米谷ふみ子 過越しの祭 目 次  遠来の客  過越しの祭 [#改ページ]   遠来の客  道子は白い木綿の割烹着《かつぽうぎ》を付けた。  白いタイル張りの調理台には、ナショナルの炊飯器、流しの向こう側にトースター、その右横に卓上電話が置いてある。流しの上は大きな窓になっていて、そこから、今日は青いビロードのような太平洋が静かに展《ひろ》がっていた。調理台の真上の壁には、木目のあらわな黄がかった樫《かし》の戸棚《とだな》が四つあって、白い陶器の取手が同じ高さに眼《め》をむいたようにして並んでいる。調理台の下も同じ樫の戸棚になっていて、調理台と、その戸棚の間には、一列に並んだ抽出《ひきだ》しがある。反対側の壁にも、やはりタイル張りの調理台があり、真中にステンレスの板が貼《は》ってあって、丸い電気コンロが四つ嵌《は》め込まれている。その右にコッパー色の冷蔵庫、左にオーブンが眼の高さに備え付けられ、樫の戸棚がそれを挟《はさ》んで上下についている。天井の真中には、碁盤を逆さにしたような真四角の平たい箱状の白いプラスティックでカバーをした蛍光灯《けいこうとう》が、ぴったりと貼り付けられたようにしてついている。  昼間ではあるが、指先で右にある壁のスイッチをオンにした。台所全体が、モダンな雰囲気《ふんいき》になった。これで手元がよく見える。  窓の外には、レッド・ウッドの棚が組んであって、先端が赤くなった、刺《とげ》のあるブーゲンビリヤの蔓《つる》が勢い良く伸び絡《から》まっている。未《ま》だ、あの燃えるような乾いた朱色の花を咲かす蕾《つぼみ》はついていない。 「ケンはなんと|まん《ヽヽ》がええのやろ」  と道子は流しの上から海を眺《なが》めた。  とうとう三週間目になったのである。南方のスコールのような雨が降り続いて骨の髄まで黴《かび》が生えた感じであったが、それも止《や》んで、朝から陽《ひ》がさし始めた。脳障害の息子ケンが施設に入ってから初めて家に連れて帰れる週末である。施設の規約として、最初は三週間家に連れて帰ってはならぬといい渡されていた。土、日と家にいて、月曜日に施設に帰る。  白い雲が二つ、三つ、海の上に浮かび、空も海も二月というのに真青だ。八ヵ月乾燥していた南カリフォルニヤに、今冬は雨期が遅れてやって来て、例年よりも雨量が多かった。トパンガ・キャニオン、マンデビル・キャニオン、ローレル・キャニオンと、ロスアンジェルス市の西部地方だけでも、過去二年の間に山火事のあった所は、土砂崩れ、家屋倒壊が相次ぎ、又、海岸線に沿って走っているパシフィック・コースト・ハイウェイは、道子の家の近くから北は崖崩《がけくず》れで通行止めと、日本の梅雨時のようなニュースがテレビや新聞に出た。  道子は、台所の流しの上の窓から久し振りの限りない青い海を見て晴れやかになった。この限りない青い海も日本で終っているのだと思うと何時《いつ》も何かほっとする。  彼女はケンの好物の|おでん《ヽヽヽ》、関西でいう関東煮《かんとうだ》きをつくろうと思った。これだけは、いくら施設に頼んでもアメリカである以上無理な話である。永い間ケンはこういうものを食べていない。  アメリカの家の調理台は背の低い道子のような女性が使うのを予期もしていなかったという風にしつらえられている。彼女は背伸びをして調理台に倚《よ》り懸《かか》り、肘《ひじ》を張って、じゃがいもの皮を剥《む》いた。冷蔵庫を開けると、こんにゃくを入れた白いプラスティックの容《い》れ物がある。ロスアンジェルスのこんにゃくは、のっぺらぼうで、淡いベージュがかった灰色をし、日本製のように黒い点々が入っていない。それを二丁、水の中からぶるぶると震わせて俎板《まないた》の上に並べる。半分に切り、又半分、直角三角形になった。こんにゃくと、じゃがいもを別々に茹《ゆ》でるのに、小さい鍋《なべ》を二つ電気コンロに掛けて湯を沸かした。もう一つ大きな鍋をコンロに掛ける。昆布《こんぶ》とかつおの|だし《ヽヽ》をとるのである。  兎《と》に角《かく》、出かける前に一応全部|ぐ《ヽ》を放《ほう》り込み、味を付けておきたいと、彼女は手早く|たこ《ヽヽ》の大きなあしを切り、煮えて来た出しに味付をして、切ったものをひたひたに入れた。  道子は背後にあるオーブンに付いている小さい時計を見た。十二時四十五分。物書きをするしか他《ほか》に能がないと自分で言っている夫のアルが一時に昼食に帰って来るのだ。早い目にケンを迎えに行こうと昨日話し合ったのだった。  三週間前、大きな二つのスーツ・ケースに、ぎっしりと着る物を詰めて、ケンを送り込んだ時、三時半にはもうサンセット・ブルバードからサンディエゴ・フリーウェイに入る入口辺りで車が渋滞して施設に着くのに一時間もかかったのを覚えていたからだった。  アルと道子は、ケンの預け先として、ロスアンジェルスのサンフェルナンド・バレーにあるこの施設に決めるのに永い間かかった。この施設を二年前に訪れた時は、まだまだ先の話だけれども、参考のために見ておこうと思って行ったのであった。丁度開いたばかりで、何もかも清潔に見えた。大きな普通の家屋を施設にしたので、家庭的な雰囲気があって良いとは思ったが、二人は夏には焦熱地獄と化すバレーよりも、自分達の住んでいる涼しい海岸沿いに、自分達で施設を開きたいと野心を持っていたのだった。関西地方で、大阪や神戸の人が、京都の土地や、そこに住んでいる人を、「ああ、あそこは夏は暑うて、冬は底冷えがし、住みづらいとこや。そやから人間も根性が悪うて、けちやねん」と絶えずあの狭い国の中で悪様《あしざま》に言い合っていることが、アメリカに永い間住んでみて、ここにも存在しているのを道子は知った。|バレー《盆地》は、どこも同じく、夏は暑く、冬は寒い。ここは殊《こと》に、砂漠《さばく》の近くでもあるので、夏は四十度、四十二度と、どんどん気温が昇る。又、冬は海岸沿いよりも五度は低い。従って、家の値段も、海岸沿いの家に比べると安いので、あそこに住む人は、けちんぼで、意地が悪い、ロスアンジェルスに住むというのに、あのバレーに住んでいては、その価値はないという人もいる。だから、自分の子供がそういう所に住みに行くということも考えたくはなかったのも一因なのである。  去年の夏、急に、道子を追い抜いてケンの背丈が伸び、体重が増え始めた。こういう日がやって来るのをアルも道子も知ってはいた。そして、この日がやって来るのを二人は怖《おそ》れていたのである。しかも、それは、他の人々より早くやって来た。アルも道子も大きな体をしていなかったからなのだ。ケンが大きくなり出すと、とどまる所を知らずという有様であった。彼等《かれら》は、十三、四歳の子供が一年に三十センチも背丈が伸びるなんて想像もしていなかった。いや、想像したくなかったのだろう。勿論《もちろん》、ケンの一歳半上の兄、ジョンはこの一年間に、忽《たちま》ち、道子を追い越し、父親のアルをさえも越そうとしているのだから。そして、それを見て、道子は頼もしいと思うのだから、ケンも普通児ならこういうことが起って当り前のことであり、十三歳半にもなって、伸びなければ、その方が心配なのである。だが、脳障害の子供に親が望むのは逆様のことなのだ。何時までも赤ん坊のように小さくて可愛《かわい》く、扱い易《やす》ければ、それだけ自分達で面倒が見てやれて、いつまでも家に置いてやれるからである。  ケンは言葉も偶《たま》に出る程度で、一ヵ月に一度くらい鶴《つる》の一声のように、「アイ・ウォント・イート」ということがある。あとは高い引きつるような声で、「イーイー、ウーウー」と発声しているに過ぎない。自分の思っていること、感じていることが人に通じないのでよく癇癪《かんしやく》を起す。そして、道子の、早くも白髪《しらが》の雑《まじ》っている髪を引っぱる。引っ掻《か》く、引っ掴《つか》む、抓《つね》る。床を蹴《け》る、壁を蹴って穴を明ける、テーブルを引っくり返す。体が大きくなり出したので、華奢《きやしや》な道子には太刀打《たちう》ちできなくなって来たのだ。その上、運動不足で、夜は眠らずに大声で叫ぶから、一家全員ねずに過ごす夜が増えだした。何か囚《とら》われの身となって、ときどき折檻《せつかん》を受けているという感じにさえなったのである。  夏の終りであったと思うが、道子は、スーパー・マーケットの野菜売場でマーガレットにばったり出遇《であ》った。彼女にもケンのような男の子がある。大根を丁度右手で取り上げた道子の腕を、マーガレットは素早く掴まえた。何処《どこ》にも行かさないためである。(えらいこっちゃ。この人が喋《しやべ》り出すと三十分)と道子は内心|苛立《いらだ》つのを覚えた。(通りゃんせえ、通りゃんせえ)頭の中が歌い出した。ケンが学校から帰って来るまでにすることが山ほどある。一方、マーガレットは、聞かざれば聞かせてみせよう道子殿と言わんばかりに、手に握力を加えた。年恰好《としかつこう》四十半ば、小太りで、ブロンドの髪を丸い顔の後に束ねた彼女は、自分の息子ウィリィの進歩振りを、狂信者が神の言葉だと豪語している如《ごと》く、その分厚い唇《くちびる》の外まではみだしそうに口紅を塗った大きな口を開いて、喋りまくった。その時、彼女の美しく澄んだ大きな青い瞳《ひとみ》は、もの悲しさを湛《たた》え、異様に輝いた。その声量ある太い声は、急に野菜売場にマイクロフォンが付いたように道子の耳にりんりんと響いた。マーガレットは、息子のウィリィを、あの施設に一年前に入れたのだった。右手に大根を持ち、右腕を掴まれたまま、耳に蓋《ふた》をするわけにもゆかず、道子は(この大声なんとかならんもんかいな。この声が無かったら彼女もっと優雅に見えるのに)と辛抱強く聞くふりをした。彼女はウィリィをよく知っている。ケンと同じ学校に行ったこともあったし、近所に住んでいたからだ。マーガレットが腕を放したとき、道子はがっくりと疲れを覚えた。あの大声で耳は側《そば》で半鐘を鳴らされた如き状態になり、掴まれた腕に血が戻《もど》って来て熱くなって来た。 (そういうたかて、自分の眼で見んことには信じられるもんやない。おまけに、アメリカ人というのは自分のしてることばっかりよういうて、他人《ひと》にも同《おんな》じことさせようとする奇妙な宣教師こんじょうみたいなもんがあるさかい、眉唾《まゆつば》もんやで)重い大根をショッピング・カートに入れながらマーガレットの言葉を反芻《はんすう》した。自分の子供が十三歳にもなれば、特殊教育に関しては、人のいうことや書いたことは何も信用しなくなってしまう。マーガレットの後姿を見送りながら、ショッピング・カートを押して温室育ちのビニールで包んだ大きい胡瓜《きゆうり》のあるカウンターの前で止まり、これが大きいとか、新鮮さに欠けているとかと選《よ》り分けていた道子の頭にぴいんと来たことが一つあった。マーガレットはどこの学校からも、うるさい文句の多い親だと折り紙をつけられていた。そして、どこにウィリィを入れても満足しなかった。一年|毎《ごと》に学校を移っていたと言っても過言ではなかった。その彼女が、あのように熱狂的にその施設を褒《ほ》めたことは注目に価《あたい》するのではないか。いつもウィリィはケンよりももっと絶望的に見えた。早速、道子はアルと一緒に再びその施設を見に行くことにした。  行き倒れの酔っぱらいが路上で延びているように、絶えず床の上に転がって宙を見つめていたウィリィ、物を食べる時も口を閉じずに噛《か》んで、犬が水を飲むような大きな音をさせ、食べかすを口から胸にかけて塗りたくり、眼はきょときょとと落ち着きなく、壁に頭をごんごんとぶっつけて頭中|瘤《こぶ》だらけ、手には自分で噛んだ歯形がつき、それにかびが生えた如く、かさかさとした白い固いたこが盛り上っている。どの先生も、どの学校もお手上げだといわれていたウィリィに、アルと道子がその施設で会った時、物こそ未だ言えないが、その同じ子供が普通児のように、きりっと直立の姿勢をし、じっと眼を見て、引っ掻くこともなく握手の手を差し延べたとき、今までの道子の疑いが吹っ飛んでしまったのである。自分の眼を信じられなかった。アルも舌を巻いたままであった。一年後のケンがこうであって欲しいと祈りながら二人は早速ここに決めたのだった。ここはトランキライザーを一切与えないという方針で、職員は一対一の割合であるので危険なことはない。眼がとどいている。親の方は、体の健康を維持しないと、このような子供がいれば結局は敗北してしまうことになるのだから。自分達は息抜きが要るのだ。ウィリィがあのように変ったのならと、何か真暗な絶望の淵《ふち》からちらりと光が見えたようでもあった。自分達でこのような施設を開くといっても泥棒《どろぼう》を見て縄《なわ》を綯《な》う如く、もう間に合わない。ここのダイレクターは、ここに入っている子供の母親である。これが一つの頼みの綱でもあった。親がダイレクターである限り、殴り殺しはしないだろう。  道子は自分とケンとの年が余りにも離れているのが問題なのだと自分を責めた。もう少し若かったら、もう二年は家に置けたかしらとも思う。でも、大きくなれば致し方の無いことなのだ。ケンは未だ少年で、伸び盛りだからもっと大きくなるだろう。アルの父親は極めて大きな人であった。だから、あの大きさになる可能性もある筈《はず》だ。骨格が道子のと違って西洋人のものである。手脚がすこぶる長い。漆黒の髪が密生しているというだけの理由で日本人的に見える普通児のジョンは、どちらかといえば、顔は西洋である。ケンの方は、顔は全く日本的なのである。アルは五十歳、道子はもう四十七歳である。自分達の背が今からこれ以上伸びることなどを考えるのは奇蹟《きせき》を待っているに等しい。  何でもやってみることだ。これでケンの世話がし易くなれば儲《もう》けもんではないか。  あれから三週間|経《た》った。  昼食を終えてから、道子は壁中本ばかりのベッド・ルームに行って服を着替えた。エメラルド・グリーンのポリエステルのブラウスにブルー・ジーンズを穿《は》き、縄編みの入ったグレーのウールのスウェーターを着た。今日は陽が当っているので暖かい。これで充分だ。菫《すみれ》の花の香のするトイレット・ウォーターを掌《てのひら》に一滴落とし、それを頭髪にこすりつけた。エメラルド・グリーンが色白の道子によく映った。器量は十人並みで、特徴といえば、眉毛がのんびりと弧を描いているということかもしれない。ベッド・ルームの窓の外の澄んだ空を、その空に映えて揺れているパルムの|フロンド《葉》を見ながら、道子はケンのいる施設の辺りを思い出した。六台キャデラックが並んでもゆっくりと通れる広々とした幅のアスファルトの道、それを横切ると大学の前になり、多くの木々が林のように植わっている。三週間見ないうちに、どれだけケンが成長し、訓練されたかしらと考えた。勿論、そんな短期間に、そういうことを期待する方が間違っている。とは知っていても、親としては良くなって欲しい一念で奇蹟のようなことを期待するのだ。  彼女はそわそわと落ち着かなかった。行くのならさっさと行けばよいのに、と、居間の長椅子《ながいす》に寝ころんで新聞を読んでいるアルを見て少々腹が立って来た。アメリカ人というのは大陸的で、何をするのものらりくらりとし、自分は日本人で寝ても覚めてもせかせかと働く習慣がついている。だから、ここに争いの種がある。これは男と女の差かもしれないが、夫がアメリカ人であるので、彼女はアメリカ人のせいにする。 「前に行った時、週日でも三時半で、フリーウェイぎょうさん車走ってたでしょ。そやから、今日ははよ行った方がええのんと違う?」  と少し躊躇《ためら》いながら夫を促した。道子の英語には大阪弁のアクセントがある。 「そうするか」  とアルは鈍い動作で起き上り、前のコーヒー・テーブルに置いてあったオークル色のコール天の帽子を両手で禿《は》げたビリケンに載せた。それと同じ色のコール天のズボンを穿き、手編みの赤いスウェーターを着ている。ズボンのポケットから大きなサン・グラスを取り出して、今までの眼鏡とかけ替えた。無言のまま二人は赤いホンダ・アコードに乗り込んだ。彼女のつけた菫の花の香が車の中でほのかに漂った。高いパルムの木々が両側に突っ立って、午後の太陽で白く光った道路から、P高校の横を通り、大きく彎曲《わんきよく》したサンセット・ブルバードに出た。この町の繁華街を通って暫《しばら》くすると、昔、オーストラリヤから移植され、カリフォルニヤの原産であるかのように繁茂しているユーカリの木々のある所にやって来る。その葉が白く風に輝き、ラベンダーと香木を焚《た》きくべたようなふくいくとした香がブルバードいっぱいに拡《ひろ》がる。樹皮が大きくめくれたその木々は、年老いた人の行列の如く、ブルバードの上に傾き、そのしだれた細い枝の先に弧になった細長い葉を集めて、その影が行く道をおおう。左手の坂を登ると、ウィル・ロジャース・パーク。それを登らないで、サンセット・ブルバードを曲り回ってずっと行くと、やがて明るい空が開け、両側に、広々とした人工的に刈り込まれた芝生が視界に展《ひろ》がる。ジニヤ、サルビヤ、ベゴニヤ、矢車草、バラ、椿《つばき》、バード・オブ・パラダイスと、日本の冬、ましてや、アメリカ東部の冬には考えられないような花々までが、余りにも規則正しく植え込まれていて、それがかちっと道子の気に障わる。そこには、自然の優雅さなんて一かけらも無い。その背後には、家の展示会のように、千差万別のスタイルの堂々とした屋敷が建ち並んでいる。スペイン風の建築の白い壁に赤い瓦《かわら》、ステンドグラスの窓、庭は白い塀《へい》を巡らせて黒い鉄格子《てつごうし》の門できっちりと閉じ込められているかと思えば、その隣は、ニューハンプシャー州やコネティカット州で見られる、ニューイングランド風の白い木造建てに小さい枠《わく》のついたフレンチ・ウインドウ、又、その隣は、ミカドでも飛び出して来るかと思われる大きな金飾りのついた東洋風の扉《とびら》を立てたカリフォルニヤ・ランチ・スタイル、屋根はこけら板で葺《ふ》き、それぞれそれなりに数奇《すき》を凝らした家々がある。この大邸宅に住んでいる人々は、私達のような苦労は無いのだろうかと、道子はふっと考えたのだった。それから工場と見間違えるようなこの地区の中学校を通り過ぎると、間もなく多くのアパートの建った界隈《かいわい》になる。その辺りから、交通量がうんと多くなり、乗用車だけでなく、黄色い大きなスクール・バス、小型トラック、大型トラック、オートバイ、グレーの地に黄色い斜めの縞《しま》模様のついた怪物の如きセメント・トラック、ガラス屋のバン、梯子《はしご》やペンキの大きな缶《かん》や、ジャクソン・ポロックのカンバスさながらに色々なペンキが飛び散ったズックの布が折り畳まれて積み上げてあるペンキ屋の小トラック等々、赤、白、黄、青と、眼《め》の前で右往左往し出し、ブーブーというクラクションの音や、急停車をする耳をつんざくブレーキの音で騒がしくなって来る。道路の真中は車が横溢《おういつ》し、両側の歩道は人っ子一人通っていないというロスアンジェルス現象がここでも起っていた。  左に高い円筒形のホーリデイ・インが見え出すと、サンセット・ブルバードからサンディエゴ・フリーウェイに入ることになる。このフリーウェイを南に下るとサンディエゴに行く。サンフェルナンド・バレーに行くのには北に向わねばならない。フリーウェイに入っても、やはり左側にあの円筒形のホーリデイ・インが見える。フリーウェイは空《す》いていた。昨日までの雨で埃《ほこり》はなかったが、穴ぼこが多くなった。暑くなって来たので、道子は窓を少し巻き下ろした。二センチ。先ほどから車に漂っていた菫の香が、さっと入って来た風と共に車の後方に去り、その隙間《すきま》を目がけて排気ガスの臭《にお》いやタイヤの軋《きし》みが飛び込んで来た。彼女は外の景色を眺《なが》めながら、ケンが帰って来てから自分がするべきことの段取りを考えていた。隣で運転している夫が異常に静かであるのも気にはなった。アルは何をケンにしてやろうと思っているのだろう。三日間にしてやりたいことはいっぱいある。散歩にも連れて行きたいし……。  ふっと、道子の脳裡《のうり》に、ケンを施設に連れて行った日のことが浮かんだ。高校に入ったばかりのとても感受性の鋭くなったジョンも送って行きたいと言ったので、彼の学校がすんでから行くことにしたのだった。四人は四つのドアの付いたこの同じホンダ・アコードに乗り込んだ。アルが運転台に、道子がその隣、そして、ジョンとケンが後の席に座った。家を出てサンセット・ブルバードに右折した時、ケンがやにわに、ジョンの長いふさふさとした黒髪を大きな手で握り込み、きゅうっと自分の方にたぐり寄せて、頬《ほお》に噛みついたのだった。 「いたいっ! ケン、やめろっ!」  ジョンは鵞鳥《がちよう》が風邪を引いたような、声変りで出ない声を引き絞った。ジョンの頬に歯形が三つつき、そこから血が薄く滲《にじ》み出ていた。後の席で二人の大格闘が始まり、腕を車のドアやら窓にぶっつけてガラスが割れるのではないかと憚《はばか》られた。ジョンの「やめろっ!」という声、荒い息づかい、その合間に「キー、イーイー」とケンが叫ぶ。  アルは運転しているので、手を離す訳にもゆかず、肩をすぼめ、前屈《まえかが》みになって左右を見回した。小さい道子が出る場でもない。ブルバードのすぐ右側に、ゲルソン・スーパー・マーケットがあった。アルは急いでそのパーキング場に右折れに入って車を停《と》めた。それから、彼は素早くドアを開けて出、後のドアのつまみを引っぱり、ドアを開け二人を引き離そうとした。その時、ケンの振りかざしていた手が、アルの手を掴《つか》み、白い柔かい手の甲を掻《か》きむしった。 「痛いっ! 止《や》めないかっ! ケン、叩《たた》くぞっ!」  アルが呶鳴《どな》った。お鉢《はち》が彼に回って来たのだ。ケンは父親の禿げ頭に生えている鳶色《とびいろ》の残り少い髪をきゅっと手に握り込んだ。こうなると叫んではならない。叫ぶとケンはもっと気を転倒させて乱暴になる。そして、アルはその残り少い髪を全部失うことになる。興奮していても、それをおさえて、彼は声の調子をうんと下げた。 「|レッツ・イット・ゴウ《離して呉れ》! レッツ・イット・ゴウ!」  下を向いたままなので、こめかみの血管が浮き出した。顔が赤くなり、息苦しそうに何回も囁《ささや》くように繰り返した。それから、ケンの長いしっかりと握った指を一本ずつ離しにかかった。ジョンはその間を縫って車から転がり出た。道子も飛び出して、アルを助けようと手を車の中に入れたが、狭いので手が挟《はさ》まれたまま動かなくなり、どうにもならない。その上、彼女がケンに車の中でとっつかまると死ぬも同然である。うろたえるばかりであった。アルは二つ折れになったまま、息切れのした掠《かす》れた声で言った。 「皆、ケンの見えない所に行くんだ。ケンだけ車に残すんだ」  遂《つい》に、アルの髪をケンが離した。ほっとして三人は車の後方にあった植込みの縁石の少し高くなった所に腰をかけた。赤い実をつけた南天が植えてあって、その葉のすれ合う音がした。前方の建物の後に、木が疎《まばら》に生えたサンタモニカ・|マウンテンズ《連山》が見え、その山陵には雨雲が垂れ下り、今にも降りそうな気配であった。パーキング場に入って来る車を運転している人々が、怪訝《けげん》な顔をして三人を眺めて行く。ケンから三人は見えなかった。ケンは右手で頭を叩き、それから頭を左側の窓にごつんごつんと打ちつけた。 「キー、イーイー」  猿《さる》に似た叫びだった。その声は湿った辺りの空気をつんざくようであった。家を出て五分位でこのようであれば、先が案じられる。車で四十分の施設まで今日は行けるのだろうか、道子は暗澹《あんたん》とした。十分は経っただろう。誰《だれ》も辺りにいなくなったことに気がついたらしく、ケンは急に叫ぶのを止めて、自分の周囲をきょろきょろと眺め始めた。 「しめたっ!」  道子は安堵《あんど》の息を深く吐いた。だが、内心びくびくしていた。(そのままでおってよ、そのままで)と念じつつ斥候兵《せつこうへい》よろしく、身を前に屈めて車に近づいた。ケンは何事も起らなかったという風に、頭を右や左に回して外の景色を眺めている。怖《おそ》る怖る道子は左の窓から伸び上って尋ねた。 「もうグッド・ボーイになる?」  ケンはその出し抜けの声に驚いて、眼をその声のする方に動かした。母親の存在に気がついたらしく、彼はこっくりと頷《うなず》いた。機嫌《きげん》の良い時は、どのような質問にも頭をこっくりとするので当にはならない。話手の言葉の抑揚で、これは問であるかどうか判断しているだけで、質問の内容は解せない。だが、ケンの機嫌が前より良くなっていることだけは確かだったので、メガホンのように口に手をあてて、大声で後の二人に、 「もう大丈夫よう」  と道子は叫び、アメリカ式に掌を自分の方に動かして、こっちに来いと手招きした。アルが立ち上った時、南天の赤い実が肩に触れて揺れた。今度はケンを前の席に座らそうと言った。道子が後の席から餌《え》づけをすることになった。つまり、蜜柑《みかん》で釣《つ》ろうというのである。こんな時にと用意して来た種の入っていないアメリカ産の器量の悪いサツマ蜜柑を褐色《かつしよく》の紙袋から出して、そのあばたのような皮を道子はむき始めた。果汁《かじゆう》が飛び散って、甘酸《あまず》っぱい匂《にお》いが閉め切った車の中で、ティーン・エージャーのジョンとケンの脂臭《あぶらくさ》い体臭と混ざった。