MELTY BLOOD   真・最強の敵 oh my sister!                     TYPE-MOON ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)真祖《アルクェイド》 |:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号 (例)私が|シエル《あのひと》を [#]:入力者注 改頁処理、 挿絵表示 (例)[#改ページ] (例)[#挿絵(img/001.bmp)入る] ------------------------------------------------------- 八月初頭。        交通量一時間あたり平均五台。        電鉄使用者一日推定百人前後。        気温、摂氏三十八度。          ───その夏。         あまりに息苦しい暑さに、      窒息するサカナみたいと誰かが言った。  街を歩いていたら、そんな台詞とすれ違った。  おかしな話もあるものだ、と独りで笑う。  水槽の中でサカナは窒息するだろうか?  地上に打ち上げられたサカナならともかく、水の中でサカナが窒息するとは思えない。  ……少しだけ考える。  放置された熱帯魚。  お腹を見せて浮かぶ死体。  濁った水。  緑色の水槽。  パクパクと口を動かす死んだサカナ。  ───ああ。  なるほど、それは巧い喩えだ。  それらの単語は今夏の状況にとても近い。  灼けた空気は手に取れそうなほど暑く、視界は陽炎に揺らいで十メートル先さえ見えない。  日中だというのに人影はなく、街は廃墟のように静か。  道路には自動車の影さえなく、道の真ん中で眠っていても車に轢かれる心配はないだろう。  そう言った意味で、街は深海に沈んだ古代都市じみている。  だからサカナというのは言い得て妙だ。  自分こと遠野志貴も、浅い白色の闇をあてもなく泳いでいる。  おかしな夏だった。  誰もいない訳でもないのに、街には誰もいない。  プラットホームはいつも無人で、人を乗せた電車だけが通り過ぎていく。  そんな反面、注意深く目を凝らせばいたる所に人影があった。  大きなデパートは相変わらず盛況、喫茶店は連日満員。  廃墟のようなのは外だけで、建物の中では例年通りの夏があった。  そう、誰もが建物の中で過ごしている。  それは外があまりにも暑いからではなく、或る、一つの噂に因る物だった。  「———聞いた?   昨日公園でさ、また誰かいなくなったんだって———」  「———それって噂の吸血鬼殺人ってやつ?   うわ、まだ終わってなかったんだね、アレ———」  また、そんな話し声が聞こえてきた。  いつすれ違ったのか、数人の女の子が楽しそうに話している。 「———ねえ、君たち」  振り返って声をかける。  道には誰もいない。  街は廃墟のようだ。  声が空耳だったように、通り過ぎた女の子たちも蜃気楼。  彼女たちにすれば、すれ違った自分も陽炎だったに違いない。  気になって公園に足を運ぶ。  公園には人影はなく、静けさは深夜のものだ。  とすると、白夜というのはこういう物なのかもしれない。 「———アレだろ。ほら、ちょっと前にもいたじゃんか。猟奇殺人っての? 無差別に女を殺してまわってた殺人鬼がさ———」 「———知ってる知ってる。戻ってきたんだろ、ソイツ。聞いた話だけどさ、昨日も路地裏でバラバラ死体が———」  話し声に釣られて振り返る。  学生服の少年たちは白夜に霞みながら消えていった。  それが、遠野志貴が一人で街を歩いている理由だった。  いつ頃からこうなっていたのか、街ではおかしな噂が広まっていた。     曰く、あの殺人鬼が戻ってきた。     曰く、被害者は残らず血を抜かれていた。     曰く、殺人鬼は死神のような吸血鬼だった。  忘れ去られていた一年前の事件。  しかし吸血鬼の再来など有り得る筈がない。  なにしろ犯人はすでに死亡している。  第二、第三の吸血鬼は出現しない。  だというのに、噂には歯止めがきかなかった。  街中で囁かれる犠牲者は日に日に増えていく。  昨日は公園。今日は路地裏。そうなると明日あたりは学校か。  犠牲者は増え続ける。  噂は信憑性を高めていって、今では誰も彼も夜には出歩かなくなってしまった。  ……そんな事も、一年前とうり二つ。          窒息するような猛暑。          人通りが絶えた街並。      そして、何より不思議な事なのだが。  ————街では、猟奇殺人など起きてはいなかった。  ちょっとした立ち眩み。  朝から街を歩いて疲れたのだろう。  喉も渇いた事だし自販機で飲み物でも……と思ったところで、財布がない事に気が付いた。 「あっちゃあ───なんか、最近ついてないな」  呟いて、ああ、と納得。  その台詞もこの夏の流行語だ。  実際、通り過ぎる人たちも似たような台詞を呟いている。  運が悪い。  不安が的中。  裏目ばかり出てしまう。  暗剣殺とでも言うのか、この所ちょっとした事故が続いている。  かく言う自分も階段で足を滑らせたり、  翡翠の着替えを偶然覗いてしまって秋葉と琥珀さんにいびられたり、  アルクェイドとの約束を微妙に勘違いして怒らせたり、  先輩が大事にしていたお皿を割ってしまったり、  小さな不幸に事欠かない。  これが単に暑さで注意力散漫になっている……という事なら不思議でもなんでもないのだが、運が悪いのは自分だけではないようだ。  あれで結構やる事に欠点がないアルクェイドや冷静沈着なシエル先輩、完璧主義者の秋葉や掃除マスター翡翠までもがミスを連発する始末。  ここまで偶然が続くと気味が悪いというか、つまり。   「————それは、偶然ではなく必然では?」 「え……?」  また、すれ違いざまに誰かの言葉。 「————————」  後ろで誰かが振り向く気配。 [#挿絵(img/001.bmp)入る]         「——————失礼」  見知らぬ少女は素っ気なくお辞儀をして去っていった。 「……珍しいな、外人さんだ」  と、そんな事はないか。  外人さんと言えばアルクェイドもシエル先輩も外人さんなんだから。 「────────」  けれど酷く後ろ髪を引かれる。  しばらく立ち止まって理由を考え、数分して思い至った。 「なんだ、ようするに」  答えは簡単。  こうして街を彷徨いだして二日も経って。  ようやく姿を確認できた最初の“誰か”が、今の少女だったのだ————  そうして立ち眩み。  長いこと立ち尽くしていたから暑さにやられたのだろう。         ……まったく、本当に。      今年の夏は、性質《たち》の悪い夢のようで────  遠野志貴との接触を断った。  すれ違いざま彼の脳に刺していたエーテライトを引き抜き、十分な距離をとる。  ……おかしい。  失敗したのか、遠野志貴は不可思議な顔付きで私を見つめていた。  ミクロン単位の細さであるフィラメントが見抜かれる事はないと思うのだが。 「————なんだ、ようするに」  遠野志貴は意味不明な言葉を発すると、花壇に腰を下ろした。  立ち眩みだろう。  読みとった情報通り、彼の健康状態はあまり良好とは言えないようだ。 ◇◇◇  ……ここが、件の路地裏。  人の姿はおろか、一週間ほど遡っても人間の気配が感じられない場所。 「ここで遠野志貴は“真祖《アルクェイド》”と協定を結び、混沌と戦う事になった」  一年前の話だ。  物体の寿命、  存在の終わりを視覚できる“直死の眼”を持つ遠野志貴は、  ここで真祖であるアルクェイド・ブリュンスタッドと知り合った。  いや、正しくは二度目の出会い。  一度目は遠野志貴による一方的な干渉で、その時の彼は殺人嗜好に支配された危険人物だった。  ……うん。記憶を読んだ限り、遠野志貴は善良な人物だ。  けれど突発的に殺人行為を求めるのは変わっておらず、彼を安全と断定する事はできない。 「存在の“死”を読みとれる遠野志貴は、ナイフを使っていかなるモノをも解体する。不死身である真祖を殺せたのは遠野志貴だけだった」  真祖。  現代においても色あせない怪奇伝承の一つ、吸血鬼。人の血を吸い、不死身で、陽の光の前に灰となるリビングデッド。  その発端となった吸血種を、この世界では真祖と呼ぶ。  真祖に噛まれ血を吸われた人間は、彼等と同じように人の血を吸う怪物となる。  そうして真祖によって吸血種になったモノを、我々は死徒と呼ぶ。  現在では吸血鬼の大部分は死徒と呼ばれる亜種だ。彼等の中でも最も古く力のある死徒は二十七人おり、彼等は二十七祖と呼ばれている。 「そのうちの一人、混沌はこの地で消滅。  そればかりか祖として扱われていたアカシャの蛇もここで転輪を終えている」  二十七祖の十位、ネロ・カオス。  番外位アカシャの蛇、ミハイル・ロア・バルダムヨォン。  教会の騎士団でさえ放置するしかないと言われていた両名が、まさかこんな極東の地で消えるなんて誰が予測しえただろうか。 「……いいえ。予測していたモノなら一人」  予測。いや、あくまで可能性の一つとして上げていたモノなら一人いたのだ。  尤も、その人物とて詳細を予測していた訳ではない。  ただ彼の計算式の答えが『この土地で祖が滅びる』という物だっただけ。 「ともあれ祖は滅びて、真祖はいまだこの土地に残っている。監視役として教会の代行者も駐在しているし、他にも色々と歪みがある」  日本という国は私たちとは違う勢力図を持つ一団だ。この小さな島国の中で独自の規則を作っている。  その一つとして、魔は魔によって管理させる、というルールがあるのだろう。  ここ一帯の魔を統括しているのは遠野という一族で、今の当主は吸血種に酷似した混血であるらしい。 「……遠野秋葉、か。そちらにも興味はありますが、今は真祖と彼の確保が先ですね」  私には時間がない。  ヤツの発生地域の割り出しに時間をかけすぎてしまった。  今回を逃せば次はないだろう。  三年前、教会の手を逃れたあの吸血鬼。  私はソレを自分自身の手で葬らなければならない。 「満月まであと数日。こんな、何の勝算もなしで事に挑むなんて、認めたくはないのですが」  アトラスの錬金術師にあるまじき行為だ。  けれど遅すぎた訳ではない。  三年前。  吸血鬼討伐が失敗した時から、私はアトラスと離反した。  脱走者である私を連れ戻す為、魔術協会は広範囲に渡って手配書を回しているだろう。  逃走を続けてきた肉体と精神はとうに平均精度を下回っている。  それでも──── 「————間に合った。  私には、まだ可能性が残っている」  急がなければならない。  私の目的はただ一つ、吸血鬼の殲滅だ。  人の身を冒す吸血鬼という病魔、この街に根付いた吸血鬼。  その両方を、私は排除しなければならないのだから─── [#改ページ] 1/出会いと再来 Enter      “シオン・エルトナム・ソカリス。       これを次期院長候補と任命する”  勅令を告げる学長はいつも通りの渋い顔。  その他大勢の院生と教官は目を見開いていた。  ざわめきは収まらず、何百という視線が私に向けられた。  まさか、という驚愕。  許されない、という非難。  信じられない、という否定。  言葉にならない声は、全魔術で言う呪詛のようだ。 “シオン・エルトナムは、以後シオン・エルトナム・アトラシアと称するように。  彼《か》の者には教官の資格が与えられ、扱いは特使と同格である”  学長の言葉は絶対だ。  それは権威から来る物だけでなく、言語そのものに絶対的な命令権が含まれている為だろう。  院生たちは抗議を呑み込んで、ただ私を睨みつけるばかりだった。 「────」  私に格別変化はない。  議会堂の中で平静を保っていたのは学長と私だけだった。  他の者達──院生ばかりか教官たちまで、有り得ない出来事に言葉を失っていた。  それも当然だろう。  私はこの時、シオン・エルトナム・アトラシアとなった。  名にアトラスを冠する錬金術師はこの学院における代表と同意だ。  それが院生の中から、しかもエルトナムの者に与えられようとは誰が予測し得ただろう。 「────────」  その時。やはり私は冷静だった。  事前にアトラシアに選ばれると報されていた訳ではない。  