砧をうつ女 〈底 本〉文春文庫 昭和五十二年十一月二十五日刊  (C) Lee Hoesung 2001  〈お断り〉  本作品を「文春ウェブ文庫」に収録するにあたり、一部の漢字が簡略体で表記されている場合があります。  また、差別的表現と受け取られかねない表現が使用されている場合もありますが、作品の書かれた当時の事情を考慮し、できる限り原文の通りにしてあります。差別的意図がないことをご理解下さいますようお願い申し上げます。 〈ご注意〉  本作品の全部または一部を著作権者ならびに(株)文藝春秋に無断で複製(コピー)、転載、改ざん、公衆送信(ホームページなどに掲載することを含む)することを禁じます。万一このような行為をすると著作権法違反で処罰されます。 [#改ページ]    目  次    砧をうつ女    人面の大岩    半チョッパリ    長 寿 島    奇 蹟 の 日    水汲む幼児      タイトルをクリックするとその文章が表示されます。 [#改ページ]    砧をうつ女 [#改ページ]      砧をうつ女

 |張述伊《ジヤンスリ》が没したのは、日本の長い戦争がもう十カ月もすると終りを告げる冬のある日のことだった。  その日のことを、僕は鮮明に憶えている。もう九ツになっていたからであろう。少年期におふくろと死に別れたことが、僕の性格形成に影響をあたえなかったとは思わないが、その時分はまだよほど無邪気な少年に過ぎなかった。  母はよく僕のことを「ジョジョ」と呼んで、ひやかしたものである。このあだ名はいまだに正確な語意がわからない。朝鮮語に発音別にしてなおすと、「」か「」、あるいは「」「」の四通りが考えられるが、辞典にその語意とおぼしいものはないのだった。母は慶尚道の出である。|新羅《しらぎ》時代の古都・慶州にほぼ近い農村で生れている。その地方特有の子供にたいする愛称かと思って同じ道内の人に訊ねたこともあったが、ついにわからず仕舞であった。  だが、構わないのだ。どうせ、その意味は、「オッチョコチョイ」とか「おませ」「出来損い」といった部類のものなのだ。そうと類推しながらあえて人々に訊ねたのは人が悪いようだが、しかし、人々につい訊ねてみたいほど、僕はこの呼び名にふかい愛着を覚えていたのだった。  母がいつから、どんなわけで僕をそう呼ぶようになったのか、そもそものことはわからない。だが恐らく、|蛸踊《たこおど》りのせいであろう。少年の僕は人を笑わせるのが得意で、しばしば大人達からも拍手喝采をうけたものである。あの蛸踊りは思い出してみると、阿波踊りよりはタイ国の王宮舞に似ている。手首をピクリピクリ動かし首もすくめたり出して見たり。そのリズミカルな調子が芸の冴えを見せるのは飛んだりはねたりする時だった。人々はその姿からその昔、新羅の花郎(貴族階級の若武者)がめざましく舞った剣の舞を思い出して、うっとりしながら「その調子だ」とおもわず声をあげるのだった。つい僕は浮かれてテンポを狂わすのでとたんに人々の評価は落ちてしまう。どうやらそれは猿がノミをほじくりながら動き回っている図に見えるのだ。かくして、僕の踊りは「蛸踊り」といったさほど名誉とも思えぬ呼び方で人に知られることになったのだった。 「アイゴ、うちのジョジョや。ジョジョ……」  母はおかしそうに笑っては溜息をつく。 「……どうしてお前は、ジョジョなんだい」  言われると、僕はなんだか賞められた気になり、一層踊り出したくなる。父と母が喧嘩しているとき、僕はこの蛸踊りによっていさかいを中止させてしまったこともあった。どうも気合が入らないといった表情で父は早々に喧嘩を切り上げてしまったのである。  ジョジョも大したものだ。だがその僕にもじつは弱いことがあった。どうしたものか、夜尿症のクセがあったのだ。ことに冬は鬼門であった。朝になってから僕はよく夢に欺されたのを悔やんだ。たしかに今度こそはと思ったのだ。ちゃんと寝床から起き上って便所に行き、安心して放ったのである。その直後、アッと思うがもう後の祭だった。切ない気持で敷布を|躯《からだ》で温める。鶏がときをつくっていた時間がとっくに過ぎて、もう起きる時刻は近づいてきている。それなのに敷布はなかなか乾いてくれないのだ。 「——。起きなさい。それから|伯母さん《クノモニ》の家にいって塩を貰ってきてよ」  台所から母は僕に声をかけた。僕は首をすくめた。蒲団に洩らした朝はきまってこう言うのだ。疑ぐりぶかい眼付で母の顔を見た。そ知らぬ顔をしているが怪しいものだ。これは、お遣いではない。塩を貰いにいったが最後、伯母の手で尻が剥けるほど叩かれるってことくらいこっちはとうに知っているのだ。  はじめの内は、そうと知らずに、出かけていった。寝小便をたれた手前、これくらいの手伝いは安いものだったから。母はドンブリを手渡して、どっさり貰ってきな、と言った。 「どっさり、くれってか。ああ、いいとも」  背の低い伯母は僕を手招きした。ドンブリを手渡そうとすると、伯母は手首をしっかり|掴《つかま》えるのだ。どっさりな。ほうら、やるさ。これじゃ、足んねえだべ、もっとやろうか。まだ足んねえだベ——。伯母の手は僕の尻をぶっていた。その痛さったら。僕はドンブリをかの女に投げつけ、泣きながら逃げ帰った。母は胸に突進してくる子供を見て、笑うのだった。 「どうだ、塩は貰ってきたか。おや、なんで貰ってこなかったんだい」  そのとぼけた口ぶりが僕には|肚立《はらだ》たしい。なぐりかかる子供を抑えながら母はまだ笑っているのだった。そして、寝小便をする子は朝鮮のしきたり通り、塩を貰いに行かされるのだとおしえるのである。 「いつになったら、よその子のように。ほんとに六ツにもなって——」  母はそう言って、僕に注意させるのだった。しかし、母は毎年同じセリフを子供にきかせる羽目になった。年毎に子供の年齢を変えていきながら、六ツにもなって、は七ツにもなってという具合に。その僕は九ツにもなって稀に伯母の家からスッ飛んで帰ってくることがあったのである。  伯母の家にいけば、ぶたれるのはわかっているのだ。九ツにもなると、そんな智恵だけは働いていたが、どうしたものか、そのつど出かけていくことになるのだった。母の暗示にかかってしまうせいだろうか。母の言葉はいつ聞いても何かいいことがありそうな期待を惹き起すのであった。|抗《あらが》いがたい不思議な魅力を感じさせるのである。まったく、とんだ災難だ!  僕が照れくさそうに家に帰ってくると、母はつい溜息をつくのだ。 「アイゴオ、いつになったら直るの。うちのジョジョや……」  その日の朝、僕は伯母に叩き起された。いかつい伯母の顔を間近に見ると、僕はすばやく敷布に手をあてて見た。大丈夫だ、湿っていなかった。僕はホッとしてかの女の顔を見つめた。それなのに、なぜこの僕をぶちたそうにしているのだろう。わざわざ家にまでやってきて——。 「何をボサボサしてんだよ、ふんとに。いまどんな時だと思ってんだい」  伯母は邪険にわめいて、尻をこづいた。僕はあわてて寝床から飛びしさった。六畳のその部屋には何人もの親戚が集まっていた。アバタ面の伯父は腹巻に手を突っこんで立っていたし、遠い親戚まで一人二人。どの顔も浮かぬ面持で奥の部屋をそっと眺めていた。うめき声と励ます声がまじってきこえてくる。僕は、赤ちゃんが生まれるのだろうかと思った。母は大きなおなかをしていたし、聞き覚えのある産婆さんの声がきこえてくるからだ。しかし、大人達はなぜか浮かぬ顔だ。奥の間の透かしガラス戸のそばで兄達が坐っていたが、やはり落着かぬ眼付をしていた。  僕ら兄弟はその日、早目に学校へやらされた。まだ学校にいっていない下の妹達は家に残った。耳が凍りつきそうな朝だった。朝陽が透明な寒気を縫って雪の色を紅く染め出していたが、吐く息は真白だった。僕ら三人は、とある坂道で二手に分れた。中学生の兄は右手の坂を、六年生の兄と三年生の僕とは左手の坂をのぼっていった。校舎に入ると、僕らはいちばん乗りだった。教室は冷え切っていてじっとしていると手足が痛かった。猫背の小使いさんがストーブに火を入れに廻ってきて、びっくりしたように僕を眺めたのを憶えている。  二時間目は国語の授業だった。ストーブは音をたてて燃えさかり、木つつきのようなチョークの音と鉛筆の芯をいつまでもけずる音、それにまじって弁当の匂いがうっすらと教室を包んでいた。もうすぐ、お昼だ。弁当を持たずにきたのがぼんやり気になり出していた。伯母は弁当も持たせず、両手を振って学校へせき立てたのだ。アア、弁当ヌキか。僕は窓を眺めながら情ない気がした。校庭の一角に銅像の台が見えた。柴を背負って本を読んでいた二宮尊徳は戦場に出かけていった。衛生時間も戦争のあおりがきていた。この時間には女の先生が注入器で生徒の口に肝油を差し入れてくれる。ぬるっとした肝油は生臭いが、いそいで僕らは配られた三粒のラッカを口にほうり込んでやる。しかし最近はそのラッカの配給がなくなり、肝油注入だけになっていた。  木をついばむ音が|跡絶《とだ》え、ドンという音がした。先生が教壇を降りて、戸口の方に近づいていくところだった。どきりとした。何となく、自分のことのような気がしたのだ。予感は当った。間もなく、先生は深く頷いて、僕の方を見返り、名前を呼んだ。直ぐに病院へ行くようにと言うのである。僕はなぜか晴れがましい気持になった。「病院」ときいて、級友達が一瞬うらやましそうな表情を浮べたからである。無理もない。僕らはそこにいちど入院してみたい年頃だったのだ。「病院」ときくと、僕らはそれだけで感傷的になった。殊勝そうに席を離れた僕は、みんなのうらやましそうな視線を背後に感じながら、廊下に出ていった。  六年生の兄が思いつめた顔で立っていた。 「すぐ病院さ来いってよ。わかるべ」  兄は僕の上気した顔を見て、咎めるように言った。それから問答無用の態度で、長い廊下を滑り出していた。校舎を出ると、雪の紫外線が|眩《まば》ゆかった。兄は僕をせき立てて走ったが、やがて舌打ちを一つ残し、振り切っていってしまった。M庁立病院までの長い雪道はよく滑った。人馬が踏み固めた道はワックスがかかったように光り、足を取るのだ。なんども転んでやっと病院にたどり着いた僕は、いたずらに病棟の廊下をうろうろした。母の病室がどこにあるのか見当がつかなかったからだった。廊下は奥に迷いこむほど陰気な気がした。渡り切ると戸の外に墓がいっぱい立っていそうな不安が胸をしめつけてくるのだった。だから、どうにか母の室を探し当てた時は、うれしさで声をあげてしまいそうだった。  だが僕は半びらきのドアから|躯《からだ》をすり込ませると、壁に背中をぴったりつけたまま身動きしなくなった。先に到着した兄がこぶしを両眼にあてていた。中学生の兄は天井を睨みつけていて、父は|洟水《はなみず》をすすりながらその兄に何やら話しかけている。その光景はまだ僕に母の死をはっきりと感じさせなかった。これまでになく親密に親が子に語らいかけ、大きな心配事をかかえて相談し合っているように見えた。ベッドの母は父親とわが子の語らいを耳にしながら安心して眠っているようにうつる。これで息子達を父親にかえしてあげたと思っているかのように。僕らは家庭の中で、いつも|母贔負《ははびいき》だった。それには理由があったが、子供の眼に母は弱い者として感じられていたのである。  父はやっと僕に気づいて、湿った声で呼んだ。何と呼んだのだろう。その言葉には四十歳で妻を失った男の感傷と五児の親の気丈さが|綯《な》い合わさっていたはずだった。ふと僕はそこに父の憎しみさえかすかに感じ取った。母親が死んだのに泣きもせず、いつまでも壁に貼りついている三男を見て父は一瞬容赦できぬような表情を浮べたのである。幼少の時分から父は時たまそんな眼の色を浮べた。夜中に目が醒めると、僕は枕をかかえて父母の部屋に入っていった。母はどんな時でも寝床に入れてくれたが、父は苦笑するか、いまいましそうに追い払おうとした。母の躯のどこかに自分の躯を触れていると安心して眠れるのである。僕の足のかかとが母の下腹の固い部分に乱暴にのせられていることもあった。おかしな子だよ、と母はそっと足を外し、僕を抱きすくめるが、父はあっちへ戻せと言うのだった。  父に呼ばれると、僕はピクリとふるえ、ドアの隙間から廊下へ逃げ出したいほどの恐怖を覚えた。母のお供をさせて、一緒に死なそうと父が考えているような気がしたのである。おまえは「ジョジョ」と呼ばれて特別可愛がって貰ったのだから、母さんと一緒にあの世に行ってやれ……。妄想が惹き起したこの架空の声はほんとうに父の口から発せられたように迫ってきたのだった。僕は肩で息をしながら壁から動けずにいた。懇願するように父を見つめながら。そんな子供の眼差を父はかなしみのせいなのだと勘違いをしたのであろう。かれは子供の手をとって母親のかたわらに連れていった。 「もう可愛がって貰いたくてもできないんだ。もう……」  父は洟声でしゃくりあげた。そして僕らに母親の最期を説明するのだった。それによれば、「自分の手を握って」子供のことばかり心配していたというのである。「どうなるの。私が死んだら、子供達はどうなるの」と|譫言《うわごと》のようにそればかりくりかえしていたというのである。  病院にかつぎこまれると、母はすぐに帝王切開をうけた。昨夜からの出血がはげしくて自力で分娩することができなかったからだ。胎児はまるまると肥えていたが、取り上げられるとすぐに死んだ。母親はそれからじょじょに血の気がうせていき、児のあとを追いかけていった。  母のかたわらに産着にくるまれた赤ン坊が置かれていた。その子は本来なら僕らの六番目として祝福されるはずであった。しかし僕達はそのとき母の死にすっかり心を奪われていて、六番目の不運にはまるで気づかずにいるみたいであった。  葬式の間じゅう、僕は陽気に振舞っていたものだ。  考えてみると、葬式は子供にとっては祭とたいしてかわらない。病院で流した僕の涙はもうすっかり乾いてしまっていたし、どうしても祖父母のようにいつまでも歎くわけにはいかなかったのだ。それにどうしたものか、母が永遠に死んでしまったという気が起らないのだった。棺を見ると、確実に母は別世界の人だった。けれど家に集まってくる人々を見ると、なにか祭がはじまるようにうつり、どの人々も母を讃えにやってきたみたいで僕はだんだん気持が浮かれていくのだった。  この夜ばかりは燈火管制も大目にみられた。わが家だけの特権に見えるのだ。明りは雪を照らし、そこここに立てられている花輪や喪章のついた協和会(日帝時代、「内鮮融和」のためにつくられた組織)の旗を浮き出させていた。僕は得意であった。多くの花輪や旗を見て近所の子供達がすっかり萎縮していたからだ。いつもは威張っている子も今日ばかりは一目置くようなそぶりをみせるのだ。大人でさえ僕に敬意を払っているように思われた。なんとなく祭の稚児さんになった気持になった。母をまつる祭なのだ。僕は人々の注意を惹きつけるため、しおらしく霊壇に焼香をしてみせたり、生あくびを噛んでそうっと涙ぐんでみせた。  そんな孫のようすを眺めて、祖母は膝を叩いて歎くのであった。 「アイゴー、ジョジョや。ふんとになにも知らねえでえ」  中学生になってつくった詩に「追憶」というのがある。下手な詩だが、僕にはなつかしいものである。  少年が泣いている。少年のかなしみは天に届き、あわれみの涙をこぼす。|氷雨《ひさめ》が降っている日、少年は母の骨壺を胸にかけて火葬場から出てくる。コトコトと母の音がする——そんな内容のたわいない詩であった。  この詩は、いくらか事実と喰い違っている。少年は一篇の詩をつくるのにキュウキュウとして、事実を都合よくつくり変えてしまっているのだ。  母を野辺送りした日は氷雨でなく、吹雪が舞っていた。樺太の冬は気候が変りやすい。海鳴りがきこえてくる浜辺のわが家から|雪橇《ゆきぞり》で出発した時はまずまずの日和だった。町をぬける頃になって雪がちらちら降ってきたが、すぐに陽が幌に差しこんできた。馭者が|ばんば《ヽヽヽ》に鞭をくれている。鈴の音が高まる。僕は上機嫌だった。生まれてはじめて幌馬車にのって雪原をいくのだから。幌の中は窮屈だが、ちっとも気にならない。火葬場までは一里余りだった。それはなだらかな山裾の丘をのぼりつめた所にあって、雪橇はあえぎながらのぼっていくのである。幌の窓から後をのぞくと、はるか後方におぼれ谷からせり出した海が拡がっていて流氷が浮んでいる。目を前に転じると、だけかんばや白樺の林が迫ってくる。養狐場を過ぎると、火葬場の煙突が見え出すのだった。もうひとふんばりだ。僕は隣の祖母にそのむねを告げる。祖母はまったく不機嫌だった。彼女はウウと押し殺した声でうなずき、すぐに沈黙におちいるのだった。  とつぜん雪原がさっと灰色にかわり、幌の隙間から雪が吹きこんだ。雪嵐が起ったのだ。伯母がみんなの膝にいそいで毛布をかける。祖父は杖に手をのせて目を閉じたまま、何も気づかぬ風だ。幌が裂けそうに鳴り、鞭を鳴らす音が風にちぎれていく。|ばんば《ヽヽヽ》が甲高くいなないて前肢をむなしく蹴立てる。まがまがしい雪嵐はつのるばかりだ。それは人々の胸に不吉な想いをかき立て、幸せだった昔を思い出させる。と、それまで不機嫌だった祖母が毛布をはねのけて叫び出すのだった。 「おお、うちの|述伊《スリ》がいやじゃと泣いているんじゃ。あれはうちの娘の叫び声じゃぞ」  伯母が腕を押えて、なぐさめにかかる。 「なんの。ただの吹雪じゃが。落着きなさいまし。述伊はもう召されましただ」 「述伊が、述伊が……」  伯母は溜息をついて、言いきかせる。 「みんなパルチャ(八字=因果の意)だべ。みんな、いつかは|魂《ホン》だけになってしまうだべよ」  僕は大人達の切なげな話に耳をすます。パルチャという言葉が珍しくきこえる。パルチャか。そいつの仕業で|母《かつ》ちゃんは吹雪のなかをさまよっているのだろうか。|魂《ホン》の行手が気になり出し、なんとなく僕も胸騒ぎを覚えるのだ。  夕方になって、雪嵐は|凪《な》いだ。火葬場から引き返す時、僕は一番目の兄からちょっと骨壺を借りうけてみた。首にかけると、骨壺はかいろのように温かかった。この中に|魂《ホン》が残っているのだろうか。しかし、軽すぎて、やはりどこかへさまよっていったようであった。骨壺の軽さが、ふうっと自分だけの存在を感じさせた。僕はうろたえて遺骨のつつみを一番目の兄にもどしてしまった。  とはいえ、僕は母が死んでこたえていたわけではなかった。周囲がにわかに親切になったので、むしろ驚かされたくらいである。じっさい、親戚達の親切さったら。伯母なぞ、以前なら僕さえ見れば、尻をぶちたそうに身構えたものであった。そうだ。いちどなど、僕の唐辛子をハサミで切るといってつまんだことさえあった。一生、つかえないようにしてやる、と僕を脅かしながら。それがどうだ。今じゃ、すっかり別人だ。僕が遊びにいくと、こちらをしんみり眺めて溜息さえつくのだった。 「どうだ。メシたべたか?」 「ああ、くってきたよ」 「何だったら、たべなよ」  僕は驚いてかの女を見直した。伯母は大変なしまり屋だからだ。有名なカッジェンイ(しまり屋)だ。赤ン坊を生むのに産婆に金を出すのが惜しくて、自分ひとりで生んでしまうのだ。僕はこの伯母がメシをたべろとすすめても、めったに箸を取らなかった。かの女が糞壺の中に赤ン坊を生み落してしまったことを知っていたからだ。その児が僕より一ツ年上のスンテだった。糞まみれのスンテを拾い上げ、ヘソの緒を噛み切った伯母はその手でいつも御飯を炊くわけだ。僕が「腹いっぱいさ」と大抵遠慮するわけだった。しかし、気分はよかった。塩を貰いにいった時はぶつだけぶって一握りもよこさなかった彼女が、こうも気前よくなったのだから。  伯母に毒気がなくなったように、他の女達もいつになく優しくなっていた。かの女達はわが家にやってきて、洗濯をしたり、食事の準備までした。父は不機嫌にその動作を無視している。かの女達はわが家に舞いもどると、あれこれ気ままな噂をするが、その辺は子供のあずかり知らぬ所だ。時たま、かの女達は自分の家でメシをくわせながら、うるさく聞くのだった。 「どうだ、それから?」  何のことだろう。僕は意味が|掴《つか》めずに問い返す。 「淋しいかっていうんだよ。おまえ」  かの女達は、きまった答を僕から引き出したがっているようだった。それはわずらわしい質問であった。それにその質問の底には女の意地悪さがうっすら感じられたのだ。「ちっともさ」僕のそっ気ない返事はかの女達を失望させてしまう。かの女達はお替りをよそってやるのが惜しそうな表情になっていくのだった。そこで僕は考え直して答える。「ちっとはね」  こうして暫くはとにかくもみんなが親切だった。だが葬式のほとぼりがさめてくると、女達はだんだんつれない本性を見せつけたものだ。伯母の唇に毒気がにじんできたし、僕を見るといまにも尻を打ちたそうだった。ほかの女達はうす汚ない乞食の児でも眺める眼付だ。僕は身をひるがえした。畜生ッ、なんて薄情なやつらだ。この言葉は父のセリフだった。父は女達がやってきた時も、こなくなってからも不機嫌であった。  薄情になった女達のようすは僕の気分を損ねたが、こうも考えさせられる時があるのだった。きっとこれはパルチャのせいなのだ。人間はパルチャのためにいつかは|魂《ホン》にされてしまう。それならせめて、生きている間でも自分のパルチャを大切にしようとしているのだろうか……。  わが家はしだいに男臭くなっていた。そして部屋の中から母の匂いが日一日と薄れていき、それにつれて暗さが湧いてくるようだった。母との儀式を僕はぼんやり思い出すことがあった。たとえば、虫歯がぬけるとき、母は僕にこう言う。「屋根の上だよ、それは」上の歯がとれた時だった。下の歯なら、「床の下だよ」と指図する。もちろん、僕は忠実に言われた通りに捨てにいった。まちがえると、鬼歯が出るからだ。そして、母の言う通りにすると、もう虫歯にはならないという気がしてくるのであった。  父は怒りっぽくなっていた。毎朝、父は脚にゲートルを巻き、|高丈《たかじよう》(地下足袋)をはいてどこかへ出ていった。徴用で出かけていくのだ。夕方、もどってくると、飯を炊き、洗濯をする。部屋の中は放ったらかしだ。父は妹を抱いて濁酒を呑み、ひとしきり親戚をくさして眠りにつく。母との対話を僕はぼんやり思い出すことがあった。たとえば、ある日の夕方、昼寝から目醒めた僕はあわててカバンを背負って学校へ出かけようとしたことがあった。母はそ知らぬ顔で、いそがないと遅れるよとせかす。弁当つつんでと僕はせかす。家族はみんなで僕を笑ったものだ。  僕は祖父母の家に出かけた。その家にいくのは本当は苦手であった。なぜなら、母の親にあたるこの二人にはどことなく母の匂いを感じさせるものがあったから。それでいて、二人は母とは違うのだ。いけば気詰りな気がするのは、そのせいだが、また妙にかなしい気分にもなるのだった。  その家は子供達から〈洞窟〉と呼ばれていた。物置から入る奇妙なつくりの家で、木扉の前に立つと、「開け、ゴマ」と唱えてみたくなるような誘惑にさそいこむのだ。木扉をあけると、薄暗がりに大小の|甕《かめ》が目についた。それはキムチを漬けた甕でつよい匂いを放っていた。手さぐりで潜り戸を探し、そこをくぐり抜けていくと洞窟の奥からよわい光が差しこみ、上り|框《がまち》の向うに石仏みたいに坐っている祖父の姿がぼうっと見えるのだった。  祖父は孫が訪ねてきても、めったに感情をあらわさなかった。煙のでない長いキセルを唇にくわえてじいっと坐っているのである。かたわらに和綴じの漢書が重ねられていて、古びた木枕を置いてあるのがいつも目につくのだった。そばに坐っても何刻でも口を利かなかった。しびれを切らした僕は祖父の膝元にそこらの物をポンと転がしてやる。その時になって祖父はこちらを振り向き、絞ったような顎をわずかに動かすのだった。その言葉はごく淡泊で、「外は雪が降っているか」といった風のものだ。そんなとき僕はこの祖父の気持を誰よりものみこめるのだった。そう、祖父は一人娘に先立たれて深い傷を負っているのだ。孫に話しかける時、祖父の乾いた唇はかすかに震えているのだった。  寡黙な祖父にくらべると、祖母はまるで|大袈裟《おおげさ》に感情をあらわす。僕はいつもかの女には|僻易《へきえき》させられるのだった。洞窟に入っていくと、「誰じゃ!」と咎め、台所から尖った眼付でこっちを見つめる。もし気に喰わぬ相手ならバガジ(|瓢《ひさご》)で水をぶちまけるのだ。孫だとわかるとブツクサ呟いてまた水|汲《く》みなどをはじめた。だが、暫くすると、かの女は僕のそばに片膝を立てて|踞《うずく》まり、熱い息を吹きかけるのだった。 「天道様は間違っているだ。こんな餓鬼からうちの|述伊《スリ》を取り上げなさるなんて」  祖母がそばに寄ると、コウジ臭いので僕はなんとか離れようとする。髪の毛はくもの巣のようだし、皺だらけのザラザラした顔だ。だがもうお仕舞だ。かの女は意外な力で僕を抱きしめてしまい、私の孫やと頬ずりをする。やっとの思いで抱擁を解いた僕は「くそ婆ァ」と叫んで飛びしさる。祖母は罰当りめがと負けずに言い返すが、そのかたわらからもろくも涙声になるのだった。祖母は|哭《な》き女のように娘の追憶に耽り出す。誰にくどくともなくわが娘の生い立ちを語りはじめる。いとしいわが娘の一生を泣きの涙で、身を|顫《ふる》わせて膝をうちつけながら……。  それが俗にいう、|身勢打鈴《シンセタリヨン》(身の上話。節をつけて語る)であるとは後で知ったことである。僕は今でもその韻律を口ずさむことができる。なんとも哀しい鎮魂歌だ。草笛が流れていくような淋しさだ。しかし、それでいて韻律には大河の流れのような格調、|黄楊《はこやなぎ》がなびくような優しさが、叩きつけてくる怒りや怨念と混っていて、どんな名手の楽譜にもない調べを|紡《つむ》ぎ出しているのだった。  耳を澄ませば、身勢打鈴が甦ってくるようだ。娘時代の|述伊《スリ》を語るあのほこらしげな口ぶりまでもが。 「勝気な|娘《こ》じゃった。おお、そうじゃったとも。……」  祖母は死んだ娘の|魂《ホン》に語りかけるように声をこらす。祖父は老妻の独り言を聞くでもなく、いつの間にか長キセルを置いて木彫りのピリ(笛)をこしらえている。僕は帰りそびれて、二人を奇妙な眼差で眺め出すのだった。 「……あの|娘《こ》には誰もかてなかったよ。そうじゃ、|板跳び《ノルテギ》をするときは|裳《チマ》にいっぱい風をはらませて、どの娘よりも高く、きれいに跳んだものよ。空はあの娘がいとしゅうて抱きしめなかなか離さなんだ。なら鞦韆(ブランコ遊び)はどうじゃ。綱にしっかり手をかけて、楊柳の枝より高く舞い上り、降りてくる。そりゃ燕のようじゃった。私はハラハラするが、あの娘は気にも留めないで……」 「……おませな|娘《こ》じゃったよ。春になると、花びらでそっと爪を染めてみたり、私に髪を結わせてテンギ(髪飾りの紐)の長さがどうのこうのと……。そりゃほれぼれする肌じゃった。そうとも、端午の日には菖蒲湯でからだを清め、毎年けがれなく育てた述伊じゃ。親の私がほれぼれしたんじゃ、どうして|邑《むら》の|総角《チヨンガ》が黙っているものか。どいつもこいつも……アイゴ、総角どもは野良仕事に手がつかぬ仕末じゃった。畔道で出会おうものなら、みんなはおずおずして何も言えなんだ。|黄牛《フアンソ》を止めて、ぼんやりと見送り、あとはもう溜息ばかり。そうとも。はるばるソウルからも|両班《ヤンバン》(貴族)があれをくれと言ってきたものじゃ。妾にしたいとな。アイゴッ、とんでもない。なんだって私の娘がそんな|穢《きたな》い女に……。ふんとに|鬼神《ギイシン》に|啣《くわ》えられてしまう野郎めが。……私ゃ娘をいい人に、金はなくともしっかりした総角にと……。それなのにあの娘は……」  とつぜん祖母の声はひきつり、乱れはじめるのだった。 「パルチャなものか。こうなったのも、国が亡びたせいじゃ。アイゴォ、鬼神に見込まれたんだよ、何で|盗っ人《トドンノム》の国へ行く気になったんだか。国を奪われた上に娘まで|攫《さら》われ……いっそのこと、|火田民《フアジオンミン》になった方が増しじゃったのに! アイゴォ、私のパルチャや、述伊や……」  はげしく祖母は躯を揉み出す。あられもない取り乱し方だ。祖父は黙りこくってピリをこしらえている。僕はこの老婆をいささか持て余し気味で眺めている。  娘時代から母は気性の勝った女だったという。没落した家の一人娘なら、両親はやがてしっかりした総角を婿に取って貧しくとも平和な生活をと考えたのは自然であったろう。だが、張述伊はもっと奔放な女だった。砧をうって一生を過ごす|邑《むら》の娘達のようにはなりたくなかった。祖母のくどくどしい語りを聞いている|裡《うち》に、少年の僕の頭にはなぜか薄暗い|壮版《ジヤンパン》(油紙などを敷いた朝鮮の部屋)と粗末なカンテラが思い浮んでくるのだった。そこに三人の親子が坐りこんで夜っぴて話しこんでいる。娘はしきりに両親を説得し、なだめている。大丈夫よ、そんなに心配しなくても。娘は肩にかかった長い髪をなんども動かしながら自信ありそうに喋っている。そう言ってもお前はまだ十八歳だよ。そんなこと、もう大人よ、私は。…… 日本は景気がいいの知らないの……。どんなもんだか……。なんども掻き立てていたカンテラの芯が消えかける頃、ついに娘は両親をあきらめさせる。  からりと晴れた澄んだ日だ。遠くの丘陵は紫がかっていて、ポプラの木がねむそうに川べりに並んでいる。邑はずれの道には牛の糞が乾きかけてころがっている。日差しを溶かしている川はぴちぴちと躍って流れていて、どこからか砧をうつ音が聞えてくる日のことだ。  荷物を頭にのせた娘がその川に差しかかった。娘は二つにすっきり分けた艶のある髪を肩まで垂らし、テンギできりっと結んでいた。川べりで娘は素足になり、脱いだ|沓《くつ》を頭の荷物にのせると、浅瀬をさぐっていった。|裳《チマ》を濡らすまいと前襞をからげながら、ふと川べりを振りかえった。両親がそこでかの女を見守っていた。娘は首をこっくりと下げてみせ、ひそかに目頭を押えると、髪をひと振りし浅瀬を|渉《わた》っていった。  母はその時、三年後には郷里にもどってくる約束をしていた。祖父母は日本に〈出稼ぎ〉にいく娘にその期日までにはかならず帰ってくるように言い付けたのである。しかし、娘は三年過ぎても郷里にもどらなかった。その頃、両親に届いた手紙では同じ炭鉱で知り合った男の人と北海道へいくと書いてあったそうである。故国へ戻るどころか、日本の北方に出かけるというのだ。両親はその「北海道」とやらが、どこにあるのか見当がつかなかった。「北方」ということだけで、ただ気が遠くなったのだ。 「……どこの馬の骨とも知らぬ男をいっぱしに啣えこんで……」  祖母はそういう言葉で娘の北海道行をののしった。ところが、また何年か経ってやってきた手紙によると、日本の最北端へ出かけるというのだ。両親はその「樺太」とやらが、どこにあるのか、想像もつかなかった。 「最北端」ときいて、目の前が真暗になっただけだ。 「男に欺された。そうに違いねえ。てっきり、そう思ったんじゃよ……」  祖母の心配は、逆に娘を故国に戻さぬ男への憎しみとなって注がれるのだった。その男が、娘の帰るのを妨害しているものと思いこむのである。  母がはじめて里帰りしたのは一九三九年のことである。テンギを髪に結えていた娘はその時もう三児の母親となっていた。三人目の子供は数えで六ツになっていた。その児をつれて母はほとんど十年ぶりで故郷へもどったのである。  僕にはその時の記憶がほとんど残っていない。樺太の町を発った夕方の光景と邑でのいくつかの断片的な思い出が僅かにあるだけであった。家族の者や近所の人々に送られて駅に向っていく時、通りすがった自転車の男が見送りの近所の子の足を|轢《ひ》いた。その男は、そのまま通り過ぎようとした。すると母がひどく怒って、男をあやまらせたのを憶えている。不吉だ、というのであった。これから旅に立つのにそんな事を起されては、と気色ばんだのである。  故意でしたことでもないのに、なぜそんなに怒ったのか、僕は子供心にも不思議だった。いつもの母からは感じられない態度だったのだ。  道中のことはまるで憶えていない。そしてとつぜん、視界がひらけて、僕の前にはひろい川が映っているのだった。僕はくたびれきっていた。その川に差しかかると、母はしばらく橋のふもとで立ちどまった。僕に何か話してくれた。昔、この川を素足で渉っていった娘の話をしたのであろうか。川はゆっくりと流れていたが、たえず光の粒を湧きかえらせていた。砧をうつ女達の白い着物を見たように思う。家で洗濯をすると、母はその乾いた着物を重ねてトントンと砧でたたいたものである。僕はそのことを思い出して、似ているね、と母に言ったかもしれなかった。しかし、そんな「ジョジョ」ぶりを発揮するほど協力的ではなかったような気もする。長旅の疲れで、ずいぶんと母をてこずらせたはずだった。 「もうすぐだよ。ほら、この川を渡れば、もうお終いだから」  母はぐずる僕をだましだまし、邑はずれまでやってきたのだった。なんどか、腹を立てて尻を|抓《つね》ったり、よっぽど家に置いてくるんだったとおどかしたりしながら。  身勢打鈴によると、母は日本の着物を着てその上パラソルをさしてあらわれたそうである。その恰好は祖母を驚かせた。見知らぬ日本の女が|洟垂《はなた》れの手を引いて、土間に近づいてきたのだから。しかしその女は眼に涙を浮べて「|母さん《オモン》」と老母に駆け寄っていた。  張述伊は初秋の里で一ト月ばかりいた。  両親は娘の話をきくのに何日もカンテラの燈芯をかき立てた。十年の歳月はたっぷりと時間を必要とさせるのだ。かの女は|壮版《ジヤンパン》にころがって眠っている三番目の頭をなぜながら、十年の歳月を語った。それは何日かでは語り尽せない。朝早く黄牛を引いて刈入れに出かけていった父は昼食にもどってくると、長キセルにきざみを詰めながら話の続きをもとめることがあった。 「で、関東大震災の時は大丈夫だったのか?」 「あの時はまだ|故郷《くに》にいたじゃないの、そのあと少しして日本にわたったんだわ」 「そうだったか、時は過客だ。歳月がたったので、分らなくなるのォ……わし達はいつの間にかお前がその暗殺されたのではないかと諦めていたのだ。あまり手紙をよこさないからだ」 「子供が生れたり、病気になったりでしょう。父さんのことはずうっと想っていたのよ」  述伊は溜息まじりに答えた。老父は十年前より、見るからに老けこんでいたのだ。 「それよりか、こっちの暮しはどうなの。よく米が|穫《と》れたようだけど」 「だめじゃ」  老父はキセルの雁首を土間の縁にテンテンと打ちつけ、言下にいい放った。 「|倭奴《ウエノム》が邑の川に橋をつくったんじゃ。米カマスを自動車で運び出せるようにじゃ」  |温突《オンドル》の焚口で柴をくべていた老母がにくさげに声をはさんだ。 「いっそのこと、樺太に行かない。あっちの方が住み易いわ」 「アイゴ、なんで今更。それより、おまえもそろそろ故国で暮す気を起すんじゃ。倭奴の着物なんか着て戻らんで」  老母はプリプリして柴を焚口に折っては突っこんだ。  ある日、老母がみえない時を見計って述伊は父親に話しかけた。 「|父さん《アボジ》。なぜ私があの時日本に|去《い》ったのか、父さんはわかってくれるでしょう……」  老父は黙りこくって答えなかった。娘はほつれ毛を掻き上げてつづけた。 「あの時、実の母さんが又あらわれなかったら……。私はなにも〈出稼ぎ〉になんぞ行きたくなかったのよ。家にいると、私の取り合いになるでしょう。そして実の母さんはいつかのように追払われるに違いなかったんだから……」  述伊は|大庁《テチヨン》(板の間)から、つと中庭の子供に声をかけた。子供は赤い鶏を追いかけ回していた。 「あの児の年頃だったわ、実の母さんが私を置いて家を出たのは。父さんが私を渡さなかったのね——。いちどは私を取り戻しにきたことがあった。あの柿の木の下からこっそり私の名を呼んで……。|述伊《スリ》が|攫《さら》われたといまの母さんが大騒ぎしてた頃は私は遠くへ行っていたんだものね。三カ月後にはみんなで私を取り返しにきたわ。母さんは気狂いのようになったけど……」  親子は暫く沈黙し合っていた。やがて娘がうらめしそうに言った。 「どうして母さんと別れてしまったの。男はみんな身勝手だわ。女は弱いものなのよ」 「あれは自分から出ていったのだ。何も私は……。まあ、いい。そのことはもう聞くな」 「かわいそうな母さん。なぜ一緒に暮すように努めなかったの。樺太にいても思い出して……。いまはどこにいるの?」 「知らぬ。気が狂うてどこかにいるという話だ」  述伊は目頭を押えた。 「不吉な気がしたんだ。樺太を発つ時、いやなこともあったから。ああ、かわいそうな母さん」 「——あれのことはもう忘れなさい」 「どこにいるのか本当にわからないのね」 「もうあれから十年になるのじゃ。どこにいるやら」  述伊の視線はひたひたと中庭に注がれていた。とつぜん、老父に向って娘は切なそうに言った。 「ねえ、樺太へ行きましょう。これ以上、離れて暮すのは不幸だわ。いまの母さんを連れて行くのよ。これからは育ててくれた母さんを大切にしてあげなくては。行きましょう、あの児だって本当の祖母さんだと思っているんだし、置いてきた子らにも祖母さんは必要なのよ。ああ、でもかわいそうな私の母さん——」  老父は何も答えず、中庭をへだてた土壁の亀裂にいつまでも眼をなげかけていた。  何日か経って、親子は丘陵にのぼって祖先の小さな墓に詣でた。さらに旬日が過ぎたある日、四人連れの親子は川に架かった木の橋を渡り、邑からだんだん遠ざかっていった。  祖母はその狂おしいばかりの身勢打鈴によって、いつの間にか僕を母にまつわる伝説の継承者に育てあげていたようである。もはや死者に属した祖母は口移しでもってなおこの僕に母の物語を伝えよ讃歌をうたえと命じているかのようなのだ。  じっさい、僕はあけっぴろげにわが母を讃えることがあったのである。もちろん、僕の〈身勢打鈴〉は祖母のそれのような韻を踏んでいるわけでなく、ごくありふれた語り口によるものであったが。  いいおふくろだった。そういう実感があるのである。これは「ジョジョ」の偽らざる心境である。もっとも母が今も生きていて、かたわらでしきりに老いの繰言をきかせていたら、息子はそれをわずらわしがったり、時には親を邪魔者扱いするにちがいない。その程度のつれなさを息子は充分に持っているのである。だから、死者を讃えていても、生きておればどう言うか知れないあやふやな所があるのも事実である。しかし、物は見ようだ。僕は母を讃えていながら、しだいに窮屈な気持に|嵌《はま》りこんでいき、ああ何で悪口を飛ばせるほど長生きしてくれなかったのかなァと思うこともあるのだった。  三十三歳になった時、僕ら男兄弟はそれぞれまったく迷信深くなっていくみたいであった。最初にこの年に達した一番目は事のほか信心家の一面をさらけ出した。その昔病室で天井をにらんでいた一番目が、この年いっぱい安全運転第一の真面目なドライバーであったのは自分がこの年に死ぬのではないかとの予感におびやかされつづけたからであった。こぶしで顔をぬぐっていた二番目が漢方薬の効用をにわかに認めはじめたのもさして理由は異ならない。壁に貼りついて肩で息をしていた三番目もこの年を例年になく不気味な想いで過したものであった。僕らは母の年になるとなぜかそれ以上生きのびられぬような気持になっていたのである。だから無事にこの年齢が過ぎていくと、それぞれがそれを母の庇護と感じ、心からなる感謝をひそかに捧げたのであった。  生きのびてみると、僕らはあらためておどろくことがあった。〈何という若さなのだろう……〉三十三歳という女の一生が目がくらみそうなほど短く感じられた。女の躯に火が燃えさかっていく年である。生き甲斐が確かめられ、ひろげられていく時期である。僕らは憮然として母より余分に生きてきた自分達の年をかぞえた。少年の頃の僕にとって、母は文字通り母としてしかうつらなかった。三十三歳の生命にかぎられた人としてはいちども感じたことがなかったのである。病気がちになって町の病院に入っていた時も、その母が死ぬという不安はいささかも持たなかった。少年は母がいつまでもかたわらにいるものだと高をくくっていたのだ。人間の死にあまりにもうかつであり過ぎたのだ。  ともあれ、僕は母を思い出す立場になった。その僕が母を語る折、つい讃えてしまうのは、それだけ母子の生活が短すぎたせいかもしれない。親をいっぱしにくさしてみたくとも、ついつい淡くなっていくだけであった。 「私の子供でない——」  母は何かのときにこう言って僕を困らせたものである。戯れに言う時は、笑いながら(或いはかえって真面目な面差しで)こう洩らすのだ。 「ジョジョや。おまえは橋の下から拾ってきたんだよ」  場合によっては、事情がすこしばかり変ってくる時もあった。 「ほんとうはサーカス団のオジサンからあずかったのさ」  学校に入る前の僕はその言葉でよく泣いたものだった。すると母はいそいで僕に安心させようとするのである。「ジョジョや。なんで——。私の子だとも」  こんな場合はよいが、母が怒って「私の子供でない——」と言う時は本当に怖しく感じられるのだった。日頃は笑っていたが怒るとひどく厳しい人だったのだ。確か、国民学校二年生の頃である。僕は死んだってその日の恐怖を忘れることはないだろうに……。  近所の子供達と一緒に駅前の広場で遊んでいた。春か夏のはじめの季節であった。風が皮膚をくすぐるように走りぬけていた。自転車が僕らのそばで止って、大人が駅の構内に入っていった。とつぜん、僕らの鼻がひくつきはじめ、眼が鼻の方角に移動していったのだ。自転車の荷台にアンパン色の箱がいくえにも積上げられていた。風はしきりにそこから匂いを運んでいた。スンテは僕を意味あり気に見た、僕は同じ顔付きで隣の子を見た、隣の子はその隣の子をやっぱり同じ顔付きで見た。