内田春菊 やられ女の言い分 目 次 1 やられ女の言い分  やられ女の言い分  A先生のこと  出産の頃  私の貧乏性  私の母校  実はあったファザーファッカーのあとがき  ビール日記です 酒中日記  私が不倫をやめた理由  初めてのマタニティ・スーツ  待ち遠しいったらありゃしない  子守歌というものは  どうもありがとう ドゥ マゴ文学賞のこと  中村有志さんのからだ  女が考えるセックス  ガイジンになるには  一生働くのでなければ働くと言わない  動物のように  悪女な奥さん エッセイ  もう「日常くん」は描かない ストレッサーズ あとがき  内田春菊の浅草物件「毎日の謎」  男より視線が好きかって?  ツキを呼び込む10ヵ条 あとがき  最近のナゾ  子供について  私はレズじゃない  私はピアスを入れてない  エッセイを書かないわけ  だんなさんは何と?  男の数について 2 発想の方法  だらだらしてます 発想の方法  全作品リスト 〜'93前半  私たちは繁殖している エッセイ  愛のせいかしら なかがき  ファンダメンタル あとがき  ファンダメンタル 文庫あとがき  ブキミな人々・編集後記  困ったちゃん 文庫あとがき  春菊あとがき  家庭ものはもうたぶん書かない  私の部屋に水がある理由《わけ》 文庫あとがき  おさかな話 エッセイ  ナカユビ あとがき  呪いのワンピース あとがき  吸血少女対少女フランケン あとがき  南くんの恋人・あとがき'93 3 解説の名を借りて  養老孟司さんへ  私も愛人 荒木経惟全集「Aの愛人」解説  群よう子さん解説  母と産婦のちがい やまだ紫さんのこと  鴻上さんの優しさ  鴻上さんの秘密  東京乾電池の「桜の園」  山田詠美さんについて  頭を楽にしよう  青木光恵ちゃんへ 処女単行本おめでとう  貸本少女恐怖マンガはこんなにも笑える!  ビショップ山田さんへ 「ダンサー」書評  「口だって穴のうち」 あとがき  大槻ケンヂくんへ  中島らもさんへ 「変!」解説  『断筆祭・ザ・ブック』によせて 筒井康隆さんへ  山本容子さんのこと 4 内田春菊の美術展めぐり  コクトーの絵って漫画みたいだ! ジャン・コクトー展  キースが残してくれた「希望」 キース・ヘリング展  「絵描き」と「お金」と岡本太郎 岡本太郎展  ピカソの女たち ピカソ展  クレーの描く「カケアミ」 パウル・クレー展  ゴッホの芸術・ゴッホの生き方 ゴッホ展  あ と が き  文庫あとがき 1 やられ女の言い分  やられ女の言い分 「義理の父親にやられたくらいでないと、立派なマンガ家にはなれないもんなんですかねえ?」  と四年近く前、そのころのボーイフレンドに言われたことがある。「ファザーファッカー!」というのはその一年後、同じ彼から私へ浴びせかけられた罵倒語だ。つきあってた(そして子供までつくった)男からここまで言われる私って何? と涙が止まらなかった。しかしその半年後、結局私の考えは「こんだけ泣いたんだからモト取ろう」というところに落ちついたのだった。「おまえのかあちゃんでべそ」という小説を出すようなものだったのかも知れないが、まあそれもよかろうどーせよっぽど境遇の似た人か、私に興味を持ちすぎている人しか読まないだろうし、なんてその程度にしか考えてなかったんです文春さん、ごめん。  ところが考えていたよりたくさん売れてしまった。嬉しいけど思っていたこととあまりにも違うことが起きると、だれだってあわてる。そのうえ毎日毎日、 「あれは本当のことですか?」  と同じことばっかし聞かれる。確かに、 「売れないと困るから帯に自伝という言葉を入れましょう」  と言われたときに、はあそんなもんなのかと思い、 「あーそうですね、せっかく出してもらったのに迷惑かかるほど売れなかったら大変だし、どーぞ」  とは言ったけど、そんなにみんなが事実かどうかばっかし気にするものとは思わなかった。  その後、とっくにつきあいのなくなっていた当のボーイフレンドから、 「あのタイトルはな、オレがつけたんだよ」  と留守番電話に録音が入っていたのを聞いて、私は、 「まあ人生とは面白いものよのう。いや、やっぱ自分の人生は面白くしようとしたほうが勝ちってことよね」  などとつぶやきながら、気持ちよく自室の電話番号を変えてしまったのだ。  お話変わって秋山道男は私の名付け親で、この仕事の周辺ではもっとも古い知り合いだ。十三年ほど前、池袋の喫茶店でウエイトレスをしていた私(二十二、三歳・主婦)に、まるで昔の少女マンガのアイドル・スカウト・シーンのように何の脈絡もなく名刺をくれ、さらに数日後十円玉もくれ、セックスの一回もせずにそれから今までの私を後ろからプッシュし続けてくれた心の恩人なのである。  その彼に「ファザーファッカー」出版半年前、 「こういう本書いてて、そんでやっとでそうなの」  と話をしたところ、 「そ、その小説、オレに、くれ」  というので、 「いーよ」  と言った。それが映画化へのいきさつです。そしてこの映画の中の彼のチャーミングな姿は充分私を満足させるものである。惚れなおしちゃったわ、パパ。  監督の荒戸さんは男の子としてはちょっとやんちゃな人ではあるが、最近私は「可愛いので許す」という結論に落ちついた。なぜなら実際の私の養父に似たところも大いにあるこの監督のこの作品を見たときに、まるで彼が養父からのラブレターを代筆してくれたような気分になったからだ。 「あの人は私を好きだったのかしら?」  試写を見た私は思わずそうつぶやいた。 「そりゃそうでしょう」  答えたのは今の夫だった。 「でも私は一度だってそんなこと言われたことはなかった」  だから私は「やりたいだけのロリコン」と思っていた。しかし、現実はわからない。そして、興味もない。  養父が母や私や妹の住んでいたあの家で創ろうとしていた、彼だけのパラダイスを後ろ足で蹴って砂だらけにして去ったのが私だった。でもさ。「性的虐待をされていた可哀想な内田さん」つーのは「ちょっと違うよ」と思うわけ。  私とやりたいと思った男がなんだかんだ理屈をつけたのでまあやられてしまったかもな、というのは何も養父に限ったことではないし、そんなことならその後だっていくらもあった。私だってその時は「別にいっか」とか思っていたのでしょーがない。でもそこで、私の言いたいことは本当は母にあるのだ。  あんたは私の実の母だろが!! 男をつなぎ止めとく道具にするなよ、子どもを!!  まあでもねえ。売春防止法直後の空気に踊らされてちょっとばかしその気になっちゃった、お調子者の田舎の女の子だったんだろうなと今は思う。あの頃「あたしの人生はね、書けば小説になるのよ」が口癖だった彼女が、 「あたしのことは映画になったのよ。それもあたしの役があの桃井かおり!」  とか言ってるところが目に浮かぶわ。もー、春菊、困っちゃう。 * 文中「今の夫」とある男とは離婚しました。その後、その男も罵倒BFも二人とも小説書くとか言い出して……人がやってる事は、楽に見えるんでしょうねえ。母も言ってたくらいだもんなあ。  A先生のこと  藤子不二雄A先生と初めてお会いしたのは、先生の故郷、富山県高岡市制百年のシンポジウムであった。ちょっとごめん、我孫子先生と呼ばせてね、いつもそう呼ばせていただいてるの。それと、F先生である藤本先生とはまだお話ししたことがないので、お二人の比較論(?)のようなものは書けない。期待してる人がいたら御免、いないと思うけど。  話を戻して高岡市であった。「まんが道」に出てくる、町のどまんなかの大仏も確かにあった。シンポジウムは我孫子先生、石ノ森章太郎先生、永井豪先生、少年マガジン五十嵐編集長(当時……と言っても今どうなのか知らない)、それにあたし、という、おいおい、光栄だけどあたしに限っては他に誰かいそうなもんだ的おそれ多い組み合わせであった。手塚先生の思い出のVTRが流れたときは思わず喉のあたりがきゅっと苦しくなった。緊張しているわりにはただぼけっとしていたあたしに比べて、漫画の全体像、あるいは将来について建設的にお考えになる先生がた。あれであたしは二段階アップで大人になったような気がしたもんだ。しただけだったが……。シンポジウムが済んで宴会(With芸者)に招かれ、その後先生がたと近所のカラオケスナックでひとときを過ごしたあたし。めったにお歌いにならないらしい石ノ森先生のお歌を聞けたり、あたしにとってはまだまだとんでもなく先のことになるであろうな話(しかしなんだろうねこの日本語は)をナニゲに聞かせていただいたりの、もう超フルコースな夜だった。特に最後。二台頼んだタクシーが一台しか来なくて、あらまあって感じだったとき、なんと、我孫子先生と石ノ森先生は「ああ、僕たちの宿のほうは近所だから、散歩がてら行こか」とあっさりお二人で歩いていってしまわれたのには驚いた。確かにあたしや永井先生のホテルのほうが遠くだったが……上下関係やいろんなシキタリが固まっている世界であったら、お二人があんなに自然に歩いてお帰りになるなんてありえない。いや逆だ。先生がたこそが漫画界をそういうしちめんどくさくないものにしてきたのだ。あのときあたしは、漫画界に入ったことがとても嬉しかった。見栄や、のちのち人に伝わるエピソードのほうを気にして、なるべく普通でなく振る舞わなければいけない世界って、苦手なもんだから……。ホステスしてたからかなあ。おおそうじゃ、ホステスと言えばあたしが以前描いたホステスの漫画「水物語」、あれを読んで「あの、主人公が彼女に嫌われていく感じがわかる気がする」とおっしゃっていたのも我孫子先生であった。それほど長くお話ししたわけでもないのにあたしは、我孫子先生はとてもピュアな女性観をお持ちだという感じがする。「呪いのワンピース」という、綺麗なワンピースに魅せられた少女たちが次々と不幸になる漫画を描いたときも、我孫子先生の企画で美しいアニメーションに仕上げていただいた。「呪いのワンピース」は、「読んだときから映像などの何かにしてみたかった」とおっしゃって下さっていた。そういえばあの話は、不思議なものに振り回されてしまう人間を描いた点でこの「変奇郎」シリーズとちょっとだけ共通点があったかも知れない。なんで人間って欲しいと思った物にこうも振り回されちゃうもんなんでしょうねえ。それにしても変奇郎が請求する金額ってリアル。「頑張れば払えないわけじゃないんだけど、こんなことで払うのはヤだ」ってあたりが絶妙。もうだいぶ前の作品なはずなのになあ、ただあたしが貧乏なだけか? 気弱な人間の中に少しずつ少しずつ積もっていったものがある日凶暴な何かに変化し爆発するそのシーンもぞくぞくして待ち遠しい。それと女の人が色っぽくて好き。きちんとした感じで、なおかつ色気があるのはやはり先生の女性観があらわれているからだろう。驚いたときに「ンマー」って言うところなんか、すごくそそると思うわ。  出 産 の 頃  これから書くのは体験談。私は芸能人じゃないしちょっと話が違うかも知れないが、とても興味深い経験だった。おととしのことだ。妊娠七カ月目くらいから、妊娠していることを人に話すことにした。それまでは友人にしか話さなかった。スタイリストには、バンドのライブのときお腹の目立たない衣装を作ってもらったりするため話していたが、アシスタントの女の子たちにも言ってなかった。お腹もあまり出てなかったしつわりもなかったし、ダンスバンドのライブや仕事も普通にしてるしで、周りの人はだれもあえてそんなこと気づかなかった。話し始めたきっかけは簡単。もともと私が「子どもを作って欲しい」と頼んだのを受けて実行した細胞提供者が、彼の親と口をそろえて堕ろせと言い出したから。数日後、深夜番組の女性のためのセックス相談に出演したとき、「妊娠してるしあたしのほーが相談したいや」と言ったら、女性週刊誌の、数ページに及ぶ取材の依頼が来たので、そこでも話した。お腹が大きいのに裸の写真を撮ってもらったりしたのでまあちょっとお行儀悪かったかもしんないが、ほとんど時間もなかったのに知ってる写真家の方が受けてくだすったし、撮影も楽しかった。  で。  バカ? と言われるかも知れないが、それを見て次々と、それも週刊誌だけじゃなくテレビまで取材が来るということが起こるまで、この程度の話でこんなに珍しがられるとは思わなかった。結婚しないで子どもを産むケースなんていくらでもある。一緒に暮らしている男とは違う相手と子どもを作ったからかも知れないが、登場人物のだれ一人としてだれとも入籍してはいないし、民法上なんの問題もない。裸の写真だって、どっかの女優が臨月に撮ったのが良かったからとかなんとか言って依頼されたんだし、ということはちゃんと前例もあったわけで、いまだに何であんなに記事になったのかナゾだ。出版界の人間のことだというのに、取材に来ないで私の知らないところで記事になっているのまであった(週刊文春もだぞー)。まあいいや、今回そういう話じゃないもんな。そんでそういう状況のもとに、あるワイドショーからの取材依頼があったのだった。  そこの取材は一度受けていた。そのあとビーチボールのようなお腹でコメンテーターとして出演もした。そのとき「内田さんのレポートのとき視聴率良かったですよ」と司会の人に誉められた。私は「はあそうですかそれはどうも」とぼんやり答えた。作ってるほうとしてはそういう理屈はアリだろうが、妊娠だの家庭環境だの個人的なことを話したほうにしてみれば、視聴率で誉められるのは奇妙な感じだった。そして今度は、出産前後の取材をさせて欲しいという依頼だという。は? なんじゃそりゃ、とよく飲み込めなかった。 「出産前後の取材ってどういう意味?」 「さあ」  マネージャーにも見当がつかない。考えてもわからないので次に電話があったときに私が自分で出た。 「病院に入るところとか撮らせていただいてですね……」 「はあ。そりゃ入るとこくらい私はいいけど、病院に聞かないと。でも今日検診行ったから、次は来週しか行きませんよ」 「いえ、あの、たとえばですねえ、出産なさってすぐあとに、病室で赤ちゃんと一緒のところをインタビューさせていただくわけには……」 「はあ。何の?」 「ですからあの、出産の感想とかを……」 「出産の感想……」 「ええ、そしてあの、病院に入るときにですねえ。行ってきまーすというようなところを、たとえば撮らせていただくとか……」 「行ってきまーすって?」  私はなかなか「産みに行くとこ」と言われているのを気づかなかった。彼は言葉遣いだけは大変ていねいでつまりはっきりした言い方をしなかったし、陣痛なんていつ来るのか誰にもわからないんだし、まさかそんなこと言われてるなんて普通思わないじゃないすか。 「出産のコメントって言ってもねえ、産んだことまだないし、そういうの受けられる気分になるかどうか自信ないなあ。それに子どもの顔は出したくないんですよ。相手ともめたままだし、相手が会う前にさきにテレビに顔出ちゃったじゃ、しゃれになんないでしょう」 「はあ、それでは……一応撮らせていただくだけ撮らせていただいて、使わせていただくときは必ずご相談するというのはいかがでしょう」 「やだ」 「ではお話しいただいているときに、ベビーベッドかなにか、そこにいるという感じで、後ろ姿とか、それだけではいかがでしょう」 「そんなのなんかホラー映画みたいで絵として不幸だからいや。コメントだって、私のことなんだから。私ひとりだったらまだ考えるけど」  話は行ったり来たりしていた。こりゃ順を追って聞かなきゃわかんねーやと思った私は、 「だいたいまず最初、どうやって行くところとか撮るんですか」 「え、だからですね、陣痛が来たところでお知らせいただいて」  ガーン。 「そういう意味で言ってたのお!? そんな余裕、ないですよ!」 「いやあの、おとうさん(細胞提供者のこと)に知らせて駆けつけていただきたいとか、私たちそこまで望みませんから」 「ひええ……。……あのー、ちょっと……もしもし?」 「え、それが無理だったらですね、その、出産後のコメントを」  ここでまた子どもを撮るの撮らないのとあって、 「だから相手と子どもが会う前にそんなのに出ちゃうのはやだって言ってるじゃないですか」  と繰り返すと、 「え、ではですね、あの、カメラに向かって、『会いに来て下さい』と言っていただいても結構なんですが」 「えーっ何それー!」  私はしばらく絶句。もう完全に取材を受ける気はなくなっている。言っとくけど私、細胞提供者に『会いに来て下さい』って言いたいなんて願望、ない。すべて勝手な推測。こっちが気分を害したことに気づいたそのディレクターは、 「またご相談させていただくかもしれませんがよろしくお願いいたします」  と最後まで礼儀正しい言い方で電話を切った。しかし私の「何それー!」な気分はおさまるものではない。  何だ。  何なんだこれは。  全く……何なんだその依頼は……面白いじゃねーか!  私はその後いろんな人にこの話をし、漫画にまで使って(「ナカユビ」に収録。出産・白井のり子の場合)すっかりモトを取ったのであった。しかし、後日談がある。その頃の私の記事やテレビのレポートは、なんと私自身が全部あちこちに電話して、 「あのさー、内田春菊なんだけどオ、あたし妊娠したんだけど取材しない?」  と売り込んでやったと何故か本気で思い込んで、そう言いふらしている人物がいたのだ。それも私と同じ漫画家。その人は「取材に来て」と頼んで来てもらったことがあるのかもしれないが、ふつう漫画家にそんなことはありえない。私にとってはこっちの現実も結構負けてない面白さだった。へーんなの。同業者にもそういう人っているんだなあ。それにあとになって仕事でもらった妊婦雑誌を見たら、「陣痛だ、行ってきまーす」から「生まれました」までレポートされている人って、結構いるんですねえ……知らなかった。そういうのは個人的な記録だと思ってたもんだから……。でもきっと、こういうことって個人差が大きくて、だれまでが変で、だれまでが普通とか、言えないんだろうな。ワイドショーのスタッフはたぶんそういう人々のいろんな需要も汲んで、私なんかに「何それー!」と言われてもくじけず今日も働いているのだと思うわ。  そのまた後日、私が自分の妊娠をあちこちに売り込んだと思い込んでいたのはタネの人とその仲のいい人たちだったことが判明。どうも彼自身が話題になりたかったらしい。私にはよくわからないが、そういう、つきあってる相手とか友人とか知り合いのことで自分が話題になりたいという希望はアリなのだろうか。アリの人もいると想像するしかないが、ものかきは特に自分のことで話題になる方を選ぶのが賢明なのでは。 * まだ会わしてないですよ、一番目の子も二番目の子も、タネの人には。本人がそう言い出したら考えます。私自身、自分のタネの父とは35年会ってない。写真もないのでずっと顔も忘れたまま。でも別に会いたいとは思わない。  私の貧乏性  私の場合、もともと貧乏人なんだから貧乏性で当たり前。ここんとこ雑誌などで節約ものの特集が売れる、などと聞いて読んでみると「へー、こんなことわざわざ雑誌に教えてもらわなくちゃいけないわけ?」って感じなのよね。でも考えてみると、私の会社で雇った子にも、あきらかに「わざわざ教えなきゃいけない子」はいた。外にもいた。とにかくやたら物を捨てる。捨てることはいいことだと思ってる。その証拠に他人のものまで捨てる。おごってもらっていながら、料理の残っている皿をぱんぱんぱんと重ねてウエイターに下げさせたりする。あろうことかウエイターにも「お済みですか」と聞かないで下げるのがいる。漫画家二人で、ある家の子供のノートに絵を描いてやっていたら、もう一人のほうが「この子、紙をけちるんだもん」と言うので驚いたこともある。その子は紙のスペースが余ると「ここにも描いて」と頼むので私のほうは「紙を大切にするいい子じゃのう」と思っていたのだ。ということは、年齢じゃないのだな。  たとえば「ねーねーあの彼氏どうしたの?」「えー別れちゃったー」「うそ! もったいなーい」「えーそんなことないよー、こないだあれよりもっといい男に誘われたもん。断わってやったけどお」「うっそー! あたしにくれればいいのにー」みたいに、捨てることによって自分の豊かさを誇示しようとする人もいるらしい、ってのも最近わかって来た。でもなんでそんな屈折した自慢をするんでしょうかねえ。ナゾだ。わたしにゃようわからん。  私が自分のことをこれが貧乏性というものかしらと主に思う場面は、仕事を多めに受けてしまうところかな。この中には「このくらいこなせるはず」といううぬぼれ性分もかなりあるのだが、なんかいっつもやってないとかまってもらえなくなるような気がしてくんのよねー。そんで、この原稿のように遅れるだけ遅れて人に迷惑を掛ける、と。まあでも、この原稿に限ったことではないんだが、っていばるなよそんなことで。しかしこうして仕事をすれば後からおアシがついて来るんだから捨てたもんでもないよ。しかし、あいかわらずデザイナーと打ち合わせ中に「紙ない紙。あ、これでいい、いい」と横のくずかごから拾っては何か書き付けている自分がいるのだった。と言っても、その事務所の女の子が「拾ってる……」と驚いてたので気がついたんだけどね。  最近はだいぶそれも治りました。さすがに子どもが二人になるとね、無理はだめだよ。私が忙しいと子どもがケガをしたり病気をするという法則もあるのだ。  私 の 母 校  おりしも某誌の熱心なインタビュアーの女性が、私の小学校、中学校、高校それぞれの先生を探し出し、取材を試みている今日この頃だったのだ。それぞれ連絡が取れて、これから会いに行くところなのらしい。  だから結果はまだ聞いてないんだけど、途中経過によると、教育一本槍のお堅い先生だと思っていた小学校の先生は、 「覚えてますよ、今でも美人(うわー)ですか」  と言ってくれ(おせじでも嬉しい)(でもよく考えたらその頃私は小学生……はて)、中学校の先生は、 「頭のいい生徒だった」  と言ってくれ、高校の先生は、 「他の生徒に勉強を教えていた」  と言ってくれたそうだ(私、そんな覚え、無い……)。しかし、さすが。生徒を悪く言わない。これが先生というものなのだろうな。今回は私が好きで覚えている先生ばかりに当たってもらったせいもあるだろうが。  たいがいの先生には嫌われてたと思う。ませていたし、人の和を乱すことを何とも思っていなかった。みんなが楽しく談笑している横で冷たい目をしているような鼻持ちならない生徒だったと想像できる。  母校ってのは母なる学校って意味だろうが、実際そういうふうに思ったことさえない。たまたま同じ学校というだけでなれなれしくされるのはずっと嫌いだったから、同窓会なんて出たこともないし興味もない(たぶん誘われたこともないんじゃないかしら。家出してしまったのでよく知らないが……)。私が学校の先生だったら私みたいな生徒、死んでもやだ。くじ引きでしぶしぶ担任になっても、いないことにして過ごしたい。ほんとに高校あたりになると先生のほとんどは私みたいな落ちこぼれはいないことにして授業していた。  とは言っても、まともに受験して入った高校には半年しかいなかった。ばりばりの受験校で、私は完全に腐ったリンゴだった。一番前の列に席があるというのに、授業中ぐうぐう眠っていた。一度、ある先生に、 「内田!」  と起こされ、 「おまえの眠っているあいだに授業は進んでいるんだぞ」  と言われた。もっともだ。その先生はちょっと変わった人で、君たちの名前と違って自分の名字は由緒正しいというよくわからない自慢や、娘がカレーを作ってくれたという話、娘と宝塚の「ベルばら」の公演をテレビで見ていたら涙がこぼれた、などという話を長い時間をかけてする人だった。チェリーという匂いの強い煙草を吸っていた。もちろん気にいらねえなと思っていた私は、学校の裏の竹やぶで腐ったリンゴ同士で愚痴をこぼしあった。彼の娘が私たちと同い年だというのがますます気にいらなかった。仲間の一人によると、その娘ってのは有名な淫乱で、男と談笑しているとじゃれたふりをしてペニスを握ってくることもあったのだそうだ。今考えたら誰かが誇張して話していたのかもしれないが、そんな女を引き合いに出されて「うちの娘はいい娘(暗に、それにくらべておまえらは)」という話をながながとやられていた私はうんざりした。そして、たぶん私たちと似たり寄ったりの、ほんとなら仲良くすればいいくらいのその娘が悪いわけでもないのに、 「おやじのかわりにぶん殴ってやろう、そいつ」  というぶっそうな考えを持った。まあ、不良ね!  そしてある日、その娘は私たちの溜まり場にやって来た。因縁つけてやろうと思って、見てがっかり。すんごい、小柄な女だったのだ。こんなのに喧嘩売ったら、恥ずかしいくらいの。それと同時に、その女が煙草の煙と一緒に吹き出しているきゃらきゃらした空気から、淫乱のほうはほんものだな、と勘で思った。いつも先生の話す美談と、淫乱の噂はその空気のなかに矛盾せずにあった。その後、その娘は親たちの寝静まっている間に男を引っぱり込んだらしいという噂まで伝わって来たが、もうその娘のことや先生のことなんてどうでもよくなってしまった。先生の娘だからって、助平になっちゃいけないなんて決まりはない。誰にだって人生は一回しかないのだ、好きなことならたくさんしたほうがいい。  というわけで私が学校の話をすると全然美しくならない。少し前、漫画の表現で、中高生のセックスは有害チェックが入るとかいうのがあったが、へーじゃあ事実を描いちゃいけないの? ってくらい私にはナゾだ。まあいいや。関係ないけどこないだ中学の二つ先輩に中島ラモスという名前の混血の男の子がいたことを突然思い出した。見た目はまるきり白人なのに、ちゃんと方言でしゃべる子だった(あたりまえか……)。サッカーは見ないからラモスという選手のほうは名前と顔しか知らないが、中島らもさんにはいろいろお世話になってるのになあ。何で今まで思い出さなかったんだろう、中島ラモス。嘘つけ! って言われるかも知れないが。  どうでもいいけどこのエッセイ、ファザーファッカーのサイドストーリーみたい。私にはエッセイと小説とをわけて書く能力はないのか? この頃はなかったのかもしんないな。 * 中嶋ロゴスだったかもしれない……。  実はあったファザーファッカーのあとがき  この小説は二十七歳の時に遺言として書いたものを手直ししたものである。そう考えると五年もたっているのに驚く。今回の出版の担当者である茂木一男さんも四年以上も待っていた勘定になる。時の経つのは早いものだわとのんきなことを言ってる場合じゃない。茂木さんほんとーにごめんねごめんねごめんね。でも今考えてみると、やっぱ、今出るものだったのよきっとそうよ、って気がするのは私だけ? だって、もうだめかもな、って思っていた子どもなんて産んじゃったしさ。  いやあとにかく脱稿して良かった。このあとまた茂木さんがスゲー大変なのはわかっているのだが、私は勝手にカタルシスのまっただなかにいる。しかしこのマックが外国人のくせにカタルシスもカタカナで出しゃしねえな全く、あ、二度目は出した。  そんでまあもう一人、これを書ける私という者をはぐくんでくれ、いつも助けてくれ、その上最近は私におしつけられた育児で忙しい大久保マネージャーに改めて感謝します。あ、もうマネージャーは小林さんか。小林さんも大変だったね。大久保さんは自分で勝手にプロデューサーに昇格したのであったな。  そんなわけでいろいろ励まし、楽しみにしてくださっていた皆さん、ありがとう。やっと出来ました! 面白かったかしら? 面白いといいな。 明日初めて息子と飛行機に乗る日に                    内田春菊  これがほんとうは小説の最後にくっついていたのですが、茂木さんの案ではずしたのです。今考えるとほんとにはずしてよかったと思う。ふざけ過ぎです。  ビール日記です 酒中日記  ビールだけだが、昼でも朝でも外食の度に飲む。「あーおなかすいたー」と入った店なのに、「ビール」と頼んだらもう、食べ物のことが頭から飛んでいってしまい、「何食べたい?」と聞かれても「ん、なんでもいい、ビールあるから」なんて答えている私はもしかしたら酒飲みなのかもしれないが、そんなに強くない。どちらかというと弱い。よく記憶がなくなる。あまり寝てない日なんてすぐなくなる。全部でなくてもところどころないくらいならしょっちゅうだったが、去年の春から妊娠、母乳育児と続いているため飲む量が減った。朝から何度も吐いたり胃|痙攣《けいれん》を起こしたり、体じゅうじんましんだらけになってかきむしったりは、ずいぶんしてない。ビールは母乳をよく出すのよーなんて言いながら、だらだら飲む毎日。  七月二十七日  原宿クロコダイルで私のバンド、アベックスのライブ。居酒屋で打ち上げ。息子に瓶詰めのベビーフードを食べさせていたら、友人が味見。「こんな味のないもん喰ってんのか……」  八月七日  渋谷で若者向けのイベントに出る。いただいた謝礼で魚を喰って飲む。  八月九日  打ち合わせで飲む。  八月十日  イワモトケンチ監督「行楽猿」の試写に、ゴッドファーザー秋山道男と行ったあと、ドイツビールの店で飲む。  八月十一日  嵐山光三郎さんと対談で飲む。  八月十二日  めし行こうと言いつつベビーカーを押して歩いててなぜかビアガーデンへ。つまみのチーズをぱくつく息子。  八月二十二日  荻窪でジャズバンドのライブをする。  八月二十三日  鳥羽水族館の森さんと、レタスクラブのKさんと一緒に六本木で食事。  八月二十八日  息子を連れて海水浴。九十九里浜で飲む。  九月三日 「マミイ」で寺田りえこさんと育児対談。赤坂の中華料理店、飲んでたのは私だけ。  九月四日  駒形むぎとろで飲む。  九月七日  南青山で打ち合わせ。魚をごちそうになって飲む。  九月十二日  相模湖まで出かけ、帰りに高尾山の「ごん助」というでかい店でいろり焼きして飲む。息子は栗のやわらか煮ばかり食べる。  九月十三日 「コミックアムール」M氏に貝料理をごちそうになって飲む。途中M氏、「おしぼり大好き」と発言。そういうこと、わざわざ言う人少ないかも、とほほえましく思う。  九月十九日  荻窪でジャズバンドのライブ。終わってからメンバーの結婚パーティーの打ち合わせで飲む。  九月二十六日  で、その結婚パーティーで飲む。友人の息子(四ヵ月)と私の息子を遊ばせようと思ったが、友人の子は初めてのおでかけでずっと泣いてた。  九月二十八日  打ち上げで飲む。最後はカラオケ。息子がいつのまにか拍手することを覚えていて、仲間が歌うと拍手した。良いことだ。  九月二十九日  新宿へ向かう途中、首都高でトラックの激しい割り込み。止まれず追突事故になってしまう。これで美術展評の仕事、半年やって最後の最後まで大遅刻だ。ゴッホを見たあと「太陽」の担当少年Kと野村ビルで飲む。テーブルに生ビールのコックがついている店。テーブルにカウントされた量で会計するしくみ。息子はわりばしで遊ぶ。  十月七日  ヘアメイクの三浦くんがパリから帰って来て遊びに来てくれたので飲む。  十月十三日  しばらくホテルでカンヅメ。蟹《かに》をごちそうになって飲む。息子は店のおねえさんに遊んでもらっている。  十月十八日  新宿。打ち合わせで飲む。息子、眠がってぐずる。  十月二十日  三枝成彰さんのご招待でオーケストラを聞きに渋谷へ。戻ってきてから近所の居酒屋で飲む。  十月二十二日  品川水族館で講演。息子を見てある館職員、「講演中はどうするんですか」「連れが見てますけど」「可愛いのは今のうちだけですよ」。可愛さ余って連れ歩いてると思われているらしい。  十月二十四日  荻窪のジャズバンドのライブのあと、立川談志さんに呼んでいただいたパーティーで飲む。九歳の男の子が息子と根気よく遊んでくれる。  十月二十五日  鳥羽水族館の中村元さんから「東京に来てるからごはんでも」と電話をいただく。おいしいお寿司をごちそうになったあと、もすこし飲む。ニューオータニのバーの絨毯《じゆうたん》の上をはいまわる息子。  十月三十一日  神田すずらん通りで、小説「ファザーファッカー」のサイン会。応接室で息子がぐずったので授乳。紳士は目線に困る。いただいた謝礼で今秋初めての鍋。 * 今もこういう生活だと思わないように。しかし品川水族館の職員、ヤなやつ。  私が不倫をやめた理由  私には妻帯者とつきあっているほうが楽だと思っていた時期があった。「相手に妻がいる手前、自分の女扱いされなくてすむ(されない程度の出費しかさせない)。深夜や休日は一人になれる。本気で面倒みなくてもいい。別れるのも簡単」。今考えたらちょっと冷たいようだけど、なんと言ってもその頃十代だったしね。自分のやろうとしていることを邪魔されるのが何よりも嫌だったのよ(今でもそうか……)。  ナイトクラブで歌ったりするのが仕事だったし、もともと知り合うのも年上の妻帯者が多かった。十代で水商売やってたら、同世代の男とわざわざつきあってるほうが不自然。楽でつきあってたわけだから、不倫の気分なんかに浸ったりもしなかった。第一そんな年齢じゃない。まだ自分のことだけで頭はいっぱい。  二十歳で上京、すぐ求婚され最初の結婚をしたが、三ヶ月で相手の態度が激変。なんだかんだ言って私を外に出さないのに自分は帰って来ない、機嫌を損ねると一ヶ月以上も口をきかない。そんな中でときおり自分がどんな女にもてるかを自慢。これって外に女がいるって言ってるのと同じだよね。その時いつのまにか専業主婦にされていた二十歳の私はどうしたか。相手が十近く年上だったせいもあるが、「私が何か悪いことしたのなら言って」と泣いたりは何度もしたが、浮気でしょうと詰め寄ったりはしなかった。自分と一生一緒にいることを契約した男が、さっそく他の女と関係しているかもしれないと言うことを想像するだけでも恐ろしくて出来なかった。過去に自分が妻帯者とつきあっていたからこその恐怖。こうして私は初めて物事を両側から実感するという経験をしたのだった。その後当然ながら目出たく離婚、それから妻帯者とつきあったことはない。あんな気持ちで帰りを待つ人間をうしろに背負った男とわざわざつきあうなんてごめんだ、そこまでしてもつきあいたいと思う男から本気で誘われたらつきあうけどさ……そんないい男が本気でくどいてくれるなんてなかなかないですしねえ。あってもお互い逢うひまが一致しなかったりして。まあいいや、そんなわけなんで、今不倫の恋愛してる人は多いと噂に聞くけど、不倫はあくまで不倫。他人の婚姻関係を壊そうとする、一応倫理的に言うと悪事なんだから、いい年してやるんならそこんとこわかってないとみっともない。子どもの振りしてわざとまわりの人間が傷つくほうに物事を持っていき、人が泣いたり怒鳴ったりするのを見ることで自己確認しようとするのは残酷なことだ。今もしそういうことをしている人は、年をとるなり結婚したりで、今の相手と同じ立場になるときこそ本当の恐怖が訪れることを覚えていて欲しい。てったってどーもこれが、自分で懲《こ》りるまでわかりゃしないんですけどねー。  初めてのマタニティ・スーツ  妊娠八ヵ月も後半に入り(あっ、もう来週から九ヵ月だよ)とうとうジーパンじゃまずいかも、と思いだした。数日前、お医者さんに「明日仕事で飛行機乗るんですけどー……」とおそるおそる言ったら「え? 飛行機! まだ仕事してんだ……飛行機ねえ、あんまり良くないなあ」「列車に変えたほうがいいでしょうか。クマモト行くんですけど」「そうすると時間がすごくなるしなあ。止められないの? それ」。  ひーやっぱりそう言われるようなことなのか、と思ってちょっと恐ろしくなった。飛行機の中って、万年筆とか横にしとくと気圧でインクがあふれ出るじゃない? 私のカラダも現在羊水で万年筆状態なわけで、万年筆と同じ状態になるとしたら、ひええ。こわいよう。 「子宮が収縮し出さない薬を出しとくからね。これは胎児に影響ないし、人によっては妊娠中ずっと飲む人もいるくらいだから大丈夫。旅行中いきなり飲み始めるより、今日から飲んどきなさい」「はあ」「でもね、ほんとは控えたほうがいいよ、子どもは旅行してもちっとも嬉しくないんだからね。何かあってからじゃ遅いからね」。  そういえばあたしゃ確かに飛行機は妊娠してから初めてだけど、ツアーだのテレビだのって、さんざん地方仕事やってた。とほほ。コドモ、ごめんよ(まだ名前がないので呼びようがないや)。  そのときお医者さんからもジーパンは良くないねと言われたんだけど、これサイズが大きいの? ハイ、なんて流してたのね。ところが、飛行機乗ってクマモト行って、そのあと六時間も座りっぱなしで人と一緒の仕事してたら、どうにもしんどくなってきた。自分の職場では、子どものケリが強くなると横になったりもできるが、(蹴っても蹴ってもあたしが仕事してると、最後には脚に力を入れてイーッてやり出す)人と一緒じゃできない。というわけで、東京帰ってきたその足で、ワンピース買いに行きましたよ。でもマタニティは、いやだ……まだ私はマタニティ及びベビー用品売り場に近づいたことがなかったのだ。怖かったのかもしれない。そんで柔らかい生地のワンピースとかジーンズの大きめのワンピースとか買ってたんだけど、そのときつい、踏み込んでしまったんだマタニティ売り場に。そしたら、今まで病院とか町ではぜんぜん見かけたこともなかった、ちゃんとした服があるじゃん! うそ! こないだまで、 「妊婦が必ずボビーソックスを履いているのはストッキングのウエストゴムが入らなくなるせいだわ」なんて発見して悦に入っている私だったが、ちゃんとウエスト調節のできるストッキングやタイツまである! カルチャーショックにボウゼンとする私に、優しい声を掛けてきた店員さんは「もう八ヶ月? あらまあ、まだ何もかも普通のものをお召し? え、まだ何も準備なすってない?」といろいろと説明してくれた。商品見本もいろいろと見せてくれたが、「最初はこの大きさでいいんですけどね」と渡された新生児用の肌着! 思わず「こんなに小さいのぉ?」と声に出して言ってしまった。すると、ああまずいよ、こりゃまいった、というくらい私の頭の中には今まで考えないようにしていたものがドトウのように押し寄せてきた。「あたしってば、本当にコドモ産むんだ」初めて買ったマタニティのスーツやベビー用品カタログの入った紙袋を提げて、ひとりでベビー用品の棚の間をバカみたいに涙ぐみながら通り過ぎる私。全く困るよ、頭悪くて。  待ち遠しいったらありゃしない  永い永いと思っていたニンプ生活だったが、臨月を迎えてからというもの、ああ、あとから考えるとあっと言う間だったわねぇ、って感じ……と言いたいとこなんだけどさ、こんどはお産までの永いこと! 十一月六日の検診で、出口が開き始めてますと言われて今日で十日。それも六日の夜に軽い出血なんてあったもんだから、週末はもう完全に覚悟してたの。七日は篠山紀信さんの撮影、八日は生放送のテレビ(それも三時間半もの)が入っていたので、横では女の子のマネージャーがバスタオルを持って待機。なのに何ごともなく週は明けてしまった。そりゃほんとの予定日は二十六日なんだけどさ……先月から早産防止処置なんかしてたし……毎日毎日今日か明日かと過ごしてるわけよ……あー一日はなんと永いんだー! と言いつつ仕事もしてますが。こうやって仕事してるときにコドモのことを忘れてるからお産になんないのかな、と余計な心配までしたりして。なわけないんだけど。そんな私にお構いなく、コドモは体の中で毎週二百グラムずつ、むくむく大きくなっている。現在三十八週目、推定体重二八四三グラム。二百グラムと言ったら、小さいナベでカレー作るときに買うお肉分くらいだっけ? 毎週毎週、あたしが何するわけでもないのに、そんだけのもんがお腹の中で作られているとは。よく出来てるもんだよなあ、と改めて感心しちゃう私であった。しかしほんとにニンゲンなんだろうなこれ。ニンゲンじゃなかったらひじょーに困るんだけど、ニンゲンが一人入ってんのかーと考えるとそれはそれでスゴイ。  数日前、友人ヤマトタケシ(俳優)から、「オレんとこ男(来年一月出産予定)だってわかったぞ! 名前も決めたぞ。まねすんなよ(しねーよ)」と電話があって思ったが、性別がわかると、名前を考えるのにもいいけど、ニンゲンとしてのヴィジョンが何かと広がる。わからないと、それが広がんない。だから余計になんかエタイの知れないもんが入っているような気がしてくる。とりあえず育児に必要なものも最低限揃えたし、ベビーベッドも組み立ててもらったのだが、どーもここに小型のニンゲンが出現するというのがピンと来ない。そういえば私は新生児をナマで見たことはないんだわ。あーやんなっちゃうなあ、早く出して顔が見たいよ。  と言いながら年末年始はまた三冊ばかし本が出ます。すっごく久しぶりのエッセイ集「私の部屋に水がある理由」(文藝春秋刊)もあるからよろしくね。構想五年! の小説も、この産休前後で一気に書き上げるぞー! って、産休なんてあんのかな一体。だいいち小説書いてたら産休じゃないか。まあそれもまたよし、することがずっと途切れずあったからこそ、楽しいニンプ生活であったことだよ。  とにかくタカハシ先生には「陣痛待ちだね」と言われつつ、貧血予防のために病院の売店で買ったプルーンゼリーを食べている。そんな日々の最終回でした。ではまたどこかで。  子守歌というものは  子守歌というものは知っていても、子供を生むまではもちろん、子守のために歌ったことなんてなかった。だいいち、赤ん坊が眠りにつくときこれほど寂しがるものだなんて想像も出来なかった。特に産まれてから二ヶ月目くらいは、意識を失う瞬間が恐ろしくてたまらないらしく、ひどく泣きじゃくる。