[#表紙(表紙1.jpg)] 愛人の掟 1 梅田みか [#改ページ]   はじめに  不倫の恋についてはこれまで、たくさんのタブーばかりが語られてきました。  あまり目立つところでデートしてはいけない。香水をつけてはいけない。写真や手紙などあとに残るものは一切駄目。彼にネクタイをプレゼントするなんてもってのほか……こんなルールはもう過去の遺物と思って忘れてしまいましょう。  この本に書かれているのは日陰の女になるための掟ではありません。世間体を保つための掟でもありません。彼を無理やり離婚させるための掟でもありません。  この「愛人の掟」は、あなたの不倫の恋のつらさを少しでもやわらげるためにあります。  彼との限られた時間を、最大限に素晴らしくするためにあります。  あなたの心に残る傷を最小限にするためにあります。  彼との禁断の恋を、かけがえのない素晴らしい恋にするためにあります。  家庭と恋人のあいだで板挟みになっている彼に安らぎを与えるためにあります。  かすかに存在しているはずの彼との未来の可能性を、ほんの少しずつでも大きくしていくためにあります。  そして、「愛人の掟」は同時に「恋人の掟」でもあります。  あなたの恋愛に立ちはだかるのは、相手がすでに結婚していることだけではありません。独身同士の恋人であっても、生まれ育った環境の違いや、恋愛観の違い、年齢、職業、生活習慣の違いなど、多かれ少なかれ恋には悩みやもめごとがつきものです。  たとえあなたがどんな恋をしていても、この「愛人の掟」に従ううちに、あなたの恋はあなたの思い通りに開けていきます。あなたは相手を思いやることを知り、お互いに成長することを知り、ありのままの相手を受け入れる広い心を持つことが出来ます。そのときあなたは彼だけでなく、たくさんの男性の心を惹きつける魅力的な女性になっています。  もし、あなたが恋で傷ついた心を抱えているのなら、この本は止まらない涙を癒すよい薬になります。彼のことが忘れられずに次の恋に向かえないあなたなら、胸を張って歩き出せるように背中を押してくれます。もし、今特定の男性もいなくて恋に臆病になっているあなたなら、この本は新しい恋を探す道標になります。  この「愛人の掟」は、あなた自身と愛する彼のためにあります。 [#改ページ] 目 次  はじめに  第1章 愛人の掟   「愛人の掟」が生まれるまで  愛人の掟   第1条 いつもきれいにしていること   第2条 最初の誘いは彼から   第3条 彼への電話は控えること   第4条 毎日会ってはいけない   第5条 デート費用はすべて彼にまかせる   第6条 自分の生活を彼にすべて明かさない   第7条 合鍵を渡さないこと   第8条 写真はたくさん撮ろう   第9条 手紙で気持ちを整理する   第10条 卑屈にならないこと   第11条 彼の安らぎになること   第12条 なるべく彼の前で泣かないこと   第13条 彼を引き止めないこと   第14条 一泊するのは年に数回のイベントにすること   第15条 自分の不倫難度を知る   第16条 奥さんや家族を恨まないこと   第17条 彼の家庭にばれてしまったときは   第18条 「愛してる」は彼が言うまで待って   第19条 セックスは会う度に、が理想   第20条 避妊はきちんとすること   第21条 日曜日の過ごしかた、月曜日の会いかた   第22条 年中行事の過ごしかた   第23条 プレゼントは彼の行きつけの店で選ぶ   第24条 指輪をねだらないこと   第25条 彼の生活に近づかないこと   第26条 ほかの男性ともデートすること   第27条 第三の女を許してはいけない   第28条 公式の席にふたりで出席しないこと   第29条 親には打ち明けないほうがいい   第30条 相談する友人を選ぶこと   第31条 中傷に対して言うべきこと   第32条 夫婦の真似ごとをしないこと   第33条 結婚の二文字は絶対に口にしないこと   第34条 約束を信じて待たないこと   第35条 何も望まないこと   第36条 不倫を終わらせるのは必ず女性であること  第2章 毎日が恋愛日和   scene 1 消化試合の戦いかた   scene 2 女は薄着で   scene 3 ブーツ再考   scene 4 女の子グループの怪   scene 5 好きなタイプ   scene 6 恋愛中枢を刺激して   scene 7 都会の紅一点   scene 8 春うらら   scene 9 声の温度   scene 10 デートはある朝突然に   scene 11 彼らに愛を!   scene 12 キュロット禁止令   scene 13 三度のメシより……   scene 14 ダイエットの不思議   scene 15 わたしヒマです   scene 16 ドラマと現実   scene 17 期間限定恋愛のすすめ   scene 18 手づくりの贈り物   scene 19 危険な海外旅行   scene 20 料理上手のすすめ   scene 21 人生ものさし   scene 22 正しい聖夜の過ごしかた   scene 23 バッシングな女たち   scene 24 恋の年越し   scene 25 占いの威力   scene 26 ふたりで温泉   scene 27 ババシャツ撲滅宣言   scene 28 細胞まで愛して   scene 29 セックスレスの弊害   scene 30 毎日が恋愛日和  文庫化にあたって [#改ページ]  第1章 愛人の掟……この恋のつらさを、やわらげるために。 [#改ページ]   「愛人の掟」が生まれるまで    不倫の季節 「あたしなんか四年もやったからねえ。つらいよお、ほんっと」  わたしの背後の席から聞こえてきたのは、少し声をひそめた会話だった。ちょっと気分を変えて原稿を書こうと訪れたファミリーレストランでコーヒーを注文し、煙草に火をつけ、原稿用紙を広げようとしたわたしはふと手を止めた。  何のことかなと耳を澄ませば、不倫しようかどうしようか迷っている女の子の相談を不倫歴四年の女の子が聞いてあげている、という図式らしい。ふうん、そうか、と聞き流そうとしたわたしは次の言葉にびっくりして背筋を伸ばしてしまった。 「不倫の場合、こっちは何がなんでも好き、という気持ちがなければはじまらない。でも向こうはまんざらでもない程度で始まる。このギャップを絶対に忘れてはいけない」  それはわたしが、不倫に関する取材やエッセイで必ず触れている鉄則その一、であった。でも彼女がわたしの記事を読んで共感してくれたととるのは思い上がりというものだ。原稿そっちのけで会話に聞き入るうち、彼女たちが二十七歳で、ふたりとも歯科衛生士であるとわかった。 「あたしの四年間は、その恋しかなかった」  先輩の女の子がきっぱりと言った。彼女は相手を頭ごなしに反対するわけでも、無責任に応援するわけでもない。妻子持ちの男とつきあうことのよい点と悪い点を要領よく説明したあと、やっぱりトータルすると悲しみと苦しみのほうが圧倒的大半を占めるのだと結論した。そして最後にこう締めくくった。 「だからあたし、今なら農家のヨメにだってなれる」  それは非常に説得力のある、どっしりとした言葉だった。声の主をこの目で見たい衝動に耐え切れずそっと振り向けば、細いハッカ煙草がよく似合う真っ茶色のレイヤードヘアがあった。ヤンキー少女上がりそのまんまの彼女の顔に、はっきりと大人の影がわたしには見えた。  部外者ながらわたしは思わずうん、うん、と頷き、名も知らぬ彼女を抱き締めてやりたいほど愛しく感じた。実際、彼女が農家に嫁いできちんとやっていけるかどうかなんて問題ではないのだ。それだけ全身全霊をかけた四年間の恋に自らピリオドを打った、そのつらさにくらべればたとえ一生農家で過ごすことになっても耐えられる。彼女は素直に、そう思ったのだ。  彼女がこの偉業を成し遂げるには想像もつかない葛藤と涙があったに違いない。わたしは彼女と同じ年月をかけてちょうど同じ齢に決別した同じ種類の恋に思いを馳せ、胸が熱くなった。そして今の彼女に怖いものなど何もないだろうと思った。かつて、わたしもそうだったように。  不倫の恋は間違いなく女を成長させる。しかしそれはその恋がこの上なく純粋であったときのみだ。決して手に入らぬ純愛は、無邪気なヤンキー少女さえ大人にしてしまうのだ。  この恋の威力の前に、わたしの連載が一行も書けていないことなど些細なことだ。春の空気を深く吸い込み、わたしは再び原稿用紙に向かった。    愛人の掟  先号で図らずも不倫の恋について触れることになったので、もう少し進めてみようと思う。なぜならば、わたしはこのテーマが好きだからである。それに依頼される雑誌の原稿やインタビューの内容を見る限り、いまだに相当なニーズがあるような気がする。  あの「金妻」に発した不倫ブーム以来、世間はこの種類の恋愛を主婦vs.愛人、というような実にくだらない図式にすり替え分析したり中傷したりするようになった。こんな図式はインスタントカメラで撮ったVサインの記念写真と同じで、わかりやすいけど何の意味もない。  その結果、本来不倫をすべきではないような人たちまでこの恋に足を踏み入れるようになってしまった。これがそもそもの間違いなんである。本来、妻あるいは妻子ある男性との恋愛というのは「相手を愛している」といういたってシンプルな気持ちの上で成り立っているのだ。  だから軽い気持ちや生半可な愛情では絶対に出来ないし、はじめてはいけないのである。欲しいと思えば何でも手に入るかもしれない御時世に、たったひとつ残された決して手に入らない純愛。細い糸の上を歩くようなはかない純粋過ぎる愛である。それをよってたかって興味本意や遊び半分やカネやコネなんかでやるもんだからこんなにイメージが悪くなっちゃったのだ。  だからこれは本当にもしよかったら、なんですけど、「不倫は悪いこと」なんていう通念だけはとっぱらってほしいな、と思うのです。  その上で、でも私はイヤ、そんな恋なんかしないわ、と思った人は、絶対にしないでください。それはイコール、「もうこの人と恋に落ちなければ死んじゃうかもしれない」と思うくらい惹かれ合った相手でも、結婚してると聞いた途端「ああ、そうなんだ」と気持ちが収まってしまう、または収められる体質なのだということ。それだけはっきりと自分の恋心をコントロール出来るならば、一生この関係にはまることはないからね。  じゃあ、その自信がないなあと思う人。好きになると後先まわりの状況などあまり考えずに突っ走ってしまうタイプである。この手の人は誰が何と言おうと諦めたり出来ないから納得いくまでやってみたほうがいいと思うよ。けれど、じゃあただひたすら愛すればいいかというと、そうでもない。この禁断の恋を素晴らしい恋にするには多大な努力とパワーがいるし、何より大切な「掟」というものがあるのだ。  まず最初に、この恋は最初から最後まですべて女性側が責任を持ってやり遂げるということ。これを男性のせいにしたり(だってバツイチだっていったんだもの)、相手の奥さんのせいにしたり(家庭がうまくいってないってゆうから)、ましてや時代のせいにしたり(あと五年早く彼と出会っていれば)してはいけないのである。だからこの恋にはきちんと相当な覚悟を持って臨んでください。  次に、デートのあと相手が帰るときに引き止めないこと。彼がふと脇の時計に視線を移し、脱いでいた上着に手を通す瞬間。それがどんなにつらくせつない一瞬だったとしても、帰らないでと泣いてはいけない。彼だって、出来ることならそこにいたいのだ。でもここで帰らなければもうあなたと会えなくなるから、帰るのだ。またあなたと会うために彼は毎回身を切られるような決断を持って帰るのだということを忘れないこと。さよならは必ず笑顔でね。  もうひとつ、相手の家の電話番号を絶対に訊かないこと。「知ってたってかけないもーん」と思うかもしれないけど、それは甘いのです。このつらい恋愛にはどんな強い意志さえぼろぼろと崩れてしまうときが必ず訪れる。そんなとき、とっくに覚えてしまったその番号が脳裏を旋回し、奥さんが出るとがちゃんと切ってしまう無言電話になったりしてロクなことにはなりません。だから相手が教えてくれようとも調べる手段がいくつあろうとも、そこで止めるのが利口なやりかたである。  ……と、ひとつひとつ書いていると一冊の本になってしまうので、残りの掟を全部まとめて言いましょう。それは「何も望まないこと」です。何も望まないことですべてを手に入れる、それが愛人の王道というものだ。何だか最後は禅問答のようになっちゃったけど、不倫はやっぱりそれだけ奥が深いんだよねえ。    愛人の掟2 「愛人の掟」が、読者ページで意外な波紋をよんでいるようである。  はじまりは、不倫中の女の子がわたしのエッセイをバイブルにして日々頑張っている、という一通だ。その後、なんと二十歳の若き不倫経験者の励ましのお言葉が続き、ああ、わたしも少しは世の中の役に立ててよかったなあ、とニコニコしていた。  ところがそこへ、不倫反対のお手紙が登場した。まあ当然予想されたことですが。これまた、正論に次ぐ正論の嵐、なのである。とにかく不倫なんかもってのほか、どうして妻のいる人と恋愛なんかするんですか? 妻の立場を考えたことあるの!? と来た。常識を知らず理性の利かない、そんな恋愛は一日も早くやめるべきだ、そうだ。  この手紙を読んでいて、わたしはちょっとぞっとしてしまった。これを書いた女性がおいくつなのか知らないけど、意見はまるで、おばさんの井戸端会議みたい。きっと十数年後には、「どんな人を好きになってもいいけど不倫だけはするな」とか言っちゃう母親になるんだろうなあ。  わたしは何度も言っているように、不倫の恋を奨励しているわけでも、不倫マニュアルを語るつもりもないのだ。ただ、そんな禁断の恋に落ちてしまったら決して「理性で」なんて後戻り出来ないことを知っているだけに、同じ不倫をするならそれを素晴らしい恋にしてほしいという切なる願い、だけなんである。  それに最初に断ったように、相手に奥さんがいるとわかった瞬間から恋心をセーブできる、なんていうお利口さんには一生縁のない恋なのだ。だからそういう人は黙って「常識ある」恋だけしてればいいじゃないですか。大事なのはこの、黙って、というところね。いくら自分に縁がないからって、不倫の恋をしている人をとやかく批判する資格は全然ないんですよ。  こういう人は、自分では気づいてないかもしれないけど、完全なる「恋愛差別」をしているのである。だってこの、不倫の恋だけを目の敵にして特別視する風潮というのは、逆に言えば、相手が独身でありさえすれば何してもいい、ってことでしょう。彼に恋人がいようが婚約者がいようが、泥仕合をくり返そうが二股かけて傷つけようが、戸籍上、お互いが独身であればそれは「いけない恋」にはならない、わけですよね。わたしの考えではこちらのほうがよっぽど「不倫」だと思うけど。  最初から恋愛にそんな差別をつけて、向こう岸には絶対渡りません、なんて生きかたをしてたら本当に胸を焦がす恋に出会えるのかさえ怪しい。川を渡るか渡らないかはその人の自由だけど、向こう岸を必要以上に恐れたり、あちら側にいる人を軽蔑したり否定したりするのはおかしい。嫌だったら見ないふりしてればいいだけのこと。  それに、わたしの知る限り、何の気なしに恋愛気分で不倫している女の子なんてひとりも見たことがない。それは世間の大きな誤解というもので、不倫の恋をしている女性たちはみんな、ものすごく純粋に、真剣に、必死で恋愛してるよ。「妻の立場」になんかもう何度も立ち過ぎちゃって、苦しくなってしまうくらいにね。本当にこの人と出会えてよかったという幸せの絶頂と、悲しみと寂しさのどん底を同時に経験する、こんなつらい精神修行を誰が好きこのんで遊び半分で出来ますか。本当に、どうしてもっとニュートラルな考えかたが出来ないのでしょうか。せめて「私はしたことないからわかんないけど不倫の恋って大変なんだろうなあ、でも惚れてるんだから仕方ないよね」ぐらい言ってほしいものです。  こんなことばっかり力説していると、日本中の主婦を敵にまわしそうで怖い……。でもちゃんと「愛人の掟」に書いてあったでしょ、「妻を恨んではいけない」って。 [#改ページ]   愛人の掟 [#改ページ]  第1条 いつもきれいにしていること  いつ、どんなときも、出来るだけきれいにしていること。これは不倫に限らずどんな恋愛にも共通する女性の基本だけど、中でも特別、不倫の恋をしている人は、徹底的にこの掟を守らなくてはいけません。なぜかって、決まっているでしょう。彼はいつも、家でかまわない格好の奥さんを見ているのだから、あなたまでよれよれのTシャツで出てきたら、彼が可哀想すぎるでしょう?  デートに出かけるときだけ気合いを入れてお洒落をする、というのではなくて、文字どおり、常にそれなりにきれいにしていることが大切なのである。極端な話、いつどこでばったり彼に会っても大丈夫な状態にしておくぐらいのつもりで。たとえば近所のコンビニまで寝間着がわりのシャツにノーメイクで出かけたところを彼に見られたら、と思ったらぞっとするでしょう。実際、そんな偶然がテレビドラマみたいに次々起こるわけじゃないけど、そんな心積もりで毎日を過ごすぐらいでちょうどいいのだ。  何しろあなたは、妻である女性とは立場が違うのだ。それをはっきりと自覚して、彼に「いい女を連れて歩いている」と思わせる存在でなくてはならない。デートはもちろん、自分の部屋や近所で会うときも、TPOに合ったお洒落やメイクはきちんとする。いくら忙しくても、いつ会ってもシャワーを浴びたてのいい香りがするくらいに。  忘れてならないのは、あなたは彼にとって「日常」ではなく「夢」である、ということ。だからファッションひとつとっても、「着ていてラクだ」とか「家で洗えるし長持ちする」とか「この色なら何にでも合わせやすい」とか、そんなことを基準に服を選ぶのはやめましょう。そんな実用的な理由より、何より「あなたをいちばんきれいに見せる服」であることを基準に選べばそれでいい。家計や世間体を気にして通販やバーゲンで無難な服をまとめ買いするなんて、いつか奥さんになってからでも充分間に合うことなのだから。  おとなしいデザインを選ぶよりはどちらかといえば目立つもの、地味な色合いよりは華やかな明るい色、パンツよりはスカート。いつもセクシーで可愛らしくて女らしい格好をすること。お勤め帰りのデートでも、彼と会う前にひと工夫する手間を惜しまずに。靴を高いヒールのものに替えるとか、スーツのインナーだけ絹のブラウスにするとか。待ち合わせをする度に、やってきた彼の目を楽しませるようなファッションを心がけて。  それから、髪はなるべくロングヘアに。男性はつやつや、さらさらの長い髪が大好きなのに、結婚した途端、手間のかからないショートヘアにしてしまう女性が多いから! [#改ページ]  第2条 最初の誘いは彼から  彼に妻子があるのを知りながら、惹かれてしまう不倫の恋。でもその気持ちをきちんと恋に成就させるには、女性としてかなりの勇気が必要ですよね。好き、でも諦めなきゃ、でも好き……なんてことを何日も、何か月も、長くなると一年以上も続けていたりする。  ましてや、その気持ちを実際行動に起こして彼とつきあいはじめる、というプロセスには、計り知れない葛藤と相当な覚悟がいるものである。よく世間で言われるように「ただ何となく遊び半分で」不倫をはじめる女性なんて滅多にいないのだ。誰も妻子持ちを選んで恋してるわけじゃなし、好きこのんでこんな障害だらけの恋愛をしたいわけがない。出来ることなら平穏に、独身の男性を好きになりたい、というのが本音。それが図らずも妻子持ち相手に恋をしてしまったときの動揺たるや、かなりのものがあるのだ。  だからこそ、彼とつきあいはじめた瞬間、今まで抑えていた彼への想いがせきを切ったように流れ出してしまう。今まで我慢して我慢して我慢してためたぶんだけ加速度がついて、もうどうにも止まらなくなってしまう。気がつけば頭の中は彼のことでいっぱい、不倫の恋にどっぷり、骨の髄まではまってしまっている。これが、不倫の恋を余計に燃え上がらせてしまうプロセスだ。  女性が実際不倫の恋をはじめるまでに、これだけ様々な苦悩や葛藤や覚悟をしているのに対し、男性はというと、これがまた、まったく様子が違う。女性のほうは、好きで好きでたまらない、どうにもならない、というものすごい情熱がなくてははじまらないのに、男性にとって不倫の恋は「まんざらでもないな」程度ではじまってしまうものなのである。そんなの不公平、と文句を言っても仕方ない、揺るぎようのない事実。これはもう、男と女は生物学的に違う生き物なんだと思って諦めるしかありません。  このスタート地点での気持ちのギャップは大きい。「あなたが彼を想っているほど彼はあなたを想っていない」のだ。悲しいなんて思わないで。これは不倫の恋の宿命なのだから。大切なのは、このギャップをきちんと理解し、受け止め、いつまでも忘れないこと。いつも心のどこかにとどめておくこと。そうすれば必要以上に傷つくこともないし、無闇に彼を責めたりしなくてすむ。そして、これさえ覚えておけば、どう考えてもわたしたち女性のほうが不利なこの恋愛を、最大限有利に進める対処法があるからだ。  それには何よりもまず「最初のデートに誘うのは必ず彼のほう」にしなくてはならない。もちろん好きだという気持ちはあなたのほうがずっと強いに決まってるけど、恋心は笑顔の奥に隠して、彼に「誘わせる」ための日々の努力を重ねてじっと待つ。間違っても、「今度お食事でも」なんて彼の言うべき台詞を自分から口にしないように。そんなこと言ってしまったら、あなたのことを「まんざらでもない」彼はふたつ返事で乗ってくるに決まっている。でも、そんなふうにはじまった不倫が、あなたの想いほど真剣な恋になると思いますか? 問題は彼の「まんざら」をどうやって本気の恋まで引き上げるか、なのだ。  あなたのほうからモーションをかけてしまったら、はじめから負け試合に挑むようなもの。どんなに恋い焦がれていても、初デートは彼が誘ってくれるまでチャンスを待って。初めてのキスや初めてのHも同様。どんな小さなこともこちらから誘っては損。彼のほうが積極的にあなたに惚れている、という錯覚を起こさせなければ、最初のギャップが埋められないまま不利な恋愛を続けることになる。不倫の恋は、最初が肝心。 「そんなこと言ったって、もう自分からモーションかけてつきあっちゃったよ」という人、もう手遅れ、なんて諦めないで。今からでも遅くないから、次からのデートやHの主導権を全部彼に預けてみて。途中からでも、少しずつ状況は変わってくるはず。  ただでさえつらい不倫なんだから、こちらが優位に立てない恋なんてする必要も意味もない。彼のほうが夢中、という状態をつくれないのなら、すっぱり諦めるべき。 [#改ページ]  第3条 彼への電話は控えること  つきあいはじめて、いくらラブラブの蜜月状態にあったとしても、あなたのほうから彼に電話をするのは控えて。不倫の恋をしている女性に電話かけちゃいけないとか言うと、「会社にかけると彼の迷惑になるって言うんでしょ」なんて誤解されそうだけど、そんなこと全然ないからね。仕事場にかかってきた恋人からの電話を自分できっちり処理するのは男性にとって当然要求されるべき基本能力。そんなこと理由に、会社に電話するなよ、なんて言う男は例外なく甲斐性無しである。だからそんな理由じゃなくて、だけどやっぱり、こちらからしつこく電話をかけるのはやめておきましょう。なぜかと言えば、彼に電話をかければかけるほど、あなたが傷つく可能性が大きくなるから、なのだ。  不倫の恋の場合、普通の恋愛にくらべて、電話ひとつかけるのだってものすごく勇気がいる。自宅にいる彼に電話出来ないということは、常に仕事中の彼にかけることになる。普通ならちょっと声が聞きたいと思って気軽に電話出来るところを、仕事の邪魔をしないかしら、彼に迷惑かけないかしらなんてあれこれ気を遣うことになる。  そうやって、いつもある程度我慢したりしているから、やっと勇気を出してかけたときに「今仕事中だから」と素っ気なく切られただけでもう、絶望的な気分を味わってしまう。「あとでかけ直す」と言われてから、じっと電話を待っていることほどいらいらするものはない。時間が過ぎるのが遅くて、そのうち二度と電話なんか鳴らないんじゃないかという気までしてくる。何時間も待たされた挙句、こらえきれずまたこっちからかけちゃったりして、当然さらに冷たくされる。だって、かけ直すと言って彼がかけてこないのは、別に意地悪してるんじゃなくて、まだ仕事が一段落つかないからなんだから。わかってはいるけど電話って、一度かけはじめると止まらなくなっちゃうんだよね。  あなたのほうから彼に電話さえしなければ、こんな思いはしなくてすむわけです。彼のうんざりした声も聞かなくてすむし、間の悪い電話をかけてしまったあとのひどい自己嫌悪にも陥らなくてすむ。いくら彼が会社に電話をしてきてかまわないと言っても、よっぽどの連絡事項がない限りやめておくこと。特に用事もなく「寂しい」「会いたい」と電話をするのがいちばんよくない。今、たった今、彼の声を聞かなくては死んでしまうと思っても、決して電話してはいけない。もがき苦しもうと、のたうちまわろうと、電話機を毛布でくるんでぐるぐる巻きにしようと、彼へのコールだけは禁止。  彼が携帯電話を持っている場合、確実に彼自身が出てくれるという安心感からついかけたくなってしまうけど、これも最小限にとどめるのが賢いやりかた。彼の携帯の番号はなるべく暗記しないように努力しましょう。間違っても短縮ダイアルに登録なんかしてはいけない。酔った勢いで泣きながら電話してしまったりしてロクなことになりません。  こちらから全然連絡しなかったら、彼が離れていってしまうんじゃないかと不安になりますか? でも、実際にやってみればわかるけど、結果はその逆。あなたがまったく電話をしなければ、彼のほうが気になってまめに電話をかけてくるようになる。この「まめに」というのは個人差があるから、それが朝昼晩の電話なのか、三日に一度なのか週に一度なのかわからないけど、とにかく彼なりにまめにかけるようになる。まあ、それがもし月に一度だったとしたら、彼はあなたにあまり関心がないと判断してもよさそう。だっていくらまめじゃなくたって、本当に大好きな人の声を一週間も聞かないでいられる?  いつかかるかわからない電話を待つのは本当につらいことだけど、こちらから電話をかけてしまったときの後悔を考えれば、電話をかけないつらさを選んだほうがまし。それに、彼があなたに電話をしてくるときは、状態も心も、本当にあなたと話したがっているときなのだから、彼の声はあなたが電話したときの何倍も優しいはず。そんな声を聞いたら、待つつらさなんか吹きとんでしまうでしょ。電話は彼から、が不倫の基本。 [#改ページ]  第4条 毎日会ってはいけない  ただでさえ独占できない彼、毎日ほんのちょっとでもいいから会いたいと思うのは当然。とにかく女性側は「もうどうにも止まらないゾーン」に入ってしまっているから、明けても暮れても会いたい人は彼、ひとりだけ。女友だちと出かけるのもママと会うのも億劫になるし、へたすると仕事までおろそかにしてしまったりもする。でもこれを馬鹿な女、のひと言ですませることはできない。なぜなら女性というのは、ひと度その想いが成就するやいなや、一気に天まで昇りつめてしまうように出来ているのだ。  女性が毎日会いたいと思うのは仕方ない。男性のほうも、はじめは新鮮さも手伝って、仕事をやりくりしたり、同僚との飲み会を断ったりして出来るだけあなたと会う努力をするでしょう。ディナーが駄目ならランチ、どちらも無理なら深夜バーで一杯飲む、十五分でも時間が空いたらカフェでお茶を飲む、通勤途中にちょっと立ち話するだけでもいい。こうなってくるともう、いかに毎日会い続けるかのギネスに挑戦、というかんじである。そこでまた女性は「彼と毎日会っている」ことに酔いしれ、それがふたりの愛の深さの証であるかのような錯覚に陥る。でも間違いなく、それは錯覚なのである。  独身同士の恋人たちなら、毎日会おうが、速攻で盛り上がろうが、くっつきすぎて溶けてバターになろうがかまいませんよ。それで飽きたら別れればいいし、もっと好きになるようなら同棲でも結婚でもすればよろしい。いくら親に反対されようがお金がなかろうが、今のご時世、駆け落ちぐらいならどうやったって出来るもんね。  しかし、不倫の恋人同士には、目の伏せられない壁がすぐに立ちはだかる。週に一度か二度、決まってやってくる「決して会えない」彼の休日、である。いくら「毎日会う」といったって、そこには必ず「平日は」という但し書きがつく。その動かしがたい事実にぶつかって、いちばん苦しむのはあなた自身なのだ。 「週末会えないからこそせめて平日ぐらい毎日会いたいんじゃないの」と言われるかもしれないけど、それはあんまり得策とはいえない。毎日会えば、寂しさが癒されると思ったらそれは大間違い。結果は見事に逆効果。彼と会う回数が多ければ多いほど、不倫の恋のつらさは倍増するのである。彼と毎日会えば会うだけ、会えない日の寂しさは耐えがたいほどに膨らんでいく。彼と過ごす時間が長ければ長いほど、かえって孤独が身にしみる。どうしようもなくなって錯乱する。これまでの自分の生活なんてこれっぽっちもなくなって、彼と会っていない時間は鳴らない電話か空《くう》を見つめて過ごすことになってしまう。こんな空虚な日々を送りたい人はいないでしょう?  普通の恋愛の何倍も波風があるからこそ、不倫の恋は麻薬性が強い。幸せの絶頂と悲しみのどん底をしょっちゅう行ったり来たりしているのだから、トリップしてるときと禁断症状の差が激しいのだ。これを出来るだけやわらげるには、やっぱり中毒を最小限にとどめておくしかない。だって、ほかに手立てがないのだ。毎日タバコ五十本吸ってる人が禁煙するのは想像を絶する大変さだけど、その手前で一日十本以上増やさないと決めておけば吸えなくなってもまだ楽でしょう。いくらお酒が好きだって、毎日相当な飲みかたをしなきゃ絶対アルコール依存症にはならない。不倫の恋人と毎日会うのは、へろへろの彼中毒になるということ。思いっきり重度の彼依存症になるということ。どこから見てもいいところはない。はっきり言って自殺行為である。  不倫の恋が長続きするかどうかは、つきあいはじめた頃のデート回数をいかに少なく設定しておくかにかかっている。それは、女性のほうで、どこまで会いたい気持ちを抑えられるか、ということ。奥さんと違って毎日会えないぶん、限られたなかでとびきり楽しい時間を過ごすのがあなたの役割。いくら情熱的に彼のほうから毎日会いたいと言ってきてもデートは週に一度くらいに抑えるのが理想。多くても週二、三回までに。 [#改ページ]  第5条 デート費用はすべて彼にまかせる  テレビや映画に出てくる不倫密会シーンでは、いつも高級レストランでワインを飲んで食事をし、一泊三、四万はしそうなホテルのツインルームでHする、というのが定番である。ところが実際、こんな不倫カップルは滅多にいないんじゃないでしょうか。だってこれって、彼がかなりお金持ちじゃなくちゃ、成り立たないことですよね。  ご承知のとおり、日本のごく平均的な家庭というのは、夫の給料を妻が管理し、夫は自分で働いたお金でありながら妻からお小遣いをもらう、というシステムである。それが三万なのか五万なのか十万なのかそれ以上なのか、細かい数字まではわからないけれど、それほど余裕があるというわけではない。その上子供がいたりすれば、ますます彼の思うようにお金が使えないのが現実である。彼が三十代後半の課長クラスだったとしても、二十代の独身平社員のほうがかえって自由になるお金は多かったりするのだ。  彼があなたとのデートに使えるお金は限られている。これは仕方ない。でもだからといって、あなたがおごってあげたりワリカンにしてあげたりしてはいけない。たとえあなたが優秀なキャリア組か、何かのエキスパートで彼より収入がずっと多かったとしても、だ。たとえどんな状況にあろうと、あなたがデート費用を負担してはいけない。 「そんなの、あるほうが払えばいいじゃない」と思うでしょう。