[#表紙(表紙.jpg)] 片山恭一 雨の日のイルカたちは 目 次  アンジェラスの  岸辺  雨の日の  イルカたちは  彼らは生き、  われわれは死んでいる  百万語の  言葉よりも [#改ページ]    アンジェラスの    岸辺  彼女は子どものころに母親から虐待されていた。なんの理由もなしにぶたれる。些細なことを口実に折檻《せつかん》を受ける。家のなかでは、いつもおどおどしていた。母親の態度の急変に備えて、絶えず周囲の空気に神経を張り詰めていた。生きていくのがいやで、中学生のころ、手首を剃刀《かみそり》で傷つけたことがある。深く切ることはできなかった。傷口にバンドエイドを貼り付け、枕を噛みしめたまま、声を押し殺して泣いた。  そんな少女時代を過ごしてきたために、結婚してからもしばらくは子どもをつくる決心がつかなかった。自分も母親と同じように、わが子を虐待してしまうのではないか。そのことが不安だったし、怖かった。子どもは嫌いではない。友だちに赤ん坊が生れると、真っ先に駆けつけて抱かせてもらった。そうしながらも、自分のなかに母親と同じ衝動が萌《きざ》してこないか、厳密にチェックしていた。  その話を彼が聞かされたのは、妊娠が明らかになってまもなくのころだった。夜中にベッドで泣いている妻に、理由をたずねた。最初のうちは「なんでもない」と言って、本当のことを話そうとしなかった。気持ちが不安定になっているのだろう、とおさまりをつけて、彼も深くは追及しなかった。同じようなことが何度か繰り返されたあとで、とうとう彼女は母親のことを打ち明けた。  あのときどうやって妻を宥《なだ》めたのか、彼はもうはっきりとはおぼえていなかった。お義母《かあ》さんときみは別の人間だからとか、自分が虐待を受けたからこそ、なおさら子どもを可愛がるはずじゃないかとか、そんな常識的な気休めでも口にしたのだろう。いまのところ、心配は杞憂に終わりそうだった。むしろ母子の過剰とも言える親密さを目の当たりにするにつけ、彼は自分だけ疎外されているような寂しさを感じることもあった。  その妻は、蒼ざめた顔で目を閉じている。胸には生れて四ヵ月になる赤ん坊が、しっかりと抱かれている。 「もうすぐ着くよ」  彼が声をかけると、夫人はかすかに口元をゆがめて頷いた。不完全燃焼の油と煙草の煙が入り混じったような船室の臭い、絶えず座席を伝わってくる小刻みな振動、すれ違う船の波を乗り越えるときの大きな上下の揺れなどが、もともと船の苦手な彼女にストレスをかけていた。 「帰りは電車にするから」そう言って、彼は船窓の外に広がる海に目をやった。  海浜のタワーやドームが遠くに霞んで見えた。船尾の方では、茶色く濁った海水がスクリューによって白く泡立っている。正面の窓からは、目的地である岬が間近に見えていた。正確には、それは岬と言うよりも、湾を包み込むようにして細長く延びる砂洲だった。砂浜の先端は、多くの史跡が眠る島にたどり着く寸前で海に途絶えている。島とのあいだには、短いコンクリートの橋が架かっている。島には集落があり、果樹園と漁港がある。しかし砂洲には、松林の他は、ただ砂の丘陵がつづいているばかりだった。かつては軍用の飛行場があったというが、いまは取り壊されて公園やグラウンドになっている。再開発された一帯に、湾に面して水族館とリゾートホテルが建っている。  子どもの誕生が近づくにつれて、彼には自分たち夫婦のあいだが疎遠になっていくように感じられた。目に見える変化が起こったわけではない。彼は妊娠中の妻の精神を安定した状態に保つために、仕事のことで愚痴をこぼしたり、人の悪口を言ったり、世の中にたいする悲観的な見方を口にしたりすることを控えた。また夫婦のあいだの些細な言い争いを避けるように心がけた。それらが胎児の耳に届いて、発育に悪影響を与える気がしたからだ。胎生数ヵ月目にして赤ん坊が積極的な精神活動を営んでいるという説を、彼は漠然と信じていた。結果的に、妻とのあいだには一定の距離が生じた。  彼女の方は、ときおり胎児のことなどを口にするものの、一日の大半、意識を暗い腹腔へ向けながら、胎児と二人きりの時間を過ごしているようだった。あるとき彼は妻の腹に手を置いて、臨月までの日数をかぞえてみた。すると彼女は、「名前を考えたの」と言って、男の子の名前ばかりを幾つかあげた。 「女の子かもしれないじゃないか」 「そんな感じがしないのよ」確信ありげに言った。「わかるの」  たしかに赤ん坊は男の子だったが……。  小さな港に船が着き、埠頭に降り立ったとき、彼は光の色が微妙に変化していることに気づいた。遠くのさざ波に反射してきらめく太陽の光は、夏が終わり、季節が確実に移ろいつつあることを示している。それは光の相のもとに見られる事物が、一年のうちでいちばん美しく感じられる季節だった。  港からホテルまでは、歩いて五分とかからない。彼がチェックインをしているあいだに、夫人は船のなかで眠ってしまった赤ん坊をソファに横たえて化粧室に入った。シーズンを過ぎたホテルは客の姿がまばらで、しかも今日は火曜日だ。フロントでキーを受け取ってから、赤ん坊が眠っているソファの近くで、立ったまま妻を待った。サロンの窓からは海が見えた。少し灰色がかった青には、長い夏が終わった安らぎが感じられる。人が去ったあとの静かな海が、彼は好きだった。 「お待たせ」  振り向くと、彼女はソファの赤ん坊を抱き取ろうとしているところだった。庇《ひさし》の広い編み上げ帽子の下から、彫りの深い横顔が覗いている。この美しい人が自分の妻なのだと思うと、彼は誇らしげな喜びを覚えた。だが、その喜びにはどこか運命的なものがあった。 「イルカのショーは中止だそうだ」足元の荷物を持ちながら言った。「主役のイルカが逃げたらしい」 「いつ」 「昨日じゃないかな。どうする?」 「イルカが見られないんじゃあね」 「アシカのショーはやってるそうだ」 「いいの」 「楽しみにしてたんだろう」 「しょうがないわよ」彼女は眠っている赤ん坊に語りかけるように言った。「逃げちゃったものはね」  彼は両手に旅行鞄を持ったまま、フロントで渡されたキーで部屋の番号を確かめた。  わびしい入江に繋《つな》がれた小舟の上で、男は漁に出る支度をしている。浜辺では、男の妻が白いスモックに包まれた乳飲み子を高々と抱き上げて頬擦りしている。母親の仕種《しぐさ》は愛情に溢れ、粗いタッチで描かれた顔は、こぼれ落ちんばかりの至福の表情を浮かべている。赤ん坊の方も、小さな手で母親の口のあたりに触れながら笑っているようだ。しかしうつむき加減に背を向けた男は、小舟の上で孤独な姿になりきって、ただ黙々と出帆の準備をつづけている。  黙示録的な絵だ、と彼は思った。そんなふうに感じたのははじめてだった。薄い花柄の入った白っぽい壁紙の上に、その複製画は掛かっていた。誰の趣味かわからないが、リゾートホテルのティールームに掛けられるにしては、やや場違いな感じがする。きっと絵に表現されている悲哀感が強すぎるからだろう。そのため、たとえばファッション雑誌で本格的な心理小説を読まされたような、ちょっと唐突な気分になるのだ。  彼の妻はいつものように、赤ん坊と一緒に午後の睡眠をとっていた。二人が目を覚ますまで、お茶でも飲みながら、持ってきた本を読むことにした。アメリカの現代哲学者によって書かれた、天使にかんする本だった。それによると、エンジェルのもともとの意味は「使者」だったという。神から人間への使者、天上から地上へもたらされる声。その声が形象化したものが天使だった。宗教画に見られる受胎告知の場面のように。われわれは天上からの、どんなメッセージを待ち望んでいるのだろう。彼は昨今の天使ブームと思い合わせてみた。あるいは見えないものにたいする、漠然とした興味に過ぎないのだろうか。すべてが視覚化されつつある、この世界において。  読みかけの本を膝の上に置き、窓の外に目をやった。ティールームを出たところは浅いプールになっている。涼しげな景観を演出するためのものらしいが、水面には木の葉がたくさん浮かんで、あまりきれいではなかった。それから再び複製画の方へ目を転じた。まるで画家の内的世界の必然性だけで成り立っているような絵だった。  男の後方で、砂浜が白い腕を伸ばしている。そこに帆をたたんだ小舟が二、三隻打ち上げられている。空には楕円形の雲が二つ浮かんでいる。くすんだ青と白が大半を占めるカンバスの上で、小舟の男も、まわりの風景も石化し、静まり返っている。ただ母と子だけが、両腕でつくり出せるほどの控えめな動きを与えられているに過ぎない。あたかも時間は、彼女たち二人のなかだけを流れているかのように。そして二人と男を結びつけるものは、青灰色の色調以外には何もなかった。  彼はふと、一ヵ月ほど前の出来事を思い出した。日常の小さな齟齬《そご》みたいなものだった。通り過ぎてしまえば、他の無数の記憶とともに、脳細胞の森の奥に沈んだまま二度と浮かび上がってこない。そんな類の出来事だった。  日曜日の夕方、彼の妻は赤ん坊を連れて買い物に出かけた。行先は告げなかったが、たいてい近くに新しくできたショッピングモールときまっている。彼はビールを飲みながら、古いジャズを聴きはじめた。気に入ったものだけを一、二曲聴くと、ディスクを入れ替えて、同じことを繰り返した。若いころのように、一枚のアルバムを通して聴くことは少なくなった。レコードからCDにかわって、操作が簡単になったせいもある。歳をとって、好みがはっきりしてきたのも理由だろう。あるいは無意識に、残された時間を勘定しはじめているのかもしれない。そんなことを考えながら、彼は四〇年代や五〇年代の古いジャズばかりを聴いていった。  四時ごろに出ていった妻は、六時を過ぎても戻らなかった。最初は気長に構えていた彼も、さすがに心配になってきた。何かあったのではないか。だが事故なら連絡があるはずだ。ざわついた気持ちを宥めて、音楽に集中しようとした。そのときふと、このまま二人は帰ってこないのではないか、という考えが頭をよぎった。束の間の、妄想めいた気迷いだった。けれど「帰ってこないのではないか」と思ったときの心の揺れは、感光紙に写し取られた光のように、鮮やかに彼のなかに残りつづけた。  ほどなくして、妻は何事もなかったみたいに帰宅した。赤ん坊は彼の顔を見て機嫌よさそうに笑っている。理由をたずねると、買い物の途中で赤ん坊が眠ってしまったので、ショッピングモールのなかに入っているコーヒーショップで一休みしてきたという。電話ぐらいすればいいのに、と安心して思わずなじるように言った彼に、「ごめんなさい」と気持ちのこもらない謝罪の言葉を残して、彼女はてきぱきと夕食の支度をはじめた。  その夜、彼は寝る前に妻の寝室を覗いてみた。赤ん坊が生れてから、二人は寝室を分けるようになった。夜泣きする赤ん坊の声に辟易《へきえき》した彼が、緊急避難するみたいに、狭苦しい自分の書斎に布団を敷いて寝たのがきっかけだった。それが習慣になった。ドアの隙間から顔を入れると、母子は広いベッドの中央で身を寄せ合って眠っている。微笑ましい光景であるはずなのに、なぜか禁忌《きんき》を犯してしまったような後ろめたさをおぼえて、早々にその場を立ち去った。以来、妻が赤ん坊を連れて外出するたびに、彼は小さな不安にかられながら二人の帰りを待つことになった。  あらためて思い返してみると、子どもが生れてから、妻のなかの不透明な部分、手を触れることのできない謎の領域は、少しずつ大きくなっていった気がする。あたかも日増しに成長をつづける胎児のように。そうした変化は、案外早くから現れていたのかもしれない、と彼は思った。ただ自分が気づかなかっただけだ。あるいは気がついても、あまり深刻に考えようとはしなかった。  かつて彼は、ボッティチェリなどの聖母子像を見て、こんなふうに感じたのをおぼえている。あまりに美しく、神々しいまでに完結した聖母と幼子の世界は、男のなかにある無意識の不安を顕現させたものではないか。天使にならって言うなら、赤ん坊とは、天上からもたらされる何ものかの声であり、見えざるものの形象化であるのかもしれない。そうした存在を宿す母親もまた、半分は見えざるものたちの世界を生きているのではないだろうか。  いつか自分の前から、妻は赤ん坊を連れて消えてしまう。そんな予感めいた思いが、変更不能な運命のように、遠い水平線のあたりにうずくまっていた。だが彼は、別の解を導き出す心地で、こうも思った。むしろ自分が立ち去るべきではないか。ティールームに掛けてある複製画の漁師みたいに。自分が立ち去れば、妻と赤ん坊はこの世界に残る。そのこともまた、定まった運命であるように思えた。地上に生きることを宿命づけられた者たちの、天上からの声にたいする、一つの答えたりうる気がした。  夕食はホテルのレストランでとるようになっている。ちょうど太陽は、低くたなびいている雲のなかへ沈んでいくところだった。ほとんど水平に近い夕日を浴びて、海が金色に輝きはじめる。彼女はナイフとフォークを持った手を止めたまま、いつまでも海を見ていた。ホテルが用意してくれた乳母車のなかで、赤ん坊は与えられた哺乳瓶をくわえてぴちゃぴちゃと小さな音をたてている。瓶のなかのミルクはまだ三分の一ほど残っていた。 「もう腹がいっぱいみたいだな」  彼女は怪訝《けげん》な表情で夫の方を振り向き、それから赤ん坊に目をやった。 「取り上げといた方がいいんじゃないか。また吐くといけないから」 「泣き出されるのも困るわ。もう少し遊ばせときましょう」  彼はナイフで魚の身をほぐしながら、自分たちが結婚したときのことを思い出していた。式は両家の家族だけで済ませた。あとから友人たちが気軽なパーティを開いてくれた。こんなホテルが会場だった。友だちの一人がピアノで弾くカノンに合わせて、二人は入場した。半ば冗談めかした、誰かの演出だった。 「パーティでフラメンコを踊ってくれた人がいただろう」ふと思い出したように言った。 「ええ」彼女は友人の名前をあげた。 「いま、どうしてる」 「来年の春に結婚するそうよ。相手はお医者さんだって」それきり彼女は、夫の質問の意図をたずねることもなかった。 「ちょっと思い出したものだから」彼の方が弁解めいた理由をつけた。 「そう言えば、あなたのお友だちで、ギターでラヴェルを弾いてくれた人がいたわね」 「ああ、いまアメリカに行ってる」 「わたしたちは外国へ行かないの?」 「行きたいのかい」 「別に行きたいわけじゃないけど」 「近ごろはなかなか申請が通らなくてね。滞在中の生活費を自分で負担すれば、なんとかなるんだけど」 「いいのよ。外国で暮らしたいわけじゃないんだから」  彼は真意を確かめるように、ちらりと妻の顔を見た。彼女の方は、ショートパスタほどの大きさになった魚の白身を、フォークの先に刺して口へ運んでいる。 「中学一年生のとき、美術の時間に流木のオブジェを作ることになって、日曜日に友だちと材料を探しに出かけたことがあるんだ」彼は突然|饒舌《じようぜつ》になって話しはじめた。「海岸に打ち上げられている流木をガスバーナーで焼き、サンドペーパーで擦《こす》って仕上げるというものだ。さっそく二人で手分けして流木を探しはじめた。死体を見つけたのはぼくだった」 「死体?」彼女は食べ物のなかに混じっていた砂を噛んだような表情で顔を上げた。 「岩陰の砂の上で、若い女の人が脇腹を下にする恰好で死んでいた」彼は遠い目をして言った。「最初は死んでいるとは思わなかった。ただ岩陰で休んでいるのだろうと……でも死んでいたんだ」  彼女は不思議そうに夫の顔を見ている。 「その話、前にも聞いた?」 「話すのは、はじめてだと思う」 「他の人には?」 「いや、誰にも話したことはない」  夫人はナプキンの端で唇を拭い、グラスの水を一口飲んだ。 「どうして急に話す気になったの」 「どうしてかな」  彼は言葉を探しあぐねるように、窓の外へ目をやった。芝生と砂浜のあいだにはフェニックスが植えられ、プロムナードの水銀灯にはすでに灯がはいっている。 「あとで海岸を散歩してみようか」話題を変えた。 「ええ」  彼女は再びナイフとフォークを手に持った。しかし食欲の失《う》せた眼差しを皿の上に置き残して、つぎの動作が滞ってしまう。 「逃げたイルカは見つかったかしら」 「どうかな」  あのとき女が身につけていた花柄のワンピースを、彼はいまでも覚えている。肘枕の上に頭をのせるようにして目を閉じていた。左右の脚は軽く曲げて揃えられていた。スカートの裾は乱れていなかったが、太股はかなり上の方まであらわになっていた。 「双眼鏡を持ってくればよかった」夫人がひとりごとみたいに呟いた。  そのまま二人は口を噤《つぐ》んで海を眺めつづけた。彼は岩陰で死んでいた女のことを考えていた。彼女の方は、おそらく逃げたイルカのことを考えていたのだろう。  妻と赤ん坊をホテルに残し、彼は一人で夜の砂浜に出た。夏場はバーベキューが行われる芝生を抜けると、砂の上を海岸線と平行にボードウォークが造られている。ところどころにともる水銀灯のために、歩道の上は落とし物を探せそうなほど明るかった。木に塗られたタールの匂いがした。八月が終わって、ここ一週間くらいのうちに手入れされたものだろう。せっかくの設備にもかかわらず、彼の他に散歩している人の姿はなかった。  砂浜には花火の燃えかすがたくさん落ちていた。ビールの空き缶も転がっている。波は間遠に打ち寄せて、投げやりな感じで返っていく。ときおり沖の方を、漁船の灯りがゆっくり滑るように進んでいく。少し風が出ていた。肌寒さを感じて、彼は掌で両腕を擦った。そして女のことを考えた。  すぐ近くを通り過ぎながら、心持ち歩調を緩めた。まさか死んでいるとは思わなかったので、女が不意に目を覚ましても、挙動を取り繕えるだけの自然さは保っていなくてはならない。思春期の少年らしい好奇心から、さり気なくスカートの奥に目をやった。奇妙なものが見えた。場所が場所だけに、一瞬、性毛に被われた女の性器と錯覚しかけた。それは鋏を振りかざした一匹の蟹だった。どうしてあんなところに蟹がいるのだろう。あやうく口に出して呟きそうになった。  別の場所で流木を探している友だちを呼びにいった。二人で女が間違いなく死んでいることを確認した。とにかく警察に知らせようということになった。あとの面倒な事情聴取や、家と学校に押しかけてくる新聞記者やテレビのレポーターのことなどは考えなかった。友だちが知らせにいっているあいだ、彼がそばに付いて見張っていることになった。動揺はなかった。むしろ気持ちは平静だった。気味の悪い感じもしない。ただ、奇妙に非現実的な感覚にとらわれていた。岸辺で美しい女の人が死んでいることに。そのときも、こうして思い返しているいまも……。  ずいぶん遠くまで来てしまったらしかった。振り返ると、ホテルの明かりが小さくなっている。乾いた砂は徐々に深くなり、踏み出すたびに足を取られそうになる。波打ち際に近い、少し湿ったところを歩くことにした。やがて前方に、月明かりを浴びた鳥居のようなものが見えてきた。近づいてみると、電柱ほどもある大きなブランコだった。材木で柱と桁を組み、ロープをかけて木の台座が吊るしてある。おそらく満ち潮のときには、海に飛び込むように作ってあるのだろう。だが、いまは引き潮だった。  彼は台座に立ってブランコを漕ぎはじめた。ロープが長いため、ブランコの揺れもゆったりとしている。台座は砂の表面をかすめ、空に向かって遠ざかっていく。その離脱の感覚が心地よかった。何かから遠ざかるようであり、何かに近づくようでもあった。水平線のあたりが白く光っていた。空を見上げると、月に薄い雲がかかっている。身体の重心を低くして何度か漕ぐうち、振幅はしだいに大きくなっていった。勢いのついたところで、思い切り前へ飛び出した。たちまち砂の上に落ちた。波打ち際までもたどり着けなかった。彼が飛んだのは、予想したよりもずっと短い距離だった。  尻をついて坐っていると、ズボンが湿ってくる。立ち上がって、またしばらく歩いた。足元だけを見て進んだ。あたりを見まわしたとき、自分の居場所がわからなくなっていればいい。そんな記憶喪失めいた状態を期待しながら歩きつづけた。子どもじみた感興にとりつかれ、あと百歩ときめて数をかぞえながら歩いた。  顔を上げたとき、波打ち際に黒いものが横たわっているのが見えた。最初は流木みたいだった。近づいていくにつれて、大きな魚の死体のように思えてきた。 「イルカだ」声に出して呟いた。  まるく盛り上がった身体が、月の光を浴びて鈍く輝いている。怪我をしているのだろうか。ときどき尾びれを動かすので、生きていることは間違いない。イルカは浅瀬に腹を横たえて、打ち寄せる波に身をまかせていた。その顔を覗き込もうとしたとき、海水に濡れた片方の目が、彼の姿をみとめたようだった。だが逃げようとはしない。すでに自分の身の危険に無関心になっているのかもしれない、と彼は思った。  やや大きな波がやって来た。紡錘形の身体が岸の方へぐらりと傾いた。イルカは驚いたように尾びれを動かした。海に返っていく波をつかまえようとしているらしかった。うまくいかない。すでに波は去っていた。イルカはあいかわらず浅瀬でのたうちまわっている。このままでは砂の上で力尽きてしまうかもしれない。ホテルに戻って知らせるべきだろうか。つぎの波がやって来た。イルカは、ひときわ激しく水しぶきをたてて身をくねらせた。今度はうまくいった。引いていく波に乗って少し沖へ出た。そこで浮力を得るに足りる水路を見つけたらしかった。動きが穏やかになり、身体の半分は水面下に隠れた。慎重に深みをたどって進んだ。やがてすうっと水中に沈み、水の充分あるところへ出たことが知れた。背びれで暗い水面を切り裂きながら、ゆっくり沖に向かって泳いでいった。  彼の妻はベッドに寝転んでテレビを見ていた。傍らで赤ん坊が、心地良さそうに寝息をたてている。部屋の明かりは落としてあるので、いまはブラウン管の青白い明かりだけが彼女の顔を照らしている。 「起きていたのか」そう言って時計を見ると、まだ十時をまわったばかりだった。ずいぶん遅いような気がしていたので、ちょっと意外だった。「気分はどうだい」 「ビルが燃えているの」彼女は眠そうな声で言った。  彼はテレビの画面に目をやった。 「火事?」 「飛行機が突っ込んだって」  彼は冷蔵庫から取り出したミネラルウォーターで薬を呑んだ。医者から処方されている軽い睡眠薬だった。それから空いている方のベッドに腰を下ろした。 「事故だろうか」 「わからない。テロの可能性もあるって」  しばらく黙ってテレビの画面を眺めつづけた。二つ並んだ超高層ビルから黒い煙が上がっている。普通のビル火災のようにも見えた。かなり強い風が吹いているのだろう、煙はほとんど真横にたなびいている。遠くから撮影された画像では、二本の煙突が煙を吐き出しているように見える。それは長閑《のどか》と言ってもいい光景だった。情報が入ってこないのか、アナウンサーはほとんど喋らない。音の少ない映像は、奇妙に静かな印象を与えた。テレビの画面がワシントンの国防総省に切りかわった。 「ここも燃えてる」と彼女は言った。  情報は錯綜していた。一時はパレスチナ解放民主戦線が犯行声明を出したと伝えられたが、別の報道はそれを否定していた。ハイジャックされた飛行機は全部で二十機と報じられ、あとで十一機に訂正された。まだ七機は行方不明であるという情報や、四機目は大統領命令で撃墜されたという情報も流れた。  画面が再びニューヨークに切りかわった。先ほどまでとは様子がやや異なって、マンハッタン島全体が火事になったように煙を上げている。近くのビルが類焼しているのかもしれない。途中で画面が途切れて、別のカメラがとらえた映像が挿入された。それはビルが崩壊する瞬間の映像だった。ビルは上から強い力で押しつぶされたようにめり込んでいき、そのあとにキノコ雲のような噴煙が立ち昇る。近くにいた人たちが、血相を変えて走ってくる。うしろから噴煙が迫ってくる。 「すごい」夫人は呆然として呟いた。  彼はペットボトルの水を一口飲んだ。そのまま言葉を失ったかのように、テレビの画面に見入った。それは巨額の制作費で撮られた大災害のシーンを思わせた。不思議な既視感にとらわれた。これとまったく同じものを、すでに何度も見てきた気がした。あれらがフィクションだったなら、これはなんだろう。 「ハリウッド映画みたい」同じようなことを思っていたらしい彼女が言った。「なんかこういうの、なかった?」 「似たようなのがたくさんあって、どれがどれだかわからない」 「赤ん坊に影響があるかしら」 「どうかな」  また別の映像が入ってきた。それは不思議な映像だった。まるで何かに吸い寄せられるように、旅客機がビルに突っ込んでいく。機体は紙をナイフで切り裂くように、ビルの壁面にめり込む。一瞬、飛行機の先端がビルの反対側に顔を覗かせ、直後にオレンジ色の炎に包まれて爆発する。 「惑星が衝突するのはなんだった?」 「ブルース・ウィリスが出てたやつかい」 「どうだったかしら。そろそろ休むわ」 「テレビを消そうか」 「かまわないわよ、見てても」  テレビは繰り返し飛行機が突入する瞬間の映像を流している。二機目にかんしては、様々な角度から撮られた映像が三種類くらいあった。テレビの画面を眺めながら、彼はアインシュタインの有名な方程式を思い浮かべていた。物体のエネルギーと質量は独立した概念ではない。人も物も、最後はエネルギーに変換されて消滅する。それは明快な宇宙の真理だ。現実の様々な装いは、一つの仮象にすぎない。超高層ビルも、ジェット旅客機も、人も金融も民主主義も、正義もキリスト教もアラーの神も……所詮はエネルギーの記号でしかない。こうしてテレビの画面を通して世界に流れているものは、質量とエネルギーの変換数式が地上で繰り広げるドラマではないだろうか。 「恋をしたのね」  彼はベッドの方を振り返った。夫人は赤ん坊の方を向いて目を閉じている。 「きっと恋をしたのよ」 「なんのことだ」 「砂浜で見つけた女の人」 「彼女は死んでいたんだよ」 「でも恋をしたの」夫人は眠気のにじむ声で、しかしきっぱりと言った。「その人に……中学生のあなたは」  それは鋏を振りかざした一匹の大きな蟹だった。彼は近づいて女の顔を覗き込んだ。スカートのなかを覗いたという後ろめたさもあって、声をかけることはできなかった。女は安らかな表情で目を閉じている。薄く化粧をしていることもわかった。やはり眠っているのだと思った。そのときふと、砂に接している顔の部分が暗い紫色になっていることに気づいた。一目見て異常とわかる変色の仕方だった。ゆるく投げ出されている女の手に触れてみた。氷のように冷たかった。持ち上げてみると、砂に接している部分の皮膚も、顔と同じように変色している。  不意に、部屋の電話が鳴りだした。その音で、回想は途切れた。赤ん坊が目を覚ましてはいけないと思い、彼はあわててベッドから身体を起こし受話器を取った。 「もしもし……」 「みんな間違っていたんだ」男の声が言った。「人間が最初に味わった感情は恐怖だった。恐怖が人間のあらゆる文化をつくった。文字を生み、宗教や哲学、自然科学を生み出した。もちろん資本主義や金融もな」 「どちらへおかけですか」 「途中で口を挟まないでくれ」男は苛立たしげに言った。「黙って聞くんだ。恐怖というのは、誰にとってもあまりいい助言者じゃない。恐怖を縦糸にして織り上げられた人間の文明も、よくないものになってしまった。そんなふうにして、人間は間違った道を歩いてきた。白紙に戻す必要がある。人間の歴史をやりなおす必要があるのだ」  彼の方から電話を切った。 「どうしたの」目を覚ました妻がたずねた。 「間違い電話だ」 「人騒がせね。いま何時?」  ヘッドボードの時計を見た。 「もうすぐ二時」 「こっちに来て」  そのとき再び電話が鳴りだした。二人はしばらく電話の方を見ていた。赤ん坊がむずかるように短い声を上げた。彼は手を伸ばして受話器を取った。 「いまも人間は間違いつづけているし、これからも間違いつづけるだろう」  受話器を置こうとした。 「待て、切らないで聞いてくれ」男は彼の心が読めるかのように言った。「もう少しだけ話を聞いてくれ。そうすればこっちから電話を切る」一呼吸あって、「人間をどう思う?」  彼は黙っていた。 「答えてくれ。人間を信じるか」 「信じたいね」 「わたしも信じる。しかし人間というのは到達点であって、出発点ではない。過去から現在まで、人間の名のもとになされてきたことに、ろくなものはなかった。現に人間から出発した道は、すべて残虐に至ったではないか。人間から出発することが間違いなのだ。動物的な、植物的な、あるいは鉱物的な感覚から出発しなくてはならない。それらを統合して、最終的に人間的なものへ至る道を模索すべきなのだ。ところがいまや世界は、人間を……人間だけを前提としたものに作り変えられようとしている。そこに立ち現れるのは、恐るべきノモスの世界だ。思うに……」  彼は電話を切った。そのまましばらく待ったけれど、もう電話は鳴らなかった。妻が眉をひそめて成り行きを見ていた。 「ちょっと頭がおかしいみたいだ」彼は弁解するように言った。  ベッドの端に腰を下ろして、妻の胸にそっと耳をあてた。彼女は柔らかく口元を緩めると、赤ん坊をあやすように、目を閉じたままで夫の髪を撫ではじめた。 「祖父の家には一本の欅《けやき》があった」彼はくぐもった声で話しはじめた。「欅というのはね、毎年枝がすごく伸びるものなんだ。初夏には黄緑色の透き通った美しい葉をたくさんつける。でもそのままにしておくと、夏には葉が繁って、居間に日が射さなくなる。それで学生のころ、毎年夏に帰省すると、祖父の家に出かけていっては欅の枝を切ったものだ。梯子に上っての作業だから、歳をとった祖父には無理だったんだ。植木屋さんを雇うとお金がかかる。そんなわけで毎年夏の恒例行事になっていた。鋸《のこぎり》や剪定鋏《せんていばさみ》を使って、三十分ほどで終わってしまう簡単な作業だ。たったそれだけのことなのに、いつも祖父はこっちが辟易するほど喜んだものだった。おかげで家のなかが明るくなったと言って。欅の枝を切る、たったそれだけのことなのに……」  言葉に詰まって、彼は啜《すす》り泣きはじめた。夫人が身体を起こしかけた。 「なんでもない」顔をうずめたまま言った。「何かが起きているみたいなんだ。自分でもはっきりしないんだが……頭がどうかしたのかな」  彼はようやく妻のもとを離れて、冷蔵庫から飲みかけのペットボトルを取り出した。立ったまま、ボトルの口からじかに水を飲んだ。 「大丈夫?」夫人がたずねる。  部屋のテレビはついたままだった。彼はしばらく放心したような目つきで、青白いテレビの画面を眺めていた。やがて暗い声で言った。 「ずっとこれを待っていた」  彼女は気味悪そうに夫を、それからテレビを見た。画面には、ビルに突っ込む飛行機の映像がスローモーションで映し出されている。  彼は繰り返した。 「天上からの声を、目に見えないものからのメッセージを……このときを待っていた」  蛇口から水の滴《したた》る音が聞こえている。バスルームのシャワーだろうか。部屋には不自然な静けさが満ちていた。彼は目をあけたままベッドに横たわっていた。微動だにせず、ただ息をしているだけだった。自分がもう死んでしまったような気がした。ハイジャック機に乗っていた人たちのことを考えた。テロリストたちは、たまたま飛行機に乗り合わせていた人たちを道連れにして、有無を言わさずビルに突っ込んだのだろうか。  高速で走っている車が、コンクリートの壁か何かに激突するシーンを思い浮かべてみる。身体がシートから引き剥がされるように前につんのめる。フロントガラスの外にひらけていた風景が輪郭を失い、すべてが液状になって飛びかかってくる。あるいは原爆を投下されたとき、爆心地の近くにいた人たちが体験したことを想像してみる。閃光がやってくる。ややあって静かな熱風の急襲。つぎの瞬間、すべてが炎に包まれる。だが像として再現されるイメージは、どれも映画の特撮場面と大差はない。  隣のベッドでは、妻が悲しげな、ちょっと険しい表情を浮かべて眠っている。赤ん坊は母親の胸のなかで穏やかに眠りつづけている。恐怖はどこかへ去っていた。かわりに漠然とした、出口のない憂鬱さにとらわれていた。自分が誰とも繋がっていない気がした。手を伸ばせば届くところにいる彼らとさえ、心を通い合わせることができない。なぜなら自分たちのなかには、信じられる確かなものが、何もなくなってしまったからだ。人間は終わってしまったのかもしれない。  昨日までとは別の世界にいることを、彼は知っていた。暗黙のうちに、これだけはなされないと思われていたことが、現実になされてしまった。ここは見捨てられた世界、時間からこぼれ落ちた世界だ。もはや時間は流れず、ビルに激突する飛行機の映像のように、ただ単調なショットが無限に反復されるばかりだ。これから先、それが「生きている」ことの定義になるだろう。誰も時間の内部には入り込めない。想像力が届かないからだ。誰も現実を生きることはできない。現実は、あの瞬間的な映像の内部にあり、それを体験できるのは、飛行機に乗っている人たちだけだ。 「しかし、まだ間に合う」彼はひとりごとみたいに呟いた。「大丈夫だ。やり方はわかっている」  夜は明けきっていなかった。東の空に白い月が残っている。暗い砂浜には、波が魚の鱗状の模様を残していた。砂は亀の甲羅のように盛り上がり、ところどころを水が細い筋になって流れている。砂浜を歩きながら、彼は子どものころのことを思い出していった。潮が引いたあとの砂浜には幾つもの潮溜まりができ、そこにはきまって小さな魚たちが取り残されていた。餌を啄《ついば》んでいる蟹たちは、人が近づくと素早く穴のなかに隠れた。太陽の暖かみを湛《たた》えた浅瀬で潮干狩りをしていた大勢の人たちを、彼は覚えていた。きらきら輝く海を背景にして乗り捨ててあった自転車と、その美しいシルエット。海鳥は頭上を高く旋回し、沖の水面では魚が跳ねた。  しかし、いまは夜明け前だ。暖かい太陽の光は、まだない。動いているものもなければ、物音もしない。波の音さえ聞こえなかった。地球がすっぽり凪《な》いでしまっているみたいに、風は死に絶えていた。砂浜の奥まったところに、漁師たちが網や漁具を置くのに使っている粗末な小屋が、何軒か並んで建っていた。打ち捨てられた漁船も見える。それらを通り過ぎてしまうと、人の暮らしの気配は途絶えた。  ホテルを出てからどのくらい歩いているのか、彼にはわからなかった。だが、自分がどこへ向かっているのかはわかっていた。歩きながら、女の白い太股のあいだで鋏を振りかざしている蟹を思い浮かべた。こうして思い返してみても、あの情景が現実のものだったとは思えない。いま自分がいる世界と、同じ世界で起こった出来事とは思えない。あれが現実だったのなら、いまこの世界で起こっていることは現実ではない。こちらの世界で起こっていることが現実なら、岩陰で眠るように死んでいた女は現実の存在ではない。 「いや、そうではない」彼は声に出して言った。