内田春菊 もんもんシティー 目 次 第一部 あのころの風俗  顔見せ ソープの「B」  ゲイバーの「B」  ロリータショップの「P」  SMクラブの「S」  性感マッサージの「Aさん」  ストリップ劇場の「R座」  包茎手術の先生「Kさん」  使用済み下着販売の「Iさん」  ゲテモノ料理の「S」  壁むこうマッサージの「H」  『週刊文春』でのテレクラ・レポート 第二部 呼びとめる人たち  お化粧品、何使ってますか。  今、おサイフにいくらある?  奉仕活動とかにご興味ありますか?  印かんや運勢にご興味ありますか?  募金にご協力おねがいします。  なおしてあげる。  彼女、モデルになりません?  英会話なんかに興味あります?  ナンパじゃない、ナンパじゃない。 第三部 ふつうとヘンのはざまに  有名店、「A」  下北沢ロボット廻り寿司  あ る 合 宿  あ と が き  文庫あとがき 第一部 あのころの風俗  これからお話しする、風俗などのお店は、その昔、『二〇〇一』という男性雑誌(現在は出ていません)の記事用に、担当編集者のサトさんと、コーディネーターのヤナギサワさんと三人で、取材にまわったところです。  そのころは、小さなイラストルポであっさり紹介しただけだったのですが、今思うと、ほんとうに貴重な体験でした。  なので、それを、あとで思い出して、いろいろ文章にかいてみたのが、この第一部、 「あのころの風俗」  というわけです。  お店の名前などは、頭文字だけにかえてありますが、それは、お店の内容とかには関係ないことまで、私がいろいろ脱線して考えをふくらませていっちゃったりしたせいと、今はもうお店の内容がかわっていたりお店がなくなっていたりしているかもしれないというのもあるかなと思ったからです。  顔見せ ソープの「B」  最初は、まー、手はじめと言っては何ですが、ソープランドでした。  とは言っても、まだそのころは「トルコ」と呼んでいたんですけど。でも「トルコ」と書いていくと、私じしんまた「トルコ」と呼ぶくせがとれなくなってしまいそうなので「ソープ」とかえて、お話をすすめますね。  その「ソープ」は表向きは「ディスコ」ということになっていて、(とは言っても当然お客はソープだと知って来るわけですが。)踊っている女の子が、実はソープ嬢なんですね。で、好きな女の子に声をかけると別室でサービスしてもらえるんですって。  その話を聞いたとき、私の頭の中には赤坂のムゲンや六本木スクエアビルのディスコが浮かびました。そこで踊っている女の人が、ソープ嬢! これは、すごい。ちょっと勇気を出して声をかけるだけで、ディスコ娘《ムスメ》がいきなりサービス! と思ったのです。実はそれはずいぶんな思いちがいだったわけですが。でもお店の人はもしかしたら他人がそこまで想像するのを知ってたかもしれない。わかんないけど。  さて取材の当日、編集のサトさんと、コーディネーターのヤナギサワさんと三人で、待ち合わせてタクシーに乗りました。 「吉原までおねがいします。」  言ったあとで、だんだん、女ひとりに男ふたりで吉原に出かける異様さに、三人とも気づいてきました。タクシーの運転手さんの、 「ナニゴトか、聞いてみたいオーラ」  を感じとったのです。  ホステスさんの、お客に来てもらうやり方のひとつに「同伴」というのがあるのは私も知っていました。お店の外で待ちあわせておいて、お客といっしょに入店するというのなんですが、ホステスさんならともかく、ソープの人はお客ひとりに女の人ひとりじゃないと、ちょっと変なわけです。そこで、おちゃめなサトさんは、 「実はこの人をソープへ売りとばしに行くんですよ。いくらで売れますかねー。」  などと言って運転手さんを安心させたのでした。  車が、いよいよ私にとってははじめての、吉原へはいっていきました。減速すると、噂《うわさ》に聞いていたとおり、左右からバラバラと呼び込み役の人たちが群がってきました。ぶつかりそうで、たいへん危険です。私は運転手さんの後ろにすわっていたのでその人たちには見えなかったのです。女ひとり男ふたりで降り立つと、やはりみんなとまどった眼でこちらを見ています。カンのいい人は、 「取材ならうちもお願いしますよッ。」  と声をかけたりしています。他の人たちも、言葉はみつからないけど、何か声をかけたいなという人なつっこい表情です。私がねこをかまったりしただけで、 「そうだよ、いつもこのへんにいるんだよーん。」  と言ってくる人もいました。築地の魚市場の人たちに、ふんいきが似てるなあと思いました。築地の人たちも、よそから来た人を目ざとく見つけて、何かとかまってくれたりするんですよね。とかやってる間に、取材するお店につきました。看板には、 『ディスコ B』  と出ています。玄関はまるでカフェバーのようです。黒と金をつかってまとめてあります。 「取材に来たんですがー。」  と、ぞろぞろ不器用にはいっていくと、中もモノトーンでまとめてあって、ちゃんとディスコです。  ドアのすぐ右のせまい待合室の丸テーブルで、コーヒーをいただきながら、まず店長さんに質問しました。女性は何人ぐらいですか、とか、浴室はいくつありますか、とかそーゆーごくふつうのことから聞いていきました。  でもそれはコーディネーターのヤナギサワさんや編集のサトさんが聞いてくれていたのでした。私は何をどう聞いていいのかよくわからなくて、ただぼーっとしたり、お店の中をじーっと見たりしてたように思います。  店長さんのお話では、 「このお店では、フロアで女の子が踊ってるときに、『あの子呼んで』とボーイに言って女の子を選べます。」  というのが売り物らしくて、 「ディスコ娘《ムスメ》がいきなりサービス」  なんかじゃぜんぜんなかったんでした。結局顔見せ→人選という部分にちょっと趣向をこらしてみた、とそういうわけだったのです。でも私は「なーんだ」なんて思いませんでした。 「そーか、気にいった女の子と遊べなくてくやしい思いをしたりする人って、いるって聞くものなー。女の子をまず最初に見せちゃうというのは、やはりヨユーのあるやり方なのかもしれないな。」  というふうに考えました。ダンスフロアを見せてもらったとき、もっとそう思いました。  だって、お客さんて、みんな苦虫をかみつぶして正露丸といっしょに飲みこんだような顔をしてたんです。最初はなんでみんなそろってこんなにぶすーっとしてるんだろうと不思議に思ったのですが、あとになってなんとなくわかりました。「照れ」だったのです。あんな顔してるんだから、もし選べない店であまり好きになれない女の子が来ても、きっと何も言えずに悔いを残しながら遊んで帰ったりするのにきまってます。  そこは想像してたよりはるかに狭いフロアでした。内装はディスコだけども、面積は小ぶりのスナックという感じです。  お客さんは三組いましたが、挙動不審な女がのぞいているのを見ると(私のことですが)みんなけげんそうな顔をしました。サトさんが、 「みんな内田さんがソープ嬢なのかどうか知りたがってますよ。フロアで踊ってみましょう。」  とけしかけたのですが、さすがに踊る勇気はありませんでした。だいいち、そんなことをして、取材でしたというのがばれたら、きっとみんな怒るでしょう。  あとで浴室も見せてもらいました。世間を忘れさせてくれる(と思われる)どぎつい赤と黒のタイル。透明の洗面器に有名なすけべいす。関係ないけど有楽町の西武と阪急のくっついたビルはすけべいすに似ていますね。浴室はフロアにくらべて古くからあるといった感じでした。やはりもともとあったソープのお店に、手をかえ品をかえという感じでもようがえをしているのでしょうか。せっけんは、牛乳ベビーせっけんなのだそうです。ホットドッグ食べるときにマスタードを入れるような容器が置いてあります。ローションが入っているのだそうです。浴場よりちょっと高くなった床のところに、寝台があります。シンプルな白のシーツに白の枕カバー。ちゃんと、「なんとかリネン」という文字も入っています。  寝台の横に何十本もタバコが立ててある箱がありました。 「すべての銘柄のタバコが買いおきしてあるのです。」  と店長さんはおっしゃってましたが、お湯をつかうとこにこーゆーふうに置いてあったら、よく吸われるタバコ以外は、しけってしまうような気もします。店長さんは、若くて明るい人でした。私がイラスト用にスケッチするのを見て、 「いーねェ、こんど僕にも絵おしえてよ。」  と声をかけたりしてました。  さて、いよいよお店の女の人にインタビューです。店長さんが呼んでくれたのは、一週間前に入店したばかりの、アイちゃん二十二歳でした。正面にスリットが入ったミニの制服を着ています。光るペンダントをした胸元は、深めに開いています。小柄な人です。 「あの、いちおうスリーサイズはおさえておいて下さい。」  とサトさんが言うので、そんなものかもしれないと思ってサイズを聞きました。バスト88、ウエスト60、ヒップ86ということです。言い忘れましたが、こういう場合もうひとつおさえておかなければならないのは、お値段でしょう。それは、入場料二千円、入浴料四千円、サービス料三十分七千円です。ふつうのソープでは最低でも一時間分のお金(少なくとも二〜三万)を払わなければならないそうなのですが、ここでは三十分で帰れば一万三千円ですむということです。会ったばかりの女の人と三十分というのは、ちょっと情けない気がしますが、十人に四人は三十分お客なんだそうです。  話をもとに戻して、そのアイちゃんですが、うわ唇がちょっとめくれあがった、ちょっと日やけ色の、元気そうな女の人でした。失礼だとは思ったのですが、私は彼女の表情やしぐさをくいいるように見てしまいました。 「踊ってて、汗はかきませんか。」  なんて、どーでもいいことを聞いたりしてお茶をにごしたりしていましたが、 「踊り、上手そうですね。」  と聞いたときの、 「ヨコスカだもーん!」  という彼女の答えが印象的で忘れられません。  取材を終えてから、近くの「根っ子」という喫茶店でお茶をのんでいると、となりに若い女の子がふたりいて、何か熱心に話し合っていました。  ひとりはかっちりしたスーツを着て髪型はレイヤード、もうひとりは、赤い髪に細かいウエイブのパーマをかけて、信じられないほどほりの深い顔だちです。 「混血の人なんでしょうか。」 「見るからに整形じゃありませんか。」  はっとしてよく見ると、三角すいでも埋め込んだような鼻は、ほんとに不自然です。見てるうちに、だんだん、さっきからココロの中にあった暗いきもちが少しずつ大きくなってきました。サトさんがいろいろとなぐさめてくれましたが、なんかどうしようもなく、暗い顔になってきて自分でも困ってしまったのでした。 (あのころ=84年10月)  ゲイバーの「B」  私は、ゲイバーというものに偏見を持っていました。  ですから、二度目の取材はゲイバーだと聞いたとき、内心気持ちがきゅっとひきしまるかんじでした。しかし、 「今回は、取材費も使えますし、ぱあっと。」  と、サトさんはなんとなくうれしそうにしているので、 「まあ、いやな人ばかりでもないし。」  と思いなおしてみたりしました。  なぜ、私がゲイバーに偏見を持っていたのかというと、別にむやみと持っていたわけでなく、いろんなことがあったからです。  まず、何が一番多かったかというと、女の人いじめが多いの。私や友人は、 「あら、お肌荒れてるわよ。」 「あなたなんでそんなオバサンみたいな髪型してんの。」 「イモくさいかっこしてるわね。」  などと言って、よくいびられました。  こういう言葉っていうのは、言う人の人柄によって、いやじゃないときだってあるものですが、ゲイボーイの人のは、おもいきりいじわるくやっても大丈夫、という背景があったようなのです。  その背景とは何かというと、まず、お金を出して遊びに来てくれてるのは、男の客だということ。そして、女の人たちを連れてゲイバーにくるような男の人というのは、内心、女の人がいじめられるのが好きだったりするからです。実際、そばで見ていても、視線や態度などで、ゲイボーイの人の女の人いじめを、あきらかにあおるような人がけっこういます。  なぜ、ゲイバーにくる男の人は、女の人がいじめられるのが好きなのでしょう。私もいろいろ考えました。屈折したサディストなのでしょうか。一見、気まえよく、 「ゲイバーつれてってやろうか。」 「キャーうれしい。」  とサービスしてくれるのですから、やさしい人みたいですが、そうではないのでしょうか。  クラブで歌ったり、接客をしたりしていたころのことから考えてみて、まず、女の人のいる場所をまったく知らないで、すぐにゲイバーを経験する人は、ほとんどいないと思います。  そして、ゲイバーに行って、ゲイボーイの人に対して男のお客が思うこと、それは、たいていは、 「女なんかより、よっぽどやさしくて、よく気がついて、サービスしてくれて、俺の気持ちをよくわかってくれるじゃないか。今まで女であることだけにあぐらをかいている女ばかりの相手をしてきて、損した。」  というようなことなのだそうです。そして、そう思われれば、ゲイボーイの人もうれしいですから、 「そうよ、そのとおりよお。」  と思います。そういうふうに思っていただいたほうが、またお店にきてくれるはずですから。  しかし、もちろんゲイボーイの人のよさはそれだけではなく、いろいろとおもしろいことをして見せてくれます。噂になるほどおもしろいので、女の人たちだって、 「ゲイバーに行ってみたいわ。」  と考えます。  昔は、考えるだけで、 「自分たちでお金を出してゲイバーへ行ってみましょう。」  と実行する女の人は、あまりいませんでした。そこで、気まえがよさそうで、遊びなれていそうなそんな男の人に、連れて行ってもらう。これでは、ゲイボーイの人が女の人いじめをするのも、当然と言えば当然ですね。だって、お金を出して遊びに来てくれる男の人は、内心よろこんでいることが多いし、いくらいじめても、女の人たちが、ゲイボーイの人たちにとって「たいせつなお客さま」に変わることは、ほとんどなかったのでしょうから。  しかし、少しずつですが、そういうやりかたは古くなっていったような気がします。女の人たちだけでも、ゲイバーに行く人がふえてきたからです。  今回取材に行った『B』でも、女性客のほうが多いくらいだそうです。もちろんだれも女の子をいびるような話題は向けないし、ただただ楽しくおもしろいお店でした。  まず、お店に入って行くと、中の人全員が大声で、 「いらっしゃいませー!! ゲイバーへようこそォー!!」  と迎えてくれます。元気のよさもさることながら、ふつうのお店だと思って入ってきたお客は、これで逃げ出しちゃうこともあるのだろうなと想像できて、もうおかしい。  キャパシティは、二十人から三十人くらいでしょうか。そのときも何組かお客があり、六人の人が接客についていました。  まず社長さん、ママさんでしょ、それから声さえ聞かなければ、絶対女の人としか思えないYさん、コミックナンバーワン、と司会の人に紹介されていた、ギャグの芸をするRさん、この四人の人はゲイボーイですが、そのほかにふたり、ばりっとスーツを着てホスト風の、司会の人と、ロック少年みたいな人がいました。  ショータイムがはじまったとき、ロック少年の人も、歌謡ロックみたいなのを歌っていたようだったけど、あんまりよくなかった。ほかのゲイボーイの人も冗談まじりに、 「あれ、バーカ。」  と言っていましたし、まだまだ彼は、見習い期間のようです。  ほかの人の芸は、みなおもしろく、年季がはいっていました。Yさんはとってもセクシーに踊るし、Rさんは、ハゲのかつらをかぶったり、女性器マークをマジックで書いたブリーフをはいていたりして、みんな大笑いでした。  ママさんは、音楽にあわせて下半身のほうに差し込んだレコードをくるくる回したり、社長さんに下半身のほうを握ってもらいながら、思いきったポーズを取ったりして、おどろいた。なんかこう、 「ああ、痛くないのかしら、そんなふうに、扱っていいものなのかしら。」  と心配してしまいますが、男性器を、こういうふうに乱暴に扱うことによって、 「あたし、だってこれ、いらないものなんですもん。」  と言っているみたいで、なるほど、これがゲイボーイの芸かしら、とも思ったりします。  司会の人も、また別の意味でおもしろかったです。気のない司会というか、司会慣れしすぎてておかしいというか、ほら、パチンコ店や駅のアナウンスとかも、よーく聞いていると、独特の流れや発音があって、変でしょう。それと同じなんですけど、 「おいろけー、Y、おいろけー、Y、となっております。」 「コミックナンバーワン、Rちゃん、となっております。」 「フィナーレです、フィナーレ、となっております。」  最後には、フィナーレのBGMでかかった曲の歌詞まで、「〜〜〜〜となっております」と説明したりして、私はそれがとってもおかしくて、あとでマンガにしたりもしました。  ごぞんじの人もいらっしゃるでしょうが、ゲイバーのショータイムでは、芸のよしあしで、チップがちがってきます。芸を見ているお客さんは、 「これはおもしろい。」  と思ったら、お札をタテに細くなるように折って、からになったミネラル用のびんの口に、立てておくのです。芸のさいごに、ゲイボーイの人はそのチップを抜き取りながら退場するのですが、その姿がまたご愛敬です。皆、独特の鼻にかかった声で、 「どゥもォ。」  とか、 「ンありがと。」  とか言いながら、ささささっ、とチップをもらってひっこむのです。  関係ないけど、私は昔、芸のよかった人にチップをあげるタイミングを失って、たいへん気の毒だったので、帰るときそのゲイボーイの人とわざと握手をして渡したことがあります。思わずやったことだったのだけど、あとでなんだか恥ずかしかった。外側は女の子、中身はひひじいさんの化物になったような気分でした。 (84年11月)  ロリータショップの「P」  ロリータショップ、ロリータサロン、そんな言葉から、お店を想像できる人は、なかなかいないのではないかと思います。  ドアをあけたとたん、 「いらっちゃいまちぇー!!」  とかわいい女の子が沢山、出迎えにやって来る、なんてことはもちろんなくて、それは、ある、普通のマンションの、さりげない一室にありました。 『Pの会事務局』  とドアに看板が出ています。 「ナボコフ……」  と、ヤナギサワさんが合言葉を言うと、中から……。  というのは嘘《うそ》で、ノックさえすれば気軽に入れます。  ドアの近くは、ピンナップや、写真、それから、女の子から来た手紙などが沢山はってあります。  中は細長く、両側に棚があって、一見「本屋さんに、小物も置いてある」といったかんじです。  いちばん多い商品は、少女の生写真。ファイル等に、ざっと一万枚は、あるということです。一枚、百円から三百円で買えます。次に、写真集などの本と、ビデオ。それから、少女の使用済み下着、制服、ブルマー。そしてロリータカセットテープ。  私は、この「ロリータカセット」というのを聞いて、はっとした。つい、 「いや…おにいちゃん、いたいよう…」  なあんてものを、想像してしまったのでした。 「あのー、これには何が入ってるんですか?」  と聞くと、マスターのTさんは、そばにあったテレコに入れ、かけてくれた。 「あのっこはっぼくっのカーレンダーガール♪」  たちまち起こる、少女の大合唱。  そういうテープだったのでした。かわいいものです。すいません。  奥には、カーテンでしきられたブースがあり、ビデオがその場で見ることができます。Pの会の会員は三十分千円、そうでない人は二千円です。  そうそう、看板にもあるように、ここは、本当はショップというよりは、Pの会の事務局。会員は全国に五百人近くいるということです。外国から届いた手紙も、見せてもらいました。外国に住んでる日本の人の手紙ではなく、その国の人から来たものでした。  私には昔、ロリコンぽい男の友人がいました。その人は、 「知恵がついてないからいい。」  とか、 「子供のころから部屋の中へ閉じこめておいて、自分だけの従順な女に育てたい。」  とか、そういうことを言っていました。けっこう、目が本気だったので、私はなんとなく暗いきもちになりました。だってそれは、 「女がいろいろ経験したり、自分の考えをもったりするのは気にいらない。」  と言われてるのと同じだと思ったからです。  オトナの人間どうし、お互いいろいろあった男と女が対等につきあうということは、その人にとってそんなにめんどくさいことなのでしょうか。何だか悲しくなってしまいます。  それに、どんなに小さいころから育てても、自分の思いどおりになる人間が出来あがるわけはありません。それは自分が育ってきた過程を思い出せば、すぐわかることです。なのに、異性に対して、そういうむやみな従順さを求めるのは、へんではありませんか。  でもそれは、男性がわだけでは、ないらしいですね。オトナになった女の人が、少年に対して、 「セックスを教えてあげて、翻弄《ほんろう》してみたい。」  なんて思うのも、あるらしいです。なんだかそれはそれで、 「少年はすぐセックスに夢中になるはず、そうなれば私から離れられないにちがいない。」  という思い込みがあるのでしょうが、想像するに、なんとなく両方とも、 「恋愛の相手に対し、常に自分が優位に立っていたい。」  というのが、あるような気もします。  それは私の勝手な想像ですが、Tさんに聞いたところによると、 「ひとくちにロリコンといっても、本当にさまざま」  なのだそうです。  少女の姿を愛する人。アニメ派の人。子供のものならヌードで性器まで見られるから、それが好きなのだというだけの人。そういう年齢の娘がいるけど娘には感じませんねと言っている人。私がPにいたとき、ひとりだけお客がはいってきましたが、その人は、小太りで髪の長い、おとなしそうな若い人で、ファイルの写真をなめるように時間をかけて見ていました。  写真のほうも、ほんとうにいろんなものがあります。なんてことはない、かわいい少女のスナップ写真もたくさんあります。 「うちの子、かわいいでしょ。」  と、おとうさん、おかあさんが近所の人に見せて自慢するようなのと、なんのちがいもありません。ちっちゃい子ですもの、パンツが見えていたり、ハダカだったりしても、そんなものです。  しかし、はっとさせられるものもあります。下半身をはだかにして、大きく足を開かせていたり、自らの手で性器がよく見えるようにされているものもありました。  オトナの女の人が、自分の意志でそういうポーズをとっているのなら、あらえっちで済みますが、なんだか心配になります。そんな写真を撮られたことは、オトナになったら、それは、一応意識の上では忘れてしまうのでしょうけども、もしこれが子供のときの私だったら、私はいったいどうしましょう。  それに、もひとつ。使用済み下着などがある、と前に書きましたが、それは、どうやってこのお店までやってきたと思いますか。 「まさか、子供からむりやりはいだわけじゃないですよね。」  と、ヤナギサワさんは冗談できいていました。その質問に対するTさんの答えは、私にとって今回もっともショックなことでした。お店に、その下着を売ったのは、その子の親なのでした。  私とヤナギサワさんは、(言い忘れましたが、今回サトさんは行けなかったんです。)思わず、壁にピンでとめてある、デッサンの狂ったパンダのプリントのついた、たぶんおへそまで届く股上《またがみ》のある、すこしホコリをかぶったその下着を、じっと見つめました。 「最近は、こういうロリータ関係の写真集やビデオなどでも、芸能界への第一歩と割り切ってすすんでやらせる親ごさんとか、けっこういますから。」  とTさんは静かに言うのでした。  心配はしなくても、いいものなのかもしれません。