彼女は白い筋のついた|みかん《ヽヽヽ》一袋を指先で急いで取り離し、ケンの口に斜め後から放り込んだ。ケンの左の頬の輪郭が徐々に柔らいでいくのが後の座席から見えた。彼女はやれやれと肩を下した。ケンは蜜柑を丸呑《まるの》みにするや否《いな》や、長いすんなりとした指を拡げて後に差し出した。その指の上に道子は又一袋のせた。蜜柑をなるたけ永くもたすために、徐々に与える間隔を延ばした。二つ蜜柑を食べ終えて混《こ》んでいるフリーウェイを無事に出た時、三人は頭が軽くなったように感じた。施設に着く頃《ころ》には、ケンは人が違った如《ごと》くはしゃぎ始める有様であった。  メークアップをするのに一時間はかかるのではないかと思われるダイレクターに三人は会った。まつげにマスカラをぼてりと滴《したた》るばかりにつけ、その上の瞼《まぶた》には青い隈取《くまど》りを施し、頬紅、口紅と、その丸顔にあらん限りの色を塗りたくって、もう少しでアルルカンか助六といういで立ちであった。前にも一度見学に来た時に会ったことがあるが、道子は改めてこの時、こういう親もいるのかと眺めたことだった。そして、この人大丈夫なのかしら、子供を本当に信用して預けられるのかしらという心配が彼女の心をよぎった。ちょっと町角で遇《あ》えばこの位の人はいくらでもいるし気にもしないのであるが……。事務で働いている人々に紹介され、用紙に必要事項を書き入れて、商品を手渡す時のようにサインをした。三人はケンの好きな米の飯を炊いて貰《もら》うために炊飯器の新しいのを日系の荒物屋で買って来たのだった。それから、加州米の中でもおいしい国宝米の十一キロ入りの袋を担《かつ》ぎ込んだ。その日の夕飯にと、ケンの好物の|ぎょうざ《ヽヽヽヽ》を道子は持って行った。そうすれば、新しい所で慣れない食べ物を食べなかったのではないかという心配が一つは減らせるからだ。  施設の広い居間の長椅子《ながいす》に、上半身を横たえているケンに三人が「グッド・バーイ・ケン」と手を振った時、ケンはそのすんなりとした右手の指を拡げておいでおいでをするように振って「きいいいい」と猿がけんかをしている時のような声を出した。三人の後姿を見送りながら「きゃっきゃっ」と笑って尻《しり》を高くして顔を長椅子のクッションに埋めた。癇癪《かんしやく》も起さず、泣きもしない。三人は暗くなりかけた戸外に出た。  車がサンディエゴ・フリーウェイに入った。三人の喋《しやべ》っていた声が同時に止まり、その頬に涙が伝っていた。  ケンが家にいた十三年間、彼に手を取られ、道子は何も出来なかった。十三年間出来なかった仕事が山ほどある。それを片付けることがこの三週間に出来るだろうと期待していた。ベッド・ルームの押し入れには縫おうとして縫えなかったドレス用の洋服地とか、細工ものとか、編物の毛糸が所狭しと押し込んであった。だが、期待とは裏腹に、道子は何も手につかなかった。今まで早く回転していた映画のプロジェクターが急に速度を落としたかのように、総《すべ》ての動きが、時間の経過が緩慢になった。彼女は唯《ただ》、呆然《ぼうぜん》とベッド・ルームの椅子に座って新聞を読んだ。眼を上げると、ケンの掻きむしったベージュ色の壁紙が北海道の地図の形をしてぶらさがっていた。ケンが絶えず咀嚼《そしやく》したベッド・カバーの縁飾りから彼の臭いがした。気が抜けたように雨の止み間に散歩した。スーパー・マーケットに行っても、ケンが家にいればもっとミルクも買わねばならないし、サラダ用の野菜も手押車にいっぱい買うのにと、一つ一つの品物を見ては鼻の先から眼にかけて電流が走ったように痛くなり、眼頭が熱くなり涙が溢《あふ》れそうになった。体裁が悪いので急いでショルダー・バッグの底に入っているサン・グラスを取り出してかけた。ハンカチを出して、眼に入った埃をとる振りをして素早く拭《ふ》いたりした。支払いのカウンターで余りに買物の量が減ったのを見て、又、涙を出すまいと精いっぱいに頑張《がんば》った。そういう心の葛藤《かつとう》を彼女は夫に告げるのが恥ずかしかった。未《いま》だに日本人的なのか、弱みを見せたくなかったのである。日本語の|弱み《ヽヽ》という言葉は感情と共通するのだろうかと思ったこともある。これだけ永くアメリカに住んでいても、日本的な育ちが身についてしまってどうにもならない自分を感じた。どう夫が考えているのかもはっきりと問い質《ただ》すことさえ出来ずに三週間過ぎてしまったようだ。余りアルが物を言わないと彼はケンを施設に入れて清々しているのだろうかと勘繰って一人腹を立てたこともあった。  一体ケンは今頃何をしているのだろう。昨夜はよく眠ったろうか。トイレにちゃんと行っているのだろうか。今頃親を恨んでいるのではないだろうか。あの子は恨むということを知っているのだろうか。一瞬たりとも日本人形のような顔をしたケンの顔が道子の念頭を離れなかった。  三日ほど前、ふっとベッド・ルームに置き忘れた新聞を取りに行った時、アルが電話で友人と話しているのを耳にした。 「もうケンがいなくなったので仕事が捗《はかど》らないという口実は無くなったんだがね、やはり何も出来ないんだ。仕事の量は前と同じさ。タイプライターに向ったままぼうっと壁を見つめたり、涙が知らぬ間に出て来たりして」  夫も同じ状態だったんだと、その時、道子は奇妙なことに安堵感を覚えた。  黒い杏形の眼をしたジョンも、年がいっていないとは言え、同じ状態なのかもしれない。他《ほか》の子供に比べて、ずっと感受性が鋭く、道子はいつも心配している。学校から帰って来ると真直《まつす》ぐに自分の部屋に入ってしまう。ケンがいなくなると、大きな体でばたばた家の中を走ったり、長椅子の上に立ってジャンプする者がいなくなって静かになる。気が散らないで勉強が出来るだろうと考えていたが、親がこの状態であれば、あの子もあの子なりに当分慣れるまでは勉強に身が入らないのかもしれないと、道子は忖度《そんたく》した。  あの都心の喧噪《けんそう》の中から急に森閑とした山奥に行くと、暫《しばら》くは放心状態になる、あの状態に自分達は今いるのだ。体中の神経がいらいらと刺戟《しげき》されていたのが、急に半分の神経に刺戟が来なくなったので、その半分の神経がどうして良いか始末に困っているという状態なのであろう。  道子達の過去は、余りにも虐《しいた》げられた過去であった。  だが、と、道子は一瞬たじろいだ。  ジョンは背が高くなったとはいえ、まだ子供である。親を左右出来ないという無力な子供の地位を恨んでいるかもしれない。彼は口にこそ出しては言わないが、ケンを施設に入れる日、絶対に付いて行って、どういう所か見るのだと主張した。あの子もあの子なりに心配し、又、自分の弟、生まれてからずっと一緒に住んだ世界中でたった一人の血を分けた弟、喋らなくても、暴れても、意志の通じ合った弟を無理やりに引き離されたということで、親を恨んでいるかもしれないと、道子はジョンが学校から帰って来て、自分の部屋のドアを閉める�バタッ�という音を聞く度に、腕の付け根の筋肉が硬直し、後めたく感じたことだった。  あれほど冗談を言って笑うのが好きだった三人は、この三週間、大声で笑うこともなくなった。同時に、ケンのことで、誰が見ていなかったからこうなったとか、誰それがああいうことをしたのでこういう結果になったのだと、お互いを責め合い大声で喚《わめ》き合うということもなく、家中が抜殻《ぬけがら》のようにがらんとしていた。  サンタモニカ・|マウンテンズ《連山》を切り開いて通したサンディエゴ・フリーウェイの両側から切られた断崖《だんがい》が迫り、マルホーランド出口の辺りに来た時、突然、隣で静かに運転していたアルが、声を荒げて言った。 「どうしてこんなに早くから迎えに行かねばならないんだ。五時でよかったんだろ。もう少し仕事も出来たのに」  道子はその声で、はっと我に帰って、夫の顔を見た。癇性《かんしよう》な顔が硬直している。下を向いて、上眼《うわめ》づかいに運転している。彼が怒ると、いつもこういう姿勢になる。「何も仕事は捗らないんだ。前と大して変らない」と友達に喋っていた彼の言葉を道子は思い出して馬鹿《ばか》らしくなった。 「今日は金曜日でしょ。五時やったらお勤め早う切り上げて、週末郊外に泊りがけで出る人の車で混雑するとおもたからよ」  アルは尚《なお》も下を向いて、額に皺《しわ》を寄せ、口を真一文字に閉じ、上眼づかいで運転しながら、その眼をちらっと左右に動かした。 「混んでないじゃないか」 「今は混んでませんよ。そういう時間を選んだんやから。ケンを連れて行った時、水曜日でも三時半で大工とか左官とか、工場で働いている人ですごう混んで、長いことかかったでしょ。おまけに、あの子、癇癪起した後で、びくびくしたやありませんか。五時なんかに迎えに行ってたら、帰ってから食事の用意がでけへんさかいにこうしたんやないの」  鼻にかかった低い声で言いながら、道子は膝《ひざ》の上の自分の手を見降した。 「何も君まで付いて来ることはないじゃないか。誰が君みたいなもん要るんだい。ケンを連れて帰るだけに」  道子は、|おはこ《ヽヽヽ》が出て来たと思った。  アルは道子を車に乗せるのを昔から嫌《きら》っていた。理由は判《わか》らない。子供ならいざ知らず、大人を車に乗せてやらねばならないということ、又、大人であれば分別もあり、自分の仕事の、作家としての仕事の邪魔をしてはいけないということ位は、言わなくても解《わか》るであろうというのかもしれない。だが、偶々《たまたま》、会計士がニューヨークからやって来たりすると、その会計士の夫人も一緒にレストランに連れて行ったり、又、空港に送って行ったりするのだ。それも、未《ま》だケンが家にいて一時間でも二時間でも夫の手を取られると道子が困る時にである。 「ロスアンジェルスに住んでる会計士に頼んだらもっとことは簡単に済むやろし、空港まで送ることもないやないの。なんぼローシェンバーグやマーサ・グレアムやジョン・ケージの有名な会計士やいうても、そのために、あなたまで有名になるちゅうことはないでしょ。会計士はあなたの収入の計算をして、それで金儲《かねもう》けをしてんねんもん。有難《ありがた》がって顧客を持《も》て成《な》さんならんのは会計士の方やないの」  夫が会計士を慇懃《いんぎん》に応対するのを道子は快く思わないで、なじったことが屡々《しばしば》あった。  ニューヨーク郊外の小さな町に彼等《かれら》が住んでいた時も、車で町の外に出て帰って来る時、必ずラウト・ナインという道を通る。ラウト・ナインは、町の境界線となっているクロトン河とハドソン河が合流する地点を走る。そこは沢山の葦《あし》や蒲《がま》が生えた広大な湿地帯になっていて、その上に、汽車の線路と平行して長い長い橋があり、車はその橋を渡らないと町に入れない。その橋の鉄柵《てつさく》と自動車の煽《あお》る風で起きるテラテラテラという音がし出すと、いつも決ってアルは、「君を運転して回って時間を潰《つぶ》された。君が運転を習えばこういうことにはならないんだ」と顔を硬直させて言ったものだった。  それを耳に|たこ《ヽヽ》が出来るほど聞かされたので、四十五歳になってから道子は運転を習い免許をとった。だが、フリーウェイにだけは入りたくなかった。若い時から臆病《おくびよう》で運動神経の鈍かった彼女が年を取ってからこともあろうに、猛スピードを出している神風スポーツカー氏のポルシェや、ダットサン280Z、アルファ・ロメオと競争してがたがたと運転できる筈《はず》がないからである。運転に小笠原《おがさわら》流というのがあれば、これぞその亀鑑《きかん》、家元級と言えるかもしれないような運転を、曲りくねったサンセット・ブルバードでする。ハンドルは握らないで、親指、人差指、中指の三本で茶筅《ちやせん》を持つ如く、右のレーンに移る時は、そろりそろりとしとやかに頭を後に回し、左のレーンに替る時も丁寧におじぎをして左に移る。歩いても大して変りがないようなスピードである。若者の車はそれに苛立《いらだ》ち、ブーッとクラクションを鳴らして追い抜いて行く。それでも�勝手にしなはれ�と悠々《ゆうゆう》と彼女は運転する。車に乗り込むと、打って変って落ち着き払った人物になる。——怖気《おじけ》がそうさせているのだが。——そのようなのがフリーウェイに乗り込めば、二十五台、三十台と数珠繋《じゆずつな》ぎの連鎖反応のような事故を起すこと必定。  道子は、「又始まった」とぽつりと言った。そう一言いえばアルには判るだろうと思ったからだ。何回もあったことなのだ。アルがますます顔を硬張《こわば》らせているのが横眼で見えた。 「先生は用事があって何処《どこ》かに行くって言ったんだろ。会えないんだから君なんか来ることないじゃないか。僕《ぼく》一人なら自分の好きな時に行けるからね」 「マイクが都合悪なれへんかったら、今日はランチ一緒に行くて言うてたやないの。わたしにはいつも仕事仕事いうても、ランチに行って三時までしゃべってたら仕事にはなれへんでしょ」 「人の時間の使い方にまでつべこべ言うなっ!」  道子は夫の語気に逆上したが、ここで言い返しては、すぐに興奮するアルは隣ですれすれに走っているベンツや、前を走っているダットサンに突っ込んで、事故を起しかねないと、歯を喰《く》い縛って辛抱することにした。もう十分の辛抱だ。車の前方に、青くかすんだアンジェルス・フォレストの山々が見え出し、ノードフ・イグジット一|哩《マイル》半と標示が出た。もう少し、もう少しと道子は自分に言い聞かせた。  そのイグジットを出て左に折れ、所々に昨日までの雨で大きな水溜《みずたま》りの出来たノードフ・ブルバードを五ブロックほど行くと、何回見てもアルファベットか抽象か判然としない白いセメントの彫刻のあるカルステート・ノースリッジの大学の前に出る。そこを右に曲れば、広々とした車道に面して、左側が大学で、右側の家並の一軒が施設になっている。その家並は皆同じような赤い瓦葺《かわらぶ》きになっていて、前にドライブ・ウェイがあり、ガラージが前に突き出ている。その中の一軒のドライブ・ウェイにアルは車を停《と》めた。その大きな家の玄関までのレンガ敷きの通路の両脇《りようわき》に|ひらどつつじ《ヽヽヽヽヽヽ》がもうピンクの花をつけていた。道子は右手でドアの取手を回し、ドアを押し開けた。入ってすぐの所に広いリビング・ルームがあり、その右半分を事務に使っている。事務用の机とかファイル・キャビネットが置いてあり、机の上には種々の役所用の用紙や鉛筆、電話が置いてあった。リビング・ルームは広い芝生の庭に面していて、大きなガラスの引戸がついていた。芝生にさす太陽の照り返しが眩《まぶ》しく、明るい外から入って来た眼には、その手前の屋内は暗く、何もかも影絵のように見えた。三人の子供が陽《ひ》の当った芝生にあるブランコに乗っていて、赤や黄や青のジャケットが交互に上ったり下ったりしている。道子の左前の長椅子《ながいす》の上で、影がむくむくと起き上って、「キャー」と叫んだ。ケンが道子達の来るのを知らされて、それが解っていたのだろう。そこで永い間待っていたようであった。彼女の後からついて入って来たアルは早速自分のオークル色の帽子をケンの頭に載せた。事務所の机で役所向けの用紙に書き込んでいた背の高い眼鏡の男が、ケンの叫びで、道子達に気がついたらしく、立ち上って「ハロー」と二人に挨拶《あいさつ》をした。そして、ケンに、「ケン、ダディとマミーだよ」と既にそういうことは知っているという風な顔をしているケンに告げた。  ケンは長椅子から立ち上って、道子に倚《よ》り懸《かか》って来た。彼は道子が縫ったコール天の青いズボンを穿《は》き、グレーのスウェット・シャツを着ていた。衿《えり》ぐりは、もう既に噛《か》んで大きな穴が明いていた。ケンがここに入った時、このシャツは真新しい物であった。彼女はケンの肩に右手をかけた。三週間前より少し高くなったように感じた。腕を伸ばすと、真横ではなく、少し上に腕を揚げねばならなかった。ケンは笑窪《えくぼ》を右|頬《ほお》に作って、道子の頬にキッスをするように、力なく唇《くちびる》をつけた。道子は喜んで良いのか悲しんで良いのか判らなかった。よっぽど会いたかったのだろう。以前、ケンは自分からそうすることは殆《ほと》んど無かったからである。ケンの兄のジョンが一日に何回となく道子にする不快な唾《つば》だらけのキッスに彼女は辟易《へきえき》していても、ケンのキッスは有難かった。何も言葉が出ないので意思を表わす術《すべ》がなく絶望的であったが、キッスをすることによって、一つの意思表示が出来るようになったのが明らかであった。  ケンの部屋へ、アルと道子は衣類を取りに入った。二つのベッドが部屋の二方の壁にそれぞれ置いてあり、窓が一つずつ付いていた。その窓には、赤茶色のビロードのカーテンが掛かっている。部屋の入口の右側には押し入れがあり、その押し入れに、偶々同室になったウィリィの衣類と雑《ま》ざって、ケンのジャケットがだらしなくハンガーに掛かっていた。それを道子ははずし、今度は箪笥《たんす》の右側の抽出《ひきだ》し三つから下着やスウェット・シャツやズボンを取り出した。三日間家にいる時に必要な衣類である。押し入れの棚《たな》の上からアルが白いスーツ・ケースを降ろした。それに道子は取り出した衣類を入れて蓋《ふた》を閉じた。アルはスーツ・ケースを右手に、ケンの手を左手で握って外へ出た。道子が挨拶かたがたリビング・ルームに帰って来て、その事務の男に月曜日にケンを連れて帰る旨《むね》を告げた。  車の中では、ケンはオークル色の帽子を冠《かぶ》ったまま後の席に座って、「フウーン、フウーン」と鼻歌を歌っているような調子の高い声を発している。車が動き出すとすぐに、どこから見つけて来たのか手にゴム輪を持っていた。肩を前にすぼめ、全身に力をこめて、両手の人差指と親指で|こより《ヽヽヽ》を作る如《ごと》く、そのゴム輪をくるくると回した。そして蛙《かえる》を押しつぶしたようなグウグウという声を喉《のど》と鼻から出し、ゴム輪を睨《にら》みつけている。フリーウェイもサンセット・ブルバードも上機嫌《じようきげん》で何の問題も起さずに無事に自宅のドライブ・ウェイに入った時、道子の肩に集っていた張りが次第に抜けて行ったようであった。車から出て、ケンの横のドアを開けた彼女の頬に、さっと海からの冷たい湿りが当った。それが活気をもたらした。もう夕陽も水平線に落ちてしまっていた。冬はいくら日中の暖かい南カリフォルニヤでも、夕方になると、気温が極端に下る。彼女はケンを車から降ろし、車の後に回ってトランクを開け、スーツ・ケースに入れた赤と青のキルティングのジャケットを取り出して着せた。そして、裏庭に暫《しばら》く行って遊ぶようにと押しやった。遊ぶと言っても大したことはしない子供なのだが。早速、ケンは軒にぶらさがっている籐《とう》で出来たバスケットのようなブランコに乗って、右回り左回りときりきりと舞い出した。庭の隅《すみ》のレモンの木に、紫がかった白い花がもう二、三咲いていた。降り続いた雨に洗われた芝生は、勢いを得て、暮色の中でエメラルドを撒《ま》き散らしたようであった。道子はくつろいだ気分に浸った。三週間、この風景の中から欠けていたものが、今日はその元の鞘《さや》に納まったような気がした。ケンの乗ったブランコが、ぎっこ、ぎっこ、きききーと軋《きし》んだ音を静かな庭に|こだま《ヽヽヽ》させている。  アルは早速屋内に入って、居間のテレビを付け、低いコーヒー・テーブルの後にある長椅子に座って、足をそのテーブルの上に載せた。長椅子の両横には、小さいテーブルがあって、白い磁器のランプがそれぞれ対《つい》に置いてあった。テレビの横に|だんろ《ヽヽヽ》があり、真鍮《しんちゆう》の縁どりをしたガラスのスクリーンがぴったり嵌《はま》っていた。この|だんろ《ヽヽヽ》でこの夫婦は火を燃やしてロマンチックな思いに耽《ふけ》ったこともなかった。ケンがいて危いからである。部屋の左は大きなガラス窓になっていて、前栽の芝生が見える。低いテーブルの上には、その週のタイム誌や読みさしのロスアンジェルス・タイムズが開いたままになっていた。  台所で、燻《いぶ》し銀《ぎん》の色をしたコンロの上の大鍋《おおなべ》に眼を据《す》えて、道子はいそいそと白い割烹着《かつぽうぎ》を付けた。ケンが生まれてから、永い間、これといった客を持《も》て成《な》したことのない彼女に、昔、ケンの生まれる以前に客のあった時、一生懸命に料理したあの感覚が蘇《よみがえ》って来た。炊きかけの|おでん《ヽヽヽ》に再び火を入れた。コンロの横にある自分より背の高いコッパー色の冷蔵庫から、サラダ用のレタス、トマト、キュウリ、ロメイン、ブロッコリと取り出し、背後の調理台の上に並べた。そして、レタス、ロメインを丁寧にほぐし、水洗いを何回もした。それをペーパー・タオルで一つずつ拭《ふ》いて、手で小さくちぎってサラダ用の大きなガラスの器に山盛になるまで入れた。キュウリ、トマトは皮を剥《む》いて薄く輪切りにし、ブロッコリは、煮え湯にさっと通した。それらをサラダ用のガラス器に盛ると、彼女は両手で抱えて、食堂にある白い丸いテーブルの中央に置いた。それを見て、道子は、 「四人ゆうのは、ほんまにええ人数や」  と独り言を日本語で言った。(料理をしてても|ふくよか《ヽヽヽヽ》やわ)  大食漢のケンが行ってから、三週間、何か家族三人が萎縮《いしゆく》したように暮していた。三人共余り口をきかず、よく喋《しやべ》るジョンもアルも、それぞれの殻《から》にこもったように静かであった。道子は静かなように感じた。それは、夜でもピーピーピヨピヨピヨキキキキーと啼《な》くモッキング・バードや、ウーウーともホーホーとも聞こえる夜啼きの梟《ふくろう》の声と聞き違えるような、ケンが絶えず発する叫びの伴奏がなかったからなのかもしれない。異常に静かであった。ケンの伴奏は恰《あたか》も家族の心を繋いでいたようでもあった。食事も、食卓にちょこちょこと皿《さら》を並べて三人が座ってすうっと食べ、それでおしまい。それから、汚れた皿をすうっと引いて流しに持って行き、その下の皿洗機に入れたら何もかも済んでしまう生活。一般の家庭ではこれが普通で、毎日こうなのだろうが、何か物足りないと感じた。だが、それと相反して、ジョンが赤ん坊の時から数えて十五年間、ずっと、幼な児のいるような繁雑な、人間としての権利を、生活の謳歌《おうか》を取り上げられた惨《みじ》めな十五年間の生活を考えてみた。道子は、こういう人間が住んでいることさえ知らない普通の家庭の人々を恨みもしたりした。だが、ケンが施設に入ったことであの生活が終ったとはいえない。道子が生きている限り、大なり小なり、この惨めさは続くのだ。ケンが一緒に住んでいようといまいと、ケンが生きていようと生きていまいと、絶えず何かが欠けている。一緒にいればむずかしく、一緒にいなければ家族の一員が欠けている。そして、ああもしてやれたかもしれない、こうもしてやれたかもしれないと、絶えず呵責《かしやく》の念に苛《さいな》まれる生活から逃れられないことをいやが上にも悟らされたのである。  ケンが家にいた時は、料理というと大変であった。ケン、ジョン、アルと三人三様食べるものが異る。コレステロールの高いアルはコレステロールの無い物を、ジョンはノー日本食、自分の仲間が食べる油っこいアメリカ食。ケンは何でも来いではあるが、アルの好きな刺身は食べない。だから、道子は矛盾だらけの料理に明け暮れしていたのだ。  いつも夕食の用意が出来ると、先《ま》ず、ケンが食べる。その監督を道子が横に立ってする。|かいば《ヽヽヽ》のような大量のサラダにはマヨネーズがなくてはならない。それを、ケンは手でぬたくって食べる。その結果、顔も、テーブルも、指も、コップもマヨネーズ色に変る。フォークとか、スプーンは道子が使えと言った時だけで、隙《すき》を見ては、すぐに手を使う。だから、道子はケンに一つナプキンを与え、自分は大きなタオルを持ってこれに構える。その上、彼は飯粒を膝《ひざ》の上から床の上と、撒きちらす。そして、御代《おか》わりを三度ならず四度も五度もする。彼がやっと食べ終えると、道子は口や手を注意して拭いてやり、シャツやズボンを後も前もよくはたき、それについた飯粒を拾って綺麗《きれい》に掃除をし、テーブルに散らばった皿、フォーク、スプーン、コップを仕舞い、それからやっと三人が座って食事にありつくということを毎日やっていた。それまでに、道子は疲労|困憊《こんぱい》してしまっているのが常であった。自分達が食べている間も、ケンがトイレに行かないかと気を遣いながら食べるのだ。  彼がいなかった三週間は、三人はケンの残り物を食べさせて戴《いただ》いたというような感に陥った。彼がテーブルを占めた量、即ち、その広範囲のスペースと時間と労働が途方もなく大きかったので、三人の占めたその量との比較がそう感じさせたのかもしれない。  |おでん《ヽヽヽ》が煮上った。道子は、三週間前と同じようにケンを三人より先に食べさせることにした。庭から入って来て、居間で父親の隣に座っていたケンを彼女はバス・ルームに連れて行った。自分より背が高くなった我が子を見上げて、手を洗うように促した。背が自分より高くても、ケンはやはり彼女の赤ん坊なのである。三週間彼がいなかった間に、道子には体力が少し出来たようであった。少々のことで疲れなくなっていた。快適に食事をさせられて嬉《うれ》しかった。