オナニー交遊録 著者 牧場 由美 麻薬、覚醒剤が女子高校生に大流行 少女の風俗 女子大生の危険な情事 サデイズムと淫楽について ポルノ小説作法 ポルノ小説作法2 ポルノ小説作法3 女子中学生テレクラ遊びルポ 家庭内暴力と近親相姦 集団レイプの罠 マグナム北斗 志茂田景樹ちゃん アダルトビデオギャル サドの女王さま 飯島愛ちゃん エッチ本編集の話 アダルトビデオ ドクター南雲さん 後藤えり子さん 小林悟監督 小川欽也監督 女子高校生のいじめリンチ事件 性犯罪の被害者がローティーン化している 不倫アルバイターの性春 女子中学生の喪失の夏 女子高校生公園ナンパの実態女子高校生はどれくらい気持ちいいのか? 満員電車 ポルノ小説作法4 近親相姦の実態レポート 池島ゆたか 荒木太郎 奥山栄一 五代暁子 解説 麻薬、覚醒剤が女子高校生に大流行  エスというと覚醒剤なのだそうである。エルというとLSDをさす。  あのオウム真理教が麻薬を使って儀式をやっていたという話は、今や知らない人はいないけれど、宗教がらみだけではなく、若い人や主婦のあいだにも覚醒剤や麻薬が流行のきざしを見せている。  コカインやらマリファナやら覚醒剤やらLSDやら、亡国の兆しといわれる薬物が流行しているのは、彼らが自分の使用している薬物が麻薬のたぐいだと知らないからだという。  熾烈な受験勉強に疲れた高校生が、気楽にエスと呼ばれる薬物で眠気を覚まして、明日の活力にそなえる。彼らや彼女たちは、ドリンク剤でも飲むような気持ちで悪魔の薬品に手を出しているのである。  「新大久保とか、高田馬場、早稲田周辺、お茶の水周辺には大手の予備校や大学がひしめいていますでしょ? ゼミナールを受講して帰る途中の高校生や予備校生を呼び止めて薬物を売り付ける売人がいます……」  と情報提供してくれるのは、その方面の情報にくわしいルポライターのティッシュ堀内氏である。  「熾烈な受験競争に打ち勝とうという学生ですから、彼らは真面目な意識でそれらの薬物に手を出すんです。どうやら彼らの中にはネズミ講式の販売経路をきずきあげたものがいるらしく、新たに顧客を紹介した人にはマージンを払うといったシステムがあるという話も聞きます。  「ぼくが使っているすごくすっきりする薬があるんだけど……」  といった調子で新たな顧客が開発されて、口から口に宣伝されて覚醒剤やLSDが売られていくのですが、考えてみれば恐ろしい話ですね」  とティッシュ氏は口をとがらせていう。  たしかに自分が使用している薬物が覚醒剤であるとか、LSDであるとかという認識がないものたちによって麻薬が売られている事実は恐ろしい。一種の文明病という言い方をするものもいるが、決して文明の高くない国々でも麻薬は使われているし、アメリカなどでは煙草と同じくらいの気軽さで高校生たちのあいだでマリファナやコカインが吸引されているという。  さて、麻薬が真に怖いのは、真面目な学生達が薬物を吸引しているうちに、次第に幻覚を見るようになり、性的に奔放になるところにあるという……。  かって学生運動が盛んな1970年代にLSDやマリファナが流行したころには、サイケドリックアートの流行とか、フリーセックス、アンダーグラウンド文化が流行した。今、女子高校生たちが麻薬によって性的に淫乱になっているといううわさがある。  「性的に奔放な若者が麻薬に手を出すのではないことは、暴力組織の販売網が大学とか予備校の密集地に張りめぐらされていることでもわかりますね。彼らは麻薬に手を出すまではまじめな学生なのです。ところが薬物でトリップしているうちに、ブレーキのどこかが壊れはじめます」  と麻薬撲滅推進委員会の事務局長をつとめる佐脇陣太郎氏が言う。  「たとえば覚醒剤を使用しているうちに、だんだん気分が大きくなってきて、どんなことでもできるような気がしてくる。もともと覚醒剤というのはそういう作用を持った薬物ですから、それは当然のことです。女子高校生が、覚醒剤を使用して男なしでは生きられなくなって、同級生から果ては学校の先生のところまで押しかけていって肉欲を満たそうとするなどということは、特殊なことではなく、しょっちゅうあることなのですよ」  と佐脇氏が言う。  前述のティッシュ堀内氏などは、覚醒剤をやっている女子高校生二人に夜道で声をかけられて、3人プレイをやらないかといわれたと困惑ぎみに話している。  「もちろんぼくはやりましたけどね……。一緒に注射をしようとすすめられた時には断ったけど、彼女たちは心底から薬をやっている時には淫乱になっているようですよ」  と彼は言う。  女子高校生の佐伯めぐみは真面目な高校生だった。あこがれていたテニス部の先輩にコーチしてもらった夜、彼からお茶に誘われて、喫茶店で白い粉を吸わされた。  それがコカインだったのである。  めぐみは素直な性格の優等生だったが、コカインを覚えて半年ほど経過したある日、先輩に連れられて乱交パーティに出席した時から奔放な日常生活を送るようになった。  彼女のまわりの不良少女たちは、隠れて煙草を吸ったりシンナーを吸引していたりしたが、コカインを覚えた彼女には彼らのそういう遊びが子供っぽく見えて仕方がなかった。  「あたし、乱交パーティでしっかり先輩のペニスを味わったんです。そればっかりじゃなく男のペニスから吹き出す肉液を顔に飛ばされたり、車の中で後ろからペニスを入れられたり……」  と今は風俗業界に生きる彼女は、つい一年ほど前のことを回顧しながら、うっとりとした表情でいう。  「あたし、夢中で先輩のアレを口に含んで吸い上げた記憶があります。彼のものがあたしの頬に当たって、あたしの頬があめ玉をなめているように膨らんで……」  今は薬物を使用していないという彼女はまるで夢でも見ているような表情で話す。    TEL  覚醒剤や麻薬を使うとつかの間の夢を見ることができる。薬物の効果で精神が高揚して、開放的になるし性的羞恥心を感じなくなる。その結果、乱交だとか、フリーセックスだとかに走る純情な高校生が多くなっているらしい。  麻薬というのはそういう意味で亡国の病だというのもうなずける。  「あたし、エスをやると男がほしくなるんです。すごーく男とやりたくなって、男のものをあそこに入れられたくなって、ショーツを脱いで、男の前で脚を開いてしまうんです……」  と覚醒剤中毒のれい子が言う。  彼女はまだ高校一年生だ。  有名な東京都内の進学校で、ついこのあいだまで一番か二番の優秀な成績だった彼女が、今はふしだらに男を求めて遊びまくっているのである。  これも覚醒剤の効果なのだ。  覚醒剤によって人生が狂ったのは彼女ばかりではなく、彼女の友人のめぐみも、れい子に覚醒剤を薦められてから、淫乱な女になってしまったのだという。  二人はコンビで最近までブルセラ売春を繰り返していた。だが、ブルセラの中年男たちは金の払いが渋いので、今は組織の下でホテトル売春をやっている。  「あたしたちが売春をやるのは、クスリのお金がほしいからなんですよ。ホテトル売春だったら組織がクスリを供給してくれるし、ついでにお小遣いももらえるでしょ? 売春って思ったほど儲からないんだけど、お客さんがチップをくれた時は全額、懐に入れていいことになっているし、このあいだだって、あたしが学生証を見せてあげたら、サラリーマンらしきおじさんが感激して5万円くれて、ラッキーって感じですよ」  と彼女たちは、売春に罪の意識を感じている様子はほとんどない。  売春には罪の意識を感じなくても、薬物を使っていることに罪の意識を感じてもよさそうだと思うのだが、彼女たちにはそれもまったくない。  覚醒剤、大麻、コカイン、などは常用性があって、薬が切れると悪魔のような苦しみを感じ、次第に常用者は廃人になっていくといわれているのだが、そういうことが彼女たちにはわかっているのだろうか。  それにしてもクスリにはお金がかかる。  大麻やコカインや覚醒剤を買う金を親からもらうわけにはいかないから、売春以外にやることがなくなるのである。  「それで、男に出される時に避妊しているの?」  とわたしが聞いても、彼女たちは何が何だかわからないという顔をしている。避妊を、取り調べの時の否認か何かと間違えているのかも知れない。  聞いてみると、彼女たちは売春の時にコンドームも何も使っていないのだという。ましてやピルを飲む知恵もないらしい。  「妊娠したらどうするの?」  とわたしが聞くと、彼女たちはあっけらかんとした顔で、  「堕胎するお金はあるから大丈夫です」  というではないか。  「たしかに最近の風俗産業では、生挿入の生発射ということも多くなってきました。本当はそういうのって、エイズとかもろもろの病気の心配があって、とても怖いことなんですけど、覚醒剤や麻薬で頭を少しやられた女の子たちはそんな心配などしていません」  と前述のティッシュ堀内氏はいう。  「それにお客もお客なんですよ。ソープランドは怖いけれど、相手が女子高校生だったら、怖くないと思っているやつらがいるんです。本当はプロの方があそこを清潔にしていて、素人女の方がどんな病気を持っているかわからないのに、高校生相手だったら絶対にエイズにならないなどという奇妙な信仰心を持っている男がまだいますからね」  とティッシュさんは愛嬌のある丸顔を緩めて、女子高校生売春のおそろしさを話してくれた。  たしかに男性にとって、生挿入の生発射の方がずっといいに決まっている。コンドームは性感をそこねるし、密着感のない性交に気持ちよくなれる男はいないだろう。  そこで女子高校生相手なら、素人女だから病気の心配もないと、男たちは単純に考えてしまうものらしい。よく考えてみれば、そんな考えはおかしいことはすぐにわかるのだが、男たちは単純である。  「あたしのなじみのお客さんが、高校を卒業したらあたしと結婚したいと言い出すんですよ」  とやはり覚醒剤からホテトル世界へ流れてきた愛ちゃんが言う。  「あたしには背後に怖い人がついているんですよ、といったらビックリした顔になって、それっきりあたしを指名してくれることはなかったけど、常識でいって、ホテトルなんかやっている高校生の交友範囲がまともなわけがないでしょ?」  愛ちゃんばかりではないが、こういう行為をやっている女にはだいたい怖い男がついているのが常識だ。  愛ちゃんはラッキー娘の方で、というのは彼女についている男がアダルトビデオの女優斡旋事務所をやっていて、高校を卒業したらビデオ女優をやれることになっているのだという。  今回、取材してみてわかったことは、冒頭でも書いたが、高校生たちが麻薬や覚醒剤を本当にビタミンドリンクでも飲むように常用しているという事実であった。麻薬や覚醒剤が体をむしばむとわたしが声を大にして警告しなくたって、ああいう薬物が怖いものだということはわかりきった話だが、もっと学校の授業でも薬物の知識や怖さを教えるべきではないだろうか。 少女の風俗  レズの少女が増えているという。真性のレズビアンではなく、一過性の軽度のレズは昔から、女子高や女子大などにはあった。  ところが最近の女子高のレズビアンは、時代を反映してか、かなり激しいという。  東京の山の手の高校に在学する、藤村綾子(16歳)は女性に人気のある美少女である。高校ではテニス部に在学しているという彼女は、引き締まった太腿と柔軟な体を持つ素敵な女の子である。  宝塚のファンだという彼女は、有楽町の劇場に宝塚歌劇がかかる時には必ず見にいくという。  「あたし、ミュージカルを見るだけが目的じゃないんです。劇場の近くには、宝塚女優たちが集まる喫茶店があって、そこがレズ女性のたまり場になっているんです。喫茶店のトイレで、パンストをなおすふりをして、太腿をいやらしく露出していると、女優さんや、ほかのレズ趣味のある女性が声をかけてきます。相手が好みの女性だったらオーケイして、ホテルにいくのですが、はっきりいってへたな男よりもレズ女性の方がずっとテクニックもあるし、あたしたちを満足させてくれますわ」  という彼女は、ざっと20人以上の女性に抱かれているという。  「レズの快感って、おっぱいとおっぱい、あそことあそこを重ねるようにこすりつける時に沸き上がってきます。はっきりいって、あたしたち女だって女性から生まれてきたわけですし、母親のおっぱいを吸った記憶もあります。女性のやわらかい乳房に乳房を押し付けて、あそこを指でくすぐられるように触られる時に激しい快感を感じて、声が出てしまいます」  化粧っけのない彼女の顔だが、じっと見ていると引き込まれてしまいそうな、女を引き付ける色っぽさがある。  彼女は男とセックスした経験もあるそうだが、はっきり言って男相手では絶対に感じないという。  「男というのは、常に女性を見下した傲慢さを持っているでしょ? それにあたし、毛が生えた男の下半身が嫌いなんです。肌触りだって体つきだって、女性の方がずっとやわらかで素敵でしょ? よく女性同士があそことあそこをこすりあわせて感じるものかという人もいますが、そういう人たちは一度、レズの味を味わってみたらいかがといいたくなりますわ」  美しい顔をそっと緩めて微笑しながら、彼女はそう言った。たしかにあたしも経験がないことはないが、レズというのは愛し合っている当人同士は情熱的に燃えるものである。  「頂点で出るものがないということは、凄く快感が長引くってことですね。男の人におちん○○入れられている時には、はっきり言って我を忘れるような快感を感じるけど、相手が精液を出す瞬間には、あたしたちは別に快感を感じるわけじゃありませんよね。でも、女同士だとアクメも何もかも平等ですから、快感をわけあっていると言う気持ちになれるんです……。女子高校生の間にレズの愛好者が増えているという話を聞きますが、それはやっぱりあたしたちが不平等な男との愛に失望しかかっているってことじゃないでしょうかね……」  たしかに女性は、セックスを覚え立ての頃には強烈な快感を感じられるわけではない。男性に抱かれていても、心理的な満足があるだけで、肉体は冷え切っている場合が多い。  それが高校生や大学生ばかりではなく、若いOLたちのセックスというものなのである。  その点、身勝手な男性(ごめんなさい)と違って、レズの女性は深い愛情で相手を包もうとする。その格差が、彼女たちを女性に走らせる原動力になっているのではないだろうか。    TEL  「でも、レズってのはよくわかりませんよね。いくら時代が変化したって、男はおちん○○とおちん○○を押し付けあうことに魅力を感じるやつなんていませんよ……」  とあたしに言ったのは、エッチ本編集者の神奈川信一くんである。神奈川くんは最近、六本木の美人ニューハーフのラキラキちゃんに熱をあげているという噂がある。ラキラキちゃんというのは、男のくせに女装すると、ロリコン男を刺激するという悪魔のようなニューハーフちゃんだという噂だ。  最近、ラキラキちゃんはロックコンサートなんかもやっていて、女子高校生のグルーピーなどに囲まれて抜群の人気だという。  「そうはいうけど、神奈川くん、あなたがつきあっているラキラキちゃんだって、おちん○○があるんでしょ?」  とあたしが言うと、彼は黙ってしまったけど、男なんてこんなものだ。だいたい自分がおちん○○がある男とつきあっていて、女性のレズを非難する権利があると思っているのだから、甘いやつだ……。  女性の間に、蔓延しつつあるレズというのは、男性の間で流行しているニューハーフ遊びに似通った傾向があるようだ。  斎藤順子(18歳)は、高校を中退してコミックマーケットを中心に演劇活動やコスプレ活動をしている女おたくだが、趣味ははっきり言ってレズビアン。  コスチュームプレイでグループを組んでいるプレイ仲間の中にかわいい娘がいたら、食ってしまうのが好きなレズビアン少女を自称している。  「あたしが迫ると、女の子ってたいていいやがりますよね。でも、強引に迫ってやると、気持ちいいものだから、だんだんいい声をあげて自分から抱き着いてきます。女って不思議なんですが、相手が同性でも異性でも、あそこを触らせてしまうとピタッと抵抗をやめますよね。甘い声をあげている相手の女性のあそこに唇を押し付けて、おまん○汁を吸ってあげると、彼女が凄い声をあげます。そこであたしが自分のまん○を相手の顔にグリグリと押し付けるように回転させてあげるでしょ? すると相手の子もあたしのあそこを吸ってくるの」  女の正体というのは、実に凄まじい。男の前では猫をかぶって優しそうな顔をしている女性が、平気でこんなことを言う。  「あたしはコスチュームプレイが大好きです。だから、ミンキーモモとか、幽遊白書とか、スラムダンクの登場人物のようなかっこうをして、コミケ会場で写真の撮影に応じたり、パンチラ写真を撮られたりということが好きなんですが、レズビアンの行為の最中にも、あたしはコスプレのようなかっこうをしています。ワンダーウーマンだとか、チビまるこちゃんだとか、セーラームーンのようなかっこうをして、ただしコスチュームには穴があいていて、あそことあそこをじかに密着させながらいやらしいことをささやきあう、なんていう淫靡なセックスのやり方が、あたしは凄く大好きなんです」  と丸い愛嬌のある顔をゆがめて、彼女は身を寄せてきた。  あたしは彼女のようなおたく族じゃないので、セーラームーンのコスチュームでレズビアンをする気持ちはないが、微笑しながら体を寄せてくる彼女の女っぽい雰囲気につい魅了されてしまいそうになった。    TEL  原宿の街にはアクセサリーの店を出している素人商品販売人たちがたくさんいる。  手塚里美(16歳)はそんな少女の一人だが、お客には趣味のいい女性が多い。  彼女の作るアクセサリーが高級志向の婦人たちの趣味にあうということもあるが、婦人たちに人気があるのは彼女がレズビアンの趣味を持っているからだという噂がある。  彼女は中年の趣味のいい女性に誘われると、絶対に断らずホテルにつきあうというのである。  「あたし、母性愛に飢えていますから……」  ベッドに仰向けに寝たあたしのあそこを舌でほじくるように味わいながら、彼女が息をはずませた。  「どういうこと?」  「あたし、幼い頃に母を無くしたんです。だから、母性愛が充満する年齢のやさしい女性に誘われると、子供の頃の満たされない思いが今、頭をもたげてきて、せつない気持ちになってしまうんです」  と彼女が言う。  彼女の乳首はまだ処女のようにピンク色である。形のいい乳房の先端は、堅く尖っている。  もしかしたら本当にバージンなのかも知れない。  「母性愛がほしくて、女性を求めてしまうの?」  自分から大きく足を開いて、必死で声を押さえながら、あたしが聞く。そんなあたしの急所を、彼女はたくみに責めてくる。  「そうなんです。あたし、子供の頃に満たされなかった母性愛がほしいんです」  母性愛の中心というのは、やはり乳房とおまん○というわけなのだろうか。彼女は舌と指を使ってあたしのあそこを責め続ける。  「あっ、ああっ、あたしに母性愛を感じる?」  と、あたしが聞く。  「感じます。あ、ああ、こうやっていると、牧場先生の体内に飲み込まれてしまいそうな気持ちがします」  形のいい胸を必死で上下に震わせて、彼女が言う。  「あたしに溺れていいのよ。ほら、ムチャクチャになりなさい」  「ああ、先生、凄く気持ちいいです」  彼女が化粧っけのない顔を歪める。  彼女はさすがに舌使いが上手だ。短い声をあげてよがるあたしのあそこをたくみに責めながら、あたしのクリトリスからワギナの周辺を責めてくる。  あたしは責められると、まるでおしっこでも我慢しているようなヘンな気持ちになる。  それが女のアクメの始まりなのである。  ラブホテルのベッドをきしませて、あたしたちは貪欲に求めあった。  「あたしがあなたのお母さんになってあげるわ」  あたしが体を波打たせながら、そう言う。  「みんな、そう言ってくれます。あたしを求める中年女性って、わたしとは逆に生まれたばかりの子供をなくしていたりして、本来持っているはずの本能的な母性愛を歪ませてしまっている人たちばかりなんです」  あたしのあそこを舌と指で責め続けながら、彼女が言う。  「あっ、ああっ、そういう女性にレズの人が多いわね」  「そうなんです。少女を愛玩する人たちって、みんな子供がほしいんですね」  あたしはあそこを責められながら凄い声をあげた。たしかに彼女のテクニックは抜群だった。 女子大生の危険な情事  キャピリン、牧場由美で〜す。二カ月連続の『内外実話』登場で〜す。今月は何とこの特集の外に座談会の司会をやってしまいました。  座談会でも知り合った30代の奥さん連中も凄いけど、総力取材で話を聞いた女子大生たちも凄いッ。  何しろ、新宿の西口周辺を歩くと、コカインやマリファナを売っているイラン人か、売春をやっている女子大生に突き当たると言われるくらい、今は売春女子大生が多い。何しろマックやモスバーガーでアルバイトしても時給750円しかもらえないけど、売春すると一晩に10万円は稼げてしまう。  あたしが取材で知り合った英子さんは、売春仲間の女の子たちと共同でマンションを借りてそこを拠点にして、稼ぎまくっているという。  『女子大生は空前の就職難でしょ? もし就職できたとしても、月給が17、8万円じゃ今住んでいるマンションのお金も払えませんよ。リッチな生活をするために何を売れるかといろいろ考えた末に、体を売ることにしたんです』  あっけらかんと言う英子さんは、一流私立大学の英文科在学中だという。3月に卒業のはずだったが、わざと論文を提出しないで1年留年するつもりなのは、その方がしっかり稼げるからだという。  『女子大生らしいかっこうで、タイトスカートから膝を出した姿で立っていると、男が誘ってきますから、ホテルよりもいいところに行きましょう、とマンションに誘い込んでしまう。あたしたちは半分は趣味で売春しているわけだから、いやがる男を押さえ付けるようにして、ズボンを脱がせる時にとっても感じてしまいますわ』  と英子さんは言う。  「ひゃーっ、もっとムードを出してからだよッ!」  と、たいていの男が悲鳴のような声をあげると言う。  「ダメよ、だってもうこんなになっているんでしょ? お尻の穴まで嘗めてあげるわよ」  とかすれた声で言いながら英子さんは男のズボンを脱がせて、唾液をたっぷり塗り付けた指を、男のアヌスに押し込んでしまうと言う。  「ヒイッ、ヘンな感じだよッ。あ、ああっ、そこは弱いんだ〜ッ」  と絶叫するような声をあげた男のアヌスにグイグイと指が入っていく。すると男のあそこはますます堅く、シーツに向かって勃起するという。  指を押し込むばかりではなく、彼女はアヌスの周辺を舌先でくすぐるように嘗めてあげるのが好きだという。  『男ってアヌスも感じるけど、タマタマの入った袋の裏側あたりをペロペロと嘗められるのに感じるようですね。大きく競り上げた男のお尻からペニスの裏側へと、舌を使ってあげると肉汁が噴出するように溢れてあたしの顔を汚します。ザーメンよりもあたしは男の先走りの透明な液汁を味わうのが好きなんです……』  と英子さんが言う。  『お金を払ってもらうのだから、相手の年齢はいくつでもいいんです。年配の人はそれなりに、若い男には若い人らしく、CDをかけたりして接待しますが、あたしの売春料金は三時間で4万円です。高いと思われる人もいるかも知れませんが、時間が長いですし、部屋付で、相手によっては手料理をごちそうしてあげたり、気にいったら一晩中でもやらせてあげるんだから、安いものだと思います』  たしかに彼女は美人だから、本当にお買い得かも知れない。わたしは彼女の裸を見せてもらったが、服を着ている時ばかりじゃなくて、彼女はなかなかそそるいい体つきをしている。  『あたし、年齢ばかりじゃなくて、性別も超越しているんです。相手が男でも女でも、声をかけてくる人だったら抱かれることにしているんですよ』  と黒い下着を着た彼女はベッドに長く横たわって妖艶に微笑したのである。    TEL  さっきも書いたと思うが、新宿には女子大生とイラン人が多い。わたしが新宿の東口を一時間程度歩きまわっただけで、3人のイラン人が、  「チョコはいりませんか?」  と声をかけてきた。チョコというのは固形のマリファナのことだそうだ。売春を常習にしているらしい女子大生の姿も見かけたが、彼女たちはわたしが女だからなのか、話しかけてはこない。  『中には売春ボーイもいるんです。新宿2丁目あたりをうろつくと、男に体を売っている男たちはいますが、新宿東口にはビジネス帰りの女性をねらった売春ボーイがたくさんいるんです』  と英子さんは言う。彼女にそそのかされて、わたしは売春ボーイの一人、信次くんとホテルで濃密な時間を過ごさせてもらったが、彼はなかなかのテクニシャンであった。  「牧場さんって作家なんですってね? あなたの書く小説ってなかなか色っぽいですよね」  と言いながら信次くんは、わたしのあそこを舌でペロペロする。その上手さにあたしは思わず短い声をあげてしまった。  テクニシャンなばかりではない。彼のあそこはなかなか太くて大きい。しかもわたしの方が感じても彼はなかなか達しないで、わたしをじらすように長持ちするあそこの持ち主だった。  「ああっ、いやよォッ、あそこが気持ちいいわァッ」  とわたしは思わずはしたたない声をあげてしまった。彼のものの先端から、あたしの中にドクドクッと濃いミルクのような色の液体が噴出する。  一度出しただけでは彼は満足せず、  「これがウリセンボーイのサービスですよ。男はお金をもらったら徹底的にサービスしますからね」  と言って次々にわたしの体のあちらこちらをむさぼった。  彼は持参した鞄から取り出したはっか水を口に含んで、ていねいに愛撫を繰り返す。あそこからアヌスへ、アヌスから背中の方へと舌がチロチロと這いまわるとわたしの喉から声が漏れる。  わたしは十本の指でシーツをギュッと掴んで悶絶するような声をあげる。  信次くんのアレがわたしのあそこに突入するように入ってくると、わたしは思わず腰を使ってしまった。  信次くんの話によれば、新宿周辺には彼のようなウリセンボーイが百人近くいるということである。  『普段の彼らはおかまバーだとか、ゲイパブでパロディショーなんかをやっているんですが、もちろん、それだけでは生活に必要なお金は稼げません。日本はあいかわらず円高不況の真っ最中だし、企業に就職したくてもできない連中が街にはあふれています。そのうちでも顔や体力に自信のある連中が、売春行為に乗り出したというわけです』  と信次くんは言う。    TEL  女性の売春行為は、売春防止法によってきびしく対処されることになっていて、常習売春者はもちろん、売春を斡旋しているものも法的にはそれなりの処罰を受けることになっている。男の売春を規定する法律はないが、こっちは地方条例の中に罰則規定が盛り込まれている。といっても人に迷惑をかけるようなやり方で、これ見よがしに客引きする行為が禁止されているということで、キャバレーやソープランドの客引きが禁止されているのと同じような意味合いの条例だから、まあ、男の売春は自由といっていいだろう。  もちろん新宿の周辺には女装したニューハーフちゃんもいて、性転換した彼女たちはもう普通の女性と見分けがつかなかったりする。普通の女性と間違って声をかけて、ホテルで勃起したシンボルをしゃぶらされたという男が、わたしの知り合いにいるが(今月の裏街道レポートを担当している君のことですよ)性別もなかなか混乱した時代になってきたようである。  『やっぱりあたしたちが街で男性に声をかけるのは、抱かれる相手は自分の目で選びたいからです。街に立つなんていうと、昔の街娼を思い出す人もいるかも知れませんが、テレホンクラブを使った誘いは安全な反面、相手の顔やスタイルがよくわからないという欠点があります。デイトクラブやホテトル組織を使った売春も同じです。組織はお客を集めてきてくれますが、あたしたちは相手を選ぶことはできません。それよりもむしろ、あたしたちは直接好みのタイプの男に声をかけて抱かれることの方が合理的だと考えているわけです』  と前述の英子さんの友人の啓子さんが言う。そう言われてみれば、もっともだと思う。もちろん、わたしなどは知らない相手に抱かれるのがダメなタイプだから、街で見知らぬ男に声をかけることなんてできないが、ホテトルから派遣されるまで相手の男がわからないというのも、なかなか苦しいものがあるのではないだろうか。  啓子さんによれば、街で知り合った男の中にはかなりの変態がいるらしい。  部屋に入ると、いきなり、  「俺のおしっこを飲んでくれッ」  とズボンのジッパーを下げて勃起したものを出す男がいたり、服の下に女ものの下着を着ていて、  「ぼくをお姉さまの妹にして下さいッ」  と甘えてくる変態男もいるという。そういう男は使用済みの女性の下着をブルセラショップなどで買い込んでくるらしいのだが、股間が女性の愛蜜で汚れたやつを洗濯もしないで着込んでプレイするのが好きな男が最近増えているのだという。  啓子さんたちが借りている部屋にはビザールルームというのがあって、そこではあらゆる変態行為ができるようになっている。  「おちん○○を緊縛してやろうか?」  と相手のおちん○○の亀頭をタコ糸で縛り上げて吊るしたり、鞭で打ったり、アヌスのバイブレーターを突っ込んだり、浣腸したり……。  女のわたしでさえ、こんな美しい女性に縛られたらきっと感じてしまうにちがいないと思うような彼女なのであるから、もうそこまでやってもらった男は幸せだぞ〜ッ。彼女は相手が気にいると、コンドームなしで男のものをチュウチュウと吸い上げるという。  タマタマを指でマッサージするように揉みながら、シンボルを根元まで吸い上げてやると男はたいてい、たまらずに先走りの液体を噴出してしまうという。  そこで満足せずに、ますます吸い上げてやると、  「ああっ、出るッ」  と声をあげた男のものが震える。  あわてて吐き出すと、男のものの先端から白い液体がドピュッと噴出してしまう。  それを顔面で受けるのが、  「とっても快感なのよね」  と彼女は言う。  かっては人妻や女子大生、高校生に絶大な人気を誇っていたのはテレホンクラブであった。しかし今は、男に直接アタックするのが上手な売春の方法だと言う認識が、女性たちに高まっているようである。  女性の就職率は年々悪くなっているが、一方で女性の離職率も高まっている。せっかく就職しても女性が職場にとどまっている年齢は平均で25歳という統計がある。  そういう時代だからこそ、女性たちは若さが体に充満している時期にしっかり稼いておこうと思うのかも知れない。  「あたしたちが若いから男たちが夢中になってくれるんですよ」  というのは、新宿で毎夜男を漁っているというミキちゃんである。彼女は体育大学に通っていて、昼間はアルバイトでエアロビクスのインストラクターをやっているということである。  昼間はインストラクターで、夜間は売春婦というイメージはなかなかのものがあるが、男たちが求めているのはこういう素人っぽい女性なのではないだろうか。顔や表情には知性が二次乱していて、体つきは健康そのものというミキちゃんのファンは多い。彼女の肉体は引き締まっているから、抱きごたえがあるといって、何回もお客になってくれる男性も多いという。  「あたしおちん○○をしゃぶるのが好きなんです。そういう行為が好きだから売春を続けているのであって、もちろんお金はほしいけど、それだけが目的じゃありません」  という彼女は東京生まれだが、いいところのお嬢さんなのだという。