ロリコンといっても、ほとんどはイメージの遊びですから、少女に関するそういうものを集めて、頭の中でホログラフィーのように、可愛い少女の像を結んで、愛《め》でるということですし。  しかし、しつこいようですが、現在の私が、親が私の子供のころの使用済み下着などを売っていたなんてことを知ったら、もしそんなことが、私がものごころつかないときにおこなわれていたら、そのころどんなに家がびんぼうだったとしても、私はやっぱり悩むと思います。古着として考え、ボランティアとして売ったのかもしれませんが、やはり下着だし、さらに使用後でもあり、それはあまりにもおおらか過ぎて、うかつにしてはちょっとわざとらしいと思うのでありました。 (84年12月)  SMクラブの「S」  今回はいつもどおりサトさんもいっしょに、六本木のSMのお店へ出かけました。  六本木とはいっても、その『S』(これは、エスエムのエスでなくて、お店の頭文字です)のまわりは、なんとなくひっそりしていたのを覚えています。  広い道路から少し下に降りた、暗いかどのビルの地下でした。  門をくぐり黒っぽい階段を降りていくと、秘密のふんいきをただよわせたロビー。入口横のカウンターには、恐怖映画のわき役のような、何もかも悟ったかんじのする鋭い目の店長さんがいました。  それもそのはず、ここは、一日体験料二万五千円、入会金五万円、フリードリンクではあるが一日一万五千円(八五年一月当時)なかなか本気でないと入ってこれないかもしれないお店なのです。  ごあいさつをして、たのしみに思いながら店内に入りました。おう、かんじですね、というのが第一印象でした。店内は、ふつうのクラブよりも、かなり暗め。奥は、石を組んだ牢のような壁になっていて、その壁には、木で組んだ大きな十字架。どうも、はりつけをするためのもののようです。ということは、そのへんが「ステージ」であるということになりますね。石壁のところどころ、火を浴びたようにこげていたり、天井からは、太いロープや、鉄の重そうな金具などがぶら下がっていて、おどろおどろしいです。  ステージから見たら右の奥、出入口の近くに、私たちは席をおかりしてすわりました。サトさんのうしろには、人がはいれるくらいの黒いオリが置いてあります。  私の右手には、大きなビデオスクリーンがあって、SMのビデオが次々とかかっています。  お客は、会社のえらい人ふうの初老の男性が、ひとり。あとで、若い男の人がもうひとり来ますが、その人の話はまたあとでするとして、お店の中の人のことをかきます。  こういうところにいる女の人は、 「女王様」  と呼んであげなきゃいけなかったり、逆に、好きなときにいきなり足げにしたりしてもよかったりするようなきがしますが、(しないかな…)そのときは別にそんなことはありませんでした。水割りをつくったり、話し相手になったりして、SMのほうはショーで見るのだ、というお話でした。それだけでなく、雑誌が取材にやってきたときいて、写真は困るといって逃げまわっている人までいたようでした。写真は撮りませんからとサトさんが言うと、やっと安心してさっきのお客のテーブルについたようでしたが、それでもびくびくしてちらちら私たちを見ているようでした。いくらマニアックなお店だといっても、誰が来るかわかりはしないのに、そんなにこそこそ仕事して大丈夫なのでしょうか。まあ人のことはいいですが。  ショーの時間まで、ビデオを見たりして待ちました。ビデオは、男の人がいじめられるのが多かったです。 「お客のほうは、Mの男の人が多いみたい。」  とヤナギサワさんが言っていたようだし、そのせいかもしれません。  いじめられる役の男の人は、異様に白い肌をしています。妙に太ってるか、がりがりにやせているかのどちらかで、不健康がうりものなのかなあ、と思いました。 「男がいじめられてるのは、なんか、なさけない。」  とサトさんはつぶやいていました。  いじめる女の人のほうは、 「おまえは、もう弱音をはいたのか?」 「おまえは、こうしてほしいのか。」 「ようし、今日はいい子だったから、あれをしてやろう。」  というように、ボキャブラリーに独特なものがあるようでした。しゃべり方とかも、どことなくアニメの悪役のようでありました。  よく覚えているのは、あるビデオで、女の人から、見ている人に「話しかけ」があったやつです。男の人のほうは、よつんばいになって、ただただいじめられているのですが、女の人はセリフを言うとき、見ている人のほうを向くのです。  こう、画面の右下に男の人の体があってね、女の人は、中央よりやや左でアップになって、カメラの方を向いて、 「どうした。もっとやってほしいのか?」  と言うのです。セリフのたんびに、女の人はこちらを向き、 「おまえは」  とか指さしてきたりするので、とってもへんでおもしろかったです。 「SMは…文化ですよ…SMをね…やる人はね…みんな頭がよくてね…」  いつのまにか、店長さんは、『ヤング・フランケンシュタイン』に出てくる人みたいな表情になって、私たちのうしろへ立って話しかけてきます。 「私、ちょっとトイレをおかりします。」 「トイレですか…トイレは…こわいですが…お気をつけになって…」  入ってみたら全面鏡張りでした。 「うーむ。」  戻ってきたらヤナギサワさんがいません。なんでも、このお店でもうひとつ別な仕事をする予定がある、Mの男性にインタビューするため、すでにアポイントをとってあったということです。見ると、新しくお客を迎えたテーブルが、ななめ右にあり、そこにヤナギサワさんもいます。おもしろそうだというんで、サトさんもそちらへ行ってしまいました。  私は店内を観察してすごしました。もうひと組、あとで左前のほうにお客が来ましたが、そこの人も、会社のえらい人たち、というかんじでした。  しばらくすると、サトさんが戻ってきて、 「むこうの男性、内田さんのことをSっぽくて素敵だから、お話ししたいと言ってます。」  と言うではありませんか。私の頭には、さっきのSMビデオで見たS役の女の人のイメージがかけぬけました。私は、その人たちに似ていたのでしょうか。 「そうなんですかあ…。」  自分ではわかりませんが、Mの男性から見たらそうなのかもしれません。 「こっちのテーブルに来てもらってもいいですか。」 「はあ、私はいいですけども。」  思わず緊張しましたが、やってきたのは、ごくふつうの、どこといって異常な見ためもない、若い男の人でした。二十五歳くらいだと、言っていました。会社員だそうです。  ふつうのおつとめでは、なかなかお金のかかる遊びはむずかしいと思いますが、つとめている会社の社長がその人のおとうさんで、自由になるお金は、けっこうあるから、と言っていました。別におとうさんが社長だからといって、給料がたくさんもらえるわけではないのでしょうけど、その人がそういうのですから、お金は使える立場なのでしょう。  その人は、お金を使って得る遊びとして、SMをしているという考え方で、ふだんはMの人をしているわけでもないし、そういうこととは縁のないガールフレンドも、ちゃんとべつにいるんだそうです。  しかし、趣味のほうは趣味のほうで、けっこう「SM道楽」をしているらしく、いろんなお店を知っているようです。私は知りませんでしたが、三浦和義さんと仲が良かったという、有名なS役の女性がいるそうで、その人ともプレイをした、と話していました。 「その人はどうでしたか。いじめ方はうまかったですか。」  とヤナギサワさんがたずねると、 「そうですね、まあまあですね。」  というようなことを、その人は淡々と言っていました。とても静かな話し方なので、積極的になにかアプローチをされたりするのではないかと思っていた私は、ほっとしました。  さて、いよいよショーのはじまりです。  今夜のショーは、『Mショー』なんだそうです。なぜ『SMショー』でなく『Mショー』なのかというと、女性ひとりでMをするショーだからということです。  出入口から、髪の長い色白の女性がやってきて、自分のからだに、ろうそくのろうをたらしたりして、せつない声をあげ始めました。洗濯ばさみで両乳首をはさんだりして、けっこう痛そうです。  荒なわで、自分をくくって身をよじったりしています。少しすると荒なわで足首をしばり、天井から下がった鉄の金具にかけました。そしてもう片ほうをぐいと引っ張って、体を浮かせ、白いつま先をぴんと伸ばしたまま、振り子のようにゆれたりしています。  足先まできもちが入っているかんじで、ポーズがきまるときなど、なんとなく感動したりしてしまいます。  私のとなりにいるMの男の人は、皮ムチを持って待機していました。ほんとうは彼もMの人なのに、常連さんなものだから「打つ役」をお願いされてしまったのでした。  そのムチは、先がたこ足になっているもので、その人は、 「これはあんまり痛くないんですよね。」  と言っていました。さわると、けっこうやわらかい皮ではありました。 「だれか、だれか打って。」  踊り子さんのせつない叫びに呼ばれ、その人は立ち上がって出て行きました。 「バシ!!」 「ああっ。」 「バシッバシッ」 「ああ。もっと。」  音を聞いていると、けっこうやっぱり、痛そうな気がするのですが、大丈夫なのでしょうか…。  Mの人は、Sも上手で、ちゃんとアトラクションしていて、私はおどろいてしまいましたが、ズボンのうしろにシャツのすそがはみでていたので、 「シャツがなさけないよう。」  とサトさんはつぶやいていました。  ムチ打ちが済んでMの人が戻ってきたあとも、しばらくショーは続きました。ところがこのへんに来てMの人は、アトラクションをしたせいで気がたかぶってきたのか、 「真剣に見てますね…どうですか? 痛くなってきました?」  と私に小声でささやきはじめました。 「あ…いや。」  ショーの途中でもあるし、生返事をしていますと、 「やるのとやられるの、どっちがいいです?」  とたずねてきます。 「えー、私そんな。」 「そうですか…まだ…わかりませんよねえ。」  一方サトさんはサトさんで、席の位置が悪く、踊り子さんが寝っころがると足先しか見えないという状態が、ずっと続いてイライラしていたんだそうです。  私も、Mの人がショーの途中なのにずっと話しかけるので、いいかげんいらついてきました。サトさん気づいてくれないかしらと思ったり、しまった、こうやってしつこく話しかけられているうちに、 「ええい、おだまり!!」  などと私はのせられてしまうのかもしれない、と思ったりしました。  ショーはいよいよ最後の段階になり、踊り子さんは黒いバイブレーターを取り出しました。そして、パンティを脱がずに、わきのほうから体の中に入れてしまいました。 「うまく、見えないようにしてしまっちゃっているわ。」  そんなことを考えていたそのとき、左どなりのサトさんは、なんと、 「ちっとも見えん。」  とつぶやいたのです。 「なんてことゆーんだ!!」  と私は顔がかっとなりました。もちろんサトさんは、ずっと足しか見えてなかったので、何をしてるところか知らずに言ってたのですが、私はMの人にずっと話しかけられているのをやめたい勢いもあって、サトさんの肩を思いきりどついてしまったのでした。サトさんの驚きはどんなものだったでしょう。しかし、ショーの途中だし、紳士であるサトさんは、 「内田さんてなんて怖い人なのだろう。」  と内心思いつつも、静かにしていてくださったのです。  ショーも無事終わり、拍手の中を、踊り子さんは小道具を全部ひろいあつめて退場しました。  私とサトさんとヤナギサワさんは、控え室にお邪魔して、少しお話をきくことができました。  踊り子さんは、赤っぽい長じゅばんのようなものをはおっていました。お店まわりをするのではなく、趣味の集まりに呼ばれていく、というお仕事が多いんだそうです。  ショーのあいだじゅう、長い髪をひとつにくくっていたのが気になったので、 「途中で髪をほどいてふり乱したりなさるんではないかと思っていたのですが。」  というと、 「顔に髪がかかって、表情が見えなくなるのを嫌うお客がいるのです。」  というお答えでした。 「SMは…文化ですよ…SMをね…やる人はね…みんな頭がいい…」  いつのまにか、店長さんが控え室のドアのところに立っていて、つぶやいていました。  お礼を言ってお店を出てから、 「あの店長さん、おもしろかったですね。」  などと話をしていると、 「ショーもよかったですね。でも僕のとこ、足しか見えなくて。」  とサトさんが言いました。 「えーっ、じゃあ、あれはそういう意味だったんですか。実は、ちょうどパンティのわきからバイブレーターがはいったところで、私もうまく見えないようにするものだなんて、思ってたんです。そんなときに、ちっとも見えないなんていうから、部分的なことだと思って。それで、何てやつだと思って、どついてしまったんです。」 「そうだったんですか、それでぼくもぶたれたナゾがとけました。」  ひー、すいませんとあやまる内田のうしろで六本木の夜はふけていったのでありました。 (85年1月)  性感マッサージの「Aさん」 『性感マッサージ』の先生の所へ行く、と聞いて、私はじつをいうと、 「ついにきたか。」  と思ってしまいました。というのはいわゆる、 「体験取材」  になるかもしれないと思ったからです。だってねえ。ふつうそう思うじゃないですか。実際サトさんの瞳《ひとみ》の奥には、 「内田さんさえその気なら、そういうことになっても別に僕は構わないですけど。」  みたいなものも見えかくれしていたような気がしたんですけど。  どっちにしても、あまり、 「わーい。」  てかんじじゃなかったんです。テレビとか雑誌とかに「スゴイ」みたいにたくさんとりあげられてたかたでもあったし、うまく言えないけど、 「なんかむずかしそう。」  なかんじがしたんです。あっ、なんでかわかった。たぶん私が、まだ一般的な、 「取材のしかた」  みたいなものを知らなかったからです、きっと。ふつうの取材っていうのがどんなものだかわかんなかったから、私とかが、もたもた奇妙なことばっかりたずねたりしたら、めいわくになるんじゃないかとか、思ったんですよ。私自身はそのかたのことよく知らなかったし…。まーかんたんにいうと、私はインタビュアーやレポーターのプロではないし、取材なれしてる人には、困られてしまうんじゃないか、とそういうことですね。  ところが…………。  と気をもたせたりなんかして。それはおいといて、いきなり別の話になったりして…私が、性感マッサージをどういうものと思っていたかというと、 「だれとどんなにセックスしてもきもちよくなれなくて、困ってしまった女の人が、そこんとこをなおすために出かけていくところ」  と、そういう……ね、そう思いません? それも、おもに、これからってかんじの若い女の人がしんこくなかんじで来るって気がしてたんですけど。Aさんのお話の中では、だいぶちがってたんです。  まず、女性が来る、んじゃなくて、 「カップルが来る」  ところだったんです。問い合わせは、一日二百件近くあって、ほとんど女性からで、女性のほうは出かけて行ってみたいかんじなのに、相手の男性の反対で、話が消えてしまうというのが多いそうです。あー。で、カップルが来るでしょ、そうすると男の人のほうは、その治療というかマッサージするところは、ずっと見てるわけ、なんですって。で、女の人のからだが反応するのを見て、どうしようもなくなって、そこでセックスをはじめてしまう男の人も、いるんだそうです。Aさんは、あとはおふたりでどうぞというかんじで帰っちゃうそうですが、見てて下さい、と頼まれちゃったりも、するんだって。  ほうら、性感マッサージのイメージが、どんどん別なほうへいっちゃうでしょ。常連カップルが六〜七割をしめるなんて、私はそうぞうもしなかった。なかなかなおんないんで、ずっとかよってる女の人、という像ならまだわかるけど。  まあ人それぞれだから、いいとか悪いとかじゃないんですけど、とにかく、 「本気で困っちゃってる女の人がお医者へいくようなかんじで」  来るんだと思ってた私は、かなりずれてたんでした。  それからさっきの取材のことですが、私、今思い出して、自分も取材される立場にもなったあとで考えると、悩むことはなかったというか、ふつうにお話しするようにお話ししてぜんぜん、よかったんです。  ていうのは、取材の人って、話したとおり書いてくんない人が多いの。自分の持ってるイメージに勝手にまとめちゃう人が多いんです。Aさんの写真をとるときに、 「女の人をまな板かなんかの上にのっけてAさんまかせなさいというふうにVサイン」  とかそういうふうにしてくれって言われて、Aさんが困って、そんなのはなんかいやだなあみたいなこと言うと、 「そこをなんとか。」  といって両手をあわせてたのんだり、されちゃうんだって。私も、写真をとるというときになって、何もきいてないのに、 「レオタードかなんかにきがえてくれるんでしょ? 用意してなかったの?」  みたく言われたこともあったわーん。まあ私のことはいーけど、Aさんの方は、はっきり性のかんけいのおしごとであるせいか、いろいろほんとうに大変だったようでした。  取材がおわってから、またよく考えてみたら、やはり、なんだか、 「さびしい人がくるのかなあ。」  なんて思ってしまいました。  でもひとつだけ、ちょっとおどろいたのは、性感マッサージは、 「『そとがわ』からだけ、おこなう」  と思ってたんですが、そうじゃなかったことでした。 (85年2月)  ストリップ劇場の「R座」  ストリップ劇場って、どうも、 「女が行ってはいけないところ」  というような気がしていました。  何だか、こう、はだかのからだを見せるだけでなくて、どうもいろんなことがあるらしい。  昔、私が聞いた噂では、 「からだの中に入れた野菜を切る」 『ベンリナー』のような人や、 「カラダの中に入れたピンポン玉を飛ばす」  紙鉄砲のような人、 「カラダの中に百円玉と十円玉を入れて、リクエストにお答えして百円玉か十円玉を出す」  不衛生ではないのかしらと心配してしまうような人とかが、いるという話であったり、 「マナ板とかナマ板とかいう時間が来ると、お客さんとステージでセックスしたりもするらしい。」  という話であったり、しました。  そんなところへ同性である女が見に行ってしまったら、どうなるでしょう。気まずい空気が起こるのは、さけられないのではないでしょうか。  それに、見に行くほうだって、 「そうか、こっちの女の人のカラダも、こうなっているのだな。」  とか、 「こっちの女の人のカラダだって、ああいうことをやろうと思えばできるのだな。」  とかいう視線を向けられるのではないかとか、同性愛者に違いないという誤解を受けるのではないか、などとよけいな心配をしてしまいます。考えすぎか。  とにかく、こう、なんとなく、 「よっぽどのことがなければ、入ることもないだろう。」  と思っていたそのストリップ劇場に、私は入れることになったのでした。  しかし、とはいうものの、そのストリップ劇場『R座』は、前述した、えげつないというのか気まえがいいというのか、つまりそういうことはいっさいないわけで、ヌードダンスとコミックショーだけの、 「ふぁっしょんヌードシアター」  である、ということでした。  よく知らないけど、やはり、その「ストリップ」といっても、いろいろあるのだそうです。『R座』は、キャパシティ百五十人くらい、料金二千円(早朝割引千五百円)の劇場でした。  私たちは、まず、舞台を見降ろせる、照明・音響の部屋に入らせてもらいました。平日の昼ごろだというのに、客席は八割以上がお客さんで埋まっています。  ステージは、T字型になっていて、T字のタテ棒の先に、まるくまわり舞台がついています。T字のヨコ棒とタテ棒の接点にも、もうひとつまわり舞台があり、そちらのほうは、まわりながら前後に、つまりT字のタテ棒を往復したりできるしくみになっていました。  まわり舞台や、床にも照明が仕込んであり、ゴージャスであります。踊り子さんたちは、洋装と和装を取り換えながら、ショーをすすめます。  たとえば洋装の、ラメのかつらなどをつけ、黒いブーツをはいていた踊り子さんは、まわり舞台の上で、フェイク・ファーのすきまから、ちら、ちら、とだいじなところを見せたりします。  すると、そちらの方向に波が立ちます。お客さんが、いっせいに背のびしたり、すわりなおしたりして頭を動かすのです。こちらへちら、とやると、こっちでザワザワ。あちらへ向けると、あちらがザワザワ。何度でも、波はあきずに、また、四方に不公平なく起こるのです。 「うーむ。すごいわ。」  上から見ているとまるで魔法のようです。  コミックショーのときは、男の人もでてきて、ボクシングのグローブをつけた女の人になぐられる役などをしていました。  さていよいよ、出番のすんだ踊り子さんにインタビューです。お話ししてくれたのは、TさんとKさん。Tさんは、色白で細身の、赤のコスチュームがよく似あう女性、Kさんは、丸顔のかわいい女性でした。  私はあがってしまって、どういうふうに聞いたらいいかしらとおろおろしていたのですが、ヤナギサワさんやサトさんにたすけてもらい、だいたい次のようなお話をききました。  まず、衣装やかつらですが、自分でつくったり、調整したりできないと、やっていけないということです。芸能人の人の、使わなくなった衣装をゆずってもらったりもあるそうで、 「これ、ピンク・レディーのだったのよ。」  といって見せてもらったりしました。 「変わったお客さんとか、いますか。」  ときくと、 「そうねえ、おべんと二食分持ってきて、一日じゅういる人とかねー。」 「ねー、まぜごはんみたいの食べながら見てんの。」 「若い人はしないけど、中年の人は見ながらオナニーする人けっこういるわね。」 「じゃあ、客席はよく見えるわけですか。」 「見える見える。ひっこんできた子が、『あそこにいい男来てるわよ。』『えっほんと。』なんて言って、たのしみに見たりして。」 「なーんだ、あんなのが好みなのー、なーんて言ったりしてね。」 「ね。」  踊り子さんには、おべんとうのおかずからお客の顔まで見えているようです。あだなのついているお客さんまでいます。そのとき、聞いた中で覚えているのは『レインコート』と『一本ベルト』。『レインコート』の人は、やはりレインコートを着てくる人なようですが、一本ベルトとは何でしょう。 「ズボン下げてオナニーして見てんだけど、おなかのとこにこう、ベルトが残ってんのよね。」  どうも不思議なズボンのはき方をしているようです。  まあ、そういうお客さんもいるようですが、お店としては、 「女性にもおすすめしたい」  ということでした。観光の女性が、団体で来ることもあるというお話ですし、私も、ここなら大丈夫、と思います。  関係ないけど、私のバンドのメンバーに、きいた話。生バンドでヌードダンスの踊り子さんの伴奏をすると、踊り子さんは、 「バンドのメンバーだけに、ちょっと見せたり」  してくれるときがあるんだそうです。そしてそれは、 「バンドサービス」  と呼ばれているんだそうです。もちろんほとんどは、お客さんにむけてのダンスですが、そうやって、バンドの人にも、おすそわけがある、というわけです。それはなんかいいですね。「バンドサービス」っていう言葉もね。 (85年3月)  包茎手術の先生「Kさん」  何かの雑誌の記事で見たんですが、包茎のことについて女の子にアンケートしてて、そうしたら、 「包茎って小学生くらいの男の子がなる病気だと思ってました。」  という、よくわからない回答がありました。それはさすがに私もへんだと思ったんですけど、私だってこの取材へ行くまでは、包茎というのがどういうものなのか、きちんとは知らなかったんです。  