[#表紙(表紙.jpg)] 表層批評宣言 蓮實重彦 目 次[#「目 次」はゴシック体]  表層批評宣言に向けて  言葉の夢と「批評」  表層の回帰と「作品」  健康という名の幻想  倒錯者の「戦略」  風景を超えて   あとがき   文庫版あとがき   自筆年譜 [#改ページ]   表層批評宣言に向けて[#「表層批評宣言に向けて」はゴシック体]  いま、ここに読まれようとしているのは、ある名付けがたい「不自由」をめぐる書物である。その名付けがたい「不自由」とは、読むこと[#「読むこと」に傍点]、そして書くこと[#「書くこと」に傍点]、さらには思考すること[#「思考すること」に傍点]を介して誰もがごく日常的に体験している具体的な「不自由」である。だが、人は、一般に、それを「不自由」とは意識せず、むしろ「自由」に近い経験のように信じこんでいる。従ってこの書物の主題は、「自由」と「不自由」とのとり違えにあるといいうるかもしれない。普遍化された錯覚の物語。その物語の説話論的な持続を担う言葉たちは、だから、むしろ積極的に「不自由」を模倣することになるだろう。ここに繰り拡げられようとしている文章は、それ故、ある種の読みにくさにおさまるほかはあるまい。この読みにくさ[#「読みにくさ」に傍点]は、選ばれた主題に忠実であろうとする言葉たちの運動から導きだされるものにほかならず、いささかも修辞学的な饒辞を気取るものではない。  この書物の主題ともいうべき「不自由」が、一般には「不自由」と意識されがたい[#「意識されがたい」に傍点]というなら、では、その「不自由」は、人目には触れがたいどこか奥深い地層の内部か、それとも瞳が達しえない不可視の圏域といったところに温存された何ものかとの遭遇として体験されるものなのか。いや、そうではない。いま、この瞬間、誰もがごく身近に感じとっていながら、その感じとられた生なましい対象を、奥深い影の部分だの、不可視の暗部だのに身をひそめたより確実なものと信じられる何ものかを参照することなしには、それを具体的な対象とは容認しがたいという、徹底して表層的な「不自由」が問題なのである。人が意識しないもの、あるいは意識するのを回避するもの、それは、のっぺら棒な表面だ。距離の意識も方向の感覚もが対象の認識に貢献しえない、中心や深さを欠いた環境としての表面。「知」は、この環境を、距離の意識と方向の感覚とに従って分節化しようとする。ところでその分節化を可能にする距離と方向とは、実は、すでに分節化されている、したがって決していま[#「いま」に傍点]、ここ[#「ここ」に傍点]にありはしない抽象的な環境の中にあらかじめ刻みつけられたものにすぎない。だから、あらゆる分節化の試みは、「不自由」への馴致を前提としている。そして、その「不自由」を「自由」と錯覚することで、人は「知」と呼ばれる抽象と折合いをつける。存在を分節化することで二義的な分節化をうけいれるかにふるまうこの抽象的な「知」に対して、ここでは、距離も、方向も、深さも、中心も欠いた表層の体験が顕揚される。だが、それは、できればそうあることが望ましいと夢想されるが故に顕揚されるのではなく、日常的に体験されていながらもその生なましい存在感があっさりと虚構化されてしまっているので、その虚構化の運動に抗うべく顕揚されねばならないのだ。 「自由」と錯覚されることで希薄に共有される「不自由」、希薄さにみあった執拗さで普遍化される「不自由」。これをここでは、「制度」と名づけることにしよう。読まれるとおり、その「制度」は、「装置」とも「物語」とも「風景」とも綴りなおすことが可能なものだ。だが、名付けがたい「不自由」としての「制度」は、それが「制度」であるという理由で否定されるべきだと主張されているのではない。「制度」は悪だと述べられているのでもない。「装置」として、「物語」として、「風景」として不断に機能している「制度」を、人が充分に怖れるに至っていないという事実だけが、何度も繰り返し反復されているだけである。人が「制度」を充分に怖れようとはしないのは、「制度」が、「自由」と「不自由」との快い錯覚をあたりに煽りたてているからだという点を、あらためて思い起こそうとすること。それがこの書物の主題といえばいえよう。その意味でこの書物は、いささかも「反=制度」的たろうと目論むものではない。あらかじめ誤解の起こるのを避けるべく広言しておくが、これは、ごく「不自由」で「制度」的な書物の一つにすぎない。  表層の顕揚を志向しつつもろもろの距離と深さとにとらわれて生きるしかない書物。その点からして、一つの遊戯的な姿勢が導きだされてくる。それは、「倒錯」の姿勢である。「制度」の機能を意図的に模倣しながら、その反復を介して「制度」自身にその限界を告白させること。あるいは「制度」がそうした言葉を洩らしそうになる瞬間を組織し、そのわずかな裂け目から、表層を露呈させること。「物語」の説話的持続の内部に、その分節化の磁力が及びえない陥没点をおのずと形成させること。そのためにも、いたずらに「反=制度」的な言辞を弄することなく、むしろ「制度」の「装置」や「風景」を積極的に模倣しなければならない。そうした戦略的倒錯によって実現される表層の回帰こそが、ここで「批評」と呼ばれている体験なのだ。その、表層と呼ばれるどこでもない場所で、言葉は、はじめて「物語」の分節「装置」から「自由」になるだろう。その「自由」は、「不自由」ととり違えられることのない荒唐無稽な「自由」であり、距離の意識と方向の感覚とを欠落させた何ものかの生なましい到来と呼ぶべきものだ。この生なましくもあつかましい何ものかの荒唐無稽な浮上ぶりを、人は誰もが体験的に知っているはずだ。それでいながら、その過剰なる何ものかは、たえずころあいの「記号」に還元されて、遭遇というあの単調な「物語」を再生産することで終ってしまう。そのことに、もっと苛立とうではないか。そして、その表層体験の記憶を、より生なましい現在として世界に向けておし拡げようではないか。「批評」とは、存在が過剰なる何ものかと荒唐無稽な遭遇を演じる徹底して表層的な体験にほかならない。この体験を「文学」から解放し、経験のあらゆる水準へと向けて拡散させようではないか。 [#改ページ]   表層批評宣言 [#改ページ]   言葉の夢と「批評」    ㈵ 批評と夢  書くこと=[#「書くこと=」はゴシック体]消すこと  たとえば「批評」をめぐって書きつがれようとしながらいまだ言葉たることができず、ほの暗く湿った欲望としての自分を持てあましていただけのものが、その環境としてある湿原一帯にみなぎる前言語的地熱の高揚を共有しつつようやくおのれを外気にさらす覚悟をきめ、すでに書かれてしまったおびただしい数の言葉たちが境を接しあって揺れている「文学」と呼ばれる圏域に自分をまぎれこまそうと決意する瞬間、あらかじめ捏造されてあるあてがいぶちの疑問符がいくつもわれがちに立ち騒いでその行く手をはばみ、そればかりか、いままさに言葉たろうとしているもののまだ乾ききってもいない表層に重くまつわりついて垂れさがってしまうので、だから声として響く以前に人目に触れる契機を奪われてしまうその生まれたての言葉たちは、つい先刻まで、自分が言葉とは無縁の領域に住まっていたという事態を途方もない虚構として忘却し、すでに醜く乾涸びたおのれの姿をもはや郷愁すら宿ってはいない視線で撫でてみるのがせいぜいなのだが、そんなできごとが何の驚きもなく反復されているいま、言葉たるために耐えねばならぬ屈辱的な試練の嘆かわしい蔓延ぶりにもかかわらず、なお「批評」をめぐって書きつがれる言葉でありたいと願う湿った欲望を欲望たらしめているものが、言葉そのものの孕む不条理な夢の磁力といったものであり、しかも、その夢の目指すところのものが、言葉自身による「批評」の廃棄というか、「批評」からそれが批評たりうる条件をことごとく奪いつくすことで「批評」を抹殺し、無効とされた「批評」が自分自身を支えきれずに崩壊しようとするとき、かりに一瞬であるにせよ、どことも知れぬ暗闇の一劃に、人があっさり「文学」と呼んでしまいながら究めたこともないものの限界、つまりはその境界線を投影し、かくして「批評」の消滅と「文学」の瞬間的な自己顕示とが同時的に進行すべく言葉を鍛えておきたいという書くこと[#「書くこと」に傍点]の背理の確認であるとすれば、誰しも、おのれ自身の言葉の幾重にも奪われているさまに改めて目覚め、書き[#「書き」に傍点]、そして読むこと[#「読むこと」に傍点]の不条理に意気阻喪するのもまた当然といわねばならぬ。  だが、この当然さ[#「当然さ」に傍点]は、いささかも人びとによって共有される気配がないばかりか、かえって抽象と戯れる不毛な言説と断じられ、知的想像力が捏造する不条理としてあっさり回避されてしまうので、言葉の孕むべき夢をこともなげに抹殺することが書くこと[#「書くこと」に傍点]の同義語となり、誰でもが書けば書け、読めば読めてしまうという眩暈なしには信じがたい言葉の変幻自在な相貌に触れても、誰もが新鮮に驚くことを忘れてしまうといったかたちで事態が進行してしまうのだが、そんなありさまを呆気にとられるふうもなく凝視しうる連中に欠けているのは、言葉の夢、それもできれば美しくありたいといったロマンチックな夢ではなく、言葉を書き、読みとる瞬間ごとに言葉が夢みよと強要しにかかるきわめて具体的な夢、つまりは、すでに書かれてしまった言葉で汚染されてはいない空間にふと生まれ落ち、言葉ならざるものから言葉へと移行するそのまばゆい航跡をゆっくり時間をかけて享受しつつ、しかも別の言葉たちと触れて匿名化される以前の艶やかに湿ったその表皮の始源的な隆起や陥没ぶりを、これまた言葉に汚染されてはいない個体の無垢の視線で、それ自体がエロチックな行為であるとも意識されぬままに深々とまさぐられてみたいという不可能な夢にほかならない。  だがなぜ、冒頭から「夢」なのか。しかも「不可能な夢」が問題とされねばならぬのか。いうまでもなく、みずから言葉であることに疲弊しきった言葉が徐々に減摩してゆくほかはない自分の崩壊ぶりを忘れるために見る夢とは異質の夢がここで問題なのだが、それは、言葉として生命を不断に奪われ続けている言葉が、おのれを奪う諸々の障害の総体を一挙に可視の領域に露呈せしめんとするときに夢みる、禁忌の構造の透視図としての挑戦的な夢であって、つまりは逃れがたく「文化」の領域に位置づけられて生きるしかない言葉が、かりに不可視の領域にいつもは身をひそめるものであるにせよ、それが「文化」である限りにおいて持っている「体系」としてのもろもろの規制作用を逐一あばきたててみたいという実践的な夢を、言葉は、書きそして読む瞬間ごとにわれわれに夢みよと誘いかけているのであり、まさにその瞬間、読みかつ書いている主体がいささかも自由ではなく、読み書きを可能にした「文化」という名の環境によって深々と犯され、言葉への至上権はおろか、思考することの自由までが奪われているのだという現実を提示しつづける夢こそが問題なのだが、実際、そんな夢に汚染せずしてどうして「批評」が語れるというのか。  言葉の孕む夢[#「言葉の孕む夢」はゴシック体] 「夢とはこうしたものだ」と、あるユートピア旅行記『表徴の帝国』(宗左近訳、新潮社、但し外国文の引用は蓮實による。以下同様)の冒頭にロラン・バルトはこう記している。「自分の知らない外国語(そして奇異なる国語)に通暁しながら、しかもそれを理解しないでいるということ。つまり、その国語のうちの差異を感知しながら、その差異が、伝達や通俗的理解といった言語の表層的な社会組織によっていささかも標定されることがあってはならない。未知の国語のうちに実質として屈折しているフランス語の不可能性を認知すること。想像しがたいものの体系性を学ぶこと。他の切断法、他の統辞論の効果のもとで、われわれにとって現実的なものを崩壊させること。言表行為のうちに思ってもみなかった主体の位置を発見し、その地誌学を転移せしめること。ひとことでいうなら、翻訳不能なるものの中へと降下し、われわれの内部で西欧の総体が動揺し、父親たちからうけついだ国語がぐらりと揺れるにいたるまで、翻訳不能なるものの振動を感知し、それを決して減衰させずにおきたいという夢である」。  ここで一つの言語的理想境として語られている「自分の知らない外国語(そして奇異なる国語)」がたまたま日本語であったという点はさして重要とも思われないが、『物語の構造分析』や『S/Z‐バルザック「サラジーヌ」の構造分析』、あるいは『記号学要理』といった論文や著作によって、構造主義的熱病が蔓延した後のフランスにいやというほど生み落された「体系」の人の一人ぐらいに考えられているロラン・バルトが、実はその発話行為の場そのもので語ろうとしている自分を犯している西欧「文化」の総体を、言葉を奪いその自由な流通を阻害するいまわしき装置としてあばきたて、それを完全に破壊しつくすことはできぬにしても、その捉えがたい構造をまざまざと触知しうる環境を夢みることなしにはいられない「夢」の人だという点を、見落すことがあってはならない。「批評」をめぐって書こうとするとき、「批評とは何か?」、「何故、批評なのか?」といったてあいの疑問符を捏造しながら、たかだか根源的なと呼ばれる程度の問いを口にして書くことの不自由[#「書くことの不自由」に傍点]を曖昧にやり過すのではなく、「批評」について書きつらねられようとする言葉そのものを途方もなく希薄化し、遂には凡庸な匿名性へと埋没させてしまう力が何であるか、その機能するありさまを事件として生きうるには、言葉の「夢」にことのほか感じやすくあることが必須の条件だとバルトが語るとき、「批評」たろうとする言葉は、書くことがおのずとその対象を消すことにつながる夢を夢みるものでなければならぬというのもまた当然だろう。  書くこと[#「書くこと」に傍点]で「批評」を消してしまう[#「消してしまう」に傍点]こと。そして「批評」の消滅が、「小説」と「詩」と「戯曲」とが曖昧にもたれあうことでかろうじて保たれていた「文学」に深刻な地殻変動を誘致し、その危機的な変動の過程で崩壊に瀕した「文学」が、普段は人目にさらすことのまれな「体系」としての限界領域を露呈しつつ醜い延命をはかる一瞬を不意撃ちすること。そうしたものが言葉の孕む夢の目指すところであるというのは、書かれ[#「書かれ」に傍点]、読まれる[#「読まれる」に傍点]ものとして「小説」や「詩」がある限りにおいて、逃れがたく「文化」の一劃に組み込まれてある「文学」が、あるとき不意に「文化」であることをやめ、その「体系」から離脱しつつその枠組みをおし崩し、あとに残されたどことも知れぬ時空で言葉と存在との無媒介的な遭遇を許しはせぬかと夢みることなしに書くことが、醜いまでに「文化」的な病癖であるにほかならぬからだ。未知の響きと輪郭とを回復した言葉やイメージが飛びかう空間に、盲目の瞳と聴覚を失った耳とをせいいっぱいおし拡げ、音としては響かぬ声、輝くことのない色彩の戯れを存在の最深部まで招きよせ、そうある自分を幾重にも増殖させながら孤立と連帯とを同時に生きること。そんなとき、再現すべき対象のない模倣の仕草が、創造の仕草と一つに溶けあってゆくのではないか。  たとえばそれを「文化」の領域に据えてみた場合、マルクス、フロイト、ソシュール、レヴィ=ストロースといった「文化」的相貌のもとにたやすく傷つく無数の言葉を孕み持った吉本隆明の『言語にとって美とはなにか』(勁草書房)と題された一冊の書物は、「言語学」、「精神分析学」、「文化人類学」などの「文化」的体系の中に住まう言葉からの執拗な、そして執拗であるからにはおのずとその限界を露呈せざるをえない攻撃にさらされており、もちろん、その攻撃のいっさいが無償の饒舌だとは断定しえないが、にもかかわらずなお吉本氏の言葉が言葉として自分を支えうるのは、それが言葉自身の孕む夢を虚構として切り捨ててはいないからだ。「たとえば狩猟人が、ある日はじめて海岸に迷いでて、ひろびろと青い海をみたとする」と吉本氏は「発生の機構」と題された冒頭の一節で「言語の本質」を探りつつ書いている。「人間の意識が現実的反射の段階にあったとしたら、海が視覚に反映したときある叫びを〈う〉なら〈う〉と発するはずである。また、さわり[#「さわり」に傍点]の段階にあるとすれば、海が視覚に映ったとき意識はあるさわり[#「さわり」に傍点]をおぼえ〈う〉なら〈う〉という有節音を発するだろう。このとき〈う〉という有節音は海を器官が視覚的に反映したことにたいする反映的な指示音声であるが、この指示音声のなかに意識のさわり[#「さわり」に傍点]がこめられることになる。また狩猟人が自己表出のできる意識を獲取していれば〈海《う》〉という有節音は自己表出として発せられて、眼の前の海を直接的にではなく象徴的[#「直接的にではなく象徴的」に傍点](記号的)に指示することになる。このとき、〈海《う》〉という有節音は言語としての条件を完全にそなえることになる」。  差異の概念を導入することなく音声の記号化に言及しているという意味でまさか、と言語学者は絶句するだろうし、言語学者ならずともそれに似た反応をみせるに違いないこの段落において、動物的な条件反射から意識的なしこり[#「しこり」に傍点]をへて自己表出としての指示性を獲得するという言語発生をめぐる吉本的な語彙の強引な展開ぶりに苛立つことは、ほとんど意味を持ってはおらず、狩猟人と青い海との遭遇によって、フランス人ロラン・バルトが日本語のうちに認めた言語的理想境と同質の風景を構築した吉本氏が、「われわれの内部で西欧(日本)の総体が動揺し、父親たちから受けついだ国語がぐらりと揺れるにいたるまで、翻訳不能なるものの振動を感知し、それを決して減衰させずにおきたいという夢」をそのきわめて具体的な相貌において記述しているという点が何より重要なのだ。もちろんここでの吉本的な狩猟人は、西欧人バルトが苛立っている「体系」の重みをまったく背負ってはいないかにみえるが、実は、この狩猟人と海との遭遇を、人類の歴史的な一時期に、ことによったらありえたかもしれない事実としてではなく、言語的な環境にあってたえず起りつつあるはずなのに、それが不断に起りそびれていることへのいきどおりに近いものとして想像している吉本隆明を認めることこそが、言葉の夢にふさわしい読み方というものだ。おそらく海ばかりでなく「青さ」そのものを知らなかった吉本氏の狩猟人は、それを色彩として捉えうる瞳を持たぬままに、自分が洩らしたとも知れぬ〈う〉の音の声としては響かぬ共鳴ぶりに捉えられて立ちつくし、それがまだ聴いたことのないある響きに酷似していることをすばやく察知するに違いない。  たとえばそのある響きが、藤枝静男の『欣求浄土』(『藤枝静男作品集』筑摩書房)と呼ばれる途方もない書物の底から響いてくることを海辺の狩猟人が模倣と同義語の創造によって知っていてなぜいけないか。穢土[#「穢土」に傍点]の隆起し陥没する表層を足まめに彷徨しつくしたあげくに「とうとう」死んでしまい「腎臓も、眼球も、骨髄も、それから血液も、残して役にたつだけのもの」のいっさいを病院に残し、「水面からの反射光とも、空からの光りともつかぬ、白っぽい光線が」遍満する生まぬるい春の湖上を未知の身軽さで渡ってゆく主人公の章が、「累代之墓」の下に拡がる「ああ何てここは暖いだろう」とつぶやかずにはいられない湿った暗がりに包まれて家族と再会する終章「一家団欒」の最後に描かれている山裾の小さな神社での祭りの夜の光景、そしてそこにみなぎっていたもの音の交錯ぶりが、言葉の孕む不条理な夢の形象化でないと誰がいえるか。「多分≪火踊り≫の訛りにちがいないヒヨンドリ」の一語に接して「幼かったころのわくわくするようなときめきが蘇」り、「章は、兄と姉とのあいだにはさまれて、どんどん近づいて行った。≪デンデコ、デコデコ。デンデコ、デコデコ≫単調で濁った太鼓の音が響いていた。あいまいに、調子はずれの笛が≪ピー≫と鳴り、それにつれて鉦が≪カーン、カーン≫となっていた」。  すでに眼球をくり抜いた死者となっている主人公は、参拝者のどよめきやまわりの喧騒に未知のリズムをそえるもの音しか捉えることができなくなってしまっているが、あたりに群がる村人たちがかもしだす吐息に似た存在の気配ともいうべき「≪わにゃ、わにゃ≫というような、静かなざわめきをともなった空気の振動」を膚に感じながらそれと無媒介的に戯れあい、「深い安堵の思い」にひたってゆくのだが、そこには、言葉が作家藤枝氏に夢みよと促す夢の生なましい形象化がみられはせぬか。何ものにも類似しえないことでバルトのいう「言語の表層的な社会組織」から離脱しており、しかもそのことで負の畸型性のうちに自足したりはせずにかえって「思ってもみなかった主体の位置を発見」せよと語りかける声ですらない言葉。そんなものとして存在と他者の群とを未知なる関係のもとに融合せしめる藤枝氏の「わにゃ、わにゃ」は、まだ出逢ってもいない批評家バルトの「翻訳不能なるもの」、あるいは吉本的狩猟人の「う」と同じ一つの言語的時空を共有することになるだろう。幸福と不幸とを同時に孕んだかかる時空への夢をおし殺してかろうじて言葉たりえた言葉など、所詮は怠惰によって批評を避けて通り、どこまでも人目を排して曖昧朦朧としてあるが故に何やら近寄りがたくも見える「文学」へのロマンチックな夢を増長させることに貢献するのがせいぜいだろう。  夢の復讐[#「夢の復讐」はゴシック体]  ただ「夢」というのであれば、それはすでに 『様々なる意匠』 の小林秀雄が、「批評とは竟に己れの夢を懐疑的に語る事ではないか!」という名高い一行で、感嘆符で誇張でもしない限りとても口にはしがたいあまりにありきたりな発想の貧しさに苛立ちながら語っていないでもないが、 そこで問題とされているのが、 せいぜい 「批評家」 の意識とか精神のありうべき姿形といったもので、言葉自身の孕む不条理な夢でないことは確かである。とはいえ、並はずれて鋭い眼光を持って生まれねばならなかった小林氏のことだから、その捏造された感嘆符の余韻が絶えつくす以前に、「批評家」 の裡に「懐疑的」 に語るべき夢など秘蔵されてはおらず、あるのは言葉の桎梏のもとに希薄化する意識の虚像ばかりであって、その貧しさをみずから共有しないでいられるわけがないと気づいていたはずであり、だから小林氏は、言葉の孕む夢を意図的に抹殺しながら貧しさそのもので武装し、「批評」が問題体系の一劃に浮上する道をあらかじめ断ってしまった上で、おのれのまとう貧しさを徹底化させながら「嫉妬」 の対象に仕上げてしまったわけだ。 奪われ、 かすめとられて生きるもの同士が、 装われた自堕落を共有しつつ身を寄せあい、ゆっくり時間をかけてその仮装ぶりを忘れてゆくときに虚構化されたかにみえる 「貧しさ」、それに鮮明な輪郭をよみがえらせて負の連帯者たちの鼻さきにこれみよがしにちらつかせ、ありもしない羨望を煽りたてることで小林秀雄は「批評」の一語を「文学」から永遠に抹殺しようとする。その試みはなかば成功したかにみえながら、肝腎なところで、完璧な「貧しさ」が必然的にまとう「華麗さ」へと怠惰な視線を惹きよせてしまったが故に失敗し、かえって「貧しさ」の圏域に囲い込むべき「批評」を贋の豊饒さへと解放することに貢献してしまったのだが、模倣しがたきものの模倣者が「懐疑的」な仮面もつけずに輩出し、語ること[#「語ること」に傍点]と語らずにいること[#「語らずにいること」に傍点]のいささかも逆説的でない同質性を、あたかも逆説的であるかに錯覚する楽天性の上に一つの「批評史」を築きあげてしまったというのは、おそらく三木清や戸坂潤にもまして「科学」の言葉の近くに住まう資質に恵まれていたはずの小林秀雄が、そんな資質をもあっさり放棄してしまっていたからにちがいない。  言葉の孕む夢を意図的に抹殺し、しかも、「科学」の言葉に背を向けてしまうこと。それは、みずから言葉に対して白痴たる道を選ぶことにほかならぬはずなのに、そんな狂気の身振りの裡に誇張された「常識」しか人が読みとりえなかった瞬間から、「文学」は「科学」と手を携えて頽廃の一途をたどる。もちろん、そうした視線から昭和文学史における小林秀雄の偉大さを口にするのは徹底的に間違っており、そのあたう限りの矮小さにこそ言及すべきなのだが、後に触れる機会を持ちうるごとく、小林氏でさえみずからを「貧しさ」それ自体に還元しえたわけではないのであって、彼が封じ切れなかったそのわずかな隙間から、かりそめに「戦後文学」と呼ばれる楽天的な言葉がこぼれ落ちてしまった始末なのだが、かりにそんな流れを今日的視座から肯定したり否定したりする言語が瞬時の対立の構図におさまりえたにしても、肯定しまた否定する言語それ自身が、「貧しさ」を水増ししつつ小林氏の手からこぼれ落ちた言葉の一つとして、捏造された対立をあっさり解消せざるをえないというのも、当然の趨勢というべきである。いま、人は、誰しも一貫して同じ一つの言葉を口にしているのであり、その等質な環境にとき折りもたらされるかにみえる小波瀾といったものは、いささかも真の対立をかたちづくったりはしない。  誰であってもかまうまいが、たとえばほぼ同じ時期に似かよった年齢で早熟な才能の開花を立証しあい、いっときは熱い連帯を生きえたかにみえながら徐々に顔をそむけあい、いまではたがいに相手の存在を避けながら、対立する二つのモチーフをめぐって異質の文体で言葉をつらねているかにみえる「批評家」江藤淳と「小説家」大江健三郎とをとりあげ、その最近の「作品」を一方は『漱石とその時代』から『一族再会』、そして『海舟余波』へとたどり、また一方で『万延元年のフットボール』から『われらの狂気を生き延びる道を教えよ』をへて『洪水はわが魂に及び』へとたどってゆくとき、誰もが誤読するはずのないモチーフの著しい違いや、明白な文体的な異質性にもかかわらず、江藤氏が江藤淳として、大江氏が大江健三郎としてあるさまを立証すべき言葉の差異がそこにはほとんど想定しえず、むしろ両者がいかにもそれらしく「文学」と調和しあってしまうときに顕在化する類似の濃密さに改めて驚かずにはいられない。その類似は、二人がしばしば発表の舞台とする「文藝春秋」と「世界」という二冊の月刊「総合誌」が、その潜在的読者の欲望の発現形態やそれと妥協しつつその感性を操作する編集方針の対蹠的なさまにもかかわらず、なお、今日的思考収奪の構造に於て同じ装置として機能しているが故に二人は似なければならぬといった、誰でもが思いつきそうな次元での類似であるばかりでなく、両者とも、「文学」と「社会」とが程よく接し合った地帯に足をふまえ、あえて言葉の凡庸化をも怖れずに「現代的課題」の幾つかを説いてまわり、そんな身振りによって、文学の側に向き直ったときの足場をより堅固なものたらしめるという擬似イデオローグとしての類縁性が、その前言語的地熱を煽りたてていたはずの炎の色彩や形態の異質性を遙かに凌駕しているといった意味での類似ばかりをいうのでもない。「自分の知らない過去の時代、しかし自分がこの世に生を享けるすぐ前には存在していた時代の感触を知りたい」という、「ほとんど生理的な欲求」(『海舟余波』プロローグ)が江藤氏の筆を駆り、いっぽう「きわめて不確かな感覚において、なにごとか狂気めいた暗く恐しいものに対抗し、手さぐりで自分の根をおろすべくつとめる」という「あいまいな営為」(「作家自身にとって文学とはなにか?」)が大江氏の執筆活動を支えているのだとするなら、一方は歴史の時間軸にそって精神の系譜をさぐり、いま一方は世界の地理的な拡がりに対応する空間上に存在の基盤を模索するというその発想そのものが、たとえば『一族再会』にみられる「系譜」への執着と『万延元年』に読みとれる「根」の象徴を介して一つに結ばれ、一族の系譜を描いてみた誰もが知っている「分岐」という現象が樹木の「根」の図解と酷似しているように、同じ一つの想像力に操作されてしまうほかはないことは明白なのだが、前者にあっては歴史における「公」と「私」、後者にあっては「個人」と「全体」という関係でそれぞれの主要なモチーフが展開されはじめるとき、江藤氏の想像力が「海」、大江氏のそれが「森林」というイメージをほとんどロマンチックなまでに希求し、いわば、いまここにはない失われた風景としての「海」と「森林」とを背景として、「航海者」と「狩猟者」の相貌を浮きあがらせずにはいないのだから、二人の言葉の類似ぶりはただごととも思えないのだが、実はそうした類似すらさして重要なものではない。真に驚くべき類似は、にもかかわらず江藤氏と大江氏とがたがいに違ったことを語っていると信じ込み、しかもその確信において、才能の点で自分たちより遙かに劣っているはずのあまたの「批評家」や「小説家」たちといともたやすく馴れあって、薄められた「貧しさ」としての「戦後文学」のうちに埋没してしまう自分に無自覚だという類似であろう。書こうとする個体の意志や欲望にさからいもなくしなだれかかり、馴致されつくしているかとみえる言葉が、実は素直さを装って気軽に存在を招き寄せ、そのしなやかな可塑的流動性によっていとも円滑に筆に乗るかとみせて人目を欺き、かえって言葉への至上権をかすめとって、その洞ろな内面に充実ぶりの錯覚をそっとまぎれこませてしまうという危険を顧みることもなく、書けば書けてしまうという事実のうちに「作家」の特権的視座が確立しうると思いこむことの類似性、それが今日の「文学」的頽廃をあたりに蔓延させているのだが、そんな頽廃を江藤氏も大江氏もまぬがれてはいないのだ。誰もがそれなりに二つや三つは存在の暗部に隠し持っているだろう「切実な主題」をめぐり、「文学」がたえず捏造してやまない幾つもの疑問符に言葉を妥協させ、前言語的地熱の程よい高まりが、「普遍的」かつ「現代的な課題」と折合いをつけるのを待つといった怠惰な作業が、それにしてもいつから、書くこと[#「書くこと」に傍点]などと信じられてしまうにいたったのか。  そんなとき、夢みられることのない夢は痛ましく膨張するほかはあるまいが、たえず潜在的な領域に封じこまれてあからさまに貶められて生きるしかない夢が、なお、自分自身をどこまでも拡張させてゆくとき、夢は、怠惰な書き手たちに復讐することを忘れてはいない。そしてその復讐は、ほんらい頑迷に他を排して避けあっているはずの「作品」たちが住まう文学から、錯綜した言葉の磁力を奪い、犯しがたい境界線としてあった「作品」の外殻を崩壊させてしまうので、誰もがそれを文学と想定しながら安堵しているどこまでも平穏な無葛藤地帯が不意に視界に浮上し、たがいに瞳が交わるのを避けあっていた幾つもの「作品」が、まるでそんなものの出現を秘かに期待していたかのようにそこで曖昧な妥協を生きはじめるのだ。こうして捏造される環境は、いかにもそれらしく文学に酷似しながら、文学について語る人間から、自分がいま、何によって奪われつつあるかの意識をかすめとり、負の連帯を煽りたてて「貧しさ」を虚構化し、いささかも具体的ではないたかだか現象的なものへの夢を蔓延させる裏切りの空間にほかなるまいが、消滅によってかろうじて機能しうる「批評」が何ものかに貢献しうるとしたら、それは現象への馴致または反逆として正当化される諸々の延命策が夢みる夢たりえない夢を、言葉の孕む夢の前に内側から崩壊させるという体験を支えうる点のみにであろう。    ㈼ 反=文化としての批評  言葉を奪う装置としての文化[#「言葉を奪う装置としての文化」はゴシック体] 「批評」をめぐって言葉たろうとするものが死児として剔出されることでしか外気に触れえず、またその理想的な環境と思われた前言語的地熱の上昇すらが、母体の精神的荒廃を告げる危機的徴候でしかなく、また、水増しされた「貧しさ」を共有することで奪われてある自分を曖昧に忘れようとする負の連帯者たちが、無償の饒舌をとめどもなくあたりに氾濫させるばかりだといったとき、そんな饒舌に加担しないことで頽廃をまぬがれんとするものは、言葉を前にする存在が二重三重に奪われてあり、「批評」に限らずあらゆる主題をめぐって、書くことの絶対的不自由の裡に住まうほかない現実を認めざるをえまいが、翻ってその不自由の淵源を究明し、その質を検証せんとするときその口をついてでる言葉が、せいぜい「搾取」や「抑圧」、あるいはそれに類するマルクス=フロイト的語彙に限られているといった「貧しい」現実は、「搾取」や「抑圧」の廃棄を目指す言葉としてあったはずの「マルクス主義」や「精神分析学」が、今日の文化的構造にあってはまごうかたなき貧困化の装置として機能せざるをえない経緯を明瞭にさし示している。いうまでもなく、この「貧しさ」がマルクスやフロイト自身の言葉に含まれていたと速断することの愚は避けねばなるまいし、またかりに含まれていたとしても、そのことで彼らを攻撃する資格など誰にもあるまいが、それが読まれかつ語られる言葉である限りにおいて新たに言葉たろうとするものを何らかの意味で減摩せしめる「文化」的空間に位置しているという現実は否定しがたいものとしてあり、だからこうした「文化」的な空間にあって、生のいとなみのあらゆる領域で自由に思考し自由に書く「自由」を奪われて生きるしかない存在が、生の条件としての「貧しさ」を貧しく語る「自由」によってかろうじて「貧しさ」をやりすごしえたと信ずることの錯覚を、たやすく軽蔑しえない世界にわれわれが住まっているというのも、また事実なのだ。  だが、「貧しさ」の相対的な希薄化に加担しつつ現象としての生の困難を回避するといった姿勢を、しばしば「現実的」と呼んで消極的ながら評価する人びとが、その消極的側面をいともたやすく忘れ去ってしまい、その事実によって頽廃が一段と相対的濃度を深めるというのもまた否定しがたい現象というべきであり、だから、かりに「批評」がありうるとしたら、それは、この種の曖昧な「貧しさ」回避の姿勢をおのれに禁ずべく、「貧しさ」そのものを凝視しうる瞳を鍛え、感覚を途方もなく拡張させてその極点にまで降下し、そこで積極的な「貧しさ」としてみずからを無限に増殖せしめ、誰の目にも疑いえない「貧しさ」の鮮明な輪郭をまとって、生のあらゆる領域に充満すべく拡散し、人びとの贋の連帯を絶ち切るだけの活力を秘めた言葉からなっていなければならないだろう。そんな言葉が、いったいいかにして可能か。  たとえば「階級的対立」や「深層的葛藤」の用語ではなく、「排除」の体系という視点から言葉の奪われたさまを仔細に分析する『ディスクールの領域』(『言語表現の秩序』中村雄二郎訳、河出書房新社)のミシェル・フーコーは、西欧的思考の伝統を根柢からくつがえすような笑いの衝撃を彼にもたらし、その衝撃が『言葉と物』(渡辺一民・佐々木明訳、新潮社)を書かしめる直接の契機となったと告白しているボルヘスによる「シナのある百科事典」の引用にも拮抗しうる奇抜な羅列ぶりによって、「貧しさ」のありかを指摘してまわる。言葉からそれ本来の危険な活力がかすめとられ、偶発的事件性が希薄化され、しかもその物質的側面が等閑視される要因を列挙するフーコー的な分類意識が、性や政治に言及するものを最終的な一点で絶句へと陥らせるものとしての「禁忌」、理性の領域から狂気を放逐する「分割と拒絶」とあれこれ数えたててゆくとき、誰もがいったんはそんなものかと高を括ってみるが、やがてその分類法が、嘘を思考の座から追放する「真実への意志」を言葉の収奪の一因としてその目録に加え、さらに宗教、法律、文学などの諸領域で原典としてある文章が起源の反復として機能することを許してしまう「注釈」、そして一定の秩序ある言葉としての作品の創造者とみなされる「作者」という、「文学」にとって不可欠と思われた二つの概念までを言葉の円滑な流通を阻害するものとして挙げているのを目にするとき、人は、虚を衝かれながらも、そこに「貧しさ」の積極的な顕示による「批評」的な体験が脈搏ちつつあるさまを如実に察知せざるをえないだろう。そこでは言葉の貧困化が事件として生起する現場が鋭く標示され、しかも「貧しさ」そのものが旺盛に繁茂し、鮮明な相貌を回復しつつあたりに波及してゆくさまが生なましく触知できるからである。  地理的=歴史的に限定された一つの「文化」への衝撃性を戦略として装填しているフーコー的羅列の奇想性をそのままうけいれることは、それ自体が頽廃に手を貸す貧困化の仕草にほかならぬ以上おのれに禁じてかからねばなるまいが、なお、その分類と多くを共有しうるかたちで拡がりだしている言葉を奪う装置としての「文化」という概念は、これまで書きつがれてきた言葉が負の相貌のもとに語りえた唯一のことがらであるが故に、より錯綜した意味の磁場に据えてその展開ぶりを究明するに値する問題であるように思う。  貧困の相対的希薄化と嫉妬の喪失[#「貧困の相対的希薄化と嫉妬の喪失」はゴシック体]  言葉を奪う装置としての「文化」の概念、それは、たとえば絶望的に貧しくあることへの怠慢な無知から誰もが知的環境の頽廃に加担している嘆かわしい現状を批評しつつ、というよりほとんど呪うようにして『本の神話学』(中央公論社)を書き始めねばならなかった山口昌男が、読む意識を強烈に刺激する書物に出逢った場合、「なぜそのような本が自分または自分たちによって書かれないのか」と「原著者に強烈に嫉妬する」心の動きがあまりに容易に忘れさられていると語るときの、「嫉妬」の充満する血なまぐさい葛藤の場としてある「文化」の概念と多くを共有しうるものであろう。「文化」とは、矛盾を顕在化させる悪意ある空間であって、語る存在を背後から支える無償の善意がみちた抽象領域とはわけがちがう。そこでは、錯誤と虚言と失策とが、裸の貧しさに還元され、あからさまな蔑視をじっと耐えているかもしれぬ。  だというのに、たとえば『日本語のために』(新潮社)の丸谷才一は、かつて志賀直哉が書く人としてのこの上なく不条理な、そして不条理であるからには徹底的[#「徹底的」に傍点]に貧しくもある具体的な夢として語った「フランス語国語化論」の言葉のつらなりを、大かたの揶揄に同調しながら醜態と断じ、愚論と切り捨てることで「文化」から追放しようと画策する。そして、日本語を捨てフランス語を国語として採用すべしと説いた志賀直哉のような「文学者」によって支えられていた「近代日本文学の貧しさと程度の低さに恥ぢ入りたい気持」に襲われるという丸谷氏は、「われわれはあくまで自分自身の精神と感覚のための貴重な道具として、日本語を大事にしなければならない」とその書物を結ぶのだが、「貧しさと程度の低さに恥ぢ入」ると書くときの「貧しさ」を、日本語を「大事」にすることでまぬがれうるたかだか相対的[#「相対的」に傍点]な貧しさとしか捉えていないが故に、論者自身が明治以降の日本文学にまつわりついた近代化意識と、その同語反復にほかならぬ近代拒絶とが織りあげるあの「貧しい」言葉を共有せざるをえないという逆説をも立証してしまっている点は、いかにも教訓的であろう。この点に関しては、すでに別の場所で詳述してある(拙著『反=日本語論』筑摩書房)ので改めて論じることはさしひかえるが、こうした「貧しさ」の相対的な希薄化に加担しうる楽天的な「現実」主義者たちは、「自分自身の精神と感覚のための貴重な道具」としての言葉を「大事」にする国々が地球上のある一定の地域に偏在しているという点までは理解しえても、そこで「大事」にされている言葉が、政治的=経済的=文化的な諸領域で、言葉のあからさまな収奪装置として歴史的に機能し、しかもその装置が顕在化せしめる富と貧困との分割を人びとが自然のこととしてうけ入れているという「文化」的現実のシニックな反映として、ほとんど遊戯に近い無償性で言葉と戯れうる人種が生産されてしまったのだという点を見きわめる視力は徹底して欠いている。人は、理由もなく自分の言葉を「大事」にしたりはしないものであり、かりに言葉を「大事」にすることが文化的伝統に組み入れられている国があるとしたら、それは、言葉を理想的に身につけることがきわめて物質的な利益の収奪や権力の集中化をもたらしえた一時期が歴史的に存在し、その時期の社会構造が確実に変化してしまっている現在もなお、その時代への郷愁が「文化」に不毛な志向性を与え続けているというだけのことなのだ。現在、われわれが書き、語り、読むものとしてある日本語がそうした時代への郷愁とは無縁の体系におさまっていることはいうまでもあるまいが、それは現代の日本語が完全に無葛藤の空間をかたちづくっているということではもちろんなく、階級的な対立の顕在化をあらゆる分野で調節しうる装置として機能している現代「日本」にあっては、言葉は、不可視の、そして不可視であるからには強力な、だが強力でありながらも社会的調和を根柢からくつがえすには至らない差別の指標としての役割を演じているのであり、だから、直接には利潤を生むことのない言葉は、利潤をあからさまにもたらすことがないだけに負の資産として、それぞれの非人称的な個体をある制度的な場に位置づけるにふさわしい積極的ではないにせよ消極的な、そして消極的であるからには陰湿な強固さを帯びた条件となり、あたりに無償の差別、無意識の抑圧を蔓延させることになるのだ。  こうした「陰湿」な制度の一つに「文学」が位置し、そこで無償の差別、無意識の抑圧に加担しつつあるのがわが国の「文学者」にほかならぬ事実はもはや明言するまでもなかろうが、こうした「文化」的な構造にあって口にされる「日本語を大事にする」といったたぐいの殺し文句がいかに抽象的な言説であり、しかもその抽象性によって、自由に思考し語るという「自由」を奪う直接的な契機たりうる「貧しい」言説にほかならぬという事実を見逃すものは、もはやいまいと思う。現代日本語とは、われわれにとって、郷愁においてさえ利潤と結ばれることのない本質的に「貧しい」希有の言葉であって、その事実を直視することなく「日本語を大事にする」と説くことは、せいぜい、よりよく語り、より美しい文体を獲得すべく努力するといった、日本文学の永遠の「貧しさ」に顔をそむけつつ連帯を表明することにしか貢献しはしまい。「嫉妬」の充満すべき場としての「文化」という山口昌男の命題がにわかにその戦略的意義を発揮することになるのは、こんなたぐいの言葉と遭遇する瞬間であろうが、また、「批評」が知的環境の一隅に一つの問題体系として浮上してくるのもそんな場合であるにちがいなく、そうした意味では一つの「反=文化」的試みとして見做しうる「批評」が、十九世紀中葉いらい西欧の文学史の一劃に新たなる「ジャンル」の確立を要請しはじめた「文芸評論」のみには還元しがたい存在の全域とかかわりを持つ生の体験にほかならぬという事実は、もはや改めて指摘するまでもないだろう。  疑問符の捏造と制度の確立[#「疑問符の捏造と制度の確立」はゴシック体]  言葉を奪いつつしかも同時に言葉を奪われてある自分を漠然とながら意識すること、しかもそればかりではなく、「文化」とは気の遠くなるほど隔離された地点に未知のしなやかさで生きたいと願うこと。そうした言葉の夢がおさまるべき輪郭を誰もがまざまざと思い描きうるというのに、言葉の簒奪にみずから積極的に加担しながら隔離の壁をいたるところに捏造することなしにはその夢の輪郭を記述しえないという自家撞着。こうした自覚を欠いた場合、「批評」がついに始動しえないだろうという点はすでに見たことから明らかであろうが、そんな言葉の収奪の二重構造を書くこと[#「書くこと」に傍点]で日常化しつつ、その日常化の過程で奪われつつ奪うことの徹底した「貧しさ」を事件として生きながら、収奪の二重構造が具体的に機能しつつある限界的な一点に不意撃ちをくわえ、わずかなりとも可視的な領域に露呈せしめんとする試みをここで改めて「批評」と呼ぶとするなら、「文化」とは、どこまでも「批評」の事件化をさまたげながらみずからその簒奪の二重構造を不可視の領域に温存しつづけ、奪いつつ奪われてある者から簒奪者たる意識と被簒奪者たる意識とをともどもかすめとるべく機能する力学的な相殺現象によって成立する空間にほかならないと定義しうるだろうが、郷愁はあっても記憶はなく、羨望はあっても嫉妬を欠いているそんな空間にあって、「貧しさ」を強要するものとされるものとがたがいに相手の仕草を許容しあい、程よく薄められた「貧しさ」を共有しつつ身を寄せあってしまうことになる力学圏のことを、ここで改めて「制度」と呼んでみたいと思う。  すでに、陰湿な制度としての「文学」に言及しておいたのは、おそらく階級的な対立や生産関係の矛盾とは異質の水準に成立する言葉の相互収奪によって消極的に位置づけられる「文学者」たちが、みずから積極的な利潤の生産に参画することのない「貧しさ」をたがいに曖昧にうなずきあってうけいれ、誰もが容認しうる虚構の価値としての「文学性」といったものを捏造しながら、「文学」たることの困難をやりすごしているという現実からして、「文学」が「文化」的諸制度のうちにあっても典型的なものたりうるのだとする文脈をあらかじめ誘導しようとする意味からであった。それは、何もことさら斬新な視点であるわけではないし、たとえばジャン=ポール・サルトルであるならこの「貧しさ」の共有を「失敗」の概念によって置きかえ、十九世紀中葉のフランスにおける「芸術信仰」を「集団的神経症」として把握しながら、ついに完結することのなかった『フローベール論』を展開することになるであろうが、ここで重要なのはこうした視点の再確認にあるのではない。そうではなくて、文化的な「制度」としての「文学」が、二十世紀も大きく中葉を過ぎかかった日本において、「文学性」といった虚構の価値にみあった幾つもの疑問符を捏造しながら、その不断の問題提起を恰好の円滑剤としてなおも「制度」たりえているというまごうことなき現実に、人が驚くことを忘れてしまっている点が途方もなく重要なのだ。それはたとえば、辻邦生や小川国夫の小説が途方もなく読まれている事実に人が驚かずにいるといった現象ではなく、辻氏や小川氏の作品と比較すれば遙かに限定された読者しか獲得しえないさまざまな「批評」的な著作が年々生産され続け、しかもみずから辻、小川たりえないその著者たちが、辻、小川たることのない自分に程よく満足しながらなおも「批評」をめぐって言葉をつらね続けている事実を、誰もいぶかしく思ったりしないばかりか、かえって当然のこととしてうけ流してしまっているという点が、いかにも不気味だということなのだ。  人は、それほどまでにして、なぜ「批評」を書いたりするのか。柿本人麿を論ずる「哲学者」梅原猛であればすかさず「真理」のためと口にするだろうが、そんな語彙の「貧しさ」を回避するだけの羞恥心を「制度」たる 「文学」 によって憶えこまされてしまった 「文学者」たちは、では、なぜ「批評」を書くのであるか。「日本語」のため、という「文学者」丸谷才一の返答の「貧しい」抽象性が「哲学者」のそれに見あったものである点をすでに見ているのだから、「真理」への普遍的な愛ゆえにでないとしたら、「作品」への愛とでもしておくか。それとも、読むことへの飽くなき執着であろうか。分析への無私の情熱であろうか。さもなくば、すでに書かれた言葉としてあるものにさらに言葉をまぶしかける軽業師ふうの身のこなしに魅せられてであろうか。さらには、いささか時流に逆らってみせるといった手あいのものが、流れの断絶には至らぬ程度の小波瀾を戯れに惹起し、波紋がおさまる以前にすでに時流と折合いをつけているといったときの精神のありようが、青春と呼ばれる猶予の一時期をどこまでも引き伸ばすかの錯覚を快く玩味させてくれるからであろうか。ことによると、文学研究などと呼ばれたりする厚かましい「学問」への夢がどこかに身を隠していて、やみくもに真理と戯れてしまった自分を恥じながら、「文学」と妥協する願ってもない契機として「批評」をうかがっていたりするのかもしれない。また、自己同一性の模索のためにとつぶやくかぼそい声が、孤立を信じた空間で思いがけず出逢った多くの仲間に勇気づけられ、いきなり居丈高に「文学」占有の野心も隠さずにふくれあがって、「批評」を野心達成の理想的環境として住みつき、ここに列挙した動機のすべてとこともなげに馴れあってしまうことだって大いにありうるのだ。そして人を「批評」へと駆りたてる幾つもの外的=内的要因が、曖昧な捏造物であるが故に連帯の契機ともなりうる「文学性」の価値という概念、つまり多少とも「文学的」ないとなみの負の局面と親しく戯れることで「文学」のより核心に近い部分ですがすがしく目醒めうるとする錯覚を共有しながら、抽象的な無葛藤空間としての「文学」を制度化してしまうことにどこまでも無自覚な言葉が、いささかも「批評」としての「反=文化」性を装填しえまいという点については改めて触れるまでもあるまいと思う。  だというのに、あるいはむしろであるが故に[#「であるが故に」に傍点]、「文学」 と和合しつつ「批評」 を制度化せんとする言葉たちは、その脆弱な存在条件を幾つもの捏造された疑問符によって権威づけようとして、「批評とは何か?」、「批評はいつ始まるか?」、「批評と創作はどう違うか?」、「批評の方法はいかにあるべきか?」、「批評の現代とは何か?」という五つの根源的[#「根源的」に傍点]な問いにほぼ要約しうる疑問を反復的に変奏し続けるのであるが、そう口にする誰もが、まるで「問う」ことが人間にそなわる普遍的な善意だと信じているかのように問う自分を正当化し、「批評」が「制度」として温存されうるために各自に疑問符の捏造を強いているのだなどとは思ってもみず、設問それ自体がすでにいかほど奪われ、また何を奪うことになるかは問わず[#「問わず」に傍点]におく「自由」を貧しく享受しているさまはやはり何とも不気味だというほかはないが、その間の事情は、誰もが記憶することなく郷愁によって結ばれているいわゆる「大学闘争」と呼ばれる一時期に発せられた無数の根源的な問いかけ[#「根源的な問いかけ」に傍点]とやらが、 それ自身の奪われた 「貧しさ」をラディカリスムによって仮装しながらみずから「制度」としての大学が延命を策して捏造するあまたの疑問符の程よい反映としてしかありえない「貧しさ」には目をつぶる「自由」を占有した結果、大学の制度化に貢献するほかはなかったという必然によって苦々しく立証されてもいよう。不断に虚構の「問題」を設定しながら生きのびる薄められた善意の互助装置として機能する「制度」が、ことと次第によっては「反=制度」的な言辞の二つや三つを涼しい顔で口にしかねぬばかりか、そんな状況の到来を秘かに期待すらしているしたたかな空間にほかならぬという点は、だから何度強調してもしすぎることはあるまいと思われる。  では、あるべき葛藤をすばやく贋の調和へと変質せしめる「制度」としての「文学」に対して人はいかなる身振りで臨みうるというのか。それには、しばしば「文学」への根源的な問い[#「根源的な問い」に傍点]を口にする言葉と思われ、みずからもそう盲信している「文芸評論」が戯れている「設問」のこうした捏造性を検証し、ことによったら自分の言葉すらをも汚染していかねない捏造された疑問符を徹底した「貧しさ」の領域に孤立せしめ、贋の連帯をたち切り、みずから疑問符たりえず崩壊してゆく無償の饒舌と化した言葉が宙をさ迷うその運動ぶりを標定することで、「文化」がいかに「制度」たろうとするかその構造の一端を垣間見ることから始めねばなるまい。  問題という名の問題[#「問題という名の問題」はゴシック体]  いわば「相対的な貧困批判」の言葉たろうとする「批評」が「文芸評論」の場で遭遇すべき「貧しさ」は、すでに述べたごとくほぼ五つの捏造された疑問符に要約しうるが、いま改めてそのいかがわしさの質を究明せんとするとき、まさに「問題」という名の貧しい問題を介して連帯する五種類の疑問符が、同じ一つの奪われた言葉として「文芸評論」を制度化すべくたがいにもたれあうありさまが、どうしても視界に浮かびあがって来てしまう。つまり五つの設問は、「問題」なる概念をめぐって、あらかじめ救いがたく「貧しい」思考に支えられているのだ。そしてその「貧しさ」は、「問うこと」が必然的に危機意識なり内面の不安なりと深くかかわりあった仕草であるとする一つの「制度」的な錯覚によって多くの論者たちに共有されてしまってさえいる。それは、どういうことか。  たとえば『文学の根への問い』と総題されて書きつがれた一連のエッセイの冒頭で、「今生きているという事実に自明の手ごたえがあるならば、誰もその意味をことさら問うたりあげつらったりしようとは思うまい」(「ヘルダーの断念」、『懐古のポトス』河出書房新社)と書く川村二郎は、「疑いの余地なく明白」なものは「問い」を誘発するに至らないという命題を文学の領域で普遍化して、「文学とは何か、詩とは何か、この種の本質論の勃興は、むしろこの名で呼ばれる実在を信じがたくなった心の、意識下にひそむ不安の奔出ではないかとも見えるのだ」と論を進めているが、こうしたいかにももっともらしい断言が思考の奪われたさまを露呈せざるをえないのは、それが徹底して「制度」的な思考にほかならぬからだ。