港区で生まれた彼女のお父さんは財界の大物なのだというが、そういう親に別に反発しているわけでもなく、あっけらかんとして男に体を売る彼女は、やはりニュータイプの女だとわたしは思った。そういう女性が増えているようである。 サデイズムと淫楽について……  世間を騒がした神戸の生首事件の被疑者が逮捕されてみると14歳の中学生だった。テレビを中心としたマスコミは逮捕の当日から、この中学生を犯人と決めつけて報道しているのだが、この報道態度はおかしい。逮捕された少年が14歳であろうがなかろうが、正式な裁判で有罪が確定するまではこの中学生は被疑者にすぎないのである。  法的にはこういう判断を無罪推定という。殺人容疑者を犯人と判断するのはあくまでも裁判所であって、警察やジャーナリズムではないのである。法律によって定められた裁判の結果、有罪となるまでは被告人を犯人として取り扱ってはならないというのが無罪推定の原則である。そういう意味でいえば被疑者の少年の写真を掲載した『フォーカス』の判断は明らかにまちがいである。  被疑者の少年は7月26日に家庭裁判所に送られたが、少年が通っていた中学校の岩田信義校長が、  「一番知りたいのは事件を引き起こした動機だ」  と発言したと7月26日付けの朝日新聞に掲載されていたが、殺人事件というとすぐに動機を知りたがるのは松本清張の推理小説ブームで育った世代に共通の悪い癖。  「『動機重視』といいますが、人間というのは動機があるからといって簡単に殺人などできるものではないですよね。松本清張の小説では、汚職がバレそうだからといって秘密を知っているものを北海道に呼び出してやすやすと殺害してしまいますけど、それはあくまでも小説の中だけのリアリティというものです」  と発言するのは心理学者の猿渡一郎氏。  「それに動機ははっきりしています。罪刑法定主義で有名な法律学者A・フォイエルバッハの心理強制説の中に『人間はもともと利害を合理的に打算し、不快を避け、快楽を求めて行動する動物』とあります。14歳の被疑者が殺人という残虐な行動を起こしたのは、まさしくそれが快楽だったからなのです」  と猿渡氏が言う。  しかし、殺人が快楽というのは……?  「普通、そういう心理はサディズムと呼ばれています」  と発言するのは猿渡氏の下で犯罪心理学を学んだことがあるというティッシュ堀内さんだ。  「Lustmordという言葉を日本では殺人淫乱症と訳していますが、これは『異性または同性を殺害することによって性的快感を得る』変態心理です。  死刑になった戦後の殺人鬼・大久保清や小平義雄は、あくまでも女をレイプするために殺害したのですからサディズム的であっても殺人淫乱症とはいいません。こういう症状はMordlust(殺人淫楽)といわれているんです」  とティッシュ堀内さんは言う。  殺人淫乱症で問題になるのは、殺人が性的興奮を呼ぶということだ。殺した後、死体を玩弄する心理が一緒に発現することもあって、死体加虐、死体崇拝の心理とあわせてネクロフィリアと呼ぶ。  ティッシュさんは、おそらく被疑者の少年はその両方の心理を生まれつき脳に植え付けられているのだろうというのである。  ある年齢に達すると殺人をしなくてはおさまらない心理状態になるようにDNAレベルで衝動を植え付けられた人間。犯行動機というものがあるとすれば、まさに生まれつき備わった殺人衝動を満足させることだけ……。  「昭和7年に増渕倉吉事件というのがありました。名古屋の中区で首を切断された女の惨殺体が発見されたのですが、乳房も臍も性器も刃物でえぐられていました」  と解説してくれるのはサムソン小暮くん。  「犯人と目された増渕倉吉はおとなしく小心物で信心深い好人物だったというのです。切断された生首は日本ライン木曾川の岩の上で発見され、首吊り自殺をした倉吉の小屋の冷蔵庫の中からは、切断された乳房や性器が発見されたそうですが、ついに大陰唇と小陰唇は発見されなかったそうです。  結局、その部分は倉吉が食べたのだろうという結論になったのだそうですが、おとなしく信心深く見える好人物の心理の奥にこういう残虐さが隠れているから人間というのは恐ろしいのです」  とサムソンくんは言う。    TEL  サディズムというのは性的興奮とは無縁ではない。ごく重いサディズムとごく軽いサディズムというのがあって、軽いサディズムならば人々はテレビや映画や雑誌などでしょっちゅう見ているのではないかと思う。  黒いオールインワンの皮のブーツを履いた女王さまが、ブーツにつけた滑車で裸の男の肌をこすりあげながら、  「あたしの足をお嘗め」  などといっているあれが軽度なサディズムなのである。簡単なサディズムというが、SM行為というのは特にその傾向を持っていない人たちにはかなり苦痛のようである。  「SMクラブの床に裸で横たわるだけでこれからやられることを空想してたまらなくなって、勃起したペニスをゴシゴシとしごくマゾ男がいるといいますが、ぼくはとってもダメですね」  というのがティッシュ堀内さんだ。  ティッシュさんは何年か前に某雑誌の取材でSMクラブにいったことがあって、裸にされて美人の女王様からビシビシと鞭でぶたれたりトライアングルのような器具につるされたり、あげくにお尻の穴に卵形のバイブを挿入されてローソク責めをされたのだという。  「バイブをアヌスに入れられた時には少し気持ちよかったですけど、後はローソクで少し感じたくらい、縄で縛られたって勃起しませんでしたし、つるされても痛いだけ……。だけど、痛みに勃起してしまう男性も結構、多いんだそうですよ」  わたしも昔、SMクラブで女王様のアルバイトをやっていたことがあるんだけれど、ああいう店のお客というのはすごく好みがうるさい。店のボーイが差し出す写真アルバムをじっと見て、好みの女の子を選び出すんだど、その好みの子が忙しいとなると、何時間でもじっと待っていてくれるる。代わりの女の子では絶対にダメなのである。  「昔はSM趣味があるなどというと完全に変態の烙印を押されたものですが、性のバリエーションが多様になると同時に世の中の見方も変化してきました」  というのが前述の猿渡一郎氏だ。  「SMプレイというと美しい女王さまに裸の男がかしづいて、足を嘗めたり、鞭で打たれて喜んだり、ハイヒールで踏み付けにされたり、馬にされたり……。  谷崎潤一郎の小説に『痴人の愛』というのがあって、主人公のナオミは典型的なサデスチンの理想といわれたりしています。その世界ではそういう女をドミナとかミストレスというのですが、ドミナを崇拝するあまり彼女のオシッコを飲みたいと思ったり、滑車や鞭で肌に傷がつくくらいいじめてほしいと思ったり……。  SM雑誌がよく売れた時代がありました。そういう雑誌には春川ナミオの『巨尻を顔に乗せられて窒息するくらい責められるマゾ男』なんかがよく出ていました。そういう男にとっては巨尻の女王さまのおならだって貴重な快感なんです」  とSM雑誌研究家もやっているティッシュ堀内さんが言う。  「ただ、現在のSM雑誌というのは性的快感の部分がマニアではない一般の人にわかりいい形で表現されている一方で、あまりにマニア的なものは排除されている傾向があるんです。  ですから、SM雑誌に書かれているようなものが本物のサディズムだとかマゾヒズムだとか考えていたら、とんでもない勘違いをすることはあるでしょうね。  強烈なサディストの中には、人の腹や首にナイフやノコギリを当てて本当に切断しないと満足できないものもいるはずです。またそれとは逆に、腹部にナイフを突き立てられた瞬間に勃起して射精するマゾヒストというのも本当にいるんです」  と猿渡一郎氏が言う。  「サディズムとかマゾヒズムというのはホモセクシュアルがそうであるように、絶対になおりません。どんなに精神分析を繰り返そうがカウンセリングを受けようがダメなのです。強烈なサディストというのは野生の環境に育ったライオンと同じなのです。神戸の生首事件の被疑者を2、3年の少年院生活の後に社会に復帰させたとしたら、すぐに殺人を繰り返すでしょう。それはたとえばライオンを2、3年の調教の後、街で放し飼いにしようという行為と同じなのです」  サディズムの傾向を持ったものは不思議なことに空想癖が強く、物語りの中に身を置いた世界に暮らすのが好きだともいうが……。 ポルノ小説作法  最近、ポルノ小説作家になりたいという女性が増えてきた、という話を聞いた。そういわれてみれば、作家などが集まるパーティで大学生らしき女性から、  「あたし、就職しないでできたら作家になりたいんですけど……」  などという相談を受けることが多くなった。  「だったら原稿用紙に向かってひたすら書くことじゃないの?」  と答えると、とんちんかんな答えが返ってくる。  「でもあたしにはコネがないから……」  「コネがなくても、作家になりたいんだったら、ただ書くしかないでしょ?」  「書くったって、どうやって書いたらいいのかわからないし、それに何を書いたらいいんですか?」  「書きたいことがわからないんだったら、作家になんかなれないでしょ?」  「だから、コネがほしいんです」  どうやら編集者とのコネクションがあったら、何もしないでも作家になれると思っているらしいのである。  これは大きな勘違いだ。作家はまずコネクションがどうのこうのとか、業界の繋がりがどうのという前に書かなければならない。書くというのは華やかさとはほど遠い、地味な行為なのである。地味で地味で泣きたくなるのが作家の日常生活である。もう小説家というのは華やかさとはほど遠い生活しかしていないのである。  小説家になるのは、かなりの実力があっても俳優や漫画家やイラストレーターになるのよりも格段に難しい。俳優には肉体というものがある。俳優志願者の喋り方や動作を見ているとこの人はどんな演技をするのだろうというだいたいの見当がつく。漫画家志望者の原稿はチラッと見ただけでもおもしろい漫画かそうでないかがわかる。イラストレーションも同じである。実力判断が1秒ほどでついてしまうのである。  ところが小説はそういうわけにはいかない。「わたし、作家になりたいんですけど……」という作家志望者から原稿を見せられた編集者が相手の実力を判断するには、まず原稿を読まなくてはならないのである。小説原稿を読むというのは大変に時間がかかるし集中力のいる行為だ。そこで多くの小説雑誌編集者は、  「一応、預かって時間のある時に読ませていただきます」  と言って机の引き出しに入れる。あるいは持ち込みの原稿を入れておく段ボール箱がある雑誌編集部もある。  編集者というのは忙しいから、預かった原稿の存在をそれっきり忘れてしまうことが多い。というわけで、作家志望者が雑誌編集部に持ち込み原稿を渡してもそれが採用になって雑誌に掲載される確率は百万分の一くらい、ということになってしまう。  雑誌に小説が掲載されるまでの過程というのは大変なのである。だったらてっとり早くポルノ小説で、という気持ちはわからなくはない。わたしもそうやってデビューしてきたからである。  中間小説誌よりは、ポルノ雑誌の方が投稿原稿が掲載される確率は高い。(中間小説誌というのは『小説現代』『小説新潮』『オール読物』といった雑誌のことで、直木賞の受賞対象になるのがおおむね中間小説である。ポルノ作家になる場合でも中間小説という言葉は覚えておいた方がいい)  投稿原稿が採用になる確率が高いということは作家になれる確率が高いということである。それではポルノ小説をどう書いたらいいか、セックス体験の有無はどう作品に影響を及ぼすか……、ということになると何ともいえない。  バージンの女性や童貞の男性がポルノ小説を書いて断然それがおもしろいということはあるし、性体験が豊富な女性がポルノを書いても、それが薄汚いだけでちっともおもしろくないということもあるからである。  小説の原点はただ書くことであり、行為は伴っていなくてもよい……、といささか強引に断定しておくことにする。  というのはポルノ小説家になるには奔放にセックスしていなくてはいけないのだとばかり、作家になるためにセックスしまくる女性が出てくることを恐れるからである。  ただ、オナニーはした方がいい。オナニーは性的妄想をたくましくしてくれるからである。もしあなたが女性だったら、テレホンクラブに電話してみるくらいのことはやった方がいいだろう。  実体験がどうのこうのという前に性的好奇心がなくては作家として成功することはおぼつかないと思うからである。    TEL  書くというが、どうやってポルノ小説を書いたらいいのか、何か参考書のようなものはないのか、と知りたがる女性も多いと思う。  純文学の世界には谷崎潤一郎や三島由紀夫や芥川龍之介といった作家の文章読本があるのだが、中間小説はポルノ小説の世界にはあまり書き方の手引書というものは見当たらない。しかし、実は参考書を読むよりも、ポルノ小説の場合は、ポルノ小説そのものを読む方がずっと勉強になる。書店のエッチ雑誌コーナーに行くと、ヌードグラビア雑誌やマニア雑誌と並んでエッチ小説雑誌が並んでいる。まずこういう雑誌を購入してくるのである。  「あたしは女性なのだから、男の人が読者のそんな雑誌を買うことはできない」  という人はポルノ作家失格である。エッチ雑誌コーナーからポルノ雑誌を購入してくるくらいの度胸がないと、ポルノ作家にはなれない。雑誌を購入したらすみからすみまで熟読すること……。そういう雑誌にはカラーグラビアから目次にいたるまで女性のヌード写真が掲載されていて、文章ページにもレイプの被害にあった女性の告白とか、二人の男性と同時にセックスした女性の告白、売春がやめられない人妻の告白などといった過激な文章が掲載されている。小説のあいだに入っている女性の赤裸々な手記は業界では『実話』と呼ばれているが、たいてい男性のライターや小説家が手分けして書いていることが多い。  たいていの雑誌では『読者の赤裸々な体験告白を募集』しているから、まず小説を書く前にそれに応募してみるということもいいかも知れない。といっても本当の話を書くことはない。男が興奮しそうな妄想を書いて送ればいいのである。  告白はだいたい原稿用紙十枚くらいの規定で募集している雑誌が多い。エッチ系の雑誌は普通、男性編集者が編集をやっていて、読者の投稿文も男性からのものがほとんどなのである。  (読者の大半が男性なのだから、当然のことだけれど……)  その中に女性からの投稿が混じっていると男性編集者はよく読む。その原稿を採用しようという気持ちばかりではなく、女性の気持ちを知ろうとする心理も働いてのことなのだが、読んで貰えば採用率も高くなるということは当然である。  実は嘘の体験手記を書くことは小説を書く上で大変に勉強になる。ひとりひとりの人生の履歴と人間性を書き分けなければならないし、何種類もの性行為を描写するのは実は大変なことなのである。採用されなくても、何本かこういう投稿を送っているうちに、編集者から返事がくることがあるし、文章の修行になる。知らないうちに小説を書くコツを身につけていることに気がつくことになるだろう。  結構、女性の投稿が採用される率が高いのは、こういうエッチ系の雑誌のほかに、ホモ雑誌とか、スワッピング系の雑誌、最近は雑誌の数が少ないのだがSM雑誌などがある。なぜかというと、男女の性愛をテーマにしたエッチ系の雑誌の場合には専門の作家というのがいる。専門作家はスポーツ新聞やエッチ系雑誌、文庫本などを出していて、それなりに力量のある人が多い。ポルノ雑誌というのはこういう作家に告白文も小説もまとめて依頼して製作することが多いから、読者の投稿が採用される率は低いのだが、SM系の雑誌とか、ホモ雑誌、スワッピング雑誌というのはほとんど100パーセント、読者の投稿原稿を掲載することによって成り立っている。だから、こういう雑誌は採用率は高い。プロのポルノ作家としてデビューしてからも正体を隠して、こういう雑誌に投稿を続けて、こまめに原稿料を稼いでいる人も存在するのである。  (実はわたしも数年前までこういうことをやっていた)。  コネはなくても結構、こうやって投稿を続けるうちに採用される雑誌がポツポツと出てくるものである。事実、こういうマニア雑誌の投稿から出てきたプロ作家も決して少なくないのである。    TEL  採用されやすい原稿と採用されにくい原稿とがあるとしたら、どう書けば採用されやすいのか、と聞かれることがある。  まず読みやすい原稿であることが一番だろう。字がきちんと書いてあり、読みやすい言葉で書かれていること……。辞書を引かなくてはわからないような難しい字や難しい言葉が羅列されているような空虚な小説はポルノ系の雑誌では採用されることは少ない。逆にわかりやすい言葉で、生々しく、いやらしく、ねちっこく、情景が目に浮かぶようなセックスシーンが書かれている小説は採用率が高いと思っていい。  ポルノ小説の決め手はそれを読んだ読者が興奮してくれることなのだが、あまり読者の興奮について考えない方がいい。できるだけ自分が興奮するいやらしいイメージを脳裏に浮かべてじっくりと書くのがいいと思う。ポルノ小説の価値は臨場感である。臨場感というのはジェットコースターに乗っていなくてもジェットコースター気分が味わえるような迫力のこと……。あなたの書いたポルノ小説で男性読者がオナニーしないではおさまらないようなイメージが作れたらまず成功といったところ……。  そういう小説を書くためには、他人の書いたポルノ小説を読むことも大切だが、アダルトビデオやポルノ映画、レディスコミックなどに目を通しておくことも必要かも知れない。レディスコミックを買うのが恥ずかしいという人はポルノ作家を志望する人の中にはいないと思うが、アダルトビデオを借りるのが恥ずかしいという人はいるかも知れない。けれど、ビデオ屋さんのアダルトコーナーはエッチな好奇心を持った男性を観察する絶好の機会だし、一度はのぞいて見る方がいいかも……。  しかし、ポルノ映画館というは、女性のあなたが一人で入ると痴漢の被害にあってしまうかも……。別にポルノ映画館というのは痴漢の巣窟ではないのだが、女性が入場すると欲求不満の女が男を探しているように見えるらしく、図々しい男がタッチしてくる。わたしの経験だと、そういう映画館に十回入場すると15、6人の男に触られてしまうから、痴漢が絶対にダメとか、触られるのはイヤという人は、一人で近づかない方がいいかも知れない。  (男性にエスコートされた女性は、比較的大丈夫かも……。でも頭の中では男性のオナペットにされているかも知れませんけど……)  場末の映画館で上映されているポルノ映画というのは、アダルトビデオとは違ってストーリーがあってポルノ小説に近いものがある。監督は男性が多いが、脚本やスタッフには女性が多いし、女性の出演者が中心の完全に女の世界なのである。ポルノ小説家を志望する女性なら絶対に見ておいてほしいものなのだが、ポルノ映画館というのは女性用トイレが釘付けになっていたり、チェーンが掛けてあったりして、女性を排除するようになっているんです。もっとも最近は、ポルノ映画の旧作が書店売りビデオとして販売されたりしていますけど……。 ポルノ小説作法2  前回は、ポルノ小説家にあこがれている女性のためのポルノ小説作法ということで、投稿のコツとか、コネの作り方などにざっと触れたが、今回は素人にありがちな失敗例について解説したい。  こういう原稿が送られてきたら、たいていの編集者たちが、  「ああ、またか……」  と顔をしかめて原稿をくずかごにポイしてしまうという例について詳述するので、ポルノ作家になりたい人はじっくり読むように……。  (この失敗を犯さずに原稿が書けたら、あなたの原稿採用率は飛躍的に高まることでしょう。もちろん男性のポルノ作家志望者も、要熟読!)  エッチ雑誌編集部に送られてくる初心者の原稿というのはやたらと、主人公や登場人物の過去のことや、日常生活を延々と説明してあることが多い。  はなはだしい例になると、主人公の男がどこで生まれて、母親はどんな女性で、○○歳の時に故郷である東京の江戸川から函館に引っ越して、そこで美しい女教師に初恋して、その教師がテストの採点をしていた時にスカートの下に白い下着がチラッと見えて、激しく勃起してトイレでオナニーした同じ夜に父親が海難事故で死亡して、というようなことがしつこくしつこく書いてあって、20枚目あたりにいきなりベッドシーンが出てくる。2、3枚ベッドシーンが続いたと思うと、また主人公の日常生活の説明が10枚ほど続く。  こういう投稿原稿が実に多いのである。  小説は説明文でも主人公の履歴書でもないので、こういう文章を読まされた編集者はうんざりして、すぐに投稿原稿をゴミ籠にポイしてしまう。たいていの雑誌の原稿募集には  「投稿原稿は返却しませんので、必要な方はコピーをとっておいてください」  と書いてあるから、せっかく投稿しても、2、3枚しか読まれずにゴミ籠に捨てられてしまったらどこにも文句の言いようがない。  捨てられ損なのである。  せっかく投稿するのだから、2、3枚ではなく、最後まで読まれる原稿を書いた方がいい。最後まで読まれたら採用率はぐっと高まるはずだからである。  ポルノ小説は男性を勃起させることがポイントだと前回に書いた。もちろん男性を勃起させることばかりではなく、女性を潤わせて、オナニーさせたら大成功といえるのだが、それではベッドシーンを延々と生々しい言葉で書き続けていれば、読者がたやすく興奮してくれるかといったら、これはなかなか難しい。  つまりベッドシーンの羅列、あるいはベッドシーンだけの小説は、なりたつかという問題になる。  ポルノメディアの中にアダルトビデオというのがあって、これはもうストーリー展開がどうのこうのとか、主人公の性格がどうのこうのということとは関係ない。  女の子が出てきて、いきなりベッドでオナニーを初めて、さんざん気持ちよさそうな声をあげて興奮が収まったと思うと、三人組のレイプ男が部屋の中に侵入してきて、というメチャクチャな展開がアダルトビデオの特徴なのである。  あまりにやりっぱなしだから見る方も飽きてしまってアダルトビデオの人気はすっかり凋落しているというのが現実だ。  しかし、ポルノ小説はセックスを描くことがメインであり、男性を勃起させることが目的であるからアダルトビデオと同じでストーリーはいらないではないかという意見がある。これは極論に見えても決して間違いではないし、事実、そういう方針で書かれたポルノ小説というのも存在するのである。  (最近はどこの書店にも置いてある黒い表紙のフランス書院文庫とか、緑の表紙のグリーンドア文庫などには、こういう方針で書かれたものが多い)  しかし、単行本には一冊300枚の原稿がおさまっているとして、300枚をベッドシーンだけの描写でどこまでも展開するのは大変な力量がいるのである。これから作家になろうという人たちにはとてもできるようなことではないから、初心のうちはベッドシーンだけの小説は避けた方がいいと思う。  ポルノ小説はベッドシーンの読ませ方がポイントだということはわかっておられると思う。小説全体に対して、どれくらいの分量がベッドシーンに費やされているのがいいか、ということになると、書き手によってそれぞれ違うから何とも言えないのだけれど、大ざっぱにいって、ベッドシーンがクライマックスにくる小説と、冒頭部からベッドシーンで開幕する小説がある。これはチャンバラ時代小説と同じで、いきなり切り合いからはじまる小説と、長い対決があってクライマックスで切り合いがはじまる小説があるというのと似ている。  昔のポルノは、ベッドシーンがクライマックスにくる例が多かった……。  これは映画の表現スタイルの変遷とも共通点があって、たとえばスチーブン・スピルバーグが監督した名作『インディージョーンズ・魔宮の伝説』は、いきなりヌルハチ汗の遺骨を奪いあうアクションシーンからはじまる。  (映画の字幕では『ヌハチの骨』と言っていたが、これは正しくは『ヌルハチの骨』)  古い映画だと、こういうシーンはクライマックスにしかなかったものだが、スピルバーグが作ったスタイルではいきなりアクションシーンを展開させて観客を映画の中に引き込んでしまう。これは映画がビデオ化やテレビ放映されることを意識した手法というべきで、開幕一番、しっかりと観客をスクリーンに釘付けにして逃がすまいとする表現技巧なのである。  スピルバーグがプロデュースした『グーニーズ』(リチャード・ドナー監督作品)も、冒頭は銀行強盗を追いかける警察とのカーアクションシーンだった。  ポルノ小説も同じである。  読者の興味をしっかりと掴みたいなら一行目からベッドシーンを濃厚に展開するという方法がある。これを一応、スピルバーグ方式と呼ぶことにする。  スピルバーグ方式でポルノを書く場合、読者は冒頭のベッドシーンを読むとそれで満足してしまってストーリーがはじまると読まないという人が出てくるらしい。ポルノ小説というのはオナニーの道具であって、男性でも女性でも、小説を読みながらオナニーしてアクメに到達してしまうとそれ以上読む必要がなくなる。だから読まないでポイされてしまうという結果なるわけで、そういう事態を避けるためにはベッドシーンを後ろに持って行くのがいいのではないかとか、作家によっていろいろと意見があるのもたしかだ。  しかし男でも女でも、オナニーのためだけにポルノを読む人の嗅覚は敏感で、後ろに見せ場を持っていったら途中を読まないでベッドシーンだけを捜し出して読むというのがこういう読者の特徴なのである。結論をいえば、ベッドシーンしか読まない人はどういう書き方をしてもベッドシーンしか読まないのだから、小説全体を読ませるためにあれこれ苦労するのはムダということ……。しかし、小説全体を読む人は、最初から順に読み始めるので、冒頭にベッドシーンのある小説の方が、こういう読者の心を掴みやすいといえる。  これは推理小説と同じで、冒頭に謎の殺人事件があった方が読者は犯人を知りたくて最後まで読むという理屈である。反対にいつまでも殺人事件が起こらずに、本の半分も過ぎた頃にようやく最初の犠牲者が殺されるような小説は、途中で投げ出されてしまう可能性が大きい。  ポルノであろうが、推理小説であろうが、アクション小説であろうが、  『小説の冒頭には読者を引きずる仕掛けが大切』  これは何度いっても言い過ぎることはないくらい大切なことである。  冒頭にクライマックスシーンを持ってくれば、それでその小説は読まれるのか、といったらそんなことはない。スチーブン・スピルバーグが監督・プロデュースした作品を見ればわかるのだが、冒頭のアクションは、次にくる更に大きな見せ場へと続く導入部なのである。  「おおっ、すごいぞ」  と思っているうちに、ますますすごい危機が主人公を襲う。カーアクションの末に、やっと逃げ込んだ飛行機を操縦するのはヌハルチの骨をねらう敵の手下。操縦機は破壊され、パイロットは高笑いとともにパラシュートで飛び降りて、メーターを見れば燃料はゼロという危機的状況が続く。こうなったら飛行機から真下の雪原にダイビングして逃げ出すほかに手はない。あやうし、インディの乗った飛行機は急速に落下していく。  インディ・ジョーンズは非常救命用の救命ボートを膨らませて雪の斜面に向かってダイビングする。しかし、救命ボートは雪原をどんどんすべって、悲鳴とともに切り立った崖から数百メートル下へと落下する。あわやインディの命もこれまでと思ったが、運よく下は深い川で、どんどん流されていくインディを狙う土人の一族が周辺に集まってきて……、という展開になる。  冒頭部のアクションだけで30分近くあったのではないかと思うが、信じられないような危機また危機の連続である。しかし、冒頭部がいかにすさまじいアクションの連続であっても、クライマックスはもっと凄い、というのがスピルバーグ映画のきわだった特徴である。  結論をいうと……。  スピルバーグ方式でポルノ小説を執筆する場合、冒頭にベッドシーンを用意して読者を引き込むのはいいが、それが最大の見せ場であってはいけない。最大の見せ場はやはり最後になければならず、作者の腕は、クライマックスまでどうやって読者を引っ張っていくかという力量によって問われるというのは、当然のことだ。  これを『起承転結』とか『序破急』などという。  それでは主人公がどこで生まれて、どういう会社に勤務していて、母親はどういう人で……、などといったことは書かなくてもいいのか、と不思議に思う人がいるかも知れない。書かなくてもいいということではないが、できるだけこういうことは書かないで読者の想像にまかせるのがいい。  たとえば主人公の会話に時折、大阪弁がまじる描写があったら、読者は、  「おや、この主人公は大阪生まれなのかな……」  とか、  「大阪勤務が長くて、最近、東京本社に転勤してきたのかな……」  などと色々と考えるはず……。  もちろん、  「木村一平太は最近、大阪支社から転勤してきたばかりであった」  という描写で手のうちをさらすのはいいが、  「大阪支社での彼の評判は……」  などと余計なことを書かずに、迅速にベッドシーンへと話をすすめる。女性が主人公だったらたちまちハンサムな男に出会って、ラブホテルに連れ込まれて……、と話を進めていくのがコツなのである。 ポルノ小説作法3  この講座も3回目を迎えて具体的な小説の作法をあれこれ書こうかと思ったが、急遽、考えを変えて、わたしを含めて現役のポルノ作家たちがどうやって作品を雑誌に掲載して作家になったのか、その具体例を書いておくのも無駄ではないかも知れない。  小説の書き方講座というのはよくあるが、売り込み方講座や、どうやって作家になったのかという方法は、カルチャーセンターの小説講座でもなかなか教えてもらえないからよーく読むように……。  わたしの場合、はじめて官能小説を書いたのは15歳の時だった。当時、学習研究社が出していた『高校コース』という雑誌があって(今もあると思うけど……)そこで毎年一回、学生小説コンクールというのがあった。審査員は白樺派の文芸評論家・本多秋五で、当時、高校の文芸部に所属していたわたしは友人たちと語らってそのコンクールに応募したのである。実際に応募したのはわたしだけだったという落ちがつくのだが、応募したその小説が恐ろしいことに第一席に選出されて、本多秋五先生の大変なお褒めの言葉をもらってしまったのである。これがわたしが作家になる第一歩だった。  褒められるとその気になってしまうのがわたしの性格で、急速に作家になりたいと思ったわたしは自分の小説を掲載してくれる雑誌を探してせっせと本屋さんに足を運んで、雑誌の中に『原稿募集』という文字を見つけると、それがどんな雑誌だろうがためらわずに小説を書いて送った。中間小説雑誌に小説を書いて送って採用されるわけがないということは本能的にわかっていたのでそういう雑誌は避け、ミステリー雑誌やSF雑誌も敬遠したわたしが原稿をせっせと送ったのは、ゾッキ本と呼ばれるエッチ小説がたくさん掲載されている安っぽい雑誌群だったというわけである。  セックス体験だってないのに、わたしはそういう雑誌にせっせとセックスシーンのある原稿を書いて送った。何しろ小説家気分が味わいたくてやっているのだから、高校の勉強などしないで猛烈に原稿を書きまくって次々に送ると、ほとんどのゾッキ本が採用してくれた。後で話を聞いてみると、出版社によっては、投稿原稿をろくに読みもせずにすべて雑誌に掲載しているところもあったのだという。原稿料は安いが、自分の原稿が活字になる喜びは何物にも変えがたい。