ルンルンを買っておうちに帰ろう 林 真理子 [#改ページ] [#挿絵(表紙.jpg、横120×縦180)]  [#1字下げ]まえがき  私は最近、日一日と�男好き�になっていくようである。エッセイも、小説も、男の作者のものばかり読んでいる。そしてつまんないもの書いたり、つまんないことしてるのに、どういうわけか、マスコミにおどり出たひと握りのおんな有名人をいじいじと意識して嫉妬《しつと》している……。  そう、つまりあなたと全くおんなじことばっかりしてるの。  ところで、今回私がこういった本を書くことになったのは、ひがむ一方だった女からの反撃なのである。だいたいね、女が書くエッセイ(特に若いの)とか、評論っぽい作文に本音が書かれていたことがあるだろうか。 「朝、真っ白いシーツにくるまれたベッドで目さまして、ミルクを飲んで、男に会いにカフェ・テラスに行く」式のああいうもんに、はたして真実はあっただろうか。男にふられて泣いてどうした、とかいろいろ書かれているけれど、なにをどうやってもやたらファッショナブルなのよね。  彼女たちはその本の中ではやたらパンツ脱いで男と寝ちゃうけれど、文章を書くということにおいては、毛糸のズロースを三枚重ねてはいている感じ。  なにをこわがっているんだろう。  なにをおそれているんだろう。  若い女がもっているものなんてタカがしれているじゃないか、と私はいいたい。  ヒガミ、ネタミ、ソネミ、この三つを彼女たちは絶対に描こうとしないけれど、それがそんなにカッコ悪いもんかよ、エ!  とにかく私は言葉の女子プロレスラーになって、いままでのキレイキレイエッセイをぶっこわしちゃおうと決心をかためちゃったのである。  ものすごい悪役になりそうだけど、ま、いいや。どうせはかない女の命、大輪の花、いやネズミ花火となって果てましょう。 [#改ページ] 目 次  まえがき  ラブ篇   私はサラリーマンと結婚したい   レンゲ畑と飯倉「キャンティ」の対決   ベッドは、男と女のゴールデンリング   下着、この劇的なもの   丸の内にはなぜいいオンナが多いか   ブスはやはり差別されても仕方ない   そのイジキタなさが、恋のあと味を悪くする。が、   アフターケアで、本当に愛されているかどうかわかる   男にモノを買ってもらう女は、やはり……うらやましい   バージンをあまりいじめてはいけない   美少年は公共のものです   打ち明け話はもう古いつうもの  ジョブ篇   マスコミとラーメン   四十通の不採用通知コレクション   女だって、金、地位、名誉がほしいのだ   感性という名の錬金術   この頃私はバカになりつつある   矢野顕子は踏み絵なのだ   優越感のシーソーで、女の友情は揺れるのだ   ぐっと年上の女友だちというのはいいもんだ   天地真理とワタシ  リブ篇   三畳から豪華マンション。あたしのサクセス・ストーリー   私は焼肉が大好き   女が外で食べるとき   楽しゅうて、あとで悲しきバーゲンかな   病弱というのがいま新しいんだって   ビデオが来てから、私たちはいやらしくなったん   酒豪を名のるからにはアル中になれ   自然より人間の方がはるかにおもしろいのだ   私のグルメ日記   林真理子はなぜ林真理子か  あとがき [#改ページ]   ラブ篇  [#1字下げ]私はサラリーマンと [#1字下げ]結婚したい  この頃《ごろ》、風間杜夫が無性に好きになってしまった。  彼が出るテレビ番組は絶対にビデオにとっておくんだ。あのスーツが似合う容貌《ようぼう》とか、いかにも保守的で神経質な感じがぞくぞくするぐらいいい。  なぜこんなに好きになってしまったのかしらん。ひとつだけいえる。私のまわりには絶対にいないタイプなのよねん。  私がふだんつきあう男性つうのは、ネクタイなし、ヒゲ、左手のくすり指のリングありというテアイが多い。広告代理店とかスポンサー筋にサラリーマンはいるにはいるけれど、またあれはあれで純粋なサラリーマンというのとはちょっと違うような気がする。  清廉潔白、純粋|無垢《むく》のサラリーマンというのは、私の場合なかなかお目にかかれないのよねー。  六本木のスナックなんかで、バリバリの商社マンっぽいのがよく飲んでる。ふらふらとその横の席をとったりするけれども、よく見るとそのかたわらにJJ卒業生という感じの、きれいな女がいたりして入りこむスキが全くないのだ。  それに男連れだったりしても、彼らの視線はもっぱら、女子大生の二、三人連れの方にばかり集中して、こちらの方なんかまるっきり無視。  いや無視というよりも嫌悪といったものさえ感じる時がある。  派手な格好をした、オレたちとは全然違う世界のオンナ。気ばっかり強くって遊んでんだろうなー、といった視線をチラッチラッと感じる時がある。  私の連れがいけないんだ。私はいっしょに飲んでいる私の仲間をにらんだりするのもこんな時。  雑誌で読んだんだけれど、女子大生に自由業の男ってすごく人気があるんだって。ラフなファッションとかヒゲとかがすごくいいとか。反対のことがなぜサラリーマンの男に起こらないのかしらん。  女の方が好奇心と冒険心に満ち満ちているのに反して、男の方がずっと臆病《おくびよう》である。  でもそこがすごおく素敵。  真っ白いカフスとか、飲んでいるからちょっとゆるめたネクタイの結びめっていうのは、本人たちが感じている以上にずっとセクシーである。  できることなら、カウンターのバーテンダーに、 「あちらの方にカクテルさしあげて」  なんていってみたい。わくわくわく。  私が婚期をのがしつつあるのは、モテないことも多分に影響しているが、ひとつにはサラリーマンへの憧《あこが》れが非常に強いことがある。  こぎれいなマンションかなんかで絽《ろ》ぎん刺しをしながら夫の帰りを待ってるワタシ。  チャイムが鳴って、サラリーマンの夫帰宅。 「やだ、また飲んでらしてー」 「接待だよ、接待、おい風呂《ふろ》沸いてるか」 「ハァイ、お夜食も用意しててよ」  なんていいながら浴衣を後ろからふわっとかける。そのスキに夫の肩に頬《ほお》すりよせて、香水のにおいなんかしないかをしっかり点検しちゃうんだから。  サラリーマンじゃない家庭に育って、サラリーマンの恋人をもったことのない私は、こういう場面の想像がとめどなくエスカレートしちゃうから困るのよね。  その反対に、雑誌「モア」のグラビアによく登場してくるカップルたちって、吐き気がするぐらい嫌い。たいてい奥さんがスタイリストで、旦那《だんな》がグラフィックデザイナーかイラストレーター。あーいうところに出てくるカップルって、たいていは編集者の友人関係から見つけてくるから、ほとんどがカタカナ職業なのよね。 「私たちって個性的に、現代的に暮らしてるでしょ、ほら、ほら」  っていう感じが、ふたりの笑顔からプンプンにおうんだけれど、個性つうもんが集まると、ただのアホにしか見えないって知らないのかしらん。  手づくりの家具があったり、グリーンがいっぱいの部屋っていうのもどれも同じパターンだし、食事をしているシーンだったりすると、女の方が得意そうに、コレクションしている古伊万里《こいまり》の食器が必ず出てくるのもおぞましい。  あまりにも似かよっている人間がふたり、同じ屋根の下に暮らしている嫌らしさがにじみ出ているのよね。ヒワイですよ。  そこへいくと私はエライ。違うタイプの人間というのを求めて、いっしょに暮らしたいと願うんだから。  実は私、ちかぢかお見合いします。お相手は某出版社のサラリーマン。その日に備えてただいま特訓中。あと七キロ減らして煙草《たばこ》もやめたいよおー。そうそう、このショートをやめてパーマかけちゃうんだからね。洋服だってトリイ・ユキかなんか買っちゃう。  でも困っちゃうな。考えてみたら、私若いサラリーマンと一対一で喋《しやべ》ったことないような気がする、実は。 「エチケット読本」の、見合いの章のところを読んでよおく勉強するつもり。 [#改ページ]  [#1字下げ]レンゲ畑と [#1字下げ]飯倉「キャンティ」の対決  私の友人の中に、とにかく病的に色っぽい女がいる。  とにかく色が透けるように白いのだ。小柄だけれど均整がとれた体つきで、川上宗薫先生がものすごく好きなタイプだと思う。  日本的な顔立ちは、「男好きのする」という言葉がぴったり。笑うとちょっと歯ぐきが見えるのも、五月みどり、西川峰子とつづく、そのテの女の系譜にぴったりと一致する。さらに皮膚が異常に薄いのも大きな特徴で、私が難なくドスンとテーブルに置く湯飲み茶わんも、絶対に彼女は手に持つことができないのだ。 「キャー、アツイ」  とかん高い声で彼女が悲鳴をあげると、その場に居合わせた男共がゴクッと生ツバを飲み込んだものである。  これがマジメな女だったら話はつまらないのだが、素晴らしいことに彼女はものすごい男好きだったのである。  情も非常に深く、ある時彼女は四日間連絡なしで職場放棄したことがある。話を聞くと男が盲腸で入院したので、泊まり込んで洗たく、下の世話と不眠不休だったらしい。 「会社に電話するのなんかどうでもよくなっちゃった」  と彼女は舌を出したが、その動作もすごく可愛らしい。  あんまり彼女のことをほめると、レズではないかと疑われそうだからこのへんにしとくが、こんな女性を男がほっとくはずはない。  その頃、私と彼女はある二流プロダクションでチラシのコピーなんかを書いていたのだが、頭のいい彼女は、そこの会社の男なんかハナから相手にせず、わずらわしいことを避けるために絶対にスキをつくらなかった。あくまでも「一流大学を出たエエとこのお嬢さん」という態度をくずさなかったのは実に見事といってもいい。  彼女は私と違って先が読める人だったから、 「あたしゃコピーライターにそう向いてないみたい。一流になれないんだったら、いつまでもグズグズこんなことしてても仕方ないわ」  といって、あっさり転職してしまったのだ。  現在彼女は、あるモデルクラブのマネージャーをやっているが、その仕事がよっぽど性に合うのか、水を得た魚のようにイキイキとしてる。あんまり楽しそうなので、なんか男がからんでいるなとにらんだが、その推察はかなりあたっているらしい。 「マネージャーってどういう仕事よ」 「そうねえ、スポンサーのおエライさんたちと食事したり、飲んだりってのが多いわね」 「ふーん、そして帰りは手ぐらい握らせるわけね」  彼女はいつものメゾソプラノで、 「あったりまえじゃない。それが仕事なんだもの」  といって軽くにらんだ。  とにかく彼女はこんな調子ですべてあけすけ。それがとても気持ちよかった。  その頃、私と彼女は毎晩のように飲み歩いて、会社の悪口と男の話をしつづけたものだ。 「初めてのオトコ? 高校一年、十五歳の時よ」  私の推定年数より三つ若い。 「マリちゃんはいくつん時?」  私はミエをはって、三つも若く答えてしまった。  しかしこれは、わりと私にとって衝撃的な発言でしたぞ。  いまでこそ中学生がディスコで男を拾う時代だけれど、彼女が初めて男と寝た頃というのは、いまから十年以上も前。当時としてはかなり画期的である。  しかもその男とは結婚するだの、駆け落ちするだのと、ものすごい修羅場を演じたらしい。 「まあ十五の時にいろいろやりつくしちゃったって感じね」  と彼女はいう。  なるほどわかった。  色っぽい女は一日にして成らず。  少女の時からの積み重ねで、今日の彼女があるわけだ。  そう思って過去を顧みれば、今日の私がこうなっているのも無理ないと、自然にうなだれてしまう。  私の十五歳の思い出といえば、真っ白い自転車である。レンゲ畑である。  高校入学の祝いに買ってもらった自転車で私は毎日風を切って通学していた。途中の土手下に、レンゲ畑があたり一面にひろがっている場所があった。私は毎朝そこに立ち寄ってレンゲの花束をつくるのである。それを教室の花びんに飾って、 「誰《だれ》か私のことをお花好きのやさしい女の子と思ってくれないかしらん」  などと思いながら、クラスメイトになったばかりの男の子を、あれこれと思いうかべたものである。 「ウソー、それ昭和何年頃の話? あなた私と一つしか違わないじゃない。それ本当に日本であったこと」  今度は彼女が驚く番だ。 「あたしその頃、毎晩慶応の男の子たちと外車連ねて六本木へ遊びに行ってたわよ。�キャンティ�なんかでワイン飲んでさー」 「ウソー、高校生で�キャンティ�。冗談じゃないわよ。あそこなんかいま私のうちと五分と離れてないけどあんなだいそれた店、この年こいても足をふみ入れたことないわよ」  と今度は私。  そしてふたり、 「ウッソー」「信じられない」  と顔を見合わせた。  まさに童話「田舎のネズミ、都会のネズミ」の一場面だが、私はいくら十五歳で初体験、慶応の学生、外車、�キャンティ�とおいしそうなものを並べられても、私の少女時代と彼女のとをとりかえっこする気ないぞ。  だって男とか六本木なんて、いまの私ならいくらでも手に入るもん(そうでもないか)。  十五歳で自転車とレンゲ畑に出会わなければ、いったいいつ会うんじゃ。  あそこで私は、恋とか華やかな都会への夢を育てていったのだ。そしてそれはじわじわとゆっくり育まれていったから、初めて実物と出会えた時はすごく嬉《うれ》しかった。  憧れる暇もなく、あまりにも早くいろんなものと出会った少女は、どんなふうにそれらと向かいあうんだろうか。セックスとか、酒とか、出会うということがそのまま少女時代の終りとなるものは、この世の中にいっぱいあるもんね。 「あーら、そんなことないんじゃない」  彼女はいう。 「私は海外旅行と男を経験するのは若いほどいいと思うわね。心がやわらかくって感動の仕方がぜんぜん違うじゃない」  なるほど、こういう意見もありましたか。  しかし、人のものはなんでも羨《うらや》ましがる私が、彼女の話を聞いてもぜーんぜん羨ましくないのよね。それだけ自転車とかレンゲ畑の魅力ってすごかったんだ。  ひとつだけこれはいえる。思い出の色調が現在の生活とそう変わらないことよりも、パノラマ展開でものすごい変化を見せてくれる方が楽しいと思うけどな。  いまの私にいえるのはこれだけ。 [#改ページ]  [#1字下げ]ベッドは、男と女の [#1字下げ]ゴールデンリング  十九歳の頃、急激に痩《や》せたことがある。 「その日」が近づいてきたことを、私はヒシヒシと感じていたのである。  親以外の異性にからだを見られるかもしれないという予感は、甘くせつなく、私をダイエットにはげまさせた。  なぜなら、わが呪《のろ》われた家系の決定的遺伝因子である肥満は、当主の長女である私のからだをおかしはじめていて、夏休みに帰省した私の腹部を見て母親は、 「おこらないから正直にいってごらん」  といったぐらいなのである。  ダイエットの効果はかなりあったというものの、私のたっぷりと肉のついた下半身は、今日や明日、コトが起こったらかなり悲劇的事態が起こりそうなくらい、かなりなものであった。 「がんばろう、早く暗闇《くらやみ》かちとろう」  と私は考えた。 「なんとか避けよう、電気の明るさ」  映画など見ると、さっきまで明るい応接間で争っていたふたりが、いつのまにか暗い寝室に横たわっているのは、どう考えても不思議である。あれほど抵抗していた女が、いつのまにかスケスケのネグリジェを着ているのは、どうしても解せない。  異性体験のない少女というものは、男性のアレがからだに入ってどうのこうのということよりも(それはその時どうにかなりそうな気がする)、こうした間接的なものの方が、ずっと理解に苦しむものである。 「まあ、彼が電気を消すとする。するとその一瞬、いままで嫌がっていた(フリをしていた)私が、そこで逃げ出したりもせず、動きを止めて待っているのはおかしいものではないだろうか」  あれこれ考えると夜も眠れなくなってくる。そしてそんな自分に、顔を赤らめたりする毎日だった。  私は友人のひとりに聞いてみることにした。 「ねえ、彼とさ、ま、寝るとするじゃない。その時、電気は誰が消すの」 「まあ、私があとからふとん(その頃はみんな学生でベッドなんか誰ももっていなかった)入るから私ね」 「ふん、ふん。その時ちゃんと洋服か寝まき着てるの」 「着てるわけないじゃない。どうせすぐ脱ぐんだから、せいぜいスリップね」  話はこのへんでぐっとリアルになって、ウブな私は顔を赤らめたりするのだが、話をつづける。 「ね、スリップということは、最初からこっちもその気があるとみられてるみたいで恥ずかしくない? 『さ、やりましょ』って催促してるみたいでさ。コトが起こることが最初からわかってるみたいで、つまり、あの『えっ、こんなはずじゃないわ』と逆えなくなって……、えーと、その」 「なにいってんのよ、なにが恥ずかしいのよ。バッカみたい」  と、まあ話は全く通じないのである。  それではそんなに期待していて、最初どうであったか。よかったか、悪かったか、聞きたいのは人情というものであろう。  よかろう、私も出し惜しみせずお話ししよう。  よく女同士のヒソヒソ話に、 「はじめてナニをした時どうだったか」  というテーマがあるが、いつも私はとっさに「とび箱」という単語がうかんでくる。  学生時代、体育の時に使ったあのとび箱である。  私は少女時代から肥満がたたって、運動神経が鈍いというより、皆無の生徒だった。いちばん低いとび箱でも絶対にとべない。タイミングといおうか、おしりをパッと前にもっていく要領が全くわからないのだ。  私が通っていた小学校は、グループ学習の教育方針をもっていて、勉強でも体育でもひとりができない時は、グループ全体で責任をもって向上させよというポリシーだった。  だから私のいるグループの同級生たちは、私がこのとび箱をマスターしない限り、ぜんぜん前に進まないのだ。したがって班長なんかが実にまめに、放課後個人指導をしてくれる。 「だめだなぁ、マリちゃん。どうしてこんなのとべないの」  こうしているうちに日が暮れてくる。班長をしている子のイライラもだんだんつたわってくる。  みなができることが、なぜ私ひとりできないのだろうかという焦りと苛立《いらだ》ち。子ども心に深い孤独感。いまでもとび箱というと、寒々とした放課後の体育館の情景がうかんでくる。  初めて男の子とセックスした時、真っ先に思い出したのはこのとび箱だった。  私だけが間違っているのではないか。  私だけがとんでいないのではないか。  実際セックスというのは、私にとってそれほどむずかしいシロモノであった。  小説なんか読むと、 「めくるめくような時がすぎ去った。花子は自分がすべて無になったのを知った」  とか、 「嵐のような時がすぎ去って、いつのまにか朝になっていた」  とかなんとか描かれていたので、私もすごいコーコツとやらにホンロウされて、 「一瞬のような、永遠のような」SF的な不思議な時間感覚を味わえるのだと確信していた。  ところが現実は違っていたのね。 「いつ頃この手は離したらいいのだろうか」 「あ、このポーズだと、私のいちばんの弱点である出腹をしっかりと見られちゃう」 「キャッ、私ってからだが固すぎるのかしらん」  とまあ、実にいろんなことをシビアに考えるのですね。終った時は正直いって「ヤレヤレ」という感じでした。  けれどもこの時以来、わりとこれが好きになってしまったのね。困ったもんだ。  そして例によって私は好奇心が非常に旺盛《おうせい》なもので、男と男のからだというものをより深く観察することにしてしまった。  昼間は理知的なやや冷たい感じの(私は昔からこのテのタイプに弱い)彼の、その時の苦痛に近い表情や、闇の中のかすれたやさしい声が私にはとても新鮮で、全く私は有頂天になってしまったのだ。  そして私はこの印象を、克明というよりもかなり文学的にノートにいろいろと書いてしまった。(余談だが、私は生まれつきひどくだらしない性格である。こういう時のためにちゃんと日記を買って鍵《かぎ》でもしとけばいいものを、ひとり暮らしの気楽さもあってそこらへんのノートに書きちらしとく。そのうちに忘れてそのノートを仕事のメモに使おうとバッグにほうり込む。ある日大事な会議の途中でひろげたら、ものすごいナマナマしいことが書きちらかしてあって真っ赤になったことがある)  だから最近までつきあっていた男がかなりのプレイボーイで、いままで関係をもった女のことをかなり詳しくメモしてあるという噂《うわさ》を聞かされても、私はそれほど怒らなかったよ。  ああやっぱり、男も女と同じようなことをしているんだなあ、という感慨があったのみである。彼もいろいろ苦労しているのだ、きっと。  ネール首相が、娘のインディラに送った有名な手紙の中で、 「おぼえておきなさい。愛は闘争である」  といったそうであるが、愛という言葉をもっとひろげてセックスもその中に入れると「ナットク!」という感じ。  だから私はゆきずりラブをしちゃう子たちは、ものすごい勇気と挑戦スピリッツだなあと感心するのである。  私などかなり貞操堅固な女だと思われている。といったところで単にもてないだけの話であるが、歌舞伎町《かぶきちよう》や六本木で知り合ったばかりの男とリングへ上がろうとは思わない。私のことを多少|惚《ほ》れていてくれればこそ、試合中にゆれるデバラとか、「食[#「食」に傍点]魔の飽食」の丸太みたいな私の太ももにも目をつぶってくれ、試合が終ったあとはお互いの健闘をたたえ合い、汗のひとつも拭《ふ》き合うことができるというものである。こんな心の通い合いが、知り合ったばかりの挑戦者にできるものであろうか。  まあ手っとり早くいうと、私って新しい挑戦者の前でサラッとガウンを脱ぎすてるほど自信がないのよね。  これは私の友人も同じと見えて、「写楽」の森下愛子のヌード写真を見ていた時、 「ちょっと見てよ、こんなきれいなからだだったらどうする」  と質問したら、 「バカだねー」  とどなった。 「こんなからだしてたら、街に出てかたっぱしから男と寝ちゃうわよ」  私の友人の中では、比較的まじめな方に属する彼女がそういったから、女はみんな同じようなことを考えるのだなあと胸をなでおろした。  私はフリーで働いているからそう思うのかもしれないが、ゆきずりラブと同じくオフィスラブをしている人たちも、ものすごい勇気があるとひそかに尊敬している。  私はある苦い過去の失敗から、次の三か条を私への戒めとしている。  ㈰コトを起こした次の朝、顔を合わせる必然性がないヒト。  ㈪なるべく寛大な性格なヒト。  ㈫なるべく目が悪いヒト。  この三つの条件をなるべく満たす人物と、楽しいひとときをすごしたいといつも思っているのだが、該当者はなかなかいないものである。  だからみんなにバカにされながら、いつまでも同じ男とズルズルとつきあってしまうのだ。私の場合。 [#改ページ]  [#1字下げ]下着、 [#1字下げ]この劇的なもの  私は他人からいわれるほどは、栄華栄達を求めない人間である。  うちのリビングで、ふかふかシャギーに寝そべって、おせんべなぞかじりながら女性週刊誌を読みあさる。あー、極楽、極楽。  私はいま「上手な男との別れ方」というページを読んでいる。  ふーん、なになに、 「決心をして彼と話し合おうときめた夜は、なるべく古い下着を着ていきなさい」  ものすごいひと言である。女心のキビに、これほど深く鋭くふれた言葉があるだろうか。だから私って女性週刊誌と離れられないの。  そうだわよねー、さんざん洗いざらして、ゴムのゆるくなったようなパンティと、黄ばんだブラジャーを着た日の女ほど、貞操堅固な存在があるだろうか。いくら寝室を真っ暗闇にしたところで、女の気持ちというのは、古い下着を着ているという一点に、煌々《こうこう》とライトがあてられるはずである。  私のアウトウエアからはなかなか信じてもらえないかもしれないのだが、私ってものすごーくセンシブルで高い下着をつけてんの。かの田中康夫センセイは、 「トリンプはダメだけど、ワコールなら許せる」  という名言をおっしゃったが、あのブランド大好きなセンセイが、こんな庶民的な下着を頭からかぶったりしちゃ嫌ですわ。  私なんかもうすごいんだから、フランス製のバルバラにウイットをご愛用ときちゃう。イタリアのラ・ペルラとまではいかないが、世界でも一流と折り紙つきの下着である。特にバルバラの一万三千五百円也の黒のブラジャーなんか、ブラウスの上につけて歩きたいぐらいキレイ。非常に繊細なレースがセクシーで、これをつけた日はインランな気分になって困るのです。  タネ明かしをすれば、私はこれらの下着の広告にちょっと関係しているので、六掛けで買えるの。そりゃー、そうです。一万円以上もするブラジャー、毎日下着を見せる商売でもしてない限り、私なんかにゃ買えませんよ。  しかし、一万円のブラジャーの味を知った女性は、もう二、三千円という日本の平均的価格のブラジャーなんかつけられませんよ。専門用語をつかうと、フィット感やサイドサポートの感じがぜんぜん違うんだもん。  お金持ちの初老の男と不倫していた女が、もう普通のサラリーマンと結婚できないようなものである。  私ももう庶民の世界にはもどれないの。  ところで、この頃よくわかったのだが、こういうふうにいい下着をつけることは、女は期待感までいっしょに身につけちゃうのね。これはかなり問題です。  よくフランス映画なんか見ていると、男と女がゆきずりの恋をして、どっかの部屋で突然ベッドシーンになることがずいぶん多い。女がパアーッとドレスを脱いだり、脱がされたりすると、ずいぶんしゃれた下着をつけていることに気がつきませんか。  最近まで、 「さすが映画、さすがフランス女」  と素直に感心していたのだが、よーく観察してみると、もっと深い意味があるような気がしてきたのだ。彼女たちの下着というのは、あまりにも非実用的である。あんな細くきゃしゃなストラップのブラジャーとか、フリルひらひらのキャミソールというのは、いくらおしゃれなパリ娘といえども毎日身につけているはずはない。あれは女たちが恋人と会う夜のためだけに、香水といっしょに引き出しの奥深くしまっておく種類のものだ。 「映画だから」  といってしまえばそれまでだが、この女の下着以外はしっかりとリアリズムなのだから、なにか下着だけがうきあがっている。  つまりヒロインとヒーローたちは、夜の浜べや酒場で偶然出会ったわけだが、このとき女の方には、誰だろうともう男と寝る気ができていたわけなのである。  男の方がずっと純情だから、女が自分にひと目惚れして、こういうふうにベッドルームまでいきつく首尾になったと思っているが、女の方はそうではなかったことを下着は暗示している。  自分でも気づかないままに、どんな男と出会うかわからない前から、それを身につけた瞬間に女の方の下地はもう完了ずみだったのだ。  すごい大恋愛映画も、こう考えてみると最初のシーンにすごい伏線がしかれているような気がするでしょ。  その気があるからそういうふうな下着をつけたのか、その下着をつけたからそういうふうな気になっていくのか。女と下着の関係は、ニワトリとタマゴ問題にもおとらないほどむずかしいのであるが、女には自分でもわからないほどふわふわととぶ日がある。ひとつの決着をつけるような気分で、派手な下着を選ぶ日がある。そんな時、女はこれから起こる運命をかすかに予感しているのかもしれない。  こういう下着の神秘さというのを、男たちはよおく知っているみたい。  だから女の部屋を訪れる男は、クローゼットに異常な関心をしめすのであろう。女が現に身につけている下着よりも、引き出しにぎっしりと詰まった下着の方が、いたく男をよろこばすことだって多いのだ。  考えてみると、女があれほど意匠をこらす場所が他にあるだろうか。  私は昔ユーミンの、 「色別にズラーッとしまってあんの。パンティのグラデーションよ」  という発言を雑誌で読んで、いたく感激したことがある。これを友人に喋ると、 「ふん、私なんか柄別だもんね。一段目は水玉、二段目は花柄よ、見て」  と引き出しをパッと開けてくれたが、その華やかなこと、きれいなこと。きっちりと詰めてあって、 「デパートのパンティ売り場みたい」  といってほめたのに、あんまりうれしそうな顔をしてくれなかった。なぜかしらん。  下着というのは自己満足の極致みたいなものだが、収納ということひとつとっても、女は自分でもうっとりするぐらいいつも酔ってみたいのだから、女って本当にすごい。  ところで話は変わるが、私はかの中国大陸において、パンティによる友好親善を果したことがある。  四年前、北京《ペキン》から上海《シヤンハイ》にかけて旅行した時、四人の女友だちが、餞別《せんべつ》にパンティを一枚ずつプレゼントしてくれたのだ。