1 宋  眠い。  とにかく、眠い。  それが今、俺を支配している感覚だった。 「兄さん、起きてよ!遅れるよ……!」 体がゆすられ、耳元で慌てふためいているかの様な声が聞こえる。  うっとうしい。  寝ていたい。もっと寝ていたい。とにかくそれだけを考えて、俺はその耳元で慌てている奴の手を振り払うと、頭から布団を被った。これで声はある程度シャットアウトできる。長年の経験から無意識に体がそうしてしているのだ。さすが俺だ。素晴らしい。 「ああもう、駄目よ修。そんなんじゃ起きないってば、こいつは」 今度は、先程とは別の声がする。やたら声が大きい。布団の防壁を軽々と破って俺の耳まで届いてくる。何とかして欲しい。邪魔だ。  ばしゃ。 「うごはっ!?うぐどけばどちぁぁぁぁっ!」 しかし次の瞬間には、突然頭に感じた熱い液体に、俺はいやおうなしに叫んで飛び起きていた。 「ほら、こうすりゃ一発なのよ」 湯気の上がっているやかんを手にした女が、横の奴に飛び起きた俺がまるで眼中にない様子で話しかける。金髪に、やたら性格のきつそうな顔。アーシャだ。まぎれもなくアーシャだ。だいたい朝から人の頭に熱湯をかけてくれる様な真似をする奴はこいつ以外にいない。 「な、な、なんて事するんだこの馬鹿!火傷して死んだらどうすんだ!なに考えて生きてんだよ、おまえはっ!」 布団の上からかけられ、とっさに布団を飛ばしていたのでまあ大打撃にはいたらなかったものの、それでもやはり顔が少しひりひりきている。俺はその自分の苦しみと怒りを訴えようと、声を大にして怒鳴った。 「うるさいわね。いつまでも寝てるあんたが悪いんじゃない」 しかしやはりと言うべきか、アーシャはまったく悪びれる事もなく言い返してくる。アーシャ・シビィ、まあこいつは俺の幼馴染なのだろうか?いや、そんな立派なものではないが、とにかく小さい頃からの知り合いだ。同じ学校に通っていたりしており、こいつが朝は俺らの家に来て寝坊しがちな俺を起こし、一緒に学校に行くのが、まあ日課というか、そんな感じのものになっている。という訳で今朝も俺を起こしてくれた。熱湯で。 「に、兄さん……、気持ちはわかるけど、本当に時間無いんだよ。早く準備しないと遅刻するよ!」 修が俺の手を引き、横からそう言って来る。宮路修—眼鏡にやたら長い髪の毛といった、なんかうっとうしい感じのこいつは、実は俺—名前を言い忘れていたが、宮路宋の双子の弟だったりする。こいつは几帳面なのか、単なる早起きなのか知らないが、すでに制服に着替えて鞄まで持っている。もっとも、それは横のアーシャにしても同じ事だった。要はまだパジャマでいる俺が起きるのが遅すぎたのだ。時計を見れば、八時十五分。授業が始まるまであと十五分しかない。完全無欠にピンチだ。 「くっ、なんでもっと早く起こしてくれないんだ、ちくしょう!役立たず!クズ!愚弟!眼鏡太郎!」 俺はとりあえずいつものとうり、我が愚かなる愚弟にげしげしと八つ当たり攻撃をしながら、ぱっぱっと服を脱ぐ。 「なっ、何でいきなり脱ぐのよ、あんたは!」 アーシャが咄嗟に顔をそらしながら叫んでくるが、この際そんな事を気にしている暇はない。俺は昨日のうちに用意しておいた制服をばっと掴んで手早く着ると、鞄を引き寄せて窓をがらりと開けた。 「じゃあ、俺は先に行くぞ」 俺はそう言い残して無造作に窓から飛び降りた。アーシャと修は、呆気にとられた顔をしていた気がする。当然だ。自慢じゃないが俺の部屋は二階だ。 「ちょ……、宋?」 「兄さん!?」 当然、部屋の方からはそんな俺を呼び止める声が聞こえてきていた。しかし。 「うりゃっ!」 俺は掛け声と共に見事に着地し、そのまま走り始める。別に俺は寝ぼけていたわけでも、ましてやボケていた訳でもない。実は昨日、特訓の末二階の窓から無事飛び降りるという秘儀を開発していたのだ。まあ、実は偶然落ちて、別に怪我も何も無かったので今日から登校への道のりに取り入れようと思っていただけの事ではあるが。しかし、これは剣士系として鍛えられた俺の肉体があって初めて為せる技だ。術士系の貧弱な奴ら二人には到底無理な技である。 「ふっ、俺の見たところこの近道によって二分は短縮できる。さすが俺だ」 俺はそう言いながら、蒙ダッシュで角を曲がる。見ると、ようやくアーシャと修が俺の家の玄関から出てくるところだった。遅い。あれでは遅刻だ。おそらく一瞬俺の行為に驚いて、次の行動が遅れたのだろう。作戦通りだ。寝坊した俺が間に合って、早起きしているあいつらが遅刻する。さぞかしあいつらは悔しがる事だろう。俺はそんな事を考えながら、とんと公園のフェンスを飛び越えて、公園に入る。この公園内を突っ切ると、かなりの近道なのだ。 『キンコン……カンコーン……』 ベルが鳴り、校門前の教師が校門を閉め始めようとしている。そこにちょうどたどり着いていた俺は、ぎりぎりで滑り込む事に成功した。振り向くと、アーシャと修が絞めだしを食っている所だった。俺は肩で息をしながら、それでも満足げに振りかえり笑顔で親指をたてた。 「見たか、俺の完全勝利だ!」 「何が勝利よ!あんたがあんな変な事するから私達遅れたのよっ!?何考えて生きてんのよ、あんたは!一瞬死んだかと思って心配したのよ!?」 アーシャが閉じられた校門をガチャガチャ鳴らしながら俺に反論してくるが、俺はふっと髪をかきあげて言い返してやる。 「何を言っても遅刻は遅刻だぞ、アーシャ、修。人として最低な行為、それが遅刻だ。まったく最低な奴らだな、おまえらは。この遅刻者め」 「酷いよ!僕達兄さんを起こしてあげたのに、自分だけ!」 「熱湯ぶっかけられて起こされて感謝できるか!この愚弟!」 びしっと俺は修を指差し、叫ぶ。と、その時アーシャの方から何かが飛んでくるのに気づき、俺は咄嗟にかわす。石だった。あろうことかあの女、遅刻した事を逆恨みして俺に石を投げつけてきたのらしい。 「この裏切り者!誰が起こしてあげたと思ってんのよ!」 「だから熱湯でおこされて感謝はできっておい!本気で石投げてくんなよ!悪魔かおまえはっ!いてっ!ぐはっ!あうちっ!おのれこのクソアマがぁぁぁっ!」 「や、やめてよ兄さん!何でそんな事言いながら僕を狙って投げ返して来るんだよぉ!」 「うるさい!アーシャに当てたりしたら後で殺されるだろーが!だけどこのまま我慢できるほど俺は温厚じゃなから、おまえに八つ当たりするしかないだろ!という訳でくらえっ!怒りの八つ当たり攻撃!」  まあ、結局、その後石投げ合戦は一時限目終了間際まで続き—せっかく遅刻しないで学校にたどり着いたのに、遅刻するよりもっと馬鹿な事を俺はしてたんじゃないだろうかという事に気づいたのは、騒ぎに気づいて来た教師に掴まり、怒られてしかも罰として校庭の草むしりを命じられた時の事だった。  武陽学園。創てられてから百年を超えるらしい、結構由緒ある学園だ。俺が通っている高校でもある。別段、造りや外見が普通の高校と変わっていはしないが、一応「戦闘系」の学園である。まだまだ辺境辺りでは凶悪な魔物や、戦争中の国が多い現在、そういう戦闘の技術を持った者達はかなりありがたがられており、まあその為か結構こういう戦闘系との呼ばれる、戦闘の技術等を教える学園は少なくない。この学園もその一つだ。 「ふぁぁぁ……」 俺は思いっきりあくびをし、目をこする。教師の奴はそれに気づいたのか、ぎろっと俺を睨んでくるが、まあ気にせず俺はそのまま眠りにつこうと机にもたれかかる。さっきまで草むしりをさせられていたので、やたら疲れているのだ。もう四限目の授業に入っている事実からするに、実に三時間近くも俺は草むしりをさせられていた事になる。悪いのは最初に石を投げ始めたアーシャだってのに、まったく酷い話だ。 「ふぁぁ……」 俺は再び口に手を当てて大きなあくびをする。しかし何時もながら午前中の授業は退屈だ。こういう戦闘系の高校では、午前中に怪我の対処、薬草などの見分け方、歴史などなど、まあ一応戦いの際、知識として知っておいたら便利な事とかを教える事になっているのが普通だ。そして午後からは、格クラスごとにおおまかに術者志望、剣士志望に分けての実践訓練になる。しかしこれもめんどくさい。俺の場合剣士志望だが、やたら走らされたり何やらととにかくめんどくさい。むぅ。よく考えると俺が好きな授業など何もない気がするぞ。俺は何が楽しくてこの学校に来て居るのか不思議だ。まあでもまだ入学して一ヶ月もたっていないのだが。 「兄さん……、兄さん………、当たってるよ」 うとうととしながらそんな事を考えていた俺は、ふいに横の席だったりする愚弟、修に小声で囁かれて顔をあげる。 「……君。聞こえているんですか、宋君。前に出てこの問題を……」 成る程。確かに当たっている。どうせ寝ていた俺に目をつけ、腹いせに問題を解かせようという気なのだろう。意地悪な奴だ。寝ていた奴に問題が解ける訳無いのに。 「はぁ、すいません、先生」 仕方なく俺はとりあえず謝り、立ちあがった。 「よく考えると、今朝のお通じがまだだったのでしてきていいですか?そのせいで頭がよく働かなくて、問題が解けないみたいなんで」 何故か俺がそう言うと、クラス中から笑いが生まれた。腹の中をすっきりさせれば、もかしたら問題が解けるかもと俺は思ったのだが。  とりあえず、横の席で修が頭を抱えて溜め息をついているのが目に入ってはいた。  昼休み。 「いい加減、愛想がつきてくるわよね」 アーシャが溜め息をついて、ぱくりと手のサンドイッチを齧る。 「そうか?とにかく俺は腹が減ったので何か食いたいんだが」 と俺はアーシャに手を差し出す。サンドイッチをくれる事を期待して差し出したのだが、その手はアーシャに思いっきり弾かれただけだった。 「授業中に当てられて、堂々とトイレに言っていいですか、だもんねー」 アーシャは修の前の席—まあ、俺から見れば斜め前の席に座って飯を食っており、修も一緒になって弁当箱を広げている。すごく豪華な弁当だが、実はこいつ自身の手作りだ。朝早起きしてこんなものをちまちま作りたいこいつの神経がわからないが、とにかく俺は修の弁当箱からウインナーを一本貰おうと手を伸ばす。が、またアーシャにはたき落とされる。 「……なぁ、俺は腹が減ってるんだが」 俺は赤く腫れた手をぶらぶらさせながら、俺の方を見向きもしないアーシャに言う。 「なによ?まさかまた私達から分けて貰おうとか思ってるんじゃないでしょうね?」 アーシャは自分の弁当箱をばっと隠しながら答え、おまけに修の弁当箱まで俺から遠ざける様にして机の端に持っていく。 「……ちっ、酷い奴らだ。実は気を利かして俺の分も作ってあるとか、そういう事ぐらいしててくれてもいいじゃねぇか。一ヶ月も俺は弁当無しで登校してんだから」 「僕が前に兄さんの分も作ろうかって聞いたら、「男の手作り弁当なんか食えるか、気色悪い」って殴ってきたじゃないか」 修が弁当をちょびちょびとつつきながら、溜め息交じりに俺に言う。 「うむ。それは本当に気色悪いし。つまり毎朝アーシャが俺の分も作って来てくれれば、何の問題もないんだけどな」 「あんたの為に弁当作るなんて、死んでもイヤよ」 アーシャはそう言って飯を食いつづける。俺の方を見ようともしないで。まったく、酷い女だ。幼馴染がこんなに腹を空かせているというのに。 「それはそれとして、実は俺、朝飯も食ってないんだ」 ともあれ、俺は今の俺の状況を説明しようと口を開く。 「そりゃ、兄さん、起きてすぐ窓から飛び降りて疾走してたもんね……」 修が、溜め息交じりに答える。俺はそれに頷いてから、ふんと胸を張ってアーシャの方を見る。 「だから、物凄く腹が減っているんだ。ちょっとぐらい分けてくれても罰は当たらないと思うぞ」 「そう言って、この学校に入学してから一ヶ月間、毎日私達に弁当をたかりにきてるのは誰だか知ってる?」 「俺だ」 俺の即答に、何故かアーシャと修はほぼ同時に溜め息をつく。 「たまには、自分で弁当を持ってこようとか思わない、あんた?」 「思わない。めんどいから」 「じゃ、せめてもう少し早起きして、朝ぐらい食べる様にするとか……」 「めんどい」 即答する俺に何故か二人してまた溜め息をつくと、何故か物凄く呆れた瞳で俺を見てきた。 「なんだよ、まさか俺に昼飯なしで生きろというのか?俺は剣士系の授業の方だから、昼からの授業は結構きついんだぞ、おまえらと違って」 とまた手を伸ばす俺の手を、思いっきり叩きつけながらアーシャが答えた。 「お金少しくらい持ってんでしょ?学食で食べてくればいいじゃないのよ」 「金が勿体無いだろうが」  そう答えた時点で俺はまたアーシャの奴に思いっきりはたかれ、結局学食に向かう事になった。 「ぬお、なんか込んでるなぁ」 それが俺の食堂に入っての第一声だった。よくよく考えれば、俺はここの学校の食堂に来るのは初めてだ。入学して一ヶ月、ひたすらあいつらの弁当をたかり続けていたと思うと、まあ少しは悪い気もしなくもない。ここは大人しく学食で我慢する事にしよう。 「うぬぅ、しかしもはや本当に込んでいるとしか言い様が無い状態だな」 隅々まで生徒に埋め尽くされている食堂内で、俺はカツカレーを手に呆然と立ち尽くしていた。込んでて座る場所がないのだ。と、その時ふいに奥の方の席が開いているのを発見する。俺は助かった気分で、そこにカレーをこぼさない様に気をつけながら迅速に移動した。 「ここ、開いてるよな?」 俺はそこの席に座っていた女子に、一応そう聞いてみる。そいつは無言で頷いたので、まあよしとして俺はそこに腰掛ける。他の席はほぼ満席なのに、この机はその女子一人が座っているだけである。四人用の机なので、二人だけだと結構広々と使える。こんなに込んでいるのに、かなり得した気分だ。 「うん?」 が、何故かその時辺りからざわめきがあがった。何だ?何かしたのか?俺は不思議に思って辺りを見まわすと、どうやら俺の方を見て騒いでいるようだ。もしかして、午前中ずっと草むしりをしていたから、手が青臭いのがバレてしまったのだろうか。いや、だけどちゃんと洗ってあるから一応は大丈夫なはずだし。俺は首をかしげながらも、とにかくカツカレーを食べようとスプーンを持った。 「おっ、おまえもカツカレーか?なかなか見所がある奴だな、さりげに俺と同じ物を食べているとは。将来大物になるぞ」 その時、元々そこに座っていた女子の方をふと見た俺は、そいつもカツカレーを食っているのを見て、びしっと親指をたてて言う。 「そう」 その女子はそう素っ気無く答えて、無言で飯を食いつづける。むぅ、ノリの悪い女だ。今のはアーシャなら、「何であんたと同じ物食べてただけでそうなんのよっ!」と突っ込んでくれたところだぞ。まったく。 「ぬぅ、それにしても何だ、さっきから?」 俺はまた辺りが騒がしいのに気づき、振り向くがやはり俺の方を見てざわめいているようである。何だろう?やっぱり青臭いのだろうか? 「なあ、俺の手って青臭いか?」 俺は手の匂いをかぎながら、正面に座るその女子に聞く。そんなに匂いはしないと思うのだが。 「別に」 その女子は俺の方を見て一言答えると、また飯を食べ出す。この至近距離の奴が匂わないと言っているのに、あんな遠くの奴らまで匂いが届くと言う事はありえないはずなのだが。もしかしてたまたま鼻が物凄く利く人が集まっていたりするのだろうか。 「う〜む」 俺は首をひねりながら、前の女子を見る。もしかしたらこいつの方が原因なのかもしれない。黒い黒髪を後ろで束ねており、やたら無表情であるが、まあそれなりに美人である。というよりかなり美人かもしれない。制服のラインの色が黄色なのからするに、多分3年生だろう。と、とりあえず見てみたが、この女の外見の方にも別段注目される要素は—まあある意味あるけど。結構美人だし。しかしそれが原因でもなさそうだ。 「なあ、おまえいつも学食か?ここに詳しかったりするか?」 俺はぽりぽりと頭をかきながら、その黒髪の女に尋ねる。そいつがこくりと頷いたのを見て、俺は辺りを見まわしながら聞いた。 「ちょっと聞きたいんだが、ここの学校の食堂ってもしかして、新参者が来ると注目されたりするのか?」 よく考えると俺は今日初めてここに来た訳で、注目されているのはそれが理由かもしれない。俺はそう思って聞いてみたのだが、黒髪の女は首をふる。 「そんな事は、ないと思う」 「そうなのか?じゃあどうしてだ?まあ別にいいけど。カツカレーを食うことに支障が出ている訳でも無し」 俺は首をひねりながらも、カレーをスプーンですくってぱくりと口に含む。しかし何かざわざわ言ってる。何だ一体。別にいいけど。 「しかし、おまえよく見ると結構いい胸してるな」 とりあえず俺は気を取り直して、目の前の女子にびしっと親指をたててそう言ってみた。 「そう」 即答。寂しい。今のはアーシャじゃなくて普通の女子でも、顔を赤らめたりして何かしら返してくれる台詞のはずなのに。 「むぅ、まあそれはそれとして、おまえなんて名前なんだ?」 それでも俺はめげずに、そいつに話しかけてみる。 「沙耶」 しかしまたもや一言。こいつ、一言同盟にでも入っているのではないだろうか。どんな時でも一言しか喋っちゃいけないとかいう規約がある。まあ、そんなのなさそうだし、単に無口なだけなのかもしれないが。とにかく俺は、その沙耶という名前らしい女が、「貴方は?」とか言って俺の名前を聞き返してくれるのを待った。ひたすら待った。待っている間にカツを三キレ食えるぐらい待った。ちなみにカツカレーは俺の大好物なので、俺は非常に慎重に食う。だから三キレ分といえば、結構な時間である。なのにその間は、ひたすら静寂なままだった。 「……なあ」 俺は痺れを切らせて沙耶に話しかける。 「……何?」 顔を少しだけあげて沙耶が答えた。素っ気無く。 「ここで俺の名前とか聞いてくれないと、会話が成立しにくいんだが」 「別に、興味無いから」 沙耶が答える。無表情で、しかも一言だけ。なんて表情の変化や探求心に乏しい奴だろう。いけない。これはいけない事だ。こんな若いうちからそんな事では、将来苦労する。今のうちに治してやらなければ。俺はそう思って、おもむろに手を伸ばした。  むにゅ。 「……………」 「………………」 そして、俺の手はしっかりと沙耶の胸を掴んだ。柔らかい。いや、それはいいとして、いや、あんまりよくないかもしれん。この感覚はかなり心地よい。でもまあ、とりあえずそれは置いておくとして、悲鳴の一つでも期待して行なった行為だったのだが、沙耶はと言えば顔色一つ変えずに俺を見ただけだった。 「…何のつもり?」 「いや、なんとなく」 「そう」 沙耶は俺のそんな適当な答えに納得したように頷くと、胸をわしづかみにされながらも、表情一つ変えずに再び飯を食い始める。なんて奴だ。ただ者じゃないと思っていたが、こいつはかなりの大物だ。要するに胸にかなりの自信があると見た。好きなだけ触るがいいと俺に挑戦してているんだな?だが甘いぞ。俺は例えどれだけ注目を集めていようと、どれだけ変な目で見られようと、美人の胸を揉めるのならどうでもいいと思えてしまう奴だ。だからとりあえず俺は沙耶の胸をむにゅむにゅと揉んでみる。 「……楽しい?」 沙耶が少し顔をあげて、無表情のまま聞いてくる。ここで無表情なのは心底凄い事だと思う。絶対こいつ将来大物になるに違いない。 「ああ。俺は今、至福の時を過ごしている」 とりあえず俺は自分の正直な気持ちを答え、むにゅむにゅと沙耶の胸を揉み続ける。 「そう」 また一言だけ答えて、沙耶は飯を食べ始めた。胸にある俺の手が邪魔で食いにくい様であったが、あんまり気にはしていないようであった。俺がそうしてむにゅむにゅと沙耶の胸の感触を楽しんでいると—  どごぉぉぉん。 「うぶはっ!?」  突然背中に物凄い衝撃と熱量を感じて、俺は叫び声をあげる事になった。 「本っ当にこの馬鹿はっ!帰りが遅いから心配で見に来て見れば、やっぱり馬鹿な事してんだから!」 アーシャの声だった。しかし、姿は確認できなかった。何故なら、俺は先程の衝撃—おそらくアーシャの容赦無い魔法攻撃だったのだろうが—それにより頭からカレーの皿にとっぷしていたからだ。背中はひりひりするし、顔は熱い。もう言葉にならない程の苦しみだ。 「ほら!謝りなさい!ああっ、もう!先輩に対して何て事してんのよ、あんたは!この人が誰だかわかってるの!?本っ当に馬鹿なんだから!すいません、先輩。こいつ本当に心底馬鹿で、自分が何をしているかわかってないんです。許してやってください!」 アーシャは突然の衝撃により半ば死にかけている俺の髪を無理矢理掴み、謝らせる様に上下に上げさせさせる。 「別に、気にしてない」 沙耶は別にその状況に動じる事もなく、そう答えてまた無言で飯を食い始める。さすがに大物だ。絶対に大物だ、この女。しかし、俺はこいつと違って心が狭い普通の小市民なので、アーシャの手を振り払うと、思いっきり声を張り上げて怒鳴りつけた。 「いきなり何しやがんだ!殺す気かおまえは!」 「……兄さん、顔ふいた方がいいと思うよ……」 ため息まじりに修がティッシュを取り出し、俺に手渡してくる。むぅ、こいつもいたのか。なんかこいつら二人は常に一緒にいる気がするな。二人一組で行動してやがる。二人一組同盟にでも入ってるんじゃないだろうな。別にどうでもいいが。とにかく俺は修からティッシュを乱暴に受け取ると、顔をふきながらアーシャに怒鳴り続けた。 「また人の制服焦がしやがって!いいか!制服を焦がされて苦労するのは俺じゃなく修の方なんだぞ!俺は修の制服ととりかえるから!結局焦がされた制服は修が直す事になるんだ!」 俺はそう言いながら、さっそく先程のアーシャの魔法により焦がされた制服を脱ぎ捨て、修に投げつけた。そして無理矢理修の制服を剥ぎ取ると、それを当然の事に着た。修が泣きそうな顔をしていたが、まあ気にはせずに。しかし、何故かアーシャはそれを見て怒ったような声をあげてきた。 「そういう事止めなさいって言ってるでしょ!?何で修があんたの制服を直さなきゃなんないのよ!?返しなさいよ、修の制服!」 「うるせぇ!俺と修は一つの受精卵から分かれた一心同体とも呼べる存在なんだ!それを思えば制服の焦げた兄の為に、焦げてない制服を差し出すぐらい当然の事なんだよ!なあ修!」 「いやだよ、そんなの……」 「うるせぇ!はいと元気よく返事しないと減点十だ!」 俺は修を思いっきり殴りつけ(減点十の罰だ)とにかくアーシャをびしっと指差して思いつく限りの罵声を浴びせた。 「この暴力女!悪魔!鬼!スケベ女!今朝だって俺の裸を見たし!最低だおまえは!」 「あ、あれはあんたが勝手に脱いだんでしょうが!」 「ほほぅ、つまり見たな!みんな聞いたか?こいつは人の裸を覗き見する様な最低な奴だぞ!こんな顔してても実は好きものだ!そうに違いないぞ!」 俺は騒ぎを注目している周りのギャラリーを見まわしながら大声で言う。 「な、何てこと言うのよっ!こ、この……っ!」 アーシャは顔を真っ赤にして言い返してくるが、すでにここまでくれば俺のぺースだ。ある事ない事暴露してアーシャを苛めてやろうとほくそ笑む—が、その時ふいにこの騒ぎにまったく動じずに飯を食う沙耶の姿が目に入る。さすがに大物だ。凄い。 「我は呼ぶは、炎の力!我は願う、我が敵を焼き尽くさんことをっ!」 しかし、それがまずかった。あの頭に血が昇ると何をするかわからない凶悪女の、しかも頭に血が昇っている状態から目を放す事になっていたのだから。聞こえて来たのは、どうひいきめに見てもあいつの全力クラスの魔法の呪文。感じられたのは湧きあがる力の波動。そして俺がとっさに振り向いた時には— 「死ねっ!この馬鹿ぁぁぁぁ!」  巨大な火炎が、俺の目前に迫っているとしか言い様がない状況であった。  結局、食堂を一部破損させ、罰としてその修復を命じられた俺達は、午後の授業には出れなかった。よく考えると、俺ってこの一ヶ月、こういう事ばかりであまり授業には顔を出していないように思える。しかし、あの火炎の中冷静に自分の食事を非難させ、その後何事もなかった様に食べ続ける沙耶には、将来絶対大物になると思うしかなかった。  そして次の日の昼休み。 「なんだ、宋。おまえ、また学食か?」 教室を出ようとした俺に、何気に話しかけてくるローのむなぐらを掴んで鳩尾に肘を一発入れて黙らせると、俺は手を口に当ててしぃーっとする。おそるおそる振り向き、アーシャがこちらに興味を示していない事を確認すると、ようやく俺はローの鳩尾から肘を引く。 「あ、悪魔か、おまえ……。いきなり何するんだよ……?」 ローが咳きごみがら言ってくるが、俺は再び人差し指を口に当ててしぃーと鳴らす。 「いいか、よく聞け。確かに俺は今から至福の時を過ごす為、おまえの言う通り学食に行く」 「そ、それで、なんで俺が肘打ちを入れられなきゃならないんだ……?」 「大声を出すからだ。その至福の時は、アーシャの奴が学食に来ると終わりを告げてしまうんだよ。だからもしアーシャに俺が何処に行ったか聞かれたら、トイレだと答えるんだぞ。いいな?」 俺はそう言いながら、ちらっとアーシャの方を見る。昨日の食堂の件でかりきているらしく、今朝から俺とは一言も口を聞こうとはしないあいつだが、それでもあいつは俺が至福の時を過ごしているのを見かけると、そんな状態でも容赦なく俺の邪魔をしてくる奴だ。油断はできない。 「いいか、わかったな、タ・ロー」 「俺をフルネームで呼ぶな!その名前気にしてんだぞ、ちくしょう!」 俺はせっかく人が忠告しているのに、大声をあげやがる愚かなる友を手刀により気絶させると、迅速に教室を出、食堂に向かった。  むにゅ。 「お、今日もカツカレーか。同志って感じだな」 そしてあれからしばらく後、食堂。俺は何故かやっぱり開いていた沙耶の前の席に座ると、そう言いながら沙耶の胸をわしづかみにしていた。無論、俺の前に置かれているのもカツカレーだ。  むにゅむにゅ。 「……私、ここのカツカレー好きなの」 沙耶はやはりと言うべきか、胸を触られつつもさして表情も変えることなく答えてきた。やはりこいつはいい奴だ。好きなだけ触らしてくれる気らしい。 「うむ。俺も好きだ。気が合うな」 俺は頷きつつ手の中の感触を楽しむ。昨日、沙耶がいつも食堂だと言っていたのを覚えていた俺は、今日も食事兼沙耶の胸の感触を楽しもうとここに来ていたりする。しかもアーシャには(ふん、と鼻で返事をされたが)一応トイレだと言って教室を出てきているので、今日は邪魔される心配はない。今日は心いくまでこの感触を楽しむ事ができるはずだ。 「……楽しい?」 沙耶がぼーっと、胸を触る俺の手を見ながら聞いてくる。 「ああ」 俺は即答する。正直に。 「そう」 それだけ答えると、沙耶は顔を落として食事を再開する。そして俺は片手で胸の感触を楽しみながら、もう片方の手でスプーンを持って食べ始める。何か異様な光景にも思えたが、まあ心地よい感触プラス美味い食事と至福の時を感じているのだからよしとしよう。  むにゅむにゅ。  ぱくぱく。 「うむ、至福の時って感じだ」 「馬鹿な事言ってんじゃないわよっ!」  どごん。  突然俺は殴りつけられ、至福の感触を楽しんでいた手を掴まれてその至福の感触を与えてくれるモノから無理矢理引き剥がされ、しかももう一発頭を殴られた。 「くっ、何者だ!?俺の至福の時を!」 俺はばっと振りかえるが、振り返った瞬間顔面にもう一発拳を食らわされ、そして髪の毛を引っつかまれて昨日と同じように沙耶に向かってひたすら頭を下げさせられる事になった。何時の間にか後ろに立っていたアーシャの怪力により、無理矢理に。 「まったく、何でトイレに行くとか言ってこんなところでこんな事してんのよ、あんたは!本っ当にすいません、先輩!昨日も言いましたけど、本っ当っにこいつ馬鹿なんで許してやってください!多分悪気はないですから!」 「ぬぅ、アーシャ、今日は機嫌が悪くて話をしてくれないからちょっと心配してたんだが、俺の為に謝ってくれるところを見ると機嫌を治してくれたみたいだな。嬉しいぞ」 「全っ然っ治ってないんだけどね!とにかく放っとくとあんたが何するかわかんないから仕方なく来たの!そこら辺を理解しといてね!」 がこんと俺の顔をテーブルに打ち据えて、アーシャは声を震わせた。何か物凄く痛いぞ。苛めだ、これは。 「はぁ、でもまさかとは思ったけど、本当に昨日の今日で同じ事してるとは思わなかったよね……」 やはり一緒に来て居た修が、溜め息まじりに言ってくる。こいつら、何か本当に二人一組で行動してる気がするな。 「しかし、タダで触らしてくれるというのに、触らない訳にはいかないだろ」 「いっつも思うけどさぁ、本っ当っに馬鹿よね、宋って!」 アーシャが俺の顔を持ち上げ、また机に叩きつける。むぅ、鼻を打った。痛い。俺は正直に自分の意見を述べただけだというのに、何でこんな目に合わなければならないんだ。 「すいません、その、兄さんって人の迷惑とかあんまり考えない人なんで……。本当に失礼しました」 何故か修まで謝りだすし。 「別に、気にしてない」 ほらみろ。こいつは大物だからこれくらい気にしない奴なんだ。  しかしその旨をアーシャに話してみたところ、俺はまた殴られて机に頭をこすりつけるようにして頭をさげさせられて、無理矢理アーシャと修に抱えられて教室まで連行される事になった。まだカツが半分以上残っていたと言うのに、酷い話だ。一体俺が何をしたというのだ。むぅ。 「だけど本当に兄さん、怖い物知らずだっていうか、何て言うか……」 教室に戻ってから、弁当の残りを俺に差し出しながら、修が溜め息をつく。 「いや、自慢じゃないけど俺は、アーシャの事は物凄く恐い女だと恐れているが」 カツカレーを半分しか食べてなくて腹が減っていた俺は、それをがつがつとたいらけつつ答えた。当然、答えた直後にアーシャに思いっきり殴られたのは言うまでもない。 「それもあるけど、岸野先輩の事だよ。よくあの人にあんな真似ができるよね」 「岸野?誰だそれ?俺、そんな奴は知らんけど」 そのまったく聞き覚えのない名前を聞き返してみると、心底呆れた様子でアーシャと修は溜め息をついた。 「本当に、たまに宋って何考えて生きてんのか不思議になるわ」 アーシャが頭を抱えるようにして言ってくる。俺はむっと口をとがらせて反論する。 「何だよ。知らないものは仕方ないだろ」 「だから、岸野沙耶先輩の事だよ」 「キシノサヤセンパイ?またとんと聞き覚えのない名前だが……」 と俺は首をかしげる。キノシサヤセンパ?なんかややこしすぎないか、その名前。 「どうしてこの学園で生きてて、その名前を知らないのよ、あんたは」 アーシャは心底呆れた顔で俺を見てくるが、まあ知らない物は知らない。仕方ない事だ。 「一体何なんだ、そのサヤノキシセンパーってのは?何か舌を噛みそうな名前だが」 俺がそう言って尋ねると、アーシャはふぅと息を吐いて口を開く。 「『岸野沙耶』先輩。さっきあんたが食堂で、その……胸を、その、変な事してた人の事よ」 「ああ、沙耶の事か」 俺はそう言ってぽんと手を叩く。成る程、岸野という名字だったのか、あいつは。 「あいつはいい奴だよな。タダで胸触らしてくれるし。将来絶対大物になるぞ、あいつ」 「もう十分に大物なのよ、あの先輩は」 俺の言葉に、手を振りながらアーシャが言う。横の修も頷いて、 「本当に知らないの?有名なんだよ」 と。それに納得するものがあった俺は、うむと頷いてみせた。 「確かにあの胸はたいしたもんだよな。触り心地といい、形といい。あれ程のモノを持ってれば、すでに有名でもおかしくないか」 「そうじゃなくて。去年の王国主催の武闘大会。剣士の部優勝してるんだよ、あの人。一時は新聞とかでもやかましかったじゃないか。初の高校生優勝者って」 修が手を振りつつ言う。王国主催の武闘大会というのは、確かここの国が三年に一回行なう大会で、いろんな国から名のある強者が集まる、かなり由緒ある大会だ。その大会で優勝したとなれば、世界一の強者と言っても過言ではない。 「ほ、本当なのか!?」 俺はさすがに声を荒げて二人に聞き返すが、真顔で頷いてくる。なんて事だ、知らなかったとはいえ— 「という事はあいつ金持ちなんだな!?あの大会で優勝したら凄い額の賞金貰えるもんな!よし、明日から昼飯おごってもらおうっと!胸を揉める上にタダで飯まで食えるとなると、もう明日からは昼休みは何て言ったらいいかわからないぐらいの至福の時になるぞ!」 ぐっと拳を握り締めて喜びの声をあげる俺に、何故かアーシャと修は呆れ切った顔でため息をついていたが— 「うぉっ!?気がつけばもうこんな時間か!?もう休み時間残り五分しかねぇじゃねぇかっ!くそ!貴重な昼休みの時間がぁぁっ!」 とようやく先程の俺の一撃による気絶から目覚めたらしいタ・ローの叫び声が聞こえて来たりして、俺は少し悪い事をしたかなぁとか思っていた。すまん、タ・ロー。許せ。  グランド十周。  素振り五百回。  百メートルダッシュ五十回。  腕立て、腹筋、スクワット五十回を三セット。  以上を、2セット。  まあ、これが午後からの「剣士系」の方の授業の、おおまかな流れである。はっきり言って思いっきり地味な訓練だが、一年の最初のうちはそういう基礎体力作りをさせられ、体ができてきたところで本格的な剣士、戦士まあその他に向けての訓練をする、というのがこの学校の方針なのらしい。 「だけど、終ったら帰っていいってシステムにしてほしいよな。何でみんなが終るまで待ってなきゃなんないんだよ」 とっくにそれらを終えた俺は、ちっと舌を鳴らしてグランドの隅でまだ最初のグランド十周すら終えていない他の生徒たちをみていた。むぅ、たかが一キロのグランド十周にどれもだけ時間かけてるんだ、あいつらは。まったく。 「そうですね。僕もそう思います」 俺の横のガキ—とは言っても一応同い年なのだが、そうは見えないくらい背の低いガキがふと顔を上げ、頷いて答える。