私は息子を抱いて揺すり、アズ・タイム・ゴーズ・バイやサマータイムを歌った。アズ・タイムなら聞くのはビリー・ホリデイのが好き。彼女の声は眠る(イコール死ぬ)のが怖い人間の鼓膜にとても優しい。エンディングのロングトーンで微妙に音程が外れ、揺れ、また戻るのは喉ではなく彼女の魂がしている仕事だ。自分も誰かの胎内にいたこと、眠れなくて泣いたこと、たくさんの男と寝て、好きになったり憎んだりしたこと、じたばたして生きていくしかないこと、そしていつかは必ず死ぬことなどのすべての意味が彼女の歌の中には見え隠れするような気がする。  どうもありがとう ドゥ マゴ文学賞のこと  なんたっていきなりもらえたのが嬉しい。電話をもらったときは、大阪にいた。東京乾電池のイベントの大阪公演が終わって、バンドのライブしてた。楽屋で聞いてさ、え? え? なんかもらえんの? 嬉しいじゃーん、って感じ。思いがけない喜びって素敵。あげるかもしんないから待ってなさいフッフッフってのは楽しみだけどちょっとしんどい。事務所の女子社員たちが「ドゥ マゴ」という語の伝言に少し失敗して、メモに「ルマゴ」とあり、さらにそのルの字がちょっと広がっていたため、あたしが「ハマゴ文学賞?」と口に出しちゃったのはちょっと賞に対して失礼ではあったが、そんな海の匂いのするような名前じゃなくてフランス語だった。確実に決定して中沢新一さんと電話でお話しした日はさっき言ったイベントの東京公演中だったので、すぐ相手役のベンガルさんに、授賞式に来てね来てね、なんて内容も知らぬまま話した。あんときは、ベンガルさんにまた会える口実が出来たってのが嬉しかったな。飲み会好きだし。賞の実体はわかんなくても、中沢さんみたいな好いたらしい良い男がよりによってあたしにくれるって言うんだから、なんか楽しそうだし。子どもの頃は習い事関係とかなんかで賞はちょこちょこもらったけど、漫画家になってから初めてだ。最後にもらったのはなんだっただろう。漫画家になる少し前、クラリオン女子大生ファッションカラオケコンテストに女子大生でもないのにもぐり込んでもらった、ベストアクション賞だったかな。え? いっしょにするな? すいません。  きのうは『オール讀物』の担当の明円さんが、『週刊文春』用の受賞コメントを取りに来た。彼はあたしにいつも世の中のことをうまく教えてくれる大切な人だ。「ドゥ マゴ」の名前は出なかったが、以前、毎年一人の審査員が一人の人にあげる文学賞があるという話をしてくれたのも彼だった。その時はそういう形の賞ってのも結構あるものなのかしらと思ってたので、受賞後ちょうどライブに来てくれたとき、「明円さんの言ってたような賞、もらうことになったよ」という言い方をした。そしたらそんな大胆な選び方をしている賞は「ドゥ マゴ文学賞」だけだったのだった。  明円さんは「文学賞をもらうと文学者になる、という現実もありますよ」と教えてくれた。あたしは「文学者になるとどうなるの?」と聞いてみた。「権威を感じる人もいます」「その権威ってので男の子とかナンパできるかな?」明円さんは黙っていたが、あんましナンパには役立ちそうにないみたいだった。あっでもくふうすれば役立つかもしんないぞ、たとえば渋谷あたりでゲットして Bunkamura まで連れて来るでしょ、んで、カフェ「ドゥ マゴ」でお茶してさ、「ねえここってフランスのカフェ『ドゥマゴ』を真似て作ったお店なのよん。『ドゥ マゴ文学賞』ってあるの、知ってる?」かなんか言って「あたし、それもらったんだ、ウフフ」って言ったらあたしに興味持ってくれるかな、キャッ。持ってくれる子もいるかもしんないやってみよう。虚言症だと思われる危険もあるが……そんなこと言ってたらニンゲン出逢いを逃すわ。  中沢さんには、以前芸者遊びに連れてっていただいたことがある。和歌山の田辺市、南方熊楠のシンポジウム前夜。三味線に乗せて歌ってくれたおねえさんが色っぽかった。あの夜も若い芸者さんのファンに追いかけられていた中沢さん。あたしは宗教学者って中沢さんしか知らないので、もしかしたらとんでもなく宗教学者のイメージってものを違って受けとめているかもしれない。  しかし中沢さんの選評はスゲエ。もともと、女性の仕事をプッシュしてくれる方だというのは知っていたが、こんなに愛されているとは光栄だ。「すごいよ、読んで読んで」とさっそく夫に見せた。「今まであたしを野放しにしといて良かったねぇ」と言ったら黙っていたが、もしかしたらこれで次に浮気が発覚したとき、前より大目に見てくれるかもしんない、しめしめ。痛て。はたかれた。  『私たちは繁殖している』は子どもを産んだらあまりに面白かったので描くことにした。育児エッセイで連載して欲しいという依頼も二つくらい来たけど、なんか文章ではやりたくなかった、なぜだろう。たぶん理科の教科書の中の実験の図解みたいに描きたかったんだと思う。自分でも育児マンガを読むのは好きだけどエッセイや育児書や育児雑誌にはあまり興味がない。たとえばおむつの換え方なんて、文で読む気しないよね。出産シーンにしても、漫画だとそのときの格好から表情まで描くわけだし。子どもを産んだ人の話だってさ、当たり前だけどたいがいは自分につごうのいいとこだけだもんね。ことばだけにすると、あっというまに事実が頭で考えたこととすり替わってしまうらしい。ああでもそうだ、『ファザーファッカー』でも受賞したんだっけか。うーん、あれはなあ。もうあれに関しては嫌というほど質問されたしもういいや、パス。今月から『オール讀物』に続きを書きます。小説の仕事が増えてきたので、ちょっとスケジュールを調整している。とにかく今は授賞式でいろんな人に会えると嬉しいな、と楽しみにしているところなのだ。  中村有志さんのからだ  中村さんとは二度お会いしている。大竹まことさん、いとうせいこうさんとの芝居をラフォーレに見に行ったとき(このときあたしのいるところからは見えなかったが、中村さんは全裸でおちんちんにリボンを結んで登場したシーンもあったそうだ)ご挨拶したのと、名古屋の愛知県芸術センターでご一緒したのと二回だ。名古屋ではマイムをやってらっしゃるところを初めて見れたし、地方仕事のおかげで打ち上げでも長くお話出来て嬉しかった。それまではあたしはあまり「からだで表現する」ということについて考えてみることはなかったが、中村さんに触れてそういうことも考えるようになった。確かに口数が多くないと感心しない人ってのもいる。音楽でも同じ、歌詞ばかりが気になるタイプの人は意外に多い。もちろんことばも好きだけどさ、人間はことばだけでコミュニケーションしているわけじゃないってのを、うっかり忘れちゃいけない。少ししか話をしなかった人の声の響きが印象に残ったり、笑った顔がなんだか良かったり、手招きのしかたが好きになったり、知らないあいだにしているもんだ。中村さんの仕事にはその「知らないあいだに」の部分を意識の上に引っぱり出してくる力がある。中村さんのマイムを見たあと、人は、人間のからだの動きに対しての目が肥えてきた自分に気づくだろう。好きな人とカラオケに行くのではなく一緒に踊りたいと思うようになるだろう。話をしている相手の表情や手の動きが気になるようになるだろう。電話で話すより会いたくなるだろう。そうやってやっとあたしたちは、ことばを発生させているのはからだそのものなのだという、あたりまえのことに気づいたりするのよね。あたしはそういうことを、ことばでなくからだで教えてくれた中村さんにとても感謝している(セックスしてもらったって意味じゃないよ)。たとえ席は離れていても、そこに中村有志がいれば大丈夫。自分の生の目玉で、彼の生のからだの表現をたっぷり見て行ってくださいね。  そういえばこないだ地下鉄で突然そばに来てあいさつしてくれてそのまま降りて去っていった中村さんであった。  女が考えるセックス  二十代前半から中頃の女の子の中に、十代くらいの女の子のタレントを性的に誉めるのが妙にうまい子がいる。だれだれはどこそこの体の線が良いだの、どういうところにセックスアピールがあるだのとやたら細かい。ときには男の子より詳しかったりして、その話で男の子と盛り上がったりもしている。そんな彼女たちはとても楽しそうである。しかし私は最近その後ろ姿に問いたい。「それでほんとにしあわせ? その話題、心底楽しんでる?」と。  だからまあ心底楽しんでる人には別に文句はないんだけどさ。なんだか「自分より若くてきれいな女のタレントを好きって言う男」に理解のあるところを見せようとしてるふうに感じるときもあるわけだ。この子、きっと彼氏がこういうの好きなんだろうなー、とね。もちろん誰だってつきあってる男にはある程度は合わせるから、自分はたいして良いと思ってないタレントでも、「いいんじゃない?」くらいは言ったりするだろう。でもまあ、「たいして良いとは思ってない」くらいならまだいいが、「ほんとは嫌い」だったりすると悲しい。つきあってる男が自分の嫌いなタレントを喜ぶようなことがあると、よっぽどのことがない限りそのつきあいは長続きしない。そしてそれは、つきあってる最中にはなかなかわからない。だってせっかくの縁でつきあってるんだから、やっぱなるべく良いほうに考えたいしね。で、「あのタレントにも良いところがあるんだ、きっとあるに違いない」と探したりする。わざわざ探せば誰にだって良いところはある。見つかると彼に話す。彼はそうそうと喜んでくれるから自分も嬉しい。そのうち自分ももとからそのタレントを好きだったような気がしてくる。というか逆から考えると、そうやって自分を少しずつ変えていって続くつきあいもあり、それはそれでその人が良いと思っていればいいし、相手のほうが合わせてきてくれることもあるだろうし、そうやって彼と永い時間をかけて作っていったものも尊いじゃんとは思う。  これ、ぜんぜん関係ない話に見える? だったら今までの話の「タレント」を「セックス」と置き換えてみよう。ほらね? と、このように(何がこのようにだか……)女は男に合わせるくせが自然とついていた上に、性を内在させる娯楽のほとんどは男が男のために作っていたので、あんまし自分のほんとの趣味に気づいていない人がこれまでは多かった。または、気づいていても口には出せないとかさ。そしてそれを美徳と考える文化ってのは、確固としてあったし、今でもある。この辺、大変個人差の激しいものであるから、無理は良くない。最近は知識だけはあちこちから仕入れることが可能なため、たいして男性経験もない人が、むやみに性に解放された女を演じたりしていることもあり、見ていて痛々しい。というわけでそれに似てるんだ、自分より若くてきれいなタレントをやたら誉める女ってさ。  男の人の中には嘘だと思う(思いたい)人もいるだろうが、よっぽどどうかしてる人でなければ、女は誰でも精神的には男にもなれる。年端もいかない女の子が性に関して中年男のようなことを言ったからといって、驚くには及ばない。なのでもちろん男のために作られたポルノでも、ほんとはみんな大丈夫(大丈夫ってなんだ)。女のための、と銘打ってあっても特にどうということはないもののほうが、今はまだ多い。女が作ったもののほうが女向けだろうというのもよくある勘違いだが、そんなことはなく、作家の力量や個人の趣味による。もしそれらが全く同じ二つのものがあるとしたら、(同性愛者は別だろうが)たいていの女は男が描いた世界のほうを選ぶだろう。私なら少しくらいお粗末でも、男の作ったものを選ぶかも。程度によるけど……。  男好みな「絵」で、さすがに今どきこれはかんべん、と思うのはあの、男のワイシャツ一枚の女がセクシーとかさ……男のものを借りて身につけてる女が可愛いと言う男ってもう警戒しちゃうなあ。それと昔からナゾだったのが指ピストル。一部の男に限って(とは思うのだが)女が指で自分を狙って「バーン」とかやるのを可愛いと思っている様子が見られるが、ありゃあ何が嬉しいのか。やっぱあれも男のもの(ピストル→ペニス)を借りて(指をそれに見立てて)るのが可愛いってわけか? 男の真似したがるってことは「男の人にはかなわないけど憧れてるの、ウフッ」みたいな意味? ひょえー。って私も書きながら気づいてどうすんだ。ほかには強姦されているうちに感じ出すとかいうお約束パターンもあるが、ほんとに強姦しようと試みるやつはそうはいないだろうから、私はものによっては興奮したり笑ったりと楽しむことができるが、絵として地味でも「痴漢に触られてるうちに」のほうはヤだ。だって痴漢を試みる男って結構いて、その上そういう現実を大目に見ようとする男も結構いるんだもん。痴漢ものを女が喜ぶと思ってる男は想像力か社会性かどっちかに問題があるように私は思うが、どうかしら。  ガイジンになるには  たとえば君は、「日本人はかっこ悪いよなあ。ガイジンになりたいなあ」と思ったことはないか。これから容姿の修正は無理だとしても、あの据わった目、しゃれにならない真摯《しんし》さ、顔も赤らむそのクサさ。どうしてああいうふうに堂々と振る舞えるのか? それはね、神さまがついてるからなんだよ、ってちょっと待て! 新興宗教の勧誘じゃないぞ、これは。  逆から言うと、私たち日本人には良心がないらしい。そんなばかな? では良心とはなにか。どんな場面においても良いことを考える心のことだ。人が見てないからと言って「記念だからあ」とホテルのバスタオルをスーツケースに入れる君は反論しないように。そう、私たち日本人は良心のかわりに「人の目」を善悪の判断基準にしているわけよ。だから知らない人ばっかんとこ行ったらまた違う自分になったりするわけ。まあこんな狭い島に同じ民族ばかりでぐわーといたら、そうもなるよな。しかし神さまのいる国は違う。なんたって神はどこででも見ておられるわけだからね。だからごまかしがきかない。今の日本人のかっこわるさは、人の目の「人」の中に外国人まで入れ始めたところにもある。もともと考え方や習慣の違う人々にまで、こうしたらどう思われるだろう、といつも考えてたら態度だっておどおどするはずだ。それより自分が気持ち良く暮らす方法を考えよう。自分の仕事がうまく行ってないのに人の目ばかり気にするやつが、今一番かっこ悪いぞ。  一生働くのでなければ働くとは言わない  二十歳で一度目の結婚をしたら、自分が死ぬほど主婦に向いていないのが嫌というほどわかった。離婚してからデビューしたが、仕事の上ではなんとか主婦のことも分かりたいものだと思い、主婦向け雑誌の仕事もいろいろしてみた。でもやっぱりどうも性に合わない。だから、どうしても働く人々のことが好き。だから「専業主婦だって立派な仕事です」なんて口が裂けても言わない。「私の知らない世界に住む、私に決してない特殊技能の持ち主だと思う」と正直に言う。主婦とはまず話が合わないし、主婦の友達なんて一人もいない。むこうだってきっと私となんか仲良くなりたくないと思う。でも「結婚するまで働こう」と思ってる人はもっと困る。職場に結婚相手を探しに来ているわけだから、けなげに働く振りはするし、すごくたちが悪い。最近不況のせいでそういう人たちの仕事が減っているんですが、と就職雑誌のインタビューで聞かれたとき、「いい気味だって書いといて」と答えた。また、主婦向け雑誌の同じような仕事で、主婦も子どもが大きくなってから何かしたいと思っているんです、アドバイスをと言われたとき「手遅れだよ」と答えた。「手遅れ」は使ってもらえなかったし、「いい気味なんて言った人は初めてです」と言われたが、同じ女だからと本気で働きたい人とそうでない人をいっしょくたにして、みんながんばってなんて言うのはご免だ。そんなことはもう言い過ぎるくらい雑誌やテレビが言っていて、何も出来ない人まですっかり何か出来る気になっている。そういう人になつかれるのは迷惑だ、とはっきり言うことにした最近の私なのだった。  動物のように 「なるべく(できる限り)動物のように暮らしていたいものだ」というのが最近の望みであった。  眠くないのに時間だから寝るとか、おなかもすかないのに時間だから食べるとかがもともと苦手。眠くなければ、朝まで起きてる。いやでも翌日には眠くなる。数時間後には空腹になるからと言って、まだおなかいっぱいなのに夜食を買ったりしない。次におなかがすいてから考える。どうしても食べたくなったら出かける。めんどくさかったらビール飲んで寝る。  去年妊娠したときも、妊婦のための読みものなどはほとんど読まなかった。区役所や病院でくれるパンフレットくらい。母親学級とかいうのにも行かなかったし、妊婦雑誌とか妊婦マニュアル本とかたいして興味なかった。たまに病院の待ち合い室とかで開いてみるが、「なんじゃ、こりゃ」。経験者の話のほうがはるかに面白い……でもよく考えたら当たり前だけど。  子どもと胎盤の分くらいしか太らなかったので、腹帯とかいうものもしなかった。身につけるものもあまり変えなかった。食事もほとんどはそのまま。仕事もふだんと同じにしていた。  あっこりゃ陣痛だなというものが来たとき、翌日渡す絵のかたまりに取り組んでいた。明日の約束だしなーと思いつつ、しばらく描いていたが、うーん、この後どうなるかわかんないしとにかく病院に行こう、と仕事も持って行った。お産の準備のあと陣痛室という部屋へ入る。陣痛は痛いけど、休みがある。休みが、ヒマだ。なんかやってるほうが好きだな、と思ってさっきの仕事をやっていた。  そのうちそれどころでもなくなり、その場で呼吸法やいきみ方を教わりつつ出産したが、その感想は、 「私って、なんて『ニンゲン』なんだろう」  だった。ふだんは本人の望み通り「ケダモノ」と呼ばれている私であったが、やっぱ本物には到底かなわない。だって、以前見た猫の出産と全然違うんだもん。  猫の出産はこうだ。私がみつけたときにはもう二匹生まれていた。それも私がくるまって寝ている毛布の中で産んでいて、彼女はその仔らの胎盤を食べているところだった。私がもともと用意していた箱の中に彼女らを移すと、そのあと、犬の様にハアハアと息を荒くしてもう二匹産んだ。生まれる度に舌でその羊膜をなめとり、仔を綺麗になめあげ、その胎盤を食べた。もちろん会陰切開もしないし、いきみもなかった。  体から何かを出すとき、いきんでしまうのは人間だけなのだなあ、と今はしみじみ思う。排便の際、いきみ過ぎると肛門だって切れる。あなたには直径9センチのものをいきみ過ぎずに出す自信があるか。会陰切開は、その時に破れてしまう前に行なう。その傷を綺麗に縫合出来て、また出て来る子どもの頭に締め付けがかからないように、という役目もあるという。  いきみ過ぎずに産むことが出来た出産は感動的だという。頭を出したあと、子は自然に肩を縦にし、(出口が縦に割れてるからね)自ら外に出て来るという。それがビデオに記録されて、まだ出産経験もない妊婦に見せられる。それを見た妊婦は、 「こう産みたい。会陰切開なんて不自然だ」  と思うのらしい。  しかし、そううまくいくのだろうか。聞くところによると、呼吸、いきみのリードのたいへんうまい産院などではかなりいけるらしい。私もそうだったが、子どもの頭が外に出るときにはそこが破けそうにひっぱられる。たいていの産院ではそこで軽い麻酔をして会陰を切るのだが、そういう産院では会陰にガーゼなどをあてて保護しつつ、時間をかけて慣らして、伸ばして、ゆっくり出すのだそうだ。これでうまくいったときはかなり嬉しいと思う。でもうまくいかなかったらどうなるか。いきみ過ぎによって、破れるのである。そのときは夢中でも、あとざん(子どもが出たあと、胎盤が出ることをこういう)のあたりから猛烈に痛い、らしい。途中でそのための麻酔をほどこしてくれるところもあるだろうが、破けたわけだから、傷はぐちゃぐちゃで縫合しにくい。破ける寸前に麻酔なしで切るところもあるという。それでもあとざんあたりで死ぬほど痛い、らしい。  私の担当の先生は、私が子どもの頭で引っ張られた痛みで 「あそこが痛い!」  と言った直後に小さな麻酔の注射を打って、私が気づかない間に会陰を切っていた。あとざんのあと、 「痛かったら言ってね」  と縫合を始めたが、痛いと言ったら、もう一本麻酔を打ってくれた。とってもお裁縫が上手で、今鏡で見てもどこを切って縫ったのか全然わからない(この一文のために、今改めて鏡で確かめている私……)。私はとにかくこの出産に満足だ。子どもはもちろん元気だし、結局それが一番だと思う。なのに会陰切開のエピソードは未婚女性や初めて出産する妊婦を不必要に脅かす。話としてインパクトがあるからなのだと思う。  私の息子は生後十ヵ月であるが、排便の際いきむ。一歳に満たない赤子がウンウン言っているのを見ると、人間ってやはり「いきむ動物」なのだなあとしみじみ思う。牛馬などがいきむ気配も見せずにぼたぼたとフンを落としているのや、動物園のキリンが出産の際、子どもの長い足を尻の間にぶらぶらさせて歩き回っているのを見るとうらやましいが、しかたがない。人間には人間の楽しみがあるものだしね。  というわけで出産で自分の人間らしさを思い知った私であったが、育児を始めて十ヵ月。なんだかまた自分がケダモノのような気がしてしまう今日この頃。何故か?  まず、母乳の出る人が妙に少ない。出る量は人にもよるが、子どもが生まれて四ヵ月くらいまでに止まってしまった話が、私のまわりではとても多い。それも、そういう話をしている本人があまり残念そうでないこともあり、ナゾだ。母乳が出ないほうがいいと思っているに違いない、としか思えないような話しぶりの人までいる。なんでだろう。母乳が出ないほうが都会的で今風だとでも思っているのだろうか。最初っから、乳房の形が変わるのが嫌だからとミルクに決めている人までいるらしい。  もうひとつ、子どもが生まれると妙に自然食品に凝《こ》る人がいるらしい。市販のものはいろんな混ざりものがあると言って、相当手のかかるものまで材料費もかけて手作りにするとか。なんでだろう、ナゾだ。  何故、その時の自分の生活のままで子どもを産み、育てることが自然ではないのだろう。自分の体の中から子が出て来たら、自分の乳で育て、その子に歯が生えてきたら自分のふだん食べてるものを最初は柔らかくして食べさせ、馴れさせる。なんでそれでは足りないのだろう。  こうやって言葉で書くとごく当たり前のことに思えるけど、実際子どもの健康診断なんかに行くと、頭だけで考えた理想の母像を押しつけて来る栄養士とその度に言い合いだ。 「やっぱりおかあさまの手作りのほうがね」  などと目を輝かせる彼女らの言うことなんかに耳を貸さず、息子を猿の仔のようにどんなとこへでも連れて行き、そこで私の食べているものを分けて柔らかくくだいて彼にもやる。乳もやる。こんな当たり前のことで、私はまたもやケダモノに戻れたのであった。  悪女な奥さん エッセイ 「とらばーゆ」から「悪妻」をテーマに連載して欲しいと頼まれたとき、ほんと言うと「なんであたしが?」とちょっと引いたのだった。  あんまし結婚生活ということについて考えたことがなかったし、それだと「世間一般はどうか」ということを教わりながらやんなきゃなんないじゃない? そういうの、苦手なの、あたし。  でもまあ、毎週お題を考えてくれて、読者アンケートの資料もくれるというので始めることにしたんだけど、これがまた、世の中ってやっぱりあたしの思ってたものと違うのねえ。つらかった。でもまあある種の勉強にはなった。  あたし自身は今の結婚は二度目。相手のタイプは、一度目と二度目ではまるきり違う。あまりに極端でなんの参考にもならないかもしれないが、まあそういうこともいろいろそれなりに考えて描いたつもり。結婚しても働きたい人や、結婚したら何かあきらめなきゃなんないのか? という疑問にぶつかっている人とかは、もしかしたらこの本から何かみつけるかもしれない。 1 夫の真実の許容範囲 「家事を全部やるんなら仕事してもいいよ」と男に言われたことはないが、前の結婚のときは家事は全部やってたし、それがあたりまえだと思ってた。相手は朝、パン食する人だったので、ベッドのそばのテーブルにコーヒーとサラダとホットドッグを作ってから喫茶店のバイトに出かけた。自分はつまみ食いする程度で、朝はほとんど食べなかった、あんましパン好きじゃないし。あたしが出かけたあと、彼は適当な時間に起きてホットドッグの入ってるオーブントースターのスイッチを回し、コーヒーメーカーからコーヒーをついで、朝食をとって出かける。あたしのほうはそれからバイトの帰りに買い物し、ときどき掃除して夕食を作って待つ。日曜日に洗濯。漫画の持ち込み原稿は夜に描いた。たまにアシスタントにも行った。だいたいそんな生活だったかな。あっそうだ、通信制の高校にも行ってたんだ、隔週日曜日。それと毎週ジャズの学校にも行ってた、ジャズピアノとか音楽理論とかジャズヴォーカルとか習いに。よく考えたらけっこういろいろやらせてもらってたんだなあ。でもなんだか、すごく束縛されてたような記憶になって残ってる、なぜだろう。自分の気に入らないことは絶対やらせない、という強制がきつかったせいであろう。もともとは「いろいろと頑張っているところが気に入った」と言われたのが嬉しくて決めた結婚だったのだが、三ヵ月でそれが大嘘だったのがわかった。仕事をやめさせられたり殴られたり口をきいてもらえなかったりというようなことがあったあと、このへんだったらいいのか、というやり方を見つけて落ちついてったんだけど、あの辺で自分がどんなに専業主婦に向いてないかも死ぬほどよくわかった。あたしのことを「すごくたくさん仕事をする人だ」という人がいるが、どんなに忙しくても専業主婦やることを思えばぜーんぜん平気、というくらい向いてないんだぞ。っていうかだんだんにそうなっていったのかもしれないけど。  しかし今の夫が、あたしは漫画で忙しいからと最初に食事を作ってくれたとき、すごく、悪いなあ、と思ったのは覚えてるのに……いつのまにかあたしんちでは食事をつくるのはほとんど彼になってしまった。この「いつのまにか」っていうのがやっぱしくせものなんだと思う。ほんとのことが見えてくるのには時間がかかる。いくら口でこうすると言っててもだめなのであろう。自分も含めて、宣言しといて出来なかった人間をもう何百人見たことか。何百人はちょっと大げさか。 2 世間の言う「結婚してんのに……」って何?  さあ、何なんでしょうねえ。あんまし言われたことないからなあ。今のあたしに「結婚してるのに」のようなことを言ってくれる人は、かえって貴重だ。今のあたしは「結婚している」自覚がとても足りないかもしれない。でも、前の結婚のときは「お子さんはまだ?」ってのは結構言われた、大家さんとかから。そのころはいやだなあと思ってたな。同じ事ばかり言われるなって。「〇〇さんの奥さん」と呼ばれるのも、嬉しかったのは最初だけ。なんか、飽きるんだよね、そういうのって。なんでだろうね。  今の夫はあたしが男ともだちと電話したり会ったりするのを邪魔しないが、以前の結婚のときはそりゃー派手だった。一度、喫茶店のお客(男)が食事をごちそうしてくれる、(それもあたし一人でなく同僚も一緒)と言うので、行ってもいいか聞いたことがある。え? 頭っからダメだったろうって? それが、そんなに単純じゃないんですねえ。「この日にどうかって言われてるんだけど」と何度か聞いたが、そのたびに無言。まあ「行くな」とは言われなかったからな、とOKしたあたしは考えが甘かった。当日、出かけるとき「じゃあ今日だから、帰りに行ってくるね」と言ったところで、 「行くな」  と言われたのだった。もちろんこれ、わざとなの。養ってる側の権威を見せるためなんだよ。その証拠に、 「え? でも約束しちゃってるよ。何度も言ったじゃない」  と言ったら、 「命令だよ」  と言われた。「命令」だよ「命令」!……すごいよね。そういうのが好きな人だったんだ、今にして思えば。 「旦那様の言うことが聞けないのか」  って言って胸ぐらをつかまれたこともあった。クサ過ぎて漫画のネタにも使えやしないよ。ほんとはそういうのがやりたい人だったんだなあ。だったらなんであたしなんかと結婚したんでしょうかねえ。  でも、今の夫のほうが世間では珍しいらしいよ。彼は「結婚したんだからこうしなさい」とかは何一つ言わない。最初は言ってたんだろうか? 忘れた。  あたしが一人で出歩いているとたまによその人に不思議がられるが、そんなことなしでいると、やってる仕事のはばが狭くなって、書くものもつまんなくなると思うけどなあ。まあこういう仕事だからかもしんないし、そうでない人のことはわかんないや、あたし。 3 日常の夫婦の幸せとは?  こら、と言われそうだけどあたしは日々幸せです。あんまし悩みらしい悩みはないの。人に話すと、 「そんなのは悩みじゃねーだろ」  と言われてしまったりするような、そんな毎日なんだもん。夫のことも人に話すと、 「のろけてる?」  と聞き返される。特に「広告批評」の島森さんに言われる。なぜだ。  まあいいや、そんな話じゃないんだ、「特別なイベントが幸せ?」「相手に合わせることが幸せ?」とかそういうことね。特別なイベントってのは結婚記念日とか誕生日とかそういうのか。お祝いする時間の余裕があればまあ、それもまたよしなんじゃないでしょうか。でもあれ、照れくさいよねえ。照れくさいからわざと忘れたいくらいだわ。忘れてないけどさ……。最近はよくお祝いするようにはしてると思う、自分では。飲み会は嫌いじゃないけどめんどくさいので、夫や社員や義弟がやってくれる中であたしは飲んだくれてるだけ。しいて言えば飲み会代を稼ぐ役かな。これでいいのだ。  もうひとつの、相手に合わせることってのはけっこう幸せかもしれないなあ、あたしにとっては。たとえばコーヒーメーカーに残ってるコーヒーを飲むときに夫に、 「コーヒー飲む?」  と聞いてあげるときとか、ついさっきけっこう幸せだと思ったんですけどそういうのとは違う? 「あんたがいいならそれでいいよ」  と言ってあげられるときとかも幸せですけど、これも違うかな。違わないよね? でもそれだけ、ふだんは夫のほうがあたしに合わせてくれているからかもしんないな。自分では「あんたがいいなら……」とほとんど言ってるつもりではいるんだけど。  夫は何でもまめにやってくれる人だから、ほんとにいろんなことをまかせてるんです、何を食べるとかお金の使い方とかスケジュールとか全部ね。ふつう人がやってくれるならたいがいのことはどうでもいいものでしょ。あんまし自分の意見とかないんですよ、あたし。  でも浅草に引っ越すと言われたときはちょっと泣いたな。長崎から出てきて浅草に住みたいなんて、普通思わないよ。ほんとに涙をこぼして泣いた。 「あたし歌舞伎町と渋谷が近くになけりゃ生きていけないよー」  とか言ってね。あんまし泣くんで夫も一時は思いとどまろうとしたようですが、結局連れて来られた。でもまあ、浅草にもだいぶ慣れたことは確かだ。よその街にしょっちゅう出かけているから持っているのかもしれないが。 4 嫁と姑の関係、世代の違い  いちばん苦手なテーマが来てしまった。あたしはお姑さんの苦労とかいうようなものがほとんどわからない。一度目も二度目も、結婚式とか披露宴をしてないからかもしれない。どうもあれで最初にこう、意見が食い違うらしいじゃないですか。まずそこをすっとばしてるのでわからない。今のお義母さんも「式は?」とか言わなかったしな。ああ、そう言えばお義父さんは、 「ハワイかどっかで式だけでもあげてくれば?」  くらいは言ってたなあ。うーん。別にどっちでもいいやと思っているうちにしてない。あんまし好きじゃないんだそういうの……大昔の男友だちに、 「お金ないんだけど、彼女がウェディングドレス着たいっていうから借金して結婚式する」  って人がいたけどその頃からもうそういうの、ナゾだった。結局一度目も二度目も籍入れただけだ。その他、意見の食い違うこともそんなにないしな。お義母さんも働いてらしたからじゃないだろうか。もしかしてただあたしが人の意見をぜんぜん聞かないからだったりして。そうなのか? 自分ではわかんないや。  しかしあたしも男の子を産んだので、順調に行けば姑になれるかもしれない。うわー。そんな先のことわかんねーよ。息子はあたしの連れ子なのでほんとの孫じゃないけど、お義母さんもお義父さんもとても可愛がってくれる。なのであたしが仕事で動けないときは夫と息子と義弟だけで里帰りしてます。こんな状態のあたしが文句があるはずもないでしょう。ほんとに困ったもんだ、好き放題してて。だって以前は毎週洗濯物持ってって、お義母さんの作ったご飯でビール飲んでごろごろしてたんだもん、もっとすごかったのよ。嫁が来たというよりは息子が一人増えたという感じだったんじゃないでしょうか。  で、頼むから、 「どうしたらそんなふうにしていられるの?」  とあたしに聞かないでね。これでもいちばん最初に彼の実家に訪ねて行ったときは白いワンピースとか買ったりしたんだから。それがいつのまにかこうなったのよー。  しかしこれではあんましなのでちょっと考えてみよう。なんでお姑さんとの関係は一般的に大変なのか。簡単に言うとマザコンだからだ。でも男女関係なくマザコンじゃない人なんていないと思うよ。たぶん相手のマザコン度と自分のマザコン度のかけ算になってしまうところが、この問題のポイントではないのでしょうか、なんちて。 5 女の子と仕事、女でいるには何をしたらいい?  昔、女の漫画家はもれなく「少女漫画家」と呼ばれていた時代があった。あたしもちょっとだけそのあたりに引っかかっているので、デビューしてしばらくは少女漫画家と呼ばれてました。少女漫画を描いてたわけでもないのにね。変な気がしてましたよ。  少女漫画ね、苦手なの、あたし。なんでか最近わかってきた。きっと、少女漫画のメインテーマが「女の子って、特別」ということだからじゃないかと思う。これがあたしの人生の中では欠落してる。  お姫さまの出てくる童話とかはたぶん人並みに読んだと思うんだけどさ、白馬に乗った王子様幻想みたいなのが実際にある人がナゾだ。しかしなんで白馬の王子様なんだろうね、日本人のくせに。かごに乗ったお殿さまでは、なぜダメなのか。まあそんなことはいいや。だからあたしは、「女の子」はきらいだ。さすがにだいぶ大人になってきたので、表面だけは、 「女の子ってのも、可愛いもんだよねえ」  という顔するのがうまくなってた時期があった。それを本気にしてあたしに甘えてもいいと思ってやってくる女の子たちもいる。迷惑だ。  しかしこれも、どこまでがこうだ、と言い切れないものであります。まわりの誰かと比べて考えるしかないよね。少女漫画も今はいろんなものがあるようだし。あたしの会社でダメだった人は、もっと女の子っぽいところへ行けばいいだけの話よ。でもなんで男が出来ると辞めちゃう人が多いんだろ。その男と結婚する気ならまだわかるが、男と逢えないくらいで仕事辞めるってのは、どうなんですかねえ。そんなにつらいか? あたしの会社。 「結婚しても女でいたい」というテーマも、よく聞くと「結婚しても女の子でいたい」ということだったようですねえ。無茶を言ってしまえば、 「女の子と母親の二種類だけがあって、もともと女ってものはいないのだ」  ということなんでしょうか。生まれた時からずっと女で、子ども産んでも女のままのあたしにはよくわかりませーん。そのかわりあたし、昔から女の子としてちやほやされたことなんてぜんぜんない。女の子と呼ぶにはあまりに生意気すぎたみたい。好きな男が出来ると自分から好きだって言ってたしね。女に生まれてきたってだけで、空から降ってくる幸せなんて欲しくない。「女性サービスデー」みたいのまで嫌いだもん。 6 倦怠期の乗り越え方  あたしがこのテーマで、妻が浮気する漫画を描いたら、 「えーーー!」  という意見が多く来たので、エッセイでも触れてほしいという要望。  ごめんごめん。どーもあたしってば「いーじゃんもう壊れるもんは壊れたってーダメだったら無理するより別れればー」って考えのようです。ちっとも「倦怠期の乗り越え方」じゃなかったですねえ、失礼。別に浮気や離婚を勧めてるわけじゃないんだけどさ、無駄な我慢をするのがきらいなんですよ。  逆から言いましょう。あたしは今の結婚で好き勝手をしているようですが、夫に、 「好き勝手してるけど、我慢してね」  なんて言わない。でも、 「あたしはこうなんだから、治らない。いやなら別れたほうがいいよ。こうじゃない人と暮らしたほうがあんたのためだよ」  というのは何度も言ってる。その上で夫はあたしから離れない。こういうのが好きみたいです。好きなことしているのがいちばんいいしね。だったらあたしといればって感じ。本人がそれでいいと思ってるんなら、人が何て言ったって気にしない、今はね。昔は少し気にしたけど、やっぱ性格だからどうしようもなかった。  でも自分では夫のことは可愛がってるつもりだけどなあ。「よくもまあぬけぬけと」というようなことを言ったりしたり、しょっちゅうしてるよ。それが夫婦の礼儀ってもんでしょう。「言わなくてもわかるだろ」はあたしんちでは禁句です。そういう開き直りは良くないと思う。違う体と脳みそとつかっているのに、言わなくてもわかることなんてそんなにあるもんじゃないもん。  でも前の結婚のときはひどかった。一ヵ月口きいてもらえないとか、ざらだった。泣いたりもしたし。そんでまた思い直して、 「どっか出かけない?」  とか言うと、 「今日は外でたくない」  って言われてね。しかたなく茶碗洗ってると一人で出かけたりするんだよ。あたしの好きな歌手がテレビに出てると、彼が歌う頃にわざとおつかいに行かせたりね。もう、ただのいやがらせ。ああ、あたしは嫌われちゃったんだなあという結論に達したので、勝手に荷物まとめて離婚届け書いて出て来ちゃったんです。そしたらどういうわけかむきになって追いかけてきてさ。手遅れだっつの……離婚してもらうまでそれから一年以上もかかっちゃった。他にも、こっちがあきらめたあとになってしつこくされたことって結構あるなあ、やんなっちゃう。あたしは一度別れた男には二度と感情移入できないほうなので、すんごい、迷惑だ。そんなつもりじゃなかったなんて、あとから言っても遅いんだよ! * で、その二度目の結婚の男とも離婚しました。なんかこのエッセイでは偉そうな事言ってるが、結局私は馬車馬みたいに働かされた上、永い時間をかけて自分のやりたい事をあきらめるようにしむけられてた訳。「悪女な奥さん」は文庫になった際その旨あとがきを加え、現在「もっと悪女な奥さん」出版に向けて連載中です。リベンジ。  もう「日常くん」は描かない ストレッサーズ あとがき  漫画の登場人物は、どっかで見た人を思い出し、それをつなぎ合わせてプーとふくらまして作る。つまり昔の友だちや、ホステスしてたころのお客や、ただ見かけただけの人などの部品を寄せ集めたフランケンシュタイン。これにどう命を吹き込むかが漫画家の仕事なんだけど、まーそんなおおげさなことでもなく、描いてて面白ければ生き続け、でなけりゃ淘汰《とうた》されるだけ。  日常はじめはなんとなく便利だなーと十年近くも描いてるうちに、そのどうしようもなさが雪だるま式に肥大してきてしまった。十年間、私が見た男のいやな部分をそのつど吸収していっちゃったのだ。とうとう、こういうのいたら隔離したほーがいいんじゃないの? とまでなってしまって、自分で描いといてとほーに暮れる始末。  だってさ、漫画家のこと勘違いしてる人ってのがいるから困るのよ。漫画家は漫画を描いて売るけど、買う人にはもちろん選ぶ権利があるわけじゃない? だから、みんなそれなりに、なるべく買ってもらえそうなものを描く。それだけの話でしょ。なのに、どういうわけか金出してんのに買う側の誇りなんか捨てちゃって、漫画家に妙な媚《こ》び方する人がいるわけよ。そういう人が日常はじめを見るとどうなるか。 「ひでー男、アハハ」じゃなく、 「これは、僕のことだ。こうやって漫画に描かれているくらいだから僕は、このままで良かったんだ」  となる。だから、私の会社でバイト募集すると日常はじめみたいのがもーいーっぱい来る。「漫画に描いてあるくらいだから」私が日常はじめみたいなのを好きだと思いこんでるんだよね。ぞー。もちろんそんなわけないのでみんながっかりしてすぐ辞める。こっちはすんげえ、迷惑だ。日常はじめみたいな顔でも仕事すんならいーけどさ、ぶおとこで仕事もできないくせに「僕を可愛がってくれるはず」という期待で胸がいっぱいなのがずうずうしいじゃないの。なのでとにかく日常はじめには抹殺の前にぶおとこではなくなってもらった。私だって可愛い男の子なら中身がナニでも、短期間なら好きよ。  親から愛されずに育つと、日常はじめに似た男が出来る。何でもママがやってあげるは愛じゃない。愛してるなら何処へ行ってもうまくやっていけるように育ててやるべきだ。と言ってるうちに私も男の子を産んだ。一年四ヵ月育てたら、日常はじめを作ってしまう仕組みがちょっとだけわかってきたような気がする。やはり日常はじめは、自分も親から愛されなかった私が「男に生まれてたらこうなってたのかも」という恐怖から描き続けていたのだと思う。 * この本も文庫化され、文庫版ではあとがきも追加されています。  内田春菊の浅草物件「毎日の謎」 1 猫の額  最近猫がうるさい。去年のゴールデンウィークに買ってきたメス猫だから、ちょうど大人になって恋愛したい時期に突入したのかもしれない。太くて大きな声で長いこと鳴く。夜中じゅう鳴くこともあるので、こないだは上に住んでいるおばあちゃまに、 「可哀想な飼い方をしないでね。野良猫のほうがまだしあわせよ」  と注意されてしまった。でも外に出せば子どもが出来てしまうだろう。