そのとたん組織的な窃盗団はてきぱきと行動を開始したのだ。一人が地べたで馬になると、馬乗りになった一人は背伸びして、箱のフタを明け、三人目はアンパンを受け取ったし、四人目はたえず周囲を見張っていた。それから僕らは一気に浜辺まで走り、材木置場にもぐりこんだ。獲物を厳格な眼付きで分配し合うと、こんどは一斉に頬張り出した。最後は口を割らぬ固い約束をかわしてすばやく四方へ散った。  暫くして家にもどると、僕は用心深く母の顔をうかがった。どうやら大丈夫のようだ。母はうつむいて繕い物をつづけている。安心して僕はそばへ寄っていった。その瞬間を待っていた母の手がぎゅっと手首を掴んだ。おどろいて顔を見ると、こわばった顔で「正直にいいなさい——」ときた。  それからの折檻が尋常でない。シラを切ったからである。母は身ぶるいをした。その根性がにくいと指に箸をはさんだ。中指の付根に箸をはさんで三本の指をしぼり上げる。その痛さったら。油汗がたらたらとひたいを流れていった。悲鳴をあげるが容赦しない。とうとう僕は白状してしまった。それでもゆるして貰えなかった。未練がましく、誰々もやったと並べ立てたからである。その根性が浅ましいとまた指をはげしくしぼるのだ。 「いつそんな意地|穢《きた》ない子に育てた。おまえは私の子供じゃない。ああ、いやだ……。出ていけ。この家から出ていきなさい」  首筋を引きずって玄関から放り出そうとする。僕は柱にしがみついて「ちがう、ちがう。|母《かつ》ちゃんの子だ」と連呼した。母は口惜しそうに頬を光らせてにじり寄った。 「それなら、私と一緒に死んでくれ。いまからドロボーをするような子は大きくなったらどうなるか。いっそのこと、おまえを殺して私も死んでしまうんだ」  本当に首をしめようとするのだった。僕は母の柔かい膝にしゃにむに顔を埋めてわびた。母の子になる、とあらんかぎりの声をあげた。  やっとゆるされた後、母に連れられてパン屋さんに出かけたのだった。それはまったく恰好の悪いものだった。見世物のように近所の子らが僕のうしろについてきたからだ。途中でスンテを見かけた時、アッと僕は声をあげて母を見上げた。スンテはあわてて姿をくらました。僕は未練がましく母を見上げていたが目を伏せてしまった。告げ口したかったが、また折檻されてはたまらないからだ。  日頃はやさしくても、仕置きのきびしさが僕に〈親〉というものの不思議さを感じさせたのである。母はどうやら何かを考えている。この自分を〈私の子〉に育てようとしている。漠然とながらも僕はそう思った。〈私の子〉という言葉が、まるで注射のあとの痛みのように体内をねぶって流れていくのであった。もっとも僕はその後もしばしば〈私の子〉らしからぬ振舞いで母を失望させたのであるが。出来の悪いこの三番目にかの女は心配ごとが絶えなかった。  かの女のきびしい態度はそのまま自分の夫にたいしても通じるものであった。日頃は夫にやさしい妻であった。睦まじそうに見えた。父もかの女を妻としていることに満足しているようにうつるのであった。ある日、母は飼犬を玄関前から血相かえて追い払ったことがあった。いつも裏口に飼っておくそのムク犬がその日何かのことで首輪をはずし、玄関先の地面をしきりに掘っていたのである。母は大の犬好きであったが、その時ばかりはゲエンとなくほど犬の腰を棒でぶったのだ。あとでわけをきくと、犬が家の前で地面を掘るとその家の主人が死ぬというのであった。  それは迷信であろう。案外と母には信心深い所があり、日本の着物を着たりする「ハイカラ」な面とそれは奇妙に同居していた。それはともあれ、母が夫を大切にしていたのはこの迷信深さからもはっきりわかるのである。だが、両親はしばしばあらそった。周期的なあらそいは年とともに節がふえ、僕が国民学校三年生になっていた頃はよっぽどあらそう日が多くなっていたのだった。  両親の『喧嘩』はどうかすると、祖父母のことが絡んでいた。双方は言い分を持っているようであった。口論がくりかえされるほど、子供の眼にもその輪郭がはっきりとわかった。父は妻が自分の老父母にたいして孝心が厚すぎることからして不満なのであった。自分よりも親を大切にするというたわいない文句をしばしば放った。妻への愛情は妻の父母への嫉妬となっていたが、そのせいか父はめったに〈洞窟〉には伺候せず、祖父母も「鼻っ面も見せない」娘婿を内心では快からず思っていたのである。母はしばしば両者のあいだに立たされた。 「|袴《バジ》(朝鮮のズボン)なんぞ履いて——」と父は苦情を吐いた。 「でも|老父《とう》さんの気持にもなってあげたら。それだけがほこりじゃない。せめてそれだけのことを……」  当時は白衣を着ると、憲兵がやかましかったのである。しかし祖父は樺太にやってきてからも袴を着用していた。祖母が汚れたチマ、チョゴリを躯から離さなかったように。その筋からの注意はこの〈洞窟〉の住人達によってしばしば無視された。それからというものは父の所に苦情がまわっていくのだ。 「あの婆さんときたら。まるでこの俺が無理に樺太へ連れてきたみたいに恨んでいる。なんで俺を白い眼で見るんだか」 「|老母《かあ》さんは心細いのよ。言ったでしょう、老母さんのこと……。だから……」 「お前はいつも二人の肩を持っているな。俺の立場はどうなるんだ」  父はカッとして怒鳴り、母はうらめしそうに夫を見かえすのだった。両親の口論は時たま僕には意味が通じない。とくに祖母にまつわっている部分だった。何を意味しているのか当時はさっぱりわからず仕舞いだったのであるが。  父母のあらそいはだんだん二人の問題に|遡行《そこう》していく。それこそ知り合った時のことから洗い|浚《ざら》いぶちまけながら、烈しく遣り合うことがあったのである。 「おまえは男を亡ぼす女仙だ。俺のパルチャはそれまでだったんだ、知り合ったその時にな」 「アイゴ。ほんとうに、ほんとうにそうでしたよ。なんで私は樺太くんだりまでその男と一緒にきたんだろう」  皮肉をこめて母は遣りかえす。父は激昂して畳をけってとびかかるのだった。僕はびっくりして玄関からとび出す。急を告げに〈洞窟〉へ走っていくのだ。兄達は必死になって父を止めようとする。そして分銅がついたようにはね跳ばされてしまう。  嵐のあとの家の中は密林のように息ぐるしい。父はむずかしい顔で生煙草をふかしていて母は傷ついた獣のように部屋の隅でひたいを押えている。子供達は神経過敏な山羊のようにおどおどしている。僕はピョンと立ち上って蛸踊りをはじめたくなってくるのであった。  僕らは女が弱い動物だと父からおしえられた。母にたいする父の乱暴は僕らがそう信じる日々の教室であったわけだ。もちろん、僕らは母の支持者であった。乱暴者の父をにくみ、やがて僕らの力で父を打倒する空想で僕らの頭は昂奮状態になってしまうのだった。子供達の幼い敵意が部屋の中を沈黙のいばらで埋めていくと、父は不器用に立ち上って外へ出ていってしまうのである。  そのとたん、僕らは母のそばに寄り、熱烈に同情心をきそい忠誠を誓い合うのだった。僕はいそいで鏡台から|鼈甲《べつこう》の櫛を取ってきて母の手に押しつける。母の髪はすだれが切れたみたいだったから子供が何をにぎらせたのか、しばらく母は見ようともしなかった。その眼差はうつろに畳になげられている。やっと櫛の固い感触に気づいた時、母の面差にふっと感情がこもってきて、かすかに微笑みながら言うのだった。「ジョジョや、おまえはほんとうに女の子に生れりゃよかったんだよ」  祖母が|裳《チマ》をさばきながら駆けつけてきて、母を見るなり大声で叫んだ。 「どいつだい、私の|述伊《スリ》を|虐《いじ》めるのは。ふんとに」  母は髪を梳きながらひっそり笑って答えた。 「なんともないのよ。老母さん」  しかし、その日ばかりでなく父母の不和は日毎につのっていった。なぜ両親があらそうのか深い原因が僕にはわからなかった。自分がうけた折檻から想像してみて、母にとって父も〈私の夫〉ではないのであのようにきびしい態度をとるのだろうかと思うのである。もっとも、母はたとえ正しくても父には負けてしまうのだ。追いつめられると、父は苦しまぎれに乱暴を働いたから。そして母はそんな挙に出る夫を身ぶるいするほど軽蔑しているのであった。  母は〈男を亡ぼす女仙〉のようには見えなかった。それどころか、何くれと父を気遣い、盛り立てようとしている所があった。炭鉱で知り合った時、かの女はこの青年坑夫の中にどんな性格を見出し、希望を託したのだろうか。母は父のように流れていく人にどこかで留まって欲しいとつよく思っていたようである。流れに逆行していくことが無理だとしてもどこかで足を踏んばっている意地を父の生き方にもとめていたようであった。 「どこまで流されていくの。下関でたくさんよ。それを本州から北海道、さらに樺太へと——。|当身《タンシン》(あなた)の生き方もそれにつれて流れているのよ。何で協和会の役員なんか引き受けるの。当身は人が善いからそうして利用ばかりされて。みんなが会員にされたからって何も旗まで振ることはないでしょう」 「旗を振るだって。あの憎い言いぐさを見てみろ。先祖の言いつけでもあって俺がそうするのか。どうせ誰かに鉢が回ることだ。仕方なくやる、それだけのことじゃないか」 「その協和会ときたら。自分で自分の首を締めているだけでしょう。いやがる老母さんにモンペを履かせたり——。当身はすっかり変ってしまったんだわ」  祖母はその年の春からモンペ姿になっていた。戦争がだんだん不利になるにつれ、これまでお目こぼしにあずかっていた老婆の〈我儘〉もゆるされなくなっていたのである。〈洞窟〉からあらわれた祖母がとがった顔付きで防火訓練に出かけていく姿がよく見かけられた。かの女は空に群れている|鴉《からす》を見上げて、とつぜん、|凋《しぼ》んだ梨のような乳房を揺らし躯をぶるっとふるわせ、こぶしを突き出すのだった。 「おお、いまに伝染病がはやるんじゃ。鴉が告げおる。この戦争もこの町もみんな亡びてしまうんじゃ」  父には父の苦衷があったようである。だが、母のするどい非難に傷つけられ、あがくように悪酔いしていくみたいであった。「みんな寄ってたかって俺を悪者に仕立てている。どいつもこいつもだ」と父は怒鳴るのである。  家庭が静かに見え、母が仕事に余念のない日は僕らの最良の日だった。学校や遊びから帰ってくると僕は母のかたわらに坐りこむ。別に話しかけるでもなく話しかけられるでもなく暫くそうしていてまたポイと外へとび出していくのだ。日によっては母の物腰にいちいち質問をしかけてうるさがられてとび出していくこともあった。だが母のそばに坐っていると、不意に『何てすばらしいんだろう』と賞讃がこみあげてくるのである。発作的なこの気持は自分でも説明のつかぬものであった。母の耳の中にでも飛びこんでいきたくなるのだ。耳たぶの上に腰をかけて一寸法師かコロポックルのように母の仕事ぶりを眺めていたいものだ。母はこの熱愛者の気持を知っているようでもあったし、知らぬ振りをしている風でもあった。仕事の方が先であった。洗濯物にかこまれた母は指につばをつけ|熨斗《のし》の火加減を確かめる。「どいてごらん」と言いながら唇に水をいっぱい含み、霧を座蒲団の上の衣服に吹きつけるのである。熨斗のにぎりに力をこめ、ひとつひとつ丹念に皺をのばすと、ほっと息をついて柱時計を眺めたりした。熨斗を用いぬ日は重ねた衣服類に布地をかぶせて、砧で気長にうつのである。毎日のように見る光景であった。見飽きているはずなのに母がトントン、トントンとやっているのを眺めるのはたのしみであった。故郷の川辺で見かけた白衣の女達をぼんやりと思い出し、遠くへ惹き入れられていく気持になっていく。  砧をうちながら、母は何を考えていたのだろう。ある春の日のこと、その日を僕らは恐怖に|晒《さら》されきった小羊の感覚でしか思い出すことができないのであった。朝っぱらから父母は感じがおかしかった。昼になると、父は母に向って「出ていけ」と怒鳴り出して、それが合図のように二人ははげしく愛想尽かしを言い出した。しかしそんな場合も母の方は自分の言わんとすることを充分に喋る余裕をあたえられなかった。父がたちまち圧しつぶす勢いで話を奪ってしまうからだ。ついに母はあきらめる口調になって首をかすかに振るのだった。 「流れてきたのよ。故郷を出てきたときからなんだ。ヒュー。そうなのよ。望みも躯もすりへらしてさ」 「それも俺が悪いんだろう。おまえはきれいな女なんだ。俺は汚ない人間でな」 「そうではないわ。私もだめ、だめ、だめ。ああ、こんな生き方なんか堪えられないッ。どうして——」  母は暗い眼差でじいっと考えこむのだった。父はちょっと薄気味悪そうに母を眺めたが、すぐに嫌味を言わずにはいられない顔つきで毒づいた。 「シバラ。出て行け。お前の血筋がそうなんだろう。勝手に他の男と絡みつきゃいいんだ。ただ、子供はけっして渡さないからな」 「アイゴッ、下賤な男。そうよ、私がまちがっていたのよ。ヒュー。勇気のある男と思っていたのは、いやらしい乱暴者に過ぎなかったんだ」  僕らは悲鳴をあげた。父が畳をけったからだ。……翌日、僕らはおどおどして母の様子を見つめていた。父は徴用の仕事に出かけて部屋の中は母と僕らだけが残っていた。大きなマスクをつけた母の青ざめた顔の中で切りこみの深い目だけが異様に光っていた。昨日のいさかいの末、妻の唇を乱暴者の夫が裂いたのだ。病院で二針も縫わなくてはならなかった。傷口をマスクでかくしたまま母は黙々と身仕度をいそいでいた。箪笥を引いてトランクに身の回りを詰めこむのだった。とつぜん母はいったん詰めた日本の着物を引き出すとズタズタに引き裂いてしまい、押入れの行李から色のあせたチョゴリ、チマを取り出して入れ替えた。どこに行くのだろう。狂ったような母の動作は僕らの心を完全に打ちひしいでいた。  母は僕らが完全に眼中にないみたいであった。身仕度をととのえると台所にいき、そのまま裏口から出ていこうとした。その時になって、僕らはようやく自分達が捨てられるのだと感じたのだ。一斉に僕らは非難と哀願のこもったするどい声をあげた。その声が母の耳にせめぎこんでいったとき、|脆《もろ》くも母はその場にうずくまってしまったのである。僕らは敷居をへだててぼんやりとうずくまっている母と向い合っていた。ふところに飛びこんでいきたいのに、近づくと拒まれそうで怖かった。じいっとしていると、母が他人のように見えてきてますます心細くなるのだった。泣き出したいくらいであった。  どのくらい時間が経ったろう。母はじつに長くそこでうずくまっていた。そして小さく前こごみになっていき顔をかくすようにして|啜《すす》りあげた。それから暫くすると、何事もなかったように立ち上り、トランクを奥の間にもどすのだった。  張述伊が死んだのはその日からおよそ十カ月経ってからである。  子供達と残された父はある日、押入れを明けて行李を引き出し、とつぜん、わっと男泣きしたことがあった。父は子供達の下着類をつぎつぎに取り出し、行李を片っ端から明けては女々しく|洟《はな》をつまらせた。どの衣類もきちんと|継《つぎ》がかがってあり、いつでも着ることができるようになっていたのである。 「あれは自分が死ぬのを知っていたんだ。それで無理してこんなに……」  絶句しながら父は僕らにその衣類をしめした。覚悟のできた死であったのだ。「産婦人科」の病気を長いことわずらっていた母はひそかに自分の寿命を感じていたのであろうか。  後年、僕は老いはじめた父が先妻の仏壇の前で肘枕を立てて寝そべっている姿をしばしば見かけたものである。それと知らずに部屋に入った僕はさり気なく出てきたものだ。父は低い声で仏壇にきかせるように「春香伝」や「沈清伝」などを口ずさんでいるのであった。  そんなとき、僕はあの病室での父母を想像することがあった。僕らが雪の中を駆けていた頃、二人はどのような最後の会話をかわしていたのであろう。「自分の手を握って……」と、当時、父はその時の模様をくりかえして告げたものである。母は子供のことを案じていたというのだ。しかし、夫のことを母ははたしてどう思っていたのだろうか。僕らは長いこと、父の説明の仕方に弁解がましさを感じていたのだった。「自分の手を握って……」という言い方に父のうしろめたさすら嗅いだ気になった。それは妻にやさしく振舞えなかった男のくるしまぎれな自責の表現であったかもしれないのだ。  しかし、この頃になって僕はこうも想像してみるのである。母は夫の腕をもとめて、二人の未完成な生活が終りに近づいているのを何者かに拒もうとしていたにちがいない。夫が手に力をこめて握り返すと、かの女はかすかにうなずいて、かえって夫をはげまそうとしたのではなかったか。 「流されないで——」  父は僕らに母のことを伝える時、かの女がそのような志を持ったまま死んだ女であったことを自責をこめて語ったのである。 [#改ページ]      
人面の大岩

 少年の頃、父ほどおそろしい人はいなかった。  鬼のような人だと思いこんだことがある。高校時代の日記を繰ってみながら、ぼくは考えこんでしまうことがあった。走り書きの次のような文句にぶつかるからだ。  鬼、鬼だ、父はまさしく鬼なのだ。死んでしまえ。殺してやりたいくらいだ。……  その頃、ぼくはたしかに父が死ぬのを陰気にねがっていたし、毒を盛ってしまう空想までしたくらいだった。おそろしいことを考えていたものである。ところが、ぼくの方からすれば、父こそおそろしいことを平気でやってのける人間として長いことうつってきたのだった。その恐怖をいっとう先に味わわされたのはアカの事件だった。  アカは三歳の牡犬で樺太犬だった。少年のぼくはこの犬を可愛がっていた。というより、この仔牛ほどもある番犬にずいぶんときたえられたのだ。躯の丈夫な兄弟に似ず、小学生のぼくはいつもどこかを病んでいた。夏は真水をのんだくらいで胃が痛んだし、冬になるとしょっちゅう気管支炎をおこしては首に綿の帯をまいていた。  病弱な若主人をアカは情なさそうに見ていた。そしてたまに若主人が雪の原っぱで遊ぼうとしていると、アカは体当りしてぼくを転がし、その周りを勇ましくとび跳ねてみせたのである。雪が融けて|陽炎《かげろう》がゆらゆらのぼっている原っぱでは、とつぜん乱暴に鎖を振りきって走り出し、追いかけねばならぬように仕向けるのだった。夏や秋も同じことだった。かしこい頭と並はずれた力を備えているこの犬は、いちども主人を見くびったことはないのにぼくを見下しているように見えたし、嫉妬心のあまり、ついつい躯をきたえてみる気を起させるのだった。まったくの話、この犬はぼくにとってあなどりがたい友人であったばかりか、なかなかの家庭教師でさえあった。  そのアカを父は|狗醤汁《ケジヤンクツ》(犬肉の汁)にしてしまった。ある夏の日、ぼくがパッチ(メンコ)をして外から家にもどってくると、アカのかなしそうな|哭《な》き声が裏の方からきこえてきた。遠吠えともちがう絶望的な哭き声だった。裏手のせまい空地に走っていったぼくは、そこで四肢を荒縄でくくられ三叉に組んだ丸太の横棒に逆さに宙吊りされているアカ、その周りで大人達が仰々しく湯をわかしたり包丁をといでいる光景を見てしまった。  父が手頃の丸太ン棒をにぎりしめ、アカに近づこうとしていた。ぼくはするどい悲鳴をあげた。その声で父はこちらを振りかえり、口にくわえていたタバコを吹き棄て、あっちへ行けとにらんだ。 「とっちゃん、やめれってば!」  歎願するぼくを父は嶮しい表情でにらみ、丸太ン棒をしごいてアカに歩み寄った。ぼくは逃げ出した。家と家とのあいだのせまい路地をめちゃくちゃにぶつかって逃げながら、アカ、アカと胸をしめつけられるように叫んだ。  ぼくの友達は、その日わが家におとずれてきた客人達のたっての所望で|屠《ほふ》られてしまったのだ。わが同胞はどういうわけか、昔から犬肉をこのむ。喰うものがなくて犬に手をつけたのかどうかは知らぬが、その頃はよくたべたのである。なかでも美味とされるのが赤毛の犬で、夏にこれをたべると暑気を払い、躯の回復に利くとされている。  そんなわけはどうあれ、ぼくには父のしたことがかなしくてならなかった。家庭教師は肉の塊になり、|葱《ねぎ》といっしょに煮こまれて、繊維のようにパラパラにほどけてしまったのだ。大人達はぼくの友達をドンブリに分け合うと、汗をだくだく流しながら舌鼓を打った。それからタッペギ(濁酒)をしたたかにのみ、「チョッタ!」と叫びながらみんなで肩踊りをはじめるのだ。いかにも楽しそうなその宴も、ぼくの目には大江山の鬼どもが酒盛りをしているようにうつった。  アカの事件があって以来、ぼくは父の行動、振舞いをどこかでおそれるようになっていった。父の方は小さい息子が自分をいぶかしい目付きで眺めていることなどはまるで眼中になかったのである。彼はその頃まだ四十代に入ったばかりの壮年だったが、血気は一向におとろえていなかった。その行動は粗暴としかいえぬものが多くて、そのためぼくは親という概念をおそろしい人間と同じ意味で植えつけさせられることになったのである。父は男らしい体躯と意志の|剛《つよ》さをもった人であった。だが、それでいて、造物主がその創造をすこしいそぎすぎたばかりに手抜きが生じてしまった人間のように、やさしい気遣いやこまやかな感情に欠けているように見えるのであった。  ある日の出来事もそうであった。めずらしく父は鶏小舎に入りこんで卵を取り出していた。窓の下につくった小さな鶏舎なので、父は窮屈そうにしゃがみこんで小舎の奥に腕を差しこんでいた。そのうち、父はとつぜん腹を立ててめんどりの羽根をぎゅっとつかんだ。あたためていた卵を奪われそうになっためんどりが父の指を突いたからだ。父は羽毛を散らしてあばれるめんどりを鶏舎から引きずり出すなり、地面にはっしと叩きつけた。鶏はぐったりし、ざらざらした白いまぶたをくうっと閉じていった。  人間にたいする態度も乱暴なものであった。酒豪の父はいったん飲み出すと底がなくなる。気も大きくなる。酒がまわってくるにつれ、父の酔眼にはすべてが自分のものにうつってくるらしかった。酒が切れると、大声で「酒もってこい」と怒鳴った。けっして、買ってこい、とはいわないのである。酒屋からいくらでももってこいと命じるのだ。  もしかすると、父は酔っていても、家に金がないのは心得ていて、そういっていたのかもしれない。ともあれ、そんなときに困らされるのは母であった。母はよく酒屋に走らされた。夫の無体にいよいよ困った母が意見しようとすると、 「おまえのあそこを売ってもってくりゃいいんだ」と、父は目を剥いて一喝した。  そればかりか、母の髪に手をかけたり、目をきらきら光らせて、 「殺さにゃならん野郎がいる」とわめき出し、出刃包丁をくるくると手拭にくるんでパッと外へ飛び出していくのだった。  嫉妬深かったのである。妻がけしからんことをしているという妄想にかられ出し、酒をあびるように飲むと、父の血走った眼球には魔法の鏡のように不義の相手がうつり出すものらしかった。見当をつけられた人間こそ迷惑である。父はその相手をほんとうに殺しかねない剣幕で押しかけていき、出てこい、成敗してやるとさけぶのだ。知人がなだめて頭を冷やさせようとするが、力ではかなわなかった。十人力の父は取り抑えようとする知人を五|米《メートル》もとばしてしまうのである。  故郷の相撲大会で優勝し、|黄牛《フアンソ》をせしめたのが何よりもの自慢であった。そのせいか、父は息子たちが自分に似てぼんくらな頭をしているのはちっとも気にかけず、相撲がつよいことばかり自慢にしていた。上の兄達はたしかに父親に似て、腕っぷしがつよかった。秋に行なわれる恒例の奉納相撲では、兄達がきまって好成績をおさめ父からほめられることになっていた。  その日がくると、父は土方の仕事を休み、五合弁当をもって朝のうちから神社へ出かけていく。砂かぶりにドカッと人足姿で腰をすえた父は、そばで日本人のおえら方がひんしゅくしていても 一向に気にしない無神経さで、チビチビ酒をやりながら、息子どもの出番を待っているのである。  その日の夕方は、父が得意そうに息子どもの取り口を妻に説明してみせる番だった。こうして、そのときこうしてと手ぶりをまじえていた父はそのはずみにひょいとぼくに目を向けた。すると、父はなんとも頼りなげなまなざしで、こいつはおれの種じゃねえ、といった露骨な表情をしてみせるのだった。ぼくは首をちぢめた。現在のぼくはけっこういい躯をしているが、国民学校の頃は骨が痛みそうな皮膚をした少年にすぎなかった。  もちろん、相撲は苦手であった。取組み合いに本能的な恐怖が湧くのだ。じゃらじゃら慣れ合いたいのに、相手はこてんぱんにやっつけようとかかってくるのがこわいのである。ぼくは相撲の約束をまだうまく呑みこめないでいた。いや、臆病だったのだ。だから土俵にのぼって相手がつよそうに見えると、卑怯にも自分からころんで残念そうな顔付きをしてみたり、取組の前から、勝負あったという目まぜを相手に送ってみせたりするのだった。  父はこんな三男坊を腑甲斐なく思っていたにちがいない。学校の成績がわるい上に相撲までからきしとなると、父の信頼はガタ落ちであった。もっとも、ぼくも図画だけは得意で、いつも秀をもらってきた。ところが父は絵なんかには目もくれないのだ。  うさん臭そうに眺める親の目を意識すると、ぼくは途方に暮れた。かすかに敵意をかき立てるようになった。なんとなく、にくまれている気配を感じとって、避けるようにもなったのである。だいいち、父はおそろしい人であったばかりか、薄気味のわるい人であった。彼はけものさえみれば、何でも喰べてしまう。犬はもちろん、蛇やねずみ、かたつむり、とかげと何であれ胃袋におさめてしまう。大の好物はとかげであった。ぼくの住んでいた地方ではこの動物をカナチョロといっていた。陽当りのいい地面をちょろちょろとすばやくよぎって|叢《くさむら》や木陰にかくれてしまう動作からきたものだろうか。  眺める分には面白い爬虫類だが、つかまえようとすると、自在にシッポを切り離してのがれていく、その感じがなまなましくてとてもつかまえる気になれないのだった。父はどこからかこいつを捕えてくると、牛乳の空ビンに何匹もかこっておき、一匹ずつ取り出してオブラートにくるむ。それからヒョイとのどにほうりこんでしまう。  ぼくはジンマシンを起しそうであった。じっさい、ぼくの皮膚はいらくさやうるしに弱くて、山にいくとすぐにかぶれてしまった。海のものをたべても、躯じゅうにぶつぶつができた。そのせいか、母は躯のよわい三男坊のためにずいぶんと心をくばった。山に行って、よごみやききょう、|牛蒡《ごぼう》のような木の根をどっさり採ってきて飴状に煮つめてからいやがる子供にのませるのである。別の日は知り合いの日本人祈祷師にきてもらったりした。その老女はぼくをまる裸にして膝をそろえさせると、|綯《な》い目がちくちくする藁縄に塩をふりかけながら呪文を唱え、背中がひりひりするほど揉みつづけた。  そんな場面をみると、父はいやな顔をして、母にきびしくあたる。祈祷師なんぞにかかる息子を、彼は得体のしれないけものでもみるように|一瞥《いちべつ》するのだ。ぼくはその気配に猟師のような生臭さを感じてちぢこまっていた。父の背中になにか坑道のような不気味な暗がりが見え、その暗闇が容易に近づけぬおそろしさをあたえるのであった。  もし、母親が病没しなかったら、ぼくはいつまでも彼女の手厚い庇護下にあり、父親とはうわべだけの親子の関係がつづいたことだったろう。だが、片親だけになると、ぼくはいきなり父の支配下におかれることになった。この関係は一年ばかり経ってから彼が後妻をめとると、ずいぶんゆるめられることになったが、それまでの毎日は二人にとって奇妙な歩み寄りの期間だったのである。  父はふさいで酒ばかりのんでいた。ところが、じいっとぼくを見つめていることが多くなり、視線が合うと、うろたえたようにわきを向くのだ。なんどもそんなことがつづくと、顔がほてって息ぐるしくなった。はじめのうちは、薄気味がわるくて、とかげみたいに父にのみこまれていくような気がしたのである。そのうち、ふと気づいたのだ。ぼくの立居振舞いのなかに父はどうやら妻の|俤《おもかげ》を見出してこっそりと偲んでいるらしいのを。ぼくの株はいっきょにあがってしまったのだ。  現金なもので、その瞬間からあれほどおそろしくみえた父がとっくの昔からの親しい間柄に思われるのだった。ぼくは陽気になった。大掃除で畳を取りのぞいてもらった床がまぶしそうに辺りを見廻し、それから大はしゃぎをはじめるように。光に包まれたぼくの目には父の姿がよく見え出し、明るい思い出が湧いてくるのだった。父は酒をのんで興が湧くと、ぼくや妹たちをひどくよろこばせることもあったのである。力持ちの彼はよしとうなずいて、ぼくらをかわりばんこに片手にのせ、あぐらをかいたままの姿勢で振子のように揺らすのだった。そのとき、父はぼくに向って「どこまでいく?」ときく。ぼくは勢いこんで「トーキョ!」とさけんだ。生れた土地は日本のさいはての島だったので、海を二つもわたっていかねばならない東京はあこがれの都だった。よし! とうなずいた父は頬を思いっきりふくらませ、トラ、トラ、トラッと飛行機のエンジンをかけはじめる。宙にぼくの躯を浮ばせると、ブルルン、ブルルンと音がかわった。「もっと速く、もっと速くって!」夢中になってぼくは催促する。父は顔を朱に染めながら、ブルルルと速度をあげるのだった。  父と子の蜜月時代は一年ばかりつづいた。みんなは生活の分担をすこしずつふやすことに異議がなかったし、へんに張りきって生活をはじめたのだった。二番目の兄につれられぼくは新聞配達をはじめ、父は土方仕事が終ってくると空襲にそなえて防空壕掘りに精を出すといった具合に。  もっとも日が経つにつれ、父はひどく力を持てあましているようにうつることがあった。防空壕を掘る手をやすめ、物足らなそうに鼻の毛を引き抜いている彼は乱暴に髪の毛をむしった妻の追憶をしているようでもあり、穴の中にだんだん深くはまっていく自分を窮屈がっているかにみえたのである。  戦争が終ってほどなく、彼は奥地の国境地帯からひとりの小鹿のような女を射止めてきて先妻の子らに母親だと宣言すると、それからはもう鼻毛を抜かなくなった。ところがそれと同時に、父はもう以前のようにぼくに親しさをしめさなくなったように思われたのだが。  S島からの日本人引揚げがはじまってしばらく経ち、わが家もその群にまぎれて北海道にやってきた。一家は道南のS市に腰をすえることになった。リュックを下したのは豊平川べりの軒のかしいだ二階建の一室で、その西向きの窓からは進駐軍のジープが土ほこりを立てて疾駆していくのがしょっちゅう眺められた。父はさっそく炭坑夫時代の知人を頼って仕事の口を探しまわった。義理兄弟を誓い合ったかつての知人が何人かいて、父はその人々の援助をあてにしていたのである。だが、案外すげなくされて不機嫌な顔つきで帰ってきた。ところが別の日に思わぬ人から温かい手を差しのべられたときは深刻そうに考えこんでいた。 「人ちゅうもんはわかんねえ。んだ、こっちが困ったときにほんとうにその人間がわかってくる。いいか、人間ってそんなに見分けがつかねえもんだぞ」  父は家訓でもつたえるようにつぶやいた。その当時わが家がなんとか生活できたのは、そのような思いがけぬ人々の援助によるものだった。  ぼくは地元の小学校に編入され、四年生からやり直すことになった。学年を一年ずらして入学したのは引揚げなどで空白が生じたからであった。しかしあとで知ってみると、編入手続きに出かけた長兄のミスから、学年が二年もずれていたことがわかった。こうしてぼくは本来なら六年生のはずなのに四年生として学校に通うことになったが、この小さなミスから生じた結果はそれからずうっとぼくをなやますことになった。六年生にたいしては劣等感を抱き、四年生にたいしては悪いことをしているような気持になったのである。成績がいくらかよかったことなどはそんなわけでいっぺんに帳消しになってしまうのだった。この後めたさからやっと解放されたのは大学に入ったときであった。同じクラスに自分よりいくつか年上の学生がいるのがわかったとき、はじめて救われたような気になったものだ。  それはさておき、小学校に入ることができただけでも幸福というべきであった。ある意味では、兄たちの犠牲によって通学が可能になったのだから。長兄は大学、次兄は高校にすすむ年ごろになっていたが、彼らは家の事情から進学をあきらめるしかなかった。三男のぼくだけがまだ働くには若すぎたので学校へ行かしてもらった。このことでぼくはいまでも兄たちにすまない気がしている。時代の波をもろにかぶらずにすんだのは兄たちの防波堤のかげにいたからであった。三男坊であるためにぼくはきっと得をしたにちがいないのである。  生活をかけて父がはじめた仕事というのは養豚業であった。なにかと動物に縁が深い人なのだ。混乱期の日本経済にのった昔の義理兄弟はずっとスマートな仕事をしながら金儲けをしていたが、父にはそんな才覚が欠けているのだった。豚小舎を建てるのに熱中している父をぼくはしぶい顔をして眺めていた。悪い予感は的中した。父は上機嫌で何頭もの豚をその小舎のなかに追いこむと、ぼくのために新品のリヤカーを買つてきてあてがった。豚のエサをあつめてこいと命じながら。  父がうらめしかった。なんでこんな汚ない仕事をぼくがしなくてはいけないのだろう。畑仕事の方がよいと思ったし、できればそのどちらもしたくなかった。小学生のぼくはほかの少年たちのように学校からもどると日暮れまで草野球をしていたかったのだ。カーキー色のボーイ・スカウトの制服を着てキャンプにも参加したかった。その頃、ボーイ・スカウトの格好をした少年はへんにチャラチャラしたところがあり、ぼくは内心では軽蔑していたが、豚のエサをあつめるよりはずっと楽しそうに思われた。  そろそろ、ませてきていたのだ。だから、あまり見ばえのしない家の手伝いなどはしたくなかったのである。しかし、父の命令にそむくことはできなかった。母がいっしょにリヤカーを引いてくれた。父は牛や豚の仲買いをしてそのサヤをかせぐために毎日地方の農家をめぐっていた。  リヤカーを引いている姿をクラスの女の子に見られるのが厭であった。朝早く、起きなければいけないのも|癪《しやく》であった。なんだか、損なことばかりの気がした。しかし、それでいてよいこともあったのである。躯がつよくなっていった。中学生になるころは握力では誰にも引けをとらなかった。もう父が軽蔑していたようなかつてのひよわな少年ではなくなっていたのだ。上級生が目をつけて、学校の相撲部に入れとすすめるくらいになっていた。  ぼくがあこがれていたのは野球部であった。そろいのユニフォームをつけてスパイクをはき、グローブの感触をたしかめながら守備についたり、バッター・ボックスで球をはっしとうつ一瞬は想像しただけでも爽快であった。いちどだけでも、片膝を立てた格好でスパイクの紐をむすんでみたいとなんど思ったものか。だが、相撲部をえらんだのは、ユニフォームとスパイクが自分でそろえなくてはいけないのを知ったからだった。相撲は元手のかからぬ競技である。まわしひとつをしっかり躯にしめつけるとそれて十分なのだ。あとは土俵の上で裸の躯をぶつけ合うだけだった。練習をしていると、グランドの中央から白球がころがってくることがあった。まわしをしめたぼくはその球を拾うと、ピッチャーのモーションをつけて、外野手に球をほうり返してやった。  中学三年生のとき、ぼくらは市内の相撲大会で優勝を飾り、ぼくも個人の部で優勝した。その日は父が朝のうちから砂かぶりに陣取って三男坊の取組をみていた。息子が銀色のトロフィーを手にすると、父はわが意を得たりとよろこんだ。ついに三人兄弟がそれぞれ優勝をしてのけたのだ。黄牛をせしめた自分の逞しい血筋を三男もうけついでいたのだ。父はそういわんばかりの満悦ぶりであったが、ぼくの心は一向に冴えなかった。二人の兄たちはまともに勝ったが、ぼくは二年も学年がおくれている。早生れとはいえ、二年の差は大きいのだ。だから勝つのは当り前のことで、兄と弟が相撲をとったようなものである。ぼくは自分がずる勝ちしたような|疚《やま》しい気がした。ぼくさえ出場していなければ、二位だった選手が優勝しているはずなのである。  父は息子のこのような心理の動きやなやみにはまるで無頓着な人であった。家庭における父は唯我独尊であり、家人の意見にはほとんど耳をかたむけようとしなかった。自己中心に物を考える彼は、誰よりも人生を長らえてきている自分の意見をなぜ息子たちがもっと拝聴せぬのかと不満に思っていたようである。親は子供にわるいことをするはずがないのに、子供はその心を知らずに反抗するというのである。その論理は、いわば修身斉家治国平天下であった。なかなか礼儀にもうるさくて、はじめ長男は父の前でタバコもすえぬくらいであった。長男がタバコをくわえるのを見とがめ、自分は古くさいことはいわぬが喫うときは遠慮して横向きでやれ、というのであった。かたくるしくてやかましい親を敬遠して兄たちはなかなか家に寄りつかず、東京へ独学しに出ていったり、飯場に住みついていた。どちらかが家に帰ってくると、親子のあらそいは絶えなかった。  中年の坂を下りはじめた父はさすがに往年のように向う見ずなことはしなくなっていたが、その分だけ口やかましくなっていた。怒り出したその顔は故郷の|邑《むら》はずれに立っているという天下大将軍のトーテム・ポールを思い出させるのだ。いかめしく目尻を張り、左右にかっと切り開いた口でののしる。すると、その口からとかげや蛇や牛の骨がとび出してくるように感じられるのだった。長男とはとくに折り合わず、二人は愛想がつきるくらいにやり合った。そして、まれに家の中は見ぐるしい土俵と化してしまうのである。  たたかいがすむと、二人ともいびきをかいて寝てしまう。そんなとき、ぼくは自分がどんなに小心者なのか、つくづくと思い知らされた。「殺してやる。ぐっすり、眠っていろよ」と父は予言して隣室の寝床に入ったのである。長男は薄ら笑いを浮べて眠りについたのだ。耳をすましていると、二人とも狸寝入りしているように思われた。しかし父がそっと起き上ると、長男もパッとはね起きそうであった。そんな想像をしていると、かなしいほど目が冴えてきた。ほんとうに、寝ているのだろうか。気になって長男の髪の毛を引っぱってみると、彼はその痛みもしらずに眠りこんでいる。  まだしも次男の方がよかった。彼は口先だけで歯向うが、父がこぶしを振り上げると、飯場で寝ころんでいた要領で頭をおさえて無抵抗のままころがるのである。しかし、翌日になると、小さなボストンバッグをもって、いつの間にか家を出ていってしまうのだ。  兄たちのおかげで学校には通ったものの、自由に家をおさらばできる彼らがひどくうらやましく思われた。年がら年中、父から兄たちの小言をきかされる羽目になるからだ。兄たちの社会での失敗や不始末をさんざんきかされると、いい加減に腹が立ってきた。父は自分のいうことをきかぬから野郎共はそんな恥を仕出かすというが、子は親に似るものだということをすっかり忘れてしまっているのだ。 「父さんだって、若い時分は同じだったんでしょう!」  ぼくはなんども皮肉をいおうとしては抑えた。へらず口を叩こうものなら、|逆鱗《げきりん》に触れること受け合いだし、三男までが親に抵抗する格好になるだろうから。仕方なくぼくは父のなだめ役にまわったり、兄たちのような失敗をしておやじにつまらぬ文句をつけられるようなことはしないぞとひそかに腹をきめたりした。そのためか、成人してからのぼくは大きな迷惑をハタにかけることはなかったが、どことなく小利口に立ちまわってきたような印象を自分に抱くことになった。  家を出たい。一日もはやく大人になりたい。  中学生の頃からうずくようにそう思いはじめていた。家のなかで満たされぬものを、外でもとめようと空想していたのである。空想の世界の方が現実よりはるかにゆたかで首尾がととのっているようだった。現実が欠いているものをたえずおぎなって想像してしまうせいであろうか。もっと何かがあるはずなのに——。家にいると灼かれるようにそんな考えにとらわれた。貧乏であることを恥かしいとは思わなかった。それは不自由なだけである。だが、貧乏な生活が家庭を暗くしていくのはやりきれなかった。  人は誰でも自分の立場からものを考えるものらしい。朝鮮人の親は一般に政治の話がすきであるが、それというのも、政治にいためつけられてきた暗い情熱が湧くからであろう。父も例外でなく政治談義がすきで、人さえみればその話をする傾向があった。道ばたで会った日本人の知り合いとながながと談じこんでいる姿をよく見かけたものである。田舎の農家へ牛を買いにいったときもそうであった。牛の品定めや値切ることなぞはすっかり忘れたように、いつまでも話しこんでいるのである。いちど、いっしょに石狩川上流の農家に出かけたときなど、その家の頭のかたそうな農民と父はがんこに渡り合って、日暮れまで話し合っているのである。ぼくはすっかり待ちくたびれて、父の不思議な情熱に閉口させられたのだった。父はこの世の中の仕組みの不平等さや差別について、しきりに下手な日本語で説明しようとしていたようである。  家が貧乏なのは、父の働きがわるいせいばかりではない、とぼくは考えるようになってきていた。新聞を熱心によむようになってぼくなりにこの社会の矛盾に気がつきはじめていたのである。だがぼくは、外では陽気な政治談義ばかりして、家のなかではがみがみ家人を叱っている父にも予盾を感じていた。家人はおたがいに心の窓をとじて、家族という因襲をのろいながら暮しているようにみえた。その日その日をただ喰べていくだけの心の貧しさには気づかずに。  豚の生活だ! ぼくは身ぶるいをしながら、心の中で叫んだ。豚はエサが少ないと不満を鳴らす。エサをあたえないと、甲高い悲鳴をあげる。そのように父は不満を洩らし、怒鳴っているのではないか。しかも、家人は豚以下なのだ。不満のはけ口がないまま、黙々と暮すより仕方がないのだ。