なんとなく、男性器をおおう皮が長いやつというのだけは知ってたんですけど、それだけにしては、ずいぶんその「皮が長い」ていうだけのことで、茶化されているというか、ばかにされていなきゃいけないみたいなんです。  ふつう、肉体的なことというのは、悪口言っちゃいけないことになったりしているようなのに、なんだか男性器に対しては、さんざん言われてるみたいです。なぜなんでしょうね。まあ、それは、性に対してあけっぴろげな週刊誌などの中だけかもしれませんが、皮が長いと、なぜそんなに困るのでしょう。ギリシア彫刻の男性器は、ぜんぶ包茎ですけどね。 「包茎の男はガンになりやすいんやで。」  なんて話を男の人から聞いたこともあるので、 「それは大変。」  とあわてたこともあります。そのころ友人の中に、包茎であるらしい人がいたので、 「それが本当なら、手術をしないと命が危ないのでは。」  と心配したのでした。  しかし、そんな心配は無用だったようなのです。  さて、お話をうかがったのは、某所にあるクリニックのお医者さま、Kさんですが、Kさんは、私のことをサトさんに紹介されると、少し困った顔をなさったのを覚えています。 「私の書いた本とかを、まず見てから来ていただければ…」  と少しとまどっていらっしゃいました。  今から考えたら、それはなぜなのか少しわかるような気がします。若い女が、包茎手術をいつもおこなっている人に、包茎手術のことを予備知識や頭の準備なしに来たとしたら、やっぱり少しはゆううつになるのではないでしょうか。私だって、自分のところへ、ふだんまんがや音楽などと全然関係のない生活をしているような年配の男の人が、私の本やライブを見ずに取材に来たら、やはりゆううつになります。  ところが私は、仕事で性のことも扱っているし、ちゃんと取材前に深夜番組などで予備知識も少しはあったのでした。 「家庭医学程度の知識しかないんですが…」  などとお断わりしつついろいろ聞くうちに、少しずつKさんのとまどいは消えていったようでした。  モダンな丸いテーブルでお茶をいただきながら、手術の方法などをききました。 「時間的にいうと、ますいの注射で十秒、キカイを入れて十分ぐらい休んでもらって、で、手術に入ったら十五分から二十分ですね。」  あっというまですが、キカイというのは、イラストにあるような、小さいベルのようなもの。それをかぶせ、切る部分の皮をきゅっとしめてしまうわけです。  そして、それに沿ってくるりと丸く切ってしまう。これを環状切開といいます。  ところが、真性包茎というのになっちゃっている人は、このキカイが入りません。皮が長いまま、堅くなって動かないわけです。そういう人は、背面切開といって、背面に、タテの切り目を入れたあと、そこをVの字に縫合し、そこのところが広がるようにしてあげます。そうすれば、ちょっと皮はくしゃっとはするけど、スリットのおかげで、手前に戻したりできるわけです。  ご予算は仮性で十四万円、真性で十六万くらいだそうです。  真性というのもいろいろあって、なんとなく「むけないまま」になっちゃった人もいれば、七つくらいの子供なのに、皮の中で性器が炎症を起こしてしまい、はやく手術ではがしてやらないと、ケロイド状にはりついてしまいそうだった、そんな人もいるそうです。そういうのは保険もきくんでしょうけどね。でもたいがいは、厳密に言うと、病気というわけではないようです。  もちろん、皮でいつもおおわれているわけですから、刺激に弱かったり、不潔になりやすかったりは、多少はあるんでしょうけど。でも、お風呂にはいったとき、よく洗ってあげればいいことだし、ふつうに、いろいろとかまってやったり、かわいがってやったりしていれば、ちゃんと「くせ」がつくものなんだそうです。テニスしてる人の右手が長くなったり、ものかきのペンダコがかたくなったりするのと同じね。  じゃあ、そういうことから考えれば、あの腕まくり用のゴムなどに似た、包茎治療用の…(ばんそうこですか? あれは)あの包帯止めみたいな、あれは、ちゃんと使ってれば、困らない程度には治るわけですね。  そういえば、二重まぶたにするシールやのりにも似ている。よっぽどでない限り、根気よくやってればあれで二重まぶたになっちゃうんですよね。  じゃあ、真性になっちゃう人ってのも、健康な思春期男子のように、性器をかまってなかった人だったりするわけですか。 「そうですね、そうでない人もいますけどね。」  ああら。じゃあ、「自慰はいけない」なんて教育したら、大変ですね。最近は、そういうのはないのかもしれないけど、口では、 「性教育をきちんと」  と言いながら、まったく正反対の「性的なものに対する嫌悪感オーラ」を体じゅうから出している人もいるようだし。そういう意味で私は映画『キャリー』はひとごとでない気もします。  少し脱線しましたが、では、ちゃんとかまって、洗ってあげてたら、少々皮が長くたって困らないのに、ひとはなぜ手術をするのでしょうか。 「それは、自信をつけるためです。女性に対してのイメージアップですね。女性から、手術してきて、と頼まれるというケースも、けっこうあるようです。美容整形としてですね。しかし、まあ、性器が顔を出していれば、刺激に対しても強くなるし、発育を助けるという意味もあります。だから、もし手術するならやはりはやめがいいですね。」  うーむ。そうだったのか。美容整形ねえ。  美容整形で、よく人生や性格が変わるなんて言いますけどねえ。  こないだニュースを見てたら、アメリカで考えられた、女の人の顔のしわをとる方法が紹介されていて、それは、おなかなどの余分な脂肪をとってきて、しわに注射するというものでした。見ていると、刺青《いれずみ》をするときのように、ちっちっちっ、と針でさし入れているんですが、とっても痛そうでした。もちろんますいしてあるんでしょうが。  で、手術前と手術後の写真を、女性キャスターが出してきたのですが、どっちがどっちだかわからないんです。 「どちらが手術後だと思いますか?」  と聞かれ、なんと男性キャスターもわからずに、逆のほうを指さしてしまったようです。そしたら、女性キャスターが大まじめで、 「ほんとうにこれは、どっちだかわからないくらいなんですが、実際手術したこの方は、たいへんご満足なんです。やはりこれからは女性も、人からどう見られるかではなくて、自分が自分をどう見るかであるということですね。」  と言ったんで私は大笑いしたんですが、でもやはりそうなのだろうな、と思います。まあ、セックスは相手のあることでもあるし、多少はちがうかもしれませんが、自信がつくというのは、いいことなのかもしれません。  私は、でも、ほんとうは、ありのままの自分を愛してくれる相手をみつけるほうが、いいとは思いますけどね。もちろん、そんなにすぐにはみつからないかもしれませんが。 (85年4月)  使用済み下着販売の「Iさん」  やっとここまでまいりました。  やー、ほんっとに、ここでは、 「雑誌で書けなかったこと」  が山ほどあるんです。  それは別に、 「雑誌だからえんりょして下さい。」  とサトさんにいわれたわけじゃないんですけどね。ただ、あまりにいろんなことがあってスペースに入りきれなかっただけなんです。  とはいうものの、これまでの文章をよんでお気づきのかたもいらっしゃるかもしれませんが、今までの文章の中には、やはり、 「雑誌では書けなかった」  というのは、たくさんまざっています。  それは、取材の時からこれを書くときまでに時間がたってるから、というのもありますが、もちろんほとんどは、 「取材先に気を使っていた」  という、日本人の美徳(そうかなあ)のためであります。  いくら、私がソープへ取材に行って、本当は暗いきもちになっていたとしても、 「私はここへ行って大変暗いきもちになったのでした。」  と雑誌に書けるわけはありません。やはり、けんめいにいいところを捜して明るく仕上げるのが、雑誌の仕事ではないでしょうか。  なーんていっても、はっきり言ってこの記事、連載時には誰も見ていませんでした。 「私は見ていた」  というかたは、双葉社までお手紙下さい。ぜひ下さい。  ああ、また脱線してしまった。では、内容のほうへまいりましょう。  この日、私は、俗に「業界御用達」と呼ばれている、新宿駅ビル8Fの喫茶店で、サトさん達と、待ちあわせしました。この時はもう大学生になっていた友沢ミミヨも一緒でした。 「使用済み下着販売」  と聞いて、私は、ぼんやりと、ひさうちみちおさんの漫画と、渡辺和博さんの漫画の一シーンなどを思いうかべたりしていました。  場所は、高円寺でした。  私が待ち合わせに遅れたのと、捜すのに時間がかかったのとで、そこへたどり着いた時間が、ずいぶん遅くなってしまったせいでしょうか、ドアをあけると、中に女性がいました。女性は、私たちが取材ですとあいさつして入ってきても明るくしゃべっていましたが、お店のオーナーらしい初老の男性は、彼女に気をつかって、少しあわててらっしゃいました。  その女性は、黄色いブラウス…もしかしたら、黄色いスカートだったかもしれませんが、とにかく黄色を身につけていました。けっこう身長のある人で、で、これは、誇張ではなく、とてもかわいい女性でした。  しかし私は何で黄色を覚えていたかというと、何かで見たナンパの本に、 「黄色を着る女は欲求不満、黄色を狙え。」  と書いてあって、 「そんなものかなあ。」  とぼんやり覚えていた、その記憶を思わずつつかれてしまったからなのですが、別に使用済み下着と欲求不満は、関係ないかもしれませんね、失礼しました。  話をもとに戻して、そうです、その人は、 「使用済み下着要員」  だったわけなんですね。だから、オーナーのIさんは、しゃべり続ける彼女に、 「今日はね、ほら取材にも来てらっしゃるし…」  とそれとなく告げて、彼女を帰したのですが、彼女はあまり気にしてないらしく、帰るときも私たちに明るくえしゃくなどして出ていきました。  こちらでは、使用済み下着を、どういうふうに製造してらっしゃるかといいますと、 1、下着スタッフを募る  見せていただきましたが、アルバイト情報誌に、確かに「下着スタッフ募集」と求人がありました。もちろん、最初っから仕事の内容ぜんぶを知って来るかたはいないようですが「訪問販売ではありません」「だれにでもできる仕事」とか書いてあったような気がします。面接で二十一歳以上の人には、えんりょしていただくのだそうです。そのころ、スタッフは、学生から若い人妻まで、八人ぐらいというお話だったでしょうか、もうすこし少ないかもしれませんが、人数は一ケタだったような気がします。 2、下着をスタッフに配給する。  配給されるのは、ごくふつうの、もめんの下着。ぜんぜんセクシーなものではありません。そのほうがいいのだそうです。  スタッフの女性はそれを新品のままもらって、まず、新品のにおいや堅さをとるために、いちど洗濯します。  そして、それを一枚ずつ、まる一日身につけ、一日過ぎたら、ビニール袋にしまう。毎日、そのくりかえしをして、使用済み下着をためていくのだそうです。 3、製品を買い受ける  スタッフが製造した「使用済み下着」を、一枚千円で買い受けます。  と、このようにして良質な(と私は思う)「使用済み下着」ができあがるわけですが、それをどれくらいの値段で販売してらっしゃるかというと、 ●パンティ二枚 ●顔こそは見えませんが、上半身はだかで女性がパンティを身につけて「サービス」ポーズをとっているポラロイド写真一枚  のセットで、五千円。これ、欲しい人にとっては、ほとんどボランティアではないでしょうか。  そのほかに、 「その場で脱いで渡してくれる要員」  の下着スタッフから、手渡しで受け取る、というのもあって、そちらはちょっと高くてパンティ一枚五千円ですが、脱いでるところのポラを一枚二千円で、撮影させてくれるんだそうです。ちょっと考えれば大格安、なのはわかります。  この本をお読みのかたの中にも、欲しいかたがいらっしゃるかもしれませんね。でも、双葉社に電話で問いあわせても、誰も知りませんよ。他のお店もそうですが。往復はがきで、お手紙下されば、内田が責任をもってお店の連絡先をお教えします。とはいうものの、どこのだれともわからない方にはいやなので、 「こういう理由で知りたい。」  ぐらいは、書いて下さいね。お名前はもちろん公けにはいたしませんので。  でも今も営業してるかどうかまでは、責任もちませんけどね。こういうおしごとは移り変わりが激しいですから。  なんでこんなおせっかいをするかというと、以前、読者ページなどの担当をしたとき聞いたんですが、こういう関係の通信販売ってほんとうにサギが多いんですってね。それから、あと、このお店のことをどっかの対談で話したら、私がよく本を出している出版社を通じて、往復はがきで、 「そこの連絡先をおしえて下さい。」  とていねいなお手紙をいただいたことがあるの。もちろん教えてさしあげましたけども。なーんて、じつはそのお手紙はこのお店の、 「もうひとつのお仕事」  についての問い合わせだったんですけどね。  さて、このお店のもうひとつのおしごとは、何だと思います?  実は、「使用済み下着がたいへん良質で安い」のにも、かんけいがある、らしいんですね。ほんとうはこれ言うとますますわからなくなるんですけど。  申しあげましょう。こちらのお店のIさんは、実は霊能者でいらっしゃるのでした。  順を追ってお話ししますと、まず、Iさんは「心霊カウンセラー」として、看板をお出しになった。すると、なんだかずいぶんセックスの相談が、多いんですって。みんな、セックスで悩んでいるのだなあと思われたIさんは、思いきって「セックスカウンセラー」としても看板をお出しになったんですね、すると、その、セックス関係の相談の中に、 「私は女性の下着が欲しくて悩んでいる」  というのが、なんだかずいぶん、多いんだそうです。それも、立派な紳士がね、 「実は欲しくて盗んでしまったことまであるんです。」  とざんげなさったり、それも、ひとりやふたりじゃなかったんだそうです。  そこで、Iさんは霊能者として、 「救いなさい。」  という「声」を、お聞きになったと、こういうことらしいです。  その「声」がきこえてしまうと、Iさんは霊能者として、どうしてもそうせずにはおれなくなるので、別なことをしようと個人的に準備していても、「声」のせいで大はばに予定を変えられてしまったりして困ることもある、ともおっしゃっていました。  どうして、女性の下着で、そんなに悩んじゃう男の人がいるんでしょうね、と聞いてみました。 「性にかんする、遊びのきもちを、女性が許してくれない、というのもあるんじゃないでしょうか。女の下着はどうなってるのかなあという、あたりまえの好奇心を、女性側が『いやらしい』ときめつけて、子供や恋人を責めたり、そういうことから、そういう感情が、別の世界へ行ってしまうのでは。」  要約になってしまった上、時間もたっているので表現はかわってしまっていると思いますが、こういうお話をきいたような気がします。  そういわれれば、結婚したり、親しかったりすると、女性が男性の下着を買ってあげたり、洗ってあげたりしても、別に変な目で見られることはありませんが、逆になると、なかなか大変そうです。男性が、女性の下着をしぜんに手にとったりする機会は、ふつうはなかなかないのかもしれません。  考え出すときりがないですが、とにかく現状では、女性のほうの性的なものは、エンタテインメントになったりしているようですし、私もどうもその恩恵をうけているひとりのようです。  まあそれはある意味では大きな話題でもあるのですが、今はそれはおいといて、こちらの、Iさんには、霊はもちろん、なんと、 「ストレスの虫まで見える」  のだそうです。  どういうものかといいますと、ブドウのように球状のものがよせあつまったようなので、長いしっぽがついているんだそうです。  そして、その虫がいる人、その、持ち主ですね、その人の体内に、そのしっぽが、 「植わっている」  のだそうです。わーん、こわいですね。それだけでなく、その人の気持ちがストレスに犯されるような状態になったとき、そのしっぽは、 「左右にふれうごく」  のだそーです!  こわい。  この話はこわかった。何がこわいって、Iさんの物静かな口調がいちばんこわい。 「よく、霊能者の世界は、神がかりで大さわぎなもののように紹介されますが、われわれの世界はもっと、水をうったような世界です。」  Iさんは、淡々とこうおっしゃいました。 「水をうったような世界」というのは、そのときおききした通りの表現です。  霊能者の修業は、たいへんらしいですが、例をあげますと、ろうそくの炎を思いのままに動かす、というのとかがあるそうです。 「霊が来ると、炎はふくらむのです。」  最後には、人間を意のままに動かすこともできます。 「ですから、電車のホームに立っている人に、飛び込め、と力をかけると、その人は死んでしまいます。力を得るということは、そういうことなのです…」  あいかわらず静かな表情のまま、こんなにこわいこともおっしゃいます。  このころにはもう、私も、サトさんもヤナギサワさんも友沢ミミヨも、すっかり神妙な顔になってしまいました。  しばらくして、私は思いきって 「私についている霊を、見ていただけますか。」  とおねがいしてみました。  すると、Iさんは、 「わかりました。目をとじていて下さい。」  とおっしゃいました。言われたとおりにしていますと、ちょっとしてから、 「うしろが黒いので、沈んでしまいますね。」  とおっしゃいました。そこのお店は、もと、ライブハウスだか、ナイトクラブだったので、窓はぜんぶ黒いカーテンがひいてあったのです。 「こっちなら白いのでこちらへ来て下さい。」  と、Iさんは、白いたなのところへいすを出して、私をすわらせました。私はもういちど、目をとじて、じっとしていました。  しーんとして、たいへん長い時間がたったように思いましたが、ふと、Iさんが動いて、 「うーん、」  と、私に歩みよりました。私が目をあけて顔をあげます、Iさんは手をあげて、 「あっ、今私が近よったから、こっちへよけましたけどね。」  と、その「よけたもの」を目で追ってから、 「女の人ですね、ご先祖だと思います。あと小さいのがいくつかいますけど、あまり影響はないですね。この女の人が、あなたの才能をてだすけしてくれていると思います。」  と、おっしゃいました。  私たちはみんな、ほうっと息をつきました。  いじょうがこのお店についてのおはなしですが、ひとつ、言い忘れたことがありました。  下着は、そのほとんどが、 「新しいものをせんたくしたあと丸一日」  だけ、はかれたものですが、もっと使いこまれたものが欲しい人は、どうすればいいのでしょうか。  大丈夫、Iさんのところには、そういうものも、あるのです。ならべてみますと、 ●使い古された下着 ●同じく、そういう状態の靴 ●同じく、ストッキング ●制服 ●または、「ちがう状態で」汚れていたりする、使用済み下着  なども、「希望があればお売りする」ディスプレイ用に、あったり、「ふだんの新しい下着の中に、ついうっかり混じって」あったり、するのです。  なぜ、「ディスプレイ」だったり「うっかり混じって」だったりするのかといいますと、新しい下着を一日はいて売るのは、 「サービスをつけて売る」  というりくつなので大丈夫なのですが、使いこまれたものを堂々と売るためには、 「古物商の鑑札」  が必要だからなのだそうです。 (85年5月)  ゲテモノ料理の「S」  この回のみ、ゲテモノ料理をちゃんと食べたりもしたわけですので、ある意味では体験取材とも申せましょう。  場所は、新宿の『S』。  取材のあと、友人にきいたところによると、なかなか有名なお店のようです。  ゲテモノ料理、と言いきってしまっていますがこれは便利だからというのもあって、です。焼肉のお店とかに行ってもコブクロのあるところもあるし、だいいち、どこまでがマトモ料理で、どこまでがゲテモノ料理なのか、ほんとはわかんないような気がするの。今辞書をひいたら、 〔下手物《げてもの》〕民芸的な趣のある品物|上手物《じようてもの》      風がわりなもの。(—趣味)  なんだそうですが。  私は、食べ物のすききらいがもともとほとんどないし、見た目がかわっているとたべられないというのもないので、このお店で出た、 ●ブタのコブクロ ●牛のペニス ●ブタのヴァギナ ●ブタののうみそ ●ホーデン  など、ほとんど抵抗なく食べられました。あっさりした味つけで、歯ごたえもあったりしておいしかったです。  なんだか、私にはゲテモノというよりも、 「せっかく動物を食べるために殺しちゃったのだったら、こういうとこをたべなくてどうすんのかしら?」  というような気もしたんですけど、そういうのはへんな考えかたでしょうか。  人間が、じぶんのからだについては、 「だいじなところ」  という代名詞で呼んだりするような部分が、ほとんどだと思いませんか。  と、このようにこちらのお店の料理にこんな理解のあるわたしが、たったひとつ、 「う、これはたいへんなところへきてしまったかしら。」  と思ったもの、それは、 「ブタのザーメン酒」  です。  それも、お店にはいってすぐ、 「ではまず飲みものをひととおり」  とサトさんがたのんでくれて、出てきたものの中に、もうこれがあった。ほかには、ニンニク酒、ホルモン酒などがあって、それらはどっちもすきとおったお酒なんですが、このザーメン酒だけは、トンとグラスをおかれたときに、 「ゆうっくり動く、リアルな白濁」  があったんですう。ひー。しかし、私は動揺をおしかくして、いただきました。  それが出てきて、いただくまで、ほんの何秒間かしかなかったわけですが、そのあいだに、私の頭の中にはさまざまなおもわくが通りぬけたのでした。  でも、飲んだら、別になんともない。  あとできいたら、サトさんはほとんど悩んでなかったそうです。 「いやー、もうぜんぜん別の、食物になっちゃった奴と、わりきれてました。」  というようなことをおっしゃっていました。  そーか。  そういえば、ブタのヴァギナね、輪切りにしてあったんですけど。きつきつのホースみたいな切り口でね。  なんか、あれがホースのようにとりだせるというのが、なあんか意外なきがして。筒になってるのは、もちろんわかってたんですけどね、内臓と内臓のあいだに、通路のように存在しているような気が、なんとなくしてたんです。  でもコリコリたべておいしかったんですけどね。  あとで、そのお店はどんどん混んできたのですが、その中に、客商売ふうの女性と、髪のうすい(失礼ですがこれしか特徴をおぼえてないので)男性とのカップルがいたんですけど、男性が、女性と、お店の人とに向かって、 「女のやつのはきたないからなあ。」  みたいなことを、言ってるのがきこえてきたんです。  それで話はさかのぼるのですが、むかしある男性週刊誌の編集さんたちに食事につれていってもらったとき、その中のNさんというかたが、 「女のあそこって内臓の裂け目だからね、オレ顔を近くにもってくの(これは、オーラルセックスのお話です)絶対いやなんだよね。」  とおっしゃってたのを、思い出しました。そのとき、私はその人のすぐそばにすわっていたので、 「はあそうなんですか。」  ぐらいは言ったかもしれませんが、そのNさんはそれまではずっと上きげんに、 「春菊ちゃんさあ」  とか私に話しかけていたのに、そのときだけは真剣な表情になったりしたので、私のほうもなんとなく、どうしていいかわからないきもちになりました。  私は、職業がら、というかほんとはもともとなんですが、セックスの話題に対しては率直なほうのようでして、そういう、今までのこととかも、いろいろと考え思い出してみても、 「男性の下半身のほうが清潔」  だと考えている男性は、けっこういたような気がします。