、ウーレンベックたちの電子の模型は過去のものというのか。」  A「と、どんな教科書にも書いてある。これはおかしい。便利だということで確かめてもみないうちは、どんな考えも貴重だから、簡単に捨てるべきではない。」 パウリの原子設計  ——アルカリ金属原子からわかった事実から、原子の内部のようすを想像してみよう。まず、原子のなかには光のスペクトルに関係し、簡単にとれるような弱く結びついた価電子がある。これが元素のもつ化学的性質と結びついている。  メンデレーフの作りあげた元素の周期表は、化学的性質が似た元素が周期的にならぶということであるから、価電子の数が似ていることに関係するだろう。自由業者価電子の数を知るならば、元素の周期表のほとんどが説明できるわけだ。  しかし、価電子だけでは原子のいろいろな性質をすべて説明することはできない。次に問題になるのは原子のなかで殻を作って他をよせつけない電子である。X線スペクトルはこの電子の集まりがK、L、M……といったいくつもの層からできていることを教えた。電子はそれぞれの層のなかで定まった数のポストにあり、なかなか昇格移動がきかないサラリーマンのようなものだ。このサラリーマン電子はそれぞれのポストに空席なくつまっていて動きがとれないようになっているらしい。従って外にあらわれる原子の性質にもたいして関係していない。そのひとつの証拠は、原子の磁気能率の大きさはかなりたくさん電子のある原子の場合でも、だいたい電子ひとつの大きさと同じていどである。つまり、価電子だけが磁気能率に関係して、殻のなかの電子はそれに貢献しない。これは殻のなかでは右まわりのスピンをもつ電子と、左まわりのスピンをもつ電子が互いにけんせいしあうためであろう。  これらの想像にもとづいてコッセルやボーアは原子の内情を明らかにしようと努力した。  結局、原子のなかでは電子は窮屈のようでもサラリーマン生活のほうをえらび、その残りが自由業になるらしい。こうして電子の雲のなかにはK、L、M……といった階層があり、それぞれにきまったポストがあることが確かめられたが、このポストの数についてはどうだろう。  意地のわるいパウリは、一九二五年に電子の禁止則を出した。どんな電子も同じ状態にはひとつしか入ってはいけないというのだ。もちろん、この状態というのは、量子力学でいう�状態�である。電子はエネルギーと、確率の雲の姿をきめるふたつの量、これにふたつの自転のしかたを加えて、四つの量で区別される。だから、この四つの量が他の電子とひとつでも違わなければ、定まった階層のポストにわりこめないわけだ。この禁止則はそれぞれの殻の定員法だともいえる。それは簡単な勘定で、K殻はの二名、次のL殻はの八名、M殻はの一八名といった具合である。  水素原子ではK殻定員二名に一名しかいないので、その電子は自由業と同じである。ヘリウムでは定員二名でK殻はいっぱいになる。リチウムではK殻に完全就職で、三番目の電子は一名L殻にあがって、それが自由業、つまり水素と似た化学性質をもつ。こんな風にして、リチウムからネオンまでの�リーベハボクノフネ�(Li、Be、B、C、N、O、F、Ne)とならんだ八元素で、L殻の電子の席はつぎつぎとうめられていく。  次はM殻にある一八の席をうめる番であるが、ナトリウムから八番目のアルゴンまではこれで予定通り進む。ところが、次のカリウムになると当然M殻の九番目の席をうめると思われる次の電子は、M殻に入らずに新しいN殻に入ってしまう。それから先は、N殻の一部が先につまってからやっとM殻を完成していく道筋がとられる。M殻の席のうち八席は魅力があるが、残りの一〇席はN殻よりも毛嫌いされるというわけだ。こうなってくると、電子は順々と内側の殻をつめるものという簡単な原理では説明できない。  原子のなかの電子は本来許すかぎり安定な状態になりたがっている。電子の数が少ないうちは、この要求は内側の殻におさまることで果たされたが、数が多くなると内側の殻に入ることが安定だとはいいきれなくなる。この場合、M殻の残りの一〇席よりもN殻の一部の席のほうが安定であるのだ。それがなぜであるかは、ここでは説明は省略しておこう。  このような�安定の条件�で殻のつまりかたを考えるのは、周期表をとく上に重要な役目を果たした。K殻は第一周期が二個の元素、L殻が第二周期の八元素の存在を説明することは明白だが、第三周期の八元素がなぜM殻の一部だけでよく、第四周期、第五周期が一八元素になるかも説明できる。第六周期も一八元素となるはずが、N殻の残りをつめていくランタン以下の一四元素の系列が加わって三二元素となる事情もみごとに解かれるのだ。——  B「周期表が量子力学の解明した原子内の電子の状態によって説明されるようになったことはわかった。ところでそれはどういう利点をもつのだろう。」  A「周期表は発見されていない元素をさがしたり、元素がどんな化学的性質をもつかを知るうえに便利なものだった。しかし、それだけでは性質のみを問題にしたような定性的なことしかいえない。原子内の電子の状態まではっきりすると、イオンにするにはどれだけのエネルギーが必要かとか、化学反応がどんな割合やはやさで起こるかといったことが、定量的に議論できるようになる。化学がはっきりした基礎から論じられるようになったわけだ。」 2 化学は電子に支配された 雲から手が出る  B「前の話では量子力学で考える原子の姿は電子の確率の雲でおおわれたものであったはずだ。しかし、電子の殻などというと、非常にきちんと仕切られているもののような気がするが。」  A「話をボーアの水素原子から始めたので誤った印象を与えたかもしれない。殻といってもエネルギーや雲の姿などでわけたので、空間的に仕切ったものではない。ただいえることは電子が確率的にどのあたりにある可能性が大きいかである。たとえば、水素元素ではK殻に電子があるわけだが、中心から〇・五オングストロームの半径で区切ると、たくさんの水素原子のうち約五四パーセントがそのなかに電子をもっているが、四六パーセントはそれより外に電子をもつことになる。ところが、もっと重い元素になると、K殻の電子の大半は水素原子よりもはるかに原子核に近いところに集まっているから、同じ殻といっても元素によって空間的な大きさは違う。」  B「分子の大きさはだいたい一オングストローム以上だといっていたね。原子が〇・五オングストロームの雲をもつとすると、分子は原子のなかの電子の雲同志が接するようにしてできていると考えてよいのか。」  A「たとえば水素原子ふたつからなる水素分子を考えると、ふたつの水素の原子核の距離は〇・七オングストロームだから、電子の雲のはし同志がわずかに重なっているように見える。ところが、この重なりが実際は想像以上にお互いに影響し合うことになる。それは量子力学によって初めて理解できることだ。」  ——原子で分子が作られる仕組みを大きくわけるとふたつある。ひとつは、原子が一部の電子を捨てたり拾ったりして正、負のイオンになり、電気的な力で結びつくもので、イオン結合と呼ばれている。もうひとつは、中性原子のままで結びついて分子をつくるもので、共有結合という名がつけられている。イオン結合は古典理論でもだいたい説明がつくが、共有結合は原子内の電子の様子を知らなくてはどうにもならない。  水素分子の結合の仕組みを明らかにしたのはハイトラーとロンドンだ。まず、手はじめに水素分子のイオンを考えてみよう。  このイオンのなかにはふたつの水素原子核とひとつの電子があるだけだ。電子はどちらかの原子核に属していて、他方の原子核は裸とする。そこで電子の属しているほうを水素原子と考えて、電子がどのくらいの確率でどこにあるかを知るために波動関数を求めてやる。波動関数は原子核の中心から遠方にいくほど小さな絶対値を持っていて、隣にある原子核の附近までは広がっていない。しかし、問題は確率で論じられているから隣の原子核のまわりに電子がある可能性もある。全部の可能性を考えてみるとイオンの波動関数としてはいま考えたふたつのものを合成すればよさそうに思える。量子力学では直接に確率という量が出てくるのではなく、それを平方すれば確率になるという波動関数が主役だというのが、この問題のミソである。  それぞれの原子核を中心としたふたつの波動関数は形は同じだが、お互いの間の符号が同じ場合もあり違う場合もある。同じ符号のふたつの波動関数を合成した場合と違った符号の波動関数を合成した場合をばくぜんと眺めてみると、こまかいことはともかく、その違いは片方は両端にだけ節のある波を、他方はもうひとつ真ん中に節がある波を表わしている。つまり、同じ符号同志の場合は半波長、違う符号の場合は一波長の波に似ている。  ここでド・ブロイの電子波の理論を思い出すと、電子波の波長は電子の運動量に反比例している。運動量が大きければエネルギーの値も大きい。すると、同じ符号の波動関数を重ねたほうが、符号の異なる波動関数を重ねたものより、半波長だけ波長が長くなり、従ってエネルギーは小さい。分子はエネルギーが小さいほうが安定しているといえるから、水素分子イオンではこういう重ね合わされ方の波動関数が実現しているはずだといえる。  この結論を用いて今度は水素分子の場合を考えよう。電子はふたつあるが、それぞれの電子は別々の原子核のまわりにあるという原子の考え方から作りあげると、波動関数は前のイオンのものを借用してもよいだろう。イオンの場合に結論された波動関数をみると、ふたつの原子核の間で波は重なり合ってゼロではない。つまり、両方の電子がその附近にいる確率もある。また、電子がふたつとも同じ場所にいることも起こるわけだ。  ところが原子を設計する重要な役をになったパウリの禁止則がこの場合にも発動される。電子は互いに何かの違いがなければ同じ場所にこれない。すると、いまのことが起こるためには、一方の電子は右まきで他方は左まきでなければならない。反対にふたつの電子のスピンのまわり方が同じであれば、重なり合うことはないから別の合成、つまり符号が反対のふたつの波動関数の合成のほうをとらねばならなくなり、安定した分子は作れないことになる。電子がお互いにパウリの禁止則のため毛嫌いするわけだから、分子ができないのも当然である。  電子が互いにスピンのまき方を逆にして近づくことは古典理論では考えられない。このふたつの電子には電気的斥力が働くと考えられるからだ。だから、これは波動関数が重なり合うという量子力学特有の効果である。水素分子のような簡単なものでも量子力学なしでは説明がつかないことがわかるだろう。—— 原子の雲か分子の雲か  B「化学では分子の結合の様子をあらわすのに構造式で手のようなものを書いているが、今の話だとそれが電子の確率の雲ということになるね。」  A「その通りだ。化学の式を電子に翻訳すれば、一本の手に相当するのは右まきの電子と左まきの電子の一対で、二本の手では二組の対、つまり四つの電子が活躍していることになる。ところがこの結合の手は電子で話をしたほうがもっといろいろなことがいえる。」  B「また、簡単なことでもか。」  A「たとえば水の分子、つまり酸素原子ひとつと水素原子ふたつからなるものをとろう。」  B「水の構造式はH—O—Hだろう。酸素が両方に手を出して水素と結びついている。」  A「構造式ではそれだけのことしかいえない。水の分子をX線でしらべてみると、H、O、Hは一直線上にない。本当は二本の手が約一〇四度という角をなしている。これは次のように理解できる。  この場合に活躍できる電子をかぞえると、水素の電子が一個ずつで二個、酸素では二個がK殻を完成しているので残りが六個として合計八個ある。二個ずつの電子で一本の手を考えると四本の手ができるはずだ。このうち二本はふたつの水素原子核をつかまえているが、残りの二本の手はあいている。これは構造式ではあらわれず量子力学がみつけた手だ。ところが、この四本の手を同資格としてみると、四面体の中心に酸素をおけば、四本の手は四頂点を指す。この手の間の角度は一〇九度二八分である。四頂点のどれかふたつに水素原子核があるから、H—O—Hが一直線上にないというX線の結果がだいたい説明できるわけだ。」  B「見えない手も見える手も同資格というのはどういうことか。」  A「もう一度電子のまわり方を問題にすると、まわり方の逆な電子は親しく、まわり方の同じ電子は仲が悪い。四組の対のなかの電子のうち四個が互いに仲が悪ければ、同じようにけんせいしあって、いまいったような結果になるだろう。」  ——量子力学のやりかたはもっと複雑な分子にも拡張できる。有機化学でよく出てくる亀の子、ケクレの発見した有名なベンゼンの環を考えてみよう。この場合には動員される電子は計三〇であるから右まきと左まきの電子の対でできる手は一五本ある。ところが隣合った原子の組は一二組しかないから手は三本あまる勘定になる。この場合にはひとつおきの炭素の組では四つの電子が働き二本の手がつくと解釈すればよさそうに思われる。  だが、これでは説明できない問題が出てくる。炭素の対に二本の手があるほうが一本の手の場合よりよけいに引き合うから原子の間の距離は短くなるのがふつうだ。しかし、ケクレ環は完全に正六角形であって、二本の手の部分も一本の手の部分も長さに区別がない。なぜだろう。  この理由は次の通りだ。六個の炭素のひとつおきの対に二本の手がついているという場合にも二通りのものが考えられる。つまり、もとのものと中心を固定して六〇度回転したものだ。