手には『謎は言と迷からできている 著者:謎ーん★』とかいう意味不明な本を持っており、そいつはそれを先程から熱読している。 「だろ。ったく、そしたらいつも午後の授業は三十分で終りなんだけどな」 「僕は十分で終らせる自信がありますけどね」 ぺら、と本のぺーじをめくりながら、そいつ—ノクアノ・ヒギが答える。実際、こいつはいつも十分ぐらいで終らして、残りの時間は読書しているというとんでもない奴だ。しかもこいつは「剣士」と「術士」の授業を掛け持ちしており、そのどちらでも抜群の成績を収めているらしい、平たく言えば化け物みたいな奴でもある。 「お、おまえら絶対人間じゃねぇぞ……。何であれだけのメニューをそんなに高速で終らしてけろっとしてんだよ……?」 まだグランドを走っている途中らしいタ・ローが、俺らの前を通りかかって死にそうな声でもらす。まったく、貧弱な奴め。 「ああ、俺は好き嫌いが少ないからな。体が丈夫にできているんだ」 「僕は謎学の権威、謎ーん★先生の本を愛読しているんで、その加護があるんです」 俺達が適当に答えておく。もっとも死に死にになって走っているあいつに聞こえていたかどうかは疑問だったが。  ちなみに、3番目に授業内容を終らせたタ・ローが俺らのとこまで来たのは、それから1時間ぐらい後であった。まあ、平和としか言い様がない授業光景である。 2 修  むにゅ。  どごん。  昼。食堂にて。  今日その2つは同時だった。 「何でいきなり叩くんだよ?」 「こっちが聞きたいくらいよ!何で先輩に会った途端、いきなりそういう事をする訳!?」 アーシャが、たった今俺の頭にタンコブを作ったばかりの拳をふるふると震わせながら俺に怒鳴りかかる。俺はたった今沙耶の胸を揉んだばかりの手で頭をさすりながら、何気に答えた。 「いや、挨拶代わりにちょうどいいかな、と思って」 それを聞いて何故か隣りで修が溜め息をついていた気がしたが、まあ気にしない事にして俺は沙耶の前に腰掛けた。カツカレーを持って。ちなみに本当は沙耶に奢ってもらう計画だったのだが、アーシャ達がそれを見ぬいてか「心配だから」と弁当持参で食堂まで付いてきたので、それは未遂に終った。というより終らされた。沙耶におごってくれと言いかけた瞬間にアーシャに殴られて。 「どうでもいいが、おまえらわざわざここで弁当食う事ないだろうが。みんなの邪魔になる。迷惑だ。他の場所で食えよ」 俺は横の席で弁当を広げている修とアーシャにブーブー文句をたれるが、ぎろりと睨んできたアーシャの目つきが物凄く怖かったのですぐに止める事にした。ぬぅ、まだ睨んでるし。怖い。 「なんだよ、もしかしてそんなに俺と一緒に弁当が食べたかったのか?結構可愛いとこあるな、おまえ」 俺は言った瞬間にまた叩きつけられる。酷い。冗談なのに。 「私はっ!宋が私達が居ないと何をするかわからないから付いて来てるだけよっ!」 「むぅ、でも別におまえらが居てもいなくても、沙耶の胸を揉んでいるかいないかぐらいの違いしかないと思うけどな。なぁ沙耶?」 俺はそう言って同意を求める様に沙耶を見る。 「それが問題なのに決まってるでしょっ!」 しかし沙耶の返事を聞く前に、俺はやっぱりアーシャに思いっきり殴られていた。 「本当にもう、兄さんは……」 横ではやっぱり、修が溜め息をついていた。 「しかし、前々から思っていたんだが、何でこの食堂いつもこの席だけ開いてるんだ?まあ便利でいいんだが」 俺は自分のカツカレーを食い終わり、沙耶の皿からカツを1個奪いながら呟いた。 「私もよく知らないけど、いつも開いてて便利だから、私もいつもここで食べてるの」 沙耶はそう答えながら、器用にスプーンでカツを奪い返してきた。むぅ、こいつ何をされても顔色一つ変えなかったくせに、食い物の事になると別らしい。そういえば昨日、ここのカツカレーが好きだと言っていた気もする。しかし負ける訳にはいかん。俺は1度目をつけた獲物は必ず捕獲する主義だ。俺はそれを再び奪おうとスプーンを伸ばすが、沙耶は迅速に手首を返して俺の動きをかわす。ぬぅ、できるな、こやつ。 「そりゃ、誰もこの席に座ろうとは思わないわよねー……」 アーシャが溜め息をつきながら呟く。俺はそれを聞きつつ突きに近い速度で再び沙耶のカツを狙うが、あっさりとかわされる。おそるべし、沙耶。やはりただ者ではない。 「そだよね、世界最強の人が愛用している席だもんね……」 何か訳のわからない事を修達が呟きあってはいたが、とにかくそれよりも俺は目の前のカツ争奪戦に夢中だった。どうやら沙耶も同様らしい。目の色が違う。俺達はキンキンとスプーンを鳴らし合いながら、カツを奪ったり奪われたりしていた。 「ぬぅ、おのれっ!1個ぐらいくれてもいいじゃないかっ!」 「駄目。あげない」 沙耶はカツを俺のスプーンから防御しつつ、器用に食っていく。何て奴だ。器用なのは認めるが、ケチなのはもっと確信してしまうぞ。 「ほらもうっ!いい加減にしなさいっ!」 アーシャがそう言って俺を叩きつけ、沙耶の奴はその俺がひるんだ隙に最後の1個のカツを口に運ぶ。くそ。負けた。1個も食えなかった。おそるべし沙耶。そして酷いぞアーシャ。 「本当にすみません、先輩。兄さんが変な事ばかりして……」 俺が頭をさすっていると、修がそんな事を言いながら沙耶に頭を下げる。そう言えば、よく考えると沙耶は3年で、俺は1年だからあいつの方が先輩なのだったな。まったくもって忘れていた。でも別にだからといってどういう訳でもないが。 「……貴方達、兄弟なの?」 と、その時沙耶が俺と修を見比べながら、ぽつりとそんな事を呟く。ぬぅ、三日前までは俺の名前にすら興味を示さなかったこいつが、こんな事を聞いてくれるなんて素晴らしい進歩である。やはり俺の胸を揉むという素晴らしいコミニケーションによってつちかわれたに違いない。偉いぞ、俺。 「はい。双子なんです」 「性格は全然似てないんですけどね」 修が頷き、アーシャが横から余計な事を言う。そんな事を言うと修に可哀想ではないか。俺の様な素晴らしい性格に修がついて来られる訳がないのだから。 「しかし、なぁ」 俺は空の皿にスプーンを放りながら、ぽつりと口を開く。 「ケチすぎるぞ、沙耶。カツ1個ぐらいくれたっていいじゃないか」 「いつまで言ってんのよ、あんたは!」 また俺は殴られる。何か今日のアーシャは危険だ。機嫌が悪いらしい。 「すいません、兄さんって食べ物の事になると、しつこいんですよ」 また修が謝っている。何だよ、さっきからまるで俺が問題児みたいではないか。むぅ。 「しかし、それにしても」 俺はアーシャの怪力により巨大化したタンコブをさすりながら、再び口を開く。 「もし今日を堺に大飢饉にみまわれ、今そのカツを食べれなかったせいで俺が餓死したら、どうするつもりなんだ、沙耶?」  ばこん。  何故かそこでまた俺は殴られ、しかもアーシャに胸元を掴まれて睨みつけられた。怖い。俺が何をしたというんだ。やめてくれ。俺は本心を述べただけだぞ。 「そんな事、ならないもの」 少し遅れて、沙耶が答える。俺はびしっとアーシャの手を振り払って、沙耶を指差して叫ぶ。 「何故そんな事が言えるんだよ!もしかしたら本当に起きるかもしれないじゃないか!もし起きたら俺はおまえを一生かけて恨みぬくから覚悟—」  ばごん。どごん。ずしん。 「じゃあ、先輩。もうこいつ食べ終わったみたいだし、連れて行きますね。失礼しました」 「すいません、気にしないでくださいね。兄さんってああいう、冗談みたいの結構本気で言ってるんですよ。だから余計厄介なんですけど」 修とアーシャが謝りつつ俺を引きづっていく。俺はといえば、アーシャの連撃によるダメージにより、気を失いかけていた。何か今日のアーシャって容赦なさすぎるぞ。 「本当にもう、兄さんは……」 修は修で、溜め息ばっかりついてるし。  宮路修。我が唾棄すべき愚弟。髪の毛がやたら長いのと、眼鏡をかけている事以外は俺とさして外見上の違いはない。ないはずだ。だというのに。 「気にいらねぇ……」 俺はその存在に、心から怒ってそうもらしていた。 「その気持ち、わかるぞ。よくわかるぞ、友よ」 うんうんと頷きながら、タ・ローが俺の肩をぽんと叩く。 「僕にはあんまりわかりませんけどね」 少し非協力的な態度をとりながら、『謎は言と之と米からできているのかもしれない 著者:謎ーん★』というまた訳のわからない本を読んでいるノクアノ—は無視して、俺とタ・ローは拳を握り合ってグランドの向こう側の術士志望が練習している場所を見ていた。いや、睨んでいた。 「修君、ちょっと教えて欲しいんだけど……」 「ねぇ、修君」 「修君」 なんかもう、殺意が芽生える光景だった。一般的に、剣士は体力の居る職業であり、そのほとんどが男子である。逆に言えば、術士は大半が女子でもある。いや、別にその事については文句はないのだ。確かに、一般的に女は魔力が高い傾向にある事だし。別に術士側がほとんど女子だと言う事自体には、文句はないのだ。 「おのれ、修!この愚弟!ちょっとこっち来やがれ!殺してやる!」 「そうだ!殺してやる!いつか貴様だけは絶対に殺してやるからな、人としてっ!!」 ただ問題は、我が唾棄すべき愚弟がやたらもてている事だ。これは許される事ではないと俺は思う。確かに魔術師系ではトップクラスの成績だったり、実はスポーツ方面も万能だったりするが、とにかくあんな愚弟はもてるべきてはない。確信する。絶対に確信する。あんな休みの日は一日中家で料理を作っているような気色悪い奴の何処がいいんだ。くそ。 「どうでもいいですが、暇なら貴方達も読みますか?謎学会においては権威の謎ーん★先生の傑作ですよ」 ノクアノが修に向かって口々に罵声を浴びせている俺達に、おもむろに本を差し出す。  まあ、実は他の人より午後のトレーニングが早く終わり、暇で仕方なかった俺達だった。  でも、修がもてるのは許せないのはまぎれもない事実だったりもしたのだ。  放課後、教室。 「やっぱり、既成事実だと思うんだよなぁ」 ふっふっと笑いながら、タ・ローが黒板にチョークで何か書いていく。上には大きく『宮路修を地獄に送りたいな大作戦』と書かれており、その下には『媚薬を飲ませてブスの寝室に放り込んで子作りさせる』、『地獄直通の扉を召喚し放り込む』、『地球外生命体に生贄として差し出す』とやたら汚い字で書きなぐられていく。余談だが、こいつ字を書く事はできても読む事はできないらしい。俺の親父みたいな奴である。どういう頭の構造をしているのか不思議だ。 「う〜む、とにかく何かいまいちだ。地獄度がたりん」 俺は腕組みをしてうなりながら、おもむろに横のノクアノを見る。 「おまえはどう思う?」 「僕としては、何でこんなあんまり興味のない事に付き合わされなければいけないのかが疑問で仕方ないんですけどね」 「馬鹿野郎!人としてあの人間の敵の暴挙を見過ごしていい訳ないだろ!?あれは人として決してやってはいけない罪を犯しつづけているんだ!具体的に言うと、今日だってラブレター十通ほど貰ってた!という訳で俺達は人としてやらなければいけないんだ!人として!」 地団駄を踏みながらタ・ローが怒鳴り散らす。ノクアノは溜め息をつくと、自分の席に仕方なさそうに腰掛けた。  現在、俺達3人は、日のラブレター数十通を超えるという、人として触れてはいけない領域に触れてしまった我が愚弟、修に地獄を見せる為の計画を立てている真っ最中であったりする。ちなみにメンバーは俺、タ・ロー、そして強制参加させたノクアノの三人だ。 「で、具体的にどうしたい訳ですか?」 ノクアノが溜め息まじりに聞いてくる。俺はそこでふっと笑うと、髪をかきあげながら答えた。 「知れたことだ。あの愚弟を、己の愚かさに相応しい地獄へと送るのだ」 「そうだ!人の幸福はかち壊せ!己の幸福は隠して護りとうせ、が俺達のモットーだ!」 びしっと拳を握り締めてタ・ローが熱説する。素晴らしいぞ、タ・ロー。もはやおまえに言う事はない。最高のモットーだ。 「なんだか、ずいぶん僻みっぽいモットーですね」 「うるせぇ!そこがポイントなんだよ!」 「そうだ!僻みこそ何よりも強い力となる可能性を秘めているのだ!それを我が愚弟に教えてやろうぞ!やるぞみんな!」 一際大きい「おーっ!」という二人分の掛け声が教室内に木霊し。  そしてワンテンポ遅れてノクアノの溜め息ももれていた。ノリの悪い奴め。  次の日の朝。七時ちょうど。  俺達は例によって教室に集まっていた。 「しかし、おまえいつも遅刻ぎりぎりのくせに、こういう時はめっちゃ早いんだな」 着いたばかりのタ・ローが、荷物を机に下ろしつつ俺に言った。 「ふっ、誰かの幸せを壊す為なら、俺は何でもできる男だからな」 俺は髪をさらりとかきあげながら答え、ふっと笑う。 「で、人をこんな早くに呼びつけて一体何をするつもりなんですか?」 ノクアノがため息まじりに聞いてくる。俺は笑みを絶やす事なく、鞄の中から昨日調達しておいた物—カツラと眼鏡の2点セットを取り出した。 「……ほほぅ、成る程。考えたな、宋」 さすが我が心の友、タ・ロー。これを見た時点ですでに俺が何をするつもりかわかってくれたらしい。さすがだ。 「つまり、弟さんに化けて何かするつもりですか?」 「ふっ、甘いな。その先まで読まなくてはダメだ、ノクアノ」 俺はカツラをかぶり、眼鏡をかけつつ指を振る。 「奴が何故もてるか?それよくわからん。正直言って。しかし、いくらなんでも彼女ができれば、これ以上もてる事はなくなるだろう。それが俺が昨日一日かけてたっした結論だ」 「ちょっと待て!まさか修に変装して誰かに告白して強引に彼女でも作る気か!?それじゃもしかしたら幸せになるかもしれないだろうが!」 食って掛かってくるタ・ローに、俺はちっちっと指を振って見せる。 「甘い。甘いなぁおまえも。俺がそれぐらい考えてない訳ないだろうが。つまり、絶対に付き合ったら不幸になる女とくっつけてしまえばいいんだよ」 俺は親指をたてて笑みを浮べる。漫然の微笑みだ。  この世で一番恐ろしい女は誰か。そこまでたどり着くのにはかなり時間がかかったが、その存在を思いつくのにはまったく時間はかからなかった。そう、アーシャだ。あの鬼畜女と付き合えば、地獄を見るのはまず間違いない。有り体に言えば毎日殴られて死にかけるはずだ。いや、死ぬかもしれない。 「そうか?別にアーシャさんって、おまえ以外の奴はあんまり殴らないと思うぞ」 「そうですね。だいたい彼女が修君を殴っているところなんて、見た事もないですし」 「ぬぅ、確かにそう言われればそんな気もするが、この計画にはあの女が修と付き合う事により女としての喜びに目覚めてしおらしくなってくれれば、俺の苦しみが半減するという策略も含まれているんだ」 俺は腕組みをしつつ、あんまり乗り気でなさげな二人に説明する。 「だけど、アーシャさんって男子の間じゃ結構人気高いんだぞ。美人だし」 「性格は最低だ」 「でも、料理とかも結構上手みたいですね。家庭科の成績5でしたし」 「いくら料理が上手くても、作ってくれなければ意味がない。そしてあいつは人の為に料理など絶対にしない奴だ。前も俺が弁当を頼んだら、死んでもイヤだと即答されたぞ」 俺は半ば意地になって答え、腕組みをしつつアーシャを待った。今日の朝、修を装い「話したい事があるから早めに学校に来てくれ」とあいつに電話してある。もうすぐくるはずだ。何せ、一応双子だけあって、俺と修の声は自分でさえ区別できない程そっくりなのだ。ばれるはずがない。 「いいか、計画は絶対に成功するとみて間違いない。俺の見たところ、確実にアーシャの奴は修に惚れている。間違いなくだ。でなければわざわざ毎朝毎朝俺の家に寄って登校などする訳がないし。あれはきっと修に会いたくて家に寄ってるんだ」 「おまえに会いたいからかもしれないという可能性はないのか?」 「ない。今朝だって寝起きが悪いからと熱湯をかけられた程だぞ。絶対にそれはありえん」 俺はびしりと机の下のタ・ローの問いに即答し、ひたすら腕組みをして待つ。まず俺が修を装って告白し、それをアーシャが受けたところで奴ら二人を登場させ、「修の告白を受けた」という既成事実をつくる。そして後から修を適当に脅し、アーシャとつきあわせる。完璧だ。完璧すぎる計画だ。 「それにしても、その計画の何処に僕が必要なのかわからないんですが」 タ・ローと同じく机の下から、ノクアノが言ってくる。どうでもよさげな口調で。 「馬鹿め。もしかしたらあの女、俺達全員を殺して口封じしようとしてくるかもしれないだろうが。その場合の保険なんだよ、おまえは。おまえならあの鬼畜魔術女を止める事も可能だろ」 「しかし、一介の遊び人志望の僕には、術士の彼女を止める力はないですよ。一応転職して悟りを開いて賢者になるまでは、僕は魔法を使えない事にしてありますし」 「よくわからんが、別に体力方面だけでもおまえは十分あいつを止められるだろーが」 俺がそんな事を言っていると、足音がする。おそらくアーシャに違いない。俺は人差し指を口に当てて二人を黙らすと、ごほんと咳払いをして準備を整える。自慢じゃないが、俺は人を落とし入れる為なら万全をつくすたちだ。何度も演技して完全に修を演じる事をマスターしている。凄いぞ俺。素敵だ俺。 「どうかしたの、修?こんな朝早く呼び出して」 予想どうり足音の主はアーシャだった。俺はこれからの作戦の事を思い笑みを浮かべたくなるのを我慢して、さわやかに修を演じた。 「うん、ごめん。その、どうしても話したい事があって」 凄い。我ながら完璧だ。凄すぎるぞ俺。誰が何処からどう聞いても今のは修の台詞だ。 「何?早くしてよ。ちょっと時間ないのよ。起こしに行かないと宋の馬鹿がいつまでも寝てそうだからさ、一回戻りたいのよね。ほら、貴方の家のおじさんおばさんって、あの馬鹿起こすの面倒だからって放りっぱなしでしょ、朝は」 ふっ、自慢じゃないが俺は今日四時半に起きたぞ。おまえに起こされる余地などない。ましてやあのくされ両親どもにも。まあそれはそれとして俺は何気ない仕草まで修を演じつつ、ゆっくりとアーシャに近づいて行った。そして寸前で止まり、修の口調でアーシャの名前を呼ぶ。 「あ、あのさ、アーシャ……」 「な、何よ、修?どうかしたの?何か変よ、今日」 むぅ、まずい。もしかして気づかれてしまったのだろうか。いや、まだ大丈夫のはずだ。このまま押し切れば告白の為緊張しているのだという事で押し切れるはずだ。俺は一気に残りの台詞を吐いた。 「そ、その、僕……す……好きなんだ、アーシャの事。あの、その、迷惑なのはわかってるけど、その……」 どもり具合まで完璧。この告白の部分は昨日じっくり練習したから完璧なはずだ。何せ無理矢理修に同じ台詞を言わせて何度も練習したからな。 「え……?ちょっ、修?」 予想どうり、アーシャは顔を真っ赤にしてうろたえている。にやり。やはりばれていないぞ。俺の演技はもはや神の領域にまで達しているのかもしれない。凄いな俺。 「でも、もし迷惑じゃなかったら、その、僕と付き合ってくれないかな……?」 もし修が、昨日「もし告白するとしたらどんな事を言う?」と俺が何気に言わせたこの台詞を、今こんな手段で俺が活用していると知ったらどう思うだろうか。むぅ、そう思うと楽しくて仕方ない。でもちょっと悪い様な気もしない事なくもない。俺って結構優しい奴だ。 「………………」 アーシャは顔を真っ赤にしてうつむいている。ふっ、もう一押しと見た。だいたいこいつ、男に告白されるのなんて初めてのはずだ。あんな最低の性格してるんだから。かなり頭の中は混乱状態に陥っていると見たな。 「駄目……かな?」 修を装った俺が、そっとアーシャをのぞき込む様にして言う。ちょっとおどおどしながらも、さりげに強い意思を込めるのがポイントだ。むぅ、修評論家になれるかもしれないな、俺。 「その、何て言ったらいいのかさ、わからないんだけど」 アーシャがためらいがちに口を開く。むぅ、いい感じだ。よし、言え。言ってしまえ。 「気持ちは、その、嬉しいんだけど、さ。私は宋—」 と、何かアーシャが言いかけた時。ちょっとひっかかる事を言い出し始めていた気もしたが。しかし、その時。 「ああ居た、アーシャ!よかった、ここに居たんだね!」 何故か息を切らせつつ、本物の修が教室に飛び込んできた。 「え?」 「あ!?」 空気が、固まる。そんな中、修一人があわただしく叫び散らす。 「大変なんだ!兄さんがどっかに消えたんだよ!今朝から何処捜しても居なくて!あの兄さんが平日に早起きなんてする訳ないしさ!どうしよう!?父さんも母さんももうパニック状態で—」 アーシャが飛び込んできた修を呆然と見ていた瞳を、修の言葉を聞いて体ごとふるふると震わせながら俺の方に向ける。何か、死の予感。 「それでアーシャにも捜すの手伝って貰おうと思ったら、アーシャも家にいないんだもん!本当に心配したよ!もしかしたら二人に何かあったんじゃないかって—!」 修がはぁはぁと息をきらせて、アーシャに駆け寄る。修は余程慌てているのか、俺の存在には気づいてくれてない。しかしアーシャは確実に俺を見ていた。ふるふると肩を震わせながら。 「いい訳はある?宋。一応聞いてあげるわ」 ゆっくりと俺に向かって一歩踏み出しながら、震える声で笑みすら浮べてアーシャ。怖い。狂気と殺意に満ちた笑みとしか言い様がない。悪魔。魔界の住人。 「え!?兄さ……ってあっ!もしかして兄さんなの!?何でそんな格好—!?」 ようやく俺に気づいたらしい修が何か言ってくるが、まあこの際それはどうでもよかった。いや、気にする余裕はなかった。 「何かおかしいと思っていたのよねぇ……」 ふっふと笑うアーシャから、ぶおっと魔力だか熱気だかわからないモノが放出される。それが俺に告げる。もはやここは魔界だ。この女は魔界の住人だ。逃げるしかない。だけど多分絶対に逃げられないだろう、と。 「ノクアノ!出番だ!出番だぞっ!おい!」 「すいません。めんどいのでやっぱり嫌です」 「タ・ローっ!!」 「さよなら、宋。せめて安らかに眠れよ」 机の下の薄情な仲間達の裏切りの宣告を受けつつ、俺は全身から信じられない位の魔力を放出するアーシャに追い詰められていく。 「何企んでたのか知らないけどさぁ、いくらなんでも……!」 ぶぉん。アーシャにぶつかった机が溶ける。その光景は俺に恐怖を植え付けてくれるのに十分なものだった。魔界でもこんな光景は見られないんじゃないだろうか。 「ち、ちがっ……!これには海よりは浅いけど水溜りぐらいには深い訳が……!」 「やっていい事と悪い事があるでしょうが!この馬鹿ぁぁぁぁぁっ!」  教室、半壊。俺、半死。  それだけで収まったのが不思議なぐらいの、恐怖の火炎攻撃だった。  むにゅ。  むにゅむにゅ。 「……一つ聞いていい?」 沙耶が少し顔をあげて、俺を見る。 「何だ?」 俺は片手でカツカレー、もう片方で胸という至福の状態を維持しつつ、何気に答えた。 「何で焦げてるの?」 「燃やされたからだ」 全身が少し焦げ目の俺は、沙耶の問いに真実を答えると、カツをはぐはぐと噛んで食べる。手をしっかりと動かしながら。 「そう」 「ああ」 俺は再び至福の時を味わいながらそう返す。 「ああ、じゃないよ、兄さん……」 「ぬぅっ!?」 突然後ろから修の声がしたのに驚き、俺は即座に振り向く。が。 「何だ、おまえ一人か?」 意外にも、そこに居たのは修一人であった。こいつとアーシャがワンセットで行動していないなど珍しい事もあるものだ。 「なら、至福の時を過ごすのに何の障害も無いな」 「ないなって………。兄さん、ちょっとは……」 ともあれ、俺は何か言ってくる修を無視して、咄嗟に引っ込めていた手を再び沙耶の胸に伸ばし、むにゅむにゅと揉みはじめる。 「ふっ、あれだけ怒っていればアーシャは来ないだろう、という俺の読みは当たっていた訳だ。さすがだよな、俺」 「何したか知らないけど、早目に謝っといた方がいいよ。アーシャ物凄く怒ってるみたいだったから」 修が溜め息交じりに言いながら、もはや俺に意見するのを諦め隣りに座る。俺はさすがにこいつに化けてアーシャに告白していたとは言えない為、無言で沙耶の胸をむにゅむにゅしていた。 「アーシャ……?」 それでもやはり顔色一つ変えてない沙耶が、ぽつりと聞いてくる。まあ、そう言えばこいつまだ、俺らの名前はまったくもって知らないのだ。俺は頷いて沙耶の問いに答えてやった。 「ああ、ほら、なんていうか、俺を焦がした張本人の名前だよ」  ばこん。  何故か俺はそこで思いっきり殴りつけられ、しかも至福の感触を楽しむ腕を無理矢理引き剥がされてから頭を机に押しつける様にして沙耶に向かって頭をさげさせられていた。 「あ、やっぱり来たの?アーシャ」 「よく考えて見ると、修だけじゃこの馬鹿を止められないと思って」 まあ、もはや言うまでも無いが怪力により俺に一連の動作をしいていたのはアーシャだった。むぅ、俺の計画では今日は来ないはずだったのに。何か今日は計画が失敗してばかりだ。くそぅ。 「もう重ね重ね何て言ったらわからないんですけど、本っ当っにすいません、先輩!この馬鹿には後でよぅく言い聞かせておきますから!」 「ふっ、アーシャ。今日は話しかけたらぎろりと睨まれる程機嫌が悪かったみたいだが、俺の為に謝ってくれるところをみると、機嫌を治してくれたみたいだな。嬉しいぞ」  どん。どばしゃん。  2回連続で俺は机に頭を叩きつけられ、ばしゃりと頭からコップの水をかけられる。酷い。火傷しているからしみるのに。何より残りのカレーを食う時水がないと困るではないか。まったく。ただはっきりした事は、アーシャの機嫌はまったくもって治ってないらしいという事だった。だって目が怖いもん。 「この人が、アーシャ?」 沙耶がぼぅっとスプーンを加えながら、俺の方を見て聞いてくる。俺は頭を机に押しつけられたままで頷けなかったが、まあ一応返事だけはしておいた。 「ああ、例の俺を焦がした張本人だ。よくわかったな。やっぱり顔から凶暴性が」  どごん。ばぎん。ずん。  またもや無言で、今度は3回連続で机に頭を打ち据えられる。しかも一撃一撃が容赦無い威力。少し文句を言いたいところだが、先程ちらりとアーシャの顔を見た時、まだ魔界の住人に近い迫力があったのでそれは止めておく。俺って賢明だ。 「ええと、あの、そう言えば僕達、まだ名前も言ってなかったんですよね。えっと、僕は修です。宮路修」 「私はアーシャ・シビィです。よろしく、先輩」 二人がそろって自己紹介をする。俺はそれを聞きながら、じぃーっと何かを訴える様な目で沙耶を見る。すがる様な目つきである。音楽が流れるとしたらドナドナのテーマーだろう。売られていく子牛の目つきだ。 「……貴方の名前は?」 熱意が通じたのか、沙耶は咥えていたスプーンをおろし俺の方を見て聞いてくる。俺はぱっと顔を輝かせると、びしっと親指をたてて自己紹介した。 「宮路宋だ!十六歳!ちなみに趣味とかも聞きたかったら教えてやらん事もないぞ!」 何か勝ち誇った気分で言う俺。ついに沙耶の方から聞かせる事に成功したのだ。この数日、故意に名乗らなかったのは無駄ではなかった。報われた気分だ。 「……趣味は?」 ぬぅ、しかもそこまで聞いてくれるとは。さすが俺。ここ数日のコミニケーションにより、確実に沙耶から興味を持たれていたらしい。素晴らしい。 「ぬぅ、しかし、趣味……。趣味………よく考えると俺って結構無趣味なんだよな」 「……本当に兄さんって、何も考えないで喋ってるよね」 呆れた顔で修が溜め息をついてくる。アーシャは、未だ俺と目を合わそうともしない。沙耶はと言えば、単に聞いてみただけなのか、結構どうでもよさそうな顔でカレーの入った皿をつついている。そんな状況の中、趣味がない寂しい人間だと思われるのが嫌な俺は、とにかく頭をフル回転して趣味と呼べるモノがないか考えていた。 「おお、そうだ!」 思考の末、趣味と呼べるものを発見した俺は、手をぽんと叩いて声を張り上げる。 「最近は、沙耶の胸を揉むのが趣味な気がするぞ!」  何故かこんなに真剣に考え込んで結論を出した俺は、またアーシャに無言で思いっきり叩きつけられた。怒っている為かかなり容赦無い一撃だった。なにせ叩きつけられた机に俺の顔型がくっきり残ったぐらいである。凄いぞアーシャ。剣士に転職しても十分やっていけるぞ、おまえ。  しかし、そうアーシャを誉めてみたところ、俺は何故か物凄く激怒したアーシャに滅多打ちにされてしまった。何故だ。誉めたのに。とにかく怒っているだけに、例によってまったくもって容赦無い攻撃だった。死ぬかと思ったぞ、俺。それにしても何かアーシャって、常時怒ってばかりいるような気がするな。まあ、昔からだが。 「本当にもう、兄さんは……」 横ではやはり、修の奴がそんなため息混じりの言葉をもらしていた。こいつもこいつで昔から溜め息ばっかりついてる気がするな。まあ、別にどうでもいいが。 3 父母  日曜日。朝。 「レイナ、腹が減ったー。早く飯にしてくれ」 俺は食卓の上の空の皿をちんちんとならしながら、台所で飯を作るレイナ—まあ一応俺の母親だ—に朝飯の催促していた。 「わかってるわよ!ちょっと待ってなさい!」 じゅうじゅうと音を立てるフライパンをかえしながら、レイナが返事をする。まったく、いつもながらとろい手つきだ。あれでは母親としての資格がないぞ。むぅ。 「むぅ、しかし我が妻ながらいいケツしてるよなぁ。なんかこう、後ろから襲いたくなってくるぞ。なあ宋、弟か妹欲しくないか?」 新聞をわきに置きながら、何故か和服の親父が真顔で聞いてくる。この親父は朝は和服に限るという訳のわからんこだわりをもっている。というより常に和服だ。髭こいし。 「うむ、俺としては妹が欲しいな。こう、可愛くって俺の事を『お兄ちゃん』って呼んでくれる純真なヤツが」 ともあれ、俺は真剣に聞かれた事には真剣に答えた。礼儀だ。 「うむ、まかせろ」 親父がぐっと拳を握り締め立ちあがる。そして台所で料理中のレイナに襲いかかろうとして、殴られて帰ってきた。むぅ、情けない奴め。 「まあ、何だ。子作りというのは、両者の同意があって初めてできるものだからな」 ごほんと咳をして、親父は食卓に座り再び新聞を手にとる。手形に跡が残る顔を隠すようにして。 「しかし俺としては一刻も早く妹が欲しいんだが」 「うるさい。飯の準備中なんだから仕方ないだろ」 顔をさすりながら、親父が答えてくる。むぅ、完全に先程のレイナの平手打ちでおじけづいてしまったようだ。情けない愚父め。 「じゃあ、今晩あたり頼むな。気をきかせて俺と修は早めに寝るから」 「おお、協力してくれるか!最近ご無沙汰でたまってたとこだったんだよ!我が子ながら、いい奴だ、おまえは!」 がしりと俺の手をとり、親父が嬉しげに叫ぶ。 「ふっ、何だかんだ言っても、ご無沙汰中のレイナは機嫌が悪いからな。おまえらの夜の生活は、俺の幸せにも深く関係している事なんだ」 「貴方達!いい加減にしなさいよっ!さっきから人が黙っていれば調子にのって!」 レイナが顔を真っ赤にして振り向いて怒ってくる。むぅ、相変わらず我が母ながらからかうと面白い奴だ。 「しかし、やはり怒りっぽくなってるよな。最後にしたのはいつなんだ?」 「うむ。まあ一ヶ月程前だな」 親父が髭を手でじょりじょり音をたてて弄びながら何気に答える。俺は深く溜め息をついて首をふる。 「そうか。まあ、仕方ないと言えば仕方ない数字だな」 「うむ。仕方あるまい」  どん。  ようやく出来たらしい飯を食卓の上に置いたレイナの顔は、まあ当然と言えば当然に怒りに歪んでいた。楽しい。 「あなた、ちょっといいかしら?」 ふるふると肩を震わせながら、レイナが笑顔で親父に話しかけ、手招きする。 「嫌だ。そうやって連れて行かれたら、絶対半殺しにされるし」 「ぬぅ、しかし親父。ご無沙汰期間が長すぎてついに我慢できなくなったのかもしれないぞ。もしそうなのなら、ここは男として答えてやらねばならないんじゃ」  ごき。  レイナの握っていたフライパンのもち手が、音をたてて引き千切れる。ちなみに特注のミスリル製。さすが元魔王。恐るべき怪力だ。 「……お母様、俺は別に悪気は。ただ父上にああ言えと命令されて仕方なく」 「ぬぅ、では俺は修に命令されて仕方なく」 「修はまだ寝てるでしょう!このくされ親父ぃぃっ!」 母上の鉄拳が容赦なく親父を襲う。あわれ、親父。安らかに眠れ。おまえの分の飯も俺が食べてやるからな。俺は目の前でぼこぼこにされていく親父を拝みながら、フライパンの中身のチャーハンらしき物体を皿にとり、食べ始める。許せ親父。だけどおまえが生贄になる事で俺は救われたのだ。遠慮なく殴られてくれ、俺の為に。 「ちっ、しかし相変わらず不味い飯だな、レイナ」 しかし、つい出た本音の為に結局俺も殴られる事になったが。 「ふぁ……、おはよう」 修が目をこすりながら食卓に座る。まったく、だらしない奴だ。なんだ、まだパジャマのままで。 「遅いぞ、修。もう六時半だぞ?いつまで寝てるんだ、まったく。たるみすぎだ」 俺はこんな時間にまだ眠そうな顔をしている修を叱りつけると、皿の上のチャーハンを口に運ぶ。むぅ、不味い。本当にもっと修行しろ、レイナ。 「……兄さんって、学校ある日は何しても起きないくせに、休みの日って怖いくらい早起きだよね」 「うむ。せっかくの休みを寝て過ごしたりしたら勿体ないからな」 修は俺の返事を聞いて何故かため息をつくと、ふと俺と親父の顔を見て首を傾げる。 「……なんで、二人共顔を腫らしてるの?」 「いや、レイナの奴があっちの方がご無沙汰らしく、機嫌が悪くて」 「うむ。おまえも気をつけた方がいいぞ、修。まあ、明日までには俺がなんとかしとくが」 ぎろっと俺達の方をレイナが睨んでくるが、まあ慣れているのであんまり気にもせずに俺達は飯をつつく。修もだいたい何が起きたのかは予想がついたのだろう。溜め息をついて自分の分の皿に手を伸ばした。 「しかし、相変わらずレイナの飯は不味いな。