単に今のアトラス協会の中で、後継者に必要な能力を持っている人間が私以外にいなかっただけ。  驚くというよりは、当然すぎて退屈だった。  ……それからの生活は、一体何が変わったのだろう。  私の環境に変化はなかった。  私の家であるエルトナムは没落貴族で、周囲からの軽蔑は相変わらずだ。  私は優れた生徒である事を証明して、先祖が冒した罪を帳消しにしている。  周囲の人間は私を排除したがっていて、  私が優等生である以上は無視するしかなく、  アトラシアとなった私は、彼等を排除できる立場になった。  彼等は私の報復を怖れたらしい。  彼等がした事と同じ妨害が返ってくると予想したのだろう。  侮らないで貰いたかった。  私は貴族だ。  罪人とはいえエルトナムは貴い血を伝える一族なのだから、私情で権力を振るう事などない。  そもそも、私は彼等に対して何の感情も抱いていない。  私は、私を遠ざけようとしていた彼等を、望み通りに遠ざけた。  それも以前と変わらない。  私は誰も必要としていないのだから、彼らと関わる必要がない。  私は予てから必要だった研究室を貰い、優れた生徒であり続けた。     それが八年前の出来事だ。     何が正しくて、何が間違っていたのか。     ————正直、今でもよく解らない。 「……いけない、もうこんな時間だ」  目を覚ます。  疲れが溜まっているのか、意味のない夢を見た。  いや、夢を見たのだからまだ余裕があると言うべきか。  精神的な負担が大きいとユメなんて見ないと言うし。 「……日中動きすぎたせいだろう。昼間の温度はどうかしていたし」  日本の夏は暑いと聞いたが、まさかこれ程とは思わなかった。  砂漠生まれの私でも、この街の陽射しは強すぎる。  日中の暑さは眠ってやり過ごしたのだが、おかげで起床時間を守れなかった。 「……寒い夜。休みすぎたのかしら」  どちらにせよ混乱しているのは確かなようだ。  まともに睡眠を取って情報を整理しなくては、いずれ破綻してしまう。 「……その前に、発生場所を確認しておかないと」  体が動く内に準備を終えておかなければ。  幸い、この街のデータは遠野志貴から引き出してある。どこが情報の発生源なのか判明しているのだから、無駄な移動はしなくて済む。 「ああ、そう言えば……遠野志貴。彼の確保も優先事項でしたね」  時刻は午前零時前。  彼の巡回経路は三通りだ。  さらりと、彼が何処に現れるかを先読みした。 ◇◇◇ 「……と、あとはここだけか」  見慣れない広場に出る。  オフィスから少しだけ外れた広場。  少し前までは街で二番目に大きい公園だったここは、今では私有地となっている。 「うわ。下から見るとほんとおっきいな、これ」  建築途中のビルを見上げる。  来年の春に完成予定の一大建築。  何に使われるかはいまだ不明で、一大デパートになるだの、某電子産業の本社になるだの、まあ色々と噂されている。 「周りも整地しちまってまあ。ここまでやらなくてもいいのにな」  ビルの周囲は鏡のようにまったいら。  神殿《シュライン》、というビル名に相応しいと言えば相応しいが、正直これはやりすぎだろう。 「────さて」  息を潜めて周囲の気配を探る。  周辺に人影はない。  吸血鬼殺人が再発した、という正体不明の噂によって、夜出歩く人間は皆無になった。  特に公園や路地裏に人影は見られなくなったが、それとは別の意味でここには人がいない。 「……ま、私有地だし。  俺みたいに不法侵入しないと中に入れないんだから、人影なんてある筈……」  ───と。  唐突に吐き気に襲われた。  指先が痺れ、喉が渇きに満たされる。  鼓動が早まる。  脳の後ろから毒が染み込んでくる感覚。  知らず、右手はポケットへ走り、音もなくナイフを取り出した。 「────この、感覚」  ……以前何度か感じた悪寒だ。  体質なのか、遠野志貴《じぶん》は“人間離れ”した連中を前にすると、こんな感覚に襲われる。 「…………」  ……気配がする。  すぐ近くに誰かが立っている。  誰もいない筈の私有地にいる人間《だれか》。  微かな悪寒。  そして、再来した吸血鬼———— 「……けど、なんか……」  妙に気配が違う気がする。  反応が弱いというか、単に“普通とは違う”といった異分子に対する違和感というか。 「──ええい、ともかく確認……!」 「もしもし? そこ、誰かいる?」  ナイフを背中に隠して話しかける。  ───と。 「こんばんは。何か用でしょうか」  突然話しかけられたっていうのに、少女は平然とそんな事を言ってきた。 「────」  その姿に、ドキリとした。  特徴的な服装と帽子。  可憐、と言う言葉が恐いくらい似合う顔立ちと、明らかに日本人ではない風貌。 「何か?」 「あ──いや、別に用ってわけじゃないんだけど、その」 「その──すまない、人違いだ。ぶしつけに声をかけて、悪かった」 「いえ。悪かった、という事はありませんでした。むしろ人に挨拶をするのは自然ではないでしょうか」  さらりとした口調。  ……言われてみればその通りだ。  なんか、最近の自分はすさんでしまっているのかも。 「……そうだった。遅れてしまったけど、こんばんは」 「はい、はじめまして」 「それで、貴方はここで何をしているのですか。こんな時間に捜し物でも?」 「え? ……ああ、まあそんなところ。そういう君こそどうしたんだ。夜は危ないって話、知らない訳じゃないだろ──」  ……って、そっか。  外国の人なら街の噂には無頓着なのかもしれない。観光に来ただけなら、一年前の吸血鬼殺人なんて知らない訳だし…… 「なんでもない。……あの、なんでこんな所にいるかは知らないけど、あんまり人気のない所にはいない方がいい。何が起こるか判らないからさ」 「────」  少女はこっちをじっと見つめてくる。  ……当然か。いきなり話しかけて、訳わかんないコトを言ってるんだから。 「いえ。何が起こるか判らない、という事はありません。どのようなカタチであれ、結果的に吸血鬼が現れるだけですから。貴方だってソレを捜す為に巡回しているのでしょう、遠野志貴」 「な────に?」 「私たちが捜しているモノは同じだと言っているのです、遠野志貴。……もっとも、目的は大きく異なりますが」  無表情のまま少女は言った。  悪寒が蘇る。  こめかみには針のような頭痛。 「貴方のようなイレギュラーは答えを乱す。起動式が始まる前に刈り取ってしまわないと、今回もよくない結果になりますから」  少女は僅かに腕を揺らした。  カチャリ、という聞き慣れない音。  少女の手には、黒い拳銃が握られていた。 「————抵抗するのならどうぞ。  私の名はシオン・エルトナム・アトラシア。  ここで、貴方の自由を奪う者です」  少女の体が跳ねる。  見知らぬ異国の少女は、有無を言わさぬ速度で襲いかかってきた。 [#挿絵(img/WIN_SION.bmp)入る] 「っ……!」 「戦闘終了。四番、六番思考停止」 「結果は出ました。戦闘における貴方の選択肢はわずか70。いかに貴方が突然死を持とうと、それだけの戦術幅では予測できない筈がない。」 「くっ……この、何が目的だ、おまえ……!」 「私が貴方に危害を加えた事ではなく、私そのものに違和感を覚えたのですか。……的確な直感です。  確かに貴方が感じたように、私は貴方が戦ってきた者たちとは系統が違います」 「────」 「抵抗は止めるべきです。私は貴方の命に興味はない。ただ貴方という要素が必要なだけですから、抵抗しなければ危害は加えません」 「え───って、人の頭に触るな、こら!」 「少しは落ち着きなさい。貴方にこれ以上危害は加えないと言ったでしょう。今のはエーテライトを脳に接続しただけです」 「はい……? の、脳に接続したって、一体何を……?」 「エーテライトと呼ばれる擬似神経。  貴方でも判るように言うのでしたら、ミクロン単位の繊維です。  肉眼では捕えられない細い糸、とイメージするのが最適でしょう」 「……!」 「……うそ。なんか、こめかみあたりに妙な違和感があるけど、これって───」 「ええ。皮膚に密着したエーテライトは身近な神経と接触、融合する。  エーテライトの最大距離は5000mですから、貴方の体全てに浸透する事は容易です」 「ここまで説明すれば理解出来たでしょう。貴方の思考と肉体は私にハッキングされました。  今後、貴方の行動は私が管理します。異論はありませんね、遠野志貴」 「……異論はありませんね……って、無いわけないだろこのアンポンタン! おまえ、何者だか知らないけどアタマは正気か!?」 「失礼な人ですね、貴方は。私は極めて冷静であり合理的に会話を進めている。  遠野志貴、今の発言に訂正を願います」 「訂正なんかするか、ばか! いきなり襲いかかってきたあげく、次は俺を管理するだぁ!? おまえが正気だって言うんなら俺はとっくに気が触れてるよ。  まったく、アルクェイド以来だこんなデタラメ。いや、それ以上のデタラメ野郎だぞおまえ!」 「デ、デタラメですって────!?」 「デタラメ、とは出鱈目、という事でしょう! なんという浅学さだ、錬金術師である私の行動を乱数に当てはめるなんて! いえ、出鱈目という言葉を無秩序として扱うなんて、その時点で確率を蔑んでいる! ええ、貴方の言う通り、遠野志貴は気が触れているとしか思えない!」 「え────う?」 「訂正なさい! 私はシオン・エルトナム・アトラシア、蓄積と計測の院、アトラスの錬金術師です! その私にデタラメとはなんという侮辱だ。私ほど本能を理性で統括し、研鑽し、高速で分割できる者はそうはいない! よいですか遠野志貴、そもそも私は女性であって男性ではない! 貴方風に言うのならデタラメ野郎ではなくデタラメ女郎というのが正しい!」 「────────」 「こちらこそ忠告させて貰えば、そちらの行動こそ法則性がないではないですかっ。ここ一年ばかりの貴方の情報は読みとらせて貰いましたが、その都度勝率の低い方低い方へと進むのには驚きを通り越して泣けてしまった程です! 遠野志貴という人間が今まで生きてこれたのは、まさしく億分の一の奇跡としか────」 「────────(びっくり)」 「ぁ────────」 「───話を戻します。  遠野志貴、貴方には私の研究に協力をして貰います。自由意思は尊重しますが、拒否権はないと考えてください。  貴方の神経の大部分はすでに掌握しましたので、従わなければ、神経を傷つけてでも従わせる」 「え、いや────(二度びっくり)だから、なんなんだよ、君」 「解らない人ですね。私の言うことを聞かないと神経焼きます、と言っているのです。貴方の頭部と繋がっているエーテライトには電流が流せますから、神経を焼く程度でしたら問題はありません」 「……(馬鹿だな、それだったら糸を切ればいいだけじゃないか。肉眼じゃ見えないって言うけど、メガネを外せば……)……」 「止めた方が賢明ですが。エーテライトは切断された瞬間、全体が焼失します。すでに神経と融合したエーテライトは貴方の神経も道連れにするでしょう。  ……そうですね、真祖のように体が頑丈な方々には効果はありませんが、人間には効果絶大です。  神経破損による障害より先に、痛みによるショック死の方が先になるかと」 「な────今、君」 「貴方の思考をリードしました。  エーテライトが脳に繋がっているのですから、どのような事を考えているかは読みとれます。主語と述語だけで、接続詞は読みとれませんが」 「……うわあ、びっくり。なんだって、こう」 (その、こういう物騒なのとばっかり縁があるんだろう、俺) 「誤解なきように。私は貴方に強制労働をさせる気はありません。あくまで私の目的と貴方の目的、そのどちらも果たせるような相互関係を提案したいだけです」 「……? お互いの目的が果たせるような、だって……?」 「はい。私の目的と貴方の目的は、多少なりとも接点があります。そうでなければこのような交渉は致しません」 「……よく言うよ。こういうのは交渉とは言わないだろ」 「私は成功率の高い手段を選んだだけです。貴方に協力して貰うには、この方法が最も適していただけの事」 「さあ、先程の疲れも回復したでしょう。私の戦闘方法は相手の体力を削ぐ事を目的としたもの。貴方たちのように相手の肉体を削ぐものではないのですから」 「……確かにね。