このふたつは同じ確率で存在する。ベンゼン全体をとると半々の数だが、これをひとつのベンゼン分子でいえば、ひとつのベンゼンの手が二本から一本になったり、一本が二本になったりする確率を持てばよいわけだ。このことは二本の手で活躍している電子の一対が両側の炭素ばかりでなくその向こうの炭素にも確率の雲をのばすということである。結局、電子にもいろいろあって、一部の原子核にのみつかえるのもあり、たくさんの原子核、あるいは分子全体にわたり歩くのもあるというわけだ。  ハイトラーとロンドンの考えた電子はお互いが協力して分子を作るけれど、もとをただせばそれぞれの原子会社の出張員であった。しかし、ベンゼンのなかの一部の電子は、どこの会社の出張員でもなく、分子社会の自由業である。いずれも同じ電子であり、分子を作る目的も共通している。だから原子の雲(原子オービタルという)という考えも分子の雲(分子オービタル)という考えも成立してくる。  分子の雲という考え方をすれば、たとえば不完全な殻をもった原子がふたつあればそれらがより合い、ふたつの原子芯をとりかこんで殻を完成する傾向も出てくる。この考え方はムリケンがしている。こうなると殻の外にはみ出す電子は原子の場合の価電子と似てくるはずだから、その分子は原子と似たスペクトル光を出す。これも実際に見出されている。——  B「なるほど、電子は原子のなかでも会社員と自由業にわかれた上に、分子の中でも原子会社員と自由業とにわかれるという複雑なことをするのだな。」  A「水の分子のなかの電子についても、全部を原子雲としてあつかっていく方法もあるし、全部を分子雲として考えなおす方法もある。複雑な分子になればなるほどいろいろな方法が必要になるので、その方法のテストで水素分子や水がいつもとりあげられる。」 反応の峠ごえ  B「量子力学が分子の構造をきめるうえに役立つことは、だいたいわかったけれど、分子が大きい場合は多くの電子が活躍するので非常にやっかいなことだろうね。」  A「どこまでも正確に答えを出すということであれば、水素分子のようなものでも完全とはいえない。しかし、化学は量子力学の考えを用いて非常にいろいろな見方ができるようになった。分子の構造だけでなく化学反応の結果もよい精度で予言できる。  たとえば、有機分子のひとつの原子を別の原子でおきかえて新しい有機分子を作ろうとする。亀の子をならべただけの構造式を見ているだけでは、どこの原子がおきかえられやすいのかわからない。ところが量子力学の簡単な計算を用いれば、おきかわる原子がぴたりと予言できる。自由業の電子は分子内の原子をまわって歩くけれど、よく立ち寄る場所もあり、そうでない場所もできる。すると手うすになった場所は原子同志の結びつきも弱いから簡単に別の原子におきかえられるというわけだ。ポーリングがこれを結合次数という量であらわしてから、相当複雑な分子の取りあつかいかたが非常にはっきりしてきた。」  B「つまり合成化学という分野がのびたというわけだね。  化学にはいろいろ反応式というのがあるね。分子と分子が反応し合って別の分子ができるという過程はどのていどはっきりしてきたのだろう。」  A「化学反応について量子力学の果たした功績は、分子の構造の解明と同じくらい大きい。一番重要なことは、どんな反応がどのくらいのはやさで起こるかという点で、それがはっきりきめられるようになった。」  ——A原子とBC分子が反応を起こして、AB分子とC原子になるというおなじみの反応(A + BC → AB + C)を考えてみよう。たとえば、塩素Aと水素分子BCが塩化水素分子ABと水素Cになるといったものだ。  まず問題になるのは、BとCが引き合う力とAとBが引き合う力だ。強い力が働くほど結合のためにエネルギーがつかわれて全体のエネルギーが下がるから、エネルギーの低いほうに反応が進むであろうとは推定できる。しかし、反応を起こすためには外からエネルギーを与えねばならない。それを活性化エネルギーといっている。  ところで活性化エネルギーとは何かというと、A、B、C三原子をバラバラにしてまぜ合わせるに要するエネルギーだ。本当はA、B、Cがひとつの分子になったと考えたほうが正しい。アイリングはこれを錯合体《さくごうたい》と名づけた。錯合体のエネルギーはBC分子、AB分子のエネルギーのいずれよりも大きい。この場合に前に話したエネルギー図を横に反応方向を、縦にポテンシャル・エネルギーをとって書き直すと、AとBCからABとCへの道筋の間に錯合体の山ができる。  もっと見やすくするには、BとCの距離とAとBの距離を縦横の軸にとって、エネルギーの同じ点を結んで等高線の地図を作ればよい。すると、BC間の距離の短い横軸寄りとAB間の距離の短い縦軸寄りに凹地ができる。これらはBC分子、AB分子のできている地点だ。BC分子の凹地からAB分子の凹地にいくにはどうしても中央の峠をぬけねばならない。ここが錯合体のある場所だ。通りぬける峠の位置がわかれば、反応のはやさも求められる。そのためには最初の分子と錯合体の分子のなかの電子の様子を知らなければならず、そこで量子力学が活躍することになる。——  B「すると反応のはやさも分子の構造と切り離せないことになるね。」  A「その通りで、分子の構造をきめて反応のはやさを導くという方法も、反応のはやさを実際に測って逆に分子のなかの電子の役割をしらべる方法も出てくる。このように分子の構造と化学反応の両方にわたって、うまい筋道をたてようという分野は、量子力学と化学の結びついた領域で量子化学とよばれている。」 3 固体のなかの海 音と結びつく熱現象  B「分子の話の次に、分子が集まってできた物質のことをうかがおう。気体を分子の集まりとしてあつかうことによって、熱現象がうまく説明できるというのが分子登場の幕あきであったそうだが、液体や固体についても、分子までさかのぼるといろいろ利点があるのだろうか。」  A「気体のなかでは分子がバラバラな運動をしているために、統計的な取りあつかいができた。逆の場合は固体で、ここでは分子が規則正しくならんでいて、非常によくしらべられておもしろいことがたくさんある。ところが、中間の液体は一番しまつにおえなくて、特別な場合をのぞいては、これといった結果が出ていない。そこでこれからは固体について話そう。」  B「固体の性質については昔からいろいろとわかっていることと思うのだが。」  A「固体の性質がわかっても、どうしてそうなのか理由がわからないもののほうが多い。たとえば、比熱とか電気抵抗とかいうものでも、量子力学の助けをかりなければ説明できない。」  ——固体の比熱を説明するために分子までさかのぼって、規則正しく配列された分子が、その位置でわずかな振動をすると考える。レーレイ卿が黒の箱の輻射の振動に行なったように、分子当たりの振動にそれぞれ等しいエネルギーが必要だと考えると、分子一モルについての比熱が求められる。その答えは六カロリーとなり、実際にも確かめられた。これは比熱の説明に分子を考えて成功した例だと思われた。しかし、すぐにまた欠点がばくろされた。  この結果の分子比熱は温度に無関係な値になるが、本当の比熱は温度を低くすると小さくなっていく。  この理由も黒の箱についてのプランクの解明と似ている。それは分子の振動も不連続なエネルギーの出し入れしかしないためである。温度を下げると熱エネルギーはいくらでも小さくなる。ところが、そのエネルギーをうけとる側の振動はある単位量の整数倍のエネルギーの出し入れしか許されていないから、適当に低い温度では、固体がエネルギーをうけとらない可能性がでてくる。従って比熱の値が減少する。  アインシュタインはこういう考えで、絶対温度が低くなると比熱がゼロに近づくことを示した。本当はこれでもじゅうぶんに説明し得たわけではない。実測では比熱は温度の立方に比例して減少するが、これは今の考えでも説明できない。  どこが悪かったかというと、固体のなかの分子が全部同じような振動をしていると簡単に考えたからだ。分子は固体を作っている以上お互いに引っ張りあっている。だから、ひとつの分子が動けば、片一方の分子は引っ張られるし、反対側の分子はおされる。その結果実際には、個々の分子に考えられるのとは違ったいろいろの振動が起こる。こういう集団の運動を考えるために、デバイは分子の運動を全体についてならして弦の振動でおきかえて考えた。こうして計算しなおしてみると、実際に比熱が温度の立方に比例するという答えが出てきた。——  B「固体が、離ればなれの分子からできている事情は無視してもよいのだろうか。」  A「実際の分子の振動とデバイの弦とでは違いがある。振動の波長を短くしていくと、弦のほうはいくらでもこまかい節のならぶ振動が考えられるわけだが、分子の配列ではそうはいかない。節は分子の位置以上にこまかくとれないからだ。しかし、波長の長い振動では分子の離れていることは無視できる。いま問題にしているのは非常に低い温度での、熱エネルギーと振動のエネルギーのやりとりの比較だ。エネルギー量子は振動数に比例する、つまり波長に反比例する。だから不連続がなるべくこまかくなるほう、波長の長い部分だけ考えればよい。デバイのだいたんなおきかえが成功した理由だ。」  B「固体をつくっている分子が全体で振動するというのは、音のようなふつうの弾性波と似ているようだが。」  A「その通りだ。音の原因になっている弾性波とまったく同じものだ。聞こえるような大きさのものではないけれど、音の波といってもよい。結局は、音の波が量子としての性格をもっているということが、固体の比熱の問題をとく鍵だった。」 電子の海  B「固体のなかでは、分子が規則正しくならんで互いに結びついているといわれて、そうかなあと思っていたが、よく考えてみるとわからない。分子と分子を結びつける原因については何も教えてもらっていないからねえ。」  A「といわれるだろうが、本当はその下地はほとんど話したはずだ。固体は分子が規則正しくならぶ、つまり固体イコール結晶といってしまったのも本当は正しくない。ガラスやプラスチック、木材、繊維といったものも固体であるが結晶ではない。大部分は非常に大きな分子(高分子)であって、結局は分子を考えるやりかたで攻撃できる。生体内の物質、アミノ酸や核酸などもそういう部類に入れてもよい。」  ——そこで結晶をした固体であるが、このできあがりかたに大きくわけて三つある。イオン結合、等極結合、金属結合である。分子の場合にイオン結合と共有結合があったが、固体のイオン結合と等極結合もその考え方でよい。  しかし、金属結合は事情が特殊である。たとえばナトリウム金属の場合に各ナトリウム原子から動員できる価電子は一個であるから、ふたつの原子同志はふたつの電子のスピンを反対まきにして一本の手をつくる共有結合をしていると考えると、もっと多くの原子がかたい固体を作りあげることは理解できない。それにはベンゼンのなかの飛びまわる自由業電子を思い出す必要がある。金属内のナトリウム価電子はちょうどこれと似た役目をする。価電子はふたつの原子芯を結びつけるだけでなく、さらに第三の原子芯をも結びつけねばならない。すると、どんどん原子を集めていくと、価電子はすべての原子芯に関係してくることになる。量子力学の言葉でいえば、価電子の確率の雲はナトリウム金属全体におおいかぶさるわけだ。——  B「分子の場合は原子の雲のやりかたもあり、分子の雲のやりかたもあったけれど、金属の場合は分子の雲だけが中心になるわけだね。」  ——ここで空間的な追跡をやめてエネルギーの図で考えてみよう。まず水素原子の場合は電子が最低のエネルギー状態にあるとすれば、水素原子の最低の準位(エネルギー図では一番下の水平線)だけに注目すればよい。次に水素分子イオンを考えると、前の話のように電子にふたつの状態、つまり同符号の波動関数が重ね合わされたものと逆符号の波動関数が重ね合わされたものができる。エネルギーの準位はふたつ、エネルギー図では水平線は二本にふえるわけだ。  水素分子では電子はふたつあるが、スピンのまき方を逆にして先のふたつのエネルギー状態にふたつともおさまってしまう。この点では水素分子イオンも水素分子も変わらず、ひとつひとつの電子を別個に考えていてもよいわけだ。ひとつひとつの電子が分子全体をまわる雲と考えるやりかたが許されるのはこのためである。  このやりかたでナトリウム金属を考えていくと、今度は原子の数が非常に多くなるため、エネルギー準位もそれと同じ数だけふえるはずだ。価電子をこれらの準位に右・左とまきかたを逆にしてつめていくと、ちょうど半分の準位までつまることになる。  今度はナトリウム原子芯のなかの電子を考えてみると、もともとまきかたの逆な電子があるから、結晶になってもそれに応じた部分の準位は下から上まで全部がつまっている。結晶内の原子の数は非常に大きいからその準位はほとんど接近した線で、電子のつまっているところだけ書くと帯のようになるだろう。これをバンドといっている。結局ナトリウム金属のエネルギー図を書きあげると、原子のK、L殻に応じた電子が全部つまったバンドが下からならび、次にM殻に応じた半分だけつまったバンドがくることになる。この半分だけつまったバンドがナトリウムの金属を特徴づけているのだ。——  B「結晶ではばくだいな数の電子がびっしりつまった海の層ができる。そのなかで半分だけ海水がある海が重要だというのだね。」  