避妊手術をしてやるのが可哀想でない飼い方なのだろうか。鳴くだけならまだいいのだが、突然妙なところにおしっこをする。臭いも強いし、本当に参る。  でもやっぱり手術に連れて行く気にもなれず、恋愛したいエネルギーをなんとかしてやろうとなるべくかまってやるようにした。この猫は根っから飼い猫体質で、小さいころから私の食べてるラーメンを欲しがって鳴いたりしていたし、人のそばにいるのが好きだ。人がかまってやっていれば、なんとか気もまぎれるのではないだろうか。  と、遊んでやっているときにたまたま撮った写真がこれだ。最初は、気のせいだと思った。二枚目を撮ったら、まただったので、ちょっと恐くなって前にこの猫を撮った写真はなかったかと探してみた。前のには、こんなの、写ってない。  私はあまりこの猫に名前で呼びかけないが、モリナガという。額にMの字の模様があるので、私が付けた。その額にこんなのが写っているんだから、すごく気になる。何だろ。蛾《が》のような、どくろのような。小さな猫の顔にも見える。  まてよ。じゃあこないだから変な声で鳴くのはもしかしてこれのせい? 春のせいねーなんてのんきなことを言ってた私はどうすればいいのだ。  しかたがないので、いろいろやってみることにした。猫にむかってむやみと手を合わせたり、お線香の上を1センチくらい折ってから、火をつけて立ててみたりした(このお線香のあげ方は、以前テレビの仕事で宜保愛子さんにお会いしたとき教えていただいたもの。人間でないものにあげるときは少し折るといいのだそうだ)。効果があったのかどうか、最近モリナガはおとなしくなった。まだその後、写真は撮っていないんだけどね。 2 活き造りなあいつ  私の事務所では、魚、カメ、ヘビ、カエルなどをたくさん飼ってる。もとは魚だけだったんだけど、だんだんに両生類、は虫類まで広がってきた。あ、そうだ、トカゲもいるんだった、イグアナ。前はヤモリ(ゲッコ)もいたんだけど死んでしまった。  水槽も、幅120センチのが一本、90センチのが四本、あと小さいのがたくさんと、は虫類ガラスケース大三つで、全部で何本あるんだったっけかな。十なん本だとは思うんだけど、わかんなくなっちゃった。魚を飼ってるというと、「何匹いるんですか?」と聞く人がいるけど、そんなの絶対答えられない。大型魚ばっかりだったらともかく、小さいのなんていちいち数えてらんないし、ときどき死んでいなくなってる。もともと小型魚ってそんなに好きじゃないし。まあ、少しは飼ってるけど。  そんなわけで、今回のことに気づくのも遅かったかもしんない。小さい魚って、色が薄いものだと、普段からちょっと透き通って見えたりもするし。トランスルーセントグラスキャットフィッシュなんていう小さなナマズも飼ってるけど(ナマズ類が好きなので)、その魚なんて肉が透き通って骨と内臓が全部見えてる、隠し事の出来ないやつ。でも、この魚はそういう魚じゃない。  ちょっと写真ではわかりにくいと思うが、1は普通の状態。2の丸の中のが、そいつだ。私も最初はそう見えるだけかと思ったが、体がなんと骨になっちゃってるのよ。でもまあ、それだけならそんなに珍しいことじゃない。小さい魚の群を飼っていると、弱ってるやつが周りからつつかれてしまうことはよくある。なんか少なくなったなと思っていたら、骨になって出てきたりする。実際海や川では、弱ってる魚はともぐいであろうが何であろうが、とっとと喰われる運命にあるらしくて、こういうことに「きゃー残酷」と思うのは人間の理屈なのらしい。だから海には死んだ魚が浮いていないんだって。「え? そうだっけ」と思う人は、海に死んだ魚が浮いているところを想像してごらん。なんか嫌でしょ。そのシーンはきっと、汚水でやられたとか、港とか、人の手が加わっているところでしょ? まともな状態では、死んだ魚は浮かないんだそうです。で、まあ、ともぐいはそんなに珍しくない。骨が見えてんのに泳いでる、ってのも痛そうだけど、よくある。予備水槽に移して治療をしてやると良いんだけど、小さい魚は弱いし予備水槽ってのもつくれそうでなかなかつくれなかったりするものなので、ほっといてしまうこともある。魚だったらまだいいよ。カエルのともぐいは嫌だぞー。でも、このときはちょっと驚いた。だって体はもう骨なのに、泳いでるのよ。けっこう元気そうに。あんまり面白かったから、急いでビデオを持ってきて撮った。早く撮んないと死んじゃうと思ったし。でも、撮り終わってもまだ泳いでる。新鮮な魚だと活き作りの食べ残しが泳ぐなんて話をよく聞くけど(見たことはないけど)こういう状態なんだろうか。活き造りがあんなにびちびち動くのは、頭の根本のあたりはなるべく肉を残して切ってあるからなんだそうだが、ということはうまいぐあいにそういうふうに食べ残されているのかな。  しばらくながめていたが、まあ仕事もあるのでそのうち忘れた。どうせもうすぐ死んじゃうだろうと思ってたし、別の水槽にも移さなかった。  なのに翌日の、今日。見たらまだ生きて泳いでる。これははっきり言ってすごいかもしれない。ビデオしか撮ってなかったのでインスタントカメラで何枚も写真を撮った、だって今日がNEMUKIの締め切りなんだもんさ、現像に出してたら間に合わない。フィルムはずいぶん使ったけど、運良くアップも撮れました。ちょうど体をピンと伸ばしたポーズ、あろうことか大あくびまでしている(吸った水、全部頭のすぐ後ろから出てっちゃってんだろうに……)。これが発見して丸一日経ってる状態なんだから……しかしいつからああなっていたんだろうか。水槽にはもれなくガラスで蓋をしているし、猫は今まで一度も魚に手を出したことがないから、ともぐいに違いないとは思うんだけど。ということはだんだんにああなっていったわけ? だんだんなっていったおかげで、本人まだ死んだのに気づいてなかったりして(そんな馬鹿な)。 3 しっぽの先にあるものは  タイトルにもあるように私は浅草に住んでいる。東京もんの夫にだまされて連れて来られたのだ。浅草に引っ越しが決まったとき、 「あたし、渋谷と歌舞伎町(地方の読者のみなさんへ。どちらもお酒を飲んだり買い物をしたりするような大変にぎやかなところよ)がそばにないと生きていけないよー! ひーんひーんひーん」  と涙をこぼして泣いた。浅草に別に恨みはないけど、私はもともと九州、長崎の出身。普通、長崎から出てきて浅草に住みたいなんて思うやついるか? いねーよ! その上引っ越したら引っ越したで、 「内田さんって下町が好きなんですねえ」  なんて言われるの。ひーん。なんだそりゃー。悪いけどいまだに「下町」って言葉の意味をよく知らない私だ。下町ねえ。下町とは若い女の子が平気で膝下ストッキングをスカートの下にはく町のことか? 浅草から出てたまに渋谷なんか行くと、一時は歩いてる女の子が可愛い過ぎてみんなタレントに見えてたよ。ホームレスの人々がすごく多いのも恐かった。めし喰いに行くと「どっから来たの?」と必ず観光客扱いされた。以前いた初台(渋谷区だけど新宿のすぐそば)はあんなに昼が長かったのに、浅草ではあっというまに終わってしまう。初台のころ「さあそろそろ夕飯でも喰うか」と言ってた時間に開いてる食い物屋なんてない。何度「キー! 新宿に帰るー!」と切れたことか。今? 今は慣れた……。人間は慣れる動物だ……。  さて浅草と言えば何を思い浮かべますか? たとえばテレビ番組や漫画の背景なんかで、「これがあれば浅草」っていうようなものだと、昔だったら雷門の大きなちょうちんかしら。みんな記念写真撮ってるしなあ。でも今なら、このAビールの本社ビルはどうだ。これが隅田川の向こうに見えてるところは一度見たら忘れないぞー。だってこれ会社なんだよー。フィリップ・スタルクという人がデザインしたビルで、中央は魂の炎を表現したものなのらしい。フラムドールとか言うんだ。でもね。地元では老若男女、口をそろえて「うんこ」と呼んでるんだよ。ああ、それが浅草。せめて「ひとだま」くらい言ってくれれば、スタルクさんにも申し訳が立つというものなのにねえ。  さて私の自宅や仕事場はこのうんこから近いのでこうして写真を撮ったりもするわけですが、まあ最初はただ、形が面白いから撮ってたのね。お昼にそばを食べた帰りに、そば屋の陰からうんこのしっぽがヌーと出てたりすんだもんさ。これ、絵に描いて地方の人とかに見せても絶対信じてくんないよなーというその不思議な風景。  あとね、恐ろしいことにこのうんこ、ときどき人が上って掃除をしてるんですよ。まあビルの窓拭きという仕事があるからそんなに恐がることもないのかもしれないが、なんたってこれ丸っこいじゃない。やっぱ見てて恐いんだ。その掃除の様子もどっか探せば写真があるはずなんだけど、ちょっと探すのは難儀なので絵で描きます。  でいよいよ問題の写真ですがこれ、最初は人間だと思ったのね。でも、掃除のときは必ず何人かで作業してるし、しばらく見てたけど動いてないし、なんか変だなあと思って撮ったんですよ。で、よくよく見たらこれ……なんか、どう見てもハエなんですけどなぜ? これがもしハエだとしたら、人間より大きいかも……そんなバカな、ねえ。いくらなんでも……。おお、そうじゃ。もしかしたらこれ、ここの会社の人の手の込んだ冗談なのでは? そういえばもうすぐ隅田川の花火大会だし、夏休みだし。しかしそうだとしたら、さすがこういう大胆なビルを建てる人たちのすることはすごいじゃありませんか。と思って毎日見てるんだけどこれ、ほんとに巨大ハエだったらどうすればいいのだ。 4 編集犬  犬を飼うのが苦手な自分に最近気づいた。昔は部屋犬なんかも飼っていたし、実家にも犬がいたから自分でも犬が好きなもんだと思いこんでいた。今でも子犬なんか見ると可愛いなあ(写真)と思う。でももう飼おうとは思わない。なぜか。  まず、毎日散歩に連れて行かなければならないのがめんどくさい。私の家には今一歳十一ヵ月の幼児がいて(私の息子だが)、天気のいい日はなるべくだれかが外に連れて行くようにはしているが、仕事が立て込んでいるときは、しない。相手が人間だから他のことで気を紛らわしたりもできるし、天気の良し悪しも多少理解していると思えるが、犬にはそんなことわからない。犬は仕事が忙しかろうが雨が降っていようがとにかく外へ出たがる。以前飼っていた部屋犬は私が財布を手に取ったりしただけで、外出のときの自分の乗り物である買い物かごに飛び込み、しっぽを振って待っていた。あの頃はそんな彼女が可愛かったのではあるが……でももう今は考えるだけでめんどくさい。ものを書く仕事についたからかもしれないな……この仕事はどうも毎日決まったことを何かしながらやるのが難しい、for me。息子の育児相談などに行くと必ず生活の不規則さを指摘されるが、自分がそうだから、息子だけ規則正しく生活してもらうわけにもいかない。犬を飼っている人は、朝決まった時間に起きている人という気がする。  それに、犬はクールじゃない。恥ずかしいくらいかまってやんなきゃなんない。私は今仕事場に猫を飼っているが、こいつですらしょっちゅう私の部屋に入ってきて、私の椅子に駆け上ったり足下に寝てたりするのでときどき切れそうになる。私としては、いつも勝手なことをしており、抱かれるのもいやがるくせに、メシのときだけは帰ってくるというのが理想の猫の在り方だ。てめーだれに喰わせてもらってると思ってんだ! と腹の立つくらいがちょうどいい。この猫は外に出れない猫だからしょうがないのかもしれないけど、なつき過ぎだ。でもまあ、犬よりはいい。犬はなんであんなに人の言うことを聞くのだろう。そんなに無理しなくてもいいのに。もっと自分の人生を楽しめばいいじゃないかという気になる。  以上のことから、私は犬を飼うのが好きな人は寂しがりやさんだという気がしている。いつも自分にまなざしを向けてくれる存在が欲しいのではないだろうかと思う。飼い方にもよるだろうけどね。自分が犬をかまうのが割と好きって人もいれば、犬に言うことを聞かせるのが好きって人もいるのだろう。でもあんまし言うことを聞かせたがるのもどうかと思う。写真を見よ。これは、私のある担当編集者が飼っている犬なのだが、こないだこうやって、彼の代わりに私の原稿が出来るのを待っていたのだ。どうもこういうことをたまにやっているらしく、ときどき私のそばに来て様子を見ているし、外に出ようとすると「ウー」とうなったりまでするので、ちょっと恐かった。すごく役に立つ犬であることは認めるが、こういうことはこれきりにして欲しいと思いながら、私は原稿を描いていたのでありました。 * この「毎日の謎」はときどき本気にしている人がいるようなので、一応嘘ですと言っておこう。写真が合成なんです、全部。写真になってる事以外はほんとですけどね。  男より視線が好きかって?  最初に断わっておくが、「見られる喜び」なんて言葉で考えようとしているのはあなたが男だからだ。女から言やあ、「見せつける喜び」。視姦なんてマゾヒスティックな熟語はすでに女の頭の中にはない。ほーれほれ、あたしと寝てみたいかこらとでも言いたげな、攻撃的なコスチュームに身を包みながら、男たちがこういう服装を結婚相手にはして欲しくないと思っていることくらい百も承知だ。アバンチュールはしたいけど、あなたの部屋の台所で肉じゃが煮る気なんかさらさらないのだ。それでもオレがひいひい言わせてくれる、というような度胸のある男だけに声を掛けて欲しいのだ。「なによ、男は見てるだけなの?」と思うあなたにはすでにその度胸が欠けているってわけ、残念でした。  と言い切りたいところだが、女のほうもそこまで腹すえてあーゆーカッコしてるやつってのもどれだけいるか怪しいとこだよね。 「えー別にそんなあー、だってえー、何かー、こーゆーのはやってるからあー」  ってのも多いんだろうし。あーやだ。しかしそういう女も、さっき言ったような気分だけでも味わいたいんじゃないの?  どっちにしても男のほとんどは女のおつむの中身なんて期待しちゃいないんだからさ、体の見せ方に徹する女の群れ、嬉しいわけでしょ? だったらいいじゃん、「視線さえ集まりゃいいのか?」なんて目くじら立てなくてもさ。ああいうカッコしてるくせにスカしてるのは気にいらない? かもしれんが、その解釈は古い。古過ぎる。ああいうカッコしてあいそまで良かったら、そりゃおにいさん、やり過ぎってもんだわ。どーしてもあいそ良くして欲しいんだったら、「肉じゃが女」を選びんさい。たとえ今だけ体の線の出る服を着ていても、声掛けて、ビールでもおごればすぐわかる。ビールを注ぐ手にもう片方の手を添えたりして、いかにもあたしは女らしくサービスしてます風に恩着せがましいのは「肉じゃが」。そういう女は「こんなカッコしててもほんとは可愛いおしとやかな女なんだな」というその「落差の出かげん」を狙って、そういうカッコしてるだけ。まーでもあんがいそういうのが多いのかもよ。男に構われるよりも大勢に見られるほうが心底好きなんてのはそんなにいないでしょう。 「そんなにすぐに男の思い通りになると思われても困るのよねー」  っていう演技だよ。まあそういう演技だけでもびくびくして声も掛けらんない男ってのもいるんだろうけどさ。  ツキを呼び込む10ヵ条 あとがき  すげえ、6年も経ってる。この頃初台にいたはずだ(今は浅草)。あれ。そうだっけかな。その前の代々木上原かもしれない、まあいいや、そんなことは。野末さん、お体無理なさっていませんか。ほんとにいろいろありましたね。いつもありがとうございます。とまずごあいさつがしたかった。でもこの本、出したときもそうだったけど、文庫になったらますますどんな人が読むのか見当もつかない。タイトルだけで買う人もいるのだろうか、この不況に。不況だからいるのか? 著者名で買う人は少なくとも「野末陳平や内田春菊はツイてるから」と思っているわけ? 野末さんはともかく、私はツイているのかな。自分では仕事の状況に満足してはいるが、それは昔っからのことで、漫画家になれた時点からずっと、あーしあわせと思っていた。だから沢山仕事した、私のやり方と言ったらたったそれだけのことだ。  少し前まではインタビューで(今はほとんどのインタビューを断わっている)、 「運が良かったから」  とか、 「人に恵まれるたちだから」  と答えていた私だったが、どういうわけかこれを自分に都合良く解釈して、 「私にもチャンスをください」 「いろんな人を紹介してください」  と私の周りに寄ってくる人が出てくるようになった。それも、そういうやつに限って作品も持ってこないとか、持って来ても「悪いこた言わんから田舎帰って見合いしろ」みたいな作品。だいいちあたしは編集者じゃないんだし、はっきり言ってお門違いだ。でも、すごいのになると、 「とにかく仕事場だけでも見学させてください」  なんてずうずうしいのもいるのよ、まったくなんであたしが赤の他人にそんなことしてあげなきゃいけないんでしょう。そんなわけで、最近は、 「どうやったらそんなに仕事がうまくいくんですか」  という質問には、 「私だから」  とか、 「あんたと一緒にされても困るよ」  とか、 「数撃ちゃ当たるよ」  とか言うようにしてる。情報は与えられて当然という勘違いをする者が周りに増えてくると、精神衛生を守るために攻撃的なことも言わなくちゃいけなかったりするのね。キャリアが永くなるってことには、全くいろんな側面があるものなのだった。  最近のナゾ  前からナゾだとは思っていたが、育児をするとますます主婦の生活がナゾだ。  たとえば「おしりふき」という商品がある。赤ん坊のおむつをかえるとき、うんちしてたらそれを拭く、厚手のウェットティシュー。たいがいプラスチックの容器に入っていて、詰め替え用を買えば容器は続けて使える。他に、外出のとき使う携帯用もある。私は自分の息子(生後十一ヵ月)をだいたいどこにでも連れて歩くので、紙おむつと一緒に携帯用がいつもバッグに入ってる。  とそれは置いといて、当然だが赤ん坊のおしりなんてほんとは何ででも拭ける。私の入院してた病院では、ガーゼをぬるま湯にひたして拭くと良いと指導されたので、しばらくは私もそうしていた。最近は自宅で息子がうんちをすると、すぐ裸にしてシャワーでおしりを洗ってしまう。自宅では布おむつにしているのでそのあとおむつを洗う。だから、すぐお湯の出る部屋に住んでて普通に堅実な主婦は、おしりふきなんてあんまり使わないと思う、外出以外は。だから携帯用のほうが需要が多いはずだと思うんだけど私は間違っているのかな。携帯用のほう、あんまし売ってないのよね。すごいとこになると詰め替え用もないぞ。でも容器に入ったやつはよく安売りしている。はて、なぜだろう。それとも墨田区の主婦って、私が思ってるよりもっと忙しくて赤ん坊のためにいちいちお湯出したりしていられないのかな。私んとこは同居人と家事が完全二分制なのでようわからん。  ほかにもある。デパートなどの赤ん坊用品のフロアに行くと、マットが敷き詰めてある赤ん坊の遊び場があるんだけど、そこに子どもを遊ばせている親が、子どもから全然離れないのはなぜ? そばにべったりくっついて、ほらこれで遊びなさい、あれで遊びなさいとか言ってずっと指示してる。すごい人になると、もう歩ける子を抱えて、滑り台に乗せて、ちょっと降りたらまた抱えて乗せて、ってやっててなんか、あやつり人形みたいだぞ。離れて見てればいいやと思っている私は、間違っているのか? 一人ではいはいして動きまわっている私の息子がそばに行くと、みんな、何これ、どこの子? って顔して、じきに自分の子抱えて帰っちゃうんだもんな……あの人たちんとこでは、赤ん坊に一人遊びとかさせないのかしら。そんなことないと思うんだが。まあたまたま私が行くときにそんな人ばかりだったのかも知れないが。  母乳で育てる人が少ないのもナゾだ。そりゃ、出ないものはしょうがないけど、 「あたし出ないから」  と話すとき、妙に誇らしげな人がいるのはなぜ? 「出てもすっごく薄いの」  誰と比べたんだろう、どうやって……。 「でもミルクだと飲んでくれなくて。おっぱいあげてみると、そっちは飲むんだけど、ミルクはよっぽど間を開けないと飲まないの」  それは、母乳がよく出て、足りているのでは……と私は思うのだが彼女が自信をもってそう言うのでへーと言うしかない。 「あたし、ほら、出なかったから」  と言うとき、都会の女ってそうじゃない? というニュアンスを出している人もいた。でもなあ、勤めに出ると止まるしかないみたいだしなあ。私は「農家の主婦方式」と決めて、そこら辺に転がしといて仕事してるから母乳は出るけど、勤めに行く人は母乳が出てても、仕事に行く前にしぼって、帰ってきたら直接授乳して、とやってるうちに、結局止まっちゃうんだそうだ。こないだたまたま読んだ雑誌に「お勤めのおかあさんでも、3時間おきに母乳を搾っておけば、母乳育児を続けられます」なんて書いてあったけど、そんな、3時間おきに搾乳させてくれる会社なんてどこにあるんだ。だからまあ、勤めの場合はしょうがない。育児休暇が長すぎると仕事に差しつかえる人も多いだろう。だからさ、やっぱナゾなのは主婦なんですよ。それとも最近はそんなに母乳って出なくてあたりまえなのかな? でもこないだ女性週刊誌のインタビュアーから、 「胸の形が変わるのいやだからミルクにするって人も多いみたいですけど、内田さんはどうですか?」  って聞かれた。  胸の形、ねえ。そんなに変わるかなあ。まああたしゃまだ一人目なんでようわかりませんが。  しかし最近一番のナゾは赤ん坊にフェラチオする人が結構いるということだ。まず最初に、ある知り合いから、 「うちの奥さん、もう息子の初フェラチオ奪ったっていばってるけど、春菊さん、もうした?」  と聞かれた。え? と思ったが酒の席だったのでさほど気にしなかった。だが、その後ある女性の育児エッセイを読んでいたら「したけど、なかなかよかった」というようなことが書いてあった。それも、その女性は友人がしたというのを聞いて、なんだ、そんなことしていいのと思ってしたそうだ。  その後、息子を連れてある著述業者の女性と話していたら、また、 「フェラチオしたでしょ?」  と明るく聞かれた。その後、彼女は、 「これあたしどっかにも書いたよ。酔っ払ってさあ、全部口の中に入れてむにゅむにゅってしちゃった」  と話していた。ますます不思議に思った私はそれをときどき人にたずねた。そしたら、 「うちの編集部って女の子の生まれる確率がすごく高くて、ほとんど娘のいる父親なんですけど」  とある女性誌の未婚の男性編集者。 「誰かが、将来のだんなにやられる前に赤ん坊のときにあそこ嘗めた、と言ったら、俺も俺もとみんな言うので、そういうもんかなと思ってました」  ガーン。  さらに、私のもと担当編集者(娘あり)が、 「将来男にやられる前に嘗めとくんだよ」  と編集部で話していたというのを聞いた、という話まで。  きわめつきはこれ。 「そういう話が身の回りに多いんだけどさ、知ってる?」  と最後に出た編集者と同じ会社の女性編集者(離婚歴あり子どもなし)に話したら、 「ああそういうの最近はやってますよね、あの人のエッセイに書いてあってから」  おい……はやってるってアンタ……。そういう問題か? そういう問題……なんですかねえ?  子供について  先日、ある子供雑誌の仕事で息子(今は7ヵ月だが、その頃4ヵ月の乳児)のことを話してたら、「子供さん、かわいいでしょう?」と担当女性編集者が聞くので、不思議に思った。私はそんなに子供がかわいくなさそうだったのかしら。普通、当たり前のことってわざわざ言ったりしないよね。その女性編集者にも子供がいるらしいのに、なぜ?  そういえば子供もいないのに「赤ちゃんってかわいい!」とか感情たっぷりに言うやつっているけど、あれって何者? そう言うことによって、自分を、男だったら善人、女だったら家庭的な女としてアピールしたいのかね。なんか、あさましいよな。  もともと子供は好きじゃなかった。自分が産むと、自然と子供に目が行くようになるが、憎たらしいのまで好きになるわけはない。かわいくない子は今でも嫌いだ。しつけの悪いよその子まで可愛がりたかない。  息子のことは、正しく言うとかわいいよりも「好き」みたい。まだ言葉を交わしたこともないけど嫌いになれない。いいやつにちがいないと思いたい、そんな感じだ。もっとも好きでないと毎日顔突き合わせてシモの世話までやってらんないよな。と、こんな言い方するからわざわざかわいいかとか聞かれるのかしら。そういえば当然のように「だれがみてるの?」と聞く人までいる。私はどうも育児してるように見えないのらしい。なんで? こっちが聞きたい。連れて歩くと、「子供が出来ない気の触れた女がどっかから赤ん坊をかっぱらって来たところ」に見えると言う。面白いじゃねーか、と思うけど、じゃーどーしろってゆーんだよっ、である。こめかみにサロンパス貼ってひざ下ストッキングはけとでも? 別にわざわざ子持ちに見えるようにしたいとは思わないけどさー、ふつーだれだって子供の面倒は自分でみんでしょう。あんまし面白いこと言わないでほしいよ。  と思っていたら最近、なんとなくそのわけもわかってきた。私が思っていたよりずっと、母乳で育てる人が少ないようなのだ。ミルクだったら、誰があげてもいいわけだもんな。そういえば母乳がすぐ出なくなったという話を聞く度、私もいつ止まるかわかんないから出るうち飲ませとこ、と思ってた。しかし離乳が進むにつれ、出過ぎを冷やしてなだめていたりする私。時代が時代なら就職口は乳母か? そういえば一度だけよその子に授乳したことがある。その子のおかあさんは一ヵ月検診のときもうミルクにしてて、ちょうどそれがあげられない時に子供が泣いちゃって困ってたので、息子を横に置いて「あたし、まだ出るよ」とあげたのだ。でもよく見ず知らずの女の乳なんか飲ませたよな。まあ結構あわてんぼな人みたいだった。ちょっとあげたとこで看護婦さんに呼ばれて子供ひったくって行っちゃったんで、わたしゃスプリンクラーみたく母乳撒き散らしちゃったよ。まあ、面白かったから、いいけどね。  私はレズじゃない  少し前から、 「内田さん、私レズなんですよ」  とか、 「バイなんですよー」  と若い女の子から言われることがときどきあった。そのたびあーそーですかと特に考えず聞き流していた。  なぜわざわざ初対面の私に、とは思っていたが、そう言われた人たちに二度と会う機会はなかったし、たまたまそういうことがあったという程度でそれらは終わっていたのだ。  でもここんとこ私は、その人たちはまだ良い方だと思うようになった。そんなストレートな形でなくじわじわと態度で迫ってくる女たちに、私は声を大にした上にメガホンまで使って言いたい。 「私はレズビアンのタチじゃない!」ないー、ないー、ないー……(エコー付)。  もともと私は女子校ノリなものが嫌いだ。すべて嫌いと言ってもいいくらい嫌いだ。女子校に行ったこともないのに言うのも乱暴かも知れないが、共学でも女同士でトイレに行く習慣はあって、もう、それがすでに嫌いだった。  しかし何事も理由もなく発生したものではないと思い、考えてみる。群れを成さなければならない理由は、弱さにあると想像できる。  女子が複数でトイレに行くのは初潮以後だと思うがどうだろう。それまでいくらのんきに暮らしていても、出血というショッキングな事件に遭ったあとじゃ、トイレに行くことがナニゲに考えられなくなるのも無理ないかもしんないじゃん? 男の子はいたわるよりからかうことが多いしね(って待てよ、じゃあ男の子どものありかたにもモンダイがあるんじゃねーかよ。そっちもなんとかしろ! 私も自分の息子には努力してみるぞ)。  しかしそうは言ってもやっぱり私はつるむのが嫌いだ。同じ女だというだけで、人の事情も知らないうちから「わかるわかる」とうなずかれるのはぞっとする。レズっぽくなついてくる人たちのいちばんいやな点は、私となら傷つかずにいい思いができると考えているらしいところ。私の経済力とか話題性とか(どちらも本人が勝手に思い込んで)を期待し、その上貞操の危機は免れるというずるい(?)考えの上で、ただ楽しみだけを私が与えてくれると思ってるような気がするのだ(私は女性とベッドをともにした経験はあるが、それはたまたまそうなったのであって、だれかれかまわずそうしたいわけじゃない。なつかれたからといって「だったらやらせてもらおーじゃねーか」ってことは無い。だから、どーもそこまで計算されてる気がしてしまうのだ。被害妄想かもしれないが)。  もしこれから女子校ノリやレズ話で私と仲良くなろうとしている人はとりあえずは遠慮してくれ。頼む。私が仲良くしたい女性は、ほんとに考えの合う人たちだけなのだ。でもそういうことってきっと意識の上には昇ってこないんだろうな。でなければこんなに悩まなくてもすむはずだ、私は。  私はピアスを入れてない 「親からもらった体」というふうに考えたことはないが、私の耳には穴がない。外国に行けばピアスばっかり売ってるし、ピアスのほうが面白いデザインのものを身につけられると思ったこともあったが、なんとなく開けなかった。「ピアスを開けると運が変わる」とか言うような女が嫌いだったからかもしれない。占いに興味がないのだ。都合のいいところだけ解釈してみるときはたまにあるが、占いのページを入れると入れないでは雑誌の売り上げが違う、などと聞くとびっくりしてしまう。占いの好きな人の気持ちを少しはわかってみようと、こないだデジペ(デジタルペット。たまごっちのようなものです)みたいな携帯占い機を買ってみた(それも夫のと自分のと二つ。くっつけてどーのこーのしたり出来るやつだったので)。デジペは結構好きなので、これなら楽しめるかと思ったのだがもー、全然だめ。ほったらかしておくと時々ピーピー鳴るため、その度に叩き壊そうかと思うが、買ったのは自分なのでがまんしている。  私が忙し過ぎると子どもが怪我をするということがわかってきたので仕事を増やさないように用心してるのだが、以前やはりそういうとき息子が唇の下に怪我をした。そしたらその後、息子の怪我と同じ場所にピアスを開けている人と同席する機会があった。  隣では、 「そのピアス取ると、食べ物とかもれるの? 取ってみしてよ」 「取るとけっこう大変なんだよ」  などとその話題で盛り上がっていたが、私の頭には払っても払っても「この親不孝もの」というセリフが浮かんで困ってしまった。息子が同じ場所に怪我してなければそういうふうには思わなかったんだろうが。  自分では、 「ピアス開けてないんですね」  と言われたときは、 「からだに穴を開けてそこに何か入れるってのが嫌いなんですよね。もとからある穴には何入れても平気なんだけど」  と言うようにしている。ところが、これも相手を見て言わないと笑ってもらえるどころかこわがられることが最近わかった。気をつけたいものだ。  エッセイを書かないわけ  最近エッセイ書いてない。エッセイ集出しといて何言ってんだよ!(それもこれ、書き下ろし)と言われてもしょうがないけど、この本は文春の茂木さんの熱意によって出来てしまった本なのだ。書き下ろしを入れているのもせっかく出すなら何かおまけを、という私の貧乏性からである。  同時にインタビューもほとんど断わっている。なんか、私の知り合いでもないのに私に興味のある人ってのがよくわからないのだ。今でもそうだが書いてるそばから「こんなこと書いて誰の娯楽になるんだろ」という気がしてしまう。じゃあ書くなよ。そりゃそうなんですけどね。だから何かお題が出たときに、あ、それなら面白そうだし書けるぞと思ったときには書いてる感じですね。失礼な言い方かもしれないが解説もそうなんですね。その人が好きで(好きということは面白いと思ってる)書くわけだからさ。  小説を書く前、 「エッセイ書いただけで漫画家の私にエッセイストなんちゅうなんだかわかんない肩書きを無断でくっつけんじゃねーよ」  という文章を何度か書いたことがあるが、先日木村治美さんの「エッセイを書きたいあなたに」という本を「エッセイを書きたくないわたしはこの逆をすれば良いのでは」と古本屋で買って読んだら、エッセイストという意味とともに、「エッセイスト」という肩書き自体があの頃の木村さんの偉大な発明であることがよくわかった。なのでその6文字を勝手に私にくっつけてくれた人々に悪気がなかったこともよくわかった。でもやっぱり私にはその肩書きは要らない。なぜか。反論もあろうかと思うが私はもの書きをサービス業だと考えている。書いたものを「面白かった」と言われるのがいちばん好きだ。ところがたとえば「ファザーファッカー」、あれが小説でなかったらどうするか。もしあの話を目の前で経験した本人からされたら、私なら困る。笑うところで笑うのが難しくなる。なので「おはなし」として読んで欲しかったし、そう見えるように努力したつもりだ。しかし「これほんとのことですか」と聞かれたときに嘘までつく気はなかったため、「はあ主観的には」と答えていたら、そればっかり言われてたいへんに閉口。おかげで笑ってもらうために書いた部分で笑ってくれる人が減ってしまった(と想像する)。人はどうしてそんなに会ったこともない人間のことまで知るのが好きか。でもよく考えたら私だって少しは好きかもしれない。こういうプライバシーに関することについては人の数だけその物差しがあるため、いちがいには言えないのだな、とだんだんわかってきた。芸能人だからって全てをさらけださなきゃいけないってこたないし。これもまた筒井さんの文章から学んだことだが、プライバシーの範囲は全て本人が決定する権利があるそうだ。だから「ここまで見せてんだからもっと見せろ」とか言うのは通用しないらしい。良かった。助かった。そういうわけで私はその後プライバシーについて悩まずに済むようになったのだ。周りの人の勘違いまではどうにもならないが、でもそんなの私の知ったことじゃないしー。  そういうわけでめでたく私もワイドショーや週刊誌を楽しめるように。大人になったわー。でもやっぱり知り合いが、私自身より私の記事などのほうを気にしていると気付いたときの「あっ、こいつもか」という失望からはなかなか逃れられないな。そういう人とあまり仲良くならないように用心してんだけど、たまにうっかり仲良くなっちゃって、こないだもがっかりしたばかりだ。そういうのって、本人も取材されたり人前に出たりする機会が多いかどうかってのは、関係ないみたいですねどうも。  だんなさんは何と?  私に限ったことではないが、結婚している女への質問にはよく、 「この件についてだんなさんは何と言ってらっしゃいますか」  ってのがあるように思うのだが、そのことに対する私の答えは「ほっとけ」である。さらに 「ご主人はなんと?」  だった場合は、 「私は犬じゃねえ」  である。  というのは誇張で、ほんとの答えは「本人に聞けば?」だし、私に夫のことを「ご主人」などと言ってくるうかつ者は私の周りにはいない。  十年くらい前のこと、日曜日の朝の山田邦子ちゃんの番組に半年レギュラー出演していた。一時間のバラエティで、アイドルが週がわりでやってきたり、トーク、クイズ、習い事コーナーなどと盛りだくさん。私はバラエティのレギュラーは初めてで、半年たってもまだ邦ちゃんのことを「山田さん」と呼んでた。現在毎日新聞で彼女のエッセイにさし絵を描いているが、あんな状態だったのにちゃんとつきあいが続いているのはひとえに彼女の人徳ゆえである。あっ待てよ、そのとき一緒だった森公美子、大田寸世里(もとペコちゃん)、神津はづき、スタッフの人々(順不同敬称略)もそうであるな。あんなにワーストワン役立たず状態だったのに。私は幸せものだ。  それはともかくその番組の中に一時期カップル当てクイズがあって、男がどっちだったか忘れたが3人か5人、女が3人か5人ばらばらに出てくるのにいくつか質問をして、誰と誰がつきあっているかを当てるのだ。簡単そう。でもこれが、たかだか3人か5人なのになかなか当たらない。誰も嘘の答えなどしていないのになぜ? しばらくしたら私は意外に単純なポイントを見つけ、その後は全問正解に! なったらすぐ終わっちゃったんだけどそのコーナー。意外に単純なポイントとは何か。なんとそれは、 「女のほうの言うことは全部無視する」  という恐ろしいものだったのだ。特に「彼は誰に似ていますか」という質問のときには耳をふさいででも聞かないほうがよろしい。ことほどさように(この使い方これで合ってんのかな。一回使ってみたかっただけなんだけど)女の社会性とは当てにならないものだったのでした。なんと悲しい。これに気付いたとき十年前の私はどこにぶつけようもない怒りを勝手に感じ、また思い出すたび勝手に落ち込んでいたのだが、ここへ来てやっと「それが男に好かれる道なのだ」ということが遅まき(だてまきのしんせきか?)ながらわかりました。私が自分で考えて行動したり意見をいうのがものすごく気に入らない男たちはそういえばとっても多かった(気付けよ38になる前に)! 女は男の考えの中にある小さな社会(結婚すると家庭とも言う)の社会性だけを持っているほうが幸せに暮らせるようだ(一般論ですが)。くそったれが。  男の数について  どうも日本ではたくさんの男とつきあったってのはまだおおっぴらに言っちゃいけないらしいぞ。何故だ。私は知らないが。  4年半位前、「闇のまにまに」というビデオを作っていた。親友水島裕子、田口トモロヲら大勢の人に迷惑をかけた上に私はノーギャラ(現物支給。たくさんあるので買ってくれ)というごきげんな仕事であったが、頼みもしないのに失礼な取材の人がいっぱい呼んであって、その中の一人の人が、 「沢井小次郎さんとはどういうご関係で」  というので、ほんとは私と木野花さんの芝居に出てたんだけどめんどくさくなって、 「セックス」  と言ったら、 「そうでしょうねえ、男の俳優さんたちはそれでわかるんですけど水島さんとか女優さんたちはいったいどうして(出るはめに)」  と思いきり言われてしまった。  自慢だけど私は女の友だち、いるんだよ(多いんだよと言えないところが情けない)。笑っていいとものテレフォンショッキング出演4回のうち3回は女ともだちから(邦ちゃん、レオナちゃん、滋ちゃん。あとの一回は奥田瑛二さん)ってのも自慢だ。全部男に回してはいるが……。  女の友情ははかないというが、それは相手の男に色目を使うからだ。私くらい男の数が多いと(当社比、ってなんだ。しかし多い多いって統計とったわけでもないのにまあいいか)そんなことはしない。するのは主に私の連れてる男のほうである、息子も含む。息子はこないだも目をハート型にしてレオナちゃんのほっぺにちゅーしてたし、鞠谷友子さんに遊んでもらったときも「まりやさんてかわいいねー」とずっと言ってたし、水島さんとなんか一緒にお風呂まで入った。私の連れてる男のおつむは息子なみってわけですね。 * 今の夫は違います。 2 発想の方法  だらだらしてます 発想の方法  私が言うのも何だけど、このコラム、なんか変わった宗教に入っている人とかに頼むのが面白いのでは……たぶん、とりたてて話すようなことはしてないと思う、私は。もの書きのことを変人だと思いたがる人もいるが、そんなにわかりやすい人ってのはいない。だから、たいがいはなんてことない日常のひとこまのようなことをしているはず。私の場合まず、だらだら寝る。漫画の場合、絵に入ってしまうと多少眠くても平気だが、話を考えるためには十分過ぎるほど寝てないと、出来ない(逆に、よく眠ってるときは使う予定もないような話が出来ることもある)。  それから、そこらに転がっている本を読んだりする。  担当の人と、電話で長めの話をしたりする。これが出来る人が担当の仕事と、そうでない仕事はかなり精神的に条件が違うことに最近気づいた。昔は、作品は自分のものだから、自分の責任で書かなくちゃと思っていたのだが、やっぱしそれだけではないみたい。たとえば電話とファックスだけで原稿がもらえるということを疑ったこともないような人の仕事は、どうしても書くまでが苦しい。顔知らないから電話でもそんなに長く話したくないし、書く気持ちを高めるのにチカラ使っちゃう。でもいるよなー。そういう仕事って、原稿送って掲載誌が来たらこっちはもう忘れてるじゃん? なのに「機会があったらお会いしたいでえす」とかいう手紙があとから来たりすんの(なお、「でえす」の「え」は感じを出すために誇張しました)。あーこの人は、顔も見せないで原稿をもらってあたりまえだと思ってるんだなーといやんなっちゃう。  昔は同業者と長電話したりするのが好きだったが、子どもが出来てから長く話しにくくなったのと、その出産あたりのごたごたで同業者の友人が減ったのとで、大変少なくなった。ちょっと淋しい。でも、人の生き死にが切実に迫ってくる年頃になると、そんなに友だちが沢山いるのも不自然な気がしている今日この頃だ(負け惜しみとも言う)。  食事はどうしているだろう。短い文章を書くときなんかは、わざと酒を飲んだりするときもある。少し酔って書いたほうがちょうどいいと言うとまるで頭がいいみたいだが実はそうでなくて、まとめたり言い切ったりするのがへたな臆病者のため、酒の力を借りるわけ。長い作品の場合はもちろん逆効果なので飲まない。そのかわり夫においしいお茶をいれてもらう。子ども(一歳半)も見ててもらう。夫は私がだらだらしている時間もないと書けないのをよく知っているから、息子とビデオを見たり、遊ばせといてよこでコンピュータをいじったりして私を一人にしてくれる。そうさせておいてごろごろしたり、本を読んだりしている私は、なんだか「ずいぶんな人」に見えないこともないが、一応家計を支えているのでかんべんしてほしい(だれに謝っているんだろう)。