平岩弓枝 旅路(下)     1  有里は加代のことで、眼つきの良くない若い男から脅迫されたことを雄一郎の耳には入れなかった。  男の言うように、雄一郎と加代の仲があやしいなどということは、有里はまるで信じなかったし、こんなつまらぬ事を夫に聞かせて、かえって大事な仕事の差障《さしさわ》りになってはと思ったのだ。 「主人はね、そんな下らない男じゃありませんよ……」  有里はきっぱりと言い切った。 「私たちは加代さんが可哀《かわい》そうな身の上だから、それでいろいろお世話しているのだけれど、それ以外の感情なんてこれっぽっちも持ってやしませんよ、嘘《うそ》だと思ったら加代さんに聞いてごらん、うちの主人にしたって加代さんにしたって、あなたの言うような、そんな不純な気持でつき合ってるんじゃありません……世の中にはね、若い男と女のあいだだからって、色恋抜きのきれいなつき合いがいくらだって有るのよ、勝手な想像で言いがかりをつけるのはやめてちょうだい……」  普段の、あのおとなしい有里を知る人にとってはまったく意外だろうが、有里はヤクザ風の男を前にして一歩もあとへ退《ひ》かなかった。  有里の気迫に押されてか、男は黙って立ち去ったが、それからのほうがむしろ有里は恐怖を感じた。 (よく、あんなことが言えたものだ……)  又、あとで嫌がらせをされるのではないかと、内心びくびくしていたが、結局それはそれで片がついたらしく、二度とふたたび、その男は有里の前にあらわれなかった。  それから一か月ほどたって、有里があの男のことをほとんど忘れかけたころ、今度は加代が、夜、こっそり訪ねてきた。  ちょうど雄一郎は夜行列車の乗務で家には居らず、秀夫を寝かしつけてしまってから、有里はせっせと夜仕事《よなべ》の針を動かしていた。 「おばんです、室伏さん……」  なんだか聞きおぼえのある声に出てみると、暗がりの中に、加代がしょんぼりと肩をおとして立っていた。有里を見ると、ちょっとあわてたように顔をそむけた。 「あら、加代さんじゃないの、お上りなさいよ……」  いつもの調子で、なんの屈託もなく言った。 「ずいぶん久しぶりね、その後どう……お店のほううまく行ってる?」 「はい……」 「そう、それは良かったわね……とにかくおあがりなさいよ」 「いえ、あの……私、すぐ帰らなければなりませんので……」  加代は眼をそらしたまま、ひどく聞きとりにくい声で言った。  そのときになって有里はようやく、加代の表情になにかひどく暗い翳《かげり》のあるのに気づいた。 「どうしたの、加代さん……なにか……」 「い、いえ……」  落ちつきのない眼を加代はあげた。 「あの……旦那さんは……?」 「あいにく、今夜は夜間の乗務なの」 「そうですか……」  加代の表情には、はっきり落胆の色が浮かんだ。 「なにか急の用事だったら、私から連絡してあげてもいいけれど……」 「いえ、いいです……じゃ、さよなら……どうもお邪魔しました、旦那さんによろしく言ってください」  加代は逃げるように、闇《やみ》の中へ消えてしまった。  その後姿を見送りながら有里は、加代がやって来たのは、夫に逢《あ》うためだったのだと、ようやく気がついた。  ふと、先日のヤクザ風の若い男のことを思い出した。 (あの人相の良くない男と加代とはいったいどういう関係にあるのだろう……もしかしたら、今夜の加代の身のまわりにただよっていた暗い影のようなものが、あの男となんらかの繋《つなが》りを持っているのではないだろうか……)  そして、また、加代が夫に逢い、何を言いたかったのかが、急に気になりだした。もしかしたら有里のまったく知らない所で、夫と加代とあの男とのあいだに秘密のスキャンダルのようなものが生じているのかもしれない。  翌朝、有里は夜勤あけの夫の表情をさりげなくうかがいながら、加代のことを切り出した。 「昨夜、来たって……何時|頃《ごろ》だ?」 「もう十時すぎでしたよ、なんだか、ひどく思いつめたような顔をして……」 「なにか用事でもあったのかな」 「さあ……」  別段、彼に狼狽《ろうばい》の色は見えない。  いつもと同じように、新聞に眼をさらしながら食事の出来るのを待っている。有里はもう一歩、夫の中へ踏み込んでその反応を確めてみたくなった。 「私もね、たぶん用事があって来たんだろうと思ったから訊《き》いてみたんですけど、何も言わないの……」 「変だな、どうしてだ?」 「さあ、どうしてでしょうね、どうも、あなたでないと駄目らしいのよ」  雄一郎が眼をあげた。 「馬鹿《ばか》……なんだ、その言いかた……」 「でも、そうなんですよ、なにも言わないで、あなたが夜勤だといったら、がっかりしてね、はっきり態度にみせるのですもの……なんとなく、いい気持ではなかったわ」 「おい。秀夫がいるでないか……」 「別に、やきもち焼いてるわけじゃありませんよ、ただね、なんとなく様子がおかしかったんで心配になったの」 「そういえば……」  雄一郎が、ふと思いついたように眉《まゆ》をよせた。 「俺《おれ》もここんとこしばらくあの店へは行ってないんだが、なんだか変な男からちょいちょい電話があったな……」 「変な男から電話……?」 「うん、加代に手を出すなとか、加代は俺の女だとかなんだとか……あまり馬鹿馬鹿しいので相手にしなかったんだがな……」 「ああ、その男ですよ」  有里は先日の脅迫の一件を、はじめて雄一郎に打明けた。 「ほんとに、あなた何の関係もないんでしょうね?」 「馬鹿、当り前じゃないか」  呆《あき》れたように有里を見た。 「お前、本気でそんなことを考えてたのか」 「別に本気でなんて考えてやしないけど……」 「多少はうたぐってたんだな」 「したって……」 「こいつめ」  雄一郎が指で有里の額を軽く小突いた。 「まだ亭主のことが信用できんのか、しようのない奴《やつ》だ」 「したって……」  有里は小娘のように頬《ほお》を赤くした。  怪訝《けげん》そうに両親の顔を見比べている秀夫に気づくと、有里はあわてて台所へたった。  ひとりになると、なんだか急におかしさがこみ上げてきた。味噌汁《みそしる》をかきまわしながらクスクス笑ってしまった。  冷静になって考えてみれば、雄一郎が加代とそんな変な関係になることなど絶対にあり得ないことなのだ。げんに、あの若い男の前ではえらそうな口をきいているくせに、夫に対しては必要いじょうに疑わしげなことを言ってしまう自分が恥かしかった。 (でも、妬《や》くのは愛している証拠よ……)  有里はさっき夫の前で口ごもって言えなかった台詞《せりふ》を、自己弁護の気持も含めてもう一度胸の中で繰返してみた。  それにしても、あの時の加代の態度には、やっぱり気になるものがあった。 「あなた、あとでちょっと加代さんのお店のぞいて来たら……」  今度はべつに他意を含めぬ声で、有里は台所から夫に言った。 「わざわざ行くこともあるまい、用事があるなら、又、来るだろう」 「そうかしら……」  加代に関する二人の会話はそこで跡切《とぎ》れた。  が、それから間もなく、隣家の岡井よし子の持って来た加代に関する報告を聞いて、有里と雄一郎は思わず顔を見合せた。 「かけおち……?」 「はあ……相手はなんでもいつも飲みにくる船員だというがね、あんたんとこには、やっぱり何んも言うて来なかったかね」 「いつですの、それ……いったい、いつ居なくなったんです?」 「昨日だと……店が閉ってから出掛けたで、てっきり風呂《ふろ》にでも行ったんだと思ってたら、そのまま朝になっても戻らんので、荷物さ調べてみたら、あんた、ろくな物も残っとらなんだのだと……」 「まあ……」 「店の金を持ち出したりはしてないでしょうかね」  雄一郎は洋服に着換えはじめた。 「とにかく行ってみましょう、どうも近頃様子が変だと思っていたんですが……有里、ちょっと行って来る……」 「ええ……」  雄一郎とよし子を送り出してしまった後で、有里は昨夜の加代のことを思い出した。 (何故《なぜ》、駈落《かけお》ちするならするで、一言私に相談してくれなかったのかしら……)  どうせ、あの若い男と一緒だろうが、加代が幸福な結婚生活を送れるとはどうしても思えなかった。いずれ捨てられるか、逃げだすかするだろう。折角、雄一郎に助けられたのに、今度は自分から再び泥沼へとび込んで行ってしまったのだ。  いつもと様子の違う加代に気がついていながら、どうして引き止めて問いたださなかったのだろうか。  理由ははっきりしている。加代が雄一郎と自分とを区別したからだ。加代が雄一郎を愛していると本能的に感じたからだ。そして加代を無意識に警戒したからだった。有里の心の動きは、素早く加代にも伝わったに違いない。それで、加代は逃げるように去って行ったのだ。  有里は哀《かな》しくなった。  昨夜、雄一郎が家に居さえしたら、いや、自分がもっと親身になって加代と応対してやっていたら……。 (それでもやっぱり、加代は駈落ちしていただろう……)  と、有里は思った。  たとえ雄一郎でも加代を引きとめることは出来なかったにちがいない。加代が本当に好きだったのは、あの若い男ではなく、雄一郎だったのだから。  有里は三千代のときにも、今日と同じような気持になったことを思い起した。  三千代は家を出たまま、何処に居るのかまるで消息がわからないという。  三千代にしても加代にしても、有里は憎いと思ったことは一度もなかった。それどころか同じ女として、痛いほどその気持が理解できる。しかし、それ以上のことを有里は何もしてやれない。  娘のころ、有里は自分の身を犠牲にして他人に尽す、いわゆる大きな、神のような愛に憧《あこが》れた時期があった。他人の餓えているとき、自分の食物をそっくり与えてやる行為こそ、人間として最高の行為ではないかと思ったものだった。  今の自分はそれとまったく逆のことをしているのではないだろうか。あまりにも本能の牙《きば》をむき出しにして、自分の仕合せのみを必死になって守りすぎているのではないだろうか。  有里はふとかたわらの秀夫を見た。  寝ころがって絵本を読んでいた秀夫は、いつの間にかスヤスヤ静かな寝息さえたてて眠っていた。 「まあ、風邪《かぜ》をひくわ……」  有里はその上に、雄一郎が脱ぎ捨てて行った着物をそっとかけてやった。  子供らしい長い睫《まつげ》、桃色のすき透るような色をした唇、さっき食べた安倍川餠《あべかわもち》の黄粉が口のまわりから頬《ほお》にかけて、まだいっぱいついている。  その寝顔を眺めているうちに、それまで有里の心に固くしこっていたものが、あとかたもなく消えて行くのを感じた。  三千代や加代にとった自分の態度は、妻として、母として、やはり当然のことだったのだという強い自信のようなものが、大きく胸の底からふくれ上って来た。 (やっぱりあれはあれで良かったのだ……今の私にとっては、秀夫を愛し、夫を愛し、家庭を守ることが一番神さまの意志にそうことに違いない……)  有里はようやく自分が、主婦としての使命をはっきり自覚したと思った。  夫の帰ってくる前にもう一度甘酒を温めなおしておこうと、有里は足音をしのばせて台所へたって行った。     2  内には血盟団《けつめいだん》事件、五・一五事件、神兵隊事件、外には上海《シヤンハイ》事変、満州国《まんしゆうこく》誕生、ドイツのヒットラー内閣成立など昭和七、八年にかけて、日本の周辺もますますその慌しさを増して行った。  世界は一歩一歩、戦乱に向って歩みつづけていたのである。  この間、有里のまわりにも色々なことが起った。  瀬木奈津子の家出、中田加代の駈落《かけお》ち……、そして、雄一郎の姉はる子は遠いハワイに行ったままだった。  岡本良平と千枝のところには三番目の男児良太が生れ、尾鷲《おわせ》の中里の家には、長女啓子が誕生したという。大阪へ嫁入った姉の弘子は、夫が結婚する前から囲っていた女に子供が出来たことを知って、別れるの別れないのともめていた。  しかし、なにかと血なまぐさいニュースで埋められた昭和八年は、暮になって、国をあげての喜びにかわった。昭和八年十二月二十三日、午前八時三十九分、皇太子殿下御生誕のニュースである。  そして、それにあやかった形で、有里も二人目の子を身籠《みごも》った。 「あなた……」  有里は助役試験の受験勉強に余念のない雄一郎のところへお茶を持って行った。 「ウム……」 「ねえ、あなた……」 「なんだ……」  煩《うる》さそうに顔を上げた。 「馬鹿《ばか》、言えよ」 「馬鹿馬鹿って、今朝からもう十回目よ」 「馬鹿、そんなくだらんこと数える奴《やつ》があるか、馬鹿だな……」 「十一回目……」 「馬鹿……」 「十二回」 「バ……」  雄一郎は照れくささをかくすため、無理に顔をしかめた。 「下らんことばかり言って……俺《おれ》は勉強中なんだぞ……」 「ねえ、あなた……」  有里はちょっと眩《まぶ》しそうな眼つきをした。 「あたし……出来たらしいわ」 「何が?」 「なにがって……鈍いわね……赤ちゃんよ……」 「えッ……」  雄一郎は一瞬眼を瞠《みは》り、穴のあくほど有里を凝視した。そして、それはすぐ溢《あふ》れんばかりの笑顔になった。 「馬鹿ア……」 「十三回……」 「馬鹿、なんでそれを早く言わんのだ、医者へは行ったのか」 「まだだけど、間違いないわ、秀夫のときとそっくり同じですもん」 「そうか……」  雄一郎は嬉《うれ》しそうに何度も頷《うなず》いた。 「もう出来てもいい頃《ころ》だと思ってたよ、しかし、あんまり遅いのでちょっと心配してたんだ……秀夫の奴にも、なによりの贈物だよ」  それは有里も同感だった。  ずっと一人っ子で育った秀夫は、どうも大勢の兄弟たちの間でもまれた子供にくらべるとひ弱で、我儘《わがまま》だった。  それに兄弟のいるということは、将来、秀夫にもどんなに頼りになり、心強いことであろう。自分たちはともかく、秀夫にはなんとしても弟か妹を与えてやりたいというのが、かねてよりの二人の念願だったのだ。  しかし、二人目の子供が産れると知って張り切ったのは、やはり雄一郎だった。  近頃、ややもすると惰性《だせい》に流れがちだった勤務にも、新しい意欲が湧《わ》いた。あまりすすまなかった助役試験の受験勉強にも、俄《にわか》に熱がこもりだした。  産婆は診察のたびに、胎児が順調に発育していることを有里に告げた。  冬のあいだ中、外には雪が吹き荒れ、大地も河も凍りついてしまったが、雄一郎の家にはストーブの火が赤々と燃え、明るい笑声が絶えなかった。  春になって、紀州《きしゆう》尾鷲などにくらべると二か月近くも遅い桜の花がちらほら咲きはじめる頃になると、ようやく有里のお腹のふくらみが、人目にも立つようになってきた。 「今度は男かな女かな……秀夫はどっちだと思う?」 「僕は女がいいな、妹だったらうんと可愛《かわい》がってやるんだ」  父子《おやこ》して、まるで水瓜《すいか》の実の熟すのを待つようなことを言っている。 「二人とも暢気《のんき》なこと言ってるけど、私は重くて大変なのよ、ほんとに女は損だわ……」  有里がぼやくと、秀夫は本気になって、 「母さん、この次は僕がかわってあげるから、今度だけは我慢しなさいよ、ね、ね……」  と慰めた。  かと思うと、有里の顔をしげしげと見ながら、 「母さん、やっぱり今度産れる子は女だね」  もったいぶったことを言う。 「どうして?」  案外、子供の直感は当るのかもしれないなどと思いながらたずねると、 「だって、母さんの顔ちっとも変ってないもの、隣りの小母さんが言ってたけど、顔がきつくなったら男で、変らない時は女だってさ」  いとも真面目《まじめ》な顔で答えた。  きっと、隣近所での話題をそばでじっと聞いていたのであろう。  有里自身の都合としては、やっぱり今度も男の子が産れたほうが、秀夫のときの衣類やなにかがそっくりそのまま使えて具合がいいような気がした。  尾鷲の母にも手紙で知らせてやったので、わざわざ腹帯を紀州から送って寄越した。太陽は明るさを増し、野山の緑が燃えたつようではあったが、まだ天候は変りやすい。朝のうち、うらうらと晴れわたっていた空に一陣の風が吹き起ったと思う間もなく、たちまち激しい春の嵐《あらし》が吹き荒《す》さぶ。  その日雄一郎の家を襲った出来事は、ちょうどそんな突風のようなものだった。  雄一郎はちょうど夜行列車に乗務する日で、玄関まで見送りに出た有里に、 「どうせ帰りは明日の朝だ、今夜は針仕事などせんで早く寝ろ、普通の体ではないのだから、冷えんように充分気をつけてな……」  いつものように注意を与えて出掛けて行った。  有里は夫に言われたように、その夜は早目に戸締りをして床についた。  それからどのくらい睡《ねむ》ったのだろう、ふと、表の方で人の叫び声を聞いたような気がして目を覚ました。 (夢だったのかしら……)  しかし、今度はもっとはっきりと人の走る足音や、けたたましい叫び声などが聞えた。 「火事だ! 火事だア!」  有里は咄嗟《とつさ》にとび起きて、外の様子を見に玄関の戸をあけた。すぐ眼の前を人が走り抜けた。夜だというのに、なんだかひどく明るいようだった。 「ねえ、室伏さん、大変だよ」  隣りの岡井よし子が大きな荷物を肩にしょって、有里の前に立ちはだかった。 「裏の工場が火事なんだと……早く秀夫ちゃんを連れて逃げんと……愚図愚図してると焼け死んでしまうよ」 「は、はい……」  有里は再び家の中へ駆け戻った。  秀夫を起し、仏壇の位牌《いはい》と貯金通帳、それに僅《わず》かばかりの身の回り品を風呂敷《ふろしき》に包んで外へ出た。  春とはいえ、夜はまだかなり寒い。  しかし、有里はそんなことはまるで感じなかった。外へ出てふりかえると、家の屋根の上に高く焔《ほのお》や火の粉が舞い上り、いまにもこちらの軒に火が移りそうな情勢だった。 「水だ、水だ……」  近くで誰《だれ》かが怒鳴った。 「バケツ、バケツ……」  そのとき、ようやく半鐘が鳴りだした。  有里は秀夫を安全な場所へ移すと、もう一度家へとってかえした。雄一郎の大事な書類を入れた鞄《かばん》や鼈甲《べつこう》の簪《かんざし》などがまだそのままだった。  家の中へ入ろうとしたとき、 「奥さん、まだこんな所に居たの……」  岡井よし子に呼びとめられた。 「バケツが足りないんだよ、有ったらちょっと貸してちょうだい」  よし子は消火に協力しているらしく、どこからか借り集めてきたらしいバケツを両手にぶら下げていた。 「とにかく、火がこっちへ来ないように家に水をぶっかけるんだよ」 「私も行きます」 「そうかい、すまないねえ……」  有里は自分の体のことも忘れて、よし子の後から走り出していた。  火は明け方ちかくになってようやく消えた。  バケツリレーに活躍した有里は、秀夫の手を引きへとへとになって家へ帰った。  しばらくすると、よし子がおむすびを五つほど皿に入れて持って来た。 「御苦労さん、炊きだしだよ……秀夫ちゃん、さあお上り……」 「うん」  秀夫はすぐ手をのばした。 「ほんとに、ボヤですんだからいいようなものだがね、貰《もら》い火で焼け出されでもしてごらん、泣くにも泣けんわね……」  よし子に相槌《あいづち》をうっているうちに、有里は下腹部にはげしい痛みをおぼえた。 「母ちゃん、末雄が泣いとるぞ」  三郎が母を呼びにやって来た。 「はいよ、子供も泣くべさ、夜なかの火事さわぎだもんね……」  よし子が出て行きかけた時、有里は遂に耐えきれずにうめき声をあげて突っ伏した。まるで、はらわたを抉《えぐ》られるような痛みだった。 「母さん……」 「有里さん……」  秀夫が有里にしがみつき、よし子が驚いて駆け寄った。     3  腹痛の原因は、やはり心配したように流産だった。  昨夜の火事騒ぎがいけなかったのだ。  有里は流産と知ると、すぐ、 「岡井さん、主人に……主人には知らせないでください、知らせないで……」  よし子に言った。 「したって、あんた……」 「知らせないでください……主人が帰るまで……絶対に知らせないで……」 「落着いて……落着いて、奥さん、さもないと出血がひどくなりますから……」  医師が更に鎮静剤の注射をしなければならないほど、有里は執拗《しつよう》にそのこと繰返し続けた。  流産の苦痛と悲しみのどん底で有里の心をとらえたのは、かつて塩谷《しおや》時代、関根重彦の妻の流産が危機一髪の事故の遠因になったということであった。  夫に、関根重彦の二の舞をさせてはならない、有里はそのことだけを必死に叫び、やがて深い昏睡《こんすい》におちいった。  雄一郎は翌朝、乗務を終えて帰宅してから火事騒ぎと妻の流産を知った。  雄一郎が有里の寝かされている部屋へ行ってみると、有里はよく睡《ねむ》っていた。昨日まではあんなに血色もよく、産婆からも順調だと言われて喜んでいたのに、人間の幸福のあまりの脆《もろ》さに暗澹《あんたん》とするばかりだった。  部屋の隅に、有里が縫いかけていた赤ん坊の着物が置いてあった。  それを見ているうちに、雄一郎は思わず眼頭を熱くした。 (有里、どんなにつらかったことだろうなあ……それなのにお前は俺のことを心配してくれたんだってなあ……ありがとう、ありがとう……)  雄一郎は、妻の少しやつれた寝顔に向って頭を下げた。 (したが、俺は大丈夫だ……お前のその気持にたいしても絶対にくじけやせん……いいか有里、俺たちさえしっかりしておりさえしたら、どんな不幸な目にあっても大丈夫なんだ、負けないんだよ……)  しかし、有里に寝つかれて、雄一郎はさし当っての生活に困った。隣りの岡井よし子は相変らずよくやってくれるが、かといってそう何からなにまで甘えているわけには行かない。  いっそ手伝いの婆さんでも探そうかと思っているところへ、小樽《おたる》から去年生れたばかりの良太を背負って千枝がひょっこりやって来た。 「しばらく手伝いに来てやったんだよ、兄ちゃんはうちの人と違ってなんにも出来んから、有里姉さんも安心して寝とられんだろうと思ってね……」  早速、病人の世話から食事、洗濯など甲斐甲斐《かいがい》しくしはじめた。 「有里姉さんにはいつもお世話になってるから、こんな時にご恩返しをしないと……」  と言う。雄一郎は初めて、有里が月々|僅《わず》かながら千枝の所へ金を送っていることを知った。  千枝のところは子供も多く、それに最近、良平の遠縁に当る機関手志望の少年が、福井《ふくい》からわざわざやって来て、半ば強引に居候として住み込んでしまったため、どうにも家計のやりくりがつかない状態だったのだという。 「へえ、そうだったのか……」  雄一郎は、有里が自分の本当の妹でもない千枝にもそれほどまで心を配っていてくれたのかと、あらためて頭の下る思いがした。  千枝は、雪子、辨吉の二人の子供は坂井正作というその居候がよく面倒をみてくれるからといって、一週間ほども釧路《くしろ》に留ってから帰って行った。帰りぎわに雄一郎に向い、 「早く助役さんになって姉さんを喜ばしてやらんといかんよ……折角できた子供をなくしてしまって、姉さん可哀《かわい》そうだもん……兄ちゃん、うんとけっぱって姉さんを喜ばしてやるんだよ、なくなった子の供養にもなるからね……」  と言った。 「ほう、驚いたな、お前がそったらこと言うようになるとはなあ……雷でも鳴るんでないのか……」  雄一郎は笑ったが、しかし、ただ口先で笑いとばしてしまうことは出来なかった。このところずっと、彼も千枝と同じことを考えていたからである。  千枝の言葉に刺戟《しげき》されたからでもないだろうが、雄一郎はこの年の助役試験に見事合格した。  講習期間を終えると、いよいよ釧路駅の予備助役として勤務するようにとの辞令がおりた。  初出勤の朝、有里は赤飯を炊き、小さいながら尾頭《おかしら》つきの鯛《たい》で雄一郎の門出を祝った。  秀夫は赤い帯の入った帽子が魅力らしく、雄一郎にかぶらせたり、自分でかぶってみたりしてはしゃいでいた。 「じゃ、行ってくるぞ……」  帽子をかぶり直し胸を張って有里と秀夫に手を振った。 「行ってらっしゃい……」  有里がまぶしそうに雄一郎を見上げた。  もうすっかり健康を回復しているはずだったが、肌の色艶《いろつや》はまだ完全ではなかった。  雄一郎は、ふと、有里が涙ぐんでいるのをみつけて胸をつかれた。  有里が夫の出世を喜んでいることはもちろんだが、その背後にある赤ん坊を失ったことへの哀《かな》しみの深さを雄一郎は見たと思った。 (哀しみが深かったからこそ、今度のこの喜びも大きいのだ……)  雄一郎はやさしく有里を見つめた。 「じゃ、行ってくる、お前もあんまり無理をするなよ、まだ体が本当じゃないんだから……」 「あなたも、お気をつけて……」 「父さん、今日はいい日なんだから、お土産《みやげ》ね……」  秀夫が要領のいい註文《ちゆうもん》を出した。 「こいつ、ちゃっかりしてるな」  雄一郎と有里は思わず顔を見合せて笑いだした。笑いながら、雄一郎は助役となった喜びの本当の意味を胸の中でしっかりと噛《か》みしめていた。  その日の夜、勤務の終ったあとで雄一郎は有里と秀夫を連れ、町の写真館で記念の撮影をした。これは雄一郎の思いつきというよりは、むしろ有里の強い希望で、雄一郎の助役姿を一目、ハワイに居るはる子に見せてやりたいというのだった。  ハワイのはる子からはその後、年に四、五回は手紙が来た。  最初のうちは日本が懐しいのか感傷的な文面が多かったが、そのうちハワイの気候風土の素晴らしさを述べ、出来たらこちらに永住したいなどと言ってくるようになった。  伊東栄吉との問題がその後どうなったのか、雄一郎としても一番気になることだったが、いくら問い合せても返事にはその点について一行も触れられていなかった。白鳥舎の女主人は、はる子と弟を一緒にしたがっているらしいという話を、いつか誰《だれ》からか聞いたような気がしたが、別にその縁談が進んでいる様子もなさそうだった。  たしか白鳥舎の女主人の弟とはる子の縁談のことを聞いたとき、伊東栄吉が故尾形清隆の娘和子と一緒になったという話も聞いたのだが、真偽のほどはわからない。いずれにしても、はる子がハワイへ行ってしまってもうかなりになるので、伊東が結婚してしまっただろうことは容易に想像された。  雄一郎にしても有里にしても、はる子や伊東栄吉の気持がどうしても理解できなかった。遠い北海道から、ただやきもきと見守るばかりであった。  雄一郎の助役姿を囲んで、親子三人の記念写真が出来上る頃《ころ》、雄一郎はリュックサックに米、味噌《みそ》、醤油《しようゆ》から鍋《なべ》までつめて、釧路と網走《あばしり》のちょうど中間くらいにある美留和《びるわ》駅に、予備助役として派遣されることになった。  美留和駅は摩周湖《ましゆうこ》、屈斜路湖《くつしやろこ》などにほど近い簡易駅で、居るのは駅長だけ、他の駅員は無しというような小さな駅だった。  この美留和駅のような簡易駅は北海道各線にかなり多く、駅長が一人で出札から改札、手小荷物の受付、通票の受け渡し、運輸事務所への連絡と、なにからなにまでやってのける。そして、こうした小駅には、釧路などのような近くの主要駅から予備助役がまわって来て、仕事を手伝うことになっていた。もちろん家から通うことは出来ないので、リュックサックに一週間分くらいの食料をつめこんで行くのである。  美留和駅の駅長は五十歳くらいになる、好人物の野尻という鉄道員だったが、歌が好きで、このころ盛んに歌われていた『我らが愛する北海道』というのを、いつも渋い声でうたいながら仕事をしていた。  ※[#歌記号]十一州のしずめなる スタクカムシュペの峰高く われらが心を現わして、国の中央《もなか》にそびえたり……  しかし、乗客の数も少く、手小荷物もめったにないうえ急行も止らないので、仕事は駅務より水くみ薪割《まきわ》りなどのほうが多いくらいだった。  そんな頃の或《あ》る日、良平が雄一郎のところへ妙な情報を持って来た。  先日、乗務を終えた良平が函館《はこだて》駅のホームを歩いていると、ばったり背広服姿の伊東栄吉に出逢《であ》ったのだという。 「いやあ、ずいぶん久しぶりだね……伊東さんはなして北海道さ来たのかね」  公務ではなさそうなので、良平は聴いてみた。 「うん、少々まとまって休暇がとれたんでね、急に思い立ってやって来たんだ」 「そうかね……したが、嫁さんは……一緒ではねえだかね」 「嫁さん?」 「あれ、結婚したんでねえのかね、雄一郎兄さんが、そったら話をしとったがね……」 「いや、結婚はまだしとらんよ」 「それじゃ、結婚したってのはただの噂《うわさ》かね」 「だろうね、身に覚えのないことだから……」 「そりゃそりゃ……で、これからどこさ行くのかね」 「別にあてはないんだが、まあ、小樽《おたる》へ寄って、それからどこか温泉へでも行くさ」 「釧路に雄一郎さんが居るが、寄ってかねえかね」 「釧路……そうさな……」  伊東はちょっと考え込む様子だったが、 「止そう……今は逢っても仕方がないだろう……よろしく言っていたと伝えてくれたまえ」  と言って、足早に去って行ったということだった。 「したら、伊東さんはまだ結婚なさっていらっしゃらなかったんでしょうか」  傍《そば》で聞いていた有里が、息をはずませるようにして言った。 「たしかに、そう言ってたよ」 「じゃあ、尾形さんのお嬢さんと結婚したんじゃなかったんだな……」  雄一郎もうなった。 「早速ハワイに知らせてやったほうがいいな」 「そうですよ、もしそうなら、一刻も早く知らせてあげなくちゃ……」  有里は急にそわそわしはじめた。 「良平さん、伊東さんはどこの温泉へ行くと言ってたの、もしかしたら、まだそこに滞在しているかもしれないわ」 「さあ……それはうっかり聴かなかったな……なにしろホームですれ違っただけだで」  良平は頭をかいた。 「こんなことなら、首に縄をつけても引っ張って来るんだった」 「まあいいさ、とにかく姉さんに伊東さんのことを知らせてやろう」 「南部駅長さんにも両方のことをくわしくお知らせしておいたら……きっとうまく取り計らってくださると思うのだけれど……」 「うん、そうしよう」  雄一郎は強く頷《うなず》いた。     4  昭和九年十二月一日、十七年間の鉄道技師やトンネル坑夫たちの苦闘の結晶による丹那《たんな》トンネルが遂に開通した。  導坑が貫通したのは一年前の昭和八年六月十九日、午前十一時三十分のことで、鉄道大臣三土忠造が大臣室からの電鈴合図により最後の爆破が行なわれたのである。  ダイナマイトの匂《におい》の中にぽっかりあいた貫通式から、汗と涙にまみれた、三島《みしま》口、熱海《あたみ》口の双方からの現場の人々の顔がのぞいた。その中には一生を鉄道工事に捧《ささ》げて、齢《よわい》七十五という古川阪次郎技師の姿もあった。  そして、それから一年有余の後、昭和九年十二月一日、めでたく開通の日を迎えたのであった。  丹那トンネル開通の日は、それまでなじみの深い御殿場《ごてんば》線と別れる日でもあった。東海道の幹線はこの日を限り熱海線を通り、トンネルを抜けて沼津《ぬまづ》へ達した。  丹那トンネルの開通で、旅客はスピードアップをはじめ御殿場線のトンネル内での煤煙《ばいえん》からまぬがれたし、更に、美しい伊豆《いず》海岸の風光とか、湯河原《ゆがわら》、熱海などの温泉地を通過する便利さなどに恵まれたが、一方、鉄道の方は一時的にではあるが大減収となった。  つまり、今までの御殿場線まわりにくらべて、熱海通過だと十一・八|粁《キロ》もの距離が短縮され、運賃がその分だけ安くなってしまったからである。しかし、大きな目から見れば、この丹那トンネルが国家にもたらした利益は莫大《ばくだい》なものがあった。  同じ十二月一日から、かねて懸案だった客車内の弁当、鮨《すし》、お茶などの車内販売が実施されるようになり、又、朝鮮鉄道では釜山《ふざん》、新京《しんきよう》間を『ひかり』が運転開始、満州鉄道では大連、新京間に特急『あじあ』が運転された。  このころは、日本の鉄道にとってもまさに絢爛《けんらん》たる時代であったのだ。  翌昭和十年、雄一郎は助役として釧路から倶知安《くつちやん》へ転勤することになった。  この前、塩谷から釧路へ転勤したときは、ちょうど三千代の事件などがあり、まるで逃げるようにして引っ越したものだったが、今度は正真正銘の栄転であった。  倶知安は函館本線で小樽から約二時間、南にはえぞ富士と呼ばれる羊蹄山《ようていざん》、西には東洋のサンモリッツといわれるニセコアンヌプリをいただく景勝の地である。  町の中央を流れる尻別川《しりべつがわ》の両わきにひろがる、山にかこまれた小盆地を、北海道の開拓民たちは北海道の小京都とよんで懐しんだ。  雄一郎は、なんといっても生れ故郷の塩谷まで駅にしてたった七つということが何よりも嬉《うれ》しかった。おまけに倶知安の駅長は前に釧路の助役をしていた桜川京助で、夫人の民子と有里は互いに気心も知れ、ごく親しい間柄だった。  雄一郎も有里もいそいそと仕度をととのえた。  ただ一つ心残りだったのは、釧路へ転任以来、なにくれとなく面倒をみてもらった隣りの岡井家と別れなければならないことだった。  雄一郎夫婦が釧路ですごした月日は、彼らの鉄道員生活の中でもっとも長かった。ちょうど不況時代やその他の事情が重って、転勤がおくれたためでもあったが、しかし、後になって考えてみると、この釧路時代が雄一郎や有里にとって、一番平和でおだやかな生活の時期であったようだ。  よき隣人に恵まれるということは、人間にとって何にもまして仕合せなことなのであろう。  大人たちのこの気持は、そっくりそのまま子供たち同志のあいだにも通じていた。秀夫は仲よしだった三郎との別れが辛くて、倶知安行をひどく嫌がった。  いよいよ室伏一家を乗せた列車の発車の時刻が近づくと、秀夫はホームまで見送りに来てくれた三郎と、お互に首の襟巻《えりまき》をはずして交換した。 「秀ちゃん、俺《おれ》のこと忘れんでくれよ」 「うん、さぶちゃんもな」  真剣な表情で別れの言葉を述べ合う子供たちを見ているうちに、有里もよし子も急に悲しみが胸にこみ上げてきた。 「そんじゃ、まあ、お達者でね……たまには手紙をちょうだいよ」  汽車が動き出すと、窓にすがりつくようにしてよし子が言った。 「奥さんもお達者で……いろいろ有難うございました……」 「さようなら、さぶちゃん……」 「また遊びに来いよな、秀ちゃん……」 「どうもお世話になりました……」  最後に雄一郎が敬礼した。列車はどんどんスピードをあげ、岡井家の人々の姿はみるみる遠ざかって行った。  しかし、感傷にそう長くひたる間もなく、室伏一家は倶知安での新しい生活の中にとび込んで行った。  倶知安駅での雄一郎の助役としての勤務ぶりもようよう板につき、有里と秀夫もやっと土地の生活に馴染《なじ》んだころ、駅前の雄一郎の官舎に一通の電報が舞い込んだ。  それは長らく結核で療養中の関根重彦の妻、比沙の死を知らせたものだった。  宛名《あてな》は有里になっていて、電文は、 『ツマシス オイデネガイタシ セキネ』  とあった。 「あなた、どうしましょう……」  途方に暮れて有里は雄一郎を見上げた。 「何故《なぜ》、私宛にこんな電報を……」 「とにかく、おいで願いたしとあるんだから、すぐに発《た》ったほうがいい……ひょっとすると、何か事情があるのかもしれん」 「事情って……?」 「ただ歿《なくな》っただけなら、わざわざ北海道のお前にまで来てくれとは言って寄越さんだろう」 「そうですねえ……」 「すぐ仕度しろ、秀夫や俺のことなら心配するな、困ったことがあったら千枝がいつでも来ると言ってくれているからな」  有里は雄一郎にせき立てられるようにして、千葉県|鴨川《かもがわ》へ向った。つい二か月ほど前、比沙からの手紙にそこで療養しているとあったのである。  関根重彦が妻のために借りた別荘は、海に近い松林の中にあった。  有里がその別荘の門をくぐったのは、倶知安を発った翌々日の昼前だった。  有里を出迎えたのは、比沙の母だった。娘の突然の死に京都から駆けつけたものであろう、セイの頬《ほお》にはやつれが目立ち、心なしか髪にもめっきり白いものが多くなっていた。 「有里はん……よう来てくれはりました……よう来てくれはりました……」  有里にすがりつかんばかりにしてセイは言った。 「すみません、遠いところを……」  関根も待ちかねたように奥から出て来た。 「いいえ、それよりも、あまり急なことで……そんなにお悪かったとは夢にも知りませんで……」  すると関根が複雑な表情を浮べた。 「……比沙は……まるで自分で自分の命を縮めたようなものだったんです……」 「えッ」 「ちょうど、あれが歿《なくな》る三日前の朝でした……近くの旅館に滞在していた絵描きさんが海岸に倒れていた比沙を連れてきてくれたんです……」 「海岸で……」 「あの子の言うには、夜明けに眼が覚めてしもうて、なんや、海が見とうなったのでそっと外へ出てみたというのどす……」  関根のあとをセイが引き取った。 「気分も良かったし、砂の上を歩いてみたかったのやと……けど、あの子の体はそんな一人で夜明けの浜辺を歩けるような状態ではなかったんどす」 「そう、それで浜辺で貧血を起したらしいんです」  関根が頷《うなず》いた。 「倒れているのを発見されて、家へ担ぎ込まれたのですが、それから喀血《かつけつ》がつづいて……とうとう三日目の夜に……」 「なんでそんな阿呆《あほう》なことをしたのか……」  セイが溜息《ためいき》をもらした。 「死ぬ前にあの子は何度もあなたに逢《あ》いたいと……北海道でのことが、よほど懐しかったのどすやろなあ……それでわざわざ電報を打ってもろて、有里はんにお線香をあげていただきたい思いましてなあ……」  セイは急に涙で声をつまらせた。 「そうそう、まだお茶も差上げんと……」  茶にかこつけて、部屋を出て行った。 「今度のことがなくとも、比沙の病気は決していい状態ではありませんでした。ちょうど、釧路《くしろ》から東京へ転勤して間もなく、胸をやられているとわかったんです。医者は気永に養生すればいいと言ってくれたし、僕もそう思っていました……しかし、比沙には僕が思った以上に療養生活がつらかったようでした。僕がこの前比沙を見舞った時、あれは、こんなことを言いました……私は結婚以来病気がちで、妻らしいことは何も出来ず、いつもあなたの重荷にばかりなってきてしまった、そのことを考えると申しわけなくて、いっそ別れてもらいたいと思っている……」  関根は眼を伏せたまま、低い声で続けた。 「……僕にはあれの気持はよくわかっていました……わかっていてもどうにもならなかった、どうしてやりようもなかったんです……だが、まさか、それほど追いつめられていたとは……夫として、何故《なぜ》そんな妻の状態がわからなかったのか……比沙は何故黙っていたのか……苦しいなら苦しいと、どうして一言僕にいってくれなかったのか……」  関根はずっとその問題で悩みつづけているらしかった。  有里には彼の苦しい胸のうちがよくわかった。しかし、彼が比沙の苦しみをどうすることも出来なかったように、有里もまた彼の苦痛をやわらげることは不可能だった。  有里は、声もなく慟哭《どうこく》している関根を、ただじっと見つめるだけであった。 (比沙さんが病気がちであったということだけで、二人がこんなに苦しまなければならないとは……)  あらためて夫婦という城のもろさを、思い知らされた気持がした。     5  有里が比沙の霊前に焼香をすませて戻ってくると、さっきの部屋に関根と並んで、美しいがやや沈んだ感じのする和服姿の女が坐《すわ》っていた。  有里がはいって行くと、好意のこもった微笑を浮べ、軽く目礼した。 「有里さんは初めてかな、尾形和子さんといって、僕の遠い親戚《しんせき》に当るんです……」  関根が和子を有里に紹介した。 「尾形和子です、ご主人様には以前お目にかかったことがございますのよ」 「ああ、では……鉄道省の尾形さんの……」  思わず声がはずんだ。 「そうでしたの……室伏雄一郎の家内でございます」  あらためて挨拶《あいさつ》を交わした。 「有里さん、和子さんがあなたに何か折入って話があるんだそうです、聞いてやってくださいますか……」 「お疲れのところ、すぐこんな我儘《わがまま》を申しまして申しわけありません」 「いいえ、とんでもない……」  有里は坐りなおした。 「で、お話って、どんな……?」 「あの……こんな所でお目にかかって、いきなりこんなことを申しあげるのもなんですけれど……私、あなたにお願いがございますの」 「なんでございましょう……」 「あの……実はハワイへ行っていらっしゃるはる子さんのことなんです……」 「義姉《あね》の……?」 「はあ……あなたでも、御主人様からでも結構なんですけど、はる子さんにお手紙を書いて頂けませんでしょうか」 「手紙と申しますと?」 「私のこと、世間ではいろいろに言っているらしいんですけど、私、伊東さんとは結婚しないことにしましたの」 「は?」 「いいえ、どうぞ誤解なさらないで下さいまし。もともと、伊東さんにはそんな気持が少しもなかったのに、私が勝手な我儘を言っていたのです……でも、もう、はっきりと決心しましたの、私と伊東さんとのお付合はただのお友達にすぎませんわ、伊東さんは今でもはる子さんがハワイから帰って来ることを……結婚できることを心から待ちのぞんでいらっしゃるんです。母がいろいろハワイへ伊東さんのことで申し上げたことは嘘《うそ》です。みんな娘|可愛《かわい》さにやったことなのです。ほんとうに、はる子さんには何とお詫《わ》びしてよいやら……どうか、このことを至急はる子さんにお伝え願えませんでしょうか、私も、はる子さんのお帰りになることを、少しも早くと願っておりますの、昔の私ならともかく、今の私は、はる子さんと伊東さんがお仕合せになることを、決して恨んだり哀《かな》しんだりはいたしません……」  和子はやや伏目がちにして語りつづけたが、終ると、眼をあげて有里を見詰めた。 「はる子さんに、私の本当の気持をわかっていただきたいのです」 「有里さん、どうかこの人の気持を汲《く》んでやってください、僕からもお願いします……」  関根も傍から言葉をそえた。 「昔はともかく、和子さんは今ではたった一人で下宿住まいをしながら、保育園の保母として、貧しい恵まれない子供たちを相手に働いているのです……」 「そうでしたの……」  有里はホッと息をついた。  女だから、有里には尾形和子の気持がよくわかる。恋を譲るとか、身を引くとか、そんな言葉で簡単に割切ることの出来ないはる子と和子の女心が、有里には痛いほどわかるのだ。  ハワイへ去ったはる子の立場も、伊東栄吉と結婚しないと言い切った尾形和子の気持も、どちらもそうせざるを得ない人間のかなしさであり、相手を思いやる情の故であった。  それでいてどちらにも、自分の行動や言葉とはまるで正反対な伊東への思慕《しぼ》がかくれている。それが、果てしない悩みとなり、交わることのない愛の平行線をたどる原因になっているのだ。 (これではいけない……)  と有里は思った。  今のままでは、伊東栄吉を含めて、はる子も和子も永遠に仕合せをつかめないで終ってしまうに違いない。  手をのばせば掴《つか》める仕合せを、三人が三人とも、お互同志のいたわり合いのために掴めず、いたずらに無駄な月日を送っている。 (いけない……)  と有里は思った。 (やはり、和子さんの言うように、お義姉《ねえ》さんに帰ってきていただかなくては……)  有里は和子を見た。  和子のさりげない微笑の奥に、ふと一抹の寂しさのただよっているのに気づき、有里はあわてて視線をそらした。 「ありがとうございます……早速|義姉《あね》にそう伝えてやります、義姉もきっと心から感謝いたしますことでしょう」  ぎこちない笑いを浮べながら有里は和子に言った。  北海道へ帰ると、有里は幾日もかかって、はる子への手紙を書いた。  言葉は足りなくとも、文字は拙《つたな》くとも、女として、義理の姉へ必死で訴えた。  仕合せになるために勇気を持って欲しい、一度は人を傷つけることになっても、仕合せになることで、その償いが出来るのではなかろうかと、心をこめて書き送った。  そして又、有里は伊東栄吉にも手紙を書いた。伊東からも、はる子に早く日本へ帰ってくるようすすめてもらうためである。  やがて、倶知安《くつちやん》の遠い山々に雪の化粧がほどこされる頃《ころ》、はる子からの便りが雄一郎夫婦の許にとどけられた。 『……日本へ帰ります。帰りたくて帰りたくて、海の上を走りだしたい気持です。白鳥舎のお店の責任があるので、そのほうをちゃんと片付けてから、帰国するつもりです……』  文面には、長いこと押えに押えたはる子の女心が、陽炎《かげろう》のように燃えていた。  この年の暮、千枝は五度目の出産をした。今度は双子で、前の年に生まれた月子を加えると、長女の雪子、辨吉、良太、月子、清三、清子と、全部で六人の子持となったのである。  雄一郎のところの秀夫は、この四月から町の小学校へ通いはじめていた。  ランドセルを背負い、近所の子供たちと誘い合せて、元気よく学校へ出掛けて行く秀夫の後姿を見送りながら、雄一郎も有里もあらためて歳月の流れの早さに目を瞠《みは》る思いがした。  いつの間にか雄一郎は三十、有里は二十六歳になっていた。  翌昭和十一年は、年が改って間もない二月二十六日、陸軍青年将校らが暴発し、内大臣|斎藤実《さいとうまこと》、大蔵大臣|高橋是清《たかはしこれきよ》などが暗殺されるという事態が起った。内閣は総辞職し、東京市に戒厳令が発布されるという騒ぎだった。  北海道では、秋に旭川《あさひかわ》の第七師団と弘前《ひろさき》の第八師団の陸軍特別大演習が天皇陛下をお迎えして、由仁《ゆに》付近で行われることになったが、倶知安は、その前哨戦《ぜんしようせん》として行なわれる第八師団の演習地に指定された。  第八師団には、秩父宮《ちちぶのみや》殿下が三十一連隊第三大隊長として居られ、宮様はじめ三千五百人の兵隊が倶知安近郊に泊ることになった。  それを迎える町では六月から痘瘡《とうそう》、腸チブス、ジフテリヤなどの予防接種や消毒などで大騒ぎだった。  鉄道でもこの為の特別ダイヤ編成で多忙を極め、雄一郎も連日連夜、大演習の受入れ準備に忙殺された。  陸軍側では、ある日、鉄道の幹部および現場の駅長、助役たちを札幌《さつぽろ》の料亭に招き、慰労かたがた今後一層の協力を要請する会合をひらいた。雄一郎もこの席によばれた一人だったが、そこで計らずも三千代に再会した。  三千代はこの料亭で、女中として働いていたのである。  この時の雄一郎にとって、廊下の薄暗がりで逢《あ》った三千代の印象は鮮烈だった。  年齢はちょうど二十六、七歳の、女としての成熟期を迎えていたし、ここ数年、世の中の裏道ばかりを歩き続けて来た生活が、彼女に或《あ》るきびしさと女っぽさを与えていた。  それは、平和な家庭で夫や子供に恵まれて暮している女にはない、なにか崩れた魅力のようなものでもあった。  会のあと、料亭の裏口で待ち合せ、雄一郎は三千代を近くのコーヒーショップへ誘った。  しかし、何から話していいのか、雄一郎はしばらく言葉が見つからなかった。     6  お互に、七、八年という長い歳月のへだたりは有っても、逢えばやっぱり昔の幼馴染《おさななじみ》であった。 「まったく、なにから話していいかわからん……あなたが南部の親父《おやじ》さんの家をとび出したと聞いて、ずいぶんあちこち探しまわったんだが……まさかこんな所で逢えるなんて……」  この前、三千代と別れたのも、此処《ここ》札幌の地だった。 「私だということ、すぐにお判りになった?」  三千代は努めて、心の中の動揺を外にあらわさないようにしているらしかった。 「そりゃ、わかりますよ」  雄一郎は再会の喜びをかくそうともしなかった。彼にとって、旭川やあの頃《ころ》の出来事はもう遠い過去のものであった。 「廊下で後姿を見ただけで、すぐ三千代さんだと判りましたよ」 「でも、変りましたでしょう……私……」 「変ったといえば変ったかもしれんが……やはり昔の儘《まま》ですよ、しかし……」  雄一郎が笑いだした。 「僕はあなたがきっと逃げ出すんではないかと思った」 「どうして……」 「いや、なんだかそんな気がしたんですよ……すみません」 「そういえば、凄《すご》いような目つきをなさったわ、逃げたらとびかかってくるみたいな……」 「そうですか……」  雄一郎は頭をかいた。 