世界の不可解な変容ぶりが存在に疑問符を希求させるという視点それ自体が、「文学史」をはじめとする諸々の「制度」的な場で川村氏が間違いなく読み、あるいは読んだことを忘れている言説の怠惰な反映にすぎず、だから誰もがこともなげに口にしうる視点と酷似してしまうが故に、その言葉は必然的に貧しいのだが、問題はかかる自明の「貧しさ」にとどまるものではない。こうした「制度」的な視点に無意識のうちに操作される川村氏が、必然的に、「問うこと」自体の積極的な資質を捏造された「設問」の次元に貶めて、充実した事件として生きられるべき「問い」をその視界から一掃してしまっており、しかもそうした事件性の排除を、「問い」をめぐる言説のほとんどが共有しているという点こそが真に問題なのだ。「文学」にせよ「詩」にせよ、それを「何か」と問う体験は、「この名で呼ばれる世界の実存を信じがたくなった心」によって、「意識下にひそむ不安の奔出」として特権的に生きられるものではいささかもない。「今生きているという事実に自明の手ごたえ」を感じつつあるものこそが、なおも世界へと向けておのれ自身を旺盛におし拡げ、世界との無媒介的な合一感をくまなく玩味しつくしている瞬間に、「制度」とは無限に離れた地点から発せられる未知の声として、「問い」と「答え」とを同時的に生きるといった事件こそが、真実の「問い」なのだ。「問い」とは、「制度」的な言葉によってあらかじめ抽象空間に設置されているものではなく、予想だにしない時空に、過去の体験を超えた言葉として、それを口にする者自身を驚かせるやり方で不意にかたちづくられ、しかも「答え」そのものを裡に含んだものなのであり、その不意撃ちが存在を崩壊へと導くことはあっても、存在の崩壊感覚が「問い」を招きよせることなど断じてありえはしない。「青い海」という言葉に触発されて「青い海とは何か?」と「問う」ことを憶えた人間が、そう問い続けたあげくにある日「青い海」と遭遇し、そこに「答え」を読んだり読みそびれたりすることが「問うこと」なのではなく、ある日、思いがけず、まぎれもない「青い海」に不意撃ちされ、何の準備もなかったはずの心に「問い」と「答え」が一つの言葉としてかたちづくられるといった瞬間的な事件こそが「問うこと」の積極的な資質にほかならず、川村氏はそうした「問い」の側面を「文学」と呼ばれる「制度」によって奪われているのだが、川村氏自身にしたところで、さまざまな「制度」的な教育の場とは異質の領域で展開されたこの種の「問答」によって今日の川村氏たりえている事実を、まさか否定するとは思えない。それでいて「今生きているという事実に自明の手ごたえがあるならば、誰もその意味をことさら問うたりあげつらったりしようとは思うまい」と書いてしまうことの抽象性が、途方もなく貧しいのだ。しかも、その「貧しさ」によって、事件としてある「問い」までをも貧困化し、捏造された疑問符と同じ水準に閉じこめてしまう事実に無自覚な思考の奪われてあるさまを当然のこととしてうけ流し、「批評《クリテイツク》」には「危機《クリテイツク》」の意味もあるなどと説いてまわる連中こそが、「文学」の「制度」化に貢献しているのだ。 「文学とは何か?」と問うことは、それが急進的=前衛的=根源的な衣裳をいかにまとおうとも、「制度」確立に奉仕する反動的な言辞しかかたちづくることがない。「文学とは何か?」がかりに一つの「問い」 としてありうるとしたら、 いま、 この瞬間、 まごうことなき「作品」を読みつつあると確かな触覚で感知しうるものの裡に、たとえば「〈わにゃ、わにゃ〉が文学である」、「〈う〉が文学である」という「答え」と同時的[#「同時的」に傍点]に誕生する未知の言葉としてでなければならず、藤枝静男や吉本隆明をめぐって言葉の孕む具体的な夢に言及しておいたのはそのためである。今日のさまざまな「制度」的な場にあって、「解決」なり「答え」なりは「設問」から無限の距離に引き離されてあり、しかも人目を避けてもの蔭に、あるいは深みに身を隠すものと信じこまれ、だから誰しもが、ありもしない疑問符を捏造して、たやすく「冒険」と「発見」の言葉と戯れずにはいられないのだが、真の「反=文化」としての「批評」は、距離と深さの錯覚を廃棄する「反=冒険」的な言葉でなければらぬ。  擬似冒険者の末路[#「擬似冒険者の末路」はゴシック体] 「文学」とは触れるはしから醜く変色するが故に人を遠ざけ、瞳という瞳を避けて身を隠し、越えがたい距離や稀少性を口実に人を招く貴金属のようなものではなく、空気に似た生の環境としてあたりにみなぎりながら、それについての知識を誇りうるものの目をも欺く変幻自在ぶりを身にまとい、その遍在的な不可視性によってほとんど無媒介的に人を犯す「制度」だという点で、「政治」や「経済」に似てそれ自体はいかにも凡庸な顔しか持ってはおらず、それが不意に刺激的な相貌におさまることがあるとしたら、距離と深さの錯覚に操られて捏造されるいかにも冒険者ふうの言葉によってではなく、距離と深さを廃棄しうる反=冒険者の言葉によって、「制度」からの不意の逸脱が起る瞬間でしかない。あらゆる「制度」に蔓延している怠惰な事実誤認、それは、「未知」なるものはいま[#「いま」に傍点]、この瞬間[#「この瞬間」に傍点]にここ[#「ここ」に傍点]にはなく、したがって見えてはいないと信ずることであり、そんな「貧しい」確信が、「未来」だの「彼方」だの「深さ」だのを捏造してもっと奥、もっと遠くへと困難な距離を踏破して進まんとするあまたの擬似冒険者を生み落すのであり、そうした楽天的な魂たちは、自分に最もふさわしい仕草を、「未知」なるものを「既知」なるものへと移行させんとする「発見」の旅だと信じて疑わない。だが、存在が真に有効な視線を欠いているのは、まさしく、いま[#「いま」に傍点]、この瞬間[#「この瞬間」に傍点]に、ここ[#「ここ」に傍点]にあるものをめぐってなのであり、そのとき瞳を無効にされた存在は、「彼方」を見やって視力の回復をはかるのではなく、むしろ自分自身の瞳を積極的に放棄して、「既知」と思われた領域の一劃に不意に不可解な陥没点を現出せしめ、そこで、いま[#「いま」に傍点]、この瞬間[#「この瞬間」に傍点]に、ここ[#「ここ」に傍点]にあるものと接しあいながら、もはや自分自身には属さない非人称的な瞳を獲得して、世界を新たな相貌のもとに把えることになるだろう。そんなふうにしない限り、人は、まごうことなき「青い海」とどうして遭遇しうるのか。 「批評」が「反=冒険者」によってのみ体験されるいささかも特権的でない「反=制度」的な事件にほかならぬということ、それは、まさに「青い海」でしかないものとの遭遇を生きえたものが、生なましい記憶によってすら遭遇を反復しえず、その可能性を模索する手段すらが絶たれていることを意味する。いいかえれば、かりに世界に「未知」なるものがあるとすれば、擬似冒険者たちによって「既知」へと移行され共有の対象とさるべきその「未知」は、「既知」なるもの、つまり「制度」的な言葉からの類推、対比、反転などを介しては把握しえないということだ。であるとすれば、「文芸評論」の「制度」化に貢献する五つの疑問符はいうにおよばず、意図的=無意識的に疑問符を避けて通るものたちまでが、実は「設問」を距離の捏造だと錯覚した上でこれを回避している限りにおいて、疑似冒険者の虚像の権威確立に加担せざるをえないという理由で、同じ一つの「制度」的な言葉に犯されていることは明らかであろう。  つまりこういうことだ。たとえば、「批評の魅力は方法の新旧」や「対象作品のなかから抽象される原理、さらには体系の有無」とは無縁であり、あくまで「批評は作品への愛にはじまり、結局は、作品への愛におわる」と篠田一士が『世界批評大系』㈵(筑摩書房)の「解説」に書き記し、なるほど「方法は批評の武器であり、原理や体系の抽出は批評の成果である」には違いないが、人の目を眩惑する「厳格な原理や壮大な体系」に基く「批評」は、「ヘーゲルのギリシャ悲劇論」のようにえてして「魅力」にとぼしいものだと論を展開するとき、「問い」の概念を前にした川村二郎がそうであったように、「方法」の概念を捏造された貧しい疑問符の水準にまで貶めることに無自覚な篠田氏は、真に機能した「方法」が人目に触れたりはせず、時空を超えた事件としてあり、いつまでも醜い「原理」や「体系」として抽象空間に残骸をさらしたりはしないということ、つまり「方法」は「批評」の前にも後にもなく、「批評」と同時的[#「同時的」に傍点]に体験されるものであって、その時にのみ積極的な価値を生きうるという事実を度外視しているので、「批評」は「作品」への「愛」ではなく「方法」だ、「原理」だ、「体系」だと無前提的にいいはる篠田批判の言葉と同じ「貧しさ」のうちに閉じこめられてしまうほかはないということなのである。「批評」とは、まさしく「方法」そのものなのだ。そして「方法」がそうであるように、「批評」などどこにも存在したりはしない。「批評」はただ、事件として存在と事物とを垂直に貫き、批評家ともども「作品への愛」といったものを消滅せしめる。「ヘーゲルのギリシャ悲劇論」が魅力にとぼしいのは、それが、「厳格な原理や壮大な体系」の影に「作品への愛」を温存させてしまっているからにほかならない。篠田一士が気に喰わないのは、そのヘーゲル的な「愛」が自分の趣味にあわないというだけのことだ。かりに困難であるにせよ「批評」を語ろうとするからには、いま少しばかり具体的になろうではないか。ブラックマー、エンプスンと並んで若き篠田一士を刺激したというモーリス・ブランショが言葉の真の意味で刺激的であるとしたら、それはブランショの「批評」が「作品への愛にはじまり、結局は、作品への愛におわ」っていたからではなく、「批評=方法=事件」であったからにほかならぬという事実を、いったい篠田氏はどんな言葉で否定しうるのだろう。 「批評」にあって「方法」の特権的役割を認めるべきか否かの「問い」がそれ自体の一つの誤った「設問」で、抽象空間でおのずと崩壊する無償の饒舌と化すほかはなかったように、「批評」は「作品」として自立しうるか、「批評」は現代にふさわしく変容すべきか、といったたぐいの「問い」も、「設問」としての自分を支えるべき言葉を持ってはおらず、たとえば「批評」は歴史の連続性という概念から解放されてあまねく「通時」的因果律から「共時」的空間へと向けて羽搏くべきだといった空疎な、そして空疎であるからにはかりにそんなことが起ってしまった場合は発話者自身が歴史的因果律に閉じこめられてしまうほかはないような言説が、「文学」と呼ばれる「制度」を頼りなく浮遊するのがせいぜいだろう。「制度」とはあまたの擬似冒険者たちを「発見」の旅へと駆りたてながら、微笑とともにその出発を見送るが早いか、何喰わぬ顔でその帰途を絶ち、捏造された距離をさ迷わしたまま、新たな犠牲を物色してまわる邪悪な空間であることを、人はよもや忘れてはなるまい。「文学」が、いま[#「いま」に傍点]、この瞬間[#「この瞬間」に傍点]、ここ[#「ここ」に傍点]にあるということ、いま[#「いま」に傍点]、ここ[#「ここ」に傍点]にあるが故に人目に触れぬということ、その遍在的不可視性が人を「距離」の捏造へと駆りたててやまぬこと、そしてその「距離」が必然的に人を裏切ること、裏切られた者の言葉が無償の饒舌と化して言葉の環境汚染に役立つこと、その汚染された環境が「制度」のありかをさりげなく隠蔽すること。かりにそんな事態が「文学」以外の場に観察された場合、その現象が「公害」と呼ばれることを人は誰でも知っている。そして、そんな環境汚染を糺弾する「公害」学者が一人としていないことに、誰も驚きはしない。    ㈽ 驚愕=嫉妬=眩暈  批評のメロドラマ[#「批評のメロドラマ」はゴシック体]  驚くべきこと[#「驚くべきこと」に傍点]が驚きを誘発する衝撃を失ってしまった世界、そこで人が出合うものは何か。頽廃である自分を忘れ、醜く薄められた頽廃である。では、薄められた頽廃は何によってもたらされるか。混同視すること、つまり錯覚に固執することによってもたらされる。では、人はなぜ、錯覚に固執するか。生き伸びるべく具体的な夢を放棄し、現象と折合いをつけるためである。それなら、何と何とが混同視されるのか。「ある」ものと「ない」もの、「見える」ものと「見えない」もの、「密着」と「距離」、「作品」と「人間」、「言葉」と「精神」、すなわち要約すれば、「未知」と「既知」とがいたるところで混同視されているのだ。そしてその錯覚によって「批評」は始動する契機を奪われ続けている。「批評」はいつ始まるかという「問い」に、「批評」が「批評」と出会った瞬間からだと答えるシニスムを装った傲岸さが口にされるのは、そんな頽廃の中にあってである。  たとえば「批評の究極的形態は表現と認識との完全な一致」になろうという展望のもとに「批評とは何かに答えるものもまた、批評である」と語り始める『批評の精神』(中央公論社)の高橋英夫は、「人間を抽象化したり人間を扼殺したりもする力ももっている危険な存在」としての「単独者」的「精神」との「出会い」が可能であるが故に、「小説」における「人間的」なる精神[#「精神」に傍点]との「出会い」にもまして「批評」は危険で刺激的な遭遇の場をかたちづくると論を進めている。その論理の展開ぶりは、言葉が無前提的に表現[#「表現」に傍点]と認識[#「認識」に傍点]の媒介的手段たりうるとする抽象的確信に支えられているが故に、大きな破綻を生じまいと予想がついてしまうという「貧しさ」にあらかじめ安住しているが、いま[#「いま」に傍点]、ここ[#「ここ」に傍点]に見えている[#「見えている」に傍点]が故に言葉がある[#「ある」に傍点]と信じて疑わず、ここ[#「ここ」に傍点]にある[#「ある」に傍点]言葉を綴りながら「批評は批評に出会う」とその主要モチーフを設定するとき、論者は、まさに論理の整合性によって、二重三重に奪われて貧しいその「思考」を露呈せざるをえない。それというのも、「批評」を「出会い」として提示すること自体が、「文学」にあまねく蔓延している「遭遇」論の貧しい比喩に汚染している論理の奪われたさまを物語ってしまうからばかりではなく、高橋氏自身の発想を超えたところで、あらゆる「出会い」の論理が、「未知」のものとして遙かな距離のかなたに隠されてある「真理」と「疑問符」との遭遇という秀れて「制度」的な思考、すなわち西欧形而上学の薄められた反映にすぎないからである。  充実した「出会い」の一時期としての青春といったもっともらしい主題が、どれほど「小説」の貧しさを隠蔽するものとしてその「制度」化に貢献し、「出会い」が語られれば語られるほど、青春が「文学」的「出会い」を模倣していったかという点にいまは触れまい。「出会い」の模倣を操作するものとして、「文学」がかろうじて「文学ならざる」世界と触れ合っているという現実についても黙るとしよう。問題は、「批評は批評と出会う」という高橋氏が、「出会い」を、いま[#「いま」に傍点]、ここ[#「ここ」に傍点]には存在せず、従って見えてはいない[#「見えてはいない」に傍点]ものを、衝撃的に、あるいはゆっくり時間をかけて知ることとして設定している点であり、それは、「批評というジャンルでとらえられた人間は、人間と人間とが出会うことは不可測であり、証明も予想もできないという運命観のもとで見られた人間である」という、一見したところ慎重な留保とも思える文章からうかがい知ることができる。だが、この慎重さが、偶然の邂逅[#「偶然の邂逅」に傍点]という「メロドラマ」の擁護に終ってしまっているのは、論者がそれに続いて、名高い小林秀雄のランボー体験について語りはじめてしまっているからだ。  高橋氏が引用するのは、いうまでもなく、「僕が、はじめてランボオに、出くはしたのは、廿三歳の春であつた。その時、僕は、神田をぶらぶら歩いてゐた、と書いてもよい。向うからやつて来た見知らぬ男が、いきなり僕を叩きのめしたのである」で始まる一節である。だがそれにしても、これが「一種の狂暴な〈出会い〉として一挙に起ったのだ」という点に注意すべきだとする高橋氏が、すかさず「精神が精神に触れ合う危機」を語りはじめるとき、ここで小林氏が嘘をついているという事実になぜ気づこうとしないのだろう。というより、小林氏は言葉によって嘘をつくべく強いられているのだ。「神田をぶらぶら歩いてゐた、と書いてもよい[#「と書いてもよい」に傍点]」の、動詞「書く」がフランス語の譲歩による語調緩和の「条件法」に置かれている点を見逃してはなるまい。それに続く瞬間的な衝撃性の比喩としての「見知らぬ[#「見知らぬ」に傍点]男」の殴打、「偶然[#「偶然」に傍点]見付けたメルキユウル版」に「仕掛けられて」いた「爆薬」、「敏感」な「発火装置」、「炸裂」などの比喩は、事件[#「事件」に傍点]としてあったはずのランボー体験を青春の邂逅[#「青春の邂逅」に傍点]の光景としてしか語りえない「貧しさ」に苛立っていた言葉が、「書いてもよい」を恰好な口実として一挙に溢れだして小林氏を裏切り、ほとんど無償に近い修辞学と戯れさせてしまった結果なのであり、問題の一節にあって「条件法」的語調緩和の余韻をわずかにまぬがれている文章は、最後に記される「僕は、数年の間、ランボオといふ事件の渦中にあつた」という一行のみである。つまり、真の小林的ランボー体験は、その装われた性急さにもかかわらず、徐々に、ゆっくりと引き伸ばされ、時間をかけて進行した事件[#「事件」に傍点]だったのである。わざわざ「『地獄の季節』の見すぼらしい豆本」とことわっている小林氏は、書物の言葉をかいくぐって一挙に「精神が精神に触れ合う危機」などを演じてしまうほどに、「精神」を信用してはおらぬ。それとも高橋英夫は、小林氏が言葉にもまして「精神」を尊重していたとする確かな証拠でも握っているのであろうか。  だが、小林氏がつかねばならなかった嘘はそれにとどまるものではなく、「見知らぬ男」からの不可解な、そして「偶然」の暴力的な挨拶[#「挨拶」に傍点]としてランボー体験を語らねばならなかった点に、いわば第二の嘘が含まれているのであり、それはたぶん、充分には「貧しさ」に耐ええなかった小林秀雄の奪われたさまを証拠だてでもするものであろうが、あらゆるものを徹底した「貧しさ」に還元しえたはずの小林氏も、やはり「出会い」ばかりは、それを相対的「貧しさ」の領域につい温存せずにはいられなかったのだろう。だが、多少とも具体的な夢へと立ち戻りうる者になら、人が「未知」の何かと「偶然」に遭遇したりはしないという点が素直に理解できるだろうし、そればかりか、むしろ「出会い」を準備しうる環境と徐々に馴れ合い、それを通じて出合うべき対象をかりに無意識であるにせよ引き寄せ始めていない限り、遭遇などありえはしないとさえ察知しうるはずだ。つまり、小林秀雄は、大学における専攻領域の選択、交遊関係などにおいて、詩人ランボーの書物と「出会い」を演じて決して不思議ではない環境にあらかじめ住まっていた「制度」的な存在なのであり、そのときすでに、ボードレールもパルナシアンの何たるかも知らされてしまっていたのだ。そうでなければ、「メルキユウル版の『地獄の季節』の見すぼらしい豆本」を「ある本屋の店頭で、偶然[#「偶然」に傍点]見付け」るといったペダンチックなメロドラマは起ったりはしまい。いずれにせよ、こちらがそれらしい顔でもしていない限り、「見知らぬ[#「見知らぬ」に傍点]男」が都合よく「僕を叩きのめし」てくれるはずがなく、だからあらゆる「出会い」は、「制度」的に位置づけられ準備され組織された遭遇なのであって、その位置づけられ組織され準備されたさまを隠蔽するために、人は「出会い」を擬似冒険者的な色調に塗りこめ「文学」と「青春」との妥協に役立てずにはいられないのだ。  それ故、「批評」がありうるとしたら、それは高橋英夫のいうごとく「批評」と出合うことによってではなく、いかにもそれらしく「出会い」として提示されたもののうちに、あらかじめ準備され、組織されていたもののありかを不意撃ちし、なぜその準備や組織化が隠蔽されねばならなかったかを暴露することによってでなければならない。この論の冒頭で、廃棄[#「廃棄」に傍点]、抹殺[#「抹殺」に傍点]の語彙を介して「批評」に言及しなければならなかったのはそのためであるが、人がしばしば「批評」と対置して「創造」と呼んだりするいとなみも、かかる意味での廃棄[#「廃棄」に傍点]や抹殺[#「抹殺」に傍点]と無縁の領域で展開されてしまった場合には、「批評」が陥ったと同じメロドラマを演じながら、その「貧しさ」と曖昧に折合いをつけるのがせいぜいであろう。  作品へ[#「作品へ」はゴシック体] 「批評」が驚くのを忘れているのは、それが「批評」的なものであれ「創造」的なものであれ「作品」が存在してしまうという事実、それも、「作家」の精神[#「精神」に傍点]の不滅の記念碑として抽象空間にそびえ立っている「作品」ではなく、いま[#「いま」に傍点]、この瞬間[#「この瞬間」に傍点]に、読まれつつあるものとしてここ[#「ここ」に傍点]に「作品」があってしまい、しかもその「作品」が、読み始め、しかも読み終えることのできるという有限[#「有限」に傍点]な言葉からなっているという事実である。始まり[#「始まり」に傍点]があり、しかも終り[#「終り」に傍点]があるというこんな怖しい言葉があってしまっていいものだろうか。まるで、いま読みつつある存在がまだその全域において体験しきっていないおのれの「生」を、あらかじめぶっきら棒に切断して見せるかに投げ出している「作品」ほどに不気味なものがまたとあるだろうか。人間がまぎれもなく生まれ、かつ死んでゆく存在であるという現実をこともなげに虚構化し、そのことで「死」を必然[#「必然」に傍点]から蓋然[#「蓋然」に傍点]の領域に移行せしめ、いま[#「いま」に傍点]、この瞬間[#「この瞬間」に傍点]、生きつつあるという具体的な実感に向けて注がるべき視線を生活と呼ばれる現象へと拡散させることで成立する「政治」や「経済」といった「制度」と「文学」が異なっているとしたら、それは「芸術」などと呼ばれてしまう気はずかしい「制度」の一つである「文学」が、まさに「完結」したものとしてしかありえない「作品」によって、人間の有限な生の虚構化をおのれにかたく禁じざるをえないからだ。「作品」の物質的有限性を「精神」の無限性に置きかえること、それは「文学」を「政治」や「経済」と同質の構造に仕立てあげんとする「政治=経済」的な言説にほかならない。そして、「文化」としてある「文学」がたえず「精神」を語ってやまぬのは、「文化」が「政治=経済」的な「制度」の言葉を必要としているからだろう。 「文士も政治家も、生きて死ぬ限りでは同じ人間であるが、文士の作品がとにかく完結するのに対して、政治家の作品は決して完結することがないところが一層悲劇的だともいえる」という江藤淳の『海舟余波』の言葉が、いかに楽天的なメロドラマ性にもたれかかっているかはもはやいうまい。「文学」の悲劇は、「作品」が必然的に「完結」すべく運命づけられた世界にしか生きられない点から導きだされる。でなければ、なぜあれ程多くの作曲家が、鳴りやまぬ響きを、あれほど多くの作家が、語りやまぬ言葉を、あれほど多くの映画人が、途絶えぬフィルムを自分のものとしようとして不可能な試みにうって出て、その道半ばにして命を奪われねばならなかったのか。 「批評」とは、「作品」が存在してしまうことへの不断の驚き[#「驚き」に傍点]であり、嫉妬[#「嫉妬」に傍点]であり、眩暈[#「眩暈」に傍点]である。そして絶えず更新される驚きと嫉妬と眩暈を言葉にしようとするとき、その言葉が言葉そのものによって奪われ、脱色され、匿名化されてしまうことへの不断の驚き[#「驚き」に傍点]であり、嫉妬[#「嫉妬」に傍点]であり、眩暈[#「眩暈」に傍点]でもある。その驚き[#「驚き」に傍点]と嫉妬[#「嫉妬」に傍点]と眩暈[#「眩暈」に傍点]を語るべき言葉がかりにありえたとするなら、それが「制度」としての「文学」を逸脱した地点において、言葉によって準備され組織されることのない事件として、つまりは「既知」と「未知」との「出会い」を超えた遭遇として体験されるべきものとしてある点は、もはや述べるまでもあるまい。「批評」とは、「理性」の衰微にともない相対的な畸型性をまとう「狂気」ではなく、絶対的な畸型としてある「狂気」にほかならない。そして「作品」もまた、その絶対的な「狂気」、すなわち絶対的な「白痴」いがいの何ものでもない。そんなものに歴史や顔や精神や方法がそなわっているかどうか、「文学」はいささかも知ることができない。 [#改ページ]   表層の回帰と「作品」    ㈵ メロドラマとしての「思想」  紙、そして貶められた表層[#「紙、そして貶められた表層」はゴシック体]  皺だの歪みだの亀裂だの、あるいは毛羽立ちでも引掻き傷といったものでもよかろうが、とにかく自分は平坦でありたいとのみ願うものの相貌を荒々しく乱しにかかる悪意の介入を斥け、盛りあがり、窪み落ち、また穿たれることへの潜在的欲望をもみずからに禁じながら、ひたすら寡黙にその均質で滑らかな表情を人目にさらしつづけ、しかもその謙虚さが熱のこもった視線をいささかもつなぎとめえない表層に単調な平坦さのみを露呈することで「文化」に貢献していながら、かえって「文化」の側からのあからさまな無視、蔑視を耐えるしかないものたちの自己犠牲とでもいうべきものをめぐって、「文化」がいまなお無自覚であるという事実、というかその無自覚を基盤としておのれを「制度」に仕たてあげる「文化」の便利な健忘症的資質について、人はいつまで顔をそむけていることができるのか。起伏と陰翳にとぼしく、隆起と陥没とが風景に彩りをそえることのない表層を人目にさらすことで不当に貶められるもの、それは、いま、この瞬間に言葉がその表面に刻みつけられつつある「紙」、それを程よい高さで支えつつ視線を調節する「机」、筆を滑らせつつあるものが外気にこごえることから救っている「壁」、乾燥と湿気とを調節しつつ足を保護している「床」といったものだが、さらには、その同じ瞬間に、別の場所で匿名の足によって踏みかためられつつある「大地」、あるいはその特権的形態としての「道路」などをそれに加えてもよかろうが、こうした平板でのっぺらぼうな顔たちの群に向って、「生活」が投げかける邪悪なる侮蔑の念というか、ほとんどの場合は無関心と呼ぶべきであろうものは、奇妙にも、日常生活の圏域から知的反省の次元にまで均等に流れだしており、だから「文化」が「制度」としての不可視の体系性を強固なものとするのは、意図的な構造化の試みというより、経験的な知と反省的な知との曖昧な妥協ぶりによってなのだ。たとえば美術史、とりわけヨーロッパの教会建築の学的考察の場で「壁」が耐えねばならぬ屈辱的な位置は、その曲線性や球型性によって必然的に平坦さをまぬがれている「円柱」や「穹窿」に捧げられた技術的、美術的な分析や評価の豊富さに比較してみればあまりに明瞭であり、審美的であるとはいえ「壁」にとっては不本意な亀裂にほかならぬ「ステンドグラス」や、皺か毛羽立ちにほかならぬ聖者の彫像が表面を穿ったりそこに起伏を生ぜしめている場合に限り、「壁」は観光客の視線と美術史的言説とをともに惹きつけることに成功するにすぎないのだが、これはおそらく、日本の家屋建築における「屋根」をめぐる語彙の意味論的な豊富さにひきかえ、「壁」の場合はせいぜいその材質の違いに還元された上でその表面はあっさり掛軸でおおわれ、屏風によって隠されてもしまうという蔑視の構造に対応しているであろう。そして、ステンドグラスや聖人像、あるいは掛軸や屏風がそれぞれの歴史的空間で果していたはずの宗教的、精神史的な風土とは異質の世界に住んでいるはずのものたちにまで、「壁」の蔑視の風潮を煽りたてているものこそが「制度」化された「文化」にほかならぬという点を確かめるには、どこでもかまわない、誰かの家の玄関に立って扉の開かれる瞬間を待てばそれでもう充分だろう。  だが、いうまでもなく、ここで問題なのは、中世ヨーロッパの教会建築の様式が今日の室内装飾を「制度」的に支えているか否かといった、たぶんそれが議論として成立しうるには幾重もの迂回と留保とが必要とされる主題ではなく、起伏と陰翳を欠いた平坦さ故に、「学問」の領域の言葉も日常生活の言葉もが、ともに「壁」への言及をかたくななまでに回避しているという点である。平坦さがあたりに波及させるあの単調さの印象、そこからくる廃棄された運動感、視線の凪ともいうべき静止の雰囲気が、人びとを平坦なる表層への無視、軽蔑からさらにはその凌辱へと向わせる過程が、日常的な思考と「学問」を自称する思考とに共通な構造を露呈しているという事実こそが、きわめて重要なのだ。それは、たとえばいま一つの平坦な表層としてある「紙」、おそらくは今日の「文化」にとって特権的な役割をはたしながら、「文化」の無視と侮蔑とに耐えつづけている「紙」についてみた場合、より顕著な現象として把捉できるものかも知れない。たとえば、いささかなりとも「学問」的外見を呈した「書物の歴史」といったたぐいの言説にあって、印刷術と製本術と装飾術の発展の年代記的な記述の影に隠れて「紙」そのものがすっかり姿を消してしまっているさまに、人はもっと本気で驚く必要がありはしまいか。たしかに、書籍の歴史を語る書物のほとんどが、古代エジプトにおけるパピルスの使用、中近東文明圏における獣皮の洗練化、そして中国における決定的な「紙」の発生、そしてアラブ経由での中世ヨーロッパへの遅ればせな流入、さらには水車や風車による原始的な製紙工場の出現といった事実が挿話的に語られはするが、それは十五世紀中葉の印刷機械の発明という、すぐれて「制度」的な「ルネッサンス」信仰の構文にあっては、いかなる積極的な役割をも果すことのない、傍系的な挿話でしかない。印刷術、それは「紙」の平坦で均一な表面を活字の汚点で傷つける組織的な企てにほかならぬ。その企ての最初の成功とその歴史的な意義、そしてその進歩のありさまについてなら、人は詳細な知識を「学問」によって手にすることができる。だが、印刷術の発明こそが書物の広範な普及を可能ならしめたといった言説がもっともらしくささやかれ、たぶんそれは事実であろうと思われもするとき、では、大量の書物の印刷を支えたはずの「紙」がいかにして生産され、市場に流通し、おそらくは時の政治的=文化的=経済的な構造の中で特殊な位置を占めていたはずの印刷工場へと集中したのか、その過程を操作した要因は何であったのかといった点に関し「書物の歴史」は完全に沈黙しつづけている。  いうまでもなく、こうした種類の知識の欠落は、すでに「制度」化されているしかるべき「文化」の領域でそれなりの「文化」的な手続きを踏みさえすれば、誰もが孤独に充填しうるものではあるが、そして、たぶん褪色し塵埃におおわれた「紙」の廃墟と向いあうことで新たな知識を結実せしめるこの種の手続きを、人は「文献学」の進歩などと気軽に呼んでしまいもするであろうが、実は、「紙」をめぐる知識の欠落と充填という「文化」的な手続きを支えていたはずの「紙」が、「書物の歴史」によって二義的な位置に貶められてしまっているという事実は、きわめて「制度」的といわねばならぬ。その表層の単調な白さと均質性を誇る「紙」が、まさに「書物」たるためにその平坦さを乱されることで「知」の担い手たるべく生産され、交換され、集積されていったとき、その生産量を規制していたであろう秩序、交換と集中化を統御していたであろう体系の究明は、「紙」の平坦な表層に程よい陰翳や起伏を与え、その集積にしかるべき装飾をほどこし、「書物」として普及せしめたるための技術の発明や進歩に関する「学問」的記述によってあからさまに無視されているのだ。たとえば「歴史」は、フランス大革命があらゆる種類の「政治的パンフレット」をフランス全土に繁茂せしめた事実を教えてくれるし、その事実の延長上に十九世紀初頭における「ジャーナリズム」の急激な発展という新たな現象を教えてもくれるが、では誰がその大量な出版物に必要な「紙」を握っていたのか、そしてその消費量の増大が政治的=経済的=文化的ないかなる事件と深くかかわりあっていたかについては、「歴史」は何ひとつ有効な指摘をもたらしはしない。ミシェル・フーコーはその第一回目の日本滞在中のある講演で、十九世紀初頭のヨーロッパ的食物摂取の形態が蒙った不可逆的な大変動として、民衆による蛋白質消費量の急激な増大という事実を挙げ、伝統的な「歴史」学がかえりみることもなかったこうした「事件」を視界におさめえぬ限り、あらゆる「人間」への言及は抽象的知識に陥るほかないという意味のことを述べているが(「歴史への回帰」岩崎力訳、季刊「パイデイア」11号、竹内書店)、おそらくグーテンベルクの名前が特権的な位置をしめる「書物の歴史」は、それに似た事情によって、「紙」の消費量の増大という、「歴史」の一時期に確実に標定しうるはずの「事件」をあっさり虚構化することの代償として、あの不毛の「精神史」とやらの構図におさまるほかないのだが、平坦な表層としての「紙」が耐えねばならぬこの蔑視は、それが抽象としての「学問」の場に閉じこめられている限りにおいては、人間から思考の自由を奪う危険をはらんではいまい。だが、問題は、「紙」への学的な蔑視がたやすく日常的な思考へと拡がりだし、経験的な知と反省的な知とがあられもなく和合しあっているという現実なのであって、「真理」の探求とやらを自称する「学問」的言説はその基盤として「紙」を必要としながら、また「生活」を至上化する日常の行動は「紙」の大量消費の上になりたっていながら、その言説なり行動なりを可能としつつ規制する「制度」が、「紙」ではなく「印刷術」の「制度」だとする漠然たる視点を共有している点こそが危険なのだ。「制度」は、この曖昧な視点を「学問」と「生活」とが共有する地点に成立し、人びとが書き[#「書き」に傍点]、読み[#「読み」に傍点]、思考[#「思考」に傍点]する自由をいたるところで奪ってまわる。「紙」が、「印刷術」の特権化によって思考から排除されることで堅持される秩序。人は、そうした世界にあって、たがいに思考と行動の自由を奪いあって傷つき、しかもその傷をたがいになぐさめあって秩序の支配を無意識のうちに完璧ならしめるという構造が、「文化」の「制度」化に貢献するのだという点はすでに述べたとおりだが、いま、「紙」が耐えねばならぬ大がかりな無視と虐待という現実と、その現実そのものがすでに一般的な無視の対象となっているという二重の侮蔑の構造のうちに、「制度」としての不可視の相貌を獲得しつつあるのだ。「紙」ばかりではない。「壁」が、「机」が思考の座から追放されてゆく過程で、では、平坦でしかありえぬ単調な顔たちは、いかなるものの「制度」化に貢献しているというのか。  具体性という名の抽象[#「具体性という名の抽象」はゴシック体]  もはや改めて弁明するまでもなく、ここに書き継がれ読まれようとしている言葉たちは、「美術史」における「壁」の復権、「書物の歴史」における「紙」の復権を目論むものであったりはせず、「壁」や「紙」をめぐる思考の欠落というかその「制度」的な不自由が、二十世紀も後半にさしかかった今日、人間の精神と肉体とをいかなるかたちで犯しているかを捉えるべく、一貫した言説におさまることになるだろう。その試みをおし進めるにあたって、われわれはふたたび「批評」に視線を注ぎ、それが機能する環境に生起することがらを可視的な事件として描きあげうる言葉をさぐりあてねばならない。だがここで、「批評」が仮説的ではあれ特権的な地位を帯びることになるのは、普通、「批評」が住まう空間と考えられる「芸術」が、「政治」や「経済」といった社会的諸制度にとってたえず有効な「否《ノン》」を口にしうるものだと信ずることの無邪気さを共有するからではいささかもない。「文学」や「絵画」といったいとなみに加担するものが、それ自身として「反=社会」的資格を獲得しうるという錯覚は、ヨーロッパにおいても日本においても、ある一定の時期に、ほとんど錯覚である自分を忘れるほどの鮮明な輪郭におさまって現実の域に接近しはしたが、「芸術」こそ単調で平坦な表層に畸型的な亀裂を走らせ、隆起や陥没を生ぜしめ、それが実現する表面破壊の作業のうちに、「芸術」家の精神の在りようを刻みつけるのだと信じられ、またそのようなものとして社会に許容されていた限りにおいて、「紙」や「壁」の生きた存在を侮る「制度」へとおのれを位置づけているわけだし、平坦な表層に残された皺だの歪みだの亀裂だのをも克明に跡づけ、その美学的な価値を判断し、そこから作家の魂の言葉を識別することが「批評」の主眼であるとするなら、いかに反語や逆説が弄されていようと、「批評」が「制度」の円滑な機能を助長する共犯者的な役割しか演じていないさまは、あまりに明白だというべきである。ここで問わねばならぬ「批評」が、ジャンルとしての「文芸評論」にはおさまりがつかず、しかもあの「文明批評」だの「批評精神」などと呼ばれる年老いた「制度」的な言葉とも異質なものであらねばならぬのは、そのためである。そして、なおもここで言説を始動せしめその方向を指示するものとして問われるべき「批評」は、経験的な知の領域においても、反省的な知の水準においても、知そのものとこの上なく密接して生きる何ものかが、そのあまりの遍在性ゆえに視線から脱落し、二義的=周縁的な場へとみずからを貶め、しかもその寡黙な相貌によって、最も有効なかたちで不可視の「制度」を支えているという事実を原理や構造の側から分析し記述することではなく、最も現実的な一点から、「制度」が誇示する顕在と隠蔽の身振りへと踏み込むことによって、可視的な事件として生きることでみずからを消してしまうことにほかならないだろう。具体的であることをめぐって、人が抽象的な思考しか思考しえない現実を、消滅という具体的な事件によって、一瞬、思考にむかって語ろうとする欠語、それこそが「批評」なのであり、抽象的であることをめぐって、人が具体的な思考を思考しうるという錯覚を、饒舌というあの抽象的還元作用によって、永遠に、思考から思考を奪う言葉が「批評」なのでは断じてない。平坦で、単調で、運動が廃棄されているかにみえる表面としての「紙」が、あるいは「壁」が「批評」の契機として重視されねばならぬとしたら、それはこうした特権的な表層たちが、いま、その圧倒的な遍在ぶりにもかかわらず、あるいはその遍在ぶり故に、あからさまに虐げられ、貶められた具体性として、人びとの瞳から視力を、そして精神から思考を奪っているからにほかならない。  すでに触れておいたとおり、人々は、現在、自分が捕えられている世界を、「印刷物」の氾濫する空間だとあっさり信じてしまう。現代を活字文化から映像文化への危機的な変動期だと断言する無邪気な魂たちのまわりにも、動く「印刷物」たるテレヴィジョンの横長の画面が、たぶん「壁」にとっては不本意な装飾的な突出部として、ことのほか珍重されているのだから、「印刷物」の洪水はとどまることを知らない、と彼らは考える。この「印刷物」の氾濫は、過度の生産が必然的に招く相対的な質の低下を社会的な規模で準備し、知的頽廃をあたりに波及させるばかりだ、と良識ある顔の幾つかが深刻にしかめられる。そしておそらく、その事実が途方もない誤りを含むことはないであろう。だが問題は、それが書籍であれテレヴィジョンであれ、現代の知的頽廃を「印刷物」の氾濫と結びつける思考そのものにあるのだ。洪水としてあたりに溢れているという「印刷物」にとって、「紙」がまるで空気のような環境に似て、無限に存在するかのように議論が進展してしまう事態に誰もこだわりを持とうとしない点が、いかにも不気味であるのだ。「紙」が無尽蔵な資源でも遍在的な環境でもなく、その生産量も、交換の形態も、流通の過程も、配分の方式をも厳密に統御しうる「制度」の中でのみはじめて「紙」として機能しうるというきわめて具体的な現実。あまりにもあからさまであるが故に瞳という瞳を無効にしえた一定の経済政策が全国に浸透してゆく過程で、おそらく明治以後の緩慢で漸進的な忘却が決定的に虚構化することに成功したかに見えるこの現実は、これまた巧みに操作された国際的規模での経済的不均衡の露呈によって、一瞬のうちに現実へと引き戻されたわけだ。自分でもそうとは信じがたくなった故にことあるごとに前衛[#「前衛」に傍点]を自称してまわらねばならなくなったある政党が、何年かまえの選挙のおりに、この平坦で、単調で、運動への契機を欠いた表層たちを大量に確保したといったたぐいの流言は、そのいささか滑稽な響きにもかかわらず、きわめて具体的に、現代が「紙」の大がかりな消費の時代であり、民主主義と呼ばれる「制度」が消費されうる「紙」の上に築かれた代表選出の機構である現実を示しているといえるだろう。民主主義とは、投票用紙と身分証明書を交換しあう「紙」の儀式なのだ。だが、当面の問題は、そのことの意味を深く究明することにあるのではない。こうした特権的な役割まで担っていながらも、いまだに「紙」が耐えねばならない侮蔑と軽視とが、いかにして一つの「制度」を支えるに至ったかを問うことこそが問題なのである。それにはどうすればよいか。  たとえばここに、一九二五年の日本の知識人[#「知識人」に傍点]が書き残したきわめて「制度」的な言葉がある。その書き手が、一九七五年の「制度」的知識人林達夫と同人物であることは、どうでもいいといえればいえるし、またきわめて教訓的だといえればいえるが、その「書籍の周囲」の「序」にあたる部分の冒頭には、こんな文章が読みとれるのだ。「今日ほど書籍の夥しく刊行される時代はない」と、半世紀以前も昔の林氏はのっけから「印刷物」の氾濫を嘆息する。「専門の著述家はもとより、予備将校も俳優も小学教師も美しい未亡人も年のゆかぬ娘もせっせと本を書いて、どしどし大胆にあるいは厚顔にこれを公刊している。著作出版は現代の一つの偏癖《マニー》であり、その過多は現代の一つの病である。毎朝新聞を手にするものは、その第一面にあらゆる媚態と誇張との限りを尽して声高に自己の誕生をつげ、同時に自己の価値と美とを世に叫んでいる新刊書——書籍を Nascendo maturus(生まれながらに成熟している)と呼んだ昔の学者の言葉が思い出される——の広告に眼を眩惑されるであろう。書肆の店頭は、日に月に産み出されるこれらの有象無象の書を以て堆く積まれ、読書子は書籍の洪水に押しつぶされて、殆ど窒息せんばかりである。私はこの現象を前にして、そもそもヨハン・グーテンベルクやローレンス・ヤーンスツォーン・コステルに感謝すべきか否かを知らない」(「書籍の周囲」、『林達夫著作集』6、平凡社)。  ここに引用された言葉が驚くべき何かを含んでいるとしたら、それは、すでに五十年も昔の日本に、今日の「印刷物」の氾濫に酷似した状況が存在していた事実が、そこに動かしがたい証言として語られているからではもちろんない。そうではなくて、「書籍の洪水」と呼ばれる現象を前にした知識人の反応が、この五十年間いささかも変化しなかったばかりか、今日ではその反応が、知識人[#「知識人」に傍点]の特権ではいささかもなくなってしまっているという点であろう。フローベールの『紋切型辞典』によれば、十九世紀のフランス・ブルジョワジーは、本と聞いたらすかさず「こいつはどうもいささか冗長だな」と口にすれば及第だったそうだが、二十世紀の日本人は、それがどんな階級に属する個人であろうと、「どうも本が多すぎやしまいか」といった程度の台詞なら、二度や三度は必ず口にしたことがあるはずなのだから、知識人[#「知識人」に傍点]は半世紀という時間をかけて着実に啓蒙的先導者の役を果しえたのだと安心することができる。そして、その先達としての身振りは、書籍の周囲[#「書籍の周囲」に傍点]から「紙」を完全に排除し、活字印刷術の発明に「書籍の黄金時代」を想定する林氏のうちに、ある一つの「制度」的な姿勢をくっきりと浮きあがらせる。「二十世紀に至って、書籍の過剰とそれが撒き散らす害毒とは、ようやく人類を悩しはじめている」という状況判断には、活字印刷術の発明が、それ本来とは異なる目的で濫用された結果、知的頽廃を煽るまでに至ったという認識がこめられており、それはたとえば、「この濁れる書籍の氾濫時代に棲息して、滔々たる粗造本の汚穢の中に佇まなければならぬのは、我々の不幸である」といった断言を正当化するものであろう。そしてこうした視点は、かつて純粋であったはずの科学が、いまや混濁しはじめ、人類の上に暗い影を落すに至っているという現代の科学史の一つの潮流と正確に一致しており、しかも、科学技術の過度の発達が人間にとっては好ましからぬ幾多の弊害を生みつつあることへの経験的な反発、批判といった今日的な風潮ともあっさり折合いをつけ、二十世紀の『紋切型辞典』に新たな項目を追加することになってしまっているという事実は、いかにも教訓的であろう。つまり、書籍の洪水という現象を前に林達夫が洩らした五十年前の感慨が、いまや、あらゆる人間たちの口からささやかれているのであり、この反省的な知と経験的な実感との曖昧な妥協ぶりこそが、知の「制度」化に貢献するのだ。だがそれにしても、百科全書的な啓蒙家と人文主義的な総合人への郷愁に支えられ、歴史的一時期にあって確実に批判精神[#「批判精神」に傍点]の拠点として機能しえたはずの林達夫の視点が、長くもありまた短くもある五十年という年月をかけて、『紋切型辞典』の豊饒化にのみ貢献してしまうというのは、いったいなぜであろうか。  排除と発見のディスクール[#「排除と発見のディスクール」はゴシック体] 「書籍の黄金時代」が活字印刷術の発明の周辺にあったはずだとする林達夫の発想、それは書物の歴史の上ではいささかも現実的とは呼びがたい視点である。活字印刷術というものが知の歴史ではたした役割に言及すべきだとするなら、それは、グーテンベルクやコステルの時代から十九世紀の初頭にいたるまでその技術が目だった改良を加えられることなく、ほとんど横ばいの状態の進歩しか示してはおらず、産業革命期の直前に至ってはじめて飛躍的な発展をとげているという現実に注目しなければならない。葡萄絞りの技術を応用した圧縮装置がほぼ三世紀にわたって維持された後に、その手工業的な性格を脱して印刷に費される手間と時間とを一挙に短縮し書物の大量生産を可能にするのはこの時期であり、しかもそれは、王権による印刷業者の制限政策が崩壊し、印刷所の数が急増する時期にかさなりあっているということ。たとえば林氏は、「実に印刷所は最初よりして、知識と思想とを通俗化し、学問における中世的階序主義の信用を失墜せしめ、僧侶によって永い間享受されていた学問上の独占を打破し、かくて旧特権階級の知的威信を覆すにあずかって力あったのである」(「発見と発明の時代」、前記『著作集』1、「芸術へのチチェローネ」)といった言葉を洩らしはするが、「書物の歴史」の上でこうした指摘が真に妥当しうるのは、発見と発明の時代[#「発見と発明の時代」に傍点]においてではなく、十九世紀に始まる洪水と氾濫の時代[#「洪水と氾濫の時代」に傍点]においてであろう。「知識と思想とを通俗化」する「印刷術」に言及しながら、一方で「濁れる書籍の氾濫時代」を慨嘆しうるという便利な魂はそれ自体としてきわめて「制度」的といわねばなるまい。なぜなら、そこには、科学技術と人間精神とは美しい均衡を生きねばならぬという認識があり、また、その美しい均衡が保たれた時期がかつて存在したと夢想する非在郷信仰があるからであり、さらには、今日の環境汚染をめぐる言説のほとんどが、とりわけその誠実な顔を崩すまいとして撤退してゆく先が、ほかならぬこの非在郷の美しい均衡[#「美しい均衡」に傍点]という夢の中でもあるからである。  だが、技術と精神の調和といった夢物語はさしあたってどうでもよろしい。「書籍の黄金時代」を活字印刷術[#「術」に傍点]の発明のまわりに夢見ようとする林達夫の発想は、それ自体が、書籍にとっての第一の現実たる「紙」を書籍から排除しようとする抽象的思考の上に築かれた「制度」によってはぐくまれ、そこで交換され、そこで消費され、その純粋な内部流通によって「制度」の安泰をはかるより大がかりな思考の相殺現象の中に位置づけられるべきものであるからだ。そして、手工業的印刷術の工業的段階への発展、徒弟制度的な印刷業者の近代的経営者への変質、さらにはその数の爆発的増大といった十八世紀後半から十九世紀初頭にかけての新たな現実の影に隠れながらも着実に進行していたはずの「紙」の大量消費が知的関心の対象たりえず、しかもその知的蔑視を享受しつつ、生産と、交換と、流通と、分配の不可視の体系を確立してしまった「紙」の権威を基盤として、思考収奪の技術と人間精神との調節装置たる民主主義[#「民主主義」に傍点]が、非在郷を復活させることになるのだが、国際的な対立や緊張関係の顕示化を利して民主主義[#「民主主義」に傍点]の「制度」化が推進された二十世紀初頭という歴史的な一時期に、「書籍の洪水」を社会的病理と診断してはばからぬ林達夫の抽象的思考は、当然のことながら、彼自身の思考の欠陥というより、一つの「制度」的な思考にほかならなかったという点が、いま、明らかになりつつあるといえると思うのだ。  この「制度」は、近代的自我[#「近代的自我」に傍点]とやらをも発明したという発見と発明の時代[#「発見と発明の時代」に傍点]として「ルネッサンス」を眺めるという非在郷信仰の上になりたっている。その非在郷信仰が、わが国の歴史的一時期に、知識人[#「知識人」に傍点]による抵抗の核として有効に機能しえたことはまぎれもない事実として認めうるし、またそのことに積極的な評価を加えることも決して無駄であるとは思えないだろうが、それは、かくのごとき「ルネッサンス」観が、ヨーロッパの歴史学の現状と途方もなく遊離しはじめているという事実の指摘と同様、あまり意味のあることではない。問題は、おそらく朝永三十郎の『近世に於ける「我」の自覚史』あたりを源流に持ち、当初は知的興味の対象としてあったはずのこうした「ルネッサンス」観が、発見と発明[#「発見と発明」に傍点]を葛藤よりは調和の、混乱よりは秩序の、混濁よりは透明の契機として捉える非在郷的思考により、かえって「制度」の維持に貢献するほかなかったという現実こそが問題なのである。人は、批判精神[#「批判精神」に傍点]を基礎づけるかにみえたそんな思考に、ゆっくりと時間をかけて馴れ親しむことができ、そのことによって、日常的行動から反省的知の領域までを蔽っているきわめて現実的な諸矛盾を、快く解消しうるかの瞬時の錯覚を覚えるからだ。そして、瞬時の錯覚を甘美なまでに引き伸ばし、錯覚であることを忘れさせるものこそが、あの永遠の主題としての「真理」にほかならない。 「真理」は、「濁れる書籍の氾濫時代」にあっては、たやすく発見されるものではない。葛藤と混乱と混濁とで窒息しかかっている現代の人間は、「取捨と選択」によって調和と秩序と透明さに近づかねばならない。それには「新刊書などには目もくれず、頭からこれを軽蔑して、ひたすら古書と稀覯書とにその愛を傾倒している」愛書家《ビブリオフイル》たち、とりわけその特権的存在たる「文献学者」を模倣するにこしたことはないと、林達夫は忠告する。「文献学者の魂の中には、これらの現実主義者(「現実の果敢ない事物に興味を持つ者」のこと。引用者注)の全然窺い知るを得ない珠玉が光っていて、彼等は実にその光に導かれているのである。その珠玉とは即ち真理のために真理を求める、利害を超越した純粋なる知識の愛にほかならない」(「書籍の周囲」)。  若き林達夫のこの言葉が、誰も本気で耳を傾けることのない大学総長の訓話に似ているといって笑ってはならない。今では、誰もがこんな言葉を信じようとしないが故に、まさにそのことの故に、いったん事態が紛糾してくると、その責任を果しえないうしろめたさを隠蔽するものたちがこぞって口にする恰好なる符牒として、「真理」の一語が貴重な役割を演じているからである。大学闘争と呼ばれる一時期に、文部大臣が、大学の教師が、その両親たちが、そして評論家が、新聞までが「真理と学問の府」という言葉を投げかけあっていた記憶は、まだわれわれの耳に新しい。いま、「真理」は、葛藤を虚構化するのに最も都合のいい「制度」的な円滑剤なのであり、狂気と非理性の復権をとなえた者たちまでが、大学を「学問と真理」の特権的な場であるとする認識の上に、みずからの存在理由を置いていたのだ。だから、林達夫の言葉の正しさを証明しうるのは、ほかならぬ「制度」だという点に、人はいますこし敏感でなければならぬと思う。  