これで5千歳だって言うんだから哀しくなってくるよな。無駄な生き方ばかりしてた証拠だ」 「まあ、そう責めるな。何せ俺に処女を奪われるまで、四千九百八十四年も男を知らなかったような世間知らずな女だったんからな、母さんは」 ぼきっとレイナが箸をへし折る音が聞こえたが、まあ別に俺達は気にせずに飯を食べ続けた。さすがにあれだけ殴った後にまた攻撃してこないだろう事を、俺達は計算づくで行動していたリするのだ。実はレイナの奴、意外に心配性だから健康を害す恐れのある以上の攻撃を俺達に加えることはしない。何時もそのぎりぎりで攻撃を止める。つまり、攻撃されたその直後はどれだけレイナをからかっても攻撃される事のない、安全な状態なのだ。 「それにしても、この父もさすがにびびったものだ。何せ四千年以上処女!並みの数字じゃないぞ、これは。ギネスものじゃないだろうかと感心させられたのを覚えている」 「ぬぅ、しかし不味いぞ、食えたもんじゃない。これで本当に二児の母親なのか、レイナ?こんな事だから世界征服目前でこんな馬鹿親父に負けて、そのまま無理矢理女にされたりするんだぞ。情けない魔王め」 「馬鹿な事を言うな、ちゃんと初夜の日は合意の元に行なわれたんだぞ。こう俺が母さんを抱きしめて、優しく『愛している』と—」 と、その時どごんと親父はレイナに殴られる。多分元勇者だとかいうやたら頑丈にできている親父は、もうさっきのダメージが回復してきて、拳一発分に相当するダメージに耐えられる状態になってしまったのだろう。哀れな。俺は貧弱な少年なのでまだまだ平気だ。 「しかし、不味い。不味いぞ。食えたもんじゃない。5千歳のババアのくせにどうしてこんなに料理が下手なんだ。普通年よりってのはこういう事が得意なはず—」  どごん。  どうやら俺も少し体力が回復してしまった様で、レイナの鉄拳をくらう。アーシャの拳の数倍の威力である。さすがは元魔王だ。普段からアーシャに殴られなれている俺でさえ、一瞬意識を失いかけたぞ。恐るべし元魔王。 「—そして母さんは俺の手を握り返して言ってくれたんだ。『私も、好きです』と。俺はそんな母さんをそっと抱きしめ—」 しかしせっかく殴られたんなら、もっと言わなきゃ損だ。それは親父も同じらしく、痛みで中断していたさっきの続きを語り始めた。ぬぅ、負けられん。 「けっ、不味い。ババアの作る飯なんか不味けりゃ何の取り柄もないじゃねぇか。そこんとこをよく考えてくれよ、レイナ」 「あ、貴方達………!」 ぼきぼきと箸を握りつぶしながら、レイナが震える声を漏らす。 「何時も思うんだけどさ」 修が溜め息混じりに呟く。 「不味い、不味い、不味い!もう、この一言につきるぞ。レイナの料理は最低としか言い様がない!」 「よかった。よかった。よかった!もう、この一言につきるな。母さんとの初夜は最高としか言い様がなかった!」 「—父さんと兄さんって、本当にそっくりだよね」 「むぅ、失礼な。こんな下品な親父と一緒にするな。何て酷い事を言うのだ、修」 「ぬぅ、失礼な。こんな馬鹿な息子と一緒にするな。何て酷い事を言うんだ、修」  …………。  はもった俺と親父は無言で咳払いすると、まあとりあえずいい加減無言で震えるレイナが怖くて仕方なくなってきていたところだったので、それくらいにしておく事にして飯を食い始めた。しかし本当に不味い。頼むからもっと特訓してくれ、マイマザー。 「四三」 親父が冷や汗をたらしつつ、碁盤の上に白い碁石を置く。 「むぅ、親父。俺が四四をした後にしても無意味だろ。いさぎよく負けを認めろ」 俺はそう言いながら四つ並んでいた石に5個目の石を置く。五目並べをしており、俺は石を五つ並べたので俺の勝ちだ。解説しておくと四四というのは、石が四個並んだ状態を2つ同時に作り、どちらを止めても次に5個並べられるという必殺の技だ。親父の四三もまあ、四四程ではないにしても普通に繰り出せば勝負を決める手なのだが、俺の芸術的な四四の後に出しても無意味なのだ。要するに俺は勝っていた。しかし。 「ぬおぅ、手がすべってしまった」 大人気無い事に親父は負けを認めようとせずに、わざとらしく手を碁盤の上に置いてぐじゃぐじゃにかきまわした。ぬぅ、卑劣な。 「いやぁ、俺は四三で、おまえは四四。ほぼ互角の攻防だったな」 親父が碁石を片付けつつ、はっはっと笑って言ってくる。ぬぅ、俺はもう5個石を並べ終えていたんだぞ。どう考えても俺の勝ちだろうが。ずるい奴め。 「まったく、これで三十過ぎてるって言うんだから、嫌になってくるよな」 俺は溜め息をつきつつ、自分の分の碁石を入れ物にしまった。 「何を言うか。そんな事を言えば母さんは5千歳すぎてるんだぞ」 親父はそう言いながら碁石を再び碁盤に置く。どうやらこりずにまた俺に挑戦してくるつもりらしい。身のほど知らずめ。 「ふむ、しかしそんな事を言えば俺はまだ十六だぞ。おまえら両親のどちらよりも若い」 俺はそう言いながら、親父の置いた石の横に碁石を置く。 「しかしよく考えてみろ。俺は三十四。おまえの倍ぐらいの年齢しかないが、母さんの方は5千歳だぞ。おまえの三百倍以上もの年齢だ」 ばん、と親父は答えつつ碁石をおく。むぅ、なる程、そうきたか。なかなかやるではないか。 「しかしレイナは、一応外見は異様に若いままだぞ。二十代ぐらいにしか見えん」 俺は返事をしつつ、碁石をかえす。これでどうだ。 「むぅ、まあ魔族というのはやたら長生きらしいからな。仕方あるまい」 親父はちょっとひるみながら、碁石を置いてくる。ふっ、甘いな。その位置では読みがたりん。もう俺の怒涛の攻撃はとまらん。このまま押し切って勝利してやる。 「だが、俺はまったくもって普通の人間なんだが。本当に俺はレイナの子なのか?案外どっかで浮気して作ってきたんじゃないだろうな」 俺はぽん、と石を置きつつ、聞いてみる。そして怒涛の攻め開始。 「ぬぅ、馬鹿な事を。俺は浮気をする時は、ちゃんと子供ができない様に細心の注意を払う事にしているんだぞ。この前だってちゃんと……」  がしゃん。  何かが割れる音がして、ふと後ろを見ると、無言で割れた皿を拾っているレイナの姿があった。何故か肩を震わせてさえいる。 「……多分、聞かれたな」 「ぬぅ、何てことだ。食事の片づけ中だと思って安心して、つい気をぬいてしまった」 親父は目をつぶってかぶりをふる。としながらも、さり気に負けかかっていた碁盤を手でぐしゃぐしゃにする。ぬぅ、転んでもただでは起きぬ男。 「あなた、ちょっといいかしら?」 例によって震えながらの笑顔で、レイナが手招きする。 「すまぬ。今五目並べの真っ最中で手が離せないんだ」 「安心しろ、レイナ。その五目並べは今ちょうど、親父が碁盤上をぐちゃぐちゃにして続行不可能にしてくれたところだ」 俺の返事を聞いて、レイナはまあ返事を聞く前からそうしようとはしていたみたいだが、親父を引っ張って奥の部屋に消えていった。 「まあ、おまえは人間の俺の血を色濃くうけついだんだろうな」 そう言いつつ五分後に帰ってきた親父が、例によって極限状態まで傷を負っているのを見れば、まあ奥で何が起きていたのかはだいたい予想がついたが。『この前って何時の事よ!』とか言う叫び声とかも聞こえてきていたし。 「では、続きをするか」 親父が何事も無かったように座り、ちらばったままだった碁石を片付ける。しかしタフな親父だ、いつもながら。 「何か調子が出ないと思ったら」 俺はあくびをしつつ、そう言って碁石をおく。ちなみに朝からぶっとうしでやっているので、すでに百戦目を超えている。更に言えば俺の全勝。 「うむ。アーシャちゃんが遊びに来ないよな。休みの日はいつも来るのに」 親父が頷きつつ、碁石を置き返してくる。 「それがね、兄さん、またアーシャと喧嘩してるんだよ」 あまりにも親父が卑怯な真似をするので、審判として横に置いてある修が、余計な事を言う。 「またか。まぁ、喧嘩するほど仲がいいと言わない事も無いが」 「うむ。つまり俺とアーシャは大親友なんだろうな」 俺は頷きつつ碁石を置く。四四だ。しかしその瞬間、親父が恐ろしい程の速度で碁盤をひっくり返す。何て奴だ。 「馬鹿修!ちゃんと見てろって言ってるだろうが!この役立たずな審判め!」 俺はとりあえず修を殴りつけ、ひっくり返った碁盤の片付けを修に命じる。修は頭をさすりながら、泣きそうな顔で散らばった碁石を拾い始めた。 「しかしアーシャの事もあるが、調子がでない一番の原因は何というか、日課を果たしていないせいだと思うんだよな」 「日課?」 修が碁石を片付けながら聞いてくるのに、俺は軽く頷いて続けた。 「どうも最近、一日一回は沙耶の胸を揉まないと調子が出なくて」 「うむ?誰だ?その佐耶っていうのは?」 碁盤をひっくり返しておきながら、まるで悪びれる様子もない親父が聞いてくる。いつもながら感心するぞ、そのあつかましさには。たいしたもんだ、親父。 「うむ。タダで胸を揉ませてくれるという素晴らしい女だ。ちなみに美人だ」 まあ別にひっくり返った碁盤を片付けるのは俺じゃないので、俺はさして動じずに腕組みをしつつ、自慢げに答えた。ちなみに修は必死で碁石を拾っている。 「ぬぅ、素晴らしいな。絶対将来大物になるぞ、そいつは。俺が保証する。という訳で今度会わせてくれな、頼む」 「馬鹿な事を言うな!あれは俺の胸だぞっ!俺以外の奴には触らせん!」 「ふざけるな!俺はかつて魔王を倒し世界を救った勇者だぞ!つまりこの世界の物すべてを所有できる権利がある!俺が救ったんだから!」 「所有権は親から子に受け継がれるんだよ!だから今じゃ俺の物だ、全部!」 「ぬぅ、口八丁な奴め!しかし俺はタダで胸を揉ましてくれる美人の為なら何でもする男だぞ!今度学校に乗り込んで必ず揉んでやる!揉みまくってやる!ふははは!どんな学校だろうとこの伝説の勇者が見学したいと言えば一発OKよ!そして俺のテクならばそのまま濡れ場まで直行する事も可能!ぬおぅ、現役女子高生とできると思うと何かもう—」  ごきん。  そして響く鈍い音。振りかえって確めると、レイナが折れたフライパンの持ち手を手に無言でたたずんでいた。そう言えばちょうど昼飯どきか。しかし下に落ちたフライパンの中身を見るに、またチャーハンだったらしい。十六年毎日チャーハンだといい加減嫌になってくるぞ、レイナ。もう少し作れる料理の数を増やしてくれ。頼む。 「あなた、ちょっといいかしら?」 「ぬぅ、許してくれと言いたいところだが、どうせ無理矢理にも引っ張って行かれる場面なので無駄な抵抗は止めておく」 そしてまた親父は奥に引きずられていく。あわれ。 「まあ、何だ。いい加減、俺も女子高生に手をだせる年齢じゃないしな」 帰ってきた親父の、顔を腫らしての言葉がやけに印象的であった。だって負け惜しみの様にしか聞こえなかったし。いや、むしろ後ろで目を光らせていたレイナへの言い訳か。 「まあ、という様な事が昨日家であったんだよな」 俺はそう言いながら、空の皿にスプーンを置く。無論、カツカレーが入っていた皿だ。 「そう」 沙耶は軽く頷きながら、自分の皿のカツカレーをつついている。むぅ、相変わらず食うのが遅い奴だ。つい食べるのを手伝いたくなってしまう。 「貴方のお父さん、相変わらずねー、修」 アーシャが呆れた声をだしながら、自分の弁当をつついている。さりげなく俺にではなく修に言っているところがポイントだ。例の告白事件の後から、怒りの余りかもう俺に直接話しかけてくれなくなっている。あんなちょっとしたオチャメでそこまで怒るのは大人気無いぞ、アーシャ。人間ができてない。むぅ、それにしても食堂で弁当食うなよな。迷惑だぞ。  とにかく、俺はぴんと人差し指をたてる。 「そこで俺は考えたんだが」 と、持ってきた荷物をごそごそとあさり、一本の剣を取り出す。そして。 「沙耶の胸は俺のだ!」 とりあえず昨日一晩かけて出した結論を絶叫してみた。やっぱりアーシャに殴られたが。怒っていてもつっこみは忘れない。さすが我が幼馴染だ、アーシャ。 「とにかく、何者かが胸を揉んでこようとする気配を感じたら、この剣で容赦なく叩き斬るんだぞ。もしかしたら親父の奴はまだ諦めていないやもしれんし、よく考えると親父以外にもその胸を狙ってくる輩がいないとも限らん。護衛用にこの剣をやるから、常に帯刀して警戒しておけ」 と言いつつ、俺は取り出した剣を沙耶に手渡す。 「あ、これ、父さんの剣じゃないか」 修が俺の取り出した剣を見て、ちょっと驚いた声を出す。 「ああ。この世界の危機を何度も救ってきた、伝説の聖剣だ。これさえあればあの鬼畜親父が本気になったとて、容易には手がだせんはず」 俺は腕組みをして頷く。 「いいの?これ父さん大切にしてたじゃないか」 「昨日、五目並べ千勝の景品として親父から奪っておいたから大丈夫だ。親父はちょっと泣いていたが、まあ気にする事はない」 「……貴方のお父さんって、もしかして宮路龍路造三朗なの?」 剣をじぃーと見ていた沙耶がぽつりともらす。むぅ、よくそんな舌を噛みそうな名前をさらりと。やはりただ者ではない。 「ぬぅ、しかしすまぬ。俺は実は親父の名前をよく覚えてなくてわからん。確かそういう風なややこしい名前だった気はするんだが」 「あってるよ、龍路造三朗で」 修が溜め息をついて言う。ぬぅ。何だよ。そんなややこしい名前を覚えれる方がおかしいと思うぞ、俺は。 「あの、世界を救った勇者の?」 珍しく沙耶が深入りして聞いてくる。俺はまあ一応頷いて答えておく。 「勇者かどうかわからんが、昔世界を救ったのは間違いないらしい。ちなみに昔世界を支配しかけた女は、今俺の家で毎日チャーハンを作っているが」 「そう」 沙耶は頷くと、何故か立ちあがる。 「どうかしたのか?」 「ちょっと、用事」 俺にそう一言言い残して、沙耶はそのまま何処かへ歩いていく。ぬぅ、どうしたのだ、沙耶。あの食事中は何があろうと食べるのを止めないはずのおまえが。こんなにカツカレーを残して席を開けるとは、俺に食ってくれと言っている様なものだぞ。 「あっ、あれを見ろ!」 咄嗟に俺はあらぬ方向を指差して叫ぶ。アーシャ達が何事かと振り向いた隙に、俺は沙耶の皿の中のものを一気に口の中に放り込んだ。完璧だ。俺って凄い。 「ああっ、何してるんだよ、兄さん!」 「本っ当っにいじきたないんだから、この馬鹿は!」 修とアーシャが何か口々に言ってくるが、まあ無視して俺は口の中の物を噛むのに専念した。何故なら一気につめ込みすぎてあふれそうだったからだ。 「はい」 「むぐっ!?」 急に後ろから声をかけられて、俺は喉をつまらせそうになり、あわてて水を飲む。そして口の中の物を飲み込んで落ち着けてから口を開く。 「何だ、コレ?」 「色紙」 沙耶がそう答えて、その手のまあ色紙に見えない事もない物を俺に差し出してくる。もしかしてこれを買いにでも行っていたのだろうか。よくわからん女だ。 「一体、これを俺にどうしろと?」 「サイン。私、宮路龍路造三朗の、ファン」 むぅ。もしかして親父のサインを貰ってきてくれと言っているのだろうか。何て愚かな奴だ。あんなクソ親父のサインなど一文の得にもならぬというのに。 「う〜む」 俺はうなり声をあげ考え込むと、おもむろにペンを取り出して自分の名前を書く。 「俺的には、この方がサインとして価値が高いと思うんだが。家宝になるくらいかと」 と沙耶に俺のサイン入りの色紙を手渡す。沙耶は無言だったが、代わりにアーシャが思いっきり殴ってきてくれた。 「本っ当っにろくな事しないんだから!この馬鹿はっ!」 「むぅ。しかし沙耶も喜んでくれたみたいだし、いいじゃないか」 俺は頭をさすりつつ口をとがらせる。 「私は、あんまり嬉しくないけど」 「だいたい、兄さんのサインなんか誰も欲しがらないって」 ぬぅ。何か酷いぞ、おまえ達。 「あ……」 その時沙耶が、ふいに声をもらす。 「私の、カツカレー……」 そして沙耶が見ていたのは、先程俺が空にした皿。修とアーシャが、何か責める様な目で俺を見てくる。それに気づいたのか、沙耶も顔をあげて、じぃーっと俺を。俺がサインして駄目にした色紙を片手に。  ぬぅ。ぬぬぅ。プレッシャー。 「という訳でな。しかたなく親父のサインを貰っていってやる事にした。遠慮なくサインしてくれ」 「むぅ、何てむごい事を。俺が字を書けないのを知ってるくせに」 親父が白紙の色紙を見下ろして口を尖らせる。字を読めるくせに書けないとはまったく器用な親父だ。尊敬してしまうぞ。 「うむ。しかし俺の字はすでに見られてしまったからな。俺が代筆してやる訳にはいかんのだ」 「じゃあ、修に代筆させるしかないか」 「うむ。そんな所だろうな」 「あ、ごめん。修にさっき買い物頼んじゃったの」 ふいに洗濯物を畳んでいたレイナが、俺達の方を見て言う。むぅ、何て間の悪い。 「じゃあ、仕方ないな」 「ああ、仕方ない」 俺達はそう言って頷き合い、おもむろに立ち上がる。 「俺としては、1度した約束は、どんな事をしても守らなきゃダメよ、と小さい頃からレイナに言われて育っているし」 「俺としても、字も書けない様な無博識な勇者だと思われるのは嫌だし」 「え?何よ、どうしてそんな事言いながら私に近づいてくるのよ?やだ、ちょっと、無理矢理ペンを握らせないでってば!いやよ!私、人間の文字を書くと蕁麻疹がでるんだから!止めてよ!やめてってばぁ!」 「……ずいぶん、個性的な字なのね」 「うむ、しかし許してやってくれ。これでも必死で書いたんだよ。蕁麻疹に耐えながら」 俺はへろへろの字で『宮路龍路造三朗』と書かれた色紙を手渡しつつ首をふる。 「そう」 沙耶は納得したのかしないのか、頷いて色紙を受け取る。 「……昨日から母さんが寝込んでたのって、そういう訳だったんだね」 溜め息をつきつつ修。ぬぅ、いらん事を。 「ともあれ、約束の品は渡したんだから報酬に一揉みさせてもらうぞ」  ばこん。  揉む前に殴られてしまう。凄い反射神経だ、アーシャ。さすが我が幼馴染。  それにしてもなんか最近思うが、家ではレイナ、学校ではアーシャ。  この暴力女二人組みに囲まれながら、俺ってよく生きてるよな。   4 アーシャ  熱い。  ひたすら、熱い。  それが今、俺を支配している感覚だった。 「うごはっ!?どげちどあばちぁどぅあぁぁぁぁっ!!」 俺はたまらず叫んで布団をはいで飛び起きる。頭に熱湯でもかけられたかの様な感触を感じつつ。 「ほら、これなら一発なのよ」 「でも、兄さんが死にそうな程絶叫するから、近所迷惑だと思うよ」 「おのれ鬼畜女が!毎朝毎朝熱湯熱湯!これでは俺はもう貴様の事を熱湯女と呼ぶしか—」  ごつん。 「さ、早く行くわよ、修。準備して」 俺の頭を陥没させかけた拳をぶらぶらとさせながら、アーシャが言った。もう片方の手の湯気ヤカンもぶらぶらさせつつ。もうこんな奴、熱湯女と呼ぼう。むしろ熱湯で十分なくらいだ。くされ熱湯。鬼畜熱湯。この熱湯。何か発音が納豆に似ているぞ熱湯。くたばれ熱湯。  がつん。 「何故殴る?」 「さ、馬鹿はほっといて行こう、修。遅刻しちゃうわ」 むぅ、またもや無視か、この女。しかしそれにしても、心の中で負け惜しみを言う事すら許されないのか、俺は。勘が鋭すぎるぞアーシャ。怖いくらいに。 「最近、気づいたんだが」 俺は学校への道のりを走りながら、横の修に小声で話しかけた。 「もしかして、アーシャの奴、まだしつこく怒ってないか?」 「うん、怒ってるよね。いつもならお湯は最後の手段なのに、最近は真っ先に使うもん」 修が頷き、前を走るアーシャに聞こえないように小声で返してくる。むぅ、やはりか。 「一体何したの?あの兄さんが早起きした日からの気がするんだけど」 「むぅ、それを言うと色んな意味で不幸になる。おまえが。よって秘密だ」 俺はとぼけるように顔をそらしなから答え、走るスピードをあげる。横の修は、訳がわからなそうに首をひねっていた。 「よう、沙耶」  むにゅ。  どごん。  もはや挨拶代わりとなった食堂での恒例の儀式(俺が沙耶の胸を揉み、アーシャが突っ込みをいれる)をしつつ、やはりアーシャがまだかなり怒っているのを確信する。だって何時もより殴り方が容赦ないし。 「ぬぅ、しかしそれはそれとして、何故俺の首筋に剣を押しつけてくる?沙耶」 「胸を触ってくる人は、斬り捨ててって頼まれたもの。貴方に」 沙耶がそう答えて剣を握る手をぴくりと動かす。ぬおぅ、怖すぎるぞ。殺す気か。 「馬鹿!俺以外の奴がしてきたらに決まってるだろうが!何で俺が自分の所有物であるおまえの胸を触ったぐらいで斬られなきゃならんのだ!この馬鹿者っ!」 「あんたが一番斬られるべきなのよっ!この馬鹿っ!」 容赦ないアーシャのつっこみが入り、危うく俺は首を失うところだった。しかし、最近はアーシャはつっ込む時ぐらいしか話しかけてくれないよな。むぅ。これは重傷かもしれん。 「むぅ、沙耶。例えばだな」 俺は何気に手を組んで、沙耶に言う。 「おまえに双子の幼馴染が居て、その双子の片方がもう一方に化けて冗談半分に告白してきたりしたら、どんな対応をとる?」 横でアーシャぶっと口の中の物を吐き出す音が聞こえたが、大物の沙耶はそれを見てもさして動じずにさらっと答えてきた。 「別に、どうもしないけど」 俺はその沙耶の返事を聞いて満足げに頷くと、びしっとアーシャを指差して叫んだ。 「ほら見ろ!おまえは心が狭すぎるんだアーシャ!沙耶を見習え!別にどうもしないと言ってるぞ!」 「……横の馬鹿に言っといて、修。あんまり馬鹿な事をほざいてると殺すわよ、って」 アーシャは弁当をつつきつつ、素っ気無く言い放つ。あくまで修に。 「はぁ、兄さん……、そんな事してたのか。そりゃ、アーシャが怒るのも無理ないよ」 溜め息をもらして、修が俺を見てくる。呆れたような顔で。キン。むぅ。キンキン。 「まあ、それはそれとして、だ」 俺はかぶりを振りながら口を開く。 「相変わらずケチすぎるぞ、沙耶!1個ぐらいくれてもいいじゃねぇか!何気に話しかけてその隙にカツをとろうという作戦も通用しないし!くそったれめ!」 俺は沙耶のカツを狙って伸ばしたスプーンをきんきんと弾かれつつ、声を荒げて叫んでいた。 「駄目。私のだもの」 「伝説の聖剣やっただろうが!あれはカツカレー二、三個分に相当する価値はあるはずだぞ!」 「それはそれ。これはこれ」 「ぬぅっ!何か俺ん家の親父に世界救って金たらふく持ってるくせにもっと小遣いよこせと俺が言った時と同じような事答えてきやがって!恐るべしだぞ沙耶!」 「本当にもう、兄さんは……」 修が呆れた様に溜め息をついているのが、耳に残ってはいた。まあ、そんな事を気にしている余裕はなかったが。何せカツ争奪戦の真っ最中だったし。まあ、いつもならここでアーシャがつっこんできて終わりなのだが、今日は怒っている為かつっこんでこない。何か調子が狂うぞ。むぅ。おかげでカツを1個も奪えなかったではないか。 「ぬぅ、しかしそれにしても」 俺はぽりぽりと頭をかきながら、口を開く。 「そんなに無言だと、疲れてこないか?アーシャ」 しかし、アーシャは俺を完全に無視してホウキを動かし続ける。 「やはりこう、掃除という物は、二人の心が通い合っていた方が早く終ると思うんだが」 無言。ぬぅ。厳しい。しかし間が悪すぎる。何でこんな時に限ってアーシャと二人で教室の掃除当番の日だったりするんだ。運が悪すぎるぞ。くそぅ。 「俺としては、どうせ無視されるのなら、このままさぼってしまおうかなぁとかいう考えも浮んできているんだが。いいか?」  ばこん。  俺は殴られて、無理矢理ホウキを握らされる。そしてアーシャは無言で教室の反対方向を指差す。どうやらあっちからはいて来いという事らしい。口で言えよ。まったく。 「ふん、しかし俺は結構独り言好きな奴だからな。別におまえが喋ってくれなくとも喋るネタには困る事はない。独り言マスターと呼んでくれ」 俺は仕方なく向こう側にホウキを持って移動しつつも、そんな事を言ってみる。しかしやはり反応はない。むぅ、なめおって。それなら意地でも喋らなければいけない状態にしてやる。 「あれは確か、俺が五才の夏」 俺は同じくホウキを動かしつつ、何気に語り始める。 「『宋君、私ね、宋君の事大好きだよ』あえて誰の台詞とは言わんが、とある少女が俺にそう言って来た」  がくん。  アーシャが動揺してホウキを滑らして音をたてる。が、何とか耐えたようで無言でホウキを拾ってまた掃除を再開する。むぅ、しぶとい。 「『そうか。俺は暴力ばかりふるわれるので、おまえがあんまり好きではないが』と俺は答えた。正直に。するとそいつは俺を殴ってきた。酷い女だ。酷すぎる。思えばガキの頃から暴力女だった、そいつは」 溜め息をついて俺は首をふる。ちらりとアーシャの方を見やると、肩をふるふると震わせてはいるが、こちらに振り向くのは何とか耐えている。俺は仕方なく続きを話す事にした。 「まあ、あえて具体的にどうされてどうなったとかは言わないが、その後俺はそいつに殴られて無理矢理とある約束をさせられる事になった。どんな約束か覚えているか?何、覚えていない?では仕方ない。その少女が誰で、その約束がどんな約束だったか言ってやる事にしよう」 俺はそこでついに我慢できなくなったらしいアーシャが、ホウキを放りだしてづかづかこっちに歩いて来るのを確認して、おもむろに辺りを見まわす。掃除中なので教室内に人は居ないが、まあ廊下には結構残っている奴らがいる。十分だ。俺は深く息を吸い込む。 「聞いてくれ、みんなっ!なんとアーシャは、俺に将来結婚しようと言ってきたんだぞぉっ!俺の事が大好きだと言ってきて!だから結婚しようねと約束させてきたんだぞぉ!」 アーシャが顔を真っ赤にして俺の胸倉を掴んでくるが、俺は更に手でメガホンを作りつつ声を張り上げる。俺の叫びが届いたのか、廊下に居た奴らが何事かとぞろぞろ教室に入ってくる。むぅ、ギャラリー十分。これは張り切らないとお客さんに申し訳ない。 「しかもその後!これが凄い!なんとその後、まだ当時五才のくせに!なんとっ!」 俺はそこまで叫んで、言葉を止める。何の事は無い、アーシャに首を絞められて喋れなくなったからだ。しかも絞め方が尋常ではない。何か握りつぶそうとしている様な恐ろしい閉め方。本気だ。ぬぅ、ちょっと幼い頃の思い出を語っただけではないか。殺すか気かアーシャ。ぬぬぅ。 「あ、気がついた、兄さん?心配したよ。忘れ物とりに来たら教室で泡吹いて倒れてるんだもん。何があったの?」  気がつけば保健室。恐るべし、アーシャ。 「ぬぅ、修、沙耶。今俺は真剣に悩んでいる。かなり真剣だ」 俺は脂汗をたらしつつ、口を拭きながら食い終わったカツカレーの皿にスプーンを置く。「悩んでいる割には、食欲は旺盛なんだね」 修は溜め息をついて、箸を咥える。沙耶にいたっては俺の言葉などたいして気にもせずに食いつづけている。むぅ、冷たい奴らめ。 「ともあれ、このままでは俺は殺されるかもしれない。何か脂汗がたれてきて止まらないんだ。俺は今、恐怖している。それは揺らぎない事実だ」 俺はだらだらと汗を流しつつ、横で無言で飯を食うアーシャを見ながら、おもむろに沙耶の胸に手を伸ばす。  むにゅ。 「見たか!?アーシャがつっこんで来ないんだぞっ!沙耶の胸をどれだけ揉もうとつっこんで来ないんだぞ!?」 俺は半狂乱になってわめくが、誰も何の反応も示してくれない。いや、修が溜め息をもらしてはいた。 「更に!こんな事をしても報復が来ない!」 アーシャの弁当箱から、オニギリを1個つまんで俺は叫んだ。齧ってみる。噛んでみる。飲み込んでみる。おかずに卵焼きを1個つまんでみる。完全に無視だ。 「これはこの世の終りが近づいているんじゃないかと俺は推測するんだが!どう思う修!?」 「……単に心底兄さんに愛想がつきて、関わらないようにしてるだけなんじゃないの?」 「俺が何をしたって言うんだ!?しいて言えば昨日、みんなの前でアーシャの恥ずかしい話を思いっきり暴露したぐらいだぞ!?それだけでこんなに怒るか普通!?そりゃ確かにやたら人が集まってはいたし、今朝指差されてひそひそ言われる事態にもなったりしたが!」 「十分だよ、それだけすれば」 修が溜め息をつきつつ言ってくるのを見て、俺は愕然と沙耶に向き直る。俺がじぃーっとすがる様な目つきで見ていると、俺の意図を察してくれて沙耶はぽつりと口を開いた。 「……私も、それは酷いと思う」 ただし、俺の期待していた内容とは正反対の言葉を。 「ぬぁあっ!?最後の頼みの綱の沙耶までそんな事を!」 頭を抱えて俺は絶叫する。絶望の気分で。 「ごちそうさま」 アーシャが空になった弁当をしまい、そうそう言って立ちあがる。半分以上俺が食べたので、中身がなくなるのが早かったのだ。むぅ、何て言う事だ。帰ろうとしている。いつも食べ終えても俺が沙耶の胸を揉まないか見張っているあのアーシャが。どうやって追い払おうとしても去ろうとしなかったあのアーシャが。こんなにも簡単に。 「くっ、これだけは使いたくなかったが……」 首を振りつつ俺は立ちあがり、ふぅと溜め息をつく。そして。  むに。  俺は去ろうとしたアーシャの胸を、後ろからわしづかみにする。普段なら殺される危険な技だ。無論、俺は死を覚悟して行動した。しかし。 「ぬあああぁぁぁぁぁっ!?」 俺は叫び声をあげて飛びのく事になった。 「あ、あのアーシャが!あのアーシャが!これで無反応!?胸を揉まれて無反応!?一瞬死ぬかと思ったぞ俺は!おまえらもそう思ったろ!?」 俺は頭を抱えてわめきながら、驚愕の表情で後ろを振り向く。 「……まあ、一瞬思ったよ。兄さんの行動の突飛さにだけど」 「私は、貴方の悲鳴に」 そうこうしている内に、アーシャはそのまま歩いて去っていく。あのアーシャが、何の報復もなしに。ただ無言で。 「せ、世界が終るぞ………明日あたり」 俺は脂汗をにじませ、うめき声をあげるしかなかった。  放課後。珍しく商店街。 「いいか、俺達は運命共同体だ」 俺はそう言いつつ、そこを歩いていた。 「……そうなの?」 沙耶が相変わらずの無表情でそう聞いてくる。俺はそれに頷くと、かぶりをふりつつ言う。 「なにせ人が怒るという事は、あそこまで恐ろしい事だと知ってしまったんだからな、俺達みんなは」 「みんなって……。兄さんだけで僕と先輩は関係ないんじゃ……」 俺はそんな馬鹿な事をほざいてくる愚弟、修を殴って黙らせ、拳を握り締める。 「おまえは俺と一心同体の双子!沙耶は胸ごとまるめて俺の所有物!そんな俺達が無関係な訳ないだろ!馬鹿!」 「……そうなの?」 「そうだっ!」 迫力で押し切ると、沙耶は納得したのかしないのか、とりあえず「そう」と一言答えて頷く。俺はそれを確認してから、ぐっと拳を握り締めて叫んだ。 「とにかく、機嫌をとるぞ!餌を与えて機嫌をとる!俺的に見て、あの極めて野生に近い存在のアーシャには、それがもっとも効果的だ!」 「言い方はめちゃくちゃだけど、まあ考え事態はそんなに悪くないよね。それって、取りあえず何かプレゼントして、仲直りのきっかけをつくろうって事でしょ?」 「まあ、そうとも言う」 俺は軽く頷いて答え、『おまえは?』とばかりに沙耶を見る。何故か俺の視線の意味を沙耶はすぐに理解して、こくりと頷く。まあ、『悪くないと思う』と答えてくれたのだと思う事にして、俺はそこでぴたりと立ち止まった。 「という訳で、今から何を買うかをみんなで相談して決めようと思う。何せみんなで金を出し合って買うんだし、そのくらいの決定権をおまえらにも与えてやらないと悪いからな」 と財布を要求して手を差し出す俺に、何故か修が溜め息をついてはいた。  そしてとあるデパートの一角、俺達は戦利品を手に集まっていた。 「俺は、これがいいと思う」 と、俺はそこらの玩具売り場にあった怪獣君を取り出す。背中の球に魔力を込めると、がおぅがおぅと吠える最高傑作である。ちなみに、実は俺が欲しいので買おうとしている事は秘密だ。 「兄さん……、本気で選んでる?」 修は溜め息をついて、俺の持ってきた怪獣君を見る。そんな修の手に握られているのはペンダントか何かの様である。駄目だこれは。まったくもって個性が感じられない。俺は溜め息をついて沙耶の方を見るが、沙耶の手にあったのもぱっとしないぬいぐるみか何かだったようだ。むぅ、仕方ない奴らだ。 「ふぅ、もう何を買うかは決まってしまったようだな。見ろ」 俺はそう言いつつ、怪獣君を床に置いて魔力を込める。微力な魔力しかいらないので俺でも平気で動かせるのだ。途端、怪獣君はがおぅがおぅと地団駄を踏んで火を吐き始める。素晴らしい。 「このかっこよさには、おまえらの選んできたぼろい品では勝てん。俺のに決定だ」 「勝つ負けるの問題じゃないと思うんだけど……。だいたい、どういう基準でそれがかっこいいのかもよくわからないし。あえていうなら目玉が溶けかけているところとかが不気味だと思うんだけど。ぬらぬらした皮膚が妙にリアルなとことかも気味が悪くて仕方ないし」 修が愚かな事を言って溜め息をつく。ぬぅ、この素晴らしさをわからないとはどうしようもなく愚かな奴め。 「……………」 しばらくその怪獣君を見ていた沙耶は、おもむろに地面に自分の持っていたぬいぐるみを置く。よく見ると、異様にでかいリアルな目玉が1個顔についているだけの、怪しげなぬいぐるみである。そして、沙耶は俺が怪獣君にしたのと同じように、そのぬいぐるみの背中についていた球を押した。 『目玉親父ビーム!』 そのぬいぐるみなのかは今ので怪しくなった物体が、いきなり叫んで起きあがり、目から怪光線を出す。じゅうと目の前の床が焦げる。 「……こっちの方が、かわいい」 沙耶は大切そうにその目玉親父(仮名)を抱き上げて言う。むぅ、愚かな。そんな怪光線を出すだけの物体の何処がかわいいと言うんだ。かっこいいのは認めるが。 「まさかおまえ、俺の怪獣君よりその目玉親父の方がいいというんじゃないだろうな」 ともあれ、俺は馬鹿な事を言い出す沙耶にずいっと詰め寄った。 「違う。目玉親父じゃなくて、メーちゃん」 「違わん!