ある雑誌の常連になるともっとほかの雑誌はないかと書店に雑誌をあさりにいって、成人向のマークが刻印されている『奇譚クラブ』だとか『SM○○○』と言った雑誌を見つけて、そこにも原稿を送った。ミステリーあり、宇宙を舞台にしたスペースオペラあり、ギターを抱いた渡り鳥あり、もう無茶苦茶にいろんなものを書いた。夫婦交換雑誌の原稿募集を見つけると、高校生のくせに主婦を名乗って嘘だらけの夫婦交換手記を送ってしまう。20枚書くと2万円ほどの原稿料をくれたのでこれは結構いい稼ぎだった。夫婦交換雑誌は当時、3誌あったから、そのすべてに毎号、名前を変えて手記を書いていた。編集部の方は毎号、違うペンネームで同一人物が手記を送ってくるのをおかしいと思ったのか思わなかったのか、毎号掲載してくれてちゃんと原稿料を送ってきた。そのうちホモ雑誌などというのを見つけて、男性名でホモ小説を書きまくった。これは採用率は100パーセントだったが、原稿料がスワップ雑誌よりも安く、4誌に原稿を送っても全部で6万円くらいにしかならなかったが、これを毎月毎月やっていたのだから高校生にしてはかなりの稼ぎだった。  某出版社のSM雑誌などはあまりに原稿料が安いために、作家に原稿を発注することができず、編集長が全体の半分くらいの原稿を自分で書いていたらしい。(これは後になって知ったこと)さすがにグロッキーになってたところにわたしの大量の原稿が舞い込んだ。30枚くらいの原稿を3本とか5本とか同時に送ったのだが、これには先方の編集長も助かったらしく一誌にペンネームを変えて全部掲載された。こっちは調子に乗って翌月も多量の原稿を送る。夕日を背にしてやくざとやくざが西部劇っぽく拳銃戦を演じたり、悪徳医師が美少年を誘拐してペニスを切断して女に性転換してしまったり、そんな描写の中に緊縛シーンとか拷問シーンを挿入するのである。当時のSM雑誌というのは拷問シーンはあったが、セックスシーンはなくてもよかったし、何しろ、先方は原稿が足りなくて足りなくて渇望状態だったものだから、いくらでも掲載してくれたのである。  こんな青春時代を送りながら、わたしは法律を勉強したり正当な日本文学の勉強をしたり、ただ、頭の中は小説を書きたいということで爆発しそうだった。考えてみれば小学生の頃から、頭のなかはドラマのことばかり……。好きな映画を見れば三日でも四日でもあのストーリーは、自分だったらこうするああするともう日常生活はドラマのことでいっぱいで、勉強などした覚えのない小学生時代を送っていたのだから、たぶん、書くことが天性だったのだと思う。  多感な高校生時代に親に隠れてエロ小説(といっても今から考えれば普通の小説で、官能味だってほとんどないものが流通していたのだけれど……)を書いていて、それを先方が活字にしてくれるものだから嘘を書いて読まれる喜びを覚えてしまったというわけだ。褒められたいとか、名誉なんてこととはまっしく無縁の世界の中でせっせと匿名を使って書き続けていた小説を、今も書いているというだけのことで、当時の編集者たちがどんなメチャクチャな小説でも乗せてくれたおかげで、今でもたいていのジャンルは書ける。  これがわたしの体験談なのだが、多くの作家に聞いてみると、人によって多少のちがいはあるものの大方があまり変動ない執筆体験の果てに官能小説を書くようになっている。  一条きらら氏も藤まち子氏も北山悦史氏も、最初は投稿から出発したようだし、官能小説のジャンルにはわたしのような熱心な投稿マニアから出発した人が多いようである。  さてここまでがわたしの体験談だ。一時期、中断はあったもののわたしの場合は同じことを続けながら少しずつ原稿料の高い雑誌に移行して作家としての地位を固めてきた。わたしの原稿を気にいって定期注文してくれる編集者が出てきたり、あるいはレギュラーの雑誌が廃刊したりということを繰り返して、そこにいた編集者が別のところに移って雑誌を創刊して注文をくれたり、編集者から編集者への紹介があったりで仕事を続けることができた。  投稿経験なしに編集部に直接、原稿を持ち込む人もいる。だいたい雑誌編集員というのは忙しいので、電話して会いたいといってもあしらわれることが多いのだが作家の紹介状を持っていったり、うまくタイミングを掴んで会うことができて、持ち込みから作家になった人も多いようである。ただし、前にも書いたが、編集者というのは忙しい。あまりの忙しさに記憶錯乱をしょっちゅう起こしている人も多く、原稿を渡してもよほど運がよくないと読んでもらえない。  生原稿を読むというのはたいへんなことなので、作家に紹介された作者の原稿しか読まないという編集者もいる。  (つまり事前に作家に読んでもらって判断をあおいでから持ってこいということ……)  ほかには一度雑誌の編集者をやってコネをつくってから作家に転身する人もいる。雑誌の編集をやりながら自分の原稿を書いて、ほかの雑誌の編集者の原稿を自分の雑誌に掲載してやるかわりに、自分の原稿を掲載してくれと交換条件でしぶとく生き残っている編集者兼業の作家もいるのである。  というわけで、多くの作家にいえることだが、世に出てくることに何の秘密もない。ただただ書くことが体質的に好きだったから書き続けていたら自然に作家になっていたということ以外、何の秘密もないのである。  わたしの場合は最初から『どうやって書いたらいいか』ということとも無縁だった。メチャクチャに書いているうちに心理洞察ができるようになり、導入部分の書き方がわかってきた。クライマックスの盛り上げ方や、登場人物の性格、小説のテンポを出すための会話の使い方、エロチシズムの描写方法も書くことによってだんだんに発見していったのである。  小説を書くコツというものがもしあるとすれば『それはただ書くことだ』というのは『当たり前じゃないか』と言われそうだが、真理なのである。  それ以上のこととなると、後はもう才能だとしかいいようがない。小説というのはほとんど努力が報われない分野のひとつで、才能にめぐまれていなければいくら努力をしてもムダ。逆にいえば才能がありさえすれば自分がのぞまなくてもいつの間にか世に出ているという結果になるもののようである。だから、小説を書く前から、「わたしは小説家になりたい」などということを言っている人がいるが、この講座を読んでいる人は少なくともこんなことを言ってはならない。当たり前じゃないかと言われそうだが、小説家になりたいんだったら『まず小説を書いてもらいたい』。  編集者のコネとか、原稿料がいくらだとか、自分の本が出版したいだのといった話は小説が書けてからのことで、作家のパーティなどに出席して、「あたしできたら作家になりたいんですけどォ」などといっているお嬢さん連中はこういう意味でそろいもそろって勘違いをしているといっていい。  などときびしいことを書き過ぎたが、官能小説であろうが、ミステリーであろうが、推理小説であろうが、エンターティメントのジャンルに入る小説というのは読者を喜ばせることが使命なのである。エンターティメント作家というのは、たとえば大工さんと同じで、技術的習練というものが求められる。一日や二日で大工の技術が覚えられるわけがなく、木を切るのだって釘を打つのだって十年以上の習練がいる。  実は官能小説も同じで、パッと出てきてパッと儲かる分野では絶対にない。  この世の中に苦労して儲かるものなんてひとつもないのであるッ。  などといってしまうと身も蓋もないから、次回からは、どうやったらよりよい官能小説が書けるのか、具体的な講座に移ろうと思う。今回は多少、厳しい話になったが、次回からはまったく才能がない人でも書ける官能小説の書き方をポンイトに念頭を置いて話をすすめたいと思う。  さんざん書いたことだが、才能のある人はいきなり編集者に原稿を送って採用されて作家になったりするから、こういう講座を熟読する必要はないが、官能小説を書いてみたいがさりとて書き方がわからない、しかし、あわよくば作家になって金をがっぽり儲けてリッチに暮らしたいと考えて作家をこころざす不純な人も中にはいるかも知れない。  わたしの講座はそういう人のためにあるのである。次回以降の本講座は具体的な執筆方法を紹介するので、乞うご期待! 女子中学生テレクラ遊びルポ  今や女子高校生のテレクラ遊びは当たり前の時代である。噂によると、都内のあるテレホンクラブには、午後五時過ぎになると女子中学生が暗い声で電話をしてくるという。  女子中学生の電話はおいしいが暗いというのが、電話を待っている男たちの評価なのだそうである。  それはそうだろう。  友人との付き合いや、塾や、受験と中学生の毎日はけっこう忙しい。日常に忙殺されそうな毎日を送っているはずの中学生の中でも、テレホンクラブに電話することを常習にしている娘というのは、かなり根が暗いと考えてまちがいないであろう。  「今や、女子中学生のテレクラ売春なんて普通のことですよ。こんなことで驚いていてはいけません。女子中学生ばかりではなく、男子中学生もテレクラに電話してきて、売春相手を探しているという噂ですよ」  とエッチ雑誌の編集部にいるWくんは、瞳を輝かせて教えてくれた。  驚いたことに、テレクラにはホモ電話を待つために個室に閉じこもっている少年愛マニアもいるのだという。  テレビドラマでは、今、ホモセクシュアルが大流行だ。女子中学生や高校生が読む雑誌や単行本にも、ホモ情報がぎっしり掲載されている。たとえば野島伸司脚本の『人間・失格』に出ているキンキキッズ堂本光一くんの同性愛演技に対しての女子中学生の人気はたいしたものだ。  「あたしがテレクラ売春を始めたのは、ホモの少年を救いたいと思ったからなんです」  と、あたしの取材網にキャッチされた伊東留美ちゃん(14歳)がいう。写真を見せてもらったが、彼女が興味を持っているホモ少年というのは、堂本光一くんにどこか似ている。  留美ちゃんというのは、やおい小説にやおい漫画の愛読者だ。作られたホモ情報を本当だと信じていた彼女は、実際のそういう世界を生身で見て腰を抜かすほどビックリしたそうだ。  「ホモ少年って、新宿二丁目なんかに網を張っていて、いい男がいたら本気でアヌスに勃起した男性のものを入れさせちゃうんですよね。ああいう世界に生きている少年を愛してから、あたしは彼を救うために、お金を稼がなくてはならなくなったんです」  という留美ちゃんは、どこか原田知世ちゃんの若い頃に似ている。八重歯がかわいい彼女は、映画館の闇の中でも、どこでも男のものを絞り出すのが得意だという。  テレクラの男たちには、人妻好きもいるが、ロリコンタイプもかなり多いそうである。  人妻狙いの男たちは、昼前に郊外のテレクラに網を張るし、ロリコンタイプは午後五時から六時くらいを狙う。  あるいは学習塾が終わる頃、午後八時から九時くらいも狙い目だという男もいる。  彼女たちの売春料金は平均で4000円から7000円くらい。  新宿周辺のテレクラに電話してくる女子中学生の中には、それ以上要求する娘はほとんどいないという。  テレクラというと、不良じみたヤンキー娘が電話してくると想像する人もいるだろうが、ああいう場所に電話してくるのはほとんど真面目そうな子が多い。  ヤンキー娘の電話はほとんどいたずらなのである。  「何人くらいの男と寝たの?」  とあたしが聞くと、留美ちゃんは愛くるしい目をキョロキョロとさせて答えてくれた。  「30人を越えていると思います。一晩に3人とやったこともあるますから……」  という彼女の肉ヒダを見せてもらったが、その部分は赤く充血して肥大していた。かわいい顔とは裏腹に、彼女のその部分はしっかり使い込まれていた。  「アレを入れられて感じるようになった?」  とあたしが聞くと、彼女は無言でうなずいた。  彼女は中学の制服で男に抱かれることが多いという。制服の下には飾り気のない白い下着をつけている方が男性は喜ぶと、彼女はあたしに教えてくれた。    TEL  「セックスが上手な男性がいいですよね」  とあっけらかんとした表情でいうのは、『家なき子』の安達佑実ちゃんとどこか似ているあどけない表情をした斎藤幸ちゃんである。  彼女の母親はソープランドでソープ嬢をやっているらしく、子供の頃から部屋に男を連れてきていたらしい。  彼女がテレクラに電話するようになったのは、小学校6年の時だという。  「小学生の頃から、あたしはテレホンセックスを知っていました。あたしの方はそういうつもりではなくても、電話をすると男性の方がテレホンセックスに誘ってきます。あたしはその頃からおとなっぽい声の質をしていましたから、男性はあたしのことを人妻か何かと思っていたかも知れませんよ」  と彼女は微笑する。  彼女もかなり、テレクラの男とやりまくっているらしい。  「中学一年の時には、あたしは7人の男性を知っていました。そのうちの一人とは今もつきあっています」  という彼女には、テレクラで知り合ったパトロンがいて、定期的に会って小遣いをくれたりするのだという。  「あたしは彼のおちん○○で女にされたようなものなのよね」  という彼女は、たくさんの男を知っている自信のようなものが表情に見え隠れしていた。  男性にとって、少女時代から調教してきた女がアクメを覚え始める瞬間の表情というのはたまらないものらしい。  彼女は行きずりの男には感じないが、パトロンの男に抱かれる時には激しいアクメを感じるということである。  「彼のアレが入ってくると、気持ちよくなるんです。太いシンボルがズブズブと入っていると、あたしのあそこは沸騰するように熱くなってとっても気持ちよくなります」  という彼女は妊娠中絶した経験があるという。  「本当は彼の子供を生みたかったんです。でも、高校生ならともかく、あたしは中学生ですから、生むわけにはいきません。年齢は離れていますが、彼はあたしを愛してくれているし、あたしも彼を愛しているのですから、本当は生むべきだったのかも知れませんが……」  という彼女の表情には、一度でも妊娠中絶をしたことのある女性特有の表情が見え隠れしていた。    TEL  テレクラには彼女たちのような真面目な交際希望の電話とともに、いたずら電話も多いようである。女子中学生や高校生の電話は、彼女たちが世間を知らないだけにおいしい部分もあるらしいが、一方でひんぱんにかかってくる彼女たちのいたずら電話に頭を悩ませる男性もおおいようである。  「ホテルに行く前に洋服を買ってちょうだい」  とねだって、洋服を買ってもらうと走って逃げてしまう娘とか、ホテルで男性がお風呂に入っているすきに財布を盗むことを常習にしている娘など、中学生や高校生にはとんでもないやつらが多いのである。  「ぼくは女装がとっても似合って、若さのせいでしょうか、セーラー服を着ると、絶対に女の子にしか見えないんです。ですから、それを利用して、テレクラで男をあさって、ちゃっかり小遣いを稼いでいます」  というのは、女装すると内田有紀に似る美少年の裕子。そんな年齢を越えたあやしさをもった中学生が、最近、新宿周辺では話題を呼んでいる。  彼らを中心としたコカイン吸引グループがあるという話を聞いたあたしは、彼らに接近した。  その中の一人、中川めぐみは映画やテレビの子役を小学生の頃からやっていた才気撥刺とした女の子だが、彼女は最近、仕事が急速に減少してきたらしく、親にそそのかされるようにテレクラで男性を漁っているらしい。  めぐみはあそこの毛をすっかり剃っている。  そんなあそこを彼女は、ホテルで男たちに見せて、本番セックス抜きで男性の精液を抜きまくっているのだという。  「どうせテレビや映画の世界だって、メチャクチャなことをやらされているのです。役をもらうためにプロデューサーや映画監督さんと寝るのはあたり前ですからね……」  と笑う彼女はどこか寂しげである。  「でも、これでもあたし、きわどい一線を設定して、守っているんです。それは、テレクラで知り合った男には絶対に挿入本番をやらせないことです。手と口と、股間に男性のものを挟むくらいのことはやらせますが、それ以上は絶対にやらせたことがありません」  という彼女の口調は、芸能界で生きてきたせいか、非常に大人びている。  彼女が男を喜ばせるのは、たいていの場合カラオケボックスなのだという。  「カラオケボックスって便利ですよね。適度なことをしても見られる心配はないし、だけど過剰なことをやられそうになったら大きな声を出して逃げちゃえばいいし……」  と悪びれずにいう彼女は、テレクラの男を相手に随分稼いでいるようである。  新聞では話題にならなかったが、同じグループの中から、テレクラ強盗をやった娘も出た。コカンイほしさに、ホテルにいった相手の財布を強奪して逃げたのである。  ところが数日後に、同じ店に電話して、同じ相手が出たことに気がつかずアポに応ずる約束をしたことからあっけなく御用になってしまった。  まだあどけない顔をした16歳の少女なのだが、彼女は中学を出たら、風俗営業の店で働きたいと言っているということである。  女の子の変化は、男の精神変化よりもはるかに早い。  きっかけさえあれば、女子中学生はたちまちプロの売春婦になってしまう。  テレクラを取材していると、幾人もの本物の売春少女たちに出会うが、奇麗なわりには彼女たちには生きている人間特有の撥刺とした表情がない。目が異様に輝いた不思議な動物のような顔付きがやたらとめだつばかりなのである。  それはソープ嬢やホテトル嬢たちに共通した怠惰な表情なのである。  男の欲望をすでに高校に入る前に知ってしまった少女たちは、それからどこへ行こうというのだろうか。彼女たちの前には暗澹とした未来しかないのだろうか……。 家庭内暴力と近親相姦  家庭内暴力についての記事が新聞や雑誌の誌面を賑わしている。単純に家庭内暴力というが、これは一歩間違えると、近親相姦に発展しかねないのだというのが今回のテーマ。なぜ家庭内暴力と近親相姦が関係あるのかと不思議に思う人もいるかも知れないが、家庭内暴力というのは子供の成長のある時期の親の愛情の不足のせいで起こることが多いからなのである。そのほかに暴力に走る子供には先天的な精神の欠陥があったり、社会への不適応な性格などさまざまな原因が内在していることも多いが、暴力ざたを起こす子供の家庭をよくよく調べてみると、親の接し方に問題があることが多い。  「親の過剰な愛情が子供をダメにすることが多い」  と発言する教育評論家がいる。過剰な愛情がテレビドラマ『ずっとあなたが好きだった』の冬彦さんタイプのマザコン男性を生み出すという不安感はあるとしても、愛情過多よりも愛情不足の方がずっと、子供の成長期には害悪の方が多いのである。  米国の児童心理学者キャンボス教授が十数年前に日本の心理学者と協力しあって、児童期における日米の母親の子供に対する接し方を比較研究したことがあった。  このデーターの中で、米国の母親は放任的、日本の母親は過保護的な態度が目立ったというのは事実である。この場合、注目すべきは、日本より米国において暴力事件が頻発しているという部分なのである。  過保護に育てられた子供よりも、小さい頃から親に対する独立を求められる米国人の中に暴力的因子が多く発現されることが問題なのである。  狼に育てられた少女は、人間社会に同化することが不可能だったという話が残っている。その事実が指し示すものは、人間が人間として成長するには親による家庭教育がいかに大切か、ということなのである。狼に育てられた人間の子供は狼になる。人間の子は人間に育てられないと人間らしく育たないのである。  核家族化の現象によって、子供の頃から両親に何となく精神と精神を触れ合わせることができないままに成長してしまった子供がいるとする。そうした少年少女たちが、思春期に達するとなんとなく自分の精神に不安定さを感じてたまらなくなるという事態が起こる。しかし、当の少年少女たちはその原因と結果が理解できないのである。  ここでいう原因とは、親の愛情不足。結果とは家庭内外での暴力である。  「人間の精神というのはたとえるならば黒い箱です。入口からあるものを入れると、出口から別のものが出てくる。こういう自動販売機のような仕組みを学術的にはブラックボックスと呼んでいます。数学の二次関数とか三次関数などは典型的なブラックボックスなのですが、人の精神のこわいところは、入口と出口だけが見えていても、精神の内部が見えないところなんです」  と心理分析家の大場政好氏が言う。  大場氏によれば、人の精神は機能の見えないブラックボックスだというのである。  「自動販売機は百円玉を入れればジュースが出てきます。それと同じように、家庭の教育においては親の愛情を入れれば子供の円満な顔が出てくる。ところがその肝心の愛情が不足すると子供の情緒不安定という現象が現れるわけです。情緒不安定になった子供は自分の精神を安定化する方法として、親に暴力を奮う。また外で暴力事件を起こしたりするわけです。この場合、暴力を奮っている児童が親に求めているものは、暴力という行為とは裏腹に、実は親の愛情なわけですよね。しかし、もちろん暴力を奮っている児童は、自分が求めていることを本当に理解しているわけではありません」  と大場氏は解析するのである。  「家庭内暴力が近親相姦事件を呼びやすいというのは、実は当たっています」  と大場氏の意見に同意するのは、家庭内暴力研究家の原田純教授である。原田教授が所持している極秘資料によれば、家庭内暴力の頻繁化する家庭には、暴力の帰結としての近親相姦が起こるパーセンテージが非常に高いというはっきりした数値が出ているという。  「ことに母子家庭の男の子や、父子家庭の女の子に暴力児童というのは多いのです。母親が荒れる子供をなだめるために抱いて寝ているうちに、ついついそういう関係になってしまったとか、父親が暴力事件を起こした女の子を説教しているうちに、ついつい肉体関係を結んでしまったとかいうことなのですが、不思議なことに近親相姦的な関係が発生すると子供の暴力はその時点でピタリと収まるのです」  複数の精神分析家や複数の家庭内暴力研究家の意見が、その点ではピタリと一致している。    TEL  こういう文章を書いているわたし自身が、ある親から子供の家庭内暴力で相談を受けたことがある。わたしなどはただのエロ小説家、そんな相談にのれるほどの人格者ではないのだが、先方はわたしの職業を何か勘違いでもなさったものであろう。しかし、そうやって相談に乗られても、解決となるとなかなかやっかいなことだ。何がやっかいかといって、子供に不足しているのは親の愛情だということはわかっていても、その愛情をどうやって満たしてあげるかということになったら、どう答えていいのか迷うのである。  まさか、  「性的満足を与えてあげるためにお母さんが息子さんを抱いてあげて寝てください」  ともいえないし、そもそも子供に対する愛情が不足するような家庭は、どんな解決策を他人が与えたとしても、やっぱり時がくれば愛情が不足してくるのである。  それにしても親子とはいえ、近親相姦関係が発生すれば子供の暴力がピタリと収まるというのはやはり、近親とはいえ性行為の力というものであろう。しかし、こういう解決策は、まかりまちがえればもっと恐ろしい暴力を生む可能性もあるのである。  「北海道で実際にあった話ですが、暴力的な性質の子供を持つ家庭で、ある冬の日に一家心中事件が起こったことがあったんです。たいして貧困でもない、別に借金があるわけでもない家庭に起こった心中事件に近所の人たちは驚きましたが、よくよく調べていくと父親が暴力的な性質の娘をなだめるために毎晩、抱いて寝ていたらしいんですね。父親にしてみれば娘の精神治療のつもりだったかも知れませんが、娘の方は母親以上に自分が愛されていると勘違いする。そこから悲劇が始まったんです。家庭内暴力よりも一層、深刻な事態が家庭を襲ったんです」  と家族研究家のティッシュ堀内さんが言う。  母親と娘を挟んで、父親との対立が始まって離婚騒ぎに発展しかかった時、将来に絶望した気の弱い父親が家族を惨殺して家に火を放ったらしい。  「死んだ父親に相談を受けていた会社の同僚の口から真実があきらかになったのですが、近所の人達は事件の真相を聞いた後、みんな暗澹とした気持ちになったそうです」  とティッシュさんは言う。  もちろん家庭内暴力というのは、性的欲求不満と結び付いたヒステリー現象と解することもできて、こういう解釈をすれば、子供の暴力は恋愛相手さえできれば一応、おさまると考えられる。そういう意味では、暴力的な性質を持つ不良少女や不良少年たちが、一様になんとなく不純異性交際事件を起こしがちだということも理解できなくはない。  「だけど、そういう事態のすべてが後天的な理由によるものと考えると、間違いを起こします。神戸の方で起きた14歳の少年殺人事件の場合などを見ると、親の愛情不足だけとは思えない先天的な何かがああいう事件を起こしているとしか思えないところがある。人にはそれぞれ個性がありますし、同じ親から生まれた兄弟でも、顔がちがうように性格もそれぞれに違います。ちなみに刑法の古典派学者は家庭暴力を含めて犯罪を、先天的に犯罪を犯すべく生まれついたものによって起こされるもの決めつけていたところがあります。ところが近代学派は、先天的な要因はあるにしても、後天的な教育とか、環境などによって、ある程度、先天的な犯罪気質は左右されると考えます。しかし、いずれにしても犯罪や暴力行為には先天的な理由があるというのが刑法学者たちの考え方です」  と解説するのが刑法学者の岩本信二さん。  少年の非行率は年々高まっているというデーターがある。戦後50年の統計を眺めてみると男子少年の非行率が、社会の情勢を反映して高まったり低まったりを繰り返しながら、確実に数値が高くなっているのである。  「それにくらべて少女の非行はあまり増えていない。もうひとつ不思議なことは、戦後50年の凶悪無残な殺人事件のほとんどは男によって起こされています。家庭内暴力の主役も、実はほとんどが少年なのです」  女性は非行しにくい何かの原因があるのだろうか……。ともかく、非行少年が多い時代というのはあまりいい時代ではない。我々は暴力にしか自分の存在価値を見いだせない少年たちを救う義務がある。社会を改変することによって非行と暴力に生きる少年たちを救わねばならない。  その回答のひとつが、  「近親相姦だとしたら……」  近親相姦は退廃的な愛ではなく、実は人類を救う究極の愛なのではないだろうか……。 集団レイプの罠  女子高校生の世界というのは陰湿である。先日、偶然のことから女子高校生たちのいじめの現場を見ることになった。だいぶ前にこの連載ルポの取材で知り合いになった女子高校生の高橋ルミ子から電話があったのである。  「牧場先生、女子高校生のリンチというのは見たことがないでしょ?」  いきなりルミ子はそう切り出した。  「もちろんないわよ」  「見られるかも知れないわよ。あたしがつきあっている女の恋人をとった女がいてさ、そいつがかっかして仲間を集めてヤキを入れようというんだよ」  「あまりおだやかな話じゃないわね……」  「もう絶対に人の恋人を取れないように、徹底的にヤキを入れようってことだから、かなり凄惨な現場が期待できるわよ」  「あたしなんかがそんなところに参加していいの?」  「もちろんいいわよ。小説の題材になるかも知れないでしょ?」  「うーん、それはそうだけどね……」  というわけで、あたしはなんとなく誘われるままにリンチの現場に突き合わされることになった。その時、ヤキを入れられることになっていたのは、15歳の山口美奈という名前の少女だった。  ヤキを入れる側に立ったのは、松本ヨーコ。あたしは面識がなかったが、その世界ではかなり名前の通ったスケ番だそうである。  ごたごたは、ヨーコの恋人に美奈がちょっかいを出したことに始まる。もちろん美奈には美奈の言い分はあったろうが、彼女がヨーコの息のかかったあるグループと付き合いがあったことから話はややこしくなった。    TEL  「ちょっとあんた、ジョーダンじゃないのよね。オメンチョで人の男を盗るなんて、仁義に反するだろう?」  昔、懐かしい長いスカートを穿いたヨーコが、湿っぽい倉庫で叫ぶ。  ヨーコの後ろには、革ジャンに革ブーツの長身の男が二人、後見人として立っている。その脇には人のスケ番たちが野獣のような目をギラギラさせて立っている。  「ケッ、ジョーダンじゃないわよね。憲次のことを恋人だと、あんたが勝手に言っていただけじゃないのさ……」  美奈が吐き捨てるように言う。  「それがあたいの男を盗った女の挨拶かよー。頭にくるなァ」  ヨーコの命令で、女たちが美奈の腕を押さえ付けた。男たちはニヤニヤ笑いながら、女たちを見ている。  「何をすんのさ。こんなことをやったって、憲次はあんたに返さないよ」  美奈が叫ぶ。  「返さなくたっていいわよ。一度、あんたに取られた男を返してもらうほど、あたいは落ちぶれてないわよ」  女同士の闘争というのは陰険で激しい。たちまち女たちの手で裸にされた美奈に、男たちが襲いかかる。  「キャーッ、何をするのよ」  「あんたのものを使いものにならなくしてやろうと思ってね」  ヨーコが憎々しげにいう。男たちの勃起したものが、たちまち美奈の体内に飲み込まれていく。  「ギャーッ、悔しいッ。ああっ、いやよーッ」  絶叫する美奈の下半身に、勃起したものがズブズブと飲み込まれていく。太いものが彼女の体内に突き刺さる。  「ちょっといいものを持っているからって、あたいに挨拶なしに勝手なことをするんじゃないよ」  「ヒッ、ヒイーッ、いやよッ、ああ、あそこが裂けちゃう」  「憲次のものは大きいって噂だからね。あんたのものが少し大きくなった方が、憲次も喜ぶんじゃないのかい?」  ヨーコがいうままに、男たちは力を込めて下半身を律動させる。こうやって集団レイプに加担したお礼は、ヨーコの体なのだろうか……。  男たちの顔には、寝覚めの悪そうな表情が浮かんでいる。どうやら彼らも心から望んで美奈を犯しているのではなそさそうである。  悪夢のような時間が過ぎていく。  どうやら少女たちも、興奮してきたらしく、その部屋に聞こえるのは犯された美奈のすすり泣く声と、男たちの荒々しい息遣いだけである。  男のものの先から白濁した液体が吹き出す。  「ああ、俺はもうダメだ。出てしまう」  呻くように言った男がのけぞる。一人が発射すると次の男が美奈にのしかかる。  そうやって裏切りをした少女に対する集団レイプはいつ果てるともなく続いていくのである。    TEL  「ヨーコに頼まれて、何回かああいうことをやったけどね……」  集団レイプが行われた何日か後、都内の喫茶店でわたしのインタビューに応じてくれた卓也くんが言った。  「やっぱりコンドームなしに、いつも生で出してしまうの?」  とわたしが聞く。  「生って、ああ、精液のこと?」  「そう」  「あいつら、ライバルの女が傷つけば傷つくほど喜ぶんだ。コンドームをつけてやっていたんじゃ、リンチにならないだろう?」  「それはそうだけど、やられた女の子は傷つくでしょ?」  「なあに、そんなに深く考えることはないんだよ。美奈だって、ほかの女に似たようなことをやっているんだからさ……」  それはだいたい想像がつく。美奈はあのレイプ現場で犯されている時はさんざん泣き騒いでいたが、リンチが終わるとむしろさばさばとした表情で、  「もうこれて終わりなのかい?」  と自分から洋服を着て、ヨーコの顔を見つめていた。いじめていたはずのヨーコの方が、かえって泣きそうな顔になっていたのが印象的だった。  