「自分ではおぼえていません」 「東京では逃げましたけど……もう逃げませんわ」 「東京で……?」 「上野駅で……たしか奈津子ちゃんを送っていらした時ですわ」 「じゃあ……」  雄一郎は息をつめた。 「あの時、やっぱり小料理屋のみゆきで働いていたというのは……」 「ええ……上野駅へお母さんのかわりに奈っちゃんを迎えに行って、あなたを見付けたんです。驚いたわ、まさか奈っちゃんと雄一郎さんが一緒に窓から首を出していたなんて……」 「しかし、みゆきで私が逢った人は三千代さんじゃなかった……」 「あれは、替え玉……あなたがみゆきへ来ることを奈っちゃんのお母さんが電話で知らせてくれたので、おかみさんに私の替りに出てもらったんです……」 「ひどいなあ……こっちはそうとは知らないから、がっかりしてしまった……」 「ごめんなさい、でも、あの時はまだどうしてもお逢《あ》いする勇気が無かったんです。それと……もう一回、一昨年《おととし》だったかしら、美留和《びるわ》という小さな駅で雄一郎さんの姿を見掛けましたわ。あの時は……本当はお目にかかりたかったんです……でもいよいよとなったら、やっぱりあなたが怖くなってしまって……」 「そうでしたか……ちっとも気がつきませんでした。あの時は、たまたま出張であの駅に行っとったんです」 「今日は札幌にご出張?」 「いや、昨年、倶知安に転勤になりました」 「そうでしたの……」 「三千代さん」  急に雄一郎が表情をあらためた。だが、それより先に、 「どうして家をとび出したか、どうして札幌に来ていたのかってお聴きになりたいんでしょう……?」  と三千代は言った。 「札幌へ来たのは、ただなんとなく北海道が懐しかっただけです……別に来るつもりはなかったんですけどね……」 「一昨年、美留和を通ったと言いましたが、それ以来ずっとこっちに?」 「いいえ、あの時は連れもあったし……ただなんとなく北海道を旅して、千葉へ帰ったんです」 「千葉へ……」 「関根さんの奥さんが歿《なくな》ったとき、私、すぐ近くの旅館に居ましたのよ」 「なんですって……関根さんはそのことを知っていましたか」 「いいえ、知ってたら、今夜こうして札幌で座敷女中なんかしていられなかったでしょう……あなたの奥さんもいらっしゃったそうね、初七日に……」 「いったい誰《だれ》から聞いたんです」 「連れから……私の連れが関根さんの奥さんが浜で倒れていたのを写生に行って見付けたんです。世の中って、広いようで狭いものね」 「すると……旅館に滞在していた絵描さんというのが……」 「私の連れでしたの。この前こちらへ来た時も一緒でした……」 「三千代さん……」 「軽蔑《けいべつ》なさった……?」  三千代は自嘲《じちよう》するように唇をゆがめた。以前の彼女には見られなかった表情である。 「いや……しかし、三千代さん、その人と今でも……」 「いいえ、千葉で別れました……」 「なぜ……」 「なぜって、それだけのお付合だったんですもの……」 「…………」  雄一郎は呆然《ぼうぜん》と三千代を眺めた。三千代が自分からずっと遠い所へ離れてしまっていたことに、ようやく気がついた。七、八年という歳月の流れは、人間の内容を一変させてしまうのに充分すぎる期間だったのだ。まして三千代はたった一人で世の波風と闘って来たのである。 「呆《あき》れていらっしゃるのね」  三千代が苦笑した。 「当然だわ……自分でさえ呆れているんですもの……」 「いや……それにしても、なぜ、三千代さんは……」 「家を出た理由ならお訊《き》きにならないで……申し上げておきますけど、私、ただ、自分が南部斉五郎の本当の孫ではなかったということだけで家を出たんではありませんのよ」 「したら……理由はなんです」 「今は申しませんわ、いつか、お話したくなったら申します」 「だったら、理由はどうでもいいです。あなたが家を出たあと、南部の親父さんや奥さんがどんなに心配し、どんなにあなたの行方を探したか……」 「わかっています、そのことは……」  三千代がようやくしんみりと肩を落した。 「いつも済まないと思っています……」 「すまないと思ったら、なぜ……」 「仕方がなかったんです」  再び眼をあげ、叩《たた》きつけるように言った。 「私、こうするより他に……生きられなかったんです」 「三千代さん、すると、あなたはずっと前からその絵描さんと……」 「違います、あの人とは、南部の家を出て、ずっとあとになって知り合ったんです、あの人の為に家出をしたんではありませんわ……男の人のために家出が出来るような女なら、私、十年前に家出しています……」  更に激しいものが三千代の表情をかすめた。 「僕には、どうしてもあなたの考えていることがわかりません……」  雄一郎は吐息をついた。 「私がどんな馬鹿《ばか》な女か……雄一郎さんは昔っからご存知だったじゃありませんか……」 「とにかく、南部の親父さんにあなたの居所だけでも知らせておきましょう」 「いいえ、それはいけませんわ、私が此処《ここ》に居るってことは川崎へは知らせないで……いつか知らせていい日が来たら、きっと自分でおじいちゃんに手紙を書きます」 「本当ですか」 「ええ……」 「じゃ、絶対に僕に無断で今の場所から移らないと約束してください」 「いいわ……」  ちょっと考えた後、三千代は頷《うなず》いた。 「そのかわり、条件があるの」 「条件……?」 「週に一度でいいから逢《あ》ってください。お休みの日か、お店が終ってからでも……私、やっぱり心細いんです……独りで居ると、自分をいつか滅茶滅茶にしたくなってしまうんです……お願い、私の話相手、相談相手になってください」 「いいですとも……」  雄一郎は躊躇《ためら》わずに言った。 「なんだったら、倶知安の家へも来て下さい、女房もあなたのことは随分心配していました」 「雄一郎さん……」  三千代が表情を固くした。 「なんですか」 「私と逢ったこと、奥さんには内緒にしておいてくださいません……」 「どうして……なんでそんな必要があるんです、女房は僕とあなたのことを少しも誤解なんかしていませんよ」 「嫌なんです、今の私がみじめだから……」 「そんなことはないですよ」 「おわかりにならないのよ、男の人には……女には女の気持があるんです……それとも、奥さんに内緒で逢うの、いけません?」 「困った人だな……」 「駄目なら駄目でいいんです、そのかわり、私もお約束しませんわ、明日にでもどこかへ行ってしまうかもしれませんわよ」 「そんな……」  雄一郎はうらめしそうに三千代を見た。自分を困らせて面白がっているのではないかとさえ思った。 「あんまり難題を吹っかけんで下さいよ」  すると、それまで多分に挑戦的だった三千代の眼がスッと和んだ。視線を暗い窓の外へ向けた。 「昔は、あなたに何んにも言えない女だったけど、今はなんでも言えそうよ……そういえば……」  三千代がクスッと笑った。 「昔もよく、あなたを困らせたわね、憶《おぼ》えていらっしゃる……一番最初にあなたと逢《あ》ったときのこと……あなたがおじいちゃんに私のお守りを頼まれて、浜辺へ連れて行ったでしょう……海のほうへ行ってはいけないってあなたが怒るのが面白くて、何度も波打ぎわへ行ったわ。わざと危い真似をしたり、水で着物の裾《すそ》をびしょびしょにしてしまったり……あなた、とても困った顔をしていたわ」  三千代は眼を雄一郎へ戻した。 「ねえ、雄一郎さん……女って、本当に好きな人には、どういうわけか無理難題を言ってみたくなるものなんですってね……」  真面目《まじめ》とも、冗談ともつかぬ表情だった。  雄一郎は視線をはずした。 「もう、お帰りにならないといけないわね、奥さんと、お子さんが待っているんでしょう……」 「三千代さん、とにかく約束してください、今の店から動かないと……」 「私のお願いもきいてくださるなら……」 「わかりました……」  止むなく頷《うなず》いた。 「あなたの言う通りにしましょう」 「じゃ、さようなら」  三千代は立ち上った。 「私から駅の方へ連絡しますわ」 「本当にどこへも行かんでくださいよ、あなたに逃げられたら、南部の親父《おやじ》さんに申し訳がたちませんからね」  三千代は雄一郎をじっと見詰めた。そして、 「あたし……逃げませんわ、今度は……」  低いけれど、しっかりとした声で言った。     7  雄一郎は三千代のことを、何度も妻に相談しようかと思った。  しかし、その度に三千代との約束を思い出した。有里に話して、かえって休日に札幌《さつぽろ》へ行くたびに、あらぬ疑いをかけられそうな気もした。  また、ちょうどその頃《ころ》、尾鷲《おわせ》から有里の母のみちが孫の啓子を連れて来ていて、なんとなく三千代の話をしにくくもあった。  雄一郎は、結局、誰《だれ》にも秘して、時々札幌へ出掛けて行くようになった。  むろん三千代に逢《あ》うためだが、雄一郎はいつも、本当に話をするだけで帰って来た。それも大半は、なんとかして三千代を南部斉五郎の許《もと》に帰らせようとの説得に費された。  北海道での大演習も事なくすみ、やがて、年が明けて昭和十二年を迎えると、早々にハワイからはる子の帰国を知らせる手紙が雄一郎夫婦の許に届いた。  もっと早くに帰れるつもりが、白鳥舎を引継ぐ予定でハワイへ行った伊吹きんの弟の亮介が自動車事故で入院するなどで、つい、予定が遅れたということだった。  北海道の遅い春の花便りのように、はる子の手紙は雄一郎夫婦にも、良平・千枝の夫婦にも、待って待って待ち抜いた知らせであった。  そして、秋九月、はる子は胸一杯に仕合せの息吹《いぶき》を抱えて、故郷日本の土を踏んだ。  その日、横浜には、すでに知らせを受けた南部斉五郎夫婦と白鳥舎の伊吹きんが出迎えに出ていたが、船が桟橋に着き、タラップから乗客たちがどんどん降りてくるのに、肝腎《かんじん》の伊東栄吉の姿が見えなかった。 「伊東はまだ来とらんな……いったい何を愚図愚図しとるんだ」 「そんなことおっしゃったって無理ですよ、私たちは川崎ですからね、横浜はすぐ目と鼻の先ですけど、伊東さんは千葉から来るんですからね」  斉五郎がやきもきするのを横眼で見ながら、節子は至極のんびりと構えている。 「千葉がなんだ、あっちはハワイから帰って来るんだぞ、千葉とハワイとどっちが遠いと思っとるんだ」 「そんなこと、きまってるじゃありませんか」  節子が手の甲を口に当てて笑った。 「斉五郎さんも年とったわね、その煙草、なんですよ、さっきからつけたり消したり……せっかちは昔からだと思ってたけど、いい年をして、少しは落着きなさいよ」  伊吹きんにまでたしなめられて、斉五郎は口惜《くや》しがった。 「この馬鹿《ばか》共、俺《おれ》が心配しとるのは、はるちゃんの気持を思えばこそだぞ、はるばるハワイから帰って来て、肝腎の伊東栄吉の姿が見えなかったら、いったいどんな気持がすると思うんだ。お前らが何人|雁首《がんくび》を並べたって、なんのたしにもならないんだぞ」 「来ますよ、伊東さん……ちゃんと時間だって知らせてあるんですから……」 「どこに来とる……え、どこに居るんだ、来とらんじゃないか」 「今に来るわよ、斉五郎さん」 「来なかったらどうする、来もせん者を、来ます来ますと……無責任な奴《やつ》らだ……大体、伊東はのろますぎる、のろまだから、いつまでたっても好きな女と結婚も出来んのだ……大体、あいつは、たるんどる」 「あっ、はるちゃんよ……」  伸び上ってタラップの方を見詰めていたきんが突然|頓狂《とんきよう》な声を出した。 「ほら、あの真中辺のところにいる……ちょっとオ——はるちゃん——」  きんはあたりを憚《はばか》らぬ大声ではる子を呼んだ。 「それみたことか、とうとう間に合わんじゃないか……」  斉五郎が、がっかりしたように言った。 「あなた、行きましょう、はるちゃんのところへ……」  節子が斉五郎をうながした。  だが、その時、人ごみを掻分《かきわ》け、泳ぐような恰好《かつこう》で斉五郎たちの前へとび出して行った男があった。  伊東栄吉だった。  伊東は、タラップを降りきりこちらへやってくるはる子の前に立った。 「はるちゃん……」 「栄吉さん……」  はる子も立ち止まった。  どちらからともなく、しっかりと手を握り合った。  斉五郎も節子もきんも、それを見て思わずはっと足をとめた。 「そばへ行っちゃいかんぞ、そっとしといてやれ」  斉五郎が短く叫んだ。それから、ほっと息をつき、腹の底から安心したように、 「よかったなア……よかった、よかった……」  眼をしばたたきながら呟《つぶや》いた。  はる子の帰国の知らせは、北海道の倶知安《くつちやん》へも小樽《おたる》へも同時に届いた。  そして、結婚式は伊東とはる子の強い希望で、南部斉五郎の仲人により北海道で挙げたいとあった。  この年は七月七日の蘆溝橋《ろこうきよう》事件以来、中国大陸に於ける日中双方の戦火が拡大の一途をたどりつつあった。  そんな中で、このはる子の結婚のニュースは、北海道の雄一郎たちの心を明るい気持で一杯にした。  何を言っても、笑っても、家族たちの誰《だれ》もが、はる子の顔を思い浮べた。長い間、自分の仕合せに目をつぶり、健気に働き続けて来た姉を、きょうだい達は今度こそと心から祈り、祝福していた。  又、一方では、北海道へ発《た》つまでの日を、はる子は寄宿先の白鳥舎と川崎の南部宅を往復して、式の準備にいそがしかった。花嫁衣装や道具は、伊吹きんが全部用意することになった。伊東も打ち合せに、しばしば千葉から出て来た。  斉五郎夫婦も、久しぶりに訪ねる北海道に、そわそわと落着かなかった。  そして、予定より一日遅れた十月一日、青函《せいかん》連絡船で海峡を渡って、伊東栄吉、はる子、そして南部斉五郎夫婦と伊吹きんの一行は、函館から札幌行の急行列車に乗り込んだ。  函館を出ると間もなく、検札に来た中年の車掌《しやしよう》が南部斉五郎に挨拶《あいさつ》した。 「駅長さん、お久しぶりです、私は小樽で小荷物をやっとりました皆川です……」 「おお、皆川君……そうだ、皆川君だ……」  懐しそうに手を握り合った。 「実は、小樽のほうから連絡がありまして、駅長さんが今度北海道へおいでだというので、みんな楽しみにしておりました。まことに恐縮ですが、着駅ごとに、窓からお顔を見せてやって下さいませんでしょうか、みんなお待ちいたしておるはずですから……」 「そうか、そうか……ありがとう……」  その車掌が予告して行った通り、各停車駅には、かつての南部駅長の薫陶を受けた者たちが待ち構えていた。  すでに駅長に出世している者もあり、助役の帽子をかぶっている者もある。まだ下積で働いている者もあった。  しかし彼等に共通していることは、どの顔にも恩師に再会する懐しさにあふれ、どの眼にも父親を迎える喜びの色が浮んでいた。  そして又、窓から体をのり出すようにして、一人一人と言葉を交わし、再会を喜び合う斉五郎の顔も深い感動に満ちていた。  伊東栄吉やはる子が驚いたことには、斉五郎が、実に一人一人の名前から経歴、家族のことに至るまで正確に記憶していることであった。  事情を知らない客が見たら、いったい、この南部斉五郎という人物を何者かと訝《いぶか》しんだことだろう。  肩を叩《たた》き合い、手を握りしめて、その多くは涙で顔をくしゃくしゃにして、斉五郎を見詰めていた。  高価な物も身に着けず、多くの随員たちを従えているわけでもない。ただ一介の、年老いた元鉄道員なのである。  それは、よき時代のよき鉄道人たちの姿であり、人と人の心が素朴に触れ合うことの出来た時代の光景であった。  函館《はこだて》から森、国縫《くんぬい》、長万部《おしやまんべ》と、一駅一駅が過ぎて行くたびに、伊東栄吉ははっきりと見た。  南部斉五郎という名もない一人の鉄道員が、真心こめて播《ま》いて行った種が、今、しっかりと根を張って、この北海道の鉄道を背負って立っているという現実をであった。 (俺も播こう、立派な種を……)  と伊東は思った。 (いつの日か、南部の親父さんが播いてくれたのと同じ種を日本中の鉄道の上に、遥《はる》かな人生の上に、一粒でも二粒でも播かねばならぬ……)  窓辺に頬《ほお》を寄せ、久方ぶりの北海道の曠野《こうや》にうっとりと眼を細めている斉五郎の横顔を、伊東栄吉はいつまでもじっと見詰めていた。     8  はる子、伊東、南部斉五郎たちの一行が北海道へ向って出発する少し前、雄一郎がめずらしく風邪《かぜ》をひいた。  医者はたいしたことはないと言ったが、熱がかなり高く、全身が抜けるようにだるくてどうしても起き上ることが出来なかった。  欠勤届を出しに、有里が駅まで行った。 「実は、今、お宅へ伺おうと思ってたところなんですよ……」  雄一郎の塩谷駅時代の同僚で、ちょうど同じ頃倶知安駅の助役となった佐藤が笑いながら言った。 「ちょっとの差で損をしましたね」 「何か御用でしたの?」 「さっき札幌から室伏君に電話がありましてね、なんでも急な相談事があるので、なるべく近いうちに店へ訪ねて来てくれるよう伝えて欲しいとのことでした」 「店……ですか?」 「ええと、ここに電話番号がひかえてあります……」  佐藤はメモした紙を有里に渡した。 「たしか、瀬木さんとかいう人でした」 「瀬木さん……?」  有里が目をまるくした。 「女の人でしょう」 「い、いや……その……」  佐藤が口ごもった。 「いいんですよ、隠さなくたって、瀬木千代子さんでしょう」 「なんだ、知ってたんですか」  苦笑しながら、佐藤は顎《あご》をなでまわした。  家へ戻ると、有里は早速このことを雄一郎に報告した。 「男の人って変ねえ、どうしてあんなことを庇《かば》おうとしたり、隠そうとしたりするのかしら……」 「さあなあ……」 「誤魔化したって駄目よ、始終あんなことをお互同志やったりやられたりしているの?」 「まさか……」  雄一郎は寝がえりをうった。 「したけど、奈っちゃんのお母さんがなんで札幌へなんか出て来たのかしら……あなたに相談って、奈っちゃんのことかしらね」 「フム……」 「案外、再婚話でも持ちあがって、奈っちゃんを引取ってくれとでもいうんじゃないかしら……」 「そうさな……」  体がだるいのか、雄一郎はあまり話にのってこなかった。 「病気がなおったら行って来よう」 「あなた、私が行ってはいけません?」 「お前が……?」  雄一郎がふりむいた。 「どうして……」 「札幌に出たついでに、はる子お姉さんのお茶碗《ちやわん》やなにかも買いたいし……もし、奈っちゃんも来ているのなら、少しでも早くお顔が見たいんです」 「馬鹿だな、お前は……いい話かどうかわかりもしないのに……」 「そりゃ、そうですけど、でも……」  雄一郎は何故か有里の顔をじっと見上げていた。そして、低く、 「じゃ、行って来い……」  と言った。  出がけに、もう一度有里を呼びとめて、 「南部の親父さんが近く北海道へ来ることを伝えてやってくれ、是非|逢《あ》うように俺が言っていたとな……」  と、付け加えた。 「瀬木さんにですか?」  妙なことを言うと有里は思った。 「そうだ、忘れずにな」 「はい」  返事はしたものの、有里は雄一郎が熱のために何か錯覚を起しているのではないかと疑った。  雄一郎と秀夫のことを、近所に住む佐藤良一の妻に頼み、有里は札幌行の列車に乗った。  釧路《くしろ》で別れて、もう四年、どんなに大きくなっていることであろう。時々は北海道のことも思い出してくれていたであろうかなどと、次から次と、再会の場面を胸に思い描いた。  札幌のデパートで、奈津子のために、綺麗《きれい》な刺繍《ししゆう》のあるハンカチと手袋を買い、佐藤に教えられた電話番号を交換手に告げながら、受話器を握りしめる有里の手は期待で熱くなっていた。  電話に出たのは男の声だったので、有里は遠慮して、店への道順だけを聞いた。  だしぬけに訪ねて、奈津子をびっくりさせてやるのも悪くないと思った。  途中、道を尋ね、尋ねして、教えられた『花村』という料亭の裏口に有里はようやく辿《たど》りついた。  しかし、木戸は中から鍵《かぎ》がしまっていた。  有里が途方に暮れていると、しばらくして中で人の足音がして、戸が開いた。  二十七、八のアカ抜けした女が、体を曲げるようにして木戸から出て来たが、その顔を見たとたん、アッと、有里は息をのんだ。  女も有里を見て立ち竦《すく》んだ。しかしすぐ平静をよそおい、 「室伏さんが教えたんですのね……」  と微笑した。三千代だった。 「あなた、なにしに此処《ここ》へいらしったの」  隠そうとはしているが、明らかに敵意を抱いた言いかただった。 「私、あの……瀬木さんに……瀬木千代子さんにお目にかかりに参ったのですけれど……」 「瀬木千代子さん?」 「駅へお電話を戴いたと、主人の同僚の方が教えて下さったので、それで、あの……主人が病気中だったものですから……」 「室伏さん、ご病気……?」  三千代の表情がすっと和んだ。 「そう、それであなたが……」 「あの、瀬木さん、このお店に……」 「千代子さんなら居ませんわ」 「えッ?」 「瀬木千代子さんの名前を使って電話したのは私だったんです」 「なんですって……」 「ここではお話も出来ませんわね、参りましょう……」  三千代は先に歩きだした。  間もなく二人は近くの公園のベンチに坐っていた。 「では、主人が三千代さんと逢いだしたのは、去年の夏ごろだとおっしゃるんですか」 「ええ、偶然、あのお店の廊下でね……」 「それ以来ずっと……」 「そう頻繁でもないけれど、時々雄一郎さん、札幌へ行くなんておっしゃらなかった?」 「…………」  有里は眼を伏せた。 「ごめんなさい、私、雄一郎さんに難題を吹きかけたのよ、絶対に私のこと誰《だれ》にも話さないでって……もし誰かに言ったら、すぐ行方をくらましてしまうって申し上げたんです」 「でも、どうしてお帰りにならないんですか、川崎のお家へ……」 「そんなこと……あなたのような幸福な奥さんに、私みたいな女の気持がわかるわけがありませんわ」  三千代は不意に有里のほうへ向き直った。 「一度あなたに申し上げようと思ってたんです。私、子供のころから雄一郎さんが好きだったんです……あの人からも恋文をもらったこともあります……今でもあの人が好きです。どこに居ても、何をしていても、雄一郎さんのことが忘れられないんです……」 「三千代さん……」 「あなた、もし私が雄一郎さんを譲ってくれって頼んだらどうなさる?」 「本気で……本気でそんなことをおっしゃるんですか」 「いけませんこと……」  三千代の眼の中に、挑みかかるような強い光はすでに消えていた。 「お断りします」  有里はきっぱりと言った。 「私は室伏雄一郎の妻です。昔、あなたと主人のあいだに、どんなことがあったのかは存じません……ただ、本当にあなたが主人を愛していらっしゃったのなら、どうして主人と結婚なさらず他の人と結婚なさったんです。さっき、あなたは私のことを仕合せな妻だとおっしゃいましたわね、たしかに私、今は仕合せです、でも、最初からこうだったわけでもないのです、私は私なりに努力し、勇気を出して一生懸命幸福をかち取って来たんです、ですから、もし……あなたが私たちの家庭を壊そうとなさるのなら、私も必死になって自分の城を守ります」 「随分、自信たっぷりでいらっしゃるのね……」  三千代は揶揄《やゆ》するような表情で有里を眺めた。 「じゃ、私と内緒で札幌で逢《あ》っていたことをどうお思いになる?」 「それは……あなたとの約束を守ったからですわ、 そして、 私を信じてくれていたからです」 「あなたを信じる?」 「ええ、たとえどんなことがあっても、私が主人を誤解しないことを信じていたからです」 「まあ……あなたって、なんでも自分に都合のいいように解釈なさるのね」  呆《あき》れたように言った。 「そうかもしれません、でも‥…私、主人を信じています、今までずっと信じて来たんです。これからだって信じて行くつもりです」 「ほんとに珍しい方だわ」  三千代が笑いだした。 「今どき、そんな、あなたのような人が居るなんて……」  三千代に笑われても有里は平気だった。何んと言われようと、雄一郎を見る自分の眼の方が正しいと信じていた。 「だったら、もし、雄一郎さんがあなたのことを、もう、愛していないって言ったとしたらどうなさる……それでもあの人に獅噛《しが》みついているおつもり?」  有里は驚いて三千代を見た。今迄《いままで》にそんなことを想像もしたことがなかったからだ。 「その時は……」  有里は口ごもった。 「その時は、私……」  ふっと哀《かな》しくなって、俯向《うつむ》いた。  そんな有里の様子を、じっと三千代は見詰めていた。そして突然、低い声で笑いだした。 「ごめんなさい、冗談なのよ……ごめんなさいね、あなたも雄一郎さんもあんまり仕合せそうなんで、つい、そんな冗談が言ってみたくなったのよ……」 「三千代さん……」 「私ね、実は好きな人が出来たの、それで、雄一郎さんに相談したかったんですけれど……別に相談するまでもないことなのよ。私、その人と近く結婚するんです、お帰りになったら、雄一郎さんにそのことおっしゃって……ご病気がなおったら、一度、お邪魔してお話しますって……」  三千代は立ち上っていた。 「じゃ、さようなら」 「あ、三千代さん、本当に来てくださいますか……」 「ええ、伺います、たぶん来週にでも……」 「是非そうしてください、実は南部駅長さんがもうじきこちらへいらっしゃることになっているんです、お願いですから駅長さんの所へ戻ってあげてください」 「おじいちゃんが、北海道へ……」  背を向けたまま、三千代は呟《つぶや》いた。 「そう……そうだったの……」 「来てくださいますね」 「ええ」  三千代がふり向いた。 「行くわ、きっと、おじいちゃんによろしく言っておいてちょうだい……」  そのまま、札幌の町の夕闇《ゆうやみ》の中に消えて行った。     9  有里は帰りの汽車の中で、先刻の三千代との会話を思い返していた。  三千代の前でこそ立派なことを言っていたが、やはり、雄一郎が去年の夏ごろから三千代と時々|逢《あ》っていたという事実は不愉快だった。疚《やま》しいことはしていないにしても、なんだか夫に裏切られたような不快な気持がしきりにした。  三千代が言っていたように、恐らく何処《どこ》へも行かない約束をしたかわりに、秘密を守るという条件を守らざるを得なかったのだろう。しかし、それは理屈では解っても、感情の点でどうもすっきりしなかった。  たまたま夫が病気だったから、こうした形で三千代の秘密が発見されたのだが、もしいつものように出勤していたら、或《あるい》はこの先何年間も二人は隠れて逢いつづけるつもりだったのだろうか。 (ひどい……あんまりだ……)  と有里は思った。  それにしても、どうして夫は今日の電話が三千代からだったということをまるで気がつかなかったのだろうか。三千代はいつも変名で駅へ電話をしていたらしいのに……。そこまで考えたとき、 「あッ……」  有里は思わず声をたてた。 (やっぱり、あの人、電話が三千代さんからだってことを知っていたんだわ……)  ようやく、雄一郎が有里の出掛けに言った妙な言葉の意味がのみこめた。瀬木千代子に南部斉五郎のことを何故《なぜ》知らせなければならないのかと不思議だったが、相手が三千代だったら、あの言葉は当然なのだ。  有里は列車が倶知安駅に到着すると、佐藤の家に預けてある秀夫のことは後回しにして、いそいで家へ駆け戻った。 「あなた、知ってたのね、三千代さんだってこと……」  雄一郎の枕許《まくらもと》でまず言った。 「どうして、私を止めなかったんです」 「どうしてかな……自分でもよくわからん」 「ずるいわ」 「うん、そう言われても仕方がないな……しかし、それでいいような気もしたんだ……あとで変な弁解をするより、いっそこの機会に直接三千代さんから話を聞いてもらったほうがいいのではないかと……」 「ひどい人ねえ」 「すまん……実は俺《おれ》もそろそろお手あげだったんだ、三千代さんと妙な約束をさせられてしまったばっかりに動きがとれなくなってしまって……それに、最初はなんとしてでも説得して南部の親父《おやじ》さんの所へ帰そうと思ったんだが、それは不可能だということが最近わかった……だから、親父さんの来ることもお前から言ってもらったほうがいいような気がしたんだよ」 「三千代さん近く結婚なさるそうよ、そのことで来週中にも此処《ここ》へ見えるんですって……」 「結婚……?」 「そうよ、今日もそのことで相談したかったらしいの」 「嘘《うそ》だ……」  雄一郎は吐き出すように言った。 「此処へ来るというのも嘘だ……」 「やっぱり……」 「気がついていたのか?」 「……あなた……私、ただ別れて来てはいけなかったのかしら……」 「いや、そんなことはない、俺だってそうするより仕方がなかっただろう……あの人だって、もう子供じゃないんだ、どうすることも出来んよ……」  雄一郎はそっと眼をとじた。 「あなた……」 「ウン……?」 「私、悪い女だわ」 「どうして」 「だって、三千代さんが札幌から居なくなってくれることを、心のどこかで喜んでいるんですもの……」 「馬鹿《ばか》……」  雄一郎はちらと妻を見上げて微笑した。 「そんなつまらん事、いつまでも気にする奴《やつ》があるか……」  笑顔は見せていたが、やっぱり雄一郎は心から笑い切れないものがあった。  明日からはじまるであろう、三千代の流転が胸に重くのしかかっていた。  やがて、南部斉五郎が倶知安へやって来た時、雄一郎はこの一部始終を話して、三千代を引きとめられなかったことを詫《わ》びた。  斉五郎は聞き終ると、 「そうか……そうだったのか……」  さすがに残念そうな表情を見せたが、すぐ、 「いや、三千代のことをいろいろ心配してくれて有難う、本当にすまなかった、感謝するよ……」  と言っただけで、別段、雄一郎を咎《とが》めようとはしなかった。  伊東栄吉とはる子の結婚式は、故郷に近い小樽の料理屋の広間で行なわれた。  最初はごく内輪のつもりだったが、伊東の札鉄時代の友人や先輩、それに雄一郎の付合もあって、かなりの人々が会費もちで集ってくれた。  はる子は婚期こそ遅れはしたが、小柄なせいか年のことは気にならず、元々が美しい顔立ちなので、誰《だれ》もがついうっとりと見とれるような素晴らしい花嫁姿であった。  又、この日集った人間というのが、ほとんど南部斉五郎の薫陶を受けた人々で、それだけに、祝宴は和気藹々《わきあいあい》とした雰囲気に溢《あふ》れていた。  途中、新郎新婦は記念写真を撮るために一時席をはずした。  戻って来たとき、今度は、はる子は洋装だった。この日のために、わざわざハワイから持って来たものだけに、ぴったりとよく似合った。昔ながらの艶《あで》やかな文金高島田から、一変してハイカラな洋髪にスーツ姿となったので、客たちはしばらくは茫然《ぼうぜん》とはる子を見詰めていた。  そして、その頃、新婦の控室のほうでは、有里と伊吹きんが二人がかりではる子の花嫁衣装を千枝に着させていた。  その傍《かたわら》で、写真屋が千枝の衣装を着け終るのを怪訝《けげん》そうに眺めていた。 「変だと思う、写真屋さん?」  と千枝が笑った。 「あたしね、嫁に行くとき、うちの人のお父っつあんが歿《なくな》ったばっかしだったもんで、ちゃんとした嫁さんの仕度もせんと、着のみ着のままで南部駅長さんに盃事《さかずきごと》をしてもらったんだよ……それはそれでえかったけんど……女だもんね、一生に一度はやっぱりこうやって普通のお嫁さんの恰好《かつこう》がしてみたかったんだ……」 「なるほど……」  写真屋は大きく頷《うなず》いた。 「じゃ、ついでに一枚いかがです」 「そのつもりで、良平さんにも伊東さんの衣装をつけるように言ってあるわ」  有里が答えた。 「えっ、うちの人にも?」 「さて、花婿さんを呼んで来ましょうかね」  きんが部屋を出て行った。 「さあ鏡を見てごらんなさい……とっても綺麗《きれい》……」 「はる子姉さんは美人だけれど、あたしはそうでないから……」 「なに言ってるの、ほら鏡を見てごらんなさい……」  千枝はおそるおそる鏡台の前へ立った。 「ウワー、ほんとだ、馬子にも衣裳《いしよう》っていうけれど、これじゃうちの人、二度惚《にどぼ》れするかもしれないな……」 「でも、あんまり大きな口をあいて笑ったり喋《しやべ》ったりするとおかしいわよ」 「そうか、お嫁さんはおしとやかにするもんだったよね……」  そっと宴席を脱けて来たらしく、鏡の中の千枝のうしろにはる子の顔がのぞいた。 「千枝、似合うわよ、とってもいいわ……」 「やっぱり姉さんのようなわけにはゆかないけれど、どうやら見られるようになるもんだね」 「いい機会だから、千枝さんも写真をとってもらうことにしたんです」  有里が言った。 「ああ、それはいい考えね、私も今、それを思いついたので言いに来たのよ」 「姉さん、相変らずだねえ……お嫁さんはお嫁さんらしくちゃんと坐《すわ》ってなきゃ駄目じゃないか」 「うん、すぐ行くわ……」  そう言いながらも、はる子はまるで母親のような眼で、じっと千枝の花嫁姿を見詰めていた。 「ねえ、姉さん、いつか兄さんから聞いたんだけど、白鳥舎のおかみさんの弟さんで、姉さんのこと好きだった人があったでしょう……」 「うん……」 「あの人、どうした」 「ハワイを発《た》つとき、笑って見送ってくれたわ……」 「伊東さんとのこと、そのかた御存知だったんでしょう?」  有里も気になっていたとみえ、口をはさんだ。 「そう、もちろん知っていたわ……でも、とうとう君に逃げられましたねって、笑っていらっしゃった……そういう人なの、さっぱりしていて、わざと私の気持の負担を軽くしてくれたのね……そういう心遣いのある方だったの……」 「いい人なんだね」 「いい人……とってもいい人……」  はる子は亮介のことを思い出すのか、遠くの方を見るような眼つきをした。 「あたし……今日、盃事の間中考えていたの……私が今日のこの仕合せを掴《つか》めたのは、大勢の人々の思いやりとご親切のお蔭《かげ》だって……私たち二人を結婚させるために、秘かに苦しみ、道を譲ってくださった方々のことを忘れてはいけないと思うの……」 「尾形さんのお嬢さんのことだね」  と千枝は言った。 「みんな、とってもいい人だったね」  その時、廊下の方で足音がした。 「あっ、良平さんだわ」  有里が障子を開けた。  借物の紋付羽織|袴《はかま》を着せられた良平が、いかにも照れくさそうな様子ではいって来た。 「どうも気まりが悪くて……」 「こら、花婿さんはもっと堂々としてなきゃ駄目じゃないの」  きんが良平の背中を叩いた。 「したら、二人ともこっちさ並んでけれ」  写真屋が、床の間の前の椅子《いす》を指さした。  きんやはる子に追い立てられるようにして、ともかく千枝は椅子に、良平はその横に立った。それでも、 「花婿さん、もっと顎《あご》さ引いてけれ……扇子は右手に軽く持って……」  写真屋に註文《ちゆうもん》をつけられるたびに、良平はだんだん花婿らしさが板について来た。 「したら、こっちさ向いてけれ……」  写真屋はマグネシュームを盛った発光器を左手に高く上げた。まさに、シャッターを切ろうとしたその瞬間、いきなり障子が開いて、辨吉を先頭に、雪子、良太、月子らがどやどやとはいって来た。 「おや、たまげた」  辨吉と雪子が良平と千枝の顔をしげしげと見上げた。 「な、ほんとだろう……」  情報を提供した張本人らしい良太が、したり顔で言っていた。 「かあちゃん、きれいだね」  月子までが、よく回らぬ舌で言う。 「済んません……ほんまに、あっという間にみんなこっちへ来てしまったもんで……」  清三と清子を両腕に抱いた正作が、あとから追って来て、面目なさそうに詫《わ》びた。 「父ちゃん、写真とるなら、俺《おれ》たちも入れてけれ……」  辨吉はさっさと良平と千枝の間に割り込んだ。それにつづいて、他の子供たちも先を争って位置についた。 「したけどよ……」  良平があわてた。 「これ、結婚写真だでよ、お前ら、あっちへ行っとれ、父ちゃんと母ちゃんが撮り終えたらお前たちのも撮ってやるで……」 「なして、結婚写真に私たちがはいってはいかんの?」  雪子が抗議するように口をとがらせた。 「みんなで仲よく撮ったらええべさ……」 「そったらこと言ったって、お前……」 「良平さん、一緒にとっておあげなさいな」  はる子が笑いながら言った。 「その方が自然でいいわ」  結局、良平と千枝は六人もの子供たちに囲まれ、前代未聞の結婚写真をとることになった。 「それでは、みなさん……こっちさ向いて、ニッコリ笑って……」  何がなんだか判らなくなってしまった写真屋が、みんなの賑《にぎ》やかな笑い声の中で、左手を高く揚げ、ボンと一発、フラッシュをたいた。     10  披露宴を終えると、栄吉とはる子は北海道を三泊四日の旅に出た。  秋十月、北海道はどこへ行っても美しい紅葉であった。  どこまでも澄みわたった大きな空、ひっそりと静まりかえった湖のたたずまい、そしてナナカマドの赤が、道産子《どさんこ》である栄吉、はる子の眼に染みた。  新婚と呼ぶには、あまりにも落着きすぎてしまったような二人ではあったが、栄吉にしてもはる子にしても、心は十五年の昔、小樽《おたる》の公園で待ち合せて、ひそかにお互の愛を探り合ったあの頃《ころ》と少しも変っていなかった。  湖を見ても、山を見ても、はる子はただ仕合せであった。  暮れなずむ洞爺《とうや》の水に舟を浮べ、 「俺、たぶん、一生、金持にはならんかも知れん……俺が死んでも、もしかしたら鉄道史の端っこにも名前がのらんかもしれん……それでも、辛抱してくれるかい……?」  急に改まった表情で、栄吉がはる子に言った。 「辛抱だなんて……」  はる子はちょっと恥じらいを浮べたが、 「今までのことを思ったら、これからの私に辛いとか、苦しいなどということは一つもありません」  しっかりした口調で答えた。 「ありがとう、はるちゃん……頼むよ……」 「私こそ……これからは栄吉さんに頼って生きて行くんですもの、こちらこそお願いします……」  ふと顔を見合せて、二人は楽しそうに笑いあった。  いつの間にか湖水の表に、夜霧が低くたれこめていた。 「帰ろう……」  栄吉がオールを水にひたした。 「寒くないかい?」 「ううん……」  はる子は子供のように首を振った。 「ちっとも……」  栄吉は安心したように頷き、舟を漕《こ》ぎだした。 「私、もう一人じゃないのね……」  はる子がうたうように呟《つぶや》いた。 「うん?」 「私たちもう一人じゃないんだわ……一人で生きて行くのって嫌ね、心細くて、寂しくて……もう、どんなことがあったって、栄吉さんとは離れたくないわ……」 「はるちゃん……」  栄吉は漕ぐ手を止めた。 (俺だってそうだよ、はるちゃんを離さんよ……)  そう言うかわりに手を伸ばし、はる子の手をとって引き寄せた。 「まるで夢みたいだよ……」  自分の気持を何と表現したらいいのかわからず、栄吉はただそれだけを繰返した。  その夢のような新婚旅行のあと、はる子は栄吉に伴われ、彼の任地である千葉へ向った。千葉には貸家ではあるが、庭つきの小ぢんまりした家が新しい主人の到来を待ちうけていた。 「これが私たちの家ね……」  愛児をいつくしむような眼で、はる子は家を眺めた。  玄関には、すでに『伊東栄吉』の真新しい表札がかかっている。北海道へ出発する前に、栄吉や彼の友人たちが準備しておいたものだった。中もすっかり掃除が済み、庭の草も綺麗《きれい》に摘まれていた。  栄吉はずっと下宿住まいだったし、はる子も白鳥舎の奥に寝起きしていたから、二人とも一戸建の家に住むのはこれが初めてだった。それだけに、感激も又ひとしおで、はる子は十七、八の娘のようにはしゃいでいた。  早速、夕食の仕度をするからと、近くの商店へ買物に行き、真新しい割烹着《かつぽうぎ》をつけて台所へはいっていった。  しばらくして栄吉は、はる子が台所で珍しく歌をうたっているのを聞いた。余り耳なれない曲だから、ハワイででも憶《おぼ》えて来たのだろう、なかなか音程も正確でいい声であった。  この年の七月七日、蘆溝橋《ろこうきよう》における日中両軍の衝突事件以来、中国大陸での戦火は拡がる一方だった。  戦争の場合、まず必要になってくるのが輸送力の増強である。  兵士を運び、弾薬・食糧を運び、さまざまな軍の物資を運ぶために、鉄道の役割はますます重要となった。従って、事変の勃発《ぼつぱつ》と同時に、内地の鉄道員が軍需物資輸送のため総動員されることになったのは、ごく自然の成行であった。  栄吉とはる子が結婚した頃《ころ》、日本の鉄道はあわただしい空気に包まれていた。  それは軍の要請により、大陸で、中国軍が敗走するとき破壊した線路を修復し、新たに招集された派遣鉄道職員たちの手によって、華中、華北の二大鉄道の設立が計画されていたからである。  二人が所帯を持って、まだようやく二か月たつかたたぬ頃の或《あ》る日、日曜だというのに、急用だという使いの者の口上で、栄吉は不審そうに首をかしげながら課長の自宅まで出向くことになった。 「このところすっかりご無沙汰《ぶさた》していたから、もしかすると将棋かもしれないな……独身のころは日曜ごとにうかがっていたんだよ」  いずれにしても、そう大した用事ではあるまいと言い、 「なるべく早く帰るから、一緒に活動写真でも観に行こう、食事は外でしようじゃないか……」  と言って出掛けて行った。  ところが、昼前に家を出た栄吉は夕方になっても帰って来なかった。柱時計が七時を打ち、やがて八時を告げるころ、やっと玄関の開く音がして、 「ただいま……」  あまり元気のよくない栄吉の声がした。  はる子がとび出して行ってみると、栄吉は何やら大きな包を小脇《こわき》にかかえこんでいる。 「何ですの、それ……」  はる子が聴くと、 「ラジオだ……」  ぽつんとそれだけ答えた。 「まあ、そんな高いもの……お買いになったんですか」 「ああ、このあいだ君が欲しいと言ってただろう」 「それはそうですけど……」  もちろん嬉《うれ》しかったが、はる子は何んだかすっきりしなかった。前からラジオを欲しいとは思っていたが、まだ買う気は毛頭なかった。そのくらいなら、栄吉の冬のオーバーや背広を作る必要があったし、モーニングもそろそろ用意をしておきたかった。 「すっかり遅くなってしまったが、食事はどうする?」 「こんなこともあろうかと思って、鍋物《なべもの》を用意しておきました……一本つけましょうか、寒いから……」 「そうだな……」 「じゃ、すぐお燗《かん》つきますから、何か召上っていてください」 「ああ……」  風邪《かぜ》気味なのか、栄吉は大儀そうにテーブルの前に坐《すわ》った。ふと目の前にある時刻表に気付き、手にとってパラパラとめくった。 「時刻表なんか出して、どうしたんだい」 「あのね、さっき、紀州へ行く汽車の時間を見ていたんです」 「紀州……?」 「来年のことを言うと鬼が笑うって言うけれど……でも、いいでしょう、見て、考えて、楽しんでるだけなら……」  そういえば今朝、栄吉ははる子に、来年の春にでもなったら紀州の須賀利《すがり》へ行ってみようと言ったのだった。  栄吉はいつまでも、先刻課長の所で聞かされた話を内緒にしておくわけにはいかなかった。 「はる子……」  遠慮がちに台所へ声をかけた。 「なんですか?」  はる子の笑顔がのぞいた。 「お酒だったら、もう少しよ」 「はる子……、来年、紀州へ行かれなくなってしまった……」 「え?」 「実は俺《おれ》、急に支那へ行くことになったんだ……」 「ええッ、支那へ……」 「この間、ちょっと話したことがあったろう、軍の鉄道隊に協力するため、仙鉄と東鉄からかなりの人間を軍属として支那へ派遣するということ……」 「え、ええ……でも、あなたがまさか……」 「俺にその任務についてくれないかという相談だったのだ……課長も気の毒がってくれた……しかし、先に上海《シヤンハイ》へ行かれた本省の加賀さんが、俺を特に望まれたらしいんだ、加賀さんはいつか俺が東海道線に特急を走らせる仕事をした時の上役で、ずいぶんお世話になった方だ……まあ、 これは命令ではないそうだが、 だからといって断れるという筋のもんでもない……」 「お国のためですものね」 「うむ……」 「いつ……出発はいつですの……」  感情を無理に押えてはる子は尋ねた。 「来月、早々だそうだ」 「来月、早々……」  はる子は残る日数を胸の中で数えてみて、愕然《がくぜん》としたらしかった。 「そんなに早いんですか」 「仕方がない、一刻を争う仕事なのだそうだから……」  栄吉は逃げるように、視線をラジオの箱の方へ向けた。 「せめて、留守中、君が淋《さび》しくないようにと思って……買って来たんだよ」 「あなた……」  はる子の声が途中でかすれた。  栄吉のやさしい心遣いに、涙が急にあふれ出してきた。 「お酒、持って来ます……」  はる子はあわてて台所へ駆け込んだ。     11  昭和十二年十二月十日、日本を出航した貨物船『梅丸』の甲板には二百五十名ばかりの鉄道員が乗っていた。  腰に軍装した日本刀をつり、戦時用鉄道制服に身を固めた、いわゆる上海派遣の野戦鉄道隊で、後に井上部隊と呼ばれ、上海へ乗り込んだ鉄道員たちの第一陣であった。  翌年の一月、まだ正月気分の抜けきらぬ日本を後にして、伊東栄吉は一足遅れて中国へ向った。  十五年間待ちに待ち、ようやく掴《つか》んだ仕合せだったが、そうした個人的感情をさし挟む余地の無いほど国際状勢は緊迫していたのである。  しかし、栄吉にしろはる子にしろ、今度の別離には哀《かな》しさ、寂しさこそあったが、栄吉がヨーロッパへ発《た》ったり、はる子がハワイへ行ったりした時感じたような、あの深い地獄の底へでも引きずり込まれるような孤独感はなかった。 「お体に気をつけて、しっかり頑張って来てください」 「君も体によく注意して……後をよろしく頼む」 「大丈夫、家のことはまかせておいて……」  そんなやり取りの中にも、二人は互に、いつの間にか出来上った強い連帯感のあることに気がついていた。  今は、はる子は栄吉を待つことに生甲斐《いきがい》さえ感じられるような気がした。たとえどんなに辛くとも、待つことにより、家を守ることによって、第二の仕合せが必ず戻ってくることを確信していた。  やがて、大陸の栄吉から元気な便りが届いた。 『途中、心配した船酔いにもならず、〇〇日元気で呉淞《ウースン》に着きました。呉淞から展望する上海一帯はまだ茫々《ぼうぼう》の焼野原で、その野末に遠くブロードウエイ・マンションの二十五階の建物が無気味にそそり立っています。  黄浦江《こうほこう》の流れは河だか海だかわからないような大きさで、濁った黄色い水が波立ち、なんとはなしに戦場へ来たのだという緊張をおぼえました。  明日からいよいよ任務につきます。しかし、君が家でしっかり留守を守っていてくれると思うと、とても心強い。うまく言えないが、安定感があるとでもいうのだろうか。毎日、君の健康を神さまに祈っています。課長さんによろしく、南部の親父《おやじ》さんの家へは時々遊びにいくといい、御夫妻によろしくお伝えください』  戦争が次第に熾烈《しれつ》の度を加えるとともに、国内でもようやく物資の欠乏が目立って来た。  昭和十三年三月からは衣料切符制が始まり、五月には重要産業が統制となりガソリンも切符制となった。更に七月から九月にかけては、皮、ゴム、銅、新聞雑誌の用紙の使用制限がきびしくなり、いわゆる『欲しがりません勝つまでは』の生活を国民も戦地と同様耐え忍ばねばならなかった。  どの町角にも出征兵士を送る旗や幟《のぼり》が立ち並び、駅には勇しい軍歌や万歳の声が満ちあふれた。  そんな中で、北海道の岡本良平も伊東栄吉と同じように、軍属として応召することになった。千枝は去年の末、七番目の子供謙吉を産んだばかりで、今また、八番目の子を身籠《みごも》っていた。  良平の壮行会は、吉川機関庫長の家で行なわれた。  知らせを受けて駆けつけた雄一郎夫婦が接待役となり、良平は集った同僚や近所の人々に囲まれて酒を飲み、声をはり上げて軍歌をうたったが、どうしても酔えなかった。  