そんなの目玉親父で十分だ!自分で目玉親父って叫んでたし!いいか!この怪獣君は地団駄を踏むんだぞ!火も吐く!もはやこの時点で俺の怪獣君の勝ちだろうが!」 俺は自分も地団駄を踏んで沙耶に叫ぶが、沙耶はふるふると首を震わせて反論してくる。 「その分、メーちゃんはかわいいもの。引き分け」 「それはかわいいとは言わん!かっこいいと言うんだ!」 「かわいい」 「かっこいい!」 「かわいい」 「しつこい!かっこいい!」 「じゃあ、かっこよくていいから、かわいい」 「なら俺もかわいくていいからかっこいいんだ!」 「あのさ、僕の意見も言わせてもらっていいかな……?」 怒鳴り合う俺と沙耶。というより俺が一人で怒鳴って沙耶が首を振っているという構図だったりもしたが—ともあれ、そこで修がようやく沙耶の間違いをただそうと中に入ってきた。むぅ、さすが我が弟だ。さあ言ってやれ。がつんと。 「そのさ、兄さんたちの選んできたのはさ、どちら共かっこよくもないし、ましてや断じてかわいくもないと思うよ。世間一般常識から見て」  がつん。  俺はそのとんでもない事を言い出す愚弟を殴りつけ黙らすと、びしっと沙耶に指をつきつけて叫んだ。 「よし!とにかく、そのかっこよくてかわいい事になった目玉親父と、俺の素晴らしくかっこいい怪獣君!どちらを買うか勝負だ!勝負するぞ!」 「……メーちゃん」 「ならメーちゃんでいい!とにかく勝負だ!」 「……かわいくて、かっこいい」 「それは駄目だ!かっこよくてかわいいんだ!とにかく勝負だ!」 まあ、ともあれ。  俺達は決して譲れぬ物の為に、勝負をする事になったのである。  俺は深く息を吐く。そして吸う。それを幾度となく繰り返し、拳を握り締める。その拳に自分のすべてをつめ込むかのように。いや、事実俺はその拳にすべてをつめ込んで居るのだ。決して譲れぬ物の為に。 「じゃぁんけぇん……!」 俺は気合をいれて掛け声をあげる。よし、決めた。グーでいく。誰が何と言おうとグーでいく。 「ポン!」 途中で心変わりしてパーを出していた俺は、全員がパーであるのを見てとりあえず安堵の息を吐く。ぬぅ、よかった。グーを出していたら負けるところだった。欲を言えばチョキを出していれば勝っていたけど。 「やるな、修、沙耶。よもや、このジャンケンの鬼と呼ばれた俺と、ここまで張り合うとは思わなかったぞ」 俺がかぶりをふって、第十二回目のアイコを迎えた強敵達を見やる。すると沙耶はぎゅっと目玉親父(もう命名してやる)を抱きしめて睨み返してきた。ぬぅ、通訳すると『メーちゃんの為だから、負けない』と語っている目だ、あれは。生意気な。 「なんかさあ、こういうのジャンケンで決めるのはなんだと思うんだけど」 修がまた溜め息をついて言ってくる。むぅ、ジャンケンは公正かつ平等な比類なき勝負方なんだぞ。だいたい、そんな意味不明というかむしろ普通っぽいペンダントを選んできたおまえを、この究極の勝負の中に一応入れてやった事を光栄に思わなければ駄目だ。まあ、ジャンケンの弱い修が勝つ事はありえないからという余裕もあったけど。 「ぬぐぅ、とにかくアイコだ。いくぞ!あいこでぇ!」 『しょ!』  しかしその次の瞬間。  何故か、俺と沙耶はグーで、修がパーで。  あまりにもあっさりと、アーシャへの餌づけ用の品の選別会は幕を閉じる事になった。 「はぁ………」 俺は深く溜め息をつき、力なく自分の手のペンダントを見る。青い石が少し飾りつけられただけの、何の役にもたたない品。火も吐かないし、地団駄も踏まない。あまつさえ、怪光線さえも出せないその粗悪な品を。 「メーちゃん……」 沙耶が寂しげに呟いて、目玉親父をぎゅっと抱きしめるのが目に入る。俺はぐっと歯を噛み締める。悔しいだろう、きっと。まだ、怪獣君に負けたのなら諦めがついたろう。まだ、あの目玉親父に負けたのなら俺も諦めがついたかもしれない。しかし。 「くそぉぉぉぉぉっ!」 俺はたまらず頭を抱えて絶叫した。こんなただのペンダントに俺達は負けてしまったのだ。こんな吠えもしない、怪光線も出ない欠陥品に。 「兄さん、一応約束なんだから、早く買ってきなよ。アーシャってそういうの好きなんだよ?結構。それ以前にあの中じゃ唯一プレゼントと呼べる物だったし、実は僕、ジャンケンで勝ててほっとしていたりするんだから」 「ふざけるな!俺の怪獣君の方が百倍素晴らしいわっ!」 「メーちゃんの方が、かわいい……」 地団駄を踏んで叫ぶ俺。メーちゃんを抱きしめて寂しげに呟く沙耶。  しかし、勝負に負けたからには、仕方ないのだ。俺は泣く泣く、そのペンダントを片手に店員さんの所に行く。 「はい、千九百円になります」 店員さんが、チンとレジをならして言ってくる。ぬぅ。俺はその時たまらず口を開いていた。 「あのぅ、このペンダントを買ったと見せかけて包装とかしてもらいつつ、さりげにこっちの怪獣君を買って帰る事は不可能でしょうか?」  許せ。俺には我慢できない。こんなモノは買いたく無いのだ。だって地団駄踏まないもん。  それからしばらく後、アーシャの家の前。ちなみに俺の家の真正面だったりもする。 「じゃあ、僕達ここで待ってるからからね。ちゃんと渡して来るんだよ。いいね?」 その場所で俺は脂汗をかきつつ、包装紙の中身がペンダントと信じて疑わない修に頷いていた。 「…………」 沙耶はデパートを出てからずっと無言である。もしかして、俺の手の包みがペンダントにしては大きい事に気づいてしまっているのかもしれない。 「メーちゃんの方が、かわいかったのに……」 しかし時々寂しそうにそう呟くのを見ると、単に目玉親父が負けた事にショックを受けているだけかもしれなかったが。 「ぬぁう、しかしどうしても今日渡さなければ駄目か?できればもうしばらく、というより実は永遠にこれを俺のものにしたいんだが」 「馬鹿な事言ってないで。とにかく、一刻でも早く仲直りしてもらわないと、僕も身がもたないんだから。早く行って来てよ」 修がずいっと俺の体を押す。ぬぅそんな。せっかく手に入れた怪獣君をこんなにも早く俺に手放せと言うのか?鬼かおまえは。 「メーちゃん……」 しかしその時、哀しげに呟く沙耶の声が耳に入り。 「くぅっ!くそっ!そうだよな、沙耶……!俺だけ幸せになる訳には……!」 俺はぐっとこらえて、アーシャの家のベルを鳴らしたのだった。そんな俺に、二人共訳がわからなそうな顔をしていた様だったが、まあこれから訪れるであろう怪獣君との別れで胸が一杯の俺は、涙をこらえて歯を食いしばる事しかできなかったのだった。 「……………」 「…………………」 「……………」 「……………………」 無言だった。ただ、無言が続く。アーシャの母さんに案内されて、俺がアーシャの部屋に入って五分以上たつ。しかし、無言。 「………何の用なのよ?」 ついにアーシャが俺の方を見て、ぼそりともらす。俺はついに出てしまったその言葉に、耐え切れなくなってぶわっと目から涙を流した。 「なっ、なによ?」 アーシャは驚いた声をあげて俺を見てくる。俺は男泣きに泣きながら、無言で包装紙に包まれた怪獣君を差し出した。 「何よ、コレ?」 「プ、プレゼント……。仲直りの為の……買った……」 俺は怪獣君を手渡さなければいれない悲しみのあまり、鼻声になりつつやっとの事で答える。 「……な、何よ。ガラにもない事して」 アーシャは泣いている俺にうろたえる様に言い、それをごまかす様に怪獣君の入った包装紙をひったくっていく。さよならだ、俺の怪獣君。 「だいたい、何よ、何でそこで泣くのよ。別に、私は、その、ちょっと怒ってただけじゃないの。別に、そんな、その、泣くほど必死になる事、ないじゃない。別に、あんたの事、本気で嫌いになった訳でも、その、ないんだしさ。あの時の約束だって、一応覚えててくれて、嬉しかったし……」 アーシャがぶちぶち文句を言いながら、顔を赤くして手の中の怪獣君の包装を剥がしていく。なんだかんだ言って結構嬉しそうだ。やはり野生に近いんだろう。餌で一発解決だ。ともあれ。 「しかし、俺としては怪獣君と別れなければならないと思うと、どうにも哀しくて」 俺はふっとかぶりを振って答えるのと、アーシャが包装紙を開けて怪獣君を取り出したのは同時だった。 「……何、コレ?」 「怪獣君」 喜びのあまりか固まって聞いてくるアーシャに、俺は正直にその名を答えてやる。 「……な、何の役にたつのかしら?」 何故か肩を震わせながらアーシャが聞いてくる。 「火を吹く」 俺はそう答えて怪獣君の背中を魔力を込めて押す。がおぅと怪獣君が声をあげ、アーシャの手から横の机に飛び乗った。  だんだん。 「あと、地団駄も踏む」 「…………」  がおぅ。がおぅ。 「更に、吠える」 「………………」  だんだん。がおぅ。がおぅ。 「まとめると、かっこいい」 「……………………」 アーシャが無言で怪獣君を掴む。 「……どぉういう基準で、コレを私に送ろうと思えた訳?」 「いや、本当は俺が欲しかったんだけど。様々な事情や思惑の交差する中、こうしておまえに送られる事になったんだよな」 俺はそこで言葉を止め、ぽんとアーシャの肩を叩く。 「でもなかなか、おまえにピッタリのプレゼントだったろ、アーシャ?」  がこん。 「ふざけんじゃないわよ!何で私にこんな馬鹿なもんがピッタリなのよっ!本当にこの馬鹿はっ!一瞬何か期待しちゃった私が馬鹿みたいじゃないのっ!」 あろう事か怪獣君を俺に投げつけ、アーシャが怒鳴りかかってくる。 「なっ、何て事をっ!おまえもしかして目玉親父の方がよかったのか!?怪光線の出る!?しかし、地団駄を踏んで吠えれる分、どう考えてもこっちの方が格上だろ絶対!どういう趣味してんだよおまえ!悪趣味にもほどが—」 「本当にこの馬鹿はぁぁぁぁっ!人をどれだけ怒らせれば気がすむのよっ!」  どごん。ばぎん。どがしゃん。  結局、その後俺は今までのうっぷんを晴らすかの様に殴りかかってくるアーシャに、殺されかける事になったのだった。 「まあ、なんだ。俺的に、おまえがいらないんなら全然OKなんだよ。持って帰って家宝にするから」 リンチ後、ぼろぼろになりつつ俺はそう言って怪獣君を手にし立ちあがる。 「ふん」 アーシャはこれだけ殴っておきながらまだ怒っているようで、俺を無視してぷいっとそっぽを向く。 「……悪かったよ」 はぁと息を吐いて、俺は口を開いた。 「確かにおまえの趣味なら、目玉親父の方が好きそうな事にぐらい気づいてもよかった」 「勝手に言ってれば?」 そっぽを向いたまま、アーシャが吐き捨てるように言う。 「ああ。更に言うなら、修のペンダントにしなかった事にはかけらも後悔してない。当たり前だが」 「よくわかんないけどそんなのよりその方が数倍マシだと思うけどね」 「俺は思わん。それに実際—」 俺は怪獣君を頭に載せながら、少し笑って言う。 「何だかんだ言って、怪獣君のおかげでアーシャの機嫌も少しは直ったみたいだし。前までは無視されていたのに、一応返事をしてくれる状態にはなったもんな。結構嬉しいぞ、実は」 「何馬鹿な事……っ!」 顔を真っ赤にしてアーシャが怒鳴り返してくるが、俺がそれを見て満足げに笑うのを見ると、慌てて口をふさぐ。 「怪獣君様様だよな。さすが我が家に伝わっていくであろう家宝。素晴らしすぎて泣けてくる」 「馬鹿な事言ってないでとっとと帰りなさいよ!邪魔なのよっ!」 「ぬぅ、酷い奴め。せっかく仲直りの為に涙をしのんで怪獣君を届けに来てやったのに。俺がこれを買うのにどれだけ苦労したと思っているんだ、まったく。1時間以上かけて選んだんだぞ。様々な意見が交差する中、精一杯に。すべてを込めて」 俺はかぶりを振りながら部屋のドアに手をかける。と。 「ま、待ちなさいよ、ちょっと」 アーシャがそう言って出て行こうとする俺を止める。 「何だ?」 俺が振り向くと、アーシャはおもむろに立ち上がり、俺の頭の上の怪獣君を手にとった。 「まあ、そこまで言うんだったら、一応なんだから貰っとくわ、この怪獣。よくわかんないけど、まあ一応ね。せっかくだから」 ごほんと咳払いしてアーシャが怪獣君を机の上に置く。 「ぬぅ、という事は、俺と仲直りすると言う事になるんだが。やめといた方が」 「まあ、別にいいわよ、そういう事にしといて。別に」 「ぬぅ……」 俺は呆気なくそう答えてきたアーシャと机の上の怪獣君を見比べつつ、唸り声をあげる。 「す、すまん、アーシャ!」 そして俺は同じく呆気なく出た結論に従い、アーシャから視線をそらして目を瞑る。 「俺は別におまえと仲直りできなくていいから、怪獣君を持って帰りたいっ!」 と俺はダッと怪獣君を抱えて ダッシュする。 「ちょっ!あんた、まさか本気で言ってる訳!?何考えて生きんのよ!」 「許してくれ!あの心を熱くする咆哮を聞いては、これを家宝にせずには耐えられそうにないんだっ!」 俺は叫んで、怪獣君を抱えて部屋を飛び出していた。廊下で転んですぐにアーシャに掴まる事になったのだが。俺って急ぐと転んでしまう癖があるんだよな。くそぅ。  そして—  ばしゃり。 「うごばっ!?ばぐぎどんがちばあぅわぃあぁぁっ!」   そして次の日の朝。やっぱり俺は熱湯を頭から浴びて飛び起きていた。 「ほら、これなら一発なのよね」 「でも、あの絶叫はやっぱり近所迷惑だよ」 聞こえてくるのは、お決まりの奴らの声。 「おのれアーシャ!毎朝毎朝毎朝熱湯熱湯熱湯!そんなに俺を茹で上げたいのか!?熱湯女かおまえはっ!」 俺は飛び起きた姿勢のまま、びしっとアーシャを指差して叫ぶ。 「馬鹿な事言ってないで早く行くわよ、宋。準備しなさい」 「おのれ熱湯!くされ熱湯っ!発音が納豆に似てるぞ熱湯!」 軽くあしらわれてしまい、意地になって叫び続ける俺。が、アーシャはまるで動じずに、手など振りながら返事をする。 「あー、はいはい。わかったから。はい、制服。鞄もここに置いとくわね」 「貴様、人の話を—とここまで咄嗟に叫んでて気づいたんだが、何かアーシャが返事をしてくれてるな、一応。どうしたんだ、修?何かあったのか?」 「まあ、一応貰ったしね。仲直りの品」 何故か答えてきたのはアーシャだったが、そんな事より俺はそれを聞いてある重大な事実を思い出し叫び声をあげていた。 「ああっ!そう言えば昨日あの後怪獣君奪われてっ!俺の怪獣君!どうしよう修!?」 「いや、よくわからないけど、仲直りできてよかったんじゃないの?」 「ふざけるなっ!俺はあんな女より怪獣君の方が数倍—」  ばこん。 「いつまもでも馬鹿な言ってないの。遅れるわよ」 人を殴っておきながら、いつもの笑顔でアーシャが言う。  まあ、その後。  怪獣君を奪っていったアーシャは、結構上機嫌だったりして、やっぱり餌付けに弱い野生に近い女だと確信したりもしたのだが。  でも、俺の心にはぽっかりと穴が開いてしまったようだった。  帰ってきてくれ、怪獣君。 5 剣  生活指導室。あんまり関わりたくない部屋である。はっきり言って、この教室に呼ばれて説教なしに終わる事はまずないからである。 「貴方達、何で呼ばれたかぐらいわかってますね?」 しかし、何故か俺は今、そんな教室で怖い顔をした人に睨まれていた。 「ぬぅ、すいません。教室の花瓶を割った件でしょうか?しかし、あれはタ・ロー君が花瓶デスマッチをしようと言って来たから仕方なく受けて立った結果な訳で、俺は全然悪くないです」 「お、おまえ宋!そうやって人を売って自分だけ助かって楽しいか!?もし楽しいのならそれは人として少し悲しい事だぞ!」 同じくここに呼ばれていたタ・ローが、俺の胸倉を掴んで怒鳴りかかってくる。 「しかし先生。僕は一応、彼らの花瓶のキャッチボールには関わってませんでしたが。何故僕まで呼ばれなければいけないんでしょうか」 反対側に座るノクアノが、とんと本を閉じて言う。ちなみにタイトルは『さあ、謎同盟に君も 著者:謎ーん★』という相変わらず怪しげな本であった。 「……確かに、その件でも言いたい事は色々ありますけどね。今日読んだのは、筆記試験の結果の事でです」 名前は忘れたが、確か俺の教室の担任の先生だった気がする、その眼鏡をかけたまだ若めの女の先生は、首を振って答えた。 「ああっ!?酷い先生!それはタブーなのに!俺はあのテストの結果を忘れる事に決めて生きていこうとしていたのに!酷すぎる先生!」 相変わらずやかましいタ・ローが、頭を抱えてわめきちらす。ぬぅ、しかしそれにしてもその件だとは予想外だった。俺はまた、この先生が処女だという噂をばらまいた件かと予測していたのだが。 「私は教師になってまだ3年ですけどね、初めてです。全教科零点の生徒を三人も同時に受け持つのは」 ともあれ、溜め息をついてその先生は額に手をかける。 「ぬぅ、しかし先生。タ・ロー君は字が読めない訳ですし。仕方ないかと」 「ああっ!?宋!おまえ人が気にしている事を!人が気にしている事をっ!」 「まあ、ロー君はいつもの事として、宋君、貴方は?」 先生がつい、と俺の方を見る。俺は胸倉を掴んでくるタ・ローの手を振り払いながら、ふぅとかぶりをふる。 「実は最近、隣りの愚弟が『自分でやらなきゃ駄目だよ』とか言ってカンニングさせてくれないので、仕方なくこんな点数になるんです」 「………まあ、タ・ロー君と宋君は仕方ないとして、貴方はどうしたの、ノクアノ君?いつも満点の貴方が、こんな点数をとるなんて」 少し疲れたように眉間を押さえながら、先生はノクアノの方を向く。何故か俺の言葉を聞こえなかった様なフリをしつつ。何故だ。 「いえ、テストっていわゆる謎解きじゃないですか。謎はなるべく、解かないで謎のまま残しておいた方が謎的にはいい事なんじゃないか、と。今回突発的にそう思いついて、謎的に実行してみただけなんですが」 真顔でそうノクアノ。この時点で、先生は何故か肩を震わせて疲れたように頭を抱えた。 「貴方達、志望職業は何だったかしら?」 そして震える声で、俺達に質問してくる。 「別に何でもいいから、女にもてる職業に!」 「ぬぅ、俺としても金持ちになれれば別に何でも」 「個人的には、遊び人志望なんですが。職業が謎というのも捨てがたいんですけど」 タ・ロー、俺、ノクアノと順に答えていく。 「はぁ、つくづく教室の三大問題児ね、貴方達は」 それを聞いた先生が疲れきった様子で溜め息をつき言う。ぬぅ、二大問題児の間違いでは。自分で言うのも何だが、俺は優等生だと思うぞ。遅刻も三日に一度ぐらいしかしないし、教室もアーシャ程には破壊しないし。 「とにかく、こんな事じゃそんなたいそれた職業にはつけませんよ。遊び人という職業は聞いた事がないですからよくわかりませんが、とにかくです」 ぴんと指を立てて先生は言った。 「追試、ですね。それも筆記だとまた零点を取りそうですから、実技方式でいきます」 何とも絶望的な台詞を。 「無理に決まっているだろ、くそ!これならまだ筆記試験のままの方がよわかったぞ!カンニングできるし!」 俺はどんとテーブルを叩いて叫んでいた。先生のあまりの横暴な処置に。 「はぁ、もう。全部の教科で零点なんかとるからじゃないか。自業自得だよ」 いつもの様に俺の横で弁当を広げている修が、溜め息をついて言ってくる。俺はきっと修に向き直ると、首を思いっきり絞めてやりつつ叫んだ。 「うるさいっ!元はと言えばおまえがテストの答えを見せてくれなかったからなんだぞ!そのせいで俺は今留年寸前まで追い込まれているんだ!少しは責任を感じんかっ!責任をっ!」 「全面的にあんたが悪いんでしょうが!訳わかんない事言って修を苛めるのは止めなさいっ!」 しかし逆にアーシャに死ぬほどどつかれて、俺は力尽きてテーブルにひれ伏す。少し手加減してくれ、アーシャ。この前仲直りしたばかりではないか。なのに何故このまで容赦ないのだ。鬼畜かおまえは。 「ぬぅ、しかしそれにしても、いくら何でもきつすぎるぞ、あの先生から剣の勝負で一本取らなきゃ追試不合格ってのは。死刑宣告に近い」 俺はおもむろに頭を上げつつ、ため息をつく。よくわからんが、あの担任の教師、昔は結構な有名な剣士だったとかで、かなりの腕前なのである。五日後にあの先生と試合形式で剣で試合して、三十分以内に一本も取れなければ追試不合格。絶対に無理だ。勝てる訳がない。しかしはっきり言って遅刻し放題、授業寝まくりの俺にとっては、不合格になると留年決定に近い訳で。 「くそ、あれでタ・ローの奴はやたら剣が得意だからな。ノクアノなんかあの先生より強そうだし。結局、俺だけがピンチなんだよ」 「……そうなの?」 無表情にスプーンを咥えながら、沙耶が呟く様な声で聞いてくる。これは以外に心配してたりする時の顔だ。俺は軽く頷くと、同じくスプーンを口に咥える。 「うむ。実はもうどうとでもなれといった心境だったりするな」 はっきり言って、体力方面だけなら結構自信があるのだが、剣の腕前の方は俺は皆無だ。何せ小さい頃、親父に才能ないから諦めろと言われたぐらいである。実は剣の戦いでは修にすら勝てないのだ、俺は。へろへろな腕前なのである。 「という訳で沙耶、留年決定の俺にサービスを。この感触を胸にもう一年頑張るから」 と、沙耶の胸に俺は手を伸ばす。いつもどうり、その手は別の手に掴まれて進行をとめられる事になったが。 「諦めるのは、よく、ない」 いつもと違うのは、その手を掴んで首を振っていたのが、沙耶だった事だった。  剣。何で世の中にこんな物があるのだろう。無い方がいいと思う。素手での戦いの方が俺は好きだ。素手同士なら親父にだって勝てる自信はあるのに。むぅ。 「はい」 なのに、俺はその大嫌いな剣を、沙耶から手渡されて無理矢理握らされていた。まあ剣とは言っても練習用の木刀だったが。 「ぬぅ、しかし本当にやるのか?実は俺は特訓という物の類は大嫌いだったりするんだが」 俺がぶつくさと言うと、沙耶は大げさに首を振ってくる。 「駄目。留年したら、どうするの?」 「甘んじて受け入れるつもりだ」 「兄さんって、こういう時だけ潔いんだから。いつもの強気とか自信は何処に行っちゃったんだよ」 「結局ただのものぐさなのよねー、あいつ」 体育館の隅で、俺は二人の野次馬と、特訓相手を前にむぅと唸っていた。放課後のこの時間だと、体育館ではクラブ活動とかをしている部などが結構居て、普通ならいくら隅の方だとは言えスペースを貸してもらえる事などないはずなのだが—何故か沙耶が頼んだら、一発で快く貸し出してくれた。有難迷惑である。俺は貸してくれない事を期待していたのに。とにかく、俺はここで沙耶に剣の特訓を受ける事になったらしい。何故か。 「でもさ、いくら沙耶先輩でも無理よねー。宋の剣の腕って、あの宋のお父さんでさえサジを投げた程の酷さだもんねぇ。何で剣士系に入ってるのか疑問なくらいだもん」 「……多分、魔術の腕前の方が、母さんが呆れて何も言えなかった程だったからだと思うけど。勉強方面はもっと酷いし……」 横で座って見学モードのアーシャ達が、好き勝手な事をほざく。ぬぅ、どうせ俺は魔術は死ぬほど駄目だし、剣の腕もへろへろだ。くそぅ、好きに言え。 「じゃあ、私から、行くから」 俺がぶつぶつ文句を言っていると、そんな沙耶の声が聞こえ—へっ?と俺が顔を上げた時には、何故か沙耶は目の前におり、目に見えない程の速度で木刀が振り下ろされつつあった。  ガキン。 「ぬ!?ぬぬぅ!?」  当然と言えば当然に、俺の木刀は為すすべなく沙耶の木刀に弾き飛ばされていた。訳がわからず口をぱくぱくさせていると、横で見ていた修とアーシャ達から歓声があがる。 「凄ぉーい!見た!?見えた!?全然見えなかったわ、私!さすがよねー!」 「うん、もしかしたら父さんより凄いくらいかも。さすが先輩だよね」 「さすがで済ますなよ!何だよアレ!?訳わからん内にガキンでぽんだぞ!?何者なんだよおまえは!魔界の住人かっ!?」 とりあえずやっと取り乱す事をできた俺が、その気分に従い取り乱した事を口にして沙耶を怒鳴る。 「違うけど」 落ちた俺の木刀を拾いながら、冷静に沙耶が答える。俺は木刀を受け取りつつ、まだ取り乱した気分のままで叫んでいた。 「なら本当に地球人か!?どっかの惑星から地球をさぐりに来たスパイとかじゃないだろうな!?今の地球人の動きじゃなかったぞ!どう見ても!」 「地球人だと、思う」 ふるふると首を振る沙耶。何がなんだかわからないが、そう言えばこいつ、何たら大会の剣士の部で優勝したとか、何とか言っていた気もするが— 「か、改造人間!?」 俺の確信に近かった言葉に、また沙耶は首を振っていた。ぬぅ、間違いないと思ったのだが。  ガキン。 「へぐわっ!」  ドゴン。 「ぬおっ!」  ガコン。 「いじめっ子かおまえは!」  ドン。 「殺す気—」  バン。 「し、死ぬ—」  バコン。 「じゃあ、ちょっと休憩」 沙耶がそう言って、構えていた木刀を下におろす。 「……ふと、思ったんだが」 俺は脱力して汗をぬぐいつつ、ぽつりと漏らす。ひたすら木刀を飛ばされ続けた手が、まだじんじん痺れている。 「沙耶って、もしかして凄い奴なんじゃないだろうか」 俺はそう言って、俺に十連勝ぐらいして、しかも息一つきらしてない沙耶を何か呆然と眺める。大物だとは思っていたが、まさかこれほどとは。というよりこいつに胸以外にとりえがあったとは。 「だから、言ってたじゃないか。先輩って王国の武闘大会で優勝しているんだって」 そんな俺の考えを知ってか知らずか、横の修がそんな事を言ってくる。 「ぬぅ、そう言えばそんな事を聞いた様な気もしなくはないが……」 「まあ、あんたもこれでどれだけ凄い人に、あんな失礼な事してたか身に染みてわかったでしょ?これからは気をつけるのよ」 うめく俺に追い討ちをかける様に、アーシャがふふんと鼻をならす。やたら嬉しそうである。くそぅ。そんなに俺がやられる様を見るのが楽しかったのか。この性悪女め。 「じゃあ、再開」 返事をする間もなく、沙耶が剣を構えて跳んでくる。    結局、この日俺は沙耶の剣を受ける事さえできなかったのだった。  見える。はっきりと、見える。確かに踏み込みの速度も、剣を振り下ろしてくる速度も恐ろしく早いと思う。が、集中して見れば見えない事は無い。ただ—  がん。  受ける事だけが、できない。  音をたてて俺の木刀が、沙耶のそれに弾き飛ばされる。 「くそぅ」  俺はぐっと拳を握る。完全に動きは見切っていたし、ましてやひるんでしまったのでもない。要は、俺は剣を使ってそれを受けるという事が、異様な程苦手ならしいのだ。何故かわからんが。 「今ので五十九敗目よー、宋。二日目なんだし、そろそろ一度くらい防いでみたらどう?」 「うるさい。いちいち数えてんなよ、そんなの」 俺は野次を飛ばしてくるアーシャに顔を赤くして言い返しながら、落ちた木刀を拾う。くそぅ、何となく敗北者の気分だ。いや、実際負けてるのだが。 「それにしても、少しぐらい手加減してくれたっていいだろうが、沙耶。俺はおまえみたいな強化人間じゃないんだぞ」 「私も、強化人間じゃないもの」 ふるふると首を振って沙耶。そして、更にトドメの台詞まで吐いてくれる。 「それに手加減は、してる」  特訓二日目。やはり沙耶の剣を一度も受けれずに終わる。 「タイム!ちょっとタイムだ!」 俺はまた問答無用で俺に斬りかかってこようとする沙耶にそう言い放って木刀を投げ捨てると、いつもの様に体育館の隅で野次馬しているアーシャ達につかつかと歩み寄る。 「どうかしたの?今日はまだ十二敗目だし、まだ終わるのには早いんじゃない?」 「いや、しっかしおまえ、本当に情けないよなぁ。いくら何でも一回ぐらい防げよ」 「それより僕としては、もう少し動きに謎的なものが欲しいところだと思うんですが」 何時の間にか見世物と化している俺である。タ・ローやノクアノまでひたすら負けつづける俺を楽しげに見物しに来、更に言うなら— 「あ、みんな。飲み物買ってきたよ。あとおつもみも」  —すでに、宴会に発展しつつある。 「おまえら!気が散るんだよ!人が留年をかけて必死で頑張ってるってのに!」 俺は買い物袋をかかげて帰ってきた修からそれをひったくって、びしっとアーシャ達を指差して叫ぶ。 「あの兵器女と相対する事がどれだけ俺の精神力を削っているかわかるか!?なのにおまえらときたら横でぎゃーぎゃーぴーぴーっ!」 俺は袋を開いて、中の菓子をぼりぼりと齧りつつアーシャ達を怒鳴りつける。 「僕としては、今のはもう一ひねりいれて『ぎゃぴーぴーぎゃ』ぐらいにしてくれると謎的でいいと思うんですが」 「いや、それ以前にあんな美人の先輩と宋が稽古する事は人として許されない事だと俺は思う。だからせめて留年という不幸を確実にする事で、その分の穴埋めをさせたいなぁと言う訳で俺は断固として貴様の邪魔をするぞ、人として」 「それに別に私達が居てもいなくても、結果は同じだしねー。今日、一回でも沙耶先輩の剣に触れられたの、あんた?」 「うるさいっ!うるさいっ!とにかくやってられっか、くそったれが!」 俺はばんっと木刀を地面に叩き付け、声を張り上げる。 「どうせ俺は剣はへろへろ太郎なんだっ!特訓なんて意味ないんたよ!どうせこのままへろへろ太郎で追試に落ちて留年するんだ!うあぁぁぁっ!」 俺は体育館を絶叫しながら飛び出す。どさくさにまぎれて。実は今日、五時から魔法テレビジョンの『謎犬パトラッシュ』の再放送があるので早く帰りたかったのである。  しかし転んで沙耶に掴まってしまい、すぐに続きをやらせれる事になったが。そして俺は実感する。急ぐと転んでしまう癖が、未だたくましく健在であると。  特訓、三日目。暴れてどさくさにまぎれて逃げよう作戦失敗。『謎犬パトラッシュ』、見れず。慌てると転ぶ癖健在を確信。プラス沙耶の剣には一度も触れれずに終わる。いつもどうり。  キンコン、カンコ—  チャイムが終わらない内に、俺は立って教室を駆け出していた。ダッシュで玄関まで行き、靴を履き替えて外に飛び出る。が。  何故か、校門の前では、木刀を二本抱えてぼぉーっとしている沙耶の姿があった。 「や、やぁ、沙耶。やけに早いな。どうしたんだ?」 俺は汗をたらして後退りしつつ、ひきつった顔で沙耶に話しかける。 「今日は三年は進路相談で、午前中で授業終わりだったの」 「帰れよ!なんでわざわざ午前で終わってるのに今まで待ってんだよ、おまえはっ!」 「追試、明日だもの」 沙耶はそう言って意味も無くこくりと頷きながら、俺を見る。じぃーと。じとりと。 「きょ、今日は、その、父上殿との五目並べ一億戦目の大事な日で、早く帰りたかったり、その……、いや、もしかしたら母上殿が危篤なのかもしれない。そうに決めた。という訳で」 走り出そうとする俺の服をがしりと掴んで、沙耶が木刀を差し出す。 「はい。今日も体育館に場所、借りておいたから」 そして無理矢理木刀を握らされ、俺はそのまま体育館に引きずられていく事になった。  沙耶について、気づいた事。  意外に、熱中しやすい女である。いや、熱心になりやすいというか。何かこう、結婚して子供でも生んだら教育ママさんにでもなるんではないだろうか。なんとなく。とにかく、その熱心さによりここ数日、俺はひたすら特訓を受けさせられる事になっていた。だって逃げようとしてもすぐに捕まえられてしまうし。どうしようもなく。足速すぎるぞ、沙耶。勘も鋭すぎだし。何で逃げようと思った瞬間に腕を掴んだきたりできるんだ。超能力者かおまえは。くそぅ。  ひゅん。  沙耶の木刀が、俺の木刀目掛けて振り下ろされる。最近気づいたが、沙耶は特訓初日からずっと俺の木刀を狙って同じ軌道で攻撃をしかけてきている。気づいていながら、まったくもって防げないのだから困った話だ。それでも何とかしようと俺は木刀を振り上げてみるが—  ガン。  やっぱり俺の木刀は音をたてて弾き飛ばされ、地面に転がり落ちる。 「今日二十五敗めねー、宋」 後ろからアーシャの野次が跳んでくる。くそぅ、数えるな。いじめっ子め。 「くそっ、もう一回だ、もう一回っ!」 俺は木刀を拾って、沙耶に駆けて行く。まあ、沙耶に無理矢理やらされているだけの特訓だとはいえ、こうまで毎日毎日負けつづけていると、俺としても意地でも勝ちたくなってきたりするのだ。やっぱり一回ぐらいは勝ちたいではないか。何となく。 「ぬおっ!もうちょっと手加減しやがれ沙耶っ!」 でも、次の瞬間には俺はやっぱり木刀を飛ばされて悔しげに叫んでいた。 「手加減は、してる」 「してねぇ!だって今おまえの剣筋見えなかったもんに!」  まあ、結局特訓最終日。やはり沙耶の剣を一度も受けれずに終わる事になった。 「しかしおまえ何者なんだ、沙耶?」 俺は力無く座り込みながら、沙耶に呟く。俺が意地になって特訓が長引いた為、もう辺りは暗く、さすがにアーシャも帰ってしまっていた様だ。誰もいない。 「別に、普通の人間だけど」 何故か息一つ切らせてない沙耶が、無表情に言い返してくる。あれだけ木刀で打ち合って全然疲れてないってのは、あんまり普通じゃないと思うぞ、俺は。 「まあ……それはそれとして、やっぱ才能ないよなぁ、俺。全然上達してねぇもん」 「そんな事、ない。ちゃんと上達してる」 沙耶はそう言ってふるふると首を振る。 「嘘つけ。一度もおまえの剣を防げさえしてないんだぞ、俺は」 俺はぷぅと息を吐いて沙耶に木刀を放る。 「大丈夫。ちゃんと上達は、してるから」 何が大丈夫なのか知らないが、沙耶は木刀を受け取りながら自信あり気に言ってくる。一体何処からくるんだその自信。まったく。 「じゃあ、ちゃんと明日の追試であの先生に勝てるんだな、俺?」 俺が何気なく聞くと、沙耶はちょっと固まって5秒ぐらい考え込んでから、やっとぽつりと返事を返してきた。 「……多分」 やたら曖昧な口調で。俺はたまらず手をぶんぶん振って沙耶に講義する。 「何だよ、今の間は!なんかめちゃくちゃ不安になったぞ今ので!しかも多分だし!」 「大丈夫。頑張れば何とかなると、思う」 「『思う』か!?せめて言いきれよ!