「どちらも現実ではない。われわれが現実の世界に住んでいたのは、昨日までのことだ」  海岸に降りてからというもの、足の下には常に柔らかい砂の感触があった。それがいつのまにか腐肉のような泥に変わっている。無頓着に足を踏み出すので、たちまち靴は真っ黒になった。足を踏み出すたびに、泥の表面にあいた小さな穴から水が勢いよく飛び出してくる。そして生臭いどぶの臭いが漂った。  立ち止まり、シャツのポケットから煙草とライターを取り出した。風がないので、火は難なくついた。一口吸うと、指に挟んだ煙草の先をじっと見ていた。やがて暗い海に向かって、彼は喋りはじめた。 「純粋な記憶というものはない。記憶と呼ばれているものは、記憶の記憶に過ぎない。それとも一度思い出したものを、もう一度思い出しているだけなのか……」  彼は困惑したように片方の手を頭へやった。何度か髪を撫でつけるような仕種をした。 「何が言いたかったのだろう」  やがて気を取り直したように歩きはじめた。海岸線は沖に向かって、しだいに細長く突き出していく。潮が満ちてくれば、容易に呑み込まれてしまいそうだ。潮の流れのせいか、夥《おびただ》しい量の貝殻が堆積していた。それが海面から少し顔を出して、痩せた洲を形作っている。赤ん坊の泣き声が聞こえたような気がした。彼は足を止めて耳を澄ました。再び歩き出した。貝殻は靴の下でざくざくという小気味のいい音をたてた。  岩陰の砂に横たわる死んだ女と、浅瀬の砂に横たわる瀕死のイルカ。二つのものに、彼は強い親近感をおぼえた。郷愁めいた思いと言ってもよかった。テロリストたちの超越的な振る舞いの対極にある、それは地上的なイメージだった。このイメージの傍らに、ひたすら身を横たえたいと思った。恐れることはない。今度は声には出さずに、胸のなかでそっと自分に言い聞かせた。地に横たわる女とイルカの記憶をもちつづけるかぎりは……。  最後の浅瀬を渡りきると、海のなかに取り残された小島のような場所にたどり着いた。中央の部分だけ黒い岩が顔を覗かせ、砂の表面を鱗片状の植物が被っている。そのため足元は案外しっかりしていた。岩陰の、砂のあまり動かないところにはイラクサに似た植物の群生が見られた。  一人の女が横たわっていた。あのときと同じ、明るい花柄のワンピースを着ている。彼は立ったままで女を見下ろしていた。やがてその場にひざまずいた。静かに身をかがめると、女の額にそっと自分の額を重ねた。まるで母親が小さな子どもの熱を計るように。それから慎重にうつぶせになり、女の身体を抱きかかえる恰好で、傍らに横たわった。  長い時間が過ぎた。  海を渡ってかすかな鐘の音が聞こえてきた。彼は喜びを感じた。その喜びは、どこか遠くにあって実体を欠いていた。彼自身のものではないかのようであり、この海の水のように冷たく、それゆえ永遠のものに思えた。  明るくなりはじめた海面でイルカが跳ねた。そこに昇ったばかりの太陽の光が射した。女の頬に健康な肌の色が戻ってきた。再びイルカは跳ねた。勢いよく撒き散らされた水しぶきが、新しい太陽の光を浴びて輝いた。 [#改ページ]    雨の日の    イルカたちは  水族館のイルカが逃げた。お昼のテレビのニュースで言っていた。どうやって逃げたのかわからない。午後三時に最後のショーがあり、夕方、飼育員が見まわったときには異状なかった。ところが昨日の朝、餌をやろうとして水槽を覗《のぞ》くと、二頭のバンドウイルカが姿を消していた。水槽の外は海だが、フェンスを飛び越えて逃げることは、まず考えられない。誰かが盗んだのだろうか。イルカって食べられるの?  海を埋め立てた広大な敷地の一角に、公園は環境破壊の免罪符みたいにして造られている。平日の午前中なので、人はほとんどいない。ようやく根づいた芝生の広場に、欅《けやき》などの高木が整然と植えられた臨海公園は、まるでシュールレアリスムの絵のようだ。歩きながら、逃げ出したイルカたちのことを考えてみる。狭い水槽のなかを泳ぎまわって、やって来る人たちにショーを見せるイルカたち。ご褒美は死んだ魚。こんな生活はもう嫌だと思って、命懸けのジャンプをしたのかもしれない。イルカは知的な生き物だから。  もうすぐ十九回目の誕生日がやって来る。まだ十九回という気もするし、もう十九回という気もする。いろんなことがあったわりには、まだ十九年。何もはじまっていないのに、もう十九年。いま死んでしまえば、何もはじまらないうちに終わってしまうのだと思うと、なんだか自分の一生がかわいそうに思える。でも自分の一生というのが、このわたしの一生という気がしない。なんだか他人事みたいで……だから、かわいそうと思っていることも、きっと他人事なのだろう。  埋め立て地には物流センターができ、幾棟もの冷蔵倉庫が建ち並んでいる。倉庫の向こうから、コンテナ・ターミナルのクレーンが頭の部分だけ覗かせている。公園のはずれと埠頭《ふとう》のあいだに長い橋が架かっており、そのあたりが新しい河口になっているらしい。橋の上を、コンテナを積んだトラックがひっきりなしに行き交っている。橋の向こうは貯木場で、茶色の丸太が小山をなして積み上げられている。遠くにドームとタワーが霞んで見える。空の低いところを旅客機が飛んでいく。空港から離陸したばかりのようだ。  ジャンプできるイルカたちは幸せだ、と考えてみる。だって彼らは水槽の外に広がる世界を信じているわけだから。どんなに高くジャンプしても、けっしてこの世界の外へは出られないことを、わたしたちは本能的に知っている。何も起こらないし、何も変わらない。ただ同じような毎日が死ぬまでつづいていくばかり。未知のものは何一つない。ひょっとしてわたしたちは、イルカたちよりも悲惨な人生を歩んでいるのかもしれない。いつもそんなふうに悲観的に考えているわけじゃないけれど。  立ち止まって、表面だけはきれいな水面に目を凝《こ》らしてみる。イルカの姿は見えない。当たり前か。岸壁には様々な物が打ち寄せられている。空き缶、プラスチック容器、発泡スチロールの破片、花火の燃え滓《かす》……。水は透明で思ったよりきれいだけれど、潮の香りはほとんどしない。イルカたちは外海に出ただろうか。それとも湾のどこかを泳ぎまわっているのだろうか。ここに来て、一度だけジャンプしてくれないかな。  いつか犬を飼おうと思う。チワワみたいな小型の室内犬。本当はイルカを飼いたいのだけれど、無理でしょ? 水族館に就職すればよかった。デザイン学校へなんか行かずに。でも水族館て、どこが経営しているんだろう。市だったら、やっぱり公務員試験を受けるのかしら。  たまにはちゃんとしたランチを食べようよ、とハナちゃんが言うので、イムズ十三階の自然食の店で昼御飯を食べることになった。五分ほど前に行ったのに、お店の前には十一時からはじまるランチ目当ての客がすでに並んでいて、「げっ、オバハンばっか」というハナちゃんの憚《はばか》らぬ声に、わたしは少々アセった。  九百八十円のランチはホタテのあんかけだった。あまり食べたくないけれど、注文した以上は食べなくちゃ。いつだってそうだ。買ったばかりの服を自分の部屋で着てみて、本当に欲しかったんだっけと思う。靴も帽子も化粧品も……欲しくないものばかり買っている。買ってから後悔するためにお金を使っている。そのお金を稼ぐために、自分を少しずつ切り売りしている。でも、そんなふうにうじうじ考えるのは、もうやめたのだ。フローリングの部屋に住みたい。イタリア製のソファを買いたい。フロアスタンドも欲しい。『クレア』で見たグレートバリアリーフのホテルみたいに、部屋のなかを観葉植物でいっぱいにして、チワワと幸せに暮らしたい。 「あーあ、犬飼いたいな」 「なによ、それ」無農薬野菜のサラダを頬張っていたハナちゃんは眉をひそめた。 「アイフルのコマーシャルみたいなさ。だってかわいいじゃない」 「ばっかみたい。あたしなら断然ワニね」 「ワニなんか飼ってどうすんのよ」 「うんと大きくして、男の家に放すの」 「前に話してた人?」  力強く頷いて、「ワニに男とあの女を食べさせちゃうの」と言った、ハナちゃんの目はすわっている。 「消化不良起こしちゃうかもよ」 「かもね」  中学校の修学旅行で別府へ行ったときのこと。ワニ地獄ってところがあって、なかを覗いていた高木くんが誤って財布を落とした。ワニはその財布をパクッと一口で食べてしまった。修学旅行のおこづかいを全額、ワニに食べられて泣いている高木くんに、担任は「財布でよかったじゃないか、おまえが食べられなくてさ」と言った。ヘンな慰め方だなあ、と思ったものだけれど……。 「犬なんて飼ってどうすんのよ」 「ワニを飼うよりはまともな発想だと思うけど」 「ハッ、ソウですか、なんて」  ははは。ハナちゃんに座布団一枚。 「ワニのいいところは、自分のことだけ考えて生きていることね。自分と、自分の餌のことだけ。つまり自由ってことかしら」  店のBGMにナポリ民謡が流れている。「オー・ソレ・ミーオ」を「おー、それ見たことか」と思っていたのは、いつのこと? 「お金ほしいよね」ハナちゃんはため息まじりに言った。「どばっと一千万円くらい」  窓の向こうに小さく海が見える。でこぼこしたビルと高速道路に包囲された、みすぼらしい海だ。「おとなしく武器を捨てて出てこい」と言われてるみたいで、かわいそうな海。ビルの屋上にはプロミスや武富士やポケットバンクの看板が立っている。イルカはどうしてイルカな……って、うまい! マユちゃんにも座布団やっとくれ。 「五穀御飯て、本当に身体にいいのかしら」砂を噛《か》んだような顔をして、ハナちゃんは呟いた。  たとえば二万八千円のモイスチャライジング・クリーム。たとえば三十万円のフェイシャル・トリートメント。たとえば一粒千円のショコラ。たとえば一山二千六百円のシナモンブレッド……そういうものの値段て、どうやって決まるんだろう。昨日、スーパーで買ったサンマは一尾八十九円だった。お母さんが苦労して卵を産んで、他の魚とかに食べられずに、ようやく大人になったサンマの値段が八十九円。一方、宝石箱のようなケースに入ったチョコは一粒千円。なんか、どっか、間違ってるような気がする。  デザートは黒ごまのシャーベットだった。これにコーヒーが付いて九百八十円はと〜ってもお得、とテレビショッピングの口調を頭のなかで再生しながら考えていると、 「一緒に死のうか」ハナちゃんがぽつんと言った。 「えっ?」 「前にも一回やってるんだ、中学のとき」ハナちゃんは黒ごまのシャーベットをスプーンの先で掬《すく》いながら、つまらなさそうにつづけた。「そんときは手切り。別に死にたいわけじゃなかったのよね。生きたかった。生きるために手首を切ったの」  どういう理屈? とか、やっぱりたずねない方がいいんだろうな。 「マンションの屋上から飛び下りちゃう子の気持ちがわかるのよね。あの子たちもきっと生きたかったんだろうなって。生きるために、ビルから飛び下りたんだろうなって」  わたしは「うん、うん」と深刻そうに、でも適度にくだけた感じも忘れずに頷いた。 「本当はJRに轢《ひ》かれようと思ったの。鹿児島本線止めてやれって。両親とか困らせるため。弁償金とかでさ。でも怖くて、無理だった。それで手首を切ったの」 「そうなんだ」 「だから死にたくなったら言ってね」ハナちゃんは不敵な笑顔を見せて、「いつでも付き合うから。いいクスリがあるんだ。眠るように死ねるんだって」 「オーケー、オーケー」  ……と、どこまでも現実感の薄いわたしたち。  イルカの写真集を買った。イルカの顔って、いつも微笑んでいるように見える。たまには怒ることもあるのかしら。たぶん人格者なんだ。イルカに人格者ってのもヘンだけど。彼らの写真を見ていると、いつのまにか顔のこわばりがほどけて、こっちまで微笑んでいる。別に微笑む理由なんかなくても。こういう歌があったよね。ぼくと指切りしないか、約束なんて何もないけど……わたしもいつか、リアム・ギャラガーみたいな素敵なボーイフレンドと指切りしてみたい。約束なんてなくても。でも、いつかいつかと思っているうちに歳をとって、いつのまにか「いつか」とも思わなくなるのだろうか。そう考えると、怖い。  わたしが生れた町は、山田郡山田町大字山田という山と田んぼ以外には何もないところで、性欲と野望を持て余した中学生や高校生諸君は駅伝くらいしかすることがない。だからあのあたり、駅伝の強豪校が多い。佐賀とか、長崎とか……熊本とか。要するに何もないってことで、何もないからみんな駅伝をする。少なくとも走っているあいだは退屈を忘れられるから、というほとんどジャンキーみたいな理由で、倦怠よりも腹痛を選んでしまった、取り返しのつかないわたしたち。  両親は二人とも中学校の先生をしている。それがいやでいやで、高校を卒業したら家を出ようときめていた。両親のことが嫌いなわけじゃない。ただ教師の家庭っていう雰囲気が死ぬほどいやだった。たぶん両親は、そんなこと思ってもみなかったに違いない。普通に話もしていたし。不思議だ。言葉は心と心を通い合わせるためのものであるはずなのに、彼らと話をしていると、むしろコミュニケーションを避けるためのものじゃないかと思えてくる。盗聴防止の妨害電波みたいに、自分の心を他人からしっかりガードするために、わたしたちは意味のない言葉を交わす。  子どものころから絵が好きで、中学も高校も美術部に入っていた。それでなんとなくデザイン系の学校に来てしまったわけだけど。東京じゃなくて福岡ってところが、いかにもわたしらしいというか。両親も九州内ならってことで許してくれたし。いまはすっかりサンマの秋だから、まだ半年ちょっと前か。あのころは楽しかった。一人暮らしをはじめた解放感もあって、毎日が新鮮だった。デッサンもどんどんしていた。  一週間目、二週間目と自分が変わっていくのがわかった。都会で暮らしているだけで、雑踏ですれ違うきれいな女の人をたくさん見ているだけで、頭の先から爪先までシェイプアップされていくような気がした。グッチやヴィトンやサンローランのお店を見て歩きながら、そこで売られているものを身につけている自分を想像してみる。それだけで身体の内側から洗練されてくる気がした。ショーウィンドウに映った自分の姿にさり気なく目をやる。わたしが山田郡山田町大字山田の出身だなんて誰にもわからない(はずだ)。 「あーら、マユちゃん」  誰だ! わたしの名前を知っているのは。 「あら、トモミ。あなたもこっちだったの?」  中学校の同級生。高校は別だったので、しばらく疎遠になっていたが、こんなところでばったり会ってしまうなんて。九州圏内に都会はここしかないので、みんなが一極集中で集まってしまうのだ。しかも福岡の中心部が、やはりここ天神だけなので、郷里の狭い町ですらめったに会わなかった子と呆気なく遭遇してしまう。  とりあえず安そうな店に入り、適当におつまみとかたのんでチューハイを飲んだ。 「スチュワーデス・スクールに通ってるんだ」トモミは言った。 「へえ、スチュワーデスになるんだ」 「そのはずだったんだけど、入学して半月で早くも実態を知ってしまったわたし」 「どういうこと?」 「看板はスチュワーデス養成になってるけど、実際にスチュワーデスになる子は年に一人か二人らしいの。せいぜいJRの乗務員かホテルの接客係にでもなれればってとこね。まあ、半分は花嫁修業みたいなもんかな」  チューハイを何杯もお代わりしながら、わたしたちは昔話に花を咲かせた。トモミはひっきりなしに煙草を吸っていた。スチュワーデス学校で花嫁修業をしている自分への、せめてもの反抗だったのかもしれない。彼女のお父さんは町立病院の経理とかやってるんだけど、生れてこのかた法を犯したことは一度もない、という感じの人らしい。健全な親のもとで育った子どもは、親と同じように健全に育つか、あるいは徹底的に堕落するか、どっちかなのよねという話で盛り上がった。そして自分はどっちだろうと考えた。わたしは聞き分けのいい子どもだった。それは両親の言うことをBGMとして聞き流す術《すべ》を、早くから身につけていたからだ。どんなうるさい小言も、わたしにはセリーヌ・ディオンみたいなものだった。うざい。消えろ。なくなってしまえ……というか、どうでもいい。  よろめきながら中洲《なかす》の街を歩いた。「ちょっと大丈夫? しっかりしなさいよ」と、お互いに言い合いながら。つまり正真正銘の酔っぱらいだったのだ、わたしたちは。でも色とりどりの照明でギラギラと眩しい街を歩いているのは、たいてい酔っぱらいばかりだったので、千鳥足で歩いているこっちが正常で、たまにしゃきっと歩いている人は、ヌーディスト・ビーチにスーツ姿で紛れ込んだ野暮天のように見えた。客引きが男たちに声をかけている。「おにいさん、ちょっと遊んでいかない?」とか「いい子がいますよ」とか。さすがに女同士だと大丈夫みたいね、と思っていると、安っぽいスーツに身を包んだ若い男が寄ってきた。馴れ馴れしく話しかけてくる。 「彼女たち、どっから来たの。ひょっとして二人で飲んでた? こんな素敵な子たちを放っておくなんて、この街の男はなんてバカなんだ」  バカはあんたでしょ、と思ったけれど、何も言わずにこにこしていた。トモミも表面上は冷たくあしらっているけれど、本気で嫌がっているわけじゃない。だから飲みにいこうと誘われたとき、二人ともあっさりOKしていた。バカはわたしたちだったのだ。  家から持ってきたポータブルのCDプレイヤーが動かなくなった。プレイボタンを押しても動かない。きっとスイッチ部分の接触が悪くなっているのだろう。こういうのって、どこで修理してくれるんだろう。ベスト電気やビックカメラだと思いっきり時間がかかってしまいそうだし、高い修理費を取られるのもバカらしい。一万円出せば新品が買えるんだもの。でも買い換えるのはもったいないし……それで壊れたままになっている。おかげでオアシスも聴けない。アンダーワールドも聴けない。ケミカル・ブラザーズだって聴けない。  CDプレイヤーを買ってもらったのは中学二年生のときだから、まだ五年ほどしか経っていない。とくに乱暴に扱ったわけじゃないし、毎日長時間聴いていたわけでもない。最近の家電品の寿命って、それくらいなのだろうか。短すぎるような気もするし、そんなものだろうという気もする。見当がつかない。  七十年とか八十年とか言われるわたしたちの寿命はどうだろう。短すぎるってことはないよね。そもそも自分が、この先五十年も六十年も生きるなんて想像できない。生れたからには死ぬまでは生きているんだろうけど、それは生きているのではなく、壊れたプレイヤーと同じように、ただ「ある」だけかもしれない。人間の場合、壊れたからといって簡単に捨ててしまうわけにはいかない、という消極的かつ否定的な理由によって。「生きている」ことの確かな実感なんて、十代のうちに消えてなくなってしまうんじゃないかな。たぶん十六とか十七くらいで……。  高校一年生のとき、好きな人がいた。美術部の先輩だった。入部して半年くらいは、別になんとも思わなかった。とくに目立つタイプではなかったし、顔も普通だった。九月末に体育祭があった。一年生から三年生まで、全校生徒をクラス単位で四つのグループに分けて得点を競う。わたしたちのクラスはCグループで、その先輩も同じグループだった。体育祭では各グループの応援席の後ろに、ベニヤ板の巨大なパネルを掲げることになっている。製作は当然のことながら、美術部員が中心になっておこなう。先輩はCグループのパネル製作リーダーだった。  グループ・テーマは「飛翔」で、パネル絵はマグリットの有名な「大家族」の図柄を使うことになった。絵の具を塗る作業は一般の生徒にも手伝ってもらうが、細かいところはどうしても美術部員の仕事になる。わたしたちは毎日遅くまで製作に励んだ。とくに体育祭が近づいてくると、男子は組体操、女子は創作ダンスの練習が忙しくなり、それにグループ応援の練習もあるので、最後の方はほとんど美術部員だけで仕上げることになった。  体育祭が目前に迫ったある日、先輩はパネル絵の波の感じをうまく出せずに苦心していた。他の人たちが帰ったあとも、絵の具を重ね塗りしながら、一人で黙々と絵筆を動かしている。同じ美術部の後輩として帰るに帰れず、わたしは背景の空に手を入れたりしていた。ようやく作業を切り上げたのは、夜の八時を過ぎたころだった。外はすっかり暗くなっている。 「もうこんな時間か」彼は自分の腕時計を見て言った。「付き合わせてしまって悪かったね。危ないから送っていこう」  わたしの家は学校から遠く、毎日峠を越えて自転車で通学していた。その先輩も自転車通学だったが、方向は反対だった。途中までは並んで漕いだ。坂がきつくなると、自転車を押しながら歩いた。 「鳥越さんは、ロックとか聴くの」先輩はたずねた。 「ええ、少しだけ」 「どんなのが好き?」  パフィーがヒットしていた年で、恥ずかしながらB'zやシャ乱Qなんかも聴いていたけれど、ここはひとつ見栄をはって、 「パティ・スミスとか」 「へえ、けっこう渋いの聴いてるんだね」  そうなんですか? じつはまだ聴いたことがなかったりして。 「ジャクソン・ブラウンって知ってる?」  知ってるわけない。 「イーグルス周辺の人なんだけど、彼の作品に『レイト・フォー・ザ・スカイ』ってのがあって、ジャケットはマグリットの『光の帝国』をヒントにしたものなんだ。パネル絵のマグリットも、彼のCDを聴いていたときに浮かんだアイデア」  いつのまにか峠のところまで来ていた。 「ここで大丈夫ですから」 「そう」 「ありがとうございました」 「今度、ジャクソン・ブラウンのCD貸してあげるよ。中身もいいから聴いてみて」  眼下は真っ暗な大村湾だ。間遠にともる街灯の明かりをたよりに、わたしはブレーキもかけずに自転車を走らせた。カーブを曲がりきれず、ガードレールにぶつかりそうになる。でも怖くはなかった。このまま加速をつけて、マグリットの鳥のように飛び立ちたい。そして目の前に広がる湾の上を飛んでいきたいと思った。高校一年の秋。わたしがまだ確かに「生きていた」ころ。  お店では、誰もわたしのことを知らない。わたしも彼らのことを知らない。知らない者同士が裸になって、身体を触れ合っている。でも親しい感じはまったくない。マクドナルドの店員が、にこにこ笑いながら冷たい拒絶の表情をしているのと同じようなもの。この部屋のなかで、わたしたちはとても孤独だ。  皮膚と脂肪で覆われた、あまり美しいとは言えないオトコの身体。わたしはそれをモノとして扱っている。胸も腹も背中も尻も、どこでも同じ。病院で患者さんの身体をスパスパ切っちゃうお医者さんたちも、きっとこんな感覚なのだろう。いま鋭いメスがあれば、なんのためらいもなく、この人の身体を切れるような気がする。憎いわけではない。そんな気持ちはまったくない。チーズを切るのに憎いも愛《いと》しいもないように。いや、チーズなら少しは愛しさもあるかもしれないけれど、この人の身体にはチーズほどの愛着もない。人間の身体はチーズ以下の存在だ。  どんな仕事でも一生懸命やれば達成感があって、何かを忘れさせてくれる。駅伝みたいに。労働は人類のアヘンである、カール・マルクス……違った? でも、これはこれでれっきとした仕事。ブルセラショップでパンツを売るようなのとは違う。ああいう、スケベおやじの足元を見るような商売とは一線を画している(はずだ)。でも、仕事ってなんだろう。消費者金融でお金を貸したり、貸したお金を取りたてるのも仕事なのだろうか。インターネットで投資をするのも仕事だろうか。  これは立派な肉体労働である、と考えてみよう。だって仕事が終わったあとは、身体のあちこちが痛む。顎《あご》も、首も、肩も、股関節も……痛まないのは心だけ。つまり畑でトマトを作ったり、工場で自動車を組み立てたりするのと同じ資本主義。あれも資本主義、これも資本主義。 「学生さん?」 「えっ……はい」 「わたしはなんに見える?」 「学校の先生ですか」  オトコはベッドの上にむくっと起き上がった。ぶよぶよしたなまっちろい胸には、縮れた黒い毛がまだらに生えていて、もちろんチーズみたいにおいしそうではない。 「ど、どうしてわかった」 「なんとなく」  高校の校長先生だった。校長会で長崎から来ているそうだ。中洲で飲んだあと、同僚に誘われて来たのだと強調していた。 「本当はこんなところへ来たくはなかったんだがね、一人だけ帰るとみんなが白けてしまうだろう? それでしぶしぶ付いて来たわけだ」  悪かったわね、こんなところで。どうだっていいのに。現に来ちゃったんだから。そして現に、みっともないハダカを曝《さら》しちゃってるわけだから、きっとしぶしぶでしょうけど。出身地を訊かれて、佐賀と答えた。佐賀のどこ? 高校は? うるさいったらありゃしない。 「どうしてこんな仕事してるの。おこづかいが欲しかったから?」 「ええ、まあ」 「もっと他のアルバイト、あるでしょう。コンビニとか、レストランとか……」 「お金になるから」 「いくらお金になってもね、こういうことをつづけているうちに、心は知らず知らず傷を負っていくんだよ。そしたら将来、ちゃんとした家庭を営めなくなるかもしれない。ご主人を愛したり、子どもをかわいがったりできなくなるかもしれないんだよ」  そういう話を、チンチンしゃぶらせたあとでするなよな。そもそも先生、なにしに来たの。性風俗産業に従事することの弊害を説いてまわるため? こういう人が学校では、「命の大切さ」とか生徒に説いているんだろうか。別に非難しているわけじゃないけど。いいか悪いかなんてわからない。資本主義ではみんな自分のやりたいことをできるようになっている。だから自分のやりたいことをやっている人が正しいのだ(たぶん)。 「どれ、今度はわたしがしてあげよう。横になってごらん」 「いいです」 「遠慮するな、こっちは客だ」  なんかヘンなの。でも校長先生ったら、上手。 「どうだ、気持ちいいか」  あるときは学校で生徒たちに「命の大切さ」を説く教育者、あるときはヘルスで若い娘のマンコを舐《な》めるスケベおやじ。そんなふうにお金さえ出せば、誰でも合法的になんでもできちゃう。立場を入れ換えてなんでもできちゃうから、誰も自分の本当の場所をもつことができない。「命の大切さ」にもあまり説得力がない。みんなウソっぽくなってしまう。わたしたちはみんなウソっぽい存在だ。きっと人の命なんて、そうしたウソっぽさに見合った程度でしか大切ではないのだろう。  何もかも軽くて、ふわふわしている。ふっと息を吹きかけるだけで、くるっと簡単に裏返る。していいことも、しちゃいけないことも。この世界には、正しいことなんて何もない。それはとってもいい感じ。ミスタ・マルクス、あなたも鬱陶しい髭を剃って、ヘルスに来ればよかったのに。  校長先生がわたしを舐めている。身体を触られるのはあまり好きじゃない。でも、一応仕事なわけだし、楽をして、気持ちのいい思いをしてお金をもらえるんだから、ラッキーと思うことにする。  がんばって大人になったあげく、邪悪な人間の網にかかり、スーパーで売られてしまうサンマの値段は八十九円。一方、裸になって舐めたり舐められたりして、わたしがもらっているお金は、一時間でその約百倍。申し訳ない。誰に申し訳ないのかわからないけれど。わからないから、とりあえず何をされてもじっとしている。痛くてもがまんしている。いじめ自殺や少年犯罪にうろたえ、バカのひとつおぼえみたいに「命の大切さ」を説く校長先生が、首のもげそうな恰好でわたしを舐めている。それはちょっと切なくて、でもやっぱり美しい光景なのだろう……きっと。  近くのスーパーでアジアンタムを買った。最初の値段は八百円だった。しばらくはワゴンの前を通り過ぎるだけだった。ある日、売れ残った数鉢が五百円になっていた。三百円も安くなっている。つい買ってしまった。それだって本当は、高いのか安いのかわからないけれど。まあ、こんなものかと思うことにする。  毎日、ペットボトルで水をやっている。茶色くなった葉を取ってやりながら、アジアンタムに話しかける。 「おはよう。枯れずにいてくれてありがとう。今日も元気でがんばろうね」  やわらかい葉に指を触れていると、人間は弱い生き物だという思いが、胸の奥で静かに根を下ろしはじめる。水を絶やすと、すぐに枯れてしまう。そんなか弱い植物に、わたしが水をやりつづけているのは、この植物によって自分が生かされていると感じるから。人間はアジアンタムより弱い存在なのかもしれない。強そうなふりはしているけれど、本当はうんと弱い存在。そういう思いが、いまの自分を支えている気がする。  夢ってなんだろう。  旅行記事を読めば旅行したいと思う。グルメ記事を見ればおいしいものが食べたいと思う。ファッション記事を見ればブランドもののバッグを買いたくなる。女性週刊誌って、なんだか間違った欲望を植えつけているような気がする。間違った夢というか。そうした夢や欲望のために、わたしたちは働いている。つまりお金。何をするにもお金。この社会でお金のないことは、ほとんど人格を否定されているに等しい。手っ取り早い方法でお金が欲しい……となると風俗。男の子なら強盗か。  夢ってなんだろう。  小六のとき、クラスに好きな男の子がいた。左手の薬指にバンドエイドを貼っておくと両想いになれるという迷信があって、わたしはずっとバンドエイドを貼っておいた。でも両想いにはなれなかった。人生なんてそんなもの。何も望まず、期待せず、信じず。そうすれば傷つくこともない。  素敵なボーイフレンドができて、公園でボートに乗って、一緒にアイスクリームを食べるのが夢だった。でもいまは早く借金を返して、アジアンタム以外にもいっぱい植物を買って、部屋のなかを熱帯のジャングルみたいにする。それが夢……わたしだけの夢。そのためならがんばれる。いやなことだって我慢できる。  ハナちゃんとは保健所タイムに控室で知り合った。わたしは控室で他の女の子とお喋りしたりするのが苦手だった。一緒に働いている子の噂話や、お客の悪口なんかを聞くのがいやだった。自分のことを話すのもいやだった。それでいつも個室で週刊誌を読んで待機することにしていた。でも保健所が入るときは、控室にいなくてはならない。 「オトコのあそこ舐めてやって、スペルマぶっかけられるたびに、なんだか心の奥がすさんでいくのよね」ハナちゃんは初対面のわたしに、臆面もなくそんなことを言った。「でも、一度この世界に入ったら、少々のことじゃ抜けられない。だって、いまの生活捨てるのいやだもん。そんなことするくらいなら、死んだ方がマシ……そう思わない?」 「わからない」  ハナちゃんは不審そうにわたしの方を見た。 「あんた、名前は?」 「マユコ」 「ふーん、マユちゃんか。あたしはハナちゃん、よろしくね」  ホストクラブのホストがこづかい稼ぎに風俗店のスカウトをやっている、といった裏の事情は、この仕事をはじめてからハナちゃんに教えてもらった。最初はそんなこと、考えてもみなかった。ちやほやされるのが、単純に物珍しくてうれしかった。だってそんなことは、テレビのなかにしかないと思っていたから。それが現に自分の身に起こっている。ウソとわかっていながら、いや、ウソとわかっているからこそ、ウソの世界に浸ることが心地よかった。  きっと寂しかったのだと思う。誰かに話を聞いてもらいたかった。それまで人にじっくり話を聞いてもらったことがなかった。友だちとの付き合いでは、たいてい相談に乗ってあげる方だった。母娘の会話では、彼女が一方的に喋っているか、わたしが喋るときは質問に答えていることがほとんどだった。店の男の子たちは、話を聞くのが本当に上手だった。上っ面だけかもしれないけれど、親身になってこちらの話を聞いてくれる。すると心のこわばりがとけて、どんどん言葉が出てくる。商売とわかっていても、その快感には抗しがたいものがあった。  ちょっと飲んだだけなのに、ものすごく高かった。その店は時間制になっていて、気がつくと三時間近く経っていた。トモミもわたしも持ち合わせがなくてアセっていたら、「心配しなくていいよ」とやさしく言われた。「身分証明書とか、そういうもの置いていってくれればいいから。あとでお金ができたときに持ってきて……」みたいなことを、目を見つめたままささやかれると、「わかったわ、ダーリン」と答えてしまいそうになる。やさしく澄んだ目の向こうは空っぽだと気づいていても。  学生証を預けて帰った。二度と行くことはないだろうと思った。いくら楽しくても、いくら心地よくても、親の仕送りで生活している専門学校生が気軽に行けるところではない。わたしもトモミも、「バカなことしちゃったわね」と自嘲的に総括して別れた。銀行の口座に、画材を買うために親からもらったお金が入っていた。とりあえずそれをあてて、画材の費用はコンビニのバイトでもしながら溜めようと思った。  バカなことをしたとか愚かだったとか、反省モードに入ったとき、人はいろんなふうに考えるものだけれど、そのときは他に選択肢はなかった(と思う)。あとから聞いた話では、トモミは親に臨時の仕送りをたのんで借金を払い、さっさと学生証も返してもらったらしい。賢明なトモミにくらべて、わたしは正真正銘のバカだ。それはそうなのだけれど……。  翌日、男の子から電話が入った。うれしかった。「昨日は楽しかったね」とか、知り合ったばかりの恋人同士みたいな話をしばらくしたあと、彼は軽い口ぶりで言った。 「いいアルバイトがあるんだけど、面接だけでも受けてみない?」  出かけていったのは、もう一度彼に会いたかったから。「どんなアルバイト?」とかも訊かなかった。スターバックスで待ち合わせて、本日のコーヒーを飲みながらシナモンロールを食べた。「ここのはおいしいんだよ」と彼が勧めてくれた。本当においしかった。オープンカフェのテーブルで、こうしてコーヒーを飲みながらお喋りしている自分たちは、傍目《はため》には恋人同士に見えるかしら。 「トモミには声をかけなかったの?」 「アルバイトの口は一人分なんだ。だからこの話、彼女には内緒だよ」  彼と二人で店に行った。いわゆるキャバクラとか、そういう類の店だった。基本的にお酒の相手をするだけで、客に触られることは一切ないし(とても真実とは思えない)、店の外での付き合いをうまく断って(もし断ることができれば)、携帯の番号さえ教えなければ(しつこく訊かれたら?)心配ないと言われた。外に出た途端、こらえていた涙が溢れてきた。半分は演技だったけれど、ちょっとウソっぽいくらいが、自分の気持ちにしっくりきた。 「あんなお店紹介するなんて、ひどいよ」 「ごめん、ごめん」彼は(もちろん)得意の甘い言葉でなぐさめてくれた。「でも給料すごくいいしさ。また店に来てほしかったから」 「外では会えないの?」 「店の外で会うの本当はだめなんだ。バレると辞めさせられちゃう」  相手の魂胆はわかっていたし、騙《だま》されていることにも気づいていたけれど、それが心地よくもあった。わたしは半ば自覚的に、「悪い男に弄《もてあそ》ばれるバカな女」モードに入っていった。夜の仕事なので、学校の授業を休む必要はなかった。これで当初の借金は簡単に返せるはずだった……が、もちろんそんなふうにうまく事は運ばない。