台所から食堂と小走りに、ジュースだ御飯だときりきり舞をして給仕した。彼が食べ終って、道子がタオルで手を拭いてやった時、以前ほど飯粒が床にこぼれていなかったのに気がついた。ケンは食事の間、おとなしかった。じっとテーブルに向って座って、料理が出て来るのを待っていた。道子は、「あらっ」と自分の眼を疑った。嬉しくて、抱きしめてやりたいほどであった。食卓から去る時に、ケンは道子の頬《ほお》に再びキッスのように唇をつけた。それが、丁度、食堂に入って来たアルの眼にとまった。羨《うらやま》しそうに道子を眺《なが》め、ケンに、 「ダディにもキッス」  と背を屈《かが》めて頬を前に突き出した。ケンはそれには知らぬ顔で、居間に前のめりに走って行った。 「僕にはしてくれないんだ」  アルの眼はケンの後姿を追った。  道子は嬉しかったが、何も夫のように無理やりにキッスをして貰《もら》おうとは思わない。日本人であり、アメリカ人のように、寝ても覚めても、あっちへ行ってもこっちへ行ってもキッスだらけという習慣で育っていない。この社会は、人に遇《あ》ってもキッス、嫌《きら》いな人にもキッス、さようならにもキッスという社会で、こういう習慣の中に育つと、して貰えないと除外されたような気持ちになるのだろうか。だから、これだけ永くこの社会に住んでいても、子供の頃《ころ》からの習慣で、キッスして貰ったから嬉しいとか、貰わなかったから落胆するという西洋社会の人々の心理が未《いま》だに道子には呑《の》み込めないのである。殊《こと》に、ケンはこのような子であるから、両親の中の誰《だれ》を依怙《えこ》贔屓《ひいき》するということもしないし、そういうことで落胆している夫の方が子供じみていると思った。 「アル、あなたは今日もお刺身でしょ」  未だに茫然《ぼうぜん》と立っている夫に、彼女はケンの使ったフォークや皿をテーブルから引き下げながら言った。妻の言葉で我に帰って、 「ああ」  とアルは眼鏡越しにちらっと道子を振り返り、気の無い返事をした。 「冷蔵庫の抽出しよ」  刺身を切る前に、道子は流しの皿を皿洗機に入れねばならないと水洗いをし出した。冷蔵庫を明けて、抽出しからピンク色の包紙の上をビニールで巻きつけた小さい包を取り出したアルが、突然がなり立てた。 「誰がこれにビニールを巻きつけたんだっ!」  眼がらんらんとしてつり上っている。 「決ってるやないの。わたしよ」  その声に驚いた道子は返事をしながら、慌《あわ》てて皿洗機のドアを持ち上げて閉じ、ぐるりと前をむき、ピンクの包紙を持った夫の手を見た。 「ビニールを巻きつけると中の物が腐るじゃないか、中に暑い空気が籠《こも》って」  道子の声が高くなった。 「そういうても、昨日の夕方、お魚屋さんがワゴンをここの家の前まで運転して来て、その中の冷蔵庫から出して来たんやもん、冷えてんの決ってるやないの。冬やし。雨も降ってたんよ。何も夏の暑い最中に、暑い車の中に入れて来たんやないし、そう判断してビニールで巻いたんよ。判《わか》っててしたんよ」  妻の言っていることなどアルは聞いていない。一旦《いつたん》怒り出すと、何も聞こえなくなるのだ。又、額に皺《しわ》を寄せている。 「もう腐ってるっ! 何回言ったら判るんだっ!」 「腐ってますかっ! 何が腐ってんのよっ! 冷えてたし、新しかったんやから」  道子は一言ずつはっきりと発音した。 「腐ってるに決ってるっ! 何回も言ったじゃないかっ! 肉類、魚は冷蔵庫に入れる時はビニールで包むなって。一応店で包んであるんだから。大体冷蔵庫の使い方を知らないんだっ!」  アルの額が赤くなって、こめかみに青筋が走った。声が一層強く天井に当ってはね返って来た。  何もこう怒る理由は無いのである。夫が科学的に正しいかどうか、道子にはさっぱり判らない。結婚した当時、それまで、アメリカ式の冷蔵庫を使ったことがなかった道子は冷蔵庫に関しては権威がなかったが、果してアルが正しいかどうかは彼女には謎《なぞ》なのである。スーパーで買った魚とか肉はビニールで包んであるが、この魚は買った時はビニールには包んでなかったのである。唯《ただ》、今の今判っていることは、怒る口実を探していたんだ。虫の居所が悪いんだということであった。  こうなると、彼女はおめおめと引っ込む訳にはいかない。不条理には絶対に屈してはならないというのが彼女の生涯《しようがい》のモットーであった。だから、彼女は日本を飛び出して来たのだ。というのが彼女の論理である。余りにも論理が飛躍していると言えば言える。でも、こう言えばああ成るほどと解《わか》る人もいるだろう。つまり、彼女は、ご尤《もつと》も、ご尤もとお辞儀をするのが嫌いなので、日本を出て来たという。だから、ずっと昔に、日本がアメリカに戦争で負けたからと言って、アメリカでへいこらすることは、道子がやって来た二十年昔でも、自分が日本を出て来た理由と相矛盾する。夫婦げんかにおいてをやである。だが、時々、勢い余って、その戦争に負けた江戸の敵《かたき》をアメリカで討っているような結果になることがある。アルが一人でアメリカを背負って立ち、応答に大童《おおわらわ》ということが起り、哀れになることもあった。  だが、この度は、そう言って譲歩してはいられない。不条理には絶対に屈してはならない。これが彼女のモットーである。  道子の眼《め》がつり上り、のんびりした眉《まゆ》も共に上って、眼鏡の中の夫の淡い鳶色《とびいろ》の眼を睨《にら》みつけた。 「その包、はよ開けてみて。腐ってますかっ! 腐ってんねんやったら怒ってもええけど、腐ってるかどうかも判らんくせに呶鳴《どな》るなんて何やのんっ!」  大きく肩で何回も息をして、道子は食堂のドアの所に行って、流し眼でケンの様子をチェックした。何をしているか、トイレに行ったかを見とどけるためである。こういう時でも、ケンのことを忘れてはならない。彼は、低いコーヒー・テーブルを前に、ベージュ色の長椅子《ながいす》に座っていた。道子と同じような眉を開いて、解っているのかどうかも判然としないが、兎《と》に角《かく》、静かにテレビを見ている。七時のニュースである。前には絶対にテレビを見もしなかった。意味は判らなくても、静かに見るということは一歩前進である。何と良い子になったんだろうと、道子は嬉しかった。  彼女は素早く台所に戻《もど》って来て、未だに包を開けないで、凝然としている夫に叫んだ。 「はよその包を開けて見てっ! 腐ってますかっ!」  アルは緩慢な動作でビニールを取り、ピンクの紙を開いた。その中に、もう一枚、白い薄い紙でマグロは包んであった。それを捲《めく》ると、白い紙の内側に血がまばらについていて、ピンクがかった赤い生々としたマグロの切身が出て来た。道子はそうしなくても明らかであるのに、わざと覗《のぞ》き込み、においを嗅《か》いだ。頭上の四角い笠《かさ》のついた蛍光灯《けいこうとう》が油をたらしているような音を立てている。暖房の通気孔から乾いた風が吹き出て来た。道子は汗ばむのを感じた。(ロシヤの内陸に住んでて、魚を食べへんかったから、先祖代々バセドー氏病に罹《かか》ってるくせして、なんで魚のことが判るのん)  彼女は夫を見上げて、人差指でマグロの身を指し、詰問《きつもん》した。 「これ腐ってますか? これ腐ってるいうの。あなたは何でも見る前に判断すんねんから。結婚以来の悪い癖よ。結婚して一ヵ月目やったかしら。わたしがロースト・ビーフを料理した時、覚えてる? ウエル・ダンやいうて地団太《じだんだ》踏んで怒ったことがあったんを……。忘れられへんわ、あの時のこと。わたし、英語も碌《ろく》に喋られへんかったでしょ。おなかの中は煮えくり返ってても、あなたが日本語判れへんので、わあっと日本語で言い返されへんし、唯、静かに、『切ってみて』、て言うただけやったわね。あの時、あなたが切ったやないの。丁度、ええメディアムに出来てたん覚えてる? わたし、後から一晩中泣きましたわ。何という男と結婚したんやろとね。そんで、あくる日、泣きながら、一晩中かかって作った英語で、ゆっくりと、判断するのは見てからにして欲しいと何回も何回も繰り返したでしょ。それしかよう言わんかったんやもん。そしたら、あなたが、何回もおんなじこと言ういうて怒ったでしょ。そんで、又、大げんかになって、あなたが灰皿《はいざら》をわたしの横にかあっと投げつけたでしょ。そんで、こわなって、暴力を揮《ふる》うような人とよう住まんから、わたし日本に帰りますいうて、押し入れからスーツ・ケースを出して何もかも詰め、あなたにタクシーを呼んで欲しいて言うたでしょ。ブルックリン・ハイツのアパートの下に港があって、日本の貨物船がなんぼでも碇泊《ていはく》してたから、訳はないいうて。覚えてる? あれから二十年も経《た》ってるのに、未だにおんなじことやねんから。二十年の間におんなじようなことが何回もあったわ。人間の脳いうたら、何も変らんもんやねえ。何回注意してもおんなじやもん。わたし、結婚した時は変えれるとおもたんやけど」  道子は、はあーっと大きな息を吐いて、再び肩を落とした。そして、これと、ケンが帰って来たことと何の関係があるのだろうと考えた。  アルは大人しくなった。蛍光灯のジーという微《かす》かな音が一瞬の静寂を破る。彼は新鮮なものを腐っているというほど頑固《がんこ》ではなかった。 「今日、半日|潰《つぶ》されたんでむしゃくしゃしてるのさ。何も君が行かなかったら、僕は六時にでも迎えに行けたんだ」  又、昼間の繰り返しである。 「執念深いわね、何回も。わたしがついて行って悪うござんした」 「君が行った理由がないからさ」 「わたしかて親ですからね。早うあの子の顔が見たかったんよ。又、施設がどんなとこか何回も見る必要があるでしょ。あそこで働いている人と顔つなぎも必要やし。いろいろケンのことを話しておくこともね。あなたに頼んでおくと、いうこと全部忘れて帰って来るんやもん。わたしかて好奇心もあるのんよ」  好奇心と聞いて、アルが静かになった。 「まあ好奇心があったというのなら話は別だが」 「あなた、作家のくせして、二十年も一つの屋根の下に住んだ連合《つれあい》に好奇心、人間としての……自分の子供がどんな所に住んでるか、どういう具合に扱われてるかという好奇心があるかないか、今まで知らんかったん?」  ここぞとばかり、道子は誹謗《ひぼう》した。  二人はやっと食事の用意をして、自分の部屋にいたジョンを「御飯よ」と呼んだ。  ジョンは不服そうに|おでん《ヽヽヽ》を口に運んだ。今日は何も特別アメリカ料理を道子は彼のためにしなかったからである。  アルは、|わさび《ヽヽヽ》を白い小皿に入れ、醤油《しようゆ》を注《つ》ぎながらジョンに言った。 「御飯が済んだら、ジョン、映画にでも行こうか」  未だに腹の虫が治まらぬというような口吻《くちぶり》である。アルは、味方を作るために、ジョンを釣《つ》っているのだ。ジョンが見たいものは、宇宙ものか、戦争映画である。二人の好みがあれほど違っているのに、同じ映画が見られる筈《はず》がないではないか。道子がちらっと二人の顔を見比べたのを見逃さなかったアルは、彼女の方を見て、皮肉な言種《いいぐさ》をした。 「ケンが帰って来たから、君、家に一人と違うだろ。晩怖くないだろ」  この三週間、道子は晩に一人で家に残されると困ると二人に言ったことがあるのを覚えているのだ。新聞を見れば、一つの都市で一日に、二、三件殺人事件があり、又、強姦《ごうかん》は数え切れず、こそ泥《どろ》なんて、ものの数にも入らぬ社会。又、最近は、若い女の人を次から次と首を絞めて殺し、死体を山地に捨てたりした殺人事件があり、その犯人は捕まったが、それと同等の二十人も三十人も殺す|つわもの《ヽヽヽヽ》が次から次と出て来るアメリカ社会である。銃砲取締法が無いに等しいこと、そして、麻薬が堂々と売買されているということで、頭をやられたのが多く、善悪の判断等、無きに等しい社会である。二人の男が家にいたからと言って、これに勝てる筈がないが、女一人よりはましであると、二人に言ったことがある。ああいう殺人は女が一人の時を狙《ねら》うものだと。その時に、「まあ、ケンが家にいた時はこわなかった」と言ったのを二人は覚えていたのだ。「大した用心棒だなあ」と二人が顔を見合わせて笑ったことだった。「体だけでも大きいもん。入って来た泥棒初めからケン脳障害やなんて知らんでしょ」とあの時、彼女は言ったのだった。 「まあーあきれた! ケンが帰って来たからいうて、あなた達。この子と一緒にいたいから連れて帰って来たんでしょ。二日間だけやないの。自分の時間をこの時だけ、この子に全部与えるちゅうこと出けへんの?」 「じゃあ君は、ケンが帰って来る週末は三人共この子に付きっきりという積りかい? この子がトイレに行けば、三人共トイレに行き、風呂《ふろ》に入れば、三人が一緒に洗ってやるのかい? 君にそういう命令をする権利はないね。自然な家庭の状態に返らすのがいいのさ。この子が帰って来ても、僕はオフィスに行って仕事をしますよ。ジョンはいつものように友達の所に遊びにも行くよ」 「そういうても、平日ケン家にいやへんのよ。文句言われへんやないの。仕事する時間無いなんて言われへんやないの。もう口実は無くなったんよ。わたしなんか、この二日、まるまる自分の時間を与えようと用意してたのに……」  又、アルが叫び出した。 「君に命令されるのが嫌《いや》なんだ! すぐに大声で命令するんだからっ!」  口を閉じると、こめかみが上下にぴくっと動いた。道子の声が、それを凌駕《りようが》するほど大きくなった。 「大声出してんのはあなたよっ!」  アルの声が小さくなった。 「君の方が先に叫び出したんだっ!」  道子も同じように声を潜めた。 「あなたの方が先に叫び始めたんよ。でもまあ、わたしが大声を出してるというんやったら、それでもよろしいわ。理由があんねんから。わたしがあなたに話しかけても何も聞いてへんから大声で話すようになったんよ。叫んでるのではのうて、聴こえるように話してんのんよ。あなたの耳の通りが悪いからやないの」 「聴きたくないから聴かないんだ」 「へえ、そうやったん。結婚した時から、この人耳聞こえへんのやろか。わたしの英語が間違いだらけで判れへんのやろかと考えたこともあったけど、二十年経ったいま、判ったことは、用を足すには大声を出すことやということやったんよっ!」  ケンは、未《いま》だに静かに|だんろ《ヽヽヽ》の横のテレビを見ている。彼の映像や、その隣に置いてある白い磁器のランプの明るい光が、|だんろ《ヽヽヽ》のガラスのスクリーンに反映して、ボンナールの絵図のように見えた。ニュースも終って何かのゲーム・ショウが始まったらしく、ぴゅっと口笛を吹いたり、わあっという興奮した観客の声、それを尚更刺戟《なおさらしげき》するような司会者のうわずった声が、居間を突き抜けて、道子の所まで聞こえて来る。弓なりの眉毛がのんびりと離れてついて、ブッダそっくりの顔をしたケンは長椅子の上で、右|肘《ひじ》をついて頭を支え、悠々《ゆうゆう》と横になっている。インドの寝仏のようだ。骨格が大きく、色白で、手脚が普通の日本人よりは長い。三週間のうちに、髪は長くなり、眼はあらぬ方を見ているが、ばね仕掛けの人形のようにクッションの上で跳びはねたりはしなくなった。道子は内心何と良い子になったのだろうと有難《ありがた》く思った。又、一方、何たる親の歓待! これでも親なのだろうか。大声で叫び合っているのが恥ずかしかった。と言って、すぐに引き下る彼女ではない。  一方、夫のアルは余りである。又、耳を閉ざしたまま、彼女の言ったことを聞いていないのに気がついた。箸《はし》を握り箸にして、テーブルをきゅっと突っついて、彼女は叫んだ。 「わたしはいつも叫んでばかりではありませんよ。あなたが叫び出したから、売り言葉に買い言葉でこうなるんやないの。テープレコーダーを一日中家のあっちこっちに置いて回しといたらええわ。誰《だれ》が先に叫び始めたかすぐに判《わか》るさかい」  その金切り声は家中に鳴り響いた。頭の天辺《てつぺん》が痛んだ。ケンが可哀《かわい》そうになって来た。折角帰って来たのに、両親が言い争いばかりしているなんて、言葉が喋《しやべ》れるのなら、「僕《ぼく》、もう帰る」と言うだろう。「こんなやかましい家はいや」と。  ジョンは二人の言い争っている間を縫って、ろくすっぽ食べもせずに食堂から居間を通り、自分の部屋に引き揚げた。  二人は食べたものがどこに落ち着いたのかも判らない食べ方であった。頭に血が上ったまま睨み合って食事をした。道子は平静を保とうと努力した。話題を変えれば二人共また気分あらたということになるだろう。 「ここ片付けたら、ケンの髪を切るからね。髪が長《なご》なって眼が隠れそうやもん。施設の人に約束したんやから。手伝うてね」 「ああ」  と生返事をして、アルは食堂から出て行った。  道子はケンの食べた所にマヨネーズと|おでん《ヽヽヽ》の汁《しる》が指でぬたくりつけられて、フィンガーペインティングのようになっているのをスポンジで拭《ふ》きとった。皿を全部流しに持って行って積み上げた。それから、手を洗って、居間に行き、ケンに、「カム・ヒヤ」と言いながら、アメリカ式に右手で合図をした。寝仏がむくむくと起き上り、前のめりになって食堂にやって来た。道子は、今度は、寝室に引き揚げた気の無い夫を呼んだ。ケンを再びテーブルに向って座らせた。両手を白いテーブルの上に組ませて、恰《あたか》もお祈りをしているような姿勢を取らせた。これを施設では、「|グッド・シッティング《よい座り方》」として教えている。こうすれば、手を出して、人を抓《つね》ったり、引っ掻《か》いたりしないからである。道子は白いプラスティックで出来た噴霧器に、冷たい氷水を入れて、ケンの真前に置いた。行儀が悪くなると、この噴霧器で頬《ほお》に水を吹きつける。感触が悪いので行儀をよくするからと、施設が貸して呉《く》れたものであった。アルが、|ほうび《ヽヽヽ》である干ぶどうを持って、ケンの側《そば》に来た。台所のカウンターの下の右から二番目の物入れの抽出《ひきだ》しから、十二センチほどの長さの鋏《はさみ》を取り出して、道子はケンの|うなじ《ヽヽヽ》に垂れ下ったかなり長く伸びた髪を切った。髪が道子に似てこわいので、鋏を持った指に相当力を入れねばならなかった。以前のように大騒ぎをして、一回切るのがやっとというのではなく、三回続けてこともなく切り果《おお》せた。アルが、「グッド・ボーイ」と干ぶどうをケンの口に入れた。それから、前髪を切ろうと、道子がケンの前に立って眺《なが》めている時、ケンが頭を少し動かして横を見た。それから、前に組んでいた指をほぐし始めたので、すかさず、道子は語気を強めて、「グッド・シッティング」と命令的に言った。そして、一握の前髪を切り果せた。矢庭に、ケンの左側で干ぶどうを口に入れようとしていたアルが、 「何を言ってるんだっ!」  とがなり立てた。  道子は驚愕《きようがく》の余り手を止めた。(やれやれ又、始まった)上眼《うわめ》づかいに夫の顔をちらっと見た。(ケンのこととなるとすぐにかあっとすんねんから)ケンの方は、一度髪を切る度に干ぶどうが口に入ると思っていたのが当がはずれたのだ。彼は顔を左に向けた。アルの干ぶどうを摘《つま》んだ指を見た。それにはおかまいなしで、アルは、 「僕がこっちでコントロールしてるんだから、君は何も言わなくてもよいんだっ!」  その干ぶどうを摘んだ手を言葉の抑揚に合わせて上下に振り、眉間《みけん》に皺《しわ》を寄せ、いきり立っている。ケンの切れ長の眼が干ぶどうに連れて上下した。道子は、その言葉を聞いて、腰に両手を当てた。右手に持った鋏は外向きに開いたままである。普通のアメリカ人の夫婦ならここで切り合いになるだろう。幸いなことに、彼女は平静を保てる。口では出来ないが、行動では。 「どういうたらええのん? わたしが髪を切ってんのんよ。切る前に�グッド・シッティング�でじっとして貰《もら》えへんかったら切られへんやないの」 「二人がコントロール出来ないんだよ。一人でないと。ケンが誰のいうことを聴いてよいか判らないから」 「あなた始めに、自分がコントロールする言わへんかったやないの」 「ほうびをやってるのは僕なんだ。ということは、僕がコントロールしてるってこと位判ってる筈じゃないか。馬鹿《ばか》!」 「あなたの命令は拍子が抜けてて、タイミングが悪いから効果がないのんよ。コントロールしてる人が髪を切ることやわ。危いもん。鋏あげるから自分で切りなさいよっ。生まれて一回もケンの髪切ったことも無いくせにっ」  道子は右手の鋏を夫に突きつけた。それに少したじろいで、一歩引き下り、アルは言った。 「ドゥ・グッド・シッティングと言え。ドゥを抜かしてグッド・シッティングだけじゃ、動いていてもそれを褒《ほ》めているようなもんじゃないかっ。ケンうろうろするばかりだ」  道子は更に右手で鋏を夫の腹の所に突き出した。彼女の黒い眼はつり上って、異様に光っていた。彼は干ぶどうを持った手をぴったりと胸にひっつけて身動きしなかった。鋏が宙に浮きそうになった。彼はどう切ってよいか知らないからだが、それを認めたくはなかったのだ。彼女は鋏を引っこめた。 「英語はわたしの母国語ちゃいますからね。知らんかったんよ。なんで早うそういえへんかったん。それも穏かに説明してくれたら判ることでも、そうがなり立てて……この気の炒《い》れる危い時に、誰がコントロールするやとか、そういうことをうだうだいう時やないでしょう。切ってるもんの身にもなって。自分でこういう動く大きい子の髪を切ったことがないから判れへんのんよ」  ケンが白い長い指を拡《ひろ》げて頭に持って行き、「ウーウー」と言った。大きな手である。道子の手をがっちり覆《おお》い込んでしまえる。  アルがきつい声で、 「手を前に組んで」  と言って手を組まそうとした。その時、ケンの大きな手が伸びて、アルの干ぶどうを持った手の甲を爪《つめ》で引っ掻いた。手の甲に赤い線が入り、そこから血が滲《にじ》んでいる。アルはそれを見ただけで気を転倒させた。あっという間もなく、ケンの頬をピシャッと平手でやった。道子はケンが逆上して大暴れするのではないかと身が縮む思いで息を止めた。だが……不思議なことに彼は静かになった。道子は夫の余りの気短さに腹が立ち、もう何もする気がしなくなってしまった。眼からほろほろと大粒の涙が溢《あふ》れ出て、喉《のど》が熱くなった。 「なんにも叩《たた》くことないでしょ。もう切られへん。これで止《や》めとく。これ以上切ったら危いから」  彼女は涙の塩からい味を舌で味わいながら、だみ声を出した。硬直して動けなかった。異常な状態に、それと察して、ケンは焦点のない上眼をつかってきょときょとしている。 「ここ右と左、不ぞろいだよ」  ケンのこめかみを指してアルは言った。 「もう知らんっ! あなたがしたらええのんよっ! 可哀そうに。帰って来ても特別に良うしても貰わず、すぐ腹立てて、もうちょっと神経|鎮《しず》められへんのん?」  彼女は鋏をテーブルの上に投げ出した。どうにでもなれいと言わんばかりである。すると、静かに座っていたケンが、突然、椅子《いす》から立ち上った。急いで前の鋏を取り、台所のカウンターに歩いて行き、右から二番目の小物入れの抽出しを開けて片付けてしまった。そして、ほっほっほっと、前のめりに肩を揺すって居間に走って行った。又、以前のように長椅子にながながと横たわって右肘をつき手で頭を支えた。二人はケンが何処《どこ》の抽出しかを知っていたのに驚くと同時に、おかしさがこみ上げて顔がほころびそうになるのを噛《か》み殺した。先に笑った者が負けという暗黙のルールがある如《ごと》く。  アルがよく癇癪《かんしやく》を起すのは、先祖代々悪い食物を食べたからだ。脂《あぶら》っこい肉食ばかりで野菜をうんと食べなかったからなのだ。そして、作家という人間は、どこを見ても、皆まともでないと道子は考えた。過去二十年、この狂気を知りつつよく一緒に暮して来たものだ。この人の半面を無視して来たのかしら、どうも人間は嫌なことはすぐに忘れてしまうらしい。 「君が苛立《いらだ》っているのが伝わって来て僕が爆発するのさ」 「わたし、何も苛々なんかしてませんよ。あなたやないの。一人でやきもきしてんの。人の所為《せい》にすんのの上手やこと! 今でこんなんやったら、年取ったらこういう悪い癖がもっと高じて、鼻持ちならんようになるでしょ。先が案じられるわ。わたしにはそういう人と一緒に生活する忍耐力なんかもう金輪際残ってへんねんから。あなたの子孫ももう見えすいてるし、ケンとジョンやもん。ケンも異常児なりにすごい癇癪持ちやし、きっと異常児でも親が大人しいとこの子はきっと大人しいと思う。その上、ジョンいうたら、あなたにそっくりで、すぐにこれもかあっとなるし、あなたの学校の成績より悪いてあなたが言うてたもん、見込みなしやわね。あなたの未婚の憂鬱《ゆううつ》症のお姉さんのことも、あなたの遺伝子の世話をするのはもう懲々《こりごり》よ。何もアメリカくんだりまで人の世話をしにやって来たんやないねんから。自由と独立を求めて来たんやから。もう日本に帰りますっ!」  最早《もはや》暗くなった海の方を、彼女は台所の窓越しに見遣《みや》った。海の方角は真暗で明り一つ見えなかった。 「ケンは、この分やったら、あの施設に入って週末だけやし、あんまりむずかしないでしょ。あなたとジョンで何とか出来るやないの」  道子は自分の言った言葉に、一層悲しくなって、泣き声になった。