だいたいよく考えれば俺はここ数日、おまえに剣をひたすら弾かれてただけだぞ!?それで勝てる訳ないだろ!?」 「大丈夫」 「だから何処からくるんだよ、その自信はっ!」 「何となく」 「何となくでそんなに自信を持つな!」 「大丈夫」 「だからその自信は何処から—」 「何となく」 「何となくで—」 「大丈夫」 「だからその自信は—」 「………もういい。何となくで大丈夫で」 ついに折れて、俺はへなへなと座り込む。沙耶は木刀を抱えたまま、こくりと頷く。まったく、何て頑固な女だ。くそぅ。俺がそんな事を思って口をとがらせていると、俺の顔を覗き込む様にして沙耶が笑う。 「大丈夫。こんなに頑張ったんだから、きっと何とかなる、から」 別にどうという事はないが—こいつの笑顔というのは初めて見た気がするな。 「ぬぅ、初めからそう言ってくれれば、三十分も言い合いしなくてすんだんだ、くそぅ」 俺はやっぱり口をとがらせて立ちあがる。まあなんにしろ、一応頑張ったし。    何となく、大丈夫な気も、するか。  九百四十五。九百四十六。……四十七。  ぬぅ。めんどい。止めたい。しかしやめる訳にはいくけどやめん。何となく。  ……六十六。……六十七。……九百七十。  こんな事なら、木刀なんて借りなければよかった。俺は素振りを続けながら、心の底からそう思っていた。しかし一応にも木刀を借りてって、全然上達してなかったりしたら恥なので取りあえずやるだけの事はしておく。ぶん。千回達成。よし、止める。 「くそぅ。休みの日意外は早起きしない主義なんだぞ、俺は」 汗を拭いつつ俺は木刀をおろす。朝から素振り千回というのは異様に疲れる。2度としないでおこうと硬く心に誓う事にする。   しかし、ついでだからもう少しやっとく。  俺は後五百回目指して素振りを始める事にする。  なんて真面目なんだ、俺は。 「ど、どうしたの、宋っ!何か悪い物でも食べたの貴方?絶対変よ?」 「そうだよ、兄さん。変だよ」 「何だよっ!留年をかけた追試を前に、ちょっと早起きして頑張ってる事の何処が変なんだ!?普通だろーが!」 真面目に素振りを続けていた俺は、起きてきたレイナや修に見つかってぼろくそに言われていた。ぬぅ。こういう事を言われそうだからそっと早起きをしてやっていたのに。つい夢中になりすぎてしまったのが失敗した。くそぅ。 「まあ、何にしろ滅多に見られない貴重な場面だ。これはしっかり目に焼き付けておかねばなるまい。家族としてな」 そしてござと茶を持っての親父の登場。もうどうとでもしてくれ、といった心境で俺は無視して素振りを続けた。 「ほほぅ、全教科零点で追試?それで珍しくクソ真面目に練習しとる訳か」 「うん。よくわからないけど、落ちたら留年決定になるらしいよ」 「まあそのくらいじゃないと、あの宋が真面目に剣の練習なんかする訳はないわよね」 「うむ。あの愚息が素振りなんかをしているのを見た時は、一瞬死ぬかと思ったぞ俺は」 ずずっと茶をすすりながら、両親どもと愚弟がくだらぬ事を語り合う。無視だ。ひたすら無視だ。何か言い返したらあっちの思うツボなのだ。とにかく無視だ。 「でも私って、あんまり剣とか好きじゃないのよね。だいたい、物を切るのにそんな道具に頼ろうっていう発想が間違いだと思うのよ。別に人間ぐらい、爪で引き裂いたり、手刀で切り裂いたりとかできるんだから。炎で焼き切るって手もあるんだしさ」 「そ、それは母さんにしかできないんじゃないかな……?」 「しかし見ろ。あの剣を振る時のへっぽこな顔。駄目だアレは。才能なしだな」  無視だ無視。あんな奴ら。それにしても顔と剣の才能に何の関係があるんだよ、クソ親父。 「でも、兄さん頑張ったんだよ、一生懸命。毎日放課後に学校の先輩と特訓して」 余計な事を。おまえはバラし魔か、修。 「へぇ、あの宋が?珍しい事もあるものねぇ」 「いつもだったら、甘んじて留年を受け入れるとか言って、開き直ったりしそうなのにな」 ぬぅ。親父め、くだらん事を。俺がそんな馬鹿な事をする訳ないではないか。と、くっ、いかん。とにかく無視だ。無視しなくては。とにかく今はまだ朝の六時ぐらいだから、あと2時間ぐらいは練習—ってよく考えると何でこんな早い時間なのにこいつら集まってきてんだ、くそ。野次馬根性旺盛な奴らめ。 「やっぱアレだろ?こういう時ってたいがいアーシャちゃん関係なんだよな。宋がこそこそ隠れて真目面に取り組む時って」 「そうそう。小学校の時にもあったわよね。劇か何かでアーシャちゃんと組んでさ、台詞とか必死で覚えたりとかしてて」 「ああ、あれは笑えたな。馬鹿みたいだったし。今回もどうせ、アーシャちゃんに何か言われたか何かしたんだろ?やっぱ」 ぬぅくだらん事をしかもぽりぽりぽりぽりと何を食ってるのか知らないがうるさく音をたてながらほざきおって。まったく、何て嫌な両親なんだ、こいつらは。 「ううん、今回はアーシャじゃないと思うよ。多分、落ちたりしたら一緒に練習してくれた先輩に悪いから、じゃないかな?」 おのれ修。貴様もくだらん事をぺちゃくちゃと。後で見てろよ、この愚弟。 「そうなのか?しかし言わせてもらえば、才能のない奴がどれだけ頑張ったところで無駄な事なんだよなぁ。絶対無駄。落ちて留年だな。別にその先輩とやらには気にするなって言っといてやれな」 「あ、それはいくら何でも酷いでしょ?せっかく宋が頑張ってるのに」 と言いつつぽりぽりと茶菓子を齧る音をさせるレイナ。かけらも誠意がないぞ、おい。 「うむ。俺としてはこの前、大事な伝説の聖剣をあいつに奪われてしまったところなんでな。ちょっと意地悪をしてみたい気分なんだろう、多分」 「あんなのまだ持ってたの?確か私の心臓1個潰した奴でしょ?縁起悪い」 「ぬぅ、しかし神々から直々に託された剣なんだぞ。いくら何でも捨てる訳にはいかないだろーが」 しかも今度は訳のわからない話に突入してるし。何だよ、心臓とか神様とか。何者だおまえらは。と、その時ふいに修がぽつりと言うのが耳に入る。 「でも、あの剣、兄さん学校の先輩にあげてたよ」 「馬鹿野郎!それは秘密だったんだぞ!このバラし魔っ!」 俺は思わずがばっと振り返って叫ぶ。ここまでくるともはや修の事をバラし魔と正式に命名するしかないぞ。くそ。 「本当なのか、おいっ!あれって元々強力だった上に母さんの命を食って異様に強力になってんだぞ!?悪用されて世界滅ぼされたらどうすんだ!俺は責任持てんぞ!?何考えてんだこの愚息がっ!」 案の定、意外に生真面目な親父は目の色を変えて俺に怒鳴ってくる。 「うるせぇ!五目並べ千勝の時点であれは俺のもんになったんだ!どう扱おうと俺の勝手だろーが!この愚父!」 俺は今まで我慢していた分うっぷんもたまっていたので、それもあってびしっと親父に怒鳴り返す。 「そういう問題じゃないだろ!?あれはかつてから世界を—」 とその時怒鳴ろうとする親父をばこんと叩いて黙らせて、振り向こうとした親父を更に殴って地面に叩きつけてから、後ろのレイナがグーサインを作った。 「ナイスよ、宋!さすが私の子ね!何か虫がすかなかったのよ、あのうっとうしい剣!あれを二度と見なくてすむと思うと夢みたいだわ!だから絶対返して貰ってこないでね!お願いよっ!お小遣いアップしてあげるから!」 「馬鹿な事を—」  むぎゅ。  立ちあがろうとする親父を踏みつけて、俺はレイナの手をとる。 「まかせてくれ、マイマザー!最近学食続きで金欠気味だった俺には、なんかそれは素晴らしく嬉しい条件だ!別にあんな剣どうでもいいし!」 「ああ、これであの気味が悪いあの聖なる剣気とかと無縁なのね……。本当に夢みたい。貴方は素晴らしい子だわ、宋!今始めて貴方を生んでよかったと思えたわよ!ちょっとだけだけど!」 「何かとてつもなく酷い事を言われてる気がするが、とにかく小遣いアップだな?本当だな?あんなどうでもいい剣返してもらわないだけで小遣いアップだな!?」 「ふざけるなぁぁっ!この伝説の勇者を足蹴にして話を進めおって!貴様らがどれだけおろかな事を成しているかわからせてやる!出でよ!我が聖なる盟約により神獣っ!」 「ほほほほ、聖剣があってやっと互角だった貴方が素手で私に勝てると思っているの?出でよ!我が闇なる盟約により魔獣っ!」 親父とレイナの叫びに呼応し、空気が収束していく。俺ははっと飛びのいて慌てて手を振る。 「っておい!親父、レイナっ!本気でそんなもん召還—」  どごぉぉぉん。  俺の言葉が終わらぬ内に響く爆音。何か一瞬、この世の破壊を司る最強の獣が二匹召還されてぶつかり合っていた気がしたが、気のせいだと思いたい。 「ふざけるなっ!この伝説となりし勇者たる俺!例え聖剣がなかろうとも、四千年も処女だったおまえに負けるかっ!光よ!我が手に宿り闇を滅せ!光聖炎縛!」 「だからそう言うことを言うなって言っているでしょう、馬鹿っ!光を食いてそれを封せ闇っ!闇の壁っ!」 「ぬぅっ、馬鹿な!?かつては邪神さえ退けた俺の最強魔法が!?」 「オーホッホッホッ!聖剣のない貴方なんてそんなものよ!」 「おのれぇぇぇぇぇぇっ!砕けろ闇っ!照らせ光!食らえ我が最大最強の奥義!聖死光っ!」 「きゃぁぁぁっ!今本気でやったでしょう貴方っ!そっちがその気なら—っ!」  どん。ばばん。ぎんっ。 「……なあ、修」 「何?兄さん」 爆音と光と闇がひたすら響く結界の外から目をそらし、修が俺の方を見てくる。 「前回のあいつらの夫婦喧嘩って、どのくらい続いたっけ?」 俺はぽつりともらして、やたら光っている親父とやたら暗闇につつまれているレイナを見やる。外のあまりの破壊力に、修の作った結界はきしみをあげはじめていた。まあしかし、昔からこういう結界を張りなれている修の結界だ。破れる事はないと思うが。 「うん、この前は一ヶ月ぐらいじゃなかったかな?あの二人、大気から力を体内にとり入れる事ができるから、戦闘中は飲まず食わずで平気なんだよね」 修は溜め息をもらしつつまた外を見やる。家の外には被害が出ていない様であるから、被害を出さない為の結界と身を守る為の結界を二重に張っているのだろう。相変わらず器用な奴だ。俺はそんな事を考えながら、ふと思い出して口を開く。 「確か、その時って騎士団が出動して止めにきたんだよな」 「うん。でも一瞬で全滅させられたよね」 「この国の騎士団って、猛者ぞろいで有名だったのにな」 俺の言葉に、修はもはや何も返さずに溜め息だけを返す。俺はぼけーっと外を眺めながら話を続けた。 「結局、あいつらの仲直りか決着を待つしかないんだよな。まあ、別に家の中はこういう事態に備えておまえが常時結界を敷いてあるから安全だし、食料の買い溜めもしてあるし。別に死ぬ事はないと思うが。だが」 俺はそこで一呼吸置き、ふぅと溜め息をついて修に向き直る。 「だが、結局家の外にはしばらく出れないだろうな。無論、学校にも行けん」 と、そこで俺はふと手の木刀を見せる。 「そして、修。俺は今日の放課後、留年をかけた追試があるんだよな。当然出られん。つまり、留年決定だ」 そして、振りかぶる。 「え、ちょっと、兄さん?」 「—あれだけ特訓しながらもはや留年確実となったこの怒りを、俺は誰にぶつければいいんだろうか。とはいっても現状ではぶつけれる相手は一人しかいないんだが。許せ修」  まあ、結局—  聖剣が無かった為、たった一週間という短い期間で敗北した親父が、学校に事情を説明して、何とか追試を受けさせてもらえる事になったのだが—  まあ、何かあの先生も親父のファンか何かだったらしく、親父が見ていると言う事にやたら緊張していて、試合開始と同時に剣を落としたりとか、拾おうとしてこけたりとか、まあ色々してくれて。  結局俺は、特訓の成果を何一つ使う事も無く、眼鏡を落として慌てているその試合の相手から一本をとり—留年を免れる事になった。何かひたすら虚しい気分だった、が。  とりあえず追試に受かって俺がまずした事は、八つ当たりした自分の弟に謝る事だったりした。許してくれ、弟よ。 6 闘技大会  ぬぼー。 「どうしたの、兄さん?」  ぬぼー。 「何妙な顔してんのよ?あんた馬鹿?」  ぬぼー。  俺は外野を無視して、ひたすら沙耶の皿を眺めていた。そこに入っているのは、いつもどうりカツカレー。座っているのはいつもどうりの食堂の席で、横にはいつもどうり修達が弁当を広げている。おおむねいつもどうりの昼休みの光景である。 「美味しそうだな、沙耶」 俺はぽつりと漏らして、またひたすら沙耶の皿を眺める。  そう。ただいつもどうりでないのは、俺の席の前には何も置かれていない事だった。 「うん、美味しい」 沙耶はこくりと頷いて、何事も無かったように食べつづける。俺はそれを見ながら、またぽつりと漏らす。 「実は俺、最近学食続きのせいか、金欠で今日は金がないんだよな」 「そう」 沙耶も、またこくりと頷く。 「お金がない本当の理由は、今朝母さんの料理がまずいとか文句をつけたせいで、今月分の小遣いを貰えなかったからなんじゃないの?」 横で余計な事をバラしてくる例のバラし魔にちっと舌を鳴らしながらも、俺は続けた。 「とにかく、俺は昼飯も食えないほど金欠なんだ。そんな俺を見て、何か思わないか?沙耶」  俺の問いにふと手を止めて、俺を見て考え込んでから、ぽつりと呟く様に言う。 「……少し、可哀相だと、思う」 「なら、カツカレー半分分けてくれ」 「またそういう卑しい事を言う」 がつん、とアーシャが俺の頭をこづく。まあ、それには別段動じる事はなかったのだが。 「ぬお!?」 しかし俺は無言でカツカレーを差し出して来た沙耶に、かなり動揺して叫ぶ事になる。 「……はい。半分食べていいから」 しかも、トドメとばかりに驚くべき台詞まで吐いてくる。 「ど、どうしたんだ沙耶!?あの鬼畜の様に卑しいおまえがっ!一体どういう心境の変化だ!?冗談で言ってみただけなのに!何があったというのだ!?」 俺はそう言いながらも、心変わりとかされたら嫌なので高速でそれを食いたくる。 「何か、卑しいのは間違いなく兄さんの方の気がするど」 修がぽつりと漏らす。いつもなら鉄拳制裁の台詞だが、俺はカツカレーを食えて嬉しいので、その愚弟の愚弟故の愚かな台詞は許してやる事にしておく。 「頑張ったから、ご褒美」 「へ?」 とか思いながら、やっぱり修を殴ろうとしていた俺は、一瞬何を言われたのかわからなくて沙耶の方を向く。 「……追試。受かったんでしょ?」 沙耶がぼへーと俺を見ながら言ってくる。何か俺はようやく何を言われているのか理解して、とりあえず途中で止めていた拳を修の顔に送りながら答える。 「いや、でもあの先生眼鏡落として慌ててたし、木剣も逆向きに持ってたし、あんまり実力で受かった訳でもないんたけどな」 と俺がスプーンを咥えると、沙耶はふるふると首を振る。ちなみに、先程殴りつけた修は顔をおさえて泣きそうな声をだしており、それを見て怒ったアーシャは俺を叩いてきていた。痛い。 「そんな事、ない。頑張ったもの」 そんな一連の動作に動じる事無く、沙耶が答えてくる。さすが沙耶だ。俺は頭をさすりつつうめく。 「うぬぅ、そうか?全然頑張った事と関係ない成り行きで受かった様な気が—いや、まあ、いい。そう言う事にしとく。また三十分ぐらい言い合うのも何だしな」 「そうね」 沙耶が少し笑って、頷く。修たちは訳がわからなそうな顔をしていたが。  まあ、とりあえずカツカレーは美味かった。  午後、教室。俺はふと口を開いていた。 「……なんか、沙耶って訳がわからん奴だな」 「私は、あんたの方がよっぽど訳わかんない奴だと思うけどね」 「僕もそう思うな」 俺が何気なく言った言葉に、容赦なくアーシャと修が言い返してくる。何故だ。隣の奴から椅子を借りて、重ねてバランスをとっている俺の行動に変な点でもあるというのだろうか。意外にバランスをとるのは難しいのに。  何か学校行事の取り決めがあるとかで今日は午後からの実技の授業は休講になり、俺達は教室で待機させられていた。来週学校で何かの大会みたいのがあるらしく、その出場者を決めなければならないらしい。まあ俺にはあまり関係も興味もない話だった。という訳で、俺は午後の実習の時間だというのに、今こうして教室で椅子バランス遊びをしていられる訳である。 「とにかく、俺は今まで沙耶の事は—」 と俺は腕を組んで話を続ける。ちなみにこの状態で腕を組むというのは、俺の奇跡的なバランス感覚が生み出す荒業である。 「カツカレーを死んでも死守する、ケチケチな女だと解釈していたんだ」 「……本当に心底嫌な解釈をしてたのね、あんた」 何故かアーシャが疲れた顔でうめいてくるが、俺はかまわず続けた。 「なのに、あんなにもあっさりと俺にカツカレーを差し出すとは……!げせん!一体この一週間程であいつに何があった!?俺達が家に閉じこめられていた間に何かあったとしか考えられん!何かあったろ、アーシャ!?あいつの人生観の変わるような大事件が!」 俺はぐっと拳を握り締めて脂汗を流して聞く。ぐらぐらと椅子を揺らして。アーシャはそんな俺に、無感情に答えた。 「別に、何もなかったわよ」 「……兄さんの推理って、当たった事ないよね」 「…………」 俺は無言になって辺りを見まわす。まだ先生は来ていないので、他の生徒達も話をしたりして騒いでいる。見ると、タ・ローは自分の席で爆睡していた。よだれをたらして幸せそうな顔で眠りについている。ノクアノは例によって『謎』とかがタイトルに入った怪しげな本を読んでいる。著者の欄を見るとやっぱり『謎ーん★』となっていた。俺は一通り周りを見終えると、満足げに頷く。 「うむ。平和な学園光景だな」 「よくわかんないけど、何か強引なごまかし方だよ。それ」 修が溜め息をつく。その横でアーシャが同じく溜め息をついてから、ぽつりと口を開く。 「まあ、でも先輩が予想外の性格だったのはさ、確かよね」 「はぁ?予想外?」 「うん。僕も、ずっともっと怖い人だって思ってたけど」 「誰がだ?」 訳がわからず間抜けな声をあげる俺に、アーシャ達は当たり前の様な顔で言ってきた。 「だってさ、岸野先輩ってあの王国の武闘大会の優勝者だよ?何か近づきがたいっていうか、そんな感じがしてさ」 「そうか?だってあの大会の優勝者っていったら金持ちだろ?普通は逆に仲良くなって何かおごってもらおうとか思うもんじゃないのか?」 首をかしげる俺に、修は思いっきり深いため息をつく。 「そんな事を思うのは、兄さんだけだよ」  そういうもの、なのだろうか。しかしそれよりも、俺としてはもう一段椅子を重ねようかどうかという決断にせまられており、上の空で返事を返していた。そして、教室のドアががらりと開いて担任の先生が入ってきたのも、ちょうどその時だった。 「沙耶ぁぁぁぁぁっ!」 放課後、俺はがらりと三年の教室のドアを開けて沙耶の名前を絶叫していた。皆多少俺の声に驚いてびっくりした様な顔で俺の方を振り向いてきていたが、そんな中沙耶だけはやっぱり動じずにゆっくり顔だけ振り向いて返事を返してきた。 「……何?」 何かやたら注目を集めていたが、俺は構わず無言でつかつかと歩いていき、がしりと沙耶の手をとった。そしてじっと沙耶の瞳を見て真剣に語り掛ける。 「俺達は、親友だよな」 「……そうなの?」 「そうだ」 俺はこくりと頷き、ぴっとポケットから先程配られたプリントを出し広げる。それには『武陽学園第十回闘技大会実施事項』と書かれており、つまりは先程の授業で説明された例の学校行事の参加用紙だった。 「親友は、助け合うものだよな?」 まあ、その内容は簡単なものだった。三人一組でパーティを組み、試合場で戦い合う。優勝者には賞品がでる。そしてその賞品というのが、一年間無料で学食を利用できるという感動もののものだった。 「俺は、友としておまえの協力を必要としている。こんな時、親友のおまえがすべき事は一つだよな?」 「……そうなの?」 「そうだっ!」 俺は無理矢理叫んで沙耶の鞄を開け、筆箱を取り出してペンを握る。そして参加用紙の名前記入欄に添えて沙耶に差し出した。 「……もしかして、一緒に出てほしいの?」 やっと俺の行動の意味を理解してくれたらしく、沙耶が聞いてくる。俺はそれに無言で何度も頷くと、ぐいぐいと手のものを沙耶の方に押し出した。 「ごめん。私、さっきアーシャと修君にも誘われて、一緒に出るって言っちゃったの」 無表情にそれを押し返しながら沙耶。俺は負けじと押し返しながら言う。 「知っている。だが、修とアーシャの二人より、俺とおまえとの友情は異様に深いはずだろ。という訳でそんな約束はきっぱりと忘れてここにサインしてくれ」 しかし沙耶はそれを更に上回る力で押し返してきながら、いつも通りの平然とした声で答えてきた。 「でも、約束は、約束だから」 ぐぐっと歯を食いしばる俺。俺の方に押し出された参加用紙は、ふるふると震えながら俺達の中間辺りで止まった。何て力してやがるんだよ、こいつは。恐るべし沙耶。 「友情より、約束をとると言うのか沙耶?それは少し愚かしい行為だぞ」 今度は俺が押す。しかしいともあっさりと沙耶はそれを止め、俺を見上げて聞いてくる。 「そうなの?」 「そうだっ!まず間違いなく人類として最大に愚かしい行為!それが友情より約束をとる事!その二が—」 「馬鹿な事やってんじゃないわよっ!先輩の教室にまで押しかけてっ!」 と、ふいに参加用紙の均衡が崩れる。俺が後ろから思いっきり殴りつけられて倒れ込んでしまったからだ。鬼かおまえは、アーシャ。 「本っ当にこの馬鹿はっ!はい先輩!私達の参加用紙に早く名前書いてください!そうしないときっとこいつ絶対しつこく押しかけつづけますから!」 「やめろっ!俺の作戦が!一石二鳥の人生プランがぁぁぁぁっ!」 足元でわめく俺。しかしアーシャに足蹴にされている為、まったく身動きはできず、そしてそんな俺の目の前で沙耶はいともあっさりアーシャの差し出した用紙に名前を書いた。 「一体、どうしたの?」 サインし終えた用紙をさっと受け取るアーシャに、沙耶が不思議そうに聞く。俺はそれを奪おうと手を伸ばすが、踏まれたままなので簡単にあしらわれて失敗に終わる。 「いえ、先生から参加者には試合の日、待合室が一パーティに一部屋割り当てられるって聞いたら、何をとち狂ったのかこの馬鹿が—」 「沙耶の裏切り者ぉぉっ!あっさりサインしやがってぇぇぇっ!俺の沙耶と組んであわよくば優勝を勝ち取りつつ、胸の感触をまる一日かけて思う存分楽しもう計画をどうしてくれるんだっ!よこせそれぇぇぇっ!」 「……みたいな事を絶叫しだしたもんで、先輩が危険だから私と修でガードしようって話になったんです」 「そう」 「アーシャの邪魔がはいらないから、一日中揉み続けられるはずだったのにぃぃぃ!くそぉぉぉぉっ!だけど見てろよ!俺は諦めん!沙耶以上のメンバーをし入れて、必ず優勝して一年間カツカレー件を手に入れてやるからなぁぁぁぁぁっ!胸が駄目ならせめてカツカレーだけでもぉぉぉぉぉぉっ!」 俺は踏まれたまま、どんどんと地面を叩いて悔しがるしかなかった。  がらりと教室のドアを開けると、案の定まだほとんどの生徒が残っていた。授業が終わってからまだ五分とたっていないし、当然といえば当然の事だ。俺はその中から、お目当ての人物を探し当てるとそいつの居る場所へつかつかと歩み寄った。 「友よ」 「……なんだよ、宋?気持ち悪い奴だな」 タ・ローは突然手を握った俺に顔をしかめて言う。まあ俺は気にせずに、参加用紙を机の上に置いてタ・ローの鞄を開け筆箱を取りだした。 「俺達は、親友だよな?」 「何時の間にそんなのになったんだよ」 タ・ローは疑わしい目を俺に向け、俺の手から筆箱を奪い取ると深く溜め息をつく。 「しかしまさかおまえ、こんなもんに一緒に出ようとか言い出すんじゃないだろうな?」 「何だよ、その冷めたリアクションは!友ならここはまかせろ!とどんと胸を叩いて答えてくれる場面だろ!?」 「いや、でも優勝商品がなぁ。食堂無料ったって、俺弁当派だし」 とタ・ローは手をふる。しかし俺は諦めずに無言でタ・ローを見る。熱い友情を込めたまなざしで。タ・ローも俺を見る。どうでもよさげな目で。しばらく、静寂が俺達を包んだ。 「ねぇ、どうする?競技大会。この学校のあれってさあ、結構有名よね」 「そうそう。一緒に出た男女の半分くらいが、その後付き合っちゃうんだってね。やっぱり、命がけで助け合ったりとかするから、愛が芽生えやすいらしいわねー」 「じゃあさ、好きな人と出れば両思いに慣れるかもしれないってコト?」 「あー、私修くんと一緒に出たいなぁ」 「私も〜っ!」 「あっ、ずるい!私だって—」 まあ、その静寂さ故に後ろの席で語り合う女生徒達の会話が何気に俺達に届いた。そしてその会話を聞き終えた後、タ・ローはふっと微笑んで筆箱からペンを取り出して言ってくれたのだった。 「まかせろ、親友よ」  とりあえず、俺は同志を一人確保する事に成功した。 「やぁよ。何で貴方達なんかと」 その女子に、冷たく、心の底からそう思っていそうな口調で、しかもあっさりと誘いを断られて、タ・ローは力無く地面に崩れ落ちた。女子はふんと鼻をならしてそのまま立ち去ってしまう。 「……これで八人目だぞ。まだ女子を誘うのを諦めないのか?」 俺は腕組みをして言ってやる。しかしタ・ローは次の瞬間には不死鳥の様に蘇り、ぐっと熱く拳を握り締めて立ちあがった。 「B組のサレシィーナちゃんがなんだ!まだこの前の学年の人気投票で三位をとったF組のヘレンちゃんが残っているさ!あの清らかなヘレンちゃんが!」 「ちなみに、その人気投票の三位を除く二位から十位までのメンバーには、すでにゲテモノあつかいで断られ続けているんだけどな、俺達。なんかアーシャが一位だったのはめっちゃ意外だったが、まあアーシャはすでにパーティを組んでるし」 「大丈夫だ!ヘレンちゃんがいるだろ!彼女はそりゃもう天使の様に優しい子なんだ!きっと快く引き受けてくれるっ!かくいう俺もこの前の投票でヘレンちゃんに入れた一人だ!」 ぐっと拳に血管を浮かび上がらせたタ・ローが叫ぶ。そして— 「ご、ごめんなさい。その、許してください」 そのヘレンちゃんは、そう言うと頭をさげて逃げて行った。友だちのところへ帰った彼女は、「大丈夫?」とか「変な事されなかった?」とか「触れられなかったでしょうね?あの二人に」とか色々言われている。 「あの二人って有名なのよ?学園始まって以来の問題児とかで」 「そうそう!この前C組が半壊したのもあいつらの仕業だって話よね」 「この前の筆記試験、全教科零点だってっ!」 「それに見てよ、あの目つき—」 「触られたら妊娠—」 何かその女子たちに口々に囁かれあっている中、俺はふと口を開いた。 「なあ、もしかして俺達って……女子と組むのは無理なんじゃないのか?何となくだが今ふとそう思ったんだが」 「言うな、宋。俺は今傷ついているところなんだから。人として、男として……!」 泣いてかぶりをふるタ・ロー。もはや俺に言える事は何もなかった。 「はぁ、僕としては面倒なので出ないつもりだったんですが、まあそこまで言うんなら」  結局、もう一人のメンバーはノクアノ・ヒギ—まあある意味学年最強のそいつに落ち着いた。何だかんだ言ってタ・ローもなかなかの剣の使い手だし、まあまあのメンバーといえる。まあ、タ・ローは女子と出れないのなら出る意味はないとかぼやいてはいたが— 「ねぇ修君、私と一緒に—」 「あ、あの修くん。私と、その、一緒に、その競技大会に—」 ふと見ると、教室の一角で何故か修を中心に女子の円が出来ていて—その中には先程こちらの誘いを鼻で断った女子等もいたりして。 「ごめん。僕、もうパーティ組んじゃったから……」 「そんなぁ」 「私、修君と一緒に出るの楽しみにしてたのにぃ」 ざわめく女子。そして。 「まかせろ、宋。あの人類の敵をぶちのめす為なら、俺は大会だろうと何だって出る……!大会で合法的にアレをこの世から消してやる……!人として……!」 血涙に近いものを流しながら、タ・ローは大会に出る意思を再び強く燃やしてくれた。  むにゅ。  どごん。  次の日の昼、食堂にて。 「ふぅ、いい加減人をいきなり殴るのは止めろよな、アーシャ」 俺はやれやれと溜め息をついていた。例によって沙耶の胸を掴んでいた手で、アーシャに殴られた頭をさすりつつ。 「あんたがっ、そう言う事を止めなきゃならないんでしょっ!?」 「はぁ、本来なら、大会の日はこの感触をまる一日味わえたはずだったのになぁ」 俺は叫んでくるアーシャを無視して、再び沙耶の胸に手を伸ばす。またアーシャが殴ってくるが、今度は耐えてそのまま揉み続ける。意地になって。 「し、しぶといわね、今日は」 「多分、昨日アーシャに沙耶先輩と大会に出るのを邪魔されたから、ちょっとすねてるんじゃないかな?」 「ぬぅ。せめて怒っているといってくれ。怒りの行動だ」 俺はかぶりを振りながら言う。無論手は休まず動かし続けて。 「何で怒ってたら、先輩の胸を触らなきゃな・ん・な・い・の・よっ!」 しかし次の瞬間には、俺はアーシャに思いっきり椅子で殴りつけられて、地面にひれ伏す事になったが。 「敵その一。一言言っとくが」 「え?僕?」 突然指差されて驚いた声をあげる修に、俺はかまわず言ってやる。 「うちのメンバーT・Rはおまえを殺す為に血の滲む様な特訓を開始している。兄弟として忠告しておくが、本気で殺されかねんから気をつけろよ」 と、俺は困った顔をする修から指をそらし、今度はびしっとアーシャを指差した。 「そして敵その二!」 「私?」 「おまえ、キライ」 俺は一言でアーシャに対する今の俺の気持ちをすべて表すと、今度は沙耶の方に向き直った。 「そして敵その三!最大最強の仮想敵っ!鬼畜的最終兵器剣士プラス裏切り者の沙耶っ!」 「……後ろで、アーシャが椅子を振りかぶってるけど」 「そんなのはどうでもいい!どうせ殴られるのは俺なんだし!とにかく俺をあの特訓時のままだと思うなよ!数段パワーアップ—ってがはっ!?本当に殴るなよ、そんなもんで!鬼かおまえはっ!ちょっと本音を言っただけだろーがっ!って何故にまた殴る!?ええいっ!いい加減にしろっ!」 とりあえずアーシャに怒鳴ってから、俺は沙耶に向き直って先程の続きを言う。 「とにかく、俺は絶対おまえには負けんからなっ!覚悟しとけよ、沙耶っ!」 「おまえ、絶対負けるぞ」 「僕もそう思います」 放課後、グランドで大会に向けての特訓をしている最中。俺は残りの二人のメンバーに遠慮なしに言い放たれていた。 「う、うるさいっ!剣とかはちょっと苦手なんだよっ!」 タ・ローに木刀で殴られて地面に叩き付けられていた俺は、そう叫んで立ちあがる。 「苦手って、大会って武器の持ち込み自由なんだぞ?いくらなんでもおまえ、相手は多分例の聖剣持ってくるってのに、素手じゃ勝負になんないだろ?」 「だからこうして、わざわざ剣の特訓などというやりたくもない事をしてるんだろーがっ!」 飛ばされていた木刀を拾いなおして怒鳴る俺。そこにタ・ローがいきなり木刀を振り下ろしてくる。俺はそれを受けようと木刀を振り上げるが、何故か俺の剣はタ・ローの剣と五十センチぐらい離れたところに振り上げられ、俺は脳天に思いっきり奴の木刀を食らう。そこにノクアノが同じく木刀を。何かタ・ローの倍ぐらいの速度で、やっぱり俺は為すすべなくそれを脳天に食らった。 「……意味ないから、やめるか。こいつ、なんか剣に関しちゃ神憑り的に下手だ。特訓になってねぇもん」 「そうですね。木刀同士触れあいすらしませんから」 頷き合う二人。俺は大声を出して地団駄を踏む。 「うるせぇ!それでも負ける訳にはいかないんだよっ!あの裏切り者の人間兵器にはっ!」 俺の絶叫を聞いて、タ・ローとノクアノは無表情に顔を見合わせる。やがてタ・ローがあくびをこらえる仕草をしながら口を開いた。 「まあ、大会って勝ちぬき方式だもんな。いくら宋が負けても、俺とおまえが負けなけりゃ試合には勝てるし。一応大丈夫だろ」 「そうですね。別に僕としてはあまり興味がないので、いつ負けてもいいですし」 「ああ。俺も人類の敵の奴を殺せればそれでいいからな」 何故か言いながら片付けモードに入っている二人。俺は地団太を再開して怒鳴る。 「俺は優勝したいんだよっ!いや、出来なくてもいいから、せめて沙耶には勝ちたいんだっ!さっきから何度もそう言っとるだろーがっ!」 俺の声を聞いて、二人は一応は動きを止め、やっぱり無表情に振りかえる。 「だから、無理だって。優勝するより難しいって、それ」 そして手を振ってタ・ロー。 「いえ、はっきり言えば絶対無理ですね」 ぴんと指をたてて、真顔でノクアノ。 「うるさいっ!とにかく特訓しなきゃなんないんだよ!あの特訓中、一度も剣を受けれなかった鬼畜兵器女が相手なんだ!生半可な事じゃ勝てんっ!」 「そんな事言うなら、俺の剣だって一度も受けれてなかっただろうが」 「僕の時も一度も反応できませんでしたが」 「それはそれ!これはこれだっ!」 やっぱり地団駄を踏む俺。仕方なさそうにタ・ロー達は木刀を構え直し—  そして次の瞬間にはやっぱり、俺はその木刀を防げずに脳天に食らっていた。 「……大丈夫?」 「うるさい。敵に情けをかけられる程俺は落ちぶれてはいない」 スプーンを咥えたまま聞いてくる沙耶にびしゃりと言い放ち、俺はカツカレーをすくって口に運んだ。昨日木刀でひたすら打たれつづけたせいか、ひりひりする頭の痛みに耐えながら。 「うわっ、顔中痣だらけね、あんた。一体何したらこんなになる訳?」 「だから、特訓だ」 眉をしかめて聞いて来るアーシャに、俺はぶすりと答える。くそぅ。ノクアノもタ・ローもわざわざ人の顔ばっか狙いやがって。目立ってみっともないだうが。多分それがあいつらの狙いなんだろうとは思うけど。 「一体、どんな特訓してたの?そんなになるなんて、よっぽど凄い事してたんだね」 「……単に、普通に上から降りおろされるだけの剣を、ひたすら受けとめようとするだけの特訓だったんだが」  無言。