ときどき息子が私の仕事部屋に来てひざの上に乗りたがったりする。気持ちに余裕のあるときはしばらく絵を描いて遊んでやったりするが、そうでないときは夫に来てもらって退場。ドアを閉めてしまう。息子が眠くてぐずりたいときなどは、淋しさにドアを叩いて「まんまんまーん(息子の言葉で「〜して欲しい」という意味)」と泣き声を出したりもする。そんな状況で私はどうしてるかというとやはりごろ寝だったり、なにか読んだりなのだった。なんてやつだと思う人もいるだろうが、私自身こういう状況に罪悪感を感じないですむようになるのに十年かかっている。プロとはそういうものなのである、なんちて。 * よく読むと私が前の夫に気を遣っていたのがわかる文章。なので今の私には少し腹立たしい。今の夫の自慢をしてその腹立たしさを解消したい所であるが、長くなるのでやめておく。  全作品リスト 〜'93前半 1 春菊  去年、改訂版にして出たばっかりなのでなんだか一番最初の本って気がしないな。デビューして一年四ヵ月、すでに単行本三冊分以上原稿がたまってたから出るのが待ち遠しかった。今もそうだけど、当時から沢山仕事するのが好きだったのよ。いっぱい描くと絵もどんどん変わるしね。よく読んでるだけの人に、だれだれは昔はこんな絵だったのどーのこーの言って得意になってるのがいるけど、私は最初はどんな絵でも、いっぱい仕事していいほうに変わってったのを誇りに思ってるから、昔はへたとか思われてもちっとも恥ずかしくない。それに漫画の良さってのは、もっと違うところにあるもんだよ。(*現在は文春文庫になっています) 2・3 シーラカンスロマンス1・2  デビューは四コマ漫画だったんだけど、初めてもらった連載がこれ。カット描きやってる新人にいきなり週刊で15ページもくれた奇特な集英社の花見さん。私は今でももちろん花見さんの言うことなら何でも聞く。ついでにこの連載のテーマを「処女」と決めたのも、主人公がロンド(と言う映画があったのだそうで、その中ではあるエピソードのわき役が次の主役をやるという形をとっているのらしい)形式で変わっていくというのを考えてくれたのも花見さんだ。私はただただ、どんな話にしたらウケるんだろうかとそればかり考えていた。クサい話がウケるらしい、とそういうのを描いたらウケた(第三話)りした。(*現在は文春文庫になっています) 4 アドレッセンス  というふうに自分ではごくごく普通の漫画を描いているつもりでいたのだが、ここへ来て二度目の連載をくれるときになって花見さんは「少女漫画を描いてみなさい。どんなにふつうに描こうとしてもあんたのはぜったい変になるから大丈夫」なんておっしゃるではないか。そ、そうかなあ。でも花見さんが言うからそうなのかもしれない。とか言いながら、まあ、やっぱふざけたりもしながら描きましたけどね。花見さんも柱(漫画の脇に入るコピー)に「ところで内田春菊の部屋はすごくきたないんだぞー。女の一人暮らしとは思えねえよー」と書いたりしてて、楽しかったなー。私は漫画家として第一次反抗期も迎え、「新人だから先輩より早く原稿を渡さなならんという理屈はおかしー!」とか言って、「間に合うようには、渡しますから」と電報打って赤星たみこさんのところに逃げたりした。赤星さんちに果物を抱えて来てくれた花見さんは、やっぱり私の育ての親だと改めて思う。 5 ヘンなくだもの  よくエッセイ漫画と言われるけど、自分ではぜんぜんそんなつもりはなく描いてた。週刊連載だったし、あんましなんも考えず、ただ日々思いつくままのことを……あ、そういうのをエッセイというんだっけか、まあ何でもいいや。でもわりと年齢層の高めな男性誌「漫画サンデー」であったし、セックスの話は意識して多くしてあるので、あんまし「これって内田さん自身のことでしょう」ってばっかし言われると複雑な気持ちではある。でも、この頃から、何を描いても「体験でしょう」と言われる日々が始まるのだった。もういいかげん慣れたけどね。この本の表紙の写真をきっかけに、水島裕子と知り合えたのが嬉しい。 6 見守ってやって下さい  初めてのエッセイ集。今は文庫になっている。最初はエッセイはですます調で書いていた。書くと言うより話をするようなつもりで鉛筆を動かそうみたいな。いつのまにかマッキントッシュのコンピュータなんぞを使って文章を打つようになっているのだったが、この頃は0・9の、2Bの鉛筆。ライターの人が使っているのを見て真似してみたら、消しゴムが使いやすいし、はっきり書けてコピーなどに便利だし、良かった。手は黒くなるけどね。そういえばこの頃はファクシミリもそんなに普及してなかったなあ。 7 鬱でも愛して 「漫画サンデー」の兄弟月刊誌「サンデーまんが」に連載していたものにあとからこのタイトルをつけた。未来から来た女の子が現代の男の子や成人男性と分かり合おうと試行錯誤する話から始まって、未来から昔の友人が訪ねて来る話になったり、最後は主人公の娘に話が移って行くという……。なんかこう書くとおおげさだなあ。でもこの頃から心の問題を意識して描き出したみたい。心をシンプルに出して来たいときは、かえって現実にはない設定のほうがいいのかもしれない。  それとこの場を借りてこの本の中で筒井康隆さんのエッセイの中にあった話(セックスすると翌日顔に線が出る)をうっかり真似(セックスの翌日唇が赤くなる)していたことを白状いたします。筒井さんごめんなさい。 8 闇のまにまに  ホラーなんです。このあたりからはまりだしたんですこれに。もともと子どもの頃から大好きなジャンルではあった。でも見るからにおどろおどろしいというよりも、そこらへんに転がっているものをよく見たら恐かった、という感じにしたかった。最初はどうすれば恐くなるのかよくわからなかったし、今でもあんましよくわからないが、恐いという感じは笑いとかセックスとかのすぐ隣にあるとなんとなく思う。ホラーを描くのはとても楽しいし、ひとりで笑いながら描いてる。こないだこの本を原作にしてビデオを撮った。楽しかった。 9 四つのおねがい  四コマ漫画ばっかり集めた本。デビュー作も入っている。この頃雑誌のカットに四コマを沢山入れるのがはやっていたのでそういう依頼で描いたものも多い。そしてこの本ではついこないだまで私にとっては因縁のキャラクター、日常はじめが初めて「日常くん」という名前で出てる。この日常はじめというキャラはなんとなく便利なので他の漫画にもいろいろ使ったが、去年の終わりにちょっと考えて、決別することにした。もうすぐ出る予定の「ストレッサーズ2」で日常はじめとはお別れだ。 10 ユーガッタ春菊  短編集。この頃、どうして私は一ヵ所に腰を落ちつけられないんだろうなあと悩んでいた。大手の出版社の本で連載が欲しくていろいろがんばったけど、ぜんぜんだめ。私としては「たぶん、こういうものが喜ばれるのでは」という感じのものを一所懸命描いてるつもりなのに、ウケない。でも単行本にはなる。買う人がいるからだ。これは結局今でもそう。でもこの頃漫画家は専属契約する人が多かったし、私も「〇〇誌の作家」とかってのになりたかった。だって、「漫画家です」って言うとみんな「どこに描いてるんですか」って聞くんだもん。今よく考えてみたらあれこそ失礼だったのだ。「どういうものを描いてるんですか」と聞くべきだよな。じゃなきゃ、黙ってるとかさ。 11 うーんとセラピー  これも今は文庫になってる、二冊目のエッセイ集。この頃からエッセイとイラスト両方でなく、文章だけの依頼も来るようになってきた。文章だけ頼まれるとイラストに頼れないので、文章だけで内容がわかるようにしなければならない。当たり前だが、私には緊張感のある新鮮な経験だった。その上だれか別の人が絵をつけてくれたりして、嬉しいのよねえ。そのうち、「まてよ。文章だけでも原稿料くれる人がいるんだから、絵も文章も、どっちかがどっちかのおまけみたいな扱いは避けよう」と思い、依頼の受け方も考えるようになった。こうして、私にも文章を書くものとしての自覚が少しずつ芽生えたのだ。 12 幻想の普通少女1  結局四巻になったのだが、担当の人は一巻で終わらせようと思っていた。「これで一応終わりにして、また新しい連載にしましょう」と言われて、「はあ」と答えはしたのだが、どうも一人になってよく考えたら終わる気がなくて、で、「あのまだ、続きますから」と言って続きを描いた。親愛なる岸田秀さんへの感謝の気持ちで描いたつもりの作品。四巻全部に、岸田さんとの対談が入っている。まだ漫画のデザインは未経験だった戸田ツトムさんに自分で電話してデザインをお願いし、受けていただいたのも嬉しい思い出だ。 13 めんず 「微笑」で連載していた「めんず」に短編を加えて作った分厚い一冊。南伸坊さんが白と水色で水槽のようにデザインしてくだすった。装丁はさわやかなのだが、このあたりから私の漫画はだんだん本格的に底意地が悪くなっていったというか、それまでは遠慮してホラーにしか描かなかった人間の結構ヤな部分にも知らん顔して触れるようになっていった、ような気がする。「エッチでバカバカしい漫画だ。きっと描いてる本人もそうなのだろう」と言われるのに飽き飽きしたのかもね。(*「へんなくだもの」「鬱でも愛して」「めんず」は98年春にデザインが変わります。3冊ともアラキさんの写真を使って伸坊さんがつくってくださる予定なのだ。) 14 南くんの恋人  今年一月から連続ドラマになったので、去年の終わりに改訂版が出た。ドラマになったのは二度目(以前は二時間ものの単発ドラマ)だし、映像化の話は一番多かったと思う。映像にしたくなる作品なのかしら。特撮で大変なのにね。私は「恋人」という言葉が好き。「彼」ってのはほんとは代名詞だと思っているし、「彼氏」ってのはよく考えるとますます変な言葉だと思ってる。便利だから使うけどね。 15 もんもん都市  三冊目のエッセイ集。それも自分で「書き下ろしで文章の本を作りたい」とチャンネルゼロの村上さんに頼んだんだから、自分ではもう文章でいけるつもりでいたわけ。でも、双葉社から出たときは売れなかった。なのに文春文庫になったらすごく売れてしまった(私にしては)。中の風俗産業の情報なんかとっくに古くなって役になんか立たないはずなのにまだ売れてる。私は最初「漫画家の私をエッセイストとは呼ばないで」なーんてでかい口をたたいていたのだが、あんまし大きな声で言えなくなってきたのだった。 16 物陰に足拍子1 「しゃんしゃん手拍子足拍子」の足拍子とはどうやってリズムをとる拍子なのであろうか。地団駄を踏むようにして鳴らすのか。それとも両足の裏を打ち鳴らすのかしら? というのが私の幼少の頃からの疑問であった。そういうことを、いつまでも考えているようなのが物書きとかになるってわけですかねえ。この漫画を好きになってくれる人とは、嬉しくて深い縁が出来る傾向にある私だが、この漫画を嫌いな人ももちろん多い。嫌いな人には「そんなことまで、知りたくない、考えたくない」という印象を持たれる作品なのらしい。 17 ツキを呼び込む10ヵ条  このタイトルはしゃれじゃなくて、ほんとにそういう本。どういうふうな考え方で、どういうふうに生活すればラッキーになれるかを説いた、愛にあふれる本なのだ。文章を野末陳平さんが書き、私が漫画を描いた。この頃はビジネス漫画がはやっていて、私のところにまで話が来るほどだったわけ。でも書店ではビジネス書の棚に置かれたわけだから、普段私の漫画を読んでる人にはぜんぜん見つけられなかったと思う。でももうすぐ文庫になるらしいから、また展開があるかもしれない。 18 しあわせのゆくえ 「しあわせのゆくえ」は最初「少年ビッグコミック」で始まり、途中その本が「ヤングサンデー」と名前も対象年齢も変わった。担当デスクが少年誌のうちから「主人公たちにセックスさせれば人気が出ますから」と言うのがどうも嫌で「だったら出なくて結構よ」とまたもや大口を叩いた第二次反抗期の私であった。そのデスクはその後「ヤングサンデー」の編集長となり、以後仕事は来ない(そりゃそうだ)。でもそういう路線の「ヤングサンデー」が有害図書問題で怒られたとき、相手の主婦団体とテレビで言い合いしたのは私だったりして……なんなんでしょうかねえ。 19 一身上の都合  私の会社はどういうわけか沢山の青少年が通り過ぎていく宿命を背負っている。こっちは普通に仕事して欲しいだけなのに、なんだかみんないろんなことを期待してやってくるらしいのよね。でも来てみたら普通の会社なのであてがはずれてどんどん辞めてく。そんな人たちの履歴書を見てみると、たいがい前の職場を「一身上の都合」で辞めている。考えてみればいいかげんな言葉だ。「辞めていくOLシリーズ」としてレディースコミック「YOU」に連載していたもの。ほかにも吉本ばななちゃんが号泣してくれたという「しゅふとせいかつのようなもの」収録。 20 水物語1 「週刊宝石」に連載していた作品。最初の頃はみんな「中年男の純愛もの」と勘違いしたらしく、映像化の話がどっと来た。そのうち、どうも様子が違うぞとなってきたのとか、私が「水島裕子がアヤでなきゃやだ」と言い張ったのとか(映像化を考える人ってのはその時はでにやってるアイドルでいこうとか、そういう安易なことばっかし考えてるものなのよ)、いろいろあって騒ぎはおさまってしまった。結局「水島さんで一本ビデオを」という話が出たときに、彼女が「水物語でやりたい」と言ってくれ、ビデオ化が実現したのだった。 21 水物語2  そんで私がキッチンドランカーで自殺未遂の奥さんの役をやったんだけど、水島さんとおそろいの前張りつけて楽しかったんですよ。男のほうの主役はジョニー大倉さん。 22 水物語3 「週刊宝石」だったからけっこう高年齢な男性読者がいたりして、連載中も面白かった。でも担当の人が漫画の仕事を舐《な》めているのがいやだったので、最後にはその人を通さずに原稿が渡せるようにしてもらった。編集部でなくプロダクションの人だったから、直接編集部の人に渡すようにしたのだった。 23 物陰に足拍子2 24 幻想の普通少女2  この二作品はだんだんサニーサイドとダークサイドになっていった。描くのは「物陰」のほうが楽しい。でも内容は重いのらしい。「幻想」は読む人は楽しいらしいが、描く私のほうはしんどかった。アクション編集部の人が私にとても冷たかったせいもあるかもしれない。 25 シーラカンスOL  読売新聞の婦人欄に、毎週一本ずつ連載していた四コマ漫画。一週間で一本だから、この一冊ぶんが貯まるまで相当かかった。新聞だからこうなのか? という経験もいろいろした。たとえば、「いいひとでが欲しいですなあ」と言っている人のところに海のヒトデを持って行く、というのを描いたときなんか、担当の女の子はデスクのおじさまから「あのね君、人手っていうのは働き手のことでね……」と真顔で言われたそうだ。現実の面白さには、漫画はとうていかなわないと思い知ったエピソードでありました。 26 水物語4  ビデオになるという話があっても光文社がちっとも再版してくれないので私は機嫌が悪かった。そんなとき、「ビデオの宣伝で週刊宝石のカラーグラビアに出て下さい」という依頼が来た(ビデオのプロデューサーが写真のカメラマンもやっていたため)。結局最後になんだかんだなだめたりすかしたりして撮られたセミヌードが大きく扱われ、ああそんなものかもしれないな、ちっ、という感想であったが、これがきっかけで水物語4巻の再版が決定したので私はホーッホッホッホと手を腰にあてて高笑い。「体を張って再版させた女と呼んで」と触れ回ったのだったが、今度は光文社が無断でそのセミヌード写真を帯に入れるという暴挙に(それも再版分を送って来ないので気づいたのはずっとあと)。最近すごく思うけど帯をチェックする権利って著者にはないのか? この後も光文社との戦いはまだまだ続くのであった。 27 今月の困ったちゃん  この本も今絶版寸前(注文すれば買えるとは思う)。であるが、出版・放送業界では何度も特集された。私もその度コメントを出したり、一身所野津子のかっこをしてテレビに出たりしたのだが、そういう、業界の人が喜んでくれても売れ行きの悪い本ってのはあるものなんですねえ。改訂版にしてクレスト社というところから出す準備をしている所。つくってるときはほんとに楽しかったし、頭が興奮しっぱなしだった。対談してくだすった10人のかたたちのご恩を今でもしみじみ感じる私だ(その後いろいろあって現在新潮文庫になってます)。 28 波のまにまに  これが朝日ソノラマで出した初めての本だったよね松村くん。ガロに連載していたものなのだが、この頃ガロの読者は案外青林堂の単行本を買っていない(つまりガロに全部が出るものと信じてガロだけ見てればいいというさ……ガロは価格も高いからね)という事実を知った私は、ガロの連載をよその出版社で出し、あちこちで貯まった短編を青林堂で出すという完全トレードを試みたのだった。なんたってこの本はこないだ亡くなってしまわれた胡桃沢耕史さんから、筒井康隆さんから、榎本了壱さんと、すごいかたたちに誉めていただいているのだが、君はもう読んだかな〜? 29 物陰に足拍子3  そういえば吉本ばななちゃんが「一番好きな漫画」として紹介してくれたこの作品。蛭子能収さんも「いやあ私もね、昔親戚の女の子をあずかったときにね、女房とその子の板挟みになって大変だったんで、このお兄さんの気持ちがよくわかるんですよ」とコメントしてくださった。 30 僕は月のように  光文社の「コミックBE!」(現在は休刊)で連載していた作品。中学生の男の子の性について描いているのだが、連載当初は担当編集者から「中学生という設定は若すぎるのでは」と言われた。そしたら「自分も中学校の卒業式の日に先生と初体験しました」だの「自分も中学の先生に欲情して待ち伏せ強姦計画まで立てていた」だのという手紙などが来て考えを改める担当者であった。最近「水物語」と並んで再版がかかっているのはいいのだが……(つづく) 31 凜が鳴る  勇気凜々という言葉と「靴が鳴る」という歌の歌詞がなんとなく好きで付けたタイトル。日本で一番売れているレディスコミック誌「YOU」に於ては、ものすごく人気がなかった。自分では「女が仕事する意味」にまじめに取り組んで描いた自信があるんだけどさ……。そういうのはウケないらしいんですねえ。ちぇっ。おおそうじゃ、そしてこれがさっきの青林堂トレード本なのであった。その割にはこっちのほうが出るのが遅かったのは、そもそもこの頃の青林堂の担当者の男性が私に甘え過ぎて、「そろそろよそで描いたものを集めて短編集を出しましょう」と当然のように言うので「あのねえ、よそは原稿料出てるんだよ?」(この頃ガロでは原稿料が出ていなかった)と、ちょっと怒ってしばらく放って置いたから。 32 呪いのワンピース  初の少女向けホラー集。雑誌では少女にもウケたが、単行本になったら少女たちはあんまし買わなかった。三九〇円だったのになあ。今は改訂版になって、もっと高い。私の本は、安く小さくしても多く売れるわけではなくて、ある程度高くても大きい判にしたほうがいいのらしい。 33 僕は月のように2  今度はちゃんと再版を知らせてくれ、写植や絵の直しまでさせてくれ、再版分も送ってきた光文社だったが、その帯には「ファザーファッカー」「南くんの恋人」の内田春菊ワールド! とよその出版物のタイトルが無断で入っているのであった。ついさっきも「だめじゃないですか無断でよそが売った本に便乗しちゃ!」と担当の人に怒ったばかりだ。目上の人にそんなこと、わざわざ言いたかないんですよあたしだってさあ。 34 さとる  椎名桜子ちゃんが文章を書いた、初めての絵本。と言っても絵本の仕事はまだこれしかしたことないけど。実は文章をもらって絵を描くまで二年もかかってしまった。でもその間絵本の勉強をいろいろした、つもりだ。話はさかのぼるが、「物陰──」の1が出たとき佐野洋子さんと対談をし、佐野さんの絵本を読んでから絵本に対するイメージが変わった。それまでは「ほんとは絵本の仕事とかしたいんです」という人を見ると「昔のアイドル歌手が将来はミュージカルをやりたいと言ってたようなもんか?」と内心バカにしていた。だってぜんぜん関係ない仕事してる人が突然言うからさー。でも、絵本の業界はとてもきびしい。鬼のように沢山本を出し、どんなことでもやる覚悟がないとやっていけない一面がある。夢の一部のようなイメージを作るのは、気の毒なくらい大変なんだぞ。 35 物陰に足拍子4  完結編。吉本ばななちゃんにお願いして、解説を書いてもらった。素晴らしい解説だ。ばななちゃんもそうだが、この頃から私は女ともだちに愛される喜びを知る年頃に突入した。なんかこう書くとエロチックだな。女に友情は育たないと言う人もいるが、性別に関係なく、人を祝福することの出来ない人には友情は育てられないと痛感する今日この頃である。 36・37 クマグス1・2  明治の学者、南方熊楠をモデルに描いた初の原作付き歴史漫画(と言っていいのかどうか)。この漫画はある種の人たち(歴史と言うと内容と関係なく感心する人とか、映画みたいな漫画が好きな人とかね)にはとても喜ばれたが、結局原作のつまらなさに腹を立てて決別。原作は早めに書いてもらって直しを入れると再度約束したはずが、編集者がいつも締め切りぎりぎりにしか原作を送ってこないのでついに頭に来て辞めたのだ。最後は「これが面白いって思うんだったら小説で連載してもらって下さい。そんでこっちの方が面白いって人がいたら土下座でもなんでもしてやるよ」と言ったのだから自分でも驚く。今のところ土下座はせずに済んではいるが、永い人生のあいだにはあるかもしれないので油断はならない。しかしこの二冊のブックデザインは日比野克彦さんの手による布張り箔押しで素晴らしい仕上がり。日比野さんのファンの人には胸を張って「買ってくれ」と言えるかもしれない。(これももすこししたら新潮文庫になる予定。なんかまるで売れない本を新潮文庫に押しつけているみたいだが、だって新潮文庫になると売れるんだもーん。あ、ごめん、文春文庫もそうだ。これを文庫マジックと名付けよう。名付けてどうする。) 38 シーラカンスOL平成編  この本はシーラカンスOLの続きなのであるが、一巻目が読売新聞社で絶版状態にあるためチャンネルゼロが二冊とも面倒見てくれることになり、続きであるこっちの方が先に出るというので、2が先に出て1が出るというのもなんであろうと、村上知彦プロデューサーが「平成編」「昭和編」というくくりかたを考えてくれたのだった。しかし私にとって四コマ漫画を売るのは難しい。 39 幻想の普通少女3  完結編。「物陰──」と平行して描いてたはずなのに、この出版時期のずれは何故か。「物陰──」は月イチ20ページの連載、こっちは隔月十数ページというのもあるが、「漫画アクション」の担当の人は電話もしてこない(締め切りとページ数がFAXで送られて来るだけ)という冷遇なのに、コミックスになると売れるからと書籍部の人が「さあさっさと出しましょう」とばかりに無理なスケジュールで催促してきたので頭に来て、「こっちはもう二度とアクションでは描きたくないくらい嫌な思いもしたんだから、せかすんだったらよそで出す」とか言ってもめてたからだ。でも相変わらず戸田さんのデザインと秀さんのお話は有り難い。実はここでも村上プロデューサーが間に入って助けてくれているのであった。 40 けだるい夜に 「YOU」の姉妹誌「オフィスYOU」での連載。なんとかレディスコミックらしくしようと苦しんで描いた作品。女装趣味のある年下のエリートに恋する設定なんて「ああレディスだわ!」と悦に入っていたのだが、そのうちなんだか自分でもよくわからなくなってしまい、担当の心優しい石川さんは見るに見かねて「うちの読者、意識しなくてもいいから」と助け船を出して下さる始末。そして単行本を出版してみたら「レディスコミック誌に連載されながらこの味」みたいに言われた。どうもぜんぜんそれらしくはなかったらしい。やはり花見さんの予言はすごく正しかったのかもしれない。 (*石川さんのご冥福をお祈り致します) 41 カモンレツゴー1  パチンコ漫画誌「パチンカーワールド」に連載していた作品。要望により、パチンコのシーンとベッドシーンはとりあえず毎回描いた。昔からお世話になってる末井昭さんに頼まれて描いたものだが、若い編集長大瀬さんもとても意欲的で、楽しい仕事だった。何よりもこの本、「としまえん」などの広告でも有名な天才大貫卓也さんによる爆笑ブックデザインが素晴らしいのよ。実はこれ、デザインしてもらうのに一年待った。そして二巻目は、もっと待ってる。でも、待った甲斐のあるものは待つべきなのだって、私が言うと言い訳に聞こえるな。余談だが近田春夫さんのファーストアルバムのタイトルが「カモン・レッツゴー」なのも嬉しい偶然だ。 42 ファンダメンタル1  これも山本容子さんの装画が美しく、最近すっかり装丁道楽の内田さんなのだった。この連載の途中頃から手がむずむずしてきて、ガロなどではそのたんびに違う絵柄で描かせてもらったりしていたのだが、ついに絵が変わった。コンピュータで絵の仕上げをやるためというのも大きな理由だったが、とにかく手が絵に飽きてしまったのだ。最初の頃は新しい絵で表情を出すのがうまく行かなかったし、せっかく前の絵でイメージが出来ていたのに、と広告・出版関係からブーイングの嵐だったが、とにかく飽きたもんは飽きたんじゃで通した。仕事が減ったって平気だと思っていたが、減らなかった。私の周りの人はみんな我慢強い心の広い人ばかりでしあわせだ。 43 シーラカンスOL昭和編  というわけでめでたく二冊ともチャンネルゼロに嫁入り。日下潤一さんのロマンチックな色使いはいつ見ても綺麗だ。シーラカンスOLとそのページは、新聞では珍しく長期の企画ものになったのだそうで、連載が終わったとき婦人部の部長さんがおすしをごちそうしてくれた。この部長さんが初めて仕事場に電話をしてきたとき私は「新聞で連載? そりゃ何かの勘違いですよ。私はセックスのことも平気で描くし、ちゃんと起承転結になった四コマなんて描かないし」と言ったのだが、そのとき彼は「存じております。でも若い者が内田さんで行きたいというのでそうさせてやりたいんです。私はもうおじんでございますので」と答えたのだった。そして連載が終わって一緒に食事した感想は「やはりこの人はおっさんじゃのう」だった。でもすしは大変うまかったのでこれ以上は言うまい。 44 ブキミな人々(アンソロジー)  このテーマに添って、小説やエッセイを選んで構成し、あとがきを付けたもの。そんなえらそーなもん作っていーのかしらと思ったけど、作っていいと言う出版社があるのだからお言葉に甘えて助けてもらいながら作った。楽しかったが、あとがきを書く頃は私はもう臨月の妊婦で、あとがきの原稿が出るのが先か、子どもが出るのが先かという状態だった(原稿が先でした)。室井滋ちゃんのエッセイや水島裕子の短編小説も入れさせてもらった。私の小説も一本入ってます。 45 ストレッサーズ1  日常はじめとその周辺の、愛と友情を模索する4コマ巨編(と担当味岡さんは言ってくれる)。いま完結編の2巻目を作っているところ。4コマなんだけど、内容はストーリーものなんだよね、2巻目は特に。そうだ、思い出したぞ。ストレッサーズの締め切り近くに陣痛が来て、「陣痛来ちゃったから病院行ってくるね」ってFAXを味りんに送ったんだった。ほかの連載は出産前に描きためたりしてたんだけど、してないものもあって、その中にストレッサーズもあったんだよね。退院してすぐ描いて渡したけど。 46 私の部屋に水がある理由《わけ》  分厚いエッセイ集。数年前から書き下ろししている小説がちっとも書きあがらないので、担当の茂木さんがそのあたりのエッセイを全部かき集めて出した。はっきり言って、売れてない。著者インタビューとかはけっこう来たんですけどねえ。しかたないからさっさと文庫にしちゃいましょう、茂木さん。ってこんなところで書いても伝わらないか(その後売れているそうです)。 47 愛のせいかしら 「夏のせいかしら」という夏木マリの曲が好きでつけたタイトルだったが、作詞者安井かずみさんが亡くなってしまわれた。ポルノからエッセイ漫画まで、絵柄も違う短編がいっぱいはいっててバラエティな一冊、しかも分厚い。一番厚いんじゃないのかな。高城剛カントクの可愛い表紙に、南伸坊さんの解説が泣かせる、って泣いてどうする。でもこの本を作ってるときは個人的にいろいろあったので、大変でした。青林堂の手塚能里子さん(現在青林工藝舎社長)の友情がこの本を作ってくれたのだ。(*これも現在は文春文庫。他にも文庫化されたものは多いが、きりがないので文春文庫だけ書いてます) 48 ファザーファッカー  初めての小説。書き下ろしに時間がかかり、原稿を渡したときには自分でもはげしく気が抜けた。ちゃんとお話として読んで欲しかったんだけど、売れなかったら困るので帯の文句に「自伝風小説」と入ることになった。自伝という言葉がうたい文句に入ると、手に取ってくれる人が多いのだそうだ。結局売れたのはいいが、おかげでその後百万回も「これは事実ですか。どこまで事実なのですか。なんでこれを書こうと思ったんですか」と聞かれることになり、すっかり取材嫌いになっちゃった。そんでいつのまにか帯の文句からは自伝風の風の字が消え……まあいいや、売れて茂木さんが喜んでくれてるのなら。でも直木賞候補になったとき、関係者の人たちがちゃんとお話として読んで下さってたのは、当たり前かもしれないがとても嬉しかった。 49 吸血少女対少女フランケン 「呪いのワンピース」の改訂版と二冊一緒に出してもらった。デザインはいつも頼りにしているマイク・スミス・関根さん。この頃は私の事務所でもコンピュータ彩色がうまく行くようになってきて、関根さんとマックの競演が嬉しい。吸血鬼、フランケンシュタインと少女ホラーの世界を広げてみたんですけど……難しいよなあホラーを売るのは。 50 ファンダメンタル2  このシリーズはビデオ作品にもなってるのだが、監督がバブリーな大借金をして逃げたため中途半端なものになってしまった。それでも見ればつまんなくないので流通に乗せて欲しいのだが、今度はプロデューサーが逃げた。サンプル版だけはつたやというビデオレンタルチェーンで出回っているらしいんだけどね……。その雪辱戦もあって「闇のまにまに」のビデオを撮っていたというわけですよ。映像業界の不況は、出版より深刻みたいね。 51 仔猫のスープ 「オフィスYOU」の増刊で描き貯めた、ミステリーや策略うずまくオフィスもの短編集。大変よく働く知り合いのある女性に、この中の「妊娠の意味」という短編の主人公が「私は家庭的な女じゃないし、女としてあんたがあの子を選ぶのはかまわないわ。でも仕事の上では一緒にしないで」と怒るシーンで思わず泣きました、と言ってもらって感激した。女だからとひとくくりにされるのには、誰だってもううんざりしているのだ。なのでブックデザインはそんな女心もご存知の天野祐吉さんにお願いした。天野さんはアラキさんの猫写真で、いくら見てても飽きない表紙を作ってくだすった。 52 ナカユビ  お下品なタイトル好きの私の本の中でも、もっともお下品なタイトルの本。性風俗レポート漫画、出産漫画、セックス漫画と盛りだくさんだ。でもなぜか少女漫画も入ってる。私が少女漫画だと思っているだけかもしれないが……そういえばある作家が「内田春菊は少女漫画にきたないものを持ち込んだ漫画家だ」と言ってたことがあったのだそうだ。どひー! でも、そうなのかも知れないなあ。そう言われたと聞いても私はその作家を嫌いになれなかったので考えてみたんだけど、やっぱし「女の子って特別」と思っている人じゃないと、美しい少女漫画は描けないのかもしれないわ。 53 24000回の肘鉄 「自由時間」という大人の男性誌に連載していた不倫漫画(なんだ不倫漫画って)。なんと17人もの女性と関係しているこの主人公……こんなやついねーよ、と私は思うのだが、男性読者はこういう話を読んで「なんて本当っぽい。どこまで経験なのですか」と相変わらずなのだった。あーあ。でもまあいいじゃないか平和が一番、と最近思っている私なのだった。でももう取材は受けないぞ。さーまた次の本を出すか。というわけで最後に今後の出版予定。五月「私たちは繁殖している」(ぶんか社)初の育児漫画。デザインは立花ハジメさん。七月「ストレッサーズ2」(竹書房)デザインは1と同じく奇才祖父江慎さん。そして「お前の母ちゃんBitch!」(同じく竹書房)ほとんど描き下ろしで貯めていたゲイ(?)漫画。デザインは、お電話はしたがまだお会いしていないミルキイイソベさん。そしてビデオ「闇のまにまに」(ジャパンホームビデオ)は五月二十五日からレンタル開始です。見てねー。  あくまでこの時期までの全作品リストなので、たいていのことはほっとこうと思ったのですが、あまりに光文社のことをクソミソに書いたので少し書き足します。その後、再版のお知らせ、チェックの依頼などたいへんマメにしていただいてますです。それどころかその知らせをいただいても私の方がろくなチェックもできずにいるのでした。最近チェックのできないものがずいぶんふえてしまった。なんでこんなことになってしまったのだろう。  それとアクションのこともかなりな言い方していますが、その後あやまってもらったりはしてません。ただいまだに献本してもらってます、ありがとう。最近はどんな小さな喜びにも誰かの好意が存在しているものだというふうに考えてます。私も大人になったわ。でもあれだけいじめられたんだから双葉文庫なんか絶対出さないぞ(どこが大人なんだ)。 * というわけで文庫化にともない、ますます話は古くなっております。ご注意下さい。  私たちは繁殖している エッセイ 本作品はフィクションです  もしかしてあなた、役に立つ育児マンガを期待して買いました? それは失敗でしたね。著者名を見なかったのでは? と言うまでもないか。どこにも役に立つなんて書かなかったはずだもんな。このマンガはタイトルどおり、生き物としての人間が、子を作ることについて私が面白く思ったことなどを無責任に描いてったものです。無責任にやりたかったからこそ、レディスコミック誌や妊産婦雑誌には描きたくなかった。真面目な人々に叱られちゃいますからねえ。運良く「みこすり半劇場」というぴったりな雑誌の編集長カクタニ氏がOKしてくれたので、今ものびのび連載中。有り難いことだ。とはいうものの、デザインの打ち合わせのときに、立花ハジメさんに、 「えっこれ全部春菊さんのことじゃないの?」と思いきり言われてしまった私は、こうしてエッセイのページなどを設けることにしたわけです。なのでこの文字のページはノンフィクションです。  まあそりゃさあ、マンガの中だってほんとのこともあるよ。でもほんとったってあくまで私が経験しただけの話だから。あてにされたり、まねされても困るわけ。ほんとみたいに描いてあるじゃないかって? それが手法ってもんですよアナタ。だいたいあたしのマンガってどんなものでも体験だと思われるからさ。もう慣れたけどね。  あたし自身に限ってのことなど言うとしたら、そうだなあ。結婚しないで子どもを作るってそんなに変わったことだったのかっていう、社会勉強になったかも。とくに「なんじゃ? こりゃ」と思ったのは、インタビューの中に私が言ってもいないのに出てきた「未婚の母」とか「計画妊娠」とか「生まれてくる子のために」とかいう言葉。後日、これらの言葉を使ってインタビューを書いた本人に「何よあれ、言ってもないこと書いてあるじゃないの」と突っ込んだら、「ああ、ちょっと創りました」と言われた。あのな……。その後も、「未婚の母」と「計画妊娠」はどういうわけか何度も使われた。離婚歴もあるんだし、「未婚の」とかいうのは違うと思うから止めて下さいよと何度言ってもだめ。子ども作るときに、「つくって」と相手の承諾を得てから作ったというだけでなぜ「計画」とまで言われる? 女ってそんなにみんなうっかり妊娠してんのか? 三十二にもなって、「出来ちゃった、エーン」なんて言ってられっかよばーか、と思うのはどうも私くらいだったらしく、もうすっかり「計画妊娠の未婚の母」の内田さんなのだった。だっせえ。しかしじょじょにこのナゾは解けていったぞ。 みんなそんなに結婚したいの?  まあ簡単に言うと「計画妊娠」も「未婚の母」も男が作った言葉だったんだなーってことですね。「未婚の母」って結局どっかに「結婚出来なくて可哀そう」って意味が隠れてるわけでしょ。男が結婚してれば未婚の母にはならないわけだからさ。つまり男の側ってこの言葉を「たとえ結婚出来なくてもあなたの子どもが欲しいの!」と言ったりした女、ってニュアンスで使うわけよ。これに気づいてからハハーンと「計画妊娠」のナゾも解けた。つまりこの言葉を発明したやつは、あたしが相手と結婚したくて妊娠したと思ってるわけだ。だからこの後に「未婚の母となることを決意」的な内容が続いてたのだわ。あーあ。言いたかないけど「まったく男って……」とぼやきたくもなるよ、こういうときは。  確かに妊娠したい、と思ったときは相手のこと好きだったよ。でも男と女でも、そして夫婦でも、その上たとえ親子でも、相手との関係は、それをはぐくむ気持ちと努力がある人とだけ続くものでしょう、違う? 私はそう思ってる、簡単なことだよ。それに子どもを作るってことは、結婚するとかしないとか、そんなこととは基本的に関係ないことだ、とも最初から思っていた。まあこれは私の育ってきた過程に深く関係していることだから、ほかの人がそう思ってなくたって構わない。それに、私にはその時点でかなりの生活力があったわけだから、そういう条件のない女性には、思えと言っても無理だろうし、そういう女と本気でつきあったことのない男性にそれを想像してみいと言っても出来ないに違いない。でもとにかく私の妊娠には婚姻関係は必要なかったんだよ。というか、必要ない相手はいないかと探してさえいたくらい。一応礼儀として既婚者ではないその相手に結婚申し込んだけどね……断られたから、そうですかと申し込みは引っ込めた。実母が二十数年間もある男の妾をやっていた反動だと思うが、私は男にだけはあきらめが良い。しかしその後相手からはだまされたの何だの、さんざん悪口を言われた。私にしてみれば、どうしてこうなるの? ってことばっか言われてたが、噂話ってのは結局、信じたい人が信じるもの。あたしのこと知らない人が知らないところで勝手なこと言ってたってあたし本体が変わるわけじゃないですからねえ。いいんです。だれにだって信じたいことを信じる権利はある。  さて私には十年もつきあって一緒に住んでまでいる別の男がいたので、よけいに「おまえというやつは」と言われちゃったわけですが、彼とは仲が良すぎて信頼しあい過ぎてマズイ、というとこまで行ってて私としてはこれはイカンと思っていたわけです。というのもあえて客観的に言うならば、私があまりにも男ぐせと酒ぐせが悪く家庭的でないから、彼が気の毒になったんですねえ。私にはもともと貞操観念というものが頭にない。自分の体が誰かの物になったりするってのがいやなんです。まあ理解しづらいでしょうが。してくれなくてもいいよ、してくれる人少ないから(開き直ってどうする)。でまあ、彼には家庭的な別の女と結婚して欲しくなったんですよ。一般的な言い方すっと、可哀想だから。私も彼とは仲が良すぎて子どもがつくれないのではという恐さもあったし。そんでつくれそうな人とつくっちまったわけなんですよ。 未婚の母はもう飽きた  と書くと殊勝だがほんとはただ、もうこれは一生「いわゆるふつうの奥さん」にはなれない、そんな自分を知っただけとも言う。今さらそういう形に教育されるのはまっぴらなくらい、たまたま生活力がついてしまっていたしね。  で、彼にはすぐ「他の男の子を妊娠したから別れて」って言った。会社もバンドも終わりだ、お金は全部あげるよと言ったら、怒られた。「会社もバンドもあんたの子どもなんだから、どっちか駄目にしちゃいけない」。わたしゃ説得したんですよ、恥かくのはあんたなんだから別れようよって。でも「相手と結婚の予定がないんなら自分と入籍して自分の子と言って産みな」まで言われちゃって。信じられない? いいよ、信じなくても。私は「やだよ、それじゃ嘘だもん。自分のしたことをなかったことにするなんて性に合わない」などとがんばったが、結局彼はそのまま私から離れなかった。なのでこのたび、再婚しました。子どもの認知ってのは、本来子ども本人の権利なんだそうで、母親がするのは代行という形なんだそうだ。だから、子どものほうは本人が大きくなってから、あんたをおとうさんにするかどうか決めさせるのがほんとらしいよと言ったんだけど、「それまで育ててるオレの立場が淋しい」と言うので、それもそうかと思って認知させてやりました。浮気して子どもまでつくっといて、「認知させてやった」なんていばってんのはおまえくらいだ! と言われます。でもまあ、最初から彼が嫌いでやったことじゃないですから。私のそばにいたい人がそばにいる、これが自然の形じゃないでしょうか。それから一応「あたし悪いけど結婚しても男ぐせ悪いよ」って断わっときました。そしたら「知ってるよ」って言われた。結婚したら貞操を守るべきだと思いすぎてこうなったとも言えるわけだし。あたしって結構真面目だよなあ。え? いいかげんにしろ? よく言われます。もう慣れたよ。まあとにかくあの「未婚の母」っちゅうだっせえ呼び方されないで済むことだけは嬉しいなっと。  しかしいろいろと勉強になりました。遅いよバカ、と言われるけど、こんなもんですよもの書きなんて。普通じゃない落差が差別性となり、商売として成り立つわけですから。結果論だけどね。