誰かが海外旅行に出かける時は、パンティを贈るのがその頃の私たちの習わしだった。しゃれてるでしょ。  みんなは、 「ふだん自分では買わないようなもの」  というポリシーに基づいて、えらく派手なものばかり選んでくれた。選ぶ彼女たちの個性でピンクのストライプのビキニから、人造宝石を紫のレースで囲ったトルコ嬢のパンティもかくやと思われるスゴイものもあった。  私は友情を胸に、パンティをスーツケースにしまって中国へと向かったのだ。  四日目ぐらいの上海のホテルでのこと、外から帰ってきた私はギョッと足をとめた。部屋の中に男がいたのだ。白い制服を着た老ボーイが黙々と掃除をしている。  なあんだと安心しながら、私はまずいことをしちゃったなと思っていた。例のトルコパンティを洗たくして二、三枚バスルームに干してきたのだ。 「社会主義の国で、少し刺激が多すぎたかもしれない」  と思いつつ部屋に入っていくと、彼は私を見て、 「ピィオレン(注! 美しいお嬢さんという意味)」と実に嬉しそうに歯ぐきを出して笑うのだ。 「キレイ……キレイ……」  彼の指は私ではなくバスルームをさしている。からだ全体がはずんでいた。 「トテモ……キレイ……」  私のパンティを見て、あれほど喜んだ男性は、その後ついにあらわれなかった。 [#改ページ]  [#1字下げ]丸の内にはなぜ [#1字下げ]いいオンナが多いか  私の友人たちの中にはJJガールを天敵と考える女性が多い。  その憎しみたるやすさまじくて、ある集りに年下の女子大生を連れていったところ、みんなロコツに仲間はずれにするのよね。 「すごくいい子なのになあぜ」  と聞くと、 「とにかくああいう格好していること自体許せないわよおー!」  と私がどなられてしまった。  そうかなあ、ふわっとカールしたセミロング、アルファ・キュービックのジャケットとスカート。いかにも清潔で可愛らしくって私は好きなんだけどな。  なにを隠そう、私は隠れ「JJ」ファンなのである。こんなことをはっきりいうと村八分にされてしまいそうだけれど、きれいなものはきれいだから仕方ないじゃん。  とにかくあれを読むと、私はある感慨にしみじみとふけってしまうのだ。 「日本って本当に金持ちと、幸せな女の子が多いなあー」  特に私が好きなのは、巻頭特集の「私のお気に入りのワードローブ」というページで、 「父とヨーロッパにいく時につくった君島一郎さんのイブニング」 「友だちを家に招く時のギ・ラロッシュのワンピース」  なんていうのがいっぱい出てきてすごく楽しい。しかもこれでブスつうのならまだ話はわかるけれど、みんなモデルにしたいようなきれいさとプロポーションのよさ。こういうのがどっかの御曹子とくっつくんだから、あたしらに玉の輿《こし》というのはまわってこないはずだなあーと、またまた感心してしまう。  このあいだ知り合いのデザイナーが結婚した。私のまわりの数少ない独身男性がこうしてひとり消えていったわけだが、彼の選んだのが誰でも知っている某大企業の社長令嬢。  さっそくわが賢母から電話がかかってきた。 「昔はいいとこのお嬢さんっていうのは、うちの中にしまってて勤めに出さないものだったけれど、いまじゃそういうコたちがやたら進出してきて、あんたたちのシマを荒らすからカワイソーだねえー」  そうなんですよ、お母さん。やっぱりJJガールというのは、男たちの永遠の憧れですもんね。誰かが「ニュートラというのは、セーラー服の延長だ」っていったけれどそのとおり。こっちとら勝ちめないのよ。  たまには、 「僕は個性的な女性が好きだ」  とか、 「お嬢さんには興味なくて」  とかいう男もいるけれど、私はこういうのをあまり信用しない。本当のフェミニストというのは、女性に対して実に保守的だということを私はよく知っているから。 「学生の頃、金がなくてバイトで店員してたとき、女子大生がやたら来やがるのさ。もうやたらまぶしくてよー、チキショウ、いまにこういう女を絶対モノにしてやるぞって思ったよ」  こういう男の告白の方が正直でよろしい。  さて、優雅な大学生活をおすごしになったお嬢さま方は社会にお出ましになる。  私のような怠け者は、親が金持ちで、働かずにいえにいろ、とかいってくれたら、大喜びで「家事手伝い」すんだけどなーとか考える。しかしこれが浅はかさ。 「JJ」誌をもっとじっくり読んでみよう。 「今年上智を卒業した○○○子さん、○○商社にお勤めです。仕事は海外プラント課のアシスタントですが、得意の英語を十分生かせる職場とはりきっています。週末二日はおもにゴルフ。職場の男性とのコンペに備えて練習にも熱が入ります」  楽しそう! これならいえにいるより、会社に行く方がずっといいわよねえー。エリート社員はよりどりみどり、どれもええとこの坊ちゃんを厳選してるから、学生の時の遊び仲間より、ぐっと質はあがってるはずである。おまけにお給料までくれるから、遊ぶ金には不自由しない。どうせたいていの場合は男が払ってくれるだろうし、いえには食費とかいって一万円出すぐらいでしょ。  いいな、いいな、私もできることならば、いいとこの女子大生から、いいとこのOLという道をとおってみたかった。パリスのブラウスに、バッグはクレージュ。その中にはディオールの口紅と、きちんとアイロンをかけたハンカチが三、四枚。こんな美しい日々をおくりたかったよおー。  彼女たちはやっぱりおリコウさんなんだ。無個性とかマンネリとかののしられようと、男がどういう女をのぞみ、どういう美しさをのぞんでいるか、ちゃんとわかっている。というより体得している。  私たちのような自由業の女共が、男の目よりも、まず自分たちの主張を優先しようとするのと非常に対照的である。  誰よりも先に、パンクヘアーをしたり、刈り上げをしたりして、 「これが私よおー、これが気にいらなきゃ近づかないでよ」  といったふてぶてしさが彼女たちにはない。万人に喜ばれるコツというのをちゃんと心得ているのは立派である。  私だってたどろうと思えば、彼女たちと同じような道を、もしかしたらたどれたかもしれないのだ。  しかし、私は結局は全く違うコースを歩いて、なぜか彼女たちとは相反するようなところまでいきついてしまった。  同じ時代に育った日本の女の子たちが、気がついてみると、姿かたちからして異質な離れたところに立ってしまったというのは、どう考えてもやはり不思議なのだ。 [#改ページ]  [#1字下げ]ブスはやはり [#1字下げ]差別されても仕方ない  ブスはなぜかやたら明るい。  ブスというのはなぜか神話をもっていて、これは小さな頃から母親に、 「きれいな人っていうのはね、きれいな心をもっている人のことをいうんですよ」  とか、 「いつもニコニコして皆さんに好かれる性格になるんですよ」  といわれつづけたからに違いない。  いまつらつら思うに、私も母親にこのテの絵本ばかり見せられていたようなふしがある。はっきりと聞いたことはないけれど、当時幼女だった私の顔つきから、彼女はなにかを悟っていたのかもしれない。  さて、そうやって母親の必死の教育をうけた女の子たちは成長してどうなるか。  すごくうるさいブスになるのよね。  彼女たちは、�個性的�という言葉をまだ信じている数少ない人種で、これに救いをもとめようとするあまり、やおら奇矯な行動に出ることが多い。  スナックで突然乳首を見せたり、カラオケのマイクを奪いとって、ぜんぜん似てないモノマネをはじめたりするのは、ほとんどといってブスである。よく見てごらん。  ブスは突然暗くなる。  自分たちがこれほどサービスしているのに、世の中には全くなにもしなくても、人から好意をもたれる女たちがうようよいるのを知ってしまうからである。  彼女たちはすごく損をしていると考える。ブスの神話の中には、 「きれいな顔をしている女の子は意地が悪い」  という章があるが、これがあてはまらない子たちもけっこういるということがわかってくるからイライラはつのるのみである。  ブスはものすごくねたみ深い。  その憎しみは美女に向けられるのではなく、もっぱら自分たちの仲間にいくことが多い。ブスの中にも運がいいのがいて、けっこういい男と結婚したり、デキちゃったりするのがいたりするでしょ。するとすごいのよね、 「あっちの方のテクニックがいい」  とか、 「親がすごく土地をいっぱいもってて、持参金をはずんだ」  とか噂を流すのも彼女たちだ。  話は突然変わりますが、例の田中康夫センセイの奥さん、最初見た時びっくりしちゃった。あれで私は少し彼のことを見直す気になったんだけれど、実物のセンセイを見たら納得。だって病的短足の五頭身なんだもん。あれならあの程度がお似合いみたい。すこしもひがむことはないのよ、ブスの皆さん。  つまり、ブスつうのは、ものすごく情緒不安定なのである。まわりの人はすぐ疲れて、自然敬遠ぎみになってくるのは仕方ないのだ。  まあここまでは、私もかなり同情的になってくるが、最近進出しはじめた�どっ派手《ぱで》ブス�という存在は、もはや救いがたいものだと思うね。  このあいだ原宿《はらじゆく》の会員制のディスコへ連れてってもらった。タレントとかナウい人たちがウロチョロしてるとこだ。  そこで私は悪夢のような二人を見た。最新流行の刈り上げヘア、メイクもこれまた最新流行で、黒に近い口紅がヌメヌメと塗ってある。頬紅はまっかっか。スタジオVかなんかのミニスカートをはいて、いかにも物なれたふうに、ということは非常につまんなそうに煙草をふかしていた。 「毒をもって毒を制す」  というのはなかなかいいアイデアだと思うが、はっきりいって「ブス」という存在に照りがかかってキラキラ輝いている感じだった。こわかった。  女には誰でも「愛されたい」「目立ちたい」「自己主張したい」という欲求があるけれども、ブスがやるとすべて目ざわりになるのはなぜだろうか。  結局「分不相応」なのね。  あのヒトたちはまだ先生たちに教わった「人間はすべて平等で、等しく幸福になる権利がある」なんて思想を信じているのかしらん。  私は幼い時から賢かったから、十歳ぐらいの時に、その欺瞞《ぎまん》をみごと看破してましたぞ。  ルミコちゃんにヒロミちゃんに、サチエちゃん、小学校時代、お人形さんみたいに可愛かった同級生たちを思い出す。みんな先生たちにヒイキされて、遠足の時はいっしょにオニギリ食べたりしてたものね。私だって学校一のブスといわれてたカズミちゃんとお話しするよりも、ルミコちゃんの横にいた方が好きだった。花模様のブラウスを見たり、ピアノをひいたりする真っ白い指なんかうっとりしながら眺めたものである。だから先生とかみんなの気持ちはすごくよくわかった。  私もそうなのだから、他人もそうだと思う。幼いながらさすが私は賢かった。そのけなげさは今日までつづいて、美女たちが世間から優遇されるのを見て、なるほどと思う。  その反対にブスがでしゃばって、やたら喋ったり歌ったりするのは、本当にみにくいと思う。 「私ってね、がらっぱちでしょ、あけすけなことが好きでしょ。そおー、よくいわれるんですよ、本当におもしろい女だってね、アハハ」  なんていわれると、なんかいたましくて、胸の奥がツウーンとなってしまう。もっとひらきなおって、 「あたしゃブスだから」  なんていっている女は死ねばいいと思う。  ブスといいながら、実はものすごく媚《こ》びていることに本人は気づかない。 「ブスだから」という言葉の裏に、 「だけど心はやさしいの」 「謙虚でしょ」 「明るい性格でしょ」  と十言ぐらい隠されているような気がするのだ。  少しいいすぎたかしら、ワタシ。  それじゃ、ブスはどう生きりゃいいのよ、エー、と問いつめられそうだからお答えします。 「個性的に生きる」などという言葉はまずお捨てなさい。ブスは普通に生きるのがいちばんよいのです。リキまず、うらまず、主張せず。「普通」の素敵さをいうことを、顔が普通じゃないひとはもっと勉強すべきだと思う。イッセイとかワイズとか普通じゃない服は絶対に着るべきじゃない。 「装苑」とか、「主婦の友」の付録に「体型別ファッション」という企画が時々あるけれど、「ブスのためのファッション」というのもマスコミの責任としてぜひやるべきである。  感じのいいブスには、社会ももっと寛大になってくれるというものだ。 [#改ページ]  [#1字下げ]そのイジキタなさが、 [#1字下げ]恋のあと味を悪くする。が、  やりました。一週間以上私を苦しめていた便秘を、大量の薬剤によってついに降服させたのだ。  そのあふれそうなぐらいな量を、非常な爽快感《そうかいかん》と幸福感でしばらく私は眺めていた。気のおけない夫[#「夫」に傍点]がもしいたら、 「ちょっと、ちょっと見て」  と声をかけたぐらい私はウキウキしていた。  楽しゅうて、あとは悲しきUNKOかな——  突然急にしみじみとした気持ちに襲われて、私はトイレのレバーをおしてしまった。  いつもよりぜんぜん違う水の動きを見せながら、それはうねりとなって流れていった。 「ありがとう、Aさん」  いつのまにか過去の恋人の名前をつぶやいていた。  こんな大量のUNKOをする私を、「愛している」といってくれて、抱いてくれて本当にありがとう。  私はいままで便器に満ちあふれていたそれのように、彼に対する感謝とすまなさの気持ちが、胸にひたひたといっぱいになってきたのだ。  このように私は別れた男たち誰に対しても(こう書くといっぱいいるようで好き!)、いつもいい気持ちを忘れたことがない。けれども世の中には、私のようなやさしい女ばかりとは限らないのだ。  たとえば友人のK子は、前の男のことを、 「いままで会った中で最低の男!」  と口汚なくののしっている。彼女の話を総合すると、真夜中に何度もしつこくその男は電話をかけてきて、 「いまナイフを持ってる。お前を殺してオレも死ぬ」  とおどかしたそうである。私はドラマチックが大好きな人間であるから、こういう話をもつ女性が心底羨ましくてしようがない。おまけにK子は、 「こわくてたまらないから、S(現在の恋人)にずうっと来てもらって、最後には男同士で話つけてもらったの」  とかいってるのだから、もう勝手にしろ! といいたい。前の男がナイフを使ってまで復縁を迫る。違う男に対して、これほど効果的な演出方法があるだろうか。  K子というのは特に美人というわけではないけれど、俗にいう男好きするタイプ。こぢんまりした目鼻が妙な色気がある。そしてナイフとまではいかないまでも、いつもこういったたぐいの男と話に追っかけられていた。  だいたい女にはふたとおりあるようだ。このK子のように色恋に関してはかなり非凡なる人生を歩む人と、まあ私のような凡人。  私の田舎の、近所のラーメン屋のおばさんがまさに前者タイプ。四十歳近くなって若い男と駆け落ちし、結局その男と別れ、旦那とも離婚してしまったのだが、なんと三か月後ぐらいに全く別の男と再婚したのだ。  母は高校生だった私に向かって、しみじみいったものである。 「一度男の人となにかあると、次から次へと起こりやすくなってくるのよ。けれども、一度もないひとは本当にダメ」  その頃うちの隣には、三十歳すぎてまだ結婚していない従姉《いとこ》がいたので、母はそのことを指していったのかもしれないが、この言葉ははからずも愛娘《まなむすめ》の将来を暗示する結果になってしまった。  本当に私ってモテないのよね。 「なんで私ってこんなにモテないんだろ」  とひとりでつぶやいていたら、ある男が、 「そんな理由なんか、とっくに自分でわかってるでしょ」  とはっきり明るく答えてくれた。ありがと。  結局、次の男へのジャンプ台といおうか、誘い水となるいま[#「いま」に傍点]の男がいないというのが、私の大きな敗因であろう。男などというのは納豆みたいなもので、ひとりつかまえるとあとはズルズルくっついてくるものなのに、私は最初の一粒グリコ三百メートルがないのである。  それでもおんなを長くつづけてれば、そりゃあ二、三人はなんとかなります。私の場合めったにないことであるから、しっかり確保しようとするのだが、それが全くうまくいかない。愛情、金、時間、ふたりがうまくバランスをとってこそ恋愛といえると思うのだが、私の場合、完全なこちら側の�持ち出し�である。何度か頭にきて「さよなら」をいったのだが、なんとなく男にまるめ込まれてしまった。  というよりも、どたん場に来ると、私の中のいままでどこにひそんでいたんだろうと思われるぐらいのすごい執着が、どろりどろりと出てくるのである。  何度もいうように私はドラマチックが大好きな人間であるから、しばらくは瀬戸内晴美的気分にすっかり酔ってしまうから困ってしまうのだ。  泣いたり、わめいたり、機嫌をとったりしながら、なんとか元のサヤにもどそうと必死になる。それでまたなんとかつきあいがはじまるのだが、まあ立場はだんだん不利になってきますな。エラソーな口をたたかれたり、おごってくれていたものが割り勘となり、やがて私が払うのが当然となるという経過をたどります。  結局、その男にそんなに惚れているのかと世間からよく尋ねられるのだが、そうとでもいえるし、違うともいえる。ただ私は病的なめんどうくさがり屋(男を追っかける時は話は別)なので、また別の男といちからやり直してベッドまで行きつくのが億劫《おつくう》で仕方ないのだ。よくあるでしょ、お互いわりとその気はあるんだけど、それまでお酒を飲んだり、いちゃいちゃ話しあって探り合う時間。ああいう時間が実にかったるくて仕方ない。それにいっしょにお酒を飲んでる時に、当然男は値ぶみする。欲望に鋭く光ったかと思うと「それほどの女でもないな、今日は酒だけにしとくか」としきりに考えている様子、ああいうのを見るのも好きじゃない。それよりも気の合った男とマンネリをお互いに感じながら、ごちょごちょやっている方がずっと気が楽なのだ。  つまり私の男への執着というのは、小さな子どもが古びた毛布を絶対に離さないというのと同じ。いじきたなさにケチとマゾっ気がいりまじって、私をいい女からほど遠くしている。相手の男にしても、何年かたって私を思い出す時、いい記憶で満載というわけにはいきますまい。  けれども女は後の記憶のために生きるにあらず。いまさえよければ、髪の毛ふりみだしてもそれにしがみつくものなんですよん。 [#改ページ]  [#1字下げ]アフターケアで、 [#1字下げ]本当に愛されているかどうかわかる  何度でもいうようだが、私は非常に嫉妬深い女性である。嫉妬深いということは、同時に独占欲が強いということに他ならない。  だからめったにないことであるが、運よく恋愛生活に入ると、疑心暗鬼、しつこく電話をしたり、まわりの情報を集めたりするのがいつものパターンである。  この情報収集というのが、職業柄私はすごくうまい。敵のつい最近までつきあっていた女の名前を知るぐらい朝飯前だ。  まず彼の近くにいる人間をリストアップする。「近くまで来たから」という名目でお茶に誘い出すことぐらいわけない。 「このあいだAさん(オトコの名)に会っちゃった」  とさりげなく切り出す。 「ああ、あの人……」 「なかなか感じのいい男じゃん。でもちょっとわがままそうね」  とまずは軽い悪口でカモフラージュ。 「でもあれはなかなかワルよおー、私のみたところ、相当遊んでるわよ、きっと」と切り出す。  私のゴシップ好きを知っている相手は、お茶をごちそうしてもらうお礼がわりに、ちょっとおもしろそうなネタをいくつか提供してくれるはずだ。 「そうかもねー。あ、そういえば最近まであそこのナントカちゃんとつきあってたって聞いたわ」 「ふうーん、そのナントカちゃんってどんなコ?」 「私もよく知らないけどさ、Aさんにぞっこん惚れてたって噂よ。一時はかなりいい線までいってたんじゃない」  女心というのは不思議なもので、相手の男があまりモテすぎても困るし、モテなくても困る。その微妙なバランスのところにいてほしいと願うのは誰しも同じであろう。  さて、こうして手にいれたナントカちゃんという名は、いったいどういう時に使えばいいのだろうか。私の場合、男に甘える極みに起こる、例の痴話ゲンカの最中ですな。 「そうよ、私、ナントカちゃんみたいに素直じゃないもん」  この時のギョッとした顔を見るのが大好き。 「違うよ、あれはさ、仕事で何回かあっただけで関係ないよ」  私が男にだまされる女の心理がつくづくわかるのもこんな時だ。大の男が自分のために必死で嘘《うそ》をつくのってたまらなくいとおしい。 「でもずい分仲がおよろしかったって噂よ。ナントカちゃんってすごい美人なんですって」  とダメ押し。 「そんなことないよ。ものすごく気の強い女でさ、オレそんな気持ちになったことないよ」  しかし、他の女の悪口をいわせてまで愛されている確信を得ようとする、この女というものの貪欲《どんよく》さよ。本当に罪深いものだと思います。合掌。  しかし確信だとかなんとかいったって、これを本当に知りたかったのかという確信は私にはない。知りたくて聞いたのではなく、聞きたくて聞いた、といった方が正確だろう。いってみれば前戯に近いものなのだ。  よく「男の気持ちがわからない」と女たちは深刻そうにするけれど、あれは嘘ですね。あれだけ恋にかけては悪賢くて敏感な女たちがわからないはずはないのだ。ましてや、いっしょに�寝た�ことが一度でもあるのなら、その答えはとうに出てるはずである。  いい答えが出た女は、それを甘い飴《あめ》みたいに何度もしゃぶりたいんだし、悪い答えが出た女は、他人からあきらめるな、といってもらいたいばかりに女友だちに真夜中に電話することになる。  本当に�寝て�しまえばすべてがあきらかになる。知りたかったことはすべてわかってくるはずだ。  いっとくけどこの�寝る�というのは、その最中のことではないよ。愛情が多い少ないで、その行為自体にはほとんど差がないもの。たいていの男だったら、「愛してるよ」とか、「好きだよ」のひと言ぐらいは本能的にいうでしょ、だからそんなに喜ぶことはない。  大きな差がつくのは、コトが終ってからだ。後悔というでっかい焼印をおされて、どてっとベッドに横たわる肉塊となっているのか、いとおしさが倍加した恋人となっているのか、それはその時、男がなにをしたかでわかりますね。  毛布をひっかぶり、背を向けて寝てしまう男などというのは問題外だが、他の方たちというのは、いったいどんな待遇を得ているのであろうか。 「そうねぇー、たいてい煙草吸うわねぇ」  友人のU子の彼は、彼女が煙草を吸うのを非常に嫌がるのだが、この時だけはゴホウビに一本くれて、火までつけてくれるそうである。  あとは髪の毛をなでてもらう。腕枕をしてもらうなどというオーソドックスな答えの中で、ちょっと変わったのがある。髪の毛の長い友人の彼は、横たわったまま手間ひまかけて三つ編みを編むんだそうである。  ロリコンかつ平安調っぽくてなかなかいい。  私のとぼしいいくつかの経験の中からいわせていただくと、次の日の朝食をキチンといっしょに食べていく男も、信用していいような気がする。  まあ不倫の恋をしていらっしゃる方々は別でしょうけど。  ラブホテルの近くの喫茶店で、ちょっとみじめさを共有しながら、モーニングサービスのゆで玉子を割るような男だったら、間違いなくあなたに惚れているといってもいい。男が女の部屋に泊まった場合、朝ごはんをここで食べて帰るというのは、彼女の存在をその日いちにち、しょって帰るというのに等しいのだ。  なぜなら、この時の朝食というのは、女の思いいれの固まりみたいなもんであって、いまやちゃんとしたホテルでしか食べられない、純和風定食みたいなものが突然出現して男を驚かせる。  この時の男の言動によおく注意しよう。 「キミって本当に家庭的なんだね」  というのは、いかにも古典的なほめ言葉だが、自分のために手間をかけさせたことへの礼心からであって、その誠意は認めるべきである。 「これからどこへ出んの。じゃ銀座までいっしょに行こうよ」  と提案してくる男だったら、ちょっとウヌボレてもいいようだ。  男が部屋を出ていったあとの、気だるい遅い午前、食器を水につけたままでレコードなんて聞いている。すると電話が鳴る。とる前から誰からかわかっている。 「あ、僕だけどいま会社。なにしてるのかと思ってさ」 「いまお茶わん洗ってたの(こういうとき女は、生活のにおいをやたら漂わせたがる)」 「いいわすれたけど、いろいろサンキュー」 「いーえ」 「今夜どうすんの」 「まだきめてなぁい」 「じゃまたTELするよ。じゃーね」  こんなのが私の理想的な後朝《きぬぎぬ》の別れですね。  ライターや万年筆の会社と同じく、男の誠意つうのもアフターケアの首尾で見せていただきましょう。  売りつけにきた時の口説きなんて、ほーんとにあてにはならないからね。 [#改ページ]  [#1字下げ]男にモノを買ってもらう女は、 [#1字下げ]やはり……うらやましい  男にモテないということのデメリットは、どんなことがあるだろうか。  ひがみっぽくなる、同性に尊敬されない、などといろいろあげることができるが、物質的な面でもその差は大きいものがあるように思う。  私の友人の中にも、男はモノを買ってくれる存在だと信じきっている女たちが何人かいるが、その自信はほとんど無邪気といっていいぐらいである。 「昨日さ、ホテルのアーケードで素敵なブローチ見つけたの。給料日前だとわかってたけど買わせちゃった。ふ、ふ、あいつったら青くなってたわ」だって!  あ〜ん、くやしいよおー。  長いおんな人生の間で、私はいったい男にモノを買ってもらったことがあるだろうか。  そういえば、大学生の頃一回、バイトの金が入ったからといって、BFに籐《とう》のバッグを買ってもらったことがあった。ふたりで海を見に行った帰り、横浜の中華街でだ。  値段は確か千円だった。  男にモノを買ってもらうなどというのは、私にとっては全く画期的なできごとであり、その時の彼の表情から財布の色まではっきりとおぼえている。  よっぽど嬉しかったのであろう、その籐のバッグは取っ手が取れるまで長い間使い、古くなったあとは下着入れにして大切に使っていた。引っ越しの時に捨てたのと、彼が結婚したという噂を聞いたのとどっちが先だったかな。  恥をいうようであるが、男にモノを買ってもらったのは、あとにも先にもこれが最後だったような気がする。 「そのかわり、いつもあんなにおごってもらうからいいじゃない。あなたのあの食べっぷり見てたら、そのあとなにかを買ってやろうなどという気はたいていの男は消えうせるね」  などと、人はいうかもしれないが、たとえマキシムでおごってもらおうとも、おごりはおごり。ありがたいと思う気持ちにはなっても、甘い嬉しさにはつながらない。もちろん小さなプレゼントやおみやげは何度かもらうが、やはり「買ってもらう」というトキメキにはかなわない。  男にモノを買ってもらうという行為には、非常に性的なにおいがする。ちょっと女の陰湿な高慢さが漂っている。それがすごくいい。  男といっしょに夜のショウウインドーの前に立ち、媚びたり、すねたりしながら、目的のものを買わせるなんて、経験したことはないけれど格別のものであろう。  そしてその後はふたり、なにか特別のことをするのであろう。さもありなん。  私がうんと若い頃、非処女というのはわりと珍しい時代があった。友だちからの情報もペッティングどまりで、 「下の方は許さなかったワ」  などという話が尊敬をもって迎えられていた時期があった。ホント。  そんな中にあって、ふたつ年上のM子は社会人ということもあり、私の友人の中では数少ない体験者であったから、ウブな私はもう興味シンシン。まるでもの珍しい動物と対するようなやり方で、からだをジロジロ見たり、いろいろと聞き出したりしていた。 「ねぇー、ヘビ嫌い?」 「もちろんじゃない」 「おかしいなー、本に書いてあったけど体験者ってあんまりヘビこわがらないんだって。ヘビは男性のナニの象徴だから、バージンはすごくこわがるけど。えーと、じゃあ、とがったもの見てどう思う?」  よくもまあ、あんなバカバカしい話によくつきあってくれたと思う。いま思うとけっこうからかわれてたのかな、わたし。  話はかなりそれたが、非処女に興味をもつのと同時に、私は非童貞(そんな単語あったっけ)の研究にもかなり熱心だった。そして当時得た知識のひとつに、非童貞というものは、かなり金がかかるということがあった。 「まあ一回女を抱こうと思えば、一万から二万かかるね」(当時トルコというのは、そんなにポピュラーじゃなかったと思う)  と同級生の男の子はいった。  私はその金額の多さにびっくりしたものだ。