誰でも最初はそう思って、軽い気持ちで彼に食事をご馳走したり、タクシー代を出してあげたりするものです。この行為自体が、ふたりの関係をさらに苦しめることになるのに気づくまでは。  何も、デート代はすべて男性が受け持って当たり前、ワリカンなんてとんでもないわ、なんて言ってるわけじゃありませんよ。女性が男性にたまにご馳走してあげることには大賛成だし、女性はおごられて当然、なんて思ってる女の子は勘違いもはなはだしい。でも、それは独身の恋人同士や友だち同士や仕事仲間だったら、の話だ。それが不倫の恋なら駄目なのだ。  はじめのうちは、おそらく何とも思わない。彼とこんな幸せなひとときを過ごせるなら、お金なんかいくら払ったってかまわない、とも思うだろう。でも、あなた持ちのデートが続くうち、それは真綿で首を絞めるようにじわじわとふたりを蝕んでいく。  デート代をあなたが出すということは、彼と会うためにあなたがお金を払っているということだ。彼はあなたに会うために何も払っていないのに、である。彼の給料は家庭のために使われて、あなたにはまわってこない。彼のお金はそっくりそのまま家計や子供の養育費や奥さんの服を買うために使われて、あなたにはまわってこない。この事実をデートの度にひしひしと再確認しなくてはならないのだ。あなたが彼とのデートにお金を出せば出すほど、不倫のつらさは倍増する。あなたはどんどん卑屈になり、彼は女性にお金を出させている自分のふがいなさと罪悪感に苛まれる。悪循環である。  何気なく彼に払ってもらっているときは気づかないものだが、本来家庭にまわるべき彼のお金の中から、その一部があなたと楽しいデートをするために使われている、という図式こそが大切なのである。そこにはふたりの、甘い共犯意識が生まれるからだ。この感覚こそが、知らず知らずあなたの気持ちの拠り所になっていたのである。この事実だけが不倫のつらさをまぎらわす数少ない切り札だったのだ。  あなたの彼がすごいお金持ちなら、デートはいくらゴージャスでも、贈物はどんなに豪華でもいい。遠慮する理由なんてこれっぽっちもない。もちろんお金や品物で心の空虚が埋められるわけではないけれど、大いなる気晴らしにはなるのだから。残念ながら彼があまりお金持ちでないのなら、彼の経済状態で可能な範囲のデートをすべき。外食は安くて美味しい店を探すとか、ドライブのかわりに散歩をするとか、ふたりでいろいろ工夫して。あなたと会うためのお金はすべて彼が出す、この不倫の基本を忘れずに。 [#改ページ]  第6条 自分の生活を彼にすべて明かさない  よく「恋人には包み隠さず何でも話しましょう」とか「ふたりのあいだに秘密はつくらないのがベストな関係」なんて説があるけど、これにはまったく賛成出来ない。ごく普通の恋であっても、お互いにちょっとミステリアスでいるくらいのほうがうまくいくし、ずっと仲良しでいられるものなのだ。ましてや不倫の恋にはこんな説はまったく通用しない。だってそもそも、秘密と謎と嘘で成り立っているような恋なんだから。  主に秘密エリアを担当しているのはもちろん男性のほうだ。何しろわたしたちは彼の生活のほんの一面しか見ることが出来ない。何か特別なことでもなければ、私服の彼を見る機会だってなかなか訪れないものね。その反面、あなたのほうは私服どころか、自室のベッドルームまで見せてしまっている。これはかなりのハンディである。  自分の家庭については、男性によってわりと話すタイプと一切話さないタイプがあるけれど、こちらからねほりはほり聞くのはもってのほか。だって、そんなこと聞いたって、何の意味もないじゃないですか。たとえば彼を問い詰めて「うちでは全然セックスなんかしてない」と言わせたとする。そんな言葉聞いたからって、本当に心から安心出来ます? 彼はほんとにHしてないのかもしれないし、実はあなたとするのと同じぐらいしてるのかもしれない。でも、あなたに確かめる術はないわけですよね。そんなことで一喜一憂するなんて、馬鹿みたいだと思わない?  自分の知らない彼の私生活に好奇心があるのは仕方ないけど、本当のこと言われるにしても嘘つかれるにしても、どちらにしろ真実は闇の中。こんな探り合いばかりしてたら、うまくいくものもいかなくなる。だったら、そんなつまらない詮索をするのはやめにして、こちらも対等に謎の部分をつくってみるというのはどうでしょう。  それには、彼以外に没頭出来る何かを見つけること。仕事でもいいし、趣味でもいいし、習い事でもいい。これは女性全般に言えることだけど、特に不倫中は、自分ひとりの生活を充実させることが大切。これを機会に何か資格をとるとか、スポーツを上達させるとか、エステやエクササイズなど、美しくなるために時間を費やすのも大歓迎。彼の家庭に匹敵する秘密エリアをつくれるかどうかで、この恋の行方は大きく変わってくるのだ。  あなたが一日中何をしていたかなんて彼に言う必要はまったくない。自分と会っていないときは一体何をしているんだろう、と思わせるくらいでちょうどいいのだ。一日中家事をしながら彼の帰りを待っているのは、奥さんのすることなのだから! [#改ページ]  第7条 合鍵を渡さないこと  かけがえのない、彼とふたりきりの時間。本当はホテルの一室で過ごすのが理想でも、現実の諸事情から、どうしても彼があなたの部屋を訪問することになる。そしてふたりの仲が密になればなるほどその機会が増える。会う度に彼があなたの部屋に来るのが暗黙のお約束のようになってくる。彼があなたの部屋に「まるで帰ってくるように」やってくるのは、あなたにとってものすごく嬉しいことかもしれない。しかし、ここで無邪気に喜んでばかりはいられない。これは危険な兆候なのだ。  不倫の恋の敵はずばり「なれあい」である。彼にとってあなたは常に刺激的でいつまでもドキドキさせられる存在でなくてはならないのだから。でも、ふたりが親しくなるにつれ、この「なれあい」の影が忍び寄ってくる。でも、親しくなるのとなれあいになるのとは全然違うことなのだ。男性というのはこの「なれあい」に大変弱い生き物だから、気を許すとずるずると引っ張られてしまうから要注意。彼があなたの前で平気であくびをしたり、あなたの相談に面倒臭そうな態度で受け答えしたり、部屋に来るなり靴下を脱ぎはじめたりしたら、もうかなり「なれあい」の被害は大きいと判断してよいでしょう。  彼とあなたは、何の約束も、保証も、希望もない中で、ただひたすらお互いを好きだという気持ちだけで一緒にいるのである。何の利害関係も契約もない、安心も安定もない、細い糸の上を歩くような恋愛だからこそ、相当な緊張感が必要なのである。それには、ふたりのあいだに忍び寄る「なれあい」の影を片っ端から振り払っていかなくてはならない。振り払うのはもちろん、女性の役目である。  彼をあなたの部屋に上げるのは仕方ない。けれど、決して彼に合鍵を渡してはいけない。自分のプライベートな部屋を彼に見せるというだけで「なれあい」度としては相当な危険を犯しているというのに、これ以上のさばらせるなんてもってのほか。合鍵を渡すということはすなわち、あなたがいようがいまいが、いつ部屋に来てもかまわないという許可の証である。極端な話、いつ突然踏み込んでもほかの男がいる可能性がないと宣言しているようなものだ。もちろん実際に彼があなたの留守中に訪ねてきたり、連絡なしに突然やってくるほど非常識とは思わないけれど、鍵を渡すという行為自体が意味を持ってしまう。  これは不倫の恋に限らず、合鍵というものは渡した相手に過大な安心感を与える。本当のところ、鍵ひとつもらったぐらいでそんなに安心しちゃっていいのかしら、と思うぐらい安心するんだよね。まあ、普通はお互いの鍵を渡し合ってお互い好きなだけ安心していればいいんだろうけど、あなたが鍵をあげたところで彼からもらえる鍵はないのだ。そんな割の合わないことをわざわざする必要なんか全然ない。そして何より、愛人は彼を安心させてはいけないのだから。もし彼がどんなに欲しがったとしても、合鍵だけは渡さない。あらゆる言い訳をしようと嘘をつこうと、この砦だけは守る。まあ、自分の立場をきちんとわきまえている男性なら、鍵を欲しがったりしないものですけどね。  それから、あなたの生活のすべてが丸見えになってしまうような部屋のつくりは避けること。目指す雰囲気はホテルの一室。まるっきりホテルのように、というのは無理だけど、なるべく生活感のない部屋を心がけて。あなたのワードローブがずらりと見渡せたり、読んだ本や聞いているCDが全部わかってしまったり、クッションのカバーやスリッパの柄にお気に入りのキャラクターがついていたりするのは、とても理想的な愛人の部屋とは言えない。可愛くて女の子らしい部屋はちょっと卒業して、スタイリッシュでお洒落なインテリアにする。照明も出来るだけムーディーに仕上げ、ベッドメーキングは毎日念入りに。コーヒーカップやグラスなどの食器類も家庭的なかんじではなく、シンプルで洗練されたデザインを選びましょう。間違っても食パンのシールを集めてもらったお皿を使ったりしては駄目。ああいうのは主婦の特権ですからね。 [#改ページ]  第8条 写真はたくさん撮ろう  不倫の恋人同士が普通のカップルと大きく違うことなどない。愛し合う男女に区別など何もないはずだ。ただほんの少し制約が多いのは確かな事実。でもだからと言って、なんでもかんでも我慢する癖をつけるのはよくない。ふだんから優等生すぎて、いろいろな感情を抑えてばかりいると、あとで一気に爆発してかえって大事になってしまう。  彼と初めてドライブや遠出のデートをすることになったとき。景色のいいところに出かけたら、ふたりの写真が撮りたくなるのは自然なこと。それなのにそこで、不倫の恋人同士だから証拠になるものは一切残してはいけないんじゃないか、なんて寂しい発想が頭に浮かんで、なかなか彼に言い出せないという人、意外に多いのでは。  確かに昔だったら、不倫の仲であれば目立つところは出歩かず、どこか屋内で隠れるように会うのが当たり前だったわけだから、写真なんてもってのほかだったかもしれない。でもそんなのは過去の話、もう時代が違うんですから。そんな古い「二号」のイメージに惑わされてはいけない。ふたりの周囲の誰かを意図的に傷つけること以外は、普通の恋愛と同じようにふるまっていいのだ。外で腕を組もうが手をつなごうがキスをしようが全然問題ないし、どこで写真を撮ろうがふたりの自由。  写真を撮ってもいいどころか、不倫の関係だからこそ、どこかへ行く度にラブラブのツーショット写真を撮るような、初々しい恋人気分が大切なのである。どんなカップルでもつきあいだして間もない頃はしょっちゅう写真を撮るのに、そのうち面倒になってフィルム一本終えるのも大変、というかんじになってしまうでしょう。彼と出会った頃のときめきを忘れないためにも、写真は強力な味方になってくれるはず。  ただ、写真を焼増して彼に渡すのは、少し様子を見てから。出来上がった写真を見せたとき、彼のほうから欲しがったとしたら、会社かどこか、自宅以外にあなたとの写真を置いておける場所がある、ということ。こういうときは「奥さんに見つかったらどう説明するつもりなの?」なんて憎まれ口をたたかずに、素直に彼を信じてアルバムにしてあげましょう。彼が何も言わなければ、焼増しないでふたりで一緒に見て楽しめばいいだけ。有無を言わさず強引に押しつけては、彼も写真を撮るのが嫌になってしまうから。  ふたりのうちどちらかが極端な写真嫌いでないなら、彼との素敵な思い出になる写真をたくさん撮りましょう。誰かに頼んで撮ってもらうのが恥ずかしかったらセルフタイマーを使って。先の見えない恋だからこそ、宝物のような一瞬一瞬を形に残したい。 [#改ページ]  第9条 手紙で気持ちを整理する  写真と同様、あとに残るものという理由で、彼に手紙を書くのをためらってしまう傾向はありませんか。でも、写真を欲しがった彼なら、手紙も喜んで受け取ってくれるはず。彼のデスクの鍵のかかった引き出しには、きっとあなた専用のコーナーが出来上がっていることでしょう。結婚してしまうと奥さんはわざわざ手紙を書いたりしないから、あなたからのラブレターは彼にとってすごく嬉しいもの。男の人はいくつになってもロマンティスト、だからきれいな便箋と封筒に書かれた恋人からの手紙を意外なほど喜ぶのだ。  手紙は会社に郵送するより手渡すほうが確実。ほんの少しでも社内で噂になる可能性があることは避けたほうがいい。彼が家に持ち帰らなくてすむように、手渡すのはランチのデートのときにするとか。もし、写真を受け取らなかった彼だったら、手紙を渡すのも困ってしまう可能性が。いくら「読んだら捨てちゃっていいから」と言って渡しても、大好きな人からの手紙をさっと捨ててしまえる男性は少ない。捨てられずに手帳の奥に忍ばせた手紙を奥さんが探り当てたりして大変なことになりかねない。どうしても読んでほしいというのなら、あなたの目の前で読んでもらって返してもらうしかない。  まあ、手紙を渡す、渡さない、はそのときの状況をみるしかないとして、不倫の恋での手紙の役割は、それを書くあなたの行為自体にあるのだ。彼に読ませるかどうかはあまり問題ではない。つらい恋をしていると、どうしても気持ちが混乱したり、落ち込んだり、彼に言いたいことがたまってしまったりする。そんな眠れない夜には、彼にあてて手紙を書こう。彼に渡すかどうかはあまり考えずに、日記を書くようなつもりで自分の気持ちや彼に直接言えないことを書いていく。思いのたけを手紙に託すと自然と気持ちが整理されて、彼の前で逆上してしまうことも減る。一度文章に書いたことは話すときも理性的になれるから、彼と大切なことを話し合う前なども効果的。彼に電話したくてたまらないときも、ちょっと深呼吸して便箋に向かってみると、不思議と気持ちも落ち着く。「配達されない手紙」は不倫の恋の心強いパートナーになってくれる。  実際に彼に渡す手紙の場合は、内容が暗く深刻になっていないかどうか要チェック。彼と会えないあいだ、あなたがどんなに寂しい思いをしているかなんて切々と語るのはやめて、特別楽しかったデートの思い出や、彼にもらった小さなぬいぐるみがどれ程あなたをハッピーにしてくれているかとか、あなたにとっても彼にとっても嬉しい手紙になっていることが大切。特に、深夜書いた手紙は必ず朝もう一度読み直してから清書すること。 [#改ページ]  第10条 卑屈にならないこと  小説や映画の影響で、世間がいくら不倫ブームに沸こうとも、真剣に不倫の恋をしている人たちにとって状況は何も変わらないものである。不倫がどんなに話題になろうと、ドラマの中の愛人がどんなに女性たちの共感を呼ぼうと、愛人が正妻になるわけではない。一夫一婦制が廃止されない限り、やっぱり愛人はいつまでもどこまでも愛人なのだ。  どうしてこんなに愛している人と結ばれないのだろう。なぜわたしだけがこんなつらい思いをしなくてはいけないの。もっと彼に会いたいのに会えない。ずっと一緒にいたいのにいられない。別れてしまえばどんなに楽だろうと思うのに、別れられない。不倫の恋|真《ま》っ直中《ただなか》のあなたは四六時中こんな堂々巡りに苛まれていることでしょう。  でもここであなたの顔が曇りがちになり、表情は疲れ、何を話してもため息まじりになってしまったら、この真剣な恋も本当に素晴らしい恋にならずに終わってしまう。真にいい恋とは、何の障害もない恵まれた恋愛のことではなく、あなた自身が最も輝き出す恋愛のことを指すのだから。不倫の恋をしながら、いつも輝いていること。それは至難の技かもしれないけど、内面、外面ともにあなたが輝き出してこそ、不倫の恋は本物になるのだ。  疲れた愛人にならない秘訣は、卑屈にならないことである。だって、でも、どうせ、わたしなんか日陰の身、と卑屈になるのがいちばん損なのだ。たとえば、彼が腕時計に視線を落としただけで「今日は何時までに楽しい我が家に帰る約束をしているのかしら」と勘ぐってデートの後半を台無しにしたり、彼がちょっと電話をかけに行っただけで「仕事で遅くなるんだ、ごめんね、なんて奥さんに謝っているんだわ」などといらない想像をして勝手に不機嫌になったり、こういうのはすべて愛人が卑屈になって自滅するいい例。  そんなことを続けていると、あなた自身の魅力までなくなってしまう。そうなれば、世の主婦族の思うつぼじゃないですか。だからって「そうよ、あたしは愛人よ、愛人で何が悪いの!?」なんて開き直るのはみっともないからやめましょう。大切なのは、卑屈にならず、開き直るのでもなく、自分と彼との関係を冷静に受け止め、不倫の恋をひとつの自由恋愛として胸を張って認めてあげること。 「どうせ愛人」な卑屈な思いは卒業して「ちゃんと愛人」をやり遂げましょう。何より、あなたとつきあうことで彼自身も幸福になっているのだということを思い出して。彼はわたしと巡り会えてとてもラッキー、彼の人生はわたしが幸せにしているの、ぐらいの自信を持つこと。どんなにつらくても、愛人はいつもきらきら、ぴかぴかに輝いていなくちゃ。 [#改ページ]  第11条 彼の安らぎになること  不倫の恋をしている彼は、この世でいちばん忙しい男性といえるかもしれない。特に彼が三十代半ばから四十代前半の仕事盛りなら、仕事と家庭、それにあなたとの恋愛で大変な毎日を送っているはず。睡眠時間だってぎりぎり、自分の時間なんてほとんどないでしょう。きっと、体がふたつあったらなあ、というのが彼の本音。  愛人であるあなたがそんな彼にしてあげられること、それは彼の安らぎになることだけ。多忙な生活の中で唯一彼がほっと出来る、そんな時間をつくってあげるのが愛人の大切な役目である。妻でないあなたが彼の支えになれるのはここしかないのである。  でも、安らぎの場にならなければならないとわかってはいても、あなた自身がつらい恋に耐えている最中だから、なかなか思うようにはいかない。彼に会うなり自分の寂しさを訴えてしまったり、もっと会いたいの、なんてわがままを言ってしまったりする。そこで彼がもう勘弁してよってかんじになると、わたしのことなんかちっとも考えてくれない、もう愛してないんだわ、などと逆上してしまうことになるのだ。  ここはひとつ彼の立場に立って考えてみましょう。家では奥さんから、育児がいかに大変かとか、姑との諍いの数々を聞かされてうんざり。会社では上司と部下のあいだに挟まれ、女子社員の愚痴まで聞いてあげなくちゃならない中間管理職。そこであなたまで自分の情緒不安定や仕事のつまらなさや将来への不安なんかを延々ぶつけていたら、彼は居場所がなくなってしまうでしょう。だから、自分の悩み相談はほどほどにして、とりあえず彼の話を何でも聞いてあげる。批判はせず、特に意見やアドバイスをする必要もない。ただ、あなただけは彼の無条件の味方なのだということを伝えてあげればいい。彼がどんな状態のときも、一緒にいて安らげる女性でいること。  ここでよく愛人が陥りがちな状況は、彼の都合のよい愚痴聞き役になってしまうこと。それは安らぎになるのとはちょっと違う。彼が家庭には持ち込めない仕事の愚痴ばかり言うようなら、それは彼のほうがルール違反。あなたが何でも聞いてくれると思って図に乗るような男性なら、さりげなく話題を変えてしまったりしてもいいのでは。大事なのは、あなたとの会話が彼に現実を忘れさせるくらい楽しく輝きに満ちたものであるかどうか。あなたの存在だけが彼の疲れを癒し、肩のこりをほぐしてあげられるのだから。  どんなに忙しい毎日も「あなたがいるから頑張れる」と彼に思ってもらえたら、愛人として本望というもの。完璧にこなすのは無理でも、彼の安らぎの天使を目指して。 [#改ページ]  第12条 なるべく彼の前で泣かないこと  不倫の恋は、特に泣き虫でない女の子にとってみても、どうしても涙の多い恋愛になる。もちろん、最初からつらいことばかり、というわけでは決してない。夢のように幸せなデートを何度か重ねて、会う度に互いの新たな魅力を発見し、ふたりの気持ちが加速度的に近づいていく。ああ、一生に一度、ただひとりの人とやっと巡り会えた、と心から思える。そこまでが不倫中、貴重な幸福期である。この短い幸福期は何にも代えがたい宝石のような季節であり、その幸せな思い出だけを頼りに、何年ものせつない恋を耐えていけるだけの価値が充分にあるのだ。  けれど、この幸福期にオーバーラップして、女性側にだけ「つらさのピーク」もやってくる。大体つきあいはじめて三か月目ぐらいがこの第一期ピークにあたる。そこからまた落ち着いて小康状態を保つものの、打ち寄せる波のようにつらい涙がやってくる。それを乗り越えればまた、もっと大きな波がやってくる。たとえ何年続けても、結局不倫の恋はこの涙の波のくり返しなのである。  不倫の恋を経験したことのない人は決まって、不倫の涙とは「彼と会えない涙」のことだと思っている。もちろん、彼に会いたくて会いたくてたまらない夜にこらえきれずこぼれる涙なんか数えきれないほどありますよ。でも、これはどちらかというと初心者クラスというか、つらさのボルテージでいうとまあ中の上ぐらいのもの。愛人にとって、本当につらい涙というのは「彼に会えてもつらい涙」なのだ。  会いたくて会えなくて、涙が止まらない。でもやっと会えた彼を目の前にしても涙がこぼれてしまう。この症状がひどくなると、彼と会える貴重な時間のほとんどを涙を流して過ごす、なんてことにもなりかねない。彼があなたの笑顔をすっかり忘れてしまうくらい、泣き通しに泣いてしまう。朝、しょっちゅう腫れぼったい目で仕事に出かけている人も多いのでは。つらいのはよくわかるけど、でもちょっと考えてみて。  会う度にあなたがしくしく泣いていたら、彼はどうなるでしょう? 答えは困ってしまうだけ、です。通常のカップルの場合なら、その涙の原因にそって男性はなだめることも謝ることも叱ることも出来るけど、不倫の場合男性は何も言えない。だって涙の原因なんてはっきりしているんですからね。あなたの泣き顔を見ながら彼は、家庭がありながら別の女性を愛している自分への罪悪感や、あなたとずっと一緒にいてあげられないはがゆさや、将来の約束を出来ない引け目を強く感じてしまうことになるでしょう。  そうなってくると、別に彼が卑怯な男じゃなくても、とても誠実な人だったとしても、逃げてしまいたくなるのが正直なところだ。あなたに会いたいと思っても、ああ、会ってもまた泣かれたら困るし、と思うと会うのが億劫になる。電話口で泣かれるのは嫌だよな、と思えば連絡が先延ばしになる。すると当然次に会ったときのあなたの涙の量が増える。困った彼はさらに離れていく……不倫の恋が壊れていく典型的な悪循環である。  言葉は悪いけど、このときあなたは彼の愛しい女でありながら、同時に面倒な女にもなってしまっているのだ。面倒な女、というのは、男性に嫌われる女の条件だから、愛人がただの面倒な女になる前に、彼の前での涙は精一杯こらえる努力をすべき。不倫の結果は涙によっては変わらない。不倫の恋に、涙を見せるメリットはほとんどないのだ。  女の涙で男の心を動かせるなんて幻想。彼に可哀想だと思ってもらっても何の得もないのだから、涙で同情をかおうなどとは思わないこと。実際は泣いてばかりいる女はうんざりされるだけ。ただでさえ暗くなりがちな恋だからこそ、女は気丈なまでに明るくしていなくちゃ。涙なんか見せなくても、彼にはあなたのつらさは充分伝わっているのだから。  悲しみや寂しさはなるべく自分の中で整理して、彼に涙を見せるのはごくたまに。出来れば嬉し涙だけにとどめられたら最高だね。 [#改ページ]  第13条 彼を引き止めないこと  彼の仕事が終わって、帰宅するまでのわずかな時間。これが不倫の逢瀬のすべてといっても過言ではない。彼の職種や勤務体系によっていろいろ融通が利くケースもあるだろうが、ごく普通の恋人たちよりはずっと制限されているはずだ。  そんな貴重なデートをしていて彼の帰宅時間が近づいてくるのは、誰にとっても何よりせつない瞬間、に違いない。彼と会えない時間は気が遠くなるくらい長いけど、極上の楽しい時間が過ぎるのははやい。夜も更けてくると、彼が時計をちらっと見る度泣きそうな気持ちになるし、このまま時が止まってくれないかしらなんて奇跡を願ってしまう。彼が決して泊まっていけないのはわかっていながら、あなたのベッドでうとうとする彼を起こしたくない。ずっとこのまま朝まで一緒にいられたら、もう何もいらないのに、と思う。そのうちに、彼が「帰るよ」とつぶやく。あなたがいちばん言ってほしくない言葉だ。  でも、この瞬間がどんなにつらくても、決して彼を引き止めてはいけない。彼があなたの部屋を出て家路につくその瞬間がたとえ身を切られるほどつらいものでも、帰ろうとする彼を引き止めてはいけない。彼とのデートをこちらから何とか引き伸ばそうとするのは逆効果。不倫の恋のデート終了時間は彼のほうに絶対的主導権があるのである。  はじめのうちは、甘えた声で「帰っちゃいや」と言ったり、ふざけてネクタイや靴下を隠したりするぐらいで、男性のほうも可愛いな、と思う程度ですむだろう。でもそのうち、帰り際になる度に大声で泣き出したり、お腹が痛いと苦しんでみたり、そうかと思えば苛立った憎々しい口調に変わって「そんなにおうちに帰りたいならさっさと帰れば!?」などと心にもないことを言ってしまうことになる。こんな諍いに何の意味もない。  つらいのはあなただけではない。あなたと離れる瞬間は、彼だってつらいのだ。その上彼のつらさは心身ともに、である。出来ることならあなたのそばにいたいという心情的なつらさと、これからはるばる長い道中を経て家に帰らなければならないという体力的なつらさである。特に三十代も半ば過ぎた彼だったら、Hしたあとそのままその場所で眠れないという状況はかなりの苦痛であるはずだ。ありったけの気力と体力を振り絞って帰るのだからこそ、たとえ強がりでもいいから笑顔で送り出してほしいのである。  きちんと身支度を整えた背中にすがりつきたい衝動を何とか抑えて、やっとの思いで「気をつけてね」と笑って彼を送り出す。どんなにつらくても、別れの瞬間は明るく、笑顔で。彼が帰ってしまったあと、ひとりで思いきり泣いてもいいから。 [#改ページ]  第14条 一泊するのは年に数回のイベントにすること  不倫の恋をしていて不自由なことはいろいろあるけれど、おそらくその何番目かにあげられるのは、彼と朝までずっと一緒にいられないこと。彼の仕事の都合や家庭環境によって、「終電車までに」帰るのか「明るくなるまでに」帰ればいいのかの違いはあっても、ふたりで朝のコーヒーを飲むわけにはいかない。彼が帰ってしまったあと、急に広く感じられる部屋でひとり、涙をこらえているときほどせつない瞬間はないかもしれません。  だからこそ、彼と初めて朝を迎えたときのことは一生忘れられないでしょう。彼があなたの家に泊まったのか、記念の一泊旅行だったのか、シチュエーションは様々でも、これが毎日だったらどんなに幸せかしら、と思う気持ちは誰も同じ。でも、彼との一泊は、あなたに幸せだけでなく、同じ量の悲しみも連れてくることを忘れてはいけない。  人間というのは常に贅沢に出来ているものである。最初の一泊は、もうこれ以上何もいらないと思うくらい満たされた目覚めだったに違いない。でも、何度かくり返すうちに、彼が家に帰ってしまうのが耐えられないほど寂しく思えてくる。毎日彼と朝を迎えられないことがとてつもなく理不尽な気がしてきて、あなたの被害者意識が一気に高まる。こうなると、彼と一泊できる幸福感より彼と一緒になれない不遇さのほうが強くなって、かえってあなたがいたたまれなくなってしまう。  彼の仕事が不規則で、外泊がわりと容易だという場合でも、大喜びでしょっちゅう彼を家に泊めるのは危険。そんなことをしても何も建設的なところがないし、結局自分の生活を乱されてあなたに余計なストレスがかかるだけ。それに、彼は家の人に何らかの嘘をついてあなたとひと晩過ごすわけですよね。「徹夜で仕事だった」とか「朝まで飲んで会社に泊まった」とか「急な出張で」とか、そんなことを月に何回もするような男性だったら、喜ぶどころか、信用しないほうがいい。  彼と一泊するのは、年に何回かしか訪れないイベントにすること。ごくたまに彼と一泊できるチャンスがあったら、どこかに小旅行に出かけたり、遠出が無理ならホテルを予約するなど、なるべくあなたの部屋以外のところで過ごすのがベター。あくまでも、彼と朝を迎えるのは日常的なことではなく、とても特別なことなのだという意識で。また、一泊以上の旅行は避けること。彼とずっと一緒の時間が長びけば長びくほどあなたは離れがたくなり、旅の終わりがこの世の終わりになってしまう。彼との一泊は、滅多にない神様からのプレゼントと思ってこそ、何にも代えがたい素晴らしい時間になるのだから。 [#改ページ]  第15条 自分の不倫難度を知る  この本の中では、「不倫」イコール「妻、あるいは妻子ある男性と独身女性の恋愛」として話をしているけれど、ひとくちに不倫、といっても人それぞれ、状況はかなり違う。簡単に言うと、同じ不倫でも「ライトな不倫」と「ヘビーな不倫」があって、それがまた何段階にも分かれている。大切なのは、今あなたが直面している不倫の恋の「難度」をきちんと知っておくことである。  まずいちばんライトなのは、彼の奥さんも働いていて子供がいない場合。まだ結婚歴の浅い共働き夫婦、である。そして夫婦が経済的に豊かであればあるほど、不倫難度はライトになっていく。このケースは離婚の可能性が最も高い。希望を持ち過ぎないように気をつけながら待てば、結婚出来るかもしれない。不倫難度A。  次は、前者と同じく共働きで、子供がいる場合。奥さんが働いていると、子供は母方の実家で預かる、もしくは奥さんの母親が面倒を見に来るパターンがほとんどだから、父親と子供のあいだに微妙な壁が生まれることが多い。彼のほうがめちゃくちゃ子煩悩、というかんじになりにくいところがプラス要因である。別れると大抵奥さんが子供を引き取ることになり、妻よりも子供と離れるつらさが夫に離婚を思いとどまらせる。こちらとしては彼になるべく子煩悩になってほしくないわけだから、子供が妻の実家寄りになっているこのケースは、まだまだ離婚の可能性あり。不倫難度B。  続いて、奥さんが専業主婦で、子供はいない場合。愛人側の女性というのはとかく、専業主婦に対して恐怖に近い感情があり、凝り固まった先入観があるものである。真っ先に浮かぶ「彼の家をしっかり守っている」というイメージから、ついついかなわないな、と思ってしまう人も多いかも。でも最近は、専業主婦が必ずしも家事をきちっとこなしているわけでも、毎日にこにこ笑顔で夫を迎えるわけでもないらしい。家のことや夫の世話そっちのけで遊びまわっている信じられない悪妻だっていっぱいいるのだ。となれば望みはないわけでもない。奥さんの性格、性質にもよるけど一応、不倫難度C。  次は、奥さんが専業主婦で、さらに子供がいる場合。これが最も典型的な彼の家庭像と言っていいでしょう。結婚年数に関係なく、この基本形にはまってしまうと離婚はかなり難しい。あなたの前で優しい彼は、間違いなく家でも優しいパパをやっていることでしょう。もし可能性があるとすれば、彼がかなりの高額所得者である場合。びっくりするほどの額の慰謝料を支払う能力がある男性ならもしもということはある。あくまでも、もしもだけどね。大体これが標準の、不倫難度D。  そして最もヘビーなのは、奥さんが専業主婦で子供がいる上、彼の両親と同居している場合。これはもう絶対、100パーセント離婚は不可能、と思ったほうがいいです。世の中に絶対はない! って言い張るなら百歩譲って99パーセント、無理。何と言っても奥さんは彼の両親の面倒をみているのだ。嫁姑問題などにも耐えている。そんな妻に対して、彼は多大なる感謝をしているし、そんな妻を家に残して自分は外で恋愛しているという負い目も大きい。となれば、離婚など口が裂けても言い出せるはずがない。このパターンの彼との恋にはまったら最後、そのつらさは生き地獄なみ。離婚出来ないどころか、帰宅時間や彼の行動に対するチェックなども厳しくなりがちだから、ふたりの時間をつくるのさえ大変かも。ダントツの不倫難度E。  もちろんここであげた大雑把な分類だけでは言いつくせない部分がたくさんあるけれど、ある程度の目安ぐらいにはなるでしょう。