真の葛藤の在りかを隠蔽することで大がかりな思考収奪に加担するこうした「制度」的な言葉を、ここでとりあえず「排除と発見のディスクール(言説)」と呼んでみたい。混濁が透明に置きかえられねばならぬように、「真理」の前に「誤謬」を排除することで成立する言説、「真理」を発見さるべき未知[#「未知」に傍点]なるものとして想定し、それを既知[#「既知」に傍点]の領域へと移行せしめるべく、彼方へ、背後へ、奥へと進む運動を正当化する言説、不可視なるものを抽象的、可視なるものを具体的と断ずることに基盤を置く言説、非在郷での技術と精神の甘美な共存を夢想する言説、つまるところ、「批評」が始動する契機を永遠に延期しつづけるこの種の言説を、「排除と発見のディスクール」と呼びたいと思うのだ。こうした言説を操るものたちは、「紙」と呼ばれる表面、「壁」と呼ばれる表面の実在を信ずることができない。単調で、均質で、動きを奪われた平坦さに、皺や歪みや亀裂が走っていないと安心できない。しかも、表面に生ずる隆起や陥没が、それ自体として意味があるわけではない。それにさきだち、あるいはその背後に、痕跡のみを残してこの空間を横切ったもの、それが彼らにとっての主要な関心事なのであり、それに「真理」と呼ばれる便利な名称を与えて、その発見[#「発見」に傍点]のために、「紙」や「壁」はあっさり思考から排除[#「排除」に傍点]してしまうのだ。つまり、「紙」や「壁」は、無償のうちに消費され、しかもその実在など、誰も憶えていはしない。そして「批評」は、いま、その忘却に向けて、ひそかに滑りこんでゆくだろう。    ㈼ 批評から作品へ  奪われたものたちの遭遇[#「奪われたものたちの遭遇」はゴシック体]  何を見ていたというほどの記憶もない瞳がそれとも知らずみせた不意のまたたきをまるで物かげから窺っていたとでもいうかのように、その束の間の視線の凍結を恰好の口実としてたがいの位置をすりかえあう可視と不可視とが、たぶん、あまりの具体性ゆえに人が抽象的と呼ぶほかはあるまい迅速な交換ぶりによって始動せしめる瞳の夢想を、とりあえず非在郷と名づけておきたいあの邪悪な無葛藤地帯へと巧みに誘いこみ、そこに一つの声を奪われた言葉が、濁った誤謬どもの陰に埋もれているなどと甘美にささやきかけるとき、宙に吊られて瞳の機能を放棄した夢みる視線は、奪われてある自分をなおも視線だと信じ続けんがために、見えてもいない視界一面に透明な膜を捏造し、ありもしないその中心へと向けて自分を引きずってゆく運動の錯覚に世界を従属せしめんと躍起になるのだが、たぶん幾重にも屈折したことで錯覚たる自分をも忘れてしまうだろうそんな錯覚が、あたりにひしめきあった仲間の錯覚たちと親しげな微笑を交わしあい、たがいに相手の忘却を正当化しつつありもしない中心への歩みを共有しようとする土地こそが、埋もれて眠る言葉に艶のある声を回復するぞと広言する「排除と発見のディスクール」の繁茂する「制度」的空間なのであるが、そこに身を寄せあういかにももっともらしい言葉たちが、その基盤となるものの信じがたい脆弱さにもかかわらずそう簡単には崩れ落ちず、かえってしたたかな手応えの網の目を緊密に張りめぐらせてしまったりするのは、非在であるが故に錯覚たちによって矛盾なく共有されうる中心がその空間にそなわっているからだ。  一連の「排除」の手続きによって「発見」されるべき「真理」としてあるその不可視の中心は、当然のことながらこの上なく可視的なものを隠蔽することによって設定され、したがって「排除と発見のディスクール」と呼ばれる言説は、「真理」への不断の歩みを装いながら、実は最も可視的なものには視線を注がず、それを思考の表面には浮上させまいとする共通の意志によって支えられていることになる。あらゆる「制度」が、不可視による可視の抑圧を中心に据えているであろうことは、その点からして容易に想像がつくだろう。「書物の歴史」の創成期に活字印刷機の発見を発見したと信じうる瞳が、「紙」を凝視し思考する力を徹底して欠いていたのはそのためでもあるし、可視と不可視の置換劇の大詰めにおいて特権的現存ともいうべき「人間」をあっさり非在の抽象とすげかえる仕草こそが、「制度」に完璧な構造を付与する最終的な儀式を演じてしまうという事情も、すでに別の機会に触れておいたとおりである。そこで問題となる「人間」が、精神[#「精神」に傍点]によって可視と不可視との超えがたい距離を一挙に踏破するというあの抽象的な思考の産物ではなく、生まれたことによってまぎれもない死への可能性をはらんだ生なましい存在であることは、ここで改めて指摘しなおすまでもあるまい。「人間」とは、「排除と発見のディスクール」によって途方もない非在郷に送りこまれ、そこで近代的自我の発見[#「近代的自我の発見」に傍点]といった思考の欠如と遊び呆けぬ限り、死という還元不能な事件[#「事件」に傍点]をはらみ続けることで、「制度」からの逸脱を生きうるもののはずである。というより、その消滅への無二の資質が、「人間」の生の有限性を虚構化することでなりたっている諸「制度」の不可視の機能様態を、かりに一瞬であるにせよ、鮮明な輪郭のもとに浮きあがらせるのだというべきであろうか。いずれにしても、「人間」は、透明と混濁、秩序と無秩序、真理と誤謬といった対立項に従って展開される「排除」の手続きで「発見」されることのない具体的実在にほかならぬ。またそうである限りにおいて、尊厳[#「尊厳」に傍点]だの偉大[#「偉大」に傍点]だのの「排除と発見のディスクール」に特有な語彙と触れあうべき共通の何をも持ってはいないのだ。にもかかわらず、精神[#「精神」に傍点]や思考[#「思考」に傍点]は視界におさめていると確信する無邪気な瞳たちが、あいかわらず「人間」に注ぐ視線だけを欠落し、しかもその欠落をすら思考の圏外に追いやっている自分に程よく満足しがちな傾向を共有しているのは、精神との調和ある共存を破った科学技術の畸型的膨張ぶりが高度に発達した「テクノクラシー」と呼ばれる「制度」の確立によって「人間」を圧殺するに至ったからではいささかもなく、事情はその逆であって、その根源的な場としての非在郷で、視界に浮上しようとする「人間」の動きをいたるところで塞いでまわった精神[#「精神」に傍点]や思想[#「思想」に傍点]が、みずからの隠蔽の仕草を隠蔽すべく技術[#「技術」に傍点]との調和ある共存を演じ、さらにその演技を隠蔽すべく「人間」とともに不可視の領域に身を潜め、尊厳や偉大の語彙を占有することと引きかえに、技術[#「技術」に傍点]の無限膨張を是認したというまでのことであって、だから「制度」としての「テクノクラシー」は、「精神史」や「思想史」の諸「制度」とともに「排除と発見のディスクール」の特権的な担い手として、「人間」に注がれるはずの視線の前で可視と不可視との置換劇に精をだすことになるのだ。しかもいま、精神と技術[#「精神と技術」に傍点]とは、甘美な共存を生きえた非在郷を現代に捏造すべくあからさまに呼応しあい、「人間」を思考から永遠に追放するための高度の策略によって、学際的[#「学際的」に傍点]と呼ばれる新たな「制度」確立に狂奔しているのであり、集い合った瞳たちがたがいの視線の凍結ぶりを開かれた知[#「開かれた知」に傍点]として解放せんとしていうこうした運動を、だから人はもっと本気で警戒せねばならないのだ。たとえば『言葉と物』(渡辺一民・佐々木明訳、新潮社)のミシェル・フーコーが、「人間」とはたかだか百五十年あまりまえに思考の座に浮上した新たな概念にすぎず、また知の「制度」的な再分配によっては再び思考の座から姿を消すこともあるかも知れぬ[#「姿を消すこともあるかも知れぬ」に傍点]と書き、その言葉が、いつもながらの嘆かわしい杜撰さから「人間[#「人間」に傍点]」は消滅した[#「は消滅した」に傍点]といったたぐいの口あたりのよいアフォリスムとして途方もない流通ぶりを示してしまったとき、そこで真に問われていたものが、「人間」をながらく思考の座から追い払うことで成立した諸「制度」のしたたかな機能ぶりの解明であり、その「制度」の基盤となる可視と不可視をめぐる錯覚の構造であるということは、構造[#「構造」に傍点]と体系[#「体系」に傍点]の名において思考する「テクノクラシー」の代弁者と非難されもしたフーコーが、実は「人間」を事件[#「事件」に傍点]として回復しうる可能性を狂おしいまでに希求する欲望[#「欲望」に傍点]の人にほかならず、しかもその欲望が、「人間に関する、なかば実証的でなかば哲学的な一般的反省と見なされる『人間学』のあらゆる容易さ」としてある学際的[#「学際的」に傍点]な「制度」の編成を、あらかじめ禁じようとする意志に支えられていることはあまりに明瞭というべきであろう。それでいながら、「人間[#「人間」に傍点]」の消滅[#「の消滅」に傍点]ばかりが構文から離脱し、全篇の目指す方向を裏切るかたちで膨張してしまったのは、まさに「人間[#「人間」に傍点]」の消滅[#「の消滅」に傍点]こそが、多少のうしろめたさから苛立ちの拒絶反応を惹き起したとはいえ、「制度」にとってはこの上なく口あたりのよい言葉であったからにほかならない。しかもその「言葉」という言葉すらが、「制度」にとっては、存在しなければそれにこしたことはない希薄な相貌のもとに姿を見せており、それがかりに自分自身の上に醜く折り重なって、「言葉」が「言葉」にほかならぬといった血なまぐさくも殺伐たる風貌をまとうにいたったりすると、「制度」はこれをたちまち隠蔽の対象に仕立てあげてしまうという点を見落してはならないと思う。 「制度」が、あらゆる種類の言葉にみちあふれた空間であることはいうまでもなかろうが、そこで「言葉」として容認されているのは、「人間[#「人間」に傍点]」の消滅[#「の消滅」に傍点]といった、「制度」の不可視の体系への曖昧な妥協へと人を駆りたてる無償の饒舌に限られている。「人間」をめぐるあらゆる言説が、かりに「生命」なり「死」なりを対象として語りつがれるような場合ですら、「なかば実証的で、なかば哲学的な」あの「人間学」的な容易さゆえに、「人間」の生の還元不能な有限性を虚構化することに貢献するほかないのがほとんどであるように、今日、時ならぬ流行の波に煽られてあたりに氾濫する「言語論」の大部分が、それ自身が一つの「制度」にほかならぬ「言語」に従って思考され、執筆され、読者の視線に提供されたものであるという事実をあっさり思考の圏外におしやってしまっているので、そこに含まれるかずかずの貴重な指摘や刺激的な見解にもかかわらず、とどのつまりは「制度」に貢献する無償の饒舌にしかなりえていないのだ。たぶんどこにも存在はしまい非「制度」的な場で、唯一無二の事件として消滅したいと願う「言葉[#「言葉」に傍点]」の夢[#「の夢」に傍点]は、永遠に奪われ続けるほかはない。だから、書かれ[#「書かれ」に傍点]、話され[#「話され」に傍点]、読まれ[#「読まれ」に傍点]、聴かれる[#「聴かれる」に傍点]その瞬間に「言葉」に不意討ちをかけ、不定形から定形へのすばやい運動を凝視せんとして、そのことで瞳から視線が離脱してしまうというあの不快な肉体的変調に身をさらすより、人は、「言葉」が事件として生起する一瞬を巧みに回避し、その一瞬に先行したりその後を追うといった構えで、前言語的な地熱の程よい湿りけや言語的な廃墟とのみ戯れながら、そこに思想[#「思想」に傍点]だの精神[#「精神」に傍点]だのを認めたと信ずる視線の錯覚へと安住することを選んでしまうのだ。「言葉」ではなく思想[#「思想」に傍点]ばかりが思考されることで生きのびる世界、「言葉」が事件として文化を垂直に貫く瞬間に発する閃光で瞳を失うよりも、すでに凍結されている視線に偽の視力を捏造することが選ばれてしまう世界、それがほかならぬ無償の饒舌が保護されつつも保護する「制度」なのだが、そこで思考される自由を奪われ、遭遇を禁じられている三つの不在を、いま、「人間」、「言葉」、「紙」と名づけることができるだろう。絶えず他の何ものかによって隠蔽され、その不在によって「制度」に偽りの中心を不本意ながら提供しつづけている三重の不在。書き[#「書き」に傍点]、読まれ[#「読まれ」に傍点]つつある瞬間にここにある[#「ここにある」に傍点]が故に、「制度」によって不可視の圏域へと貶められ、遭遇の機会と場所とを奪われてある「人間」と「紙」と「言葉」とが、「作品」と呼ばれるものにほかならない。「作品」とは、「制度」が必要とする特権的な欠落、その周囲に饒舌がもっともらしい言説として配置される中心的な空白である。「作品」とは、「制度」によって引き裂かれて生きるしかない「人間」と「言葉」と「紙」とが、事件[#「事件」に傍点]として遭遇すべき不可能な場所なのである。その場所は、たぶん運動への契機を欠いたものと人目にうつるだろう単調で、平坦な、あの侮蔑の対象としてあったのっぺらぼうな表面にほかなるまい。「作品」を思考する自由が曖昧に放棄されることで維持される「制度」の一つにすぎない「文学」が、「批評」にとっての至上の圏域としてにわかに重視されざるをえないのは、そのためである。  畸型としての『萌野』[#「畸型としての『萌野』」はゴシック体] 「作品」が「文学」とは徹底して無縁でしかありえないこと、その事実を、いまや誰も疑うことはできまい。「制度」の理不尽な介入によって共有すべき地平を追われ、まるでそれが当然だといった按配にたがいに隔離され、遭遇の可能性をあらかじめ断たれたかたちで不可視の圏域に閉じこめられ、しかも捏造されたいかにもそれらしい言葉によって隠蔽されて暮すしかない「人間」と「言葉」と「紙」は、きわめて具体的な意味あいにおいて、「文学」の中には自分を位置づけるべき地点を見出しえないのだ。しかも、この三つの不在は、かつて実在として調和ある共存を生きたことがないのだから、というのはつまり、「制度」が「作品」を、「人間」と「言葉」と「紙」に分断したのではなく、「人間」と「言葉」と「紙」とがはじめから隔離され、隠蔽されることで、それと同時に「制度」が「制度」たりうるのだから、はからずも不可視の領域に押し込められた三つの不在は、まさにその地点でこそ生誕したのであり、したがって「作品」は、郷愁のこもった視線がその輪郭を描きあげるあの非在郷とは異質のものだという点は、指摘しておく必要があるかもしれない。「人間」は、その隔離と隠蔽とを嘆きつつも、「言葉」や「紙」と同様に「作品」を記憶してはいないのだ。三つの非在は、あの「排除と発見のディスクール」がそうであったように、失われた楽園への追憶に湿ってはいない。それとは逆に、この三つの不在にとって、「作品」は実現さるべき未来のできごと[#「できごと」に傍点]としてある。しかもそのことを、彼らは全く知らない。「人間」と「言葉」と「紙」は、思考によって思考されえない自分を寡黙に耐えながら、あるときは精神[#「精神」に傍点]として、また思想[#「思想」に傍点]として、あるいは印刷物[#「印刷物」に傍点]として「文学」と呼ばれる「制度」に偽りの運動を波及させるばかりなのだ。だが不意に、まだたがいの顔を確かめあったこともない三つの不在は、彼らにとっては未知の事件[#「事件」に傍点]として遭遇し、一瞬、「作品」となりたちどころに「作品」たることをやめる。この遭遇を組織するのが「批評」なのである。そして、「作品」の消滅と同時に、「批評」も消滅するだろう。その時、その一瞬のみに、「制度」としての「文学」の構造が、崩壊ではないにしても不意の機能停止または失調といったかたちで露呈されることになるのだ。  ここで幾つかの点が明らかになる。まず、創造[#「創造」に傍点]と批評[#「批評」に傍点]というあの永遠の対立が「作品」の中で解消されること。つぎに、「作品」は過去形[#「過去形」に傍点]では語りえず、つねに実現さるべき未来[#「未来」に傍点]としてしか思考されえぬこと。さらには、事件[#「事件」に傍点]として開示される「作品」が、「文学」にとっては理解を超えたもの、つまりは絶対的な畸型としてある狂気[#「狂気」に傍点]、思考を廃棄せしめる白痴[#「白痴」に傍点]にほかならぬということ。以上の三つの事実は、詮じつめればこういうことになる。つまり「批評」とは、不可視[#「不可視」に傍点]を可視[#「可視」に傍点]の世界に引きずりだしたり、未知[#「未知」に傍点]を既知[#「既知」に傍点]によって解明したりすることではなく、みずから白痴の表情をまとって「制度」の一劃にかたちづくられる時ならぬ事件[#「事件」に傍点]を生きざるをえないものの、絶対的な畸型性を前にした不条理な苛立ち、欠語をむなしく宙に放出するしかない無力感、そしてその苛立ちと無力感とを外気にさらすことでみずからの崩壊をうけいれながら、積極的に他者の生成に加担してしまう自分自身への深い驚きだ、ということである。だがそれにしても、そんな苛立ちと無力感と驚きとは、どこにあるというのか。たとえば、大岡昇平の『萌野』(講談社)と呼ばれる美しい「作品」の中に、人はそれを生なましい体験として読みとることができる。では『萌野』とは何か? 『萌野』を「文学」と呼ばれる「制度」に従って要約し、分類し、その思想[#「思想」に傍点]を確かな輪郭のもとに浮きあがらせ、評価することはさしてむつかしい仕事ではない。だが、そこで大岡昇平が生きつつあった「言葉」の相貌をまさぐる試みは、劈頭から一つの困難と向かいあわざるをえない。なぜなら、『萌野』とはまさに「萌野」という一語をめぐる苛立ちと、無力感と、それを通じて一つのまぎれもない他者の生成に立ちあってしまう自分への、深い驚きをめぐる「言葉」からなっているからである。語の伝統的な意味での「旅行記」として分類しうる『萌野』は、ある航空会社の新たな航路開設にあたって、そのイノギュレーション・フライトに招待された作者自身が、その帰途、息子夫婦が滞在しているニューヨークに立ち寄り、会社づとめの息子と、その臨月の妻との交渉を通じて、ほぼ二十年ぶりに再会しえたこの神話的な都市での個人的な体験を、虚構の介入なしに語った作品だということができよう。大岡昇平の作品系列からすれば、「ある自伝の試み」として語りつがれていった『少年』(筑摩書房)や『幼年』(潮出版社)をはじめとする一連の私の歴史[#「私の歴史」に傍点]と、『コルシカ紀行』(中央公論社)に代表される紀行文[#「紀行文」に傍点]との交点上に位置することになる作品だともいえようし、その執筆意図を窺ってみるなら、厖大な資料との闘いによって長い時間をかけて完成され、しかも彼自身の「歴史小説」理論の具現化ともいうべき『レイテ戦記』(中央公論社)を手離した後の緊張がほぐれた瞬間に生まれ落ちた、私[#「私」に傍点]へのしなやかな回帰の試みと想像されうるかも知れない。気むつかしい父親たる小説家が、異国で家庭をかまえる息子のたくましい行動の前で目を細めている姿に、ほっとする読者もいれば、そのことで永年の鬱積をはらした思いのする論敵がいても何の不思議もあるまい。これは素直で個人的な物語とも呼びうる体裁におさまったおとなしい[#「おとなしい」に傍点]書物なのだ。もちろん大岡氏のことだから、そのおとなしさ[#「おとなしさ」に傍点]の奥にも、その時進行中であったヴェトナム戦争への強い関心、あるいはモダン・アート美術館での「ゲルニカ」に触発されての無差別爆撃をめぐる鋭い批判などが透けてみえはする。十八年前の滞米時代の記憶が、マッカーシズムの旋風として陰鬱によみがえってもくる。だが、そうしたものも、作者のしなやかな視線に濾過されて、息子への愛情と調和しあっている。しなやかな感性と鋭い洞察との美しい均衡と人は呼びもするであろうものが、ここには確かに触知しうるのだ。  しかし、『萌野』が言葉の真の意味で美しいのは、「文学」がいくらも語らせてくれようそうした分類や要約や評価の中にあるのではない。それは、作者大岡氏が、できればそれが存在することを認めたくはない一つの「言葉」の周辺に、全篇が構築されている「作品」の相貌の上にあるのだ。その、むしろ抹殺してしまいたい「言葉」とは、いうまでもなく作品の標題となった「萌野」の一語である。  一九七二年四月八日午後七時半から、四月二十日午前九時四十五分と正確に記録された日時に、ニューヨーク郊外のケネディ空港で始まりまたその地点で終る「私」のニューヨーク滞在中、その初孫となるべき存在の名前として「萌野」の一語、というより正確には二字の漢字の組み合わせを選ぶつもりだと息子夫妻から聞かされるのは、到着翌日の九日の朝、起きぬけに襲った夫妻のアパートにおいてである。五年に及ぶ困難なニューヨーク生活の後に、確実な収入が約束されてから子供を設けることを決意した息子は、「出産を共有する」というその姿勢において、「旧弊な父親」にとっては、「火星人のように、推測不可能の領域に踏み込んでいる」のだが、そのことをむしろ頼もしく思っているかに見える父親に向って、彼は「萌野」の一語を差しだすのだ。「アメリカの法律では、出産二十四時間以内に名を登録しなくてはいけない。従って名前は予め男女二つ用意しなくてはならないのだが、二人は男女両用として『萌野』を選んでいた。『もや』と読む由。字面としては悪くなく、『大岡萌野』は一つの風景画を構成している。しかし『萌野』を『もや』とは『湯桶《ゆとう》』読みとしても無理である」。そこで父親は、日本語と呼ばれる「制度」にとっては記号学的畸型を形成するこの二文字の配合に、「おそるおそる異議をとなえる」。「戦後の言語改革の結果、漢字を国語一音の表示とみなす傾向が生まれているのを私は知っている。『萌』を『もえる』『もえ出る』の『も』と萌える世代に息子夫妻はいるのである」。だが、この記号論的畸型に音の上から執着する彼等の気持もわからぬではない。一つの精神的危機を通過しつつあった二人が、ハドソン川からたちのぼる水蒸気にすっぽりとつつまれ、「霧ではなく靄であった」ものの中を散歩しながら和解を確かめあったという体験がその二文字に象徴されているからだ。だが、「古風な改革反対論者」の父親は、「諸橋大辞典」を見ないとなんともいいかねるという言葉で、記号学的畸型をめぐる議論をいったん宙に吊る。そしていったん凍結されたかに見える「萌野」をめぐる苛立ちが、作品『萌野』に描かれるニューヨーク滞在の不可視の中心として全篇の構造を操作するものである点は、息子夫妻の「萌野」への執着にもおとらぬ執拗さでその修正または廃棄を模索しつづける父親の姿勢のうちにはっきり認めうるものなのだ。『萌野』は、おそるおそる[#「おそるおそる」に傍点]となえられた父親の「異議」が、その苛立ちを徐々に内攻させて、遂にあからさまな「衝突」へと発展する運動に導かれて語りつがれて行く言葉だからである。滞在のほぼ中ごろの四月十五日、父親と息子とは、ニューヨークの街頭で、「萌野」を「萌《もえる》」の一語にした場合、男ならそれでよかろうが、女の場合はいささか不穏当な性的イメージを想起させかねないという妻であり義理の娘である人の意見に、「声を合わせて笑」うという余裕ある体験を持つことができる。だが、その二日後、ニューヨーク出発を三日後にひかえた日の夜、遂に対立が顕在化するのだ。「モヤの音の組合せ」が、「mとyはねばっこいしaとoも重い」という父親に対し、自分の名前の「テイイチ」も「さだいち」との区別はつけがたいし、この反復が発音を困難にしているではないかと、息子が喰ってかかる。「私自身の名前の付け方のことをいわれて、私はかっとなった。私が貞一の名を選んだ時は、息子夫婦のようにハドソン川の靄とか字面の美しさなんか考えなかった。昭和十六年二月、長女が生まれた時から、私はいつか自分が戦争に引っぱり出されて死ぬのを覚悟していた。そして残した幼い子供の将来は、姉と弟に助けて貰いたいような気持になっていた」。だから亡き父親の「貞」を残して子供に継がせるといういのりに似た気持こそあれ、「とにかく当時の私の生活には夫婦の感傷から、子供の名を選ぶなんて余裕はなかったのだ」。そこで、決定的といえる言葉、やがて深い後悔へと発話者を陥れることになる言葉が息子に向って浴せられる。「勝手にしろ。萌野なんて低能な名前のついた子は、おれの孫じゃない」。  ここで作品『萌野』が一挙に作品『レイテ戦記』に結びあわされるという傷ましくも感動的な場面の後、川端康成の自殺をめぐる日本からの取材申し込みなどに忙殺されて、生まれてくる子供の名前をめぐる葛藤はニューヨーク滞在中は作者の口から洩れることはない。父と子は、曖昧さのうちに和解を確認しあって別れる。だが、『萌野』の最後の部分、すでにジェット機がニューヨークの空港を離れ、「氷河と万年雪の死の世界へ、快適な座席の上に長々と身を延ばした私、特権的な極東の文士は近づきつつあった」という一行が紀行文をしめくくった後に、何行かの余白を距てて箇条書きで並置される「アメリカ合衆国法」と「日本国国籍法」の抜粋に先立って、「大岡|萌野《もや》、女子、一九七二年五月三日、ニューヨーク時間午前八時二十分東京時間同日午後十時二十分誕生」という簡潔な確認事項が書き込まれる瞬間、一つの畸型的な言葉の組み合わせが、日本語という「制度」の隙間をかいくぐるようにして、「作品」となるすばやい一瞬に人は立ち合うことであろう。  世代の対立[#「対立」に傍点]と父親の理解による和解[#「和解」に傍点]という日本文学のあの永遠の主題から『萌野』がにわかに身を引き離し、「制度」がその存在を許そうとはせずに隠蔽する「言葉」をめぐる苛立ちと無力感が、その理不尽な欠語をなぞろうとする不快な運動神経の失調ぶりを介して、来たるべきものの生誕に加担するという自分自身への驚きとして、「作品」を事件に変容せしめることになるのだ。かくして「現代の漢字の読み方の痴呆的変化」の特権的反映たる「萌野」が、『萌野』を生きることで、この「作品」の「反=制度」的な「言葉」がここに可能となる。この過程こそが「批評」ではないか。そしてこの「批評」が、いま巷に氾濫するもっともらしい「日本語論」にもまして「日本語」を撃ち、「言葉」をめぐる現代の「歴史小説」を描きだしている点に触れ、あまたの「歴史小説論」が「作品」を隠蔽する邪悪な「制度」的思考に支えられている事実にも触れたいと思うが、これをめぐっては別の機会に論じてある(前掲『反=日本語論』)ので詳述はさしひかえる。  操作と解読?[#「操作と解読?」はゴシック体] 「現代の漢字の読み方の痴呆的変化」をまのあたりにして神経を逆撫でされた「古風な改革反対論者」にとって、ニューヨークと呼ばれるこの大都会が、鈍く鬱積する不満が恒常的な苛立ちとなり、遂には憤激となって親子の対立のうちに顕在化されるという葛藤の推移にいかにもそれらしい陰翳と起伏と彩りをそえる恰好の舞台装置ではいささかもなく、いかにも通りいっぺんな大都市として、何の神秘も隠さず、またいかなる心理的共感の波紋を描くこともなく、ただ歩かれ、あるいはタクシーによって走破される平坦な土地としてここに示されていること。つまり、靄[#「靄」に傍点]によって視線を欺き、距離を心情と曖昧に妥協させることのないありきたりな風景、より正確には単調で均質な表層でしかなくなっているという事実。それは、醜く畸型化することで小説家を刺激する日本語と呼ばれる「言語」と、矛盾と対立を介して「言語」との関係を結ぶ「人間」と、かりの、しかも束の間の遭遇の場としてある「表層」とのあいだにいかなる階層的優位と劣性もなく、しかもこの三つがやがて実現さるべき「作品」へと向けて同じ水準に立って並んでいる事実を示している。すなわち、『萌野』は、「言葉」と「人間」と「紙」とが、いかなる特権的な役割をも主張することのない対等の三要素として、いま、この瞬間、ここには存在しない「作品」として遭遇する機会を、たがいにそれと知らずに待っているというその構造によって、「作者」と呼ばれる「制度」的な個体を廃棄している。ここにあっての「人間」は、きまって未来に標定される事件としての「作品」の中に「言葉」と「紙」とともに解消される限りにおいて、その相互消滅の瞬間のみに「作者」たることができるのであり、そのことの意義は途方もなく重い。なぜなら、いまや新たに何やら胡散臭い「制度」たりはじめているあの「小説の小説」というやつ、あきらかに西欧文明のある病理学的な相貌が生み落したあの小説形式の模倣とはいわないまでも、日本的文学風土への定着の試みという永遠の公式に従って語られ分析されることで「制度」と程よく和合しうるあの「小説の小説」とやらが、結局のところは操作[#「操作」に傍点]するものとして、あるいは解読[#「解読」に傍点]するものとして温存してしまった「作者」や「批評家」を、『萌野』が完全に超えてしまっているからである。もちろん、生身の存在としての大岡昇平が『萌野』の「作者」であるには違いないが、それは「文学」という「制度」に加担する限りでのとりあえずの役割として、彼が「印刷物」たる『萌野』への諸々の「制度」的な権利の主張が可能であるというにすぎず、現実に書かれ[#「書かれ」に傍点]、そして読まれる[#「読まれる」に傍点]瞬間に生起する事件[#「事件」に傍点]としての「作品」にあっては、記号学的畸型としてある「萌野」に対する父親がそうであったように、『萌野』に対する大岡昇平はひたすら無力であることしかできないだろう。見きわめがたくはあっても、まだ資料の陰に隠れて存在していた『レイテ戦記』の「作者」大岡氏は、ここですっかり姿を消してしまっているのだ。「私」として顔を見せている父親が間違いなく「作者」自身であり、その個人的体験が一人称で語られていながら、にもかかわらずそれが遭遇によって消滅すべき三要素の一つとしてしか機能しえず、しかもその相互消滅こそが来たるべき書物[#「来たるべき書物」に傍点]にとって必須のものであったという事実は、日本文学がかつて体験しえなかった畸型的な事件[#「事件」に傍点]である。そして「制度」は、その事件を前に、饒舌で身をとりつくろうほかはないであろう。  たとえば『迷路の小説論』(河出書房新社)の平岡篤頼は、志賀直哉の『和解』といった典型的な「私小説」の中にも「語る〈私〉と語られる〈物語〉との関係が多声楽的構造の中軸をなしているような、きわめて現代的な〈小説の小説〉」が認められる事実を指摘しながら、この〈小説の小説〉の試みとして、吉行淳之介『砂の上の植物群』や安部公房の『箱男』、あるいは福永武彦の『死の島』などの小説を挙げているのだが、はからずも『箱男』をめぐる論述の一部に、「この〈小説家=箱男〉の特色は、〈書くこと〉〈語ること〉についての反省を振り切ることのできない小説家、すなわち最も現代的な疑惑と不安と衝動に忠実に反応する小説家だということである」という文章が読みとれてしまうように、ここでも、それぞれの内的必然に従って伝統的でもあり、また前衛的でもある「作家」と呼ばれる特権的個体の、現代への巧みな適応ぶりが問題であったのだ。書くこと[#「書くこと」に傍点]と語ること[#「語ること」に傍点]とが異質の水準に展開される二つの自律的ないとなみで、作者[#「作者」に傍点]と語り手[#「語り手」に傍点]の機能が本質的に別のものだという視点から、〈小説の小説〉の現代的意義を反省[#「反省」に傍点]するのは、たぶん有意義な試みであろう。あらゆる反省[#「反省」に傍点]は、それが根源的なと呼ばれるものであろうと、「制度」の維持に貢献する教育的な価値を持っているのだから、進歩[#「進歩」に傍点]という名のもとにその反省[#「反省」に傍点]はなされるであろうし、そのことで「文学」はこれまで見えてはいなかった新たな地平を獲得するにちがいない。そして「制度」としての「文学」はそのことのみを願って生き延びて来たのだから、多少の軋轢はまぬがれまいが、さして遠くない将来に、その反省[#「反省」に傍点]は矛盾なく「制度」と折合いをつけるだろう。かくして「文学」は、書くこと[#「書くこと」に傍点]と語ること[#「語ること」に傍点]の「多声楽的構造」という言説によって、「思想」や「精神」にかわって「作品」を隠蔽することに成功し、あらゆる畸型的相貌が影をひそめた無葛藤地帯に、その多声楽的な関係を操作[#「操作」に傍点]する「作者」と解読[#「解読」に傍点]する「批評家」とが、永遠の微笑を交わしあうことになるだろう。だから平岡氏は、安心して〈小説の小説〉を反省[#「反省」に傍点]しつづけ、「作中人物の行動の時間」と「語りの時間」と、「作者の時間」といった、それ自体としては決して誤りではないし、またそのことがより詳細に語られることが必要だとさえ思われながら、それを口にした限り事件[#「事件」に傍点]としての「作品」を隠蔽せざるをえない饒舌をあたりに繁茂させることができるのだ。ロラン・バルトの論文「物語の構造分析」から多くの語彙と発想を借りながら、バルトが実際にバルザックの『サラジーヌ』の構造を『S/Z』(沢崎浩平訳、みすず書房)として分析にとりかかるときに冒頭から襲われる言葉の夢[#「言葉の夢」に傍点]とその同時的な挫折、つまり「物語」のモデル抽出作業と、その作業が必然的にはらむテキストの「差異」喪失作用の相剋から来る分析者の痛みに、平岡氏がまったく無感覚でいることができるのもそのためであろう。「物語の構造分析」が、そこに「小説」も含まれよういわゆる「物語」一般の、普遍的な構造の記述を目指したものであり、個別的な「作品」の意味解読とはまったく無縁であるばかりか、かえってそれと鋭く対立矛盾する試みであるということ、すなわちミシェル・フーコーの言葉を借りるなら、「解釈学と記号学とは不倶戴天の仇敵同士」だという血なまぐさい関係をあっさり忘却しうる平岡氏の杜撰さも、というよりあらかじめ視線にはおさめまいとする抽象性も当然そのことと関連している。  だが吉本隆明にしても江藤淳にしても、杜撰さを恐れぬことで今日を築いて来たのだから、平岡氏のそれをあげつらうことはあまり意味のあることではない、ただ、ごく経験的次元での徹底した具体性の欠如こそが、平岡氏に問われねばならない。たとえば彼は、「ひとつの語は一度にひとつの概念しか表わし得ないという言語の一面性を克服するため」に現代作家の多くが、「言語の二重化を基礎にして」その試みを展開していると想定する。言語の二重化[#「言語の二重化」に傍点]というのは、たぶん語の多義性ということだろう。構造言語学が教えてくれた、というより誰でもが辞書を引いてみさえすれば確かめられる語の多義性、そこに現代文学の冒険が可能となるというわけだ。それはそれでよろしかろう。この多義的性格の上に開かれた作品[#「開かれた作品」に傍点]がかたちづくられるぐらいのことは、今ではちょっと気の利いた人間なら誰でも口にすることだからだ。  だが、はたして現実にはそんなことがありうるのか。「分裂の魔にとり憑かれた現代人の意識に見合う小説言語は、二重化されざるを得ず、小説家は積極的に〈二枚舌〉たらざるをえない」と平岡氏はいい、そしてそのいわんとするところも言語の抽象的な領域でならわからぬでもないが、不幸にして、人は言語表現の線的な性格からして、書き[#「書き」に傍点]、そして読む[#「読む」に傍点]という現実の場では、分裂[#「分裂」に傍点]と二重化[#「二重化」に傍点]とを統一的で一元的な語の配列としてしか把握しえず、それは、平岡氏が引いているミシェル・ビュートルの『毎秒六八一〇〇〇〇リットルの水』といった三種のテキストの同時配列からなる作品にあってもかわりはない。その事実をもちろん知っている平岡氏は、これを書物の物質的な形式への反逆[#「反逆」に傍点]として捉えて紹介しているわけだが、にもかかわらず彼の口から分裂[#「分裂」に傍点]と二重化[#「二重化」に傍点]の二語が洩れてしまうのは、いまや言葉の夢[#「言葉の夢」に傍点]までが、一つの「制度」となりはじめているからにほかなるまい。「作者」が、分裂[#「分裂」に傍点]と二重化[#「二重化」に傍点]を装う術を、その「制度」の中で学んでしまっているのだ。実際に語の分裂[#「分裂」に傍点]と二重化[#「二重化」に傍点]が起ったらどうなるか。「作者」も「読者」もたちどころに白痴の状態に陥るほかはない。にもかかわらず、「作者」が分裂[#「分裂」に傍点]と二重化[#「二重化」に傍点]を装いうるのは、自分が「言語」の語彙論的=文法的=構文法的な秩序に保護されているという意識があるからなのだ。仮装された狂気、それは「制度」が許すきわめて抽象的な解放の遊戯にすぎない。そして、「多声楽的構造」という饒舌が到達しうる限界は、せいぜいそこまでである。  大岡昇平の『萌野』が殊のほか刺激的なのは、分裂[#「分裂」に傍点]と二重化[#「二重化」に傍点]といった捏造された現代的課題と戯れることなく、この限界を遙かに超えた領域にまで具体的に行きついてしまった点に存している。それは、操作[#「操作」に傍点]し解読[#「解読」に傍点]するものとして無疵で生き伸びてしまった「作者」と「批評家」とが、その特権を放棄せざるをえない言葉の構造が、「作品」自体のうちに含まれていたからにほかならない。だいいち「言葉」は、そうやすやすと「人間」によって操作[#「操作」に傍点]されたりはしないのだ。かりに操作[#「操作」に傍点]がそれほど簡単なものであったとしたら、「萌野」をめぐって『萌野』という小説が書かれたりすることはなかっただろう。    ㈽ 表層の回帰  人間=[#「人間=」はゴシック体]言葉=[#「=」はゴシック体]紙  いま、凝視する瞳の前に「作品」はかたくなに身を潜めており、息を殺してあらゆる視線を避けようとするその気配をすら存在に察知させることなく、ただ、有限な「紙」の集積からなる平坦な表層に、これまた有限な「言葉」の単調なつらなりが、誰によってもその紙片を操られ、その語のつらなりを読まれることが可能な「印刷物」として、生産され、交換され、配分され、廃棄されているにすぎない。「印刷物」の生産、交換、配分、廃棄は、それが置かれた世界の政治的=経済的=文化的な「制度」に従う一定の体系に操作されており、多少とも芸術的[#「芸術的」に傍点]と呼ばれるものであれ、あるいは「反=制度」的な言説を含むものであれ、その不可視の体系から離脱しえないのは当然であるが、重要なのは、誰もが知っていて時には忘れたほうが都合のよい、そんな「印刷物」の商品[#「商品」に傍点]的側面の指摘にあるのではない。問題は、商品[#「商品」に傍点]としての視点から考察された場合であれ、芸術[#「芸術」に傍点]としての視点から美的価値が評価される場合であれ、「印刷物」が担っている表層性というか、有限な「紙」と「言葉」とがたがいに矛盾なく密着しあって、あらゆる人間にとって均等に踏破されうる「道路」のような平坦さにおさまっているというその単調な平面的性格を誰もがあっさり虚構化してしまっているという事実なのだ。専門的な、あるいは高価な「印刷物」が一般性を欠いているのはもっぱら「制度」の問題であり、それを前にする存在の瞳の機能や指先の触覚の問題ではいささかもない。紙質や活字の配列の違いにもかかわらず、「印刷物」は、それが一枚の「紙」であれ、製本された「書物」であれ、原理的にはあらゆる視線、あらゆる手によって踏破されうる可能性の場として、その均質な表層を露呈しているのである。あらゆる「印刷物」が、「紙」と「言葉」との表層における密着性によって、つまり「紙」の表面の上に「活字」が印刷[#「印刷」に傍点]されているからではなく「紙」と「言葉」との密着が「印刷物」と呼ばれる一つの表層[#「一つの表層」に傍点]をかたちづくっているという意味で、本質的に読まれうる[#「読まれうる」に傍点]ものだということ、しかもその表層[#「表層」に傍点]が本質的に有限な表面であるが故に、万人にとって開かれているはずの読む[#「読む」に傍点]という体験までが、必然的に始まりと終りの瞬間によって切断された有限の運動に還元されざるをえないという点が、人びとによって忘れられてしまっているのだ。『萌野』の「私」のニューヨーク滞在が正確な日付と時刻とによって限定された体験であったように、そしてその有限な時間の中で「私」が歩行し、あるいは自動車で走りぬけもしたこの大都会の街路が、万人の足によって踏みかためられうる可能性の場としてたえず有限な表層におさまっていたように、「書物」とは、有限な「紙」と有限な「言葉」との表層的な密着からなる「印刷物」の有限性によって、読む体験そのものをも残酷に切断する血なまぐささをはらんだ対象なのだ。人は「書物」を永遠に読み続けることはできず、だからあるとき読み始められた「書物」はきまって読みおえられねばならない。いい加減うんざりして中途で放り出してしまおうと、興奮しながらいっきに読みあげてしまった場合であろうと、事情は変らない。誰もがしかるべき瞬間には読まずにいる状態へと回帰せざるをえないのだ。そしてこの幾重にもからみあった有限性ゆえに、人は「言葉」と「紙」とを同じ一つの侮蔑の運動によって隔離し、視界から遠ざけてしまう。そのとき、「印刷物」としての「紙」との密着を生きえた有限な「言葉」は、環境としてある「言語」体系の不可視性のもとに送り返され、その有限性を束の間の錯覚として忘れ去り、やみくもに無限性と戯れねばならないだろうし、「紙」もまた、生産され、交換され、配分されることで厳密に統御されたものとしてある自分を忘れ、無尽蔵の資源であるかに振舞われねばならないだろう。そして、「言葉」と「紙」との強いられた分離によって「表層」は消滅し、一つの存在の生誕と死とを虚構化する偽りの無限運動の場としての「制度」が、わがもの顔で腰を据えるといった按配なのだ。捏造された起伏や陰翳が、決して秩序を破壊するには至らない小波瀾をあたりに程よく配置してしまわれるであろうことは、いうまでもあるまい。そのとき、「批評」の始動する契機は永遠に奪われてしまうのだ。  だが、「言葉」と「紙」とが分離され、無限性の相貌のもとで事件[#「事件」に傍点]への可能を絶たれ、同時に生ある存在がはらむ死の影をあらかじめ顕示していた「表層」の有限性が虚構化される過程を「制度」は幾つも持っているわけではない。大まかにいって、「書物」の有限性は二つのやり方で回避される。その二つのやり方とは、「書物」に反映[#「反映」に傍点]と隠蔽[#「隠蔽」に傍点]の機能を付与することである。単調で、均質で、平坦な表層[#「表層」に傍点]に、表層[#「表層」に傍点]ならざる別の光景の影の動きを読みとること、あるいはそこに亀裂や歪みを捏造して、その奥に何ものかが隠されていると信ずること、「書物」はそんな夢想の対象となることによって、「作品」たる機会をあらかじめ禁じられるのだ。いずれにせよ、反映[#「反映」に傍点]は「表層」の平坦さを信ずるふりを装ったものの裏切りだし、隠蔽[#「隠蔽」に傍点]はその単調さを信じないものの狂暴な侵犯なのであって、偽りの表層というか、その上にかぶされた薄い皮膜の上に反映[#「反映」に傍点]するのが「社会」で、「表層」に穿たれた隙間の奥に隠蔽[#「隠蔽」に傍点]されているのが「個人」だという、あの永遠の「制度」的対立の図式がそこに再現されるという次第なのだ。  たとえば「西欧文学の手本に対する傾倒と反撥との往復運動と重なり合いながら」発展したという近代日本の小説をその主題別に鳥瞰しなおそうと試みる『この百年の小説』(新潮社)の中村真一郎が、その「はじめに」の冒頭で、「先ず第一に、小説は『社会の鏡』である」という一文をこともなげに書きつけるとき、読者はそれに続くべき言葉を苦もなく察知してしまう。事実、その先に読まれるのは、小説の読者は、「自分たちの生きている社会の実相に眼を見開かれ、生きている喜びに接するように」なるはずでいながら、実際には「日本の近代小説が必ずしも充分にはこの『社会の鏡』としての役割を果していないのではないかという疑いがある」ので、彼は、「日本の近代の文学者の多くは、『社会人』であるよりは『孤独者』の生き方を選んだ」という、「社会」と「個人」の対立の図式の再現なのだ。多くの作家が「孤独人」を選択したという指摘はなるほどある種の真実を含んでいようし、またその選択が現実社会へと投げかける「純潔な批判」として機能し、またその批判が「主として青年の反応」であった点から日本の文学史が「青年文学史」の相貌を帯びることになるという展望図にも、故意の歪曲があったとも思えない。だがそれにもかかわらずこの中村氏の視点をにわかには共有しえず、かえってそれを醜い饒舌として廃棄せねばならないのは、その展望があまりにありきたりで具体性を欠いているからばかりではなく、「文学」が「社会」なり「個人」なりを反映[#「反映」に傍点]したり表現[#「表現」に傍点]したりすると盲信することによって、「文学」が「社会」なり「個人」なりの反映[#「反映」に傍点]や表現[#「表現」に傍点]たりうると盲信した作家たちの姿勢へと中村氏があっさり自分を一体化させ、ともども「作品」の「文学」からの放逐に力を貸しているからなのだ。たしかに、西欧の小説史の一時期に、小説が何ものかの「鏡」であるとする理論が、理論というよりは「制度」的な盲信として多くの小説家の口から洩れはしたが、ほぼ、マルキ・ド・サドからスタンダールへと至るこのフランス小説の歴史的な一局面に信じられていたこの反映[#「反映」に傍点]の概念を、二十世紀も終りにさしかかった日本の一小説家があたかも当然の前提であるかに持ちだしてしまうのはきわめて徴候的な現象であろう。しかも、「鏡」が口にされるや、きまって「社会」だの「個人」だのが姿をみせるという点に、人はもう驚いてばかりはいられまい。近代日本の「文学」が一つの顔を持っているとしたら、それは「社会」と「個人」の対立の中にあるのではなく、その対立を捏造してやまない盲信と一体化が支える「制度」的な言説の中にこそ求められねばならない。中村真一郎は、彼がその立論の基盤とした対立関係が、日本の近代小説ばかりではなく、古代における文学発生[#「文学発生」に傍点]をめぐる言説にまでまつわりついている「制度」的な思考であるという点を目のあたりにするとき、微笑むであろうか、それとも苦笑するであろうか。 「社会」と「個人」という対立の捏造が古代文学をも犯す「制度」になってしまっている現実を苦々しく喚起するのは、ここでは詳述しがたい理由によって井上究一郎とともに現代日本が持ちえた最大の「批評家」として位置づけうるべき西郷信綱である。たとえば『増補・詩の発生』(未来社)におさめられた「文学意識の発生」において、「文学の発生」という彼自身の主題の上を旋回しつづける二冊の書物、風巻景次郎の『文学の発生』と折口信夫の『古代研究』がもたらした感銘について語りながら、その主題探求の一時期に「人間の自我意識」という「近代的[#「近代的」に傍点]な概念」(傍点原文)のみに立脚したおのれの方法的混乱を告白している。そしてその混乱は、一般に文学以前[#「文学以前」に傍点]と想定される「非文学」の中に、「観念や意識ではなく、形であり造型である」文学の姿をいわば野生の思考[#「野生の思考」に傍点]として解き放つべく決意したときに解消されたのであり、その苦々しい体験から、「批評」が、井上究一郎の『失われた時を求めて』の翻訳にも比較すべき『古事記注釈』(平凡社)として結実しつつあるのだろうが、その混乱解消の契機となったのが、「社会」と「個人」というあのうんざりするほかない対立の図式の廃棄であったという点は、とりわけ注目されねばなるまい。「もっとも冷徹な文献学者が、もっとも素朴な感傷家」として平然と振舞うことで「制度」化されていた古典研究にあきたらぬ思いをいだいた風巻景次郎が、研究者のうちに詩人[#「詩人」に傍点]と歴史家[#「歴史家」に傍点]の共棲を解いたとき、「著者が『詩人』というのは具体的には『あの私小説の発生の地盤と同じ場所』に生きる閉ざされた文学伝統のことを指し、『歴史家』というのは、『一つの時代に於ける、より社会化された≪普遍的人間≫としての反省であり、彼の属する現代の性格に対しての分析と批評』のことを指す」とそれを注釈する西郷氏は、こうした「詩人」と「歴史家」の共棲[#「共棲」に傍点]によってなされたはずの『文学の発生』や『古代研究』が、かえって「社会」と「個人」の対立という思考に意識的でありすぎた結果、「人間的」なと呼ばれる意識[#「意識」に傍点]や観念[#「観念」に傍点]による「文学」なるものの限界設定に貢献し、それ自体は「非文学」と呼ばれる「固有な形であり、造型」であるものをはからずも「文学」から追放してしまったことを嘆くのである。  意識[#「意識」に傍点]や観念[#「観念」に傍点]や動機[#「動機」に傍点]に裏側から支えられた「文学」ではなく、それ自身が表層に露呈された形[#「形」に傍点]と造型[#「造型」に傍点]として「文学以前」を「文学」化すること。その試みの前には、あの「制度」的な二元論はもはや一つの抽象でしかなくなっている。「われわれのなかの『歴史家』の任務は」と西郷信綱は結論する、「形からきりはなされた、純粋ではあるがやせた不毛の『人間的』な文学意識を切断し、われわれのなかの『詩人』をもっと『非文学』的に培養し、それによってもっと人間的[#「人間的」に傍点]になることにあるのかも知れない」(傍点原文)。これを「社会」と「個人」の弁証法的な統一などと呼ぶのはやめにしよう。ここでいわれていることは、「社会」や「個人」がそう簡単に「文学」に反映[#「反映」に傍点]したり、「文学」によって表現[#「表現」に傍点]されたりはせず、「文学」は「文学」としてそれ自身の顔、それも「制度」的な思考が顔とは認めがたいだろう顔をそなえており、しかもその顔は、精神[#「精神」に傍点]や思想[#「思想」に傍点]がまとった仮面としてではなく、それ自体が顔である顔として露呈されているのであり、その顔の形[#「形」に傍点]をまざまざと触知するには、時に応じて「社会」的であったり「個人」的であったりもする便利な自分自身の顔を、放棄しなければなるまいということばかりである。「もっと人間的[#「人間的」に傍点]になること」。西郷信綱がその一句のうちに読みとる「人間」とは、ほかでもない、分離し隠蔽されて生きる「紙」と「言葉」とが隙間なしにはりつきあった「書物」の上に、無媒介的に、ということは思想[#「思想」に傍点]や精神[#「精神」に傍点]の媒介なしに密着することで顔を失う「人間」、「批評」と「作品」とを同時に事件[#「事件」に傍点]化しつつ消滅しうる「人間」にほかなるまい。  媒介、あるいは無媒介[#「媒介、あるいは無媒介」はゴシック体] 「書物」とは、それが一枚の肉筆の資料であれ、そのより「文化」的な形態としての「印刷物」としてであれ、「人間」と「言葉」と「紙」とが同じ資格で遭遇しつつ来たるべき「作品」を準備するという不可能性が唐突に可能となる場である。そこでの「人間」の優位を述べたてることは、だから「言葉」の優位を説くことと同様に「作品」の「制度」化を企てる無償の饒舌でしかないだろう。「社会」に固執するものは、「個人」に執着するものと手をとりあって、「人間」と「言葉」と「紙」との遭遇をさまたげることにしか貢献しまい。だが、それにしても、なぜ「表層」でなければいけないのか。そしてそこでの「人間」と「言葉」と「紙」との無媒介な遭遇が問題とされねばならないのか。理由はさして複雑ではない。この三つのものが「制度」によって分断され、隔離されてしまうがはやいか、その一つ一つが自分自身ではない多くのことがらをいっせいに代弁[#「代弁」に傍点]しはじめるからだ。「人間」が精神[#「精神」に傍点]を、「言葉」が思想[#「思想」に傍点]を、「紙」が賛否[#「賛否」に傍点]をもっともらしい顔で代弁してしまうのだ。「人間」の美名のもとに「文化」を「制度」化するのも、程よい小波瀾を惹起しながら問題の真の所在を人間から遠ざけるこの代弁者[#「代弁者」に傍点]たちの饒舌にほかならない。そしてこうした媒介[#「媒介」に傍点]的思考の至上形態が、あらゆる矛盾と対立と葛藤との巧みな緩衝装置たる「民主主義」的代表[#「代表」に傍点]「制度」として、大がかりな「人間」の虚構化を遂行しつつある現実を、よもや見まがうものはもういないだろう。「プロレタリア独裁」と呼ぶことが何故かためらわれているある文化[#「文化」に傍点]的状態の到来を、「議会制民主主義」を通して実現せんと主張する人びとの言動が、この代弁者[#「代弁者」に傍点]的=媒介者[#「媒介者」に傍点]的な思考による「人間」の虚構化に加担しつつあることの文化[#「文化」に傍点]的意義も、いまやあまりに明瞭であろう。  だが、その事実に触れるにはいささか時期が早すぎるように思う。