そして女を買うために一生懸命にバイトしているという彼の話を聞いて、本当に私は悲しくなり同情してしまったのである。  その次の日ぐらいに私はM子と会ったのだ。M子はひどくうきうきしていた。 「彼のボーナスが出たのよ」  ふうーん。 「それでどっかで食事しようかといったんだけど、それより残るものがいいって私がいって、ワンピース買わせたの。これ八千円もしたのよ」  その時、目からウロコが落ちるという表現がぴったりするぐらい、納得できたことがあった。 「そうか、わかった!」  私は叫んだ。 「考えてみると安いもんだよね。週に一回女買うと思えば、年に二回ワンピース買うことぐらい。ネエーッ」  M子との絶交状態はかなり長くつづいたと思う。男をしらない女の無知というものは、時としてものすごく残酷なことを平気でいうものである。  こういう可愛気のないことばっかり平気でいう性格だから、私はM子のように、男にモノを買ってもらう女に成長しなかったのであろうか。  あれから十年たって、私もおかげさまでM子と同じ身の上になったが、なぜか男に貢がせるのは本当に縁がない。一回そういうことをするたびに、銀座のママなんかダイヤモンドの指輪を買ってもらうらしい。同じ女と生まれ、同じようなことをするのに、どうしてこんなに差がつくのであろうか。  まあ銀座のママと比較する方が間違っているのであろうが、私と同じように美貌もテクニック(!)もそう差がないであろうフツウの女でもいろいろモノを買ってもらうのにどうして私は買ってもらえないのか。  あんまりだ。  ここまで書いて思いあたることがあった。私って男にモノを買ってもらえない身の上[#「身の上」に傍点]なのね。  考えてみたって自分ひとりの買い物だっていろいろ問題多いじゃない。このあいだも「ボール」の店員に、 「これ以上の、ジーンズのサイズありませんよ」  ってバカにされたばっかりだ。  まさか男といっしょに、伊勢丹のクローバーコーナーに行けないわよね。靴を買ってもらうとなれば、いっしょに汗だくになって、甲高、幅広のサイズに合うのを探さなきゃならない。アクセサリーにしたって、ブレスレットはまず五本に三本はアウトだもんね。  この体格と自信のなさが、私をつつましやかな女にしていたのだ。  そういえば、男にモノを買ってもらう女って、肩の薄い、きゃしゃなイメージがある。あれこれ考えているうちにOLたちの豪華バッグがとてもヒワイなものに見え、思わず顔を赤らめてしまう私です。 [#改ページ]  [#1字下げ]バージンを [#1字下げ]あまりいじめてはいけない  この世の中で何がいやらしいったって、男をしった女たちの、バージンに対する優越感ぐらいいやらしいものはない。  ひとりちょっと世間知らずの子がいたりすると、 「仕方ないじゃん、なんせあの子バージンだから」  とかいって、ヒッヒッと笑い合うでしょ。あの光景というのは、見るもおぞましいものである。  そうかと思うと、バージンというのはわりと好奇心が強いから、いろいろと無邪気な質問をしかけてくる。それを微に入り細に入り、いろいろと必要以上に喋って、 「あなたも早く捨てなさいよ」  とけしかけたりもするのである。  いま中学生とか、高校生とかが、種痘をするような感覚で、われもわれもと男と寝たがるけれど、あれは絶対に先に男をしった同級生たちが、いろいろな情報をあたえすぎるからに他ならない。  そして彼女たちをせかしているものがもうひとつある。それは時間だ。  なるべく早く男に抱かれないと、若さという魔法がとけて、もう男に愛されないのではないだろうかと彼女たちは怖れているのだ。  また彼女たちは、自分がきめた�喪失年齢�というのにも追われていく。それは十六歳とか、十七歳とか、全く根拠のない数字なのだけれど、少女の生まじめさで、これを守りぬこうとするわけである。  最初に私がいったバージンというのは、もちろんこうした少女たちをさしているのではない。もう少し年齢が上の、男とかセックスがわかりかけていて、しかもバージンであるという状態の女性たちのことである。  ローティーンの少女たちで、男をしらないというのはごく自然のことだから、バージンという言葉はふさわしくないような気がするのだ。  バージンというものには、多少なりとも恣意《しい》的なにおいがなければならない。  さて、ちょっと前の話になるが、私が初めて男と寝たことがある。その時非常に嬉しくて、嬉しくて、友人たちに私は電話をかけまくったのである。その時まっ先にかけたのが、昨日までの私と同じバージンの友人だったということは、いま考えるときわめて暗示的である。  全く無意識のうちにしたことであるがいま考えると、反応がいちばんおもしろそうだったからに違いない。  事実を告げると、彼女は電話口で息を飲んだ。そうとうショックだったようだ。これこそ私がいちばんのぞんでいた反応だったのだ。  もう体験ずみの友人たちとはこうはいかない。 「あーら、やっぱりあの男と。よかったじゃない。おめでと」  と非常にあっけらかんとした声がかえってくるだけだ。 「それでどーだった。よかった? フフフ」 「もー、いろいろ大変だった。そんでさー、ひとつ聞きたいんだけど、あん時ね、彼ったらね……」  まあ話していくと話が具体的になってそれなりにおもしろいのだが、もうひとつ物足りないところがある。私としてはもうちょっと驚いてほしかったのだ。  そこへいくとバージンのコというのは、私の思うとおり、しばし沈黙がつづく。これはなかなか緊迫感があっていいものだ。  なにせ他人にショックを与えるほどの快感がこの世にあるだろうか。 「マリちゃんが本当に好きだったらいいと思うけど……」  やがてポツンとした声が聞こえる。 「あの人とは結婚するわけじゃないんでしょう。マリちゃんがだまされてなければいいんだけど……」 「好きだったんだもの、私後悔してない」 「ふうーん、私ね、やっぱり結婚するんでもない人と、そういうことしちゃいけないと思うのよね」 「そうおー、私その時幸せならばいいと思うけどなー」  彼女の言葉ひとつひとつ、実は最近まで私もいっていたことなのだ。  男をしるということは、確かに私にとって昨日までのひとつの論理が百八十度転回することであった。こういう経験は、人生にそう何度もあることではない。  その衝撃の瞬間に、私は彼女に立ち会ってもらいたかっただけなのだ。  そのために、私はわくわくしながら真夜中に電話をかけたのだ。  恥をしのびながら私は男をしったばかりの女のエゴイズムのいやらしさを書いたが、いま思えば、男をしるということはそんなにすごいことであったのだろうか。  私よりいくつか年上で、結婚して半年もたたないうちに離婚した友人がいた。へんな言い方だが、それまで私と彼女は�バージン仲間�で、奔放に生きている女たちをちょっと横目で見ている感じが共通していた。 「アッタマにきちゃったわよ」  彼女はいった。 「あんなに期待してたのにホントにつまんなかったわ。マリちゃん、あなた絶対に結婚しない方がいいわよ。結婚なんてさ、タンポンが入るようになっただけじゃない!」  私の場合、タンポンよりはかなりいい体験をさせてもらったような気がするが、友人に喋るだけ喋ると、あとはもう、はしゃがせるものはなにもなかったように思う。  男をしるというのは、�納得�ということであり、それ以上のものでも、それ以下のものでもないのだ。  それなのに、寝る男がいるというだけで、あんなにはしゃぎまわる女たちが多いのはなぜなんだろう。そういう女たちに限って、身の上相談ばかりしている。セックスをものすごく過大評価しているから、その代償が多すぎるのだ。  私の友人は、そんな時、 「トルコに行くよりマシだもんね」  とひと言ぴしゃりといってやるそうである。  こういうとたいていの女は不機嫌になって電話を切るそうだ。 「トルコに行くよりマシ」  これを呪文《じゆもん》のようにとなえると、たいていの恋が萎《な》えてしまうから不思議だ。  私のところへ会いに来るのも、タダでセックスができ、しかも愛情つき。沸かしたてのお風呂があってビールもある。朝食だって場合によってはつく。  なるほどうまいことをいうなと感心しながら軽い寒けがした。  これをはっきりと否定できるような男と女なんて、たぶんいくらもいないだろう。  恋だの愛だの騒いだって、せいぜいはこの程度のものである。  このいいかげんさに、ときどき女たちは気づく時があって、だから気ばらしにバージンをいじめるのかもしれない。 [#改ページ]  [#1字下げ]美少年は [#1字下げ]公共のものです  わーい、わーい、今日はとってもいい日でした。  BFのアキ君がフグを食べにつれてってくれたんです。おまけにいっしょに行ったのが誰だと思います。ハンサムなデザイナーとして、業界にその名が知れわたっているツノイさんです。写真をお見せできないのが残念ですが、いずれアヤメかカキツバタ。ふたりとも水もしたたるようないい男(ハンサムをほめると、つい言葉が古典的になる)。仲居さんが、 「今日はなんでこんなに素敵な方がいっぺんにいらしたんですかァ」  と何度も私に聞いたほどである。  私なんか、この佳き日をなんとかかたちに残そうと思ったから、 「取材で今日偶然もってたの」  なんていいながら、カメラでバシバシ写真を撮っちゃった。  ところで私は世間でいわれているほど、�面食い�では絶対にない。自分でも身のほどというものを知っているから、実用はブ男が好きである。ブ男といっても、私の好みの方向に崩れていてくれないと困るので、まあひと言でいえば硬質のブ男が私は好きである。同じブ男でも、ぶよぶよ太って、童顔でと、私を男にしたようなタイプは全身全霊でうけつけないのよね。  まあ実用は実用でおいとくとして、私は美少年たち、もしくは美青年たちと遊ぶのが大好き。いっしょに歩くと、女たちの視線がうるさくて困る——といったレベルは、いつも三、四人手元に置いておきたいのだ。  中でも白眉《はくび》といっていいのはオオタケ君である。ホテルマンという職業柄、めったに会えないのだが、いっしょに喫茶店に入ると、それまでギャーギャーわめいていた女どもがピタッと沈黙するほどものすごい容貌なのである。サービス業に従事している男独得の清潔感があって、きちんとそり上げたこめかみのあたりがふんわり青っぽい。二重の大きな目の男というのは、どうしても信用できない感じがあるが、彼のはいい感じに切れ長になっているので、目の美しさだけが強く印象に残るのだ。  私より二つ年下だからもう二十六歳か。知りあった頃は文字どおりの美少年だった彼も、髭《ひげ》が濃くなっていくように男が表面ににじみでてくるようになった。ちょうどヴィスコンティ時代のアラン・ドロンみたいな感じ。私といえば、もう小森のおばちゃまみたいに目尻《めじり》を下げて、 「オオタケ君ってホントにいい男ねぇー」  と恥ずかしげもなく彼を見つめるのだ。  私のまわりの連中は、私がオオタケ君に「手をつけた」と思っているらしいが、そんなことは全くない。彼の風貌にふさわしく清く美しい関係である。 「ねぇ私考えたんだけどさー、あなたちょっと路線変えてみたら」  ある時友人にいわれた。 「あなたいつでも年上のちょっとワル男が好きで、いつも泣かされてきたわよねぇ。もうこのへんで年下の美少年に切りかえてみたら。まああなたは業界の大屋政子といわれてるぐらいヤリテだから、このへんで女パトロンとして君臨するのもいいんじゃない」  冗談じゃない。美少年というのはたまに会うからいいのであって、日がな一日顔を会わせていたら、私なんかきっと気がめいっちゃうわね。  あまり美しすぎる男というのは、女を悲しくさせるのである。  オオタケ君も、だから結婚できないんだ。彼は私からのよび出しにいつもすんなり来てくれるところをみると、たぶん恋人もいないんじゃないかな。そりゃーそうです。オオタケ君と目をふせることなく向かいあう女なんて、そう何人もいるもんじゃない。  だからそんなはずはないと思いながらも、私は長い間、オオタケ君が童貞だときめてかかっていたところがある。彼のような美しい男は、女なんか愛せないはずだと思っていたのだ。  実をいうと、私は彼のことをホモだと思うこともあった。それはいかにも神秘的で悲劇的で、彼にはふさわしい道のように思われるのだ。 「かわいそうなオオタケ君」と、私は彼に同情した。  私はきっとこれからハイミスの運命をたどるのであろう。そしてオオタケ君も背徳の道をひとり静かに歩むのだ。それでもいい、肉体とか愛情だけが、男女の間のすべてじゃないんだ。私は死ぬまでオオタケ君と不思議な美しい友情を結ぶのだ。  そこまでひとりで思いつめると、ふいに美しい光景がうかびあがってきたのだ。桜の花が散っている修道院の庭。そこに私とオオタケ君が立っている。老いているといっても、彼は輝くように美しい。  そして私もこぎれいな老婦人で、彼のかたわらに寄りそっている。二人の間には恩讐《おんしゆう》を超えた美しい時間が、まるで夢のように横たわっているのだ。  なんとこれは、「シラノ・ド・ベルジュラック」の世界ではないか。私はすごく嬉しくなってさっそくオオタケ君に電話したのだ。 「はぁ、僕と林さんが養老院の庭に立っていたんですか。あ、養老院じゃなくて修道院……。そんなこともあり得るかもしれませんね。僕は一生結婚しないつもりですから」  私は男のこのひと言が、ぞくぞくするぐらい好きなの。 「あーら、どうして。オオタケ君みたいに素敵な人がもったいないじゃない」 「僕は女性を幸せにする自信がないんです」  もおー、私は最高にはしゃいでしまった。オオタケ君こそ美少年の鑑《かがみ》である。喜びで胸がいっぱいになった私は、明日の夜いっしょに飲みに行こうと彼を誘ったのだ。  その際、私は魔がさしたとしかいいようがないのだが、友人を誘ってしまった。たぶん私とともにこれから人生を歩むオオタケ君を自慢したかったゆえの愚かな行為であった。 「ひゃあー、いい男!」  と、最初に会った時の友人のはしゃぎぶりが多少気になったが、まあしばらくは三人でうまくいっていたのだ。 「ところでさー、オオタケ君」  酔いがかなりまわったのか、トロンとした目つきで彼女が、オオタケ君のコップにビールをついだ。あー、オオタケ君なんてなれなれしい、と腹たったのもつかのま、 「あなた初体験いつ?」  ものすごく大胆な質問をしたのだ。あ——、私なんか五年以上もつきあってしたことないこと、このヒト、最初の日にしてる。私の神聖なオオタケ君に、そんなことやめてほしい、と思いつつ、本当はこれは私がずうっと知りたかったことだということに気づいた。 「いやー、そんなこと、ハハ」  意外なことに、彼はそんなにイヤそうな顔をしてないのだ。それどころか、 「浪人の時ですよ」  とあっさりいう。 「相手は、ね、どんなコ?」  それには私もすごく興味があったので、私はもう彼女をつつくのをやめた。 「セーター買いに行った丸井の女の子ですよ。サイズがなかったんで電話番号おしえといたら、次の日に電話がありましてねぇ……」  私がくやしさで胸がはりさけそうになったのを想像してほしい。丸井に勤めるぶんざいで、オオタケ君の最初の女になったなんて絶対に許せない。オオタケ君もオオタケ君だ。駅のそばの丸井なんて手近なところで間にあわせて。せめて三越とか高島屋にできなかったのだろうか。  他人の初体験に私がとやかく口をはさむ資格はないのだが、オオタケ君の相手は、美貌の人妻とか、高原の別荘の少女とかであってほしかった。  高原といえば、国立公園の植物や樹をかってにとったり傷つけたりすると法律で罰せられるんでしょ。  人間の独占欲というのは、みなの楽しみをうばうものなんでしょ。  ならばオオタケ君みたいな美少年をひとりじめしようなんて、罰せられてもいいぐらいいけない行為だと思う。  私の老後の夢と希望が、またひとつ消えてしまったではないか。 [#改ページ]  [#1字下げ]打ち明け話は [#1字下げ]もう古いつうもの 「色気がないねぇ——」  打ち合わせをしながら、担当者のMさんがいった。手には私がいろいろ小見出しをメモしたノートを持っている。 「この本、もっとセックスのことを書きましょうよ、ネッ」 「セックス!」  私はゴクリとコーヒーを飲み込んだ。この言葉を男性の前ではっきりと発言するのは、わが人生これで六回目ぐらいのものである。 「かんにんしてくださいよォー、本が出ればうちの親なんかも見るんすよォー。うちには結婚前の弟もいるし、親族縁者も多い家系なんですよ——」 「甘い、甘い」  M氏は急に厳しい顔つきになって身をのりだしてきた。 「この頃のこのテの本っていうのは、セックスの要素がないと絶対に売れないの」 「他にそんな本はいっぱいあるんじゃないすか。ほら、朝比奈紀子さんとか、『ANOANO』のおネエちゃんたち……。あ、そうそう、最近すごい美人のモデルさんが本を書いたんですって。そういう人たちで、そっちの需要はもう十分まにあってるんじゃないすか」 「でもそういう若くてきれいな女の子ばかりじゃなくて、君の目から見たセックス観つうのもほしいのよね」  聞きようによってはずいぶん失礼なことをいいながら、 「まさか処女ってわけでもない、ですね」  とM氏は急にねっとりした目つきで、私のからだをなめまわすように見た。  キャッ、いやらしい。でも少女マンガ家はみんな担当者と結婚したりしているし、担当者と著者というのはできるだけ親密にならなければいけないのが、出版社の慣例かもしれないわ。Mさんってそうまあ、私の嫌いなタイプでもないし、奥さんがいる方があとくされがなくていいかもしれない。  で、私決心したんです。 「でも——、そういうもの書くのには、私ちょっと経験不足かもしれませんワ」  今度は私がちょっと上目づかいのねっとりした目つきでMさんを見た。  するとMさん、なにか感じたのか、 「ま、本屋でそういう本探して勉強してよ」  とすばやく立ち上がってしまったんです。  私なんだか腹が立って、 「本のお金、そっちの必要経費で落としてくれるんでしょうね!」  と、ついどなってしまったんです。  とにかくこんなわけで私は本屋に出かけた。まぁあるわ、あるわ、「なーんも知らない親」「女ごころの奪いかた」。女向けだか男向けだか全くわからないオカマ本が、ところせましと本棚に並んでいる。  で、私は買いましたよ、五冊も。どの本も活字が大きいから、一晩ですべて読むことができた。  最後の一冊を読み終る夜明け頃に、猛烈な怒りが私をおそった。 「他の女性たちは、みんなこんなにいいことをしている」  それは、 「つくづく考えるだに、本当に私はモテなかったんだ」  という静かな悲しみにいつか変わっていった。  それらの本によると、 「女子大生ということだけで、男は寄ってくる」  ことになっているし、 「キャリアウーマンというのはそれだけで世の男性の興味の対象です」  ともある。  私は昔女子大生だったこともあるし、現在はキャリアウーマンと他人はよんでくれるけれども、この本に書かれたようなことは一度もなかったぞ!  つねづね私は、モテるということはかなり偉大なことだと思っていた。  それは一種の総合芸術だと高くかっていた。  けれどもこんなにたやすくモテるんだったら、芸術などという言葉を使う必要もなかったのだ。  私だって六本木とか青山あたりをフラフラしていれば、 「街別、通り別、オトコ研究」  とかいう一冊をものにできそうなぐらいモテそうな気がしてきた。  私は開眼した。  二十八年目にして、新しい光を見たような気がした。  あれほど憧れていた「モテる」という事実がいま目の前にぶらさがっているのだ。  しかし、ふと私は思った。  男たちも同じことを考えたらどうしよう。  これらの本によると、女という女は、街で知り合ったばかりの男にもなんともたやすく身をまかすことになっている。「その時のムードしだい」ということになっている。  これを読んで発奮する男というのは、私と同じように多分モテないつらい日々をおくっていることであろう。  この本を読んで新たな決意をした女と男が、夜の巷《ちまた》で遭遇する場面は、どう考えてもあまり見よいものではない。  私が青山かどっかのスナックのカウンターで飲んでいる。なんせ私は「キャリアウーマン」だし、「自立している女」なのであるから、絶対にモテるという確信に満ち満ちているのである。そこへ男がやってくる。彼も現代の男のモテる条件である「ミドル・エイジ」というやつであるから、自信に満ちているはずである。全く根拠のない自信と自信の視線がかちあう。 「たいした女じゃないな」 「ヘン、オジン。こんなとこまで進出してくるんじゃないわよ」  ふたりが目的としていた�若き青年実業家�とか�女子大生�とかは、このふたつの自信を置きざりにしてキャキャッはしゃぎまわっている。  それを横目で眺めながら、ふたつの自信は最後まで歩み寄ることはないのである。 「あそこまで落としたくない」  と、ふたりとも思う。なんせ本で十分自信をつけてきたので、妥協ということを考えもしなくなってくるのである。そして私はひとり分のジンフィズの代金をそそくさと払いながら、淋《さび》しく家路につくのである。  ところで、こういう女の下半身打ち明け話っぽいものが本になりはじめたのは、いったいいつ頃からだっただろうか。  私が思うに、小池真理子さんの「知的悪女のすすめ」なんかが先鞭《せんべん》をつけたと思う。いまの女子大生作家の、なりふりかまわないエゲツなさにくらべると、まだまだおとなしいものだが、最初にあの本を読んだ時、 「へえー、こんな卒論のできそこないみたいなものが本になるわけ——」  と当時の私はかなりふんがいしたものである。彼女の美人ぶるのと、悪女ぶるのも、私には気にいらなかった。おまけに私の友人に、彼女と同じ成蹊《せいけい》大出身の子がいて、 「ちょっと、ちょっと、小池真理子って誰かわかったわよ。仲間みんなで、あんなバカ女がうちの大学にいたっけ、とか話したのね。そしたらひとりがあれ、っておしえてくれてわかったんだけど、二年上にものすごいツッパッてる嫌な女がいるのを思い出したわよぉー」  とか聞いていたのも、小池真理子さんにとってはわざわいしていた。成功した有名女性の悪口をいうのは、彼女と私の共通の趣味なので、それから二時間以上も電話でエンエンと彼女の悪口をいってしまったのだ。 「だいたいねぇー、自分にちょっとバカな男が何人か寄ってくるからって、それにどうのこうの意味をもたせたり、カッコつけんの間違ってるわよ」 「それにさ、女同士でやるようなナイショ話を、本にするって根性セコイわね」 「よくいたじゃん、小学校の時、みなの話を聞くだけ聞いて、あとでひとりで先生にいいつけに行くコ」 「いた、いた、そういうコにかぎってわりと可愛いから、先生にかわいがられたりして」 「あらっ、小池真理子って可愛い?」 「よくいるタイプ、タイプ、赤坂のスナックなんかで塩コンブをつまんでほこりかぶってる……」 「あなたのほうがゼーンゼンいい女よん」 「ま、ありがと。色気だったらマリコ(私の方の真理子)の方があるわね」  小池さん、ごめんなさい。市井の女たちというのは、こんなひどいことばっかりいってるものなんです。  しかし、あのテの本を書く女性たちが、女たちから嫌われているのは事実ですね。女の手の内を、ああいうふうに男たちにさらすというのは、やはりひとつの裏切り行為にもひとしいのだ。それで自分だけ印税をもらって、ひとり有名になってモテて、六本木あたりで男に囲まれて飲んでいるのは、やはり絶対にズルイのだ。民主女性連盟にでも寄付しなさい。 [#改ページ]  ジョブ篇  [#1字下げ]マスコミと [#1字下げ]ラーメン  自分のことは全く棚にあげて、 「マスコミで働きたい」  という女は大嫌いである。  もし私に従妹《いとこ》がいてこんなことをいいだしたら、二、三コ頬《ほお》でもひっぱたいてやるところだ。  ラクしたい。  華やかなことしたい。  お給料いっぱいほしい。  みなに自慢したい。  有名人と知り合いたい。 「生きがいのある仕事をしたいんです」 「女性でも一線で仕事ができるから」  とかいう言葉でうわべをかざっても、本音はこんなところだろう。  なぜこんなことをいえるかって。  私がそうだったから。  学生時代私が憧《あこが》れていたのは、「女性自身」の記者だった。あえて「女性自身」と名ざしてあげたあたりの心理はよくわからないのだが、たぶん芸能人といっぱいおつきあいがありそうだけど、「週刊明星」ほど野暮ったくない程度のことだろう。  女性記者になって絶対ショルダーバッグを下げるのだと決心していた。そして黒いハイヒールもはいちゃう。  こういう時の私の連想は全くとめどなくてショルダーバッグ→黒いハイヒール→有名作家とのおつきあい→ゴールデン街→有名作家とのスキャンダル、とまで行きつくのだ。  ついに五木寛之さんとの、一流ホテルでのつかのまの情事まで話はすすむ。本屋で彼の名前を見るたびに、頬を赤らめたりしていたのだから困ったものである。  私が学校を卒業する頃《ころ》、いままで以上にマスコミは難関であった。一流大学を出た、一流女性たちがひしめきあっていた。  いくら夢みがちの私でも、自分の実力というか、限界というものがよくわかってくる頃がやってきた。  ショルダーバッグや五木寛之さんとの情事は、あきらめなくてはいけないと心にいいきかせた。  ところがどうしたことであろうか。マスコミが向こうから手をさしのべてきたのである。  そしてその時にわかったのだが、マスコミつうのは、なにも光文社とか主婦の友社ばかりではなく、市井にいくらでもころがっているものなのであった。 「コマーシャル関係の業界紙なんだがね、キミ、ちょっと行ってみる気ない」  担任の教授から、ある日突然いわれた時の嬉《うれ》しさと驚き。  業界紙といえども新聞である。  しかもコマーシャルというのがこれまたカッコいい。  好物のアイスクリームに、こってりチョコレートをかけてサンデーにしてもらったようなものである。  私は喜びました。故郷の両親にも手紙を書きました。 「わたくしがいかに優秀な女子大生であったかの、ひとつの証でありましょう」  だが私はひとつ認識不足だった。  マスコミはマスコミでも、市井のマスコミである。  神田《かんだ》の貸しビルの七階にそれはあった。スリッパがあった。畳の上に六つのスチール机があって、社長と三人の記者、経理のおじいさん、タイピストの女の子が私を待ちうけていた。  それになんと玄関の横には、炊事道具いっさいが揃《そろ》ったステンレスの流しがあって、私はそれが後に悲劇の元凶となるとも知らず、もの珍しく眺めたのである。  何度でもしつこくいうようだが、市井のマスコミであった。月に二度発行するタブロイド判の業界紙を発行する時は、会社中総出で印刷から配送までやっちゃうのである。  タイピストの女の子がうったばかりの原紙を、みんなは「それ!」とばかり印刷機にかける。そのあいだに例のステンレスの流しの横に机を並べ、「製本」の用意をするのだ。  記者のベテランは製本のベテランでもあって、親指にゴムのサックをつけ、ものすごいすばやさでページを重ねていく。  新人の私はその横で軽石みたいなので、折りをつけ、四ページの新聞のできあがり。  これをタイピストと社長は封筒に入れ、のりづけをする。その後、私とタイピストはできあがった四百ぐらいの封筒を、東京中央郵便局までもっていく、という手順だ。  非常に家内手工業に徹したマスコミであった。ささやかな、ささやかな、町なかのマスコミであった。  けれども、「ささやか」とか「地味」とかいう言葉は、私といちばん肌があわない分野である。  五木寛之との情事を夢みていた私が、ステンレスの流しの横で行われるこれら一連の作業に、果して喜びを見つけられるタイプであろうか。答えは�否�である。  ものすごくブータレてたんだから!  いま考えるに、みんないい人ばかりであった。全く世間知らずの女の子によくしてくれた。  けれども私のふくれっつらはここにいた三か月のあいだ全く直らず、地顔のようになってしまったのである。  ふくれっつらになったひとつの大きな原因は、あのステンレスの流しだった。私の予感は的中した。ここで私はいろいろな義務をしょわされるようになったのである。  小さな会社であるから、遅くなった時、みんなの夜食にも出前なんか絶対にとらない。いつもカップヌードルが一個ずつ支給された。  カップヌードルなら大好き。ここにはみんな平等の思想がある。みんながいっせいにお湯をそそいで、「ごちそうさま!」と空のカップを捨てればいい。  