私個人は、そう思わないし、性別より個人差でちがうような気がしていますので、そういうことをいう男性は、あまり好きじゃないです。なんだか、女として、 「女という生き物のほうが汚ない」  といわれているような気になって悲しいからです。考えすぎでしょうか。  たしかに、女性の下半身ていうのは、毎月血液を排出したりして、こわいです。内臓の裂け目という表現も、そういうときのことを考えると、むりもない一面もあるかもしんない。でも好きでしてるんじゃないわ。  女の人を、一般的に、 「現実的で夢がないんだよね。」  みたいに言う人がいるけど、毎月毎月、白い陶器に映える真赤な血をながめていたら、現実的になんないほうがむずかしいようなきがするの。逆に、ちゃんとそういうことが毎月ある成人女子の体をもちながら、 「セックスなんて無縁の夢少女」  みたいな人のほうが、私は不思議です。  私は新聞をとってないんですけど、それをいうと、みんなびっくりするんですよね。でも、とらずにいるほうがむずかしいんですよう。関係ないか。  まー話をもとにもどして、このお店は、お代のほうも安くてすむみたいでした。  わたしとサトさんは、このあとニンニクくさい息をはきながら赤坂のアンナミラーズへいって、お茶をのんだりして、少しおちついてから、次のしごとへ行きました。  次のしごととは、対談でした。相手は、まついなつき嬢。友人だからといってサトさんまで連れていって、対談の担当さんと四人でゲテモノ料理の楽しい話をしてもりあがりました。のんきな、商売ですね、こういうところは…。 (85年6月)  壁むこうマッサージの「H」  さて、いよいよの、あれです。壁むこうマッサージ、なんて勝手に名付けてしまいましたが、ちゃんと別に通り名がある業種であります。それも、この業種を有名にしたのは、この『H』の「C」さんであるといわれているようです。  Cさんはいろんなところで取材されているかたなので、思いあたる読者のかたも、いらっしゃるかもしれません。まあそんななんで、知ってる人には、 「ああ、あれね。」  というぐらいかもしれませんが、  知らなかった人が聞いたら、 「ええっ、そんなところがあるの。」  というくらい、おどろきのシステムではないかと思うのですが、どうでしょうか。  だって壁に穴があいているだけなんですよ、こっちから見たら。そこへ、…ねえ。心配だと思うんですよね。何されるかわからないわけだし。  そういう心配をカバーするために、こちらでは、 「Cさん直通でんわ」  をもうけてらっしゃるようです。  そこには、毎日、たくさんの電話がかかってきているようです。お店の場所の問い合わせや、お店のしくみや料金の問いあわせ、また、Cさんがどんな人なのか話してみて、不安をとりのぞきたい、というような電話までさまざまですが、いたずら電話も、少なくないようです。  もちろん、いたずら電話とひとことに言っても、たいへんさまざまです。ほとんどはあんまり歓迎されませんが、ひまなときなら楽しいかな、というのもあります。  私が以前ホテルのフロントをやってたときに、なぞなぞを出してくるいたずら電話というのがあって、フロントの女の人たちは、けっこうよろこんでいました。  あと、留守番電話の録音の中に、 「六甲のおいしい水、便利なキャップ付きです。」  と明るい声ではいっていたこともあります。まー、だれだかわからないというのは、ぶきみな一面でもありますけども。  どういうわけか、顔や身元が知られなければ、何したって平気だと思っている人がたまにいるらしくて、そういう人のいたずら電話はもー、たいへんです。はっきりいって、犯罪に近いと思います。電話をとった人は傷ついてくたくたになっちゃうわけですし、場合によっては立ち直るまで、ひどく時間がかかると思うし。  とくに、セックスもの関係者には、そういうのが、集まるみたいです。セックスもの関係者といっても何だかわからないですが、こういう、風俗産業をしごとにしている人とか、ヌードにもなる女優さんとかモデルさんとか、性のこともかくライターや作家やまんが家や画家、下着のお店の人、ホステスさんやスナックの人、あとコンパニオンなどの接客しごとの人とか、そういうのです。  常識ある読者のかたは、首をかしげてらっしゃるでしょうが、今あげたような人たちを、 「セックスもの関係者」  として頭の中でひとくくりにして、 「そういう人たちだから、ふつうのお嬢さんやふつうの奥さんにはできない、性に関する失礼をしてもいいんだ。」  と思っている人がたまにいるらしいです。  私も以前、自分が好きでよく行っている、下北沢のバーミーというようふくやさんを雑誌で紹介したときに、 「下着も少し置いてある」  と書いたばっかりに、そのお店にいたずら電話がかかってきてしまったという経験があります。そのときはたいへんきのどくでした。いくら、こっちが、「性」を出してきたつもりがなくても、そういう人が実際にいるわけで、困ったことですが、やはり気をつけなくては、としみじみ思いました。まーしかし、どんなに深く性に関して書いたり言ったり仕事してたりしてても、 「こんなことやってるくらいだからいたずら電話しても大丈夫。」  と思うほうがおかしいと思うけど。  これはでも、男性から女性へということだけじゃなくて、もちろん逆もありますけど。次の項でテレフォンクラブというのに触れますけど、 「テレクラに来てるような人だから何言ったっていいんだ。」  と思ってるとしか思えないような電話も、けっこうかかってくるみたいでしたし。  いろいろとそういう、自分の経験や、人からきいた経験談から考えて、勝手に判断してみて、やはり、この『H』のCさんへのいたずら電話も、なかなかつらいものが多いのではないかと私は思うのですが、 「頭に来るけどね…ほかの人は、心配でたまらなくておそるおそるかけてくるわけだから、イライラしてたらかわいそおでしょ—。」  と、Cさんは、毎回とっても優しい声で電話をとっていたのでした。 「でもこんなのくれる人もいるのよ。」  と言って見せてくれたのは、小さく折りたたんだ、びっしり書き込んだラブレター。熱烈なラブコールも、けっこうあるのだそうです。  Cさんは、以前はソープランドにつとめていたのですが、引退して、この仕事におちついたのだそうです。  私は、少し論点がずれるようですが、むかし長崎市にいた、民謡売りのおばあさんを思い出していました。そのおばあさんは、ある夜、小さなスナックにやってきて、 「民謡一曲いかがですか。」  というのです。あとでスナックのママさんに聞くと、 「前はあのおばあちゃん、ゆでたまご売りに来てたの。」  ということで、私はそのときなんとなく、ああ、あのおばあさんはほんとにこういう盛り場にいきなりはいってって何かするのが好きなんだなあと、少し思ったのでした。「少し」というのは何かというと、私はそのときまだ十代だったので、自分のこと以外のことはあまりたくさん考えられなかったからなんですが、とにかくそのおばあさんのことを、何となく思い出したのです。もちろん、Cさんがもう「おばあさん」というようなとしごろの人だったというわけではぜんぜんなく、 「いろいろくふうをして、自分のすきなしごとを続けている人」  という感じがしたからなんですけど。  さあ、それではそろそろ、Cさんの実際の仕事のようすにふれてみることにしましょう。  まず、ドアをあけて、壁こっちのへやにはいってきたお客さんに、 「奥どうぞー。」  と声をかけます。奥のほうが、右手にあたるからです。奥のボックスにはいったお客さんは、シャッとカーテンをしめます。 「カードくださいねー。」  とCさんがいうと、ホープ軒のオーダーチップのようなのが、穴から渡されます。といっても、ホープ軒がない土地のかたに不親切ですので(ホープ軒とは、おいしいと有名な、立ちぐいラーメンのお店)説明しますと、実はただ私が話をややこしくしただけの、プラスチックの小さなチップなのでした。番号が打ってあるようです。  カードの受け渡しが済むと、次にはその穴にタオルを添えてあげます。するとその上に、 「マッサージされる部分」  がのっけられます。Cさんは、湯せんであったかくされた、ホットドッグにかけるマスタード入れのような容器にはいっている、マッサージ用のとうめいなローションをたっぷり手にとり、ゆっくりなでつけていきます。  しろうと考えでは、このマッサージは、 「単なる前後運動なのでは?」  と考えられますが、(しかし何がしろうと考えなのかテイギがあやしいところですが)実はまっすぐの前後運動ではなくて、ややひねりが入るんです。  ドアのノブをまわしてドアをあける手つきをやってみて下さい。カチャッと、なるところで、手のひらが上を向いて、しぜんと最初の位置より腕が前にのびてしまいますよね。それを、ほかの要素はそのままにしといて、最後に手の甲のほうが上にくるようにしてみて下さい。できましたか? そしたらそれを正反対にして腕をひいて下さい。はい、ワン、ツー、ワン、ツー。(こらこら)失礼しました。そういうのが、Cさんの動きなのでありました。  しかし、そうやると、中のと、外側のひふは、だいたい九十度くらいのずれで、ねじってはもどる、というかんじになるようなきがしますが、これはきっと適度な刺激なのでしょうね、わかんないけど。  それから、それがだんだんはやくなっていくわけですが、はやくなってくると、Cさんは、腕を押し出す力だけを、強めていくようにしていきます。すると、まるで、ほんものの女の人のからだが、のしかかってきて、下半身をおしつけてくるように感じさせる効果があるのだそうです。  イラストでも描きましたが、Cさんは二刀流もなさる。それは、どういうことかというと、右手がもうスピードアップ時になっていても、左手の、あとのお客さんに気づかれずに、 「カードくださいねー。」  から、ちゃんとできる、というわけで、考えてみたら、ほんとにたいへんで、思わず、 「名パーカッショニストになれるのでは。」  と考えてしまうほどです。  しかし、お客さんのほうは、ほとんど一〜二分で終わってしまうので、もしかしたら、一曲分もたないかもしれないですけど。  やー、でもほんとです。あれっというくらいに、はやくすんでしまいます。Cさんのテクニックもさることながら、もちろん、 「そういう精神状態」  にあるのだと思います。  すんだら、Cさんは、 「ふきますからそのままにしといて下さいねー。」  と言いながら、言うだけではなく、ちょっと右手の指でささえたままで、しゃがんで、下にあるあたたかいおしぼりをとって、よくふいてあげます。  あったまって帰っていくところへ、 「ありがとうございました。」  と声をかけておしまい。だいたいここまでで2分ちょっと。そのあと受けざらにあてておいたティッシュをとりかえて、スタンバイです。  参考までに、料金はそのころ二千円でした。やく二年弱前です。今はどうか知らないけど。  しかし、ふしぎといえばふしぎな業種です。片方から考えたら、 「底辺の風俗」  という人もいるみたいだし、逆から考えたら、 「限りなく手のこんだ精神の遊び」  のようでもあります。  また、女性むけの同じものをつくったらどうなるかしら、というのをいろいろ考えてみたのですが、やっぱり今のところ、いろんな条件がちがいすぎて、実際につくられたところなんて、とても私には考えられませんでした。もちろん、ほかにも、 「これは男女が逆ならとても考えられないだろうなー。」  と思えるものはたくさんありますけども、この『H』は、やはり、思わずそういうことを考えてみたくなるところのようなきがします。  さいごに、Cさんがマッサージのさいしょのところで、手にたっぷりローションをとってなでつける、あのあたりのことを、お客さんがよく、 「まるで口でしてるみたい」  とほめてくれる、とCさんがおっしゃっていたのですが、私もある人の文章で、そういうふうにいってあるのを、読んだことがあります。しかし、その人の文章は、単にほめてあるのとちがって、 「ありゃ、ゼッタイ口でやってるね。まちがいないって。」  というように本気でかいてあったのでした。これは、Cさんのテクニックがそれほどすごいという一面ももちろんありますが、 「会ったこともない、顔も見えないゆきずりの人にも、やさしいオーラルセックスのサービスを、ほとんど一般のサービス料から考えたらタダのような値段でしてくれる女だっているはず。」  という、その人の虫のいい考えがあらわれているような気もしますので、慎んでその人に、 「そんな訳ねーだろ。」  という言葉をお贈りしてこの項を終わりにしたいと思います。 (85年9月)  『週刊文春』でのテレクラ・レポート  えーと、この本は、ほかの文章はほとんど書きおろしですすめているわけですが、てもとに、たいへん仲間入りさせたい文章があるので、ここにとび入りさせることにいたしました。  これは、昨年末、『週刊文春』のNさんというかたの依頼で書いた、テレフォンクラブのレポートです。  テレフォンクラブというのは、ご存知のかたもいらっしゃるでしょうが、かんたんに言うと、個室がいくつかあって、ひとつずつ、電話が置いてあるお店。その、お店の中の電話番号は、女性の目に入りそうな雑誌とかで広告をしたり、カードやチラシで広告をしたり、してあるんですね。で、男性客は、入場料とか会費とかを払って、個室に入る。すると、そのお店とは何の関係もない一般の女性たちから、電話がたくさんかかってくる。ほんとに、たくさん、ときには遠距離でも、かかってくるんだそうです。  その電話を、男性客が争ってとる。もうほんとに、評判のいいところでは、受話器のフックに指をかけたまま構えていなければならないほどだそうです、今はどうか知らないけど。  そのあとは、とにかく本文をよんでいただいて、しつこいようですが、本文のあとでまた、多少書き足させていただきたいと思います。では、どうぞっ。  みなさんこんにちは、内田春菊です。私、このお仕事をいただいて、はじめてテレフォンクラブというところに、電話をかけたんです。いたずら電話を受けた経験なら、けっこうあるんですけど、テレフォンクラブのようすは、ぜんぜん想像がつかなくて、とってもきんちょうしたんです。きくところによると、 「電話を受ける男性側のへやには、ティッシュ置いてあるんだよお…」  それもどうも、汗をふいたり、かけてきた女の人の身の上話にもらい泣きしたりしたときのためにあるんじゃ、ないらしいんです。困ったわ。いきなり、 「今、下着どんなの…」  とか、荒い息で聞かれたりしたら、どうすればいいのかしら。もちろん、これはお仕事なんで、テープも回ってるしカメラの人もアドバイザーのWさんもそばにいるわけなんですけど、あたし、けっこうのめりこむタイプだから、あんまり熱心に話しかけられるとお仕事を忘れてしまうかもしれないんです。なーんてことはまずないと思いますが、大ボケをしてみたものの、どきどきはとまらないまま第一本めをかける内田でありました。 内田 もしもし。 相手の男の人(以下「男」)はいはい、こんにちは。帰ろうかなと思っていたの。 内田 もう帰ろうと思ってらしたんですか。何で? 男 おなかすいたから。いくつですか。 内田 え、年言うんですかあ。 男 若くないほうがいいんだよ。高校生が多いんだよ。 内田 え! ほんと。 男 僕は、三十歳。高校生だとね、おじさんになっちゃうからね。若くないの、こういうところに来る人にしては。 内田 ええ、そうなんですか。 男 うん。まあ、もちろん四十、五十の人も来るけどね。まあ大体二十五、六が多いんじゃないかな。おれもまだ四回目だから、よくわからないけど。 内田 どういうお仕事をしていらっしゃるんですか。 男 仕事…堅い仕事だよ。 内田 堅い仕事…。 男 ちょっと…まあ、いいや、おれはね、こんなところに来ていると笑われそうだけど、医者。病院。 内田 お医者さん! はーっ。 男 嘘だと思うかもしれないけど、嘘じゃないんだよ。 内田 いや、別に嘘だとは思わないけど、そうか、お医者さん…やっぱり病院でストレスがたまるんですか、とか言って。 男 うん、まだ独りだからね。遊ぶの好きだけど。何でもちょっとブームになると、何でもね。結構おれ、電話魔だから、結構きにいったことはきにいってる。 内田 あ、ほんと。なんか、密室っぽいですね、そこは、声の響きが。 男 うん、ふたりだったら寝っころがれるくらい。 内田 寝っころがれるんですか。 男 だからおれ、ここが好きなの。椅子のところもあるけど、疲れちゃうから。広さは個室喫茶ぐらいかな。=中略= 内田 もしね、そういう知らない人とね、いきなり約束してね、もし変な人が来たら、どうするんですか? 男 すっぽかされる場合が多いでしょう、いちばん。 内田 え、すっぽかされるんですか。 男 そういうもんだと思っているから。しょうがないんじゃない。高校生なんか、それが面白くてかけてきてるんだから。君はどう思ってるの。こういうところにいる人って、女が欲しくて欲しくてしょうがないと思っているのかもしれないけれども、それだけではないと思うよ。セックスしたいというのだったら、ソープランドに行くしね。もちろん男だから、そういう気持ちがないといったら嘘になるかもしれないけど、ごはんだってひとりでたべるよりふたりのほうがいいと思うからね。まあ、もちろん変なやつもいるだろうけどね。 内田 うーん。でもね、聞いた話なんだけど、どうしてもセックスをしたいって人がいて、普通はなかなかそこまでいくのはたいへんでしょ。だからほら、世の中の普通にある男女のことをちょっと凝縮して体験する、みたいな乗りだと私は思ってたんだけど。 男 うん、一理はあるかもよ。 内田 だからすっぽかされても、こんなもんかと思ってくれる人は普通だと思うんだけど、ぜんぜんセックスできないといって、お店に怒る人がいてね、だからしかたなく、サクラの女性とか置くこともあるんだって。 男 僕よりも詳しいじゃない。そういえば、ときどき「お金持ってる?」って言う娘もいるよ。 内田 ほんと? 男 うん、そういう娘もいるし、まあいろいろだよね。テレフォンセックスしたいという人もいるし。おれはできないんで、そういったりね。  私、このかたとずいぶん長いこと、話していたんです。いろんなこと教えていただいちゃったので、なんか切っちゃうの悪い気がして困って、Wさんに相談したら、連絡先きいたらって言ってくださったのね、で、きいたんだけど。きりがないし、ていって、教えてもらえなくて、ああ、一期一会《いちごいちえ》っぽくてかっこいいなあと思いつつ、電話を切ったのでした。  次に電話に出たのは、なんだかとってもおちついた声の人です。すっごく、おとなの人みたい。でも、初めてきて、これが初めての電話だって言うんです。 男 あのね、これはあなたが電話をかけるのはね、あらかじめ予約で電話をかけるの? それとも新聞を見てかけるわけ? 内田 え? あ、そうか。ぜんぜん私、関係の人じゃないですよ。うん。そちらはおいくつなんですか? 男 ちょっと高い年齢だけど。 内田 あ、ほんと? 三十代のかた。 男 いや、もっと上だな。 内田 四十代のかた。 男 うん。 内田 じゃ、こういうところにはいるの、勇気いりません? 男 うん、恥ずかしいけどね。 内田 恥ずかしい? 男 うん。一回入ってみようと思ってね。 内田 あ、ほんとー。お仕事、何なさっているんですか。 男 私? 教育関係だ。 内田 教育関係!?…じゃ、先生なんですか。 男 遠いほうのね。 内田 何? 遠いほうの先生って。 男 遠いところから来たんだ。 内田 あ、じゃ東京のかたじゃないんですか。 男 うん。で、今日東京に研究会に来て、テレフォンクラブってどんなものだろうと思って入ってみたんだよ。 内田 へえ。研究会って、学会みたいのですか。 男 まあ、そうなんだろうね、それで、あと二日ぐらいここに泊まってね、帰るんですけれども。 内田 そうですか。じゃあ、もうご結婚なさっているんですよね。 男 している。しているけどね、まあ、こんなの言うのいやだけども、別れちゃっているんだ。 内田 ほんと? どうして? 男 いや、合わないでね。 内田 性格が? 男 うん。 内田 あらあ、ほんとお。いつからですか。 男 私? わかれて五年ぐらいになるけどね。 内田 五年ぐらい。あれーほんとうー。じゃ、私とかよりも、もっと若い高校生ぐらいからいっぱいかかってくるらしいから、そっちを待ってたほうが絶対楽しいですよ。 男 いや、私はね、あなたみたいのぐらいのほうがね。(RRRR) 内田 いっぱいかかってますね。 男 うん、かかってるね。あのね、本当にあの、サクラじゃないの? 内田 私? うん、私は違いますよ。うん。 男 サクラじゃないの? 泊まってるとこに、そっちのほうに電話くれるか。教えるから。 内田 えー!! ほんとにぃ。どうしよう。でも、しないかもしんないですよぉ。 男 しないでも、どっちでもいいよ。  結局、私はお部屋の電話番号を、おそわっちゃいました。  次は、事務のしごとをしてる、三十歳の人でした。 「会えないよ。約束はするけど、大体皆さんすっぽかすよ。だって女の子だってさ、遊び半分でかけてくるじゃない。」  みんなそうなのかしら。 内田 もし、ここで知り合った人と結婚できそうになったら…結婚しないか。 男 あり得るんじゃない。 内田 うそー! そお? 男 可能性は低いだろうけどね、あると思うよ。 内田 男の人から、いたずらでかかってくることってありません? 男 たまにあるよ。ぶつかったことがある。 内田 え! ほんと。そのとき、どうしたんですか。 男 そのまま切った。おこっても、しょうがないし。  さて、最後の電話です。最後はとっても元気な、三十歳の会社員の人。私、オトナの人ばっかりあたるわ。若い人って、あまり来ないのかしら。 「そうでもないみたいよ。いろいろだよ。」 内田 かけてくるのは、高校生ぐらいの人が多いんでしょう。 男 うん、そうなんだよね。だから、高校生だからね、人をおちょくったりとかさ、そういうのが多いみたいよ。 内田 じゃ、キャアとか言って。 男 そうそう。 内田 しゃべり方が上手—。女の人と会ってるでしょう、けっこう。 男 それがだめなの、毎日すっぽかしばっかりくわされてんの。 内田 でも、会ったことあるでしょう、だれかと。 男 うーん。でもねえ、ひとりかふたりよ。ちょっと飲んだりしただけ。 内田 ホテルとか行かなかったんですか。 男 あんまりタイプじゃなかったんだな。 内田 ひえー! ぜーたく。 男 ぜいたくじゃないよ。すごいのだったんだ。 内田 えー。 男 涙出したよ、おれ。 内田 ひどおい。 男 いや、ほんとに、ぜいたく言わないよ、話が合えばね、いや、それがあれよ。 内田 常軌を逸していたわけですか。 男 そう! 本当に涙を流したよ、おれ。僕がかわいそうだったよ、ほんとに。  うーん。いろいろ、たいへんなんですね…しかし、私が最初おそれていた「熱い吐息パターン」は、四本のうちひとつもなかったわけなんです。私はなんとなく、 「もっと変わった人が出てくれるまでかけるべきなのかなあ。」  と思ったりもしましたが、よく考えると、それは失礼というものですよね。こういう場面で、そういう人のことを書くと、 「ほおら、テレクラとかにいく人って、こおんなにヘンなのよお。」  という方向に、印象がずれていきかねませんもの。みんな、ちゃんと生活した上で遊びのお金もはじき出している人なわけですし。それに、どんな人からかかってくるかわからない電話を待ってるわけでしょう。こわいよね。ひどく傷つけられるかもしれないんだし、ねー。  でも、私にとっては、とっても楽しい体験ではありました。こういうの、けっこう好きです。うふふ。それではみなさん、さようなら。  