仕事が終わると、居ても立ってもいられない寂しさを感じて、彼のいる店に行ってしまう。行くといつもやさしくしてくれたけれど、それはホストとしての仕事をしていただけのこと。いろんな口実をつけて、絶対に店の外では会ってくれなかった。  わたしは一人でホストクラブに通いつづけた。支払いはカードで済ました。狂っていたとしか思えない。いけない、いけないと思いながら、自分を止めることができなかった。キャバクラで稼ぐ金額よりも使う方が多いので、借金はふくらむ一方だった。一ヵ月ほどのあいだに、途方もない借金ができた。幸い学校が夏休みに入ったので、八月は昼夜兼行でがむしゃらに働いた。昼はファミレス、夜はキャバクラ、でもそのあとはホストクラブに行ってしまう。睡眠時間が一日三時間くらいになった。ファミレスでちょっと暇だと、立ったままうとうとしてしまう。キャバクラでは、お酒の相手をしながら酔ったふりをして寝ていると、客が胸とか触ってくる。口をきくのも億劫だし、少しでも寝かせてくれるならいいやと思い、ほとんどの場合は放っておく。なかには平気で指を入れてくるサラリーマンもいて……セコイ。  このままではいけないと思った。借金は一向に減らないし、いまの生活をつづけたら、たぶん新学期がはじまるまでに身体を壊してしまう。まず借金を返してしまおう。それまではホストクラブにも行かない。というか、たぶん二度と行かない。今度こそ本当にほんと。誓いを紙に書いて部屋の壁に貼った。九月に入り、夏休みはあと一ヵ月になっていた。十月までには借金を返し、新学期はまっさらな気分で迎えたい。だがファミレスとキャバクラでは、そんな短期間で借金を返すのは無理だ。  街を歩いているときに、コンパニオン募集の看板やチラシは目にとめていた。でも風俗の店で実際にどんなサービスをするのか、具体的なことは何も知らなかった。「楽しく高給を稼げます」みたいなキャッチコピーが付いているが、「楽しい」ことの中身が問題だ。通りすがりに店の様子を観察して、できるだけ健全そうなところに電話をしてみた。フリーダイヤルになっていて、テープが流れ、別の番号が案内された。このまわりくどさが、いかにも非合法というか。電話をすると感じのいい女の人が出て、一通り説明してくれた。とりあえず面接を受けることにした。  店長は三十歳くらいのやさしそうな人だった。言葉づかいも丁寧で、こっちに何かを強要することはない。「やれそうなところにだけマルをつけてください」と言って差し出された用紙を見て、目が点になった。キスやフェラチオくらいはわかるけれど、手コキ? スマタ? 説明してもらっているうちに、頭がくらくらしてきた。やっぱり借金はファミレスとキャバクラのバイトで返そうと思った。店長は「講習だけでも受けていってくれませんか」と言った。講習ってなに?  競争をすると、人はみんな同じようになっていく。幼稚園や小学校の運動会では、一人一人の体型もフォームもばらばらで、好き勝手に走っているという感じが微笑ましい。でも速く走るためには、理想の体型やフォームが要求される。その結果、みんな同じような体つき、同じようなフォームになってしまう。オリンピックのトラック競技を観ていると、なんだか悲しくなってくる。  エリートはみんな同じ顔つきをしている。ミスが許されない世界で生きていると、そんなふうになるのだろう。簡単な計算問題でも、間違うパターンは幾通りもあり、そこにはその子なりの個性があらわれている。でも正しい計算は誰がやっても正しい計算で、個性の発揮されようがない。正しい計算、正しい答えを出すことが至上命令とされる世界でずっと生きていると、みんな同じ顔になる。  その人のことが好きだったのは、自分だけの世界をもっているように見えたから。わたしたちの高校は、地元ではそれなりの進学校だったけれど、その先輩は、何をやってもまわりの色に染まってない気がした。受験が近づいてきても、ときどき美術部の部室に顔を出して、世間話をしたり、絵筆をとって後輩の指導をしたりしていた。がり勉タイプではなかったけれど、そこそこの国立大学に合格して、さすがだなと思った。  春休みに一度だけ、その人の家に遊びに行った。合格のお祝いと、一年間美術部でお世話になったお礼という口実をつけて。お花を持っていった。お母さんが紅茶とマドレーヌを出してくれた。二人でジャクソン・ブラウンの『レイト・フォー・ザ・スカイ』を聴いた。話も少しはしたけれど、それは美術部の先輩と後輩のレールをはずれるものではなかった。予定していた時間はあっという間に過ぎて、帰りに彼が峠のところまで送ってくれた。体育祭のパネル絵を描いていて遅くなったときと同じように。  峠のトンネルを抜けると急なカーブがあり、道端に植えられた桜の木がちらほら花をつけはじめていた。 「もう咲いてる」先輩は枝を見上げて呆れたように言った。 「今年は暖冬だったから」 「葉っぱまで出てるよ。普通は花が終わってから出るものだろう?」  これはかなり危機的な兆候だ、と彼は言った。 「ほら、『ディープ・インパクト』で小惑星の接近を発見する天文学者、ああいう発見に近いものがあるよね」  桜の木の上に宵の明星を見つけた。明るい星の右下に、少し小さな星も出ている。風が吹いた。頭の上で桜の葉が乾いた音をたてた。二つの星の赤みがかった輝きは、わたしたちの未来を祝福してくれているようだった。それから……。  彼がわたしの手を取った。思ったよりも力強い手だった。その人がわたしに触れようとしている。触れられる前にわかっていた。あなたの感じが、あなたの温もりが……わたしに触れた。セーターを通して、その人の温もりが伝わってくる。魔法のひととき。ここは二人だけの天文台。星空のスクリーンに、わたしたちの恋が映っている。  でも長くはつづかない。まるで何事もなかったかのように、また元の、いつもの関係に戻っている。瞳を覗き込んでも、ほんの少し前までそこにいた見知らぬ人はすでに姿を消し、わたしの知っている彼が微笑んでいる。 「元気でね」 「先輩も」  再会の約束はしなかった。わたしたちは距離のある視線で見つめあったまま黙っていた。フィルムはまだまわってる? 「あんなところにお墓がある」取り繕《つくろ》うように彼が言った。  桜の木に隠れるようにして、傾きかけたお墓が二つ三つと並んでいる。墓石には緑色の苔がびっしり生えて、石の表面は少し湿っている。 「ずいぶん古そうだな」呟きながら、彼は墓石の方へ何歩か進んだ。「でも風流だよね、こんなところにお墓をつくるなんて」  突然、胸を締め付けられるような切ない気分になった。この人も、いつか亡くなってお墓に入るのだということが、ごまかしようのない事実として、疾風のようにわたしの胸を吹き抜けていった。穏やかに微笑んでいるこの人が、いつかいなくなってしまう。失われることがわかっていながら、それをわたしたちはどうすることもできない。 「じゃあここで」  古いお墓の上を、春の風が吹き渡っていく。 「ありがとうございました」 「こちらこそ。わざわざ来てもらって」  最後は握手だった。そういうことが自然にできる人だった。やがて彼は自転車で坂道を下っていく。わたしは反対側の坂道を下って家に帰る。カーブを曲がって見えなくなるまで、その人の背中を見送っていた。振り返ると、湾の向こうに太陽が沈んでいくところだった。呼び止めたい。その人を、追いかけていって、連れ戻して、 「ほら、きれいでしょう?」  記憶も届かない彼方で、海が真っ赤に輝いている。わたしはそのときはじめて、自分の生きている世界を美しいと思った。わたしたちは一つの同じ世界にいて、その世界はいつかわたしたちから失われてしまう。切なく、苦しい事実が、美しさの正体だったのだ。彼らは知っていたのだろうか、セザンヌやモネやゴッホは。美は、わたしたちの限られた生のなかにある。あの人に見せてあげたい、あの人と一緒に見たい……そんな想いのなかにある。  人を殺してはいけない、ということは、戦争では人を殺していい、ということと同じだ。いじめを苦にして自殺する子がいる、ということは、ブルセラショップで下着を売って遊んでる子がいる、ということと同じだ。わたしに法外なお金を払う男たちがいる、ということは、わたしにはなんの価値もない、ということと同じだ。わたしに……わたしの身体に払われるお金は、わたしとはなんの関係もない。わたしという人間の価値に、わたし自身はほとんど関与していない。わたしにとって、わたしは他人事だ。わたしの実体は、どこにあるんだろう?  ビルから人が降っている。ぱらぱらと。まるで木の幹についた蟻が振るい落とされるように。必死で窓にしがみついている人たちが、熱さに耐えられなくなったのか、煙で気が遠くなったのか、一人、また一人と落ちていく。無意識に、まだ見ることもなく、でも心の奥で深く確かに知っていたことが、いま現実に起こっている。テレビ画面を通して、それを見ている自分がいる。わたしのなかに長く巣喰っていた不安が、具体的な映像として目の前に立ち現れてくるようだった。そうした不安や危うさを、心の奥深くでずっと感じていたのに、それを意識の外に置きつづけてきた。顧みられなかったものが、不条理な暴力という形で表現を与えられ、いまわたしが生きている、この世界のまんなかから出てきた。  何かが「カチッ」という音をたててはずれた。 「まあ、ゆっくり考えてみてよ」講習が終わってから、その男の人は言った。「慌てなくていいからね。それでもし働く決心がついたら電話して」  外に出ると、一瞬、季節がわからなくなった。夏なのか冬なのかわからないけれど、終わるに終わらない季節がずっとつづいている……そんな感じだった。たいしたことじゃない、たいしたことじゃないと思いながら歩いた。いろんな思いは、講習のあとで浴びたシャワーの水とともに、きれいさっぱり流れてしまった。「たいしたことじゃない」という思いも流れて、わたしの心は磨きたてのステンレスみたいにツルンツルンになった。  店を出るときに渡された封筒のなかには、五千円札が一枚入っていた。今日はこれで美味しいものを食べようと思った。最低保証三万五千円、月二十日働けば七十万円、二ヵ月で借金が返せる上におこづかいが残る。生年月日、本籍地、現住所、学歴、職歴、動機、希望収入、身長、体重、スリーサイズなどを書き込む書類。あとあと面倒くさくなりそうな気がしてためらっていると、「ウエストはマイナス一〇、バストはプラス一〇で書いてていいよ」と言われた。 「これで脅迫したりは絶対しないから。警察に摘発されたときに必要なの」  いくらお金があっても、もう二度とホストクラブヘは行かない。働く決心をしたとき、それは変更不可能な事実として、わたしにははっきりとわかった。どうしてあんなところへ通っていたのだろう。どうして空っぽな男たちにちやほやされることを、心地よいと感じたのだろう。たしかに心地よくはあったのだ。それはわたしにまだ重さがあったから。でもいまはわたし自身が空っぽになって、空気のように軽いので、もう空っぽな男たちにちやほやしてもらう必要はない。  仕事にはオプションとして、「電車の痴漢」という男の妄想を現実化するサービスも入っている。雰囲気を出すために、個室には吊革が一つぶら下がっている。OLとか女子高生とか、リクエストされたコスチュームに身を包んで、吊革につかまって客から胸やお尻を触られるわたしたちは、身をよじりながら「やめてください、いや……人を呼びますよ」などと演技をする。オトコの欲望って謎だ。オンナの欲望は明快。効率。楽をしてたくさん稼げる。ただそれだけ。いいとか悪いとかじゃなくて。コンビニやファミレスのバイトでは、とてもこうはいかない。  お金のためにこんなことまでしなくちゃならないのかしら、と考えるよりも、こんなことでお金をもらえるのか、と考える方が前向き。それがわたしたちの生きる道……なんちゃって。たとえば選挙カーに乗って候補者の名前を連呼しながら、「お願いします、お願いします」と言ってまわる仕事。ああいうのよりはヘルスの方がずっとマシ。まあ、人それぞれだけど。少なくともわたしは誰にも迷惑をかけてないわけだし、自分でつくった借金は、ちゃんと自分で働いて返しているマユちゃんは立派! という意見に一票。  奇妙な世界だ。この世界では、自分のために何かをすればするほど、自分は大切じゃなくなっていく。なんでも好きなものが買える。服でもバッグでも……そうやって自分のためにお金を使いながら、でも自分はちっとも大切じゃない。飛行機でビルに突っ込んだ人たちのことはよくわからないけれど、彼らにとっても、いちばん大切なのはアラーの神とかそういうもので、自分はあまり大切ではなかったのだと思う。  わたしたちはどこへ向かっているのだろう。どこへ行こうとしているのだろう。敵とか味方とか言っているけれど、本当の敵ってなんだろう。誰も自分のことを大切に思わない世界で、人はぱらぱら落ちていくだけの存在だ。何もかも、滑稽で物悲しい。この世界に美しいものなんて、きっともう何もなくなってしまったのだ。  アパートの近くにはカラスが多い。毎朝、カァーカァーという鳴き声で起こされる。いつもバカにされているような気分で目が覚める。それが不思議と心地よくもある。「ああ、またバカにされてる」と思うことで、気が楽になる。一日を乗り切れそうな、ちょっと投げやりな見通しが立ってくる。  風邪をひいて動けない、とハナちゃんから電話がかかってきたので、とりあえずお見舞いに行くことにした。半月ほど前にお店を辞めたハナちゃんは、いまはもっとお金になるソープで働いている。 「本番なんてあっけないものよ」というのがその感想。「最初はもちろん抵抗があったけど、あっという間に慣れちゃう。だいいち楽だもん。上に乗って腰を振って、演技の声を出してればいいんだから」  マユちゃんもおいでよ、と誘われたけれど、やっぱり見知らぬ人とエッチをすることには抵抗がある。身体をいじられるのって好きじゃないから、こっちが主導権をとれるヘルスの方が向いてるかな、などとやんわり断った。ヘルスに向いてるわたし、と自分で言ってるわたしが悲しい。  その人は身体障害者だった。顔が曲がって、口が引きつって、うまく喋れない。言葉がわかりづらいので、ノートに書いて会話を交わした。「今日はどんなふうにしてほしいですか? どんなことをされたら嫌ですか?」口で話すよりも、心が通じたような気がした。ちょっと嬉しかった。本当は喋ることなんて、そんなにないのかもしれない。ハナちゃんはお喋りがウリだと自分で言っていたけれど、わたしは黙々とサービスする方が好き。いかにも仕事をしているって気分になれる。  途中でみかんと梨とリンゴをたくさん買った。重かった。シュークリームにすればよかった。でも、この重さが愛なのよね、と考えることにする。本番の最中、ハナちゃんはオトコの身体の重さに愛を感じることはあるのだろうか。  ピンポーン。  ハナちゃんの部屋には本がいっぱいあって、しかもほとんどがわたしの知らない作者だった。二人で梨を食べながら、ふと目にとまった本のタイトルは『なしくずしの死』……げっ、まるでわたしたちみたい。セリーヌって人が書いている。やだ、この人ったら下着メーカーみたいな名前のくせして、難しそうな本を書くんだ。  溜まっていた洗濯をして、お昼にチキンライスをつくってあげた。具が少なくてケチャップたっぷり。ピリッとコショウが利いている。 「おいしい」とハナちゃんは言った。「マユちゃんのチキンライス、とってもおいしいッスよ」 「よかった」 「お母さんがつくってくれたチキンライスとそっくり」 「そうなんだ」 「サンキューね、マユちゃん」 「ユー・アー・ウェルカムよ、ハナちゃん」  自分のしたことで人が喜んでくれると嬉しい。ハナちゃんが「おいしい」と言ってくれた言葉を、わたしは心で味わって「おいしい」と感じる。 「ハナちゃん、夢ってある」とたずねてみた。 「あるよ」 「どんなの?」 「ステキな彼氏ができて、膝枕で耳かきとかしてあげるの」 「きゃー、ハナちゃんたらロマンチスト」 「マユちゃんの夢は?」 「わたしの夢……」  桜の木の下でキスをしたい。もう一度、高校一年生の自分に戻って、あの人と。 「なんか心がすごく通い合っている人とさ、唇をそっと合わせるだけのキスをしたいよね。そっと触れ合うだけで、何かが二人のあいだを流れて、ああ、この人と生きているんだと実感できるようなキス」 「うん、うん。それで?」  こっちへ来る前に、桜の植わった峠に行ってみた。ちょうど三年前の、あの季節、同じ時刻に。でも、わたしたちがキスをした場所の桜の木はほとんど切られ、かわりにアスファルトで固められた公園になっていた。峠を通る人たちが、車をとめて湾の景色を眺められるように。そんな景色を背中で拒絶して、路面だけを見て自転車を走らせた。誰かがわたしの心をアスファルトで塗り固めてしまった。草も木も、もう生えない。ただ記憶だけが残っている。あの人と一緒に見た桜、二人で見つけた宵の明星、交わした言葉、唇のやわらかさ……。記憶とともに、あのときのあの場所に、わたしの心もとどまりつづける。 「マユちゃん、キスして」とハナちゃんが言った。 「えっ?」 「唇をそっと合わせるだけのキス」 「やだよ。風邪うつっちゃうもん」 「お願い……」  ハナちゃんの唇は熱っぽかった。やわらかくて、赤ちゃんの唇みたいだった。わたしの唇もきっとそんなふうだ、と思うことにする。何も損なわれていない。桜の木の下でキスをしたときのまま。 「放課後、教室でキスするのってスリルがあったよね」ハナちゃんが言った。「どんなキスよりも甘くてさ。もう一生あんなキスをすることってないんだろうな」 「そんなことないよ」 「ううん、そんなことある。わかるの」  静かに雨が落ちてくるようにして、ハナちゃんは泣きはじめた。長いあいだ泣きつづけた。言葉はかけなかった。わたしはただ添い寝して、髪を撫でてあげた。今日はどんなふうにしてほしいですか? どんなことをされたら嫌ですか? 「泣くのって気持ちいいね」とハナちゃんは言った。「ずっと泣いたことがなかったから。泣き方なんてすっかり忘れたと思っていたのに……マユちゃんも泣いてみたら?」 「そんな急には泣けないよ」  かわりに照れ笑いをしているわたし。最後に泣いたのはいつだろう。忘れた。もう思い出せないくらい昔のこと。 「一緒に死のうか」ハナちゃんは妙にすっきりした声で言った。  そういえば本棚に、『今日は死ぬのにもってこいの日』という本があった。どんなことが書いてあるのだろう。死ぬ前にちょっと読んでみたい。でも面倒くさい気もする。どうせ死ぬんだし……でも本当に死ぬのかしら。生きているという実感がないから、死ぬっていう実感もない。だから死んでも、死んだという実感はないかもしれない。どっちでも同じこと。生きているのも死んでいるのも。だったら面倒くさくない方がいい。 「いいよ」 「ほんと?」 「全然。オーケーだよ」 「うれしいな。それじゃあ美味しいものいっぱい食べよう」  どうしてそうなるの? 「最後の晩餐《ばんさん》ってことで」  とにかく買いまくった。死ぬと決めたら、ハナちゃんは急に元気になった。わたしたちは現金とカードを総動員して、思いつくかぎりのものを買った。お祝いだからやっぱりシャンパンよね、ということでドンペリを買った。世界の三大珍味を賞味するのだと言って、キャビアとフォアグラを買った。トリュフは見つからなかったのであきらめた。かわりにセブンイレブンでプッチンプリンとダイジェスティブ・クッキーとあんドーナッツとおにぎりを買った。 「おえ〜」フォアグラを一口食べたハナちゃんが言った。「男の恥垢《ちこう》の味がする。吐きそうだ。マユちゃんにあげる」 「ノー・サンキュー」  モノの価値ってなんだろう。高級食材も、わたしたちには「恥垢の味」でしかない。ドンペリはポカリのサイダー割りみたいだ。 「やっぱりあんドーナッツだよね」とハナちゃん。 「うん、おにぎりはツナ・マヨネーズだよね」  お酒が入ると品が悪くなるというのは、新鮮な驚きだった。酔っぱらうにつれて、わたしたちは二人とも乙女版オヤジという感じになっていった。 「くわえるとどこへ行っちゃうかわからないような代物でも、彼らは大胆にもそれをペニスと呼びたがるわけで。まったく笑っちゃうよね」 「くわえたまま笑うと窒息しちゃうよ」 「で、そういう男にかぎって、どうだ、おいしいか、とかぬかしおる。喰いちぎったろか!」 「しゃぶってもらわないと、男であることを実感できないくせにねえ」 「あわれよね、男って」  キャビアの缶詰にはへんてこなアルファベットが印刷してある。それはロシア語だよ、とハナちゃんが教えてくれた。 「ハナちゃんたら、博識」 「うちのお父さん船員なの、外国航路の」 「お母さんはひょっとしてマダム・バタフライ?」  ある晴れた日に……。 「あたし子どものころ、お母さんに虐待されてたんだよ」とハナちゃんは言った。「死のうとしたのも、そのせい。生きていくのがいやで、手首を剃刀で何回も傷つけた。でも痛くて深く傷つけることができなくて、声を殺して泣いてた。誰にも言えなくて、話せなくて、ただ泣くことしかできなかったんだ」  幸福ってなんだろう。  わたしたちはみんな幸福になりたいと思っている。でも「幸福ってなんだろう」という問いにたどり着く前に、幸福になりたいと思っている「わたし」が、本当はよくわからない。「わたし」とは、この肉体をもって生きているわたしのことなのだろうか。とりあえずそう考えることにして、美味しいものを食べたり、ステキな服を着たり、高い香水をつけたりしているわけだけれど……。  お店の控室には、「本番を強要したら百万円」という貼り紙がしてある。子どもを虐待する母親には、どういう貼り紙が必要だろう、とわたしは思った。 「船がドックに着くと、家族でお父さんに会いに行くのね」ハナちゃんはつづけた。「横浜とか神戸とか新潟とか……それで船に乗せてもらって、つぎの港まで連れていってもらうの。その数日間はすごく幸せだった。お父さんの前ではお母さんもやさしかったし。トカイっていうワイン、知ってる? ハンガリーかルーマニアか、どこかそこらへんのワイン。甘くてとろっとして美味しいのよね。お父さんはそのワインが好きで、家ではいつも飲んでた。あたしは幼少のころからイケる口だったので、ちょっと飲ませてもらったりしてたのね。子どもながらに美味しいと思ったわけよ」  お酒が入ると、いつにも増して饒舌になるハナちゃん。その喋り声が遠くなっていく。  幸福ってなんだろう。  どうしてみんな幸福にならなければならないと思い込んでいるのだろう。幸福でなければ、どこか何か不都合なのだろうか。そもそも幸福であるって、どういうことなのだろう。モノみたいに所有できるのだろうか。幸福って誰かの所有物? もう何ヵ月も絵筆に触ってない。いつのまにか絵を描く気がしなくなっていた。以前は時間さえあれば、描きたくて仕方なかったのに。こんなふうにして、わたしたちは幸福から遠ざかっていくのかもしれない。 「おまえはおれの子じゃないって言われたことがあるんだ」遠い目をして、ハナちゃんはぽつりと言った。「小学校五年生のとき。お父さんはかなり酔っぱらってて、それまで上機嫌だったのに急に怖い表情になって、あたしの顔を睨《にら》むようにじっと見てたのね。怖くて怖くて、そんな顔で見ないでって心のなかで叫んでいるのに、言葉が出ない。するとお父さんは、あたしの顔を見たまま言ったわけ。おまえはおれの子じゃないって……はっきりそう言ったんだよ。どうしてそんなこと言うのって思うじゃない? ずっとそのことばかり考えて、お父さんの言葉が頭から離れなくなった」 「ちょっとからかってみたんじゃないの」 「トカイワインのせいで?」 「わたしも言われたことあるもん。橋の下に捨てられて泣いてたから拾ってきたみたいなこと。かぐや姫願望みたいなのがあるんじゃないかな。父親ってみんなバカだからさ。竹取の翁《おきな》になりたいんだと思うよ」 「小さいころから不思議に思ってたことがあるんだ」ハナちゃんはわたしの気休めを聞き流して言った。「お兄ちゃんとお姉ちゃんは二人とも六月生れなのに、どうしてあたしだけ十二月なんだろうって……そのこと自体はどこもおかしくないんだけど、父親にヘンな告白をされると、これが深い意味をもってくるのよね。だってお父さんは航海に出ていて、年に一回しか帰ってこなかったから。父の従兄弟《いとこ》にあたる人が家によく来てたのね。あたしたちはおじさんと呼んでいたけれど。お父さんはその人と母のことを疑ってたみたい。お母さんがあたしを虐待したのも、それと関係あるんじゃないかな」  生きていたって、いいことなんて何もないよね、ハナちゃん。わたしは胸のなかで語りかけてみる。桜の木は切られてしまったし……。 「ずっとわからないの」ハナちゃんは言った。「自分が誰なのか。五年生のときからずっと……あたしは誰の子なのか。顔だって、お兄ちゃんやお姉ちゃんとは似てない。ずっとわからなくて、いまでもわからない」  わたしが住んでいるアパートは安普請なので、上の階の音がよく響く。人の歩きまわる音や、台所の椅子を動かす音。時間帯によっては、水道の蛇口をひねる音も。いちばんクリアに聞こえるのは「ピンポーン」というドアフォンの音で、通路に面したお風呂に入っているときなど、自分のところと錯覚してしまいそうになる。右隣の部屋には二十代のOLが住んでいて、ときどき男の人が泊まりにきている。靴音をすっかり覚えてしまい、階段を上がってくる時点で、「またあの人だ」とわかるようになった。他人のことには詳しいくせに、自分のことはよくわからない。不思議な存在でもある、わたしたち。  同情ではなかった。たんに面倒くさかっただけ。 「一緒に死んであげるからさ」  世界でいちばん簡単なことみたいに言ってみる。どうせ何十億年後かに地球は消滅するんだし、それまでには人類も滅亡しているはず。十九で死ぬのも、九十九で死ぬのも、たいして変わりはない。ちょっと遅いか早いかの違い。 「ありがとう、マユちゃん」と泣き笑うようなハナちゃんの顔。 「いいってことよ。それよりお酒、飲もう」 「飲もう、飲もう。お酒でも飲まないと、やってらんないもんね」  などと言いながら、わたしたちは着々と「今日は死ぬのにもってこいの日」という気分になっていった。  たぶん「幸福」という観念を所有しようとした瞬間、不幸も一緒に所有してしまうのだろう。それが「幸福」の正体。いまごろわかっても遅いけど。とにかく何もかもが面倒くさい。生きること。悩むこと。考えること。喜怒哀楽の感情やなんかも。みんな面倒くさいからお酒を飲んで、ついでに薬も飲んじゃおう。  眠るように楽に死ねるっていうクスリ、本当かな? 飲んでからじゃあ遅いんだからね。でも、死んでしまえば同じこと。まあいいか。苦しいのは一時《いつとき》で、それを過ぎれば何も感じなくなる。何も感じず、何も思い煩《わずら》わず、すべては完全な無。いまだって似たようなものだけれど。それならわざわざ死ぬ必要もないんじゃないか、とか考えるのも面倒くさい。死んじゃおう。見る前に死ね……違った?  雨が降っていた、頭が割れるように痛い。この痛みは生きてる証拠。寝返りを打っただけで吐きそうになる。この吐き気も生きてる証拠。クスリは飲んだんだっけ? それすら覚えていない。吐き気をこらえて身体を起こすと、部屋の隅で毛布にくるまって寝ているハナちゃんを発見。這《は》っていって、生死を確認する。とりあえず生きていた。前後不覚に眠っている。クスリを飲んだのだろうか。 「ハナちゃん、大丈夫?」 「苦しいよォ」 「クスリは?」 「バファリンなら洗面所」  救急車を呼ぶ必要はないみたい。再び横になって、雨の音に耳を澄ました.目を閉じて聞いていると、自分が雨のなかに立っているような気がする。このところ日照りつづきだったから、街路樹はきっと喜んでいるだろう。わたしは束《つか》の間、幸福な気分になる。土に雨が染み込んでいく匂いが好きだ。雨を含んだ樹皮の感じも好きだ。たっぷり葉をつけた木の下が、そこだけ乾いているのも好きだ。なんだ、こんなところにあったのか……幸福。  それからふと、昔家にあったミシンのことを思い出した。亡くなったおばあちゃんの嫁入り道具だったという、古いシンガーの足踏みミシン。どこへ行っちゃったのだろう。いつのまにかなくなっていた。小学校のときに、そのミシンではじめてエプロンを縫った。慣れないうちは前に進んだり、後ろに戻ったり。針を何本も折りながら……。 「いけない」 「どこへ行くの」ハナちゃんが毛布の下から顔を出してたずねた。 「ちょっとアパートに帰ってくる」 「雨が降ってるよ」 「傘、貸してね」  台所で水をコップに二杯飲んで、吐き気を抑え込んだ。 「お昼には戻るから、それまでおとなしく寝てるんだよ」 「早く帰ってきてね」  心細そうなハナちゃんの声を背中に受けて、わたしは部屋を出た。すっかり忘れていた。アジアンタム。ちょっと水を絶やすと、すぐにしなびてしまう。せっかく出た新しい葉っぱが茶色くなってしまう。枯れてたらどうしよう。バスに乗ると吐きそうなので、傘をさしてずんずん歩いた。トレーナーの下が汗ばんでくる。こんなに遠かったんだ。一時間近くかかった。鍵をあけて部屋に入る。一日留守にしただけなのに、部屋の空気が黴《かび》臭くなっている。 「ただいま……」  窓際のアジアンタムに直行する。 「よかった」思ったよりも元気そうだ。「ごめんね」  いつものようにペットボトルで水をやった。水をやりながら、イルカたちのことを考えた。捕獲されたというニュースは耳にしない。いまごろは仲間と一緒に東シナ海を悠々と泳いでいるだろうか。  自分は自分だと思い込むことによって、わたしたちは幸福をすごく窮屈な場所に閉じ込めているのかもしれない。わたしがわたしでいられるのは、わたし以外のささやかなものたちのおかげ。イルカやアジアンタムや今日の雨や。  明日も忘れずにペットボトルで水をやろう。 「約束するよ」指切りはできないけれど。  そして今日は……イルカを探しに行ってみよう。  雨の公園を、傘をさして歩いた。さすがに誰もいなかった。空には灰色の雲が低く垂れ込めている。雨は強くならないかわりに、小止みなく降りつづいている。石畳の舗道が雨に濡れて鈍く光っている。とりあえず橋のところまで行ってみることにした。歩きながら、ときどき灰色の水面に目を凝らす。河口近くに何隻もの浚渫《しゆんせつ》船が停泊している。もちろんイルカは見えない。もう、この海にはいないのかもしれない。  橋の下には先客がいた。大柄な若い男だった。プロレスラーかしら……まさかね。ぼんやり海を眺めながら煙草を吸っている。あまり近づかないことにしよう。静かに後ろを通り過ぎて、雨の降りかかる境目まで進んだ。道路工事用の機材が置きっぱなしにされた空き地の向こうは、金網のフェンスを隔てて車の積出港になっている。  岸壁と橋桁《はしげた》に打ちつける波の音で、橋の下はけっこううるさかった。海はそれほど荒れているわけでもないのに、何かが破裂するような乾いた音が途切れることはない。コンクリートに反響して、余計に大きく聞こえるのかもしれない。遠くのドームとタワーが、雨を透かして浮かび上がって見える。イルカたちの逃げた水族館の建物も、海の向こうに小さく煙っている。わたしは海面すれすれに泳ぎつづけるイルカたちの姿を思い浮かべてみる。流線形の灰色の身体を雨に打たれながら、滑るように水を切って進むイルカたち。  物音に振り返ると、男がこっちに近づいてくるところだった。一瞬、身の危険を感じた。 「コーヒー飲まない?」  思ったよりも甲高い声だ。 「どうも」  いつのまに買ってきたのかしら。近くに自販機なんてないのに。男は美味しそうに缶コーヒーを飲んでいる。わたしも爪を傷つけないよう、硬いプルリングを起こした。 「学生さん?」  この質問、嫌いだ。ヘルスにやって来るオヤジを思い出す。 「ええ、まあ」  あらぬ方へ目をやる。雨のなかで、車の積み込み作業がつづいていた。専用の運搬船が岸壁に横付けされ、どこかへ運ばれる車がスロープをつぎつぎに登っていく。青い作業服を着たドライバーたちは、車を運転して船に積み込むと、今度は小型のワゴンに乗って船から出てくる。そして駐車場に停めてある車に乗り込み、再び車を運転して船のなかへ消えていく。しばらく彼らの作業を眺めていた。 「さっき舗道をこっちへ歩いてきただろう」コーヒーを飲み終えた男は言った。「ここで見てたんだけど、全然顔を上げないのな。ずっと下を向いたまま」 「そうですか」 「自分じゃ気づいてないんだ」 「普通に歩いてきたつもりだけど」 「おれを見たときびっくりしただろう」  あんたの図体がデカいからよ、と言いたかったけれど黙っていた。怒らせると怖そうだし。 「ああいう歩き方ってよくないと思うな。だいいち危ないぜ。もしおれがヘンな男だったらどうするんだ」 「ヘンな男なんですか」 「じゃないって話だろう?」  甘ったるい缶コーヒーが、いまは美味しい。お酒を飲み過ぎたせいかしら。 「あっ」 「どうした」 「イルカがはねた」 「どこ……」 「ウソだよ〜ん」 「おまえなあ」  そのウソを、わたしは信じてみたくなった。ずっと信じつづけていれば、いつか本当になるかもしれない。 「アジアンタムって、水やんないとすぐに枯れちゃうのよね」 「なんの話だよ」 「知らない? 観葉植物」 「アジアンタムがどんなものかぐらい知ってるよ」 「食べられないよ」 「わかってるって。おれを誰だと思ってるんだ」 「誰なの」 「こう見えてもスーパーの副店長で、生花コーナーではアジアンタムやなんかも売ってるんだぜ」 「今日はお店、休み?」 「店は開いてるけど、おれは休みなんだよ……さっきからおまえの質問、なんかちょっとヘンじゃない?」  太古の昔から、質問てヘンなものじゃないかしら。どうしてわたしはここにいるのか。なぜAはAであってBでないのか。質問は人間の専売特許。イルカたちが「なんのために生きるのか」とかいう質問を発するとは考えにくい。すると人間はヘンな生き物ってことになるんだろうな、やっぱり。 「あの島は?」  また質問だ。 「能古島《のこのしま》だけど」 「あれが能古島か」 「おまえどこから来たの」 「あっち」  質問が答えを呼び起こし、その答えがまた別の質問を呼び起こし、そうやってわたしたちは少しずつ相手に触れようとする。人間はヘンだけれどデリケートな生き物だから、いきなり相手の顔を舐めたりはできないのだ。 「島の外れに、すっげえきれいな桜があるんだ」と彼は言った。「ほとんど人の来ないところ。足元には菜の花とかも咲いてるんだぜ」 「まさにレイプにはもってこいの場所だね」 「なに考えてんだよ」  わたしは目を閉じて、島の果てに咲く桜と菜の花を思い描いてみた。明日のことはまともに考えられないくせに、来年の春のことなら考えられる、この不思議。わたしたちは基本的にモラトリアムのなかで生きている。 「行ってみたいな」 「連れてってやろうか」 「ほんと?」 「桜の開花宣言が出るころ、店にたずねて来いよ」  男は店の名前を教えてくれた。