ヘンな糸さえなければ、今すぐ走り去ってるところだよ」 「構いませんが。一度繋がった以上、私が外さないかぎりエーテライトは外れません。貴方が何処に行こうと、的確に追っていけます」 「はいはい。そんな事だろうと思った」 「で。互いに協力しあうって、どういうコト」 「言葉通りの意味ですが──どのような心境の変化ですか。あれほど私を罵倒していた貴方が、素直に話を聞いてくれるなんて」 「聞かざるをえない状況だからだろ。  それに、まあ、君は荒っぽいけど丁寧っていうか、一線を心得ているように見える。  さっきだって倒れてる俺にトドメはささなかったし、今だって極力話合いをしたがってる。  ……だから、まあ。別に他意はないけど、悪人には見えないかなって」 「倒れている貴方に追撃をしなかったのは、単に遠野志貴は追いつめると強力な反撃をすると判断したからなのですが……貴方がそうとったのなら良いでしょう。私が異論を挟むのは無意味です」 「では簡潔に話をしましょう。  私の目的は吸血鬼化の治療方法の確立です。  その一環として生きている吸血種のデータが欲しい。例えば、死徒と呼ばれる吸血種の元となった最初の一である真祖を」 「え……真祖って、アルクェイドの事?」 「はい。今では彼女が現存している最後の真祖です。  ……いえ、純度の低い真祖でしたら多少は存在していますが、私が必要としているのは真祖の王族であるアルクェイド・ブリュンスタッドのデータです」 「アルクェイドのデータ……それってアイツをモルモットみたいにするって事か」 「まさか。それが可能な相手ではないと貴方が一番良く理解しているでしょうに。  真祖にはあくまで協力して貰うだけです。彼女の血液と体液、身体の調査と真祖の吸血衝動の仕組みが知りたい。  できれば一週間ばかりラボに来てほしいのですが、それこそ吸血鬼化の治療より難しいでしょう。彼女が私に協力してくれるとしたら、それは貴方が同伴して、多少データを取る程度でしかない」 「? なんで俺が一緒だとアルクェイドが協力するって思うんだ、君は」 「そ、それは───貴方は、今地上で最も真祖に関心を向けられている人間だから、でしょう」 「ともかく、私の目的は医療という側面から吸血鬼を淘汰する事です。その為には多くの吸血鬼のデータが欲しい。  吸血鬼に噛まれ、人間でなくなってしまう人間。彼等の治療法は今まで不可能とされてきた。  私は、その不可能に挑みたい。  これは貴方の目的にも添っていると筈です。  一度、吸血鬼になってしまった知人を持つ遠野志貴なら」 「────」 「────なにか?」 「別に。君、弁が立つなって思って」 「正当な評価は喜ばしいですが、何故そんな事を言うのです?」 「いや。次に軽々しく彼女の事を口にしたら、君とは敵になるしかないと思っただけだ」 「────」 「……確かに配慮が足りませんでした。私が口にして良い事ではなかった」 「……いいさ。君の目的が吸血鬼化の治療だって言うんならいい。  確かにそれは、俺にとって大切な事だ」 「では協力して貰えるのですね、遠野志貴」 「ああ。けど君もよく分からないな。そこまで俺の事を知っているのなら、初めから話し合いをすれば良かったのに。吸血鬼化の治療って言われたら、俺は断れはしなかったよ」 「……そのようですね。これは私のミスです。遠野志貴という人間を、完全に理解していなかった」 「ですが、結果的にはこれが最良だったでしょう。口約束は確実ではない。貴方が私への協力を優先しなかった場合、幾つかの手段で貴方に問いただす事ができるのですから」 「はいはい。敗者は勝者に従えってコトね。それはもういいけど、俺だってそう暇じゃないんだ。こんな夜更けに歩き回ってたのも用があったからなんだぞ」 「噂の吸血鬼を捜しているのですね。その件に関しては何も言いません。私も、噂の吸血鬼には興味がありますから」 「? 君、噂の吸血鬼を知っているのか?」 「はい。この街にやってきて、その噂を聞きました。街の雰囲気もどこかおかしいですし、何らかの異状が起きているのは判ります」 「……そうか。よそから来た君でさえそう思うんだから、やっぱり噂になってる吸血鬼は本当にいるのかも知れないな」 「その真偽は定かではありませんが、真祖はその吸血鬼を追っているのでしょうね。彼女にとって死徒は処罰するべき相手。自分が居着いた街に現れたとあっては放ってはおかないでしょう」 「────! 君、アルクェイドが行方を眩ましてるってコトも知ってるのか」 「今、貴方がそう考えたのです。真祖が貴方を避けている、という事は、貴方を気遣って一人で解決しようとしているからでしょう。  ですから、噂になっている吸血鬼を捜せばおのずと真祖に出会える。その時に貴方がいてくれれば、真祖も私の話を聞いてくれる」 「……なるほど。俺に協力してほしい事って、つまり」 「はい。貴方には真祖との交渉の橋渡しをしてほしい。とりあえず、それが貴方に望む優先事項です」 「……はあ。そんな事ならお安いご用だけどさ。その、とりあえずって響きに不吉なモノを感じるんだけど」 「それは当然でしょう。先程貴方も言ったではないですか、敗者は勝者に従うものだと。私は貴方に勝ったのですから、多少の権利は行使します。それに何か不満でもあるのですか?」 「あるけど黙ってる。君だって噂の吸血鬼ってのを捜しているんなら、俺のやるべき事は変わらないんだし。アルクェイドを見つけるまでは協力するよ」 「賢明ですね。私も真祖との交渉が終わり次第、この国を発ちます。あまり長居するのも危険ですから。交渉がどのような形になろうと、それは私の能力の問題です。  ですから交渉が決裂しようと、貴方に繋いだエーテライトはその時に外します。  それでよろしいですね、遠野志貴」 「ああ、文句はないよ。けどさ、具体的に俺はどうすればいいんだ? アルクェイドがいそうな場所を案内したりすればいいのか?」 「いいえ、必要があればその都度指示を出します。貴方は私の言う事を聞いてくれればいいだけです」 「そうですか。それじゃあ指示をどうぞ、お嬢様」 「では街の調査を。私は不慣れですから貴方に先導していただきます」 [#改ページ] 2/アトラスの錬金術師 Extra Alchemist  そうして、彼女との巡回が始まった。 「それじゃあ先輩の言うところの魔術師とは違うんだ、君は」 「広く伝わるところの魔術師、とは違います。  現在、魔術師とは魔術協会で主流となっている秘儀の実践・解明者を指します。  錬金術は秘儀の実績ではなく、秘儀の開発にあると考えてください」 「開発って、新しい魔術を作っているのか?」 「魔術系統はすでに完成していますから、魔術ではなく技法の開発を。錬金術の名の通り、卑金属を貴金属に換える、というのが代表的ですね」 「あ、ピンときた。あれかな、銅を金にするってヤツかな」 「……ええ。ですがそれは中央協会の錬金術師です。私は彼等とは異なる錬金術師であるアトラス院の者。物質の変換にはあまり魅力は感じません」 「ふぅん。錬金術師にも種類があるんだ」 「種類ではなく派閥ですね。私たちは少々異端として扱われています。魔術協会は三大の部門に別れているのですが、アトラスはその中でも腫れ物として扱われているのです」 「あ、またその単語。アトラスって地名?」 「地名、でしょうね。アトラス山という、山一つを学院にした協会があるのです。……ロンドンの魔術師は穴蔵、と呼んでいます。周りは砂漠ですし、まあ、あながち間違いではないのですが」 「砂漠……? それじゃ君の故郷って」 「魔術発祥の地と言われています。単に歴史が古いというだけなのですが」  とまあ、複雑怪奇な会話をしながら夜の街を巡回する。  彼女は口数は少ないが無口という訳ではなかった。訊けば大抵の事は答えてくれるし、彼女の方から質問してくる事もある。  必要のない事は話さないけれど、必要なら丁寧にじっくりと話し込んでくる。 「……(もしかしてすごくお喋り好きなんじゃないかな、この娘)……」 「何か他に質問ですか」 「え、いや……それじゃあ、君のいう所の錬金術ってなんなのかなあ、とか」 「人間の研究。それ以外は錬金術というより科学と言えます」 「人間の研究? 魔術とか魔法じゃなくて?」 「はい。アトラスの錬金術師は、もともと魔力回路が少ない者たちの集まりだと言います。  彼等は自分たちが自然と関われない事を認め、あくまで人間として終着に至る道を志した。  その結果が現在のアトラス院。  私たちは唯一自由になる“自身の頭脳”を何よりも巧く使い、未来という設計図を作り上げる」 「未来を───作り上げる?」 「ええ。未来は起こるものではなく作るものだという事は、言うまでもないでしょう。  世界は今現在に揃っている材料で、良かれ悪かれ未来を作っていく。私たちはその材料を把握、調査し、未来を計測する。  確率の偏りを事前に変更させ、材料によって出来上がる模型を完璧な物とする。  魔力回路とは、言ってしまえば「根源」と呼ばれる「大元の一」に繋がる道です。魔術師はそれを通して理想の未来を引き寄せる。  けれど魔力回路が乏しい私たちは、あくまで自身の頭脳だけで理想の未来を作り上げようとしたとか」 「作りあげようとした……? 過去系だけど、それって……」 「失敗、したのでしょうね。  いつからかアトラスの錬金術師は未来の予測ではなく、各々が至高とする物事を作る事に専念しだした。  一説によると何代目かの院長が出してしまった「答え」をなんとか否定する為に、対抗する兵器を作り出そうとしているとか。いまだ院生にすぎない私には知り得ない事ですが」 「むむむ……? ようするに、君たちは」 「今では体のいい武器職人、という所でしょうか。それでも私たちの基本は秘儀と科学の融合です。それを成す為の技能が、アトラスの錬金術師の基本と言えますね」 「ふうん。じゃあその技法っていうのが、エーテライトとかいう糸なのか」 「エーテライトはエルトナムにのみ伝わる技術です。アトラスの基本は高速思考と分割思考。その後に変換式や加速式といった錬金術を修得します」 「??? 高速思考ってのは、響きの通り速く考えるって事だろ。じゃあ分割思考っていうのは……」 「それも言葉通りの意味です。アトラスの錬金術師は思考を分割して複数の思考回路を持ちます。  通常、人間の脳には思考をする部屋が一つしかありません。分割思考とは、この「思考の部屋」に間取りを作り、空間を幾つかに分ける技術です。  アトラスの錬金術師であるのなら、最低で三つの分割思考が出来なくてはならない。五つで天才のレベルですね。過去、最も優れた院長で八つだったと言います」 「……ふうん。ようするに脳っていう計算機が二つも三つもあるってコトか」 「別々にある、のでは意味がありません。  思考は複数ありますが、その目的はつねに一つ。  高速思考により記号化された複数の思考は、それぞれ別の物でありながら一つの命題解決の為に相互に情報を影響を与えつつ、やはり別々に動くのです。  単純に計算をするだけならば、現代では機械に迫られるかもしれません。けれど一つの定義を解くのならば、いまだ私たちに迫るモノはないでしょう」 「うわ。それじゃあすごく頭がいいんだ、君。  ……そうか、さっきの戦いの時、どうもこっちの動きが読まれてるって思ったのは───」 「貴方の行動は前もってシミュレートしておきました。ですがその通りに動く敵などいません。  あらゆる状況は秒単位で変化していきます。そのルートは系統樹の図式に近い。私たちはその分岐の毎に“次はどのルートになるか”という可能性を計算し、もっとも可能性の高いルートを選ぶ。  その結果として、先読みした通りの状況が起きる。  ……戦闘時における私たちは未来を見ているのではなく、未来に一歩だけ先に跳んでいる、というべきでしょうか。  ですから、先程の戦闘も私はつねに敗北の可能性を孕んでいました。  秒単位の選択肢で計算を間違えてしまえば、私はただの道化です。貴方が何かの気紛れで今まで優先純度が低かった行動をしてしまえば予測は外れ、私は呆気なく敗北していたでしょう。  尤も、そういった偶然性さえ予測する為の高速思考と分割思考なのですが」 「はあ。なんか凄いな。戦う前から勝負はついてたって感じだ」 「アトラスの錬金術師は“勝利しうる未来”がないかぎり戦いません。  ……私と貴方では、間違いなく貴方の方が戦闘者として優れている。  そういった場合、私は事前に貴方に勝つ為あらゆる手段を講じるでしょう。  私たちが戦う、というコトは勝てる材料が揃っている時だけですから。  けれど、私たちはそれでようやく互角にすぎません。  身体能力・魔力回路で劣る私たちは、未来を予測する事で最悪の展開を回避し続ける。そしてあらかじめ用意した逆転の位置に事態を導き、僅か一瞬の好機に全ての確率を注ぎ込む。  錬金術師は敵と戦うのではなく、己れの頭脳と戦う者。頼りとするのは自身のみ、刹那の思考に命を懸ける───それが、アトラスの錬金術師の在り方です」 「へえ。計算とか予測とか言っているわりには、根は勝負師みたいな印象だね」 「間違いではありません。ゲームマスター、という意味で、私たちはまさしくそれなのですから。勝負に懸ける者はすべからく冷静であり、同時に熱を感じていなければならないのです」 「(なるほど、確かにそんな感じだ)」  などと話しているうちに、街の主立った部分は回ってしまった。  彼女と歩き始めてすでに二時間近い。  その間にすれ違った人影はなく、街はひたすらに静かだった。  日中の、強い陽射しで焼き尽くされるような暑さはない。  夜の街はわりと涼しくて、散歩には最適と言えた。 「交番に在中している警察官はいませんね。街を巡回しているのでしょうが、一度も出会わなかった」 「え───ああ、そう言えばそうだな。せっかくパトロールしていても人と遇わないんじゃパトロールの意味がない。……って、今回はそれが幸いしたか」 「? 今回、とはどういう意味ですか」 「いや、だってさ。傍目から見たら俺たちってヘンなコンビだよ。これだけ目立つのもそういないんじゃないかな」 「……目立つ……? それは私たちが、ですか」 「どっちかっていうと、君が。  珍しい格好だし、お巡りさんに見つかったら職務質問されると思う」 「……質問、されるでしょうか」  と、彼女はチラチラと自分の格好を見て不思議そうに首を傾げた。  ……やっぱり。  そんな事だろうと思ったけど、彼女は自分の格好が普通だと思っている。 「私はおかしいのでしょうか」 「うん、目立つ」 「……………」  あ。なんか、不服そう。 「では、その時はその時です。質問をされた時は偽証するしかありません」 「おっけー。んじゃ、もし訊かれたら友達ってコトで誤魔化すから、君もそれっぽい口裏を合わせてくれ」 「─────────────────────────────────────────────────────────────────——————————————————————」  ルートはなんとなく帰り道になりつつある。  俺たちは巡回をはじめた高層ビル前へと戻ろうと足を進ませていた。  と。 「志貴」  後ろから、いきなり名前で呼びかけられた。 「え────」 「その、私の事はシオンと呼んで下さい。  と、友達なのですから、名前で呼び合わないといけません」  彼女───シオンは道ばたに立ち止まって、そんな事を言ってきた。 「————————」 「————————」 「————————」 「————————」 「……よし。それじゃあシオン、そろそろ戻ろうか」 「はい。私も、そう思っていました」  ───シオンとの巡回は何事もなく終わった。  シオンは大した理由も言わず、明日も街の巡回をやるのだと言う。 「明日の夜も今日と同じ時間に、ここで」  それだけ言ってシオンは去っていった。  エーテライト、とか言う怪しげなモノで繋がれている以上、こっちは彼女に付き合うしかない。  ……まあもっとも。彼女に強制されなくとも夜の街の巡回はやろうと思っていたから、別段なにが変わったという訳でもないのだが。 ◇◇◇      その夜も、気が狂いそうな程暑かった。  それは山間の村の出来事。  時間に停滞しているような小さな村で、その事件は起こった。  発端は一つの伝承。  たしか他の村から嫁いできた女性が三つ子を孕み、そのうち二人が死産だと良くない事が起きる、という昔話だった筈。  たしか二人の兄弟の血肉を奪って生まれ出た赤子は吸血鬼になって村に害を成す、だったろうか。  末代まで続く呪い。  村社会に浸透した、不文律の見えない法。  この国に倣って言うのなら祟り、だろうか。  ともかく、伝承は真実となった。  赤子は成長し、成人の日に吸血鬼となった。  無論、伝承を怖れた村人たちによって、成人する一日前に処刑されてはいたのだが。  その三日後。  吸血鬼によって村は全滅した。  前もって派遣されていた教会の騎士団も全滅した。  私は逃げて、逃げて、逃げて。      山道を走った。      夜明けまで走った。      出口などなかった。      呪いは自身に返る。      私を呪う私は、私から逃げられない。      目の前には      真っ黒い貌の“何か”が。 [#挿絵(img/BG21.bmp)入る]  夜明けは遠い。  僅か一夜だけしか存在できない吸血鬼に、全てが飲み尽くされた。  伝承は真実だった。  祟りは、自らを生み出した村人たちを滅ぼし尽くし、祟りである事を証明したのだ─── ◇◇◇  ……暑い。  異常な暑さ、くわえて無風。  砂漠の熱気に慣れている筈なのに、この国の暑さには耐えられない。  喉がカラカラに渇いていた。  野宿している為か、肌は甲羅のように硬くなっている気がする。 「水───水分が、ほしい」  ぼんやりと口にして、休めていた思考が回り始めた。 「……そう。ひどく苦しいと思えば、もうこんな時間だったんだ」  時刻は正午になろうとしている。  昨夜、志貴と別れてからここに戻って、そのまま睡眠。  睡眠時間は都合8時間というところか。 「眠りすぎた。これでは思考が鈍化してしまう」  ズキズキと痛むこめかみに指を当てて、ふう、と深呼吸をする。 「……呆れる。思考だけが私たちの武器だと言ったのに、これでは志貴に示しがつかない」  もっとも、彼がどのくらい昨夜の話を聞いていたかは疑問だが。 「……まあ。彼に示しをつける必要性はまったくないのだけど」  そう、示しをつけるとしたら自分自身に。  すでにアトラスとは縁がないとしても、私が錬金術師である事は一生変わらないのだから。  ───思考速度こそが私たちの魔術だ。  思考が速い事は当たり前。そこからさらに多展開する図面を競争させる技法を高速思考と言う。  そして、さらに優れた錬金術師は脳内に複数の区間を持つ。  高速思考が一人前の錬金術師の証だというのなら、区間の数は才能の証だろう。  分割思考と呼ばれるそれは、優れた錬金術師でも三つから五つが限度とされる。  志貴には「思考する」という部屋を分割する、と教えたが、それはあくまで平均的な錬金術師の分割である。  優れた錬金術師は、実際に「思考する」部屋そのものを複数持ち得る。  そして「部屋」は相乗効果を及ぼしている。  四つの分割思考が出来るという事は、二百五十六もの思考を持つ事。それも単純に二百五十六人の錬金術師分の計算が出来る、という訳ではない。  二百五十六の高速知性が、個々の隔てなく、同じ目的の為に淀みなく回転し互いを補佐するという事だ。  極限の鍛錬は、時に奇跡を起こす。  錬金術師の魔術とは、ようするにソレなのだ。  私たちは弱い。  身体は遺伝的に脆く、魔力回路さえ一般人以下だ。そんな私たちの祖先が作り上げた錬金術は、元となった錬金術《アルケミー》とは種が異なる。  終末を回避する為などと謳い、様々な兵器を創る。けれどその実、私たちは私たちを守る為に武器を作っているだけ。  それが成果をあげた事はない。私たちはただ作るだけだ。  なぜなら、私たちの学院にあるただ一つのルールこそが、“いかなる禁忌をも許すが、創造の解放を禁じる”なのだから。  彼等《アトラス》に触れる事なかれ。  それが中央の魔術師たちの口癖だ。  いつしか私たちは不可侵の、有り体に言えば腫れ物として扱われてきた。  私たちは何もしない。  ただ穴に籠もって、効率のいい兵器を作っているだけの魔術師たち。  私たちを暴くという事は、世界を滅ぼす兵器を開封するという事に他ならない。  故に、私たちはこう呼ばれる。  ───アトラスの錬金術師。  それはかつて天を支えながら、ただ黙していた巨人の名前。 「……アトラス院の中でさえ理解者のない、独りきりの錬金術師達には相応しい名称」  ───別に、それがどうという事もない。  私はまだ若いから夢物語に憧れているだけだ。  歳をとって成熟すれば、青い夢なんて見なくなる。 「……夜までまだ時間はある。少し情報を集めておこうかな」  志貴を私の目的の為に協力させているのだから、私も彼の吸血鬼捜しを手伝うべきだろう。  だって、彼は─── 「仲間、なんだから」  しかも同年輩。  おかしな話しだけど、私は外に出るまで自分と同い年の人間というものを巧くイメージできなかった。  つまり、その、それほど同年代の相手を知らなかったという事である。  それが異性だとしたら、もう私の理解を超えていると言ってもいい。 「……ふん。志貴のデータはもう十分すぎるほど取っている。理解できないコトなんてない」  だから、彼が私に協力してくれるコトは判っているし、信用できる。  彼のロジックには“裏切る”という命令がキレイさっぱり抜け落ちているのだから、契約さえしてしまえば裏切られる事がない。 「───だから少しだけ。  彼の労働に見合った労働を、私もしないと」  言い訳じみた台詞を呟いて立ち上がる。  ……そうして思った。  言い訳なんて物をしたのは、これが初めてではないだろうかと————  街の様子は変わらない。  人の居ない大通り。陽炎に燻る街並。たまに人とすれ違うクセに、振り返れば誰もいないおかしな空虚さ。 「────────」  暑い。白く溶けてしまいそうな、清らかで淀みのない陽光。  早く大きな建物に入って、そこに集まっている脳から情報を引き出そう。  私の二つ名は霊子ハッカー、シオン・エルトナム。神経に強制介入するモノフィラメント、エーテライトはこの為にある。  人間の脳を破壊する事が目的ではないのでクラッカーとは呼ばれない。  ……いや、違う。  別にそんな事をしなくてもいい筈だ。  私はただ再来したという吸血鬼の情報を集めるだけ。  たとえそれが、すでに知っている物にすぎないとしても。 「……………………っ」  疲れが溜まっているみたい。  喉は渇いて苦しいし、疲れた体はキシキシと軋んで縮んでいくようだし。 「は————あ」  肺にたまった空気を吐き出す。  吐息は熱くて火のようだった。 「くる……し」  微かな目眩がする。  休まなければ。本当にまともな睡眠をとらないと負けてしまう。  私は、もってあと二日か三日。 「でも、私はまだ活動できる」  動くうちは動く。それは生物として当たり前の事だ。  昨夜の戦闘によるダメージが抜けきっていないが、活動に支障はない。  速く済ませて寝床に戻れば、すぐに夜になってくれるだろう。  情報収集は容易く終わった。  街の住人は、その大部分が“吸血鬼”の再来を知っている。  だがその信憑性は薄く、志貴が知っている情報と大差ないものだ。 「……だと言うのに、みな噂を否定しない。  信憑性が皆無だというのに、当然のように認められている噂」  街の人々は誰もが悪い予感を抱いている。  無人の街並は彼等の心の在り方だ。  街は今日も、そして明日も暑く揺らめくだろう。  舞台は記録的な猛暑に襲われているだけの街。  そこに生じた何か発端の判らないおかしな齟齬。  よくない思い付き、不吉な予感、賽の裏目。  偶然か、“不安”と呼ばれる虞れが次々と現実化する暗い夜。  一度も殺人事件など起きてはいないのに“いる”とされる、帰ってきた吸血鬼。  そして。  無人と化した深夜、ビル街を徘徊する謎の影。 「……悶えるような熱帯夜のなか、月はじき真円を描く……その時までに、私は」  この、正体の判らない“噂”を、確かなカタチに導かなければならないようだ。 ◇◇◇  シオンは時間通りにやってきた。 「時間通りですね、志貴」 「ああ、なんとか屋敷を抜け出してこれた。秋葉のヤツがなんか挙動不審でさ、しきりにロビーをうろついていて困った困った。……もしかして俺が夜出歩いてるってバレてるのかな」 「それは無いと思いますが。