私の入社当時はカップヌードルだった夜食が、いつかインスタントラーメン、万世のラーメンというふうにエスカレートしていったのは、やはり「女がひとり増えた」という男たちの喜びと甘えだっただろう。  しかし自分の部屋の食器も次の日曜日までほったらかしておく女に、甘えようーつうのは甘かった!  インスタントラーメンまではまだがまんできた。お湯を沸かしてつっ込みゃいい。しかし、万世のラーメンというと話は別だ。  万世のラーメンについて解説しなければならないが、これはいま流行の高級ラーメンのハシリ、麺《めん》とスープを別々に煮るやつだ。カップヌードルのように、微笑みながら「ごちそうさま」というわけにはいかない。  ここまで私は耐えに耐えた。  しかしラーメン闘争はエスカレートするばかりである。男性の記者たちは実にマメな人たちが多く、 「ラーメンの中に入れるとうまいと思って」  とかいって、近くの八百屋でキャベツやモヤシを買ってくるのである。  みな、この夜のラーメンタイムに、それぞれ主張をはじめたのだ。最悪の事態である。  そりゃ、私のオトコだったら、ラーメンどころか酢豚や八宝菜だって嬉々《きき》としてつくってやろうじゃない。だけどヒトのダンナたちのために、なんで私が毎晩ネギきざんで、麺をかきまわさなきゃいけないのよ——。  このラーメンタイムの自己主張を昼休みにまでもち込むヒトがいた。  誰《だれ》あろう、他ならぬ社長その人である。  ある日の昼休み、出かけようとする私に彼はひとつのタッパーをわたした。 「あ、これでみそ汁つくって」  弁当だけではあきたらなかったのだろうか。中にはきれいに切った三つ葉と、みそが入っていた。  私しゃつくりましたよ。貴重な昼休み時間に、マスコミをやってる私が、会社でみそ汁をつくりましたよ。  悲しくって涙がポロッとこぼれた。  ショルダーバッグに黒いハイヒール。有名作家の先生方に可愛がられて、ゴールデン街とか、銀座八丁目のバーにも連れていってもらう。中でも五木寛之先生のおんおぼえめでたく、昼の一流ホテルでの情事……。  それがお玉かきまわしてみそ汁だもんねー。みじめさでボーッとしてて、みそなんかぜんぶほうり込んでしまった。 「こんなからいの飲めると思う! ホントになにやっても気がきかない。嫁さんに行ったら三日で追い出されるから……」  と社長のどなり声をあびながら、私はこの市井のマスコミからの脱出を考えはじめた。  私がそこをやめたのはそれから一か月後だ。  その後マスコミどころか、職を求めて放浪する運命にあろうとは、さすがの甘ちゃんの私も気づかなかった。  とにかくその時の私は、あのラーメンとみそ汁の世界から逃れたかったのだ。 [#改ページ]  [#1字下げ]四十通の [#1字下げ]不採用通知コレクション  意外とヒトに知られていない趣味であるが、私は「ミス・コンテスト」を見るのが大好きである。  ただ漠然とテレビを見るのではなく、自分なりに審査して○印をつけていく。このあいだの「ミス・インターナショナル」はズバリ優勝者をあてたからたいしたものである。  私が出場者になりたかった、などと大それたことは考えないが、親せきにミスなんとかがひとりぐらいいたらいいな、と考えてしまう。  高校の時の友人に、「ミス・なんとか」山梨県代表の、イトコという子がいたけれど、それだけで彼女には神秘的なベールが漂ってたね。美人の血統とかいうのは、なんとなく迷信っぽくていい。  つい最近まで、私は「ミス・コンテスト」に出る女たちに対し、 「自信過剰」「目立ちたがり屋」「羞恥心《しゆうちしん》の欠如」  など、嫉妬《しつと》もあいまってずい分ひどいイメージをもっていたものである。ところが最近、そうしたものでもないということがわかってきた。彼女たちは、ランクづけされるのが大好きなのだ。自分がどのへんの位置にいるかが知りたくてたまらないのだ。  親せきのオバさんか誰かに、 「花子ちゃんは本当に器量よしだよ、こんなにきれいな娘、女優さんにもいやしないよ」 「ウッソォー、ヤダー、おばちゃんたらぁ」 「そら、いまテレビでミスなんとかってのを募集してるじゃないか。悪いことはいわないからちょっと出てごらんよ」  といわれたりしたんだろう。  こういう女の子が、地方の一次審査で落ちたりしたらさぞかしショックだろうなあ。  もう六年も前のことになるが、私も会社という審査官から、 「下の下。一次審査にくるのもおよばず」  という烙印《らくいん》をベターッとおされたことがある。  うける会社、うける会社すべて落ちてしまったのである。  それまで私は二十二年間、ごく平凡に清らかに生きてきた人間だった。「就職→結婚→出産」という平凡な人生をなんの疑いもなく信じ、進んできたつもりである。  うちの親や親せきの者たちも、 「顔はナンだけど、気だてはよい子」  とみんなほめてくれていた。  まさか社会のおじさんたちから、そんなに嫌われるわが身だとは思ってもみなかった。  いったい私のどこがいけなかったのだろうか。  スーツもちゃんと着ていったし、終ったあとのおじぎだってちゃんとしたし、これといって大きなミスをおかしたつもりはない。  なのに私を「女事務員」として採用しようとしてくれた会社はひとつもなかったのである。  私はなにも、社長秘書にしろとか、宣伝部か広報課に入れろとか無理なことをいったおぼえはない。やったことはないけれどソロバンをはじき、帳簿をつけ、みんなにヤカンでお茶をついでまわろうと、けなげに考えていた。  一回婚前就職をしかけて失敗した私は(注・「マスコミとラーメン」の章参照)、出戻りという負い目はあるし、生活していけるだけのお金をもらえるならば、売春以外はどんなことでもしようと心にきめていたのよね。  ところが、私のこんな誠意は全く通じなかったのだ。誰も私がこんなにいいコだとは見ぬいてくれなかったのである。  あの頃の私の日課は、毎日早起きして「朝日新聞」の求人欄を読むことだった。その中からめぼしいものをピックアップして、午前中に電話を入れる。そして午後からはかけもちで面接に行くという毎日だった。履歴書なんて何通書いたかわからない。なんせ毎日二通、三通と書くので、その消費する量もすごいのだ。ついには近所の文房具屋で買うのが恥ずかしくなり、わざわざ遠くの店まで買いに行ったりしたものだ。  ところがその履歴書も、四日ぐらいたつとキチンと帰ってくるのだから、本当に情けなくなってしまう。そのうち日付を書き直してフルに、半永久的に使用することを考えついた。こういう根性だから、どこもかしこも落ちたのだろうか。  しかしあの時期ほど、私が「松・竹・梅」と分けて、梅の部分に属する人間だと思い知らされた時期はなかった。梅の花はみなを喜ばせるが、梅の人間というのは、絶対にひとから好感をもってもらえないのだということも知った。  ある会社に例によって面接に行った時だ。女の子たちがズラーッと並んで順番を待っている。  私はひそかに時間をはかっていた。いままでの最高記録保持者が二十二分である。面接というのは長いほどいいという。私もなんとか十五分は維持したい。よし、体力のつづく限りがんばろう。  名前をよばれて私は立ち上がった。事務机の前に初老の男がひとり座っている。 「あなたが林さんね」 「はい」(返事は短く、しかも明瞭《めいりよう》に) 「わかりました。じゃーね、返事はのちほど送らせてもらいますから」  私は狼狽《ろうばい》した。十五分どころではない。この間わずか三十秒である。この男の顔から、彼が私に一目ボレして、 「わが社にぜひほしいのはこの子なんだ!」  と確信したうえでの短さではないようだから、やはり私は落ちるのであろう。  しかし三十秒というのはあまりにも短すぎる。面接時間の日本最短記録ではないだろうか。日本一というのは嬉しいけれど、私にもミエというものがある。こういう場合の最短記録というのは、女の子がいっぱい待っているもとの場所へもどる時に、あまり名誉なものではない。誰も拍手で迎えてくれたりもしないであろう。  なんとか時間をのばそうと私は骨をおった。 「あのー、お返事はいったいいつ頃いただけるのでしょうかー」  面接の時にはタブーといわれる、語尾を伸ばした話し方をした。 「明日、明日」  男は私の意図に反して、非常に省略した言葉でいった。  どうせ落ちることはわかっていたので、私はひどくのろのろと立ち上がり、のろのろと歩いた。これだけがんばっても所要時間は一分三十秒ぐらいであっただろうか。これは、呼び屋で有名な「ウドー音楽事務所」の時であった。  こうしているうちに、みるみる不採用通知の封筒はたまっていく。毎朝ポストをのぞくと、律義にキチンと私のもとに履歴書は返ってきていた。たまにはどっかで長居をしてくればいいのに……。  ある日のこと、例によって「朝日新聞」を切り抜いて面接に出かけようとした私に、急にクラクラと虚脱感がおそった。そりゃー、そうですよ。このままじゃ賽《さい》の河原の小石がわりに履歴書積んでいくようなものだものね。 「あー、やだ、やだ」  どうせもどってくるものを届けに、なんで電車賃かけて行かなきゃならないんだろうと思うのは、ごくごく当然の心理である。  その時、テーブルの上の不採用通知が何通か目に入った。あまり毎日送られてくるので、めんどうくさいから破らずに置いといたものだ。数えてみると八通あった。 「惜しいな、このあいだから破らずにとっときゃ二十通を超えたものを……」  お金も自信も毎日すごい勢いで目減りしている中、確実に増えているものといったらこれだけだった。 「よしこれを集められるだけ集めてみよう」  何日ぶりかに私に芽ばえた、非常に建設的な考えだった。 「不採用通知のコレクションのために」  と考えると、どんなに遠い会社へも明るい気分で行けた。  日に日に封書はたまっていく。  こうしてみると、大きさもまちまちで、青、白とあってとてもきれい。通知の内容も、 「貴意にそえず」  という高びしゃなものがあるかと思えば、 「せっかくおいでいただき、まことに申しわけないのですが……」  という長文の、かなり泣かせるものもあった。 「お、今日で二十通になった。あと一歩だな」  あの頃の私って、見る人が見たら、かなり不気味な明るさだったかしら。でも自虐もあそこまでいくと、けっこう楽しいもんすよ。  しかし、私の不採用通知は、四十通を超えたところでストップがかかった。のめり込みそうになってこわくなったのと、とにかく本当に一文無しになったためだ。  私はコレクターの世界に別れをつげて、日払いのバイトに行きはじめた。  私は面接時間の短さと、不採用通知の多さをもって、隠れたる記録保持者なのである。 [#改ページ]  [#1字下げ]女だって、 [#1字下げ]金、地位、名誉がほしいのだ  昨年のいま頃は本当に金を使った。  収入はいまとそう変わらなかったけれど、豪華マンションにも住んでいなかったし、アシスタントもいなかった。丸ごとずんと使えたもんね。  イッセイ、ワイズ、ヨーガンレール、有名デザイナーもんを片っぱしから買い、 「成金! あたいら、あんなもんバーゲンでしか買わないもんね」  とかいって、友人のスタイリスト、編集者たちにコケにされたのもこの頃だ。  靴なんかも行くたびに二足ずつ買い、海鮮料理やフランス料理に舌つづみをうち、春にはグアム、夏にはアフリカにサファリ旅行をしてきた。  そりゃー、気持ち悪いはずはない。  第一自信というものがついてくる。その頃から私の交際は非常に派手になってきていて、高級クラブやホテルのバーで待ち合わせ、とかいわれても、なにも臆《おく》することなく堂々と肩で風切って入っていけるようにもなったのである。スゴイ、スゴイ。  もう安井かずみさんになったつもりになっちゃって、銀座の老舗《しにせ》のバーでカクテルなんぞも飲みましたよ。いっぱい。  私の大学時代の友人にチホミというのがいた。これがスゴイ女。横断歩道を赤で渡りながら、 「こっちとら医者のひとり娘なんだからね、ひいたりしたら賠償金あんたら運ちゃん風情に払える額じゃないんだから。どいた、どいた」  とわめくのがいたけれど、その頃の私はまさにそんな心境。六本木の人込み歩きながら、 「そこのOLのネエちゃん、どいた、どいた。こっちとらこれからオークラのラウンジ行くんだからね。あんたらみたいに社用の伝票切る男にくっついて、スクエアあたり行くのとは違うんだからね。ほらじゃま、じゃま、三泊四日のサイパン旅行で買いあさったグッチのバッグがじゃまよ、どけてくんない」  とこんな感じでありました。  まあ当然、まわりのひとたちからヒンシュクをかう。 「田舎出の女が金を持つとあーなるのよ」  とかいってずいぶん陰口もいわれてたみたい。  広告やマスコミで働く女の中で、評判がいいのっていうと、私とは全然逆のタイプなのね。 「お仕事やっていればそれだけで楽しいんです」 「私はマイペースでじっくりと」  もちろん私も外交用語として、これらの言葉はしょっちゅう使わせていただいている。だけど聞いてる方もシラジラしちゃうらしくて、 「キミがいうと本当に芝居じみてるね」  とかいわれてさらに評判悪くなるばかり。  だけれども、物を書くことを生業としていて、 「地味でもいい、自分の好きな仕事さえできれば」  なんていうセリフ、真から本気ではけるものだろうか。  あらゆる動機は不純だというけれど、こういう世界に入ったこと自体、すでに不純極まりないことじゃない。「地味でもいい」っていうんなら、どっかの信用組合でソロバンでもはじいてたら。  最近コピーライターというのは、すごくいい職業のように思われているらしく、いろんな女の子が私のところにやってくる。 「書くことが好きなんです」 「広告という仕事に興味があって」  とかまあみんな一応のことをいうけれど、 「有名になりたい」 「華やかな世界に入りたい」 「お金ほしい」  まだ彼女たち自身も気づいていない、ホントの声があるはずだ。  私だってそうだったもの。  そうね、お金ってあると気持ちいいよー。狭い業界とはいえ、少しは名前が売れてくるのってチヤホヤされて最高よー。  そういうものがわずかずつでも手に入ってきはじめると、自分がどんなにそういうものに固執し、好きであるかよおくわかってくるよ。  この頃やっと結論をくだした。  私ってお金と名声が大好きな女なんだ。  これをいうのって、 「私はセックスが大好きな女なんです」  というぐらい勇気がいるよ。  セックスが好きな女っていうのは男たちに歓迎されるけれど、お金と名声が好きな女というのは、はっきりいってあんまり好かれない。そのふたつをすでに手に入れた女は、男たちは大好きなのにね。不思議ね。  けれども私がそれをのぞむのにはワケがある。いくら図々しい私だって、手に入れられないものはのぞまないよ。  いまの世の中、ものすごくイージーにこれらのものが手に入りそうじゃない。  私が子どもの頃は、このふたつを手に入れた女の人って傑出した人物が多かった。デビ夫人とか美空ひばり。いい悪いは別として、「さもありなん」とうなずける人ばっかり。手に入る女と、手に入らない女との間にかっきりと境界線が張られていたもんね。私なんか少女時代から妄想癖があって、中学卒業したら、絶対に赤坂の「コパカバナ」に勤めようと心にきめてはついにはあきらめた。  だけどいまはそうじゃない。お金と名声を手に入れる女というのは、CMにちょっと出てとか、男遍歴の本を書いてとか、小粒になったぶんだけものすごく簡単っぽいじゃない。だから私もつい野心を燃やしちゃうわけ。  たとえばスタイリストの原由美子さんっていますね。あの方とはパーティーですれ違うぐらいで、全然うらみつらみはないのだが、あの方の売れ方というのが、いまいったことのあまりにも典型的な例だから、ついつい気にしちゃうわけ。いろんなマスコミの意図によって、ひとりのスタイリストが全くの文化人になってしまうことに私はものすごく疑問がある。 「育ちのよさからくる、おっとりした人柄を愛するカメラマン」 「あまりの口下手を見るに見かねて、弁の立つ編集者がスポークスマンを買って出る」(向田邦子「私の原由美子論」より)  ひどいなー、これはないですよ、向田さん。ここには女性の売れ方の、ものすごい理想型があるけれど、こういうの私、大嫌い。私だってこういうことをいわれたい。誰だっていわれたい。けれども私なんかこういう賛辞とは全く別の、 「売り込みがうまい」とか、 「押し出しが強い女」とかいわれて毎日をおくっている。けれども私は一言も弁解しようとは思わない(そうでもないか)。私がお金とか名声を手に入れたいとのぞむなら、そういうことをいわれる恥や屈辱とひきかえに手に入るものだと思っているから。本当だよ。  亡くなった方に向かってなんだかんだいうのもナンですけれど、あなたの書いた「私の原由美子論」、他の著作にくらべて、歯ぎれも悪いし、ぜんぜんつまんないよ。多分平凡出版の義理で書いた何ページかが、死後単行本の一章になるなんて、あなた自身想像もしてなかったに違いない。  悪口いいついでに自分の弁解もしっかりすると、私はこんな強気をいうのとは反対の、「サラリーマンの妻」願望というのも非常にもっている女なのだ。  風間杜夫みたいな旦那《だんな》にかしずいて、帰ってきたら浴衣で抱きついて、ソーメンなんか食わせちゃう。 「おー、こわ。想像するだにおぞましい光景ね」  と友だち。 「だけどダメよ。あんたみたいなのが普通のサラリーマンなんかといっしょになれないわよ。なんにもできなくて、金使いは荒くて……」 「私ね、商社マンなんかいいなー」 「ホント、立派よ、ミーハーに徹してるのがあんたのいいとこよ」 「そいでさー、海外へ赴任するじゃない。そこでさー、私、『ニューヨークのキッチンから』とか、『ナイロビの風は熱く流れる』とかを書いちゃうわけ。それが大ベストセラーになって、大宅壮一賞なんかもらって……」  やっぱり私、心底お金と名声が好きみたい。 [#改ページ]  [#1字下げ]感性という名の [#1字下げ]錬金術 「コピーライターっていうのはもうかるんだって」  よくこのテの質問がくる。 「そうすね、銀座のホステスっていうわけにはいきませんけど、新宿の裏通りのホステスぐらいいけるんじゃないすか」  ととぼけることにしている。  フリーのコピーライターになって、ポスターの仕事を一本した。ギャラがそれまで働いていた会社のほぼ一か月分だった。  ほんとにチビリそうになるくらい興奮した。  絶対になにかの間違いだから、この金をもって姿をくらまそうと何回も思った。  この気持ちはいまでもつづいている。  たいして才能をもっているわけでもない二十代の女の子が、普通のOLの数倍の金をかせぐという事実。 「間違っている」  と確かに思うけれど、このマチガイはラクで私にとって都合がいいから当分しがみついていようと思うのね。  けれどもこのマチガイは私だけでいい。  他の女たちがこのマチガイを享受しているのは嫌なのだ。  少女時代、アミダのおまけでズルをして、いちばん大きなラムネ菓子を手に入れた。けれども他の子が私と同じやり口をつかって同じ菓子をとった時、ムカッときて駄菓子屋のおばさんにつげ口した。あの心境に非常に似ているような気がする。  それでも私は生まれつき気が小さく、非常に優しい性格なので、自分ひとりいい思いをしていることにかなり後ろめたい思いをするのはたびたびだ。だから私は貧しい青少年たちにおごることによって、社会に還元しようとしてきた。ホントにかなり身ゼニをきって、コピーライター志願やカメラマン助手の若い男の子たちにかなりおごりつづけてきたのよね。だからそういう心の「とがめ」なしに、もうけまくって、遊びまくって、飲みまくっている女たちを見るとかなり頭にくるのだ。  その筆頭がスタイリストといわれる人種。あの人たちが一回の仕事でもらうギャラの額をいったら、定年まぢかの経理のオジさんなんか憤死してしまうであろう。  たとえばあるポスターの仕事で、私は二十万円のギャラをもらう。多いと思うでしょ、私だって多いと思うもん。世間さまに対してホントに後ろめたい。  だけども私と全く同じギャラが、スタイリストにも支払われているのよ!  私なんか四、五回打ち合わせをやって、担当者にさんざん嫌味をいわれる。このお金をいただくために、かなりつらいめにいろいろあっているのだ。それにいくらヘタなコピーだって、一応「無」からなんかこさえてるわけ。店に並べてある商品をスタジオに移動するだけのスタイリストとはわけが違うのだ。  怒り狂う私に、デザイナーはこういう。 「仕方ないじゃん。○○(ここには有名スタイリストの名が入る)の感性はすごいんだもん」  この感性という言葉について少々解説したい。  黄門さまの葵《あおい》の印籠《いんろう》のごとく、このふた文字は広告業界において絶大なる力をもつのだ。感性が鋭いということは、イコール才能ということになって、他のすべてが許される。  ある有名スタイリストのごうまん無礼の行い、ドッ派手のファッション。そういうのも、ちょっと名が売れると感性がピカピカしてる証拠みたいに思われるからいいのよねん。  なぜ私がこんなにスタイリストの悪口をいうか。だって何回もいじめられてきたんだもん。  私って、ほれ、わりと若く見られるのと、礼儀正しいでしょ。この業界において礼儀正しいつうことは、負けの要素になることが強いんだから。  最初の打ち合わせがあるとするでしょ、 「イトーちゃん(ディレクターとかカメラマンの名)元気ィー、最近飲んでんの」  といいながら登場してくるヒトと、 「ハヤシです、はじめまして」  と登場するヒトとでは、後者の方がなんか下手に出るはめになるのよね。  そのためにスタイリストつう人種にずいぶんえばられました。  それに彼女たちはカメラマン、そうでなかったらデザイナー、そうでなかったら編集者とたいていデキているから、彼らと手ひとつ握ったことのない私はかなりどころか、相当不利である。  あげくのはては、彼女たちのお茶までいれたりする状況にいつかおい込まれていくのだ。  何度もしつこく例にあげるようだが、スタイリストで原由美子さんという人がいる。人格、才能とも非のうちどころがない人らしい(「アンアン」にそう書いてある)。  このあいだ某ブティックですれ違ったけれど、後ろにアシスタントをしたがえて女王のような貫禄《かんろく》である。私などハハァーッと下にひれ伏したいような感じ。  ある意味では彼女こそ、現代スタイリストの頂点であり、ひとつの象徴であろう。スタイリストのようなあやふやなものに、キンキラの価値観をつけたのはやはり原由美子とその仕掛人たちである。 「原由美子の本」つうのは(私まで買った)ベストセラーになったらしい。だけどあれ絶対におかしいと思うのよね。「原由美子の世界」といったって、全部あれは他のデザイナーがつくったもんでしょ。コーディネイトする才能とかなんとかいったって、上も下もコム・デ・ギャルソンじゃない。あれは「原由美子が借りてきた服の世界」というべきじゃないだろうか、絶対に。  それに彼女が白百合、慶応出の良家のお嬢さんっていうのはよーくわかりました。だけどなんで彼女のお母さんの若い時の写真や、彼女のクラスメイトの旦那が三井物産にお勤めだということまで私が知らされなきゃいけないんだろ。  服を選ぶ感性あれども、恥ずかしさを感じる感性というのはないのかしらん。不思議ですぅ。  この疑問をその筋の人がこう解説してくれた。 「スタイリストってそもそも高卒か洋裁学校出の子が多いでしょ。その中にあって原由美子っていうのは、名門とか慶応とかいう条件が揃っているのよね。だから彼女をもちあげることによってスタイリスト全体のクオリティをいっきに押しあげようってことじゃない」  ふーん、なるほどねえ。  でも決して皮肉や嫌味ではなく、「アンアン」とか「クロワッサン」とかはすごいと思う。本をつくっている自分たちを前面におしだして、自分たちをその本によってスターにしてしまうんだから。またそれによって読者たちも喜ぶという、雑誌の宝塚の世界をつくりあげて定着させてしまったのだから頭が下がる。  これらの記事によって、私は「アンアン」のスタイリストたちの部屋の内部から、コレクションの内容まで知りぬくことになってしまった。  なんか他人のような気がしないのです。  だからパーティーなんかで彼女たちに会って、 「コピーライターしてんの、ふうーん」  なんて煙草《たばこ》の煙をふきかけられても仕方ないかな、なんて思う今日この頃です。 [#改ページ]  [#1字下げ]この頃私は [#1字下げ]バカになりつつある  カーペットに寝そべって、「微笑」の「男の性感大特集」つうのを読んでいた。 「微笑」はおもしろい記事が出ているが、ハズカシイのでときどきしか買わない。買う時は裏返しにして、「週刊朝日」と「週刊文春」のサンドウイッチしたりしてなかなか気をつかうのだ。 「男の性感特集」は図解になっていて実にていねいだったが、最近�実物�を見る機会があまりないので、わかりづらい部分が多い。あれこれ思い出し、反芻《はんすう》しているうちにいつのまにかうたた寝をしていたらしい。  夕陽の明るさで目をさました。口のまわりにひと筋、クッションにふた筋、ヨダレが白くのこっていた。  とりあえずする仕事もないし、本でも読もうかと考えたのだが、この頃細かい活字は目と頭につらい。田辺聖子とか椎名誠ぐらいしかうけつけなくなっている。  毎日読む女性週刊誌によって、芸能界の動向は一覧表がつくれるぐらいであるのに、いまどんな本がベストセラーか、とっさには思い出せないくらいである。  いまの私を見て、「知的な」という表現をつかう人はあまりいないと思うが、昔は確かにそういうコースをたどっていたのである。中学一年からトルストイとか、ドフトエフスキーを読んでいたし、大江健三郎とか高橋和巳など、いまでは本屋の棚に並んでいるだけでも、見苦しくてサッサと通りすぎるような方々も、少女の私にとってはおいしいお菓子みたいだった。  本当に、昔の私は「どうかしてたんじゃない?」といいたいくらい、頭の構造が違っていたようだ。 「物識りのマリコちゃん」  とみなに尊敬されていた。それがいまじゃ、 「全く物を識らないコピーライター」  と物笑いのタネだもんね。 「書く言語障害」といわれるぐらい、思い込みと間違いがはなはだしい。特に弱いのが濁音で、�プ�と�ブ�、�ポ�と�ボ�というのがたいてい入れかわっている。 �ジャンパースカート�が、�ジャンバースカート�となって実際に印刷されたこともあるし、私がプールサイドで叫んだ、 「キャッ、私ってこのあいだの007の映画の、ピ[#「ピ」に傍点]ーチサイドのポ[#「ポ」に傍点]ントガールみたい」  という言葉は、まわりの人を唖然《あぜん》とさせた。  その他にも、 「社内恋愛は、男の出世のタマサゲ」 「ひとりっ子ひとりいない公園」  など、本当にそうと信じ込んでいたのだから問題である。  コピーライターというのは、そこそこの知性は要求される職業だ。それなのに、もはや私にはそこそこの知性というものも枯れてしまったようなのだ。  昔はホントにこうじゃなかった。  ごく最近に近い昔、知性で売り出そうと考えていた頃がある。若さだけはあったけど、お金も美貌《びぼう》も全くなし。 「でも私には心の美しさと知性があるわ。これで男をひきつけられるかもしれない」  まるで「欲望という名の電車」のブランチ(プランチじゃないよねー)みたいなことを本気で考えていた時期があるのだ。  いまはなんというか知らないけれど、当時はコンパという学生相手の安く飲む場所があった。そこで、 「三島由紀夫とラディゲの根本的な差は……」  などと酒を飲みながら、男に喋《しやべ》りつづけていたのである。  男のことで多少苦労して、いまじゃこっちの方では少しリコウになったから、男の意図を汲んで�ブリっ子�したり、�悪女�したり、いろいろなバリエーションが組めるようになったが、当時はこのテで押しつづけるより他はなかったものね。  さて、こんな女の子が、 「もうかって楽ができる」  というイメージに魅かれ、コピーライターとなりました。このコの運命はいかがなるものでありましょうか。  当然、悲惨ですね。  私が最初に入社した広告プロダクションの人の話では、 「まだこんなコが東京に残っていたものだろうか」  と感動したそうである。  化粧っ気なし。カーディガンにプリーツスカート。まあ昨日上京してきた田舎のネエちゃん、といった感じだったのでありましょう。しかし、私の心は例のごとくどす黒い野心に燃えて、とても素朴なネーちゃんどころではなかった。 「知性的な女に見られたい」というイヤらしい心と、コピーライターに憧れる派手好きの心が同居しはじめて、それが私を苦しめた。