わたしがアジアンタムを買ったスーパーではなかったけれど、なんとなく親近感が湧いた。 「指切りしよう」 「なんだよ、急に」 「だって約束でしょう」  指切りげんまん、ウソついたら針千本飲ます。雨はあいかわらず降りつづいている。トレーナーもジーンズも湿っぽい。イルカは見えない。でも、この海のどこかに彼らはいる。いまはそう思える。  桜の花が咲くころ、わたしはどこにいるんだろうと思った。 [#改ページ]    彼らは生き、    われわれは死んでいる  ジャスコと呼んでくれ。友だちはみんなそう呼ぶ。「よおジャスコ、元気か? 今度の試合、メンバーが足りないんだけど、出てくれるだろう」  なぜおれがジャスコと呼ばれるようになったかというと、そういう名前のスーパーで長く店員をしていたからで、これが「ナフコ」とか「タバスコ」とかだったら、さすがに抵抗したと思うのだが、もともと性格が温厚なおれは、いまのところジャスコと呼ばれるままになっている。  中学から大学の途中まで、おれはずっとラグビーをやっていた。ポジションはプロップ……といってもラグビーに興味のないやつには、珍しい鳥の名前くらいにしか聞こえないだろうな。だいたいあんたら、ラグビーは一チーム十五人で戦うってこと、知ってます? まあいいけど。そういうあなたでも、スクラムぐらいはご存知のことと思う。あのとき最前列で、直接相手と組み合っているのがプロップだ。ラグビーでは一つのゲームで、何十回もスクラムが組まれる。押されると、バックスにいいボールは出せない。だから絶対に下がってはならない。一センチでもいいから前進しなくてはならない。辛く厳しい商売と言っていいだろう。おれは中学のときからずっとこのポジションだった。身体が大きかったのがいちばんの理由だ。クラブチームに登録しているデータでは、現在は身長が一七八センチで体重が九九キロ。細かい数字にこだわるようだが、一〇〇キロは切っている。  ラグビーをはじめたのは父親の影響だ。おやじはいわゆるラグビー・エリートってやつで、高校から大学、社会人と、ずっとチームのキャプテンを務めていた。ジャパンにも何度か選ばれている。会社に入ってからも順調にキャリアを重ね、いまは地元の電力会社で専務かなんかだ。現役時代のポジションはスタンドオフ。ラグビーセンスが光る花形ポジションと言っていいだろう。フォワードが身体を張って奪ったボールを生かすも殺すも、スタンドオフの判断にかかっている。センターへパスをするのか、キックをするのか、自らライン突破を試みるのか……。身体はそれほど大きくない。ラグビー選手としては小柄な方だと思う。おふくろも妹もサイズは普通だ。おれだけがなぜかデカい。本当におやじの子なんだろうか。おふくろが元気なうちに、一度聞いてみなくちゃな。  そもそもおやじは、おれがプロップをやっていることからして気に入らなかったのかもしれない。きっと上杉家の人間としてふさわしくないと思ったのだろう。というのは、おれのじいさんもラグビーをやっていて、ポジションはスクラムハーフ。俊敏な動きと芸術的なひらめきでバックスにボールを供給する、パスの専門家だ。現役時代のじいさんのパスは、タイミング、正確さ、種類の多彩さなど、すべての点において名人級だったらしい。おまけに上杉家のハーフバックは、出身大学が慶応や早稲田だったりするわけだ。一方、プロップのおれは慶応でも早稲田でも明治でもない。関東の後発私学とだけ言っておこう。  後発ではあるが、そこそこに強豪大学ではあった。練習試合で北島監督の率いる明治に勝ったこともある。高校時代は九州の強豪高のレギュラーで花園にも行った。あえて名前は言わないが、久我山、伏見工……とあげていけば、五つ目くらいには名前が出るはずだ。プロップではあったが、おれ自身もそこそこにラグビー・エリートの道は歩んでいたわけだ。ところが、大学に入ってまもなく傷めた腰が完治しないまま、試合に出たり出なかったりがつづいた。やがて後輩にいい選手が入ってきたこともあり、すっかりリザーブ要員になってしまった。スクラムのとき最前線で相手とぶつかり合うプロップは、自分のなかに燃えるような闘志がなければ務まるポジションではない。その闘志が、いつのまにかなくなっていた。おれは退部届を出して、結局は大学も中退してしまった。  市営住宅の入口で待っていると、橋本さんを乗せた送迎バスが時間通りにやって来た。後部からリフトによって降ろされる車椅子を受け取り、団地のなかへ押していく。奥さんは荷物を持っておれの横を歩いている。橋本さんは八十二歳、数年前に脳梗塞で倒れて寝たきりになった。こうして二週間に一度、検診のために病院へ行く以外は、ほとんどベッドと車椅子での生活だ。バリアフリーなどという言葉もなかったころに建てられた市営住宅には、エレベーターはおろか車椅子を入れるためのスロープさえなく、橋本さんが車椅子での生活を余儀なくされてから、市の計らいで住まいを一階に移してはもらったものの、玄関先のたった五つの階段を、七十七歳の奥さんではどうすることもできない。そこでおれたちヘルパーの出番となる。  おれは郵便受けの横で車椅子を止め、ロックしてから正面にまわる。そして椅子の前で片膝をついて構える。足の萎《な》えた橋本さんが、奥さんの手を借りながら、そろりそろりと背中に移ってくる。夢も希望もないような重量感だ。 「ラグビーをしていたんですって?」ドアの鍵をあけながら奥さんが言った。 「ええ、大学の途中までですけど」 「ケアマネージャーの佐々木さんから聞いたの」 「どうりで体格がいいわけだ」背中の橋本さんがうれしそうに引き取った。 「それだけが取り柄ですから」 「筋肉が盛り上がって瘤《こぶ》みたいになっている」そう言って、おれの肩のあたりを揉み揉みしている。 「どれどれ」奥さんがいきなり首の後ろをつかんだ。ひえっ、くすぐったい。「あら、ほんとだ」  ちょっと、ご主人を落っことすとこでしたよ。その橋本さんは、 「うらやましいねえ」としみじみ呟いた。  ベッドの上に慎重に橋本さんをおろした。年寄りの骨はもろく折れやすくなっている。咳をしただけで肋骨が折れたという話を、養成講座で聞いたことがある。おまけにおれは腰に爆弾を抱えているから、こういう体勢で作業をするときはとくに注意しなくてはならない。 「お茶でも飲んでいってよ」奥さんが気さくに声をかけてくる。「それともコーヒーがいい?」  おれは橋本さん夫婦が好きだし、彼らと話をするのは苦痛でもなんでもない。むしろ心が和むくらいなのだが、そういうことはしてはいけないことになっている。 「ありがとうございます。でもつぎに行かなくちゃならないんで」心遣いを断ったことで、おれは饒舌になっている。「このあと入浴介助をすることになってるんですよ。もう一人、ヘルパーが先に行って待ってるはずなんで。おれが行かないと風呂に入れられないんです」 「そうね。お風呂に入れるのは一人じゃ無理ね」 「ええ、滑りやすいし、髪を洗うんでも、一人が身体を支えててもう一人が洗うようにしないと……」  本当は、もう少しここにいても大丈夫だ。自転車を飛ばしていけば、コーヒーを飲む時間くらいはある。そのときのおれは、橋本さん夫婦とコーヒーでも飲みながらしばらく四方山《よもやま》話をしたい気分だった。たとえ出されるのがネスカフェとわかっていても、そうしたい気分だった。 「じゃあそろそろ」わざとらしく腕時計に目をやって言った。  奥さんが玄関まで見送ってくれる。 「バイク?」 「チャリンコですよ」  彼女は束の間ぼんやりして、「ああ、自転車ね」と得心がいったように頷いた。「そうだったわね、佐藤くんはいつも自転車よね」  名前が間違っていることは訂正しなかった。 「それじゃあ失礼します」 「どうもご苦労様」  百キロのウェイトをかけたベンチプレスを十本上げると、脳の血管が切れそうになる。実際に何本か切れているのかもしれないな。プチッ、プチッ……。しかしおれみたいに体重が百キロ近くもある人間が寝たきりになったら、介護する人たちはさぞかし大変だろう。五十キロに満たない橋本さんでも、世話をする方はけっこう骨が折れる。ステーションは早急にボブ・サップみたいなやつを雇う必要があると思う。引退したK1の選手やプロレスラーを、優先的にヘルパーにするような仕組みをつくればいいのにな。  ベンチプレスのあとはスクワットを十本ずつ五回に分けて行い、十キロのダンベルを使ったカールとつづく。そのダンベルをヘッドギアにぶら下げて首で持ち上げる。こうしたトレーニングを長年つづけているせいで、おれの肩や首の筋肉は、橋本さん夫妻も感心するほど瘤状に盛り上がっている。学生のころから、一人で黙々と筋トレをするのが好きだった。なんとなく自分の性に合っている。だからプロップというポジションも、おれには向いていたのかもしれない。  社会人のクラブチームは、メンバーから集める会費だけで運営されており、とにかく金がない。また数人の学生メンバー以外はみんな仕事をもっているので、練習をする時間も充分に取れない。だから週に三回のグラウンド練習は、もっぱらパスまわしやコンビネーションにあて、一人でできるウェイトトレーニングや走り込みは、各自が時間を見つけてやっておくことになっている。チームが所属する県のクラブリーグは、AからEまで五つのグループに分かれている。各グループは八チームからなっており、九月から十一月にかけてリーグ戦が行われる。その結果で、各クラスの上位二チームと、下位二チームによる入れ替え戦が行われる。うちのチームはDグループで、目下一勝四敗、残り二試合のどちらかに勝たないと下位二チームに入ってしまう公算が高い。入れ替え戦はまっぴらだ。負けるとEグループに落ちる。  スーパーの店員から老人介護のヘルパーに、華麗とは言い難い転身を遂げたおれだが、その理由は何かとたずねられれば、じつは自分でもよくわからない。そいつを突き止めるために、ヘルパーの仕事をしているような気もする。でも、やっぱりアレかなあ……うん、きっとアレだろう。というのは、ちょうど一年ほど前、アラブのテロリストたちが飛行機をハイジャックしてビルに突っ込む映像をテレビで見ながら、おれは強烈なタックルを食らったような衝撃を受けた。混乱し、動揺し、何がなんだかわからないまま、自分がいまこの「自分」であることにたいする焦燥感にかられ、スーパーで呑気にアジアンタムなど売っている場合ではないと思ったのだ。  そのあとの展開は早かった。天才的なスタンドオフのように、おれはスクラムブレークからのサイド攻撃を瞬時に判断し、決断し、実行していた。介護のなんたるかも知らないまま、過剰に分泌されるアドレナリンに操られ、ボールを抱えて闇雲にゲインライン突破を試みていた。そうやってこの世界に飛び込んでみると、しかし売っているものが変わっただけで、やっていることはスーパーの店員時代と基本的に同じである、というクールな見方も芽生える今日このごろであるわけで、しかもおれたちが売っている「介護」という商品、スーパーで売られている品物とくらべて、けっこう粗悪であったりもするのだ。サービスの提供者によるばらつきも大きい。さらに値段の付け方もよくわからない。訪問介護を例にとると、三十分未満の身体介護を受けた場合、サービス価は二一〇単位で、このうち九割が保険給付でまかなわれる。利用者の自己負担分は、残り一割の二一単位、現金に換算すると二百十円ということになる……といったことが、どうもうまく実感できない。介護サービスには、アジアンタムの一鉢八百円というようなリアリティがない。  おれがいまいちばん頭を悩ませているのは、自分の介護労働をチーズのように切り売りすることは可能か……という問題だ。マニュアルによれば、利用者に薬を飲ませることは禁止されている。しかし消費期限の切れかかった人間からどうしてもと請われれば、人道的見地からいやとは言えない。まあ、それはいいとして、その利用者を別のヘルパーが引き継ぎ、そいつが融通のきかない唐変木だったりすると、おれは困った立場に追い込まれることになる。実際、こんなことがあった。おれはいつも訪問する婆さんに、ちょっとした好意からお茶を淹《い》れてやっていた。すると同僚から、自分たちの仕事を増やさないでくれと言われた。つまり誰かが好意ではじめたことを慣行化させると、労働強化につながるというわけだ。かといってマニュアルどおりにやろうとすると、サービスの出し惜しみと解釈されることがある。どうしろって言うんだ。  六十八歳の中原さんは、いわゆる独居老人というやつで、気難しい。十年ほど前に連れ合いを亡くし、いまは一人で暮らしている。会社の役員をしていたので、この持ち家も含めて、生活に困らないだけの蓄えはある。年金もかなりもらっているはずだ。そんなわけで食事の世話や家の掃除などは、通いの家政婦さんがやっている。買い物も彼女がほとんど済ませてくれているので、本来ならおれの出番はないはずなのだが、特定のものにかぎってお鉢がまわってくる。  いつものように中原さんは、ボルドーの赤をグラスになみなみと注いで差し出した。おれは「どうも」と短く礼を言って、たのまれていた品物をスーパーの袋から取り出しテーブルの上に並べていく。金額と商品をレシートで照合して了解を得るのだが、ほとんど身を入れて聞いてない。「間違いないですね」と念を押すと、「いいよ」といかにも投げやりな返事をして、あいかわらずテレビを眺めながら、グラスのワインを舐《な》めるように飲んでいる。 「昼飯は喰ったんですか」おれは買ってきたものを適当な場所へしまいながらたずねた。 「喰った」中原さんはぶっきらぼうに答える。 「何を?」 「チーズ」  テーブルの上には、薬の山に隠れるようにして、このあいだおれが買ってきた雪印6Pチーズが載っている。 「ワインのつまみじゃないですか」テーブルの上のゴミを片づけながら、「薬を飲んでるときはお酒を控えなきゃ、効き目が落ちるんですよ」  しかしまあ、この薬の量は半端じゃない。以前から服用している高血圧と喘息《ぜんそく》の薬の他に、血栓溶解剤というのを飲んでおり、その副作用を抑える薬や胃薬など、ざっと見ただけでも五、六種類はある。下手をすると、飯の量より薬の量の方が多いくらいだ。これだけの薬を一度に飲んだら、おれなんかその場でトリップしてしまいそうだ。こんな人生は間違っていると思うが、たとえ間違っていても、それはおれの人生ではなくて中原さんの人生なのだから、とやかく言う筋合いはない。  三ヵ月ほど前、中原さんの右足のふくらはぎが急に腫《は》れだした。ばい菌でも入ったのだろうということで、近所の医者に処方してもらった抗生物質をしばらく飲んでいたが、快方に向かうどころか症状は悪化する一方で、そのうち痛くて歩けなくなった。入院して調べてみると、脚の静脈に血栓ができていることがわかった。脳にも、幾つか小さな血栓があるらしい。いずれも手術するほどではないので、服薬によって経過を見るということで退院し、週に一度の通院や入浴介助のためにおれたちが出向くことになった。  訪問介護では、トイレや入浴など、かなり濃密な身体接触を伴うことが多い。それにたいする拒否反応の強い人と弱い人がいるような気がする。思うに、対人関係においては、各自が異なる免疫システムをもっているのではないだろうか。きっと性格とかプライドとか、いろいろな要因があるのだろう。臓器移植の場合だと、免疫抑制剤などを使って、いわば暴力的に身体の境界を取っ払ってしまうわけだけれど、介護の現場では、それがなかなかデリケートな問題であったりする。中原さんのように、他人からの働きかけを素直に受け入れられない人は、偏屈な気難しがり屋としてヘルパーたちからも敬遠される。現にステーションから派遣されたヘルパーは、経験や性別に関係なくみんな拒絶されてしまい、新米のおれだけがなぜかすんなり免疫システムを通過してしまった結果、先輩から「上杉くんてエイズウィルスみたいな人だね」という妙な賞賛を受けることになり、いつのまにか対中原スペシャリストとしてステーションのなかで認知されてしまった。 「ワイン、飲んだら」中原さんは横柄にも聞こえる口調で言った。 「いただきます」  おれはグラスのワインを一息に飲み干してしまう。もともとイケる口なので、酒の付き合いは苦痛でもなんでもないのだが、そういう問題ではないのだろう。 「もう一杯どうかね」 「つぎ行かなきゃいけないんで」  こうしたやり取りも、中原さんとのあいだでは慣行化している。 「今度来るときはお風呂に入れてあげますからね」  中原さんは露骨にいやな顔をした。おれは彼のこの顔が好きだ。他人にたいする拒絶とともに、自分自身との折り合いのつかなさをあらわにしてしまったような顔。  以前働いていたスーパーには、細かい接客マニュアルみたいなものがあり、それこそ挨拶の仕方から笑顔のつくり方から注文の受け方から、ありとあらゆることが書いてあった。同様に利用者を介護するためのマニュアルにも、細かな規定がある。しかし人に微笑みかけたり、ウンチの世話をしたりすることまでマニュアルに則って行うというのも、考えてみればヘンな話だ。 「買い物のリスト、もらっていきましょうか」  中原さんは無言でメモ用紙を差し出す。 「ワインはいつものやつですね」 「ああ」  こうしてあらゆる場面で、世界のマクドナルド化は進行していく。思うに、中原さんの偏屈さと不愛想さは、自分の身体がマクドナルド化されていくことにたいする、ささやかな抵抗なのではあるまいか。そうやって彼は、自分を守ろうとしているのだ、きっと。  その日、橋本さんを背負って玄関を入ったおれは、珍しく家のなかが汚れているなと思った。橋本さんの奥さんはとても几帳面な人で、いつもなら玄関から居間まで塵一つ落ちてないほどきれいに磨き上げている。ところが今日は、下駄箱の上にうっすらと埃《ほこり》が溜まっているし、居間のカーペットには糸屑や綿埃のようなものが落ちている。二週間前もこうだったっけ? いつもの気まぐれから、よし掃除機をかけてやろう、と思い立った。コードやらホースやらを持て余しながら狭い部屋に掃除機をかけるのは、元気な者でも面倒だ。まして八十近い年寄りには重労働だろう。ステーションの先輩たちからは、労働強化につながるサービスの提供は慎むようにと釘を刺されているが、なにかまうものか。義を見てせざるは勇なきなり。そろそろ橋本さんのところのケアプランに、家事援助も加える必要があるのではないだろうか。 「ちょっと掃除機を貸してもらえますか」  奥さんはしばらく濁ったような目をしてぼんやりしている。やがて接触の悪い回路が繋ったみたいに顔に表情が戻ってきて、 「掃除機は冷蔵庫のなかよ」と言った。  一瞬、こちらが聞き間違えたのではないかと思うほど、平然とした口ぶりだった。おれは咄嗟《とつさ》に、つぎにとるべき行動を考えた。マニュアルにはこういう場合のことは書いてない。そもそもマニュアルには肝心なことは何も書いてない。ベッドの上でテレビを観ている橋本さんと目が合った。憮然とした目だった。そこに表れた感情を読み取ろうとしたとき、彼はすっと目を逸らし、リモコンを使ってテレビの音量を上げた。孤立無援のおれ……。  とりあえず冷蔵庫をあけてみることにした。形だけでも、奥さんの指示に従う素振りを見せなければまずいだろう。ところが冷蔵庫の扉を開いた途端、おれは息を呑んでその場に凍りついてしまった。扉の内側でキリリと冷えているのはビールではなく、栓をあけたまま使われていない日清サラダ油だったのだ。しかも同じものが五本、六本と仲良く並んでいる。見てはならぬものを見てしまった気がして、静かに扉を閉めた。もはやベッドの上の橋本さんを振り返る勇気はない。 「何か買ってくるものはありませんか」それまでの文脈を無視して奥さんにたずねる。 「いいえ、結構よ。わたしは買い物が趣味みたいなもんだから」 「買い物はいいですよね。ヘルパーになる前はスーパーの店員をやってたんです」何を喋っているのだ、おれは。「園芸用品やなんかも売ってたんですよ」  一ヵ月ほど前の訪問のとき、夫婦が冗談まじりに話していたことを思い出した。あるとき橋本さんは、お昼に卵かけ御飯を食べようと思った。奥さんが持ってきてくれた卵をつまみ上げて、えらく冷たいな、と思ったそうだ。でも冷蔵庫に入っていたのだから、冷たくて当たり前。橋本さんは茶碗の縁に勢いよく卵をぶつけた。 「そしたらねえ上杉くん、卵は割れずに茶碗が割れちゃったんだよ」 「えらく硬い卵だったんですね」 「違うのよ」奥さんが笑いながら引き取って、「わたしがうっかり冷凍庫に入れてしまってたの」 「あれま」 「もう、二人で大笑い」そう言って、今度は三人で大笑いしたものだったが。  あれは「つい」でも「うっかり」でもなく、はっきりとした痴呆の症状だったのだ。奥さんがときどきおれの名前を間違えたのも。痴呆は狂気ではないから、その人がいつから呆《ぼ》けはじめたのか、まわりの人間にはなかなかわからない。最初は小さな錯覚や、ちょっとした物忘れとしてはじまり、みんながおかしいなと思いはじめるころには、かなり進行しているというケースが多いと聞く。とにかくステーションに帰ったら、ケアマネージャーの佐々木さんに報告しなければ。  そんなことをあれこれ考えていたので、掃除機が収納してありそうな押し入れをあけるとき、なかに入っているもののことまで気にかける余裕はなかった。出てきたのは十指に余る箒《ほうき》と塵取りだった。その壮観さに、しばらく見とれてしまった。これだけの数が勢揃いしている現場を見るのははじめてだった。前に勤めていたスーパーだって、店頭に置くのはせいぜい三つか四つくらいだ。  カーペットに掃除機をかけるという思いつきは、どこかへすっ飛んでしまっていた。そもそも家のなかが汚れているのも、奥さんの痴呆が原因だったのだ。芋蔓《いもづる》式にいろいろなことが明らかになってくる。おれはつぎのように推理した。おそらく彼女は一つのものを購入しなければならないという観念に取りつかれると、すぐさまそれを実行に移すが、買って帰った品物を使用する前に、購入の事実そのものを忘れてしまうので、同じ物を重複して何度も購入しつづけることになるのだろう。その結果が、冷蔵庫に整列したサラダ油であり、押し入れの暗がりで待機する箒と塵取りだった。  どうすべきか? 考えるまでもなく、自分にできることはないという結論に達した。おれたちの仕事は日常生活のヘルプということになっており、精神面のケアに時間を費やせないし、報酬の評価対象にもなっていない。オーケー。ここはマニュアルどおりに行こう。 「じゃあ、今日はこれで」  居間に戻ったおれは、これまでのことはなかったことにして明るく言った。 「どうもご苦労様」  頭のネジが外れてしまった奥さんは、どんな不自然な展開にも屈託なく応じてくれる。ありがたくもあり、不憫《ふびん》でもあり。それにしても、彼女はどうしてサラダ油を冷蔵庫に入れたのだろう。一ヵ月前は卵を冷凍庫に入れた。一ヵ月後、この家の冷蔵庫には何が入っているだろう。あまり考えたくない疑問だ。だから考えないことにしよう。考えたり対策を立てたりするのは、おれたちの職権を超えている。  テレビの音がうるさい。いくら耳の遠い年寄りとはいえ、この音量は常軌を逸している。画面に目をやった。再放送の時代劇だった。「ことが首尾よく運んだら、おぬしにも褒美を遣わすぞ」などという密談の場面を大音量でやられると、なんだかシュールな気分になってくる。もう一度、ベッドの上の橋本さんを見た。彼もおれの視線に気づいて振り向いた。その目は哀願するように何かを訴えていた。このままそっとしておいてくれと言っているのか、窮状をケアマネージャーに伝えてくれと言っているのか、にわかに判断はつきかねた。  照明設備のあるグラウンドの使用料は、二時間三千円だ。アップを兼ねたランパスのあと、おれたちはもう一時間近く、二人がかりで持っているダミーへのコンタクトから、モールの形成までを繰り返している。これまでの試合では、サポートの遅れから相手にボールを奪われるケースが多かった。つぎの試合までに修正しようということで、練習のプランが立てられた。 「ほら、そこで身体を密着させてしっかりウェッジを組む」チーム最年長で元ジャパンの小瀬さんから指示が飛ぶ。「バインディングはもっと下から突き上げて」  ラグビーは麻薬だとよく言われる。一度虜になったら一生離れられない。おれは自分が高校生だったころのことを思い出す。あのころはラグビーのことだけを考えていた。どうやってスクラムで一歩でも前に出るか、どうやって相手チームを倒すか。花園に行くことだけで頭のなかはいっぱいだった。幸せと言えば、幸せだったのかもしれない。  どんな世界でも、一流というのはジャンキーみたいなものだとおれは思っている。自分が打ち込んでいるもののことしか頭にない。シンプル・イズ・ザ・ベスト。女にちょっかい出したりする連中は、レギュラーにもなれないやつらと相場はきまっている。自分もそうなりかけていたので、退部して大学も辞めたわけだが、おかげで考える材料には事欠かない。現役時代には「おまえのラグビーにはインテリジェンスが欠落している」と言われたこともあるおれなのに。 「当たるときはもっと腰を落として、肩から真剣に当たらなきゃだめだろうが。気持ちを集中して、しっかりボディコントロールせんか」  祖国はどうなってしまうのだろう、このままアメリカの使い走りでいいのだろうか……とか、そんなことを考えているわけではもちろんなくて、橋本さんの奥さんの痴呆にしたたか打ちのめされたおれは、「老い」について深く考えをめぐらせることになった。長生きをすればするだけ、誰もが老いというネガティブな現実に直面するのだとすれば、この社会には勝者なんていない、とおれは思う。なるほど、なるほど。それで、どこが問題なのか? ノー・プロブレム。  言わせてもらえば、むしろ小気味がいいくらいだ。おれたちはみんな負けつづけている。失うもののないやつはちょっとだけ負ける。失うものの多いやつは手ひどく負ける。負けることにおいて、この社会は不思議と平等にできている。金を儲けながら、税金を払いながら、脱税なんかもしながら、愛人を囲いながら、ボランティア活動をつづけながら……延々と負けつづけている。それはそれでいいのだけれど。 「こら、立て」グラウンドに倒れ込んだ若手の尻を、小瀬さんが爪先で軽く蹴っている。 「燃え尽きたッス」 「あしたのジョーか、おまえは」 「おれ、今度の試合では絶対にディフェンスラインを抜かせませんから」 「言い切る台詞《せりふ》に根拠がない!」  ……にしても、ヘルパーの仕事を終えたあとの練習で、若手と同じメニューをこなすのはさすがにしんどい。スポーツ選手ほど、老いをはっきり痛感させられるものはないと言われる。若いころはすぐによくなった傷の治りが遅い、試合の疲れが一日おいたあとに出る。若い連中と一緒に練習していると、いやでも自分が失ったものを実感する。おれも来年は三十なわけで、いいかげん楕円形のボールを泥まみれになって追いかける歳ではなくなりつつあるのかもしれない。 「カットインはもっと相手を充分に引きつけなきゃだめだ。それじゃ抜けないぞ」小瀬さんは何を言っているのだろう。「それからブレークはもっと低い姿勢で素早く行うように」  ようやく休憩に入った。大きな薬缶に入った水がまわってくる。芝生にへたり込んでいると、若手の一人が話しかけてきた。 「おれ、田舎に帰ろうと思ってるんですよ」  これでもけっこう慕われていたりする。 「帰ってどうすんの」 「親の店継ごうかなって」 「おまえんちなんだっけ?」 「酒屋です」 「どろぼうに店番させるようなもんじゃないか」 「ひどいな。長男なんですよ、おれ」 「チョーナンですか」  練習後、なじみの焼肉屋へ移動し、そこでおれはまた考え込んでしまった。生きていることには痛みが伴う。自分の痛みもそうだけれど、自分が生きるために、他人や他の生き物に痛みを与えることもある。現にいまおれが喰っているこの牛だって、殺されるときには大変な恐怖と苦痛をおぼえたはずだし……なのに彼らの受難をなかったことにして、「おばさん、ロースあと三人前、それにタン塩を一皿」などと平気で注文してしまうおれは、じつは隠れサイコではないだろうか。 「あのさあ、クローン牛って、どっか間違っていると思わないか」 「どうしたんすか、急に」 「いや、なんか深く考えちゃってさ」 「はい、タン塩」 「サンクス……それでさあ、クローン牛ってのは、要するにうまい肉を喰うために、その目的に特化させた生命を作り出すわけだろう。それって、究極の快楽殺人だと思わないか。この場合は殺牛だけど……とにかく、そういう現実を一方で肯定しといて、子どもに命を大切にしようと言っても、説得力ないよな」  人間が身体的に存在するかぎり、老いは宿命づけられている。それはラグビーをやっている以上、怪我が避けられないのと同じだ。もし老いが不幸な事態なら、この世に誕生してしまったことが、そもそも間違いのはじまりということになる。つまり「オギャー」と生れた瞬間に、老いや死という不幸の回路にスイッチが入ってしまうわけで、これが人生の真実だとすれば、おれたちの人生には夢も希望もない。もちろん、それが最終的な答えとは思わない。来週には、また別の答えが見つかるかもしれないが、とりあえず今週はそういうことにしておこう。  ラインアウトやスクラムからのセットプレーを繰り返し練習して、十一月末の最終戦に臨んだ。この試合に負ければ、Dクラス残留をかけた入れ替え戦が待っている。「六十分間、思いっきりラグビーを楽しんでこい」なんてことを、高校の監督などは、大きな試合の前にかならず言うものだが、おれたちは「楽しむ」という心境からはほど遠いところにいた。 「とにかくボールをよく見ていこうな」小瀬さんが努めて明るい口調で最後の指示を与えている。「タックルされてもあわてずに、ねばれるだけねばろう。つぎに来るプレーヤーをよく見て、いちばんいいプレーヤーにボールを渡すこと。了解?」  おすっ。  しかし小瀬さんの指示どおりに動いてきたのは、むしろ相手チームの方だった。開始早々、フランカーにうまくボールを繋がれて、二本のトライを奪われた。コンバージョンも決められ、この段階で十四対ゼロ。 「なんか立ち上がりからのびのびプレーしてますよね」一緒にプロップをやっている若手が話しかけてきた。 「クラス残留が確定しているからな」 「消化試合ッスか」 「こっちものんびり行こう」  のんびりしているあいだに、さらにツー・トライを奪われた。相手は速いテンポのパスまわしから思い切りよく攻め込んでくる。サインプレーやショートパントなど、少ない手数で簡単にディフェンスラインの裏を取られてしまう。こっちはプレッシャーのせいか、まだ本来の動きができずにいた。 「一番、三番、もっと動け」おれたちのことだ。「バックスのマークを完全に外されとるだろうが」  すんません。  腰の状態はもはやぎりぎりのところまできていた。傷めている方になるたけ負担をかけないようにスクラムに入るが、押されればどうしても無理をしてしまう。二次攻撃の拠点となるモールやラックにも、サポートとして素早く駆けつけなければならない。おまけに小瀬さんからは、ディフェンスのとき相手バックスのマークを外すなと言われている。だいたい日本人は働き過ぎなのだ。  マイボールのスクラムのとき、腰に激痛が走った。ゴール前五メートルのスクラムなので、ここは絶対にボールをキープしなければならない。相手のフロントローはしっかりバインドして胸元を頭で突き上げてくる。おれは体勢を低くして耐える。背筋がぎしぎしいっている。ふと、なんでこんなことをやっているんだろうと思う。そもそもおれは、どうしてラグビーをはじめたのだろう。  ラグビーは危険なスポーツである。密集で相手の頭を踏んだり蹴ったり、タックルで命にかかわるダメージを与えることもできる。だが試合中、選手はそれをしない。一歩手前で無意識のうちに踏みとどまる。それがラグビーをやることで培われる能力の一つで、こうした判断力を持った人間が世界を平和に導ける……というのが、小中学生のころによく聞かされた話。  下手をすると再起不能になってしまうぞ、とおれの理性は訴えていた。このまま社会人クラブリーグDグループの最終戦で、選手生命が終わってしまうのだろうか。なんかかわいそうなおれのラグビー人生……いや、ラグビーどころか、ヘルパーの仕事もできなくなるかもしれない。いいのか? いいも悪いもしょうがない。世界は硬直し、選択のオプションはますます狭まっている。イスラム教徒に生れたからには自爆テロだし、アメリカ人に生れたからには、祖国がつぎからつぎに仕掛ける戦争に身を投ずる以外にない、それと同じことだ。いや、同じことだろうか? くそっ、背骨が折れそうだ。  ラインアウトからゴール前でモールに持ち込み、そのまま押し込んで、ようやくワン・トライを返した。同じ戦法でもうワン・トライ。コンバージョンを決め、さらにハーフタイム直前のペナルティキックで追い上げ、前半を二十六対十五で終了した。いまのおれたちの戦力からすると、十一点差はかなり厳しいが、攻撃にリズムが出てきたのがほのかな光明か。  水分を補給しながら、小瀬さんを中心に地域に応じた戦術をあらためて確認する。 「もっと動け。一人一人の動きが全然足りんよ。とくにフォワードの五人」  またおれたちだ……おすっ。 「バックスもポジショニングが遅い。だからボールをコントロールできないし、攻撃にリズムも出ないだろうが。とにかく接点への早いサポート。この試合が最後なんだから、残り四十分、死にもの狂いで戦い抜こう」  やっぱりおれは、あの自爆テロに心の芯から打ちのめされたのだと思う。自分と同じ歳くらいのやつらが、肉体をミンチ状態にしてまで、何かを主張しようとしている。正しいか間違っているかは別として、あの連中にとって生きることは、それほどまでに狂おしく激しいものなのだ。そのことがショックだった。三十歳まで生きることなく、自爆テロによっておのれの肉体を破砕して死んでいく者たちがいる。一方、われわれは介護サービスを受ける年齢まで長生きすることを宿命づけられている。でもどうだろう。神様みたいなやつが第三者的な目で見ると、生きているのは彼らの方で、おれたちは死んでいる、そんなふうに見えるんじゃないだろうか。  死んだように生きている。すでに死んだ生を、それと知って生きている。この社会では、そういう生き方しかできなくなっている。だから痛い思いをして、生きていることを、まだ死んでいないことを、誰かにたいして証明しなくてはならないのだ。  たとえばおれたちは、タックルが相手にどの程度のダメージを与えるか身をもって知っている。それは自分もタックルされる立場になりうるからだ。しかし精密誘導兵器を使って敵を壊滅させる兵士たちは、被弾した人間の脳味噌や肉片が飛び散るありさまをリアルに想像することができるだろうか。戦争はますます高度に技術化され、一方的に殺す側にいる者たちは、死んでいく人間の血|飛沫《しぶき》を浴びることもなければ、硝煙の臭いを嗅ぐことさえない。