アルは、又、妻の|おはこ《ヽヽヽ》が出て来たと思ったが、この言葉を聞く度に困ったと思うのだ。自分の短気さは、自分の欠点であるとは知っているが、それにもかかわらず激昂《げきこう》する。コントロール出来ないのだ。昔から、道子が何回座禅を組まそうとしても、ものの二分と続かない質《たち》なのだ。 「君、本当に苛々してたんだぜ」 「わたしはいそいそしてたんよ。あの子が見られるということで、意気衝天の勢いやったんよ。あなたやないの、フリーウェイ以来、何でもないことに七顛八倒《しちてんばつとう》してんの。自分で認めなさいよ。あんたが始めたんやっていうこと。それだけ認めてもろたら、わたしも気いすむとおもう」 「じゃ僕、苛々の始まりは僕だということにするよ。それでも君も少しは油をそそいだじゃないか。認めろよ」  アルは妻の濡《ぬ》れた眼を覗《のぞ》き込んだ。 「ふうん」  道子は自分の頑固《がんこ》さを恥じらい、鼻を鳴らした。それから、テーブルの上に放《ほ》ってあった褐色《かつしよく》のぺーパー・ナプキンで鼻をぶーっとかんだ。  ケンが帰って来るとなると、どういう具合に変ったかしら、三週間のうちに、自分達が怠けてしまって、扱えなくなったのではないかしら、三週間してやれなかったことを、ああもしてやりたい、こうもしてやりたいと、あらゆる期待を二人二様に持っていたのだが、アメリカ人であるアルはその感情が、不安さが、すぐにむき出しになる。一方、日本人の道子は、すぐに感情を表わさないが、夫が苛々し出すと、それを鎮めるよりも、勝気である故《ゆえ》に黙っておられなくなるのだ。それと同時に、ケンの世話をしなければならない。するほどに、ケンは体が大きいので、小さい道子には大変な仕事になる。その上、全く不必要な口論でいやが上にも彼女は憔悴《しようすい》した。  月曜日の朝、ケンを施設に送り込んで、二人はやっと寛《くつろ》いだ。これは、普通の家庭の人々の何の屈託もないという寛ぎではないが、ケンを施設に入れる前には味わわれなかった新しいものであった。途端に、二人の心の中のあの|しこり《ヽヽヽ》は全部吹っ飛んでしまった。嵐《あらし》が凪《な》いだようであった。  食堂の窓に掛けられた白いミニ・ブラインドは開いていた。その横縞《よこじま》のブラインドの隙間《すきま》から柔かい光が流れ込み、天井から吊《つる》された鉢植《はちう》えのボストン羊歯《しだ》は萌黄《もえぎ》のレースの束を逆さにしたようであった。道子は昼食後、ほうじ茶を清水焼の湯呑《ゆの》み二つに注ぎ、アルの前と、自分の前に置いた。その茶の芳《こうば》しい香を味わいながら、又、静寂が一週間続くのだと思った。  台所のカウンターの上の電話がその静けさを破った。素早く湯呑みを口に持って行って、一口茶を啜《すす》り、アルは台所に行った。 「おお、フランク、ハウ・アー・ユー?」  フランクは近所に住む作家仲間である。 「どうしてるんだね? 週末はどうだったい? ケンはどうだった?」 「ああ、フランク、どうもこうも。ケンはとても扱い易《やす》く、行儀が良かったんだがね。問題は僕達さ。口論の絶え間なし。あの子が可哀《かわい》そうな位。些細《ささい》なことにも言い合いになるんだから」 「そんなもんなんだ。僕んとこもね。来客があるとなると、ジェーンも僕もかあっとなってしまって喧嘩《けんか》ばかりするもの。誰《だれ》が空港に迎えに行くかとか、そこが汚いとか、平素なら一つも気にならないどうでもよいようなことにいちいちけちをつけ合いするんだから。そんなものさ。ケンも今は客になったのだと思っとけば自分達に愛想を尽かすこともないよ。そんなものさ」  道子はそのフランクの言葉をアルから聞いた。  二人の見つめ合った眼が潤んで来た。 「ケンはお客さんになったんやねえ」  道子は暖かい湯呑みを両手で包んで、窓越しに昼下りの海の彼方《かなた》に眼をやった。 [#改ページ]   過越しの祭 『この月の十日におのおの、その父の家ごとに小羊を取らなければならない。すなわち、一家族に小羊一頭を取らなければならない。もし家族が少なくて一頭の小羊を食べきれないときは、家のすぐ隣の人と共に、人数に従って一頭を取り、おのおの食べるところに応じて、小羊を見計らわなければならない。……そしてこの月の十四日まで、これを守って置き、イスラエルの会衆はみな、夕暮にこれをほふり、その血を取り、小羊を食する家の入口の二つの柱と、かもいにそれを塗らなければならない。そしてその夜、その肉を火に焼いて食べ、種入れぬパンと苦菜《にがな》を添えて食べなければならない。生でも、水で煮ても、食べてはならない。火に焼いて、その頭を足と内臓と共に食べなければならない。朝までそれを残しておいてはならない。朝まで残るものは火で焼きつくさなければならない。あなたがたは、こうして、それを食べなければならない。すなわち腰を引きからげ、足にくつをはき、手につえを取って、急いでそれを食べなければならない。これは|主の過越し《ヽヽヽヽヽ》である。その夜わたしはエジプトの国を巡って、エジプトの国におる人と獣との、すべてのういごを打ち、またエジプトのすべての神々に審判を行うであろう。わたしは主である。その血はあなたがたのおる家々で、あなたがたのために、しるしとなり、わたしはその血を見て、あなたがたの所を過ぎ越すであろう。わたしがエジプトの国を撃つ時、災《わざわい》が臨んで、あなたがたを滅ぼすことはないであろう。  この日はあなたがたに記念となり、あなたがたは主の祭としてこれを守り、代々、永久の定めとしてこれを守らなければならない』 『モーゼが手を海の上にさし伸べたので、主は夜もすがら強い東風をもって海を退かせ、海を陸地とされ、水は分れた。イスラエルの人々は海の中のかわいた地を行ったが、水は彼らの右と左に、かきとなった』 旧約聖書�出エジプト記�より    滑るように飛んでいたジャンボ747機は急に高度を落とし始めた。  バート・レイノルズの演じている、どたばた喜劇の映画も終って、ようやく天井に明りが入った機内は、手洗いに立つ人や、水を呑《の》みに行く人でざわついていた。  膝《ひざ》の上に堆《うずたか》く丸めた冬オーバーを五時間も抱え込んでいるわたしを見て、夫のアルは眉間《みけん》に皺《しわ》を寄せた。 「もう四月にもなっているのに、そんなもの持って来たからだよ。ロスアンジェルスからずっと膝の上に。窮屈じゃないか。無用の長物だよ」  と咎《とが》めるように言う。  前席の客の荷物が多かったのと、アルが荷物を全部機内持ち込みにしたため、わたしのオーバーまで上の棚《たな》に入らなかったからであった。アルは荷物をチェック・インすると、あの受け取り所で永く待たされるからと、わたしと息子のジョンに小さいボストン・バッグやトーツ・バッグに物を詰めるようにと命じたのだった。  もうすぐニューヨークに着く。旋回し始めた。夫の言葉を耳にしながら、わたしはオーバーに付けていた鼻先を窓に向けた。外は灰色。煙? いや、濃霧なのだ。どうも雲の中に突っ込んだらしい。なにか旋回の度数が多いようだ。眼《め》をしばたきながら、わたしは窓外を眺《なが》めた。あらっ! 雨。霧が固りとなり、水滴となり、ひたひたと分厚いガラスを濡《ぬ》らし始めた。  永い間ロスアンジェルスに住んでいると、冬の雨期が終れば、あっけらかんと空が青く晴れ渡るので、雨のことを忘れてしまう。雨具の用意をして来なかった。八年の間にすっかりアンジェリノになってしまったのかしら。ニューヨークは四月末まで天候は決らないのだった。雪を割って出るクロカスの白、黄、紫の鮮やかな花々、弓なりの枝に、小さいレモンイエローの花を点々と猫柳《ねこやなぎ》のようにつける|れんぎょう《ヽヽヽヽヽ》が残雪の白に映えるのを除いては、五月になって初めてライラックが咲き、木々の若葉が蘇《よみがえ》り、|はなみずき《ヽヽヽヽヽ》の白やピンクが開き、地上にはチューリップだの、ヒヤシンスだのが一面に短期間に花を咲かすのだった。  何年振りの休暇なのだろう。わたしは濡れた窓ガラスを見ながら考えた。夫のアルと十四歳の息子ジョンと三人が一週間も泊りがけで旅行に行くなんて、我々の生活では考えられないことであった。今までの疲れが一週間でとうてい癒《いや》されるとは思えないが、何年も何年もこういう日が来るのを怖《おそ》れながらも待ち侘《わ》びて生活していたようだった。偶々《たまたま》、それを聞いたアルの友人が、父親が留守にしているイースト・サイドにあるアパートに滞在するよう取計ってくれたのだった。ブルーミングデール百貨店の近くと聞いてわたし達は心を弾ませた。ニューヨーク市としては比較的安全であり便利な場所であるからだ。  脳障害児ケンが生まれてから、わたし達は十三年の間、この子の世話に明け暮れしていたと言っても過言ではない。或《あ》る施設に空席が出来て、ケンを入れた時、イースター・ホリディがやって来て、ジョンの学校が休みに入った。素晴しき解放感! あの十三年の糞尿《ふんによう》の世話、不眠の夜、汚い食事時のテーブル、ケンの癇癪《かんしやく》から解き放されたのだ。  彼を施設に入れてから家を出るまでは、全く体の中から精が抜けたように、足腰から力が抜けて、わたしはよたよたとしながら家事をしていた。それが、飛行機がニューヨークに近づくにつれて、ふつふつと泉が湧《わ》くように、胸から背にかけてエネルギーが充満して行くのを感じ、なんと薄情な親なんだろうと自分を責めもした。  ニューヨークでは何をしよう。今まで十四年間二人の赤ん坊の時から子供の世話ばかりに専念し、自分のことなど考える余裕もなかった。アリスに逢《あ》いたい。もう八年も逢っていないんだもの。彼女、もう幾つになったのかしら。三十五にはなっていると思う。未《ま》だハイジェニストをしているのかしら。広い聡明《そうめい》な額、その下の澄んだ榛色《はしばみいろ》の眼、ガンダーラの仏像のような端整な顔立ち。電話をかけると、その眼を輝かせて、「ミッチー、今|何処《どこ》なのっ!」って叫ぶだろう。ジョンの幼稚園で初めて逢った人だった。ニューヨーク郊外のスカーボローという所であった。日本人はおろか、東洋人なんてめったに逢わなかったあの頃《ころ》、東洋人であれば何国人でも懐《なつか》しく、「インドからいらっしたの?」と尋ねたのだった。アリスは当惑した様子もなく、「皆そう尋ねるのよ。わたしはここの誰《だれ》よりも純粋のアメリカ人かもしれないわ。わたしの中には白人と黒人とアメリカン・インディアンが同居しているの。わたしの生家に来てごらんなさい、あらゆる色の人間がいるから」と初対面のわたしに優しく微笑《ほほえ》んだのだった。「サリーを巻いて、眉間に赤い点を付けると、インド人と見間違えられそうよ」とわたしは言った。彼女はその澄んだ榛色の大きな眼をつぶらにわたしに向けて、「ええ」とうなずき、その琥珀色《こはくいろ》の顔をほころばせた。アリスの息子のスティーブは大きくなったろう。三歳だったジョンが自分で初めて作った友達であった。幼稚園から帰って来て、いつもスティーブという男の子の話をしていたが、わたしは、その子に逢うまで、彼もジョンのように人種の混ざった子供であることを知らなかったので驚いた。  それから、バレリーナのようなイレーヌにも逢おう。ひっつめにした黒い髪と大きい瞳《ひとみ》の彼女とは、わたし達が日本に住んでいた時知り合ったのだった。もう十六年も昔のこと。芦屋《あしや》の駅の近くの生活協同組合の市場によく車で連れて行ってくれたものだった。日本でパッチワークなんてものも流行《はや》っていなかった頃、そんなスカートを彼女が穿《は》いていると、ブルジョワ階級の芦屋夫人達が自分達の無知を棚にあげて、(やっと日本が継ぎ当てから解放された頃だったから)継ぎを当てたスカートだと思ったのか、後指を指して笑っているのを背後に聞き、嫌《いや》な思いをしたものだった。彼女はあの時の夫と別れたと聞いた。一人の男の子を抱えて何とかやるのだと。ニューヨークに住んでいた頃、よくマンハッタンで落ち合って一緒に食事に行ったことだった。わたしがアメリカ人の偏見を嘆くと、イレーヌはいつも自分のフランス人の母親のことを話した。母親の英語に、強いフランス語の訛《なまり》があるので、百貨店で買物をすると売子達が、彼女の背に向ってあとから真似《まね》をするのだと。  彼女達と何処で逢おうかな。ランチを何処かでして美術館に一緒に行こう。積りに積った話がある。心が昂《たか》ぶるのを覚え、窓の外に目をやった。  外は吹き降り、雨脚が長く窓に当って来る。 「ケネディ空港の滑走路が混《こ》んでおりますので、この機は三十分遅れて到着の予定でございます。尚《なお》、気流のため、少し揺れますので、シートベルトをお付けになって御着席願います」  というアナウンスがあった。途端に、機体がごとんと横揺れして下降した。それから、旋回し始めた。ケーブル・カーが階段で挟《はさ》まれた坂を降りて行くように飛行機は、ごつごつと降りた。ニュージャージー州の上空、ロングアイランド、コネティカット州の上を飛んでいるのであろう。四界四面、白い煙が立ち籠《こ》めたような雲で覆《おお》われているかと思えば、横なぐりの雨で何も見えなくなってしまう。そして、次の瞬間には、左の方に灰色の波打った雲間を縫って金色の陽光が線状に放射している。機体の右側には、白や灰色の雨雲をバックに綺麗《きれい》な半円の虹《にじ》が出ていた。それは、恰《あたか》も子供の絵本に描かれた背中に大きな白い二つの翼を付けたエンジェルとか、小さい巴《ともえ》の紋様の付いた沢山の太鼓を肩の上に担《かつ》いだ雷様の住んでいるような世界であった。空港から飛び立って来た飛行機であろうか、遥《はる》か彼方《かなた》に小さく銀色に光っているのが右の窓から見えた。体が宙に浮いたように持ち上げられた感じになる。飛行機は大きな弧を描くように左回りに旋回した。心持ち体の右の方が上り気味になった。  今までジョンとひっきりなしに喋《しやべ》っていた夫が急に静かになった。この機内でも、ロスアンジェルスの住民であることは一目|瞭然《りようぜん》としている、冬でも日焼けした角ばった顔が、じっと前を焦点もなく見ている。その褐色《かつしよく》の肌《はだ》の下の色が失《う》せ始めた。もどかしそうに、前の座席の背についているポケットを、左手のすんなりとした指でまさぐって、航空会社の案内雑誌や昼食のメニューを取り出し、右手で、その後に入っていた白い紙袋を摘《つま》み上げた。それから、立ったらいけないというアナウンスがあったにもかかわらず、シートベルトを外して、無言のままトイレに立って行った。  強風にうたれた雨が、窓に当る音がする。  パーサーのいやに落ち着いた機内放送が聞こえた。 「ドクターいらっしゃいませんか。殊《こと》に、心臓専門のドクター。病人が出ましたので」  まさかアルではあるまい。胃に突然|しこり《ヽヽヽ》が出来たように感じる。アルは右の冠動脈が一本完全に詰っているので、心臓の薬を飲んでいる。その上、心臓が痛むと、あの爆弾を作るニトログリセリンを飲むようにと、いつもポケットに入れて歩いているのである。飛行機が旋回したり、上昇したりするだけで、心臓というものは影響を受けるのだろうか。考えている間もなく、機は上昇し、左に大きく旋回する。 「スチュワードを除いては、スチュワーデスも皆席に着いて下さい」  飛行状態がよほど悪化しているに違いない。もうアルがトイレに立ってからどの位|経《た》ったのだろう。気が気でなくなった。前を見、後を見る。今まで、声高く笑い喋っていた乗客も皆心配そうに一斉《いつせい》に前を見つめている。笑い声どころか話し声さえも聞こえない。聞こえるのは、ぱしっぱしっと窓に打ちつける大粒の霰《あられ》か雹《ひよう》の音のみ。右側の窓に、先刻飛んでいたのと同じ飛行機が見えた。あれも空港に着陸出来ないのだろうか。ぎぎーぎぎと機体が軋《きし》んだ。ざあっと雨の音。  折角楽しみにしていた休暇も雲行きがおかしくなり出した。  勿論《もちろん》、飛行機が墜《お》ちるなら、どんな状態にいようと大して変りはない。食事をした後であろうと、食べてなかろうと、立派なスーツを着ていようと、裸であろうと、夫が自分と一緒に座席に座っていようと、死んでしまえばそれまでである。死んだ後は、生きている人は新聞を見て、あの人達は座席で抱き合って死んだと思うに違いない。まさかアルがトイレで吐いていたとは思うまい。でも、墜ちるなら、休暇を楽しんで、疲れがとれて体がしゃんとしている時にして欲しい。死ぬまで疲れていたなんて往生際《おうじようぎわ》が悪いではないか。 「ダディどうしてるんだろう」  耳に当てていたイヤホーンをはずしながら、ジョンは大きい黒い眼を曇らせた。 �到着が三十分遅れます�が�一時間遅れます�ということになった。窓にパラパラと霰がはじけて、二、三白い小さい玉が窓の縁に溜《たま》っては消えて行く。機体が絶えず横揺れをする。胃が持ち上って来るように感じ、気が沈んで来た。アルがああいう状態なので気の所為《せい》かもしれない。わたしは家を出る前、つまり、七時間前に、胃の消化を助ける三共胃腸薬を二錠飲んで来た。自動車の遠乗りでも、出かける前に必ずこれを飲むことにしている。それを見て、いつもアルとジョンが声を揃《そろ》えて高らかにいう。 「頭痛にもサンキョウ、腹痛にもサンキョウ、胸やけにも、船酔いにも、万病の薬」  それが効いたのか、幸いにもそれ以上悪くはならなかった。 (あなた、三共飲めへんかったから罰《ばち》当ったんやわ)  飛行機が下降し出した。アルがトイレから通路に出て来た。(あの心臓の医者はアルのためではなかったのだ)わたしは深々と座席に座り直した。飛行機が揺れる度に足がふらつくので、彼は両手で通路の左右の座席の背凭《せもた》れに一つずつしっかりと手を掛けながら帰って来た。 「吐いたら気分が良くなった」  少し顔色が良くなったようであった。鳶色《とびいろ》の丸い眼が、精気が入ったように、きらりと光った。真綿を引き延ばしたような、薄い少い栗色《くりいろ》の髪を両手で撫《な》ぜて、席に座り、夫はシートベルトを付けた。わたしは再び深く息を吸ってオーバーを両手で抱え込んだ。  歓喜と叫声、拍手|喝采《かつさい》して無事着陸を乗客は確かめ合った。六時半。ケネディ空港から外に出た時は、頬《ほお》に氷雨《ひさめ》が当って冷たいというより痛かった。暮色の中の空港の辺りは、雨でけぶり、常緑樹の黒い固りを除いては、針金細工のような木々の黒い枝が震えているようであった。芝生も未《いま》だに白っぽく、春からほど遠い様相をしていたのにわたしはショックを受けた。パルムの樹《き》が立ち並び、青々とした芝生に赤や白の花が咲いているロスアンジェルスに比べて、なんという違いなんだろう。ニューヨーカーは、これを春の萌《きざ》しと呼ぶのかもしれないが、南カリフォルニヤの天候に慣れたわたしには、これは冬よりも寒かった。八年前にはこういう所に住んでいて、これが当然であったのを忘れてしまっていた自分にショックを受けた。わたしはそれでもオーバーを着てフードをかぶっているからよいが、アルとジョンは何も持っていない。ジョンは薄いウインド・ブレーカーをスウェーターの上に、アルは裏なしのレインコートである。夫が、タクシーを待っている間中震え上っているのを尻眼《しりめ》に、(それ御覧、大きな口を叩《たた》いてからに)とわたしはオーバーの中に肩をすぼめた。  ニューヨークからロスアンジェルスに移った理由は、冬が寒くてたまらなかったからであった。わたしは関西育ちなので、この湿った寒い冬の気温のことは決して忘れはしない。だが、空港に降りて外へ出た時、肌をさすこの寒さに愕然《がくぜん》とした自分が実際の肌の感じ方というものを忘却してしまっているのに驚いたのだった。男というものは洋の東西を問わず、温度のことを言うと沽券《こけん》にかかわるとでもいわんばかりに全く無関心を装う。  わたしがオーバーを持って来たのは、温度と少しも関係のない理由も挿《はさ》まっていた。ロスアンジェルスに引越す冬に、�アバクロンビー・フィッチ�と舌が回りかねる名のスポーツ店で、このフードのついたスキー用の特別に岩乗に出来た暖かいオーバーを当時にしては相当な値段を払って買ったのだが、ロスアンジェルスの冬が暖かいので着る機会がなく、この度、一度でも役に立てようと機会到来とばかり押し入れの奥から引っぱり出して来たのだった。  目的地に着くまでに分解してしまわないかと思うほど、古い汚いタクシーに三人は乗り、湿ったざらざらとしたニューヨーク市の空気を吸った。もう、とっぷりと日は暮れてしまって、ネオンサインの赤、黄色、青の光が、雨滴に曲折して霞《かす》み、漆黒の空に反射して点滅している。ロスアンジェルスのフリーウェイに比べて幅の狭いパークウェイに数多くの大きなアメリカ製の古い無骨な車が道いっぱいに走る。トライ・ボロー・ブリッジを渡ると、クイーンズ・ボローからマンハッタンに入る。急に黒い高い建物が上から威圧し始めた。雨脚がヘッド・ライトに照らされて、白糸が織機で踊っているようだ。何もかも扁平《へんぺい》で、市街地図のように出来たロスアンジェルス、上を向かなくても、空はずっと眼前に展《ひろ》がっている。それが、このニューヨークの空は、高い建物の間にちょこっと、建物の間に走っている道路と同じ形をしているのだから。わたしは、今更ながら、同じアメリカの中で、これだけも違った二つの都市が存在しているのに驚くばかりであった。雨期の二、三ヵ月を除けば、底抜けに明るい眩《まぶ》しいロスアンジェルス。落ち着いているといえばいえるが、ともすれば暗くなりがちな北の光線のニューヨーク。飛行機がなくて、あの不便なアメリカの鉄道にだけ頼っておれば、この莫大《ばくだい》な距離のため、人の交流が迅速でなく、百年後には全く違う人種が、社会が出来上って、お互いに意志も疎通《そつう》しなくなるのではないだろうか。  友人の父親のアパートは三番街の五十七丁目にあった。七時を過ぎている。広いロビーに煌々《こうこう》と大きなシャンデリヤが輝いたイースト・サイドの豪華なアパートで、茶色のユニフォームを仰々しくつけた守衛が、うるさいほど身元を問い質《ただ》し、控えや伝言と照らし合わせ、やっと鍵《かぎ》を呉《く》れたのだった。犯罪の多いニューヨーク市で安全性を保証するにはこうしなくてはならないのだろう。二つの鍵を上の鍵穴や下の鍵穴に突っ込んでやっとアルが開いたドアからは、掃除婦の使ったパイン・ソルの掃除液のにおいが鼻をついた。一ヵ月ほど誰も住んでいなかったのだろう。  アルがドアの内側の壁についていたスイッチをオンにした。フォイヤーに明りが入った。スチームがむうっとして、乾いた空気が、今まで外の雨で湿っていた顔の皮をひんめくって行く。どうしてこうも、むやみやたらに暑くしなければならないのだろう、この石油不足の折に、と一人|託《かこ》ちながらオーバーを脱ぎ、フォイヤーの左にあった押し入れを開けて、それを掛けた。  ジョンとアルは荷物を入口のフォイヤーの床の真中に置き去りにして、手当り次第に電気をつけ、ベッド・ルームが何処か、トイレはと、ドアを開け回っている。フォイヤーの右に小さいキッチンがあった。そして、その左に広々としたリビング・ルームがあり、続いて小さいシャンデリヤのある食堂がキッチンに隣り合っていた。それを挟んで二つの大きなベッド・ルームが別々に分れてついていて、その横に、それぞれのバス・ルームが備っているとても機能的に間取りされたアパートであった。しぶい赤塗りの中国人や山水の絵を描《か》いた東洋風な飾り棚《だな》や、黒檀《こくたん》のコーヒー・テーブルがリビング・ルームに井然《せいぜん》と置いてあった。アメリカ人や、ヨーロッパ人は、リビング・ルームに所狭しと物を置くのが好きで、いつもそれに辟易《へきえき》していたが、この瀟洒《しようしや》に飾られたスペースのゆったりとしたリビング・ルームを見てなにか気が落ち着く思いがした。  テーブルと安楽|椅子《いす》との間を通り抜けて、わたしはパイン・ソルの臭《にお》いを出そうと窓際に行った。|パイン《松》の|におい《ヽヽヽ》も少しは良いが、こうきつくては頭が痛くなる。白いサテンのカーテンを開き、両手で四角い鉄製のハンドルを持って、窓を上に開けようとしたが、何回もペンキを塗った重い窓はびくともしなかった。窓ガラスも窓枠《まどわく》も分厚いので重いことも重かった。やっと十センチばかり開く。窓の外のコンクリートは雨で濡《ぬ》れていた。咄嗟《とつさ》に、遥か下から道路を走っている多くの車のエンジンの音が、高いビルの絶壁に沿って、束になって轟然《ごうぜん》とその十センチの間隙《かんげき》目がけて飛び込んで来た。工場の上にいるようであった。濡れた道路に滑って急ブレーキをかける音、信号を無視して堂々と歩くニューヨーカーに怒った運転手がホーンをヒステリックに続け様に鳴らすのが六十メートルほど下に聞こえる。幅広い黒いビニールのテープのように濡れて光った五十七丁目の通りに、おもちゃのような色とりどりの車がぎっしりと詰っていて信号が変っても動かない。湿った空気に、ガソリンの臭いが混合して窓から入って来た。わたしは折角開けた固い窓を慌《あわ》てて閉じた。こうすれば、大都会はここまで入って来ないだろう。  向いの三十階建てのビルは上から下まで明りが消されて、百とある窓は祠《ほこら》のように暗かった。