女の執念は深いというが、やられてしまったら、そのことを深く考えていたら、番は張れないというわけだろう。  わたしが卓也くんにインタビューをした数日後のことだった。  都内で女子高校生がレイプされる事件が起こった。あたしはその事件を卓也くんから聞いて知ったのだが、被害者はあのリンチ事件の時にヨーコの介添え役をつとめた公立高校の三年生だという。  もちろん加害者はわからない。しかし単純にいって、その事件を背後からあやつっているのは美奈だろうと推理できた。  わたしは、つてを辿って美奈に接近してみた。    TEL  「あたいが麗子を姦ったっていうの?」  クチャクチャとガムを噛みながら美奈があたしを見た。  「そうは言っていないんだけどさ……」  わたしが口ごもる。  「ジョーダンじゃないわよね、あたしはね、あんなこと、ちっとも根に持っちゃいないのさ」  「だけど現実に、あの現場にいた少女が被害にあっているんだからさ」  「あいつはそのことを警察に届けたのかい?」  「届けてはいないみたいよ」  「あたり前だわよね、さんざんあんなことをしておいて、自分がやられた時だけ事件にしていたら、笑い者だわよね」  彼女の目には冷たい微笑が浮かんでいた。その目を見た時に、わたしは美奈が麗子に復讐したのだと確信した。  しかし、なぜヨーコではなくて麗子が復讐の対象としてねらわれたのだろう。どうして、麗子が犯されなくてはならなかったのだろう。  そのことについては、不良女子学生の生態にくわしい批評家の功刀三四郎氏がわたしに理由を説き明かしてくれた。  「彼女たちが気にするのは、何といってもメンツです。美奈というその少女にとって、リンチの時に犯されたことは仕方がないとしても、そのまま引き下がったのでは仲間のあいだに噂がひろがって馬鹿にされる。だから、目には目を歯には歯をというわけで、現場にいた少女がねらわれたというわけです。彼女たちの勢力拡大には、自分たちの力量もさることながら他校の不良少年たちの助けをいざと言う時にどれくらい借りることができるか、といったことがバロメーターになるのです。仲間うちで軽蔑されないためにも、彼女は復讐をしておく必要があったのです」  「でも、どうしてリンチの張本人が狙われなかったのですか? 美奈は相手の復讐が怖かったのでしょうか?」  とわたしが聞く。  「いや、そうではありません……。あくまでも今回の復讐は、美奈の勢力維持のための示威行動なのですから、誰を狙ってもいいのですが、彼女にとって我慢ならなかったのは、虎の威を借りる狐というわけだったのでしょう。美奈という少女の目的が、ヨーコという少女がひきいる手下を少しでも分散させることにあったのだとしたら、ヨーコのグループの首相格の少女をメチャクチャに痛め付けることによって挨拶しておくことはグループの動揺を誘うという意味でなかなか効果的な復讐なのではないのでしょうか」  彼によれば、女番長たちの世界にも政治の世界と同じように力対力の緊張関係が働いているというのである。  「番長たちの勢力争いは政治の闘争劇と同じですよ。あるグループに所属している少女が、あっちへ寝返ったりこっちについたり、複雑な動きを繰り返しながら勢力地図を作っていくんです」  「すると、ヨーコについていたら危ないと感じる少女も出てくる?」  「その通りです。麗子というその少女がやられたのは、リンチの現場に立ち会っていたからなのですから、ほかの少女たちも動揺するでしょからね」  「そうでしょうね……」  「おそらくその現場に立ち会っていたのは、グループの中枢を握る幹部クラスばかりでしょうから、そのうちの一人がやられたということは衝撃的な事実だったはずです、仲間抜けがはじまったらヨーコのグループは壊滅するでしょう。そうならないためには、グループの頭目は徹底して復讐戦の牙をとがなくてはならないでしょうね。疲弊した時がグループが相手のグループに吸収される時ですから……」  「なるほど……」  「闘争はいつ果てるともなく続いていくんです。むなしい戦いですがね」  少女たちの勢力争いばかりではなく、戦うことはむなしいとわたしは思った。 マグナム北斗  マグナム北斗ちゃんは漫才師になりたくて田舎から上京して、バンドをやっていた時期もあるらしいけれど、食うためにアダルトビデオのサオ師として生きていた時期もあった。  世間では北斗ちゃんを漫才師だと思っている人はどっちかというと少なく、その仕事から引退してかなりになるというのに、死語引彼はいまだにビデオのサオ師として有名だ。  実際には、彼は今は漫才師とか、芸人として食っている。大川興業のライブに出演したり、食えない時にはホストクラブのホストもやっている。  ホストが相手にするのは、ニュー風俗の世界の女たちなのだそうだ。  ニュー風俗嬢たちが男のものをしごいて、吸い上げたお金をホストがうまいことをいって吸い上げる。  「あの世界はだましですからねェ。男が女に稼がせて、その金をまた男が吸い上げる。よくていますよ」  などと悪びれずにいっていたが、ほんとの彼はそんなに悪いことができそうにないフェミニストのタイプ。  (でもないかなァ……)  まあ、かなりざっくばらんでいいかげんなところがある男、第一印象は、貧乏っぽいなァという感じ。それでなくては、アダルトビデオのサオ師なんかできないのかも知れない。  彼の凄いところは、精力が絶倫で、あそこが大きいというところだろう。何しろ、勃起したものは手首以上の太さがある。ビデオの撮影中に彼のものを握ってしまって、それでもずっと手首を握っていると思っていた女性がいたというのだから、そのたくましさはすさまじい……。  ビデオのサオ師の出演料は安かった。北斗ちゃんは、最初はタダ同然で出演させられていたらしいが、自分から交渉して一万円、二万円、最後には三万円と値上げしてもらったのだそうだ。  いやー、どういうシステムになっているのかはわからないが、北斗ちゃんが活躍していた頃のビデオ業界というのは本当にせこい世界だ。  「やっぱりサオ師というのは、頑張って女性をいかせるようにするんでしょ?」  とあたしが聞くと、北斗ちゃんは首を横に振る。  「こんなことを考えていちゃいかんのでしょうがね、本当はどこでどうやっていかに手抜きをするかってことばかりですよ。正面からやっているところを5分、背後からやっているところを十分、30分のビデオだったらそれくらいで編集できるかな、てな具合ですよ。仕事なら何でもそうでしょ? いつも全力投球していたら、体がもちませんよ」  と彼はいう。  あっぱれプロ根性というべきだろう。彼にも相性があるらしく、巨乳タイプには弱いという。やはり本気で彼が感じている時にはその作品は評判がいいらしい。  ところでわたしが書いた『アダルトビデオの女』(光風社出版)の中に出てくる手塚恒男というサオ師匠のモデルは北斗ちゃんなのである。 志茂田景樹ちゃん  志茂田景樹さんと初めて会ったのは、何かのパーティの席上だった。志茂ちゃんは、その頃にはもうたけしの『元気がでるテレビ』なんかに出演していたけれど、『笑っていいとも』に出る前だから、あのけばけばしいファッションもあまり一般の人になじみがなかった。  たしかその時には水色のパンティストッキングと銀色のハイヒールを穿いていたのだが、どちらかというと壁際であまり派手に動かずに小さくなっているような印象だった。  (違ったらゴメンなさい)  その後、志茂ちゃんと池袋の喫茶店で話をしたら、  「ぼくは別に女ものを身につけたくてつけているわけではないんです。たとえばこういう赤がほしいと思っても、そういう色は男ものにはないでしょ? だから仕方なく、女ものから探すことになるわけですが、それを誤解して中傷するものが多くて……」  と怒っていた。  だいたい他人の服装を中傷する人の考え方にはあたしは賛成できない。あたしは、おしゃれとかファッションというのは着ている個人のもので、どんなものを着ようと人に迷惑をかけない限りは、他人が中傷したり非難したりということをすべきではないと思うのだが、こと服装に関する限りは世の中というのは保守的である。  その保守性を改革するためにも、志茂ちゃんのようなファッションはぜひとも必要で、だから勇気を出して、どんどんやってもらいたいと思うのだが、どうやらあたしのような意見を出す人というのはどっちかというと少数派にしかすぎないようだ。  そのうちに志茂ちゃんは『笑っていいとも』に出て人気沸騰。豊田行二さんの記念パーティに出た彼は、黒の網のパンティストッキングと黒いブーツで、さっそうと歩いていた。  実は、今、志茂ちゃんのところでコーディネーターらしき仕事をしている塩谷さんという女性は、あたしが教えるカルチャーセンターの生徒あがりの人で、それを志茂ちゃんがひっこ抜いたのだが、まわりの編集者の女性たちから、  「志茂ちゃんの服装をもっと地味にしたら……」  と忠告を受けることが多いといっていた。  するとその話を聞いたまわりの編集者たちが、その意見に同意するようなことをいう。  「いや、あれくらいじゃ生ぬるいからもっと派手にやらせなさい」  とあたしがいうと、  「志茂ちゃんに味方するものが現れたぞ」  という反応が返ってくる。あたしは別に志茂ちゃんの味方をしているわけではなく、ファッションは着る人の思想や主張をあらわすものなのだから、あくまでも自由でなければならないというだけなのだ。その時、塩谷さんは、  「わたしも先生にスカートを穿かせてみたいんですよね」  と言っていた。  「それは凄くいい考えだと思うわ」  と言っていたのが印象的だった。 アダルトビデオギャル  最初はソープやニュー風俗などに勤務してそれからアダルトビデオの世界に飛躍していって、というのが昔のビデオギャルたちの出世コースだった。  しかしアダルトビデオギャルと、ニュー風俗ギャルとの間にはっきりした境界線があるわけではなく、ファッションヘルスで仕事をしながらアダルトビデオに出演している娘も多かった。  さらに、最初はアダルトビデオギャルから出発して、風俗やソープの世界に流れていく娘も多くいた。  アダルトビデオというのは、たいていまとめて何本か、撮影される。最初の一本が発売された時には、もう実質的にタレントは引退していることさえあるくらいである。  ビデオに出演している娘というのは、たいていどこの店でも看板になっていて、あたしが雑誌編集者の安藤くんと訪れた新宿のあるファッションヘルスの店の壁には、リサちゃんという名前のビデオギャルのビデオパッケージが張り付けてあった。  リサは目のくりっとした美少女である。  3本ほどあの村西とおるの主催するダイヤモンド映像のアダルトビデオに出演した後、友達に紹介されてこの店に入ったという。  とりあえずスチール写真を撮るために個室でジーパンを脱いでもらうと、かなり撮影慣れているらしく、  「しまった、撮影なんだからエッチなパンツを穿いてくるんじゃなかったわ」  と言いながらも安藤くんの指示通り、お尻を突き出したり、オナニーのポーズをとってくれる。  顔写真掲載はダメといいながらも、雑誌を見ると、自己主張の気持ちが沸き上がってくるらしく、  「これくらいの写りだったらいいですよ」  と雑誌の一枚を指していう。それはかなり鮮明な写真で、つまり自分を主張したいからはっきり掲載してほしいということなのだろう。  ところでリサのインタビューをした後、安藤くんが会社に帰って、自分のところで発行した雑誌を見て驚いたそうである。何と、インタビューしたばかりの彼女がヌードグラビアで微笑していたというのである。  雑誌のヌードモデルというのは消耗品である。雑誌社は女性のヌードを一回撮影するとあちらこちらの媒体で使い回すから、よほど魅力的じゃないと二度同じ雑誌に呼ばれることはない。  リサのような女は、自分の自己主張を満足させるために、色々な媒体に裸をさらすが、そういう仕事で永久にお金が入ってくるということはない。  そのうちの一部が、アダルトビデオに流れたり、ソープに流れたり、ヘルスに流れたりしながら泡沫のように消えていくというのがあの世界の女性たちの運命なのである。 サドの女王さま  SMクラブに所属するサドの女王さまというのは、やたらといばって男を責めていればいいというものではなく、バーのホステスやソープ嬢のように早くお客の性癖を読み取って、相手を興奮させてあげなくてはならないのだという。  あたしがフリーライター兼俳優のティッシュ堀内さんといった池袋のSMクラブのミキちゃんは、まだ21歳。本当かどうかはわからないが、ふだんは普通の女子大生だという。  当時はまだティッシュさんは某出版社の編集者をやっていたのだ。  「前に取材で編集者に連れられてきた男性を責めたんですがね、部屋でプレイの用意をしているあたしを見るだけで我慢できなくなったらしく、床に仰向けで寝転がって、オナニーをはじめるんどすよ」  とミキちゃんは、エッチ雑誌の取材の裏側を明かしてくれる。  SMクラブというのは、普通のニュー風俗なんかとちがってサドの女王様が勃起した男性のものに触ることは厳禁されている。その男は、撮影の間中大きくなったものを一心不乱にしごき続けていたそうである。  「変わったお客さんもいますよ。あたしが縛ってやると、そのままにしておいてくれといって、ずっと床に横たわっているんです」  「プレイを求めないんですか?」  「そのお客さんには、その方が感じるんでしょうね。ですから言われた通りにしてあげるんですが、じっとしているだけでかなり興奮しているみたいです」  SM行為というのは、イマジネーションの世界なので、イメージが膨らめばただ縛って転がされるだけでお客の男性は興奮してしまうらしいのである。  サドの女王さまは、ホステスのようなサービス業だから、相手の求めることをじっと我慢してやってあげなくてはならない。  壁には、  「女王様へ、プレイの後、床の清掃はきちっと行って下さい。ゴミはゴミ籠へ捨てて、セッケンやプレイの時に飛び散った液体は、ふき取ってから部屋を出てください」  と書いた紙が貼ってある。  女王様なんだから、清掃くらいお客の奴隷にやらせればいいと思うのだけれど、どうやらそうもいかないようだ。  「あたし、もともと男をいじめたいタイプの女なんです。恋人はいたけど、あたしは普段からこういう性格だから……」  という彼女、好きなプレイは足嘗めプレイだそうだ。  奴隷男が、床にはいつくばって彼女のハイヒールを嘗める時に、崇拝されているような喜びを感じるという。  ティッシュさんは、はじめて見たSMクラブが気にいったらしく、  「ボーナスが出たら、絶対にきます。ぼく、お客で遊びにきます」  といっていた。  さてどうなっただろうか……。 飯島愛ちゃん  飯島愛と会ったのは、彼女が大陸書房から初のアダルトビデオを発売する一カ月前のことだった。その頃、彼女はすでに三本目の作品の撮影を終えていた。あたしとフリーライターのティッシュ堀内さんが青山スタジオにインタビューのために駆けつけた時には、彼女はビデオのパッケージ写真の撮影の真っ最中だった。このインタビューはティッシュさんが段取りをつけてくれたんだけど、なかなか連絡がつくまで大変だったそうだ。アダルトビデオ女優が所属しているプロダクションというのはいいかげんで、一度約束しても翌日に電話するともう忘れているのだそうである。  ついに困って後藤えり子さんが出演しているストリップ劇場に電話すると、今頃は移動の真っ最中だろうという。カー電話にテレホンしてようやく飯島愛ちゃんを紹介してもらったのだそうだ。  あたしとティッシュさんが、スタジオに入ると、看護婦のかっこうをした飯島愛ちゃんが起き上がって、  「インタビューの方ですね、下の待ち合い室で待っていて下さい」  という。  なかなか頭の切れそうな女の子というのが、あたしの彼女への第一印象だった。ティッシュさんは雑誌社をまわって飯島愛の宣材を集めにいく。あたしひとり取り残されたスタジオに、愛ちゃんは撮影の合間にはいってきて、インタビューがはじまる。  当然、セックスの話が中心なのだが、いや、よくしゃべってくれる。湘南の海で真っ黒になってサーフィンをやっていたこととか、初体験のこと……。  といっても、彼女の初体験はインタビューの日から数えて、ほんの一年ほど前のことだった。彼女が嘘をいっていないことは、セックス体験の話をする彼女の目が感傷的になることでわかる。  「昨日のことだと思っていたら、もう一年にもなるんですね」  という言葉で、愛ちゃんの体験がかなり感動的だったということが想像できる。  それにしても、愛ちゃんの雰囲気というのは、よく動くお猿のようだった。色は黒いし、やたらと元気がいい。録音テープの片面が終わった時に、インタビューが終了したと勘違いして、撮影スタッフと甲高い声をあげて廊下に飛び出していく。  「本番のセックスをする時に、どうやって避妊しているんですか?」  とあたしが聞くと、  「顔面シャワーですね。ええ、顔に出して避妊しています」  と答えるところなど、後藤えり子仕込みの頭のまわりのよさがうかがえた。  好きなのはフェラチオ。アヌスセックスは痛そうなので嫌いという。  「でもフェラチオだと、男性の精液を出される時に吐き気がしませんか?」  とあたしが聞くと、愛ちゃんはその時だけ、やたらと悲しそうな顔になって、  「もう慣れました」  あたしが持っていたテープレコーダーのスイッチを勝手に切ってしまうと、彼女は雑誌社まわりから帰ってきたティッシュさんのカメラの前に立ったのだが、その雰囲気がまるでお猿さんだ。  「今はやたらといそがしいんですがね、一年もたてば暇になっているでしょうから……」  と、別れぎわに彼女は言ったが、それからの彼女はアイドルとなって……。 エッチ本編集の話  エッチ本の世界でこわいのは、しかるべき筋からの警告だという。ヘア解禁の時代といわれるが、それでもエッチ本には時折、警告が発せられる。というわけで週刊ポストとか、週刊現代という雑誌には女性の芸術ヘアヌードが掲載されているのに、エロ本と呼ばれる雑誌のアンダーヘアは修正されていることが多い。  エッチ雑誌を発行する出版社にはたいてい自主規制の基準があって、編集者たちは、編集作業よりも修正作業に追われるようである。  あるベテラン編集者が若い頃の話。  彼は一生けんめい、グラビアページの修正をやっていた。最初は白黒ベージの修正をやり、次に二色ページの修正をやった。二色ベージというのはネガが二枚ある。編集者とそのどっちにも修正作業をしなくてはならないのである。  雑誌の発行期限は迫っているから不眠不休で彼は作業をしていた。  忙しくマジックを動かし、単体の女性器と男性器、そしてその結合部分を塗り潰していく。  二色ページの次に四色ページを修正した。  四色ページというのはフルカラーである。フルカラーというのは、墨版、赤版、青版、黄版の四枚のネガを刷り重ねることによって印刷する。  当然、修正は4回行わなければならない。ところが、惰性で二枚修正して、校了と信じて印刷の指示を出してしまった。  印刷がスタートする。  できあがった印刷物を見て、彼はあわてた。問題の四色ページには、シースルーのようにマジックのカーテンを透かして男女がセックスしているところがくっきりと印刷されていたのである。あわてて印刷機を止めて、刷り直しをした予算オーバーでお目玉を食ったそうである。  しかし、印刷機を停止するだけの大きなミスだったらいいが、小さなミスだったら大変だ。  刷り上がった印刷物をまさか編集者の一存で破棄するわけにはいかず、ドキドキしながら発売する。編集者当人だけは、発行された雑誌に女性器丸出しのシーンが印刷されていることを知っているからもう生きた心地がしない。  問題の箇所があった場合、雑誌が発売されて、20日を過ぎた頃に、警視庁の風紀課から呼び出しがくるという。もし問題のシーンが見逃されて警告がこなかった時にはじめてホッとするという。  エッチ本の編集者というのは、常にプレッシャーと戦いながら生きていかなければならない抑圧の強い職業なのである。だから、編集者は胃や肝臓など、かならずどこかが悪い。  「好きでなければできませんよ」  と彼らは口をそろえていう。 アダルトビデオ  5年以上も昔のことである。  アダルトビデオの編集作業を見たことがある。  「ビデオ撮影の時は本番セックスなんてやっていません」  という監督さんの言葉を信じて、編集室に入ったら、いきなりテレビの画面に豊満な女性の生白いヒップが大写しになって、太い男性の生棒が音を立てて出たり入ったりしているのを見せられてしまった。  (ひゃーっ、えぐいわ)  とたじたじとなったのはあたしだけ。  監督の大原さんは、しごくまじめな顔で計器類を微調整しはじめた  自分が作った映像があたしにショックを与えているとは気がついていないらしい。彼がマスターテープを巻き戻すと、青い洋服を着た女性がホテルの廊下を走っていきなり廊下に泣き伏すシーンになって、もっと巻き戻すと、ピーッ、という音があらわれてバーコードが出てくる。  大原監督は、編集室でこれから三日かけて各場面の時間を計算して、編集するらしいのである。  本番なんてやっていないといいながら、実際にはやっているところが凄い。よく聞き直すと、当時のアダルトビデオメーカーは、女の子と契約書を交わして、どこまでやっていいか、どこまでやって悪いかをきちっと取り決めた上で台本を作り、撮影を開始するのだそうである。  当時のアダルトビデオというのは、女の子にはやたらとお金がかかっていた。編集室で聞いた話では、大原監督が編集していたその時の作品は、ギャルのギャラが80万円、男性のギャラが3万円だった。  「でも、本番をやっていたって、やっていなくたって、コンピューターで修正を加えるだけだから意味がないでしょ?」  というと、大原監督は、あたしの無知を笑うように微笑した。  「アダルトビデオでは、修正がずれて男性のものがチラッと見えることがあるでしょ? それだって、ミスしてずれているわけではなくわざとずらしているわけですから……」  と彼がいう。当時のアダルトビデオというのは、かなりゲリラ的な戦術を使って撮影されているようであった。本番セックスをしている作品は、それらしく修正ミスを偶発させて、やっていることがわかるような製作体勢がとられているということらしい。  今はヘア解禁の時代だが、それでもエッチ雑誌の編集というのは、はるかに権力に柔順だ。もちろん雑誌の世界でも、グラビアなどで男性器が修正されないままで印刷され、発売されている例があるそうだ。しかし、雑誌の場合は、編集者が挑戦的にそういうことをやっているわけではなく、ネガを短い時間に点検しているために、修正をミスしてしまうだけなのである。特に画面の縁から飛び出した男性のペニスは、見逃してしまうことが多いのだそうである。 ドクター南雲さん  エッチ雑誌業界で長いこと仕事をやっているとおびただしい知りあいができてしまう。そういう業界で活躍しているからといって、女にみさかいなく手を出すとんでもない色魔とか、変態男というのは少ないから、知りあいが多くなっても困らないのだが……。  面識がないけれど同じ雑誌でいつも一緒に仕事をしているものだから、何となくお互いを知っているような気持ちになってしまい、初対面の時から妙になつかしい相手というのもいる。  最近はあまり見ないけど、ドクター南雲というライターさんがいた。エッチ雑誌を昔から読んでいる人たちは知っていると思うけど、ビデオギャル突撃インタビューとか、エッチ替え歌教室や、ソープランド体験記なんていうコーナーをあっちこっちのエッチ雑誌でやっていた人気ライターだった。  担当するコーナーにセルフタイマーのついたカメラで撮影した奇抜な自画像写真を載せて読者を楽しませてくれるおもしろい人だった。彼はあたしが小説家としてデビューした時にはその世界の有名人で、あたしは何を隠そう、ドクター南雲氏のファンだったのである。その彼と一度だけ会ったのはお茶の水にあった三和出版の小説雑誌の編集室だった。  当時のあたしは駆け出しの小説家で、まだ別のペンネームを使っていたし、単行本も出てなかった。編集部に原稿を届けて、次の作品のうちあわせをしているところにチェックのズボンをはいた南雲氏が、茶封筒に入った分厚い原稿を持って入ってきたのである。  「おっ、ドクター南雲だわ」  とあたしの方は緊張したけれど、彼の方はあたしが何ものであるか気がつきもせずに、紳士的にこっちの打ち合わせが終わるのを待っていた。雑誌に掲載された写真ではいつも彼は破壊された表情をしているのに、本当の彼はすごくまじめそうな好青年だった。  ドクター南雲氏は、昔はシンガーソングライターだった。ヒット曲も何曲かあって、その中でも一番売れた『一度はいきたい女風呂』という歌は、浜田光夫と夏純子主演でにっかつで映画化されている。  にっかつがロマンポルノを作るよりも前の話だ。その映画にでていたのが、ホモスキャンダルを抱えてビルから飛び降り自殺をした沖雅也。ドクター南雲氏自身も浜田光夫のお兄さん役で出演していた。  この映画の中でともかく目だったのは、ノイローゼの予備校生を演じた前野霜一郎。この前野の浜田とのやり取りは、もうかみあわないことおびただしい。彼はほかの俳優とのテンポのずれによって貴重な俳優だった。にっかつがロマンポルノの製作をするようになってから、前野霜一郎は田中登作品などに何本か主演をしたが、ロッキード汚職発覚直後の児玉誉志男邸にセスナを操って特攻して命を散らすという離れ業を演じて、この世におさらばしたのである。 後藤えり子さん  後藤えり子さんは、アダルトビデオの世界では飛び抜けた頭のいい女性ということになっている。アダルトビデオナンバーワンのサオ師だったマグナム北斗の自伝には、  「A大学中退をしたと思えない頭の悪そうな女だ」  と書かれているが、その文章を書いた時に、彼は彼女と喧嘩していたらしい。  「ぼくだって人間ですから、相手に対する感情が出ます」  と彼はいっていた。  ともかくマグナム北斗も彼女の頭のよさだけは認めているようである。  彼女は一度引退して、ビデオの業界にもどってきた時に、オフィスエリという事務所を作って、白石ひとみとか、飯島愛なんかを自分の事務所に所属させていた。しかし、マンションを使った事務所経営はうまくいかなかったらしく、所属の女の子たちを自分もろともプロダクションにあずけてしまった。  そのプロダクションが現在、飯島愛をマネージメントしているレオプロモーションである。担当マネージャーの話によると、後藤えり子はロサンゼルスに別荘を持っているらしい。  あたしはえり子さんと、電話で数回、話をしただけで、直接の面識はないのだが、いつも電話すると機関銃のような英語が聞こえてくる。  彼女に電話した最初は、たしか白石ひとみに対するインタビューの申し込みだった。オフィスエリに電話しても、なかなか彼女は捕まらなかった。  そばにいたティッシュ堀内さんが彼女が浅草のフランス座に出演していることを思い出して、そっちに電話してくれた。すると、  「まだ到着していません」  という。それではとカー電話にダイヤルしてみると、バッチリ後藤えり子が出た。  白石ひとみへの取材申し込みをすると、  「あの娘は今、うちの所属じゃないんですよね」  と申し訳なさそうにいって、代わりに飯島愛を紹介してくれた。  車を運転しながらの彼女の応対がてきぱきとしていて、女でも惚れるくらいである。ただ飯島愛の所属プロダクションの電話番号を教えてくれる時に、何回かつっかえたり、間違えたりということがあって、そこが愛嬌だとあたしは思ったくらいである。  飯島愛は、その当時、『ギルガメッシュナイト』のレギュラーだったが、まさか今日のようにパワーのあるアイドルタレントに成長すると思っていたものは誰もいなかった。  飯島愛を発見したのは後藤えり子だし、飯島をあそこまで育てたのも彼女である。そのマネージャー的手腕はかなりなものだとあたしは思う。彼女の住まいの電話からは、留守の時には機関銃のような英語が聞こえてくるのだが、彼女が電話を取ると、  「ファ〜イ」  という寝ぼけた声で応答する。  そのアンバランスさがなかなかおもしろい。 小林悟監督  わたしが小林悟監督と初めて会ったのは、東映化工の一階玄関だった。東映化工というのは映画のフィルムを現像する会社で、たいていの映画会社ではここでゼロ号の試写をする。ピンク映画と呼ばれる成人映画を製作している各社は、ここで一回だけ試写をした後に全国封切りするが、大蔵映画だけはもう一度、映倫の試写室を使って初号の試写をする。  わたしが小林監督と会ったのは野上正義監督が新東宝映画で製作した人妻ものの成人映画のゼロ号試写の帰りだった。その後、わたしは野上監督に打ち上げ会に誘われていたのだが、小林監督と話をすることに熱中してしまった。  小林監督というのは大蔵映画を設立した大蔵貢が社長をやっていた、新東宝株式会社で監督デビューした。新東宝という会社は今もあるが、現在、存続している新東宝は正しくは新東宝映画株式会社という。大蔵貢が社長をやっていた方の新東宝は、新東宝株式会社……。この両者はまったく関係がないことはないのだが、ほとんど関係ない。ではどういう関係なのかというと関係者に聞いてもよくわからない。  我々は今も存続している新東宝をピンクの新東宝と呼んで、1961年に倒産した新東宝株式会社とは区別している。  ともかく小林悟監督は新東宝株式会社で監督デビューした。  山田誠二が書いた『幻の怪談映画を追って』によると、小林監督は1930年生まれ、早稲田大学文学部を1954年に卒業した後、しばらくぶらぶらしていて、紹介する人があって大蔵社長の実弟の近江俊郎が設立した近江プロダクションで助監督になったのが55年。監督としてデビューしたのはその4年後の1959年だった。デビュー作品は『狂った欲望』である。  小林監督がデビューした時には新東宝株式会社は資金繰りに困り倒産寸前の状態に追い詰められていた。労働争議が起こって大蔵貢社長が退陣するのが1960年10月だから、小林悟監督が新東宝の監督だったのは1年間と少しということになる。日本映画の衰退の兆候がジワジワと現れてくる時期に誕生した監督だったのである。  それにしても小林監督のデビューは早い。計算すると28歳の時ということになる。デビュー後『拳銃と暴走』『まぼろし探偵恐怖の火星人』『まぼろし探偵地底人来襲』などを撮ったところで新東宝株式会社の労働争議にあう。  小学校5年の時に『まぼろし探偵恐怖の火星人』を見たフリーライターのティッシュ堀内さんによれば、  「ともかくこの映画はこわかったです。冒頭でいきなり人のいない深夜のビル街を逃げ惑うサラリーマンが登場するんですけど、青白い燐光を放つ恐怖の火星人がビルの陰やマンホールの蓋を押しのけて、キキキキッと笑いながら登場したのを見た時には背筋がゾーッとしました。ぼくがこの映画を見たのは炭鉱街の福祉厚生を目的とした低料金の映画館で、場内は小学生でぎっしりでしたが、映画館の中に子供たちの恐怖のどよめきが広がっていったのをはっきり覚えています」  まぼろし探偵というのは桑田次郎の原作を映画化したアクション映画のはず……、だったのだそうだ。  ティッシュさんが小学生の頃には、まぼろし探偵はラジオドラマ化されており、テレビでもやっていた。だから、子供たちは単純なアクシュン映画だと思って見にいったら、いきなり怪談映画的冒頭でスタートするのだから子供たちが度肝を抜かれたのも無理はない。  