いま考えると全く矛盾するものでもないのに、とにかく当時の私はイジイジしていた。 「キミさぁー、いっちゃナンだけど野暮ったいよ。もっとさファッショナブルになって、この業界のヒトっぽくなったら」  などといわれるとキッとなって、 「そういうの私嫌なんです。こういう世界に入ったからって、私は私。別に変えることもないと思いますけど」  などといいながら、帰りはオズオズと原宿のブティックを眺めたりする暗〜い少女だった。  こういう日々の中でも、しっかりと恋をしたのがいかにも私らしい。しかも相手はこの会社に出入りするカメラマンのひとりだったのだ。彼はアメリカへ行ったというし、もう時効にもなっていると思うからはっきりいっちゃうけど、よくも私の純情を踏みやぶってくれたわね! このページをかりてウラミツラミをいわせてもらっちゃうけど、私はあの頃毎日、小田急線のホームを見つめていました。私が男のために自殺しようと思ったのは、あれが最初で最後である。わ〜! いっちゃった。  モデルをしていたというのが自慢の、やたら背の高いカッコイイ男。軽薄、女好きを絵に描いたような男に、なぜか私は惚《ほ》れてしまったのである。無理もない、学校を卒業して間もない私にとって、彼は非常に新鮮な存在に見えた。新鮮ということだけで、ひとはいくらでも恋ができるのである(同じような理由で、最近私は国立大出のエンジニアを好きになってしまった。月日が流れるのは本当に早いものである)。  私にとって彼は、目がくらむような全く別の世界の人間だった。それと同じように、彼にとっても、私のダサさ、幼さもいっときは新鮮に見えたこともあったのだ。全く予期しなかったことであったが、男と女の間に、劇的なことって起こるんですねぇー。なんだかんだあって、結局は私はふられてしまった。そのことはまわりの人間たちも知るところとなって、私はその会社にだんだん居づらくなったのだ。課長とのオフィスラブがバレたOLの心境を想像してくださるといい。  やめることを決心した日、私はひとりアパートで泣いた。 「なんで私だけがこんなつらい目にあうんだろ。いけないのはむこうじゃない」  昔から私には被害者意識しかないといわれていたが、この時も全く同じである。やがてそれが男への怨念《おんねん》に変わるというのも、いつもと同じコース。 「うらみ晴らさでおくものか」  という言葉をいつのまにかつぶやいていた。  つぎの日、私は上司のうちによばれていた。会社をやめる本当の理由を聞こうと、上司が留守の時に、奥さんが夕食に誘ってくれたのだ。心をこめた食事のあとに水割が出た。  その時私は一世一代の芝居をして、純粋な田舎出の少女の役をうまくやりおおせたと思う。  私はワッと泣きふしていった。 「私ホントにあの人をこの世界の先輩として尊敬してたんです。だからあんなひどいことするなんて夢にも考えなかったんです。これ、奥さんだからいうんですよ。Aさん(上司の名)には絶対にいわないでください。お願いします」  あんなに信頼し合っている夫婦。奥さんがA氏にいわないはずはない。そしてA氏の口から社長の耳にとどけば、彼だって会社に来づらくなるに違いない、と非常にたわいない計算であるが、必死に私は考えたのである。  これを見とどけることなく、私は会社をやめた。しかし男への未練とウラミで、私ははちきれんばかりの火山のようになっていた。やがて私はこの話を手記にまとめて雑誌社におくった。採用となって当時で十万円ぐらいもらい、うまいものをタラフク食って、やっと私の腹の虫はおさまったのである。  かように昔の私は賢かった。ある部分ではいまよりずっとしたたかだった。  盗まれるもの、弱いものが山のようにあった。  自分を傷つけるものとは徹底的に戦わなければ、今度は完全に殺られてしまうと思っていた。  あの賢さというのは、本当に他人を刺す、針ネズミの針のようだったなー。 [#改ページ]  [#1字下げ]矢野顕子は [#1字下げ]踏み絵なのだ  さだまさしが「ひめゆりの塔」の中で歌っている主題歌がものすごくいい。感激して涙が出ちゃったワといったら、ワーッと軽蔑《けいべつ》されて、まわりの人間たちからしばらく口をきいてもらえなくなった。  私がつきあっている人たち——マスコミ、広告関係の連中たちの中には、三つのタブーがあって、  さだまさし  松山千春  五木ひろし  この三人の名前を肯定的に口にしようものなら、「信じられない」とか「こんな人と、私お友だちだったの!」とかいうごうごうたる非難につつまれるのだ。たのきんトリオだとか、シブがき隊だとパロディとして笑ってすまされる。ジュリーだとわりと賛同の言葉で迎えられる。松田聖子はどうかというと、男がほめる時にのみ許されるようである。  私も「センスが悪いヒト」といわれたくないばかりに、このへんの微妙なニュアンスが少しずつわかるようになってきている。  彼ら、または彼女たちは、自分たちの感性や先取り精神というのに多大な自信をもっているから、ときどきものすごい�先物買い�とか�ゲテモノ買い�をするのよね。 �先物買い�の方は外国のアーティストや、日本のロック歌手に多くって、カタカナに極端に弱い私は、一度いわれただけではどうしても記憶できないから省略する。  しかしもう一方の�ゲテモノ買い�の方は、さすがに記憶に残る人々が多い。ちょっと異質の方を支援して、自分たちの好みというのがいかに個性的かを誇示する遊びなのだが、つい最近までは平山美紀サンだった。  そして現在、圧倒的な人気を得ているのはなんといっても矢野顕子であろう。  私のまわりには彼女と仕事をいっしょにしたり、個人的に親しい人が多いのだが、みなは彼女のことを、 「アッコちゃん」  とよんでるね。 「もー、アッコちゃんは可愛いし、歌はうまいし最高よぉー」  と異口同音にほめそやすんだけど、私それを聞くとすごく嫌な気分になるの。  だいたい芸能人とかシンガーの好みをあれこれいいそやすのって、ひとにほぼ平等にあたえられた平均の情報量の中で楽しむもんでしょ、その平均をはるかに超えたレベルで、ひとの意表をつくような好みをつくったって仕方ないじゃないかと私は思うのだ。  だいたい、一度でも会った有名人を、チャンづけでよぶのは、この業界の習慣みたいなもんだけど、矢野顕子ぐらい「アッコちゃん」なんていう可愛いよび名に似合わない女はいないもんね。あの「ひみつのアッコちゃん」が泣くよ。 「下品な歯ぐきブス」という「ビックリハウス」の高校生の言葉の方が、私にはすんなりとうけいれられる。  とにかく私は彼女が大嫌いなのだ。  そしてはっきりと口に出して、大嫌いといえない空気を私のまわりにつくったことが、私がますます彼女を大嫌いにしている大きな原因になってくる。  つまり彼女を支持する人々から発射される「彼女を認めないものは、感性がにぶくて、世間一般の常識にとらわれすぎている」といった光線が私にはとてもつらいの。  ひょっとしたら本当にそうなのかもしれないという不安に揺らぐ時があるが、人間、これだけはどうしても譲れない部分ってあるでしょ。  私にとっては矢野顕子がまさにこの存在なのである。  あの声、あの顔、どこをつっついたら好きになれるっていうの!  私は普通のひとが普通にもつ印象を素直にいうだけなのに、なんであんなに非難がましい目つきで見られなきゃいけないんだろ。なんか彼女に対して、私もみんなもすごくイコジになっている。  誰かが、 「坂本龍一みたいないい男を亭主にしているから、ヤイテ……」  とかいったけど、こういういわれ方もすごくしゃくにさわるのだ。いくぶんはあたってるから……。  あるパーティーで坂本さんを紹介された私は、その噂《うわさ》以上の美男子ぶりに、目がくらむような思いをしたものだ。まだ新潮文庫のCMなんかに出るずっと前で、ややマイナーっぽい雰囲気が、「趣味の呉服」ならぬ、「趣味の美男子」とゆう感じですごくよかった。初めて会った時、彼は私の求めに応じて肩を抱いていっしょに写真を撮ってくれた。二回目に違うパーティーで会った時は、 「よく来たね」  といって手を握ってくれた。肩から手へとコトは順調に進歩している。三回目はどうなるかと考えたら胸は躍った。もう一度彼のテーブルに近づいて、 「坂本さん、お休みはどんなことしてるんですかぁ」  とミーハーっぽく聞いちゃおうかな、などワクワクしているところへ、矢野顕子が通りかかったのである。  写真で見るよりずっとブスだった。本当に妖怪《ようかい》じみた感じがあった。けれども彼女が通ると、 「アッコ」とか、 「アッコちゃん」  といったアイドル歌手顔負けの声がとびかう。ほとんどが音楽事務所やレコード関係者たちだった。いい大人たちである。その声にかすかではあるが、媚《こ》びやへつらいを感じたのは、私が多分この会場で唯一の、彼女のアンチ・ファンであるからだろう。 「矢野顕子は最高」  という言葉は、 「トリュフにアルジェリア産の蟻《あり》のジャムつけて食うと最高」  といった、ひねったグルメのいやらしさがある。  私は�通�にならなくても、グルメにならなくてもいいのである。そういうことをいいはじめると、いつか自分で自分をしばっていくような気がする。  普通の人の直感というものぐらい強いものはないのを、みんなは知らないんだろうか。 [#改ページ]  [#1字下げ]優越感のシーソーで、 [#1字下げ]女の友情は揺れるのだ 「他人から憎まれるのは気持ちイイもんだ」  一時期にせよ、こう思ったのは事実である。  ある広告の賞をとったのをきっかけに、若手のコピーライターの中で、私がぐんと目立ちはじめてきていた。女性コピーライターがマスコミに登場する時は、必ずといっていいほど私が誌面を飾った。 「あんだけ売り込みがうまけりゃ、なんだってできるさ」 「とにかくものすごい目立ちたがり屋なのよ、あの人は」  あっちこっちでピイピイ雑音が聞こえたが、それさえ私の自尊心を満足させるBGMになったものだ。そんなことをいっている連中はたいていコピーライター養成所の時の仲間で、ほんの二、三年前まではいっしょに酒を飲みまくっていた友人たちだということも知っていたが、それさえ別にさみしいとは思わなかった。  もし反対の立場になれば、私自身、彼らの三倍ぐらいの悪口を多分いっただろう。だから私はみなの気持ちが非常によくわかったし、それと同時に、私のいま置かれている優位な立場がたまらなくいとおしいものに思えてきたのだ。  私のような性格の人間にとって、優越感ぐらい心地よい感情はない。その時私ははっきりと結論をくだした。だからその感情を害するような人間が現われると、徹底的に陰口をいったもんね。私の陰口というのはかなり手が込んでて、絶対にストレートにはいわないの。 「あ、Aさん……、私はね、すごくいいひとだと思うんだけど、なんであんなに評判が悪いのかしら」 「へぇー、どんな評判?」 「たとえばさ、スポンサーの男とすぐ寝ちゃってそれで仕事もらうとか……。あー、これはひとから聞いたのよ。私、本人を知っているからまさかと思うけど。そういえばネ、こんな話も聞いたわ」  まあちょっと頭のいい人は、すぐに私のコンタンを見ぬいて軽蔑するだろうが、こんな話をするのはどうせ同じ穴のムジナっ子、なんて思われたって、証拠をつかませない話し方すりゃいいのよ。  そして私のこういった陰湿な攻撃をうけるのは主に女性たちで、男に甘いのはここでも同じである。というより、私はかなり男性の若手といわれる同業者に同情的だ。 「あたしら女の子だから、まぁ、途中でけつまずいても嫁に行けるわよね。あんたたち、これから女房、子どもを養ってくんだからホントにがんばってね」  と口に出してはいわないけれど、けっこう暖かい声援をおくっている。  しかし相手が女性となると態度が一変するから、コトはかなり問題である。私ってどうしてこんなに悪い性格なのかしらと、枕にわっとうっぷして泣きたいぐらい醜く嫉妬してしまうのよね。  コピーライターの世界というのは、よその人が思っているほど実力本位ではない。もちろん実力というより、ものすごい才能をきらめかして活躍なさっている方々も多いが、あれは一流ゆえの確かさ。われわれのように二流どこがひしめきあっているランクでは、ほんのささいなチャンスが、芽が出るか出ないかの大きな鍵《かぎ》になってくるのだ。たとえばいいスポンサーをつかむ、目立つ仕事を手に入れる、一流のデザイナーと組む、有名コピーライターの先生に目をかけていただく……etc。そしてこういう恩恵に浴しているのは、男性より女性の方がずっと多いのだ。そりゃそうだろう、書くものがそんなに違わなかったら、むくつけき男より、ちょっと小生意気な若い女の方がいいにきまっている。  そして私はこれらのチャンスを、実にふんだんに手に入れた女とされていた。事実はかなり違うのだが、最初にのべたようにそう思われることは、そんなに嫌じゃなかったのだ。だからちょっと目立つ女性が出てきたりすると、私はすぐ身構えてしまう。おいしいお菓子をひとりじめしていた幼児が、保母さんから「みんなにも少しあげなさい」といわれて、ギャンギャン泣きわめくようなものである。  考えてみると私の半生というのは、いつもこの菓子をめぐって、いじけたり、泣いたり、画策していたような気がする。  そしてほんの少し前までは、私はお菓子を絶対にほしがらないすごくいいコだったんだ。お菓子をいっぱいもっている女の子を女王のようにあがめ、家来のひとりとして満足できる性格だった。ホント。  私はまだ私の性格や、才能(いまあるものをそうよべるとしたら)に気づいてはなかった。あるいは気づいていたかもしれないが、なぜかそれをはっきりと表に出してはいけないと思いつづけていた。  ヤマちゃんってどうしてあんなにきれいなんだろ、レイコちゃんって本当に頭がよくていいひとなんだから。シナコちゃんは男の人にもてていいなあー。本当に純粋に感心しつづけていた二十歳の私。  こんな女の子が絶対に嫌われるはずがない。あの頃の私を悪くいう人は絶対にいなかったと思う。 「ドジで、子どもっぽくて、なにやってもダメな子。でも本当に可愛くっていい子よ」  これが大かたの私の評価だったと思う。そしてこれが、その頃の私の唯一のお菓子だったのかもしれない。そして私はこのひどく見劣りのするつまらない駄菓子を後生大事にもち歩いていた。「いいコ」でいるために努力をした。  でも私の中でなにかが生まれようとしていた。そのきっかけは、ある日、年上の友人がいったひと言だ。 「あなたは本当にみなに好かれていいわね」  それは本当に世間話程度の軽いお世辞だったが、私はいつになく強い反ぱつを感じた。 「そ、それは……」  私は口ごもった。どう表現していいのかわからない固まりがつきあがってきた。 「私が人に好かれるのは」  いいかけてやっと気づいた。 「私が人に好かれるのは、私がなにももってないからじゃありません?!」  強い口調に驚いたのは、友人よりも私だったと思う。  その時私は初めて願ったのかもしれない。  人に嫉妬されたい。  憎まれるほど強くねたまれたい。  こういう経過があったればこそ、私は冒頭の言葉をぬけぬけというのである。  それでは一時期の江川のように、悪役に徹しきれるかというと、そこが私のスケベ心いっぱいのところ。 「口は悪いけど、さっぱりしていて本当はいい人」  などという古典的なほめ言葉を要求したがるのよね。  こんな私でもつきあってくれる何人かの女友だちがいる。本当にありがたくて涙が出てしまう。それでも私の戦いはやまないのである。 「マリコよ、この頃どーお、仕事忙しい?」 「おかげさまで、○○会社のキャンペーンしててね。テレビCMもあるからいろいろと大変なの」 「ふうーん、あ、いまヤカンのお湯が吹き出したから、また電話するワ。じゃーね」  こうしてしばらくは音信不通になるけれど、私のことをうらまないでね。これは大切な友人を憎みたくなくて、必死で私がとっている自衛手段なのである。  やっと気分が落ちついた一週間後、 「あ、わたし、マリコ。忙しそうだから遠慮してたの。どーお、その後いろいろ大変でしょ」 「あ、あれ、頭にきちゃうわよ。確実なはずだったのに、プレゼンテーションで落ちちゃってさ」 「ホントー、あの代理店って本当にいいかげんねー。気分直しにどうお、いまからちょっと飲みにいかない」  わが辞書にライバルという文字は存在しないのである。ねたんで憎むか、無視するか、どちらかひとつ。いつになったら「お互いに刺激しあって、向上する」などという素晴らしい関係を手に入れることができるのであろうか。  まあ他の女からもそういう目にあったことがないから、お互いさまなのだろうかしらん。それでも映画「ジュリア」に泣く日もあるのよね。 [#改ページ]  [#1字下げ]ぐっと年上の [#1字下げ]女友だちというのはいいもんだ  私には三十代から四十代にかけての友人が多い。友だちといってさしつかえなければ、私の雀友《ジヤンゆう》でもあり、栄養補給者でもある六十代のおばさまもいる。  もちろん奥さんたちも多いが、やはりよく会うのは、一生をかける仕事あれども、夫なし、というジャンルに属する女性たちであろう。  私が彼女たちを好きなのは、私を「若い女の子」扱いしてくれるからであり(ゴメンナサイ)、結婚しなくてもいかに素敵に生きられるかを教えてくれるので、すごく私は安心するのである(ゴメンナサイ)。  彼女たちに共通しているのは、ものすごく意地悪だということだ。意地が悪いというのとはちょっと違う。非常にシニカルで、普通の女の子たちに対する評価などは全く情け容赦ない。その辛らつさは、聞いている私が胸がはりさけそうになるぐらいものすごい。  私にはここまでいう勇気と批評能力がないから、もっぱら聞き役にまわって楽しんでおります。いつ矛先がこっちに来るかわからないスリルもある。  世間の区分けからすると、私などはもう完全な年増の部類に入れられ、パーティーなどでも人気が集中するのは、もっぱらうちの二十一歳のアシスタント。この業界につきものの悪い虫を追っぱらおうとすると、 「ひがむんじゃないの。キミの時代はもう終ったの」  と冷たくいわれる私にとって、ここはもうノンエイジの楽しい花園。「ヤダー」とかいって体をくねらせても、とがめる人もなくすごく嬉しい。 「どうお、最近バンバン男と寝てる?」  CMフイルムの会社に勤めるTさんは、四十はとうにすぎてると思うんだけど、私の百倍ぐらい�現役�である。 「あたしさ、このあいだちょっとおもしろい男にあってさ」  というのはフリーライターのSさん。この人もそんなに若い層じゃないと思うんだけれど、男の話が決して過去形ではなく、現在進行形だからすごい。  若い女の子たちのように、打ち明け話やグチの体裁をとって男の話をするのでなく、非常に実際的でかつロジカルである。かといっても決してなまなましくないのだ。途中で仕事や人の噂が挿入されても、ちゃんとつながるような軽さをもっている。 「だから、あんたもいっぱい男と寝なきゃダメよ」  突然Tさんがいった。 「エッ」不意をつかれて私は赤くなる。 「だめなのー、だって私、からだに自信ないからー」 「バカだねー、この子は」  SさんとTさんが同時にどなった。 「そんなもんは電気消しゃーすむことじゃない!」  こんなふうに、年上の女性の話はすごくタメになる。  それにしても彼女たちのすごいところは、決して「仲よしごっこ」をしないところである。  いろんな世代の、いろんな職業の女性たちとコミュニケーションをもつことによって、手をとり合いましょう、といったような「クロワッサン」的発想は彼女たちにはない。  男とかその他のことでは私を小娘扱いをするけれど、仕事のことでははっきりと私をライバル視し、ものすごい宣戦布告を申し入れてくることさえある。 「あんた程度のコを、ただ若いからといってまわりの人たちがチヤホヤするのは間違っているわね。あの仕事は、やっぱり私ぐらいの人間がすべきよ」  とぴしゃんと釘《くぎ》をさされる。  そして機嫌が悪い時などは、私の性格をめちゃくちゃに解剖し、ここまでいわなくてもいいのにと思うぐらいの、とどめのひと言も忘れない。 「良薬は口に苦し」  と思うものの、慣れるまではずいぶん腹立たしいことも何度かあった。 「あんなに意地が悪いから結婚できないんだ」 「あーあ、やっぱり仕事ができるからといっても、あんなふうにはなりたくないよなー。私はやっぱりお嫁さんに行って、旦那さんにかわいがってもらう人生を歩むんだもんねー」  などと思いつつ、離れていると淋しくなって、また自分から電話するのが常である。  しかし、考えてみると私も大人になったもんです。  私は幼い時から、自分にやさしい人間、口あたりのいい人間にしか近づかない女だった。  自分よりちょっと見劣りする人間に近づいて、 「マリちゃんてホントに何でも知っているのね」  といわれたりするのが好きだった。自分と同じ電波をはなつ人間、つまりものすごく野心家だったり、強気だったりする人間は徹底的に避けて生きてきた。  はっきりとライバルと見たてて、 「お、いっちょやったろじゃないか」  とリングの上に立つ女同士のつきあいというものを、いままで私はしたことがない。  いまでも「ライバルが自分を向上させる」という論理は男性だけにつうじるものだと思っている。  女性の場合、相手に勝つ前に、まず自分に負けてしまうのだ。嫉妬心というものをもちこたえられなくなってしまう。自分というものの収拾がつかなくなって、息が切れてしまうのだ。  けれども彼女たちを見ていると、いろいろな感情がとても上手に覆いがされているのだ。嫉妬だとか、野心だとか、好色さとかが、私のようにむき出しでなく、巧みにコントロールされていることに舌をまく。それを彼女たちは、 「マイペースでいけるようになった」  という表現を使うけれど、その感覚というのはまだ私にはわからない。  いまだにいろいろなものをもてあまして、自分でもこわくて触れることができないぐらいまでに膠着《こうちやく》させてしまう。  そのたびごとに彼女たちの誰かに、真夜中に電話し、その苦しさを訴えるわけではあるが、彼女たちの返事はいつもきまっている。 「もうちいっと年とってくりゃ直るわよ」  電話の向こうの声はちょっと笑っている。 [#改ページ]  [#1字下げ]天地真理と [#1字下げ]ワタシ  ある昼下がり、いつものように六本木の誠志堂で女性週刊誌を立ち読みしていた。  すると、どこかで見たことがあるような女が、網タイツ姿で婉然《えんぜん》と微笑《ほほえ》んでいるではないか。  懐かしの天地真理だった。  レビューのタレントとして、三たびのカムバックに挑戦するという。  二度目のカムバックの時のような病的な厚化粧はなくなって、表情もずっとナチュラルになっていたけれど、あの大根足はそのまんま。隣に立っているピーターのまっすぐに伸びた足にくらべるとかわいそうなぐらい(当然誰でもするように、私はピーターのその部分をジッと見つめてしまったけれど、すごくすっきりしていた。やっぱりモロッコにでも行ってきたのかしらん)。  私はそのグラビアをある感慨をもってしばらく見つめていた。——などと書くといかにも年増っぽくなるが、私と彼女がある因縁によって結ばれているのは事実である。ではどんな因縁だ、と問いつめられると困るのだが、彼女の最盛期と、私の最盛期はちょうどぴったり重なっているのだ。  当時の彼女の人気はものすごいもので、どのチャンネルをまわしても、あの声楽の道を途中で挫折《ざせつ》した者特有の、唱歌っぽい歌声と、目は全然笑ってない真理スマイルに会うことができた。  私は大学生になったばかりの十八歳。憧れの東京にやってきて、毎日がお祭りみたいだった頃だ。�青春しよう�と身がまえていた日々だった。現在私が多くの人たちから非難される、短絡的かつ類型的な思考はこの時期からしっかり私の中にあって、  青春→テニス、恋、コンパ  という反応をすぐさま私ははじめたのである。  それですぐ私はテニス部に入り、先輩に恋し、コンパの大好きな女子学生になった。  天地真理というアイドルに象徴されるように、万事がわりとのんびりとしたいい時代だったと思う(などといってもたかが十年ぐらい前の話だったけれど)。  そしてこの話をはじめると、たいていの人がうんざりした顔をするんだけれど、私はテニス部のアイドルになってしまったのね。  いま「むくんでる」とかいわれる丸顔も、若かった当時はぽっちゃりしているといわれた。「異常なる非常識」といわれるドジさかげんも、当時は「無邪気でカワイイ」とかいわれたのね。これホント。  年増になった現在、つくづく考えてみるとあの頃テニス部は若い男女が入り乱れて、戦々キョウキョウとしていた。みながそれぞれのお目あてを狙《ねら》って、さまざまなかけひきが行われていた。その中にあって、私のボーッとした性格と幼さは、ひとり場違いであり、クラブの連中も安心してからかうことができた。ただそれだけだったのネ。  とまれ、私は「テニス部の天地真理ちゃん」とかいわれ、コンパなんかでも大人気だったわね。私のお得意の歌は「虹をわたって」。  ※[#歌記号、unicode303d]虹の向こうは〜  とか歌うと、みんなが、 「マリチャン!」と全員でかけ声をかけてくれる(天地真理とファンがやったあれである)。  私は少し照れて、マイクを握ったまま次の出だしをトチったりしたの。いまでは�ブリっ子�といわれるかもしれないけど、私は若かったし、幸福だったから、どんなポーズもきまってたわけよ。  それからすぐだったわね、天地真理の人気は桜田淳子とか森昌子(山口百恵は人気が出るのが遅かった)におされて、だんだんヒットチャートなんかから消えていったのだ。そして彼女といっしょに私も悲しい運命をたどることになる。つまり「飽きられる」といういつものパターンなのである。もう誰も「テニス部のマリちゃん」などといってくれなくなった。二年生になって、一年生のニューフェイスにしっかり人気を奪われた。人気ばかりではない、好きだった先輩だってとられたんだぞ。それがきっかけというわけでもないのだけれど、まるっきりうまくならないテニスに業を煮やして私はクラブをやめた。そして下宿でひたすら昼寝をするという、限りなく暗い青春になってしまったのよ。  天地真理も私も、その黄金期は非常に短かった。そして彼女はトルコ風呂の噂とひきかえにいつか消えてしまった。  けれども私は卒業後、 「田舎へ帰って農家に嫁いだ」  とかの噂こそクラスメイトたちの間に流れたものの、ひそかにしぶとく東京に残っていた。暗〜く潜行していたのだ。  そして再び、私が彼らの目の前に現われたとき、かつてのクラスメイトとかクラブメイトたちは驚いたものだ(と思う)。「クロワッサン」のグラビアに私は「期待されるキャリア・ウーマン」とかでニッコリ笑っていたんだもんね。着ていたもんだって、ケンゾーかなんかだもんね。  そしていつのまにか、私は麻布《あざぶ》の豪華マンションに住み、南青山にアシスタント付きの事務所を構えるまでになっていた。  これを破格の出世といわずしてなんといおう。  そして十年後のいま、私は網タイツの天地真理と再会したのである。そして全く奇妙なことではあるが、私はかつての若い時よりもはるかに、彼女と数多くの共通点をもっていることに気づいたのだ。  彼女はいっている。 「芸能界というのは麻薬みたい。わからない人にはわからないでしょうけれど、一度この世界を知ると、絶対にもう逃れられません」  もちろん私のような二流どこのコピーライターの世界と、芸能界とではその華やかさにおいて差がありすぎるだろうが、私も「もう逃れられません」。  たいして才能もない田舎の少女に許される範囲をはるかに超えて、私はいろんなことを知りすぎてしまったのだ。コピーライターにしてはマスコミにかなり出してもらった。作詞したレコードは出た。有名人とお知り合いになって、ホテルのバーなんかで飲むことをおぼえた。パーティーなんかに行ってもチヤホヤされるようになった。コピーライター志望の女の子たちからファンレターももらうようになった。  もうこの先、私は本当にどうすりゃいいの! ささやかながら、私も「麻薬」を吸ってしまっていたのである。もう十年前の、「テニス部のマリちゃん」で満足していた時代はすぎ去ってしまったのだ。  いろんなものをもちはじめてくると、私はもう寛大にはなれない自分に気づいていた。人に対する余裕ややさしさなんか、ホントにどっかへふっとんじゃったよ。  どっかの若手の女性コピーライターで、評判いいのや、目立つのが次から次へと出てくる。 「ふうん」  とかいって私は煙草をふうっと吐く。 