修とアーシャがばつが悪そうにちらりと目線を合わせ、何故か首を振る。何か可哀相なものでも見てしまったかのように。沙耶さえ、スプーンを咥えたまま、少し哀れみの視線をこちらに投げかけてきていた。俺はぐっと歯を噛み締めて無視してカツカレーを食いつづける。ふん。どうせ普通はそんな簡単な特訓で顔中痣だらけになる程食らったりはせんだろうさ。どうせ俺はヘタクソだ。 「大丈夫?」 再び沙耶が心配そうに聞いてくる。俺はうむ、と頷いて答えた。 「敵に情けをかけられる程落ちぶれてないと言いたいところだが、実はちょっとかけられても仕方ないぐらい痛いんじゃないかなぁ、とは思える痛みだったりはするな。というより何か死ぬほど痛いし」 「あんたねぇ。もうちょっと考えてやらないと、そのうち本当に死ぬわよ?」 アーシャか溜め息混じりに言ってくる。ぬぅ。俺にいつもこれ以上の真似を平気でする女が、よく言えるものである。 「ふん。あの裏切り者を倒す為なら、このくらい何でもない」 なんにしろ、俺はそう言ってスプーンを皿におろしふんと鼻を鳴らす。食べ終えたのだ。 「裏切り者?」 アーシャと修が訳がわからなそうな顔で同時に呟いてくる。俺は何を馬鹿な事を聞いてくるのか不思議に思いながら口を開いた。 「決まっているだろ、沙耶だ。あいつは大会のメンバーを決めたあの日、事もあろうか—」 と、俺は沙耶を指差し、ぎりっと歯を噛み締める。 「俺との友情を裏切って、アーシャとの約束をとったんだぞ!?信じられない裏切り行為だろうがっ!」 思わず立ちあがって叫んでしまう俺。何故かアーシャ達は「はぁ?」という顔で見ているが、まあそんな事を気にしてる余裕もなく俺は強く目を閉じて首を振る。 「俺はおまえとの友情を信じていたのに!親友だと思っていたのにっ!それなのにっ!それなのにぃぃぃっ!沙耶の裏切り者ぉぉぉっ!」 俺はそのまま泣いて食堂を飛び出していく。涙が止まらなかった。もはや苛めだ。 「……そうなの?」 「はぁ、何か兄さんって、ものの考え方とか、感じ方が普通の人と違うんですよね……。価値観が違うっていのかな……?」 「要するに、単なる変わり者なんです、あいつは。あんまり気にしないでください。そのうちころっと忘れて元に戻りますから」 そんな酷い事を言い合う奴らの声が耳に入り。俺は涙をふきながら、より強く沙耶に勝ってやるという誓いを燃やしていた。  大会の為の会議とか何かで、その日の午後の授業は自習、もしくは自主練になった。まあ、俺にとっては願ってもない事であった。 「いや、何て言うかさぁ……、さすがに良心が痛むんだよな。こう、無抵抗な奴をひたすら木刀で打ち続けるってのは」 無言で練習用の木刀を差し出す俺に、タ・ローがそう言って手をふる。俺はふるふると肩を震わせて叫んだ。 「誰が無抵抗だ!ちゃんと防御用の剣を持ってるだろうがっ!」 「いえ、はっきり言って宋君の場合、持ってても意味がないですし」 ノクアノまでが、そう言って手をふる。 「あるんだよっ!ちゃんと少しずつ受けれそうな気がしてきているんだっ!」 「嘘つけ」 「疑いようの無い嘘っていうのは、あまり謎的にもおすすめできませんよ」 必死で木刀を差し出す俺に、タ・ローとノクアノは冷たく言い放つ。いや、ノクアノのは冷たいというのとはちょっと違う気もしたが。ともあれ俺はぐっと身を引くと、ふんと渡そうとしていた木刀を投げ捨てる。 「いいよ、いいよ。俺一人で特訓してるから。後で劇的に強くなった俺を見て驚くなよ、くそぅ!薄情者め!」 もう一方の木刀を背中に担いで、俺は二人に背を向けて大股に足をあげて歩き出した。 「ああ、頑張れよ。絶対無理そうだけど」 「そうですね。無理を通り越して無駄な気もしますが、適度に頑張るといいかもしれません。謎的には」 「うるせぇ!見てろよ!伝説の剣士となって帰ってきてやるからなっ!そりゃもう思いっきり伝説に残るぐらいの剣士だ!史上最強の存在になって帰ってきてやる!」 「半日ぐらいでそんなのになれたら、誰も苦労しないけどなー」 「なれたら教えてくださいね。謎ーん★先生に手紙に書いて贈ってみますから。世界最大の謎の一つとして」 やたら投げやりな声援をうけ、俺は教室を後にした。 「くそっ!裏切り者どもめ!とくに沙耶っ!あの最終兵器的裏切り者っ!ケチケチ女っ!一回だけしかカツカレーわけてくれた事ないし!」 俺は校舎の裏の隅っこの方で、一人でひたすら素振りをしていた。ぶん、と音をたてて剣が振り下ろされる。自分でもなかなかの速度だと思う。実は結構、こういう攻撃の為の動作とかには自信があったりするのだ。要は、俺は防御の動作とかが異様に下手なだけなのだ。どんなゆっくりな攻撃でも受けとめる事ができない。何故かはわからんが。 「いい胸してるからっていい気になりやがって!あの裏切り者っ!誰のせいで夫婦喧嘩になって俺が閉じ込められたと思ってるんだ!くそぅ!」  ぶん。  汗ですべった木刀が地面に落ち、俺は拾う気力もなかったのでそのま地面にへたりこんだ。息があらい。もう二時間近くも休み無しで素振りを続けていたので、当然といえば当然だったが。 「やっと、休憩?」 突然声をかけられて、俺はぎくりと後ろを振り返る。そこでぼぉーっとしたいつもの表情で校舎の壁に腰掛けていたりしたのは、何となく声から想像した通りの人物だった。 「……さ、沙耶!?何故ここに!?」 「偶然貴方を見つけて、それから見てただけだけど」 何やら冷静に答える沙耶。まあ、今日午後からの授業が自主練なのは、全学年を通してらしいから、沙耶もそれで暇があったのだったのだろうが—それにしても暇な奴だ。人が素振りをしてるの何か見てんなよ、くそぅ。そんな事を俺が考えていると、沙耶がふいに腰をあげる。 「ぬぅ!?来るか!?おのれ裏切り者っ!一体何を企んで—」 「レジニード・スレシア」 しかし立ちあがった沙耶がした事は、 意味不明な単語を口する、という何とも奇妙な行動だけだった。しばらく呆然として—俺はようやく一言声をあげる。 「はぁ?」 「二百年前に世界に名を轟かせた、史上最強の、剣士の名」 沙耶が続ける。俺はもうさっぱり訳がわからずに、話しながら近づいてくる沙耶を見守る。 「彼の動きは風の様—その剣撃は火の様—そして技は水の様—」 ついに訳のわかない事を呟き出す沙耶。俺がぽかんと口を開けていると、沙耶が目の前までくきて立ち止まり、木刀を拾う。 「これが、レジニード・スレシアの—伝説」 伝説。剣士の、伝説?一体こいつは何をほざきだすのだろうか、と俺が訳がわからずに沙耶を見ていると、沙耶がくすりと笑う。 「伝説の剣士に、なるんでしょ?」 俺は呆然とその単語を反芻する。伝説の剣士。確かにその単語には聞き覚えがあった。 『伝説の剣士になって帰ってきてやるからな!』 先程、悔し紛れに叫んだ台詞。伝説の、剣士。 「でも、レジニード・スレシアには土がなかった。防御が、なかった。一度も相手の剣を受ける事はなかったわ。それはしなかったのではなく、できなかったの。防御という行為が、先天性に苦手だったらしいわ」 ぬぅ、それにしても何か沙耶が怖いぐらい饒舌になっている様な。こんなに喋っているこいつを見るのは初めてな気がするぞ。 「……だけど防御ができなかった?何でそんな奴が、伝説になってるんだよ?」 「それ以外は、完璧だったから。動きも、力も、技も。すべてが完璧で、非の打ち所がなかったから。だから、彼には防御というものがなくても大丈夫だった。言いかえれば、する必要がなかったの。だから彼はそれを棄てた」 「必要、なかった?」 俺の問いに、沙耶が頷く。苦手。棄てた。必要が無い— 「逆に言えば—彼は防御を棄てたからこそ、そこまで他の三つを高められたの」 何かが、弾ける。俺ははっとして顔をあげて、そこでまたはっとしてしまいたまらず口を開いていた。 「ちょっと待てよ、おい!」 俺はそこで立ちあがると、沙耶の手から木刀をばしっとひったくる。 「伝説の剣士だぁ!?俺がそれ言ったいつの事だと思ってんだよ!何が偶然通りかかって見てただけだ!ふざけやがって!いつから見てたんだよおまえっ!」 よくよく考えてみれば、俺がそれを言ったのは二時間以上も前の事である。つまりはこの女、それからずっと見学されていたと言う事だろう。俺は何かやたら恥ずかしくなって声をあらげる。まあ、それだけ夢中になって素振りをしてたと言う事なのだが。 「うん、偶然、貴方が叫ぶのが聞こえたの。その時ちょうど近くに居たから、ちょっと見に来て、そのまま」 「ちょっとでその後二時間も人の特訓をこっそり見てんなよっ!このスパイっ!」 「でも、邪魔しちゃいけないと思ったから」 「最大の仮想敵に特訓を覗かれるほうがよっぽど嫌だっ!この裏切り者っ!」 地団駄を踏む俺。が、沙耶はそれに動じる事なくうんうんと頷く。 「よかった。いつも通りね。何か怒ってたみたいだから、気になって見に来たんだけど、機嫌治ったのね」 「どこがだ!?確実に怒ってるだろーが!だいたい気になって見に来たってのは何だ!?偶然通りかかったとか言ってなかったか!?」 「うん。様子見に貴方の教室に行く途中で、偶然貴方が出てきたもの」 「そう言うのは偶然と言わんだろーがっ!」 たまらず叫ぶ俺。  まあなんにしても、この時。  俺の中で何かがすっきりした気がしていたのは、事実だった。 『力に、理由が必要か?』 「ぬぅ。かっこつけた事ぬかしおって。これだから偉そうな奴は好かん」 俺はぶつぶつ文句を言いながら、その本を投げ捨てた。『レジニード・スレシア』の本—本屋で何気なしに見つけて勝ってきた本だったが、まあ読めば読むほど信じられない様な事で一杯だ。一人で一国の騎士団と渡り会ったとか、一振りで地を割いたとか— 「はっはっは、そんなの読むくらいなら、俺の本を読めよ、ほら」 親父が笑って『宮路龍路造三郎列伝』とかいう題名の似たような本を差し出す。昔から家にあるやつで、こっちは死ぬほど何度も読まされた記憶がある。こっちの内容はもっと酷い。神々に戦いを挑んだとか、世界を征服しかけた魔王の軍勢をたった一人で打ち負かしたとか。どこまで本当なのか怪しいものだ。まあ半分くらいは本当みたいだが。 「そっちじゃ、駄目なんだよ」 俺はぶすりとして言い放つ。親父の剣は、万能だ。いや、剣だけじゃなく、体術も。魔法も。すべて万能。親父はそういう奴で、まただからこそ、それだけの事ができた。 (でも、あっちは—レジなんとかってのは、違う) 剣士—そう、剣士だ。魔法の使えない、剣士。そして防御さえ駄目な、親父とくらべればなんて事はない—数段劣るはずの男。それでも、親父と似たような伝説を残している。 「伝説……伝説の剣士。伝説、か」  力に、理由が必要か?  何故、貴方はそれ程に強いのか、と聞かれてそいつが答えた台詞—いや、伝説だ。すでにその台詞は伝説だ。  力に理由は無い。  魔法が使えなくても、防御が駄目だろうとも。強ければ、強い。それに理由などない。ただ強いから、強い。それでいい。 「確かに、必要ないよな。そんなのに理由なんて」 俺は笑って呟く。  大会まで、後一週間もない。  沙耶に勝つなんて絶対無理な気がしていた。そう、「していた」。  できる気が、する。今はできる気がする。  一週間で何ができる?  一週間。一週間だ。親父が神々と戦った期間。レジニード・スレシアが魔竜と戦い、打ち倒すまでの期間。  —できてるじゃねぇか。  伝説が。 「馬鹿沙耶が、敵に塩を送る様な真似しやがって。見てろよ、その余裕ぶっ壊してやるからな」  伝説の剣士になって、な。  俺は笑って、目を閉じた—。 「何一人でぶつぶつ言っとるんだ、この愚息が。偉大なる伝説になるであろうこの父を書き記した本を読めというのが聞こえんのか?おい!愚息!聞こえんのか!?」 何かとうっとうしい親父の声を無視して。ぬぅ。本なんか久しぶりに読んだんで眠くなってきたんだよ。寝かせろよ、馬鹿親父。 7 剣士  正しい剣士への道、其の一  まずは自分にあった剣を選びましょう。剣は生涯の友です。くれぐれもまがいものなどつかまされないように。知り合いの剣士がいたら、頼んで一緒に選んでもらうとよいでしょう。 「ぬぅ。知り合いの剣士—と言えばあいつしか居ないではないか」 次の日の日曜日。俺は昨日のレジニードなんとかの本と一緒に買ったその本を読みながら、うーむとうなっていた。剣士に該当する人物—そんなのは俺の頭の中をぐるぐる捜してみても、一人しか思い浮かばない。しかしあいつは裏切り者だし、頼むのもしゃくだ。俺はどうしたものかとうーむと深く考証を続ける。 「何よ、朝からうるさいわねぇ」 レイナがあくびをしながら居間に入ってくる。まだ朝の五時のはずなのに、相変わらず早い奴め。はっきりいって邪魔だ。 「あら、何読んでるの?」 案の定、レイナの奴が俺の手の本に興味を持って話しかけてくる。こんなのを読んでいると知られたらまた何かとからかわれそうなので、俺はさっと後ろに隠しながら本音を言った。 「むぅ。そんな事に興味をもつ暇があったら、料理の特訓でもしててほしいぞレイナ。昨日のチャーハン、はっきり言って吐きそうだったし」 間違いなく本音である。しかし、レイナは心外だとでも言いたげに顔を赤くする。 「失礼ねっ!いいわよ!今日こそは美味しいの作ってみせるんだから!見てなさいよっ!もう伝説に残るくらい凄いの作ってあげるからねっ!」 何処かで聞いた様な捨て台詞を残して、レイナが台所へ走っていく。俺はむぅと汗をかいてそっと立ちあがった。レイナという女は、気合を入れて料理すればするほど酷いチャーハンを作る女なのだ。チャーハンしか作れないのはもはや言うまでもないが。 「くっ、仕方ない。ここは一つ、地獄チャーハンからの脱出ついでに、剣を選ぶのを頼みに行ってみるか。沙耶に」  俺はぽりぽりと頭をかいて玄関を出る。  しかし、それが間違いのもとであった。  何故なら、俺は沙耶の家が何処にあるかなど、知らなかったからである。 「という訳で、俺は親切なおっさんに出会って案内してもらうまで、ひたすらおまえの家を探して街をさ迷っていたんだよな」 うんうんと頷く俺に、沙耶は目をぱちくりとさせた。さすがに休日だけに、私服姿である。こいつが制服以外の服を着ているのを見るのって何か初めてな気もする。まあでも、何か沙耶って感じの服着てるな。さすが沙耶だ。 「朝の五時から、ずっと?」 すでに時刻は午後十二時を回ろうとしてた。玄関で俺を出迎えている沙耶は、多少驚いた声をあげる。俺は腕組みをしたまま頷くと、それをといて首をふる。 「ちなみに、実は途中で本格的に迷子になって、このまま野たれ死にしたらどうしようかとか本気で悩んでしまったな」 「それは、大変」 あんまり大変そうでもない口調でもあったが、俺はその俺の状況を理解してくれたらしい沙耶の言葉に、一応は満足して口を開いた。 「そういう訳で俺は腹が減った。朝から何も食べてない訳だからな。あがらせて何か食わせてもらうぞ」 俺はそう言って靴を脱ぎ捨てると、玄関にあがってつかつかと歩き出した。  多分、ちょうど昼時なので何か食べていたのだろう。いい匂いがただよってきていたのである。  まあ、普通の家だな、と俺は部屋を見まわす。別段変わったところもないし、まあ大きくもない、普通の家。沙耶の家はといえば、そんな感じだった。 「なんだか武闘大会の優勝者って言うから、もっとでかい家でもおったてて住んでるのかと思ってたんだが」 沙耶の昼食はオムライスだった。その半分をたった今食い終えた俺は、満足してげぷっと息を吐く。決して無理矢理奪った訳ではないぞ。玄関から匂いをたよりに食卓に直行し、その場でただじぃーっと何かを訴えかける視線を沙耶に投げかけたら、分けて貰えただけだ。 「あの賞金は、寄付したもの」 机の上の湯のみにこぽこぽと茶を注ぎながら、ふいに沙耶が言う。その賞金というのが、俺の言った例の王国主催の武闘大会の賞金の事であるらしいのを理解するのに、俺は数秒を要した。 「寄付?」 差し出された茶を受けとりつつ眉をしかめて聞き返す俺に、沙耶はこくんと頷く。 「孤児院の子供達に、あげたの」 沙耶がいつものぼけーっとした表情で続ける。俺は思わず机を叩いて叫んでいた。 「この裏切り者っ!もう何て言ったらいいかわからないくらい裏切り者だぞおまえっ!何でそんなガキ達にやるくらいだったら俺に毎日カツカレーを奢る為に金を補充しとくぐらいの事ができなかったんだよ!おまえは!」 「ごめん」 沙耶はやっぱりまったくもって動じて居ない様子で、さらりとかえす。俺はうむ、と再び茶を手にしながら答えた。 「わかればいい。以後気をつけろ」 まあ食事を分けてもらった恩義もあるので、それは置いておく事にする。と、そこで俺はふと気づいて辺りを見まわす。 「そういや、日曜日だってのに、おまえの家って親とか居ないのか?うらやましいな。俺の家なんか、両親がともに働いてなくて毎日家に居てうっとうしいんだよな。特に親父の方が」 「死んだもの」 沙耶は無表情に、一言発する。突然物騒な事を言い出す沙耶に、俺ははぁ?と眉をしかめた。 「殺されたの。十年前、魔物に」 あっけらかんと沙耶が言い放つ。そのあまりのどうでもよさげに聞こえる言葉に、俺は少し間抜けな声で聞き返していた。 「誰が?」 「お父さんと、お母さん」 「…………」 さすがに俺が口をつむぐ。十年前—確か親父が魔物を統率していたレイナを打ち破った為、魔物達に生じた混乱が一番激しくなった頃だ。統率を失って暴れた魔物の為に、力のない人々が何百も犠牲となったらしい。おそらくは沙耶の両親もその混乱に巻き込まれて、という事なのだろう。さすがに押し黙る俺に、沙耶が首を傾げて尋ねてきた。 「どうしたの?」 「いや、いくらなんでも何か少し悪い事聞いちゃったかなって思ってな」 茶をずずっとすすりながら俺は答える。まあ沙耶があんまり気にしてなさそうな口ぶりだったしな、と茶をすすっていると、 「うん。私、思い出してちょっと悲しくなった」 と沙耶がそう言ってこくんと頷いてくれる。何と言うか—正直な奴だ。 「しかしいくらなんでも、自分で言い出しといてそう言うのは何か反則だぞ。こういう時は嘘でもいいから、気にしてないとか言うもんじゃないのか?」 そう言う俺に、沙耶はふるふると首を振って答える。 「嘘は、嫌いだから」 「じゃあ何が好きなんだ?」 「カツカレー」 「ぬぅ。俺はカツカレーも嘘も両方好きなんだが。こんな場合、どうすればいいんだ?」 「知らない」 「そうか」 「うん」 「…………」 俺はずずっと茶をすすって、一呼吸置く。そしてそのまずずずと茶をすすり続けて空にしてから湯のみを置くと、顔をあげた。 「じゃ、剣買いに行くか」 「……剣?」 沙耶が不思議そうな顔をして首かしげる。俺は湯のみを沙耶に返しながら頷くと、おもむろに立ちあがる。 「ああ。何せその為に今日俺はここに来たんだ」 「そうなの?」 「そうだが」 ともあれ、俺はまだ座ったままの沙耶を見下ろして言った。 「何してんだ?早く準備しろ。買いに行くぞ」 「……私も、行くの?」 当たり前の事を聞き返してくる沙耶。何故かきょとんとした顔をしていたのが不思議だった。というより、こいつがこんな顔をする事があるとは。歴史的発見かもしれない。ともあれ、俺は早く行くぞぉと沙耶の服を引っ張ってせかす。すると今度は何故か困った様な顔をする沙耶。これも歴史的発見だな。 「そう。剣が欲しいの」 後ろを歩く沙耶が、ようやく納得したのかそう相槌を打つ。何故か剣を買いに行くという行為にたいして何でか、と聞いてきたので、「剣が欲しいから」と俺が正直に答えた故の成り行きである。 「そうだと、どうして私が付き合わされるの?」 「ああ。それは今朝十二分間の思考の末、知り合いの剣士ってのはおまえしか居ないなぁと判明したからなんだが。あ、今気づいたがタ・ローも一応は剣士だな」 ちなみに、人が急げと言っているのに沙耶の奴がいちいち服を着替えたりしだしたので、まあ今は沙耶は先ほどとは違い、まあよそゆきの服に見えるんじゃないかなぁとも思える服を着ていたりする。まったく、時間がないというのにそんなのいちいち着替えなくてもいいだろうに。時間食いつぶし太郎かおまえは。 「まあ、ともかく剣について望みを言うとすれば、何かこう伝説的に強力で、俺的にナイスフィットしてくれて、それでいて格安なやつってとこかな。俺って結構遠慮深いだろ」 「あんまり」 ふるふると沙耶が首をふる。 「そうか。で、まあ実は予算は実は秘密裏に修の貯金箱を破壊して中身を拝借した結果、なかなかの額が捕獲できたからな。ある程度は値段が張ってもいい」 「……そうなの?」 「うむ。貯金箱を接着剤で固めて上から塗装を塗り直し、かつ入っていた金額のお金と同じ重さになる様細工してきた。容易にはばれん。ばれても証拠は残してないし。ついでに言えば別に初めてじゃないし」 「そう」 沙耶が納得してくれたのか、軽く頷く。そしておもむろにポケットに手を入れ、すっと財布を取り出した。 「……足りるかしら」 更には財布の中身を数えながら、理解不能な言葉を呟く。俺が不思議に思って見ていると、沙耶はやがてこくんと首をふって財布を閉じた。 「うん、大丈夫」 「何が大丈夫なのか知らんが、早く買いに行くぞ。日が暮れるだろうが」 「わかった。でも、中古で我慢ね。あんまり、お金ないから」 「ぬぅ、何でだ。金は結構大量に所持しているつもりだぞ。具体的に言えば十万ほど。修の奴、俺と同じだけしか小遣いを貰ってないのにどうやってこれだけ貯めたのか不思議だと思うくらい貯め込んでてな。まあ嬉しかったが」 「うん。それで近くに知り合いの店があるから。そこなら、少しは安くしてもらえるから」 「おい、だから何故に安くしてもらう必要があるんだ?それプラス俺のへそくりで十万二百円もの大金を俺は所持しているんだぞ。剣なんかそんなに高くもないんだし、これだけあれば魔剣の一本や二本平気で買えると思うんだが」 「そう。それより、そこの角を右」 「まあいい。その代わりこの俺にふさわしいぐらいの伝説の剣を選べよ。何か持ってるだけで伝説になりそうなくらい凄い奴だ」 俺がむぅと口をとがらせて言うと、ふいに沙耶が立ち止まる。 「……それは、大丈夫」 振り向く沙耶が、やたら意味有り気に言う。 「あそこには伝説のない剣なんて、置いてないから」 そして沙耶はまたすたすたと歩き始める。俺はといえば、何か腑に落ちないものもあったが、まあ安くて伝説になるくらい強力な武器が手に入るのなら、悪くはないなぁと沙耶の後を追って歩き始めた。   『剣屋』  黒文字でそう一気に書かれただけの何ともシンプルな看板が、多少古ぼけて風にゆれながらかかっていた。ついでに言えば、建物自体も何か古ぼけていもしたが。 「ぬぅ……」 俺が多少うめくが、沙耶は気にせずにすたすたと歩いてその店のドアに手をかける。 「……どうしたの?入らないの?」 「あ、ああ、そうだな」 沙耶に相槌をうって俺もその店のドアに手をかける。何かドアもぼろい。腐ってるし。ともあれ、俺は沙耶に連れられてそのドアを潜ると店内に足を踏み入れた。 「いらっしゃい……と、何だ。沙耶ちゃんか」 店に入るなり、真正面に居たおっさんが声をかけてくる。いや白い髭はやしてるしむしろじっちゃんかもしれない。間をとってじっさんぐらいがちょうどいいだろう。 「ふぅ。一瞬客じゃと思って期待してしまったわい。まったく、沙耶ちゃんはいつも剣を見るだけ見て買っていってくれんからのぅ。たまには儂と今夜一晩付き合ってくれるぐらいのサービスをしてくれてもいいじゃろうに」 「遠慮しとく」 「ふぉっほっほっ、まあ駄目もとで言ってみただじゃ。気にせんでくれ」 じっさんは沙耶と顔見知りみたいで、親しげに話しかけてくる。沙耶はやっぱり無表情だったが。二人はしばらく挨拶みたいな事を話して—というより、じっさんが言って沙耶が無表情に頷くだけの構図でもあったが、まあそんな感じで少し話をしていた。俺は無表情に頷く沙耶から視線を外すと、ふと店内を見まわしてみる。剣だらけ。何となくそんな表現がぴったりな店内だった。壁から天井まで、狭い店内はびっしりと剣がたてかけてある。何か嫌な店内だ。 「ふむぅ?ところでそこの男の子の君は一体何者じゃ?何かこの前見た映画に出て来た、脳みそ好きで最後には自分の脳みそさえ食べてしまう鬼の子に似ている様な気がするがの?」 やがて、じっさんがようやく横の俺に気づいたらしく、俺を見て髭を伸ばしつつ話しかけてきた。 「うむ。よくわかったな。実はそれと同一人物だ。七十パーセントかける零ぐらいはな」 今まで無視されていて何か寂しかったので、まあ俺はどんと構えて堂々と答えてみせた。ちなみに零をかけるとすべてが零になるというのは、俺が小学三年生ぐらいで気づいた事でもある。 「ほっほっほ、中々言うのう。沙耶ちゃん、この子は誰なんじゃ?珍しいのう、沙耶ちゃんが誰かを連れているなんて」 じっさんが髭をいじりながら笑って言う。ぬぅ。何かかっこいいぞ白髭。親父の髭は黒くてあんまりかっこよくないと思ってたんだが。色が違うだけでこんなにもかっこよさが変化するとは。 「確か、宮路宋くん」 『確か』というのが微妙に気になったが、そう沙耶が答える。じっさんは笑って髭をいじった。 「ほう。いい名前じゃ。で、どういう知り合いなんじゃ?まさか彼氏かの?」 じっさんがにこにことして聞く。ぬぅ、それにしても髭かっこいい。ともあれ、沙耶はその問いに少し考えてみせて、うんと頷いて答えた。 「好きな食べ物が、一緒な人」 「ぬぅ、何だその形容の仕方は。もっとあるだろうが。私がとんでもない裏切り行為をしてしまった人です、とか。裏切ってしまった人です、とか。裏切ったのに寛大な心で剣を一緒に選ばせてくれる、心の広い裏切ってしまった人です、とか」 「ふむぅ。何やらよくわからんが—もしかして剣を買いに来てくれたのかの?」 じっさんが髭をいじりつつ言う。癖なのだろうか。それにしても何かいい感じだあの白髭。欲しい。 「うむ。何かこう、伝説的に強力で、俺的にぴったりに出来ていてそれでいて格安なやつが欲しいんだが。あるか?」 俺が視線を髭に集中させながら答える。と、じっさんが声を高らげて笑った。 「ほっほ、まかせてくれていいぞい。この店のモットーは伝説の剣を格安でそれとなく使い主にふさわしい人に、じゃ」 じっさんは笑って言うと、ついと腰をあげた—。  鞘から抜かれた刀身が、淡い輝きを放つ。刀身には傷一つなく、あふれる様な圧倒感が辺りにただよう。まさに伝説の剣と呼ぶにふさわしい剣だった。 「伝説の剣。これほど、その名にふさわしい剣もないじゃろう。シノカスニア・エスカルゴ。その名を知っている者がどれだけ居るかは知らんが—この剣の所有者にして、この剣を伝説に残る一刀まで高め上げた人物の名じゃ。一説には、あのレジニード・スレシアと互角の戦いを繰り広げた事があったと聞く」 ごくりと俺は唾を飲み込む。じっさんは剣を上げると、遠い目をして続きを語る。 「そんでもってその持ち主が大のカタツムリ好きでの。いつもこの剣でカタツモリの殻をわって食べておったんじゃ。その結果九百九十個もカタツムリを叩き潰した、呪われし魔剣でのぅ。そのせいか使い主には、なんとカタツモリ愛好家になってしまうという呪いがかけられておる。人呼んで、『何か嫌なカタツムリの剣』じゃ」 「ぬ、ぬぬぅ!何か、人類の夢と希望が詰まりきった剣だな、じっさん!いくらだ!?俺は何かもうそれに決めたぞ!」 とそれを手に取ろうとする俺を、ふいに沙耶がぐいっと掴んで止める。首根っこを掴んで持ち上げて。そして容赦なく告げた。 「それも、要らない。他のにして」 「おのれ沙耶っ!俺の伝説の名剣との出会いをどれだけ邪魔をすれば気がすむんだ!鳥の内臓剣とか笑うモンク剣とかだって本当は死ぬ程欲しかったのにっ!邪魔ばかりしやがって!」 「そんなの買ってどうするの。もっとよく選ばなくちゃ、駄目」 「うるさい!俺の心を捕らえて離さない名剣を買うのの何処が悪い!?離せ!俺は買うんだ!何が何でも買うんだぁぁっ!」 「ほっほっほ、まあまあ。そんなに悔しがらんでも、まだまだ凄いのは一杯あるぞい」 じっさんが笑って名剣『何か嫌なカタツムリの剣』をしまう。そして壁から新しい剣を取ってくると、ぽんと店の中央の机に置いた。 「確かに今までのは沙耶ちゃんが気に入らないのは無理もない、多少ランク落ちする剣じゃったがの。これはさすがに文句のつけられない名刀じゃから、安心するがよい」 机の上の剣が鞘に入った状態のままであるというのに、まるで抜き身であるかの様な威圧感を発する。確かにじっさんの言う通りだった。俺にも一目でそれが今までの剣とは違う事がわかる。ちらりと俺を吊り上げている沙耶を見やると、沙耶も同様の様だった。じっさんは満足した様に髭をいじりながら、剣を手にとって目を瞑る。 「伝説に残りし『何か嫌なトノサマガエルの剣』—!これ程儂が感動を覚えた剣は—」 「……もう、いい。他のにして」 「ぬぅっ!名前からして何か最高傑作を思わせるなっ!『何か嫌なトノサマガエルの剣』!もうその名前だけで買う!いくらだじっさん!」 「ほっほっ。たった二十万円。お買い得じゃぞ」 「聞いたか沙耶!?二十万円だぞ!?信じられん程お買い得だ!トノサマガエルで二十万だぞ!?」 俺は持ち上げられたまま、沙耶に全身全霊を込めた眼差しで訴える。俺の一生懸命な眼差しと、沙耶のどうでもよさそうな視線が熱く交差する。やがて沙耶は無表情のまま視線を外し、おもむろに唇を開いた。 「お爺さん、他の剣」 「おのれ沙耶ぁぁぁぁぁっ!俺のトノサマガエルを返せぇぇぇぇっ!」 俺は泣いてじたばたと暴れるが、沙耶の俺を持ち上げる手は緩む事無く。  その後も『泣き虫剣』、『謎の剣』、『笑う剣』、『食剣』などの数々の歴史的名剣が紹介される中も、やはり沙耶の手は放される事はなかったのだった。 「何か嫌な赤とんぼの剣。あのアカ・ボントが、ぐるくる回して赤とんぼを捕らえるのに用いたという、闇に伝わる伝説の—」 「他のにして」 「おのれ沙耶ぁぁぁっ!おまえには赤とんぼさえ目を回したというあの剣の素晴らしさがわからないのか!?この愚か者めっ!」 「この熱さ百倍剣は、その持ち主が熱さを百倍に感じてしまうという呪いがかかっておっての。持ち主は例外無く火傷で死亡して—」 「ぬ、ぬぬぅ!もう希望とか切望とかが一身につまった剣だな、じっさん!それを—」 「他の」 沙耶が容赦なく言い放つ。ちなみに俺はあれからまだ地面に下ろしてもらっていない。何て力してやがんだよ、この女は。 「うーむ。相変わらず厳しいのぅ、沙耶ちゃんは。今までので駄目となると、後はこういう多少ランク落ちする剣ぐらいしか残っとらんぞい」 じっさんが髭をいじりつつ息を吐き、カウンターの下辺りから一本の剣を取り出す。赤い。何と言うか、そういう剣だった。鞘も持ち手も、燃えるような赤。おそらくは中身の刀身も赤なんだろう。何となくそんな事が予測できた。 「これは?」 珍しく沙耶は興味を示した様で、剣を手に取りじっさんに尋ねた。じっさんは首を振りつつ答える。 「何。つまらん剣じゃよ。確か何とかという竜の王の血を吸った剣での。その返り血を浴びて真っ赤に染まったと言われる剣なんじゃが……まあ竜の皮膚を切り裂いたぐらいじゃから相当切れ味はするどいしの、竜の王の血を浴びたせいか、絶対に折れる事も無いという特徴はあるんじゃが」 溜め息混じりに肩をすくめるじっさん。何か続きがあるのかと思えば、説明はそれで終わりらしかった。つまり、よく斬れて、固い剣という訳らしい。俺は眉をしかめて言った。 「ぬぅ。それだけとは、何やらやたらつまらん剣だな」 「ふむ。隻刀朱雀。名前からしても、今までの伝説の名剣たちに比べると数段見劣りする品じゃよ」 じっさんもそう頷いて仕方なさそうに首をふる。と、その時ふいに沙耶が無言で剣を抜く。やはりというべきか、赤い刀身。それをやはり無言で見つめ、ぶんぶんと振ったりさえし始める沙耶。俺とじっさんが訳がわからずに眺めていると、沙耶はそれを丁寧にしまってじっさんに向き治った。 「これにするわ」 そしていきなり、衝撃の発言。 「なっ!せっかく儂の店に来て、そんなつまらんものを買っていく気かの、沙耶ちゃん!言ったじゃろう!それはちょっと切れ味がするどくて、絶対折れないだけのつまらん剣なんじゃぞ!?」 「そうだ!そんな愚剣を買ってどうすんだ沙耶!どうせならさっきの二段仕掛けの針の剣とか、というより俺としては最初の鳥の内臓剣がめっちゃ欲しいんだが!?」 慌てて叫ぶ俺達。しかし沙耶は無表情に剣をじっさんに差し出して言った。 「これ、いくら?」 すでに財布を—しかも何故か自分の財布を出しつつ。  がらりどん。  じっさんの店のドアは、錆び付いている為か奇妙な音をたてて閉じた。 「ふぅ……」   俺は溜め息をもらしてたった今買ってもらったばかり手の剣を見やる。例の真っ赤な、朱雀とかいう剣だった。赤い。ただ赤いだけの剣に思える。  —つまらん。鳥の内臓剣の方が余程よかった。  俺はぎゅっとそれを握り締めて首をふった。だって内臓だぞ。内臓。俺モツ鍋好きだし。 「何か嫌なカタツムリの剣も棄てがたかったというのに……!」 「大丈夫。そっちの方が、いいから」 沙耶がまるで悪びれる様子もなしに言ってくる。しかしおごって貰った手前、偉そうな事は言えないので俺はぐっとこらえる。その代わり修にちゃんと金を返しておけと言われたが、そんなのを護る気もないので、実質剣プラス十万を俺はタダで手に入れた事になるのだ。これで文句を言えば罰があたるかもしれない。 「……ちゃんと、修君に返すのよ」 「ああ。まかせておけ」 鋭い沙耶に内心ひやりとしながらも、俺は胸を張って答える。しかし沙耶は何やら無表情に俺を見てくる。むぅ、俺だからわかるがあれは多少疑っている目だ。何て奴だ。親友であるはずの俺をあろう事か疑うとは。信じられん悪者だ。俺はむぅと口をとがらせて、沙耶の手を取った。