決して彼に家のことをねほりはほり訊くのではなく、彼との会話の端々から察しながら、こっそり自分の不倫難度を探ってみて。そして、不倫難度を知るよりももっと大切なのは、結局どんな種類の不倫も、手に入らないのが基本だということを決して忘れないこと、である。 [#改ページ]  第16条 奥さんや家族を恨まないこと  不倫にお決まりの台詞で「もっと早くあなたに会いたかった」というのがある。別バージョンでは「わたしたちは出会うのが遅すぎた」というのもある。これはすなわち、奥さんに会う前に自分が彼と会っていれば何の障害もなかったのにキーッ、クヤシーッ、という意味である。その裏には「彼だってわたしと先に出会ってさえいれば奥さんなんかと結婚するわけがないわよね」という傲慢な思考が隠されているのである。  こんな台詞は二流不倫ドラマの中だけだと思っていたら、実際に使っている女性もいるようだ。でも、この手の台詞を耳にする度に、平気でこんなことを口に出来る女性の真意を疑ってしまう。だって、愛する男性の妻よりも先に自分が出会っていさえすれば万事すべて解決、なんて本気で思ってるんでしょうか。そんなお粗末な発想で、こんなつらい恋を納得させちゃえるんでしょうか。どちらにしろ、その女性が本気で、真剣に彼のことを愛し、不倫の恋に悩んでいるとはどうしても信じがたい。  はっきり言ってこれらの台詞はすべて間違っている。少なくとも、不倫の真理をついた台詞ではない。ちょっと考えてもみてください。不倫の恋がすべて「出会うのが遅すぎた」せいで引き起こされているものなら、人生をリプレイして「もっと早く会って」いれば、あなたが妻の座についていたということになる。しかし、そんなシナリオどおりに事は運ばないのだ。もちろん実際に試すわけにはいかないけど、もし仮にそんなことが出来たとして、彼と奥さんが出会ってしまう前に滑り込んで立ちはだかったとしても、あなたと彼が結婚する可能性なんてごくわずかに違いない。ふたりが惹かれ合って恋をするかどうかさえ怪しいし、お互いまったく興味を示さないかもしれない。  なぜなら、今、あなたが愛してやまない彼をつくりあげてきたのは、奥さんであり、子供であるからだ。彼が結婚するまで重ねてきた年齢であり、経験であり、結婚したことによって発生した社会的責任感であるからだ。あなたと出会う前に、結婚したり父親になったりという経験を通してこそ、今の大好きな彼が出来上がったのだ。あなたは既婚者の彼に恋をしたのであって、独身者の彼に恋をしたかどうかは誰にもわからない。彼のほうだって、独身時代にはあなたのような女性を受け入れる余裕がなかったかもしれないし、結婚生活をしてみて初めて、あなたの魅力に気づいたのかもしれない。  ふたりの出会いは今、このかたちでしかあり得なかったのだ。悲しいことだけど、それはきちんと受け止めなくちゃ。たとえ生まれ変わっても、ふたりの間柄は変わらない。  だからこそ、彼と一緒になれないのを奥さんのせいにしてはいけない。奥さんや子供など、彼を取り巻く家族を恨むのは見当違い。彼の愛するものはすべて愛する、という大きな気持ちを持って。愛するのは無理でも、せめて黙って受け入れる広い心を持つこと。そうすれば、あんな安っぽい台詞で不倫の恋を語ることもなくなるし、彼の家に無言電話をかけて嫌がらせをするなんてこともない。奥さんの顔や姿をあれこれ思い浮かべて眠れなくなるなんてこともない。  そもそも、自分と奥さんを同じレベルに置いて競い合うこと自体がおかしいのである。彼の奥さんとあなたは敵同士ではなく、たまたま同じ男を愛したふたりの女。ただそれだけのことなのだ。恋愛を先着順で考えるような愚かな真似はやめて、ただひたすら、今愛しい彼のためにあなたがしてあげられることを考えて。奥さんを憎めば、憎んだだけ彼の愛が手に入るというのなら別だけど、いくら憎んだってタイムマシンがやってくるわけじゃない。憎しみはあなたの顔を醜く、心をみじめに変えていくだけだ。  彼を愛することと彼を手に入れることはまるで次元が違うお話。どうか奥さんと子供たちが飛行機事故でいっぺんに死んでしまわないかしら、なんて考えが頭をかすめたら、熱いシャワーでも浴びてさっと打ち消して! [#改ページ]  第17条 彼の家庭にばれてしまったときは  ふだんから充分気をつけてはいても、ふたりの関係が彼の家庭にばれてしまうときがある。特に、彼が遊び人系ではなくどちらかというと真面目なタイプで、これまで女性問題を起こしたことがないような人である場合はいちばん危ない。男性側も本気で不倫の恋にはまる確率が高く、もともとの生活に遊びの部分が少ないから、彼の生活態度の変化に決定的証拠はなくてもかなりの確率で家族にわかってしまう。早いときはつきあいはじめて数週間でばれてしまうことだってあるだろう。  あなたにしてみれば、ばれたときこそ離婚話の切り出しどき、と思うかもしれない。ばれてしまった勢いで、彼が「好きな女が出来た、すまない、別れてくれないか」なんて話し合いをしてくれないかな、と思うわけだ。そう願うあまり、わざとばれるような小細工をする人までいる。しかし、そんなことをするのがいかに愚かな行為であり、結局自分の首を絞めるだけであることが、すぐにわかるだろう。なぜなら、ここですんなり離婚を切り出す男性など滅多にいないからである。どころか、大抵の男性は不倫が家庭にばれてしまった瞬間から、もっとかたくなに家庭を守ろうとするものなのだ。  彼はしばらくの間、潔白を証明するために毎日早く帰らなくてはいけなくなるだろう。あなたとのデートは激減、あるいはまったく会えなくなるかもしれない。家庭での騒動がどの程度のものであるかは知るよしもないが、とにかくそのほとぼりが冷めるまで、彼は献身的に家庭サービスにつくすだろう。あなたはああ、彼にとってそんなにも家庭が大事なのだ、とつくづく感じ、家庭にくらべて愛人の存在が何と些細なものかを思い知らされる。不倫が家庭にばれることはマイナスこそあれプラスなどひとつもないのである。  けれど、ここで決してうろたえたりしないこと。もちろん、彼となかなか会えない上、彼がどんな言い訳や嘘を並べて奥さんの機嫌をとっているのだろうと想像するだけでいらいらするのは当然。でも、ここであなたが錯乱したり、離婚話を強要したり、「そんなに家庭が大事!? わたしはどうなってもいいっていうの!?」なんて彼をいじめては駄目。奥さんとあなたとの板挟みに苦しみ、自分の家でも針のむしろで、最も苦しいのは彼のほうなのだから。あなたは急展開を望んだりせず、じっと現状維持を心がけて待ちましょう。  不倫の恋はまず、出来るだけ家庭に知られないよう細心の注意を払うこと、それでもばれてしまったら、あわてず騒がず波風がおさまるのを待つ。あなたには決定的な事件に思えても、夫婦の間では案外早く解決してしまうものだから。そこがまたつらいんだけどね。 [#改ページ]  第18条 「愛してる」は彼が言うまで待って  不倫の恋がはじまって、ひと月から三か月ほど経った頃、あなたの彼への想いはほぼピークに達している。好きで好きでどうにもならない。世界でいちばん彼が好き。もう二度とこれ以上人を好きになることなんかないだろう。彼のことを、愛している。  あなたが心からそう思うのはごく自然な感情の高まりである。彼を愛している。そのこと自体には何の問題もない。けれど、それを口に出して彼に伝えるかどうか、ということになってくると、これはまた別のお話である。  普通の恋人同士なら、お互いの気持ちがそうなったならどんな愛の告白をしてもいい。 「あなたを愛してる」と一日何百回言おうがかまわない。でも、不倫の恋をしているあなたは、その言葉を口にするのはもう少し待って。胸の中で何度も何度も叫んでいても、彼の前では「愛してる」という台詞だけはぐっと飲み込むこと。特に、彼とのせつない別れ際、涙ながらに言ってしまったりしては絶対にいけない。  そんなの個人の自由でしょ、愛の告白にいいも悪いもないじゃないの、と思うかもしれないけど、あなたから彼に「愛してる」と言うことは、確実にあなた自身の首を絞めることになるのです。なぜなら、妻子ある男性にとって、「愛してる」という言葉は嬉しい反面、恐ろしい重荷になるものだから。 「好き」とか「大好き」とか「とっても好き」などの告白からは感じとれない重さがこの「愛してる」にはあるのだ。この言葉にはどうしても責任を連想させる力があるからだ。だから彼は「愛してる」と言われた途端、ちょっと引いてしまう。何だか急に現実に引き戻されて、空気が重苦しくなってしまう。目の前にいるあなたへの責任を感じることが、今まさに裏切っている妻や子供に対する責任をにわかに思い出させるのだ。あなたと会っている夢の束の間、せっかく忘れていた家庭のことを思い出させてしまうことになってしまう。最高の愛の告白がかえって彼を苦しめてしまうなんて、ほんと、悲しいことだけど、彼のつらさもわかってあげて。  さらに悪いのは「私はあなたを愛してるの。あなたは? あなたは私のこと愛してる?」と問い詰めることである。あなたがつきあっている人が誠実な男性であればあるほど、彼は口ごもるでしょう。あなたへの気持ちが真剣であればあるほど、彼は「愛してる」が言えない。そんなとき「私のこと愛してなかったのね!」なんて泣いたりなじったりするのは大きな見当違い。ここでもし、彼が即座に「僕も愛しているよ」と言ったとしたら、そちらのほうを疑ってみることである。家庭がありながらほかの女性に軽々しく「愛してる」と言えるような男は、大抵無責任で調子のよい、つまらない男が多いものだ。  彼はあなたのことを愛していないから「愛してる」と言わないわけじゃないのだ。彼だって出来ることなら、「きみを愛してる」と何遍だって言いたい。彼はいつだって、あなたを喜ばせるためならどんなことでもしてあげたいと思っているのだ。でも、何の約束も出来ないあなたに「愛してる」と告げることは、あなたを裏切ることになってしまうかもしれないと思うから、彼は言えない。  そんな彼の気持ちを理解してはいても、実際あなたが「愛してる」と言ったのに彼が言ってくれなかったら、その事実だけはいつまでもちゃんと残る。その場合、女性は例外なく立ち直れないほど傷ついてしまう。そんな危険な賭けをわざわざする必要があるでしょうか? だったら「愛してる」なんて言葉を使わずに、ほかのいろいろな愛の表現を考えたほうがいいと思わない? ずっと言わないでいられればそれがいちばんいいけれど、どうしても言いたいならせめて彼から「愛してる」と言われるまで待つこと。それでも彼の言葉のあとに「わたしも」と言うだけですませられたらベター。  彼を追い込みたくなかったら、「愛してる」は心の奥にそっととどめて。 [#改ページ]  第19条 セックスは会う度に、が理想  どんな恋人同士にも、愛情確認は必要である。そもそも男と女なんて別々の星からやってきたぐらい違う生き物なのだから、わかり合うなんてこと自体絶対にあり得ない。そこをどうにか折れ合って何か月も何年もつきあっていくのだから、常に互いの愛情を確認しあうことは、恋愛に不可欠な行為である。  愛情確認の手段はいろいろあるけれど、不倫の恋人たちはかなり制限されていると言っていいだろう。毎日会う、海外旅行をする、一緒に暮らす、籍を入れる、ふたりの子供をつくる……これらの手段をすべて奪われているのだから、それに代わる愛情確認を見つけなくてはやっていけない。将来の約束や保証が一切ない中で彼の愛を確かに感じられる方法といったら、やっぱりスキンシップしかない。  普通の恋人同士なら、外で待ち合わせて映画を観て食事をして今日はおしまい、というデートがたまにはあってもいいだろう。でも、不倫の恋人同士には、会う度に必ず何らかのスキンシップが必要なのだ。これは男性側にも強く言いたいことだけど、出来れば会う度にセックスをするのが理想である。  ふたりのセックスはどんなに情熱的でもいい。未来のない、明日のない恋だからこそ、一瞬一瞬の炎が大切なのだ。奥さんには彼の名字も家も子供も与えられているのだから、Hしないぐらいどうってことないかもしれないけど、家族になれない間柄だからこそ、あなたと彼にはキスやセックスが大切なのだ。彼と触れあって心臓の鼓動を聞き、体温を感じることは、どんな言葉よりもあなたを安心させる。愛する彼の胸に抱かれる幸せで、日常のつらさも吹きとんでしまう。もちろん、せつなさは消えてしまうのではなく、また同じようにやってくるのだけど、たとえ一瞬でも忘れさせてくれるのはHならでは。  夫婦の場合が「子はかすがい」なら、不倫の場合は「セックスはかすがい」なのである。いい歳していい加減にしなさい、と言われるぐらい、ふたりでセックスに没頭するのもいい。ふたりのあいだに立ちはだかる壁がどんなに高く厚くても、ふたりのセックスさえぴったり合っていれば、まあとりあえず安心だ。逆に、セックスの相性がそんなによくない相手や精力面で問題のある男性と不倫の恋をするのは明らかに損だし、大抵の場合あまり長続きしない。この強力な愛情確認なくしてつらい不倫は成り立たないのである。  彼との密なHを保つためにも、愛人はいつもセクシーで魅惑的で刺激的な存在でなくてはならない。彼にとって、心も体も手放せない女になること。 [#改ページ]  第20条 避妊はきちんとすること  彼とのセックスはいくら情熱的でもいい。しかし、決して理性を失ってはいけないことがある。不倫の恋をしているあいだは、何があっても確実な避妊法を使うこと。  ここで問題なのは、あなたが彼の子供が欲しいと願っている場合である。不倫の間柄なのだから、たとえ子供が出来ても手放しに喜べる状態でないのはわかっている。それでも後先考えずにとにかく、彼の子供が産みたい。ふたりの愛の証である赤ちゃんが欲しい。もちろん最初からそんなふうに思う人は少ないが、彼とつきあいはじめて数年が過ぎ、不倫の恋が長期戦の様相を見せてくるとこんな感情が頭をかすめるようになる。  この思いが心を占めてくると、彼がかたくなに避妊するのを見て悲しくなったりするかもしれない。彼の家では奥さんが大いばりで子供を産んでみんなの祝福を受けているのに、どうしてわたしは子供を持つことすら許されないのだろう、とやりきれない気持ちになる。まだ若い読者にはぴんとこないかもしれないけど、三十代になると年齢的に焦りも出てくる。女性は出産できる年齢に限界があるから、このまま彼との関係を続けていたら一生子供を持つことが出来ないんじゃないかしら、と絶望的になったりもする。  この世でいちばん愛している男性の子供を産みたい。これはほとんどの女性が持っているごく自然な感情である。その感情そのものには何の罪もない。しかし、その感情のどこか片隅に「もし子供が出来たら彼との関係に未来が見えるかもしれない」という気持ちがほんの少しでもあったら、これは全然話が違う。  彼との関係はずっと膠着状態、このままいけば彼が離婚してあなたと一緒になれる可能性はゼロに等しい。そんなとき、女性にとって妊娠は一発逆転ホームランみたいに思えるものなのだ。彼の子供さえ身ごもってしまえば、今までのつらさは霧が晴れるように消えてなくなり、事態は急展開してすべてが思いどおりになるのではないかしら、という妄想にとらわれるのだ。  気持ちはわかるけど、子供という既成事実を武器に彼との将来をなんとかしようなんて間違っても思ってはいけない、これは女として、ひとりの人間として、決して考えてはいけないことなのだ。それに、いざあなたが妊娠したとき、彼に沈痛な面持ちで堕ろしてほしいと言われ、もう生きていけないほど傷つく可能性のほうがずっと大きいのだから。彼が本当にあなたと一緒になるつもりなら、子供なんか出来なくても奥さんに別れを切り出しているはずでしょう。彼の決断に、ドラマティックな事件などまったく必要ないのだ。  じゃあ、わたしは純粋に彼の子供が欲しいだけ、認知も責任も何も求めない、彼に迷惑かけないでひとりで育てるわ、というのならいいかというと、そうでもない。何もここで女がひとりで子育てする大変さを語って諦めさせようとしているわけではない。あなたは自分で選んだ道なのだから、愛する彼の子供のためにもどんな困難にも耐えていくだろう。子供が可哀想、なんて言うつもりもない。片親でも立派に育つ子はたくさんいる。  何より考えてほしいのは、あなたのことでも子供のことでもなく、彼のことである。あなたの子供の存在は、どこをどうまわりまわっても彼を苦しめるだけだ。一生、彼に重い十字架を背負わせることになる。どんなに愛していても、していいことといけないことがある。彼の一生に決して消えない傷をつける権利は誰にもない。  彼のほうでも、あなたのことを真剣に愛しているのなら、避妊には協力的であるはずだ。不倫の関係なのに避妊を嫌がるような男性だったら、今すぐにでも別れたほうがいい。 「もし子供が出来たら産んでいい」なんて言葉に嬉し涙を浮かべてはいけない。こんな台詞は離婚届を提出してからにしてほしい。女性はもっと自分を大切にしなくちゃ。  あなたはもちろん、彼の人生も傷つける不倫中の妊娠は絶対避けるべき。厳しいようだけど、万が一妊娠してしまったら彼に言わずに中絶するぐらいの覚悟を持って。 [#改ページ]  第21条 日曜日の過ごしかた、月曜日の会いかた  不倫の恋を続けるうちに、昔は楽しみだった日曜日が大嫌いになってしまった、という女性は多いでしょう。不倫の恋をしている女性にとって日曜日は、出来ることなら消しゴムで消してしまいたい曜日なのかもしれない。何があろうと彼に会えない日であるのはもちろん、彼が一日中家族と過ごすという事実があなたを容赦なく苦しめるからである。  彼が家族でディズニーランドへ出かけたり、奥さんと仲良く買い物に行ったり、あたたかな湯気のあがる食卓を囲んだりするところを想像する。何度振り払っても、彼の楽しそうな笑顔や子供の可愛らしさに目を細める姿が目に浮かぶ。あなたの前では情熱的な恋人であっても、日曜日の彼は穏やかな夫であり子煩悩な父であることをあらためて思い知らされる。家族団欒を楽しむ彼とひとりぼっちで過ごしているあなた、日曜日におけるふたりのギャップは想像以上に大きいはず。  ここであなたがいちばん気になるのは、家族と過ごしている日曜日も彼があなたのことを想ってくれているかどうか、という問題。「わたしのことなんかすっかり忘れているに決まっているわ」と思う反面、「きっと彼も同じようにわたしと会いたいのよね」と思いたいもの。だけどその答えは、彼はあなたのことなどこれっぽっちも考えていない、です。彼も同じように苦しんでいるに違いない、なんて思うのは大きな間違い。彼は平日あなたと会い、休日家族と過ごす。これはごく当たり前のことなのだ。日曜日、彼が家族と公園で遊びながら、ずっと暗い顔をしてあなたに会いたいと願っていると思いますか?  もちろん時折、ちらりと思い出すことぐらいはあるかもしれないし、奥さんが子供をお風呂に入れているすきにあなたに電話をかけてくるかもしれない。でも彼にとっては、あなたと過ごす時間も、家族との時間も、同じように楽しいのだ。彼に会いたくて会いたくて寂しい休日を過ごすのはあなただけなのだという事実を、つらくてもちゃんと受け止めること。日曜日まで彼の心を占領していられるなんて思い上がってはいけません。  一日中彼のことばかり考えて、鳴るはずのない電話を見つめて泣いてしまう。そんな日曜日を過ごしていると、月曜日、朝いちばんにかかってきた彼の電話で泣きごとや嫌みを言ったり、せっかくのデートでヒステリックになったり暗くなったりしてしまう。そうならないためにも、日曜日は毎週家族と過ごすと決めるとか、習い事を予約するとか、友だちとドライブに行くとか、なるべくひとりでいないように。月曜日のデートは彼に会える喜びでいっぱいになるだけでいいのだから。 [#改ページ]  第22条 年中行事の過ごしかた  平日が命、のこの恋に容赦なく立ちはだかるのが、年末年始やゴールデンウィーク、お盆休みなどの年中行事。世の中ってどうしてこんなに祭日や連休が好きなのかしら、と毎年カレンダーの赤い印を見てうんざりしてしまったり。ふたりを引き離す年中行事は、不倫の恋に耐える女性たちの敵。特にクリスマス・イヴやお正月、バレンタインデーなど、恋愛に重要なイベントが重なる冬場の寒さは、しんしんと不倫の身に染みる。  彼との恋が盛り上がっていればいるほど、この期間は想像を絶するほどつらいもの。大嫌いな日曜日だけでもつらいのに、彼が家族でクリスマスツリーを囲んだり、晴れ着の奥さんを連れて初詣に行ったり、バカンスをハワイでのんびり過ごしたりするのを、あなたは何も言えずにじっと待っていなくてはならない。あなたは彼を誰にも渡したくないくらい愛しているのだから、平常心でいろと言うほうが無理ですよね。  でも、どんなに悲しくてもそれを彼にぶつけては駄目。どうしてイヴの夜でなく二十五日の夜にデートしなくてはならないか、なんてわかりきったことを彼に問い詰めたりしてはいけない。ましてやハッピーニューイヤーの電話をせがんだり、休み中の彼の予定をしつこく訊き出したりしないように。何と答えられても余計つらくなるだけだし、彼にも嫌な思いをさせるだけ。彼を困らせるだけ困らせたまま年中行事に突入してしまうと、そのあいだずっと引きずって後味の悪い思いをするのはあなたのほうなのだから。  それよりも、あなた自身の楽しい予定をつくって、全然平気、という顔をしていること。あなたが連休の前でも落ち込んだりしないで明るくしていれば、彼はあなたを抱き締めたくなるほど愛しく思うに違いない。それに、あなたがバカンスにちょっとわくわくしている様子を見せたりしたら、彼はかえって気になって、大急ぎであなたのところへ帰ってくるでしょう。泣いたりすがったりしても彼の予定に変更はないのだから、それなら笑顔で彼を送り出して良い印象を焼きつけたほうが得。もちろん本心からは無理でも、ふりをしているだけでずいぶん気持ちが楽になるもの。  彼と会えない連休やイベントは、ほかのボーイフレンドと遊んだり、ふだんゆっくり会えない家族と過ごしたり、まとまった休みにしか出来ないことを片づけたり、有意義に時間を使うことを第一に考えて。部屋を模様替えして彼をびっくりさせるのもいいかも。でも、クリスマスだけは慎重に。二番手、三番手のボーイフレンドとデートをしてしまうと誤解される恐れがあるから。イヴの夜だけは潔くひとりで過ごすこと。 [#改ページ]  第23条 プレゼントは彼の行きつけの店で選ぶ  彼の誕生日やクリスマス、バレンタインデー、そしてふたりだけの秘密の記念日、ふたりにとって大切な日に、恋人に何を贈るかあれこれ考えたりするのは女性の大きな喜びのひとつと言ってもいいでしょう。けれど、不倫の恋愛中のプレゼント選びはちょっと複雑。彼に着せたいシャツやセーター、今流行の洒落たネクタイ、あなたとおそろいの時計など、彼にあげたいものはいくらでも思いつくのに、気がかりなことがひとつ。このプレゼントは果たして、彼に贈っていいものなのかいけないものなのか、ということ。  すなわち、彼の奥さんに「これ、女にもらったんじゃないかしら」と思われるようなものであるかそうでないか、という問題である。もちろん、なるべく家庭に波風を立てないことが不倫の恋の第一条件だから、彼へのプレゼントは奥さんに疑われるようなものであってはいけない。そう考えると、まずいちばん危ないのが服や小物、腕時計など身につけるものである。  なぜなら、男性の多くは結婚すると服選びを全面的に奥さんにまかせるパターンにはまるため、自分で服を買ってくる習慣がない。だから、あなたからのプレゼントのシャツを家に持ち帰るとき彼は当然「自分で買った」と主張するがすんなりとは信用されにくい。また、逆に彼がお洒落な人で、自分の服は自分で選ぶ習慣があったとしても、じゃあそれで解決、ということでもない。なぜなら、あなたが彼のために選ぶ服や小物には、必ずあなたの好みが反映される。ふだんから彼の服のセンスは悪くないわと思っていても、女にはどうしても「男性に自分好みの服装をしてほしい」という願望が無意識に働いている。そしてその意識は当然あなただけでなく、妻側でも強く働いている。だからあなたが彼に着てほしいと思って選んだ服は、奥さんが選ぶ服とも彼が自分で選ぶ服とも大なり小なりセンスが違ってくるはず。それが、たとえどんな微妙な差であったとしても、その変化に妻は敏感に反応する習性があるのだ。  これだけの危険を冒すのだから、本来ならば「身につけるものは贈らないこと」という掟をつくるべきかもしれないけど、それじゃあいくらなんでも厳しすぎる。だって、何が悲しくて愛する彼に書類ケースや名刺ファイルや分厚い実用書を贈りたい女性がいますか? そんな無味乾燥なプレゼントしかあげられないぐらいなら、もう女やめたほうがいいかもってかんじでしょ。大好きな恋人へのプレゼントは、ロマンティックな香りがするものでなくちゃ。そしてやっぱり、彼が直接身につけられるものが理想ですよね。  出来るだけ形の残らないプレゼントを考えるのはもちろん大切なことだけど、形のあるものは一切贈らないなんていじけることもない。ただ、奥さんに疑われることなく円満な贈物をするための努力と工夫は必要。それには、彼がふだんからよく身につけているブランドや行きつけの店でプレゼントを選ぶのがいちばんいい。そのお店の中でも、彼が本来好みそうなデザインや色を選ぶこと。あなたが彼に着せたいものを贈る、のではなく、彼が欲しいと思うものを代わりに買ってあげる、という感覚で。これとおんなじの持ってたかな、でもちょっと違うわよね、というぐらいのものでちょうどいい。彼が「いつもと同じように見える」服や小物を選ぶのが無難。男性はよっぽどのことがない限り、未知の色や柄やデザインを自分から選ぼうとはしないものなのだ。  あなたのセンスを彼のファッションに反映させられないのは寂しいことかもしれない。でもよく考えると、相手の好みを変えようとするのはある意味、恋が引き起こす傲慢さなのだ。それをしないのはいい女の条件とも言えるのだから、そう嘆くものでもない。今のままでも充分すぎるくらい素敵な彼なんだから、ありのままを愛してあげて。  とにかくほんの少しでも、彼の好みやセンスを変えようとしないこと。それさえ守れば、せっかくあなたが贈ったネクタイが無残に切り刻まれることもありません! [#改ページ]  第24条 指輪をねだらないこと  クリスマスや誕生日、彼に「プレゼントは何がいい?」と訊かれたら、あなたは何と答えるつもりでいますか? 恋をしている女性が彼に贈ってもらいたいものは大体決まっているもの。あなたの好みにぴったりの服や靴やバッグをもらうのはもちろん嬉しいけれど、本当に欲しいのはやっぱりアクセサリー。それも、ネックレスやピアスより、何より格別に嬉しいのは指輪を贈られることである。  けれど、そのいちばん欲しいものが、不倫の恋をしている女性にとっては決して欲しがってはいけないものなのである。ネックレスやブレスレット、ピアスや時計など、ほかのアクセサリーならいいけれど、指輪だけは絶対にねだってはいけない。  男性から指輪を贈られるということはステディの証明で、ほかのアクセサリーをもらうのとは全然意味合いが違ってくる。だからこそ不倫の恋の中で手にする彼からの指輪は、これまでの恋人たちにもらった指輪などとはくらべものにならないくらい嬉しいはず。もらったときは、その指輪を見ているだけでニコニコしてしまうくらい幸せになれる。彼と会えなくて寂しい夜も、その指輪のおかげで泣かずに眠れるようになる。そんなあなたを見て彼も、指輪ひとつでそんなに安心してくれるならプレゼントしてよかったと思うでしょう。けれど、そんなささやかな幸せもそう長くは続かないのである。  指輪は、結婚と密接につながるイメージだ。けれど、あなたが彼にせがんで買ってもらった指輪は結婚とはまったく無関係の、ただの装身具にすぎない。そのギャップはどこまで行っても埋まらないのである。だから、あなたが精神的に安定しているときはいいけれど、彼と言い争いをして不機嫌なままで別れてしまったときや、何かに触発されて結婚願望が最大になってしまっているときなどは、その指輪があることでかえってあなたの悲しみが増す。彼とうまくいかない時期は、ふと視線を落としてその指輪が目に入る度に、彼と結婚できないことのやりきれなさが襲ってくるようになる。不安定な恋愛における指輪の影響力は、善きにつけ悪しきにつけ絶大なのである。  愛の証の指輪が欲しくてたまらないのはわかるけど「あなたが選んでくれるものなら何でも」とだけ答えましょう。そしてプレゼントが期待はずれのものでも不機嫌にならず、彼の気持ちを素直に喜んで。もし彼が自分から指輪を選んでくれたときは、大袈裟に泣いて喜んだりしないで、ほかの贈物と同じように扱うこと。そして必ず右手の薬指にはめること。彼からの指輪を左手の薬指にしている女性はもうすでにいるのですから! [#改ページ]  第25条 彼の生活に近づかないこと  今、あなたは間違いなく、彼にとっていちばん身近な女性である。仕事と家庭以外の彼のプライベートの時間はほとんどあなたのために使われているので、あなたはある種の優越感をおぼえることもあるかもしれない。家庭はともかく、一歩外に出た彼の生活は、あなた中心に動いているような錯覚に陥る女性も多いでしょう。  でも、彼にはあなたと出会う前からずっと続いている生活があるのだ。あなたと彼が一緒に過ごしてきたのは、数か月か数年か、とにかく彼の人生のほんの小さな一部分にすぎないことを忘れないように。彼が今まで生きてきた周辺には、あなたの知らない彼の世界が必ずある。そこにずかずかと勝手に上がり込むような真似をしてはいけない。彼が古くから大切にしている場所や友人、仲間たちとの交遊関係には一切近づかないこと。  たとえば、彼が会員になっているフィットネスクラブや毎週訪れるゴルフの練習場や、彼の学生時代からの友人が営んでいるレストランや、ずっと以前から常連であるカウンターバーとか。これらはあなたと知り合う前からすでに彼の生活の中に存在していたものだ。そこへあなたを連れていくかどうかは彼自身が決めることであって、あなたがせがんで連れていってもらうような場所ではない。ましてや、ひとりでそこに出かける彼を「そんな暇があるならどうしてわたしと会ってくれないの!?」などと非難する資格もない。  もし、彼が自分からあなたを馴染みの場所に連れていってくれたなら、それはもちろん喜ぶべきことです。特に男性は自分の聖域にこだわりを持つ人が多く、滅多やたらに誰でも連れていくという人は少ないもの。だからあなたは彼の合格ラインに達したと考えていいでしょう。でもそこで有頂天になって、はりきってでしゃばったりしてはいけない。わたしは彼のこと何でも知ってるのよ、なんて顔で馴々《なれなれ》しくしたり、彼と特別親密な関係にあることをわざと示すようなスキンシップをしたりすると、彼の顔をつぶすことに。「いつもお世話になっております」など、身内ぶった台詞もタブー。ふたりきりのときはどんなに甘えてもいいけれど、彼の立場があるときはあくまでも常識的な言葉遣いや態度をもって控え目に接するのが基本。何しろあなたは、彼の人生の新参者なのですから。  そして、一度連れていってもらったからといって、彼と会えない日にひとりでその場所を訪れる、なんてことは絶対にしないこと。特に、彼の行きつけのバーにひとりでお酒を飲みに行き、お店の人に気を遣わせるなんていうのはもってのほか。不倫の恋をする女性は彼の話を出来る相手があまりいないから、彼と親しいバーテンダーや常連客を格好の話し相手にしたり、はたまたせつない恋のカウンセラーに仕立てあげてしまったりする。彼を若い頃から知っている人の話を聞きたいのもわかるし、彼と親しい人と顔見知りになって自分の存在を誇示したい、という気持ちはわかるけど、端から見てあまり格好のいいものではない。彼のいないときにひとりで彼のエリアに入り込むのは避け、彼の立場やその場の空気を乱さないことをいちばんに考えて。  また、彼の職場の近くまで押しかけて、ランチに誘ったりするのも考えもの。彼から誘われた場合はよくても、彼の職場付近には同じ会社の人がうようよしているわけだし、ランチを食べている最中に彼の上司と隣り合わせになるなんてことになったら大変。