小林監督がデビューした頃の新東宝は『九十九本目の生娘』(曲谷守平監督)『海女の化物屋敷』(曲谷守平監督)『女吸血鬼』(中川信夫監督)『怪談鏡が淵』(毛利正樹監督)『東海道四谷怪談』(中川信夫監督)と1959年だけでもこれだけの怪談恐怖映画を製作している。まさに怪談映画のオンパレードで、新東宝株式会社社長だった大蔵貢の映画に対する嗜好がよくわかる。  『九十九本目の生娘』や『海女の化物屋敷』は現在のピンク映画を思わせるポスターになっていて、まさに大人の映画。学校によっては生徒に見ることを禁じていただろう、と思われる成人と不良少年のための映画というイメージがあるが、『まぼろし探偵』は小学生しか見ない活劇映画、それで怪談もどきのことをやるのだから凄い。という目でよくタイトルを見ると『恐怖の火星人』とちゃんと『恐怖』の2文字が入っている。まさに看板に偽りはないのである。  それにしても『まぼろし探偵』は小林悟監督30歳の時の作品。原作者の桑田次郎が一作目の単行本を出したのが14歳の時だというが、まさに早熟な天才たちが集まって作られた映画だったのである。    TEL  『狂った欲望』『拳銃と暴走』『まぼろし探偵恐怖の火星人』『地底人来襲』などを連発した小林悟監督は、新東宝株式会社の大蔵社長退陣劇の後、1962年に設立された大蔵映画株式会社で監督をするようになる。  大蔵映画株式会社は近江俊郎の近江プロダクション、大蔵貢の富士映画、洋画配給をやっていた大和フィルムを統合して設立した新会社で、その第一作は70ミリ戦争超大作『太平洋戦争と姫ゆり部隊』(小森白監督)だった。この作品はイギリスから70ミリカメラを技師ごとレンタルして製作され、フィルムの現像もイギリスで行われた。(当時この作品の特撮担当だった小川欣也監督談)カメラの機種は不明だが、小川監督の記憶ではフィルムが横に走行していたというからビスタビジョンカメラか、テクニラマ方式のカメラだろうと思う。ただし、ビスタビジョンカメラは永田雅一社長の経営する大映に一台あったから、わざわざカメラをイギリスからレンタルしてきたところを見るとテクニラマ方式で撮影されたのであろう。東宝や松竹が使っているパナビジョン方式よりもはるかにフィルムを多量に使う撮影方式である。製作費は当時の金で1億7000万円。まさに起死回生の超大作だった。大蔵映画の命運はこの第一作にこめられていたのである。  小林悟監督のこの作品での立場は協力監督だった。  起死回生の超大作であったにもかかわらず『太平洋戦争と姫ゆり部隊』は完成度も芳しくなく、興収もよくなかった。大蔵映画は第一作から大変な失敗作を製作してしまったのである。  大蔵映画は超大作大作路線から一作で撤退し、予算のかからない成人映画的作品を製作するようになる。(成人映画と書かないのは女性の裸を売り物にした映画でありながら、その多くが成人向指定映画ではなかったからだ)年に一番組の怪談映画も大蔵映画の売物だった。  後に日本のピンク映画第一号といわれるようになる『肉体市場』。『不完全離婚』『海女の怪真珠』『性の変則』などの性的映画を監督する一方で、小林悟は大蔵の主任監督的立場で3本の怪談映画を監督した。  セックスを売り物にした低予算映画にピンク映画という命名をしたのは『内外タイムス』の映画批評欄を担当していた村井実だといわれている。昔はピンク映画を製作するプロダクションは別名エロダクションなどと呼ぶ呼び方もあったらしい。  ピンク映画の第一号は『肉体市場』(小林悟監督)と言われるが、異説もある。岸本恵一(本木荘二郎)が監督した『新婚の悶え』を第一作とする説もあるし、教育映画を製作していた国映株式会社の女ターザン映画『情欲の谷間』『情欲の洞窟』(関孝二監督)こそピンク映画の第一作だとする説もある。またピンク映画のスタートを新東宝株式会社の末期作品に求める人もいる。  前述の『九十九本目の生娘』『海女の化物屋敷』『蛇精の淫』(曲谷守平監督)『怪談海女幽霊』(加戸野五郎監督)などを1960年製作の『性と人間』とともに、性を売物にした作品だからピンク映画の名称でくくってしまおうという考え方である。  ピンクすなわち成人映画とかポルノ映画ではないとしたら『怪談海女幽霊』はまさしくピンク映画であることは間違いないし『情欲の谷間』もお色気が売物の作品だからピンク映画だ。しかし『怪談海女幽霊』や『情欲の谷間』は成人向き指定作品ではない。  というさまざまの異説が乱れ飛ぶ中で大蔵映画の『肉体市場』をピンク映画第一号とする人が多いのは、それが後にピンク映画を量産する業界最大手の大蔵映画配給作品であることと、映倫審査済作品でありながら上映二日目に警視庁風紀課によって摘発を受け、問題シーンを削除するように指導を受けたことによるものと思われる。  反権力的情熱の持ち主である小林悟はフィルムの削除を納得せず、切られたフィルムを夜を徹して復元したという。だから摘発にもかかわらず上映された作品は削除前のものと同一だったのである。  ちなみにピンク映画という呼び方は一種の蔑称であり、  『製作費の安い不利な条件下で製作された、セックスシーンを羅列することによって客の劣情を刺激する映画』  という意味がこめられている呼び方ではないかと思う。当時、8ミリで出回っていたエロ映画はブルーフィルムと呼ばれていた。ブルーフィルムよりは激しくないが、やはりセックスシーンを売物にした映画だからブルーではなく、  「ピンク映画と呼ぼう」  と命名されたものと想像できるが、小林悟監督はこのピンク映画という呼び方にも抵抗するのである。    TEL  大蔵映画の初期作品は『太平洋戦争と姫ゆり部隊』と『明治大帝御一代記』(1964年)をのぞいてはおおむね低予算である。低予算といっても扇町京子主演で製作された『肉体市場』の製作費は『モノクロ作品で600万円』。(小林悟監督談)  しかし当時は『こんな低予算で映画ができるのか』と言われながらの製作スタートだったというのである。(同作品の助監督だった小川欽也監督談)  更に時代を逆上れば富士映画が製作した『まぼろし探偵』二部作の製作費は二本で2500万円。一本の予算が1250万円である。(小林悟監督談)当時の日本映画ではこれでも低予算映画作品の方だった。ちなみに大蔵怪談第一作の『沖縄怪談逆吊り幽霊・支那怪談死棺破り』(小林悟監督、1962年)の製作費は推定で1500万円。  これは日華合作で、台湾側出資が51パーセント、日本側出資が49パーセント。それで大蔵映画が出した製作費が750万円だった(山田誠二談)というところから算定した数字である。大蔵映画の撮影所に中国の山の巨大なセットを組んだり、美術監督として『東海道四谷怪談』の黒沢治安を起用するなど、明らかに金がかかっているので、この製作費の推定はそう大きくは違っていないだろう。この作品には付随した話題がいくつもある。  『沖縄怪談逆吊り幽霊・支那怪談死棺桶破り』は長いタイトルの一本の映画だ。映倫の審査マークからいっても、これが一本の作品であることはまちがいない。しかし、ポスターではこのタイトルが、『沖縄支那怪談集』という別の総合タイトルで括られて、わざわざ二行にわけて書かれているのである。  劇場公開の時に『世界怪談集』として『戦慄!恐怖!怪奇の極!』という呼び込みのフレーズとともに『米国怪談・太陽の怪物』を並列して、3本立にしか見えないポスターが作成されている。  総天然色(大蔵スコープ)の『(UPSET WALKING GHOST) 沖縄怪談・逆吊り幽霊』と総天然色(大蔵スコープ)『(BROKING KOFFIN)支那怪談・死棺破り』の同時上映にしか見えないポスターなのである。  一本の映画を二行にわけてタイトルを書いて二本立てに錯覚させようとする映画なんて聞いたことがない。似ている商法をあえて求めるとすると、戦前や戦後に浅草界隈に見られたという『世紀の大発明、テレビションの大公開』などという、テレビに似せたスクリーンに映画の屑フィルムを背後から映写してテレビジョンではなくて『テレビション』だと称して客から料金を搾取する見世物興業の精神とそっくりだ。大きな板に赤い絵の具を塗り付けて『世紀の大イタチが捕まった』といって、客を呼び込むガマセモンと呼ばれる欺瞞的商法である。  『客を入れてしまえばこっちの勝ち……』  というわけなのであろう。  映画を芸術と考えると、こんな見世物手法で客を呼び込むなんてとんでもないということになろうが、映画を興業と考えると、ともかくお化け屋敷的であろうが何であろうが客を映画館の中に入れないことには商売にならない。  『欺瞞か巧妙か、他社の及ばぬ知恵に大蔵の本領が示されている』(データーハウス刊『心霊怪奇博物館』所載『大蔵貢伝説』富永礼)というわけである。  小林悟はこの大蔵怪談を1963年の『怪談異人幽霊』1964年の『怪談残酷幽霊』まで全部で3本製作する。(厳密には1995年に『色欲怪談・発情女幽霊』を製作しているから、小林悟監督の大蔵怪談は4作品あるが…)     『怪談残酷幽霊』はビンセント・ブライス主演の『黒猫の怨霊』ボリス・カーロフ主演の『古城の亡霊』とともに大蔵映画怪談集として公開された、成人映画ではない一般映画であった。当初の大蔵映画は大劇などの東急映画系で公開されていたが、同系統が洋画配給に転身すると配給系統を失い、1965年に小川欽也監督作品『めす・牝・雌』をきっかけにしてピンク映画の製作配給を開始する。  小林悟監督は『怪談残酷幽霊』を最後に大蔵映画から一時撤退して海外に出掛けてしまう。その間に大蔵映画は一般映画の製作会社からピンク成人映画を製作配給する会社に転身して、映画観客の減少とともに日本の映画界には次々と成人映画の専門館や成人映画の配給会社が誕生するのである。  大資本を所有する大手の大蔵映画のほかに、小森白が設立した新東宝興業は、東京興映と名称を変更して成人映画に参画してくる。『情欲の谷間』を製作した国映が分離する形で日本シネマが誕生、ほかにも六邦映画、関東ムービー、葵映画といった成人映画専門会社が乱立するが、この間、日本のピンク映画一号監督とも呼ばれる小林悟監督はアメリカを放浪していたのである。(今は、成人映画専門の製作配給会社は、東京興映がもう一度名称変更した新東宝映画株式会社、国映株式会社、大蔵映画、そしてにっかつの分流の新日本映像の四社に減少している)    TEL  小林悟監督は台湾に渡って台湾映画を何本か撮った後、日本に帰国して松本温泉で旅館を経営していたが、そこをたずねてきたプロデューサーによって映画の世界に引き戻されてしまう。そこで製作されたのが松竹映画によって配給された戸川昌子原作による虚栄の美容師業界の闘争劇『鏡の中の野心』(東活映画株式会社製作、荒木一郎主演)であった。東活はこののち年間40本近くの成人映画を量産し、製作されたフィルムを松竹映画が買い取って全国配給するシステムが完成した。ついに『男はつらいよ』シリーズのほかにヒット作品がまったくなかった松竹映画がピンク映画の配給に乗り出したのである。にっかつはすでにロマンポルノの製作を進行させており、東映は東映セントラルフィルムの名称で向井寛が統率する獅子プロダクション作品を成人映画チェーンに配給していた。  大映は倒産状態だったから、成人映画の製作配給をこの当時まったくやっていなかったのは明朗で健康な映画を標榜してやくざ映画すらほとんど製作しなかった東宝(五社英雄の『出所祝い』という作品がある)以外のすべての邦画会社がピンク映画と呼ばれる成人映画を製作する事態となったのである。  そして小林悟監督は東活プロダクションにあってほとんどすべての東活ポルノを製作監督した。3本立てのすべてが小林監督作品だから、バライティをつけるために名義をすべて変えて、年間40本近い作品を送り出すという映画史上に聞いたこともないような快挙をなしとげることになる。  社長の死によって東活は映画製作を停止して、小林監督は古巣の大蔵映画に帰還して監督を続けている。わたしが東映化工の玄関で小林悟監督に出会ったのはまさにこの時で、監督は一般映画を製作してロサンゼルスで公開したいと言ってゴジラ俳優の薩摩剣八郎氏と打ち合わせをしているところだった。  その作品はどうやら流れてしまったらしいのだが、小林悟監督はあいかわらず精力的に映画を作りづつけている。昨年はVシネマの監督もやったらしい。ストリップ劇場で芝居の演出をしたりということもやっているらしく、大蔵映画ではオールロサンゼルスロケーションだとか、金のかかることもやっている。  1995年に久しぶりの大蔵怪談映画『色欲怪談・発情女幽霊』を監督したが、大蔵映画は怪談映画の次回作に難色を示したために次の怪談映画は難航している。  1997年には山田誠二が経営するオフィスユリカが『色欲怪談・江戸の淫霊』(酒井信人監督)をして大ヒットしたから、今後、怪談を大蔵映画が製作するとしても主導権は山田誠二の手に移るのではないかとも思われる。  大蔵映画は現在、36本の成人映画と、5本の薔薇族映画を製作している。小林悟監督は男女のセックスを描写する成人映画とともに薔薇族映画を監督している。成人映画だけしか見ていないお客は信じられないかも知れないが、成人映画の監督たちはまったく同じスタッフ、同じ配役の顔触れで薔薇族映画と呼ばれるホモ映画を製作しているのである。  成人映画の世界では女好きを演じている樹かずや港雄一や野上正義や池島ゆたかが薔薇族映画ではホモ男になって、男にキスしまくったり男のアヌスにペニスを挿入したり(本当に入れているわけではなく、そういう演技をしているだけなのだが)という世界なのである。  ホモ映画は大蔵映画のほかに大阪の梅田に本社があるENKプロモーションが5本の作品を製作している。  大蔵映画の製作費は現在、映倫審査が終わって会社に初号プリントを引き渡すまでで300万円。それでも年間41本の作品を製作すると、フィルムのプリント費や宣伝材料の製作費、配給経費などで2億円もの金がかかることになる。それで決してたやすく収支が黒字にならないのが映画製作の難しさ。  大蔵映画が映画の製作を続けられるのは、資産がそれだけしっかりしているからだ。しかし膨大な利益が出るような世界ではないのである。 小川欽也監督  小川欽也監督には別名がある。小川和久とか、小川卓寛とか、姿良三とか、綾小路なんとかという監督名もあるらしい。小川監督は現在でも大蔵映画のエースで、小林悟監督作品と小川欽也監督作品が今でも大蔵映画の二大売り物である。小川監督は『枕絵の女』という500本記念大作を数年前に松竹大船の撮影所を使って製作監督した。この時点で監督作品が500本だから、今は600本に迫っているかも知れない。すごいバイタリティなのである。  小川欽也監督は大蔵映画設立当時は小林悟監督の助監督だった。ピンク映画の第一号といわれる『肉体市場』の助監督だし、70ミリ映画の『太平洋戦争と姫ゆり部隊』の時には特撮担当の監督として、プールに模型を浮かせて花火を仕掛けた模型飛行機を吊るして空中戦シーンや爆撃シーンを撮影したそうである。  小川監督がこの映画で特撮を担当することになったのは、ニッサンプロで『大怪獣ゲボラ』とか『魔神ガロン』のパイロットフィルムを製作した実力が買われたというが、特殊撮影に通暁していることからその後、思いもよらない二本の名作が生まれた。  小林悟監督が大蔵怪談から撤退してから小川監督が監督制作した『怪談バラバラ幽霊』(1968年)と『生首情痴事件』(1957年)である。  『幻の怪談映画を追って』の著者の山田誠二の説によると『怪談バラバラ幽霊』の方が評判が高いというが、わたしは『生首情痴事件』の方がおもしろいと思う。わたしはフリーライター兼俳優のティッシュ堀内さんが熱心に薦めるものだから、昨年は大井武蔵野館で……、今年は俳優の奥山榮一くんと一緒に亀有名画座で、二回この作品を見たのだが、何度見ても『生首情痴事件』の方が抜群に面白い。  小川監督というのは大蔵映画の大蔵貢社長に300万円という低予算のピンク映画製作を提言した監督であるということになっている。  小川監督の話だと、1964年の年末近くに大蔵貢社長に『めす・牝・雌』を撮るように、と言われたのだそうである。これは小林悟監督が提出した企画だったらしいが、小林監督は当時、大蔵映画とのトラブルで絶縁状態だったらしく、代わりに大蔵社長が小川監督に白羽の矢を立てたのである。  「ところで小川……」  と大蔵社長は切り出した。  「お前、300万円で映画を撮ったそうじゃないか……」  300万円の映画というのは、その前年小川監督が国映で監督した『妾』という作品である。これは大変なヒット作品となって国映を潤した。大蔵社長はそれのことを言っているのである。  「ええ、まあ、なんとなくやったらあたっちゃったものですから……」  と小川監督が言うと、大蔵社長は、  「300万円で映画というのはできるものなのか?」  と聞いたというのである。思えばこれが運命の一瞬であった。信じられないことであるが大蔵貢社長は当時、300万円で映画が作れるということなど想像もしていなかったようなのである。それは当然であろう。新東宝社長時代には、どんなによその会社より低予算といっても1000万円以下の製作費で映画を撮ったことがないのだし、1億7000万円という破格の製作費で『太平洋戦争と姫ゆり部隊』を製作した3年後だ。  小川監督とのこの会談があった年にも超大作『明治大帝御一代記』(渡辺邦男監督)を公開したばかりなのである。これは新東宝で製作した『明治大帝と乃木将軍』『明治天皇と日露大戦争』といった作品の中から明治天皇が登場するシーンをつなぎあわせて製作したが2分の1近くは数千人のエキストラを結集させて作られた大作だった。  300万円で、  『映画というのはできるものなのか?』  と質問した大蔵貢社長に対して小川欽也監督は明快に、  『できます』  と答えた。  この瞬間にその後の大蔵映画の基本路線は決定したと言っていい。小川欽也監督は『めす・牝・雌』を監督したが、その作品が大蔵映画最大のヒット作となったことから、大蔵貢はOPチェーン(オリジナルピクチャーチェーン)を設立して低予算の成人映画の製作に乗り出すことになる。大蔵映画で製作された作品がピンク映画と呼ばれるようになったことと呼応して、小川欽也監督たち現場サイドはOPチェーンをオピンクチェーンと呼んでいたという。    TEL  その後、ピンク映画製作サイドに対する映画界やテレビ業界からの差別が始まり、成人映画に身を置いたものにはテレビ作品は撮らせないとか、一般映画は撮れないとかいう状況が続いた。今では信じられない話であるが、にっかつがホマンポルノ路線を決定し、永田雅一の大映が倒産、東映が石井輝男監督を起用して『異常性愛シリーズ』を製作開始する頃になると次第に差別感は撤廃されて、今ではむしろ成人映画業界から出た監督以外、監督と呼ぶべからずといった逆差別体勢の状況が形作られているのは周知のごとくだ。  小川欽也監督作品が500本ということでもわかるように、成人映画の監督たちが重宝されるのは多産を強いられるおかげで技術があるせいだろうと思う。  生涯に大作を一本しか映画を作っていない監督よりも、低予算作品を500本作っている監督の方が腕がいいというのは当然だ。何しろ300万円の作品でも500本も作れば15億円は金を使っていることになる。換算すれば3億円の大作を5本作っているのと同じということになる。  ともかく300万円で製作された『めす・牝・雌』がもっと製作費をかけたほかのどの作品よりも稼いだのが、成人映画のその後の命運を決めてしまった。多分、大蔵映画はもっと多額の製作費を出すことができたにもかかわらず、それ以後、製作費は300万円に固定されてしまって、以後30年以上、成人映画の製作費はまったく上昇しないことになったのである。  そういうわけで小川監督の『生首情痴事件』は300万円で製作された怪談ポルノ映画。映画の低予算化で一番削られるのは人件費、それも日当が高い俳優の予算だ。というわけで『生首……』には十人ほどしかタレントが出てこない。カラーフィルムは高価なので1ロールだけにして、あとはモノクロのパートカラーという方式が考案された。このアイディアを考えたのも小川欽也監督だったのだそうである。  しかしブルーバック合成(クロマキーという)を使っているのは画期的だった。まだ当時はウオルト・ディズニーの『フラバア』など一部ではクロマキー合成が使われてはいたものの、その原理はほとんど知られておらず、東宝から独立した円谷英二の円谷プロなど一部の特撮技術者がやって使っていた技術にすぎなかったのだそうである。円谷プロが大蔵映画の撮影所を使ってコマーシャルの撮影をしたことがあって、小川欽也監督ほか大蔵映画の関係者がその光景を物陰からのぞいて、  「あれは何をやっているんだ」  と見ているうちに光の三原色を使って青い色を画面から消す方法を考案した……、というか盗み取ったのだそうだ。  というわけで『生首情痴事件』はブルーバック合成を駆使しているが、今の人はちっともびっくりしない。今ではこういう方法で物体を透明化するくらいはテレビの音楽番組でもやっているからである。しかし、当時は大変な技術だったのである。  『生首情痴事件』の製作費は『沖縄怪談』の5分の1だが、そういうわけでなかなか怖い仕上がりになっている。不気味というか、気持ち悪いという点ではたしかにのこぎりとナイフでバラバラに切断された美人幽霊の手や足が浮遊する『怪談バラバラ幽霊』の方が一級上かも知れないが心理的恐怖という点では『生首……』方がまさると思う。  ただし『怪談バラバラ幽霊』には二重撮影は使われているがブルーバック合成は使われていない。かわりに二階堂浩が演ずる男がビルから逆さまに落下するシーンで回転円盤を使った特撮を披露しており、こういう細部のこだわりがこの二作品を傑作にしているのだと思う。  現在の成人映画では絶対に不可能だと思われることは『怪談バラバラ幽霊』で撮影所に洞窟のセットを組んでいることと、張りぼての墓石を使っていることなど……。のこぎりで女性の肉体をバラバラに切断することなどは二重の意味で絶対にできないだろう。まず第一には残酷過ぎて映画会社が作らせないこと……。第二にはバラバラにされるゴムの人体のパーツが作れないこと……。  小川監督作品も小林悟監督作品も、大蔵怪談は長い間、忘れ去られていたのである。フィルムを所持しているはずの大蔵映画自体が、ずいぶん昔にフィルムをジャンク処分にしたとかで、  「怪談のフィルムはありません」  と言っていた。わたしはスポーツ新聞に大蔵映画作品の紹介をしていて、その関係で大蔵映画の営業部制作担当の桜井さんと接触した時には、  「怪談のフィルムはすべてジャンク処分しました。わたしが処分したのではなく、前任者が処分したので、その事情はわたしにはわかりません」  と繰り返していた。  小川欽也監督も、  「もったいないことをしたよなぁ」  などと言っていたが、考えてみればその同じ時期に山田誠二は失われたはずの怪談映画を求めて着々と動いていたわけである。わたしが大蔵映画の支社にいる時にも、退職した関係者から、  「怪談のフィルムがあるはずだ」  という電話がかかってきていたが、桜井さんは、  「ありません」  と答えていた。その怪談フィルムが発見されたのはまさしく山田誠二のお手柄だった。山田誠二にせっつかれて桜井さんが支社の倉庫を当たっているうちに、ほこりにまみれた『生首情痴事件』のフィルムが出てきたのである。『怪談バラバラ幽霊』と『新怪談色欲外道四谷怪談お岩の怨霊』(小川欽也監督)という長いタイトルの怪談映画も発見された。失われていたはずの『沖縄怪談……』も発見されたが、ついに『怪談異人幽霊』(小林悟監督1963年作品)と『怪談残酷幽霊』(小林監督1964年)は発見されなかった。それでもこれは大変な発見だったのである。    TEL  山田誠二のオフィスユリカが大蔵怪談をビデオ化してから、大蔵怪談人気は急速に高まって、大井武蔵野館で上映された大蔵怪談特集は満員で立ち客まで出た。大蔵映画は山田誠二がビデオ化を申し出るまでせっかく発見されたフィルムをジャンクすると主張していたのだが、このヒットのおかげでフィルムはジャンク処分されることなく現在も残っている。  わたしが小川欽也監督と『生首情痴事件』や『怪談バラバラ幽霊』の話をしていた時に偶然、山田誠二も怪談のフィルムを探していたわけで、その後、山田誠二は『幻想怪奇博物館』という恐怖映画の単行本をデーターハウスから発行した。わたしが小川欣也とその本を前にして怪談映画の話をしていた時に偶然に山田誠二が大蔵映画の支社に入ってきて、桜井さんから紹介されて山田誠二と交友することになったのだが、やはり山田誠二と怪談が縁で交際していたテレビ映画の製作会社C・A・Lの矢島賢は大蔵怪談映画への愛情から大井武蔵野舘にビデオ化が終わった大蔵怪談のフィルムを持ち込んで支配人に上映してくれるように頼んだのである。  「これじゃ客が入りませんからね」  と断る支配人に矢島は執拗に食いつき、ついに大蔵怪談特集を上映することを承知させたのである。  大蔵映画再評価のおかげで、小川欽也監督の名前も急速に上がっている。  それにしても小川欽也が監督した『怪談バラバラ幽霊』という映画はインチキだ。大部分がモノクロでほんの4分ほどがカラーの映画のポスターに『天然色オークラ・カラー』と書いてあるのはいいとしても、9人が並んだ俳優の横に『他オール・スター・キャスト』と書いてあるのが凄い。ポスターに並んでいる俳優名だって、成人映画がよほど好きな人以外は誰も知らない名前ばかりなのに『他オール・スター・キャスト』といったって、このほかに一体、誰が出演しているというのか……。後は助監督たちが間に合わせでカメラの前に立ったエキストラと、監督自自身が姿良三という芸名で演じた管理人しか出てこないじゃないか……。そしてその後に書かれた大蔵映画超大作の文字……。超大作だのオール・スター・キャストだの、誰も信じるはずのない空虚な文字をならべるところが大蔵映画の面目躍如たるものがあると思う。10人に9人は信じないが、残りのひとりは本気で超大作だと思って入場料を払うかも知れない、劇場に入れてしまえばだまされたことに気がついて文句をいおうがどうしようがこっちのものだ、だったら書かないより書いた方がいい……。  そういうことなのだろうと思う。  こうやって製作された『生首情痴事件』と『怪談バラバラ幽霊』がバッドテイスト好みの山田誠二によって再評価されたのは本当に凄いことだと思う。    TEL  フリーライターのティッシュ堀内さんが見た映画に鶴岡八郎主演の『密林の陰獣』(小川欽也監督)という凄いタイトルの映画があったのだそうだ。主演は三条まゆみ、原悦子、鶴岡八郎、武藤樹一郎、このうち鶴岡八郎は『怪談バラバラ幽霊』と『生首情痴事件』の主役なのだが、この映画、どこに密林があるのか、どこに陰獣が出てくるのか、まったくタイトルと中身の一致しない映画だったそうで、陰獣どころか鶴岡八郎は人のよさそうなへらへら笑いを浮かべているおっさんで、武藤樹一郎の若い男は三条まゆみに蛇を投げ付けたりはするけれど、どう見ても陰獣とは思えない。その次の週に上映される映画が同じ三条まゆみ主演の『犯された処女』(小川欽也監督)というタイトルの映画で、この映画こ野上正義演ずるサラリーマンと婚約している三条まゆみを同僚のOLが嫉妬して、吉岡一郎や久須美欣一演ずるならずものにお金を原って犯してもらうという映画。  大蔵貢社長というのは勧善懲悪の考え方を持った古風な人で、悪人は最後には罰せられなければならないということを映画監督たちに津欲求めたのだという。いくら勧善懲悪を主張したって、ポルノ映画の観客は『犯された処女』というタイトルの映画を見にくるのに、あわや犯される寸前の三条まゆみがほかの男に救出されるシーンなんか見たくない。みんな処女を無残に奪われて泥だらけの下着でシクシクと泣いている彼女を見たいに決まっているのだ。  しかし大蔵映画は勧善懲悪だから、悪人は必ず罰せられたり、改心しなくてはいけない。三条まゆみを犯してくれと依頼したOLは突然、  「そうだ、あやまっちゃお」  と言ったと思うと、三条まゆみにあやまり、相手もニコニコと許して映画はハッピーエンド。数人の男がよってたかって女性をレイプするという非人道的なことをやっておいて、  「あやまっちゃお」  ですむわけがない。もし魔がかしてそういうことをしたとしても、  「知らん顔してしらばくれちゃおッ」  というのが、普通の女性の心理だと思うのだが、あやまると犯された相手がニコニコしてハッピーエンドという着想が凄いとティッシュ堀内さんは言うのでありました。  「『生首情痴事件』だけでは大蔵映画の毒素はわかりません。やっぱり『密林の陰獣』と『犯された処女』を見なくては……」というのがティッシュさんの意見だ。  よく巷で言われていることだが、大蔵貢社長の大蔵映画は低予算でチープな映画ばかりを作っていたというのは間違いだ。新東宝株式会社社長時代には『明治天皇と日露大戦争』のような大作を作ったし、小森白監督の『大東亜戦争と国際裁判』という異色作品もある。大蔵映画を設立した後も『太平洋戦争と姫ゆり部隊』や『明治大帝御一代記』と言った作品を製作している。こういう超大作を作らなくなったのは、これらの作品が当たらなかったからだ。  それでも大蔵貢社長は撮影所を壊す時になって最後の超大作を小川欽也監督に撮らせている。これだけは『怪談バラバラ幽霊』の超大作ではなく、本当に大作だった。何しろ、ポスターに書かれた製作費は1億円。タイトルは『人類の性典』といった。  アダムとイブから現代までのセックスを歴史を追って描こうという大スペクタクルで、製作費1億円はおおげさだが、それでも大蔵の撮影所に天井ぶち抜きで六杯のセットは凄い。  「1億円はかかっていないとしても、6000万円はかかったんじゃないか?」  と小林悟監督は言う。小川監督に言わせると  「2千万円というところじゃないかな……」  ということになるが、それでもプリント費とか配給経費、宣伝費を含めると2500万円は出ていることになる。この作品がまたまた不評だった。  大蔵貢社長はこれでかたくなに、  「ポルノは金をかけると、いいものはできない」  と信じ込むようになってしまったらしい。  しかしそれにしても当時の2500万円は現代でいえば1億円にも匹敵する金額だ。有名な俳優が出演するVシネマだって今は1000万円前後で作られていることを考えると、スターらしきスターを使わずに2500万円で映画を作って、すべてがパアになっても痛くもかゆくもない大蔵貢というのは大変な資産家だったのである。  大蔵貢社長は倒産前の日活の株を多数所有していて、日活の社長の座をねらっていたようである。わたしはロマンポルノ路線に入る前の日活の社長にならなくてよかったと思っているが、山田誠二は、  「ぼくは社長になってほしかったですね。小林明を使って『怪談渡り鳥』や石原裕次郎を使って『怪談赤いハンカチ』とか凄い映画をたくさん作ったかも知れませんから……」  と言うのである。  たしかにそれは面白いも知れないが、そういう状況からは神代辰巳も小沢啓一も田中登も長谷部安春も、日活から名匠と呼べる監督は出てこなかったのではないかと思うのだが……。 女子高校生のいじめリンチ事件  最近、この少女レポートが注目を集めているようだ。先日、編集部気付である女子高校生からあたし宛に手紙がきた。  