抽象化された戦争では、敵を倒すことにおいて正常な判断力を維持するのは難しい。透明な数値だけを相手に戦う無色無臭の戦争のなかで、彼らは何を考えているのだろう。人を殺すことが無機質で無感動なものになったとき、そういう世界で生きているわれわれは、本当に「生きている」と言えるのだろうか。  おれたちが走りまわっている惑星は、いまやそういうことになっている。いくら汗と泥にまみれてボールを追いかけたところで、現実は現実として存在するわけだし、そのなかで身体的リアリティがどうしたと言ってもむなしいだけだ。フェアプレーの精神は、殺《や》られる側の人間からすれば、一部の豊かな社会にはびこるスポーツ的な欺瞞でしかないだろう。ノーサイドの笛のあとジャージ交換をする選手たちをテレビで見ても、いまのおれには悪い冗談としか思えない。だからといっておれは、自爆テロを肯定しているわけではない。あれはやっぱりひどいことだし、人間としてやってはならないことだし……という心情が、空疎なのだ。  こうしておれは、いまや圧倒的な無力感の塊となって、ここに立ちすくんでいる。本当は立ちすくんでいるのだが、それを自ら認めたくないがために野暮なスクラムなど組んでいると言えなくもない。本当は動こうとしても動けないのだが、一歩も下がらない相手を必死に押している構えをとっている。本当は……鋭い刃物を突き立てられたような痛みが腰に走り、失神しそうになった。目の前が暗くなる。  ぼーっとした頭で、おれは考えつづけた。なぜ、ここにいるのだろう。なぜここで、こんなことをしているのだろう。なぜ壊れた腰にダメージを与えながら、背筋をぎしぎしいわせながら、ここで足を踏ん張っているのだろう。相手より一歩でも前に出ようとして……なぜ? わからない。かわりに叫びたかった。痛い、痛い、痛い……いや、違う。そんなことを叫ぼうとしたのではない。愛している。そうだ、おれは「愛している」と叫びたかったのだ。  おまえたちを愛している。乗客を道連れにしてビルに突っ込んだおまえたちを。あの瞬間、きっと同じ問いを発したに違いない、おまえたちを。(なぜ?)そう信じて、おれはおまえたちを愛する。なぜ、こんなことをしているのか。なぜ、無関係な人たちを虫けらのように殺そうとしているのか。自分たちの兄弟や仲間が殺られたから。殺られたら殺り返せ……でも、なぜ?  ムハンマドは、その問いに答えてくれたか。(なぜ?)その答えは、わが身を破砕させる瞬間まで生きつづけたか。(なぜ?)おまえたちの死を超えて、光りつづける答えでありえたか。なぜ、なぜ、なぜ、なぜ……。  試合の途中で、身体のなかがしーんとしてしまうことがあった。静まり返っているのは自分なのか、それともまわりの世界なのかわからない。大きな競技場でプレーしていても、歓声は一切耳に入ってこなくなり、グラウンドの周囲の景色も見えなくなる。静寂な空気のなかで、自分一人だけが動いている。しんどいという感覚はなくなっている。タックルに入っても痛いと感じない。ゴールラインを越えて、このままどこまでも走れそうな気がする。身体がふわふわ宙に浮かんで、まるで雲の上で試合をやっているような……言葉で表現できない陶酔感。  自分の意志でつくり出そうと思ってもできない。いつ、どんな場合にやって来るかわからない。試合の流れとは、とりあえず関係がない。接戦のときにやって来ることもあれば、大勝のときにやって来ることもある。体調やコンディションづくりとも無関係のような気がする。神の思し召しか天の配剤のように、ある一線を越えると突然やって来る。そして来たときと同じように、なんの前触れもなく去ってしまう。試合の途中でふと歓声が戻ってくることもあれば、ロッカールームで我に返ることもある。おれがラグビーをやってきたのは、あの陶酔感を味わうためだったのかもしれない。  十一月の最終戦で、腰の痛みに箝口《かんこう》令をしいて死力を尽くしたおれは、ノーサイドの笛とともにグラウンドに倒れ込み、そのまま起き上がれなくなった。仲間が救急車を呼んでくれた。病院へ向かう車のなかで、右足の感覚がなくなっていることに気づいた。長く正座をして足が痺れたときのような感じだった。学生時代に傷めた腰のヘルニアが悪化していることは間違いなかった。医者はメスを入れることには慎重だった。手術をしても、予後はかならずしも良くないらしい。しばらく牽引と注射で様子を見て、麻痺が取れなければ、つぎの治療法を考えることになった。  最初の一週間は、硬いベッドの上で、ほとんど絶対安静に近い状態で過ごした。足首には革のベルトが巻かれ、そこから出ているワイヤーの先には鉄の錘《おもり》が付いて、常に負荷がかかるようになっている。おふくろが看病のためにやって来た。なにしろおれは要介護度5、重量百キロの産業廃棄物状態になってしまったわけで、歩くことはおろか、食事やトイレなど、身のまわりのこともほとんど一人ではできなかったからだ。  二週間目から、ようやく歩行器を押して、便所ぐらいは一人で行けるようになった。手摺につかまってよっこらしょと尻を垂れると、しみじみ黄昏《たそがれ》た気分になってくる。医者はラグビーなんてとんでもないと言っているし、この状態ではヘルパーとして仕事に復帰することもおぼつかない。おれという人間の存在根拠はどういうことになってしまうのだろう、とおれは糞をしながら他人事みたいに考えた。 「お父さんのことだけど」あるときベッドをリクライニングにして飯を喰っている息子の世話をしながら、おふくろが切り出した。「この三月で定年なのは知ってるでしょう。役員として会社に残れることにはなっているんだけど、肩書だけみたいなもので。それで晶子たちが中心になって、身内でお祝いを計画しているんだけど、あなたも出てくれない」  おふくろはおやじの退職を、父と息子が仲直りするきっかけにしたいと思っているようだが、事態はそれほど単純ではない。そもそもおれたちは仲たがいをしているのだろうか。おやじはたんに息子に興味がなかったのだし、こっちはおやじの期待に応えられないと思い、離れていったというのが真相だ。少なくともおれはそう思っている。憎んでいるわけではない。ただ、そばにいないときだけ愛せる相手というのが、世の中にはいるのだ。 「連続殺人犯てのは犯行自体を楽しんでいるらしいね。何か目的があるわけじゃなくて。最初ははずみで殺してしまうとか、かっとなってやっちゃうとか、まあ偶然みたいなもんだろうけど。ところが一度味をしめると、殺しが生きがいになる。つまり人生そのものになってしまうわけだな。ライフワークというか」  おふくろはギョッとした顔でおれを見ていた。それからおそるおそるたずねた。 「そのこととお父さんの定年と、何か関係があるの」 「いや別に」  入院中に、同時多発テロで自爆死したテロリストたちの足取りを追った本を読んだ。犯行グループがアジトにしていたアパートの住人は、みんな感じのいい真面目そうな人たちで、とてもあんなことをするとは思えなかったと証言していた。でも、考えてみれば当たり前だ。「あんなこと」をしそうな連中だったら、近所をうろうろさせたりはしておかなかっただろう。 「おやじって、テレビとか見てて笑うことあるの」ふと思いついてたずねた。 「そりゃあ、あるわよ」おふくろは怪訝《けげん》そうにたずね返す。「どうして」 「見たことないからさ」 「ほとんど一緒にいないじゃない、お父さんと」 「まあ、そうだけど」 「しばらく一緒にいれば、笑うところも見られるはずよ」 「なんだかオーロラを見にいくような話だな」 「なによ、それ」 「友だちがグリーンランドにオーロラを見に行ったんだけど、いつでも見られるわけじゃなくて、最低一週間くらいは滞在しないといけないんだってさ」 「いやあね」おふくろは笑いながら、「お父さんはイリオモテヤマネコじゃないのよ」  いろいろな言い方があるものだ。 「お祝いはそっちで適当にやっといてくれよ」 「しょうがないわね」おふくろはちょっと悲しそうな顔をした。  その夜も、牽引されている足が気になって、なかなか寝付くことができなかった。隣のベッドで寝ている患者の鼾《いびき》がうるさい。ときおり誰かが大声で笑いながら寝言を言っている。きっと楽しい夢でも見ているのだろう。聴覚が鋭くなっているのか、屁が爆音のように響く。病室は六人部屋で、他の患者たちはみんなおれよりも歳上だ。整形外科ではめったに人が死ぬことはない。そのせいか他の病棟よりも開放的で、とくに男ばかりの病室では、下手をすると道楽者が集まってごろごろしているような雰囲気になる。この同室の人たちが、消灯の時間を過ぎるとあっというまに寝てしまう。その素早さにはいつも感心させられる。普段は寝付きのいいおれだが、病院のなかではだめだった。きっと身体の自由を奪われているせいだろう。  目を閉じたまま寝返りを打つこともできず、子どものころのことをぼんやり思い出しはじめた。六年生のとき、おやじが魚釣りに連れていってくれたことがある。五月の終わりごろだったと思う。それまでは二人とも釣りなんてしたこともなかった。おやじはラグビー一筋の人で、当時も社会人Aリーグに所属する自社チームのゼネラル・マネージャーか何かをやっていた。おれの方も少年ラガーチームの一員として、基本練習に明け暮れる日々だった。そういう二人が、なぜ急に魚釣りになど行くことになったかというと、市が建設を進めていた海釣り公園なるものが完成し、フリーパスをもらったおやじは、付き合いもあって自ら一度出かけてみる気になったらしかった。  海釣り公園というのは、T字型の鉄骨構造の桟橋が、岸から沖に向かって百メートルばかり突き出しているという代物で、入場者は入口で釣りの道具を借り、餌を買って、思い思いの場所で竿を垂らすようになっている。おれたちもさっそく釣り針の先に青虫を引っかけ、適当なところに放り込んでみた。しかし一時間経っても、二時間ねばっても、まったくアタリがない。退屈したおれは、竿を置いて桟橋の上を探索してみることにした。他の連中も、ほとんど釣れている様子はなかった。たまにバケツのなかに、金魚よりも少し大きいくらいの魚がいたけれど、高い入園料を払って、この程度の収穫では馬鹿らしいと、子どもながらに思ったものだ。  桟橋に腰掛けて、眩しい海をぼんやり見ていた。梅雨に入る前の初夏の海だった。近くを漁船が通ると、足元のコンクリートの土台に波がぶつかって大きな音をたてる。車を運ぶ船が、遠くをゆっくり進んでいる。しばらくして、おやじが桟橋の向こうから小走りにやって来るのが見えた。何か急用でもできたのだろうと思い、おれは立ち上がった。 「来てみろ」  肩をつかまれるようにして連れて行かれたのは、さっきまで釣りをしていた場所だった。おやじは立ったまま、黄色いカンバス地のバケツを指差した。水の底に小さな魚がいる。桟橋の上を歩きまわっているとき、他の人が釣っているのを何度か目にしたやつだ。 「カサゴだ」ちょっと得意そうに魚の名前を口にした。「味噌汁に入れるとうまいんだぞ」  おれは感心して何度も頷いた。 「おまえももう少しやってみろ」釣り針に新しい餌をつけながら、「さあ、どんどん釣るぞ」そう言って振り向いたおやじは、ちょっと照れくさそうに笑った。  橋本さん夫婦の心中を知ったのは、年が明けて何日か経ってからだった。ケアマネージャーの佐々木さんが電話で知らせてくれた。事件が起こったのは十日ほど前で、翌日の新聞に小さく記事が出たというが、そのころはまだ病院にいたので気がつかなかった。無理心中だったらしい。  年の瀬も押し迫って退院したおれは、約一ヵ月ぶりでアパートに戻った。おふくろはしばらく実家に来て養生してはどうかと言ったが、あそこには居場所がない。正月だから妹夫婦も来るはずだ。妹の旦那は、おやじが勤めている電力会社の代替エネルギー開発推進部か何かだ。言っておくが、おれは原発には反対だ。そうでなくても、やつとは折り合いが悪い。もう子どもはいらないからといって、連れ合いに不妊手術を受けさせるような男と、一緒に酒を飲む気はない。それでおふくろは元旦に、小分けしたおせち料理を重箱に詰めて持ってきてくれた。一日《ついたち》二日と、朝は雑煮をつくってくれた。おれはおふくろの手料理を喰いながら、正月のあいだも酒は飲まなかった。医者から禁じられていたし、自分でも飲みたいとは思わなかった。  高校選手権の決勝戦の日は、毎年スーパーでパックに入った春の七草を売っていたような気がする。去年のいまごろは店長に慰留されながらも、養成講座に通う準備を進めていた。今年は座椅子にもたれて、テレビで花園の決勝戦を観た。両チームとも、ここまでほぼ一日おきに五試合ずつを戦ってきている。社会人では到底考えられない過酷なスケジュールだ。当時はそれが当たり前と思っていたので気にならなかったが、あらためて振り返ると、若さというのはしみじみ無謀なものだと思う。高校生とはいえ、これだけ身体が大型化し、当たりも激しくなっている昨今のラグビーでは、けっこうきわどいところでプレーをつづけているに違いない。  試合が終わったのを潮に、おれは酒を飲みはじめた。冷蔵庫のなかに東一《あづまいち》の五合瓶があった。いつか実家からくすねてきたものだ。前の職場の慰安旅行で、平戸へ行ったときに買ってきた切り子のグラスで、ゆっくり酒を飲みつづけた。一ヵ月半ぶりに飲む酒はうまかった。飲みながら、橋本さんのことを考えた。布団で眠っている奥さんの胸を包丁で刺して絶命させたあと、寝間着の紐を窓の外の手摺に掛け、自身は窓を背にして、部屋の方へ足を投げ出すように坐って果てていたという。遺書には、迷惑をかけることへの寛恕《かんじよ》を求める言葉が淡々と書き連ねてあったらしい。末尾に、遺体は荼毘《だび》に付し、墓へは入れず、海に撒いてくれ、と最後の願いが記してあった。本当は鳥や獣にでも喰わせてくれと書きたかったのではないか、とおれはなんの根拠もなくそう思った。  萎えた足を引き摺って、台所から包丁を取ってくる橋本さんの姿を思い浮かべてみる。あの身体で、よくあれだけのことを成し遂げたものだ。成し遂げたというのは不謹慎な言い方かもしれないが、おれはあえてそう言いたい。彼にとっては一世一代の大仕事だったはずだ。包丁を握った手で居間に引き返すと、口のなかで「なむあみだぶつ」と唱えて、布団で寝ている奥さんの胸を一息に刺しぬく。もちろん実際に念仏を唱えたかどうかはわからない。だいたい橋本さんの家が浄土真宗であったかどうか、おれは知らないわけだし、もし法華なら「なんみょうほうれんげきょう」だろうが、それでは立派な無理心中は成立しないような気がする。  数年前、デンマークの老人ホームで看護師が二十人ほどの老人を殺害した事件があった。ドイツやオーストリアや北欧諸国では、末期の長期入院患者、とりわけ老人を、病院の看護師が十人とか二十人とかの規模で安楽死させる事件がつづいている。症状の重い要介護の老人たちが、病院や施設での生活を余儀なくされるという現状があって、そこで看護や介護にあたる人たちが、多くの場合は憐れみから、彼らを死に至らしめるらしい。橋本さんの場合も、痴呆の奥さんと半身不随のわが身を憐れんで、安楽とは言いがたい死を選択したのだろうか。  人類史上に前例のない高齢化率を達成してしまった結果、この社会では肝心なことが解決されないまま、にわか仕立てのスローガンと達成目標だけが声高に唱えられ、おかげで大なり小なりのトラブルを引き起こしながら、事業者も利用者も手探り状態で日々をやりくりしている。介護をペイドワークとして社会的に可視化し、認知させるというが、どんな立派な人格者も最後は孫の歳ほどの赤の他人に下の世話をされながら死んでいく、この現実を誰がどのように認知するのか。こうなってしまったからには、そのようにあらねばならないというだけで、多くの利用者のプライドやプライバシーを蹂躪《じゆうりん》しながら、彼らを絶望の淵に突き落としているというのが現状ではないか。  窓の手摺に寝間着の紐を掛ける、橋本さんの姿が目に浮かぶ。そのときふとおれは、橋本さんは生きようとしたのではないかと思った。呆けた奥さんを自分の手で始末し、さらに身体の動かない自分にもきちんと落とし前をつけることで、彼は生きようとしたのではないだろうか。つまり出ていったのだ。この糞溜めみたいな世界から。奥さんの手を引いて、自分の足ですたすた歩いて出ていったのだ。生命を抹殺するという様式で、瞬間的に生きられる生。その瞬間のなかには、やはりなんらかの無限が信じられていたのではないだろうか。  こうして、おれはいま魂のことを考えている。なぜって、橋本さんに最後の身の処し方を決断させ、実行させたのは、彼の「魂」というべきものであろうと思えるからだ。彼の魂が自らを救うために、あのような行動をとらせたのではないだろうか。そうして救済された魂は、不自由な身体から解放されて、さらに橋本さんという個人からも解き放たれて、いわば匿名の領域へと運ばれ、そこでけっして消滅することなく、ある固有の音色を奏でているような気がする。  しかし、では魂とは何かといえば……なんだろう? おれはいい加減酔いのまわった頭で考える。たとえば、いま喰っている竹輪の穴みたいなものか。穴そのものに触ることはできない。穴だけを取り出すこともできない。だが穴があいていなければ、それは断じて竹輪ではないという点において、穴はまさに竹輪のアイデンティティを形作るものであり、その竹輪はいまやおれの腹のなかにあるという悲しい現実は、竹輪の実体とともに竹輪の穴も消滅したことを物語るものであっても、穴というイデアはどこかに保存されているはずで、そいつが転生してうっかりドーナツの穴になったりすることは、あるんだろうか?  ボルドーの赤を持って中原さんの家を訪れたのは、一月も下旬に入ってからだった。おれは休職扱いになっているので、中原さんには新しいヘルパーが付いている。途中で仕事をほっぽり出してしまったことへの、お詫びも兼ねての訪問だった。そんなことをする義務はないのだが、もともとおれは義務でこの仕事をやっていたわけではない。呼び鈴を押すと、出てきたのは四十歳くらいの女の人だった。家政婦さんではなさそうだ。来意を告げると、いつものように庭に面した応接間に通された。日当たりがいいので、すっかり病室と兼用になっている。 「お勉強中だったんですか」  中原さんは座椅子にもたれて、炬燵《こたつ》の上で書き物をしていた。 「暇つぶしに下手な俳句をつくっていた」 「邪魔しちゃいましたね」 「かまわんさ」 「足の具合はどうです」 「あいかわらずだ。寒いと良くないようだ。血のめぐりが滞るのだろう。それはそうと、きみの方こそ大変だったそうじゃないか」喋っている中原さんが、心なしか嬉しそうに見えるのは気のせいか。「ヘルニアだって?」 「ええ、まあ。腰の造作がだめになってるんですよ」 「ちょっと痩せたんじゃないのかね」  絞め殺したろか。入院中の安静と退院後の運動不足によって、取り返しのつかないまでにデブってしまったおれを前にして、よくもそんな厭味が言えたものだ。 「手術は?」 「いいえ。ずいぶん引っ張られちゃいましたがね。中原さんも暖かくなったら、少し歩かなきゃだめですよ」  お互いに、相手の身の上のことばかり話したがるようだった。そのうち部屋の障子が静かにあき、先ほどの女の人が盆を持って入ってきた。 「娘だ」中原さんは目を伏せるようにして言った。  おれは手短に挨拶をした。娘さんは「父がお世話になっています」と頭を下げた。お茶の支度をして部屋を出ていった。静かな印象だけが残った。 「俳句、見せてもらってもいいですか」 「つまらん句だよ」  二百字詰めの原稿用紙に書かれた句を幾つか読んでみる。 「きみは俳句がわかるかね」 「いいえ、古池や、ぐらいしか知りません」 「作ろうとして作った句は、うるさいだけで面白くもなんともないものでね」  弁解じみたことを言ってから、中原さんは窓越しに見える庭の方へ目をやった。おれも釣られて原稿用紙から顔を上げる。 「静かなところですね」 「それだけが取り柄みたいな家だ」 「でも、ちょっと広すぎませんか」  中原さんは何か言いたそうにおれの方を見たが、口は開かなかった。本当は、何か言いたかったのは、おれの方かもしれない。たとえば橋本さんのこと。しかし他の利用者のことを話してはいけないことになっているし、どうしても話したいわけではなかった。 「いまは遺書までコンピュータで書けてしまうらしいね」先に口を開いたのは中原さんだった。「そういうソフトがあるそうだ。週刊誌に出ていた。あらかじめフォーマットしてあって、必要事項を書き込むだけで、法的な効力をもつ遺書が出来上がるというわけだ」 「そのうち結婚も離婚もコンピュータでできるようになるかもしれませんね」おれは合わせた。「いっそのこと夫婦は、インターネット上に限った制度ってことにすればいいのにな。そうすりゃ裁判や慰謝料といった面倒もいらないし」 「弁護士は廃業だ」 「いい気味だとしか思いませんけどね。だいたい弁護士なんて、人に責任なすりつけて商売してるようなもんでしょう。コーヒーをこぼして火傷したのはコーヒーの温度が適切じゃなかったからだとか、妻が浮気をしたのは夫が家庭を顧みなかったせいだとか。浮気をしたのは、そいつが身持ちの悪い女だったからですよ。そういう女は、いよいよ責任をなすりつける相手がいなくなると、浮気をするのは遺伝子のせいだと言いだすにきまってる。人を殺しといて脳内物質とかのせいにするのと同じで」 「何かあったのかね」中原さんはにやにやしながらたずねた。 「何かって?」 「やけに気が立ってるみたいじゃないか」 「そうですかね」  先ほどの娘さんが再び障子をあけた。しかし今度は部屋のなかへは入らずに、廊下に膝をついて父親に二、三言づてをし、ついでにおれにも暇《いとま》を告げた。 「きれいな人ですね」  玄関を閉める音を聞き届けてから、わざと不躾《ぶしつけ》に言ってみる。なんとなく中原さんが、そう言ってもらいたがっているような気がしたのだ。 「あれも不憫な娘でね」  ぽつりぽつり娘さんの話をはじめた。彼女のご主人が亡くなったのは、去年の秋口だったという。いわゆる突然死らしい。娘さんと二人の子どもが残された。 「誰が見ても過労死なのだが、訴訟にはしたくないと言うのでね。残業が月に百五十時間にもなっていたらしい。死ぬ前の一ヵ月くらいは毎日三、四時間の睡眠だったというから、とても人間の働く環境じゃない。この社会では人も物も使い捨てということか」憤懣《ふんまん》よりも諦めのまさる口調だった。 「ラグビーやってる若手が言ってましたけど、いまは新入社員のうちからサービス残業や休日出勤が当たり前なんですって。付いてこられないやつは辞めろってことですよね。おまけにメールや携帯の普及で、家庭や休暇と、仕事との境界が消えてしまったわけでしょう。過労死って言葉は、英語にはないんですってね。そういうので先進国になってもしょうがないと思うんですけど」 「人材育成を怠った会社は生き残らんよ」 「ですねえ」  そんなわけで、おれたちは昼間からボルドーをあけてグラスを傾けることになってしまった。弁解がましく聞こえるかもしれないが、一応勤務外だったので。とはいえ、中原さんはあいかわらず血栓溶解剤を飲んでおり、おれも飲酒は固く禁じられている身だった。途中で何度か便所に立った。長い廊下を歩きながら、この家に中原さんは一人で住みつづけているのだなと思った。娘さんを嫁がせ、奥さんを亡くした後も、ずっと一人で。夜中に用を足しに起きたときなど、家のなかの様子に馴染みがなくて、見知った感じがしなくて、ああ、誰もいないんだなと、水面に青いインクを一滴落とすようにして、孤独が胸に広がることもあったのではないか。  部屋に戻ると、中原さんはぼんやりした目で暮れかけた庭を眺めていた。 「すっかり酔っぱらっちゃいましたね」おれは切り上げる口調で言った。 「子どもたちも連れて帰ってこないかと、娘には言っているんだが」中原さんは話をつないだ。 「お住まいはどちらで?」 「市内だ」そこで一旦言葉を切って、「あいつにも思うところがあるらしい」と口ぶりが遠くなった。  ここは静かすぎる、と半分はヘルパーとしての職業的な立場から考えた。とくに中原さんのように引きこもりがちの老人には、適度なノイズが必要だ。一方で、連れ合いを亡くした娘さんのことを考えてみる。彼女もやはり、この家のなかには自分の居場所がないと感じているのかもしれない。 「人生というのは、本質的に人間を小馬鹿にしているようなところがあるな」中原さんが間延びした声で言った。「忙しがって、競い合って、慌ただしく生きて、わけもわからずに死んで一生を終わる。いったい何のために、何をしていることになるのか」  とうとう戦争がはじまった。やっている当人たち以外は、誰が見ても愚劣な戦争だ。国連も世界各地で起こった反戦運動も、戦争を止めることはできなかった。我が国の首相がおまけみたいにしてテレビに映っている。この男にとって、自衛隊を海外へ派遣することは、交通法規改正ほどの重みしかもっていないのだろう、とおれは思った。  開戦を伝える新聞の目立たない場所に、ネット自殺のことが出ていた。インターネットの掲示板で心中相手を募集した男と応募した女二人が、練炭を使い一酸化炭素中毒死したのが今年の二月。そのあと同様の集団自殺が連鎖反応的にあちこちで起きていた。彼らの死は、どこか辻褄合わせに見える。ちょっと髪でも切ろうかなという手軽さで、気まぐれに仲間を募って死んだように見える。こちらの心に波風が立たないのは、誰にとっても、生れてしまったからとりあえず死ぬまでは生きている、という以上の生き方ができなくなっているからではないだろうか。そう考えると、やはりおれたちはすでに死んだ生をそうと知って、あるいはそうとは知らずに、知っているけれど知らないふりをして、等々……生きていることになりそうだ。  過労死で亡くなったという、中原さんの娘婿のことを思った。彼もやはり、生きているという実感がなかったのかもしれない。それで自分の身体の限界に気づかず、突然死を迎えるまで突っ走ってしまったのではないだろうか。おれが腰をだめにするまで立ち止まれなかったように、彼も自分の生命を燃え尽きさせるまで、立ち止まることができなかったのかもしれない。何かが自分のなかに満ちてくるという感覚をなくして、どれくらい経つだろう。染みついたのは消費の感覚だけで、しかし自分を消費に駆り立てるこの欲望が、本当に自分のものであるかどうかは定かでない。そんなふうに迂回してばかりいる一生は、いったい誰の一生なのだろう。誰の人生を、誰が生きたことになるのだろう。  いまこの瞬間も砂漠で戦っている兵士たちはどうだろう。戦いのなかで殺し、殺される、その兵士は、本当に彼自身なのだろうか。自由と解放のために戦うアメリカ兵も、ジハードを叫ぶイラク兵も、個人的な心情として戦争はいやにきまっている。にもかかわらず、国や家族のために戦うという人類史の長い長い迷妄からいまだ抜け出せず、お互いに相手を敵と指弾して殺し合っている。  国家のために死んだやつらが英雄なのか。アラーの神のために死んだやつらが英雄なのか。ゴッド・ブレス・アメリカの神と、イン・シャー・アラーの神は、どっちが偉いのか。アラブ世界の英雄は、非アラブ世界でも英雄なのか。敵も味方も虚偽の世界で戦って、虚偽の世界で死んでいったというだけではないのか。われわれが死んだ生を生きているとすれば、彼らは虚偽の死を死んでいく。そうとは知らずに死んでいく。こっちの惨めとあっちの憐れが、ちょうど地球の表と裏で釣り合っている。  どんな気分だい? 最近、おれは自分の足元ばかり見て歩いているような気がする。たぶん、あんたらのせいだ。飛行機で派手にビルに突っ込んだあんたらは、青空の意味を変えてしまったのかもしれない。あの日から、おれは雲一つない青空を見上げて、晴れやかな気分になることがない。この先ずっとないかもしれないと思う。どんな気分だい? 何一つ理解できないまま死んでいくのは。何一つまともに理解できないまま。あんたらの死を肥やしにして太っている連中が確実にいるのに、そいつらが誰かも知らないまま、無邪気で単純な殉教者として死んでいった気分は?  いや、そんなことはどうでもいい。おれがあんたらを軽蔑するのは、誰のものとも知れない生を生き、生きたつもりになってさっさと死んでしまったからだ。そのことに無自覚だったからだ。無自覚は立派な罪だ。たとえアラーの神が許しても、おれは許さない……と言っているおれは、いったい誰なんだろうね。そしてあんたらは誰だったのか。一度でも、誰かであったのだろうか。……ん? とりあえずおれは生き延びて、あんたらを軽蔑しつづけようと思う。  生き急いだというべきか、死に急いだというべきか、おれにはわからない。だが結局のところ、老いを知らない人生はだめなのではないか。一口に生と死と言うけれど、人生は生と死のあいだに広がるなだらかな時間で、そいつは絶えず老いとともにある。老いることが脱落して、生きることが死ぬことに直結してしまう人生は、いかに国旗や勲章や精霊や誓約によって粉飾されていようと、粗忽者《そこつもの》の人生でしかない。  おれはテロリストたちよりも、自由と解放のために戦う兵士たちよりも、奥さんを道連れに一人で死んでいった橋本さんを立派だと思う。彼は最後の瞬間まで彼であったし、彼でしかありえなかった。その絶望は、ちゃんと橋本さんの体温にまで温められていた。だからそれは、希望でもあるのだ。橋本さんと、若い兵士やテロリストたちとの違いはなんだったのか。無数にあるのだろうけれど、一つだけ挙げるとすれば、おれは「老い」だと思う。八十二年という橋本さんの生涯が、やはり彼のなかに何かを残していったのだと思う。  死ぬことは、生きることとは関係がない。そこには決定的な断絶と飛躍がある。だから死は容易に観念の遊戯となりうる。自爆テロであろうとネット自殺であろうと同じことだ。人はいかようにも死ぬことができる。それにたいして老いは、肉体上の事実として経験される現実であり、どこにも逃げ場がない。だからこそ、この現実を潜るか潜らないかは、決定的なのだと思う。  たとえば人生には、あとから振り返ってようやく理解されることが多い。渦中にあるうちは、なかなか理解までは手がまわらないものだ。自分が生きてしまった事柄を過去として回顧し、吟味する時間が必要なのではないだろうか。そうやってはじめて、自分が何を生きてきたかがわかってくる。後悔や諦念や絶望も含めて、一回限りの人生が、少しずつ自分のものになってくる。逆に、老いを経験しない人生は、自分が生きたことの意味を知らないまま死ぬことにもなりかねない。それはそれで、恐ろしいことではないだろうか。  だから死なないで生きていることは、それ自体が価値なのだと思う。下の世話を他人の手に委ねて長生きすることにも、ちゃんと意味があるのだと思う。もちろん来週には、また別のことを考えているかもしれないが、とりあえず今週はそういうことにしておこう。  おれは中原さんに「ゆらゆらっこ」を贈った。「ゆらゆらっこ」というのは、仰臥《ぎようが》の姿勢で足を載せて左右にゆらゆらさせる電動の機械で、「本機を十五分間使用した運動量は、一万歩を歩いたくらいに相当します」とカタログに書いてあるのを見て、彼にぴったりだと思ったのだ。もちろん、ちゃんと使ってくれればの話だが。 「空腹時の方がいいみたいですよ」おれは説明書を読みながら言った。「運動のあとに湯冷ましを一杯飲むと、より効果的ですって。これで全身に血液が行き渡って、血栓なんて吹っ飛んじゃいますよ」 「ヘルパーの仕事を辞めるそうだね」縁側に出した籐椅子に坐って、気乗りのしない様子で話を聞いていた中原さんが言った。 「ええ、まあ」 「向いてると思っていたが」 「腰の具合も良くないんで」  おれは縁側の隅に「ゆらゆらっこ」を設置した。 「辞めてどうするのかね」 「とりあえずアメリカへ行ってみようと思って。ニューヨークに友だちがいるんですよ」 「どのくらい」 「さあ、半年か一年か……はっきりした予定はないんですけど」 「出発は」 「三月の末」 「急だな」 「思いついたら、すぐ実行に移す方なんで。気分が変わらないうちに。帰ったら遊びに来ますから、それまで元気にしていてくださいね」 「それまでには死んでるよ」 「またそんな。前向きに生きましょうよ。前立腺の癌てのは、他の病気で亡くなったお年寄りを解剖すると、かなりの割合で発見されるものなんだそうですね。つまり癌は悪いものだけれど、それが人を殺す前に、人はたいてい他の理由で死んでいるってことなんです」 「前向きに生きることと、何か関係があるのかね」 「あるような気がして喋りはじめたんですけど、あまりないみたいですね。いいんです、忘れてください」  持参したワインをあけた。いつものようにボルドーの赤だ。通いの家政婦さんもおらず、家のなかはひっそりしている。おれは縁側の上にグラスを並べて、なみなみとワインを注いだ。軽く掲げて乾杯した。中原さんは形だけ口をつけたグラスを膝に載せたまま、長いあいだ窓越しに庭を見ていた。ずいぶん広い庭だった。錦鯉の泳ぐ池があり、ちょろちょろ水の流れる築山があり、その奥には隣家との目隠しのために竹やなんかが植えてある。おれは草花や木の名前はほとんどわからないので、「あれは梅ですかね」と言ったら、「八重桜だ」と呆れられた。 「今年は庭にメジロがたくさん来ていた」 「へえ、こんな街なかなのに」 「ときどきないているんだ」 「メジロですか」 「娘だよ」  週に何度か来てくれているらしい。その都度、家政婦さんではなかなか気がつかない、細細としたところを片づけてくれるので、内心大いに助かっていたという。あるとき奥の部屋がひっそりしているのを怪訝に思って様子を見にいくと、畳に膝を崩して坐り込んだままぼんやりしている。声をかけようとしたら、肩が震えていた。 「気丈そうにしていても、やっぱり女だな」 「そういうのに男も女も、あまり関係ないんじゃないですか」  この三月から中原さんの妹、娘さんからいうと叔母にあたる人の店を手伝っているという。古くからの割烹で、告げられた屋号には、たしかに聞き覚えがある。 「人の名前というのは残酷なものだ」中原さんはワインのコルクをいじりながら言った。「どんな名前をつけても、当人の人生は少しずつ名前を裏切っていく」 「なんとおっしゃるんで?」 「たえ……多くの恵みと書く」それからふと思いついたように、「そう言えばきみの名前を聞いていなかったな」 「親からは栄一なんてめでたい名前をいただいてますがね。一番に栄えるってわけですか。でも親が欲をかいたのがいけなかったのか、当人は一向に栄える兆《きざ》しを見せず、それこそ名前を裏切りっぱなしの人生でして。友だちからはジャスコって呼ばれているんです」 「何か謂《いわ》れがあるのかね」 「そういうスーパーで働いてたもんで」 「なるほど、ジャスコか」 「しみじみ言わないでくださいね」  消防車がサイレンを鳴らしながら走り過ぎていった。音が遠ざかっていく方へ耳を澄ます。ひとしきり走ると、ぱたりと静かになった。