組織社会では仕事以外のちょっとしたことまでが彼の評価につながりかねないのだから、特別なことがない限り、彼の職場には近づかないほうが無難。  そしてもちろん、彼の自宅にも近づかないこと。いくら興味があっても、彼がどんな家に住んでいるのか住所を調べて見に行ったりしてはいけない。特に自宅の電話番号は絶対に知らずにいること。悲しみのどん底に陥ったとき、あなたが彼の家に無言電話をかけたり、電信柱の陰から子供の手を引いた奥さんが出てくるのをじっと見つめたりしない保証はどこにもない。何をしてもおかしくないくらい、つらいのだから。 [#改ページ]  第26条 ほかの男性ともデートすること  不倫の恋が本格的にスタートすると、あなたの生活はどうしても彼中心になり、あなたの目にはもう彼ひとりしか映っていないでしょう。彼と会える日は朝から薔薇色、彼と会えない日はただ彼のことを思ってぼんやりと過ごすだけ。気晴らしにと女友だちと遊びに出かけてみても前みたいに楽しくないし、やりがいのある仕事にも大好きなテニスにも身が入らない。こんな何から何まで彼一色のあなたにとって、彼以外の男性とデートするなんてとんでもない、のかもしれません。彼以外の男性なんて全然眼中にないし、誰かと話していても「この人ったら何てつまらないのかしら、もし彼ならこんな話題は持ち出さないのに」とかえって彼の魅力を際立たせるだけだったり。  でも、ちょっと頭を冷やして、よく考えてみてください。彼に夢中なのはわかるけど、彼以外の男性にそれほど無関心になってしまっていいものでしょうか? もちろん彼が将来あなたと結婚するつもりで、いつでも婚約出来る相手なら、いくら一途になってもかまわない。でもあなたの場合、愛する彼は妻子持ちなのだ。あなたと一生一緒にいてくれる可能性は万にひとつぐらいのものなのだ。彼の人生設計に、あなたは入っていないのだ。そんな相手を盲目的に求めても、あなたの愛は報われない。彼とは未来のない関係なのだから、ほかの男性が一切目に入らなくなってしまうのは本当に危険なこと。  不倫の恋をしているあなたは、どんなに彼に夢中でも、ほかの男性と会うのをやめてはいけない。仲良しのボーイフレンド全員と疎遠になってしまうようでは、不倫の恋を貫くのはおそらく無理。はじめのうちはよくても、異性との交際を彼一本に絞ってしまうことは不倫の恋の命取りになる。かえって「わたしにとっては彼がすべてなのに、彼にとってわたしは二番目の存在」という事実を思い知る早道となって、予想外のつらさが襲ってくる。不倫の恋においては、一途さは仇になるのだということを忘れないで。  ただでさえ危うい恋には、彼との恋が終わってもひとりぼっちにならない、という安心感は不可欠。彼のほかに二番手、三番手のボーイフレンドを持っておくことで恋のつらさが軽減されるなら、それに越したことはない。いい恋をしているときの女性は大抵、自分でもびっくりするほど男性にもてるものだから、この時期をふいにする手はない。  ちょっと気持ちに嘘をついてでも、ほかの男性とのデートはどんどんすること。彼以外の男性から食事に誘われたら「わたし恋人がいるから」なんて即座に断ってしまわないで、軽く深呼吸して考えてみよう。目の前にいる男性が、本当に興味のない人なのか、それともちょっと話ぐらいしてみたいわ、と思える相手なのかを冷静に判断を。もしほんの少しでも好意があるなら、気軽に誘いに乗ってみる。そして一度オーケーしたなら、その約束を彼と会うために急に断ったりしないこと。そりゃあ、あまり気の進まないデートに行くより彼とゴハンを食べたほうが楽しいに決まっているけど、そこはぐっとこらえて先約を優先しましょう。あなたにとって、自分の誘いより魅力的な誘いがあると彼に思わせることは、この恋を有利に運ぶ大切な鍵になるのですから。  そして、ほかの男性と会っているあいだは、彼のことは頭の隅に追いやってデートを楽しむこと。彼とのつらい恋の話なんか絶対に持ち出さないように。相手のほうから「恋人はいるの?」と訊かれたら、ただ肯定すればよいだけ。嘘をつく必要もないかわりに、余計なことをべらべらしゃべる必要もない。今あなたの恋が不倫の関係で毎晩彼を想って泣いているのだなんて打ち明けられても、相手はがっかりするだけ。  不倫の恋の最中は常に、彼以外の男性にも積極的に目を向けて恋人候補のアンテナを張り巡らせておくこと。そんなことしたら彼に悪いんじゃないかしら、なんて思わないで。彼にばれてしまう、なんてことにならない限り、あなたが彼に罪悪感を持つ必要など全然ない。妻子持ち相手に貞節を守っても何にもならないのだから。 [#改ページ]  第27条 第三の女を許してはいけない  あなたがほかの男性とデートするのは、不倫の恋にとってむしろ歓迎すべきこと。結果的にそれが「浮気」という行為だとしても、女性のつらさが少しでも楽になることならこの際何でもあり、と考えてちょうどいい。このくらいニュートラルな気持ちじゃないと、耐えることの多い恋は長持ちしませんからね。でも逆に、男性のほうはどうかと言うと、これはまったく話が違うのだ。  結論から言うと、不倫の恋をする男性に「浮気」は許されない。普通の恋愛だったら、自分は浮気してよくて相手は駄目だなんて都合がよすぎるってことになるだろうけど、不倫の恋ではこれが正しい。女性は浮気してよくて男性はいけない、これだけははっきりしている。もし彼があなた以外の女性と親密なデートをしたり、キスやセックスをする関係になったとしたら、それが発覚したその場であなたは彼と別れるべきなのである。  なぜならまず、あなたは独身女性、彼は既婚者、それだけでもまったく立場が違う。その上、彼は家庭のほかに、恋人としてつきあっている女性がいるのだ。その女性に対して彼は、将来の約束をしてあげられないという多大なる負い目を持っている。だからその女性には、結婚する以外のことなら何でもしてあげたいと思うし、出来るだけ一緒にいてあげたいと思う。家庭以外に注ぐすべての愛情を彼女にあげたいと思う。これが彼があなたに対して感じている、正直な気持ちであるはずだ。  あなたとの恋が真剣なものであるならば、彼があなた以外の女性に目を向けることなどあり得ない。だから、彼がまた別の女性とつきあったのなら、それはあなたへの気持ちが真剣でないという確かな証拠なのだ。彼にとっては、あなた自身も「浮気」のひとつにすぎなかったのだ。新しく出来た彼女もあなたも、同じ「浮気」なのだ。その浮気がたとえちょっとしたはずみだとしても、彼の本心を計るには充分すぎる事実なのである。  この種類の男性は大抵、女性の心をとらえる術を心得ていて、女性に好かれるための独特のムードを持っている。女癖は不治の病であり、一生浮気をし続ける。あなたの前にもあなたのあとにも、あなたと同じように親密な女性が常にいるだろう。あなたは運命の恋に落ちたのではなく、ただ単にその男の毒牙にかかってしまっただけなのだ。不運にも、あなたにはまだ男性を見る目が養われていなかったと諦めるしかない。  男女のあいだには、どんな事情があろうと決して許してはいけないことというのがある。不倫の恋の場合、男性が第三の女をつくるという事実は、どこをどう差っ引いても許してはいけない、最低の行為である。彼はあなたの純粋な愛情や努力をめちゃくちゃに踏みにじり、何よりあなたという人間を馬鹿にしている。彼にとってこの恋が、一世一代の恋だからこそ、あなたはどんなつらさにも耐えられるのだ。もしあなたと別れたなら、彼はもう一生恋などしないだろう、彼にとってはこれが最後の恋だと言いきれるくらい真剣な思いでなければ成り立たないということを決して忘れないで。  こんな裏切りかたをされたら彼への愛情なんて一瞬にして冷めてしまうだろう、と思いきや、実際はそれでも彼のことが好き、という女性のほうが多いものなのだ。でも、ここは決して譲ってはいけない。彼がどんな言い訳や愛の言葉を並べて復縁をせまっても、たったひと晩のことだもの、本当に愛しているのはわたしだけなんだわ、なんて自分を納得させては駄目。それは妻の座を与えられている女性や何不自由のない恋をしている女性の論理であって、愛人の論理ではありません。ただでさえ二番手の日陰の身に甘んじさせられている上、女までつくられてそれでも許してしまったら、これ以上どこにプライドを持てばいいのでしょう?  家庭があるのは仕方ないけど、二番目は二番目でも、大いなる二番目でなければ何の価値もない。第三の女の影がちらつくやいなや、未練などきっぱり切り捨てて決別すること。 [#改ページ]  第28条 公式の席にふたりで出席しないこと  一年、三年、五年と不倫の恋が長期戦になってくると、ふたりがつきあっていることがある程度周知の事実になってくることがある。まあ、お互い深い事情があってひた隠しにしているなら別だけど、今のご時世、ふたりが不倫の関係だと知りながらも、ステディな関係として何となく受け入れてくれる場面はかなり多いでしょう。戸籍上のパートナーは別にいても、彼は奥さんを連れ歩くことは少なく、いつも一緒にいるのはあなただという場合、ふたりで訪れる店や彼の仕事仲間のあいだでは暗黙の了解が出来上がる。  こうなってくると、どうしてもなれっこになって自分たちが社会的に認められていると思ってしまいがち。彼のステディとして扱われることが当たり前になり、本当にステディになったかのような錯覚に陥る。彼とふたりで旅館に泊まったとき仲居さんに「あとは奥様、よろしくお願いします」なんて言われて、つい顔がほころんでしまうのと同じ心理である。このステディな錯覚に惑わされて、ついには彼と連れだって、公式の場に出席してしまったりする。たとえばふたりの共通の友人の結婚式とか、知人の開いたレストランのオープニングパーティーとか、親しい誰かの受賞パーティーとか。このときのあなたはまるで初めて表舞台に立ったような、晴れやかな気分に浸っているでしょう。彼が公式の場に誘ってくれたというだけで天にも昇る気持ちになるし、その席では、彼の本物のパートナーになったような幸福感や、そこにはいない奥さんへの優越感などがあなたを支配するでしょう。けれど、この幸福の絶頂には大きな落とし穴があるのだ。  パーティーの席であなたがどんなに舞い上がっていたとしても、宴が終われば彼は家族の元に戻り、あなたはひとりぼっちの部屋に帰る。高揚した気持ちは幻のように消え、あとに残るのはむなしさだけ。そしてあなたは、たとえ一瞬でも、奥さんに勝ったような気になっていた自分の愚かさを恥じることになる。あなたが優越感に浸っていたことなど、彼と奥さんのあいだでは取るに足らないような出来事なのだと思い知らされる。  公式の場に出ることさえしなければ、こんな意地悪な傷つきかたはしなくてすむのだ。偽りの幸福感は、あなたの心にあとあとまで大きな傷を残す。そんな思いをするくらいなら、彼とふたりきりで楽しい時間を過ごしたほうがいい。公式の場に同席しても、愛人の地位が引き上げられたわけでは決してないことをしっかり頭にとどめておくこと。  結局、公式の場に連れていかれてみじめになるのは奥さんのほうではなく、愛人のほうであることを決して忘れずに。 [#改ページ]  第29条 親には打ち明けないほうがいい  独身女性の場合、二十代も後半になってくると、公私ともにとても微妙な時期にさしかかってくる。以前ほどは騒がれなくなったが、いわゆる結婚適齢期と言われる頃だ。家でも世間でも「そろそろ(結婚)……」というムードが漂いはじめる。会社によってはそれとなく肩たたきをされて居づらくなってしまったり。世話好きの親戚のおばさんが持ってくるお見合い話もこれが最後のチャンスかもしれません。  特に、あなたの結婚についていちばん心配しているのはお母さんでしょう。母親は娘の素振りから、恋人がいないわけではないらしい、とは勘づいている。でもいくら待ってもあなたは恋人を紹介しようとしない。果たして真剣なおつきあいなのかしら、それとも、娘は遊ばれているんじゃないかしら、などとあれこれ気をもんでいるはず。  ある日お母さんにあらたまって「おつきあいしている人はいるの?」と尋ねられたとき、ここであなたが、不倫の恋をしていることをお母さんに打ち明けるかどうか、というのはとても繊細で難しい問題。同じ母娘といっても、一卵性親子と呼ばれるくらい仲良しで何でもオープンに話しているのか、一緒に住んでいても恋の話などまったくしたことがないのか、それだけでずいぶん状況は違う。でも、たとえ極めてオープンな関係だったとしても、不倫についてだけは慎重に考えたほうがいい。  言葉や態度に出す出さない、という個人差はあっても、自分の子供の幸せを望まない親はどこを探したっていない。どんな親でも誰もが娘の幸せな結婚を夢見ているのである。そこへ、実は娘の恋人には妻子があり、離婚のめどもまるでない、なんて聞かされたら、大袈裟でなくご両親の目の前は真っ暗になるはずだ。「でもわたしたちは真剣に愛し合っているの」なんて言ったところで、そうかそうか、それなら仕方ない、とは納得してくれない。ほかの面でどんなに先進的な考えかたをしている親御さんであっても、こと自分の子供の不倫に関しては、理解を求めても無駄な努力と諦めたほうがいい。その日からご両親は、あなたの不倫に胸を痛め、夜も眠れないくらい悲しむことになるだけだ。  何でも正直に打ち明けるのがいいとは限らない。不倫をきっかけに両親からも孤立してしまうなんてことにならないためにも、ここは嘘をついてでも親を安心させましょう。彼との関係は、はっきり離婚が成立するまで口にしないこと。もしどうしても話す状況になったときは決して感情的にならず、冷静に事実だけを伝えること。仮に理解あるお母さんで、あなたを励ましてくれたとしても、心の中で傷ついているに違いないのだから。 [#改ページ]  第30条 相談する友人を選ぶこと  不倫の恋をしている女性にとって意外にこたえるのは、友だちに彼のことを気軽に話せないことかもしれない。もしこれが独身同士のごく当たり前の恋人だったら、いくらでものろけ話を聞かせてあげるのに、とか、女友だちに会わせて自慢するのに、などと誰でも考えたことがあるはず。特に若い女の子は友だちとのおしゃべりが大切な時間だし、秘密を持つのが苦手なものだから、寂しい思いをすることも多いでしょう。  もちろん不倫だからといって、彼のことは誰にも言わずに秘密にしなさいなんて言いませんよ。かえってあまりに神経質に秘密主義になるのは考えもの。ただでさえこんなつらい恋をしているのだから、誰かに話を聞いてもらいたくなるのは当たり前だし、ひとりで乗り切るのはあまりにも大変。やっぱり、ひとりでもいいから何でも話せるよき理解者がいたほうが心強いに違いない。でもここで注意しなくてはならないのは、話す相手を間違えると心強いどころか、逆にあなたに余計なストレスがかかる羽目になってしまうこと。  あなたと年齢は変わらなくても、恋愛に対してものすごく保守的な考えかたをする女性もいるのです。つきあいも長いし気が合っているからと心を許していると、不倫を打ち明けた途端、急に軽蔑の目で見られたり、今すぐ別れなさいと説得されたり、興味本位に大袈裟に騒がれたりして、あなたが傷ついてしまうこともある。  そういう女性にとって不倫の恋というのは、絶対にしてはならない「悪いこと」なのだ。この固定観念は彼女の人間性に深く根づいているもので、あなたがいくら彼との純愛を説明したところでくつがえせるものではない。この手の女性に間違って打ち明けてしまったら、決して熱弁をふるってわかってもらおうなどとしないこと。どこまでも平行線で、ふたりが折れ合うところなど永久にないのだから、あなたが疲れてしまうだけ。  正直に不倫の恋を打ち明けたばかりに友情が壊れてしまったら元も子もない。だからこそ、相談相手はあなたが最も信用できる親友、ひとりかふたりにとどめること。あなたと彼の真剣な気持ちを理解して、静かに聞いてくれる女性を選ぶこと。いくら性格のいい女性であなたの話を何でも聞いてくれても、口の軽い人は絶対に駄目。また、同じような経験がある女性だからと安心していると、彼女はあなたほど真剣ではないかもしれないし、まったく次元の違う不倫をしているかもしれないので要注意。  つらさにまかせて相手を選ばずおしゃべりしていると、あとで予想外に嫌な思いをすることになりかねない。不倫の恋を打ち明けるときは慎重すぎるくらい慎重に。 [#改ページ]  第31条 中傷に対して言うべきこと  あなたから打ち明けなくても、人の噂やちょっとしたきっかけで、あなたが不倫の恋をしていることが周囲に知られてしまうことは多々あります。時代はこんなに急速に流れているというのに、こと不倫に関しては過剰反応する人がまだまだ多いもの。  これからもあなたの不倫の恋に対して、様々な口をはさむ人が出てくるかもしれません。「奥さんの立場に立って考えたことあるの?」なんて非難がましい正論をふりかざしたり、「他人のものだからこそ欲しくなるのよねえ」と、訳知り顔で先輩ぶったことを言ったり、「男の立場からみると君はただの都合のいい女なんだよ」などとわかったようなことを、したり顔で話す男性とか。あまりに無神経な発言を不用意にする人が多くて驚いてしまうほど。不倫の恋に対する認識のレベルの低さには本当にがっかりさせられる。  図らずもそんな目にあってしまったときは、ただひたすら聞き流して相手がその話題に飽きるのを待つこと。もう、これしかありません。あなたが相手の言うことに挑発されていちいち対応していたら、防戦するつもりが逆に自滅することになる。特に女性がはまりやすいパターンは、自分の不倫の恋を正当化するような言い訳を並べ立ててしまうこと。 「彼、家庭がうまくいってないんですって。聞いてて可哀想になっちゃうくらいよ」とか、「奥さんのことは愛してないって言ってるし、もちろんHもしないし口もほとんどきかないんだって」とか「私とつきあう前から別居していたんだから」とか「彼は何年も前から離婚を希望しているんだけど奥さんのほうが絶対籍だけは抜かないと言い張ってるの」とか。どれをとっても、非常によく耳にする台詞である。  これらのことを、たとえ彼が本当に言ったとしても、あなたが他人に触れまわる必要なんてこれっぽっちもないのである。それが事実かどうかも怪しいし、第一みっともない。言えば言うほど、あなたがみじめになるだけだし、それこそ相手の思うつぼ。そんなくだらない議論に参加しても自己嫌悪に陥るだけ。相手を刺激するのを避け、にっこり笑って「彼とはとてもいい関係なの」とだけ言ってさらりとかわすのがスマートなやりかた。  どうしても何か言い返したくなったときは、みんながみんな、あなたほど恵まれているわけではないのだということを思い出してじっと我慢。誰もがあなたほど素晴らしい恋を知っているわけではないのだ。すべての女性が生涯でたったひとりと思える相手に巡り会えているわけではないのである。彼と出会えただけでもあなたは幸せなのだと思えば、心ない女友だちの中傷など、どうでもいいことでしょう? [#改ページ]  第32条 夫婦の真似ごとをしないこと  女に生まれたなら、いつかは幸せな家庭を築きたいと願うのは当たり前のこと。まだ少女の頃から、結婚したらこんな奥さんになろうとあれこれ思い描いたり、そのとき夢中になっている彼の愛しい名字に自分の名前を重ね合わせてみたりするもの。何しろ、小学校にも上がらないうちからおままごとで奥さんの役を演じているぐらいだから、女の結婚願望は本能にもとづく奥の深いものなのでしょう。  でも、不倫の恋をしているあいだは、少女からの夢を胸の奥にしっかり閉じ込めておかなくてはならない。パステルカラーの夢を今の恋に重ね合わせることで、現実はさらに厳しくあなたに襲いかかる。彼との関係に、結婚生活のシミュレーションを持ち込むことはあなたのつらさを倍増させるだけでなく、彼のことも苦しめてしまう。夫婦の真似ごとをすればするほど、妻になれないあなたのせつなさはつのり、妻にしてあげられない彼の罪悪感も増す。諦めてはいながらも、心の底では彼との結婚を夢見るあなたはつい夫婦ごっこをしたくなるものだけど、そこはぐっとこらえて大人になること。  まず、彼があなたの部屋にやってきたとき「お帰りなさい」などと言ってはいけない。もちろん、冗談めかして言うケースが多いのだろうが、それでもいけない。言葉というのは甘く見て軽々しく口にしていると、意外なほどあとあとまでひびくものなのだ。もし、逆に彼のほうから「ただいま」などと平気で言うようなことがあったら、この先彼の無神経さには何度となく傷つけられることになりそう。そんな言葉に嬉しがっていそいそとお揃いのスリッパを出したりしないように。  また、結婚と密接なイメージといえば料理。彼があなたの部屋で過ごすことが多くなると、どうしてもあなたが料理をする機会も増えるはず。でも、いつも外でご馳走になっているからといって、しょっちゅう凝った手料理でもてなすのは考えもの。そんなことをしていると、彼は部屋に来るなり「あー腹減った」と言うような人になってしまいます。それはぜひ自宅だけにしてもらって、あなたとは会うなりキスを求めてくるのが正しい関係。あなたの手料理は、彼にとっていつまでも特別なイベントであるべき。たとえあなたが誰彼かまわず試食させてまわりたいくらい料理自慢でも、料理の腕をふるうのはごくたまにすること。彼が帰ってしまったあと、山のような洗い物をしながら、一体自分は何をやっているのかしら、と思わず涙があふれてしまうなんて、何てむなしいことでしょう!  家で食事をするなら、ときには彼に得意料理をつくってもらったり、ふたりで一緒につくったりすると、彼も恋人気分を味わえて楽しい。あなたが夕飯の支度をするときは、あまり力を入れすぎないことが大切。自分ひとりのときにつくるくらいのメニューにするのを目安に。ひとり暮らしをしている女性らしい、あなたに似合った食卓にするのがいちばんいい。はりきって何品もつくってテーブルを飾ったり、おふくろの味っぽいものを並べて家庭的なところをアピールしたりするのはやめること。どんなに家庭的だって、彼はあなたとの結婚を夢見ているわけではないのだから。  それから、夕飯の支度中にかかった彼からの電話に「今日は何時に帰ってくるの?」と訊いたり、彼がシャワーを使っているあいだにYシャツのボタンをつけてあげたり、帰り支度を手伝ってネクタイを結んであげたりしてはいけない。それらはすべて奥さんがやることであって、あなたの役目ではないのである。彼はふたり目の奥さんを欲しがっているわけではないことをよく考えて。また、彼の吸っている銘柄の煙草を買い置いたり、あなたが飲まないのにわざわざコーヒーメーカーを買ったり、彼の歯ブラシを用意したりするのも駄目。あなたが四六時中彼のことばかり考えているのがばれてしまうでしょう?  家庭らしいことをすればするほど、ふたりの恋の終局は早まる。彼との夫婦ごっこは夢の中だけにそっととどめて。 [#改ページ]  第33条 結婚の二文字は絶対に口にしないこと  いわゆる結婚適齢期を過ぎても結婚していない女性たちに向かって「結婚願望なんてないんでしょう?」とか、「きっと独身主義なんですよね?」なんて言う人は多いでしょう。でも、大抵の場合こんな質問は見当違いもいいところ。どんなに独身生活を楽しんでいる女性でも、本心ではいい結婚をしたいと思っているもの。不倫の恋をしている女性たちも、心の中では叫び出したいくらい、彼との結婚を望んでいるはず。それはとても自然なことだし、誰かを強く愛したなら当然湧き上がってくる願望である。  でも、実際それを口に出すかどうか、ということになると、ずいぶん迷う女性が多いのでは。女性のほうから言うのはとても勇気がいるし、でも彼が何と答えるか、本当の気持ちを知りたい。しかし、ここでの正解は、決して口にしてはいけない、である。「奥さんと別れてわたしと結婚して」なんて台詞は映画やドラマの中のお話。彼のことを本当に愛しているのなら、何があってもこれだけは言っては駄目。  なぜなら、彼があなたの望みに何もこたえられないのがわかりきっているからである。そんなことを言われて、ああそうか、じゃあそうしようか、という男性がどこにいると思いますか? あなたの結婚したいという気持ちなど、彼は痛いほどわかっているのだ。でも、それをずばり言葉にされてしまうと、こそこそと退散するしかなくなってしまうのだ。優柔不断だとかはっきりしないとか、そんな文句をぶつけて何か言わせようとしても、それが男という動物なのだから仕方がない。男が優柔不断だからこそ不倫の恋が成り立っているのだから、そこを白黒はっきりさせよう、なんて考えるのが間違いなのだ。どうしても白黒はっきりしなきゃ気がすまないの、と言うのなら、今すぐ彼と別れて今後一切不倫の恋などするものかと決意するしかない。  不倫の恋は、はっきりさせたらそこで終わってしまうのだ。曖昧なグレーゾーンを残しておかなければ、彼は居場所がなくなってしまうのである。あなたの「奥さんとわたしとどっちが大切なの」とか「いつ離婚してくれるの」などという質問に、彼が答えられる言葉はただひとつ、「わからない」なのである。男性はこの「わからない」という言葉を使うことで必死にこのグレイゾーンを守っているのだ。彼の「わからない」という言葉が、あなたへの精一杯の誠意と愛情だということをわかってあげてください。その胸中を察することなく、これ以上しつこく彼を困らせるだけの質問をしていれば、彼は追いつめられてあなたのもとを去っていくしかなくなってしまうのだ。  彼を心から愛していて、まだこの恋を終わりにしたくないと願うのなら、結婚の二文字は絶対に口にしないこと。結婚して、というはっきりした台詞だけでなく、結婚に関する話題はすべて避けること。たとえば「昨日親友が学生時代からの彼と結婚式を挙げてね」とか「今年になって急に見合いの話がたくさん来て困っているの」とか「姉の家に子供が生まれたのよ」とか、あなたは何気なく話したつもりでも、彼にとってあまり気持ちのいい話題ではない。男性は女性の何倍もナイーブで傷つきやすいのだから。  逆に無理をして「わたしは結婚しない主義だから気にしないで」なんて言う必要もない。そんな台詞を聞いてああよかった、と安心するほど男だって単純ではない。強がった発言でもそれが結婚に関することであれば、男性にとって結婚をせまられるのと同じ意味なのだ。また、偶然を装って無理やり自分の親に彼を会わせて、何らかの約束をさせようとしたりするのももってのほか。男の人は強制されるのが何より嫌いなのです。  あなたが結婚に関する言葉を口にした途端に、彼とのかすかな可能性も永遠に消えてしまうことを忘れずに。あなたが一切結婚の話をしなければ、彼はあなたを健気に、可愛らしく思って、さらにもっともっと愛してくれるはず。結婚をせまって嫌われるより、そのほうがずっといいと思いませんか? [#改ページ]  第34条 約束を信じて待たないこと  不倫をする男性には大きく分けてふたつのタイプがある。結婚の約束をしない人と、結婚の約束をする人である。  前者の男性は、たとえどんな局面にぶつかっても、絶対に結婚の約束だけはしない。先のことはわからないと言い続けるか、離婚する意志はないとはっきり言う人もいるでしょう。こちらのタイプは表面的にはどうあれとても真面目で、あなたのことを考えたら調子のいいことなんてとても言えない、と思っている。もしあなたと結婚の約束をすることがあるとしたら、彼はもう離婚届を提出したあとでしょう。  後者の男性はわりと簡単に結婚の約束をする。つきあってそう間もないうちに、ふたりの気持ちが一番高まったあたりで「子供が小学校に上がったら離婚して君と結婚する」などと言ったりする。でも、その約束どおりに離婚が成立することなんて滅多にない。そのあとは、「君が三十歳になるまでに」とか「子供の受験が終わったら」とか「妻の父親の病気が落ち着いたら」とか、よく次々とこれだけ思いつくものだと感心してしまうほど、絶妙のタイミングで新たな離婚の期限を持ち出してくる。程度の差こそあれ、これは一生治らない癖みたいなものである。  ここで、どちらのタイプが誠実でどちらが不誠実で、どちらのほうがあなたを真剣に愛しているかなんて、言いきることはできない。何度も何度も懲りずに果たせない約束をする人の中でも、最初からあなたを騙そうとしてそんなことを言っている人は本当に少ないのだ。あなたに約束したときは本気でも、結果的にそうなってしまったとか、あなたを喜ばせたくてつい希望的なことを言ってしまう、という男性のほうが多いだろう。まあ、中には本当にいい加減でくだらない人間だったというケースもあるだろうけど、ここで大切なのは彼の性格分析ではない。  後者のタイプの男性と不倫の恋に落ちてしまった場合、いちばん怖いのは、あなたが約束を信じてずっと待ってしまうことだ。初めて彼の口からはっきりと結婚の約束を聞いたあなたは、彼の言葉を頭から信じて有頂天になる。嬉々として家族にまで結婚宣言をしてしまったりする。そして首を長くして待ちわびた約束の日になって、離婚話などこれっぽっちも進んでいないと知って愕然とする。喜びが大きく、期間も長かっただけにショックは大きい。一体どうしてくれるの、という気になる。あなたの剣幕にあわてた彼はまた約束をする。あなたは今度こそと信じて待つ。また裏切られ、彼はこれで最後だからと約束をする。あなたは誓約書まで書かせたから今度こそ大丈夫だわ、と思って待つ。しかし、何度くり返しても約束が果たされることはない。気がつくと、長い年月が流れている。  これは、不倫の恋の中でも最悪のパターンである。順番待ちの列に一度並んでしまうとせっかくこれだけ待ったのに今抜けたら損かもしれない、と思ってなかなか抜けられない、あれと同じこと。女性は一度待つことを覚えてしまうと、底なし沼にはまったように身動きが取れなくなってしまうのだ。決して、彼の口約束だけを頼りに、ただじっと待っていてはいけない。はっきりと離婚が決まる前から不確実な約束をしてしまうような優柔不断な男性が、そう簡単に離婚を切り出せるとは思わないで。そういう人は、あなたとの約束を引き伸ばす巧妙な言い訳なんていくつでも考えつくのだということを忘れずに。彼の言葉は聞かないふりをして、約束が果たされなくても彼をなじったりせず知らない顔で放っておくこと。そうすれば彼は少なくとももう離婚の期限を切らなくなる。あなたが責めれば責めるほど彼はどんどん守れない約束を重ねるのだ。  ずるずると引き伸ばされているうちに十年も経ってしまった、なんて時間の無駄をしている暇はありません。その挙句、わたしの青春を返して、なんて言ったところで誰も責任なんかとってくれない。一度しかない人生、花の命はそんなに長くはないのですから! [#改ページ]  第35条 何も望まないこと  あなたは正直なところ、今つきあっている彼と将来結婚することを期待していますか。彼が奥さんに離婚話を切り出し、気が遠くなるほどの話し合いを辛抱強く続け、子供とも離れ離れになり、莫大な慰謝料を払って、晴れてあなたを迎えに来ると信じていますか。  ほんのちょっと考えただけでも、男性が今の家庭を壊してあなたと新たな生活をはじめるには、多大なリスクがあることがわかるでしょう。膨大な時間とお金と労力をかけ、社会的に、精神的に、経済的に、あらゆる打撃を受ける代償として得られるのは、あなたと一緒にいられること、だけ。彼の立場に立ってみれば、どこをどうとっても離婚しないほうが楽。特に男性は、面倒なことが何より嫌いなのだから、彼はよっぽどのことがない限り、これだけの思いをしてでもあなたと結婚しようとはしない。結婚したいと思いはしても、実際にはしないのだ。大抵の場合、彼は離婚しなくて当たり前なのである。  でも今さら言うまでもなく、そんなこともわからずに不倫の恋をしている人なんていない。大半の女性は、何か代償を求める関係ではないとわかった上で、それでもただ彼のことを愛しているから一緒にいるのだ。だからこそ、こんなせつない思いをしている。でも口では「最初から結婚出来るなんて思ってないわよ」と言いながら、もしかしたら、ひょっとしたら、万にひとつぐらいは、と考えてしまう。人生、何が起こるかわからないんだから希望は捨てないほうがいいわ、なんて自分を励ましてみたりしてしまう。この葛藤こそが不倫の恋をする女性を象徴するものなのである。  