この記事は、だいたいどういうふうにしてつくられたかといいますと、まず、テレクラの有名チェーン店�P�におことわりしてから、私がそのテレクラのチェーン店何店かに、四本の電話をし、それを録音しました。  それから、その道のプロのかたに、テープおこしというのをやっていただきます。業界名物テープおこし、ポリポリ。失礼しました。テープおこしというのは録音の内容を文章に変えることで、なれないと地獄ですが、プロのかたは聞くスピードと同じスピードでワープロを打つんだそうです。  人から聞いたお話を、長く引用するような記事のときには、このテープおこしをしないと、ただでさえ人間の記憶はあいまいなうえに、だれしも主観からは逃がれられないわけですから、とんでもなく書くのに時間がかかるか、とんでもなく主観のかたまりになってしまうか、どちらかになってしまいます。だいたい時間がかけられないことのほうが多いですから、あとのほうになることが多く、しゃべった人に、悲しい思いをさせてしまいます。  もちろんテープおこしの文章を資料に使っても、主観は入ってしまいますけどね。あと、声できいてるときは平気なんだけど、文字になると、なんだか表現がしっくりこないとか、口調が浮いてしまうとか。そういう、きもちのざらつきにヤスリをかけるために、しゃべってくれた人に、印刷物になる前のものを読んでもらって、ニュアンスチェックをしてもらうわけです。 (これは、私がインタビュー業界にはしろうとなものですから、用心してるだけなのかもしれません。よのなかには、すごいプロもいて、録音もテープおこしもニュアンスチェックもせずに、すばらしいインタビューを書く人もいるのかもしれません。なーんちゃって、これは皮肉ですけど。そんな人いたら、紹介して欲しいわ)  とはいうものの、テレクラに来ていた人にそこまでしてもらうわけにはいきませんので、きちんとテープおこしの上に出ていた言葉だけを使って構成したわけですが、雑誌に載った時点では、残念なことに、さいごに出てくる、男の人のセリフの中に、「ひでえブス」(一度デートした女性のこと)という単語が、いつのまにか入れられてしまっていたのでした。親切で、わかりやすくしようと、だれかがいれたんでしょうけど、 「よけーなおせわ」  なんじゃないでしょうか。  まーでも、その後、担当のNさんから、内田は手紙をもらったのです。それには、 「テレクラを風俗として、スケベ方向で考えるより、『新・命の電話』のような、誰かと話をしたい、出会いたいという、そういうニュアンスを感じて勉強になってしまった。」  というようなもったいないことが書いてあり、原稿に手を加えたのはNさんではなかったのだということはもとより、私のようなジャクハイモノの出してきたものから、これだけのことを感じてくれるような編集者の人が、こんなオトナの雑誌にいらっしゃったりするんだから、内田もなるべくひがみ根性をすててがんばろうっと、と思ったのでした。 (ちょっと脱線しちゃったけど、希望をあたえるうれしいお話だったので、かんべんしてね)  では、風俗とは、全然ちがうけれども、ちょっと似ているような気もしてくる、次の章、まいりましょう。だじゃれかな…。 (86年12月) 第二部 呼びとめる人たち  街をあるいていると、知らない人が、声をかけてくるときがあります。  道をたずねる人だったり、時刻を聞きたい人だったり、だれかとお茶を飲みたい人だったり、いろいろですが、そういう、個人的というかそういう目的でなく、もっとちがう目的でそれをする人がけっこういるらしい。仕事、というには少しあやしげなきもするし、勧誘という表現も、あたっているとこもあるけどぜんぶを言い表しているわけでもない気がする。  そういう体験を、いろいろ思い出して書いてみたのが、この第二部です。  この本の編集作業にあたってくだすったチャンネルゼロの村上さんや、双葉社の企画編集部のかたたち、あといろんな人にお話ししてみたら、私はどうも、そういう人たちからけっこうさかんに声をかけられていたほうらしいのです。それは、以前の私はよくひとりで出歩いていたからというのもあるかもしれませんが、なんか、自分のことなのでよくわからないけど性格も関係しているみたいで、そういう「声をかける人」にほとんど縁のない人もいるらしいです。  もちろん、何か、知らない人から声をかけられていろいろあったりすると、話のタネになったりはしますが、その場はけっこうつらかったり、疲れたりすることが多いので、声をかけられない性格の人をうらやましく思ったこともあります。  でもそれをこうやって文に書くと本にしてくれる人もいたりして、世の中とは、ありがたいものです。  ではさっそく本文、まいりましょう。  お化粧品、何使ってますか。  さいしょに、私にこう声をかけた人は、男の人でした。何と答えたかは忘れましたが、 「お肌の検査をサービスでしているので受けてみませんか。」  とか何とか、言われたのです。  セールスだろうな、とは思ったのですが、その人が私には、あっさりした性格で、 「セールスをする人らしくない」  かんじに見えたので、つい好奇心が湧いて、ついていくことにしました。そのかわり、 「私は好奇心で行くので、ほんとに、話をきくだけですからね。」  と何度も断わったと思います。 「それでもいいですから。」  と言われ、案内されたのは、小さなビルでした。その人が声をかけたのは新宿の東口の改札の前くらいだったのですが、ビルはほとんど南口あたりで、ずいぶん歩いたように思います。  エレベーターを使ってその事務所につくと、他にもひとり、連れてこられた人がいて、その人にいろいろ話をしているのは十代ぐらいの化粧のはでな女の人でした。  検査というのは、よく覚えてはいませんがなんか機械のはしっこをほっぺたにあてたか何かで、ほとんど印象にのこっていません。  検査はあっという間にすんでしまって、化粧品のセールスをされました。セットで五万円ぐらいのものを、どうですかというのです。そんなにたくさん要らないというと、これは、これこれこういう理由で、たいへん安いのだという話をしていました。  何でも、深海魚のなんとかザメとか、まてよチョウザメだったかな? 忘れたけどそういう魚の肝臓だか何かからとった高級の油分を使っているから安いのだとか、そのようなことを聞いたように思います。  あらためてそこの事務所をよく見ると、広さは五〜六坪というところでしょうか。スチールの事務用品や机が普通に並んでいるだけで、「化粧品」ということばから一般に思いうかぶイメージなど、まったくなかったように思います。(まあそんなものかもしれませんが)  ひまだったのでしばらく話をきいていましたが、分割払いでひと月これだけ払えば手に入るとかいう話になってきたので、 「いや、ほんとうに、買わないですから。」  というようなことを言うと、奥から、その人の上司らしい人が出てきて、説得をはじめました。上司とはいっても、今から考えたらたいへん若い人ですが、最初声をかけてきた人にくらべればずいぶんなれていたのでしょう、よくしゃべるので私はしばらくぼんやり話を聞いていました。  分割払いにするなら、最初の一回分は担当者が立て替えてあげる、とかいう、変わったことを言っていました。  私のほかにいた、もうひとりの人を見ると、 「要らない」  と言い疲れて、うつむいていました。その人の担当の化粧のはでな女の子は、いらいらしたように、持ってたボールペンでトントンと机をたたきながら、 「だっかっらさァ〜」 (トントン) 「あたしが一回分払ったげるって言ってるじゃーん。」 (トントントン) 「買っちゃいなよォ。」 (トントントントン)  と言っていました。どう考えても人にものをすすめる態度ではありません。でも、そう言われている本人は、 「でも…ほんとに買えないんです。」  とうつむいたままです。  見ているうちに、何となく気持ちががさがさしてきたので、私ももう帰ろう、と思いました。 「私、話きくだけって最初っから言ったんだから、帰ります。」  と言って立ち上がると、私の担当の人はあきらめて見送ってくれようとしましたが、上司の人のほうが、こんどは、 「君、セールスうまそうだからここに入らない? 準備金出るよ。セールスする人紹介してくれたら、またひとりにつき紹介料出るし。」  とか言うのです。販売も人あつめも一しょくたにする変な人だと思って、 「いやもう帰りますから。」  とドアをあけると、まだあきらめず、 「ねえねえ」  と言って背中に手をかけてきます。どうすればいいかちょっと考えましたが、せいいっぱいこわい声をつくって、 「なれなれしくさわんじゃないよ。」  と言ったら、やっとあきらめてくれました。  あとで聞いたところによると、セールスで雇われた人も、その五万とかのワンセットを最初に買わされて、それを取り戻すためにセールスをがんばる、というような状態もあるそうです。  私はそのころは、上京してまもないころで、まだもの書きを職業にできるかどうかなんてぜんぜんわからなかったので、取材しようとかいうつもりでついていったわけではなかったわけですが(この第二部に書くのはほとんどその、ものかきが職業になるまえのことです)何かその、化粧品販売の人の過去や未来に思いをめぐらせてみたりして、なかなか興味深い経験でした。  しかし、それも、そのとき声をかけてきた人が、けっこうかんじのいい人だったからです。  その後はじつは、あまりそういう人はいなかったのです。  その後声をかけてくる人も、 「今、急いでますんで。」  とかいえば、たいがいはあきらめてはくれますが、なかにはしつこい人がいて、 「あなた、肌のここんとこがあれてますね。」  といって立ちふさがったり、 「別にいいですから。」  と断わろうとすると、 「じゃああなたは肌がガサガサのしわだらけになってもいいわけですね? いいんですねっ!?」  というへんな言い分をきつい言い方でおしつけられたりもしたからです。  でも、その人たちは、駅でひとめでそれとわかる人でも、男女でつれだって歩いている人には、けして声をかけないのです。かけるのは、女の人のひとりあるきか、女の人のふたりづれだけです。  私が、いちど池袋でバイト仲間の女の人とあるいているとき、私でなく、そのバイト仲間の女の人のほうに、声をかけてきた人がいました。そしたら、そのバイト仲間の人は、その人を、完全無視しました。すると、その声をかけた人は、ムッとしたように、 「性格わるーい!」  と、そのバイト仲間の人をひなんしました。私は少しおどろいて、このあとこのふたりがどういう反応をするのだろうと思わず期待しましたが、そのあとは何も起こらず、バイト仲間の人はあいかわらず声をかけた人を無視してさっさと歩いていき、声をかけた人もフンというかんじでむこうへ行ってしまいました。  余談ですが、その人と一緒のバイトをやめて、引越したあと、思い出して一度その人に年賀状だか暑中見舞いだかをかいたことがあります。それほど親しいというわけでもなかったのですが、彼女のくれた返事に、 「内田さんの笑顔をもういちど見たいナ!」  と書いてあって、なんだかとってもてれくさくなって困ってしまったのをおぼえています。  今、おサイフにいくらある?  原宿・新宿・池袋などを歩くと、喫茶店の伝票大のノートと筆記具を手に持った、スーツ姿の男の人が、声をかけてくることがあります。  だいたいどんなことを聞かれるかというと、 ●旅行は好きか ●映画など、よく見るほうか ●月に何本くらい見るか ●邦画と洋画とでは、どっちが多いか  とか、そういうことから始まって、 ●一ヶ月のおこづかいは、だいたいどれくらいか  と、少しずつ、お金の話になっていきます。そして、その人たちの決まり文句のひとつが、 「じゃあ、今、ズバリ、おサイフにいくらある?」  というのです。  私の知ってる人で、ここまで聞かれたときに、 「あのー、私、主婦なんですけど。」  と言ったらなぜか、 「えっ? そうですか、じゃアいいです。」  と言われて、置きざりにされた人がいます。なぜ、 「じゃアいいです」  なのか、よくわかりませんが、そのとき、たとえば、 「五千円くらいかなー。」  とか言ったとして、その後、どういう展開になるのかというと、 「今、特別映画割引券があるんだけど。」  と言われて、 「この割引券は、全国どこでも三ヶ月使えて映画が合計これだけ安くなる。」  とか、 「さらに旅館の割引券もついてて…」  とか説明されます。そしてこれを、 「特別価格三千円で」 「ゼッタイ得だからァ」  などと、すすめられます。断わると、 「安いもんじゃん。」  とか言われて、無言のうちに、 「さっき、五千円もってるって言ったでしょ。」  というニュアンス押しをされてしまいます。別にその人が五千円持っているということと、三千円の割引券を買うということは、何の関係もないのですが、すっかりなつかれてしまったふうになっていて、なかなか断われないふんいきにおいこまれるようです。  さて、その割引券ですが、ほんものなのでしょうか。私は、いちどだけ見たことがあります。それは、東京版でなく、九州版だったのですが、(そうです、東京でなくても同じことがあるのよ)確かに割引券は割引券なの。ただし、 「〇〇旅館割引券、〇人様以上の団体の場合、おひとり様無料」  とかいう形式になっているんでした。映画館のほうも似たようなもので、 「ひとりできちんと得ができる」  ような質の割引券ではなかったです。もちろん、ちゃんとその人数で、その割引券を持っていけば、ひとりはタダにしてくれるのかもしれませんが、五人とか八人とか、けっこう、なかなか集まらないような人数だったと思います。だいいち、そういう、街かどでおもわず割引券を買ってしまうような性格の人が、そうそう団体でどっかへ出かけたりすることはあんまりないんじゃないでしょうか。  私も、その割引券を、 「使ってみた」  という話はまだ、聞いたことがないので、「割引券のその後」については、知りませんが。  しかし、この割引券販売のアンケートは、全国的に有名になってしまったので、最近はもう、商売にならないのじゃないかしら、と思っていたのですが、ついこないだ、池袋に行ったら、健在で、ニコニコ答えている男の人も、ちゃんといました。そんなものなのでしょう。しかし、おとしよりの貯金をうばうとかいうようなものでもないし、いくらなんでも、ほんとにお金に困っている人は買わないでしょうから、世間を知るには、いい勉強代なのかもしれません。別にすすめるわけでは、ないですけども、 「トクしたような気分だけを売る」  という言い方をしてみたら、そんなものは、もっとふつうに、そのへんにいっぱいおこっていることのような気もするし、いいと思って買ったものがダメだったなんてことは、だれしもあるものです。  しかし、これも担当者の性格によるものがあって、私は一度、原宿で、そのアンケートノートを持った人に、 「待てこのやろう。」  と追いかけられて逃げまわって、 「助けて下さい」  と、通行人に助けを求めてる男の子を見たことがあります。  たまたま、アンケートの人のほうが気が短い人で、アンケートを受けた人のほうが大変失礼な人だったのかもしれませんが、ちょっとこわい一場面でした。  奉仕活動とかにご興味ありますか?  また、アンケートのお話です。でも、こっちのアンケートは、やってる人たちの風ぼうや、質問事項などがぜんぜんちがいます。  見かけるのは、御茶の水、吉祥寺、それから新宿などです。さっきの人たちがスーツ姿で、人なれしたかんじなのにくらべて、地味で、 「さっきまで会社に行ってました」  というようなかんじです。また、さっきの人たちはほとんどが男の人で、女の人はまずいないと思われますが、こっちの人たちは女の人が多くて、たまに男の人をみかける、というかんじです。  そしてあきらかにちがうのは、その真摯《しんし》な表情、そして、手のひらにのるくらいの、小さなアンケートノート、この二点です。  さいしょはみんなで、 「アンケートにご協力おねがいします。」  とか言っていましたが、そう言うとたいがいの人はよけて行ってしまうので、しぜんにやめて、最近では、よそ見をして歩いている人にすっと寄って行って、 「アンケートにご協力おねがいします。」  と言っています。 「急いでいるので。」  と言うと、あきらめる人と、 「五分でけっこうですので。」  と言う人がいます。 「じゃ五分ですね。」  と断わって、アンケートの途中で、 「五分たったので。」  と、行ってしまおうとしても、立ちふさがって、離してくれない人もいますが、あきらめる人もいます。  どういうことをきかれるかというと、職業とか、としとか、どこにすんでるかとか、そういうことから、 ●人生に目標があるか  とかいうことになっていき、 ●お金をかしてでも助けてあげたい友人がいるか  とかそのようなかんじにうつっていって、 ●奉仕活動に興味ありますか  というように、 「人のためにつくす気がありますか。」  というほうに、話題がうつっていきます。  私は、ずっと前に、 「奉仕活動に興味ありますか。」  ときかれたとき、 「いいえ。」  と答えてから、 「それは、なぜですか?」  と、ノートにはその質問は印刷されてないのに、たずねられました。別に、責めるように言われたわけではありませんが、その人は、 「奉仕活動に興味をもつのはとっても自然なことだと思う。私の、このアンケートをとる活動も、全くの無償行為です。」  とそういうようなことを言っていました。  私は、 「私にとっては、お金がいただけることが、『仕事』です。よっぽどすることがないならともかく、今のわたしは、『それどころではない、わたしのほうこそすくってほしい』といいたい。」  というようなことを答えて、同情してもらってしまいました。どひー。  その、ずいぶんあと、それでもまだ漫画家としてデビューする前、新宿の南口で、また奉仕活動うんぬんで、小ノートアンケートの女の人とギロンになり、 「私にとってはそちらのほうが不思議なんですけど。」 「それでは、私たちのオフィスへ来ませんか。」  と、いうことになりました。なんでも、みんなでいろんなビデオを見て、人生について考えているらしいです。 「ひまだからタダなら行くけど。」  というと、 「ほんとうに内容のすばらしいビデオですから。」  といいます。 「時間がかかるのもいやだ。」  というと、 「いちばん短いのにしてもらいます。」  といいます。  ついて行くと、南口の前の道路を降りて、明治通りを右にまがってちょっと行ったところのキレイなビルにつれていかれました。ビルの一階は喫茶店です。二階ですというので入口の表示を見ましたが、 「新宿なんとかセンター」  とかいうような、忘れたけどあたりさわりのない、どうとでもとれるような名前でした。二階へ行くと、グレイを基調にしたこぎれいなロビーで、数組の人たちが何か熱心に話しこんでいます。  思ったより人が多いので、私は思わずその人たちをじろじろ見てしまいました。  すると、私をつれてきた女の人が、受付で、 「ここで千四百円払って下さい。」  というのです。私は、 「そんなこと聞いてない。高い、いやだ。」  といってごねました。するとその人はたいへん困って、 「ほんとうに内容のいいビデオなんですう。」  と泣き声になりました。  私は、そのまま帰ろうかどうしようか少し迷いましたが、その場を見た上での好奇心もあったので、半額の七百円にしてもらい、とにかくそのビデオを見せてもらうことにしました。  でも、もし、一時間以上見てないと何を言いたいのかわからないとかいうものだと困るので、また、 「いちばん短いのでないと見ない。」  だの、 「とにかく十五分したら帰る。」  だのといってごねました。  すると、その人は、 「一番短いのを用意しますから、ここで待ってて下さい。」  と言って、ロビーに私をすわらせました。  私は、 「あれだけ奉仕活動奉仕活動とか言っておきながら、ビデオの試写で千四百円もとろうなんて、ムジュンしてるんじゃないの、ぶつぶつ。」  と思いながら、ロビーで待ちました。  ロビーの広さは、十坪ちかくあったでしょうか。ビルじたいも新しそうでしたが、設備もぜんぶ、最近そろえたというかんじでした。  三人ぐらいずつで、二組の人たちが話をしていて、あとは、受付の人とか、そこにいつもいる人、というかんじの人が少し、行ったり来たりしていました。  話している内容まではきこえてきませんでしたが、みんな、とってもいきいきしていて、楽しくてたまらないという顔つきでした。  奥に二〜三のドアがあり、ビデオというのは、そこで見るのらしいです。しばらくして、私も呼ばれました。  ビデオ室の中は、ブースというのでしょうか、モニター一台ごとに両側に壁があり、さっと見ただけでもそのへやだけで七〜八台のモニターがあるかんじでした。たいがいのブースには人がすわっていて、みな一心に画面に見いっていました。でも、音声は小型のヘッドフォンで聞いているので、しんとしていて、少し不気味なかんじです。  思わず、しまった、私はここでビデオ洗脳されて別の人格になってしまうのではと、SFのような心配をしました。  いちばん角の、他の人が見えないブースにすわらされ、ひとりになった私は、どきどきして、なんとか自分を守ろうと、ヘッドフォンを片方はずしてみたりして努力しました。  しかし、それはしなくてもいい心配でした。  ビデオは、結論をいえば、 「なんなんでしょうか」  というような、よくわからないものだったのです。  まず、高層ビルが下からせめた構図でどーんとあらわれ、 「現代は病んでいます」  というようなナレーションとともに、画面はいたいたしい事件をあらわす新聞の見出しの連写にかわります。  スクランブル交差点での動く人ごみをフカンで出したあと、いきなりお花畑がうつったりします。  つまり、 「この病んだ現代からすくわれ、人間らしい心をとりもどすためには」  というような|振り《ヽヽ》なわけです。  それにしても、なんと使い古された前おきかしらと思って見ていますと、そのあとは、この「ビデオで人生を考える会」体験者が二〜三人出てきて、 「今まで悩んでいた自分だったけど、これで人生がかわった。」  とか、 「わたしは女優としていきづまっていたけど今はいきいきと自分の人生を…」  とかいって、もいちどお花畑がうつって、 「あなたもすくわれよう。」  とかいうことをナレーターが言って、それでおわりなのです。  これでは、通信販売の、体験談つき広告より、もっと、わけがわからない。しかし、いちばん短いのにしろとやいやい言った手前、文句も言えずに、ぼーとしていました。  すると、もいちどロビーに呼ばれ、オフィスコーヒーサービスのプラスチックカップのコーヒーを出されました。最初に私に声をかけた女の人のほかに、 「いかにもこの道のプロ」  のような、スーツをきこんで、自信にあふれた表情の女の人がもうひとり、やってきて私の前にすわりました。 「どうでした? あれはほんのさわりだけど、さまざまなジャンルのビデオが、たくさん用意してあるんですよ。」  といわれて、 「あれでは何だかぜんぜんわからない。」  と答えると、他のもごらんなさい、回数券がある、みたいな話になっていきました。  しかし、さすがにそこまでの好奇心はわいてこなかったので、断わりました。すると、その、この道のプロっぽい女の人は、この、ビデオを見て人生を考えるあつまりが、どんなにすばらしいものかを、あいかわらず自信にみちた表情で私に言いきかせるように話すのでした。よこで、さいしょに声をかけてきた人も、そうだそうだという表情で、うっとりときいています。  私は、この人の自信を支えるものは、いったい何だろう、と思いました。