「いいんじゃない、あの娘《こ》。頭もいいし、作品もおもしろいし……」  そして最後にいう。 「でもおんなのコピーライターによくあるタイプね」  なんて嫌な女かと思うでしょ。  私がいつもいちばんでいたい。  私より目立つ女は許せない。  私だけがひとにチヤホヤされたい。  売れてない頃には、「賞もらいたい」「第一線に出たい」という願望があるのみだった。「たい」がいつのまにか、許せ「ない」という憎悪に変わっている。  私も根はいい人間だから、こういう感情はものすごい勢いで私を苦しめる。救ってもらえるものなら、すぐさまクリスチャンになろうと一度は思っちゃったぐらいだもの。  天地真理さんもさぞかしつらかっただろうナ、と考えていると涙が出てきちゃいそうになる。 「あ、天地クン、今度の出番、新人の岩崎宏美クンに先にやってもらうことになったからね。キミ後ろの方で手拍子うっててね」 「すいません、いま南沙織がここに座りますので、化粧室あけてください」  なんていわれつづけたに違いない。  つらかったでしょうね。精神病院へも行きたくもなっちゃうよね。  人よりも早く走り出している。けれどもトップを走っている人たちに追いつくのはまだまだ先だ。走っているうちには、自分はそれほど足が早くないんだということがよおくわかってくる。それなのに後ろをふりむくと、大勢のファイト満々なのが、私を追いぬこうと走ってくる、というのがいまの私の状況だ。 「バカ! 来るな、もどれ」  なんて私なら砂かけちゃうけれど、いつもニコニコ真理スマイルを要求される世界に彼女は住んでいた。  ともかく平均以上に野心と才能を持つ女たちの方が、男よりずっと住みにくいというのは確かなようだ。 [#改ページ]  リブ篇  [#1字下げ]三畳から豪華マンション。 [#1字下げ]あたしのサクセス・ストーリー  今日もまた依頼の電話が一本入った。 「またお願いしたいんですけどねー」 「いいすよ」 「もー、林さんとこみたいなのはちょっとないから。ほんとにステキですよ、最高ですよ。このあいだもお願いしたら評判よくって」 「そうすかー、じゃ片づけときますから」  別に私への仕事依頼ではない。私の住んでいるマンションを撮影に使いたいという、雑誌社からの電話だった。  十二畳のリビングとそれにつづく六畳の寝室がすべて板張り。新築だから壁も真っ白でシミひとつない。外側はコンクリートの打ちっぱなしと、まるで絵に描いたようなナウいこのマンションを見つけたのは、つい最近だった。管理費込みで十二万円という値段は、他に南青山に仕事場をもつ私にはかなりの出費だったが、私は即決で借りることにした。その理由として、  ㈰いかにもいま風のマンションで、皆に自慢できる。  ㈪私はスタイリストの友人が多いので、撮影に貸したら撮影料が入る。  ㈫こんなところに住んでいたら、いかにももうかってそうだと思われて気分がいい。  とまあ、ほとんどが外的要因で借りたところがいかにも私らしい。  けれども、この業界、住むところでその人のセンスや暮らしぶりを判断するところがあって、みんな涙ぐましいぐらいいろんなことをやっているのね。私は考えてみたら、いままで食べることだけに本当に必死だった。この二、三年は洋服を買いまくっていた。ふと気がつくと「住」の分野だけが異常に低く、それで今回大いに反省して、この真っ白いマンションを借りたわけである。十二万円とかいって騒いでいるが、狸穴《まみあな》からこの東麻布へぬけるあたりは、都内でも有名な億ション地帯。私のマンションなどはホントにこぢんまりとしたものだけれども、この年の女がひとり暮らすのには、やはりかなり破格の贅沢《ぜいたく》さといっていいだろう。  私が上京して最初に住んだところは、トイレも共同の、三畳の学生アパート。いま思えば十人の学生のうち、女子大生はたったふたりという恵まれた環境であった。東京の小金持ちが、自宅の裏に定年後を考えて建てたこぢんまりしたものである。 「うちはちゃんとしたいいとこの方しかお貸ししないんですよ」  とかいって、そのうちのオバサンは、上京したばかりの私ら父娘をジロジロ見ていたが、いいとこのお坊ちゃん、お嬢ちゃんが三畳に住むか、エバルナ!  それはともかくとして、十人学生がいて、トイレがふたつ、ガスコンロもふたつ、水道はたったひとつしかないのは確かにつらい。  トイレはその頃《ころ》の東京でも珍しい汲《く》み取り式で、しかもそのトイレの横には、私がこのアパート�1とひそかに名づけていた、中央大法学部の高橋さんが住んでいたのである。  遅きめざめながらも、私もやっと色気づきはじめてきていた。  そして毎朝、遅きめざめながらも、その欲求は確実に私をおそってくる。  当時四年生だった(詳しいもんである)高橋さんは時間が自由にあるのか、日がな一日ギターをひいたりしていて外出しない。  九時ぐらいになると、みんな学校へ出はらってアパートは静寂が支配しはじめる。  高橋さんのギターの、ビートルズナンバーが聞こえはじめる。  そのギターの伴奏に、私のぶしつけな音が入っていいものだろうか。  私の病的ともいえる便秘がはじまったのは、この頃からではないかと思う。  次に私が引っ越したのは、池袋の四畳半のアパートだ。ここにはなんと四年間も住むことになって、あまりの老朽化にとりこわされるまでしぶとく居すわっていた。  上池袋という土地柄に加え、外から簡単に出入りできること、女の子だけが住んでいたことなどが、痴漢にすばらしい条件を提供していた。  このアパートの住民で痴漢の被害にあわなかったものはいない。特に隣の秋田出身の色白美少女は、あとをつけられたり、さまざまな事件にあったりしていた。こういう事態においても、例によって、なぜか私だけがとり残された。 「本当になんとかしないと」  そのアパートの女ボスである私の部屋に毎晩集って討議していても、私はなにひとつとして具体的なことがいえなかった。つらかった。  そんな私が、やっとある夜彼に会えました。夏の夜、あまりの寝苦しさに窓を開けて寝ていた私の部屋に、黒い影が侵入しようとしたのだ。いまでもはっきりとおぼえている。 「どなたですか!」  という私のひと声は、生まれ育った礼儀正しさもさることながら、なにか�ようこそ�というかすかな歓迎の意がくみとれないだろうか。もちろんなにごともなくすんだが、ともかくこれで私はやっと被害者同盟のトップとしての、地位と体面を保つことができたわけである。  このアパートでは少なくとも、三人の女の子が�処女喪失�を体験している。人がいる気配なのに、いくらノックしても応答がない。今日彼が来るからいっしょに遊ぼうといっていたのに、と私はブツブツいいながら部屋にもどるのだが、やがて事態がわかり、 「ふうん」  という感じになる。 「いいんじゃない、なんでもやれば」  さらに思う。  この「ふうん」という感じは、のちのちまで私の性格に暗く影を残し、うまくやっている同棲《どうせい》カップルなどを見聞きするたびに、この言葉を発することが多い。  さて、その後私の住居に関するデーターは、参宮橋《さんぐうばし》の六畳ひと間トイレつき、成城学園の風呂つき1LDKとゆるやかなカーブを描き、ここ麻布マンションで急激な上昇を見せるわけである。  さて、現在私は人が羨《うらや》むような、豪華マンションの住民となったわけだが、あれほど期待していた素敵な暮らしは私に訪れただろうか。  私は引っ越してきたときにいろいろ心にきめていたことがある。そのひとつは、 「若い頃の桐島洋子さんのように、毎晩ここでパーティーを開きましょう」 「モア」のグラビアページのように、手の込んだおつまみで皆をもてなし、サロンのようにいたしましょう。もちろん若い男性なんかいっぱい、しょっちゅう来ちゃうのだ。彼らは私のまごころこめたもてなしに感激し、つぎからつぎへ友人を誘うようになる。たくさんいる中には、サロンの女主人である私に憧《あこが》れる青年もでてくることになっている。  ある晩私は仕事で遅くなり深夜、車で帰ってくる(この夜は絶対に雨が降っていなければ困る)。すると例の青年が私の部屋の前で、雨に髪を濡《ぬ》らしたまま待っているのだ。 「あら、どうなさったの、こんな時間に。今日はおひとり?」 「今日は僕、どうしても話したいことがあるんです」  こんなシーンを何度頭に思いうかべたことであろう。ところが現実は、あまりの忙しさに、部屋には寝に帰るだけ。広々としていたリビングも読みっぱなしの新聞に、ガードルとストッキングの二段重ね脱ぎっぱなし。出前の寿司桶《すしおけ》には小バエがルンルンルン。 「まるで絵のようではないか」  と私はつぶやいた。  よくテレビなんかにでてくる、だらしないホステスの部屋。まさに一分のスキもなくそのとおりになったことに、私は感動してしまった。  私が感動したからといって、ひとがそのとおりとはかぎらない。この感動は、他人には不快感しかあたえないものだというぐらい私にもわかる。  本当のことをいえばこの私とて、夜中に突然チャイムを押してくれる男性がいないわけでもないのである。夜だから当然水割ぐらい出す。男と女が真夜中にふたりきりで酒を飲む。三メートルと離れていないところにはベッドルームがある。まさに恋人への直線最短コースである。  ところが私ときたら、 「待、待ってください。困ります。あの、ちょっと待って、あ、あの、角まがったところに深夜までやってる焼き鳥屋があります。そ、そこで待っててください」  とドアのこちらがわで叫ぶのが常である。 「私のだらしなさが、実は私の貞操を救っているのである」  こういっても意味がわかる人は、あまりいないだろう。 [#改ページ]  [#1字下げ]私は焼肉が [#1字下げ]大好き  どうして焼肉屋というのは、ああいうあやしげな雰囲気を漂わせているんだろうといつも思っていた。  盛り場のはずれたところにも、一軒か二軒必ずあって、他の店がシャッターを降ろしている真夜中でも、焼肉屋だけはネオンがついている。  いつ入っても客があまりいなくて、古い週刊誌がちらばっている。そしてちょっと日本語のアクセントのおかしい主人がいる。そしてヤーさんっぽい常連客と、ぽつりぽつりと冗談をかわしたりしている。  ふり返ってみると、焼肉を食べに行く時はたいてい男といっしょだった。常日頃、私はわりとカンショウなところがあって、アカの他人であるところの男(まだ深い関係がないという意味)とひとつ皿から、物を食べたりすることが絶対にできないのであるが、焼肉だけはなぜか別なのである。さんざんねぶって、ごはん粒の半かけがくっついているような箸《はし》で、彼がひっくり返してくれた肉のきれはしを、何の抵抗もなく嬉々《きき》として食べるのだから、焼肉の威力というのはスゴイもんである。  私と焼肉を食べる人間は、かなり不利な立場に置かれることを覚悟しなければならない。大食いの家族にきたえられて育ったせいか、私はスキヤキとか、しゃぶしゃぶ、焼肉などゲーム的要素を持った料理を食べるのがすごく得意なのだ。特に焼肉は冷たいビールが味方についてくれたりすると、もう完全に私の勝ち。�流し込む�という形容詞がぴったりのくらい、すさまじいスピードになる。火に追われ、人に追われ、なにかさし迫った気分で箸を動かす。  先日などは、 「キミ、もっとゆっくり食べようよ。ネ、ネ」  と悲しそうな声でいわれたから、その速さたるや、自分で意識している以上にスゴイものがあるようである。  とにかく私は焼肉が好きなのだ。  そして焼肉が好きになるのとほぼ比例して、なぜか私はステーキが嫌いになっていった。いまではほとんど憎んでいるといってもいいぐらいだ。  なぜそんなに嫌いなのかと問われると困るのだが、たかが肉風情で、すごくエラそうにしているのが気に入らない。そもそも私の�ステーキ体験�というのは、あまりいい思い出がないのである。これをいうと両親の恥となるから、あまり大きな声でいいたくないのだが、私は高校を卒業して上京するまで、豚と牛の区別が全くつかない少女であった。はっきりいうと、牛肉を食べたことのない少女だったのだ。うちでステーキというと、豚のステーキのことであり、スキヤキの時も確かに豚肉を使っていたと思う。これはことさらにうちが貧しいということよりも、その小さな田舎町全体がそうだったような気がする。なぜなら、同級生の家で夕食をごちそうになった時も、あの時の肉は確か豚であったように記憶する。おまけにあの中には、小さく切ったじゃがいもが入っていた。かくして、余ったスキヤキは、一晩たつと「肉じゃが」という惣菜《そうざい》に変身する仕掛けである。  上京して牛肉を食する機会は何度かあったかもしれないが、なにせ貧乏学生の悲しい身の上、豚と牛をはっきりと差別化できるほどの�大物�を噛《か》んだことがないのだ。  だからこそ、私は「ステーキ」という、名前からしていかにも豪華なこのメニューに憧れつづけたのである。  ステーキを食べる時は赤ワインもいっしょに飲むのだ。  と誰《だれ》かが教えてくれたこの言葉も、私をワクワクさせていた。  そして私は、ステーキと目もくらむようなすんごい初体験をしてしまったのである。  初体験の場所はホテルでだった。  ホテルはホテルでも、帝国ホテル。帝国ホテルのグリルでステーキを食べたのだ! いま文字をつらねるだけで筆がふるえるような、神もおそれぬこの行為を、学生のぶんざいで私はしてしまったのだ。  日比谷《ひびや》で映画を見た帰り、私と友人ふたりは、帝国ホテルのコーヒーハウスで、パンケーキでも食べようと相談していた。これだけでもかなりしゃれた発想といえるだろう。しかし、コーヒーハウスは満員だった。  発想は突然ものすごい飛躍をとげた。 「上のグリルへ行こう」  といい出したのはいったい誰だっただろうか。もちろん、私たちがこの暴挙に出た背景には、アルバイトでもらったばかりの万札があったということをのべておかなければならない。  私たちはものすごい緊張で顔をこわばらせながら、グリルへの階段をどどーっと登っていった。少しでも躊躇《ちゆうちよ》の心が芽ばえれば、この決心が即座にこわれるのはよくわかっていたからである。  私たちにとって幸いだったことに、その時グリルのクロークは工事中で閉鎖されていた。もしあの時、クロークが開かれていたら、ズラッと並んだ毛皮とか、黒い服のフロントの女性たちが目に入り、我々はただちに「回れ右」をしたであろう。  グリルはゆったりと広く、ひややかな程度に暗かった。私は入口のところで足をふんばって、「ここはよく行く学校近くの�洋食つばめ�なんだ」と思い込もうとしていた。  まあ我々はなんの失敗もなく席につきました。そしてメニューがくばられる。金ピカの文字で書かれていたそれをついに見つけた。  シャリアピアン・ステーキ  私は当時から週刊誌などが大好きな、情報過多少女だったから、ここのシャリアピアン・ステーキがどんなに有名でおいしいか、よーく知っていた。帝国ホテルといえばシャリアピアン・ステーキ、シャリアピアン・ステーキといえば帝国ホテル。週刊誌の口絵に出てくるそれと、私はついに対面できたのである。  故郷の両親にこの事実を知らせたいと思った。  あいかわらず豚ばっかり食べているであろう、三つ違いの弟に、このひと皿を見せたいと思った。  私は感激にわななきながら、このステーキを非常においしく食べた。といいたいところだが、事実はそうではない。  考えてもほしい。豚しか知らない田舎の少女が、突然帝国ホテルでステーキなど食べたのである。天罰が下らない方がおかしい。私はボーイと目があうたびにドギマギし、ナイフとフォークの使い方が間違っていやしないかという不安におののいて食べたので、心痛のあまり味が全くわからなくなってしまったのだ。  なんとかコーヒーまで飲んで外に出た時は、三人は冬だというのに汗びっしょりかいていたのである。  また友人のひとりが、 「あのひと皿で何日暮らせるか」  などとつまらないことをいい出したので、またまたみんな暗くおちこんでしまった。  すべての初体験がそうであるように、私とステーキとのそれも、感想をもつほど深くかかわりあうことができなかったのは本当に残念である。  第一回目に、あまりにも大それたことをした祟《たた》りであろうか、どうもステーキというのは私と相性がよくないのである。まぁ、こういっちゃナンだけど、当時にくらべて私はずい分お金が自由になるようになった。やろうと思えば、マキシムとか吉兆とかのステーキだって食べられると思うのだが、なぜか気がすすまない。先日もある有名ホテルのステーキレストランに招待されたのだが、「こんなんじゃ、同じ建物の中の寿司屋の方がよかった」とずっと心の中でブツブツいってたのだ。  まずシェフが塊のままの肉を見せに来る。そして焼き方を聞く。そして食べてる最中に、 「いかがですか」  なんて聞きに来る。まさかまずいといえまいに。ちっと大きすぎたから残そうと思ったのだが、この時の彼の笑顔がちらついて全部たいらげてしまった。牛を食べに来た人間をブタにする気かよ、エッ。  あれほど憧れていたステーキなのに、長い歳月、美味飽食に慣れた私は、「タダの焼いた肉」とさげすむまでになっているのだ。  これは恐ろしいことである。  そんな自分がイヤでイヤで、ステーキを食べる時、本当につらいの、ワタシ。  焼肉を食べる時のはつらつとした姿はそこにはない。  焼肉屋には世をしのぶような、いちまつの後ろめたさがあって、それが私は気に入っている。同じ牛肉でありながら、片方は金のお盆にのっかってうやうやしく運ばれたりするのに、焼肉の方はパセリひとつ飾られることなく大皿に盛られてくる。  焼き方もしつこく英語で聞いたりしない。  レアにしたけりゃ、自分ですればよいのだといういさぎよさも私は好きである。  田舎で豚肉としかつきあわなかった少女は、焼肉を知って初めて牛肉の親友を得たのである。  腹いっぱい焼肉をつめ込んだ私は、ガムをくちゃくちゃいわせながら男と外に出る。焼肉屋というのは、どういうわけかホテル街の近くに多いのだが、片方の本能を十分満足させられたせいか、ふたりはとても無邪気にそこを通りすぎるのよね。 [#改ページ]  [#1字下げ]女が外で [#1字下げ]食べるとき  働く女たちが、公衆の前に姿を現わすのは、たいていの場合食事どきである。  時計が十二時をまわると、オフィスからいっせいにときはなたれて、彼女たちはレストランにやってくる。  彼女たちは意外と気づいていないようだが、制服とその食べっぷりで、世間の人たちからいろいろ感想をもたれているのだ。 「第一勧銀のコたちはやっぱりしっかりしてんなぁー。ランチサービスの中でもいちばん安いのたのむもんな」 「若いくせにうまいもん食いおって、さすが伊藤忠。会社の男たちにしょっちゅうおごられまくってんだろうな」  と邪推するわけである。  そして彼女たちが去って二時をまわる頃、ひっそりとやってくる女たちがいる。  私と同じようにひとりで働いている女たちであろう。  彼女たちは身のほどというのをよく知っている。いちばん店が混む昼どきにレストランに入って、ひとりでテーブルを占領するのが気がひけるのだ。かといって、さきの制服組たちと相席になるのは好まない。カウンター席はもっと嫌だ。となると、どうしても時間をはずして来るより他ないのだ。  だから私たちはたいてい、ランチサービスの恩恵に浴すことができない。  世の中にこれほど食べ物屋のガイドブックが出まわっているのに、どうして「女がひとりで食べる時」という本ができないのかいつも不思議に思っていた。  はっきりいっていまの日本というのは複数化社会である。飲み屋はともかく、レストランとか食堂というのは、ひとりの客をそんなに歓迎してくれない。とくに女の場合、自前ではそんなに金を使わないと判断しているせいか、あつかいが荒いのよね。  じゅうぶん時間を見はからっていっても、運わるく団体様がドヤドヤやってきたりすると、若い女店員が無愛想に、 「すいませんけど、カウンターの方に行ってください」  と迫害にあったりするのだ。  だから私はひとりで食事する時ほど、お金をかけることにしている。  ちょっと高いけれどホテルのランチや、高級レストランの高級ランチ。案外穴場はデパートの名店街で、ひとりで買い物に来る婦人客が多いためかテーブルもふたりがけが多く、気をつかわずにいつでも感じよく食べられる。  フリーで働き出した頃、ひとりで食事をするのが嫌で嫌で仕方がなかった。ひとり女が食事をしているのを見られるのが、たまらなくつらかった。どうしても店の中に入れず、お昼をぬいてしまうことも何度かあったと思う。  そして私が考えついたことは、本を読みながら食べるということだった。店に入る前に週刊誌か文庫本を一冊買って、それを読みながら食事をするのだ。となると、食べるメニューもおのずと限られてくる。おみおつけと、スパゲッティが添えられたショウガ焼きなどという例のランチはまず食べられない。グラタンとかカレーとか、片手で食べられるものをいつも注文した。食事をするためにここに来たんじゃなくて、本でも読もうと思って立ち寄ってたまたまカレーを食べてるんです。といったポーズをとっていたわけだ。  街の食堂で「漫画アクション」を見ながら冷やし中華を食べる学生と、ポーズは全く同じだが発想がかなり違う。  いま思えば、自意識過剰がカレーを食べているようなものであった。もちろん味などおぼえているはずもない。かといって、みんな揃《そろ》ってレストランへ行った会社勤めの頃が恋しかったわけでもない。ただ、食べることがやたらめんどうくさかったことだけはよくおぼえている。  大学生の頃、下宿暮らしは私だけだった。するとクラスメイトたちが、 「マリちゃんがひとりで夕ごはん食べるのはカワイソー」  とかいって、毎晩夜までよくつきあってくれたものだ。「食べる」という根本的に個人的なことまでたっぷりと他人に甘えて、それが許された時期が私にもあった。もうそういうことは二度と訪れないだろうなと、まずいカレーを咀嚼《そしやく》しながら何度か思ったものだ。  しかし、そういう時期が半年ぐらいすぎると、私はひとりで平気でレストランに入れるようになった。もう週刊誌は読んだりせず、背すじをしっかりとのばし、きちんと定食を食べ、コーヒーまでゆっくりとすませられるようになった。  それと同時に、私は映画館へもひとりで入れるようになっていったのだ。  それまで私が映画を見るというのは一大事業であったといってもよい。学生の頃、一度痴漢にあったのをいつまでも大げさにいいたてて、必ず誰かいっしょでなければダメなの、といいふらしていた。友人と日時をきめ(私の友人は時間に実にチャランポランなのが多い)、服を選び、待ち合わせて映画の前に軽いおしゃべりをして、という手順をふまなければ、私の映画鑑賞は成立しなかったのだ。  ところがいまではむしろどこかの行き帰りにひとりでブラッと立ち寄ることの方が多い。痴漢が心配ならば、通路寄りの席に座って隣に荷物を置けばいい。見たいものは、自分ひとりで知恵を働かせて、さっさとそれをすませればいい。  こんなシンプルなことにどうしていままで気づかなかったのだろうかと、その爽快《そうかい》さに目を見張る思いであった。  私ぐらいの年齢になっても、 「私いまでも、食べ物屋と映画館ひとりで行けないんですぅー」  という女が多い。  それには、口に出さない下の句があって、 「だって私すれっからしじゃないんだもん」  とか、 「うふっ、私って甘えん坊なのね」  という言葉がつづくのだ。 「女の�連れション�が姿を変えるとこうなるんだな」  と内心思うけれどそう不愉快ではない。私もそういっていた時期が長かったし、私だってあの時ああなって、ああいうふうにコトが運べば、いまでは幸福なヒトヅマ。テニスクラブで知り合った奥さま方と電話をかけあって、 「伊勢丹でバーゲンやってるの。そのあと映画見ない。あ、待ち合わせはお昼前にしましょ。私ってレストランと映画はひとりじゃ入れなくて」  なんて絶対にいっているはずだもの。  まあひとつ確かなことは、食事にしても映画にしても、ひとりで食事ができ、ひとりで映画を見ることができる女友だちといった方が、絶対においしく、楽しいということだ。  などと珍しく彼女たちをほめて思いうかべながら、気づくことがあった。  このふたつができるようになったから、私たちって嫁《い》き遅れちゃったのネ。 [#改ページ]  [#1字下げ]楽しゅうて、 [#1字下げ]あとで悲しきバーゲンかな  友人のことはなるべく悪くいいたくないのだが、私の女友だちというのはかなり性格がよくないのが多い。おまけに嫉妬《しつと》深いので、群を抜いてお金持ちの私は、いろいろと苦労がたえないのだ。  中でもスタイリストのエミちゃんのはかなり習慣的なもので、私が買った洋服がバーゲンでいくらになっていたか必ずといっていいくらい電話で報告してくるのである。 「あのさ、あんたがこのあいだ買ったワイズのスーツ、あれバーゲンで一万五千円で出てたよ。あれ確かプロパーで五万ぐらいだったよね。わー、もったいない」  私は受話器を握りしめ、できるだけ不快な声を出さないように努める。 「いいのよ、冬中さんざん着たんだから、もうモトはとれてるわよ」 「そうね、どこへでもあればっかり着てったもんね」 「失礼ね、私ほかにもいっぱい服もってるわよ」 「そうおー、みんないってるわよ。服買った、買ったといいながらいつも同じもの着てるって……」  このへんで私の忍耐は限界に達して受話器を落としてしまうのだが、その日はちょっと考え込んでしまった。  いつも私は裕福なのにまかせて、高級洋服を�はしり�の時に買いすぎていたのではないだろうか。あと二か月ほどがまんするだけで、ワイズだろうと、イッセイだろうと、半額、いやそれ以下になるという。だからバーゲンの日になると庶民の女共が目の色を変えて走りまわるという。私も庶民にまじって、バーゲンとやらに行ってもいいような気がしてきた。 「ねえ、エミちゃん。いまバーゲンやってる」 「うーん、いまはシーズンオフだねぇ。七月か八月まで待ってごらん。すぐ安くなるから」 「ね、ね、ホントにそんなに安い」 「成金のあんたが大好きな、イッセイとかボールも信じられないぐらい安いわよ」  それで素直な私は、今年の初夏から夏にかけて、ぐっと歯をくいしばってがまんした。気に入ったものを見つけても「バーゲン、バーゲン」と呪文《じゆもん》のようにとなえ、ものすごい形相をしていたらしく、ブティックの女の子がマネキンの陰に隠れたりしたのもこの頃だ。  そしてやがて真夏がやってきた。街にはセールとかソルドとかいう文字が目立つようになったのだが、まだ私はがまんした。デパートやファッションビルのバーゲンでお茶をにごすのは�通�ではないとエミちゃんはいった。こっちの方はもちろん私もたくさん経験があるのだが、そんなに安いとは思わなかったもんね。いい品物もたいていは売り切れている。  バーゲンの真髄はなんといっても、メーカーの決算にあるとエミちゃんはいう。いつもはお高くとまっているデザイナーブランドの方々もやはりまとまった現金がほしい。それで恥も外聞もなく大放出するらしい。ふだんはガラスのウインドの中に一点か二点、気どってディスプレイされる洋服が、倉庫からドバーッと出されて品台の上に山積みされる。こうなりゃイッセイもコム・デ・ギャルソンもない。ばく大な布の塊があるのみである。エミちゃんはスタイリストだから、貸し出しの時にさんざんえばった店員の顔を思いうかべて、ものすごくサディスティックな快感にひたることさえあるという。  これを聞いて私はものすごく心を動かされた。  高級ブティックの女の子たちには、私もいろいろ恨みがござる。彼女たちは自分たちが商標そのものみたいな意識におちいっているような気がするのだ。あの子たちが店に立っているのは、品物を売るというより、自分たちの店のイメージに合わないダサイ客が入ってこないように見張っているために違いない。このあいだもキラー通りの某有名パンツショップで、いかにも竹下通りから流れてきたっぽい少女たちに、店員がものすごく冷たい応対しているのを見ちゃったもんね。そのあと私に、 「お客さん、もうこれより上のサイズないですよー」  とか大声でいってさ。モデルだけが客だったら、君たちの商売成りたってかないでしょうに。くやしい。  エミちゃんもフンガイしてたけど、こういうのに限って、有名スタイリストとか、「アンアン」のおネエちゃんたちとはものすごい仲よしごっこ。自分たち自身も貸し出しされるのも大好きで、 「さすが○○ブティックにお勤めのヒネ子さん、オール満点の着こなしです」  なんていう企画で、グラビアを飾っちゃうのよね。  