「あたしの高校では、今、いじめがひどいブームです。他人をいじめたり、リンチしたりということをブームといっていいのかどうかわかりませんが、あたしたちの高校のできの悪い女生徒たちは、そういう行為がトレンディでかっこがいいものと思っているのかも知れません。最近はあたしの友人のJさんがいじめの対象になっています。成績がよかった彼女はこの頃では、登校拒否を起こして学校に出てこなくなりました。単純にいじめといいますが、田舎の女子高校のそういう行為は、それはそれはひどいものです。泣き騒ぐ女子高校生の両手を押さえて、スカートをまくりあげ、パンツを下ろしてあそこの毛を剃ってしまったり、へんなものをあそこに挿入したり……。あたしもリンチを手伝わされたことがあります。リンチは決していいことではありませんが、断ったら今度はこちらがいじめの対象になるのだから必死です。女の子の毛を剃るくらいは当たり前、バージンの女の子をバイブでやってしまったことがありました。そんないじめが続発する高校で、自殺する生徒が出ないのが不思議ですか? いやいや、牧場先生、犠牲者は出ているんです。今年に入って、学校の屋上から飛び降りた女の子は近くの工業高校の男の子に失恋した失恋自殺だっていわれていますが、真相は……」  彼女に言われるまでもなく、あたしも女性のリンチが陰湿だってことは知っている。  男だったら、どんなに凄いことを相手にやっても、どこかに救いを残しておくが、女の子がリンチを始めるとただ汚いだけといわれる。基本的には男よりも女の方が残酷な生き物なのかも知れない。  と感心している時ではない。こんな手紙を受け取って、取材をしないというのでは、このコーナーの存在意義がなくなる。  あたしはさっそく千葉に住む、早船みきと名乗る彼女に電話を入れた。  「わあっ、牧場先生ですか、うれしいなァ」  あたしからの電話だと知ると、彼女は黄色い声をあげて喜びの表情を浮かべた。  「会いたいんだけど……。もっと話を聞かせてもらいたいと思ってね……」  「こっちへ出てこられるんですか?」  「取材だったら、どこへでも出掛けるわよ」  「友達にも先生がこっちへくることを知らせておいてもいいですか?」  「いいけど、なるべくなら札付きのワル少女も集めておいてよ」  とあたしは、みきに言う。こういうルポ記事の命は臨場感だ。本物のワル少女たちが跳梁跋扈するシーンを実際に見れば、あたしの文章にも迫力が出るにちがいない。  前回は、番を張っている同士の闘争の果てのリンチを書いたが、今回はいじめだと思うと、あたしの声が震えてくる。  やっぱりルポ記事は、実際の現場を見てから書くに限る。    TEL  普通のリンチ事件なら、スケ番連中に連絡をとって、うまく渡りがついたら現場を見せてもらうという手続きをとればいい。そういう現場を見るのは難しいと思われるかも知れないが、そうではない。案外、そういう事件を起こす連中というのは、あたしたちのような職業の相手に対して義理堅い人たちが多いのである。  ところがいじめ事件となると違う。  いじめは学校の先生でさえ気付かないことが多いといわれるくらいだ。ましてや、いじめ学生たちはこの日はS子をいじめていたと思うと、次の日はW美をいじめるといった具合に、相手を問わない。いじめグループというのは、だいたい自分たちが社会から阻害された鬱積した精神の持ち主が多いのだが、いじめられる相手は、かならずしも成績劣等の不良というばかりではない。  「先月、手首をカミソリで切った娘が出たわよね。あの子はうちのグループがいじめていたわけじゃないけど、気の弱い女の子でね……」  あたしが会った早船みきの友人のめぐみが、あたしがごちそうしてあげたホッドドッグをぱくつきながら、下品な顔付きでいう。  「やっぱり気の弱い女の子がいじめの対象になるの?」  「それはそうですよ。問題が起こったら自分でスッパリ処理できるような娘をいじめていたら、こっちの身があやういもの……」  とめぐみがいう。  「そのいじめってやつだけど、精神的な暴力だけなの? それとも何か、肉体的な凌辱が加えられるわけ?」  「精神的にもやるけど、肉体的にもかなりひどいことをやるわ。自殺未遂を起こしたら、相手がビビって手を出さなくなるかというと、そんなことはないわ。そういうまねをした女には、徹底的に凌辱が加えられるから、いじめ、っていうのよね」  と彼女がいった。  手首を切った女の子の場合、一週間の自宅静養の後、手首に包帯を巻いて登校してきた彼女の机の上に、誰かが黒縁の額に入った写真と葬式用の花を置いたのをきっかけにして、いじめは再開したのだという。  体育の時間が終わって、着替えをしている彼女のセーラー服やブルーマやパンツを誰かがかくしてしまったことがあったそうである。  いじめの犯人たちは、うろたえて下着を捜し回る彼女に襲いかかって、手首を縛り上げて、ロッカールームに閉じ込めてしまったそうである。  彼女はロッカーの中におしっこを漏らしてしまった。その彼女に『ションベン娘』というあだなをつけて彼女たちは新たないじめの対象として、いじめまくったのだそうである。  「どんなタイプがいじめられるの?」  とあたしが聞く。彼女はコーラのストローに口をつけながら、首を傾ける。  「成績は中くらいか、もう少し下。気の弱い特殊な生活環境にいる子が多いわね。たとえば家がソープランドやラブホテルを経営しているとか……」  あまりお金を持っていない少女は狙われることはないという。いじめられている少女たちでも、一生懸命に勉強して成績が上昇すると、いじめグループはピタリと手を出さなくなるともいう。  「牧場先生、女のあそこに電球を入れたのを見たことがある?」  「ないけど……」  わたしは目を丸くして、めぐみの友人の渡辺和子を見る。  「すげえ見物だよ。暗いところでそれをとると、レントゲン写真のように体が透けるような感じでさ……」  「あそこの中で点灯すると、体が熱くてやけどしちゃうんじゃないの?」  「いじめだもの、彼女たちが子供ができない体になろうが、生理不順になろうが、かまうこっちゃないのさ」  という和子は、いじめ少女だといわれても信じられないくらい、頭のよさそうな美少女である。彼女はどうやらレズビアンの傾向もあるらしく、猫のように喉を鳴らしてあたしの体に上半身を押し付けてくる。    TEL  残忍ないじめの告白はまだまだ続く。  「あそこに電球を入れられると、案外、入れられた方は興奮するんじゃないのかね……。あそこがヌルヌルに濡れてくるのがわかるんだよ」  と和子がいう。  「馬鹿だね、そんなことをして感電させたらどうするつもり?」  とめぐみが顔をしかめていう。  「だから、あたいたちは相手の体がどうなろうが、知ったことじゃないと言っているだろう? それでも電球が相手の中で割れてしまったら、殺人になるから、気をつけてやるけどね……」  彼女たちでもやっぱり殺人罪でぱくられるのはいやなようだ。  「若い女の子のあそこって、やっぱいキレイだよね。クリトリスがピンと尖っていてさ、あそこからは新たな透明なおまん○汁が溢れ出していてさ……」  「あなたってレズの性質があるんじゃないの?」  とあたしが聞く。  「そうかも知れないわね。それでさ、いじめの最中に、生理になった女の子がいてさ、あたしの生理用のタンポンを入れてやってさ……」  と彼女はだんだん女の確信に迫る話になっていく。  「それでどうしたの?」  とあたしが聞く。  「ヒイヒイ泣き騒ぐからさ、一時間くらいたってから、スポッとタンポンを抜いてやって、顔に押し付けてやったら、鮮血だらけの顔をゆがめてもっとひどく泣き出しちゃってさ……」  と彼女がいう。  「それから?」  とあたし……。  「あんな顔ってさ、普段は見ることがないだけに、あたしはなんか親近感を感じちゃってさ、いじめていた相手と妙に仲良くなっちゃったのよ。そんな経過をたどって、いじめられなくなった子はいいけど、いつまでも要領が悪くていじめられている娘もいるわね」  と彼女がいう。  いじめが社会問題になっている。こういう現象が最近のことだという人もいるが、いじめ自体はトイレに出てくる『幽霊の花子さん』の話のように、昔から連綿と行われてきたことではないのだろうか……。  もっとも現代は、価値が多様化して、時代の変化も早い。不安定な時代に生まれたロリータ少女たちは、欲求不満と鬱積した何かを同級生にぶつけるのではないか……。  あたしはいじめの現場が見たくて千葉まででかけたのだが、結局、現場を見ることはできなかった。そのかわりに、鬱積した欲求不満をいらいらさせる少女たちに会うことができた。  「いじめの正体は何なの?」  と、あたしが最後に彼女たちに聞いてみた。  「一種の群衆意識かも知れませんね……」  と意外に冷静な分析が、当事者の少女から返ってきた。  「群衆意識って?」  「みんなが特定の誰かをいじめるから、何となく一緒にいじめてしまう……。何のために自分がそんなことをするのかわからないけれど、やらなくちゃいけないような気がする。何もしないと、今度は自分がいじめの対象になるような気がして……」  たしかにそういう状況だと、勇気がないと単独行動はとれないかも知れない。先進国では女性解放化運動がさかんだというが、日本の女性の意識はまだまだ遅れている。こんな時代を見失った少女たちの、激しい欲求不満の時代はいつまで続くのだろうか……。 性犯罪の被害者がローティーン化している……  最近、女子中学生の失踪事件や性犯罪が相次いでいる。ロリコン犯罪者が日本にも増えてきたということらしいのだが、なぜ急速にロリコン男が異常繁殖しはじめたのであろうか……。  かってのアメリカでは、異常性犯罪の被害者は決まって幼女だったが、日本でも性犯罪の被害者の若年化が進行しているのは確かのようである。  「生理がはじまったばかりの女子中学生を触りまくりたいなどという願望を持ったおたく男は多いですよね、多分……」  とおだやかでない発言をするのは、いつもこのコーナーに登場しているティッシュ堀内さんの友人のルポライター・サムソン小暮くんだ。サムソンくんはロックグループを結成してライブハウスに出演したりしているので、豊かな人脈を持っているし、芸能界の情報にも詳しい。彼の分析によると、女子中学生を中心に広がっている性犯罪のターゲットはますます若年化して21世紀に入る頃には小学生までが性犯罪に巻き込まれる時代がくるだろうというのである。  「そういう兆候の走りが『レックス』や『家なき子』『聖龍伝説』などで大ヒットを飛ばしたあの安達佑美ブームですね。人気沸騰の『家なき子1』の頃が小学生『家なき子2』で中学生、ロリロリッとした彼女の色気に日本中が熱狂したんですから凄いですよ。その後、安達に続けとばかりチャイドルと呼ばれるアイドルたちが続々登場した。もう芸能界はランドセルタレントたちの坩堝ですよ」  とサムソンくんは分析する。  たしかにこういう時代になった背景には安達佑美の影響は無視できないものがあるような気がする。『ゴーゴーヘブン!』などというゴスベルソングを歌っているSPEEDは女子小学生と女子中学生の混成部隊だが、  「絵理子ちゃんがいい、仁美ちゃんがいい、多香子ちゃんがいい、などと言いながらテレビにかじりついているおたく野郎や、中年男性も多いんですよ」  とサムソンくんが言う。  「ぼくは広末涼子ちゃんとか、榎本加奈子ちゃんとか、中学生よりも女子高校生世代のタレントが好きなんですけどね、デヘヘッ」  と愛想を崩すのがティッシュ堀内さん。  「涼子ちゃんのオナニー好きそうな顔とか、加奈子ちゃんの生理不順っぽい顔を見ているだけでぼくはオナニーできてしまうんですけど、女子中学生じゃないとダメだという潔癖症の男も多いということでしょう。芸能界はチャルドルブームですから、ブームに遅れるなとばかり、芸能プロダクションは小学生の美少女のスカウトに熱中していますが、小学生のうちにスカウトしても金になるのは中学になってから、というわけで、今は7、8歳の女の子が狙われています」  まるで幼児連続殺人の宮崎事件を思わせる肌寒い状況が、芸能界では起こっているというのである。そのことを証言してくれるのは、芸能評論家の鈴木大輔さん(29歳、仮名)。  「考えてもごらんなさい。400人ランドセルを背負ったチャルドルがデビューする陰にはその300倍のチャルドル予備軍がいると言っていいでしょう。そういうタレントをスカウトに走る芸能マネージャーの中にはロリコンの性犯罪前科を持つような男もいて、芸能界というのは暗い性犯罪の坩堝なんです。さすがに児童福祉法に触れるので、小学生の体を要求するテレビディレクターは少ないのですが、ディレクターやプロデューサーたちは主役に使う女の子の体を要求するやからも多い。売り出してやるからといわれて、ホテルに呼び出されて、お風呂に入れられて、ベッドでズブッと……。泣いても叫んでも女子中学生たちは、それが大人の世界の登竜門だと思い込んでいるから始末が悪い。あげくにプロダクションの社長やマネージャーが先に味見をしていたり、親までがそういう現実に後ろだてになって、子供が悪徳プロデューサーに抱かれるくらいはあたり前だと思っているから始末に負えません」  と鈴木さんはなげく。  彼によれば、こうやってバージンを散らされる女子中学生は毎月、かなりの数に上るのだという。  「テレビの世界はそれだけ、たかり、性犯罪、乱行の坩堝ということですが、チャイドルブームが始まってから犠牲になる女性の低年齢化がはじまった。ドラマの主役の座を与えるからと行って体を要求されて断る女優はいるはずがありませんが、安達佑美ブームの後、それが女子中学生にまで広がっているといことです。実際にあった話ですが、あるドラマの順主役に選ばれたチャルドルに某プロデューサーがフェラチオを教え込んだんだそうです。それを知った父親役の主役タレントが彼女にアヌスセックスを教え、その事情を聴取しようと呼び出したテレビ局の社員の番組編成局長が、彼女のバージンを奪ってしまった。テレビの世界にはそんな信じられない事態まであるんですね。そうやって作られたテレビの画面を見ているおたく野郎や変態中年男が、女子中学生に歪んだ性欲を抱くというのはむしろ当たり前のこと……。児童福祉法も労働基準法も無視して、チャルドルをセックス欲望処理少女に改造している芸能界というのは問題です。昨今の少女失踪事件というのは、こうした芸能界の腐敗と汚染の一翼と関係があるということをテレビ局はもっと謙虚に分析して、反省すべきだと思いますよ……」  という鈴木さんの分析はなかなか鋭い。  テレビというのはいい意味でも悪い意味でも大変な効果があるのである。ランドセルを背負った女の子のキスシーンなどを見ているうちに、マインドコントロールにかかって現実にそういうことをやってみたくなる男が多くなる。そういう男は100人に一人くらいかも知れないし、そういう人たちが全員幼児誘拐という行動に走るわけではもちろんない。しかし、そういう欲望を抱いた男の0・1パーセントが行動を起こしただけで大変なのである。  もうひとつ、別の分析があることも付け加えておこう。  「それは少女自身の特殊な心理の反映でもあるんですよ。つまり、少女漫画の影響なのです」  と分析するのは少女漫画評論家もやっているティッシュ堀内さんだ。  「現在、人気爆発の少女漫画は、マーガレット連載の『花より男子』とりぼん連載の『こどものおもちゃ』通称『こどちゃ』と呼ばれているこの漫画のテーマは、女子中学生同士の恋愛です。主人公の倉田紗南は小学生の頃からチャルドルをやっている女の子で、マネージャーの玲くんを渋谷駅にいるホームレスの中からのり弁当を餌に拾いあげて毎日、一緒に寝ている。もちろん関係はキスまでですが、紗南の方は玲とのそういう関係を本当の恋愛だと信じている。一方、同級生の羽山秋人とのファーストキスから彼女の心は揺れはじめ……。という内容なんですが、金曜日の夜にアニメ放送されはじめてからこの『こどちゃ』が女の子与える精神的影響は絶大というわけです。何しろ、ホームレスを拾いあげて、毎日一緒にベッドに寝ているんですから……」  とティッシュさんは言う。ふーん、最近の女の子にはそんなとんでもないアニメやコミックが流行していたのか……。  「最近の女子中学生や高校生たちの奔放なセックス三昧の暮らしも、かなりこの『こどちゃ』の影響があると言われているんですね」  そう言えばそうなのかも知れない。たしかにテレビや映画よりも、少女漫画が少女たちに与える影響は強烈だ。少女がホームレスに弁当をあげて、それを餌に自宅に連れてきて一緒に寝る、そんな夢を見ている少女たちが増えてきたらしいのである。そういう夢を本気で見ていると、駅前のホームレスを見る目にも好奇心の表情が宿る。パンツが見えそうなくらいスカートをたくしあげたミニ姿で弁当をさし入れられた男の方は、そんな漫画が流行しているなんて知らないので、妄想がたくましくなってたまらない。そんな意識の擦れちがいが女子中学生失踪などという悲惨な犯罪を生んでいる元凶ともいえよう。  (だからといって少女漫画を取り締まれというつもりはまったくないが……)  男に強引にのしかかられて下着を脱がされてはじめて少女は自分が見ていたのが単なる少女漫画の中の夢だったということに気がつくのだが、その時にはすでに遅い。巨大なペニスがズブッと彼女の中に入った時に、痛みとともに後悔の感情が押し寄せてくるが、もう手遅れというわけである。案外、最近起こっている悲惨な状況の真相はティッシュさんの分析通りなのかも知れない……。 不倫アルバイターの性春  最近はフリーターでのんびりやっているという子が、あたしのまわりにもあんまりいなくなってきた。日本は一年前まで考えもしなかった、長〜い円高デフレ不況時代の真っ暗闇トンネルに突入して、会社はアルバイト要員を整理して生き残ろうとしているせいらしい……。  そういうのを筋肉体質の会社というのだが、同じキンがつくのなら筋肉よりも、  「キンタ○の方がいいッ」  というのは冗談としても、不況の時代にはあんまり楽しいことがない。  こういう時代になっても、束縛の多い正社員よりも、責任のないアルバイトの方がいいという子も多い。また、会社によっては正社員の数を少なくして、アルバイトに仕事をやらせて売上を伸ばそうと考えるセコーイ会社も結構あるのだ。  ファーストフードのお店には時給800円前後のアルバイトたちが、「いらっしゃいませ」と黄色い声をあげている。何しろ○○ドナルドはスマイル0円というキャッチフレーズで、アルバイト天国という印象がある楽しそうなお店だ。  けれどもこの人たちの大部分は高校生や大学生なのである。  昔みたいに学校を出てからものんびりとフリーアルバイターでお金をためて、リッチに海外旅行なんて人たちは少なくなっているようなのであ〜る。就職率だって断然悪くなっているこの時代に、若者たちは一体どこへ行くのだろうか。  「不倫アルバイターという職業を知っていますか? 我が社は不倫アルバイターになりたいという女性を登録して、アルバイターを雇いたいというクライアントと結び付けるいわば愛のキューピットです」  あたしの家に何を間違ったか先日、こんな電話がかかってきた。最初は土地の売り込みか、学習塾の経営か、豊田商事の残党がやっているインチキセールスかと思ったが、よ〜く聞いているとなかなか面白そうな話ではないか。  お金を取られるのかと思ったら、女性の登録は無料だというから、あたしは胸をボイ〜ンと強調するタートルネックのセーターと超ミニのタイトスカートで、池袋の○○シャインビルの中にある事務所をたずねてみた。  ○○シャインビルの中には、インチキ企業がたくさん入っているという噂だ。マルチ商法で有名な○○綿株式会社とか、何をやっているかわからない○○商事という名前の会社が目白押しに並んでいるのである。  その事務所はよくあるホテトル風の雰囲気である。あたしが顔を出すと、のべつまくなしにかかってくる電話を、黒い背広に黒ワイシャツの男たちがさばいている。  不倫アルバイターを派遣してほしいという電話をクライアントから受けると、彼らは登録台帳を開いて何人かの女性を選び出して、スケジュール調整に入るわけである。  「仕事っていう意識はないわね。まあ、はっきりいってスポーツ感覚でセックスを楽しんでしまうわけよ。ホテル代は男の人が出してくれるし、セックスやってお金を払わないという男はいるはずがないので、いくらかのお金は受け取るわけですけどォ、売春というのとはちょっと違うのよね」  と事務所で知り合った葛木マヤ(23歳)ちゃんはガムをクチャクチャと咬みながらあたしにそう話す。  マヤちゃんは雑誌のグラビアでヌードになったこともあるし、タレント志望で何本かの映画にちょい役で出演したこともあるというバイタリティのある女の子。  売春じゃないと強調しながらも、フェラチオして○千円、あそこに入れて○万円、朝まで付き合ったら……、と金額のランクがちゃんと決まっているところがいかにも怪しい感じである。  「やっていることが悪いことだって認識はありますよ。でも、世の中は不況でしょ? 就職したくても、いい仕事がないから、こんなことをやっちゃうのよね」  男性のものをしごきすぎて指が動かなくなったことがあるという川口孝子さん(23歳)はこの事務所に所属して半年になるというが唇を尖らせて、仕事がきついと訴える。  孝子さんの理想の仕事は、何もしないでチャラチャラと遊んでいても会社のみんながチヤホヤしてくれて、お金が貰えるというものだ。  「そんな仕事はない、と理屈ではわかっていますけどね……。わかってはいますけど事務の仕事をやってみると、大学にいた時のように楽しくない……」  それでは不倫アルバイターが楽しいかといったら、それもそうではないらしい。不倫アルバイターなどというと口当たりのいい呼び名だが、実態はほとんどホテトルの乗りである。孝子さんは男と楽しむことができなくて、悩んでいるタイプだが、仕事をバッチリ楽しんでチャッカリお金を稼いでいる連中も、もちろんたくさんいる。今度はそういう連中にインタビューをしてみよう。  「結婚している男性が好きなんです。あたしの場合は事務所から電話が入って、相手がいるホテルに急行するのですが、普通のお嬢さんっぽい服装で、いかにも会社の事務をやっている間に抜け出してきましたという表情で男に抱かれるのよ」  というのは佐藤和実さん(24歳)である。  「もちろん本番セックスはオーケーですけど、初々しさを出したいので、ベッドの中ではブラウスとかスリップだけはつけさせてもらっています。その方が男性はいかにもあわただしい中で不倫しているみたいな気持ちになって、コウフンしてくれるみたいですよ」  と彼女は言う。  彼女の得意テクニックは指と口を使ってじっくりと絞り出す猛烈フェラチオである。男性のものの根元近くを指先で握って、包皮をたるませるように上下にしごいてあげると、男性はそれだけでたいていジワッと先走りの液体を滲み出させてしまう。その間、彼女の唇と舌は、男性の茶褐色の亀頭をたっぷりと嘗めまくる。  「男性が興奮してきた頃を見計らって、ズボッと口の中に飲み込んで、バキュームカーみたいに頬を窪ませて吸ってあげるんです。フェラチオに必要なのは、技術よりも愛情なんてことを言いますが、恋人にしてあげるようにしっかりと嘗めて出してあげると、本番挿入をしなくても男の人は再指名してくれるんですね」  と、彼女は、うっとりと何かを思い出すような顔でそんなことを言う。    TEL  「不倫アルバイターというからには、一般のホテトルとは違った色々な工夫をこらしています」  と自信を持って言うのは、不倫アルバイター事務所『セクサス』を経営する緑川店長である。  普通のホテトルは、ホテルを使ってセックス交渉をするが、『セクサス』の子はどこでも出掛けていく。  「不倫というイメージだったら、たとえば夏には上野公園の芝生でペッティング、冬だったら暖房の入った車の中でカーセックス、うちの所属タレントさんは、相手の会社にだってでかけていきます」  と緑川店長が言う。ちなみに所属タレントというのは、『セクサス』の事務所に登録したアルバイターの女の子の呼び名なのである。  うーん、なるほどッ、それはいいアイディアだ。社員がみんな帰った会社に、不倫アルバイターを呼んで、女子社員の制服を着てもらって、  「由美ちゃん、ソファに仰向けで寝てごらん。ぼくがクンニをしてあげるよ」  「だ、だめッ、課長さん」  「いいじゃないか。おやッ、もうパンティーの上からわかるくらいにこんなになっちゃって……。このスケベな娘めッ」  「キャッ!」  というようにやったら、女の子にとっても、なかなか興奮もののプレイになるのではないだろうか。セックスは必ずラブホテルでやらなければならないというわけではないのであ〜る。  「ある大会社の課長さんなんですがね、不倫が大好きだが、社内の女の子はみんな彼を嫌っていて、彼と寝てくれるような子はいない。そこでうちの事務所の子を指名して、一緒にドライブするわけですよ。深夜の11時頃、自宅の前に車を停めてその子と別れ際にペッティングする。それから家に帰って奥さんと何くわぬ顔でセックスすると、いつもより興奮が激しいというわけで、うちの事務所にはそういう利用方法もあるわけです」  うーん、世の中にはなかなか鬱積した精神の持ち主がいるものだ。ここまでくるとお客の方からも話を聞かなくては、取材が片手落ちになる。緑川店長に特に頼み込んで、あたしは事務所登録の不倫アルバイターのような顔をして、電話してきた男性のもとに出掛けていった。  相手は瀬沼茂喜さん(57歳)というせっかちな男性だった。  「こういうプレイはお金がかかると思いますが、週に何回くらい利用しているんですか?」  とインタビューしようとするあたしを、彼はベッドに押し倒そうする。  「そういう話はいいじゃないか。ねえ、時間があんまりないんだからさー。おっ、シルクのショーツにパンストを重ねてつけているのか?」  そんなことを言いながら、あたふたとズボンを脱いで、彼は勃起したものを握らせようとする。それを必死でふりほどいて、聞き出したところによると、彼は不倫アルバイター遊びを半年ほど前から始めたらしいのだが、その経費を何と会社の接待費で落としているのだという。しかも、彼が不倫アルバイターを抱くのは、社員がみんな帰った会社の女子トイレとか、ロッカールーム。  手当ももらわないのに、毎日のように残業している彼を会社の幹部連中は賛嘆の目で見ているというが、実態は惨憺たるものなのである。  「不倫アルバイターの女の子は、あまり積極的に男のあそこをしごいたり、腰を使ったりしない方がいいなァ。あくまでも何も知らない子にセックスを教え込むのが男の楽しみだからさァ」  女子社員が着替えに使っているロッカールームにマットレスを持ち込んで、せっせと腰を使いながら、瀬沼さんは言う。う〜ん、50歳を越えているのに、彼の体力はなかなかのものだ。  「そ、そんなんですか。でも、女の子がある程度の技術を使った方が、男の人も……」  「う〜ん、技術なんか使わない方が興奮するなァ。大切なのはテクニックじゃない。ハートなだよ」  「こ、こんなに大きくなっているあなたのものも、ハートなんですか?」  「そうだ、ほれほれ、ぼくのハートは大きくて堅いだろう? まだ20代の青年のようだろう?」  なかなか男性の心というのは複雑なものであ〜る。ソープランドが全盛の時に、プロよりも素人っぽい女性を求めてニュー風俗なんてものができる。時が流れて、ニュー風俗も玄人っぽい女性に占拠されるようになると、普通の人妻だ、女子大生だ、とテレクラに客が集まる。はたまたお見合いパブなんてものが流行しはじめる。やれキャバクラだ、ピンサロだ、アダルトビデオだと、素人女性がバカスカ脱いだり、男のものをしゃぶったり……。だけど女性というものは、一回お金を受け取って男性のものをしごいたら最後、プロになってしまうのだから、風俗の世界をいくら歩き回っても素人女性が見つかるわけはないのだ。  そこへ現れた不倫アルバイターなる新職業、これは果たして不況時代を吹っ飛ばす時代の救世主になるのであろうか。  この『セクサス』ではただ今、アルバイトをしたいという男女の登録を受け付けているという。男女とあえて書いたのは、男性のアルバイターも募集しているからである。ただし男性の場合は年齢25歳まで……。資格は水商売の経験がない健康な肉体の男子に限られる。あえてエイズの検査はしないが、あくまでも肉体的に健康であることが登録の条件になる。  ただし、都合によってここには『セクサス』の連絡先は書けないし、編集部でも教えられないから、東京近郊に住んでいる人たちは、『サクセス』のテレホンアポインターからの勧誘の電話を気長に待つか、池袋周辺の電話ボックスのカードをよ〜く探すこと……。スポーツ新聞にも、募集広告が載っていることがあるらしい。ただし『セクサス』という名前を使わないで広告を出すことも多いという話だ。  男子の登録会員も、女性と同じようにクライアントに派遣されるわけだが、相手は女性ばかりとは限らないから、ホモがダメな人は事前に申し出ることが肝心である。不倫したいという既婚女性も多いから、結構、若い男性はいい稼ぎになるという。  これは新時代のニューアルバイトかな? 女子中学生の喪失の夏  夏は薄着で開放的になる。しかも女の子の行動に対して、家庭の目が届かなくなる。そこで、  「夏休み中にカレにあげちゃった……」  という中学生や高校生が多くなるといわれている。  「キャンプや海水浴、民宿に宿泊した友人同士の旅行など、女の子の行動が男にとって付け込みやすくなるのがこの季節の特徴。何しろ、女の子の方も思春期を迎えて男に興味を過大に抱いていますから、どことなく誘惑的な行動を取ったり、好奇心がありそうなそぶりをしたり……。何しろ、少女といっても、体の方はちゃんと生理がある女ですから、たちまち男の餌食になってしまう……。そんな絵に描いた喪失が夏の特徴です」  と解説してくれるのが、女子中学生や小学生のセックスにくわしいレポーター兼俳優のティッシュ堀内氏。  「もっとも体験が早まったとはいっても、夏が喪失のピークという現象はいまさらはじまったことではありません。戦後の太陽族ブームの時代から、真夏のセックスというのは連綿と続いてきたんです」  と解説してくれるのは、映画俳優の都築司郎氏。都築氏は某映画化会社の太陽族映画に出たこともある俳優さんだが、今の少女たちの行動と、当時の少女たちの行動に本質的な違いは何もないと語ってくれる。  「もっとも、今は小学生の喪失というのが不思議ではありませんが……。石原慎太郎の『太陽の季節』とか裕次郎が主演した『狂った果実』などが流行した頃には、さすがに小学生のセックスというのは特殊な例だったと思いますがね……」  と戦後の性文化史を執筆中という都築氏は言う。  都築氏秘蔵の統計によると、昭和30年代初頭の女子高校生の処女喪失率は7パーセントほど……。やはり結婚に際して女性は純潔でなくてはならないという思想が支配的だった。  「信じられないでしょうが、処女膜再生手術などというものがありましてね……。さんざん結婚前に遊んだ女性が、バージンを装うために擦り切れた処女膜を手術で縫合するんです」  都築氏の思いでは限りがない。  「現在は処女膜再生手術をする女性はまったくいません。医者はそんな手術の方法を忘れてしまっているんじゃないですか? かえって男性の方が、結婚前の女体験がばれるのを恐れているくらいなんじゃないですか?」  