だが、そのビルのモーブ色の濡れたタイルの外壁は、こちら側のどこかで点滅しているネオンを反映して、ピンクがかったモーブ、黄がかったモーブと一瞬|毎《ごと》に変る。その横のやはり同じ高さのビルには未《いま》だに働いている人がいるのか、中ほどに、煌々と明りの付いた長方形が横に一列に七並べのカードのように並んでいる。今頃《いまごろ》まで働いているのは日本の商社ぐらいのものだろうと勘繰った。  その隣は、昔ながらのブラウン・ストーンの四階建ての小さい建物が五軒ほどあり、一階は店になっていて、字はここから読めないが、看板がそれぞれの入口の上に出ていた。そのブラウン・ストーンの後には、高いビルが積木のように重なり合っている。一つのビルの屋根の上から枯木の枝と、冬中取り入れるのを忘れたビーチ・パラソルのシルエットが見える。あそこはペントハウスになっているのだろうか。  この町並みを眺《なが》めていると、初めてニューヨークに日本から船と汽車で二週間かかってやって来た時のことが脳裡《のうり》に蘇《よみがえ》って来た。二十年も前のことであった。一九六〇年。日本人になんてめったに出喰《でく》わさなかった。小柄《こがら》なわたしは、マジソン街で、五番街で、上を向いたまま歩いたのだった。余りにも高い建物ばかりで、その天辺《てつぺん》を見ようと思うと、のけぞって歩かねば何も見えないからであった。大きな人に突き当りながら、敷石の側《そば》の下水の孔《あな》に落ち込まないように注意して、お上りさんよろしく二十丁位歩いただろう。  サンフランシスコで金門橋を見、マンハッタンでエンパイヤー・ステート・ビルディングを見、ハドソン河の観光船に乗って国連の建物を見、ブルックリン・ブリッジの現代の優雅さを見て、全くスケールの違うのにど肝を抜かれたのだった。そして、知り合いのアメリカ人の絵描《えか》きの個展を大きなギャラリーで見て、自分も将来はこういう所で個展をするのだと、夢と希望に胸をふくらませていた。アメリカ社会は自由なんだ。あの因習的な男尊女卑の日本の社会からやっと飛び出して来て、これから自分の好きなことさえしておればよいのだ。純粋な芸術を追究しておればよいのだ。マンハッタン全体がアメリカン・ファーマシーの匂《にお》いがしていたようだった。終戦直後、神戸のトーア・ロードに出来たアメリカン・ファーマシーの店に入って嗅《か》いだ匂いは、わたしにとって初めての珍らしい匂いであった。あれがアメリカの匂いであり、自由を象徴していたのだった。  通りを歩いていると、あっちこっちにあるマンホールから湯気が温泉地のように出ているのを見て、この分厚いコンクリートの下に何があるのかしらと、恐しくて生唾《なまつば》を呑《の》み込んだことだった。当時は、今のマンハッタンのように汚くはなかったが、それでも風に吹かれて、あっちこっち紙屑《かみくず》やビニールが走り回り、エンパイヤー・ステート・ビルディングの前も吹き溜りになって、ごみが散乱しているのに驚いた。日本のレストランはコロンビヤ大学の前に一軒と、マンハッタンの真中辺りに一軒あっただけであった。  あれから二十年……。 (あー、そうや、イレーヌとアリスに電話を掛けとかんと、明日からの予定が立てへん。美術館にも行きたいし、あの昔の豪邸を美術館にしたフリック美術館。大理石を敷いた床、アトリウムに噴水があった。ジョンにあの中を見せてやりたいし。ターナーの綺麗《きれい》な黄色があった。暇があったら、歩くのに足が痛《いと》ならんような靴《くつ》を買いにサックスに行こう)  キッチンから早速電話を掛けているアルの大きな声が聞こえる。 「ハロー、シルビヤ、ハウ・アー・ユウ」  わたしは我に帰らざるを得なかった。もう義姉に電話をしている。明日でも良いものを、切角の楽しみが掻《か》き消えてしまった。わたしは急いで窓際《まどぎわ》を離れ、キッチンに行った。  緑のウールのスウェーターの下に、茶色と白の千鳥格子《ちどりごうし》のウールのズボンを穿《は》いている中肉中背のアルのズボンのポケットから、皺《しわ》になった塵紙《ちりがみ》が落ちそうになっている。義姉シルビヤは、アルよりも四つ年上である。だがわたし達は、彼女がアルよりも三つ年下であると言うようにいわれていた。誰《だれ》でも、二人を並べれば判断つくことだし、わたしにはそういうことをニューヨークで告げるべき人はいないのに。アルのニューヨークの友人は皆、彼に姉がいることを知っている。わたしは彼女の会社の同僚に遇《あ》う機会なんてないし、日本人の友達はニューヨークにはいない。たとえいても、シルビヤが四十九歳であろうと五十六歳であろうと痛痒《つうよう》を感じないし、何の関係もない。  ニューヨークからロスアンジェルスに越した原因の一つはシルビヤであった。彼女がいるだけで、ニューヨーク全体が憂鬱《ゆううつ》になる。何の関係もない人にも彼女は後めたく感じさせる特技を備えているのだ。預けておいた猫《ねこ》を取りに行っただけでも「切角なついた猫を、貴女《あなた》は猫までもわたしから取って行くのね」という言葉を浴びせて平気な人間だ。そういう人に蜿蜒《えんえん》と一時間も電話で話し込まれた日には、何も家事が片付かなくなったからなのだ。小さい子供二人に食事させていようと、ケンがトイレでパンツを汚していて、それを替えてやるのに忙しいと言っても、こっちの言うことなどおかまいなしであった。 「わたしのボスっていったらね、最近、いやみなことばかり言うので、馘《くび》になるのじゃないかと思うの。又、別の職を探そうかなと考えてるんだ。それでねえ、気が滅入《めい》っちゃって、あーあ、一人住まいというのはとても淋《さび》しいのよ。誰もわたしの話を聞いてくれないもの」と自分のことばかり、自分の悩みばかりをわたしに話す。そう言われると電話を早々に切る訳にも行かなくなる。わたしが電話を聞いているのをよいことにして、「休暇はねえ、スウェーデンに行って来たの」と得々として言う。わたしにとっては高嶺《たかね》の花。「白夜でしょ、少しも眠れなくって、帰って来たらふらふらよ。べービーあざらしのオーバーを買って来たわ、今度行ったら見せてあげる」(そんなもん着て来られるとこっちがはらはらするやないの。ケンが、アイスクリームかマッシュド・ポテトのついた指で触わったらどないしまんねんな。大体、そんなあざらしの赤ん坊を殺したようなもんをよう平気で着れるこっちゃ。無神経にもほどがある)「うちの猫はね、管理人の小父《おじ》さんに頼んでおいたわ。帰って来ると、二匹とも痩《や》せてしまって、毛の艶《つや》も無くなってたの。ウィート・ジャームでも飲まそうかなと思ってるの。勿論《もちろん》、獣医に連れて行って相談もするけどさ」(|フー・ケアーズ《勝手にしやがれつ!》)とわたしは言いたかった。それを言えば又、ヒステリックな電話が三回も四回も続いて鳴るので、その言葉をいらいらしながら胃の中に納める。そのうちにケンがパンツにした大便をトイレの壁に塗り出した。遅かりし! にっくき義姉! カリフォルニヤに移れば、電話料金は最初の一分が七十九セントで、その後は一分毎に五十セント上って行くから三十分以上は喋《しやべ》らないこと確実と眼《め》をつけたのだった。  ああいう|シスター・イン・ロウ《義姉》がいなかったらマンハッタンって楽しい所なのかもしれない。 「道でばったり遇ったりすると、言い訳が立たないのでね」  と夫は受話器に手で蓋《ふた》をして、後にいるわたしに言い訳をした。シルビヤを怖《おそ》れている証拠である。もう五十二歳にもなっているのに、未《いま》だに姉が怖いなんて、アメリカの女も女だが、男も男だ。 「フィリップ叔父さんが来るって? へーえ。会いたいなあ。二十年も会っていないんだ。ええ? ああ、行くよ行くよ。いつなんだい?」  行くよ行くよって調子の良い返事をしている。行くって言っている限り、義姉を置いて行く筈《はず》はないだろう。詰り、そこにシルビヤが行くので、そう言っているのだ。 「又、電話するからね。ミチとジョンにも知らせなければ、彼等も計画があるだろうし、何? 何だって? 明日から地下鉄のスト? それじゃあ、どこにも行けないじゃないか。足で行ける範囲だけってことになるからね。トバのアパートは何処《どこ》? 八十丁目、イースト・エンド。晩にタクシー拾えるかね。ストになればイムポッシブル。あ、判《わか》ったよ。判った。又、電話するから」  夫は受話器を置いて、横に立っているわたしの方を気《き》不味《まず》そうに振り返った。 「ミチ、来週はユダヤ教の|パス・オーバー《過越しの祝い》なんだって。全く忘れてた。僕達《ぼくたち》はね、従姉《いとこ》のトバのパス・オーバー・|セーダー《聖餐》に招《よ》ばれてるってシルビヤが言ってたよ」 「何日がパス・オーバー?」  昔、子供の出来る前にわたしは一度アルの伯母の所のに行ったことがあった。余り心地よい想《おも》い出《で》ではなかった。その伯母の家族は宗教的でなかったので大して何もせず大きなマッツォ・ボールと言ってスイトンのように|マッツォ《種なしパン》の粉で作ったものをスープに浮かべる、というよりそれにスープがかかったと言った方が適当なものを食べたのだけ覚えている。 「来週一週間さ。今年はイースターと、パス・オーバーが同じ時になったのさ」 「一週間も、えらい時に来たもんやねえ」  わたしは途方に暮れた。結局、春の祭であるので、カトリックでもプロテスタントでも、ユダヤ教でも皆同じ頃に来るのであろう。仏教の彼岸《ひがん》のようなものである。でも、今日は金曜日、今言って、月曜日の晩三人が割り込むなんて、きっと無理だから行かなくてもよくなるだろうと高を括《くく》っていたわたしは言った。 「シルビヤは、わたしらの意向もきかんと、また、トバの都合も尋ねんと、勝手に決められるのん?」 「シルビヤがね、トバに言っておくからって。三人位いくらでも入れる聖餐会《セーダー》なんだ、昔から。喜んで招んでくれるから任せておけって。フィリップ叔父が、僕に会いたがってるんだ。御馳走《ごちそう》があるから行こうよ。黙って座って、食べて飲んでおればいいのさ」  いくら人数が増えてもよいという聖餐会《セーダー》とは、とても迷惑な話である。逃れようもない。 「わ・た・し、いかんとくわ。——今になって、宗教やなんて。おまけに、トバの所でシルビヤに会《お》うて、また、別の日にシルビヤと一緒に食事せんならんのでしょう。結局、二回も会わんならんことになるやないの」 「実はね、もう一人の従姉もセーダーをするので、その次の晩に、シルビヤがそれも頼んでやると言ってるんだ」  シルビヤは弟をがっちり掴《つか》まえておくつもりらしい。悪寒《おかん》が頸筋《くびすじ》から背中にかけて走る。ロスアンジェルスにはユダヤ人の女の友達が沢山いる。何も夫がユダヤ人だからそうなったというのではなくて、自然に友達になった人々である。だが、このアルのイトコやハトコや姉や伯母というユダヤ人の女に会うのは真平御免である。彼等は、皆こぞってわたし達の結婚を認めなかった。ユダヤ教にわたしが改宗しなかったことも一つの理由であろうが、その上、わたしが白人でなかったことにも原因があったのではないかと思う。大理石でモザイクがしてある床を滑りそうになりながら歩いたその立派なアパートで、アルの金持ちの友人がして呉《く》れた結婚式にも来なかった。勿論、お祝いなんてアルの方の親族からは誰からも貰《もら》わなかった。  一体、シルビヤは、わたし達は何しにニューヨークに来たと思っているのだろうと訝《いぶ》かった。休暇の楽しみも、何もかも総《すべ》てが、わたしの前から掻き消えてしまった。どういう従姉か知らないが、シルビヤ位の年齢で、二人共シルビヤのような人だったら、ダブル・シルビヤが二晩ということになる。余りにもひどすぎる。(あなた達二人は人の楽しみを壊しにかかる気いなん? ニューヨークに自分を嘖《さいな》みに来たんかしら。楽しみをシルビヤに奪われてはならない。切角、十年振りに自由を楽しもうとしてるんやから) 「一週間しかない休暇なんよっ! 二晩もそんなんに取られたら|わや《ヽヽ》やわ」  わたしは不平がましく声を高めた。 「僕もいやだっ! 宗教なんていやだよっ!」  先ほどからキッチンと食堂の間にある白い壁に斜めに凭《もた》れて聞き耳を立てていたジョンが、鶴《つる》の交尾期さながらの声変りのしている声で叫んだ。真直《まつす》ぐな、日本的な黒い前髪が、ユダヤ的な大きな鼻になるか、日本的な小さな鼻になるか判らないサブ・ティーンの曖昧《あいまい》な鼻梁《びりよう》を覆《おお》いそうになっている。 「ニューヨークに来たのは、友達に会いに来たんだよ。ピーターにも会いたいし、スティーブにも。それから、ブロードウェイの劇も見に行くって約束だったでしょ、ダディ」 「宗教と言ってもね、パス・オーバーは三千年ほど昔イスラエル人がエジプトのファラオの奴隷《どれい》から解放された喜びを祝う祭なのさ。これは春の祭だから楽しい賑《にぎ》やかなもんなんだ」  夫は、急に二人が動かなくなったのを見て、四角い顎《あご》を突き出し、口を尖《と》がらせて言い訳をした。 (楽しい賑やかなもの? シルビヤがいても?)  宗教的なものに巻き込まれたくないのはわたしもジョン同様。でも、アルの何十人といるイトコやハトコの中《うち》、知っているのは、フォーク・シンガーのフレディと、あの|どけち《ヽヽヽ》のボッブだけなので、フィリップ叔父の家族を眺めるのも満更ではないという好奇心が動いた。皆が皆、アルの家族のように意地が悪いのかしら。中には正面《まとも》な人間もいるのではないか、それを気休めのために見届けても良いと思い始めていた。  唯《ただ》、宗教と聞くと、欠伸《あくび》が出て、うんざりするのは昔からだ。坊さんの「南無阿弥陀仏《なむあみだぶつ》、南無阿弥陀仏」も情なかったが、坊さんは、こっちが信じていようが信じていまいが、おかまいなしであった。わたしの生家では、坊さんのお参りの日、クリスチャンである母がいつも挨拶《あいさつ》に出て、それで済んでいたのである。アメリカ社会に住み出して、一番悩んだことは、キリスト教の宣教師が、異教徒を改宗させようとやっきになり、追っても追っても飛んで来る蠅《はえ》のようにしつこいことであった。そのために、日本人の中には根負けして改宗する人が多くいる。自ら求めて信じるという純粋さなど何処にもないのである。ユダヤ教はキリスト教ほど宣教に重きを置かないが、それでも、自分達の神は万能の神で、他の宗教の神は邪神であると決めつける。仏教は、法事の時に集ることはあっても、毎週礼拝に行くという掟《おきて》はないが、西洋の宗教は、教会なり、ユダヤ教のお寺シナゴグに毎週行き、礼拝をする。そういう所に偶々《たまたま》参列すると、その参列者全部が異教徒であるわたしの上にのしかかって来るように感じるのだ。その礼拝に集った人々が一つのコンミュニティとなり、がんじがらめに団結し、同じ身振り、同じ言葉で話す。わたしは全く自分の異っていることをいやがうえにも自覚させられるはめになる。それは恰《あたか》も、子供達が仲間を作って遊ぶ、ティーン・エージャーがグループを作るということと何ら変りがない。個性なんて育たない。  だから、わたし達は、お互いに気《き》不味《まず》い思いを避けるため、結婚した時、各家族が属していた宗教のことだけは主張し合わないと約束したのだった。二人共信者でもないのに、異教徒と結婚したからと言って、今更、文化の代表団の如《ごと》く構えることもないではないかという具合で二十年過ぎてしまったのだった。そういうふうに約束しても、初めいろいろ困ったのはアルの方であった。二人共信者でないと言っても、わたしは好奇心でバイブルを読み、仏教のことを書いた本を読んだが、子供の時から、これでもかこれでもかと叩《たた》き込まれた背景は微塵《みじん》もなかった。西洋宗教の根源であるユダヤ教徒の家に育ったアルには、子供にまで信じさせようと、やっきになった形跡が瞭然《りようぜん》として残っている。産まれて八日目にする宗教上の割礼も受け、バーミツバという成人式を受けるためにヘブライ語を学び、子供の時からシナゴグに親と一緒に毎週参列している。わたし達がニューヨークに住んでいた頃《ころ》、ユダヤ教の行事が来る度にアルはいつも後めたく感じてシルビヤに言い訳ばかりしていた。ロスアンジェルスに移ってからは、親類もいないので、全く無関心に過ごしていたのである。  パス・オーバー・セーダーに行こうと夫が言った時、気でも狂ったのではないかと、わたしは一瞬たじろいだ。年を取ってセンチメンタルになって来たのかしら。この調子で行けば、彼が七十歳位にでもなると、毎週金曜日の晩と土曜日の朝、シナゴグに行くと言い出さないとも限らない。アルの父親の方の家族は、オーソドックスのユダヤ教で、代々宗教に深く携わり、|ラバイ《坊さん》になった人が多かった。そうなれば、わたしはどうすればよいのだろう。蟠《わだかま》りを感じる。離婚するより法がない。宗教のようなものに時間を取られたくはない。あんな古くさい理の通らない行事を微に入り細をうがって知ったからと言って、何にもなりはしない。かしこまった、見えすいた偽善者は嫌《きら》いだ。善いことをするのなら、宗教という回り道をしなくても出来るんだから。  あの核兵器に最初に世界的に堂々と反対した人々は、キリスト教の牧師とか、仏教の坊さんではなかったではないか。宗教はいつも死を見つめていた。死を讃美《さんび》していた。率先して最初に反対した人々は、ライナス・ポーリングであり、バートランド・ラッセルであり、ジャン・ポール・サルトルという反宗教主義者ではなかったか。現代の善は人の生に対する肯定なのである。  アルの|こめかみ《ヽヽヽヽ》がぴくっと動いた。  パス・オーバー・セーダーは聖会であり、儀式である。儀式というものは、知っていないと全く馬鹿《ばか》に見える。間違いを起すことも許さないかのように見える。逆に、儀式を知っている人々は、如何《いか》にも賢《さか》しげに見え、又、その知識を誇示して得々と振る舞うのを見るのは鼻持ちならないし、いつも無性に腹立たしくなったものだ。だから敢《あ》えて自分をその中に嵌《はま》り込ませたくないのである。それ故《ゆえ》、ジョンにも無理|強《じ》いして宗教を押しつけなかった。  二人の反対に気圧《けお》されて、 「一つはことわるよ。ことわる」  とアルは素早く両方共行かないと言い出されては一大事と二人の機嫌《きげん》をとった。 「当り前でしょ。日本に住んでた時、一回も法事に連れて行けへんかったんを有難《ありがた》いと思《おも》てへんのん。二年の間によ、それも。そやのに、この一週間の休暇に、二つの法事について来いいうてるようなもんやないの。わたしらの結婚に、みんな、反対してたんよ。あの人ら。誰《だれ》も結婚式にも来えへんかったやないの。あなたの名前がちょっと世に出たからいうて、急に、その反対してた人からお声が掛って来たていうわけ? わたしら見せ物《もん》やないのんよ。結婚してすぐに逢《お》うたあなたの伯母さん、あたしの頭の天辺《てつぺん》から足の爪先《つまさき》まで、懇切丁寧に眺《なが》めてくれはったわ。真夏の太陽が、じりじりと肌《はだ》を焼く思いやったわ。頭に角が生えてんのか、足に翼が生えてんのか、耳がロバの耳のようになってんのか調べたかったんでしょ。わたしの鼻が、彼女の二つの偉大な穴の付いたのと比べもんにならんほど小さかったんで、息がでけへんのやないかと心配してくれはったんかしら。ああいう目には遇《あ》いとうありませんからね」 「まあいいじゃないか。フィリップ叔父さんには会わせてくれよ。もう彼も八十三になるんだからな。君もきっと好きになるような人なんだ」 「あなた、初めて逢うた時、お義姉《ねえ》さんのこともそう言うたわ。そやから、映画に出て来るユダヤ人の綺麗《きれい》な女優をいろいろ思い浮かべて、クレア・ブルームのような人かしら、それともローレン・バコールのような人かしらと期待してたんよ。豈《あに》はからんや、一目見て、もう逃げ出そうかと思《おも》た。あの時、あなたの眼《め》、節穴やと思いましたわ。それとも、創作やったん? わたしはね、顔が美しいかどうかを言うてんのんではないのんよ。顔のつくりが悪うても、心が出るということをいうてんの。シルビヤえらい意地の悪い顔してたもん。小じゅうとめ鬼千匹て日本でいうけど、日本人は小さいから千匹で済むやろけど、シルビヤは巨大な人やから、万匹いうとこやわね。体力を入れるとね、もっとよ。あなたの言うことなんか当になりますかいな」 「トバの所一晩だけにするから頼む」  アルは拝むように手を合わせた。 「そしたら、そこだけよ」  手を合わせられると、いかなわたしも折れないわけには行かなかった。でも、何か企《たくら》みにかかったような気がする。  先ほどから黒い大きな瞳《ひとみ》を曇らせて一部始終聴いていたジョンが、 「いやだよう」  と体をねじり、気管支から出たような、喉《のど》の粘膜にからんだ声で叫んだ。 「僕《ぼく》、その日はここに一人でいるう。晩御飯ここで一人で食べるから、ダディとマミー二人で行ってよう」  最後は泣き声になっていた。  わたしが行くと決心した以上、ジョンも連れて行きたかった。嫌々《いやいや》ながら付いて行っても、後学のためになることだと。一度位、親類というものに会ってもよいではないか。ロスアンジェルスには親類が無かった。わたしの親兄弟は皆日本にいる。全く、自分の一族郎党がいるということも知らずに大人になって、わたし達が死んでしまうと、この茫漠《ぼうばく》とした大陸で、あの脳障害の弟と二人だけ残されることになり、彼も心細くなることだろう。そういう懸念《けねん》が、いつもわたしの頭を掠《かす》める。たとえ、どんな奇妙な遺伝子の端くれであっても、自分を構成しているものの一齣《ひとこま》一齣がその人達の間に点在しているのだ。 「でもね、ジョン、ニューヨークの親類の顔を知っておくのも悪うはないと思えへん? 大きなってから何時《なんどき》頼らんならんようになるかもわかれへんねんし。シルビヤ伯母さんには子供は無いねんから。独身やねんもん。アメリカには、あんたの|いとこ《ヽヽヽ》はいやへんけど、ダディの|いとこ《ヽヽヽ》位は知っておいてもええと思えへんの? 一晩の辛抱やさかい。皆の顔を見に行くのんよ」  本心わたしは自分に言い聞かせていたのであった。 「僕、宗教なんて嫌いなんだ」  俯《うつむ》いて下唇《したくちびる》を噛《か》んでジョンは呟《つぶや》いた。 「ママもよ。お互いさまよ」  と息子の黒い髪の下の大きな眼を覗《のぞ》き込んで、同情しながらわたしは、そっと彼の肩に手をおいた。  まあ、パス・オーバー・セーダーまで二日あるのだから、それまでになんとかジョンの脳の細胞も答をはじき出して呉れますようにと祈る思いであった。見知らぬアパートで一人で食事をさせたくはない。  雪、雪、雪、四月だというのに。  誰かが、摩天楼の天辺から豆撒《まめま》きをしているように、白い粉が固ったり、散り散りになったり舞い回って五十階、三十階、二十階と降りて来る。止《や》みそうもない雪を託《かこ》ちながら、タクシーを拾うのにかれこれ一時間も外で立った。もう七時になる。街燈《がいとう》に照らされた歩道は、家路を急ぐ人でごった返していた。空っぽの歩道で、太陽と車の間を、ジャンピング・ビーンズのように跳ね回っているアンジェリノに比べて、ニューヨーカーは黒人や東洋人を除いては青白く、腰の辺りにずっしりと重しをぶら下げているように歩き、その量《かさ》が大きいので、一、二歩あるけば人にぶっつかる。地下鉄とバスがストライキに入ったので余計である。わたしは、慣れていない天候に再び震え上った。幸いわたしにはオーバーがあるが、薄いレインコートとウインド・ブレーカーの二人は脚を震わせ、肩を竦《すく》ませて立っている。(それみたことか、えらそうにいうたって、|さぶいぼ《ヽヽヽヽ》出して、二人とも)  次から次とやって来る黄色いタクシーには人が乗っていたり、要領のいいニューヨーカーに先取りされてしまったりして、やっと、一台|掴《つか》まえた時は、大分遅くなっていた。  パス・オーバー・セーダーが始まるのは六時半だとアルが言っていた。  そんなことは聖書の中の話と思っていたことが、二十年前、アメリカにやって来た時、この摩天楼のにょきにょきと立っているマンハッタンで未《いま》だに蜿蜒《えんえん》と行われているのを発見して愕然《がくぜん》とした。他の民族が、その民族の古い書物に書いてある、嘘《うそ》か真《まこと》か判《わか》らないお伽噺《とぎばなし》めいたことを信じて三千年も祝っているのを見て驚愕する方がどうかしてるのかもしれない。自分の国にも似たような|しきたり《ヽヽヽヽ》があっても、自分に関係のない人が遠方でいつもやっているので、大して気にもならなかっただけのことなのだから。唯《ただ》、自分の親類がやっていると聞いて、なんと旧式な家族の一員と結婚したものだと、日本では他人《ひと》ごとであったのが、ここでは我が身に降り懸って来たので嫌悪《けんお》に陥ったのである。しかも、出がけに、その|セーダー《聖餐》が四時間も続くのだと聴いて、ジョンとわたしは唖然《あぜん》とした。  七時半になっている。向こうの家に着くのは八時になるだろう。ここは三番街なので、これから二番街、一番街と東に向い、イースト・エンドに出る。戸惑って、わたしは窓外の止みそうもない雪を眺めていた。 