ふと見ると、まわりにすわっている人も、みんな、同じく、自信と希望にあふれた表情をして、話しているときも、しっかり人の目を見て、しかもその目が動きもしないのです。私は、なんだか外人の人と話をしているような気分になってきました。  私は、もう二度とここへ来ることはないだろうと思っていましたが、また来ますとうそをついて帰るのもいやだと思い、 「私は、自分ひとりでいろいろ考えたい。いくらそのビデオがよくても、自分で考えるのが好きなんだから見たくない。お金を出してそんなビデオ見てるよりも男の子とあそんでるほうがたのしい。一生悟んなくたって、かまわない。」  としゃべりまくり、また、その人たちにすっかり同情されて帰ってきました。  最近では、その小ノートアンケートの人につかまると、 「私は私で自信をもって人生をおくってますからね、はっはっは。あなたも、がんばって下さい。」  と言ったりして、あきれられたりもしています。  印かんや運勢にご興味ありますか?  私は、星座とかうまれ年とか相性判断とか、その他さまざまな占いに、ぜんぜん興味がありません。  今でこそ、 「それもまたおもしろい一面もあるのだろう。」  というような考えになりましたが、昔はほんとに、大きらいでした。  今でも、占いの本とか、雑誌の占いのページとかは読みませんが、昔は占いが大好きな、なんでもそれで判断する人に出会うと、 「この人は自分のしたいことも自分できめらんないのか。」  と心の中でけいべつしたりもしていました。  そういう過去のもちぬしですので、 「これをすると運がよくなる」  とかいう知識は、まるでありません。 「これはえんぎものみたいよ。」  とかいって贈り物をいただいたりするのは、そのかたのご好意だからうれしいですが、積極的にそういうものを求めるのは、なんだかなさけないきがしていたのです。  だから、 「運がひらける印かんというものがあるらしい」  ということを知ったのも、ずいぶん最近のことです。昔なんかできいたような気もしますが、忘れた。  それが、なんと、場合にもよるのでしょうが、その印かんは、セットで二十万円以上もするらしい。それは、知りあいの人のまた知りあいが買っちゃったので、みんなで忠告して返品させたという話があったから知ったのですが、印かんってものはそんなに高いのでしょうか。  私はいちど、高田馬場駅で、 「あのー開運とか印相のご紹介なんですが。」  と声をかけられて、 「興味がないので。」  と言ったんですが、そのとき、その人が、 「さぞかし実力がおありなんでしょうねえ。」  とかわった言い方をしたんです。私は、おもしろかったので笑って、 「趣味の問題じゃないですか。」  と言ったんですが、左手に皮のカバン、右手に印相の見本のコピーを、透明ファイルに入れたのをもったまま、 「さぞかし実力が…」  といったときのその人の、うらやましそうというか、なさけないというか、その表情があんまりおもしろかったので、そのことを4コママンガにかいたりもしました。  今考えたら、 「開運や印相に興味がない」=「実力がある」  というわけではないんだけどなあというきもするので、なんとか話にひきつけようとして言った皮肉だったのかもしれませんが、どっちにしても、あんなに自信なげな表情では、あのセールスマンの印かんは、なかなか売れそうにありません。  時がたって、私は漫画家になり、仕事場を有限会社というのにすることにしました。  そしたら、その準備に、実印だの、会社の印かんだの、といろいろな印かんをつくらなければいけないということでした。  私は、うわーんとうとうこの時がきたか、これで、印かん代に何十万もつかう人にわたしもなってしまうのねと思いました。  だって、いくら「えんぎもの」とはいえ、そんなに実際の印かんと値段がちがうわけはないと思っていたのです。 「印かんってちゃんとつくると、すっごくたかいんでしょう。」 「うん、そうかな。」  とかいう会話のあと、かくごして、いっしょに会社つくる人と印かんやさんに行ったら、 「なーんだ。」  ぜんぜん、安いんです、印かんって。  二十万以上なんて、いくらセットでも、やっぱり高すぎです。  でもねー、ほんとうに信じて、なっとくして買う人のきもちまでは、私、わからないし。そんなの買うのやめなさいといったところで、それはただ私が、占いやえんぎものをそんなに好きでないだけで、その人が好きなものにお金を使うのは、だれにもとめられないのかもしれません。  募金にご協力おねがいします。  最初にお断わりしておきますが、私は、別に「募金運動が悪い」といっているのではありません。  よくあることですけど、正しいこと、もっともなことでも、言い方をまちがえると、たまに困ったことになる、というか、 「私のしてること、言ってることはぜったい正しい。」  と思うあまりに、他のことが考えられなくなるという人も、いると思うわけです。  横断歩道のまえに、よく募金の人がいます。高校生とかのやってるのは、なんだか元気がよくて、声にも活気があるし、ついオトナの人もそばにいって募金をして声をかけたくなりますが、困るのは、 「あのー…」  とか言って、すがるような目つきでやってくる、陰気な人です。逃げだしたくなります。でもそういう人にかぎって立ちふさがるようにしてくるのです。 「十円でもいいんです。」  とか言われます。十円で、この陰気な人がむこうへ行ってくれるのなら出してしまおうかとも思いますが、でも、もしここでお金を出して、 「そうか、こうすれば募金してもらえるのだな。」  とまたその人がこのやり方に自信をもってしまったら、このあと何十人の人がこういうくらい気持ちにさせられるのかと思うと、やはり募金する気になりません。  ほかの人もやはり同じ気持ちなのか、そういう陰気なかんじの人は、見てても、あまり募金に協力してもらってないようです。ほんとに、 「あれでは募金を呼びかけるより、本人がアルバイトでもしたほうが確実なのでは」  と思えるほどです。きのどくですが、しかたありません。  さてお話かわって、たぶん四年前、四年前はまだ漫画家じゃなかった私は、おおみそかの夜、友人と高尾山に登りました。だから正確には三年何ヶ月か前ですが、 「高尾山のてっぺんで初日の出をみよう。」  とか何とか言って、ワカモノらしくくり出したわけ。深夜の電車に乗っていって、で、とっても寒かったし、ケーブルカーだかロープウェイだかの行列も長かったので、歩いて登った。  けっこう歩いたのかもしれませんが、おまつり気分だし、人もいっぱいいるし、あまり疲れずに登っていたと思います。  じつは、積極的に初日の出を見るというのを、私がしたのはそのときはじめてでした。最近はけっこう初日の出のファンになってなるべく見るようにしてるんですけど、以前はそんなものとぜんぜん縁がなかった。このときは結局寒さをこらえきれずに下山して、初日の出は電車の中で見たんですけど、翌年、江の島で、ちゃんと太陽が姿をあらわすところから見たら、キレイだし、歓声や拍手はおこるし、ほんとにおもしろかった。 「おひさまはいいなー。」  とか、 「うーん日本人。」  とか、 「みんながいまたぶん同じキモチだから、センソー起こってもすぐ勝っちゃったりして。」  とかいろんなことを考えました。そしたらそばにいた友人から、 「何いってんの。正月でのんびりしてんだから負けちゃうんじゃないの。」  とか言われて、それもそうかななんて思ったりしてね。  今年は九十九里浜で見たんですけどやっぱり歓声と拍手がおこって、たのしかった。私は、映画のけいきのいいラストのときや、飛行機が着陸して、 「いまどこどこに到着致しました。」  というアナウンスがあったときとかうれしくて拍手するのですが、わりととなりにいる友人がはずかしがってとめることが多いので、知らない人ばかりのときは、えんりょしてすましているのです。でも、初日の出ではそんな知らない人たちも拍手とかするのですきです。  脱線してしまいましたが、とにかく、私たちや、ほかの人たちは頂上めざして、わいわいと歩いていました。子供の中には、自転車で登っているグループもいました。マウンテンバイクの子も、そうでないふつうの子も、すごい傾斜なのにすいすい登ってました。  そしたら、上のほうから、 「募金にご協力おねがいしまーす。」  と声がする。  見ると、中年女性の団体が、募金活動をしています。  私は、ああなるほどねえと思いました。  お正月をむかえて、みんな、気が大きくなっていたり、いいことでもしようかという気になっているだろうから、きっとお金があつまるはずだ。さすがは募金のプロ!(なんでしょうかこれは)とか思ったわけです。  それにしても募金箱やハタのようなものとかをかかえてここまで登ってきて、なかなか大変だったろうなあと思いつつまた登っていると、また上のほうから、 「募金にご協力おねがいしまーす。」  と、声がする。  私は、いやな予感がしました。見ると、さっきの団体にまけないほどの人数です。まあでも、みんな元気でなによりと思いなおしてまた登っているとまた上のほうから… …………  そしてまた登っていると… …………  いやいや、でももうすぐ頂上、まさかこのへんまではやってこれまい、と思っていると、 「募金に」  わっ。 「ご協力」  きゃっ。 「おねがいしまーす。」  でたーっ。  なんと、三十人から四十人はいるでしょうか、募金箱をかかえた元気な中年女性が、道の片側にずらーっと並んでいるのでした。もう片側には、お店とかがあるような道なので、ほんとに、「道が迫ってくる」ようなかんじです。 「今までのことは、これの伏線だったのか」  と、そのとき|も《ヽ》私は思いました。|も《ヽ》というのは私がよく使う言い方だからなんでこの本にはあまりかんけいがないのですがとにかく、私たちだけでなく、まわりの人も、 「わ、またいる。」 「うそー。」 「なんなのこれー。」  と小声で言いあってすっかりおどろいていたのでした。  だってねえ。もし、最初に、 「よし、募金でもするか。」  と考えて募金した人がいたら、せっかくそういう気になって募金して、多少はいいきぶんになっているところへ、 「募金にご協力おねがいしまーす。」 「おねがいしまーす。」 「しまーす。」  とか、次々といわれては、いやになって、 「なあんだ、いちばん最後にすればよかったようん、または、しなければよかった。」  という気にもなってしまうのではないでしょうか。  まー別に、募金活動をしてた人のほうだって、わるぎでなくつい元気がありあまっちゃっただけなんでしょうけども。  でも、私は、あれも募金の一種だと思うんですけど、あのコンビニエンス・ストアとかにある箱は、大好きです。一円玉や五円玉は、あれに全部入れてしまう。私の仕事場の近くのストアのなんか、いつもいっぱいにはいっているし、あれのほうが街角の募金あつめよりぜんぜん効率がいいような気がしてしまいます。  でもたまに、あの箱へこぜにを入れてるとお店の人で、 「あ、ありがとうございます。」  という人がいる。つい言ってしまっているのでしょうが、少しだけ、 「なぜこの人がお礼をいうのかしら。」  というきもちになってしまう。考えすぎだとはわかっているんですが。  なおしてあげる。  これも、漫画家としてデビューする前の、だいたいそう一年弱くらい前ですね、そのころの話です。  私は、ある人の事務所へ、雑用係のバイトをしに行くことになりました。その、事務所の中心人物であるその人は、用事でしばらく留守をするので、アシスタントであるKさんという女性の手伝いをしてほしい、ということでした。  十一時に事務所へ来てといわれ、行くと、ドアがしまっています。  三十分くらいドアの前で待っていましたが、だれも来ないし、外から電話しても留守番電話が出るだけです。ちょうど、となりのとなりのビルの1Fに、小さな喫茶店があったので、そこで待とうと思い、その旨を紙にかいてドアにはさんでおきました。  それから、その喫茶店の電話番号を、留守番電話にふきこんで待ちました。  しかし、待っても待っても呼び出しはないし、お昼やすみになってお店もこんできたし、すっかり困ってしまいました。  そうしてるあいだに、一時近くになってしまったので、私はもう、帰っちゃうことにしました。でも、ちょっと気になったので、もう一度だけノックしてから帰ろうと思い、その事務所へ行き、声をかけました。すると、 「はあい。」  と元気な女の人の声がして、ドアがあきました。見ると中は、その人だけでなく、いろんな人がいます。 「あの、私、内田です、十一時にきたんですけど。」  と自己紹介して、 「もしかして私、時間まちがってたんでしょうか。」  ときくと、その人はそれには答えず、まわりの人に、 「ねーみんなおなかすいてるよねー、パンでいいー?」  と大声でいって、 「さっそくだけどパンかってきてくれる。」  と、私にお金をわたすのでした。どうも、その人が、Kさんのようでした。  そのあとも、わーん遅刻しそうだと思って電話するとKさんはいなかったり、仕事もないのに徹夜させられたり、私はいくらひまな身とはいっても全くすることがないわけではなかったので、ちょっと困ったりしました。というのは、私もKさんもひとりぐらしですが、Kさんは都内に実家があって、よくそっちへ帰っているようなのでした。これは私のひがみでもあるのでしょうが、実家にしょっちゅう帰れる人は、そうでない人にくらべて、しなければならない家事とかが、少なくてすむような気がするんです。それに、ほとんど毎日Kさんのおかあさんから電話がかかってきて、なんだかオトナの女の人みたいな気がしません。  しかし、Kさんはけっこうおねえさんぽいところがあって、私の昼食をみて、 「あら、だめ! そんなものをたべていたら体こわすわよ。」  と言って、ナチュラルフードをごちそうしてくれたりもしました。うれしかったです。  そんなある日、Kさんとふたりで、事務所の大きな机にすわっていますと、 「ねえ、ちょっときいてくれる?」  とKさんが、いきなりまじめな顔でいうのです。 「はい、何でしょう。」  と私もつい緊張すると、Kさんは、 「私ね、いつも、毎日かならず、人にしてあげてることがあるの。それを、今日はだれにも、してあげられなかったの。おねがいできる?」  と、かわったことを言うのです。  でも、まじめに言っているし、 「いいですよ。」  と言ってあげると、Kさんはとてもうれしそうな顔をしました。 「じゃあね、こうやって手をあわせて。」  私は、両手を拝むように合わせました。 「これから、私のいうことと同じことを三回言って、目を閉じてね。」  そういうと、Kさんは手をあわせて、 「みょうしゅさまありがとうございます、みょうしゅさまありがとうございます、みょうしゅさまありがとうございます。」  と三回言いました。私も、あわてて同じことを言いました。 「みょうしゅさま」  のところがちょっと早口ことばみたいで言いにくくて、口がもつれそうになりましたが、ひっかかるとKさんに悪いと思って、いっしょうけんめいまちがわないようにしました。  それから、私はしばらくそのままのしせいで、じっと目をとじていました。  しかしそうしていると、時間のたつのが遅くかんじられるものです。私はつい、Kさんが何をしているのか気になって、うすめをあけました。  すると、Kさんは目をとじて精神統一をしているような表情で、片手の手のひらを、私のひたいのあたりに、火にあたるようなかんじで、かざしていました。  しばらくするとKさんがハイいいですとかなんとかいって、もういちど手をあわせて、 「みょうしゅさまありがとうございます。」  をふたりで三回言いました。 「どうだった?」  とKさんがきくので、 「うーん、なんか…」  と言葉をえらんでいますと、Kさんは、病気とかがぜんぶなおるのよ、といいます。 「あ、そうなんですか。私さいきんちょっと風邪ぎみなんです。」  と思わずいうと、Kさんはうれしそうにうなずいてほほえんで、 「なおしてあげる。」  と言ってくれるのでした。  しかし、それはその日一回だけのことだったので、くすりでも何でも多少はつづけないとききめはでませんし、まあそのままになってしまいました。  どこにでも、お経とかのさいちゅうに笑い出してしまう子供とかがいますが、私もつい、緊張するとへらへらしたり笑い出したりしてしまうほうなので、その後それがなかったのは、そういう意味ではちょっとほっとしました。  でも、Kさんからはその後、 「桜新町に、こないだののあつまりがある場所があるから、来ない?」  と数回さそわれました。  わたしが、そこのバイトを終わって家でまんがやイラストを描いてるときも、電話で誘ってきましたが、わたしは、デビューの前後で自分でもだいじな時期かなと思っていたのでなかなか出かけられませんでした。  その後、その事務所をKさんはやめてしまいました。事務所のメインの人にきいたところによると、 「病気療養のため」  やめたのだそうです。ふしぎに思って、前のことを話してみると、その人はそういうことは一度もしてもらわなかったそうです。  ところで、桜新町には、私がお手伝いしたことのあるまんが家の人が住んでいます。  いちど、お手伝いを約束していた日、時間に遅れそうになって走っていると、中学生くらいの男の子の三人づれから、 「あなたのしあわせのために、おいのりさせてください。」  とたのまれました。  どうしようかなと思ったけど、時間がほんとになかったので、 「あの、今、約束に遅れそうだから、ごめんね。」  と言って走ってきてしまいました。  彼女、モデルになりません? 「モデルになりませんか?」  と声をかけてくる人は、主に渋谷と、新宿西口の改札前にいます。  しかし、新宿西口の改札前にいる人は、いつも、ちょっとこわそうなので、私はあまり話をきいてみようという気にはなりません。  渋谷では、ハチ公のこっち側でセンター街のはんたい側、なんだかよくわかりませんが、あのほら、マイアミのある角、あそこの信号待ちをするあたりと、あと、センター街の中の、ロロという、てづくりミニケーキの喫茶店の前、おもにその二ヶ所に多いようです。でもほかにも渋谷のそのへんにはよくそういう人がいますけど。  その人たちは、名刺を手がかりに思ってるというか、「まず名刺」と思ってるみたいで、名刺をさしだしながら声をかけてきます。よく見ると、渋谷のそういう人たちのは、みんな同じ会社の名刺です。  顔を見ても、あまり「業界っぽい」ようなかんじの人は、いないように思います。とはいっても何が「業界っぽい」だか、よくはわかりませんが。  ふつうに考えたら、 「モデルになりませんか。」  と声をかけられる人は、容姿のいい人のような気がしますが、この人たちにおいては、ぜんぜんそんなことはありません。 (こういうふうにかくと、ちゃんとしたスカウトマンのかたには、大変めいわくかもしれませんが、この本は、私の体験で構成してあるだけで、別にスカウトの人全員がこうだと言っているわけではないので、おこらないでください。単に、私が、へんな人をひきよせているだけのことなのかもしれないわけですから)  まず、そのスカウトの人は、 「今キャンペーン中で、モデルをさがしている。」  とか、 「モデルさんですか?」  とか、 「お話だけ。」  とか言ってきます。  事務所は、まんが専門店とかのある道のへんにあります。エレベーターで登っていくと、ポスターがべたべたはってある中で、二、三人の若い人がいそがしく電話したりしています。  そこで、そのスカウトの人は、いろいろ資料を見せてくれます。この雑誌のここのこのページの人は、うちの所属です、というような切り抜きのファイルです。それは、もちろんたくさんあるんですけども、印刷物や雑誌がけっこう好きな人が見ても、 「そんな本知らない…」  と思えるようなものが、ほとんどな気もしました。そこへ出てる人たちの容姿もさまざまで、 「わりとかわいいかんじの人だな。」  という人から、 「うーん、なぜ。」  という人までいます。  それを見せながら、 「わりとかわいい」  人のところでは、 「彼女はもうひっぱりだこでね。」  みたいな話をするので、 「いや私はそんなにかわいくないのでそうはなれませんから、やらない。」  というと、 「いやちがう!」  と言って、 「うーん、なぜ」  の人のところのページをひらいて、 「彼女だって仕事があった、あなたならもっといいから大丈夫。」  とか言ったりするのです。  かと思うと、 「モデルの仕事、やりたくないの?」  とか、 「ここまでついてきたんだから、あんた、やりたくないわけないでしょう。」  とか言ったりします。 「いや、ほんとうにやりたくなったら自分でがんばるから、けっこうです。」  というと、 「いやちがう!」  というので、どんな「いやちがう」で私を言いくるめてくれるのかしら、と期待していると、 「うちの場合、本社は銀座にあって仕事は一件四万円ぐらいもらえる。」  と、よくわからない言い分なのでした。なぜ四万円のギャラを押し出してくるかというと、そこで、モデルをするためには、 「三万六千円かかる」  からなんでした。 「七万円コース」  というのもあるらしい。どうちがうのかというと、 ●七万円のコースでは、お化粧やヘアスタイルのレッスンをしたあと、ブロマイド撮影 ●三万六千円のコースでは、ブロマイド撮影のみ ●また、分割払いもある  ということでした。  そういえば、そこの事務所には、ついたてがあって、そのむこうから、すごい化粧品の匂いがするのです。  ブロマイドをとって、それが売り込みのための資料になるらしいですが、それを見せてもらってるうちに、なんと、知り合いの写真があるではありませんか。 「あっこの人知ってる。」  というと、 「あっ、彼女はね、かわいいから、もう一つ上のクラスへ移動しちゃったんで、ちょっともうこちらの人間というわけではないんです。」  といいます。  しかし、実はその人は私が歌ったり接客していたお店の女の子で、 「あたし一応モデルなんだけどォ、全然シゴトなくって。」  と、いつもこぼしていた人なのでした。まーでも、そのお店は、そういう人が、たくさんいたお店だったんですが。(ここまでよんで、私のまんがをよく読んでくだすってる方の中には「おや、これは」と思っている方もいるかもしれません。でもまあ、きにしないで下さい。よくあることですから)  私が、スカウトの人のいうことのあげあしをとったり、資料に、 「あっ、この雑誌もう廃刊しましたけど。」  とかもんくをいってばかりいたので、その人もだんだんいらいらしてきて、少しずつ語調があらくなってきました。ボールペンで机をトントンたたきながら、 「えっ、どうなんですか。」  とかなってきて、また、ここでも上司の人らしいやり手っぽい人も登場してきて、ふたりで、 「いつもここで決めてもらってるんですけどねえ。」  とか、なってきました。 「ブロマイドだけでもとってみませんか、今月はこの日にとりますよ。」 「いやその日忙しいです。」 「じゃ来月この日。」 「忙しい。」 「じゃ、さ来月のこの日!」  こういうときは、じゃあとりますといって名前や住所や連絡先をうそをかいて帰ってくるのが一番りこうなやりかたなのかもしれないなあとぼんやり思いましたが、やるといったらもしかして、 「今、内金だけでも。」  とか言われるかもしれないし、いくら身を守るためでもこの人たちに、 「あたし、やります。」  とか言いたくはありませんでした。なんちゃって、 「身を守る」  なんてのは大げさですけど。  とにかくもう話をきくのもあきたので、私は、 「もう帰ります。」  と立ち上がって、すたすたとエレベーターの方へ歩いていきました。