豚舎で意地穢なくエサをほじくりかえしている豚を見ると、桶のなかに唐辛子を粉にしてまぜてやりたくなることがあった。唐辛子を喰べると、豚はたわいなく死んでしまう。ぼくは自分のどす黒い想像にぞうっとして、豚舎を離れた。  |高邁《こうまい》な理想とか偉大な人物にあこがれたのは、生活の環境がことさら仕向けたものだったかもしれない。世の中のりっぱな人に会って、その人からまなぶことができたら、どんなに勇気づけられるだろう。それはいかにも単純なねがいではあっても、まだ幼さの残った少年にはよくあるねがいなのだ。ぼくの心をとらえるひとつの出来事が起った。  中学二年生のとき、国語の教材に「人面の大岩」というのがあった。ホーソンの作品を取り上げたものである。アーネストという少年がある日の夕方、母親といっしょに戸口のところに坐って遠くの断崖に見える「人面の大岩」の物語をきく。母親は、自分がこの可愛いアーネストよりももっと小さかった頃、やはりお母さんから聞かされた話として、その物語をつたえたのである。今後いつか、一人の子供がこの盆地に生れる。その子はその時代の最も偉い高潔な人物になる運命をもっており、その容貌は大人になると、この人面の大岩にそのままそっくりになるというのであった。アーネストは、その予言の偉人に会いたいと念じて育っていく。この盆地出身の人物で、人面の大岩にそっくりだといわれた富豪や将軍、大統領などに彼は長い歳月をすごすうちに出会う機会に恵まれた。しかしどの人間もあの荘厳な人面の大岩には劣るように思われる。アーネストが老人になったとき、一人の高雅な詩人が彼の|許《もと》におとずれるが、その天才でさえも彼に失望の溜息をつかせるのであった。  ところが、ほかならぬアーネストこそ予言者や聖賢にふさわしい人物と人々に知れる日がやってくる。長年徳行を積み、人々に善をほどこしてきたアーネストは、人々から説教をもとめられる長者となっていたのだった。  ある日の夕暮、かなたに金色に輝いてみえる人面の大岩を背に、白髪のアーネストは群衆にむかって話しかけようとしていた。そのとき、高雅な詩人は感動にうたれながら、双の手をさっとあげてさけぶのである。 「あれ、あれ、アーネストこそ人面の大岩にそのままそっくりだ」  ホーソンのこの作品はきわめて印象的であった。自分もこの人面の大岩のような人物にめぐり会いたいと思った。しばらくの間、ぼくはこの作品を忘れることができなかった。それでこれとおぼしい人間を人面の大岩に見立ててみるようなこともしてみたのである。しかしぼくはやがてこの物語をうろ覚えにしか記憶しなくなり、さらにしばらくすると、すっかり忘れてしまった。日々の出来事が、さしもの印象をも過去へ押し流していき、何事もなかったように忘却の砂中に埋めてしまったのである。だが、それでいて何かの折にぼんやりと思い出しそうになるのだった。  虎の|吼《ほ》え声みたいな父のさけび声を耳にしながら、ぼくは高校に進学していた。その頃はもう父をおそろしいとは思わなくなっていた。あんまり怒鳴るので、こちらは慣れっこになってしまったのだ。それに兄たちを「殺す」というのもどうやら脅し文句にすぎないことがわかってきたからである。また、はじまったなと、こちらに心のゆとりが生じてきたとは露知らずに、父はここぞとばかりにそのセリフを引き出してみせるのだった。  父をおそろしいと感じなくなった反面、軽蔑するようになっていた。いったい、いかなる君主天授説にもとづいて、専横をほしいままにするのであろう。ぼくは兄たちの件ではなく、自分自身のために父を冷やかな目で眺め出していたのである。じっさい、何でもないことで父は大声を出す。学校の月謝がとどこおっていて、おずおずと切り出すと、 「ウリ(おれ)が金のなる木に見えるのか。二言めには金をくれだと。おまえの|商売《ヽヽ》は親をなやませることなのか」とくる。  ついにぼくは反抗をはじめた。こっちも働いているのだ。月謝くらい寄こしたっていいだろう。それに何も大声を張りあげなくたっていいじゃないか。恥かしさを知らないのか。ぼくはそうやり返して、父をにらんだ。何かにつけ、父は古いのだ。この民主主義の世の中では生存不適当なのだ。そう、何万匹もの動物をくってきたおやじはもうその次元でしか人間をみることができないのだろう。  息子が反抗するのをみると、父は口からどんどんと、とかげや蛇や牛の骨を吐き出しながら、ののしった。「このならず者め。そろそろお前も一人前になったつもりだな。親に向って、二言めには古いの新しいのと。そんな文句が金になるのか米になるのか。ウリが目から血の出る金をかせいでたらふく飯をくわしてやると、それで元気が出てきて反抗するんだな。それがおまえのいう民主主義ってもんか。アイゴッ、ネ、モッサルゲッタ! (ああ、生きていく楽しみがねえ)お前らはきっと木の股から這い出したもんだから、そうやって親にたてついてばかりいるんだろう」  生活はたしかに苦しかったのである。父のいうことばにも一理はあるのだ。豚は殖えていたが、目論見どおりいい金にはなってくれなかった。父はとっくに利の薄い牛の仲買いをやめて、こんどはヒヨコを育てたりしていた。生れたばかりのメスの雛鳥をダンボールいっぱいに積んできて、部屋に据えつけた用水桶を改造した窓付きの温室に大きな手で一羽ずつ大切そうに移してからは、毎晩なんども起き出して温度計の加減をたしかめていた。雛があるていど育ってくると、焼鳥屋に持っていって売るのである。この商売にしたところで日銭は入らず、炭代で経費がかさむだけであった。月謝の出てくる余裕はないのであった。そんな事情を頭で理解していても、ぼくはどこかで|自棄《やけ》っぱちになっていた。月謝が払えぬのなら、兄たちのように外に働きに出ようと思った。話を切り出すと、父は色をなして叱りつけた。 「あいつらみたいに働いて、金を入れないつもりでそんな下らんことをいうのか。つべこべいわずにお前は学校へ行け。勝手にやめたりすると、腕をへし折ってやるぞ」  そういわれると、意地でも学校をやめてやりたくなった。もっとも、そんな気になったのは月謝の件だけでなく、父には明かさぬいくつか別の理由がからんでいたのである。失恋をしてしまったことや、学校において自分が朝鮮人であることを率直に語れずになやんでいたことなどが重なっていた。そんなわけで、ぼくは通学することが急に苦痛になっていった。  父は息子の考えを知って一日じゅう腹を立てていたが、その夜どこかで酒をのんで帰ってくると、いきなり玄関からとびこむようにして、ぼくの足を抱きかかえた。 「やめるな、学校をやめるな。どうか、通ってくれ。ウリはハヌル、チョン、タージ(千字文)もおそわンなかったんだ。アボジが三男にゃ学問なんかいらねえって|書堂《ソダン》(寺小屋)に行かしてくれなかったのが、このざまだ。月謝の心配はさせねえから、どうか、最後までいってくれ」  息子の足にしがみついて、父はおいおいと泣き出しているのだった。ぼくはびっくりした。玄関からとびこんできたときは、てっきり腕をへし折られると思ったのだ。それが、おもいがけず、足に抱きついて離れないのだ。学問なぞ人間にとって大したことでないという態度をずうっととってきた父ではないか。この急激な変り様はいったいどうしたというのだ。ぼくは足がにわかに痺れてくるような気がして、立っていられなくなった。もつれて父の躯の上にころがりそうになったとき、すぽっと足を抜いて外へ駆け出してしまった。  あくる日、父は何事もなかったように元のしぶい表情にもどっていた。月謝こそ工面してきてわたしてくれたが、不機嫌そうにまわりに当り散らしていた。家人はいつもの通り、さわらぬ神にたたりなしをきめこむ。すると父は沈黙におちいり、うさ晴らしに隣家へ出かけていくのだ。  隣家には、桜田典氏とその家族が住んでいた。父はつねづね、この桜田さんを好いていたようである。一般に日本人はやることなすこと表裏があるとして好かなかった父にしては珍しいほど、年下のこの人物をほめそやしていた。父によると、この人物は「少しも朝鮮人をあなどらない」「学問もあるのにちっともえらぶったりしない」人だったのである。  碁をうち、時間をつぶしてもどってくるときの父は安らいだ、どことなく福のある表情になっている。それから半日ばかりは、こちらがいぶかるほど物分りのよい親として振舞うのだった。桜田さんから何かの知恵をさずかってきたにちがいないのである。それなら毎日でも出かけてきてほしいようなものであった。しかし、ユウウツだった。どうせ、父はわが家のことを洗い|浚《ざら》いしゃべっているはずなのである。恥の気持がつよかった。桜田さんを見かけると、ぼくは目を伏せて避けるか、仕方のない場合でも、軽く会釈をして、逃げるようにしていた。彼はぼくを見かけると、遊びに来ませんかと気さくに誘ったが、とてもその気にはなれなかった。四十歳そこらで頭のはげ上ったこの人は目元によい表情があり、惹かれるものをひそかに感じていたのではあるが。  授業が終ると、その足でぼくは柔道部に出かけていった。スポーツはうっとうしい気分を払ってくれる。家のなかでふさぎこんでいるよりずうっと健康的であった。父とはめったに口をきかなくなっていた。話しても無駄だというあきらめが先立つのだ。桜田さんと会ったあとは理解をしめそうとしているが、半日も経てば、地金がでてくる。とはいえ、父はまるっきり無理解な人ではなくて、しきりに自分の気持を伝達しようとつとめているのであった。その声は父の躯の背後にいつもひそんでいる不気味な坑道から吹きつけてくるようだった。けものの通り道のようなその坑道からの声は、ぼくがその暗闇をさぐっていったら、おもいがけぬ発見がありそうな気持をいだかせるときがあるのであった。しかし、ぼくにはその手がかりがつかめなかったし、父も手がかりはしめさずに、きつい匂いのする坑道からの声を吹きつけてくるだけであった。心の疎通がないままに、ぼくは父を無視しつづけていた。 「エイヤッ」 「トウヤッ」  ぼくは柔道に夢中になった。そんなある日、部員の声でなにげなく講堂の入口に目をむけたぼくは一瞬どきりとして息をつめた。入口のわきで|簀子《すのこ》をふまぬように遠慮がちに立ちつくしている父の姿を見かけたからである。ぼくは顔が|赧《あか》くなった。いったい、何の用で学校にあらわれたのだろう。まるで見当がつかなかったが、|やばい《ヽヽヽ》気がかすめていった。いずれにせよ、こんなことははじめてのことなのである。気恥かしい気がして、いそいでそばに近づいていった。  父はごわごわした髪の|天辺《てつぺん》に、渡り廊下の樋から落ちた雨滴を二、三滴光らせながら、右手に|蝙蝠傘《こうもりがさ》をもって立っていた。練習で気がつかなかったが、外は小雨が降っていた。父はほとんど自然な親の表情で息子に傘を手渡すと、二、三言つぶやき雨の中をかえっていった。  こんなことがなんどか続いた。講堂の破れた窓からそっと眺めると、侘しそうに遠ざかっていく父の背中が見えた。ぼくは傘を受けとると、「ありがとう」とも「すみません」ともいわずに、「いいのに」と、半ば拒否の表情すら含ませて、人目につかぬうちに早くかえって貰いたいという素振りをしめしていたのである。 「エイヤッ」 「トウヤッ」  すべてをスポーツで忘れようとしても、無理だった。柔道で身を立てるつもりなのか、と自問しながら技をかける。何かを忘れていないのか、と考えながら躯を踏みこたえる。技が上達するはずがなかった。すべては、家を出ることにあるようにやみくもに思った。家庭を離れて、自分の世界をもちたいのだ。  急に受験勉強をやりはじめたある日、ぼくは父にむかって東京の大学をうけたいといい出していた。それは親を奸計にかけるようなずるい遣り方だったにも拘らず、父がそのとき見せた反応の仕方から、ぼくはこれこそ兄たちをなやましてきたものと同じものなのだと、とっさに気づいた。 「そうか。それもいいだろう。だが、どうせ受けるのなら、東大に入れ」  東大だって! |燈台《ヽヽ》のあやまりではないのか。ぼくはあきれて、苦笑してしまった。自分の力でははっきり無理なことを知っているのだ。気易く、「どうせ——」という父が無邪気にみえた。しかし、それ以上に、自身への根拠のない過信、息子たちへの過大な期待が、これまでさまざまな形で親子のあいだに亀裂をもたらす原因をつくっているのに気づいていない父がもどかしかった。息子たちは平凡で大したことのできない人間なのだ。父はなぜそんな人間として息子を愛することができないのだろうか。二人の兄が家に寄りつかなくなった原因のひとつは、父によるこの種の期待や要求に厭気がさしていたからにちがいなかった。  ぼくにしても、コンプレックスだらけの人間であった。青年になっていくことは、自我の形成というよりも、劣等感の形成という気がしてならないのだ。父が息子の栄光として考えているまさにそのことが、ぼくにとってみれば、惨めにすぎぬことが多かった。相撲の優勝のときもそうだった。生徒会の仕事をして学友と交わっているときもそうだった。いずれの場合も、ぼくは自分のほんとうの姿をかくしていたし、そのことによって暗い自分を育てていた。  父は息子の屈折した心理をいやしてくれるどころか、自分の無知を恥じることさえわからぬ人なのだ。知らぬぞ。いくら足にしがみついたり、傘を持ってきたりしても、おれは知らんからな。ぼくはにくにくしそうに心の中で毒づいた。  高校三年生のとき、死のうとしたことがある。|饐《す》えた匂いのする豚小舎に入っていき、|梁《はり》に縄をかけておいて、垂れ下ったいびつなその縄をじっと眺めていた。別の日、もういちど小舎に入り、そこに掘ってある井戸に首までつかり、鉄分の濃いにごり水の匂いにいや気がさして這い上ってきたこともあった。死ぬには決意が足りなかったし、漠然と、生きることへの未練があったのである。その瞬間になってみると、なぜ死のうとするのかその意味もわかっていないような気がした。  雪がほうほうと降っている冬のある日、二人の小さな兄妹が雪だるまをつくっている姿が窓から眺められた。隣家の桜田さんの子供たちだった。畑をはさんで十メートルばかり離れた小川べりに建っているその家と子供たちをぼんやり眺めているうち、ふと桜田さんをたずねてみようかと思った。  前触れもなくためらいがちにおとずれた隣家の三男を夫妻はこころよく迎え入れてくれた。畳にあがったものの、ぼくは別に自分のなやみごとを打ち明けたわけではなく、学校生活のあれこれを散漫に話しただけであった。  いちどだけ、キラリと目を光らせて、 「父がいろいろぼくのことを話していたでしょう。困ったやつだと——」ときいた。 「いや。お父さんは——君のことを、とても自慢にしていますよ。やはり、おれの子だと」  おもいがけぬことを桜田さんはいった。信じられぬ気がした。それからすぐに、その自慢が問題なのだ、と思い直した。その日は早目に桜田家を辞した。彼は夫人にからかわれるほど見事にはげ上った頭を仕方なさそうになぜて、シベリヤ抑留時代の思い出をユーモアまじりに語ったりした。ぼくはときどき暗い表情をほころばせた。  こんどは、ためらわずに出かけていった。父と争った日の夜のことだった。いきなり、父の悪口をいった。 「|外面《そとづら》はいいけれど、|内面《うちづら》はひどい人です。ですから、ごまかされないでほしいのです。封建的で、自己中心の父のためにみんながどんなに暗い生活をしているか、他人はとても想像できないでしょう。……」  桜田さんは、うんうんとぼくの言葉に耳をかたむけていた。きき終ると、おもむろに自分の考えをのべた。 「でも、僕はお父さんが好きですよ。もちろん、——君の意見にも|尤《もつと》もなところはある。ちょっとそういえば、お父さんは封建的な感じはするなあ、たしかに。でも僕はお父さんを尊敬しているんですよ。あのこだわりのない態度や大陸的な開けっぱなしのところが大好きだな。僕らはどこかせせこましくて、なかなかお互いに、心をゆるさなかったりするけどね。一緒に話していると、とても愉快だな、お父さんは上機嫌で朝鮮の昔話なんか聞かせてくれて……」 「二重人格者なんですよ」 「そうかな、その意見には反対だな。豊かな人だと思うんだ。……すこし、お父さんは淋しいんじゃないかと思う。——君もそういうお父さんの気持は汲んであげてもいいと思うんだけど」  桜田さんとは、意見をたたかわせることができるのである。父とのちがいとして、ぼくはするどくそのことを意識し、うらやましいとも思った。ぼくはなんどもお邪魔するようになった。三男が出かけない時を見計ったように、父も遊びにいくのだった。おかしなことに、いつの間にか、桜田さんは父とぼくの共通の相談役みたいになってしまったのである。  大学受験に失敗した年の春、ぼくは家のなかでくすぶって浮かぬ日々をすごしていた。ある日、桜田さんはぼくを誘い、郊外の農地試験所につれていってくれた。彼はそこの主任技師をしていたのだ。二人は田舎道を自転車にのって出かけていった。植物や野菜が実験栽培されている畑の中で、彼は|畝間《うねま》にしゃがんでいろいろな説明をしてくれた。それからぼくを試験所の建物につれていき、一見変哲もない建物の下見板に手をかけてひょいと戸板をはずすと「秘密の入口でね」と笑いながら、建物の内部にぼくを導いた。そこで学名や記号のついた稲の苗種を見せてくれながら、品種改良の面白さや作柄の性質について気さくに話してくれた。彼は自然の法則に適応して逞しく生成する種の力について信頼を寄せているようであった。聞きようによってはその話は身につまされるものがあった。  しかし、それからまもないある日の夜、ぼくは青ざめた顔をして桜田さんの家にあがっていた。「家を出るつもりです」  いきなり、結論から切り出していた。その日の|午《ひる》、父とはげしく争ったときに決めていたのだ。しかし、ぼくは自分の考えがいっときの激情に動かされていはしまいかという一抹の不安もひそかに抱いていた。家を出るにしても、それは自分自身の行き詰りによるものであって、父との相剋にすべてを帰納することはできないと内心では考えていたのである。それでいて、もはやこれ以上、わが家にいることはできそうもなかったのだ。父の背後の坑道から吹きつけてくる声は奇妙に朝鮮人の真実を感じさせることはあったが、いまぼくに必要なのは環境に逆らって自分の生き方をためしてみたいやみくもな力なのであった。それがいわばぼくの生命の法則であった。  桜田さんは再考をうながした。ぼくの中に未熟な、危ういものを感じながら、できればもっと自然な解決をもとめているようであった。だが、彼はたって翻意させようとはしなかった。未成年のぼくがどのように自分を|拓《ひら》いていくのか、その行方に不安と同時にかすかな興味をも寄せたからであろうか。ただ、父についての見方では、はっきりと自分の考えをのべた。 「でも、僕はお父さんが好きですよ……」  桜田さんはゆっくりとその言葉をくりかえした。東京に出るつもりでいるのを知ると、姉の|嫁《とつ》ぎ先にあたるT家の住所と地図を書いてくれた。困ったときはたずねるようにというのである。  あくる日、ぼくは一個の古ぼけたトランクに身の回り品や受験書をつっこむと、玄関から出ていった。父に挨拶していこうと思ったが、拒まれそうなので母にむかって、行くよ、といっただけであった。背中を見せてストーヴの前に坐ったまま父がさけんでいた。 「ああ、出ていけ。どこにでも行って、とっととくたばってしまえよな。お前は虎退治にでもいくつもりなのか、鼠一匹つかまえられぬやつが。さあ、出ていけ。お前がいなくなれば、こっちの気持がせいせいするんだぞ」  |耽羅《タルラ》は、はじめて父に会った印象を、 「やさしいアボジなのね。面白くて」と、伝えた。  職場の受話器に流れこんでくるそのはずんだ声を、ぼくは耳朶をこすりながらきいていた。まあ、そう思ってくれるのはありがたいことだと考えながら。家を出てから、六年めのことだ。どうにかぼくは五年間かかって大学を卒業しようとしていた。職場で彼女の電話をうけたのは、卒業を前にしてすでに朝鮮人の組織で仕事をしていたからだった。  明日が卒業式という日に、父は母をともなって上京してきた。息子の卒業式をぜひこの目で見たいと父は考えたのである。ちょうどその時仕事から手が離せなかったぼくは恋人の耽羅にたのんで上野駅へ迎えに行ってもらった。 「アボジって、東京のこと、よく知っているって顔するの。お母さんに、ここら辺には昔何があったはずだがなんて国電の中で説明したりしてね。それでいて、独り言のように『凄い、凄い』って、目を|瞠《みは》っているの」 「ああ、おやじは若い時分に東京を通ったことがあるんだよ。しかし、それがおやじの口を通すと、東京に暮していたことになるんだからな。なにかにつけ、話が大きいんだ」  電話口でぼくはにが笑いを浮べた。恋人の口調にも、ぼくの調子に合わす話しぶりがかすかに感じられた。もっとも彼女はやがて自分の|舅《しゆうと》になる人物が意外と好人物だったのでホッとしたらしく、いくらかぼくより甘い採点をしていたのだが。  電話を切ってから、ぼくは何年か前のことを思い出した。大学に入った年、ぼくはS市の実家にもどって父に会ったが、にわかに老けこんでいるのにちょっとおどろかされた。怒って家の敷居をまたがせないくらいの真似はするかと思ったのに、一年ぶりでもどった息子を叱るどころか、「お前、きたか」とこちらが拍子抜けするような声でストーブ越しにぼくを眺めたのであった。  以前にくらべるとやかましくなくなったが、そのかわり話がどこか間のびして、|大袈裟《おおげさ》な喋り方が目につくようになっていた。ある朝、父は綿のはみ出しかけたどてらを着て|爺《じじ》むさくストーブの前に坐りこみ、キセルにきざみをつめていた。ゆっくり起きてきた妹が部屋に入ってくると、こんな風に注意するのだった。 「お前。さっき、桜田さんがな、走って家にやってきて、何といったと思う?」  櫛で髪をとこうとしていた妹は|怪訝《けげん》そうに父を見つめた。 「ウリはびっくりしたんだ。『どうしました、虎が出たんですか?』ってきくから。わけがわからんので理由をきいたら『ウォン、ウォン、と家の中で虎が吼えている声がしたから、ふっとんできました』というんだ。ウリは急に恥かしくなって『いま逃げていったから、心配ないですよ』とごまかしたけれど——」  父はいかにも心配そうにつづけていうのだった。 「——年ごろの娘は、そんないびきをかいちゃだめなんだよ。その癖を直さないと、虎どころか、若い男がたまげて逃げていっちゃうんだからね」  こんな民話めいた話をやたらにするようになった父を見ると、それがよい徴候なのかどうか、ぼくにはよくわからなかった。耽羅にもいつもの調子でしゃべったのだろうが、ぼくにはどこかしまりがないように感じられるのである。  翌日、ぼくは耽羅といっしょに父母を案内して大学の卒業式に出かけていった。気づかわれた空模様は四人が学校に着くころから小雨となってきた。|生憎《あいにく》、傘は二本しかないのでみんな肩を濡らすことになった。それでも父は上機嫌であった。絹地の襟だけ真白な黒一色のチョゴリ、チマを着た耽羅の後姿を父は感動したように眺めて、「いい、いい」としきりにつぶやいていた。そして自分のことは忘れたように彼女の衣装を濡らすまいと傘をかたむけるのである。  体育館でおこなわれた卒業式場はびっしり満員で中に入っていくことができなかった。入口のところで四人は釘づけにされていた。ブラスバンドの音が内部から景気よくひびいてきた。ぼくは一帳羅の背広が雨に濡れたので不機嫌になっていた。卒業式に出ることなどは、どうでもよいのである。ぼくの学生生活はこんな景気のよいブラスバンドで送り出されるほど格好のいいものではなかったし、校歌を斉唱するような雰囲気とも縁遠かった。空ぞらしい気がした。それがいつの間にか、父への不満に飛火していた。S市から何万円もかけて上京するのなら、その金を息子に送ってくれていたらこっちはどれくらい助かるか知れないのに——。  そう思っているぼくのかたわらで、耽羅が勇敢に会場への血路を開こうとしていた。母の手を引いて父も誘いながら、人の壁に割りこもうとしているのだ。父は息子がどんな腹黒い考えをめぐらしているのかも知らずにハンカチで目頭をおさえていた。「いいんだ、いいんだ。ここにいても全部わかるんだから」と洟水をすすりながら。ぼくはうろたえて、目をそらした。父は感動しているのだ。考えてみると、三人兄弟のうち、ぼくだけがどうにかまともに大学を卒業しようとしているのだった。いちばんぼんくらな息子だが、それでも自分の子供が最高学府を出ようとしているのは父にとってはひどくうれしいことだったのだ。  晩年の父は、どこか滑稽なおやじになっていた。  耽羅と結婚したのは大学を出てから数年経ってからだ。そのときも父は母をつれて上京してきた。父は息子に結婚の準備をほとんどしてやれなかったのをしきりに気にしていた。ぼくらの式は職場や友人たちのカンパで大半をまかなうことになったのである。父があまりしょげているので、はげまさなくてはいけないほどだった。結婚資金は親が工面するものとはきまっていないからだ。耽羅の家も金に縁はないし、こちらも同じなのだから、そのことも気が楽なはずだった。  ただ、ぼくは式当日のスピーチを父にくれぐれもたのんでおいた。親族代表として何か話すときに、職場の友人やお世話になった人々に感謝の意をのべてほしかったのである。それに息子としてみれば、自分の父親をそれでもひとかどの人間として見られたいという虚栄心がいっぱい働いているのである。その件になると、父は十分承知したという風にうなずいてみせるのだった。  式の当日、控え室で挙式の時間を待っている父の様子は余裕が感じられた。畳み皺の取れない三ツ揃を着た父はときどきチョッキからロンジンの懐中時計を取り出し(それは父がご自慢の唯一の財産であった)、ゆうゆうと時刻をはかっている気配であった。ところが、そろそろ式場に向う時間になったとき、父は急に落着きなさそうにぼくのそばにやってきて、どうも話すことがまとまらないから何か書いてくれまいかというのだ。いま頃になって、おろおろしている父を見るとぼくは心細くなって、声をはげました。「何でもいいんだよ、アボジ。悪口でも何でもいいから、思ったとおり、喋ってくださいよ」  しかし、父のおろおろした様子からして、とうとうその場で|俄《にわ》かづくりの挨拶文を朝鮮語で書く羽目になってしまった。生憎、ぼくは母国語を覚えはじめて間がなかったのでその文章はいかにも固ぐるしいものにしかならなかったのであるが。  式は順調にすすみ、やがて親族代表の挨拶をのべる番になった。司会のていねいな声にうながされてスピーカーの前に立った父はふかぶかと一礼し、おもむろに背広のポケットからさっきぼくがいそいで手渡した紙を取り出してよみはじめた。そこまではどうにか無事だったのである。ところが、父はすぐにわからない朝鮮語にぶつかってしまったのだ。かつて|書堂《ソダン》にも通ったことのない父は文字をうろ覚えにしかおぼえていなかったし、そのうえに当世の朝鮮語は子音などが昔と変化している。そのため、ところどころ判読できず、つかえてしまうのである。顔を紅潮させた父は立ち往生したまま、「エー、エー」としきりにごまかしていた。だが、どう仕様もなくなったのか、のこのこと三、四歩あるいて、かしこまっている新郎のそばにやってくると、 「これは何と読むのかな」と小声できくのだった。ぼくは父の足を蹴とばしてやりたいくらいだ。 「|不肖《ヽヽ》の子供ですが——というんだよ」 「そうか」父はぼくより小さな声でうなずくと、またスピーカーの位置にもどり、 「……不肖の子供ですが、みなさんのお蔭でこのようにも立派な……」とつづけていった。  押し殺した笑いが、来客の席からおこり、隅々までひろがっていった。それは好意とはげましのこもった笑いであった。しかし父はおもわぬ笑い声ですっかり上気してしまったのだ。司会がいそいでわきにつきそい、通訳をつとめてくれたのでこっちにやってくる心配はなくなったものの、父は肩ごしに司会の手助けをうけるとますます上気してしまった。そして古い人々が手紙をよむとき節をつけるようなとてつもない調子で声をはりあげ、汗をたらたらかきながら読んでいくのである。  ああ、父はすっかり時代遅れになってしまったんだ。  ぼくは観念して、うつむいていた。だが、あまりにも父のスピーチが調子っぱずれなので、新郎のぼくがつい吹き出してしまったのである。すると純白のチョゴリ、チマ姿の耽羅までが真白い手袋で口をおさえた。こうなると、来客たちもすっかり気が楽になり笑いながら、「がんばれ」などと父に声をかける始末だった。  考えてみると、あの日、父ははじめて聴衆の前でスピーチをしたわけだった。兄たちの結婚は三男のようにけっして恵まれていたわけではなく、同棲からそのまま夫婦生活に入っていたりしたので、父はこれまで正式に人前で話す機会をもたなかったのである。だからなおのこと父は調子が狂ってしまったのだろうか。  結婚式における父の滑稽譚は、わが家のとっておきの語り草になりそうであった。その日たまたま、会場のテープをとって贈ってくれた耽羅の友人がいて、父の奮闘ぶりはそっくり記録に残ることとなったのである。その録音テープをきけば、孫たちもやがて祖父を冷やかすにきまっている。父はこのことでは日頃のホラを吹くわけにはいかないのだった。だが、彼は孫たちが大きくなる前に唯一の肉声をのこして死んでしまった。老いはじめてからはあまり酒をたしなまなかったが、けっきょく、その酒が父のいのちをうばうことになったのである。ある晩、父はかなり酩酊してもどると、日頃可愛がっていた飼犬の頭をなぜ、玄関の中に入っていった。そこで急にうずくまり、そのまま意識不明におちいった。  ことしの夏、北海道のO市に住んでいる桜田夫人から手紙が届いた。夫妻との文通はぼくが東京へ飛び出していらい、ずうっと続いているから、かれこれ二十年になろうとしている。  夫人はS市の実家に盆で里帰りしたらしく、その際、昔住んでいた円山の家を見てきていた。手紙はその部分を次のようにしたためていた。  先日(七月二十二─二十七日)、札幌に行ってまいりました。その折、(中略)三十丁目の家(貴男の隣家)に久しぶりで訪れました。あの頃とは随分ちがっていましたが、未だ面影の残っているところもあり、なつかしゅうございました。御一家のいらしたところは、まだあのままで、夏草が茂って居りました。私の家も昔のままで一軒だけ取残された様に建って居ります。定年の後は、内地で暮したいとの主人の希望ですので、いずれ人手に渡してしまう様になると思い、いささか淋しゅうございます。  近年、ぼくはなんどかS市にもどることがあった。そのつど、かつて住んでいた円山の家を見ておきたい気持に駆られたが、いちども訪ねてはいなかった。  その家がまだあるのかどうかも知らなかった。もし残っておればその廃屋を見るのがつらい気がしたのである。夫人の手紙により、家がまだ残っているのを知ることができた。急になつかしさがこみあげてきた。父に怒鳴られながらすごしたあの頃の日々がまだ廃屋にこもっているように思った。もう昔のことだが、つい昨日のことみたいにも感じられる。しかし、あの頃はまだ十七、八歳であった。いつか父はしみじみした口調で、 「二十代ってのは日が経つのが遅いがな、三十代ってのはアッという間にすぎていくんだぞ」といっていたことがあった。その三十代の後半にもうぼくは入っているのである。  最近になって、ぼくは父を思い出すことが多くなった。少年の頃、あれほどおそろしかった父の感じはいまは歳月が賢明に|淘汰《とうた》してくれている。長いこと、ぼくには父の背後にある不気味な坑道が何なのかよくわからなかった。その薄暗さは父の狂暴さを育てるけものの道に通じているようにうつっていた。そのため、父が腹を立てると、そこにどんな真実がこめられていようと、ぼくにはけもののことばとしてしか聞えなかったのである。  この頃になって、その坑道に光がほのかに射しこんでくるように思われる。ひょっとして、自分が朝鮮人として父のことばを理解しようとしているせいかなと考えてみる。もしもそうなら、ぼくはうかつにも父を見くびりすぎてきたのだ。生前の父は、息子たちが自分の祖国を忘れぬ人間になるようにと口がすっぱくなるくらいに喋っていた。そして父は、どんなに滑稽でだらしのない人間にみえるときでも、その一念においてたえず息子たちのりっぱな親であったのである。  ふとぼくは、未成年の日にあこがれた「人面の大岩」を思い浮べてみる。父は晩年のアーネストのように、人々から尊敬をうけ聴衆に恵みをあたえるような人物ではもちろんなかった。それどころか、結婚式のスピーチでトチって絶句するようなたわいのない人間にすぎなかった。  だが、この息子にとって父はやはり人面の大岩であったのではなかろうか。息子はそのことを長いこと気づかずにきただけのことなのだ。ぼくの人面の大岩は、喜怒哀楽のはげしかったきわめて平凡な生涯を送った男である。 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半チョッパリ

     1  大木真彦のことで僕はすっかり気が滅入っていた。あの事件を惹き起したことで、かれは永遠に僕の記憶世界に殿堂入りしたようなものだ。  まったく世間騒がせなことをしてくれた。かれの顔写真はあまねく新聞にのり、その日国会で施政演説をしていた内閣総理大臣の写真より大きく見えたくらいだ。〈大変な有名入になってしまった!〉僕はおもわず唸った。こんなことがきっと起るのだ、という予感はあったのである。このような事件の発生をいつか日本の天才的詩人が独自のエスプリで予言していたことがある。日本人はやがて最も屈辱的かつ象徴的な方法で朝鮮人差別の復讐をうける日を持つことになろう。詩人はそう予言することで国家主義者の脅迫、保守派の反撥をくらったが、この事件の発生はこの上もなく正確にかれのエスプリをあかし立てた皮肉な結果にもなっていた。  きのうのことだ。一人の在日朝鮮人青年が国会議事堂の正門前で焼身自殺を遂げた。いや、厳密にいえば、青年は、元朝鮮人ともいうべき帰化日本人で当年二十三歳の大学生であった。かれは事もあろうに民主主義のシンボルたる国会議事堂を死に場所にえらび、その“開かずの門”の正面で若わかしい生命を一瞬のうちに燃え切らしてしまったのである。このセンセイショナルな死の広告によって、かれは僕のみならず、日本人の記憶世界にも立派に殿堂入りしたともいえようか。  各新聞社はにぎやかにこの事件に飛びついていた。臨時国会の開会日に起ったこの事件は記者達の取材本能をことさら刺激したようだ。新聞によっては、社会面の半分も費やしていた。なかでもある大新聞がのせた記事はかなりにパセティックな調子であった。その記事は死者の魂が宙をさまよわぬほどに同情的で、示唆にも富んでいた。おそらくこの取材記者は信念として報道の〈公平さ〉よりも、社会の〈|木鐸《ぼくたく》〉としての新聞の役割を重視している人間であろう。注意深い読者は、この記者が新聞に要求される|公器《ヽヽ》としての|客観性《ヽヽヽ》に疑問を抱いていて、焼身自殺者の死が国家権力の差別機構によって大きく影響されたものと告発しかけ、そこでペンの力をゆるめているタッチに気づいたはずだった。全体としての記事は十分に〈公器〉としての体裁を保っていたが、その分だけもしかすると、〈公平〉感覚の標本ともいえるデスクの朱が入っていたのかもしれない。  ところで僕は、きのうの朝方、その記者に会っていた。かれがアパートのドアを叩くまで、僕は空を|翔《と》んでいた。一年のうちに何度か僕は夢の中で空を翔ぶことがある。この夢の中の単独飛行は僕の日常生活にあって、きわめてユニークな持ち時間といえるものだった。このようにして僕は空に舞いあがる。腰をためるように構え両肩を張って両手を波立たせるのだ。ただそれだけのことだが、しだいに空気がカタクリのように弾み出し、一瞬の緊張のあと、ヒョイと地面を離れることができるのであった。気力が充実しない時は、鶏の惨めな飛行に終ってしまう。しかし、大抵はおおらかに空の気流に乗った。日本列島を見下して手を羽根のように動かしていると、さまざまな人物に出会う。僕らは出会うと、「やあ」「やあ」と会釈し、「やってますな」「頑張ってますな」と含み笑いを浮べ、すれ違っていった。ガウンをまとった学者が深刻そうにマドロスパイプをくわえて遠ざかっていく時もあり、むやみにツバを吐きちらしながらヘルメットの学生がやってくることもある。そして時には、刈りこんだ茶畑みたいなちぢれ毛の黒人が「ヤー」と熊手のような黄色い手の平を見せて挨拶することもあった。僕がにっこりと笑い、〈Black is Beautiful!〉と返事すると、黒人はとたんに〈Brother!〉とうかれ出し、東京オリンピックの陸上選手さながらこぶしを逞しく突き出して見せるのだった。  僕は両手をはげしく|羽撃《はばた》いた。どうしたのか、みるみる失速していき、地面に落下していくのだ。落下傘が開かなかった降下兵の恐怖が全身に行きわたった。地面がおそろしい勢いで|迫《せ》りあがり、それまで美しく見えた日本列島が死火山の躰を横たえはじめ、とげとげの荊棘に変ってきた。「あっ」僕は躰を叩きつけられる寸前に目を醒まして叫んだ。  蒲団から起きあがった僕は、いまのおそろしい瞬間を思い出して、頭に手をやった。まるで軽い|脳震盪《のうしんとう》でもおこしていはしまいかと疑ぐるかのように。しかし、夢の残像はそこまでだった。僕は顔をしかめ、間のぬけた表情で頸筋を掻いた。爪の間にぬるっとした垢がつまってきた。この何日か、風呂にいかなかったせいか躰からザーメン臭い匂いが漂った。しかし、若い青年の躰はそれでも美しく魅力的に見えるにちがいなかった。  その時、ドアをせわしなく叩いて記者が飛びこんできたのだ。若い青年だった。かれはいきなり「——さんですね」と名前を呼び、僕をぎくりとさせた。刑事かと思ったのだ。こいつは新聞記者よりも刑事をやった方がずっと有能さを発揮できるのではなかろうか? 名刺に目をやり、何のことか訳がわからぬまま、急いでズボンとシャツをつけながら僕はまず、そう思ったものである。かれは今更らしくドアの外に引っ返し、そこで神妙に待っていたが、僕が不機嫌そうに声をかけると、こんどは尋常な感じで入ってきた。 「どうも失礼……。とても急いでいたものですから」  記者はいくぶんきまり悪そうに弁明して、頭を掻いた。いくら急いでも特急列車だって停るところには停りますよ。皮肉をいおうとして、やめた。記者の、自分に照れている表情が意外にういういしく、何となく好感のもてそうな気がしたからである。僕と殆んど年が違わないようだった。「それでまた早速で何ですが、あなたは大木真彦さん、をご存知でしょう。同じ学校の、そして親友なんですね」  記者の口調にはあるためらいと、やさしくいたわるような感じが滲んでいたが、一方、できるだけ早く問題の核心に入っていこうとする隙のない構えも見せていた。僕の方も、新聞記者のとつぜんの襲来がなにを意味するのか皆目見当がつきかねていたので、やはり問題の核心をもとめていた。 「今朝はやくですが、その方が亡くなられたのですよ。国会議事堂の前で焼身自殺したのです……」  相手の反応を見逃すまいとしながら声だけは弔意をしめしている、そんな喋り方だった。当然のことながら、その話は僕をおどろかせた。一瞬、空から墜落してきて頭を地面に叩きつけられたような気さえしたものである。 「それは本当ですか!?」  僕の最大級のおどろきは記者の職業本能をふるい立たせたようだった。 「そうですよ」かれは即座に相槌をうち、開襟シャツの胸ポケットから取材ノートを取り出した。それから|逸《はや》る自分の仕草に気づいてかすかに赧らんでから、事件のあらましを説明してくれた。それによると、大木真彦は僕がまだぐっすり寝こんでいた時刻に、あさあけの空気を引き裂きながら自転車を駆っていたのだ。もやで青くかすんで見える国会議事堂前の坂をせっせとのぼってくるその姿は詰所の警官には勤勉な牛乳配達夫に見えたという。荷台に積んであったプラスチックの石油カンは寝ぼけまなこの警官の目には牛乳箱としかうつらなかったのだ。大木真彦はみるみる正門の前に近づき、ブレーキをかけて飛び降りると石油カンを荷台から外し、もどかしそうに栓を開けはじめていた。その石油カンを逆さにしてかれは一気に頭から浴びた。そして、やっと事態に気づいた警官がきわめて人間的な叫びを挙げて近づこうとしたその時は、かれが気ぜわしく国会議事堂を見上げ、ライターを火打ち石でも鳴らすように何度も擦っていた時だった。パッと閃光が上ったと思うと、もう大木真彦は火柱に包まれ、のたうち廻っていた……。記者は人命救助をしそこなった警官から取材してきた話をもとに語ったわけである。  僕は寒気を覚え、それからとつぜん肚が立ってきた。 「だから、どうしたというんです。あなたは一体何を僕から聞き出したいのですか?」  その時の僕は、記者をにらんでいたのだろうか。記者はちょっとおどろいた風にこっちを見つめ、あわてていった。 「いや、僕はこんな時しか君たち朝鮮人のことを取材できない僕らを恥かしく思っているんです。何か、事件が起った時だけ押しかけていく、そんなあり方に、僕自身いつも疑問をもっているし、たいへん不満なんですよ。きっと、そんな僕らのあり方が君たちを不愉快な気持にするんです。しかし、やはり報道はしなくてはならないでしょう、この場合。そうでしょう?」  記者の声には不安が感じられた。僕を、|超民族主義者《ウルトラ・ナシヨナリスト》もしくは反日的な青年とでも思ったのだろうか。 「報道の自由は邪魔しませんよ。しかし、僕は生憎何もかれのことで喋ることがないのです」  僕は|依怙地《いこじ》に、だがいやに落着いた声でいった。 