ちょっと見には、勝気で女房天下のような顔をしている千枝が、実は大変な弱虫で、一人では何も出来ない女なのだということを誰《だれ》よりも良平は一番よく知っていた。おまけに、やがて生れてくる子を入れて八人の幼い子供たちを抱え、留守中どうやって暮して行くのだろう。そのことを思うと、良平は泣くにも泣けない気持だった。  しかし、今となっては最早《もはや》どうすることも出来ない。唯一の頼りは千枝の兄の雄一郎と有里の夫婦で、自分の出征後のことをくれぐれも頼んで出発して行った。  まさに、怒濤《どとう》のような戦争の渦であった。  良平が出発して間もなく、雄一郎は桜川駅長に呼ばれた。 (いよいよ、俺《おれ》のところへも来たか……)  半ば覚悟をきめて駅長の前へ出た雄一郎を待ち受けていたのは、意外にも小樽《おたる》転勤の内命だった。  この春、停年退職ときまっている桜川駅長は、鉄道を去る置《おき》土産《みやげ》のように、雄一郎の小樽転勤に骨を折ってくれた。そしてこれは、七人もの子を抱えて夫に応召された、千枝の立場をも考慮に入れての転勤だった。  春三月、ニセコの山の雪どけを待たずに、雄一郎夫婦は小樽へと三度目の引っ越しをした。  小樽の助役官舎は、千枝とその子供たちの住む家から歩いて十五分ほどの近さだった。良平が居なくなってから、まるで半病人のようだった千枝もこれにはおどり上って喜んだ。  引っ越しの終った翌日、雄一郎と有里は久しぶりに塩谷《しおや》にある両親の墓へ詣《もう》でた。  千枝が時々来るらしく、墓は掃除もよく行きとどいていた。  香華をたむけ、小樽転勤の報告をすませてから、 「再来年はお袋のたしか十七回忌だな……」  雄一郎がふと思いついたように言った。 「そういえばそうですね……」  有里も指を折って、頷《うなず》いた。 「十三回忌のときはちゃんとしたことが出来なかったから、今度は早くから準備をして、なるべく沢山の方に集って頂きましょうよ」 「そうだな……しかし、再来年までにこの戦争が終るかな……」 「でも、いずれにしても、良平さんも栄吉兄さんも戻っていらっしゃるでしょう……持久戦とはいっても、戦争は勝っているんですから……」 「それはそうだが……ひょっとすると、その間に俺も行くことになるかもしれんな」 「あなた、第二乙だったでしょう、それでも兵隊にとられるんですか」 「戦争次第だ、兵力が足りなくなれば第二乙だろうとなんだろうと出て行かなきゃならんさ、それに……軍属ということもある……」 「早く戦争が終って欲しいわ、あなたのところへも何時赤紙が来るか来るかと思いながら暮しているのって、ほんとうにやりきれないんですもん」 「その時はその時さ……なにしろ国が総力を結集しているんだ、俺たちだけ平和にという考えは許されないんだ」 「私、この頃《ごろ》、時々女学生時代読んだ詩のことを思い出すんです……お百度|詣《まい》りの詩なんですけれど……ひとあし踏みては夫《つま》思い、ふたあし国を思えども、三足ふたたび夫思う、女心に咎《とが》ありや、朝日に匂《にお》う日の本の、国は世界に只《ただ》一つ、妻と呼ばれて契《ちぎ》りてし、かくて御国と我が夫と、いずれ重しと問われれば、只答えずに泣かんのみ……」  有里はあたりを憚《はばか》るように、小声で詠《えい》じた。  昭和十四年四月三十日、上海、南京《ナンキン》間三百十|粁《キロ》を中心として数多くの支線と自動車事業を含む華中鉄道が創設された。  国鉄から派遣されたおびただしい数の鉄道員たちが、鉄道隊と共に戦争で破壊された中国の鉄道を復旧したのを、日華合弁で資本金五千万円をもって鉄道会社として発足したのであった。  上海上陸以来、悪戦苦闘した伊東栄吉らの努力がようやく実ったのである。  華中鉄道を運営する人々は、殆《ほとん》どが日本から送られた鉄道の幹部たちであった。  そして、その年の春、関根重彦が今度は華中鉄道へ赴任することになった。  出発前に、関根は恩人である南部斉五郎の許へ別れの挨拶《あいさつ》に出掛けて行った。 「そうか、やっぱり行くことになったか……」  斉五郎は髪こそめっきり白いものが目立ったが、血色も良く、まだ元気に帝国運輸川崎支店長として働いていた。  関根の言葉を聞き終ると、さすがに寂しそうな表情をした。 「何処《どこ》へ行こうと心掛は一つじゃ、しっかりやって来てくれよ、体をこわさんようにな」 「伊東君が行ったときと違って、もう戦争は一段落したようですし、華中鉄道には中国人も参加して、対日感情は悪くないそうですから心配はありません、まあ、内地で出来なかった分を向うへ行ってあばれて来ます」 「あんまり無茶なすっちゃいけませんよ、なんていっても日本とは気候風土の違う国へ行くんですからねえ」  節子はこのところ体をこわして、寝たり起きたりの生活をしていた。 「大丈夫ですよ、華中鉄道も今のところは上海・南京《ナンキン》間などもレールの重さも長さもまちまちで、枕木《まくらぎ》なんかもひどい物を使っているそうですが、来年中には日本の物と全部交換し面目を一新するよう計画していますから、やり甲斐《がい》がありますよ、なにしろ今は上海・南京間三百十粁をなんと二十時間もかかって運転してるそうですが、僕が行ったら……」 「そら又、関根さんのスピード狂がはじまった……」  節子がおかしそうに笑った。 「いいや奥さん、本当ですよ、僕が行ったら上海・南京間はたったの五時間にしてみせますよ、C51を使いましてね……なにしろ、あの千七百五十|粍《ミリ》の大動輪を持った機関車は狭軌軌道では世界に類がない強力なものですからね、向うの連中をびっくりさせてやりますよ」 「しかし、かなりの人手不足らしいよ、中国人は今まで外国人技師に技術的なことは何一つ教えられていないそうじゃないか、伊東君の手紙だと、缶《かま》たき一つ出来んそうだ……勿論、技術の方では車両の修理はおろか、製造などは思いもよらんことだそうだ、線路の保線の問題もあるしな……」 「そうなんです、それで頭がいたいんですがねえ……」  関根は苦笑した。 「要するに、ただ使われるだけだった民族の悲劇ですよ、日本はそんなケチな真似はしません、機関庫でも鉄道工場でも、皆、教習所を設けて、希望するものには日本の鉄道技術を惜しみなく教えてやることにするそうです、すでに常州の鉄道工場では、どしどし中国人の職工が技術をおぼえて働いているそうですよ」 「そうか、そりゃあいい、華中鉄道はもともと中国人のための鉄道であるべきなのだ、彼ら自身の手で自分たちの鉄道を運営できるように指導してやることが、日本人の使命なのだ、それでこそ、正しい意味での日本が戦に勝つということなんだ」 「僕もそう思っています、とにかく頑張ります……」 「そうそう……」  節子が思い出したように言った。 「むこうへ行ったら伊東さんには逢《あ》えるんでしょうね」 「はあ、逢えるでしょう、同じ鉄道の中ですからねえ」 「岡本の良平さんにはどうかしら……」 「さあ、彼は機関手の方でしたね……何か御言附でも?」 「ええ、それがね、伊東さんからはたびたび便りがあるらしいんだけど、良平さんから出征以来まだ一度も手紙が来ないらしいのよ、こちらから何度も手紙を出したんだけど、その返事も来ないらしいの」 「なんだ、一度も……葉書も来んのか」  斉五郎が眼を瞠《みは》った。 「ええ、はる子さんがこのあいだ来てくれた時、そう言っていました……うちでとても心配しているから、もし逢ったら手紙を書くように言ってください」 「わかりました……向うへ着いたらすぐ捜し出して、そう言いましょう」  関根も笑いながら、手帳を出してメモを取った。 「良平さん、手紙も出せないような危険な所へ回されているんでしょうかねえ」  節子が不安そうに眉をひそめた。 「なに、筆不精なんだよ、仲人の俺のところへだって、年賀状一つ寄越しよらん奴《やつ》だ」  斉五郎はわざと明るく笑いとばした。  しかし、斉五郎の思惑の方が当ったとみえ、それから一か月ほどたった或《あ》る日、小樽の千枝の許《もと》へ一通の葉書が届いた。下手くそな字で書かれた良平からの手紙だった。  そして、それには、ただ、 『支那はでっかいんでおったまげた、俺は毎日機関車に乗っている、えらく元気だから心配すんな、子供のことたのんだぞ、赤ん坊が生れたら、男なら北夫、女なら華子としろ、みなさんによろしく』  とだけあった。     12  岡本良平は隴海《ろうかい》線にいた。  隴海線というのは、徐州《じよしゆう》から開封《かいほう》間二百七十六・八|粁《キロ》のことである。  この隴海線の周辺には、同じ時期に青村鉄道聯隊長が四個大隊を率いて復旧にあたった津浦線や、新しく京漢線の新郷から開封までを建設した新開線などの鉄道がひしめいて、それぞれ軍事輸送に全力をあげていた。  良平の所属した隴海線の周辺は、いわゆる旧黄河のあたりで、華北にして華北にあらず、華中にして華中にあらずといわれた北支と中支の接する地点であり、隴海線の北と南では、同じ中国人同志でも、考え方も違うし通貨も異るという複雑な地帯であった。  もっともこの頃《ころ》は、徐州戦も終り、民情も落着きを取りもどしていたが、暑さ寒さの極端に激しい所で、風土病に悩まされる者も多く、又、物資不足に苦労していた。  このため、良平は日夜をわかたず機関車を動かし続けていたのである、機関車に乗っていない時は、食事のときか睡《ねむ》っているときくらいのもので、小樽の家族を一日たりとも忘れたことはなかったが、普段筆不精だったため、つい億劫《おつくう》で手紙を書かずに居たのだった。  千枝は良平の手紙が着いて間もなく、八番目の子を産んだ。父親によく似た女の子で、名前は良平の指示どおり華子とつけた。千枝は産後の肥立ちもよく、三十三日目のお宮参りの日の、華子を抱いた母親のまわりを七人の子供たちがとり囲んでいるにぎやかな写真が、やがて大陸の良平の許へ届けられた。  この頃の日本の鉄道員たちの活躍はめざましく、世界的なレコードといわれる淮河《わいが》の鉄橋も国鉄派遣の足音部隊の苦心の結果完成し、華中鉄道と華北交通とが握手し、上海《シヤンハイ》・北京《ペキン》の連絡に成功していた。  こうしたニュースは報道機関を通じて、直ちに日本内地にも報じられた。  同じ鉄道員たちの活躍を聞くたびに、雄一郎は身内にゾクゾクするような喜びと、誇らしさとを感じた。 (戦地に居る仲間たちに負けんように頑張らなきゃ……)  しかし、内地の鉄道もこのところ、年々増加する軍需物資の輸送を抱えて多忙をきわめていた。  町の男たちの服装も、背広が消え、次第にカーキ色の国民服へ変っていった。女たちはパーマネントが電力節約と贅沢《ぜいたく》禁止のためかけにくくなり、振袖《ふりそで》は半ば強制的に短く切らされた。  敵機の空襲に備え、防空演習がかなり頻繁に行なわれるようになった。  平和な時代にくらべると、なにかせかせかと追いたてられるように一年一年が過ぎて行くようだった。  南部斉五郎の妻、節子が千葉のはる子の家に遊びに来ていて、脳溢血《のういつけつ》で倒れたのもこのころのことだった。さいわい軽症で、命には別状なく、後遺症も残らないだろうとのことだったが、しばらくは絶対安静を医者から命じられたので、そのままはる子の家に厄介になることになった。  三千代の消息は依然不明だったが、節子の発病と前後して、北海道の雄一郎は、和田四郎と名乗る三千代とはかなり深い関係のあるらしい画家に出逢《であ》った。  その晩、宿直だった雄一郎は、かなり酒に酔ったあげく気の荒いやん衆と喧嘩《けんか》をし、袋叩《ふくろだた》きになった男を介抱した。この男が和田で、彼の所持品の中にあったスケッチブックには、明らかに三千代とわかる女の肖像画がいくつも描かれていた。  和田が正気を取りもどした時、雄一郎は思いきって訊《き》いてみた。 「もしお差支《さしつか》えなかったら、この画の婦人とどこでお逢いになったか教えてくれませんか?」 「逢ったのは、東山《ひがしやま》温泉ですよ」  どことなくニヒルな感じの漂うその男は、雄一郎の質問に冷笑を浮べながら答えた。 「東山……?」 「会津若松《あいづわかまつ》のすぐ近くですよ」 「そこで、この人は何をしていました?」 「旅館の女中ですよ……金楽とかいう……」  雄一郎はいそいでその旅館の名前をメモした。 「メモしたって無駄ですよ、この人、もうそこには居らんですよ」 「何処《どこ》か他所《よそ》へ移ったのですか」  それには答えず、和田はジロリと雄一郎を下から見上げた。 「そういえば、あんた、釧路《くしろ》から川湯《かわゆ》へ行く途中の駅に四、五年前だったか勤務していたことあるでしょう……」 「釧路から川湯というと……釧網《せんもう》線ですか」 「そう……」 「あります、美留和《びるわ》駅に……しかし、なぜ……」 「あの駅を通ったんですよ、一緒に……」 「一緒に?」 「そう……ずっと一緒に旅行してたんです、その頃《ころ》……いや、僕が北海道へ行くといったらついて来たのかな……妙な女だった、どこか投げやりで、捨て身になっているくせに、心の底まで泥に染まりきれないものを持っていた……」 「じゃ、今でも一緒に……?」 「残念ながら、別れましたよ」 「別れたんですか……」  雄一郎はがっかりした。ようやく三千代の手懸りがつかめたと思ったとたん、頼みの綱はプッツリと切れた。 「どこで別れたんです……」 「千葉でしたよ、白浜《しらはま》というところでした……」  自嘲《じちよう》するように唇をゆがめた。 「別れなけりゃ良かったんですよ、こうやって、何年も野良犬みたいにあの女のあとを追っかけ回すくらいなら……あの時、あの女の前に両手をついてでも別れなけりゃよかったんだ……」  話を聞いているうちに、雄一郎はハッとした。三千代が話していた、関根の妻が海岸で倒れているのを発見した彼女の連れというのはこの男に違いない。三千代はあの時すでに一人だったから、この男とすでに別れた後だったのだろう。 「ずっと探しているんですか?」 「もう何年になりますかね、日本国中歩き回っているんですよ、北海道だって今度で三度目です……馬鹿《ばか》な男ですよ、この非常時に女のあとを追いまわしているなんて、滑稽《こつけい》だな、全く……」  男は乾いた笑い声をたてた。 「それで、なにも手がかりはありませんか」 「無いですな、今のところ……」 「そうですか……」  二人の間にしばらく沈黙が続いたが、そのうち、不意に男が雄一郎を挑みかかるような眼で見すえた。 「似てますかね」 「え……?」 「あんたと僕と……」 「似てるって……?」  雄一郎は相手の言葉の意味を計りかねた。 「顔は似てないが、どこか似てるって三千代が言いましたよ。だから、別れるんだと……」 「だから、別れる……?」 「ぶち殺してやりたいな、あんたって人を……」  冗談とも真面目《まじめ》ともつかず言って、男は急に高い笑い声をたてた。  昭和十五年は、六月に砂糖、マッチの切符制が実施され、続いて八月には東京の食堂、料理店などで米食の使用を禁じられ、小麦も石炭も配給制になった。九月二十九日、日独伊三国同盟が成立し、世界は真二つに分れて不気味に対峙《たいじ》することとなった。  そして十月、大政翼賛会が発足し、ダンスホールが閉鎖され、秋から冬にかけては紀元二千六百年の奉祝会が全国各地で行なわれたり、隣組の組織が強化されるなど、日本国内の緊張感は次第次第に高まって行った。  翌昭和十六年の元旦、鉄道は職員の多くを軍隊にとられ、後に残ったものは少ない人数で多くの仕事を処理しなければならぬため、もはや暮も正月もなくなっていた。  以前、千枝の所に居候していた正作も、今では立派な機関手見習となり、連日質の悪い石炭をたきながら雪の荒野で悪戦苦闘していたし、雄一郎は眉毛《まゆげ》も白く凍りつく深夜、秘かに外地へ向けて送られて行く兵士たちや軍需物資の過密なダイヤ表を睨《にら》んで、一瞬たりとも緊張のとけない有様だった。  秀夫は目の前に迫っている庁立中学校の入学試験準備に、正月早々から余念がない。今年は、有里がたった一人で岡本家へ年賀に出掛けて行った。  雪子を頭に、辨吉、良太、月子、清三、清子、謙吉、華子の八人の子供たちに、有里は例年どおりお年玉を与えた。 「すまんねえ……」  人数が多いので、千枝はしきりに気の毒がった。 「今年は秀夫ちゃん、庁立中学を受けるんだってねえ」 「先生がそうするようにって勧めて下さったのでね……」 「秀夫ちゃんなら大丈夫だろうけど、庁立ってのはむずかしいっていうから、大変だねえ」 「雪子ちゃんはどうするの」 「あの子は高等科へ行って、それから裁縫でもじっくり身につけたいって言ってるの……手先の仕事が好きでね、この冬は、みんなのズボンだのシャツだの古い毛糸をほどいて編み直しをしてくれたんだよ」 「そうそう、秀夫も貰《もら》ったのよ、毛糸の靴下……とても喜んではいてるわ」 「あたしに似なくてよかったんだ……似たら不器用だよ、きっと……うまいこと、お父っつあんに似てくれたらしいんだ」 「今年の四月は、月子ちゃんが小学校ね」 「うん、去年はいい塩梅《あんばい》になかったんだけど、その前の年に良太、その二年前が辨吉でしょう、一年おきに新入学だもの……先生に言われるんだよ、今年はどのお子さんですかって……来年は清三と清子……」 「もう十年の辛抱よ、苦労すれば、しただけの甲斐《かい》は有るものよ」 「うん、そう思いながらやってるけどね……兄さん、今夜は帰れるの?」 「いいえ、まだ当分駄目らしいわ、暮からずっとよ……」 「そう……戦地の人も大変だけど、内地で働く者も楽じゃないよね」 「今夜、よかったらみんなで御飯たべに来ない、なにか美味《おい》しいもの作るわ」 「行ってもいいの?」 「うちも秀夫と二人だけで寂しいから、いらっしゃい」 「ありがとう、じゃ、よばれるわ」 「それじゃ……うちへ帰って用意をするわ……」  有里は千枝に別れを告げて、一人で玄関へ出た。ちょうどそのとき、戸が外から開いて、真黒に陽やけした男の顔がのぞいた。その顔を一目見たとたん、有里は口がきけなくなった。 「ち、千枝さん……」  くるりと背を向け、バタバタと奥へ走り込んだ。 「千枝さん、大変よ……」 「どうした……姉さん……?」  有里は不思議そうな表情の千枝の手を、ただ引っ張った。 「なんしたン……?」  有里は千枝をともかく玄関まで連れてくると、そこに立っている男を指さした。 「あんたッ……」  千枝の口から、悲鳴に近い叫び声が起った。 「元気だったかね」  良平の口許から、白い歯並がのぞいた。 「あんたア……」  千枝は良平の首にかじりついた。 「よく帰って来てくれたねえ……ほんとによく帰って来てくれたねえ……」 「俺《おれ》も驚いたんだ、急に命令さ下ってなあ……知らす暇もなかったんだ」 「……雪ちゃん、辨ちゃん……お父さんよ、お父さんが帰って来たわよ……」  有里が大声で子供たちを呼んだ。  バタバタと足音がして、良太が真先に駆けつけて来た。 「父ちゃん」 「おお辨吉か……」 「違う、俺、良太だ……」 「なんだ、お前、良太だったか……ずいぶん大きくなったなあ……」  清三、清子、謙吉、華子はどうやら父親の顔をおぼえていないらしく、隅の方でじろじろ良平を眺めていた。 「あんたら、なにしてるんだよ、本物のお父さんでないの……」  千枝がとうとう笑いだした。 「いやだよこの子たちったら、お父さんを忘れちまって……」  足かけ四年、家を留守にしている間に、子供たちはすっかり成長してしまっていた。一番下の華子などは、良平とはまったくの初対面だった。  しかし、この良平の帰還は、このところますます泥沼化している中国との戦争に、なにか明るい灯を点じてくれた。 (もうすぐ、平和がやってくるかもしれない……)  有里の胸は期待に大きくふくらんだ。     13  この昭和十六年という年は、室伏家にとって、新春早々から、良いことが二つ重なった。  一つは岡本良平の帰還であり、もう一つは、秀夫の庁立中学への合格である。  定員の三倍近い競争率で、しかも、付近の小学校の一、二番という優秀な子供たちばかり受験するというので、有里は夜も睡《ねむ》れないくらい心配したが、無事合格と知ったときにはまさに天にものぼる気持だった。  ところが、秀夫の卒業式も終り、あとは四月の入学式を待つばかりという日、突然、雄一郎の転勤の話が持ちあがった。  鉄道員に転勤は附物だから、雄一郎も有里もべつに驚かなかったが、ただ一つ困ったのは、秀夫の学校のことであった。  今度の転勤先は北海道のちょうど中央に位置を占める下富良野《しもふらの》駅で、さほど大きな駅ではないが、札幌《さつぽろ》から帯広《おびひろ》および旭川《あさひかわ》へ通じる根室《ねむろ》本線と富良野線の分岐点としてかなり重要な場所であった。  駅のある富良野町は周囲を十勝岳《とかちだけ》、富良野岳、芦別岳《あしべつだけ》などの山々に囲まれ、空知《そらち》川、富良野川の流れる静かな町である。  明治三十年に、はじめて内地人の手で開拓の鍬《くわ》が下ろされてから、広大な平野は稲作と玉ねぎやアスパラガスの好適地となった。  昭和十六年頃は戸数三千ほどの町だったが、学校などの設備はあまり充分とはいえず富良野の鉄道関係者に問い合わせると、ちょうどこの四月から富良野中学が新築落成するが、小樽中学のようなわけにはまだまだ到底行かないとのことだった。  秀夫の転校問題は、本人の希望や学校の先生などとも話し合ったあげく、とりあえず秀夫だけは岡本家に寄寓《きぐう》して小樽中学に通い、時期をみて富良野から通学出来る範囲の良い中学へ転校することになった。  春浅い日、雄一郎夫婦は初めて一人《ひとり》息子《むすこ》と別れて、下富良野駅へ転勤して行った。  今度の下富良野駅は、釧路時代の上役であった岡井亀吉がやはり助役として勤務していた。それもつい十日ほど前に、旭川から転勤して来たのだという。  この好人物の夫婦は、雄一郎夫婦との再会を心から喜び、迎えてくれた。 「まあ、まあ、お久しぶり……釧路以来だものねえ、何年になるかねえ……」 「本当に、あの頃はお世話になりっぱなしで……」  たとえ十日でも岡井夫婦が先に来ていてくれたことは、有里には何よりも心強かった。 「いつも主人とあなたがたのお噂《うわさ》をしてはなつかしがっていたんですのよ」 「うちだっておんなじだよ……さぶがよく秀ちゃんの話をしてねえ、あの子もよっぽどなつかしかったんだろうね……」 「三郎ちゃん、旭川中学に行ってるんですってね」 「ああ、今、中学の寄宿舎へはいってるのよ」 「寄宿舎……?」 「はア……あたしらが下富良野駅へ転勤になったでしょう、ここから通学出来んこともないんだけど、寄宿舎のほうがゆっくり勉強できるとかいってねえ」 「そうですか……三郎ちゃん、もう二年生でしたね」 「早いもんだねえ……秀ちゃん、小樽だって?」 「ええ、当分妹のところから通わせることにしたんです」 「したが、卒業するまで小樽へ置いとくわけでもないんだろう」 「それで困っているんです……岡本のところも子供が多いし、親子はなればなれに暮すのも心配だし、なんとかこっちのいい学校に転校させたいと思ってるんですけれど……」 「そうねえ、この辺ではやっぱり旭川中学だろうねえ、あそこは庁立だし、昔っから有名だでねえ……」 「そういえば、小樽の駅長さんもそんなことを言ってらっしゃいました」  小樽の駅長は、数年前桜川孝助が停年退職でやめ、かわりに佐田松太郎という室蘭《むろらん》出身のこれも温厚な人物になっていた。 「でも、試験ももうすんでしまったことだし……」 「うちの亭主が旭川中学の教頭先生と親しいで、いっぺん聴いてもらってあげようか、同じ庁立だで、なんとかなるんでないのかねえ」 「そうですか、もし、お願い出来ますんなら……」  有里はすがりつくような思いで言った。 「どうかよろしくお願いいたします」 「早速話してみるわね、さぶだって、秀ちゃんと一緒ならどんなに喜ぶかしれんし……」  結局、岡井よし子が持ち前の世話好きを発揮して熱心に奔走してくれたお蔭《かげ》で、秀夫の転校問題は、一応小樽中学を一学期だけ修了してくれば、旭川中学へ転校できるということになった。  転勤早々は、雄一郎は勿論、有里もなにかと雑用に追われた。  それでも有里はしばしば小樽へ出かけ、秀夫の面倒をみた。  秀夫は元気で中学校へ通っていたが、神経質な彼は、子沢山の岡本家では殆《ほとん》ど勉強する時間がなく、子供たちが寝しずまった深夜になって予習復習をはじめるので、しばしば夜明け近くまで机に向うことが多いということであった。  その秀夫が無事に一学期を修了し、小樽から富良野へ移って来るころ、岡井亀吉の三男の三郎も夏休みで旭川から家へ帰って来た。  どういうわけか、秀夫はこの岡井三郎とウマが合った。  華奢《きやしや》で神経質なところのある秀夫に対して、三郎は体格もよく、のんびりしたお人よしの所がある。まるで個性の違うことが、かえって二人の親近感をよんだものらしかった。  九月になると、秀夫はいよいよ旭川中学へ通いだした。  秀夫は三郎と一緒に寄宿舎へはいりたい様子だったが、雄一郎と有里はしばらく汽車通学させてみることにした。下富良野から旭川まで、約二時間余だった。  朝五時に家を出て、帰りはやはり夕方の五時すぎになる。  有里は秀夫の健康に注意しながら、朝は四時起きをして弁当を作り、あたたかい朝食を食べさせて送り出した。  そして、九月のなかば、あと一か月ほどで千枝の出産か、と話題にしている矢先、小樽からの電報で岡本良平の軍属出征を知らせて来た。  泣くひまも、ゆっくり話し合う暇もなかった。九月十六日、千葉の津田沼《つだぬま》に集合した良平は、鉄道九連隊に編入され、翌月早々、大阪港を出港した。  行先は厳重に秘密とされ、勿論、家族にも知らされなかったが、上陸したのは仏領印度支那のハイフォンであった。十月十九日の朝である。  この日、小樽の留守宅では、千枝が第九番目の子を無事に出産した。男の子であった。  名前は出征前夜、良平が考えて行ったとおり、邦夫と名付けられた。  そして遂に、昭和十六年十二月八日、日本はアメリカ、イギリスに対し宣戦を布告した。 『大本営発表……帝国陸海軍は本八日未明、西太平洋に於《おい》て、米英軍と戦闘状態に入れり……』  ラジオのニュースは北海道の雄一郎たちを驚かせた。更に、 『……帝国海軍は本八日未明、ハワイ方面の米国艦隊並びに航空兵力に対し決死的大空襲を決行せり……』 『……帝国海軍は本八日未明、上海に於て英国砲艦ペテレルを撃沈せり、米国砲艦ウェークは同時刻、我に降伏せり……』  などのニュースが続々と伝えられた。  同十日にはマレー沖海戦、戦艦プリンス・オブ・ウェールス、レパルス撃沈、ルソン島上陸、次いで十二日にはグァム島占領、二十五日|香港《ホンコン》陥落と、日本は破竹の勢いで南下を続けた。  翌昭和十七年も、日本軍はマニラを占領、二月にはパレンバンに落下傘部隊が大挙して降下し、シンガポールの攻略が成り、ラングーン占領、マッカーサーの比島脱出など戦勝のニュースが続いた。  しかし、その四月十八日、米軍の爆撃機による東京、横浜、名古屋、四日市《よつかいち》、神戸《こうべ》などの初空襲があり、戦争の成行を楽観していた日本国中を仰天させた。  衣料品はすでに総合切符制が公布され、一人年間、都市百点、農村八十点に制限されていた。ちなみに、国民服三十二点、ワイシャツ十二点、敷き布団二十四点、下ばき四点という数字である。  この年、千葉のはる子の周囲では、にわかに人の動きがはげしくなった。  まず二月に、関根重彦が帰還してそのまま大阪の鉄道管理局へ勤務することになったという知らせに驚いていると、四月には南部斉五郎が同じ大阪の支店へ転勤することになった。  節子はちょうど第二の発作を起したばかりの時で、とても大阪まではついて行けないので、この際、はる子の勧めに従い千葉の伊東家に厄介になることになった。 「すみませんねえ、こんな病気の体で転がり込んだりして、あなたにはすっかりご迷惑をかけてしまって……」  最近、涙もろくなっている節子は、何か言っては、すぐハンカチで顔を押えた。 「いいえ、とんでもない、私たちきょうだいは駅長さんご夫妻を本当の両親のように思って今日まで生きてまいりましたのです、お世話をするのは当然です……」  その言葉通り、手足の不自由な節子に、実の子でもこうは行かないと思えるほど良く仕えた。 「私はなんにもあなたの為にしてあげられないけれど、せめて、伊東さんのご無事だけは毎日神さまにお祈りしていますよ……」  そんな節子の祈りが通じたものか、本当に伊東栄吉がその夏、うだるように暑い昼日中、出て行くときよりもずっと顔も引きしまり、一層男らしくたくましくなって帰って来た。 「お帰りなさい……」 「只今《ただいま》……」  はる子は、栄吉が長い出張旅行から帰って来たくらいの、ごくさりげない表情しかしなかった。  しかし、その眼の中に、栄吉は彼女が一生懸命こらえているものをちゃんと読みとっていた。もし、ちょっとでもその心のバランスが崩れだしたら、はる子の胸は激情のあまり張り裂けてしまったに違いなかった。  はる子も栄吉も、黙って相手の眼を見詰め合った。そして、相手の胸の中のすべてを理解し合った。それが二人の、愛情の表現法だった。  同じ年、はる子の許《もと》へ尾形和子から、今度広島の工場へ寮母として行くことになったので当分逢《あ》えないのが残念ですという手紙が来た。和子はいつの間にか、はる子とは姉妹のように往来していたのである。  そのことを節子に話すと、節子は、 「やっぱり伊東さんが帰ってくると、あの人も辛くなったんじゃないかしらね……」  ぽつりと言った。     14  太平洋での日米の戦いは、この昭和十七年を境として一つの転機を迎えていた。  国民にはその真実は固く隠されていたが、六月のミッドウェー海戦、ソロモン海戦で日本海軍は主力である航空母艦四隻を一度に失い、ガダルカナルでは制空権を失い、補給の道を断たれての苦闘半年のあげく、二万数千の陸軍部隊のほとんどが殪《たお》れ、残った一部は撤退という最悪の事態を迎えた。  大本営は、これを退却とは言わず、転進と称したが、ソロモン群島でも、ニューギニヤ方面でも日本軍は一足一足押し返されていた。  その頃《ころ》、岡本良平の所属する鉄道第九連隊はタイのバンコックに上陸し、タイとビルマの国境を越える、いわゆる泰緬《たいめん》鉄道建設に苦闘していた。  山越え約四百|粁《キロ》余りの技術的にもまったく不可能に近いような地域の鉄道建設が、空中測量による地図によって、遮二無二進められて行った。  なにしろ熱帯のジャングルをきりひらいての仕事である。雨期には連日のスコールで、ジャングルがすっぽり大きな沼のようになってしまう。そうなると、もはや機関手も保線手もない、良平も膝《ひざ》まで水につかりながら枕木《まくらぎ》を運び、レールを敷設した。  もちろん、疲労や病気でたおれる者が続出した。それでも工事は夜を日についで敢行されたのである。  何故《なぜ》このような難工事を、多大の犠牲をはらってまで行なわなければならなかったかというと、海軍がミッドウェー海戦に敗れて後、インド洋の海上輸送が困難になったため、どうしてもタイとビルマとをつなぐ鉄道が必要になったのだった。  軍は無理を承知で苛酷《かこく》なスケジュールの実行を要請し、鉄道隊はただ夢中で、この突貫工事にぶつかって行った。  そんな良平のところへ、故郷の留守宅から便りが来た。長男の辨吉からの手紙である。 『お父さん、元気ですか、僕たちもみんな元気です。毎日、お母さんの手伝いをしながら、一生懸命勉強しています。雪子姉さんはお国のためだからと、工場へ勤労奉仕に行っています。近頃《ちかごろ》はみんなあまり兄弟|喧嘩《げんか》をしません、喧嘩をすると、お母さんが、そったらことでは戦地へ行っとるお父さんが心配するよと叱《しか》るからです。お父さんが出征してから生れた邦夫も元気です。早く、お父さんに逢《あ》わしてやりたいと思います。僕らはお父さんの顔を知っているから、思い出したいときはいつでも思い出せるけれど、邦夫はお父さんの顔を知らんのでかわいそうだと思います。僕も早く大きくなってお父さんたちの手伝いがしたい、みんなでいつもそう話し合っています……』  良平は手紙を読みながら、思わず涙をこぼした。妻や子のことを考えたせいでもあるが、彼はふと今は亡き父、新平のことを想い出したのだった。 (あんなに孫の顔を見たがっていたお父《とう》に、一目だけでも今の子供たちを見てもらいたかった……あんまり沢山の子が居るんで、おったまげるかもしんねえがなあ……)  しかし、良平は内地の事情を知ったら、或《あるい》はこの空想を撤回したかもしれなかった。  昭和十八年二月、国鉄は全国旅客列車運転の大縮減を断行した。  特急かもめは廃止され、つばめ大阪打切り、主要幹線の急行廃止、熱海《あたみ》、伊東《いとう》行は小田原《おだわら》で打切りとなったし、北海道でも、客車のダイヤが削減された。  線路も枕木も老朽化《ろうきゆうか》しても交換できず、その上、軍需物資輸送に酷使された。  もし、新平|爺《じい》さんが生きていたら、どんなにか危ながり、鉄道のために歎《なげ》き哀《かな》しんだことだろう。しかし、最早《もはや》、そんな平和時の常識の通用する時代ではなくなっていた。  とにかく一発でも多くの弾丸を、一機でも多くの飛行機を前線へ送り込むために、国民のありとあらゆる総力が結集されて行った。  雄一郎のところの秀夫も、次第に汽車での通学が不便になり、三郎と同じように旭川中学の寄宿舎へ入った。  そして、夏、有里がひそかに恐れていた日が遂にやって来た。  室伏雄一郎の軍属出征である。  上司よりその通達を受けると、雄一郎は直ちに、日頃《ひごろ》から世話になっている人々に挨拶《あいさつ》をして回った。  その間に、有里は家の中の荷物を整理して、いつでも引っ越せる用意をはじめた。 「あれっ、もう荷物片したのかね……」  岡井よし子がそれを見て、あきれたように眼を瞠《みは》った。 「そんなに慌てて引っ越しせんでもいいのに……まだ後任の助役さんが引っ越して来たわけではなし……」 「でも、官舎ですから、主人が居なくなったらいつかは出なければなりませんもの……」  有里はとっくに覚悟は出来ていた。  徴兵検査にこそ合格しなかったものの、夫の年齢や体格からいっても、いずれは軍属か兵隊にとられるものと思っていたのだ。  しかし、いざとなると、やはり有里はうろたえた。そんな気持の捨て場に困り、荷物の整理をはじめたというのが正直なところだったかもしれない。  よし子にも、そうした有里の心の動揺は通じたのだろう。 「ねえ、もしよかったら、あたしのところへ一緒に住もうよ、うちの人も是非そうするようにって言ってるし……」  しきりにすすめた。 「ありがとうございます……」 「ねえ、ほんとに気兼することないんだよ、同じ鉄道員なんだから……困った時はおたがいさまだよ……ご主人にもよく相談して……ね、そうするといいよ」 「はい……」  有里は黙って頭を下げた。  ほんとうに、なんと礼を言ってよいかわからぬくらい、有里にはよし子の言葉が嬉《うれ》しかった。 「したら、あたし、夜に又うちの人と来るからね……」  よし子が帰って行くとすぐ、隣りの部屋から雄一郎が出て来た。彼は挨拶まわりをすますと、すぐ部屋にとじこもり、何か遺書のようなものを書いていたらしかった。 「岡井さんの奥さんの話は聞いたよ……お前どうする……」 「ええ……」  有里は考えながら、夫に茶をいれて出した。 「尾鷲《おわせ》へ帰っているのが一番いいのでしょうけれど……秀夫の学校のこともありますしねえ……千枝さんのところへとも思ったんですけど、あそこも手狭でしょうし、第一、秀夫が寄宿舎から帰ってくるのに遠すぎるような気がするんです……」 「したら、当分お言葉に甘えて岡井さんの厄介になるか……そのうち富良野か旭川にでも家を借りることにして……」 「そうですねえ……とりあえずそうさせて頂こうかしら……」 「うん……」  雄一郎も頷《うなず》いた。しかし、そのまま二人は黙りこんでしまった。これから先のことを思うと、つい、気持が沈みがちになる。  雄一郎がふと口をひらいた。 「俺たち、結婚して何年になるかなあ……」 「今年で十八年ですわ……」  有里はすぐに答えた。つい先刻、数えてみたばかりだったのだ。 「十八年か……長い年月だが、なんだかあっという間に過ぎてしまったような気がするなあ……」 「ええ……そうなんです、私もさっきそう思ったんです……」 「おい、ちょっと手を出してみろよ……その……右手の方だ……」 「右手……」  有里は言われるままに右手を出した。すると雄一郎の手がのびて来て、彼女の右手をしっかりと掴《つか》んだ。そして、いつも有里がしている中指の指貫《ゆびぬき》をスッとはずした。 「これ、もらって行くよ……」 「あら……どうして……」 「いつもはめてたろ、嫁に来てからずっと……これをはめて、いつも縫い物していたろ……」 「あなた……」  有里はじっと雄一郎を見詰めた。見詰めているうちに、なんだかジンと胸の奥が熱くなるのを感じた。 「今日、挨拶《あいさつ》まわりをして来たが、お前のことはとうとう駅長にも誰《だれ》にも頼むと言えなかった……いや、わざと言わなかったんだ……」 「わかっています、あなた……あなたのお帰りになる日まで、私、誰にも迷惑をかけないように、秀夫としっかり生きて参ります……」 「すまん……」 「あなた、どうぞしっかりお国の為に働いて来て……」 「うん……」  妻の使い古した指貫を胸に抱いて、雄一郎は出発して行った。  有里はとうとう最後まで、涙を見せずに夫を送り出した。しかし、その有里の、本当は必死で哀《かな》しみに耐えている、胸のうちを一番よく知っているのも雄一郎だった。彼もまた、ちょっと目には冷めたいと思えるくらい、妻にいたわりや慰めの言葉をかけなかった。  それでいて、二人はお互に相手の哀しみや、いたわりの心を充分理解し合っていたのである。それは言葉などでは到底表現し得ぬ、繊細な夫婦の感情の交流だった。  若くて、まだ不器用な時代には、恋は表面にギラギラと燃えていた。結婚し、生活を共にして、一緒に喜び苦しみをわかち合った今では、互に相手を恋うる気持はずっと心の奥の方に沈んでいた。が、その強さに於てはそれは昔とすこしも変るところはなかった、それどころか、前よりもいっそう強く、きめこまかにさえなっていたのである。  だが、そうした微妙な気持のやりとりは、まだ秀夫にはわからなかった。  雄一郎を乗せた列車が遠く走り去ったとき、秀夫がいきなり母の手を引っ張って走り出した。大勢の見送り人たちの群から離れ、秀夫は有里を無人踏切の上まで連れてくると、自分はいきなり突っ伏して、線路に耳を押しつけた。 「母さん、聞えるよ……父さんの乗った汽車の音……早く、早く、聞いてごらん……」 「秀夫……」  有里もすがりつくように冷めたい線路に耳を押し当てた。  確かに秀夫の言うように、ゴトン、ゴトン……、なにか巨大な生命の鼓動のような、鈍い、重量感のある響きが伝わって来た。 「ね、母さん、聞えるだろう……」 「ええ……聞える……」 「まだ聞えるよ……」 「ええ、まだ聞えているわ……」  銀色に長く光る線路は、ゆるやかにカーブを描きながら夕張の連山の中に消えていた。  そして、その上に、まぶしいくらい澄みわたった青い空があった。  有里の心の中で、張りつめていた糸がプツンと切れた。  夫との別れの哀しみが、急に有里の胸に大きくふくれ上って来た。  有里は線路に頬《ほお》を押しつけたまま、遠のいて行く列車の音にじっと耳をすませた。 「行ってらっしゃい、あなた……きっと生きて戻って来てくださいね、お願い……」  先刻プラットホームでは言えなかった言葉を、声にならない声で叫んだ。 「秀夫と私のことを考えて……絶対に死なないで帰って来てください……」  いつの間にか涙が頬を伝い、冷たい線路を濡《ぬ》らしていた。     15  室伏雄一郎は出征した。  有里は岡井亀吉の家へ身を寄せながら、鉄道用地の開墾作業に参加した。  食糧増産のかけ声は、この北海道の片隅にまでひびきわたっていたし、有里も雄一郎に負けないよう、なんらかの形でお国のために働きたかったからである。  すでに出征につぐ出征で、荒野を開墾するにしても男手はほとんど無かった。有里は馴《な》れない手に鍬《くわ》やスコップを握り、明けても暮れても馬鈴薯《ばれいしよ》作りに汗を流した。  男にも辛い仕事を有里はすすんでやることにより、戦地の夫の身を気づかう不安から、多少とも解放されるような気がした。  十八年の夏、岡井三郎は、当時の青少年の憧《あこが》れであった海軍兵学校を受験した。だが、この試験は極めてむずかしく、三郎は合格できなかった。  しかし、海兵の試験に落ちても、三郎の夢はあくまでも海であった。彼は次に海兵団に志願する腹を固めたが、このことは両親にも一言も洩《も》らさなかった。  もともと三郎の父は、海軍兵学校を受けることにも反対で、彼にも自分のあとをついで鉄道員になるようすすめていたのである。  三郎は自分の考えをただ一人、同じ寄宿舎にいた秀夫にだけは打ち明けていた。秀夫はいままでも彼の良き相談相手であり、海に憧れ、お国のために役立ちたいという三郎の最大の理解者であった。  二人はいつも、この国難を救うのは自分たち若人の力であり、国のためには喜んで捨て石となるのだと語り合っていた。  そして三郎も秀夫もそれを自分たちの秘密として固く守り、母親にも打ち明けなかった。国に殉ずるという行為が、ともすると女々しい母親の反対をかうことになるのを知っていたからである。  少年たちはそのことで多少は悩み、苦しみながら、やがていつの日か、母にそむかねばならない時の来ることを本能的に悟っていた。  翌十九年になると、戦局はいよいよ不利で、六月には北九州地方が空襲され、七月にはサイパン島の玉砕が伝えられた。  出征した雄一郎からの手紙は二度ほど有里の手に届けられたが、それっきりばったりと跡絶《とだ》えてしまった。  どうやらビルマ方面に居るのではないかと思われたが、それも、ただ想像でしかなかった。  三郎より一年遅れて、秀夫は有里の反対を押し切って海軍兵学校に願書を提出した。  有里は久しぶりに訪ねて来た千枝に、めずらしく愚痴をこぼした。 「千枝さん……あたし、国の非常時にこんなこと言ったら叱《しか》られるかもしれないけど……秀夫だけは軍人になってもらいたくなかったのよ……」 「わかるよ、姉さん、うちだって男の子が五人も居るけれど、私はその中のたとえ一人だって戦争になんかやりたくないもん、それが母親ってもんだよ」 「そりゃねえ、世間にはお国のためにと覚悟して子供を戦地へ送り出す母親もあるというのに……」  有里はそっと眼を伏せた。 「それでなくても今度の戦争で、子供さんをなくした方々が沢山いらっしゃるっていうのに……私だけが、こんな身勝手なことを言うなんて、ほんとに申し訳ないことだとはわかっているんだけれど……」 「秀夫ちゃんは、なんといってるの?」 「どうしても海軍にはいるって……たとえ私がどんなに反対しても……」 「あんなに気のやさしい子だったのに……」 「せめて、うちの人でもいてくれたら、父親としていろいろ意見ものべてくれたんだろうし、秀夫もお父さんの言うことだったら聞いたんだろうけれど……女にはわからないのよ、男の子の気持ってのが……」 「そう、言いだしたらきかないんだよ、男の子って……」 「やっぱり、秀夫も行くのね……どう止めてみても、結局は行くのね……」  有里は絶望的な眼で天井を見上げた。 「もし、二人とも戦死するなんてことになったら、私どうしよう……」 「姉さん、そったら不吉なこと、言うもんじゃないよ」  千枝にたしなめられるほど、有里の気持は動揺していた。  やがて、秀夫は有里の反対を押し切って海軍兵学校を受験したが、その結果は三郎と同様、不合格であった。  悄然《しようぜん》としている息子《むすこ》の手前、有里は喜んではならないと思いながら、どうしても喜びを押えることが出来なかった。  有里のところに、再び平穏な日々が戻って来た。といっても、秀夫は中学から飛行機工場へ勤労動員されて働き、有里は食糧増産の畑仕事のかたわら、富良野《ふらの》駅へ行って、掃除や、時には改札などまで手伝った。ここも、ますます深刻な人手不足であった。  秋九月、主要都市では一斉に学童疎開がはじまった。九州、山陽、中国地方はすでに敵機の空襲を何度も受けていた。東京が三十七万七千人、横浜、川崎、横須賀《よこすか》が九万五千人、名古屋六万九千人、大阪十八万人、北九州一万五千人など、合計約七十九万四千人の学童たちが親許をはなれ、集団で地方の旅館や寺院へ疎開させられたのである。  これに使用された貨車は二十五万|輛《りよう》、まさに鉄道の総力をあげての大輸送だった。  そして十一月、遂にサイパン島のB29爆撃機は東京を襲った。  また、当局は極秘にしていたが、ビルマ方面の日本軍が潰滅《かいめつ》したという噂が広がっていた。  ビルマには雄一郎が居るはずだった。手紙はもう一年くらいも来ていない。それだけでも、雄一郎がかなり危険な戦線にやられていることが容易に想像された。  或る晩、有里は雄一郎の夢を見た。あまりいい場面ではなかった。負傷し、泥だらけになった雄一郎が、苦しそうに手をのばし、 「水……みず……」  とうめいている夢だった。  翌日、有里の許に一通の電報が届けられた。 (もしや、昨夜の夢が本当になったのでは……)  有里はふるえる指先で電報をひらいた。 『ハハキトク ユウスケ』  尾鷲《おわせ》の兄からだった。  有里はすぐ旅行の仕度をした。  すでに百|粁《キロ》以上の旅行には警察の証明書のいる時代であったが、これは岡井亀吉が手をまわして手続をとってくれた。  よし子に秀夫のことを頼み、とにかく有里は富良野を発《た》った。  しばらく大きな旅行はしなかったが、いつの間にか寝台車も食堂車も一等車もなくなり、急行列車さえもが半減していた。  旭川《あさひかわ》から函館《はこだて》までに一日かかり、青函《せいかん》連絡がうまく行かずに半日近くも待たされた。  本州の列車状況は更に悪かった。  仙台で乗り換え、東京に近づくと、ちょうどB29が東京を空襲中という騒ぎであった。  丸一日、東京へは這入《はい》れず、漸《ようや》く東京にたどりついたと思えば、今度は東海道線に乗るのに一昼夜、行列をつくらねばならなかった。それでも、乗れれば有難いと思わねばならなかった。  周囲の乗客の中には、地方へ疎開して行く人々の姿が目立った。大きな荷物を背負い、子供たちの手をひいて、ボロボロのにぎり飯や芋《いも》を頬張《ほおば》っている光景は、ひどくもの悲しかった。  有里にしても、家を出る時、三日分の弁当を用意して出て来たのであるが、だんだんに予定が遅れてしまい、食べのばし、食べのばしして、尾鷲へ辿《たど》りついたのが、なんと五日目の夜であった。  有里は途中から、母の死目に逢《あ》うことは諦《あきら》めた。とにかく、葬儀にだけは間に合いたいと思った。  尾鷲の駅から、暗い道を有里は息を切らせて家まで駈《か》け続けた。  なつかしい屋並も海も、眼に這入らなかった。     16  みちは奇蹟《きせき》的に生命をとりとめた。  一時は完全に医者も匙《さじ》を投げた恰好《かつこう》だったのだが、人一倍勝気だった彼女の精神力が必死で死の淵《ふち》より這《は》い上って来たのだった。 「よかったわ……正直な話、もう間に合わないかと思った……」  有里はほっと胸をなでおろした。 「昨夜が実は峠やったんや、大阪に頼んどいた特効薬がようよう間に合うてな……その薬を使うたら、ずっと楽になって来たのや」  勇介もさすがに嬉しそうだった。 「肺炎ですって?」 「風邪《かぜ》をこじらせたんや、最初に診せた医者が誤診しよってな……それにしてもよう来られたな、道中が大変やったやろう……」 「まるで地獄みたいだったわ……東京では空襲のすぐあとを通ったけど、これでは戦地も銃後もないとつくづく思ったわ」 「そうか、まあ、えらい時代になったなあ……ここらも海軍が警備に来とって、港には駆逐艦や掃海艇やらいうもんが這入《はい》っとるんや……それに近頃は交通難で大阪へもよう出られへん」 「そういえば、弘子姉さん、どうしてる?」 