だから普通の奥さんの振りなんてしないし、普通の奥さんや娘さんは私のまねしようなんて思わないよーに。たまにいるんだ、真似したがるのが。 母になった覚えなんてない  本作品とはまるで関係ないわたくしごとばっかり書きましたが、そんなこととは今のところ関係なく子どもは育っていきます。私は子どもを産みたかったということだけが動機で産んだ自分のことも、その子どもを喜んで育ててる夫とその親兄弟のこともけっこう誇りに思っているのよ。なるべく生き物だということを忘れずに暮らしたいもんだと思ってるからさ。ケダモノと呼ばれてますけど。二人目つくってると言うと「誰と?」って言われますけど。でもそんなケダモノの私でも驚いたのは「異性の赤んぼの性器を舐めた」って話。ガーン、だった。でも話してる人々はみんな明るいので、私も「ひえええ」と思いつつ顔には出せなかった。そういう人は「実は赤んぼのころおまえのあそこも舐めたんだよ」と異性の親に言われても「そうなんだ、やっぱり親子だねえ」って笑えるんだろうな。私には理解できないが、まあ人んちのことはいいや。夫に「ねえこいつのおちんちん見て、パクンてやっちゃう人の気持ちわかる?」と聞いてみたら「腹へってるときなら少しわかる」と言われた……さすが私と結婚するだけあるな。しかし育児ってのはとてもエロチックなもので、おっぱいを吸わせたり下の世話をしたり、日本の場合は一緒に風呂に入ったり(よその国ではしないどころか、場合によっては性的虐待になることもあるらしい)と、セックスのすぐ隣をうろうろしているような行為である。予定表どおり、目盛りではかったような育児をしたがる人もいるが、生き物だからそうはいかない。ほんと、ぎりぎりなんだよねえ。いろいろとおぼれちゃうのもわからないではないんだよねえ。たとえば泣いた顔が見たくていじめちゃうとかってのは、生まれたときに戻したい行為なんじゃないかとかさ。生まれたときのあの「窮屈だったよう」という迷惑そうな泣き顔。あれが最初だから、泣き顔ってけっこうクるんですよ。だからだんだん子どもとの一体感がなくなっていくと感じてそれが淋しすぎる人はいじめちゃうのかも知れない。育児する側もほんとは中身子どもですからねえ。そうそう、「未婚の母」という言葉がいやなもひとつの理由は、「母」という言葉のほうにもある。私は自分のことを「母」と言うのが好きじゃない。「母」ってのは子どもが言うことだ。子どもにとっては私は母かもしれんが、私にとっては私は私だ。子どもを産み育てるのは大変面白いのでもっとやりたいが、子どもを持ったからと言って私はどこも変わってない。母子イメージを美談がましく押しつけてくる人にはほんとに迷惑してるので、最近取材とかほとんど断わってるの。なのでまあ、あえてこの文章を書いたというわけなんですよ。 * この話も……いや、キリがないのでやめときましょう。文庫化の際のあとがきとかで訂正したからもういいや。四巻目も出るし。四巻目にもあとがき付けようっと。  愛のせいかしら なかがき  夏木マリの名曲「夏のせいかしら」が大好きだった。 「このままだと恋をしそう  夏のせいかしら」  という歌詞が、いかにも運命に翻弄されたい女性って感じで、とてもいい。  ほかにも、「お手やわらかに」「夏の夜明けは悲しいの」など、夏木マリに名曲は多い。この短編集を作るにあたって、「夏木マリベスト・ヒッツ」全十六曲を買ってきてもらった。夏木マリの歌う女は、デザイアーで、パッショネートで、バーニンで、好きだ。カラオケの選曲にいつも困る私は、「あー、夏のせいかしらがあったらなー」と思いつつ、「六本木心中」と「帰ってこいよ」と「お手やわらかに」ばっかし歌っている。でも最近は「帰ってこいよ」は止めた、あれやると演歌の人と間違われて、やだ。代わりに「時の流れに身をまかせ」が好きになった。でもやっぱし「歌いたいのにない曲」ベスト1は「夏のせいかしら」だ。(2位は美空ひばりの「俥屋さん」) 「助けがいるような不思議な気持ちで  ラストのダンスを踊れば  真夏の夜空に降るよな星影  今夜は特別」  これは「夏のせいかしら」のサビ。男の腕に飛び込んでしまう一歩手前の女心をこれほど的確に表現している歌詞が他にあるだろうか(作詞は安井かずみさん)。いったいなんで夏ってのはこう、頭をぼーっとさせるキイワードなんでしょうかね。 「夏」を「愛」に変えたのは、私は夏生まれで、もともとが「ぼー」なので、特に夏にそそのかされるほうではないのと、人間、恋愛などでぼけているときはいろんなことをするもんだと痛感する今日このごろであるからです。  しかしまあ、そういうことのモトがどんどんとれていくのがこの商売だったりして。あたしなんてさ、この商売にありついてなければエライことですよ。ただの、社会性のない馬鹿よ、馬鹿。  漫画や文章をかいたり、バンドをやっていることももちろん含めて、私は人を退屈させないことしかとりえのない人間だと最近つくづく思うわ。娯楽として上質かどうかは受け取る側の趣味によるだろうが、私に特殊技能があるとしたらきっとそれオンリーであろう。人に安らぎを与えたりは、決して出来ないキャラクター。私の周りの人はこんな私を見守っていてくれるので本当にエライ。内心きっとあきれているとは思うが、とにかくエライ。そんな人々のご協力を得て、またこんな嬉しい本が出来たわけです。  まず、二本の合作に意欲的に取り組んでくれた朝倉世界一くん有難う。私が浅草に引っ越してくる前はご近所のよしみで、いろいろ遊んでくれました。最近朝倉くんは会う度におとなっぽくなってて、びっくりしてますよ、あたしゃ。  快く装丁を引き受けてくれた高城カントク、有難う。ドラマに役者として呼んでもらったときも楽しかった。いい現場でした。また呼んでね。  高城さんに頼もう、というのを思いついた大久保マネージャーもエライ。大久保マネージャーは私の財布と理性を十年間も担当してきたタイヘンな人物で、故に彼がいないときの私はただのケダモノなのでみなさん気をつけましょう。(*と当時は思っていました。)  そして解説を書いてくだすった伸坊さん、いつもいろいろすいません。今回は同時に集英社の単行本「けだるい夜に」の装丁までお願いしてて。その上こっちの描き下ろしを私がもたもたやってたせいで、そっちはとっくに出てしまった。でもとても評判いいです。有難うございました。  エーン(AND)何と言っても病を省みずこの本作りに身を粉にしてくれた青林堂の手塚さんに心からお礼を言いたい。ここ数年になってやっと同性の友人が増えだして喜んでいる私だが、彼女もそんな大切な友人の一人だ。今回はほんとに、仕事の相手という立場を越えたところまですっかりお世話になってしまった。感謝します。シアワセになろーね。  ほかにも、この本を作っているときの私はなんだかとてもとっちらかっていて、いろんな人の助けがムヤミと必要だった。この場を借りて友人水島裕子、広田レオナ、目白花子、吉本ばなな、とがしやすたか(順不同、敬称略、それに、ほんとはもっともっといる)にお礼を言いたいと思います。  そんなわけで、この本はみんなの「愛のせい」でできた。ほんとは「……のせい」ってのはちょっとすねた言い方で、喜ばしいことであるなら「……のおかげ」とするべきなのだが、私はそのズレになにがしかの色気を勝手に感じているの。あまりに望んでいたことだったりすると、恥ずかし過ぎて、素直になれないときだってあるでしょ。  これからも私はきっといっぱいバカなことをして、そこらじゅうの人を困らせたり、笑わせたりしながらじたばたしていくんだろうな。そのぶん、いっぱい仕事だけはして死のう。うん、そうしよう。あーなんてナルシスティックなナカガキであろうか。ま、自分の本だからいいか。 出産間近のある日に 内田春菊 * この頃初めてのお産の直前なのに、子どもを作った相手から全身全霊をかけて攻撃されてました。しんどかった。何度も言うけど現在は文春文庫になってます。  ファンダメンタル あとがき  私は、何か作品を描くと「これは内田さんの体験なんじゃありませんか」と聞かれることが多い。どんなに妄想的なことを描いても聞く人は聞く。男性を主人公にして描いても(「水物語」などは、男性の一人称で描いたもの)それを無視してまで言う人もいる。あまりに多いので、わざと素っ頓狂な作品を描いた後、「ふふふ、これならまさか体験だろうとは言われまい」と悦に入ったりしたこともあるが、やっぱり言われた(たとえば、まあ読んでない人には何のことやらわからないだろうが「アドレッセンス」や「波のまにまに」。そのほか、そんなばかなというギャグ漫画まで)。どうも私が「お話」を「作れる」人間だというのを絶対に認めたくない人ってのは結構いるらしい。別にいいけどさ……最近は、「本買ってくれるんだったら、何て思われてもいいや」だ。買って読んだこともないやつには黙っちゃいないが。  でも最近、「愛のせいかしら」という本で南伸坊さんに書いていただいた解説を読んではっと気づいた。あの嫌な質問、言い方を変えれば「リアリティがある」ってやつなのかも。それでまたまた思いだした。私の漫画を「えっちだ」「いやらしい」と顔をしかめて言う人がいて、そーですかハイハイどーもすいませんねと思っていたのだが、ある時山藤章二さんから「内田さんはベッドシーンがうまい」と言われて大感激。つまり物は言い様考え様なのだ。と同時に、やっぱシロウトってのは言葉の使い方を知らねーよな、わざわざ目の前にいる作者がヤな気持ちになる言い方をすんだから、という結論を出した私なのであった。というように物事ってのは自分の嬉しいように考えるにこしたことはなかったりして。 「ファンダメンタル」の一番大きなテーマは、「社会の中でどーとかこーとか、ということをできる限り抜きにして、人を好きになる気持ちを考えてみたい」であった。というか私は、人を好きになるときにはそうでなきゃ困るだろ? といつも思ってる。だから、お金持ちでなきゃ関わりたくないとか、有名な人だから寝たいとか、そういう人がいるらしいというのがようわからん。話としては聞いていても、知り合いにはいないし、心の淋しい気の毒な人だとしか思えない。  たとえばある仕事で有名な憧れの人と出会うとする。いくら嬉しくても、その人をひとりの人間として大切に考えることを忘れてはいけない。ひとりの人間として考えるということは、年上だの若いだの、強いだの弱いだの、貧乏だの金持ちだのというような勝手な物差しを当てて決め付けたりしないことだ。でないと愛しあえない。  私のこともどういうわけか勝手に「強い」と決め付け、何やってもこいつ強いからいいんだと思ってる人がいる。そういう人とはきっと愛しあえない。ものを描くということは、精神的には裸で歩き回るような仕事だ。そんな仕事をしながら、びくびくせずにいられるわけはない。私に限らず、作家のそういう面に気づかない人は、一生作家とは歩み寄れない。まあ、そんなもんと歩み寄りたかねえやって人もいるだろうけどね。でも私は結構待ってるよ。あなたともいつか愛しあえる時が来るのを。なんつってちょっとかっこつけ過ぎ? でもこーゆーの最近好きなんだ、わりと……最後になりましたが二冊に亘って素晴らしい装画を描いていただいた山本容子さん、装丁の坂川さん、編集にご協力いただいたオフィスマツオの斉藤さんありがとう。漫画を気に入ってくれた人はビデオドラマ「ファンダメンタル」(広田レオナ・水島裕子・桐島かれん・松尾貴史・伊佐山ひろ子・田口トモロヲ・本田理沙他豪華キャスト、脚本・演出内田春菊。全国つたやチェーンでレンタルできるよ)もよろしくね。といいつつまたひとつ年をとる。 * 現在は新潮文庫に入っていますが、解説をお願いした方のおっしゃっている事に身に覚えのない事実が多いのが謎だ……。しかし風邪で熱を出したりなさってる時にお願いしてしまったらしいので、もうろうとしてらしたのかもしれない。悪い事をした。  ファンダメンタル 文庫あとがき  その後また三つ歳をとり、三十七歳になりましたとさ。で、今妊娠八ヵ月。この文庫が出る三月に子どものほうもリリース予定なのだった(最近エッセイを書かない代わりに、こういう所で近況その他をサービスしてます)。さてその後のファンダメンタル。ビデオの方はサンプル扱いになっているらしく、投げ売りされているのを見たとか、偶然借りれたとか聞いた……でも戸川純ちゃんが見てくれてたのは嬉しかったな。この間見返してたら、監督がバブリー夜逃げ、演出補佐が私というひどい条件なのに、役者さんたちはみなチャーミングなのを改めて実感。みなさんその節はほんとにすいませんでした。私も心を入れ替えて最近は監督の真似事はやめ、東京乾電池所属役者として修業し直してます。役者の仕事をやればやるほどこの時の恩が身に染みる私よ。  さてもうひとつのファンダメンタル。精神的なほうね。単行本あとがきで書いたように、社会的なことを抜きにし、一個の生き物として人を愛したいという考えは変わってないのだが、この三年で「まあでも完全に社会と切り離して愛するってことも不可能なのね」という考えになってきた。人からどう見えるかばかりを気にして振る舞うのはあほらしい。でも、まったくそれを無視して生活しようとするとやっぱしややこしいことになるようだ。特に書いたり歌ったり芝居したりのような仕事をしてると、無邪気なだけではやってけない。スキャンダルとかもね、きっと必要なんだよ。ある種の人々(まああんましつきあいたくない人々ではあるが)を見ているとしみじみそうなんだろうなあと思う。  でもね、たとえば自分が生身で好かれたいと思ってる人からさ、「あっこの人、私の気持ちよりも私が週刊誌などでどう扱われるかのほうに関心があるんだな」というのがわかる発言を聞いてしまったときの失望ったらないよ。ほんとにがっかり、でも多い。悲しんでばかりいられないほど、人ってそういうことを必要としてるんだなと考え直すしかない。嘆いてもしょうがないから、現実をちゃんと把握して、人生を面白くする方向へ考えようと思います、少しずつね。頭悪いから、少しずつ。  最後になりましたがまたまたBENササキに感謝。そして文庫のために新しく絵を描いてくださった山本容子おねえさま、ほんとに有難う。漫画の文庫はどうも気が進まなくてなかなか出せなかったんだけど、(まだ「アドレッセンス」〈集英社刊〉と二冊だけ)小さくてもこんなに素敵なお洋服を着せていただけるのならバービーみたいで嬉しいな。そして解説を受けて下さった日高先生、風邪で高熱を出しながら書いていただいたとかでほんとにほんとにありがとうございました。無理言ってすいません。それに、なんか私ってば、あのハンサムな先生に結婚の相談までしていたなんて。子どもですねえ、甘えてたんだと思います。おわびにと言ってはなんですが、四月にアベックスのCDが出るんですよ、SFC音楽出版ってとこから。出たらすぐにお送りしますから、毛嫌いしないで聞いてくださいな。ラブソングばっかりですからね、今度こそ全て先生に捧げますわ。 * なーんだちゃんと文庫あとがきも入ってるじゃん。日高先生はその後筒井康隆師匠の断筆解除&ドゥ マゴ賞受賞お祝いパーティーでお会いした時、「かわいい子どもが二人もいていいねえ。僕も何か協力できるといいんだけどねえ」と私の体をなでまわしながらおっしゃっていたので、ああ、お元気だし怒ってらっしゃらないわと安心したのでした。  ブキミな人々・編集後記  正直言って私は活字の作品にそれほど詳しくない。なので、アンソロジーの選者をやりませんかという話をもらったとき、まず思ったことは「あたしがそんなえらそーなことやっちゃっていいのオ?」だった。漫画ならまだ、なんとかする自信はあったんだけどさ……。だけど、依頼者Sは敢然と言った。 「大丈夫です。ワタクシがお手伝いいたしますから」  そして、ホントにほとんど一人で働いた。私はサクサク働く彼の横でただ、 「あれが面白かったからもう一度読みたーい」  だの、 「この人好き好き。何か入れてー」  だのと言っていただけ。なので、編者とか選者とか言うより、ディレクターだかコメンテーターだかって感じの無責任さだ。なんて言うと本職のディレクターやコメンテーターに悪いね。  でもまあ、とても面白い本になったので、ただただ嬉しい。もう死んじゃってて会えない作家もいるが、お会いしたことのある人もない人も、なんだか自分ちに遊びに来てもらったような嬉しさだ。ページ数やその他いろんなことで、遊びに来ていただけなかった人もいて残念だけど、まあそんなこともあるのがシゴトというものだ。  ブキミとかたかなで書くと、まず思いだすのは吾妻ひでおさんの漫画のキャラクター、「ブキミくん」。この「ブキミくん」はいつも学生服を着ていて、マスクをかけている。学帽を深く被っているせいか目が片方しか描かれていないが、その目つきはいつも虚ろで、表情はほとんど読めない。漫画の中では、薄暗いシーンになると部屋の隅でそっとろうそくを灯していたり、人が油断しているとき、ふと見るとすぐ後ろにやってきてたりする。ほとんどしゃべるシーンはないが、ときどきその奇妙な顔つきのまま、他のキャラクターに付き合って何かに扮装したり走り回ったりするのがおかしい。でもまあ、かたかなで書くと言葉の意味ってのは微妙な逃げ方をするよね。エクトプラズムが鼻からぷーと出てるときの人間みたいなって、どういう表現なんだそれは。  いろんな時代の話があるので、それぞれのブキミが出てくるのもいいと思う。「目羅博士」が五十歳そこそこで「老人」と言われているかと思うと「冴子」の主人公は六十三歳でじいさんよばわりはたまらんと怒る。「ニセ学生」のように学生運動の頃の話もあるし、「虱」なんかはもう想像しただけでも「かんべんしてー」って感じだ。でもあたしは虱、見たことあるぞ。「YAH!」は、時代としてはだいぶ前のはずなのに、今でも違和感がないのがすごい。筒井さんのこういう話は、異常なキャラクターに振り回される人々がだんだんそれに慣れていって、ぼんやりしてきて諦めの境地に達する描写が何よりも恐ろしい。「おかしな人」と「硝子戸の中」はちょうど同じようなテーマで、時代や文体の違いが楽しめるのがいいかも知れない。  今読み返してて、「真実の焼きうどん」と「冴子」ってなんか共通点があるなあと思った。人間って、思い込みが強すぎると「ブキミ」に近づくのかしら。ということは、あたし自身、結構思い込みの強いほうだから、他人から見たらブキミな人間なのかもな。ヘビとかカエルとか飼ってるし。ヘビ飼ってるって言っただけで後ずさりする人いるもんなあ。特にここ数ヵ月は妊婦をやっているため、ヘビには生きたネズミをあげてんですよーとかいう話をすると、胎教を心配してくれる人とかいてさ……うーむ。頭ではなんとなく、わかるんだけどね。  とにかく私にとってとても楽しい仕事でした。くせになりそう。ったって、またこんな依頼が来るかどうかわかんないけどね。作家のみなさん担当のラブリーBEN.S、有難う。こないだ筒井さんが私の作品をピックアップして下すった「人間みな病気」のアンサーブックみたいになったと、勝手に思って喜んでいます。いやしかし、コドモより先にこの編集後記の原稿が出せてよかったよかった。  困ったちゃん 文庫あとがき  もうこれを出してから六年も経ってる。早いなあ。よくこんな本がマガジンハウスから出たとしみじみ思う。これに対談が十本も入ってたんですからさ。今回は対談をはずした形で文庫になったが、それはマガジンハウスと取り合いをして半分にちぎれたからだ。なんちて嘘だけど。  最近はもういいや、この本は売れない運命だったのよと再版や改訂版を完全にあきらめていた。「買えないよー」と言ってくれる人がいたので何度かよその出版社に相談してたんだけど、分厚すぎるため文庫は無理と言われたり、かなり手を入れないとダメで、迷ってたりした。そのうちすっかり困ったちゃんの人口が増えてしまい、なんだかわざわざ話題にすることでもなくなってしまった。  私も再婚と同時に専務だった夫に事務所の社長の役を代わってもらったしね。辞めてますますよくわかったけど、私、社長、ぜんぜん向いてない。やってるときも何もしてなかったしな……。「シャチョーなの」って言うと笑いが取れるくらいで。しいて言えば向いてないのに社長してたせいで悩まなくてもいいことで悩んでこの本を出したということでしょうか。  でもまあこの頃は真面目に考えてたんですね、これでも。今? 今は興味ない。というかだいぶ馴《な》れた。子どもを持ったらわかったが、よその家庭で二十年以上も育ってきたもんが今さらちょっと言ったくらいで変わるわけない。取材のたぐいは、受けなくなった。エッセイも書いてないしコメンテーターもやめた。もともと大した意見もないしね、私。めんどくさくなっちゃって。ほんとに好きな人のことしか考えていたくないじゃん、容量の小さい頭なんだから。  だから、よけてしまった対談のことがほんとは気になってたんだけどね。えーと、今んとこ、呉智英さんとの対談だけが「賢者の誘惑」に使っていただいてます。まーそのうちマガジンハウスが対談編を出してくれるでしょうホホホホ。石関さんこないだライブ来てくれて有り難う。頭だいじにしてね。くもまっかなんて大阪弁みたいな名前の病気で死んじゃやだよ。旧姓原田さんお元気ですか? NYではいろいろ教えてくれてありがとね。  さてもう私がすっかり投げてしまってたこの本を一人で構成しなおして文庫にしたってんだから担当BEN・ササキはエライ。あれ? BENちゃんこないだまでF文庫作ってたんじゃなかったっけ。あれまあ。この仕事も永くやってるといろいろ不思議なことが起こるものだわねえ。というかやっぱし仕事って人だよね。とキレイにオチたところで、どーもありやとーござんした。テケテンテンテンテン(太鼓、大久保忠淳)。 * 最近この本の中に書いた人が監督になって、私がその映画に出るというすごい体験がありました。新潮文庫の次回再版の際に加筆しようと思ってます。  春菊あとがき  本書は改訂版です。新しいのはデザインと、あとがきと、おまけに入れた「右脳の恋人」(これは以前エッセイ集「見守ってやってください」に入れてて、文庫になるとき、取ってしまったもの)。「春菊」は私にとって初めての単行本だったのでここはひとつ、今でしか読めないあとがきをサービスしたいところ。  もとの「春菊」では、久住昌之氏のすすめで、家出してから漫画家になるまでの簡単なあらすじをあとがきに書いた。ほんの少しだけど地べたで寝てた、とかね。彼が「ああいうの面白いからさ」というので言われるままに書いた。 「春菊」が出たらインタビューの依頼などが増えたので、なるほど本が出たらこうなるのね、やはり私の描いた漫画は面白いんだわエヘンと悦に入ってたんだけど、なんだかどうも様子がおかしい。みんな、生い立ちのことばかり聞いて、漫画の内容にはあまり触れてくれない。たまにあるとこれがほとんどセックスのこと。  まあそんなもんかもしれないなとあまり深くも考えず、ホステスはかなり永くやってたとか、公園で寝てるとアベックがいてねとか、漫画より歌で金もらったほうが先だとか、セックスは日常の一部だしー男好きだしーなどと何度も何度も同じことをしゃべって過ごした。  そして月日は経ち、デビューして9年。いくら天性の大ぼけとはいえ、さすがの私もあのころの自分は「珍しかった」のだ、ということを知る。え? 遅い? 私もそう思う。でも、自分自身のことってそんなもんじゃないのかな。まわりが私のことを珍しいと言うから、そんなもんかなーくらいにしか思ってない、今でも。  自分は人と比べてどうかってことにあんまし関心がなくても漫画描くのにゃ関係ないやと思っていたのだが、今回この本を読み返したらそうとばかりも言えないのに気づいた。この本の中の漫画を描いた頃の私は、あきらかに「街を歩いててナンパやその他にやたら声を掛けられるのは私だけでなく、女はみんなそうだろう」と思い込んでいる。  私が自分の声掛けられ体質を知ったのは「もんもんシティ」という書き下ろしの本の打ち合わせを村上知彦さんらとしているときだった。最初は風俗ルポエッセイだけで構成するつもりだったのがページが足りないので、関連する何かを入れようと考えて話をしているうちに、「そんなにもそんな経験をしているんですか」と言われて初めてそうでもない人もいることを知った。それどころか最近、逆の悩み(自分だけ声を掛けてもらえない)のある人もいることまで。長生きはするもんだ……。  声掛けられ体質にもだいぶ慣れたし、場数の多いぶん対処のしかた(たぶん私にしか役に立たないハウツー)もわかってきた。ついでにこの体質は外国人にも効いてることもわかってきた(国内でもよくあるが、外国にいても同じみたい)。それでも息子(生後5ヵ月の乳児)を連れているとき、ぜんぜん知らないおとっつぁんが私の肩をたたいて現われ、息子に向かって「おとうさんだよー、なんてな。違うか。はっはっは」とか言うとさすがに驚く。今はこうやって書けばもとが取れるからいいようなものの、昔はこういうことがあるたんびに「何で知りもしない人からいきなり……私がいったいあんたに何をした?」とヤな思いをしては、それを解消したくて人に話を聞いてもらっていたわけ。だからそんなとき「あーらいいじゃないの、そんなことがなくなったら人間おしまいよ」と言われるのがすごくいやだった。「そんなこと」がなくなったらどんなに楽だろう!  でもそういう人にそれ言っても絶対ダメ。今はわかるけど、こういう人ってその手の話を自慢だと思い込んでるからさ。そして私は「あー、この人に話をした私がバカだった」と心から後悔するのだった。  と、そういうわけで、この漫画の中で声の掛かるシーンは全部私の経験。自分と同じ体質の人にしかわからないことを、みんなもそうでしょーみたいに描いてしまっていたらしい。でもなあ、しつこい様だがほんとにそうなのかなあ。私の女の友人は私と似た体質が多いので、ほんと言うとどーも半信半疑だ、声掛けられない女もいるってのが。まあいいや。何事も経験。それにしても今思えば「もんもんシティ」の「街で声掛けてくる人エッセイの部」に統一教会関係らしい人のなんと多いことか。ここんところ統一教会の悪口ばっかやってるワイドショーもある。「ヘンな宗教」と何度も言ってさ。そういう言い方するなら、宗教なんてみんなヘンだ。わざわざ宗教という形を取らなくても、私を含めてみんな、それぞれにヘンなことを信じたり思い込んだりして暮らしてるもんだわ。とはいうものの最近、漫画家も宗教やる人、増えたなあ。 * これも文春文庫に入りました。さっきも言ったか。  家庭ものはもうたぶん書かない  私にとって「家庭」の形を好み、それらしく振る舞おうとする人はナゾの存在だ。自分がもともとそういうのの壊れたとこで育ったからかも知れないが、「家族を守る」とか言われると、守るって何だ? とか思っちゃう。わざわざ言葉で自分を奮起させなきゃいけないんだろうか……。 「内田さんて家事するの?」 「しないよ」  だって「しないはず」ってニュアンスで言ってんのわかるんだもん、そういう聞き方する人には「やっぱりね」と思われてるほうが面白いじゃん。私は、それらしく見せるとかより、一緒にいたい人のそばにだけいて、したいことだけしてたい。というわけで、たぶんもう書かないであろう家庭ものとエッセイものを集めてみました。ぶんか社角谷、協力ミヤモリ、デザインの青木さん、そして光恵ちゃんと武田くんとテレ朝のコータロー、他関係者のみなさん有難う。家庭的でない私がこんな本を出せたのもみなさんのおかげよ。しかし最近知ったけど、世の中には「あたしって家庭的なのお」ってので男を釣ろうとする女ってほんとにいるんだね。可哀想に。よっぽど他に取り柄がないんだろうな。 * 三回目の結婚をした今ならわかるけど、この前まで私は「家庭」を作りたくなかったみたいです。長くなるので理由ははぶく。  私の部屋に水がある理由《わけ》 文庫あとがき  文庫ってのはだいたい内容が古いです。  これらのエッセイは全部、初めての小説「ファザーファッカー」を出す前のもの。あれを出してからというもの、私の周りの状況もずいぶん変わっちゃいました。年とって丸くなってどうでもよくなってしまったこともあれば、前より気になるようになったこともあります。なのでちょっと気づいた順になんか書いてみます。こぼれることもあるかも知れないけど。  えーまず、最近は甘い酒も割と飲みます。でも、「つまみがいらないから」というビンボーくさい理由だったりする。  池は無事ふつうのが出来ました。それと、小説書き出したら「エッセイスト」は取れた。そんなものかもしれない。  テトリスは最近はマックの中に入ってる、ちょっと複雑になったやつをやってます。麻雀ゲームも同じくマック。  相変わらず男の子が大好きです。ヤマトやキッチュとは最近も電話で話、してる。たまーに、会う。ビブラもメンズ5もライブ、行ってる。それと最近、私はなんと東京乾電池オフィスにはいっちゃいました(蛭子能収さんという心強い先輩もいるし)。同時にコメンテーター類を全部やめて、役者の仕事だけにしてもらっているので、ここんとこ会う人も芝居・映像・音楽関係者ばっかし。目白花子以外の漫画家仲間とはすっかり疎遠になってしまったわ。で、一番年下の話し相手が武田真治くんとイナガキ(稲垣吾郎)。武田くんは勤勉と創意工夫の人だし、イナガキはいーかげんなやつに見えて、ああやっぱコドモの頃から働いてるだけあるなと思わせる人でもある。どっちも大切な友人です。  水明亭のナゾについては萬流界のメンバーからお手紙をいただいた。夜はうどんやさんかなんか、別の店をやってるとか……だったよな、たぶん。  相変わらず酔っぱらいです。  ベルツノは死んでしまいました。 「おとこの勘ちがい」はほんと、一生懸命書いたなあ。五倍増し(当社比)って感じで書きました。やりすぎた、って今ならわかる。「週刊文春」で連載中、横澤彪さんに「あれは辛くありませんか、大丈夫?」と気遣っていただき、感激したけど、私の周りでそんなことを見抜いたのは横澤さんだけだ。やっぱし横澤さんってすげえ。ところで「ゲー」のとこに出てくる対談相手は大竹まことさんで、Sさんは桜金造さんです(サービス)。  今も浅草です。魚もいるよ。モモンガは死んじゃいました。国内のものは飼えないきまりになってるらしいから、東南アジアのだったみたい。寒さに弱かった。私、げっし類、あまり経験なくて、可哀そうなことをしました。でもほんとう言うと、欲しいと言ったわけじゃないの。どうも担当の人がある程度取材費を遣うことになってたみたいで、けっこう「どうしても買ってあげたかった」っぽかったんですよ、言い訳になっちゃいますけどね。 「お金も愛情のうち」ってのは今では私のポリシーです。  ヘビ、元気。  やっぱし生き物は飼うに限る(男と子どもも含む)。  秋山道男はその後、映画「ファザーファッカー」を制作、養父役もやってくれました。すっかり父親。 「友情と自慰のバランス」は広告批評に載ったせいか、イトイさんとかナカハタさんにおほめをいただき、嬉しかった。  私ってやっぱし「何でもやってくれそうな顔」なんですってねえ。今後は利用して生きていこう。  最近編んだのは息子のセーターやカーディガン、靴下程度ですかねえ。あと編みぐるみとかね、小さいからすぐ出来るし。橋本治さんにはその後お会いする機会があり、このときの話を直接することができました。  ばななちゃん体の調子どう? 飲みに行きたいねー。会えなくても愛してるよ。  甘えてくる男は、今でもいる。場合によっては結構困るし腹も立つんだけど、怒ってもそういう人って治らないことが多いしねえ。どうすればいいんでしょうねえ。  事務所の社長の役は、再婚と同時に夫に代わってもらっちゃいました。もともとたいしたことしてなかったし。でもやっぱさあ、自分の子ども育てるよーになってなんとなくわかるよ。よその家庭で二十年以上も育ってきたもんを、今さらどんなに注意したってそうそう考え方なんて変わらないよね。このあたりのことが好きな人は「今月の困ったちゃん」も新潮文庫になります。CM。 「今年の風邪」をやりましたよ、今年は生まれて初めて。すごかった。インフルエンザ。  ライブもおかげさまで永く続けているだけあって、ずいぶん良い状況で出来るようになりました。まあちょっとはしたない格好でやっちゃったこともありましたがホホホ……みんな、ライブ見てから言おうね、バンドのことは!  とだらだらと書きましたがご清聴ありがとうございました。ここんとこエッセイを書いていないので、次にエッセイ集が出るのはいつのことやらわかりません。古い内容ですがよろしくね。では文春の茂木さんと田さんと湯村輝彦さん、そしてネタになってくれた友人たちに感謝しつつ、またおあいしましょう、バイバーイ。 * 全然話が古いので本気にしないように。しかしよくこんな文までいれるよな……茂木さんはすごい人だ。これも文春文庫になっています、今は。  おさかな話 エッセイ  その㈰  ここんとこ(おさかな話のマンガの下んとこ。全部の内容を知りたい人はぜひ「おさかな話」のご購入をおすすめします)のスペースが余ったので、読み返して考えたことや最近のことなどを、思いつくままに書いてみましょう。 「おさかな話」も「さかなを飼おう」も連載してたのは四年くらい前だったかな。掲載誌はどっちも「レタスクラブ」。バリバリの奥様雑誌と私とのテイストのずれを埋めるために右往左往してくれた二人の女性編集者に感謝(男が一人いたが、そいつはさぼってた)。  このたびはこの「おさかな話」と同じ時期に「水族館行こミーンズI LOVE YOU」という、書き下ろしの水族館の本もめでたく出るのであった(扶桑社刊)(*角川文庫になります。もうすぐ)。どっちも日下さんのデザインだし嬉しいな。もう一冊、今は無き「アニマ」でやったヨーロッパの動物園めぐりの本も出せるといいんですけどねえ。(*クレスト社で企画中です)(*企画は流れました)  その㈪  よく考えたら長生きなヘビ三匹だが、つい数日前、いよいよ一匹死んだかと思っちゃったよ。だって、目が白くなってて水につかりっぱなしで、ぜんぜん動かなかったんだもん。よく考えたら寝てたのかな、あれは。ヘビは脱皮の前は全身が白っぽくなるの。皮が浮いてくるんだと思う。しかし目まで白くなるってことは目の表面も脱皮するのかな。確かめたことないけど。赤いヘビ二匹はしょっちゅう卵を産んでいるが全部しぼんでしまうので、アクアポイントの利岡さんに聞いたら無精卵だろうとのこと。ということはこいつら二匹ともメスか? ガラスケースの中はしぼんだ卵だらけだ。もったいないような気もする。こんどレッドテールキャットに食べさせてみようかしら。って自分ではやんないけど。  その㈫  タライに飼ってた金魚は、近所のホラーな幼児に握り殺されてしまったの。他のエッセイに書いたから詳しくは書かないけどさ。恐かったなあ。突然話が飛ぶけど、「おさかな話」のシノノメサカタザメんとこで、コモンサカタザメのことを(ふつうの)と書いていますが、あれは私がコモンを Common だと思ってたんですね。よく考えたら小紋だよ、バカだね。突然そこだけ英語。けけけ。人のせいにするわけじゃないけど、誰も気づかなかったんだろうか。あれだけ内容チェックきびしかったのに。伏せ字にしてくれとかさ。まあいいや、それも過ぎた思い出。伏せ字のことは水族館の本のほうに書いたので併せて読んでね、とまたCMをしておこう。  その㈬ 「死んでくさります」というのは、「死んでしまって、それが腐ってしまいます」という意味で、「死にくさる」と悪口を言っているのではありません。ってそんなことを気にしてるのは私だけ? 一応「死んで」と「くさり」の間をちょっと開けてあるんだけど。だったら漢字で書きゃ良かったか。最近はもう金魚以外の生き餌はあげてないみたいです、私の事務所では。アカムシは冷凍。昆虫をあげるような種類は今はいないし、ヘビにあげてるのは冷凍のひよこ。冷凍のひよことは何か? ぐうぜん、ある郊外のペットショップで売ってるのを見つけたのだった。たぶん全部オスなんだろうと思う、五十羽固まって凍ってて、ひよこに気の毒なほど安い。これをですね、買ってきたらまず全部お湯につけて解かし、一羽一羽ばらばらにして小さなビニール袋に入れる。それを改めて専用冷凍庫に入れておくのでした。で、二週間に一度、それをヘビ一匹につき一羽を取り出してまたお湯でもどして、あげてる。なのでえさやりの日にうっかり流し台に行くと、お湯に浮いたひよこの小袋に遭遇するので私はたいへんびっくりする。だいぶ馴れたけどね……。えーとこのページはカメか。今いるのはスッポンだけかな。まだ小さいです。手のひらより小さい。そう言えばよく缶入りのスッポンスープをもらうけど、十缶のうち二缶だけ「肉入り」なんだね、あれ。知らずに肉入りを開けたときはちょっと引いた。でももう馴れてきてこないだはスッポン釜飯食べたけど。  その㈭  最近は逃げてない、ヘビもカメも。イグアナが街をうろうろしていたというニュースを少し前に聞いたが、あれは見た目はごついけどおとなしいからな。私が飼ってたのはついこないだ二匹とも死んじゃったけど、下北沢のライトスタッフという美容院に行くと、店の中に大きなイグアナがいっぱいいて面白いよ。  坂崎さんに聞いたもひとつの話に、誰かの飼ってた綺麗で珍しいトカゲがゴキブリホイホイにかかっちゃったというのもあったな。しっかりくっついてるそのトカゲを、一生懸命はがしてやっと助けたんだって。ところがそのとたん、トカゲは手から落ちて、なんと大型魚の水槽に飛び込んでしまい、その魚に喰われてしまったということです。あーあ。  その㈮  ついこないだもえらいことがありましてねえ。  事務所の模様替えをしてたら、ある社員が荷物を水槽に激突させて穴をあけてしまったんだって。そのとき私はいなかったんだけど、きっとポセイドンアドベンチャーな状況だったことでしょう。私が見たときには濡れた床に新聞紙などが沢山敷いてあってさー。  中にいたアミアカルバも急いで他の水槽に移したんだけど、結局ショックで死んでしまいました。突然環境が変わるのはこたえるんだよね。特に成魚には。これは人間も同じかも。  つい数日前、夫が新しい水槽(スティングレー)を買ってきて水を仕込んでいました。今はそこにシルバーアロワナ。  その㈯  私はやったことないけど、コンピュータの中で魚を飼うというゲームがあるじゃないすか。あれもエサあげ忘れたりすると死んだりするって、やってた人(キーボードの柴草玲ちゃん)に聞いたから、サーモスタットの故障でゆで上がったりはしないの? と聞いてみたら、玲ちゃんはそのシーンは見たことないと言っていた。  でも、あるよな実際。  私んとこでゆで上がっちゃったのは、青くて綺麗な小柄な川のロブスター。真っ赤になっちまってんでやんの。あれだけは、恐いと言うより「うまそう」だった。ちゃんと料理して食べるべきだったかもしれない。まだ飼ってて死んだものを自分で食べたことはないけど、聞くところによると結構良いらしいし。  その㉀  ここでは「オスがいなくてもどれかが性転換してオスになります」なんてナニゲに書いたりしているが、最初にこの話を聞いたとき、実はショックだった。なんでもすぐ自分に置き換えちゃうとこがあるもんだから……。私ら人間のメスも、歳をとると生理があがってヒゲが生えて来たり、女ばっかりで仕事してたり生活してると良い意味でも悪い意味でも男のようになってきたりと、そういうことがあるじゃないすか。なんか複雑な気持ちになってさ……それも、このソードテールはメスからオスにはならないってのがまた(他の魚にはそういうのもいるらしいけど)。  まあでも、人間の場合は生殖まで出来るようにはなんない。この辺が、なんかインパクトあったわけです。私にとっては。  その㈷  酸素の逃げちゃった(一度沸騰させた)水ってのは人間でも一度に二リットルだかそこら飲むと、死んじゃうとか聞いたことがあるぞ。ミネラルウォーターや水を避けて、お茶ばっかし飲んでると新陳代謝悪くなるとか……確かめたわけじゃないけど。水と言えばまた話は「おさかな話」に戻るが、クラゲ、いるいる、隅田川。あれから何度も見た、川にいっぱい浮いてるの。どうもそういう時期だか状況だかがあるようだ。こないだ(六月下旬)も浮いてた、山ほど。待てよ、山ほどって表現は適切じゃないか。海ほど!! 海のクラゲなんだろうか?  ところでクラゲって変換すると「海月」と「水母」の二つが出てくるのね。うーむ。謎の生き物だ。  その㉂  飼う話になるとどうしてもショップのことや資料のことや値段のことに触れて欲しいってことになる。あんまし好きじゃない。つまんないし……。ショップの善し悪しなんてのもねえ、最後は相性みたいなもんってあるじゃないですか。いろいろ行ってみるしかないよね。でも、たまにあるんだ、妙なノリのとこが。はやりだとか、芸能人の誰々さんが飼ってるとかで強力に勧めてきたりとか。それがきっかけになることもあるかもしれないけど、あんまりしつこくそればっかし言われると引いちゃうよね。まあ世の中は広いから、ダリが飼ってたからウサギを飼うとか、それをダリの奥さんが料理してしまったからそうしてみるとかいう人だってどこかにはいるのかもしれない。いないとは言いきれない、私は。  その㉃  可愛がりすぎて殺してしまうっつうのは、恋人どうしだったら考えようによってはエロチックでもあるが、普通殺される方はたまんないよね。少し前、雑誌で「飼ってた猫が外に出ようとしたのでドアを思いきり閉めたら、猫の首の骨が折れて死んでしまった」という話を読んだ。恐ろしい。私も、鉄のドアの中に入ろうとして右手をかけたとき、ドアを蹴られて指が挟まれたことがある。