さしあたっては、「文学」における「表層」の回帰という現実のかすかな端緒を、その希薄な輪郭としてではあるが幾つか指摘しえたことで満足しなければならない。かなりの部分が「制度」的饒舌に陥らざるをえないことに苛立ちながらもこれまで語りつがれてきた言葉たちは、つまるところ、「表面的、いいかえれば表面であるというこの単純な事実がなぜ、同時に貶められた意味を、少くとも暗黙のうちに、つねにになわされてこなければならなかったのか」という、宮川淳の美しい書物『紙片と眼差とのあいだに』(エディシオン・エパーヴ)に記された簡単な問いの、同語反復をかたちづくるものかも知れない。「背後のない表面」、と宮川はつぶやく。「背後のない表面。のみならず、われわれを決して背後にまで送りとどけることのない表面。われわれは表面をどこまでも滑ってゆく、横へ横へ、さもなければ上へ、あるいは下へ、それとも斜めに? だが決して奥へ、あるいは底へではない。アリスの冒険について、ジル・ドゥルーズがいみじくも指摘しているように、表面の背後はその裏がわ、つまりまたしても表面なのだ」。  ジル・ドゥルーズ。恐しい名前が口にされてしまった。だが、とりあえず、「表層」のこのあからさまな表層性をめぐって人が驚く自由を奪われて生き、しかもその自由の収奪を思考する自由すらが奪われていた事実に本気で驚くことこそが、いま許された唯一の身振りではないか。 [#改ページ]   健康という名の幻想    ㈵ 健康という名の抽象  崩壊と喪失[#「崩壊と喪失」はゴシック体]  首筋から肩へとかけて背後から寡黙に注がれていたはずの親しい視線のぬくもりが不意に途絶えてしまったり、目をつむったままでも細部を克明に再現できるほど見馴れていたあたりの風景にいきなり亀裂が走りぬけ、幾重にも交錯しながら数をますその亀裂が汚点のように醜く視界を乱してしまったり、肌身はなさず持ち歩いていたはずのものが突然嘘のように姿を消し、その行方をたどる手がかりもつかめぬばかりか、それを身近に感じていた自分の過去までが奇妙に遠くよそよそしい存在に思われてきたり、足もとの地盤がいつのまにか綿かなんぞのように頼りなげな柔らかさへと変容し、しかも鳥もちさながらに粘っこく肢体にまつわりついて進もうとする意志を嘲笑しはじめたり、あるいはまた、ことさら声を低めたわけでもないのに親しい人の言葉がうまく聞きとれず、余裕ありげに微笑する相手の口から洩れる無意味な音のつらなりを呆然としてうけとめるだけで、いったんは何か悪い冗談だろうと高を括ったもののいつしかそんな事態が日常化してしまうといった体験をしいられたりすると、人は、何かが自分から不当に奪われた、誰もが何のためらいもなく信じていた秩序が崩れ落ちてしまった、そんなことが起ってはならないはずだと思い、こちらは何も悪いことはしていないのに、向うからしのび寄ってきた邪悪なる意志が、この崩壊を、この喪失をあたりに波及させたのだと無理にも信じこむことで、そのとり乱したさまを何とかとりつくろおうとする。  自分は無実であり潔白である。世界が不意にその表情を変えたとするなら、その嘆かわしい変化の原因は向うにあって、こちらにはない。実際、あの親しい視線のぬくもりはいまは冷えきって、保護する暖さはもはや回復しようとはしない。それは、こちらの感知せぬままに向う側で起ってしまった残酷な変化にほかならず、自分としては、その喪失に不幸な被害者としてしか加担しえない。不幸は、向うから何の前触れもなくやってきて、こちらはただ無防備にそれを耐えるしかなかったのだ。いつのまにか醜くゆがんでしまった風景をとってみても同じことがいえる。瞳を快くうけとめてくれていたその光景からも調和ある距離感が奪われ、いたずらに視線を刺激するばかりの猥雑な環境へと変容してしまった。この親しい遠近法の崩壊にしたところで、向う側から迫ってくる邪悪なる意志のようなものに風景が染まってしまったまでであり、自分はその汚染ぶりを嘆き悲しむことこそすれ、責任はとりようもない。それは、こちらの意志を無視した不意撃ちであり、自分はどこまでも無罪だ。肉体の一部のように何の摩擦もなく身につけていたものの理不尽な消滅ぶり。記憶は、それがいつ自分の手を離れたのかいささかも思い出すことができず、まるで罠にでもはまってかすめとられてしまったようだ。こちらは何も悪いことはしていない。だというのに、大地がまるで綿かなんぞのように抵抗を欠き、地面をまさぐろうとする両足から自由を奪ってしまうのはなぜだろう。自分が、無意識のうちに何か罪でも犯したのだろうか。そして、その過失を無理にも償わせんとして、人の話なら何でも聞きとどけうるあの聴力と知性とにちょっとした乱れを生じさせたのだろうか。いや、そんなことはない。こちらはそれなりの真剣さで生を生きつづけてきた。世界の変容は、あくまで向う側で仕組まれた悪しき策略だ。無垢なる細胞を冷酷に冒してゆく病原菌のようなものが不幸にも蔓延してしまったのだ。きっとどこかに、何やら異形の怪物めいたものが黒々とうずくまっていて、狂気の陰謀をめぐらせているに違いない。あたりに無秩序と不均衡とを波及させる不幸の種子。自分は不幸にしてそうしたものの侵略をうけたまでのことであり、悪意に汚染したことじたいがこちらの純粋潔白さの何よりの証拠ではないか。だから、崩壊と喪失とは、あくまで向う側からやってきた不幸であるにすぎない。確かに、そうした不意撃ちを蒙った自分の中には、何か空洞のようなものが、ぽっかり口を開けてしまいはした。かつての自分が自分と思えないような距離が拡がってしまいはした。自分は、犠牲者として、崩壊と喪失という現象をくぐりぬけたのだ。だが、その不幸をいつまでも嘆き悲しみ、郷愁とのみたわむれていてもはじまらない。自分は無実であるとはいえ、この空洞と距離とを埋めることで、自分にこそふさわしい生を回復しよう。世界とは、そのほんらいが陰惨な表情をした環境ではなかったはずだ。世界とは調和だ。あたりにまき起るあれやこれやの小波瀾は、世界と呼ばれる秩序の恒常性を保証する調和の一形態にすぎない。病気にかかることで、健康が何であるかを人は知るというではないか。喪失の予兆を察知し、崩壊のはじまりを感じとったならそれにさからい、向う側からの邪悪なる意志の侵入を局部的にくいとめうる知性と活力とがわれわれにはそなわっている。科学[#「科学」に傍点]と呼ばれる「知」の至上形態によって、それに身をさらす以前に喪失や崩壊を予知することもできる。また、かりに崩壊と喪失とが現実に生起し、存在が手痛い打撃を蒙ってしまったにしても、そのことのみにこだわり続けて、自分から事態を悪化させるのはやめにしよう。外部の風景に生じた亀裂が内面にも波及し、存在があやうげな不均衡にさらされたとしても、その不均衡を新たな均衡へと向けて組織する知性と活力とがわれわれにはそなわっている。それはたしかに不幸な体験ではあろうが、その困難を回避することなくくぐりぬけるなら、人は、世界をあらためて調和ある秩序として思考する視点を確かなものとして自分のものにすることができる。それは、成熟への一歩として耐えるべき不幸ではあっても決して絶望的ではない試練なのではないか。聡明に年齢をかさねるための、またとない機会ではないか。人は、いささかの感傷をこめて、またいささかの成熟ぶりを装いつつ、そんなふうに自分自身に語りかける。そして、回避しがたい崩壊や喪失のもたらす衝撃をわずかなりとも緩和しえた気持になる。何しろ自分は無実なのだから、聡明に成熟することで、向う側から迫ってくるもろもろの悪意を局部的な不幸におしとどめ、それをよりよく思考するためのまたとない契機としてうけとめようではないか。そうすることで、精神と肉体との健康を回復するのだ。  邪悪なる意志の侵略[#「邪悪なる意志の侵略」はゴシック体]  たしかに、個人的な体験の記憶の底をまさぐってみると、そうした不幸な現象がある感動とともに思い出されぬわけではない。親しい肉親とのあまりに早すぎた別離。精神と肉体との均衡を放棄せざるをえないような混乱。不慮の事故が奪ってしまった器官の正常な機能ぶり。そうしたものは、外界の調和ある展望と内面の均衡とを旧状に復しがたく傷つけはするだろう。なるほど、首筋から肩へとかけて背後から注がれていたはずの親しい視線のぬくもりが、不意に、それもそのぬくもりを充分に享受する以前に途絶えてしまったとしたら、その回復は困難というほかはあるまい。だが、その喪失を決定的な不幸としてはうけとめずにおく方法を、われわれは「知」により、また体験によって身につけている。  たとえば、いま、あなたは精神と肉体の健康をむしばまれている。ほとんど崩壊に瀕しているといってよい。だが、存在が危機的な状況を通過しつつあるからといって、それはあなたが悪いのではない。あなたは無罪であり、崩壊は向う側からその不幸の種子を撒きちらしているまでのことだと、その「知」と習慣はつぶやく。たとえば、あなたは幼い時期に母親を失った。それは決定的ともいえる喪失だ。世界が崩壊するとあなたは思うだろう。だが、それはあなたの責任ではない。しかもあなたは、その欠落を埋めることができる。あなたには欠落を埋める知性と活力がそなわっており、そのことで崩壊と喪失が存在の全域に及ぶことを避け、しかも世界へと向けて注ぐべき思考と視線とを鍛えることすら可能なのだ。たとえば、同じ不幸にさらされた信頼のおける仲間たちに向って、あなたの場合を些細に語って聞かせる。すると、たがいに慰めあうことで不幸は緩和され、連帯の輪が拡がってゆくだろう。あるいは、自分自身に向って、その体験を書き記してみてはどうか。小説を書けなどとはいうまい。文学の既存のジャンルを越えて、奪われかすめとられたことの衝撃を幾重にも反芻しながら吟味し、言葉によってその欠落を埋めてみてはどうか。それが可能であれば、向う側から迫ってくる不幸の種子はその無限増殖をやめ、そればかりか、喪失や崩壊が招きよせるもろもろの醜悪さ、猥雑さ、といったものから自由になることができる。この自由への意志こそが健康というものだと「知」と習慣はつぶやき続ける。この健康、聡明に成熟することへのこの意志が共有されるなら、外界と内面とに巣喰う邪悪なる意志はその繁殖をやめ、世界はその晴れやかな微笑をあたりにふりそそぐだろう。あなたは、首筋から背中へとかけて寡黙に注がれていた親しい微笑のぬくもりを、ほんのすこしばかり早めに見失っただけのことで、その個人的な微笑にかわるより普遍的な微笑を、あなたはいま、多くの人たちとともに、胸をはって真正面からうけとめることができる。だから、欠落を埋め、空洞を充たし、距離を越えることは、あなた自身にとどまらず、世界にとっても重要なことなのだ。みんなして喪失を局部的なものにおしとどめ、崩壊が全域に及ぶことを回避しようではないか。病気とは、部分が犯される過渡的な無秩序であり、それに耐え、それにうち克つことで、全体の普遍的な健康の確立に貢献するきわめて有意義な体験ともなりうるのだ。だからこそ、「知」は、その部分的な不健康をめぐっての治療や予知の体系を科学[#「科学」に傍点]として組織してきたのだし、習慣もまた、それを倫理[#「倫理」に傍点]として語りついでもきたのだ。いずれにせよ、外界と内面とが享受するあるべき姿とは、健康への意志によって実現される。そこにこそ、真実[#「真実」に傍点]が、誰によっても共有されうる普遍的な表情のもとにさぐりあてられるはずのものなのだ。科学[#「科学」に傍点]も、また倫理[#「倫理」に傍点]も、あたりにうがたれる欠落を埋め、空洞を充たし、距離を越えることで不健康の蔓延をくいとめ、真実の顕示へと向けて存在を組織しなければならない。それが世界への義務というものだ。誰もが知っている見馴れた光景に亀裂が走りぬけ、あたりが醜い猥雑さへと変容してしまったとするなら、その畸型化した光景を病気として、不健康として拒絶すること。向う側から何の前触れもなしに迫ってくる悪意の蔓延をおしとどめること。そして局部的に悪に汚染した風景の痛みを、科学[#「科学」に傍点]によって、倫理[#「倫理」に傍点]によって緩和し、治療すること。かつてのような親しい遠近法がそこに再現されうるなら、それはそれにこしたことはない。また、それが不可能なほど事態が悪化しているなら、新たな遠近法をそこに導入して、連帯によってあなたの瞳を馴らすこと。それが、「知」と習慣の果たすべき義務というものだ。  畸型化した風景に馴れてしまうほどおそろしいことはない。その光景の全面に走りぬける亀裂のわずかな間隙から不幸の種子が侵入し、狂気が蜘蛛の巣のように邪悪なる粘液質の糸をはりめぐらせてしまうだろう。そして頽廃が始まる。局部的な喪失がわがもの顔で腰をすえ、そこから世界の全域へと向けて崩壊を波及せしめ、頽廃を日常化してしまうのだ。かくして人は、世界のあるべき表情を忘れてその猥雑なる仮面に馴れ、内面にうがたれた空洞を溺愛するまでにいたる。だからこそわれわれは、誰もが共有しているはずの知性と活力とによって、世界と存在とのあの醜い畸型化を回避しなければならないのだ。それは科学的[#「科学的」に傍点]な義務であると同時に、倫理的[#「倫理的」に傍点]な義務でもある。頽廃が視界から消滅させてしまった真実[#「真実」に傍点]へと向けて、科学[#「科学」に傍点]と倫理[#「倫理」に傍点]との体系化を目指さねばならない。そのために、文学[#「文学」に傍点]もまた、意識的であると否とにかかわらず、科学的倫理性もしくは倫理的科学性といった色調を帯びた行為たらざるをえないだろう。これこれの作品は、あたりを侵蝕する喪失と崩壊とに充分自覚的ではなく、かえって頽廃の蔓延に貢献すべく無意識のうちに欠落を是認し、それを埋めるべき身振りを放棄してしまっている。そんな作品の書き手たちは、醜く猥雑な仮面を世界ととり違えることでその畸型化を肯定し、内面の局部的頽廃を存在のあるべき姿と勘違いして喪失の蔓延を許してしまう。それは、科学的倫理性もしくは倫理的科学性を欠いた不当なる文学的行為である。つまり彼らは、普遍的健康の確立に背を向け、世界に対する義務を果そうとはしない連中というべきなのだ。その作家たちが頽廃とともに失ってしまったものは、全体に対する視点であり、彼らの瞳が捉えるものは、ひたすら局部と、表層とに限られている。ところが誰にもそなわっているはずの健全な知性と活力とは、局部的な不幸と表層の猥雑化とを、普遍的健康の確立へと向けて言語的に再組織することで抗いうるものではなかったか。「知」と習慣とは、それが全体に貢献しうる限りにおいて科学[#「科学」に傍点]として、倫理[#「倫理」に傍点]として体系化されうるはずのものではなかったか。  科学と倫理[#「科学と倫理」はゴシック体]  いうまでもなく、誰もが科学[#「科学」に傍点]だの倫理[#「倫理」に傍点]だの科学的倫理性[#「科学的倫理性」に傍点]もしくは倫理的科学性[#「倫理的科学性」に傍点]などと口にするわけではないが、こんにちわれわれの周囲に流通し交換されている文学的[#「文学的」に傍点]言説の多くのものは、それとは似ても似つかないもろもろの語彙によって、ほぼここに述べられたものと同じ普遍的健康の確立へと思想を誘わんとしている。これはもとよりたとえばのはなしだが、『限りなく透明に近いブルー』にサブ[#「サブ」に傍点]・カルチャー[#「カルチャー」に傍点]の一語を投げかけてこれを否定しようとした江藤淳は、それ自体が多分にサブ・カルチャー的なその語彙を口にしながら、この作品の題材となった世界や存在が醜く畸型化した世界の猥雑なる表層にすぎず、世界のあるべき姿は決してそんなものではないといっているわけだ。また、ある時期に中年にさしかかった一群の小説家たちの文章体験を内向の世代[#「内向の世代」に傍点]の一語で批判しようとした小田切秀雄もまた、そのいかにも通俗的な心理学的語彙によって、内面の崩壊という個人的な不幸に執着するその作家たちが、その欠落を埋めることで世界に対して果たすべき義務を無視してしまっているといっているわけだ。つまり江藤氏にしても小田切氏にしても、そんな言葉こそ使ってはいないが、村上龍や後藤明生の文学は、不健康に固執することで普遍的健康の確立を目指そうとはしない不当なる文学的行為であり、いってみれば江藤氏は村上氏の倫理性[#「倫理性」に傍点]の欠如を、小田切氏は後藤氏の科学性[#「科学性」に傍点]の欠如を指摘しているというわけだ。その際、ここで口にされる科学性なり倫理性なりが、一般に科学[#「科学」に傍点]として、倫理[#「倫理」に傍点]として知られているものといささか異なるものであることは実はどうでもよろしい。問題は、これまでに見てきたごとく、ある種の小説が批評家によって否定的に評価されるにあたって、その作家たちが、誰もが共有しているはずの「知」と活力によって欠落を埋めんとする身振りをおこたり、そればかりか喪失や崩壊という現象を局部的な悪の汚染としてではなく、世界の全域にまで波及させかねずにいながら、そのことにいささかの苛立ちもいきどおりも覚えてはいないという点を強調している事実である。目をつむったままでも細部を克明に再現できるほど見馴れたあたりの風景にいきなり亀裂が走りぬけ、幾重にも交錯しながら数をますその亀裂が汚点のように醜く視界を乱してしまうようなとき、自分なら、瞳を快くうけとめてくれていたその光景から失われた距離感を回復し、そこに導入した新たな遠近法にあまたの瞳が馴れてくれればという倫理的必然につき動かされて書くこと[#「書くこと」に傍点]を選ぶだろうと江藤淳はいう。実際、『一族再会』はそのようにして執筆されたのではなかったか。幾重にも交錯する喪失と崩壊とに風景の調和ある遠近法は著しく崩れてしまっていた。まず、四歳半のときに母親を失うという喪失を体験している。「母の死をきっかけにして、私は自分の周囲から次々に世界を構成する要素が剥落して行ったように感じている」のだ。だがそれだけではない。自分は、批評家としての「私」の言葉をも喪失するという不幸を生きている。「それは自分の文章についてだけではなく、他人の文章についても同様である。以前書かれた文章のなかでは生きている言葉が、現在つかおうとすると死んでしまうのはなぜだろう」。その「批評言語の形骸化とでも呼ぶしかないような現象」もまた、喪失の原体験ともいうべき母の死へと思考をさし向けずにはおかない。つまり、一方に、首筋から肩へとかけて背後から寡黙に注がれていたはずの親しい視線のぬくもりの不意の冷却化という事態が生起し、またいま一方で、肌身はなさず持ち歩いていたものが突然嘘のように消滅し、その行為をたどる手がかりもつかめぬばかりか、それを身近に感じていた自分の過去までが奇妙に遠くよそよそしく思われてくるという現象も起っているのだ。だからこそ「自分が喪失してきたものの跡をできるかぎり明瞭にたどってみたい」とする欲望の倫理性が保証され、真に「私」にふさわしい言葉の回復が、「私」を超えた世界への責任ある行為ともなりうるのだ。それは、聡明に成熟するために通過すべき苛酷なる試練でもまたあるだろう。だというのに、村上龍の作品が描きだす世界は、まるで戦災で焼滅した自分の生家の跡に建っている連込み宿のような猥雑で醜悪なる光景を舞台として展開され、その狂った距離感やゆがんだ遠近法を修正しようとすらしない。『限りなく透明に近いブルー』は、だから喪失と崩壊という現象を真剣にうけとめようとはしておらず、そんなところに思考の名に値する身振りが演じられるはずがないのだ。江藤淳が村上龍という文学的[#「文学的」に傍点]現象を否定する根拠はほぼそうしたものである。  もっとも村上龍が否定されたにしてもそれはまったくどうでもよいはなしで、そのことじたいにさして問題があるのではないが、ここで注目せずにはいられないのはその否定の根拠として持ち出されたサブ[#「サブ」に傍点]・カルチャー[#「カルチャー」に傍点]の一語が、まさに小田切秀雄の内向の世代[#「内向の世代」に傍点]の一語と深く共感しながら、同じ一つの身振りを完成させてしまうという事実だ。小田切秀雄が内向の世代[#「内向の世代」に傍点]なるものを批判する唯一の根拠は、そう彼が命名した作家たちに社会的関心があまりに希薄だという点である。何もいい年をしたおとなが、一着のカーキ色の軍隊外套がなくなってしまったといって大げさにさわぎたてることはないだろう。自分の肉体の一部のように何の摩擦もなく身につけていたものの理不尽な消滅ぶり。それを身につけていた過去とそれをなくしてしまった現在との距離を測定すること。後藤明生の『挟み撃ち』とは文字通り喪失と欠落とを主題とした小説だ。だが、その喪失にしろ欠落にしろ、「私」にかかずらわっている限りは局部的な悪の汚染による個人的な不幸の物語でしかない。その背後に身をひそめたより大がかりな崩壊、より決定的な喪失に言及しえぬ限り、その喪失と崩壊とは頽廃にさからう知性をも活力をも刺激することにはなるまい。だから視線を、局部的な不幸にのみ注いでいてはならないのだ。発想のみなもとにある喪失の恣意性を、より正統性を帯びた全体へと波及させる必要がある。そうでないと、ただ内向[#「内向」に傍点]するばかりで、世界へのより普遍的な信頼をどこかに置き忘れてきてしまうだろう。その普遍的信頼の喪失の方が、一着の外套の喪失よりもはるかに重要なのだ。小田切秀雄は、ほぼそんなふうな言葉遣いで、内向の世代の文学を局部的な不健康への異常な執着として批判している。  もちろん、小田切秀雄が現実にこうした語彙を使って内向の世代[#「内向の世代」に傍点]を批判したか否かはさして問題ではない。ここで興味深いのは、江藤淳の村上批判がそうであったように、小田切氏の立場もそれなりの根拠を持っているかに思われるという点だ。個人の内面にうがたれた欠落を埋めようともせず、古疵でもさすりながら郷愁にひたりきって現実から視線をそらしていると、世界のあるべき姿を見失ってしまうだろうと小田切氏は口にしているのだ。ところで、これまで、親しい視線の寡黙なるぬくもりの冷却であるとか、風景の前面を走る亀裂やその醜悪な猥雑化であるとか、肌身はなさず身につけていたものの理不尽な消滅ぶりといったことにながながとこだわり続けてきたのは、気質の上でも、政治的な姿勢(とは、だが、何か?)の点でも、さらには世代的な体験の点でも対照的だと思われる二人の批評家が、一群の作家たちの文章体験の欠陥を指摘するにあたって、ここでとりあえず科学的倫理性または倫理的科学性として要約しうるような、健康と不健康とのいささか通俗的な弁証法的関係を軸としてその言説を組織しようとしている事実を指摘し、その事実がはらみ持つ思考の硬直化を問題にしてみたかったからだ。もちろん江藤氏は、その『一族再会』の冒頭から、母の死を直接の契機としてはじまった世界の崩壊が、「敗戦や戦後の社会的変動」によってさらに大がかりなものとなったことは否定しがたいとしながらも、その喪失の原因を「外側にある時代や社会のなかだけに求めようとするのは公正を欠いている」と明白に宣言している。つまり、彼はおそらく小田切秀雄がとっているだろう姿勢にさからって、徹底して「私の言葉」に執着するという内向的[#「内向的」に傍点]な立場を徹底化させているのだ。だがその姿勢は、江藤氏がとりあえず括弧をつけて「歴史」と呼ぶものとより切実な[#「切実な」に傍点]遭遇を演じようとするためにほかならない。この「切実」という言葉の帯びる倫理性[#「倫理性」に傍点]は、しかし小田切秀雄の科学性[#「科学性」に傍点]といささかも抵触するものでない。そればかりか、その二つが深く響応しあうごく親しい概念、というよりむしろ同じ一つの思考の身振りの二つの隣りあった側面といった関係に入っていることが重要なのだ。なにも小田切氏がそれを代表するわけではないが、世の中には、一九三〇年代に顕在化した諸国家間の力学的不均衡に加担することで、日本がほぼ二十年にわたって耐えねばならなかった社会的変動を特権的な体験としてうけとめ、それを起点として世界を眺めようとする人たちがいる。つまりわれわれが、「戦争中」とか「終戦後」とかの言葉でイメージするある混乱と崩壊の一時期、あるいはそれに続く困難な回復期の諸々の経験を反芻しながら、その社会的変動という名の不健康を介して、世界のあるべき姿[#「世界のあるべき姿」に傍点]を把握すべきだという、多少ともノスタルジックではあっても科学的善意は失われぬ程度の立場が明らかに存在している。いや、そこから出発したのでは世界のあるべき姿は確かな感触でとらえられはしないというのが『一族再会』を貫く江藤氏の主旋律にほかならないが、「戦後日本」を肯定するか否定するかという通俗的な二者択一をせまることになるこの二つの姿勢は、あるべき世界の姿[#「あるべき世界の姿」に傍点]を、個人的なそれであれ社会的なそれであれ、とにかく大がかりな喪失と崩壊という不幸な体験を起点として思い描くべきだとする姿勢を共有しあっている。いかがわしいのは、この科学性[#「科学性」に傍点]と倫理性[#「倫理性」に傍点]とのひそかなる連繋ぶりなのだ。もはや、江藤淳だの小田切秀雄だの個人的な名前はどうでもよろしい。現在われわれのまわりに行きかっている言葉や思考のほとんどは、個体にしろ社会にしろ、それが傷つき犯されているという不健康の確認からしか始まらず、その不健康を克服して健康を回復すべきだとする同一の運動が、自己同一性の崩壊を特権化するか、全体的視点の喪失を特権化するかによって、かりそめの葛藤をかたちづくっているにすぎない。このかりそめの葛藤に必要不可欠なる登場人物が、「自己同一性」であり「全体的視点」というやつだ。彼らは、同じ一つのメロドラマの輝やかしい主役なのである。そのメロドラマを普遍化された思考の硬直化、つまり「制度」と呼ぶことにしよう。本当はそんな身振りを演ずべき必然性などどこにも見当らないのに、誰もがついついそんな身振りを演じてしまうことで支えられたかりそめの葛藤劇。それは、かりそめの[#「かりそめの」に傍点]とはいえ、かりそめ[#「かりそめ」に傍点]であるが故に可能な執拗性を帯びている。「制度」が恐しいのは、そのかりそめの執拗性[#「そのかりそめの執拗性」に傍点]という奴が唯一の基盤であるからだ。崩壊を語り喪失を口にしながら、この基盤ばかりはそう簡単に崩壊もしなければ喪失することもない。    ㈼ 全体性と同一性の神話  抽象的なメロドラマ[#「抽象的なメロドラマ」はゴシック体]  いささかの迂回と逸脱とによって冗長さの感を与えかねないこれに先だつ部分で問題であったものが何かをここで要約し、それをかりそめ[#「かりそめ」に傍点]にして執拗な「制度」批判とはいわないまでも、その不可視の機能ぶりを不意撃ちするかたちでせめて一瞬なりとも視界に浮上させてみるにはどうするか。  まず、かいつまんでこれまでの要点を指摘してみると、なにも「文学」という領域に限らずいわゆる思考一般は、ある困難に遭遇した折に、それを克服しようとする善意によって方向づけられると考えられているが、しかもその困難のほとんどが、喪失とか崩壊といった言葉で一括されがちな局部的な頽廃として姿をみせているということ。つまり思考は、不健康を起点として健康へと向う運動を描くとする考えが普遍的に共有されているのだ。欠落に出逢えば、思考はそれを埋めようとして始動する。空洞があったらそれを充たし、距離があったらそれを越える。自分自身が自分と感じられなくなったら、それは危険な兆候だ。世界の遠近法に乱れが生じたらそれも悪しき前兆である。失われた自己同一性が回復されねばならない。また世界の全体像に狂いが生じたなら、それは修正されねばならない。かくして行動と思考の規範が、病気からその全快へ、不健康から健康の回復への歩みとして確立する。つまり、とりあえず科学的倫理性もしくは倫理的科学性と呼んだかたちで「制度」化されるのである。ところで問題は、多くの人がそれに犯されていながらも自分ではその機能ぶりにはいっさい加担していないつもりの葛藤劇の、そのメロドラマ的資質、つまりは具体性を装った抽象性の顕在化にある。昨今の選挙の折にことあるごとに口にされる保守[#「保守」に傍点]と革新[#「革新」に傍点]、あるいは芸術の分野でしばしば言及される伝統[#「伝統」に傍点]と前衛[#「前衛」に傍点]といった対立を必須の登場人物として演じられるかりそめにして執拗な葛藤劇は、では、なに故に抽象的であるというのか。彼らが喪失した自己同一性の回復といい崩壊した全体像の回復と口にするとき、その喪失なり崩壊なりを、できることなら避けて通ることが望ましかった局部的な悪の汚染、過渡的な不幸、仮に耐えねばならなかったがやがてはそれを克服するはずの困難としか捉えてはおらず、本当の自分、本当の世界は、頽廃の進行する時空とは別の環境に温存されているはずだと考えながら、その温存された自分なり世界なりへと向けて行動なり思考なりを組織しようとするとき、その局部的な不幸としての喪失と崩壊とを是非とも直接の契機として必要としているが故に、この葛藤劇は抽象的たらざるをえないのだ。自己同一性が喪失し、世界の全体像が崩壊しつつあるという現状認識は、喪失せざる同一性、崩壊せざる世界像を自分は知っているという前提がなければならない。その喪失と崩壊とに歪められることのない自分なり世界なりを、かつて、自己の体験として生きていたはずだというにせよ、あるいは「知」の体系が来たるべき未来として予知しているというにせよ、どこかに無疵の自分と世界とがあって、いまはその調和あるイメージが視界から姿を消しているが、そこにはいかなる頽廃の影もさしてはいない。この確信がない限り、喪失だの崩壊だのは語れないはずだ。だから、この際、問題は不在の健康なのであって、その健康が郷愁という名の習慣的な「知」によって支えられたものか、学として体系化された「知」によって支えられたものかという選択はどうでもかまわない。保守的[#「保守的」に傍点]と呼ばれる健康であれ革新的[#「革新的」に傍点]と呼ばれる健康であれ、あるべき自分とあるべき世界とが調和ある共存を生きうる、不在の、だが秩序ある環境ともいうものを基盤としているのだ。その環境が伝統の再認識によってもたらされるにせよ、伝統の廃棄による変容として実践されるにせよ、あるいは伝統と変容との曖昧な妥協によって誕生するものであるにせよ、事態はいささかも異なることがない。つまり、いずれも、揺るぎない自己同一性と確かな世界の全体像とが大らかに戯れあう健康なる環境を知っていると主張しあうという意味で、革命と反革命とは同じ一つの身振りを演じているのだ。彼らは、現在が刻々とそこから遠ざかる起源として、あるいは徐々に到達すべき目標として、頽廃による畸型化が及ぶことのない完璧な環境を起点として、現状の喪失と崩壊とを語るという姿勢を共有しているのである。だからこそ、いま、世界と自分とが醜悪に猥雑化しているという認識が危機感となってあたりをおおい、敵同士だと思っていた二人の役者に、ああ、自己同一性が喪失しつつある、世界の全体像が崩壊しつつあるという台詞を、同時に口にさせてしまうのだ。  もうそれだけでかなりなまでに虚構化を蒙り、とても本当と信じるわけにはゆかなくなったこの葛藤劇がさらに決定的に抽象的たらざるをえない理由は、自己同一性や世界の全体像は喪失し崩壊することがあっても、思考のみは猥雑な頽廃をまぬがれ、過去と現在と未来とを貫いて、健全な判断を下しうるという確信が、この二人の役者によって共有されているからだ。畸型化を蒙ることのない健全で調和ある環境で思考として機能しながら、それを正常と断定しえた思考が、いま、自分ばかりは畸型化することなく、やれ自己同一性が喪失した、世界の全体像が崩壊したのと口にしうる権利を持つと主張しうるのは、ずいぶんと虫のいいはなしではないか。喪失だの崩壊だのは、それもまた頽廃の波に煽られて畸型化した思考の下す狂った判断かもしれないし、また思考が、あたりの頽廃とは無関係に狂気へとのめりこんでゆくことだって大いにありうることではないか。にもかかわらず、人は、あらゆる瞬間に喪失と喪失ならざるもの、崩壊と崩壊ならざるものとを識別しうる資質が自分には残されていると確信している。これが、具体性を装った抽象的な身振りでなくて何であろう。「少なくともひとりの人間が世界を喪失しつつあると感じるとき、その原因を彼の外側にある時代や社会のなかだけに求めようとするのは公正を欠いている」と口にする『一族再会』の江藤淳が、十数年前に書き記したある種の言葉が、現在それを使おうとすると「少しも生きない」と感じ、しかもそれを他人の文章にまで普遍化し、「批評言語の形骸化とでも呼ぶしかないような現象」と断定していることのすぐれて抽象的な身振りも、その点から明らかであろう。  それが「個人」でも「社会」でもかまうまいが、とにかく多くの思考によって共有されうると感じられていたある種の概念が、いま、自分の口から洩れたそれをも含めてあたりに行きかいつつある言葉の中で、かつておさまりえた鮮明な輪郭から徐々に離脱し、曖昧で希薄なものになってゆくといった現象があったとしよう。江藤氏ならずとも、人がそうした体験に苛立ち、何らかの崩壊の気配を感じとるというのは大いにありうることだ。すでに触れたごとく、肌身はなさず持ち歩いていたはずのものが不意に自分には納得の行かないかたちで姿を消し、その行方をたどる手がかりもつかめぬばかりか、それを肉体の一部のように感じていた自分の過去までが奇妙に遠くよそよそしい存在に思われるといった現実は、どこにも起っているのである。つまり江藤氏は、後藤明生の『挟み撃ち』で主題化された、あの失われたカーキ色の軍隊外套のようなものとして「社会」なり「個人」なりの概念を語っているわけだ。ところが『一族再会』の江藤淳は、そうした概念の希薄化のうちに、自分の存在が蒙りつつある頽廃をいったん認めはしながらも、「社会」なり「個人」なりが現在の自分の肌にぴたりとまといついてはくれないという現在の苛立ちそのものが、実はあたりの頽廃とともに畸型化した思考が下す狂った判断かもしれず、その不快な摩擦感の方が実は本物の感覚かもしれぬとは考えていないし、また逆に、十数年か前のいかにも充実した言語感覚の方が、かえって他愛もない錯覚か悪夢の煽りたてる幻想でもありえたとも思ってはいない。そうした概念が「私の言葉」と調和ある関係を保ち、確かに「生きている」と感じられたという十数年前の思考の下した判断が無前提的に正しく、そのままの健康な感性と判断力を維持し続けた思考が、現在もまた「生きていない」ときわめて正当に結論づけていると彼は確信しているのだ。  抽象とは、みずからの運動に疑念をさしはさもうとはしないこの確信のことだ。喪失と崩壊の危険にさらされながらも、思考のみは健全に機能しうるとするこの抽象が演出する葛藤劇を、メロドラマと呼ぶことにしよう。後藤明生の『挟み撃ち』は、まるで自分の肌の一部のように親しい感触である時期の自分を保護してくれていた軍隊外套の理不尽な消滅ぶりを起点としながらも、その喪失と喪失ならざるものとの識別が可能だと信じられていた現在の思考そのものが、その消滅の軌跡を改めて生き直そうとする過程で徐々に希薄なものとなってゆき、遂に喪失[#「喪失」に傍点]と喪失ならざるもの[#「喪失ならざるもの」に傍点]との境界線が曖昧となり、そのどちらともつかない中間地点に思考の判断力を宙吊りにしてしまう点までたどりついているのだが、これは抽象的なメロドラマたることをまぬがれているきわめて貴重な例外というべきものだ。それは、喪失だの崩壊だのといった言葉が、自己同一性の回復だの世界の全体性の確立だのといったスローガンと親しげに戯れながら、いかにもそれらしく思考すべき現代的課題とやらの衣装を饒舌に飾りたてているかにみえるとき、そうした身振りの描く思わせぶりな抽象性を、ほとんど沈黙に近い慎しげな言葉で指摘してみせてくれるが故にきわめて貴重なのである。そして、これまで完結したかたちで提示されているその第一部に限っていうなら、江藤淳の『一族再会』は、それなりに感動的な細部を含んでいながらも、あるいは含んでいればこそ、不幸にしてメロドラマたる抽象をまぬがれているとはいいがたい。  問題[#「問題」はゴシック体]という名の抽象  ところで、江藤淳の著作の一つがはからずも露呈している思考の健全なる判断力といったものへの抽象的確信を、一つの文学的メロドラマとして嘲笑することが当面の課題なのではない。また、いわずもがなとは思うが、無用な誤解がまぎれ込むのを避ける意味で一言ことわっておくと、ここで主張したいことがらは、保守的権力への接近とか、治者への道をたどる反動性とかいった誰もが江藤氏について想起しがちなイメージをなぞりながら、江藤淳と呼ばれる一人の批評家の判断力がここ「十数年」のあいだに大きく狂ってきたということでもなければ、また、彼が切実な実感として捉えているという「批評言語の形骸化とでも呼ぶしかない現象」がいささかも起ってはいないということでもない。彼の権力志向とやらが危険なものかごく他愛もないものか、また批評の頽廃といった事実があるのかないのか、といったことはさしあたりどうでもよろしい。問題は、かりに喪失なり崩壊なりの言葉をあてるしかない大がかりな畸型化の波があたり一帯を覆いつつあるのが事実であるとするなら、その頽廃を具体的な現実として生きるには、まず、醜悪に崩れ落ちてゆく世界や頼りなく希薄化する自分自身を過渡的な不健康として捉え、それをいま、ここにはないあるべき世界なり自分なりの健康なる姿と比較し、確立さるべき世界像だの回復すべき同一性などと戯れようとする思考の運動を自分に禁ずることから始めねばならないという点にある。というのも、崩壊が、あるいは喪失が真の現実であるとするなら、思考のみがそれをまぬがれていると確信する理由はどこにもなく、その思考が描きあげる世界像も自画像も、きまって歪んだものであるはずだからである。ところが視線は、その歪曲を修正し、そこに偽りの距離感と深まりとを捏造してしまう。この修正と捏造の身振りが、自分を倫理性ととり違える郷愁、自分を科学性ととり違える迷信にほかならない。つまりこれまで科学的倫理性[#「科学的倫理性」に傍点]もしくは倫理的科学性[#「倫理的科学性」に傍点]とは郷愁[#「郷愁」に傍点]と手を結んだ迷信[#「迷信」に傍点]にすぎなかったわけだが、しかし、それをありもしない虚構として笑いとばすことも当面の問題とはなりがたい。またしても事態はその逆なのであって、この迷信[#「迷信」に傍点]と手を結んだ郷愁[#「郷愁」に傍点]がその結合によって無意識のうちに自分のものとする勝利への意志の恐しさに、人がどこまでも無自覚であるという点が問題なのである。  かりそめにして執拗なるあの葛藤劇、敵役同士が同じ台詞を語り、同じ仕草を演じてしまうあの奇妙な抽象的メロドラマの真の主題は、この勝利への無自覚なる意志だ。決まって勝利するために敵役を装っている負けることのない作中人物。つまり、具体性を装うこの抽象的人物が、いま、いたるところで着実に勝利しつつあるという事実に、人が徐々に無感覚になってゆくことを目的として、いま、いたるところで上演されている勝利するドラマ。このドラマがもたらす頽廃に心底から脅える人たちの出現をあらかじめ禁ずるために、ありもしないところに喪失を、崩壊を指摘してまわる裏切りの物語。しかもみずからの裏切りには無意識で、むしろ喪失と崩壊とに向けて観客の視線を引きつけることが善意の身振りだと信じている演技者たち。この善意の伝播と共有とが思考の抽象性の実態だ。いま、かつてない無秩序と混乱とがあたりを埋めつくしている。何とかしなければいけない。この醜く畸型化した現実に、それにふさわしい鮮明な輪郭と確かな距離感を回復してやらねばならない。みんなして思い起してみようではないか。あるいは思い描いてみようではないか。かつてわれわれは、これほど猥雑な世界に暮していたであろうか。あるいは、実現さるべき世界に、これほどの醜悪さがたちこめていていいものであろうか。いやいやそんなことはなかった、と郷愁[#「郷愁」に傍点]は口にする。そんなことがあってはならない、と迷信[#「迷信」に傍点]も口にする。そして郷愁と手を結んだ迷信は、さあ、と人びとを促す。さあ、みんなしてこの崩壊を、この喪失を何とかしなければならない。  何とかしなければならない。なるほどそうに違いない、と観客の誰もが主役になったつもりでつぶやく。このひどい世の中を、何とかしなければならない。するとその孤独なつぶやきが、思いもかけぬ共鳴をよびさます。この共鳴こそが決まって勝利する抽象的メロドラマの幕切れである。そして何より恐しいのは、この幕切れに終りがないということだ。そのつぶやきは共鳴し、反響し、呼応しあって誰がそう口にしているのかを忘れさせてしまう。みんなが、個人的体験の記憶の底をさぐってみれば多少とも隠し持ってはいるだろう魂の傷跡を、なるほどこれが喪失だ、崩壊だと思う。誰もが多少とも体験したことはあろう世界との摩擦の記憶を呼びさまし、なるほど外界は醜く畸型化し、頽廃が始っていると思う。そんなとき、人は、江藤淳の『一族再会』を抽象的なメロドラマと笑ってやりすごすことは、それこそ具体性を装った抽象的な身振りにほかなるまい。というのも、まさしく思考の「制度」そのものにほかならぬメロドラマの抽象性は、それに敵対して批判と攻撃を加えるあらゆる言葉を、かりそめ[#「かりそめ」に傍点]の葛藤の維持に是非とも必要としているからである。「制度」にとっては、敵役同士と思われていた二人の登場人物が実は同じ台詞を語り同じ仕草を演じているにすぎないという事実よりは、かりそめの葛藤が演じたてる対立関係の虚構の進展ぶりの方に観客の視線を惹きつけておくことの方が遙かに都合がよいのだ。  たとえば、これはあくまでたとえばの話だが、江藤淳と大江健三郎とは対立関係にあると思わせておけば、視界がより鮮明に澄みわたるといった印象を誰もがいだきうるといった具合に、局部的な小波瀾が、いつでも全体へと注ぐ視線を鍛えあげるがごとき錯覚によって、「制度」はますます堅固なものとなってゆく。「制度」は、そのかりそめ[#「かりそめ」に傍点]の葛藤のありかをあえて問題という名で特権化し、いたるところに対立を指摘してまわる。だからわれわれの周辺には、いま、おそろしい数の問題[#「問題」に傍点]が、いかにも現代を真摯に生きる人間が思考するにふさわしい課題として、ひしめきあっているわけだ。天皇制の問題。在日朝鮮人の問題。差別の問題。学歴社会の問題。受験地獄の問題。公害の問題。日本語の問題。分子生物学の問題。周縁性の問題。エネルギー資源の問題。南北問題。文化の再活性化の問題。道化の問題。文芸批評の方法の問題。本塁打の問題。セックスの問題。物価の問題。大地震の問題。試験にでるかも知れない問題。何だか忘れてしまった問題、等々。そうしたものすべてが、しかるべき解決を持ちつつ揺れ動いている。もちろん、そのいっさいが虚構の葛藤としてのみ視界をさわがせているといいつのるつもりはないし、中には切実に思考され行動に移さるべきものもかなりの数にのぼりはするが、ここでいかにもいかがわしいのは、それを問題[#「問題」に傍点]と呼ばねば気がすまぬという風潮の蔓延である。これはいかにも重要な問題だと誰もが思う。それこそ思考するに値する特権的な現代の課題だ。その解決は困難であろうが、まさにその困難と戯れることこそが、われわれを今日の思想状況にふさわしく鍛えあげてくれる高価なる試練であるに違いない。そこで人びとは、率先して、あるいはまた誰かの言葉に刺激されて困難を自分の問題として[#「自分の問題として」に傍点]引き受け、その解決を求めて主体的に[#「主体的に」に傍点]思考し行動してみようと思う。絶えず思考し行動し続けるのではないにしても、というのはだいいちそんなことは不可能だからだが、暇があるとか、機会に恵まれさえすれば、そうすることが科学的倫理性もしくは倫理的科学性にかなったやり方だと信じ込む。ところが、この問題解決へと向けて姿勢を整えんとする薄められた善意の共有こそが、無意識に張りめぐらされた「制度」の罠なのだ。問題[#「問題」に傍点]とは、「制度」の捏造する具体性を装った抽象にすぎず、生きられつつある現実ではいささかもないからである。現実とは、それが生きられつつある瞬間には、方向を欠いた多様なる意味がわれがちにたち騒ぐ無表情なる表層にほかならない。生きるとは、距離もなく中心もなく、ひたすらのっぺらぼうな意味作用の磁場に身を置き、その白痴の表情と向かいあう残酷なる体験を不断に更新することだ。そして問題[#「問題」に傍点]とは、その無表情な残酷さをいかにもそれらしいイメージに置きかえ、それが欠いている方向と意味とを捏造し、ありもしない輪郭をことさらきわだたせ、世界を構成するあまたの事物や存在とがそこへと向けて秩序だった配置ぶりを示す偽の中心を捏造しようとする現実回避の恰好の口実なのだ。それは、世界の無表情をそれらしい表情にすり換え、そのすり換えによって自分自身の顔と名前とを確信しようとする、白痴の残酷さの放棄なのだ。  おそらく、大江健三郎がしばしば口にする全体性の文学とは、こうして捏造された諸々の重要な問題に、それが欠いているかにみえる方向と意味とを回復し、しかるべき中心のまわりに配置さるべく階層的秩序を確立し、すべてを万遍のない構図におさめ、総体的な視野のもとに世界を眺め、また眺めさせる文学のことなのだろう。きみきみ、ぼくがリー・リー・リー[#「リー・リー・リー」はゴシック体]とピンチランナーに声援を送っているからといって、文化の再活性化の問題[#「問題」に傍点]を本塁打の問題[#「問題」に傍点]と同じ水準で考えてはいけないんだよ。問題には価値の秩序というものがあって、その秩序に従うなら、ピンチランナーの問題[#「問題」に傍点]は、やっぱり道化の問題[#「問題」に傍点]と混同してはいけないのだ。それをあたかも同じ問題[#「問題」に傍点]であるかに提示し、リー・リー・リー[#「リー・リー・リー」はゴシック体]のピンチランナーをめぐる調書などしたためてみたというのも、周縁性という文化人類学的な問題[#「問題」に傍点]、転換という構造主義的な問題[#「問題」に傍点]の重要性に意識的なぼくのみに可能な文学的戦略というやつさ。だからその戦略を解読し、世界の全体像を間違いのない視野に捉えうる「方法」こそが、きみ、今日の文芸批評の問題ではないのかい、ha、ha。  書き、読むことの善意[#「書き、読むことの善意」はゴシック体]  いささか冷笑的であるとはいえ、決して現在の無表情に心底から脅えているわけではなく、必ず快癒するだろう局部的な頽廃と戯れつつあるもののみに可能なこのha、haは、なにも大江健三郎の『ピンチランナー調書』という一冊の書物の内部に虚ろな響きを響かせているわけではなく、現代文化の特権的課題とやらと親しく戯れねば気のすまぬ連中の言説には、それと同じ響きとなって耳をうつとは限らぬにしても、いたるところに充満している。大江氏にとって、それは不真面目を装った「知」の戦略にほかならず、文化の再活性化とやらを目ざして組織さるべき思考の、実は健全にして生真面目な方法にほかならない。そこにこそ、人は道化の問題[#「問題」に傍点]を読まねばならず、またその「方法」的な解読によって、人は、問題[#「問題」に傍点]なるものの確かな遠近法的構図を世界の全体像として手に入れるだろう。  だが、総体的視点によって把握可能となるこの構図なるものが、現実を回避する貧しい抽象でしかないことは、いまや明らかであろう。とはいえ、ここでもまた、問題[#「問題」に傍点]なるものをめぐる大江健三郎の姿勢の抽象性を笑うことが問題なのではない。そうではなく、それが、きまって勝利する抽象であるが故に深く脅え、その勝利の普遍的にして無意識的なる共有を心から怖れる必要があると繰り返し主張したいのである。この勝利し普遍的に共有される抽象は、問題[#「問題」に傍点]なるものを、そこに思考することの善意が晴れやかに露出している一時的な視界の乱れだと思う。だから問題[#「問題」に傍点]のありかに触れると、誰もが、いささかの困難を伴った快適さに遭遇しえたと確信して心をはずませる。いま、批評はジャーナリズム的印象批評という頽廃を通過しつつある。この局部的な視界の乱れを修正すること。それはやりがいのある仕事ではないか。それがたやすく原状に復するものであれば、問題[#「問題」に傍点]の名には値しまい。多少とも人を迷わせ、逡巡させ、反省させ、改めて行動へと導くものであるが故にそれは問題[#「問題」に傍点]なのである。その解決に程良い痛みが伴うが故に、思考はみずからの善意を信じることができる。つまり、障害を乗りこえるだけにはらわれた、あるいははらわれるであろう努力の実感が、その代償としての快い疲労感となって残されるか、あるいは残されるであろう予感が蓄積される。この、ジャーナリズム的印象批評により文学研究が頽廃しつつあり、それには方法的自覚をもって世界の全体像を確立すべきだとする大江氏の危機意識は、批評言語の形骸化を嘆き、「私」の言葉の切実なる回復を介して頽廃化にさからおうとする江藤氏の危機意識と何とはずかしいまでに似ていることだろう。彼らにとっては、あくまで過渡的で、世界と存在との全域を覆いつくすことはなかろうが、しかし個人的には適度の苛立たしさの原因となる頽廃こそがその思考の出発点にある。たとえば大江氏は、確かな未来を築く「知」の方法としてそれを是非とも必要としているし、また江藤氏は、過去を正当化する存在の倫理的体験として是非とも必要としているのだ。  もちろん江藤淳は、ha、haと冷笑的にふてくされる戦略的な姿勢はとらず、もっと深刻そうに、いうところの喪失や崩壊と生なましく戯れてみせる。文化の再活性化だの、道化だのの問題には渋い顔で応じているかのようだ。にもかかわらず、彼らは同じ姿勢を共有している。というのは、江藤氏もまた、存在の倫理的体験の切実なる把握のために、あの埋めるべき欠落、充たすべき間隙、越えるべき距離を是非とも必要としているからである。そこから由来する諸々の頽廃を回避するために行動と思考とを方向づけるべく善意の努力が重ねられることになる不幸なる体験。それが喪失と崩壊という概念となって『一族再会』を冒頭からメロドラマふうに飾りたてていたことはすでに見たとおりだが、それを江藤淳は、その夏目漱石に捧げられた何冊かの書物の中で、徐々に、だが着実に、禁忌と過失というかたちで問題[#「問題」に傍点]化している。禁忌と過失。それは倫理的な秩序の調和ある関係と、それを乱す個人的なる体験とが演じたてる葛藤劇だ。この世界には、してはならない禁止事項が暗黙の申しあわせとして存在している。その申しあわせにそむくなら、世界の秩序は崩壊の危機に瀕するし、そむいたものも、罪の意識に追われて暮さねばならない。禁を犯したもののその後の行動は、過失を償うことについやされるだろう。つまり、体験の生きた厚みがそうたやすくは埋めがたい欠落が、充たしがたい間隙が、そしてはかりがたい距離が、江藤氏にあっても問題[#「問題」に傍点]として特権化されねばならないのだ。そして、そのすぐれて特権的な問題をめぐって『漱石とアーサー王伝説』と題された上質のメロドラマが書かれたことは誰もが知っているとおりだ。兄の嫁と情を通じることは、世間ではよくないこととされている。ところが夏目漱石は、嫂の登世と深い関係に陥ってしまった。だから漱石文学は、「罪」という過失の問題[#「問題」に傍点]をめぐって書きつがれる必然性がある。たとえば初期作品の一つ『漾虚集』におさめられた「薤露行」を読んでみるがよい。そこには、西欧の中世伝説の一挿話をかりて、嫂の登世との不幸な過失の体験をめぐる漱石の記憶が生なましく息づいているではないか。「薤露行」とは、罪ある貴い人の死をいたむ葬送の挽歌だ。その挽歌をことあるごとに奏でつつ「罪」を背負って生きることを漱石はたえ続ける。つまり、償いきれぬ過失とともになお生きることの倫理性を、江藤氏は書くことの根源に据えているわけだ。これはすでに『一族再会』を書き始めるにあたっての江藤氏の基本的な姿勢でもあった点はすでに見たとおりだが、その姿勢は、最終章の「もう一人の祖父」のはじめで死んだ母方の祖父との十年ぶりの再会が語られる瞬間にもっとも露わなものとなっている。父の再婚いらい疎遠になっていたいま一人の祖父を、奇しくも夏目漱石をめぐって上梓された最初の著作を持ってたずねた日の記憶を語るこの部分は、おそらく『一族再会』で最も素直に人を感動させる[#「感動させる」に傍点]断章であろう。かつて日本海軍の潜水艦戦略の確立に大きく貢献したという旧海軍将校が、予備役に編入されて第二次大戦に外側からしか加担しえず、しかも経済的な不如意と老人性の病気とに耐えながらもある格調をそなえた姿勢で戦後をくぐりぬけてゆくさまは、それなりの高潔なイメージにおさまっている。