ここからそう遠くないところで火の手が上がり、消防士たちが懸命に消火活動にあたっていることが、同じ世界の出来事とは思えない。それはそれで、ここはここといった隔世感がある。 「日が長くなりましたね」と言ってみる。  生返事をした中原さんは、そのまま黙り込んでしまう。すでにワインは半分近く空いている。これ以上飲まない方がいいのは、二人ともわかっていた。そろそろ引き上げる頃合いだった。 「娘さんが手伝ってるお店、よかったら電話番号かなんか教えてもらえませんか」 「高いぞ」中原さんはメモ用紙に番号を書きながら言った。 「結構ですね。それにおれが行くわけじゃないんです」  おやじとおふくろを招待しよう、と思った。おれからのささやかな退職祝いというわけだ。アメリカへ行く前に店だけ予約して、金も払ってしまう。二人が飯を喰ってるとき、おれは空の上にいる。我ながら、なかなかいいアイデアだ。 「サービスするよう、女将《おかみ》に言っておこう」 「よろしく」  あいかわらず家のなかは静かだった。火事は消えたのだろうか。さっき梅と間違えた八重桜の蔭が濃くなっている。おれたちは長いあいだ、窓越しに、淡い光の残る庭を眺めつづけた [#改ページ]    百万語の    言葉よりも  トンネルを抜けると、前方の視界が開けた。ゆるやかに下った道の両側は潅木に覆われた荒れ地で、茶色を基調にしたなかに若い緑が芽吹きはじめている。三月という季節が、多恵にはまだうまく実感できなかった。心は秋のはじめに置き残したまま、身体だけが春の入口まで運ばれてきたような気がした。どんなふうに秋が深まり、冬がやって来たのか。通り過ぎてきたはずの季節のことを、彼女はよく覚えていなかった。寒さも暖かさも感じなかった。季節の移ろいを自覚せずに、この半年をやり過ごして来たらしい。  再び登りはじめた道は、樹木に覆われた山の懐に分け入ったところで消えている。車が再び長いトンネルに入った直後、後部座席で中学生の加奈子が素っ頓狂な声を上げた。 「あっ、見えた」 「何が?」多恵はバックミラーで娘の様子を確かめる。 「いたの、トンネルの端に……いやだ、見ちゃった」 「誰がいたのよ」 「霊よ、死んだ人の」 「やめろよ」助手席の拓也が不機嫌そうに言葉を挟んだ。 「だって見えたんだもん」 「人が立ってただけだろう」 「違う、あれは霊だった。気配を感じたもん。ぞわ〜って。生きた人間なら、そんな感じはしないはずよ」 「馬鹿ばかしい」 「お兄ちゃん知らないの?」加奈子は運転席と助手席のあいだに身を乗り出すようにしてやり返した。「このあたりは長崎で原爆に遭った人たちが逃げてきたところなんだよ。途中で亡くなった人もたくさんいて、成仏できなかった人たちの霊がいまもさまよっているの。だから体調が悪いときや、心が不安定なときとかに通ると、霊に取り憑かれることがあるんだって」 「くだらねえ」 「本当なんだよ、ママ」加奈子は多恵に訴えた。「長崎自動車道で事故が多いのはそのせいなんだから。居眠り運転や脇見運転とされているものの多くも、本当は霊の仕業《しわざ》かもしれないの。ママも気をつけなきゃだめだよ」  アクセルに足をかけたままハンドルを握っていると、どこか別の世界に吸い込まれてしまいそうになる。不安の向こうには穏やかな安寧が広がっている。そこに身を投げたいと思うことがあった。何も考えず、感じずに済む世界に。彼が振り向き、手招きしてくれれば、そうしていたかもしれない。でも、いまは子どもたちがいる。 「ママ、暑い。クーラー入れてよ」加奈子が言った。  多恵はエアコンのつまみをまわしながら、隣の席でふて寝をきめ込んでいる高校生の長男に目をやった。軽く開かれた唇。妹との諍《いさか》いの名残りか、眉間に皺を寄せて、やかましそうな顔をしている。オレンジ色のライトに照らし出される横顔は、はっとするほど亡くなった夫に似ている。 「早くケーキ食べたいな」再び加奈子が言った。「ママ、長崎県て喫茶店が少ないよね」 「そうかしらね」 「たぶん長崎県人は基本的にコーヒーを飲まないんだと思う。コーヒーのかわりにチャンポンを食べるの」  何度も通っている道なのに、その都度はじめて通る気がした。正しい方向へ向かっているのかどうかもわからない。ただナビの音声案内の通りに車を走らせているだけだった。それでも車が増えてきているのは、市街地が近くなっているせいだろう。市内の渋滞を思うと、多恵は少し億劫な気分になった。 「あとどのくらい?」 「十五分くらいかな」多恵はナビの時計を見て答えた。  明るく開けた山の斜面に、たくさんの墓石が並んでいる。三人は口を噤《つぐ》んだまま、急な傾斜を登っていく。天気がいいので、しばらく歩くうちにセーターの下の肌が汗ばんできた。息をととのえるために立ち止まり、顔を上げると、正面は深く入り込んだ湾だった。対岸の豪華客船は、建造中の火災で進水が危ぶまれていたものだ。かなり修復が進んでいるように見えるが、真っ白な船体のところどころに残る煤《すす》けた部分が、いまも火事の記憶をとどめている。  墓の前に来ると、多恵は拓也が運んできた手桶を受け取り、柄杓《ひしやく》の水を慈しむように墓石にかけはじめた。その傍らで加奈子が、墓前に供える花を二つに分けている。慣れた手つきには、中学生の身で父親を亡くした境遇が否応なしに滲み出ているようだった。拓也だけは、少し離れたところに手持ちぶさたな様子で立っている。まだ父親の死を受け入れかねているのかもしれない、と多恵は思った。きっと妹のようには、自分の境遇と折り合いをつけることができないのだろう。 「パパ、寂しがってなかったかな」花を活け終わった加奈子が言った。 「もっと近くにお墓があればね」と多恵も合わせた。 「でも、遠くてよかったかも」また別なことを言った。「しばらく来られなかったことの言い訳になるもん。パパ、ごめんね」 「拓也もお参りしなさい」  促されるままに、息子は墓前で掌を合わせた。うつむき加減に目を閉じている後ろ姿を見ながら、何を祈っているのだろう、と多恵は息子の心中を推し量ってみる。夫の雄一が亡くなったのは、拓也が修学旅行で留守にしているときだった。父親の死に立ち会えなかったことが、息子の心に深い傷を残していることは容易に推察できた。そのために半年が経ったいまも、まだ立ち直れていないのではないか、と思うことがあった。母親にたいするやさしさは、自身の傷と向かい合うことを避ける方策でもあるのかもしれない。  管理事務所に手桶と柄杓を返し、子どもたちがトイレを済ますのを待つあいだに、多恵は一つのことを思いついた。 「先に行って、ケーキ食べててくれる?」 「ママは?」加奈子が不安そうにたずねる。 「ちょっと寄り道」  細く入り組んだ石畳の道を駐車場へ向かって下る途中に、古びた小さな教会がある。傷んだ門の前を通るたび、いつか立ち寄ってみたいと思っていた。 「じゃあ加奈子、先に行ってよう」察しのいい拓也が気を利かせて言った。「ケーキ喰おうぜ」 「いいね、いいね」加奈子はおどけた調子で答えた。「お墓参りで血糖値が下がったから、がばがばっと三個ぐらい食べたい」 「十五分ほどで行くから」  教会の多い街だった。墓所にも十字架を刻んだ墓石が目についた。子どものころから、多恵は教会が好きだった。ほのかな明るさと、静謐《せいひつ》な雰囲気のなかに身を置いていると、不思議と気持ちが落ち着いてくる。難しい教義のことはわからなくても、何か大きな力によって自分が守られているという安心感をおぼえた。  礼拝堂の扉は開いたままだった。天井の近くに並ぶステンドグラスの窓から、やわらかな光が射している。祭壇に安置されたマリア像の前には、たくさんの蝋燭が灯されている。跪《ひざまず》いて十字を切る、といったことはできなかった。芝居がかっていて、かえって敬虔な気分を損なう気がした。かわりに軽く掌を合わせ、長いあいだ頭を垂れていた。顔を上げ、ふと横を向いたとき、裏手の小窓から荒れた庭が見えた。大きな楠の下に、蔦《つた》のからまったマリア像が打ち捨てられたように立っている。不意に、あの像に手を触れたい、という強い衝動を感じた。  一度外に出てから、礼拝堂の建物をまわり込む形に進むと、民家の庭ほどの小さな空間なのに、マリア像の立っているあたりは、数本の高木が闇を抱え込んで濃い奥行きを感じさせる。白い彫像は、雨の染みや埃で黒ずんでいた。少し首をかしげた聖母は悲しげだった。多恵はゆっくり像に近づいた。ひんやりとした法衣の部分に掌をあててみる。そのまま目を閉じてじっとしていた。  結婚式をあげた教会を思い出した。オーストラリア西部の小さな港町で、彼女はシンプルな白いドレスを着て花嫁になった。もう二十年近くも前のこと。父親と腕を組んで歩いた狭い通路をおぼえている。聖歌隊の三人の女性が讃美歌をうたってくれた。その調べをおぼえている。思い出は隅々まで鮮明に甦ってきた。牧師の述べる誓いの言葉に、日本語で小さく「誓います」と答えた。花婿がキスをしようとすると、窓から吹き込んできた風にヴェールがはためいた。風がおさまるのを待って、彼はそっとヴェールを持ち上げ、それからやさしいキスをしてくれた。外に出ると、近所の人たちが米を撒いて祝福してくれた。八月は南半球では冬のはずなのに、降り注ぐ光は甘く、匂い立つようだった。  普通の世界で普通に生きるということが、わからなくなっていた。みんな何気なくやっている一つ一つのことが、手探りの困難をともなった。そうした動揺や不安を、荒れた庭に立つマリア像が吸い取ってくれる気がした。巨《おお》きなものに抱かれているという安心感をおぼえた。こわばった感情が少しずつほぐれていく。さわさわと揺れる葉音に、きつく張り詰めていた身体の芯のあたりが緩んでくる。多恵はいまさらながら、「ああ、春がやって来るんだ」と思った。  あのころは泣いてばかりいた。やらなければならないことはたくさんあった。実際、事務的な手続きなどは、悲しみと動揺のなかにあってもそれなりにこなしていた。弁護士や行政書士に連れられて、毎日のように役所や銀行に出かけていった。そうして帰ってくると、立っている気力も体力もなくなっている。  彼が亡くなったソファに坐って、日が暮れるまでぼんやりしていた。とりとめもなくいろいろなことを思い出した。葬儀のあいだ流れていたフォーレの『レクイエム』。ミシェル・コルボがベルン交響楽団といれたディスクを、彼は生前に愛聴していた。それで葬儀社の人にたのんで、焼香から出棺のあいだ流してもらったのだが、そのままディスクは行方不明になって、多恵の手元には返ってこなかった。  繰り返し同じ問いにとらわれた。最期の瞬間、何を考えていたのだろう。何を話したかったのだろう。いまさら悔やんでも仕方ないと思いながら、一つの疑問に心をからめ取られ、先へ進むことができなかった。何かしてあげられたのではないか。適切な処置をすれば、本当は助かったのではないか。  金曜日の夜、出張から帰ってきた雄一は、いつものように自分の部屋でやすんだ。そして土曜日の朝、「おはよう」と言いながら居間に入ってきたときも、とくに変わった様子はなかった。それから一時間ばかりのあいだの出来事は、いまでも本当に起こったことのような気がしない。その場に自分が居合わせたという実感がなく、どこか遠いところから無言劇でも眺めているような、断片的な記憶だけが残っていた。  新聞を読みながらお茶を飲んでいた彼が、胸のあたりを押さえて突然苦しみはじめたこと。電話で救急車を呼び、娘の加奈子に心臓マッサージをさせながら、見よう見まねの人工呼吸を試みつづけたこと。そのあいだも温かかった彼の身体は、どんどん冷たくなっていった。すでに時間の感覚はなくなっていた。救急車がやって来るまでの時間が、異様に長く感じられた。  隊員の一人が慣れた様子で人工呼吸を施しているのを、別の隊員が担架を組み立てているのを、ぼんやり見ていたような気がする。実際には、応急処置のあいだ、多恵は一連の事務的な質問を受けていた。名前は? 年齢は? そんなことより主人をなんとかしてください、あの人を助けてください……無言の叫びは胸のなかで固まり、口からは律義に質問にたいする答えが出てきた。  車のなかで心停止を告げられた。隊員たちの声は、ラジオ放送のように聞こえた。近くで人の喋っている声が、近くに感じられない。遠いとか近いとかいう感覚そのものがなくなっていた。あのときからすでに、見るもの、聞くもの、触れるものが現実感を失って、目の前で起こっていることから自分が隔てられている気がしていた。現実をストレートに受け入れなくて済むように、身体の方が自然と防衛反応をとったのかもしれない。  一通りの処置が終わったあとも、集中治療室のベッドに横たえられた彼の顔に触りつづけていた。この場から動くことなど考えられなかった。加奈子が泣きじゃくりながら言った。 「ママ、死んじゃったんだよ。パパはもう死んじゃったんだよ」  多恵は平静に答えたのをおぼえている。 「誰が? 誰が死んだの?」  否定したかったわけではない。単純にわからなかったのだ。雄一が死んだということが。死がどういうものかはわかっている。ベッドに横たわる人が誰かもわかっている。ただ、その人と死という事態が、どうしても結びつかない。彼が死んだということが、彼女にはわからなかった。わからないという形でしか、受け入れることができなかった。もし彼の死がすんなり受け入れられる世界があるとすれば、それは彼女の世界ではなかった。その世界に、彼女はいなかった。雄一が死んだということは、多恵にとって、どこか遠い世界の出来事であらねばならなかった。  その一方で、息子にはどんなふうに父親の死を告げるか、といった現実的な問題に思案をめぐらせてもいた。水曜日の朝、父と子は一緒に家を出た。雄一は車で拓也を駅まで送り届けてから会社へ向かい、そのまま最後の出張に出かけた。拓也は新幹線で信州方面への修学旅行に出発した。今日は土曜日だから、予定通りだと、何も知らない拓也が帰ってくるのは明日の夕方になる。あの子に連絡をとらなくてはならない。それまで亡くなった彼をどうすればいいだろう。  多恵は病院側に事情を話して、息子が帰ってくるまでベッドに置いてほしいとたのんだ。それはできないという返事だった。死者はすみやかに搬出されることになっている。しかも目立たない裏口から。会計は一般の通院患者に混じって済まさなければならなかった。窓口から名前を呼ばれるのを待ちながら、ひどい世界だと思った。すべてが生きている者の都合だけで成り立っている。死んだ者や、その家族のことは一切考慮されていない。こんな世界で、自分たちは生きていかなければならないのだ。夫を失った自分と、父親を失った二人の子どもたちは。  夫の死によってかかわることになった世間というものに、多恵はほとほと嫌気がさしていた。銀行へ行けば特別室に通され、こちらから望んだわけでもないのに遺産の運用について説明を聞かされる。市役所に行けば担当者が開口一番、「離婚ですか」とたずねてくる。「死別です」と答えると、掌を返したように同情的な口ぶりになり、「急に亡くなられたのですか」などと縋《すが》ってくる。そのくせ無神経に「母子家庭」という言葉を使う。何度も何度も、連呼するように使う。母親を気遣って付いてきてくれた拓也が、「あの言葉、抹殺したい」とあとから打ち明けたのも頷けた。何気ない言葉や、ちょっとした態度に敏感になっていた。人の善意でさえも、容易に彼女の心を傷つけた。自分が剥き出しのまま、あまりにも無防備に存在しているような気がした。  みんなから「がんばってね」と言われるたびに、途方に暮れた気分になった。だいいち「がんばってね」と言われても、どうがんばっていいかわからない。がんばりようがないところで、自分たちは悲しんでいるのに。足を踏ん張り、手を掛けるための確固としたものが、何もなくなっていた。大切な人を亡くすというのは、きっとそういうことだ。  拓也などは、顔を合わせるほとんどすべての大人たちから、長男なんだからがんばりなさい、お母さんを守ってあげなければいけない、お父さんの代わりになりなさい、などと言われていた。たまりかねて、一度だけ多恵は親族の前で訴えた。息子に「がんばれ」と言わないでほしい。もう充分がんばっているし、いまがんばれというのは無理だ。まだ十六歳で、本人だって立ち直っていないのだから。  気持ちはわかる、とも言われた。あなたの気持ちはよくわかる。たぶん本当に「わかる」と思っているのだろう。その傲慢さ、浅はかさ……。  やはり連れ合いを亡くした年配の婦人がいて、彼女から涙ながらに抱きしめられたとき、この人とは言葉を交わさなくても気持ちが通じると思ったものだけれど、心の半分はあいかわらずさめていた。本当の気持ちは、誰にもわからない。自分の悲しみは誰も知らない。そのことで、多恵は雄一の苦しい分身を生きている気がした。  通夜が終わり、柩《ひつぎ》に入れる服を選んだときのこと。子どもたちは私服を入れたがった。 「だってパパは仕事に殺されたようなものじゃない」と加奈子は言った。  妹ほどあからさまではなかったが、拓也もやはり仕事で着ていたスーツを入れることには抵抗があるようだった。 「加奈はどういうときのパパが、いちばんかっこよかった?」多恵は穏やかに問いかけた。「ママはね、やっぱりスーツを着て、颯爽と家を出て行くときだったように思うの」 「冬は黒のロングコートを着てね」加奈子は懐かしそうに言葉を添えた。 「あれはカシミヤで高かったのよね。そういうことにはお金を惜しまない人だったから」 「見栄っ張りだったんじゃない?」 「かもね」  母と娘は短く声をたてて笑った。泣き笑うような顔になった。それから多恵は回想するようにつづけた。 「パパは仕事が好きだったよね。誇りももってた。だから最後も、営業マンとして送ってあげようよ」 「会社の人もたくさん来てくれたしね」 「そう。きっとみんなから好かれてたんだね」 「でもママ、もったいなくない?」 「なにが?」 「カシミヤのコート。焼いちゃうのはもったいないよ」 「あれはぼくが着る」それまで母親と妹のやりとりを黙って聞いていた拓也が、ぶっきらぼうに言った。「就職したときに着るから、大事に取っといてよ」  いちばん気に入っていたスーツを入れることにした。シャツとネクタイは加奈子が選んだ。それに靴と靴下、バッグ、名刺などを納めた。 「これでよかったよね」多恵は胸のなかで、柩の雄一に語りかけていた。「あなたもそんなことは望まなかったでしょう?」  雄一が亡くなった直後、二人の警察官が家にやって来た。病院から連絡が行ったらしい。彼らは多恵と加奈子から事情を聞く一方で、出張の予定などが書き込んであるカレンダーの写真を撮ったりしていた。警官の一人は、多恵に労災の認定について簡単に説明した。死因は心室細動、しかも四十代という年齢から、過労死の可能性が高いと病院側は見ているらしかった。 「ご主人が亡くなったばかりで酷な話ですが」初老の警官は親身な口ぶりで切り出した。「申請をするとなれば、法医学的な所見が必要です。つまり解剖ということになりますが、そのタイムリミットがありましてね」 「解剖していただく場合、遺体はどうなりますか」 「率直に申し上げて、返ってくるご遺体はミイラ状態です。首から下はすべて包帯を巻かれた状態と考えてください。また労災の申請をしても、すぐに認定されるとはかぎりません。場合によっては何年もかかることもあります。気力も体力もいります。個人的な意見を言わせてもらえば、よほどの覚悟がないかぎりお勧めできません」 「どうしようか」多恵は娘にたずねた。 「パパ、かわいそう……」加奈子は嗚咽《おえつ》を押し殺すように答えた。 「そうだよね」  きれいな身体のままで送ってあげたい、と多恵は思った。午後には帰ってくるはずの拓也を、全身に包帯を巻かれた父親と対面させるのは忍びない。親戚のなかには、あくまで申請をすべきだという者もいたが、多恵の気持ちは動かなかった。そんなことをしても、亡くなった雄一はけっして喜ばないだろう。そもそも警察から打診されるまで、「労災」などという言葉は彼女の頭になかった。  しかし雄一の直属の部下であった北尾は、ときにあからさまに会社への批判を口にした。臨終の直後から、残された家族と会社とのパイプ役になって親身に世話を焼いてくれているだけに、彼の口から職場の実状を聞かされるのは、多恵には辛いことだった。 「タイムカードを早く押して退社したように見せかけるのは、部署によっては当たり前のことになっていました。そんな姑息なことまでしてね……でもさすがに今回は、本格的な調査が入るだろうって噂ですよ」 「主人のことで?」 「じつは一年ほどのあいだに、課長と同じような突然死を遂げた方がおられまして。それも一人じゃないんです。みんな四十代から五十代はじめの働き盛りでした。会社の勤務体制に問題があるんじゃないかと、誰だって思いますよ」  長引く不況で、家電メーカーは業績の悪化にあえいでいた。思い切ったリストラが進められる一方で、営業の人間には過酷なノルマが課せられていたという。 「課長のような中間管理職が、いちばん大変だったと思いますよ」北尾は気の毒そうに言った。「会社と部下の板挟みになって。とくに課長の場合、部下が達成できないぶんは自分がカバーするってタイプでしたからね。ぼくなんかもずいぶん助けてもらいました。とにかく補償金はたくさんもらわなきゃだめですよ。そのくらいのことは、佐伯さん、しているんだから。本当に、会社を守るために命をすり減らしたようなものでした」  北尾としては、雄一への精一杯の同情と会社への軽い不満を口にしただけかもしれなかったが、そんなふうに言われると、多恵の心中は複雑に揺れた。いったい夫の人生とはなんだったのだろう。会社のために命をすり減らし、燃え尽きてしまった短い一生。それで何が残ったのだろう。あなたは幸せだったの? 「市場はどんどん縮小していて、おまけに競争は世界的なものになっているわけですよ」北尾は相手の気持ちの動揺には気づかない様子でつづけた。「販売価格を下げて、わずかな利幅から利益を搾り出さなければならない。おのずと営業ががんばって、たくさん売るしかないってことになるわけです。その一方で、情け容赦のないリストラの斧が振り下ろされる。こいつらサディストかって、ぼくなどは思いましたけどね。課長は会社への不満などは口にされませんでしたか」 「いいえ。逆に会社に感謝するようなことばかり言っていました。不景気なのに給料もボーナスもちゃんと出てありがたいなあって。子どもたちにも、こんな暮らしができるのは会社があるからなんだぞって、それこそ口癖のように……」 「やっぱり人間ができていたんだな」  揶揄の響きはなかった。 「呑気な人でしたから」と多恵も合わせた。  ここ数年は、業界の再編が急速に進んだ時期でもあった。雄一の勤める会社でも、外国企業との提携の話が持ち上がっているということを耳にしてはいた。しかし、それ以上の詳しい事情を多恵は知らなかったし、雄一も家ではほとんど仕事の話をしなかった。彼女が知っていることは、新聞などで一般の人が知り得ることと大差のないものだった。 「新しい市場の開拓とか海外への進出とか、もちろんポジティブな対策も講じられはするのですが、いちばん安全で確実、しかも安易な方法は外国資本との合併や業務提携なんです。組織的な余剰人員を排除し、規模の経済を実現することによって経費を削減できますからね。だから合併や業務提携の話が出るたびに、みんなびくびくするわけですよ。つぎは自分の番かもしれないって」  雄一もリストラの不安に怯えながら仕事をしていたのだろうか。少なくとも家では、そうした素振りを見せることはなかった。よほど自信があったのか、それとも悟られないようにしていたのか。呑気なのは自分の方だったのだ、と多恵は臍《ほぞ》をかむ思いで振り返った。同時に、よく知っているつもりでいた相手のなかに、彼女の知らない謎めいた部分を垣間見るような気もした。 「ぼくなどは会社の上役がまわってくるたびに、机の下にでも隠れたい気分になるんです」北尾は言っていることとは裏腹に、おどけた調子でつづけた。「どうか目が合いませんように、自分の名前を覚えられませんようにってね。向こうに認知されるってことは、レイオフの対象として認知されるってことでもあるわけで。誰のクビを切るかって、人事部長とかがトイレのなかで考えるときに、ふとぼくの顔が浮かんで、そう言えば北尾ってやつがいたな、とか……」  不意に間ができた。多恵は催促されるようにして虚ろな笑い声を立てた。 「いや、笑いごとじゃないですよ」北尾は自ら調子をととのえ、この世の不幸を一身に背負った顔でつづけた。「ぼくなどは定年まで、まだ三十年近くあるんですよ。それまでクビにならずに勤めたいけど、まず無理だと思っています。三十年後に生き残っている日本のメーカーなんてありえませんよ」  葬儀や何かが一段落してから、多恵は雄一が最後に着ていたカッターシャツをクリーニングに出しにいった。ついこのあいだまで、ほとんど毎日のように利用していた店だった。夫のシャツやズボンを出しにいって、出来上がったものを受け取ってくるのが日課になっていた。  引き換え証をもらって店を出たとき、もう彼のものを出すことはないんだな、とぼんやり思った。不意に、足元に小さな穴があき、そのなかへ吸い込まれてしまったような気がした。まわりの情景や物音が消え、「一人ぼっちなんだ」という静かな自覚が、多恵の世界を満たしていた。長いあいだ動くことができなかった。どこへ歩いていけばいいのかわからなかった。ようやく足を踏み出したとき、「本当にいなくなったんだ」という実感に、彼女は押しつぶされそうになった。掌にある、たった一枚の小さな引き換え証のせいで。  繰り返し見る夢があった。細い路地を男が一人で歩いている。雄一だと思って、多恵はあとを付いていく。声をかけることができないのは、人違いだったらという懸念よりも、男の背中が見せている、どこか拒絶的な雰囲気のせいだ。狭い道、細い路地を選びながら歩いていく。見覚えのある道だけれど、どこと特定することは難しい。家々の玄関先には、粗末な鉢に丹精された植物が豊かに葉を繁らせている。この先の坂道は、たしか小さな神社の境内につづいているはずだ……曖昧な記憶を反芻しているうちに、男は神社へ向かう道からは逸れて、似たような家が建ち並ぶ住宅地に入っていく。  重なり合った屋根の隙間から陽が射し込み、地面に細長いコントラストをつくっている。影に力がないのは、夕暮れが近いせいだろうか。男は後ろを振り返ることもなく、ややうつむき加減に歩いていく。辛そうな顔をして歩くな、と多恵は思った。実際は顔は見えなかったが、何か一つの事柄をしんねりと思い悩んでいるような、重たい表情が肩から背中にかけて表れていた。こんな辛気臭い雰囲気を見せる人だったろうか。怪訝な思いが、夕暮れのように濃くなっていく。すると最初の確信は揺らいで、人違いという気もしてくる。  取り込み忘れた洗濯物が干してある私道の角を曲がると、低い生垣の先が砂浜になっていた。プラスチックの容器や発泡スチロールの切れ端が打ち上げられた黒っぽい砂浜は、ゆるやかに湾曲しながら河口までつづいている。だが彼の姿は、どこにもない。幻を追いかけてきたみたいだった。途方に暮れた気分であたりに目をやった。どこへ行ってしまったのだろう? ふと足元を見ると、砂の上に鍵と煙草が落ちている。彼のものに間違いない。たしかに、ここに来たんだ。でも姿がない……ああ、いないんだ、と奇妙に得心のいく心持ちで思っている。そこで目が覚める。  同じ夢をずっと見ていた。  夜更けに電話が鳴ると、彼からではないかと思った。そんなことはありえないとわかっていても、電話が鳴るたびにはっとして心臓の鼓動が速くなる。無意識の癖のようにして、雄一の携帯を弄んでいる。すると不思議に気持ちが落ち着いた。あるとき電源を入れると、一瞬だが、画面に女の顔が現れた。待受に使っていたものらしい。女性が誰なのか、とくに気にはならなかった。もちろん詮索するつもりなどなかった。女優さんだろうくらいに思っていた。  しかし女性の顔は、いつまでも多恵の頭の隅に引っかかっていた。目を閉じて眠ろうとしながら、何気なく彼女の顔を思い浮かべたりする。どこかで会っているような気がした。でも、それがどこでだったのか思い出せない。きっと気のせいだろう。案外、テレビのなかで会っていたとか。多恵はおぼろげな女性の顔を脳裏から振り払い、雄一のことを考えはじめた。苦悶の表情を浮かべる間もないほど、呆気《あつけ》なく、性急な最期だった。痛みは感じたのだろうか。何か言い残したことはないのだろうか。最期の瞬間、何を思っていたのだろう。誰を想っていたのだろう……。  するとパズルがぴったり組み合わさるようにして、問いと答えがきれいに結びついた。 「あの人だ」  葬儀に来ていた女性のことを、多恵は不意に思い出した。見知らぬ人だった。それでも彼女のことが記憶に残っていたのは、葬儀に列席している人たちからすると、明らかに感じが異なっていたからだ。ときおり多恵たち遺族の方を睨むように見ていた。死者を悼むというよりは、もっと強い情念みたいなものを発していた。一時の怪訝な思いとともに、女は多恵の脳裏から消えていた。それがいま再び、姿を現した。 「あの人だったんだ」  もう一度、反芻するように思った。葬儀の席で異様な雰囲気を発していた彼女、待受に写真を残していた彼女……雄一が最期に想っていたのは、彼女だったのではないだろうか。繰り返し見る夢のなかで、砂の上に煙草と家の鍵を残したまま歩いていったのは、その女性のもとへではなかったか。  あらためて夫の携帯を調べてみた。着信と送信の記録は、ほとんどが消去されていた。何を消したかったのだろう。何を隠したかったのだろう。しだいに高まる不安と焦りのなかで、多恵は残された携帯電話を操作しつづけた。何をやっているんだろう、と自問してもみる。そんなことをして、いまさらどうなるものでもないのに。誰が喜ぶわけでもないのに。「やめてくれ」という声が聞こえたような気がした。耳を塞ぐわけでもなく、多恵はその声をやり過ごした。  消し忘れたのか、それとも翌日に消すつもりだったのか、亡くなる前日の金曜日、夜九時以降のものだけが残っていた。なかに奇妙なものがあった。どうやら相手の人と、土曜日にランチの約束をしていたらしい。さらに予定を変更するメールが何通か入っていた。文面だけ見ると、「松田」という相手は職場の同僚で、食事の約束はビジネスライクなものに見える。しかし仕事がらみのメールにしては、言葉づかいがおかしかった。仮にプライベートな約束にしても、男同士のメールのやりとりで絵文字を使うだろうか。おそらく相手は女性だろう、と多恵は思った。  たった一箇所の綻《ほころ》びから、糸はほつれはじめていた。その糸は、一本にきれいに繋がっていくようだった。多恵にとっては見たくもない、知りたくもないことだった。その一方で、もっと見たい、もっと知りたいという、アンビバレントな心のぶりをおぼえてもいた。  メモリーに登録されている電話番号を調べてみた。「松田」という名前は、会社関係にも取引関係にも入っていない。あきらめかけたころ、別のグループにその名前があった。携帯の番号が登録されている。電話をかけることにはためらいもあった。相手の素性を知ったところで、得るものは何もないだろう。下手に詮索をすることで、彼の思い出を損なってしまうかもしれない。しかし気づかなかったことにして、やり過ごしてしまうことはできそうになかった。  ひょっとすると、自分が考えている女性とは別の人かもしれない、と多恵は思い直してみる。その人は、彼が亡くなったことを知らずにいるかもしれない。食事の日時や場所まできめていたのなら、約束をすっぽかされたと思っているかもしれない。もちろん本気でそう考えたわけではなかったが、そんな可能性にすがることで、電話をかけることと気持ちの折り合いをつけた。  女性が出た。多恵は自らの素性を名乗った。前もって考えていたわけではないのに、つづく言葉もすらすらと出て来た。 「じつは先ごろ主人が亡くなりまして、生前お世話になった方に連絡しています。携帯に番号が残っていたものですから……失礼ですが、主人とはどういうご関係でしたか」  相手はしばらく無言だった。 「もしもし?」  唐突に電話は切られた。  雄一が亡くなった月の末に、彼が使っていた携帯電話やクレジットカードの会社から明細が送られてきていた。ほとんど気にもとめなかったし、まして中身をチェックしようなどとは思ってもみなかった。そのため葉書で来たものも封書で来たものも、開封されることなく、居間の書棚の隅に積み重ねられたままになっていた。  クレジットの明細には不可解な点がたくさんあった。まず航空券を買っている。ホテルの宿泊費も払っている。しかも沖縄だった。いろんな買い物をしている。給料の明細を見て、多恵は自分の目を疑った。先月は有給休暇を三日も取っている。出張つづきで、土日もなく忙しく飛びまわっていた彼が? 会社に事情を話して確認してもらった。やはり有給を取っていることは間違いなかった。沖縄のホテルにも電話をしてみた。客のプライバシーにかかわることは教えられないということだった。  ホテル側の言質《げんち》を取るまでもなく、ばらばらだった事柄は、多恵のなかで一つに繋がりはじめていた。そこにはどんな誤解も紛れ込みようがなかった。夫は有給休暇を取って、「松田」という女性と沖縄へ旅行していた。自分たち家族には出張を装って。いろんなものを買ってやっただろう。服や装飾品や小物や……。  そう言えば、とまた一つ小さな嘘に思い当たった。労災の疑いがあったために、会社の上司も警察から事情聴取を受けた。本格的な取り調べが行われる前に、警察官が通夜の席に現れた。家にやって来た二人のうち、年配の方だった。彼は手帳を見ながら、雄一の上司に幾つかの簡単な質問をした。その場に多恵も居合わせた。 「過労死じゃないですかね」警官は世間話の口調を崩さずに言った。「亡くなった日の前日も大阪へ出張だったんでしょう」  質問を受けた上司は、そばに控えている北尾に確認した。 「佐伯君、大阪へ行ってたんだっけ?」  北尾の反応が、いまから思うと不可解だった。「どうでしたかね」などと記憶が曖昧なふりをして、ちょっと困った顔をしていた。「行ってないの?」と、頭の隅でちらっと思ったものだ。一瞬の懐疑は、通夜の慌ただしさに紛れて流れていった。多恵の脳裏の外を漂流しつづけ、いままた確信に近い答えを携えて返ってきた。 「やっぱり行ってなかったんだ」  雄一が使っていた車のなかに、高速料金の領収書が残っていた。彼は木曜日に仕事を終えて、夕刻、鹿児島から大阪へ飛ぶと言っていた。そもそも飛行機で大阪へ向かうつもりなら、鹿児島まで車で行っていることがおかしい。領収書を繋ぎ合わせてみると、案の定、鹿児島から大分へ引き返している。そして日田へ。おそらく「松田」という女性と落ち合って、一泊したのだろう。  すぐに北尾に電話をした。 「大阪へは行ってないんですね」  それだけで相手には通じた。