そこに指輪をしてたからまだ良かったけど、その指輪も曲がっちゃって。ペンチで形を直してもらってからしか抜けないの。後もずっと痛かったから湿布してたよ。骨にヒビとか入ってたかもしんない。でもそいつ、私を引き留めようとして思わず蹴ったって言うのよ。商売道具の手なのに。恐ろしいよもう。  その㈹  ガーパイク、ちょうど今も飼ってる。まだ一ヵ月くらいかな? 今度は二匹、水槽には彼らしか入れてない。やっぱしスペースに余裕のない飼い方ってのはよくないね。反省。共食いってほどでもないが、私も名前が春菊なので鍋をやるとたいてい同じ名前の野菜がね。それもあれは茹《ゆ》ですぎると風味や栄養価が落ちるらしいんで、だいたい最後の方に、「そろそろ春菊入れる?」などと声をかけつつ鍋に入れるでしょ。それが自分の名前でもあるところが、やっぱどうしてもまぬけ。 「広告批評」に白滝さんって男性編集者がいて、私と鍋コンビを形成していたのだが、白滝は最近くずきりに押されて春菊と出会う機会が減っているではないか。くそう。残念。何の話なんだしかし。  その㈺  馴れる魚ってほんとは興味ないの。なかには大型肉食魚まで人の手からエサを食べるようにしつける人がいるというが、私は、そういうのになんとなく傲慢《ごうまん》なものを感じる。どこにも逃げられないような状態で同居させてんだから、それだけで十分だろと思うのよ。人の手からエサを食べれば食べ残しが少ないとか、利点はあるんだろうけどさ。人に馴れてるって、そんなに嬉しいかあ? 私は、だれかれ構わずニコニコする人間だって嫌いだけどなー。自分がちゃんと好かれているんだったらともかく、こっちだってノリの合わない人に好かれようとは思わないし。まあでも私は親からパブロフの実験みたいなことをよくやられて育ったので、とくに屈辱に感じるのかもしれませんです。  その㈱  ほんとにプレコを入れとくと水槽はきれいだ。それとやっぱり磁石のコケ落としは、便利だってさ。大変ねえ魚を飼うって。ひとごとみたいに言ってるけど、世話は全部会社の人と夫がやってるから。私はスポークスマンのような広報のようなものなの。しかしもう十年近いぞ、よく続くね、感心しちゃうよ。よっぽど生き物の世話が性に合ってるんであろう、私の夫は。でなきゃ私と結婚なんかしないか。息子だって私の連れ子なのにかなりの時間面倒見てるもんな。私の周りの人の中にはもうすっかり息子は彼が一人で育ててると思いこんでる人もいて、「何もかもやっててほんとに大変だねえ」とねぎらってくれる始末だ。まあまるきり嘘でもないけど私の立場は? ないか、もともと。  その㈾  こいつただのバカでしょ。腹立ったわー。これに類することが何度かあって、ニワトリ頭の私もさすがに学習。人間は表面や容れものじゃなくて心とタマシイだ! あたりまえか。魚を飼うことだけじゃなく、どのジャンルにも当てはまる話ではあるよな。少し前から漫画家の友人が少なくなっちゃった言い訳かもしれないが。でもなんでだろう、私最近、「漫画家の内田さん」と紹介されたりするのまで抵抗あるっていう状態になっちゃってさ。何種類かの仕事をしてるからとか言うんじゃないの。肩書きってのが前よりさらに嫌いになってるみたいなんですよ。肩書きじゃなくて、話したり、何か私のしてることを見たりとかで、勝手に判断してねってのが好きよ。わがままか? そりゃそうかもしれないな。  その㈾  循環水槽とか言うんだったっけな、エサのいらない水槽。バランスが野生と同じってことなんですかね? でも水槽の中だとなんかすごく大変そうだな、試したことないけど。最近は植物あんまり入れてない。流木はあるけど。流木って、水槽に沈むのが最初は謎だった。ただの木と思うとけっこう高いから、ほんとに永いこと川に流されていた木ってことなの? 拾い賃や輸送費込みか。でもプレコはほんとにかじるよ。よーく見てると流木がやせてく。鹿や山羊が紙も食べるってとこを見ているような気持ちだ。紙でも木でも植物なんだなあってね。宮島の放し飼い鹿が段ボールまで食べてたのには見とれてしまったが、ティッシュなんかも食べるのかなあ? 段ボールの印刷インクは体に悪くないのか。  その㈲  水面近くにいる川魚は、はねる。と言うのは簡単だが、はねる理由はそれぞれなのかもしれない。アロワナの胃の中から小鳥が出てきたという話を聞くと、食べたくてはねたのかと思うし。しかし魚の胃に鳥。それだけでも生命力あるなと思いませんか。私なんかもともとそうではあったが、ここんとこ脂と獣肉がどんどんダメになってきて。昔はそれでも魚肉だったら何でもいけたんだけどさ、最近輸入魚が当たり前になってきたせいか、何だか脂の多すぎる魚、やたら出回ってない? 遠洋もんは私の出身地ではなじみがなかったので、トロとか今でも食べないんだけど、横から見てると脂すごくない? サバなんかがむつごい(四国弁でしつこい)と、悲しくなっちゃう私なんですけど(だから関サバが好き)。  その㈻  なんか強引な結論ではある。さんざん貴方もどうぞと言っといて、最後は「向いてない奴はやめろ」。漫画も小説も芝居でもこういうの、あるよなあ。またこれが、やってみないと向いてるかどうかわかんなかったりするしさ。結論を出すまでの時間だって個人差が大きいから、取り返しのつかなくなる人もいる。まあ何事もそんなものかもしれないよ。でも、生き物として生まれていながら、生き物を飼うのがやだってことはどんなことなんだろう。話を広げれば、子どもを持つのが嫌だとか。ナゾと言えばナゾだ。逆に言えば生き物のくせして他の生き物まで飼育する人間もナゾか。きりがないかもね。それぞれ自分の好きなようにするしかないんでしょうね。というわけでおしまいです。バイバーイ。 * 今は魚は飼ってません。「お魚は?」と聞かれるのもいやです。水族館は好きだけど。だから前の夫が勝手にね……長くなるのでもう省く。  ナカユビ あとがき ナカユビ  出産第一作目でスピリッツの増刊、「ほかは若手が多いからしつこくやってね」と言われたしはりきって描いたんだけど、その後スピリッツから仕事が来ないということは、もしかしてなんかまずかったのかな。私自身はこんなにすれ違った性関係の経験もないし騎乗位も好きじゃないけど、こういう人も普通にいると思ったんだが。スピリッツにしてはやり過ぎだったのかしら。 ランプ  ナカユビのちょうど一年前のスピリッツの増刊に描いたもの。こっちのほうは受けた、らしい。私は妊娠以外で生理が止まった経験はないが、わりとそういうことはあるみたい。しかしクリスマスに本当にレストランを予約したりホテルを取ったりする人たちっているのかね。私はそんなことが出来る(似合う)ほど金持ちじゃないのでよくわからない。 ロンブローゾ麻樹 「黄金バット」の悪役ナゾーが登場する時「ロンブローゾー」と言うのが気に入っていた。その後「ロンブローゾ」は有名な犯罪心理学者の名前だと知り、ますます好きになる。女性の犯罪などもいろいろと調べた人なのらしいよ。この話には私が騎乗位が嫌いなところが如実にあらわれていると言えるでしょう、なんちて。あんまり言うと本気にする人いるからな。 ふたごの猫  どういうわけかいつも短編集に入れそびれていた古い作品。どことなく中途半端だからかなあ。私にしては珍しくバンドの話だし、それなりに女の子むけのコメディのようなサスペンスのようなものにしたつもりだったんですけど……。え? なってない? こりゃまた失礼。レディスコミックがいっせいにいろんな出版社から創刊されていた頃に描きました。 苦手で可愛いキカイたち  この原稿もマックで書いてますが、いつのまにかマックは5台にも増えているというありさま(そのかわりワープロはみんな人にあげた)。いったい何に使ってるんでしょう。まあ使ってるんですけどね……。携帯電話も小さくなって前より持って歩くのに楽になりました。ビッグミニも相変わらずバッグに入ってます。写真ねえ、少しはうまくなったのかなあ。 私にとっての連休  これと次の「愛の形に思う」の2本もずいぶん古くて、今回「あっそういえばそういうのがあったな」と思い出して入れたものです。2本とも、パンチザウルス側からお題が出て描いた。今年のゴールデンウイークは何してたかなあ。同居人が猫を買ってきたので(赤んぼいるのにね)猫と赤んぼと遊んで寝て過ごしたような気がするぞ。プーの頃に比べれば優雅なもんだね。 愛の形に思う 「南くんの恋人」という漫画を描いたころから「愛してる」という言葉をだいぶ楽に使えるようになった。それまではそんな馬鹿なという感じがつきまとってて、使うのにエネルギーが必要だった。さらにここ、2、3年で「恋」という単語にも少しずつ抵抗感がなくなってきている。人間トシをとるとこうしてクサいセリフなぞもぬけぬけと言えるようになっていくのでしょうか。 加手戸さんのこと 「ナカユビ」を読んでぜひにと思いまして、と某男性誌に依頼されて描いた短編。ところが掲載誌が届いてみたら、漫画の周りに、この話の感想だとか何だかがぐるりと文章で入れてある。「いるいるこんなやつ」「こんなやつの心理はどーたらこーたら」とかさ。さらに記事の最後には私の私生活にまで触れてある始末。抗議の電話をしたかったがあとの祭りなので止めた。 夜あそびシンデレラ 「私は新寺あかね。とってもさえない高校生」で始まり、「ガクゼン」で終わる、少女漫画の原点に立ち返った作品なんちて。実際はクラブで夜遊びなんてしたこともない私。いいかげんですね。ライブに行くのは好きだけど、クラブはそんなに行きたいとは思わない。ディスコは昔よく行ったんですけどね。踊るのは好きだけどナンパされるのが嫌いなんです。 妊婦の拳は腫れ上がる  筒井康隆さんの「文芸時評」最終回を読んだら「小説におけるおれの基本的な姿勢のひとつは『人間はすべて断絶していて、他人の痛みなど絶対にわからない』というものである」という箇所があった。なんと深く、冷静なそのフレーズ。結局そういう事なんですね。妊産婦への狼藉《ろうぜき》話は多いが、なった人でないとわかんない、と。だからって、してもいいってもんじゃないけどさ。 風俗ルポ その後  とそんでまあ、妊婦のくせに相変わらずこんな仕事もやってるわけです。と言っても妊婦してたのは後半の二回だけどね。でも妊婦してたからこそ、乱交パーティーへの潜入はよけいにくたびれた。こういう取材は信頼してる担当者としかするもんじゃないなと痛感しました。しかしこの記事の担当者は当然四十男だと思ってたら二十七歳だった……業界にまだまだナゾは多い。 出産(白井のり子の場合) 「幻想の普通少女」の人気キャラ白井のり子のその後のお話。この本の制作もしてくれた小形克宏氏が担当でなければ描けなかった作品。先日彼は若手人気漫画家青木光恵ちゃんと結婚、めでたい! ぶんか社担当角谷治氏はもうすぐ妻が出産、またまためでたい! プロデューサー村上知彦氏、いつもありがとう。そしてスペシャルサンクススージー甘金氏。みなさんお疲れさまでした。 * その後いろいろと話が変わっていますのでご注意下さい。しつこいようだが、古い話をうのみにして話しかけられた経験が多いもんで……。  呪いのワンピース あとがき  本書は拡大改訂版です。最初は新書判と呼ばれる、小さなサイズで出版されていました。ほら一応少女ホラーだからさ。お小遣いで買える判にしたわけよ。あとがきだってこうよこう。 「ホラーまんがが大好きな女の子のみなさん、いかがでしたか?……中略……私は、こわいことというのは、生活の中や、そばにいるおともだちの心の中、または自分じしんの心の中に住んでいると考えています。今回はそういうお話をあつめてみました……」  しかし私の読者は少女よりどうも成人男子女子が多いのらしい。成人男子女子は「少女コミック館」シリーズの棚ではなかなか私の本を見つけられない。で、大きく見つけやすくしようということになったわけです。しかしそれがどっちも同じ出版社から出るというとこが。  朝日ソノラマえらい! 担当の松村くんありがとう。その上今回は新作「吸血少女対少女フランケン」ともども二冊同時発売だ。まとめて面倒見てくれた関根さん、毎度ドーモお世話になります。  さて、「呪いのワンピース」というタイトルをほめてくれる人もいるが、これは好美のぼる先生の同名の漫画に感動してつけたもの。ぜんぜん違う話だけどね。このシリーズは幸せもので、いろんな方たちにほめていただいた。藤子不二夫A先生のプッシュで、アニメーションにもなった。アニメはたいそう素晴らしい出来で、私はアニメというものに持っていたイメージが変わりました。A先生(こう書くと何か怪しい人みたいだ……)、その節は贅沢《ぜいたく》な経験をさせていただきありがとうございます。  しかし人が映像に作り直してくれたのを見て初めて気づいたが、「呪いのワンピース」ってなんか血も涙もない話だ。私が女の子っぽいかっこうをぜんぜんさせてもらえなかった子どもだったのと関係があるのだろうか。あるのかもしれない。自分のことっていうのは自分ではあんましよくわかんないですからねえ。  でもさあ、自分で描いといてなんだけど、ろくに口もきいたことのない男の子が、「君を結婚相手として病気のおばあちゃんに紹介したい」と突然言いだすようなシチュエーションをけっこういいとしして完全に疑わない人もいたりするところが、女の怖さっていうか。いつも陰で見てるだけの女の子のことを、いい服着ただけで好きになったり、奥さんがいるのに高価な服を訳もなく姪にプレゼントしたりするような男も同じ。そんなやつあ、いねえよ。  もともと少女むけに描いたものなので、少女のみなさんが夢をふくらませるのは構わないが、このあとがきは成人むけなので手加減しない。作家は読者をだますのが仕事。いいとしして子どもむけの作品で簡単にだまされる人って楽でいいけど、あんまり簡単だと張り合いがない。少女は「キャー」でも、大人には「んなわけねーだろ!」と突っ込みつつ、笑いながら読んで欲しいですわ。  吸血少女対少女フランケン あとがき  最近の私の仕事の上でのモットーは「ニーズに答え、何でも沢山やる」だ。朝日ソノラマの松村くんに、 「ハロウィンではまだ、フランケンシュタインだけ登場したことがないんですよ」  と言われれば、 「じゃそれ行こそれ」  漫画のお題は大喜利のよう。国民年金でもスウォッチ特集でもリサイクルでも子ども雑誌でも省エネでも化粧品でも何でも来いだ。 「ウチダさんがうらやましーい」なんてもう言わせないぞ。くやしかったら私と同じだけ働いてみろ。  つい最近まで自分はふつうだと思っていた私だが、それだとややこしいことがあまりに多いのでもう止めた。私は少数派だと言うとつじつまがあう。だって、 「別に、あたしはふつうだよ」  って言ってると、 「どうせこっちはふつう以下!」  って怒りだすやつまでいるんだもん。私は少数派です。だから私と同じことが自分にも出来るなんて思わないように。思われると迷惑です。  というようなことを言えるようになろうと思ってわざわざ書いてみた。  南くんの恋人・あとがき'93  最後の話を描いたのは二十七歳の初夏。その年の春、私は家族とけんか別れして遺言状まで書いていた。漫画家としてもきっと、何か腹のすわった時期だったのだろうと思う。「ちよみちゃんは元に戻れるのですか?」「二人は幸せになれるのですか?」「現実から逃避したくて描いてるんですか?」「これってプラトニックな恋ですよね?」などの読者の質問に、本当言うと少し飽き飽きもしていた。連載中私はこの作品を「小美人ポルノ」と呼んでたくらいなのに、ペニスが挿入されないというだけの理由でぬけぬけと「プラトニックな恋」などと言う人たちにもうんざりだった。これで、元に戻ってめでたしめでたしとか、いつまでも幸せに暮らしましたとかじゃあ、今まで百万回も会った話と同じじゃないか。あんたたち、そんなもんで満足なの? と腹が立ってきた。絶縁したばかりの家族もいかにもそういうのを好む人たちでさ(しかしこのへんはあくまであとから考えたこと。リアルタイムの私は、ラストを思いついてからというもの、それを描く日を思う度にひんひん泣き、そんでやっぱし最後もひんひん泣いて描いただけ。だから当時のあとがきはもっとおセンチよ)。そんでこういうラストになった。どう、興奮したでしょ? これがいいんだよ、漫画だもん。「ひどすぎる!」という怒りの手紙や、「漫画は作者よりキャラクターが生きるべきなのに、この作家はキャラを殺してまで自分が前に出ていく」という書評もあったけどね。今までの漫画と同じじゃ、つまんないじゃん。  でもしばらくは、ほんとに人ひとり殺したような気分になって、ぼーっとした。南伸坊さんに頼まれた、カバーイラストを描くのも苦痛だった。十何枚も描いたのに、南さんのOKは出ない。こりゃだめだと思った私は、南さんに「殺しちゃったという感じで脱力しちゃって、それで可愛く描けないみたいです」と手紙を書いてFAXで送った。南さんは「ラストを見たときこちらもショックだったし、そういうことだったら何とかしましょう」と言ってくださり、カバーイラストは南さんが描いて下すったものになった。でも言わなきゃ誰も南さんの絵とは気づかない、すごい。さらに私が送ったFAXを見て、その時の担当者ヤタベ氏が「こういう手書きのあとがきを入れましょう」と提案。私はあとがきは入れたくなかったんだけどね、でも結局入れて良かったみたい。それもこれも今はいい思い出。今回カラーページを描きなおしたりしたが、楽しかった。南さん手塚さん、毎度お世話になります。  まだもう少し書けるな。せっかく改訂版だから書くか。さて人ひとり殺してしまった気分の私はそれからどうしたか。ついでだからと今度は人殺しをする話をガロに連載(「サマータイム」。単行本「しあわせのゆくえ」に収録)したりして暮らしたが、どうもまだちよみを思いだすと胸が痛い。そして翌年。あるお世話になった方に、いつものように新刊を送ったら戻ってきた。テレビ局にお勤めだったので、そこへ送ってたのだが、「該当者なし」と書かれてある。ああ独立でもしたんだ、プロデューサーだったしね、と会社に電話。「この方の異動先を」教えて、と言いかけたら、交換手が「その者は四月一日付けで亡くなっております」と事務的に言うじゃあありませんか。四月一日付けでなくなってってあんた、定期券じゃないんだから……。びっくりして「お世話になった方だったんですけど」と声が震えた。すると交換手も、「そうでしたか」と沈んだ声になった。それで、まあきりがないから最初は事務的だったんだなとわかった。肝臓ガン、38歳だったそうだ。お酒はそれほど飲まない人だった。あとで思い出したが、私はその年の初めに電話をもらっている。「まあお久しぶり、お元気でした?」「うんいや、ちょっと入院してたんだ」「えっ。今は? もう大丈夫なんですか」 「うん。また近いうちに会いたいね」「会いたいですねえ」。お別れの電話だなんて夢にも思わない私は、のんきな応対をしていた。なんであの時すぐにでも会いに行かなかったんだろう。私がホステスだった頃から何かと支えてくれた大切な人だったのに。そして思った。ほんとに人が死んでしまうことに比べたら、自分で考えた話の中のことなんて!  余談だけど、その人はよくいる「やー忙しくってさー寝てないんだよ、つらくて」とか言いつつ嬉しそうな業界人と違って、「テレビの仕事は面白いからね、ついつい家に帰んなくなっちゃうんだよね、待ってる方はかわいそうで」という言い方をする人だった。で、それを理由に離婚していた。しかし、亡くなる前にその奥さんともう一度籍を入れたのらしい。そういうのが理想の結婚だと思う、私は。 * 高橋柳太郎さんのご冥福をお祈りいたします。なんだかずっと信じたくなくて、お墓もまだ見てない。私ってコドモだ。ご家族とおつきあいがなくて足踏みしてしまった。でもこんなことではいい大人としてイカンと思い、腰山一生さんが亡くなったのをあとから聞いてしまった時は、古舘伊知郎さんにお香典をお願いした。この本も文春文庫になりました。 3 解説の名を借りて  養老孟司さんへ  まずお名前が覚えやすいのが良い。育ち盛りの若者に限らず、あの有名居酒屋チェーンののれんをくぐったことがある人は少なくないはずだ。それからあの髪の毛の多さ。今でもあんなに多いんだから思春期にはさぞかし髪型に困られたことと想像される。あれだけ頭をつかってる人の髪があんなに豊かだと、薄くなってるほうは立場がない。さぞかしねたまれていることだろう。そして芸術とも言えるあの早口。人と違う時間軸で生きているかもしれないと思わせるほどだ。養老さんの脳こそが他の解剖学者に狙われているに違いない。あのローテンションの早口のまま真顔で冗談をおっしゃるので、初対面の人間はほとんど笑うきっかけを逃す(と思う)。これから養老さんと対談する予定のある人は(笑)と書いたプラカードを持っていって、これは冗談だと気づいたら急いで出すといいかもしれない。  最近、マザコンもいいものだと思うようになった。漫画の業界で言えば、あの時代に医師の資格を持ちながら漫画家を職業に選ぶことの出来た手塚治虫さんを一番支えたのはお母様ではなかったか。養老さんのお母様は開業医でいらっしゃるそうだ。お父様は養老さんが生まれたあとおなくなりになったので、他のご兄弟とは一人だけお父様が違うという。養老さんはご自分が子どものころぜんそく持ちだったことを「まあ育て方が悪いんですね」とおっしゃっていたが、息子を一人残して夫に死なれたらその息子を冷静に育てるのはかなり難しい。養老さんは一見ぶあいそだが、しばらくするとチャーミングなのがよくわかる。そのシルエットはなんとなく昔銀行でくれた貯金箱のように愛らしく、そっと抱きしめたくなる。お母様がどんなに養老さんを愛したかがオーラで出ているのだ。私は手塚治虫さんとはついにお話しする機会がなかったが、それに近い空気を出しておられたのではないかという気がする。  養老さんと対談したことを誰かれかまわず自慢していたら、頼みもしないのに養老さんのお母様の著書を送ってくれた人がいた。まだお母様の書かれた部分は読んでいないが、そこに寄せた養老さんの文章を読んで転げ回って笑ってしまった。これこそマザコンを克服した息子の書いた文章だ。子どもを産むと人生には面白いことが増える。  そしてまたもや勝手な推測だが養老さんは恋に弱いと思う。周りから見ても絶対わからないだろうが、きっとしょっちゅう恋しているはずだ。あのいつもの表情を変えないままで、たとえば大学でその相手とすれ違うと高校生みたいにどきどきしているに違いない。それから、ああなんでこんな気持ちになるんだ、これはいったい脳の中でどんなことが起こってこうなるのだと思いながら解剖したりしているのだ。きっとそうだ。でなければあんなに髪の毛が多いはずはない。だから、女性のみなさんは養老さんがどんなに冷静な顔で自分のかばんからプラスティネーションの臓物などを取り出しても、けっして無理して「素晴らしいですね」などと言わず、きゃーっと叫んで養老さんに抱きつくのが礼儀だ。みんながそうして養老さんを予定より長生きさせるべきだ。私もそうする。  私も愛人 荒木経惟全集「Aの愛人」解説  最初に撮ってもらったのは、もう12年くらい前のことだ。「2001」って雑誌があって、そのシリーズだったと思う。あれ?「微笑」だっけか? とにかく祥伝社の、今はない雑誌だ。私はカメラマンに「みっちり」撮られるのは、たぶんまだ、二、三回しか経験のない頃だったと思う。24歳か25歳くらい。  とにかく熱くて濃ーい時間だった。「よしおしまい!」の声がかかったとき、自然に全員が拍手したのを憶えてる。だけど、それは終わりのようで終わりでなかった。その後の、食事をとりながらの対談中も常に誰かが撮っているのである。写真とともに在り、写真の中にも在る。彼とその生活まるごとが作品だった。また、誰がシャッターを押しても、「その絵」をディレクションしたのは写真家なのだ、という写真の考え方。へーそういうのもありなのかー、と何もかもが驚きだったが、今思うと当然だ。私はなんて写真に対して無知だったのだろうか(今でも無知だけど)。だってその上私の都合で、大切な扉写真のトリミング変えちゃったんだもん。ものはニプレスヌード(上半身だけ)だったんだけど、その頃の仕事の都合で、肌の露出を控えなければならないという事があとになってわかったのだ。理由は書くと長くなるので省略。とにかく私の考えが甘かったわけです。私はアラキさんに電話してあやまったんだけど、アラキさんは怒ってしまった。普通はそうだ。なのにその直後、またずうずうしい私はアラキさんの撮った、水島裕子さんの写真をお借りした(彼女とはこれをきっかけに親友に)。 「使用料? ワイルドターキーでいいよ」  アラキさんにそう言われ、ある夜ワイルドターキー2本下げて、DUGの地下で行われたスライド展に行ったと思いなせえ。なぜかアラキさんは私の手を取って、 「よく来てくれた」  なんて言うのでなんか変だなと思ってスライドを見てたら、作品の中にはだけた着物から陰毛をのぞかせた私の姿が。ガーン。撮影中、下着は取っちゃってはいたが、アラキさんが一所懸命すそを直しながら撮ってくれていたため、そんなショットがあるとは夢にも思わなかった。乳首もなしにいきなり陰毛を人様の前にさらした20代の私。そしてその写真はそのまま作品集の中に。こいつは一本抜かれた私は、その後も安心してアラキさんになつくことに決めたのであった。  なので写真展やイベント、サイン会などに出かけては乱暴なやり方でなつき倒した。そして今とても反省してる。なぜか。さすがに37歳にもなり、子どもを二人産んだら、反省する程度には大人になったのだ。  私はアラキさんの繊細さや水面下の努力、緻密な気遣いなどを何一つわかっていなかった。ただただ知り合ったことにはしゃぎ、周りをうろついていただけだったのだ。 「妊娠したらお腹撮ってねー」  と言えば、 「おういいねえ。ついでに男の顔も並べて、誰の子どもでしょうってのもやるといいねえ」  と言ってくれたアラキさん。この本の中に私の写真がありますが、第一子を妊娠してすぐ撮ってくれたものです。ほんとはお腹がもっと大きくなったのも撮ってもらいたくてあちこちプレゼンしてたし、アラキさんのほうも同じくいろんな所に話してくれてた。かなりお産が近づいた頃も、アラキさんは某出版社の担当編集者に、 「春菊撮るからセッティングしてくれ」  と私の目の前で頼んでくれたのだ。そんでその人は、 「はい、わかりました」  と答えたまま、連絡をくれなかった。そして私は他の依頼の被写体になり、またアラキさんを傷つけてしまった。その出版社にとっては私の商品価値が低かったってことで、しょうがないと言えばしょうがないが、嘘をつかれたのは確かなので、そこだけは今でもあの編集者を恨んでる。そして、あれからお会いしてなかった。5年近い。月日の経つのはなんと早いのだろう。本の送りっこや、写真を遣わせていただくことなどはあったが、あの時お腹にいた息子もまだ、見せてない。ひー。なんちゅうばち当たり。こんな私がこの解説を頼まれて書かしてもらわぬわけにはいかないのだが、産後の脳味噌の肥立ちが悪くてこんな文章でまたまたすいません。え普段と変わらない? それを言っちゃ……えーと……産後、それも授乳生活中は妊娠中よりカルシウム不足で集中力がないんですう。その割には、最近こういうの依頼してくる編集者ってなんで郵便・電話・FAXだけで仕事済ますんだろーね! とか、無駄な怒りでエネルギーをますます減らしたりとかして。関係ないこと言うようだけどさ、相手の顔知らないでする仕事ってやだよ? アラキさんの担当してんならそのくらい知っときな。  まあいいや。しかしアラキさんの仕事量はあいかわらずスゲエ。人間、どんなに用心深くやっててもいろんなことがあるものだから、どこかで数打ちゃ当たるっつうことも必要なのだと思う。そうそう、たぶん恋愛もね。鈴木いずみさんもおっしゃっているように、アラキさんの写真は必ずモデルと関係しているように見える、らしい。私自身は男じゃないのでよくわからないが、昔の女をアラーキーに撮られたと言って激怒している男を見たことがある。彼の怒り様がまさにその事を象徴していたので、思いだすと面白い。しかしなぜ、そう見えるのであろう。そりゃほんとに、ってこともあるのかも知れないが、実際の撮影現場は他のスタッフや編集者などもいたりするので、そうそう毎回関係は……ねえ。そこでどしろうとの私が今さら鬼の首でも取ったように言うのであるが、ロケーションっての? それがまず、めちゃめちゃうまいのね。ここで撮らせたら、そりゃやってるでしょー! っていうふうに見える場面の設定。肉体関係のある場所として、こぎれいなホテルなどしか考えたくないという人々も世の中にはまれにいるらしいが、そういう人ほど数はこなせない仕組みにちゃんとなっているので、やっぱしそういう人には上っ面しか見えない。ところがアラキさんときたら、関係する男女はどこへ行って、どういうことをし、どう遊ぶかが全部わかってるときてる。で、わかってるだけでなく、暗黙の了解区域から、白昼の意識の下までそれらを引っ張り出せるのだ。だから、撮れてしまう。しかしそれだけでなく、モデルの接待が超うまい。撮られてるあいだじゅう口説かれてるような感じだ。そんなことがどうしたら出来るのか。たぶんほれっぽいのも才能のうちなのだ。なので当然嫉妬深くもあると思う。嫉妬ほど強いエネルギーもない。だからそれも写るのだろう。以前私は、この辺に無神経だった。天才アラーキーが嫉妬などするわけがないと勝手に思い込んでいた。が、逆なのだ。いたずら好きで、ほれっぽくて、すぐやっかむ東京の男の子なのだ。尊敬とは別のシーンで、天才アラーキーのことを私はそう思うことにした。とかなんとか言っちゃって、撮られてるほうも「なによ、あたしとかよりこの女のほうキレーに撮っちゃってさー」なんてほんとは思ったりもしてるのだった。  まあ私に書けることと言ったらこの程度です。とにかくずいぶんお会いしてないので、産んだ子どもなどもぞろぞろ連れて、そのうちまたどこかへお邪魔しようと思ってます。あ、それからプリーツプリーズの予約してきました。アラキさんの写真が着て歩けるなんて、いい世の中になったもんです。  しかし私はアラキさんの愛人としてはほんと、たちわりい方だ……。浮気ばっかりしてるし。でも、私はアラキさんを心から愛してます。ほんとです。だって愛人ですものね。ですから体だけは大事にね。愛人からのお願いよ。  群ようこさん解説  学生のときなんかに「本の雑誌」でアルバイトしてた、というマガジンハウスのサワダさんに、「これ僕が解説書かせてもらったんですよ」と群さんのエッセイをいただいたことがある私。だが群さんご本人には、まだお会いしていない。あのー、そんで今さら何なんですが、ほんとにあたしがこんなとこに書いちゃったりしていいんでしょうか。もっと早く気づくべきだったんだけど、この仕事、私の売名にはなっても、群さんにとっては災難のようなものなのでは……。もし解説を先に読んで買おうとしている人がいたら、この小説集はたいへんに面白いので、解説の出来は無視して買ってね。頼みますよ。お願いよ。  さてえーと、七つのお話があるので順に書きましょう。なんか小学生の読書感想文みたいになってきたな。まああんまし変わんないか。ひー緊張するよー。ああしかし、書かせていただくことは大変に嬉しいので、もう言い訳は止めよう。まず、「満員電車に乗る日」。そーなんですよ、いやだよねー満員電車。あれに乗らずにすむってだけで、この仕事を得たことに感謝しちゃう私。勤めるにしても、女ってなんで着るもののこと、あんなに言われなきゃなんないんだろう。自分がしたいかっこじゃなくて、男が喜ぶかっこしなきゃいけないんだよね。電話の甲高い声も、男が喜ぶんだろうか。機械って低い声をあまり拾わないから、マイクの性能が悪い頃の名残もあるのか? やっぱ違うよな、男がそーゆー転がるような声を喜ぶんだと思うな。AV女優のあえぎ声もそういうののほうが多いような気がする。統計取ったわけじゃないけど。 「シジミの寝床」。シジミ、いいなあ。可愛いですねえ。私はまだ貝を飼ったことがないんだけど、飼いたくなっちゃう。魚とか両生類、は虫類は今飼ってるんですけどね。と言うと、「えーだってえ、呼びかけても何も応えてくれないのにい、どこが可愛いのお?」とか言うやついるんだよね。ほっとけ。 「胡桃のお尻」。あたしもね、あるんですよ。十七の時。行かなかったけど、たいして親しくもないのに家に遊びにいらっしゃいとか言うから、変だなって思ってたんだ。その人もそっちの趣味だけじゃなくて新興宗教もシンクロさせてたなあ。なんかつながってんだろうか? 不思議だ。 「友だちの子供」。これ、爆笑。私の息子はまだ一歳ちょっとで、この年頃の子はよく知らないけど、これ、すごい。声出して笑いながら、笑いとは恐怖の裏返しであることよとしみじみ思った。明日はわが身。でもさー、実際子どもを持ってみても、子どものいる女性って、なんでこうなんじゃい的ナゾが多いのはなぜ? まだ私も最初の子だし一年しか知らないから、ようわかりませんが。 「爪をみがく女」。登場人物に名前がない話って好き。「まじめな人」が最後まで「まじめな人」と書かれているところなんてそのたびに笑っちゃう。三船和子、山本譲二とかは書いてあるんだもんね。「だんな様」、すごい曲ですよねえ。NHKののど自慢で聞いたことある。うーんとうなっちゃいましたよ。こういう曲があって、それをのど自慢で歌いたい人もいる、これが日本の現実だって。大げさか。それと、つい数日前に行った結婚披露宴のお仲人さんが山本譲二さんでした。これも現実だ。 「ぶー」。あーだめ、これ、困る。泣ける。あのね、無茶を言うようですが、こないだ「ひらけ! ポンキッキ(現在は『ポンキッキーズ』という番組名)」の正月特番を見てたんですよ。で、これまでの名曲、みたいなコーナーがあって、その中に「好きよゴロちゃん」って猫の歌があったの。それがのら猫でさあ、どこが魅力かっていう描写になってる、恋のときめきのような倍テンポの部分が、「足のどこそこが太い」だの「西荻生まれの」だのいううまい歌詞で、歌ってる女の子もよくて、2コーラス目まで聞いたら、もうなんだか自分が今まで飼った猫、いなくなった猫、病気で死んだ猫、交通事故で死んだ猫、生まれた猫、今飼ってる猫、などの記憶がどっと押し寄せて来て涙がだらだら流れている有り様。断乳中だったのでホルモンバランスが崩れていたのかもしれないが……。とにかくもしも機会があったら聞いてみて下さい。 「おかめ日記」。また歌の話になってしまう。歌の話をして解説に代えるなんて、こんなのありか? でもほんとに聞こえてくるようなんだもん、憂歌団の「おそうじオバチャン」。これ、もとは笑福亭(でいいのかな?)仁鶴(ってのもこれでいいのかな? ってこれじゃなんのために書いてる人名だかわかりゃしないな)さんの歌だという説もあるが、悪いけどそっちは聞いたことがないので、しつこいけどこれももし機会があったら聞いてみて下さい。憂歌団のやつね。「わたしゃビルのおそうじオバチャン」という歌詞から始まって、「一日働いて二千円」というサビのシャウトが魂にしみる。オバチャンは毎日ビルのトイレをお掃除しているのだが、「こんなあたしも夢が」あって、それは「可愛いパンティーはいてみたい」なのだった。わたくし事で恐縮だが、それも、なんだと? これまでほとんどわたくし事じゃねえかって感じではあるが、漫画家としてのデビューが当時としては大変遅かった私は、デビュー前この曲を聞きながら、「私もこのまま年とったらこのオバチャンのように元気にビルの掃除をしよう」と思っていたのだった。とここまで書いてやっと気づいた。群さんの描く人物のかっこよさは、そのいさぎよい姿勢にあるのではないかしら。いさぎよくない女ってのはさー、たいしたことも出来ないくせに何にでもなれる気でいてさ、そんで男からの評価が下がりそうなことをする勇気(?)もないのに欲だけあるやつ。あの、「えークリスマス前なのに彼と別れんのー、せめてプレゼントもらってからにすればいいのにー」とか言うような女。なにが「せめて」じゃい! って言ってもこれ、ドラマかなんかで聞いたせりふだけどね。 「私はこういう人間、だからただこういう人間なりの平凡の中で生きさせて欲しい」と考える女は美しい。言っとくけどあたしだって、自分に都合のいいとこだけ見て人のこと羨ましがったり、結婚イコール「これで仕事しなくてすむー」のあとでヒマになって「えーずるーいあたしにも仕事ー」とか言ってる女はもちろん大っ嫌い。そんなやつらには群さんと一緒に平凡パーンチ! を一発お見舞いしてやりたいところなのだった。  母と産婦のちがい やまだ紫さんのこと  突然だが私が十一月に産んだ息子は小さい。産まれたとき二五五八グラムだった。なので今でも少し赤んぼとして小柄である。そんで、何が言いたいかというと、十二月にやまださんが私の事務所にいらして、息子を抱かれたとき、私は、 「おう、ちょうどいいではないか」  と思ったのだった。  と、それくらいやまださんは小さい。  なんつーの、なんかこう、折れてしまいそうな……って感じなのね。小柄な上にまだ産まれて一ヵ月たってない息子が、フツーの赤んぼに見える。フツーの赤んぼって何だ。私は自分が産むまで新生児と言うもんを見たことなかったので、赤んぼというとどうも五、六ヵ月から一年たった大きさで考えていて、まあやまださんが抱くとそれくらいに見えてしまうというわけだ。ややこしいねどうも。ところが! やまださんの娘さん、もう成人なさると言うではないか。えーっ、あの、紙の人形に「もっこりぎこり」とかいう名前付けて遊んでたあの? って信じらんないよねー。てなわけで、子育てを始めた私と終えたやまださん、というやつで書いてね、と依頼された私なのであった。  これまでのあらすじをやってどうすんだ。  子育てねえ。そういえばやまださんの作品はそのあたりにもオモムキが深い。でもあくまで、こどもがこどもとして活動し始めてからの話であって、赤んぼの話ってわけじゃない。今んとこ私にとって赤んぼってのは、泣くくらいしか訴え方を知らないから何が望みなのかわかんねえやという戸惑いはあるが、それほど手のかかるものではない。食べものをやって、排泄をさせて、少しの安心感を与えてやっていればよい生き人形である。なんてったってこどもになってからのほうが大変ですよ奥さん。だって人間のこどもなんだからさ。人間のこどもだってことは、「社会」を学ばなければならないということだ。「〇〇ちゃんのおかあさん」と呼ばれ、自分の子がよその子を傷つけるような遊びをしたと知って子を叱ったりし、また、叱るときのこどもの反応によっては、 「人のせいにするんじゃありません!」  と言ったりもする。かと思うとこどもに、 「よそのおかあさんはもっとちゃんとしてるよねえ」  などとからかわれてトホホとなったりさ(あの話かわいい、とても好き)。私になんかまだまだ、息子がこどもになったときに起こるその山ほどのいろんなことなんて想像もつかないよ。  そんなわけで私はまだ「産婦」であって「母」ではないなあと思っている今日このごろなわけです。  でもやまださんは母だ。そして、私のような若輩者が言っちゃってごめんなさいだが、恋する女性で、少女でもある。小柄だから少女ってんじゃないよ。やまださんの漫画の中の主婦や母は、なんだか、 「あれっ? あたしったら今さっきまでみつあみしてお花畑の中にいたのに、いつのまにか家庭なんかつくっちゃってどうしたんだろう?」  ってきょとんとしているような気がするのだ。そして、もしかしたら女ってもんは、そんなものなのかも知れないのだ。まあそういう意味で少女ね。そんで、もう一つの恋する女性ってのは、やまださんの知る人ぞ知る年下の恋人の存在から私が勝手に判断したものである。いくつくらい年下なんだっけか、とにかくひとけたではなかったような気がするが、その彼が、ものすごくナイト体質で、いつもやまださんを後ろに回して楯と槍を構えているんだわ。最初は私もその一途さには戸惑いましたよ。もう慣れたけどね。まるで、結婚式の日にヘリコプターまで飛ばしてマドンナを追いかけるマスコミに対して、砂浜に大きく FUCK OFF と文字を書いたショーン・ペンみたいなんだもん。  きっと、もしふたりがこの先別れることがあっても、マドンナが、 「一番愛していたのはショーンよ」  と言っているように、やまださんも彼のことを生涯愛していくのかもしんないね。ああうらやましいや、あたしも早く新しい男みつけようっと。  鴻上さんの優しさ  私が鴻上さんと初めて会ったのは、テレビ番組のトークショーだった。何年くらい前だったのかなあ。とにかく私がしゃべれるようにすごく上手に導いてもらったのを覚えている。テレビであんなにしゃべれたのは初めてだったので感激してしまった。なんて、やさしいお兄さまなのかしら! ところがつい去年になって、鴻上さんがずっと私のことを自分よりちょい年上だと思っていたことが判明。ま、こっちが年下って言ってもたった一つだけどさ……。つまりこの数年間、(今周りの人間に聞いたら、7、8年はあるようだ)私は鴻上さんを「お兄さま」と思い、鴻上さんは私のことを「お姉さま」と思っていたという……まあそれも私が年齢を言わないで仕事するというややこしいことをしてたからなのだが。でも最近のイメージはやはり「パパ」だな。なんとなく、鴻上さんに会うとつい、 「パパー」  と呼んでしまう。でもこの「パパ」は、よく、山ほどおいしいもの奢《おご》って欲しいけど、セックスはやだなとか虫のいいことを考えてる若いムスメが、 「コーガミさんてー、なんかあー、パパみたーい」  とか言ってその気をなくさせる手段として言う「パパ」じゃないのよ。