A「電子がみちた海を充満帯、電子がみちていない海を伝導帯といっているけれど、ブロッホのバンドの考えのおかげで、固体を取りあつかう方法が非常にわかりやすくなった。」 固体物理とエレクトロニクス  B「電子の海がみちていない帯を伝導帯というのはなぜだろう。」  A「きみも知ってるように金属は電気の良導体だ。なぜ良導体かは、このバンドに関係する。」  ——外から電場をかけた時、電子が加速されて固体のなかを動くのが伝導だ。これはエネルギー図でいうと、電子がひとつのエネルギー準位から、あいている準位にとびあがることによって生じる。ここでふたつの場合を考えてみよう。ひとつは、バンドに電子が部分的につまっており、もうひとつはバンドに電子が全部つまっていて、その上のバンドはまったくあいているとしよう。前の場合には同じバンドのなかにつまっているところとあいているところがたくさん接して存在する。だから、わずかのエネルギーを電場によって与えても電子はあいている準位にうつれる。ところが、後の場合には電子のあるバンドのいずれにも空席はない。空席に入るためにはまったくあいている別のバンドに行かねばならない。固体のなかのいろいろなバンドは互いに間をおいてへだたっている。従って、別のバンドにとびあがりそのバンドの空席におさまるには、それらの間の間隔分だけエネルギーがより多く供給されなくてはならない。だからバンドがどのくらいつまっているかということが、良導体か絶縁体かの目安になる。電子の海がみちていないバンドが伝導帯といわれるのはこのためだ。——  B「バンドとバンドの間にへだたりがあるということが大切なのはわかったが、それはどうして生じるのだろう。」  A「これがバンドの考えの一番重要な点だ。一言でいえば、原子が結晶構造をとっているからだ。」  ——X線を結晶にあてると、波長と方向によってX線を通すところと通さないところとがある。電子線も波と考えると事情は同じだ。  そこで電子が固体のなかを勝手に動きまわる場合を考えてみる。固体であることを無視してしまえば、電子のエネルギー図は下から上までずっと連続した切れ目のない帯になるだろう。ところで結晶を考えに入れると、ある定まった波長と定まった方向の電子波は勝手にぬけられず反射されてしまう。すると、その電子波に相当する電子は自由に運動できなくなり、エネルギー図の連続した帯に切れ目が入ってくる。このためにバンドとバンドの間にへだたりがあらわれる。  そういっても導体と絶縁体の区別がはっきりしているのは、本当は絶対零度の時だけである。温度があがると、充満帯にある電子が熱エネルギーをもらって、間隔を乗り越えて空のバンドに入る。この電子は今度は自由に動けるから良導体と似た性質があらわれる。そればかりではない、充満帯で電子がぬけた空席も活動をはじめる。  空席は充満帯のなかの勝手な電子に入れかわれるから、見方をかえれば充満帯は空席を除いては空だともいえよう。空のなかの空席は意味はないけど、つまっているなかの空席はじゅうぶん意味がある。人事移動は平社員から係長、課長、部長、専務、社長と昇級していくが、そのたびに空席は社長から順に平社員のほうに下がる。空席という社員はいつも降級を喜んでいる。これと同じ理屈で、電子の空席はあたかもまったく逆な電気量をもつ粒子のようにふるまい、充満帯のなかを自由に動くのだ。したがって空席によっても良導体に似た性質が生まれてくる。  バンドの間隔が小さくてわりあい低い温度で電子と孔(空席)が生じるものは真性半導体とよばれる純粋なゲルマニウムやシリコンだ。ところが、ふつうに半導体とよばれているのは、結晶のなかに別の不純物のはいった不純な半導体のことである。  ゲルマニウムはふつう伝導帯に電子をもっていない。各〓の原子はそれぞれ八個の価電子を出し合って二組の電子対で隣同志と共有結合をしている。これらの電子の作るエネルギー図は充満帯をうめている。半導体では一番上の充満帯を価電子帯という。だから本来は絶縁体である。  ゲルマニウムのなかに別の原子、たとえば燐(P)の原子が入ると、その部分の結晶はみだされる。燐の原子は九個の価電子をもつので、隣合ったゲルマニウム原子と共有結合によって仲間に化けようとしても、一個の価電子があまるわけだ。ゲルマニウムに化けおおせた燐の部分は単位の正電気をもち、仲間はずれの価電子と考え合わせると、燐とゲルマニウム集団はゲルマニウム集団と水素原子と考え直すことができる。ゲルマニウムのなかにある水素原子はふつうのものと多少違って電気力も弱く、電子も軽くなる。つまり、一〇〇倍も広がった電子雲をもち、わずかのエネルギー(水素原子の場合の二〇〇〇分の一)を与えてもこわれる原子である。そのためエネルギー準位も高くなり、ちょうどゲルマニウム結晶の空の伝導帯のすぐ下の部分にそれがつけ加わってくる。これを不純物準位とよんでいる。熱を加えて充満(価電子)帯から電子を伝導帯にもってくるよりも容易にこの準位の電子が利用できるはずだ。  同じことは、ゲルマニウムにホウ素(B)原子を入れると起こる。ホウ素は価電子が七個でゲルマニウムにくらべてひとつ電子が不足している。この結果新しい準位が充満(価電子)帯のすぐ上にあらわれる。今度の場合も、充満(価電子)帯に空席を作るには、わざわざ電子を伝導帯までもっていかなくても、この準位までちょっと旅行してもらえばよい。残された空席が自由にふるまうことに変わりはない。——  B「それが有名なn型とp型の半導体のしくみか。すると半導体は、固体のバンドの考え方があげた成果といってもよいわけだね。」  A「その応用としてトランジスタについてのべるべきかも知れないが、別に勉強してもらうことにしておこう。ともかく固体物理の重要な点がわかってもらえたことだろう。」 4 原子核の中へ 科学の処女地  B「量子力学では、今までうかがったかぎりでは電子がホスト、光量子がホステスという感じで、原子、分子、固体というお客さんを接待してきたと思うのだが、そうなのか。」  A「固体となるとそのほかに、たとえば比熱に顔を出す�音の量子�やそれに似たものが出てくるけれど、電子を中心とすると、きみのようにいってもよいだろう。しかし、条件つきならば量子力学はもっと違った家庭でもじゅうぶん役に立っている。それは原子芯のそのまた芯である原子核のなかである。条件つきというのは、今度は量子力学はどこまでも使えるとはかぎらないよ、というふくみをもっての話で、くわしいことは別の機会に話そう。」  B「原子核はラザフォード卿によって発見された話以外にはまだ何もうかがってない。」  A「原子核についてのいろいろな現象は、本当に原子核が発見される前から知られている。放射線を出すこと、質量だけ違う同位元素があることなど早くからわかっていたし、原子核が発見されると、それを人工的に変えることもできるようになって、ますますその知識はふえた。しかし、原子核が本当にわかり始めるのは一九三二年以後のことだ。」  B「量子力学が完成するのを待っていたわけか。」  A「いや、量子力学を使う相手がはっきりしていなかったからだ。」  ——一九二〇年代にいたるまで、原子核が何からできているか見当がつかない状態だった。  原子核のなかで一番軽いのは水素原子核で、そのほかのものはだいたいその整数倍に近い質量をもっている。だから簡単にいえば、原子核を作る材料は水素原子核である。これは単位の正電気をもっているので陽子と名づけられた。  ところが原子核の電気量を表わす原子番号と、陽子の質量の倍数である質量数をくらべると、原子番号のほうが約半分小さな値になっている。これは原子核が陽子だけで作られるとすると、原子番号と質量数は一致するはずだから話が合わない。そこであり合わせの材料として電子を原子核の中にもちこんでみた。  電子は陽子の二〇〇〇分の一の重さで無視できるから、質量数と原子番号の差だけ電子を加えると、ともかくつじつまは合わせられる。しかしこれでもまだボロが出てくる。たとえば、原子核の磁気能率は電子の場合の一〇〇〇分の一以下で、原子核のなかにもちこんだ電子がみなまき方を逆にして対をなして、磁気能率がきかないようにしていなければいけないことになる。しかし、質量数と原子番号の差はいつも偶数とはかぎらないから、結局は無理だ。陽子も電子と同じスピンをもつから、陽子と電子をいっしょにして右まき左まきの対を作っていくと、最後には原子番号が偶数か奇数かによって、対が完成するか端数の右か左まきが残るはずだ。ところが、実際にはその残りかたは質量数の偶数か奇数かだけに関係している。かならずしもそれと原子番号の差には関係しない。この点でも電子を原子核の仲間入りさせるわけにいかない。  そこで英雄待望の声にこたえて中性子が一九三二年に発見された。すぐにハイゼンベルクが原子核は陽子と中性子とからできているとすればすべて問題はなくなるといい出した。原子核を作っている陽子と中性子は、電気的な性質以外は瓜ふたつの兄弟なので、合わせて核子とよばれる。ここで材料がそろったので量子力学を使って原子核がしらべられるようになったわけだ。——  A「原子核は原子の一〇万分の一も小さいものであるから、量子力学といえども使えるかどうかわからないのだが、前にのべたようにガモフがアルファ粒子の問題に非常にうまい使い方を示した例もある。実際、量子力学のおかげで非常にたくさんのことが説明できる。材料である核子に関する問題を別とすれば、原子核の大部分のことは量子力学で完全に料理できるとみてよいだろう。」 核の中の魔法の数  B「原子、分子と原子核をくらべて考える場合の一番大きな違いは何だろう。」  A「それは第一に働いている力が違う。原子、分子の場合に働く力は電気的な力で、昔からよくわかっている。ところが原子核のなかで働く力はけた違いに大きいが、原子核くらいの大きさの距離以上には達しない性質をもち、しかもまだ正体が完全にわかっていないものだ。第二に原子、分子には原子芯とかイオンという中心になるものがあり、電子の運動をそれに関係づけて考えることができたが、原子核には核子だけが集まっていて中心となるものはない。」  B「すると電子の場合とまったく違ったことを考えねばならないのか。」  A「ところが、原子核は原子にも、分子にも、気体にも、液体にも、その上固体にも非常に似た所をもっている。どれにも似て、本当はどれにも似ていないという所かも知れない。」  ——元素の周期表を説明するには、原子内の電子が殻を作るという考えをもとにした。パウリの禁止則とエネルギーの低いほうが安定になるという原理を用いると、みごとに八元素と一八元素の短・長周期、ランタン系列などが説明できる。結局、原子内の電子は、二、一〇、一八、三六、五四、八六の数のところで殻をとじていると考えてよいわけだ。  原子核のいろいろな性質をしらべると、中性子、陽子の数それぞれについて、二、八、二〇、五〇、八二、一二六といった数になると、性質が極端に変わっていることに気がつく。たとえば、この数以下の核子は強く結びついているのに、この数の上に加えた核子は弱くしか結びつかない。つまり、ちょうど原子の電子の殻に相当するものが、原子核内の陽子、中性子それぞれにあることになる。この数字は魔法の数とよばれているが、確かにこんな数字があらわれるのは原子核に魔法がかけられているとしか考えようがない。  原子の場合には原子核という芯があるのでこれをつつみこむような殻ができるのは理解しやすいのだが、原子核では何もない。エネルギーの図で横に中心からの距離をとると、原子の場合は中央に底のない朝顔型のポテンシャル・エネルギーがあってそのなかに下から順々にエネルギー準位ができている。下の方から準位の間の間隔の比較的広いところを区切っていくと、二、一〇、一八……といった周期律の数が出るということだった。  原子核の場合にも、こういう全体を支配するポテンシャル・エネルギーがあるかどうかあやしいが、ともかくも原子に似せて見ると、ポテンシャル・エネルギーの形をうまくとって、二、八、二〇の数までは導き出せる。その上の五〇、八二、一二六の数も、原子で用いられる他の方法をまねて工夫してみるとうまく説明できる。  原子の殻に電子が右まきと左まきが対になってつまるという事情は、原子核の場合にもあてはまる。なおマイヤー女史らがくわしくしらべた結果、殻からはみ出した陽子も中性子も、お互い同志がまき方を逆にしながら対になっていく性質をもっていることがわかった。原子核は予想以上に原子と似ている。  なぜ、原子核のなかにも中心になるような芯とそれをとりまく核子というイメージが許されるのだろうか。核子はお互いに働く力が強いために、電子同志のように知らん顔をして動きまわれない。おそらく、お互いの力を供出し合って全体を支配する架空の中心を作りあげる。その結果ひとつひとつの核子にはあまり力は残らなくて、互いに知らないようにふるまうのだろうという推定がなされている。  原子に似ているというのは原子核のひとつの顔にすぎない。核子の間には強い引力が働いているけれど、パウリの禁止則があるので一緒に集まれるものは、右まき・左まきの二個の陽子と二個の中性子の四つだけである。四つを分子のように考えると、分子同志は互いに距離をおいてかなり自由に動きまわると考えることもできる。  すると、原子核全体は気体とはいえないが、液体に近い性質をもつかも知れない。ワイゼッカーは、原子核を液体と考えてエネルギーを求めてみた。驚くことにほとんどの原子核はこの簡単な式にあてはまる。液体も原子核の別の顔といえる。