志貴から引き出したデータからでは、遠野秋葉という人物はそのように回りくどい監視はしないでしょう」 「……む。それはまったくもって」 「その件は志貴の問題ですから、私には無関係です。それより真祖の件はどうなりましたか」 「ああ、それなんだけど、どうも捕まらなくて。アルクェイドの部屋に書き置きしておいたから、明日にはなんとか」 「そうですか。彼女が志貴に気を遣って吸血鬼を追っているのなら、事件が解決するまで志貴には近づかないでしょうし」 「けれどこうとも考えられますね。街で噂になっている吸血鬼は一年前の吸血鬼ではなく、一年前から街にいた吸血鬼なだけかしれない、と」 「───シオン、君」 「そもそも真祖こそ、最も強い吸血衝動を抱える生物です。彼女が一年間も人間の街にいて、何一つ事件が起きなかった方がおかしい」 「それは違う。アルクェイドは人間の血は吸わない。シオンは知らないだけだ。  アルクェイドは───」 「吸血鬼ではない、と言うのでしょう? 志貴がそう言うのなら、真祖はそうなのでしょう」 「ですが、この街に吸血鬼が再来したというのなら、真祖以外に吸血鬼がいなくてはおかしい。人々の噂にはモデルとなったモノがある筈ですから」 「噂のモデル……? それって一年前の事件の事だろ」 「それはモデルではなく原因でしょう。ここまで明確になった噂には、必ず目撃談がなくてはならない。  真偽はさておき、“夜に徘徊している謎の人物”という実像がないとおかしいではないですか」 「……?」  シオンの言う事はちょっと解りづらい。 「噂が真にせよ嘘にせよ、元になったモデルは必ず有るという事です。真祖が追っているのもそのモデルでしょう。  ですから、そのモデルさえ見つければ良いのです。私は真祖に出会えるし、貴方は噂の吸血鬼と対面できる。これはとてもシンプルだと思いますが」 「……そうか。ま、言われて見ればその通りだ」 「でしょう。それでは今夜の巡回を開始します。昼間のうちに情報は集めておきましたから、噂の元となった場所を重点的に回ります」 ◇◇◇ 「今度は路地裏か。あそこもよくよくついてない場所だよな」 「ついていない場所、というよりは立地条件が良すぎるのでしょう。これから行く路地裏は、都市の死角として理想的すぎ────」 「シオン? どうした、何かあったのか」 「血の臭いがします」 「え……?」  ……シオンは吐き気を堪えるように顔に手を当てる。それだけ血の匂いが濃いのだろうけど、こっちはまったく感じない。  これでも血の匂いには人一倍敏感だと自負していたんだけど……。 「志貴は真贋を嗅ぎ分けているだけです。  これは擬似的な血の匂い。今のこの街には相応しいですが────」 「っ、何処行くんだシオン!」  シオンを追いかける。  シオンは路地裏へ入っていった。 「なんだ、やっぱり血の匂いなんて───」  路地裏に変化はない。  ただ、街の噂の所為だろうか。  一年前のように、路地裏が血にまみれている光景が脳裏に浮かんでしま──── 「────!?」 「そこにいるのは誰です!」 「!?」  がたん、という音。  物陰に隠れていたのか、潜んでいた何かは音もなく路地裏を走り去っていく。  その一瞬。  走り去っていく人影の髪がなびくのが見えた。  背中までかかる、長い長い赤い髪。  それは、間違いなく─── 「志貴、追いかけます!」 「あ────ああ、わかった!」  街は無音。  俺たちの走る足音だけがカンカンと響く中、俺たちはソレと遭遇した。 「に、兄さん……!?」 「秋葉──おまえなんで、こんな所に」 「そ、それはこちらの台詞です! 消灯時間はとっくに過ぎているのに、屋敷を抜け出して何をやっているんですか!」  ……秋葉は明らかに動揺している。  後ろめたい物があるのか、いつも凛とした気丈さがまったくない。 「……何をしてるって、俺は噂になっている吸血鬼を捜しているだけだ。別に悪い事はしていない。説明はこれだけで十分だろ」 「え……いえ、それは確かに、簡潔で解りやすい説明ですけ、ど」 「じゃあ次はおまえの番だ。……おまえ、こんな夜更けに何してるんだ。何かの間違いだってのは判ってるけど、さっきのはどういう事だ」 「あ───いえ、わ、私だって後ろめたい事など微塵もありません。ありませんけど、その……」 「その?」 「兄さんには説明しづらいと言うか、説明したくないと言うか……」  もじもじと指を絡ませる秋葉。  ……路地裏にいたのは秋葉なのかはっきりしていないが、何か隠しているという事だけは明確だ。 「あのな。そんな言いぶりだと疑いたくもないのに疑わしくなるだろ。いいからはっきりと言えって」 「────」 「志貴、時間の無駄です。彼女には話す意思がありません。それに、もし憑かれているとしたら、本人には自覚がないのだから答えられない」 「シオン……? 憑かれているってどういう……」 「……待って。その女性はどなたですか、兄さん」 「いや、誰って────」  と。答えて、背中が冷たくなった。 「────────」  さっきまでの動揺ぶりは何処に行ったのか、秋葉はいつも以上に秋葉然としてこっちを見据えている。 「あ、秋葉、彼女は────」 「ええ、判ってますわ、兄さん」  嘘つけ、全然判ってないだろおまえ! 「私は当然兄さんを信じています。けれど、どうしましょう。こんな夜更けに、しかも異性を連れて歩いているなんて、どう誤解されても文句は言えませんよねぇ、兄さん?」 「…………」  遠回しに「どんな弁解もできませんわ」とおっしゃる秋葉お嬢様。  まったくきょうはくだ。 「だから違うってば!  これには訳があってだな────」 「志貴。彼女は貴方の妹ですね?」 「そうだけど、ちょっと黙っててくれ。今取り込み中なんだ」 「それは後回しです。彼女を調べてみたくなりましたので、捕獲してください。抵抗するようなら強制的に」 「ぶっ────!」 「────」 「な、なんて事言い出すんだシオン! 秋葉には冗談通じないんだから、そんなトンデモナイこと言い出さないでくれー!」 「志貴。貴方に拒否権はないと判っている筈ですが」 「ああもう、判っててもダメ! たとえ脳に電気を流されるようが、秋葉にそんな事できる訳ないだろう!」  つーか、秋葉の反撃はきっとそれ以上に凶悪だよぅ……! 「……仕方ありませんね。まあ、確かに一度くらいは現状を教えなくてはいけませんか」  くいっ、と指を動かすシオン。  と。  なんか、体が勝手に動き始めるんですけど……? 「え────ええ!?」 「エーテライトは志貴の神経に繋いである、と言ったでしょう。これは、本来このように扱うものです」 「うわ、ばか、止めろーーー! この、人権迫害、冷血鉄面皮、人の人生デタラメにして楽しいのか、ええい、難しいコト言えば済まされると思うなよバカぁっっっ!!!!」 「……素晴らしい。今の罵倒で私も良心が消えました。志貴の協力に感謝します」 「わーーーーー! うそうそ、今のワンモアー!」 「却下します。今の罵倒を繰り返されたら、私も冷静であり続ける自信がないので」  くい、くい、とシオンの指が動く。  釣られてナイフを握り始める遠野志貴。 「きゃーーーー! シャレになってないっすー!」  悲鳴が漏れた。  秋葉は─── 「────」  ……なんか、髪を赤くして不敵な笑みを浮かべていらっしゃる。  ……あれは、怒っている。  とんでもなく怒っている。  俺に命令するシオンと、それに反論しない俺と、なにより秋葉を捕えろ、というシオンに秋葉お嬢様はご立腹な様子だった。 「……ふぅん。事情はよく判りませんけど」  ……うう、事情が判らないのなら聞いてくれー。 「どうやら兄さんには、強烈な目覚ましが必要なようですねぇ?」  ペキペキ、と指の骨を鳴らす秋葉。  それ、目覚ましじゃなくて体罰〜〜〜っ! [#挿絵(img/WIN_SHIKI.bmp)入る]  ぽーん、と吹っ飛ぶ秋葉。 「あう……!」  や────やっちまったーーーーーーっ!  つい調子に乗って、常日頃いじめられてきた借りを返してもいっかなー、と途中からかなり乗り気になってしまった気がするのですがっ! 「く───どうやら本気で私を亡き者にするつもりのようね兄さん……!」  俺のノリノリさが伝わってしまったのか、秋葉も素敵なまでに勘違ってる。 「誤解、誤解だ秋葉!  俺だっておまえと戦いたくはないんだけど、シオンが勝手に────」 「そうね、兄さんにとってみれば私は邪魔者だもの。私さえいなければ遠野家は長男である兄さんの物になる。───琥珀が危惧していた事が本当になるなんて、私も残念だわ」 「わー、琥珀さんったらまた、イタズラに有ること無いこと吹聴してるのかー」 「けど、そうは簡単には行かなくてよ兄さん!  遠野家が欲しければ、もう一度私を乗り越えてごらんなさい!」  ふふふふふ! と気合いの入った忍び笑いをこぼし、ズシャーと走り去っていく秋葉。  向かう先は言うまでもなく遠野の屋敷だろう。 「────────」 「何をしているのですか志貴!  彼女を追います……!」 「え? ……本気、シオン?」 「本気です。何故かは解りませんが、今は彼女を追いかける事が重要な気がするのです」 「……気がするって……なんかシオンらしくないな。君さ、もっとちゃんとした情報に基づいて行動しなかったっけ?」 「志貴に言われなくとも承知しています!  ですが、今はそんな気がするんですから気がするんです! さあ、早く彼女を追いかけましょう!」  だだだー、と走り出すシオン。 「……なーんか、やな予感がするんだけどなー……」  こぼしても始まらない。  シオンの糸がまだ繋がっている以上、俺は彼女に付き合うしかないんだから。 [#改ページ] 3/なんてことだ dead end love song!  遠野のお屋敷はいつもおっきい。  あたしの家もおっきい方だと思うけど、ここに比べたらまだまだヒヨヒヨだと思う。 「────────」  ピンポンを押そうと背伸びする。  けど、ちょっと考えたあと、正せい堂どうとおじゃましてもダメだな、と思った。 「……ここは敵陣だもん。注意しないとすぐにやられちゃうに決まってる、うん」  ぶどう家としてどうかと思うけど、今日は果たし合いじゃないんだからヒキョーじゃないはず。  だいたいヒキョーと言えば、お兄ちゃんをずっと閉じこめてるここの人たちの方がだい悪人なのだ。 「あ、ここ入れそうだ」  鉄ぼうの間に入り込む。  手は簡単に通りぬけたけど、顔でつっかえてしまった。  むぎゅーっ、ってほっぺたがつっかえる。 「えへへ、しっぱいしっぱい」  うん、やっぱりぶどう家たるもの、実力行使で正せい堂どうがいちばんだと思う。 「……この鉄ぼうを曲げるか飛びこえるかかぁ」  てや、と鉄ぼうに冲捶。  ……おしい。きっとあと一回ぐらいでばあーんってふっ飛ぶけど、指が痛いからやめておこっと。 「……むむ。敵戦力、あたしの三倍ややプラス」  見上げちゃうぐらい高い鉄ぼう。  けど達人なら、これぐらいトーンと飛びこえたりできるんだろう。 「えやーーーー!」  うん。  考えるのは苦手だから、とりあえずやってみた。  ばたん、と地面に落っこちた。 「いたたた……」  おしりをさすりながら立ち上がる。  目の前には、びっくりするぐらいごうかですてきなお屋敷がある。 「……なーんだ、たあいない」  これも日頃のこんふーのおかげなのだ。 「……えっと、きっとあそこが玄関よね」  そろそろと歩いていく。  ……こうやって勝手に入っていくのは悪いことだけど、おなかとせなかは変えられないのだ。  だいたい悪いのはここの人たちだ。  お兄ちゃんはあたしのお兄ちゃんなんだから、他の女の人といっしょにいるのはおかしいと思う。  あと、夏になってからお兄ちゃんはまだスイカを食べに来ない。やっとタネをのけてキレイに食べられるようになったんだから、今年こそいっしょに道場で食べなくちゃ。 「お兄ちゃん、きっと閉じこめられてるんだ。  この家には恐い人がいっぱいいるって、お母さん言ってたもん」  あれ、言っていたのはお兄ちゃんだったっけ?  そろー、っと窓から中を覗き見る。  ……お城みたいな玄関には、女の人が三人いた。  一人はアキハ。お兄ちゃんが“屋敷で一番強い人”と言ってたヤツだ。  あたしも何度か会ったコトがある。