「もう、セーダーが始まっているので、四時間も座ることもないだろう」  言い訳がましくアルは少しでも二人の気を静めようと、暗いタクシーの中で、わたしとジョンの顔を交互に見比べた。  行き交う自動車がピシャピシャと音を立てて、掻《か》き氷のような跳《はね》をとばす。交錯するヘッド・ライトに雪の粉が渦《うず》を巻いていた。雪の向こうに、がっちりとした建物が、隙間《すきま》も無く、切り立った断崖《だんがい》のように、イースト・リバーに向って突っ立っていた。その並んだ歩道に面した窓の光に、人影が動くのが見え、窓際《まどぎわ》の花瓶《かびん》やランプの影が、窓に掛っている紗《しや》のカーテンに落ち、走馬燈のようにも見えた。そこには色は無く、窓から漏れる鈍い光で、その前だけ雪の白い帷《とばり》が出来ていた。  三十階でエレベーターを降りて、ベージュ色のカーペットを敷いた廊下を右折すると302号はあった。ドアの外に、幽《かす》かに合唱の声が聞こえて来る。アルが人差指で、ドアの右横に付いている白い丸いボタンを押した。声がぴたりとドアの中で止まった。暫《しばら》くして、錠前を開ける金属の音がして、ドアが開いた。栗色《くりいろ》の髪を短く耳のところで切り、黒い服を着た五十歳半ばのすらりとした女が、血色の良い中高の整った顔を出した。この家の主婦トバであるらしい。アルの従姉《いとこ》である。アルが懐《なつか》しそうに彼女に抱きつき、頬《ほお》にキッスをした。それから、わたしとジョンを紹介した。  ドアを入った所はフォイヤーになっていて、そのままリビング・ルームに続いている。右手に廊下があった。そしてリビング・ルームの続きに大きなクリスタルの付いたシャンデリヤのある食堂がある。廊下からもその食堂に行けた。シャンデリヤの下に大きいテーブルがあって十二人ほどの人が座っていた。婦人連のつけている香水の匂《にお》いと、ワインや、ローソクの煙、料理に使ったタイムやローレルの香が混合し、わたしを圧倒し出した。何語で何を考えているかなど反芻《はんすう》する余裕もなくなった。部屋から急に酸素が無くなってしまったように感じた。いつも、知らない所に行って、面識の無い多くの人に会う時、わたしは二重にも三重にも自分の周囲に網を回《めぐ》らし、恰《あたか》も鶏とか猫《ねこ》が毛を逆立てた時のようになる。この人々は一体どんな人柄《ひとがら》なのだろうと、脳の細胞の奥深くに情報を送りこむのに、この逆立てたアンテナが大童《おおわらわ》になる。これは言葉ではなく、肌の汗腺《かんせん》のようなもので感じるのだった。盛んに脳の中の何かが出たり入ったりし出す。こういう状態は、アメリカに来た時に始まった。言葉が皆目|解《わか》らないので、本能に頼らねばならない。脳の中の或《あ》る部分が異常に働き出す。動物の自己防衛の一種なのだろう。二十年来、この第六感のようなものが研ぎ澄まされて来た。英語が解るようになって来ても喋《しやべ》れないケンがいた。十三年の間にわたしのその感覚はいやが上にも鋭くなってしまったようである。  三人がリビング・ルームに入って行くと、そのテーブルに座っていた人々が、一斉《いつせい》に立ち上り、わたし達を歓迎しようと席から出て来た。テーブルの上に沢山置かれた黄色い真鍮《しんちゆう》の燭台《しよくだい》のローソクの炎が、人々の動きで揺れた。  トバがわたしのオーバーを取って廊下のつき当りのベッド・ルームに持って行った。そこに居合わせた客は三人を取り囲んだ。他《ほか》の二人はともあれ、わたしは、恰も、多くの豹《ひよう》に囲まれて如何《いか》にして食べようかと凝視され逆毛を立てた鶏か小猫になったように縮かまった。わたしだけがユダヤ教徒でなくて、小さくて、人種も違う。ジョンもそう感じているのだろうが、彼は少くとも半分ユダヤ人なのでわたしほど違ってはいない。わたしはシンプルな焦茶《こげちや》のウールのドレスの胸の辺りに手をやった。首飾りを付けて来なかったことに気がついた。わたしを取り囲んでいる人々はダイヤだ真珠だと飾りたてている。この大切な祭に何《なん》にも付けずに来たのは失礼なのだろうか。ケンと住んでいると、普通の家庭の主婦のように出かける時に着飾ったりは出来ない。首飾りなんてしようものなら、ケンが引っぱるので忽《たちま》ちの中《うち》にばらばらになる。出かける時も、いつもぎりぎりまで家のことに追いまくられているので洋服を着替えるのがやっとなのである。そういう習慣が身についてしまって、普通の人々の生活のことを忘れてしまっている自分に気がついた。わたしにはジョンを庇《かば》ってやる余裕もなかった。  トバは忙しく自分の夫や、兄夫婦を紹介する。その彼女の後から、"LO AND BEHOLD!"(これは如何に!)一人遊離して、黒いドレスを|どてら《ヽヽヽ》の如《ごと》く着たアルタミラの洞窟《どうくつ》の壁画の|こって《ヽヽヽ》牛を思わすシルビヤが平行棒の上を歩くようにして出て来た。下を向いたまま左右に眼を動かし、おもむろにアルに向って、低い太い声で、 「ハロー、アルビー、ハウ・アー・ユウ・ディア」  と言いながら、アルの口にキッスをした。  わたしは皮膚が硬直するのを覚えた。あらん限りの勇気を出して、横からシルビヤに�ハロー�と言った。  シルビヤはそ知らぬ顔であった。彼女は背が高いので、わたしの眼は彼女の風船のような胸の辺りに位置していた。眼でとらえるということも出来ず、とりつくしまもなかった。無視されたのは、今が初めてではないが、それでもわたしを戸惑わす。  その時、人々の腕の間を掻き分けて、アルのように頭頂が禿《は》げ、その禿げたところにちょこっと黒いローマ法王の被《かぶ》っているようなヤマカを載せた小柄な老人が出て来た。わたしの知っている夫のイトコのフレディと顔の輪郭が同じである。ウーステッドのピン・ストライプのグレーのスーツを着て、朱に小さい黒いポルカドットの入ったネクタイをしていた。ピノキオのように尖《とが》った鼻、赤い頬、顔の色艶《いろつや》よく、しゃくれた頤《あご》が目立った。これが今年八十三歳になるフィリップ叔父なのだった。アルの死んだ母親の弟にあたり、フレディの父親の弟でもある。かくしゃくとしている。  叔父の青い眼が小さくきらりと輝いた。自分より三十センチほど背の高いアルに、へばりつくように両腕を拡《ひろ》げて抱擁した。それから、両手でお互いに相手の両腕を掴み、二人はまた、しげしげと頭の上から足の先まで眺《なが》め合った。 「アル、ウェルカム、ウェルカム。何年振りなんだろう。君が結婚する前だったなあ、前に遇《あ》ったのは」  名優が名科白を吐いたような魅惑的な声が、息を呑《の》んでその光景を眺めていた人々の静寂を破った。 「本当に会えて嬉《うれ》しいですフィリップ叔父さん。二十年振りですね」  二人の眼に涙が光っていた。 「君のお母さんのことを最近よく思い出すんだ」  とフィリップ叔父は紅潮した顔を上げて言った。  それから、アルは人の後で見失われたようになっていたわたしとジョンの方を振り返って、わたしの背を右手で後から押した。 「フィリップ叔父さん。これが僕のワイフのミチです」  アルはそれからわたしの後にいたジョンの方に顔を傾けて、 「これこれ、こっちが息子のジョン、十四歳になりました」  わたしは緊張した。衆人環視の中で喋るのだから、 「アイ・アム・グラッド・トゥ・シー・ユー、遂《つい》にお目にかかれました。叔父さんのお話はよくアルから聞いていましたわ」  声が途方もない方角に飛んだ。わたしの日本語の、それも大阪弁のアクセントの英語で、どれだけこの叔父は理解出来たろうかと訝《いぶ》かった。この位の年齢の人は、めったに日本人と話をする機会もないので、耳も慣れていないだろう。  ジョンも顔を強張《こわば》らして、わたしの真似《まね》をした。 「アイ・アム・グラッド・トゥ・シー・ユー」  と言って叔父と握手をした。  フィリップ叔父は二人の方を向いて、 「ウェルカム、ウェルカム、遇えて本当によかった。こんな喜ばしいことはない」  と相好を崩し、わたしの頬にキッスをした。わたしは胸から熱いものが溢《あふ》れるのを感じた。皆が皆、アルの親類がシルビヤのようであるのかと見に来たのだが、シルビヤのような無神経さは何処《どこ》にも存在していなかったのにほっとした。体を金縛りにしていたアンテナの網が緩んで来だした。  挨拶《あいさつ》が済むと、一同、又、席に着くことになった。麻のレースのテーブルクロスの掛ったテーブルの上にはメナシャベッツ・ワインの緑色の瓶が三本、等間隔に置いてあった。その横には、白い陶器の水差しと、その前に洗面器があった。それが場違いな感じを起した。各自の前には、ウォーターフォードのものらしい重いレッド・クリスタルのワイングラス、ゴーラム製の銀のフォークやナイフ、そして、ダルトンの紺の縁飾りに金と空色の花模様のついた皿《さら》がセットされていた。パス・オーバー用の上等のもので、常時使わないものなのであろう。居合わせた人々のワイングラスには、ワインを注《つ》いで飲んだのか、少し赤い色が残っていた。シルビヤの横に三つ空席があった。わたし達はそこに座らねばならない。長いテーブルの上座に当るところに、ここの主人、モイシェが、クッションを背に座った。この人も黒いヤマカを被っていた。  トバが、アルとジョンに被るようにと二つの黒いヤマカを持って来た。アルは昔被ったことがあるので、何の抵抗もなく被った。その所作が、わたしとアルの距離を宙に何千キロメートルと突き放してしまった。わたしは再び、自分だけが門外漢であるという孤独を感じた。  渡された時、ジョンがたじろいだのをわたしは見逃さなかった。わたしはジョンがヤマカを被ろうが被るまいがもうどうでもよかった。彼はヤマカを右手に持って、こんなものをと言わんばかりの顔をして、わたしとアルを怨《うら》みがましい目付きで見つめた。  著名なユダヤ教徒が死ぬと、その葬式に知事や市長も参列する。それがユダヤ教のお寺シナゴグで行われるので、わたし達がニューヨークに住んでいた時は、ユダヤ教徒でないリンゼイ市長とかロックフェラー知事がこのヤマカを頭に被ってシナゴグに入って行く写真をテレビや新聞で見たものである。ジョンは若いのでこういうことは知らないだろうし、わたしは説明することも考えつかなかった。普通の家でも被るなんてわたしも想像してなかったのだ。若い子供の気を転倒さすのは当然であったろう。わたしさえも内心穏やかでないのだから。  テーブルの向いに座っていた、トバのおきゃんでそわそわとした十五歳位の娘と、如何にも秀才で抜け目のなさそうな青白い二十歳位の大学生の息子が、正面から凝視しているので、床に投げつけることもなくことは治まった。  椅子《いす》を前に引いて座りながら、わたしはテーブルを見渡した。  これが、ダ・ビンチの描いた「最後の晩餐《ばんさん》」と同じものなのだろうか。あれもパス・オーバー・セーダーだった。キリストが真中にいた。あの当時はキリストもユダヤ教の祭をしていたのだ。  斜め向いは、トバの兄夫婦、二人共よく太っている。ここの主人モイシェの両横に、フィリップ叔父と、ピンクのドレスを着た波打った銀髪の七十歳位の上品な老婦人が座っていた。叔父の配偶者は昔に亡《な》くなっているので、この女性は彼の女友達なのだろうと、わたしは以前にアルが話していたことを思い出した。  席に就くと早々、見るだけ、食べるだけだ、と言われてやって来たわたしやジョンにもパス・オーバー用の本、ハガダが手渡された。右の頁《ページ》にヘブライ語、左の頁に英語訳のついたもので、日本の本の如く右開きである。試験用紙を見て、どの問も解らないというあの焦躁感《しようそうかん》が素早く頭に漲《みなぎ》り、逆上《のぼ》せた。その上、老眼がかって来ているのに、眼鏡を持って来なかったので、余計に狼狽《うろた》えた。わたしはこういうことにエネルギーを費したくなかった。ケンが家にいた間、読みたくても時間がなくて読めなかった本が山のように本棚《ほんだな》に積んである。よりによって、忌《い》み嫌《きら》っている宗教の、大昔の話を、それも他民族の先祖の話を読んで何になるのだろう。 「ええと、どこだったっけ」  黒縁の眼鏡をかけ実直そうなモイシェが、背筋を伸ばして座り直し、テーブルの上に開かれたハガダを手に取って見る。唐突に、部屋中に声を響かせてヘブライ語で歌うように読み出した。その声はオペラのアリアのように四方の壁に当っては跳ね返って来た。グレゴリヤン・チャントによく似ていた。わたしは驚いて、彼の顔を暫く眺めていた。ユダヤ教徒は素人《しろうと》でも家長であるならばこういう声を出さなきゃならないのだろうか、と呑まれたように体を硬直させた。歌わせるだけが試験という日本の学校の音楽の時間にいつも困ったわたしである。(わたしも読まんならんのかしら。あんな声は出ませんわ)  ジョンの隣に座っているシルビヤがしきりに何頁だと彼に教えているが、何分にもヘブライ語で読んでいるので、左の頁の英語のどこかも判断出来ずにお手上げ状態であった。  次第にケンのことを考えていた。今朝、施設に電話してどうしているかを尋ねた。大した問題もないので心配をするなということであった。彼は人が話すことも判《わか》らない。モイシェの読んでいるヘブライ語が判らず、わたしには意味をなさないので、頭に血が上っている、こういう状態にケンはいつもいるのだ。前に一度こういう経験をした。丁度、アメリカに来た時がそうだった。そして永年の間に、その感覚を失ってしまっていた。英語が解り出したからである。  ケンを施設に入れる前の一週間は大変だった。いくら喋れなくても、わたし達の話し振りや動作で、彼は入れられることを知っていたに違いない。  歌になった。一同が合唱し出した。 「ダイダイエヌ、ダイダイエヌ、ダイダイエヌ、ダイエヌ、ダイエヌ(感謝せよ、感謝せよ)」と繰り返し歌われる歌は勢いのよい喜びの充溢《じゆういつ》した歌であった。イスラエルのフォークダンス曲のようでもあるが、ドイツかロシヤの節回しがこの中近東のものの中に入っている。この人々の移動の歴史の響きがそこにあった。  フィリップ叔父の声が深く響いた。八十三歳とは思えぬ立派な精力のある声であった。  アルに初めて逢《あ》った時、これがガーシュインの「ポギーとベス」だと言って、歌詞を長々と歌ってくれたことがあった。ヨーロッパの音楽と拍子が違うことは知っていたが、その中の有名な節しかわたしは知らなかったので、こういう部分もあるのだろうかと思っていた。ただ、歌詞をよく覚えているのに感心したものだった。結婚してからも、アルは度々、これがユダヤ教の冬の祭の歌であるとか、これがパス・オーバーの時に歌う歌であると、ヘブライ語で歌って聴かせたことがある。彼のガーシュインと節が少しも違っていないのに気がつき出した。あの時、なんとしょうむない歌をユダヤ教徒は歌うのだろうと思ったことだった。いくらガーシュインがユダヤ人だと言っても彼のはジャズの影響が大きく、アルのパス・オーバーの歌とはほど遠いはずである。その上、今、ここで歌われているパス・オーバーの歌はアルのそれと比べものにならないほど勢いのある華やかな曲であった。結局、アルは彼独得の根深節をわたしに臆面《おくめん》もなく聴かせていたのであった。  アルの母方のイトコの間に多くの音楽家がいるのも、この叔父の歌っているのを聞くと頷《うなず》けることであった。  ジョンをへだてて隣のシルビヤとアルだけが調子はずれであった。  シルビヤというと、背を丸くして、黒いドレスに巨大な肉塊を押し込み、先ほどから、不器用に半分腰を掛けて座っていた。いつも人から遊離して、どこにいても場違いな感じのする彼女も、今日は、あの顰《しか》め面《つら》に、無理に微笑《ほほえ》みを作ろうと努力しているのが顕著であった。永い間遇わなかった。ロスアンジェルスに四年前にやって来て以来である。それ以来、子宮摘出、腸の腫瘍《しゆよう》の手術、そして、今度は、心臓発作を起してやっと治ったというところである。医者が食べ過ぎや飲み過ぎはいけないと言っても、あの心臓発作は喘息《ぜんそく》の薬が強すぎて起ったので、本当の心臓の病気ではないと、平気の平左で脂《あぶら》っこいものを食べていると本人の口から電話で聞いた。だから、頬《ほお》の肉が盛り上り、皮膚は以前よりも脂ぎり、いやが上にも体は脹《ふく》れ上っているのである。  初めてシルビヤに遇った時はショックであった。アメリカに来て間も無かったわたしは、アメリカ中にこれほど多くの人間が住んでいるのに、選《よ》りにも選って、とりとめもないアマゾンのような大女と親類になろうとは! この顔ったら! この脂ぎったグロテスクな大きな眼鼻に、メークアップをこれでもかとするのだから、余計にお岩のようになる。西洋の無神経さ、ニューヨークの石壁のようにでんとして動かない存在なのだ。これが西洋の醜さの氷山の一角であったなんて見当もついていなかった。わたしは、ただただ、その場から掻《か》き消えてしまいたいほどのショックであった。  あの時、どうして自分が消え失《う》せなかったのか、今になっても判らなかった。わたしは、この横に座っている配偶者に、それほど惚《ほ》れ込んでいたのだろうか。シルビヤが醸《かも》し出していた奇《あや》しさは、ひいてはケンが出来ることを暗示していたのではなかったろうか。あの時、逃げ出していればケンは生まれていなかった。  モイシェがヘブライ語を読みあげる。 「ラボン・ガマリエル・ホヨ・オンメヤ・コル・シェロ・オンマール・シロシャ・ディブオリム・エイルウ・バペサア……」  アルがここだと指差した反対側の頁の英訳をわたしは拾い読みした。 (いけにえの羊の儀式は意義ある大切な象徴《シンボル》である。あのラバイ・ガマリエルによると、大切な意味深いものが三つあると言っている。そのシンボルは、|ペシヤ《羊》 |マッツォ《種なしパン》 |マラ《苦菜》……)  この人々の先祖は三千年の昔から自由を求めていたのだった。自由! 自由! 解放! そうなんだ、わたしも。わたしはアメリカに自由を求めてやって来た。わたしのファラオは日本の因習であり、男尊女卑の社会であった。自由に絵が描《か》けるとアメリカにやって来たのだった。  ケンを施設に入れる一週間前のことだった。あの狭いトイレの中で手を洗わせようとしたわたしの髪をケンが大きな手で鷲掴《わしづか》みにした。わたしは脳震盪《のうしんとう》を起すのじゃないかと危惧《きぐ》した。ナチの収容所に入れられていた人々は皆こういう仕打ちを受けたのだろうか。頭が半分はカバー出来そうな大きな手で、思い切り力を入れて頭髪を引っ掴むので、わたしは前のめりにケンの胸に倒れかかり、頭の天辺《てつぺん》が彼の胸元に行った。その途端、がぶっと、あの子はわたしの頭に噛《か》みついたのだった。幸い頭髪の多いわたしは頭に傷をつけられることはなかったが、息も絶えだえに|※[#「足へん+宛」]《もが》き、小さい声で「放してっ!」と哀願した。わたしには引き放す力はとうていなかったし、そうすれば相当の髪を失うことになっただろう。こういう発作が起っている時、あの子は何かが襲っていると思うのだろうか。眼《め》が釣《つ》り上り、歯を喰《く》いしばって、逼迫《ひつぱく》した形相になる。必ずしも髪を真直《まつす》ぐに引っぱらずに、横にねじって引っぱる。横にねじると、尚《なお》一層痛さが倍増する。わたしの首は折れ捩《ねじ》れ、首筋が違いそうになり、息がつまって苦しくなる。頭の血管が一本位破裂するのではないかと思うほど鬱血《うつけつ》する。この掴まれている髪が全部頭から抜けてしまえば、そこだけ禿《は》げるのだろうか。それとも、皮膚も髪についてもろとも裂けてしまうのだろうかと、その刹那《せつな》、不気味さと恐怖心に嘖《さいな》まれた。それでも、わたしは手で彼を突き放そうとしたので、その時に引っ掻かれた爪《つめ》の跡と、そこここに滲《にじ》んだ血が点々と腕につけられて、※[#「足へん+宛」]き、喘《あえ》ぎ、やっと彼から解き放たれたのだった。この袖《そで》の下に未《ま》だその傷は残っている。そう簡単に消えるものではない。解き放たれたと同時に、頭がくらっとして、重心を失い、後に倒れそうになった。これも、小便の後だったからよかったものの、この前の風邪の時は、下痢便をしたものだから、もっと狂暴であった。便器を汚し、下着のパンツを汚したので、あの子なりに粗相をしたと思ったのだろう。それを拭《ふ》きに来たわたしを、その大便のついた手で引っ掴み、ひねり、その手で洗いたての髪を引っぱったんだった。わたしが、少しでも大きいと肉体的にこうも疲れることはないであろう。結局、わたし一人で何もかもやっている。買物から、学校のことから、この子の世話。何も歯向わない子供なら、世話をして疲れはしても神経は疲れない。このように狂暴性のある大きな男の子の世話は、元来、男の人の仕事である。だが、夫は心臓を痛めたので何も出来なくなってしまったのだ。アメリカ人を雇っても永続きはしない。暴れる間を縫って世話をしようとするから余計に疲れるのだ。そのくせ、世間の人はどうしてあの子を何処《どこ》にも入れないのだろうと、わたしが馬鹿《ばか》のように思っている。  一週間の休暇。本当に、この一週間だけかもしれないのだ。これ以上世話できないと、いつ言って来るか判らない。むずかしい子供ほど私立の施設は取りたがらないのだ。人手が多く要って収益が減るからである。又、政府が民主党から共和党に替って政策が変ると、資金の予算が削られる。その時は、彼は家に帰って来るだろう。わたしには、時偶《ときたま》の肉体的な解放はあっても、精神的な解放は、あの子の生きている限りありはしない。頭の芯《しん》が絶えず凝っている。  世間はこういうことなど存在しないかのように時を過ごしている。  シルビヤもそうなんだ。ジョンが生まれて以来十四年間わたしが奴隷《どれい》さながら働いていても、一日でも子供を見てやろうとか、冬、ニューヨークの郊外で氷に閉ざされて、家族四人が流感で苦しんでいても、手伝ってあげようとか言ったことはなかった。「あら、風邪を引いていたの、そんなこと聞かなかったわ」とうそぶく。普通児のジョンをスポイルするほどの高価なプレゼントを持って来ても、ケンに一度だってプレゼントをやったことはなかった。ずっとわたしと共に存在を無視して来たのだ。  社会が、彼女が無視し続けていたわたし達の生活の重みは、地獄でもこれより楽なんじゃないかしらと思った。  やっと手に入った一週間の休暇から、わたしはこの晩餐に拉致《らち》された。次の重荷になりかねないシルビヤがどっしりと横に座っているのを眺《なが》めた。 「結婚した時、ハドソン河の向こうに、ウォール街の高い建物が突っ立ってるのが眺められる、緑の多い綺麗《きれい》なブラウン・ストーンの家並のあったブルックリン・ハイツに住んでた時のこと覚えてる?」——わたしは心の中で、いつしかジョンの隣に座っている義姉に話しかけていた。——「ピエル・ポン・ストリートとヘンリーの角やったわね。結婚式が済んですぐ、ハネムーンに行くお金も無かったし、第一、デパートからベッドが配達されると言いながら一日中待っても届かなくて、あきらめて、寝袋で二人寝たんやったわ。アルはヘミングウェイみたいやて喜んでたけど。あくる日、朝食が済んですぐ、わたしの英語が頼りないので、アルがスーパーに必要なもんを買いに出た後、電話があったん。 『ハロー! ミチヤ』  とロシヤ語の重いしゃくるようなアクセントで、それでも陽気な喋《しやべ》り方やったわ。 『ハウ・アー・ユー?』  って。わたし、暫《しばら》く、ミチヤとは誰《だれ》のことかと……、間違いですと切るとこやったけど、その�間違いです�を英語でどういうのか知らんかったんで、ええい誰でもええから、止めてた息を吐き出した途端に、 『ファイン』  と返事をしたん。そういうてる中《うち》に、わたしの頭の中で、すー、ぱっ、と電流が回って、ミチヤはわたしの名前ミチをロシヤ風に呼んだんで、これはお姑《しゆうとめ》さんが電話をして来はったんやと思い当ったん。�ファイン�位は何回も人に遇《お》うて、すらすらと言えるようになってたけど、後が困るなあと思《おも》てたら、 『ホワッツ・ニュー?』  と来た。  彼女の�ニュー�は重い発音で、�ヌー�に聞こえたん。やっと聞きとれたというとこやわね。そんでも、一体何の意味か受話器を耳に当てたまま暫く、天井を見て考えましたわ。�ホワッツ�は�何�で、�ニュー�は�新しい�。�何が新しい�とは何やろとね。そんで、あ、�何か変ったことないの?�という意味やと二、三分|経《た》ってから頭に浮かんで来たわけ。そやから、 『ナシング』  と一言返事をしたん。それで、やれやれ電話を切って呉《く》れはるやろと思てると、 『ウェアー・イズ・アルビー?』  と来た。これは今度はすぐ判《わか》ったわ。彼女はいつもアルのことを親愛の情を込めて、アルビーと三十二歳の大の男を掴えて幼児を呼ぶように言うてはったんやから。 『スーパーに行きました』  と又長い間かかって応《こた》えましたわ、そしたら、 『帰って来たら電話をしてって言ってね』  とやっと電話を切りはったん。わたしはそれだけの会話で手に汗を握ってたわ。外国語というもんは、面と向こうて顔を見て話をするより、電話で話をする方が判りにくいもんやと、その時、初めて判ったんよ。