——  B「原子核には極端なふたつの顔があるという話だね。片方では核子は架空の中心のまわりを勝手に動いている。一方では中心がないかわりに、核子同志が互いにつれだって動くわけか。一体どっちが本当に近いのだ。」 新しい火の化学  A「原子核のなかの様子をさぐる方法を少し見たうえで、もう一度考えてみよう。」  ——原子核に別の原子核をあてると、新しい原子核ができることに気がついたのは、ラザフォード卿であるが、中性子を使って組織的にしらべ始めたのはフェルミだった。これは前に話したことがある。  中性子を原子核にあててみるといろいろなことが起こる。もとのような中性子と原子核になるものも、中性子を原子核にとらえてしまって、かわりにガンマ線や水素、ヘリウムといった軽い原子核を放出するものもあり、原子核がほぼふたつにわれてしまう場合も出る。  比較的質量数の小さい軽い原子核を的に選んで、中性子のはやさをいろいろに変えて当てる。はやさが遅いうちは、結果はほとんどみるべきものがなく、中性子が進路をまげられるだけである。ところが速度が大きくなると、適当なはやさの場合だけがそれに近いはやさの中性子にくらべてまげられる割合がけた違いに大きくなるといった現象が見られるようになる。まげられる割合に大きな山があるわけで、これは共鳴する山と呼ばれる。どんどんはやさをましていくと、共鳴の山は多くなって山また山といった山岳地帯に入った感じがしてくる。同時に中性子のかわりのものも出てくるようになる。もっとはやい中性子を使うと、山は密集して全体がひとかたまりの山塊としてなだらかな形をした山の様子を示すようになる。  原子核と中性子をぶつけた場合の結果を理解するために、ボーアは原子核を液滴とする見方をとった。中性子は原子核にあてられると、原子核のなかにとらえられる。なかでは核子が互いに強く交渉し合っているので、中性子のエネルギーは、まるでうわさのように原子核全体にひろがってしまう。液滴がエネルギーを与えられると温度が昇り蒸発という現象を起こすように、中性子のエネルギーをもらった原子核は刺激をうけ、やがてどれかの核子にエネルギーが集まる結果、それが外にとび出していくのだ、とボーアは説明した。——  B「すると化学反応の錯合体と似ているが。」  A「その通りだ。ボーアは複合核とよんだけれど歴史的にはこっちのほうが元祖だ。この考えはまだ他の分野と似ている点をもっている。複合核が一度できてしまうと、それがどんな結果を生むかは、最初にどう複合核を作ったのかに関係はない。だから、いろいろの取出口がある導波管(マイクロ波の伝導管)と似ている。マイクロ波の取入口が中性子と的の原子核で、空洞は複合核、可能な結果すべてが取出口に当たるだろう。だからウィグナーは、マイクロ波に似せてチャンネルという考えを用いた。」  ——複合核の考えは原子核の反応を理解するにはかっこうなものであった。このおかげで共鳴の山がなぜできるのかもわかる。  原子のなかの電子は、エネルギー図でポテンシャル・エネルギーの朝顔の口から測れば、負の部分に間隔をおいた線であらわされる。正の部分は連続しており、電子が原子核にしばられない状態をあらわすことは前に話した。複合核のポテンシャル・エネルギーを原子と同じようにならべると、今度はその壁は正の部分までのびる。そのために正のエネルギーでも不連続な準位があらわれる。もちろん、このエネルギーの準位にある状態は時間がたてば空になるけれど、一時的には実現する。複合核にこのような準位があれば、特別のエネルギーの中性子がこの準位でつかまり、共鳴の山が見られるわけだ。  複合核は刺激された原子核であるから、原子核も水素原子のようにいろいろの準位をもつことがわかる。刺激された原子核までふくめて考えると、原子核の構造の知識はふえる。これらの準位は、原子の場合のように簡単ではなく、いろいろな内部のしくみに応じてわけて考えねばならない。それはちょうど分子のスペクトル線を分析した場合と似ている。分子のスペクトル線には、原子によるものの他に、原子同志が振動したり回転したりする結果あらわれる部分がまじる。同じように原子核の準位にも、核子の運動によっていろいろな性質のものがあらわれる。こういうことから、原子核のなかのようすがだんだんはっきりするわけだ。  原子力、つまり原子核の分裂も右にのべた反応のしくみのひとつである。ウラニウムのような重い原子核は、中性子が遅くともそれに応じて共鳴する準位をもつ。そこで複合核ができるわけだが、ほとんどまっぷたつにわれるようなチャンネルが圧倒的に大きな割合を占めるので、核分裂が生じる。化学反応流にいえば、中性子は活性化エネルギーを供給してウラニウムの分子よりエネルギーの低い分裂原子核のいくつかの分子になるというわけだ。——  A「そこで原子核とは本当はどんなものかという問題にもどるが、ズバリといえないにしても液体のような集団的な核子の運動が中心になる。ただ殻の考えもじゅうぶん生かさねばならない。そこでボーアの息子オーゲ・ボーアは両方をうまく兼ねた統一理論を考え出したのだが、まだ完全に片がついたわけではない。」  B「今日は大分いろいろの話をうかがったけれど、原子、分子、固体、原子核と対象はわかれているがお互いに非常に似た攻め方をしているような気がする。」  A「そうだ。だから量子力学はいろいろな科学の分野を結びつけていく。」 ㈸ 量子は可能性を開拓する 1 量子の開く世界 いくらでもある量子○○学  B「きみにお願いした量子力学の話もこれで五回目になった。おかげで新しい知識の海をずいぶん泳いできたように思うが、ここらでしめくくりの話をしてもらいたい。量子力学はいろいろと新しい分野を切り開いてきたわけだが、熱気をはらんだ現代科学の中での今後の実力とでもいうものを具体的に話してもらえたらと思う。」  A「量子力学が関係してくる分野というと、非常に多くて、それをみな話しだすと時間がいくらあっても足りないし……。」  B「どんな分野があるのか。」  A「それではまず名前だけならべてみようか。」  ——素粒子を相手にする素粒子論では�相対論的量子力学��場の量子論�が中心になる。�量子中間子力学�とか�量子電気力学�とか区別する場合もあるし、もっと根本問題に関係して時間空間にむすびついた�重力の量子論��量子時空論�などといった分野もある。大きさをもった素粒子などを予想すると、�回転体、剛体、弾性体の量子論�なども新しい意味をもってくるが、これらは原子、分子の理論で使われたものだ。原子核や固体では�量子力学的多体問題�が活躍する。�量子統計力学�が使われるのもこの分野だ。液体ヘリウムの検討では量子流体が考えられ、�量子流体力学�が生まれてきた。トランジスタで代表される�固体エレクトロニクス�でも量子力学が活躍するわけだが、そのほかにメーザー、レーザーをあつかう分野を�量子エレクトロニクス�とわけている。  今度は分子を中心にすると、�量子化学�という総称のもとに�有機量子化学��高分子量子化学�などに細分され、特別に量子力学が表に出ないけど�高分子放射線化学�などは最近のおもしろい分野だ。量子化学は化学反応を主とするという意味で、分子構造はあくまで�分子の量子力学�という人もある。生体高分子の問題についても、高分子の構造、放射線による作用などあつかう部分を�量子生物学�とよぶのが最近の習慣になったが、ボーアやヨルダンがいい出したころは、現在の�生物物理学�全部を意味していた。実際、分子生物学の本当の意味を明らかにするには量子力学が必要になるだろう。この意味では�量子薬理学�という言葉もあるくらいだ。  量子力学の論理のしくみだけに注目して�量子論理学�とか�量子代数学�などといういいかたも一時行なわれたけれど、これは代数学の特別なものとして考えられる。——  B「なるほど、ずいぶんあるな。」  A「これははっきり名前のついたものをあげただけで、物理学、宇宙物理学、化学、生物学、医学、薬理学、工学といった学問のなかに量子力学は当然のように用いられているから、量子と名のつけられる分野はいくらもあるわけだ。」 未知と矛盾の狩人  B「量子力学が多くの分野で使われる理由は結局どの分野でも、現象が違っても同じように電子を追いかけるからだといってよいだろうか。」  A「いくつかの分野ではそう考えることもできる。しかし、本当の理由は不連続な現象や、波と粒子のようにまったく違った性質を兼ねそなえた対象をとりあつかうのには、量子力学が適切な方法であるからだ。相手が電子でなくても似たような問題に量子力学をあてはめてみるのはむだではない。だからといって量子力学は万能だと思うのもまちがっている。場合によっては量子力学でも理解できないことが出てくる、といった用意は必要だ。」  B「ある部分で量子力学を用い、別の部分では古典力学ですます、という場合もあるわけだね。」  A「実際問題としてそういうやり方がよい場合もある。量子力学を作りあげてくる道筋では、きみにもこれまでに話した通りよくそういう方法がとられてきた。それは量子力学をあてはめる相手と、古典力学を使ってもよい相手との関係がいつも問題になるからであって、たとえば殺猫問答でふれたような観測の原理の話などはそうである。しかし、量子力学を用いねばならない相手から出発しながら、とつぜん古典力学があらわれるということはない。いろいろな相手があって、この相手には量子力学が、あの相手には古典力学が、という使いわけができるときには、かならずその間を結ぶ理屈があるはずだ。」  B「そうすると、量子力学を使わねばならぬ相手があれば、それとかかわり合ってくる現象は特別な理由がないかぎり、量子力学で考えていかねばならないというわけか。」  ——たとえば、プランクとアインシュタインの光量子を考える。すると光量子を出し入れする電子も、量子という性格をもたねばならないということで、電子について量子力学が作られた。電子を量子力学であつかえば光量子はそのままでよいかというと、そんなわけにはいかない。光量子も量子力学でとりあつかわねばならない。すると、量子力学も電子だけを相手にして、シュレーディンガー方程式をとけばよいというせまいものでは困る。光量子もわざわざ量子とことわらずに、電子と同資格の光子としてあつかえるよう、量子力学に拡張工事が必要になってくる。  前に話したように、同じことが固体結晶のなかでも起こっている。イオンの振動は波として伝わっていくが、それが量子の性質をもつことが固体の比熱を説明する鍵であった。固体のなかで電子の量子力学を考えようとすれば、当然のことながらこの振動の量子、すなわち音子までふくめてとりあつかえるように拡張しなくてはならない。  このような方法をとって、電子をはじめとして、それと関係してくるものをすべて量子力学の枠に入れて考えねばならない。逆にいえば量子力学が網をひろげていろいろな共犯者の一網打尽をねらうようになる。これも量子力学がいろいろな分野に広がるという別の理由だ。——  B「網にかかるものには、たとえばどんなものがあるのか。」  A「電子と光子の線を追うと、核子、中間子にはじまる素粒子、素粒子が集まって作る短命粒子といった大物がかかってくる。一方、電子と音子の線を追うと、空孔、励起子、偏極子、強磁子、プラズモン、渦動子といった名前だけでは何かわからないものがあらわれてくる。これらは素粒子とくらべると固体、液体のなかでのみ生きている小物であるが、量子力学では同じ資格をもつ役者だ。」 2 量子力学の終点 電子も消える  B「量子力学が完成する途上では、光も電子もいずれも波と粒子の二重性をもつという似た面が重要視された。ところができあがったものは、電子だけを相手とする量子力学だった。そこで光子を同資格にふくめる拡張工事が行なわれるという話だが、どうしてそんな筋道をたどらねばならなかったのだろう。」  A「それでは量子力学の筋を図式で書いてみよう。」   ・ ・   ・ ・  ——縦の線が量子論の歴史の順序である。光と電子では、波と粒子の順が逆である。電子の量子力学が二次的に光の二重性を説明するわけである。たとえば、原子内の価電子のエネルギー状態が不連続だという結論から、原子が出し入れする光の量子性が出る。これで大部分の問題は片づくが、自由な電子がなぜ光を粒子のようにはねとばすのか、コンプトンの見つけた散乱現象について、電子だけの量子力学では答えられない。というのは、この場合に電子は連続したエネルギーをもつから、電子だけ考えていても不連続という性質はあらわれないからだ。  これを救うために、電子の量子力学と平行して光の量子力学を作りあげる必要が出てきた。ところがこれはなかなかやっかいな話になる。電子は確率で表わされた波といっても、たいていの現象ではその数は変わらないが、光量子は電子によって自由に出し入れされるから定まった数の光量子だけ考えても意味がない。いつもいろいろな数の光量子の状態全部を相手にしなくてはならない。ひとつないし、わずか数個の電子を相手に状態を考えて、シュレーディンガー方程式を解くのとは勝手が違ってくる。これが光の量子力学の建設をおくらせた理由だ。  光の量子力学に暗示を与えたのは、固体の比熱についてデバイが行なった考え方である。彼がイオンの振動を弦でおきかえて、いくつもの規準になる波にわけたように、光を出す電磁場の振動も規準になる波にわけられる。