「親友だったのでしょう!」  非難するように記者はいった。そのいい方に、正義漢らしい性格があらわれていた。 「親友? 僕が、かれの? まさか! それなら僕はかれから自殺を打明けられるほど親しかったわけですね。ところがたった今、僕はそのことをあんたから聞いた始末なんだ」  僕はやけっぱちな口調でいった。なぜ、皮肉な口調を弄ぶのかと疑わしい表情が記者の顔をかすめた。 「君への遺書もあったのですよ」 「遺書?」 「そうです。大木君にとって君は遺書をのこすほどの人だったのです」  おごそかないい方がユーモラスで、僕はつい神妙な表情を見せることになった。僕は吐息をついた。大木真彦はどんな心づもりでそんなことをしたのだろう。かれとはことしの春に知り合った間柄だったが、それもこの一ト月ばかりは行き来が|跡絶《とだ》えていた。はっきりいって、僕はかれを避けていたし、それはかれの方もうすうす知っていたことだろう。たとえそうするより仕方ない理由があったにしても。  吐息をついた〈親友〉を眺め、記者はそろそろ相手が無意味な依怙地さを引っこめ、生の声で喋り出すと判断したらしかった。遺書の写しでもある取材ノートをパラパラとめくり、俳優にセリフを暗誦させようとする付け人じみた手付きで、かれはそのページを差し出した。  それはごく簡単なものだった。さようなら、という書き出しではじまり、  この人生に歓びはない。あるのは差別と偏見だけだ。それを越えていくには僕は呪われ過ぎている。君のように悪を備えてまで生きる自信はない。いまはただ君の成功を祈るだけだ。 と書かれていた。できるだけ無表情に取材ノートを記者にもどしながら、僕はこの遺書のために窮屈な代弁入の立場にはめこまれてしまった自分を意識した。しかしあいつがこの遺書をのこしたのは僕が〈親友〉だったからではなく、それほどかれに友人がいなかったという不幸を物語っているだけではないのか。そんな気持が強かった。僕はかれと接触して遠ざかっていった朝鮮人学生の遊星群の一つにすぎなかった。そしてかれは天体の無限軌道を単独飛行して消えていった流れ星だった。  記者のまなざしは、熟した柿が落ちるのを信じる少年のあどけなさをこめて注がれていた。こいつはきっと育ちのいい人間なのだ、はたしてこんな男に社会記者が勤まるのだろうか、と僕は余計な心配をしたくらいだ。 「僕は何も喋ることはありませんよ。第一、喋る資格もないし」  にべもなく答えることで、僕はかれのニュートンの法則を否定して見せた。何も、この記者に意地悪く当るつもりはなかった。否定したいのは、自分自身なのだ。もしも、大木真彦に手を差しのべていたら、友人として喋ることができるかもしれない。しかし、僕はかれをおぞましいものから目を逸らすように見捨てた。自殺|幇助者《ほうじよしや》が死者のことを臆面もなく語ることができるだろうか。 「えっ、喋れない? それはまたどうして……。たとえば、差別や偏見の問題について、この際何らかの発言をしてみる必要はないもんですか。いや、これは僕の主観ですけどね。……でも、それではあんまり可哀相でしょう、死んだ大木さんが」  心外さのあまり、頬を朱く染めながら記者は喋っていた。軽蔑するような視線を感じた。この男が本気でそう考えて、僕を非難しているとしたら、救われると思った。僕だって、まるで考えていることがないわけではない。この話をきいた瞬間、僕は寒気を覚えた。そして、ああ、いけないなァと心の中でつぶやいた。何か、悪いことが起る周期が速くなってきているような気がしたのだ。朝鮮人が死を賭して起す不吉な出来事がだんだん増えていて、それも思い出してみると事件の周期が狭められてきているような気がしてならない。それは暗い想像であった。こんな不安と、怒りのまじった気持を|披瀝《ひれき》することは、それを日本人がどう受け止めようと、やはり必要なことかもしれない。しかしこの懸念は朝鮮人の誰かがのべるとしても、僕には喋る資格がない気がしていた。事が大木真彦と絡んでいるからなのだ。 「僕は喋りたくないんですよ。自分の気持を尊重したっていいでしょう」  記者はじいっと僕を見つめ、 「わかった。君は沈黙することで抗議しようとするんですね。それなら喋ってくれなくてもいいなァ。僕はきっとその沈黙を生かせると思うんだけれど。たとえ君が取材には非協力的な印象をあたえたとしてもね」  僕はなんとなく肩をすくめたが、やや相手を見直す感じで黙っていた。この男は回転のはやい頭脳やいかにも誠実そうな態度、気の利いたいい廻しなどによって大新聞社の一線記者にはやばやと尻を押しこんだ人間なのかもしれない。だが、それにしても、相手の心理を早のみこみしすぎるきらいがあるようであった。かといって説明するのが|億劫《おつくう》なのと、そういえばたしかにそんな気分も混っている気にもなって、僕はずるい表情で黙っていた。すると記者は分りのいい|兄貴《ヽヽ》のように、僕をやさしく眺め、肩に軽く手をかけさえした。 「じゃあ、このまま失礼します。……しかし、落胆しないでください。こういうことは、……なんといっていいのか、わからんのですが、結局、お互いの不幸なんじゃないのかなァ……」  僕は相変らず、沈黙していた。記者はこの無愛想な青年の応接に継穂を失っていた。それでもまだ友情をしめしたがっているように、立ち上りながらいった。 「ずいぶん、本がありますね。君はなかなか勉強家なんだなァ」  かれは僕の反応がないのをたしかめ、玄関で靴を履いた。また、会いましょう、とこんどはいくぶん事務的にことばを残し、そそくさと出ていった。  独りになると、僕はむしゃくしゃした気分を追っぱらうため、窓を開けた。ちょうどその窓から繁った街路樹が見え、そのそばに陽差しを浴びた胴体の長い自動車が止っていた。先っちょにワッペンのような社旗がついている。その時、いましがた階段を駆け降りていった記者がせかせかした足取りであらわれた。すると、かれの父親ほどの年配の運転手が白手袋をはめた腕をのばし、内側からドアを開けてやるのが見えた。  きのう僕は夕刊をことごとく買って読んだものだった。なかんずく、あの色白のどことなく育ちのよさそうな記者が書いたはずの新聞は丹念に行を拾った。なかなかの書きっぷりだった。完全にかれの才能を思い知らされた恰好だった。かれは僕から取りそこねた〈談話〉を他人のそれで十分埋めていたし、取材に〈非協力的〉であった朝鮮人大学生に触れながら、〈その沈黙の抗議には、あえていえば日本人への不信が感じられた。しかし、彼は沈黙をまもることで日本人にこの事件の意味を考えてほしいと語りかけているようだった〉と、書き入れてあったのである。  かれは、僕の心境を立派すぎるほどに代弁した思いがけぬ日本人ということになるであろうか。しかし、そんな風にたくみに書かれると、出来すぎている気になったし、なんとなくうまく料理されたようで業腹であった。それに僕の〈沈黙〉が大木真彦を見殺しにしたような呵責からはじまっていることにまるで触れていないのは、たぶん仕方ないことだとしても、やはり片手落ちだった。  僕はどの新聞を読んでもいらいらさせられた。ある新聞は、この帰化青年の死をめぐって特集まがいの企画まで組んでいたが、そこに登場したある朝鮮人文化人の談話はおよそ形式論理のトリックにすぎぬものだった。かれは大木真彦を〈早まった死〉としながら、こうのべていた。〈大木君にとって不幸だったのは、同胞が自分に手を差しのべていないと受け取ったことだろう。しかし、はじめに違和感はあっても、その気になって扉を叩けば、かならず世界は開かれたんですがねえ〉  この楽天的な文化人は百歳まで生きること請け合いだ! なんという、言葉の遊戯だろう。こいつはもういちど、大学に入り直して、論理学を初歩からやり直すか、文化人であることを止めた方がよくはないだろうか。一般的真理をすべてに当てはめれば、それで事が済むわけじゃないだろうに。大木真彦はそれこそ〈同胞世界〉に飛びこもうと何度も努力した。それでも扉は開かれなかった現実をこの文化人はどう考えているのだろう。文化人はよっぽどこうでもいうべきであった。〈大木君にとって不幸だったのは、かれがプロ・レスラーなみの|腕力《パワー》を持たなかったことだろう。それならどんな重い扉でもきっと開けたはずなんですがねえ〉  じっさい、苛立たしかったのである。日本人も、朝鮮人も、自分の立場からしか、この帰化青年の死を考えていないように思われた。まったく、蟹は自分の甲羅に似せて穴を掘る、というのはうまい比喩だ。僕はこのことばをほんの数日前に覚えたばかりだったが、つい当てはめてみたくなるほどだった。いずれにせよ、大木真彦は完全な敗北を喫したのだと思う。なぜなら、かれは死ぬことによって、帰化人のくるしみを両民族にうったえようとしたはずだったから。  その夜、僕はあきらかに興奮していた、ある二流新聞が関連記事を流していて在日朝鮮人を〈少数民族〉と書いていた、そんなおそまつな過ちにも、気がとがっていくのだった。電話をかけミスを指摘してやりたいくらいだった。しかし、モニターでもないのにそんなことをするのはたぶん余計なお世話なのだ。僕は時たま、けたたましく笑った。こんなショート・ショートはどうだろう。あまりにも朝鮮関係の記事にミスが多いので、その社は初めて朝鮮人を採用して校正に当らせることにする。で、有能なその校正者は記事の過ちを発見すべく全能力を傾ける。新聞は削除また削除で、最後には白紙となって家庭に届く。そんな新聞は誰も読まなくなり、廃刊、破産だ。新聞社は一人の優秀な朝鮮人校正者を雇ったミスでそうなったというわけだ。  ナンセンス、ナンセンスなのだ。僕は急に空虚なおもいで畳につっ伏したりした。僕は自分が枝葉末節のことばかりに頭をつかっていて、肝心なことを何も考えていないような気になったりした。肝心なことって何だろう? 大木真彦が焼身自殺したことにちがいなかった。かれは僕にいかにもかれらしい遺書をのこして死んでいったのだ。成功を祈る、か! 僕はこの遺言にこめられている意味を考え、いくらか胸が傷んだ。そして、頬高で眼の細い、いかにも朝鮮人といったその顔、一途に物を思いつめていく文学青年らしい日頃の傾向、長年のバイトで疲れた表情と贅肉のない筋肉質の躰などを思い浮べた。かれは地方出身者らしいバタ臭い誠実さも、田舎の秀才らしいプライドも、人によって感謝されたいくつかのエピソードをも持っていた。そんな一人の青年が、忽然とこの地上から消えてしまった。ちりちりと黒くこげた屍になってしまった。  人の死のあっけなさと、にわかに首をもたげる死の影に、なぜか圧倒されそうになるのだった。死がいかにも親しそうにすり寄ってきているような感じがよぎっていた。この恐怖は大木真彦が遺していったものになるのだ。僕はかれを悼むよりも、憎んでいる気さえした。人間の最期をいかにもなまなましい形で表現してみせた無神経さが肚立たしいくらいだった。それは不思議な憎しみであった。いつか自分の死ぬ日を先取りされたような気持と、生きようとする自分にハンカチを投げられたような反撥とが入り混っているのだった。  その日、僕はじつに不幸な一夜をすごしたが、きょうになってもこの滅入った気持は晴れそうにもない。      2  大学のキャンパスは白っぽく灼けていた。  文学部校舎の正面階段のわきに花崗岩の小さな噴水があり、鯨の潮吹きみたいに時々水を吹きあげる。この瀕死の噴水はまるっきり学生の軽蔑をかいながら、恥をしのんでいるみたいだった。誰だって、気持は海や山に向っていた。なかにはこの夏休みを利用して香港やハワイにいくプランを立てている女の子達もいた。  そんな話をしながら通りすぎていく学生達を僕は噴水わきのベンチに腰かけて眺めていた。この暑さのさ中を学生服をきちんとつけた新入生が前を通っていく。地方出身の学生であろうか。僕はその学生をいかにも老成した最上級生のまなざしで見送った。かれは大学に入ってまだ数カ月しか経っていない。だから、あのような|勤行《ごんぎよう》をものともしないのだ。しかし、二学期に入ると、もうかれは田舎で買ってもらった背広を着こんでこのキャンパスに戻ってくるにちがいない。  縁飾りのついたショルダーを肩にさり気なくかけたミニ姿の女子学生はみんな脚に自信のある才媛って顔をしている。僕はことさら意地悪く欠陥でも探そうとしている自分を感じて、何だろう、とつぶやいた。さっきからやり切れない気持でいることはたしかだった。きのう、同じ学部の学生が死んだ。怨念の焔に包まれて死んでいった。それなのに、学生服もミニも何事もなげに歩いているのが不思議に思われるのであった。女子学生にとってみれば、もしかすると、一人の恋人が死んでしまったのではないのか。いつか恋人となる青年が屍となってしまった、と考えてみることはないのだろうか。もっともこのキャンパスでも学友の死を問題にする雰囲気がまるでないわけではなかった。さきほどゲートにものものしいバリケードを組んだ通り口を学生証明書を提示して入ってくる時、僕はビラを配っている学生に出会っていた。インクの刷りがまだ乾かないそのビラには激烈な文句が躍っていた。文学部校舎に入ろうとする時にもビラを渡された。こっちは、反対派のものだった。その文からまもなくこのキャンパスで集会が行なわれるのがわかり、僕はその時間までこうして待っているのだ。だが、夏休みが明日からはじまるせいか、学生達はどんどんと帰っていくのだ。  それでも暫くすると、キヤンパスにはあちこちから人の姿があらわれはじめ、熱い空気をゆらめかして寄り合っていた。三々五々あらわれた学生達はアスファルトの上に腰をおろして、両膝をかかえ出していた。スラックスを護るように黒ズボンが坐っていく様子を僕は少し離れたこのベンチに独りで坐って眺めていた。丸首シャツを汗でにじませたヘルメットの学生が僕を警戒するようにするどく眺めて行きすぎようとした。僕の恰好はかれの目に反対派の斥候にでもうつったのだろうか。僕は前かがみの姿勢で膝の間に両手を垂らしていたが、躰を起しベンチの背に両腕を|凭《もた》せかけた。胸の薄い、腹のへっこんだこの戦士は僕の平和的なポーズを見て、気をゆるしたらしく、足早に建物の方に去っていった。  キーンと空気をふるわせるスピーカーの音が鳴出し、それは音楽会の前奏曲さながらそこに集まった学生達を緊張させていた。肩にかけた携帯用スピーカーを口に近づけたりーダーの学生が、前に垂れ落ちる髪をしきりに掻きあげながら、ア、アと声を出した。〈只今、マイクの試験中、只今、マイクの……〉失笑が小さく前列の方で湧き、ふとピクニックの集いのような気安さがカバンやハンカチを尻に敷いた男女学生の間にまぎれ込んでいった。僕は足許の砂利を噴水にひとつひとつ投げ入れながら眺めていた。 「学生諸君! われわれはいまァ深い悲しみをもって、この追悼集会を開こうとしていまァす。われわれの仲間であった大木真彦君の死を悼み、かれの死の抗議を重視して、かれを死に追いやったところの学内暴力への憤激を抱いてわれわれはここに結集しました! われわれの誠実な仲間であった大木君はなぜ国会議事堂でみずから生命を絶たねばならなかったのか、まさにかれは学園の民主主義をまもるための人柱として、不当な暴カヘの抗議として、あのようにも悲痛な最期を遂げたのです! このことはわれわれに……」  リーダーが首をふるようにして訴えはじめてほんの数分経った時だった。さっき僕を警戒してすぎていった丸首シャツの戦士が建物から飛び出してきて「きた、きたっ」と集会者に向って悲鳴を挙げるように叫んだ。そちらを眺めると、手拭いの覆面で眼だけ出しているヘルメットの一集団がゲバ棒を手に集会の中に突っこんでこようとしていた。集会派はこの武装派を見ると、どよめいて立ち上り、ひしひしと輪をつくりはじめた。 「大木君の死をかすめ取るこいつらを粉砕せよ! かれはまさに議会主義クレチン病化したこいつらに裏切られ……かれの死は朝鮮人弾圧の国会への抗議でありィ……突っこめ、突っこめ……」  スピーカーの声は、よく聞きとれなかった。双方のスピーカーの音が入り混ってしまい、シュプレヒコールが起ったからだ。腕を組んで防禦しようとする集会派はたちまち切り崩され、ずるずると後退しはじめていた。怒声にまじって悲鳴が起り、女子学生が逃げまどった。ヘルメットが逆光でにぶく光り、ゲバ棒が宙を切った。集会派が算をみだして逃げ出すと、武装派は深追いをさけ、血走った目で勝利を宣言しようとした。集会派はキャンパスの遠くで陣容を立て直し、じりじりっと戻りながら、「帰れ、帰れ!」とシュプレヒコールを浴びせつづけた。  僕は真二つに引き裂かれたこの日本人学生達の奇妙な追悼式をベンチから身動きもせずに眺めていたが、しだいに気が重くなっていた。生前は学生運動をしていた大木真彦の来歴からすれば、このような乱闘もかれにとってふさわしい追悼式というべきものかもしれない。集会派に属していたかれはある日のこと頬をどす黒く|脹《は》らして僕の前にあらわれたこともあったのだ。その時のかれは日本人学生として学内暴力をののしり、たとえ最後の一兵となっても学園をリンチから守ると誓っていたのである。しかし、いつものかれは日本人とも朝鮮人ともつかぬ帰化者のなやみを告白するために僕の前にあらわれるのだった。かれは集会派のリーダーでありながら、集会派ともことなる暗闇を内面にひそめていた。それはかれが日本の革命を考えながら、同じ比重で朝鮮の自主統一を模索せずにはいられなかった人間のせいだったともいえる。究極のところ、それはかれにジレンマを強いた。一国一党の原則や国際連帯の立場を、かれが日本人としての立場から割り切って行動できなかったのは、帰化者という特殊な立場に縛られていたからであったろう。集会派の集まりから戻ってきたかれは深刻な表情で僕の前にあらわれたこともあったのである。かれはひどく陰気な表情で、自分の悩みを語るのだった。自分は日本人であるかもしれないが、差別と偏見を朝鮮人のように受ける日本人であることや、日本人に徹しようとしても、どうしても自分の原点に立ちかえってしまうのだと。そしてかれは「民族の裏切者」とか「祖国喪失者」と自分をあざけるかと思うと、帰化者にまつわる呪縛は近代日本と朝鮮の陰惨な歴史の贈物なのだと口走ることもあったのだった。  このような帰化朝鮮人の悩みや死の意味がこのキャンパスでどれほど理解されているのであろう。暁の国会議事堂前で自殺した一帰化学生が果したせいぜいの役割は、分裂した学生運動の各派にそれぞれの勢力維持と組織拡大のため一つの乱闘場面を提供しただけのことではあるまいか。僕は暗く沈みがちな気分をどのように逸らせばよいのかわからぬまま、ベンチを離れた。  期待をかけて、学校にやってきたのがむなしい気がした。昨晩じゅう、アパートの室でいらいらしていたせいか、大学にいけば何とか気持が晴れるのではないかと漠然と期待してきたのである。しかし、それは甘い想像にしかすぎない。キャンパスを離れると、僕は本部校舎の方角へアスファルトの鋪道を歩いていった。就職の件で、学生課をおとずれてみる必要があったのだ。まったく、この問題も憂鬱だった。来春は卒業する以上、どこかに勤めなくてはいけない。大木真彦のように死んでしまえば、そんな苦労もなくなるが、生きていくかぎりは社会の機構に何らかの形で帰属せねばならないのだ。それはさしあたり就職ということなのだろうが、こいつが厄介なのだ。企業の青田刈りは春のうちからはじまっていて、クラスメートの何人かはすでに上手に刈り取られていた。さて、僕の買手はいっこうにつかないままだった。僕の希望は、新聞記者になることだ。きのうアパートの僕の部屋を襲撃した新聞記者にはいう必要もないことだったが、もし可能ならあの大新聞社の編集部にもう一つの椅子を取りそろえさせたいのであった。  しかし、そもそもの話、朝鮮人を雇うだろうか。これこそ That is the question であった。就職試験で受かっても、書類審査で落ちるのがオチではないか。僕にはあの色白の記者に負けないほど、いい記事を書いてみせる自信がある。が、それも入社できればの話だ。情勢はかんばしくなかったが、それでも僕は希望を捨てたくなかった。犬も歩けば棒に当る式に僕はすでに何回も学生課の求人案内をのぞきにきていた。  しんと静まった学生課の廊下で四、五名の男女学生が壁の求人一覧表を見上げていた。ひそひそと二人の女子学生が話し合っているすぐそばで僕はあごを上向きにして壁の企業名を眺め出した。うしろで企業の体質や株価についてひそひそと話している女子学生の低い声がなにか猫のように僕の背中をばりばり引掻いているような気がした。つい数日前、学部主任のF教授の部屋に行ったときのことを思い出した。外国文学の名翻訳のあるこの老教授は定年を間近に控えていたが、よく就職の世話も焼くので、学生のあいだでなかなかの人気があった。  老教授はいつものようにマドロス・パイプを口にくわえて書物に埋もれていたが、話をきくなり、「君の、ねえ。君の……」と、なにか怪物でも眺めるように僕を見つめ、それから後手を組んで狭い教授室を行きつ戻りつしたものである。 「うーん、君の、ねえ……」  ひょっとして、僕は怪物ではなく、この教授がはじめて遭遇した最も難解な外国語であったかもしれない。老教授はくるしそうに首を振った。それから、こういって、教え子を励ました。 「君、日本は近代百年を経たというがねえ、ところがまだ鎖国もいいところなんだよ。そりゃ戦後憲法は法の前の平等は|謳《うた》ったが、とてもそんな生易しいもんじゃないからねえ、現実は。しかし、君、どこかに門戸は開かれているよ。何も大新聞でなくても、たとえば、業界紙とか専門紙なら何とかもぐりこめるんじゃないかね」  老教授は、僕がモグラになるように薦めたわけではなく、クラーク先生さながら、  BOYS, BE AMBITIOUS !  と、〈希望〉を抱くように励ましたわけだった。しかし、僕はなんとなく侮辱されたおもいになり、こういいたかったのだ。 『先生、〈希望〉をあらかじめ捨てようとする青年がいるものでしょうか。でも僕に耐えられないのは、その〈希望〉もあらかじめ制限されているように思えることです。もちろん、業界紙を軽蔑しているのじゃなく、そこに〈希望〉を押しこめねばならない不自由さが屈辱的なんですよ!」  そう反論しようとしてやめたのは、この善意の教授を困らせたくなかったからである。僕はことばを探して、できるだけ明朗な口調でいった。 「先生、僕はいつかワーナー・ブラザーズのニュース映画を観て、ああ羨しいなァと思っちゃいました。何といっても、ウエストポイント陸軍士官学校の卒業式は最高ですね。卒業の瞬間、パッとあの大講堂で帽子をほうりあげる、あんなスカッとした卒業式を味わってみたいもんだなア。でも、僕が大学を出る時はどうなるんでしょう」  空想の世界でなら、きのう考えたように、ショート・ショート風の就職が可能なのだ。なにも校正係でなくたって、それなら何にでもなれる。しかし、現実の社会に首を突っこもうとすると、まるでモグラのようなイメージが必要になるのだ。  ひと渡り、求人一覧表を見渡すと、僕は学生課の薄暗い廊下から外に出ていった。眩ゆいばかりの日照りだった。その陽差しがいきなり僕を狂暴な気持に駆り立てたように思った。額ににじむ汗を拭き、僕はちょっと立ち止り、思案した。陽差しのせいだろうか、と考えていた。そんなはずはない。いま自分の心の中でひろがっている不安定さの中には、どこかで悪の匂いをもとめている気分があったが、それは太陽のせいというより、〈希望〉を感じることのできない苛立ちのせいなのではあるまいか? どうしようか? きょうは縁起が悪い気がした。やめようか、と思った。弱気だな、と考え直した。大木真彦の遺書に引っかかっている必要はさらさらないはずだった。思案しながら、大講堂の前を通りかかると、その石段の下に機動隊が百名ばかり待機しているのが見えた。いつの間に、出動したのだろうか。かれらは完全武装していて、逞しそうだった。ヘルメットは学生のかぶるそれを玩具のように思わせたし、肘当てをつけジュラルミンの楯を構えた威厳のある格好はタイムマシンから飛び出してきた中世の騎士さながらだった。この騎士達は必要とあらば、学生達をたちまちのうちに蹴散らすことだろう。近づきながら見る隊員達の表情はこんどは映画のエキストラのように感情に乏しかったが、それでも自分達の果す役割はあくまでも心得ているようだった。通りすぎる僕をかれらはうさん臭そうに見た。しかし僕はいま最も安全な学生のひとりにちがいなかった。どの派にも属さぬノン・セクトなのだから。とはいえ、かれらはこれからの僕の行動を注意しておいた方がよいのかもしれない。かれらを見ていると、僕は挑発された気持になった。そして、その時、自分の考えも決っていた。  すぐ近くの書店に入ると、僕は何気なく店員のようすをうかがった。客のほとんどは学生で二十歳前の女店員が二人それとなく客の挙動に気をくばっていた。僕はいちどゆっくりと店内を回り、立ち止まって一冊の本を引き抜いた。女店員がその動きを見ていた。僕はその本を持って売り場に近づき、台の上にのせた。その本を買ってまた書棚の方にもどってきた僕を女店員が気まり悪そうに眺め、目を逸らした。もうこの女店員は僕に注意を払わなくなるのだ。僕はその確実な心証をえながら、万引きする本を狙いはじめた。その時、外の方が騒がしくなり、客が出口の方に出ていった。機動隊が駆足で文学部校舎の方へ移動していくところだった。かれらは退屈から解放されて喜んでいるように見えた。 「税金泥棒め!」と僕のかたわらの学生が敵意をこめてののしった。僕はそのポロシャツの学生に微笑みかけ、別々に本棚の方にもどっていった。かれが一冊の本を手に取り、売場に向おうとして横を通った時、すうっと僕の手が狙い定めたように一冊の本を引き抜いていた。さり気ない、すばやい動作で売り上げカードを外すと、そのカードは湿りをおびた掌の中でみるみる丸められた。もう一方の手は、本を選ぶふりをして盗んだ本の隙間をならす仕事をしていた。その作業を終えると、僕は書店を誰にも咎められずに出てきた。  道を折れて、書店が見えなくなると、はじめて背中が軽くなるのを感じた。しかし、はげしい自己嫌悪で足が重くなった。いつもそうだった。肺がふくらみ出し、ざわざわと血管が泡を立てて走っていく音がきこえてくるようだった。成功を祈る、か! 僕は顔をしかめて呟いた。大木真彦は逆説的に語りかけていた。かれはこの僕に万引きをやめさせようとして、ああいう表現で翻意を促しているわけなのだ。いかにもかれらしい潔癖な忠告だった。そして、いかにも小心な善良さだ。僕は掌の中で揉みほぐされた売上げカードを道端の排水溝に流し、ぐったりと首をたれて歩いた。  T駅までやってくると、いつもの習慣で胸のポケットから通学パスを取り出し、改札口ヘ近づいていった。高校生のような駅員が入口のボックスでわき目も振らずにパンチを鳴らしつづけていた。狭い額と高い鼻の頭に気の毒なほど汗を滲ませているのに、なんとなくもどかしい仕事ぶりであった。出口のボックスの中では中年の駅員がほとんど眠っているような眼差で立っていた。かれは平和な顔つきというより成仏した印象をあたえた。この四年近く、改札口でいつも見ていたが、年よりもずうっと老成した感じがする人物だ。これまで僕は通学パスのことでいちどもこの駅員に声をかけられたことがなかった。無気力なほどに寛容であり、それが妙に気掛りになってくることがあるのだ。それとなく観察する気になったのは、学友のことばが甦ってきたからだろうか。業界トップの広告代理店に就職が内定したばかりのその友人は、わざと喜びをまぎらわして肩をすくめて見せた。 「しかし、僕は改札口で切符をさばくあの仕事だけはやりたくなかったよ。あいつは全く、単純再生産の見本だからな」  暗い反撥をおぼえたのだった。それはインテリの|驕《おご》りではないのか。もし、その職場で働くことになって、他人に同じことばを吐かれたら君はどう思うのだ。その時僕は暗い心の暗闇でそのように反問しながらも黙ってきいていた。就職の話になると、妙な引け目があるせいかもしれない。しかし僕にしても、改札口で一日じゅう立っているのはたまらない気がした。職能の単純さにまず飽きる気がしたが、それよりも、ああして人々とすれ違ってばかりいるのは耐えられそうもなかった。そのせいか、稀に若い駅員が改札口で中学生の少女と語らっているのを見かけると、微笑ましい気になるのだった。ほんとに、二人がやがて恋を語らうようになってほしいものだ。  プラットホームにのぼると、風洞から抜けてくるような熱気が肌をかすめていった。いつものことだが、プラットホームに立つと、むなしいおもいになるのだ。どこか遠くへ逃亡していきたくなるのだ。自分への嫌悪感があった。一日の行動を振りかえってみると、その二重人格者めいたところがたまらなく厭になる。僕はぎゅっと本を握りしめ、ホームを意味もなく歩き出し、それからベンチに坐りこんだ。  どのくらい、ぼんやりとしていたのだろうか。国電が何度か行き来したようだった。その車体がかすんで見え、撒水車を動かして通る駅員の姿がぼんやりと意識にあった。うつけた僕の目に、ベルの鳴る音とともにプラットホームが動き出していくような錯覚が起っていた。少年の頃、防波堤で魚釣りをしていたら、波にのって防波堤が沖に流されはじめたような恐怖に襲われたことがある。海に飛びこんだ方が安全な気にさえなったが、いまも同じ心理になっていた。プラットホームより|線路《レール》に飛び降りた方が安全ではないのか……。  僕は深く息を吸いこんで、ベンチから立ち上った。発車間際の国電に駆けこむと、吊革を掴んでまた溜息をついた。恐らく、鉄道自殺者は浮ばれない、と突然思っていた。かれらの多くは過失死なのだ、とも考えた。僕の頭の中で、鉄道自殺者の大部分は海辺の出身者なのだという確信が生れかけていた。そしてかれらは自殺しようとして|線路《レール》に飛びこんだのではなく、じつはホームよりそっちの方が安全だと錯覚しただけのことなのだ。したがって、自殺というより、それは過失というべきかもしれない。鉄道公安官や医師が轢死者の原因をもっぱら失恋や破産などにもとめ、いちどとして|動く《ヽヽ》プラットホームに注意を払わぬのは近代科学のかなしい盲点というものであろうか……。  こんな考えごとをしていたせいか、僕は一層うつろな気分になったようだ。C駅で降り、アパートのある方角に歩き出した僕はなんどか本をアスファルトに叩きつけたい気持になった。しかし、それとてものういおもいで足を引きずっていく感じなのだ。途中で鋪道に面したよしず張りの小さな店に入り、氷水を飲んだ。ゆっくりと氷水をスプーンでくずして口に運んでいると、肩が重くなるような淋しさが湧いた。夏休みがようやくやってきたのが、せめてもの慰めに思われた。家に帰ったら、泳ごう。そう決めてから少し元気が出てきたみたいだ。腰の曲ったおばあさんに金を払い、本を手に外に出てから、ふと思い出して赤電話を探した。万が一の場合を考え、帰省する前に老教授に就職の件をもういちど依頼しておこうと思ったのだ。大学のダイヤルを廻し、交換手に老教授の室をつないで貰った。自分の名前を告げると、教授は開口一番、 「君、ここは熱帯なんだよ。冷房を誰かに壊されちゃってねえ……」と子供のように叫んだ。  僕がアパートの薄暗い階段をのぼりかけて、立ち止ったのは見知らぬ女性に声をかけられたからである。このアパートにはさまざまな人種がいる。バーの女を引きこむ学生や麻雀仲間のグループ、毎日喧嘩ばかりする夫婦者などがいて、僕は日頃ほとんど会話もかわしていなかった。そのせいか、この若い女性もどうせ何号室かの男をたずねてきたOLだろうくらいに思って、通りすぎたところである。かの女は黒地のツーピースをつけていた。地味な身のこなしのその女は僕の顔をためらい勝ちに眺め、自分の名前をのべた。かの女が誰なのかすぐにわかった。  中江佑子は大木真彦のことで僕を訪ねる気になったのだという。僕はかの女を部屋に案内したものかどうか迷った。男くさい匂いのする部屋につれていくのはちょっと気がひけるような清潔な雰囲気をかの女は持っていたのだ。僕は近くの喫茶店をつかうことにして、先に立った。春のある日、大木真彦の下宿で見つけた額縁の女とうしろからついてくる中江佑子を重ね合わせていた。その写真はかれの勉強机のスタンドわきに飾られていた。「おれのリーベなんだ、この人」と大木真彦は照れるようにいった。恋人の写真を机の上に立て掛けておくような趣味は僕にはないし、「ふふん」と頷いて一瞥したのみだった。どこかの草原をバックにして、微笑んで坐っている姿だったように憶えているが、うしろからついてくる中江佑子はまるで青ざめたときの写真さながらである。  冷房のきいたその喫茶店の名前は「ペチカ」だ。だが、中江佑子は、この世の中にユーモアの種はどこにもないといった思いつめた顔をしていた。 「あの方に私は申しわけないと思っているのです。もし私に勇気さえあれば、こんなことにならなかったかもしれないのに」  いい難そうに喋り出した中江佑子は、膝のスカートが気になるのか、いちど上品に坐り直して目を伏せた。僕の方は、告白的なその喋り方にいささか戸惑っていた。そんなかの女を目の前にしてみると、新聞の記事や大学で見たビラが今更のように甦ってくるのを感じた。きのうの記者は、記事のなかで〈失恋〉の要素についても触れていたのだ。当然のことのような気がかすめた。しかし、僕はついさっきまで、ほとんどこのことには関心を払わないでいたみたいだった。そういえば、ビラの内容には学校当局が大木事件の真相を〈恋愛問題〉にすりかえようとしていると糾弾しているところもあったのである。 「待ってください。まあ、そう突然にいわれても……でも、なぜこの僕を訪ねてきたのですか」  僕は不得要領のまま、まずそうきいてみることにした。人生相談はテレビや新聞ですればよいのだ。弁護士の役割を僕は引きうける気はないし、なんともうっとうしい気分になりかけていたのである。 「……大木さんのお友達だからです。……それに私、自分の気持をどなたかに知って戴きたくて。どうしたらよいのか、わからないのです」  僕は何もいえなくなり、かの女から目を逸らし、|卓子《テーブル》の下で指をポキポキ鳴らした。ここでも、大木真彦の〈親友〉扱いされるわけなのだ。中江佑子は、相変らず、いい難そうに喋った。 「大木さんは二時間ばかり前、田舎に帰られました。お父さまの膝に抱かれて……。私、東京駅までご一緒したんです。でもあの方のお母さまは最後まで私には口をきかれずに憎そうに睨まれて……。とてもつらい気持でした」  遺骨は新幹線のグリーン車で持ち帰られたのだという。グリーン車のゆったりしたシートに浅く腰をかけて凝然と坐っている老夫婦が目に浮んできた。 「——もっとつらいのはかれの両親かもしれませんよ。自分の息子と不幸な旅をしているんですからね」  冷淡ともとれるいい方をしていた。この女性が自分だけの感傷に耽っているような気がしたのだ。乳離れのしていないような女子学生の上品さはこっちから願い下げにしたいくらいだ。 「わかっています。憎まれても仕方のない私ですから。でも——」  中江佑子は眉が寄るほど懸命な眼差で僕を見つめていた。 「あの方を私は慕っていたのです。それでいちど——私の母に会って戴いたのです。その時、大木さんは自分の生い立ちを母に話され、帰化した事情や家庭のことまで説明しました。母はそのことがわかると、ひどくおどろいて、いえ、その場は何事もないように取り繕っていたのですが、あとになって私にそれとなくあの方を避けるようにというようになったのです。その頃から——」 「それはいつ頃ですか?」  ふと、思い当ることがあって訊ねてみた。写真が大木真彦の勉強机から消えていたので、冷やかしたことがあったのである。「さすがに気がひけたんだな。女優のブロマイドみたいだからな」と。 「六月の中旬でした。私は母がそんな人だとあの方に知って欲しかったのです。小心なんです。私の将来や世間のことを考えて……。でもほんとうはいい母なのです。そんな親って、沢山いるんじゃないでしょうか。でも大木さんは、その頃からひどく|鬱《ふさ》ぎこんで『宿命』だとか『ユダ』と自分を傷つけられるようになったのです。『俺は日本人からも朝鮮人からも容れられない人間なんだ』と、いちどはひどく泣かれたりして。そして私に、『この孤独がわかるはずがない』と迫られたのです。でも私はあの方についていくつもりでした。私には朝鮮人とか日本人ということより……。……ほんとうに、どうすればよいのか、わからなかったんです。大木さんはまるで私を信じてくださらず、『君は俺を愛しているんじゃなく同情しているんだ』とか『いまにそうでなくなる』とか——」  中江佑子はくるしげに唇をゆがめた。なまなましいその話に僕は引き入れられるのを感じたが、それだけ、かの女の過去の惨めさを引き出しているような気がしないでもなかった。 「私はあの方にとてもおそわることがあったのです。大学でも正義心のつよい人でしたし。でも、こういうと亡くなったあの方を悪くいうようですが……」 「どうぞ」僕は押し出すような声でいった。 「何か、かたくなな所ってあの方にはなかったでしょうか。話がある所までくると、まるで通じ合わなくなるみたいなそんな経験がなんどもあって——。あの方にも偏見があったように思えてなりません。いいえ、非難していると思わないでください。ただ、そんな気がしてなりませんの。……でも、きっと私はその前に自分を責めるべきなんですわ。あの方が真剣に悩んでいたのに、観念的にしか理解していなかったのですから。……いま考えると、勇気がなかったのです。母のことばに反撥しながらも、だんだん自信がなくなっていくみたいでした。そんな私をあの方は憎しみの目で眺めているようで、何か、だんだんと会えない気持になってしまったのです」  話し終えると、中江佑子はなにかほっそりと痩せた姿で吐息を洩らした。僕はかの女に卓の上の物をすすめ、水を飲んだ。こういう話はやはり苦手だと思った。かの女にとってどんなに真剣な話でも、聞く立場からすれば、よくある話なのであった。この種の悲恋物語のつまらなさは、それがどんなに内省的に話されていても、創造の歓びを感じさせない所にあるのではないか。かの女の悩みをきいていると、たぶんに良家のお嬢さんの悩み事といった印象を拭い切ることは僕にとって困難であった。ただ大木真彦の「偏見」を指摘した部分はそれなりの実感を僕にあたえていたといえるにしても。  僕が割り切れぬ顔をしていると、かの女はいかにも女らしい感情に襲われたらしかった。 「やはり、伺わなかった方がよかったのでしょうか。迷惑なことばかり、話したものですから」 「いえ」  僕はあいまいな口調で答えてから、かの女をためすように眺め、思いきっていった。 「君は、ハードルが高すぎたので飛ぶことをあきらめた陸上選手みたいですね。おふくろさんがバーの高さをあげたもんだから」  中江佑子の表情がじょじょに青ざめるのがわかった。 「失礼ないい方をして、悪いけど、どうせなら率直に言った方がいいでしょう。『勇気』——ほんとうに、いい響きのことばですね。ところが、これほど後悔を思い出させることばも少ないんじゃないか。なぜ、いまになって、君がそういうのか僕は残念なんですよ。みんながみんなあいつのことで事後処理をやっている気がしてならない。きのう、ある新聞社の記者が訪ねてきて『こんな時しか取材しない……』といって自分を反省していたんですがね、キャンパスでもそうです、大木真彦が死んだことで乱闘までやっていたけど、ぜんぶ遅すぎるんですよ。これじゃ、いっそのこと、関係者が集まってかれの共同葬儀の相談でもすりゃ、完璧になるわけなんだ。そうじゃないかな。僕はなぜかれが生きているうちに、かれのような『帰化者』の問題をそれぞれが考えなかったのかと悔まれてならない。民族やそれにまつわる差別・偏見の問題まで含めてね。そうじゃないですか? 君はさっき、かれの『偏見』について正直にいったけど、それはまったくあり得たと思うよ。けれど、おふくろさんの『偏見』とそいつをどう並べる気なんだろうね。少くとも、君はそれをかれの恋人として凝視すべきだったし、打開すべきであった。かれに対しても勇気のある態度をとるべきだったと思うよ」  一気に喋りきると、僕はたちまち後悔の|蠍《さそり》に噛まれた。どうしても、自分のことを棚上げしている後めたさを感じるのだ。もっと談じ合う形で話すべきなのだろうが、自分への苛立ちまでかの女にぶつけたような後味の悪さも残っていた。自分の態度は僭越であったのだろうか。もしかの女が咎められるべきだとしても、恋人を永遠に失ってしまったことですでにかの女は〈勇気〉からのきびしい罰をうけてしまっているのである……。  中江佑子はきつく唇を閉じ、ひしと自分の躰をまもるように坐っていた。相手のことばよりも、信じられる自分の内部の声をまもろうとしているようにも、打ちこまれたことばを吸収して少しずつ覚悟を育てていこうとしているようにも、そのどちらにも取れた。やがて、かの女は胸をくるしそうにのばしていった。 「すみませんでした。家にもどって考えてみます」 「気を悪くしないでほしい。僕はただいい加減に君を慰めたりしたくなかったのです」  僕は顔をしかめて答え、かの女のために先に席を立った。レジで二人分の金を払おうとすると、中江佑子は「いいえ」と拒み、ハンドバッグから小さい紙入れを出して自分の分を払った。なにか遣切れぬおもいになったが、かの女の仕草を拒むどんな親しい理由もなかった。  ペチカを出ると、夏の青い夕闇が音もなく街を包もうとしていた。中江佑子はふうっと戸惑うように往還を眺め、心許なく立っていた。僕は拒まれるのを覚悟して、気まずい声をかけた。 「この夏は海か山にでも出かけたらいいんじゃないかな」  中江佑子はその声で僕を振りかえり、やがてかすかに微笑を浮べて目礼し、それから自分の躰をいたわるように前へ歩き出していた。      