多恵の口調にただならぬ気配を感じたのか、北尾は素直に「行っていません」と白状した。 「すみません……」  それ以上、何も聞きたくなくて、一方的に電話を切った。涙が溢れてきた。何を信じていいかわからなかった。何かを信じていても、いつかはこんなふうに裏切られてしまう。この世界は自分の知らない嘘でできていて、本当のことなど何もないような気がした。  数日後に、もう一度女性の携帯に電話をした。今度は手加減せずに切り出した。 「主人とどういう関係だったのですか」  相手は多恵からの電話を予期していたかのようだった。 「付き合っていました」悪びれずに答えた。「結婚する予定でした」  束の間、多恵は絶句した。 「だって、彼には妻も子どももいたんですよ」 「知りませんでした」ふて腐れた、ぶっきらぼうな口調だった。「別れたと言っていましたから」 「それをあなたは信じたの?」 「信じていました」 「でも、お葬式に見えたでしょう」 「だまされたと思いました。あなたと子どもさんたちを見て……この人たちさえいなければ、わたしが彼と結婚できたのにと思いました。そしてあなたたちが住んでいるマンションに二人で住むことができたのにって」 「やめてください」多恵は相手の話を押しとどめた。「そんなことはありえません。現になかったじゃないですか」 「もし彼が生きていたら……」 「主人は亡くなったんです」  しばらく間ができた。やがて電話口から女の啜り泣く声が聞こえてきた。その声は、不思議と多恵のささくれた気持ちを落ち着かせた。ああ、この人も悲しいんだ、と思った。わたしと同じように、彼の死を悲しんでいるんだ。 「もしもし?」 「すみません」涙声で相手は言った。「奥さんがいらっしゃることは、彼が亡くなるまで本当に知らなかったんです。ずいぶん前に別れて、子どもたちとも会えないんだと言っていましたから」  本当だとしたら、なぜ彼はそんな嘘をついたのだろう。そんなにまでして、この人と付き合いたかったのだろうか。知り合ったのは、半年ほど前のことだという。女性にたいする同情と裏腹に、あらためて彼にたいする不信感が湧いてくる。 「結婚はされてるの?」  相手は訥々《とつとつ》とした口調で喋りはじめた。とくに隠し立てする素振りは見せない。むしろ身の上相談でも聞いてもらっているような話しぶりだった。二十二歳で結婚し、二十三歳で離婚していることがわかった。原因は夫の浮気だったという。今年で三十八になる。三つ下か、と多恵は自分の年齢と比べてみる。 「ご主人に浮気されたときは辛かったでしょう?」努めて詰問する口調にならないように言った。「あなたもわたしに同じことをしたのよ。そのことは覚えておいてね」 「ごめんなさい」相手は素直に受けた。「もし彼に家庭があるとわかっていたら……」 「もういいの。終わったことだから」多恵はきっぱりと言った。  冷静に話をしている自分が不可解だった。文句を言ってやろうと思っていたのに。責めるつもりでいたのに……責められない。 「わたしのことは忘れてください」  それは難しいかもしれないわね、と思ったけれど、口には出さなかった。かわりに言った。 「あなたも幸せになってね」 「ありがとう」  電話を切ってから思った。人に幸せになってねと言うのは簡単だ。それに比べて自分の幸せを口にするのは、なんと困難なことだろう。「幸せ」という言葉によって喚起されるものが、影も形もなくなっていた。ただ言葉の抜け殻だけが転がっている感じだった。何を手がかりに、そこへ近づいていけばいいのか、多恵には見当もつかなかった。  たしかに生きてはいた。肉体的にも、精神的にも。しかし彼女の自我は死んでしまった。時間が流れるという感覚をなくしていた。細切れに分断された時間の、ただそのとき、そのときに屹立《きつりつ》して彼女は存在した。自分がどこか遠いところへ行ってしまった気がした。どこにもいないとも感じた。ものを食べても、ぱさぱさした紙を噛んでいるようで、味はまったくしなかった。氷ばかり齧《かじ》っていた。咽喉が渇き、口のなかの熱感はいつまでも消えなかった。噛み砕いたときの氷の冷たさだけが、唯一、統括できる感覚だった。  何かをしなければならないと思っても、気持ちがそこにない。子どもたちを学校へ送り出してしまったあとは、仏壇の前に、彼の遺骨の前に坐って泣いていた。いくらでも泣くことができた。泣くことが生きていることの証《あかし》みたいなものだった。泣くこと、彼の不在と不実を悲しむことで、辛うじてここにとどまっていられる。しかし、そうやってとどまっている場所に、彼はいない。 「どうしてあんなことをしたの」写真に問いかけていた。「どうして裏切ったの。あんなに悲しんだのに、誰よりも深く悲しんだのに……」  遺影のなかの雄一はにこやかに微笑むばかりだった。 「何がおかしいのよ」多恵は虚しい思いで毒づいた。「へらへら笑って、馬鹿みたい」  憎んでも、恨んでも、何も返ってこない。いくら責めたくても、彼は死んでしまって、気持ちをぶつける相手がいない。誰にも言えない。誰にも相談できない。すべてを自分のなかで処理しなくてはならない。そのことが、いちばんきつかった。  二つの気持ちのあいだを行ったり来たりして、どこに自分の本当の気持ちがあるのかわからなかった。気分のいいときは、何もしてあげられなくて悪かったと思う。もっとやさしくしてあげればよかった、という甘い悔悟も満ちてくる。逆に気持ちがマイナスに振れるときは、憎しみや恨みの感情ばかりが湧き上がってくる。理不尽で、不当な思いに苛《さいな》まれた。彼にたいする、彼女にたいする反発が、自傷の衝動と分かちがたく前面に出てきた。一種の躁鬱状態のようなものだった。そのはざまで、多恵は疲れ果てていった。  精神的な疲労が極限に達すると、みんな自分を裏切るんだという、いじけた諦念さえ心地よく感じられてくる。そこが唯一、不安定な気持ちを落ち着けることのできる場所にも思えた。死んでしまった彼を責めるよりも、生きている彼女を責めるよりも、自分自身にたいする強い嫌悪に打ち負かされてしまいそうになる。何度も同じ場所に引き戻され、先へ進むことができなかった。  どうして、どうして……心が一つの問いの周囲をまわりつづけているので、身体も知らず知らず同じ行動を繰り返している。彼の靴を磨くこと。最後に着ていたスーツにブラシをかけること。スーツにはかすかに彼の匂いが残っていた。その匂いに顔を埋めてまどろんだり、また目が覚めたりを繰り返した。まどろんでいるときには彼の夢を見た。起きているあいだは泣いた。  いつのまにか家のなかだけで過ごすようになっていた。外に出ると、近所の人がいろんなことを訊いてくる。夫の死をあらためて言葉でたどり直すのは苦痛だった。なかには同情よりも好奇心がまさる訊き方をしてくる隣人たちもいて、とうとう玄関から先に出ることができなくなった。  火葬場の職員が壺のなかの骨を箸でつぶす音が、耳の奥に残っていた。彼がつぶされている、とそのとき多恵は思ったものだ。いったい何をしたというのだろう。こんな仕打ちを受けねばならない重い罪を、夫は犯したのだろうか。それとも死ぬことが罪なのか。亡くなった彼のことが不憫《ふびん》でならなかった。だからせめて、骨になったいまは心ゆくまで抱いていてあげたい。彼がばらばらになって、どこかへ行ってしまわないように。  だが本当は、そうやって夫の遺骨を抱きしめることで、自分の心が中心を失い砕け散ってしまうのを防いでいたのかもしれない。 「まだ温かいんだよ」壺を膝に抱いたまま、泣き疲れた顔で子どもたちに言った。「お父さんの骨、いつまでも温かいんだよ」  仏壇の前を離れない母親を、兄妹は気遣うようになっていた。多恵の方は、悲しみに塞ぐ心を抑えきれずに、つい「死にたい」と口にしてしまう。 「お父さんのところに、お母さんも行きたい」 「そんなこと言わないで」加奈子が哀願するように言った。「お母さんがいなくなったら、わたしたち二人きりになるんだよ。他に誰もいないんだよ。だから行かないで。死にたいなんて言わないで」  だって、生きているパパは知らない女の人に取られてしまったんだもの。取り戻すためには、ママがパパのところへ行くしかないじゃない……そんな理由にもなっていないことを、胸のなかで言い募っている。  何日かして、拓也が高校をやめると言いだした。学校をやめて働くと言う。自分が働くから、お母さんはもう働かなくていい。長男なりの理屈だった。 「ずっと家にいていいよ。そしたらお父さんのそばにいてあげられるでしょ。そうすればいいから」  子どもにこんなことを言わせてはいけない、とようやく我にかえった心地で多恵は思った。自分がいつまでもここにとどまっているかぎり、子どもたちも先へは進めない。仕事に戻ろう、と気持ちが固まったのは、そろそろ四十九日を迎えるころだった。  栄養士として働いている病院に復帰すると、同僚たちは口々に「大変だったわね」と労《いたわ》ってくれたが、その一方で陰口も耳に入ってきた。よく働く気になれるわね。患者さんたちの前でにこにこできるわね。どのくらいお金が入ったのかしら。なかには無心ともとれるようなことを口にするスタッフもいて、多恵の気持ちはささくれた。 「信じるのは家族だけだよ」と子どもたちには言った。「これからは誰にも頼らずに生きていくからね」  強がりに自分を奮い立たせてみても、それが虚勢に過ぎないことは、多恵自身がいちばんよく知っている。どうしてこんなことをしているのだろう。無理をして生きつづけることに、なんの意味があるだろう。日に幾度となく、この世界にとどまりつづけるのが億劫に思えることがある。彼の煙とともに消えてしまいたかった、という後ろ向きの願望に、繰り返し心を揺さぶられる。あのとき彼と一体化して、空の彼方まで昇っていきたかった……。  中心が抜け落ちてしまったような感覚は、日ごとに強く多恵をとらえていった。病院もスタッフも、やっていることも、どこも変わっていない。朝が来て、夜が来て、何も変わらない。それなのに彼だけがいない。土台も支柱も失われたあとに、とりあえず屋根だけをかぶせて暮らしているみたいだった。淡々とした暮らしのなかに、転げまわっているような焦燥感があった。  当たり前にこなしていた仕事が、苦痛以外のなにものでもなくなっていた。病院の食事療法は、患者の不適切な食生活や食習慣を改善するという方針の上に成り立っている。長年つづけてきた生活習慣を矯正されれば、しかも食事という生活の根幹をなす部分を他人に決定されるとなれば、自ずと不満や反感は多くなる。苦心して献立を考えても、聞かされるのはたいてい苦情ばかりで、感謝の言葉が返ってくることはほとんどない。  たとえば糖尿病の場合、主治医から一日のエネルギー量は一六〇〇キロカロリーと指示されれば、二〇という指示単位に置き換え、六つの食品グループに振り分ける。これを三食に配分して献立を考えることになる。血糖コントロールのためのエネルギー制限だけならまだしも、糖尿病性の腎症が加わるとタンパク質を制限する必要が生じ、さらに塩分や水分まで制限されると、たいていの患者は悲鳴を上げる。高齢者のなかには泣きながら辛さを訴える人もいて、献立を考えながら多恵は、彼らを虐待しているような錯覚にとらわれることもあった。  職場が近づいてくると、咽喉まで胃がせり上がってきそうな圧迫感と息苦しさをおぼえた。「病院」という言葉を思い浮かべるだけで、身体が拒否反応を起こしかける。それでも仕事にしがみついていたのは、何かをしていないと自分がだめになってしまうという危機感があったからだ。  十一月末の日曜日、多恵は加奈子を連れて、郊外にオープンしたばかりのショッピングモールに行ってみることにした。雄一が乗っていた車を、彼が亡くなったあとは多恵が運転するようになっている。女性のことが明らかになってからは、さすがに処分することも考えたけれど、思い切れずに乗りつづけていた。  だだっ広い店内は人で溢れていた。どこからこんなにやって来たのだろうと思うほど、売り場も通路もエスカレーターも混み合っている。中央のホールではキャラクターショーが行われており、小さな子どもたちと親で黒山の人だかりができていた。悪の手先と戦う正義の味方、という設定らしかった。自分たちにもこんなころがあったのだなあと、ずいぶん遠い心持ちで多恵は思った。  とくに買うあてのない服を二人で見て歩いた。どの服を見ても、それを身に着けている自分を想像することができなかった。新しい服を着て何が変わるのだろう、という虚しさだけが、温かそうな生地の向こうから際立ってくる。本屋で何気なく開いてみた本のページに、「たくさん雨が降った」という言葉を見つけた。すると、それが雄一からの言葉のように感じられた。「そうね、たくさん雨が降ったわね」と、心のなかで多恵も答えている。でも、死者は死者だった。  CDを見てくるという加奈子を待つあいだ、コーヒーショップで一休みすることにした。キャラクターショーの派手な効果音と、音声の割れた台詞を背中に受けながら、夫婦ってなんだろうと、あらためて思ってみる。二十年近くも連れ添って、結局信じられるものは何もなかった。信じていたはずの相手からは裏切られた。その歳月はなんだったのだろう。彼もうまく隠したのかもしれないが、自分もまったく気づかなかった。長く連れ添っていてこれだ。いや、長く連れ添っていたからこそ、わからなかったのかもしれない。  雄一はどんな気持ちで、別の女性と付き合っていたのだろう。その人のことが本当に好きだったのだろうか。彼女と会っているとき、自分は雄一のなかでどんなふうに扱われていたのだろう。葛藤はなかったのだろうか。真面目な性格の彼のこと、きっとずいぶん悩み、心労を募らせていたに違いない。もっと早く気づいていたら、どうだったろう。そのことで夫婦は修羅場を迎えたかもしれないが、すべてが明るみに出るという意味では、多恵にも相手の女性にも本当のことを打ち明けられずにいた雄一自身は、少し吹っ切れたかもしれない。ひょっとすると死なずに済んだのではないか……そう考えると、彼を死に追いやったのは自分であるような気もした。  買い物を終えて、多くなった荷物を積み込むためにトランクをあけた加奈子が、耳障りな声を上げた。 「なにこれ……」 「どうしたの」  加奈子は呆然としてトランクのなかを見ている。そこには真新しい服や靴、着替えや洗面用具などが入っていた。多恵は思わずくずおれてしまいそうになった。事情を知らない加奈子は、袋もあけられていないポロシャツなどを手にとっている。 「ゴルフの景品かなあ」  多恵は上の空で相槌を打つしかない。 「パパ、出張にシャンプーやリンスまで持っていってたんだ」  女性の話していたことを思い出した。こういうことだったのだ。あちこちに連れていってもらった、と彼女は言っていた。泊まりがけの旅行にも連れていってもらった。だから着替えや洗面用具をトランクに常備していたのだろう。プレゼントを交換し合う仲だった、とも言った。そのプレゼントは身に着けられることなく、彼の死後もトランクのなかで眠りつづけていた。妻子ある雄一としては、さすがに女性からもらった服や靴を身に着けることはできなかったのだろう。  いつまでこんなことがつづくのだろう、と多恵は思った。何もかもが億劫で、嫌になってしまった。やり直すなんて無理だ、といまさらながらに思った。一度損なわれてしまったものは、ずっと損なわれたままなのだ。損なわれてしまった自分と、損なわれてしまった思い出を抱えて、死ぬまでは生きているしかない。  心のなかが乾ききっているような気がした。涙さえ、もう出ない。実際、このごろは雄一のことを考えても涙が出なくなった。感情が枯渇してしまったのだろうか。彼にまつわる喜びも悲しみも苦しみも、いつのまにか昔のことになっている。そうやって自分はどこへ行くのだろう。どこへ行こうとしているのだろう。ここより別の、どこかへ行くことなどできるのだろうか。  叔母の秀子は、雄一が亡くなった直後から多恵のことを気にかけて何度も家まで足を運んでくれた。仕事に戻ることを強く勧めたのも彼女だった。 「あんた、まるで別人みたいだよ」あるとき秀子は姪の顔を見るなり言ったものだ。「いつまでもこんなところにいてはだめ。家から出ることを考えなきゃ。とにかく外に出てごらんなさい」  クリスマスのイルミネーションが街に溢れるころ、叔母は糸島の農家に多恵を連れていってくれた。店が懇意にしている農家が何軒かあり、秀子の店では、それらの農家から毎朝新鮮な野菜を届けてもらっていた。さらに月に何度かは、自ら車を運転して出かけることもあるという。その際に、少しでも気晴らしになればと、家に閉じこもりがちな姪に声をかけたのだった。  気持ちよく晴れた土曜日の朝だった。道路の両側に広がる畑には、キャベツやブロッコリー、春菊、葱などが豊かに実っている。そこに昇ったばかりの朝日が射して、夜間に降りた露を、白くゆらめく霧状にして空へ還していた。遠く脊振《せふり》の山々が、朝焼けに赤く輝いている。 「いちばん大切なのは良い素材を探すこと」車を運転しながら秀子は言った。「人間にできるのは、素材の力を引き出してやることだけ。味付けや盛り付けは、そのための手段でしかないの」  叔母とまわった農家で、朝採れたばかりのほうれん草を生で口に含んだときの感動は、忘れることができない。植物は低温になると、自らの組織を守るために糖分を増加させる性質がある。寒さに耐えようと、ビタミンなどの栄養分も蓄えていく。だから冬は葉野菜がおいしくなる……と、その程度のことは多恵も知っていたが、実際に秀子から肉厚の葉をなかば無理やり口に押し込まれ、噛んでみたときには、本当に涙が出そうなくらい感動した。生のほうれん草がこんなに甘く、美味しいものとは思わなかった。一葉のほうれん草には、大袈裟ではなく、生きていることの根源を問い直すような力があった。 「ちょうどいまが、いちばん味が濃くて甘みも強いころね」秀子は自分もほうれん草の葉っぱを齧りながら言った。「でも太陽が昇るにつれて味が落ちてくるのよね。採ってから数時間もすると、まったく味が変わってしまう。本当はお客様を連れてきて、ここで召し上がっていただきたいくらい」  きっと本質的なことは人間の力を超えているのだろう、と畝《うね》に葉を繁らせている野菜を眺めながら多恵は思った。人間にカバーできるのは、ほんの一部分だけだ。そうした謙虚さを忘れたまま、もうずいぶん長いあいだ歩いてきたような気がした。 「うちの店で働いてみない?」帰りの車のなかで秀子は言った。「わたしも歳だし、信頼できる仲居さんが欲しいと思っていたところなの。多恵ちゃんは栄養士の資格をもっているから、調理場の方も手伝ってもらえるし」 「無理よ」多恵は即座に答えた。「だって食べ物の味がわからないんだもの。甘いとか辛いとか……何も感じないの。彼が亡くなってからずっと」 「ほうれん草は美味しかったでしょう」 「ええ、不思議だった」 「不思議でもなんでもないのよ。食べ物というのは、本来そういうものだから」 「どういうもの?」 「その人のなかの、生きようとしている部分に直接訴えかけてくる力があるの。それをちゃんと感じることができたんだから、多恵ちゃんは大丈夫よ」しばらく間を置いて叔母はつづけた。「リハビリのつもりでうちに来てみない? 机の上で電卓をはじいて食数計算をしていても、多恵ちゃんにはあまり得るところがないと思うの。いまが前に進めるチャンスじゃないかしらね」  午前中に一通り家事を済ませ、子どもたちに夕食の支度をしてから家を出るのが、ここ数ヵ月の日課になっていた。秀子が女将をしている料亭は、千代《ちよ》の御笠川《みかさがわ》を背にして建っている。地盤の低いところなので、大雨で川が増水するたびに浸水の危機に瀕することになる。昭和のはじめからつづいている古い店で、先代にあたる夫が亡くなったあとは、秀子が女将として、夫の代から残ってくれている板前さんと二人で店を守りつづけていた。  店に行くと、ちょうど網元から魚が届いたところだった。調理場で板前の下田が、発泡スチロールの箱から取り出した魚を水で洗い、鱗を落としたり、鰓《えら》を取ったりして下拵《したごしら》えをしている。店を任されるようになっても、秀子は先代のころより付き合いのある網元から一貫して魚を仕入れていた。小さな網元なので入荷は安定しない。その日入った魚で料理を工夫せねばならず、下田は仕込みのあいだに頭のなかで献立を考えていくらしい。 「今日はサワラのきれいなのが入ってますよ」還暦の近い下田だが、新入りの多恵にも丁寧な言葉を遣う。「もう春ですね。刺身もいいですが、照焼きにして、残りは味噌漬にしましょうか」  注文に応じて魚を届けてくれる業者はいくらでもあるのに、小さな網元にこだわりつづけるのには理由があった。 「魚のしめ方が違うんですよ」と下田は言った。「しめ方がよくないとね、届いたときに身がでれっとしている。この網元の魚は、いつも魚の身が獲れたてのようにぴしっとしているでしょう。だから火を通して塩焼きにしても、それぞれの魚の風味がしっかりと立ち昇るんです」  献立に合わせて食材を仕入れるのではなく、食材に合わせて献立を考える。しかも一種類の魚を、刺身、椀物、焼き物、煮物と様々な料理にして客に出す。病院の給食とは、まったく逆の発想だった。 「フキノトウは、このくらいにちょっと芽が開いているときがいちばんおいしいんだよ」その朝仕入れた野菜を、秀子は調理場で慈しむように吟味しながら言った。「これが開きすぎるとね、今度は硬くなって匂いも薄れるの。ほらどう、この香り」  秀子が差し出したフキノトウを、多恵はそっと鼻に近づけてみる。ほろ苦い香りがふわっと立ち昇る。人差し指の腹で蕾《つぼみ》を押すと、春の土の香りまでふくらんでくるようだった。 「今夜は山菜の天婦羅をお出しできるわね」  いい食材が手に入ったというだけで、秀子は機嫌がいい。「料理は素材」というのが叔母の口癖だった。地元でとれたもの、季節の食材を使うというのは、もともと女将の方針だが、加えて、その人に合った料理を出せれば、と多恵は考えるようになっている。  食は生命の源になるものだ。正しい食べ方さえ心がければ、これに勝る薬はない。「医食同源」とは、最近ひそかに勉強している漢方の考え方だった。人には本来、自分を健康にしてくれる食べ物を「おいしい」と感じる力が備わっているはずだ。それで「五行説」などを自分なりに咀嚼《そしやく》しながら、食品交換表のかわりに五行色体表を使って献立を考えてみる。季節によって調味を少し変えたり、お得意さんにはその人に合ったものを出すようにもしている。そんな工夫で、少しでも前へ進んでいるという実感を得ることができた。 「あたしも出てこようか」秀子が気を遣って言った。 「大丈夫。一人でやってみたいの」 「土曜の夜に、仕込みをしといてあげますよ」下田が引き取った。  店が休みの日曜日に、去年まで働いていた病院で食事指導をしていた人たちを、食事に招くことにしていた。叔母も下田も協力を申し出てくれたが、行き届かないところがあっても、自分一人の手でもてなしたいと多恵は考えた。  内科領域で栄養管理を必要とする疾患は、糖尿病、腎臓病、循環器疾患、呼吸器疾患など多岐にわたっている。退院後も家庭で食事管理を継続していかなければならない慢性疾患ばかりなので、入院中に食事療法の意味を充分理解してもらう必要がある。それによって家庭での栄養管理の実際も左右されるからだ。しかし頭で理解することと、日常生活のなかで実行することとは別である。とくに依存性の強い患者の場合、外来でコントロールができず、入院によって新たな治療が開始されるケースも多い。  今回招くのは、家庭でのコントロールが比較的うまくいっている、主に糖尿病の患者たちだった。そのうちの一人と、多恵は春先の街でばったり会った。手近な店に入り、病院を辞めたあとの近況などを話すうちに、ゆかりの仲間が集って食事会を催すという話が、いつのまにかまとまっていた。 「みんなであんたのこと心配してたのよ」六十代のその女性は言った。「ご主人を亡くして、仕事も辞めて、どうしてるんだろうって」 「元気にしてますよ」 「だからその元気なところを、いっぺんみんなで見に行くから」  昼御飯を食べてもらうことになった。まず桜の塩漬けを使って桜御飯を炊くことにした。桜色に染まった御飯を型に入れて花形に抜き、上に塩抜きした桜の花びらを飾る。主菜はサワラの木の芽焼きにした。切り身は酒と醤油と味醂で味付けし、焼き上がったものには菜の花の芥子和えを添えた。だし巻き卵と酢蓮根でもう一皿。タケノコ、フキ、椎茸、にんじん、里芋などで煮物椀もつくった。さらに吸い物、茶碗蒸のかわりに山芋を使った大和蒸を付けた。冷たいリンゴのスープとタンポポのサラダを前菜として、デザートに苺のシャーベットを出すと、五人ほどの客はみんな満足したようだった。 「久しぶりに美味しいものをお腹一杯食べたような気がする」 「カロリー、摂り過ぎてない?」 「ちゃんと計算してあるから大丈夫よ」多恵自身も満たされた気分で答えた。 「なんか魔法みたいね」 「品数は多いけれど、一品一品の量は少ないの」 「病院でも、そんなふうにしてくれりゃあいいのに」 「そしたらあんた、いつまでも居着いてしもうて、病院が困るやろうもん」  食事を終えて談笑する人たちの笑顔に、多恵も心の底からうれしさが込み上げてくる。「おいしかった」「ごちそうさま」と言われることで、こんなに充実感をおぼえたのははじめてだった。一人きりでの賄《まかな》いは、正直なところきつかったけれど、それでもやってよかったと思った。みんな自分の身の上を案じて集まってくれたことが、多恵にはよくわかった。年配の客たちは、まるで申し合わせたように、最後まで料理の話しかしなかったけれど。  再会の約束が交わされるころには、多恵の方もすっかりその気になっていた。 「今度は鱧《はも》のころにね」と一人が言った。 「それだと夏になってしまう。せめて鰹の季節にしてはもらえませんか」 「なに卑しいこと言ってんの」  そんな軽口が玄関先を賑わし、一行は滞りがちの足取りで前庭から古い冠木《かぶき》門までやって来た。見送りに出た多恵に、一人の婦人が何気なく言った。 「佐伯さんを連れていきたいところがあるのよ」 「どこに連れていってくれるのかしら」気軽にたずね返した。 「わたしの姪に霊感の強い子がいてね、いろんなものが見えるらしいの」 「いろんなものって?」 「天使とか」  思わず知らず、胸のあたりが重くなっている。相手は多恵の顔色を窺いながら、遠慮がちにつづけた。 「きっとご主人のことも見えるんじゃないかと思って」 「気遣ってもらってありがとう」平静を装って答えた。「いまはまだ、気持ちの整理がつかないから」 「見てもらいたくないの?」婦人はやや意外そうだった。 「見てもらっても、亡くなった人は帰ってこないもの」  夫を亡くすということは、生活がすっかり変わってしまうということだ。その変化は、根本的なところから細部まで隈なく及んだ。切れた電球は誰が交換するのか。これまでは雄一がしてくれていた。これからは多恵が自分でするか、拓也にたのむしかない。残された家族は、冬のあいだ鍋物を一度もしなかった。鍋を取り仕切るのは雄一の役目だった。材料を買い出しに行くのも、出汁をとり、食卓で菜箸をつかうのも。家族三人で鍋を囲むと、そこにいない人のことを思い出してしまう。  本当の孤独、本当の絶望が可能なら、生きることはどんなにか楽だろう、と多恵は思う。だが人は、孤独でいることなどできないように存在している。あいかわらず死者を身近に感じることが多かった。すぐそばにいて、同じ部屋の空気を吸っているという親密な感じ。馴染みのある肉体が、空間を押しのけて佇んでいるという確かな雰囲気……。にもかかわらず、もうその人を見ることも、話すことも、手を触れることもできない。この理不尽さが、残された者を苦しめる。  ほとんど毎朝のように、朝早くに目が覚めた。その時間が最悪だった。暗いベッドに横になったまま目を閉じていると、亡くなったときの情景が生々しく甦ってくる。心臓の止まった彼が、首を後ろに折ったときの絶望的な重量感。どんなに呼びかけても、懸命に頬をさすっても、大きな身体は無慈悲に冷たくなっていった。そのときの焦り、頭のなかが真っ白になってしまうような取り返しのつかない感じ。  早々に起き出して、気持ちを落ち着かせるためにミント・ティーを飲む。普通に生活していても、何気なく人と接していても、本質的な部分は少しも癒されていない。目にしているものが、多恵にはみんな疑わしいと感じられた。洗面所で自分の顔を見ている。長いあいだ見ているうちに、それが自分の顔とは思えなくなってくる。誰か知らない女の顔みたいな気がしてくる。夕暮れどきの空の色のように、絶えず何かが変化していた。そうした変化とともに、死者の気配に支配された現実が少しずつ正体を現してくるようだった。  奇妙なのは、死んでしまった人の存在をありありと感じる自分を、彼女自身が不思議とは思っていないことだった。夜寝ていると、台所の方でカタンと小さな物音がする。あるいは家のなかのどこかで床のきしむ音がする。多恵には「ここにいるよ」という合図に聞こえた。そのことを、ごく自然に受け入れることができた。  あるとき台所で食事の支度をしていると、不意に彼の声が聞こえた。多恵自身の心の声だったのかもしれない。外部からの刺激ではなく、頭のなかで再生される記憶だったのかもしれない。だが声ははっきりと、耳によってとらえられた知覚のように聞こえた。  振り向くと、居間を通って自分の部屋へ向かおうとしている加奈子と目が合った。 「なに」それからはっと気がついたみたいに、「パパね?」  彼女もやはり、日ごろ父親の気配を感じているらしかった。一度、夜中に寝ぼけて多恵の寝室に入ってきたことがある。 「どうしたの」 「パパが部屋に入ってきた」  それが夢なのか現実なのか、本人にもわからないらしかった。  会いに行ってみようかな。  最初は軽い気持ちで考えた。天使が見えるというその人に、雄一のことを訊いてみようか。口寄せみたいなことを期待したわけではない。むしろ話したかった。自分の胸の内に秘めていることを、誰かに聞いてもらいたかった。その相手として、天使を見る女性は最適であるような気がした。一度思い立つと、居ても立ってもいられない気持ちになった。とにかく話を聞いてもらおう。相手の話から得られるものは期待しなかった。ただ、どうしても会いに行かなければならない。そのことを使命のようにも、多恵は感じた。  教えられたマンションは、とくに豪奢なわけではないが、白を基調としたシックで落ち着いた雰囲気を漂わせていた。エントランスの植え込みには緑が溢れており、通りがかりには、ブティックかカフェのようにも見える。部屋の番号を押すと、インターホンで応答があった。落ち着いた女性の声だった。やがて透明なガラスのドアが左右に開く。  エレベーターで三階まで上がり、吹きさらしの通路をいちばん端まで歩いた。低い金属製の門の向こうがこぢんまりとしたアプローチになっており、鉢植えの植物とともに、陶器の天使人形が幾体も所狭しと置かれている。開閉式の門のレバーを持て余していると、部屋のドアがあいて女性が半身を覗かせた。 「いらっしゃい」穏やかに微笑みながら言った。  予想していたよりも若い人だった。歳は三十代半ば、おそらく自分より幾つか下だろう、と多恵は思った。脂っ気のない長い髪を、後ろで無造作に束ねて一つにしている。背丈は普通だが、体躯《たいく》は痩せ過ぎと言っていいくらい細く、頬骨の形がくっきり現れている。白のコットンに赤や青の鮮やかな糸で細かい刺繍を施した、奇妙な服を身に着けていた。ネイティブアメリカンの女性が着ている民族衣装にも似ていた。  通された十畳ほどのリビングは、まるでホテルのサロンみたいだった。レースのカーテンが引かれた薄暗い部屋に、アンティーク調のスタンドランプが灯っている。部屋のなかにも様々な天使の人形が置かれ、壁には天使の絵が飾られている。音楽はなかった。白で統一された部屋の中央に、シンプルなソファが一セット置かれていた。ソファには上質なコットンのカバーがかかっている。やはり色は白で、光沢のある紺色の糸で幾何学的な模様が刺繍されている。  スプリングのやわらかなソファに向かい合って坐った。 「住所と名前を書いて」親密な口ぶりで言うと、彼女はテーブル越しに小さなメモ用紙とボールペンを送ってきた。  多恵はペンを取り、きちっとした楷書で、縦に住所と名前を書いた。女性はメモ用紙にちらりと目をやり、それから多恵の顔をまじまじと見つめはじめた。瞬きもしなければ、視線も動かさない。不思議な見つめ方だ、と多恵は思った。焦点がどこに合っているのかわからない。対象よりも前か、それともずっと後ろを見ているようだった。何もかも見透かされそうで怖かった。  五分以上も経ってから、その人はようやく口を開いた。 「今日はどんなことをお聞きになりたいのですか」にこやかな口調だった。「話してごらんなさい。何をわたしから聞きたいのですか」  自分が話すまでもなく、この人にはもうすべてが見えているのではないか、という不思議な感覚を多恵はおぼえていた。 「半年ほど前に主人が亡くなりました」テーブルを見つめて話しはじめた。「突然だったので、ちゃんと話をすることもできなくて、心残りになっています。亡くなるとき何を考えていたんだろう、言い残すことはなかったんだろうか。最期の瞬間に誰を想っていたんだろうって……それがずっとわたしのなかで残っていて」やや間を置いてつづけた。「あとで女性のいたことがわかり、主人を亡くした悲しみは複雑で、難しいものになりました。二つの思いがあって、かわいそうだと思っている自分と、不倫をしていた彼にたいする不信感というか、恨みつらみをぶつけたい自分と、二つに分裂している感じで。このままでは前に進めないんです」 「わかりました」彼女は頷くでもなく言った。  再び多恵の顔をじっと見ている。さっきほど長い時間ではなかった。やがて目を閉じると、今度は何かを一心に考えているみたいだった。もつれあった記憶が、するすると糸のようにほどかれて眉間から出て行くような気がした。拒まずに、心を開き、記憶のすべてを相手に委ねる。 「苦しかったですね」彼女は労《いたわ》るように言った。「大変だったのですね」  多恵と加奈子が人工呼吸やマッサージをやっている姿が見える、とその人は言った。亡くなった彼が見える。横たわって蘇生処置を受けている彼ではなく、すでに身体を離れてしまった彼だ。「もういいんだよ、もういいんだよ」と言っている。でも二人には聞こえない。 「息子さんはいなかったのですね」  すべてが見えているらしかった。多恵は彼女の透視の能力を疑っていなかったし、どうしてそんなことが可能なのかとも思わなかった。ただ単純な事実として、この人にはわたしの記憶が読めるのだと思った。それを素直に受け入れることができた。 「ご主人はずっと苦しんでいました。あなたがいながら、別の女性を好きになってしまったことで。あなたのことが嫌いになったわけではないし、不満だったわけでもない。