そのそれぞれに量子力学で電子のオブザーバブルと似た手続きをほどこすと、その結果は振子の場合と同じことになり、エネルギーは振動数に比例した等間隔の値だけしかとれなくなる。つまり、ひとつの規準の波はその振動数で定まる光量子の集団で表わされることになる。こうなると、光量子もはっきり光子とよんだほうがよい。  光子で行なった手続きは、電子の場合の手続きと内容は違う。電子では、位置や運動量を状態をきめるオブザーバブルと考えた。光子では磁場や電場が状態をきめるオブザーバブルになる。だからふつうの量子力学と区別するために、この手続きを第二回めの量子化という。  B「光子ではいつも多くの集団全部を考えねばならないことはわかった。しかし、原子や分子では電子は少数ですむだろうが、固体のなかともなればばくだいな数の電子を相手にしなければならないはずだが。」  A「電子の数はいつも変わらないから、複雑ではあるが特別なことを考えなくてもよい。」  ——この場合にも見方を変えることができる。固体のなかの電子をエネルギー準位でわけると、充満帯と伝導帯の区別ができた。充満帯には完全に席をうめた電子があるわけだが、この状態をもとにして考えなおしてみる。すると、伝導帯にある電子だけ余分として考えるわけにはいかず、熱や光によるエネルギーの補給で充満帯からとび上がる電子や、充満帯にできた空席の孔を新しく加えて考えねばならない。すると、電子の数も、したがって孔の数も変わると見なければならない。光の場合と非常に似てくるわけだ。——  A「電子の数の変わるのは固体の一部分に起こるような見かけだけのことかというと、現実にもある。電子も光子のように消えることも、突然あらわれることもある。」 世界と反世界  B「光子が消えたりあらわれたりするのは、電子がそれを出し入れするためだろう。電子が消えたりあらわれたりするわけはどう考えるのか。」  A「この時は光子が電子を出し入れするというわけにいかない。」  ——電子があらわれる際には、かならず相手をともなっている。その相手は電子とだいたいは同じ性質をもつけれど、電気的な性質だけが逆で、正の単位電気量を荷なっている。これを陽電子という。あらわれる際ばかりでなく、消える場合も、この両者はいっしょである。  光子は電子と陽電子を一対の組にして放出しているように思えるけれど、その対を放出したとたんに、光子は消えてしまう。また、電子と陽電子が対で消える場合は光子がとつぜんあらわれる。光子が電子を出し入れしたともいえないし、逆に電子と陽電子のどれか一方が光子を出したとも見わけられない。  なぜ電子と陽電子の対があらわれたり消えたりするのかという問いに答えを出したのはディラックである。  この世の中をエネルギーで見るとふたつの部分から成り立っている。ひとつはエネルギーが正の世界で、今まで見てきた現象はすべてこの部分に属することがらだ。ところがもうひとつ、その背後に負のエネルギーの世界がある。この世界は絶対に見ることはできない。——  B「ちょっと待った。前に原子にとらえられた電子のエネルギーは負であるといった。その時のきみの答えはエネルギーの正・負は何を規準にしてもよいということだった。今の話ではエネルギーの正・負は意味のある違いのようだ。」  A「失敬失敬。多少説明不足だった。それではこういう約束をしよう。まずわれわれがとりあげる物が一切ない架空な世界を考えて、そこをエネルギーのゼロの世界と名づけよう。その世界に電子をひとつ加える。その電子は質量をもっているから、エネルギーと質量は同等だというアインシュタインの法則によって、その質量に比例した正のエネルギーの部分を占領する。これと同じようにわれわれのとりあげるどんな物も、その質量に比例する正のエネルギーの値が非常に大きいから、エネルギーの大部分をこの質量によるエネルギーが占める。原子、分子あるいは原子核のポテンシャル・エネルギーはこれにくらべるとはるかに小さいから、たとえポテンシャル・エネルギーの測りかたを変えてみても、全体は上の約束通りゼロの世界を規準にして正エネルギーの世界におさまる。つまりこれまでの場合の正・負は、正エネルギーの世界での相対的なよびかたにすぎない。」  ——負エネルギーの世界を考える以上、そこにある電子を問題にしたくなるわけだが、この世界の電子は奇妙な性質をもってくる。たとえばある方向に動かそうとして力を加えると、それとまったく逆の向きに動くというようなつむじまがりなものだ。正エネルギーの電子は光を出すと、それだけエネルギーを消耗するが、負エネルギーの電子は光を出すごとにますます元気になる。これをしまつにおえない動物にたとえて、騾馬《らば》電子と名づけた人がある。騾馬電子が観測されれば、今までの量子力学はめちゃくちゃになってしまう。簡単に考えれば、騾馬電子ははじめからないとすればよさそうだが、そうはいかない。  量子力学は実は相対性理論の要求をうけ入れねばならない。動いている物体のはやさが光のはやさに近いと、相対性理論が成立する。電子が光速度に近いかなりのはやさで動くことは事実であるから、この要求はさけられない。すると、電子といっしょに騾馬電子の存在をいやでも認めざるを得ないのだ。  ディラックは騾馬電子の存在を認めながら、今までの量子力学をめちゃくちゃにしない名案を思いついた。  空間には騾馬電子がぎっしりつまっていると考える。電子にはパウリの禁止則が働くが、騾馬電子にも働く。騾馬電子が空間の全部の席を占領していれば、勝手に動けないからその奇妙な性質が目立たないはずだ。それならば、たとえ騾馬電子があってもじゃまされることはないから、正エネルギーの電子は騾馬電子のつまった海に無関係に動きまわれる。電子と騾馬電子はエネルギーが正と負と違うから、パウリの禁止則にひっかからないからだ。  騾馬電子がいっぱいつまった空間をエネルギー図で表わすには、ゼロの線より質量に相当するエネルギーだけはなれた下方全部を、連続的にぬりつぶせばよい。これが先ほどなにもないと約束した空間の本当の姿だ。  そこで光子が入ってくる場合を考えよう。電子は正エネルギーの場所か、騾馬電子の海の中かいずれかの生き方しかできない。少々のエネルギーの光子には、騾馬電子は�馬の耳に念仏�をきめこむ。しかし、正のエネルギーと負のエネルギー間の溝をとびこすほどのエネルギーをもつ光子がくると、さっそく光子を吸収し、そのエネルギーをもらって騾馬電子は本物の電子に早変わりする。電子に転じた騾馬電子のあとは空席ができる。全部つまっていたら観測されないと約束した騾馬電子の海に穴があくわけだから、こんどは実際に見ることができる。これが単位の正電気をもち正エネルギーの粒子と同じようにふるまう陽電子だ。光子が消えて、かわりに電子と陽電子が生まれるのは、こういう仕組みである。  すると、電子と陽電子がいっしょになると、この逆が起こるはずだ。電子が騾馬電子の空席におさまり、余分なエネルギーを光子として出す。これを電子と陽電子が消えて、かわりに光子があらわれるとわれわれは観測するのだ。——  B「なるほどね。こんなことの起こるのは電子という特別なものだからか。」  A「そうではない。ほとんどのものはこれと似たような反対の粒子をもっている。たとえば陽子にも反陽子があることが確かめられている。この反対側の粒子だけ集めてくれば電子と陽子で水素原子が作られるのとまったく同じように、陽電子と反陽子で反水素原子ができるだろう。どんどん集めていけば、この椅子や机とまったく似た反椅子や反机ができる可能性もある。自然法則は反対物にも公平に成り立つようにできているから、じゅうぶん考えられることだ。」  B「しかし、椅子と反椅子をいっしょにすると、電子と陽電子の組のようにとたんに消えてしまう。」  A「われわれの世界は幸いにも反対粒子がほとんど存在しないように作られている。だから椅子は作れても反椅子は作れない。ところが宇宙のどこかには反対粒子が圧倒的に多い反世界がないとはいえない。ここでは椅子のかわりに反椅子が作られる。そういうものばかりでできた世界は、反世界というべきだろう。世界と反世界が遭遇すると、瞬時にばくだいなエネルギーとなって消えることも空想できるわけだ。」 量子電気力学という模範答案  B「今の説明をきいて気がついたのだが、固体の場合にも同じような考え方をした。正エネルギーの電子は、固体のなかでは伝導帯の電子にあたるし、負エネルギーの騾馬電子は充満帯の電子のようだ。光や熱エネルギーで充満帯の電子が伝導帯にとび移って、あとにできる穴は陽電子と似てくる。」  A「その通りだ。本当をいうと、この固体のとりあつかいかたはディラックの答案をまねたものだ。固体の場合には騾馬電子が登場するわけではないが、エネルギーを充満帯をもととして測る約束にすれば、同じ考えが使える。原子や原子核で同じ方法をとることも可能だ。粒子がぎっしりとつまった殻をもとにすれば、殻の外にある粒子と殻にできる空席とは、粒子と反粒子の関係に焼きなおして考えられる。だから、一番理想的で現実的な場合を想定して、模範答案を作っておくことが重要になる。」  B「光の量子力学が電子の量子力学と違ったやりかた、つまり第二回めの量子化をしたのは、光子を集団としてあつかう必要があったからだという。ところが今度は、きみは電子もできたり消えたりするといい出した。すると、その手続きは電子にもやらねばならないね。」  ——そこで電子も光子も今度こそ同資格であつかうという方法が、ハイゼンベルクとパウリによって作られることになった。これは、電子に相対性理論の要求をいれた点を強調すると、相対論的量子力学とよばれ、電磁場を量子力学的にあつかったという意味では、量子電気力学ともいわれる。電子と光のとりあつかいは結局ここまで進めなければならないから、これは量子力学の終点ともいえる。前と同じ図式を書くと、   ・ ・   ・ ・ と変わるわけだ。  量子電気力学ができたおかげで、光子と電子の交渉し合う現象がいろいろ説明できるようになった。みごとな計算をしてみせたのは、光子と電子の衝突、つまりコンプトン散乱を解明したクラインと仁科芳雄であった。散乱された光子の波長が方向によって変わるという事実は、量子論でも説明できるけれど、どの方向にどのくらいの割合で光子がとばされるか、はじめの光子のエネルギーを変えれば、その割合がどのように変わるかという答えは、クライン・仁科の公式ではじめて与えられる。彼らは実験をみごとに説明して、量子電気力学の正しさを世界に宣伝したのである。  この公式はあまり有名だったので、実際に仁科に会った人は、クライン・仁科を同一人物と思いこんだそうだ。クラインとはドイツ語で小さいという意味で、仁科も小柄であった。  電子が物質のなかを通りぬけると、その道筋をまげられて、光子を出す制動輻射とよばれる現象がある。放射線障害で問題になる有害なガンマ線に関係がある現象だが、これを理解するためにも量子電気力学を用いねばならない。これで宇宙線のなかで急に電子が増加するシャワーという現象もうまく説明できる。——  B「それでは量子電気力学によって、量子力学は全く完成したといえるわけだね。」 朝永のくりこみ理論  A「そういいたいところだけれど、実は、まだいい切れないわけがある。量子力学は光子側と電子側とをうまく結びつけたと思われていたが、結び目に大変な傷があることがわかった。たとえば、量子電気力学によれば電子は光子を出すが、同じ光子をもう一度吸収する場合もある。出して入れれば何のことはなく、電子はもとの状態にもどるように思われるけれど、そのたびに電子のエネルギーがふえる。電子は砲撃した大砲と同じ理屈で、光子を出したり入れたりするたびに、反動で動くからだ。この運動のエネルギーを求めてみると、無限に大きな値になってしまう。エネルギーがふえると電子の質量が重くなるから、この電子の質量は無限に重くなるという結論が出る。こんなばかなはずはない。げんに電子の質量は、トムソン卿とミリカンの実験で求められているように軽いものだ。」  B「やはり量子力学の拡張工事に誤算があったのだろうか。」  A「そう思った人もある。しかし、一方ではいろいろな現象が申し分なく説明できるのだから、全然誤算していたわけではない。よくしらべてみると、電子が光子を出し入れする際の反動を問題にしなければ、すべての面で都合のよい答えが出るが、これを考えに入れると、きまって奇妙な結果が出てくる。」  ——朝永振一郎はこの反動の性質をよくしらべてみた。すると、いろいろなところで奇妙な結論を引き出す元凶として、ふたつの事実が根底にあることに気がついた。ひとつは、電子が無限に重くなるということ、ふたつめは電子の電気量が無限に小さくなるということである。幸いにもこれ以外にはばかげた結果をもたらす犯人はない。  答えは奇妙なものになるけれども、このふたつはふつうならば常識的なことである。電子は光子を出し入れするから、自分のまわりに光子の雲を着物のようにまとっている。着物の分だけ電子が重くなるのは当然だ。また、電子が出した光子が空間を横切る際、空間にみちた負エネルギーの騾馬電子がじゃまをする。その結果、目的地につく光子が減り、あたかも電子が光子を出しおしんだかのようにみえる。電子が光子を出す割合は電気量に比例するから、電気量が減ったような結果が出ても不思議はない。量子電気力学のどこかに傷はあるとしても、ふたつの奇妙な事実の存在にはこのように情状しゃくりょうの余地がある。朝永は寛大にも、無限大の質量を本当の質量の値に、無限小の電気量を本来の値に見たててやる方法を考えた。