3  実家にもどる日、僕はなけなしの金をはたいて父母に贈物をたずさえた。  父には開城人参酒、母には同じ朝鮮産の蜂蜜である。それは対になって函に入っていた。浅草の朝鮮人の店でもとめたものだった。その日の夕方、K県S町のはずれにある家ヘ一年ぶりに帰ってきた息子が黙ってさし出したその贈物は両親にとっていささか思いがけぬものだったらしい。「気味悪い」といったのは妹の|連淑《ヨンスギ》だ。  高校生の妹はそのくせすぐに、「兄ちゃん、私のもん」と掌を反らして差し出してきた。妹には何も買っていなかった。 「ケチ!」と妹は小鼻をしかめて睨んだあと、 「でも、ちょっと見直しちゃうな」と、批評するようにしげしげと眺めた。 「何だよ」  僕はわざと無視するふりをした。少しばかり、鼻にかかったような妹の声だ。一年ぶりでみる妹は〈兄ちゃん〉ということばが不釣合いなほど成長していた。もう三年生なのだ。 「だって、人が変ったみたい。これまで、そんな殊勝なことしたことってある? 何でそんな気になったんか、淑子、知りたいな」  チラリと盗むように眺める態度がおかしかったが、ふと油断ならぬ気もした。 「別に、何の意味もないよ」  じっさい、単純な動機だった。上野駅で列車を待つ間にふと、大木真彦の両親がグリーン車で山陰の田舎町に運ばれていく姿を思い浮べた。すると、時間をずらして、前にいちど見かけたことのある浅草の店に立ち寄ろうという気になったのである。  しかし、そこでもとめた人参酒がこれほど父に感慨を強いることになるとは想像していなかった。父には晩酌の習慣がある。風呂をあびてきて、ステテコ姿でお膳の前にあぐらをかいた父は、密封した人参酒の瓶を手にとり、「うーむ」と唸った。それから日焼けした筋骨の目立つ老いた手で壜を開け、その口に鼻を近づけるとまた「うーむ」と唸った。まるで人参酒に、〈唸りの酵素〉でもとっぷり入っているといった具合に。 「これは長生きの薬だ」  盃に注いだ人参酒を舌でころがしながら父は低く呟いた。呑むのがいかにも惜しそうな感じで盃を捧げ持っているのだ。僕は、家族と一緒に笑った。 「そんなもんですかねえ」 「お前も少しやるか? 酒をのめるようになったんだろう」 「いいですよ。でも大袈裟だな」  父の深刻なほどの感銘が面映ゆかった。どこかピンとこない。いくら朝鮮産のものだからといっても、酒は酒なのである。色はジョニー・ウォーカーのような|琥珀《こはく》色に冴えているが、液にとっぷり浸っている人参は、どことなくのっぺりした未熟児をアルコール漬けにしたような連想が湧いてきて、あまり感じよいものではない。  母は僕のことばを聞くと、 「おや、だからお前は|半《パン》チョッパリなんださ」といった。  妹がふと母の顔をいぶかるように見つめた。自分のことばに気づいた母がうろたえて造り笑いを漂わせた。半チョッパリだって!? これは驚きだ、と僕は思った。息子を〈半日本人〉だという母はとっくの昔に家庭で朝鮮語を使わなくなっていた。料理にも唐辛子を使わなくなっていたし、朝鮮人の匂いのするものはいま父が味わっている開城人参酒くらいなものだった。 「うーむ」と父が唸り、静脈瘤の浮んだふくらはぎをボソボソ掻いた。 「何か、お前、どうしてこいつを手に入れたんだ? |どこか《ヽヽヽ》の運動でもしているのか」  運動? 何のことだろう……。とっさにその意味が解けず、僕は朱の差してきた父の顔を見つめた。 「別に。どんな運動もしていないよ……」 「うん」と父は納得したように頷いて、それ以上は問わなかった。その時になって、謎が解けた。犯人は開城人参酒なのだ。父はこの朝鮮産の酒を味わっているうちに、息子が朝鮮人関係の運動でもやりはじめたのではないかと疑ってみたのだった。僕はなぜか厭な気がした。 「気をつけるんだよ」と、母が口をはさんだ。 「よくわからんけど、学生は勉強しないと。何だか、いまの若い人は無茶苦茶だよ。勉強もせんといてビラ配ったり、警察を襲ったり……。お前はそんなあぶないことに首を突っこまんといてな。そんなことでもしたら、就職にも差しつかえることになるんだから」  僕は、声を立てて笑った。本気で母は息子が就職できると信じているのだろうか。ふと、大木真彦の話をしてやりたくなった。夜間部のかれはある時、就職しようとして失敗したことがあった。その理由をたずねると、企業側は窮して「とにかく成績が抜群なのでねえ」と答えたというのだ。僕は皮肉な表情で母を見た。 「いまの世の中はね、母さん、ゲバ棒を振った学生の方が就職し易いんだってさ。学生運動のリーダーほど大会社じゃ歓迎するってんだ。そして、逆に労務管理の仕事なんかさせてね。やがて入ってくる後輩をスパルタ精神で鍛え上げさせるのさ。だから母さんも僕をいい所に入れたかったら、『お前、学生運動しっかりやっているかい!』って励ました方がいいんじゃないかな」  連淑がおかしそうに笑った。母は情けなさそうに呟いた。 「何だよ、お前。勉強した者は、少しはわかり易い話をしそうなもんじゃないか。ところがお前の話ときたら年々わかりにくくなるんだから。私にそんなむずかしい英語がわかるもんか」 「じゃあ、もう少しわかり難い話をするよ。いまの日本はエコノミック・アニマルといって凄く景気がいい。どの会社も人手不足なのさ。海外にもどんどん人を送らなくちゃ、というわけでね。けど、朝鮮人は採らんよ。喉から手が出るほど人材は欲しくてもね。だから、母さんが僕をどこかいい所に就職させたがってるのが、どうもわかり難い話ってことにもなるんだな」 「だめかい、やっぱり……」  母は目をしょぼつかせ、急にあやふやな声を出した。「でも淑子はちゃんと、農協の事務員になることになったのに」  さっきおかしそうに笑った妹はいつの間にか真面目な顔付きで、小指の爪を噛んでいた。自分の名前が引き合いに出されると、連淑は母の顔を見つめ、きゅっときつく爪を噛んでみせた。陰気な話に母を引きこんだのを僕は後悔しはじめていた。にこにこ笑いながらいった。 「就職なんかどうにでもなるよ。どうしても駄目なら、本屋でも開くから」 「本屋?」  母はびっくりして、くすんだ顔を上げた。 「ああ、この四年間で本も随分溜ったから、貸本屋でも開くさ」  母はからかわれたと思ったらしい。 「私や父さんは、お前がその貸本屋かい、それになってほしくてせっせとお金を送ったんだろうよ」  その時、妹が悲しそうにほおずきのような唇を鳴らした。 「みんな皮肉屋さんなのね、家の人って」 「父さんもかい。おれはいつ帰ってきても、父さんが人を笑わせたりするのを見たことがないけど」 「父さんは仕事一方なんだよ。だから人様からはよく思われて、表彰もされるじゃないか」  居間の鴨居に懸っている何枚もの額縁を見上げて僕は気のない返事をした。 「なるほどなア」 「ねえ、兄ちゃん、お勤めに出るってどんなこと? 淑子にはよくわかんないの。それは、お金を貰いにいくことなの?」  妹の質問は幼女のようにあどけなかったが、暗い光が眼差にこもっていた。さっきまで快活げに振舞っていたのに、もう体温計のように敏感な年頃の娘をおもわせる。僕は童話風にこらした声で心にもないことをいった。 「じゃないさ。世のために役立つってこともあるのさ」  母の方は僕より遥かにリアリストだった。かの女は耳の裏を掻きながら、おくびの出そうな声でいった。 「きまっているよ、きまっている。生きるためじゃないか。暮しを見くびっちゃ駄目だよ」 「ああ、母さんは苦労をしてきたのね。だから、世の中が単純にわかってしまうんだわ。わかり切っているようなことが淑子には難しいのよ。お金を貰って生きるために、なんて、いやだわ。お金を貰う代りに、淑子はそこに縛りつけられてしまうのね」 「みんなそうして暮してんだよ。父さんだって、そうやって何十年もお前達を育ててきたんだよ」  独りで晩酌をかたむけている父を眺めて、母はおくびを洩らした。父は痰の絡んだ咳をひとつして、扇風機の向きを自分の躰からずらすと、また盃を手にとった。 「淑子は何だか行くところがないような気になるの。学校の先生は私を農協に世話して下さったけど、いまの淑子はどこに勤めても死んでいくみたい」 「それは何かい、大学に行きたいってことか」  大学なんて、つまらんぜと忠告するつもりだった。妹は扇風機にあおられる髪を押えて、 「ううん。じゃなくて——行く所が、自分が望んでいる場所じゃないような気がするの。……かといって、どこにそんな場所があるのか、わからないんだわ」  連淑のやつ、考え深くなってきたのだ。何かを模索しはじめている妹を感じて僕は腋をくすぐられるような奇妙な気分になった。  父が咳こんだ。|喘息《ぜんそく》気味なのだ。咳が|熄《や》むと、父はそれをしおに腰をあげ、整理ダンスの横にかかっていたカレンダーの日附を一枚ちぎった。まだその日の日附だったが、父にとってはすでにそのことが明日の仕事の手始めになるのだ。子供の頃から見慣れた動作であった。カレンダーの絵柄の大黒様とはおよそ縁遠い体躯の父はちぎった日附をゴミ籠に入れ、そのついでに僕を見た。 「疲れたろう。今夜は早く休め」 「うん」息子の驕りと甘えの混った返事をして、僕は古めかしい柱時計に目をやった。九時きっかりだ! この時間になると、父はかならず寝床に入る習慣をずうっと守ってきた。僕が物心ついてからずうっとそうだった。早寝の趣味が父にあるせいではなく仕事がそのようにかれを義務づけたのだ。真夜中の二時に起き出した父は物置からいかにも|岩乗《がんじよう》そうな自転車を引っぱり出す。ペダルを踏んで新聞販売店に行くためだった。間もなく町の一軒一軒へ新聞を届けて廻り、空が白む頃に家へもどってくるのだ。それから家族と一緒に朝食をすまし、こんどは町工場へプレス工として働きに出かけていく。そんな歳月を父は忠実にくりかえしてきた。そのせいか、夜になると僕らは父がいないような錯覚にしばしばかかったが、親との対話もあるようでないものでもあった。  膝のくびれたステテコ姿で奥の部屋に入ろうとする父を母がとめた。 「あら。父さん、あの話は、どうするんです?」 「うん?」と、父は後向きのまま足をとめ、ちょっと考えて、明日話す、と答えると、ゆっくり|襖《ふすま》の向う側に消えた。  次の朝、僕は鳥の啼く声で目を醒ました。南向きの窓にかかっている薄いレースのカーテンが朝の光をやわらげている。両腕の屈伸運動をしようとして、枕許の新聞に手が触れた。妹が気を利かせて置いていったのだろう。仰向いたままインクの匂いのする新聞をひろげた時、僕はその紙面から「親不孝」という活字を拾ったような気になった。父はもうとっくに新聞配達を終え、町工場へ出かけていっている時刻だった。その父はこの町でちょっとした名士になりかけていた。|新聞事業《ヽヽヽヽ》に一念|邁進《まいしん》した功とかですでになんども顕彰され〈新聞少年〉ならぬ〈新聞老年〉として町で知られているのだ。そんなことから父はこんどその属する新聞販売店から選ばれ、全国の|功労者《ヽヽヽ》ともどもハワイへ招待旅行に出かけることになっているのだという。これは昨夜、父が寝たあとで母からきいた話だった。  ざあっと紙面に目を通してから、僕は勢いよくはね起きた。小便をしてから、台所めがけていくと、のれんを掻き上げて出てくる妹と鉢合せになった。 「ぐっすり、休めた? 兄ちゃん」 「|兄ちゃん《ヽヽヽヽ》はもう止せよ。化け物が出らあ」  僕は腕の体操の真似をしながら、上機嫌でいった。なぜ? というように妹は兄を眺めてから、のれんをひょいと下げて、居間に入っていった。しかし、すぐに顔を覗かせ、 「お兄、様——」とからかうように声をかけた。僕は歯ブラシで罐の練粉をすくいとりながら、凄んでみせた。妹はなれなれしく笑いながら、「化け物の願い」といい、 「この本、見せてくれる? 読みたいんだけど」と、本をかざして見せた。  おもわず僕は床に練粉をこぼした。妹が手にしているのは、東京の下宿から持ってきた本のうちの一冊であったのだ。 「だめだ、返せっ」  乱暴に引ったくると、妹はびっくりしてこっちを見つめ、いかにも心外そうに叫んだ。 「ケチ。ほんとうにケチ!」  僕はふわふわと笑い、その場を取り繕った。 「こんなポルノ小説なんか読むと、ほんとうに女の化け物になってしまうそ。別の本、買ってやるよ」 「私が読みたいのはその本なの」 「この本はちょっと困るんだ」  奪った本をさっさと台所の棚にのっけてしまうと、僕は窓を向いてごしごしと歯を磨きはじめた。侮辱されたらしく、妹はスカートをひるがえして居間に消えてしまった。その様子を目の隅でとらえて、僕は練粉のねばつく口をあけた。 「そのかわり、海水浴へ連れていってやるからさ。いいぞオ、八月の海は。いこうな」 「勝手に行けばいいでしょう、兄ちゃんひとりで」  つんと冴えた声に波のしぶきを感じた。笑った拍子に、僕は波の泡のような少量の練粉をのみこんでいた。  父が切り出した話は、まったく予想していなかったことだった。  よもやと思うことが、親の口から語られてみると、僕はあらためて父の顔を見直す気になっていた。電燈の明りの具合でか、父の顔は尚のこと、どす黒くよどんで見える。その皮膚は|凝《しこ》った意志を溜めて暗い情熱のうずみ火をかき立てているようであった。  帰化。父が家族を前にして話したことはそのことだった。日本に帰化しようと思う、と語り出した父は、結論をあらかじめきめている者の簡潔さでほんの少しばかり説明を加えたのみであった。それはかれがもともと寡黙であるせいもある。かたわらに坐った母がこんな場合に長たらしく補足説明をはじめるのだった。 「父さんはハワイにもいけないんだよ。せっかく全国から代表に選ばれたっていうのに。やはり、籍がちがうとうまくないことが沢山あるのさ。それは……」  ハワイ? 僕は|常夏《とこなつ》の島を思い浮べ、アロハシャツを着た父がその島の日焼けした腰回りの大きな娘からレイを首にかけて貰っている光景を想像して、奇妙な気分に駆られた。 「そんなことじゃねえ。何を言う」  父はたしなめる口調で母を見た。すると母は厚かましさを丸出しにして、 「そうだよ、そりゃそうよ。親は何たって子供のことを真先に考えるんだから」といきなり軌道修正をはじめた。  父は昨夜と同じように〈唸りの酵素〉を手許に引きつけ、惜しそうに少しずつ喉に送りこんでいた。しかしきょうはその唸り声を洩らさず、むしろほろ苦い表情を顔に滲ませている。息子の考えをもとめるように、父は顔をあげた。 「どうだ、お前の考えは?」 「………」  僕が答えぬのを見ると、父は前よりもことばが多くなってきた。それはまったく珍しいことだった。それだけこの問題で息子の同意を得ようとしているのが伝わってきて僕を緊張させた。  父は日本への帰化をずっと前から考えていたという。朝鮮戦争が終った頃から帰化を考えはじめたというから、僕がまだほんの七ツくらいの時分だった。父にとって朝鮮戦争は民族の悲哀を感じさせるものだった。祖国が日本のくびきから解かれた日、父も故国の独立を心から祝った。それは檀紀五千年の歴史でようやく|克《か》ちとった全民族統合の曙光として父の胸をうったのだ。ようやく国が栄えると思ったのも束の間、南北をへだてる三十八度線が生じ、やがて朝鮮戦争が勃発した。その頃父は新聞を配達するのがつらかったという。一軒また一軒と、日本人の家に同胞が殺し合っているニュースを写真入りで伝え廻っているような苦しみが父の胸を焼いた。しかもその戦争は勃発時とほとんど変らぬ三十八度線あたりで停戦し、それからは冷戦が続きはじめた。この現実が父に民族への幻滅を味わわせ、あきらめを芽生えさせた。はっきりと絶望を感じたのは韓日条約が締結されたときだという。それは民族の永久分裂を強く印象づけるものだった。国の統一も果さずに外国と手をむすぶのは昔からの事大主義的な考えの現われだというのだ。こうして父はもはや朝鮮人そのものを恥かしく考えるようになり、同胞との接触をも厭うようになった。  母が訳知り顔に口をそえた。父のそんな気持に拍車をかけたのはその頃同胞に金を奪われた事件が起ったからだ。|頼母子講《たのもしこう》という同胞助け合いの、小さな金融の集りに父も何十万か掛けていたが、苦心して貯めたその掛金を利息ごとある同胞が横領して姿をくらましてしまったことがあったらしい。  父は渋い顔をして、きいていた。 「金のことはいい。したが同じ国の人をああして|欺《だま》す根性がどうにもならんのだ。今更いったってはじまらん、どうせ国がああだから人間も駄目になってしまうんだ」  暗い眼差で吐き出すようにいうと父はじいっと膝許の人参酒を見つめた。母がつごうとすると、重たく首をふって断った。 「もういい。これは激しい酒だ。……それて、お前はどうなんだ。おれは先も短いしこのまま日本の土になるだろう。どうせ生きている内にあの国は統一されるはずもないし、こうなればお前達のことが気になるだけだ。きのうの話でも出ていたが、就職ひとつにしたって今のままでは生活の安定もないだろうし。いまのうちに帰化の手続きをしておけば、そっちの役に立つこともあるだろうと思うのだが——」  僕は口がきけぬ感じになっていた。どうしたものか、この〈帰化〉の相談のために電報で家に呼ばれたような気持になっていた。もちろん、こんな話があるとは想像もせずにもどってきたのである。しかし、大木真彦の自殺事件が起った直後に父から帰化の相談を受けてみると、不気味な気がした。この偶然の一致を、どう理解したらよいのだろうか。これまでの生活で、僕はなんどか偶然の一致がもたらすユーモラスな事件や怖ろしい場面に出会っていた。その中にはよっぽど神霊術を信じたいくらいの奇妙な出来事もあったほどである。しかしいまのように、偶然の成行きとはいえ、将来の生き方にかかわるゆゆしい問題がひょっくり出てくると、それを驚きだけで済ますわけにはいかないのはたしかである。  黙ってしまった僕をじっくり眺め、父は取りなし顔になった。 「まあ、何もきょうあすということではない。東京にもどるまでに日もあることだから」  父は自分に納得させるように喋ってから、尿意をもよおしたのか便所に立った。もどってくると、気掛りなようすで昨夜と同じ質問をくりかえした。 「何かお前、やはり学生運動はしていないんだろうな?」 「別に」  その返事を確かめると、父は安心したようにそのまま寝室に入っていった。 「九時よ。シンデレラのように父さんは行ってしまうんだわ」連淑が暗い顔で呟いた。  窓の外で夏虫がすだく声がきこえる。さっきから僕は蒲団の上で目をこらしていた。明りを消した部屋は暗闇に包まれていた。しかし、いつの間に宿ったのか、一匹の蛍が躰の中を翔んでいて、ぼうっと胸の内を照らしているような気持になっていた。その明るみにいつかの大木真彦が出てきて、僕に話しかけていた。 「……せめてもう三つか四つ、年を喰っていたらなァ。おれはたとえ父と喧嘩しても、帰化はさせなかったはずなのに」  大木真彦が十歳の年にかれの父親は家族もろとも帰化の手続きを取った。その理由はおそらく、さっき父が僕に話したようなものであろう。民族への絶望、生恬への考慮といったものにちがいないのだ。  あの記者の書いた記事を思い出した。かれは在日朝鮮人の〈帰化〉状況を数字をあげて示していた。サンフランシスコ講和条約からこの方、五万人の帰化者が出ている、と指摘していた。その中には、大木真彦のように未成年であるがゆえに親の意志で日本人にさせられた子供も多いはずであった。かれはいわば、他者の意志によって、自己喪失者となったともいえる。それゆえ、かれのことばには絶えず未練がましさが感じられもしたのだった。とはいえ、かれのいう通り、かれの年齢がその時十三、四歳だったとしても、せいぜい中学生ていどの少年が父と争って帰化をさまたげることはまず不可能な話であったろう。それでいて、なんどもかれは同じことばを繰りかえした。それだけに、聞く立場の僕はそこに怨念のひびきを感じたのだが。  最初から、かれは僕に未練がましい印象をあたえている。かれが僕のアパートを訪れるようになったのは、奇妙なトラブルの現場に僕がたまたま居合わせたからだった。ちょうどかれが訪れてくる五日前、アパートの僕を訪ねて同じ大学の朝鮮人学生がやってきた。朝鮮人学生の懇親会を持つので出席してほしい、という趣旨の話を持ってきたのだ。それまでなんどかその種の案内の葉書が届いたことがあったが、僕はいちども顔を出さなかった。同じ同胞学生に接触してみたい気持はあったが、それを怖れる気持の方が勝っていたからだと思う。しかし、その時になって出席を約束したのはその学生の熱意にほだされたからだったろう。  当日、会場にいくと、受付で係の学生と言い争っている頬骨のとがった神経質そうな青年がいた。それが大木真彦だったのだ。 「しかし、それはちょっと困るんで……」とか「性格が違うんだよ」と係の学生が弁明しているが、その青年は自分も朝鮮人学生だから内に入れろと言い募っているのだった。とっさに僕は係の学生に肚立ちをおぼえた。なぜこの青年を拒むのか不可解に思った。同じ朝鮮人ではないのか。だからこそ、僕も屈折した気持でやってきたのだ。係員の処置は、かれのみならず自分をも否定されたような気にさせたのだった。 「入れてあげるといいじゃないか。その上で話をすればいいだろう」  僕が割りこんで口添えすると、青年は喉仏を上下させ、すまない! といった。 「弱ったなァ、全く。この人はですね、朝鮮人といっても……」  係の学生は、ほんとうに当惑し切っていた。 「この人は……つまり、|OB《ヽヽ》なんですよ。しかし、きょうの会は、いわば|現役《ヽヽ》の集りになるんですからねえ」 「あの時、あいつは遠慮したつもりで|OB《ヽヽ》だなんていってたけど、ずばり、過去完了形の人間とでもいえばよかったんだ。でも君がいきなり『入れてやれよ』と助言してくれた時は涙が出そうだったな」  二日経ってアパートを訪ねてきた大木真彦はその時のことを振りかえってにがにがしそうにいったものであった。それから、かれは自分の帰化の由来を繰りかえし語るようになったのだ。 「君の場合は、現在進行形なんだから、やはり羨しいよ。せめて、もう三つか四つ年を喰っていたらなァ。おれはたとえ父と喧嘩しても、帰化はさせなかったはずなのに。君のおやじさんは、どんな人なのかな? おれのおやじってのは狂暴で専制君主でね、朝鮮の親ってのは全くスパルタ教育が好きだからそんなもんかも知れんけど、とにかく、おれはよく折檻されたもんだった。子供が多かったこともあったからなア」  僕はその時、かれの考え方に率直に疑問を出したのだった。 「暴力を振うのは親によりけりだろう。僕のおやじは殴ったことがいちどもないんだよ。そのせいか、よく朝鮮人の親を狂暴だというけれど、僕の場合はあまりピンとこないし、一般化していうのはどうかな。ことばの公害みたいなもので、一種の|垂れ流し《ヽヽヽヽ》なんじゃないのかな」  かれは父親に殴られて育った。しかし、僕はたとえ〈帰化〉に反対しても、父に|打擲《ちようちやく》されることは絶対にないだろう。それは僕が成人しているせいではなく、父が人の頭に手をあげることが嫌いなせいなのだ。  父のそのような性格を僕は尊敬しているのかもしれない。しかし、いまの僕には親への反撥があることもたしかなのだった。反撥心の底には、不安がある。自分の存在がうやむやにされてしまいそうな暗い予感がするのであった。自分は何者なのだろう? 思えば、この疑問はひとり大木真彦のみならず、自分自身の根源的な問いのはずであった。これまでの僕はこの問いをどのくらい真剣に受けとめてきたであろう。考えていくと心許ないおもいにおちいり、そのせいか、躰に宿っていた蛍がすうっと消えていき、暗闇を切り裂いてくる夏の稲妻に打たれるような気持になる。  しかし、闇雲のうちにも、自分なりにその努力はしたといえるのだ。躊躇する心をふるい立たせて同胞学生の懇親会に顔を出したのも、そのあとでかれらと短い蜜月時代を体験して、けっきょく非難されるようになったのも、やはり自分が何者かを知ろうとしての屈折ではなかったろうか。父はなぜかしきりと学生運動とのかかわりを気にしている。なぜだろう? だが、父は安心すべきであり、僕は自分の腑甲斐なさを気づくべきであった。僕は学生運動をしている青年達の眼差に〈希望〉の光を見出し、羨望を抱いた。たとえ、絶望的な荒野で運動している連中にしてもそこに挫折の美学を見ることができた。とまれ、青春期をいかなる傷も受けずにすごしていく生き方は僕には耐えられぬ愚かしさに思えるのだ。  そのくせ、いかなる運動にも参加してこなかったのは、自分が何者なのか、という疑問を克服することができなかったからだ。母はこの僕を〈半チョッパリ〉と呼んだ。朝鮮人とも日本人ともつかぬ人間をそのような蔑称で呼ぶとしたら、僕こそその汚名に甘んじなくてはならないだろう。だが、半チョッパリの僕だからこそ、朝鮮人という原点にたどり着くことを夢見ているといえないのか。その僕からすれば、帰化をめざす父はもはや完全な朝鮮人とはいうことができない。流亡の民がたどり着く生き方をなぞっているにすぎない。  暗闇の向うで、突然「アイゴー!」と叫ぶ切れ切れの悲鳴がひびいたようだった。家の中はしんと静まっていて、きこえるのは夏虫の声だけだった。しかし、たしかに「アイゴー!」という叫びが流れてくるようだった。僕が生理的に嫌っている声だった。血潮が騒ぐような、それは呪いのこもった怨声に外ならなかった。      4  波は切先をそろえて、かぶさってくる。  背中を叩かれ、水中に引きこまれてから、僕はいきおいよく頭から飛び出してきた。いそいで顔の水を両手で切ってから砂浜を眺めると、連淑がこっちを見て笑っていた。  何回も波に挑んでは、引っくりかえされていた。海は青々とした表皮をほんの少しよじらせるだけて尊大な挑戦者を波打際から掃き捨ててしまう。僕はなんどか水をのみ、それでもへこたれずに波と闘っているのだった。妹にいいところを見せようという野心があるからだ。海は手兵を放って、英雄の出現を拒んでいるかのようだ。うねりが近づいてきた。僕はぐっと水中に腰を落し、波を乗り切ろうと構えた。波は白い牙を並べ、口をひらいて、難なく餌食を胃袋に呑みこんだ。吐き出されて、僕はわめきながら息を継いだ。また失敗だ!  妹はやはり笑っていた。早く、海と和解した方が名誉が保てるんじゃない、といった表情で。僕はいまいましそうに、なだらかに妹の近くにたわむれ上っていく細波を眺め、波打際から上ってきた。 「凄え波だ。まるでムチで打ちやがる」  熱い砂を踏んで妹のそばにいくと、坐りこむなり僕はいった。 「ほら、こんなになっているだろう」  太腿や膝から下が波に混った砂粒で叩かれ、赤く脹れかかっている。腹這いになろうとすると、刺されたように痛かった。また、妹が笑った。 「水に入れよ、お嬢さん」  僕は耳に入った黒っぼい砂粒を小指でほじくり出しながら負け惜しみでいってやった。 「こわいもん、波が」妹は水着の胸の辺をせばめながら、首を振ってみせた。ばかだなア、と僕が笑った。年頃なのだと思う。小さな胸のふくらみとなだらかな腹を黒い水着できっちりまもって海を眺めているその姿からいとおしい念願が育っている。家でムキになってしまう妹から浜辺の愁わしい妹にといつの間にか変幻しているのだった。化け物みたいだ、とも思う。  太陽が眩ゆいのでサングラスをかけ、仰向いてみた。白っぽく光っていた空が紫青色に冴え、雲の輪郭が鮮やかだった。眼をとじると、こんどは波音が冴え、威嚇的だったひびきが堂々とした男の物語に変っている。潮の匂いがふうっと気持を鎮めてくれた。  躰を太陽が念入りに焼いていた。波の音にまじって海水浴客のさざめきやビーチ・ソングがきこえた。そのうち、自分がどこにいるのかわからぬ忘我の境におちいり、空を翔んでいるような気分になりかけ、目を醒ました。妹がこちらに背中を向け、片膝を立てて底のまるいビーチ・バッグから何かを取り出しているところだった。サングラスを外して、声をかけると、 「泳ぐの」と、妹は思いつめた眼付きでいった。やわらかいゴム製の黒い帽子の中に、頬の方へ反っていた髪や耳を半分埋めていた髪をそっくり|納《しま》いこみ、水着の肩ひもを直した。うなじから背中の方にかけてこまかい|生毛《うぶげ》が密生していて、それが僕の気掛りな気持をはっきりさせてくれたようだ。なぜ、とつぜん、泳ぐ気になったのだろう。監視楼に目を向けると、まだ水泳禁止の旗は出ていなかった。 「よし、一緒に泳ごう」  先にたつ妹の後を追うように僕は砂をけった。波は相変らずうねっていたが、うまくやりすごして深みに入ると、かえって小ぶりになってくる。二人は並んで泳いだ。水は冷たくなっていき、所によって水温が変った。妹はなんどか水をのんでくるしそうに僕に目を走らせた。陸から百米くらいの地点だった。無理だな、と感じ、戻るぞオと合図すると、妹はうなずいてすぐに陸の方に向きを変えた。うねりに持ち上げられ沈められてなかなか陸に近づかなかった。流されたらお終いだ。僕は水をのみながら、クロール! と叫んだ。妹が懸命にクロールをはじめた。ぴったりついて僕は抜き手を切った。うねりに乗り、足が砂地に触れた時は、助かったと思った。僕は唇を紫色にしている妹に近づき、躰をそっと抱きしめてやった。それからもうひとつの大きなうねりがやってきて、二人は波打際に掃き捨てられた。  砂浜に上ると、二人はくたくただった。妹はゴザの上に両膝をそろえて落すと、そのままくずれるようにうつ伏して、肩で息をしていた。僕は海水パンツの内ポケットから百円銀貨を取り出した。それは潮水で黒っぽく変色していた。売店からコーラを買ってきてやると、妹は顔をもたげ、嬉しそうに躰を起した。それから、やっと生気を取り戻したように、こわかった、と呟いて微笑んだ。  午後になると、監視楼に赤い旗があがった。食事をすませてからの僕らは海ばかり眺めてすごした。穏やかな時間だった。海で泳いだ小さな満足感があり、海の強さを讃える気持が海への視界をひろげてくれるようであった。ときどき、妹が話しかけた。海気で妹はだんだんと躰の線が女らしく育てられていって視線に青っぽい冴えが感じられた。この年頃の娘は七変化する化け物のようであった。 「兄さんは、いる、いない?」 「何だい、それは?」  妹はククッとおかしそうに笑った。 「コイビト……」  僕は乾いた腕の砂を、ごしごしこすって落しながら、沖合いを見やった。なぜか、面映ゆかった。 「つまらんことを聞くな」 「冴えない兄さん——」 「つまらんぞ」  僕は怒ったように呟いた。妹の問いが掛言葉になっているように思ったが、たずねかえしてみるつもりはなかった。さっき、水の中で抱きしめてやった時、胸と胸のあいだで波が騒いだような感触があった。妹は兄の抱擁を拒み、水を掻いて離れようとしたものだ。それが妙にはっきりと思い出された。この自分には恋人はいないし、いま欲しいとも思っていなかった。恋人のいないのがなぜか誇らしくさえ思われるのだ。負け惜しみではなかった。ほんとうの恋愛をしてみたい気はある。それはいつかやってくるのではないのかとも思うのだった。  僕は話題を変えてみた。 「さっき、なぜ急に泳ぐ気になった? 海がこわいといっていたくせに」 「さっきのこと——」妹はすうっと表情を変え、午前中の思いつめた眼付きになっていった。ちょっと唇をすぼめてから、妹はいった。 「試したかったの、自分を。どこまで泳げるのかって。淑子にはそれが必要なのよ。なにかを泳ぎ切ってみたいの」 「ずいぶん、危険だったがね」  妹はこっくりと頷いてみせた。 「こわかったわ。水の中であんなに怖ろしいおもいしたのってはじめてよ。けど、よかった気がしている。淑子ってとても生き方が曖昧でしょう。だんだんとそうなっていくみたいでこわいの。……お勤めに出ることもそうだわ、何か自分が掴めないうちにどんどん社会の仕組に|嵌《は》められていくみたいで厭。もっと別の、自分が望むような場所で仕事をしてみたい気がすることがあるのよ。そんなことって、贅沢なこと?」 「贅沢かどうか知らんけど、そんな晴れがましい場所ってあるんかな」  僕は腕をさすりながら、憮然として答えた。妹が抽象的にもとめているのは、生き甲斐であろう。痛いところを衝かれたようなおもいがあった。妹は妹で、生きることの意味を考えているのであろうか。 「|連淑《ヨンス》は、こんな夢を見るかな。空を翔ぶんだぜ、両手をこうやって羽撃いていると、ほんとうに翔んでいくのさ。日本列島をね。空も交通難で、さまざまな人種が翔び廻っているけど、時には有名人に出会うことだってあるんだ」 「面白い話」おかしそうに妹がいった。 「面白いがね、あのように自由に空なんか翔んでいると、夢から醒めたあとが大変だよ。その夢が現実の希望のなさからきているとしたら、一ぱい喰わされたようで、もうそんな夢も見たくなくなるよ」  東京での生活を思い出していた。虹のような〈希望〉をもとめて、新聞記者になろうともがいていた自分が哀れにも思われる。考えてみると、自分もまた妹のように望ましい場所で仕事することをもとめているのである。それは一つの職を選択する問題というよりも、生き甲斐の問題である。ひょっとすると、自分はそのような帰属場所をさがそうとしているのかもしれない……。  妹が砂を見つめながら、たずねた。 「兄さんはあの事、知っている? 国会議事堂前で死んだ人のこと?」  どきり、とした。やはり妹はそのことを胸にひそめていたのだ。不思議と家の誰もが申し合わせたように口にしなかった。それでこっちも白っぱくれて黙っていたのだが。僕が態度でしめすと、妹の眉がくもっていった。 「どうなるのかしら」 「どうなるって?」 「父さんは帰化するっていうでしょう。こわいみたい」  僕はたわいない妹を笑った。 「何だ、そんなことで。帰化するからって、みんながみんな不幸になるってもんじゃないだろう。人間の帰化そのものがひょっとして人類の歴史の発展に貢献してきたかも知れないんだぜ」  強がりをいおうとしているのだろうか? 口をつぐんだ時、そんな考えに捉われた。妹が僕のことばを|怪訝《けげん》そうに受けとめているのもわかった。 「意外だろうか。おれは帰化をまるっきり否定する考え方はしたくないよ。ただ、おれは父さんが帰化しようとするのは反対なんだ。父の場合、自分の民族や歴史に愛想を尽かして、日本の方がいいというもんだろう。その哀しい生き方って『アイゴー』という哭き声とちっとも変らないよ。そういう感じが、まず厭なんだ。おれは祖国って知らないよ。まるっきり知らんといっていいくらいだ。だから両親みたいに、祖国と日本を比較してみてうらぶれた気持になるってことはあり得ないし、妙な宿命観を植えつけられたくもない。かといって、おれには祖国愛とか愛国心っていうややこしいものもない。祖国を知りたいって気はするけどね。おれたちは戦後の日本で生れて、育って、ただそれだけだろう。祖国は海の向うなのさ! しかしそれでいて、一応祖国があるのに、なぜ『アイゴー』で帰化しなくちゃなんないのかとも思うんだよ。そんな惨めなことってあるかい。それなら〈半チョッパリ〉とかいわれるおれたちはどうなるんだろう。祖国も知らないおれたちにもきっと言い分はあるよ。もし親が帰化するとすれば、いちばん惨めになるのは祖国を捨てた者より、祖国を永遠に知らないことになる二世や三世にちがいないじゃないか」  連淑がきらきらとひとみを光らせ、感歎するようにいった。 「つよいのね、兄さんって。そして、きっと正しいんだわ」  妹の賞讃は僕の心ににぶい衝動をあたえた。いきなり、その正しい兄貴が、万引きの常習犯であることをおしえてやりたくなったのだ。尊敬する兄が、汚れた手の持主だと知ったら、妹はどう思うであろう。僕が自分のその衝動を抑えたのは、妹が偶然ひどく切ない表情をのぞかせていたからだった。兄妹の二人にだけわかるような親密なまなざしである。これからの妹は死んだっていわないだろうが、子供どうしの頃、二人は夫婦ゴッコをしたこともあった。妹はオシッコをする姿勢で僕に桃のような柔かい裂目をのぞかせ、僕の手はそおっと木炭を差しこんでいくために顫えていたのであった。それは少年少女時代のこととはいえ、兄妹が分かったほの暗い性の思い出である。たった二人の兄妹であるせいか、その思い出まで含めて、僕は妹を愛していた。妹が化け物のように童女の表情にもどって兄を無心に信頼しているようすを見ると、残酷に僕の暗がりを|曝《さら》け出すのがつらい気になったのである。 「強いとか正しいなんてもんじゃないよ。自分のアリバイを守ろうとしてもがいているだけのことさ。そのために、悪すらも必要なことがあるかもしれんじゃないか」  僕は吐き出すようにいった。 「誰が〈半チョッパリ〉のおれたちを守ってくれるんだい。僕らみたいに、朝鮮人社会からも遠く離れて暮している連中をさ。そんな人間は多いのさ。大体、日本の学校に十二万人も半チョッパリが通っていて、民族教育をうけてるのはたった四万足らずっていうじゃないか。みんな、見捨てられているんだよ。所詮は、自分で自分を守らなくってはならないんだ。親だってこうなりゃ頼りにならんからな。生きる以上は自分が自分に責任をとらなくちゃいけないんだよ。大木真彦は頼りすぎたんだ。女々しく訴えようとした。最後の死に方なんかもまさしくその訴えだったからね。しかし、あいつはそれで何を得た? 手前の青春を亡ぼしてしまったが、人々は何日か経っただけでもうかれのことなんかを忘れてしまっているじゃないか」  海辺の風俗を見ていると、そんな気になるのだった。ビキニ・スタイルの男女がビーチ・パラソルの下で仮眠を愉しんでいる。すぐそばで若い女がいとおしそうにさっきからビーチ・オイルを躰に塗りこんでいるが、その向うでは長髪族がうっとりと躰をくねらせて踊っていた。大木真彦は大きな誤算をおかしたのだ。かれは、人々の記憶に殿堂入りを果たすことができなかったのだ。 「じゃないわ。あのことはさまざまに物語られていると思う」妹が首をふって反対した。 「おれは忘れたいよ。できることなら、すっかり!」  大木真彦を避けるようになったのは、かれから〈帰化人〉の悩みをくり返しきかされる破目になってからであった。日本人とも朝鮮人ともつかぬ人生の孤独を、かれは僕に訴えようとしていた。それは学生運動のさ中、恋愛の歓びのさ中においてもかれを悩ますものであった。かれは自分の宿命を意識し、運命を悲しんだ。しかし、僕はやがて同情に飽き、疑問を抱いたのだ。それほど民族を忘れられぬのなら、なぜ籍を朝鮮人に還す努力をしないのか、かりにそれが法律的に難しいとしても、いったん、そう志すべきではないのか? また、こんな風にちらっと思ってみることもあった。〈帰化人〉として、日本人と朝鮮人の橋渡しをする貴重な人間となることはできないのか? もしいつまでも〈帰化〉を怨みつづけるとしたら、かれは日本人になる資格もないし、|同胞《ヽヽ》である日本人を裏切ることにもなるのではないのか。忠告すると、大木真彦はシーザーの叫びを挙げた。〈ブルータス、汝もか!〉との悲痛な響きをこめて、身もだえするように自分がその志を生きようとして挫折せざるを得ない理由を列挙したのであった。 「でもあの人、なんとか生きてほしかったわ」妹がぽつんと洩らして、坐り直した。 「あいつの叫びから責任を免れられる人間はいないはずだ。自殺したことを非難することや意志の弱さをあげつらうことはできてもね。しかし、ほんとうに、あいつは生真面目すぎたんだ、ばかなやつだよ」  僕は肚立たしげに叫んだ。突然激しくののしった僕を妹はいぶかしそうに見つめた。そう、この妹にはわからないことなのだ。  大木真彦が僕の万引きを知ったのは何回目かにアパートを訪れてきたときのことだった。かれはとうとう僕にこういった。「凄い本だなア! いつも羨しいと思っていたんだけれど」  アルバイト学生であるかれは親の仕送りで通学している僕を内心羨しく思っていた。その上、書籍もかなり買える身分だと勘違いしていた。僕はそれまでなんの説明もしなかったのだ。 「それも朝鮮関係の本がかなりあるんだなァ。やあ、これは前から欲しいと思っていたやつだ。読んだかい?」 「うん、知識としてね。朝鮮の歴史はいささかでも覚えたよ」 「これは高い資料だからな。ちょっとおれには手が届かんよ」 「欲しけりゃ、あげてもいいよ。ただし、ここにある本の多くは生協とか書店から失敬してきたものだからな。それでよければ、持っていってくれ」  僕はその時淡々とした口調でいったのだ。はじめのうち、かれは冗談とばかり受け取ったようだ。しかし、やがて青ざめたかれは僕を凝視して、唇をゆがめた。 「それは犯罪だ。君は自分のしていることを恥かしいと思わんのか。ことに生協から盗むなんて! 生協の学友達がどんな商業資本の攻勢に耐えながら学生に奉仕しているのか、犠性的に生活しているのか、君はまるで知っていないんだよ」 「犯罪だって?」その時、僕はそのことばがなまなましい罪悪感を呼び起さぬのはなぜだろう、と考える余裕があったのを覚えている。そうだとも、とかれは真剣に主張した。僕は、おどろきもしなかった。かれのような生真面目な人間が、万引きの話をきいて肚を立てるのはあらかじめ予測していたことだからだ。なるほど、法治国の通念からすれば、万引きは犯罪である。これほどわかり切ったことをかれは必死に主張しているわけなのだ! 僕はかれの単純な正義感がむしろ|訝《いぶか》しく思えたほどだった。しかし、|犯罪《ヽヽ》であることは疑えないにしても、その本を盗むことによって、僕は同時に自己を高めることができたし、犯罪一般から隔離され庇護される自己を感じていた。或いは、人生に絶望して自殺したいという誘惑も退けることができた。しかも読書によって、この社会の差別とか偏見の原因をきわめ、さらに朝鮮の歴史や現実も頭に叩きこむことができた。その上、本から得た知識によって、僕が世の中にやがて善を施すことも可能ではないのか。