「何度もごちゃごちゃ言うて来て、やれ、出るの、のくのと大騒ぎやったけど、なんせこういう時代になってしもうたさかい、芦屋《あしや》のほうに引き籠《こも》って、どうやらおとなしゅうしとるようや」 「したら、お義兄《にい》さん、まだ女の人と手が切れてないのね」 「なにしろ、子供まであるのやさかいな……」  勇介はどうしようもないというふうに首をふった。 「弘子んとこにくらべたら、お前のとこは仕合せや……夫婦たらいうもんは、やっぱり愛情がいちばん大切やさかいな、愛情がのうなっては、何をしてもあかん……」 「でも大阪のお義兄さん、兵隊にとられないだけでも弘子姉さんは仕合せだわ、うちなんか、もしあの人に万一のことがあったら、それっきりですもん」 「いいや、そんなことはない……第一、雄一郎はんが敵の弾にあたって死んだりなんぞするもんかいな」 「どうして?」 「どうしてたって、そうやがな……」 「お兄さんは戦争に行かないから、そんな暢気《のんき》なことを言っているのよ、どこの村や町の駅へ行ったって、毎日毎日、白い函《はこ》に納められた英霊が降り立たない日がありますか……ほんとうはこうしているあいだにも、何十人、何百人の兵隊さんが死んでいるかもしれないのよ、その中にあの人がはいっているかもしれないじゃありませんか……」  いつもより激しい妹の語気に、勇介は口をつぐんでしまった。 (無理もない……)  と勇介は思う。  いくら落ちぶれたとはいえ、この尾鷲に居りさえしたら、もっと金持の家へ嫁ぐことも出来たろうし、なに不自由なく暮せたものを、自分から好んで北海道くんだりまで出掛けて行った妹なのである。もし、雄一郎に死なれたらと苛立《いらだ》つ気持もよくわかる。  そういえば、しばらく見ぬうちに、有里の眼尻《めじり》にもずいぶん小皺《こじわ》がふえていた。 「有里……それだけはお前がいくら心配してもどうしようもないこっちゃ……それよりも、もしそのことが原因でお前が体でも悪うなったら、それこそ雄一郎はんに申し訳が立たんぞ、ええな……」  勇介は、ただそれだけ言った。  みちの容態は、持ち直したといってもすぐに回復するというものではなかった。  幾日も高熱が続き、ブドー糖の注射だけで栄養を補給するといった最悪の状態だったので、体力の消耗がはげしかった。  みちは有里が来てくれたことを、涙を流さんばかりにして喜んだ。それどころか、大病のあと気が弱くなったらしく、心細がって、なかなか有里を帰したがらなかった。  北海道が気になりながら、やはり有里も、そんな母をおいて尾鷲を出発する気になれなかった。秀夫が家から通学しているのならともかく、寄宿舎生活をしているので、その点だけは安心だった。  みちはしきりに秀夫に逢《あ》いたがった。 「もう一度、危篤たらいう電報を打って呼び寄せたらどうかいの」 「したって、お母さん、秀夫はまだ学校があるんですよ」 「そうじゃった、そうじゃった……けれど、ずいぶん大きうなったろうのう」  このごろでは、みちは床の上に起き上って有里とそんな会話を交わすほどまでに回復していた。  その日は、勇介は疎開者が格安で手離すという土地を見に大阪へ出掛けて行って留守だった。  有里は勇介の妻の幸子や、長女の啓子らと母の病室へ集り、とりとめもない世間話に花をさかせた。ちょうど昼食時で、幸子がそろそろ仕度をと立ちかけたとたん、グラッと大地が傾くかと思われるほど揺れだし、幸子はそのまま畳に叩きつけられた。 「地震やッ、啓子ッ、みんなテーブルの下へかくれてッ……」  幸子が叫んだ。 「お母さん、布団を頭からかぶりなさい」  有里も夢中でみちのそばへ這い寄った。 「それより、火の始末、火の始末をしてや……」  みちも跡切《とぎ》れ跡切れに指示を与えた。  昭和十九年十二月七日の正午すぎのことである。  地震とほぼ前後して、津波が来た。  この時、浜に居た人々の中で助った者の話によると、堤防の内側の海面がぐっと低くなり、いまにも海底が見えるほどになったかと思うと、今度はその底から、まるで井戸が溢《あふ》れるように盛り上って来た海水が、あっという間に尾鷲の町を浸して行ったのだという。  津波というのは、上から大波のようにかぶって来るものではなく、あっという間に浸水し、その水がひくときに家も人も牛も馬も押し流してしまう。  中里家では、ちょうど居合せた庭男がみちを背負い、有里は折から妊娠中の幸子をかばいながら、重要書類や母や啓子などの身の回りのものなどを持って高台にある中里家の菩提寺《ぼだいじ》へ避難した。  寺へ着いてみると、本堂はすでに避難して来た人と荷物でいっぱいだった。  しばらくすると、庭の方で、 「津波がひいたぞ……家へ帰れるぞ……」  などと呼ぶ声がさかんにした。  どうなることかと不安の眉《まゆ》をよせていた人々の顔にもようやく生気が蘇《よみがえ》った。 「お姑《かあ》さん、水がひいたそうですよって、みんなが今のうちに大事なもんを家に取りに行く言うてます。うちもせめて子供のもんや食物などを運びに行きたいと思いますけど……」  外の様子を見に行った幸子が戻って来て言った。 「あかん、行ったらあかんえ……」  みちは強く幸子をとめた。 「津波いうもんはな、一度きりですむもんやない、一度ひいたら、すぐ寄り返してくるもんや、今、行ったら間違いなくあんたがやられる、行ったらあかん……」 「けど、みんな大丈夫や言うてはりますわ」 「やめなさい、命があったらそれでええのや、品物を惜しんでかけがえのない命を失うてどないするのや」 「はい……」  幸子は不承不承、みちの言葉に従った。  ところが、みちの言葉は本当になった。それから間もなく、津波の寄返しが来て、荷物を取りに家に戻った人々の大半が波にのまれたのである。しかも、人間の被害は第一回目のときより二回目の方が多かった。  これが世にいう、東海大地震と呼ばれる災害だった。  震源地は遠州灘《えんしゆうなだ》である。  この時、津波に襲われた地域は紀伊半島、伊豆西海岸、房総海岸にまで及び、全国の死者、行方不明約一千人、家屋の倒壊、流出、約二千六百戸と発表された。  しかし、この数字の中に、何故か尾鷲の被害件数は含まれなかった。  というのは、当時、尾鷲の港には極秘裏に海軍の駆逐艦、掃海艇などが居たため、尾鷲の被害状況発表の差し止めが軍部から命令された為だった。新聞でもラジオでも、尾鷲に関してだけは一行ものらず、一言も語られなかった。  一方、大阪でこの津波のニュースをきいた勇介は、その足ですぐ尾鷲へ馳戻《はせもど》ったが、紀勢《きせい》線はいたるところでずたずたに寸断され、忽《たちま》ち立往生してしまった。電信電話は勿論通じない。家族の安否が気になって、居ても立ってもいられない気持だったが、これではどうすることも出来なかった。  その夜、有里たちは、停電で真暗闇《まつくらやみ》の本堂の中で不安な一夜をすごした。  翌朝、家へ帰ってみると、嬉《うれ》しいことに家は無事だった。しかし、中里家と道一つへだてた海側は、ごっそりと家ぐるみ、抉《えぐ》られたように津波にさらわれていた。  残された中里家も、一階は鴨居《かもい》の近くまで浸水し、わずかに流出をまぬがれたのである。  朝の光の中で、有里は手伝いの人々といっしょに泥水の中で作業を続けた。  昨日の地震も津波も、まるで嘘《うそ》のように平和に晴れわたった尾鷲上空を、その時、飛行機が二機とんだ。それが、尾鷲上空にはじめてB29のとんだ朝であった。多分、東海大地震の被害状況を偵察に来たのだろう。  尾鷲が被害を受けたことが新聞に出たのは、結局、災害後三日もたってからであった。が、この時も、具体的な数字は何一つ発表されなかった。  しかし、その頃《ころ》には有里から、 『ミンナブジ アンシンセヨ ユリ』  の電報が富良野にも小樽にも届けられ、不安のあまり茫然《ぼうぜん》としていた千枝や、岡井亀吉夫婦、そして寄宿舎の秀夫をほっとさせた。  だが、この騒ぎで、尾鷲のみちの容態は再び悪化したため、その看病のために、有里は当分北海道へ帰れないことになった。     17  昭和二十年、戦争はもはや末期的様相を呈していた。  連日連夜、主要都市に対するB29の攻撃が続けられた。  ところが、奇妙なことに、B29が阪神や名古屋を空襲する前に勢揃《せいぞろ》いするのがこの尾鷲上空だった。尾鷲上空を旋回しながら隊伍《たいご》をととのえ、悠々と目的地へ向けてとび立って行くのである。爆弾こそ落さなかったが、尾鷲の人々は生きた心地もなかった。  この頃、鉄道線路は、富士山と共にB29の進路のよい道しるべだった。  その空襲下の大阪に、関根重彦は大鉄の総務部長として天王寺《てんのうじ》管理部に居た。又、その同じ天王寺の帝国運送支店には、南部斉五郎が病妻を千葉のはる子の許《もと》に預け単身赴任して来ていたのである。  斉五郎は、もはや停年をすぎていたが、どこも人手不足で、悠々自適どころのさわぎではなかった。  尾鷲の津波から二か月ほどたった或《あ》る日、有里は弘子の嫁ぎ先である吉田屋から届けられた蜂蜜《はちみつ》とニンニクのエキスを受け取りに、鳥羽《とば》まで出掛けることになった。  これは、勇介が前から母のために吉田屋へ依頼してあったもので、番頭が鳥羽まで行くついでに持ってくるので、そこまで御足労願いたいとのことだった。指定して来た日が、ちょうど勇介は勤労奉仕の当番で、幸子は妊娠中だったため、有里が行くことになったのだった。  その前日、突然、大阪から関根重彦が有里をたずねてやって来た。もっとも関根が尾鷲を訪れるのはこれが初めてではなく、津波の直後、心配して来てくれて以来、部下に二度ほど見舞品を届けさせてくれていた。  今度も京都の御子柴家から言付かったといって、牛肉をわざわざ持って来たのだった。 「有難うございます……ほんとうに何とお礼を言ったらいいか……」  有里は月並なことしか言えなかったが、関根の親切にたいしては、まさに両手を合せて拝みたいような気持だった。 「この間の空襲は大変でしたわねえ、B29がこの上を通って大阪へ行ったんです……関根さんや南部さんがお怪我《けが》がなければいいがと、とても心配しましたわ……」 「そうそう、南部の親父《おやじ》さんといえば、今日、僕と一緒にここへ来るはずだったんですが、急に千葉へ帰らなければならないことになりましてね、昨夜のうちに出掛けられました……」 「千葉へ……?」 「ええ、昨夜千葉から電報が来て……奥さんの容態がよくないらしいんです……」 「まあ……そんなに……」 「とにかく、電報が来るくらいですからね」  節子の容態を案じながらも、有里は翌日、吉田屋の番頭に逢《あ》うため鳥羽へ発った。  番頭は約束の旅館で、といっても表向きは軍需工場の寮ということになっていたが、先に来て有里を待っていた。  そして品物と一緒に、弘子の夫である吉田屋の主人の伝言を持って来た。 「実は……若御寮はんのことでちっとお願いがおますのやけど……」  番頭は言いにくそうに話しはじめた。  前にも弘子には何度となく話してあるのだが、吉田屋の主人、つまり弘子の夫は、どうしても吉田屋の跡をとらせる子供が欲しい。それで、他の女に彼が産せた子供を養子として引き取りたいと、かねてより考えていた。もし子供さえ引き取ったら、その女とはきっぱり別れる決心もついている。ところが、肝腎《かんじん》の弘子がどうしても、うんと言わない。子供を引き取るのなら、私がこの家を出て行きますの一点張りなのでほとほと手を焼いている。なんとか、尾鷲の実家のほうからもこの事について、弘子に納得《なつとく》させてもらえまいかという、吉田屋の主人の伝言だった。  勿論、有里の一存で答えられることではないので、いずれ、母や兄とも相談してと返事をして、有里は早々にいとまを告げた。  吉田屋から貰《もら》った包をしっかりと抱えて、有里は相可口《おうかぐち》まで行き、そこから紀勢本線に乗り換えるつもりだった。ところが、乗り換え待ちに散々手間取ったあげく、やって来た最終列車は人が鈴なりでどうしても乗れなかった。  有里はやむなく駅で夜を明すことになり、待合室へ行った。待合室には有里と同じく、列車に乗りそびれた人々が、肩をすぼめるようにして夜明けの来るのを待っていた。床にじかに新聞紙を敷いて寝ている人もいる。  有里はベンチにうずくまるようにして、じっと眼を閉じていた。  ふと背後のほうで、女の途方にくれたような声がした。駅員に何かしきりと尋ねているらしい。 「あの、次の鳥羽行は何時に出ますか?」 「今夜はもう出ませんよ」  かなり突慳貪《つつけんどん》なもの言いで、女の駅員が答えていた。最近、男の手が足りないため、こうした職業にもかなり女性の進出が見られた。しかし、概して態度が悪く、あまり評判もよくないようだった。 「ええ、ですから明日の朝は……」 「時間表をみて下さい」 「時間どおり出るんでしょうか」 「そんなこと、わかりません」  ピシャッと窓口を閉める音がした。  女は仕方なく、時間表を見に有里の前を通って、反対側の壁の方へ歩いて行った。が、その顔を見たとたん、有里は思わず息をとめた。 「三千代さん……」 「まあ……」  三千代も茫然《ぼうぜん》と有里を見詰めた。だが、次の瞬間、三千代は顔をそむけて立ち去ろうとした。 「待ってください」 「あなたにお話しすることなんかありませんわ」 「あなたになくても、私のほうにあるんです……」  有里は三千代に近づいた。 「うかがいたくありませんわ」  三千代は再び顔をそらした。 「念のため申しますけど、私、いつぞや北海道であなたとお約束してから、一度だって雄一郎さんにはお目にかかって居りませんわ。それでも、なにか、私におっしゃりたいことがおありなんですの」 「主人のことではありません……主人は今、出征しております」 「……雄一郎さんが出征……」  三千代の眼がはじめて有里に向いた。 「もう一年以上になります」 「まあ……」  三千代は本当にその後の雄一郎のことは、まるで知識がないらしかった。 「それより三千代さん、どうか、すぐ千葉へいらっしゃって下さい」 「千葉……?」 「千葉の伊東栄吉の家へ行ってください」 「伊東栄吉さんの家……?」 「はい、そこに南部さんの奥さまがいらっしゃるのです……奥様、ご病気なんです……」 「えッ、祖母が……」 「もう今度がたしか三度目の発作で……脳溢血《のういつけつ》だそうです」 「まあ……それで、容態は……ひどく悪いんでしょうか……」 「私も昨日、関根さんからうかがったばかりなんですけど、千葉から大阪にいらっしゃる南部さんに電報が届いたそうです。南部さんはすぐ千葉へ駈《か》けつけました……」  有里の言葉が終るか終らぬうちに、三千代は出札の窓口へとんで行った。 「あの……東京へ行きたいんですけれど、急行券はないでしょうか」 「ありません」  先刻の女駅員だった。 「祖母が危篤なんです、私にとってはかけがえのない人なんです、どうしても行ってやりたいんです、なんとかお願い出来ませんか」  三千代は必死だった。窓口にすがりつくようにして、中の駅員にたのんだ。だが、それに対する答えはあくまでも冷めたかった。 「無いものは仕方ないでしょう」 「それでは、駅長さんにお目にかかれないでしょうか」 「もう帰りました」  とりつく島もなかった。  有里は三千代をうながして、駅前の旅館に行った。うす汚い木賃宿のような旅館だったが待合室で夜を明すよりはましだった。 「私、名古屋で焼けだされて、一緒のパラシュート工場で働いていた友だちに誘われて鳥羽へ来たんです……でも、いつまでもぶらぶらしているわけにもいかないし、今日、こっちの方にいい勤め口があるというので見に来たら、すっかり遅くなってしまって……」  三千代は今度は自分から、ぽつりぽつりと身上話をはじめた。 「だけど、これがきっと神様のおひき合せっていうんでしょうね、あなたにお目にかからなかったら、千葉のこと、まだ当分は知らなかったでしょう……」 「でも三千代さん、切符はどうなさいます?」 「夜が明けたら駅長さんにじかに頼んでみます……でも、駄目かもしれないわねえ……」  三千代の表情が哀《かな》しげにゆがんだ。 「こうやっているうちにも、おばあちゃんが……なんて私って恩知らずな女なんだろう……」 「三千代さん……」 「羽が欲しいわ……空をとんで……千葉へ行けたら……お願いよ、おばあちゃん、お願いだから死なないで……」  そばに有里の居ることを忘れたように、三千代は両手を胸の前に固くしっかりと握りしめた。     18  一週間ほどたって、千葉の消印のある手紙が、尾鷲《おわせ》の有里のもとに届けられた。  三千代からの手紙だった。  あの翌朝、駅長の計らいで、駅員の家族の切符をわけてもらい、どうやら急行で千葉へ駆けつけることが出来、節子の死目にも逢《あ》えた礼を述べたものだった。又、これからは祖父の南部斉五郎と一緒に住み、長い間の不孝の詫《わ》びをするつもりだと結んであった。  有里は早速このことを病床のみちに報告した。みちはあれからずっと三千代のことを心配して、 「どうしたかの、三千代さんたらいうお人、お祖母さんの死目にめぐり逢えたかいの……」  口癖のように繰返していた。  三千代が節子に逢えたと聞くと、 「そうかの、逢えたかのう……それは良かった、良かった……」  心から嬉《うれ》しそうに、何度も頷《うなず》いた。 「きっと神様が、私を三千代さんに逢わせてくださったのだと思うわ、でなければ、あんなにうまく行くはずがないもの……」 「いいや、それはなあ、南部駅長はんの奥さんの魂が三千代さんを呼んだんや、逢いたい逢いたいと思うとる時、人間の魂は、体をはなれてその逢いたい人の許へとんで行くのや……それが霊というものやさかいなあ……」 「そうかもしれないわねえ……」  有里もしみじみとした口調になった。  有里はふと雄一郎のことを想った。もし、みちの言うのが本当なら、自分が雄一郎に逢いたいと思う気持が彼に通じるだろうか。逢えないまでも、手紙ぐらいは来て欲しいと思う。 「有里さん、北海道から電報ですよ」  障子を開けて、幸子が言った。 「なんや、北海道からなんて……」  みちが表情を固くした。 「なにか又、起ったんと違うか?」  まさかとは思うが、このところ息をつくひまもないくらいの事件の連続なので、有里も少し不安になった。いそいで電文を読み下した。 「なあんだ……」  有里が笑いだした。 「秀夫からよ、秀夫がこっちへ来るんですって……」 「そりゃ、ほんまかいな」 「そういえば、学校そろそろ休みなんだわ」 「いつ、いつ来るんかいの」 「そうね、十五日にたつとあるから、もう三日もすると、こちらへ着くわ」 「ほう……」  みちは、秀夫の到着が待ち遠しそうに、一本一本指を折って到着の日を数えた。その横顔は子供が遠足の日を指折り数えて待つように楽しげだった。  もちろん有里も、秀夫の到着を首を長くして待った。  有里が母の危篤の電報によって北海道を発《た》ったのは、去年の十一月末のことだったから、かれこれ四か月近くも秀夫の顔を見なかったことになる。母と子がこれほど長く離れて暮したことは今迄《いままで》にもなかった。  予定通り、それから三日ほどたって秀夫が尾鷲へやって来た。 「ほんまにまあ、なんと大きうなったもんやなあ……」  秀夫の成長ぶりに、みちはすっかり驚いたようだった。身長といい、骨格といい、父親ゆずりで大きくたくましい。 「小さい時は、まるで女の子みたいに華奢《きやしや》やったのに、すっかり見違えてしまったわ……」  何度も溜息《ためいき》をつき、それでも嬉《うれ》しそうに眼を細めた。 「工場へ動員されたり、勤労奉仕などで体を使うから、いつの間にかいい体になったんですよ、病気もね、昔、釧路《くしろ》で母さんに病院へ連れて行ってもらった時の大病以来、風邪《かぜ》もめったにひかないくらい丈夫になったんですよ」 「そうそう、あの時はまだ小学校へ行く前やったなあ……今ではもうおぶいたくても、ようおぶえんわ」 「今度は俺《おれ》が婆ちゃんおぶってやるよ」 「ほんまになあ、おおきに……」  そこへ、啓子がやや恥かしそうにやって来た。 「いらっしゃい……」  行儀よく畳へ両手をついてから、 「あの……母が秀夫ちゃん、よかったらお風呂《ふろ》あびたらって言うてますけど……」  はきはきと要件を述べた。 「啓子、おぼえとるかい……ほれ、倶知安《くつちやん》へ婆ちゃんと行ったとき、秀夫ちゃんに毎日遊んでもろたやないか……あれは、いくつくらいの時やったかいな……」 「啓子ちゃんが小学校へはいったばかりではなかったかしら……」 「秀ちゃんおぼえとるかの?」  有里の言葉をみちが受けた。 「ああ、そりゃ、おぼえとる……」  秀夫はそう言いながら啓子を見たが、なんとなく照れくさそうに眼をそらした。秀夫にしても啓子にしても、この五、六年は育ちざかりで、お互に相手の変りようにかなり戸惑っているらしかった。 「二人とも大きうなったで、びっくりしたやろ……」  みちが楽しそうな表情で笑った。  しかし、そんな和気あいあいとした雰囲気の中でさえ、秀夫の態度に妙な固さが目立ったのを有里は不審に思った。最初はしばらく離れて暮していたせいかとも考えたが、それとは違う、なにか翳《かげ》りのようなものが眼の奥に沈んでいた。 (何か隠している……何だろう?)  いつもだったら何のためらいもなく問い糺《ただ》すのだが、この日に限って有里は躊躇《ためら》った。秀夫の表情には、有里の心を圧迫するような、何かひどく思いつめた色があった。  その晩、秀夫は母と二人っきりになると、やはり有里が予感したように、急に居ずまいをただして、 「母さん、俺、相談があるんだ……」  と、まず口をきった。 「相談……?」  有里は努めて不安を表へ出さないようにした。 「なあに、学校のこと、それとも……」 「母さん……俺、ほんとうはお別れに来たんだ……」 「お別れ……なんのことよ、秀夫……」 「俺、海兵団へはいったんだ」 「なんですって……」  それまで浮かべていた有里の微笑が、はっと頬《ほお》に凍りついた。 「母さんに相談しないで悪かったけど、相談しているひまがなかったんだ……ちょうど母さんが留守の二月にむこうで志願兵の募集があったんだ、それで俺、さぶちゃんと一緒に志願したんだよ」 「岡井さんとこのさぶちゃんと……?」 「二人とも合格したんだ」 「秀夫……」 「今月の五日に通知が来たんだ、本当は第一志望は飛行兵だったんだが、第二志望の機関兵に指定されたんだよ、さぶちゃんも同じだった……」 「いけないわ、秀夫、あんた母さんに約束したじゃないの、海軍兵学校に落ちたからには学業を続けるって……」 「今はね母さん、のんびりと授業を受けている時代じゃないんだよ……遅かれ早かれ兵隊にならなきゃならないんだったら、むしろ、一日も早く志願してでも戦場に駈《か》けつけるべきなんだ、今の日本は、俺たち若い力を必要としてるんだ……日本のためなら、俺たち喜んで醜《しこ》の御楯《みたて》となる……ね、そうだろう、母さん……」 「したって、秀夫……」  思わず声が高くなった。  当時、海軍兵学校や予科練の生徒たちは世の花形的存在だった。少年たちにとって憧《あこが》れの短剣であり、夢の七ツボタンだったのだ。  しかしそれに引替、海兵団は戦争中の犠牲が最も多かったにもかかわらず、その存在は地味であった。世間が特に喝采《かつさい》を送ったわけでもない。海兵団は徴兵によって集められた水兵の兵営であり、志願兵として入団しても、階位は水兵として最下位の二等水兵である。いわゆる、労多くして、報われることのすくないものだった。  だが、有里はそんなことで、秀夫の海兵団入りを悲しんだのではなかった。 「どうして、そんな大事なことを母さんにひと言の相談もしてくれなかったの……海兵団へはいりたいんだったら、なぜ、はいりたいってひとこと言ってくれなかったの……」 「じゃ、母さん、もし母さんに俺が海兵団に志願したいっていったら、すぐ賛成してくれたかい……去年、海兵を受けたときだって、母さんは最後まで反対だったじゃないか……試験の最中だって、母さんは俺が試験に落ちることを祈ってたんだろう」 「そんな……違いますよ……」 「違うもんか、俺が不合格だった時、母さんは黙ってたけど、俺にはわかったんだ、母さんがよかったと思ってるのが……喜んでるのが、よくわかった……隠したって駄目だ、俺は母さんの気持は隅から隅までわかってるんだ、わかってるから、黙って志願したんだよ……」 「それじゃ、秀夫、あんたは母さんが、あんたを戦争にやりたくないっていうことを知ってて、海兵団に志願したの?」 「母さん、よく、そんなことが言えるね……」  冷めたい眼で、秀夫は母を一瞥《いちべつ》した。 「この日本が興るか亡びるかという大事に、自分の息子《むすこ》を戦争にやりたくないなんて、よく、そんな恥しいことが口に出せるね」 「だって、秀夫……」 「母さんッ、俺、母さんのそういうところが嫌なんだ、そりゃ、俺は母さんにとって、かけがえのないたった一人の息子だろう……だからって、日本が勝つか負けるかという瀬戸際に、自分の息子だけは無事で安全な所に置いておきたいなんて、そんな自分勝手なことが許されると思ってるのかい……」  秀夫は頬《ほお》を紅潮させて喋《しやべ》り続けた。 「母さん、俺だって日本人だ……みんなでいつも話しているんだ、お国のために死ぬべき時が来たら、立派に死のうって……今の俺たちが命を惜しんだら、いったい日本はどうなるんだ、俺たちが死ぬことこそ、日本を救うたった一つの道なんだ」 「待ってちょうだい……」  有里はようやく声を出した。 「あんたがそこまで考えているのなら母さんも言います、母さん、あんたに死んでもらいたくないのよ」 「母さん……」  秀夫が眉《まゆ》をしかめたが、有里は続けた。 「たとえ非国民といわれても、銃後の母にあるまじき言葉だとののしられても、母さん、あんたを殺したくない……あなたがどうしても死ななきゃならないのなら、母さんがかわりに死にます、母さんの命ですむことだったら、いつだって喜んでお国に差し上げます、だからあんただけは……」 「はんかくさいことを言うんじゃないよ、母さんなんかに何が出来るんだ、母さんが飛行機に乗れるか、軍艦動かせるか、鉄砲うって敵を倒せるか……」 「あんたがやることだったらなんだってやるわ……鉄砲かつげというなら担ぎます、飛行機に乗って敵の軍艦へ突っ込めというのなら、母さん、きっとやってみせる……」 「母さん、未練じゃないか、どこの母親だって、みんな辛くとも、苦しくとも子供を戦場へ送り出しているんだ、母さんは利己主義者だよ、非国民だよ」 「秀夫、あんたは母さんだけの子じゃないのよ、父さんと母さんの二人の子なのよ」 「父さんは許してくれるよ、父さんにはきっと俺の気持がわかってくれる……ね、母さんわかってくれよ、母さん……」  その時、廊下の障子が突然ガタガタと鳴って開いた。みちが崩れるように部屋へ入って来た。 「秀夫……」 「あ、お母さん……」 「婆ちゃん……」  二人とも、みちのそばへ駆け寄った。 「お願いだよ、後生一生のお願いだよ、行かないでおくれ……秀夫、せめて、婆ちゃんの息のあるうちだけは……どうか、どうか、海兵団たらいうところへはいらないでおくれ……」  みちは、有里と秀夫のやりとりを隣室で聞いて、たまらなくなって蒲団から這い出して来たものらしかった。 「秀夫、お願いだからね、秀夫や……」 「秀夫……」  しかし、秀夫は黙って立ち上ると、みちと有里を残して部屋を出て行った。  翌朝、秀夫は早く床をはなれ、裏庭へ出てぼんやりと海を眺めていた。昨夜の母とのやりとりが、まだ重く心の上に凝《しこ》っている。母との諍《いさかい》を、秀夫は哀《かな》しい気持で思いかえしていた。  秀夫にとって、母は何物にも替え難い存在である。幼いころから、母は秀夫の誇りであり、精神的よりどころでもあった。その母が、どうしてあんな訳のわからぬ事を言い、とり乱すのか。秀夫は母にあの場合、もっと毅然《きぜん》とした態度を見せて貰《もら》いたかった。母の気持はわかるけれど、そんな女々しい、情ない母であって貰いたくなかったのだ。  秀夫は最近旭川の町で、三郎と一緒に海軍の軍人を主人公にした映画を観た。その主人公が立派な戦死をとげたとき、その母親の態度は、哀しみのうちにもなんと雄々しく、健気だったことか。そんな姿を、秀夫も三郎も、この世の中でもっとも気高く、美しいものと思ったのである。  秀夫は母に失望した。  背後に、軽い足音が近づいた。 「なにしてるの、こんなところで……?」 「なにもしていないさ……」  声で啓子とわかったが、秀夫はふりかえらなかった。 「秀夫ちゃん、海兵団へはいったんやって……?」 「誰《だれ》にきいた……」 「みんな泣いてはるわ、おばあちゃんもおばさんも……」 「女になんかわからないんだ、俺の気持が……」  秀夫ははき出すように言った。 「海兵団へはいって何するの」 「訓練を受けるのさ、いろんな……軍艦の動かしかたとか、大砲の撃ちかたとか……」 「それが終ると、戦争に行くのね」 「そうさ、きまってるじゃないか」  秀夫は啓子の子供っぽい質問に苦笑した。 「男の人、みんな戦争に行ってしまうわね……」  ふっと、大きな瞳《ひとみ》を海に向けて、啓子が呟《つぶや》いた。 「この美しい日本の国を守るためだ、仕方がないよ……もう、他人にはまかせておけないんだ、男という男は一人残らず剣をとって戦わなければいけないんだ……」 「そうね……」  啓子はコクリと頷《うなず》いた。  それから、しばらくじっと秀夫を見上げていたが、やがて、首から綺麗《きれい》な花模様の小さな袋をはずして、 「これ、秀夫ちゃんにあげる……」  と差し出した。 「いつか、むこうの海で拾った桜貝よ、きれいだから大事にしていたの、貝がらはきっと海のお守りよ、秀夫ちゃん海軍へ行くんだから、これあげる……」  秀夫が受けとると、啓子はバタバタと逃げるように駆けて行ってしまった。  母のそばにたった一晩寝ただけで、秀夫は尾鷲を発って行った。  泣いても、すがっても、秀夫をとめる方法はなにもなかった。  国を愛するということは、青春の命を戦に殉ずることと思いつめている青年には、母の愛も祖母の悲しみも踏みにじって、顧みなかった。  有里はせめて横須賀まで、秀夫について行きたいと思った。しかし、その母の願いさえ、秀夫は許さなかった。  それほど激しく母を拒絶しておきながら、その母の姿が車窓から消えたとき、秀夫の頬《ほお》を涙が流れた。少年の心には、たとえ自分が飛行機に乗って敵艦に体当りしても、我が子だけは戦場へやりたくないと叫んだ、切ない母の願いが悲しく胸に疼《うず》いていたのである。     19  昭和二十年五月、ヨーロッパ戦線では遂にナチス・ドイツが連合軍に降伏した。  イタリヤはすでに降伏し、日本は完全に孤立してしまった。開戦当初は、まさに破竹の勢で北に南に進攻を続けた日本軍は、制空権・制海権を失い、弾薬、食糧、兵員等の補給路を断たれて、まったく半身不髄の状態におちいったのである。  米軍は沖縄《おきなわ》本島に上陸し、島の住民を含めて壮絶な戦いがくりひろげられていた。  本土上陸は、もう目前に迫っていた。  このころ有里は、雄一郎がビルマとインドの国境付近のインパール作戦に参加しているらしいという話を義姉のはる子からの手紙で知った。  はる子はそれを、最近ビルマから軍用機で帰った東鉄の或《あ》る人から聞いたという。  軍の情報部によって厳重な報道管制をされていた新聞は、戦争の不利な面はほとんど国民に知らせなかったから、有里はこの時、まだ日本の勝利を疑ってもみなかった。しかし、そうした中でもビルマ戦線が非常な激戦地であることは、有里も知っていた。特に雨期には、皇軍の作戦行動が困難を極めるといったような報道班員の手記をなにかで読んだ記憶があった。  六月、遂に沖縄に於ける日本軍の抵抗がやんだ。本土はいたる所、艦載機による攻撃や艦砲射撃をうけた。本土決戦が叫ばれ、各地で竹槍《たけやり》部隊が編成され、中学生までが連日|手榴弾《しゆりゆうだん》の投げかたの練習をさせられた。  日本沿岸の各地では、米軍の本土上陸に備えて、にわかに迎撃陣地の作成をいそぎだした。  こうした情勢下では、秀夫ばかりでなく、有里自身すら明日は武器をとって戦わなければならないかもしれなかった。  有里は、もはや秀夫のことは諦《あきら》めた。しかしそうなると、あの時、充分な別れの言葉も言わずに出発させてしまったことが、急に心残りになりだした。一目だけでも我が子に逢《あ》い、せめて一言なりと、やさしい言葉ではげましてやりたいと思った。  有里は身の回りの物だけを詰めたスーツケースを持って、とび立つように尾鷲を発った。  とりあえず千葉のはる子の家に立ち寄り、秀夫に逢う方法などについて相談してみた。秀夫からの手紙だと、最近は猛訓練の連続でほとんど面会日も無いような有様だという。  有里の話を聞いたはる子は、横浜の伊吹きんの兄がちょうど被服の関係で横須賀の海兵団に出入りしているはずだから、早速、きんを通じて頼んでみてあげようと言った。  それから二週間ほどして、 「うまく行ったわよ、有里さん、世の中には抜け道があるもんね……」  外出先から戻ったはる子が言った。 「広川さんが早速、海軍のえらい人に頼んでくださったら、うまい具合に辻堂《つじどう》海岸で二、三日中に演習があるんですって……朝早くに横須賀を出発して、葉山《はやま》、逗子《ずし》、鎌倉《かまくら》と行軍して、辻堂海岸では四、五日間農家へ民泊して訓練するんだそうよ」 「じゃ、そこで秀夫に逢えるんですか」 「そう、もうすこしこまかなことは、明日にでも広川さんから知らせてくれるそうだけど、とにかく逢《あ》えることは間違いなさそうよ」 「よかった……」  有里の表情が輝いた。 「ありがとうございました、ほんとうに……」 「私じゃないわ、白鳥舎のおかみさんと広川さんのお蔭《かげ》よ……それからね、なにか秀夫ちゃんの好きなものを持って行ってあげるといいわ、なにしろ激しい訓練と海岸線のタコ壺《つぼ》掘りとかで、楽しみといったら寝ることと食べることしかないそうだから、なんでもいいから好きなものをお腹一杯食べさせてあげるといいわ」 「はい……」  有里は、伊東栄吉の部下で家で農業を営んでいる者の好意で、このところめったに手にはいらない玉子と米を少々手に入れ、その日の来るのを指折りかぞえて待った。  きんの兄の広川からの連絡は、それから五日ほどして、佐山という広川の秘書をしている男が持って来た。 「今夜、辻堂海岸の松林の中で逢う段取りをつけましたから、用意してください……」  有里はいそいで仕度をした。  はる子に手伝ってもらい、にぎり飯をたくさん作って重箱につめ、玉子は半分をゆで、半分は生のままで持って行った。  夕方、家を出て、ちょうど指定の午後九時には十分程余裕をもって松林に到着した。 「それじゃ奥さんは此処《ここ》で待っていてください、私はちょっと連絡をとって来ますから……」  案内役の佐山は、そう言うと砂丘を駆け上って行った。  有里はそっと一本の老松に身を寄せて海を眺めた。  夜の海は、波が静かに寄せてはかえしている。時々、白いしぶきが月に光った。しんとした海辺は、まるで、戦争をしている国のようではなかった。有里が知っている、あの平和な時代のなにげない海のたたずまいであった。  有里は眼を上げて暗い沖を見た。  この海のむこうに、次々と日本軍が玉砕して行った島々があるのが嘘《うそ》のようだった。  やがて、この海岸にまで戦の波が潮のように押し寄せるというのだろうか。本土決戦というからには、遠からずこの浜でも敵味方の血が流され、数多くの生命が散るのはまず間違いあるまい。  有里はかすかに身ぶるいした。  戦いが怖いのではなく、この平和な夜の浜辺にそうした殺戮《さつりく》の場面を思い浮べることが悲しかった。  砂地に、かすかな人の足音がした。  有里は全身を耳にして、ふりむいた。 「秀夫……?」  松林の間を抜けて、黒い人影が近づいてくる。有里の胸は躍った。 「秀夫なの……?」  白い帽子に白い訓練服のたくましい青年が有里の前に立った。 「小母さん、僕です……岡井三郎です」 「まあ、さぶちゃん……」 「お久しぶりです、その後お変りありませんか」 「ええ、お蔭《かげ》さまで、さぶちゃん、ずいぶん立派になったわねえ」  有里が感嘆するほど、三郎は心身ともにすっかり成長していた。 「秀夫がいつもお世話さま……」 「いいえ、僕のほうこそいつも秀ちゃんに世話をかけているんですよ」 「秀夫はあとから来るのね」  有里は三郎が一足先に来たものとばかり思っていた。ところが意外なことに、 「小母さん、秀ちゃんは来ません……」  と、三郎が言いにくそうに答えた。 「どうして、何故なの、秀夫はどうかしたの……病気か怪我《けが》でも……?」  有里は狼狽《ろうばい》した。 「何か事故でも起したの?」 「いいえ、秀ちゃんは元気です、僕と一緒の家に民泊しています、班長は秀ちゃんに行けと言ったんです、この海岸へ……一時間だけお母さんに逢《あ》って来いと……」 「それなのに、どうして来られないの?」 「秀ちゃん自身が行かないと言うんです」 「秀夫が……秀夫がそう言ったの……」 「小母さん、すみません……」  三郎は気の毒そうに有里から視線をそらした。 「秀ちゃんはこう言ったんです……みんな、誰《だれ》だって親に逢いたいのに……みんなが我慢してるのに……自分だけ規律を破ることは出来ないって……」 「でも、班長さんが許可なすったんでしょう」 「小母さん……」  三郎は有里を見詰めた。 「正しい方法で許可されたのではないことを秀ちゃんは知っています……秀ちゃんはそのことにこだわっているんです……秀ちゃんは僕にかわりに行って、小母さんにそう伝えてくれというんです、言い出したらきかない奴《やつ》です……お気の毒ですが、もしお言附がありましたら、僕から伝えます」  有里は茫然《ぼうぜん》とした。足許《あしもと》へ全身の血がひいて行くような気がした。口をきく元気もなく、立ちつくしていた。 「小母さん……秀ちゃんは元気でいます、訓練はつらいですが、がんばっています。いつも小母さんのことを心配しています、病気をしないだろうかとか、ひとりぼっちになって寂しいだろうとか……」  有里はようやく顔を上げた。 「三郎さん……あの子に伝えてください。母さんはもう、秀夫が海兵団にはいったことに反対はしていないと……母さんは大丈夫だから心配しないで、どうか、お国のために……命を無駄にしないようにって……」 「わかりました……」  秀夫は習慣的に不動の姿勢をとった。 「そう伝えます」 「せめて一口食べてもらいたいと思って、こんなものを用意して来たけれど……あなた、秀夫のかわりに食べて下さいな……」  大事に抱えて来た重箱を差し出した。 「ありがとうございます、折角ですが、僕ら今日は農家の方のご厚意で充分食べております。秀ちゃんの口にはいらんものを、僕が食べては秀ちゃんにすみません、どうか持って帰ってください……それじゃ……小母さんも体に気をつけて……失礼します」  敬礼をすると、そのまま形をくずさず回れ右をして両手の拳《こぶし》を腰に当て、あっという間に走り去った。 「さぶちゃん……三郎さん……」  有里はあわてて三郎のあとを追おうとして、砂に足をとられ、両手をついた。  そのはずみで重箱の蓋《ふた》がとれ、中のにぎり飯が外へ転がり出た。有里が拾いあげた時にはあとの祭で、折角苦心して手に入れ、秀夫に食べさせようと楽しみにして来たにぎり飯が、すっかり砂だらけになってしまっていた。  有里の胸に、ワッと熱いものがこみ上げて来た。低い嗚咽《おえつ》が有里の唇を洩《も》れた。  しかし、この時、秀夫は有里のすぐそばに来ていたのである。規則を破ることは、彼の潔癖さが許さなかったが、せめて一目なりと母の顔が見たかった。  砂丘の松のかげに隠れ、夜の砂にまみれて泣いている母の姿を、秀夫はみつめていた。  走りだせば、十数|米《メートル》の近さであった。  今にも泣きそうな眼が母を見詰め、固くくいしばった唇が母を呼んでいた。 「……母さん……母さん……母さん……」  その声にならぬ声を、母の本能が聞いた。 「秀夫……」  有里が顔を上げたとき、秀夫の影は、もう闇《やみ》の中へ消えていた。     20  昭和二十年七月十四日、津軽《つがる》海峡一帯は未曾有《みぞう》の大空襲を受けた。  海上に浮んだ連絡船は逃げもかくれも出来ず、のべ千五百機にものぼる敵機の攻撃に、次々と火だるまとなって炎上し、沈没した。  函館《はこだて》港内の松前丸をはじめ、海峡の真中では第三|青函《せいかん》丸、第四青函丸、津軽丸、青森港外では翔鳳《しようほう》、飛鸞《ひらん》の二隻、その他、貨物船の第二、第六、第十青函丸など九隻が一ぺんに撃沈され、青函連絡船は全滅に近い大打撃をうけた。  もちろん、東京、大阪、名古屋などの大都市は、見渡すかぎりの焼野原で、これ以上破壊する物も見当らないくらいの惨状だった。  大阪の斉五郎と三千代の家は、さいわいまだ焼残っていたが、これはほとんど奇蹟《きせき》に近いことだった。それも、いずれは焼夷弾《しよういだん》によって焼きはらわれることは明らかだった。斉五郎も三千代もその覚悟をきめ、夜は、寝るときも普段着のまま、枕元《まくらもと》にはいざという時持ち出す荷物を置いていた。  そんな斉五郎の所へ、或る日、ひょっこり広島から尾形和子が訪ねて来た。  東京工場の女工員を今度広島の工場へ移動させるので、その引取りに上京する途中だとのことだった。  斉五郎はちょうど東京へ出張中で、家には三千代が一人で留守をまもっていた。  三千代と和子は初対面のときから、不思議とよくウマが合った。性格のせいもあるだろうが、二人とも好きな相手と結婚できなかったという共通の過去が、二人の心をより親密にしているのは間違いなかった。  和子は明日の朝の列車で上京すればいいのだという。たった一人で、いささか無聊《ぶりよう》ぎみだった三千代は和子の来訪を心から喜んだ。 「じゃ、それまでは自由なのね」 「ええ、まあね……」 「よかったわ、ちょうど関根さんが持って来て下さったお米があるの、京都の亡くなった奥様の御実家から届いたのですって……上等のお米よ……」 「まあ、珍しい……」  二人は子供のようにはしゃいでいた。  毎日毎日が、激しい労働、空襲の恐怖、トゲトゲした人間関係、空腹など、およそこの世の中のありとあらゆる嫌なものにとり囲まれて生きている二人にとって、このような安らぎの時間は本当になににも増して貴重なものだった。 「ねえ、三千代さん……結婚しないの?」 「結婚……とんでもない、毎日、火叩《ひたた》きとバケツを持って駆け回ってるのに……第一、右を見ても左を見ても、そんな男性いやしないじゃないの、居るのは老人か子供でしょう……」 「それもそうね……」  そんなとりとめない会話の中にも、ふとあたたかい潤いを感じとるのだ。 「和子さんは……?」 「ううん、あなたと同じよ……でもね、あたし、結婚をあせるっていうのじゃなくて、つくづくこの頃、女の仕合せってものを考えるのよ……」 「女の仕合せ……」 「ええ、一日中、工場の中で耳がガンガンするような機械の音の中で暮して、夜は夜で十時すぎまで作業が続くのよ。寮へ帰って若い娘達の世話をして、一番あとからお風呂《ふろ》にはいって、寝るのはいつも二時か三時だわ……そんな生活の中で、私、しきりに女の仕合せってこと考えるのよ、おかしいでしょう、こんな戦争の世の中で、そんな間抜けたことを考えるなんて……」 「おかしかないわ、あたしだって考えることがあるのよ。防火用水のへりに腰かけて、大阪の空が火災で真赤に焼けているのを見ながら、ひょいとね……」 「やっぱり……」 「こんな世の中だから、よけい考えるんじゃないかしら、仕合せになりたいって……」 「女の仕合せって、やっぱり愛する人と結婚出来るってことじゃない……」  三千代はちらと和子を見た。  和子の答えが、三千代が予想していたものとまるで違っていたからだった。和子は以前、働くことによって心の平和を得たいといい、現に、表面すっかり落着きを取り戻したかに見えていたのだ。 「三千代さんはどう思って……?」  和子が三千代に微笑《ほほえ》みかけた。 「そうね……昔は、結婚出来なくっても、人を愛せるってことは仕合せなんだと思ったことがあるわ……でも、それはやっぱり強がりね……女なら、好きな人の子供を産みたい、好きな人と一緒に人生を歩きたい……単純なようだけど、そう思うわ」 「私も……」  和子はおだやかな微笑のまま頷《うなず》いた。 「このごろ、つくづくそう思うの……すいとんを作っても、靴下のつくろいをしても、これが夫の為だったら、子どものためだったらどんなに仕合せだろうって……」 「ずいぶんつましい仕合せよね……可哀《かわい》そうになっちまうような女の願いなのに……今の時代は、それさえ贅沢《ぜいたく》なのよね、大抵の女が夫を子供を戦争に送り出しているわ、たった今、夫や子供が敵の軍艦へ体当りしているかもしれないのに、なんにも知らずにすいとんを作っているんだわ……」 「止しましょう、戦争の話は……」  和子が嫌な思いをふりはらうように、首を振った。 「それより……今、もし、戦争が終ったら、三千代さん、なにがしたい……?」 「そうね……」  三千代が答える前に、 「あたしは染色の仕事がしたいわ……」  夢みるような表情で、和子が言った。 「染色……?」 「そめ物よ……明るい春の色か、しぶい秋の色……日本の綺麗《きれい》な自然の色を着物に染めるの。そして、それを日本中の女の人に着せてみたいわ」 「そう……」  三千代は微笑した。いかにも和子らしいと思った。 「三千代さんは?」 「そう……あたしは人を探したいわ」 「人……?」 「和田四郎っていう人……絵描きさんだったんだけど……」 「そのかた、三千代さんの恋人ね……」 「さあ、わからないのよ、自分でも……」  言ってから、自分でも無責任な言いかただったと気がついて苦笑した。 「でも、戦争へ行ってるかもしれないわ……今度、あの人に逢《あ》えたら、自分の気持がどうなのか、はっきりわかるような気がするのよ……」 「好きなのか、嫌いなのかということ?」 「いまのままではなんだか頼りなくて……」 「わかるわ……」  その夜、二人は久しぶりに枕《まくら》を並べて寝た。 「今度上京したら、伊東さんにお逢いになって来たら……?」  三千代はぽつりと言った。 「こんな世の中ですものね、逢えるときに逢っておかないと、お互に明日のことはさっぱりわからないでしょう……」 「そうね……」 「伊東さん、いま、両国駅の駅長さんをしていらっしゃるわ……」 「そう……」  明りを消してあったので、その時の和子の表情をたしかめることは出来なかった。が、三千代は和子がきっと伊東の所へ逢いに行くに違いないと思いながら、いつの間にか深い睡《ねむ》りにはいって行った。     21  伊東栄吉は帰宅前のひととき、いつものように今日一日の日誌をしたためていた。  駅長室とはいっても、部屋の片隅に天水桶《てんすいおけ》やら砂袋やらが積まれ、ガラスというガラスに紙のテープを貼って爆風による破片の散乱を予防してあった。殺風景この上もない状態だが、それを別に誰《だれ》も不思議とも思わなくなっていた。  最近、B29は昼に一度、夜に一度ずつやってくる。昼のは大概一機か二機で、これは一万|米《メートル》くらいの上空を飛び、もっぱら偵察飛行をして帰るらしかった。夜は、その昼間の偵察による資料をもとにして、七十機から百機もの編隊で、絨毯《じゆうたん》爆撃、無差別爆撃を行なっていった。  その時は空中と地上の間を、さまざまな色をした曳光弾《えいこうだん》がとび交い、サーチライトが交錯し、無数に投下される焼夷弾《しよういだん》の赤い火がゆっくりと暗い夜空を舞いおりる。すべての物を徹底的に破壊し去る行為に附随するものとしては、それはあまりに美しすぎる光景だった。  栄吉は日誌の最後の一行を書き終えると眼をつぶり、今日もこうして無事に日誌を書けたことを神に感謝した。