そしてエレベーターの1Fのボタンをおしたら、最初に声をかけてきた人が追いかけてきて「開」のボタンを押したので、ガタンといってドアがとまりました。 「ねっ、彼女もう一回話だけ。」 「帰ります。」 「もう一回。」  その人は両手でドアをあけて、なかなかはなそうとしなかったので、私は思わず、 「くるかな。」  というかんじに、身構えました。とはいっても、何が「くるかな」なのか、よくわかりませんが。(こればっかし)  でも、しばらくしたらあきらめて、はなしてくれました。  やっと外へ出たと思って、のびのび歩いていると、私が事務所へ入っていくのを見てたのでしょうか、また別の人が、 「彼女ォ、うちのモデルやってくんないのォ?」  といって同じ名刺をひらひらさせていました。  まーでも、くわしくは知りませんが、ここでとったブロマイドで、モデルのしごとがきて、そのしごとから、いろんな方向へ運命がひらけたりしている人も、もしかしたらいるかもしれません。こういう、自由業っぽいことは、ほんとうに、何がきっかけになるか、わからないものですし。公団住宅の抽選の応募あっせん業と、似ているきもする。(ちょっとちがうか…)だから、それだってきっかけのうちだわ、お金もあるしやってみたい、と思う人は、渋谷のそのへんをひとりあるきか、同性どうしでふたりあるきをするといいと思います。なんで「女性」ではなく「同性」かというと、ついこないだ、スカウト|ウー《ヽヽ》マンが、男の子に声をかけているところを目げきしたからです。  おまけに書きますが、つい最近、銀座の地下街をひとりで歩いていたら、女の人が、 「あの、今、アンアンに出る人を探してるんですけど。」  と声をかけてきたので、思わず笑ってしまいました。久しぶりのひとりあるきだったので、自分が声をかけられやすいということももう忘れていたし、アンアンではないけれど、アンアンを出しているマガジンハウスという会社のしごとの帰りだったのです。  どうしようかなーと思ったけど、ついいたずら心が出て、 「私、出版関係ですよ。あなたほんとにアンアンの人ですか。」  と言ってみたら、 「あ、いや、だから、|アンアンに出る人を探して《ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ》いるんです。」  と言いながら、逃げていってしまいましたが、あの人はもしかしたらあの調子で、ほんとにマガジンハウスの人にも声をかけてしまうこともあるんじゃないかしら、男の子だったらやっぱり「ポパイに出る人を探している」というのかしら、いや、ホットドッグプレスかしらと、いろいろ頭の中で考えて、たのしめてしまいました。  英会話なんかに興味あります?  このお話は、街で呼びとめるというよりは、電話や手紙で呼びかけられることが多いのですが、似ているところもあるので、書くことにしました。  まず、お話はかなりさかのぼって、一九八〇年の春。中野坂上というところに越してきたばかりの私のいえに、はがきがきました。文面は、もう忘れてしまいましたが、うれしいおしらせのようなものがあるので、ぜひでんわをして下さい、というようなことをかいてある下に、電話番号と、名字だけのサインがありました。  しかし、どう考えても思いあたるふしがありません。好奇心はあったのですが、だれだかわからない人に電話をする気に、なかなかならなかったので、そのハガキを職場の人に見せてみました。すると、 「あ、これセールスで、高いもの買わされるのみたいだから、やめたほうがいいよ。」  とある人から言われました。 「セールスなんですか。」  私はそのころ、セールスの人が、とっても怖かった時期でした。  引越しの日にすぐ、Y新聞の人が通りかかって声をかけたので、 「いいですよ。」  といって、とることをきめたのですが、数日後、 「こないだのY新聞ですけど。」  といって人が来たので、おかしいなあと思って、 「今月はまだ集金ないはずですけど。」  というと、 「いえ景品があるんです。」 「もうもらったんですけど。」 「いやまだあったのでお届けにきたんです。」  おかしいなあと思いながらチェーンをつけてドアをあけると、知らない人です。その人は、 「Y新聞三ヶ月でしょ。三ヶ月後にA新聞をおねがいしますよ。」  というのでした。  なんだかその時恐ろしくなって、断われなくて約束してしまったのです。嘘をついてまで、ドアをあけてもらおうなんていうやりかたをする人は、その時まで、私の家に来たことなんてなかったからです。  今、新聞をとってないのも、勧誘の人の神経がおそろしいという印象が、そのまま続いているから、というのも少しは理由になっているんですけど、まあ今は、いつも事務所にいるから、セールスの人はあんまり来ないですけどね。じむきとかでんわきとかあずきうりの人とか、たまに来るけど。  かんけいないけど、消火器のセールスマンが、昔住んでいたアパートに来たことあるんです。 「消火器は大家さんが設置してくれたのがそこにありますけど。」  といったんだけど、 「これはだめなんですよ。今はもうきまりがかわっています。私たちは消防署のほうから来たのです。」  といわれて、持ってこられてしまいました。値段はいくらか忘れたけど、見たら、そのころの経済状態では、買えないねだんだったんです。それで、 「あの、お金がないので、今買えないので、あと二ヶ月くらい待ってもらえませんか。」  と頼んだら、きのどくそうな顔になって、 「そうですか、ではそのころまいります。」  といわれて、それきり来ませんでした。あとで聞いたら、ほんとうは買わなくてもいいようなものを、きまりだとか言って買わせる人たちだったようです。うーむ。しかし、ほんとに買えないような状態だったわけだから、あんまり、 「だまされないでよかった。」  とかいう気はしませんでした。 「買う」  とかいうことで考えたら、その時払ってしまえるくらいのとか、別に買うことじたいそんなにむだではないものとか(新聞もそうだといったら新聞社の人は、おこるかなあ)、そういうのは、まだいいというか、やっぱり、 「|月ぷで《ヽヽヽ》、高ーいものを買ってしまう」  というのが、傷は深いですよね。それも、 「自主性にムチうって使わなければ、すぐに不用品になってしまいそうなもの」  なら、なおさらです。  えーそんなわけで、そのハガキはすててしまったのですが、その人は、なんで私の住所を知っていたのでしょうか。それは、あとになって知りましたが、住民票のえつらんというので、調べられたらしいんです。住民票というのは、お金さえ払えば、だれのでも、見せてくれるのです。もちろん、理由もないのにたくさん見たい、というのはあやしまれますから、 「青年の意識調査アンケートのためです。」  とか言って、えつらんを頼むようです。  そしてその中から、 ●若い人のひとりぐらし ●最近引越してきた人  などの条件に見あう人の住所と名まえを、全部書き出します。そしてハガキを出すのですが、さらに、その住所と氏名を使って番号案内の104番で、電話番号を調べて、 「おハガキつきましたか。」  とかける人もいます。  そういう人の、きまりもんくは、 「特別に選ばれました。」  とか、 「英会話や海外旅行に、興味がありますか?」  とかいうのです。  都会のひとりぐらしは、なんとなく心細いものです。それでなくても、手紙が来たり、電話がかかってきたりするのは、ふだんはうれしかったりすることですもの、つい話をきいてしまうのも無理はありません。相手は、やさしそうな、明るい話し方だし。  それに、まさかふつう、そんなに努力して知らない人の住所や電話番号を調べたりはしないので、やはり、 「どうして住所や電話がわかったのだろう。」  という疑問がわきます。  私も、世田谷区に住んでいたとき、そのような人から電話があったことがあって、さすがに、 「おかしいなー。」  と思いました。でも、よくまちがい電話のある番号だったので(たいがい「星さんですか」と言っていた)そのせいもあるのかしら。  しかし、ふつうに考えたら、引越しなどをしたとき、知りあいが捜すかもしれないなと思って電話帳の案内に載せたりするものなのに、困っちゃいますね。女名前で電話帳に載せるだけでも、いたずら電話とかかかってくるしね。私は載っけたことないけど。  以前、漫画にもかいたことがあるんですけど、電柱に、 「ひとりぐらしのギャルリスト売ります。住所、年齢、電話番号付、千五百人分九千円」なんてハリガミが張ってあって、びっくりしたことがある。  いたずら電話がひどく多くて、と警察に行っても、 「誘かいとか、ほんとうの事件が起こりでもしない限り、逆探知なんてしませんよ。電話番号を変えて下さい。」  といわれるし、かといってNTTに、 「電話番号を変えて下さい。」  といっても、 「前の電話を売って新しい電話を買って下さい。」  とか言われるというし、ほんとに困ります。(今はどうか知らないけど)まあ、こないだ引越しした時、私が買っていた電話機を、金具をちょこちょこっとつけて取り換えただけで、六千七百円も取ったNTTですから、そのくらい協力してくれなくても当然でしょうけども。はやく精神面も民営になってほしいものです。民営になるということは親切になるってことなんでしょ? 知らないけど…。でも電話を扱っているのはNTTだけなので、(最近は少しずついろんな会社ができて、かわってきているようですが)あんまり悪口を言って、電話をとめられたりすると、私は失業してしまうし、こわいので、もう悪口はやめます。  さて、また話をもどして、その「英会話なんとか」ですが、ごぞんじのとおり、これは、 「英会話カセットテープ+けいたい用カセットデッキ+参考書」  のセットのセールスです。でも、電話をかけてきた人は、そんなこと、おくびにも出しません。ところでおくびってげっぷのことだって知ってました? じつは私も今、気になって辞書をひいたんですけど、まあいいか。  そして、 「国際親善のためのサークルがある。」  とか、 「外国人とのパーティや、安くいける海外旅行がある。」  とか言って、くわしくお話をきいてみませんかといいます。  そして、何日の何時にどこどこの喫茶店であいましょうという約束をとります。  で、喫茶店に行って、最後まで説明をきいてから、やっとセールスだというのがわかるわけです。  セットのねだんは、私が知っているところの三〜四年前で、二十七万から四十万くらい。いろいろ人にきいたら、よそもだいたい同じくらいだそうです。もちろん、質は、そんなに悪くないらしいですから、すごく意志のつよい人は、ほんとに英語がしゃべれるようになるのかもしれませんが、私の知りあいで、持っている人の中には、そういう人はいませんでした。  しつこいようですが、ほんとにいっぱいお金を持っていて、ひとりでも知り合いがふえて、何かの希望にかかわることなら何にでもお金を使いたい、という人は、もちろん買ったほうがいいかもしれません。じっさい、そのセールスの人となかよしになりたいばかりに、契約する人もいますし、またそういう人が、そのあとどうしてるかということも、聞いたことがあるのですが、それは、ちょっとここでは、おいときます。(ここまで読んで、私のまんがをよく読んでくれている人の中には、おや、これはと思っている人もいるかもしれません。こればっかし)  日本人というのは、 「NO」  の言えない国民だといわれています。まあ、NOは英語だからというのもあるのですが、(しーん)でも、考えてみたら、 「いいです」  というのに、ニュアンスによって、 「良い」と、 「要らない」の意味があるとか、 「けっこうです」というのに、やはり、 「良い」と、 「要らない」のふたつの意味があるのだとか、そう思うと、そんな気もします。少しはずしたかな? まあいいや、とにかく、月ぷだというのもあって、やはり、買ってしまう人はいるわけです。私のまわりにも、けっこういる。しかし、個人差はありますが、今考えてみたら、やっぱり、これは私にとってはですが、 「人生の勉強代にしては、ちょっと高い」  という気がする。  ですので、この本を読んでる人には、かんたんな断わり方も、おおしえしましょう。いえいえ、お礼はいりません。これは私にとっての免罪符でもあるのです。あっ、なぜかは聞かないで。  まず、ハガキがきても、電話しない。好奇心に負けそうな人は、やぶりすてます。  次に、電話が来たら、ガチャンと切ったり、 「あっ英会話のカセットでしょ。」  と言ったりしない方がいい。たまにそうすると居直って別人になる人がいますし、切りゃあいいやというような人は、私、ちょっと困った人のような気もする。とにかく、 「そんなのするひまもお金もないんですよ。」  とか、 「受験やバイトでそれどころじゃないです。」  と言うといいです。でも、心から思って言わないと、 「時間やお金の使い方がヘタだと、人生が損なんですよ。」  ときりかえされて、むっとしてしまうときもあります。もしグズグズいわれたら、 「ぜんぜんお金がない。」  ということを強くいうことです。ものを売ろうとする人には、何にでもこれがきくんですよね。ちょっと悲しいことですけども。  それから、喫茶店へいく約束をしてしまった人、ここでけっこうすっぽかす人がいるんですが、やはりこれも性格で、できない人がいる。まあどっちかというと、私はできない人が好きですけど。 「行けなくなった。」  という電話もまにあわなくて、行ってしまった人は、断わるのも、一番大変になります。というのは、今までのことと同じように、何を言ってもあきらめない人や、上司や仲間をつれてきて、ふたりがかりで説得しようとする人が、けっこういるからです。  つい、喫茶店の人に助けを求めたくなりますが、そういう人たちは、そういうことにけっこう無関心な、どーでもいい店員しかいないような店を選んだりするので、なかなか期待できません。ごくまれに、喫茶店の中に正義感の強いお客がいて助けてくれたという話をきいたこともありますが、そういう期待より、本当は自分の意志で、ちゃんと断わらないと、また、アプローチされるだけです。  断わると、 「ああそうかい。」  とか、 「じゃあここはあんたのおごりね。」  とか言って態度のかわる人もいれば、 「んじゃー今日はセールスやめて飲みに行っちゃおー。」  といって、飲み屋に誘う人もいます。そーです、何をやってる人でも、こっちがうそのないつきあいをすれば、そんなに悪いことばかりおこるものではありません。もちろん、そういうことばかり期待されても私は困りますが。  そして最後に、この本を読んでいる時、もう契約しちゃったというあなた、今、契約してから何日めですか。  ご存知のかたも多いでしょうが、あらゆる契約は、七日間以内なら、 「やーめた」  ということができる、という、クーリング・オフとかいうのがあるんです。だからどうすればいいのと迫られると私は困るのですが、とりあえず交番などへ行って、いちばん親切そうなおまわりさんに言ってみましょう。親切そうなおまわりさんがひとりもいないときは、もよりの警察署の防犯課へ電話して聞いてみましょう。あわてて110番したりすると、 「何が起こったんですかッ! はやく言って下さい!」  とせかされてあわてたり、ほんとの緊急の人のじゃまになることもあるので、おちついて下さいね。  しかし、これを読んだかたの中には、 「そんなセールスをする奴は、悪人だ。」  と思う人もいるかもしれませんね。カセットを買っちゃった人は、なおさらかしら。  でも、私は、セールスをする人も、買わされる人も、また、通信販売とかを買う人も売る人も、同じところがある人たちだという気がします。そういうことに関わる人は、売る側も買う側も、似ているし、入れ替わりうるのじゃないでしょうか。  ただ、そういうことに全くかかわらない人と、かかわる人の、二種類しかないような。しかし、全くかかわらない人も、やっぱしいるのかなあ。私は、もしそういう人がいるなら、そちら側のことは、ぜんぜんわからない。  もしいたとしても、はっきり何かが違うというんじゃなくて、なんとなくだけど、相対的なもののような気がします。  お年寄りの貯金が奪われた、とかいうと、とってもひどいことのような気もするけど、そんなお年寄りが、 「うまい話をきいて、投資した」  というのも、よく考えたら、不思議な一面もある。だって、ほんとに心から嫌だったり、ほんとにお金のない人は、ぜったい投資はしないわけでしょ。  思うんですが、やっぱり、友だちがいちばんじゃないかしら。たとえば私は、 「このハガキ、何かしら。」  と職場の人に聞いたおかげで、電話しなくてすんだし、ふだんから情報を交換していれば、知らずに困ったことになることもないし。とはいうものの、ほんとに自分のためを思ってくれる友人というのは、そうかんたんにはできないかもしれませんけどね。なんにしても、自分の身は自分で守ろうというきもちがないと、しっかりした友人だって、寄ってきてくれないでしょうね。  うーん、しかし第二部はなんかどことなく暗い。書いてても、自分自身のかさぶたをはぐ一面もあるような気がして、なんだかつらくなってきちゃった、くすん、くすん。でも、悲しんでばかりもいられません。第二部の、さいごの章、まいりましょう。  ナンパじゃない、ナンパじゃない。  この章は、かんたんにいうと、 「そのほかのいろんな人たち」  というかんじです。  ここで、ふと考えてみたりしますが、 「知らない人に、街で声をかける」  というのは、どんな気持ちでしょうか。私がどんなときにそれをするかというと、 ㈰道をきくとき ㈪ものをたずねるとき ㈫その人がきづかずにいる何かを、おしえてあげたいとき  とか、それくらいですが、いちばんむずかしいのは、㈫ではないでしょうか。㈫をすると、たまに、気味わるがったり、ひどくあわてたりする人が、いるからです。まー、ふつうに友だちづきあいしていても、人のアドバイスをいやがる人、という人もいるけど。もちろん、㈫をやりすぎる人は、私も困るけど。  でも、㈫でなく、㈪のときは、たいがいの人は、親切にいろいろおしえてくれるので、ふしぎです。やっぱり、ものをたのむときはしぜんと親切な人をえらんでいるのかしら。それとも、人におしえてもらうのはいやだけど、おしえるのはいやじゃないものなのかしら。うーん。  ぜんぜん関係ないけど、私のいなかに、 「ニャオ、ニャオ。」  といいながら街を歩いている有名な人がいました。みんなから、「ニャオニャオおじさん」とよばれていましたが、もしかしたらもう、おじいさんというような人じゃなかったかなあ。  いつもくたびれた黒っぽいスーツを着て、左手には黒いかばんを持っていた。右手は、しじゅうせわしなく指をちぢめたりのばしたりして動かしている。そのせいか、 「昔はピアニストだったらしい。」  とうわさする子供もいました。髪はオールバックにして、あごの小さい、やっぱしどことなく猫に似ていたようなきもする。まてよ、歯が抜けたかなんかであごが小さいのかなあ。歯ならびも、へんだったきがする。  その人は、有名なので、どこを歩いていても、みんな、心の中で、 「あっ、ニャオニャオおじさんが来たな。」  と思って道をあけるのですが、たまにおしゃべりに夢中になって、うっかりしていると、すぐ顔の前まで近よってきて、 「にゃお。」  と言ったりします。たいがい女の人なので、 「キャア。」  と驚いていますが、べつにニャオニャオおじさんは、それ以上は何もしません。  それから、「しゅっしゅっおばあさん」もいました。ダンボールなどの、廃品回収というのか、そういうしごとをしているのですが、 「しゅっしゅっ。」  と蒸気きかんしゃのように、ずっと言っているのです。  ごみ捨てばにダンボールがたくさんあったりすると、よろこんで、 「しゅっしゅっしゅっ、しゅしゅしゅ。」  と、蒸気きかんしゃがはやくはしるように、はりきってダンボールをあつめていました。  もうひとり、私がスナックにつとめていたときのこと、いきなりドアがあいて、顔を白ぬりにして、はでなししゅうのある、ゴージャスな着物をはしょりあげたおじさんが、踊りながらはいってきたことがありました。  従業員もお客さんも、しばらくだまって見守っていましたが、その細長い店内をおどりながら歩いていこうとするので、店長が歩みよって、 「おじさんおじさん、ちょっと、店をまちがってんじゃあないの。」  というと、まただまって踊りながら出ていってしまいました。  あとで店長にきくと、踊りながら、下の階へと階段を降りていったそうです。  なつかしいことを書いたあとで、本題にかえりますが、都会には、まだまだ、声をかけてくるいろんな人がいます。  たとえば、渋谷の公園通りで、 「あっ、彼女ォ彼女ォ、だいじょうぶ、ナンパじゃないナンパじゃない、情報なんだけどォ、輸入品とかァ、レコードとかが安く買える店が、あそこのマンションにできたんだけどォ、すっごく安いから、これからちょっといきません? ゼッタイ安いから。」  と言う人。この人は、 「大丈夫ナンパじゃない」  というのがおもしろかったのでおぼえていたのですが、なぜナンパじゃなかったら大丈夫なのでしょうか。これでは、ナンパのほうがうれしいようなきもするのですが。  それから、ディスコの前で、 「ディスコいかがですか。」  と、サービスカードのようなものをくれる人。  そういえば、 「ポテトもごいっしょにいかがですか。」  というフレーズもすっかり有名になりましたが、私はいちど、そういうハンバーガーのお店でもらったパズルで、バッジだか何だかが当たったことがありました。  バンドの男の子たちと行ったときで、あっそうだ、当たりが出たのはマネージャー兼ドラムスの人だ。で、 「あ、よかったじゃん、もらってきなよ。」  と言ったら、 「はずかしいから、もらってきて。」  と私がたのまれたんでした。そこは、六本木にある、そのころできたばかりの店で、かなり広いとこでした。帰りに、カウンターのある1Fへ降りて、ほかの男の子は出口の近くで待ってて、私だけがカウンターへ行ったんです。ひとりの女の人に、シートを、 「あのこれ、当たったみたいなんですけど。」  と言って渡すと、その人は、しばらくそのシートを見ていましたが、当たりをたしかめると、おもむろに、 「スー」  と、息を吸いこみました。いやな予感がしていると、はたしてその人は店内にひびきわたるようなカン高い声で、 「おめでとうございます、なんとか賞のナントカバッジ、ご当選でございます。」  と叫びました。もちろん、最初の、 「おめで」  のあたりで、バンドの男の子たちはすでに店の外へ逃げてしまっています。まったく友情に厚いやつらですね。  そういうわけで、ひとりになった私は、 「あっどうも…」  とか言いながら、バッジを受けとってきたのでした。  えー、またそれから、これは、多少ちがっているというか、ふつう、私とかには全く声をかけない人たちが、赤坂にはいました。私が知っているだけでも三人います。  ひとりは、でっぷりと太ったおばさん。手にお花をもっています。  それから、ちょっと、「いかにも」っぽい、こまかいパーマをかけた、ひげの男の人。ライオネル・リッチーが、ドラキュラ役をたのまれて、少し鋭い顔つきにメイクしてみた、というかんじです。  もうひとり、私がいちばんびっくりしたのは、 「ごくごくふつうのサラリーマン風」  のせびろの人。全くそれとは、気づきません。  それとは一体なにか。それは、 「いいコいますよ。」  という、あれなのでした。おばさんは、花を売るふりをして近づき、「いかにも」の人は十二時ごろ、いつも同じ場所に立っています。  その人は、私が、昼・ジャズ喫茶+夜・サパーレストランのバイトから帰る最終電車ごろ、いつも帰り道の途中に立っていて、 「彼女どこで仕事してんの。」  