大木真彦は、僕の主張を|詭弁《きべん》として拒否し、人間は真実を志すものである以上、不正義によって得られた知識はやがて本人をも滅ぼす、と予言さえしたのであった。もっとも僕は、自分の主張をあっさり引っこめて、こういっても構わぬ心境にもなっていた。この無味乾燥な現実の中で生の瞬間を味わえるだけでもよいではないか。万引きは、目的を失った学生が生の瞬間をたしかめるスリリングな行為であるのだ。  とはいえ、万引きに失敗すれば、僕は法の裁きに服するつもりでいたし、この冒険がつつがなく進行しても、いつの日か、本代は盗んだ店に返済しようとも考えているのだった。大木真彦は僕の顔を哀れむように眺め、首を振った。 「とにかく、いまからでも止めるべきだよ。おれには異常だとしか思われない!」 「成功を祈る、といってほしいよ。これが目下の生き甲斐なんだからな。まったく感動的な!」  僕はふてぶてしくいい放ち、かれは首をふりつづけた。……  それも大木真彦の生真面目な性格のせいなのだ。だが、僕が肚を立てたのはかれの一途さにたいしてというより、自分を自殺に追いこんでいったかれのあまりもの誠実さにたいしてであるのかもしれない、ふとそんな考えになっていくのであった。  風が出てきていた。僕と妹は沈黙がちになり、いつまでも沖を眺めていた。妹はこの兄に問いかけたい多くの質問を持っているようだ。だが、おし黙り、波を見つめていた。  波は戻るたびに砂浜から明るみを少しずつ水の中に引き入れていた。夕方がその波の作業につれ近づいてきていた。僕らはやがて帰り仕度をはじめた。  毎日のように僕は海へ行った。三十分ばかり自転車で国道をとばすと、浜辺に着くのだ。たいてい、妹を誘った。陽灼けがこわくなったのか、妹はほとんど尻込みしたが、それでも何回かはついてきた。二人は恋人どうしのようにサイクリングし、擦れ違うジャガーやムスタングに何回も狂った嫉妬の警笛を鳴らさせた。妹はそのつどスカートの方に気を取られ、ペダルを踏むのをおろそかにした。しかし水の中では思いっきり肢体をくねらせ、沖に出たがった。  連淑と行かぬ日の僕はもっと遠出し、沖に出た。ヨットの男女に近づき、舟べりに掴まって休ませて貰ってから陸にもどっていった。砂浜では日焼けした腕や肩の皮を剥いたり、飽きるとごろりと仰向けになった。じいっと一時間もそうしていてから、また泳いだ。夕方になると、熱であつくなった自転車のハンドルを握って家に帰った。こうした毎日の生活で躰はサムソンのように逞しく見えたが、じつは日増しに気持の方が重くなっていたのだ。  父はいつ「帰化」の件で話しかけてくるのだろう? 夕方になると、僕は毎日のようにその話が出るのを待つ気分にさせられた。ところが、あれっきり父はそのことでは口を利かず、晩酌がすむと、九時きっかりに寝床に入る生活をくりかえしていた。  僕は妹をからかいに部屋に入っていく。夕暮どきの連淑は窓辺の机に坐って、一番星でも発見しそうな眸で空を眺めていたりする。「ちょいと、ノーキョーさん」と肩を叩くと、妹はハッと夢から醒めたように兄を眺めた。そして、「いやだわ」と、その明日の仕事場をいとう表情をして見せるのだった。ところがある日、ぬうっと部屋に入っていくと、いそいで書きかけの便箋を胸でおおって、かくそうとした。そして羞恥心で顔を赧く染めながら「出ていって!」と要求するのだった。化け物の妹に向って、僕は振られた騎士のように腰をまげてお辞儀をし、礼儀正しく出ていくふりをした。ところが意地悪い兄はドアの外側に立って手紙の内容をふざけた調子で朗読し出すのだ。  「私の家はふしぎな家です。平和に暮しておりますが、みんな勝手に暮しています。ああ、太郎さん、私はどうすればいいのでしょう……」  妹が椅子からすっ飛んできて、ドアの向う側で「いやらしい兄さん!」と叫ぶのだ。  別の日、僕は鼻孔をひくつかせながら、家の中を廻っていた。母と妹がそのようすをいぶかしそうに眺めた。僕は居間、寝間から台所まで、クンクンと鼻を鳴らしながらそこらの家財道具の匂いを嗅いで廻っていたのである。 「何の真似だよ、まるで犬みたいじゃないか」母が見咎めていった。構わずに、僕はその母の躰にまで鼻を近づけた。 「ぜんぜん、匂わない! この家は無臭透明だぞ。アリバイがない、完全なんだ」  この奇行の意味が母にはわからない。妹が気づいているだけだった。僕は部屋に引っこんでしまった。熱気のこもった部屋に閉じこもっていると、ふと東京で接触した朝鮮人学生のことが思い出された。懇親会に出たのがきっかけでなんどかかれらの学習会や集りに顔を出すことになった。|現在進行形《ヽヽヽヽヽ》の人間である僕が同類のかれらにもとめたものは人間のしるしであった。僕が韓国籍をもつ大学生であると知っても、かれらは少しも驚かなかった。むしろ、それを知って、歓迎している動きが感じられた。民族団合と自主統一というスローガンを持つかれらにして当然のことだったのだろう。僕は迎え入れられたのを感じた。大木真彦には気の毒だったが、こっちは〈現役〉の強みがあったのだ。かれを〈OB〉と名付けた受付の学生、あらわれた何人もの同胞学生の中にはなかなか魅力のある者もいた。何よりも、かれらは情熱的で、主義に殉ずる意志をかくさなかったし、その手段と方法も学んでいるようだった。  しかし、個人的に魅力のある学生もその組織の重くるしい雰囲気の中で眺めると、むしろ開ききれない才能が惜しく思われるほどだった。その重くるしさが組織そのものの条理なのか、組織がおちいっている状態からくるものなのか、僕にはよくわからない。いずれにせよ、そこにはかれらのめざす思想とも食い違っているはずの重い空気がよどんでいるように見えたのだった。僕はかれらがことさら完全な人間として振舞うのに驚かされたし、一方で自分が教化されるべき小羊となっているのに気づかされた。長白山脈の密林で敵を追いちらし、祖国光復の|松明《たいまつ》を全八道に照らした民族英雄の伝統をかれらは金科玉条として、すべてに機械的に適用しているようだった。その革命伝統は僕自身が心湧き胸ふるえるほどすばらしいものであった。しかし、僕はなによりも汚れた手を持った青年であり、それゆえに、かれらがいかなる時にも完全な人間として自分を見せかけ、振舞おうとする態度に疑問と怖れを抱いたのである。不完全な人間にとって、信じられるのは人間が欠陥を持っていながらも、もしかして世の中に尽すことができるのではないか、ということである。当然のことながら、僕は人間とはそのようなものと考えたので、完全を信じ、そのスタイルを装う人々の姿は僕の目には多くの偽善さえ感じさせた。かれらは僕のような物の見方を好まなかったようだ。当然かれらは非難し、レッテルをつけ、民族虚無的な学生ときめてしまった。そこで僕もしだいにかれらと接触する気力が失せてしまった……。  父と話すことになったのは僕が最も憂鬱な気分でいたその日の夕方のことだった。もはや夏休みもあと数日しか残っていなかった。父は大切に納っておいた人参酒の残りを取り出し、家族の前に坐った。その人参酒を僕にもすすめる父を見ると、〈最後の晩餐〉でもはじまるような奇妙な気分になったものである。  盃に口をつけて顔をしかめると、父は穏やかに笑い、男は酒くらい飲めねばといった。息子はタバコもすわないのだ。暫くして、父の表情が深刻になり、唸り声を挙げた。 「わかった。お前はやはり運動をしていたんだ」  僕が〈帰化〉するつもりがないのを知った時だった。だがなぜ、父は再三にわたって|運動《ヽヽ》の話を持ち出してくるのだろう。 「父さん。おれはどんな形の運動もしていないよ。してみたいとは思ってちょっと付き合ったことはあるけどね、しかし、自分の動ける場所がないんだ」  血管が膨脹してきたせいか、僕は自分の気持を父にうったえたいという切なる気持にゆすられた。 「でもなぜ、そうなんどもきくんですか?」 「いや、何でもない。が、そういうことになれば帰化がむずかしくなる。あれもいざとなればなかなかむずかしいものなんだ」  一瞬、僕は信じられない表情になった。父は順良な日本人になるために息子の運動を怖れていたのか。不快さを顔に出して、自分の盃に人参酒をつぐと、母が躰を気遣った。 「いいでしょう、これくらい。これは朝鮮の酒ですよ。おれは何だかこの家にいると、だんだん透明人間になっていく気がするんだ。この激しい酒でも飲んでいないと、色が染まらんでしょう。母さんだって、透明人間にならぬように飲んでみたらどうですか」  母は息子の奇妙なセリフに戸惑い、父の方を助け舟でももとめる風に見やった。〈可愛い女!〉と僕は母をあざけった。 「まあ、いい。しかしな、……お前の気持はそうだろうが、どの国籍でいようが、自分の国を忘れなけりゃいいんだ。また、忘れられるもんでもないし……」  気まずそうに父が呟いた。息子との争いを避けたがっている風だった。何とか穏便にきめたいという低い調子がそこに感じられる。父が僕の眼の中に小さく縮まって入ってくるような気がした。その父は積年の労苦を皺っぽい骨格でかろうじて支えている初老の男の姿そのものだった。親にのしかかられたような気がした。父は疲れている。もう祖国とか故郷ということより、残り少ない余生を小さな安息のために、カレンダーをめくりたがっているのだろう。  悲しい気がして、父を|詰《なじ》る気も失せていきそうであった。 「兄さんと同じ考えなのよ、淑子も」と、妹が口を挿んで、父を見つめた。それは動揺する兄を引き立ててくれた急場の援軍だった。僕はやはり喋るべきだった。 「父さん!」  とつぜん、切羽つまった声をあげた息子を父は注意深く、しかし威厳を持ってじっと眺め、 「なんだ?」と応えた。 「こんなへんなことってあるんですか。おれたち子供が日本に帰化したいっていう方がもっと自然でしょう。朝鮮をまるで知らない子供の方が……。それなのに、母国で生れた父さんたちが自分の国を嫌って帰化しようとしている。じゃあ、おれたちは何を信じたらいいんですか? 祖国ってのがそんな下らんものなら、きっと日本人になったって永遠に劣等感は消えないでしょう!」 「ちがうぞ、それはちがうぞ」  唸るように父はいった。 「国は立派なのだ。だが……そこにいる人間がだめなのだ。あいつらは分裂ばかりしてわしらまで不幸にしおる。統一など、できるわけがないのだ。いいか、だが、もともとの国は立派なんだぞ」  父はにわかに愛国者にでもなったのだろうか——だが、それは祖国を去ろうとする父の複雑な心境を垣間見せただけなのだ。僕はうめくように叫んだ。 「なんて惨めなんだろう。父さん、ハワイになぞいかずに故国に行ったらどうなんですか。……おれは、父さん、万引き男なんだよ。本を盗むのが、それしか歓びのないようなさ。そう、おれは反対するからね。帰化を妨げてやるよ。犯罪者がいる家は帰化できないんだろう。このおれが万引きして捕まれば、ああ、それでもう父さんもお終いじゃないか……」      5  アパートの部屋は空気がすえて書庫のようにカビ臭い。  山積みした本のカバーに手を触れると、白っぽいほこりが指の腹についてきた。僕は窓を開いた。初秋のしのぎやすい空気で充たされた部屋の真中に僕はどっかり腰を落した。いま田舎からもどってきたところだった。一息ついてから、立ち上った。やることがあったのだ。  次々に本をひもで結えると、それを手に持って古本屋へ売りに行った。できるだけ、書店をふやした。新品同様の本が定価の四割で買い取られた。あまりに安い気がしたが、交渉は避けた。早く、金に替えたかったからだ。それに交渉できる筋の本でもない。売ってもどると、机の鍵をあけて|手帳《ノート》を出し、ペンでいちいち線を引いていった。手帳にはこの三年半の間に生協や本屋からかすめてきた書籍のタイトルや金額などがびっしり記入されている。いつかはかならず金を返済しようとメモしておいたものである。全部、消し終ったのは三日目の夜であった。十万をこす金が手許にできた。  その手帳を眺めていると、嘆息が出てきた。万引きの事実を知らされた父の表情が目に浮ぶ。目に火花が散ったのだ。父がはじめて息子に加えた鉄拳であった。なぐられて、気持よかったのを覚えている。その制裁が、帰化の妨害を宣言した息子への憤りというより、不始末を仕出かした不肖者への怒りから加えられたものだからだ。頑固一徹の〈新聞老年〉は、子供を万引きの名手にするために闇夜のペダルを踏んできたわけではなかった。母はわけを知ると「アイゴー!」と朝鮮語を心臓深くからほとばしらせた。余りものショックで、かの女は日頃使わぬ自分の原語をするどく取りもどしてしまった格好だ。それはおもいがけぬ寸劇であったが、それほど母が息子の不道徳に心を痛めたのはまちがいない。  だが、いちばんつらかったのは妹の反応であった。連淑はふっと涙ぐみ、両掌で顔をおおうと、自分の部屋に閉じこもってしまった。その妹と和解できぬまま、翌日の汽車で東京にもどってきたのである。  僕は|手帳《ノート》を背広の内ポケットに蔵った。感じやすい妹に万引きの由来や細目について説明したところで気持は晴れそうにない。せいぜい、泣いて貰うつもりだった。いまの僕には妹の感傷のお付合いをするほど心の余裕も時間もなかった。  翌日の朝、次の仕事に取りかかった。日頃、肌身離さぬ外国人登録証明書をたしかめ、内ポケットの現金のふくらみを気にしながら外へ出ていった。ヘドロの匂いが滲みてくるような東京湾べりの陰気な二階建ビルに入った僕は暫くしてそこから出て、病院の門をくぐった。片腕を揉みながら出てきた僕は暫く後には銀行に立ち寄っていた。それらの仕事を終えることができたのは夕方のことだった。  疲れた足を運んで部屋のドアを開いた時、ぎくりとした。空の本棚がぐらっと動いて、僕めがけて倒れかけてきたのだ。僕は目をこすって、部屋の中に入った。電燈を点けると、黄色っぽい明りに照らされた空の本棚が不仕合せそうに立ちすくんでいた。すっかり部屋の中は白け切っていた。これまでの親密な雰囲気はどこへいったのだろう。引越荷物を片附けた男がまだ未練げに畳に坐りこんでいる格好だった。空気が不穏に逆らっている。だが、どうやら僕はまだ自分がこの部屋の主であることを知らせることができたようだ。済まさねばならぬ仕事が残っていた。何通かの手紙をしたためるつもりだった。一通は、わが老教授に宛てられるはずである。  BOYS, BE AMBITIOUS !  いま僕は、老教授の口ぐせがたえずこの名言にちがいなかったような幸福な錯覚をおこしかけたところだ。この万国共通の名言は、これからも世の教授達によって教え子に語られる価値があるだろう。わが老教授もこの至言をどこかでのべていた気がするのである。もちろん、この句は、学生から見れば、大学問題からとっとと引退してしまう教授達の、おはじきみたいにたわいないことばの玩具かもしれぬが。とはいえ、老教授にたいしてそんな無礼な手紙を書こうとしているのではなかった。かれは僕に親切であったし、帰省する日の電話でも、無邪気な声で就職の協力を約束してくれた。まさにその件だった。〈希望〉は大切なのだ。就職への〈希望〉も捨てるわけにはいかない。しかし、顧みると、じつは何よりも自分の|帰属場所《ヽヽヽヽ》を探していたような気がするのである。夏の浜辺で、寄せては返す波の無限な戯れを眺めているうちに思ったことであった。自分の生き方を見きわめるための場所を探していたともいえるであろうか。自分の主体性を見きわめることこそが、必須なのだった。とすれば、老教授もこの身許不明の教え子を叱責して、  BOYS, BE IDENTICAL! とでもいうべきであったろうか。しかし、そんな差出がましいことを僕が書くはずがない。教え子の手紙は、先生の尽力に謝意を表しながら、自分はいま〈希望〉をもとめて人生最大の冒険をしようとしていると丁重に告げただけのことだった。  もう一通は、妹・連淑へのものである。昼間あちこちと歩いているうちに、やはり手紙をしてやろうと考え直したのだ。こっちは、失敗だった。〈可愛い妹よ〉と書き出した一行目で止めてしまった。気持が溢れてきて、うまく兄の心境を伝えられそうもなかったから。  ペンを放り出して、ぼんやりしていると、しわしわと胃が疼いた。この何日か、喰べたり喰べなかったりであった。気が張っているせいか、食欲が湧かなかったのだ。いまも夕食を摂っていなかったが、口がすっぱいだけだった。熱いミルクでもといいきかせて、外へ出た。「ペチカ」へ行く気になった。  若い人々で混んでいた。マンガ本を見ながら緩慢にスパゲッティをたべている脚の長い男のそばに空席があった。僕はしくしくする胃を抑えるようにしてそこに坐ったものの、その若者がのんびりとフォークにスパゲッティを巻きつけている間じゅう不愉快な感じだった。ミルクは少量を喉に流しこんでから手をつけなかった。こんな不幸な気分にグロッキーになっている時、目の前に恋人でも坐っていてくれたら。もしそんな女がいたら、僕は何もいわずに自分の部屋で抱きしめてしまうことであろう。かの女のやわらかい肩や腰はすっぽり僕の躰にかくれてしまう。溶鉱炉のようにたぎった僕のペニスは鉄の芯となってかの女の腟深く突きささっていくのだ。  ふと、大木真彦が浮んだ。かれは童貞のまま死んだのだろうか?「ペチカ」で会った中江佑子の固く閉じられていた膝を思い出した。なにか、やるせなく、なにかがむなしい。  暫くして、「ペチカ」を出た。明日、僕は誰にも告げずに祖国へ向うつもりだった。  ソウルの空の下、ひとりの半チョッパリが歩いている。その男が僕だとしても、この街の誰ひとりこの青年が何者なのかと問う人はいない。けさ、ソウルに着いてから僕はもう一時間もうろうろと歩き回っているのだった。そう、僕は祖国にやってきた。その実感をたしかめようとして巡礼のように歩きまわっているのだ。僕は空をとんでやってきた。もっとも、夢の中でのように両手をフル回転しながら翔んてきたわけではなく、羽田国際空港から飛び立ったのだった。まったくの話、人間が空を自分の両手で翔ぶなぞということが起り得るはずがない。ジェット旅客機の席にベルトで縛りつけられて、やってくることができたのだった。それでも僕は自分が夢の中の行為として、このソウルにやってきたような気がしているのである。そのせいか、躰がふわふわして、透明人間のように感じられるのだった。果して、この街の人々の目には僕が映っているのだろうか。かれらは完全に僕を無視しているので、それは確かめようがない。さっきから、かれらはわき目も振らずに歩いていた。いや、歩いているというより、走っている。日曜日の街は人出で溢れていたが、人々は歩道をフランス・デモのように拡がり黒ぐろと動いている。それはまさしく走っている感じそのものなのだった。  僕は人々にどんどんと抜かれていた。かれらはまるで競歩ゲームで優勝することを固く決心した選手達みたいだ。しかし、日曜日だというのに、なぜこんなに急ぐのだろう。さっきから僕は途方にくれていた。それは東京の銀座を歩くときの気分、まして日曜の歩行者天国をそぞろ歩きするときの屈託ないイメージからはおよそかけ離れたものなのだ。  恐怖が湧いた。もしこの人間の群が、鼠の大群に追われているとしたら、最後に取り残されるのは誰なのだろう? こんな馬鹿げた想像にとらえられたのも日本で読んだあるコラム記事のせいである。それは左翼的な新聞であったが、ソウルで突然鼠の大群が発生し、政府当局は莫大な軍事費からしぶしぶ一%もの金額を鼠駆除のためにさかねばならなかった、と誇張法のスタイルで書いてあったのである。さらにその記事は、軍事費の削減を要求するかに見えるこの容共的な鼠の繁殖にすっかり手を焼いた関係当局はいまはただ鼠の大群がなんとか三十八度線を越えていくのを神だのみしている、と揶揄調で書いてあった。  鼠に尻を|齧《かじ》られたとあっては一世一代の笑い草だ! 僕はユーモアの気分を自分に感じることでやっと恐怖から解放されそうだった。しかしすぐに考えたのは、なぜ人々は走るように歩くのかということなのだ。なにか心せかされることがあるのだろうか。ソウル市民は休日になると一斉に市内を走り回る習慣でもあるのだろうか?  競歩に疲れて、僕はとある街角で立ち止った。まったくの話、僕は競歩大会に参加するためにこの街にやってきたのではないことを思い出す必要もあったのだ。僕はさっきからパゴダ公園を探しているのであった。しかし一体パゴダ公園はどこにあるのであろう、民族の正気をほとばしらせた独立万歳事件のそもそもの発祥地は? 僕はそのゆかりの地を訪ねて、この祖国にやってきたのにちがいないのであった。 「ヨッ、ヨッ」怒ったような声を挙げ、中年の飴屋が足早にリヤカーを引いていった。先の平たい鋏を中風病みの手付きでカーン、カーンと鳴らしながら。しかし、あんなに速くすぎていっては、買い手がつかないのではあるまいか。そんな心配が首をもたげるほどの早足なのだ。が、他人事はさておき、自分の事が先決であった。どう路順を辿れば、パゴダ公園に至るのであろう。  僕は親子連れの一組に声をかけようとして、ためらった。また、さっきのように日本人だと勘違いされたくなかったのだ。僕が道をたずねたのは山羊のようなあご髭をたくわえた老人であった。日本語で筆談をもとめると、老人はなにを思ったかぐっと睨むように見つめ、返事をしなかった。ところが僕が同じ同胞だと知ると、こんどは突然肚を立てはじめ、唾をとばして喋りまくった。いったい、老人はなぜ怒ったのであろう。かれは僕をわけのわからぬ当惑と恐慌に追いこんでから、やっと方角を指し示し、スタスタと反対方向に去っていった。その時になって、どうやらかれがこの僕を日本人だと勘違いしたらしいことやそのあとで同胞だと知って一層肚を立てたらしいのに気づいたのである。しかし、なぜ老人が初対面の人間をそんなに詰ったのか、わけがわかりかねるのだ。  もう一人の男も、僕をてっきり日本人と勘違いしていた。その青年はてんから僕を日本人だと思いこんでいて、ずうっとつけていたのだ。肩をポンと軽く叩かれて振り返ると、同年配の目が細くて鼻の下に薄いまばらの髭を生やした青年が愛想笑いを口端に浮べていた(この男が僕に笑いかけたただひとりの人間だった)。かれは安手の背広に片手を突っこんだ格好で口を僕の耳に近づけ、ニンニクの匂いで僕を参らせながら、「オーライ。君、日本人。道、困るでしょう。オーライ、ソウル、みんなわたし案内しますね。安く、面白いとこ、心配ないよ」とささやいたのだった。すると、この怪しい日本語をあやつる青年は日本人相手のガイドというわけだろうか。それにしても、何がオーライだ。僕は日本人ではないし、ガイドを雇うほどの金も持ち合わせていなかった。すげなく断わると、青年は急にさげすむように眺め出し、「|倭奴《ウエノム》! …………!」と捨ゼリフを吐いて、すばやく人混みの中にまぎれ込んでしまったのだった。  ここはソウルのどの辺であろう。ビルや電柱のあちこちに|諺文《ハングル》が見られるが、それを読むことができない。韓国のことばもわからない。そのせいか、走っていく人々はひっきりなしに喋っているのに、僕にはただ森のざわめきのように響いてくるのだった。もっとも、その森の声からはあるなつかしい感じが伝わってきた。いくつかのことばに思い出があり、ふと舌の上にのせてみたくなるのだった。しかし、いざ口を動かそうとすると、するどく舌がこわばっていく気がするのだ。人の口真似をはじめたばかりの九官鳥のように僕は怪しい声をあげてから、忽ち口ごもった。  なぜか、胸がくるしいのだ。秋空が美しく、アカシヤの並木がさえざえと映るのが、一層僕の胸をくるしくしていくのだ。話によくきいた祖国の空は、かすかに汚れて見えるが、やはり美しい。それはちょうど、夏の海辺でサングラスごしに眺めた紫青色の空を思い出させた。その空に見下されていると、孤独な胸が息をつき出し、自分が祖国の空にかろうじてまもられているような気持にさえなるのだ。  だが、いったん、街に目を転じると、僕の心はたちまち暗くなってしまう。さっきから人々に日本人と勘違いされるのは、もはや顔附きまで日本人と変らなくなってしまったせいではないか、と疑ぐりたくなるのだった。すると、僕はやにわに人々の腕にしがみつき、「半チョッパリです。私があの日本での半チョッパリです」と告白したい衝動に駆られもした。人々は腕を引張るこの僕をどう思うであろう。果して、半チョッパリの僕に理解と同情をしめすであろうか。  羽田空港を発つ時、僕は厳粛に自分に向って誓っていた。「けっして見苦しく祖国に|跪《ひざまず》くな。誇りを失わずに、祖国に問いつづけよ」と。その時、僕は祖国で悲鳴を挙げるようなことはかりそめにもすまいと決心していたのである。僕はあらゆる感傷を拒否するのだ。はじめて母国を訪れた人間がつい感涙するようなセンチメンタリズムを僕は最も嫌った。その反面、僕は安っぽい異邦人意識で祖国をさまよう自分の姿をもするどく排斥していたのである。半チョッパリが祖国を見て「アイゴー!」と感涙するのは、耐えがたい偽善であり、屈辱にさえ思われた。この「アイゴー」の歴史が僕らを日本で出生させ「半チョッパリ」に育てあげたはずなのに、どうして羞かしみもなくその哭声を挙げることができるだろうか。  僕は、祖国に問いかけようと思ってやってきたのだ。〈疑問〉に包まれている僕にとって、祖国そのものもまた〈疑問〉の対象でしかない。〈祖国とは何なのか?〉僕はこのような疑問を解く必要があり、やってきたともいえる。祖国なしに〈希望〉があり得るだろうか? という考えが僕の中で生じたからであった。これこそまさに根本的な|疑問《ヽヽ》なのだ。だからこそ、最も〈希望〉が失われようとするその時こそ、僕は最もはげしく祖国をもとめ、その実体を知る必要があったのである。  その瞬間は、父に頬をぶたれたその時に訪れていたといえるだろう。ひりひりする頬を静かに押えながら、僕は唇を噛みしめていた。真正直な父。あなたのその正直さを、この息子はどんなに愛することだろう! 絶望がもっとはげしく僕をうちのめしていた。父にはこの息子がなぜ万引きごときに時間を費やすのか、とうてい理解することはできないのだ。かといって、生の実感をもとめる代償行為なのだと言い張り、父のきわめて道義的な頭を混乱させることは必要だろうか。むしろそれは学問を少しばかり|齧《かじ》っている息子の我儘というべきかもしれなかった。言い訳はしなかった。絶望し、沈黙しながら、啓示をうけたように〈祖国〉を思い浮べ、旅立とうとしたのである。祖国は、僕にとって、万引きの感動と異なるまことの感動をもたらす新天地かもしれなかった。もしもこの期待が裏切られたら、ひとりの無国籍者が誕生するだけだった。その時は大木真彦のように、帰化するか、死ぬかの道しか残されていない……。  ざわざわとした話し声、鋪道を鳴らす足音、黒ぐろと流れていく人間の洪水、その中にまじって僕はまた歩き出していた。誰かにパゴダ公園の場所をきこうと思いながら競歩をしていく。前へ前へと進んでいくと、耳がしだいに人々のことばをとらえはじめていた。「|《アボジ》」とか「|《オモニ》」と話しかける子供の声がはっきりときこえ、どきりとさせられるのだ。その呼び名に思い出があった。ほんの子供の頃、この呼び名で僕や妹は両親を呼んだ。父や母が僕らを朝鮮名で呼んだのもその頃だった。僕も妹を「連淑」と呼んだし、「淑子」とはいわなかったのだ。たしかその時分はまだ父が祖国の統一を信じ、その統一運動に幾分でもたずさわっていたのである。ところが朝鮮戦争を経て南北の分裂が恒久化してくると、父は運動から遠ざかり、民族そのものを嫌悪する人物となっていったのだった。そして、もはや祖国を捨てた人間として父は先祖代々の母国語を絶ち、しだいに家庭は透明な空気の支配する場所になっていったのだ。  鐘路区にあるパゴダ公園に辿りついたのは足が棒のようになりかけた時分だった。競歩者の群は、そこで抜け出した僕を落伍者のように置き捨てて、ざわめきながら去っていった。その怒濤のような群が彼方に去っていくのを眺めながら、僕はまた夏の海を思い浮べた。あの群なす競歩者達はどこまで行こうとしているのだろう。どこまでも行きたい、と洩らしていた妹のように彼方にあるかもしれぬ自由や生き甲斐を思い描いているのであろうか。それにしても、後あじはよくなかった。かれらは僕がつい得意になって「アボジ」とあいまいな用法で話しかけ、「パゴダ!パゴタ!」と片言で問うとさっと目を逸らし、黙殺して駆けつづけ、いきなりパゴダ公園の前で僕の肩を小突いて「あそこだ!」ときびしい声で指さし、そのまま去っていってしまったのである。  さて、ここがあのパゴダ公園であろうか? いまを|遡《さかのぼ》ることおよそ半世紀前、民族独立の熱狂を全八道に巻き起すことになったそもそもの発祥地がここなのだろうか? 僕は奇異な感にうたれ、呆然と立ちつくしていた。まるで野球場のようだった。王冠のような張り出し部分が道路にのしかかるように拡がり、冷たそうなコンクリートの厚い壁がすっぽりパゴダ公園を包みこみ、外からは覗くこともできない。あわてた僕は重い足を引きずり円形の外壁をうろうろしながら入口を探しはじめた。さまざまの売店が円形の外壁にはめこめられ、背中を押しつけ合って並んでいる。それは入口の通路のように見えた。入っていくと売店だとわかるが、びっしりと日本製の商品、トランジスターラジオやステレオが占拠していてふっと日本にいるような錯覚を起させるのである。  僕はうろたえてパゴダ公園の入口を探した。やっと正面に廻ってその前に立った時は、ほっとした気持であった。それから僕ははやる気持を抑え、秋陽ににぶく照らされている正面の|甍《いらか》をくぐった。|翳《かげ》った門を入ると、すぐに明るみが広がった。ああ、ここがパゴダ公園なのだ。視線が公園の空気におぼれそうであった。しかしすぐに僕の視線は公園の真中に屹立している多層塔にすぼまっていった。これがパゴダ塔であろうか。荘重な気分が僕にもたらされた。遠い空に一段一段と志を積みあげるように石塔をのせ、|鉾《ほこ》のように先端を穏やかにせばめていきながらするどく屹立している古塔。ふっと、涙ぐみそうであった。祖国よ、祖国よ! 僕は喉をつまらせて叫んだ。ここに一人の半チョッパリがおります。この小さな公園の歴史を体現し、雄々しく生き変らねばならないふつつかな青年です。  感慨にうたれて、ほんとうに涙が出そうであった。僕は仏塔に近づき、静かに石段の端にうずくまった。そうしていると、だんだん気持が鎮まってくるように思ったのだ。じいっとうずくまっていると、パゴダ公園の外側でいんいんとこもる不気味な響きが空にのぼっているのが感じられた。その音はさっきの競歩者達のざわめきのようでもあり、もっと拡がりをもったところから響き合ってくるこの国の人々の叫び声のようにもきこえた。  僕はゆっくりと公園の中を見廻した。石碑が刻まれており、民族衣裳の男女がその碑文の前に立って見上げていた。何と書かれてあるのだろう。独立宣言文はこの公園で読み上げられた。祖国の独立をもとめるその宣言文は民衆の歓呼をうけ、その決起を促した。祖国の山々を松明が駆けめぐり、街から邑へ「|万歳《マンセイ》」の声がひろがっていった。運動は日本軍の手で弾圧されたが、その独立精神はじりじりと受け継がれ、長白山脈の密林や海外の各地であくなく闘われた。そしてついに民衆は解放の日を迎えることになったのだ。  その独立ゆかりの地に僕はうずくまっている。宣言文をよんだ指導者達の優柔不断な振舞いまでもが思い出される。弾圧をおそれて逃げ腰になったかれらと、最後まで闘った民衆達の魂がこの静かな公園の中でさまよっているように感じられる。  重くるしい感動が僕をとらえていた。この感動をもとめて、この地へやってきたのだろうか。僕は、それをはっきりした意識でみとめることはできない。容易にこの感動をみとめまいとこらえている自分を感じ、なぜかそんな心理にも真実があるように思われるのだ。だが、一方、しだいに腑甲斐なさが胸をしめつけているのもたしかだった。この半チョッパリが祖国にとって何者でもないことはこの上もなく明らかなことなのだ。それがいまの僕には思いがけぬ屈辱に感じられる。日本にいた時は、このように想像してみたことはたえてなかった。しかし、祖国の土を踏み、こうしてうずくまっていると、その考えがじょじょに湧き出し、耐えがたい屈辱をもたらしはじめている……。  僕はうつむいて、地面の土を掌にとってみた。乾いてさらさらする土を両手で揉むようにこすりながら、ふと甲子園で敗退した球児を思い浮べた。来年の雪辱のためにその土くれは明日からかれらの励ましになることだろう。僕にも、敗退した野球選手のような傷ついた心があった。この汚れた手をこのパゴダの土で清め、祖国のなにかを掴んでみたい気がするのだ。それは可能であろうか。果して、この自分にも何かやることができるのだろうか。  無念なおもいがよぎった。なぜあの同胞学生達は僕を民族虚無主義者として排斥したのであろう。日本で生れて、育った青年が同じ人間にその重い烙印を押すのはいかにも思い上った仕業ではなかったのか。同じ境遇の人間どうしが取り得る態度は、排斥ではなく包摂であり、ともに一歩でも前に歩き出すことではないのか。その原理がまもられぬかぎり、半チョッパリは殖えつづけ、大木真彦のような青年が出てくるのではあるまいか。  大木真彦と一緒にこの地にやってきたら、と思った。あいつは祖国を知らずに死んだ。それが|不憫《ふびん》に思われる。なぜか僕はかれの魂に導かれて、この祖国にやってきたような気になってくるのだった。成功を祈る、か。かれの遺言の本当の気持は、そこにあったのかもしれない。たとえ、このおもいがひとりよがりだとしても、僕はそう信じたかった。  すぐ目の前を、民族衣裳の娘が通りすぎていった。薔薇の花びらのような大胆な|裳《チマ》がおおらかであった。かの女は若鹿のようにいきいきとしていて、魅力的であった。僕は眩ゆいおもいでその後姿を目で追い、またうつむいて、地面を眺めた。自分がどの青年よりもその娘から遠い存在に感じられる。  じいっと地面を見つめていると、肩に目に見えない手が置かれるような気がした。黙って何者かが僕をさとしているかのごとく、その手はやさしく肩に触れかけている。秋陽の温かさが肩に溜ってきて、そう感じるのであろうか。空を見上げると、どこまでも深い色をしていた。だが、その空はバック・ミラーのように周囲を円形の壁で閉されたパゴダ公園を映し、憂わし気に見える。  僕は重い腰をあげて、石段を離れた。長く伸びた仏塔の影が出口の方角を指して地面に映っていた。その影を踏みながら出口に向って歩き出すと、公園の外の胸騒ぎのするとどろきが僕の心をしめつけるようだった。外に出ると、公園での明るい光沢がにわかに薄暗く感じられる街の光景が拡がっていた。歩道の人々は相変らず競歩をつづけていた。粗い感度のスナップ写真をつぎつぎに撮りまくっていくような光景をその群の移動に感じた。すると僕には、さなぎが孵るように殻を抜け出していくもう一人の僕が、その黒ぐろとした森のざわめきを取材している姿が見えてきた。僕は怒れるかれの心をたくみにキャッチし、足音の胎動をきき分けようとしていた。さらに僕は塵埃のなかを|洪吉童《ホンギルドン》のように駆けめぐりながら、さまざまな民の声、希望と絶望が龍巻のように渦巻いているその叫びを胸をおどらせながら記事にしようとしていた。その活躍ぶりは、いつか僕を訪れた色白の敏腕な青年記者もおもわず敬意を払わずにはいられないほどのものだろう。僕はこの森のざわめきから、この人々もくるしんで生きており、生きることをもとめるために祖国統一をめざしている心の響きまではっきり感じ取ることができたのである。  しかし、現実の僕は目の前を波のように動いていく人々の群を気おされながら眺めているのだった。無数のかいこが桑を猛烈な勢いで喰い進んでいるような音、目まぜをし、足を踏みそろえて進んでいく音、歓びをひそめて進んでいく音……。それらの胎動は僕の足許をゆるがしていくかに思われる。それらの胎動は、僕に腹痛を起させ、女々しい声を叫ばせてしまいそうである。〈みなさん、ここに一人の半チョッパリがおります。どうかみなさん、私を忘れないでください……〉  自分を|愧《は》じる気持にはげしく襲われていた。半チョッパリの誇りを取り戻さねばと考えた。いまはどのようにも振舞える自分を僕は確認しようと思うのだ。一台の自転車にプラスチック製の石油カンをつんで走り出すことも、この森のざわめきに身を投じることも、まったく自由であった。それは生と死を自分が支配している実感で僕を幸福にした。めくるめくようなおもいが躰を走っていた。  祖国よ、祖国よ! 統一祖国よ! 僕は心から叫んだ。いま僕は死ぬことも生きることもできた。そして、半チョッパリとして祖国にそのように叫びかけることも自由であるにちがいなかった。 [#改ページ]      
長 寿 島