もちろん、不倫の恋を経験した結果、相手の男性が離婚して妻の座を勝ち取った女性はたくさんいる。あなたの身近にもひとりぐらい、こんな羨ましい女性がいるかもしれない。しかし、その恋はあなたの恋のお手本には決してならないのだ。不倫の恋を成就させたその女性に何か特別のテクニックがあったわけでも、彼女が並外れて魅力的だったせいでもない。その女性はただ単純に、運がよかっただけなのだ。何万人に一人の強運と、彼を取り巻く様々な状況がうまい具合にかみあった奇跡なのだ。こんな確率の低いラッキーな結婚が、そうそうあると思ってはいけない。自分の人生にどんな大きな希望を持ってもかまわないけれど、彼との結婚に関してだけは、なるべく早く絶望するべき。  不倫の恋に、こうすれば彼と結婚出来るなんて便利な法則はない。あなたに出来ることは、何も望まず、何も期待せず、ただ愛することだけ。何も望まずに、彼の愛をすべて手に入れるのが、いちばん賢い愛人の生きかたなのだということを決して忘れずに。 [#改ページ]  第36条 不倫を終わらせるのは必ず女性であること  不倫の恋にハッピーエンドはない。もちろん可能性はゼロではないかもしれないけれど、ゼロでないのと、可能性がある、というのはまるで別のこと。あなたは彼のことを心から愛している。でも現状維持を続けていくにはもう疲れきってしまった。彼を愛しすぎているからこそ未来のない恋はつらすぎて、どうしていいかわからない。このままこの恋を続けていたら自分が壊れてしまいそう。大切な人生を台無しにしてしまうかもしれない。でも彼と別れてしまったら、この先一体、何を支えに生きていけばいいのだろう。  不倫の恋を突き詰めていくと結局、こんな八方塞がりな場所にたどり着いてしまうはず。こうなってしまうともう、どちらを向いても光は射さないし何の答えも見つからない。ふたりの恋は画期的な好転もしないかわりに、決定的な破局も訪れない。あなたさえ耐えられるなら、このまま今の関係を続けていくことは可能な状態。ただ、ひとつはっきりしているのは、いつか、どこかで、この恋を終わりにしなくてはならないということだけだ。  結婚もできない、でも愛しているから別れられない。あまりのつらさにあなたは、いっそのこと彼が別れを切り出してくれたらと思うかもしれない。彼のほうから「もうこれ以上君とはつきあえない」と言ってくれたら、どんなに楽かと思うだろう。でも、そんな虫のいいことを願っても無駄。男性は、そんなに強くないのだ。やっと手に入れた素晴らしい恋人に自分から別れを告げられるほど強い生き物ではないのである。  彼だって、いつまでも自分のような妻子持ちとつきあっていることがあなたにとってどんなにマイナスなことか、考えていないわけではないのだ。でもわかってはいても、あなたと別れる勇気なんてとてもじゃないけど出てこない。勇気がないから、逃げるしかない。あなたにも、奥さんにも、どちらにも曖昧な微笑みでその場をやわらげようとするだけ。彼のほうから別れを切り出すなんてことは、彼と結婚できる可能性よりもっとゼロに近いのだと思っていたほうがいい。それに、別れの決断を男性側にまかせようとするのはあまりに残酷なこと。男性の決断には一切期待してはいけない。  不倫の恋の別れは、必ず女性が決断しなくてはならない。これは不倫の恋における最も大切なルールである。理由はどうあれ、一度別れを決意したならば、最初から最後まですべてあなたに主導権が与えられる。身を切られる思いで別れを進め、お互いの未練を振り払い、彼からの連絡がすっかり途絶えるまで、あなたが責任を持ってやり遂げる。彼の人生にとってあなたの存在が、ほかの誰よりも素晴らしい女性として残るために、最後までいい女を演じきる。これがあなたに残された、たったひとつの愛情表現なのだから。  そしてここで気をつけなくてはならないのは、不倫の恋が破綻した途端に「自分が傷ついたぶんだけ相手も傷つけたい」と思ってしまうこと。こういう女性はとても多い。もちろん、最初からこの掟をちゃんと守っていれば、決してそんなことにはならなかったはずですが、彼に対して何か仕返しをしなくてはならないと思い込んでしまった彼女たちは、本当にとんでもないことをしでかしてしまう。彼の自宅に無言電話やいたずら電話をかけ続けて家族をノイローゼにしてしまう、彼の会社に「わたしは○○に遊ばれて捨てられた」などという怪文書を流す、そして究極には相手の家に火をつけてしまう、こんな信じられないことが実際に起こっているのである。彼と別れたあとで、恨みや憎しみだけが残るような恋なら、それが不倫であるかどうかにかかわらず、するべきではない。  確かに、何事もなかったように家庭に戻っていく彼の顔を思い浮かべると、はらわたが煮えくり返るような憤りを味わう瞬間はあるかもしれない。あなたはもう二度と恋などしたくないと思うほど絶望し、大切なものなど何も残っていないというのに、彼には相も変わらぬあたたかい家庭が待っているなんて、こんな理不尽なことってあるかしら、とやりきれなくなることもあるでしょう。そんなときは、彼とお別れするために封印していた写真や手紙を取り出してもいいから、彼との素晴らしき日々を鮮明に思い出してください。この恋はあなたにとって、かけがえのない恋だったはずである。彼に恋い焦れて、あなたが望んで成就した恋だったのだ。あなたは彼のせいで何年もの月日を棒に振ったのでは決してなく、彼のおかげで宝石のようにきらきらした時間を手に入れることが出来たのである。恋は終わっても、彼はあなたの大切な人なのだ。この世に生まれて、彼という人に出会えて本当によかった、と一生思い続けられることこそ、素晴らしい不倫の恋の結末。  人生でたった一度と思えるような恋の幕を自分の手でおろさなければならないなんて、本当に悲しいこと。きっと、想像を絶する難事に違いない。でも、だからこそ、この大仕事を終えた女性には、すごいご褒美が待っている。不倫の恋に見事決別出来たなら、もう何も怖いものはない。この大変な恋にくらべたら、ほかのどんな恋もあなたの思いのまま。あなたはこのつらくせつない恋をしているあいだに、ほかの女性たちを飛び越して、とてつもないスピードで成長していたのである。この恋が終わったとき、あなたは自分が、ワンランクもツーランクもいい女になっていることに気づくだろう。  彼との決別をきちんとやり遂げたあなたは、迷いなく次の恋に進むことができるはず。つらい別れのあとには、必ずいい恋が待っている。もうすぐそこに、ね。 [#改ページ]  第2章 毎日が恋愛日和……新しい恋を、つかまえるために。 [#改ページ]  scene 1 消化試合の戦いかた  どうも筆のすすまない日、というのがある。いくら愛をこめて原稿用紙を見つめても微笑み返してくれないので、行きつけのバーに飲みにいくことにした。わたしの悪い癖である。仕事に行き詰まると街のネオンと酒が恋しくなるのだ。この癖を治すためにわざわざタクシーが拾いにくい場所に仕事場を構えたのに、これでは何もならない。  なれ親しんだ薄暗いカウンター席に座り、オールド・フィッツジェラルド1849をオン・ザ・ロックで注文する。ほっと一息ついたのも束の間、語尾を伸ばした甘ったるい声がわたしのささやかな幸せを乱した。聞こえてきたのはこんな台詞であった。 「あたしい、もう今年は終わったってかんじー。また今年クリスマスひとりかあ」  思わず、グラスを口に運ぶ手が止まる。わたしは酔いがまわらないうちに指折り数えてみる。まだクリスマスまでひと月近くも残っているでしょうが。それなのに、今年は終わったってどうゆうことよ。  どうやら最近の傾向として、夏の終わりにまだ恋人がいない女の子たちはその時点でまずクリスマスを諦めてしまうらしい。「女の子カレシいない組」でカラオケなんか歌ってやり過ごすつもりなのだ。そしてつぶやく、「来年こそ……」。  彼女たちにとって今年はもう消化試合に入ってしまったということか。みなさんお行儀がよすぎるというか、往生際がよすぎるというか、根性がないと言おうか。 「でもオトメ座は来年、恋愛運がいいって言いますから」  十年来の友だちであるバーテンダーのオザワくんは、若いがとてもよく出来たバーテンダーである。だからこんな優しい言葉をかけるが、わたしだったらこうはいかない。 「いやあ、それは無理でしょう。来年もきっとおひとりですから、今からお仲間を考えておいたほうが……」  もちろんわたしにも理性があるから面と向かっては言わなかったけれど、彼女が来年もクリスマスをひとりで過ごすであろうことはまず間違いない。  なぜなら、はっきり言って彼女は恋愛をナメている。そんな心がけで殿方が手に入ると思ったら大間違いだ。それに何より、恋愛パワー不足である。  マッサージやアロマテラピーや入浴剤が熱病みたいに流行っているところからしても、昨今の女性たちは相当疲れていると見える。わたしも例外ではないからつらいのはよくわかります。でも、だからって恋愛をおろそかにしていいわけがない。  恋愛は、人生最高のエクスタシーであるかわりに多大なる時間と労力を必要とする大事業である。それをこんな他力本願でうまくいくと思っているところが明らかな敗因だ。彼女がオトメ座だろうがさそり座だろうが、わたしと同じ水瓶座だろうが、そんなことで恋の行方は変わってくれない。  もし今あなたが彼女と同じようにクリスマスを一緒に過ごす相手がいないのだったら、まず今いちばん気になっている男性に声をかけること。イヴは無理でも、イヴの前日か前々日か、それとも翌日か、少なくとも年内にふたりきりのデートを約束すること。それが輝ける「恋愛運のいい来年」への第一歩。今年出せない勇気は来年も出せない。  いくら負けが決まった試合でも、敗戦処理に出てきたピッチャーがへらへら投げてていいわけじゃない。最終回に出たホームランが焼け石に水で終わっても、「これこそ明日につながる一点ですね」と必ず解説者が言うでしょう。  恋愛だって同じこと。今年はもう消化試合なんて言わずに、輝く来年につながる恋を見つけに出かけよう。女の人生って、意外と短いんだから。 [#改ページ]  scene 2 女は薄着で  クリスマス・イヴが日曜日になってしまうと、今ひとつ盛り上がりに欠けるらしい。何となくわかるような気がする。日曜日のイヴというのはあまりに家族家族していて、危険な匂いやロマンティックな香りがまるでないのだ。やっぱりイヴはウィークデイじゃないとね。  その点お正月は、曜日だとか恋人の有無だとかにかかわらず、毎年全く変わらない顔をしてやってくる。彼ってトキメキはないけど安心感があるの、というかんじである。  そして何より彼(お正月の擬人化)の魅力は、朝から酒を飲んでも何にも言われないところ。わたしはおせち料理が病的に好きなので、野菜や豆や魚なんかを煮たやつがちまちまと並んだ重箱を前に日がな一日美味な酒を飲んで幸せに過ごす。  そして母とふたりで赤坂の日枝神社へ初詣に出かける。そこでダルマやおみくじを買って、キャピトル東急でお正月値段の馬鹿高いコーヒーを飲んで帰るのが定番コースだ。  その道すがら、たくさんの晴れ着のお嬢さんをお見かけする。洋風の顔立ちに似合わず元着付けの先生、という経歴を持つ母に言わせると「まるでなってない」そうだが、わたしは彼女たちの着物姿がわりあい好きである。だってふだん、寒いのにヘソ出したり暑いのにニットの帽子かぶったり、いきなり下着みたいな格好で歩いちゃったりしてる子が、よくここまで頑張ったなあと思うじゃないですか。思いっきり無理やりのまとめ髪から一筋こぼれた真っ黄色のおくれ毛に、その努力の跡が見えたりして、たまらなく面白い。  よく和服は隠す色気、などと言うが、それは確かにあると思う。何枚も何枚も布や帯を重ねているのに、それを止めているのはヒモだけ、というところがなんともHなのだ。一枚一枚はがしていく楽しみが容易に想像出来るところがね。  でも、この重ね着の色気は和服に限って、のこと。これが洋服の重ね着となると話は別。ほら、よくいるでしょう。Tシャツ着てシャツ着てニット着てベスト着てジャケット着てコート着て……ギャー! 出来るならばこういうのは地上から抹殺してしまいたい。  なぜなら、女の厚着は、恋愛の大敵だからである。こういう重ね着のファッションを好む女性は、例外なくスレンダーでセンスがよく、アクセサリーやスカーフなどの小物遣いがうまい。誰かみたいに全身シャネルなんかにしなくても自分だけのお洒落をアピール出来るし、顔立ちだって悪くない。が、しかし、この手の女性は圧倒的に男運がない。  この、かねてからのわたしの信念を裏付ける出来事があった。大学時代から仲良しの貴重な友人であるナガタくんとその仲間たちとともに、満員電車のようなライブスペースで騒いでいた夜のこと。宴もたけなわ、ある女の子を見てナガタくんの友人K氏が言った。 「ねえねえ、M子の胸さわってきていい?」  確かに彼女のことは知ってるけどそんなこと許可する権限も反対する理由もない。わたしとナガタくんが、まあ別にいいんじゃないのお、ムムム……とか何とか言ってるうちにK氏はさっさと実行を終えて戻ってきた。ナガタくんとわたしが半分あきれ顔で、「感触は?」と尋ねると、彼は落胆してぽつりと言った。 「いっぱい着ててよくわかんなかった」  そうなのだ。M子は悲しいかなこてこての重ね着派であったのだ。もし彼女が薄着派だったら、この夜から恋がはじまっていたかもしれないのに。  やはり女の体は常にムニョリという感触がなければ駄目だ。さわっても胸があるんだかないんだかわからないようでは殿方のH心も口説き体力も萎えてしまう。男にモテたいなら少なくとも脱がせやすい格好をするのがいちばんです。  いつの時代も女のナマニクは武器。まだまだ寒い日々が続きますが今年こそ、身も心も薄着で、をおすすめします。 [#改ページ]  scene 3 ブーツ再考  車の助手席に乗っていると、実に様々なものが目に飛び込んでくる。わたしは車の運転をしないので、もう助手席歴十五年選手である。  その日は西麻布でゴハンを食べたあと、彼の愛車で六本木の交差点に差しかかった。混んでいた。何度目かの青信号でやっと横断歩道が見えてきたとき、その光景にわたしはタヌキ顔なのにキツネにつままれた。  道路に引かれた白い縞々にそって左右から歩いてくるミニスカートに伸びた脚は、ひとつ残らずブーツ、であった。服もみんなお揃いみたいで、まるで兵隊の行進だ。わたしは気味が悪くなった。  このとおり巷では、空前のブーツブーム、である。去年のまだ残暑厳しい初秋から、皆さん流れる汗をひた隠しにして頑張って履いておられた。このネコもシャクシぶりは『プリティ・ウーマン』当時のスーパー・ブーツブーム以来ではないかと思う。別にブーツ自体に害はない。罪もない。しかし重大なのはそれを履く脚、なのである。  はっきり言ってブーツは日本の女性にはまず、似合わない。ショートブーツならまだしも、今年いちばん多く出ている膝丈は、なかなかわたしたちの脚を綺麗に見せてはくれない。特にあの、パリコレで流行った、ふくらはぎぐらいまでの中途半端な長さ、ありましたよね。あれなんか、日本人には絶っ対無理。言葉が足りなければ、我が愛する観月ありさ嬢以外の日本人には絶対に。  それなのに、流行ったとなると履くんですね、これが。いいじゃない、自分の脚に合った靴を履けば、と思うんだけど、脚が太く見えようが曲がって見えようが、ワタシにはカンケーないワって涼しい顔。カンケーないって、あーたの脚だよ!  流行のものを身につけたい気持ちはもちろん、わかります。わたしだって毎シーズンどんな服を買おうか雑誌をチェックしたり、行きつけのブティックを覗いたりするのは至上の楽しみだもの。  だけど、ここで大切なのは、その中から自分に似合うものを見つける能力である。これはファッションセンスなどという問題ではなく、いかに自分を知っているか、にかかっている。  まず、体型の欠点や長所。自分の体型に無理なものには手を出さない、ということだ。たとえばわたしはO脚だからブーツは履かない。同じく膝丈前後の中途半端な長さのスカートも履かない。丸顔だからハイネックは着ない。胸が小さいから……と、きりがないからやめとくけど。  次にキャラクター。自分の顔のつくりや性格、頭の善し悪しなどから自分はどんなキャラでいくのがマルなのか、を客観的に判断すること。  わたしはどんなにきちんとした格好をしても「何かちゃらちゃらしたいい加減な人」に見られるらしい。くやしいから五、六年前からスーツを着るのをやめた。どうせちゃらちゃらなら、最初からちゃらちゃらした格好をしたほうが手っ取り早いからね。  こんな風に、自分に合った服や靴を選ぶのはそれだけで立派な自己プロデュース、なのである。もちろんこれがきちんと出来るようになるには、時間もお金もかかるんだけど、まあ、二十五歳ぐらいまでにはこの授業を終えてほしいなあと思う。  早い話、それが自分の「身の程を知る」ということなのだ。  女にとって、何より大切なのは身の程を知ることだ、とわたしは思っている。言葉にしてしまうと少々きついから、皆様の反感を買いそうで不安だけど、だってほんとにそうなんだもん。「身の程」さえ知っていれば、容姿や体型に合わない服や靴を選ぶことはなくなる。仕事に不平不満ばかり言っていることもなくなる。そして何より、男選びにも大失敗しなくなるのだ。  いつもいつも明らかに高望みだったり、自分のキャラに合わない男に引っかかったりし続けている人は今一度、自分を見つめ直してみてほしい。内面からも、外面からも。  皆さんの家にもひとつは全身が映る鏡があるでしょう。もし持っていなかったら、さっそく今度のお給料で買いに行きましょう。体重計の数字よりもずっと、あなたの味方になってくれると思うよ。 [#改ページ]  scene 4 女の子グループの怪  その日の打ち合わせは、渋谷の東武ホテル一階のラウンジだった。以前は好きな喫茶店のひとつだったが、このホテルでつらいカンヅメをした思い出から最近足が遠のいている。  約束の時間にかろうじて遅れずに到着すると先方はまだ来ていなかった。  わたしはどうも、時間にルーズそうな風貌をしているようで、約束の時間ぴったりに登場すると必ず相手が意外そうな顔をする。そのリアクションを見たいがために、特に仕事のアポイントには出来る限り遅れないようにしているのだ。  昼下がりの店は空いていた。騒がしい渋谷の中で、やはりここは変わらずどこか大人の空気を残している。ほっとしていちばん好きな窓際のテーブルに向かおうとすると、何となく見覚えのあるウェイターがわたしに近づいた。 「三十分ほどすると少々騒がしくなりますが、よろしいですか」  よろしくはないが仕方がない。待ち合わせなのだから、勝手に静かな店に場所を変更するわけにはいかないのだ。わたしは席につき、エスプレッソを注文する。  しかし、妙である。三十分後というとちょうど午後三時。団体の予約でもあるというのか。ランチタイムには遅すぎるし、腑に落ちないまま煙草を吸っているとコーヒーが運ばれてきた。苦みのあるいい香りに、わたしは、初めてこの店を訪れ、憧れの人と緊張してランチを食べたことなど思い出す。と、待ち人がやってきた。 「ねえ、三時からこういう店が混み合うって、どういうこと?」  雑誌編集者のリカちゃんはつぶらな瞳をした、親しき仲にも礼儀あり、な女性である。わたしの唐突な問いに一瞬思案の表情を浮かべてから、あ、そうか、といった風に微笑む。 「みかさんが知らないのは仕方ないですよ」  そう言われると、仲間はずれにされたような気持ちになる。小さい頃いじめられっ子だったせいか、自分だけ何も知らされていなかったりするのに未だ過剰反応してしまう。 「だってみかさん、ケーキとか食べないですもん」  まだ意味がわからず首を傾げようとしたわたしの目に、ある光景が飛び込んで来た。若い女性の、大群。皆、目がらんらんと輝き、徒競走のスタートよろしくひとつの標的に向かって駆け出さんばかりになっている。そのとおり、答えはケーキのバイキングサービスであった。話には聞いていたけど、百聞は一見に如かず、とはこのことだったのか。  ショックだった。わたしは学生時代から、街のそこここに出没するこの「女の子グループ」が理解出来なかった。彼女たちはいつも三、四人で行動し、噂のケーキ屋さんに出かけ、これぞこの世の喜びとばかりに小さなケーキをいくつも食べる。もしくは信じられないことに女性ばかりで京都や金沢に旅行し、美味しいもの巡りをしたりもする。  女同士仲がいいのは大変結構なことだ。しかし、問題なのは「女の子グループ」のおしゃべりの中身である。彼女たちの話題の中心は大体ふたつに絞られる。 「ダイエットしなくちゃ」と、「彼氏が欲しい」である。  それは無理な相談だ。美味しいものをお腹一杯食べていれば太るし、女の子ばかりで遊んでいれば男の子には縁遠くなる。これが自然の摂理というものだ。  もしあなたが今より少しでも格好よくなりたかったりするのなら、今すぐ「女の子グループ」のお出かけを半分に減らすこと。そのぶんひとりでコーヒーを飲んで本を読んだり、ひとりで映画を観たりする時間をつくること。  そして何より、美味しい食事も素敵な旅行も、大好きな男性《ひと》が一緒にいてこそ、もっともっと輝き出すのだという人生の基本を思い出してほしい。大人の女性たるもの、いつまでも手を繋いでトイレに行くわけにはいかないのだ。  断言するが、ケーキ食いながら男の子は食えない、のである。 [#改ページ]  scene 5 好きなタイプ  わたしの物書きとしての初仕事は、ニッポン放送の朝の情報番組『お早よう! 中年探偵団』の構成作家であった(聴いたことありますか? ない人はぜひ)。もう八年前のことだが、今でもこの番組にはお世話になっていて、コーナーの原稿など書かせていただいている。「中探」のサブパーソナリティーを務めるフリーアナウンサーのミユキさんとは、公私ともにとても仲良しだ。彼女とは年に一度、バカンスをかねた取材旅行に出かける。ただでさえ女嫌いのわたしが一緒に旅行まで出来る女性は数少ない。  ミユキさんは美人で気立てがよく、さすが喋り手、明るくて話し上手。その上本当によく気のつく人で、わたしなどいつも彼女の横で、あらまあ、よくこんなところまで気がつくのねえ、なんて思いながらぼうっとしている。  だからそんなミユキさんがただ今恋人募集中、なのはまさに不可思議。ミユキさんはもてないわけでは決してなく、わたしの目の前だけでも何人もの男性が彼女にアプローチしている。でも、なかなかどうして、浮いた話に発展しないのだ。わたしが首を傾げていたある日、番組の会議中、「好きな男性のタイプは?」という話題が出た。今どき、こんな世にもくだらない質問をする人がいるものだ、とわたしがため息をついた瞬間、ミユキさんは満面の笑顔でにっこり、きっぱり、こう答えたのである。 「真田広之さん! あと布施博さんもいいなー」  断っておくが、この発言は彼らの不倫報道以前、のことであるから今では彼女の気持ちは変わっているかもしれません……が、しかしそんなワイドショーネタは関係ない。問題は「好きなタイプ」を聞かれて即座に芸能人の名前を挙げてしまうミユキさんのオトメゴコロ、なのである。もちろんそこが彼女の可愛らしいところでもあるのだが、ミユキさんにオトコが出来ない原因もまた、ここにあったのだ。  ミユキさんはこの、「好きなタイプ」への幻想が非常に強固なのである。世間ではこれを理想が高い、と言ったりするが、わたしは少し違うんじゃないかと思う。  そもそもこの「好きなタイプ」って一体何なんでしょう? わたしも雑誌のインタビューやトーク番組などでかなりの頻度で受ける質問なのだが、わたしには「好きなタイプ」というものがまるでないのでいつも理解に苦しむ。だからっていつまでも「好きになった人がタイプです」なんておニャン子クラブの富川春美みたいなこと言ってられないから、その日の気分で適当に答えている。「好きなタイプ」なんて、よく無自覚なティーンエイジャーが「優しくて、背が高くてえ」と言ってるようなレベルのこと、いい大人が話題の中心にすることじゃありませんよ。「好きなタイプ」を言い換えれば「理想の男性」ということになるのだろうが、恋愛に、理想という文字はない。「理想の恋」「理想の相手」「理想の結婚」……これらはすべて幻想の世界にのみ存在するものである。  恋愛は、頭の先から爪の先まで全部、現実で出来ている。仕事や生活だってそうでしょう。それなのに、こと恋愛に関してのみ、長いことかかって幻想の壁をつくりあげてしまう女性が大変多いのである。特にミユキさんのように、容姿端麗、仕事も出来るいい女に限ってそうなんだから、世の中、こんなに面倒臭いのだ。  恋愛の実践に入る前から好きなタイプを決めるなんて、野球はじめる前から「ショートしか守りません」て言ってるようなものでしょ? せっかく女に生まれたなら、ピッチャーからライトまでソツなくこなすぐらいの恋愛守備範囲を持ってほしい。二十歳を過ぎて「好きなタイプ」なんて言ってたら、彼氏いない歴を無駄に伸ばすだけ。若いうちの恋愛は質より量、守備範囲広げて積極的にいきましょう。  そんなわけで今日もわたしはミユキさんに最高の恋人が出来る日を待ち望んでいる。「好きなタイプ」の鎧《よろい》を脱ぎ捨てたら、幸せな恋はもうすぐそこ、だよ。 [#改ページ]  scene 6 恋愛中枢を刺激して  わたしが今、唯一欠かさず観ている連続ドラマは、テレビ朝日土曜深夜の『BLACK OUT』だ。1999年を舞台に、近未来の様々な事件をふたりの科学捜査官が解決していく二話完結ストーリー。  もともと深夜ドラマが大好きなわたしだが、このところバラエティに押されてクオリティが今ひとつ、いや今よっつくらいだった。久々の深夜族期待の星である。ビデオ化もされているので今からでも間に合います。  その『BLACK OUT』、第7のエピソード「インストール」は、人間の体内にマイクロチップ内蔵カプセルを挿入してその人の行動や言動をコントロールしちゃう、というような、ちょっとSFなお話だった。  その本筋とは直接関係ないんだけど、そのカプセルで性欲の中枢を刺激されて、ある日突然淫乱ちゃんになってしまった女の子が出てくる。確か首筋のあたりのカプセルにピピピ、と指令を受けると、誰彼かまわずHしたくて仕方なくなってしまうのだ。 「その手術をされるまでは幼稚園の先生をしていて、性格も地味だったそうです」  そんな台詞を聞いていて、わたしはふふふ、と笑ってしまった。設定は近未来なのに、これと似たことって現在、いやあ、かなり昔からお約束の話じゃないですか。夏休み前までは真面目で成績もよかったのに、二学期になったらいきなり茶髪で妙に色っぽくなっちゃって、とか。皆さんのクラスにもひとりぐらいいませんでした?  これって、もちろんマイクロチップやカプセルは使ってないけど、何らかの形で彼女の中枢を刺激したものがあったわけですよね。中枢には食欲とか性欲とかいろいろあって、過剰に刺激されたのが食欲なら過食症になるし、性欲ならばスキモノになる、という仕組みらしい。  そこで考えたんだけど、ならばヒトの中に、「恋愛中枢」っていうのもあるんじゃあないかしら。  まあ生まれつき、女はみんな男が好きで、男はみんな女が好きだし、という考えかたもあるけど、見てるとやっぱり、間違いなく個人差は、ある。異性への興味やパワーが旺盛な人と淡白な人、その違いは明らかだ。  だから、悪口でも褒め言葉でも、「惚れっぽい」とか「恋多き女」、「男好き」と言われたことのある人というのは、思春期のどこかでこの「恋愛中枢」を刺激される恋、またはセックスに出会ったに違いないのだ。  このカプセルは一度体の中に入ってしまうとまず一生取り出すのは不可能。つまり、男好きは一生男好き、同じく女好きも一生治らない、ということ。この手の人々はなんだかんだ言いながら、一生恋を追いかけて過ごす。結婚しようがトシをとろうが、美貌が衰えようが、おかまいなし。  逆に、恋愛中枢を刺激されないままいい大人になってしまった人。この場合、いくら自分で恋愛中枢を刺激しようと思っても、自分ひとりでは絶対手の届かない場所にあるんだな、これが。こちら側の人々の恋愛面はいたって穏やか。女の子だとふたり目か、多くても三人目くらいにHした人とゴールイン、というのがよくあるパターン。  あなたはどちらのタイプでしょうか? 胸に手を当てなくてもわかるよね。わたしは無類の恋愛好き、もちろん前者です。若い頃はいろいろ反省もしたものだけど、今はもう不治の病と諦めて、無駄な努力はやめようっと。  でも、どちらのタイプにしても、永遠の願いは同じ。我が人生で一世一代と思える素敵な恋をしたい。この永遠の大テーマをやってのけるには、自分の「恋愛中枢」を上手にコントロールすることに尽きると思う。  この件に関しては、ないものねだりはご法度。自分の体質に合った恋のパターンに素直に従うこと。魔性の女がお揃いのスリッパに憧れたり、可愛い奥さんが似合うのに日陰の二号顔を練習したりしても、決していい恋にはなりません。  それでも、どうしても、という人は、未来まで気長に待って、首筋にマイクロチップを入れてみる、しかないか……。 [#改ページ]  scene 7 都会の紅一点  その夜わたしは、ラジオの生出演を終えるやいなやタクシーに乗り込んだ。まだ、午前零時にもしばらくある、宵の口。行き先を告げると、わたしの頬はゆるみ、知らず知らずスーパーニコニコしてしまう。別に、憧れの人と待ち合わせをしているわけではない。家で彼が料理をつくって待っていてくれるわけでもない。  久しぶりに、今夜はひとりで飲みに行くのだ。近頃、自宅でじっくり取りかからなければならない仕事が続き、その上わたしの恋人はかなりの心配性で、とてもチェックの厳しい人であるゆえ、なかなかひとりでゆっくりお酒を飲む機会がなかったのである。  気に入ったバーでひとり、時間も隣りも気にせず好きな酒を飲むというのは、何とも言えぬ解放感がある。エステよりもスポーツジムに通うよりも確実にリラクゼーションが得られる貴重な時間だ。だからしばらくこのリラックスタイムが欠乏するといらいらする。たぶんわたしはアルコール依存症というよりはバー依存症、なのである。  日本ではまだまだ「女の子がひとりで飲みに行く文化」が遅れているから、「うわあー、格好いーですねー」とやたら感心されたり、「ひとりなら家で飲めばいいのに」と真面目に質問されたりして面倒臭いんだけど、その答えはひとつ。  大抵のバーというのは圧倒的に男性客が多い。それにバーテンダーも基本的に男性の職業だ。そう、わたしは根っから、殿方が集う場所が大好きなのだ。それも、安心して「紅一点」イコール「おニイちゃんに囲まれ状態」になれるところは何より好き。  でも女の子だったら誰だって、好きですよね、紅一点。職場や、学生時代のサークルなんかでもそう。知らず知らず無意識のうちに、なるべく敵(女)が少ないところを選んだりしてない? これはもう、遺伝子の叫びなのではないかしら。  だったら、世の女性たち、バーを見逃す手はないよ。いつもいつも「私って出会いがなくって」とか、「どっかにいい男いないかな」とお嘆きのあなた、騙されたと思って一度、ふらりと、ひとりでバーに入ってみませんか。  ひとりで喫茶店に入れないとか、誰かと一緒でなければ映画を観に行けないとか、そういう話は近頃あまり聞かなくなったような気がするけど、ひとりでバーでお酒を飲む女性というのはまだまだ少ないみたい。それは、「バーにひとりで飲みに来ている女」イコール「寂しい女」、という固定観念が女性の中にも男性側にも根強くあるからだと思う。  もちろん、男目当てでバーに行きなさいと言ってるんじゃないよ。たまにそういう女性を見かけるけど、あれは最悪。カウンターに突っ伏して泣く女の子。閉店まで眠ってしまう子。トイレから出てこなくなる子。誰彼かまわず家まで送ってくれる男性を期待していつまでたっても帰らない子。これが同じ女性かと思うと悲しくなる。絶対真似しないでね。  わたしがバーでひとりで飲むことをおすすめするのは、女性にとって、紅一点の中に身を置く、というのはそれだけで意味がある行為だからなの。なぜかって、これほどフェロモン養成に役立つ授業はほかにないからです。  なぜなら、紅一点になれた女というのは間違いなく男にもてる。