彼が、過去の記憶にすがりながらも、ずっと崩壊に耐えている姿は、かりにそれを個人的な体験として生きたとしたら、江藤氏ならずとも緊張したであろうことは充分すぎるほどわかる。それは、まるで小説のように[#「小説のように」に傍点]感動的な体験であるに違いない。そして、この体験を語りながら江藤淳が強調するのは次の点だ。つまり、軍人恩給で細々と暮しているこの老人は、自分は戦前から退役となり今度の戦争には直接には参加していないにしても、自分の手で育てた士官や兵隊がかなりの数死んでいる以上、昔の海軍関係者の会合には出席する気にはとてもなれないといって、仲間たちの集まりへの誘いをことわっているのだが、その彼の口から、「おれたちは国を亡ぼした。その直接の責任者たる軍人が、どの面を下げて公衆の面前に出られるか」とか、「おれはあれらが浮ばれぬうちに、昔を語る気にはなれんのだ」と語気の強い言葉が洩れるのを聞くとき、そこに、崩壊と過失という主題が深く連繋しているのを察知し、かすかに戦慄したというのである。「私の内部に、この激しさに通じるなにかがあるのかも知れない」と。江藤氏はその緊張した自分自身と祖父との類似を語っているのだが、その戦慄、「決して明るくはない、だがどこかに鮮烈なもの」が、喪失と崩壊にさらされたものにのみ激しく迫ってくる体験であることは明らかだろう。江藤氏の感動の質をいささかも疑うものはないし、ましてその感動が確かに隠し持っている醜悪さへと人の視線を誘おうとも思いはしないが、しかしそれにしても、この緊張、この戦慄、この鮮烈さが、喪失と崩壊の主題によって特権化される漱石における過失の問題とほとんどかさなりあってしまうという点は、ある冷静さをもって指摘すべきであろう。漱石が嫂との過失を背負って、なおその不幸を真摯に生き続けたように、祖父もまた海軍という不幸な記憶を深刻な体験として反芻しつづけている。そして「私」も、母の死による世界の喪失に耐え続けているのだ。かくして崩壊と喪失の物語はここに完成される。  だが、そうして完成される物語は、大江健三郎が夢想する世界の全体像に似て、あまりに整いすぎ、あまりにももっともらしいのである。たしかに欠落が埋められ、間隙が充たされ、距離が越えられ、体験の生きられた厚みがそれなりの切実な重みとして迫ってはくるようだ。しかしその厚みにしても、重みにしても、明らかに抽象なのだ。というのも、そこでは世界なり存在なりが、生きることの善意によって快癒しうる過渡的な不幸、切実なる感動によって充たしうる欠落によってしか捉えられることがないからだ。真の感動とは、欠如を補うかりそめの生ではなく、生の過剰による生の充実でなければならない。問題[#「問題」に傍点]もまた、それが抽象ではなく真に具体的なものであるなら、欠如を補うかりそめの試練ではなく、思考の過剰による思考の充実でなければならない。欠落を埋めるものとしての感動、距離を越えるものとしての問題の解決とは、埋められ越えられた瞬間に感動であり問題の解決をやめる、かりそめの過渡的なものにすぎないだろう。それが可能にするものは、生ではなくたしかに時間がすぎてゆくと思いつつ生をなし崩しにやりすごすことであり、思考ではなく、たしかに自分は何かを考えていると思いつつ思考を曖昧に放棄することにほかならない。それこそ、具体性と抽象とをとり違えるということの意味だ。世界の全体像の確立も自己同一性の回復も、人に、たしかに自分は何かを考えていると思わせ、たしかに時間が過ぎてゆくとも思わせることで生と思考とをついえさせる、現実回避の罠なのだ。そして何より恐しいのは、この罠を張りめぐらせるものが、決して権力と呼ばれる思考と行動の統治機構ではないということだ。おそらく権力もまた、その罠の犠牲者であろう。そしてその犠牲の深刻さに多少とも自覚的であるが故に、権力こそが崩壊と喪失の神話を、もっとも巧妙にあたりに波及させる術を心得ているのだ。権力とは、それがいかなる政治体制下にかたちづくられるものであれ、具体性と抽象とのこの上なく精緻な交換装置なのである。そして不幸なことに、わたくし自身をも含めて、人は、ほぼ例外なく、この交換装置とほぼ同質の装置をいささか小規模に装填した思考装置たることをまぬがれてはいないのである。だから、誰も大江健三郎や江藤淳を大っぴらに笑う権利を持ってはいない。ただ、大江、江藤両氏におけるこの装置のいかにも円滑な機能ぶりに、いま少し本気で脅えてみる必要がありはしまいかと思うのだ。    ㈽ 問題を超える畸型性  充実した過剰[#「充実した過剰」はゴシック体]  いうまでもなかろうが、これまでに述べられてきたことがらは、権力が過渡的に犯してきたもろもろの錯誤をいっさい免罪にすべきだと主張するものではないし、また、あらゆるものがその錯誤に加担しつつ多少とも有罪なのだから、権力の犯す錯誤を攻撃する資格を欠いているというのでもない。これに先だつ部分が語ろうとしてなお充分に語りえずにいることがらは、抽象的な問題[#「問題」に傍点]の配置がときに煽りたてもする世界や存在の過渡的にして局部的な変容に脅えたふりをするのではなく、具体的な現実に心底から脅えねばならないという事実のいささかまわりくどい指摘にほかならない。外界がいくぶんかその表情を変え、内面の調和が多少とも乱れたぐらいで喪失だの崩壊だのと騒ぎたて、その頽廃を思考することが現代の特権的な課題だなどとあっさり信じ込むのはやめにしようということだ。だが、何度かくり返してそう口にされようとする言葉が人を説得しうるにたる言説の鮮明なる輪郭におさまりがたく、その事実に言葉そのものが苛立っているかにみえるとしたら、それはたぶん、こうしたことがらが他人を説得すべき問題[#「問題」に傍点]ではないからであろう。おそらくそれは、思考を、思考を超えた体験へと導く残酷なる運動たらざるほかはないからに違いない。  たとえばすでに触れたことがらからも明らかなように、人は、問題[#「問題」に傍点]を、思考し行動することの善意によって埋めるべき部分的な欠落だと思い、解決[#「解決」に傍点]がその欠落を充填することの最終的な結論だと思いがちである。それが健康と不健康とをめぐるあの通俗的弁証法の日常的仕草なのだ。では、なぜ思考はそうまで執拗に欠落と戯れたがるのか。理由は簡単である。誰も、欠落を真の頽廃とは思わず、いつかは必ず何らかのかたちで埋めうるものと信じるが故に、それを本気では恐れていないからである。とするなら、本気で恐れようとはしないことこそが、思考の特性ということにもなろう。過渡的で局部的な不均衡など、いつでも新たなる均衡へと向けて組織しうる知性と活力が自分にそなわっている、と思考は誇らしげにつぶやく。また、新たな均衡へと向けてみずからの姿勢を整える仕草のうちに、科学的姿勢の真摯さと倫理的姿勢の切実さとが保証する善意の思考が明らかにされもしよう。そうした自負が普遍的に共有される限りにおいて、思考は何ものをも恐れようとはしない。局部的な不健康は必ず全体の健康によって快癒されうるだろう。つまり、抽象はきまって勝利するというわけだ。この勝利する抽象に向って具体性を説くことほど困難な作業はまたとあるまい。何しろそれは、思考がことのほか敏感に反応する問題[#「問題」に傍点]ではないからである。  しかし、この困難さは、思考が抽象と戯れるときにきまって姿をみせるあの相対的困難さではなく、ある絶対的な困難さである。これは、世界が局地的に体験する過渡的不均衡でもなく、また、存在が一時的に体験する希薄化現象でもなく、欠落の概念に還元されることをこばむ具体的な何ものか、つまりは充実した過剰とも呼ぶべきものだ。きまって勝利する抽象は、欠落を向う側からやってくる畸型性の悪しき蔓延とは断じながらも、そこで話題にされる畸型性とは、調和ある世界に何らかの現実の要素が新たにつけ加えられたわけではなく、せいぜいその構成要素が局部的に減少したというにすぎないのだから、実際、それを恐れる理由などいささかも存在しはしない。しかし、何かが、しかも充実した過剰として具体的に増加したとしたらどうなるか。この充実した過剰によって世界が蒙る変容は、埋めることで秩序を回復する過渡的で相対的な畸型性ではなく、それを消滅させぬ限りは永遠に腰をすえかねぬ絶対的な畸型性なのだ。おそらく、この充実した過剰による世界の畸型化こそ、人が心底から脅えるべき変容というべきものであろう。そしてたぶん、その真の恐しさにうすうす気がついているが故に、思考はその畸型的変容をなかったことにして、その具体性を抽象的な問題[#「問題」に傍点]へと置き換えずにはいられないのだ。だからこそ、いまや、心底から脅えうる資質を思考に回復することで、畸型的変容との遭遇へと向けて存在を組織しなければならない。  しかしその遭遇は、「知」が安心して戯れうる科学的[#「科学的」に傍点]「方法」によっても、習慣が安心して戯れうる行動の倫理的[#「倫理的」に傍点]規範によっても組織されることはないだろう。というのも、ここで遭遇することになるものは、喪失だの崩壊だのと違ってそれ自身が充実しきった過剰であり、程よい感傷で湿った郷愁や未来への楽天的な信仰によっては処理しきれぬ不気味なる何ものか、得体の知れぬ怪物に似た絶対的な畸型性にほかならぬからだ。それに、頽廃のように何かが崩れたり欠け落ちたり、力なく薄れていったりするのではなく、その畸型性は、いかにも図々しく鮮明な輪郭におさまって視線を刺激し、とにかく妙に生なましい存在の気配を漂わせている。何やら野性の動物めいたふてぶてしさで目の前に迫ってきて、どこまでも飼い馴らされることをこばむ具体的な存在だ。そうしたものの理不尽な登場がもたらす世界の変容にどうして人は心から脅えようとせず、それとの遭遇をあらかじめ虚構化してしまうのであろうか。あるいはまた、なぜ、人は、問題[#「問題」に傍点]なるものをそうした絶対的な過剰としてではなく、相対的な欠如としてしか捉えようとしないのか。まるで子供が暇つぶしに戯れる謎遊びのように、問題[#「問題」に傍点]を、解答[#「解答」に傍点]によって埋められる瞬間をむなしく待ちつつ「知」の空間にぽかりと口をひろげた過渡的空白だぐらいにしか考えようとはしないのか。もちろん空白だって適当に恐しいには違いないが、それが真の恐怖の対象となりうるには、空白が妙に生なましい充実した具体性として迫ってくるときに限られている。何ものかがそれを埋めればたちどころに空白であることをやめるような相対的な空白など、多少は人を恐れさせ苛立たせることはあっても、やがては思考が手なずけることの可能ないささか気の荒い家畜のように他愛のないしろものだ。真に恐しいのは馴致しがたい野獣のように獰猛な絶対的空白、世界に理不尽な変容をもたらす充実した過剰としての積極的な空白、何やら動物めいた愚鈍さでこちらの反応を無視する残酷な空白ではないか。それは、誰もが知っているはずの世界を、不意に名前もなく顔もないのっぺらぼうな環境へと変容させ、そしてそれと向かいあう存在に、その白痴の無表情を共有せよと迫る愚鈍の残酷さともいうべきものだ。そこには、欠落とか間隙とか距離といった受身の消極性は何ひとつなく、すべてが積極的で充実しきっている。そして、あらゆるものが、「知」や行動の規範としての階層的秩序を無効にしながら、われがちに存在へと攻撃をしかけ、視線から距離感を奪うべく視界の表層へといっせいに浮上してくるさまは、ただもう荒唐無稽というほかはない。その充実しきった過剰ぶりが演ずる荒唐無稽の戯れこそ、われわれの日々の体験にとってはもっとも親しい具体性としての現在[#「現在」に傍点]という瞬間である。  おそらく、たえず白痴の無表情をまとえとのみ迫ってくる現在の愚鈍の残酷さ、それを心底から脅える資質を放棄するために、問題[#「問題」に傍点]なる抽象が捏造され、それに具体性の衣裳がまとわされたのだ。前衛も伝統主義も、保守も革新もそうした衣裳の一つでしかない。自己同一性の回復という問題[#「問題」に傍点]が語ってきかせる感傷的な物語も、世界の全体像の確立という問題[#「問題」に傍点]が描きあげてみせる楽天的な未来絵画も、所詮はいくらでも着せ換えのきく衣裳にすぎないのだ。では、衣裳をはぎとってみればそこに裸の真実が露呈されるかといえば、そうでないところに現在[#「現在」に傍点]という名の具体性の底知れぬ恐しさがひそんでいる。そこで出会うものは、誰でもなく何でもなく、名前も顔も過去をも持たぬ荒唐無稽な愚鈍の残酷さばかりである。おそらく、「死」とは、この愚鈍な残酷さをもっとも鮮烈に生きる体験にほかなるまい。「死」を、欠如の概念とともに喪失や崩壊と結びつけることは、現在[#「現在」に傍点]を回避すべく問題[#「問題」に傍点]を捏造することと同質の抽象化作業というべきであろう。「死」を、何もない虚空へと失墜しつつ消滅することだと想像するのは、悲しくはあってもどこかに慰めを見出しうる考えだ。だが、充実しきった過剰としての荒唐無稽な戯れに身をゆだねきって、愚鈍の残酷さとともに白痴の無表情をまとうことが「死」だと考えるのは、いささかも人を落ちつかせることのない不快な想像である。「生」からも「死」からも、高潔な格調が奪われてしまうからだ。だが、われわれは、不断に更新される現在[#「現在」に傍点]を、文字通りそうした具体性として生きていはしまいか。「生」とは、喪失や崩壊が世界に局部的にうがつ過渡的な陥没点を根気よく念入りに埋める作業によって無意識に消費されるのではないし、ましてや過去の不幸な体験の記憶に厳しく耐えてみせる英雄的な行為でもなく、刻々と表情を変えながら決してもとの顔には戻ることのない充実した過剰の戯れが世界にもたらす畸型的変容と向かいあい、その愚鈍の残酷さに心から脅える資質を身につけてゆくことにほかならない。そして、そのはてに「生」と距離なしに接しあった「死」へと自分を譲りわたそうとする荒唐無稽な試みなのである。だからこそ、現在[#「現在」に傍点]の徹底した無表情に深く恐れながら、問題[#「問題」に傍点]による「生」と「死」との抽象化にさからわねばならないのだ。  現在=[#「現在=」はゴシック体]「生」=[#「=」はゴシック体]「作品」  現在[#「現在」に傍点]の反義語は過去でも未来でもない。問題[#「問題」に傍点]の一語がそれなのだ。また、「生」の反義語も「死」ではない。やはり問題[#「問題」に傍点]の一語がそれなのである。つまり問題[#「問題」に傍点]の一語は、現在[#「現在」に傍点]=「生」の反義語にほかならない。では、現在[#「現在」に傍点]=「生」の同義語としては何があるか。それが最後の問題[#「問題」に傍点]である。しかし、これもまた問題[#「問題」に傍点]の名には値しないであろうことは、誰もが具体的な体験として生きつつあるはずだ。  いうまでもなく、現在[#「現在」に傍点]=「生」の同義語として特権的なものは「作品」の一語である。そしてその一語は、文学[#「文学」に傍点]をあらゆる体験のうちで最も貴重なものに仕立てあげるだろう。もちろん、われわれが文学[#「文学」に傍点]の一語で想像する体験は、どこかいかがわしくひとりよがりなところがあるし、ある種の頽廃や衰退の概念をいつも引きずっているように思う。そして、文学[#「文学」に傍点]がそのようなものとして想像されがちであるというには、それなりの理由がそなわっていないでもない。文学[#「文学」に傍点]にたずさわるものの多くが、書き[#「書き」に傍点]そして読む[#「読む」に傍点]という体験を世界の頽廃した湿地に咲き乱れる無償[#「無償」に傍点]の美しさとしてあることをむしろ誇りに思い、欠落を埋め間隙を充たし距離を越える試みをかえって実践的な行動として軽蔑してきたふしがあるからである。しかし、いまとなってはそんな理由はさして重大なものとはいえなくなってきている。というのも、文学[#「文学」に傍点]と呼ばれる領域に、世界の残りの部分に起っていたこととまったく異質の体験が生きられていたとはとうてい思えないからである。そして、実際、文学的[#「文学的」に傍点]体験とこれまで見てきた思考一般の体験の同質性に気づくのに、人はさほどの努力を必要とはしないだろう。というのも、ほとんどの場合、「作品」は現在[#「現在」に傍点]として生きられることなく問題[#「問題」に傍点]として抽象化され、意味[#「意味」に傍点]といういまここにはない隠されたものをいささかの困難を伴いつつさぐりあてる試みが読むことだとされているからである。それは、思考の善意が煽りたてるかりそめの葛藤劇の構造とあらかた同じものが、文学的[#「文学的」に傍点]体験を支えているという何よりの証拠である。いったい小説家の大江健三郎は、どうして『ピンチランナー調書』という「作品」を書いたのか。作家たる大江氏はどんな思想をそこにこめようとしたか。いかなる意味をそこに読みとればいいのか。われわれ読者をどこへ引きずって行こうとしているのか。「作品」と向かいあった思考がたどるのは、おおむねそうした謎解きの運動だ。つまり「作品」とは、読むこと[#「読むこと」に傍点]によって埋められる空白、あるいは越えられる距離としてそこに姿をみせているのだ。この運動は奇妙なことに、いまここにあるはずの「作品」をいったん虚構化してなかったことにして、逆にいまここにはない不在の作者の思想を問題[#「問題」に傍点]化し、隠された意味[#「意味」に傍点]をさぐるべく距離の彼方へ視線をなげかけるという仕草をともなうが故に、すぐれて抽象的な運動だということになろう。つまり、読むこと[#「読むこと」に傍点]は、「作品」に接することによって作者の思想と「作品」の意味[#「意味」に傍点]とが自分の内部に欠落していると実感することで始まる、局部的で過渡的な不均衡を解消せんとする試みなのだ。「作品」の意味[#「意味」に傍点]ではなくそこにこめられた個人的体験の切実さに触れんとする運動も、それと同じ身振りを演ずることになるだろう。いずれにせよ、意味[#「意味」に傍点]にしても切実な体験にしても、それが「作品」の表層にあからさまに露出していたのでは、読むこと[#「読むこと」に傍点]の善意を保証するあの程よい困難が失われてしまうと気遣ってか、人はきまって背後に隠されたもの、距離をへだてて隠されたもの、つまりはあからさまな現存ではなくもっともらしい不在と戯れることを好んでうけいれてしまう。いずれにせよ読むこと[#「読むこと」に傍点]は、思考がそうであったように喪失の体験からはじまり、自分は感知しえないところで起っているその喪失を回復したところで動きをとめる健康への歩みなのだ。作者の思想がわかった、「作品」の意味[#「意味」に傍点]が読めたという時点で完成させる過渡的な運動としての読むこと[#「読むこと」に傍点]と想像される文学的[#「文学的」に傍点]体験が、何ら特殊なものでない点はそれで明らかであろう。そうした視点からすれば、「作品」を読む[#「読む」に傍点]とは、思考の退屈な日常にほかなるまい。思考がそうであったように、読むこと[#「読むこと」に傍点]もまた決まって勝利するのだ。もちろん、どうしても理解できないという無力感に苛立つこともないではないが、それは過渡的な不快さであるにすぎず、そのことに執着して遂に完璧な頽廃に行きついてしまったものなど誰ひとりいはしない。要するに、「作品」の現存ぶりに心底から脅えるものはないということだ。それは、「作品」を数ある問題[#「問題」に傍点]の一つにすぎないとして高を括る抽象的な安心が広く行きわたっていて、その現在[#「現在」に傍点]をたやすく抽象化する仕草が具体性だととり違えられてしまうからである。  作者にそれなりの思想があり、「作品」にそれなりの意味がそなわっているのは当然のはなしだ。だが、思想は作者ではないし、意味[#「意味」に傍点]もまた「作品」ではない。それは、読者が作者の「生」と「作品」の現在[#「現在」に傍点]とを、抽象化することではじめて視界に浮上する問題[#「問題」に傍点]であるにすぎない。それを理解する試みは決して無駄ではあるまいが、そのとき読者が無意識に身を譲りわたすものが、「生」と現在[#「現在」に傍点]とをことが終れば廃棄しうる二義的な媒介に還元してしまう嘆かわしい頽廃にほかならぬという事実だけは、そうたやすく忘れられてはなるまい。抽象と具体性とをとり違えることの不幸は、不倫という罪を背負って行き続けることの不幸などとは比較にならぬ絶対的な頽廃へと人を導くものなのだ。そしてその絶対的な頽廃とは、「生」の現在[#「現在」に傍点]をいともたやすく虚構化したように「作品」の現存に脅える資質をおしげもなく放棄させる。そのとき「作品」は、その意味[#「意味」に傍点]や作家の思想に従属し、あきらかに一人の作者がある目的を持って書いたものでありながらも、思想や意味[#「意味」に傍点]をはるかに超えた豊かな混沌として存在に迫ってくることをやめてしまう。読者は「作品」が作者に素直に所属すると思い、作者もまたその所属を当然と感じ、みずからの「作品」に脅える資質を放棄する。恐しいのは、この両者による脅える資質の均等なる放棄ぶりだ。というのも、作者=読者という対立が偽の葛藤にほかならなかった事実が、そこにあられもなく露呈されてしまうからである。何のことはない、彼らはともに「生」=現在[#「現在」に傍点]が自分に所属し、思いのなりにそれを操作し統禦しうるものと錯覚しているのだ。恐しいことではないか。しかもそう錯覚することの恐しさがいとも簡単に忘れられ、真に恐れるにたるものが抽象化されうる環境を、思考の「制度」と呼ぶのである。そして、「制度」化された思考が脅える資質を放棄した対象として、「生」=現在[#「現在」に傍点]と「作品」との同義語的な関係がひとまず明らかにされたと思う。だが、その関係はより積極的に明らかにされねばならない。それにはどうするか。  野火[#「野火」はゴシック体]という「記号」  たとえば大岡昇平の『野火』と呼ばれる小説を読みなおしてみてはどうか。いまはじめて読むのではなく、またかつて読んだ記憶をよみがえらせるのでもなく、敗戦間近の軍部機構のほとんど不条理というほかはない指令に従って、もう病院とは呼びがたくなった患者収容所へと中隊から「投げ返されたボールのように」送り返されるとき、「私」田村一等兵が、何度も往復した同じ道をいつもとは違う行程でたどろうとするように、改めてたどりなおしてみるとどうなるか。すると、戦時下のいささか遅ればせな青春の体験として罪の意識を主題化していたかにみえるこの戦後文学の代表作の一つが、崩壊と喪失の風土とはまったく異質の、むしろ充実した過剰が煽りたてる絶対的な「生」の体験としてあることが見えてきはしないか。もちろん、どれほど「死」の主題と深く戯れようと、大岡昇平が本質的に「生」に執着する作家であることはすでに多くの評者が指摘していることだ。しかしここで重要なのは、氾濫する生命の謳歌といった、アンドレ・ジッドの『背徳者』的風土に似た何かを大岡氏に読むことではない。そうではなく、比島の熱帯樹が燃えるように生い茂る大地を死の観念と戯れつつ彷徨する「私」の体験が、あからさまに露呈する現在[#「現在」に傍点]への底知れぬ脅えとして描かれてはいまいかと思うのだ。その彷徨は、顕示された「記号」への歩みとしてはじまっている。というより、その「記号」を認めつつそれを周到に避けて歩く運動とすべきだろうか。  いうまでもなく、「記号」とは全篇の題名としても選ばれている野火[#「野火」に傍点]にほかならない。「私」は歩きはじめて間もなく、緑の丘陵が崖となって河原に落ちこむあたりに「一条の黒い煙が立ち上って」いるのを目撃する。その煙にはきまって隠された意味[#「意味」に傍点]がある。誰が、何の目的でその煙を焚いているのか。意味[#「意味」に傍点]と同時に、そこにはきまって不可視の存在が隠れている。「煙は比島のこの季節では、収穫を終った玉蜀黍の殻を焼く煙であるはずであった」。あるいは「ゲリラの原始的な合図かも知れない」。歩哨の習慣によって、「私」はその「記号」を解読すべき「知」を身につけている。いずれにせよ比島人にほかならないその煙の主との遭遇をさけながら、彼は視界の開けた土地を迂回して歩きつづける。ところが野火[#「野火」に傍点]は、そうした習慣による「知」の解読をこばむあつかましい「記号」のように、いつまでも視界から姿を消そうとはしない。「林が切れた。川向うには依然として野火が見えた。いつしかそれは二つになっていた。遠く、人が向うむきに蹲った形に孤立した丘の頂上からも、一条の煙が上っていた」。野火[#「野火」に傍点]は、「私」がそれを危険なものと解読して避ける仕草を嘲笑するように、遭遇を回避して脇道にそれる運動を無効にしながらきまって行く手で燃え続けている。その燃え方に「私」の「知」は苛立つ。まるで自分が、野火[#「野火」に傍点]という「記号」の合図に従って歩き続けているようだからだ。そしてまた、広い草原に別の野火[#「野火」に傍点]が燃えている。「人はいなかった」。その無人の煙が立ち上るのを無力にながめながら、「私」は「記号」と意味[#「意味」に傍点]との因果関係が逆転したような奇妙な印象をうける。「私の行く先々に、私が行くために[#「私が行くために」に傍点]、野火が起ることはありえなかった。一兵士たる私の位置と、野火を起すという作業の社会性を比べてみれば、それは明らかであった。私は孤独なる歩行者として選んだコースの偶然によって、順々に見たにすぎない」。「私」は、行くてにたちはだかり人を招くかにみえる野火[#「野火」に傍点]の、意味[#「意味」に傍点]を隠した「記号」という常識を越えた不可解な配置ぶりへの不安を、敵地に暮すことからくる「感覚の混乱」として自分に説明しようとする。だが、野火[#「野火」に傍点]は、あいかわらず意味[#「意味」に傍点]を越えた生なましさで視界に迫ってくる。「見渡す草原に人影はなかった。誰がこの火をつけたのだろう。これは依然として私の目前の事実からは解決できない疑問であった」。  作品『野火』にあって文字通り「野火」と題された第三章は以上の一行で終っているが、それは、あたかも野火[#「野火」に傍点]という現在的な「記号」が隠している意味[#「意味」に傍点]を解きがたい謎として宙に吊り、それに続くであろう「私」の彷徨とを、埋めえない「知」の欠落と回復しがたい不均衡とが煽りたてる喪失と崩壊の過程としてあらかじめ性格づけているかにみえる。事実、「私」はその頽廃にさからう術もなく身をゆだねながら人を殺し、人肉を喰う寸前の状態にまで追いこまれているので、人は『野火』を禁忌と過失の物語として読みたい誘惑にかられる。戦争という大がかりな崩壊に直面し、飢餓感と疲労とで内面をいちじるしく希薄化された存在が、失われた世界と貧困化する自分自身をいかにして耐えるか。誰もがこの小説を困難な試練の極限化された物語として読みたいと思う。実際、「私」は人知によって解消しがたい問題[#「問題」に傍点]のありかを野火[#「野火」に傍点]という「記号」によって知らされ、やがて罪の意識や存在の消滅といった「神」や「宿命」が統禦する一連の問題[#「問題」に傍点]の重要さに目覚めることになるだろう。  だが『野火』とは、はたして崩壊と喪失という試練の物語なのか。野火[#「野火」に傍点]という「記号」が隠している不在の意味[#「意味」に傍点]を解読しえなかったことの無力感が直接の契機となって、より重要な解きがたい問題[#「問題」に傍点]としての「神」や「宿命」と戯れ、その困難な戯れを介して死や過失への歩みを深めてゆくという作品なのか。そしてそこで耐えねばならぬ頽廃のさなかに、戦争という悲惨と生きることの尊厳とが改めて問題[#「問題」に傍点]として姿をみせるという図式をもった小説なのか。そうではあるまい。野火[#「野火」に傍点]という「記号」は、「神」や「宿命」という特権的な問題[#「問題」に傍点]へと人を導くことで充たされる象徴的な欠落として「私」を脅えさせ、その記憶にまといついて離れないのではない。それは、野火[#「野火」に傍点]いがいのものへと翻訳されることをこばむ充実した過剰として生なましく視線に迫り、たえず更新される現在[#「現在」に傍点]として愚鈍の残酷さで存在を犯し、ほとんど荒唐無稽なあつかましさで知りつくした世界を畸型化させるものであったが故に、「私」を心底から脅えさせたのではないか。主人公が「神」を、「宿命」の一語を思わず洩らしてしまうのは、過渡的な欠如とは異質の充実した過剰、局部的な視界とは無縁の絶対的空白としてあからさまに露呈される現在[#「現在」に傍点]を、何とか回避しようとして「記号」を抽象化せずにはいられなかったからだ。人を問題[#「問題」に傍点]へと逃亡させずにはおかないこの積極的な畸型性こそが、文学的「記号」としての「作品」にほかならない。ついに読みえないという無力感を普遍的事実として人に納得させることで安堵させる「神」や「宿命」といった問題[#「問題」に傍点]ではなく、その白痴の表情をまとえと獰猛に迫ってきて、存在を絶対的な畸型性に譲りわたさずにはおかぬ充実した過剰としての「作品」。大岡昇平の『野火』とは、その残酷な「作品」体験を徹底化させたそれ自身が残酷きわまりない「作品」だ。大岡昇平がわれわれにとってたえず貴重な作家であり続けるのは、とりあえず問題[#「問題」に傍点]として設定されたかにみえる抽象が、徐々に具体的な体験としての生なましい畸型性との遭遇によって、問題[#「問題」に傍点]たりえなくなる過程が如実に生きられているからだ。『幼年』や『少年』が、失われた自己同一性回復の試みであるかにみえて、そうした現代的課題の抽象性を鋭くあばきたてる小説であり、『レイテ戦記』が、全体性の回復の試みであるかにみえて、やはりそうした問題の抽象性を身をもってあばきたてる「作品」になっているという事実に、人はいま少し敏感でなければならない。だから大岡氏の『野火』を読む[#「読む」に傍点]とは、野火[#「野火」に傍点]を過渡的で象徴的な媒介として問題[#「問題」に傍点]の領域に抽象化することなく、その愚鈍な生なましさに身をゆだね、顔もなく名前もなく、過去もないのっぺらぼうな環境としてその不断の現在[#「現在」に傍点]を生きる苛酷なる体験としてそれを捉え、またそのことに脅えることでなければならない。「作品」の一語が現在[#「現在」に傍点]=「生」の同義語にほかならず、あらゆる体験のうちで文学を特権的なものに仕立てあげるのは、そうした理由による。だからわれわれは「作品」の荒唐無稽な生なましさに心底から脅える資質を回復することで、崩壊や喪失と快く戯れている健康幻想という思考の「制度」に不意撃ちをくらわせてやらねばならない。「生」とは、局部的で過渡的な健康の乱れに接して全体や個体のあるべき健康を夢想するあの抽象的な問題[#「問題」に傍点]であってはならぬのだ。その装われた善意こそが、「制度」の維持に貢献する悪しき頽廃の実態だからである。 [#改ページ]   倒錯者の「戦略」    ㈵ 罠と装置=装置の罠  善意の忘却装置[#「善意の忘却装置」はゴシック体]  罠と呼ばれるにふさわしいほど邪悪な装置が仕掛けられているわけでもないのに、どこかに身を潜めた悪意といったものがまるで罠としか思えない装置を思いのままに操作していて、いたるところで思考だの身振りだのからしなやかさを奪っているのだと信じねば気のすまぬ連中というのがどんな世界にも存在していて、そのことじたいは、彼らが孤独にそう信じて思い悩んでいるかぎりどうということはないのだが、しかし現実には、何かに脅えたり深刻そうに悩むといった妙にせっぱつまった表情とはまるで無縁の晴れがましい顔つきで連帯などと口にするその連中が、そのありもしない罠に向って自分だけは罠にはまるまいといっせいに身がまえたりするし、そんなありさまをいささかの距離をおいてながめている者たちも、彼らの身がまえる表情がそのときばかりは妙に真剣なので、それをあからさまに無視するのも何か気がひけてしまうのだが、たぶん善意にほどよく湿っているのであろう瞳をこらして見えない悪意をじっと見すえている仕草はなかなか堂に入っていて、まんざらの冗談とも思えず、ついついそれほどのことならひとつ連中とつきあってみようかとも思ってしまう者がでてくるのも無理からぬ話だ。実際、彼らが罠だといいはる装置とやらの邪悪なる機能ぶりに視線を向けるふりぐらいは誰にだってできる。だから、そんな演技をしばらく続けたうえで、やおら連中の方に向きなおり、そんな装置などどこにも仕掛けられてはいはしない、どこかに身を潜めた悪意など、マブゼ博士じゃああるまいし、あれはたんなるつくり話なのだ、物語なのだとつぶやいてみる。たとえば『ピンチランナー調書』に「大物A氏」を登場させる大江健三郎などは、さしずめそんなふうにつぶやく一人なのかもしれない。だが、そうつぶやくことがすでに罠に陥ることでしかなかったという点が肝腎なのだ。この善意の身振りこそが、実はつぐないがたい錯誤だったのである。というのも、そのつぶやきがおさまるべき場所がつくり話=物語の中にすでにみごとに用意されていて、見えないのに見えるふりをしていた装置と申し分なく連動してしまうからだ。もちろん、身を潜めた悪意というほどのものがその装置を操っているわけではなく、罠は、自分だけは罠にはまるまいとして身がまえた連中に酷似することによって装置として機能しているまでのことだ。つまり、真剣なる善意の瞳の連帯こそが、その装置を操作しているのである。しかも、その装置をたんなるつくり話だ、ありもしない物語だとつぶやいた低い声までが、共犯者として罠の構築に手をかし、誰が仕掛けたわけでもない罠にさからう巨大なる罠を、いたるところに捏造してしまう。これはいささか絶望的な事態というべきではないか。  と、ここまでのところは、目新しい発見など何ひとつ含まぬごく貧しい日常の再確認にすぎない。物語は勝利するという物語の、一つの変奏を提示したまでのことであって、とりたてて詳述するにもおよぶまい退屈な現実であろう。というより、現実をいかにして回避しつつ生をなし崩しに消費してゆくかという退屈きわまりない自分自身の物語がくり返されているまでだ。この罠という名の善意の虚構装置が、時代によって、またその無意識の捏造者が属する文化形態によっていくつもの異なった名前を持っているという点も、また衆知の事実であろう。もう昔の話なので憶えている人もいまいあの「アイデンティティ」の危機だの確立だのといった神話も、そんな名前の一つであったはずだ。個人の生活史の上でも集団の歴史という側面においても、その危機的状況の克服の契機として「アイデンティティ」の概念が重要な役割を演ずるとまことしやかに語られていた時代はさいわい遠い昔のこととなってしまったが、しかしそれに類する物語は尽きることなく生産され続け、それとはまるで違った顔をした、たとえば「モラトリアム」などと称する神話としていまもしたたかに生きているのかもしれない。物語は、間違いなく勝利するのだ。  とはいえ、いまはもう忘れてしまったものからつい先刻覚えたばかりのものまで、そんな一連の名前を列挙しながら、いささか冷笑的に、あるいは道化のけたたましい闖入ぶりによって虚構の歴史をたどりなおして悦に入っていられる時代ではない。それぞれの虚構にはそれなりの有効性はそなわっていたし、だいいちそれはまごうかたなき現実として罠たりえもしたのだから、いまさら愚痴っぽくあれこれ批判めいた言葉をつぶやいてみてもはじまらないと思う。さしあたっての急務は、善意の虚構へのほとんど普遍化されたといってよい確信が、普遍的であることに見あった希薄さであたりに漂いでた結果、罠の捏造者自身をはじめその直接=間接の共犯者たちから何を奪ったか、またいまも奪いつつあるかを明らかにしてみることにある。罠でもない装置を罠として思い描き、それにだけは足をとられまいとして身がまえる仕草が希薄に連帯されることで捏造してしまった善意の装置は、邪悪なるものとして想定された装置が現実のものであった場合に持ちえたでもあろう残酷さにもおとらぬ残酷さで何ものかを奪うが故に罠なのだが、その装置が、欲望から何[#「何」に傍点]をかすめとっているかを生なましく触知することこそが問題なのである。なぜ欲望[#「欲望」に傍点]からなのかと問うものがいるなら、ごくぶっきらぼうに生[#「生」に傍点]からと呼びなおしてもかまわない。だが、呼び名などはこの際どうでもよろしい。善意のものであれ悪意のものであれ、とにかく虚構は、その構築の過程できわめて具体的に生きた何ものかを犠牲に供することなしには虚構たりえないのだから、いま、この瞬間、虚構が現実にいかなる犠牲を提供せよと迫っているのか、その力学を捉えることこそが必要なのだ。力学[#「力学」に傍点]、といってもことはきわめて曖昧である。虚構を生きつつあるものが放棄せざるをえない自分自身の一部、それを無理にも手放すことの痛みを緩和し、犠牲を犠牲としては意識させない何やら麻薬めいたものまでがそこに含まれてもいるからだ。善意の罠の真の恐しさは、何よりもまず、それが大がかりな忘却装置として機能してしまう点にある。  絶望と饒舌[#「絶望と饒舌」はゴシック体]  では、誰もが驚くべき執着のなさで放置することでその忘却装置を機能させてしまう自分自身の一部とは、何[#「何」に傍点]なのか。欲望から、あるいは生から不断にかすめとられつつありながらその痛みすら感ずることのないものとは、いったい何[#「何」に傍点]なのか。  何か[#「何か」に傍点]。その何かをこれ[#「これ」に傍点]だと口にすることほど容易なはなしはないし、同時にそれほど困難なこともまたとあるまい。では、なぜ容易であり、かつまた困難なのか。まず、その何ものかをこれだとあっさり指摘しうるものは、指摘しつつある自分が虚構の物語の語りつがれる圏域の外部に位置していると確信しなければならないということがある。つまり、自分はその物語に醜く汚染してはいないが故に装置にはいかなる犠牲をも提供してはおらず、したがって多くのものが信じがたい素直さで譲りわたしているものが何[#「何」に傍点]であるかを明確に識別することができるという確信が存在する。この確信を共有することはきわめて容易であろう。事実、多くの人が口にする「批判」とか「分析」なるものはその種の確信から生まれ落ちてくるものだ。だが、汚染せざる自分への確信があたりにばらまく「批判」的言辞や「分析」的思考、それが、いま「批判」し「分析」しつつある物語の言葉によってしか語られえないという点を便利に無視しているという意味で、この圏外者の指摘ははじめから抽象たるべく運命づけられているといえる。しかもこの手あいの抽象にもそれなりの物語がそなわっていて、間違いなくあの偉大なる忘却装置の中枢に据えられた歯車としてせっせとまわり続けているのだから、それは何もいわずにおくことと選ぶところがないわけだ。にもかかわらずあれ[#「あれ」に傍点]だ、これ[#「これ」に傍点]だと指摘してまわらずにはいられない言葉たちを、無償の饒舌と名付けよう。忘却装置の円滑なる機能ぶりを促進すべく放棄する自分自身の一部をこれ[#「これ」に傍点]だと名付けることが、容易さと困難とをともに生きざるをえないとしたら、それが無償の饒舌たるほかはないとあらかじめ決定されているからである。だから何か[#「何か」に傍点]と問うことそのものが、そもそも無効なのである。  無償の饒舌を避けるにはどうするか。問うことの無効性を自覚するに至ったものは、まず絶望を選ぶだろう。それが真剣なやり方というものだ。だが、実はその真剣な絶望すらが装置の潤滑油にすぎないのである。いま、欲望から、生から、かけがえのないものが不断にかすめとられている。そのかすめとられた貴重なる何か[#「何か」に傍点]を名指そうとして、いくつもの言葉を口にしてもそれは言葉であることをやめてしまう。その失語意識、その記憶喪失は文字通り絶望的といってよい。こうしているうちにも奪われてゆくかけがえのない自分自身の一部を的確に言語化しようとすると、その言葉さえが奪われてしまうという二重三重の困難。だが、人はこの困難にたやすく絶望するみちを選んでしまってはならないのだ。  絶望を回避すること。それには希望を持つといったことが有効な手段とはなりがたい。希望などと口にして新たな罠に陥ることなく、何でもよろしい、ただあっけらかんとした風情で適当な一語をつぶやいてみる。それが、真に奪われた言葉であるかどうかは問題ではない。とりあえず一言、たとえば肯定すること[#「肯定すること」に傍点]とでも口にしてみるだけで充分だ。そして、かりにその一語が人から言葉を奪うあの忘却装置にこそふさわしいと思われようと、奪われかすめとられた一語がまさに肯定[#「肯定」に傍点]の一語にほかならなかったかのように振舞えばよろしい。人が絶望するのは、いま、肯定[#「肯定」に傍点]することが禁じられているからだと思い込むふりをすること。口実はなんでもよろしい。価値の多元化[#「価値の多元化」に傍点]とやらがその元凶だとでも信ずるふりをしておけばよい。それが無償の饒舌にいささか類似し、すんなりと装置に吸いこまれてしまいそうでも気にすることはない。そもそも世にいう記憶回復の儀式など貧しい抽象にすぎないし、その記憶という奴にしてからが、完璧な再現などを自分からこばむもっともっといいかげんで荒唐無稽なものなのである。嘘だと思うならマルセル・プルーストの『失われた時を求めて』を読んでみるがよい。欠落した記憶の切れはしを難儀しながら拾いあつめ、それで総体としての記憶が回復するなどと信じている人がいたとするなら、この小説は、そんな人間の鼻さきに、ただもう荒唐無稽というほかはない充実した過剰としての記憶が、畸型の動物めいたけもの臭さをふっとはきかけてくれるにちがいない。だから、いまはさしあたって、欠落した記憶を回復せんとする試みにならって失われた言葉を生真面目に探し求めたりはせず、とりあえず選ばれた肯定[#「肯定」に傍点]の一語こそがそれだと信じ込む演技を徹底的に演じきってみることだ。そうすることで真剣な絶望をひとまずかわし、物語に汚染しきった無償の饒舌をも模倣したりしながら、まさに物語自身の言葉で、忘却装置の機能のために自分が犠牲にしたものが何であるかを口にすればよい。肯定の一語が物語の秩序に従って自分になりかわり次の一語をつぶやいてくれるだろう。で、その次の一語とは何[#「何」に傍点]であろうか。    ㈼ 肯定=レアリスム=愛  素顔の温存[#「素顔の温存」はゴシック体]  その一語は何[#「何」に傍点]であろうか。それを耳にするには、何も物語の圏外に身を置く自分を確信する必要はない。むしろ積極的に装置の一部として機能しながら物語の圏域にとどまり、その続きを心待ちにする様子などしてみればもう充分だ。装置にさからうには、間違ってもその総体を破壊しようなどと目論んではならない。その総体がますます円滑に連動しかねぬ歯車のようなものへと自分を畸型化させても涼しい顔をしていること。肝腎なのは、戦略的に倒錯すること、そして倒錯に耐えうるだけの柔軟さを見失わずにおくことだ。倒錯すべき正統的な理由など求めてはならない。とりあえずの契機がありさえすれば、もう心配はいらないだろう。ザッヘル=マゾッホを想起してみるまでもなく、倒錯とは、きまって戦略的なものではなかったか。  と、まあ、ここのところも比較的貧しい常識の再確認といったものにすぎず、目新しい発見などはどこにも含まれていない。花田清輝、などという生真面目なつぶやきがどこかから洩れてもくるようだが、それはそれでいいとしよう。そのつぶやきが装置のたてる機械音にどこか似ているからといってみだりに苛立ったりはせず、倒錯を完璧なものに仕立てあげなければならない。花田の生真面目は、機能する装置の回転音とあたりのつぶやきとを、あまりにも鋭く分離せずにはいられなかった点に存する。「悲劇について」でも読んでみるがよい。そこには律義なまでの分離装置が機能している。そしてその分離の鮮烈な意識が、レトリックという名の巧緻なる仮面を捏造してしまったのだ。仮面に護られた素顔、だがこれほど倒錯から遠い構図もまたとあるまい。「虚実いりみだれて」などとつぶやいてはみても、彼の演技には、隠された正統的な理由がそなわっていたのだ。だから花田は、はからずも自分の物語を語ってしまったのである。倒錯者は語らない。物語に語らせ、それに耳を傾け、それにふさわしい畸型化をうけいれる。それが戦略的な倒錯者にほかならない。物語につれて自分自身を分節化すること。それには、仮面と同時に素顔をも放棄しなければならない。肯定[#「肯定」に傍点]することとは、まさにその仕草をいうのではなかったか。放棄という言葉がいささかの否定的ニュアンスを漂わせているとするなら、仮面と素顔とを同じ資格で戯れさせておくとしてもよい。これは花田の信じるほど容易な仕事ではない。クロソウスキー、またはドゥルーズ。この二人は、いったいどちらがどちらの仮面であり、素顔であるのか。花田はこんな関係を生きはしなかった。  肯定[#「肯定」に傍点]すること。積極的に変容に身をさらすこと。肯定を思考し肯定を欲望すること。肯定を思考し欲望する身振りを肯定すること。その肯定的な身振りを思考と欲望との肯定的な戯れで支えること。その身振りと戯れとが肯定的に支えあうことで思考と欲望とが肯定的に自分であることをやめること。そうした変容を肯定する身振りは、いま、いたるところで思考と欲望とを奪われ、身振りたる以前についえさってしまっている。それでいながら、肯定することへの大いなる不可能性に誰も心底から脅えたりはしない。だが、その理由は何[#「何」に傍点]かといった問いを偉大なる忘却装置に投げかけたりしてはならない。戦略的に倒錯をうけいれたからには、心底から脅えるものの不在をあたかもごく自然なことの成りゆきとして肯定[#「肯定」に傍点]するふりを装わねばならない。虚構の物語が好んで口にする肯定[#「肯定」に傍点]とは、そもそもそうしたなし崩しの是認という意味を含んでいるのだから、それに異をたてて装置の機能ぶりを乱したりするにはおよぶまい。肯定[#「肯定」に傍点]の一語を、むしろ装置が好んで口にしたがる言葉の一つとしてさりげなくつぶやき、そこになし崩しの是認が確証されるならもうそれでよい。だから、仮面と素顔とを同時に肯定するなどとはじめから口ばしったりせず、唯一の素顔を前にして正統性を欠いた仮面どもはこぞって追放されるといった按配に、装置が分節化する物語のみを正統的な物語として肯定[#「肯定」に傍点]しておけばよいのだ。物語とは、装置の正統性を肯定する物語にほかならぬのだから、忘却装置の機能に身をまかせることが生きることだとなし崩しに認めるかのごとく振舞うこと、それが賢明なる身の処し方というものだろう。  だが、もしその賢明なる演技がひたすら素顔の温存のためのものだったとしたら、それは戦略的であるかにみえて真に戦略的とはいえないのだ。素顔を人目にさらすまいとして仮面のみを戯れさせておき、やがて時がきておもむろに無疵で生きのびた素顔を外気にさらす。そして素顔の温存が貫徹されたが故に仮面たちの演技は正しく演じられたといいつのるためではなく、まさに、素顔と仮面とを同じ資格で戯れさせながら、その戯れを介して肯定する物語を是認しうる資格をひそかに獲得するという点が戦略的なのだ。装置が不意に表情を変えあたかも別の装置、たぶん新しく望ましい装置のごとくに機能しはじめ、どこかに温存されていた素顔の回帰を祝福しているかにみえることがあろうと、それは装置たる必然に従ってのなし崩しの肯定がいささか大がかりに生起したまでのことであって、素顔の戦略が勝利したわけではいささかもない。それでいながら素顔の回帰を祝福するかにみえるところが装置のしたたかさなのであって、花田清輝はその罠にみごとにはまってしまったといえる。何のことはない。花田もまた虚構の捏造者にふさわしくほどよい真面目さを素顔として温存し、不真面目な仮面によっていかがわしく武装していたまでのことなのだ。われわれにしても、花田の意図せざる不幸を痛ましく思う気持に変わりはない。だが、そのいかがわしさの不徹底ぶりによって、彼が自分を典型的な不幸として肯定[#「肯定」に傍点]してしまっていた点は、やはり貴重なる教訓としてうけとめるべきだと思う。素顔を肯定[#「肯定」に傍点]したことで、花田は、装置にとってはまたとない恰好の餌食となってしまったのである。彼が仮面たちをあれこれもてあそびながら綴りあげた自分自身の物語は、装置が語りつぐ虚構の物語をあやうくかわすかにみえて、実はそれをなし崩しに是認してしまったのである。もちろん、花田の物語は装置の物語とまるで同じ口をきいていたわけではないし、むしろ同じ言葉を口にしまいとしての韜晦がいたるところでちりばめられているのだが、温存すべき素顔を人目から遠ざけるというその身振りによって、装置が洩らすのとおなじ肯定[#「肯定」に傍点]の一語を口にせざるをえないはめに陥っていたのだ。だからわれわれは、素顔を特権的に肯定することなく、ただひたすら虚構の物語に耳を傾け続け、間違っても別の物語など語りはじめはしまい。では、耳を傾けるとどんな言葉が響いてくるか。  装置は肯定する[#「装置は肯定する」はゴシック体]  装置は肯定[#「肯定」に傍点]すると物語は口にする。そして、その肯定[#「肯定」に傍点]ぶりを容認する希薄なる聡明さの普遍化しうる世界をレアリスム[#「レアリスム」に傍点]と名付けながら物語を語りついでゆく。リアリスム[#「リアリスム」に傍点]は肯定[#「肯定」に傍点]し、また肯定することがレアリスム[#「レアリスム」に傍点]にほかならぬ。肯定[#「肯定」に傍点]する物語を肯定するレアリスム[#「レアリスム」に傍点]。レアリスムとは、だからたえず希薄化する肯定[#「肯定」に傍点]なのである。江藤淳がたくみに自分の身を分節化しつつ位置づけることになるのは、物語のそうした部分にほかならない。希薄に普遍化された海。レアリスム[#「レアリスム」に傍点]とは、それ故、執拗さの別の呼び名にほかなるまい。執拗さとは、希薄さにもっともふさわしい身振りであるからだ。普遍的な希薄さは、だから装置のように瞬時も休息しない。執拗に機能する装置を希薄に肯定する物語、それを肯定[#「肯定」に傍点]するレアリスム[#「レアリスム」に傍点]。保守的なる伝統主義とは、こうしたレアリスム[#「レアリスム」に傍点]への肯定[#「肯定」に傍点]的な執着というべきものだろう。だから、伝統主義者江藤淳がいわゆる「戦後日本」という概念に否定的なのはごく当然なのである。そしてある意味では、装置がかたときも休まず機能しつづけたと執拗に確信しうる希薄なレアリスム[#「レアリスム」に傍点]は、装置がいったん運動を中断したと信じ、それに応じて休暇の解放感を享受しうると思いこむことより、正しい視点だといえるかもしれない。少なくとも国家としての日本は、瞬時も休息することのない装置の物語を希薄に肯定すべく、もっともみごとに自分自身の分節化をうけいれ続けてきた環境、つまりは物語そのもののような環境だといえるからである。  だが、肯定する物語はなおも語りつがれてゆき、レアリスム[#「レアリスム」に傍点]の一語を別の言葉でたくみに置きかえることで、その執拗なる機能ぶりがいったん宙に吊られたかの錯覚をもあたりに蔓延させる。忘却装置であるかぎりにおいて、それは肯定するレアリスム[#「肯定するレアリスム」に傍点]をも記憶からかすめとりさえもする巧妙な罠でもあるのだ。巧妙な、というのは肯定[#「肯定」に傍点]する物語が否定[#「否定」に傍点]されうる契機のようなものを装置が口にしているからである。装置は、昼夜休む暇なく執拗に機能しつづけているわけではない、と物語は語る。誰もかれもが物語に汚染しきってレアリスムを希薄に共有しあっているわけではなく、まるで嘘のように語りが中断される瞬間というものが訪れるのだ。物語が否定され、罠だの虚構だのがきれいさっぱり視界から一掃され、執拗さとは無縁のある華やいだ気分がすべてを包みこむように思われる解放の一瞬。装置の機械音が不意に途絶え、甘美な沈黙があたりの大気をかぐわしくみたしてゆく。視界が妙に澄みわたって、鮮明な輪郭のもとに浮きだしてくる存在や事物が、まるではじめてみる景色のように新たな驚きをもたらす。そんな瞬間が間違いなくあると物語はいう。そしてその一語を装置が荘重に発音する。どこまでも柔軟で執拗さからは遠い一語。希薄に普遍化されるよりは特権的な凝縮を生きる言葉。物語は、その言葉を何のてらいもなくつぶやく。