と主張するのは前述のティッシュ堀内氏。たしかに女子中学生たちの発言を聞いていると、ティッシュ氏の主張ももっともだと思う。  「あたし、夏に同級生の和雄くんとセックスしたんですけど、和雄くんったらあたしよりも前に年上の女性と経験があったらしいんです。あたしはバージンだったからドキドキだったのに、和雄くんは落ち着いていて、ちゃんと挿入場所を知っていたから噂は本当だとわかりました。あたしのことが好きだといっていながら、あたしよりも前に別の女性とスルなんて不潔だと思いました。あんまり腹がたったから、あたしも年上の男性と遊んだら妊娠しちゃって、それをきっかけに和雄くんとうまくいかなくなって……」  と伊豆の伊東に住む岸田加奈子ちゃん(仮名、14歳)は言う。  「あたしの初体験はレイプです。うーん、友達と見たアダルトビデオの影響なんですけど、複数の男にやられるレイプにあこがれていて、ディスコで男をナンパして、暗いところに誘って挑発してやりました。最初は何げない顔をしていた男たちがだんだん興奮してきて、とうとう泣くような声をあげてのしかかってきたんですけど、あたし、彼らにまわされながら自分が彼らを逆レイプしたのか、自分がレイプされているのかわからないヘンな気持ちになっちゃいました」  というのは茨城在住の中学2年生。  海水浴場の露出狂の変態おじさんからいたずらされた経験を持つのは、小学校6年生の川井めぐみさん(仮名)。  「ズブッと男のものが入ってきた時に、ちっとも気持ちがよくないので、アレッ、と思いました。痴漢おじさんの方はすっかり興奮して、あたしの中にとろろ汁のような白い液体を発射してしまいましたけど、セックスってこんなものなのかなァ、と失望してしまいました」  とめぐみさんは編集部に達筆の手紙をくれた。  夏休み前に男子トイレに忍び込んで担任の先生のオナニー姿を見てしまったのは北海道在住の赤坂啓子ちゃん(13歳)。  「先生はロリコン変態だから教師になったらしく、あたしたちの下着姿とか裸を思い浮かべてペニスをしごいていたらしいの……。夏休みに先生の家にいって、先生の家族が留守の間に勉強を教えてもらうふりをしながら口で抜いてあげました」  と赤坂啓子ちゃんは言う。  「そんなにセックス体験を積んで妊娠しないのかと不思議に思われるでしょうが、少女たちの妊娠率はたしかに高まっているんです。内密のデーターですが、東京都内の小学生では1パーセント近くの女の子が妊娠中絶の経験者なんです」  というのはティッシュ堀内さん。ティッシュさんは小学校近くのテレホンクラブに毎日のように通って小学生たちの電話を丹念に収拾してまとめたデーターを所持している。  それによると中学になると妊娠中絶率は一層高まり、2パーセントに近くなるのだという。  「2パーセントというと50人に二人くらい……。ちゃんとコンドームを使ってやっている子もいますからセックスの経験者は抜群に増えているということでしょう……。セックスの体験者の8割以上が行きずりの相手。しかも彼女たちはみんな合意の上でやっているという統計もあります」  とティッシュさんは声をひそめる。  「あたしたちが合意の上で行きずりの男とセックスするのは別にヘンなことじゃないでしょ?」  と六本木のでィスコで知り合ったコギャルのルミちゃんは唇をとがらせる。  「バージンは早く捨てたいけど、知っている男にやらせると、俺の女面してつきまとわれるでしょ? それがたまんないのよね」  とルミちゃんが言う。  「あたしの初体験は海辺のレイプです。水着で朝、うろうろと浜辺を歩いているところを車の男たちに引っ張り込まれて、水着を脱がされててズブッとやられてしまったんです。男のペニスにはずっと興味は持っていましたけど、入れらても別に気持ちよくはならないし失望しかかりましたけど、行為が終わってバージンとおさらばしてみると、売春もできるし、男と遊んでも痛みは感じないし、だんだんいいものだとわかるようになりました」  というルミちゃんは14歳の典型的なアムラーだ。  中学を卒業したら、お姉さんの経営しているスナックで売春して稼ぎたいという過激コギャルだ。  「それでも女子中学生の処女喪失率というのは10パーセント以下。遊んでいる娘は遊んでいるが遊んでいない娘は脳裏でいやらしい妄想を浮かべて布団の中でオナニーはしても、ペニスを体内に挿入してもらうチャンスもないし、その勇気もない。それが高校卒業の時期になると処女喪失率は一気に30パーセント近くまでいきます。それでも女子高校生の70パーセントはバージンなのですね」  とよだれを流しそうな顔でロリータマニアのティッシュ堀内氏が言う。  エッチ雑誌の痴漢エッセイでおなじみの川内有一氏は、先日、海水浴場で小学生としか思えない少女にフェラチオしてもらったことを自慢にしている。着替え室をのぞいて水着の下でペニスをギンギンに大きくしていた時に、  「あたし、男性のアレに興味があるんです。口でやらせてくれたら、うれしいです」  と相手の女の子の方から言われたのだそうだ。  「もちろんやってもらいましたけど、それがうまいんです。二発は出さされましたね……。ただでいいといわれましたが。もちろんお礼をこっちから払いいました。ぼくは別にロリコン趣味の持ち主じゃないつもりだったんですけど、あんなできごとがあってから、高田の馬場のビデオショップに通って彼女に似た娘が出ているチャイルドポルノでオナニーしまくりましたよ」  と彼はうっとりした表情で言う。  「夏は喪失の季節。大人たちは少女たちの行動に警戒していませんが、自分たちだって青春期には似たようなことをやって大人を困惑させているんですよね」  とティッシュさんは言う。 女子高校生公園ナンパの実態女子高校生はどれくらい気持ちいいのか?  ついに東京でも淫行処罰条例ができるようですねッ。朝日新聞などでも、売春行為の相手方をした男性を処罰する条例ができることを歓迎しているような社説を掲載していたようですが、あたしは、売春の相手の男性を処罰する規定というのは片手落ちじゃないかと思います。売春しているのは女性の方なんだし、誰が何といっても女子高校生の方が売ろうとして男性が後からついてきているのがコギャル売春の実態です。  「売春というのは、売りたいという女性の方が買いたいという男性より多いというのが実態です。それは一時期の愛人バンクなどと同じことなんですね」  と最近は映画俳優もやっているレポーターのティッシュ堀内さんが言う。  「ところが、最近になって女子高校生を買いたいという男が急速に増えているんです。東京近郊ではナンパの本場といえば赤羽公園、池袋西口公園、日曜日と土曜日の代々木公園などでしょう。渋谷駅のハチ公前とか新宿駅の構内などもナンパの穴場になっているかも知れません」  条例が成立するまでのあいだに駆け込みナンパをやろうという男がいるのだという、ティッシュさんの発言だが……。たし条例で禁止される前に一度は本物の女子高校生を味わっておこうという男のエッチ心はわからなくはないが、どうして女子高校生がそんなにいいのだろう。  彼女たちはわがままだし、体だって未熟だし、当然テクニックはうまくないだろうし、感じる度合いだって、人妻とかOLの方がいいと思うのだけれども……。  「もちろんそうですが、大切なのは彼女たちが女だということです。男は誰でも、自分が女性の初めての男になりたいと思っていますが、遊びなれたOLとか女子大生だと使い古しのあそこって感じがどうしてもする。ところが女子高校生といえば何といっても高校生なわけですよね。うまくひっかけてセックスしてみると、実はバージンだったなどということがあるような錯覚を感じるということでしょうかね……」  というのは大学で心理学を勉強したことがあるというライターのサムソン小暮さん。サムソン小暮などというとロックシンガーのようで怖いが実態は普通のナンパ好きなサラリーマン。だけに女子高校生ハントに精を出すサラリーマンたちの精神構造がよくわかるという。  「池袋の西口公園なんかには午後4時過ぎるとミニスカートのルーズソックスの女子高校生がタマゴッチなどを持って座っていますよね。西口公園というのはベンチがなくて、円形に囲んだ金属の鉄柵がベンチの代わりをしています。そこにミニスカートを翻して座っている高校生というのは中年男性から見ると、ヘタなストリップでも見るような刺激的な眺めです。西口公園はテレビなどで紹介されてナンパの最高の穴場といわれていますが、たしかに好奇心旺盛の女子高校生はたくさん集まってきてはいても、彼女たちがみんなそろって売春しているわけではありません。3人組、4人組の高校生たちは中年男性に話かけらるとうれしそうに相手をしていますが、ほとんどそれだけ……。遊ばないかと誘ってついてくる少女はたいてい一人で鉄柵によりかかっています。ただ、誘い方が悪いと拒絶されるというのは、西口公園が怖い場所だからです。商売の道具にまわそうと若い女性をねらっている手配師や、ただでレイプ同様に女性を襲おうという男もいます。もっとも女性の方も武器を持ったボディガードを近くにおいたやつも出没するんですがね……」  というのはティッシュ堀内さん。  「女子高校生を買う醍醐味は何といっても肉の手触りですね。乳房は緩んでいないし、膨らみ切った乳房ははちきれそう。しかもセックスには未知の部分があって初々しい。ベッドでおちんちんを握らせたって初々しい顔で好奇心に目を光らせる。もっとも100人以上の男とやったなどという高校生もいます。わたしが知っているある娘なんか、ホテルでオナニーを見せたり、裸を見せて指で精液を出してあげたりという行為を含めたら300人以上といっているという高校2年生がいました。あそこを見せてもらったことがありますが、しっかり使い込んだ色をしていましたね……」  と語るのは女子高校生とセックスするのが生きがいだというロリータ研究会会長の若葉保氏(42歳)だ。  「もっともあまりやり過ぎの女の子は男の方も敬遠します。やはり女子高校生でいいのは、ちょっと話しかけても好奇心に目を輝かせて相手をしてくれるような娘。ただやりたいだけで公園のべンチに座っている高校生よりは、テクニック抜群の人妻の方がいい」  と若葉氏はいうのだが……。  「やはり女子高校生を買う醍醐味は知らないテクニックを教え込むスリルでしょうね。何しろ男のおちんちんというのはお兄さんと父親のものしか見たことがない女の子に、そそり立った赤黒いペニスを見せつけて、フェラチオのやり方を教えたり、お尻の穴をいじくったり、ともかく3万円くらいのお金で思う存分いやらしいことをやれるということがスリルの元凶ですよ」  とロリータ研究会の会員の浜松幸雄氏(30歳)が言う。  もっともジャニーズ事務所のスマップとか、キンキキッズなどに夢中になる女性がいることからわかるように、肌がピチピチした男が絶対にいい! という女性も多い。男が女子高校生に夢中になるのは肌のピチピチと初々しさといえばいいのだろうか……。  「膨らみかかった乳房が最高っす。それなりに彼女たちも巨大乳タイプと小さいおっぱいの娘がいるんですがねっ、肌が初々しいと同じ大きさのおっぱいでもこっちの興奮度合いが違います」  と主張するのはアダルトビデオナンパ師の長沢ケイくん。  ビデオのナンパ師というのは繁華街で女性に声をかけてただただセックスをやってしまうおいしい商売だ。バコバコセックスしてそのうち商売になりそうな女だけを雑誌の下着モデルやテレビのカバーガールに出して、年齢に達するとアダルトビデオで男の生ペニスをしゃぶらせる。そういうおいしい商売をやっている男でも女子高校生はいいとはっきり断言しているのである。  「テクニックはたしかに下手ですが、セックスはテクニックじゃありませんよ。小さいあそこにペニスを押し込んでいく時に、眉間にシワを寄せて痛がるでしょ?その痛々しさを見ただけで、このまま中に精液を生発射したいと思うのが男というものですよ」  とティッシュ堀内さんは言うが、彼によると高校生に声すらかけられないでうろうろと池袋の西口公園あたりをうろつく中年の小心男も多いのだという。  「うろついているからといって、何をするわけではないんです。ただ横目で高校生たちを見るだけ……。女子高校生たちが中年の土方のような男に連れられてホテルに消えるのを見ると、尾行してみたり……。そうして後でオナニーするのでしょうが、あたりをうろついているからといって女子高校生の方から声をかけると下心があるだけにビクッとして逃げてしまう。そういうタイプの男もいるんですよ。かといって脳裏には女子高校生とセックスすることで妄想がいっぱいなのでしょうが、自分から彼女たちを引っかけるお金も勇気もないのでしょうね」  とティッシュさんが言う。  気をつけなくてはいけないことは池袋にはとっくに高校を出たのに、古い制服を着てまわりをうろうろするニセコギャルも出没すること。  もちろんそういう娘を買ったからといって実害は何もないわけだけれども、彼女たちには背後に組織がついていて、ホテルに入る女の子の数を厳重にチェックしているというから怖い。池袋西口周辺のラブホテルはホテトル嬢を厳禁にしているから、男一人でホテルに入ることができない。だからセックスしようとしている時にいきなりナイフを持ったヤッちゃんに襲われて有り金すべてを巻き上げられるということはないけれど、組織がついているニセコギャルはたいてい前金だ。セックスしようとしている途中に、電話がかかってきて、さっきまで一緒にいた友人が事故にあったからすぐに病院に急行してくれなどと言われたと言って逃げられてしまったりする。  それでなくても、お風呂に入った後とか、トイレに入るふりをしてスルリと逃げ出し、警察に密告するニセ女子高校生もいるから怖い。最近は女子高校生もスレてきて、リスクを覚悟しないと遊べないんですよ。ブルブルッ、どうして男ってそうまでしてセックスしたいのでしょうか…。 満員電車  わたしは、痴女だ。よく小説に書いているが、わたしの体質の中には痴女的なものがたしかにある。  ポール・バーホーベン監督の『ショー・ダンサー』という映画があった。あの映画の主人公は、生まれつき露出的な性質が強い。体にぴったりとした衣服を身につけてダンスを踊る時に、男の視線が注がれると興奮を感じる。  ブライベートダンスという言葉が出てきた。個室に入ったダンサーが、お客にストリップを見せながら絶対に自分のボディにはタッチさせないで、射精させてしまうことだが、もちろん相手のボディに触るのは禁じられててないが、登場した男は、自分の指で射精してしまったようだ。  あの主人公のようなわたしも、絶対に自分はタッチされないで男を勃起させたり、男を射精させてしまうのが好きなのである。だいたい触れずに男を興奮させて(これは当たり前だが、触れずに出してしまえるなんて女性の理想、エロチシズムの極限ではないか……)そのためにわたしは暗躍する場所は、料金の安い映画館の座席とか、早朝の夕刻の都心のラッシュの電車の中なのである。  痴漢エッセイ屋さんに山本さむという人がいて、この人は劇画を書く時は小多魔若史さん。彼の痴漢劇画も痴漢エッセイも痴漢をやったことのない人には絶対にわからない生々しさにあふれているけど、わたしも痴漢行為が好きだ。ただし、山本さむの場合は痴漢をする方だし、わたしの場合はされる方。だけど、する方といったってされる方と言ったって、痴漢痴女行為にはするされるの区別はないと思うのだが、女性にいたずらをした痴漢が満員電車の中で検挙されたという話は聞いたことがあるが、痴漢にいたずら仕返した痴女が検挙されたという話は聞いたことがない。これは常に女性を被害者とか、弱者に仕立てなければならない社会の逆セクハラなのではないのだろうか……。という怒りの一文はともかくとして、えっへん、わたしは痴女である。  背中が大きくあいたシースルーのブラウスとノーブラというかっこうで、下半身はミニスカート。本当はトップレスで電車に乗り込みたいんだけど、駅員に見とがめられると困るので最低の布地だけはちゃんとつけている。その代わり、下半身はボトムレス。(見ている人はわかるでしょうが、この言葉も『ショー・ガール』に出てきたもの)  ミニスカートで電車に乗ると、当然、タッチしてくる痴漢は多い。意外と触られるのはロングサイズのフレアースカートとプリーツスカート。とくに夏用の白い布地の薄いスカートをふんわりと風にゆらして電車に乗ると、入り口付近の男がさも押されたから仕方がないというように、わざとらしいため息をついたりしながら下半身を押し付けてくる。  何げなく下半身を押し付けてきて、あたしがスカートの下がノーパンだと知ると、大変だ。男のものは意外な発見に興奮してたちまち勃起してくるのである。  もっとも、電車のドアが閉じるまでは露骨に触ってこない人が多い。それも触るというよりは電車の振動にあわせて、下半身をリズミカルに押し付けてくるタイプが一番多いのである。  こういうタイプが痴漢の90パーセント以上を占める。  電車に乗るたびにわたしはこういう男たちにいたずらされている。一回の乗車で7人以上に触られることが多い。わたしは、男の指が遠慮がちに下半身に伸びてくる瞬間に一番、興奮を感じるのである。  背中が大きく開いたブラウスを着ているせいかな……。春になると、タッチする男の息がますます荒くなるようなのである。  「ああ……」  呻き声をあげた男の息がわたしの背中にかかってくる。  わたしの方もジワジワと興奮してくる。ノーパンの股間がネットリと潤って、スカートの中に指を押し込まれたくなるんです。  わたしが触ってもらいたがっていることは体質的には気がついていても、そこまでやってくる男は少ない。  『痴漢は犯罪です』  などと、駅の構内に痴漢追放キャンペーンのポスターが張り出しているせいなのだろうか……。  自分からスカートをまくりあげてお尻に触られせてあげることもあります。そういう時でも、男の指はじっと動かずにわたしの肌の温もりを感じているだけのようだ。  「うふっ、感じているんじゃないの、おじさん……」  囁くように言いながら、わたしは振り向いて男の下半身のものを包み込むように刺激してあげるんです。その瞬間には相手はわたしが痴女であることは感づいているらしく、身をこわばらせはしますがおとなしく素直に触らせる。勃起したものをマニキュアをした指で包み込むように刺激してあげながら、わたしは剥き出しの乳房を男の背広を着た胸に押し付けてあげるんです。  「ああ……」  男の息がますます荒くなる。  「あたし、もう濡れているのよ」  「……」  「おちんちんがほしくてほしくてたまらないの」  「ううっ」  「ねぇ、入れてちょうだい……」  わたしは囁き続けます。相手に聞こえるか聞こえないくらいの声がちょうどいい。そういう声でわたしのような色っぽい女に囁かれると、たいていの男は気持ちよくなるようだ。  「だって、高いんだろう?」  こういう質問が一番多い。  「お金なんかいらないわよ。駅のトイレでもいいの、うんと下品にやってくれた方が気持ちいいの」  「入れていいのかい?」  「口でやってあげるだけ……。もし、もっとしてほしかったら……」  「割増料金をこっちが払うのかい?」  「商売でやっているんじゃないと言っているでしょ? もっとしてほしかったら、毎日のようにこの電車に乗ってみるといいわ。あたし、一番、前の車両に乗っているから……」  わたしは男の腕にエスコートされるように電車から降りる。見ていないような顔をしていても、周辺の男たはちなにげなくわたしを見ている。  わたしが男とともに電車を降りると、その姿だけでわたしたちがこれからやることがわかるのだろう。後ろから甲高い口笛を吹く男がいるんです。わたしたちは急いで駅の近くの女子トイレに入って、ドアを閉じると、男のズボンを下げる。  ムクムクッと男のペニスがそそり立ちます。湯気があがるような巨大なものに、あたしはむしゃぶりつく。  「あたし、男のものが好きなの……。男の人のペニスがないと、我慢できないのよ……」  そそり立ったものをわたしは喉まで飲み込むんです。男ののタマタマの近くをマッサージするように触りながら、わたしは頬をくぼませて肉茎を吸引するんです。  「ああ、上手なんだね……」  「好きなの……。あたし、男の人に生で発射してもらうのが好きなのよ……」  あたしは吸引を続けます。肉茎の近くを指でつまんで、太くて堅い根元近くをしごいてあげるんです。  「ううっ、いいッ。本当にただでいいのかい?」  「いいのよ、うんと感じてちょうだい……」  「ああっ、気持ちいいッ」  男はのけぞります。  男の背中が押し付けられたトイレの壁がきしむんです。  ダラリと垂れ下がった男の肉の袋がとってもセクシーです。あたしは肉茎の裏側から根元の方に舌先を使って嘗めおろしてあげる。  「こんなにフェラチオが上手なんだったら、ピンクサロンだって、ソープランドだって十分に通用するだろうに……」  「いいわッ、ううっ、おいしいッ。あたしおちんちんがないと生きていけないのよ……」  わあたしが叫びます。  むさぼるように生ペニスを吸引して、ドクドクッと発射したザーメンをわたしは喉を鳴らして飲み干すんです。  赤羽から新宿を往復している埼京線は午後5時以降は痴漢のラッシュになるんです。その状態が深夜の最終電車まで続きます。  わたしは、赤羽から電車に乗り直して新宿に出て、もう一度痴漢を求めるんです……。  触ってくる男をもう一度、同じトイレに誘い込んで、落書きだらけの女子トイレの壁に男の体を押し付けてもう一度、出させてあげるんです。  顔面をザーメンまみれにされて、わたしはよろめくようにトイレから出て、もう一度、新宿に向かいます。多い時には3、4人くらいの男の精液を吸い上げることがあるんです。  わたしはペニスが好き。  男のおちんちんが大好きです。  電車や映画館のトイレで、まわりの男たちの反応を確かめながら触られまくったり、射精されたりするのも好きなんです。 ポルノ小説作法4  官能小説の執筆方法を書いてほしいということだが、これはなかなか難しい。執筆方法を書くよりも前に、まず官能小説とは何かという定義をはっきりさせないといけないようである。  たとえば渡辺淳一の『失楽園』や『ひとひらの雪』などにも延々とベッドシーンが出てくるが『失楽園』とここでいう官能小説はどこがちがうのか、といった質問が出てきそうだからである。  渡辺淳一は直木賞受賞作家であり『失楽園』は日本経済新聞に連載された小説だから官能小説の範疇に入らない、などというあやふやな答えでは答えにならないであろう。たしかに『失楽園』は官能美溢れる恋愛小説である。恋愛したことのある人はわかるが、必然的に男女の愛は性に結び付くものであり、恋愛していながら相手とセックスしたくならない人がもしいたら、そういう人には官能小説を書く資格はない。また逆に官能を感じている対象に愛を感じなかったらやはり問題であろう。  とひどく難しい書き方になったが、官能小説というのは一口にいってセックスを書く小説である。『失楽園』にもセックスが出てくるがこの作品の中心命題はあくまでも愛……。  愛を書く小説は恋愛小説と定義すべきであろう。  しかし恋愛小説にもセックスは出てくるし、セックスの度合いが強い恋愛小説の中には、恋愛小説でありながら同時に官能小説の範疇に分類できるものもあるであろう。  たとえばロバート・A・ハインラインの『夏への扉』は、サイエンスフィクションであると同時にミステリアスな恋愛小説の要素を同時に持っている。しかしその恋愛はセックスをともなわないので『夏への扉』は官能小説ではない。  だいぶ定義がはっきりしてきたようである。  『失楽園』は官能的な恋愛小説であり、官能的手法がいたるところに使われている。一種のポルノグラフィーとして成立しうる危険な崖っぷちに成立した小説であることはまちがいない。しかしここでは一応『失楽園』は官能小説ではないと断言して話を進めよう。  官能小説とは性そのものを書く小説である。性に付随して男女の恋愛も出てくるし、サスペンスの要素が入った事件も絡んでくるであろう。  しかしあくまでも小説を貫くテーマは性でなくてはならないのである。これが官能小説の宿命なのだ。いい官能小説とは、そこに書かれた性行為の密度の高いものを言う。その反対によくない官能小説とは、書かれた性行為の密度が低いものをいう。言い換えれば、セックスをしていないのに、その本を読んだだけで男性は勃起し、女性は男性に抱かれたように下着の下で大切な部分が潤ってきたとしよう。読み進むにつれて読者の興奮はだんだん激しくなっていき、ついには文字を目で追いながらオナニーをはじめてしまったとする。それほど興奮をもたらしたとしたらそれはよい官能小説である。反対に、読者がまったく興奮しなかったら、それがどんな文学賞を受けているえらい先生が書いたものでも、よい官能小説とはいえない。  (もちろんそのよくない官能小説が、よい一般小説であることはありうる)  ここで一般小説という言葉が出てきたが、それでは官能小説は一般小説ではなくて特殊小説なのだろうか……。もちろんである。官能小説は特殊小説なのである。ではどこが特殊だというと、実際の性行為をしなくても性行為を感じさせる部分が特殊文学の特殊たるゆえんだということになり、いいかたを変えるとそれはズリネタということになる。  ズリネタとはアダルトビデオやポルノ映画やヌード写真のように男性や女性を興奮させて快楽にみちびくオナニーの道具のことである。普通、男性はオナニーの時にズリネタを必要とするが女性にズリネタは必要ないなどということをよく言うが、それは本当のこととは思えない。という論議はともかく官能小説はズリネタである、ということをしっかり頭に入れて以下の講義録を読んでいただきたい。    TEL  官能小説は性行為をやっていない相手に性を感じさせなければならないのだから、その描写には特殊な手法が必要になる。また男性を感じさせるための描写か……、女性を感じさせるための描写か……、という分岐点もたしかに存在するであろう。  当然のことだが、男性が感じる性描写に女性の多くが感じないということもあろうし、その逆も大いにありえるからである。  まず官能小説の読者は男性に多い。最近はレディスコミックの普及やアダルトビデオなどの影響で女性読者も飛躍的に多くなってきたようだが、それでも男女の比率は2対8から3対7くらいといったところだろう。  だからといって女性官能作家が(きっと男性というのはこんな描写に弱いであろう)  と想像して官能小説を書いたとしてもそれを男性が喜んで読むことはない。官能小説というのは男が書こうが、女性が書こうが、作者自信が感じるように書かれたものがいいのである。女性は女性の視点から官能描写した方がいいし、特殊な趣味(露出狂とか、痴漢願望があるとか、SM趣味)があるというような人は、そうした願望を作品の中に赤裸々に書くのがいい。しかし勘違いしてはいけないのは、官能小説はあくまでも小説であるから、ただ自分の体験を嘘いつわりなく正直に書くだけでは読者は読んでくれない。読ませるためには言語に対する優れた感受性と、技巧が必要になるのである。ではその技巧をどうやって身につけるかといったら、ただただ書くしかない。小説を上手に書こうと思ったら、執筆を繰り返すことしか方法がないのである。    TEL  性行為をまったくやったことがない人には官能小説は難しいかも知れない。しかし最初は体験のことを考えるよりも内面にあるイメージ膨らませることだ。イメージを膨らませるためにはやはり官能小説の名作と呼ばれるものを読むのがいい。  海外の官能小説の名作といえるのはエマニュエル・アルサンの『エマニュエル夫人』やティリー・サザーンの『キャンディ』など……。日本の官能小説は文庫本として刊行されているものに人気がある。お薦めの官能作家は、北山悦史、北原双治、安達遥、綺羅光、北沢拓也、睦月影郎、物故したが豊田行二などである。女流では牧場由美、一条きらら、不倫愛の末に未婚の子供を生んだことで有名になった丸茂ジュンなどが一流の官能作家である。  注意が必要なのは官能作家というのは複数のペンネームを持っている人たちがいるということである。睦月影郎は『けんぺーくん』の漫画家のならやたかしと同一人物だし、たいていの作家が別名を所有していたりする。こういう作家の作品はグリーンドア文庫、二見書房のマドンナメイト文庫などで読むことができるから、よーく熟読してみるべきである。すると自分の体質と似ている作家と似ていない作家がいることに気がつくであろう。原稿用紙に原稿を書くことを急ぐよりも、まずそれらの作品を手にとって読みながらオナニーしてみるのがいい。活字を読みながらオナニーができないという人は遺憾ながら官能作家にはなれない。オナニーよりも実際のセックスがいいという人は、まどろっこしい小説を書くよりもセックスしていればいい。官能小説というのはセックスよりもオナニーが好きな人によって書かれている例が多い。というよりもたいていの作家にとって、小説執筆というのは一種のオナニーなのである。  官能小説をうまく書くにはまずオナニー、この鉄則を忘れてはいけない。自分が作り出すイメージで自由自在にオナニーできたらもうプロであるが、なかなかそれはできないだろうから、まず人が書いた活字本でオナニーする。よりたくさん興奮できるのがいい官能小説であるということはすでに書いた。そうやっていい官能小説と悪い官能小説を読み分けていく。いい官能小説に出会ったら、それを何回も読んでオナニーを続ける。そのうちにあなたに才能があればかならず書きたいという欲求が出てくるはずである。  その時に大切なのは、絶対に人を感じさせてやろうとは考えないこと。ただただ自分を感じさせるように文章を書くのが官能小説を書くコツなのである。人を感じさせてやろうという気持ちで書かれた官能小説など、断言していいが誰も読まない。どこまでも自分のイメージに忠実に書かれた小説が読者を興奮させるということを忘れないように……。そうしないとてとんでもないド壷に嵌まってあえぐことになる。  特に女流官能作家志望の人たちには危険がある。それは女性が、そこにいるだけで男性を感じさせる存在だということである。女性にはどんな人にも特有の色気があるから、生原稿を雑誌編集部に持ち込んだりする時に、シースルーの洋服とか、色っぽいミニスカートなどを着用していると男性編集者を凄く感じさせてしまったりする。しかし作者が男性を感じさせる肉体の持ち主であるかどうかということと、彼女が書いた原稿が素晴らしいかどうかはまったく別のことなのである。限りなく素人に近い編集者の場合……、これはけっこう多いことなのであるが、打ち合わせの時に作者に感じた感受性をそのまま信じてしまって自分の編集する雑誌にその作者の原稿を掲載してしまう。しかし読者の方は作者がどんなイメージの女性なのか、活字で判断するしかない。その結果、その作家の原稿を掲載するに当たって編集者は結構スケベ心を起こして楽しんでいるのだが読者の方はその作家の原稿を読んでちっとも楽しくないということが起こる。  『女流官能作家が続々と登場する割りには3回しか続かない』などということがささやかれていて、これは女流作家やライターに180回、半年連載を依頼すると3回で行きずまってしまうということをからかっていう言葉なのである。80回連載の予定が3回行きずまってしまうような作者はプロとはいえないし、編集部にも迷惑をかける。  