爆弾で死ぬのはかまわないが、出来るだけ長生きして、国の為、輸送業務を遂行しなければならない責任が彼には有った。  七生報国、つまり七たび生れかわって、国の為に働かなければならない時代だった。  その時、表の戸が開いた。 「あの、駅長さん、もうお帰りになったでしょうか……」  若い女の声で、栄吉はわれにかえった。  いつの間にか、部屋はすっかり暗くなっていた。 「はあ……何か御用ですか……」  立ち上ってスイッチを入れた。 「まあ、伊東さん……」  女がなつかしそうに叫んだ。 「和子さん……和子さんじゃないですか……」  栄吉は思わず走り寄った。 「どうしたんですか、広島の工場へ行っとられたんでしょう」 「ええ、ちょっと本社の用事で帰って来たんです、すぐ広島へ帰るんですけど……」 「そうですか、そりゃあ……でも、よく来てくれましたね」 「どうしようかと散々迷ったんですけど、やっぱり来てしまいましたわ……」  和子の眼が臆病《おくびよう》そうに栄吉を見上げた。 「ご迷惑じゃなかったかしら……」 「迷惑だなんてそんな……どうです、よかったら家へ来ませんか、はる子もいつもあなたのことを懐しがっているんですよ」 「ええ…でも、その余裕はありませんの、これから広島へ行く娘さんたちを連れて、おそい夜行で東京駅を発《た》つんです」 「そうですか……そいつは残念だなあ」 「どうせ、来月にはまた上京することになっていますから、その時ゆっくりお寄りします」 「是非そうしてください、うちは千葉だからまだ当分は焼かれないと思いますから……」  栄吉は机のひきだしの奥から、大事そうに小さな茶筒を取り出すと、自分で茶をいれて和子にすすめた。 「どうです、東京は……驚いたでしょう」 「ここへ来る途中、駿河台《するがだい》の、昔、両親と一緒に住んでいた家のへんへ行ってみたんです……すっかり、焼けてしまって……」 「あの辺は、たしか三月十日の空襲でやられたんですよ」 「なんだか見当がつかなくて、うろうろしてしまいましたわ。石の門が残っていたので、ようやくわかったんです」 「焼けた翌日、私も行ってみました……もう、尾形先生のお邸ではないのに、やっぱり寂しかったですよ」 「そういえば、伊東さんがあの家へみえたのは震災の前でしたものね、私がまだ女学校にはいりたての頃《ころ》で……」 「よく、人力に乗って学校へいらっしゃるのを拝見しましたよ、東京の女学生っていうのは、なんて綺麗《きれい》なんだろうと思ったもんです」 「ま、おじょうずね……」 「いや、実感でしたよ……」  栄吉は過去をなつかしむように、遠い眼つきになった。 「今から考えると、まるで夢のようです」 「いい時代だったんですね、私、今でも時々思い出すんです……自分ではあの頃とあまり変っていないつもりなのに、月日のほうがどんどんたって行ってしまって……人間の一生は長い旅路のようなものだって、南部の小父さまがおっしゃったけど、私の一生はまるで急行列車の旅ですわ、いそがしくって、あわただしくって……」  和子はいつものおだやかな微笑をたたえていたが、眼はやはり寂しそうだった。 「私、時々、自分の通りすぎた青春を思うんですよ、もっとゆっくり、一つ一つ、しっかりと確かめて旅をすればよかったなんて……でも、後悔はしていませんわ、私は私なりに一生懸命生きて来たんですもの……」  それにたいする栄吉の応《こた》えはなかった。 「あら、もうこんな時間……」  時計を見上げて、そそくさと立ち上った。 「じゃ、遅くなりますので、これで……」 「今度は本当にゆっくりしてって下さいよ」 「はい、きっと……」  和子はなんのこだわりもなく頷《うなず》いた。 「奥さまによろしくね」  栄吉はホームまで和子を送って行った。  小高いホームからは、下町の焼野原が一望のもとに見晴らせた。ちょうどホームの屋根の庇《ひさし》のあたりに、まんまるい月が出ていて、あたりを明るく照していた。 「あら、きれいなお月さま……」  和子は素朴な歎声《たんせい》をもらした。 「東京が焼野原になっても……B29の空襲が今夜にもあるかもしれないのに……あんな、きれいなお月さまが出ているなんて……」  月にみとれている和子の横顔を、栄吉は何故《なぜ》か哀《かな》しい気持で見詰めていた。  それから僅《わず》か一週間の後、八月六日、広島に巨大なきのこ雲が立ちのぼった。  一発の原子爆弾は、一瞬にして二十五万人もの罪もない人々の生命を奪い、全市は灰燼《かいじん》に帰した。  それはまさに、人類の最期を思わす一瞬だった。  伊東栄吉の耳には、あの晩、東京の焼野原の上に照っていた月を見て呟《つぶや》いたあの声が、いつまでも消えずに残っていた。  そういえば、あの時の和子の横顔は、まるで月の精のように気高く、美しかった。  栄吉とはる子は仏壇に和子の写真を飾り、心から彼女の冥福《めいふく》を祈った。  四、五日して、広島の視察から帰って来た関根重彦から、栄吉はその日の和子のくわしい消息を聞いた。  それによると、和子は両腕にしっかりと二人の女子工員を抱きしめたまま、死んでいたそうである。遺骨は関根が持って来て、青山墓地にある両親の墓の中に納めた。 「和子さん、あなたの一生は、たしかに急行列車のようにあわただしかったかもしれない……しかし、あなたほどきれいな人生を送った人もいないと思います……」  栄吉は墓に向ってそう呟《つぶや》いた。 「安らかに睡《ねむ》ってください……あなたの旅は終ったのだ……」  広島に原子爆弾が落ちてから、二日後にソ連が対日宣戦布告をし、次の日には長崎にも原子爆弾が投下された。  日本の敗北は、かなり前から上層部にはわかっていたという。しかし、その間も一般国民は空襲に追われ、逃げまどい、なにも知らずに戦いつづけていた。  横須賀《よこすか》の海兵団に居た秀夫にしても同様である。彼等は連日、米軍の敵前上陸に備えて、訓練につぐ訓練をくりかえしていた。  その日、敵の機動部隊による艦載機が海兵団の兵営を襲った。  このところ毎日のように艦載機の攻撃を受けているので、みんな素早く壕《ごう》の中にとび込んで退避した。ところが、ちょうど炊事当番だった秀夫だけが逃げ遅れ、獲物《えもの》をねらっていた敵機に発見されてしまった。  グラマンは態勢を立て直し、あらためて攻撃をしかけようと機首をめぐらした。その間に、充分の余裕を見てとった秀夫は壕へ向って駆け出した。しかし、気がせいていたのと、前日の雨で足許がゆるんでいたのとで、秀夫はあっというまに営庭の真中で転んでしまった。 「秀ちゃん、危いッ……」  友だちを助け起そうと三郎が夢中で壕からとび出して来た。 「駄目だ、来ちゃいけないッ……」  秀夫が呶鳴《どな》った時はすでに遅く、グラマンの機関砲は火を吹いた。 「伏せろッ!」  誰《だれ》が叫んだのかわからない。秀夫はとっさに顔を地面に叩《たた》きつけるようにして伏せた。  激しい炸裂音《さくれつおん》が周囲に渦巻いた。  やがて、爆音が遠ざかり、まるで死の世界のような静かさがやって来た。  秀夫はおそるおそる顔をあげてみた。敵機は去り、青い空に入道雲が高く湧《わ》いていた。 「おい、さぶちゃん……」  横で、まだ身を伏せている三郎の肩を叩いた。 「起きろよ……」  しかし、次の瞬間、秀夫の心臓はドキンと大きく波打った。  三郎の背中から胸にかけて、真赤な血に濡《ぬ》れていた。     22  有里は終戦の玉音放送を、千葉のはる子の家で聞いた。  放送が終っても、有里はその意味がよくのみこめなかった。まさか日本が戦いに敗れるなどとは夢にも思っていなかったからである。  しかし、次第に事情がはっきりしてくるにつれ、日本が連合国側に無条件降服したことが最早疑いのない事実であることをさとらざるを得なかった。  いろいろな臆測《おくそく》が乱れとび、不安と混乱とが日本中を覆っていた。  そんな中で、有里はまず、戦地に居る夫と海兵団の息子《むすこ》のことを考えた。二人とも無事に戻って来てくれるだろうか……。  戦いには敗れたが、夫も息子も自分もどうやら無事に生き長らえることが出来た。それだけでも仕合せなことに違いなかった。  有里は北海道へ帰る仕度をはじめた。秀夫が戻って来るのを待って、夫が出征して行った富良野《ふらの》で再び夫を迎えたいと思ったのだ。  それは、九月になって間もなくのことだった。  勤務先から栄吉が蒼《あお》ざめた顔つきで帰って来た。着換えもせず、そのまま有里の前に坐った。 「有里さん……」  その、ただならぬ表情から、有里は栄吉が何か重大な知らせを持って来たことをさとった。 「あの……尾鷲《おわせ》の母になにか……」  咄嗟《とつさ》に有里はそう言った。みちは先年の大病以来、どうも体の調子が思わしくなかった。今でも寝たり起きたりの生活をしている。悪い知らせとすれば、尾鷲の母と有里が判断したのも無理ではなかった。 「いや、そうではない……」  栄吉は口ごもった。 「有里さん、あとのことは心配しなくていいから……及ばずながら、力になるからね……」 「義兄《にい》さん……」  有里の顔色が変った。 「まさか……」 「そうなんだ、有里さん……言いにくいことだが、今日、公報がはいった……」 「公報……?」 「戦死の公報だ、雄一郎君の……」  栄吉は鞄《かばん》から公報を出して有里の前に置いた。 「最初北海道の富良野へ届いたらしいんだが、あっちこっちを回りまわって、結局、札鉄から東鉄を経て僕のところへ送られて来たんだ」  有里は公報を手に取って見た。  軍属 室伏雄一郎はビルマ、インド国境インパールに於《おい》て、昭和二十年五月十日、戦死す、とある。栄吉の言葉に間違いはなかった。  突然、有里の体がふるえだした。涙も出ないのに、最初、胸の辺が小刻みにふるえだしたかと思うと、たちまちそれは全身におよんで行き、いくら停《と》めようとしてもどうしても停らなかった。 「有里さん、しっかりするのよ」  はる子がうしろからしっかりと有里の肩を押えたが、それでも猶《なお》ふるえは停らなかった。 「そんな……嘘《うそ》です……あの人が、あの人が死ぬなんて……なにかの間違いです」 「僕もそう思った……しかし、間違いではなさそうだ……雄一郎君の部隊は全滅したんだ」 「いったい誰《だれ》が見たんです……誰がうちの人の戦死するところを見たんです、誰かしっかりと戦死を確認した人があるんですか」 「有里さん、落着くんだ、部隊が全滅したんだ、目撃者は全員戦死したんだそうだよ」 「いえ、たとえ全滅しても、あの人だけは生きています……あの人は死ぬはずがありません……きっと、きっと……どこかに生きてます」 「有里さん……」  はる子がたまらなくなって両手で顔を覆った。栄吉の眼にも涙が光った。 「有里さん……君のその気持はよくわかる……だから、僕も何度もいろいろな方面に確かめてみたんだ……しかし、誰に聞いても、あの隊は全員残らず戦死したことに間違いないと言っていた……」 「私には信じられません、そんなこと……」  有里は聞きたくないといったふうに首を振った。それから、いきなり部屋をとび出して行った。  家をとび出すと、有里はふらふらと裏手の道を、線路の踏切の方へ歩いて行った。  日本の敗戦といい、雄一郎の戦死といい、このところ有里の心を根底から揺り動かすような出来事が次々と起った。有里はどうしたらいいのか、何を考えたらいいのか、まるでわからなかった。ただぼんやりと線路の前に立ちつくしていた。 「あなた……死んでやしませんよね……嘘ですよね……今にきっと帰って来てくれますよね……」  有里は、雄一郎が出征して行った日の光景を瞼《まぶた》に思い浮べた。眼の奥に深い愛情をこめて、じっと有里を見詰めた雄一郎のなつかしい顔が、はっきりと見えた。 「あなた……」  不意に涙がこみあげて来た。と同時に全身の力が抜け、立っているのさえつらくなった。有里は崩れるように線路の上にかがみ込んだ。  あの時も、こうして線路の所で、秀夫と一緒に雄一郎の乗った列車を見送ったものだった。いつまでも、線路に伝わる列車の音に耳をすましていたのだった。  有里はそっと線路に耳をつけてみた。 (もし、列車の音が聞えたら、夫は生きている……)  そんな、神に祈るような気持からだった。  あの日のように、有里は冷めたい線路に頬を近づけた。しかし、次の瞬間、有里は強い力で体をうしろへ引っぱられ、線路から引き離された。 「危いッ!」  鋭い叫び声を耳許《みみもと》で聞いた。と思ったとたん、有里の眼の前を、風を切って、黒い巨大な物体が横切って行った。  栄吉が有里のあとを追って来なかったら、おそらく彼女の体は機関車の車輪の下で、こなごなに砕け散っていたことであろう。  有里も栄吉も、遠ざかる貨物列車をただ茫然《ぼうぜん》と眺めていた。  とにかく、戦いは終ったのだ。  これ以上の破壊は起らないにしても、それまでに生じた犠牲の大きさに、みんな、ただぼんやりと、なすこともなく立ちつくすばかりだった。  人間も哀れだったが、鉄道も哀れだった。  機関車も客車も貨車も老朽化《ろうきゆうか》し、線路はすりへり、枕木《まくらぎ》もぼろぼろだったが、昨日の日本軍にかわって、今日は進駐軍のための輸送に走り続けた。  日本が百八十度の大転換をしている最中、有里は夫の戦死の公報をどう受けとめていいかわからなかった。遠い外地で、愛する夫が死んだと聞かされても、それは信じろというほうが無理かもしれない。  多くの遺族がそうであったように、有里も又、夫の戦死を誤報であって欲しいと願った。  終戦によって、むろん、横須賀の海兵団も解体した。  勝つと信じて、青春を賭《か》けた戦に敗れ、茫然自失した秀夫もようやく母の許へ帰って来た。  秀夫はまるで人が変ったようだった。もともと無口なほうだったが、それがいっそうひどくなり、家へばかり閉じこもっているようになった。時々、天井を見上げて涙を流しているかと思うと、ちょっとしたことで腹を立て、有里にさえ喰《く》ってかかることがある。  やがて有里は、秀夫のその原因が死んだ岡井三郎にあるらしいことに気がついた。  夜、夢にうなされて、 「さぶちゃん、危いッ……」  とか、 「さぶちゃん、しっかりしろ……さぶちゃん……」  などと口走るのを耳にしたからである。  翌日、問いただしてみると、秀夫は三郎が死んだのは、自分が壕《ごう》にはいるのが遅れたためで、責任のすべては自分にあると思い込んでいるらしかった。  もう少し気持が落着くまで、有里は秀夫を北海道の富良野《ふらの》へは連れ帰らないほうがいいのではないかと思った。富良野には三郎の家族が居るし、彼の思い出があまりにも多すぎる。  有里は予定を変更し、ひとまず尾鷲《おわせ》へ秀夫を連れて帰ることにした。  秀夫も有里のこの考えに黙って頷《うなず》いた。  傷ついた母と子は、栄吉とはる子に別れを告げ、ようやく秋風の吹きはじめた東京の焼野原をあとにして、尾鷲へ向ってひっそりと旅立って行った。     23  列車はひどく混んでいた。  そうした混雑の中で、秀夫がいつも母をかばうような位置に身を置いているのを発見して、有里は吃驚《びつくり》した。  今までは、有里が秀夫をかばう立場であり、有里も秀夫もそれを不思議とも思わなかったのだが、いつの間にか、形が逆になっていたのである。  有里はそれを、秀夫がたぶん海兵団で苦労して来たせいだろうと判断した。戦争は悪いものばかり持って来たのでもない、と有里は思った。  客車内にも、ホームにも、ちらほら復員兵らしい者の姿が見えた。多分、内地勤務だった人々なのだろうが、そのたびに、有里は夫のことを思い出し、胸が痛んだ。  乗っている列車もボロボロだが、心身ともに疲れはてた有里も秀夫も、やはりボロボロになって尾鷲に到着した。  尾鷲には、大阪から姉の弘子も戻って来ていた。  今度の空襲で、大阪の店も神戸の別宅も、きれいさっぱり灰になってしまったのだという。 「なにもかも灰や、倉までが直撃弾で吹っとんでしまったんや……命が助かったんが不思議みたいなもんやったわ」  弘子はかえってサバサバしたといわんばかりの顔つきだった。 「お義兄《にい》さんも、神戸にいらっしゃったんですか?」 「うちの人が神戸になんぞ居るものかいな、有馬の家へ行っとったんや」 「有馬……」 「女を疎開させたんや……神戸が大空襲と聞いて、さぞかし、うちも焼け死んだやろうと喜んでいたんや……残念ながら生きのびたと知って、女と二人、がっかりしたにきまっとる……」 「弘子、なにをいうのや……」  有里に足を揉《も》んでもらっていたみちが、たまりかねて口を挟んだ。 「かりそめにも、そないなこと言うたらあかんと、あんなに言うといたやないか」 「かめしまへん……吉田屋の家の者は、みんな内心そう思ってるのや、子供の出来ん本妻より、三人も子供を産んだ二号のほうが人気があるのや」 「そないに言うけど、有馬のお人は、戦争中からそれはよう吉田屋はんの為尽したそうやないか。毎日、女の身で、米だの野菜だの背負って大阪のご本宅へお届けしたり……」 「そういう女や、どうしたら自分がええ女に見えるか、ちゃんと計算してやっているんや。うちには、そないな見えすいたことよう出来んわ……」  戦後の尾鷲は、田舎でありながらずっと食糧不足が続いていた。  昭和十九年十二月の津波による被害から、まだ完全に立ち直れないでいるのだった。  中里家でも、すでに勇介が農地をあらかた処分して、今では一町歩くらいの土地を家人だけで耕やしていた。  もっとも勇介のこの英断が幸いして、その後の農地改革などでも、ほとんど土地を取られずに済んだのである。  有里は毎日、勇介夫婦と一緒に畑仕事に出た。せめて、自分と秀夫の食べる分くらいは兄夫婦に迷惑をかけたくなかった。  勇介は畑仕事の合間をみて、しばしば大阪へ出掛けていた。  戦時中から、大阪の疎開した家の土地、焼けた土地などを少しずつ買っておいたのを整理したり、戦前に取引のあった材木問屋を小まめに廻《まわ》っているらしかった。  一度はほとんど手放したのを、終戦の直前までかかって少しずつ買い戻した山は、戦後の復興景気で、みるみる何十倍何百倍もの値打ちになってしまった。  しかし、それを勇介はけっして売りいそがず、又、他の業者のような阿漕《あこぎ》な商売もしなかった。  若い時からの苦労が、勇介にじっくりと腰をすえた商売を身につけさせていたのである。 「あわてることはない、日本中の家が焼けたんや、木材の需要はいくらでもある……終戦のどさくさにまぎれて、ぼろいもうけをしようなどとは思わんさ……」  などと、のんびりしたことを有里にもらすかと思うと、 「まあ、見とれ、昔の中里家とまでは行かんかもしらんが、これからは、かたく儲《もう》けて、きっと財産ふやしてみせるで……お前にはろくな嫁入り仕度もしてやれなんだかわりに、今になんとかまとまったものを分けてやれるようにするからな……」  随分たのもしいことを言う。それもまったく口から出まかせではなさそうだった。  秀夫は毎日啓子の勉強の相手をしたり、畑仕事をしたり、勇介に従って山の木を調べる手伝いなどをしていた。  そんな健康な生活が、彼の傷ついた心にも良い影響を与えたらしく、此処《ここ》へ到着した頃《ころ》にくらべると、まるで見違えるように明るさを取り戻していた。  啓子はちょうど四歳年上のこの従兄《いとこ》が大層な気に入りようで、家に居る時はほとんど彼女が独占した形だった。  二人はよく海の見える突堤に腰をおろし、肩を並べて話し合った。 「秀兄ちゃん、舟|漕《こ》げる?」 「漕げるさ」 「嘘《うそ》……」 「嘘なもんか、海兵団じゃ、さんざん練習させられたんだぞ」 「どんな舟……」 「カッターさ、十二人で漕ぐんだ、丸太のようなオールでな」 「腕、痛いでしょう」 「腕よりも尻《しり》さ、尻の皮がすり切れてまっ赤になる……風呂《ふろ》へはいるとピリピリして痛いんだ」  啓子は体を折り曲げるようにして笑う。それを見ているうちに、秀夫も愉快になって笑いだした。 「風呂っていえば、海兵団の風呂を啓ちゃん知らんだろう……」 「知らん……」 「とにかく、何十人もの人間がいっぺんに裸になって、まず手拭《てぬぐい》を頭の上にのせるんだ」 「あら、どうして頭の上にのせるの」 「手拭を風呂に入れるとお湯が汚れるからさ……でっかい、まるでプールみたいな風呂へぞろぞろはいると、首までつかって、ゆっくり端から端まで歩くんだ……」 「お風呂の中を歩くの?」  啓子は眼をまるくする。 「そうさ、止ったり、ぐずぐずしていると、両脇《りようわき》からバス当番が竹竿《たけざお》でぶんなぐるんだ」 「まあ……」  啓子は一瞬息をつめる。それから眉《まゆ》をひそめ、 「ひどい……野蛮ねえ……」  と溜息《ためいき》をついた。 「ゆっくりゆっくり、すみからすみまで歩いて、あがって、それでおしまいさ」 「洗わないの、体……」 「そんなひまはないよ」 「まるで羊の群ね、竿でぶたれて歩くなんて……可哀《かわい》そうに……辛かったでしょう」 「そりゃ辛かったさ、睡《ねむ》い、食べたい、やすみたい……その連続さ……しかし、やっぱりなつかしいな……」  秀夫はふと三郎のことを思い出し、表情を曇らせた。 「どうしたの、秀兄ちゃん……」 「いや、なんでもない」 「思い出したんやね、歿《なくな》ったお友達のこと……かんにんね、海兵団のことなんか話させて……ねえ、かんにんね……」 「いいんだよ……」  秀夫は啓子にだけは、三郎のことを話してもいいような気がした。啓子と話しているぶんには、いつも心が慰められた。  或《あ》る日のこと、いつものように秀夫は啓子と肩を並べ、突堤の上で話をしていた。  そのうち、啓子がちょっと妙な顔つきをして、口をつぐんだことに秀夫は気がついた。  いつもなら、当然笑い出すところで笑わない。 「どうした、啓ちゃん……」  秀夫が聴くと、はっとしたように顔を上げ、急に身をひるがえすように立ち上ると、逃げるように駆けて行ってしまった。 「啓ちゃん……」  呼んだが、ふり向こうともしなかった。  秀夫はしばらく啓子が戻って来るのを待ったが、やがて、のそのそと家の方へ歩きだした。彼には啓子の奇妙な行動の意味がどうしてものみこめなかった。別に気に障《さわ》るような事を言ったおぼえもないし、病気らしい様子もなかった。すぐその前までは、いつものように笑ったり、喋《しやべ》ったりしていたのである。 「母さん、啓ちゃん帰って来なかった?」  庭で大豆を干している有里に聴いてみた。 「帰って来たわよ……」 「ふうん……」  秀夫が啓子の部屋の方へ行きかかるのを、有里がとめた。 「ああ、今、行ったら駄目よ」 「なんで……」 「何故《なぜ》でも……」  有里がどうしたわけか、眩《まぶ》しいような眼つきをして横を向いた。 「なんだよ、母さん、どうしたんだよ……啓ちゃん、病気かい……」 「ううん、病気じゃないわ、むしろ、お目出たいことよ」 「お目出たいって……?」 「啓子ちゃんも一人前になったのよ」 「一人前……」  秀夫には母の言葉の意味がさっぱり解らなかった。 「これからは、あんたも前のように、啓子ちゃんと取っ組みあいなんかしたらいけんのよ」 「なぜ……」 「秀夫には、わからんこと……」 「わからんこと……?」  そんな押問答をしているところへ、啓子がひょっこり廊下を通りかかった。 「あ、啓ちゃん……」  秀夫が呼ぶと、どうしたわけか、啓子はくるりと背を向けて行ってしまった。こんなことは、今迄《いままで》に一度もなかったことである。  秀夫は、まったく途方に暮れて、立ちつくした。     24  それから五日間くらい、啓子は秀夫によそよそしくしていた。  秀夫が声をかけても、逃げるように自分の部屋へ這入《はい》ってしまったり、食事の時に顔を合せても、恥かしそうに、そっぽを向いている。  だが、その五日が終ると、啓子はけろりとして、又、元の快活な女の子に戻った。  前と同じように、秀夫に腕ずもうを挑んだり、丸太の上をとび跳ねたりする。  けれど、そうした子供っぽい動作の中に、どうかすると時折、はっとするほど娘らしさが匂《にお》い立つことがあった。  そうした啓子の変化に、秀夫は敏感に気がついた。気がついた時、彼の中にも、彼自身はっきりとは意識しない、啓子に対する或《あ》る感情がひっそりと育ちかけていた。  それは、秀夫と啓子が前からの約束で、須賀利《すがり》の大伯父《おおおじ》の家へ遊びに行った日のことである。  中里家では、弘子がみちを相手に、かなりはげしい口調で最近の秀夫と啓子のことを問題にしていた。 「そら、お母はんの目から見たら、二人は子供に見えるかも知れへんけど、世間の人は二人を子供あつかいしてへん……子供や子供や思うて安心してるさかい、つまらん噂《うわさ》立てられるんや」 「そやかてお前、あの子たちはまだ十八に十四や、二人の仲がおかしいやなんて、言う人の方がよっぽどおかしいわ」 「十四いうたかて、啓ちゃんにはもう一人前のしるしがあったそうやないの……まして、秀夫ちゃんは十八でしょう、十八歳の男いうたら、もう、それこそ何もかも一人前や、あの年頃《としごろ》の子は、カッとするとなにをしでかすか知れたもんやないわ」 「阿呆《あほ》らし、秀夫はそんな不良やない……啓子と秀夫はきょうだいのように仲良うしとるだけや、つまらん事いわんとき」 「うちが言うてるのやおへん、世間の人が言うてますのや」  ちょうど、みちの薬を持ってきた有里に、今度はその鋒先《ほこさき》を向けた。 「有里、あんたもあんたやで……年ごろの女と男をたった二人っきりで須賀利へ遊びにやるなんて、危険やないの」 「えっ……」  有里は不意をつかれて面くらった。 「でも……二人は従兄妹《いとこ》同志だし……」 「従兄妹同志やったら、おかしなことにはならんという保証がどこにあるの」 「おかしなことって……?」 「従兄妹同志やったら、尚更、気をつこうてやらなあかんやろ、従兄妹同志の結婚は、産まれてくる子に悪い影響があるって昔からいうやないの」 「そんなことどうでもよろし……」  みちが腹立たしそうに吐き捨てた。 「それやったら、お母はんは、二人を結婚させるおつもりですか」 「結婚やなんて……二人はまだ、そんな間柄やないやないか」 「そうですよ、お姉さん、気のまわしすぎですよ」 「そう……二人がそない言うのなら、うちはもう何にも言わん……」  弘子はひらき直った恰好《かつこう》で、頷《うなず》いた。 「あとになって、何が起っても、うちは知らんえ」  有里はちょっと不安になった。 「お姉さん、二人のことが世間で噂《うわさ》になっているって、本当ですか」 「嘘《うそ》だと思ったら、自分で行って聞いてみるとええわ、中里家には、はやばやと曾孫《ひまご》が生れるかも知れんて……浜のほうじゃ、寄るとさわるとそない言うてるそうや」 「曾孫が生れる……」  さすがに、みちは顔色を変えた。 「そんな阿呆《あほ》な……」  しかし、事の重大さに、みちもようやく心配になりだした。 「有里……万が一にも間違いはないと思うけど……念のため、今夜にでも秀夫によく注意しておいたほうがええな。啓子には幸子から注意させるさかい……」 「はい……」  秀夫のことを疑う気は毛頭なかったが、そのような噂を立てられないようにすることは必要だと思った。  その頃、秀夫と啓子は伯父の家の舟を漕《こ》ぎだして遊んでいるうちに、ちょっとしたはずみで顛覆《てんぷく》させてしまい、二人とも濡《ぬ》れねずみで浜辺へたどりついて、服を火で乾かしている最中だった。 「そやから言わんことやないわ、カッターは漕げても、小舟は漕げんのや」 「馬鹿《ばか》、お前が怖がって立ち上ったのがいけないんだ……動かなけりゃ、ひっくり返りゃしなかったんだぞ……」 「負け惜しみ言ってるわ」 「つべこべ言わずに火をもせよ」 「寒いわ、十月の海やもん……北海道でなかったのが、せめてものなぐさめやわ」 「ちぇッ、口ばっかり達者だな」  秀夫が怒ったような顔をすると、 「ねえ、秀兄ちゃん、寒くない……?」  今度は機嫌をとるように、おずおずした口調で言った。 「寒くなんかないよ」 「北海道はもっと寒いって言いたいんでしょう」 「忘れたな、北海道の寒さ……随分帰らんもん……」 「もう雪が降ってる?」 「山はそろそろ白くなるな」 「北海道へ帰りたい?」 「そりゃア帰りたいさ」 「でも、大阪の高等学校へはいるんでしょう」 「どうせ受験するなら、北海道で受験したいよ」 「そんなに帰りたいの……」 「そりゃアそうさ、故郷だもの」 「故郷……」 「といっても、家もなし、行くあてもなしってところだけどな」  秀夫がぼんやり呟《つぶや》いたときだった。突然、それまでの会話の調子とは無関係に、 「秀兄ちゃんの意地悪……そんなに帰りたいのなら、早くお帰り……」  啓子が叫んだ。 「啓ちゃん……」  秀夫は吃驚《びつくり》して啓子を見た。 「早よう、お帰り……啓子のことなんか放っといて……さっさと北海道へ帰ったらええんや……」 「おい、啓ちゃん……」 「好かん……意地悪……意地悪……意地悪……」  啓子は泣きそうな顔で、手にした小枝で秀夫の肩を何度も叩《たた》いた。  秀夫は叩かれても、別に痛いと感じなかった。それどころか、啓子が自分との別れを哀《かな》しんでくれているということで、ジンと胸がしびれるような感動さえおぼえた。そんな啓子の気持を、秀夫はいじらしいと思った。  しかし、それはあくまでも、少年と少女の淡い感情だった。  兄と妹のような馴《な》れであり、親しみにすぎなかった。  けれど、二人をとりまく大人たちは、そうしたデリケートな若者の心を理解する余裕がなかった。ちょうど、終戦の混乱期で、大人たちの気持がすさんでいたし、まだ、男女の交際というものに、世間が鵜《う》の目|鷹《たか》の目になる時代でもあったのだ。  そして、いつの時代でもそうであるが、大人が強圧的に出れば出るほど、若者たちはそれに反抗した。反抗することによって、自分たちの潔白を証明するつもりのようだったし、悪くないのだから、態度を変える必要はないといった姿勢を示した。  だが、それはあくまでも表面的な姿勢にすぎず、内面では二人ともひどく傷ついていたのである。 「あんた、あんまり秀夫ちゃんと二人きりで町を歩いたりしたらあかんて、お母ちゃんに言われたやろ……」  裏の畑で花を摘みながら、秀夫の来るのを待っているらしい啓子を見付けて、弘子は早速きめつけた。 「なんで、お母ちゃんの言うこときけんの……」  すると、啓子は逃げだすかと思いのほか、叔母《おば》をにらみつけた。 「叔母さん、なんで秀兄ちゃんと二人でいたらいかんのです?」 「つまらん噂《うわさ》になったら、あんたに傷がつくからや」 「つまらん噂ってなんです?」 「啓子ちゃん……なんや、その口のききよう……」 「うちら、なんもやましいことしてへん……第一、秀兄ちゃんとうちとは従兄妹《いとこ》同志や、従兄妹同志が一緒に歩いてどこがいかんの」 「従兄妹かて、男と女や、人の噂にのぼったら困るのはあんたでっせ」 「かめしまへん、噂する人にはさせておいたらええのや」 「そうは行かしまへん、嫁入り前の娘に傷がつくのをみすみす放っておかれますかいな」 「傷って、なんです?」 「ええとこへ、嫁に行けんようになるんや」 「うちは平気や、そないな事で嫁に行けんのやったら、嫁になんか行かんもん」 「啓子ちゃん……」 「叔母さん、叔母さんこそつまらん噂たてとるんと違いますか……叔母さんは昔、秀夫ちゃんのお父さんと結婚する筈《はず》やったのやろ」 「啓子ちゃん……そないなこと誰《だれ》に聞いたんや」 「誰でもええわ、叔母さん、ほんまに好きやった人のところへ嫁に行かれんかったさかい、それで、うちと秀夫ちゃんの仲ようしてるのが妬《ねた》ましいんやね」 「なに言うてるの、阿呆《あほ》らしい、誰がそないなこと言うたんや……」  弘子は顔色を変えていた。 「さ、啓子ちゃん、誰がそんな阿呆らしいこと言ったんや、はっきりと言うてみ……」 「うちが考えたんや」 「嘘《うそ》つき……」 「嘘やない……叔母さんは妬ましいんや、うちが羨《うらやま》しいんや、そやさかい、意地悪言うてんのや」 「啓子ッ……」  しかし、啓子は軽く弘子の腕をはずし、栗鼠《りす》のような敏捷《びんしよう》さで逃げて行った。     25  啓子に逃げられた弘子は、鬱憤《うつぷん》のはけ口を有里のところへ持って行った。 「有里、あんた、いったいどないつもりで子供たちに出鱈目《でたらめ》を言わんならんの」 「いったい、なんの事です……」 「しらばっくれるのもいい加減にしてや、うちが雄一郎さんのこと好きやったなんて……なにを根拠にして言うんやろ……確かにうちは雄一郎さんとお見合したことがあります、けど、あの話はうちのほうから断ったんや、そのことはあんたが一番よう知ってるやないの、うちが断った人のところへ、あんたが勝手に好きこのんで行ったんやないか……」 「そんな古いこと……なんで今更……」  有里には姉の言葉が余りに唐突すぎて、どう受取っていいかさっぱり判らなかった。 「あんたが言わんで、誰が言うの……あんた、いつも秀夫ちゃんに言うてるのやろ」 「いいえ、とんでもない……」 「そやかて、啓子ちゃんがそない言うてるやないか」 「啓子ちゃんが……」 「だいたいあんたが悪いのや、いくら子供か知らんけど、二人して須賀利くんだりまで出かけて、おまけに裸同然の恰好《かつこう》でいるのを土地の人に見られてるんやで……」 「あれは、舟がひっくりかえったので、たき火で服を乾かしてたんです」 「近親結婚が優生学上よくないことくらい、あんたかて知ってるやろ」 「結婚だなんて、そんな……まさか、秀夫と啓子ちゃんが……」 「今のままやったら、遠からずそないなことになるわ……うちにはようわかってるのや、あの二人、好き合うてるわ」 「そんなこと……まさか……」 「まさか、まさかって、自分の子はいつまでたっても子供や思うてるのやろ。もともとあんたの子は血筋やもんな」 「血筋……?」 「あんたら夫婦がそうやったやないの、親が許しもせんのに、さっさとおかしなことになってしもて……あんた、家出して嫁入りしたこと忘れたんか、秀夫の体の中には、そういう血が流れてるんや……」 「姉さん……」  それは、有里にとって最大の屈辱だった。自分だけが辱しめられるのなら、なんとも思わないが、息子《むすこ》のことまでけなされては我慢できなかった。  有里はこうした状態の中に秀夫を置いておくことは、秀夫の為にけっして良いことではないと考えた。そろそろ、北海道へ帰ろうと思った。  有里はすぐそのことを秀夫に告げた。  最初、かなり不満だったらしい秀夫も、母の固い表情を見ているうちに諦《あきら》めたらしかった。  秀夫はその夜のうちに、啓子を裏の川のほとりに呼び出した。彼が事情を打ち開けると、 「嫌よ、うち、秀夫ちゃんと別れるの嫌や……」  啓子はたちまち声をつまらせた。 「俺《おれ》だって嫌だ……」 「秀ちゃんのお母さん、うちらを引き離そうとするのやね……みんなで、寄ってたかって私たち二人を……」 「それが二人の為に一番いいと考えているのさ」 「なぜ、私たちを信用してくれへんの……なぜ……信じて、黙って見ていてくれへんの……」 「俺だってそう思う、俺たちが、いったいなにをしたっていうんだ……俺にとって、啓ちゃんは心の支えだったんだ……国の為に青春もなにも投げうって、海兵団へはいって……大事な友だちも死なせてしまったんだ……なんのために自分の未来を捨てたんだ……なんのために班長にひっぱたかれながら訓練を受けたんだ……俺たちの青春は無駄だったんだ、消えちまったんだ……」  感傷的な啓子にくらべ、秀夫の怒りはむしろ絶望的だった。  秀夫は胸のポケットから、いつか、入団前に尾鷲《おわせ》へやって来た時、啓子にもらった桜貝の袋を取り出した。彼はそれをずっと胸に抱いていたのである。 「苦しい時、辛い時、いつもこれを思い出した……おぼえているかい、俺が海兵団へはいるとき、啓ちゃんのくれたこの貝がら……」 「ええ……」 「これを見るたびに思い出した……命を無駄にするなって言ってくれた啓ちゃんのことだ……啓ちゃん……これだけは言わせてくれ……俺の……あのころの生活の中には、君だけがたった一つのうるおいだったんだ、人間らしい感情にひたれる思い出だったんだ……」 「秀兄ちゃん……」 「不純な気持なんて、これっぱかりもない……君を見ることで、俺は青春を取り戻せるような気がした……やり直しが出来ると思った……しかし、世間や、大人の奴《やつ》らはそれさえ許してくれないんだ……」 「秀兄ちゃん、行かないで……北海道へ帰るのはやめて……誰《だれ》がなんと言おうと、私たちはなんもやましいことなんかないんやもん……ね、そうやろ」 「啓ちゃん、俺もそう思う……けれど、俺がここに居たら、一番つらい思いをするのはお袋なんだ……お袋には、もう俺しか残っていない……親父《おやじ》は戦死した……」 「でも、いつかはわかってもらえる時が来るんと違う?」 「俺はお袋にはさんざん苦労をかけた……自分勝手に海兵団を志願して……お袋は俺のために、戦争中しなくてもいい苦労をした……せめてこれ以上お袋を不幸にしたくないんだ、お袋に泣きつかれたら、反対は出来ないんだ……」 「どうしても北海道へ帰るのね……」 「啓ちゃん……しばらくたったら、きっとまた戻ってくる……」  啓子は聞きたくないというふうに首を振った。頬《ほお》が涙に濡《ぬ》れている。 「あたしをおいて……一人で逃げるんやね……」 「逃げる……?」 「秀兄ちゃん、卑怯《ひきよう》や……自分勝手や……」 「啓ちゃん、帰ってくるよ、いまにきっと帰ってくるよ……」 「卑怯や……卑怯や……卑怯や……」  不意に啓子は秀夫の胸の中に顔をうずめた。と同時に、はげしく泣きじゃくりはじめた。 「帰ってくるよ、な……みんなが俺たちのことを気にしなくなったころ、必ず戻ってくる……」 「嫌、嫌や……そんなの嫌や……」  啓子の涙が衣服を通して、秀夫の肌にしみて来た。その温い感触に気付いたとき、秀夫の全身をはげしい戦慄《せんりつ》が走った。  秀夫は自分の体が急に熱くなるのを感じた。啓子を抱いている腕に力がこもった。 「啓ちゃん……」  しかし、彼はそれからどうしたらいいか判らなかった。徐々に、啓子を強く抱きしめながら、 「帰ってくる……きっと帰ってくる……」  ただ、そればかり繰り返した。  有里と秀夫が尾鷲を発つ日、啓子は自分の部屋へ引き籠《こも》ったきり、いくら両親に呼ばれても出て来なかった。  秀夫は一言の別れの言葉も告げずに、尾鷲を去った。  有里と秀夫はまっすぐ北海道へむかった。途中、千葉へ寄ることも考えないではなかったが、今は誰にも逢《あ》いたくない気持だった。  こんな時、有里がいちばん安心してたずねて行けるのは、やはり岡本千枝の家だった。  前もって連絡を受けていた千枝は、なにもこまかいことは聴こうとせず、極めて自然に有里と秀夫を迎え入れてくれた。 「それでもさあ、有里姉さんが帰って来てくれたんでほっとしたよ、なにしろ、ずっと一人だったもんでね、頼りなくて頼りなくて……ほんとに心細かったんだよ……」  子供が大勢いて、生活が苦しいことなどおくびにも出さなかった。     26  小樽《おたる》へ落ちついて、秀夫はやがて港の荷揚作業を手伝うようになった。  荒っぽい男たちに混って立ち働く秀夫を見て、有里はそんなことまでしなくてもと言ったが、秀夫はきかなかった。  朝早くから夜おそくまで、激しい労働で体をくたくたに使って、我が家へ帰ると、泥のように睡《ねむ》る。  そうした肉体の酷使によって、秀夫はすべてを忘れようとしているらしかった。  秀夫はよく、岸壁にぼんやり腰をおろし、海を眺めていた。その時の秀夫は、まるで魂を海に吸い取られてしまったかのような、うつろな表情をしていた。  冬がすぎて、やがて春になると、有里も千枝も鰊《にしん》さきの作業に出た。二人は、雄一郎と良平の話題につとめて触れないようにしていた。雄一郎はすでに戦死の公報がはいり、良平にしても泰緬《たいめん》鉄道で働いていたという以外、それからどこへ進撃したのか、生きているのか死んだのか、まるで消息不明のままであった。  有里が北海道を留守にしているあいだに、富良野《ふらの》が空襲を受け、岡井家に預けてあった荷物の一切合財が焼けてしまった。むろん、雄一郎の身の廻《まわ》りのものも焼けた。有里は、これでかえってさっぱりしたと思った。なまじっか、昔の楽しい想い出につながる物が無いほうが、悲しみもすくなくてすむわけである。  秀夫もしばらくすると、かなり落着きを取り戻したようだった。船員の資格を取る学校へ行くのだと言って、仕事から帰ってくると、また机に向って受験勉強の本をひらくようになった。  有里はほっと胸をなでおろした。彼女の希望としては、秀夫に高校から大学を出てもらいたかったが、母の細腕にたよって学業を続けることは彼の気持が許さぬらしかった。それと、海で働くということに若干の危惧《きぐ》を感じぬでもなかったが、そうなにから何まで反対では、折角新しい希望を見出した秀夫の出鼻をくじくことになると思い、有里は息子の計画に賛成した。  ところが、その秀夫から、突然、尾鷲の啓子との結婚の相談を持ちかけられた時、有里はまったく狼狽《ろうばい》した。 「もしもの話だよ……」  と、一応は断って、 「もし、俺《おれ》と啓ちゃんが結婚したいと言ったら母さんはどうする……?」  秀夫は喰《く》い入るように母を見詰めた。 「もしもにしたって、そんなこと……答えられませんよ……第一、あなたがたはまだ……」  有里は、秀夫と啓子があれ以来秘かに文通しているらしいことは知っていた。だが、まさか、二人の間がそこまで発展していようとは思わなかった。彼女は自分たちも結婚前、その愛情を育てたのが、北海道と尾鷲の間を頻繁に行き交った手紙だったことを迂闊《うかつ》にも忘れていた。 「とにかく、結婚は早すぎるわ……」  有里はかろうじてそれだけ言った。 「うん、たしかにまだ若いよ……それに、従兄妹《いとこ》同志だってこともある……しかしね、母さん、正直言って俺は啓ちゃんが好きだ、啓ちゃんも俺のことを好きなんだ……」  秀夫はちょっと言葉を切り、有里の顔色を見たが、すぐに続けた。 「母さん、俺たち今、苦しんでるんだ……自分たちの正直な気持と、年齢のこととか、従兄妹同志のこととか、母さんの立場とかいうことを……壁にぶつかって、あがいているところなんだ……母さん、俺はこの前、啓ちゃんにこういう返事を書いた、とにかく、俺たちは若すぎる、今は何も考えずに勉強しよう……二人が一人前の人間になって、そこであらためて二人の未来を考えようって……」 「そうよ、秀夫、母さんもそう思うわ、そうして欲しいと思っているわ、……秀夫にしても啓子ちゃんにしても。今は結婚ということを考える時期ではない筈《はず》よ、あなたが言うように、二人がそういう年齢になって、それでもお互の心が変らなかったら、そのときはじめて結婚という問題を考えたらいいんだわ」 「そう……だけど、気持は変らないよ……」  秀夫が笑った。 「みんな、啓ちゃんと俺との結婚には反対だと思うんだ……その時、母さんにだけは味方になってもらいたいと思ってね……」 「私はいつでもあんたの味方よ……ただね……」  有里はちょっと複雑な色をその表情に浮べた。 「私が心配なのは、あなたがた二人が従兄妹同志だってことよ、従兄妹同志の結婚は良くないって昔から言われているでしょう……そのことも二人でよく考えてみたほうがいいわね」 「でも、世間には従兄妹同志で結婚して、けっこううまく行っている人もたくさんいるし、もし心配なら子供をつくらなければいいんだ」 「そうは行かないわ……そんな簡単な問題じゃないわよ」 「どうして?」 「どうしてでも……」 「母さん」  秀夫が不満そうな表情になった。 「やっぱり、なんだかんだ言っても、母さんは俺たちの結婚には反対なんだね」 「反対じゃないわ……ただ、いろいろ考えてみることが多いっていうことよ」 「やっぱり反対じゃないか」 「そうじゃないのよ……」  有里は結婚という微妙な問題に関して、秀夫になんと説明したらいいかわからなかった。結婚そのものにはけっして反対するものではなかったが、子供の問題にしても、秀夫の言うように、そう簡単に割り切れるものではない。自分はそれでいいとして、啓子の親たちがそれで満足するかどうかはわからない。それやこれやを考え合せると、有里は、秀夫に性急な答えを与える気持にはなれなかったのである。つまり、まだ積極的に賛成とも反対とも言える段階ではないと考えていた。  しかし、そうした有里のためらいが、秀夫の気持を満足させないことは明らかだった。  秀夫は有里の逡巡《しゆんじゆん》を、二人の結婚に対する反対と受取ったらしかった。秀夫は有里の答えも待たず、部屋を出て行った。  それ以来、母と子の間に、小さな心の溝が生れた。有里はすぐそれに気づいたが、いずれは時が解決し、秀夫にも自分の本当の気持が理解できるようになると、あえて、話し合いを求めなかった。  ある日、有里は旭川《あさひかわ》へ出掛けていた。  旭川に、インパール作戦に参加した者が居るというので、夫の消息を聴きに行ったのである。結果は今迄《いままで》に得られた情報と大差ないものだった。重い足どりで小樽駅に降りたが、改札のところまで来ると、千枝がただならぬ表情で走り寄って来た。 「有里姉さん、えらいことになったよ……」 「どうしたの……秀夫になにか……」  秀夫は昨夜から風邪《かぜ》をひいて床についていた。 「それがねえ……ちょっとこれ見てごらん。尾鷲からなんだけど……」  千枝が差し出したのは一通の電報だった。 「ケイコ シス……啓子ちゃんが死んだ……」  有里にとっては、まったく思いもよらないことだった。生れたときから、ほとんど病気らしい病気もしたことがないのが、親たちも当人も自慢だったのだ。  と同時に、有里は嫌な予感がした。 「千枝さん、この電報、秀夫は見たの……」 「それなんだよ……」  千枝は待っていたと言わんばかりに顔をゆがめた。 「その電報が来た時、私も家を留守にしていたんだけど、雪子の話では、秀夫ちゃんは電報を見るなり洋服に着換えて家をとび出して行ったんだと……まだ帰って来ないところを見ると、尾鷲へ行ったんでないだろうか……」 「尾鷲へ……」 「雪子には正午頃の青森行に間に合うとか言ってたそうだから……」  有里は茫然《ぼうぜん》とした。が、すぐ気をとり直すと、家へ戻り旅行の仕度をした。秀夫のあとを追うように、彼女も夕方の青森行の急行に乗った。  北海道から尾鷲へ、たった六か月前、秀夫と二人で通った鉄路を逆行して、有里はほとんど立ちっぱなしの旅をした。道中、ほとんどろくな食事もしなかった。 (啓子ちゃんが死んだ……そんな馬鹿《ばか》なことが……)  有里は先日の啓子についての秀夫との会話を思い出していた。秀夫の誤解をそのままにしておいたことが、しきりに悔まれた。  尾鷲では、みちをはじめ勇介夫婦が有里の来るのを首を長くして待ちうけていた。  啓子の死因は急性肺炎だったという。  須賀利の海を見に行くのだと、たった一人で出掛けて行き、雨にあたって風邪をひいたのが原因だった。啓子はそれまでも、須賀利の海は美しいと言って、よく一人で出掛けて行っていたのだそうだ。 「あの子はやはり秀夫が好きやったんやなあ……」  みちが涙ながらに、そう呟《つぶや》いた。 「死ぬまで、秀夫ちゃんの名前をうわごとのようにくりかえしておりました……」  幸子も言った。 「別に結婚に反対していたわけでもないのに、本人はひどく秀夫ちゃんとのことを人に知られるのを恐れていたようや……」  勇介がしみじみと述懐した。 「あんまり周囲がやいのやいの言うたんもいけなかったのやなあ……」  有里も、その勇介の言葉に思い当るものがあった。  秀夫の姿が見えないので尋ねると、彼は昨夜尾鷲に着き、今いったような話を聞くと、今朝早く須賀利に行くと言って家を出て行ったという。帰りがおそいので、須賀利へ連絡をとってみようかと話し合っていたところだったとのことだった。 「お願いします、すぐ連絡してみてください」  有里はせき立てるように言った。 「よっしゃ……」  勇介が電話をかけに立った。  しばらくすると戻って来て、首をかしげながら、 「おかしいなあ……須賀利は昼頃はもう立ち去ったそうや……とっくに戻って来なあかんはずやが……」  と有里に言った。  