 その島で、わたしは少年期をすごした。  針葉樹の濃い森、年じゅう|吼《ほ》える海、ラッセル車が吹きあげる朝の雪、さけぶ狐とブリキ・ストーブの燃える音……みがきニシンの懸け棚の暗さと白夜の明るみ……。どこから思い出しても、わたしはたちまち故郷のにおいでむせぶ気になる。  ある年、その島の沖合いで砲声がとどろき、硝煙がかすれたあと、島の領有者がかわっていた。やがて日本人の引揚げがはじまり、屈辱と悲哀をこめた人々が島から去っていった。ヤポンスキーを乗せた引揚げ船を、ひとむれの朝鮮人が埠頭からながめていた。腕を組んだり、襟をかき合わせたりして。かれらには迎えの船がやってこなかったのだ。カレイスキーはかぶりを振って、散っていく。少年のわたしも、祖父と一緒に海を見つめていた。誰かがさけんだ。 「えい、|この泥棒野郎《イードムノム》の|世の中《セエサン》めが!」かれらは海をのろって去っていった。  歳月は、かれらをその島に閉じこめていった。いくら種をまいても、身ごもることのない歳月が、つれないうまず|女《め》のようにかれらに馴れしたしんだ。歳月は、希望を生まなかった。だから、逃げ出すように、その島から故郷にもどろうとする者もいた。その人々は、空の星をつかんだのだ。ある日の払暁、わが家はどたばたと荷物をたたみ、引揚げ者収容所に入った。わたしたちは、その島から離れることになったのだ。  今年の六月のある日、わたしのところに一人の気むずかしい同胞が訪ねてきた。その島の同胞を救うとかいう名刺の持主であった。 「あなたは、運がよかった方だ」訪問者は、祝福していった。 「苦痛です。なぜか」 「いまでも、その島に抑留されている僑胞をどう思いますか。あなたの祖父や縁者だって残っているのでしょう。四万人の僑胞のひとりとして。四万人の一割が、まだソ連籍や朝鮮籍をとらずに、無国籍者のままだといいます。出身地の南に帰りたがっているんですよ。こういう僑胞の願いを叶えてやるのは、つまり、日本に渡るようにしてから南に届けてやるのは、当然の人間的行為だと思いませんか?」 「人道的にいって、どこにでも住む権利があるはずです」  わたしは考えてからこたえた。 「それでは、不幸な僑胞を救い出す運動に手を貸してください。奴隷的な境遇におかれているその人々に愛の手を差しのべるのです」  わたしは口ごもった。相手の人道主義者としての口ぶりに、どこか解せぬところがあった。ことさらにその島を流刑の地のイメージで飾り立てるのは、事実とかけ離れているし、言葉がきつかった。 「不幸だというのは、その通りです。どんなに生活が保障されているにしても『パンのみにて生きるにあらず』だと、その島の同胞は思っているのでしょうから。故郷へのおもいが果されていないのに、どうして幸福でありえるでしょう。けれど——」  また、わたしは口ごもった。 「こう思うのです。本当に、あの人々のためにも、南北赤十字会議は開かれる必要があるのです。けれど、わたしはあの人々の本当の仕合せは、南に連れていくということで保障されるのだろうかと考えるのですよ。もし、邪悪な政治的な意図がわたしたちになければ、この問題は十分に考慮すべき性質のものです」 「というと……?」 「さっき、あなたはその島の同胞を不幸な人々といいましたね」 「もちろん。全僑胞が注目すべき事実です!」 「それはたしかだ。でも、不幸なのは、その島の人々だけでしょうか? 今は、五千万同胞それぞれが別離のかなしみを負っているのだから!それこそ、おたがいに、この現実を注目すべきなのですよ」  ソウルで、わたしは不幸な家族に出会った。若くて働き者のつつましやかなかの女は、夫との生活ができずにいた。数年前、KAL機をハイジャックした南の青年が、北に亡命したことがある。かの女の夫はそのKAL機に乗り合わせていたため、災難が生じたのだった。乗客たちの一部は、自由意志でそのまま北に留まったが、かの女の夫もその一人となっていたのである。 「愛していたのですよ、二人ははた目がうらやむくらいに——」と、若い妻の姉はわたしに説明するのだった。「ごらんなさい。こんな可愛い娘もいるというのに。毎日、膝にのせて頬ずりしていた義弟なのに、どうして家庭を捨てたりしますの? 義弟はやむを得ず、北に残ったにちがいありませんわ。北にいる親戚たちに祟りがないようにと。義弟は心が優しすぎるのです。ああ、いったい何時になったら、わが民族は自由とか再会という言葉を使わないですむのでしょう!」  ソウルの女たちの溜息、それは|臨津江《イムジンガン》をへだてたピョンヤンの女たちのなげきともいえるのだ。朝鮮戦争の最中に、夫婦が生き別れたケースはいたるところにあった。北に残った妻子は、夫がアメリカ軍に拉致されていったと信じ、再会の日を待って建設にはげんでいるという。いまだに再婚もせずに。わたしはかぶりを振る。はたして、南にいる夫は、いまでもひとりで暮しているだろうか。ジャングルの穴の中にひそんでいる日本兵のような孤独な境遇ならいざ知らず、南には人口がひしめいている。夫がとっくに再婚して、子沢山のチゲ軍(せおい子を背負って仕事する労務者)になっていないという保証はどこにもない。  訪問者はいぶかし気にたずねた。 「じゃあ、あなたは何を言いたいので」 「きいてください。ギリシャ神話に、地球を背負った勇士の話がありました。けれど、わが民族は、自分の国さえひとつになって背負えずにいる有様です。これが不幸でなくて何でしょう。その島の同胞の不幸は、けっきょく、そこから生じているのですよ。祖国にいる人々だって、自由じゃない。南と北に、行き来できないでいるのです。まして、権力からにらまれると、海外に出してもらえない息ぐるしさのなかで暮しています。ある友人が皮肉をとばしたものだ。もし今、南の同胞に自由の切符が手に入れば、南はそっくりゴースト・タウンになるだろうって。情報部が怖ろしいので、世界中に亡命するだろうって言うのです。もちろん、これは南の人々の愛国心を度外視した、寓話にすぎないでしょう。……けれど、西ドイツやアメリカ、日本に亡命していくすぐれた頭脳もいるのです。なんという損失だろう、ひとりでも民族の才能がほしい時代だというのに。ほんとうに、その島の同胞をどこに連れていくのですか。深夜の無気味なノックの音をきかせるためではないでしょう。春窮期に悩む農村に連れていくのですか。パンのみにて生きるにあらずとはいえ、パンは必要です。自由は、祖国だからこそ一層必要なのですよ。……どうも、今の南の現状を考えると、気が重くて、自信がないのです。その島の同胞には、ほこりのある祖国が必要だというのに」  わたしの言葉は、その島の同胞にとって、つれないものなのだろうか。わたしが怖れたのは、自分がその島の人々の心境にどこまで忠実なのかということなのだった。 「では、どうするって言うのです。手を|拱《こまね》いて、その島の僑胞が異邦の土にかえるのをながめている気ですかね」 「いいえ」いくら、わたしが非情だからといって、どうしてそんなむごさに堪えられるだろう。「そこには、わたしの親戚だって残っているのですよ、ご存知のように」 「じゃあ、どうするのです?」 「本当にその島の同胞をおもうのなら、……今、わたしたちがすべきことは、はっきりしているではありませんか」  訪問者が考えていった。「しかし、統一する前に、その島の人々は年をとって死んでしまうでしょう」わたしも考えていった。「それだから、早く、一刻も早くその日を迎えなくては。死んでいくのはその島の人々だけじゃないのを思い出してください」  こうして、二人の会話は終った。  ひとりになってから、急に目がしらが熱くなってきた。祖父とわかれたときの光景が脳裡に焼きついている。そのときの祖父は、|両班《ヤンバン》時代の士大夫のように気取っていたとも、世界一の孤独者だったともいえるのだった。埠頭に近い、赤の広場の一隅で、祖父はハンカチを眼にあてていた。いつもの枯れた風情からは想像できないウエットな姿だった。わたしは少年だったので、あのとき、そのような肉親とのわかれにも、寝耳に水のような不意打ちを感じて意味がよくわからなかったといえる。思うに、そこには人間のあなどりがたい事情があったわけなのだ。しかし、なぜそうなったかについて、説明する必要があるだろうか。わたしの民族の悲劇性は、人と人がわかれるという侮蔑から、八・一五の解放のあとでもまぬがれていないところにある。そんな侮蔑を、わたしもまた経験しただけなのだった。  日本に渡ったわたしは、ある後めたさを抱いて成長した。その島に祖父や縁者、さらに知合いをのこして、わが家だけがタタール海峡をこえてきたということに。そのせいか、わたしの心の中では、人間の邂逅とか和解に憧れる気持が人並み以上にふくらみ、愛や罪についての考えにもひとしお感懐をいだかされるようになった。ところが、何という裏切りだ! いかにも純真にその島の人々との再会をねがっていたはずのわたしが、歳月とともに、その悲願を忘却してしまったのだから。まったく、はじめ処女のごとく、あとは脱兎のごとくにだ。  弁解したところで何になるだろう。とどのつまり、薄情なせいなのである。都合のよいにせの哲学を発見したのだった。人間の離合集散は避けがたく、死もまぬがれない。まみえぬまま、ひとくれの土になるのもこれまた運命のいたずらというものではないのか。さようならを生きながらに祖父に告げるのも、時代におけるわれわれの悲劇性の延長を告示するパラドックスなのかもしれない。さようなら、ハラボジ。さようなら、不幸な人。こうして、わたしは臆面もない運命論者となっていた。  ところが、祖父は生きつづけていた。埠頭でわかれた日から、すでに十年、二十年と経っていくのに。その島から、まれに届くたよりによると、祖父は細ぼそと生命をつないでいた。|鍼《はり》をうち、丸薬をのみ、|秋夕《チユソク》(陰暦八月十五日。祖先を祭る日)には背骨をのばして先祖を|祀《まつ》りながら。  昨年、その島から手紙が届いたとき、わたしはほとんど恐怖の声をあげた。 「まだ生きている! 米寿をもう過ぎたというのに……」  祖父は九十歳だった。頭をガンとサハリンから殴られたような気がした。 「死なないでいる……。いつまで生きているのだろう」  茫然とわたしはつぶやいた。祖父につれられて、谷間の人里を訪ねた昔日を思い出した。今思うと、その谷間に這うように建っていた金網ごしの飯場には、森林伐採か何かで連れこまれた同胞の労務者が働いていたが、祖父はそこの人々と私語をかわし、帰路には間道で薬草をとって家にもどったのだった。わたしは、祖父がその谷間で不老長寿の秘薬を探しあてたのだと信じこみたいくらいだった。だが、もしも長寿の原因が、望郷の一念によるものだとしたらどうしたらよいのだろう。 「あんまりだわ、何もかも。わたしたちの時代って」  妻は感傷におちいって、捨てばちにさけんだ。わたしは自己嫌悪にかられ、部屋の中をぐるぐる廻った。 「そう、われわれの時代には邂逅という年代記がないのだ。生きのびている人を愚弄するまやかしの時代なのさ。ソ連のある村には世界一の長寿者がいるんだって。百六十いくつかってんだろ。|祖父《ハルべ》もその年まで生きのびるつもりじゃないのか。とすれば、そのとき|祖父《ハルべ》は統一後の祖国を完全にながめているわけだろうがね!」 「あんまりだわ。あんまりだわ」  妻はなげき、わたしは自虐に酔っていた。とつぜん、体がおののくような妄想、恐怖に満ちた幻想に頭がしびれる。祖父はもはや不死身の人間と化したのではあるまいか? やみがたい望郷の一念がみのりみのって、永遠に不死身の体質に変化したのでは……。それならば、これこそわが分断祖国が生んだ今世紀の奇蹟として、急いでわが時代の年代記に特記されるべき事柄なのである。いや、身寄りばかりとはかぎらない。その島には、祖父とおなじ奇蹟を具現した老人たちがいて、その姿がけわしく目に見えてくる。老人たちは不死身の体をひっさげ、遥かかなたの故郷をのぞんで、ゆらゆらと海辺に立っている……。  しかし、奇蹟はありえなかった。  今年の五月に、祖父は息をひきとった。知らせを受け取ったのは、初夏のことである。涙は渇いていた。その日の心の準備ができすぎていたのがうらめしい。少年のように、泣いたっていいじゃないか。その感傷を押しとめるものが、もし祖国統一への決意だとすれば、わたしはあまりにも政治的すぎるのだ。とはいえ、人間の再会という歓びを奪う政治が存在するかぎり、本格的な悲劇への予感がなぜかいっそう涙をせきとめていく。それにこうもいえるのだ。政治の汚辱にまみれた涙を見せるのは、もはやプライドがゆるそうとしない。再会とか邂逅という人類万古からの観念を熱烈に愛するわが民族にとっては、たぶん、涙は歓喜の日まで流さぬ方がけなげなのだった。 「ある友人が、こんな話をしていたよ。親が死んだら、棺のフタをするとき、釘をゆるく打ってやりたいと。そうすりゃ、おやじは冥府に行く前に、いちど故郷を見てくるかもしれないってね。何て、いじましい話だと思ってきいた。しかし、いやだな、こんないじましさは。生きている人々の歓びをもたらすたたかいが必要なのだよ」  わたしは、自分の言葉がきまって決意とか悲願となってしまうのをかなしんだ。これはきどり屋さんの祖父の逆をいく真似事なのだろうか。「あんまりだわ。あんまりだわ」という妻の声のように、何かが不自然なのだ。でも、わたしたちがたとえきっと唇をかんで表情をかためていたとしても、それは非人間的な顔にうつるだろうか。わたしたちがこの分断時代に|索《もと》めているものが、人間再会という、優しさであるかぎり、わたしはわが民族共通の生き方の美しさを信じることができるだろう。安らかに生き、心置きなく往生する黄金の日が現出するまえに、今はいくらかけわしい年代記が北や南、その島やこの列島のわれわれ同胞のあいだにあるとしても。 [#改ページ]      
奇 蹟 の 日

 |晧洙《ホンス》がもぐりこんだアパートのその部屋には、六人の男たちがいた。  牢名主のような|金夏竜《キムハリヨン》をはじめとし、晧洙の兄や二人の|従兄《いとこ》、度のつよい眼鏡をかけた小説家志望、それに素性のまったく知れない|痩《や》せぎすのフーテンであった。  かれらは二十代後半から三十代の年齢の男たちであった。この六人の大人たちにまじって四畳半の部屋で暮すようになったとき、晧洙はこういう生活が自分にとって未知の、とにかく最初の経験であることに気づかされた。十九歳という成人とも未成年ともつかぬ自分の年がにわかに不安になり、その両べりから浮き上がってしまうような奇妙な感じだ。  こんな気持は、けっきょく、そのアパートの一号室で共同生活をしているあいだ中、ずうっとつきまとって離れなかった。新参者の晧洙は入居したてのときから先住者たちにずいぶんと気兼ねした。ただでさえ狭い部屋に自分まで割り込んできたので、定員オーバーもいいところだった。  しかし、日が経つうちにうすうす気づいたのは、七人の共同生活者のほかに、もう一人の人間がいるらしいことだった。そして、その相手が女であるらしいのは、誰も言わないのに何となくそう感じられたのである。  一号室はバス道路に面していた。夜が去ると、埃のたまった押し開き窓にも朝陽が光を差し入れてくる。新聞も投げこまれる。すると、仲よく、じゅずつなぎになって眠っていた仲間たちは、「あああ、ああ」という誰かの|欠伸《あくび》にうながされ、つぎつぎに眼ざめていくのである。誰かが、「おい窓を明けろよ」と隣の肩を小突く。|忽《たちま》ちそれは連鎖反応をおこして、つぎつぎに小突き合い、いちばん端っこの晧洙の肩まで伝わってくる。窓を押し開いてから新聞を金夏竜に渡すと、「おう」とこの牢名主格は頷いて、おもむろに一枚ずつ仲間に分けてやる。こうしてある者は政治面から、またある者は広告のページから丹念に見入っているが、その新聞を読んでいて、ふいに人々の呼吸がとまる瞬間があった。  出勤者のハイヒールの音がコツコツと鋪道を鳴らして一号室の前を通りすぎていくときなのだ。人々はその冴えかえった音がついに聞えなくなるまで耳を澄ましている。やがて、金夏竜が空咳をひとつして、はげかかった石のように固いひたいの髪を撫ぜあげ、「しかし、……」と言い出すのだった。  何が、朝っぱらから「しかし、……」なのだろう。そんな冒頭の接続詞ではじまる話し方が晧洙には奇妙に思えた。どこか唐突である。思い入れ気味のそんな話し方には、年齢のにおいが|沁《し》みこんでいるようだった。もっとも、晧洙にしてもこの「しかし」があって、家を出てきたのかもしれなかった。その頃の晧洙は、大学受験に失敗してからずうっと家の手伝いをしていた。家では何十頭もの豚を飼っていた。そのエサを集めにリヤカーで市内をまわったり、エサを煮るための薪を|鉞《まさかり》で割った。そんな毎日がつづいていると、晧洙は自分が惨めに思え、薄暗い豚小屋の|竃《かまど》のたき口の前でぼんやりとしゃがみ込んでいることがあった。くすぶってよく燃えぬ|楢《なら》の木のように晧洙の心の中は|燻《いぶ》っていた。そして穴の中の獣が燻り出されるように、ある日のこと、晧洙は家を飛び出してしまった。  金竜夏は、接続詞のあとに、たいてい単文構造の感嘆符でおわる話し方をするのだった。 「いま頃、あいつは|上手《うま》くやっているかなあ」  誰のことだろう? 晧洙にはわからなくても、反応はあちこちから起ってくる。「うん」とか「ああ」という反応には、短くても深い溜息が感じられた。 「あいつは、めっぽう運のいいやつだったよなあ」 「うん。べらぼうさ。まずカッコよくここを抜け出したもんな。あんないい女とよ」 「とにかく、おれらがまだ眠っていると、やつのスケがドアを開けて入ってくるんだ。そしておれたちを踏んづけねえようにヒラリと|跨《また》いでいくじゃねえか。それから一等隅っこで眠ってる|やつ《ヽヽ》んとこで|蹲《うずく》まって肩をそうっと揺すってよ、寝ぼけまなこのあいつに小声で話しかけんのさ。あいつのどこがよかったのかねえ。とうとう、連れ出しちゃったんだから」 「まったくよ」  誰かが、合の手を入れる。 「よせやい。他人の女房の話なんかせんといて、なんならおまえもこれから隅っこに眠ってみるんだな」  そんなとき、金夏竜は茶化すようにいうが、どことなくその言い方は尻切れトンボで切ないのだ。 「まったくだなあ」  誰かが笑う。それから、みんなはふいに黙りこむ。誰しもがこの部屋に訪れてくる美しい女を想像しているようだった。神のような女が忍びこんできて、みんなと一緒に暮しはじめるような幻想が晧洙の心に湧くときがあった。  晧洙は毎朝この部屋の人々と仕事に出かけた。職安に到着すると番号別に並んで窓口にカードをしめし、指定された場所におもむいていく。夕方は新宿西口の簡易食堂でドンブリメシをほおばり、その足で夜間の予備校に通った。来春、大学を受け直すつもりだった。やり直しだ。いったい、何のやり直しになるのか、まったく漠然としていたが、晧洙はそう思いこんでいた。気を張りつめていたせいか、日々のめくれ方がいつもの年よりも早かった。  雪もよいのある日、晧洙は新宿区の職場を抜け出して代々木の予備校に出かけていった。冬に入ってからは、何回か職場離脱をして学校に出かけ、夕方になって日当をもらう時刻に帰ってきた。こんな我儘がゆるされるのは金夏竜や従兄がおなじ現場にいて、なにかとかばってくれるからであった。ことに一号室の牢名主格はニコヨンの班長をしていて、職場でもハバを利かせていた。かれは晧洙の姿が、かき消えるように見えなくなると、 「あの野郎、とぼけてやんな。どこへ行きやがった」と舌打ちをする。しかし、その少し前にかれは晧洙にむかって、「おい、若いの。仕事の邪魔だから、とっとと消えてしまえ」とあごをしゃくり、若いのが近くの木材置場のマンホールにもぐり込んでいくところまで、それとなく見届けているのだった。晧洙はマンホールの中にもぐりこむと、尻のポケットから二つに折って|納《しま》っていた受験書を取り出して、軍手をぬいだ掌で何度もこすってならした。  その日は、模擬試験の発表の日だった。  予備校の掲示板をあおいでいた晧洙は、一瞬、けったいな表情を浮べた。奇蹟がおこっていた。十七番目に、自分の名前が出ている。その予備校には二千名以上の浪人がひしめいていた。それなのに、十七番目だった。晧洙は当惑したように、掲示板を見上げていた。  もともと、晧洙は出来のいい方ではなかった。田舎の高校での成績からすると、どん尻から十七番目の格付けの方がふさわしい。どうして、こんな奇蹟が起ってしまったのだろう。とりあえず、窓口に行って自分のテストをもらい、採点をしらべてみることだった。誰かのテストの名前と間違えたのかもしれない。採点違いの可能性もあった。しかし、採点に大きな狂いはなかった。各科目の総得点から十を引いてみることができただけだった。英語の訳のひとつがマンホールの中で見た受験問題と同じものだったからである。どこかの大学入試に出題された問題がそっくり出ていたので模擬試験のときは「しめた」と思った。しかし、それにしても模擬試験の結果から、その分を差し引いて見る必要はないともいえる。  晧洙は全身をくすぐられるような気持になった。日当をもらいに職場に戻ってきて、金夏竜と顔を合わせたとき、思わずにっこりした。ひたいに幾筋もの皺をにじませた小柄な金夏竜は、|怪訝《けげん》そうな表情を浮べた。彼はみんなにむかって怒鳴った。「おーい、日当だ。明日アブれる連中は大切に使ってくれよお」  しかし、一号室の仲間たちは明日はアブレだろうと何だろうと、その日のうちに金をはたいてしまうのだ。夕方になると憂さ晴らしに飲みに出かける。阿佐ヶ谷駅の踏切近くに行きつけの飲屋があり、国電が通るたびにガタガタと柱が|軋《きし》むその店には安い|濁酒《どぶろく》がおいてあった。チョビひげを生やした朝鮮人のおやじさんがどんぶりでわしづかみになみなみとドブロクを注いでくれた。その濁酒を呑み、毛ばだった豚足を歯でちぎりながら、仲間たちは酔いこんでいく。 「空の空、いっさいが空だ。どこに正義があるんですか。どこに人間の血が流れているんですか。ああ……」  酔うと、小説家志望の眼鏡が涙でくもり出すのだった。晧洙が上京したての頃、この眼鏡さんはコッペパンをかじりながら小説をかいていた。どこかに応募するらしい原稿の厚みはインク壺の高さほどあった。眼鏡さんはその未発表の作品を一号室の仲間に読まれるのをひどく警戒していて、みんなにそんなつもりはないのに、どこかに出かけるときなどは引出しに納いこみ、しっかりとカギをかけていく。こうして完成した作品なのに、その努力が酬われなかったらしいのだ。「なんだい、こいつ。落ちたってまた明日があるじゃねえか。死ぬってのはな、やい、ヘッポコ文士よ、そんなに生やさしくないんだぜ。おまえみたいにぐにゃぐにゃした野郎は豆腐に頭をぶつけて死にゃいいんだ」  金夏竜がさかんに毒づく。 「だって、これで五回目なんですよ」眼鏡さんは本気で泣きはじめる。 「五回だろうと五十回だろうと、やりゃいいんだ。ほんとうにやりたけりゃよ」  そんな会話のときも、フーテンさんは影みたいにひとりで飲んでいた。そしてみんながそこを出て夜のネオン街をふらつきはじめると、古新聞紙みたいに仲間の足にまつわってくるのだ。そのせいか、フーテンさんは存在していないのも同然で、ときには幽霊か透明人間のようにうつるのだった。誰かが、軒下の|芥箱《ごみばこ》を足でけっとばす。誰かが肩をすくめて、やけに冷えるなと白い息を吐く。誰かがふいに傘の先をつき出して、前を歩いていた女の尻をくすぐる。振りかえった女はきっと睨んで、「ど助平!」と吐き棄て、さっさと去っていく。  夜更けて一号室になだれ込んだ仲間たちは、たちまちのうちに寝こんだ。朝になると、誰かが咳をしている。薄い掛蒲団を一晩中引っぱり合っていた揚句のことなのだ。朝陽はその日も埃っぽい押し開き窓から差しこんできた。みんなはその光の|縞《しま》に夢見ごこちになっている。すると、誰かが夢から醒めたように急にいい出すのだ。 「しかし、あいつが挨拶にこねえってのはどう見ても面白くないじゃないか。おれらだって、やつの仕合せをあんなに願ってやったのによ」 「うしろは振り返りたくないものなのさ。それが人間ってもんなんだろう」 「とはいってもよ、薄情だよ」 「あいつはおれのジャンパーを着て出たきりだもんな」 「おれだって、風呂賃をずいぶん出してやったのによ」  かつての仲間はさんざん旧悪を並べ立てられるのだった。金夏竜がしめくくるようにいう。 「しかし、みんな、いつかはこの部屋から出ていこうぜ。おれたちだってまんざら捨てたもんじゃねえさ。ヘッポコ文士にゃ大作家になる夢があるし、晧洙は来年には大学生になる希望があるもんな。このおれだって、|元手《もとで》を取り返さなくちゃよ。朝鮮人ってのは、玄海灘わたってからは割くった人生だもんな。しかし、このままいってたまるもんか」  みんなはしんとしてしまうのだった。光の輝きがまぶしく見えてくる。こごった空気の中を美しい女の幻がかすめすぎていく。すると誰かがひょうきんな声をあげた。 「よう、誰か知らんけどよう、蒲団の中で妙なことすんなよな。臭くってたまらんぞ」  誰かが、そりゃお前のことだろうとあわててひやかした。晧洙は顔が赤くなった。自分のことをいわれたような気がしたのだ。いちど、はげしい夢精におそわれたことがあった。はっとして下腹に手をやってみると、ぬるっとした感触が指にまつわってきた。そのときのことを思い出したのだが、仲間たちの話はまた別のことらしかった。  正月がすぎると、受験日は目の前にきていた。  晧洙は少しあせっていた。試験問題集をひらいて見る時間が足りなかった。後年になって、晧洙はしばしば時間に追いかけられるしつこい夢を見たが、それはこの時期の生活からきたと思えるものだった。朝早く一号室を出ると、夕方までの時間はほとんど受験とは縁が遠くなる。マンホールの中にもぐりこむのも、職安の監督がいるので、そうやすやすとはできなかった。  それでも、その晧洙を一号室の仲間たちは陰に陽にたすけていたのである。たとえば、日曜日になると、一号室はガラ空きになった。若いもんが受験の準備をするのに邪魔にならないようにと外へ出かけてしまうのだ。小説家志望はこの部屋の坐り机の権利をゆずり渡し、この日は風呂敷に原稿用紙をつつんで喫茶店に出かけていった。夜ふけまで晧洙が坐り机に向っていると、人々は酒くさい息を気にしてこっそり寝床にもぐりこむのである。  受験日の朝、仲間たちは晧洙の成功を祈ってくれた。従兄は腕時計を貸してくれたし、フーテンさんまで仕事に出かけしなに握手をしていった。ふとそのとき晧洙は、この人々がいつの間にかこの部屋に住んでいる美しい女に注いでいる愛情とまったくかわらぬものを自分にさずけているのを感じた。そう思ったとき、一号室の仲間たちのやさしさが汚れた靴下のにおいのように伝わってきた。  試験はさして難しくなかった。模擬試験のときの奇蹟はまだ消えていなかったのだ。ペンを動かしているとき、マンホールにもぐりこんでいるときのような孤独と気持の冴えを感じた。  陽が落ちてから、金夏竜はまっさきに飛んで帰ってきた。かれはドアを開けるなり、 「どうだった、|上手《うま》くいったか?」と意気ごんでたずねた。  待ちわびていた晧洙はおもわず自信あり気にいった。 「思ったより、易しかった。よっぽどのことがないかぎり、大丈夫ですよ」  鉛筆をひょいと宙にほうってしゃべる晧洙の様子を、金夏竜は注意ぶかく見つめていた。 「二、三、しくじったところはあったけど、まあ全体に響くほどじゃないし。相当の点数はとったと思うんです」  晧洙は、自分が採点官のようにしゃべった。金夏竜は、なぜか顔をしかめ、それから冷たい口調でいった。 「ほう、そうか。そりゃ、よかったじゃねえか」  かれは部屋の隅に|脚絆《きやはん》を脱ぎ捨てると、そっけない態度で、洗面道具を台所に取りにいき、そのまま銭湯に出かけて行った。そんな金夏竜のようすが、晧洙には意外だった。なぜ、かれは喜んでくれなかったのだろう。自分の態度のどこが気に入らなかったのだろうか。まもなく晧洙は自分の態度が相手を白けさせたのに気がついた。  そして恥かしいと思ったが、心のどこかにしこりが残った。金夏竜の顔の表情から、これまでには気づかなかった或る|ひるみ《ヽヽヽ》のようなものを見た気がするのである。あのひるんだ表情は、もしかしたら、人が仕合せになるのをどこかで喜びたがらぬ気持がもたらすものではないのか。人が不仕合せであるときはそれこそ熱烈に他人を|庇《かば》い、面倒を見たり、ジャンパーを貸したり、それこそなけなしの金をはたいてまで助けるのだが、いったん相手が仕合せになろうものなら、いや、その|兆《きざし》がちょっぴりあらわれただけでも、たちまちその人間を自分たちの不仕合せという陣営に引きとめておきたい衝動に駆られるのではないのか。それは人間の心の中に、人の仕合せを望まない何か黒い力が作用するためなのだろうか。  いや、いや、ちがう。晧洙は、いましがた考えたことを、そっくり消しゴムでもみ消してしまいたかった。この|答案《ヽヽ》はまちがっているように思う。しかし、どこがまちがっているのか、わからない。合格者発表日までの一週間、一号室の人々は心なしかよそよそしく思われた。他人の事など構っちゃいられないといった態度をしめしているのだ。晧洙は、それが当り前なのだと思った。自分にはきっと他人に依存する甘ったれ根性があるのである。だから、他人の善意に|倚《よ》りかかって暮していたが、一方、その自分はといえば、一号室の仲間たちに何ひとつとしてむくいていないのである。  一号室の仲間で、小説家志望だけがよく話しかけてきた。眼鏡さんはニコヨンを休んで小説を書いている日があるのだ。どことなく沈んでいる晧洙に向って、 「落着かないでしょう」と、かれはいうのだった。 「その気持、よくわかるんですよ。ボクはね、五回ともそんな緊張状態だった。一回目は誰でもそうですね。しかし五回目のときまで、まったく同じ緊張ですからね。こいつには、ちっとも馴れというのがない。もっとも、落第に馴れたら、もうお終いでしょうがね」  眼鏡をはずして布で丁寧に拭き、かけ直しながら笑うのだった。 「ボクはね、やりますよ。五回が五十回でも。何も金さんにいわれたからじゃないんですよ。これはあくまでも自分の意志です。知っていますよ、ボクには才能がない。ボクは本当にそう思います。でも、酒を飲んでいるときは、すばらしいイメージがつぎつぎに浮んでくる。こんこんと湧いてくるんですよ、ほんとうに。そんなときは、ボクは天才じゃないのかと思うくらいです。それこそ、奇蹟の中にいるのです。しかし、その酒を絶ちました」  眼鏡さんは坐り机から向きをかえ、きちんと正座していうのだった。 「いいですか、ボクが酒をやめたのは、奇蹟を信じたくないからです。どんなにボクが酒を飲んでいるときに天才であっても、酔いが醒めると、あれほどボクを小躍りさせたさまざまの閃きや感動的な発見がもうあとかたもなく消え去ってしまっている。ああ、これはダメだ、奇蹟は起るのではなくつくるものなのだ、自分がどんなに才能がなくても酒に溺れてはダメなんだと思ったんですよ」  話し出すと、かれには相手に口を挿ませずにしゃべりつづける癖があった。坐り机にのっている原稿用紙が、晧洙にはこの人の血を吸う生き物のように見えた。 「人間には誰でも、絶対にこれだけは言いたい、書きたいってことがあるでしょう。この世の中には、自分でなければ体験できないこと、出来ないことって絶対にあるものなのです。その体験をボクは、どうしても伝えたい。いえ、その内容はいまはいえませんよ。小説の中で、血をたらたらと流して、書くのです。ボクは人間、そう人類のために血を流して苦悩した聖人たちを尊敬しております。イエスもマルクスもそうでした。ドストエフスキー、笑わないで聞いてくださいよ。あの方は、ボクのお父さんです。カフカは伯父さんです。カミュは、ボクのお兄さんです。しかし、ボクはボクです。ボクでなければ、どうしても言いあらわせないものがある。あなたは、山月記という小説を読みましたか。いや、読まなくたっていいんですよ。ただね、あの小説には、詩人になりそこなって虎になった哀れな人間が書かれています。その虎がボクなのかもしれない。それをいいたいだけです。しかし、しかしです、どうしてもボクはボクの世界を書かなくては、生きている意味がないのです」  眼鏡さんは、悲愴な調子になっていた。なぜか晧洙は、冬の日のマンホールを思い浮べた。かじかんだ手で受験書をひらいてふと柵越しの通行人を見たとき、その行きずりの人がとても恋しく思えたものだ。けれども、マンホールにもぐりこんでいる晧洙を、通行人はただ怪訝そうに眺めて通り過ぎていった。それがとくに孤独というものではなかった。通行人にどう思われようと、構わないという気があった。  けれども、この眼鏡さんの話をきいていると、つらい気が先立っていく。「しかし」という接続詞に、なにか血みどろの怨念がこめられていて、その血しぶきで一号室が赤く染まっていくような息ぐるしさを覚えるのだった。ふと晧洙は思った。豚小舎の竃の中で燃えていたものは何だったのだろうか。あの火は、晧洙に逃亡をそそのかした。楢の木を割る日々の労働が厭だったのではなく、なにか朝鮮人の貧しい生活や、そこからくる荒々しい家庭での遣り取りや、重くるしい雰囲気、親と子がそれぞれの言い分をぶつけ合って、それが抛物線のように最大限に近づき、無限に遠ざかっていくときの親と子の感情に疲れたとき、ああ、この家から逃げ出したいと思った。  けれども、それは何の解決でもなかった。上京してからはつとめて家のことは考えまいとしている自分である。それでいて東京での生活は、楢の木を割るときとかわらぬ労働が必要だったし、家で仕事をしていたときの経験が役立った。固い楢の木は節を攻めるとかえってよく割れる。その要領で少ない勉強時間をおぎなってきたようなところがあった。だがいま晧洙は眼鏡さんの言葉を聞いていると、なぜか自分の父親の|身勢打鈴《シンセタリヨン》(苦労話)に似た怨念をつよく感じて、それが火の粉のようにかぶさってきてつらくなってくるのだった。  眼鏡さんは、年の若い仲間が戸惑い勝ちにきいているのに気づかない。かれは自分の信念をのべつづけるのに夢中なのだった。 「ボクの小説は、きっと理解される日がやってきます。何度も、絶望におちいりますよ、そりゃ。ボクが発見したこの小説世界の真実を、どうして社会の人間は認めないのだろう。そこには、じつは大変な真実がひそめられているというのに。それなのに、どうして気づかないのだろう。はたして、ボクに才能がないということがすべての原因なのだろうか。いや、この社会には、ボクが日頃、熱烈に|索《もと》めているものを無視してしまっているんじゃないのかって疑ぐるときがあるのです。キミはどう考えますか。けれども、こう何回も落ちているとね、そのうちに自分の言いたいことを誰かが書いてしまいはすまいかと、物凄く不安になってくるんです。絶望にかられます。しかしね、ボクはやはり信じますよ、このボクでなければ書けないことはあるはずなんだ。このボクでなければね。そしてその価値をきっと社会が気づく日がやってくるんだ。断っておきますが、ボクは決していい生活をしたくて小説家になろうとしているんじゃありませんよ。このことは神に誓っていいます。ボクは自分と同じような日陰の生活を強いられている人々の無念な気持を熱烈に代弁したいんだ。あの人々は救われなくちゃいけないんだ……」  晧洙は眼鏡さんの熱情に押されて黙りこんでいた。……  合格者発表日が迫ってくると、晧洙はさすがに落着けなかった。ふいにひとつの不安が、頭をもたげていた。自分が朝鮮人だという感覚がそのときになってこつぜんと湧いてきたのである。何か不吉なことや困ったことが起るとき、晧洙は自分の生い立ちや国籍がいっそう悪い方に自分の運命の拍車をかけていくような怖れを抱いていた。そのせいか、もし自分の入試の総点数が合格線上スレスレにおかれていて、その点数が日本人学生の誰かとまったく同じで二人のうち一人を合格者にするといったケースが生じた場合、学校当局はどうするだろうという不安に悩まされたのであった。自分が落されるのではないだろうか。いや、そんなひどいことをするはずがない。就職のときならともかく、学問の殿堂である大学ではよもやそんなことはしないだろう……。  仮定からはじまったこの問題は、受験生の晧洙を怖ろしい懐疑につつみこんだ。この懐疑をなだめ説得してくれる力がこの社会にはないように思われた。気分を紛らすためにパチンコをやりにいった。その翌日は二本立ての西部劇を観てきた。発表日までは職安の仕事に出かける気にもなれなかった。こんな不安な気持でいるのを一号室の仲間たちは気づいていないようだった。眼鏡さんは坐り机にしがみついて、民衆を救う名作を書くことに無我夢中なのだった。金夏竜はめったに口を利かなかった。ほかの仲間たちにしても、自分のことで精いっぱいといった顔をしている。  朝になると、誰かがやけっぱちにいうのである。 「あああ、朝か。こちらは闇だというのになあ」 「あいつは今頃、あの美しい女に手枕してやってんかなあ」 「関係ねえや。こっちも赤線で事が足りらあ」 「ほい、新聞でもよめよ」 「読んだって、どうしようもないや」 「あああ、朝になりましたとさ」  ガサガサと新聞をめくる音と、起きがけに一服する淡い煙。  晧洙はその日まる一日、躰が細るような心境だった。いよいよ明日は合格者が発表されるのだ。大学のキャンパスに出かけて掲示板を見上げた瞬間に、すべては決まってしまうのである。嫌な予感がつのってくる。予備校での奇蹟なぞ心許なくなってきた。狐につままれていたのではなかろうか。明日はその化けの皮がめくられるような気になる。  夕闇が濃くなってから、晧洙は一号室を抜け出していた。みんなから離れて一人で外を歩いてみたかった。青い闇がなまめかしく躰をつつんでいた。足はふらふらと夜のネオン街に向っている。映画館の前にいくと、最終回のはじまりを告げるベルが油虫の羽音のように鳴っていた。いったんは飛び込もうと思ったが、映画が終って出てくるときのあの何ともいえぬ淋しさがその気持をはばんだ。  むしょうに人が恋しかった。どこか破れかぶれのこの気持を裸のままで|晒《さら》け出せるような相手がほしかった。一号室の仲間たちのところへ戻っていきたかった。それなのに抵抗を覚えたのはなぜだろう。どの仲間も、折れた人生経験をたくさん持っていて、そこから這い出そうとあがいているのである。その溜り場である一号室が、まだこんなときの晧洙には重すぎて消化できぬ気になるのだった。一号室の仲間たちは、てんでに美しい女があらわれるのを待っている。そのくせ誰ひとりとしてはっきりとしたその女の輪郭を知らぬのである。美しい女とは、どんな存在なのだろうか。あらためて晧洙は漠然と考えてみる。しかしいまの自分には到底つかめない気がした。もしかすると眼鏡さんはその美しい女を追いつめているのかもしれなかった。書くという行為によって、あの人はあの人の美しい女をもとめているのかもしれない。数日前、かれが晧洙に話した内容は、異様な印象となって焼きついていた。それは信仰をもつ者の美しさを感じさせた。それでいて信者のもつどことなくたじろぐような息ぐるしさが、晧洙の知らぬ世界としてあった。  自由な場所がほしかった。すると晧洙は、かえって自分が不自由であることばかり思い出すのだった。すべてがうとましく感じられる。あのニセ者め、と晧洙はふいに文学志望者に毒づいた。晧洙に向って、真剣な話をした日の晩、残念にも、かれはまったく別のことに真剣になっていたのだった。かれは息を殺しながら、モゾモゾと若い仲間の尻に熱いものを押しつけていたのである。暗闇の中で鉞が閃き、楢の木がカーンと鳴ったような気がした。それは日頃の眼鏡さんの態度からはとても想像できぬものであった。一号室の仲間たちが、たまに青線に出かけていくとき、眼鏡さんは一緒にいくことをかたくなに拒みつづけるのだ。そして仲間たちに向って、青ざめながら「あそこにいる人々は、カチューシャなんですよ」と非難してやまないのである。  晧洙は、自分がいま迷路を歩いているような気がしていた。そのくせ、自分が何かを見た人間のように、いやに落着いているのを感じた。別に、どうってことないじゃないか。何を驚いているんだ。あれが人間の矛盾した姿だとか、表と裏だとかいう風に考えるのはかえってまちがっているのだ。事実は事実として、そのまま人間を見つめればいいのだし、自分が相手の存在の仕方を拒むのもやはり自由なのだ。そう思い決めてみたあとで、晧洙はどこか何か白けている自分の態度に心の中でいぶかしく立ち止っていた。  そのとき、じっさいに晧洙は足を止めた。すうっと目の前の真黒なドアが開いたからである。ボーイが晧洙を招いていた。その呼び込みにふらりと躰が動いていったのだ。そのまま、まるで操り人形みたいにドアの内側に吸いこまれ、気づいてみると晧洙は薄暗いボックスに坐りこんでいたのである。  何十|尋《ひろ》もの海底にもぐったような息ぐるしさを感じた。深海魚が揺れている。銀ラメのドレスが海底の真珠みたいに光っている。いつか、こんなところに来てみたいと思っていた自分を晧洙は夢のつづきのように思い出した。薄暗い照明のなかで急に嬌声が湧いた。その声にはじかれたように晧洙はおびえた。そうだ、明日、発表がある。それなのに何をしているのだろう。立ちあがって、外に出ていこうと思ったときだった。  ひらりと光線をよぎり、誰かが隣の席に滑りこんできた。  その若い女は席に坐るなり、小さな溜息をついた。「ああ」と洩らしたその声は、どことなく|遣瀬《やるせ》なさそうにひびいた。 「何にします?」  彼女は注文を求めた。晧洙はしどろもどろになった。酒の種類をたずねているのはわかったが、どう答えていいのかわからないのだ。田舎から出てきた晧洙は、まだ酒の味も煙草の味も知らなかった。 「酒、何かの酒、マサムネか何かください」  晧洙が早口にいって、表情を取り|繕《つくろ》うと、その女はふしぎそうに眺め、それから、 「こういうところは、ウイスキーしか置いていないわ」と、おしえるようにいった。 「あなた、トラックの助手?」  晧洙は驚いて、相手の顔を見つめた。そしてその言い方に、いくらか人を軽蔑した調子を感じたのに、その顔にはまったくそんな気配がないのをたしかめて、 「ぼくは……」と晧洙は口ごもった。 「そんなことはどうでもいいじゃないか。とにかく、酒をくれよ」  ふいに、乱暴な口をきいた。若い女は席を立ち、ウィスキーと氷の入ったグラスを持ってきた。そのウイスキーを一口飲んでから、晧洙は顔をしかめた。隣の女はそのようすを冷たい表情でながめていた。 「ぼくは学生だよ。受験生なんだ」  そういったのは、彼女につっけんどんな口をきいたのがすまないせいというより、この席に坐っていることにやはり自信がなかったからである。 「あんた、受験生?」 「そうです」 「ほんとお」女は驚いた風にいい、急に親しみを見せた。 「明日、結果がわかるんだ」  投げやりにいってから、晧洙は後悔した。なぜアルサロなどにきてしまったのだろう。 「もう一杯ください」  そう頼むと、女はダメダメとスカートの上で周囲にかくすようにして小さく手を振った。 「ここは高いのよ。注文なんか取らない方がいいの」  それはまったく非営業的な言い方なのだった。 「きみはアルバイトかい?」 「そうよ」  晧洙の興味に駆られた顔を見て、女はどこか昂然といい切った。  まもなく、晧洙はそのアルサロをあとにした。繁華街をこえ、路地から路地へとつたって歩いていった。自分がこの上もなく未熟に思われた。この未熟さを若さと混同している自分がゆるせなかった。その未熟さは感傷的なところからきている。それが躰じゅうから滲み出て、青くさい匂いとなって漂っている。  どこにいても、人間は生きているという気がしているのだった。あのアルサロの女はふしぎだった。晧洙をせき立てんばかりにして帰してしまったのだ。自分を大学生であるといった。アルサロに勤め出したのは、親が死んで仕送りが途絶えたせいだともいった。早くやめたいといいながら、顔をしかめてみせもした。もしかしたら彼女はどこかで嘘をまじえて身の上話をしながら、晧洙を感動させていたのかもしれなかった。けれども、たとえその話に嘘がまじっていても、晧洙は彼女の気持を信じることができた。畜生、畜生っと晧洙は暗闇にむけて唾を吐きかけ、手を振りまわした。  アパートに着いた。裏口で靴を脱いだ晧洙は、廊下を忍び足でわたった。そして表玄関わきの一号室の前にくると、一息ついてからドアのノブに手をかけた。仲間たちはぐっすりと子供のように寝こんでいた。晧洙は人々の足を踏みつけぬように注意し、隅の寝床にもぐりこんだ。  しばらく、眠りはやってこなかった。じいっとしていると、さっきのアルサロの女が思い浮んだ。不仕合せというやつは、どの人間にも訪れてくるのだ。あの大学生の女の子の明日はどうなっていくのだろう。そう考えると、ふいに涙がこぼれた。晧洙は蒲団に|埋《もぐ》った。生きているんだな、みんな、と思った。それでいてみんなが、苦しんで生きていくより仕方ないのだ。晧洙は自分が誰のために泣いているのかわからなくなっていた。ただ泣きながらも、|痒《かゆ》い足を掻いたりしていた。  すると、そのとき、滑稽なことが起ったのである。  自分の名前を呼ぶ声がするのだった。 「|晧洙《ホンス》、|晧洙《ホンス》よ」  晧洙はぎくりとして声を殺した。おごそかに、その声はひびいてきた。 「泣くな。……いいじゃないか」  金夏竜がしゃべっているのであった。 「……落ちたからといって泣くやつがいるか。また来年、がんばればいいだろう……」  一瞬、なんのことなのか、晧洙にはわけがわからなかった。なぜなら、合格の発表日は明日であるからだ。どうやら、金夏竜はその日にちをまちがえているのだった。 「……人生はそのときが肝心なんだ。おれはな、今日、お前がずうっと元気ないんで、やっぱり落ちたのかと自分のことみたいに悲しかった。夕方から部屋を出ていって戻ってこないから、ヤケでも起しやせんかとみんなも心配していたんだぞ。この一週間、みんながどんなにはらはらして気を遣っていたか、お前にわかるか? それなのについに受からなかったかと、そりゃ、さっきまでみんなもがっくりしていたのよ。  なあに、お前はまだいい方よ。来年があるんだしな。文士をみるがいい。あいつは五回だ。来年だって、まず怪しいもんだよ。しかし、それがどうしたっていうんだ。自分の力でがんばって出来ねえことってあるかよ。お前が見れば、おれたちは不甲斐ないかも知れんけどな、誰も人生を投げ出しちゃいねえな。元手を返そうってんだ。いいよ、いつまでもこの一号室にいて、大学をめざすんだ。ニコヨンの方だって、おれがもっと面倒を見てやるから心配するなってことよ……」  金夏竜は、天井を見あげて、しゃべっていた。蒲団の縁から顔を出していた晧洙はまた|埋《もぐ》っていった。可笑しいのであった。日にちを間違えていて、それと気づかずにいつまでもしみじみとしゃべりつづけているのが、可笑しいのである。不謹慎にも、晧洙は笑いをこらえていた。それでいて晧洙は、全身が熱くなってくるのを覚えた。何か、そのうちつらくなってきて小さく躯をちぢめて泣いた。  翌る日、晧洙はひとりで大学に出かけていった。  キャンパスの掲示板には人垣が出来ていた。オーバーを着こみ、マスクをし、髪を伸ばしかけているかれらはまじまじとそこに貼り出されているものを追いもとめていた。晧洙はその群から抜け出すと、近くのベンチに腰をおろし、しばらくぼんやりしていた。 [#改ページ]      