愛[#「愛」に傍点]の一語がそれである。誰もが、愛[#「愛」に傍点]によって執拗なレアリスム[#「レアリスム」に傍点]を放棄し、肯定する物語を超える、と装置が語るのである。  その一語を肯定[#「肯定」に傍点]しよう。それが物語の綴る言葉でしかなく、しかも執拗[#「執拗」に傍点]なるレアリスム[#「レアリスム」に傍点]の同義語だとさえ知っていながら、その一語をなし崩しに是認しよう。不断に機能しつづける装置がその中断を語るのだから所詮はそれとて虚構にすぎぬと自覚しながらも、その一語に触れてはじまる自分自身の分節化をうけいれようではないか。そして、肯定する物語が愛[#「愛」に傍点]を肯定してにわかに活気づけられる瞬間を嫉妬するまでに倒錯に徹してみよう。というのも、まさにこの愛[#「愛」に傍点]こそが、忘却装置の円滑な機能のために犠牲にした自分自身の生の一部にほかならなかったからである。欲望から不断にかすめとられてゆくかけがえのないもの、それは文字通り愛[#「愛」に傍点]であった。実際、善意の罠と快く戯れるものにとって、愛[#「愛」に傍点]の不在ほど甘美な幸福はまたとあるまい。だが、装置が反=装置的な身振りへの勧誘としてこともなげにつぶやいてみせる言葉がまた愛[#「愛」に傍点]であったとしても、その説話的な自家撞着にここで苛立ってみるのはやめにしよう。物語の圏外に身を置く抽象を避けようとするからには、物語の含むあからさまな矛盾をもとりあえず是認しなければならない。われわれは、物語が口にする言葉とは異質の愛[#「愛」に傍点]などまるで知ることがないかに振舞わねばならない。愛[#「愛」に傍点]の素顔をその仮面から識別し、それを特権化することだけは避けようとする倒錯的な聞きては、しかも、物語が愛の素顔と仮面とを決して同じ資格で戯れさせようとはせず、きまって愛の素顔を特権化せずにはいられないとき、その特権化作用を装置にもっともふさわしい機能だとしてそれをも曖昧にうけいれておかねばならない。愛[#「愛」に傍点]は、いま、虚構の物語としてしか人目には触れず、したがって必然的には仮面の戯れとしてあるほかはないのだがその戯れはきまって素顔の愛を特権化せずにはおかない。この奇妙な物語の自家撞着を指摘して装置に狂いの生じたことを声高に触れてまわるにも及ばない。その機能ぶりを希薄なるレアリスムによって執拗に肯定すること。忘却装置とは、はじめから調子の狂った虚構装置なのである。装置は、たえずとり違えることで機能し、その物語を唯一の正統的なことばとしてあたりに氾濫させるものなのだから、そこに生産される誤解はむしろ普遍的な確信として拡散して行って当然のものなのである。だからそれに失望するのは愚かなことだ。実は、装置こそ、素顔と仮面との大がかりなすり換えの儀式を一貫して演じ続けてきたのだといえる。その意味で、素顔と仮面とを同じ資格で戯れさせるという戦略じたいが、物語に耳を傾ける倒錯者が敏感に聞きわけた素顔の物語なのかもしれない。    ㈽ 超えることの誘惑  愛の物語=[#「愛の物語=」はゴシック体]装置の歴史  愛の物語ほど退屈なものもまたとあるまい。というのも愛には歴史が欠けているからである。愛の物語=歴史が不在だといっても、その欠落は、愛の永遠性だの普遍性だのからくるのではない。そうではなく、愛の歴史がほとんど正確に装置の物語と一致していて、それを超えることがないからである。誰もが知つている装置の物語がそっくり愛の歴史にほかならぬというわけだ。だとするなら、愛の物語とは装置の物語の物語でしかなく、あえて耳を傾けるまでもないではないか。  装置は肯定[#「肯定」に傍点]するという物語。その物語を肯定することで語られる物語。しかしこの二重化は物語によって二重に廃棄される。物語は愛[#「愛」に傍点]が装置の肯定[#「肯定」に傍点]ではないという。希薄化する肯定としてのレアリスム[#「レアリスム」に傍点]は愛[#「愛」に傍点]ではないと物語は否定する。愛[#「愛」に傍点]とは肯定する物語を否定することで装置を超えることだ。その超克を肯定せよ、と装置は物語る。しかしこの超克なるものが物語の語りつぐ愛[#「愛」に傍点]であるとするなら、愛は、はじめから物語の汚染が行きわたりうる圏外に追放されていたことになるのか。装置にとっては徹底した抽象でしかない愛[#「愛」に傍点]を目指して装置を超えよと物語が促しているなら、装置は装置特有のあっけらかんとしたやり方で、説話的圏域の中核に仮面の愛のようなものをいくつも配置して、超える身振りがいつのまにかとどまる身振りに転じてしまうような精巧な部分品を装填しているに違いない。そして、超えずにとどまることの奇妙な運動を誰の記憶にもよみがえらせまいとしているのだ。愛の物語とは、間違いなく忘却装置の歴史にほかならない。  事実、みずから否定さるべきだという装置が罠として機能しはじめたその瞬間から、装置を超えよと誘う愛の物語は希薄なる肯定の物語と巧みにすりかえられてゆく。たとえば「哲学」と呼ばれる知の物語は、真なるものをめぐっての「形而上学」、美なるものをめぐっての「美学」、徳なるものをめぐっての「倫理学」といった具合に、圏外へと人を招きつつ閉域に捕捉する愛の物語を大がかりに組織しはじめる。「宗教」と呼ばれる信仰の物語、「抒情詩」と呼ばれる感情の物語も、そのとき組織された愛の物語にほかなるまい。口実としての愛[#「愛」に傍点]は、そのつど物語に加担するものたちを装置の機能が及びがたい外部へと誘う。その勧誘の仕草は、物語的圏域への幽閉者たちに向ってその限界をあからさまに指し示し、たとえば真実の啓示として、あるいは魂の救済として、さらには充実した美的体験として、幽閉者が耐えつつある有限性を超えよと促す。あなたがたの生命は完璧でない。何かが欠けているが故に苦しみ求めている。永遠、調和といったものの不在があなた方に装置の物語の分節化を強制している。そしてあなたがたは、その強制ぶりを希薄に肯定しているばかりだ。いまこそ超えねばならない。装置に否定の言葉をなげかけ、物語の連鎖から身をふりほどき、自由を回復しなければならない。むなしく仮面と戯れるのはやめにして、素顔の自分に帰りつかねばならない。貧しい幽閉者たちよ、と物語は結論する。その奪われた貧しさを否定して尽きることなき豊かさを思考し、信仰しよう。この結論に、幽閉者たちがみずからの幽閉を忘れたことはいうまでもない。  だが、虚構とはほんらいそうしたすり換えを糧として生き伸びるものだから、これまでの事態の進展ぶりにも何ら目新しいものは含まれてはいない。問題は、この退屈な日常の再確認にあるのではなく、すり換えられた愛の物語の踏む手続きである。それは、たとえば知の欠落が真理への思考を煽りたてうるとする思考する善意への確信の上に築かれている。思考の運動も信仰の身振りも、欠落の充足という貧しい軌跡しか描きはしないという発想が、この手続きを支えているのである。奪われたもの、傷つけられたもの、喪失してしまったものを回復せんとする欲望、その欲望の普遍化されたものが幽閉者に装置を超える契機をかたちづくっているという点が重要なのだ。というのも、こうした運動は、たとえば例の「アンデンティティ」の危機などというつぶやきによって、いまなお装置を活気づけているものだからである。しかも今日では、「文学」と呼ばれる物語が、すり換えられた愛[#「愛」に傍点]の物語として、その運動を大がかりに組織しつづけているという事実がきわめて興味深いのだ。いま、「文学」は、それが充実したいとなみであれ凡庸ないとなみであれ、超えよと人を誘いつつ物語の閉域にとどまらせるにこの上なく有効な忘却装置として機能している。たぶん、ごく大まかに十九世紀と呼ばれる一時期いらい、装置にとってはいかにも好都合なレアリスムの物語として、否定せよという物語を希薄に肯定しながら、いっときも装置を中断させまいとして素顔の特権化に専念しつづけている。あらゆる「文学」が、必然的に愛の物語にしか帰着しえないのは当然の話というほかはない。 「文学」は愛[#「愛」に傍点]を肯定する。恋愛小説だの抒情詩だののジャンルにかかわりなく、「文学」は愛[#「愛」に傍点]を希薄に肯定[#「肯定」に傍点]する。そしてその希薄なる肯定の普遍化を執拗に肯定する。だからあらゆる「文学」はレアリスムと呼ばれるにふさわしい。そこに幻想が語られようが、あるいは現実が超えられていようが、レアリスムであることこそが「文学」の役割なのだ。だから装置はいっときも「文学」を見捨てたことがないのである。あらゆる「文学」は有効である。無償性を口にする「文学」までが、装置にはきわめて有効なのだ。何しろ「哲学」や「宗教」など笑ってとりあおうともしない人間までが、「文学」と呼ばれる環境ではたやすく超克を口にしてくれるからだ。別の世界を信じること。装置の機能とは異なったいとなみの場を思考すること。「文学」以外の場で、人はそう簡単にそんな話を真にうけてくれたりはしない。レアリスム[#「レアリスム」に傍点]と愛[#「愛」に傍点]とを人目を避けてすり換えることで物語を分節化する装置にとって、これほど理想的な環境はまたとあるまい。  虚の物語=[#「虚の物語=」はゴシック体]実の物語  たとえば、これはあくまでたとえばの話であってほかのどんな例が引かれてもよかったわけだが、たとえばある女流作家によると、「作家という人種」は、「実の世界にたいする虚の世界」に住まう者であり、実の観念にたいする虚の観念がわからない人にそれを説明するのは困難であるという。なにもある女流作家[#「ある女流作家」に傍点]などといわないで高橋たか子とその名を挙げてもいいわけだから、そうした言葉はたまたま目に触れた「虚の世界と実の世界」というエッセイに読まれうるものだといっておこう。とにかくそこで、彼女はこんなふうにその困難な説明を試みている。  虚とは何か。それは、わからない人には大変に難しいことではあるが、簡単にいえば、あることを思い浮べるということである。思い浮べられた或るものは、かりに現実のものであっても、思い浮べられたかぎり、現実のものではなくて幻なのである。たとえば私が、私の親しい或る男を思い浮べるとする。私はその男に会えば、私の前には生身のその男がある。だが私がその男を思い浮べた場合、いかにもありありと思い浮べたにしても、私の前にあるのは幻である。  言ってみれば当り前のことであるが、作家というのは、いつもいつも、こういった幻を取扱っている人種なのである。或る人に、或る風景に、或る場面に、或る事件に、実際に出会うのと、それを思い浮べるのとは、全く次元の違うことなのだ。  そのような幻を、組織的に構築することで、虚の世界というものが成りたっている。作家とはつねに幻を見つづけ、幻を組み合わせ、おびただしい幻の連なりのなかに思想を表明する人なのだ。 [#地付き](『記憶の冥さ』)  いうまでもなく、筆者はここでたちの悪い冗談をふっかけて読者を煙にまこうとしているのではない。むしろ真剣に、作家の自我がきわめるべき境地を説明し、それを虚の世界と名づけているのである。で、さしあたっての問題は、その説明を困難なものと思い込む筆者が、自分の言葉のなかなか及びにくい世界を実と名づけることでその虚=実の異質性を装置の物語のみが可能にする希薄さで肯定し、その肯定が普遍化されればと夢みているという点である。現実世界というものが間違いなく存在し退屈な日常として機能しているときは、その現実から離脱し、それを超える世界が不可視の領域に存在している。作家とは、その不可視の領域に注ぐべき視線をそなえた人間であるというわけだ。ここでいかにも徴候的と思われるのは、この退屈な図式の肯定へと人を誘うことが困難だとためらわれているという点だ。実の世界とは、装置の不断なる機能ぶりに身をさらしつつそれを肯定するレアリスムが普遍化された世界のことだろう。そんな装置の物語に汚染されきった者たちは、物語を否定し、装置を超えることなど夢想だにしない。だから、説明の試みは無効であるに違いない。  ところで、作家なるもののこの真摯なる危惧の念こそが装置の罠であることはいうまでもない。虚=実でも何でもかまわないが、装置の物語の汚染しうる圏域とその圏外の世界という発想そのものが徹底して装置にふさわしい言葉なのだ。実の世界と虚の世界とが対立してあると語ってみせるのはあくまで装置の物語であり、筆者はその物語を貧しくなぞっているにすぎない。それでいながら、そう口にする当人に物語にさからっていると信じさせるところが装置の罠たる所以なのだが、忘却装置に忠実な筆者はそのことをも便利に忘れている。その意味で高橋たか子はレアリスムに徹しきった装置の住人なのであり、装置の物語の単調なる反復者にすぎないわけだ。実際、彼女が不用意に口にする幻という言葉ほど装置の物語に醜く汚染しきった物語もまたとないではないか。この汚染ぶりを希薄に肯定することで普遍化される物語をめぐっては大森荘蔵やジル・ドゥルーズの刺激的論考が誰にでも読めるかたちであたりを彷徨している。幻とかイメージとかいった生ぐさいものを言葉というわけても生ぐさいもので組織しながら実を超え、虚を思考しうると信ずることのすぐれて装置的な発想を、彼らは虚と実を同じ資格で戯れさせることで物語を戸惑わさせているのだが、いまはそれについて語るべきときではない。問題は、いま、小説家という由緒正しからぬ人種までをかどわかして、装置が、その物語を肯定するレアリスムを不断に生産し続けているという点の確認にある。愛を肯定し装置を超える物語を反復せよ。その反復が普遍化されることで装置は勝利し、肯定する物語は語りつがれる。「文学」は、いま、その物語の継承のために、自分自身を律義に分節化する。「ここでは芸術としての小説を志向する作家のことを言っているのである」という高橋たか子の但しがきにもかかわらず、「すこし事情が異なっている」とされる「政治思想を伝達することを目ざしている作家の場合」も、その分節化の構造は高橋氏の場合といささかも変わりがない。「政治思想」と呼ばれるもののほとんどが、不可視の圏域を見たと信じうる虚構なくしては成立しえない超克への意志に支えられているからだ。作家とは、小説家であれ詩人であれ、あるいは批評家であれ、等しく愛の物語の肯定的な語りてとして定義されるレアリストなのだ。そのかぎりにおいて、彼らは装置の歴史=物語を多少の変奏とともに語りつぐことしかできないし、またそのことになぜか故知れぬ誇りさえ感じてもいる。愛の物語が絶望的に退屈なのはそのためである。それでいながら、歴史を欠いた愛の物語の単調さを肯定することができない「文学」は、まさにその起伏を欠いた貧しい愛の光景を「文学」によって否定し、そこに展開される物語を操作する装置を超えんと夢想することのすぐれた抽象性を身にまとわずにはいられない。絶対。至高。幻影。離脱。超克。装置があらかじめ記憶から奪う語彙の貧しさを希薄に肯定しながら、「文学」は不断に愛の物語を反復する。貧しさに絶望せずにいること、これが装置のはりめぐらせる善意の罠の実体だ。「文学」とは、素顔の愛を特権化する夢の生産装置である。そしてこの愛は、「文学」的領域を遙かにこえた日常の場で思考と身振りを律する物語となって装置を機能せしめる願ってもない潤滑油なのである。    ㈿ 装置と制度  見えること=[#「見えること=」はゴシック体]見えないこと  愛[#「愛」に傍点]とは一つの装置にほかならず、「文学」はその装置を肯定する物語だ。と、ここまで虚構の物語を読み進めてきたものは、装置の一語を「制度」と呼びかえてさしつかいないことに気がつく。この発見じたいは、もちろん目新しい発見ではいささかもない。「制度」の一語を口にしたのは間違いなく装置の物語であったのだから、戦略的な倒錯者は安心してその言葉を自分のものとしてよろしい。「制度」の一語がある徴候的な頻度をもって思考の領域を流通しはじめたのは、決して倒錯者の戦略的な勝利などを意味してはおらず、あくまで装置たることの必然に従ったまでのことだ。だから物語はここでも着実に勝利している。  言葉として未知であったわけではないし、現実にも律義に機能していた「制度」なるものが、いま、装置の物語を分節する特権的符牒として機能しはじめているとしたら、それは物語が、「制度」を不可視と可視の二領域に分断し、とりわけその前者に物語的資質を発見したからにほかならない。その物語的資質とは、いうまでもなく愛[#「愛」に傍点]の物語の忠実なる継承者としての特性である。見えないことによって視線が捉えうる現象を具体的に規制する装置。これに言及しうる思考というのは、もちろん無意識の発見といった事件を基盤として自分を組織する。それは、素顔を特権化する物語の一変奏だといえなくもない。見えるものとしての仮面たちの戯れは、それ自身によって「制度」を組織することはできず、見えない素顔に操作されることではじめて有効に機能しうるとする物語。これは何やら高橋たか子のいう虚と実の関係に似た構図ではないか。たとえば『哲学の現在』の中村雄二郎は、「歴史のうちで私たち人間によって無意識につくられた[#「無意識につくられた」に傍点]、目にみえない制度[#「目にみえない制度」に傍点]」が「意識的につくられた制度、目にみえる制度に劣らず重要」だと説き、不可視なるものへの凝視の必要性を主張している。  すなわち、目にみえる制度から成る主なるものが国家とくに法的国家、地方自治体、政党、結社、学校、組合、交通機関や通信機関などであるのに対して、目に見えない制度から成るものとしては、法制化されていないさまざまな年中行事(祭りを含む)、贈与、儀礼、出生儀礼、婚礼、葬制、祖先祭祀、物忌み、社会的差別、それに芸術や文化の諸形態などを挙げることができるだろう。 [#地付き](『哲学の現在』)  いうまでもなく、ここには高橋たか子ほどの貧しい単調さで不可視なる世界が顕揚されているわけではなく、可視と不可視の境界線をはさんで、ごく客観的な分類が行なわれているにすぎない。しかし、見えるものと見えないものとの振り別け作業そのものが見える「制度」の可能にする身振りなのか、見えない「制度」の許す仕草なのかが触れられていないという点で、高橋たか子の姿勢と多くのものを共有する視点だといえる。なぜ、不可視は可視から識別されねばならないのか。不可視を思考するのは可視的「制度」のいとなみなのか、それとも不可視的「制度」の特権なのか、あるいはその二つの圏域を超えた思考にのみ可能な視座なのか。そうした疑念をあらかじめ記憶から奪われたまま可視と不可視の識別を希薄に肯定すること、それをレアリスム[#「レアリスム」に傍点]と呼ぶことをわれわれは装置の物語によって教えられている。このレアリスムを介して、「制度」の物語は愛[#「愛」に傍点]の物語の一変奏となることに成功する。だからここでも、物語は単調にその勝利を刻みつづけているわけだ。  それ故、装置としての愛[#「愛」に傍点]を「制度」と呼ぶことを許すものは、装置の物語それ自体なのである。そして物語は、当然のことのように、愛[#「愛」に傍点]を不可視の「制度」の側に位置づけるだろう。このごく自然であるかにみえて実はいささかも自然ではない位置評定を肯定するもの、それが「制度[#「制度」に傍点]」の制度[#「制度」に傍点]としてある装置の機能ぶりなのである。語彙の選択はきわめて恣意的でとりあえずのものなのだから、装置[#「装置」に傍点]の装置[#「装置」に傍点]としてある「制度」と呼びかえてもよいが問題は、精神分析学とか文化人類学などの二十世紀の「知」的装置のほとんどが愛[#「愛」に傍点]を不可視の領域の現象として捉えることで物語を自然に語りつぎ、その自然さを感性の装置までがごく自然に肯定してしまっているという点だ。この自然な肯定こそがレアリスム[#「レアリスム」に傍点]の執拗さにほかなるまい。いずれにせよ、レアリスム[#「レアリスム」に傍点]は可視と不可視のはざまに引かれる境界線を肯定し、この線がいかなる力学に従って描かれるのかを問わんとする意識ははじめから思考に浮上することがない。その事実への驚きはあらかじめ記憶から奪われていて、その境界線が目に見えている限り可視的な「制度」に属しはしまいかとさえ問うことがなかったのである。ここでも忘却装置の機能ぶりは完璧というほかはない。  境界線の捏造[#「境界線の捏造」はゴシック体]  可視と不可視とを境界線によって分断すること。これは何も二十世紀的な「知」の発見ではない。装置の物語は、それが罠として機能しはじめた瞬間から、この境界線を物語に不可欠の挿話として珍重しつづけてきた。そして、不可視なるものはきまって特権化されてきたのである。いわゆる形而上学が「真理」という不可視なるものをめぐる「知」的制度であったことは当然であろうが、すぐれて二十世紀的なる学といえる精神分析学が「無意識」を語り、言語学や文化人類学が「構造」に言及するときにも、思考は、触知可能なる現象世界を離れて、瞳が捉えることのできない潜在的なるものの戯れへと惹きつけられてゆく。顕在的なるものと潜在的なるものの中間に境界線が引かれ、その後者が特権化されるということなしには今日の「人文諸科学」は学的体系性を誇示できないのであり、だから可視と不可視とを境界線によって距てるという身振りは、装置の語りつぐ物語の単調なる反復でしかないといえる。しかも、豊かな説話的資質を発揮することになるのは、そのつどきまって不可視なるもの、潜在的なるものの側なのだ。それ故、「制度」をめぐる物語が、見えない制度、無意識的なる制度に触れることなく語りつがれえないことは一つの制度的宿命であるとさえいえるかもしれない。  だが「制度」をめぐる物語はその宿命については堅く口を閉ざしたままでいるのだから、いまはその制度的宿命が見える制度なのか見えない制度なのかを性急に問うたりすることなく、戦略的倒錯者として話の続きに耳を傾けてみようではないか。とりあえずその境界線を希薄に肯定することで、レアリスムに徹するふりを装おうではないか。すると、そこに語りつがれてゆく挿話が、奇妙な自家撞着を演ずるのが見えてくるはずだ。というのも可視と不可視、潜在的なものと顕在的なものとを距てる境界線が、まるでその存在を否定されるためででもあるかのように引かれているからである。線を引くという身振りは、まさにその身振りの虚構性を暴露するための儀式のように感じられるのである。というのも、たとえば「制度」の物語を豊かに彩ろうとする中村雄二郎は、見えない制度[#「見えない制度」に傍点]にふさわしい例として「男女の愛のかたち[#「かたち」に傍点]」について語りはじめるのだが、その語りが演ずる身振りが、あたかも見えないものを見えるものに変質させるという奇妙な情熱に支えられているとしか思えない軌跡を描くからである。そこでまず問題となるのは、ごく大まかに近代日本と呼ばれうる感性的世界で果してきた恋愛なるものの役割の素描である。とりわけ第二次大戦以前の日本にあって、恋愛がいわゆる近代化の象徴としての価値を帯びていたことを強調する中村氏は、決して間違ってはいない。家族制度や階級意識などの従来の感性体系、ほぼ封建的と総称しうる諸々の凝固した力学から自由になること、つまり反抗と解放の符牒として恋愛が位置づけられうることは、いまでは常識といってよかろう。そして自由と解放としての恋愛の概念が、個人の尊厳といった概念とともに、教養小説的な風土の中で「文学」によって制度化されていったという点も、それにおとらず衆知の事実だ。もちろん、中村雄二郎が強調するのはそのことではない。そうではなく、装置のこわばった機能ぶりを離脱し、しなやかで捕われのない感性に忠実たることと永らく信じられていた恋愛そのものが、実は、十八世紀のフランスのサロンで成立したごく厳密な歴史的形式、つまり、「人間の自然にのっとりながらもそれを秩序だてそれに形式を与えたもの、つまりは文化だったのだ」という事実である。到達すべき、あるいは回復すべき自然と思われたものが、推敲され洗練化された文化、すなわち制度だったということ、「まことに近代的な恋愛において、感情や感受性も秩序立てられ、制度化されている」という確認は、たしかに「制度」の物語の正統性を証言する主要なる挿話といいうるだろう。この見えない制度としての恋愛が「文学」によって感性の組織化を完遂したという指摘も正しいと思う。だが、こうした一連の指摘を確認によって中村雄二郎が演じた身振りは何であったか。  中村氏自身の分類によると、愛のかたち[#「かたち」に傍点]は見えない制度[#「見えない制度」に傍点]の典型となるべきはずのものであった。ところが、それが不可視でありながらも感性のあり方を統禦する文化であったという事実を裏づけることによって、彼は恋愛を文字通り見えるもの[#「見えるもの」に傍点]としてしまったのである。つまり、その起源と、体系性と、機能ぶりとが詳細に描写され尽した結果、恋愛はほぼ法律と同じ形式を獲得しているのである。成文化されていないということはあるが、世の中には成文化されていない法律というのもれっきとして存在し、また法律の条文を律義に覚えこまずとも日々の暮しにはいささかの支障もないのだから、かりに近代的な恋愛なるものの身元確認が可能であったとするなら、それは目に見える制度とほぼ同じ形式で人間の感性と行動とを律していたのである。起源と、体系性と、機能ぶりの詳細なる描写が可能である限りにおいて、恋愛が不可視の制度として機能していたのはあくまで過渡的な現象としてにすぎず、またその過渡的な性格がやがて可視的かつ顕在的なものたりうると確信を持った「知」的装置が、それを可視的な領域に引き戻すための口実として、境界線を捏造してその彼方にとりあえず温存したまでのことなのだ。だから不可視を語るものは、それがきまって可視的たりうると信じているのである。しかも忘却装置が、その確信をあらかじめ思考から奪っているわけだから、物語はここでも静かな勝利をおさめているといえるだろう。もちろん中村雄二郎は、その物語の核心部分に分節化され、装置の運行を円滑ならしめることに貢献している。見えない制度として語られた彼の愛[#「愛」に傍点]の物語は、だから、装置の歴史の貧しい反復にすぎないわけだ。  ここで明らかなことがらは、制度の制度としてある装置が境界線を執拗に捏造してやまぬという事実であろう。可視と不可視、意識と無意識、顕在性と潜在性といった二領域を分断してやまず、その分断の仕草を肯定しているかにみえてそれは口実にすぎず、最終的には否定することで物語の恒常性を肯定する。それこそが装置の真の機能というべきものだ。こうした装置の機能ぶりは、いかにも虚構にふさわしく荒唐無稽なものといってよい。自分自身にさえ不実な出鱈目ぶりである。しかるにその荒唐無稽な出鱈目ぶりを、着実に機能する正常なる制度として肯定せよと物語はせきたてる。その勧誘に素直に応えるのが今日の「科学」的ディスクールである。例の境界線など存在しないとその虚構性をあばいてみるがよい。ほとんどの二十世紀的な「知」的装置は崩壊するほかはないだろう。文化と自然、中心と周縁、王者と道化、などはいうに及ばず、こうした実は中心的な主題とともに諸々の周縁的な主題も無償の饒舌としてむなしくあたりを漂うほかはないであろう。もっとも、戦略的に倒錯した物語の聞きてだけは話がちがう。倒錯者だけが、いま、ところで愛[#「愛」に傍点]はどうしてしまったのかと低くつぶやくことができる。実際、それはどうしてしまったのか。    ㈸ 幸福の探究  過剰なる装置の錯乱[#「過剰なる装置の錯乱」はゴシック体]  愛[#「愛」に傍点]はどうしてしまったのか。この倒錯者のつぶやきはもちろん声としては響かないし、そう口にする倒錯者の頭上に疑問符めいた疑問符としてそり返ったりはしない。それは見えない[#「見えない」に傍点]し聞こえもしない。しかし、だからといって境界線の彼方に身を隠し、不可視の衣をまとったわけでもない。それは、可視的な装置による分節化をすりぬけ、物語に綴られることをどこまでもこばみとおす。それでいて、こばみさからう身振りによって装置を苛立たせることもないし、説話的な秩序を乱すこともしない。つぶやきは何にもまして慎ましく、まるでつぶやかれたことが嘘のようにこだまを呼ばない。装置はそれを肯定せよとも、否定せよとも口にしない。声として耳にすることがなかったからだ。とはいえつぶやきは、不在として、欠落として、肯定=否定の判断をかわしたわけでもない。装置にとって、不在や欠落を指摘することほど容易な作業はないからである。では、どうなってしまったのか。愛はどうしてしまったのか。  愛[#「愛」に傍点]。それをめぐる倒錯者のつぶやきは不明瞭であったのでもなければ、歪んでいたわけでもない。にもかかわらず声として響かず、しかもそのことで装置が不可解な表情を浮べなかったとしたら、それはそのつぶやきが、愛の物語にはずかしいまでに酷似していたからである。装置の歴史の貧しい反復にすぎない例の虚構そっくりのつぶやきとしてつぶやかれたからなのだ。見えない制度としての愛の物語、文化としての愛の物語を口にするのとそっくりの口調で、それはつぶやかれた。だから装置は、肯定する物語を肯定するようにそれを肯定してしまったので、それを肯定した自分を記憶していないのだ。忘却装置の記憶喪失。しかも装置はその事実すら記憶していない。愛をめぐる倒錯者のつぶやきと、装置が語りつぐ愛の物語とを距てる境界線は、引かれることがなかったのである。倒錯者の戦略は、愛をめぐるつぶやきによって愛の物語を肯定することに存していた。制度的なる愛の物語は正統性を欠いた虚構でしかなく、現実の愛とは縁もゆかりもない愛の仮面、それも酷く歪んだ仮面にすぎず、つぶやかれた愛こそが素顔の愛だなどといいはりはしなかった。真実の愛が不可視の圏域に無疵のままで温存されていて、境界線を捏造した「知」的装置が戯れていたものはその幻影でしかなく、だから可視的な領域で克明に描写されつくしたその制度的構造が途方もない愛の虚像なのだと主張しもしなかった。むしろ不可視の制度としての愛が可視的な制度としての法律とはずかしいまでに類似していたように、愛をめぐるつぶやきが愛の物語を完璧に模倣しつくしたというべき事態が起ったまでのことなのだ。倒錯者はあたかもいま自分が聞きつつある物語を正確になぞるように、ところで愛はどうしてしまったのかと低くつぶやいたのである。愛をめぐるつぶやきが口にした「愛」の一語は、愛の物語の語る愛の一語を反復するように発音されている。どうしてこれほど類似しているのかという驚きすら誘発しないようにと気遣いつつ、同じものとして同じように倒錯者の口から「愛」の一語が洩れたのである。そして、倒錯者をのぞいては誰ひとりそのことを証言するものはいない。だからそれは徹底して正統性を欠いているし、起源も曖昧だし、体系性も機能も至ってあやしげなものだが、装置は身元確認することなくそれを肯定し、しかもその事実を忘れてしまっている。だから物語もまた、この素性のいやしい一言を正統的なる挿話として分節化してしまったのである。つまり倒錯者は、無償の饒舌を正確に模倣しつつその倒錯者たる身分を偽り、そしらぬ顔で装置と折合いをつけることに成功したのである。  倒錯者は、自分の「愛」が装置の「愛」と違うものだとはいっていないし、同じものだともいってはいない。それでいながら「愛」によく似た「愛」は、まったく同じものとして装置の肯定機能の維持に貢献してしまう。これは素晴らしいできごとである。しかし素晴らしいといっても、そのことで倒錯者が倒錯者たる身分を戦略的に偽りとおしえたが故に素晴らしいのでもないし、また、装置が自分自身の記憶喪失に無知なままだまされ続けているが故に素晴らしいのでもない。そうではなく、そのことで、装置がほんらい持っていながらも物語の真の主題として肯定せよと誘うことがなかったその特権的な体質を遂に聞きての前に誇示することになるからだ。そしてその特権的な体質とは、いうまでもなく荒唐無稽な出鱈目さという体質にほかならない。肯定する物語を不断に生産する装置は、その究極の姿として、自分の嘘にすら忠実であることしか知らない不実きわまる相貌を倒錯者の視線の前にさらすのだ。装置が、この破局的といってよかろう途方もない自家撞着といかにもいい加減な支離滅裂ぶりを露呈するのを救っているのが、あの虚構としての境界線なのだ。この境界線をはさんで諸々の制度が可視と不可視にふりわけられるという虚構を信じ、そのことで「知」的装置のもっともらしい機能と戯れうる精神が、この方向を欠いた無差別の肯定を演ずる装置の狂態を人びとの目からそらせているのである。そして制度の制度としての装置をめぐる思考のほとんどは、戦略的な倒錯を選ばぬ限り、積極的な不実ぶりを誇示する装置の支離滅裂を視界におさめることにはならないだろう。真に不可視なるものがあるとするなら、それは境界線をはさんだ向う側に、可視的な領域と対応しつつ身を隠していたりはしない。そうではなく、この捏造された境界線を信仰することがなくなった瞬間、可視、不可視を問わず制度のいっさいがけたたましく戯れあう荒唐無稽なる力学として、いわば装置の過剰なる機能として演じられる徹底した無責任、積極的な不実性をおいてないだろう。それが人目に触れることがないのは、無意識であったり、潜在的であったり、不在であったり、欠落であったりするからではない。それは過剰なる機能としてあるが故に、制度的な瞳には映らないまでのことなのだ。  制度をめぐる物語の制度性。それは、制度なるものを、推敲し、組織し、秩序だて、統禦する調和ある体系を信じている点にある。そして反=制度的と自称する物語の制度性もそれにさからい、できればそれを崩壊にさえ追いやろうとしている制度が、それなりの責任ある体系だと思いこんでいる点に由来する。そうではないのだ、と物語は倒錯者たちに向けてその過剰なる一点で告白する。制度とは、そして制度の制度たる装置は、どこまでも出鱈目で支離滅裂であるが故に、感性なり思考なりを面喰わせるのだ。そしてその荒唐無稽にたじろぎ途方にくれる感性や思考がそれを見まいとして張りめぐらせる貧しい連帯の網を介して、かろうじて秩序となるものにすぎないのだ。愛[#「愛」に傍点]が制度と呼ばれうるのは、ただもう呆気にとられて茫然自失するほかはない装置の過剰なる機能的錯乱の到来を何とか遅延させようとするこの脅えの網状組織が、その起源とか体系性とか機能とかの描写に望みを托しているからにほかならない。それは、装置が必然的に組織する恒常的な秩序ではない。物語、とりわけ愛の物語がなぞる装置の歴史がその過剰なる一点へと向けて自分を超えようとする瞬間に、装置が自分自身にいだく怖れの反映として物語的圏域に波及させるあやうい均衡というか、正統性を欠いた力学圏なのである。だから、それは制度をめぐる諸々の物語によって、装置自身の安全弁として機能するであろう無償の饒舌しか生むことがないのだ。「言語学」、「精神分析学」、「文化人類学」などのすぐれて二十世紀的な「知」が人を安心させるのはそのような理由による。そして装置はこの安心感を幸福[#「幸福」に傍点]と呼ぶことで、希薄に肯定し、またその普遍化を肯定的に組織しもするのである。あらゆる制度論的なる思考が執拗なるレアリスムとして幸福[#「幸福」に傍点]を肯定せざるをえないのも、しごく当然といえるだろう。幸福[#「幸福」に傍点]の追求という名の愛[#「愛」に傍点]の物語。人が幸福を追求してやまぬのは幸福がいたるところに存在しているからだ。その遍在性を過渡的な不可視性とすり換えるために、境界線が捏造されるのだ。幸福の物語もまた、装置の歴史の貧しい反映にすぎないのである。  愛と幸福[#「愛と幸福」はゴシック体]  とするなら、と倒錯者はつぶやく。幸福[#「幸福」に傍点]への意志は倒錯を戦略的にも必要としてはいないではないか。幸福とは、多少の難儀をともないこそすれ相対的な困難によって獲得しうるのだから、装置の物語に分節化されることで自然に導き出されるものではないか。また、そうであるなら、人はなぜ追求といった大げさな身振りを演じたりするのか。過渡的に不可視の衣をまとっているだけのものを、また可視的な装置の按配によって必ずそれに似たものとして姿を見せたりするものを、どうして探し求めたりするのか。幸福が装置の歴史を反復する愛の物語の一挿話でしかないなら、多少の時間と手間をかける忍耐心さえありさえすれば、誰にでも手にすることのできるものではないか。そのための試練とは、方向を確かめ、あとは順番を待つという日常的な仕草をいささか大げさに儀式化してみせただけのものなのか。幸福とは、退屈なる日常の延長線上、程よい距離を置いて位置しているものなのか。そうだ、そうしたものなのだと物語は断定する。幸福とはそんなものでしかない。倒錯者は、この物語の言葉を肯定するふりを装う。幸福とは装置の歴史の一過程にすぎず、愛の物語は間違いなく幸福の一瞬を語りうるものなのだ。  だがそれにしても愛[#「愛」に傍点]は、愛[#「愛」に傍点]はどうしてしまったのかと倒錯者はあらためてつぶやく。戦略的に倒錯することで装置に可能であった過剰なる錯乱、荒唐無稽な支離滅裂への資質を活性化することができた者にとって、愛とは、その途方もない出鱈目さというか徹底して不実な無方向の力学圏を肯定することだといえはしまいか。肯定と呼ばないまでも、せめて嫉妬することだといえはしまいか。倒錯者にとっての愛とは、装置の過剰なる錯乱機能を嫉妬することではないのか。そして、装置が罠としてあることのために放棄した自分自身の一部、かすめとられた欲望とは、そのような愛ではなかったのか。荒唐無稽な支離滅裂としてある物語の過剰部分を、過剰であるが故に物語が分節化しえず、相対的にして過渡的なる不可視ではなく、可視的な領域の向う側に境界線を介して対応している不可視という構図を超えた無責任なる不可視としてあるが故に挿話がしえないものを嫉妬する資質こそが愛[#「愛」に傍点]であったのではないか。そして、そんな不実なる愛による無差別の肯定[#「肯定」に傍点]ぶりへの意志が、幸福[#「幸福」に傍点]だったのではないのか。装置の語る物語には読みえない肯定[#「肯定」に傍点]と愛[#「愛」に傍点]と幸福[#「幸福」に傍点]とが、倒錯者に見えていはしまいか。  いやいやそんなことはない、と倒錯者は思わず口ごもる。錯乱する装置の過剰なる機能など誰も目にはしなかったし、ましてやそんなものを嫉妬したりはしなかった。荒唐無稽な支離滅裂の祭典、そんなものを夢みたりはしなかったし、探し求めたりもしなかった。無差別なる肯定への意志が幸福だなどと、まさか。肯定するのは装置ばかりであり、装置を超えた肯定[#「肯定」に傍点]など、思いもよらないことだ。愛も、肯定も、幸福も、装置の歴史をなぞる物語の中にしかありはしない。自分は、そもそもはじめからその愛、その肯定、その幸福のみを口にしていたにすぎない。装置を超えた過剰なる機能の汪溢だと。そんなものは夢かまぼろしであろう。物語に憑かれたものの見る白昼夢だ。物語の忠実なる聞き手には起りえない錯乱だ。装置にとって過剰なるものなどありはしない。それこそ虚構というものだ。制度がその嘘を逐一あばきながら秩序を回復してくれるだろう。ほら、瞳を凝らしてみるがよい。あれが境界線だ。その向うに不可視の領域が拡がっている。これが世界の調和ある表情というものだ。だから、間違っても過剰だの荒唐無稽だのを口にせず、装置の不断の機能ぶりを信頼することだ。装置は肯定する。愛も幸福も、その不可視の圏域に身をひそめている。その見えないものに注ぐべき視線を鍛えておくことだ。倒錯者は、そんなふうにつぶやきながら、何ごともなかったように物語と折合いをつける。何ごともなかったように、というのが倒錯者にふさわしい唯一の姿勢だ。事実、何ごとも起りはしなかったのである。  そして、あるとき、倒錯などと徹底して無縁であったものが、何の前触れもなく、一人過剰なるものと遭遇して錯乱する。たぶん、「記号」としか呼びようがない荒唐無稽の何ものか、事件としてある「作品」ののっぺらぼうな顔のようなものの不意撃ちをくらったのだ。彼は、あるいは彼女は、生のありあまる汪溢に身をまかせ、手あたり次第に無差別の肯定を実践する。そして、みずからをいっせいにおしひろげ世界の荒唐無稽なる無表情と合一し、そのすみずみにまで自分自身を拡散させる。彼は、彼女は、欠落と思われていたものが過剰として回復したことに支離滅裂な感動をおぼえ幸福[#「幸福」に傍点]だと思う。そしてその幸福をかつて一度たりとも探究したことのない自分を発見する。彼または彼女は、顔もなく名前もなく、失われていた過去さえ持たぬ豊かな無表情といったものに自身を譲りわたし、そのことで何ひとつ放棄していない事実を嘘のように肯定する。この肯定が愛[#「愛」に傍点]だ、と愛[#「愛」に傍点]が教えてくれる。放棄することと発見することとを同じ資格で戯れさせること。それが愛[#「愛」に傍点]だ、と愛[#「愛」に傍点]が愛[#「愛」に傍点]につぶやく。この理不尽なる愛の過剰。それもが嘘のように肯定される。愛の歴史が事件として生なましく露呈するのは、そんな無方向の時空においてである。だが、倒錯者は、そんな事件についてはいささかも語りはしないだろう。もちろん、そのような一瞬は装置の歴史にも刻みこまれていはしない。だから、そんな話は誰も信じたりはしないのだ。そこで倒錯者は何ごとも起りはしなかったかのように愛の物語に耳を傾け、装置の機能ぶりもますます円滑なものとなってゆく。 [#改ページ]   風景を超えて    ㈵ 風景の誘惑  教育=[#「教育=」はゴシック体]馴致=[#「=」はゴシック体]忘却  風景は教育する。風景が風景としてあることの意義は、ほぼその点に尽きるといってよい。風景をめぐって口にされるあれやこれやの言説は、風景がまというるもろもろの表情がそうであるように、ときには教育とは無縁の体験へと人を導くかにみえるが、そうした体験も所詮は風景にとって二義的なものにすぎない。教育装置として機能することで、風景ははじめて風景となる。だから無償の風景というものは存在しない。それが風景であるかぎりにおいて、あらゆる風景は耐えがたく醜い。そして、風景に瞳を向けることは、おしなべて恥しい身振りなのである。あらゆる視線は、習得する視線にほかならないからだ。風景を讃美し風景を貶めるといった振舞いは、恥しさを何とか隠蔽せんとするものにのみ可能な貧しい延命の儀式にほかならない。  風景は教育する。風景は、教育装置として機能することではじめて風景となる。とはいえ、そうした教育的資質に自覚的な風景というものはごく稀であろう。ほとんどの場合、風景は悪意を欠いた無邪気さを露呈しながらあらゆる視線にその全貌をさらしているかにみえる。風景は慎ましく彼方にひかえ、みずから視線を選択したりはしないし、瞳という瞳を平等にうけいれてもいる。だから、驚嘆すべき眺めとして存在を刺激し、退屈な眺めとして存在をまどろませるとき、驚嘆し退屈するのは視線の特権だと思われてしまいがちなのだ。心象風景として内的視線を招き寄せるときも、想像力に同じ特権が委ねられているかにみえる。いずれにせよ、美しかったり醜かったり、またそのどちらでもなかったりするのが風景だと考えられているし、風景自身もそう信じこんでいるに違いない。  だが、そうした美的感性の篩などはあっさりかいくぐってしまう風景は、逆にその感性的な篩の網目を入念に組織する装置として機能しながら、視線から、審美的判断を下そうとする特権を奪ってしまう。つまり風景は、感性と思われたものを、想像力や思考とともに「知」の流通の体系に導き入れ、その交換と分配とを統禦する教育装置として着実に機能しているのである。教育とは、存在を分節化し、装置としての風景にふさわしい体系に、思考と感性と想像力とを馴致せしめる不断の活動にほかならない。だから風景に驚嘆し、また退屈しもする感性は、装置としての風景が休みなく語り続ける美しさの物語に、しかるべく組みこまれてゆくまでのことだ。存在が風景を読むのではない。風景が存在を読みとってゆくのである。風景が教育するとは、この風景による解読の運動に存在が徐々に馴れ親しんでゆく過程を意味している。みずから「記号」として交換され、分配され、しかるべき物語の説話的要素たることをうけいれながら、そこにいかなる痛みも怖れの感情をもいだかずにいられるまで、風景に犯されることを教育と呼ぶのである。  では、そのとき風景はなぜ風景と呼ばれなければならないのか。「制度」、あるいは「イデオロギー」としてはなぜいけないのか。もちろん、「制度」は教育すると書き改めても事態にさしたる変化は生じまい。これまで、いろいろな場所で、いわゆる「制度」なるものの希薄にして執拗なる教育的資質には触れてもきたつもりだ。だが、「制度」が「制度」として機能するとき、その機能ぶりは徹底して不可視であるとされながら、しかしその不可視性は決して純粋の透明性を誇るわけではなく、それじたいがすでに多少とも濁っている思考だの感性だの想像力だのをうけとめた結果、しかるべき汚点や斑点を表層にまとっているという意味で、むしろ絵画的光景として、つまり構図を持った風景として共有されているからである。それが現実の風景ではなく、内的なイメージのようなものとして共有されていようと問題ではない。人は「制度」を想像することができるし、「制度」を思考することもできるし、そのあり方に感性的な反応を示すことも可能なのだ。多くの困難と複雑なる戦略とを必要としていようと、「制度」を思い描くことは決して不可能でない。しかも、そのことが「制度」の真の「制度」性ということができる。つまり漠として捉えがたくはあっても「制度」はそのイメージを介して「知」としての交換と分配の体系上に位置づけうるように思われるし、またこのイメージを欠いた場合、それは流通する「記号」たりえないだろう。その意味で、「制度」はいささかも特権的な「記号」ではない。だがその特権性の不在は、それ自身がイメージとして流通しながら、ありとあらゆる思考と感性と想像力とにイメージを付着させずにはおかぬという意味で、きわめて逆説的な特権性を誇示しているともいえる。それが外的なものであれ内的なものであれ、人は瞳の向う側に浮上する風景に思考や感性をなげかけながら、存在を組織してゆくのだ。想像力を平等にうけとめるこの不可視の幕のようなもの、不可視ではあってもそこで視線をうけとめてくれる透明な、しかも程よく汚れた壁のようなもの、これまで風景と呼ばれてきたものはそうしたものなのだ。誰もが暗黙のうちにその存在をうけいれているイメージの投影装置。風景が教育的なのは風景のそうした性格ゆえにである。それは、視線の対象であるかにみえて、実は視線を対象として分節化する装置にほかならない。というより、その装置は、何よりもまず思考を分節化する機能を顕著に発揮する。その不可視の表層に汚点や斑点を見ているのは決して視線ではないからである。そしてそこで分節化される思考は、想像力が見たと信じ込む表層の濁った部分をつなぎあわせ、輪郭や陰影をきわだたせて中心部と周辺地帯とを分離しながら構図を組織し、遂には生きた存在たちの顔、動かぬ物質どもの表情、あるいは想念の形象化された姿などを浮きあがらせるに至る。そのとき人は、風景がおさまることになる構図がいかに奇態なものであれ、顔として、表情として、形象化された姿としてしかるべく配置される存在や物質や想念の戯れを肯定し、みずから風景の構図を解読するという姿勢の積極性を錯覚しながら、「知」の磁場における存在の分節化をうけいれることになるだろう。その戯れが抽象的な構図を描きだそうが具象的な構図におさまろうが、思考はその全域を視界におさめながら、方向の意識だの距離の感覚だのを習得しえたと確信する。この確信が解読を支え、「知」の磁場の相貌に馴れつつそこに分節化される存在の痛みを忘れさせるのだ。だから風景とは、存在を説話的要素として分節化しながら物語に組み入れるときの痛みを緩和する忘却装置として、その教育的資質を発揮しているのだということができる。あらゆる視線は、風景の構図を解読の対象であるかに錯覚し、かつその錯覚を一つの自然として思考に共有させんとする存在の、無意識であるが故に絶望的な自家撞着を露呈せざるをえず、風景の教育的資質は、その絶望をあくまで絶望とは意識させまいとする希薄な執拗さのうちに存している。誰もが何の恥らいもなく風景に視線を向けることができるのは、風景が瞳に従順であるからではなく、従順を装う風景の演技がいかにも徹底しているからにほかならない。思考がすでにその構図に馴れ親しみ恐れることがないので、視線もまた、いかなる羞恥心もなく風景と対峙しうるというわけだ。  いかなる視線といえども、それが視界に展開される顔や表情や姿の戯れをまさぐりつつ構図の解読へと向かわんとする真摯な情熱に衝き動かされたものであろうと、解読を越えた何ものかを習得せんとする無意識的な欲望の運動を隠しおおすことはできない。だが、無償の視線がありえないとしても、それは決して無償の構図におさまることのない風景がその欲望を煽りたて、思考の貪欲ぶりをむしろ慎み深い善意であるかに勘違いさせ、そのことで風景が思考にとって過剰な何ものかを含むことなく存在と調和ある関係を生きているかに振舞うので、それを模倣する視線がみずからの欲望を意識化するにはいたらないというまでのことなのだ。ところで肝腎なのは、思考が満遍なくまさぐることでその構図を解読しえたと確信しうる風景と、視線が捉える風景との関係をあくまで通俗的な比喩に貶めたままでおいてはならぬという点だ。無償の風景が存在しないが故に無償の視線もまた存在しないのであり、にもかかわらず視線が風景の過剰なるものへの欲望を抑圧しつづけうる理由は、思考のそれと知らずに装われた善意を視線が模倣しているからにほかならないのだ。  教育する風景に汚染しきった思考は、みずからの視界に浮上する風景を瞳が捉える風景の比喩だと信じこんでいる。だが、実際には、人が現実に視界におさめることのできる風景とは、思考を解読へと誘っておきながらその代償として思考を分節化する教育の馴致装置としての風景の比喩的一形態にすぎず、事態はその逆なのではない。風景とそのしかるべき構図を必要としているのは思考の方であって、現実の瞳の知覚作用はそうした思考の身振りと欲望とを模倣しているにすぎない。思考の風景が視線の風景に先行しているということ、肝腎なのはその点だ。  無垢の思考と裸の視線とが原初の風景と交錯しあうといった抽象的なメロドラマを想像して思考と視線との優先権を競いあうといった事態であれば話は別だが、すくなくともわれわれが「文化」と呼ばれる「制度」の中で暮し、かつその「制度」そのものに何らかの働きかけを試みんとする現実的な場にあっては、視線は明らかに思考を模倣するものとしてある。つまりここで問題となる風景とは、視界に浮上する現実の光景の構図を一つの比喩にしたてあげもするあの不可視の、だが透明とはほど遠い濁った壁の表層にまといついた汚点や斑点の戯れそのものにほかならず、ほとんどの風景論者たちは、風景の教育的資質に言及しながらも、このモデルと模倣との関係にいたって無自覚であるといえる。それは、彼らがすでに風景の教育的資質に汚染し、その馴致=分節機能に従順に従いながら。自分自身にまだ語るべき物語が残されていると錯覚しているからであろう。  イメージという名の制度[#「イメージという名の制度」はゴシック体]  たとえば沢田允茂の『認識の風景』(岩波書店)と呼ばれる書物は、そうした無自覚な風景論者にふさわしく、思考の風景を視線の風景の比喩的一形態であるかに想定しつつ物語を語りはじめる。もちろん著者は比喩的な言辞をときに慎んでさえいるのだが、ここで語られている思考の風景と視線の風景との間には、後者を起点としての比喩的な対応関係がどこまでも続いている。いまここで、この書物に述べられていることがらの全域を踏査している余裕はないし、またその必要もなかろうが、出発にあたっての語彙の選択から修辞的な展開、そして何よりも「私は私の風景的環境[#「私の風景的環境」はゴシック体]をもって(知覚して)おり、そしてまたそのなかで生きている[#「生きている」はゴシック体]」という断定に含まれる「私の風景的環境[#「私の風景的環境」はゴシック体]」が「私にも他人にも共通な我々[#「我々」はゴシック体]の共通な風景」に接近する過程を、「知覚像とイメージによるこの環境の風景」を時間的=空間的に拡大することによって得られるものとしている点からも明らかであろう。これは、もし誤解でなければ、物理的な限界を越えて働く想像力が作りあげるイメージを介して、つまり思考にある程度の客観性を与えて普遍化するイメージを記号として、「私」と「我々」との関係が徐々に安定してゆくことだろう。