そして、須賀利を立ち去った秀夫は、それきり遂に中里家へは姿をあらわさなかった。     27  秀夫は尾鷲へも、北海道へも帰らなかった。  四、五日して尾鷲へ秀夫からの葉書が届いた。 『ごしんぱいかけてすみません。今の僕は自分で自分をどうしたらいいかさっぱり分りません。誰《だれ》の顔を見るのも嫌です。当分、僕を勝手にさせておいて下さい、いつか、その日が来たら、北海道へ帰ります……』  住所はなかったが、消印は大阪だった。  有里はすぐ、大阪へ出た。  秀夫に逢《あ》って、有里の本当の気持を伝えなければならない。啓子の死によってもつれた感情の糸は、そうたやすくはほぐれぬだろうが、秀夫の為にも、説得しなければならなかった。  大阪はまだ見渡すかぎり焼野原で、ところどころ、バラックが建ちはじめていた。しかし、ヤミ市だけは結構活気を見せていた。  梅田に降り立ち、有里は途方にくれた。もとより、なんの当てがあるわけではなかった。  この荒涼とした大阪で、まだ世なれない秀夫がどうやって生きているのだろうと思うと、それだけで絶望的な気持になった。  有里は大阪に居る知人を三人思い浮べた。  一軒は姉の弘子の嫁ぎ先の吉田屋である。だが、ここへは頼って行く気持はなかった。店は焼けたと聞いていたし、夫婦仲もあまり良くなさそうだ。弘子は芦屋《あしや》に居るし、夫のほうは有馬《ありま》へ別居しているといった状態だった。  二人目は南部斉五郎の家である。ここも、有里には訪ねにくかった。斉五郎は仲人だし、再三遊びに来るようにとの手紙をもらっているのだが、問題は三千代である。現在のようなみじめな姿を三千代の前にさらしたくなかった。それは、妙な女の意地のようなものだった。  そして三人目に浮んだ顔が関根重彦であった。彼とは、尾鷲の津波以来特に親しく手紙を往復していた。どうしても海で働きたいという秀夫のために、国鉄の函館《はこだて》船員養成所をすすめてくれたのも関根だった。  有里は重い足を、天王寺《てんのうじ》の管理局へ運んだ。戦後、逢うのは初めてだったが、関根は元気だった。以前よりも張り切っていた。戦争も敗戦も、この男は跳返して生きているようだった。  関根は有里の来訪を心から喜んで迎えてくれた。事情を聞くと、 「僕の部下で大阪にくわしい男がいます。明日からその男に案内させて、これと思うところを訪ねてごらんなさい……そいつは不思議な男で、新聞記者にも警官にも友人が多いので、きっとあなたのお役に立つと思いますよ」  早速、智慧《ちえ》を授けてくれた。  それから、関根は今、戦災で天王寺の官舎が焼けたため、死んだ妻の実家、つまり嵯峨《さが》にある御子柴の別宅のほうに居候しているのだと言い、有里にもそこへ一時落着くようすすめた。 「でも、それではあんまり……」  と遠慮すると、 「御子柴の母は、今でもあなたのことを本当の娘のように思っています。今でもよく、あなたが雄一郎君と結婚した頃《ころ》のことを懐しそうに話していますよ……」  かえって遠慮すると、あとで恨むだろうと言った。  有里は関根のすすめに従う決心をつけた。関根はすぐその場で御子柴の家に電話をかけ、有里を連れて行く了解を得た。 「義母《はは》がひどく喜んでますよ、なんならすぐ迎えに来ると言ってますがどうします」 「いえ、とんでもない、場所さえ教えていただけば一人でまいります……」  有里はあわてて答えた。  翌日から、有里は関根の部下の岡田という男の案内で、大阪の巷《ちまた》をそこ此処《ここ》と歩き回った。  むろん、京都の嵯峨の家でも、御子柴セイが温く有里を迎えてくれ、彼女の部屋には、昔、比沙が使っていた場所があてられた。御子柴家では、主人が先年|歿《なくな》り、比沙の兄の京助が跡をとっていた。京助は女房子と共に南禅寺《なんぜんじ》の本宅の方に居り、嵯峨の方にはセイと比沙の妹の阿矢子、それに関根と使用人の四人で、広い屋敷にひっそりと暮していた。  有里が嵯峨の家で暮す日が重なるにつれて、セイの眼には、まるで比沙が有里の姿を借りて甦《よみがえ》って来たような錯覚を起すらしかった。阿矢子も有里を、まるで本当の姉のようにあつかった。  夏になった。  南方からの復員船が続々と帰国していた。  マレーやビルマで働いていた鉄道隊の人々も続々と帰還していた。その人たちの報告を聴くと、いよいよ室伏雄一郎が生存している望みは薄くなるばかりであった。彼の所属していた部隊は殆《ほとん》ど全滅したというのが、帰国した人々の異口同音の結論であり、あの部隊は密林の中をわけての行軍の途中、何度も敵襲を受け、全員戦死するか餓死したのだという点で一致していた。  関根はつとめて、そうした話を有里の耳には入れないようにしていた。  北海道の旭川鉄道管理局から連絡してきた雄一郎の退職金受取の件も、有里の希望を尊重して、手続を延期してもらうよう工作してやった。戦死の公報のあった者はすべて、その遺族は退職金を受取り、鉄道との縁を切るきまりになっていたのである。  しかし、関根はかくしても、有里は、秀夫を探すため世話になった新聞記者や、管理部の者などの口から、少しずつ絶望的な報告を聞いていた。  有里の顔色が日一日と悪くなり、痩《や》せが目立つようになった。食事もあまりすすまず、時々うつろな眼をしてぼんやりしていることが多い。それでも、昼間は大阪の町を歩くことだけは続けていた。  炎天の町を、秀夫の姿を求めてさまよい歩きながら、有里は自分が生きているのか死んでいるのかわからなくなった。  大阪のどこを歩いている時だったか、有里はふと鼓の音を聞いた。それは、焼野原の中に残った能楽堂だった。  窓から小鼓の音がして、朗々たる謡《うたい》の声であった。 ※[#歌記号]げにや人の心は闇《やみ》にあらねども 子を思う闇にまようとは……  窓辺に足をとめ、有里はそれが謡曲、隅田川であることを知った。  我が子を人買いにさらわれて、物狂いとなった母親が京からはるばる東路《あずまじ》へたずね、たずね、遂に隅田川のほとりで、すでに亡き人となっていた我が子の塚に対面するという曲である。  窓辺にすがりついて、有里は見詰めていた。隅田川を舞うシテの心は、有里の心であった。  有里はふっと或《あ》ることに思い至って、戦慄《せんりつ》した。それは、秀夫もこの隅田川の母の尋ねる子のように、すでに何処《どこ》かで死んでいるのではないだろうかという疑念だった。  秀夫が啓子のあとを追って自殺するかもしれないということを、何故《なぜ》いままで思いつかなかったのだろう。これだけ探して、全然手がかりがないというのは、秀夫が死んでいるか、この土地には居ないということ以外考えられないではないか。聞くところによると、この大阪のヤミ市などは目下無警察状態にも等しく、闇から闇に葬り去られる殺人事件は数知れずとある。そう思っただけで、有里は眼の前が真暗になった。  その夜、有里は不安な気持を関根に打ち明けた。こうしていつまでも世話になっているのも心苦しかった。  すると関根は、いつになく厳しい口調で有里を叱った。 「有里さん、君はいつの間にそんな意気地のない女になってしまったんだ……大阪へ来て、まだ、たった三か月じゃないか、どうしてそんな弱気になるんです。昔の君はそうじゃなかった、どんな苦しいことがあっても苦しい顔をしない人だった……辛いとか、悲しいとかいう心を奥深く包み込んで……いつだって健気に生きていた……その、あんたが……」 「関根さん……私、今まで、主人と子供という二本の柱に支えられて生きて来たんです……」  有里の噛《か》みしめた唇が微かにふるえていた。 「ですから、夫の為、子供の為と思ったら、どんなことだって平気で乗り越えて来たんです……でも、今の私は、一人なんです、誰《だれ》の為に生きたらいいのか……何の為に生きているのか……」 「有里さん……それじゃ聴こう……」  関根は太い息をはいた。 「君は今まで、雄一郎君と秀夫君の為にだけ生きて来たんですか……それだけしか君の生きるあてはなかったんですか……それじゃ、君は夫と子供の影にすぎんじゃないですか、人間は自分の為にも生きるんだ、自分で自分を生かすことこそ、結局は愛する人を永遠に生かすことにもなるんだ……君ほどの人が、何故、そこの道理がわからないんだ……大阪中を探して見付からなかったら、京都を探すんだ、神戸を探してみるがいい、日本国中探しまわってそれでも見付からなかったら、海を越えて世界中を探したらいいじゃないか……君にはそれだけのことの出来る勇気と力があるはずなんだ……」  関根のはげましにも、有里はさしたる反応を示さなかった。  有里の気力も体力も限界へ来ているらしかった。関根や御子柴セイの眼から見ると、有里には、いまにも崩折れそうな危さがあった。なんとかして有里を元気づけようとしたが、どれもさしたる効果はなかった。  関根は思いあぐねて、このことを南部斉五郎に相談した。 「そりゃ、あの人にとっては辛かろう……」  斉五郎は眉《まゆ》をひそめた。 「あの人は亭主と子供のために夢中になって生きて来たんだ。昔の日本の女はみんなそうだった、自分のことなんか考えてるひまもなにもない……そのことの良否は別として、毎日毎日、亭主と子供の生活をどうやって充実させようかと、必死になっていたもんだ……亭主の満足することが、女房の満足だし、それを女の仕合せと思って大事に生きてきたんだ……それが日本の女だったんだ……」 「しかし、それじゃ、あまりにも自分が無さすぎるじゃありませんか、自主性に欠けています」 「自主性……」  斉五郎は関根を眼のすみで睨《にら》んだ。 「そんな気取った台詞《せりふ》は、クルクルまるめて掃溜《はきだめ》へ突っ込んじまってるさ……女の生活は理屈じゃない、情感だ……そりゃあ、世間には男に負けん立派な仕事をする女もいるだろう。そりゃそれで結構だよ。しかし、平凡な家庭の中で、夫と子供を満足させるだけの生活であっても、その夫や子供から、我が家の女房は見事な女房だ、我が母は立派な母だと愛情こめて呟《つぶや》かせることの出来る女も、それ以上に立派なもんだ……世の中にうるおいを与え、活気を与えるのは、そういう女の力なんじゃないのかな……」 「そりゃア分ってます、そういう意味では、あんな女らしい人はいないですよ……それだけに僕としては、あの人をなんとか立ち直らせたいんです、あの人に生甲斐《いきがい》を持たせたいんです」 「生甲斐ってのは、人に見付けてもらって、仲々身につくもんじゃない……自分で見付けるのが一番いい、しかし、それとなくヒントを与えることは出来るかもしれん……」 「なにか、ないでしょうか……」 「そうだな……」  しばらく考えていたが、ふと思いついたように顔を上げた。 「君たちは、今まで有里さんをあまりいたわりすぎて、大事にしすぎてやせんか……たとえば、お客さまあつかいして、家の事は何もさせんとか……」 「はア、それは……けれど、あんなに心の傷ついた人を……」 「それがいかんのだよ、かえってそれがいかんのだ……もっとなんでもやらせてごらん、仕事をするということは、生きてることの証明みたいなもんだ……夫も居ない子も居ない仕事も無いじゃ、あの人をむざむざ殺すようなもんじゃないか、そうだろう、違うかね……」  斉五郎の眼が、穏やかに関根を見ながら笑っていた。  この日から、有里は御子柴家で自由に仕事をしてもよいことになった。斉五郎が見通した通り、今迄《いままで》は有里がいくら頼んでも許されなかったのである。  有里にいくらか生気が蘇《よみがえ》ったようだった。そうなると不思議なもので、セイや阿矢子と有里の間の心の垣根が、又ひとつ取れた。  有里はそれまで遠慮して言い出さなかった友禅《ゆうぜん》の下絵描きを、阿矢子に頼んで教えてもらった。  阿矢子はそれを、戦時中、下絵の職人が出征して友禅の下絵を描く者が少くなったので始めたという。 「京友禅がほろびてしもうたら、たいへんや思いまして……」  と阿矢子は説明した。 「きれいな色……」  有里の眼は、美しい友禅の下絵に吸い寄せられた。それは又、久しぶりに見せた有里の微笑でもあった。     28  最近、有里の心には、ある落着きが生れていた。  それは、最後の土壇場になって頭に閃《ひら》めいた考え方だったが、このままでは、もしあの世で雄一郎にめぐり逢《あ》ったとき、恥かしくて顔も合せられないし、言葉もかけられないだろうということだった。自分は妻として、母として肝腎《かんじん》のことをまだ何もしていないではないか。  雄一郎の死が信じられないのなら、信じられないで、すくなくとも五年や十年は待つ覚悟が必要だし、秀夫については、彼がどう思っているにしろ、秀夫の行方が知れるまでは探さなければならないのだ。そんなわかり切ったことを、あれこれ迷うほうがどうかしている。  有里は、それからというもの、焦らなくなった。何年かかっても、何十年かかっても、母の一念で我が子を探し出してみせるという決心もついた。  もっとも、これは時々訪ねて来る南部斉五郎の言葉にも、随分影響されてのことである。  特に、この昭和二十二年の秋、泉涌寺《せんにゆうじ》の中庭に面した縁側で聞いた話は深く印象に残った。 「有里さん……あんたの言うように雄一郎は帰って来んかも知れん……しかし、あんたは生きている……こうして古い都の秋の中で、生きているんだ……生きている者には生きているだけのつとめがある……」 「私に……なにが残っているとおっしゃるんです……」  有里は迷《まよい》の最中だっただけに、強く反発した。 「なんのために生きなければならないんです……」 「ごらんよ、あそこにある雪見|燈籠《どうろう》……あれは日本で一番古い雪見燈籠だそうだ。いったい何のために、あそこに雪見燈籠があるのかな……この静かな日本の秋……いったい誰《だれ》のためにあるのかな……」  斉五郎は更に続けた。 「人はいつかは死ぬさ、みんな一度は墓の下へもぐる、たった一握りの灰になって……しかし、あんた、それですべては終りだと思ってるか……?」 「わかりません、私には……」 「終らせちゃあいかんのだ、名もない一人の人間の死を、それで終らせちゃあいかん……そいつの魂を誰かが大事に抱いて行ってやらにゃあいかんのだ……名もない一本の草木でも、一生懸命、自分を永遠に残そうとする、そのために、枯れんとする前に実を落して行く……それが命ということなんだよ……」 「それが……命……」 「有里さん、わたしは今日、こうやってあんたを無理矢理|此処《ここ》へ連れて来たのは何の為だと思うかい……あんたに生きる力を持ってもらいたかったからなんだよ……国破れて山河あり……日本は負けた、しかし、日本はちゃんと残っている、滅びてやしないだろ……そのことを知ってもらいたかったんだ、そのことがあんたの心の支えにならんかと思ったんだ……」  その日から、有里の心の中で、理屈ではない何かが育ちはじめた。すこしずつ芽をふきだしたのだった。  京都には寺が多い。  秀夫を求めてさすらい歩きながら、有里は神社仏閣を詣《もう》で、合掌した。我が子にめぐり合せ給えと神にも仏にも祈った。しかし、神や仏に頼るというのではなく、そうすることが一番自然だと思えたからだった。  夜は、もっぱら友禅の下絵を描いた。何事にも、とことんまで熱中する有里の性格が、短日月で、難かしい下絵かきの技術を習得させたのである。  御子柴セイが有里に、関根との再婚の話を持ち出したのもその頃《ころ》だった。  しかし、セイの思いやりを有難いと思いながら、有里はそれを無視した。無視するより仕方のないことだったのだ。  再婚の意志はまるでなかった。考える余地がないと言ったほうが正しいのかも知れなかった。関根は嫌いではなかったが、とにかく、夫の面影は有里の胸の中にまだ鮮やかに生きていた。  セイから話があってから、有里は今度は阿矢子から、関根重彦が秘かに有里のことを愛しているらしいということを聞いた。 「お兄はんは、有里はんがお好きなのに、どうしてそれを言わんのどす?」  阿矢子に問いつめられて、関根は、 「好きだからこそ、今、そんなことを言ってはいけないんだよ……僕はあの人の気持を大事にしてやりたいんだ、そっとしておいてやりたい……戦死した雄一郎君のためにもそっとしておいてやりたいんだ、それが愛情ってもんだと思っている……もし、いつの日か、あの人が僕の力を必要とする時が来たら、その時こそ、僕は喜んであの人の支えになるつもりだ……」  と答えたという。  有里は胸の中で、関根のいつに変らぬ温い思いやりに感謝した。と同時に、そろそろ、この家から自分が立ち去るべきだと判断した。  これだけ探しても手懸りがないのだから、秀夫は大阪付近にはもう居ないのだ。関東かあるいは九州方面を探すにしても、いったん北海道へ帰ろうと思った。  京都の元日は、大《おお》晦日《みそか》のおけらまいりからはじまる。  京都、東山《ひがしやま》、祇園《ぎおん》町にある八坂《やさか》神社のけずりかけの神事は俗におけらまいりと呼ばれて、京都に住む人々の年越しの行事になっていた。  除夜の鐘の音を聞きながら、祇園さんと呼ばれている八坂神社へおまいりして、神社の神火を頂き、それを元火にして、元日の雑煮をたく風習である。  戦争に負けても、貧しさに日本中が押しつぶされそうな時代でも、人々は長い生活の伝統を忘れはしなかった。  吐く息が白い深更の京の道を、人々は寄りそって祇園さんへ歩いていた。焼けなかった古都の寺々から、除夜の鐘がしずかに新しい年を告げる中で、有里は孤独を噛《か》みしめていた。夫を失い、子を失って、たった一人で迎えた新年だった。  三が日を京都で過して、有里は尾鷲《おわせ》へ帰ることになった。  その上で、あらためて北海道へ行き、雄一郎の退職の手続きも、今度こそきまりをつけて来なければならないと考えていた。  尾鷲へ行くのは、いわば今後の自分の生き方を兄にも母にも話しておくためだった。手紙などでは、なかなか自分の真意を伝えられないし、あらためて北海道から出てくるのも大変だったからだ。 「お有里はんさえよかったら、ずっとうちに居てもろてかまわんのどっせ……うちはほんまの娘のように思うとりますよって、なんの遠慮もいりまへんえ……」  セイは最後まで有里を引き止めた。  しかし、有里の決心が固いのを知ると、 「ほなら、此処《ここ》をあんさんのお家とお思いやして、いつでも戻って来ておくれやす、部屋もそっくりそのままにしておきますよってに……」  何度も念を押しながら名残りをおしんだ。  有里は必ず近いうちに帰って来ますとセイに約束したが、その実、帰って来る気はまったくなかった。京都ばかりでなく、尾鷲の実家へも今度帰ったら、当分は出て来られないだろうと思った。というのは、有里は雄一郎や秀夫の想い出の地、北海道で、たった一人で生きて行く決心をしていたからである。働きながら、夫や息子《むすこ》の帰りを待つ積りだった。  ところが、その尾鷲では、驚くようなニュースが有里を待ち受けていたのである。 「ほんまによう帰って来たわ、あんたの帰るのをどんなに待ったか知れへんえ……」  みちに続いて勇介も、みちと同じように明るい表情で言った。 「今日お前が帰らなんだら、いっそ京都へ電報うたんならん思うとったところや」 「電報って、何です?」  有里は二人を見た。  このところ、有里にしても中里家にしても不幸つづきで、二人がこんなに明るい表情をしていることが不思議だった。 「有里……ひょっとすると雄一郎はん、生きてはるかも知れんえ」 「えッ……」  有里は絶句した。 「須賀利へ復員したお人が、雄一郎はんに逢《お》うたとお言いやしてな……わざわざ知らせに来てくれはったんや」 「いつ……いつです、その話……」 「昨日や……まるで夢のような話やけど、確かに雄一郎はんに逢うたんやと……」 「したってお母さん、あの人の部隊は全滅したって、今迄《いままで》に何度も……」 「そやけどなあ、有里……」  勇介が身を乗り出すようにして、口をはさんだ。 「その人の話だと、ジャングルの中で道に迷って、他の部隊にそのまま合流していた者もかなりあったんやそうな……」 「どこで逢《あ》ったんです、うちの人と……?」 「シッタンいう所や」 「シッタン……」 「ビルマや、首都のラングーンに近い町やそうな、なんでも終戦になる少し前の昭和二十年の四月ごろやったんやと……」 「兄さん、それだったら……」  有里の表情に失望の色が浮んだ。 「うちの人の戦死の公報が来たのは終戦後ですよ……」 「それがなあ有里、その須賀利の古田はんの話では、終戦後も雄一郎はんの噂《うわさ》を聞いたいわはるんや」 「終戦後ですか?」 「古田はんが終戦後、マラリヤにかかってサイゴンの病院へ収容されたとき、そこに雄一郎はんらしい人がつい二、三日前まで居たという話を聞いたんやそうや……」  とにかく有里にとって、これは、闇《やみ》の中で突然明るい陽光に接したような気持だった。  有里はすぐその足で、須賀利へ出掛けて行った。     29  尾鷲の海は寒かった。  甲板《かんぱん》の乗客は、みな戦争の名残りの古い防空|頭巾《ずきん》で顔をすっぽり包んでいた。有里も、出がけに母が渡してくれた防空頭巾を眼深《まぶか》にかぶった。  海の上は、やがて夕暮で、冷え冷えとした風が吹きつけていた。だが、有里の胸の中には、まるで火のように燃えているものがあった。  雄一郎が生きているかもしれない……暗くなりかかった海を見ながら、有里は、今|漸《ようや》く掴《つか》んだものがたとえ一本の藁《わら》しべにすぎないにしても、それに必死でしがみついていようと思った。  その知らせをもたらした古田時三という男は、須賀利の伯父《おじ》の久夫もよく知っている網元の息子《むすこ》だったが、大阪の学校を出て鉄道にはいったのだという。雄一郎のことは久夫から聞いて知っていたらしい。  古田は復員後もマラリヤが再発したとかで、まだ青白い顔色だった。 「シッタンで逢った時は退却の最中で、わたしら、それまでラングーンに居たんですよ。それが、もういかんということになって、バー・モー政府もラングーンを逃げだすことになって、自分ら鉄道の仕事をしとった者もみんな、ついて逃げたんです」 「古田さんは兵隊さんでいらっしゃったんですか」 「いや、わたしも鉄道から土木技師として軍属で行かされたんです……なにしろビルマには苦しみに行ったようなもので、ラングーンからの退却も、首までつかって川を渡る始末でした。昼間はかくれて寝て、夜になると八里くらいも歩くんです、苦労してシッタンに着いて、シッタンからは果しのない原野でした……」 「室伏にお逢《あ》いになったのは、その退却の途中ですか」 「はあ、名前もわからない部落で、退却中の日本軍の部隊と出逢ったんです。こっちも小人数で心細かったんで、一緒に逃げることにしたんですが、その中に室伏君がいたんです……モールメンで別れましたが、室伏君の居た隊は全滅に近い状態だったとかで、彼はジャングルで気を失っているところをビルマ人に助けられたのだとか言っておりました……」 「サイゴンの病院で室伏の消息をお聞きになったそうですが……」 「自分は終戦後、マラリヤにかかってサイゴンの病院に入れられたんです。自分らはモールメンから汽車でバンコックへ出て、それから飛行機で仏印のサイゴンへ行き、そこで終戦になったんです……サイゴンの病院へ収容されたのが十一月頃だったでしょうか……病気がやや回復してサンジャックに移される時、同室の患者から、つい十日前まで別の病棟に室伏という鉄道員がいたという話を聞いたんです。それで、彼もサイゴンへ送られて来ていたのかと思いました」 「やはりサイゴンではお逢いになっていらっしゃらないんですのね」 「はア……しかし、室伏という名前はそう多くはないですし……」 「古田さんは、いつ日本へお帰りになったんですか」 「昨年の六月に病院船で帰国しましたが、パラチフスにかかっていて、そのまま立川の病院に担ぎ込まれ、退院して大阪へ帰って来たのが暮れでした。それから又、マラリヤにかかって、散々ですよ……」 「復員される途中で、室伏の噂《うわさ》をお聞きになりませんでしたでしょうか?」 「いや……それは……」  時間もかなりおそくなったので、有里はそのくらいで古田への質問を切り上げた。篤《あつ》く礼を述べて辞去した。  須賀利から見渡す港の景色は、すべて昔のままだった。昔のままであることが有里には切なかった。  古田の話では、雄一郎の戦死はどうやら誤りらしいという望みはあったが、サイゴンの病院で古田が消息を聞いたというのが果して雄一郎であるかどうかは、甚だ心もとなかった。又、サイゴンの病院に居たというだけで、その後、どこへ送られたのか、病気が治ったのかどうかもわかっていない。  ともすれば消えそうになる希望の灯をかきたてるようにして、有里は明日にでも北海道へ発《た》とうと思った。この雄一郎の消息を唯一のよりどころにして、生きて行かねばならぬと思った。 「それやったら、あんた、これから先、ずっと北海道で暮す気かいな」  有里の決心を聞いて、みちは不安そうな表情をした。勇介も、 「そないなことせんでもええ……そりゃ、一度はむこうへ行って、きちんと整理をして来んならんやろうが、それがすんだら尾鷲へ戻って来て、住んだらええんや……」  と極力すすめた。 「そうや、そうおし……この家もなあ、ほんまなら、やれ農地改革や財産税やと、田畑、家屋敷すっかり取られてしまうところやったのを、勇介があんじょううまくやったそうで、なんも心配することはないのや……もし、この家に居るんが気づまりやったら、他に小さな家を建ててやってもよろしいと勇介も言ってくれているしの……第一、北海道へ行ったかて、雄一郎はんも秀夫も居るわけやなし……」 「でもね、お母さん、あの人が居ないからこそ、北海道へ帰ろうと思ったんです。この前、北海道へ行ったとき、とても辛かったんです。どこへ行っても、うちの人の思い出がついてまわって……辛くて、苦しくて……私、逃げるようにして帰って来てしまいました……」 「そやさかい、此処《ここ》に居ったらええんや」 「もう逃げてはいけないんですよ。お母さん……戦争が終って、もう二年目の夏なんです、眼をそらさないで、しっかりと現実を見詰めなければいけないんです……そりゃア、私はまだ諦《あきら》め切れやしません。諦め切れないからといって、眼をつぶっていたら、うちの人の供養も出来ず、あたしの生活も宙に浮いてしまいます、室伏家の嫁として、これではご先祖さまにも相済まないことだと思っています……」 「それにしても、なにも無理に北海道に住むことはないやろ、尾鷲におって、これからのことを考えたらええのや……第一、室伏はんとこのご先祖のお墓も須賀利のお寺にあるし、ご両親のお墓も分骨してあるのやないか」 「あたし……やっぱり、うちの人の思い出のある土地に住みたいんです、つらくても、苦しくても、思い出の中で生きて行きたい……」  有里はもう迷わなかった。それ以外に生きる道のないことを、ようやく結論として胸に抱きしめていた。 「むこうへ行って、なにをして生活するつもりや?」  勇介が訊《き》いた。 「それは向うへ行って考えます。小樽《おたる》には千枝さんも居ることだし、あの人もひとりぼっちですものね、二人で助け合ってなんとかやって行きます……秀夫の為にも、それが一番いいことなんです……」 「あんたって、まあ、強情な子やなあ……」  みちがあきれたように溜息《ためいき》をついた。 「ごめんなさい……でも、お母さんに似たのよ、きっと……」 「なにいうてるねん……」  みちは勇介をふりかえった。 「どないする……?」 「ほんまにお母はんに似て、言いだしたらきかん奴《やつ》や……けど、そんならよろしゅうおま……むこうへ有里が落着いたら、わしが出掛けて行って、あんじょうしてやりまほ」 「兄さん……」 「お前の嫁入ん時には、とうとう最後までついて行けなんだかわりに、今度はちゃんと締めくくりをさしてもらいまっせ……ええな……」  勇介は駄目を押すように、終りのところは特に力をこめて言った。     30  三日を有里は尾鷲で過した。  もう一日、もう一日と引きとめるみちの頼みを、そう無下にふり切って立ち去るわけにも行かなかったのだ。  しかし、いよいよ明日は尾鷲を発つという日、有里は裏の山の竹林へ出掛けた。有里が、雄一郎とはじめて出逢《であ》った思い出の竹林であった。  竹の林の中は、二十二年前のあの時と同じように白く靄《もや》が流れていた。竹の葉のそよぎに、有里は眼をとめた。  あの日も、今日のように竹の葉がさやさやと鳴っていた。  竹の林の中に、人が居るとは夢にも気づかず、有里は落葉をふんで歩いていた。  ふと眼をあげた時、すぐそばに雄一郎が立っていたのだ。吃驚《びつくり》したような眼をして、有里が戸惑うくらい、真正面から彼は見詰めていた。その時の気持を、有里は懐しく思い起してみる。ひどくきまりが悪かったけれど、少しも嫌な気はしなかった。自分でも無意識のうちに頭を下げたが、彼もあわてて一礼した。  有里は、その男が姉の弘子の見合の相手だとはまるで知らなかった。歩きだした時、背中に彼の視線を痛いほど感じたので振り返ると、彼はやはりじっと有里を見送っていたのだった。  この竹林はその時と少しも変っていない。  変ったのは有里が年をとったことと、雄一郎が行方不明だということだけである。  不意に有里を、激しい慟哭《どうこく》がおそった。  竹にもたれ、有里は心の中でだけ泣いた。そのままじっと冷めたい竹の肌に頬《ほお》を押し当てていると、やがて心が和んだ。  眼を閉じていると、雄一郎の顔がいくつも浮んだ。どれも有里に向って笑いかけ、見詰め、呼びかけていた。  有里は思い出の中で、雄一郎の声を聴いていた。それは、自分の名を呼んでいる懐しい夫の声であった。うっとりと眼を閉じて、有里は思い出の中の夫の声に耳を傾けていた。  不思議なことにその声は、はるか遠くのほうから、次第次第に近づいてくるようだった。 「……有里……有里……」  有里は本当に自分の名が呼ばれたような気がして、そっと眼をひらいた。  竹の林の中に、有里は雄一郎の幻影を見た。  たとえ、まぼろしでもいい、夫の姿が見えたのだ。いつまでも消えないでほしい。  だが、まぼろしはぐんぐんこちらへ向って近づいて来た。 「有里……」  声まで鮮やかに聞えた。 「あなた……」  あなたと言っているうちに、有里はそれが夫のまぼろしでないことをはっきりとさとった。一瞬、有里は体中の血の流れが止まったかと思った。 「あなたッ……」 「有里ッ……」  まぼろしでも、幽霊でもなかった。  雄一郎は帰って来た。  四年の歳月が、彼をやつれさせてはいたが、眼は昔ながらの精悍《せいかん》さと輝きと人なつっこさを失っていなかった。  有里は夫の温い胸に顔をうずめて、夫の匂《にお》いをかいだ。それは片時も忘れたことのない雄一郎のにおいだった。  多分、雄一郎も有里と同じ感動にふるえていたに違いない。  生きていて良かった、生きていて良かった……そんな叫びが二人のまわりで、かげろうのように燃えていた。 「神戸へ上陸して、すぐ北海道へ行こうと思ったんだが、富良野《ふらの》は空襲を受けたと聞いたので、ひょっとすると尾鷲へ帰ってるんではないかと思ってな、無駄足になっても、どうせこちらのお母さんや兄さんたちに逢《あ》えるし、お前の消息もわかると考えて来たんだよ」 「したら、あなた、秀夫のこと、お母さんや兄さんから……」 「聞いたよ……」 「すみません……あなたの留守中に……」 「いや、もう何も言うな、お前だけの罪ではない、そういう時代だったんだ……お前はやるだけのことをしてくれた、感謝こそすれ、お前を責める気は少しもない……」 「あなた……」 「大丈夫だ、あいつは俺達の子だ、馬鹿《ばか》な真似はしやあしないさ、きっと帰ってくる……これからは二人であれを探そう……夫婦というものは、やっぱり別れて暮していては何もかも思うように事が運ばんものなんだ……」  雄一郎は一言も有里を責めなかった。  雄一郎は北海道へ帰る前に、有里と共に京都へ出た。京都には有里が世話になった御子柴家の人々をはじめ、関根重彦、南部斉五郎らが居る。その人たちに留守中の礼を述べるためだった。 「ついこのあいだ京都を発った時は、あなたと二人で京都へ行く日があるなんて……とても信じられない気がするわ……」  汽車の中で有里は眼をうるませていた。 「有里……」 「え、なんですか……?」 「いや……秀夫、ずいぶん大きくなっただろうなあ……」  一言も妻を責めなかった雄一郎だったが、その横顔はさすがに寂しそうだった。 「サイゴンの病院に入院していた時、よくあいつの夢を見た……」 「ごめんなさい、私の注意が足りなかったんです……」 「いや、そんなつもりで言ったんじゃない……しかし、馬鹿な奴《やつ》だ……」  吐き捨てるように言い、それきり秀夫のことに関しては、触れようとはしなかった。  御子柴セイは、有里が戻って来たので驚いたらしかったが、有里のうしろに雄一郎が立っているのを見ると、しばらくは口もきけないくらいだった。 「雄一郎はん……」 「はア……お蔭《かげ》で無事に戻ってまいりました、留守中、妻が大変お世話になりまして……」 「まあ、ようお戻りやしたなあ……ほんに、よう……」  よほど嬉《うれ》しかったのだろう、絶句したままぽろぽろ涙をこぼしていた。  阿矢子が気をきかして関根のところへ電話をしたらしく、彼もすぐ帰るからそのまま待っていてくれと言ったという。  雄一郎と有里は南部斉五郎に帰国の挨拶《あいさつ》をしてから、そのまま京都を出発する予定だったのを変更して、関根の帰りを待つことにした。  二人が部屋でくつろいでいると、思わぬ近い所で鐘がなった。このあたりには寺が多い。 「あなた、懐しいでしょう、日本の鐘よ……」 「ほう……」  しばらく耳をすませて聞き入っていたが、 「いい音色だ……歌を忘れたカナリヤではないが、こうして一つ一つ日本の音を思い出して行くんだなあ……」  と呟いた。 「すぐそこにあだし野の念仏寺もあるわ、行ってみましょうか……」 「ああ……」  あだし野とは嵯峨《さが》の念仏寺境内より二尊院に至る一帯の林野をいい、古くからの墓所であった。  徒然草《つれづれぐさ》の中に、化野《あだしの》の露消る時なく鳥部山《とりべやま》の烟《けむり》立ちさらでのみ住果る習なれば如何《いか》に物の哀もなからん。世は定めなきこそいみじけれ、とあり、昔はここに死骸《しがい》を捨て、鳥や獣の喰《く》い荒すにまかせたのだという。これを救済引導するため、数千体の石仏が今は整然と並べられている。毎年、三月と九月の彼岸の中日、八月二十四日地蔵盆、九月第二日曜日の虫供養の日には、これらの石仏の前に蝋燭《ろうそく》がともされ、無数の無縁仏にたいする供養がなされるのだった。  有里は去年の秋のお彼岸に、この西院の河原の千燈供養に合掌しながら、いつの日か、こうして夫の供養をしなければならないことを痛いほど感じたことのあったのを思い出した。  雄一郎は雄一郎で、 「生きているってことが不思議になるんだ、こうやって墓を見ていると……」  南方での苦しい生活を思いだすのか、黙然と石仏の間に立ちつくしていた。  たしかに、静かに暮れかかるあだし野には、なにか人生の無常を感じさせるものがひっそりと漂っていた。  そのとき有里は、こちらへ駆けて来る人の足音を聞いた。有里がふり返るのと一緒に、雄一郎も眼をあげた。すっかり年をとり、髪の白さが目立つようになった南部斉五郎だった。 「親父《おやじ》さんッ……」  雄一郎が声をあげた。 「雄一郎……」  二人は駆け寄って、しっかりと抱き合った。 「よく帰って来た……よく帰って来た……」  斉五郎は洋服の袖《そで》で、しきりに眼をこすった。しかし、あまり涙がとまらないのに照れたのか、他に適当な言葉がなかったのか、 「生きていやがったな、この大飯喰《おおめしぐらい》ッ」  昔と少しも変らぬ声で怒鳴った。  彼は関根から連絡を受けると、矢も楯《たて》もたまらず、雄一郎に一目|逢《あ》おうととんできたのだった。彼の表情には、自分の息子の生還を迎える喜びにあふれていた。  あだし野の空を、いつのまにか温い日本の色をした夕焼雲が染めていた。     31  雄一郎夫婦は途中東京へ立寄り、伊東栄吉の家をたずねた。  伊東は先年、両国駅長から東鉄の総務部指導課長に転任し、家も千葉から東京へ移っていた。二人ともまだ子供に恵れなかったが、はる子は前より若がえったくらいで、夫婦仲は円満だった。  どこへ行っても、雄一郎は浦島太郎のように迎えられた。みんなは何度も同じことを訊《き》いた。雄一郎も、何度も同じことを答えた。  彼の属する隊がほとんど全滅し、彼は奇蹟《きせき》的に生残って、仏印までどうやらこうやら辿《たど》りつき、サイゴンで栄養失調とマラリヤの再発でほぼ二か月入院したが、とにかく無事に復員することが出来たという話である。  何度きいても、何度こたえても、その度に新しい感動があった。あれだけの戦火の中を生き抜いてきたということの実感を、その度に、誰《だれ》もが一層深く噛《か》みしめるのだった。それは、戦地にあって直接敵の砲火にさらされた者も、内地にあって、食べる物も着る物もなく、連日連夜の空襲に逃げまどった者たちも、思いは同じだった。  東京に一泊して、雄一郎と有里は北海道の富良野へ行った。ともあれ、復員者はそれぞれ、出征前の配置へ戻るのが原則となっていた。  戦死の公報は取消され、雄一郎は鉄道へ復職した。が、官舎はすでに、現職の助役が入居している。  富良野の焼けなかった家を一軒借りて、新世帯のような生活が始った。  復職はしたものの、雄一郎に仕事はなかった。なにしろ終戦直後に復員して来た者が多く、助役だけでも、四人も定員よりオーバーしていたのだ。駅長も、すでになじみの岡井亀吉ではなくなっていた。  雄一郎はすっかり取り残されたような気がした。やれ、進駐軍輸送の、RTOのといわれても、なにがなんだかさっぱりわからなかった。日本は終戦によって、なにもかもすっかり変ってしまっていたのである。彼にとって、復員が遅れたことによる、この二、三年の空白は特に大きかった。  昭和二十三年の春になっても、雄一郎の職場状況はあまり変らなかった。  彼より年の若い者が、どんどん駅長になっていた。戦争のブランクが、ともすれば彼を押し潰《つぶ》しそうであった。  その上、南方で罹《かか》ったマラリヤが再発して、この一年間に、彼は何度も床についた。病気は彼の気持を一層重苦しいものにしたのだった。生活はもちろん苦しかった。  この年の五月、いわゆる夏時刻法による列車運転の切換が行なわれ、続いて七月に戦後はじめての全国的な時刻改正が行なわれた。  これまでのダイヤの骨組は、昭和十七年に戦時ダイヤとして構成されたものを、つぎはぎして行なっていたもので、根本的に改正する必要にせまられていたのである。  駅へ出ても、ろくな仕事も与えられず、雄一郎はもっぱら有里と共に畑仕事をする他はなかった。  物価は値上りする一方であったし、どこの家でも、大なり小なりヤミの物を買わなければ生きて行けない御時世であった。ヤミをいさぎよしとせず、悪法も法は法なり、としてヤミ物資を一切買わず、結局栄養失調で死んだ判事さんが出た時代なのである。  ヤミ物資を買うことによって、一般の家計はますます逼迫して行った。  その春、雄一郎は幾春別《いくしゆんべつ》の助役を命ぜられた。  幾春別は三笠《みかさ》・幌内《ほろない》などと共に、炭鉱をひかえた駅であった。北海道の全出炭量の大部分を産出する石狩《いしかり》炭田の一つである。  当時、石炭は急速な生産回復によって、景気は上々、鉱山《やま》は活気に満ちていた。  幾春別に着任して間もなく、雄一郎はマラリヤを再発した。今度のはかなり重症で、入院二か月、どうやら退院して自宅療養にこぎつけたものの、室伏家の家計はすでに底をついていた。  有里は遂に夫に内緒で、炭鉱の坑木の積みおろし作業に出た。力仕事ではあったが、女に出来ぬ仕事でもなく、賃金は男並みだったので、町の女たちはすすんでこの仕事に出る者が多かった。  毎日家を留守にする理由として、有里は近所の百姓の家へ畑仕事の手伝いに行っているのだと、雄一郎には言っていた。 「お前、尾鷲の方へ金の無心したんでないだろうな……」  療養中の雄一郎も家の経済に不審を抱いたらしく、ある日、有里をつかまえて訊《き》いた。 「いいえ、そんなことしてませんよ」  有里ははっきりと答えることが出来た。 「でも、なんでそんなこときくんです?」 「いや、それならいいんだ……俺《おれ》はお前の実家に金の迷惑をかけたくないんだよ、分ってるだろう……」 「ええ、分ってます、私だって、嫁に来た時の意地がありますからね、ちっとやそっとのことで実家に泣きつくなんて、意気地のない真似はしませんよ、嫁に来て以来、一度だって実家にお金の迷惑だけはかけてないってこと、あなただってご存知じゃありませんか」 「ああ……すまんな、お前にばかり苦労させて……」 「なに言うんですよ、あなたのお蔭《かげ》で、今日こうして飢えもせず、夜露にも当らずに暮して行けるんじゃありませんか」  或《あ》る時は又、ひどくうなされていて、ふと眼を覚まし、 「今、ちょっとうとうとしたら秀夫の夢を見たよ」  隣りに枕《まくら》を並べて寝ていた有里に言った。ちょうど有里も秀夫のことを考えていた時だったので、はっとした。 「秀夫の夢を見たんですか?」 「まだ小学生のままだったよ、長い鉄橋の上をずんずん歩いて行くので、いかん、危いッと怒鳴ったら目が覚めた……」 「あなた、その鉄橋、北海道の鉄橋ですか」 「なしてだ?」 「夢は正夢っていうから、その鉄橋の近くを探したら秀夫がいるんでないかと思って……」 「どこの鉄橋かわからん、ただ、長い鉄橋だった……」 「ねえ、あなた、もう一遍おやすみになったら、その夢の続き見れんもんでしょうか」 「馬鹿《ばか》、駄目にきまってる……」  出来るだけ触れないようにしていたが、二人の念頭からたとえ一日たりと秀夫のことが消えることはなかった。  甘いかおりを漂わす、白いアカシヤの花の咲くころ、雄一郎はようやく駅へ出た。  体はまだ本調子ではなかったが、のんびりと必要以上に休んでいられる気性ではなかった。  前にもちょっとのべたが、戦後の鉄道員がそろって苦労したのは進駐軍輸送と進駐軍との折衝であった。  どこの国でもそうだろうが、ものわかりのよい人間と、そうでない人間とがある。思いやりのある将校もあったが、乱暴でめちゃくちゃの者も居た。  なにしろ、戦時中、すべての力を出しきって倒れる寸前にまでなっていた鉄道が、そのおんぼろ貨車とおんぼろ機関車をもって、進駐軍輸送、復員輸送、疎開先から帰ってくる人たちの輸送に一刻の休みなく働かねばならなかったのである。定時輸送どころのさわぎではなかったのが、働いている人たちの本心だった。  とにかく列車が動き、走ってくれることが夢のような気持だった。  しかし、日本へ進駐して来た人々は、何事もビジネスライクであった。情状酌量などということは通用しない。たとえ五分、十分の遅延もきびしく責任を追求された。  北海道は殊にそうだった。  列車を定時に発車させなかったといって、ピストルを突きつけられた駅長も居たし、あぶなく馘首《かくしゆ》されかけた駅長もあった。  だが、それらの原因はいずれも、お互に言葉の通じないもどかしさ、誤解などから生じていたようだった。  例えば、向うの高級将校が倶知安駅の名をきくので、クッチャン駅と答えたがどうしても通じない、そのうちだんだん不機嫌にさえなって来たので、駅員の一人がクッチャンをもじってグッドチャンス駅だと言ったら、すぐ通じて急に上機嫌になったなど、たわいない事のようだが、終戦直後のまだかなり緊張状態が続いていた時代には、始終あったことなのである。  そうした事実を見聞しているうち、雄一郎にも進駐車の扱い方を多少なりとのみ込むことが出来た。  ただし、若い者や、上級学校を出た者たちのように英語が皆目わからないので、手も足も出ないのは前と同様だった。  それは、ちょうど雄一郎の宿直の晩のことだった。  夜十時頃、雄一郎が事務所の机で日誌をつけていると、窓口が急に騒がしくなった。見ると、二人の背の高い進駐軍の兵士が、山口という若い駅員に声高に何か言っている。 「どうした?」  雄一郎が訊くと、 「どうも英語でよく判らんのですが、さっきの炭鉱視察団の仲間らしいんですよ」  山口が説明した。 「視察団の列車なら、もう一時間も前に出たでないか」 「乗り遅れたらしいんですよ、発車時刻を間違えたと言っています」 「いったい、今までどこに居たんだ……」 「どっちみち、あんまり公表できる場所に居たんではないでしょう……ほら、蒼《あお》くなってますよ、自業自得ですね」  山口はニヤリとした。 「しかし、乗り遅れがはっきりすると大変だろう」 「そりゃあ、いくら自由なむこうさんだって軍隊は軍隊ですからね」 「ふん……」  雄一郎は兵隊を見た。  まだ幼な幼なしたところのある若い兵隊たちである。最初は駅員をおどかせばなんとかなると計算したのがはずれ、今では顔色もすっかり蒼ざめていた。  雄一郎はふと自分の軍隊時代のことを思い出した。よく帰営時間に遅れて営倉へ入れられたり、要領のいい者は高い塀を乗り越えて、素知らぬ顔で点呼の列にもぐり込んだりする者がいた。どこの国でも、兵隊たちの生活は似たようなものである。 「どうしますか?」  山口が雄一郎を見上げた。 「そうだな……」  雄一郎は頭の中に、複雑なダイヤ表を思い浮べた。 「今度出る貨物列車は青森直通だな……」 「そうです」 「さっき出た視察団の専用列車は千歳《ちとせ》でしばらく停車するんでなかったか?」 「ええ……なんだか、えらい連中だけ夕食会に出席するそうで、そのぶんだけ約一時間半待つことになっとるそうです」 「したら……今度の貨車に乗せれば、千歳で追いつくんでないのかな」 「そうですね……でも、石炭積む貨車に乗せて怒らんでしょうか」 「とにかくこっちへ入れろ、話してみよう……」 「はい……」  山口が窓口で合図をすると、二人はおどり上るようにして事務室へ駆け込んで来た。その二人を前にして、雄一郎は手真似を混えながら覚束《おぼつか》ない英語で説明をした。かなり時間を要したが、それでもどうやら意味が通じたらしく、兵隊たちは大喜びで、しきりにサンキューを連発し、雄一郎の手を握った。 「したら、列車が出るまで、こちらで休んでいて下さい……シッ・ダウン……シッ・ダウン・プリーズ……」  すると、兵隊たちは何かごそごそ相談していたが、そのうちの一人が雄一郎に、 「ハウマッチ、ハウマッチ……」  と言う。山口がすぐ気がついて、 「お礼はいくらかときいているんですよ、助役さん」  と袖《そで》を引いて注意した。 「あ、そうか……」  雄一郎は椅子《いす》から立ち上ると、胸を張って答えた。 「ノウ、ノウ……マネー、ノウ……日本の鉄道はそういうことはないですよ、我々はあなたがたが気の毒だと思ったから貨車に乗せて、千歳まで送ることを考えたんです……ただ、それだけです、さあ、行きましょう……」  茫然《ぼうぜん》としている兵隊たちをうながすと、雄一郎はタブレットを肩にしてホームへあがって行った。     32  この頃《ころ》が、室伏雄一郎の一生を通じて最もつらい時期だったのではないだろうか。  生きて日本へ帰っては来られたものの、息子《むすこ》には去られ、体の具合は思わしくなく仕事にも張合いというものがなかった。おまけに、生活は苦しくなる一方だった。  雄一郎は真剣に、鉄道員をやめて他の職業に転じようかと考えたものだった。  そのきっかけになったのが、遠藤八郎である。  彼は雄一郎とは小学校の同級で、長いこと樺太《からふと》のパルプ工場に勤めていたが、今度の戦争で帰郷し、今では幾春別の炭鉱に付属する木工場の主任をしていた。といっても、彼が幾春別に赴任して来たのはつい先日で、駅で偶然雄一郎と再会したのだった。  遠藤八郎に関する思い出は、なんといっても三千代にあてたラブレターの一件である。あれは、もとはといえば遠藤の頼みで、雄一郎が恋文の代筆をしたのであった。そのお蔭《かげ》で、雄一郎と三千代の人生にはさまざまな波紋が生じたのに反し、当の遠藤はそれからすぐ樺太へ行ってしまい、三千代とはまったく無関係に今日まですごして来たのも皮肉だった。  