まああんまり悪口いうと、ひがんでるように思われるとしゃくだからこのへんにしときましょう。  で、とにかく私はバーゲンに行くことにした。素直なばかりではなく、非常にまじめな私は、その準備もおこたりなかった。エミちゃんや雑誌からの情報をモトに、きちんとスケジュールをたてたのだ。  土曜日は、朝十一時からBIGIグループのバーゲンに行き、午後からはイッセイの社内セール。  日曜日は、ワイズとスクープのバーゲン。  お金も銀行からおろして十万円用意した。足りなかったら、いっしょに行くはずのフミコを脅かして借りちゃおーっと。  予備知識とお金はぬかりなかった。しかし、私は自分自身の性格というものを把握していなかった。私は�根性�という二文字が先天的に皆無の人間なのである。そしてこれこそがバーゲンの勝敗を分けるものだということに、まだ私は気づいてなかった。  土曜日、私はすっかり寝坊をしてしまった。起きたら十時半ではないか。今日は私ひとりで行くはずのバーゲンの初日なのに、こうしてはいられない。私は歯だけ磨いてタクシーをとばした。バーゲンにタクシーで乗りつけるというのが、私の成金と非難されるゆえんなのだが、この際仕方ない。  やれやれ十一時の開店には間に合うと喜んだのもつかの間、会場のベルコモンズは行列がとり囲んでいる。青山は黒山の人だかり。 「なんだ、なんだ、たのきんのコンサートの前売りか」  などといっていた私は、それがこのバーゲンに来た人たちだとわかった時、ぞっとするぐらいの恐怖感をおぼえた。そりゃ、そうでしょ。「おしゃれをしたい」という欲望が何百とひとつの場所に集まって行列をつくっているのである。私はひき返そうと思ったが、さっきのタクシー代が頭にちらついて、おずおずと行列の後ろについたのだ。 「はい、整理券配りますからね、並んで、並んで」  男がいった。 「は〜い、夕方五時からの整理券ですよ」  驚くよりも悲しくなった。私はやはりここに来るべき人間ではなかったのだ。倍の金額をとられてもいい。やはりブティックでこころ優雅に�はしり�の一着を買うように運命づけられた人間なのだ。ここに来たのは間違っていたと思い悩みながら、私はいつのまにかものすごい早足になって、イッセイのバーゲンの会場へと向かっていた。ここの商品は元値からしてかなり高価なものが多いので、さすがに行列はない。けっこうおばさんたちが多いのが特徴だ。あれやこれやあさっているうちに、私は猛烈な怒りがこみあげてきた。見おぼえがある商品がいっぱいあるのだ。  あ、このスカートは、私が五月に一万円で買ったやつ。な、なんと三千円になっている。おまけにものすごいブスのダサイ女が、手にとって買おうとしているのだ。  私の立場はどうなるのだ。もし路上でこの子と同じスカートを着てすれ違ったら、どうなるのだ。一万円で買った人と、三千円で買った人が全く同じに見えちゃうなんて、こんな不条理なことがあってよいものだろうか。許せない。  しばらく茫然《ぼうぜん》と立っていた私だが、やがて気をとり直した。  よし三宅一生がその気なら、私もうけて立とうじゃないか、といった感じ。  敵に最もダメージをあたえる商品、元の値段がうんと高いやつを買ってやれ、という気になってきたのだ。それで似合う似合わないは二の次にして、そのバーゲン会場の中では、ずばぬけて高いワンピースを買った。それで私の心はやっと平静をとりもどしたのだ。  しかしそのおだやかさは長くつづかなかったのだ。  バーゲン最終日の日曜日、私とフミコはひそかなファッションショーを開き、お互いの成果を披露しあった。  そこで私はまたもや胸がムカムカしはじめた。  同じバーゲンに行ったのに、フミコの方がずっといいものをいっぱいに見つけてきたのだ。おまけにスタイルのいい彼女が着ると、すごくよく似合う。 「そのブラウスいいわね。ねえ、これととりかえっこしようよ。あ、なんなら私買ってもいいわよ」 「いやよ」  彼女はいつになく冷たくいった。  例のイッセイのワンピースは、サイズが合わなくてファスナーが上がらなかった。これと同じ条件のものを、あと三着私は買ってしまったのだ。  嫉妬と後悔と疲れで、私はその晩よく眠れなかった。 [#改ページ]  [#1字下げ]病弱というのが [#1字下げ]いま新しいんだって 「ボ、ボクの体はもうメチャクチャらしい。医者から仕事とめられてるんだ」  エディターの秋山さんは、二か月ごとにこんなことばかりいっているけれど、ニューヨーク、ヨーロッパと遊びまわって、入院する気配は全くない。  彼がいますごく凝っているのは漢方薬で、その他にも「難病治療研究所」というところにも通って、背骨にハリをしてもらっている。  ざっと見わたしても、私のまわりには病気と戦っている人は実に多く、最近寄るとさわると自然食品とか、あそこのマッサージがどうのこうのという話ばかりである。  まあこれだけストレスの多い世界だから、なんらかの障害が出るのはもっともだと思うのだが、この頃、私のような元気はつらつ少女が居ごこちが悪くなったのには少々閉口している。 「お早ようございまあす」  私打ち合わせに元気に登場。 「ゴホン、ゴホン、キミはいつも元気でいいよなぁー。オレなんか夏カゼこじらしちゃってんだろ、そのうえ徹夜つづきで体力ないときちゃうんだから、ゴホン、ゴホン」  とまず朝っぱらから、デザイナーの体調を長々と聞かなければならないのだ。 「キミなんかよく眠れるでしょ」 「はぁい、毎晩十時間は寝ないとだめなタチでーす」 「いいよなー、元気なひとは。オレなんか忙しくて睡眠時間少ないうえに、最近不眠症気味で、ゴホン、ゴホン」  それでも私はやさしい人間だから、 「だいじょうぶですか」  とか眉《まゆ》をひそめてみせたり、丸薬を飲む水をコップに汲んできてあげたりするんだけれど、彼の症状はひどくなるばかり。 「ゴホ、ゴホ、もうダメ」  とかせき込まれたら、こっちも気がめいっちゃう。  最初にいった秋山さんは、すごく流行に敏感な人である。  彼は、 「とにかくいまやたら健康で明るい人間はダサイ」  とはっきりという。 「そもそもキミは体型がいけないね」 「そうすかー」 「いまね、そういう頑強な肥満体というのはうけないのよ。いかにも仕事がなくて、ヒマしてラクしてるって感じじゃない」 「仕方ないすよ、本当にそうなんだもん」 「ダメ、ダメ、それじゃいけないの。いまうけてる女っていうのはね、ちょっと陰がなきゃいけないの」 「あ、小林麻美みたいなのだ。あのひとなーんも仕事してないけど、素敵な女性の生き方とかファッションとかいう企画になると必ず顔を出すもんね」 「そう、そう、ああいうのがこれからきっと流行《はや》るね」 「わー、私もこれから結核になって高原のサナトリウム入ろうかな」 「うん、そういう過去をもつことは、これからのキミの仕事にきっとプラスになる」  病気で苦しんでいる方には本当に失礼な話だが、こんな冗談をいっていたおりもおり、知り合いの女の子が体をこわして入院してしまった。  彼女は美人で名高い音楽コーディネイター。都心の個室はいろんな人からの花束でいっぱいだ。私がいる間も、有名ミュージシャンたちのお見舞いがつづく。ちょっとしたロックフェスティバルの楽屋みたい。  彼女には内緒の話だけれど、それを見てすっかり私は羨ましくなってしまった。人はよく自分の葬式の場面を思いえがいてある快感にひたるというが、女の場合は入院という言葉に置きかえることができるようだ。  私の場合、誰と誰がお見舞いに来てくれるかしらん。花束もいいけど果物もいいな。病院は、絶対に、信濃町《しなのまち》の慶応付属病院だもんね。真っ白いレースのガウンなんか着ちゃおーっと。  とつまらぬことを考えながら歩いてたら、曲がってきた車にはねられそうになってしまった。  わ、こわかった。同じ入院にしても、交通事故というのはちょっと品下るという感じがするからよく気をつけよう。  そうしているうちに、バチがあたったのか、私はからだの具合がちょっと悪くなってしまった。胸が痛くて夜も眠れないぐらいになってしまったのだ。 「乳ガンかしら」  自分で下した診断に、本当にゾーッとした。私は急いで近くの本屋に立ち読みしに走った。そこの本屋はひどい品揃えで、「家庭医学事典」を置いていない。私はひどく腹を立てたが、運のいいことには「女性セブン」が乳ガンの特集のページを組んでいた。 「乳ガンになりやすい女性」というのが表になっていて、その一として色白の肥満体というのがあった。くやしいけれどあてはまる。その二として、バストが大きい人というのがある。ふん、ふん、これは完全にあたっている。その三として、高カロリーの油っこい食事が好きな人。そりゃーそうよね。こういうのが好きだから肥満体になるんだものねと、なんとなく反ぱつ。その四として高学歴のインテリ女性という意外な一行があった。これもあたってないことはない。日大といえども大学は大学。一応私は卒業しているし、コピーライターというのも、インテリの職業といえないことはない。その五として、年齢の高い未婚女性で、出産経験のない人。と書いてある。  私は驚きと恐怖で週刊誌をとり落としそうになった。五つの注意信号が全部あたっているとは、私はもう間違いなく病魔にとりつかれているのだ。  その夜はベッドの中でひとり泣いた。無駄使いばっかりして貯金が全くない、保険にも入っていない身の上をつくづく悔やんだ。もう入院したいなんて冗談でもいいませんから、元の健康体に還してくださいと神さまに祈った。胸はあいかわらず痛かった。 「思えばなんてつまらない人生だったんだろ」  深く思いつめると、行きつくところまで行くのが私の性格である。 「そんなにすんごい恋もしなかったし、結婚もできなかった。子どもひとりこの世に残さずに死んでゆく女の身の上。なんてみじめなんだろ」  あおむけに泣いていたもので、涙が鼻の中にズーズー入る。だからこんどはうつぶせになって泣きはじめた。  これほど悩んだにもかかわらず、私は病院へ行かなかった。はっきりと診断を下される前に、明るい気持ちで楽しいことをすませておこうという、いつもの根性が頭をもたげてきたのだ。  あのパーティーに出たら、あの旅行に行ったら病院に行こうと思っているうちに、ずるずる日がたってしまった。  そして私はこの重大な秘密を、ひとりでしまっておけずに、ひとりの友人に打ち明けたのだ。 「どうりでこの頃ヤケに元気ないと思った」  彼女はいった。 「思い切って行ってごらん。いっしょに行ってあげてもいいから。あなたは思い込みの激しい性格だから、きっと間違いだと思うわよ」  彼女の言葉に励まされて、私は病院へ行った。病院の門をくぐるのは、歯医者以外これが初めてである。  受付の女性が、 「どういう病状なんですか」  と冷たく聞く。 「乳ガンかもしれないんです」  といいかけたら涙がこぼれそう。  そして診療室のドアを開けたら、老人の医師が、 「どれ、どれ、乳ガンだって。そりゃ大変だねー」  とすごく明るい大きな声で迎えてくれた。  あ、ひとの秘密あんなに大きな声でいってる。 「ガン患者なんてね、ドア開けた時からわかるの。あんたみたいな人がガンだなんて騒ぐと、本当の患者がおこるよ」  という医師の言葉は嬉しかった。 「あんた、いつもバカみたいにでっかいバッグ持って歩いてるんじゃない。アレってよくないのよねー、肩と胸にすごい負担なの」  よかった、ガンじゃなかったんだ。私は喜びのあまり、あとの皮肉っぽい言葉もぜんぜん耳に入らなくなってしまったほどだ。  その日から私の自慢のタネがもうひとつ増えた。もちろん、ひとりで病院に行ったことではない。  私は心配してくれた友人に、その恩も忘れてこんな電話をかけた。 「それでさー、お医者がいうには、胸の大きい人ほど負担が大きいんだってさー。まぁあなたは絶対に心配ないわね。ヒャ、ヒャ」  こういうことばっかりしてるから嫌われるんだワタシ。 [#改ページ]  [#1字下げ]ビデオが来てから、 [#1字下げ]私たちはいやらしくなったん  私の部屋には、ビデオ付きソニーのプロフィールがある。ジャーン!  月賦はやっと払い終ったのであるが、ビデオテープが高くてあまり買えない。�ザッツ・エンターテイメント�と、佐野元春のライブの二本という淋《さび》しさである。おまけに機械オンチの私は、説明書を何度読んでも、うまく番組予約ができない。九時のロードショーを録《と》るつもりでも、なぜか七時のニュースが入ってしまう。  ところで最近気づいたのであるが、私の部屋に来て、このビデオに気づく客というのは、一様に同じ反応をしめすのである。 「あれないの、アレ」  アレというのは、どうもポルノのことであるらしい。  私という人物と、ビデオという結びつきから、すぐ�ポルノ�という単語を連想されるとは、私も常日頃の行いを反省しなければならないだろう。  しかし正直のことをいうと、なんと私も二本�にっかつ�のやつをもっているのである。お客さまのリクエストにお応えして、田口という好きモノのマニアから特別に安く譲ってもらった。しかしこれがヒドイ、のひと言につきるやつで、「奥まで見せます」とか、「金髪枕合戦」とか題名はものすごいのだけれど、裸のシーンはたいしたことない。あれだったら「ウイークエンダー」を見た方がなんぼかマシである。  私の友人など�目キキ�が多く、M子という一流商社のOLやっている旧友など、仕事柄本場のものをバンバン見ているので、 「なんだこれは。こりゃお子さま用ポルノかー」  といってすっかり怒ってしまったのである。  しかしこのM子といい、他の友人たちといい、人間のスケベ心というものには全く貴賤《きせん》がないということを、本当に実感している今日この頃です。私の友人たちだから、いっちゃナンだけど、それなりに教養や社会的地位、性格のりりしさというものがあるだろうと期待していた私がバカだったのネ……。  ある晩のこと、私は某有名音楽家の家に麻雀《マージヤン》をしに行った。スカウト番組の審査員などしていて、歌手志望のジャリタレなどに、実に愛に満ちたアドバイスをするあの方である。  そこでお夜食のあとに、ハードポルノを見せられたのである(見せられた、というところがいかにも私らしい)。私なんかスケベといっても、せいぜい�にっかつ�どまりだ。しかし彼ら一家は、ハワイからこっそりもち込んだというスゴイやつを笑いさざめきながら見るのである。局部のモロアップなど、 「うちのパパの方が大き〜い」  とかキャッキャッしている。  まあこのあたりまでは、私も水割をチビチビやりながら笑ってつきあえるのよね。  ホントのことをいうと、私ハードポルノって大嫌い。私はほれ、昔風の女で、わりとそっちの方にはタンパクシツなんですぅー。というよりも、華やかな機会に恵まれることが少ないので、視覚からの反応がすごぉくにぶくなっているよね。  それにああいうビデオは、日本では貴重品だから、人から人へ手に渡り、ダビングにつぐダビング。だから画像がものすごく汚ない。あんなの見るぐらいなら、恋人とイヤラシイことをする方が、私は好きです。  ところで私のまわりには先取り人間が多い。ビデオという最新のオモチャを得て、見るだけではすまなくなってきた友人たちが急増してきた。  カメラマンのヤマダさんちは、奥さんの誕生から現在までの写真を次から次へと写し、それにビートルズの曲をかぶせ、みごと一篇のドキュメントをつくって夫婦で楽しんでいる。これなどは微笑《ほほえ》ましい例であるが、困ったのは、イヤラしいことに使っているカップルたちである。  同棲中の友人のアパートに行ったら、 「いいもの見せてやろうか」  といって内縁の妻の方がニヤニヤしながら持ちかけてきた。  内縁の夫が録った彼女のヌードである。 「五月みどりのポーズを研究した」  とかいっていたけれど、 「ほうー、けっこうですねー」  とかもいえず、早めに帰ってきた。あの分では彼とのカラミシーンも録ったに違いない。そんなもん見せられてたまるか!  しかしこの頃、世の中全体がほんとにイヤらしくなって、私のように純情なものは住みにくくなった、とつくづく痛感している。  スケベなことに男も女もものすごい情熱を燃やすのは驚くばかりだ。そして、そしてですね、私も少しずつその悪い風潮に染まっていったみたい。  私、ビデオは嫌いだけれど、そのテの本はわりと好きになってきたみたい。  そういう心境になると、私ぐらい恵まれた環境も珍しいのだ。このあいだも私は、「さぶ」(有名なホモの交際雑誌)の編集部の人から、昭和初期の変態写真が載っている本をもらっちゃった。  日傘をさし、耳かくしのええとこ風の若妻を、無頼っぽい男がゴーカンするという写真だけれど、いまの刺激的なやつと違って、時代が時代だからリリカルな風情が漂い、すごおく可愛い。特に男が頬《ほお》かむりして、木陰に隠れて女を待っている写真などユーモラスで笑い出したぐらいである。  写真というのは動かないからいい。  突然ものすごいもののアップ、ということがないからいい。  わりと冷静になって見られるのである。  私がハードタイプのビデオが嫌いなのは、そのへんのところに理由があるのかもしれない。  実は私、映画を見るのにも気をつかうひとなのである。私ね、この二、三年、イヤラしい場面になると、なんか生つばがやたらたまる体質になったのである。特に興奮しているわけでもないのに全く不思議である。  それまでは普通に映画を楽しんでいるのに、恋人同士が、ホテルの部屋をチェック・インしたりするでしょ、私ってそういうのが異常に鋭いヒトだから、 「そろそろはじまるな」  っていう期待感と、 「つばがたまったらどうしよう」  という恐怖感がいっしょにドッとやってくる。そのことを意識しはじめると、もう口の一点にばかり気持ちが集中してしまい、映画にも身が入らなくなってくる。意識すればするほど口がカラカラになってくるのよね。パブロフの犬みたいに映画館の中でなっちゃうの。  しばらく前「四季・奈津子」を見ていたら、私の大好きな風間杜夫さんが、私の大嫌いな烏丸せつこの豊満な胸に顔をうずめたりしてたのよね。  私、いけない、いけない、と思ってじっとがまんしてたんだけど、知らない間に、「ゴックン」とものすごい音たてちゃった。ラブシーンの時というのは、たいていBGMがなくなってシーンと静まりかえっている時だから、当然私のその音は目立つわよね。かたわらにいた男なんて、一瞬、私の方を見たぐらいだ。  ポルノ映画によくあるように、トイレの横まで私を追ってきて、 「お嬢さん、欲求不満みたいですね」  などといわれたらどうしようかと思っていたけれど、なにごともなくすんでよかった。  しかしこの頃この「ゴックン」をごまかすために、いろいろ頭をヒネるのだがどうもうまくいかない。  まず考えた第一のアイデアというのは、アクビをすることであるが、ものすごいベッドシーンの時に、たてつづけにアクビするのもなぜかわざとらしく、本来の意味をさとられるのではないかと不安になる。  次にものを食べるということも考えたのだが、私も映画ファンのはしくれ、そういうエチケットに反することは気がすすまなくなってきて、これもやめた。  ラブシーンも見たいが、「ゴックン」も恥ずかし。  その複雑な私の心理にいちばんかなうのは、私の部屋でひとり、�にっかつ�のビデオを見ることである。これだと「ゴックン」も全く出ることなく、心から楽しめるようだ。  お客のもてなし用だとか、さっきはごまかしたけど、やっぱりお前は�にっかつ�ビデオが好きなんじゃないか、といわれそうだけれども、モテない女がひとり部屋で、ポルノビデオ見る図ってものすごく悲惨でしょ。  私にもプライドつうものがあるから、このひとりの映写会も、まだ二、三回しか開催したことがない。ホント。 [#改ページ]  [#1字下げ]酒豪を名のるからには [#1字下げ]アル中になれ  私がこの世で信じられないもののひとつに、若い女の極度の酒好きというのがある。 「毎晩青山の○○でカクテルをひっかけないと眠れないの」  とか、 「もー、毎晩酒びたりよぉー。ゆうべも女ふたりでボトルあけちゃってぇー」  とかなんとか女がいうと、すぐさまかたわらにいる男たちが、 「おっ、今度いっしょに行こうよ」  なんてすぐさま反応するのもこ憎らしい。  私の推理ですが、女というのはそんなに酒が好きじゃありませんね。中には本当の酒好きというのもいるかもしれませんが、大半は男と飲む酒が好きなのであります。  その証拠に、女友だちのところへ行って、すぐお酒出してくれたことないもん。たいていコーヒーか紅茶。冷蔵庫の中にはビールが入っているのが見えたけど、あれは男の客用にとってあるらしい。  ビールやウイスキーの空びんがごろごろころがっていて、ひとりラッパ飲みするぐらいだったら尊敬しちゃうんだけどな。  しゃれたスナックやパブで、男の視線を意識しながら、退屈そうに煙草《たばこ》をふかしながら飲む酒が好き、というのが本音でしょうに。  ところで酒について私はよく誤解される。私のたくましい体つきを見て、たいていの人は、 「お酒、相当強いでしょう」  と聞くのであるが、これは完全な脂肪ぶとり、酒ぶとりじゃないんだからね。 「ウイスキーをビールみたいに飲む」  とよく感心されるけれど、なにこれはたんに意地がいやしいだけ。お酒を飲む時、私はお皿が五つ六つ並んでなきゃ気がすまない性格なのだ。なんか料理をつまむ水がわりに酒を飲むような調子。それも鶏のカラ揚げとか、フライドポテトとか、カロリーが高くてのどが渇くようなものばかりが好きだから、必然的にじゃぶじゃぶ飲むことになってしまうのね。  まあ、男とふたりでしんみりとお酒を飲もうというチャンスがあるとしますね。そういう時も、私はお腹いっぱいなにかを食べずにはいられない。  舌なめずりしながらメニューを開いて、 「アサリのワイン蒸しに、スペア・リブ、そうそう、それにシェフ・サラダね」  口じゅう油だらけにしながら、豚のあばら骨をしゃぶる私に向かって、男の冷たいひと言。 「キミって本当によく食べるね」  もしかしたら、お酒を飲んだあと、夜の公園散歩とか、ラブホテル探訪とか、楽しいコースがいろいろと用意されていたのかもしれない。けれども豚のあばら骨のために、いつも私はチャンスを逃してしまうのだ。  けれどもよく食べるためにいいことがひとつある。それは悪酔いしないことだ。  まあ、どっかの男のヒトが私を酔いつぶして悪いことをしようと考えたとしますね。でもそれは不可能に近い。まず私の食いっぷりに興ざめし、何杯でもガブガブ飲む姿を見てこれはだめだとあきらめるに違いない。本人に直接確かめたことはないけれど、多くの人たちがこうして、私へのアタックをあきらめたに相違ない(と思いたい)。  学生時代、男の子にこういわれたことがある。 「キミの飲み方は可愛くないよ。フツウの女の子って飲んだあと、『あら、酔っちゃったわ、どうしよう』っていうだろ。あれ聞いてどうかしようとか男は思うけれども、キミみたいにガバッと飲んで『ごちそーさん、割り勘でいくら?』とかいわれたら、男は立つ瀬ないぜ」  この言葉は長い間非常に深く心に残った。  それに年増になるにつれ、私にも野心つうものも生まれてくる。期待感をもって男と酒を飲むということもわかってくる。  そんな日は、おつまみもナッツぐらいにして、水割をチビチビ飲むのよね。するとそうした方が、いつものようにいっぱい食って、いっぱい飲むより酔ってくるから不思議である。  私はぽーっと上気し、ほんのり色っぽくピンクになって(いたと思う)、いった。 「アラ、アタシ、酔ッチャッタミタイ、ドーシヨー」  すると男は心配そうにいった。 「タクシー代ぐらいもってるだろ」  まあ私とお酒のかかわりというのはこんなもんです。お酒が私の場合、男との小道具として使えないとわかってから、私はあんまり飲まなくなった。それに私のように弱い立場のモンだと、私の方が払わなきゃならない場合が多いのよね。まあ、おごりとなるとイソイソと出かけますが。  そんなわけで私は、お酒が好きとか、いけるクチとかいうのでは全くない。ただ最初にいったように、お酒がどーのこーのと、声高に話す女たちを見ると、むしょうに腹が立つのである。  私と違って、彼女たちはお酒によってなにかいいことがあったに違いない、とムラムラと嫉妬心が先に立つ。ちょっと気のきいた店の名前を出して、 「あそこの店長とは友だちだから」  なんていうのを聞くと、なにかをぶっつけてやりたくなってくる。  あーゆう店の店長って、女の好みがすごくはっきりしていて、美人とか可愛い子、または小有名人(マスコミなんかにときどき出るスタイリスト)なんかをすごく大切にすんのよね。私の美人の友人なんか、いついっても勘定をとってくれなくて困るワとかいってコボしていた。私なんかあれだけ食べるんだからもっと優遇してくれてもいいと思うんだけれども、店の華にならないコは、わりとジャケンにされるんだ。ホント。  ひがみにとられてもいいけれど、私は�常連�という言葉をほとんど憎んでいる。店と客とのなれあいの嫌らしさ、他の客よりよくしてもらおうというあつかましさ、得意さというのがよおくにじみでてると思いません?  いまから四年ぐらいも前のことだ。私は小田急線の小さな駅前に住んでいた。歩いて五、六分のところに、五十がらみのママがひとりでやっている小さなバーがあった。ひょんなことからなじみ、ボトルを入れる、という行為を初めてしたのもこの店だ。十人も入れば超満員というこの小さな店は、ほとんどが地元の常連客で、みんな本当に仲がよかった。  自分でいうのもナンだけど、若い女の子がいなかったせいもあって、じきに私はそこの店の人気者になっちゃった。そのころ私はコピーライターになったばかりで、会社ではチラシぐらいしかやったことはないのに、その小さなバーでは、いかにも第一線のコピーライターのごとくふるまっていた。それは他の常連客たちだって同じだったろう。  私はほとんど毎日のようにその店へ通った。行かない日は、ママから電話がかかってきて、 「いま○○さんが来ていて、マリコさんがいないんで淋《さび》しがってるワ。すぐ来て」  などいわれ、私はいそいそと出かけていったのである。  その店に毎日行くのは、安月給の私にはかなりつらかった。けれどもその店では私は必要とされ、好かれていると思うのは心地よかった。  その心地よさが自分への嫌悪感へと変わっていったのは、いったいいつ頃からだっただろうか。  みんなこの店でお芝居をしている。  有能な会社員のふり、華やかなキャリアウーマンのふり、なにより明るい性格のふり……。その嘘《うそ》をつく気恥ずかしさを消すために、人は酒を飲むのだ。ぼんやりと私はそう思った。  さまざまな男たちが、酒についていろいろな物語を描く。  人生にそれほど深くかかわることのない女たちが、酒についてどれほどのことがわかるのだろうか。またわかりかけたとしても、たいていの女たちが、私のようにその事実から目をそらすだろう。  酒を飲む本当の意味を知ることは、不幸を知ることと同じなのだから。 [#改ページ]  [#1字下げ]自然より人間の方が [#1字下げ]はるかにおもしろいのだ  毎年夏になると、南の島へ行くのが最近の私のならわしになっている。  などと書くと、いっている本人も照れてしまうほど優雅な感じなのだが、すべて原因はこの豊満すぎる体型にある。  夏は誰だって大胆になりたい。  私だってなりたい。  もうちょっと若くて、体型に自信があるならば、ビキニで湘南《しようなん》や新島《にいじま》の浜べに寝そべって、若い男の子たちにチヤホヤされたい。しかしいまの私ではそれは果せぬ夢であろう。ああいった人の出入りの多い海へ行くには、私も恥というものを知りすぎている。  よしんばワンピース型水着でつつましく装ったとしても、愛児を海で遊ばせるPTAといった風情になり、誰も声なんかかけてくれないのは必須《ひつす》であろう。  ビキニは着たいが、他人にめいわくをかけたくない。この私の美意識が、わざわざ飛行機に乗って海水浴に行かせるのである。  大胆なイタリア製のビキニで昼間は波とたわむれ、夜はドレスに着がえて、ホテルのバーへトロピカル・ドリンクを飲みに行く。まあ小金はあって婚期を逃した女性の、理想的な休暇のすごし方といっていいだろう。  いつもいっしょに行く女性も、理想的な相棒だった。女がふたりで旅をする時、楽しくなるかならないかというのは、実はパートナーの選択にかかっている。ふたりのバランスがとれていないと非常に悲惨な結果になるのは目に見えている。食べものや未知の土地に対する好奇心はほぼ同じでないと困るし、常識や知性も私の足りない分はぜひほしい。