もちろんその客観性にも普遍性にもある限界がそなわっており、決して真理としての普遍的客観性がここで問われているのでないことは明らかだが、肝腎なのは、まさしくこの拡大という語彙が身にまとっている視覚的比喩の無自覚さであろう。というのも、拡大とは明らかに量について言及しうるものであり、それは現実の視線が捉えうる風景については妥当しても、ここで著者自身によって定義されているイメージについてはいささかもあてはまらないものだからである。実際、沢田氏は、「歴史の歩みは円環的である」というイメージと、「歴史のコースは上昇的に進歩する」というイメージと、どちらがどれだけ大きく、視界が何度拡大されているというのだろう。また、その二つ[#「二つ」に傍点]のイメージを寄せ集めると「天動説という世界の像《イメージ》」との量的な差が明らかになり、またその差が、「あの山の向う側」というイメージに比べて小さかったり狭かったりもするのだろうか。  こうした曖昧な視点が至極あっさりと論者によって肯定されているかにみえるのは、それは、その発想の根底に思考の風景が視線の風景の比喩的一形態にしかすぎぬという確信が横たわっているからである。また、計測可能なものと計測不可能なものとの間に類似や代置の関係が成立してしまうのも、同じ理由によると考えられる。だが「世界の像《イメージ》」という風景について論じようとするからには、この比喩的関係にあくまで固執することは不可能であり、それこそ認識の風景の量的[#「量的」に傍点]ではない変容に身をさらす必要があるのだ。またその変容を身をもって生きるとはいわないまでも、せめてそれを目指して存在を組織せんとするなら、「文化」と呼ばれる教育装置の機能をより邪悪なものとして恐れ、それに無邪気な視線を注ぐことの絶望的な恥しさを自覚しなければならないだろう。たとえば、「個々の人間はそれぞれに異なる身辺的環境の『知覚の風景』から、即ち私の『他人の』それとは異った眺めから出発して、それを時間的、空間的に拡大していけばいくほど、その拡大された部分については私の[#「私の」はゴシック体]眺めも他人[#「他人」はゴシック体]の眺めも次第にその差異をなくしていって、私にも他人にも共通な我々[#「我々」はゴシック体]の共通な風景を見るようになるのである」といった言説の信じがたい抽象性は、まさにあまりの愚かしさ故に誰によっても共有されることなく思考の奈落へと失墜してしまうから黙って見過せばいいのではない。まさしくそれが無償の饒舌としてあたりに流通し、哲学とは無縁の日常的なる言説までをも汚染しつつあるイメージであるが故に、「文化」という「制度」は恐しいのだし、またそれにまともな視線を注ぐことは恥しい行為なのだ。問題は、こうした抽象のみが捏造しうる哲学的[#「哲学的」に傍点]言説が、あたかも自然な思考の身振りであるかにたやすく共有される場こそが「制度」と呼ばれる「文化」なのだという確認である。そしてその「文化」なるものが風景として教育的資質を発揮するとしたら、それは沢田氏がいうごとく、風景が「私の現実の行動[#「現実の行動」はゴシック体]が決定される場であるにとどまらず、私のあらゆる可能な行動[#「可能な行動」はゴシック体]の決定とコントロールの場でもある」からではいささかもなく、現実の行動と可能な行動[#「可能な行動」はゴシック体]とをあらかじめ崩壊せしめ、しかもその崩壊を忘却させ、さらにその忘却に慣らしめる馴致装置としての機能を瞬時たりとも放棄することがないからにほかならない。  すくなくとも、こんにちわれわれの周囲に行きかっている風景論的な視点にあっては、思考の風景はいささかも視覚の風景の比喩ではなく、両者の関係はむしろその逆でなければいけないということ。認識が風景によって拡大し、思考がイメージによって共通されるのではなく、風景そのものが、思考をイメージに従属させ、風景による認識の拡大が可能であるかに存在を教育=馴致しているということ。風景は教育するというときの風景の教育的資質とは、そうしたものにほかならない。そして拡大する風景を前にして私と他人とがしかるべきイメージを共有し、風景が我々のものになるかにことが運ぶとしたら、それは「私の[#「私の」はゴシック体]眺めも他人の[#「他人の」はゴシック体]眺めも次第に差異をなくしていって」といった次第ではなく、差異の忘却に慣れることを風景が思考に要請しているからである。しかも風景は、その要請をあつかましく視界にちらつかせることなく、あたかも思考が自発的に語る物語であるかのようにさしだしながら、存在をたとえば哲学[#「哲学」に傍点]の物語の説話的要素として分節化することに成功してしまうのだ。  いうまでもなく、そこで分節化されるのは哲学者ばかりとは限らない。哲学者よりもさらに自発的に自分の物語を語っているつもりの小説家とか詩人、あるいは批評家といった「文学」という「制度」に奉仕する人間もまた例外ではない。実際、「文体を作る仕事をまるごと小説家にゆだねた」という「ずいぶんと片輪な文明」に生きる現代日本の小説家の一人である丸谷才一の『文章読本』と呼ばれる書物なども、沢田允茂の『認識の風景』におけるのとほぼおなじ素直さで「文章」という名の風景と向かいあっているということができる。丸谷氏が風景に対して示す素直な従属ぶりは、「ハムレットではないけれど、言葉だ、言葉、言葉」などと口にする当の本人が、肝腎なところで言葉をあっさり思考の風景に従属せしめ、しかもその思考の風景を、さらに視線の風景の比喩に従属させて「文章」を語っているつもりでいるという点にみられるものだ。  こうした風景への無自覚な汚染ぶりはこの書物のさまざまな言述からうかがい知れるが、たとえば彼が「正真正銘の名文」として引いている林達夫の『旅順陥落』をめぐって、それがいかに「達意」の文章であるかを語っている部分などに明瞭にあらわれているだろう。「林達夫の散文は極めて明るいレンズに似てゐる」と『文章読本』の著者はのっけから視覚的比喩を持ちだしている。「われわれはその、癖のない、むづかしい言葉なんかちつとも使はない、なだらかな文章を読んで、彼の散文の存在を忘れ、彼の述べる内容だけを考へ、いや、その内容もいま自分が考へてゐることのやうに感じ、そして心のどこかで、自分は頭がいいからかういふこと(実は林の意見)を考へたのだといふ錯覚をちらりといだく。ちやうど上等のレンズを使つた眼鏡をかけて、視力がよいと思ふやうなものだ。これはさういふ透明度の高い、邪魔にならない散文なのである」。  邪魔にならない散文[#「邪魔にならない散文」に傍点]という言葉がしめくくるこの文章に盛りこまれているのは、活字の羅列をたどりつつある存在がいだく風景との比喩的体験にほかならない。すみずみまでが鮮明な輪郭におさまる「透明度の高い」散文。その風景からは、もはや言葉は姿を消し、「彼の述べる内容」だけが景色のような曇りのなさで浮きだしてくる。つまり、丸谷氏は、林達夫の思考がイメージとして克明に浮上してくるといっているわけだ。ここで丸谷氏が援用している「内容」とイメージとの比喩的対応関係を強調したレトリックは、決して無償の修辞学的な遊びではない。彼は、それじたいがイメージにほかならない比喩を、さらにイメージの方向にさしむけているのであり、それが無償でないというのは、丸谷氏の修辞学的魂胆を越えて、思考の風景が視線の風景の比喩的一形態にほかならぬという決して彼の独創ではない確信が希薄な執拗さで彼の筆を駆っているからという意味にとっていただきたい。  いうまでもなく、問題は、丸谷氏がその確信に逆って、異質の比喩を使用すべきであったなどという点にあるのではないし、ましてや、その比喩を、隠喩にすべきか、直喩にすべきか、擬人法にすべきか、迂言法にすべきかなどと第九章の「文体とレトリック」のページをくりながら文章読本的[#「文章読本的」に傍点]に悩めというのではない。そうではなく、問題は、誰でもがこうした修辞を援用せざるをえなかった場所で視覚的な比喩を使うことによって、丸谷才一が、沢田允茂のいう「私の[#「私の」はゴシック体]眺めも他人[#「他人」はゴシック体]の眺めも次第に差異をなくしていって」という視点をそっくり共有しているかにみえるという点だ。「その内容もいま自分が考へてゐることのやうに感じ」というイメージの共有意識が実はちらりといだく[#「ちらりといだく」に傍点]「錯覚」だと丸谷氏は言いそえてはいるが、実はその後に彼の述べていることがらは、その「錯覚」から逃れることではなく、むしろその「錯覚」に快く埋没してゆくというはなしなのだから事態は絶望的というほかない。「この透明度の高さ、ほとんど異常なほどの高さのせいで、林のいはんとすることはわれわれに完全に伝達されるのだが、ここで重要なのは、人間の精神は普遍的なものだといふ確信があるからこのやうな文章が成立つといふ事情である」という丸谷氏は、おそらく林氏の確信を共有しつつ、あたかも同じ風景を眺めているかのごとき澄みきった印象をもたらすものが、普遍的な人間の精神にほかならぬと感じているのだろう。それはそれでいっこうにさしつかえはないが、ここではからずも援用されている視覚的な比喩が、思考の普遍性はイメージの共有によって成立するという、『認識の風景』の著者の抽象的発想とみごとに重なりあっているという点が恐しいのだ。つまり沢田氏と丸谷氏とは、あらかじめうちあわせて同じイメージを共有しあったわけでもないのに、思考の風景は視線の風景の比喩的一形態にほかならぬという一点だけは、希薄な執拗さでともに確信しあっているということである。  いうまでもなく、沢田允茂が抽象的であったように丸谷氏の確信もまた抽象的である。というのも、ここに引かれている林達夫の文章の内容は、まさに「人間の精神は普遍的なものだといふ確信」とはまったく逆の、その確信がみごとにうち砕かれた瞬間の苦い慨嘆にほかならぬからである。よく読んでみるがよい。林氏は、第二次大戦直後に入手したある外国雑誌の中で対日参戦の将校に与えたスターリンのメッセージを読んだときの衝撃を語っているのだ。「対日戦争を日露戦争の復讐と雪辱に見立てる」というマルクス・レーニン主義とは徹底して無縁の「子守歌」が必要であったとするなら、「ソヴィエト共産党の党員たちや同伴者たち」の「五倍も十倍もに及ぶ底ぬけにお人好し」のソヴィエト人民たちは、「あの精力的なマルクス・レーニン主義的啓蒙を以てしてもなかなか犯し難い帝政時代的庶民の風格を内々一面において持ちつづけていたというわけになる」と林氏は書く。それは、ほかでもない、精神の普遍性への確信の及びがたい思考の制度が、教育装置としての風景として確乎として機能しており、政治こそがその装置を操作しうるものだというさしあたっての結論、「私の阿呆のような『小ブルジョワ的』」結論へとつながる視点であろう。そして、その結論が容易に共有されがたい世界の制度的相貌の解明へと林氏が向ったことは誰もが知っている。つまり林達夫の文章の内容は、丸谷才一の抽象的讃美にもかかわらず、まさしく人間精神の普遍性への確信が揺らぎはじめた後の世界にふさわしく自分の思考を組織しなおそうとする契機を語っているのである。また、かりにそれが誤読であって、なお精神の普遍性の回復へと向けて夢を追いもとめる決意が語られているというのが正しい解釈であるとするなら、そんな文章を綴った人間は単なる馬鹿であるし、そんな人間の「思考の構造とリズムを尊重し、それに寄り添ひながら、あるいはそれをいつそう鮮明なものにしながら文章を書く」ことが「達意」に通じる道だなどと説くものも、単なる馬鹿というほかはないであろう。  だが、さしあたっての急務は、『文章読本』の著者が単なる馬鹿であるかどうかの穿鑿にあるわけではないし、また、教育装置としての風景の恐しさは、とても馬鹿とは思えない人間の思考をも「知」的に分節化する点にあるのだから、いましばらくは、現代の風景論的な展開にいま少しつきあわねばならない。それは存在から「知」を奪い、あらゆる人間を痴呆化させるからではなく、むしろ「知」の流通を活性化させながら思考の体系化をめざすかにみえて、逆に思考を単調なる物語の一挿話としてそ知らぬ顔で分節化し、イメージによる相互汚染を普遍性と錯覚させてしまう点が恐しいのだ。    ㈼ 風景論の時代 「科学」と「芸術」[#「「科学」と「芸術」」はゴシック体]  しかし、それにしても教育する風景といったものについて語ることほど退屈なはなしもまたとあるまい。あたりに行きかっているあまたの言説は、ほどよく身仕度を整えた自意識過剰の哲学的なそれから無邪気な日常的な会話にいたるまで、またとうぜんのことながら文学という誇らしげな言葉の群であろうと、そのことごとくがそれと意識されざる風景論を形成しているからである。あらゆる存在は、いまおしなべて饒舌なる風景論者であり、教育装置としての風景がその事実を自覚させまいとして躍起になって忘却機能を演じたてているのだ。誰もが風景について論じながら、その論議の対象が風景ではないと錯覚したり、また風景について語りながら自分だけはその風景の汚染をまぬがれているかに確信する術を風景によって教えこまれているかのようだ。  たとえば、驚くべき杜撰さでトーマス・クーンによって提起されたあの「パラダイム」なる概念、とうぜんその杜撰さにふさわしい希薄さで無償の饒舌を煽りたてたあの概念が提起者自身によって曖昧に撤回されたり部分的修正をほどこされたりもしたにもかかわらず概念として文化の領域に居すわり続けてしまったのは、それが斬新で革命的な概念であったからではなく、もちろん退屈なる風景論の薄められた変奏にすぎなかったからだ。すくなくとも『科学革命の構造』(中山茂訳、みすず書房)に述べられている限りにおいて、「パラダイム」が教育装置として機能する風景の一つであることは誰の目にも明らかだ。「ある一時期におけるある分野の歴史を細かく調べると、いろんな理論が概念や観測や装置に応用される際に、標準らしき一連の説明の仕方が繰り返されていることに気付く。これらがその専門家集団のパラダイムであって、教科書や講義や実験指導の際に現われてくるものである」と述べるクーンは、そのパラダイムなるものの教育装置の側面を強調しながらこう結んでいる。「それを学び実地に適用することによって、その集団のメンバーは仕事に習熟してゆく」。パラダイムなるものが教育装置として機能するといっても、それは、パラダイムが、特定の「知」をめぐる個々の規則だの仮説だのの総体として、解釈すべき風景の合理的整合性を存在に納得させるからではなく、「知」の体系性と真実の客観性を基盤として「知」的作業に習熟せんとする意志を共有する人びとの思考を、その体系性と客観性の確証以前に律する拘束力がそこにそなわっているからである。  クーンは、いうまでもなくこうした立場を科学的視点から提起しているわけで、思考の「制度」としてある科学が必然的に露呈せざるをえない「制度」性を強調しながら、科学の客観性への制度的信仰、ならびに科学の「知」的発展の連続性への制度的確信などを再審に付したという意味でまんざら無駄な議論だったわけでもなかろうと思う。だが、解釈される風景と解釈する視線という抽象的な対応性を超えて、解釈する視線が解釈される風景による解釈をすでに蒙った解釈される視線でしかなく、つまり視線が世界の物語を語る話者である以前にそれじたいが物語の説話的要素として風景の一部に分節化されてしまっており、したがって視線が分節化する風景の物語は風景が分節化する視線の物語にそれと知らずに汚染しているということ、しかもその事実によって視線同士がたがいに確認しあう風景の解釈は、遂に風景が語る物語を超えることがないという視点は、なにも科学史という「知」の一領域に限らず、こんにち、「文化」と呼ばれる「制度」のあらゆる領域で問題とされているごく退屈な議論にすぎないことは誰もが知っている。それにもかかわらずクーンが提起したパラダイムの概念、およびそれが煽りたてたもろもろの議論に何がしかの意味があったとするなら、それは、科学の客観性と連続性という双生児的概念に人びとがようやく疑いの目を注ぎはじめたからではなく、科学をも含めたあらゆる今日的思考が、風景論の時代に属しているという現実をクーンが無意識ながら告白しているからにほかならない。またそれにも増して興味深いのは、風景論の時代に特有な認識の配置図や「知」の流通形態の全域を理論的に踏査しつくしたわけでもないのに風景論の時代の言説をもてあそび、そのことできわめて逆説的ながらみずからの立論を証拠だてているかにみえるクーンが、なおそのパラダイム概念の提起にあたって、ほとんどデカルト的というほかはない認識パターンに頼って自分を科学史という物語の話者に仕たてあげ、その視点を修正したり再強化したりしているという点である。その一点に限っていえば、あたかも彼は自分自身が世界の物語による分節をまぬがれ、風景の汚染に抗いうるとでも信じているかにみえる制度的楽天性がそこに露呈しており、その意味でクーンはいささかも革命的ではないし、ましてや反科学的でもない。彼は風景による教育にことのほか忠実なる風景論の饒舌な語り手にすぎないのだ。  饒舌なる風景論の隆盛は、なにも科学的思考に主観性だの恣意性だのの復権を説いたことにあるのではない。たとえば柴谷篤弘はその「『反科学』論の意味するもの」(「展望」、一九七五年二月号)の冒頭で、コトグロウヴのパラダイム理解、つまり「現実と人間の感覚との間に立ちはだかるスクリーン」がそれだという言葉を引きながら、「個々の科学者が、そうした理論の大きな枠組に『帰依』するのは、かれらの審美的[#「審美的」に傍点]な主観によるのであってパラダイムの選択が、事実の証拠を客観的に評価したあげくの冷静な判定ではないことが明らかになってきている」と述べている。この審美的な[#「審美的な」に傍点]主観という言葉はスクリーンという風景論的な語彙とどうもしっくりゆかない風景論の時代以前の雰囲気を漂わせているが、その危惧の念がたんなる杞憂でなかった事実は、次のパラグラフに至ってやはり明らかになってしまう。というのも、柴谷氏はコトグロウヴにならって、次のごとく結論づけてしまうからだ。「それは個々の科学者を駆り立てる主観的な原選択であって、それゆえに、科学は今や『絶対に正しい客観認識』ではなく、人間的な過誤をふくむ創造過程であり、むしろ基本的には、芸術的創造と類似しているという認識がされるようになってきている」。 「審美的[#「審美的」に傍点]な主観」による「原選択」なる発想が「芸術的創造」との類似につきあたるというこの絶望的に貧しい思考の経路。その貧しさは、発想それじたいが「審美的[#「審美的」に傍点]な主観」にすらよることのない怠慢さで、ある時代の言説をそのまま模倣しつつその模倣に無自覚である点に存している。それは「制度」が思わずつぶやかせてしまう紋切型の台詞にほかならず、しかもそうした発想は、主観性と客観性との対立をきわだたせているかにみえ、実は、まさに客観性と主観性という風景の物語が捏造する二つの主題がたがいにあい補いあって科学と芸術との制度的共存を許したかにみえる時代、つまりは「制度」がルネッサンス期と呼びもしよう時代に特有の風景の構図に起源を持ち、しかもその構図が、これまた「制度」によって十九世紀ブルジョワ風と呼ばれもしよう物語を織りあげるにあたって希薄に引き伸した言説の退屈なる反復にすぎないのだ。つまり、柴谷篤弘の「反科学論」の展開の基盤として求めらるべき主観性とは、あくまで客観性の補足概念の位置にとどまっており、したがって、そこに論者自身の主観性なるものとはほとんど認めがたい客観性と連続性の神話の単調なる一挿話にすぎぬばかりか、しかも主観性と口にする本人がそうした風景が語る物語に分節化されてしまっていることに無自覚であるという意味で、風景の時代以前の科学性と客観性とを露呈した姿勢であるといえよう。だから、その「反科学論」は、少なくとも「審美的[#「審美的」に傍点]な主観」なるものが「原選択」を行なう「芸術的創造と類似」した何ものかに言及する限りにおいて、その「審美的[#「審美的」に傍点]な主観」を超えたかたちで風景の時代に先だつ風景の物語をそれと知らずに語り続けており、それ故、主観性と恣意性の介入をみずからはばみながら、教育装置としての風景の馴致作用に従っているということができ、だからここでもきわめて逆説的に、柴谷氏はパラダイムなるものの拘束力を立証していることになるといえるだろう。ただしここで柴谷氏の思考を律している思考の風景が、風景の時代の成立以前のそれにすぎぬという点は、改めて指摘するまでもない。  少なくともこの種の単純なる主観=客観による世界像の構築は、かりに論点を主観の側にはなはだしく移行させようと、あたかも主観性こそが過誤をふくみうると信じているかのごとき柴谷氏の言動にはからずも露呈しているごとく、究極において「芸術」との類似などが語られようが語られまいが、科学の客観性を信仰する時代の風景の構図に過不足なくおさまってしまうてあいの身振りでしかなく、そこからは、パラダイムと呼ばれる風景の教育装置に注ぐべき視線は遂に生まれえないだろう。柴谷氏にとって「審美的[#「審美的」に傍点]な主観」と思われたものがいささかも恣意的な選択などではなく、ごく通俗的な「制度」の物語の分節=馴致装置が口にさせるうんざりするほど退屈な挿話にすぎぬことを納得するには、すでにそれ自体がいまでは制度的説話技法の一つとして流通しつつ思考を律するものたりはじめているとはいえ、たとえば広松渉の『世界の共同主観的存在構造』や吉本隆明の『共同幻想論』のほんの一ページを読めば充分であろう。この二冊の書物を列挙することはおそらく粗雑さのそしりはまぬかれえないと思うし、また、それぞれの言説が鋭くえぐりとる制度的思考の側面もまた明らかに異なってはいるのだが、制度的にはごく大雑把にデュルケーム以後と呼ばれもしよう今日の風景の時代に確実に所属しうることで、柴谷篤弘の発想の原点に横たわっている無自覚な反動性を明らかにしうる視点を共有してはいるだろう。もちろん柴谷氏は、しばしば杜撰なる誤解にさらされたような感動的なる「反科学論者」ではない。彼が提唱するのは「直観と経験にもとづく非言語的認識」であり、大脳の左半球による意識的分析活動と、右半球の直観的理解の能力との相互干渉の経路を、左半球優先の方向にではなく、右半球の機能を活性化する方向に意識的に推進するという理論的基盤がそこにはそなわっている。だが、こうした視点は、意識的分析活動と呼ばれるものが蒙る風景の汚染作用に言及する資格を欠いているという意味で、なお充分に科学的な姿勢であるといえるし、また、その禅の悟りに近い非=言語的認識もまた、科学的認識の客観性をいったん容認した上での対立的な認識形態にすぎないといえる。それは、いわば「制度」が抑圧していたものの解放の運動として、「制度」そのものが罠としていくらも捏造しうる認識形態ともいえるだろう。科学史家ガストン・バシュラールの詩的回心といわれるものが、こうした柴谷氏の視点をあらかじめ先取りするかたちで科学を補強しているということ、またアンリ・ベルグソンの直観の哲学が哲学を豊かに補足していることは誰でもが知っているだろう。つまりこういうことだ。柴谷氏は、その反科学的方法が、いわゆる「科学の方法のなかにつくりつけになっているらしい、ブルジョワ的党派性、その強度化=拡大」に対する歯どめとして機能し、「反エリート、反ブルジョワ的党派性のイデオロギーとして役立つであろうと考る」のだが、こうした楽天的視点に徹底して欠落しているのは、現在われわれが生きているのが風景論の時代であるということ、つまりそうした「反科学的認識方法」なるものを物語として語りついでいるのが「制度」そのものであるという多少とも右半球的な直観なのだ。これは何度も書いてきたことだが、反=制度的思考を最も必要としているのは「制度」そのものなのである。そして何とも嘆かわしいのは、「反科学的認識」とやらを不断に生産し続けるのが「制度」そのものであるという点を、反科学論者がいささかも意識していないという点である。だからこそ、いま、教育装置としての風景が饒舌に論じられているのだし、またそれを論じ続けることの絶望が重く沈澱してくるのではないか。饒舌なる風景論の隆盛は、それじたいが風景の語る物語にすぎないことがあまりに明らかであるだけに、何ともやりきれないのではないのか。  イメージの修辞学[#「イメージの修辞学」はゴシック体]  いうまでもなかろうが、さしあたっての問題は、柴谷篤弘の提起する「反科学論」なるものが正しいか間違っているかの議論を発展させることにあるのではない。これにさきだつ論述が一貫してそうであったように、ここで重複をかえりみずに何度でも強調しておきたいのは、風景として思考の領域に浮上する世界が、世界の物語の話者たる資格を思考に譲渡するかにみえて、実は自分自身の物語にこそふさわしい説話的要素として思考を分節化している点が、柴谷氏の議論の展開の上に明らかに指摘しうるという事実にほかならない。審美的な主観の選択という概念が必然的に芸術的創造という概念との類比に行きついてしまうという事態は、論者がその類比を体験として具体的に必然化しているからではなく、まさに、主観的選択を許さない世界の物語の説話的必然に論者が従って抽象的に語っていることを暴露している。だから風景の教育的資質は抽象という名のあらかじめの忘却へと思考を導くことに存しているといえるだろう。トーマス・クーンが粗雑な言葉で何とか表明せんとしていたパラダイムなる概念の限界は、風景の教育的資質に言及しえた点において柴谷氏が捕われている主観と客観の物語を一歩超えてはいても、風景による教育が思考を抽象と忘却へと誘うという側面を見落しているからである。  だが、実際、考えてみるまでもなく、一つの新たに出現したパラダイムなるものが世界の風景を変え、その更新された構図がある期間、安定した持続性を保ちうるものだとしたら、そこに馴致=忘却=抽象化という磁力が作用しているからにほかなるまい。そうでなければ彼のいうパラダイムは不断にめまぐるしい変容を生き続けるほかはないはずではないか。『科学革命の構造』におけるクーンは、その題名からも示されるとおりパラダイムの持続性よりはその変容形態、つまりは「革命」を語る点に多くの労力をさいているが、そしてまた変化=変容こそが、こんにちことのほか思考を刺激する問題であるには違いないが、しかしこうした世界の風景の機能ぶりを記述しながら、その馴致=忘却装置としての抽象化作用にあまり危惧の念を示そうとしないのは、彼の思考の運動がやはり風景に汚染し、抽象的なものたらざるをえないからである。そしてクーンの抽象性は、すでに述べたごとく、みずからが提起したパラダイムなる概念が、まさに風景の時代が語りつぐ物語の典型的な一挿話にほかならず、したがってその概念じたいが馴致=忘却=抽象化の運動を蒙っている事実に無自覚であるからだ。無自覚であるというより、ことによったら意図的にその事実を隠蔽しているのかもしれないが、いずれにせよ、彼は、制度的思考がマルクスとフロイトの時代と呼びもしよう時代の風景の物語の、多少は目新しくはあっても本質的には単調な反復者にすぎないのである。  こんにちのこうした楽天的な風景論の隆盛は、いささか粗雑に要約してみるなら、階級だの疎外だの、無意識だの複合だのの語彙を周到に避けながらなおマルクス=フロイト的な風景に汚染した時代の物語に何とか波長を合わせようとする人たちによって支えられているということができる。その意味で、ほとんどの風景論者たちは、なかば意図的に風景の忘却作用に身をさらしつつ、なおその忘却作用が完璧なものになってほしくはないと期待しているという、いささか奇妙な矛盾を背負いこんでいるかにみえる。もちろん、彼らがマルクス主義的な語彙やフロイト主義的な語彙を回避せずにはいられない理由はわからぬではない。そうした一群の語彙なり概念なりのある部分が、その一方はいわゆる社会主義圏において、いま一方は資本主義圏において間違いなく馴致=忘却=抽象化装置として機能し、思考の制度化に積極的に貢献していることは明らかであり、しかもその制度化された思考が程よい相互滲透現象まで演じあっているからだ。さらにはまた、制度的な「記号」として流通しているマルクス=フロイト的な語彙や概念とは異質の領域の問題として、マルクスとフロイトとのある種の思考的身振りが、それじたいとして風景の時代にふさわしい一挿話をかたちづくり、風景が語る世界の物語のしかるべき部分にあらかじめ分節化されてしまっているのだから、その事実を解読するにあたっては別の語彙、別の概念が必要とされるはずだという認識もあるだろう。それ故、こんにちの風景論者たちがそうした語彙や概念を援用しまいとしているのはまんざら理由がないわけでもないのだ。  だが、ここで改めて強調されねばならぬのは、彼らが、しかるべき新たな概念を導入することによって、教育装置としての風景を再活性化し、そのことで装置の馴致=忘却=抽象化の作用から多少とも自由になれるはずだと信じているという点だ。自由になれる[#「自由になれる」に傍点]というのは、いうまでもなく、風景の時代の風景が鮮明なイメージにおさまり、混濁した瞳を多少とも澄みわたらせてくれるという確信にほかならない。つまり、自由[#「自由」に傍点]とは、しかし、それが文化人類学的なものであれ構造主義的記号論のものであれ、新たなる概念で武装した者たちが、またしても物語の話者にふさわしい距離を回復したと信ずる錯覚の別名いがいの何ものでもない。集団を分割する葛藤の所在を指し示し、行動を統禦する潜在的なるものに言及しながら、なおその葛藤と潜在的なるものから自由であると確信しうる精神は、たしかに現代が風景の時代であると口にすることはできよう。だが、現代は風景の時代であるという物語は、風景の構図がより完璧な構図におさまり、そこでの顔や表情などの戯れが鮮明なる輪郭を獲得し、まさに「知」の体系がかつてない展望となって視界に繰り拡げられているかにみえようと、風景の時代それじたいが語る物語の単調なる反復にすぎないのだ。  いま「文化」と呼ばれる「知」の「制度」にはびこっているのは、この単調なる反復を自由と錯覚する楽天的な抽象性にほかならない。そのとき、教育装置としての風景がまとう必然的に醜い相貌は錯覚としての構図の完璧さにとってかわられ、それに視線を注ぐことの恥しさは視界が澄みわたる瞬間の快感さによっておきかえられる。そして、馴致=忘却=抽象化装置としての風景は、視線に説話的欲望を煽りたてるふりを装うことによって、苦もなく思考を分節化してしまう。だから風景の時代とはあらゆる思考に風景の時代の物語を語りたいという饒舌への夢を供給しつづけることで生き伸びる、邪悪な罠の時代にほかならない。すでにさまざまな場所で述べてきたように、「制度」とは、制度をめぐる説話的欲望をあたりにまきちらし、その無償の饒舌を糧として不断に機能する思考の収奪装置にほかならないが、さしあたっての問題は、実は誰もが体験として知っているそんな話をここで改めてむしかえすことにあるのではない。では、真の問題は何か。それはあくまでも、風景の時代という言葉に含まれる視覚的比喩の問題なのだ。あるいは空間的比喩といいかえてもよかろうが、風景の時代を特徴づける概念のほとんどが、瞳による外界の認識パターンを基盤におくことなしには機能しえないという点が問題なのである。しかもそうした視覚的な比喩は、とりわけ不可視の構造とか、抽象的概念操作をめぐって、驚異的な頻度で流通することになる。そのありさまは、あたかも世界の解読がひたすら瞳を通じてなされているかのごとき印象を人に与えずにはおかぬほどだ。  たとえばモデル[#「モデル」に傍点]とその模写[#「模写」に傍点]、あるいは反映[#「反映」に傍点]といった概念なしには、こんにちの思考のほとんどは機能しない。「記号」すなわちしるし[#「しるし」に傍点]とその解読板[#「解読板」に傍点]、あるいは想像力[#「想像力」に傍点]とイメージ[#「イメージ」に傍点]といった語彙を欠いても今日的言説はなめらかさを失うだろう。さらには中心性[#「中心性」に傍点]と周縁性[#「周縁性」に傍点]、顕在性[#「顕在性」に傍点]と潜在性[#「潜在性」に傍点]、視点[#「視点」に傍点]と展望[#「展望」に傍点]、といったものにもそうした資質がそなわっているし、基盤[#「基盤」に傍点]と階層的秩序[#「階層的秩序」に傍点]、左右相称[#「左右相称」に傍点]と不均衡[#「不均衡」に傍点]、距離[#「距離」に傍点]と方向[#「方向」に傍点]、構図[#「構図」に傍点]と軌跡[#「軌跡」に傍点]、全体像[#「全体像」に傍点]と単位[#「単位」に傍点]、タイプ[#「タイプ」に傍点]とスタイル[#「スタイル」に傍点]、開かれたもの[#「開かれたもの」に傍点]と閉されたもの[#「閉されたもの」に傍点]等々、数えたてればきりがないが、啓蒙的必然が正当化する修辞学的誇張を超えて、それらは風景の時代を特徴づける徴候群をかたちづくっている。たとえばレヴィ=ストロースの『構造人類学』(荒川ほか訳、みすず書房)といった風景の時代の特権的書物を読んでみるがよい。人は、そこに集められた論文のほとんどが、あたかも風景の物語であるかに語りつがれているのを納得するだろう。いうまでもなく、レヴィ=ストロースにとっての風景とは、人類学的な現象の不可視の構造そのものである。彼は言語学における音韻論の誕生の革新的な役割に刺激され、まず意識的な現象から無意識的な下部の構造に視点を移行し、そこにさぐりあてられるさまざまな頂の意味そのものを問うのではなく、むしろ頂相互の関係に注目し、そこに体系の概念を導入して一般的法則の発見へと至るという手続きを自分の研究対象に適用している。注目すべきは、この一般的法則がきまって図式化され、視覚的な配置におさまるという点だろう。たとえば、ボロロ族の社会構造は「同心円的」であると同時に「直径的」でもあるといった仮説が語られるとき、そこには中心と周辺の対立からなる村落の平面図からはじまって婚姻体系が分割する三つの社会階層、さらには東西二方向を対極化する二人のトリックスターの存在、等々、さまざまな図式が一般方法としての社会構造を視覚化している。そしてその図式と文章との関係は、あたかも言葉の方が図の説明としてあるかのようだ。いうまでもなく、その図の説明としてあるレヴィ=ストロースの言葉は、読むものの感性を刺激する快い文体におさまっていて、凡百の構造主義的な言説とは比較にならぬ豊かさで図式と文章との戯れを組織している。だが、ボロロ族の社会構造の分析が含まれる「双分組織は実在するか」という論文に描かれているボロロ族がみずからの社会構造を可視的な対象として視界におさめることなくその拘束力に従って生活を組織しているように、レヴィ=ストロースの言説もまたあたかも「同心円的構造から直径的構造への移行」を示す図に操作されつつ展開されてゆくかのようだ。そして、こうした印象は、レヴィ=ストロースのほとんどの著作をはじめ、多少とも構造主義的といえる今日の書物の多くのものを読みつつ実感される現象というべきだろう。実際に、視覚的な図版や写真が挿入されていようがいまいが、そうした場合、言葉はほとんどイメージの比喩として風景の物語を語っているかにみえる。ことは何も哲学とか文化人類学とかいった高度に洗練された「知」的活動に限らず、ごく日常的な欲望の充足にあてられるべきもろもろの読みものから、ごく他愛もないうわさ話のたぐいに至るまで、人はいまイメージの比喩としてある言葉の交換に従事しているかのようだ。  見えてはいない風景をあたかも見えているかに錯覚させる言葉の機能。それは何も風景の時代が存在に許した特権ではない。だが、不可視の「制度」を語らんとする欲望を煽りたてることで思考を分節化する風景の時代の物語が、混濁した視界をいきなり澄みわたらせて構図を完璧なものにしたてあげ、細部の輪郭をきわだたせることで不可視を可視へと移行させるという言語機能への最も日常的にしてかつ原始的なる確信に何の矛盾もなく同調しているという現象は、きわめて徴候的であるといえよう。この、洗練され推敲された思考と、粗雑で体系化を欠いた思考とがその思惑を超えて同調しあうという現象、それが風景の時代を風景の時代として特徴づける点にほかならない。この現象がこれほど顕著でない場合なら、「知」にかかわりを持つ存在が啓蒙的便宜として視覚的な比喩を援用しつつ文章を綴っても、それは修辞学的な趣味の問題として見逃されうるだろう。だが、誰もが、しかも「制度」と呼ばれる風景そのものをも含めたあらゆる対象をめぐって視界が澄みわたる一瞬を期待し、言葉をイメージの比喩として共有しながら、その一瞬へと向けて存在を組織しているという現実が恐しいのだ。つまり、風景の教育的資質は、まさに差別しないという点に存するのである。風景の時代の物語が邪悪なる罠として機能しているとしたら、それは、存在を抑圧者と非抑圧者に分離せしめ、そこに葛藤の場を設定するからではなく、分離され、敵対しあっていると信じる者たちにも、同じ資格で物語に加担させてしまうからというほかはあるまい。  いうまでもなく、現実に差別が存在しないとか、ましてや差別者が不当でないなどと主張するつもりは毛頭ない。反差別の闘争が有効性を欠いているなどと暢気な話をするつもりもない。そうではなく、より切迫した問題として、この風景の時代における思考の身振りが陥っている馴致=忘却=抽象化の磁力にいかにさからうかを語らねばならないのだ。  では、それにはどうするか。風景の物語の分節化をいかにして拒絶すればよいか。想像力によって別の風景を欲望するといったことでは教育装置の機能をおしとどめることはできない。また、「知」の交換と再分配の場で何がしかの役割を演じているものが、はからずも「制度」に加担してしまうことの心の痛みから生活者によりそうといったことも、装置の機能停止には無効というほかはない。では、「文化」的道化となって硬直した「知」の構図を活性化し、風景を一変せしめてみるか。だがそうしたこともさして有効とは思えない。だいいち、有効性とは、全体性とか自己同一性などと同様に、風景の時代の物語が捏造した挿話にすぎぬはずだ。それなら、あえて無効性に徹してみるか。だが、物語にとっては無効性すらがごく有効な説話的要素なのだ。ではどうしたらよいか。    ㈽ 風景を超えて  思考と瞳、その離脱[#「思考と瞳、その離脱」はゴシック体]  どうしたらよいか[#「どうしたらよいか」に傍点]。しかし一見いかにも慎ましげにみえるこのつぶやきが、実は問題という名の抽象[#「問題という名の抽象」に傍点]へと思考を誘うことしかしない装われた慎ましさというか、無自覚な思いあがりいがいの何ものでもないことは、すでに詳述したとおりであるし、また風景の時代の物語の最も刺激的な挿話のうちには、その無自覚な思いあがりと慎ましさとのすり換えの儀式に対する苛立ちがくりかえし語られているという点は誰もが知っていよう。制度が捏造する説話的要素にすぎない問題[#「問題」に傍点]の一語を慎ましく口にすることがなぜか精神のしなやかさと思考の自発性とを証言するかに信じられ、徹底して過激なる自由が根源的なる問題提起によってはたされると思いこまれてさえいるのは、何よりも教育装置として風景による馴致=忘却=抽象化の磁力があらゆる思考を満遍なく犯しきっているさまを示しているというべきだろうが、装置はあらかじめ問題と対をなして風景のしかるべき部分に位置づけられている解答を過渡的に不可視の領域に埋没させておくことで問題=解答の遭遇を思考の特権的な身振りであるかに錯覚させ、しかもその錯覚を蔓延させることによって統一を欠いているかにみえる風景の構図を完璧なものにしたてあげ、距離の意識と方向感覚を見失っているかにみえる細部の表情に鮮明な輪郭を回復させたかに思いこませながら、風景が風景にほかならない事実を思考に納得させる同語反復の身振りに存在を閉じこめ、その反復の仕草を何のためらいもなく演じることが教育[#「教育」に傍点]だと思いこませるのだ。だから、どうしたらよいか[#「どうしたらよいか」に傍点]というつぶやきは何にもまして風景の物語の特権的な一挿話にほかならず、それがかりに「反=制度」的なる欲望に支えられたものであろうと「制度」の維持にしか貢献しない言説なのであり、だからいまは、そのつぶやきが言葉として響く以前に胸もとでおし殺してしまわねばならない。肝腎なのは、そのつぶやきが問題の提起として世界に向けて投げかけられてはならないということ、そしてその問題が風景の中で解答に遭遇することで視界の混濁が晴れわたり、生きた存在の顔や物質の表情、さらには想念の形象化された姿などの戯れが確かな構図におさまってくれればという欲望に従って思考を視線の比喩に仕立てあげてはならないという点である。どうしたらよいか[#「どうしたらよいか」に傍点]という当惑が、視覚的比喩の展開によって充足さるべき欲望に煽られて風景に視線を注いでしまうという、あの瞳のみに特徴的な身振りを模倣する思考の運動を導きだしてはならず、思わずそうつぶやきそうになる存在を、可視的なものであれ不可視のものであれ、およそ風景論的なと呼ばれるにふさわしいあらゆる修辞学とは無縁の場所へと唐突に移行させねばならない。唐突に[#「唐突に」に傍点]というのは、類推とか、対比とか、等価性とかいった手段にうったえることなく、つまりは変換によることなしに無媒介的に別の場所に自分を見いだすということにほかならない。というのも、類推とか対比とか等価性などは徹底して風景に所属する説話要素にほかならず、したがってそうした媒介を通しての移行は、風景の構図の相対的な変化しかもたらすことがないからである。だから、そのとき実現される変化なり変容なりは、それがどれほど突飛で思いがけない構図におさまろうと、視覚的修辞学の一変奏にすぎないことは誰の目にも明らかな事実であり、つまりは、風景による教育の典型的な成果のあらわれですらあるといえる。  こんにち、前衛的と呼ばれる政党がいたるところで体制化の一途をたどっているという事実は、それ故、風景の時代のごく自然な説話的必然にすぎず、とりたてて驚くにすらあたらない現象なのである。だから前衛を自称する諸政党が演じる制度的な言動にいちいち苛立ってみせる一部の風景論者のほうが、かえって奇妙な非在郷信仰の抽象性を露呈せざるをえないのであり、いわゆる前衛政党のほうはといえば、風景論の展望にふさわしく身仕度を整えはしたもののいささかも堕落したわけではないし、変質したわけでもない。ただ、風景の時代の物語の展開ぶりにつれて、ますますその物語との類似を顕示しはじめたというまでのことであり、こうした自然なる歩みに当惑しつつその活動のいっさいを否定せずにはいられないという欲望のほうが遙かに抽象的だというべきだろう。少なくとも、前衛的と呼ばれる政党は、風景の時代にはあくまで忠実なのであり、その限りにおいて風景の構図の変化に有効なる活動を演じうる現実性を完全に捨て切ってはいないのだ。  なにも政治の領域に限らず「文化」における前衛の自称者たちにとっても事情は変わるまいが、彼らの存在意義は、ひたすら風景の構図の変化に対してのみ有効に機能するという点に存している。またそのことが、彼らの限界にほかならぬことはあえていうまでもないが、この限界にしたところで、風景の時代にとってはいささかも奇妙なものではない。とはいえ、ここで重要なのはいわゆる前衛なる風景の攪乱者たちがたどる必然的な体制化を局部的に擁護し、できればその過程を正当化することにあるのではもちろんない。そうではなく、率直に認識すべきなのは風景の時代に生きながらその説話的持続に模範的な忠実さを示す者たちに加えらるべき攻撃が、それじたいとして現在進行中の物語を超えることがないばかりか、かえって抽象的な言動として風景の中に拡散してしまうほかはないという風景論的な現実そのものにほかならない。  では、その現実をどうすればよいのか[#「どうすればよいのか」に傍点]。この問いを口にする瞬間、思考から瞳を無理にも剥奪し、風景を消滅させればよいのだ。風景を消滅させる。それにはどうするか。ところでどうするか[#「どうするか」に傍点]というつぶやきは、それじたいが「方法」として風景の構図の中に書きつけられているのだから、かりにそれが無方法の方法という曖昧な比喩、あるいは方法の廃棄といった装われた過激さをすら想像してはならないのだ。「方法」とは、思考が戯れる視覚的な比喩の至上形態にほかならないし、当然のことながら風景の物語の特権的な説話的要素だからである。もちろん、「方法」を頭ごなしに否定するのは無意味な話だし、この風景の時代に生きながら「方法」に背を向けることは、前衛の批判者たちと同じ抽象性に身をさらすことでしかない。風景の構図の解読にあたって、「方法」は不可視を可視におきかえるべく明らかに有効な機能ぶりを発揮するだろう。だが、その有効性もまた「方法」の限界をきわだたせるものでしかない。というのも、視覚的な比喩の至上形態としての「方法」は風景を前にした視線にのみ有効であって、きわめて具体的な場で思考を馴致し、その馴致ぶりを忘却させ、忘却すらもなかったことにしてしまう抽象化作用を不断に演じつつある風景の教育装置の機能ぶりそのものを、現実として捉えることはできないからである。つまり、風景の分節運動にさからうことは、「方法」には不可能なのである。「方法」とは、風景の表層で戯れあうあの顔、あの表情、あの姿に、距離感と方向意識とを与え、たがいの輪郭や陰影をきわだてながら構図を確定することで混濁した視界を澄みわたらせ、不可視を可視に置きかえる作業にほかならず、したがって「方法」を否定し視界を混濁させたままでおくこともまた、いささかも反=教育的な姿勢ではなく、かえって思考と視覚的比喩との妥協を曖昧に肯定してしまうほかはあるまい。  思考から瞳を奪うこと。それは残酷なる体験である。しかもそれは、二重の残酷さで存在を貫く体験である。というのも、まず、みずから風景の時代への帰属を意識している思考は、あらかじめ思考の剥奪をうけいれることで、風景を中心と周縁とからなる世界の表情として認識しているからだ。生きた存在の顔や動かぬ物質たちの表情の戯れあう表層が秩序ある構図におさまって風景の教育機能を演じうるのは、想念の戯れの形象化された姿の配置によって、すでに思考が距離と方向、差異と同一性といった秩序に慣れてしまっていることが前提なのだ。それは、遠近法の確立というものがあくまで一つの歴史的な事件の域にとどまり、人間の視覚にとってすら普遍的な非=歴史的体験ではなかったことからも明らかであろう。風景の秩序だった構図とは、思考がみずからの活動を組織するのに必要な体系の比喩なのであり、だから瞳は、そのときすでに思考を離れていたということができる。つまり風景の時代の視線は、思考の運動を模倣しながら、思考が想念の形象化された姿を構造化するように外界を眺めることしかできなかったのであり、従って瞳は断じて世界をその総体として、また細部のことごとくを見てなどいなかったのである。  それはたとえば、ミシェル・フーコーの『臨床医学の誕生』(神谷美恵子訳、みすず書房)の冒頭にみられる十八世紀と十九世紀の二人の医師による臨床記述を距てる全面的な差異などによっても明らかであり、われわれのまなざしを恒常的な可視性の世界にみちびく十九世紀の医師にくらべてほとんど「知覚の支えのない、心象《フアンタスム》のことばをかたる」とフーコーが断言している「十八世紀の医師には自分の見ているものが見えなかったのだ」いう指摘は、思考から瞳を奪うという残酷な体験が、現実に起っているという何よりも証拠となろう。この事実は、風景の時代の成立が視覚による認識の拡大によるものではなく、あくまで「知」の制度によって操作されたものであることを論証しているといえる。だから瞳は、すでにそのとき思考を離脱していたのである。というより風景の教育に従って世界を見ていたとすべきであろうが、いずれにせよ、視る行為を基盤とした世界認識という発想がいかに抽象的であるかはいまや明らかである。  この、あらかじめ離脱していた瞳を改めて思考から剥奪することが問題となっているのだから、そこに成就すべき体験の残酷さははかり知れぬものがある。それは、視界的風景の比喩の位置に抑圧されていた思考の風景を解放し、両者の関係を逆転するといった事態にとどまらず、いまや、思考そのものからも風景を奪うことが問題となっているからである。思考から瞳を装った瞳、つまりはそこに存在しないものしか見ない瞳を奪うこと。想像力の奔放さによって思考の自発性を語るのではなく、イメージの媒介なしの素裸の思考の自発性を生なましく生きること。教育装置としての風景にさからうのは、この生なましさを体験することにほかならない。それは、しかるべき構図におさまることでその存在を顔に、物質を表情に、想念をその形象化された姿に置きかえることをうけいれてしまった存在と物質と想念を、顔から、表情から、形象化された姿から解き放つことでもあるだろう。そして、視線との比喩のみが思考に保証していた存在との距離、表情との距離、想念との距離は廃棄され、構図はみずからを支えきれずに崩壊する。すると、すべては競いあっていっせいに表層へと浮上し、われがちに世界の物語とは似ても似つかぬ自分自身を露呈しはじめるだろう。そこには、饒舌とは異質の言葉の群が、偏心しつつ拡散して不断に戯れあう。誰もが、同じ資格でその無方向な戯れに加担し、たがいにしめしあわせたわけでもないのに共鳴し、響応しあう。類似を欠いた共鳴。対立を欠いた響応。そして正当な理由もないままに誰もがその言葉の群の運動を肯定する。その肯定は聡明であると同時に愚鈍なる肯定だ。また、寛大でもあれば残酷でもある肯定だ。共存ともみえ、孤立とも映る肯定である。そして何にもまして真摯きわまりなく、かつどこまでも出鱈目な肯定だ。というのも、そこでは生が死を、死が生を肯定しているからである。その大がかりな肯定が演じられるのは、空間でもなく時間でもない。それは、どこでもなく、いつでもない時空にほかならない。そして、希薄であると同時にあまりに濃密なその時間は、風景も物語をも持たない畸型の怪物として、あらゆる者の鼻さきにただ生なましく迫ってくるばかりだ。  風景を欠き、物語を欠いた畸型の怪物。描かれなかった風景。語られなかった物語への郷愁に湿ってもいなければ、今後描かれ、また語られもするだろう未来への欲望に煽られることもない徹底した現在としてののっぺらぼうな怪物。秩序に顔をそむけ無秩序の種を播いてまわるからではなく、秩序と無秩序をともに超えている怪物。誰もがそのイメージを想像しえないからではなく、イメージを喰いつくしてしまう怪物。何ものかと問えぬからではなく、問いから声の響きを奪ってしまう怪物。誰も知らないからではなく、誰もが知っていながらそれとの遭遇を虚構化しえたと錯覚させてしまう怪物。飼い馴らされるのをこばむのではなく、誰にでもなついてしまう怪物。それでいながら徹底した他であることをやめない怪物。そして、思考の身振りを肉体の身振りと一つにしてしまう怪物。荒唐無稽な記号として自分を支える畸型の怪物。  怪物との遭遇、または「批評」[#「怪物との遭遇、または「批評」」はゴシック体]  誰もが怪物を知っている。誰もがその畸型性を知っている。怪物は、ひたすら表層であることしかできない。だが、それは深さを欠いた薄っぺらな膜なのではなく、どこまで行っても表層でしかないその徹底した表層性ゆえに畸型の怪物なのだ。怪物は、だから風景の贋の表層性を暴露する。物語の偽りの説話性を暴露する。風景と物語には現在はない。それは郷愁と欲望が捏造する虚構の遠さが錯覚させる相対的な近さでしかない。物語とは、誰にも程よく潜在的な過去しか語らないものだし、欲望もまた、誰にも程よく潜在的な風景しか描きあげはしない。であるが故に、抽象的なものなのだ。  怪物は教育する。だがそれは装置ではない。類推と対比とにうったえてあらかじめ解決すべき問題への手がかりを示したり、さかのぼって可能であったものの軌跡をあとづけたりはしないのだ。怪物は、一回限りの現在のできごととして教育する。現在のできごととは、生の磨滅を代償として体験される再現不能の事件のことだ。そこでは、生と死とが、同時に同じ一つの仕草として学ばれる。だからその教育は、聡明にして愚鈍な、寛大にして残酷な体験なのである。風景による教育は、「知」を体系化しても聡明なものとは限らない。困難なものであっても残酷なものとは限らない。懇切丁寧なものであっても寛大なものとは限らない。難解なものではあっても愚鈍なものとは限らない。