早いもので、あれからもう三十年近い歳月が流れている。二人とも、今年は四十二の厄年だった。  遠藤は駅で再会した翌晩、早速、一升瓶を下げて旧友の家をたずねて来た。  三十年間、別々に暮していても、しばらく話しているうちに、二人ともたちまち昔の八ちゃん、雄ちゃんの間柄に戻っていた。互に酒をくみ交わしながら戦争中の苦労話やら今の生活の愚痴やらを述べ合った。 「とにかく、こう物価の変動が激しくては、給料生活者はたまらんよ、どこもみんなそうらしいが……鉄道の方はどうなんだ」 「こっちは弱り目にたたり目さ、戦争中は富良野の空襲で家財道具一切合財焼いてしまうし、戦後は復員が遅れたばっかりに仕事からは取り残される……おまけに大病してしまって、ついこのあいだまで寝込んでしまったんだ」 「そうか、病気したのか……」  遠藤は気の毒そうな表情をした。 「正直なところ、戦争のブランクがこたえた」 「ふむ……大事な時だったからな……本当ならとっくに駅長になっとる筈《はず》なんだろう……」 「いや、そういう問題ではないんだが……なにかこう、張り合いっていうものがなくなってしまって……自分で自分に自信がなくなることが怖いよ」 「なんだ、お前らしくもない、弱気を出すな……」  遠藤は急にしんみりしてきたその場の雰囲気を、笑いで吹きとばした。 「人間、誰《だれ》しも波はあるさ、そんなことにへこたれてたらどうしようもないぞ」  しかし、雄一郎の様子は矢張り気になったものとみえ、帰り際、ふと表情をあらためて、 「なあ室伏、お前、職場を換えてみる気はないか」  と言った。 「職場を換える……?」 「ああ、もしお前にその気があれば口をきいてやってもいいぞ、俺《おれ》の会社の重役で、俺に大層目をかけてくれている人がある……なんだったら、話してみるが……」 「しかし、そう急に言われても……」 「まあ、好きではいった鉄道だ、そう簡単にやめるわけにもゆくまいが……考えるだけは考えてみろよ、及ばずながら、俺も骨を折るよ……」 「ありがとう……」  雄一郎は正直なところ、かなり戸惑いながら礼を言った。  その次の休日、雄一郎は遠藤八郎に誘われて午後から札幌《さつぽろ》へ出掛けて行った。  留守中、有里は内職の針仕事にいそがしかった。  木工所の主任が雄一郎の幼友達では、もう坑木の積み下し作業に出て行くわけにもいかなかったが、そのかわり、炭鉱景気目当に出来た酒場や料理屋で働く女たちの着物の仕立てで、結構いい内職になった。  夜になって、雄一郎はかすかに酒の匂《にお》いをただよわせながら帰って来た。有里のいれた茶を美味《うま》そうに飲んでから、ちょっと間を置いて、 「有里……俺、鉄道をやめようかと思う……」  と、いきなり言った。 「なんですって……」  有里は耳をうたぐった。夫が鉄道をやめることなど、夢にも思ってみたことはないのだ。 「実は今日、札幌で遠藤の会社の重役に会ったんだ」 「遠藤さんの……それでどうしたんです」 「親分肌の豪放な人だった……いろいろ、話を訊《き》かれたよ、つまり、俺の人物試験てわけだったんだ」 「まあ……」 「俺のような人間のどこが気に入ったのか、もし、希望するなら、会社へ来てもいいというんだ、一、二年辛抱すれば、きっとそれ相当のポストを与えてくれるという……なにしろ戦後大改造した会社だけに、上から下まで新人ばかりなんだそうだ、それだけに働き甲斐があるというんだ。遠藤だって、戦後はいってもうあの地位まで昇進したのだそうだ」 「まあ……あなた、それで返事をなさったんですか」 「いや、まだだ……考えさせてくれと言って来た、そう簡単に答えられることではないからな……帰る道でも、ずっと考え続けて来た……子供の時から、好きではいった鉄道だから、そりゃあ自分から退職したくないさ、したが、俺が戦争へ行ってる間に、鉄道はすっかり変ってしまった……今の俺は、復職してはみたものの、鉄道で働くことにどうやって生甲斐《いきがい》を見出したらいいのか、まるっきり判らなくなってしまったんだ……」 「あなた……」 「若い連中が一生懸命になっている組合問題にもついて行けない……といって現状に満足しているわけでもない……こういうことを言って良いかどうかわからんが、とにかく今の鉄道はめちゃくちゃだ。昔からお客あっての鉄道だと教育されて来た俺には、どうしても昨今の鉄道のありかたに合点が行かないのだ……駅長と駅員の関係だってそうだ、俺たちは駅長を親父《おやじ》さんと呼んだ、信じた、敬愛した……駅長は自分のことを忘れて部下の身を案じ、いたわったものだ……そういう人間関係はもうどこにもない、みんな自分の身が大事だ、ことなかれ主義とばかり、口をつぐんで危いことには触らぬ神にたたりなしだ……そういう鉄道に、俺は失望しているんだ……」  雄一郎は言っているうちに、次第に興奮してくるらしかった。 「俺は自分の将来にも夢が持てなくなっている……定年退職までがんばっても、せいぜい小さな駅の駅長か、それとも部下と上役の顔色を見ながら、お役目大事におずおずとつとめ上げるか……連れ添う女房には貧乏のさせ通しだ、炭鉱の坑木の積み下しから、水商売の女たちの着物まで縫わせて……そんな人生がつくづくたまらなくなっているんだよ」 「待って下さい、あなた……」 「隠さなくたっていい……俺が知らないとでも思っていたのか……遠藤も言ってくれた、この際思い切って新しい職場へとび込んでみろと……なにも金に眼がくらんだわけではないが、月給だけでも今の倍近くになるんだぞ……」 「したって、あなた……あなた、本当に鉄道を去って、あとあと後悔しませんか。ほんの少しでも、未練ということがないんでしょうか……」  有里は、夫が今、人生の岐路に立たされているのを感じた。夫をこの混乱の中から救い出さなければと思った。しかし、そう思えば思うほど、自分の頭の中は混乱するような気がした。 「あなたのおっしゃることはわかります、苦しんでいらっしゃるのだって……夫婦ですもの、気がついています。でも、私、思うんです……あなたは鉄道が心底好きなんだ、鉄道をはなれては生きて行けない人なのではないかって……あなたは、もう鉄道には失望したとおっしゃるけれど、本当にそうなんでしょうか……そりゃあ、あなたの今の周囲にはあなたを失望させることばっかりかも知れません、でも、本当にそれだけなんでしょうか……それは石炭会社へ行けば生活は楽になるかもしれないけれど、十年、二十年たった後、本当に後悔しないですむでしょうか……」 「お前にはわからんのだ……」  雄一郎はぷいと横を向いてしまった。  それきり、もう、何も喋《しやべ》ろうとはしなかった。  しかし、翌日、遠藤が雄一郎の返事をききに来たとき、雄一郎はこう答えた。 「若いうちならやり直しもよかろう、だが四十すぎたこの年まで、とにかく鉄道が好きで鉄道に生きて来たんだ……不満があったら、なんとかそいつを自分の力で打開したらいい、出来ないまでも努力すべきなんだ……残された人生を、せめて自分の選んだ道で頑張りたいと思うんだよ」     33  川にアキアジの上ってくる季節になった。  どの家の軒先にも、漬物《つけもの》用の大根が何十本何百本と釣り下げられて、澄み切った秋の陽光をいっぱいに浴びていた。  このころになって、岡本家の長女雪子の縁談がにわかにすすみだし、雄一郎夫婦もなにかと千枝に相談を持ちかけられることが多くなった。  相手は、良平の先輩で今でも千枝がなにかにつけて世話になっている吉川元機関手のところの末っ子である。光夫といい、青函《せいかん》連絡船に乗っているが、今年二十六歳のなかなかの好青年だった。家が近い関係で、雪子とは幼馴染《おさななじみ》であり、ずっと彼女に好意を持っていたのだということだった。  雄一郎は千枝からこの縁談の相談を受けたとき、最初は良平の生死もはっきりしない上、雪子も二十一とまだ若かったので、あまり急ぐ必要もないのではないかと答えたものだった。其の後、良平に関する情報は悲観的なものばかりで、一応良平のことを諦《あきら》めてかかったほうが良さそうな情勢となってきた。吉川家でも結婚式は早ければ早いほどいいという意向なので、雪子の気持を確めたところ、嫁に行ってもいいという。それではというので、この十一月にいよいよ式を挙げることになったのだった。 「東京へは千枝が手紙で知らせるといっとったが……なにしろ父親のない娘だから、俺《おれ》たちがなるべく補ってやらんとな……」 「ええ……それにしても良平さん、生きていたらどんなに見たかったことでしょうね、雪子ちゃんの花嫁姿……」 「不運な奴《やつ》だ……収容所に居さえしたら……」 「ほんとにねえ……」  有里は声をつまらせた。  最近復員して来た良平の同僚たちの話だと、良平はずっと泰緬《たいめん》鉄道で機関手として働いていたが、次第に敗戦の色が濃くなりだした頃《ころ》、ラングーンを引きあげ、タイを通ってマレーへ着きそこで終戦を迎えた。そしてマレーの鉄道隊と一緒に集結させられ、レンバン島の収容所へ移されることになったのだそうだ。ところが、日本人の間に、このままみんな奴隷にされて、もう一生日本へは帰れないだろうというデマが拡がり、戦争に敗けたというショックもあって、不安はつのる一方だった。遂に一部の者が脱走を企て、或《あ》る者は射殺され、或る者は行方不明となった。その中に良平も居たのである。良平たちは中国大陸を抜け、徒歩で日本へ帰るつもりのようだったから、今頃まで音沙汰《おとさた》が無いところをみると、多分死んだものと思われるとのことだった。 「人間の運というのはわからんもんだな、脱走しなかった連中はそれからすぐ送還船で日本へ帰れたんだからな……俺にしたところで戦死の公報がはいっても、帰れたんだし、元気だったあいつは駄目なんだから……」  二人がそんな感慨にふけっていたとき、表の戸が開いて、 「室伏さん、電報だがね……」  郵便配達の声がした。 「はい……」  有里が受取って来て、差出局を見た。 「神戸からだわ……」 「どれ、見せろ……」  雄一郎はなにげなく電文を読みくだすと、さっと表情をこわばらせた。 「なんですの?」 「ヒデオ、ミツカッタ、スグコイ、ヒロコ……」 「秀夫がみつかったんですか、あなた……」 「どうもそうらしい、弘子姉さんがみつけたんだな……」  二人は顔を見合わせた。 「どうする……お前……」 「私、行きます……すぐに……」  有里はもう立ち上っていた。  翌朝早く、有里と雄一郎は揃《そろ》って幾春別を出発した。  最初は有里一人が行く予定だったが、勤務の交替を頼んだ同僚が快く承知してくれたので、雄一郎も一緒に出掛けることになった。  夫婦は落着かなかった。雄一郎は六年ぶりに逢《あ》う息子《むすこ》であったし、有里にしても、終戦の翌年別れたきりであった。  あれからの歳月を、秀夫が何処《どこ》でどうして生きて来たのか、有里にはまるで想像もつかなかった。弘子からの電文では、秀夫がはたして元気なのかどうかも覚束《おぼつか》ない。  長い列車の旅を、二人はほとんど無言であった。それぞれに、秀夫のもとに思いを馳《は》せ、ひそかに胸を痛めていたのだった。  芦屋《あしや》にある吉田屋の別宅は、青い瓦《かわら》屋根をのせた洋館で、さすがに贅沢《ぜいたく》な造りだった。 「姉さん、電報ありがとうございました……秀夫は……秀夫はいったいどこに居るんですか……あの子、元気なんでしょうねえ」  有里は挨拶《あいさつ》もそこそこに、まず秀夫の安否を姉にたずねた。 「はあ、元気も元気、大元気や……」  弘子は皮肉をこめた眼差で、妹夫婦を眺めやった。 「えらい苦労したんやでえ……なんとかして、無事にあんたたちに逢わせたいと思うたさかいな」 「そりゃあ、もう、どんなに感謝しても、感謝しきれんと思っています……」  我が子に逢える喜びで、雄一郎には弘子の皮肉は通じなかった。 「で、秀夫はどこに居るんですか、この近くですか?」 「神戸や」 「神戸……神戸のどこです?」 「港のあたりや」  謎《なぞ》をかけるような笑いかたを弘子はした。 「港で働いているんですか」  有里が訊《き》いた。 「いいや……いったい何してると思う?」 「なにって……」 「あんたら、なんにも知らんさかい、のほほんとしてるけどなあ、うちは最初に逢うたときはびっくりしたのなんのって……もう、えらい変りようやったわ」  秀夫が良くない変りかたをしているらしいことに気づき、雄一郎と有里は表情を曇らせた。 「話してください、秀夫の奴《やつ》、いったいどんな生活をしてるんです」 「それがな、ついこのあいだの晩のことや……」  弘子は外聞をはばかるのか、そっと声をひそめた。 「神戸のKホテルで慈善ダンスパーティがあって、うちもそれに出席したのやけど、その帰りに、糸川さんいう大学生と何か軽いものでも飲むつもりで港のそばのバーへ行ったんや、もっとも誤解せんといてや、その大学生はうちのお友だちの弟さんやねん……」 「それで、どうしたんです、お姉さん」  有里が前へ身をのり出した。 「そしたらあんた、店へはいって一時間もたったころ、人相の良くない男たちが四、五人もでやって来て、私たちを脅迫するのや……あの辺には進駐軍相手のぽん引やらヤミ屋やらヘロインの密売屋やら、なんやたちの良くない連中が仰山《ぎようさん》居てな、罪もなんもない人間に難癖つけたりお金をせびったりするのやて……糸川さんは純情なぼんぼんやさかい、悪い女にだまされてな、一度か二度ダンスホールへ連れて行ったんやそうやけど、それがあかん言うてな……」 「姉さん、糸川さんとかいう人の話はとにかく、秀夫のことを早く聞かせて下さい」 「あんた、阿呆《あほ》やな、これが秀夫ちゃんの話なんやで……そのチンピラたちの中に秀夫ちゃんが居ったんや」 「ええッ、なんですって……」 「うちも最初は人違いかと思ったわ、けど、秀夫ちゃんの方はけろりとしたもんや……うちの前へ平気で出て来て挨拶《あいさつ》までしよったわ、みんなと一緒になって小遣欲しい言うのや」 「あの子が……あの子が、姉さん、小遣をせびったんですか」 「そりゃなあ、甥《おい》が伯母《おば》から金をもろても、罪にはならん、ゆすりにもたかりにもならんのやけど……うちももう、あの子のいいなりになってたんよ、下手に騒いで逃げられるより、いいなりになって、あの子の居所を知りたい思うたし、様子がわかれば、あの子をそんな仲間から救い出すことも出来る思うてな……あとで糸川さんに聞いたら、あの子は港のへんをいつもうろついてる与太もんやそうや……」 「嘘《うそ》ですよ、そんな……」  有里はたまらなくなって弘子の言葉をさえぎった。 「あの子はそんな与太者になんかなるような子じゃありません」 「うちかて本気にせなんだわ……横浜の方では女と同棲《どうせい》していて、子供が出来たので女を捨てて神戸へ流れて来たのやて……酒は飲む喧嘩《けんか》はする……チンピラ仲間でも相当な顔役やそうや」 「逢《あ》わせてください秀夫に……きっと間違いですよ、そんなことあの子に限って……」 「世間の親は、みんなそう言うのや、うちの子に限ってそんなことあらへん……子供は蔭《かげ》で舌だして笑ってるわ、うちの言うことが嘘かどうか、あんたら、その眼でよう確かめるといいわ」 「とにかく、秀夫の居る場所を教えてください……」  あまりのことに声も出なかった雄一郎が、ようやく口を開いた。 「これからすぐそこへ行ってみますから……」 「昼間はどこに居るかわからへん、夜にならんと出てこんのや、待ってえな、今、糸川さんに連絡してみるさかい……」  弘子は立ち上ると、正面の飾棚の上の受話器をとった。     34  昼間はどこにいるかわからないという秀夫は、そのころ、神戸の港の埠頭《ふとう》に立って、海を見詰めていた。  行く船、来る船、港は今日も活気に満ちている。だが、それを見詰める秀夫の眼には、たしかに、或《あ》る生活の荒みといったようなものが沈んでいた。  豪華な船も、ロマンチックな港の風景も、彼の眼にはただ腹立たしい存在としか映らないようだった。 「畜生……馬鹿野郎ッ……」  突然、彼は海へ向って叫んだ。 「馬鹿野郎ッ……」  眼には涙さえ浮べていた。  何故《なぜ》そうするのか、理由は秀夫にもわからない。ただ、海を見ていると急に腹が立ってきたり、哀《かな》しくなったりするのである。それをまぎらすために、彼はしばしば人の居ない岸壁から海へ向って声を叩きつけた。  しかし、誰《だれ》も居ないと思った岸壁には、もう一人、中年の船員が居た。ガダルカナルの生残りとかで、普段はおとなしいが、一旦怒りだすと手のつけられないほどの狂暴性を発揮するとかで、港に出入りする者たちの間でも一目おかれていた。ドラム缶《かん》の蔭から身を起すと、 「おい……」  秀夫のそばへゆっくりと近づいて来た。 「お前、今日は船へ来なかったな、どうしたんだ、まともな仕事が嫌になったのか」 「あ、ボースン……」  秀夫はさりげなく背を向けて、涙をふいた。  この男は貨物船瀬戸丸の一等航海士で、船が港に居る時は、よく、秀夫に雑用などの仕事をくれた。ボースンというのは彼の渾名《あだな》である。 「お前、横須賀《よこすか》の海兵団に居たんだって……」  秀夫の横に肩を並べて立った。眼は港へ向けたままだった。 「よっぽど嫌な目に逢《あ》ってきやがったな……」 「あの頃《ころ》の俺《おれ》たちは真面目《まじめ》だった、日本は必ず勝つと信じていた、身分のことなんか、なんにも考えなかった……海兵団へはいる時も、お袋は泣いてとめた、一人っきりの息子《むすこ》をなぜ死なせなきゃいけないのかって、泣いてすがるのを、俺は非国民だとはねつけたんだ……」 「ほう、お前、一人息子か……」  パイプの煙を自分の鼻の頭の方へ吐き出した。 「お袋にそむいてとび込んだ海兵団で、俺は親友をなくした……空襲だったんだ、逃げおくれた俺を迎えに来ようとして……機銃掃射にやられた……」 「ふむ、それで……」 「海を見ていると辛いんだ、あいつも海が好きだった、戦争が終ったら、外国航路の船に乗り組みたいといつも言っていた……だから、平和になった日本の海を見ていると、俺はやりきれなくなるんだ、俺たちの青春は無駄だったのか、死んだ奴《やつ》は貧乏くじだったのか……うまく逃げまわっていた奴が利口で、俺たちは馬鹿だったっていうのか……」 「待てよ……おい……」  ボースンの眼が光った。 「お前だけが友だちをなくしたんじゃねえぞ……甘ったれるなよ、小僧……」  長いあいだ、荒波とたたかって来た野太い声であった。  秀夫は一瞬はっとした。なにか、虚を突かれた気持だった。 「いいか、人間の過去なんてもんは、歩いて来てしまってから、とやかく言ってもはじまらねえのさ……そりゃ、こうした世の中になってみりゃ、お前は自分を貧乏くじだと思うかもしれねえ、しかし、人間の一生は長えんだ、今、貧乏くじと思ったことが、先へ行ってどう引っくりけえるかわかりゃしねえ、はっきりしてることは、お前が今生きてるってことさ……」 「そうさ、俺は生きてる……だけど、三郎は死んだ……」 「そんなら、死んだ奴の分まで生きたらいいじゃねえか……もし、お前がその三郎って男が好きだったのなら、そいつの魂を一生背負って生きてやるのさ」 「三郎の魂を背負って、生きる……?」 「頭で考えてわかることじゃねえさ、お前は一人の友だちをなくしただけだが、俺はもっとなくしたんだ……たった今まで口きいてた仲間が、ふり返ったらもう死んでる、右も左も前も後も、ばたばた死んで行きやがった……毎日だぜ……毎日死んで行きやがった……生きていたら、みんないい海の男だった……女房も子供も残して、みんな逝《い》っちまいやがった……一番死んでも構わねえ奴が生き残っちまいやがって……」  不意に、ボースンが笑いだした。が、その笑い声には、意外にも哀《かな》しみの色が濃くにじんでいた。痛々しいまでの、やり切れなさがあった。 「お前が、もしも海で生きる気になったら、いつでも俺を頼って来い、お前の辛抱が続く限り相手になってやるぜ」 「ボースン……」 「折角生きてるんだ……無駄に生きちゃあ、生きられなかった連中にすまねえだろ……そういうもんじゃねえのか、人間ってもんは……」  ボースンが愛用しているパイプの肌のように、底光りする艶《つや》のようなものが彼の言葉の端々にうかがえた。  そして、どういうわけか、秀夫はそのボースンの言葉に感動した。年齢も、経歴もまるで違うボースンが、なんだかひどく身近に感じられた。 (いつまでも甘ったれてるんじゃねえ……お前は死んだ奴の分まで生きてやりゃあいいじゃねえか、三郎の魂を背負って生きるんだ……)  そんな言葉がまるで乾き切った砂漠に降った雨のように、秀夫の心の隅々にしみ通った。 「明日は船へ来いよ、仕事をやるからな……悪い奴らとつき合うなよ……」  ボースンは上着を肩へ引っかけ直すと、潮風の方へちょっと体を曲げるようにして立ち去った。  ボースンの後姿を見送っているうちに、秀夫はふと父や母の顔を思い出した。父のことはともかくとして、母のことを考えると、彼はいつも胸が痛くなった。一人ぼっちの母を捨てて家をとび出した罪は大きい。帰ろうと思ったことは何度もあったが、そのたびに、母と自分との間に横たわる精神的断層のことを考えると、つい躊躇《ためら》ってしまうのだ。今のまま母と生活した場合、あらゆる場面で母との衝突はさけられないであろう。そうなれば、母も自分も心の傷をいっそう深くするばかりである。  秀夫はもちろん母を憎んではいない。それどころか、誰《だれ》よりも強く母を愛している。母もまた彼のことを、この世の中のどんな母にも増して愛しているのだということも、秀夫は知っているのだ。母の愛が強ければ強いほど、秀夫はやり切れない気持に襲われる。海兵団へ志願する時もそうだったし、啓子との時もそうだった。秀夫が自分の足で歩き出そうとするとき、その前へ大きく立ちふさがるのが母の愛であった。  あれから二年、秀夫は各地を放浪した。  最初、大阪へ出て、それからすぐに横浜へ行った。横浜では港湾労働者の群に混って生活した。いろいろな誘惑もあったが、彼はけっしてそれに負けなかった。強い意志でそれにうちかったというより、生理的に、彼の体質がそれを受けつけなかったのである。女に関しても、彼はかたくななまでの潔癖さで押し通した。  横浜で知り合った千葉悦子という十六歳の少女がそうだった。戦災孤児で、胸を患っていたのを秀夫が助けた。秀夫の下宿先へ連れて来て、しばらく一緒に生活したが、彼は悦子の体に指一本触れようとはしなかった。彼としては死んだ啓子の思い出のためにも、そんなことは出来なかったのである。しかし、彼のことが好きだった悦子は、自分が嫌われていると思い込んで、自分からどこかへ姿を消してしまった。あとで聞いた話だが、彼女はアメリカの水兵の子をその時すでに身ごもっていたのだという。  秀夫はそれからすぐに神戸へやって来た。秀夫は悦子が嫌いではなかったのだ。ただ、啓子の思い出があるために、悦子を妹の立場に置いておきたいと思っただけなのである。それだけに、我と我が身を傷つけるような悦子の行為は、彼にとってやり切れなかった。  神戸では、相変らず港の荷役を手伝ったり、横浜でおぼえた英会話を種に、パンフレットを作って売ったりして生活した。  弘子が雄一郎や有里に話していたのは全部弘子の出鱈目《でたらめ》である。というよりは、弘子も糸川という大学生にだまされていたのだ。  糸川は、軍需成金で戦後すばやく平和産業にくらがえした男の息子だった。小遣いに不自由しないのをいいことに、バーやキャバレーの女を引っかけたり、有閑マダムをだましたり、悪いことばかりしている軟派だった。  ちょうど、港を根城にする与太者の女に手を出したため、その与太者の仲間から脅迫されていた。弘子は折悪しく、その中に巻きこまれたというわけだった。  秀夫はその時、同じバーの別の席に坐《すわ》っていた。あたりが騒がしくなったので、見ると、弘子が秀夫の顔見知りの連中に脅かされている様子なので、口をきいてやろうと仲へはいったというのが真相だった。  彼は糸川の悪い噂《うわさ》を聞いていたので、伯母《おば》にそれとなく注意したのが弘子の疳《かん》にさわり、また、糸川のうらみをかったらしい。  その糸川から、今日の夕方港の第一|埠頭《ふとう》のそばの空地で待っているようにとの連絡が、行きつけのバーのバーテンを通じてあった。     35  秀夫は約束の時間に空地へ行った。  どうせこの間の仕返しをたくらんでいるのだろうと、すぐ察しはついたが秀夫は平気だった。毎日、親の金で、酒と女に入りびたっているような奴《やつ》になにが出来るものかという気があった。  秀夫が空地へ行ったとき、糸川はすでに先に来て待っていた。 「良く来てくれたね、あんたに逢《あ》わせたい人がおるのや、ちっと、そこのバーまで来てんか」 「逢わせたい人……誰《だれ》だ……?」 「誰でもええがな、一緒に来ればわかることやさかいな……」 「嫌だね、とにかく俺《おれ》は、お前なんかと一緒に行く気はしねえよ、金持の道楽息子のように、毎晩遊んで暮せる身分じゃないんだ……」 「まあ、そう言わんと……たまには一緒につき合えよ、金は一切こっち持ちや、おまけに吃驚《びつくり》するような人に逢わしてやんのやで……」 「けっこうだよ……それよりちょっと言っとくけどな、お前こそあんまりたちの悪い遊びをすんなよ、レイ子のような女だって女にかわりはねえんだからな、あんまりむごい真似すると可哀《かわい》そうだぞ」 「大きなお世話や、海兵団の死にぞこないが、えらそうなことぬかすな」 「なにッ」  秀夫は思わず糸川の胸ぐらを掴《つか》んだ。 「お前のような奴に、俺たちの青春がわかってたまるか……親の金で大学行って、毎日のらくら遊び歩いてる奴に、俺たちの気持がわかってたまるもんか……」  秀夫は怒りにまかせて、糸川の首を締め上げた。 「く、くるしいッ……助けてくれ……」  糸川は顔を真赤にして、たちまち悲鳴を上げた。しかし、すでに暴発してしまった秀夫の胸は、容易なことでは納まらなかった。秀夫は糸川を腰車にのせて、大地に叩《たた》きつけた。更にその上に馬乗りとなると、頭といわず顔といわず、狂ったように拳《こぶし》を叩きつけた。 「助けて……ゆるして……」  糸川の咽喉《のど》がヒューヒュー鳴った。それでも秀夫は力を抜かなかった。糸川の顔が、たちまち血で真赤に染った。  そのとき、うすぐらくなった空地に、二、三人の人影がばらばらと走って来た。  秀夫は、糸川の仲間が来たのだなと思った。何人来ようと相手になってやる。新手の人数を確めようと、顔を上げたとたん、その眼の中に母の哀しげな表情がとび込んで来た。 「あッ、母さん……」  母のうしろには父も居た。伯母《おば》も居た。  父も母も物も言わずに秀夫を見詰めていた。と、父がとびかかるようにして秀夫に近づいたかと思うと、いきなり彼の横っ面をひっぱたいた。 「こ、この、親不孝もの……」  その勢いで、秀夫は横っとびに地面に転った。なんの事なのか、何が起ったのか、秀夫にはよく判らなかった。どうして父と母がそこに居るのか、なぜ自分が撲《なぐ》られたのか……。 「あなた……秀夫……」  有里が二人の間に割ってはいった。  茫然《ぼうぜん》としている秀夫の体を揺さぶるようにして、有里は激しく泣きはじめた。  打ちのめされたような心を抱いて、雄一郎夫婦は秀夫と共に、その夜のうちに東京行の列車に乗った。  親も子も、話したいこと聴きたいことが渦のように胸一杯にこみ上げていながら、何一つ口にすることが出来なかった。親子三人、手をとり合って泣くことが出来たら、涙がなんでもなく押し流してくれたであろう心のしこりが、それが出来なかったばっかりに、高い心の垣根を作ってしまっていた。 (逢《あ》いたくなかった……)  と、秀夫は泣きたい思いでくり返していた。こんなみじめな状態を両親の前に晒《さら》したことで、彼は自分の気持が救いようもないものになって行くのを感じていた。  雄一郎は雄一郎で、息子《むすこ》を撲ったことにこだわっていた。撲りつけた息子が泣きもせず、すがりついても来なかったことが、彼をすっかり混乱させていた。  雄一郎の胸の中で、秀夫は、出征当時に別れた時のままの少年でしかなかった。長い歳月の果に、めぐり会った息子は、思い出の中の息子とはあまりにも違いすぎた。それが雄一郎の違和感になっていた。  それは又、秀夫の側にとっても、全く同様であった。  久しぶりにめぐり会った父と息子は、父と息子というより、男と男であった。  そんな夫と息子の間に立って、有里はただおろおろするばかりだった。  彼女がおろおろすればする程、三人の感情は一層微妙にくい違って行った。 「そうそう、いいもの持って来たのよ……」  有里はなんとかして親子の感情をときほぐそうとつとめた。  いつかの列車に乗り遅れた進駐軍兵士が、その後、お礼にと持って来たチョコレートと煙草を手提袋に入れて来たことを思い出し、 「これね、お父さんがいただいて来たとっときのチョコレートなのよ、あんたにあげようと思って持って来たの……」  秀夫の前に差し出した。 「なんだ、これチョコレートじゃないよ、煙草だよ」 「あらまあ」  有里は苦笑した。 「どっちも綺麗《きれい》な包装だもんだから、母さんうっかりして……」 「いいんだよ、チョコレートは母さん食えよ、俺、これでいいよ」  秀夫は煙草の封を切り、何気なく一本を口にくわえた。 「秀夫、あんた煙草吸うの?」  ひどく驚いたように言う母の言葉に、秀夫ははっとして父を見上げた。  しかし、不快そうに眉《まゆ》をひそめる父の視線に気付いたとたん、秀夫は逆に不貞腐《ふてくさ》れたようにマッチで火をつけ、悠々と煙を天井に吹き上げた。  有里はこの意外な結果に慌てた。  秀夫から煙草を取りあげて、雄一郎に今度はすすめた。戦地でおぼえたとかで、復員後、雄一郎は煙草を吸っていた。  有里は雄一郎が秀夫と同じように煙草を吸ってくれることを期待していた。そうすることによって、秀夫の気まずさが少しでも軽くなり、父と子に気持の交流が生れることを願った。  ところが、雄一郎は、いきなりその煙草をひったくると、列車の窓から外へ投げ捨ててしまった。秀夫はじろりと横眼で見ただけで、平然と煙草を吸っていた。しかし、それは表面だけであって、よく見ると、彼の煙草を持つ指先はかすかにふるえていた。  長い長い夜であった。  時間は親子の間をのろのろと進み、それが三人にやりきれなかった。  名古屋を過ぎたあたりで、窓ぎわに坐《すわ》っていた秀夫が立ち上った。すると、それまで睡《ねむ》っているとばかり思っていた雄一郎が眼をひらいた。 「おい、どこへ行く……」 「咽喉《のど》がかわいたんだ、水のみに……」 「母さんも行くわ……」  二人が席を立って間もなく、秀夫と背中合せの場所に坐っていた中年の男が、 「掏摸《すり》だ、掏摸だ……」  と騒ぎだした。  たちまち車内は騒然となり、車掌がとんで来た。 「財布はいったいどこに入れてあったんですか」 「上着のポケットです、この窓ぎわにかけておいたんです」  それを聞いて、雄一郎はドキッとした。  その上着をかけてあった場所というのは、秀夫の位置からなら楽に手が届くのだ。 (まさか、あいつが……)  雄一郎の額に冷汗がにじんだ。  ちょうどそこへ秀夫と有里が戻って来た。 「なにかあったんですか、あなた……」 「掏摸にやられたらしい……」  雄一郎は顎で有里のうしろを示した。 「この窓ぎわにかけておいたんですね」  車掌が質問を続けていた。 「上着をおかけになった時は、間違いなく内ポケットにあったんですね」 「ええ、そりゃもう、間違いないですよ」  そんなやりとりを聞いているうちに、有里は次第に不安になった。ちらと夫の方をうかがうと、彼も同じような気持らしい。有里は余計心配になりだした。  雄一郎と有里の視線が期せずして、秀夫の上に集った。そして、秀夫は二人のその気持を敏感に感じとってしまった。秀夫の眼の奥に、激しい怒りと悲しみが湧《わ》いた。  秀夫は体を固くして、暗い窓の外を見詰めていた。 「しかしお客さん、記憶ちがいということもありますよ」 「とんでもない、たしかに上着の内ポケットに入れて、この窓ぎわに……」  中年の男は明らかに妙な眼つきで、秀夫をじろじろ見下した。そのとたん、秀夫の怒りは遂に爆発した。 「うるせえな、そんなに疑わしいんなら、調べたらいいだろう……」  叫んだかと思うと、いきなり上着を脱いで中年の男に叩《たた》きつけた。  ちょうどその時、ボストンバッグの中を調べていた中年の男の女房が頓狂《とんきよう》な声を張り上げた。 「あんた……財布、ここにあるがな」 「ええッ……」 「ほら……」  女房は黒い皮の財布を突き出した。 「誰《だれ》が入れたんだ、こんなところに……」 「わては知らんがな」 「おかしいなあ……」 「冗談じゃないですよ、中味は大丈夫ですか」  車掌が顔をしかめた。 「すんませんねえ、この人、そそっかしいもんで……」 「そうだ……」  中年の男が手をうった。 「上着に入れて掏摸《す》られるといけないと思って、ボストンバッグに入れかえたんだ……」  この偶然の掏摸さわぎが、秀夫を一層みじめにした。  さわぎが起った時、父も母も一瞬自分を疑ったということが、彼には悲しかった。やり切れなかった。そして又、それと逆の立場で、同じようなことが雄一郎と有里にもいえたのである。二人とも、息子を疑ったことに、たまらない寂しさを感じていた。  秀夫にはわかっていたのだ。  煙草を吸ったとき、上着を叩きつけたとき、そうした自分の振舞の一つ一つが、両親の心をずたずたに引裂いているのを……。わかっていて、秀夫はそうしか振舞えなかった。どうにもならない悲しさが、秀夫を心と裏腹な行動にかりたてていた。  どうしても、このまま両親について北海道へ行けないと思った。北海道で始まる両親との生活に、秀夫は絶望した。  東京駅から上野へ向う電車は混んでいた。  人ごみを利用して、秀夫は意識的に両親から遠ざかった。  上野駅に雄一郎夫婦が降り立った時、秀夫の姿は完全に消えていた。     36  雄一郎夫婦は北海道へ帰った。  秀夫からは何の便りもなかった。  夫婦の心に、あらためて、我が子を失ったという孤独感が襲って来た。  孤独をまぎらすように雄一郎は駅務にはげんだ。戦争で遅れた分を取りかえすには、人の三倍も四倍も勉強しなければならないと口癖のように言っていたが、今度はそれを自分自身で実行しはじめたのだ。黙々と……それは努力と忍耐の日々であった。  他人はそんな雄一郎の姿にただ感心するだけだったが、有里は夫の胸のうちを知っているだけに悲しかった。  そして、秋十一月、岡本の家の長女雪子の結婚の日が来た。  雄一郎夫婦は、前から頼んでおいた休暇をとって、前日から塩谷《しおや》へ出かけていた。又、式場には、ちょうど吉川と昵懇《じつこん》の者が経営する旅館があったので、そこの広間を使うことになった。  娘をはじめて嫁にやる日の朝、千枝はまったくあがってしまった。千枝が役に立たないので、有里や正作が子供の着換えの世話や荷物を運ぶ段取りをつけた。  しかし、そのうち千枝の姿が見えなくなってしまったので、東京から着いたばかりのはる子が心配して家の内外を探しまわると、千枝は裏の井戸端で暢気《のんき》そうに洗濯をしていた。これには、さすがのはる子もあいた口がふさがらず、 「千枝……千枝……まあ、あんたなにしてるの、洗濯なんか今日でなくてもいいじゃないの……早く着がえないと……あんたは一番のろまなんだから……さあ、早く……」  叱《しか》ったが、返事がない。  気がつくと、千枝の頬《ほお》が涙で濡《ぬ》れていた。 「千枝……」 「姉さん……別に悲しいわけでないけどね……」  千枝は笑おうとしたのに、顔はその逆にひきつれたようにゆがんでしまった。 「嬉《うれ》しいんだか……悲しいんだか……娘を嫁に出すのって……変なもんだね……」  両手で顔を覆うと、オイオイ声を放って泣きだした。  やっとのことで千枝の仕度が出来たところへ、花嫁姿の雪子が美容師に手をひかれてやって来た。 「きれいだ……姉ちゃん……」  月子、謙吉、邦夫、清三ら、子供たちが眼を瞠《みは》った。 「お嫁さんみたいだ……」 「馬鹿《ばか》、本物の嫁さんだぞ」  千枝の眼には、その雪子の花嫁姿の美しさが、なんだかひどく自分と遠いところの存在のように思えて寂しかった。  雪子が前に来て、ていねいに両手をついた。 「お母さん……ながながお世話になりました……ありがとう……ございました……」 「いいえ、どういたしまして……こちらこそ……長いこと……あんたに厄介かけて……」  良平が居なくなってからというもの、随分と苦労の連続だったが、この雪子のお蔭《かげ》で千枝はどのくらい救われたかしれなかった。  貧乏で、何一つ満足な物も買ってやれなかったのに、この雪子という娘は、名前の通り素直なやさしい子だった。不平ひとつ言わず、ただひたすら家のために働いてくれた。 「ずいぶん苦労をかけたけど、これからは仕合せになってや……」  その一言の中に、千枝のすべての思いがこめられていた。 「はい……」  見事に結いあげられた高島田がかすかに動いた。 「さあて、ぼつぼつ出かけるかね、お嫁さんは歩くのが遅いでね……」  千枝と雪子の眼に涙がふくらんで来たのを見て、正作がすかさず言った。 「すみません。ちょっと、お父さんにおまいりして……」 「そうだそうだ、お父さんを忘れちゃいけねえや」  正作が良平の兵隊姿で笑っている写真を見上げた。岡本家では、良平が応召して以来、この写真を飾って、朝晩その無事を祈って来た。良平の帰還をあきらめた今では、毎朝、千枝をはじめ子供たちが揃《そろ》って手を合せ、夫の、父の、冥福《めいふく》を祈っているのだ。 「あんた、見ておくれよ……雪子、きれいだろう……あんたに見せてやりたかったけどねえ……幽霊でもいいから、見に出てくるといいんだのに……」  千枝が蝋燭《ろうそく》に火をつけ、雪子は線香をたいて合掌した。 「さあて、そろそろ行こうかね……いつまで別れをおしんでいても仕方ないで……」  千枝は先に玄関へ出て、花嫁の草履や子供たちの履物を揃えはじめた。と、その時である。表戸がそろそろと遠慮勝ちに開き、千枝の眼の前に、古ぼけた兵隊靴にカーキ色のズボンをはいた足が二本無雑作に立った。  最初、千枝はそれを、近頃《ちかごろ》このあたりにちょくちょく姿を見せるたちの良くない復員軍人の押し売りだと判断した。折角の吉日に、縁起でもないと険しい眼を上げたとたん、千枝の表情はまるで氷りついたように動かなくなった。 「あ、あんた……ま、まさか幽霊じゃないだろうねえ……」  千枝の声は咽喉《のど》にからんで、半分も言葉にならなかった。 「どうしたんだい、ねえさん……」  正作が、千枝の異様な叫びを聞きつけて出て来た。しかし、これも玄関に立っている男を見た瞬間眼をむいた。  まったく信じられないことであるが、男は岡本良平に間違いなかった。 「良平あんちゃん……」  もう三十を越え、一人前の機関手になっている正作が我を忘れて良平の首ったまにしがみついた。 「正作……」  すっかり痩《や》せて、眼玉ばかりギョロギョロしていた良平だが、ようやく彼らしい人なつっこい笑顔を見せた。  突然の良平の復員の知らせに、誰《だれ》も彼も仰天した。  だが、その驚きは、やがて大きな喜びへと変って行った。  娘の婚礼の日に、何年間も行方不明を伝えられていた父親がひょっこり戻ってくるなどということは、古今東西、そうめったやたらにあることではない。その日、披露宴に招かれた人々は、共に岡本家の二重の喜びを分ち合って、大いに飲み、且つ歌った。  しかし、なんといっても、この喜びを一番深く噛《か》みしめていたのは千枝だったに違いない。彼女には今日の出来事が、どうしても現実と結びつかないらしかった。披露宴の間にも、時々不安になるのかはっとしたように隣りの良平を確め、それが本物の良平であることを納得して、ほっと安心の溜息《ためいき》をついていた。  良平は、雄一郎と同じように直ちに帰還の手続をとり、元の職場に復帰した。  昭和二十四年、鉄道省は公共企業体日本国有鉄道として発足、組織も名称も人事も大きく変った。  同時に定員法による第一次整理通告が発表され、一次、二次と二回にわけて約十万人の人員整理が問題になった。  そうした戦後の職場で、良平は亦《また》、雄一郎とは別な意味で時代の流れを思い知らされたはずだったが、良平はそうしたことには眼もくれず、ただ黙々と機関車に乗っていた。  中国へ行っても、ビルマで戦っても、ただひたすら機関車に獅噛《しが》みついて生きて来た彼の人生が、若き日、千枝と駆落ちする際でさえ、機関車の汽笛の音の聞えない所では眠れないといった彼の機関車への愛情が、この大きな時代の激流を乗り切る唯一の支えになっていた。  機関車に乗っている限り、良平には戦前も戦後もなかった。組合の問題も、家族のことも、いつの間にか四十を越えた自分の年齢のことも、良平の念頭にはなかった。     37  春、雄一郎夫婦は神居古潭《かむいこたん》駅へ転勤を命ぜられた。  ただし、今度は助役としてでなく、駅長としての栄転だった。  神居古潭はアイヌ語で神の居る所の意味だという。函館《はこだて》本線の深川《ふかがわ》、旭川《あさひかわ》間、納内《おさむない》駅と伊納《いのう》駅に挟まれた小さな駅であったが、雄一郎と有里にとっては、駅長就任の記念すべき駅であった。  駅の付近は、如何《いか》にも北海道らしい大自然があった。  神居古潭の名にふさわしく、奇岩絶壁の峡谷を石狩《いしかり》川の激流が泡立ち渦巻く景勝の地だった。  初出勤の朝、室伏家では赤飯をたいて晴れの門出を祝った。 「これで、秀夫さえ居てくれたら申し分ないんですけどね……」  つい口をすべらせて有里ははっとした。 「ごめんなさい、また余計なことを言ってしまって……」 「いいさ……したら、行ってくる」  すくなくとも表面は明るい微笑で機嫌よく、雄一郎は出掛けて行った。  駅長としての第一声に彼は、長年、念願していたことを述べた。 「わたしが室伏雄一郎です。今度、縁あって、この神居古潭の駅長を拝命しました。なにしろ、駅長になったのはこれが初めてのことで、いろいろと足りない点も多いと思いますが、皆さんと一緒に努力して任務を全とうしたいと願っています、どうか、よろしくお願いします。それから、今日は一つ、提案があるのです……まあ、提案といってもお願いなんですが、改札をする時……切符を切る、もしくは受取る際にお客さんに会釈をしてもらいたいのです。鉄道は、お客あっての鉄道だと、かねがね私は考えています。鉄道を利用してくれるお客様へ、そういう形で感謝の気持をあらわしたいのです……」 「駅長、お言葉ですが……」  板倉という若い駅員が発言した。 「その考えは、少々古くさいんではないですか……第一、我々は毎日乗降客に頭なんぞ下げていたら、疲労してかなわんです。能率も上りません、そったらことをしても無駄ではないでしょうか」 「いや、理屈はいろいろあるでしょう……しかし、このことは、自分が駅長になったらどうしても実行してみたいと念願しとったことなんです。とにかく、たとえ一か月でもいい、やってみてくれませんか……」  人に言うばかりでなく、雄一郎は自分でも率先して、今までこうしたい、ああしたいと思っていたことを実行に移して行った。  折角念願の駅長になれたのだから、やらなければ損だという気持だった。  駅長就任の翌日から、雄一郎は少し早目に出勤して、駅の待合室だのベンチだのを糠袋《ぬかぶくろ》で磨きだした。  助役連中はあっけにとられ、駅に働くすべての人々が茫然《ぼうぜん》と新米駅長のやりかたを見詰めたが、彼は一向に平気だった。  下山《しもやま》事件、三鷹《みたか》事件など鉄道史に不穏なニュースを残した昭和二十四年が暮れる頃《ころ》、北海道の片隅の小さな神居古潭の駅では、雄一郎の努力が少しずつ、ほんの少しずつだったが、実を結びはじめていた。  毎日の改札で、駅員が照れくさそうに行なっていたお客への会釈は、いつの間にか、お客と改札掛同志の挨拶《あいさつ》になっていた。  まだ殺伐とした世の中だったが、此処では多くの人々が笑顔で改札を通るようになった。 「ご苦労さん」 「お疲れさま……」 「今朝は、しばれるねえ……」  そんな会話が、名も知らず、所も知らない客と改札掛の間で自然に交わされるようになって来ていた。  無論、そんな雄一郎の駅長ぶりを白い眼で見詰めている同僚がないわけではなかった。相変らず駅の清掃に心がけ、まっ先に立って便所掃除までやってのける雄一郎を、腹の中で軽蔑《けいべつ》し、蔭《かげ》へまわっては、 「新米駅長が得意がって……」  と、せせら笑う声が耳にはいって来ないでもない。  しかし、雄一郎はそれらのものを全く意に介さなかった。我は我が道を行く、の気構えが雄一郎の全身に溢《あふ》れていた。  翌、昭和二十五年二月の末に、小樽の岡本家には第十番目の子供が生れた。  男の子であった。  先ごろ嫁に行った雪子が昭和四年生れだから、なんと二十一歳も年のはなれた弟というわけである。  四十近くなってのお産は重いと言われ、心配していたが、今度も極めて安産であった。  しかし、いざ名前をつける段になって、いささか夫婦の間がもめた。  良平が今度の子の名前を終平とつけようとしたからである。 「終平……嫌だよ、そったらおかしな名前……」 「したけどよ、お前、もうこの辺で終りにせんとみっともねえでよ……もしかして、雪子のとこにでも出来てみろ、母子《おやこ》でいっしょに赤ん坊を産んだなんて、まあ、世間様にたいしてもこっぱずかしかんべえ……」 「なにも、あたしのせいでないよ、あんたが悪いんでないの」 「悪いとか、いいとかいうもんではねえけどよ、とにかく、この子で終りにしなきゃ……」 「だからって、なにも、この子の名前、終列車の終の字の終平にすることないでないの、あたしは嫌だよ」 「嫌ったって、お前、なんかいい名前があるのか」 「保《たもつ》ってのどうかね、一字の名前っていいでないの、家の子にも一人くらいはハイカラな名前つけてやりたいもんね」 「それじゃ、なにか……今まで俺《おれ》のつけた名前は、みんなハイカラでねえってのか」 「そったらこともないけどよ……保にしようよ、岡本保……なんだか偉くなりそうな名前でないの……だいたいあんたの名前のつけかたは安直だよ、辨慶の辨に、西郷吉之助の吉で辨吉って調子だもんね、女の子にしたって、雪子に月子に華子……雪月花でないの」 「そうでねえよ、華子の華は、咲く花の花でねえ、ありゃあ俺の出征記念で、華北交通の華っていう字だで……」 「十人もある子の九人まではあんたがつけたでよ、十人目くらいは、あたしの好きな名前つけさしてくれたっていいでないの」 「そんなに保って名、好きか?」 「いい名でないの……」 「おかしいぞ、お前、それ、初恋の男かなんかの名前でねえのか」 「はんかくさ……」  幾つになっても亭主は女房のことを嫉《や》き、女房は亭主のことを嫉いているのが、この二人の良いところかもしれなかった。  結局名前は保ときまった。  雪子、辨吉、良太、月子、清三、清子、謙吉、華子、邦夫、保……と、良平、千枝の夫婦は、ただの一人も病気や事故で失うことなく、実に六男四女の子宝に恵まれたわけで、子供の無いはる子のところや、雄一郎たちからいつもうらやましがられた。     38  そのころ、秀夫は東京に居た。  朝早く上野駅に到着するかつぎ屋たちから米を受け取り、それを新橋、赤坂などの料亭へ運搬するのが彼の日課だった。  警察の取締りは仲間たちの通報で事前にわかったが、時には不意をつかれて米を没収されることもあった。  いずれにしても、まともな商売でないことはたしかだった。  北海道の両親のことは、自分から逃げだしたくせに、思い出さない日は一日もなかった。  夢の中で、自分が幼い子供になっていて母の膝《ひざ》に抱かれていたり、父母と楽しそうに談笑したりしていることがよくあった。 (やっぱり、俺は本当は北海道に帰りたいんだな……)  そんな時、秀夫は自分で自分が哀れになった。  なんとかして、一日も早く正業につき両親を安心させてやりたいと思いながら、ずるずると怠惰《たいだ》な生活を続けていることがやりきれなかった。  