あれはお姑さんが叔父さんの事務所に手伝いに行って、朝一番に掛ける電話やったの。  十分ほど経って、また電話が鳴ったとき、もう受話器を取らんと放《ほ》っとことおもたけど、馬鹿正直なわたしは、こわごわ受話器を耳に当てたん。 『ハロー・ミチ』  今度はいやに沈んだ、嫌悪感《けんおかん》に充《み》ち充ちた溜息《ためいき》まじりのなんとも言えん声やったわ。急に受話器が漬物石《つけものいし》のように感じたわ。日本のピックルスを作る時に重《おもし》として使う石よ。 『ハイ・ジス・イズ・シルビヤ』  と太い男のような痰《たん》のからまった素っ気ない声やった。その時も、わたし、暫く茫然《ぼうぜん》と誰やろうと考えましたわ。外国語では名前が一番聞き取りにくいんよ。それでも貴女《あなた》のは語調で判った。オフィスから掛けて来たんやったわね。大きい広告会社のパリパリの売れっ子のコッピー・ライターやということやったけど、会社に行ったら家族のことなんか忘れて、一心不乱に働いてるのんかと思てると豈《あに》はからんや。 『ホワッツ・ニュー?』  とニューヨークのアクセントで口早に言うたわ。同じことを母娘《おやこ》とも尋ねるとげっそりした。十分前に練習したとこやったから、 『ナッシング・ニュー』  とその時、素早く応答が出来たんよ。もうそれでおしまいと思てると、また、 『ウェア・イズ・アル?』  と来た。わたしが貴女の弟を貴女から隠してるような余韻がその問にあって、わたしの心をかちかちに凍らせたんよ。全く。 『アルはスーパーに行ったわ』  と言うと、 『まあ、買物に行かせたりして、何時《いつ》仕事が出来ると思って?』  と言うてるように聞こえたけど、早口の貴女の英語は解《わか》れへんかった。どうでもええ、どうせ全部解れへんねんから、と自分に言い聞かせても、続けさまに貴女が喋り始めたんで、わたしも困り果てたわ。何やら、何回も�デプレスド�という言葉が耳に入って来たんやけど、一体何のこっちゃら、さっぱり見当も付きまへなんだ。経済のことを、詰り、�デプレッション�のことをいうてはりますのんか、他《ほか》に�没落�という意味もありますし。そやから、貴女のその巨大な体が何処かの土の中に減《め》り込《こ》んだんやないかと思いましたわ。そんでも、ニューヨークはコンクリートで出来てるから、なんぼ大きな図体《ずうたい》でも、セメントにまで減り込めへんやろから、下水に嵌《はま》り込んで電話をかけてるのんやろか、とか、貴女の家の近くのワシントン・スクエアの公園の土の中に減り込んだんやろか、あの時のわたしの頭の中は、コンピューターがいろんな間違うた意味をはじき出したようなもんで、大混乱してたんよ。外国語が判らんと、いろいろおかしなことを想像するもんでね。  貴女の喋ってることチンプンカンプンやったけど、声の調子と、繰り返して言うた言葉�デプレスド�を一生懸命に考えたん。そんで、はっと閃《ひら》めいたんは、わたしはニューヨークに住んでいる。ニューヨークは大都会である。陽《ひ》が余り当らない。それから�都会の憂鬱�と来たわけ。貴女は憂鬱だ憂鬱だとこの新参の外国人に繰り返してたんやねえ。貴女の溜息や口調でこっちまで気が滅入《めい》りそうになったわ。こりゃあかん。この新参にどうせいいう積りやねんやろとね。わたしゃ精神医やないのんよ。それが英語で言われへんからフラストレーションのみ舌に残ったわ。  アルが帰って来てから、貴女の会話の解ったとこだけ話したん。彼|曰《いわ》く、あなたは、憂鬱症で、また、憂鬱やというと、インテリのように聞こえるから、そう言うんやと言うたん。それから、アルと貴女は蜿蜒《えんえん》と一時間も電話で喋ったんよ。それがわたしの最初の驚きやった。それも、朝一時間、晩一時間やもん。わたしに、アルをショッピングに行かせて仕事が出来へんやないかと言った貴女が。偽善者!  こんなことが毎日続き出したんよね。お姑さんが朝一回、『ホワッツ・ヌー?』と必ずかけて来る。貴女が一日に二回でしょ。結婚したばっかりで子供も無いもんに毎日変ったこと起る筈《はず》無いやありませんか。まさか、昨夜はラブ・メーキングを致しましたなんて言えないしねえ。そういうことをお二人共お聞きになりたかったん? ほんまは。  全く、わたし、アメリカ人の考え方なんて判らなかった頃《ころ》なんで、おしとやかでないとあかんと考えたりして、電話のジーが鳴ると必ず返事をするのが礼儀やと考えてたもんやから……、電話恐怖症みたいになってしもて。詰り、このイン・ロウ達に英語で返事をするのが億劫《おつくう》で、時間をあんなしょうむないことに潰《つぶ》されるとどもならんと思い出し、遂《つい》に、電話機を、下の箪笥《たんす》の抽出《ひきだ》しに入れることを思いついたん。それがアルの抽出しやったから、電話機の上に、アルのシャツや、靴下《くつした》、サルマタまで七重にも八重にもぎゅうぎゅうと詰め、ジリジリが聞こえんようにしたん。聞こえへんかったんやから知りませんでしたというとくと後めたい気にもならんでしょ。  偶々《たまたま》、アルが帰って来て電話機を取り出したときに、ジリジリと鳴った。それが貴女やったん。 『ミチ、この頃留守なの?』  と尋ねたでしょ。そしたら、アルが、 『彼女家にいるけど、うるさいから電話を抽出しに入れてるんだ』  と馬鹿正直に言うたもんやから、それからが大変やったんよね。普通の人やったら、そんなんやったら言うて呉れはったらよかったのに、かけんようにしますというとこを、貴女は大変な御冠《おかんむり》やったわ。わたしの邪魔をしてるなんて金輪際ねんとうにないねんから。 『ミチはわたしとはなしたくないのねっ! ミチはわたしが嫌《きら》いなのねっ!』  とアルに呶鳴《どな》ったわね。話したくないのねって、わたし、英語喋られへんかったんやから。電話を睨《にら》みつけるだけで、何か音を出さんとあかんと思うだけで、もううんざりしたわ。そういう気持ちが貴女には解れへんかったんよ。わたしは自己中心主義のデプレスド・パーソンは大嫌いですと明瞭《めいりよう》に告げたかったわ。  あれからやわね。貴女がお姑さんに入れ知恵をしたんは。あのお姑さんは頭の回転が鈍い人なんで、すぐに付和雷同する人やから。お姑さんもっとしっかりした人やったら、きっとわたし達、彼女が死ぬまでいい友達やったと思う。貴女、お姑さんだけと違《ちご》て、ここにいるトバにもあの時喋ったと思うわ。貴女きっと伯母や|いとこ《ヽヽヽ》に言い触らしたと思うわ。ここにいる人達、貴女が二十年昔に描いたわたしの像を見てるのに決ってるわ」  わたしはアルの|いとこ《ヽヽヽ》達を見回した。二十年目の拷問《ごうもん》のようでもあった。どうして、夫は、義姉はこういうことをわたしにするのだろう。貴方達《あなたたち》の喜びはわたしの喜びではないのだ。無宗教をモットーとしている以上……。  わたしはテーブルの中央の彫の入った銀盆の上に置かれた、下した西洋わさびと青葱《あおねぎ》の入った小皿《こざら》、茹卵《ゆでたまご》の入った皿、パセリの入った小皿、羊の脛《すね》の骨の入った皿、そして、その隣の刻んだリンゴとナッツを混ぜた小皿を洞《うつろ》な眼《め》で眺めた。  このテーブルを囲んでいる人々の先祖がエジプトで奴隷となって、ピラミッドを造っていた時、わたしの先祖は貝塚《かいづか》が出来るほど多くの貝を食べていたのだった。それとは反対に、このテーブルを囲んでいる人々もこの人達の祖先も貝を食べるのを禁じられていたのだ。貝だけでなく、青い背の魚、豚、カニ、エビ。鶏も牛も羊も特別の殺し方をしたものに�アーメン�とお祈りを施してもらった�コーシヤ�でなければ食べてはいけなかったのだ。だが、ここにいる半分の若い人々は、信心深そうに今振る舞ってはいるものの、何でも�コーシヤ�でないものも食べるのだ。その信心深くない何でも食べるこの輩《やから》が、どうしてこんなことに携わらなければならないのだろう。わたしにまでとばっちりが掛って来たではないか。信じていないから禁じられたものを食べる。だから宗教的な行事に出ないと割り切って呉れればよいのに。脳神経の細胞がどこか曲っているから困るんだ。両方したいなんて、欲ばりのセンチメンタリスト!  一九六二年、アルと共にエジプトに行った時のことが唐突に蘇《よみがえ》って来た。  西洋史を習って以来、スフィンクスとピラミッドを見るのがわたしの最高の夢だった。それは歴史の本の表紙を開いた所にあったからである。頁《ページ》が進むにつれて、もう十字軍の辺りになると、余りにも多くの西洋の言葉が入って来てどんな名前も覚えられなかったことにも起因している。  エジプトの領事館に行って、ビザを申請する用紙に宗教という項目があった。勿論《もちろん》、二人共無宗教ではあるが、こういう項目のある国は宗教が無いという人間をどう扱うかも見当がつかなかった。アラブ・イスラエル戦争の直後であり、イスラエルに行った者はエジプトに入国出来なかった時である、その時に、わざわざ信じもしていないユダヤ教をアルは書く必要もないし、却《かえ》ってことを荒だてるので、ブディストと言っておけば大抵は知らないから良いと考えついたのだが、証明を出せと言われても何もなかった。わたしの生家に来る坊さんに頼んで証明のようなものを書いて貰《もら》い、日本からそれをパリのアメリカンエクスプレスに送って貰って、やっとエジプトに行くのに間に合ったのだった。  冬であったのに砂漠《さばく》は暑かった。白くぎらぎら光る砂漠と、美しいコントラストをなす青天、その青天に砂漠と同じ色で端整な線を描いたピラミッドを見た後、陽の当った入口で、唸《うな》り群がっている熊蜂《くまばち》をやっと逃れて駈《か》け込んだあのひんやりとした石室《いしむろ》を思い出した。誰か古代のエジプトのえらい人の墓であった。サッカーラという所であったと思う。暗い廊下のような所に置かれた畳一枚ほどの大きな分厚い岩板に一面に浮彫りされている多くの人や動物、植物や器具、当時の生活の有様を感歎《かんたん》と溜息を交じえて見つめていた時だった。アルには自分の先祖が奴隷《どれい》としてこういうものを造らせられたのかという悲憤もあったに違いない。  その時、同じツアー・バスに乗っていたマレーシヤのクアラルンプールから来た社会主義市会議員だと名乗った痩《や》せた四十格好の浅黒い男が、手に黒革のカバンを持ったまま、暗がりの中で、アルの背後から、「このピラミッドとか、墓は誰が建てたのかしら」と尋ねた。「そら君、奴隷に決ってるじゃないか」とアルがその浮彫りを見つめたまま返事をしたもんだ。その痩せた社会主義市会議員は、「ヒエーッ」とあの石室の入口で群れていた熊蜂に刺されたのかと思うような頓狂《とんきよう》な声を出した。恐怖感で、その大きな黒い瞳《ひとみ》は凍りついたようになった。「わたしは奴隷の建てたものを見に来たんじゃないんだぞっ! ソシャリストなんだ。奴隷の建てたものを見せるとは何ごとだっ! 学校とか病院とか、孤児院というような福祉的なものを見たいと言ったではないか」とメドゥサの首でも見せられたように、その横にいた男のガイドに喰《く》ってかかった。「君は間違ったバスに乗ったんだ」とアルが宥《なだ》めても耳を貸さず、ツアー・ガイドと取っ組合の喧嘩《けんか》を始めた。猛然と、このツアー・バスを学校や病院に運転させかねない勢いであったので、アルが又その二人の間に入って、わたし達はツアーのお金を払ったのだから残りのスフィンクスを見せて貰わねば困ると呶鳴り出し、スフィンクスの所に着いた時は同行の客一同は喧噪《けんそう》から逃れてほっとしたことだった。  社会主義市会議員を一人バスに残して、五、六人の客とわたし達はバスを降り、スフィンクスを眺《なが》めに行ったが、何かいけないものを見ているようで、碌《ろく》にゆっくりと見もせず、すごすごとバスに帰って来たのを覚えている。  石で出来たピラミッドと摩天楼。三千年のへだたり。摩天楼を建てた人々は現代の奴隷ではなかったのか。  肩をいからせて、モイシェが銀盆の上の脛の骨の入った皿を持ち上げて、太い声量のある声で歌うように読む。 「ペサハ・シェホユ・アボセヌ・オフリム・ビズマン・シェベイス・ハミクドッシュ……」(羊の骨はいけにえの象徴である。砂漠で永年さまよい歩いた後、イスラエル人は自分達の土地に住みにやって来た。毎年|彼等《かれら》は、エジプトからの出国を共に祝い言寿《ことほ》ぐために国の隅々《すみずみ》からやって来て、一匹の仔羊《こひつじ》をその祭のための特別な供物として持って来る。この仔羊は、エジプト人の最初に生まれた子供は殺されるという悲劇的な運命をまぬがれた時の記念のいけにえである) 「ヘブライ語でペサとは、パス・オーバーという意味であるからこの供物をペサ、又は、パス・オーバー、即《すなわ》ちいけにえと言い、この祭をパス・オーバーという」  ここだけモイシェは英語を読んだ。  次は一人おいて隣のトバの兄の番であった。彼が銀盆の横に置いてあった白い大きなクラッカーのようなマッツォの皿を持ってヘブライ語を読んだ。  どうも順番にハガダを読んで行くらしく、向かいに座っているトバの息子がその続きをヘブライ語で読み始めた。彼は苦菜《にがな》、即ち青葱と|ホースラディッシュ《西洋わさび》の盛られた皿を持ち上げた。 「マロア・シェホチヨヌ・オフリム・アル・シュムマ……」  お手上げであった。わたしは坊さんがお経を上げている時を思い出した。どの頁かさえ判《わか》らない。左隣に座っているアルは、最早《もはや》知らぬ顔をしてみみずが跳んだりはねたりしている如《ごと》きヘブライ語を読んでいる。勿論、ここで喋《しやべ》る訳にもいかない。わたしが忌《い》み嫌っていた儀式を知らない馬鹿《ばか》になり出した。隣に座っていても、心は何千キロも離れてしまった夫を恨み始めた。横眼で何度も彼の顔を睨んだが、ヤマカを頭に載せた誰《だれ》をも受け付けまいと澄まし込んだ顔は、ジョンとわたしの狼狽《ろうばい》ぶりに頓着なさそうであった。わたしはテーブルの下に左手を伸ばし、彼の張り切った|もも《ヽヽ》を抓《つね》った。びくっともしない。右隣に座っているジョンが、左の膝《ひざ》を浮かし、右の膝を浮かして体を左右に動かした。下を向いたまま小さいが力のある声で、「|シット《くそつ》!」と吐き出した。彼も慌《あわ》てているのだろう。来たのが間違っていたのだと後悔し始めた。(いまいましいセンチメンタル野郎!)  ここの娘のルースが甲高い勢いの良い声で英語の方を読み始めた。 「わたし達は苦菜を食べる。トーラに書いてあるように、�彼等はレンガや漆喰《しつくい》で、又、田畑でのあらゆる仕事を強制的にやらされた重労働で我々の先祖はにがい生活をエジプトで送らされた�からである」  モイシェが二杯目のワインのグラスを手に持って、 「ボロフ・アト・アドノイ・アロヘヌ・メレフ・ホオロム・ボレイ・プリ・ハゴフェン」  とリードを取ると、皆がそれに続いてヘブライ語で同じ言葉を繰り返し、ワイングラスを一斉《いつせい》に持ち、その中のワインを呑《の》み干した。わたしは凭《もた》せていた背を椅子《いす》から離し、慌てて前に置いてあったワイングラスを他の人がしたように持ち、ぐうっとグラスを空にした。赤玉ポート・ワインのように甘い味がして、喉《のど》から胸にかけて熱くなった。  水差しと洗面器がモイシェから順番にテーブルの囲りを回り出した。水差しの水で手を洗うのである。ハガダにも英語で手を洗うことが入っている。食事になるのだ。儀式というより当然のことであるが、この水差しと洗面器はこのセーダーで場違いに見えた。  あの時、伯母のブライトン・ビーチの海に面した家に、姑《しゆうとめ》とシルビヤとわたし達が一緒に行くことになった。わたしは何も考えずに紫のスウェーターを着て、その上から黒のウールの日本から持って来た冬オーバーを着ていた。いくら裏地が絹地であったとはいえ、アメリカ東部の厳冬に耐えるアメリカ人の着ているオーバーと比べれば貧弱に見えたに違いない。姑のアパートに入るなり、彼女はオーバーを無言のまま裾《すそ》から摘《つま》み上げて、わたしが中に何を着ているか篤《とく》と検査をしたのだった。五、六歳の女の子にでもする如く。伯母の夫は社会主義者であったので、何も豪華な物を着ることもなかろう、そんなら、どうして家を出る前に電話で一言、「増しな物を着て来るのですよっ」て言わなかったのかしらと業腹《ごうはら》であった。  アメリカで、こういうことは存在していないと思っていた矢先、初めて姑からこんな扱いを受けて暗澹《あんたん》とした。自分の母親でもこうした下等な振る舞いはしなかったのに、このモダンなアメリカにまで来てと。地球が三十回太陽の囲りを逆さに回ったようであった。もう三十歳にもなった女を掴《つかま》えて、よくあんなことが出来たものだ。個人として、大人としての個性の尊重もへったくれも無かった。その瞬間、�はっ�と気が付いたことがあった。わたしは過去二十年、間違った本を読んで来たんだ。西洋の女は皆ボーボワールではなかったのだ。�第二の性�なんて通用しない。次の瞬間、又、�はあっ�と思い当ったことがあった。それまでは、姑は「わたしは姑になるのだから気を付けなきゃあ」と一生懸命に努めていたのも眼に見えて明らかで、わたしと割合いうまく行っていたのだった。それが、あの瞬間、何もかも瓦礫《がれき》のようにくずれ落ちた。 (よう考えてみたら、シルビヤあなたやったんでしょ。入れ智恵《ぢえ》をしたんは。あなたがえろう嫉妬《しつと》してからに、遂《つい》に、お姑さんとわたしの仲を取り壊しにかかったんよね)  あの時、伯母の家の食卓で、わたしは言った。 「旧約聖書であっても、新約聖書であっても、一冊の本ですからね。東洋人から見れば同じ一冊の本です。それに西洋ではユダヤ教だ、カトリックだプロテスタントだと絶えず揉《も》めているのが不思議でたまりません」  そこに居合わせた伯父、伯母、姑、義姉が、座っている椅子から電気ショックを受けたように顔が攣《ひきつ》れ、瞳孔《どうこう》が開き、やがて、顔全体が硬直するのをわたしは見逃さなかった。何か悪いことを言ったのかしら、と少したじろいだが、明瞭《めいりよう》にその意が呑み込めなかった。  ブルックリン・ハイツのわたし達のアパートに帰り着いた時、アルが、 「ミチ、ユダヤ教徒は旧約聖書しか信じてないんだ。それで、今まで、カトリックから、又、プロテスタントのナチからもいつも迫害を受けていたのだ。だから、ユダヤ教徒は旧約と新約聖書を決して同一視出来ないんだよ」  とわたしの知識の欠如を指摘した。わたしは迫害された者の心理を知らない、又、国際的な知識の欠けている無神経な日本人であった。  だからと言って、一たん原爆の話になると彼等はなかなか受け入れようとしなかった。  アルが、 「ナチの収容所で、さいなまれ、さいなまれて殺される方が、原爆で一時《いつとき》に殺されるのよりずっと残酷だ」  と言った。その言葉には、アメリカはナチのような残酷な殺し方はしないという意味が含まれているように聞こえた。 「殺された、死んだということ自体を考えてみることやね。どんな殺され方をしても死んだんは死んだんやから。ガス・チェンバーに入れられて死ぬのも、原子爆弾でさあっと焼かれて死ぬのも、又、徐々に後遺症に苦しみながら死ぬのも、死というもんから考えたら同じことやと思えへん? もう生きてへんのやから。この殺し方の方が、あの殺し方よりも善であると言えるとおもう? 人はなんでも自分の民族に降りかかったのだけがえらいこっちゃと思うねんて、皆」  わたしの英語が稚拙だったので、説明も思うままにならず、理解して貰えなかったこともあるが、唯《ただ》、四面楚歌《しめんそか》という状態に陥った。 「六百万人が殺されたのと、十三万五千人が殺されたのと、どちらが罪が重いか」  勿論数が多い方が重いかもしれないが、果してそれだけなのだろうか。考えようがなくなる。  当時のアメリカ人は原爆の恐しさには無知に等しかったし、あれをヒロシマに落としたために戦争が終ったのだから有難《ありがた》く思えと言う人が殆《ほと》んどであったのである。  戦争に巻き込まれたこともない者同士が、スポーツのスコアーをつけるように論じても、本当の辛《つら》さ、痛さ、苦しみは知らない。原爆にさらされた人、ナチの収容所に入れられた人のみが本当の残酷さを知っているのだ。  あれから二十年、時代も変った。マンハッタンに二軒しかなかった日本のレストランが軒並に開かれている時代になった。日本の製品もくどくどと説明する必要もなく各家庭に氾濫《はんらん》している。反核運動も地につき出した。  だが、本当にお互いの感情が解《わか》るようになっただろうか。  シルビヤも日本製品を褒《ほ》めちぎり、|にぎり《ヽヽヽ》や|おしたし《ヽヽヽヽ》を日本のレストランで食べると言うが、未《いま》だにわたしの話には耳を傾けようともしない。  辺りが静かになった。トバと娘が立って台所に行った。食事になるのだろう。わたしは空《す》き腹にワインを一息で呑んだので、酩酊《めいてい》気味である。寒い外から、異常に暑くしてある室内に入ったのに加えて、日中、ストのために何十丁と歩き回った疲れもそれを促進した。この赤玉ポート・ワインのように甘いメナシャベッツ・ワインをグラスに一杯呑んだぐらいで、普通ならこうもならない。  日本の正月の屠蘇《とそ》がこうであった。グラスに一杯もなかったが、あの赤い塗りの小さい浅い盃《さかずき》に、銀の柄《え》の付いた銚子《ちようし》で少し入れて貰《もら》って飲んだ時、丁度、雑煮を祝う前で、その空き腹に入ったものだから、朝から眼《め》が朦朧《もうろう》としてしまっていた。恥ずかしがりやのわたしは年の初めの祝ごとを言うのが照臭かった。年月は祝ごとを言わなくても過ぎてしまうのに、何と形式的な馬鹿げたことをするのだろうと、考えていたあの感じがここに蘇《よみがえ》って来たのだった。眼の前に並んでいるものは、凡《およ》そ似ても似つかぬものばかりではあったが。  赤や黒の塗りの膳《ぜん》、金色の梅の紋様の入った黒塗りの重箱、雑煮を入れる黒や赤塗りの椀《わん》を思い出した。  子供心に、どうして男の子の方が、年下でも女の子のよりも大きい椀を貰えるのか、どうして、女の人は料理をしたり、掃除をしたり、三日もかかって疲れ切って働いているのに、男共は映画に行けるのだろうか、と不平等に怒ったことだった。だから、アメリカに一人でやって来たのではなかったか。あれから二十年も経《た》った今、ここのマンハッタンの摩天楼の中で、宗教こそ違え、同じことが繰り返されており、殊《こと》に、女の人の労働の賜《たまもの》がここに並んでいるのだ。  大きな|つみれ《ヽヽヽ》のような白い魚を料理したゲフィルト・フィッシュと人参《にんじん》の煮たのが前菜に出て、マッツォの粉で作った|すいとん《ヽヽヽヽ》の大きなマッツォ・ボール入りの鶏のスープが、ダルトン・チャイナの厳《いか》めしいスープ皿《ざら》に運ばれた。  どこの民族にも奇妙な仕来《しきた》りがあるものだ。  小声で止める暇もなく、夫は出て来る御馳走《ごちそう》を口に入れ始めた。勿論《もちろん》、何時《いつ》もの食事時よりも大分遅くなっているので、空腹であるから無理はないのだが……。  医者からは、何回も厳しく、コレステロールの多いもの、脂肪を避けるよう注意されているのである。  あっと言う間に、クラッカーのようなマッツォを卵に浸してバターで揚げたマッツアブラを大きな口を開けて放《ほう》り込み、碌《ろく》に噛《か》みもせず嚥下《えんか》した。隣の席で血が心臓から急速に頭へ上昇して行くのを感じながらわたしはそれを眺《なが》めていた。靴《くつ》の爪先《つまさき》でアルの踵《かかと》を蹴《け》ったが、感じない振りをしている。一言でも「それ食べたらあかんよ」なんて言おうものなら、彼はむきになり、火がついたように狂いざまに叫び出しかねないので、皆の前で大変なシーンを演じないようにわたしは背を丸めた。  食べる意欲もなく、ひたすらわたしはアルが食べるのを観《み》ていた。眉間《みけん》に皺《しわ》を寄せ、右手に申し訳にフォークを持ち、左手の手づかみである。ケンが同じような食べ方をする。人前で何も言えないわたしの躊躇《ためら》いをアルは知っているし、又、その躊躇いを利用して、ここぞとばかり平常禁じられているものを貪《むさぼ》り喰《く》う。(ほら、鶏の皮食べた、あっ、あのケーキにはたっぷり卵が入ってる)  一年前、アンジオグラムの検査をしに入院した。右冠動脈が完全に一本詰っているのを知ってから、アルは気違いの如く荒れた。少しでも食事のことを注意すると、 「うるさいっ! 心臓が悪くなったのは、君がやいやい言ったからなんだっ! 食べ物のことをいちいち文句言われるとストレスが募って余計に心臓に影響するのだっ!」  と青筋をこめかみに立て、 「君は僕を殺す気なんだなっ!」  喉を引き絞るような乾き切った声で叫ぶ。爛々《らんらん》と眼を異常に光らせ、阿修羅《あしゆら》さながら、手は小刻みに震えている夫を見た時、わたしは不気味さを覚えた。二人の脳障害者を抱えてしまったのだろうかと、奈落《ならく》の底におちた思いをした。 「僕《ぼ》かあもうすぐ死ぬんだっ! 君にいつも命令されたくないんだっ! 何処《どこ》かへ行って、一人で住んで自分の好きなことをしたい。君が丈夫なのが腹が立つ。僕が死ぬときは、君も殺してやるっ!」  夫の身のためを思って言ったことが全部逆にとられるのだから世話をする甲斐《かい》もなかった。