皆さんのまわりでも、気がつくとその子だけいつも紅一点状態になってしまっている、というような女性がいるでしょう? これは、自分が紅一点の立場にあるという意識を持つことによって、知らず知らず異性を魅きつける話しかたや仕草、視線や微笑みかたなどを身につけているんですね。それを練習するのにバーほど最適な場所はありません。  女の子同士でわいわい飲むのもよし、美味しいものをつまみながらのホームパーティーをするのもよし。コンパや合コン、会社の歓送迎会、なんてのも多い季節。だけど時にはすっと背筋を伸ばして、緊張感と責任感を持ってひとり、バーカウンターに座ってみてほしい。紅一点の威力、試してみて。 [#改ページ]  scene 8 春うらら  今わたしは、秋に出版予定の書き下ろし長編小説執筆のための「自主カンヅメ」の日々。都心からちょっと離れた某ホテルの窓からは、海が見渡せる……なんて書くといかにも格好よさ気だけど、そもそも「自主カンヅメ」というのは、意志がもろく誘惑に弱い作家が取る最終手段である。ちゃんと毎日少しずつ計画的に書けばいいものを、目先の締切りと自堕落な性格が災いして一向に進まない。かといって今回は長編小説だから一晩や二晩の力技ではどうにもならず、ああ! もう駄目だ……と、崖っぷちに立ったとき、人は思うのです、「そうだ、環境を変えてみよう」。  わたしの場合、いくらカンヅメでも都心のホテルではよなよな遊びに行ってしまって効果がないからわざわざこんな遠くまでやってくる。夏になれば海水浴客でにぎわう海辺も、今はオフシーズンで本当に静か。思えばここに来た日は雪が降っていたのに、一日、一日、春の海が色濃くなってくるのがわかる。春というのは、ぼんやりしているといつの間にか通り過ぎてしまう夢のような季節だ。こと恋愛に関しても、クリスマスにバレンタインデーも無事終了、ホワイトデーのお返しももらったし。今年度のイベントもほぼ一巡、ほっとしている人も多い今日この頃、なのでは。  でも実は、ほっと一息、してる場合じゃあないんです。この恋愛イベント終了時というのは、カップルにとってけっこう微妙な時期なんだから。  イベント前というのはお互い気合いが入っていることもあるし、ちょっとマンネリかなあ、と思う相手でも「クリスマス前に別れちゃもったいない」とか思ったりするじゃないですか。それがふっと気が抜けてしまうのがちょうど今頃。そして、あたりを見まわせば季節は春、春。これからが本当の恋の季節スタート、なのである。  本来、生き物というのは春、暖かくなってから活発に動きはじめるように出来ている。その証拠に動物は冬眠するか、じいっと身を隠しているし、真冬に満開になる花だって少ない。クリスマスやニューイヤーで冬にイベントを集中させて、無理やり盛り上がったりするのは人間だけなのだ。だから毎年、どうも運悪くクリスマス時期に彼がいない、という人、安心して。クリスマスにブルーなのは全然不思議なことじゃないんだから。  一年中で恋が芽生えるのがいちばん多いのは、春から初夏にかけて。統計的にも、将来の伴侶を見つける確率が最も高いのは、三月から風薫る五月にかけて、なんだそう。よく「春は出会いの季節」と言うのも、この自然の摂理に適ったことなのかもしれないね。  ブルーな冬を過ごした人はこの春のチャンスを逃す手はない。春眠暁を……なんて言ってないで、えさを探すリスのようにマメになるべし。片想いの相手にはもちろん、好きな人に彼や彼女がいる場合も思いきってアプローチしてみよう。わたしもそんな経験があるけど、大体、梅雨明けまでもってしまえば、夏は海やプールで遊んだり旅行へ出かけたりして何となく「安定期」に入っちゃうかんじってあるでしょう。だから、つきあっているふたりの間に割り込めるとしたら、今ここしかないと思う。  だけど、出会いの季節ということは、意地悪な言いかたをすれば別れの季節でもあるということだ。だって出会いというのは都合よく独り者にのみ訪れるわけじゃない。恋人の有無にかかわらず、出会いは均等にやってくるもの。だから人が一年中で最も「目移り」しやすいのもこの時期ということになる。調子よく冬を越したカップルは、あらためて手綱を握りしめる必要大、です。  と、力説してきたのはいいけど、じゃあわたしは春うららの恋の季節に、発情期の彼をひとり、二週間も野放しにしているということか。ここぞとばかりに目移りしまくっているかもしれず……ああ、これもふだんのナマケモノな生活の罰。今しばらく春返上で頑張るから、新刊を期待しててね。 [#改ページ]  scene 9 声の温度  カンヅメを無事終えたのはいいが、それを機にわたしの生活はすっかり昼と夜が逆転してしまった。もともと完璧な夜型なのだが、現在は大体朝の八時か九時に寝て「笑っていいとも!」も「徹子の部屋」もとっくに終わった頃に起き出す、という最悪のサイクル。その上恐るべきテレビっ子癖を持つわたしは、リモコン片手に朝のワイドショーを眺めつつ眠りにつき、昼過ぎにその続報で目覚める、というひどい事態に陥っているのだ。  この手の番組を拝見していていつも思うのだが、わたしは民放各局のいわゆる「女子アナ」というやつが嫌いである。何が嫌いかって、あのテレビ局員なのかタレントなのかわからないどっちつかずの存在が嫌だ。  アナウンサーなのにきっちりニュースを読むことも出来ず、かといってレポーターのような開き直った体当たり根性もない。お嬢様タレント気取りの勘違いを棚に上げて、何か突っ込まれたときだけ「だってあたしたち一会社員なんですもん」という切り札で逃げる煮え切らない態度が許せない。そしてこれは彼女たちの責任ではないのかもしれないけど、一年中着ているあのパステルカラーのスーツ、何とかならないもんでしょうか。  と、わたしの女子アナ嫌いはさておき、先日新聞にアメリカと日本のアナウンサーの比較調査の記事が出ていた。数年前はアメリカのキャスターにくらべ日本の女性アナウンサーの声が格段に高かったが、今年の再調査ではその頃よりずいぶん低くなっているそうだ。そう言われてみれば確かに一時期の、意味もなく元気なレポーター喋りや、キャンキャンとはしゃいだ女子大生口調はずいぶん減ったような気がする。  その反面、若い男の子の声は明らかに高音になっている。以前ラジオ番組の構成を担当していたいしだ壱成くんのシャーデーのような歌声にも驚かされたけど、最近流行りのオザケンくんやスピッツなどのヴォーカルも、カラオケで女の子が楽に歌える高さだ。それなのにカラオケ店のアンケートにはこれらの楽曲のキーが低すぎるという男の子からの苦情が相次いでいるらしい。彼らは一体どんな声を出しているのだ?  女性、男性の声の高さ逆転現象。思うにこれは、最近は女性のほうが地に足が着いて落ちついてきて、逆に男性は女性化というか中性化というか、男らしい低い声を出す必然性がなくなってしまったのかもしれない。  声は、恋愛においても非常に重要なアイテム。だって、いつの時代も愛をささやくには声帯を使うわけですよね。動物でも盛りのついたときは声を出して相手を惹きつけようとするでしょう。それと同じで人間にとっても、声の温度はそのまま恋の温度、なのである。  ということは、甲高い声になった昨今の若者たちは、ようするに「甘えんぼ作戦」に入っているということだ。それをどっしりと受けとめてくれる女性を求めて、である。これはかつてわたしの大好きな脚本家の君塚良一さんが「冬彦さん」でブームに仕立て上げたマザコン男とは明らかに様子が違う。彼らは屈折した母への思いなど全然なく、ごく自然にすくすくと甘えんぼさんになっているのだ。  近頃女性のほうが年上のカップルが増えているのは、別にルミ賢や若貴に敬意を表してではなく、こんな逆転現象の結果と言えるのでは。もともと男たるもの、女よりずっと優しくてロマンティックでナイーブな生き物。「男なんだから男らしく」という呪文から解放されて、やっと本来の姿に戻ったと考えれば不思議でもなんでもないハナシ。  だからこれからの男性へのアプローチは、年上、年下にかかわらず、とにかくあたたかく包み込む、というのがキーポイントになりそうだよ。意外にコロッとモノに出来るかも。  それを裏づけるかどうか、最近はHするとき高くせつないあえぎ声を出す男性が多いんだとか。これはあくまでも、聞いた話……ですけど。 [#改ページ]  scene 10 デートはある朝突然に  こう見えてわたしは「お勤め経験者」である。あえてこう見えて、と書いたのは、スーツ姿が想像できない容姿もさることながら、物書きのような商売は大抵、学生時代のアルバイトから続いたりするケースが多く、いわゆるお勤め経験者が極端に少ないからだ。  だからわたしはいつもまわりの同業者が「いいよなあ会社行ってれば給料もらえるんだから」などという台詞を平気で口にしているのを聞く度に、よくもそんなことが言えたものだと閉口させられる。この手の発言はフリーランスで働く者の恥である。相手の仕事を全く理解する気がないとしか思えず、第一、失礼だ。  形はどうあれ世の中に楽しいお仕事なんてない。あるのは向き、不向きということくらいで、皆それぞれ大変なのだ。わたしなどほんの二年ほどではあったが、それがわかっただけでも本当にお勤めを経験してよかった、と思っている。だからって、「いいですよねえ、毎日お昼まで寝てられて」なんて言われるとつらいんだけど。  このお勤めvs.フリーのジェラシー合戦がいちばん露骨に交わされるのが、連休前一、二週間、といったところではないでしょうか。わたしも勤めていた頃は、日曜日や祭日などカレンダーの休日が本当に待ち遠しかった。ましてや連休ともなればなおさら。ところが今のような仕事は、公共のお休みには、ふだんにもましてまとまった労働を強いられるのが常である。楽しい計画など夢のまた夢、その上銀行やバーまで休んじゃうから身動きとれず家にこもっていたりする。気がつけば、ゴールデンウィークやお盆休みが大嫌いになっている、というわけだ。  けれど今年もまた「連休わくわくウィーク」に入りあらためて考えてみると、連休は連休でこれまた双方、なかなか大変なんじゃないかと思ったのだ。お勤めをしている人にとっても、連休はただ楽しみなだけじゃなく、ひとつのストレスを引き起こしているのでは。もちろん、ウキウキ計画満載の五日間か七日間が約束されている人はいい。けど実際そんな恵まれた人はごくごく少数で残りの多くの人たちは、連休に何の予定もない自分がいかにもつまらない人間なんじゃないかという不安に囚われることになるのだ。  しかし、連休に限らず、休日に計画や予定がないというのは悩むべきことではなく、実は素晴らしきことだ、とわたしは思う。きちんとデートプランを立ててそれを指折り楽しむのもいいけど、予期せぬ遠出というのはそれだけで季節はずれの誕生日プレゼントをもらったような意外な喜びがあるもの。  だから手帳にお休みやアフター5の予定が書き込まれていないと不安になる、という体質は早く治したほうがいい。なぜなら恋愛はハプニングで出来ているようなもの、何事もきっちりシナリオどおりにはいかない。何の計画もない不意の突発デートこそ、恋愛の醍醐味かもしれない。  かく言うわたしも、自分の生活ペースを乱されるのを嫌う性格から、以前は予定外のデートは苦手だった。その素晴らしさを教えてくれたのはこんな突発デートでした。  その日は久しぶりにゆっくり食事をしようと、夕方五時過ぎに互いの仕事場に近い駅で待ち合わせた。すると彼はなぜか分厚い時刻表を見ている。どうしたの? と訊くと彼は、何か急に電車に乗って遠くに行きたくなっちゃったんだ、と笑う。そしてふたりは発車間際の新幹線に飛び乗って、近場の温泉街に着く。それから宿を探して浴衣で遅めの夕食をとる。  ついさっきまで忙しく仕事をしていたのがまるで嘘のような、突然素敵な時間と空間をプレゼントされたような感覚に、わたしは旅支度のない薄着も翌日の仕事のやりくりも、まったく苦にならなかった。計画されたデートでは決して味わえない喜びを、わたしはこのとき初めて知ったのだ。  休日に予定がないからって、好きでもない人と無理やり出かけるなんてやめよう。それじゃ不意のチャンスをみすみす逃しているようなもの。だったらひとりでビデオ観賞三昧の日々に浸るほうがいい。  そんなときおすすめの一本は、エリック・ロメール監督の『緑の光線』。東京の比ではなくバカンス重視のパリを舞台に、予定のないOLが泣いたり落ち込んだりしながら最後にはひとり旅で出会った男性と恋に落ちるというお話。まさにハプニングバカンスのお手本、参考にしてみてね。 [#改ページ]  scene 11 彼らに愛を!  先日、観月ありさ嬢と食事をすることになった。彼女の主演映画『7月7日、晴れ』の感想などゆっくり話そうというのがテーマであった。その日はわたしも彼女もたまたまオフで、連絡を取り合った。何が食べたい、行きたいお店はあるかと尋ねると、ここのところ、こってりイタリアンが続いてるので何かさっぱりしたものが食べたい、でも特に行きたい店はないからまかせる、と彼女は言った。  前にも書いたと思うが、わたしは女の子とふたりで御飯を食べるということは滅多にない。あるとしても編集者や仕事関係の友人だったりするので、大抵店も支払いもあちらまかせになることが多いのだ。だからわたしはめずらしく主導権を持ち、丹念に今夜のコースを練ることになった。  待ち合わせはわかりやすくかつ目立ち過ぎないホテルのラウンジを選び、そこからタクシーで移動出来る距離にある京都のおばんざいが美味しい店を予約する。ひとりで待たせるのは可哀想だから、ふだんより十五分ほど余裕をもって家を出る。なるべく見つけやすい席を選んで座り、どんな風に話をしようか、とあれこれ考えたりする。  そして彼女がその店を気に入るかどうかドキドキしながら、美味しいといって菜の花など食べるのを見て、ほっと安心する。支払いを済ませ店を出て、時計を見ると十時半を少し過ぎたところ。じゃあどこかで一杯飲んで大体十二時ごろには送り届けるというかんじかな、と計算する。  降りしきる雨の中、何とかタクシーをつかまえ、バーテンダーのオザワくんの店のカウンターに座る。初対面のふたりを紹介しつつ、もう一杯飲みたいところをぐっとこらえて彼女の家の前で車を止める。 「楽しかった。またね」  そう言って手を振り、彼女が笑顔で建物の中に消えるのを見届けながら、わたしは不思議な充実感を味わっていた。そしてあらためて、男の偉大さをひしひしと感じたのだ。だってこれって、男性が常日頃経験しているデートのシミュレーションなんじゃない?  わたしはこんな機会はごくたまにしかないけれど、女を誘ってメシを食う、という日常茶飯事の度に男の人はこれだけのことを考えているということですよね。その上、どこでどんなふうにしたらキスしてもいいだろうかとか、今日はひょっとしたらHまで持っていけるかもしれないとか、そんなことまで考えなくちゃいけないんだから、それはもう大変なことである。  それにお金のことだって、やっぱりそこそこの店で食事をしてもう一軒飲んで、その上ホテル代も男性持ち、そしたら一晩で軽く四、五万はいっちゃうってことでしょう。これを週に一、二回続けていたら、経済的にも相当来るものがあるよねえ。  だからと言って、別にわたしはワリカンデートをすすめているわけでも、女の子が主導権を持つのがいいと言っているわけでもない。ただ、ときには男性の立場に立って考えてほしいと思うの。そして偉大なる男性たちには、大きな感謝と尊敬と愛を持って接するべきだと言いたい。  なんだかんだ言って、結局女の子は優遇されてるし、大切にしてもらっているのだ。それを棚に上げて文句ばかり言う女性が多すぎる。あなたと楽しい時を過ごすために、彼がどれだけ考えたり努力したりドキドキしたりしていることか。  それでありさ嬢のようにニコニコ美味しかった、ごちそうさまと言ってくれればいいけれど、なーんにも言わずに出て行かれちゃったり、何でもいいってゆうから寿司屋に連れていけば私ナマモノ苦手え、とか言われた暁には、その無力感は計り知れない。思わせぶりな態度に今夜こそはと気合いを入れて、最後の最後で生理なの、のひと言でうっちゃられてみなさい。カウンターパンチのひとつも浴びせてやろうと思うのが当然てもんです。  だからわたしはどんなときも、男の人の味方です。そりゃ中には別れるときの捨て台詞に、「お前にいくら使ったと思ってるんだあああ」と切れてしまうサイテー男もいるかもしれないけど、それも仕方ないかと大目にみてあげましょうよ。  今度男性から食事に誘われたときには、何を着ていこうかしらと迷うのと同じ時間をかけて、彼の気持ちを考えてみて。もっと優しい気持ちになって、愛すべき男ゴコロにきっと、会えるよ。 [#改ページ]  scene 12 キュロット禁止令  今どきめずらしいとよく言われるのだが、わたしは運転免許を持っていない。高校、大学時代、友だちがこぞって教習所に通っている中、わたしは全然関心がなかったし、必要も感じなかったのだ。あんな暇な季節はもう二度と来ないのだから今になって取っておけばよかったと思うのだが、ずっと助手席専門のまま今日まで来てしまった。  自分で車を運転出来ないせいか、わたしは異常にドライブが好きである。別に大層な遠出でなくても、ちょっと車で出かけるだけでわくわくしてしまう。特にピクニック日和が続く梅雨入り前には、ドライブしたい病が最高潮に達してくる。  だから少しでも時間が空くと、おにぎりと卵焼きを持って彼の車でちょっとしたドライブに出かける。公園の芝生の上で食べると、些細なお弁当でもすごく美味しく感じるから不思議。いつになく和んだわたしの横で、彼も楽しそうにおにぎりを頬張る。彼もわたしと同じようにこのささやかな幸せを噛みしめているんだわ、と思った瞬間、彼がスーパーニコニコして言った。 「ほら、あの娘、パンツ見えそう」  ふう。現実とはこうゆうものなんである。男と女の思考回路のギャップに半ばあきれながら彼の視線をたどってみれば、なるほど、地面に座ってぐっと低くなった目線は女の子の脚を眺めるのには絶好の角度。はあ。  それから小一時間、彼につきあって女の子たちを眺めつつ思ったのだけど、話題の「ナマアシ」、ほんとに流行ってるのね。わたしは若い頃からずっと根強くナマアシ派だったから、夏の馬鹿みたいに暑い時期にもかたくなにストッキングで脚を包んでいる女性たちをいつも不思議だなあと思って見ていた。  冷房対策とか脚をキレイに見せたいとか、いろいろ事情はあるんだろうけど、あれ、やっぱりへんですよ。世界中どこ探したって夏場のストッキング行進が見られるのは日本だけでしょう。  このナマアシの流行でいちばん大喜びしているのは男性たちだと思う。ナマアシ歴十数年のわたしの経験から言うと、男の人は往々にしてナマアシが好きである。わたしは男じゃないけど、これは何となくわかるような気がする。なぜならナマアシはそのまま大好きなパンツに直結するイメージだからだ。  男の人というのはいくつになっても、女の子のパンツが見たいのだ。相手の顔や年齢やスタイルはともかく、よっぽどのことがない限り、とりあえず誰のパンツでも見たいのだ。裸の女が立っているより、見えるか見えないか、そのぎりぎりのところにエロスを感じるのが男たるもの。そして大喜びでパンチラ(死語)を見たあと、顔を見てあーがっかり、というケースも多いそうだけど、それはそれで諦めがつくらしい。  でも、こんな心広き彼らにとってもこれだけはどうしても許せない、納得いかない、というものがある。男性たちを絶望的に脱力させる、それが、キュロットスカートだ。  スカートに見せかけて実は安全なズボン式になっているこの服は、まさに世の男性たちの天敵である。でも、女性のわたしから見ても、あれはお世辞にも格好いいものじゃないです。シルエットだって決して美しくないし、第一、色気のかけらもない。脚は出したいんだけどスカートじゃ心配だし、という発想自体潔くない。駅の階段でお尻をバッグで隠してのぼっているのと同じで、見せたいのか見せたくないのか、白黒はっきりしてくれと言いたくなる。  特に最近は実に巧妙なキュロットスカートが増えて、どう見ても超ミニの巻きスカートにしか見えないのに、フレアの下がしっかりつながっていたりする。もうちょっとでパンツが見えるかな、という男性の淡い期待を一網打尽にしてしまうキュロットスカートは、はっきり言って罪悪だ、とわたしは思う。  だからせめてデートに出かけるときだけでも、「キュロットスカート禁止令」を出したい。そもそも女の子の服には、男性の目を楽しませるという大切な役割もあるのだ。キュロットスカートごときで男性のささやかな幸せを奪う権利はないはず。愛すべき永遠のスカートめくり願望を、わたしたち女性はあたたかく見守ってあげなくちゃ。 [#改ページ]  scene 13 三度のメシより……  昨年わたしは一年間、「肉断ち」をしていた。肉類を一切食べなかったのである。これは別に「いちばん好きなものを断つ」といった願かけの類いではない。ベジタリアンを目指したわけでもない。今さら美容と健康を気にしたからでもない。発端は作家として一生食べていくことへの危機感、であった。  わたしの最初の著書となったのは、やはり恋愛に関するエッセイ集で、『あなたが恋を見つける場所』というちょっとくすぐったいようなタイトルがついている。当時わたしは恋において怖いものなしの時期だったので、この本は今読み返すと自信満々でかなり恥ずかしい。でも内容うんぬんより、初めて自分の名の入った本が書店の棚に並ぶのだという興奮と感動のほうが意味が大きかった。  翌年、念願の小説も無事単行本となり、ようやくプロの仲間入りをさせていただいた。それからは雑誌などの様々な取材や、テレビ、映画の脚本など、ジャンルを問わず依頼されるものすべてを片っ端から無我夢中でこなしていた。そんなある日、はたと立ち止まってしまったのだ。一体わたしは何になりたいんだろうか? 生まれつき器用な性分が災いして、わたしはいくつもの肩書きでしか紹介されない自分の最も嫌いな人種になってしまったんじゃないかしら?  そのときわたしは、本物の「作家」になりたいと思った。とにかく一枚でも多くの原稿を書きたい、そう思ったのだ。  しかし、一日二十四時間という状況は、年間五、六冊も分厚い長編小説を書き上げる超人的作家のかたがたと平等のはず(たぶん)。それなら今までわたしが時間を消費してきた何か、をやめることしかないですよねえ。  でもそこで気づいたんだけど、わたしは大幅に時間を食う趣味やレジャーを何ひとつ持っていないのだ。スポーツは何もしないしギャンブルも一切駄目。旅行も仕事がらみでやっと行くぐらいで、どちらかといえば苦手なほうだ。  強いてわたしの生活に欠かせないものがあるとすれば酒、である。飲んでいる日数プラス、翌日宿酔いから復活するまでの泥のような時間を考えればかなりのロスになるだろう。そうか、酒を断てばいいのか、とわたしは一瞬考えた。でも二秒後に後悔した。原稿を書き終えた後の至福の一杯なしに生きてゆく自信はどうしても持てない。  うーん、それじゃ一体何を断てばいいんだろうか……とオザワくんの店でバーボンを飲みつつ悩んでいたら(そんなことしてる間に早く家帰ってワープロに向かえという説もあるが)常連のお隣りがこう言った。 「そんなの簡単。オトコ断ちすればいいんだよ」  それはムムムなるほど、と黙ってしまうだけの威力ある発言であった。確かにわたしの生活はかなりの割合で恋愛が占めている。仕事以外のすべての時間を殿方に捧げていると言っても過言ではない。今から一年、ほかのことは何もせずに恋愛だけしていろと言われても飽きない自信がある。  なぜなら恋愛は、わたしの生きる糧なのだ。三度のメシより恋愛が好きである。仕事をするパワーだってわたしは恋愛からもらっているんだと思うし、この世に男性がいなかったら作家になろうとなどしなかったかもしれない。中学のとき同級生のナカガワくんは、行く年来る年の街頭インタビューで「あなたにとって愛とは何ですか?」の問いに「すべてです」と真顔で答えてクラス中の爆笑を買ったが、わたしは未だに笑えない。わたしはご親切なお隣りに向かってきっぱりと言った。 「恋愛をやめるのは物書きをやめるときです」  ここまで言いきったわたしに残る道はひとつしかない。睡眠時間を削ることである。起きている時間を増やしかつ脳をクリアーに保つには、動物性のものをいかに摂らないかにかかっている。肉は他の食物にくらべて消化に時間とカロリーがかかるから、そのぶん内臓が疲れて眠くなるという仕組みだ。だから肉を食べず魚や野菜を中心とした食生活にすれば、大体三、四時間眠れば充分、とどこかの教授も力説していた。わたしの肉断ちはこうしてはじまったのだ。一年という期間を終えた今も肉はあんまり食べない。  だから皆さんも、いくら仕事が忙しかろうと、恋愛にかける時間を減らそうなんて絶対思わないでね。睡眠を削って仕事とオトコを増やす。これが女の生きる道、と思うんだけど……どうかな? [#改ページ]  scene 14 ダイエットの不思議  書店に並ぶ雑誌がダイエット特集でいっぱいになると、ああ、夏が来たんだなあ、と思う。特にここ数年のビキニ全盛の波に、女の子たちのダイエット熱はさらに高まっているようだ。  わたしは幸いダイエットとは無縁の身である。ダイエットの苦労もせずに痩せている、とそれだけで非常に女性から反感を買いやすい要素なのはわかってはいるが体質なんだから仕方がない。会う度に「体型を維持するために何かしているんですか?」と訊く人もいて、こういうときはほんとに困ってしまう。何もしていないと言うとまるで嘘つきかのような顔をされるし、何も言わないと勝手に胃下垂にされてしまったりする。何か理由がないと痩せていてはいけないみたいである。  あえて理由をつけろと言われれば、それは小食だからである。でもわたしに限らず、痩せている人の大半はただ単に小食なだけなのだ。もちろん中には食餌療法や運動など日々の努力を欠かさない奇特な人や、女性の憧れの的である「ヤセの大食い」という幸運な人もいることはいると思うけど、こういうケースはごく少数だ。  逆に言えば、「小食」でいさえすれば必要以上に太ってしまうことは絶対にないわけです。その証拠に「あたしちっとも食べていないのに太っちゃって」と言う人に限ってわたしの何倍も食べる。「あたしダイエットしてるんです」と言ってランチを半分残したのはいいけれど、家や会社でひっきりなしにお菓子をつまんでいたりする。よく「水を飲んでも太る」なんて言うけど、あれはもののたとえですからねえ。  しかしダイエットばっかりしている人に限って全然痩せないのは一体どういうわけなんでしょう。これって一種の精神的ストレスなんじゃないかと思う。食べちゃいけない、いけないと思うから食べたくて仕方なくなるのだ。わたしが、ここは禁煙だと言われた途端に煙草が吸いたくてたまらなくなるのと同じだ(ちょっと違うか)。  わたしのまわりでもダイエットをしている女性は多い。わたしがお世話になっている事務所の代表であるヨシカワさんもそのひとりだ。ヨシカワさんはどこか貴婦人の雰囲気のある美人で、端から見るとダイエットの必要なんか全然ないんじゃないかと思うのだが、何十万もする「痩せる下着」を買ったりしている。  そのヨシカワさんが、最近めっきり痩せた。わたしは身近でもそうでなくても、いつも痩せたいと言っていてほんとに痩せた人をあんまり見たことがなかったので、けっこうびっくりしたし、感心もした。何かあったんですか、とわたしが訊くと、ヨシカワさんはちょっと恥ずかしそうに言った。 「私ね、一度でいいからスタンドの灯りつけたままロマンティックなHしてみたいの」  なるほど、とわたしは深くうなずいてしまった。女を痩せさせるのは、こんな切なるオトメゴコロなのである。確かに誰でもカラダにコンプレックスはあるものだ。それが恋に積極的になれない原因になっているのなら、ひとつでも取り除くに越したことはない。世の中の男性全員が痩せている女が好きなわけではないけれど、コンプレックスの源が太っていることであるのなら、痩せて自分に自信をつけて恋に前向きになれるほうがいい。  よく「恋をすると痩せてキレイになる」というけど、結局はそういうことなのだ。いくら雑誌で研究しても、「万人に効くダイエット」はどこにもないのである。何年待ってもこれぞ決定版! というダイエット法は出てこないのだという現実をよく見つめ直してほしい。  食べることなんて忘れてしまうくらい夢中になれる恋を見つければ、ダイエットなんて簡単なのだ。夏だからせっせとダイエットフリークになるより素敵な恋を見つけに行こうよ。 [#改ページ]  scene 15 わたしヒマです  ユーミンのコンサートに行けなくなってしまった。その朝突然に、どうしても外せない打ち合わせが入ってしまったのだ。  わたしは特にユーミンフリークというわけではないけれど、コンサートだけはわくわくして観にいく。彼女のステージは毎回びっくりするような趣向が凝らされ、そのスケールの大きさにはいつも感嘆させられる。あるときはドラマティックな映画にも勝り、あるときは格闘技の試合よりも興奮し、またあるときはサーカスもかなわない超美技だったりする。最後には客席全体が幻想的な世界にひきこまれ、涙すらこぼれてしまうのだ。ユーミン恐るべし。  チケットを名残惜しそうに見つめ、その行方を思案しながら仕事に向かった。会場で関係者と落ち合うことになっていたのでチケットは一枚しかないのだ。二枚あれば欲しい人はいくらでもいるかもしれないけど、一枚きりのチケットというのは内容を問わず扱いに困るものだ。  相手先の事務所に着くと、ちょうどアルバイトのミナコちゃんが居合わせた。ミナコちゃんは二十歳をいくつか過ぎた、いつも眉をきれいに手入れしている可愛らしい女の子だ。はかなげな見かけによらず行動的で、ひとりで映画や舞台を観にいく、と聞いたことがある。 「今夜って、空いてる?」  彼女なら、チケットを譲ってもいいかな、と思いわたしは言ってみた。するとミナコちゃんは少し困ったように美しい眉を寄せた。 「あの……えっと、わたし今日はちょっと……」  歯切れの悪い口調に、はーん、きっとデートなんだろうな、と察した。そうか、何も楽しみなデートを勝手にキャンセルする権利はわたしには、もちろん誰にも、ない。じゃあほかに誰がいるかしら、と事務所を見まわしているとミナコちゃんが言った。 「……何か、あるんですか?」  わたしが事実のままを答えると、ミナコちゃんの顔がみるみる輝いた。 「わたし、行きます!」 「でも、何か予定があるんでしょ、いいの?」  わたしが率直な疑問で返すと、彼女はまた困ったちゃん顔になって、とても言いにくそうに言った。 「ほんとは……何もないんです。わたし、ヒマなんです」  話を聞くと、ミナコちゃんは半年前に二年半つきあっていた彼氏と別れてから、あえて手帳に書くような「今夜の予定」がほとんどなくなってしまったんだそうだ。でもいつもヒマだと思われるとつまらない女みたいで嫌だから、空いているかと訊かれれば空いていないと答える癖がついてしまった、というのだった。毎日が空白のスケジュール帳まで見せてくれようとするミナコちゃんを制して、わたしはチケットを渡した。  予定がないと恥ずかしい。女性なら、もしかしたら男性にも、こんな時期は必ずあるものだ。わたしにもそんな頃があったかもしれない、とふと自分のOL時代を思い出す。きっと今のミナコちゃんのように、同僚の突然の誘いに思わず口ごもってしまっていただろう。もうとっくに忘れてしまった懐かしいような思いだった。  その若さならではの青いプライドは、確かにきらきらした素敵な感受性に違いない。けれど同時に、それを捨てなければ決して大人の女にはなれないのだ。なぜなら、予定がないことを恥ずかしいと感じるということは、生活のどこかを自分以外の誰かに依存しているということだ。精神的な自立にはほど遠い状態なのである。  もちろん、この「ヒマです」が言えるようになるのには、思ったより時間がかかる。「忙しい」と言うことを一種のステイタスにしているうちは駄目なのだ。まあ、三十過ぎてもそういう人ってけっこういるけど、見ていてあまり気持ちのいいもんじゃないでしょう、あれは。そこを通り過ぎてこそ、もっと肩の力を抜いたいい恋が出来るようになるんじゃないかな。 