秀夫はなんとかして立ち直りたいとあせっている最中、ふと、神戸で知り合った瀬戸丸のボースンのことを思い出した。 「いつでもその気になったらたずねて来いよ……力になってやるぜ……」  と言った言葉のことである。  彼は横浜へ出掛けて行った。  瀬戸丸の航路の中に横浜がはいっているのを、秀夫は知っていた。  貨物船なので、いつ横浜へ入港するかわからなかったが、秀夫は根気よく待った。  今度こそボースンのもとで、海の男として出直しをしたかった。  横浜へ行くたびに、秀夫は山下公園の前の悦子のおでん屋へ寄った。  彼が最初に港へ瀬戸丸を探しにやって来た時、やはりこの付近を縄張りにして商売をしている昔馴染《むかしなじみ》のりんたく屋の親父に偶然|出逢《であ》い、悦子が今ではおでん屋の店を出して、子供と二人で立派に生きているという消息を聞いたのだった。  悦子は秀夫との再会を心から喜んだし、秀夫も悦子がそうした生きかたをしているのが嬉《うれ》しかった。しかし、二度三度と通ううち、秀夫の興味は、悦子というよりも、悦子と一緒に働いている若い女に移っていった。  女が、やや面長な美人だったこともあるが、秀夫は最初に彼女を見た瞬間から、なにか、遠い記憶のようなものが、うす暗い屋台の中で働いているその女の顔にあるような気がしてならなかった。  名前は千代といい、北海道の塩谷《しおや》と釧路《くしろ》にしばらく住んだことがあるという。  だが、秀夫の記憶の糸はもつれたまま、鮮明な映像にはならなかった。  二度目に行ったとき今度は女の方から話しかけて来た。 「お客さんも北海道の方なんですってね、どの辺に居たんですか?」  同じアパートに住んでいるというから、悦子からでも聞いたのだろう。この前よりも彼女の態度は落着かなかった。 「富良野《ふらの》というところだよ」 「富良野……?」  ちょっと首をかしげたが、又、すぐにたずねた。 「あなた……室伏秀夫さん……ですか……」 「どうして……なんでそんなこと聴くんだい」 「い、いえ……別に……悦ちゃんがそう言っていたから……」  秀夫はこの女が、もしかしたら、自分の過去になにかのつながりを持っているのではないだろうかと疑った。 「君、ほんとうに千代っていうのかい……?」 「ええ……そうですよ……」  じっと見上げる秀夫の眼を、女の方からはずした。  千代という名前に、彼はまるでおぼえがなかった。  時々、秀夫は激しい自己嫌悪に陥った。  いつ行ってみても、港に瀬戸丸のはいった様子はなかった。 (こんなことをしていて、いったいどうなるんだ……)  という思いが彼を捉《とら》えていた。  このままでは、自分が駄目になってしまうのではないかという焦燥感が秀夫を苦しめた。  年々、老いて行くだろう父と母の顔が浮び、やり切れない思いが胸にあふれた。そんな時、秀夫は飲めもしない酒を無理に飲んだ。酔いでもしない限り、気が狂いそうであった。  その日の秀夫がそうであった。  ほとんど泥酔といった状態で悦子のおでん屋に現われた。 「あら、いらっしゃい……」  悦子はちょっと用足しに出掛けたといって、店には千代が一人だけだった。 「どうしたんですか……なにかあったんですか……」  千代が心配そうに顔を近づけた。 「世の中が嫌になるのさ……俺《おれ》って人間に愛想がつきるのさ……」 「待ってる船が来ないんで、それで自棄《やけ》おこしたんでしょう……短気は損気よ、お願いだから、あんまりやけを起さないで……そのうち、きっといい日があるわ……」  その言葉の中に、他人にはない親身さがあった。秀夫は前からそれに気付いていた。 「どうも、あんたに……どこかで逢《あ》ったような気がするんだ……」 「あたしに……いいえ……」  問いつめられると、千代はいつもむきになって否定する。その動揺が秀夫にはますます不審だった。 「北海道の塩谷に居たことがあったって言ったね?」 「塩谷って言っても、ずっと小樽《おたる》の近くなんですよ、親が漁師だったから……あっちこっち出稼ぎに歩いてて……」 「塩谷に居たの、いつ頃《ごろ》だい」 「あの……戦争中ですよ」 「戦争中か……あんた、両親は……」 「とっくに、二人とも……」 「兄弟は……」 「ありません……」 「あらいらっしゃい、いつ来たの……」  悦子が戻って来たので、二人の会話はそこで跡切《とぎ》れた。  しかし、それから間もなく、ちょっとした事件によって、秀夫はその若い女が誰《だれ》だったかを思い出した。  その事件というのは、秀夫の隣りで飲んでいた二、三人の若い男たちが、悦子や千代が秀夫にばかり愛想をふりまくのが気に入らないといって、難くせをつけ、結局、秀夫と男たちの喧嘩《けんか》になった。  すぐ前の公園で、秀夫は三人の男を相手に闘ったが、やはり多勢に無勢、転んだところを足で蹴《け》られ、棒で小突かれた。  ところが、その様子を傍で心配そうに見詰めていた千代が、なにを思ったのか、いきなり秀夫の上に覆いかぶさった。 「おい、どけ……」 「どかねえか……」  男たちは苛立《いらだ》って、千代を小突き、酔にまかせて蹴とばしたりしたが、千代は懸命に秀夫に獅噛《しが》みついて離れなかった。  秀夫は、おや、と思った。いつかずっと昔、これとまったく同じ経験をしたことがあるのを思い出したのだ。自分がまだ子供の時分、近所のいじめっ子に袋叩《ふくろだた》きにされた時、やはりこうして、身をもって自分をかばってくれた少女があった。秀夫は跳ね起きることも忘れて、女の顔を見詰めた。 「おまわりだッ……おまわりが来たぞ……」  誰かが叫ぶ声がした。その声で男たちは逃げ去った。 「おい、どうだ、怪我《けが》はないか……」  りんたく屋の親父《おやじ》が女の体を秀夫の上から抱き起した。 「秀夫、しっかりしろ、大丈夫か……」  だが、秀夫はりんたく屋の親父の言葉も耳にはいらぬように、じっと女の顔を見詰めていた。 「君……奈っちゃんじゃないのか……?」  秀夫の言葉に、女ははっきりと動揺の色を示した。 「そうだ……やっぱりそうだ……」 「いいえ……あの……」 「今、思い出したんだ……釧路だった……俺が六つの時だった……近所の男の子たちと喧嘩して、ぶちのめされて……その時、君が今とおんなじ恰好《かつこう》で俺の上におおいかぶさった……俺をかばって撲《なぐ》られたり、蹴られたりして……それでも俺の体に獅噛みついて撲られていた……奈っちゃんだろう」 「秀夫ちゃん……」  はじめて女の方から手を差しのべた。 「奈っちゃん……」  しっかりと、その手を秀夫は握りしめた。  瀬木奈津子、かつて塩谷の室伏の家の前に捨てられていたのを、有里に拾われ育てられ、一旦生みの母親の許に帰ったのに、その後再び雄一郎と有里を懐しがって家出して来た女の子が、いまでは立派に成人し、実に十五、六年ぶりに秀夫とめぐり逢《あ》ったのだった。奈津子は秀夫より三つ上の二十五歳になっていた。     39  横浜でめぐりあってから、秀夫と奈津子は三日にあげず逢った。  話しても話しても、話し足りないものを、二人は僅《わず》かな時間を惜しむように語り合った。  不思議に秀夫は父にも母にも話せなかった心の苦しみを、奈津子にならなんでも話せた。  秀夫の悩みを奈津子は吸い取るように聞いた。秀夫の孤独な魂をすっぽり包みこむように、奈津子の心は秀夫によりそっていた。  そして亦《また》、奈津子も秀夫に今までのすべてを語った。傷ついた部分をなめ合うように、二人はおたがいの過去を夢中になって喋り合った。  或《あ》る時は港で、或る時は外人墓地で……。 「母は軍需工場へ働きに行っていて……直撃弾だったんですって……あたしも同じ工場で働いていたんだけど、建物が別だったので助かったんですよ、釧路から連れ戻されてからずっと母ひとり子ひとりだったでしょう……みんなはあたしが天涯孤独になったというので、とても同情してくれたけど、どういうものか、あたし独りぼっちになったって気がしなかったの……北海道へ行けば、室伏のお父さんとお母さんが居る……心のどこかでそう考えていたんです……」  そう言いながら、奈津子はハンドバッグから古ぼけた一枚の葉書を取り出した。 「ほら、いいもの見せてあげるわ……」  秀夫が手に取って見ると、表に綺麗《きれい》な女文字で、北海道釧路市北大通り、室伏雄一郎様とあった。 「なんだ、これ……釧路にいた頃の俺の家の住所でないか」 「これ、秀夫ちゃんのお母さんの字なのよ……あたしが家出して、北海道の秀夫ちゃんの家へ行ったことがあったわね、結局、東京へ連れ戻されることになり、釧路の駅で別れるとき、秀夫ちゃんのお母さんがこの葉書を渡してくれたの、なにかあったらこの葉書をポストに入れなさいって……この葉書が届いたら、なにをおいても、すぐ奈っちゃんの所へかけつけてあげるからって、何度も何度もくり返して泣いてたの……東京へ帰ってから、あたしこの葉書大事にしまっておいたわ、産みの母にも隠して、いつも体につけて持って歩いてたの……それを、いつだったか、母にみつかってしまってね、母は怒らなかったわ、そんなに北海道の室伏さんが恋しいのって泣いたけど……いつでもその葉書、ポストに入れたい日が来たら入れなさいって、あたしに返してくれたわ、そう言われると、母が可哀《かわい》そうで、葉書をポストに入れる気にはならなくなったの……いっそ、破いてしまおうかと思ったけれど、あたしにとって、たった一つの北海道のお母さんの形見ですもの……お守りのつもりでずっと持っていたわ……戦争で母が死んで、ひとりぼっちになった時、この葉書を何度もポストへ入れようと思ったわ、もう、歿《なくな》った母も許してくれるだろうと思ったの」 「なぜ入れなかったんだ?」 「怖かったのよ」 「怖い?」 「もし、北海道のお母さんが来てくれなかったら……それが怖かったの……」  奈津子は沖の白い雲を見詰めていた。 「北海道のお母さんは、あたしにとって観音様みたいなものなのよ、どんなつらいことがあっても、うろおぼえの北海道のお母さんの顔を思い出すと、辛抱が出来たわ……ひょっと悪いことを考えそうになったとき、北海道のお母さんがそれを知ったら、どんなに歎くだろうと思うと間違ったことは出来なかったわ……この葉書はあたしと北海道のお母さんをつないでいるたった一本の糸なのよ、もし、これをポストに入れてしまって……そして、お母さんが来てくれなかったら……あたしを支えている糸は、ぷつんと切れてしまう……それが怖しかったの……わかってくれる……」 「ああ、わかる……しかし、苦しかったろうなあ、女独りで……男の俺だってまともに生きて行くのはむずかしい時代なんだ……」 「だって、あたしの方が年上だもの」 「たった三つでないか」 「三つだって年上よ」 「ちぇっ、いばってやがら……」  軽い口喧嘩《くちげんか》をまじえながら、二人は幼い頃を想い出していた。  秀夫は明るい横浜の港に、白乳色をした霧を思い浮べてみる。  釧路の港はいつも濃い霧にとざされ、終日霧笛が鳴っていた。 「ねえ、あたし、秀夫ちゃんにお願いがあるのよ……」  奈津子がふと思いついたように秀夫を見た。 「なんだい」 「きいてくれる……?」 「たいていのことならな……」 「怒らないって約束してよ」 「怒るようなことなのか」  奈津子は自信なさそうに眼を伏せた。 「いいよ、奈っちゃんのことなら、なに言ったって怒りゃしないよ」 「ほんとうに……?」 「ああ……なんだよ、いったい」  思い切って奈津子は口を開いた。 「秀夫ちゃん……いつ、北海道のお父さんとお母さんのところへ帰るつもり……?」 「なんだ、そんなことか……」  秀夫は顔をしかめた。 「ほら、怒った顔をする……」 「いつかは帰るさ……一人前の船員になって……まともに働いて食って行けるようになったら……」 「だったら、お願いよ、もう、かつぎ屋なんか止めて……あんたは、かつぎ屋なんかしてる人じゃないわ」 「いつまでもしている気はないさ……いつかも話したろう、瀬戸丸のボースンに逢《あ》えさえしたら……」 「逢えるまで、かつぎ屋しているの……もしも、待っても待っても来なかったら……一生、かつぎ屋をしているつもり……?」 「なぜ……」  さすがに秀夫はムッとした。 「怒らないで……ね、これを見てよ……」  奈津子は小さく畳んだ紙片を見せた。 「これ、船員学校の入学申込み金の領収書なのよ……あたし、今日これを申し込んで来てしまったの……」 「奈っちゃん……」  秀夫はあわてた。 「試験は再来週の月曜よ、お願い、がんばって……」 「しかし、学校へ入るったって……学費もかかるし、生活費だって……」 「お金はあたしが働きます……お願いだから、あたしの言う通りにして……」 「冗談いうな、君に働かせて、のうのうと学校へなんか行けるもんか」  横を向いてしまった秀夫に、奈津子は懸命にくいさがった。 「秀夫ちゃん、あんた男でしょう、男だったら目先のことなんかにとらわれず、もっと、未来を見詰めてよ、立派な船員になるためには、ちゃんと学校を出ておくことが一番よ、たとえ回り道だって、ただ、同じ所に突っ立っているよりはずっと早くに目的地へ着けるわ、そうじゃないの、秀夫ちゃん……」 「嫌だよ」  秀夫は首をふった。 「俺は誰にも頼りたくないんだ、まして女にみつがせて学校へ行くなんてまっぴらだ……」  奈津子は秀夫をじっと見詰めた。 「それじゃ、なぜ瀬戸丸のボースンを待っているの……瀬戸丸のボースンを頼って船員になろうとしているの……瀬戸丸のボースンは頼れるけれど、あたしには頼りたくないっていうの……」 「待てよ、奈っちゃん」 「秀夫ちゃん、あたしはあなたが……あたしの大事な北海道のお母さんの子だから……なんとしてもお母さんのそばへ帰って欲しいのよ、立派になって……胸を張って……あなたの気のすむようなあなたになって、北海道のお母さんのところへ帰って欲しいのよ……そのためなら、あたし、なんだってするわ、お母さんが喜んでくれるなら……お母さんが、奈津子、よくやってくれたって言ってくれるなら……あたし……死んだっていいの……」 「奈っちゃん……」  秀夫は奈津子を眺めた。奈津子がそれほどまでに母のことを慕っていたのかと驚いた。 「お願い……秀夫ちゃん……」  奈津子の全身からほとばしる、その一途な気持に打たれて、秀夫はいつまでも奈津子を見詰めていた。     40  秀夫は焼津《やいづ》の海員養成所へはいった。  たった一週間しか勉強する時間がなかったが、奈津子の気持にむくいたいという彼の意志が、とにかく不可能を可能にした。  しかし、秀夫を養成所へ送り出したあとの奈津子の生活は、覚悟をしてはいたものの、まさに殺人的なものに一変した。  か弱い女手一つでは、自分一人の生活を支えるのがやっとなのに、秀夫の学費から生活費のすべてを背負ったのである。  無論、おでん屋だけでやって行けるわけもなく、奈津子は知り合いからミシンの内職をもらって来て、昼も夜も働き抜いた。  自分の食費を節約し、衣類は古いものをほどいて縫い直し、若い身空でろくな化粧もしなかった。  そして、自分には苛酷《かこく》なまでの倹約を強いているくせに、秀夫のためには金を惜しまなかった。季節ごとの衣服から下着まで、いつも真新しい小ざっぱりしたものを用意しては送り届けた。  食べるものも食べず、寝る間も惜しんで働き続けながら、奈津子はそれが少しも辛くなかった。  ミシン踏みに疲れ果てると、奈津子は懐しい北海道の有里や雄一郎の顔を思い浮べた。 「待ってて下さいね、もうすぐ、秀夫ちゃんを立派な船員さんにして、お父さんとお母さんのところへ帰しますからね……」  そう呟《つぶや》くと、奈津子の小さな体から、泉のように力が湧《わ》いた。空腹感も睡気《ねむけ》も忘れた。  一日の大半をミシン踏みに費したあげく、夕方からはおでんの屋台で働き、十二時近くにアパートへ戻ってくると、又、ミシンの前へ坐《すわ》るのである。  しかし、一週間を働きつづけた奈津子にとって、日曜日はもっとも仕合せな楽しい日であった。  秀夫がアパートへやってくる日だったのだ。  奈津子は朝早くから部屋を掃除し、花を飾り、秀夫の好物を買って来て料理の仕度をする。そんな時の奈津子は新妻のように、いきいきとして見えた。  半年はまたたく間に過ぎた。  十月になって間もない、ある日曜日、秀夫がいつものように奈津子の部屋をノックしたが返事がなかった。  管理人とはすでに顔《かお》馴染《なじみ》なので、頼んで部屋の鍵《かぎ》を開けてもらい、しばらくぼんやりしていると、今、下へおりて行ったばかりの管理人が血相変えてとび込んで来た。 「た、たいへんだ、瀬木さんが車にはねられた……」 「え、なんだって……」 「桜木町《さくらぎちよう》の山本外科だそうだ、すぐ行ってやっておくれ」  秀夫は転がるように階段を駆けおりると、タクシーで病院へ駆けつけた。  幸い奈津子の怪我《けが》は思ったより軽かった。  昨夜、徹夜で仕立上げた品物を届けに行って、細い通りでちょっと石につまずいてよろけたところを、うしろから来た車に引っかけられたのだそうだ。転んだ拍子に右手を打って、骨に少しひびが入っただけだという。  しかし、ひき逃げのため、相手に治療費を請求することが出来ず、奈津子も仕事が出来ないため、忽《たちま》ち、病院の支払いに窮する始末だった。  迂闊《うかつ》な話だが、秀夫ははじめて、奈津子がどんなに今迄《いままで》苦労して金を送ってくれていたのかを知った。  秀夫は養成所をやめた。  親しくしているりんたく屋の親父《おやじ》に頼んで、南京町の中華料理屋の皿洗いに雇ってもらった。 「ごめんなさい、あたしさえこんなことにならなかったら、来年の春は学校を卒業して……」  奈津子は秀夫が養成所をやめたことを口惜《くや》しがって、涙をこぼした。 「よせよ、奈っちゃん……このあいだも言ったろう……俺は奈っちゃんにめぐり逢《あ》って、はじめて生きて行くことの目標を掴《つか》んだんだ……それだけでいいんだ、チャンスはいまにきっと来る、その日まで、助け合って生きて行こうよ……」  秀夫は奈津子をはげました。  奈津子が交通事故にあったことも、その奈津子に秀夫がつきそっていることも、雄一郎と有里は知らなかった。  そして、翌年の春、雄一郎夫婦は塩谷へ転勤した。  塩谷は雄一郎にとって、鉄道員の第一歩を踏み出した記念すべき駅であった。山間の小さな駅は、三十年のむかしと殆《ほとん》ど変っていなかった。  少年雄一郎が機関車に憧《あこが》れて、毎日通った駅の待合室の手すりも古びたまま、新駅長を迎えていた。  雄一郎の塩谷駅長就任と前後して、関根重彦の札鉄局長就任の知らせがはいった。  塩谷の駅長官舎は、むかし南部斉五郎夫婦が住んでいた家に、少々手入れをした程度のものだった。  誰《だれ》が言い出したともなく、一夜、この家に南部斉五郎と三千代、関根重彦、それに近くに住む岡本夫婦も参加して、内輪だけの祝宴をひらいた。  三十年前、南部斉五郎が此処《ここ》に播《ま》いた種は、芽を出し葉を繁らせて、今、立派に花咲いたのである。  南部斉五郎は今では帝国運輸を勇退し、三千代と共に、小樽《おたる》で駅弁の会社を経営していた。すでに七十の坂を越えたというのに、かくしゃくとして働いていた。  又、雄一郎を見る三千代の眼にはなんのこだわりもなかった。歳月がなにもかも洗い流してくれたのだった。  もう一人の南部学校の卒業生、伊東栄吉は、鉄道の現場長としては最高の東京駅長になっていた。  彼にまつわるエピソードとして有名なのは、彼が東京駅長に就任して間もなく、天皇陛下をお召列車に御先導申し上げた日のことである。この日はまた、妻のはる子が十二指腸|潰瘍《かいよう》で手術を受ける日でもあった。前の晩、伊東はせめて妻のそばにつき添って夜を明かそうとしたが、はる子はそれを許さなかった。明日の御先導にさしさわりがあってはならないと考えたからである。  翌朝、伊東は水を浴びて身をきよめ、駅長室からホームへ、ホームから列車へ、陛下をつつがなく御先導申し上げて、彼は定めの位置に立った。  発車時刻まで、あと三十秒、お召列車は駅長が手を挙げる合図によって発車する定めであった。ホームに並んだ助役以下、駅員たちの眼が緊張して、駅長の動作を待っていた。伊東は片手の時計の秒針を見詰めていた。お召列車の発車時刻に一秒の狂いがあってはならない。  その時であった。お召列車を挟んで反対側のホームに集っていた群集の中から、突然君が代の声が湧《わ》いた。  一人の声は二人になり三人になり、あっという間に期せずして大合唱となった。  東京にまだ焼トタンのバラックの目立った時代であった。ごく一部の人々をのぞいては、日本人の大部分が貧しさに耐え、生活の重荷を背負って生きている時代でもあった。  にも関らず、この日、東京駅のホームを埋め尽し、お召列車を囲んだ人々の中から湧き上った君が代には、日本人の祈りと、誇りと、同邦愛の感動があったのだ。  伊東栄吉にとっては、終戦後、はじめて耳にした感動的な君が代の斉唱だった。  ふと気がつくと、お召列車の中で、国歌へむけて御起立あそばす陛下の御姿があった。  日本人、滅びず……、国敗れたりといえど、日本人いまだ滅びず……。  伊東の胸に熱くこみ上げるものがあった。この時、彼の時計の秒針は、まさに発車の定刻をしめしていた。発車の合図の手を挙げるべき瞬間であった。  だが、君が代は終っていなかった。殆《ほとん》どの人が泣いていた。泣きながら歌う君が代の合唱はお召列車を包み、ホームを圧した。  助役の眼があわただしく駅長を見た。発車の時刻はしずかにすぎて行く。  伊東は立っていた。彼の両手は左右に下げられたままだった。東京駅のホームを圧している日本人のこの感動を、途中でうち切ることは出来ないと彼は思った。  東京駅長として、お召列車を遅らすことは前代未聞の失態であるかもしれなかった。もし、このことを後日|譴責《けんせき》されて、駅長を辞任するとしても、彼は悔いないと思った。  東京駅長として、彼が今、出来ることは、君が代が終るまで列車を発車させぬことであった。  東京駅を圧した君が代は、やがてしずかに余韻をひいて消えた。  陛下も着席された。  はじめて伊東栄吉の手が高々と挙った。  この話を、南部斉五郎は塩谷の駅長官舎で、関根重彦からはじめて聞いた。 「やりやがったな、あの大飯ぐい」  斉五郎は思わず膝《ひざ》を叩《たた》いた。 「すべて世の恩だ、ありがたいことだ……生きているってことは有難いな、こんな仕合せな気分が終戦後の日本にあったことを聞いただけでも嬉《うれ》しい……」  余程嬉しかったらしく、声をつまらせた。  その晩は、斉五郎と三千代は駅長官舎に泊ることになり、関根だけが雄一郎に送られて駅へ行った。  塩谷駅のホームに立つと、 「思い出すなあ、ここにこうして居ると……」  しみじみと言った。 「はあ……?」 「むこうから上りの列車が走ってくる……こっちからは下り急行だ……」  雄一郎ははっとした。  関根は彼がこの駅の助役時代に起した昔の未遂事故のことを言っているのだ。 「俺《おれ》の生涯に只《ただ》一度の大失態だった……あの時、君が信号の間違いに気がついてくれなかったら、どんな犠牲が出ていたことか……事故は君の気転でどうにか防げたが、その結果、親父さんは俺のために鉄道を去った……」 「関根さん、そったらこといって……今更……」 「言いたかったんだよ、今夜は……長い鉄道生活の間、俺はあの時の重荷を背負いつづけて来た……」 「しかし、あのことは、あの時、内輪で解決がついたではないですか」 「解決がつかなかったのが、俺の心さ……俺はあの時以来決心した……好んで遠回りの道を歩こう、断じて出世街道を要領よく歩くなどという真似はすまい……たとえ遅くとも、我が心にかなう道を、一足一足踏みしめて進むことこそ、俺の罪の償いだと考えた……」 「罪の償い……」 「俺はこの年になって、漸《ようや》く札鉄局長にたどりついた。人はどう思っているか知らん、だが、俺は真実嬉しかった。札鉄局長に任ぜられたことを、俺はどんなに喜んだか……君にならこの気持が分ってもらえると思ったんだ……」  関根がじっと雄一郎を見た。雄一郎は黙って頷《うなず》きかえした。  汽車が来たらしく、山の向うで汽笛が鳴った。 「君は停年まで、あと何年だ?」 「ちょうど十年ですね」 「十年か……」  関根が星を見上げた。 「いよいよ最後の一働きだ……頑張ろうな……」 「もちろん、そのつもりです」 「うん……」  二人は顔を見合せて微笑した。  それぞれ働く場所は違っても、現在の鉄道をしょって立つ男の自信と友情が、二人の眼の奥できらりと光った。     41  瀬戸丸が横浜に入港したのは、雄一郎が塩谷駅長に就任したのと同じ頃、昭和二十六年春だった。  奈津子がおでんを食べにやって来た船員の口から、偶然そのことを聞いたのだった。  翌朝、秀夫は瀬戸丸を訪ねた。  ボースンは居なかったが、顔見知りの坂崎という船員が居て、ボースンの消息を教えてくれた。  通称ボースンこと、溝上敬吉は二年前に瀬戸丸を去り、今では青森と函館を結ぶ青函連絡船で働いているとのことだった。 「そうそう、そういえば、もしお前が訪ねて来たら、いつでも青函へくるように伝えてくれって言っていたっけ……」  坂崎が思い出したように言った。  ボースンの消息を得たことは、今の秀夫にとって、溺《おぼ》れかかったところへ投げられた浮輪のようなものだった。  秀夫と奈津子はすべての持物を整理した。家財と名のつくほどのものはなかったが、それでもいくらかにはなった。  まだ正月気分がすっかり抜け切らない新春を、秀夫と奈津子は傷ついた二羽の鳥のように肩を寄せ合い、混雑する東北本線青森行列車の片隅に乗り込んだ。  青森へ着いたのは早朝だった。  連絡船の事務所でたずねると、溝上敬吉は間違いなく函館船員区に属していることがわかった。  どんよりした空の下に、海峡は黒いうねりをみせていた。  秀夫にも奈津子にも、感無量の海峡であった。  この海を越えれば、父と母と同じ大地を踏むことになる。その思いが、二人の胸を熱くしていた。  かつて、雄一郎夫婦を実の両親と思い込んで、はるばる一人でこの海峡を越えて行った奈津子の幼い日——そして亦《また》、海兵団へとび込む決心をして、海峡を渡った秀夫の青春の日——海峡は昔のままであった。  冬の海の黒いうねりも、白い飛沫《しぶき》も、前とちっとも変らぬ顔で秀夫と奈津子を包んでいた。  函館へ着くと、秀夫は奈津子を待合室へ残して、一人でボースンを訪ねた。  溝上敬吉は船員控所に居た。訪ねて来たのが秀夫だと知ると、 「なんだ、お前か……随分遅かったな……」  ごく自然に言った。まるで、二、三日前に別れた者を迎えるような感じだった。 「いったい今まで、どこをうろついていやがったんだ?」 「それが……東京や横浜を……」 「まあいい、話はいずれゆっくり聞こう、とにかく俺を頼って来たんだろう」 「ええ」 「よおしッ」  溝上は満足そうに頷《うなず》いた。 「いま、家の地図を書いてやるからな、先へ行って待っててくれ……」 「ボースン……実はその……」  秀夫は奈津子のことを溝上にどう説明しようかと迷った。しかし、溝上はそんなことには一向|頓着《とんちやく》なく、 「これから乗務なんだ、明日の午後には帰る、勝手に鍵《かぎ》をあけてはいれ、食いものは台所だ、押入れの布団を引っ張り出して、食うなり寝るなり好きなようにしろ、どうせ独り者のすみかだ、汚ねえが文句を言う奴《やつ》ア居ねえさ……」  地図と鍵を机に置くと、帽子をかぶり直して出て行った。  秀夫はとうとう奈津子のことを言いだしそびれた。自分一人世話になるのも大変なことなのに、この上、奈津子のことまで持ちだすのは気がひけた。それを聞くと奈津子は、 「いいのよ、かえって話さなくて良かったのよ、女を連れて来たなどと言ったら、きっと叱《しか》られたわ、一徹な人らしいもの……あなたはこのままボースンの家へいらっしゃい、私は他に働く場所を探すわ」  と平然としていた。 「さっき、待っている間にそばの人に色々聴いておいたのよ、こんなこともあるかと思って……この先に湯《ゆ》ノ川《かわ》って温泉場があるそうだから、そこで働きながら秀夫ちゃんが一人前の船員になる日を待っているわ」 「奈っちゃん……」  秀夫には奈津子が心配をかけまいとして、懸命に内心の心細さを隠しているのが良くわかった。 「すまない……」 「いいのよ、大丈夫よ、これでも年のわりには苦労の水をくぐって来てるんですもの、たいがいのことには負けないわ」  奈津子は笑っていた。  その日から、秀夫は溝上の家に、奈津子は湯ノ川温泉のはなぶさという旅館に住み込むことになった。  秀夫は、昼間は溝上の世話で、港の荷揚を手伝い、夜は机に向って、船員として必要な勉強をした。運の悪いことに、青函ではこのところずっと新規採用が無かった。ここでも、復員者による定員オーバーがたたっていた。  一緒に暮すようになっても、溝上は相変らず秀夫の過去も親のことも自分の方から穿鑿《せんさく》することはなかった。そのため、秀夫の方も奈津子のことを言い出す機会がなかった。  二か月程たった或る日、溝上が帰ってくるなり秀夫を呼んだ。 「おい、喜べ、うまくすると来月に機関部員の採用がありそうだぞ……」 「ほんとですか、ボースン」 「うん、早速お前のことを頼んできた、試験さえ合格すれば、一年間養成所でみっちり訓練を受けて正式の雇員になれるんだ、がんばれよ」 「はい……」  やっと俺にも運が向いて来た、と秀夫は思った。すべてはこれから受ける試験にかかっているのだ。奈津子のことも、両親とのことも。秀夫は必死で勉強した。チャンスは一回きりだと自分に言いきかせた。  競争率がかなり高かったにも関らず、秀夫は七重浜《ななえはま》の職員養成所機関科の試験に見事合格した。  この新規採用は昭和二十四年の七月以来、ずっと停止されていたもので、実に三年ぶりの再開であった。  養成所の寮へ引っ越すことになった秀夫に、溝上は、 「お前にゃまずその心配はなかろうが、女にだけは目をくれるなよ、もう少しの辛抱だから、とにかくこの一年、石にかじりついても立派な成績で卒業してくるんだぞ」  先輩としての注意を与えた。更に、 「それからな、もし、お前に親が居るんなら、合格したことくらいは知らせてやんなよ、安心するからな……」  秀夫がここへ来てからはじめて、自分の方から秀夫の肉親のことを口にした。  そのことは、もちろん、秀夫も考えぬわけではなかった。しかし、今更急に知らせるのも面映かった。正規採用になった時、奈津子を連れて結婚の許しを乞いに両親の許へ行こうと思った。  翌昭和二十八年の春。  室伏雄一郎は塩谷《しおや》駅長から、札幌《さつぽろ》鉄道局業務部貨物課へ転勤した。  彼は初めて現場をはなれて、いわゆる、朝出勤して夕方帰宅するというサラリーマン生活を経験することになった。官舎を出た二人は、ちょうど塩谷に手頃な家があいていたので、当分はそこに落着いて札幌へ出勤した。  雄一郎夫婦の孤独は年が重なるにつれて、次第に底の深いものになって行った。  どこの家でも、子供のにぎやかな声がする。やれ進学だ、就職だ、結婚だと、同じ年頃の夫婦が我が子のことをなにかにつけて話題にするのが二人には辛かった。  まして、すぐ近くに子沢山の岡本家のにぎやかな団欒《だんらん》があるだけに、時々、雄一郎夫婦には救いようのない絶望感を味わうことになった。 「あの子、なんで私たちから逃げたんでしょうね……せめて、居所くらい知らせてくれたらよさそうなものなのに……」  有里の言葉もつい愚痴になった。 「いっそ無かったものなら諦《あきら》めもつく……俺たちのはまるで底なし沼だ……いつまでたってもこの哀《かな》しみから這《は》い上ることは出来ん……」  雄一郎は前よりも怒りっぽくなった。つまらぬことで、すぐイライラする。原因がはっきりしているだけに、有里は哀しかった。 「あたしが悪いんです……あなたの留守中に、あの子の心をしっかり掴《つか》んでいなかったから……だから、こんなことに……」 「やめろ、くだらない……」  そんな会話がしばしばくりかえされた。  雄一郎は秀夫の居ない空白感を仕事によって満たそうとするらしく、朝は誰れよりも早く事務所に出勤し、夜は一番最後まで残って働いた。そのため、上司にたいするうけはかなり良いようだった。塩谷駅長時代にも無事故記録やら、親切な駅、清潔な駅などで何度も表彰状を貰《もら》った。  もちろん、それらの事は有里にとっても誇らしく嬉《うれ》しいことに違いなかったが、やがて七、八年後にやってくる停年退職後のことを思うと不安でたまらなかった。  彼から、或《あ》る日、突然仕事を奪った時、彼はいったいどうなるだろう。仕事は彼を支えているたった一本の柱なのだ。その柱の無くなった時が有里には恐しかった。     42  一年間の養成期間をおえ、秀夫はいよいよ青函連絡船の機関部員として正式に採用された。  その喜びの中で、秀夫と奈津子は結婚した。  別に結納金を取り交わすでも、披露宴を盛大にやるでもなく、ボースンこと溝上敬吉の家で彼と三人とっておきのスコッチウイスキーで乾盃《かんぱい》して、晴れの門出を祝った。  長いこと苦労して来た二人にとっては、こんな貧しい結婚式でも、他のどんな贅《ぜい》を尽した結婚式、披露宴より嬉《うれ》しく、晴れがましかった。 「結婚届だけはちゃんとしろよ、二人とも手紙でいいから戸籍謄本を本籍地から取り寄せるんだ、子供が出来てからあわててなんていうのは感心しねえからな……保証人には俺がなってやる、いい夫婦になるんだぜ……」 「ありがとうございます。ボースン……」  秀夫は思わず声をつまらせた。奈津子もハンカチでしきりに涙をふいていた。 「ご恩は一生忘れません……二人で一生懸命働いて、今にきっとお返しいたします」 「馬鹿野郎、恩なんてものはきるもんではあっても返すもんじゃねえよ。恩をきたと思ったら、こんどは他の困ってる奴《やつ》に親切にしてやんな、それが本当の恩返しってもんだぜ……」  溝上は磊落《らいらく》に笑った。  秀夫と奈津子の新世帯は、溝上の家のすぐ近くにアパートを借りた。  二人にとって、溝上は仲人であり、親でもあった。溝上の帰宅する夜は、必ず奈津子が夕食を作り、別々に帰ってくる秀夫と溝上を待った。  溝上の食事の世話から掃除、洗濯まで、奈津子は小まめにやって来て、さっさと片づけて行く。長い間、孤独な生活に馴《な》れた溝上にとって、息子と嫁が一遍に出来たような明け暮れであった。  だが、その溝上にも、心配事が一つあった。それは、何度すすめても、秀夫が両親と連絡をとろうとしないことだった。彼にとっては、久しぶりに味わう家庭の幸福である。いつまでもこのままの生活が続いて欲しかった。逆に、本来なら秀夫の両親がこの仕合せを得るはずのものではなかろうかという、いささかうしろめたい気持もした。  一見、豪放で物事にこだわらなさそうに見える溝上も、こと人情となると、実は人一倍繊細な神経の持主だったのだ。  秀夫と奈津子の間で、室伏の両親に逢《あ》いに行こうという話が無かったわけではない。特に奈津子はかなり頻繁にそのことを話題にした。  両親が塩谷に住んでいるらしいことも、謄本を取ったとき判明した。ただ、秀夫がいざとなると、上野で両親を捨てたことにひどくこだわった。  逢いたいくせに、約十年間離れて暮していた結果生じた溝を、思い切ってとび越えかねていた。  機関部員一年生の秀夫の毎日は極めて多忙だったし、新所帯を作るために、奈津子も又、内職のミシンを踏みつづける日が続いたせいもあって、二人の消息は塩谷の両親のもとへはいつまでたっても届かなかった。  翌年の秋、塩谷の室伏家では、両親の法事を営んだ。  東京からは、この春東京駅長を勇退した伊東栄吉、はる子夫婦もはやばやとやって来たし、尾鷲《おわせ》からは勇介が訪ねて来た。  みちはその後健康を回復したが、何分老齢のことなので、勇介をかわりに寄越したのだという。  法事には、南部斉五郎も三千代も関根重彦もまいってくれた。岡本夫婦のところは、三年前に遂に第十一番目の子、末吉が生れ、長女の雪子のところに生れた孫と同じ年という奇妙なことになっていた。  読経が終り、参列者の焼香がはじまったころ、有里はうしろの方に見馴《みな》れない男が坐《すわ》っているのに気付いた。  体格は見るからに頑丈そうで、顔もまっ黒に陽焼けした四十|恰好《かつこう》の男だった。  最初、雄一郎の知り合いだと思っていたが、夫から、 「おい、あのかたはどなただ?」  と逆に訊《き》かれて、有里はおやと思ったのである。  法要がすむと、男は向うから雄一郎の前にやって来て名刺を出した。 「初めてお目にかかります……実はあなたの息子《むすこ》さんのことで、折入ってお話し申したいことがありましたもので……」  男は溝上敬吉だった。 「えッ、秀夫のことを御存知なんですか」  雄一郎が思わず大きな声を出した。 「御法事があるとは知らなかったもので、こんな恰好で来てしまいましたが……」  そのときは、みんなの視線が一斉に溝上の上に集っていた。 「秀夫は、秀夫はいまどこに居るんです……元気ですか、ちゃんとやっているんでしょうね……」  有里は夢中でそれだけ訊いた。 「息子さんは元気です。いま青函連絡船で機関部員として立派に働いています、是非|逢《あ》いに行ってやってください」  溝上は家の地図を書いて雄一郎にわたした。  法要のあと、小樽の料亭で精進おとしの宴会になった。  雄一郎は帰ると言う溝上を無理に頼んで宴席へ招待した。秀夫のことの詳しい話を聞くためである。斉五郎も伊東も関根も話を聞きたがった。  溝上を囲んで、宴会は夜のふけるまで陽気に続けられた。なんといっても、秀夫が立派に立ち直っていたのが、みんなの顔を明るくしていた。とりわけ有里は嬉《うれ》しそうだった。  溝上から何度でも同じことを聞き、そっと涙を拭《ふ》いていた。  秀夫がすでに結婚していると知って、多少複雑な表情を見せたが、良い娘だと聞かされ、雄一郎も有里も再び相好をくずした。 「これでお前のところも万々歳だ、わしも安心してあの世へ行けるぞ……」  斉五郎が相変らずのおどけた調子でみんなを笑わせた。  室伏家にとっては、まったく何年ぶりかの楽しい心の底からの笑いだった。  雄一郎は是非泊って行くようすすめたが、溝上は明日の午前中の船に乗らなければならないからと、その夜の列車で函館へ帰って行った。  ちょうど本州へ台風十五号が接近していた。  有里はその夜のうちにも溝上と一緒に秀夫の所へ行きたそうな顔つきであったが、法事の後片付けもすんでいないので、明日の午後、雄一郎と函館へ行くことになった。 「明日のお天気、大丈夫かしらね……」  溝上を駅まで送った帰り、有里は暗い空を見上げて言った。 「なあに、台風ったって大したことはあるまい……雨が降ろうが槍《やり》が降ろうが明日は逢いに行くさ……」  雄一郎の声が歌うようだった。  昭和二十九年九月二十六日、日本本土を襲った台風十五号は、時速百|粁《キロ》の猛スピードで四国松山の西方海上を通り、中国地方を斜めに横断し、午前八時頃、鳥取の北方で日本海に抜けた。  しかし、依然として衰えをみせず、日本海上で異状な発達をしながら北東に進み、午後三時には青森の西方海上に達し、中心気圧九六〇ミリバールの台風として、しかも急速に進行速度を落しはじめていた。  つまり、本州を横断してしまったにも関らず、依然として勢力に衰えをみせぬ台風が、のそりのそりと海ぞいに津軽《つがる》海峡へ近づきつつあったのだ。  この日、函館《はこだて》では朝から小雨模様だった。十時頃から東の風が吹きはじめ、ラジオは台風十五号の接近を伝えていた。  函館海洋気象台から暴風警報の出た午前十一時三十分、すでに津軽海峡は東の風が平均二十|米《メートル》に達し、大時化《おおしけ》となっていた。  その中を、定時に青森を出航した溝上敬吉の乗る第十一青函丸は、強風に難航しつつ、約十分遅れて、漸《ようや》く十一時五十分に函館港に着き、旅客百七十六名、貨車四十二両を搭載して十三時二十分、折返し函館を出航した。  雄一郎と有里が函館へ着いたのはそのあとで、彼は同僚に事情を話し、この日仕事をかわってもらって早朝|小樽《おたる》を発《た》って来たのだった。  二人は知らなかったが、この時函館港には秀夫が機関部員として乗り込んでいる洞爺丸《とうやまる》が風のおさまるのを待って待機中だった。  雄一郎夫婦は地図をたよりに若松町の松月荘というアパートを訪ねた。  雨が風に乗って吹きつけるので、二人がアパートの前まで辿《たど》りついた時には、衣服もかなり濡《ぬ》れていた。  溝上に教えられた通り二階へ上り、階段から二番目のドアをノックした。中から若い女の声がして、ドアがそっと開いた。 「私は室伏秀夫の父ですが……」  雄一郎が名乗るか名乗らぬうちに、女の口から、あッと小さな叫び声がもれた。 「どうぞ……」  中へ招じた声もふるえていた。 「秀夫は今日は出勤ですか?」  有里が聴いた。 「は、はい……こんな嵐《あらし》でどうなるかわかりませんが、今日は洞爺丸で青森まで往復することになっています……」  奈津子は眼を伏せたままだった。  最初見た時から、北海道のお父さんとお母さんだということはすぐ判った。しかし、あまり突然のことだったので、すっかり動転してしまい、ろくに口もきけない始末だった。 「お父さん、お母さん、奈津子です……」  口もとまで出かかっているのに、どうしても言えなかった。  雄一郎と有里は、この若い女が奈津子だなどとはまるで気付かなかった。 「すると、帰りはおそくなるかな……」 「台風で船の出航が遅れているようですから……」  いままで台風情報を聞いていたらしく、ラジオがつけっぱなしだった。 「あなたが、秀夫の……?」  有里が言った。 「申し遅れました。奈津子です……」 「奈津子……さん……?」  有里がおやという表情で奈津子を眺め、それから夫を見た。 「まさか……」  有里は敏感に奈津子の顔の中に、幼い日の面影を感じ取ったらしかった。 「だけど、そんな筈《はず》はないわ……あの子がこんなところに居るはずがない……」 「いいえ……」  奈津子はこの機をのがさず例の古ぼけた葉書を有里に見せた。 「これは昔、お母さんが私に逢《あ》いたくなったらいつでもポストへ入れろとおっしゃって……ご自分で書いて渡してくださったものです……」  有里は葉書を見詰めた。表情がみるみる変った。 「じゃあ、あなた、やっぱり奈っちゃん……」 「お母さん……」  奈津子は有里の膝《ひざ》にすがりつくと、まるで子供のようにむせび泣いた。 「奈っちゃん、大きくなったわね……」  有里の声もふるえていた。しっかりと奈津子の肩を抱いていた。     43  そのころ、一度函館を出港した第十一青函丸は強風のため航行を断念し、再び函館港に引返して来た。  第十一青函丸は、この日、駐留軍関係の客貨輸送という特殊任務を帯びていたため、青函鉄道管理局では、十四時四十分出港予定の洞爺丸に予定時刻を変更させ、第十一青函丸の乗客及び貨車を移乗させるよう指令した。  この乗り換えが終ったのが十五時十五分、洞爺丸は出港準備完了のまま、船長の指示を待った。  其《そ》の後、十七時すぎ、風速は急に衰え、雨もやんだ。雲のあい間からは陽がさし始め、西の空は真赤な夕やけになった。  船長はこの晴れ間を見て、航行可能と判断し、出港の命令を下した。  ところが、これから約一時間後の十八時過ぎ、突然風向が南に変ったとみるまに、平均風速三十|米《メートル》という暴風雨となった。二十時から二十一時頃は、実に、瞬間風速五十米を超え、遂に世界海難史上|稀《まれ》にみる大惨事となったのである。  洞爺丸、第十一青函丸、日高丸、十勝丸、北見丸の五隻が沈没し、千数百人がその犠牲となった。  第十一青函丸船長溝上敬吉や洞爺丸機関部員、室伏秀夫もその中の一人だった。  その夜の秀夫の働きぶりが、生き残りの乗員の口から伝えられた。  それによると、風のもっとも強くなりだした二十時頃から、船内の海水の浸入がものすごく、このため、船にとっては心臓ともいうべき、機械室、汽缶室への浸水がはじまった。もし、海水のため汽缶の火が消えれば、船はたちまち押し流され、座礁顛覆《ざしようてんぷく》することは目に見えている。秀夫たち機関部員は必死になって水と闘った。  浸水のため復原力の減少した船体は、激しく動揺し、何かにつかまらなければ立っていることも覚束ない状態だった。  それから約二時間後、必死に守り続けた三、四、五号缶の火が遂に消えた。それでも一、二号缶はまだ守られていた。  二十二時十二分頃、船長は航行をあきらめ、全員に救命胴衣の着用を命じ、避難体勢をととのえさせた。  そして、二十二時四十分頃、七重浜沖で座礁し、そのまま横転沈没したのだった。  秀夫は最後まで一、二号缶のそばを離れず、火を守っていたという。  彼はこのとき二十六歳、妻の奈津子は妊娠五か月だった。  一年は夢のように過ぎた。  秀夫の遺骨を塩谷の両親の墓の傍へ納め、更に秀夫が世話になったボースンこと、溝上敬吉の遺骨をその隣りに埋葬した。  溝上には血縁関係者が絶えたのか、誰《だれ》も遺骨の引き取り手がなかった。  奈津子はもちろん雄一郎夫婦の家に引き取られ、三月六日、皇后誕生日の日に丸々と肥った男児を出産した。  名前は雄一郎が考え、秀彦とつけた。  やがて、秀夫の一周忌も間近い八月二十五日、七重浜の遭難現場のよく見える函館山の中腹に、十五号台風による海難慰霊碑が建てられ、その除幕式が行なわれた。  雄一郎も有里と奈津子を連れて式に参列した。  式のあと、雄一郎たちは大勢の人の群をはなれ、港や函館市内の見晴らせる場所へ行った。  港も空も、一年前のあの事がまるで嘘《うそ》のように穏やかだった。静かな海面におもちゃのような船がひっそりとへばりついている。その平和なたたずまいに、雄一郎も有里も戸惑いすら感じるほどだった。  有里は若い頃、この山に今日と同じように夫と共に登ったことがあるのを思い出した。初めて姉の弘子と共に北海道へ来た時のことである。  有里はそっと夫の横顔を見た。  昔は黒々としていた髪の毛に、随分白いものが混っている。  雄一郎はじっと放心したように、向いの山の上に高く湧《わ》いている入道雲を見詰めていた。  有里はふっと不安に襲われた。 「あなた……何を考えていらっしゃるんです……秀夫のことですか?」 「フム……」 「秀夫のことだったら、もう忘れましょうよ、いくら考えてもきりのないことですもの……私たちがいつまでも悲しんでいては、あの子がかえって浮かばれませんわ……」 「そうじゃないよ……」  雄一郎がふりかえった。 「俺はあいつのことを思い出して哀《かな》しんでいたんじゃない……あの雲の向うの秀夫の奴《やつ》に、あの晩、よく機関部員としての職責をはたし、最期まで汽缶の火を守ってくれた、よくやったと褒《ほ》めてやっていたんだよ」 「あなた……」 「心配しなくていい、俺はまだまだ老いぼれやせん……第一、秀夫の奴がこんな小さな奴を俺に預けて行っちまったじゃないか……」  雄一郎はそう言うと、まるで壊れ物にでもさわるような手つきで、奈津子から秀彦を抱き取った。 「こいつの為にも、俺は長生きして働かなきゃならんのだ……」  雄一郎は秀彦に眼を細めた。しかし秀彦は何が気に入らないのか顔をくしゃくしゃにして激しく泣いた。 「おお、よしよし……」  有里があわてて雄一郎から赤ん坊を取り上げた。 「おじいちゃんは下手くそねえ……よしよし、よしよし……」  さすがに馴《な》れた手つきであった。 「さあねんこしましょうね……坊やはいい子だ、ねんねしな……」  いつか有里の顔からも、哀しみや不安はあとかたもなく消えていた。  そこには最早《もはや》、赤ん坊をあやすことのみに熱中する、ごく当り前の女の表情しか無かった。  有里の歌う子守唄《こもりうた》が、蒼《あお》く澄み切った北海道の空に遠く流れた。  風にのって、汽笛がかすかに聞えた。  いま、遥《はる》か下界の函館駅を、白い蒸気を吐きながら、列車が長い旅路へと出発するところだった。 角川文庫『旅路(下)』平成元年1月20日初版発行            平成11年4月20日17版刊行