とか声をかけてくるので、実はなるべくさけて通っていたのですが、ある夜、バイトしていたサパーのチイママがお客としてその人をつれてきたのには驚きました。  しかし、やはり「サラリーマン風」の人がすごいです。TBS前の横断歩道のところで待っている人と、並んで立っていて、 「いいコいますよ。」  と声をかけていた。私は、ちょうどその人のななめよこに立っていたのです。あまりの意外さに、横にいた友人と、あとで、 「見たあ?」  などといって顔を見合わせてしまいました。 第三部 ふつうとヘンのはざまに  何かに対して、ふつうなのか、ヘンなのかを、きめるのは、むずかしいことです。  私だって、自分ではふつうだと思っていますが、そうじゃないと人にいわれることもあります。  夫婦どうしだって、いやがる人にむりやりしたとかいって強姦《ごうかん》になることがありますし、また、ほんとは法律にふれるようなことだって、向けられた人が受け入れて、|そこではふつう《ヽヽヽヽヽヽヽ》になってしまうこともあるようです。  ですんで、これから書くことも、あくまで私が思っただけで、ほかの人は、ぜんぜんそう思ってないのかもしれません。  しかし、いろいろ考えてみると、ふつうなんて観念は、ほんとうにあやしいですけどね。  まあ、こういうところもあるのか、というくらいのきもちで、読んでみて下さい。  有名店、「A」  これはもう、何で有名って、女の子の制服です。  まず、ピンクやオレンジの超ミニの、エプロン付、ジャンパースカート。ジャンパースカートでいいのかなあ、まあとにかく胸あてとサスペンダーのついたスカートですが、実は正確には胸あてでなく、アンダーバストあたりでくるりとくってあるので、バストがくっきり3Dしてしまうのです。バストの大きい人は、ますます大きく見えるわけ。  それから、男の人も女の人も、みんなハート型の名札をしていて、それには、ローマ字で「その人の愛称」がほってある。TETSUとか、NORIKOとか。また、それだけでなく、その名札にかいてある愛称で、女の子たちが呼び合っているのも、私は聞いてしまいました。さすがに、男の人が呼ばれているのは、まだ聞いたことありませんが。そうそう、男の人の制服もピンクなどのシャツにネクタイです。キッチンの男の人も、そういう色の服に、そういう色の、ずいぶんゆったりした、ラスタの人のようなベレーをかぶっています。  それから、お店じたいも、いろいろ特徴があります。お店は、パイレストランで、イタトマのケーキにまけないくらい大きめのパイが売りものですが、私は、Aのパイは、あんまり甘くないので、好きです。今はどうか知らないけど、下北沢のイタトマのケーキはしつこすぎてつらい。お店の人も、なんだか色の黒い外人の人がふたりもいて、悪い人ではないけど、ぶあいそなので何だかこわい。かといってほかの人たちが、それを補うほどのかんじのいい人じゃないし、イタトマれないとはこのことです。(しーん)とはいうものの以前はそれでも、よく行ってたけど。最近は、深夜の下北沢なら、私は「ぶーふーうー」というところに、よく行きます。  あーまた脱線。失礼しました。Aにはほかに厚紙を折ってつくるナイフ置きとか、おもしろいものがあります。あと、これは別にわざとじゃないのかもしれませんが、客席をしきるつい立て、あれの、ちょうど、スカートと足のはざまのあたりの高さに、大きめのスリット穴がつくってあったりするのです。  それと、もっと興味深いのは、 「バースデイセレモニー」  のサービスです。私も一度、見たことがありますが、アイスクリームの盛り合わせをプレゼントしてくれ、ろうそくをともしてくれたあと、BGMをとめて、従業員全員がテーブルのまわりで「ハッピーバースデイ」を合唱してくれるというものです。  ここまで、脱線をしつつも大急ぎで書いてきたのは、実は四コママンガにもこのことをかいたからですが、これからはちがいます。(えらそう)そういえば、四コマにかいたあと、単行本の出版社のほうに、 「修学旅行で上京するときに行きたいので、場所を教えて下さい。」  という問い合わせがあったそうです。  このお店は、コーヒーはおかわり自由だし、おかわりも、けっこう感じよくまめに注いでくれるし、電話とかの呼び出しも、きもちよくやってくれるので、私は、近所に住んでいたとき、とり・みきさんには負けますが、けっこう、うちあわせとかによく使っていました。  呼び出しとか、電話がかかってくると、いきなりお店の人がこっちへ歩いてきて、 「内田さまですか。」  と、名前をあてたりするのでおどろくことまであります。あとで、よく考えたら、ひとりで来るお客とかに、 「お待ち合わせでいらっしゃいますか。」  とたずねておいて、おぼえておいてくれているようです。でも、そこまでしてくれるのは、わりと責任者っぽい男の人だけですけど。そのナゾがとけたのは、渋谷店に行ったとき、 「待ち合わせです。」  といったら、 「鈴木さまですか。」  と、同じことをちがう名字でたずねられたことがあったからですが、たとえ、そういうことがあっても、マイクで店じゅうに呼びかけるよりかは、ぜんぜんかんじがいいというきがします。  いちど、私の取材記事のときに、カメラの人が、 「店の中で写真をとってもいいですか。」  とたずねたのですが、それはえんりょして下さいということでした。もっとも、取材用のさつえいは、ライトとか、その他で、どうしても目立つし、他のお客とかもうつったりするので、営業中はえんりょして下さいというところは、そこのお店の取材とかは別にして、けっこうあるようです。別に、ミニの女の子を、写真にとられるから、というのではないのです。あたりまえか。  もうひとつ、別の取材のときに、私は、カメラの人兼ライターの人に、あることをたのまれました。 「インパクトのある写真が欲しいんです。」  うーむ、そーかと思った私は、私の名付け親の秋山道男さんに相談しました。 「じゃ、じゃあさ、ダッチワイフたくさん並べて、き、きみがモーニングかなんか着て、先生になって、ダッチワイフに指導してるとこ。」  と、いうのを考えてくれました。おう、それはインパクトがある、と思った私は、 「わーい、ありがとう。」  といって電話を切り、取材の人にそれを話しました。  するとなぜか、取材の人は、よろこんでくれないばかりか、くらい表情です。 「どうしたんですか。」  というと、 「私は、じつは、ヌードを考えていたんですが…」  というのです。勝手に考えられても困るのですが、実は、私はその後、けっこう同じことを何度も取材の人に言われることになるのです。ふつう、ヌードで写真をとるというのは、勇気がいることなので、とるほうも、いろいろ話をしたりして、くどいてくれたりするものではないかなと思うのですが、私は、けっこうあたりまえのように最初っから、 「ヌードよろしく。」  みたいに言われたり、また、ヌードになったこともないのに、 「自らもヌードを雑誌でひろうする内田」  とか書かれていたり、よくします。 「インパクトのある写真とおっしゃるから、人に相談までしたのに…」  と言うと、 「じゃ水着はだめですか。いっしょに取材したIさんは、同じ漫画家なのに、すぐ水着になってくれて、何もいわないのにブラジャーのほうをとって手でかくしたり、すごいサービスだったんですけど。」  と言うのです。なんとか肌の出る方向で考えなおしてくれと頼むので、私も、なるべくなら協力しようといろいろ考えてみました。  そこで、思いついたのがAの制服だったのです。Aの制服が着れるなら、私もうれしい。その人も、すこしはうれしいようなので、たのんでみる、と言ってくれましたが、断わられてしまいました。理由は、 「アメリカの本社に、相談してみないと。」  ということでした。  そうかー、と思って、考えたすえ、水着の上にランニング、というのでさつえいをしました。(秋山道男さんのくれたアイデアのほうは、別の取材のときに使わせてもらいました。できた写真は、少しさいしょの話とはちがうところもありましたが、私は、ダッチワイフを一体もらったりして、うれしかったです)  前の話にもどって、もとのほうの取材の人も、そのとき買った水着やシャツをプレゼントしてくれました。  しかし、あとできいた話によると、Aを経営しているのは、肉まん、あんまんでおなじみの、Iというパン屋さんらしいんです。うーむ。いや、でも、ちゃんと、アメリカにも、あるのかもしれません、私が知らないだけで。  今、よく考えてみると、取材の人にも、少しへんなところがあったので、Aの人も、用心したのかもしれません。  そういえば、私が、 「Aの制服はミニで、こう、胸がとびでるかんじになってまして…」  と言っただけで、いきなり、 「えっ! そんな過激なの着てもらっちゃっていいんですか。」  と話にわりこんでくるので、おかしいなと思ってはいたんですが、あとになって、よーく考えたら、どうもそのときは、 「バストの部分だけくりぬいてあって、はだかの胸が出る」  と思っていたらしいのです。そんな訳、ねーだろ。  下北沢ロボット廻り寿司  回転寿司、またはまわり寿司といわれるものがあります。ご存知のかたも多いでしょうが、一応説明いたしますと、お寿司ののったお皿が、カウンターをぐるぐるまわってて、百円から百二十円くらいで一皿がたべられる、というお店です。  私は、あれは、一般に気むずかしいといわれているふつうのお寿司やさんの板前さんに、注文をちゃんとできないくらい内気なある人が、飛行機の、荷物受け取りのぐるぐるまわるやつを見て、思いついたのではないかと勝手に考えているのですが、お金のないとき、板さんに注文するのがおっくうなとき、陽気な仲間どうしの軽食などに、べんりです。  マグロを一皿、とったからといって、 「お客さん、サバもご一緒にいかがですかい。」  とかも言われませんし、にぎりながら、 「ほい、ミル貝だい、こりゃいきがいいよお、食べてみるがいいー、なんつってね。」  と、ひとりごとでだじゃれを言っている板さんとかもいます。気軽にはいれるせいか、外人客も多いし、また、その外国語に、独特のしゃべり口で説明している板さんが、いいの。売り切れだということを、ソールド・アウトとか言わずに、 「オキャクサン、モー、ゼンブタベチャッテ、ナーイ。」  とか言ったりね。外人客むきに、ローマ字で店名を入れたTシャツをつくって売ってある店まであります。  私は、もちろんふつうのお寿司やさんも好きですが、やっぱし、板前さんには、気むずかしい人、いますよね。いつもくる人にだけやさしくて、見なれない人にはぶすっとしている人とか。私は、よく、 「この人お金払えんの」  というような見られかたをするようです。別に、見られてもかまわないけど、同じ意味でも、やさしい人は、 「こっちたのむと安くあがるよっ。」  とすすめてくれたりしてうれしいけど、そうでない人は、 「お刺身てきとうに下さい。」  とたのんでも、だまって、少ししかだしてくれなくて、 「これとこれも。」  とかいうと、 「ねだん知ってんのか」  というようにジロリと見たり、帰るときに、 「あのー、お代これだけあんですけどね。」  みたいな言い方で、人の顔色をみるように、ねだんを言ったりします。そういうのは、気むずかしいというのかどうか知りませんが、やはりしぜんと、そういう人のいないお店へ足が向くものです。(しかし、一方では、無理もないとは思っています。アシスタントをしていた、髪を金髪に染めてビョウを打った皮ジャンのパンクの男の子と一緒にいったり、したこともあるし…)  まあ、それはともかく、まわり寿司ですが、少し前に、下北沢に、 「下北沢ロボット寿司・ロボットが寿司を握ります」  と看板の出ている、まわり寿司がありました。やはり、そう言われると、好奇心がわいてしまいます。私は、友人といっしょにはいってみました。  小さいお店で、つめても十五人すわれるかなあというくらいでした。カウンターの中には板さんはいません。かといって、ロボットはどこでしょう。店の、だいたいのかんじは、イラストをごらん下さい。  ロボットは、有給休暇でも、とっていたのでしょうか。それとも、奥にいる人たちは、人間に見えるけど、実は、そうでないのでしょうか。  お店じゅうにあるハリガミも、見れば見るほどヘンです。もうだいぶわすれてしまいましたが、ネタに関して、へんな、えっちなだじゃれのコピーを考えて書いてあるのとか、 「人生はこうこうだ」  みたいな、教訓ぽいのとか、そうそう、 「アサヒ生だるを考えたとき、三十歳以上のものは口を出すな、という話があった」  という内容の、なんだかよくわからないエピソードを、何行にもわたって、達者な筆字で、書いてあるのとか、ありました。  でも、もっとへんだったのは、 「寿司の皿のまわるスピードが、異様に速い」  ということでした。  はやいのなんのって、ふつうのところの二倍ちかいんです。  私は、用心して取りましたが、二度も、人が取りそこなって逃がすのを、目げきしてしまいました。きのどくに。実は、そのうち一回は、友人ですが。  少し前に、しごとでビール工場の見学に行ったのですが、そのとき、さいごの工程では、缶ビールやびんビールが、やはりすごいスピードで、ベルトコンベアーの上を流れていました。ときどきそれを、検査係の人が、サッと一本取って、調べたりしています。見ていると、流れにそって、手をスーッと添えて、サッ、とやっています。聞いたら、やはり、なれた人でないと、とても取れないのだそうです。その検査官の人なら、ロボット寿司でも大丈夫ですね。  あ、そうだ。なぜ、このお店だけ店名が出たかというと、もう、なくなってしまったからです。  私と友人は、もう一回くらい行ったのですが、やはりロボットに会えなかったので、それきりになってしまったのです。  お店の人は、入口のハリガミをかえたり、ふやしたりして、がんばっていたようですが、ついにロボット寿司をあきらめてしまったのでした。  あ る 合 宿  私は、今のところ合宿というものに、参加したことはありません。  バンドのメンバーと、旅行したこととかはあるけど、ほかに、メンバーのつきあっていた女の子とかも来たし、別に練習や訓練もしなかったから、あれはやはり、単なる行楽でしょう。  どうも、聞くところによると、合宿というのは、かなりきびしくて、場合によっては、逃げ出す人もいるらしいです。まあこわい。  今から書くのは、私がむかしつとめていたクラブの、店長の、Tさんという人から聞いた話です。  なんでも、Tさんは、むかし役者さんしてて、ストリップ劇場で芸をしたりもしてたんだそうです。その関係かどうかは知りませんが、ピンクサロンに、一時、つとめていました。  そして、そこで行なわれた合宿に参加したわけですが、それは、とっても寒いときだったということです。  いろいろあったあと、雪の中に、みんなで並んで、立たされて、指導する立場の人が、まず、ひとりの責任者を呼び出します。  そして、その人を、 「おまえんとこは売り上げがこんなに落ちとるじゃないかあ!!」  というふうに徹底的にせめるんだそうです。 「それでいいと思っとるのかあ!!」  と言って、かなりしつこく、きつく責めたんだそうです。  ほかの人も、今までのいろいろな特訓のせいで、体はくたくたで、頭はぼうっとしていたらしいですが、その責任者の部下の人から、だんだんたまらなくなってきて、 「自分のせいです。自分が悪いんです。」  とだれかひとりがかけよると、もうみんなが、そういう気持ちになっちゃって、うわーっとなるんだそうです。それでみんながかけよってきて、わーっともらい泣きして、 「自分たちがんばりますから!!」  と口々に叫んでるんだそうです。するとやっとせめる役の人は、それをやめ、 「ようーし、今の言葉わすれんなよお!!」  と言って、 「はい!!」  と全員の返事がきて、終わった、ということです。  そのあと、旅館の大きな風呂に、やっとみんなでつかりながら、Tさんは、 「いやー一種の宗教だねえ。」  などと言っていたら、ちょうどうしろに社長がいて、おけで、 「スコーン」  と頭をぶたれたんだそうです。  そういうことを、Tさんは、たいへんおもしろく、話してきかせてくれました。  その私が、つとめていたほうのクラブには、Tさんのむかしの知り合いの関係で、ストリップの女の人が来たりして、なかなかおもしろいこともありましたが、じつは、やめる時に、社長と私は、けんかみたいになってしまいました。すると、その社長は、 「てめえみたいな小娘にそこまで言われて黙ってられると思《おも》とんのかあ。」  と大声を出したりしました。別に、わたしがけんかを売ったわけではなく、その社長が、私が給料をもらっているときにいんねんをつけるようなことを言ってきたのでそうなっちゃったのですが、その社長ったら、カーテンのすぐうしろで、主任がホステスさんを面接しているというのに、どなっているんです。 「面接してんのに、きこえますよ。」  と言ったんだけど、やめてくれません。口調も、あんまりすごいので、私は、こわくて、涙がぽろぽろ出ました。  今思い出したけど、お客さんのうちのひとりがつれていってくれたお店にうつるというのを知って、その社長が、 「ひきぬきされたんだから、あの客にもおとしまえつけてもらわなきゃなあ。」  とか言い出したのがはじめでした。  でも、涙を出しながらも、給料袋だけは取られないようにしっかり抱きしめ、 「だってそう思うんだもん。こんなだらだらした店見たことない。あたしは今んとこお金だけがたよりなんだから、いっしょうけんめいしごとしたんだもん。でもあわなかったからやめんだもん。ほっといてほしい。」  と、ずっと自分の思ったことを言いつづけました。そのうち、社長はあきらめたのか、同情してくれたのかしらないけど、 「そうか、そんなら思ったとおりがんばればいいじゃんか。」  みたいなことを言って、帰っていきました。  でも、あとになってから、きめていた店にいくのはやめて、次の店はそこらへんをふらふら歩いてきめました。バンドの音がきこえてくるから、 「あ、バンドがあるなあ。」  と思ってそこへはいってって、面接をうけてつとめることにしたのですが、やはり、かなりそのときは、 「ひきぬきうんぬん」  というその社長のりくつが、私にとっては、 「何いってんの、私は人間よ。」  といちばん気にさわったようなきがします。  しばらくして私も店を出ようとすると、Tさんが来て、 「おまえもしょうがないなあ。」  みたいなことを言って、私の顔をしばらく見ていました。何かいいことを言ってくれんのかなと思ってたら、 「やっぱりどんな女でもなきべそかいたらブスだなあ。」  とかいうので、なあんだと思いましたが、ごはんをおごってくれたので、やっぱりいい人だと思いました。  でも、Tさんのことで、いちばんおもしろかったのは、お店がこんでくると、はりきってしまって、つい大きな声で、 「はい素敵な二名様ごあんない。」  と言ったりしてしまうことでした。  最初はなんだかよくわかりませんでしたが、考えてみたら、ピンクサロンの人のかけ声なんでした。私はおかしくて、 「店長それだけはやめて下さい。」  とよくTさんをからかっていましたが、いつもおもしろくて、 「また言ってる。」  といって、笑っていました。  〈了〉  あ と が き  私のエッセイ集は、これで三冊めですが、かきおろしというのは、これがはじめてです。まんがだって、こんな、ほとんどぜんぶをかきおろしするというのは、まだやったことがありません。  自分からいい出して、売りこんできめたことなのに、スタッフの人たちをずいぶん待たせてしまいました。根気よく待っていただき、ほんとうにうれしく思っています。しかし、ちゃんと取りかかれてからは、けっこうはやかったような気もする…人とくらべたわけではないので、わからないですけど、むかしは四百字づめ原稿用紙百枚使うのなんて、一生かかるわーなんて思っていたのに、最近は百枚なくなるのが、妙にはやいようなきがするんです。きのせいでしょうか。そうかもしれませんね。  とにかく、こうしてできあがって、よんでいただいて、ほんとによかった。うれしいです。みなさんありがとう。  あっそうだ、ひとつだけ、今は結婚しているサトさんのめいよのために言っておくことにしますが、風俗のとこなどのイラストで、サトさんが、 「ぼくがやってみましょう」  とかいって試しているのは、べんぎ上、そうかいただけで、サトさんは、取材中、そういうことは、何もなかったです。タカコさん、安心して下さい。  えっと、それからこれはよけいな心配ですが、この本は、ほとんど私が体験したことだけで書いてあって、別にいろいろ調べて書いたわけではないので、しつこいようですが、あくまで、そーか、こんなことがあったのかー、ぐらいに思ってて下さい。この本をあてにして、この本の内容で、人にちしきをひろうしたり、声をかけてくる人たちをいびったり、まあもちろんしてほしくないけども、実際、出来ないですから、しないで下さいね。そんな人は、いないと私は思っていますけど。     一九八七年七月吉日                    内 田 春 菊  文庫あとがき  これが三冊目のエッセイで、文庫になるのも三冊目。三年経った自分の本を読み返して、文庫あとがきを書くのも三回目。このあともエッセイはけっこう書いてるんだけど、小説一冊書き下ろす約束がずるずる延びてるので、そっちが先に出ないとねえ、っていうことで、本にならずに冬眠してる。だから、私のエッセイで出版されているのは、今のところこの三冊と、対談やまんがも混ざっている『今月の困ったちゃん』(マガジンハウス刊)で、あわせて四冊。でも、まんがの方は三十数冊出てるんだよ。こないだ、 「以前はまんが描いてらしたんですよねえ」って言われちゃってさ。それも、ある地方の書店の店長に。嫌んなっちゃう。私はまんが家だ—小説も書くけど—。あーあ、小説出したらこの店長みたいなこと言う人、もっと増えるのかもしんないなあ。別にいいけど、差別だよな。差別されてもいいけどさー。文章の業界の方が歴史長いし、私、文章の業界のことも、まんがの業界と同じくらい愛してるから。でもねえ、一般の人は言わないけど、まんが業界内ではまんが家のことを「この作家は」って言うし、音楽業界では作詞家、作曲家のことを「作家」って呼ぶんだよ。もの作ってるんだから、みんな同じなのさ。肩書は何なんですかとよく聞かれるけど、あれってなんとかなんないのかね。  まあぼやきはこのくらいにして、読んでくれて、どうもありがとう。「もんもんシティー」というタイトルは、チャンネルゼロの村上知彦さんが付けてくれたの。一緒に風俗ルポして歩いたサトさんは、『2001』が無くなったあと『微笑』に異動になって、で、今は『ノンブック』で単行本を作ってる。ヤナギサワさんは、どうしてるだろう。前、私のバンドのライブに来てくれたけど。  そういえば、これが最初に出たとき、とり・みきさんに、こんなことを言われた。 「この文体こわいよ。やくざのえらい人がもの静かにしゃべっている、といった感じ。ちんぴらはよく吠えるけどたいしたことはないでしょ。でもこの文体は怒らせるとほんとにこわいんだなというかさ……。」  わはははは。とりピーったら、なんて面白いこと言うんだろ。でもまあ、文体はどうあれ、私自身は別に怖い人間じゃないけどね。こないだの文庫あとがきにも書いたんだけど、今もうこういう書き方になっちゃったからさ。読み返すと、そうそう、こんなだったんだよなーって思って。ああ、でも敬語の方が、怖いかもね。なるほどなあ。いやー、しかしなつかしい。時の経つのは本当にはやいもんだわ。  一九九一年初春                    内 田 春 菊 単行本 双葉社刊 昭和六十二年十二月 底 本 文春文庫 平成三年八月十日刊