女流官能作家にはいろいろとほかにも危険が待ちかまえているのだが、夢も希望もなくなってしまいそうなので、これ以上きびしい事は書かないが、作家は厳しい職業であることを肝に命じてほしい。そういう罠に嵌まらないためにはあくまでも自分が興奮するためだけに原稿を書くという執筆イメージを守り続けてほしい。  ところがこれは素人に多い(というかプロの人にも共通した欠陥なのだが)やたらと説明ばかりを書いている人がいる。昨日、どんなことがあって、その主人公はどこに住んでいて、子供の頃にどんなことがあって、両親の収入はいくらくらいで、といったことを数十枚書いた後におざなりにベッドシーンが始まったりする。こういう官能小説には読者はついてこない。まず官能小説はベッドシーンから……。これを心掛けることである。説明は全体の十パーセントもあればいい。九十パーセントをベッドシーンの生々しい描写についやす。主人公はどこに住んでいて子供の頃にどんなことがあったのかなどという事は書かなくてもいいくらいだ。  次の点に留意してもらいたい。  プロは読者に感じさせたいポイントに当たる部分を省略する。アマチュアを感じさせたい部分だけしか書かない。というより書けないのである。ここがプロとアマチュアの分岐点だ! 近親相姦の実態レポート  アメリカなどでは次第に近親相姦がタブー視されなくなってきてるらしい。そもそも近親というのは一緒に生活しているわけであるし愛情も強い。お互いの裸だってしょっちゅう見ているわけだから、ついつい欲情をしてひょんなことからひょんなことになってもこれは成り行きというか、仕方がないというか……。まあ、このコーナーで何回かレポートしてきたことなんだけど、近親とセックスしていいかしていけないかという道徳尺度は、時代とともに変わっていることは明白です。性がもっとおおらかだった古代においては、近親相姦はタブーでなかったことは明らかなんですけど現代は近親愛が禁じられた時代。そういう時代に妙に近親相姦本が売れるということの裏には、理由が何かあるんじゃないでしょうか……。  という前置きはともかく、今回は文学とその映画化作品に現れた近親愛。渡辺淳一の『失楽園』が売れていますし、映画もヒットしていますが、この作品のテーマは禁じられた愛。もちろんここで扱われているテーマは近親愛じゃなくて、人妻と結婚した男の愛なんですが、禁じられれば禁じられるほど愛というのは燃え上がるというのは常識的なこと……。『失楽園』は久木祥一郎と松原凛子(映画では役所広司と黒木瞳)の次第に燃え上がっていく愛を描いた小説です。  「結婚していたらどうして人を好きになってはいけないの? もしそれが真実の愛だったら、どうして好きな人をあきらめなければならないの?」  という松原凛子の言葉が、訴えかけているものは、真実の愛には決してタブーというものはないということ……。この松原凛子のセリフをそのまま、近親愛という言葉に置き換えて、  「血がつながっている人をどうして好きになってはいけないの? もしこれが真実の愛だったら、どうして好きな人を諦めなければならないの?」  と言い直すと、今回のテーマになります。  渡辺淳一というのはタブーを描く作家です。たとえば『桐に赤い花が咲く』のテーマは男から女への性転換。『ひとひらの雪』ではSMプレイが取り上げられていましたし、『失楽園』では阿部定のペニス切り事件が伏線モチーフに使われていた。そのうちに渡辺淳一の手で近親愛をテーマにした作品が執筆されて、全国の女性の感涙をしぼることになるんじゃないのかな?  今月は近親愛とは何の関係もない『失楽園』から入ってしまいましたが、実は文学作品には近親愛を扱ったものは意外に多いんです。  代表的なのは古代ギリシャのソフォクレスが書いた『オイデプス王』。ギリシャ悲劇の代表的傑作といわれるこの戯曲で描かれるタブーはオイデプスの父殺しと、実母との婚姻です。もちろんオイデプスは意識して罪を犯したわけではなく、みずからが近親相姦の罪を犯していることを知らないんです。だからこそ、自分が統治するテーバイの街に疫病が流行した時、疫病の原因たる罪人を発見しようと予言者を動員して推理に推を重ね、真実に肉薄していく。そしてついにその罪人は自分であったことを知った時、オイデプス王は自分の両目を短剣でえぐり、実母の皇后は同じ短剣でみずから命を断つという悲劇的結末がおとずれる。  近親愛の悲劇を描いたこれ以上の名作はないんです。だから精神分析学の始祖ジークムント・フロイトはこの『オイデプス王』から有名な学説を導きだしたんですね。『すべての男は、実の父を殺害して母と寝たいという欲望を無意識のうちに抱いている』というこの学説をエディプスコンプレックス、それとは逆に『すべての女性が実父に魅了され実母を憎む』心理をやはりギリシャ悲劇からとってエレクトラコンプレックスと呼ぶ。  話は日本に飛んで近親愛の恐怖を描いたのが江戸川乱歩の長編第一作『孤島の鬼』。この小説を映画化したのが石井輝男監督の東映怪奇映画『江戸川乱歩全集・恐怖奇形人間』(1969年)。この映画の中で暗黒舞踏団の土方巽が演ずるのが恐怖奇形人間。彼は自分の姿が醜いために世の中の人すべてを憎み、長男(吉田輝雄)を東京の大学へやって医学を勉強させて奇形人間を製造する悪魔の計画を実行に移そうとする。しかし長男は記憶錯乱にかかって収容された精神病院を脱獄し、やがて新聞記事をもとに奇形人間の島にたどりつく。そこで香川雪絵演ずる美しいシャム双生児の片割れと愛しあい、習得した医学を使ってシャム双生児の脊椎を切り離すが、二人は奇怪人間の奸計に嵌まって洞窟に閉じ込められてしまう。蟹が這い寄る奇怪な洞窟で狂おしく愛し合いついに女は妊娠する。しかし名探偵明智小五郎(大木実)の登場で事件が解決した後、高らかに笑う奇形人間の口から愛しあう二人が実は同じ母親から生まれた兄と妹であることを告げられる。真実を知っても、愛は強く別離することができない兄妹は運命のいたずらを呪いながら奇形人間が仕掛けた花火の中に身を投じて手足や首がバラバラになって夜空を舞いながら「お兄さ〜ん」「お母さ〜ん」と呼びあうという怖い話。  この映画化作品に強い影響を与えたと思われるのが新東宝株式会社末期の傑作、中川信夫監督の『地獄』(1960年作品)  この作品で近親相姦を犯すのは好漢・天知茂と三ッ矢歌子。天知茂の母は大友純演ずる地獄画家と関係を持って天知を生むが、その後、地獄画家と別の女性との間に生まれたのが三ッ矢歌子。天知と三ッ矢は兄妹と知らず愛しあい、三ッ矢は妊娠したまま交通事故にあって死亡する。追って絞殺された天知は地獄で三ッ矢歌子と再会、その告白を聞いて自分たちの罪の子を探して地獄をさまよい歩くという怪奇ムード濃厚な話。  この中川信夫の『地獄』『東海道四谷怪談』(1859年)そして前述の『江戸川乱歩全集・恐怖奇形人間』が日本の恐怖映画ベスト3といわれるが、その中に二本も実の兄と妹のセックスというテーマが織り込まれていることは示唆的なんですよねぇ。  ところで現代は近親相姦を犯したからといって死刑になることはないが、江戸時代には畜生道といってこれは立派な犯罪であった。(万葉集の時代のおおらかな近親セックスと比べると、これはまた何という苛酷な扱いなのでしょう)。兄妹の近親セックスの悲劇を描いたのが石井輝男監督の『徳川女刑罰史』(1968年)、この作品で近親相姦を犯すのは橘ますみと吉田輝雄。吉田輝雄は病弱の大工さんで、借りた金の肩に愛する妹をヒヒじじいの金貸し上田吉二郎に抱かれ、世をはかなんでカミソリを首に当てて自殺しようとする。死に切れず苦しんでいる兄を安らかに死なせるために妹がカミソリを抜いてあげた現場を金貸しに見られて訴えられ、裁判にかけられる。担当の奉行が吉田輝雄の二役で、彼は橘ますみに同情を寄せて、  「実兄とのあいだに畜生道の事実があったというのは嘘であろう。嘘といえは助かるのだ、さあ、嘘といえ」  とかばおうとするのであるが、娘の方は  「わたしがただひとり愛したお兄さまそっくりなお奉行様の手にかかって死ねるなら本望でございます」  と告発された罪を否定することなく死んでいくという、兄妹心中ものの悲劇……。それにしても日本映画というのは恐ろしい映画を作っていたものである。  話は変わるが、野島伸司脚本作品『ひとつ屋根の下2』が高視聴率のうちに完結、『3』に期待を持たせる結末だった。というのは、酒井法子演ずる小雪が本当に好きなお兄さんの江口洋介と結ばれない結末だったから……。小雪は白血病で入院している時に、自分を愛してくれる二番目の兄の愛に気がついたというのだが、これはわざとらしい結末。酒井法子の小雪は絶対に江口洋介と結婚しなくちゃ視聴者は許しません。というわけで第一回36パーセントという脅威の視聴率をとった作品ですから3の製作は必至でしょうし、3を作らなかったらスポンサーだって黙っていないでしょう。お兄さんの江口洋介と酒井法子(もちろんこの作品では二人は本当の兄妹ではないんですけど)の恋愛を応援している視聴者の心理の中には、絶対に近親愛へのあこがれがあると思うのです。  ついでにいうと、同じ野島伸司原案の『家なき子2』宣伝コピーは『死ぬときは一緒』という言葉。これは準主人公の堂本光一が、実祖父の犯した近親相姦レイプの結果生まれてきた子供であるというテーマを表していたキイワードでしたよね。  高橋恵子演ずる実母と、堂本光一の息子は、実祖父と三人、炎の中で焼け死ぬという凄い話なのだが、野島伸司ドラマには近親相姦ものがほかにもあるんです。考えてみれは近親相姦ドラマの多い作家ですよね。  それは『高校教師』。  あえてタブーに挑戦する野島ドラマのが高視聴率だということは『家なき子』『家なき子2』『星の銀貨』『未成年』『高校教師』などを見るとわかるのだが、野島ドラマの高視聴率の原因のひとつは、父がいない、母もいない、主人公が不幸である、といった要素をアンチテーゼとして肉親が結びあい愛し合うことの大切さを強く訴えといるラマだから、と断言してもいいような気がする。肉親愛高じて時にはそれが近親相姦となったり、兄二人が妹を奪い合うというドラマになったりもするのだが、こういうドラマが高視聴率を取る背後には視聴者のひそかな近親セックス願望が隠れているのかも知れない。 池島ゆたか  池島ゆたかはポルノ映画の監督である。ともかく彼は監督なのである。彼は中村幻児監督のポルノ映画に俳優として出ていた。昔は舞台をやっていて、食えない生活が長く続いたのだけれど、志しがかたくて「ポルノに出たらおしまいだよ」とばかり、ポルノには絶対に出なかった。  それなのに一度出てしまうと、  「これが俺の天職だったんだ」  と気がついて、それからはこの世界にずっぷりと浸かって生きている。  ポルノ映画というのはアダルトビデオと違ってカメラの前で本番セックスはしていない。  (ということになっている)  あくまでも女優の呻き声とか男の腰の動きは演技なのである。池島ゆたかはセクハラ男でやたらと誰とでもやりたがる。女相手だけだといいんだけど、彼はホモ映画の監督もやっていて、ホモ映画のスターだから、男とやるのも好きだ。  (もちろん仕事でやっているんだそうだけど……)  ホモのスターだから熱心なファンがいて、500万円出すから一度、寝てくれと言われているが断っているそうである。  (その話を聞いたソルボンヌK子は、寝てくださいよ、そのお金で一本、映画を作りましょう、などと言っていたが、500万円もらってもいやなものはいやだろう)  中村幻児が主催していた雄プロダクションでホモ映画を監督してから、俳優を監督の二足のわらじをはいて、アダルトビデオにも出る地方のホモの実演にも出ると大活躍で、樹かずのペニスにコンドームをかぶせてしゃぶったが、  「立たないんだよな、こいつ……」  ホモじゃなかったら立つわけがない。  フリーライターのティッシュ堀内さんが、  「ぼくはホモの経験がないんですよね」  と言ったら、  「一度やってみるといいよ、人生の範囲が倍になるよ」  と言っていたそうだ。  昔はポルノ映画の監督は一般映画になかなか進出できなかったものだが、今は簡単だ。企画を出して通ればポルノ、一般映画を往復しながら活躍することも可能な時代になったのである。彼のポルノのファンに人気が高い。亀有の名画座で毎年、成人映画のベストテンを選出しているのだけれど、池島ゆたかは毎年、かなり上位で選ばれている。昨年はENK製作の『危なく愛して』とエクセスフィルムの『SM教師教え子に縛られて』が5位と6位だったと思う。ちなみに彼は1位はとったことがない。上位入選の常連には躍進めざましい瀬々敬久とかサトウトシキなどがいて、この二人はなかなか強敵である。サトウ監督や瀬々監督はピンク四天皇などと呼ばれていてともかくまじめなテーマを一般映画に負けない技術と情熱で映画化してくる。まるで昔の若松孝二、向井寛なのである。池島監督は向井寛というよりも、中村幻児の二代目っぽい。演出スタイルがよく似ているのである。  中村幻児とのちがいがあるとすると、セクハラ的バイタリティがあるかないかということくらい……。もちろんバイタリティのあるのは池島ゆたかで、少ないのは中村幻児である。中村幻児の方が性的好奇心はあってもなかなか女性に手を出せない。池島ゆたかの方がセクハラ精神は旺盛で、成人映画の現場でいい女を見ると、相手が誰だろうがやたらとやりたがる。  サトウ、瀬々といった監督たちは一般映画やVシネマに進出を開始して次第に成人映画の世界から疎遠になりつつある。(もともとそんなに製作本数は多くないが……)池島ゆたかはもう体当たりで映画を撮り続けている。といっても年間、8、9本くらい。その合間には成人映画の主演をやったり、アダルトビデオの監督をやったり……。アダルトビデオの方が儲かるらしく、そこで出た利益を彼は成人映画の方につぎ込んでいるようである。「一本撮れば撮るほど生活に困るという状態で……」  成人映画というのはプロダクションが製作して映画会社に納品するシステムをとっているから、現場に製作費はおりてこない。監督が立て替えて払っておかなくてはならないのである。だから、成人映画の監督はお金持ちでないとできない。  一本十万円の赤字を出したとしても年間で100万円近くの累積赤字になってしまう。ポルノ小説家も安い現稿料でせこせこと現稿を書かなくてはならないのだけれど、少なくとも赤字になるということはない。そういう意味では小説家の方が映画監督よりも少しめぐまれているかなァ。  ともかく映画監督や映画のスタッフというのは、金はつかめない。金に縁がなくてもよかったらやれ、といわれる職業なのである。 荒木太郎  荒木太郎はポルノ監督である。ともかく彼は監督なのである。彼はポルノ映画の俳優もやっている。  (同じ文章を池島ゆたかの時にも書いたような気がするが…)  彼が尊敬しているのはウッディ・アレンだそうだ。でも、わたしは荒木太郎はチャップリンに似ていると思っている。大蔵映画の桜井さんに紹介されて、荒木監督が第二作を撮影開始しようとしている寸前に撮影現場で彼と会った。レジャーニュースに掲載する監督紹介の記事のためである。よくわたしのエッセイに登場する奥山栄一くんが会いたいというので撮影現場の東映化工にタクシーで急行すると、荒木監督はルバシカの帽子で助監督の高田宝重と一緒に撮影機材をやっせやっせと運搬しているところだった。わたしは荒木太郎の顔は知らなかったが、彼の監督第一作『異常露出見せたがり』のシノプシスを見て、尊敬している監督はチャップリンだと思っていたから、  「意識しているのはチャップリンですね?」  と聞くと、  「いいえ、ウッディ・アレンのような映画が撮れたらいいと思っているんですけど…」  と控えめに語っていた。  なるほど、控えめな性格の人なのか、とわたしは感心しながらメモをとっていたのだが、こと映画のことになると彼の目が変わってきた。  「あのう、自分で監督して、自分で主役しておられますけど……」  「そうなんです、でもこれはあくまでも製作費が安いので、それをカバーする方法というか……」  「はあ」  「ぼくは一応、出ていますけど、立場的にはほかの役者さんを引き立たせるためというか、黒子的立場に徹することによって、役者さんを目立たせるというか……」  「はあ、黒子的立場ですか……」  きっと目立たない演技をしてまわりをせっせと引き立たせるんだな、と思った。うんうん、あくまでも控えめな性格の人なんだ……。ところが渡された出演表を見て、あれ、と思った。荒木太郎のところだけにギッシリと丸がついているのである。荒木太郎が出ていないのは建物の夜景とか走る自動車の中とか……。教習所の運転手を脚本家の五代暁子さんが演ずることになっていたのだが、ダメになってしまって、現場付近をわたしと奥山くんのようにうろうろとしていたティッシュ堀内さんが捕まってしまった。奥山くんもさっそく酔っ払いの役で出演が決まって喜んでいた。しかし、この教習所の自動車というのは、荒木さん演ずる阿部四郎を跳ね飛ばす車、夜景というのは阿部四郎がうろついている場所の周辺の建物で……。  ギャッ  この映画は荒木太郎出すっぱりの映画ではないか。何が黒子に徹するだ。もう荒木太郎自身を追いかけるためだけにフイルムが使われているだけではないか……。  撮影がはじまると凄い。凄い。荒木さんがどこにもここにも出没する。車の中で見ていた奥山くんが、  「黒子に徹するなんていって、一見、奥ゆかしいことを言いながら、あの人がやっていることは傲慢そのものですよ、あの人、自分が目立つことしか考えていませんよ」  と喜ぶこと喜ぶこと。だいたい考えて見れば本気で奥ゆかしい人が映画監督なんかやるわけがない。監督をやっているばかりではなく自分の映画で主演までしようというのだから、傲慢に決まっているのである。それを奥ゆかしいと一瞬でも思ってしまった人間観察のなさを、わたしははずかしい。  そのうちにティッシュ堀内さんが自動車の運転手として登場。停止している車を暴走自動車に見立ててて、助監督がライトで走行感を出しての撮影だ。出番は7カットほどで、もう目だけの演技を死に物狂いでやっている。冷や汗を出すために顔にオイルを塗り付けての体当たり演技だ。ティッシュさんは池島ゆたか監督の『SM教師教え子に縛られて』にも出ていて、あの映画のタイトルに出てくるイラストは村山潤一という有名なイラストレーターの作品。ティッシュさんは額装されたイラストを池島さんらのために無料で借り出して、しかも新宿の田中スタジオに見物におとずれた村山さんを、佐野和宏演ずる変態美術教師のデッサンシーンに登場させてしまった。実はあの映画でデッサンしているのは巨匠・村山潤一なのである。  しかし映画の撮影が終わると荒木太郎はまた奥ゆかしい性格に戻ってしまった。  成人映画のタイトルというのは二本ある。映画の脚本に書かれたタイトルと、映画の公開時につけられるタイトルである。公開時のタイトルはだいたいいやらしいものが多く、シナリオのタイトルはまじめっぽい。たとえば荒木監督のデビュー作品『異常露出見せたがり』(大蔵映画)は『キャラバン野郎』という。第二作『あふれる淫ら汁』は『白い杖』だった。それにしても成人映画会社というのは上手にタイトルをつけるものだとしばらくの間、わたしは感心していた。  『異常露出見せたがり』というのは荒木太郎さんの出たがり精神のことであり『あふれる淫ら汁』というのはあの映画の中に連綿をモチーフとして出てくるカップラーメンのことだとばかり思っていたのである。  (後で聞くと、何の関係もなかったのだが……)  ところで男女の愛をテーマにしたポルノ映画の場合、派手でエッチなタイトルに改題されることがほとんどだが、ホモ映画の場合はそのまま原題で公開されているようである。小林悟監督の『さすらい』などはシナリオに書かれたタイトルそのままなのである。 奥山栄一  彼はティッシュ堀内さんの友人で、テレビのディレクターをやっていながらやたらと出たがりなのである。昔、ニュース映画を作っていた毎日映画にいたのだが、俳優になりたくて退職したらしい。そのまま中村幻児が主催するアクト21という俳優塾に入って、中村幻児監督作品『サディスティックソング』(VAP作品)で葉山レイコ演ずる人妻の旦那役(この表現は何か、ヘンだが)に抜擢されて念願の俳優デビューした。  しかし俳優では食えないので彼はいまだにディレクター稼業をやっているのだが、作品によっては北千住ひろしなどという芸名を使っているらしい。  『サディスティックソング』にはティッシュ堀内さんがおくの剛という名前で出演している。冒頭のスタンガンの餌食にされてしまう間抜けなサラリーマンだが、ティッシュさんと奥山くんが知り合ったのは、アクト21で製作した映像科のビデオ『馬鹿たちの荒野』という作品。映画監督になりたい連中が課題で製作したビデオなのだが、奥山くんは馬鹿収容所を出所した馬鹿の師匠(なんだかわからないけど)で、ティッシュさんはその師匠にいきなり公園で投げ飛ばされるサラリーマン。  ティッシュさんはその後もしつこく『パブのできごと』などという生徒の卒業作品に出たりしていたのだが、自分から動かなくてはなかなか俳優として売れないとVシネマの企画や批評を自分でやって出たがりの精神を満たしている。どうもティッシュさんはただ同然のギャラで交通費も自分で出して、火曜サスペンスなどにエキストラ出演したりしていて、時々、刑事とか消防署員とか病院の客などで画面に登場したりしているが、俳優志望者というのはなかなか芽が出ない。  ともかく奥山くんはやたらと出たがりで、わたしとかティッシュさんが映画監督たちと打ち合わせをするからとファックスするとすぐに出てくる。小川欽也監督に紹介したら、  「一度使ってみようかな」  と監督は奥山くんに出演依頼したのだが、奥山くんがディレクターとして京都に行かなくてはならない日とバッティングしてしまった。  一度くらい出演がダメになったくらいいいと思うのだが、当人は残念がること残念がること。  池島ゆたか監督がからみのシーンに使おうとして彼に出演依頼をしたら、事前に察知してわたしのところに電話をしてきた。  「あの、からみがあるんですけど、どうしましょう」  「やりたかったらやったらいいじゃない」  「でも、それをやっちゃうとぼくのイメージが……」  「じゃ、やめたら?」  「でも好奇心があるんですよね」  「じゃやればいいじゃない」  「どっちにすればいいんです?」  「やりたかったらやればいいし、やりたくなかったらやらない方がいいと言っているのよ」  「うーん、そうですねェ。相手役の女優さんには興味はあるんですけど…」  煮えきらないのである。  だいたい彼がポルノ映画の出演依頼を受けたのは今回だけではない。シネキャビンの社長の中村さんが新東宝で『人妻不倫クラブ』という映画を監督して、その時、ティッシュ堀内さんと奥山くんは、藤井智憲監督と一緒に演劇をやっていた。タイトルは『ベニスの商人のようなもの』というのだが『人妻不倫クラブ』の脚本を藤井智憲が書いていた。ティッシュさんが進言して新鮮味を出すために奥山くんを主役に決め、撮影スケジュールも彼にあわせて土日曜に移動したのだが、ちょうどその時、タイミング悪くサクラ前線の中継の仕事が入り、契約ディレクターの彼はそっちの仕事を優先しなくてはいけなくなり涙を飲んだ。  「ぼく、撮影前日はどうなるかわかりませんよ。せっせとオナニーしなくちゃいけないんじゃないかなァ」  と彼は言っていたのに、ザンネン。  『人妻不倫クラブ』は『サディスティックソング』よりも前だったから、彼の映画デビューはポルノだったかも知れないのに……。  ところでポルノ映画の撮影現場というのは意外と健全なのだそうである。撮影されていない部分は別にいやらしい必要はなく、本当にファックしているわけではないから、腰を押し付けてワアワア、アフアフとやっているだけで、セクラハめいた雰囲気はしっかりあるそうだけど、まあ映画の中よりは健全なのだそうだ。  奥山くんはその後、『元気の神様』という作品にも出演したらしいのだが、撮影後一年たつのにその作品は公開される様子がないらしい。早く公開されてほしいと彼は天に祈っている。 五代暁子  五代暁子はマルチタイプだ。わたしが知っている人物ではティッシュ堀内さんがやっぱりマルチで、映画俳優だとか、ジャズダンスだとかヒップホップだとか、イラストレーションだとか、いろいろやっている。ティッシュさんはかって、女性雑誌のイラストレーターだったのである。  五代暁子さんは元T出版の編集者だったらしく、昔は小説家志望だったようだ。成人映画の脚本を80本ほど書いていて海外で絶賛されたサトウトシキの『ルナティック』もたしか彼女の脚本だったと思う。  小林悟監督や俳優出身の吉行由実監督とか池島ゆたか監督の脚本も書いている。成人映画の世界には吉行由実のほかにも2、3人の女流監督がいるが、女流脚本家としては彼女が一番の売れっ子ではないだろうか。  彼女は俳優もやっている。  『異常露出見せたがり』では体当たりヌードにもなっているし、準主演作品もある。そればかりではなく何と監督までやっているのである。  ENK作品の『不思議な国のゲイたち』はビデオ化もされたが成人映画の大異色作品。ティッシュ堀内さんや睦月影郎さんも出演しているが、池島ゆたかがプロデュースして、伊藤清美、ソルボンヌK子、五代暁子がオムニバスで監督している。五代暁子の監督作品は『在宅看護』というがなかなか迫力のある喜劇タッチの作品。ただし、池島ゆたかによると五代監督はほとんど何もせずに(妊娠中だった)座っていただけで、大半の演出は池島さんがやったのだという。  フィルムの色がセピアっぽくなかなかいい映画だと思ったけど……。  最近、女流のポルノ作家がブームである。女流だからということで性的好奇心の対象にされて、レースクイーン出身作家だとか、SMクラブの女王だった作家とかいろいろいるが、成人映画の世界でも女性独自の感性が求められはじめている。だからこそ五代さんが売れっ子になっているというわけなのだろう……。  ポルノを見る客というのは女そのものを知りたがっている。女そのものというのは知ってみるとつまらないものなのだが、男にとっては未知の性だけに好奇心の対象になるというわけだろう。  性というのは単独ではなりたたないわけで、ポルノ作品の世界だけが男の独断上でいいわけはない。男とセックスする時に女性はどんなことを感じるかなどということは女性にしかわからないのだから、女性脚本家や女性ポルノ作家がもっと出てきてもいいと思うのだけれど……。ジェンダー問題とかフェミニズム問題とかいろいろとあるけれどポルノの世界も女性客がもっと増えないと性の男女差別はなくならないと思うのだが。 解説    ティッシュ堀内  この『オナニー交遊録』は牧場由美さんの私的性生活とか、ルポ取材で知り合った女子高校生の性生活とか、牧場さんが知っている性の有名人たちにスポットライトを当てた異色エッセイ集だ。ぼくすなわちティッシュ堀内とか、映画監督の池島ゆたか、荒木太郎、五代暁子、映画ディレクターの奥山栄一(彼の毎日映画社での先輩があの悪名高きスプラッタームービー『オールナイトロング』の松村克也監督)、小林悟監督、小川欽也監督、そのほかにアダルトビデオギャルやマグナム北斗のようなサオ師まで登場する。マグナム北斗というのは牧場さんの『アダルトビデオの女』の手塚恒雄のモデルだそうだ。  これらのエッセイは一部が書き下ろしだが、大半はスポーツ新聞とか『快楽マガジン』『体感小説』などに掲載されたもの。  本物の女子高校生や中学生に公園などで果敢に声をかけてインタビューする姿はぼくも何回か見たことがあるが、牧場さんが売春公園に出没すると援助交際希望の男に手を握られたり、トイレで触られたりということがあって困ると言っていた。  牧場さんの本領は痴漢だと思う。牧場さんは実際に痴漢の実態を調べるために数百回、ラッシュの電車で等級中を往復した経験をもっている。ある時はミニスカートで、ある時はフレアースカートの下はノーパンといった姿で満員電車の男の心理を実際に計測しているのである。だから牧場さんの痴漢小説は迫力がある。  牧場さんは成人映画の紹介をスポーツ新聞や『内外実話』といった雑誌にやっていて、映画監督たちとの交友はそういうところから自然発生してきたものである。  目玉は『体感小説』に掲載されているポルノ小説作法。ここには1から4までが掲載されているが、このうち3と4は未掲載の原稿である。  牧場由美さんのデビューは表向きにはコスミックインターナショナルから出版した『寝室の女王』ということになっているが、実はもっともっと古い。このエッセイ集のどこかにも書いてあると思うが、牧場さんが官能小説を書くようになったのは15歳の時なのである。その意味では天性の官能小説作家といえるだろう。  実際の単行本のデビューは中藤ケイ名義の『母芯の誘い』。異色作品としては『小説アサヒ』に連載された時代小説『地獄宿忍法帖』があり、これはフジオンライン・パピレスのオンライン文庫で読める。  というか、今のところオンライン文庫以外では読めない。  「最近は痴漢ものと名器女ものと官能時代劇が書いていて楽しいんですよね」  と牧場さんはいう。  名器ものには『野望商戦』という名器接待商戦を描いた作品があり、これも『小説アサヒ』掲載の後、このオンライン文庫に収録されている。牧場由美の自薦代表作は『アダルトビデオの女』(光風社出版)だという。これはビニール本モデルからルポライター、フリーライターを経てポルノ作家になるまでの牧場さんの性遍歴を赤裸々に綴った自伝的小説で、その作品はオンライン文庫には入っていないが、この作品の続編4本が収録されている。オンライン文庫のタイトルでいうと『顔面シャワーの女』『売春公園の女』『裏ビデオの女』『人妻痴女日記』がそうである。『顔面シャワー』の女は『快楽マガジン増刊』に掲載されたものを集めたものだが『売春公園の女』『裏ビデオの女』『人妻痴女日記』は完全にこのオンライン文庫のための書き下ろしで、今後も一切、ほかの媒体に出すつもりはないという。つまり作家牧場由美の素顔は、これからも永遠にオンライン文庫を読まなくてはわからないということだ。  『アダルトビデオの女』ではわからない作家の牧場由美デビューまでの道は、ぼくが解説するよりも、本書の『ポルノ小説作法2』を読めばほぼ正確にわかると思う。これが嘘いつわりのない牧場由美の小説執筆にいたるまでの道だ。  牧場さんはペーパーの本よりもオンラインとかインターネットに乗せたコンピューターブックスの将来にとても期待しているのだそうだ。それでコンピューターネットワーク向きのオリジナル作品を多く執筆している。5年たつとペーパーの本がコンピューターブックスやオンライン文庫に抜かれると、牧場さんは今から予言しているのである。  もうひとつ、牧場由美さんの本領は人妻凌辱レイプものだ。そういう作品はグリーンドア文庫に集中しているが、牧場さんはそのうちこのオンライン文庫にも書き下ろしでハードな人妻凌辱レイプ小説を発刊したいと言っている。  楽しみである。 書名:オナニー交遊録 著者:牧場由美 初版発行:1998年4月15日 制作所:株式会社フジオンラインシステム 住所:東京都豊島区東池袋3-11-9 ヨシフジビル6F 電話:(03)3590-9460 制作日:1998年4月15日 制作所:株式会社フジオンラインシステム 住所:東京都豊島区東池袋3-11-9 ヨシフジビル6F 電話:(03)3590-9460 ※本書の無断複写・複製・転載を禁じます。