こんな気違いに殺されたくはない。  あのアンジオグラムの検査をしに行く時、十三歳のジョンに十二歳のケンを家で留守番させ、アルについて病院に行ったわたしは、身が二つに裂ける思いであった。病院から出て来た夫が、これほども荒れ狂い手も付けられなくなったのには途方に暮れてしまった。一家を支えるべき大黒柱が腐蝕《ふしよく》してしまって頼れないのだから。  ケンが癇癪《かんしやく》を起すと、アルまでが一緒に気を顛倒《てんとう》さす。わたしは二人の間を走り回った。すると、アルはわたしがケンの癇癪を起させたのだと喰ってかかる。  平静を保たねばならないと、自分に何回も言い聞かせたが、もう精も根も尽き果てたという状態であった。ジョンが可哀《かわい》そうになり、二人で家を飛び出そうかと何回も考えた。生き甲斐もなかった。怖《おそろ》しかった。自分の将来なんて考えも出来なかった。ジョンは若くて頼れないし、相談する人もなく、全くの孤独を生涯《しようがい》初めて味わった。アルは友人とか外部の人にはあのように振る舞わないので誰《だれ》にもわたしの苦しみは判《わか》らなかった。  それでも、あの残忍極まる戦争に生き残ったという幸運を思うと、一人でも生きて行けるのだという自信はあった。  わたしはジョンの右隣にふっと眼をやった。シルビヤは、人差指に大きなトルコ石の指輪を嵌《は》めた右手で、小指を山形に曲げて、フォークを持ち、それで小羊の肉の切身を皿の左に寄せた。その肉にはこってりと脂《あぶら》がついている。それを切り取りもせず、左の人差指と親指でつまんで口紅を真赤に塗りたくった大きな分厚い唇《くちびる》を開いて食べた。  ケンは仕方がないとしても、義姉と夫が同じ仕種《しぐさ》をするのを見て、義姉に対して持っていた嫌悪感《けんおかん》が夫にも移って行くのを止めることは出来なかった。眉間の皺、肩から背にかけて彎曲《わんきよく》した同じ線……。 (あーあ、指で摘んでる。この姉も姉なら、弟も弟。おぞましい! 自分らの健康を人からとやかく言われんでも自分で管理出来んような人は、死にたいんやろから死んだらええやんか。摂生できんくせにわたしに世話さすなんて。今までむちゃして来たその腐爛した体をわたしが直すやなんて考えてんのかしら。勝手にしやがれ! 阿呆《あほ》くさっ!) 「ラボサイ・ヌボレーヘ・イヒー・シェム・アドノイ・メボロフ・メアト・ビアード・オーラム」  皆がヘブライ語で歌うように読む。  ワイングラスに赤ブドウ酒が注《つ》がれた。ワイングラスのカットに頭上のシャンデリヤのクリスタルを通した光が交って水晶のように光っている。  ハガダの何処を読んでいるのかわたしには見当も付かなかった。まだ四人もいるのだからと気を落ち着かせようと努力した。 「わたしの読む番が来ても、エホバがイスラエル人の家を抜かしたように|抜かして《パス・オーバー・ミー》くれますように」  とわたしは自分独りの言葉で祈った。小羊の血の替りに、|しびれ《ヽヽヽ》をきらしたときの呪《のろ》いの如《ごと》くつばを額につけた。  朝起きるとアルは必ずどんな色のシャツとパンツがいい? と尋ねたものだった。(幼稚園の子供じゃあるまいし、この男、一体どうなってんのやろ。わたしは絵描《えか》きやけど、人の洋服の色までとやかく言いとうない。個人個人の好みは大切にせな)わたしの生家では、親兄弟誰もそういうことをお互いに尋ねもしなかった。この自由を謳歌《おうか》しているアメリカでこういう質問をする人の存在に驚愕《きようがく》したのだった。シルビヤを食事に招《よ》んだ時、初めて、その謎《なぞ》が解けたのだった。ドアを開いたわたしに�ハロー�とも言わず、わたしがそこに立っていないが如く、一瞬の瞥見《べつけん》も与えずに、角ばった顎《あご》を突き出し、グリーンのドレスを綿入れの如く着て、平行棒を渡るように歩いてリビング・ルームに入って行った。わたしがこの家の主婦であるということを無視してかかったのだ。たとえ、そこの家のメードがドアを開いたとしても、�ハウ・アー・ユー�ぐらいは言うのがどこの社会に於《お》いても礼儀というものだ。  リビング・ルームの真中で、恰《あたか》もグリーンピースの缶詰《かんづ》めの広告の緑のシャツとタイツを付けたグリーン・ジョリ・ジャイアンツが�ホーホーホー�と言っている如く、�ノーノーノー�と腰に両手を当てて仁王立ちになり、早速、長椅子《ながいす》の置き場所を窓際《まどぎわ》に変えろとか、アルのシャツの色が変だから着替えろと、如何《いか》にもわたしがそうさせたように言い、アルが着替えるまで言い続けていたのだった。アルが言い返そうものなら彼女はヒステリックに叫ぶので言い返しも出来ない、だから、それ以来、わたし達のアパートに買うものまで彼女の許可を得なければならない破目になってしまったのである。わたしにとっては、エジプトでピラミッドを奴隷《どれい》に造らせたファラオの存在になった。  アルにあの時迫ったのだった。わたしはジャン・コクトーやトーマス・マンの話のような住み方はしとうないから、わたしを選ぶか、シルビヤを選ぶかしなさいって。シルビヤをあの時選んでおいてくれればよかったのにと今になると残念である。そしたら、今、こうして四時間も退屈極りないこのパス・オーバーに座ることもないし、あの脳障害児も生まれては来なかっただろう。  今考えてみると、アルも心の底ではシルビヤに手をやいていたのだと思う。で、わたしが日本人だからイン・ロウへの仕え方を知っている従順な女だと概念化したのが間違っていたのだった。一人で海を渡ってアメリカに来るような女は何国人であっても独立心があるものだ。独立心がある女は人の言うことをきかない。  わたしは我に帰って周囲を見渡した。一同手にワイングラスを持ち、ヘブライ語で何か言っている。慌《あわ》てて前のワイングラスを持ち上げたのでメナシャベッツのブドウ酒が零《こぼ》れかけた。皆が飲むと同時に、わたしもえいっとグラスを傾けて呑《の》み干した。この儀式では一息に呑み干さねばならないのである。途中で来たわたし達には二杯目のワインであるが儀式としては三杯目に当る。 「シルビヤ、貴女《あなた》はあの時アルに『|ミチは貴方を殺しているのよ《ミチ・イズ・キリング・ユー》』と言ったわね。わたしが貴女の大切な弟を、恋人を取ったからそう言ったんでしょ。わたしが英語で言い返えせへんかったからええ気になってしもてからに。若《も》しアルが、他宗教の白人女か、あなたのようなユダヤ教徒と結婚してたらどういうことになってたと思う。英語で言い合いになって、忽《たちま》ちのうちに大旋風が起きたと思うわ。 �キリング�てどういう意味? わたしがアルに毒を盛って殺すということ? 貴女の支配下であれば彼の才能が伸びたということ? わたしの英語がたどたどしかったんで、子供か馬鹿《ばか》に見えたんでしょ。外国に住んで言葉が自由に操れんと、直感が研ぎ澄まされて、ものの裏まで見え出すもんなんよ。なんぼ貴女が学校や大学で一番やったかしらんけど、通り一遍の上辺《うわべ》のことだけ教科書通り丸暗記してても世の中はそれだけのことやないもん。  少くとも、アルはわたしと結婚して命が少しは長《なご》なったって感謝して貰いたいぐらいやわ。  結婚して以来二十年、普通のアメリカ人より多く野菜を食べたし、脂肪は少かったと思う。半分は日本食やったもん。あのサワ・クリームや、ヘビィ・クリーム、フィップド・クリームにクリーム・チーズ、鶏の脂肪やラードと西洋料理に使う材料をわたしどう使《つ》こてええか知らんかったもん。  二十年昔に損ねた感情は元に戻《もど》れへんわ」  わたしは、アルのハガダの頁《ページ》を体を左に傾けて見て、慌てて自分のハガダの頁を繰った。どう考えてもわたしまで読まされるという臨場感がつのって来なかった。  でも、シルビヤがこの頁だとすると、次の次だから一応|眼《め》を通しておいてもよいと、しばしばとした眼で二頁先を黙読し始めた。 「うーうーん、えーへん」  喉《のど》の痰《たん》の絡《からま》りを取っているシルビヤの声が聞こえた。 「ミチに先を読ませれば。わたしはちょっと今声が出ないから」  わたしは自分が読むかもしれない部分に神経を集中していたので、はっきり彼女が何を言ったのか聞き取れなかった。唯《ただ》、�ミチ�という名前が聞こえたので、顔をあげ、焦点の合わない眼をしばたいて、前のワイングラスのカットのあちらこちらに光が反射して飛び散っているのを見つめた。  隣のアルが、 「君の番だよ」  と右|肘《ひじ》でわたしの左腕を突っついた。血が頭にさあっと上った。 「ええ?」 「君が読むんだ」  皆が見ているので�どうしてシルビヤが読まないの?�と尋ねるわけにも行かなかった。眼の辺りが熱くなり、耳に血がどくどくと脈打っている。英語とヘブライ語が交錯している。 「何処《どこ》?」  わたしは小声で尋ねた。こんな読み方をして何の宗教的な意義があるのだろう。  アルは人差指でわたしのハガダを二頁右から左に捲《めく》った。わたしが読んでいたところではない。シルビヤはいつも意地の悪いことをする。  グラス二杯のメナシャベッツ・ワインが余計にわたしをうろうろとさせた。火照《ほて》った頬《ほお》を感じながら、仕方なく震える声で、踊り回るアルファベットを拾い始めた。 「神よ」  一斉《いつせい》に静かになったように思った。この日本人のアクセントのついた英語を皆一生懸命に耳を澄まして聞こうとしている。二十年ここに住んでいても�|r《アール》�と�|l《エル》��|f《エフ》�と�|v《ヴイ》�が発音しわけられないわたしだ。好奇心の集中の的である。  如何《いか》にも自分が聖人振っているように聞こえて、自己|嫌悪《けんお》に陥った。こういう言葉をこのわたしの口が言うなんて、考えただけでも恥ずかしい。あっ! 一行抜かしたんじゃないかしら。まさか抜かしたから又読み直せとは言うまい。 「貴方《あなた》はエジプトから捕われの身を解き放して下さいました。飢饉《ききん》には食物を与えて下さいました。……  神よ、どうか我々を見捨てないで下さい」  日本で信者でもないのに、偶々《たまたま》行ったバイブル・クラスでお祈りを言わされたのを思い出した。あの無理強《むりじ》いされた偽善的な言葉がたまらなく厭《いや》であった。  ここに座っている人々は、どうしてわたしが、マリリン・モンローやエリザベス・テイラーのようにユダヤ教に改宗しないのだろうと思っているに違いない。この人々にとっては他宗教は存在しないのだ。こういう排他性がユダヤ教からキリスト教や回教に受け継がれ、その末はお互いに殺し合うようになったのだ。人の主義を黙って放っておけない御節介な西洋。それが植民地主義であり、宣教であり、ナチズムである。  紺の地に紅バラ模様のついた重苦しい感じのドレスを着て、濡《ぬ》れたように脂ぎった黒い髪を右手でまさぐりながら、シルビヤは必要以上にヒーターの入ったアパートで暖炉にパチパチと火を燃やし、その前の赤いビロードのウイングチェアにふんぞり返っていた。両脚をぐっと開いて、短いスカートから太った腿《もも》が顕《あら》わであられもない恰好《かつこう》であった。(西洋でも身嗜《みだしなみ》ということはあるやろに)  わたしはその部屋の隅《すみ》にある長椅子に暑くてふうふう言いながらアルと一緒に座っていた。冬だというのに日本では考えられない。 「わたし達は選民《チヨウズン》なのよ、アル」  と煙草《たばこ》の煙を両方の鼻の穴から象の牙《きば》のように吐いてシルビヤが言った。 「わたし達は|エホバ《神》の選民《チヨウズン》なのよ」 「だから他の民族よりも秀《すぐ》れているのよ」  脂ぎった頬を震わせてシルビヤが言った。恰も山上の訓《おしえ》を垂れているモーゼになったように。  この部屋に三人しかいないのだから�わたし達は�という意味は、アルとシルビヤの二人で、非選民はこのわたしであるということは瞭然《りようぜん》としていた。  結婚したばかりのわたしは唖然《あぜん》として彼女の顔を眺《なが》めたことだった。結婚前にもこの言葉を聞いたことがあった。それは日本に宣教に来たビリー・グレアムの説教や、アメリカの宣教師達であった。あの時、わたしは友達と「わたしら神に選ばれなかった下賤《げせん》な賤民なんやろか。全く馬鹿にしてる。何といううぬぼれ!」と憤慨したことがあった。自分が自分で神の選民であると称《よ》ぶなんて、神が聞くと�へそが茶を沸かす�とあの時二人で大笑いをした。西洋ではそれが当り前のことのように言われ信じられている。ユダヤ教徒は自分達が神の選民であると豪語し、キリスト教徒は自分達が神の選民であると豪語する。果ては選民が他の選民グループを殺すことになる。  西洋人は自分のことを褒《ほ》めそやす。自分が他の人より秀れているのだ、自分のしていることが正しいのだ、だから他の人も同じことをしなければならない。そこに何の蟠《わだかま》りもない。そういうことの原因がここにあるのかもしれない。  眼前に、自分が選民であるかのような口吻《くちぶり》の、この巨大な人間を見て、わたしは愕然《がくぜん》とした。その場にいる異教徒に対して何のためらいもなく言ってのけたのだから。多分、そういうことによってわたしを蔑《さげす》んだ積りなのかもしれない。 (神エホバもシルビヤが選民であると大変な御苦労をしはることやろ) 「うーん、えへへへん。わたしが読みます、今度は」  シルビヤが咳《せき》ばらいをしながら言った。  それから首を振り振りヘブライ語でわたしの続きを読み出した。得々として、選民らしく、如何にもクラスの秀才が教科書を読んでございという風なのを見ると、二十年昔の憤怒《ふんぬ》がますます募って来るのをおさえられなかった。  次はジョンが読む番であった。シルビヤがジョンの頁をパラパラと繰って、ここだと体に似合わず長い白い細い人差指で、その章を示した。ジョンは自分に言い含めるように、 「|オー・シット《くそつ!》!」と言った。そして鵞鳥《がちよう》が鳴くような声で、投げやりに英語を読み始めた。  ケンは真心をこめて尽くしても、こちらの意が通ぜず、絶えず恩を仇《あだ》で返しているようで、抓《つね》られて出来る青痣《あおあざ》や、抜け髪とその痛さは、怒りよりも悲しみをより一層大きなものにした。痛ければ痛いほど手放すことへの絶望を感じた。私立の小さい施設が駄目《だめ》であれば、蛇《へび》の穴のような州立病院である。それがいやなら、又、家に帰って来るのだ。わたしの細腕でどうしようというのかしら。わたしは鉄や鋼《はがね》で出来てはいない。  シルビヤが世話をして貰《もら》う順番を待っているようにそこにどっしりと座っている。実際に、ケンが家にいなくなったら自分もロスアンジェルスに行くとアルに言ったのである。いくらシスター・イン・ロウと言っても、今まで一度だって一滴の同情も親しみも与えてくれなかった人に何もすることはないだろう。彼女の世話なんて真平だ。頭を下げて来ても出来よう筈《はず》がない。  終りのない苦しみが待っている。トンネルの先端の一条の光がなければトンネルは出られない。人間だってそうなんだ。これだけ疲れてしまい、夫までが同情もなく自分の病気をわたしのせいにすると、愛情なんていうものの存在は吹っ飛んでしまう。自分を保護することばかり考えるようになる。疲れた心身を回復さすのはとても時間がかかるのだ。失った人生を取り戻すなんて出来そうもない。ケンがいなくなると毎日十時間は寝てと考えていたことも実際この年になると六時間で眼が覚めてしまう。若い年に失った時間は永遠に失ったのだ。この一線を跳び越えると他人と同じ生活が、心構えが出来るなんて夢物語であると思う。永い永い回復期がわたしには要る。そしてその果ては回復しないかもしれないのだ。  西洋のボーボワールの世界なんて絵空ごとだったんだ。彼女の|さかしさ《ヽヽヽヽ》だってわたしの問題は解決出来はしない。  わたしはこの場にいたたまれなくなって、椅子《いす》をそっと引いた。  モイシェがハガダの中の英語を読み出した。 「これは子供のためのフォーク・ソングです。仔《こ》山羊《やぎ》を一匹二ズーズムで買った話です。御存知のように大したお金ではありませんでした」 「この歌をよくお聴きなさい。仔山羊や猫《ねこ》や犬や他の多くのもののことを話していますが、実際は、ユダヤ教徒の永い歴史を物語っているのです」  わたしは椅子の脚のところに置いた黒い革のハンドバッグに右手を伸ばした。それからハンドバッグを膝《ひざ》の上に置き、体を右に回した。黒い中ヒールのパンプスを履いた両足を横に揃《そろ》え、下を向いたまま立ち上った。アルがふっとハガダから眼を上げて、 「どこに行くんだ?」  と小声で尋ねた。 「ちょっと、バス・ルームに」  わたしは気軽く装って、音を立てないように出て行った。  モイシェの声が続いている。 「イスラエルが最初にバビロニヤによって征服され、それからバビロニヤが如何にしてペルシャにやられ、ベルシャがその次にマケドニヤによって亡ぼされ、その次はローマによってやられたのを覚えているでしょう」  わたしは廊下からバス・ルームに入って電気を付けた。  壁は更紗《さらさ》模様になっていて、金縁のロココ調の鏡が掛っていた。  換気のファンが大きな音を立て、外の音を遮《さえぎ》った。わたしはその重苦しい鏡の中の顔を見た。アルコールや熱気で火照った、五十歳になる中年の女の顔があった。いくら贔屓目《ひいきめ》に見ても、今まで自分で想像していたように若く見えないのに愕然とした。  シルビヤがアルに�ミチは貴方《あなた》を殺しているのよ�と言ったあの言葉は二十年来わたしの心に突き刺さったままであった。  忽然《こつぜん》と、殺されているのはアルではなくて自分ではないかとの思いが閃光《せんこう》の如《ごと》く脳裡《のうり》を走った。わたしは戦《おのの》いて、自分の顔を再び生きているかどうか確かめるように、右手で頬をさすりながら鏡の中を覗《のぞ》き込んだ。残り少い命を大切にしなくては。二十年間をこの病んだ家族に注ぎ込んだのだ。少しでも自分を大切にすることも考えないと、何のために生まれて来たのか判《わか》らなくなってしまう。  そうだ、今出ようと思えば出られるのだ。誰《だれ》も見てやしない。外は聖書にあるように砂漠《さばく》でも海でもない。タクシーもあれば飛行機もある。何とかしてこの家族から飛び出さねばならない。そうしなければ、わたしの一生は奴隷《どれい》のように終ってしまうだろう。絵を描《か》いていたこの大きな手は人の世話をするためのものだったのだろうか。  わたしの胸は騒ぎ、体中が心臓になり出した。足の爪先《つまさき》まで脈打っている。電気を消して、ドアを開き、そうっと、その隣にあるベッド・ルームに行ってオーバーを取った。それを左|脇《わき》に抱えた。食堂の前を通る時見えないように。それから、忍び足で猫が獲物を見つけた時の体勢で迅速に脇眼もふらず食堂の前の廊下を通った。  モイシェが、 「さあ皆さん、一緒にこの歌を歌いましょう」  と掛け声をかけた。 「ハド・ガドヨーオーオー・ハド・ガドヨー  ディズバン・アバ・ビーズレイ  ズーゼイ・ハド・ガドヨーオーオー・ハド・ガドヨー」 (たった一匹の仔山羊、たった一匹の仔山羊、お父さんが二ズーズムで買った たった一匹の仔山羊、たった一匹の仔山羊)  足拍子を取りながら賑《にぎ》やかに嬉々《きき》として英語とヘブライ語を交えて歌っているのが聞こえた。 「バアサ・シュンロ・ブオハル  ルガドヨ・ディズバン・アバ  ビーズレイ・ズーゼイ  ハド・ガドヨーオーオー・ハド・ガドヨー」 (そこに猫がやって来て、お父さんが二ズーズムで買った たった一匹の仔山羊を たった一匹の仔山羊を食べてしまった) 「バアサ・カルボア・ベノシェフ  …………」 (そこに犬がやって来て、お父さんが二ズーズムで買った たった一匹の仔山羊を たった一匹の仔山羊を 食べてしまった猫に噛《か》みついた……)  わたしはハンドバッグとオーバーを床に置き、ドアに掛かったチェインを音させないように、震える両手で外し、錠前をそうっと右に回した。ドアを持ち上げるようにして明け、外の廊下に急いで出、ハンドバッグとオーバーを持ち出した。ドアを閉めてから、再びハンドバッグを床のベージュのカーペットの上に置いて、オーバーに手を通した。それから左手の廊下を通って右に折れエレベーターのあった方向に足早に歩いた。微《かす》かに廊下に洩《も》れて来るあの歌の続きがわたしを祝福しているようでもあり、又、引っ掴《つか》まえようと追っているようにも思えた。  一階に降りた時、わたしは最後の難関のように思えるドアマンに無理に微笑をつくり、会釈《えしやく》をし、タクシーを見つけて呉《く》れるようにと頼んだ。  アパートの建物の分厚いガラスの扉《とびら》を押し明けて外に出、歩道に降りる濡れた花崗岩《かこうがん》の石段の上に立った。イースト・リバーからの冷たい風が火照《ほて》った頬《ほお》に当り、気分が爽《さわ》やかになった。吐く息が白く、暗い通りに光って見えた。ゆっくりと深呼吸をして空を見上げた。あの雪は止《や》み、雲が切れて、寒い夜空に満月の月さえ出ていた。イースト・リバーの真中にあるルーズベルト島のアパートの群から明りが木々の枝を通って点滅し宝石のようであった。マンハッタンも、二十年昔わたしがやって来た時のように、希望に溢《あふ》れた陽気なまちに見え始めた。  どこからかアメリカン・ファーマシーの匂《にお》いが漂って来たようだった。 (さあ、グリニッジ・ビレッジに、イレーヌの家に行こう。あそこは主人がいないから気が楽や。あそこで明日からのことを考えよう)  わたしは二十年若くなった気分で足早にタクシーの方に歩いた。そしてドアマンに一ドル紙幣を手渡した。 「ハブ・ア・グッド・ナイト・マダム」  ドアマンはにこやかにドアを閉めた。 [#改ページ]   あとがき 「新潮」新人賞の授賞式で、私は次のように挨拶《あいさつ》しました。  遠方から参りました者に、大変御親切なお言葉を戴《いただ》き、誠に有難うございました。  私が新人賞を受けたと聞いて、 「きっと、初めて、あなたの書いた文字読めたんやろね」  と言った友人がいます。縦に書いてあるのか横に書いてあるのかも、判断のつかない私の手紙に悩まされた彼女のとっさの感想です。  その文字を、眼《め》をしばたいて、辛抱強く読んで下さった編集者の皆様方に、また、海の彼方《かなた》からの私の叫びを、耳を澄まして聴いて下さった選考委員の諸先生方に厚く御礼申し上げます。  そして、私が十四歳の時、悲劇と喜劇の原理、主観性と客観性などを教えて下さって、私の人生観を百八十度変えて下さった恩師、当時大阪の夕陽《ゆうひ》ケ丘高等女学校で歴史を教えておられました堀川理先生、  また、五十四年間、私の文句を辛抱づよく聴いてくれた友人、親、兄弟に厚く御礼を申し上げます。  それから、二十五年の結婚生活の間、私の言葉の読み書きを学ばず、怠けに怠けた夫にも、大いに感謝致しております。  彼には、「アフリカの暑いジャングルで、ジッパー付きのポケットがある腹巻を売り歩いた大阪商人の話」を書いたと言ってありますので、雑誌「新潮」に載りました私の短篇《たんぺん》をお読みになりました方は、私がどんな話を書いたか、彼には内容をお知らせにならないで下さいませ。  有難うございました。  右の話はジョークとして申しました。実際に日本語が読めれば怒ることもあるかもしれませんが、夫にはいちおう筋書きを話してあります。  授賞パーティの時のこと、『過越しの祭』を読んだという人に、ユダヤ文化に反対なのかと尋ねられ、驚きました。偶々《たまたま》私が接した最初の西洋の内側がユダヤ文化であっただけで、西洋文化の根源であることを認識する手がかりとなると思ったから書きました。決して反ユダヤ主義で書いたのではありません。西洋文化至上主義でアメリカに行った私が、実際に当っては驚くことばかりでした。古くさい西洋や、ハンディキャップを持つ子供をかかえた苦悩の現実などを、手紙で友達に知らせたかったのですが、その話は余りにも長く、友達の数が余りにも多かったことで不可能でした。どこかでプリントして戴ければと思ったのが、小説を書く動機であったと思います。  それがこの度、作品二つをまとめて新潮社から出版のはこびとなりました。こんなに早く本になるなんて、夢にも考えておりませんでしたので、半ば陶酔状態でいます。 『遠来の客』は「文学界」の新人賞を戴き、昭和六十年の「文学界」六月号に掲載され、『過越しの祭』は「新潮」の新人賞を戴き、同年七月号に掲載されました。  二作共同じ時期に起ったことを書いていますので、二作の中の人物の名前を統一し、読まれる方の混乱をまねかないように手を加えました。つまり、『遠来の客』の人物を『過越しの祭』の中の人物名に統一致しました。  なお、『過越しの祭』の冒頭の引用は、日本聖書協会の口語訳聖書によりました。  私の夢を可能ならしめて下さった「文学界」と「新潮」の新人賞の選考委員の諸先生方、並びに編集者の皆様、殊《こと》に出版に当って「新潮」の岩波剛氏、新潮社出版部の森田裕美子氏の御助力に心から感謝致しております。   一九八五年八月 [#地付き]アメリカ合衆国、カリフォルニヤ州、      [#地付き]パシフィック・パリセードにて      [#地付き]米谷 ふみ子