しかし怪物による教育は、きまって聡明で残酷、寛大で愚鈍なものなのだ。つまり、風景と物語にとって、それは徹底して荒唐無稽なものなのだ。  ところで、荒唐無稽とは何か。身分のいかがわしいとりあえずの存在が、正統性を欠いたままの姿でとりあえず肯定されてしまうことである。風景にとって、構図の崩壊は細部の荒唐無稽な戯れを意味している。物語にとって、分節作用の解体は説話的要素の荒唐無稽な連鎖を意味している。それでいながらそれらの細部、それらの要素がたがいに肯定しつつ共鳴し、響応しあう姿は荒唐無稽というほかはない。その肯定的な共鳴と響応とを肯定する畸型の怪物は、だから積極的に荒唐無稽というべきだろう。この荒唐無稽なる教育、生と死とがたがいに肯定しあう教育は、では、どんなふうにして可能か。過去への曖昧な郷愁と未来への曖昧な欲望に支えられていながら教育装置としての風景が潜在的可能性としてしか語りえなかった生誕と死とを具体的体験として学ぶため、畸型の怪物と遭遇するにはどうしたらよいのか。  誰も怪物がどこにいるのか知らない。いつ出現するのかも知らない。それは、風景のうちにも物語の中にも存在してはいない。だからといって不可視の領域に身を隠し、可視的なイメージに置換される瞬間を待っているのでもない。それは、どこにもいないし、姿をみせるときも定かではない。だから、それをさがしあてる「方法」も存在していない。人が何かをさがすのはきまって風景の内部だし、「方法」もまたそこに閉じこめられている。遭遇は風景なしに起る。遭遇とはどこまでも表層の体験なのだ。怪物は、いっせいにせりあがってくる深さの運動として存在を垂直に貫く。遭遇は舞台装置を欠いているのだ。そして後に思い出される過去の体験となることのない、徹底した現在のできごとである。だから物語られる遭遇というのはありえない。名高い小林秀雄のランボー体験、モーツァルト体験などは、いずれも遭遇の物語であり、舞台装置や背景までが詳述されている。これは風景の中での制度的な遭遇にすぎず、いわばよくできた思考のメロドラマだ。しかしこのことはすでにもう書いたからくり返すまい。これはいかなる意味においても畸型の怪物との遭遇ではないのだとのみ、ここで記しておけばよい。たまたま不可視であったものが可視的になったというまでのことだ。  では、どうすればよいか。怪物は風景の中に身を潜めてはいない。物語の中にも姿を隠してはいない。それは風景を崩壊させ、物語を廃棄する力である。それなら、崩壊する瞬間の風景、廃棄される瞬間の物語を視界におさめるべく、とりあえず[#「とりあえず」に傍点]風景に視線を注いでみたらどうか。風景を信ずるふりを装うこと。そして、戦略的に倒錯しつつ、物語の分節作用に身をさらしてみる。あくまで、正当な理由もないまま、とりあえず[#「とりあえず」に傍点]解読者の瞳を風景に注いでみる。できることなら、装置の馴致=忘却=抽象化機能に忠実なふりを演じつつ、しかし瞳だけは思考から離脱させたまま、しかも視覚的な比喩による修辞学の罠には陥ることなく、いまが風景の時代だなどとつぶやいてみてもよい。これは困難であっても、残酷なる体験ではない。たとえば、誰もが日常的にやっているように、小説でも読んでみればよい。さいわいなことに小説は言葉で書かれている。とりあえずの解読者は、だから言語という風景にふさわしく自分の分節化をうけいれればよい。さしあたって、小説の読み方はそれをおいてはないのだから、その仕草がいかに制度的で硬直化したものであろうと、風景の構図にしたがって言葉の連鎖をたどってゆく。ただ、思考が視覚の比喩ではなく、両者の関係はその逆なのだという意識だけは堅持しよう。言語の風景が視覚的風景の比喩ではなく思考の風景の比喩であるなら、その風景の贋の表層には必ず時ならぬ亀裂が走りぬけるはずだ。というのも、言語の風景は、現実に瞳が捉える風景のようには決して満遍なく存在や物質の顔だの表情だのによって充たされてはいないからである。つまり、最初の一行から最後の句読点まで言葉のみで書かれている一篇の「作品」の連続的等質性は、風景としてある言葉の絵画にとって必ず過剰なる部分を含んでいるからだ。思考が記述した言語の風景は、ついに「作品」の連続的等質性を凌駕しえず、あたりに思いがけぬ割れ目や陥没点をうがたずにはおかぬはずなのだ。  言語の風景とは、いうまでもなく体系としての一国語、不可視の潜在的な秩序としてのラングにほかならない。一般的な理解にしたがえば、可視的にして顕在的な個人的な言語行為、つまりパロールは前者の不可視の拘束力に従ってはじめて可能となるとされている。だが、その不可視の潜在的なる体系の社会的側面というものは、視覚的な風景のような連続的な等質性におさまってはいない。それには、思考が対象たる一国語の体系の完璧なる記述にいまだ到達しえていないからだし、また不可視なるものの表層を可視なるもので埋めつくすということは不可能なのだ。だからその体系を、風景の絵画的構図の連続的等質性と比較することはできない。風景の構図は、どこまでも風景によって緊密に、かつ連続的に充たされていて、どんな細部をとっても間違いなくそれは風景である。しかし、風景としての言語には、どこで言葉でなくなるかというその限界も定かではないし、また言葉によっては充たされていない隙間がうがたれているかどうかを確かめる手段すらないのだ。それが可能であるかに思われているのは、風景の時代が煽りたてる視覚的比喩を誰もが自然なものと錯覚し、空間的な修辞学に言語活動を従属させてしまっているからにほかならない。それはまた、不可視を特権化する風景の時代の制度的思考とでもいうべきものかもしれない。  瞳を思考から離脱させてとりあえず言語の風景に視線を注ぐふりを装うものは、だからこう断言することができる。言語活動にあっての個人的な発話は、たえず、不可視の社会的な体系よりも充実している。その充実ぶりは、もちろん、発話内容の価値の問題ではない。連続的な等質性という点で、きまって潜在的なる体系より充たされているのだ。そしてこの充実ぶりが、不可視の潜在的な体系の分析と描写とを可能にするのである。だから、個人的な発話は、ごく低いつぶやきから理論的な言説、さらには一篇の小説といった「作品」にいたるまで、たえず体系を凌駕すべき必然を担っている。というのも、人が体系なり構造と呼んでいるものは、それを分析し描写する言葉によって可視的な領域に浮上する過渡的な不可視性しかまとってはいないからである。なるほど体系を分析し描写する言葉は、きまってその潜在的な拘束力をこうむっているから発話可能となり了解可能ともなるだろう。だが、あらゆる発話がその限りにおいて了解可能だとするなら、言語とは一つの規範にすぎず、抽象的な秩序として変動の契機を欠いていることになろう。ところで日々の言語体験は、言葉がそうしたものでないと言葉自体に教え続けている。規範と思われるものの逸脱は、決して容認されぬわけではないし、その逸脱が新たな規範として容認されさえする。だから、かりに言葉が規範であるなら、それはもっとも出鱈目なものだとさえいえるのだ。つまり、それは隙間だらけの風景なのである。  ところで、個人的な発話には隙間がない。とりわけ書かれたものとしての「作品」は、連続的で等質な秩序としての具体性をそなえている。「作品」とは、それが言語の連鎖として完結しているというその定義からして、体系としての言語にとっては過剰なる何ものかである。それを言語という風景の上に位置づけた場合、その構図は亀裂や割れ目、思わぬ陥没点に蔽われて徐々に崩壊してゆくだろう。逆に「作品」が風景としての言語を包みこみ、必然性を欠いたやり方でそれを支えることになりもするだろう。風景という贋の表層は、そのとき表層であることをやめ、「作品」こそが真の表層に浮上することになる。つまり、「作品」こそが畸型の怪物にほかならなかったわけだ。誰もが怪物を知っているのは、だから当然だろう。怪物としての「作品」は、風景の構図にいくつもの線を走らせ点をうがち、それを割れ目や穴にまで拡大していって、遂には表層としては機能させなくしてしまう。それが怪物の教育といわれるものだ。しかしこの教育は、誰もが享受できるわけではない。ほとんどの者は「作品」を風景の中に据えてみるままで満足し、風景の崩壊に立ち会おうなどとは思ってもみない。そこに解読と「批評」の違いがある。「批評」とは、「作品」を風景に対する荒唐無稽な過剰として機能させ、風景を崩壊へと導く読み方にほかならない。  いうまでもなく、あらゆる「作品」があらゆる瞬間に風景を凌駕するとは限らない。「作品」を荒唐無稽なる過剰に仕立てあげる「方法」が用意されているわけでもない。それは、あくまで風景を超えた体験、生と死とをともに肯定する聡明で残酷な、寛大で愚鈍な体験なのである。畸型の怪物との遭遇が語られねばならないのは、風景の時代の物語が、思考をひたすら解読にのみ誘い、あらかじめ「批評」への欲望を禁じているかにみえるからだ。しかし「批評」とは、制度にとって過剰なる何ものかと積極的に戯れることにほかならないのだから、解読とは比較にならない危険な試みだというべきだろう。いまこそ、「批評」へと向けて思考を組織しなければなるまい。  しかし、いまではもういうまでもなかろうと思うが、「批評」とは文学と呼ばれる「知」の「制度」に固有の身振りではいささかもない。「文化」のあらゆる領域に畸型としての怪物と遭遇する契機は散乱しており、しかもそれらは、不可視の世界に潜在的可能性として身を潜めていたりはせず、あからさまなあつかましさで表層にせめぎあう過剰なる顕在性とでもいうべきものだ。だから、「批評」は不断に更新さるべき日常的な体験であり、決して文学を特権化したりはしない。世界には、遭遇の契機が過激な顕在性を誇りつつあたりに充満しているので、この過剰な充実ともいうべき息苦しさを何とかやりすごそうと、風景の時代の物語は、思考を不可視の領域で戯れあう顔や表情の解読へと誘わんものと躍起になっているのだ。だから風景と呼ばれる装置の究極の機能は、抽象化によって充満を希薄化する作業だといえるだろう。風景は過剰を恐れ、体系化によってこれを薄め、引きのばそうとする。ところで、肝腎なのは風景の希薄化装置の必死の作動ぶりを正当化する客観的な理由などなに一つ存在してはいないという点である。風景は希薄化する。しかしその希薄化作用は、いかなる正当なる基盤も持ってはおらず、ただ風景が風景であるために風景は希薄化しているというにすぎない。人は、そうした身振りを醜い自己正当化と呼んでいるが、その点をめぐって風景はいささかも例外たりうるものではない。だから風景は、その本質において出鱈目なものだということができる。そしてその希薄化装置の機能ぶりもまた、荒唐無稽だといえるだろう。風景は教育するというとき、その教育もまた、徹底して荒唐無稽というほかはないのだ。  共鳴と響応[#「共鳴と響応」はゴシック体] 「制度」が恐しいのは、それが完璧なる秩序として世界を体系化し、さからいがたい磁力によって組織してまわるからではない。正当性を欠いた出鱈目さで世界を希薄化し、抽象的であるが故に完璧さを誇りうる風景を世界の顔に仕立てあげ、その顔、その表情、その姿でしかない薄っぺらな贋の表層を世界の自然なる相貌だと錯覚させる荒唐無稽な物語をあたりに蔓延させるが故に、それは恐しいのだ。「制度」をめぐって口にされるほとんどの言説は、「制度」を充実した秩序として、つまり存在をそっくり包みこむ等質で連続的な環境として捉え、また装置の機能ぶりを完璧なものとして、すなわち不断に作動する恒久的な仕掛けとして促えた上で、これを良き秩序、あるいは悪しき装置として解読し、あるいは擁護しあるいは批判する。こんにちの反=制度論のほとんどが陥りがちな陥穽は、このように「制度」を悪しき装置として批判することで風景の変容を志向することに思考の身振りの基盤を置いている点にある。資本主義や共産主義は、しかし、良い秩序であったり悪い秩序であったりする以前に、何よりもまず秩序として荒唐無稽なのであり、不完全でしかないので完璧さを装う仕草がどこまでも荒唐無稽であるが故に「制度」として機能しているにすぎないのだ。だから、教育装置としての風景が必死に選択するこのせっぱつまった荒唐無稽を、寛大にして残酷な、聡明にして愚鈍なる荒唐無稽によって戸惑わせねばならない。それが「批評」の具体性というものだ。具体的な[#「具体的な」に傍点]、というのは生と死にかかわる体験として、ということだ。その具体的なる体験を引き寄せるには、過剰なる顕在性として表層にたち騒ぐ存在や物質を、視覚的な比喩を介することなく、無媒介的に共鳴させねばならない。だから遭遇とは、媒介を欠いた直接的な体験なのである。  たとえば個人的な発話としてのパロールを、その可視的な顕在性そのものとしてではなく、不可視の潜在的体系を背景に据えることで、つまりは言葉の風景の構図との関係で理解するというのは直接的な[#「直接的な」に傍点]体験ではない。流通する「記号」としての言葉はたしかにそんなふうにして解読されるし、それを可能にする差異の一覧表を解読板として思い描くこともできる。現代の言語学とはそんなふうにして成立したのだし、またそれなりの発展もとげてきはしただろう。だがこの成立も発展も、生と死とを虚構化することではじめて可能となった風景の物語でしかない。それは、視覚的な比喩を制度化することで思考を身振りから引き離し、同時に愚鈍さともなりうるあの聡明さを「知」に置きかえることで、荒唐無稽なる体系を希薄な秩序として語りつぐ抽象的な物語でしかないのだ。そこには遭遇はない。だから、個人的な発話が過剰なる荒唐無稽として「制度」の希薄な荒唐無稽を超える契機は含まれていない。思考は、あくまで瞳に従属しつづけている。できごと[#「できごと」に傍点]は、なおも禁じられたままである。  では、瞳と思考との離脱は、現実に可能なのか。問題はその可能性を問うことではない。瞳を剥奪された思考が過剰なる荒唐無稽として風景の希薄な荒唐無稽を凌駕するできごとが、きわめて生なましい具体的な事件として体験されているのだ。  ここに、「手記・脳外科手術者の復権」と副題された『失語症の歌』(山田一彰著、ぶどう社)という書物がある。これは、いまからほぼ十年前に「クモ膜下出血」と診断された一人の患者が、その症状のさし迫った危険を回避するためにみずから求めた大脳の部分的摘出手術の後に、術後障害としての右手と右足の機能欠損を克服しつつ、さらには失行症・失認症からも立ちなおるまでの困難な過程が語られているいわば社会復帰の記録である。手記の記録者である山田一彰その人が永年いわゆる障害児教育の現場に身を置いていた教育者[#「教育者」に傍点]であったという事情がこの記録をさらに貴重なものとしているが、ここで強調したいのは、「一旦は文字を失い、更に文字を媒介とした思考力にまで障害が及んだ」というその著者が、「何とか正常な人間らしい状態にまでは復したいと願い」つつ払った想像を超えた努力と、その努力を援けた周囲の人びとの理解ある行動が喚起しうる感動を追体験することのみ[#「のみ」に傍点]にあるのではない。そうした感動的な側面を多く含んでいる貴重な記録だとはいえ、物語としては[#「物語としては」に傍点]他のもろもろの制度的な書物に恥しいまでに酷似しているこの一冊の書物がなおも感動的であるとしたら、それが、「障害のゆえに正常な人間として扱ってもらえないことはいかにも不当に感じられた」著者が遂にはたしえた社会復帰の記録、つまりは正常化[#「正常化」に傍点]の物語である以上に、「制度」としての社会を超えた遭遇がそこに生なましく綴られてもいるからだ。それは、失われていた言葉がいかに患者に蘇ったかを語る部分に述べられている、過剰なる顕在性としての言葉との遭遇の体験なのである。  著者が手術後の後遺症として耐えねばならなかったのは、方向や距離の意識が曖昧化する失行症・失視症とよばれるものであり、その結果として彼の言語活動のある側面は正常な機能を失う。話す能力は徐々に回復しはしたが、しかし「ひらがな、カタカナ、漢字も全て、書くことはもちろん読むことも困難になった」のだ。もちろん、「失行症・失認症」による言語機能の欠損に関する医学的な「知」はすでにしかるべく体系化されており、したがってリハビリテーションの「方法」も存在していないではない。同書に資料としておさめられた鎌倉矩子の言葉にもあるとおり、「治療に関する論文は非常に少ない」ようだが、その徴候群はいちおう分類できるし、そうした医学的な「知」の風景の構図のなかに患者を位置づけることも決して不可能ではない。事実、そうした風景の物語にしたがっての教育が実践される。  言語の再教育に関していえば、左右や東西南北を認識しがたいという障害があるので、まず、患者は風景を失ったという事実の克服が試みられ、同時に、漢字はまったく書けず、また文章を読んでもその意味が判然としないので、伝達手段としての文字の回復が気長に続けられる。いうまでもなくその治療は体系的な方法によって行なわれる。障害の核[#「核」に傍点]を発見し、仮説を設定し、治療法を立案した上で実施し、患者の反応を見るというその過程は、明らかに風景の構図を解読するプロセスにほかならない。つまり、あくまでもその有効性が問われることになる過程であり、顔や表情の戯れの方向や距離の計測作業がその結節点を確認してゆく。患者は、その物語のしかるべき説話的要素として自分の分節化をうけいれているわけだ。ここでは、教育装置としての医学的風景が、患者の身振りを方向づけ、その方向に馴致させてゆく。物語は、視界が澄みわたり、その細部の輪郭や陰影が浮きあがるのを待っているのだといってよい。患者は、「知」の説話的欲望に忠実なまま、右手の機能訓練の意味もかねて、意味もわからぬまま、文字の記憶を回復することもなく、毎日機械的に文章を写しとる。しかし、文字は患者にとってあくまで他であり続けている。自分の意志を伝える文章はまだ書けないからだ。したがって、ここまでの段階は、患者の言語活動はあくまで不可視の潜在的な体系に従属していたというべきだろう。すでに述べたごとく、たとえば小説は言葉で書かれているのだから、言葉の風景の一点にその小説を位置づける試みなしには小説は読めないという現実をとりあえず容認せざるをえないように、患者もまた、この段階までの物語はとりあえず肯定しなければなるまい。これは決して不当な試みではないばかりか、正当化されうる過程だといってよい。  だが、風景はその物語の必然的な続きとして患者に言葉をもたらしはしない。言葉は、ある時、何の前触れもなく存在を不意撃ちするのだ。物語の説話的欲望を不意に廃棄し、風景の構図を崩壊させずにはおかぬある過激さで、患者の存在そのものを揺るがせるのだ。それは、ほとんど荒唐無稽の過剰として、患者を当惑させるのである。 「いつものように日課としてひらがなの五十音を練習したあと」と、山田一彰は予兆の不在を強調しながら記している、「それとなく鉛筆を動かしているうちに、ひらがなだけの字ではあるが『自然』に文章らしいものが書けるではないか。『そんなわけはない』と私は一瞬自分を疑った。今それが残ってはいないので何を書いたかはわからないが、確かに書けたのである。まるで接触不良でつながらなかったコードがピタッとつながって一遍にグワーンと動き出したように、それは全く突然やってきたのだ」。  それにつれて興奮がたかまり、そのできごとによって不意に患者であることをやめはじめた山田一彰は「気持にあることを少しでも多く吐きださんばかりに書きまくった」。そしてこの体験を「一つの起爆剤」として、この書物が可能となったのである。  聡明なる愚鈍さとは、思わず自分自信を疑わずにはいられないこの喜ばしい当惑のことではないか。寛大なる残酷さとは、ひたすら書き続けずにはいられないこの身を切るような興奮のことではないか。そして畸型の怪物という比喩で語ってきたものは、この言葉のあつかましくも生なましい表層的な戯れではないのか。山田氏は、欠けていた言葉を回復[#「回復」に傍点]したのではない。過剰なる言葉と遭遇[#「遭遇」に傍点]したのである。それは文字通り死をはらんだ生の体験といってよい。そしてそれは、医学的風景の不可視の構図を舞台装置として演じられた教育の物語ではない。その風景を超えた、そしてその構図を包み込みもする充実したできごとである。ありとあらゆる「制度」にとっては徹底して過剰な、時空を廃棄する事件なのである。社会復帰者の喜びの物語であるとともにそれ以上に、過激なる顕在性を誇る言葉たちとの、距離を欠いた、直接的な遭遇の物語なのである。そこでは、思考が身振りと同じ一つの運動をかたちづくる。聡明さと愚鈍さが、寛大さと残酷さが無媒介的に共鳴し、響応しあっているのだ。そして、一回限りの現在が、再現不能のできごととして体験されているのだ。言葉が存在を教育したのではない。言葉と存在との時空を超えた遭遇のうちに、教育が起ったのだ。そして、どこでもない場、いつでもない時に成就したこの教育にあって、風景としての医学はどこまでも二義的な役割しか演じてはいない。患者は教えられたものを学んだのではなく教育と呼ばれる体験を生産したからである。もちろん、医学的な「知」に加担しつつ患者の治療にあたった人びとの善意ある努力がすべて無意味だったというのではない。教育装置としての医学的風景がその範囲内で有効に機能したことはいうまでもないし、何よりも治療者と患者との間に成立した信頼関係がこの遭遇を遙かに準備していたのは間違いのない事実であろう。にもかかわらず、この遭遇は、そうした医学的な「知」と人間的な善意とを超えたできごととして、科学である限り決して完璧であったわけではなかろう「知」的体系と、人間である限り不断に持続したのでもなかろう善意とをともに肯定しうる聡明なる寛大さを身にまとうのだ。この体験には、いかなる隙間もないし、割れ目もないからである。  個人的な発話の顕在性が社会的な体系の潜在的不可視性を凌駕するとはこうした具体的な体験にほかならない。そして、山田一彰の書物が社会復帰の一例として語っているこの事件=できごと[#「できごと」に傍点]は、断じて病気とその困難な回復の物語に尽きるのではない。それは、世界に対して存在がとるべき姿勢の理想的な典型として人に勇気を与える物語以上のものである。制度を語る人間が陥りがちな思考と身振りの抽象性を指摘する真の「批評」の実践がそこにあるからだ。不可視を可視に置きかえる解読の視線の限界を瞳と思考との離脱によって超えている点が重要なのである。そして、思考のあらゆる領域を犯している視覚的修辞学がもてあそぶ贋の距離感と方向意識とを狂暴に廃棄している点が感動的なのだ。  言葉の夢と批評[#「言葉の夢と批評」はゴシック体] 「批評」とは、あくまで過激な顕在性の共鳴であり、媒介を欠いたもの同士の響応現象にほかならない。そしてその直接的な共鳴と響応とが、聡明な愚鈍さと寛大な残酷さとで「制度」をつつみこみ、その限界を指摘することだ。言葉は、この聡明な愚鈍さと寛大な残酷さとを夢見つづけている。夢見るといっても、かつてそうありえたはずの自分への郷愁とか、やがては到達すべき理想への欲望といったかたちで遙かに夢想しているのではない。実現さるべき現在へのたぐいまれな資質として、それを夢見ているのである。すでに述べたことからも明らかなように、その夢は、「制度」を侵犯することで達成されるある種の無秩序に向けて自分を組織したりはしない。「制度」とは、その侵犯を夢みるほど完璧なものではないからだ。侵犯を夢みることは、完璧でもない「制度」をあたかも完璧であるかに錯覚することでそれを支える、きわめて「制度」的な物語でしかない。青春といった一時期を通過しつつある世代、あるいはその模倣者の一群がしばしば破廉恥なまでに反動的なのは、そのためである。言葉が夢みるものは「制度」の侵犯ではない。それは、断じて完璧なものではない体系としての言語を包み超えながら、その隙間で目覚めることなのだ。そのためには、あたかも自分がその体系に従って組織されているかに振舞いながら、とりあえず言語と呼ばれる風景の中に身を置いてみることだ。実際、それをうけいれることなしにはいかなる発話行為もなりたたないだろう。そこには構図があり、中心があり、距離感と方向意識も堅持されている。たとえばその距離感と方向意識に従って人は小説を書き、詩を書き、批評を書く。もちろん、そこには直接的な共鳴や響応は禁じられているかにみえる。あるのは、距離と方向とに操作された媒介の戯れにすぎない。この媒介の戯れが演じつづけられている限りにおいて、人は、多少とも難儀することはあっても、どんな小説であろうと読むことができる。つまり、言語的な風景のしかるべき一点に自分を位置づけることができるのだ。というより、そうするための努力は、あらゆる瞬間に、風景によって容認されうるだろう。これが、すでに「解読」の一語で定義しておいた体験であり、その過程を軽視すべき理由は何ひとつない。だが、問題は、この「解読」が、風景の構図の完璧さを過信する抽象性をまとうほかはないという点にある。しかもその過信は、しばしば人を安堵させ、怠惰へと導く。  この安堵感と怠惰を回避するには、瞳を風景から離脱させるしかない。そして、そこに過激な顕在性を共鳴させねばならない。そのとき「作品」が、媒介を欠いたもの同士の共鳴として風景を垂直に貫く。もちろんその「作品」とは、あの小説この小説といった個々の創作の謂ではなく、その瞬間のみに成就する存在と言葉との遭遇にほかならない。つまり、そこに具体的な教育が生産されるのだ。だが、この教育を生産するための方法は存在しない。というのも、すでに述べていたことからも明らかなように、方法は風景の上に距離感と方向意識とを伴って刻みつけられているものだからである。かりにここで方法に言及しうるとするなら、方法は、まぎれもなく機能した戯れとして生きられただけのことであり、言語との遭遇を体験した存在があらかじめそれで武装していたわけではいささかもない。方法とは、ある瞬間、不意の唐突さで存在を不意撃ちするものであり、その不意撃ちが、「作品」に、風景の隙間で目覚めることを許すのだ。『失語症の歌』の著者は、明らかに、医学的な「知」の風景にうがたれた亀裂の中で目覚めたのであり、その体験そのものが風景の構図を包み超えていたのである。  これは、一人の失語症患者に特権的な、例外的体験ではいささかもない。もしこれを、あの退屈な不健康と健康との弁証法的な視点で解読するならば、それは一人の健康回復者の物語でしかなく、患者の執拗な意志の勝利を讃美することですべては終ってしまうだろう。失われた言葉を奪回した勇気ある不健康者の物語。  だが、言葉はここで再発見されたのではない。言葉と存在との無媒介的な遭遇が生きられたのであり、そのことで救われたのは、決して患者ばかりではなく、言葉もまた救われたのだ。つまり、存在は、言葉の夢の実現にはからずも加担したのである。そして、それこそ、読むという言語体験を介して人が日々実践していることにほかならない。  われわれがあくまで「文学」にこだわるのは、文学という「制度」が、こうした体験にとってあくまで無防備にその表情をさらしているからだが、あれこれの文学[#「文学」に傍点]的著作が、たえず「作品」として迫ってくるのでないことは、いうまでもなかろう。それらの言葉が住まうのは、あくまでも「制度」としての文学的な風景の内部にすぎない。彼らは、その構図に従って解読される権利を持ってすらいる。それは、距離感と方向意識とが正当化する権利である。ところで言葉の夢は、正当化された獲得ではなく、理不尽な、ほとんど荒唐無稽な言葉自身の資質だ。そしてその資質は、みずから表層たろうとする理由を欠いた磁力として存在を不意撃ちする。その理由を欠いた磁力は、視線の対象ではなく、いっせいにおし拡げられた存在の表層にとっての嫉妬の対象にほかならない。聡明な愚鈍さ、寛大な残酷さを正当な理由もなくねたましく思うこと。言葉が、潜在的な不可視の体験ではなく、過激な顕在性としておし拡げられた存在を距離なしに、無方向に包む無媒介的な環境としてあることを夢みること。それには、文学のみならず「知」のあらゆる領域で、あの波がしら、あの蒸気船、あの湿った綱、あの白い壁、あの髪、あの日傘、あの扉、あの噴水、あの手袋といったものを、構図を超えて響応させねばならない。あの声、あの身振り、あの空、あの水、あの炎、あの老眼鏡、あのペン先。そしてあの長方型、あの円運動、あの直線を共鳴させねばならない。とりわけあの美しい畸型の怪物たち、あの過激なる現在を荒唐無稽古に嫉妬しなければならない。 [#改ページ]   あとがき[#「あとがき」はゴシック体]  ここにおさめられた五つの文章は、いわば肉体的なエンターテイメントを目指しつつ、ここ五年ほどのあいだに書かれたものである。肉体というのは、いうまでもなく言葉の肉体であり、従って、ある種の生理的な反応を、運動の領域に惹起できればというのがこの書物の目指すところであったのかもしれない。嘘か本当かは知るよしもないし、たぶん嘘だとは思うが、この書物の中にその名前が少なからずひかれている現代日本のもっともすぐれた小説家は、目次に蓮實重彦の名前が印刷されているのを見ると、その雑誌を即座にくず籠に放りこんでしまうという。たぶんに誇張されたものであろうこの挿話は、しかし、かりにそれが徹底した虚構であったにしても、たまたま目次を目にした場所がくず籠から遠かったりした場合、その小説家が、書斎の空間を横切って雑誌を投げとばすという、ピンチランナー目がけての牽制球を投げる投手のような仕草を想像させるという意味で、運動論的な感動を波及させてくれる。また、この小説家ほどすぐれているわけではないがそれなりに大家として知られる作家の一人は、日本語が滅茶滅茶になったことを立証する一例として、ここにおさめられている文章の一つの冒頭の部分を、その流れゆく日々の一日に「一時間かけて」写しとってある雑誌に発表したのだが、その一時間が彼に強請しただろう生理的疲労を思うと、この挿話もまた、やはり感動的であるといえる。「知」的に読まれることだけは避けたいと願っていたこの書物が、これほど直接的に肉体にうったえかける生理的=運動的な反応を期待しうるとは思ってもいなかったので、この事実には率直に感動せざるをえなかったのだ。  いうまでもなかろうが、この書物に含まれている幾人かの作家や批評家への批判は、もっぱら言葉の肉体的な運動の一つとして試みられたもので、いささかも「知」的であったり精神的[#「精神的」に傍点]であったりはしない。かりにそれがいささか暴力的な印象を与えるにしても、そこにはいかなる内的な屈折もないもっぱら表層的な運動が演じられているにすぎず、その責任は精神として[#「精神として」に傍点]背負いこまれるべきものではない。いってみれば、それは理不尽な暴力のための暴力であって、一撃をくらうのは言葉の肉体にすぎず、たまたまその言葉を書いた当の人間の精神だの心だのであろうはずもない。そして、言葉がその肉体にうけとめる生理的な痛みこそ、真の表層的批評にふさわしい体験なのだ。  この五つの文章は、雑誌『展望』に四回、雑誌『現代思想』に一回掲載されたものにいくぶんか加筆したものである。そのつど、編集を担当された筑摩書房の森本政彦氏、児玉浩之氏、ならびに青土社の三浦雅士氏の肉体の表面へと向けて、生理的な暴力として投げつけるつもりで書かれている。三氏の反応を充分な刺激としてわが肉体の表面にうけとめえたか否かはいまだ徹底して究明されたとはいいがたいが、この生理的な葛藤にその肉体を提供された三氏に対しては、精神を経由することのない感謝の念がささげられねばならない。とりわけ、これが書物としてまとめられるに際しても幾多の労力を提供された森本氏、ならびに前著『反=日本語論』いらい装幀を担当された中島かほる氏に対しては、この感謝の念が何層倍か拡大されねばならぬだろう。   一九七九年九月 [#改ページ]   文庫版あとがき  いかにももっともらしい『表層批評宣言』という題名は、ほとんど大袈裟というに近いそのもっともらしさにおいて書物を華々しく裏切ることになるのだが、その裏切りは、「ある種の生理的な反応を、運動の領域に惹起できれば」という夢をはらみつつ、「いわば肉体的なエンターテイメントを目指し」て書かれたという著者の「あとがき」にもはっきり露呈されているように、二重三重のものである。  まず、『表層批評宣言』という六つの漢字のつらなりは、表層を批評するぞと宣言すると翻訳さるべきか、表層において何ごとかを批評するぞと宣言していると翻訳さるべきなのか、あるいは批評宣言を表層にかさねあわそうと翻訳さるべきなのかさっぱりわからない。いずれにせよ、文中で触れられてもいるとおり、表層は、あるとき、荒唐無稽な力をあたりに波及させながら回帰すべき現象であって、たえずそこに在るというものではないのだから、表層批評宣言なる六語の組み合わせをどのように翻訳するにせよ、それが方法確立の宣言などであろうはずもない。  では、そこでは何が宣言されているのか。これは、何も宣言されていないとみるのが順当だろう。だから、「あとがき」で「肉体的なエンターテイメントを目指」すとでも書くほかはなかったのである。だが、そこで目ざされている肉体が「言葉の肉体」だとことわられているとはいえ、いくら何でもそんなものが「表層批評」の実践であろうはずはなかろうし、また、みずから実践しているのでもない方法を「宣言」したりするほど、著者が無責任だとも思えない。  にもかかわらず、『表層批評宣言』という書物が出版されて以後、蓮實重彦の方法を表層批評[#「表層批評」に傍点]だとあっさり宣言[#「宣言」に傍点]してまわる人間が一人や二人でなかったところをみると、この題名は、他人を安心させるための装置だったのかもしれない。いったい、どれだけの人が、蓮實重彦は表層批評だと宣言して批判を展開したことだろう。題名をかたちづくる六語の漢字は、蓮實重彦は表層批評だと宣言する多くの他人たちの言葉に翻訳されるのがもっともふさわしいものだったのかもしれない。  著者は、かつてある対談の中で、『表層批評宣言』を「誰かによって映画化されるのを待っている出来そこないのシナリオ」と呼んだことがあったが、批判というかたちでその映画化を買ってでる者は、その後もあとをたたない。著者自身としては、批判という心の動きは徹底して十九世紀的で、現代では実践的な意味を失った知的饒舌の一つにすぎないと思っているが、それでも、批判という試みに魅力を感じ、何がしかの善意からそれを行う者が残っているのはわからぬではない。今日にふさわしい振舞いは、しかし批判ではなく肯定である。肯定とは、もちろん自堕落な容認とは異質のものだが、いまはその点は詳述しない。ただ、蓮實重彦は表層批評だと宣言した者たちが、きまって批判を口にする善意の、だが前世紀的な退屈さに自足した人びとであったという点だけは指摘しておく。  たとえば前衛を自称するある政党の機関誌的な役割を演じている文化的な定期刊行物の一つで、さる大学の教官の一人は、蓮實重彦の方法は表層批評だと素直に宣言したうえで、その方法は天皇制の擁護につながる悪しき思惑を隠しているとこともなげに指摘し、その批判に思いもかけぬ娯楽性を導入した。正直に告白すれば、この種の趣味の悪い冗談も決して嫌いでない。だが、こうした試みがナンセンス喜劇として成功していないどころか完全に失敗しているのは、批判という時代遅れの目的を達するために、論者が、そのあからさまな悪趣味ぶりにもかかわらず、どこかで生真面目さと妥協して、自説の結論を本気で信じ始めてしまっているからだ。そういう姿勢を悪しき表層批評というのではなかろうか。ここで名実ともに表層批評を宣言しているのは、特に名前を挙げるまでもあるまいその論文の筆者のような気がする。  悪しき表層を表層それじたいから識別するものは何か。結論、である。批判を盲信する者が導き出す結論、それは豊かな性体験を性器の露呈と勘違いすることに似て退屈で醜い。『表層批評宣言』で夢見られている回帰すべき表層とは、結論だの、それを導き出すための批評への盲信をたえず回避しつづける。であるが故に、それは、とりあえず表層と名づけられるまでのものなのだ。その表層を、『表層批評宣言』の著者は決して所有してなどいない。  前文にあたる「表層批評宣言に向けて」にも記されているように、これは「表層の顕揚を志向しつつもろもろの距離と深さとにとらわれて生きるしかない書物」である。そんなことは、当り前だろう。ところが、それがちっとも当り前でない時代が、きわめて近い過去に存在していたのである。『表層批評宣言』といった曖昧な題名の書物が刊行されてしまったことじたいが、その事実を証明している。われわれは、まだ、野蛮な時代からさして遠くない世界に暮しているのだ。その点に、この書物がいまなお読まれうる理由がかろうじて存在している。  この書物の主題が、「自由」と「不自由」とのとり違いにあることは冒頭から指摘されているが、だからといって、筆者ひとりがその錯覚をまぬかれ、「不自由」な身振りの数かずを笑ってやりすごそうというのではない。『表層批評宣言』が明らかにしている唯一のことがらは、その著者が、この種のとり違いを嫌いでないばかりか、それにひとかたならず執着しているという事実である。ちょうど、『物語批判序説』という同じ筆者の別の書物が、物語を批判するというより、物語なるものに深い執着を示しているのと変らない。この執着が肯定へと姿を変えるには、表層が回帰しなければならぬ。そして、著者が、その表層をたえずとり逃していることはいうまでもない。その意味で、『物語批判序説』がそうであるように、『表層批評宣言』は、あらかじめ失敗を運命づけられているし、またその題名も、たえず書物を裏切り続けるほかはないだろう。  この裏切りと失敗とは、しかし、ある一つの時代と社会とがかかえこんでいる「不自由」を、かなり真摯に告白しているように思う。真摯に[#「真摯に」に傍点]という場合、それがある遊戯性とともに演じられざるをえないことを、読者は、とうの昔に気づいておられるに違いない。 [#改ページ]   自筆年譜 [#ここから改行天付き、折り返して1字下げ] 昭和一一年[#「昭和一一年」はゴシック体]四月二九日、東京に生まれる。かつての天長節。大日本帝国の特権的な祝日が名前こそ変わっても今日まで祝日としてうけつがれていることの不条理を、毎年一度ずつ思い知らされる。新婚当時の両親は、青山一丁目に住んでいたというが、特高警察がしばしば笑顔で縁側に姿を見せたというその家はまったく記憶にない。幼時の思い出は、母方の祖父宅(麻布六本木)に移ってからのものがもっとも古い。 昭和一五年[#「昭和一五年」はゴシック体](四歳)。たぶんこのころ、現在の住居(世田谷区羽根木町)の新築の家に引越し、近くの中原幼稚園に通う。 昭和一六年[#「昭和一六年」はゴシック体](五歳)。四月、私立雙葉幼稚園に入園。その後、名高い国文学者(あえて書物を著さぬことで知られる近代日本文学研究者)の令嬢であることを理解する混血の美少女の存在に、世界の思いもかけぬ拡がりを教えられる。いっぽう、美しいクラスメイトの一人が家族とともに満州に移住する事件で、貴重な異性が不意に視界から姿を消すこともあるのだという現実を知らされる。同じ時期に起った父親の出征には、その不気味を味わうことがなかった。新宿駅からいずこへとも知れず去った父からの最初の絵葉書で、彦根という都市の存在を教えられる。母と二人暮しとなり、麻布の祖父母の家に移る。 昭和一八年[#「昭和一八年」はゴシック体](七歳)。四月、学習院初等科に入学。この頃、静岡市の父方の祖父母の家を訪れ、特急燕号がホームに滑り込む瞬間の迫力にうたれる。ただ、特急列車では、理由もなく鴎号を好んでいた。 昭和一九年[#「昭和一九年」はゴシック体](八歳)。秋、戦況思わしくなく学校での授業が休みとなり、祖父方の田舎である長野県上伊那郡小野村に疎開。小野村国民学校に転校。田園生活の不気味なほどの明るさの中に時間の経過を忘れる。 昭和二〇年[#「昭和二〇年」はゴシック体](九歳)。秋、沼津市桃郷学習院遊泳所に備設された校舎で、小学校三年次の授業を受ける。敗戦後に初めて母と離れた生活を行うがそこで国語の教科書に墨を塗る作業を実践。 昭和二一年[#「昭和二一年」はゴシック体](一〇歳)。四月、東京の現在の住居に戻る。八月、父の帰還。ジャワからシンガポールへと移った気象観測隊の隊長であったことを知る。父、帝室博物館から国立博物館へと名を変えた勤務先へ通う。 昭和二四年[#「昭和二四年」はゴシック体](一三歳)。四月、学習院中等科へ進学。陸上競技部と演劇部に入り、それなりの活躍をする。三島由紀夫の文学を知る。同時に、『チボー家の人びと』でフランス文学を知り、さらに映画の魅力にとりつかれる。勉強はした記憶がない。三年のとき、陸上競技の新宿区大会で圧倒的な総合優勝をかちとったとき、負けた他校の選手たちの一人が、「あいつら、勉強もしないで練習ばかりしてるんだろうな」と洩らすのを耳にして、しばし考え込む。野球の全盛期。部には入らなかったが、放課後は野球に明けくれた。他方、河出書房の市民文庫を読みあさる。当時買った本でいま手もとに残っているのは、三笠書房版の飯島正『フランス映画』のみである。 昭和二七年[#「昭和二七年」はゴシック体](一六歳)。四月、学習院高等科進学。演劇部、陸上競技部に加えて美術部に入部。石川滋彦画伯の指導で風景画を描きまくる。この頃、戦後初のフランス映画祭。ジェラール・フィリップと同じエレベーターに乗りあわせる。同じエレベーターに、東和商事社長とその令嬢が乗っていて、胸もとに『陽気なドンカミロ』の翻訳をかかえる令嬢の横顔に強く惹かれる。同じころ、美術部の夏の合宿で、窓辺で長い髪をくしけずる大学の女性部員の姿にこの世のものならぬ美しさを覚える。何ら勉強しないにもかかわらず、大学は東大、学科は仏文ときめていた。 昭和三〇年[#「昭和三〇年」はゴシック体](一九歳)。四月、東大の受験に失敗し、一年間、研数学館の数学コースに通う。その間、父は、奈良国立博物館から京都大学文学部へと転じ、関西へ単身赴任。 昭和三一年[#「昭和三一年」はゴシック体](二〇歳)。四月、東大教養学部文科二類に入学(当時は三類は存在しなかった)。独仏中既修クラス。フランス語は山田※[#「木/爵から爪を除いたもの」]先生。コンパの席で、山田先生が「てめえら、フローベールの感情教育を知らねえだろう。感情教育ってのは終らねえんだ」と威勢よくタンカを切られ、その一言が将来を決定する。 昭和三三年[#「昭和三三年」はゴシック体](二二歳)。四月、東大文学部フランス語フランス文学科に進学。仲間を募り、モリエール『ル・ミザントロープ』を原語で上演。学習院大学フランス会の同じく原語上演ジャン・アヌーイ『アンチゴーヌ』に老クレオン役で客演。ほとんど演劇青年の二年間を過す。卒論『ギュスタアヴ・フロオベエル、初期作品の研究』。この頃、母は京都の父のもとに住み、東京での独り暮しが始まる。 昭和三五年[#「昭和三五年」はゴシック体](二四歳)。四月、東大大学院人文科学研究科フランス語フランス文学専攻科修士課程に進学。渡辺一夫、杉捷夫教授、井上究一郎、小林正助教授、清水徹、松室三郎助手、非常勤講師中島健蔵、外人教師モーリス・パンゲ、フランソワーズ・ブロックという教授陣。授業は充実していたという印象は錯覚ではないと思う。同年六月一五日。アルバイト先の田中千禾夫氏宅の玄関さきで、田中澄江氏から、女子学生が一人死にましたと聞き、それが樺美智子であると直観。とって返して溜池のあたりをうろつく。助手清水徹、頭を機動隊に殴打され仏文研究室は沸きたつ。興奮の日々が続く。この年の秋、ゴダールの『勝手にしやがれ』、のちに同僚となる先輩の加藤晴久とニュー東宝で見てうちのめされる。翌年、修士論文『ギュスタアヴ・フロオベエル、その創意の構造と展開の諸様態』。本郷仏文における修士論文への最初のヌーヴェル・クリチックの投影。評判香しからず、博士課程への進学をほぼあきらめる。この年、大映と日仏合作のシナリオハンティングにアラン・ロブ=グリエが来日。通訳として二週間を過す。 昭和三七年[#「昭和三七年」はゴシック体](二六歳)。四月、博士課程進学。秋、フランス政府給費留学生としてフランスに渡る。フランス郵船ヴェトナム号、同室は、のちに立教大学教授となる稲生永。同船上で川田順造と知りあう。パリ大学文学人文学部博士課程に登録、ロベール・リカット教授に指導を仰ぐ。五月革命に際してソルボンヌを去った数少ない熱血漢。リカット氏から受けた有形無形の影響は数知れない。現在でも、氏とは文学、映画を語りあえる仲である。リカット氏は、小津安二郎を好まれる。この頃親交を深めた幾人かの女性の中から、小津に熱狂する一人が結婚の相手として浮かびあがる。のちに妻となるシャンタルである。『父ありき』の親子の釣りの場面の美しさについて語りあえる女性は彼女しかいなかった。ごく曖昧に婚約関係に入ったと理解すべきだろう。ボン大学で日本美術史を教えていた父、母を伴ってパリを訪れる。 昭和四〇年[#「昭和四〇年」はゴシック体](二九歳)。一二月、パリ大学に博士論文『ボヴァリー夫人によるフローベールの心理的方法』を提出後、ただちに帰国。 昭和四一年[#「昭和四一年」はゴシック体](三〇歳)。四月、東大文学部助手に着任。博士課程は中退。一二月、マリー・シャンタル・ヴァン・メルケベークと結婚。 昭和四二年[#「昭和四二年」はゴシック体](三一歳)。一二月、長男重臣誕生。筑摩書房版『フローベール全集』の書翰ならびに研究篇の翻訳に没頭。研究篇の長文解説は、日本語で発表した最も早い文章となるだろう。この頃、山田※[#「木/爵から爪を除いたもの」]先生と、鎌倉の中村光夫氏宅を訪れる。のちに、中村氏の『ボヴァリー夫人』の翻訳中、フローベール関係の情報をおとどけするかたわら、氏の人柄に触れる機会を増してゆく。 昭和四三年[#「昭和四三年」はゴシック体](三二歳)。四月、立教大学一般教育部講師。学習院大学、東京造形大学などの非常勤講師。父、京都大学を停年退職し東海大学に新たな職を得て母とともに帰京。妻と長男とともに中野区東中野に転居。この頃、重症の気管支炎を患い三週間寝こむ。それを機に髭をのばす。年末に、波多野哲朗、山根貞男らが、月刊の映画批評誌『シネマ69』創刊の話を持って訪れ、アラン・レネ特集のための原稿執筆を依頼される。それに応じて書いた、『鏡を恐れるナルシス』によって、映画批評執筆活動が始まる。この年から翌年にかけて、立教大学は学園紛争を体験する。何度もくり返し行なわれた徹夜の団体交渉の折に学生諸君と交したやりとりの言葉や言いまわしの数かずは、直接的、間接的にその後の文章の文体や修辞に影を落すことになる。紛争時における言語的実践がなければ、その後の批評活動はなかったと思われるほど、個人的には深いインパクトを紛争から受けとめているのだが、そのことはあまり指摘されていない。 昭和四五年[#「昭和四五年」はゴシック体](三四歳)。四月、東京大学教養学部講師に着任。七月、五年ぶりにパリに行く。 昭和四六年[#「昭和四六年」はゴシック体](三五歳)。五月、現在の住所に家を新築して戻る。同年一〇月。パリ第七大学に日本語科講師として着任。一年間を過す。その間、ドゥルーズを熟読。仏文の『トロワ・コント論』や日本文学を扱った最初の批評文『安岡章太郎論』、本格的な映画論『ハワード・ホークス論』などを仕上げる。翌年、帰国後、ジル・ドゥルーズやロラン・バルト、ミシェル・フーコーらのインタヴューをまとめ『海』に発表。季刊誌『パイデイア』の編集者だった安原顕の中央公論社への入社によって可能となったもの。文芸雑誌としてはまったく異例の試みだった。これによってほぼその後の執筆活動の基礎を築いたことになる。 昭和四九年[#「昭和四九年」はゴシック体](三八歳)。ある編集者を介して山田宏一と親しくなる。最初の著作『批評 あるいは仮死の祭典』(せりか書房)を刊行する。 昭和五〇年[#「昭和五〇年」はゴシック体](三九歳)。『フーコーそして/あるいはドゥルーズ』(翻訳)を出版、まだ無名の浅田彰より多くの誤訳を指摘された。 昭和五四年[#「昭和五四年」はゴシック体](四三歳)。一月一二日、父を失う。以後、巻末の著作目録にある書物執筆のため、多くの時間をさく。 昭和六〇年[#「昭和六〇年」はゴシック体](四九歳)。季刊映画誌『リュミエール』(筑摩書房)の編集長を引きうけ、九月二〇日に第一号を創刊。  現在、東大教養学部助教授外国科所属、制度上の正式な身分は教養学部教養学科フランス科フランスの文化と社会第二講座担当助教授として、東京大学大学院総合文化研究科地域文化第二講座を支える。本年一〇月現在、東大における担当の授業は、フランス語初級(文科一類二類)週二コマ、教養学科フランス科、フランス文学「第二帝政期の芸術」週一コマ、一般教養ゼミナール映像「ニコラス・レイ研究」週一コマ、大学院修士並びに博士「供犠論の系譜」週一コマ。なお、非常勤講師として立教大学文学部ならびに一般教育部に出講、「ロラン・バルト論」、「五〇年代ハリウッド映画」を担当。近く脱稿予定の論文として『マクシム・デュ・カン または凡庸な芸術家の肖像』(青土社)、『ボヴァリー夫人論』(筑摩書房)を予定している。 [#ここで字下げ終わり]   著作・翻訳目録 [#ここから改行天付き、折り返して1字下げ] 『フローベール全集』(筑摩書房)中に「書簡」他(翻訳、昭和四二年) 『マゾッホとサド』(ドゥルーズ著、翻訳、晶文社、昭和四八年) 『批評あるいは仮死の祭典』(せりか書房、昭和四九年) 『世界文学全集』(講談社)中に「三つの物語」「十一月」(翻訳、昭和四九年) 『フーコーそして/あるいはドゥルーズ』(翻訳、エディシヨン・エパーヴ、昭和五〇年) 『反=日本語論』(筑摩書房、昭和五二年、読売文学賞受賞) 『フーコー・ドゥルーズ・デリダ』(朝日出版社、昭和五三年) 『夏目漱石論』(青土社、昭和五三年) 『映画の夢、夢の批評』(トリュフォー著、翻訳、山田宏一との共訳、たざわ書房、昭和五四年) 『わが人生、わが映画』(同右) 『映画の神話学』(泰流社、昭和五四年) 『シネマの記憶装置』(フイルムアート社、昭和五四年) 『映像の詩学』(筑摩書房、昭和五四年) 『「私小説」を読む』(中央公論社、昭和五四年) 『大江健三郎論』(青土社、昭和五五年) 『事件の現場』(対談集、朝日出版社、昭和五五年) 『トリュフォーそして映画』(山田宏一との共著、話の特集、昭和五五年) 『ヒッチコック/トリュフォー映画術』(翻訳、山田宏一との共訳、晶文社、昭和五六年) 『小説論=批評論』(青土社、昭和五七年) 『家の馬鹿息子—ギュスターヴ・フローベール論』(サルトル著、共訳、人文書院、昭和五七年) 『監督 小津安二郎』(筑摩書房、昭和五八年) 『映画=誘惑のエクリチュール』(冬樹社、昭和五八年) 『フランス』(対談集、渡辺守章・山口昌男と共著、岩波書店、昭和五八年) 『物語批判序説』(中央公論社、昭和六〇年) 『映画はいかにして死ぬか』(フイルムアート社、昭和六〇年) 『マスカルチャー批評宣言I物語の時代』(冬樹社、昭和六〇年) 『シネマの煽動装置』(話の特集、昭和六〇年) 『オールド・ファッション、普通の会話』(江藤淳との対話共著、中央公論社、昭和六〇年) [#ここで字下げ終わり] *欧文の著作は省きました。 蓮實重彦(はすみ・しげひこ) 一九三六年、東京に生まれる。東京大学仏文科卒業。同大学大学院人文科学研究科仏語仏文学研究科単位取得退学。一九六五年、パリ大学大学院より博士号取得。東京大学教養学部教授(表象文化論)、東京大学文学部長、東京大学総長を歴任。仏文学にとどまらず、映画、現代思想、日本文学など多方面で精力的な評論活動を展開し続けている。一九七八年、『反=日本語論』で第二九回読売文学賞受賞。一九八九年『凡庸な芸術家の肖像』で第三九回芸術選奨文部大臣賞受賞。東京大学名誉教授。著書に『批評あるいは仮死の祭典』『フ−コ−・ドゥル−ズ・デリダ』『映画の神話学』『映像の詩学』『シネマの記憶装置』『映像の修辞学』『小説論=批評論』『映画=誘惑のエクリチュ−ル』『監督 小津安二郎』『物語批判序説』『シネマの煽動装置』『陥没地帯』『シネマの快楽』『闘争のエチカ』『小説から遠く離れて』『帝国の陰謀』『ハリウッド映画史講義』『絶対文藝時評宣言』『オペラ・オペラシオネル』『文学批判序説』『リュミエール元年』ほか多数。 本作品は一九七九年一一月、筑摩書房より刊行され、一九八五年一二月、ちくま文庫に収録された。