これなら本当の観測とつじつまは合う。この読みかえのことは�くりこみ�と名づけられた。  この方法はみごとに成功をおさめた。水素原子の光のスペクトルをくわしくしらべると、量子力学の予想とわずかにずれる。これは電子のスピンの効果を入れるとかなり改善されるが、それでもわずかに差がある。電子の反動の効果は状態によって違うはずで、それがわずかな差を出しているらしい。この予想にもとづいて実際にくりこみ法による量子電気力学で計算してみると、驚くほど答えは観測と一致したのである。——  B「すると朝永は量子電気力学を救ったわけだな。」  A「電子の質量と荷電のなかにくりこまれた数値の上の欠点を除いては、量子電気力学は完全なものとなったといってもよいだろう。たしかにこの欠点は問題であるが、本当はどうなのかを実際に観測して確かめる方法は今のところない。  朝永の考えはシュウィンガーとファインマンによってきれいな形に書きなおされ、いろいろな方面に応用されることになった。この方法によって素粒子の現象、原子核の構造の問題、固体の電磁気的性質、レーザーの現象等、すべてが新しい息吹きを与えられた。」 3 極低温の世界 エレクトロニクスの前途  B「量子力学を終点まで進めたのが量子電気力学だという話であったが、この量子電気力学はこれからのいろいろな可能性に、どう結びついていくのだろうか。」  A「では、現在いろいろと追求されている問題を二、三紹介していこう。まず、身近な具体例としてエレクトロニクスをとりあげる。」  ——エレクトロニクスがトランジスタの出現で驚くような進歩をしたことは誰もが認めている。ところが、もうこれ以上は進むまいという人もある。トランジスタの性能や信頼度、価格が今日では極限まできているからだというのだ。この心配はまちがっている。なぜなら、集積回路技術の発達によって示されつつある現状の進展がそれを立証している通りで、これからは半導体だけでなくMOSとよばれる金属—酸化物—半導体の三つの物をいっしょにして考えていくような、材料と装置が一体になる方向に進むだろう。  しかし、トランジスタの発明で重要な点は、電子と孔の効果、不純物準位をつくる少数の不純物の効果の発見である。そして何よりも大切なポイントは、固体のなかの電子についての量子力学の結論、バンドの考えが有効だとわかったことである。  トランジスタは、ゲルマニウムのなかにまぜる不純物を必要としながら、それがきわめて微量であることを要求する結果、ひとつの技術上の困難につきあたった。ところが、不純物の量を増しても同じような効果をもつものができることを、江崎玲於奈が発見した。それが江崎ダイオードとかトンネル・ダイオードとよばれるものだ。  p型とn型の半導体を結んだものをダイオードというが、ダイオードの不純物を増すと電圧を相当大きくしないと電流が流れないのがふつうである。江崎は逆に不純物を多くしてみたところ、思いもかけぬことが起こった。電圧がわずかでも、そのダイオードには電流が流れるばかりか、電圧を変えていくと一度流れた電流が減り、また増していくのである。この奇妙な性質は相当高い周波数についても変わらないため、世界の注目を集めた。この江崎ダイオードのなかで起こることは、バンドの考えによって簡明に理解できる。  江崎ダイオードの出現は、不純物による製造上の欠陥をなくしてしまった。まだじゅうぶんには実用化されていないが、トランジスタの壁を破る可能性をもったものだ。これとまったく逆に、電流を変えて電圧にいろいろ変化を生むものは、p‐n‐p‐nダイオードといわれているが、電流や電圧の変化で記憶回路をつくる電子計算機では、ふたつとも重要なものになっている。  固体のなかの電子の起こす現象で最近注目されているもうひとつのものは、メーザー、レーザーである。気体や液体によるメーザーが開拓される動機は固体メーザーが開いた。ルビーのような常時性結晶を共振器に入れ磁場を加え、これに一定の周波数の電波を入れると、低い周波数の発振を行うことができ、また増幅にも使える。固体のなかの原子がスピンをもつため、磁場によって三つのエネルギー準位に分かれる性質によるために、三準位メーザーとよばれるものだ。  その原理は前に少しふれたが、外から入れた電波で原子を最低準位から最高準位におしあげると熱振動で中間準位におちてたまる。どんどん原子をあげてはおろしという過程を繰り返して、原子のほとんどを中間準位にあげてから、最低準位と中間準位のエネルギー差に相当した周波数のわずかの電波を加えると、とたんに多くの原子が光を出しておちる。だから、周波数の定まった強力なマイクロ波や光線が得られる。原子が自然に光を出したり、外部の電波にさそわれて自身も電波を出すことは、量子力学を作る際にわかっていた量子効果だ。これが固体の問題と結びついて、実用の脚光をあびたといえる。メーザーもこれからのエレクトロニクス発展の重要な因子である。—— ひとりでにはい出す液体  A「固体のメーザー、レーザー、もっと一般に固体の電磁気的性質をはっきりつかんで新しい可能性をさぐるには、温度を極端に低くする必要がある。クライオトロンが登場したのもそのおかげだ。」  B「クライオトロンとは初めて聞いたが。」  A「タンタルとニオブの電導性が、磁場によって違うことを利用して、わずかの電力で作動するものだ。約〇・二ミリ半径のタンタルに〇・〇八ミリのニオブの線をまいた眉毛くらいの大きさだから、これを用いると電子計算機の記憶装置は、ちょっと大きなデコレーション・ケーキの箱におさまってしまう。ただし、やっかいなのは、これを働かせるには絶対温度で数度というところまで温度を下げなくてはならない。そのためには液体ヘリウムの冷却装置がいる。」  B「絶対温度というと摂氏マイナス二七三度をゼロとしたものだね。そんなに極端な低温がなぜ重要になるのだろう。」  ——固体はこのくらいの温度になると抵抗がゼロになり、電流をいくらでも通す超伝導とよばれる性質を示す。たとえば、ニオブは絶対九度、タンタルは絶対四・四度で超伝導性をもつ。この超伝導性を保つ温度は、わずかの磁場で変わるから、両方のなかを流れる電流が相互に磁場を生じて、デリケートなつり合いが保たれる。いずれかの電流をあげると、別の方は超伝導性を失い、抵抗を生じて電流を通しにくくなる。つまり、わずかな電流の変化で相手を支配できるわけだ。  低温での現象でおもしろいもうひとつの問題がある。  ヘリウムは常温で気体だが、絶対四度ではじめて液体になる。ところでこれをもっと冷やして絶対二・二度まで下げると奇妙な性質が出てくる。ビーカーにこの液体ヘリウムを入れると、非常に薄い膜となって壁をはいあがり、するすると低い方に逃げてしまう。水がこんな性質をもたないのは粘性があるためだが、この液体ヘリウムは粘性をもたないようにみえる。これは超流動とよばれる。超伝導にしても超流動にしても絶対零度近くではじめて出てくる性質だ。——  B「そういう現象は昔からわかっていたのか。」  A「超電導がオネスによって一九一一年に、超流動は一九三八年にカピッツァが発見したのだが、初めてヘリウムを液化したのは同じオネスで一九〇八年のことだ。この年が低温物理の誕生といえる。」  B「量子力学が二〇世紀に作られたのはわかったが、低温を作るのに二〇世紀までかかった理由は何だろう。」  A「絶対温度はケルビン卿が熱力学でもちこんだ尺度だが、その考えをおしすすめると、絶対零度では何もかもが静止した死の世界という想像があって、そこでは物質の性質としてみるべきものはないという意見が多かったからだ。実はそうではない。」  ——原子、分子が絶対零度で静止してしまわない理由は、ハイゼンベルクの出した不確定関係による。たとえ絶対零度でも粒子の位置も運動量も同時にゼロとするわけにいかないので、何らかの運動は残っている。何らか、といったがここまでくるとプランクのhに関係した問題だから、絶対零度では量子力学による効果がはっきり出ると推量できる。  ヘリウムは原子のなかでも質量が小さいから、明瞭に量子力学の効果があらわれるはずである。ビーカーの壁を伝わってぬけ出る性質は粘性のないことを示しているようにみえる。ところが金属の円板を液体ヘリウムのなかで回転振動させてその粘性をしらべると、問題の絶対二・二度以下になっても粘性は急になくならない。壁を伝わって逃げ出すことと、粘性があることとは矛盾しているようにみえるが、ランダウはこれに明確な答えを出した。  液体ヘリウムはIとIIと区別されるふたつの液体からできていて、ヘリウムIはふつうの性質をもつが、ヘリウムIIは超流動性をもつというのだ。ビーカーの壁を伝わった犯人IIと、円板を引きとめた犯人Iは別人であったというわけだ。  通常の部分と超流動という奇妙な性質をもつ部分からなる液体ヘリウムは、矛盾したものをあつかう量子力学の格好な相手である。そこでランダウ、オンサーガ、ファインマン等によって、量子電気力学を手本とする渦運動の量子論が作られ、量子流体力学が生まれることになるのだが、専門的になるのでこれ以上はやめておこう。—— 量子が目に見える  B「ひとつ不思議なことがある。量子力学の効果というのは原子スケールの話で、われわれが知るには間接か、あるいは何か目に見えない小さい量と関係してくるだろう。しかし、液体へリウムのビーカーの実験は目に見えるではないか。」  A「そうだ。確かにきみのいう通り、この場合には量子力学の効果が目に見えている。それはなぜかというと、原子や原子核の場合と非常な違いがあるからだ。」  ——電子や核子はパウリの禁止法則にしたがっているから、同じ状態にはひとつしか入れない。そのことから、原子や原子核のエネルギー準位に下から順次に電子や核子を席につめて、魔法の数というものが導けた。ところが、極低温におけるヘリウム原子全体はパウリの禁止法則をうけないで、どんな状態にもいくつでも入りこむことができる。絶対零度の近くの液体ヘリウムでは、すべての原子が最低のエネルギー状態につまると思われる。専門用語ではボーズ凝集といっている。ひとつひとつの原子の量子力学の効果が小さくともばくだいな数が集まれば、その効果は拡大されて目に見えるわけだ。  固体の場合の超伝導現象は電子が主役であり、電子にはパウリの禁止法則が働くからどうだ、という疑問が生まれる。たしかに電子はひとつずつ別の状態に入るから、全体としてはバラバラで量子力学の効果を打ち消し合うように考えられる。ところが、超伝導を示す状態はこれとまったく違っていることを、パーディーンたちが明らかにした。  分子の共有結合の場合に右まきと左まきの電子が組になって働いていた。この一対をちょうどひとつの粒子のように考えたらどうだろう。この粒子にはパウリの禁止法則は働かないから、前の場合のポーズ凝集と同じ理屈がつく。分子の場合には電子の対は確率の波が重なるだけの意味であり、実際にふたつの電子を結びつけると、不確定性関係ではげしく運動してはなれてしまうはずである。ところが、ここで比熱を解明する際あらわれた音子が、ふたつの電子を引きとめて結びつける役目をする。実際この力を求めてみると、確かにふつうの状態と超伝導を示す状態との間には大きなみぞがあることがわかる。——  B「結局いずれの場合にも、ポーズ凝集が量子を目に見えるようにしている原因だというわけだね。音子が登場して電子の対ができるのがタネらしいが。」  A「ここまできてはっきりすることは、固体のなかの現象は大部分は電子と音子のエネルギーのやりとりだという点だ。つまるところ、エレクトロニクスは最後には、電子と光子や音子の交渉をどう技術化していくかという問題になっていくのではないだろうか。」 4 超高温の世界 星の火と量子力学  B「次に高温の話をうかがおう。低温にはともかく零下二七三度という限界があったけれど、高温の目標はどのくらいなのだ。」  A「自然界にどれくらい高い温度が実現しているかといえば、星の温度ということになるが、平均して約一〇〇〇万から一億度。二〇億度の温度になると星が爆発を起こしてしまうからそれが限度といえる。現在地上で人間が作れる温度は、最近になり一〇〇〇万度に達するようになった。実は数億度という温度を実現することはぜひ必要なのだ。」  B「大分大きな話になって見当がつかないけど、なぜ高温が要求されるのだろう。」  A「溶接機の炎は約三〇〇〇度、最新の耐熱材、たとえば炭化ジルコニウムをとかすには四〇〇〇度あればじゅうぶんである。しかし、ミサイルやロケットが大気圏に突入するとき生じる温度は、一万度近くになると考えられる。最近ではプラズマ銃が登場して二万度くらいの温度が出せるから、さしあたりの実用の研究のためにはこと欠かない。しかし数億度の実現をめざしている理由は、もっと別のところにある。それはわれわれの将来のエネルギー供給源を得るためだ。」  ——二〇世紀のエネルギー供給源の花形は原子力である。今後一〇〇年間に人類が必要とするエネルギー量は、過去に使ってきた総計の六〜七倍になる。石油、石炭、太陽熱等で供給できる量はその約半分にみたないから、どうしても半分以上は原子力によっておぎなわねばならない。  ところで、現在の原子力利用率を延長して考えると、その半分については安心だが、残りの半分が問題になる。現在の原子力はよく知られている通り、ウラニウム、トリウムなどの原子核分裂のエネルギーを利用している。そのエネルギーが全部供給できるならば、お釣りが出るくらいなのだが、いろいろな事情があって実現しにくい。