じゃーどういうパパかと言うとまあとにかく鴻上さんは人に優しく、気前がいい。それはこの本にもよく出ているが、ヒトゴトでも本気で考えてくれて、いろんなうまい考えをどんどん出してくれるんだわ。  最近しみじみ思うことのひとつに、 「物を書いたり作ったりする人間にとっては、ヒトゴトなんてものはないのね」  というのがある。人間一人見ただけで、その人の出て来るお話がどんどん作れるということは、そういうことだ。鴻上さんの優しさを、私は見習うべきね。  私が思いだしているのは二度目に鴻上さんと会ったときのことだ。サンシャイン劇場でのトークショー。一通りの話のあと質問コーナーになって、ある子が手をあげた。絵に描いたようなオタク系の男の子だった。そいつがまた嬉しそうに、 「富田靖子さんと結婚出来なかったら、どーするんですかあ?」  なんて質問するんだ。あたしゃ、大嫌いでさー、そういうやつ。だからそんなとき思いっきり、 「よくそんな質問するね。そんなこと聞く神経、わかんないよあたし」  かなんか言ってすごんじゃったんだわ。鴻上さんは、どう切り返したら面白くなるだろうと考え中だっただろうに。私も若かった。まあ今もあまり変わっちゃいないが……こないだも私のバンドのライブに来てたオタクの子がメンバーに根掘り葉掘り、うるさいくらい質問してたんで、 「プロの方にあまり失礼なこと言わないよーに」  とか言って説教したしな……とにかく私に足りないものはそういう子たちに対する包容力かも知れない。そしてそれを鴻上さんはとても沢山持っている。  コドモってのはだいたいにおいて、しょーもない。たいていは、鴻上さんを見て舞い上がる。第三舞台の芝居に行けば、必ず鴻上さんはそこにいるから、行くとよく舞い上がってしまったコドモたちが紀伊國屋ビルから中村屋の屋根を越え、マイシティあたりで舞い降りてくる。鴻上さんはみんなのものだ。そのへんがパパだ。それともうひとつ、生後3ヵ月の私の息子を抱いてるときがすんごくパパだった。 「お前とは気が合いそうだ」  なんて言ってくれてさ。あーはやく鴻上さんが自分と同じ顔のミニチュアを連れて散歩しているとこ見たいな。私の息子も今は9ヵ月半になり、つたい歩きしたりして手を滑らせて転んでは「ひーん」と泣いてますよ。「ひーん」は可愛いよね。  そういえば私が妊娠9ヵ月の頃にも鴻上さんと一緒のトークショーがあった。その少しあと、木野花さんとこのお芝居を同じ日に見て、ビーチボールみたいなお腹で、鴻上さん、木野さんたちと真夜中まで飲んだ(そういえば鴻上さん、あたしあのとき真っ赤なボデコンだったけど、あーゆーので道歩くと、腹見てびっくりする人がいて、面白かったよあの頃はー)。  私はちょうど細川さんが企画してくれた木野さんとの芝居を考え中で、木野さんや鴻上さんと長くお話しできる時間があったのが、あたしにとっては大助かりだった。でもね。ここでちょっとお耳を拝借。って時代劇の越前屋(お主もワルよのお、と言われる悪役)かあたしは。  えーコホン。あたしも実はそのとき初めて知ったんだけどさー、ねーねー、聞いて。鴻上さんて「セックスなどの話(イトイさん)」にも、すっごく!(うっふん)強いの! キャー! これって、もしかして、暴露かも!?  まーこの「夕日堂」にはそのテの話はないが、けっこうそういうのもいいんだよなー、鴻上さんてば。今後期待しちゃうな、あたし。どういう期待なんだそれはって、まあまあまあ。  だって時代はセックスでしょう(なんだこのゴーインさは)。昔のおとっつぁんたちはさ、いっぱいセックスしたヤツがエライ、いっぱいセックスしたほうが「得」(このトクってのがなんなんだか……)っていう公式でどんどんやってきて、そんでそういうのにうんざりしてきた人たちが出生率も下げ、エイズも知ってしまったとしたら、これからは「勝った(買った?)、負けた」とか「男の勲章、女は公衆便所」とかではない、生きもの同士がいたわり合う意味でのセックスが大切、ってなると思うんだわ。私はそこんところ、日本の迷えるワカモノを救うのは鴻上さんだと確信したわ。そう、そのとき飲んでたメンバーの中に幼年期からの性の悩みを抱えてる女性がいたの。それとあたしが、結婚外妊婦でしょ。なのにそのときの、どうしようもないくらいの前向きな空気。これからのワカモノの性、日本の出生率、コドモ少ないと国民年金だけでは年寄り喰っていけねえぞとか、いろいろありますしね……だいたいアフリカのコドモが餓えてて地球全体で言うと人口増え過ぎててどーとかってのもわかるけど、日本ってじぶんちは借金で首まわんないくせに、隣に住んでる若い学生におかず分けてるおばさんとか多いじゃない。その辺の打開策、それも一番大切かもしれないワカモノに向けてのセックスなどの話、は鴻上尚史にこそ期待される! かも、と私は思うぞ。みんなも期待しよう。  鴻上氏の秘密  もうそろそろ鴻上を降神と改名して、本格的に宗教を始めるらしい。どうも、内緒の妻や子どももいるらしい。来年、「ガンに効く芝居」ってのをやるらしい。隠し妻んちの裏庭で、ニワトリを飼っているらしい。隠し子の去年の運動会では、「タイヤ競走」に出たらしい。体の柔らかい女性が好み、らしい。最近は「温泉は飲むに限るよな」と言っているらしい。一度だけ、現社長のHソカワ氏と女性の取り合いになったことがあるらしい。身につけるものにジンクスを持つのが好きらしい。釣り銭の計算などの暗算が得意らしい。もしかして男性相手に恋愛しちゃうかもしれないわあたし、とか言っているらしい。酔っぱらった女からよく深夜に電話がかかって来るらしい。風呂上がりに綿棒がないと困るほうらしい。ハイネックのセーターは好きじゃないらしい。結構女装が好きなのらしい。卵はかたゆでにして、黄身と白身を別々にして食べるのが好きらしい。とこのくらい書いとけば、どれか当たるよね。  東京乾電池の「桜の園」  川崎徹さんが書き、木野花さんが演出した舞台「ゴドーを待ちながら2」があんなに身にしみたのは、私が夏に東京乾電池のイベントの舞台にまぜてもらうという経験をしたからかもしれない。  なんかね、本を読んでるような感じだった。役者さんの演技のフィルターを通って来ているはずなのに、直接活字を目で追うように内容が頭に入ってくる。お二人で、そういうふうにおつくりになったのであろう。  私はまだ脚本を書く仕事は数えるほどしかしてないけども、書く側にとって、役者さんというのは、強い味方にもなれば、あらどうしましょうこの人ってば、というような敵にもなるっていうかさ、まあだからどうしてくれってほどの意見があるわけでもないんですけど私の場合。  そしてそのあと乾電池の「桜の園」。私これ三回も行ったの、何度も見ようと思って。そんで、同じように「やっぱし本を読んでいるような感じだな」と思った。  私は原作者のチェーホフにも、乾電池の今までの公演にも全然知識がないのでごめん。ただ、人に乾電池の「桜の園」に行ったよと言うと「乾電池だったら、いろいろ脚本とか変えてやるわけ?」と何度か聞かれたので触れる。脚本は、まんま古風な翻訳文体そのもので、ぜんぜんいじっていないらしい。  ここで突然わたくし事ですが、私は役者の仕事をもらうと嬉しい。コメンテーターはもうだいぶあきちゃったけど、役者の仕事は断わったことない。それも今年は特に多い。まあそれでですね、ほかの人はどうか知らないが、私は自分が出てないシーンの台本ってほとんど読まないの。イベントとはいえ初めての舞台だった乾電池の仕事では、さすがに他の人のセリフも頭に入ってきちゃってたけど、ほんと、例外。なぜか。「忙しいから」とかじゃないよ、もっと単純。「自分のいない場面のことを、この役の上での人間が知ってるわけがないから」だ。  普通役作りというと、役者側は、その役の上での人間がぜったい気づいていないような無意識の領域のことまでを、理路整然と語れるほどに認識していて当然、のように考えられているような気がするが、果たしてそうだろうか、んなわけねえよ、とつねづね私は思っていたのだった。  普通、生きている人間は自分のことしか知らない。それも、わかっているようでいてわかっていないことばっか。ましてや未来の自分のことなんてあんた、ねえ。なのに台本全部読んじゃうと、その辺のまわりの人の反応から関係から何から知りながら芝居するわけでしょ。そう考えると、演じるってことはとぼけるってことだったりして。  あなたは映画「僕らはみんな生きている」でひたいのど真ん中を撃ち抜かれる直前のベンガルの顔を見たことがあるだろうか。あれは、自分が次の瞬間死ぬことを知らない顔だ。私はあれを見た晩ショックで眠れなかった。あれほど「あぶねえよ、このままじゃ死ぬぞこのおっさん」というのが決定している状況なのに、役の上の彼だけがそれを知らずにいるのだ。ひーえらいのと知り合いになっちゃったようんと頭抱えちゃったんですあたし。でもさ、ほんとに生きてる人間だったらもちろんそっちが自然なんだよね。 「桜の園」では、彼は落ちぶれた貴族の奥様ラネーフスカヤに同情する実業家、エルモライ・ロパーヒンの役であった。もともとはラネーフスカヤの家の農奴の子どもなのであるが、成人し、事業に成功した彼は、ラネーフスカヤの心の拠り所なのに競売に出されてしまう直前の桜の園をとりあえず形だけでも守るため、貸し出してはどうか、それを認めてくれれば自分がうまくやってあげましょうと提案し、説得に通う。なのにおっとりした貴族の奥様のままの彼女は決断を下さず、舞踏会なんかやりながら競売の日を迎えてしまう。そしたらびっくり、その日桜の園を買っちゃうのは当のベンガル、じゃねーやロパーヒンなのであった。あーあ。  私は今回三回も来たっていうんで打ち上げにまで混ぜてもらったのだが、ラネーフスカヤ役の角替和枝さんがこう言っていた。「それにしても最後なんでロパーヒンはワーリャに結婚申し込まないんだろうね」。ワーリャとは、ロパーヒンといちばん仲の良い、今にも結婚しそうに見える、農家からもらわれてきた娘だ。桜の園を捨てて、皆がばらばらに旅立つ直前の最後の最後になって、ラネーフスカヤが二人きりにしてやるのにやっぱり求婚せずに終わるのだ。ねえ、なんで求婚しないんでしょう。私もその時は酒が入っていたし聞き流していたが、今は思う。「そりゃあラネーフスカヤさん、ロパーヒンが手に入れたかったのは本当はあなただったからですよ」。ラネーフスカヤはもう忘れているだろうが、ロパーヒンが子どもの頃、親に殴られて泣いている彼を、彼の祖父や父さえ入れてもらえなかった屋敷の中へ入れてやり、「泣くんじゃないよ小さなお百姓さん」となだめたのは彼女だった。つまり代々百姓だった彼の向上心に火を付けたのは彼女自身だったということだ。ロパーヒンにとって、桜の園を手に入れることは、彼女を手に入れることと同じだっただろう。そんな男が自分と同じ農家の出身の娘に、親しみならともかく征服欲まで持つものか。しかしそこに気づかずに「なんで求婚しないかねえ」と言っている角替さんはほんとにラネーフスカヤそのものなのだった。  ベンガルはベンガルで「おれの役がいちばんまともだよね、あとは変なやつばっかり」なんてのんきなことを言ってる。ほんと、この人たちってばかっこいい。このベンガルって人は、個人的に知り合うとその「うわの空かげん」にびっくりさせられる。この人には、人格に一貫性を持たせようとする気持ちはないのか? というくらいそのたび言うことが違う上に、自分が以前言ったことを覚えていない。簡単に言えば軽い(重かったりして)分裂症にかかっている人のようだ。しかし、役者はこれでいいのかもしれない。すべての役者に確信犯であって欲しいと考えなくてもいいのではないか。ベンガルのことをとらえどころがない、と言う人がいたが、生身の人間ってほんとはそういうもんなんじゃないのかな。  彼のように自分の無意識を育てる(または野放しにする)ようなやり方をする役者って、全体から見たら少ないのかしら。ドラマやCMから、ふだんの自分の振る舞い方を学ぶ一般人までいる現在では、たぶん、そういうやり方ってわかりにくい、と見られるのかもしれないね。 (その後はちゃんと台本は自分の出番以外の所も読んでます。いい役来るようになったらね、自然にそうなった。結局「あまりにもチョイ役だった」だけだったようですね。ベンガルさんとは、ゼロから一本芝居も創り、「役者は離れて見てるのが一番」などあらゆることを勉強させていただき感謝しております。)  山田詠美さんについて  漫画家だったころからセリフのかっこよさ、恋愛やセックスをポジティブに描く姿勢などがどうしようもなく魅力的で、憧れの人だった。その頃、 「耐えて耐えて先輩たちと同じものを身につけてからデビューなさい(つまり、いかにも努力したというようなものが描けなきゃデビューはだめ)」  とばかり言われ、そんな状況にうんざりしていた持ち込み中の私は、彼女の漫画を読んですっごく興奮した。その作品の数々は、精神的に自由でなけりゃ、描いててもしょうがないじゃん、ということを漫画家の卵だった私に教えてくれたのだ。彼女の漫画に触れなかったら今の私はない。彼女の漫画をもっと沢山読みたいと今でも思う。漫画業界としてはとても惜しい才能が文芸に行かれてしまったわけだ。  直接話をすると今度はギャグのセンスや無防備さに驚かされる。やはりセクシーとは無防備なことなのね。こっちは笑かしてもらいつつ、いろんなことをおそわってる立場なのに、ずうずうしくも、 「なんと可愛い女性なのだ、守ってあげたい」  という気分になってしまうのだ。  その上バリバリ仕事して、いつも新しいことに取り組みつつ人生を楽しむことも忘れない、ナマな女の手ごたえがある。男にもてるはずだよ、やっぱ。  頭を楽にしよう  いつも待ち遠しい秀さんの新刊。今回も読みながら「あっそうだったのか」と「あっそう言われてみれば」の連続だ。  もうずいぶん前だけど、「朝まで生テレビ」に出たとき、私の真ん前に座っていた女性作家が「私は政治のことは知らないのでこの問題はパスしたいです」と言ったとき、都議会かなんかの人たちが「あーあ、だからだめなんだ」とかなんとか言って笑ったので、なーにが、と思って「私、政治には興味ないです、興味持てないんだもん」と発言したことのある私。でも秀さんの書いた政治ものは面白い(興味の持てる政治に出来ないのは誰だ?)。実際の政治関係って隠語が多すぎて苦手だ。  隠語を遣わないで、普通の言葉でくだいて言えば面白くなるものを、わざわざそうしないというセンスはどういうものなんだろう。それとも「政治がわからない」ということと「政治的隠語を知らない」ということとは同じ意味なのかしら。それってなんだか、いまどき「ギャラ、チェーゲーでよお(出演料、一万五千円でよお)」とか言って喜んでる、恥ずかしいジャズかぶれの人(相当なおじいさんでもない限り、もう大人にはいないと思うが、ジャズ研の学生とかには少数いるようです)みたいなんですけど。  私は自分の田舎の長崎が嫌い。ただあそこにいるときひどい目にあってたからかもしんないが、強姦された(鎖国のときここだけ)あとに性器に焼け火箸(原爆)を押し当てられた女が、「あたしって可哀想でしょ、だから養って(観光に来て)ね」と言ってるような土地だという感じがしてしまう。観光地って一見愛想がよさそうだが、おもてづらだけ。ほんとは排他的な田舎なのよー、あの外面と内面の違いがやだったな。と、これは秀さんの考え方を応用したお下品な例でしたが、「強姦されたあとに性器に焼け火箸を押し当てられたから一生同情してもらおうとしてる女みたいな街」と言えた瞬間、徹底的に田舎になじめなかった私はすごく気が楽になったものです。まあ私ももっと大人になれば違う考え方も出来るようになるんでしょうが。  宗教のことも、秀さんの文章を読んで胸がすっとした。私も宗教のことがナゾで。宗教やってる知り合いもいるんだけど、(漫画家には創価学会の人が多いような気がする)その人を知れば知るほど「宗教やってることはこの人にとってどういう意味があるんだろ?」といつも思ってた。一度、その人は創価学会ではないが、かなり仲の良い人で宗教やってる人と話してたときにそう聞いたら「自分は宗教やってなかったらもっとひどかったと思う」とか言うので、やってなかったらどんな人格なんだろ……とちょっと腰が引けたが、ついでに宗教に入ったきっかけも聞いてみました。そしたら先に奥さんが入ってて、一度でいいからイベントを見に来てちょうだいと連れて行かれた。そしたらそこのリーダーの人が、体からオレンジ色の炎を出していたので感動して入ったと言う。「えー! じゃああんた体からオレンジ色の炎を出したいの?」私はいつも不思議に思ってたのだが、オウムのあのあぐらで飛び上がるやつ、あれで拍手する人はわかるが、あれを自分も出来るようになりたいと思う気持ちがわからない。私はあぐらで飛び上がるのも体からオレンジ色の炎を出すのも出来なくていい、そんなこと。出来るようになれば宴会とかでは受けるかも知れないが……ああいうの見て宗教に入る人って、内心すっごい全能感のようなものを持ってるんじゃないかと疑っちゃう。あの人に出来て自分には出来ないのが癪《しやく》だとかさ。ほんとは子どもっぽい人なんじゃないのお? ってあたしに言われたかないだろうが。  とにかく秀さんの本を読むとこうしていろんな考えが自由に浮かんでくるので楽しい。「タガをはずしてくれる」って感じだ。しかし、後半の脳手術の章には冷や汗が出ました。大事にして下さいね〜、頼むから……。あ、それと私の本の書評も入れて下すって有り難う。おまけで書いときますがあれは全部(主観的には)事実です。あれを書いてるときには「あたしってただのおつむの足りないヤリマンなのねトホホ」と思いながら書いてました。まあ現在も大して変わってませんが……そんなもんなんじゃないでしょうか。  先日は日高先生と、「楽」のオーナーとご一緒に私の芝居を見に来て下さって嬉しかった。私は秀さんとか、日高先生とか、そういう方ばっかし仲良くしていただいてるので、きっと「大学の先生」って物差しが世間とずれてるような気がする今日この頃です。また遊んで下さいね。  青木光恵ちゃんへ 処女単行本おめでとう 「カンケーないやと思っていても、世代というものからは逃げらんないな」。光恵ちゃんは私にそういうことを教えてくれたニュータイプな人だ。  彼女の作品はとても柔らかく、いろんなことに対して包容力がある。大阪を主張するでもなし、何かに怒ったりするわけでもなし、可愛いものも普通に好きで、物欲もまたよし、お色気もあってよし、のなんでもありの気持ち良さ。彼女を見ていると、物事を消去法で考えないってことはこんなに美しいことだったのか、と感動してしまう。  ここで世代という言い方をすると、私の世代では、こんなに柔らかく軽やかではいられなかったな、と思う。押しつけられて来るものに対して、「私は違います」と言い続けていなければならないことがもっと多かった(と私が勝手に思っているだけで、ほんとは陰で光恵ちゃんだっていろいろタイヘンなのだろうが……)。しかしまた、私より前の世代の人を見ると、「なんでそんなに頑張っちゃうの?」と私だって思う。でも、その頃はそうでなければやってけなかったんだね、きっとね。そういうことはやっぱ少しずつ周りの状況とともに変わって行くことなのかもしれない。  年齢で言うと十くらい違うんだっけ、あたしとは。でもこれがまた年齢だけじゃないんだな。年が若くても中身がおばさんの人っているもんね。計算とか駆け引きばかりしていてさ。自分の仕事が心から好きじゃない人にそういう人が多いんだよ。  光恵ちゃんは以前、なんとなく漫画家になれた、みたいなことを言ってたけど、それにしてはちゃんとしているな。彼女は何か話をするにしても、肩に力の入った言い方をしない人だから苦労したことが出ないんだよね。ほんとはしてるはずなんだけど。だから、芝居がかったことの好きな人とか、大げさに言わないと飲み込めない人とかにはきっと苦しめられていることだろう。でもそういう人たちがニブイだけだからね。結局は自然にしているほうが勝ちだよ。  今ちょうどいろんな仕事が集中してやってきて大変な時期みたいだけど、これが落ち着いたらもっともっと好きなこと出来る状況がやってくるからがんばって乗り切ってね。東京から応援してるよん。 もう出産しそうな内田春菊より (彼女は現在東京に住み、つい最近女の子を出産しました。名前が「春《しゆん》ちゃん」て言うのでとても他人には思えない私です。)  貸本少女マンガはこんなにも笑える!  最近いちばん声出して笑った本を紹介します。芸人さんでももちろんそうだが、やっぱ人生かけてボケかます人には頭で考えてるだけの人はかなわない、としみじみ思わせてくれる「貸本マンガ」の作品が、たくさん紹介されているこの2冊(唐沢俊一&ソルボンヌK子夫婦監修「森由岐子の世界」、唐沢俊一「まんがの逆襲」)。こういうのって、古くならないんだよね。「ギャグはナマモノ」という人もいるが、人生かけられてしまうと歴史の一部のように感じられ、思わず「貸本マンガ」の時代とは、なんて世代論嫌いの私でも考えてしまう。あ、ごめん、実はこれ、もとは怪奇少女マンガとして描かれたもの。でも相談役も少ないのに真剣すぎたその作品たちはもう、どうしようもないほど笑えるものになっているのよ。「貸本マンガ」を知らない人も、昔、みんなが文化ビンボーだった頃、マンガ好きの子どもが貸本屋で借りて読んでたことは知ってるよね。そこに貸本屋独自のルートでやってくるオリジナル単行本たちを貸本マンガと呼んだわけです。ずさんなものでも何でもいいから、とにかく沢山読みたかったしね、お金ないなりに(今強迫的にレンタルビデオ見まくってる人見ると、あー第二次文化ビンボーだなーと思う)。リアルタイムでも、きっと本気で「こわーい」と思って読んでた人はいなかったと思うよたぶん。その頃からこんなに笑えたわけではなかったけど。やはり笑えるってことは、なんらかの批評眼を持ってるってことだしね。みんな、そのころは多少へんだなと思いつつもマジだった。そこでこの唐沢俊一氏とソルボンヌK子氏が優しく導いて笑わせてくれるわけだが、これがまた愛であって素敵だ。愛しつつ笑えるということはいいことだわ。とにかく彼らの差し出す手を握ったら最後、「次はまだか?」と禁断症状が出るので覚悟しようね。世の中って結構面白いもん転がってんじゃんというこの喜び。シリーズ2が待ち遠しいよー  ビショップ山田さんへ 「ダンサー」書評  舞踏を知ってる人はいても、舞踏をする人がどうやって食べているか想像のつく人は少ないのじゃないかしら。特に最近のワカモノはキャバレーのダンスショーなんて知らないもん。私自身はキャバレーで歌手したりもしていたが、その頃ですら(15年くらい前ね)キャバレーといったらピンクサロンのことだと思っている人のほうが多かったぞ。  それをまたさかのぼること9年、'69年に19歳の著者・山田一平ちゃん(ラーメンの名前ではなくビショップ山田の本名)は、今は亡き師であり暗黒舞踏の鼻祖であるところの土方巽と出会ったのだった。  まーそれから土方氏のそばでのドトウのエピソード群も口《くち》アングリだが、それがたった1年ちょっとの間にいっせいに起こったりしてるってのが一等すごい。今初めてこれらに触れる少年少女は、もし全部現実として襲ってくるなら逃げ出したいが、「1969年の山田ツアー」を旅行代理店が組んでくれるんだったら参加したい、とでもいうようなコワうらやましい気持ちになるに違いない。  実際の山田さんは、「暗黒の玉三郎」と呼ばれるのもなるほどねって感じの、すらりとしてこぎれいな、もの静かな方。文章を読んでても、「あっこの人ったら、ぜんぜん自分のことスゴイなんて思ってないんだから、ンモー、ほんっとにイ!」なんだよね。ストイックがイコール・セクシーだとは私は思わないが、山田さんはストイックでセクシーだ。セクシーな男の話に餓えているあなた。この本は「くる」よ。セクシーな男にも舞踏にも興味がない人でも、たとえばデヴィット・リンチが好きなら、土方巽と彼の食生活の共通点を見つけるだろうし、トム・サビーニやロメロのファンなら、映画製作の場面に胸がときめくはず。その上、笑える。  一見陰気くさく生真面目な文章なんだけど、だんだんに「ものすごく本気な大ボケ」なのがわかってくる。それが一番よくわかるのは「ザ・カーマ・スートラ」というチーム名でキャバレーに出、「ザカマストラの皆さんです、どうぞ!」と紹介されるくだりかもしれない。「カーマ・ザストラ」や「ザーマ・スートラ」、「ザカマスッタラ」と呼び込まれたことまであるという。わたくしごとで悪いけど、あたしもその昔アンジーという名でクラブ歌手してたとき(自分でつけたんじゃないよ、もちろん)「あんじんさま」と書かれた給料袋を受け取り、そのショックで思わず尺八持って虚無僧の旅に出てしまったことがあるのだった。  何にしろ、出版されていきなり面白・時代・青春活劇の古典になってもいい貴重な一冊。しかしこの、大駱駝艦《だいらくだかん》の天賦典式って公演名(赤児さんがつけたそうだが)、テンプテーションのもじりに見えるのは私だけ?  「口だって穴のうち」 あとがき  憧れてたの、対談集出すのって。なんか、友だち多そうに見えるじゃないすか。ほんとは少ないもんだから……なのにこれ作ってもらってる頃って、病気して手術したショックで鬱病にかかってた。間の悪いことです。だいぶよくなったのでこうしてあとがきが書けるようになったのですが、予定よりかなり遅くなっちゃった……それはいつもか……ははははは、わらごま。  さて、まず伸坊さん。今回はまたまたデザインもお願いしてしまいました。いつもお世話になります。なつかしいですねえ、これ。そうそう、この頃は家出前のことは出版媒体ではまだしゃべれずにいたんですよ。家出のことだけでも結構驚く人多かったから、それ以上人をびっくりさせるのもなあと思って……なのに、ここではしゃべってる。一晩中飲みましたねえこの日。途中雪降ってきて。新宿駅で寝て暮らしてるホームレスの人たちが外に出されたりしてる横でタクシー待ってて。その中にホームレス夫婦がいてさ、だんなさんの方がひとりごとで何か語ったか歌ったかしてるのを、伸坊さんが笑って見てるのをなんか憶えてるんですけど。  養老さん。これがご縁で「からだの見方(ちくま文庫)」の解説(と言えるのかあれは)を書かせていただきました。実は養老さんの本、面白いよと教えてくれたのが伸坊さんだったりする。で、何冊かは持ってたんですが、なんとこのときの担当編集者十松氏がその他の本も事前に全部くれた。さすがトーハン。  嵐山さん。私の母のことを「可愛いじゃない」と言った人は今んとこ嵐山さんともう一人だけです。余談ですがある飲み屋で「あのおかあさんがさ、すごいじゃない」と、山下洋輔さんと原田芳雄さんがファザーファッカーの話してるとき、(そのとき私は桃井かおりさんと向かいの席にいたんだけど)そのセリフが聞こえる場所に宮沢りえちゃんとそのおかあさまがいた、ということがありました……ドキドキ。ついでに自慢だけどりえちゃんは私の連れの男を見て「春菊さん、彼、紹介してください」と言ったのよふふふ。息子(その頃二歳)のことだけど……。  筒井さん。まだお書きになる気はないんですか。だれか筒井さんにそっと催眠術かなんかかけて断筆を忘れさせてくんないものかしら。実はこの日、私は筒井さんから「僕がいつも遣っているところのものです。絵を描くにも良いし」と鳩居堂の立派な筆をいただいたのです。机の真ん前に今もあるそれのことを、あるとき友人から「それもしかしたら、断筆した筒井さんに筆を譲られたっていうことなんじゃないの?」と言われ、雷に打たれた。ガーン! もしそうだったら死ぬほど光栄だけど、でもそんなのいやいやいやーん! 筒井さんも書いてくんなきゃいやだー! だれか早く催眠術!  大川さん。先日大槻ケンヂくんのBSの番組に行ったとき、その前の回が大川さんで、お元気だと聞きました。よかったよかった。なかなか公演などに行けなくてすいません。ぜひ懲りずにお知らせ下さい。  島森さん。こないだ会えた。しかしいつもつるつるですね。年、ほんとに毎年とってんの? あの綺麗な顔の下にはいくつもの人格がひそんでいるのよ、最近発見したわ。少女からおじさんまで、どんな人にでも乗り移れる現代の巫女《みこ》。この日、それまで長かったウエーブの髪が斬新な短髪になってたのを憶えています。  でもこのあたり、私ってば夫に感謝しまくってるなあ。嵐山さんからも「女の憧れ」の人生してるねみたいに言われて、いやーそうなんですかどーも……悪いっすねえ、なんて気分にすっかりなってた。最近は「でもよく考えたら家計を稼いでいるのは私だよな?」と思ってる。なかなか男と女の立場は単純に反対にはなんないもんですねえ、なんなくてもいいけどさ。まあ彼も好きで私と結婚したんだからいいんじゃないんでしょうか。  桃井さん。桃井さんが私の母の役を演じてくださるなんて。数年前の私に想像しろと言っても絶対できなかったであろうこの展開。映画を見た人が私の母のことをあんなにいい女で、いいプロポーションだと思いこんだらどうしよう……とつい要らぬ心配までしてしまう私であった。この時の担当吉安さんにも毎度お世話になってます。それからこれと、ベネッセの二本は一番新しいので、東京乾電池オフィスの小形雄二氏がマネージメントを担当してます。小形さんもお疲れさまでした。桃井さんとお話しして私は目からウロコよ。役者の仕事いっぱいちょうだいねっ!  そして秀さん。こないだライブ来てくださって有り難う。すごく可愛らしいかたとご一緒で嬉しそうだった。ふふふふ。最近私が乾電池に入ったら、先輩の田根楽子さんの別荘と秀さんの別荘が近くて別荘飲み仲間だという意外なご縁まで出てきたりして。この本も田根さんにも送る約束してるの。はっ。まてよ。送るのはいいけど内容にびっくりされたらどうしよう。どうも私の発言は活字で見るとすごく激しく感じられる傾向にあるらしい……初対面に人にはだいたい「内田さんて、思ってたのと違う」と言われるし……。そう考えると活字って、便利だけど怖いとこあるよね。話してるときの表情や声の調子は全部ナシだからなあ。だってこの対談、ほとんど酒はいってんだよ。筒井さんときとかは飲んでないけど……そう、あれは京都の都ホテル。あのあと恒例の梅小路で機関車見て。担当秋山洋也は筒井さんと同じ同志社大学を出てて京都になじみが深く、梅小路も一緒に行ったし息子や夫の写真も撮ってくれてた。で、この本も彼が作りました。私が鬱でボーっとしている間に夫と二人で。私自身は「そー言えばあの対談楽しかったんだけどなー」ってのがもっともっとあるのだが(詠美さんとかベンガルさんとか)、今回のテーマの絞り込みがね。自分のことなのでよくはわからないが、いい仕事だと思う。あれ? 秋山さんこないだまでTなんとかって雑誌作ってたんじゃなかったっけ。あれまあ。この仕事も永くなってるといろいろ不思議なことが起こるものだわねえ、結婚おめでとう。ああ、今年も終わりだねえ(美空ひばりのまねで)。 * 現在は角川文庫。あとがきも新しくなってます。  大槻ケンヂくんへ 「リンウッド・テラスの心霊フィルム」は大槻くんと初めて会ったとき、サイン入りで彼からもらった。  あれって、おととしの年末だったっけか。村上龍さんの RYU'S BAR の収録のときだったよね。あのときも大槻くんにいろいろと助けてもらったなあ。とても思いやりのある人だ、という第一印象だった。もう文庫になるとは。早いもんだね。これを機会にもっともっとたくさんの人が喜んで読んでくれるよ。とてもいいことだと思う。  なにしろ彼はただごとでなく文才のある人だ。だれでもそうしたくなるだろうが、私も思わず、 「大槻くんて落下したともだちがいるの?」  と本人に聞いてしまいましたよ。いないという返事だったけどね。あの一連の文章のリアリティはすごいもん。そしてそれは筒井康隆さんにも一目で認められて、筒井さん・選のアンソロジー「人間みな病気」(福武文庫)に「屋上」が転載されている。それだけでなく、筒井さんは、ご自身で同じテーマ(落下する青少年)で小説をお書きになったとき、私に手紙で「ヒントは大槻くんからも、もらった」というようなことをおっしゃっているくらいだ(でもそういうことができるところがまた筒井さんのすごいとこなんだよね……)。なわけで、紹介者の私も鼻が高いわホホホ。でもそういう私も大槻くんにあちこちで漫画を紹介してもらって読者やお友達が増えていることだよ。この上私の職場のチーフアシスタントがなんと筋肉少女帯のおっかけをしているという現実もあり、四方八方からお世話になっている状態なのであった。  そうそう、私も一度名古屋まで大槻くんをおっかけてったことがあるぞ。名古屋のクアトロ。まさかあんなに沢山の少女たちの汗にまみれることになろうとは。貴重な体験であった。私がふだん行ってるようなライブでは、お客は最初からドリンクを持ってうろうろしたり、どんどん酒飲みながら踊ってたりしているが、そこではぜんぜんやりかたが違っていた。少女たちのほとんどは、ライブが終わるまでドリンクチケットを遣わずにとっておいて、ライブが終わると同時に汗まみれでドリンクカウンターに押し寄せるのだ。頭とかブンブン振っちゃってるんでリボンを結んだシニヨンが片方だけこわれてばらけてたり、そんな状態でね。で、みーんな未成年だからみーんなソフトドリンクもらうのね。それをぜえぜえ言いながら飲み干して、やっと一息ついて店を出ていく。すごい混雑であるから、店側の人も店内整理のために声を掛けてるんだけど、その内容はというと、 「ジュースもらった人は外に出てくださーい」  それ聞いてなるほどなあ、大槻くんのライブでは、「未成年・汗まみれ・ライブあとの一杯のソフトドリンク」は定例なんだ、としみじみ思った。  そうかあ、少女たちはお小遣いをやりくりして来てるんだもんなあ。学校の体育の時間の何倍もの汗をかくことがわかっていたら、最後までドリンクチケット握りしめとくのも無理ないよね、ってなんか新鮮だったな。聞くところによると、東京からのおっかけ組の数もかなりだそうで、その子たちにとってはますますやりくりも大変だろう。「打ち込んでる」よなあ。ファンの子たちの会話を聞いていたとき、彼のことを「大槻ってさあ」なんて言っていたのでひええと思ったが、まあそれも、そういうお年ごろと切り離せない何かなのであろう。小銭数えてやって来てるかと思えば、可愛いもんだよね。それに誰よりも大槻くんが、そんな子たちのことを一番よくわかっているのは、ライブで感じられたしね。  武道館に行ったときは、ちょうど私の席のとこにドラムのスティックが飛んで来たため、うしろで少女たちがキャアとダンゴになっていた。  しかしまあエネルギーのいる仕事だ……。あの若さで、身を削るような思いをしてるんだなあと思うとせつなくなる。でも大槻くんはくじけず頑張っているので感動する。かかってくる電話の声はいつもおだやかだ。連れている女はいつも違うが、みんな礼儀正しい子ばかりだ。  うつろいやすい時期である少女たちの注目をいつも集めている立場であるということは大変なことだ。大槻くんの文章を読んでいると、ああ、この人は好きなことを好きなようにやっていたらいつのまにか女の子たちのおみこしに乗っけられてびっくりしている人なんだなあ、って伝わってくる。作為的に狙ったわけでもないのに思わぬ効果が出ちゃったというかさ。でもそれがまたいいんだよね。あの大槻くんのストイックなファッションも、彼のそんなココロが出ている気がする。しかしあれでライブやってたら肥れないよなー。サウナスーツで全力疾走数時間ってかんじじゃない? 下北沢の「ブックスおりーぶ」でばったり会ったときはTシャツだったけど。あのとき、ああ大槻くんて背の高い男なんだなって思った。だからああいう衣装、似合うんだね。  話は変わって、大槻くんの詩の中には「この中にはいったい何が詰まっているのだろう」という疑問がよく出てくる気がする。猫のお腹、ぐるぐる動く女の子の目玉の裏、壁の中。そういうものの中に、思いもよらないものが隠れていて、いきなり開けてみると「あっ、みつかっちゃった」って顔してこっちを見てたりすると、ほんと、面白いだろうね。  こんなことを考えるのは私が妊婦だからかしら。「リンウッド・テラス──」を読み返していたら、何年か前に聞いた妊婦の殺人事件のニュースを思いだしたの。そのとき私は水族館に行った帰りで、どこだったか忘れたけど、その水族館の近くの喫茶店で、煮詰まったまずいコーヒーを飲みながら、壁にかかったテレビでそのニュースを見てた。犯人は妊婦のお腹をくり抜いて、胎児を引っ張り出し、代わりに電話機を突っ込んでおいた、という。その説明のすぐあとにアナウンサーが「通報を受けたなになに署は──」かなんか、電話をイメージさせる言葉を言ったので、私は思わずその妊婦のお腹に詰まっていた電話機を使って警察に知らせているところを想像してしまった。まさかねーとも考えたけど、ついでにお腹の中で電話が鳴っているところとかも想像した。まだコードレスなんてない頃の話だ。電話機の体積はある説得力をもって妊婦のからっぽになったお腹によく似合うと思った。私は今妊娠八ヵ月の終わり頃で、胎児はとてもよく動く。もう外へ出してもやってけるんじゃないのってくらいに中からノックしつづけるけど、これがまだ一四二〇グラムと、予定の半分しか質量がないんだね。こんなに私を蹴飛ばすのに、外で一人じゃ生きてけないなんて、もうなんだかマザコンの子と母、って感じで面白いけど、まあ妊婦ってのはほんとに、見ようによっては「猟奇殺人してくれ」と言って歩いているようなものでもあるよね。ごはんの炊けるのとか、鶴が機を織りあげるのとかと同じように、途中で見たらおしまいなのを知っていながら、製作途中を見てみたい。そんなことを考える今日この頃、そういえばこの子どものタネの人も大槻くんと同い年だわ。まあ共通点は年だけだが。  最後に、そうたぶん、望まなくても私はゼッタイそうなると信じてるんだけど、ひとつだけ大槻くんに望むこと。  今の大槻くんは、自分が内気でおたくな少年だったことを隠そうとしない。それはとても良いことだし、こういう時期もなきゃいけないと思う。でも大槻くん、もうそろそろ君は自分がセクシーないい男だってことにちゃんと気づかなきゃいけないわ。ねー、てれないでそろそろやろーよやろーよ。あたし、早く髪を短くしたり、キレイな体を誇示した服を着たり、指をしゃぶって見せたり股間に手をやったりしてる大槻ケンヂに悩殺されたいわん。そのへん、期待してるからね。考えといてね。よろしくねっ! * 大槻くんとはつい最近会いました。彼の原作の映画「STACY」に出演させていただいたのだ。筒井さんも出てる! なんと義理堅い人だ。原作もおもしろかったな〜。その監督が私にとっては十三年前の「困ったちゃん」だったのだが、いい仕事でした。  中島らもさんへ 「変!」解説  その昔、人はよく「大阪と東京は犬猿の仲だいたつや(だいたつやは余計)」なんてことを言ったものだった。東京人は大阪人のことをけちだとか何とか言い、逆に大阪人は東京人を見栄っぱりとか何とか言ってた、とかさ。私は九州から出てきた人間なのでどっちの味方にも完全にはなれないが、まあでも、ここ十二年くらい東京に住んでて、大阪には仕事で行くけど住んだことはないし、西の出身とは言えちょっと東京寄りの頭になってるかもしれない、そんな頭で考えてみた。  で、まあ、東京の人はなんだかんだ言いながら大阪が好きだ。でなければこんなにも東京で大阪の人が活躍してるわけないし、みんな大阪のパワーやセンスを欲しがっていると思う。大阪のほうだって同じ。だって東京で大阪の人が活躍するのが嬉しいのは、そりゃあやっぱ東京のことも好きだからでしょう。大阪と東京のこの愛憎(大げさ)は、おさななじみでほんとは好きあってる同士が、思春期を迎えてちょっと相手にイジワルなんかしてしまっている図みたいだ。素直に仲良くしたいんだけど、今さら自分の気持ちなんかわかっちゃくれないさ、ふん、とか言いつつ横目で見てる、そんな二人の手を取ってさりげなくそっと握らせる、中島らもさんはそういう人だ。  いやもとい、ここでもしかしたら二人の手と手を重ねつつ、女の子のほうの肩には空いているほうの手を回し、さらに男の子のほうがよそを向いている間、彼女に、 「あとで、もっといいことも僕が教えてあげようね」  などとささやいたりもする人なのかもしれないが、いーじゃないか、どんどん教えてもらいなさい、と私は声を大にして言いたいのだった(声を大にして言ったら、逃げてしまうだろうが……)。  人間、自分がなれっこになっていることに対してはだんだんかえりみることをしなくなるもので、たとえばある仲間どうしが知り合いのことでワハハと笑ってるときなどに、笑いのネタのヌシを知らない人が一人か二人まざってても、たいがいの人はその人に「なぜこれがおかしいか」なんて説明してあげたりはしない。原点に戻るのがめんどくさいし、それよりも自分がもっと楽しみたいからだ。  そこでもしその「知らない人」が、 「ねえねえ、それ何で面白いの? その人ってどんな人?」  などと質問したとしても、 「話すと長くなるからなあ、とにかくあの人はもうそれだけで面白いんだよくくくく」  なんて、言葉の端に「君ったらあんな面白い人を知らないなんて気の毒にね」という優越感をにおわせつつ、またもや知ってる同士だけで笑ったりするのだ。  これでは知らないほうも、 「なーんだよ、けち」  と内心スネるか、次からムリヤリ知ってるフリをして合わせて笑うかするしかない。