アイツはやっつけなくちゃいけない候補そのいち。  二人目はコハク。お兄ちゃんが“屋敷で一番油断ならない人”と言ってたヤツ。  着物を着ているからきっとそう。  なんでも色んなクスリを持ってて、最後においしいところを独りじめするらしい。  そーげんのじじいに言わせればじんたいじっけん一歩手前なんだって。  じんたいじっけんってなんだって訊いたら、じじいはナ●スみたいなコトだって教えてくれた。……よく分からないけど、なんか一番の強敵な気がする。達人は達人を知るのだ。  ともかく、アイツもやっつけなくちゃいけない候補そのに。  三人目はヒスイ。お兄ちゃんが“屋敷で一番忍耐がある人”と言ってたヤツ。  ……強そうに見えないけど、たしかに鉄みたいにガンジョーそう。あたしの冲捶が通用するかどうかふあん。  ともかく、アイツもやっつけなくちゃいけない候補そのさん。 「……なに話してるのかな」  三人はなにやらもめているみたい。  アキハがコハクとヒスイに怒鳴っていて、  ヒスイはぼーっとしてて、  コハクはニコニコ笑っている。  そんな二人に怒ったのか、ただでさえ恐いアキハはもっと恐くなった。  …………あれ?  ばたん、と床が開いて、アキハが落っこちていく。 「計ったわね琥珀ーーーー!」  ぱたん。  床は元通りになって、コハクはクスリと笑った。  ……うん。  やっぱり、コハクが一番の強敵みたい。 ◇◇◇  屋敷に帰ってきた。 「……はあ。なんだってこんな事になったんだろう……」  どうもよく判らないが、シオンじゃないけど今はこうするのが自然な気がするのだ。  ……しかし、さっき秋葉を負かしただけで大問題だって言うのに、さらに秋葉を追いかけてケンカを売るなんて正気の沙汰ではない。  そこまで判っているのに、どうも場の雰囲気に流されてこんな所まで来てしまった。 「遠野秋葉は屋敷の中ですね。急ぎましょう、志貴」  ……シオンもなんだか性格変わってるし…… 「お帰りなさいませ志貴さん。あら、お客様ですか?」 「……………………」  ロビーには琥珀さんと翡翠がいた。  ……秋葉の姿はない。  加えて、なぜか翡翠がこっちを睨んでいた。 「ただいま───で、唐突だけど秋葉は何処?」 「秋葉さまはおられません。お疲れのようでしたのでお休みになっていただきました」  ……うわ。やっぱり翡翠は怒ってる。 「ええ、秋葉さまったら珍しく動揺してたんですよ。ですから少しばかり強引に、ちょっと秘密空間でお休みしてもらっちゃいました」  そして、そこはかとなく言動のおかしい琥珀さん。 「……あの。ぶっちゃけ訊くけど、何かあった?」 「……志貴さまが秋葉さまに手を上げたと聞きました。そればかりか、遠野家当主の座が欲しいばかりに怪しげな企てをしていると。  ……志貴さま、ご乱心にも程があります」 「そーですよ志貴さんっ! お気持ちは解りますが、そんな大それた事を企んじゃいけませんっ!  だいたいですね、遠野家の当主になんかなっても大変なだけですよ? 当主は秋葉さまになっていただき、それを裏から操ったほうが素敵じゃないですか!  はい、それがわたしが立案する、正しい遠野家制圧計画です!」 「いや、それはただの誤解なんだけど……琥珀さん、今なんかすっごい事言わなかった?」 「志貴さま、姉さんの言葉を鵜呑みにしないでください」 「あ、そだね」 「…………志貴。この二人にはあまり興味はありません。今は遠野秋葉を優先したい」 「いや、んな事言われても。秋葉はいないって言うんだからいいじゃないか」 「いいえ、遠野秋葉はこの屋敷にいる。そこの二人は遠野秋葉を匿《かくま》っているだけではないですか」 「そりゃ匿うよ。二人は遠野家の使用人なんだから」 「ふふふ、それはほんの五分前までのお話ですけどねー」 「な、今のは!?」 「はい、なんでしょうか志貴さん?」  ……気のせいか。  一瞬、琥珀さんがシリアス世界でいてはいけない魔法少女になっていた気がする。 「……? 居てはいけない、と不安に思う……?」  あれ。なんかそーゆーの、今はすっごくしてはいけない事ではなかったか。  いや、何の根拠もないんだけど。 「───ともかく貴方たちに用はありません。  志貴、遠野秋葉を捜しましょう」 「……おやめ下さい。秋葉さまを捜すというのでしたら、お客様であろうと失礼をさせて頂きますが」 「そうですよー、いくら志貴さんでも遠野家乗っ取りを企んでいるのであればライバルです。  秋葉さまの命に従い、ここでお仕置きしちゃいましょう!」  ざっ、と身構える二人。 「ばか、何言ってんだ二人とも……! 俺はともかくシオンに冗談は通じないんだ、そんなコトいったら本当に殺され────」  る、と思うんだけど。  なんか、二人の構えには隙がないというか、下手すると俺より強そうな気がするのはどうしてでしょーかー。 「……あの。二人とも、武道の心得なんかあったっけ?」 「僭越ながら、つい先程開眼させて頂きました」 「はい、わたしも先程ぴかーんって背中が光って達人になれました。日頃から秋葉さま程ではないにせよ、泥棒さんを追い払える程度には戦えたらいいなー、と思っていたおかげでしょうか」 「────────」  そんな訳はない。  ないんだけど、きっとそうなのだろう。  人生には最高の日ってのがあって、何をしても上手く行く時がある。  琥珀さんにとって、今日がその“なんか、何でも思い通りにコトが運ぶ”日なのかもしれない。 「って、そんな無茶苦茶な話があるかー!  さっきからヘンだぞシオン、なんとなくバグってないか、これ!」 「────なるほど。どうやらタタリは彼女を依り代にしたようですね」  一人勝手に納得して銃を構えるシオン。 「……姉さん。あの人は、志貴さまに良くない方です。ここでお帰り願っていいですね?」 「ええ、銃を隠し持っている女性なんて志貴さんの手にあまります。ここはわたしたちが、またひょいひょいと女の子を連れてきた志貴さん共々こらしめてあげましょうねー」  ざっ、と身構える二人。 「……ふん。多少可能性をいじられた程度で私に挑むというのですか。その思いあがり、私の式で正すしかないようですね」  キリ、と腕輪からエーテライトを出すシオン。 「ああもう、なんだってこんなコトにーーーー!」 [#挿絵(img/WIN_SHIKI&SION.bmp)入る] 「しまった、つい────!」  二人が(予想を二桁ぐらい上回るぐらい)手強いもんだから手加減が出来なかった……! 「二人ともすまない、すぐに────」  手当をするから、と駆けつけようとしたんだけど……あれ? 「ぅ……志貴さま、酷いです……」 「まったくです。志貴さんは男の子なんですから、女の子には優しくしてあげないといけませんっ」 「………何故に元気?」  いや、ネロやシエル先輩だって戦闘不能にまで追い込む攻撃を受け、ピンピンしている君たちは何者なのか。 「えっと……二人とも、ケガはないのか」 「……はい。幸い、打ち身程度で済んだようです」 「なに言ってるの翡翠ちゃん! 女の子には打ち身だって大ケガなんだからっ! アザになっていたら志貴さんには責任をとって貰いますっ!」  ……翡翠は打ち身。  琥珀さんに至っては奇跡のノーダメージだ。 「…………おかしいぞ。これ、おかしいぞ」 「……確かに異常ですね。なんだって私はこんな所にいるのでしょう?」 「なんでって、シオンが屋敷に行くって言ったんじゃないか」 「………………失礼しました。  志貴の言う通り、私は判断力を損なっていたようです。この屋敷には何の用もないのですから、至急街に戻りましょう。これ以上ここにいては、本当にタタリを決定させてしまう」 「……? まあ、ともかくシオンがそう言ってくれて助かった。二人を放っておくのは気がかりだけど、今はここから離れた方がいい」  よし、と二人して玄関へと向かう。 「ふふふ、そうは行きませんよ志貴さん。翡翠ちゃんを傷つけた責任を取っていただきます」 「え?」 「そこのお客様も秋葉さまに会いたいと言っていますし、せっかくですからご案内してさしあげます。ええ、全ては我が戯れ言なり〜〜〜〜」 「はぃい?」  そこで危険を感じられなかった時点でこっちの負けだった。  ぱかん、と足元で開く音。 「!?」 「穴、落とし穴です志貴!」 「うわー、計ったな琥珀さんーーーー!」 [#改ページ] 4/戦えぼくらの○○翡翠 M×M×M×M  お兄ちゃんまで毒牙にかけるなんて、やっぱりコハクはだい悪人です。 「……けど、敵ながらやるみたい」  コハクはヒスイと悪だくみをしているみたい。  ……なにを話してるのかな…… 「……姉さん、これはやりすぎです。  寛容な秋葉さまも志貴さまも、流石にこれは許してくれないのではないでしょうか……」 「あらあら、そんな弱気でどうするのかしら翡翠ちゃん。始めてしまったからにはもう最後までいくだけでしょう? せっかく機がわたしたちにあるんだから」 「………………」 「もう、そんなんだから志貴さんを秋葉さまに独占されてしまうんですっ。  翡翠ちゃんは志貴さんにかまってほしい、秋葉さまはそんな翡翠ちゃんと志貴さんが羨ましい、わたしはそんな三人を見るのが楽しい。  ほら、目的は一つなんだから姉妹同士力を合わせないと」 「……それは、そうだけど……なにか、これは違うと思います、姉さん」 「違くなんかありませんっ。  欲しい物は実力で奪う物なんですっ!  強く願えば何事も願いにそった流れになるっていつも言っているでしょう」 「……………」 「さて、そうと決まったら急がないと。  志貴さんと秋葉さまなら地下室から脱出なさるでしょうから、門番さんに頑張ってもらわないと。  翡翠ちゃん、用意はいい?」 「…………はい。あの方でしたら、すぐにでも戦っていただけます」 「ふふ、ふふふふふ……! 次の相手は一筋縄では行きませんよ志貴さん……!」 「────」  すごい。  コハクはすごい。 『欲しい物は実力でうばう物』  なんて、そんなコトを本気で、力いっぱい言い切るやつなんて初めて見た。 「………………」  今すぐコハクをやっつけてお兄ちゃんに会いにいこう、と思ったけど、ちょっとたんま。  あたし、もう少しだけコハクをかんさつ。 ◇◇◇  ────で。  気が付けば俺は地の獄……  どこかわからぬ地中の底の底、  亡者巣喰う強制労働施設にいた……!!!!! [#挿絵(img/BG20.bmp)入る] 「ああ……それにしても金が欲しいっ……!!」  ……などと、  バカなコトをやっている場合でなく。 「……ったく、何考えてるだ琥珀さんは。悪ふざけにも程があるぞ、これは」 「これを悪ふざけと取れる志貴もどうかしていると思いますが」 「そうね。兄さんがそんなだから琥珀と翡翠が大それた事を考えるんじゃない」 「……なんだよ、琥珀さんがイタズラするのはいつもの事だろ。なんでもかんでも俺の所為にするなよ秋葉────  って、ええーーー!? なんで秋葉までここにいるんだ!?」 「私も琥珀に落とされたからに決まっているでしょう。それ以外にこんな所に居る理由はありません」 「あ、なるほど。にしても、秋葉まで落とすなんて、琥珀さんも見境なしだなあ」  秋葉の仕返しが恐くないんだろうーか。  それとも本当に本気で秋葉に反旗を翻したとか。  ……いや、そんな恐い想像は止めよう。 「それで、兄さんはどうして琥珀に落とされたんですか。私は“志貴さんの命令で秋葉さまを拘束します”と言われましたけど」 「バカいうな、俺は秋葉を守る為だとか言われたぞ」 「……………………………………」 「……………………………………」 「つまり、琥珀という女性は志貴と遠野秋葉、二人共々亡き者にしようと企んでいるのですね」 「………あ、やっぱりそうなる?」 「言いにくい事をはっきりと口にするのね、貴女」 「事実ですから。それに少しばかり、彼女の豹変には心当たりがあります」 「ふぅん。琥珀がおかしいのはいつもだけど、何か事情を知っているの?」  そしてさりげに問題発言をする我が妹。 「はい。彼女は今、タタリという吸血鬼に取り憑かれている状態です。……いえ、正確にはタタリの恩恵を一身に受けているのですが」 「吸血鬼って、噂になってる吸血鬼!?」 「吸血鬼になる器のないエネルギー、と言うべきでしょう。  タタリは人々のあいだに上った“不吉な像”に宿るモノですが、時折波長のあった人間に宿る事もある。  