「みかさん、今夜ヒマですか?」  ユーミン様を逃した数日後、所属事務所のミヤタさんから電話が入った。ちょうどその日の原稿を書き終えつつあったわたしは即答する。 「はい、ヒマです」  その夜わたしが少女の心と引き換えに手に入れたのは松田聖子武道館コンサートのアリーナチケットであった。ちなみに、わたしはデビュー当時からの聖子熱愛者のひとり。やっぱり、大人になるって、いいもんです。 [#改ページ]  scene 16 ドラマと現実  七月からスタートしたフジテレビの連続ドラマ『翼をください!』のスタジオに差し入れに行った。主演の内田有紀とはこれまでに二本、一緒に仕事をしているが、会う度にその成長ぶりには驚かされる。このあいだまでまだほんの子供だったのに気がついたらもう中学生になっていたのか、といった感じだ。  きついスケジュールと暑さでまいっているんじゃないかと心配していた有紀の、意外に元気そうな表情に安心する。会うのは半年ぶりぐらいだがまたひとつ大人っぽくなっていた。今回は今まで演じてきた役とは180度違うキャラクターに挑戦しているだけあって、彼女もいろいろ考えるところがあったのだろう。  撮影の合間にドラマや役柄についての感想などをひとしきり話し、休憩時間になると会話は他愛ないおしゃべりに変わった。当然恋の話にもいたり、何かの流れで彼女が言った。 「みかちゃんとわたしって、好みのタイプ似てるんだよねえ」  事実、そうなのである。有紀とはひとまわり近くも齢が違うのに、男性の好みが似ている。思えばわたしも二十歳の頃から惹かれる男性像というのはあまり変わっていないような気がするから年齢は関係ないのかもしれない。相手の顔や姿に共通点があるというより、男性を見るときの目のつけどころみたいなものが似ているんだと思う。以前ラジオ番組で男性有名人たちについて、好きだとかこいつは駄目だとか、ああだこうだ勝手なコトをふたりで言いたい放題する企画があったのだが、意見が合いすぎて困ってしまった。  わたしは自分と似た好みを持った女の子にあまり会ったことがない。だからって別にマニアックな趣味をしているわけではないと思うのだが、いいな、と思う相手がことごとく一致するケースはめずらしい。それで思ったんだけど、好みの異性が似ている同性って、けっこうコワイ存在なんじゃないかしら。  もちろん有紀とわたしなら全然問題ないけど、もっと近しい、たとえば同級生とか同僚にそんな女の子がいたとしたら嫌ですよねえ、やっぱり。クラスや会社という狭い範囲の話だったら、当然取り合いっこに発展する可能性大。となれば「先に好きって言ったもん勝ちレース」がくり広げられること間違いなし。  こんなとき、同じ男性にターゲットを合わせたふたりのうち、大抵ぱっと見キレイで派手な積極派の女の子に恋の軍配が上がる。片や消極派は、いつの間にかライバルを後押しして応援する役まわりにされてしまっていたりする。テレビドラマでもよくあるでしょう、こういうバトル。  ドラマの中でヒロインになるのは必ず「好きだけど言えない」女の子のほうだ。それは、視聴者の大多数がこちらのタイプだからである。テレビの前で「そんなことしてるヒマあったら早く言っちゃえよ!」とか思いながら主人公に感情移入してくれるので、この手のドラマは大体視聴率がいい。逆に積極的で恋上手な女の子は同性の支持を得られないから「ちょっとやな奴役」として描かれるのが常である。  でも、ドラマの世界では最初不利な立場でスタートしても、最終回までには彼がこっちを振り向いてくれるように出来ているからいいけど、現実ではそうはいかない。早く役柄を変えないとずっと恋の敗者になってしまうから事態は深刻。  あなたがもし女優でないのなら、ヒロインなど目指さずひたすら「ちょっとやな奴役」に徹することをおすすめする。いくら女の子の支持を受けても恋愛には何の得もないのだ。ましてやこんなバトルに参加しなきゃならない羽目になったら、たとえどんな手を使おうと先に男性の心をモノにしたほうが勝ちだ。  好きになったらもう何でもあり。だって現実の恋にシナリオはないんだから、ね。 [#改ページ]  scene 17 期間限定恋愛のすすめ  映画『リービング・ラスベガス』の試写会に出かけた。映画の原作となった同名小説の書評を書くためだ。情けない男を演じさせたら世界一、のニコラス・ケイジがこれまたぴったりのアル中の役で主演男優賞を総ナメしていると聞けば、いくら仕事がらみとはいえ、わくわくせずにはいられない。  アルコール中毒を扱った映画というと、酒を断つために闘う男とそれを支える献身的な妻、という図式が定番である。わたしはこの手の作品には飽き飽きしていたのでちょっと不安だったんだけど、この映画は違った。何しろ、男は酒をやめようなどという気は毛頭ないのだ。とにかく酒を飲み続けて有り金使いきったら死んじゃおう、と、二十四時間酒場が開いているラスベガスにやってくる。そこで、恋に落ちた娼婦に、彼は言う。 「決して俺に酒を飲むなと言うな。約束出来るか?」  彼女はその約束を守り、天使のような優しさでべろべろの男と至上の愛を貫き通そうとする。彼女が彼にスキットル(携帯用の銀製酒瓶)をプレゼントする場面など、感激のあまり泣きそうになってしまった。これぞ究極の、期間限定の愛。うーん、素晴らしい。  アル中の恋人に酒を飲むなと言わない。これは簡単そうに見えてものすごく大変なことである。よく恋人同士で、相手を変えるのは難しい、というのを耳にするけど、実際は相手を変えようとしないで愛し続けることのほうが難しいのだ。  つきあいはじめたばかりの頃は、いい。相手が自分とは全然違う価値観や考えかた、趣味、嗜好を持っていたとしても、それは新鮮さとなって彼の魅力を引き立てるだけのものだからだ。大体つきあいはじめて三か月ぐらいまでがその時期にあたる。  ところが、ある程度長いこと一緒に時を過ごすうちに、だんだんそうはいかなくなってくる。特に女性は、恋愛に「将来」という二文字がちらちらしてくると、相手の健康や生活、仕事、そして世間体など、恋には不適切なアイテムをあれこれ考えてしまう生き物。この人、好き嫌いが多くてお肉ばっかり食べてるけど、野菜も食べさせなくちゃ。毎日お酒飲んだらカラダに悪いからせめて一日おきにしてもらおう。ギャンブルばっかりじゃ貯金も出来ないから控えてね。いつまでもTシャツとGパンじゃ仕方ないから服をプレゼントしてあげる。ちょっとお腹が出てきたみたい、彼にはどんなダイエットがいいかしら?  これらはもちろん、好意には違いない。ところが、大半の男性は、自分のライフスタイルをとやかく言われるのが大嫌いなのである。お互い好きでつきあってるのに何で今からそんな女房面されなきゃいけないんだ、と思う。そして彼らが面倒臭そうな顔をしたりすると決まってこんな台詞が飛び出す。 「あなたのこと思って言ってるのに、あたしの気持ちなんか全然わかってくれないのね!」  ここまで来ると、彼女が男に逃げられる日も近い。口を出せば出すほど男は離れていくのだ。何年もつきあってた彼をちょっと目新しいだけの女にかっさらわれたりするのは大抵こんなときだ。せっかく将来を考えてしたことが、かえって恋の終局を早める結果になってしまう。これは利口なやりかたとは言えないですよねえ。  自分の未来にも影響してくる相手と思えば、甘やかしてばかりはいられないのもわかる。でもそれをわかった上で、甘やかさなくてはいけないときもあるのだ。ノドまで出かかった彼への指摘を何度飲み込めるかに将来はかかっていると言ってもいい。  それには、自分の恋心を常に期間限定品にとどめておくことが大切である。ずっと一緒にいたいとか、この人しかいないとか思うから知らず知らず彼に厳しくなってしまうのだ。ときには先のことなど忘れたふりをして、その場、その場の恋の楽しさに思いっきり浸ってみる。そうすれば初心にかえって彼にも優しくなれるはずだよ。  男誰しも、口うるさい女より、いつも甘いキャンディーをくれる女が好きだ。ふだんちゃんと甘やかしてあげれば、ここぞというとき意外に言うことを聞いてくれるもんです。  どうしてもガマンできないときは、この『リービング・ラスベガス』を観て、期間限定恋愛の基本を学んでみては? アル中にくらべれば、あたしの彼の悪癖なんて可愛いもの……と思えたらこっちのもの。しかしニコラス・ケイジのアル中は、絶品だったなあ。 [#改ページ]  scene 18 手づくりの贈り物  お友だちのタガワさんに久しぶりにお会いすると、名刺が変わっていた。「ビアレックス」という、最近デパートなどで流行っている手づくりビールキットの会社に転職したのだそうだ。ビールが大好物のわたしは、さっそくひとつ購入してやってみることにした。やっぱり自分の手で何かをつくるという作業はそれだけでわくわくするものだ。ふとわたしは何もかも忘れて編み物やキルトに没頭していた学生時代を懐かしく思い出した。  あの頃は器用、不器用にかかわらず、みんなやってましたよねえ。友だち同士で自分のつくったビーズの指輪を交換したり、キルティングのお手製バッグで通学したりして、今思うと可愛いというか恥ずかしいというか。これがだんだん色気づいてくると、彼氏へのプレゼントへと移行していく。夏休みが終わって秋の風が吹きはじめる季節になると、授業中そこここで隠れてセーターを編む姿が見られた。  そんな光景って、もう過去の遺物なんでしょうねえ。だってあれから十数年、手づくりプレゼントバッシングの嵐だったから。これは「もらっても格好悪くて着られない」「捨てられないから迷惑」「怨念が込められてそうで気持ち悪い」などなど、ほかならぬ男性側の意見によるものだったから、我々が編み棒を捨てるには充分な説得力があったのだ。  そんなこんなでバブル全盛期に突入、女性たちは必死でブランド物のシャツやセーターを買ってきれいにラッピングして贈ってきたわけだ。女性から男性へのプレゼント総額は確実に急上昇したはずである。でもそれも、そろそろ限界を迎えてるっていう気がしない?  そこで提案なんだけど、今一度、手づくりプレゼントを見直してみるというのはどうでしょう。いや、だからってね、なんでもかんでもつくりゃいいってもんじゃないよ。でも、手づくりのものというのはうまく使えば恋にすごく効果的なアイテムだから、喰わず嫌いするのはもったいない話。  手づくりプレゼント戦法を成功させるのに大切なのは、まず自分の技量を知ることだ。男性にいちばん嫌がられるのは、手先があまり器用じゃないのにいきなりE難度の大作に挑戦しちゃった、みたいな場合である。以前よく街で見かけた編み目ぼこぼこのざっくりセーターや、元は白だっただろう毛糸がすでにグレーになってしまった長ーいマフラーは、こうした勘違いの産物。今の彼女に見つからないようにタンスの奥に隠している男性がた、心中お察しいたします。  もし初心者なら、ちょっとしたイニシアルの刺繍とか、写真を使ったコラージュとか、カードだけを手づくりにしてみるとか、失敗のない小物を選ぶと間違いない。買ったプレゼントに添えるだけで彼の心に残る印象はぐんとアップすること間違いなし。  逆にかなりの手づくり経験者なら、絶対既製品にしか見えないプロ並みのものをつくってみる。わたしも昔、極細の毛糸で目のこまかいベストを編んで贈って、これなら手編みに見えないから着られる、とヘンな喜ばれかたをされたことがあるけど、この「えーっ手づくりだったの!?」という路線はけっこうポイント高いよ。  まあなんだかんだ言っても、手づくりプレゼントの明暗は、渡しかたにかかっている。何より彼に妙な重荷を背負わせないことだ。間違っても「これ三か月もかかったのよ、大変だったんだからあ」とか「一目一目にあたしの思いを編み込んだの」なんて言ってはいけない。これをやったらせっかくの努力も水の泡、どころか逆噴射である。  そんな愛の押し売りをしなくても、手づくりにかけた時間と一緒に、彼への想いが伝わればいいのだから。そしてその贈物が出来上がるまでずっと、彼のことをあれこれ考えるあなたの恋の高まりこそが手づくりの本当の意味なのだから。もっと肩の力を抜いて気軽に、あくまでもさりげなく、が手づくりプレゼント復活の鍵になりそう。  さて、わたしはもうすぐ完成の手づくりビールを誰にプレゼントしようかなあ……。 [#改ページ]  scene 19 危険な海外旅行  今、ちょっとわくわくしている。今年初めてのバカンスが目の前まで来ているのだ。一週間ほど休みをとって、バリ島に行く。バリは今回で五度目だが、気候や風土、食べ物など、どれもわたしの好みに合う。毎年泊まるアマンダリは、真のリラックスが得られる大好きなホテルだ。  というのも、今年夏休みというものを一日もとっていなかったのである。まあ別に、それはめずらしいことでもなんでもない。毎年夏が来ると、今年こそは海へ行ったりプールで泳いだり、恋人と花火を見上げたりして過ごそう、と心に誓うのだが、なかなかそうはいかない。夏バテに苦しみながら仕事をしたり雑事に追われたりして気がつくともう、夏は通り過ぎている。今年も恥ずかしながら、海もプールも一度も見ていない。  ……なんて書くと、さも毎日朝から晩まで机に向かって原稿を書いていたみたいで格好いいんだけど、実はそんなこともない。一日中ぼーっとしている日もあったし、我が家のオリンピック視聴率はかなり高かったし、デートだっていっぱいした。でもそれは、「休日」とは違うのである。作家というのは基本的に二十四時間営業だからオンとオフの区別が非常につきにくい。日本にいる限りどうしても気持ちの切り替えがつかず、休みをとった気になれない。だから本来、海外旅行はあまり得意ではないのだが、一年に一度くらいの割合いで出かけることになる。  海外旅行といっても、恋人とお手々つないで、というわけではない。わたしの彼は見ているこっちの目がテンになってしまうくらい忙しい人なので、これまで一泊以上の旅をしたことなど一度もない。わたしは仕事が出来てかつ仕事が好きな人に惚れることが多いようで、今まで彼氏と海外旅行に行ったのなんて学生時代のグアムぐらいだ。  それなのに、海外へ行くと言うと決まって「へーえ、彼氏と? いーなー」と反応する人が多いのはなぜなんでしょうね。みんなそんなに彼氏と海外旅行してるんでしょうか? そもそも、何が何でも彼とふたりで海外に行きたい、という願望がわたしには全然ないのだ。  だって、恋人と海外旅行するのって、ものすごく勇気がいることだと思わない? よく、他人を理解するには一緒に旅をするのがいちばん、と言うけど、これが海外ならばなおさら。日本では決して顔を出さないその人の本質が、丸見えになってしまうのだ。  言葉の問題とかややこしい手続きとか移動とか、いろいろ面倒臭いことがある上、妙な解放感があるのがかえって裏目に出る。解放感が愛を燃え上がらせるのは、国内で自由に会えない芸能人ぐらいだ。  よく、ハワイとかのホテルのレストランで、つまらなそうに黙々と朝食をとっているカップルがいるでしょう、あれがいい例。何がきっかけになったかはわかんないけど、今まで知らなかった相手の本質を見てしまった、のである。日本にいるのと違ってお互い逃げ場がないから、旅行が終わるまで嫌でも一日中顔をつきあわせていなきゃなんないのもつらい。以前話題になった成田離婚、というのだって、熱海か箱根あたりにしておけば別れなくてすんだのにねえ。  だから、今の彼との仲を長く続けたいと思っているのなら、海外旅行はなるべく先延ばしにしたほうがいい。特に初めての旅行は必ず国内にとどめること。いくらラブラブでも海外はそれぞれ別々に出かけて、遠く離れた彼を想って絵葉書をしたためるのもよし。  でもどうしても、というのなら、慎重すぎるくらい慎重に旅行計画を練ること。出来れば、最初はふたりきりでなくダブルデート状態にしておくのが無難。行く先は、彼が行ったことがある場所にするのがいちばんいい。女性だけが行ったことがあって彼は初めて、というのはいけない。彼の情けなさが露見しやすいからだ。スポーツでも、彼が先にはじめたものをふたりでやれば仲良くなるけど逆は駄目、っていうのと同じね。  まあ、恋人と一緒にいられるのなら何もわざわざそんな危険を冒さなくても、自分や相手の家でずうっとべたべたしていればいいじゃないって思うけどね。  と、そんなわけで、このページを含めたいくつかの原稿を書き終えれば、わたしはデンパサール行きの飛行機に乗っている。つけ加えれば、帰りの飛行機が無事、成田空港に着いたその日には、わたしの初めての長編小説『愛された娘』がいよいよ書店に並ぶ。  バカンスと本の出版と、どっちがわくわくしているかと問われれば、正直言って断然後者である。それもこれも、やっぱり恋人との旅行じゃないからなんでしょうか!? [#改ページ]  scene 20 料理上手のすすめ  わたしは家事全般の中で料理がいちばん好きである。よくつくるのは和食とイタリアン、と言っても本格的なものでは全然なくて、もちろん家庭料理レベルのものばかりだが、何をつくるかというより料理する過程そのものが好きなのだ。  料理というのは書く作業に似ている。まずその作品の題材(食材)があり、構成を考え(下ごしらえ)、本文を組み立て(加工)、細部をまとめる(味つけ)。まあ文章と違ってやり直しが利かないぶん、料理のほうがライブ感があるんだけど、初めから終わりまでひとりでつくりあげるという点ではどちらも同じである。しばらく外食が続くと無性に料理をしたくなって閉店間際のマーケットに駆け込んでしまう。  ところが、わたしは未だかつて「料理好き」に見られたことがない。料理が得意そうに見えないどころか、自分ひとりでは御飯も満足に炊けない、お茶すら自分ひとりではうまくいれられないように見られることがほとんどなのだ。知り合いはもちろん、一度カウンターに座っただけのお鮨屋さんにまで「お姉さん、自分でタマゴヤキつくったことないでしょう」などと言われる。まったく、ヒトのイメージというのは恐ろしい。  若い頃は、これには腹が立って、ずいぶん反論もした。でも今は、そう思う人には言わせておけばいいやとニコニコ聞いている。だって、もっといい方法に気づいたもんね。それは「料理上手に見えない外見」を100パーセント利用すること、である。  人の魅力の八割くらいは「意外性」で決まるのだ。ちゃらちゃらした子がきちんと挨拶が出来るだけで、�オーッ�と歓声が上がるように、外見におけるマイナスイメージというのは利用しない手はない。まるで料理が駄目そうなら駄目そうなほど効果は絶大。得意料理の数だけ男の子が口説ける。食欲と性欲というのは非常に近いものだから、男性はタイプを問わず女の手料理にヨワい生き物。必死にブランドもので身を飾るよりも、シェイプアップにお金をかけるよりも、こちらのほうが明らかに成功率が高い。  外見にかかわらず、もしあなたが料理が得意、もしくは好きであったら、今後人前で料理の話はしないこと。男の人は料理上手の女は大好きだけど、料理自慢の女は大嫌いなのだ。それを忘れずここぞというとき、つくりなれた美味しい料理を披露する。ここぞというとき、とは意中の男性を家に招くか、お弁当持参のお出かけをするときのことね。  じゃあ逆に、料理がどうしても駄目、苦手なの、という人はどうしたらいいか? はっきり言って、これはけっこう難しい問題である。英語がしゃべれなくても運転が出来なくてもオトコには困らないけど、こと恋愛に関しては、女で料理が出来ないのはかなり困る。 「だって彼氏がしなくていいよってゆうんだもーん」って言うならそれでいいですよ。ただ一般的に言って、男にモテたいなら若いうちに料理はある程度やるべきである。だってこんなにポイント高い科目を捨てたとなると、それ以外の部分で補わなきゃなんないわけでしょう。それはもう、どっから見てももの凄い勢いでピカピカに魅力的でなければいけない。そっちのほうが料理よりよっぽど難しいと思わない?  そこで。どんな料理嫌いの人も、こうなったら覚悟して、何かひとつだけ「おハコ」を決めることをおすすめします。料理の基礎なんて全部かっとばして、とにかく一品だけ練習すればいいの。これだけはよっぽどのことがない限り失敗しない、いつも同じ味に美味しく仕上がる、という一品を持つこと。幸い近頃は美味しいおにぎりがちゃんと握れるだけで感激してくれる優しい男性が増えたから、そんなに難しいことじゃないよ。  目玉焼きとゆで卵とインスタントルーを使ったカレーorハヤシライス以外、なら何でもいい。なるべく万人に受けるべく、好き嫌いの少ない料理のほうが使えるけどね。特に、男性がコロッときやすい「おふくろの味」路線なら申し分なし。そうと決まったら、週に一度は残業も夜遊びもやめて、ひとり、料理の腕を磨いてみて。 [#改ページ]  scene 21 人生ものさし  久しぶりに、同じ番組のライター仲間のタマコさんと飲みに行った。物書き同士は仲良くなりにくいという説もあるが、彼女の場合、職種うんぬんより実にニュートラルな生きかたそのものに得るところが大きい。  仕事の種類なんて全然こだわらないわ、私に出来ることならやりましょう。彼氏はいるけど別に結婚とかはどっちでもいいや、どうしても子供が欲しいってわけじゃないしねえ。という肩の力が抜けたかんじが、無理してなくてほんと、格好いいんである。わたしよりいくつか年上なのだが、そんな焦りは微塵も見えない。その余裕は果たしてどこから来るんだろう、といつも疑問に思ってきたのだが、ようやく謎が解けた。その夜わたしは、かねてから懸案の質問を彼女にぶつけたのだ。 「タマコさんは多才で何でも出来るから今は何でもこなしてますけど、最終的にはこれだって決めてる分野があるんですよね? 結婚にこだわらないのは『一生仕事派』ってことなんですよね?」  その途端、彼女は一体全体、どうしてそんなことを訊くのかといった顔で、さらりと言った。 「基本的には行きあたりばったり、ね。一生仕事派というよりは、一生マイペース、ね」  そのあまりのさりげなさに圧倒されて、わたしもあと何年かしたらこんなふうになれるかしらと思ってみたけど、一秒後に無理だと悟った。なぜ無理かといえばそれは、人間の種類が違うからだ。どう違うかといえば、自分の人生について自ら設計をするタイプかそうでないか、である。  人を大きく分類するのにはいろんな方法があるが、人生設計をするタイプかそうでないかの差は、どんな物事についての思考にもかかわってくると思う。人生設計タイプはいついかなるときも、自分の人生になんとなくものさしの目盛りをつけて生きているのだ。  たとえば、いくつまでにこんな仕事をして、いくつまでに結婚をしていくつまでに子供を産んで、とか、考えてもしょうがないことをあれこれ想定しながら生活している。その点、タマコ派は違う。目の前には今、現在、興味のある事柄や人物しか存在しないのだ。将来自分がどうなるか、何年後に何をしているかなど関係ないのである。  わたしはしばしば後者のタイプと誤解されることがあるのだけど、とんでもない、わたしはコテコテの「人生ものさし派」なのである。実はね、二十五、六歳までに一冊は自分の名前で本を出し、着々とキャリアを積みつつ二十八歳ぐらいで結婚し、三十歳までに子供をひとり産んで、その後は子育てをしながら書きたいものだけを書く、といったような人生設計を、すでに二十歳前からシミュレーションしてきたんです、わたし。この中で実現出来たのは「二十五、六までに本」だけだったけど。ああ、こんな齢まで独身とは夢にも。  でも、わたしに限らず、多分ほとんどの女性はこっちのタイプなんじゃない? その証拠に、松田聖子さんは「寅年の人と結婚して寅年のコドモを産む、トラトラトラ、でしょ」なる名言を残してきっちり実現し、賀来千香子さんは「私三十二までに必ず結婚します」と断言して見事三十二歳で宅麻伸さんをゲットした。その他実例多数。  この、人生ものさしの考えかたというのは、やっぱり年齢でくくられやすい若い女性特有のものなんだと思う。極端な話、男性は六十歳になっても子供がつくれるけど女性はそうはいかないでしょう。そのせいもあって本能的に、人生を細かいいくつものゴールで縛っていく。わたしも例外ではないから何とも言えないんだけど、これってけっこう自由な恋愛の敵だったりするのでは。  もちろん聖子さんや千香子さんみたいにうまくはまればそれに越したことはないけど、なかなか予定どおりにはいかないのが世の常。だから夏休みの守れない計画表みたいに、自分でつくった架空のものさしにいつまでも縛られていると、本当に大切な恋を逃しちゃったりすることも。 「アタシの計画ではこうじゃなかったのにい!」とか日々ひしひしと感じてる人は、ちょっとだけものさしをとっぱらってみる必要があるかも。天然のタマコ派にはなれなくても、心がけ次第で忘れたふりぐらいは出来るはずだよ。わたしもその努力の結果、いい恋にいっぱい出会えた。とっぱらった瞬間に、今までの自分には予想もつかなかった熱い恋が待ってたりするからね。  と言いつつ、つい今でもふと三十五歳までには結婚して、とか思ったりしてるんだけど、駄目かなあ……。 [#改ページ]  scene 22 正しい聖夜の過ごしかた  クリスマス熱のスタートは年々早まるような気がする。師走にもまだあいだのあるうちから、街も、女の子の心も、クリスマス一色。もちろんわたしも例外ではなくて、今から、彼には何をプレゼントしようかな、なんて考えてる。この世界中に広がるわくわくした波動はクリスマスならでは。  イヴの夜だけ都心の主要ホテルの予約が一年前から一杯になってしまった狂気の沙汰を過ぎて、一昨年あたりから「みんなでホームパーティー」というムードが盛り上がった。実はわたしは、何ともいえないこのムードが嫌いである。あのバブル期の馬鹿騒ぎがいいっていうわけじゃないけど、なんかこれって素直じゃないんだもん。  このホームパーティー支持派の主張の下には、必ずひねくれたやっかみが流れているのだ。お金使うばかりがクリスマスじゃないわ、どこ行っても混んでて高いだけだし家がいちばん。彼氏とふたりきりのイヴを過ごすなんて日本だけよ、私ったら友だちがたくさんいるから恋人がいなくたって寂しくないの……ようするにみんな、やっぱり恋人とふたりでとびきり素敵なイヴを過ごしたいと思っている証拠じゃないですか。  クリスマスは不況も陰気な事件も吹き飛ばす、国民的娯楽の祝典であるべきだ。どんなに節約して生活している人も、この日だけは日常を忘れて華やいだ気分になれる。厳しいダイエットプログラムを守っていても、この日だけはめちゃくちゃ甘いケーキだって食べてしまう。引っ込み思案な女の子も、この日だけは大胆なアプローチをしてみたりする。それもすべてあっさり許されてしまう、特別ロマンティックな日であってほしい、と思う。  だからいつもつるんでいる友だち同士でわいわい、なんて絶対反対、なのだ。そんなのイヴじゃなくたって、二十三日でも二十五日でも出来るでしょう。別に毎日やったっていいけどね。この聖夜だけは、ゴージャスでも密やかでも、いちばん好きな人とふたりきりで過ごしたい。街のきらきらしたネオンの下を手をつないで歩きたい。高価でもそうでなくても、プレゼントを贈ったり贈られたりしたい。いくつになっても、この気持ちを忘れてはいけない。クリスマスは恋を演出するのにこれ以上ない舞台なのだから。 「それって自分が恋人と一緒に過ごせるから言えることでしょ」と思っている人、それは違います。そんなこと言ったらわたしだって、今年のイヴを彼と過ごせる確率、けっこう低いんだよ。彼がいつも忙しいのはもちろん、イヴをわたしと過ごすために仕事をおろそかにするような人間でないのは明らかだし、わたしも年末に飛び込んでくる締切りに追われているに違いない。これまでだって、恋人と会えないイヴは何度かあった。特に不倫の恋をしているときなんて、イヴはまさに生き地獄だもんね。でもそんなことは問題ではない。大事なのは実際イヴを彼と「過ごせるか」ではなく「過ごしたい」なのだ。この「過ごしたい」から逃げてはいけない。何かほかの方法でごまかさないでほしい。  じゃあ、恋人がいない人、もしくはいても会えない人はどうしたらいいのか。答えは簡単、ひとりでいればいいんですよ。みんなで騒いで孤独をまぎらわせようなんて駄目。すっごい好きなわけじゃないけど、まあこいつでいいか、みたいな男の子とデートするのも禁止。ふだん実家に寄りついたこともないのにこうゆうときだけママに頼るのもバツ。そんなことしたってあとで巨大なムナシサが襲ってくるだけ。寂しいクリスマスをきちんと受け止めて、しっかり毅然とひとりで過ごす。ふたりきりかひとりきり、これが大人の女の正しいイヴの過ごしかた。  こんな夜を過ごすからこそ、来年のイヴに向けての恋愛パワーが湧いてくるってもんです。それに、クリスマスにひとりで立ち向かえた人には、意外なご褒美が待っているかもしれない。部屋でひとり過ごしたイヴの夜、偶然憧れの人から誘いの電話がかかるとか……クリスマスのミラクルって、本当にあるんだから。 [#改ページ]  scene 23 バッシングな女たち  今めちゃくちゃ注目している女性がいる。ドラマ『協奏曲』の宮沢りえさんである。  この『協奏曲』、話題性も充分、視聴率もトップクラスだというのに、観ている人の意見がこうも賛否両論のドラマもめずらしい。わたしのまわりでも、「あれはいい!」と絶賛する人と「全然駄目」と言う人と大体半々ぐらいだ。それで気づいたんだけど、この不思議な賛否両論、ドラマの内容うんぬんではなく、ひたすら「宮沢りえ」にかかっているみたい。つまり「今の宮沢りえ」を肯定するか否定するかという議題なのである。  わたしがどちらかと問うならば、これはもう断然、肯定派である。何を隠そう、わたしは「今の」りえちゃんが大好きなのだ。もともと健康美的な女優は苦手で、はかないほど細いほうが好みなのだが、もちろん理由はそれだけではない。あの「婚約・破局・激やせ騒動」以来、彼女と切っても切り離せないものといえば、バッシング、である。  あれは本当にひどかったですよね。二十歳そこそこの女の子に向かってマスコミと世間の女性たちがたたみかける、ちょっとひどすぎるんじゃないのお、という攻撃。そんな中で出演した『北の国から'95秘密』の宮沢りえの演技と存在感は、これがあの棒立ちエレベーターガールと同一人物か!? と疑うほど素晴らしかった。ああ、この娘はタダモノじゃないぞ、とその頃から好感を持っていた。  その思いを決定的にしたのは、あるテレビ局の独占インタビューだった。ロスアンゼルスの家まで押しかけたレポーターが親切を装いつつ、彼女の体を頭の先から爪の先までじろじろ眺めまわした挙句「どうしてこんなに痩せちゃったんですか!? 拒食症はやっぱり本当!? 今体重は何キロ!?」なんてひどい質問をくり返しているとき、彼女は言った。 「昨年は心がぎゅーっと縮まるようなことが多くて、それで体もぎゅーっとなってしまったんだと思います」  わたしはこれを聞いて、涙が出るほど共感した。彼女にとってこの一連のバッシングは、それが原因でつぶれてしまうのなんて簡単なぐらい、その波にのまれないほうがおかしいぐらいものすごい大波だったに違いない。それなのに宮沢りえは必死で生き続け、今びっくりするほどの成長をもって復活している。「身も心もぎゅっと縮まるような思い」を乗り越えた女の子が魅力的にならないはずがない。かつて健康的と言われた頃とはまるで別の、竹久夢二的な魅力さえ湛えている宮沢りえを見る度にわたしも頑張らなくちゃと励まされるくらいである。  りえちゃんにとどまらず、わたしがいいな、と思っている女性有名人が決まってバッシングされるのはなぜだろう? 神田うのちゃんはモデル時代からの大ファンだし、松田聖子さんや中森明菜さんも大好き。彼女たちの共通点てなんだろう……と考えてみるまでもなく、彼女たちはひとり残らず「恋愛体質」だということなんである。そう、わたしは恋愛体質で頑張っている女性が大好きなのだ。  なんだかんだ言って、女が女をバッシングする動機はただひとつ、やっかみなのだ。女は本能的に男にモテそうな女、つまり「恋愛体質の女」が嫌いなのである。だから陰のある色気とか、男が思わず支えてあげたくなるような細い体の持ち主とか、自分がモテるのをあまり隠さず本音を言ってしまう女の子は必ず攻撃される。  