まあ合わせて笑ってるうちに知らず知らずわかってくる場合もあるけど、笑いは古くなりやすいもの。時間がたつうち、一緒に楽しめる機会を逃すことも多い。せっかくの縁とも言えるのに、それではちょっとさびしいよね。  でも、そんなときに話をわかりやすく要領よく原点に戻して説明してくれ、さらにその説明を聞いているヒトはそれ自体が面白くてまた笑えちゃう。らもさんはつまりそういうことの出来る人なのだ。  ご本人にとってほんとはもうわざわざ言葉にするのが大変なくらい慣れてるはずの大阪の楽しさや笑いを、私たちにいつも気前よくプレゼンテーションしてくれ、そのうえそこから説教やうんちくのニオイがしない。これは言葉でいうのは簡単だけど、大の大人が、 「僕、ナントカおたくだから何でも聞いてよ。え? 君こーんなことも知らないのオ?」  とか嬉しそうに言う今どきに、こんなことが出来る人なんてそうそういるもんじゃないのよ、ボク。と思わず「お姉さんが教えてあげる口調」になってしまったが、本当にそうなのだ。らもさんのような人がいてくれるからこそ、思春期の東京と大阪も、ほんとはお互いずっと好きだったことを思い出し、重ねられた手を握りあい、改めて熱く青春を謳歌しつつ、女の子のほうはついうっかりらもさんに処女だけ捧げてしまったりするのだ。でも大丈夫、きっと気持ちいいからって、私に保証されても困るか。  『断筆祭・ザ・ブック』によせて 筒井康隆さんへ  偶然だが私はこの原稿を筒井さんのお宅のある神戸で書いている。数日前から芝居の仕事で関西に来ており、大阪公演がとりあえず終わって今日と明日は自分のバンドのライブなのだ。それが終わったら東京公演と東京ライブ、その後宮崎公演もあるので、今月は連載を三本も休ませてもらっている。先月流産したばかりだし、今まで映像の仕事はあったけど舞台の役者は初めて。そこんところへ、私にとっては自分の人生を助けてもらった恩人ともいえる筒井さんをテーマにこんな短時間で書け(依頼者は本当に「書け」と言ったわけではなく「急遽お願い申しあげます」というようなていねいな言い方だったんだけどね)なんて、本当にひどい。はっきり言って泣きそう。ワープロだから原稿用紙に涙のあとがにじんだりしないけど、そのくらいせつない。自信がないのよ。ずうずうしいことに、筒井さんから愛され可愛がられてる自信はある。でもこないだ「笑犬楼からの眺望」の書評書いたら「波」の編集長(会ったことないけど)にボツにされちゃったんだよう。もちろんこの原稿よりたっぷり時間もあったものなので私にしてみればちゃんと書いたつもりだったのだ。悲しいしくしく。でもそれが現実なのかもしれない。この本を作っている人たちだって、わざわざ書く立場の人間を追いつめようと思ってしたわけではない。てんかん問題だってそうだった。自分を傷つけたわけでもないだれかを傷つけてやろうと思ってものを書いたりする人はいない。現実を生きている中でどうしようもなくわき上がってくるものからこしらえて書いて行くと、出てくるいろいろなのだ。  というところで東京に帰ってきたら風邪をひいてしまった。熱で頭がぼうっとしている。ああ困った。しかしほかの執筆者のみなさんはいったいどうなさっておられるのだろうか。  とにかくこれまでのあらすじを思い出して書いていこう。えーとてんかん問題が伝わって来て、そうだ、偶然見ていたワイドショーで断筆について筒井さんがお話しなすっていたのだ。「えー?」と途方に暮れているところに私の小説「ファザーファッカー」が出た。執筆中から筒井さんに応援していただいてた作品なので、「週刊文春」の吉安さん(もと「文學界」の筒井さんの担当さん)が筒井さんから応援コメントをいただきましょうと言う。「ほんとにほんとに書かないおつもりなんでしょうか?」と吉安さんに聞いたりしたがみんなどうすることも出来ない。そのうち宝島30から筒井さん説得対談の依頼。もちろん説得はしたいけどどうすればいいのーと言ってるうちに筒井さんのおかあさまが亡くなってしまわれた。それでも翌日「朝まで生テレビ」にお出になり、そのまま私との対談までろくに睡眠時間もなかった筒井さん。なのに私は小説のヒントを沢山いただいたりして、なんだか応援してもらうためにお会いしたようなことになってしまった。それが93年の秋だ。あれからお書きになっていないなんて。そんな体に悪いことを。  なんだかまだ信じられないのは、「パプリカ」の一節を思い出すだけで鳥肌が立つからだろうか。読んでしばらく夜の暗闇が恐かった。飲み屋でウシュクベーを頼んだりした。ああしまった。残像に紅をさしている場合じゃない。あたしはとりあえず小説を書きます。あたしが出来ることは今それだけしかないのだ。  山本容子さんのこと  容子さんと初めてお会いしたのは、鳥取の文化デザイン会議だった。杉浦日向子ちゃんがプロデュースしたシンポジウムでご一緒したのであった。最初に聞いたせりふは、 「また八雲庵のお蕎麦を食べてきちゃった」  であった。少し低めの、落ちついた女っぽい声であった。たぶんアルマーニのスーツであった。きれいな色のヘアマニキュアがかかっている、ウエーブのセミロングであった。歩いていらしたせいか、少しだけ汗ばんだほほはつるつるで、そのあとご自分で年齢をおっしゃっていたのを聞いて思わずバック転三回であった。私は作品集も持っていてファンだったので、お会いできてとても嬉しかった。シンポジウムも日向子ちゃんの進行だし、とても楽しかった。容子さんは、 「あの、これは調べたことなんですけども」  がときどき前置きにつく話し方で、誠実な人だなあという感じがした。翌日行ってみたら八雲庵のお蕎麦もほんとうにおいしかった。  その後、作品展のお知らせをいただいたとき、とうとう決心した。 「ブックデザインをお願いしたい。してしまおう。今しよう」  そしてどきどきしながらお手紙を書き、自分の本何冊かと一緒に持ってって受け取っていただいた。そうして作ってもらったのが「ファンダメンタル1、2」の二冊だ。 「えーっ山本容子さんの装画なんてすっごーい」  と驚かれて私はエッヘンである。私の周りにも容子さんのファンは多いので、 「ねえねえどんな人?」  と聞かれることがある。そんなとき、私は大胆にも、 「えれえいい女で、色気もあっておしゃれ。かっこいいよー。しゃれたカクテルバーのママかしらってかんじ」  なんてぬかしているのであった。後半あまりにも勝手な比喩なので、こんなことを陰で言ってるなんてことは、こうして書いたりすることがなければ内緒にしておきたかったのだが、どうしても口がそう言ってしまうのであった。ほんとに部外者ってのは困ったもんである。単に容子さんと知り合えてデザインまでしてもらったのが嬉しくてはしゃいでいるだけじゃないの内田さん? 実は、そうなんです。  私が容子さんのお名前を知ったのは、ばななちゃんと初めて会ったとき、 「これ新刊です」  と手渡しでもらった「TUGUMI」だったかしら。ばななちゃんと言えば、ブックデザイン道楽でも有名な作家。そして容子さんの花束はとても優しくつぐみを包み込んでいた(そしてご存知のとおり、花模様の装丁はその後ちょっとしたブームに)。それから容子さんの作品は次々と目に飛び込んで来るようになった。最初が「TUGUMI」の花束だったから、人物画を見たときはもう惚れちゃってましたって感じ。自分がいつかどこかで見たり会ったりしたことのある人物を、こうこう、こういう人でした、とていねいに面影をなぞっていったような描線。金属が触媒の、どこか不思議でとてもなつかしい線。どんなに小さく描かれた人物も、その周りの空気まで一緒にひっかかれ連れて来られてそこに在る。身の回りにある物シリーズも大好き。たとえばかみそりの刃。どこかのおとうさんのお気に入りで、彼がやっぱりこの刃じゃなくっちゃ、とヒゲを剃ったあとのあごを満足そうになでているところが想像出来るようだ。決してロンドンのちんぴらが耳からぶら下げている刃じゃない。私は初めて銅版画という手法を意識し、銅版画って面白そう、やってみたいなあと思った。ほんとにやると大変なのだろうが……体力も要りそうだし。そういえば作品を見ているだけのときは、女性だということはあまり考えないでいたと思う。というか、女性の作品ってかんじがあんまししないのは私だけじゃないんじゃないのかな。もしも山本容子という名を知らないで、作品から作者を想像してみよと言われたら、無口で無愛想だが心底絵を描くことの好きな、ダンガリーシャツの背の高い男って気がする。毎日インクだらけになってがりがり版画を彫って、絵の具だらけになって絵を描いて、一日の終わりにはやさしい妻の沸かしてくれた熱いお風呂に入り、妻との旅行や、たまに見る映画が何よりの楽しみの、コーヒーをたてるのがうまい男に決まってる、こんな作品を作るのは……のはずなのに、実際の山本容子のこの華やかな色っぽさをどうすればいいの? どうすればいいのと言われても困るだろうが、ほんとにどうすんのよこれって感じのルックスなんだもんさあ。ハーブ・リッツとかに、ジャズヴォーカリスト風にしたのを撮ってもらって、ポスターにして欲しいぞ。あっなんか、思いつきで言ったらほんとに欲しくなってきた。欲しいよ欲しいよ。しまった、またただのミーハーになっちゃったじゃないか。とわかっちゃいるけど、なんか言いたくなるのよね。だってさあ、絵描きさんって、あんた自分の顔には絵描かないのお? みたいな、さえない女多くない?(とまた勝手なことを……)漫画家にもいるけど、絵描きさんってちょっと違うんだよね。あたしは芸術さえやってればいいのであって男に媚びてる暇はないのよ、こーゆー化粧っけのないのが真のアーチストとでも言いたげなさー。まあ個人的な趣味って言っちゃえばそれまでだけどさ、私はそういうの(まあほんとにそういう考えの人がいるかどうかは知らないが)つまんねーなーって思う。あんたほんとは自分が実力ないのをポーズでカバー出来るなんてあさましいこと考えてない? 女としても人生楽しまなくて何がアーチストなのよってね。作品も良くて本人も色っぽいほうが、いいに決まってるじゃーん。というわけで、容子さんは作品が好きなだけでなくて女性としても私のあこがれの人なのだった。 4 内田春菊の美術展めぐり  コクトーの絵って漫画みたいだ! ジャン・コクトー展  ジャン・コクトーの絵から赤塚不二夫さんの『天才バカボン』に出てくる目のつながったおまわりさんや、みうらじゅんさんの『what's マイケル富岡』に出てくるカエルを思いだすのは私が漫画家だから? でも、コクトーの絵って漫画みたいだ。わかりやすくて、笑えるとこが。  海外では、一度コマーシャルな仕事をしたら二度と芸術家としては扱ってもらえない、という話をしている日本人の芸術家を最近二人見た。芸術とそうでないもののさかいめはどこにあってだれが決めるのか。昔のボーイフレンドに、芸術と言われているものの作品集を見て笑い転げる男がいて、私は彼のそういうところが好きだった。 「そんなの見て笑っていいの?」  と私が言うと、 「笑かすためにやっとるんですわ、こういうやつは」  という返事がかえってくる。この「コクトー展」に、彼の友人たちの描いたコクトーの似顔絵も出そうと考えた人は偉い。「ほほえんでもいい人間関係」「笑ってもいい作品」という面がぐんと前に出る効果がある。  阿片関係の作品は私はあまりいいとは思えない。麻薬をやればすばらしい芸術家になれると思い込む人がまた増える。個人的理由や時代を考えずに、麻薬は芸術家のあかしと短絡する人が多いのはなぜだろう。ときには迷惑だ。エイズで死んでしまう芸術家もいるような今どきに、生きている悩みくらいで麻薬に走っている場合かしら。まあでも、私としてはこのあたりの作品は阿片にはまっててごめんね、という免罪符として受け取りたい。こういう表現職の人間は、何にはまってもそれについて作品にするのが性《さが》でもあるし自分の職業に対する礼儀でもあろう。  いろんなことをやった人、というふうに言われているらしいが、もうそれも古風な言い方となった。たった一種類のことだけをやっている芸術家というのがいたとしたら、どんな人がいるのかは知らないけど私はあんましそそられない。でも、少し前まで日本では歌手が俳優をやっただけで「どちらが本業ですか」としつこく聞く人もいたらしいし、何だろな、それ。歌手と俳優なんて同じ仕事だと言ってもいいくらいな近さであるのに。単一民族内でお互いの縄張りを荒らさないという礼儀でもあったのだろうか。あったのかもしれないな。  それにしても堀口大学(しかしこの大学って名前のセンスって謎かも)さんの蔵書はすごい。そうとうコクトーと仲も良かったのだろうが、それだけでなくかなりサインしてもらうのが好きな人だったはずだ。あんなにそのたびにサインしてもらってて、スゲーと思ったのは私だけではあるまい。  キースが残してくれた「希望」 キース・ヘリング展 「キース・ヘリングにならなれるかもしれない」内心そう思ってうぬぼれている若者はいっぱいいるんだろうな、と予想されるのは、私自身「内田春菊にならなれる」とうぬぼれている若者にけっこう会っているからだ。同じことは日比野克彦にも言えるかもしれない。私は彼のエキシビションのオープニングパーティーに行き、ほかのアーチストの和気あいあいとしたそれと明らかに空気が違っているのに驚いたことがある。アイドル歌手の親衛隊のように、本人を遠巻きにしてもじもじしている女の子たちがいるかと思うと、「私は作品を見に来ただけであって、日比野本人には興味ないのだ、たまたま初日の、本人がいる時間に来ただけ」という顔で彼をちらちら横目で見る子たちがいる。そしてときおり決心したように「あのう、私も芸大に受かったんですう」と彼に話し掛け、「そう、頑張ってね」とサインをもらうようなシーンが。これってまるで、芸能人の仕事だなあ、と思いつつあいさつしたら彼は、サインの横にCFで使われてる私の絵の真似したのをサービスで描いてくれた。その日もいつものストリートボーイみたいなファッションだった。私はそんな彼をとても頼もしく思う。希望の人である。  芸術家はサービス業だ、と言ったら怒りだす人もいるのだろうか。そしたらポップアーチストはサービス業だと言い換えようかしら。彼らのやる、仕事なんだかそうでないんだかよくわからないものの数々を見て、「よし買った!」とポンと札束を投げるほどの財力はないにしても、こういう面白いことをずっとやってくれている人々の作品に金を出してもかまわない、という気にさせる。だからキースにポップ・ショップを勧めたウォーホルは賢い。表現職に必要なものは自分をプロデュースする能力だ。そのあたりがもう、私や日比野のところに「私だって」オーラを出しに来る若者は失格している。  真似出来る手法であるということを拡大解釈するのは良くない。キースになるということは、キースの作品を見てあとからそれと似たものなら作れるということとはまるで違う。キースになりたかったら、地下鉄に落書きして警官に手錠を掛けられるところから始めてみるがいい。誰にも数えることが不可能なくらいの枚数を描いてみるがいい。「いろいろと作品に手を入れるのが好きでねえ」とか「やっぱこの画材でないとさ」などとは、口が裂けても言わないがいい。キースが残してくれた希望は、そんな口だけ達者なアートちんぴらのためにあるのではない。  キースは「子供でも真似できる手法を持つ自分」を十二分に楽しんだ。だからと言って、見てるあなたが子供でいていいというわけではない。その辺よーく考えて、立派なアートやくざになろうね。  「絵描き」と「お金」と岡本太郎 岡本太郎展  もう何年も前、あるテレビ番組に岡本太郎氏が子どもの絵の審査をやるコーナーがあった。たまたま見ていたその日、なんでそんな話になったかは覚えていないが、岡本氏が、 「お金はね……関係ない」  と発言したら、司会の古舘伊知郎氏がすかさず、 「じゃあ先生はギャラなしでよろしいんですね」  と言ったので、私はびっくりした。岡本氏がいくらもらっていたか知らないが、一般的にテレビの出演料は、業界内の人間に比べて物書き、絵描きなどは格段に安いので、ギャラに惹《ひ》かれてテレビに出るなんて端《はな》からありえない。きっと古舘氏は岡本氏のことを、そのくらい突っ込んでもいいくらいの大金持ちだと思ったのだろうし、私が知らないだけでそうなのかもしれないが、岡本氏はそれには何も言わず、あのいつもの、顔の内容物が中心から外に向かってのGに思いきり耐えている表情で、きょとんとしていた。  岡本氏の内に溢れる作品の数々を見たあとで金の話になるのはなぜか。たぶん、こういう作品を描くのにはかなりの怒りも必要だろうと思ったのと、古さをまったく感じさせない数十年前の作品に触れ、感動したと同時に「これってもしかしたら描かれた時代が早すぎて今まで売れなかった絵なのでは」と勝手な推測をしたからだ。  バブリングな頃のゴッホの絵の価格とか、どうしてもある程度の広さの家に住んでいないと仕事にならないとかのせいで、芸術家を必要以上に金持ちと思い込んでいる人々って、いる。それに、絵画の業界って、絵の使用料、つまり著作権に関してはすーごくいいかげんな気がするけどどうなのかな。私は昔一度「絵を印刷物にするのに、作者に金など払う必要はない」つまり「紹介してやっている」気分の絵画業界の出版社の人間と大げんかをしたことがあって、その人のほうが変わり者だと思いたいけど、なーんか絵画の人の周辺の経済観念って、怪しい気がする。好きでやってる本人は、四の五の言わずにひたすら描き、エージェントのいない人はこれまたひたすら営業するしかないのだが、私が気になるのはその周辺の人ね。さっきの「ゴッホ数十億円」の頃、私はやはりテレビでそのコメントを求められ、 「それよりも今生きてる絵描きたちに金を出そうって人はいないんですかね?」  と言ったのもついでに思い出したが、そのときだって誰も同意なんかしてくれなかったぞ。まあいいや、そんなことを考えても考えなくてもこの絞り出したような立体たちのうねり踊る岡本氏の作品は、人を興奮させてやまない。作品のタイトルを見るだけで岡本氏が、あの表情で両手を広げて、 「これはね……駄々っ子、だ(そしてしばしの沈黙)」  と言ってるところも目に浮かぶしね。  ピカソの女たち ピカソ展  一昨年だったか、「ダリ・天才日記」という映画を見た。同時期にやってた「アンディーウォーホル・スーパースター」のほうはドキュメンタリー仕立てだったが、ダリのほうは役者がそれぞれを演じる作り。その映画で、ダリがピカソを初めて訪ねて行く場面がこうだ。「ドアをノックするダリ。ややあって、汗だくで半裸のピカソが息も荒く、勢い良くドアを開ける。圧倒されつつ挨拶するダリに、いかにも今忙しいんだという風に受け答えるピカソ。部屋の奥から『パブロ』と女の呼ぶ声がする。冷たくはないがそうそうに話を切り上げてドアを閉めてしまうピカソ。ダリはただあっけにとられている」。ピカソは相当お盛んな人だったと聞く。二股三股は当たり前、セックスしながら女の体の上で作品を作っていたとしか思えないくらい、作品と恋人の量が並大抵ではないそうだ。一方ダリは、一人の女性を永く愛した人であった。  ここでますます話は下世話になっていくのだが、やっぱモデルと関係したり、関係したらモデルになってもらってた、としたら、失礼だがはたして、モデルになった女性たちがみんなピカソの絵になるのを喜んでいただろうか? だって、わかりやすい美しさなんてほとんどないじゃん、ピカソの絵って。いくらなんでもピカソと関係した女全部がもれなくピカソの芸術を理解してるわきゃ、ないよ。 「あたしー今ー、ピカソの絵のモデルとかやってんですよねー、これー、この絵! あたしなんですよーこれー」  と自分の周りの人に話してどの程度の自慢になるか。でなければ、 「あたしー、今ピカソとつきあってるんですよー」  つーのとどっちが誇らしいか。でも、どっちもやんなきゃ、損だよなー。たとえ何が何だかわからない顔に描かれようが、そこらじゅう姉妹だらけになろうが、ピカソのエネルギーに体ごと飛び込んで行った女たちのわくわくするような気持ち、わかるような気がする。不純な動機で近づいたのもだいぶ混じってるだろうが、大抵は気がついたら先っぽが入ってた、というやつだったんじゃないだろうか。結構なことだ。箱根のピカソ館(私が行った時は陶器や織物の作品が多かった)に行ったときもそうだったが、ピカソ展には「エネルギーをもらいに行く」という感じがする。今回は特に広告がうまい。「夏だ、ピカソだ、天才だ」というコピーの横で、パンツ一丁で踊っているピカソ。 「また面白いの出来ちゃった、オレってもしかしたら天才かもしんないなんちて」  と吹き出しを入れたくなっっちゃうようなその写真。そして見せ場はリノカット。かなりいい歳になってからリノリウムを削って作り始めた版画だという。がりがり削る音の聞こえてきそうなその作品。「おっちゃん、自分の手もそうとう削っただろーな」と声を掛けながら眺めるのが正しい。  クレーの描く「カケアミ」 パウル・クレー展  私の仕事である漫画は、おもに黒一色の線と点と、ベタと呼ばれる黒塗りで画面を構成する。ペンで描く他に、スクリーントーン(模様の印刷してあるシール)なども使うが、これはもともとデザイン用品で、昔は漫画専用のトーンはなかった。句点のような白い円が並んだトーンに「果樹園」なんて名が付いているのを見て、地図に使うのかなあなんて思いながら、カーテンに貼ったりした。今は漫画専用のトーンが沢山販売されているが、その中には、恥ずかしいくらい漫画専用のものがある。そのひとつが、「カケアミ」。ペンの線を沢山引き、その上から角度を変えて重ねてまた引く。この掛け合わせでアミ(もとは網か編みなのかも知れないが、印刷業界ではベタ以前の薄暗い部分をひっくるめてこう言う)を作ったものだ。そう、もうおわかりでしょう。素描の際の、陰の表現なのよね、これ。だから本来なら、ものの厚みや素材を知った上で、手で仕上げていくはずのもの。それがなぜ、貼れば出来上がりのシールになっちゃってるのか。ここが日本の漫画ならではのことだが、日本の漫画って、線の数が多いほうがどうも偉いらしいんだ(貧乏くさ)。だからスクリーントーンも昔は手抜きの道具と言われ、持ち込みの新人が原稿に使用していると、生意気だとおこられた(私だ)。ではほかの「漫画家の卵」たちはどうしていたかというと、とにかくこつこつとカケアミの練習をしていたのだった。だってその頃、カケアミやナワアミ(カケアミを縄状にしたもの)や点描が出来ればムヤミと感心されたのよ、漫画がつまんなくても。そして今。それらは全部スクリーントーンになって売られている。ばーかでー、と思っているのは私だけではないらしく、その「恥ずかしいトーン」は場面を茶化すときにバックに貼られることが多い。スクリーントーンも晴れてふつうの漫画の道具に昇格し、使う人のセンスで表現となりうる(もともと当たり前だが)ことを今ではみんな知ってる。で、パウル・クレーの素描だ。彼のカケアミはなんて美しいんでしょう! というのは今だから言えるのだった、私としては。その後彼は「色に目覚め」、ペインティングを始めたということらしいが、全部の作品を見たあなたなら、彼がペンの一線もモザイクタイルのような色の一筆も同じに考えていたことがよくわかるはず。ペンにしても筆にしてもクレーが重ねていたのはいわば細胞であろう。たとえば生きものを語るときに、始終生きものと暮らし、行動を見つめて何かを得る人もいれば(たぶんピカソ)、生きものの皮や肉を手に取り、飽かず顕微鏡を覗いて、その生きものの全体像をつかむ人もいると。まあそんなことで本人にとってはさして違う表現ではなかったんじゃないかなと。私が思っただけですが。しかしこのパウル・クレーって名前、ポール・リーとかって読むとなんか芸術家って感じがしないね。関係ないか。  ゴッホの芸術・ゴッホの生き方 ゴッホ展  たとえば清楚なワンピース姿の美女を見て、どんな下着をつけているか、機械まで使って透視を試みるのはやはり悪趣味というもの。しかしそこで彼女が、だれにも予想できなかった淫らな下着をつけていたとしたら。話ゃ、別だよな。  ゴッホの自画像にエックス線をあてたら、その下に裸婦のラフ、なんてしゃれてる場合じゃないが、それがあったというのは話としてはずいぶん面白い。でもさー、一体誰がそんなこと思い付いたの? それとも絵にエックス線をかけるってのは美術の業界ではけっこうポピュラーなことなのだろうか。他にも「ひまわりに使われているこのキャンバスはエックス線で見ると別の絵にも使われていて……ゴッホはこの布を気に入って沢山買ったらしい」などの解説も展示されていた。こどもの頃見てた、円谷プロの「ウルトラQ」の、「特撮解説コーナー」のようなその味。そりゃあ話としては面白いよ。でもきっと、画家が生きてたらやれない分析かも。ダ・ビンチの「モナ・リザ」の骨格を想像したら、ダ・ビンチ本人のそれと酷似していたという解説をいつだかテレビで見た覚えがある。ゴッホもある時期から自画像の制作が多くなっていったというが、自画像とわざわざ言わなくても絵にはいつも自分が乗り移ってしまうのは漫画家も同じ(漫画家の机の前には鏡があることが多い)。  このゴッホのパンフレットの中には「炎の人、ひまわりの画家」という表現があるが、どうしても「狂気の人、53億の画家」になっちゃう私。でも生きてる間に絵が売れたのはたった一枚だけで、四百フラン(今の円で一万なんぼかくらいらしい)だそうだ。  死んでから絵が高く売れる画家になるということは、神に召されたあと天国で幸せになれるという思想に共通するものがある。まあ生き地獄でも後の世を考えればというのもありか。しかし、以前呉智英さんとお話ししたら、 「53億円という、ほとんど権力にもなりえるくらいの金を、その時代にそんな情緒不安定な画家が直接握っていたら周囲の人はとてつもなく迷惑」  だそうだ。そうかもしれない。そんな、自分の耳を切り落としちゃうような人に53億円。  ゴッホの精神病の治療のための薬が、「黄色が強く目に入ってくる副作用」があったとかで、そういう分析もつい興味をそそられる。この半年、美術展評というおそれおおいこの仕事で一番感じたことは、芸術に関わる者はその生き方ごと芸術でなければほんと、意味ないのねってことだった。現代も、あの人面白いけど、ちょっと直接は関わりたくないよねってくらいの人が面白い芸術家なのかもしれない。最後に、子(乳児)連れで回った半年であったが、Bunkamura 以外は子連れに優しかったなと一応触れておこう。  その後うっかり(うっかりって何だ)Bunkamura の文学賞をいただいてしまったので追加。Bunkamura の美術展にベビーカー押して行ったら、受付の女の子が、 「他のお客様のご迷惑になりますので、ベビーカーはお預りいたします」  ところが平日のまっぴるまで、他のお客様はほとんどいなかった。その上 Bunkamura の展示室はたいへん広い。いくら私でも伊勢丹美術館などでは、何も言われなくても息子は抱いて見た。しかし抱いてると重いし集中できないのだ。 「他にお客がいればでしょ?」  とそのままベビーカーで行こうとしたら、その女は、 「他のお客様のご迷惑になりますのでお預りいたします!」  と追いかけてきてついに私たちからベビーカーを奪い取ってしまった。どうやらその女がバカだったらしい。  〈了〉  あ と が き  エッセイの依頼を受けなくなってどれくらい経っただろう。書いてないんだから、もうエッセイ集は出ないものとなんとなくどこかで思ってた。自分で企画を立ててそれにそって書く、というのなら別なんだけど、ただただ個人的なことはもう「あとがき」に入れるだけにしてたし。なのに、それをも引っ張り出してエッセイ集にするという手があったとは知らなんだ(これも一度使ってみたかった言い方)。聞くところによると、もうそれくらいしかエッセイ的なものがみつからないご年配の大作家によく使われる方法らしい。茂木さーん……いいのか、こんなことして……。茂木さんがそれでもいいと言うならあたしはいいけどさ……。  しかしやっぱりエッセイ集ってのは、エッセイを連載で書いているような人のものがいちばん良いんじゃないかなと思うんですがねえ。こう、なんて言うの、嬉々としてエッセイ書いてる、って感じのあるさ。思えば私もそういう頃がありました(遠い目)。なんかさ、読み返してもやっぱなんだか、舐めてるもん、私。エッセイってもんを。文体に真面目さとかがないよ。これじゃ「波」にボツくらってもしょうがないかなって感じ。自分では、「ファザーファッカーの続きみたい」と思った高校の頃のとこ、あの描写がいちばん「お〜」と思ったな。「お〜やっぱし小説書こう」って。「エッセイに賭ける」って気持ち、「エッセイによって私をわかってくれ」みたいのがないよね、この作家(私だけど)。  まあそんな私が言うのもなんですが、デザインは良いよ。わたしゃこれが楽しみでのう(ばばあの演技で)。デザイナーさんと遊ばないと遊ぶとこないしな、こういう場合。で、仲條さんとこに駆け込んだ。駆け込んだら、沼田さんがいた。スタイリストの佐藤さんとお買い物に歩き、正月そうそうヘアメイクの石川さんも有り難う。あとは茂木さんが頑張って本を売ってくれることでしょう。  文庫あとがき  しかし古いエッセイを文庫にするのは難しい。しつこいようだけどよくこんな本作ったよ茂木さん。 「やられ女の言い分」は忘れもしない、映画『ファザーファッカー』のパンフレットに書いた文章。こんなタイトルになったのは、その頃三十六歳だった私が、十歳も年下の編集者に強姦されて 「この仕事を得て救われたと思い込んでたのに、一番信頼し尊敬してきた職業の人間に育ての父親と同じ事をされてしまうなんて。あたしっていつまでこんなことしてなきゃいけないんだろ」  と心からがっかりしていたからだ。その事を相談出来なかった当時の夫からは、その二日後夫婦生活を求められ 「今日私、そんな気になれない」  と言ったのにやられてしまい、その事を相談することが出来た当時のボーイフレンドからは 「なんでやらすんだ。やらすくらいなら死ねばいいのに。どうせまたいやらしい格好をして行ったんだろう。義理の父親まで誘惑したような女だもんな」  と言われていた。  そして運の悪い事に私はその編集者からクラミジアを伝染《うつ》され、さらに(その編集者は射精まではしなかったので前夫だと思うが)妊娠してしまっていた。クラミジアは他には大した症状はないらしいが卵管が腫れる。そのせいで受精卵が卵管に詰まってしまって子宮外妊娠となり、受精卵は卵管とともに破裂し出血しだした。妊娠中の腹腔内の出血はよっぽどの事がないと止まらない。血で臨月のようにお腹が膨らみ、失血死する人もいる。腹腔内の血だまりは腸を圧迫し、私は一晩中のたうち回って苦しんだが、前夫は「病院に行こう」とはひとことも言ってくれなかった。翌日動けるようになった私が「病院に行く」と言うと付いては来たが、即刻入院→開腹手術になったことを外には秘密にし、勝手にお見舞いも断っていた。私から話を聞いていたボーイフレンドは見舞いに来たが、弱って入院している私、というシチュエーションに興奮し、体を触りまくり、どんな下着をつけているか確認し、 「これを医者に見せるのか」  などと言った。  手術のとき無くしたのは卵管一本だったが、前夫は 「卵巣も取ってたよ。だってくっつけといてもしょうがないじゃない」  と私に言った。前夫は本当は子どもが嫌いだった。私に卵管だけでなく卵巣も無くして欲しかったのだ。  その後、私はだんだん鬱病のようになっていった。当たり前だ。しかし無神経で傲慢な男たちはそんなことに気付いたりしなかった。強姦相手の出版社からは、編集長と社長から謝罪の申し込みがあったが、謝ってもらってももう二度とそちらとは仕事出来ないから無駄です、私も会うのは辛いからどうかそっとしておいて欲しいとお願いした。しばらくして編集長から煙草を吸わない私におわびのライターが送られて来たので友人にあげた。  私が強姦されたときに着ていたのはオーバーオールで、セクシーな服でもなんでもなかった。そのとき着ていた下着は捨てた。あれから私はオーバーオールが着れなくなった。もうそんな年でもないからいいんだけどね。でもこないだ舞台で早替えで一瞬だけ掃除婦をやったとき、衣装合わせでちょっとだけ着た。 「強姦されたとき着てたからずっと着れなかった」  と言ったら広岡由里子ちゃんが 「別の服にしてもらったら……?」と心配してくれた。結局言わなくても別のになったんだけど。  相手の出版社の名前も、未だに見かけるだけで体が堅くなる。なのに例のボーイフレンドは、やっと病気が治って次の妊娠がわかって喜んでる私に、その出版社のある本を探していると言うではないか。一緒に書店に行こうとしていた私はそれを聞いてぞっとし、 「事情を知っていながらそんな事言うの? そんな人と一緒にいたら流産しちゃう」  と別行動した。なのに追い討ちをかけるようにその後、 「悪いけどあの本、その後買って読ませてもらったよ」  とそのベストセラーの感想を語りやがった。私はその男に心底嫌気がさし、妊娠中に完璧に縁を切り、無事二度目の出産をしたはいいがひどいマタニティブルーを起こし、育児で睡眠不足の上働き続けたせいもあって息子の顔や娘の指にけがをさせてしまった。それを見てまた無神経な前夫は 「あーあー、こりゃ痛そうだ」  と言うのでとうとう声を上げて泣いた。そして、子ども二人になったら、あまり無理して仕事すると子どもが危ないという結論に達し、産休を取った。するとこんどは 「働かなくなった」  とぶつくさ文句を言う前夫……次から次に襲いかかってくる男達の身勝手で無神経な責めに、 「私はもう二度と男のことを好きになったりすることはないような気がする。なんでみんなそんなに恋愛したがるの?」  とその頃は本気で思ってました。  ……と、いうような鬱状態でも容赦しない編集者はいるもので、この『やられ女〜』だけでなく、対談集『口だって穴のうち(角川文庫)』もそんな人が前夫と有りものを集めて作っちゃったのですが、まあ今はその男たちとも縁を切ることが出来たし、私の気持ちの動きにも気付くし病院にも連れてってくれる優しい夫ユーヤと再々婚したおかげでこんなことも書けるようになりました。結果オーライってことでしょうか? そうなのか?  私だけじゃないと思いますが、弱っているときほど、自分を守ろうとしてか攻撃的になる傾向があります。今も妊娠してますが妊娠中もそうです。ゴキブリの子どもを見ても、今こいつをたたき殺しておかないと成虫300匹に! みたいな気になるわけです。ちょっとしたことだと思って大目に見ているとどんどんつけあがられてエラい事になった経験が多いからかも知れない。妊娠中は特に、このあと出産+も一人増えた育児を控えて今より余裕のある状態にはなんないわけですから、ちょっとした無神経な発言にも敏感になります。考えてみれば自分とその子どもらを守るため当然のこと。なんですけどそんな訳だったので、この本を最初に作ったとき、仲條さんはもっと上品なデザインも提案して下すったのに私が 「ハダカで行きます」  と言い張ったのでした。すいません。なんと私が考えた表紙コンセプトは「池野めだか」で、 「とっくに済ませちゃってもう相手は私には何の用もないのに、私一人が負け惜しみで、強姦されたやつの背中に『今日はこのくらいで勘弁しといたるわ!』と叫んでるとこ」  だったの。それであんなに良い表紙。すばらしいことです。仲條さん沼田さん、スタイリストの子守り上手な佐藤さん、メイクさんもほんとにありがとうございました。正月まで働かしてすいませんでした。あれで仲條さんを病気にしちゃった気がして心配でなりません。でもやっぱり仲條さんのデザインが好きでまたお願いしてしまいました。  文庫になるのは嬉しいけど内容は……というのも気がかりだったのですが、担当の庄野さんがその度に 「こういうところが面白いですよ」  とうまく誉めてくれるので仕事が進みました。感謝してます。なんかこれで文春では文庫になってない私の単行本はもうなくなっちゃったってことなので大変。また新しい本、出さないと。どなたか連載下さい。書き下ろしはたぶん無理だし。 2001年8月の終わりに                    内田春菊 初出誌 やられ女の言い分  「ファザーファッカー」プログラム 一九九五年 A先生のこと  秋田文庫 一九九四年六月二四日 出産の頃  「オール讀物」一九九四年三月号 私の貧乏性  「小説現代」一九九三年七月号 私の母校  「週刊文春」一九九三年一二月一六日号 実はあったファザーファッカーのあとがき  未発表 ビール日記です  「小説現代」一九九三年一二月号 私が不倫をやめた理由  『24000回の肘鉄』マガジンハウス 一九九三年一二月一六日 初めてのマタニティ・スーツ  一九九二年九月二三日 待ち遠しいったらありゃしない  「ワンダラー」一九九三年一月号 子守歌というものは  「スウィングジャーナル」一九九三年三月二八日 どうもありがとう  「ドゥ マゴ通信」一九九四年一〇月 中村有志さんのからだ  (パルコ劇場パンフレット) 女が考えるセックス  「プリンツ21」一九九三年一〇月一日 ガイジンになるには  「ホットドッグ・プレス」一九九三年一〇月二一日 一生働くのでなければ働くとは言わない  「メナード」一九九四年一一月二二日 動物のように  (不明) 悪女な奥さん エッセイ  「メディアファクトリー」一九九五年三月三〇日 もう「日常くん」は描かない  『ストレッサーズ』竹書房 一九九四年一月二三日 猫の額  「ネムキ」一九九四年五月三〇日 活き造りなあいつ  「ネムキ」一九九四年七月三〇日 しっぽの先にあるものは  「ネムキ」一九九四年九月三〇日 編集犬  「ネムキ」一九九四年一一月三〇日 男より視線が好きかって?  「ヴューズ」一九九三年九月八日号 ツキを呼び込む10ヵ条 あとがき  扶桑社文庫 一九九四年四月三〇日 最近のナゾ  「文學界」一九九三年一二月号 子供について  「保育専科」一九九三年九月号 私はレズじゃない  書き下ろし 私はピアスを入れてない  書き下ろし エッセイを書かないわけ  書き下ろし だんなさんは何と?  書き下ろし 男の数について  書き下ろし だらだらしてます  「オール讀物」一九九四年六月号 全作品リスト 〜'93前半  『ナカユビ』ぶんか社 一九九四年一月一五日 私たちは繁殖している エッセイ  『私たちは繁殖している』ぶんか社 一九九四年六月二五日 愛のせいかしら なかがき  『愛のせいかしら』青林堂 一九九三年三月一〇日 ファンダメンタル あとがき  『ファンダメンタル』リイド社 一九九三年一一月二二日 ファンダメンタル 文庫あとがき  新潮文庫 一九九七年三月一日 ブキミな人々・編集後記  福武文庫 一九九二年一二月一〇日 困ったちゃん 文庫あとがき  新潮文庫 一九九六年三月一日 春菊あとがき  『春菊』青林堂 一九九三年九月二〇日 家庭ものはもうたぶん書かない  『HOME』ぶんか社 一九九七年二月一五日 私の部屋に水がある理由 文庫あとがき  文春文庫 一九九六年二月一〇日 おさかな話 エッセイ  『おさかな話』ぶんか社 一九九六年九月一〇日 ナカユビ あとがき  『ナカユビ』ぶんか社 一九九四年一月一五日 呪いのワンピース あとがき  『呪いのワンピース』朝日ソノラマ 一九九三年九月二五日 吸血少女対少女フランケン あとがき  『吸血少女対少女フランケン』朝日ソノラマ 一九九三年九月二五日 南くんの恋人・あとがき'93  『南くんの恋人』青林堂 一九九四年一月一日 養老孟司さんへ  『からだの見方』ちくま文庫 一九九四年一二月五日 私も愛人  『荒木経惟写真全集 第19巻』平凡社 一九九七年六月二〇日 群ようこさん解説  『びんぼう草』新潮文庫 一九九四年一一月三〇日 母と産婦のちがい  「ガロ」青林堂 鴻上さんの優しさ  『鴻上夕日堂の逆上』新潮文庫 一九九三年九月一一日 鴻上氏の秘密  『ここではないどこかへ──鴻上尚史の世界──』角川書店一九九四年三月二日 東京乾電池の「桜の園」  「カット」一九九五年一月号 山田詠美さんについて  一九九三年七月三〇日 頭を楽にしよう  「本の話」一九九六年一二月 青木光恵ちゃんへ  リイド社 一九九二年一一月九日 貸本少女恐怖マンガはこんなにも笑える!  「ホットドッグ・プレス」一九九四年六月一〇日 ビショップ山田さんへ  「SPA!」一九九三年七月二四日 「口だって穴のうち」あとがき  『口だって穴のうち』洋泉社 一九九六年二月一〇日 大槻ケンヂくんへ  『リンウッド・テラスの心霊フィルム』角川文庫 一九九二年九月二四日 中島らもさんへ  『変!』双葉社 一九九五年一一月五日 『断筆祭・ザ・ブック』によせて  『筒井康隆断筆祭全記録』ビレッジセンター 一九九四年一〇月七日 山本容子さんのこと  「美術手帖」一九九四年四月号 コクトーの絵って漫画みたいだ!  「太陽」一九九三年七月号 キースが残してくれた「希望」  「太陽」一九九三年八月号 「絵描き」と「お金」と岡本太郎  「太陽」一九九三年九月号 ピカソの女たち  「太陽」一九九三年一〇月号 クレーの描く「カケアミ」  「太陽」一九九三年一一月号 ゴッホの芸術・ゴッホの生き方  「太陽」一九九三年一二月号 単行本 文藝春秋刊 一九九八年二月 底 本 文春文庫 平成十三年十月十日刊