そうなった場合、取り憑かれた人間に変化はありませんが、その人間の思う通りに物事が運ぶようになるのです。……まあ、あくまでその人間が出来うる可能性の延長でしかありませんが」 「…………えっと。つまりどういう事?」 「今夜に限り、琥珀という人物がやろうとする事は大抵が上手くいってしまう、という事です。  志貴も先程の彼女の戦いぶりを見たでしょう。アレもタタリの後押しです」 「な───それじゃあ、もし琥珀さんが秋葉を陥れようとしたら───」  いやもう、実際落とされているワケだけど。 「それも可能になっちまうってコトか」 「……まずいですね。  私、ここのところ琥珀に辛く当たってしまいました。  今回の事件に口だしはいらない、役立たずは黙ってなさい、私に意見するのなら使用人を辞めなさい、もっとも辞めたところで他のお屋敷への紹介なんてしてやりませんからね、と。  ……私なりに琥珀たちを気遣っての言葉でしたから、琥珀は根に持っていないと思いますが」 「────────」  いや、持ってる。それ、絶対根に持ってる。 「彼女が何を考えているかは判りませんが、完全にタタリに成るまであと一時間程でしょう。午前零時、一日の終わりにタタリは現れますから」 「……秋葉。とりあえず琥珀さんを何とかしないか。あの人がタタリとやらになったら遠野家の大ピンチだ」 「ええ、ひいては美咲町の命運に関わります。  そこの女性に関する追及は後にしてさしあげますから、今は協力して琥珀を止めましょう」  一瞬髪を赤くして殺る気100%になる秋葉。  頼もしいコトこの上ないのだが、問題はそれが誰に対してのものかというコトだ。  ……うん。  どうか、シオンを連れてきた俺に対するものじゃありませんように。 「それが正しい。  ……展開として最悪のケースになりましたが、私も協力します」 ◇◇◇ 「お、地上が見えてきた。  なんだ、けっこう簡単に外に出れそうだ」 「危ない、兄さん!」 「これは黒鍵……ってコトは」 「出てきなさい、そこのカレー!」 「遠野くん、牢屋に戻りなさい」 「先輩!? ……って、なんか明らかに雰囲気が違うぞ、おい」 「遠野くん、牢屋に戻りなさい。  繰り返します。  遠野くん、牢屋に戻りなさい」 「どうやら操られているようですね。  見たところ翡翠の仕業みたいですけど……まったく、呆れるわ。  普段は大言をはいてらっしゃるくせに、肝心なところではいいように使われるんですから、そこのカレー先輩は」 「遠野くん、牢屋に戻りなさい。繰り返します。  遠野くん、牢屋に戻りなさい。秋葉さんには話があります。遠野くん、牢屋に戻りなさい。繰り返します。秋葉さんには話があります」 「───ふうん。どうやら兄さん以外の人には手段を選ばないように洗脳されているようね。  丁度いい、ここで白黒をつけさせていただきましょう!」 「や、やめろって、今は先輩より琥珀さんが先だろう!」 「無駄です志貴。あの代行者を倒さないかぎり先には進めない。ここは私と彼女に任せて、志貴は先に行ってください!」 [#挿絵(img/WIN_AKIHA&SION.bmp)入る] 「……一足先に外に出てきたけど、秋葉たち大丈夫かな……って、殺気……!」 「えいっ、静脈に麻酔投与」 「うわ、危なっ!」 「あ、やだ、外しちゃいました……志貴さんの前なのに、失敗なんて恥ずかしい」 「……琥珀さん。それ、恥ずかしがるところが違う」 「あらあらどうしましょう、こんな失態を見られるなんて、かくなる上は強引にお注射するしかないじゃないですか」 「いや、だから違うって」 「えっと、ごめんなさい志貴さん。少し痛いだけですから我慢してくださいまし……!」 「って、注射器持って襲いかからないでくださーいっ!」 [#挿絵(img/WIN_SHIKI.bmp)入る] 「はい捕まえた。  琥珀さん、必死なのは判るんですけど、琥珀さん一人じゃ俺には勝てないと思うよ」 「うう……志貴さん、手加減もしてくれないなんてあんまりです……」 「状況が状況だからね。琥珀さんは気づいてないだろうけど、なんかヤバイのが琥珀さんに取り憑いているんだって。  そんな訳なんで、手荒くても今夜いっぱい大人しくしてもらうよ」 「……無念です……志貴さんなら私に協力してくれて、秋葉さまに支配されたこの世界を一緒に壊してくれると思ったのに……しくしく」 「う───それは確かに魅力的な誘いだけど……」 (勝ち目のない戦いは避けるべきだしなぁ……) 「勝負あったわね琥珀。  直接私たちを排除しようなんて貴方らしくないけど、これも運命。諦めなさい」 「で? 聡明な貴方のコトだから、  謀反人がどんな処罰を受けるか、きちんと覚悟しているのよねぇ?」 「(秋葉のヤツ、本気だ……流石に琥珀さんに同情しちゃうな……)」 「(ちゃ〜んす!)」 「痛っ……!」 「ふふ、油断大敵ですよ志貴さん!  そして秋葉さま、まだ勝負はついていません!」 「貴方ね、この状況でまだ諦めてないの? 相手が吸血鬼憑きって判れば兄さんは手加減しないし、私は元より加減なんてしない。  貴方と翡翠が束になったところで私たちには勝てないわ」 「でしょうねー。ですから、こうなったらなんとなく作りかけだった最終兵器が完成しているような予感ですよ〜!」 「あ、逃げた」 「追いかけますよ兄さん!  いい機会ですから、琥珀にはどちらが主人なのか徹底的に叩き込んであげます!」 「……秋葉、ちょっとは手加減してやれよ……」 「……おかしい……いつからこんな事になってしまったんでしょう……」 ◇◇◇ 「ふふふ、ついにここまでやって来ましたね、  志貴さん&秋葉さま&よく知らない人!」 「────誰、あれ?」 「ですが少しばかり遅かったようですねぇ。  貴方たちがのんびりしている間に、遠野家征服計画の最終兵器は完成してしまったのですっ!」 「な、最終兵器……!? 琥珀さん、それ|BC《バイオケミカル》兵器じゃないでしょうね……!」 「ふふふ、そんな気の利かないモノは作りません。 “薬は人を助けるモノ”、これ、わたしの不文律ですから憶えておいてくださると助かります〜」 「ふん。いいからさっさとその最終兵器とやらを使いなさい。どうせ貴方の事だから筋肉強化剤とかそんなモノでしょう。貴方が少しばかり強くなった程度で私たちは────」 「——————————————————————————————————————————————————————————————————————————————レーザー、射チマス」 「うわっ、危なっ!  今のレーザーだよ、レーザー!」 「楽しそうですね、志貴」 「だってレーザーだぜ!? 蛇腹《じゃばら》と戦闘機と光学兵器にワクワクしない男の子はいないって!」 「喜ぶのは勝手ですが、それはアレを見てから言ってください」 「アレって────あれぇぇぇええええ!?」 [#挿絵(img/CUT_M_HISUI.bmp)入る] 「敵、三体ト確認。  命令次第、攻撃ヲ開始シマス」 「ひ、ひひひ、翡翠ぃぃぃぃい!?」 「いいえ違います!  秋葉さまの目を盗み、遠野グループ兵器部門で開発した“都市潜伏・制圧を目的とした愉快型兵器”その名もメカ翡翠ちゃんです!  ね、メカ翡翠ちゃん」 「ソノ武器ヲ捨テロ」 「きゃーステキーーーーーっ!!!!!  おっけーおっけー、全部おっけーです!  さあ、死なない程度に痛めつけてあげてください!」 「処刑スル」 [#挿絵(img/WIN_AKAAKIHA&SHIKI&SION.bmp)入る]  ……終わった。  色々(肉体的にも精神的にも)辛い戦いだったけど、とにかく終わった。  愉快型兵器・メカ翡翠ちゃんはごうごうと黒煙をあげてロビーに跪く。 「システムダウン。道連レ機能作動。  標的、デフォルトデ秋葉サマニ固定済ミ。爆破」 [#改ページ] 5/最強の敵 G. 「秋葉っーーーー!?」 「志貴。今のはただの閃光弾《フラッシュグレネード》です。遠野秋葉は無事───」 「えい、静脈に秘密注射」 「な────え……?」  なんという早技。  こっそりと秋葉の背後に忍び寄った琥珀さんは、隙をついて秋葉の首筋に注射器をうち立てた! 「あ───あれ……体が、熱い……琥珀、貴方、何を────」 「ふふふ、お強いですね二人とも。  まさかホントにホントの、ついさっき偶然出来上がった最後の手段を使うハメになるとは思いませんでした」 「……! 志貴、離れて!  あの注射は何らかの強化剤です。  遠野秋葉から観測される波が、信じがたいほど増大しています……!」 「こ、琥珀さん、秋葉に一体なにを……!」 「ですから最後の手段です。  志貴さんも秋葉さまもお強いでしょう?  ですからまずはお二人に潰しあってもらって、しかるのち一人になったどちらかを懐柔しよう、という作戦です」 「……懐柔する、いえ、抱き込むには志貴より遠野秋葉の方が容易い、と考えたのですね。  ですが遠野秋葉一人では志貴の無力化は難しく、私が加勢すればさらに困難になる。  なら遠野秋葉を強化すればいい───」 「ご名答です。  メカ翡翠ちゃんはあくまで前座!  さあ、これがクライマックスですよ志貴さん!」 「ふ……ふざけ、ないでよ琥珀……なんだって私が兄さんと戦わなくちゃ、いけないの、よ───」 「ふふふ、それはですねー」  にんまり、と猫のように笑う琥珀さん。  苦しげに息を吐く秋葉から、なんか怪しい音が聞こえてきて─── 「へ?」 「はい?」 「え……ちょっと、うそでしょう……!?」 [#挿絵(img/BG53.bmp)入る] 「えええーーーーーーー!?」 「──────────(クラッ)」 「やりました、成功です!  これで21世紀の食糧難は解決ですよー!」 「な────こ、こここここ、琥珀、あんた一体なに注射したっていうのっっっっっ!!!!!!」  ごーん、と秋葉の大声がロビーに響く。  その発声量はとても人間とは思えない。  いやまあ、実際に大きいんだから当然なんだけど。 「これですか? サンプル名まききゅーX。  配合はニガヨモギとブランデーとホタテとエビ、他に過去五年に渡る余り物のケミカル物質を足して二で割ったら出来たというレアアイテムです。  効用は生物の巨大化、というか拡大みたいですね。今の秋葉さまはまさにジャイアント、10倍以上のパワーアップをはたして生まれ変わったのです!」 「ああ、なるほど。だから服も大きくなってるわけね」 「っ……! なにのんきに納得しているんですか兄さんは!  だいたいこんな、明らかに上半身しか画面に出せないような手抜き効果は認めません……!」 「いやまあ、そりゃしょうがないだろ。全身像なんて用意したら、もう格闘アクションっていうよりシューティングゲームになっちまうし」 「はいー。唯一残念なのが、これだと秋葉さまならではの足癖の悪さを表現できないコトですねー。  けどご安心ください秋葉さま。  今の秋葉さま、大きすぎて胸から下はみんな地下に埋まっているでしょう?  これなら各方面から、胸囲がどうだのと指摘されるコトはありません!」 「───ふ。うふふ、ふふふふふふ……!!  琥珀、遺言状の準備はいいんでしょうね……!」  があー、と吼えるジャイアント秋葉。  以下、略してG秋葉としよう。 「あら、いけませんよ秋葉さま?  そのお薬は反永久的に効果が持続するんです。  秋葉さまはまききゅーXによってG秋葉さまになってしまわれた。  けれど、わたしならアンチまききゅーX、すなわちとなみんZをご用意できるのです!」 「む…………。つまり何がいいたいのよ、琥珀」 「元のお体に戻りたければ、わたしのお願いを聞いておいた方がいい、という事ではないでしょうか?  いえ、秋葉さまが一生G秋葉さまでいい、というのでしたらわたしを煮るなり焼くなりして結構ですが」 「く────く、く────」  ぎりぎりぎり。  秋葉はあまりの悔しさに歯ぎしりをしている。  凄いぞ、歯ぎしりの音も大迫力だ───などと観察している場合ではなく。 「……(まあ、ようするに。  俺はアレの相手をしなくちゃいけないわけか)」 「────よし、逃げよう。  シオン、秋葉と琥珀さんが言い合っている隙に逃げ────」 「………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………」  ……駄目だ。  