全然、そんなことはなかった。別の人と出会ってしまったの。相手の女の人にたいしても悪かったと思っている。短い時間でした。半年……二人が出会ったのは、ご主人が亡くなる半年前です。そのことはご存知ですか」 「知っています」 「どちらを愛したかではなく、両方を愛していたのです。あなたと彼女と……でも、そのことでとても苦しんでいます。二人に悪いことをしたと思っている。子どもたちにたいしても済まないと思っている。それで天国へ行くことを拒んでいます」 「成仏していないんですか」多恵は思わずたずねた。 「してないのよ」  だから家のなかで彼を感じたのだろうか。声が聞こえたのだろうか。きっと彼は天国へ行くのを拒んで、自分たちのそばにとどまりつづけているのだ。 「天国というのは、とても幸せな場所なの」穏やかな音楽のように、彼女の口から声は淀みなく流れ出てきた。「楽な場所と言った方がいいかしらね。そこは自分を客観視できる場所で、誰でも平穏な気持ちで過ごせるの。悩むことや考えることはなく、いいことしか記憶に残っていない。この世にどんな悔いを残してきていても、そのことで自分や人を責めたりすることはなく、すべてを受け入れ、ああよかったと思える。それ以上に考えることは何もないところ……でも彼は、あえてそこへ行こうとしていないわね」  その人は眉を少しひそめてつづけた。 「向こうからは、もういいんじゃないか、こっちへ来いよって誘われているのよ。でも、自分がしてきたことでみんなが苦しんでいるから、それはできないと彼は思っているようね。自分だけ楽なところへ行って平穏に暮らすことはできないって。責任を感じているの。とても強い責任……あなたや子どもさんたちにたいする。悪いことをしたと思っている。そうした罪悪感が残っていて、自分を苦しめているの」  ああ、やっぱり、と多恵のなかでは奇妙に得心できるものがあった。そんな気がしていた。彼が亡くなってからずっと。 「家でよく見ていたんです。はっきり姿が見えるわけじゃないけれど、たしかに彼なんです。あっ、いま後ろを通った。ここにいたって……そんなことがしょっちゅうありました」 「上へ行くことができなくて、さまよっているのね」  多恵は夢の話をした。辛そうな顔をして彼が歩いている。追いかける。角を曲がったら砂浜で、家の鍵と煙草が落ちている。でも彼の姿はない。ああ、いないんだ、と諦めたような、すでにわかっていたことを、あらためて確認するような心持ちで思っている。そして目が覚めて、現実の世界でも、やっぱりいないんだと思うから、奇妙に夢と現実が繋がっている。矛盾なく重なっている気がして……。 「同じ夢をずっと繰り返し見ていました」  相手は頷きながら多恵の話を聞いている。 「でも最近、夢が変わったんです」  そこは自宅のリビングだった。テレビの前のソファに多恵が坐り、子どもたちが坐っている。彼もいる。多恵がたずねる。「どうしているの?」雄一は怪訝そうに答える。「おれ、死んでないから」彼の横には見知らぬ女性がいる。「この人と一緒に住んでるから」「どうして……死んだんじゃないの?」さらに問い募ろうとすると、目が覚めてしまう。 「きっと女の人がいたということを、認めはじめているんだと思います」 「いまからはもう、そんな夢を見なくなると思うわよ」とその人は言った。 「どうしてですか」  多恵の疑問には答えずに、 「あなたの前世を見てみましょう」と彼女は言った。  目を細めて多恵を見ている。やはり目の前の対象を通り抜けて、どこか遠いところを見ているみたいだった。それから目を閉じて考えはじめた。何を考えているんだろう、何が見えているんだろう。多恵は怖いもの見たさの子どものように、固唾を飲んで答えを待っている。やがて彼女ははっとしたように目をあけた。「なに?」と多恵は思った。 「言って驚かない?」 「なんですか」 「あなたと彼と彼女とは家族だった。そういう時代があったの」  その人の口調には、どんな突飛なことでも素直に受容させる力があった。押しつけがましいところはまるでない。むしろ匿名の誰かが語っているような、静かで、どこか懐しい語り口だった。  姉と弟だったという、多恵と雄一は。相手の女性が母親で、父親はいない。そんな三人に共通の前世が、いつの時代にかあったのだという。 「姉はしっかり者でね、なんでも一人でできるタイプだったの。お母さんはやさしくて、姉であるあなたを信頼していたわ。でも弟は泣き虫の甘えん坊でね、何をやるのもお母さん頼みだった。弟である彼は、お姉ちゃんはいいよな、あんなふうになれたらいいな、といつも思っていたの」  ときどき嘆息を洩らすようにして雄一は言ったものだ。おまえはいいなあ、マイペースで、なんでも自分の好きなことができて……羨ましがられるおぼえはなかったので、その都度、多恵は聞き流したものだけれど。 「そんな息子に、お母さんはすごく愛情を注いでいたのね」彼女はつづけた。「溺愛していたと言ってもいいくらい。でもお母さんは、彼が小さいころに亡くなっているわね。十になるかならないかのころ。亡くなる前に約束をしたの。来世で生れ変わったら、お母さんは絶対におまえに会いに行くからって。そう約束して亡くなっているの」 「それで二人は出会ったんですか?」 「みんなきまっていたことなのよ」とその人は言った。「ご主人が亡くなることもきまっていた。お母さんが彼に出会うのが、亡くなる半年前だってこともきまっていた。この半年という長さにも意味があったの。現に半年前だったわけでしょう、ご主人がその女性と出会ったのは」  多恵は無言で頷いた。 「十年とか、二十年とかじゃなくて、たった半年……彼ら、彼女たちにしてみれば、あっという間の短い出会いだった。出会いと言うよりは再会ね。亡くなるときから逆算して出会っているのよ。あまり長くなっても、余計に彼を苦しめるから。まわりの人たちも傷つけてしまうから。半年だったから、あなたも気がつかなかったでしょう。何も表面化せずに亡くなっている。すべてきまっていたことなの」  信じる信じないではなく、そうだった、そういうものだったという、選択しようのない物語のなかに多恵はいた。 「取り決めがあったの」彼女は繰り返した。「好きになるという感情で、あなたたちは再び家族になった。姉と弟は夫婦になり、母親と息子は男と女として出会った。それは現世に身を置くあなたにとっても、相手の女性にとっても辛いものだったかもしれない。でも人の生は、現世だけのものじゃない。過去から未来へ向かって、ずっと繋がっているものなのよ」  ふと、姿も形も見えない相手に向かって問い募りたくなった。取り決めというけれど、それはいつの時代の、誰の計らいでの取り決めなのか。彼を失ったことで悲しみ、途方に暮れているわたしの人生は、いったい誰の計らいによるものなのか。わたしとは、いつの時代のわたしなのか……。 「ご主人と出会ったとき、彼女のなかにはお母さんという気持ちが、奔流のように溢れ出てきたの」その人は穏やかな口調を崩さずに言った。「遥かなイメージや、懐かしい思い出が。やっと会えたんだもの、溺愛していた息子に。ずっと捜していた子だった。まだ幼い彼と別れなくてはならなかった。そうした前世の心残りみたいなものが、会った瞬間に甦ってきたの。そして彼女は彼に、母親としての愛情を注いだのね」  心の奥で何かが震えているのを、多恵は感じた。 「彼女の方から誘っているはずよ」その人は言った。「ご主人の方は、彼女にたいして無防備だった。子どもに戻ったような気分だったと思うわ。ずいぶん疲れていたから。そうじゃない?」 「ええ、そうだと思います」 「彼はがちがちになって疲れていたの。自分にたいする縛りがとても強い人だったから。いい父親、いい社会人、いい夫……会社でも家でも気が抜けない」  そこで唐突に言葉をおいて、その人は「えっ?」と小さく声を発した。 「どうしたんですか」 「いま、ご主人の声が聞こえたの。故郷に戻ったような気がするって」 「彼がそう言ったのですか?」 「ええ、言ったわ。わたしの話を聞いて、彼にもやっとわかったのね」 「生前はわからなかったのでしょうか、つまり……相手の女性やわたしの素性というか」 「前世でお母さんやお姉さんだったってこと? うん、それはわからなかったの。前世の記憶を封印しているから現世があるわけよね。前世の記憶をもったまま、現世を生きることはできないの」  前世の記憶をひもとくことができるこの人自身は、現在を生きているのだろうか、それとも過去を生きているのだろうか。不信感ではなく、むしろ不思議な人にたいする好奇心から、多恵は思った。 「こんな言い方はあなたを苦しめるかもしれないけれど、その女性と出会うことで、ご主人ははじめて誰かに甘えることができたの。あなたには感謝していると言ってるわ。でも二十年も一緒にいるとね、いろいろな感情も素直に出せなくなるものでしょう」  だとしたら、夫婦ってなんだろう。何十年も一つ屋根の下で暮らしてきた歳月は。物語に感化されつつある自分がいた。反発をおぼえながらも、一方で、どこか癒されるものを多恵は感じていた。 「ふふっ」とその人は小さく笑った。  今度はなんだろう、と多恵は小首をかしげる。 「ご主人は本当に責任感が強いっていうか、ちょっと堅物過ぎるみたいね」 「どうしてですか」 「普通だとね、わたしたちがこうして話しているときは、降りてそばへ来るものなの。でも彼はまだ上にいる。建物の上の方からわたしたちの話を聞いているのよ。悪いことをしたという思いが強くて、ここへは来ることができないの。そんな資格はないと思っているのね。とってもいい人。責任感が強くて……でも、ちょっとかわいそうな人」  不意に大きな悲しみが込み上げてきた。天使を見る人が言った言葉を、多恵は自分の感情で拾い上げた。本当にかわいそうな人だった、あの人は……。儚《はかな》く、無防備で、どこか受難者めいた人だった。そんな彼を、自分は愛したのだ。誰が間違ったわけでもない。誰も間違いはしなかった。過ちを犯すには、わたしたちはあまりにもちっぽけな存在。あなたと出会えてよかった、あなたでよかった……言葉はめくるめく感情の渦に飲み込まれ、彼女のなかのいちばん静かな場所へ沈んでいった。 「彼は成仏できるでしょうか」祈るようにたずねていた。 「ええ、できるわよ」その人は屈託なく答えた。「いま上にあがる決心をしたって、わたしに伝えてきたわ。わたしの話を聞いて、自分が苦しんでいたことが、すべて解決したから。わたしの話を彼が受け入れ、あなたも受け入れてくれることで、安心して上にあがることができるって」  涙が頬を伝って流れた。その涙を拭おうともせず、多恵は静かに肩を震わせつづけた。 「今日からあなたを守ると言ってるわ」 「彼がですか」 「そうよ。あなたと子どもさんたちを。だから心配はいらないって。上にあがって、いろんな光をあてていく。自分が正しい方へ導いていくから、心配しなくていいって。そのことを子どもたちに伝えてくれ、そう言ってるわよ」 「伝えます」 「呪縛から自由になって、自分らしく生きていくって。彼の気持ちが真っ白になっていくのが見える」  そのときふと、多恵は不思議な思いにとらわれた。わたしが知っているよりも、無限に多くのことをわたしは知っている。雄一という一人の人間が、彼の短かった人生が、多くのことをもたらしたのだ。本来知りうるはずのないこと、現世の体験では覆いきれないことまでも。与《あずか》り知らない記憶、一度たりとも現在であったことのない記憶が、自分のなかに眠っているような気がした。そうした記憶に導かれて、いま自分はここにいる。遥かな昔から、ずっとここにいたのだと思った。  雄一とは誰だったのだろう。まるで記憶不能な過去から到来した謎であったかのような彼とは。その顔に、面影に、無限なるものの刻印をたどってみたくなる。しかし多恵は、その人の顔を、もうはっきりと思い出すことはできなかった。  子どもたちに、父親に女性のいたことを話した。亡くなる前、半年間の付き合いだったこと。雄一の死後、いろいろなことがわかってきて、悲しみも苦しみも二重になったこと。多恵自身が、どうやって生きていけばいいかわからなくて、生きていく自信がなくなって、拓也にも加奈子にもずいぶん辛い思いをさせたけれど、いまはなんとか乗り切れそうな気がしていること。  話す必要のないことだったのかもしれない。しかし、いろいろ考えた末に、やはり話しておいた方がいいという結論にたどり着いた。いつかどこかから耳に入ったとき、彼らの苦痛や動揺をできるだけ小さなものにしてやりたい。母親が受け入れていることを知れば、子どもたちの受け止め方もずいぶん違ってくるだろう。  いちばんの理由は、真実を知っておいてもらいたいということだったかもしれない。最後に女性のいたことも含めて、あの人の一生だった。そのことを受け入れてほしいと思った。子どもたちには過酷な要求だったろうか。でも多恵は、ありのままの姿を知ることで、亡くなった父親にたいする愛情を深めてほしかった。いまの自分がそうであるように。 「相手の女の人とは話したの?」加奈子がたずねた。 「話したわよ。電話でね」 「なんて言ってた?」 「パパに家族がいることを知らなかったみたい。その人には離婚したと言ってたようね」 「ひどい。どうしてそんな嘘をついたのかしら」 「わからない。きっと成り行きから、本当のことを話せなくなったんじゃないかな」 「バカだよね、パパは」 「ほんとね」  この子の突き放した言い方には温かみがある、と多恵は思った。おかげで自分はどれだけ救われたことだろう。 「でも最後は、幸せになってねと言って電話を切ったわ」相手の女性の話に戻った。 「ののしったりはしなかったわけ?」 「最初はそのつもりだったけど、実際に電話で話していると、そんな気にはなれなかった」 「感じのいい人だった?」 「そうね……」  だって彼女は前世でわたしの「母親」だった人だもの、とこれは胸のなかでだけ落ちをつけた。不思議なことだ。信じているわけではないのに、話を聞いたことで気持ちが軽くなっている。心のなかに余白が生まれ、風通しがよくなった気がした。 「きっとパパが死んでしまっているせいね」多恵は別の答えを口にした。「その人も、ママと同じようにパパの死を悲しんでいるのが伝わってきて、いつのまにか恨みつらみを口にする気が失せていたの」  結局、天使を見る人のことは話さなかった。話すことができなかった。やはり自分の胸のなかだけにしまっておくべきだろう、と多恵は思った。それは彼女のなかで、ひそやかに息づいている胎児みたいなものだ。たとえ子どもたちとであれ、共有されるようにはできていない。加奈子のなかにも拓也のなかにも、彼らだけの「もう一つの物語」が眠っているはずだ。いつか彼らは、それを見つけるだろう。 「パパのお父さんは、パパがまだ小さいときに亡くなったことは知ってるよね」多恵は二人に向かって言った。 「小学校五年生のときでしょう」加奈子が引き取った。 「そのせいでパパは、子どものころからずっと苦労をしてきたの。遠足にも行けなかったって話、聞いてる?」 「どうして?」答えるかわりに、加奈子がたずね返した。 「おやつに持っていくお菓子が買えなかったんだって」 「超貧乏……」 「家にお金がないことはわかっていたから、お母さんにも遠足のことは言い出せなかったのね。学校の先生には、風邪をひいて行けないとか、お腹が痛くなったとか、そんなふうに言ってたらしいよ」  話しながら、多恵は天使を見る人の言ったことを思い出していた。いつの時代か、多恵と雄一は母子家庭の姉と弟だった。現実の彼も、母親だけの家庭に姉と二人で育った。そして拓也と加奈子も、やはり父親のいない家庭の兄妹になってしまった。すべてはきまっていたことなのだろうか。 「生活保護を受けていたらしいのね」多恵はつづけた。「そのせいで給食費とか、学校にお金を納める袋の色が、パパだけ違ったらしいの。あれ、恥ずかしいんだよなって言ってた。きっとすごく辛かったんだと思う。でも、そんな苦労話を、なんでもないような口調でするんだよね。こんなこともあったんだぞ、みたいな」 「そうそう、そんな喋り方だった」加奈子が懐かしそうに言った。 「だから最後に自分の好きなことができて、良かったなってママは思うの。子どものころに苦労して、結婚してからは、あなたたちに自分と同じような苦労をさせちゃいけないって、口癖みたいに言って、仕事を人一倍がんばってたものね。もし神様がいるとすれば、パパの寿命があと半年だとわかってて、最後は自分のために生きなさいって、その女の人と出会わせてくれたのかもしれない。いまはそんなふうに思えるの。だから相手の人にも、ありがとうって言いたいくらい」 「ママ、無理してない?」 「してないと思うけど」 「でも言っちゃだめだよ」 「ええ、言わない。そんな必要はないもの」 「パパがいなくなったから、うちも超貧乏になる?」 「大丈夫よ」多恵は笑いながら答えた。「そういうことにならないように、パパがちゃんと考えててくれたから。会社もよくしてくれるしね」 「わかってたのかな」加奈子がしんみりした口調で言った。「自分があまり長く生きられないことが、パパにはわかっていたのかな」  それまで二人のやりとりを黙って聞いていた拓也が、はじめて口を開いて話しはじめた。父親が亡くなってから、繰り返し見ている夢があるという。夢のなかで、拓也には一週間ほど前から、父親の死ぬことがわかっている。だから病気にさせてはいけない、事故に遭わせてはいけないと、できるかぎりの手段を講じる。 「車に乗っちゃいけないとか、なまものは食べちゃいけないとか、あまりうるさく言うもんだから、パパは笑って『何事だよ』って感じなんだけど、こっちは必死で、救急隊まで呼んでるんだよね。でも、その時間が来ると、パパは死んでしまうんだ。最期の瞬間、ものすごく悲しそうな顔でぼくを見てさ。何も言わないんだけど、『もういいんだよ』と言ってるのがわかる……そういう夢をずっと見てた」  拓也が話し終わると、家のなかの静けさが際立った。 「パパの家系は、どういうわけか男の人が早死にする家系でね」しばらくして多恵が引き取った。「パパのお父さんもそうだし、お祖父ちゃんも若くして亡くなってるらしいの。だからパパも拓也が五年生になるときは、すごく心配してたのよ。自分も死ぬんじゃないかって。本当に子どもみたいに怖がっていた。でも無事に生き延びて、おれは案外長生きするかもなって……そんなことを言ってた矢先だったの」  誰からともなく、三人は仏壇に飾られた遺影に目をやった。写真のなかの雄一は、お気に入りのセーターを着てにこやかに笑っている。香炉に立てられた線香の煙が、細い糸状に立ち昇っている。 「女なんかつくって、最低だよね」加奈子が淀んだ時間を掻きまわすように言った。 「ほんとね」多恵も合わせた。  誰もが自分だけの想念に浸るかのように口を噤《つぐ》んだ。速くなったり緩やかになったり、ときに硬くなり、柔らかくなり……時間はこの部屋と死者たちの世界のあいだを、彼らの胸を貫いて流れていた。  突然、拓也が凍りついた声を上げた。 「あれを見て」  呆気にとられた顔で、仏壇の方を指差している。二人が振り向くと、さっきまで真っ直ぐに昇っていた線香の煙が、まるで何かに操られているかのように、水平に流れている。煙は加奈子の方へ向かってきた。 「なによ、これ……」彼女は目を剥いて、「いやだ、ママ、なんとかしてよ」 「おまえがあんなこと言うからだぞ」 「気持ち悪い、こっちへ来ないで」加奈子はソファから立ち上がり、まとわりつく煙を手で払いつつ、部屋のなかを逃げまわった。 「やっぱりパパ、いるよね」煙に追いかけられる加奈子を横目で見ながら、拓也は多恵に向かって嬉しそうに言った。「ずっとそんな気がしていたんだ」  目の前の信じがたい光景を、多恵は不思議だとも奇怪だとも思わなかった。ただ彼女には、こうして子どもたちの喧噪を眺めている自分が、いつの時代の自分なのか、わからなくなりそうだった。  十時前には家を出たのに、長崎市内に入ったのは午後二時をまわってからだった。墓所でも長居をして、ようやく家路についたときには、すでに日は暮れかかっていた。このぶんでは帰り着くのは八時を過ぎてしまう。家に電話をして、すでに部活から帰っていた加奈子に、夕食は拓也と店屋物を取って済ますように伝えた。  月忌《がつき》に、多恵は一人だけの墓参りを欠かさないようにしていた。今年は開花が早いと伝えられた桜だが、三月下旬になって寒の戻りがあり、結局は例年並みに落ち着いたみたいで、四月の月忌にも山間では遅咲きの桜を見ることができた。おかげで美しく咲いている桜の花に見とれて、途中で何度か車をとめたりしたため、予定していた時間が少しずつ後ろにずれ込むことになった。  ダッシュボードの上には兎の縫いぐるみが二つ置いてある。兎の背中には天使の羽が付いている。玄関先まで見送りに出たその人は、ふと思いついたように、靴箱の上に載っている縫いぐるみを手に取ると、多恵に差し出して言った。 「あなたには天使が付いている。だから大丈夫、しっかり生きていけるわよ。あなたに付いている天使の羽は小さいけれど、とても丈夫でしなやかなの。強い風に飛ばされることはあっても、絶対に折れる心配はないからね」  話を聞いているあいだはともかく、慌ただしい毎日の暮らしのなかで、多恵は前世や霊魂といった話をそのまま信じる気にはなれなかった。雄一と姉弟であったとかなかったとか、輪廻転生めいた話がしっくりと収まる場所は、とりあえず自分のなかにはなさそうだと思った。  多恵自身はこんなふうに考えた。雄一はどこにもいない。少なくとも「現実」と呼ばれる、この世界にはいないことになっている。だが現実にも様々なレベルがあって、自然科学や人間の理性が把握している現実、見たり触れたり数えたりすることのできる現実とは、誰にとっても受け入れることのできる、一つの相に過ぎないのではないだろうか。  普段、人は物質的な世界を生きている。それは食品交換表による献立と同じで、たとえば野菜は三〇〇グラムで一単位、八〇キロカロリーという世界だ。しかし本当は同じほうれん草でも、たんなる栄養素の複合体というレベルから、一枚の葉を口に含んだだけで人を感動させるレベルまで、ほとんど無限の深さや奥行きがある。人が死ぬということは、そうした奥深い場所に、存在の中心を移すということではないだろうか。死者はもちろん、大切な人を亡くした者たちもまた。  愛する人の死は、誰にとっても引き受けようもなく大きなものだ。しかし現実に、それは誰かのもとへもたらされる。担《にな》いようのないことが課せられる。この大きな悲しみや苦しみは、生身の人間には担うことができないものであるからこそ、どこか別の次元への、この世界の外への通路でありうるのかもしれない。  しばしば雄一を感じることがあった。以前のように、ある実体の気配としてではなく、もっと親密で、内的な印象として。直感みたいに、なんとなく彼の意思が伝わってくる。心のなかで自問するとき、一つの答えが出てくる。自分の考えとして出てくるのだけれど、彼が答えてくれたような気がする。知覚することや認識することとは別の、「感じる」という次元が存在することを、多恵は疑うことができなかった。  五感ではとらえられないもの、仮にとらえられたとしても、一つの比喩でしかない何か……それは、普段ほとんど知られることがない。この次元に参入するためには、おそらく無垢の受動性みたいなものが要求されるのだろう。たとえば大切な人の死による感化を受けた者だけが、ある種の情動的な体験によって、この次元に触れることができる。魔術的な体験を通して、神秘の実体に触れることができる。  ひとたび生きられた生は、この世かぎりのものではなく、過去・現在・未来という時間軸とは別の方向へも拡がっている。人と人が出会うということは、きっとそういうことなのだろう。誰かと深く出会ってしまうとき、出会いは、その人への想いは、否応なしに「この世」をはみ出してしまう。他者との関係のなかには、現にある世界だけでは決算のつかないことが含まれている。多恵には自分という限られた存在が、そうした決算のつかない場所からもたらされたものである気がした。  前世のようなものが、あらかじめ実体として存在しているのではなく、この世における人と人の出会いが、前世さえも包み持っていると考えるべきではないだろうか。けっして現在であったことのない、記憶することが不可能な過去。もともと人は、そうした過去からやって来たのかもしれない。過去の忘却として、現在の生があるのかもしれない。一人きりで生きることは、遠い記憶を掘り起こすことに似ている、と多恵は思った。自分のなかに彼を見出しつづけることが、これからは生きていくことの定義になるだろう。  三月の墓参りの折り、加奈子が言っていたことを思い出した。心が不安定なときにこの道を通ると、霊に取り憑かれることがある。雄一が亡くなって、深い喪失感のなかで生と死が峻厳と隔てられていたころ、むしろ生も死も曖昧で、境界は簡単に越えられそうな気がした。車を運転しているときなど、ふとハンドルを切って対向車線に飛び出してしまいたい衝動に駆られることがあった。危うさは、彼女のなかから完全に消えてしまったわけではないが、少しずつ薄らいで、いまでは余裕をもってやり過ごせるほどになっている。なぜなら生と死という隔たりそのものが、すでに「この世」を前提としているからだ。しかし人はこの世だけを生きているのではない。  暗くなっていることに気づいて、車のライトを点けようとしたとき、フロントガラスの前に一つの顔が現れた。一瞬だった。でも見まがいようはない。声を上げる間もなく、ヘッドライトが前方に何かを照らし出した。わずかの差でかわした。車は百キロ近いスピードで、道路のまんなかにうずくまる人の脇をかすめて走り抜けた。かなり先まで進んでから、ようやく止まった。しばらく放心状態でハンドルをつかんだまま、多恵は小さく震えつづけていた。  たしかに彼だった。光が明滅するような、ほんの束の間の出来事だったけれど、雄一は多恵に向かって笑いかけた。にこっと笑って、すうっと消えた。嬉しかった。守ってくれたんだ、と彼女は思った。忽然と路上に現れた人をかわすことができたのは、彼の顔がフロントガラスに現れたためだ。それを避けようとして、咄嗟《とつさ》にブレーキを踏み、思わずハンドルを切った。もしあのまま走っていれば、発見が遅れてぶつかっていただろう。あるいは無理なハンドル操作によって、車はコントロールを失い、防御壁に激突していたかもしれない。 「ああ、見えた……」  さっきのように、はっきりと雄一の姿を見たのははじめてだった。多恵は満たされた思いで、一瞬の映像を再生して脳裏に焼きつけた。それからようやく、どうしてあんなところに人がいたのだろう、という正常な疑問が湧いてきた。車を路肩に寄せ、ウインカーを点滅させたまま降りてみた。五十メートルほど引き返した路面に、一人の少女がうずくまっていた。車の進行方向に身体を向け、両手で抱えた膝のあいだに頭を押し込むようにして坐っている。多恵は少し離れたところから、こわごわ声をかけた。 「大丈夫?」  反応がない。 「とにかく車に乗りなさい。こんなところにいたら危ないわ」 「ほっといて」 「何を言ってるの」思わず声を荒立てた。「大きな事故になって、誰が巻き添えをくうかわからないでしょう」  多恵は少女の腕を取って立ち上がらせようとした。抵抗されるかと思ったが、予想に反して、女の子は従順に立ち上がった。それから多恵に肩を抱かれる恰好で車まで歩いた。 「警察に連れていくの?」助手席に坐ってから、女の子は不安そうにたずねた。 「そんなことしないわよ」  どうしたものか、多恵自身も考えあぐねていた。とりあえず車を出した。運転しながら、それとなく女の子の様子を窺ってみる。中学生だろうか。うつむいてふて腐れた横顔に、加奈子の顔を重ねてみる。どこにでもいる普通の女の子に見えた。 「どうしてあんなことをしたの」  再び答えない。少女は自分の意思というものをもっていないように見えた。おそらく道路の真ん中にうずくまった時点で、そんなものは捨ててしまったのだろう。少し趣向を変えてみることにした。 「あのときぶつからずに済んだのは、幽霊のおかげなのよ」  わずかに怯えの色を見せて、少女は振り向いた。 「幽霊、信じる?」  それから雄一の話をした。突然死だったこと。生きていく自信がなくなり、彼のところへ行きたいと、そのことばかり考えていたこと。 「お墓参りの帰りなの。そんな日に、もう少しであなたを轢《ひ》き殺してしまうところだった」 「ごめんなさい」  多恵はちらりと少女の方を見た。いったい誰に謝っているのだろう。まるで謝っている相手がそこにいないような喋り方だった。 「お墓参りに行く途中に桜の花が咲いてたの」多恵は饒舌になっていく自分を意識しながら話を進めた。「車をとめて、長いあいだ見とれていたわ。そのとき不思議な気がした。主人に死なれて、生きる自信をなくしかけていた自分が、桜の花を見て美しいと感じている。とくに好きな花ってわけじゃなかったのよ。桜じゃなくてもよかった。たまたま桜が咲いていたから、それを見て美しいと思っただけ」  言葉をおいて考えた。いつのまにか多恵の方が、隣に人のいることを感じわけられない心持ちになっている。 「今日見た桜の美しさは特別だったような気がする」ひとりごとみたいに呟いて、彼女は幻を追い求めるように目を細めた。「何かを見て、きれいだって感じるんじゃなくて、内側から湧き起こってくる喜びによって、自分が満たされているのがわかった。わたしのなかで、亡くなった彼がその桜を見ているようだった。一緒に見ているというよりも、彼が見ている、彼自身が見ている……わたしは彼の一部分に過ぎない、そんな気がしたの」  女の子は助手席のシートに身体を沈めて、すっかり暗くなった窓の外をぼんやり見ている。ときどき隣の車線を、時速百三十キロ以上は出ていると思われるスピードで、車が追い越していった。多恵は前方をじっと見つめたまま運転をつづけた。  ハンドルを握り直してから言った。 「最初のうち、自分も彼のところへ行きたいと思った。でも彼のところって、どこなんだろう。天国とか、あの世とか言われているところ? そうじゃない、と思ったの。彼のところというのは、わたしのことじゃないかって。彼が亡くなってしばらくは、ひとりぼっちなんだと思った。でも孤独のなかで、逆に自分は一人ではないと気づいたの。どんなに孤独でも……孤独だからこそ、人は一人きりではありえないんだって」多恵は言葉をおいて小さく含み笑いをした。「なんか面倒くさい話をしてるよね」  少女はかすかに首を振った。多恵はもとの口調に戻ってつづけた。 「いまでもときどき、亡くなったときのことを思い出すことがある。身体がどんどん冷たくなっていったこと、がくんと首を後ろに垂れたときの重み……そうやって彼は死んでいったの。傍らには、わたしがいる。そのときそこにいたのは、なぜかわたしだった。彼の死を看取ることは、わたしにしかできなかった。広大な宇宙のなかで、そこがわたしの居場所だった。いったいどれくらいの偶然が重なれば、そんなことが起こるのかしら。不思議なことだと思わない? あまりにも小さな確率で起こることは、必然のようにも感じられるもの。抗《あらが》いがたい力によって、自分はそこにいたのだと思った。何ものかによって選ばれたような気もした」一呼吸おいて、多恵は言った。「彼はわたしがやって来るのを待っていたんだと思うの。彼が生れるずっと前から」  話の辻褄が合わないことには頓着しなかった。相手が自分の話を理解できるかどうかといったことも、思慮の外にあった。伝えたい以前に、話したかった。自分のなかにある不思議な感覚を言葉にして、外の空気に触れさせてみたかった。 「付き合っていた女性がいたらしいの。亡くなってからわかったんだけど。生きていたら恨みつらみをぶつけられるわよね。でも彼は死んでしまってもういない。いろんな感情を、すべて自分のなかで処理しなくてはならなくて、そのことがすごく苦しかった。でも、女性がいたことも含めて、彼の人生だったわけよね。女性の存在を否定することは、彼の人生の一部を否定することでもあると思うの。だからいまは、そうだったんだなと思うことにしてる」詰めていたものを吐き出すように、多恵は大きく一つため息をついた。「亡くなった日も、彼女とメールで食事の約束をしてたんだよ。ひどいと思わない?」  少女は困った顔で振り向いた。何かを言いかけたようでもあったが、結局は口を噤んだままだった。  しばらく黙って車を走らせた。様々な思いが、答えを求めずに多恵の頭をよぎっていった。生きていることは、たくさんの問いと遭遇することだ。そのなかには、あえて答えを求めてはならない問いも含まれている。答えを求めることで、自分の人生を損なってしまうもの、相手の人格を貶《おとし》めてしまいかねないもの。彼が亡くなってからの半年で、多恵は問いを問いのままでやり過ごすことを学んだ。ごまかしではなく、あたかも彼の分身を生きるようにして。  長い沈黙のあとで彼女は言った。 「まだ自分では気がついていない、あなたの知らない誰かとともに、あなたは生きているんだと思うの。その人を殺してしまってはだめ。だってその人は、あなたがやって来るのを待っているんだもの」  少女は多恵の言ったことについて考えているみたいだった。やがておずおずとした声で訴えた。 「どこかで車をとめてもらえますか」  最寄りのパーキングエリアに車を入れた。娘がトイレに行っているあいだに、多恵は自動販売機でコーヒーを買ってきた。戻って来た少女に紙コップを差し出すと、 「ありがとう」小さな声で言って、それを受け取った。 「道にうずくまっているあなたを見たとき、ああ、ここにもわたしがいるって思ったの」多恵はコーヒーを啜りながら、遠くに目を細めるようにして言った。「保護者的な感情ではなかった。あなたはわたしだった。別の姿をしているけれど、わたしだったの……うまく言えないけど」彼女は小さく息を継いだ。それから口調を変えて、「うちにおいでよ。何か美味しいものをつくってあげる」  車を出そうとしたとき、娘が呟くように言った。 「イルカ……」  多恵は窓の外ではなく、助手席の少女を見た。 「イルカが、跳ねた」  昼間なら青く広がる海が眺められるはずだった。いまフロントガラスの外に見えるのは、闇に呑み込まれる寸前の海だ。深く入り込んだ湾は、影の濃淡によって、まわりの岬とかろうじて区別されるに過ぎない。しかし細く開いた湾の口から外海に目をやると、彼方にはわずかな光が残っている。その光のなかで跳ねるイルカの姿が、残像のようにして、多恵は自分の瞳にも映っている気がした。  初 出    アンジェラスの岸辺 「小説宝石」二〇〇三年九月号(「対火星人戦争前夜」を改題)    雨の日のイルカたちは 「小説現代」二〇〇四年一月号    彼らは生き、われわれは死んでいる 「オール讀物」二〇〇三年九月号    百万語の言葉よりも 「オール讀物」二〇〇四年二月号 〈底 本〉文藝春秋 平成十六年四月二十五日刊