そして無理矢理小指をからませ、誠意を込めてそれを振った。 「……何のつもり?」 無表情に小指ごと腕を上下に振られながら、沙耶が尋ねてくる。俺は手を止める事なく、正直に答えた。 「うむ。そこはかとなく指きりによって、返す事を誓っているフリを装っているんだが」 「そう」 沙耶も頷く。十秒ぐらい小指をからめた状態を続けてから、俺はふと口を開いた。 「でも、フリだけだから護らなくても針千本はなしな」 「駄目。嘘ついたら針千本飲ます。はい」 沙耶が口早に言って指を切る。恐るべし沙耶。何て酷い事を。フリだと言っていたのに。 「ふっ、しかし俺は結構嘘吐きな奴だからな。嘘を付いていたという事で万事OKだ」 「それも駄目。嘘は、嫌いだから」 沙耶がふるふると首をふる。それにつられて、沙耶の腰の剣もわずかに左右にぶれる。俺はふと我を忘れてその剣に見入る。俺がやった聖剣だった。聖剣。かつてこの世界の危機を何度も救ったという、伝説の剣だ。 「どうかした?」 急に押し黙った俺に、沙耶が不思議そうに首をかしげる。俺は苦笑して答えた。 「……いや、そういや、それも伝説の剣っちゃあ、伝説の剣なんだよな、って思って」 この世界でまずまちがいなく最強の—正真正銘の伝説の剣。多分、俺が今持っている剣だってそれに比べれば数段見劣りするんだろう。伝説の聖剣。俺には抜けない—剣だ。 「……この剣、返そうか?忘れてたけど、この剣が、貴方の欲しがってた剣の条件に、一番ぴったり」 俺の視線に気づいて、沙耶がそんな事を言ってくる。俺は笑って視線を上にあげる。 「何処がだよ。俺的にぴったりな剣、って条件言っただろ」 沙耶は俺がやってから、いつもこの聖剣を身に付けている。いつだったか理由を聞いたら、俺が常に帯刀していろと言ったからだとか答えられたりもしたが。それだけじゃない事ぐらい、俺にはわかっていた。気にいっているのだ、こいつは。剣士なら誰だって夢見る一刀だ。気に入って当然。そんでもって、沙耶も気に入られて当然だ。あれだけ強ければ。 「俺には、抜けないんだよ、その剣。何度試しても駄目だった」 訳がわからなそうにぬぼーっとしている沙耶に、俺は目を閉じて言った。自らが認めた使い手にしか抜けない、やたら根性の腐った聖剣。平気で抜いたり使ったりできた沙耶とか親父はそんな事は知らないんだろう。その剣はそういう剣なのだ。 「……そうなの?」 無表情に沙耶。無表情。無表情だ。声まで無感情。なのに、どうしてだか俺に気を使っているのがわかってしまう俺は、一体何なんだろう。沙耶評論家になれるよな、俺って。俺は笑って歩き始める。 「でも知ってるか?レジニード・スレシアにも、その剣って抜けなかったらしいぞ。昨日買った本にのってた。多分少しでも欠点のある奴は嫌いなんだろうな、その剣」 「……そうなの?」 「ああ。だから俺はそんな我が侭な剣より—」  おまえに選んで貰えたこの剣の方が、よっぽどいいんだよ。  俺はそう言って沙耶に笑いかけ、ぽんと剣を肩に乗せてみせる。 「……そう、なの?」 沙耶がちょっと遅れて、いつも通りの返事を返す。何故か多少調子はいつもと違っていた気もしたが、なんにしろ俺は頷いて舌をならした。 「ああ。何かやたら気に居らねぇんだよな、その剣。剣の分際で偉そうにより好みしやがって。そんなのに比べれば、裏切り者のおまえに選ばれた、こんな愚剣の方が数倍ましなくらいだ。どれだけ俺がその剣が気に入らないかわかるだろ?」 「……そう。そういう、意味」 「? どうかしたのか?」 沙耶の声が、落胆したような怒ったような妙な響きを含んでいた様な気がしたので、俺はふと沙耶を見やる。むぅ。何か顔もちょっと怒ってるっぽいし。何故だ。さっきまで何か嬉しそうな顔に見えたくらいだったのに。 「別に、どうもしないけど」 やっぱりちょっと怒ったような声で沙耶が言い捨て、すたすたと歩いていく。俺は後を追いつつかぶりをふる。 「そうか。でも何か多少怒ってるみたいに見えるが、まあそれはそれとして、大会当日になって俺に剣を与えた事を後悔するなよ、沙耶。自らの選んだ剣によっておまえは敗北させられてしまう訳だが—」 「じゃあ、私忙しいから、それじゃ。また明日」 「ぬぅ。何故だ。家で暇そうにしてたくせに」 「急用」 「っておい!何で急に早足になるんだよ!何か絶対怒ってるだろ?何されても怒らないだけがとりえのおまえが怒ったりしたら、もう何もとりえがなくなるんだぞ!?」 「そんなとりえ、いらないもの」 「ああっ!?何で早足なのにそんなスピードがだせるんだ、おい!というより待て!こんな初めて来る場所で置いてかれたら迷子になるだろっ!迷子ってどれだけ怖いか知らないのか!?本当に不安で寂しくて心細くて—」 「知らない」 「何か冷たいぞ沙耶っ!何かいつもそうな気もするけどっ!」  結局、その後も沙耶の機嫌は治らず、俺は早足で歩く沙耶に必死で走ってついていく事になった。何であんなに早く「歩ける」のか不思議だ。  それにしても、あの沙耶か怒るとは。珍しいを通り越して不可思議だ。何が原因かどう考えても不明だし。やはり五千円もの大金で剣を買わされて少し頭にきていた訳なのだろうか。でも、怒り出したのは店を出てしばらくしてだったし。だいたい、その前までは少楽しそうな顔とかもしてたのだが—やっぱり、理解不能だ。恐るべし沙耶。 8 大会前夜 「そりゃ、誰だってそんな言い方されたら怒ると思うよ」 修が嘆息まじりに言う。俺は首をひねって答えた。 「別に、単に裏切り者に選ばれた愚剣よりもあの剣が嫌いだと強調しただけだろ。つまりはあの聖剣の悪口な訳で、沙耶が怒る必要性など何処にも見うけられない気がするんだが」 「うんと、何て言うか—」 「そこの二人!聞いているんですか!?何ですか、修君まで一緒になって授業中に!」 と、その時教師の怒鳴り声が飛ぶ。まあ一応授業中なので当たり前なのだが。 「ぬぅ。でも甘いな先生。俺は実は話をしつつもきちんと授業を聞いていたぞ。まかせてくれ」 俺は不敵に笑ってその担任の教師を見返す。歴史の時間で、しかもちょっと知っている分野をやっているものだから結構自信があるのだ。 「じゃあ宋君!二百年前の大融合について述べてみなさい!詳しくですよ!」 歴史の担当である例の女の担任の教師が、むきになって俺に怒鳴ってくる。まったく、そんな事だからまだ処女だという噂がたつんだぞ。たてたの俺だけど。まあ、俺はごほんと蹟払いして、口を開き質問に答える事にした。 「二百年前、理由は不明だが、この世界と別の次元にあった世界—俗に『魔界』と呼ばれていた世界が重なり、一つの世界として結合した。その結果、魔界の物理法則—『魔法』と呼ばれるものがこの世界でも成り立つ様になり、また魔界の生命『魔物』もこの世界に姿を現す事になった。そして魔族と呼ばれる、ほぼ人間と変わらない姿を持つ—魔物の支配者たる種族が自らと酷似したひ弱な人類を快く思わなかった事から、人類は魔物と対峙する事になる。当時の魔族の王だった女に言わせると、『何か嫌だったのよね。ほら、自分にそっくりな奴が居るとちょっと嫌じゃない?何かさ』だそうだ。そんな訳で滅ぼされる一歩手前に追い込まれた人類の危機をとりあえず一時期食いとめたのが—」 俺は話しながら指をたてる。 「レジニード・スレシアだった。かつてから最強の剣士と言われていた彼の剣技は魔族にも十分に通用するものであり、彼は一人で魔族と戦い、その数を半分までに減らしたといわれている。そして人間の中にそんな強大な力の持ち主が居た事に恐れをなした魔族は、魔界の名残が強く残る地—『魔大陸』に非難し、二十年前に再び魔族の王が人類を滅ぼそうと決起するまで、人類には干渉してこなかった。しかしそれが逆に他の魔物達の足枷をとく事になり、その後も人類は魔物達の脅威にさらされ続ける事になる、と。まあ融合の事は、世界の融合からここまでの事を一まとめにして語られる事が多いな。ちなみに、『べ、別にあの剣士にびびってなんかなかったからね。ちょっと相手にするの面倒だなーって思っただけなんだから。そろそろ死んだ頃かなーって思って大陸出た訳でもないし。でもさ、確かにあの剣士は死んでたんだけど、あの人よりあの剣士の方がよっぽどましだったわよねー、今にして思えば。うん。人間って怖いわ』というのが当時の魔族の王のコメントだ」 「……そ、宋君?先生、そんなに詳しく話したつもりはないんですけど」 「おまけだ。気にしないでくれ」 多少後退りなどしつつ言う担任の教師に、俺は勝ち誇った声で答える。ちょうどおとつい読んだレジニード・スレシアの本とかに載ってた事だったので、楽勝であったのだ。 「宋が授業中に当てられて、答えを言えたのって初めてなんじゃないかしら」 「そうか?」 俺は何気に頷きながら、声をかけてきたアーシャを見やる。むぅ。やはり機嫌とりには餌がベターであろうか。アーシャの場合にはその方法で簡単に解決したが、何せ相手は沙耶だ。普通の方法で機嫌を治す事が可能かは疑問なところだ。 「ぬぅ、しかもアーシャは野生に近い精神構造だが、沙耶はどちらかといえば精神構造があるのか疑問に思える奴だし……。何とも言えん」 「よくわかんないけど、何人の顔見ながら失礼な事言ってんのよ」 「すまん。つい考えている事が口に出てしまった」 「……あんたが何考えて生きてんのか、本当に疑問になってくるわよね」 アーシャが溜め息をついて俺の前の席に陣取って座る。俺はそれよりあの沙耶の機嫌をどうとるか考えるのに夢中だったので、あまり気にせずに腕を組んだまま唸っているままだった。そんなおり、ふと声があがる。 「おい、宋。おまえ何剣なんか持ってんだよ。どうしたんだ?」 タ・ローだった。まあ、せっかく買った剣だし何だから俺は例の赤剣を身に付けていたりしていたのだが、それが目にとまったらしい。俺はわざわざこちらに駆けてくるタ・ローに、顔をあげて言った。 「買った」 そして再び顔をおとして沙耶機嫌とり作戦の考慮を始める。何だかんだ言って、もし沙耶が腹を立てた結果もう胸を触らせてくれなくなったりしたら、俺はかなり寂しい学園生活を送らなければならなくなる。それを防ぐ為の思考は、俺にとってもっとも優先すへき行動だったのだ。 「買った……て、一言だけかよ、おい」 「昨日、岸野先輩と一緒に出かけて、買ってもらったらしいよ」 手をふるタ・ロー。そこでふいに修が口を開き—奴の動きは止まった。 「そうか……それより、俺は昨日人として刀を二時間かけて磨いたぜ、修……!何故たがわかるか?宮路修くん?わかるか?ヒントを出せば、俺は大会に一緒に出ようと山の様に女の子からお誘いがあった、男として断固許せない存在を知っており、またそれを許す気もないぜぇ?どう思う、修?どう思う?」 「えと……ぼ、僕、ちょっとトイレ」 狂気の表情で肩を掴もうとしてくるタ・ローから、逃げる様に修が立ちあがって走っていく。実際逃げたのだろうが。タ・ローは追いかけて斬り付けそうな顔つきをしていたが、すぐにふっと表情を戻してこちらに向き直る。 「しかしさぁ、おまえ、アーシャさんが居るってのにそんな事してていのか?」 そういうタ・ローの声は、もはや普通の声に戻っている。感情のコントロールが可能というか、単に切り替わりが早い奴というか。とにかく器用な奴だと思いながらも、俺はふぅと溜め息をついて答えた。 「うむ。このままアーシャも怒らせて沙耶と手を組まれたりしたら、本気で命が危ないところだよな。アーシャの火力に沙耶の兵器ぶりが加われば、俺は本当に死ぬかもしれん」 「何よ、それ。まるで私が危険人物みたいじゃないの。だいたいね、あんた弟にあれだけ悪意を向けられてるってのに、ちょっと反応しなさいよ。ちょっとは」 と、アーシャが顔をしかめる。そのものだと思うが。アーシャはそこでつい、とタ・ローに向き直り、面倒げに口を開く。 「にしても、太郎。あんたも何よ?その私が居るのに、てのは。私とこんな馬鹿とどういう繋がりがあるってのよ」 「た、太郎って……いや、だけどほら、一応付き合ってるんじゃないのか?二人って」 「はぁ?二人って、誰と誰が?」 アーシャが間の抜けた声で聞き返す。ぬぅ。そけにしても太郎。タ・ローを略して太郎というところだろうか。今アーシャが適当に造った呼び方みたいだが、何か心に響く呼び方である。これからは俺もそう呼ぶことにしよう。太郎。よし、これからは太郎だ。と俺が決心していると、その太郎が不思議そうな声で呟くのが聞こえた。 「だから、アーシャさんと、宋が。違うのか?」  ずる。  アーシャが派手に机に置いていた手を滑らせてみせる。俺はふと思いついて声をあげた。 「タロさって呼び方も捨てがたいかもな」 「何訳わかんない事言ってんのよ!それより何!?その絶対に有り得ない推測は!何処をどう見てそう思えた訳よ!?」 「だ、だってほら、前に二人で結婚の約束したとか宋が叫びまわってたっていうしさ。何だかんだいっていつも一緒に居るし。前から結構噂だぜ?二人が実は付き合ってるって」 掴みかかるアーシャに、タ・ローが必死で答える。そこで俺はまたふと思いついて、何気に口を開いてみた。 「ロー・タって呼び方はどうだ?ハイテク気味でかっこいいと思うが」 「あんた何でそんなに落ちついてるのよ!?ちょっとは慌てるとか何かしなさいよっ!話聞いてなかった訳!?」 アーシャが怒鳴る。俺はかぶりをふって答えてやった。 「しかしアーシャ。こういうのは、隠しててもどうせいつかはバレる事だぞ」 嘘を。しかしタ・ローはすっかり信じたらしく、ぐっと拳を握って声をあげた。 「って事は、おい!やっぱり付き合ってる訳かよ!?くぅー、宋、おまえ何時の間にっ!くそっ!」 「いい加減にしてよ宋っ!本気にされたらどうするの!?」 とアーシャとかタ・ローが騒ぎたてた為、何やらクラスの注目を集める。恥ずかしい奴らだ。俺は首を振ってやりつつアーシャの肩を叩いた。 「まあ、別に恥ずかしがる事じゃないしな。この機会にみんなに公開するってのも—」 俺がそう言うと、周りから何か「おおーっ、本当なのかよ」とか言う声があがる。俺が喋り終わる前に殴りつけられ机にめり込みかけた結果、別の意味で再び「おー…」という感嘆の声もあがったりしたが。アーシャは俺の制服の襟を掴んで置きあがらせ、恥ずかしさのあまり顔を真っ赤にして怒鳴ってくる。 「私が!いつ何処で貴方と恋人になったわけよ!?ええっ!?この馬鹿宋っ!」 「去年の聖夜祭の夜に、俺の部屋のベッドの上でじゃないかと」  どごん。  再び机にひれ伏す俺。が、今度の台詞は、それで収まりを得ない程強烈らしかった。何かクラス中がこちらを注目してざわめいている。しかもアーシャの拳は今にも俺の頭蓋骨を割りそうな勢いだったし。俺はそろそろ頃合かなーと思って机から顔をあげ立ちあがった。 「まあ、冗談はこれくらいにしといてだ」 「何処から何処までが冗談だったんだよ、おい。めちゃくちゃ判断しがたいぞ」 タ・ローが横で汗をかきつつ言ってくるが、まあ溜め息などついてやりつつ俺は続けた。 「全部に決まってるだろ、馬鹿。まったく、俺とアーシャが付き合ってなんている訳ないだろうが。見ろ。好きな奴にこれだけの攻撃を叩き込める女が居るか?」 俺がそう言いながら真っ赤な鼻をさすったりしてみせる。アーシャが「何よっ!」とか怒鳴り返してくるが、俺は息を吐いてやり口を開く。 「だいたい、アーシャが好きなのは修なんだぞ。前に教えてやっただろ?」 「………は?」 そう言って一番呆気にとられて呆けてみせたのは、アーシャだった。俺はそんなアーシャの肩をぽんと叩いてやりながら、ふっと笑う。 「隠すことはないぞ、アーシャ。おまえが修を好きな事ぐらい、はたから見ていれば簡単にわかる事だ。安心しろ。俺はこうみえて実は結構応援しているぞ、おまえらの仲を」 「え?え?え?ちょ……宋?」 「何だかんだ言っても、バレンタィンの日とかいっつも修に手作りのチョコとかやってるし。でっかく義理とか書いてあるが、大きさは俺の義理チョコの数倍もあるもんな。俺のやつなんか小さすぎて、義理とか書くスペースがなかったみたいなぐらいだし。あの差を見比べれば誰だってわかる」 俺はうんうんと頷いてみせる。何か外野から「それってもしかして本命—」とか何やら女子とかの訳のわからん事が聞こえてきたりもしたが、まあこの機会だ。俺は両手でアーシャの肩をとって、何か呆然としているアーシャに真剣な声で言ってやった。 「安心しろ。あんな五才の時の約束なんて、俺は全然気にしてない。だいたい、あの約束自体本当は心の底からどうでもよかったくらいのもんだったし—」  どうでもよかったんだし—  ふと俺はそこで言葉を止める。アーシャの顔色が、目に見えるくらいの勢いで変わっていって居たからである。 「ぬぅ。どうしたアーシャ?と、ぬぬぅ!?」 何故か完全に呆けているアーシャ。何かこいつがこんな顔をするのを初めて見た様な気もするが—俺は首を傾げかけて、すぐにずさっと後ろに飛んだ。アーシャの表情は、数秒もしないうちに俺が物凄く見知ったやつに変わったのである。 「死ねっ!この馬鹿宋ぉぉっ!」 怒りの叫び声とともにアーシャの放ったその久々のド級火炎は、容赦なく俺に降り注いでくれたのだった。 「……最近、何か原因不明で周りの人達が怒り出すんです。俺は何もしてないのに。俺は何か人を怒らせるオーラとかそういうのが、体から出てしまう体質になってしまったんじゃないかと推測しているんですが。どうなんでしょうか」 どうしてこんな怪我をしたのかと聞いてくる保険医の先生に、俺は首をふって答えていた。    そして、昼休み。食堂。  むにゅ。  容赦無く胸をわしづかみにする俺に、沙耶は首をひねって尋ねてきた。 「……何で焦げてるの?」 「うむ。燃やされたからだが」 俺は即答してやり、残りの手ではむはむとカツカレーを食べる。 「……はぁ。本当にもう、兄さんは。アーシャ、どうするの?何話しかけてもうんともすんとも言わないし。相当重症だよ、アレは。とりあえずそっとしとく事にしたけど」 その時、ふいに修がそんな事を言いつつ現れる。そのまま修はいつもの様に開いている隣の席に座り、弁当箱を広げる。やっぱりこいつ自信の手作りである。まあ、気持ちはわかる。レイナのくそまずいチャーハンを弁当箱一杯に詰められる事を思えば、多少早起きしてでも自分で作ったほうがましかもしれないと、最近では俺も思うようになったし。というより、この間珍しく余裕をもって起きた時にそれをやられて、死にかけただけでもあったりするが。 「あれ、でももしかして、もう先輩とは仲直りしたの?怒らせちゃった様な事言ってたけど」 俺が沙耶の胸を無言で揉んでいると、修がふと気づいた様に言ってくる。俺はふっと笑って沙耶の前のカツカレーを指差す。 「うむ。カツカレーを奢ってやると、何か快く機嫌を治してくれてな。さすが沙耶。絶対将来大物になるぞ」 「うん。宋も、いい人」 こくんと頷いて沙耶が俺のおごってやったカツカレーを食べる。何かちょっと嬉しそうである。ちなみに俺の手はまだ沙耶の胸にあったりしたが、やっぱり沙耶は全然気にする様子も無い。ぬぅ。さすが沙耶。アーシャもこれくらい心が広くなってくれればいいのに。 「……でもさ、アーシャの方は今度ばっかりはもう駄目かもしれないよ。相当きてるみたいでさ。まあ、仕方ないけど」 の修が溜め息をつく。俺は額に汗などをかきつつ、スプーンを皿に伸ばしていた。ただし沙耶の皿に。 「だいたいさ、兄さんは鈍すぎるんだよ。何処をどう見れば、アーシャが僕を好きになんて見えるんだよ」 「ぬぅ、違うのか?」 キン、とスプ−ンを弾かれつつ俺。ぬぅ、俺がおごってやったというのに、ケチケチ女め。 「絶対違うよ!本当に兄さんわからないの?アーシャが誰を好きなのかなんて、本当に見てればすぐわかるじゃないか。兄さんの言葉じゃないけどさ」 修が俺に呆れた口調で言ってくる。ぬぅ、それにしても、見てればすぐとはいかに。俺はむぅと押し黙って考えてみる。だってどう見てもアーシャが好きなのって修だろ?そう見て十年くらい生きてきた俺はどうなるんだ。他に好きな奴が居るというのか?しかし、あいつって意外に仲のいい男の知り合いは少ないはずだし。修じゃないとすれば、俺か……ちょっと飛んでタ・ローか、ぬぅ、そういえばノクアノという可能性も。この前あいつ、ちょっとノクアノの本を薦められて読んで、何か顔をしかめていたりとかしてたし。ぬぅ。 「という事は……もしかしてその本の作者の謎ーん★先生とやらか……?アーシャが好きな男ってのは」 「でも、アーシャって、好きな人居たの?それは、初耳」 俺と沙耶が、ほぼ同時に口を開く。ちなみに俺と沙耶の間では、恒例の沙耶の皿のカツ争奪戦が行われていた。何故か修が、やり切れなさそうな表情で溜め息をもらしてはいた。  がらり。  俺は教室のドアを開けると、おもむろに中を見まわす。アーシャは自分の席に座ってぬぼーっと外を眺めていた。いつもの様な怒っているオーラを発している訳でもなく、ただ考え事でもしているかの様な感じで。ぬぅ。怖い。死ぬかもしれん。それでも俺は深呼吸をして、つかつかとアーシャの方に歩み寄って行った。 「ぬ、ぬぬぅ。アーシャ」 俺がおそるおそる話し掛けると、ゆっくりとアーシャが俺の方を向く。 「……何?」 そして何か力ない声でアーシャ。怖い。本気で怖い。俺は多少引きそうになりながらもやっとの事で笑顔をつくった。 「さ、さっきは悪かったな」 「別に。気にしてないわよ」 さめざめとした声でアーシャ。何か俺の顔を見ようとしないし。ぬぅ。何かやばいぞ。本当にやばい状況な気がする。俺は汗を一筋かいたりしつつ話を続けた。 「ぬぅ。と、とにかく、先程食堂で修の話を聞いて考えた結果、おまえが怒るのも仕方ない様な気がしてきてな。何となく謝ろうかと」 俺はかぶりをふりつつ手の本をアーシャに手渡す。 「……何これ?」 「うむ。要するにだ、修の話を総合するに、俺はおまえの好きな人を間違って認識していた訳だな。すまん、怒って当然だ。という訳でおまえが本当に好きらしい、謎ーん★とやらの書いた本を図書室から拝借してきた。証拠は残してないから、返さなくてもOKだぞ」 アーシャはうつむいて両手で本を持つ。よかった。気に入ったらしい。俺はほっと胸をなでおろして声を明るくした。 「うむ。安心たぞ、アーシャ。それが駄目だったら、その本の著者を探してここに連れてくるしかないと思っていたところ—」 「うっさいわね!馬鹿っ!」  がこん。  アーシャがいきなり本を俺の顔に投げつけ、だんと立ちあがる。 「何よっ!どうしてあんたはそうなのよっ!私が……っ!私が……っ!」 「ちょっと待ってくれ、アーシャ。本の角がささってしまって前が見えん。相変わらず凄い怪力してるな。しかし、いくら好きな人がばれて恥ずかしかったからって、照れ隠しにここまでする事はないと思うんだが—」  ばしんっ。  次の瞬間、俺は思いっきりびんたで頬を打たれ、声を詰まらせる。本が飛んだ。アーシャが立っていた。涙ぐんで。 「死んじゃえ!馬鹿っ!」 アーシャが大声で怒鳴って走り去る。 「ぬぅ……。何故泣く?」 俺はと言えば、へこんだ額を押さえて、呆然とするしかない状況であった。何かクラスの奴らの視線が痛いし。 「うぬぅ……」 教室の中、俺は額に一筋汗をたらしてうめいていた。横の席で、修も同じ様顔をして俺を見てきている。その原因はぬぼーっと一人自分の席で呆けている、アーシャだったりした。 「一体、何があったと。何かショックな事でもあったかの様に見えるんだが」 登校して来ていきなり目の当たりにした光景に、とまどいながらも俺は鞄をおろして席についた。アーシャはといえば、何か本当に俺らが来た事にさえ気づいていない様で、怖いくらいの呆けぶりを続けている。 「だから、昨日兄さんがしたんだろ。そのショックな事を、アーシャに」 修が溜め息をつく。俺はそれに更に額の汗を多くして、拳を握った。 「ぬぅ。これはやばいぞ。今朝は怒りのあまりか家に迎えに来なかったぐらいだし。今はまだいいが、このショックとその怒りが混ざり合えば、あいつの火力は天地を揺るがすモノに発展するやもしれん。世界の危機だ」 「いや、さ。兄さん、だから本当にもう少しアーシャの気持ちとか真剣に考えてやりなよ。どうしてそんな方向にしか考えがいかないの?」 修が半眼で俺を見てくる。俺はむぅとそんな修に向き直った。 「何を言う、修。俺はいつだって真剣だ」 そう言う俺は、世界の危機を感じて額にじとりと汗を滲ませていた。 「……それを真顔で言えるのが、兄さんの怖いところだよね」 またもや溜め息をつく修。ぬぅ。本気で呆れてる様な顔だ。くそぅ。やはり俺が原因だというのだろうか。呆けたままのアーシャを見やりながら、俺は額の汗をぬぐう。 「はぁ。本当に可哀相だよね、アーシャ」 修が目をづふってそんな事を漏らす。しかも瞑る前にちらっと俺をせめる様な視線を残して。ぬぅ。まるでこれでは俺が悪者みたいではないか。  一体俺が何をしたと。ぬぅ。ぬぬぅ。 「裏切り者。一つおまえに試練をやろう」 次の時間の休み時間、俺は腕組みをして沙耶の前に立っていた。 「……私?」 席に座ったまま、ぬぼーっと沙耶が俺を見る。要するに沙耶の教室に押しかけて、いきなり話し掛けたという状況である。ともあれ、俺は腕組みをしたまま答える。 「うむ。もう裏切り者と言ったらおまえしかおらんだろうが」 「そうなの?」 「そうだ」 俺は頷く。そしておもむろに腕組みをとくと、びしっと沙耶を指差して告げた。 「世界の危機を救え!」 俺の絶叫の音量と内容に、辺りが静まり返る。いや、俺が入ってきた辺りからもともとこんなものだった気もしたが。多少ざわめき始める周りを無視し、俺は続ける。 「これは、おまえにしか出来ん事だ。やれるな?」 「……要するに、アーシャの機嫌を治す手伝いをして欲しいの?」 あっさりと沙耶が答える。俺はむぅと口をとがらせる。 「馬鹿。せっかく何事かと皆が見守る中だってのに、あっさりバラすなよ。このまま引っ張って謎を残したまま去るつもりだったのに」 「そう。それで?」 「俺的に考えるに、物事は原因と結果から成り立っている。原因がなくて物事は成り立たんし、物事がなければ原因などない。それはすべてに通じる真理だと本で読んだ。具体的に言うとさっき図書館で読んだ『初めての説得』。つまりはだ」 指をたてようとする俺に、沙耶が無表情に言う。 「何でアーシャが怒ってるのか、聞いてきて欲しいのね?」 「……うむ。できればさりげなく。今日の昼休みあたり」 「うん。わかった」 「ぬぅ、すまんな。礼として俺のサインでも机にしといてやろう。将来一億円ぐらいで売れるぞ、この机」 「そう。ありがとう」 「気にするな。じゃ。あと一言言っとくが、俺は大会で必ずおまえには勝つからな。首を洗って待っていろよ」 手を挙げて俺は沙耶の教室を去る。よし。危険取り除き機発動。これで大丈夫のはずだ。それにしても沙耶の教室って何時来ても静かだなぁとか思いながら、俺は以前と同じ様に「沙耶ぁぁぁっ!」と絶叫しながら、力任せに開けただけで壊れてしまった貧弱な扉を、蹴り飛ばしてこじ開けると廊下に出た。  食堂で、カツカレーを食べ終えた皿を前に、俺はうーっと唸って沙耶の帰りを待っていた。まだ腹が減っていたので、横の修の弁当から卵焼きなどを摘んだりしつつ。何か結構美味かったので、続けて俺がおにぎり、ウィンナー、ロールキャベツなどを夢中になって食べていると、ふいにぽん、と前に何かが音置かれた様な音がした。顔をあげると何故か弁当箱がすでに空になっている修と、いつもの席にカツカレーを置いて座っている沙耶が目に入った。 「ぬぅ、修。今日は食べるのが早いな。いつもは、休み時間の終わりぐらいまでかけなきゃ食べ終わらないのに」 「……そうだね。それより、先輩が来たよ」 修が溜め息混じりに言って弁当箱を片付ける。むぅ。でも中々いけたぞ、弟よ。明日も食べてやるから安心してくれ。 「で、どうだった、沙耶?」 俺は沙耶に向き直り、真剣な表情で聞く。沙耶は無表情に頷くと、おもむろに口を開いた。 「宋が原因らしいわ」  一言。  そしてそのまま、何事もなかった様に沙耶はカツカレーのスプーンをとる。俺は汗などかきつつうめく。 「ぬぅ。それだけしか聞いて来なかったのか?何か役立たずだぞ、沙耶」 俺が言うと、ふるふると沙耶が首をふってみせる。 「ううん。他にも言ってたけど、言うと貴方が怒ると思う。だから、言わない」 「何だそれは。とにかく、一応はアーシャにさりげなく接近し、何故あいつが怒っているのかの内容を聞く、というのには成功した訳だな?」 「多分」 俺の言葉に沙耶が頷く。どうやらちゃんと聞いては来たらしい。しかし、俺が怒る様なアーシャの怒っている理由というのは一体何なのだろうか。想像もつかん。 「何だかなぁ……。先輩にそんな事を頼める人なんて、ある意味兄さんだけだよね」 「うむ。俺と沙耶は親友だからな。裏切られたけど」 「そうなの?」 「そうだ。で、まあとにかく何だったんだ、アーシャの怒っている理由というのは?何か聞くのが怖い気もするが、その理由を聞かない事には対策がたてられんのだ。という訳で言え。アーシャが言っていた通りに、包み隠さず」 「わかった」 沙耶が無表情に頷き、すうと息を吸い込む。そして次の瞬間には立ちあがり、思いっきり机を叩いて怒鳴っていた。沙耶が。 「聞いてくれますか、先輩!私、そりゃ私だって……とにかくっ!あいつ何て言ったと思います!?あの朴念仁!最低男!あんな奴死んじゃえばいいんだわっ!馬鹿で変で妙な事ばっかして!そのくせどっか鋭くてしかも抜けてて!絶対頭のネジ一本飛んでますよね、あいつ!」 更にがこんと机の上に足を乗っけ、沙耶は食堂中に響きわたる声で続けた。 「馬鹿!死ね!死んじゃえ!馬鹿宋!何よ!トラックの運転手さんに跳ねられて千円貰って事故を無かった事にした事とかあるくせに!あれって絶対犯罪ですよ!?本当にいじきたないんでから!昔からそうだったわ!あいつは!馬鹿で!いじきたなくて!朴念仁で!」 がこんと机を足で叩き、沙耶は拳を振り上げる。ちょっとあまりの迫力に呆然としてしまっていた俺は、ようやく我に帰って手をふる。 「おい、沙耶……」 「あんな奴っ!あんな奴っ!あんな奴!本当に死んじゃえばいいのよっ!宋の馬鹿ぁぁぁぁっ!」 俺の声を思いっきり絶叫で掻き消してから、沙耶はふいに足をおろして口調を変える。 「はい。終り」 そう言って何事も無かった様に座りなおし、カツカレーをつつき始める沙耶。俺は腕組みなどをしつつ首を振った。 「まあ言い方は臨場感があって中々よかったのでよしとして、それより内容が怒っている理由というよりは、ひたすら俺の悪口であんまり使えないというか、はっきり言って役立たずだぞ沙耶。減点三だ」 「そう。ごめん」 「いや、内容のほうより、むしろ言い方のほうに凄く問題があった様な……。何か食堂中の注目集めてるし……」 「まあ、気にするな。それより、結局原因はわからずじまいか」 俺は首を振りつつ、沙耶の皿にスプーンを伸ばす。 「でも、貴方が原因なのは、間違いないみたい」 俺のスプーンを弾きつつ答える沙耶。俺はそれでも諦めずに素早く手首を返し、沙耶の皿にスプーンを伸ばす。が、弾かれる。ぬぅ。  いつの間にかいつものカツ争奪戦に入ってしまった俺達の横で、修がいつも様に溜め息をもらしてはいた。 『宋君、私ね、宋君の事大好きだよ』 アーシャが笑う。俺も笑って答えた。 『そうか。俺は暴力ばかりふるわれるので、おまえの事があまり好きではないが』  ごつん。  正直に答えたのに、アーシャは俺を思いっきり殴ってきた。でもレイナの鉄拳を食らいなれている俺にしてみれば、あまりたいした痛みでもなかったらしい。俺は余裕有り気に続ける。 『まあ、でも実はそんなに嫌いでもないぞ。安心しろ』 『ホント?』 アーシャが目を輝かせる。 『ああ。レイナのチャーハンに比べれば幾分かましだ。ちなみにあのチャーハンの事は、世界一嫌いな自信あるけどな』 『じゃあ、結婚ね!』 遠まわしな嫌味だったのだが、アーシャは後半部分など聞こえていない様だった。嬉しそうにはしゃぐアーシャに、俺はばつが悪そうに頭をかく。 『まあ別にいいけど、何がどうなればそうなるのかさっぱりなんだが』 『約束ね』 もはやアーシャは俺の言う事が聞こえていない。俺は息を吐きながら答えた。 『むぅ、仕方ない。特別に約束してやる。感謝しろよ』 『うん!』 都合いい時だけ聞いている。アーシャは嬉しそうに言って、俺の近くまで来る。そして— 『……約束、だよ』 唇を離したアーシャが笑う。ぬぅ。いきなり何を。窒息するかと思ったぞ。やはり暴力女だこいつは。俺はようやく開放された口で息を吸ってから、ふと尋ねた。 『そう言えば、結婚って何の事なんだ?』  ばちん。  アーシャの平手が、レイナに匹敵するくらいの威力で俺を捕らえていた。 「ぬぅ」 俺は目を開けてほっぺをおさえる。夢か?しかし何やら本当に頬が痛いのはどういう訳だ。 「あ、凄い母さん。本当にビンタ一発で起こしちゃった」 「ふふん、まかせなさい。かつて魔族すべてを支配化においた、私のカリスマは未だ健在よ」 やたら頬にじんじんとした痛みを感じる理由を一瞬で理解して、俺は起きあがった。そして枕元に立っている修とレイナに、あくびをしながら話しかける。 「珍しいな、レイナが起こしに来るなんて」 「だって兄さん、本当に何しても起きないんだもん。僕だけじゃどうしようもなくてさ」 つまりは、今日もアーシャは来てないという訳だろう。俺は布団をはぐって立ちあがると、ぽりぽりと頭をかいた。時計を見ると八時三十分。もう完全無欠に遅刻だった。 「何だかなぁ……」 ぼけーっと空を見上げる。空に広がるのは、黒々とした雨雲。嫌な天気だ。今にも雨が降ってきそうだ。屋上のベンチに力なく腰掛けたまま、俺は息を吐く。 「泣くのは、反則だよなぁ」 『死んじゃえ!