あんまりのデタラメさがシオンの理性を焼き切ったらしい。  シオンはきゅう〜、と行儀良く床に倒れていた。 「さあ、行ってくださいG秋葉さま!  志貴さんを倒し、地下牢に閉じこめたら元に戻せるようなお薬の開発もやぶさかではありません!」 「───ああもう、こうなったらヤケよ……!  兄さん、恨みはありませんが蹴散らさせていただきます!」 「うわあ、本気ですかー……!!  止めろ秋葉、家が壊れる、家が!」 「うふふふ────そう思うのでしたら、抵抗せず大人しく捕まりなさいっ!」  もう開き直ったのか、襲いくるG秋葉。  んでもっと俺の背後には気絶したシオンの姿。 「ああもう、戦うしかないってのかよう……」 [#挿絵(img/WIN_SHIKI.bmp)入る] 「この──さっきから、ちょこまか、と──!」 「勝負あったな秋葉。断言するけど、このまま続けても絶対に俺の勝ち。  いい加減、冷静になって琥珀さんの口車に乗らされてるって気が付け」 「そんな筈はありません……!  これだけパワーアップしたんですから、兄さんに負ける筈がないんです……!」  もう当たりはしないのに、懲りずにバタバタと腕を振り回すG秋葉。  ……まったく。負けず嫌いの性格が秋葉に冷静さを失わせているみたいだ。 「秋葉、それはパワーアップとは言わない。  いくら力が強くなっても当たらなくちゃ意味がないだろ。  ようするに雑なんだよ、おまえの攻撃。  しかも的がでかいからこっちの攻撃はやたら当たるし。  はっきり言って、今のおまえは見かけ倒しのウドの大木だ。  それにいい加減疲れだろ、そんだけブンブン空振りしてんだから」 「っ……こんな醜態までさらして、兄さんに勝てなかったなんて……」  どどーん、と前のめりに倒れ込むG秋葉。 「……はぁ。所詮パワーアップしても秋葉さまは秋葉さまでしたね。  口ではなんだかんだ言って、志貴さんには甘いんですから、もう」 「……覚えてらっしゃい琥珀ぅ、体力が戻ったらまっさきにあんたをぺっしゃんこにしてやるんだからぁ……」 「駄々をこねないでくださいな。それに秋葉さま、どうやらお薬の効果もここまでのようですよ?」 「え……って、ちょっと、力が、抜け────」  ばしゅー、という風音。  秋葉の巨体はみるみる萎んでいって、きっかり大きさに戻っていった。 「な───騙したわね琥珀、半永久的っていうから言うとおりにしてあげたのに……!」 「違います秋葉さま。  半永久的ではなく、反永久的です。  永久の反対ですから、すぐに元に戻るって意味ですよ?」 「──この、泥棒、猫────(ガクッ)」  あ。秋葉がオチた。 「駄目ですね秋葉さま。確かにお薬の効果は数分程でしたが、それでも十分な時間だった筈ですよ。  秋葉さまが嫌いな猫を追いつめるぐらい本気でやってくれたのでしたら、今頃志貴さんは地下牢でがんじがらめでしたのに」 「ああ、それで今回は助かったけどな。  ────で、琥珀さん。  もう万策尽きただろ。ここいらで大人しくしてもらうぞ」  シオンは理解不能のモノを見せられて思考をシャットダウン、つまり気絶。  秋葉は疲れ切ったのか、それとも怪しげな薬の副作用か、倒れたままうーうーと苦しげにうなってるし。 「う───志貴さんったら大真面目?」 「あったりまえだ。今すぐ琥珀さんをひっ捕まえて、今回の騒ぎの責任をとらせる為にせっかんだ」 「やだ、こうなったら最後の手段です!  わたし自らが決着をつけちゃいますっ!」  スッ、と着物の裾から注射器を取り出す琥珀さん。 「! うわあ、それまだあったのかー!」 「ふふふ、わたしは秋葉さまほど甘くはありません! 志貴さんにはシベリアのブリザードにも勝る格闘地獄をお見せしましょう!」  言うが速いか、琥珀さんは腕に注射器を突き立て──── 「はい?」  響き渡る震脚のおと。 「あーれー」  気持ちよく壁まで吹っ飛んでいく琥珀さん。  窓ガラスを割って侵入し、そのまま琥珀さんに激烈なまでの一撃を加えたその姿は─── [#挿絵(img/CUT_MIYAKO.bmp)入る] 5/真・最強の敵 oh my sister! 「────────」 「み、都古《みやこ》ちゃん……?」  間違いない、都古ちゃんだ。  俺が九歳の頃から去年まで暮らしていた有間家の長女で、一応、妹だった少女である。 「──────(じーーーーーっ)」  ※訳 こ、こんばんはお兄ちゃんっっっ!  ……うわ。  苦手なんだよな、この子。  俺は好きなんだけど、都古ちゃんには嫌われているっていうか、いつもこんな感じで睨まれるっていうか。 「や、やあ。なんでここにいるかは後にして、とりあえず助かったよ」  声をかける。  が、都古ちゃんは相変わらず 「──────(じーーーーーーっ)」  ※訳 あ、あたし迎えに来たの。お兄ちゃん、さいきん遊びにきてくれないからっ!  何か言いたげな目でこっちを睨むだけなのだ。  ……んで、これがもうちょっと続くとダァーッ!  と突っ込んできてこっちのお腹に激突するんだけど…… 「───────(じーーーーーーっ)」  ※訳 ス、スイカ食べようと思って! うちにね、おいしいスイカが届いたんだよっ。 「都古ちゃん?(来るかっ!?)」  いつもの突進を警戒する。  が、今日はちょっと様子が違った。 「…………………(むーーーーーーー)」  ※訳 ……だめだ、やっぱり話してくれない……お兄ちゃんの方から話しかけてくれないとダメなのに……  いつも、いつもこーだからあたしったらじれったくなって自分でもよくわかんなくなるんだけど、今日はお兄ちゃんいっしょに帰るんだからちゃんとしないと──── 「都古ちゃん? もしもーし、聞こえてるかな?」 「…………………(むーーーーーーー)」  ※訳 ……まだかな。まだかな。たまにはお兄ちゃんのほうから話しかけてくれないかな。  あ、けどどうやっていっしょに帰ろう。悪いヤツはみんなやっつけたけど、お兄ちゃんが帰らないって言ったらどうしよう─── 「なんだ、今の頭痛────」  こめかみが疼く。  ……何か、目の前に良からぬモノがいる。  琥珀さんに取り憑いていたという吸血鬼か。  いや、それにしたって琥珀さんからこんな気配は感じなかった。  これは──── 「……ぶつぶつ……お兄ちゃん……ぶつぶつ……欲しいものは実力でうばいとる……ぶつぶつ……達人になりたい……ぶつぶつ……コハクは悪いヤツだけどいいコト言うよ……ぶつぶつ……おっきなおやしき、ほしい……ぶつぶつ……」 「あの……都古ちゃん?」 「やぁぁぁあああーーーーーーあ!」  ドン、と片足を床に打ち付ける都古ちゃん。  震脚と呼ばれる八極拳の動作らしいんだけど、なんか───今までのナンチャッテ八極拳ではなく、とんでもなく真に迫った震脚だった。 「お兄ちゃん、都古は開眼しちゃいました!  つきましては、拳士として試合をもうしこみますっ!」 「はい?」 「つべこべ言っちゃヤダ!  ともかく、あたしが勝ったらお兄ちゃんはうちに帰ってこなくちゃダメなんだからーーー!!!」  ダン、というもの凄い踏み込みの音。 「!?」  間一髪で都古ちゃんの突進を躱す。 「痛……!」  うわ。  ギリギリで躱した腕が腫れ上がってる……!? 「やったーーーー! いくらお兄ちゃんでも八極拳にはかなわないんだー!」  心底嬉しそうに言って、ドン、と不動の構えをとる都古ちゃん。  今までの努力と修練が報われて嬉しいんだろう。俺も、こんな状況でなかったら一緒に喜んであげたいもんだ。 「ああもう、何がなんだか判らないけど────」  目の前の少女が、突如として拳法の達人になってしまったのは事実みたいだ。  ……というか、間違いなく今回最強の敵じゃないか、アレ!? 「それじゃ行くからね、本気でやってよお兄ちゃん……!」  何の予備動作もなく、それこそ疾風のように接近してくる八極拳士・都古ちゃん。 「くっ……!」  言われるまでもない。  今の都古ちゃんを相手に手加減なんてしたら殺されかねない。  かわいそうだけど、ここは手荒く対応するしかないだろう────! [#挿絵(img/WIN_SHIKI.bmp)入る] 「え───あ、れ───」  がくん、とさっきまで元気の塊だった都古ちゃんの体が止まる。 「都古ちゃん───!?」 「────────」  床に両膝をつく都古ちゃん。  それと同時に都古ちゃんの体から黒いモヤのような物が霧散していった。 「……今のがタタリっていう吸血鬼か……頭痛も消えたし、これで一件落着かな」  ……じゃないか。  都古ちゃんは気を失っているのか、がっくりと床に座り込んだままだし。  あんまり見たくないんだけど、後ろにはG秋葉によって破壊されたロビーと、倒れてる秋葉と壁画になってる琥珀さんの姿があったり。 「────ぁ」 「あ、都古ちゃん。気が付いたか?」 「────────」  都古ちゃんは意識が朦朧としているのか、ぼんやりと自分の両手を見つめている。  ……で、そうする事数分。 「──────お兄ちゃんに、ぶたれた」 「あ───いや、それは仕方なかったんだ。都古ちゃんの打ち込みが凄くて手加減できなかったっていうか……」 「───────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────」 「っ………………!」 「あ、都古ちゃん、何処に……!」 「お兄ちゃんにぶたれたーーーーー!!!!!」 「……行っちゃった」  都古ちゃんは泣くのを堪えて走り去っていった。……やっぱり大人げなかっただろうか。 「……まさか。手加減してたら今頃琥珀さんの横で壁画になってたぞ、俺」  うん、今のは最良の結果だったと信じよう。 「それよりこの惨状どうするかだよな」  秋葉の手当てはいらないだろう。壁に埋まってる琥珀さんは……反省の意味も込めてあのままにしておこう。  となるとあとは…… 「……志貴。この惨状はどうしたのですか」 「あ、起きたかシオン。ちょうど良かった、たった今終わったよ。秋葉は元に戻ったし、琥珀さんもあの通りだし」 「……そうですか。やはりあれは夢ではなかったですね。……ああ。タタリの夜は悪夢が降りると言いますが、私にとってはとびきりの悪夢でした」 「それは同感だけど。なあシオン、琥珀さんはもう大丈夫なんだろうか」 「ええ、彼女にはもうタタリのアンテナとしての資格はありません。いえ、もとから彼女はただの受け皿で、彼女を魔女と信じていた第三者がいたのでしょう。  恐らく“琥珀という人物は陰謀家であり優れた発明家である”と信じ切った第三者がいたからこそ、琥珀という人物はあそこまで不可思議な能力を得ていた。  その第三者もすでにここにはいないようですね。……残念ですが、タタリは完全に行き場を失って消えてしまった」 「??? 残念って、何が残念なんだよシオン」 「こちらの話です。……タタリも消え、得られる成果も薄い。これ以上この街にいる理由はありませんね」 「志貴、貴方からエーテライトを抜きました。  これで私たちを繋ぐモノはない。  ここで別れましょう」 「え───でもシオン、君の目的ってまだ何も果たせてないんじゃないのか」 「果たせていない、のではなく果たせなかったのです。  ……志貴に不満を言っても意味のない事。  時間が惜しいので、私はこれで。  短い間でしたが協力に感謝します」 「え────ちょっと、シオン!」  シオンは止まらない。  彼女はこの夏の不可解さと共に、何もかも不解明のまま去っていった。 「……用がないっていうんなら、仕方ないけど」  わずかの間だけ共に過ごした少女を見送る。  んで、そんな自分の後ろには。 「うう……神槍の名に偽りなし……………………………………………………………………………………………………………………李書文強すぎ……」 「……琥珀、そんな薬は捨て……いえ、ある意味破滅的な発明かも……問題は持続時間の短さをなんとか……」  廃墟同然のロビーのただ中で寝言を言い合っている二人の姿があるだけだった。 「……ひどい、悪夢だ」  秋葉と琥珀さんは放っておいても大丈夫っぽい。  俺にとって最大の悩み事は、  泣いて帰ってしまった都古ちゃんへのお詫びと、  そう言えば姿が見えない翡翠はどうしちゃったかって事だ。  ともあれ、結局。  これも一つの、  真夏の夜の夢というコトで───── [#改ページ]           (エンド)