それにこれはあまり大きな声でいえないほど大切なことなのだが、片っぽが極端に男好きするタイプだったり、ものすごい美人だったりしてもいろいろさしさわりがあるのだ。  ヒロミさんはもちろん美人は美人だけれど、そういうことはあんまり考えたことないワ、といったような頭のよさがある。おまけに売れっ子の作詞家である彼女は、ふだんうまいものを食べつけてる人種で、ワインなんかの知識もすごい。私なんか足元にもおよばないインテリで、英語とフランス語が喋《しやべ》れる。そしてここが大好きなところだが、私よりいくつか年上のせいか「あの男の人、マリちゃんに譲るわ」といったやさしさに満ちあふれている。  いっしょに旅するのに、これ以上の人物があるだろうか。  ヒロミさんとは、フィリピンのセブ島にいっしょに行き、次の年にはまたふたりでグアムでバカンスをすごした。  いっしょに何日かいて気づいたのだが、私たちのいちばん共通する性格というのは、食いしん坊とか、買い物好きというのではなく、そのプライドの高さにあるということだった。  つまり「ボーナスためてやっと来た、そこらのOLといっしょにされたくないわ」  という意識で旅行添乗員がいちばん手をやくとかいうアレである。  だからこそ我々は全くフリータイプのツアーを選んだのだし、こうるさい若い女の子のいない時期というのも十分考慮に入れていた。はしゃぎまくる女というのは、まわりの楽しさを吸いとっていくものなんだもの、ホント。  グアムの海岸は時期はずれということもあって、実にひっそりとしていた。私とヒロミさんはビールを飲みながら、日がな日光浴をしていた。 「忙しい日々を忘れるために、じっくりと自然とつきあう」  というのが、旅に出る前の私たちふたりのコンセプトだったから、島見物をしたり、ディスコに行って、フィリピンバンドの男たちに流し目をくれるといったようなスケジュールは、私たちの頭の中にはなかったのである。  しかしいかにも旅なれたふうの、大人の魅力をたたえたこのふたりを、男性がほっとくはずはなかった!  私たちは商用でグアムへ来た貿易関係のナイスミドル、コンチネンタルエアラインの代理店の日本人男性から、やつぎばやにお食事に誘われたのだ。貿易関係はヒロミさん、代理店関係は私の成果である。  昼と夜と、おいしいものをいっぱい食べさせてくれた代理店の男は、本当にめっけもんで、おかげで私たちふたりのみやげの量はかなり違ったはずである。  浜べに若い女の子がいなかったのと、私のビキニのブラジャーがほんの偶然からはずれたことが、いま思えばかなり重要な要素になっていた。  しかし、なんといっても我々は非常にプライドの高い職業婦人たちであるから、彼らとも厳しく一線をひいていた。お食事はおいしくいただくが、その後街に出てバーで一杯、という誘いは断わった。もちろん東京の住所なんかも気やすく教えたりしませんよ。日本へ帰ったらお腹がふくれちゃう女の子たちとは違うんだもん。  そしてなんだかんだしているうちに、最後の夜となった。その日は誰とも食事の約束をしてなかったので、さすがの私たちも、ちょっと所在なくなった。グアムでの最後の夜というのもやや感傷っぽい気分となって、私たちはホテルのディスコへ行くことにしたのだ。  これはかなり意外な決断である。  なぜなら私たちは、外国へ来て、女の子たちだけでディスコへ行く人種というのをかなりケーベツしていたから。 「日本での欲求不満が、外国へ来て爆発する」  というのが、私と彼女の持論であった。 「だから日本の女って、外国の男たちになめられるのよ」  ヨーロッパに何度か旅してるヒロミさんがいって、ふたりでしばらく日本の女の子たちの貞操のなさを嘆きあったのだ。  でまあ、ひと晩ぐらいだったらそういう女の子たちの真似《まね》をしてもいいのではないかという結論に落ちつき、私たちは化粧をはじめた。私はTシャツの下に、グアムのデパートで買った総ラメのチューブトップまで着てしまったのだ。  タクシーで行ったホテルのディスコは全く期待はずれだったといっていい。客がほとんどいずに、深閑とした店の中で、ぽつりぽつりといる女たちは、明らかにプロの女性たちだ。入口でひきかえそうとしている私たちに、ダミ声の大阪弁が肩をたたいた。 「やめとき、やめとき、ここはようない。わてがいいディスコ知っとるで、そこへ行こうや」  振りかえった私たちは、思わず叫び声をあげそうになった。スッポンの化け物のような老人がそこに立っていたのだ。ぬめぬめした感じのスキンヘッド。ジーンズにTシャツというものすごい若づくりだが、しわだらけの顔が、かなりの年齢だということを暗やみの中でもおしえていた。 「な、いこ、いこ」  あまりの押しつけがましさに、私たちは吹きだした。なんつうか、グアムに来てから無意識のうちに張りめぐらせていた、男への警戒心が、ガバッという勢いではがれたのである。  彼は私たちの笑い顔をOKと見てとるや、 「じゃ、着がえしてくるさかい、コーヒーショップで待っててや」  と無邪気に走り出していた。 「キャーッ、おもしろいオジさん」 「でも、あーいうのが案外スケベなんだから」 「でもあの年だから、どこへ連れていこうと安全よ——」  などと話し合っているところへ、彼が意気ようようともどってきた。彼をひと目見て、私たちは思わずコーヒー茶わんを落としそうになった。ヒロミさんなど、 「ギャーッ」  と悲鳴をあげたぐらいだ。  黒のシルクのパフスリーブのシャツ。下は、銀ラメのパンタロン。どうみたってさっきのディスコに出演している、フィリピンバンドのおにいちゃんだ。 「マリちゃんの、あのラメのチューブトップといい勝負じゃない」  やっと気をとりなおしたヒロミさんが、そっとささやいた。  ディスコに行く車の中で、その正体不明の老人は、自分が七十五歳であること、毎月一度はグアムに来ていること。息子に事業を譲った六十歳の時から、ひたすら遊ぶことを身上にしていることなどを語った。 「わてはグアムが大好きやねん。グアムへ来たら、毎朝五時半に起きて、オートバイぶっとばしたり、ウインドサーフィンするんや。昨日は十五歳のここのハイスクールの女の子、ひっかけてな、夜明けまでディスコ行ったんや。わてはグアムのディスコ、ちょっとした顔やでー」  笑いじょうごのヒロミさんなどは、車のシートに顔をうずめて、肩をひきつかせている。私はシビアな性格だから、ハンドバッグの中のドルを計算していた。われながらイヤなタチだと思うけれど、こういう大きなことをいう老人にかぎって、案外「しわい」のだ。もしかしたら私たちを誘ったのも、ディスコの入場料ほしさからかもしれない。貿易関係と代理店関係のおかげでドルはかなりあまっている。今夜ひと晩ぐらい、この老人をたっぷり遊ばせてあげるぐらいはできそうだと思っていた。  ところが意外なことに、その老人はディスコの従業員に親しげにあいさつすると、遠慮する私たちを押しとどめて、三人分をさらっと払ってくれたのだ。「ええって、女を楽しませるのは、男のつとめやんか」 「さあ、行くでー」  彼はフロアの真ん中に立つと、ミラーボールの光を指さした。例のジョン・トラボルタのポーズである。 「アイ・アム・ミスター・ピップマン!」  今度は客たちが唖然《あぜん》とする番だった。そういえばいま気づいたのだが、彼の風貌《ふうぼう》は、あのピップエレキバンの「会長」にそっくりだ。  彼のステップはうまいとはいえなかったが、老人がいたずらに踊っている、といった感じからほどとおい慣れたものだった。腰をやたら前後に振るかなり下品なものだ。  客は日本人観光客がほとんどだったが、彼の毒気にあてられて、ひとり、ふたりとフロアを去り、見物の方にまわっていったらしい。こうなると、早めに彼に慣れていた私たちに恐いものはなにもない。気がつくと広いフロアで踊っているのは、私とミスター・ピップマンのふたりだけだ。私はTシャツを脱ぎすてて、例のあの真紅のラメのチューブトップになった。客席からざわめきが上った。  こうなったらこのおじいさんと、徹底的に悪ノリして、このフロアで心中してもいいような気にさえなったのだ。  ふたりで最後にはチークまでして、踊りまくった。 「最高やで、あんた。わては世界中旅してぎょうさんの女の子に会《お》うたけど、あんたみたいなコ初めてや」  老人は何度も「おおきに」と私にいった。 「あんた、心もからだも絶対に外人向きや。日本なんかいたらつまらん。外国へ行きなはれ、きっともてるでー」  この言葉を本気にして、私は帰国後リンガフォンなど買ったりするのだが、それはさておいて、この老人は最後まで名前を名のらなかった。 「そん時楽しければいいやんか。わては絶対に名前いったり、聞いたりせえへん」  けれども最後にこういった。 「あんたらだけに教えとこ。ピップエレキバンの会長、あれはわての弟や」  帰りの飛行機の中でも、私たちはずっとクスクス笑っていた。  都会のわずらわしい人間関係としばらく別れをつげて、私たちは自然とのみランデブーするはずだった。  ところが、ヤシの実も、青い海もなにひとつ憶えていないのだ。思い出すのは、ただ、ただ、あのミスター・ピップマンの銀色のラメのパンタロンだけだったのである。 [#改ページ]  [#1字下げ]私の [#1字下げ]グルメ日記  小学生の頃、いつも通う塾の途中に踏切があった。  いまではもう見られないけれど、そこには踏切番のおじさんがいて、列車が通過するたびに踏切を上げ下げしていた。  それは冬の寒い日だった。おじさんがお弁当を食べているのを私は見てしまったのだ。  背を丸くまるめて、鼻をすすりながらかき込むように彼は食べていた。吐く白い息がアルマイトのそまつな弁当箱の上にかかって、まるで湯気のように見えた。  私は見てはいけないものを見たせつなさに思わず走り出した。わけのわからない悲しみに、思わず涙が出てきそうになったのを、昨日のようにおぼえている。  そんな繊細な心をもった少女が二十年後のいま、体重計の上にのって思わず涙をこぼしそうな毎日をすごしているのだから、皮肉なものだ。  実に私はよく食べるのである。性的なものの代償行為として、人は食欲の方へ走るとかよくいわれるが、なんとなれば私のこの膨大なぜい肉は、モテないことの怨念《おんねん》にほかならない。  おいしいものには目がないうえに、好奇心が異常に強い。たとえばダイエット中にクッキーを出されたとする。ふつうのクッキーだったらまあがまんする。けれども、 「麹町《こうじまち》の村上開進堂のよ」  とか注釈がつくともうムラムラとほおばってしまうのだ。 「未知の経験は、すべてに優先されるべきである」  というのは私の持論であって、食べもののブランドだけは見た目ではわからないので、ついつい試してみるのである。  広告の仕事はなんだかんだいっても派手な世界である。一流の人ほどお金をもっていて、外国にしょっちゅう行っていて、そして食いしん坊である。みんな食べることにものすごい情熱とお金を使っている人ばかりだ。  先日エライ人五、六人で仕事の打ち合わせをかねて青山の「サバティーニ」へ食事をしに行った。 「いやー、先月パリへ行ったからアムステルダムまで足をのばして、鴨《かも》を食べてきましたよ」 「京都の柊屋さんが出してくれた筍の初ものがおいしかった」  とかいう豪華|絢爛《けんらん》な話が波うつ、ものすごい世界が展開されたのである。  私はもちろんいちばん若くて、下っぱであるから、もくもくとめったにありつけないご馳走《ちそう》をほおばりながら、先生方のお話を拝聴していた。 「いまや食こそがステータスの時代なのだ」  本当にそう思った。私もシャトーなんとかいうワインの名前がスラッと出てくるぐらいまでにグルメになりたいと切実に願ったのである。  それまでの私はただの食いしん坊であってスケールがやや小さかった。「ラ・マレ」や「ア・ラ・ターブル」のフランス料理がおいしいとかなんとかいったって、せいぜいランチサービスで二回か三回食べたくらい。有名中国料理店へ行っても、トリソバと豚のカシューナッツ炒《いた》めオンリーじゃ、食べるもののことを論じるのは、あまりにもおそれおおいというものであろう。  それでも私は少しずつ努力をした。麻布に引っ越してからはわりと環境に恵まれたせいもあって、私の食生活は日々向上の一途をたどっていった。パンはサンジェルマンかドンク、チーズとハムは紀ノ国屋ときめるようになった。  この紀ノ国屋こそわが思い出の地であることを知る人はほとんどない。  大学の時の親友で悦ちゃんというのがいた。悦ちゃんは地方の大富豪の娘で、原宿に広いマンションを買ってもらって住んでいた。当時私は四畳半に住む貧乏学生であったから、このような友人を得たことを天恵と感謝しつつ、そのデラックスマンションに居候をきめ込んでいたのである。  夕飯どきになると悦ちゃんは私を買い物に誘う。行く先はいまはなきユアーズか、紀ノ国屋であった。 「今夜はなんかスキヤキを食べたい気分」  とかなんとかいって、悦ちゃんは百グラム七百円の牛肉を七百グラム買ったのである。いまは七百円の牛肉といったらそう高くないかもしれないが、七年前の七百円といったら当時の私の一日分の食費であった。その高い肉をなんのためらいもなく七百グラムも買う彼女に、本当に私はドギモをぬかれた。そしてさらに驚いたことに、悦ちゃんはシラタキや焼ドウフ、ネギのたぐいまで紀ノ国屋で買ったのである。  悦ちゃんはいま思い出してもかなりの美人であった。その悦ちゃんがセーターをはおらずに腰のへんでラフにしばって、無造作に買い物かごにシイタケを入れている光景はものすごくサマになっていた。その頃はクリスタルとかブリリアントとかいう言葉はなかったから、もうもろに紀ノ国屋の世界である。私はうっとりとレジのところに立って、それをながめていたものだった。  この麻布のマンションに引っ越せるぐらいまで私が出世して、まず最初にやりたかったのはこれである。  地理的にいえば六本木の明治屋の方が近いのだが、私はなんと大胆にもタクシーを走らせて紀ノ国屋へ行ったのである。もちろん帰りもタクシー。紀ノ国屋の紙袋をもってバスなんかに乗ったりしてはいけない、と私は思ったのだ。  紀ノ国屋で私はキュウリを買った。トマトも買ったし、ホウレンソウだって買った。セロリはもちろん忘れずに買った。だって広告なんかに出てくるお買い物シチュエーションって、必ずスーパーの紙袋からセロリとフランスパンがのぞいてるでしょ。  しかし近所の八百屋で買えば、一山二百円ですむトマトが、なんと二個で三百円もするんだから。私はなんと一回の買い物で一万円以上も使うという、超ブルジョア的な行為をしてしまった。私は自らこの行動に甘く酔って、ドキドキしながらエレベーターに乗った。  ちなみに紀ノ国屋のレジは二階にある。一階から二階に行くまでは二基のエレベーターがあって、三越も真っ青のすごい美人、もしくは美男子の係員が乗り込んでボタンを押してくれるのである。  観察した結果、ここの口上は全くデパートのそれと同じだ。 「本日は毎度紀ノ国屋をご利用くださいましてありがとうございます。二階は精算所および駐車場入口となっております」  デパートと違って紀ノ国屋は二階までしかないのだからかなり忙しいと思うのだが、彼女たち、もしくは彼たちは実に優雅にこれだけのことをちゃんというのである。  最初私は、なぜ近くのピーコックのように、このエレベーターをエスカレーターにしないのか不思議でたまらなかった。経費だって節約できるだろうし、客だって待たなくていい。その分値段を安くしてくれりゃいいのに、と本気で腹を立てていた。  でもよく考えてみると、そんなこと考えてるようじゃここの常連にはなれないのね。  私はある日、このエレベーターがなにゆえに存在するかという理由を発見して、愕然《がくぜん》としたのである。  その日私は財布の中に、三千円しか所有しなかった。三千円で紀ノ国屋で何をどれほど買えるか、ということは、外国の免税店で電卓を片手に買い物するよりはるかにむずかしい。しかしその日どうしても手に入れたいチーズがあったし、冷蔵庫必需品のラーマも切れていた。  いまの私の生活は、チーズ一箱とラーマ一箱しか要求してなかった。だからこの二つしか買わなかった。けれどもそれは、ここ紀ノ国屋においては、非常に肩身の狭いみじめなことだったのである。  例のごとく私はエレベーターに乗った。私以外の客は、ワゴンを二段にして品物を山盛りにした人々で、豪華強大冷凍肉から、クリネックスティッシュまでギッシリ入っている。一階から二階に上がる間、わずかだが密室独得の沈黙がある。人々はその時さりげなく、他人のワゴンをチラッチラッと見るのだ。  カゴの中にチーズとラーマを入れただけの私が、人々の冷ややかな視線にあったのはいうまでもない。 「フン、おおかた田中康夫かなんか読んだ埼玉近郊の女が、話のタネに紀ノ国屋に来たのはいいけど、あんまり高いからラーマ買って帰るんだろう」  私は慣れない雰囲気の中、次第に被害妄想におちいっていた。 「負けてはならない。なんとかこの状態を打開しなければ」  私は胸をはって、いかにも物なれたふうに、エレベーターの壁に軽く腕をかけた。 「わたし、青山に住んでる女の子よ。それでさっき冷蔵庫開けたらラーマなかったの。それで買いに来たの。ほら、こことうちって目と鼻の先でしょ。だからセブンイレブンの感覚で、いるものだけすぐに買いにきちゃうの」  と私は演技したのである。だから二階につく頃にはクタクタになってしまった。  それでもしばらくは私は紀ノ国屋に身もお金もいっぱい捧げたものである。客が来る時は、ここのテリーヌとかサラダのデリカテッセンでもてなし、 「近頃すごくもうかっている」  という噂をたてられたりもした。なにせ私はすごいグルメになるのだから、少々のお金を使っても仕方ないと思っていたのだ。  ある朝、私は目ざめたらかなりの空腹を感じていた。 「パンを食べよう」  と私は思った。けれども、 「サンジェルマンか、もしくはアンデルセンのパン」  というはっきりした限定が、私の頭の中につくられていたのだ。  地元のヤマザキのパンではダメと、私のからだと美意識が叫んでいた。  それで仕方なく私は服を着かえて、青山通りまでバスで行かなければならなくなったのだ。  途中、私は腹立たしさがジワジワとおしよせてくるのを感じた。 「知らない頃の方がよかった」  もっと生活が気楽だった。どこのパン屋でもよかったし、不平不満なくおいしく食べていた。 「どうしてこんなことになったんだろう」  何度も自分に問い返した。  サンジェルマンのパンは確かにおいしい。  けれども、なんとたくさんの自由と時間を私から奪ったことであろうか。 「食べることは恥ずかしさと悲しさがつきまとうことだ」  幼い私が直感として得たこのことが、なぜかこの頃私につきまとって離れない。 [#改ページ]  [#1字下げ]林真理子は [#1字下げ]なぜ林真理子か  私はお世辞が大好きなくせに、ひどく気の弱いところがある。あんまりほめてもらったりすると、 「ちょ、ちょっと待ってくださいよ。そんなもんじゃないすよ」  と必死で照れたりするのだが、最近は年のせいかなかなか素直にとってもらえず、「年増のぶりっ子」と陰口をたたかれるのがオチである。  それに私の場合、こうほめてほしいという方向に人がなかなか気づいてくれず、ちょっと悲しい気持ちになることが多いの。  たとえばですね、 「元気がいい」  とよくいわれるけれど、いまどき小学生の女の子だってこんな言葉喜びやーしないよ。  あとこのバリエーションとして、 「バイタリティがある」 「非常に活発な」  とかいわれるけど、せめて「才色兼備」とぐらいいってよ。  ひとつ見本を見せましょう。最近いちばん嬉しかったほめ言葉は、パーティーで某有名カメラマンから、 「お、天才少女が来たね」  といわれたことである。�少女�というのにいたく感激してしまった。  さて、近頃いつのまにか、(自分の口からいうとすごくイヤらしいんだけれど)自分でも気づかないうちに、私はささやかなサクセス・ストーリーの主人公になっていた。サクセス・ストーリーにはいくつかの神話がつきものだ。こうした中に、 「林真理子はコンプレックスをはねかえしてああなった」  という声がある。これにはそうとう頭にきてる。殺人罪が適用されなければ、その場でナイフをつき刺したいぐらい。 「あたしってそんなにブスかよー、あたしになんか肉体的欠陥があるかよー」  とタンカきっちゃうぞ。  本当のことをいえば、私は他人が思っているよりずっと美人だと思っているし、自分でいっているほど性格も悪くないと思っている。こんなことをいえば、友人の中野ミドリなどはさだめし、 「ホントにその根拠のない自信が、あなたのすごいとこね」  とため息をつくだろうけれど、キミたちの悪口をいつも私がエヘラエヘラ聞いてると思ったら大間違いだぞ。  そして私は他人がいうほど、変わっている人間だとか、個性的だとか、非常識だなんて思っていないのである。それどころか、いまどき珍しいぐらい古風な、礼儀正しい女性だとひそかに自負しているほどだ。  いくら親しくなっても目上の人になれなれしい口をきかない。盆暮れのあいさつはキチンとする。自分の�分�をわきまえ、でしゃばったりしない。ホント。なんていったって、私は草柳大蔵センセイの隠れ愛読者なのだ。あの方のエッセイは、現代の若い女性に対する怒りと絶望からか、突然分裂気味になるけれど、「エチケット読本」として読むと、あんなにわかりやすくておもしろいものはない。  とにかく、私はぞんざいな口をきいたりすることが、個性的だとか、新しいとか思っている女たちが大嫌いなのだ。なぜって私は普通の服を着て、普通に黙っていても、みんなの中で絶対にいちばん目立つものをもっていると信じているもんね。  もうおわかりでしょう、私はものすごいナルシストなのである!  これはあまりにも大胆な意見だから、めったに人にいったことはないけれど、実はこのすごい自意識によって、いまの私はあるといっても過言ではない。ひとは私のことを目立ちたがり屋といってののしるが、この世には生まれ落ちた時から人の注目を浴びるように運命づけられた人間がいるのを、あなたたちは知らないのだろうか。  小学校の時から、とにかく私は目立っていた。成績がいいわけでも、かけっこがいちばんというわけでもなかったが、非常に特異なキャラクターをもった少女といわれていたようだ。みんながあまりにも「変わっている、変わっている(田舎の子どもはボキャブラリーが少ないのです)」というものだから、自分でもそうだろうか、といつしか少し色気も出てきたりしますねぇ。するともっとみなの期待に応えたくなるのは人情というものである。高校生の頃には、地方放送局でラジオのD・Jをやったりして、私はすっかりマイナーな有名人になったりもしたのである。  だからそれからの私に訪れた暗い日々を、�ハングリー精神を養った時期�というのは間違っています。  大学卒業直後、就職とお金が全くなかった日々。コピーライターになりたての頃、「バカ、ドジ」とののしられた日々。そこにあったのは怒りとか、根性とかではなくて、驚きであった。不思議さであった。 「あたしはあれだけ長い間、あんなにたくさんの人から、どこか見どころがある少女だといわれてきたのになんかおかしい。なんか間違っている」  会社でトイレ掃除をしている時にふとこんなことを思い、ゾーキンを持ったままボーゼンとしてしまったことも何回かある。  普通ならここですごい発奮して、広告の勉強をし直すとか、左翼に走ったりするのだろうが、私は例のごとく、 「不思議だ、不思議だ」  といいながら、アパートに帰って寝てばかりいる、病的なまでに怠惰な女であった。  いま思えばあれだけ罵詈雑言《ばりぞうごん》を浴びせた会社の先輩たちに、最近のテレビドラマの主人公よろしく、いっちょレジスタンスでも起こせば、「お、気概のあるやつ」と、それなりに認めてもくれたかもしれない。ところが、この不思議少女は物ごとを全く深く考えないタチで、どんなにいじめられても次の日はちゃあんと朝一番で出社し、灰皿なんか黙々と洗っていたのでした(自分のことだからなんとでも書ける)。  しかしこのシンデレラが、いつか灰皿を捨てる日が来た。彼女はものすごい動物的な嗅覚《きゆうかく》で、自分のことを認めてくれる世界と人々を、この広い東京でやっと見つけ出し、ずんずんと近づいていったのだ。  それは野心というには、あまりにも知恵の足らないやり方だった。お饅頭《まんじゆう》の包みをぶら下げて、私はコンニチワとある権力者のところへ遊びに行ったのだ。その人がいいだしっぺになってくれて、いつのまにか私のまわりにはあの小学校の時のムードが、また漂いはじめたのだ。 「コピーの才能がある」 「どっかきらきらしたものがある」  五年ぶりぐらいに聞くほめ言葉である。うれしくて涙が出た。  ここで謙虚に、この小さな成功を喜び、そのこころをもちつづければ、私にも「人格」とかが芽ばえてくるのであろうが、私は徐々に、ものすごくオゴリタカブっていくのである。  いままで私をささえてきたのは、一地方都市の、名もない人々の声であったが、最近はもっとメジャーの人々から賞賛を寄せられているという自信が、私をさらに上の方向へと目を向けさせるのである。  しかし、いいことばかりはいわれない。ある人々からはあきられていく。 「もう林真理子なんて駄目だよ」  という声がそこらへんから聞こえはじめるのだ。権威筋からの反応に極端に弱いのは、私の一大特徴であって、聞くやいなや、自信がみるみるまに青ざめていくのである。ここまではいきつけないところまでおちこんでいく。 「もうこんなことやめて田舎に帰ろう」と真剣に思うのもこんな時だ。 「オゴルモノハ久シカラズ」  とかいった言葉をやたら思い出す。  けれども私のスゴさは、この後必死に処方箋《しよほうせん》を求めるように、ほめ言葉をいってくれる人のところへ駆けつけるところにある。 「いやー、この頃いい仕事してるじゃない」 「やっぱり君のような女性はめったにいないよ」  その瞬間、また私の中に、ふんぞりかえる椅子《いす》ができあがるという仕掛けだ。 「百人ノテキアラバ、百人ノミカタアリ」 「自信ハ美徳ダ」 「少年ヨ、大志ヲイダケ」  さっきの倍ぐらいの格言が次から次へととび出す。  おちこむのも、おごるのも、とにかく極端なのである。  私の歴史は、ゴロゴロとこの坂をころげ落ちたり、はいずりあがったりしてきた繰り返しだった。  そうしているうちに気づいたのだが、この坂の距離は長くなってきており、ころげまわる私自身も大きくなってきているのだ。  目ざすものはさらに大きなものとなり、そしてひとつずつ、私はそれを手に入れるようになった。これが私、「林真理子のエネルギーの原則」つうものだろうか。 [#改ページ]   あとがき 「とにかくいままで女の人が絶対に書かなかったような本を書いてください」  と担当の方にいわれた。  だからできるだけ正直にいろんなことを書こうと思ったのだが、書きすすむうちにあまりのエゲツなさにわれながら悲しくなってしまったことが何度もある。  本当に私って嫌な女ね、と壁に頭をぶっつけて泣きたい日がつづいた。  それなのに担当のM氏は、私のできあがった原稿を見ては、いつもゲラゲラおなかをかかえて笑うのである。原稿ができあがるにつれ、私はしだいに暗い気持ちになっていくのに、M氏の笑い声はだんだん大きくなるのである。  これはそんなにおもしろい本なのだろうか。  それともその笑いは、編集者独得の「ヤラセ」であろうか。  見たことはないけれど、拍手が全くこないストリッパーはかなりミジメなような気がする。だからこの私の裸体[#「裸体」に傍点]を見て、顔をそむける人もいるかもしれないが、なるべくたくさんの人がピーピー口笛を吹いて喜んでくれるといいな、と思うのである。  そうでなかったら私も脱いだかいがないというものだ。  最後にショウの演出家として非常に苦心されたであろう、M氏こと、主婦の友社第二出版部の松川邦生さんに、踊り子林真理子はお礼を申し上げます。私の病的な怠惰さに最初は唖然《あぜん》としたものの、そのあとおだて、怒り、泣き、おどしといろいろなテを使いながら励ましてくださって本当にありがとうございます。  またADCグランプリ受賞直後のお忙しい中にもかかわらず、装丁をひきうけてくださった奥村靱正さん、ホントに、ホントに、ありがとうございました。   一九八二年九月一日 [#地付き]林 真理子   角川文庫『ルンルンを買っておうちに帰ろう』昭和60年11月10日初版発行                      平成18年6月25日66版発行