馬鹿っ!』 あの時思いっきりひっぱたかれた頬を、ふと手で押さえてみる。その時ふとそこが今朝の夢で叩かれたところととまったく同じ場所である事に気づき、俺は苦笑する。ったく、無視はするわ迎えに来ないわ、落ち込んだ顔をするわ。おかげで妙な夢まで見てしまっただろうが。 「……腹、減ったな」 普通なら今頃食堂で沙耶の胸でも掴んで挨拶して、アーシャに殴られている時間帯だ。殴られてこぼすといけないので、ちゃんと机の上に皿を置いてから揉まなければいけないんだよなぁとか思って、また苦笑する。多分今日もアーシャは居ないだろうから、そんな事を考える必要はないのだ。今朝からまたアーシャには何を話し掛けても無視される状態であるし。 「ったく、あいつはすぐ怒るんだからな。沙耶を見習えっての」 そこでふと顔を下げ、腰にかけてある剣を見る。赤い剣。朱雀とかいっただろうか。俺は無表情にその剣を手にとり、目をつぶる。  しゃきん。  音を立てて、ベンチの横の手すりが斜めに崩れた。俺は溜め息混じりに剣を鞘にしまうと、目を開ける。 「力に理由が、必要か?」 何となく、俺の口からそれがこぼれる。単にいつも何かを斬ったりする時に、レジニード・スレシアのその台詞をかっこつけて真似して呟いていたりしていた為、つい言ってしまっただけの言葉だったのだが—俺は笑ってしまった。今の気分にぴったりの台詞だったからだ。 「必要無いのか、レジ太郎?」 空を見上げる。本当に今にも雨が降ってきそうな天気だ。なのに降らない。降って来ない。妙に落ちつかない気分だ。それだけで。  剣を買って、まだ二日だ。正確には二日半。その感、正直言って面白半分に剣を握っていただけだ。なのに何で、こんな金属の手すりが事も無げに斬れるようになってるんだろう、俺は。 「両親が魔物に殺されて、護れなかった自分が悔しくて強くなりたかった—か。レジ太郎だって、妹の仇を取りたくて強くなったんだろ?」 理由。力がある理由ではなく、力を持つにいたった理由。何となくだが、沙耶が強いのも、レジニード・スレシアが強かったのも、思わず納得できてしまう。理由。理由か。 「……単に、沙耶と一緒に大会に—出てみたかっただけなんだよな。俺は」 そうしたら、楽しいかっただろうという気がして。きっと沙耶もそうだろうと勝手に思ってて、それで— 「何が裏切り者だよ。俺のほうがよっぽど裏切ってるじゃねぇか」  アーシャを。  雨。ついに降り出して、俺を濡らす。顔が濡れて、服が濡れて、剣が濡れる。  簡単な事だった。アーシャがなんで怒っているのかなんて事は簡単な事だったのだ。それなのに今朝の夢をみるまで、それに気づきもしなかった俺は何なんだろう。  俺は雨に打たれながら目をつぶる。容赦なく雨は降り注ぐ。雨があたる。冷たい。寒い。ぬぅ。 「止めたっ!こうやってうじゃうじゃ考えるのは好きじゃないんだよ!もう俺は好きな事を遠慮なくやるぞ!そう決めた!というよりする!アーシャが誰を好きだろうと!沙耶がどうだろうと!何で強くなりたいかとかよくわかんなくても!何だろうと—」  とにかく俺は大会で沙耶に勝ってみたいんだ!何となくだ!理由なし!よくわからんけど戦って勝ちたい!とりあえずそれだけ!後は保留っ!  だんっ。  俺は立ちあがってそのまま跳躍する。斬った手すりを飛び越え、そのまま校庭へ着地。俺はそこで屋上から飛び降りたりした為、多少痛んだりする足をとんとんと地面で叩きながら、学校を見上げ—思いっきり息を吸う。 「先生〜!聞こえるかぁぁ〜!一年C組担任の、まだ処女だという噂のある〜、名前なんていったか忘れたけど、二十五歳の、独身の、昔剣士だった女の先生〜!」 思いっきり張り上げた俺の声に、学校中の窓ががらりと開く。俺はその窓の一つからその担任の教師が顔を赤くして覗いているのを確認して、声を更に張り上げる。 「宮路宋、早退しまぁす!あと屋上の手すり壊しました!すいません〜〜!ついでに先生が処女だという噂を流したのは〜、タ・ロー君です〜〜!」 『ああっ!?宋!?おまえ人として言ってはいけない事を!だいたい初めに言い出したのはおまえだったろうが!』 『いい加減にしなさい!だ、誰が………っ!あ、貴方はですねぇ、宋くんっ!ちょっと待ちなさい!宋くん!宋くん!?』 『ほお。あれが例の……。いやはや、さすが学園始まって以来の—』 『あ、あいつさっき空から降って来なかったか—?』 何か校舎から色々叫ぶ声とか、叫んでないのに何故か聞こえる声とかが聞こえて来たりしたが、俺はかまわずに駆け出す。雨がどうでもよく思えるくらい、気分はすっきりしていた。  どん。  つかつか。  ぐいっ。くしゃ。ぽい。 「ぬぅ、愚息。何か妙に帰ってくるのが早いのはいいとして、何故に俺が読んでいた新聞を丸めてゴミ箱に放る?」 「それより、びしょ濡れの家にまま入って来ないでよ。誰が掃除すると思ってるの?まったく」 「おい、腐れ親父」 俺はぶるっと頭をふって水を飛ばしてから、親父の胸倉を掴む。 「おまえ、自慢してたよな?歴史上最強の剣技の使い手だって神に認められたとか何とか。攻撃も、防御も、動きも、技も。今のところ全部最強なんだな、おまえは?」 「なんや知らんが、まあそれは本当だ」 「……攻撃と、技と、動きだけでいい。防御はいらん。無理だからな」 俺はそう言って、腰の剣を突き出す。 「あと四日で俺にそれを伝授して、世界一の剣士に負けないくらいの剣士にする事って、おまえできるか?何となくだが、俺はそうなりたい気分なんだよ、今」 親父が俺を見る。横ではレイナが手を振りながら「無理無理。だいたいこの前一週間で私に負けた人が最強の訳ないでしょ」とか言っていたが。親父は次の瞬間には笑った。 「馬鹿が。何が防御以外だよ。レジニード・スレシアにでもなるつもりか?この愚息めが。しかし」 親父は俺の腰の剣を抜いて、放り投げる。剣が落ちて、親父の手に収まる。親父は剣をぶんと振って、笑う。 「何があったか知らんが—ガキのくせになかなかいい目してやがるじゃねぇか。それに剣もなかなかいい剣だしな。まかせろ、愚息」 真剣を持った親父の目を俺はその時初めて見た。それは確かに— 「この俺の伝説となりし勇者の剣技。残さず伝授してやるよ」  まあ防御以外を、な。  親父が剣を俺に返しながら、立ちあがる。  —そいつの様は確かに、悔しいが伝説の勇者とやらに相応しい様な気がした—。 9 伝説 『ええ〜、本日は大変お日柄もよく……』 校長のやたら間延びした声が響く。俺はその話を校庭であくびをしつつ聞いていた。校庭は、かなりの人数であふれている。大会参加者だけしかこの校庭にいないはずてあるから、つまりはかなりの奴らが大会に参加している事になる。まあ、賞品が賞品だし当然だろう。何せ一年間学食無料使用権だ。うむ。 「おのれ……!おのれみんなしていい女と一緒に出やがって……!くそっ!あれはA組のシレノーアちゃん!?馬鹿な!あの子がこの大会が終わるまでにはあの一緒に居る男二人のどちらかの物になってしまうというのか……!?おのれぇぇぇ!」 タ・ローは血涙に近いそれを流しながら拳を握り締めている。ノクアノはその横で開会式の最中だというのにまた本などを読んでいる。ぬぅ。何て行儀の悪い奴らだ。俺を見習え。俺は息を吐いて横の自分のパーティメンバーの二人から目をそらす。まったく。ちなみに皆いつもの制服姿である。この学園の制服は、戦闘系の学校のものである故に、そのままで平気で運動できる様に作られているのだ。女子なんかスカートなのに、邪魔になったりとかめくれたりとかいう心配は皆無なのらしい。聞いたところによると何か魔法が編んであるらしいが。 『では、これで開会式を終わります』 校長がそう言ってマイクをおろす。  何にしろ、武陽学園第十回闘技大会の幕は切っておろされたのだった。 「殺してやる……!女連れの奴らはみんな敵だ……!斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って殺してやる!斬って斬って斬って斬って……!」 控え室の中央で抜き身の剣をぺろりと舐めながら呟くタ・ロー。俺は多少額に汗を滲ませたりしながらも、剣を抜いて異常が無いか確認する。まあ、絶対折れないといういわくつきの剣だからそんなのがある訳はないのだが、何しろ『あれ程の出来事』の後で無事であるかは結構心配だったりしていたのだ。 「それにしても、三日間も学校休んで何をしていた訳ですか?修君の話に寄ると、お父さんと一緒に山へ行っていたらしいって事でしたが」 「ぬぅ、聞くな。あんまり思い出したくない。地獄の日々だったものでな」 俺はかぶりをふって答えると、剣をちゃきんと鞘にしまう。親父の地獄のしごきを思い出して吐きそうになるのをこらえながら。 「そうですか。まあ、謎のままの方が僕は好きなので、そのまま謎にしておいてください。お願いしますね」 ノクアノはそう言って、読みかけだったらしい本に目を落とす。ちなみにタイトル欄は『謎って、いいなぁ……。 著者:謎ーん★』となっていた。もはや何も言うまい。 「しかし、さっきの組み合わせを見る限り、沙耶と当たるのは決勝か。まあ、楽しみは最後、てところだよな」 俺は壁に腰掛けて呟く。 「ああ、そうだな……!人の最低者宮路修を殺す前に、まず片付けないゴミどもが多すぎる……!まずはヘレンちゃんと一緒に出てやがる背の高い銀髪の男!そしてサレシーナちゃんと一緒に出ているあの財閥のぼっちゃん野郎とか……!殺さなければならない奴は大勢いる……!ふふふふ……ふふふふふ………!」 「……むぅ。試合は結界内で行われるから死人はおろか怪我人すら出ないはずなのに、それでも死人が出そうな気がするのは何故なんだろうな」 「奇遇ですね。僕も今、そう考えていたところです」 俺とノクアノが、控え室の隅で汗などたらしつつうめく。いや、ノクアノは汗掻いてなかったけど。うめいてもなかったし。何かどうでもよさげ。 『えー、まもなくCブロックで貴方達の試合です。早く向かいなさい。あと、宋くん?貴方には大会が終わった後で少し話がありますから、生徒指導室に来る事。以上』 その時、ふいに放送がなる。何となく確実に例の担任の教師の声だった気もしたが、そこら辺は聞かなかった事にして腰をあげる。 「くっくっくっ……!屑どもが……!一人残らず狩ってやる!肉片一つ残さず狩ってやる……!うひゃひゃひゃひゃっ!」 ……まあ、とにかく。一回戦に向けて俺はドアを開いた。  試合は、一対一の勝ち抜き方式。決勝だけは違うルールでやるらしいが、まあそれ以外は全部それらしい。そんでもって、試合は特殊な結界の中で行われるので、その中でした怪我などは一切残らない。 (つまり……思いっきりやれる、て事だ) 俺は腰の剣に手を当てて、目を閉じて笑う。 「はは、何だ。一回戦の相手はいい人ばかりじゃないか。とてもじゃないが俺はこんないい人たちを相手にはできないから、おまえらに先を譲るよ」 急に笑顔になったタ・ローが、俺の肩をぽんぽん叩きながら言ってくる。何の事はない。つまりは相手チームは女子の居ない、男子だけのチームだったのだ。三人とも帯刀しているあたり、剣士なのだろう。三年の制服だ。なかなか強そうにも見える。 「じゃあ、俺が行くぞ。特訓の成果とか見てみたいんだよ。いいか、ノクアノ?」 「はい。はっきり言って僕は実はどうでもいいです」 読みかけの本から顔をあげ、ノクアノ。無論、その後すぐに本に目を落としたのは言うまでもない。ぬぅ。何て奴。 『では先鋒、前へ』 審判役の教師が、マイクを通して言う。俺は相手の先鋒らしい男と同時に結界の中の会場に足を踏み入れる。勝負は、まいったと言わせるか、致命傷を負わせるか、もしくは場外に出すか。 「……そんなの関係ないか。勝負は勝つか、負けるかだ。それだけ—」 俺は呟いて前の男を見る。近くで見るとなかなか背が高い。目つきも悪くない。  —強そうだ。 『初めっ!』  俺は開始のかけ声と同時に、思いっきり駆けて剣を振りおろした。  どおん。 「……あれ?」  しかし次の瞬間には、俺は場外まで吹き飛んでいく対戦相手を、間抜けな声をあげて見やっていたりした。 「……おまえ、悪魔か、宋。いくら何でも三人全員、結界を突き破る程の威力で突き飛ばす事ないだろ?結界が無効なところまで吹き飛ばされて、あの三人全治三ヶ月らしいぞ」 「ぬぅ……。二人目からは手加減したつもりだったのだが。なにしろ親父と熊以外と戦うのは久しぶりでな。あまりよく感覚が掴めないというか」 俺は首をふる。まあ、ある程度は特訓の成果が出ているらしいのでよしとしよう。 「熊ですか。何か謎的でいいですね」 「うむ。おかげで三日間ずっと熊鍋だった。精力がついたぞ。骨もこれがまたなかなかいいダシがでてな。毛皮も暖かかったし」 俺は頷いてやりながら、控え室のドアを開ける。二人は何故か俺から逃げる様に早足で中に入っていく。と— 『うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!』  どおおおおおおん。  突然の悲鳴と、恐ろしいほどの爆音が辺りに響く。 「ぬぅ?」 入りかけた控え室から振り向き、その音のして来た方向を見る。何かAブロックの方からして来た気がしたが— 『なによ宋の馬鹿ぁぁぁぁ!死んじゃぇぇぇぇぇっ!人の気もしらないで!何が特訓よぉぉぉっ!何が剣士よぉぉっ!馬鹿ぁぁぁっ!』 『ぎゃあぁぁぁぁぁああ!』  どおおおおおおおんっ!どどどぉぉんっ!  再びAブロックで爆音があがる。離れているここまで揺れが届く程の爆発である。 「……ぬぅ。忘れていたが、鬼が一匹怒りモードで存在していたんだったな」 俺はひんやりとした汗を拭いつつ、控え室のドアを開けた。  恐らくはうっぷんを晴らす為の八つ当たりで再起不能にされているであろう、アーシャの対戦相手に心の中で手を合わせながら。 「うひゃひゃひゃ!死ね!てめぇは死ぬべきなんだよ!人として!」 二回戦。タ・ローが先鋒の男子一人を持ち前の狂気で『破壊』。そのあまりの迫力に残りの女子二人は怯え、棄権して不戦勝。俺のチーム勝ち抜き。 「えい」 同じく二回戦。沙耶が一秒ぐらいですべての試合を決める。三試合すべて合わせて一秒なところがさすが沙耶というか、兵器というか。  どどん。 「がはっ!」 「ぬぅ。すまん。でも熊だとこれくらいじゃ平気そうにしてたぞ」 三回戦。全員男。俺が適当に勝つ。何かヨワヨワ。熊の方が余程強し。 「あぅ、怖いよ。やめてください……。あぅぅ」 同じく三回戦。修が出てひたすら防御結界で防御し続け、それが異様に強力なので勝負つかず。結局相手が疲れてまいったをし、それが三回続いて沙耶チーム勝ち抜き。 「ぬぅ。何だかこのままだと、やっぱり決勝は沙耶達になるみたいだな」 沙耶の試合を遠目で眺めていた俺は、目線を戻しながら呟く。ちょうど沙耶がまた前試合を一秒ぐらいで決めたところだった。これであいつらも準決勝進出。無論俺のほうも準決勝まで進んでいるので、つまりはあと一回勝てばあいつらとの対戦になる。 「ま、そうなってくれなくちゃ困るんだが」 俺が少し笑って言う。 「そうなんですか?」 「いや、問題はそんな事じゃないんだ。いかに人として女子をかどわかそうとする悪人に罰を与えるか、だ。何しろ結界の中なら首を切り落とそうとも死なないんだぜ?地獄がいいよなぁ。地獄。地獄がいいなぁ……」 どうでもよさげに本を読みながら歩くノクアノに、狂気に満ちた声で笑うタ・ロー。何か妙に怖いものを特にタ・ローから感じつつも、俺は呟いた。 「まあ、とにかく問題は決勝だ。兵器に、鬼に、結界魔だもん—」 「それはまた、たいした自信だね。宋くん」 俺の言葉を遮る様にして、声があがる。多少聞き覚えのある声だったりしたのでふと声のした方を見やると、前方で一人の男子が腰に手を当てて立っていた。背の高い、眼鏡の妙に似合った銀髪の男。俺はおお、と声をあげてそいつに歩み寄った。 「バカじゃないか。久しぶりだな。そういやおまえって同じ学校なんだよなぁ。まったくもって忘れてたけど」 「誰がバカだ!?僕はバーノルドアノ・カシームだと何度言えばわかる!?」 「うむ。実はそんなややこしそうな名前、何度言われても覚えれそうにないぞ。だから略してバカにしといてあるんだが」 俺は気軽にバカの肩をぽんぽんと叩いてやる。バカは顔を真っ赤にしてみせるが、まあいつもの事なので俺はさして気にせずに笑いかける。 「とにかく久しぶりだな。もしかしておまえも大会に出てるのか、バカ?」 「……次の対戦相手に言う台詞かい、それが?」 眼鏡をなおしたりしつつバカが言う。ぬぅ。そう言えば何処かで見たような奴が次の対戦チームに居るような気がしていたのだが—という事は次の対戦相手はこいつのチームか?むぅ。予想外の事実に多少とまどっていると、バカは笑みを浮かべて俺に言ってきた。 「ふっ、君をこの手で叩きのめせると思うと非常に楽しみだよ。何しろ僕は、この為だけにこの大会に出たのだからね」 「嘘つけ。本当は賞品の学食が狙いのくせに。相変わらず卑しい奴だ」 「ふざけるな!僕がいつ卑しかったと—」 「ああーっ!何処かで見たと思ったらっ!」 それまで考え込むようにして黙っていたタ・ローが、突然バカを指差して大声を出す。ちなみにノクアノは俺達が立ち止まったのを機に、熱烈に読書に精を出している。 「こいつヘレンちゃんと一緒に出てる奴だよ!間違いない!開会式の時一緒に並んでたの覚えてるもんっ!」 タ・ローが、地団駄を踏みつつ器用に前に進んでバカの胸元を掴む。 「バカだっけか!?この腐れ野郎!一体どんな酷い手を使って俺のヘレンちゃんをかどわかした!?ええ!?この人間の屑がっ!」 「……さすがに宋くんの友達だけあって下品で低俗だな。それも何を言いたいのかさっぱりわからないが—」 バカは胸元を掴むタ・ローの手を掴むと、眼鏡をきらりと輝かせた。 「君は妹とどういう関係かね?返答によっては容赦しない事になるよ」 「妹?」 「ああ。ヘレンは、僕の妹だが?」 バカが更に眼鏡を輝かせて言う。そこでタ・ローはがしっとバカの手をとって叫んだ。 「義兄さん、初めまして!俺はタ・ローといいます!どうかよろしく!」 「よろしくとはどういう意味だね?まさか君は—」 「いえ、そんな事は決して!で、ちなみに、妹さんのご趣味などをお聞かせ—」 「……結局、誰なんですか、あの人は?」 タ・ローとバカが妙に熱心に語り合う中、ふいにノクアノが顔をあげる。俺はああ、と頷いて答えてやった。 「何か生徒会長か何からしいんだけど。ほら、俺よく学校の備品とか壊すから、前に生徒会に呼ばれたりしてな。その時、名前の略があまりにも印象的だったんで友達になったんだ」 「そうですか。友達と戦うとなると、多少複雑ですね」 ノクアノが多少相槌をうって、再び本に目を落とす。 「うむ。しかし負ける訳にはいかんしな。全力を尽くそうと思う」 「はぁ。頑張ってください」 他人事のようにノクアノが言う。ぬぅ。そう言えば、こいつって一度も戦ってないし。戦う気もなさそうだし。実際他人事なのか。  準決勝は昼からだった。そして今日は食堂はやってない。そういう訳で、俺は今箸を手に汗をかいていた。観客席というか、暇な生徒の親とかが見に来て座る場所で、重箱一杯に詰め込まれたチャーハンを前に。 「何よぅ。宋も修も。せっかく貴方達が出るって言うから、お弁当作って応援に来てあげたのに。お父さんを見なさい。文句を言わずにもりもり食べてるじゃないの」 レイナがぷん、と怒った声を出す。親父は、何か噛まずに飲み込むの要領でがつがつとチャーハンをたいらげている。多少涙目になっているのは気のせいだろうか。というより気づいてやれよ、レイナ。 「親父……おまえのその、レイナを思いやる努力と根性は買うが、不味いものは不味いと正直に言ってやった方が、色々レイナの為にもなるんだぞ?」 「む、むぅ。ま、不味くはないと、思う。大丈夫だ。そんな気も、する」 「嘘つけ。さっき吐きそうになったのをこらえる仕草をしたのを、俺は見逃していないぞ」 「何よ何よ!今日の料理は自信作なんだからねっ!残さず食べなきゃ辺り一帯焦土にしちゃうんだから!いいの!?私は本気よ!?お友達も居るんでしょ!?」 両手を振ってレイナが駄々やら脅迫やらつかない事を口走る。こいつの場合、本当にそれが出切る女だから厄介だ。俺と修は目線を合わせて諦めた様に頷くと、同時に皿と箸をとってチャーハンをすくい始めた。 「だけど宋も修も二人そろって準決勝進出なんてやるわねー。さすが私の子ね」 途端に上機嫌になってレイナが言う。俺は吐きそうなの程不味い口の中の異物を噛み砕きながら、涙目になって言う。 「まあ、頑張って特訓したからな。ぐ、ふぅ」 「うむ。よくぞこれ程まで腕をあげたものだ。師として父は嬉しいぞ。うぷっ」 完全に吐くのをこらえる様子で親父。ぬぅ、親父……。何故にそこまでして我慢する?食事の度に寿命を縮めて行ってる気がするぞ。死ぬなよ。 「それにしても、修。おまえ、本気で命の覚悟しといた方がいいぞ。タ・ローのあれは本物だ。何て言うか、本当におまえを殺しかねんぞ。あの狂気の塊は」 「う……、えと、でも大丈夫だよ。その、僕多分決勝には出ないから」 修が苦笑いしながら答える。俺はそこでふと顔をあげ、チャーハンをさりげなく重箱に戻しつつ修に問う。 「出ない?どういう意味だよ?」 「え?あの……だってほら、決勝はチームの代表一人同士の対戦だけでしょ?だから、多分アーシャか、先輩が—」  俺は呆然とそう言う修を見つめる。決勝が代表同士だけの試合?そう言えば、決勝だけは多少違う形式でやるとか聞いてた気がするが— 「くそっ!やばいじゃねぇかっ!」 俺はだんっと立ちあがって拳を握る。 「もしかしたら、沙耶と戦えないかもしれない訳じゃねぇか!くそったれ!」 俺は吐き棄てる様に叫んで、駆け出していた。  ぬぅ。沙耶がいそうな場所は何処だ?俺は息をきらせつつ辺りを見まわすが—はっきり言ってやたら人が来てやがる。行事だけに屋台みたいなのも来て足りするし、この中で人一人を探す事などかなり困難だ。だいたい沙耶が何処に行くかなんて想像もつかないし。 「……いや、なんとなくつく気もするな」 俺はそこで今までの考えをあっさり否定する。そして。  迷わず食堂に向かって走り出した。 「………はぁ、はぁ」 俺は肩で息をしながら、食堂前で立ち止まる。やはり居た。沙耶は閉まっている食堂を前に、ぼけーっと立ち尽くしている。俺は息を整えながら、沙耶の方に歩いていった。 「沙耶、いい事を教えてやろう」 「……どんな事?」 突然声をかけられたにもかかわらず、沙耶は動揺もなく振りかえる。俺は沙耶の目の前まで行って立ち止まり、食堂を指しながら告げた。 「今日は、食堂は休みだ」 「…………」 沙耶は俺の言葉を聞いて無表情に食堂を一瞥すると、また無表情に俺に視線を戻した。そして一言。 「そうなの?」 「うむ。というより自分で気づけ。入り口さえ開いてないのに、おかしいとか思わなかったのか?」 「……あんまり。でもちょっと、思ってたかも」 少し寂しそうに沙耶。どうせ、じゃあ今日はカツカレーを食べれない=少し寂しい、という構図なのだろうが。俺は少し笑ってやってから、顔つきを元に戻して沙耶に向き直る。 「……おい、沙耶。聞いた話によると、決勝って三人のうちから一人だけ代表を出し合う形式らしいな。要するに、決勝で戦えるのはチームのうち一人だけらしい」 「そうなの?」 沙耶がいつものぼけーっとした声で聞いてくる。やはり知らなかったらしい。俺は沙耶の肩を掴んで、顔を近づける。 「おまえが出ろ」 「え?」 俺の方が多少は背が高い。だから沙耶の顔を覗き込む様な態勢になっている。俺は多少とまどった声をあげる沙耶に、更にぐいっと顔を近づけながら言う。 「だから、おまえが代表になれ。俺も代表になって出るから。俺はおまえと戦いたいんだ」 そして思いっきり目線を合わせてやる。俺は声を張り上げる様にして続ける。 「いいか!俺はおまえに勝つ為に特訓したんだからなっ!絶対出てこいよ!無論準決勝で負けるなど論外だ!いいな!?ちゃんと勝って、代表になって俺と戦え!約束だっ!」 俺は無理矢理沙耶の手をとって指切りなどしつつ叫び、じっと沙耶を見る。しばらくは相変わらずの無表情。が、やがてゆっくりと微笑んで、頷く。 「わかった。頑張る」 「本当だな?約束だぞ」 「大丈夫。私、嘘は嫌いだから」 また笑う。何か妙に照れくさいと思ったら、やたら顔を接近しすぎている。俺はばっと顔をあげてそっぽを向く。 「どうかした?」 「いや。それとアーシャに伝えといてくれ」 俺はむぅと頭をかいたりしながら、何か気まずいのを我慢して言う。 「決勝ちゃんと見てろってな。聞かせたい事が—」 『ええ、それでは、ただいまから準決勝第一試合を始めます〜。選手の方は—』 「ぬお!?やばい!もうこんな時間か!?行くぞ、沙耶!」 「でも私、お昼ご飯、まだ……」 「今の約束を忘れたのか!?とにかく行くぞ馬鹿っ!」 『宮路宋、タ・ロー、ノクアノ・ヒギ。以下のチームの勝ち抜きです』 審判が声をあげる。沙耶が「お昼ご飯食べたい」とかとうるさかったので、結局そこらの屋台で適当にお好み焼きでも買ってやったりしてから来たのだか—まあ、たどりついてみれば、俺を持っていたのは審判の俺のチームの勝ちの宣言だったりした。 「ぬぅ。一体、何があったと?」 たった今試合が終わったばかりのはずなのに、妙に静まりかえっている辺りを見まわしながら、俺はぽつりと呟く。いつも不必要にやかましいタ・ローさえ、何か恐ろしいモノでも見てしまったかの様に呆けている。向こうのバカなど、口を開けて目を見開いた状態で固まっている。ぬぅ。一体。 「はぁ、実はロー君が義兄さん達とは戦えない、と駄々をこねまして。面倒でしたが、僕が適当に出て適当に戦ってみたんですが。そのおり、多少僕の趣味の謎的な技などを使ったりしたので、皆さんちょっと驚かれた様ですね。あ、それと何故か勝ってました」 そんな中、一人平然としているノクアノがさらりと答え、手の本に視線を落とす。耳を済ますと、「何だったんだ……?あの歪んだ閃光……?」とか「それより煙……」とか「バッタさんが……」とか「空、黄色くなってたよね……?」とか観客から意味不明の言葉がわいてくる。向こうのバカ達のチームにいたっては、未だに硬直したままである。本気で一体何が。ぬぅ。 「しかしバカって生徒会長だけあって、結構強いらしいとか聞いたんだが。よくこんな短時間で勝てたな」 「そうですね。謎としか言いようがありません」 「……ど、どんな勝ち方したんだ?相手とタ・ローが何か呆けているが」 俺が半ばうめき声を伴って呟く。ノクアノはぴんと指をたてて答えた。 「それも、謎です」  ……ともあれ、俺は決勝に駒を進めた。沙耶達のほうも、アーシャが例の八つ当たり火炎攻撃で楽勝に勝っていたし。あいつの怒りの火炎は、ある意味すべてを焼き尽くすからな。  見まわすと、怖いほど人が観客席に入っている。話によると、この学園の大会は結構レベルが高いので、騎士団とか宮廷魔術師のスカウトの類が見に来るとか何とか。まあ、それでなくても大会に出てる奴の家族とか、まあ一応学園行事である訳で学園の生徒全員が見ていたりとかで、それだけでも十分な人数に見られていたりする。しかし、そんなのは関係ない。  どくん。  心臓が波み打つ。が、悪くない。俺はにっと笑って、試合場への階段をあがる。途中例の結界に入る時特有の奇妙な感覚が俺を包み、そして俺はそれも終え階段を昇り終える。  かつん。  開始線のところで足を止め、すでに向こうの開始線に止まっている相手を見やる。黒い髪を後ろで束ねており、黒髪。無表情。三年の黄色いラインの入った制服。腰にかけられている、妙に力に溢れている伝説の聖剣。問答無用に沙耶だった。 「よく逃げなかったな、沙耶」 俺は笑ってやって口を開く。心臓の音がどんどん早くなっていく。ようやくこいつと戦える。戦える。戦える—? 「うん。約束、したから」 沙耶が答える。相変わらず緊張感とかそういったものから無縁らしい声だ。こんなに緊張している俺が馬鹿みたいだろ。まったく。しかし、俺は笑みを崩さない。崩す必要もない。俺は、こいつのこういうところが— 『では、これより武陽学園第十回闘技大会決勝を—』 緊張のあまりか色々な事が頭をめぐる。親父との特訓。あれは地獄だった。ノクアノの謎の技。アーシャの事。この大会が元で付き合い始める奴らが多い事とか。そのせいでタ・ローが狂気に走った事とか。  力に、理由が必要か?  最後に浮かんだのがそれだった。 「そんなの、決まっているじゃねぇか、レジ太郎」 俺はぐっと拳を握り締めてもう一度心の中で繰り返す。そんなの、決まっている。決まっていた。必要だ。  俺にも、あった。 『では、両者前—』  がしっ。俺はそう言いかけた審判役の教師からマイクを奪い取る。息を吸う。言う事は一つだ。決まっている事を、決めていた通りに。俺は叫んだ。 『沙耶、好きだぁぁぁぁぁ!』 俺はマイクを捨て、響く自分の快声と共に。  思いっきり駆けて、腰の剣を抜いた—。  ピンポンパンポン。校内放送がはいるときの独特の音が鳴り響き、がやがやとやかましかった食堂が多少静かになる。 『では、ただ今よりリクエストの多かった、闘技大会決勝戦のビデオを食堂のテレビにて放映します。視聴したい方は、至急食堂にご集まりください。ちなみに、この放映は生徒会の全面強力をもってお送りされています』 ぬぅ、おのれバカ。職権乱用しおって。俺は出切るだけ平静さを装って、目の前のカツカレーの入った皿をつつく。放送が終わると、またわっと食堂内がやかましくなった。放送の前から食堂は満員である。なのに俺と沙耶が座る机の辺りは、奇妙に開いていた。というより、俺らを取り囲む様な感じで他の生徒が輪を作っているだけなのだが。やがてプッと音がして、ちょうど俺の真正面の位置にあるテレビがついた。右上辺りに『ビデオ1』とか出て。 『沙耶、好きだぁぁぁぁぁ!』 画面が切り替わっていきなりあがる、俺の絶叫。それに負けないくらいの歓声が「おおおおおおおお!」と食堂の生徒達からあがった。 「す、すげーっ!本当に言ってるよ、おい!」 「あれってあそこに座ってる二人だろ!?」 「ええー!?ホント!?信じらんないっ!」 食堂中からヤな歓声が上がり続ける。ぬぅ。ぬぬぅ。ぬぅ。 「凄いわ、宋。本当に伝説を造ったわよね、あんたって」 いつもの俺の斜め前の席に座るアーシャが、テレビから振りかえって俺に言う。ただしいつもの様に弁当をつつきながらではなく、どんと前に置かれているラー麺をすすりながら。 「そだね。多分、武陽学園の伝説になって伝わっていくよね、あの決勝戦は」 隣の修も感嘆の息を漏らす。そんな修の正面にも、いつもの様に弁当ではなく、食堂のメニューのオムライスが湯気をたてている。 「ぬぅ。あの大会中にくっつく奴らが多いと聞いたから、それにあやかろうと思っただけなんだよ。くそぅ。てっきりみんな、ああいう風に告白したりしてるもんだとばかり思ってたぞ」 うつむいてスプーンを握り締める俺に、底抜けに楽しそうにアーシャと修が笑う。ぐっとこらえて顔をあげると、ちょうどビデオで俺が思いっきりこけたところだった。慌てると転んでしまうという、例の癖である。そんな俺にビデオの沙耶は容赦なくつかつかと歩み寄って行き、ざんっと転んだままの俺の首に剣を押し付けて、「降参する?」と。何度見ても鬼畜の所業だ。 「……ここでなぁ。転んでしまった俺を立つまで待ってみせるとか、それくらいのフェアさを見せてくれてもよかったと思うんだがなぁ」 「ううん、駄目。真剣勝負だったもの」 いつもの俺の正面の席で、沙耶がふるふると首を振る。無論、その目前には大会優勝の賞品として、無料となったカツカレーが置かれている。しかしこの状況だというのに、その表情にはまったくもって恥ずかしがっていたりとかそういう風なものが入っていない。本当に凄い奴だ。絶対将来大物になるぞ、こいつは。 「まあ、でもここまで堂々と思いっきり告白して見せられると、逆に気持ちいいわよねー。なんか」 うんうんと頷きながらアーシャ。少し寂しげな表情に見えたが、すぐに元に戻って元気に俺をからかってくる。—まあ、それでこそ、おまえだ。アーシャ。 「しかし、沙耶」 俺はそこで少し息を吐いて、正面の沙耶を見やる。黙々とカツカレーを食う沙耶は、あいも変わらず無表情である。俺は少し唇をとがらせて言う。 「おまえ、何でそんなに平気そうなんだよ。アレを見せられて、ちょっとは恥ずかったりとかはしないのか?自慢じゃないけど、俺は何かめっちゃ恥ずかしいぞ」 俺はその後また溜め息をついてから、上のテレビを見る。剣を押しつけられた俺が、ちょっと首の皮を斬られて泣く泣く「まいった」と言って、勝負が決まる。ビデオの中の沙耶はそこでようやく俺の首から剣を引き、にっこりと笑って言う。 『私も、好きよ』 俺の視線につられてスプーンを咥えたままの沙耶が振り向いたのと、その台詞が流れるのは同時だった。ついでにその台詞に食堂内のみんなが「わぁぁぁぁ!」と歓声を上げるのも。おさまらない歓声の中、沙耶は無言のままこちらに向き直る。 「……私も、少し恥ずかしいかも」 振り向いた沙耶の顔は、わずかだが赤く染まっている。食堂内はもう嫌なくらい盛り上がっていた。横のアーシャも楽しくて仕方なさそうに色々言ってきて。修は周囲に困った様に照れ笑い。沙耶はやっぱり無表情。でもちょっと顔赤し。  六月の、春なのやら初夏なのやら微妙な線の日差しが、まぶしく窓から降り注ぐ。 『おのれ沙耶ぁぁ!見てろよ、絶対次は勝ってやるからなっ!好きな女より弱いままというのは俺のプライドが許さんのだっ!絶対にいつかっ!』  伝説の剣士になってでも勝ってやるからなっ!  ブラウン管の中の俺が剣を振りまわして怒鳴る声が、妙にやかましく食堂の中に響いていた。