まず、全部の材料を燃やしつくすことがむずかしい。生じたエネルギーを電気に変える際にロスが多い。そして一番困る点は悪性放射能が出ることだ。  もちろんそれらの改善策は実施に移されている。高速中性子炉や増殖炉の開発、燃料の再処理の改良とか、MHDとよばれる直接発電方式の考案といったことが、現在の原子力の利用の道をどんどん開いていくだろう。しかし、核分裂のエネルギーがふえれば、放射線の危険を防ぐ労力もいるわけで、どこかでやはり頭うちになる可能性がじゅうぶんある。  そこで考えられるのが、核分裂より歴史の古い星のなかの原子核の反応、つまり原子核と原子核を結びつける融合反応だ。  原子核の分裂は、かぎられた重い原子核でしか起こらないが、融合反応にはいろいろなものがある。しかし人類がエネルギーをとり出して使えそうな融合反応はかぎられる。それは重水素同志から三重水素やヘリウムを作る場合か、重水素と三重水素からヘリウムを作る場合である。重水素は陽子と中性子が、水素原子の陽子と電子のように結びついたものだが、エネルギー図ではひとつの線であらわされる点で両者は似ている。しかし、エネルギー図のゼロの線から測ると重水素の場合は一〇〇〇倍ほど下にある線だ。三重水素やヘリウムのこれに当たる線は、やはりその数倍だが、融合反応ではその差が利用される。化学反応とは話が三けた違うわけだ。  ところが、こんなにエネルギーの違う話なのに化学反応と融合反応は関係がある。たくさんの重水素原子のなかで、わずかの重水素原子核同志が結びついてけた違いのエネルギーを出しても、他の多くの原子に化学反応と同じ仕組みで少しずつそれをとられてしまうと、結局数がものをいってわれわれがうけとるエネルギーとしてはほとんど残らない。それでは困るので、最初から重水素原子などができないように、原子をバラバラにしておく必要が生まれる。このように原子が原子核やイオンと電子にバラバラにされたものをプラズマとよんでいる。つまり、融合反応のエネルギーをとり出すには、プラズマの状態にして途中のエネルギー略奪者を除いておかねばならない。このためには、少なくとも一万から一〇万度の温度が必要になる。—— プロメチウスの火  B「一万度なら先ほどのプラズマ銃でまにあうはずで、数億度の温度はいささか大げさだと思う。太陽でも数千万度と聞いているが。」  A「プラズマを作るというのはエネルギーをとり出す最低の条件だ。目的の融合反応を起こさせて、しかも現在の原子力と競争できるエネルギーをとり出すには、それ以上の温度がいる。」  ——プラズマのなかの原子核やイオンひとつひとつは、かならずしも平均の温度にはなく、まちまちである。それはガスのなかの分子と同じ事情だ。しかも平均温度以下であるものの数が多く、高い温度になるほど数は少ない。融合反応は、原子核同志がいずれも正の電気をもって離れようとするのを強引に結びつけるわけだから、大変なことである。  ところがこれにはうまい方法がある。前に話したガモフの噴火口と同じ量子力学のトンネル効果の利用だ。ガモフの場合は原子核のなかにあるアルファ粒子が、トンネル効果によって外にぬけ出たのだが、今度は外にある原子核がトンネル効果で別の原子核のふところに入りこむことが期待できる。それが融合反応の仕組みだ。  しかし、反応の割合は平均温度にある原子核ではほとんどゼロで、それよりも温度が高い一部の原子核で大きくなる。原子核は平均温度以上になるとその数は減少していくのに、融合反応が起こる割合はそのあたりから増すという皮肉な事情にある。そこで、数少ない一部の原子核を使う以外に方法はないとすれば、平均温度をあげて、その数を相対的に増さねばならない。それには一〇〇万度以上の温度がまず必要だ。  だが、まだ難問がひかえている。高温のプラズマのなかでは電子がはげしく動きまわり、原子核にまげられて光を出す。前にふれた制動輻射だ。このおかげでプラズマ中の電子は原子核からエネルギーをとる。せっかく苦心して融合反応を起こしてもかんじんのエネルギーが電子の運動に使われてしまう。電子をとりはらうというわけにいかないから、はじめからエネルギーとしてはその分を見越して、ありあまるほど用意しておかねばならない。このようなことをいろいろ考慮すると、数億度以上で、しかも一立方センチ当たり一万兆個の粒子のプラズマを考えておかねばならなくなる。——  B「なるほど。そこで数億度の温度が実現すれば融合反応が起こせるのだろうか。」  A「ギリシア神話にプロメチウスという神が出てくる。彼はオリンポスの神々から聖火をうばってオオウイキョウの茎のなかにそれをかくした。そのために山頂に鎖でつながれ、人間はパンドラの手箱のなかから、さまざまな害悪をもらった。この話は融合反応の未来を暗示しているかもしれない。だがプロメチウスは結局は人類の恩人であったといわれる。」  ——現代のプロメチウスたちが苦心しているのは、どうやって火をとじこめるオオウイキョウの茎を作るかである。数億度のプラズマを入れる容器は耐熱材では無理だ。そこで磁場という目に見えない縄を用いて容器を作る。幸いにもプラズマは自身でも磁場を作り、自縄自縛をする性質をもっている。これをピンチという。このプラズマの癖、ピンチ効果を利用したり、または外から磁場をかけて、何とかプラズマをしばりあげる方式がいろいろ考えられている。しかし、それも文字通り一筋縄ではいかない。胴体をしばっても頭から逃げる、頭と足をつないでドーナツ型にしても縄ぬけをするというように、プラズマを安定に保つにはいろいろなしばりかたを考えてみなければならない。それと関係して、しばったプラズマにどういうふうにエネルギーをやって高温にするかを考える必要がある。縄をじりじりしめあげたり、放電によってプラズマが自身で縮まりながら、縄をたぐりよせる�雪かき�などとよばれるもの、電場や磁場で外から遠隔操作でプラズマを運動させて熱をあげる、といったやりかたが考えられている。——  B「それで現在どのくらいの温度まであげられるのだ。」  A「プラズマがしばられている時間と温度の両方を見なければいけないが、数百万度というところだろう。なかには数千万度、一億度に手がとどくといった話もあるけれど、どうやって測ったかが問題だ。しかし、この数年間の進歩で、だんだん目的に近づいている感じだ。」 湯川が開いた素粒子の箱  B「高温での現象はすべてわかっていると考えてよいのか。」  A「そうではない。だから、核融合の研究をしていくうえには、何といっても手本になる融合反応を起こしている星のなかの現象をしらべておかねばならない。星は非常に大きいから、重力エネルギーが働いてそれがプラズマをしばる役や加熱する役目をひきうけている。だから、星のことがわかっても地上の問題は残る。しかし、考える相手をよく知るのは結局は近道でもある。星のなかで起こる現象をつきつめていくと、原子核のなかにある素粒子まで考えていかねばならない。しかもわれわれは星から光、電波、X線のほかに宇宙線を通してエネルギーをうけとっているが、これらはすべて素粒子という形でうけとめるのだからなおさらだ。ところが、素粒子の現象についてはまだまだわからないことが山ほどある。」  B「素粒子というとこれ以上わけられないものと聞いている。電子や光子、原子核のなかの陽子や中性子はみな素粒子だろうが、この言葉はもっと違ったものという感じもするが。」  A「確かにきみのいうように新しいひびきが、この言葉にはある。実際、素粒子という言葉がつかわれ始めたのは、湯川秀樹が中間子論をとなえだしたころからだ。」  ——光子や電子にはじまる原子物理の歴史は、話して来た通り、なかなか波瀾にとんだドラマで、量子力学や量子電気力学という体系が生まれた。それでいろいろなことが説明できるようになったけれど、ホストの電子もホステスの光子も昔からあったものだ。  ところが、湯川理論はこの歴史にもうひとつのドラマチックな場面をつけ加えた。量子力学の体系だけを足がかりにして、今までどこにも見つけられなかった新しい粒子の存在をピタリといいあてたからだ。量子力学のなかに光子をふくめるために、第二回めの量子化という手続きをした。この手続きは電場、磁場の電磁気力と光子を密接に結びつける。湯川は、この方法を原子核のなかのもっと強い力にあてはめた。もし、量子力学の方法が正しければ、この強い力にぴったり結びついた粒子があるはずだ。その粒子は電子の二〇〇倍くらいの重さをもつであろうと結論できる。はたして、彼の結論は実際に確かめられた。その粒子は実在した。それが現在、パイ中間子とよばれるものだ。中間子論ができあがるためには量子力学の底力がいかんなく発揮されたというべきだ。しかも坂田昌一と谷川安孝はこれとは別の中間子も考えられることを示し、これは宇宙線の主成分として実証された。  パイ中間子の出現によって、量子力学は大きく羽ばたいた。電子と結びついてのみ存在するようにみえた量子力学が、もっと一般的な体系で、その適用できる範囲は無限に広がることが、これによってはっきりとしたからである。実際、中間子論の出現は物理学者の可能性への探求をいっそうだいたんにした。——  B「つまり、素粒子という総称を使うのは、量子力学のもっている底力によって新しい粒子がすべて考えていけるものだという、自信がふくめられているというわけだね。」  A「まあ、そういっていいだろう。しかし、こういうことも知っておいてほしい。パイ中間子の発見から現在まで、素粒子の数はどんどんふえていく一方だ。ひとつずつ数えたら二〇〇種類以上にもなる。多くの原子を説明することは、量子力学の使命のひとつであったと話した。この事情は、現在では原子のかわりに素粒子を相手としてふたたび起こっている。はたして量子力学の底力がここでまた発揮されるのか、あるいは量子力学とまったく違った新しい体系が必要になるのか、いろいろの意見がある。しかし、少なくともいえることは、どんなものにせよ量子力学というスタート・ラインから出発してはじめてその解答は得られるだろうという点だ。ともかく、量子力学はそのかなたに、まだまだ大きな夢をもっているわけだ。 � 量子は何を教えたか ——A教授とB氏の五回にわたる会合は以上で完結しているが、その後、A教授よりB氏へ手紙がとどいた。その内容をここに再録してこの書の終わりとしよう。—— 永遠の真理とは  B君、さっそくていねいな礼状をありがとう。つたない量子力学の話を最後まで熱心に聞いていただいたことを私も感謝している。あとで考えてみると、いろいろと話し残したことがたくさんあるが、それは、きみにまたお目にかかる機会にでもしよう。しかし、ぜひ加えておかねばならぬ重大なことがある。それは量子力学がその出現、発展、活動を通して私たちに何を教えているかという点だ。そこでこの手紙を書くことにした。  量子力学が作られる前、すなわち量子論が生まれるころの話を思い出してほしい。その当時、世界の物理学界を支配していたのはニュートンによって基礎をつくられた力学、マックスウェルの電磁気学といった古典物理学だった。熱学はすでにボルツマンとマックスウェルによって分子の運動論という形に書きかえられ、光も大部分が電磁気学に組み入れられていたから、粒子の運動と波動現象について完全な整理が行なわれていたわけだ。  こうして、ニュートンの力学とマックスウェルの電磁気学によって記述できない現象はないという信念は、当時の人々の誰にも確かなものとしていだかれていた。  こうしたなかに量子の概念が生まれた。というより量子はどうしても存在しなくてはならなかった。これをはっきり示しているのはプランクの行動である。彼は黒の箱の現象に導かれて量子を発見したが、量子が古典物理学を根もとからゆさぶるとは、けっして思っていなかった。彼の努力は量子を何としてでも古典物理学のなかに調和させるためにはらわれた。しかし、だんだんしらべるうちに量子と古典物理学との間のみぞはますます深まることを感じたのである。  絶対に正しいと思われていた古典物理学は、これまで話した通りの道筋をたどって、原子、分子に関するかぎり量子力学に道をゆずらねばならなかった。  もうひとつ、ニュートン力学に挑戦したのは相対性理論である。このくわしい話ができなかったのは残念だが、はやさが光速に近くなる現象に関するかぎり、ニュートン力学はこれまた相対性理論に席をゆずらざるを得ない。  では、ニュートン力学やマックスウェルの電磁気学は完全にまちがいで、量子力学や相対性理論が正しいものだろうか。確かにhを無視したり光速度を非常に大きいものとするならば、それらから古典物理学が出てくるから、古典物理学は量子力学や相対性理論の近似の理論と見ることもできる。しかし、電車のなかで起こっている現象を見て相対性理論を用いたり、モーターの設計に量子力学を使っても無意味である。人工衛星の軌道はニュートン力学で正確に答えが出る。衛星の出す電波は、完全にマックスウェルの電磁気学でコントロールできる。古典物理学も現象によっては完全に正しいのだ。  量子力学や相対性理論が与えたものは、完全に正しいはずの古典物理学も、ある問題についてはまちがってしまうという事実である。  B君、私たちはいつも何かの理論や法則を完全に正しいものと思いこんでしまうくせがないだろうか。もし、ある事実についてそれよりすぐれた理論があれば、それが完全で前のものは不完全と考えたくなる。