その逆に「健康的」とか「元気な色気」とか、「ナチュラルな生き方」なんていうのを世間の女性は褒めそやすわけです。すなわちこれが「女から好かれる女性像」ということになる。このタイプは絶対に同性からのバッシングを受けない。最初バッシングを受けていても、この「健康的信仰」に迎合していくとだんだん同性票を獲得出来るようになる。飯島直子さんがいい例で、色気とカラダの露出度をどんどん抜いていったら今や、「女性が選んだ好きな女ベストテン」で山口智子さんと並んで常連になっている。  わたしはこの、「女に好かれる女」にまるで興味がない。別に悪いとは思わないけど、見ていて全然面白くないんだもん。同性から嫌われるくらいの恋愛体質でなければ女に生まれた甲斐がない、とさえ思う。  女たるもの、いかなる同性の反感を買おうと、いっぱい恋をしてたくさん傷ついて、そのひとつひとつを乗り越える度に強く美しく成長していく。不屈の恋愛ターミネーター、これこそ女の生きる道。皆さんも、バッシングな女たちの恋愛体質をもうちょっと見習ってみてもいいと思うよ。 [#改ページ]  scene 24 恋の年越し  今、ダンボール箱に囲まれながらこの原稿を書いている。お引っ越しなのだ。  わたしは自他ともに認める引っ越しマニアで、同じ部屋に長く暮らすことが出来ない。家で仕事をしているせいもあると思うが、別に不満があるわけでもないのに何となく、環境を変えたくなってしまうのだ。だから二十三歳からひとり暮らしをはじめてこれまで引っ越すこと七回。平均一年ちょっとで引っ越していることになる。もちろん更新なんて一度もしたことがない。ここまで来るともう、立派な引っ越し病である。  引っ越しというのは、考えただけでもぞっとするくらい、とてつもないパワーがいる。苦手な書類や手続き関係がいっぱいあって面倒だし、第一、お金がかかる。今までこんなに引っ越しをしていなければもうちょっと貯金があっただろうに。絵に描いたような引っ越し貧乏である。それでもわたしは引っ越しが好きなのだ。ふだん活動的とか積極的とかいう言葉とは縁のない生活をしているくせに、引っ越しだけは好きだ。  安住型の人には絶対理解出来ないと思うが、引っ越しには、ほかにたとえようのない魅力と麻薬性がある。それは、その部屋に住んでいた年月を、ひとりそっと振り返る絶好の機会だからだ。住んでいるうちに知らず知らず増えた荷物を整理するとともに、その部屋にまつわる様々な思い出に思いきり浸ることが出来る。そう、年末とかに「ああ、今年も終わりだなあ、今年はどんな年だったんだっけ」と振り返る、あれに似ている。私の場合はいつも年末ばたばたして気がつくとお正月、というかんじだから、その代わりが引っ越しになっているのだろう。  だから今流行りの「おまかせらくらくパック」みたいな引っ越しは駄目で、全部ひとりできちんと荷造りをしないと気がすまない。服や本や雑誌、書いた原稿、撮った写真、もらった手紙やカードにいたるまで、ひとつひとつの思い出をえいっと気合いを入れて整理する。大切なものは大切にしまい込み、そうでないと判断したものは潔く捨てる。これを何日も何日もくり返していくうちに、今の自分が見えてくるのだ。  さて現在の部屋は、一昨年のクリスマスに越してきたから二年弱、わたしにとっては長いほうだった。この部屋に住んでいた間は厄年|真《ま》っ直中《ただなか》だけあって仕事ではまさに転機、つらいことも嬉しいこともいっぱいあった。初めての長編小説を書き上げたのもここだし、この連載を書きはじめたのもここだった。そして、この部屋で育くまれた恋は大きく成長して、無事、次の部屋まで持ち越しとなった。とりあえず、めでたし、めでたし。  これから楽しい冬休みが待っているという人も、寂しい年末年始を耐えなければならない人も、一年の終わりはじっくり今年の恋愛を振り返って、もう一度今の自分を見つめてみる絶好の機会だよ。別にわざわざ荷造りまでしなくても、彼との楽しいデートや幸せな夜、また、死んでしまいたいくらいせつない涙の思い出などが蘇《よみがえ》ってくるはずだ。そのどちらもちゃんと冷静に受け止めて、この恋が本当に自分にとって大切なものなのか考えてみてほしい。  ここで大事なのは、頭で考えるのではなく、心と身体で感じること。理性や常識をとっぱらって、純粋に恋愛と向き合うこと。そこでもし迷ってしまうぐらいなら、潔く捨ててしまおう。たとえばそれがつらい恋でも、やっぱり彼が必要と結論したら、もう泣かないで。明るく笑顔で新しい年を迎えに行こう、ね。  わたしもこれまで数々の引っ越しを機に、いろんな恋を見つめ直してきたような気がする。だけどわたし、新しい部屋に引っ越す度に「これが独身最後の部屋、ここを出るのはヨメにいくとき」と心に誓うんだけど、残念ながらまたも果たされなかった……今度こそ。 [#改ページ]  scene 25 占いの威力  どうも最近、ついていないらしい。酔っぱらって怪我はするわ、携帯電話は失くすわ、ここではとても書けないぐらいすっごく大切なものまで失くして、もうどうすりゃいいのって。すべてわたしの不注意だと言ってしまえばそれまでだけど、こう続くとねえ、なんだかなあ。  人間、こういう弱っているときに限って頼りたくなるのが「占い」である。ふだん目もくれない星占いページをついつい見てしまったりする。そうするとやっぱり「今月のあなたは何をやってもうまくいきません。ひと言でいえばツキがない、といったところ」なんて書いてある。わかってるよ、そんなにはっきり言うな! と叫びたくなるが、そんな元気があるわけもなくまた落ち込んでしまう。逆に「水瓶座に幸運期がやってきました。ラッキーなことが続いて自分でもびっくり、なんてことも」などと書かれるとこれまた、みんなそんなにラッキーなのに何でわたしだけ! と頭に来る。  もともとわたしはあまり占いに興味はない。なのに弱っているときをねらったように、「あなたの男運を占う!」なんていう企画の取材依頼が来るからつい引き受けてしまう。以前、ある雑誌で有名な占い師のかたにみていただく機会があった。そのときわたしは不倫|真《ま》っ最中《さいちゆう》のどん底ダウン状態、これぞ神の救いとばかりに出かけていった。  氏名と生年月日を告げ、何やら怪しげにカードが繰《く》られるのをわたしはじっと見守った。すると、占い師のかたはおもむろに口を開いてこうおっしゃった。 「彼は必ず奥さんと離婚なさってあなたを迎えに来ます。ええと……○月○日ですね」  わたしは耳を疑った。だって占い特有のどうとでもとれるもってまわった言いまわしではなく、これ間違いなく断言だもんね。何より、この最後の日付が効いた。全く信じられないような予言でも、具体的な数字が加わったことによって非常に現実味を帯びてくるものだ。それが、わたしが彼とつきあいはじめた日やふたりの節目になったような細かい記念日まですべて言い当てられた後ならなおさらだ。  その日からわたしの超ハイテンションな日々がはじまった。わたしはそのXデーまでを指折り数え、自然に顔がほころんでしまうほど幸せだった。占いひとつでここまで復活している自分に苦笑しながらも、つらいはずの恋がこんなに明るく見えたことはなかった。みんなに言ってまわりたいのを抑えるのが大変だったぐらいだ。  そしてドキドキして迎えたXデー当日。わたしはあまり期待しないように気をつけながらも一日中家にこもって待った。……奇跡は起こらなかった。奇跡どころか、ふだんより何事もない一日が通りすぎていっただけだった。  でもね、ここでわたしがもう一生占いなどするものかと涙に暮れたかというと、そうでもない。占いのすごいところはここである。たとえそれが当たらなかったという結果に終わっても「だってしょせん占いだもんね」という逃げ道が用意されているのである。そればかりか、未だにこの占いには感謝しているぐらいだ。だってこの占いのおかげで、デートの度に泣いていたわたしが彼とハッピーなときを過ごせたわけだし、何か月ものあいだ涙を流さずに眠れたのだ。仕事で嫌なことがあっても、どんな失礼な奴に会っても、ニコニコ明るく切り抜けてしまえたのだ。実はめちゃくちゃネガティブなわたしの性格に欠けていたものが、占いによってカバーされてしまったのである。  こと恋愛に関して、こんな絶大な威力を発揮するものは占いをのぞいてほかにないだろう。わたしほど極端な経験ではないにしろ、似たようなことは誰の心にもあるんじゃないかと思う。とにかく占いとUFOは「信じる、信じない」という実にくだらない議論ばかりがくり返されるのが常だが、問題は自分がそれを楽しめるかどうかなのだ。でも実際は、占いに振りまわされてしまうタイプか、また軽視、軽蔑してしまうタイプか、どちらかの人がほとんどなんだよね。  どんな恋にも悩みはつきもの。もっと上手に占いを取り入れて、占いとうまくつきあっていければ、とても強力な恋の味方になってくれるはず。消極的な人は積極的に、悲観的な人は楽観的に、気の多い人は一途に、飽きっぽい人は気長に、ねちねち派はあっさり、そんなふうに、自分本来の恋のパターンから抜け出す絶好のチャンスを、占いによってつかむことが出来るのである。  まあ、それもこれも、いい占いだけを記憶するという基本姿勢あってのものかな。こんなについてないわたしだって「今年は十二年に一度の幸運な年」と聞いてちょっと期待したりしてるんだから、占いってすごいでしょ。 [#改ページ]  scene 26 ふたりで温泉  寒い季節になると、温泉が恋しくなる。特に真冬の雪見露天風呂など、思い浮かべただけでぐっときてしまう。この時期「温泉」という言葉には「ハワイ」と同等の威力がある。今ハワイ旅行と温泉旅行が同時に当たったら真剣に悩んでしまいそうだ。  いつ行ってもノーテンキになれるハワイもいいが、飛行機に乗らなきゃいけないと思うと、やはりドライブがてら行ける距離にありながら、束の間の天国を味わえる温泉は魅力的である。末端冷え症のわたしには、あの究極の頭寒足熱状態は何にも代えがたいものがある。  なんだかんだ言って年に二、三度は温泉に出かける。わたしも彼も特に温泉通というわけではないからガイドブックや雑誌の温泉特集なんかを見てはよさそうな宿を探すのだが、温泉ほど当たりはずれのあるものもめずらしい。  何しろ写真と現物が、果たしてどこをどうやって撮るとこういうグラビアが出来上がるんだろうと思うぐらいまるで違うんだから。つまりあれはいちばん上等な部屋だけを、いちばんいい角度から、余計なものは一切写らないよう細心の工夫をこらした作品なのだ。商売なのはわかるけど、こりゃあ詐欺だぜって言いたくなるとこも多いよねえ。まあだからこそ、ここは当たりだ、という温泉に出会ったときの喜びも大きいんだけど。  でも、温泉の旅で唯一残念なのが、メインディッシュであるお風呂に彼と別々に入らなくてはならないこと。いちばん美味しいところで離れ離れにされるのは何とも惜しい。冷たく長い廊下の末、男風呂と女風呂に分かれる瞬間はかなりせつない。たまに混浴、とか書いてあっても、なかなか入りづらいものだしね。  だから小さくてもいいからまともな内風呂があったりするともう、何も言うことはない……と、わたしは常々、温泉に関する原稿やコメントを依頼される度に力説してきたのだが、どうやら世の女性たちがみな同じ思いというわけではないらしい。  なぜって、温泉に行っていつもびっくりするのが、カップルより若い女性のグループのほうが圧倒的に多いこと、なんである。ほんと、異常に多いんだもん。  わたしがいつになくしとやかな面持ちで彼に寄りそう傍らで、華原朋ちゃんばりの高音できゃっきゃっとやられるとちょっと複雑な気持ちになる。中年のオバさん連が多いのは納得出来るけど、どうしてうら若き女性たちがこうも揃って女同士で温泉に行かなきゃならないんでしょう?  そもそもどうして女の子だけで温泉に行こうと思い立つのか不思議である。気心知れた女友だちと夜通しおしゃべりしたりするのが楽しいのかな、とも思うけど、じゃあ何もわざわざ温泉じゃなくても赤プリかなんかでいいじゃないかと首を傾げてしまう。彼女たち全員が全員、彼氏がいないわけでもないだろうし、たぶんここ数年来定着した温泉ブームによるものなんだろうが、どうもしっくりこない。  だって、温泉ほどHっぽいところってほかにあんまりないじゃないですか。どこか隠れ家的な淫靡な雰囲気、部屋で差し向かいでしっとり傾ける熱燗、ふだんあまり見せたことのない白いうなじを露《あらわ》にする湯上がり美人の浴衣姿。そこへ持ってきてぴったりと並べて敷かれた寝具を前に「おやすみなさいませ」なんて言われた暁にはもう、たまんないくらい色っぽい。いつも小洒落たイタリアン・レストランやバーでデートしているからこそ、何かふたりで秘密を共有するような温泉デートはふたりの仲を親密にするのに絶好の場所になるはず。それを女たちだけで占領してしまうのはもったいないよ。  やっぱり、恋人とふたりきりで訪れるのが正しい温泉の利用法。温泉のすべての過程が恋人たちのためにあると言っても過言ではない。  つきあいはじめたばかりのカップルなら、温泉のちょっと大人の雰囲気にドキドキするのもよし、最近倦怠期かなあ、と感じてるふたりなら新鮮な気持ちになれるし、もし不倫してる恋人たちなら人目を気にせずここぞとばかりに思いきりベタベタできる。どんな間柄でもそれぞれの温泉はふたりをあたたかく包んでくれるに違いない。  そろそろ女同士の温泉は卒業してみては。彼との初めての温泉はちょっと勇気がいるかもしれないけど、この冬こそひとつ挑戦してみよう。温泉はお肌を磨くだけじゃなく、恋も磨く場所だということをお忘れなく。 [#改ページ]  scene 27 ババシャツ撲滅宣言  ババシャツが流行っているらしい。ラジオ番組のネタ出し会議でこの噂を聞きまさかと耳を疑ったのだが、アナウンサーのミユキさんとライターのタマコさんは涼しい顔。 「そうそうあれ、あったかいのよ。一度着るともうヤミツキ」  ババシャツとはその名のとおりオバサンしか着ないものと信じていたわたしは、その真偽を確かめるためにデパートの下着売り場に取材に出かけた。 「今年はぴったりしたコートが流行ですから、下にジャケットとか重ね着できないんですよお。だから寒いっていうんで若い女性のかたによく売れてますよお」  自信満々で並べられたのは見るもおぞましいババシャツの数々。ご存知、ぬめっとした肌色・長袖の、色気のひとかけらもない、あれである。街で見かける女の子たちのお洒落なコートの下に、あんな恐ろしいものが隠されていたなんて。ショックで放心状態に陥っていると、デパートのおねえさん、といっても明らかにわたしより年下の店員さんが制服の袖をまくって追い討ちをかける。 「あたしも着てるんですけどお、ほんと、あったかいんですよお」  確かに、あったかいのはわかる。しかし、うら若き女性があんなものを身に着けては絶対にいけないのだ。だって、Hするときどうするんですか。ドキドキして服を脱がせてみたらババシャツなんて、男性たちが可哀想すぎる。ボディコン全盛期に流行ったガチガチのボディスーツのときもHの敵だと思ったけど、ババシャツにくらべれば可愛いもんだったなあ。 「だってデートのときはババシャツなんか着ないもーん」と言われるかもしれないけど、その考えかたがまずいけません。実際、「今日はデートだから」というHの予感がない限り、下着にはあまり気を遣わない女性が意外に多いんだそうだ。彼女たちに言わせると、上下お揃いの外国製の高い下着は「ここぞというときのための」下着で、滅多に取り出されることはなく、それ以外の日は上がベージュで下が黒なんていう世にも奇妙な格好でも全然平気らしいのである。  これはほんとに嘆かわしい事実だ。だってこれじゃあ自分から恋を遠ざけているようなものですよ。恋なんて、頭の先から爪の先までハプニングで出来てるんだから、予定どおりになんか運ばない。一歩外に出たら、どこでいつどんな素敵な人と突然恋に落ちるかわからないのだ。  もしそうなったとき、あ、今日はHする予定じゃなかったから服は脱げないわ、なんて言ってたら、せっかくの恋のチャンスが台無し。こうやって恋愛にブレーキをかけてしまうババシャツは悪以外の何ものでもない、とわたしは思う。 「ここぞというときのための下着」なんて何の役にも立たない。女性なら、毎日がここぞという日であるべきだ。別に高い下着をいっぱい買いなさいと言うわけじゃなくて、せめて色ぐらい毎日揃えてほしい。服のコーディネートにかける時間の何分の一でもいいから下着に気を配ってほしい。常に突然のHに耐えられる下着を身につけておくことは当然の女性の身だしなみである。  もちろんその下着が人目にさらされることなく終わる日のほうが多いに決まっているけれど、大切なのは心の持ちよう。「今日はババシャツ」とちらっと頭をかすめるだけで、どうしても恋に消極的になる。逆に素敵な下着をつけているだけで、知らず知らず積極的になれる。女ゴコロは微妙なのだ。  いつも体のすみずみまで準備万端にしている女性はやっぱり恋に対して前向きになれる。たとえば冬場になるとムダ毛の処理を怠ってしまうという人、これも要注意。季節にかかわらず恋は一年中やってくるんだから油断は禁物。  それからひとり暮らしの人は、思いきり部屋を散らかしたまま出かけるなんて駄目。部屋を出ていくときはひとりでも、帰ってくるときふたりにならない保証はどこにもないでしょう。いつも完璧に掃除しておくのは無理でも、最低限、男性の観賞に耐えられる程度に部屋はきれいにしておく。その小さな努力のひとつひとつが恋を見つける大きな第一歩になるはず。  ババシャツを着ていいのは冬に寒いロケが続く女優さんやモデルさんだけ。一般人のわたしたちはちょっと寒いぐらいガマンして、おしゃれな下着で風を切って歩こう。今日、家に帰ったらさっそく、恋の敵ババシャツはえいっと全部捨ててしまおう……でもこんなこと言っちゃって、あれってけっこう高いらしいね。 [#改ページ]  scene 28 細胞まで愛して  映画『パラサイト・イヴ』の完成披露試写会に出かけた。監督の落合正幸氏とは『世にも奇妙な物語』の仕事で知り合ったのだが、何を撮ってもいつもめちゃめちゃ格好いい映像を見せてくれるので、今回もかなりわくわくしていた。  その多大な期待を裏切らず、よかったですよ、『パラサイト・イヴ』。瀬名秀明さんの原作も、専門知識が何もないわたしが一気に一晩で読んでしまったぐらい面白かったから、それに負けない映像を創り出すのは大変だったと思うけど、全然負けていなかった。細胞とかミトコンドリアとか、女の子が気持ち悪がりそうなアイテムばかり登場するのに、そのどれもが目を背けるようなものではなくて、実に美しいのだ。特にラストの人体発火シーンではさすが落合さんというかんじで、そこへ感動的な久石譲節が流れて、思わず涙がこぼれてしまった。  映像が素晴らしいのはもちろん、わたしが胸を打たれたのはそこに描かれた究極の愛のかたちである。この物語は簡単に言うと、最愛の妻を失った研究者が、脳死した彼女の肝臓を手に入れて細胞を培養する、というショッキングな内容だから、バイオホラーというジャンルづけをされているが、これはホラーというより究極のラブストーリーだ。  わたしはただひたすら怖いだけの映画は苦手なのだが、何らかの愛の在り方を問題提起するようなホラーは大好きだ。これまでも『ザ・フライ』などは当時「恋人がエイズのような病気になったら、あなたはどうするか」というギリギリの愛情を描いていた。  この『パラサイト・イヴ』の場合は「どこまで人を愛せるか」というところにテーマがあるのだと思う。人は誰かを本当に心底愛したとき、その相手を永遠に愛し続けたいと思う。でも現実、なかなかそうはいかない。  情熱のボルテージはそんなに長続きするものではないし、環境の変化や月日の経緯や老いや、様々な問題も次々に襲ってくる。ひとりの人をずっと愛し続けるのがいかに難しいか、これは恋愛における永遠の課題ですよね。そう思うと彼女の細胞の中に永遠の愛を求めてしまう主人公の気持ちもよくわかる。これは現実離れしたお話ではなく、すごく身近な感情なのではないかという気がしてくる。  今つきあっている彼がいる人は、胸に手を当てて考えてみてほしい。自分は本当にその人そのものを好きなのだろうか。彼の肩書きや条件や社会的地位や経済力など、すべてとっぱらってみてもその人が好きなのだろうか。たとえ彼が全財産を失ってしまおうが、事故で半身不随になろうが、リストラでラーメン屋をはじめようが、それでもまだ彼を愛し続けることが出来るのか。  もしその答えがノーだったら、それはやっぱり純粋な恋愛とは言えないんじゃないかな。もちろん、毎回毎回そんな恋が出来るとは思わないし、そんなことしてたら身も心ももたないかもしれない。でも、同じ女に生まれたなら一度は、すべてを通り越して彼の細胞そのものを愛してしまう、そんな恋愛をしてほしいと思う。  わたしも今までたくさんの恋をしてきたけど、本当に純粋な大恋愛なんて一度か二度しかない。そんな恋をしているとき、彼に触れ合う瞬間、細胞が沸き立つような感覚をおぼえることがある。  彼に会えると思っただけで、わたし自身が嬉しいだけじゃなく、細胞のひとつひとつが喜んでいるような……そうそう、前に渡辺満里奈がやっていたCMでおなかの中のビフィズス菌がわあわあきゃあきゃあ狂喜乱舞してるやつがあったけど、あんなかんじ。そういうときは、やっぱり肌とか目とかにまで変化が現れるらしくて、人に会う度にきれいになったと言われたりする。恋愛と細胞って意外に密接な関係にあるのかも。  骨まで愛して、ならぬ細胞まで愛して、これぞ究極の愛。うーん、そんなとこまで考えさせられてしまう『パラサイト・イヴ』の威力、まだ観てない人はぜひ試してみて。  ちなみにこの試写会、わたしは内田有紀と連れだって観に行ったのだが、角川書店の主催だけあって、ものすごい顔ぶれだった。  お隣りは大沢在昌さんと鈴木光司さん、その向こうは景山民夫さん夫妻、赤川次郎さん、京極夏彦さん、阿刀田高さん、内田康夫さん……錚々たる大御所作家先生がたに囲まれて、わたしたちは明らかに浮いていた。でも有紀はともかく、わたしだって、一応作家なんだけどなあ……。 [#改ページ]  scene 29 セックスレスの弊害 『義務と演技』が映画化されると聞いて、ちょっと驚いた。昨年放映された連続ドラマ版は『半熟卵』以来飲み友だちの大浦竜宇一くんが出ていたから毎回ビデオに録っていたのだが、善し悪しは別として何ともえげつない話だなあと思って観ていた。内館牧子さんの原作とは内容にかなり落差があったらしいから、詳細はわからないけど。  しかしそのドラマが話題となって映画にまでなるということは、「セックスレス」というテーマに興味を持っている人がいかに多いか、ということだ。一体全体いつからこんなに市民権を得ちゃったんだ、セックスレス。わたしのまわりでも、セックスレス夫婦やセックスレス・カップルは異常に多い。 「いやあ、ウチなんか一年に一度するかしないかで」とか「デートったって、ゴハン食べてじゃあねってかんじですよ」なんて言うのを聞いて、最初は人前だから照れてるだけで実はやることはやってるんだろうなあ、ぐらいにしか思っていなかった。わたしは世の中のほとんどの人々が普通にセックスは好きなんだと信じて疑わなかったのだ。ところがそうじゃないんだよね。みんなホント、してないんだもん。  昔、といってもほんの五、六年前だったら、男の子はいつも「あーあの女と一発やりたい」と口癖のように言っていたし、女の子は女の子で「理想のデートは三高(死語)の彼氏と赤プリでHしてえ」などと騒いでいたものだ。男女を問わず「やった、やらない」「やれる、やれない」という、言ってみれば単純で実に本能的なところで情熱を燃やすことが出来たのである。  たとえそれが純粋な恋愛感情とは少々ずれていたとしても、とりあえず当時は異性に対してパワーがあったのだ。恋愛し、その上セックスまでするからには多大なパワーがいる。だけど全般的に恋愛パワーが落ちている今、熱烈な恋をしている人や常にセックスに情熱をかけている人はむしろ少数派になってしまった。たまに女と見ればとりあえず口説いてみるわかりやすい人や、フェロモンばりばりでクネクネしてる人に出会うと思わずほっとしてしまうぐらいだ。  その上この「セックスレス」という言葉の流行がまたいけない。日本人は流行りモノに弱いから、今まで黙っていた人たちがセックスしてないことを平気でカミングアウトするようになった。それもひそひそ恥ずかしそうに言うのならまだしも、声高らかにやや自慢気に話している。そんなの自慢じゃないっつうの。健康な男女が一緒に住んだりつきあったりしていて互いには手も出さず、ひとりHか風俗ですませてしまうなんて、どう考えたって健全じゃない。それをまるで格好いいことかのように祭りあげる今の風潮は最悪。このエッセイを読んでいる人は絶対真似しちゃいけませんよ。  彼らに言わせれば、セックスなんて面倒臭いからなるべくしたくないものなんだそうだが、わたしはそんなの認めない。確かにセックスしなければHにまつわる様々な面倒はないかもしれない。でもそのかわり、愛する人に抱かれる幸せや、やっと口説き落とした女をわが手にする喜びを忘れてしまっているのだ。人間にだけ与えられた素晴らしいセックスの快楽を、こんな若いうちに放棄しちゃって、本当にいいんですか。  セックスレスの弊害は気持ちいいことをするとかしないとか、そういう問題ではない。セックスへのパワーがないということはイコール、恋愛そのものも危ういということなのだ。だってあんなすごい愛情確認の手段なんてどこ探したって見つからないでしょう。だからいつもちゃんとHしているカップルは見ていて安心だけど、セックスレス・カップルには明日別れちゃうかもしれないようなもろさがある。  恋愛がうまくいくもいかないも、絶大なるセックスの力をなくしてはどうにもならないとわたしは思う。いい恋愛、というのはいいセックスも含めて成り立つのだということを忘れないでほしい。大好きな人とは三日に上《あ》げずHでしっかり愛情確認するぐらいのパワーを恋愛に注いでほしい。 「今どきそんなの希少価値」といくら馬鹿にされようとも、わたしはこれからもずっと、恋とHに胸を焦がして生きたい。傷ついてもつらくても、いつも恋愛パワーは全開にしていきたい。セックスレス・ブームになんか惑わされずに、いい恋といいHをいっぱいして、どんどんいい女になろうよ、ね。 [#改ページ]  scene 30 毎日が恋愛日和  わたしはどちらかというと気が長いほうである。待ち合わせの相手が一時間遅れてきてもそんなに苦にならないし、人の話を最後まで聞かずに口をはさむこともないし、五百ページ二段組の長編小説を途中で放り出すこともほとんどない。マイケル・ギルモアの『心臓を貫かれて』だってもうすぐ読み終わる。まあ、かれこれ二か月ぐらいかかってるからずいぶんペースは遅いけど。  だから、これは気が長いせいなのかどうかわからないけど、「恋人に飽きてしまう」ということもない。まわりで「今の彼氏、なんかもう飽きちゃってえ」とか聞いても、わたしには一度も経験がないから実はよくわからない。どうもわたしには、人間に限らず一度好きになったものに対して、飽きる、という感覚が欠如しているらしい。  でも「恋人に飽きた」と言っている人の話を聞いていると、症状はよくわかる。会ってもドキドキしない。新鮮味がない。デートやセックスがワンパターン。電話は定期便みたいにやってきて、いつもおんなじような話題ばっかり。クリスマスやお互いの誕生日も一巡してしまって、特別楽しみにするイベントもない……大体そんなところでしょう。でもこれみんな、ある程度恋愛長くやってれば当たり前のことなんだよね。  会ってゴハン食べるのもセックスするのも電話でおしゃべりするのも、全部同じ男女がやってるんだから、結局同じことくり返してるだけ。もちろんみんな、いろいろバリエーションを模索したりして頑張るわけだけど、いくら努力しようと、必ずマンネリはやってくる。でも、ここで飽きちゃった、のひと言で投げ出して次の相手にいったところで、またしばらくしたら同じことを感じてる自分に気づくはず。  だって「自分を飽きさせない男」なんて、この世にいないんだよ。万が一いたとしたって、それは優柔不断でない男を探すより難しい。そして、飽きない男を探し求めているうちは、本当の恋には出会えない。  なぜなら、本当の恋の醍醐味は、偉大なるマンネリの中にあるのだ。そもそも誰か特定の男性とつきあう、っていうのはそういうことなのよ。毎日毎日同じ人と、同じ顔見て同じような会話しながら同じようなゴハン食べたいと思うのが恋なわけです。  わたしは以前、『別れの十二か月』という小説集の中で、「ずっとはじめの一週間だったらいいのに」という女の子の台詞を書いたのだが、もちろんつきあいはじめて一週間のときめきは、何にも代えがたい素晴らしさがある。でも、ずっと最初の一週間でいられる恋なんて存在しないのだ。あとはいかに、その偉大なるマンネリの中に恋心を持ち続けられるか、しかない。  相手のいいところも悪いところもすべてわかって、意外性なんか何もなくなってしまってもまだ、その人と同じようなゴハンを食べたい、一緒に眠りたいと思う。それが本当に人を愛する、ということなのだ。  分厚い本が読みきれなくても、職場をころころ変えても、注文した料理が十五分出てこないといらいらしてもかまわない。でも恋愛に関してだけは、気が長い女性になってほしい。恋愛期間の長い、短いにかかわらず、気長に恋と向き合ってほしい。そうすれば、恋にピリオドを打つときは「飽きた」なんて理由じゃなくて、きっと次の恋へのステップになる何かが、あなたの中に残るはず。  たとえ変わり映えしないように見えても、山あり谷あり波瀾万丈の日々であっても、大切なのは、あなたの毎日が恋愛日和であるということ。みんなの恋の空模様がいつも良好でありますように。 [#改ページ]   文庫化にあたって  二年前に出版された「愛人の掟」が文庫化されることになった。  当初、わたしの中にいちばん強かった思いは、「不倫は特殊な恋愛である」という一般的な考えに対する反論であった。不倫は特殊な恋愛のようにとらえられているけれど、実はごく普通の恋愛ではないか、という逆説的な発想からこの本が生まれた。そろそろ不倫の恋をひとつの恋愛の形として認めてほしい、というのがわたしの願いだった。  そして、読者のかたがたから寄せられた約百通に及ぶ手紙を読み進むうちに、実際この恋に悩む女性たちが自ら不倫を誰からも認めてもらえない特殊な状況と思い込み、たったひとりで膝を抱え、終らない涙を流していることをあらためて痛感した。そんな彼女たちの涙をひと粒でも減らすことが、この本の真意であることを確信した。  それから二年、わたしのもとに舞い込む不倫の恋についての取材は急激に増えた。女性誌だけでなく、男性誌や週刊誌、堅い内容の新聞などから様々な視点でインタビューを受けた。そこには「今や不倫は常識」「不倫の恋をしていることをもう誰も隠さない時代」というような新たな認識が生まれていた。もちろん、最後は「不倫はいいか悪いか」というお決まりの議論に戻っていってしまうこともあったけれど。わたしは世の中の変化を嬉しく思うと同時に、少し寂しい気持ちになる。いくら不倫が「一般化」されたとはいえ、不倫の恋をする女性たちの心が癒されるわけではないのだと。  女性たちの誰もが、結婚だけが恋愛のゴールではないと気づきはじめた今、不倫の恋は偶然ではなく必然としてわたしたちの前に存在している。あなたのすぐ横のテーブルにも、出口のない不倫の恋にためいきをもらす女性がいる。そんな彼女たちが、被害者意識を捨て、今を生きる自信を失わず、常に自由な魅力を持ちつづけながらまっすぐ前を見つめて歩いていく。そんな時代が、もうすぐそこまで来ている。  現在、すでに去年出版された続編「愛人の掟・2」に続く三作目「愛人の掟・3」を執筆中である。この本があなたの恋のさらなる支えになり、新たな一歩を踏み出す勇気を与えてくれることを心から願っている。  わたしの作品に触れてくださったかたがたに、最上級の幸せを。 [#地付き]一九九九年 秋 梅田みか 角川文庫『愛人の掟 1』平成11年10月25日初版発行             平成14年5月25日13版発行