私たちは完全と不完全、正しさとまちがいをいつも単純に割り切りはしないだろうか。量子力学の出現はどんな正しい理論にも限界はあるし、また限界があるからといってそれにふさわしい問題での正しさに変わりはないことを教えてくれたといえる。私たちのまわりにある真理とはこういうものだ。永久の真理という考えは、少なくとも二〇世紀では反省しなければならない。 量子力学にも限界がある  B君、量子論を作る際に起こった古典物理学の抵抗と、量子力学を生み出す時のボーアの古典論の使いかたをくらべてくれたまえ。ここにひとつの教訓がある。それは限界を考えない立場と、限界を知ってそれの長所を利用する立場との差がどのくらい違うかである。  古典物理学は日常の世界では完全である。だが、それだからといって自然界のすべての事象について完全というわけにはならない。それを自覚するかしないかは、別の世界に直面した場合に大きな差が出る。ボーアの使ったやりかたを対応原理というのだが、これが使われなかったとしたら、ド・ブロイの天才的ひらめきも量子力学のなかにみのることはなかったかもしれない。  B君、私たちはいつも新しい問題にあたるとき、古い考えを無理に通そうとはしないだろうか。また、古い考えとわかればそれに見向きもしないで、そのよいところを使う努力をおしみはしないだろうか。  量子力学も原子、分子の世界の完全な理論であっても、素粒子の世界ではかならずしも完全だとはいい切れない。量子力学の終点と思われる量子電気力学は、朝永のくりこみ法によって何とか難点を逃げていろいろな現象を説明した。しかし、くりこまれた質量や荷電のなかには難点はなお残っている。量子電気力学では、それに目をつぶれても、ほかの素粒子をあつかうように理論を広げると、もはやくりこみ法でもどうにもならぬ困難が現実にあらわれる。素粒子については量子力学の適用できる限界が見えているようだ。  量子力学の解釈については君に話したように長い論争の歴史がある。プランク、アインシュタイン、ド・ブロイといった量子論を作るのに貢献した人々は、完成された量子力学には強い不満をもっていた。確かに彼らには古典物理学に根ざす古い実在という考えを、捨て切れない欠点があった。量子力学の正統な解釈は、ボーアを中心とするコペンハーゲン学派とよばれるグループによって作られたものだ。しかもこの解釈を完成させたノイマンの理論によって完全に補強されている。  ノイマンの結論はつまるところ量子力学が完全な体系だということである。しかしノイマンの考えをおしすすめると、観測は結局、自意識をもった抽象的なものに左右されることになる。物理学者は誰でも多かれ少なかれ客観的な実在を信じている。このムードは、ノイマンの結論をかならずしもうけ入れない。アインシュタインやド・ブロイの考え方を、現在おしすすめているのはボームである。ボームは量子力学の背景にかくされた変数があって、それで古い因果的な考えがもう少し残るのだと主張している。  量子力学が実際に素粒子の世界で難点を示す事実がある以上、ノイマンのように量子力学を完全とする議論はもっと違った新しい考え方を育てる上にはかえってじゃまになるかもしれない。だから、ボームたちの考えも意味があるのだ。  量子力学も完全とはいえない。新しい世界に向かう時には、いつもそれを自覚して考えていかねばならない。 知識よりも考え方のパターンを  B君、きみは量子力学の展開の話をきいて、同じような考え方が形をかえていろいろの分野で使われていることに気がついただろう。  原子の殻という考えは、それを作る力がまったく違うにもかかわらず、原子核の殻の考えを生んだ。分子の共有結合の考え方は、固体のなかでも生きている。話す機会がなくて残念だったけれど、ハイトラーとロンドンのやりかたは、そのまま強い磁性をもった物質の解明に役立っているし、分子雲の考えは固体ではバンドの考えに生きている。  エネルギーの峠をこす話では、化学反応の錯合体も原子核反応の複合核も非常に似ていることに気づくだろう。核分裂も化学反応もレーザー現象も、みな似たような考えの上にできているし、量子がトンネルをほる話も、原子核のアルファ崩壊や融合反応に使えるばかりでなく、固体のなかでも使われている。  もちろん、考え方が似ている例は古典物理学にもある。もっと広くいえば科学のいろいろな分野では、結局違った問題に向かって同じような考え方をあてはめているのだ。二〇世紀までの科学は確かに外見は違っていた。物理学と生物学では相手が物質と生命とはっきり違っているから、その考えややりかたにも差があると、多くの人々は考えていた。物理学が進み、生物学も進んだ今日では、誰もそんな考えをしなくなった。人間の科学的な考え方にはそんなに違いはない。  量子力学は電子という仲介者を使って、いろいろな科学の分野、無機化学、有機化学、高分子化学、生物学、医学、電子工学、物性物理学、素粒子物理学、宇宙物理学等々を結びつけた。電子はあくまでも仲だちであって、量子力学のはたした役目は、人間の考えがどんなに似ているかを明らかにしたことではないだろうか。  極端ないいかたをすれば、量子力学を使わないでもよい問題でも、この考えは生かせるはずだ。考え方のパターンといういいかたをするならば、量子力学はひとつの有力なパターンを与えたといってもよいだろう。  古典物理学と量子力学とでは、考え方のパターンとしても明白な違いがある。量子力学の出現によって、私たちの物の見かた考え方はより広く、より融通性のあるものになった。いずれの考え方も正しさとその限界があること、相反する物ごとのなかにも、ひとつの正しいつかみかたの存在することを知ったばかりでなく、それを巧みに使う方法を教えている。  また、これは考えを進めるうえの慎重さとだいたんさを教え、それの利用の仕方を示しているともいえよう。  B君、私たちは科学をひとつの知識としてうけとりがちではないだろうか。知識はいつかは古くなり役立たなくなる。本当に大切なのは、その知識を生み出していくものだ。量子力学で学んでもらいたいことは、それについての個々の知識ではなく、その考え方だと思う。これは私たちの考え方のパターンとして、いつまでも生きつづけることを忘れないでほしい。 人間から離れ人間にかえる  B君、きみは量子力学を通して二〇世紀の科学の大きな進歩の一部を理解したことと思う。もちろん私たちがふれた話は、現代の科学の姿のほんの一部にすぎない。建築工法のすばらしい発達、交通機関の高速化、ソニックス時代とまでいわれる音波の利用、レンズからファイバー・スコープにいたる幾何光学の応用、赤外線とミリ波、サブ・ミリ波の両方から進められる光の波の開発、クライオトロンで代表されるさまざまな磁電管の登場といった今日のトピックスは、量子力学とは無関係か、あるいは直接の関係を問題にしないでも語ることはできる。しかし、これは見かけの上のことだ。科学のどこかの部門で起こった発展は、つぎつぎと関連しあって別の部門に刺激を与えている。  量子力学がかかわりあう部門は、トランジスタや原子力で代表されるように、そのスケールがくらべものにならないくらい大きく、その影響力も強い。  科学、とくにその技術にはふたつの型の発展がある。ひとつは、初めにわかっている技術を土台として、それを応用、利用しようというやりかただ。これは今までもすべての分野であらわれてきた�技術のひろがり�ともいうべきタイプである。ところが二〇世紀においては、いろいろな要求に追われて、未知の技術を開拓していかねばならない。このふたつめの、つまり�技術のふかまり�ともいえる進みかたがあらわれてきた。トランジスタは真空管のエレクトロニクスの壁を破るために、原子力はエネルギーの不足を救うために開拓された技術のふかまりだ。  技術のふかまりは今まで私たちが知らないか、または簡単に接しられない世界に向かっている。そして、技術のひろがりによる場合よりもけた違いに大きな収穫を得ているのだ。これが二〇世紀の科学の特徴だとすれば、これからの科学もその獲物を得るために、ますます私たち人間の身辺から遠ざかっていくと推量してもよいだろう。  B君、きみもおそらく私たちの日常世界と科学や技術の世界のかけ離れていくことに対して不安をもっているに違いない。  科学がますます人間を離れ、日常に経験する古典物理学のかわりに量子力学を使い、まだその先に量子力学と違った新しい理論を考えていかねばならないことは、私たちにとって幸福なことなのか不幸なことなのか。きみは疑問をもっているだろう。  私たちはこの科学によって今まで想像のできなかった影響をうけている。一方ではかぎりなく生活を豊かにする手段という形で、他方では生存をおびやかす悪魔の形をとって。原子力の危険性はけたが違うとしても、交通機関のひき起こす事故、大産業の生む公害等々、私たちにせまる多くの悪魔がある。かりにこれらをなくすために科学のすべての進歩をストップするとしよう。同時に私たちの生活は数百年も以前のまずしい状態に立ち戻らねばならない。それほど現代の生活は科学に依存してしか考えられないのだ。私たちはいやでも応でも科学をうけ入れていかねばならない。すると、科学の進歩が幸福か不幸かという問題は、結局それを支配していく人間の態度にかかってくる。その依存度は科学が進むほど大きくなるだろう。だから、二〇世紀の科学は人間から離れていきながら、反対に人間にかえってきているわけだ。  量子力学はいろいろの結果を生んだし、また未来も生んでいくであろう。それらの結果をどのように人間の進歩に生かすかについて、量子力学はひとりひとりの人間に問いをなげかけているのだ。  B君、私たちは量子力学を足場として、もう一度、科学と人間の問題について考えてみようではないか。そして二〇世紀の科学のすばらしい成果をよりすばらしくするために努力しようではないか。 量子力学を中心とした年表 1859 熱輻射の法則(キルヒホッフ) 1864 電磁気学の基本式(マックスウェル) 1869 元素の周期表(メンデレーフ) 1879 熱輻射の法則(ステファン) 1884 水素のバルマー系列(バルマー) 1890 スペクトル線公式(リュードベリ) 1893 輻射の変位則(ウィーン) 1895 黒体(ウィーン) 1896 熱輻射公式(ウィーン)      放射線(ベックレル)      電子(トムソン) 1900 輻射の公式(レーレイ)       〃   (プランク)      量子仮説(プランク) 1904 原子模型(トムソン)       〃  (長岡半太郎) 1905 光量子仮説(アインシュタイン)      特殊相対性理論(アインシュタイン) 1907 比熱の理論(アインシュタイン) 1908 スペクトル線の分析(リッツ) 1911 原子核の存在と原子模型(ラザフォード)      超伝導現象(オネス) 1912 比熱の理論(デバイ) 1913 原子構造論(ボーア) 1914 エネルギー準位の実証(フランク,ヘルツ)      X線スペクトルの法則(モーズリー) 1915 一般相対性理論(アインシュタイン) 1918 対応原理(ボーア) 1923 コンプトン効果(コンプトン)      物質波(ド・ブロイ) 1925 禁止則(パウリ)      スピン(ウーレンベック,ハウトスミット) 1926 波動力学(シュレーディンガー)      マトリックス力学(ハイゼンベルク)      確率解釈(ボルン) 1927 不確定性原理(ハイゼンベルク)      電子波の確認(デヴィソン,ジャーマー)      相補性原理(ボーア)      共有結合の理論(ハイトラー,ロンドン) 1928 電子の相対論的方程式(ディラック)      光の量子論(ディラック)      アルファ崩壊の理論(ガモフ) 1929 量子電気力学(ハイゼンベルク,パウリ)      コンプトン散乱の理論(クライン,仁科芳雄) 1930 陽電子の理論(ディラック)      量子力学論争(アインシュタイン—ボーア) 1932 原子核構造論(ハイゼンベルク)      中性子(チャドウィック)      陽電子(アンダーソン) 1934 中性子による原子核転換(フェルミ) 1935 中間子論(湯川秀樹) 1938 核分裂(ハーン,ストラッスマン)      超流動現象(カピッツァ) 1941 原子炉(フェルミ)      超流動理論(ランダウ) 1942 二中間子論(坂田昌一,谷川安孝) 1943 超多時間理論(朝永振一郎) 1947 水素原子のエネルギー準位(ラム,レザフォード)      新粒子の発見(ロチェスター、バトラー) 1948 くりこみ理論(朝永振一郎,シュウィンガー,ファインマン)      トランジスタ(ショックレー、バーディーン,ブラッテイン) 1949 原子核の殻模型(マイヤー,エンセン)      原子時計(アメリカ標準局) 1954 メーザー (タウンズ) 1956 偶奇性非保存(リー,ヤン) 1957 超伝導理論(バーディーン,クーパー,シュリーファー) ●片山泰久(かたやま・やすひさ) 一九二六年、長野県に生まれ、松本高校から京都大学理学部に入る。湯川秀樹博士の愛弟子となり、素粒子の統一理論に挑戦する気鋭の物理学者として、湯川博士との「素領域」新理論の共同研究など、国際的にも高い評価を受けた。理学博士。一九七八年一月、現職の京都大学教授のまま惜しくも逝去。   * 本書は、一九六七年六月,講談社ブルーバックスB‐101として刊行されました。