水汲む|幼児《こ》

     1  さっきから彼は大学時代のクラス誌を探し出すのに手間取っていた。  もう十五年前のこと、彼はある私立大学の学生だったが、そのクラスでは『セミヤ』というガリ版刷りのクラス誌を出していた。セミヤというのはロシア語で、家族とか一家、共同の利益によって結ばれる人々のグループ、という意味をもっている。クラスメートは長いことこの誌名にふさわしい、ある親密な感情をわかち合っていた。そこには多分にロシア的な素朴な雰囲気があったといえよう。彼らはあまりにも親密さをもとめようとしたため、のっぴきならぬ友情の|蔦《つた》に絡まれてお互いを憎み出したり、うとましい間柄に急速にはまりこむこともあった。しかしそれでいて彼らは、この就職難の時代に四年後にはかんばしい待遇をうけるはずもないクラスにふしぎな魅力を感じ合っていて、お互いに離れがたい気分で日々を過していた。  それだけに彼は、自分の青春時代を憶い出すときに、この『セミヤ』が念頭に浮んでくるのであった。自分の若い日々の幻想も幻滅も、憂鬱とか生への|渇仰《かつごう》もそこには断章となって秘められている。そしてあの級誌に彼が書いた一篇の|拙《つたな》い詩も、そのような日々から生れてきたものにちがいなかった。その詩は、それが載ったときから、クラスメートの黙殺するところとなり、一、二の友人を除けば、まるで注意を惹かなかった代物である。しかし、彼は少しも不満でなかった。詩を書いたのはそのときが最初ではなかったが、自分に詩の才能があるとは思っていなかったし、したがってどんな酷評もむしろ当っていたくらいである。  ただ彼は、その詩に自分なりの小さな真実を籠めたつもりだった。いや、懺悔の気持を吐露したと言うべきかも知れない。あれは青年にありがちな、暗い幻想の日々に起った出来事だったのか。それとも人間にとって永遠な何かが、青年の時期にちらりとその姿を見せたものだったのか。いずれにせよ、『セミヤ』を憶い出すとき、きまってあの詩とともに暗い幻想の日々が甦えってくるのである。もともと詩質に乏しい彼がそれでも自分の情念を表現してみたいと闇雲に思うようになったのにはそれなりのわけがあった。どういうものか、大学生になった頃から彼はひどく陰気に子供を憎むようになっていたのだ。彼にそのような気を起させたのは何だったろう。とにかく、まずかったのはS保育園にもぐりこんで暮すようになったことだった。このS保育園に夜警として住みこんでしばらく経ってから、彼はしだいに幼い子供を殺してみたいと思うようになっていたのであった。  その頃、彼は女に飢えていた。誰かと抱き合いたいと想っていて、夜になると空疎な気分におちいるのだった。恋人といってよいのかどうかまだはっきりしない|稚《おさな》い少女が北国にいたので、空疎な気持におちいると、その少女のことばかり想った。もしその少女が自分を慕っていてくれたらと考えると、彼は誰にも近づけぬ気になるのだった。しかし、これはどこかでおかしい。実際のところ、彼はやはり女を抱きたいと考えていたのだから。  ところが、世の中の女はどんなに多くても、こうして鬱屈している青年には眼もくれないものらしい。彼は人一倍の無精者だったから、スマートに振舞うことが不得手であった。それに苦学生ときているので、着ているものはたいそう質素だった。オーバーの袖からは裏地がほつれてわかめのように覗いていたし、靴にしても雨水が滲みこんでくるやくざなものだ。したがって、彼は分が悪いのであった。世の中の女が彼を振り向きもしないのは当然であった。それなのに彼は女に近づく機会ばかり考えていた。ダンス教習所はどうだろう。そこに出向けば、自動的に女と接近できるはずである。そこから、どんなチヤンスが生じてくるかは本人の腕次第なのだ。そこまで想像していくと、あとは行動あるのみと決っている。よし、出かけていこう。だが、いざ足を運ぶとなると、億劫なのである。死にそうなほど、億劫なのだった。  仕方なく彼は保育園をふらりと抜け出して、近くのAという名曲喫茶店によく出かけていった。そしていつも聴くクラシックの題名を小さな黒板に書きこみ、小さな椅子に坐りこむのだ。  その曲を聴いていると、心の汚れがだんだんと清められていくような心境になってくる。過ぎた日の失敗ばかり思い出される。絶え間ない回想がどれもこれも負の世界から押し寄せてくる。身ぶるいがおこり、慟哭したい気持になってくる。二十歳になったばかりなのに、老人みたいな自分が虚しくなってくる。彼は、そのテーブルに何時間も老人のように坐りこんでいた。  曲を聴き終ってから外に出ると、彼の足取りはいつも|曖昧《あいまい》であった。どこに行けばよいのか、行先もさだめずに歩いているのによく気づかされた。ふと我にかえると、駅のプラット・ホームに立っていたりするのだ。さてどこに行こうとしているのだろう。彼はそぞろ心淋しくなってぼんやりとその場に立ちつくすのだ。駅のプラット・ホームからはいろいろな赤いネオンが点滅しているのが見えた。そのひとつが質屋の広告であったが、どんなわけか、「ホイットマン 草の葉」という電光文字が夜闇に浮んでいるのである。質屋の広告とホイットマンの「草の葉」。へんな取り合せであった。いったいどんな因果関係があるのであろう。彼はぼんやりと立ちつくす。そして蝉の抜殻みたいな自分に気づき、うつろな気持でプラット・ホームから改札口にもどっていくのだった。  夏の真昼、そのプラット・ホームで健康そうな少女達を見かけると、彼はひどく憂鬱な気がした。ラケットを手にしたり、革カバンをぶらぶらさせて小さなハンカチでおでこを軽く叩きながら話に明け暮れている少女達。国電がプラット・ホームに滑り込んできてドアが開くと、一斉に少女達はその中に消えていく。そんなときひとりだけこぼれたようにドアの外にとどまって、窓ごしに仲間達と最後までうなずき合ったり目配せなどしてみせる少女がいる。国電が動き出すと、その少女は不意にわけあり気な顔付になってするするとその場を離れていくのである。  そんな少女を見かけると、不意に彼はあとを追っていきたい衝動に駆られた。幻想が湧いてくるのだ。白いセーラー服の少女が駅の裏側のコンクリート道を抜けていく。靴音を立てずに先へ先へと歩いていく少女を彼は気づかれぬように忍び足で追っていた。その足音はすぐに気づかれて、少女がぎくりとしたように振り返る。 「何か御用?」  少女は身を引くように見つめる。彼は意味あり気に笑いかける。しかし|見咎《みとが》める少女の態度には思いがけぬ威厳がこもっていて彼をうろたえさせる。彼は急にふてぶてしく構えて、 「見せろ」 「何のことです」  きっとして少女は一歩後にさがる。蛇のように彼は一歩にじり寄っていく。 「ほくろを見せるのだ。君の右腕の付根にあるほくろだよ。知っているよ。これから男に会いにいくんだろう。だが、言っておくが、その男はほくろを持っていないぜ。しかし、僕は君と同じほくろを右腕の付根にもっているんだな。ほら、この通り、寸分違わぬものだろう。だから君は僕の分身なのだ」 「人を呼びます。あっちへ行って下さい」  少女はひるんで右腕をかばいながら彼をにらみつける。彼は右腕をぐいと突き出す。少女は小走りに逃げていく……。  街を歩いていると、彼は通りすがりの女達のなかから、紫がかったほくろを右腕の付根にかくした女をすぐに見つけ出すことができた。だがそのほくろの女達はなぜか彼が同じほくろ族の一人であることに気づかぬのだった。  彼はいつも欲求不満をもて余していた。夜になると彼は真昼の揺れる光のなかで見かけたなまめかしい女達を思い浮べようとした。或いは、パタパタと小走りに逃げていった少女を抱きしめてあらわな想像で犯すのだ。少女は罪深い眼をして彼を受けとめながら、とうとう右腕のほくろをはっきりと|晒《さら》してしまう。ほかの女達と同じようにもだえ、同じように付根のほくろを明りの下に|曝《さら》してしまう。そのときほくろがだんだんと黒ずんでいくのが彼を歓喜させるのだった。ところが、ふしぎなのはそんな瞬間に、女達の顔が見えなくなってしまうことだった。昼間はあれほどはっきりと脳裡に焼きついていた女の顔がにわかに思い出せなくなり、ふと首のない血みどろの死体を凌辱したような凄惨な気分になっていく。  昼間のほくろの女達が夜になると首のない女達に変ってしまう。彼は自分が稀代の殺人者であるような強迫観念に襲われた。女を犯すたびに押入れの行李に首のない女の死体を蔵いこんでいるような気分、その行李の重みでしだいに薄い床板がしなっていくようなおびえ。  彼の坐り机の前に、一枚のパリの風景画が貼りつけられていた。美術誌のグラビヤから切り抜いたものであった。幾何学風の三角や四角の屋根をもった建物を左右に従えるように、急勾配の古びた石の階段が見えた。後方のパリの空の下には寺院の尖塔と唐草模様の円形窓が小さく見え、前方の石段の上り口にはどこかのムッシューが片肘をしっくいの壁に|凭《もた》せかけて両脚をゆるやかに交叉させながらのんびり陽差をうけて大きく立っている。そのわきを赤い風船の糸をにぎった女の子が小さな犬といまにも駆け出そうとしている。  石の階段のあるその風景画を眺めていると、彼はああ、石の階段をのぼってみたいと心を誘われた。急勾配の石の階段を一心にのぼってみたい。何かに心を打ちこんでみたい。そうすれば、押入れの唐紙をあけてみたときに、行李から首なし死体が消えてしまっているのではないのか。  ある日、彼は坂を見つけた。その坂は石段をもっていなかったが、心を惹かれた。坂をのぼっていた彼は前方に高い塀をめぐらした学校を見かけた。大人の丈よりすこしばかり高い緑色をした塀のその内側から、少女達のさんざめきがのぼっていた。その声は彼の胸にむなしさを掻き立てた。自失したように立ちすくんでいた彼は、ふらふらと躯をすぐそばの銃眼に寄せつけていった。煉瓦大のその銃眼から運動場がひろがり、清潔な校舎の窓が光っていた。その校舎の清潔感をあなどるようにも慕い舞っているようにも見える少女達がバスケット・ボールに熱中していた。ブルーマのふくらみがまぶしく目に焼きついた。おもわず彼はまぶたを閉じた。けれども、完璧な闇の世界にも少女達は自由に入りこんできて、健康な桃色の肢体を躍らせた。目をあけたとき、彼は自分が世をのろっているのを感じた。  その銃眼にへばりついて、彼は少女達にのろいをかけた。少女達の右腕の付根にのろいのほくろを吹きつけてやるつもりであった。だがその仕事を十分に果さぬままにいそいでその場を立ち去った。折悪く、坂道を人がのぼってくるのが目に入ったからだ。ある日、こっそりと同じ場所にやってきてみた。緑色の塀の内側からはあの日と同じように少女達の声がひびいていた。しかし銃眼からのぞいてみると、ブルーマの|襞《ひだ》を精いっぱいにふくらませて身ごもった躯を必死にかくした少女達がのろいのかえし歌を重くるしそうに歌いながら彼の名前をとなえ、あのとき彼がほくろを吹きつけそこなった少女達に寄りそわれ、いたわられていた。彼はひるんでそそくさとその場を離れた。そのとき緑色の塀の上にさらに金網が高く張りめぐらされてあるのが目に止った。その金網がこの自分をはばむために張られたのだと思ったとき、彼はけもののようにうめいた。めちゃくちゃに坂道を駆け降りたくなった。  秋のある日、彼の部屋にどかどかと大学生が七、八名なだれ込んでくると、どの男達もぐったりしてそのまま寝込んでしまった。折り重なるように眠りこんだ男達はいましがた大学祭のフィナーレから散ってきたところだった。|篝火《かがりび》が林につつまれた広場の闇を深く焦がしている最中、男達は火の粉をかぶりながら踊りまくり青春の歌を放っていた。そのうち酒がまわりはじめると、彼らは闇に足をとられてごろごろと地面に転がり、芋づる式に泥まみれになっていった。彼は泥だらけのクラスメートたちをたすけて、どうにか保育園にもどってきたのである。  朝になった。誰かがむっくりと起き上り、それが合図みたいに男達はつぎつぎに目を覚した。「子供の声がきこえるなあ。ここはどこだろう?」と、誰かが遠い昔をなつかしむような声で呟いた。ここが保育園だと知らず、一瞬、声の主は|訝《いぶか》ったのである。 「なんだ、俺」と、泥だらけになった学生ズボンをしげしげと眺めて、それから昨夜のファイヤ・ストームを思い浮べる男もいた。部屋のなかは|吐瀉物《としやぶつ》の臭いがかすかに漂っていた。 「仕様ねえな」と別の誰かがごしごしと頭を掻き、角縁のメガネをかけ直して首を垂れた。昨夜いちばん最初に酔い、にわかに暴れはじめた猫背ぎみの男だった。それまでは学生達が篝火を囲んでフォーク・ダンスをする姿を眼鏡の奥から楽しそうに眺めていたのである。 「とつぜん、君が暴れてね。それで僕は取り押えようとしたんだけれど、見事にはじき飛ばされちゃったよ」  一人だけ背広を着た長身痩躯の男が説き明かし顔で話し出し、クラスメートにボタンの取れた背広を見せた。 「でもこの部屋にいると孤独にならんかい。夜なんか、そんな気がするなあ」  殺風景な室内を見廻して、その友人が彼に話しかけた。 「うん」  彼は何か気まずそうに答え、はぐらかすように、顔を洗いに階下にいこうかとみんなを誘った。そのとき、「入っていい?」と断って、同じクラスの女子学生が二人入ってきて律義そうな恰好で彼らの前に坐りこんだ。その一人はコートを着たままで、詰問するように話しはじめた。 「みんながあんなときは悲しいし、苦しいのよ。それでも集まって楽しく祭のフィナーレを迎えようとしていたんだ。それを勝手に振舞ってみんなの喜びをメチャクチャにしたのは恥ずべきことだわ。Kさんはどう思っているの」  猫背ぎみのKは正座して頭に手をやり、しきりに低頭して彼女に詫びた。なぜ突然荒れたのか、Kは弁解しなかった。ただ自分が先頭になってにわかに引き起してしまった修羅の結果にたいして自責の念を感じているようだった。  彼女は顔の向きをすこし変えて、別の男のNを難詰しはじめた。さっき「子供の声がきこえるなあ」と深い溜息をついた男だった。 「あなたの方は昨夜の始末をどう思っているのかしらね。二人がいちばんひどかったのよ」 「おれは自分のしたことは悪いと思わんね」  |鷲鼻《わしばな》のNはうそぶくように答えた。その返事をきくと、女子学生は丸まっちい躯をつつんだコートの両ポケットに手を深く突っこみ、怒りで鼻をつまらせながら追尋しはじめた。 「どうして悪くないの。あなたのとった行動はあなたにとっての自由かもしれないけれど、みんなに迷惑をかけたという事実についてはどう考えるの」 「僕は酔ってやったことだとは思わない。そして酔った上のことだったからと詫びようとは尚更思わないね」 「少しも?」と女子学生は疑ぐるようにたずねた。 「ああ、ちっとも詫びようとは思わん」 「ちっとも思わないの!」呆れたように女子学生は声をあげ、頑固そうな男の顎の辺を見つめた。 「ちっともだ」断固としてNは答えた。  男達は二人の遣り取りを困ったように聞いていたが、それぞれ分の悪さはたしかに感じていて、二人の女子学生から目を|逸《そ》らし、昨夜のファイヤ・ストームに照らし出された自分の姿をいくらか反省気味に思い出そうとつとめていた。 「私達はそれぞれ別の遠いところから集まってきたんだったわ。|偏《かたよ》った受験時代のゆがみから立ち直って誠実に生きようとして。『セミヤ』を出すときの気持ってそれだったんじゃない。砂川に行ったり、勤評に反対したりしたのは何だったのよ。極端な個人主義はどうかと思うの。酒をのむのは男の勝手でも、クラスみんなであのフィナーレを楽しんでいたのにいきなり乱れてみんなの喜びを奪う権利はないとは思わないの?」  コートの女子学生は主張しつづける。コートをたたんで自分のかたわらに置いたもう一人の女子学生は、始終うつむき加減にきいている。 「何とも思わない、なんてことはないよ」  男の誰かが弱々し気に洩らした。 「でも『ともしび』や『ぐみの木』ばかり歌ってもいられないんだな。なにか俺ってしきりに遣り切れないところがあるんだ」  コートの女子学生はその呟きをすばやく耳にとめてただちに切り返す。 「みんなが遣り切れないのよ。だけど、その乱れそうなのをこらえて何とか生きようとしているんじゃない」 「まあ、まあ、今日のところは大目に見て欲しいんだ。君はわがクラスの偉大なエカテリーナだから、ほら、みんなすっかり恐縮し切っているじゃないか。平に御勘弁をと願いたいよ」  ボタンをちぎられた長身痩躯のHが白い手をのばして女子学生をなだめるように口を|挿《はさ》んだ。  男達の顔が昨夜の乱れで薄汚れて見えるのに、彼の長い面立ちはきれいに剃った髯のあとが青っぽく見え、端正そのものだった。Hの批評的で柔らかな口調が女子学生の気勢を|殺《そ》いでしまう。 「とにかく、今日のゼミはすっぽかさない方がいいと思うな」  コートの女子学生はわざと男くさい物の言い方をするなり、もう一人の連れの学生を促して部屋を出ていった。 「彼女、恋をしたいんじゃないかなあ」  とつぜん、男の誰かが呟いた。 「彼女は僕らに一言もいわなかったなあ」  別の誰かが、連れの女子学生の面立ちを心に抱きしめるように言った。  男達はそれから重い沈黙を分かち合った。  彼は一人の女を狙いはじめていた。  その女と寝てみたいと念じると、なぜか顔を思い出せなくなるのはやはりいつもの日々と変らなかった。その頃、街で見かける女達は誰彼なく首がないように見えたのだ。もやもやとした空気の中を腰だけの女がふわりふわりと漂っていた。それはひどく無節操な乱れた歩き方だった。すると彼は喫茶店Aにいき、音楽を聴きたくなるのである。なにかそれはクラシックを鑑賞するというより、乱れた想像を絶ちきり、自分に救いをもとめようとする行為に近かったのだ。  音楽の流れに身を委ねていると、物憂い感情が章ごとに深まり、帰依をもとめる人間のように懺悔の念に引きずりこまれるのだった。じっさい、そんな気持で喫茶店にいくことは、陰鬱な印綬を帯びにおもむくようなものだ。それでいて、いっときの避難所として安息できるのは、そこがなにか寄港地のような平穏さを感じさせたからだった。舵もなければ羅針盤もない破船のような怖ろしい屈辱感と悲哀感が、若い彼の胸裡に溜っていた。  そのせいか、彼は懺悔の念につねにそそのかされていたが、一方では無力感から這い出す術もないまま、孤独への志向を募らせていた。大学の友人は少なかった。キャンパスでの彼は人を避けていたが、殊の他、朝鮮人学生にたいしてその傾向がつよかった。彼がその朝鮮人学生であったにも拘らず、まるで迫害者らに会ったかのようにその群から遠ざかっていたのは奇異でもあった。しかし、極端な自閉症におちいっている彼は、その群に身を投じるよりは、むしろ|静謐《せいひつ》をもとめていた。  そしてそうした行為が、また彼にあらたな自己嫌悪と絶望を生む素地となっていた。高校時代に彼が悩んだ大きな問題は、自分の民族問題であったのだ。友人に自分の民族を告げるとき、彼が味わった悲哀は、彼自身が何らかの負い目を抱いてその事実を語っていたことである。しかし同時に困惑したのは、友人の反応にあらわれる、無責任とも見られる一種の善意であった。判で押したように、「そんなことは何とも思わない」という返事が戻ってきたが、それは身がねじれるほどの歯がゆさを彼に惹き起した。彼にとって、自分が朝鮮人であるという事実と存在の証明がきわめて痛切であることと、朝鮮人と知っても、すぐに人間論の次元で「何とも思わない」との友情を披瀝する友人との間にある認識の|齟齬《そご》は一体どこに根ざしたものだったのか。友人が「何とも思わぬ」という認識に止まるかぎり、彼は自分の姓名が日本名であったことの意味が理解されたという風には思えなかった。さりとて、朝鮮人としてそれ以上の自覚のなかった彼は、大学に入ってから日本人の群に加わることも、朝鮮人の群に溶けこむこともできぬまま、曖昧に|懊悩《おうのう》していた。  それでいて、彼は律義にその女のいるバーには出かけていったのだ。七坪ほどの鍵型になっているそのバーは学生街のなかにあったせいか、学生には「学割」の価格をつけていた。ハイボール一杯五十円は当時のライスカレーの価格と同じで、小倉焼三個十五円の三倍強である。彼は昼食のライスカレーや大学の帰りにひょいと立ち寄るのを愉しみにしていた小倉焼の味覚を犠牲にして、そのバーに出現するようになったのだった。  その女はすべてが大造りの感じがした。もし右腕の付根がきりきりと痛むようなあのほくろをつけていれば、それもおそらく特大級の代物にちがいなかったが、はたして秘めているかどうかとなると、なぜか目つぶしを喰ったように彼には見分けがつかぬのだ。  彼女はそこの女王様で、いつもカウンターの客に取巻かれている。ちょっと見るとソフィア・ローレンを思い出させる。彼はカウンターの隅で一杯のハイボールを苦心して長待ちさせながら、ソフィア・ローレンと話す機会をいつまでも待っていた。だが彼女は賑やかに取巻きと話し合ったまま、彼が坐っている隅の方には目を向けぬのである。仕方なく、彼はふさいだ表情でチビチビと飲み、何杯かのハイボールが空になるとふらっと立ってそこを出てくるのだ。  深夜の道をたどって保育園の二階にもどっていると、ふと背後からの足音を聴くことがあった。足音はアスファルトを危うげに小さく踏みつけながら後から迫ってくる。彼女が引き止めに出てきたのだろうか。一瞬彼はあらぬ空想をして振り返ってみる。しかし、誰の姿も見えず小さく聴えていた足音もパタリと途絶えた。  バーに通う日はふえていった。あの大柄な女と寝てみたいと彼は浅ましく思いつづけていた。昼間は顔を忘れてしまうのに夜になると暗闇が鏡の池となったように首から上がじょじょに浮んでくるその女の躯に触れてみたい。そのために彼は、「草の葉」に出かけて一帳羅の学生服を入質し、その足でバーに出かけていくようになった。そこでの彼は「おとなしい学生さん」とカウンターの女達に思われている。黙って飲んで、静かに帰っていくからだ。ちがうぞ、ちがうぞ。おれには野心があるのだ。おれは彼女を執拗に狙っているのだ。彼は心中ぶつぶつと呟いていた。  彼女は一向に彼に近づいてこない。馴染の客が占拠してしまい、話そうにもその機会がない感じなのである。そのうちたまに彼女が微笑を向うから送ってくるようになったが、その意味を拡大解釈することは滑稽なだけなのだった。  その微笑はこの頃よくやって来るようになった「おとなしい学生さん」への精々のサービスに過ぎないはずなのだから。彼はしだいにここでも物憂くなっていた。ときどき、カウンターにもたれたまま、クラスメートを思い浮べた。たとえばHのことを考えたりした。Hは上質のラシャ地の背広を着て登校してくる。普通の学生のようにふくらんだ皮カバンを手にしてやってくるようなことはせず、一、二冊のテキストを脇にはさんだ長身痩躯を静かにみんなの前にあらわす。クラスの誰よりもロシア文学に通じていて、淡々と現代ソ連文学の功罪を論じる。殊のほかHが傾倒している西洋的感覚を具現したある不屈な老作家に触れるときはさすがに色白の頬にほんのりと美しい朱が差しこんでくるが、普段の振舞いはどことなく蒸溜水のような淡さを感じさせた。それが彼に、自分とは別世界の人間を眺めるようなひそかな畏怖と遠い感じを同時に惹き起させるのである。この男はやがてロシア文学者として名を成すにちがいない。じっさい、Hはそんな印象を早くからクラスメートに抱かせていた。一世を|風靡《ふうび》した明治の文豪の甥という血筋のよさもどこかでその印象を育てていたにちがいない。彼はHが苦手であった。若くして教養人のHは音楽にもくわしく、しばしば音楽における社会性を論じたり、盛んにバルトークなんかの話をする。ところが彼はバルトークという名前をそのときはじめてきいた始末だった。 「君はどんな音楽が好きですか」とHから問われるのを彼は極端に怖れていた。何か言えば、軽んじられるような気がした。もともと彼は音楽一般について素養があるわけではなく、たまたま自分が出会った曲に没頭してしまっているだけなのである。「今、何を読んでいますか」と水を向けられるのも彼には苦手であった。大学に入って彼がどうにか読みはじめたような本は、すでにHは高校時代に目を通してしまっているような気がしてくるのだ。そんなわけで、彼はHにたいして、畏怖とも嫌悪ともつかぬ曖昧さで接してきていた。キャンパスで偶然出会うと、彼はいったいどんな話をしたものか言葉を探しあぐねて、いつもきまったことを喋ってしまうのだ。 「相変らず、猟をやっているんですか」  Hは余暇を見ては自分の邸宅に近い山でキジか何かの山鳥を撃っているのである。 「いやあ、この頃はディオニュソス的衝動が強くて、もっぱらフルートに|凝《こ》っていてねえ」  その「ディオニュソス……」という言葉に遭遇すると彼はもう返す言葉をなくし、気が乗らなくなるのである。それに彼は「|凝る《ヽヽ》」という言葉遣いが嫌いであった。とはいえ、彼はこの友人から文学青年に見られるきざな傾向よりは育ちのよい坊ちゃん的な善良さを発見していた。大学祭のフィナーレのとき、とつぜん酔って暴れ出した屈強な猫背ぎみのKを介抱しようとして「まあ、まあ、君、わかるよ、気持はわかるけどさ。しかし、なんとかそこはユーモアの精神で行こうよ」となだめに入ったところなどは、まさに絵になる光景であった。その直後にHはしたたか肘鉄砲をくらい地面にひっくり返されてしまったのだ。  あの貴公子は今時分きっと原書をひらいているのだろうな、と後は思う。Hのみならず、何人ものクラスメートが蛍光灯の下でこつこつと文学書と取り組んでいる姿が思い浮んでくる。辛抱を重ねてロシア文学の何かを汲み取ろうとつとめているはずなのだ。ところがこの俺は何をしているのだろう。意気銷沈して、止り木に坐りこんでいる。辞書を繰る愉しみも、最近では忘れ勝ちだった。チェーホフの「猟場の悲劇」をテキストにした講義の時間には、教授から発音がいいとほめられたこともあった。俺だって、Hみたいにこつこつやれば、何とかついていくことはできるはずだ。彼はぼんやりとそう考えてみる。しかし、何ともいえぬ倦怠感がそんな意欲を薄らげてしまう。そして、何か、すべてについて億劫なのである。……それでいて自分がもとめているただひとつのことだけがはっきりしすぎているのを彼はやましく思うのだった。彼は薄暗いカウンターの内側で陽気にはしゃいでいるソフィア・ローレンをちらっと眺める。それからレジで金を払い、物憂い表情を冷たい夜気に晒す。と、彼は湿ったアスファルトを交互に小さく踏みかわしながら後をせわしなくついてくる幼い足音を聴いたような気になった。ふりかえって見ると、その足音はぴたりと途絶えてしまう。  冬のある晩、めずらしくソフィア・ローレンが彼がいつも坐る隅のとまり木の前にきて付きっきりになっていた。 「どうして僕のところにきたんだ」 「さあ、お仕事ですもの。でもおたくはいつも静かに飲んで帰るでしょう。真面目な学生さんっていいわよ」 「真面目じゃなんかないよ。そう見えるだけだ」  彼は憂鬱そうに答えた。俺はもう何人も娘を|孕《はら》ませている。娘たちは、俺を恨んで、呪いの曲を編んでいる。 「そう言う人が、真面目なのよ、案外」 「どうかね」と彼は呟き、酔った気分で目を閉じた。腹籠りをブルーマでもはや隠し切れなくなった少女達がかなしみの曲を歌いながら墓地に向ってのろのろと並んでいき、そこで凍った地面を掘っている光景が目にうつってくる。彼の子供をその穴に生み落して埋葬しようとしている……。 「君は、ほくろを持っている?」 「ほくろ?」 「うん、右腕の付根のところにだよ」  彼女は急におかしそうに笑い出した。よく張り出した乳房が揺れるような笑い方だった。そしてその動作でこの女がほくろを持っていないという直感が働いたが、 「そんなもの、そんなところに持っていないわよ。右腕って決っちゃっているの、それ? あんたって、よっぽどへんな話が好きなのね。でも、ちょっと面白いわ」女は興に駆られた仕草を見せた。 「どうして、女の人にほくろがあるってわかるの?」  女の質問に、彼は窮した。幻想が壊れていく感じになった。 「念力だよ、まあね」 「へえ、念力って? 何か大学の、そんな部に入ってんの」 「いや」彼はかなしくなった。何だか、話がトンチンカンになっていくのだ。だが、女の躯を抱いてみたいという日頃の念願が募っていた。 「僕のところに遊びにこないか。その秘訣をおしえてやるよ」 「面白そう。——でも、駄目よ。私、きょうふさいじゃってるんだから。それに、とても気が重いのよ」  女は思案顔で断った。ある青年を彼は思い浮べた。スマートなその男はどこかの映画俳優ということだった。スクリーンにはあらわれぬが、俳優ということだけでこの小さなバーではダイヤのように光っていたのだ。そしてソフィア・ローレンがその男に気があるらしいことも彼は知っていたのである。 「そんなこと。ああ、でも気が重い。何か、思いっきり好きなことをしてみたいわ」 「思いっきり君のほくろを見たいんだ」  彼は恥かしさをこらえて、小声でそそのかした。 「あんたもみんなと変らないのね」  なんだ、という表情を女は浮べた。その眼差しは|蔑《さげす》むように彼の上半身に注がれた。ソフィア・ローレンはついと離れて別の客の方に移っていった。彼はみすぼらしい気分になった。彼女はもうこちらのことはとうに忘れてしまったように客と話しこんでいる。帰ろう、と思ったときだった。彼女はすいっと近づいてきて、パラフィンの感触のする手で彼の手に店のマッチ箱を握らせた。何か秘密の伝授をするような素早さである。外に出て箱を開いてみると、「二時に帰るの。外で待ってて」と走り書きしてある。彼は一瞬呆然とし、我にもどって手首を眺めた。しかし、腕時計はすでに質に入っていた。正確な時刻がわからない。けれども、もう少しすれば店は終るはずだった。彼はバーの前の鋪道をよぎって、反対側の歩道に立つと、|楓《かえで》の樹の蔭に身をひそめた。何もかくれなくてもいいのにそんな気持になったのはなぜだろう。冬の夜気がくたびれたコートを通して肌に滲みこんできた。歩道に沿った商店街はすべてシャッターを降していて、それが余計に寒々しい。  暫くして、そのバーの階段から酔客が四、五名気ままな足取りであらわれ、或る者はそのバーの壁に小便をかけ、或る者は蛮声を放ってから、薄明りの夜の歩道をさまざまな影を引いて去っていった。バーのネオンがふっと消え、幾人かの女があらわれたとき、彼はシュンとした。ソフィア・ローレンの姿が見えない。さては、欺したのか。しかし、彼女はいちばん後から出てきた。ところが、彼女の影を覆うようにしてあらわれたもう一人の人間を認めたとき、彼はもう少しでアッと叫ぶところだった。いつの間にバーにあらわれていたのか、例の俳優が姿を見せたのだ。俳優はコートの襟を深く立てたまま、歩道で彼女と一緒に立ち止った。他の女達がハイヒールの音を細くせわしなく敷石に突き立てて去ったあとも二人は向き合ったまま、いつまでも立ち話をしている。鋪道のこちら側からではその話の内容は聴き取れないが、何か親密に打ち解け合っていく様子が伝わってくる。彼は楓の樹の蔭から吹矢でその男を射抜きたいうずきに駆られながらその場にうずくまっていた。二人は寒気のなかを恋人同士のように温かく寄りそい、いつまでも話し合っている。膝から這い上ってくる寒気で歯がカチカチと鳴った。そして、彼はこんな惨めな恰好で女を待っているおのれが哀れになり、なぜ自分が女の躯を執拗にもとめようとしているのか、ほんとうにそうだったのかとそのわけを問いつめられているような気がしてくるのだった。北国の稚い少女を想うときの自分は二人の仕合せを未来に感じようとしている。けれど稚い少女に自分が恋人として身を乗り出していくのは痛々しい気がしているのであった。むなしい思いが|掠《かす》めていった。しかし、その間も彼は鋪道の向うの二人に野良犬のような目を離してはいなかった。と、おもいもよらぬことが起った。とつぜん、女が躯を引くようにして俳優の頬にパンパンと平手打ちをくわせた。俳優はぶたれるままにまかせると髪を払いあげて女を眺め、それからゆっくりと背中を向けて遠ざかっていった。  その後姿をにらんでいた女もやがて反対方向の歩道へ重そうな足取りで歩きはじめる。茫然とその後姿を眺めていた彼は不意に我にかえり、不恰好な歩き方で近づいていった。 「あら、まだいたの」  目の前にあらわれた彼を眺めて女はびっくりしたように呟いた。 「さっきから待っていたんだ」  彼は女の一言に打ちのめされて、かぼそく言った。 「そう。その話があったんだったわね。……疲れたから泊めて貰おうかしら」  気だるそうに彼女はどうでもよい口調で洩らし、「近いのね?」と問いただした。「すぐそばだよ」彼は律義に答えかえした。  S保育園に向って歩き出したとき、彼はなぜか誰かに裾を引っ張られているような歩き難さを感じはじめた。いつもの小さなたどたどしい足音がまつわるように迫り出す。目に見えぬ無数の細い手が彼の服やズボンの端をしっかり掴んで引きもどそうとしている気配がする。彼は風速にさからうように重い空気のなかをひたすら前へ突きすすんだ。  保育園の二階にのぼるドアの鍵を出している彼のそばで、ソフィア・ローレンは月光で冴え冴えと照らし出された園内を無気味そうに眺めていた。鍵をまわしてから彼は|軋《きし》るドアを開けた。そのとき、階段の暗がりの奥から誰かが滑るように部屋から降りてきて、さあっと彼の脇から外へのがれていくのを感じた。ああ、とさけぶ稚い少女の悲鳴を聴いたように思った。  荒れた気持であった。彼が蒲団を敷くあいだ、女は貧相な部屋の中をじろじろと見ていた。彼女は派手なワンピースを脱いで楽々と蒲団に入ってきた。けれども、彼女はもはやほくろの話に興ざめしているのだった。そして彼女はタイツのようにきっちりとシュミーズの裾を太腿でしぼり、けっして躯の芯に触れさせようとはしなかった。わずかに巨大な太腿に手が触れると、その皮膚ほどきっとするほど冷たくてざらざらしていた。それがなにか夢に欺されたようなかなしみを彼に抱かせた。うめいて躯にのしかかろうとした。彼女はうるさそうに躯をゆすって、「私の叔父は弁護士なのよ。あとで後悔するわよ」と脅し、一気に彼をふるいおとした。      2  見つかった。やっと彼は『セミヤ』四号を本屑のなかから見つけ出すことができた。ワラ半紙の色がすっかり黄ばんでしまっているのはそれだけの歳月をしめしている。彼はページを繰っていき、やがて手を止めた。そのページに詩がのっていたのだ。その詩の題名は「水汲む|幼児《こ》」となっている。    水汲む|幼児《こ》   井戸から水を汲み上げようとした   カラカラ カラ カラ   滑車がまわって空の桶がもどってきた   井戸は深かった 地の底までおおいおおい   と声が堕ちていくと 次第にふくれあがったものが   ばかあばかあとあざけってくる   たれか健気にも突いている   みると見知らぬ子供じゃないか   どいて 水汲むんだから   意志をこめてあわれにも突いてくる   ああ殺してしまおうか——  彼はその詩を眺め、部屋のなかで考えに耽っていた。あの冬の日の早朝、光が淡く窓から差し込んできたとき、あの女は寝不足な目を|脹《は》らして帰っていった。彼が頼んだからだ。子供達が登園してくる前にいなくなってほしかった。考えてみると、それもまったく身勝手な要求であった。哀願するように連れ込んでおいてからまだ眠た気な女に出ていってくれないかと頼んでいたのだ。彼は理不尽であり、卑怯であり、醜悪であった。男を平手打ちし、自堕落になりかけた女の気持につけ入って漁夫の利を占めようとした前後の振舞いからして醜い仕業ではなかったか。女は大柄な躯を物憂げに動かして髪をなぜつけながら「そんなに頼まなくたっていいのよ」と別に怒っている風もなく、重々しく腰を起して園から出ていった。  あの女、ソフィア・ローレンはあれからどのような人生遍路を辿っているのであろう。二十一歳だった自分より幾つか年上の女だったから今は四十歳を越えているはずである。それから、あのブルーマの少女達は……。坂道にある女子学園のそばを散歩していた時、外界をさえぎっていた塀の内側でさざめき合うふしぎと熱い空気が彼の心を切なくしめつけ、壁のなかを銃眼から覗きこんでみたい欲望をなんどとなく抱かせたのである。そして果てしなく娘達を身ごもらせ、墓場に赤児を埋めさせたのである。あの娘達もいまは三十歳ほどの人妻となり、わが子をつぎつぎに育てているのであろう。  ソフィア・ローレンが立ち去ったあと、彼は学校にも行かずぼんやりと園内の子供達を眺めていた。すると、自然とわが心を詩というものに書き留めておきたくなり、いや、この園の子供達はすべて殺してしまいたい激しい|疼《うず》きに見舞われていたのである。  どうして、あのとき井戸のイメージがひょっこりと湧いたのか、もう今の彼には正確に思い起すことはできない。しかし今、彼にとってそのことの意味づけをすることは不必要なものにちがいなかった。  彼は『セミヤ』の別のページをめくってみた。さまざまな主題でクラスメートがロシア文学を論じていた。その中には秋の大学祭の晩にどやどやと彼の部屋へなだれ込んできた男達の名前もみえた。ちょうどあの頃から、クラスメートはいくつもの道に分岐しはじめ、各人の生き方をあらわにしていったのである。夜闇を赤く焦がした|篝火《かがりび》に顔を照らし出して躯を揉み合ったのもその年が最後であったようである。彼はあの後、暫くして朝鮮人学生たちの群に入っていった。クラスメートの或る者は大学を出てから社会人となり、或る者は大学院へと進んでいった。  自分がのぼる坂道を最も着実にすすんでいるように見えたのが貴公子のHであった。大学を卒業して何年か経った頃、彼はHの消息を書店で知ることができた。ロシア文学書に共訳者としての名前が出ていた。さらに何年か過ぎた頃には新進文学者としてのその令名が遠くの世界で暮していた彼の耳に入ることがあった。友人の成功を彼は卒直に祝福したいと思った。畏怖の念と嫌悪とを混然と感じさせてきたHと彼には深い交友はなかったが、クラスメートが頑張っているのは蔭ながらよろこばしく思えた。  彼の方は大学を出ると、学問の世界とは縁遠い場所で長いこと暮していた。朝鮮人の社会で新聞記者として働いていたのである。だが、事情があってその新聞社をやめてからは、社会の底辺でうごめく小さな雑誌社で自分の身分をかくして仕事していた。彼はその業務にたずさわりながら、家で小説を書いていた。  そのあくる年の正月だった。大学を卒業してから八年ぶりで『セミヤ』の同窓会が持たれ、在京のクラスメートが新宿の飲屋に集まっていた。ささやかな宴席に坐ってみると、たしかに歳月が流れていた。昔の面影ははっきりしていてもそれぞれが中年に引き寄せられていて、それが彼にしきりに大学時代を思い出させた。保育園の二階で男達を叱咤したコートの女子学生は相変らずの意気軒昂さでいまは主婦の役割を論じていたし、あのとき頑強に酒乱の非を認めようとしなかった鷲鼻の友人は昔よりも酒癖がきつくなっているようであった。そして、「彼女は僕らに一言も言わなかったなあ」と呟いていた誰かはその女子学生をいまはわが子の母親として伴い、みんなの前に姿をあらわしている。  散会してみんなが別れるとき、偶熱彼はHと二人だけになって新宿駅の東口に向った。Hは学生の頃のような寄りつきがたいイメージは薄れ、かつてのような難しい言い廻しもしなかった。どことなく角がとれていて、それが彼には意外なくらいの印象を与えた。ソヴィエト文学の近況について話してくれたが、その話し方には少壮のロシア文学者の自負が厭味のない感じで出ていた。妻帯していないのは、クラスメートの中でもHだけであった。そのせいか、ロシア文学に一途に打ち込んでいるその姿にはどことなく孤高な影も滲み出ているように感じた。 「君はいま何をしているの?」  Hは昔ながらの物静かな口調で訊ねた。彼は戸惑ってから、小説を書こうとしていると答えた。 「そう。……」  Hは、興にかられたようだったが、それ以上は訊ねなかった。 「猟はまだやっているの?」  彼は昔を思い出して聞いた。 「いや、やりかけている仕事があるんでね」  Hの話し方には、何かに気を取られていることがあるようだった。まもなく二人は、プラット・ホームで別れた。「じゃあ、又」と、Hは別れしなに感じのいい挨拶をした。  その年の春、彼の書いた作品が小さな光明を受けた。その作品は「ほくろ」や「首のない女」のような話を書いたわけではなかったが、自分の生い立ちにテーマをとったものであった。新聞にそのことがのった翌日の朝、彼は何気なく朝刊を開いてみていて、不意に心臓が止るような衝撃をうけた。一段の死亡公告欄にHが猟銃自殺をしたことが報じられていたのである。なぜ、死んだのだろう。彼にはまるでそのわけが信じられなかった。彼はいそいであるクラスメートに電話をかけた。それから街で落ち合ってから国電に乗って都下にある遠いHの家まで出かけていった。友人と彼は、焼香を終えて帰る途中、立川で下車して駅前のデパートの何階かでコーヒーを飲んだ。友人はHの近況にかなり詳しかった。友人は額が底光りする暗い表情でHがやりかけていた仕事が何であったかを彼に話そうとしてから急に口を閉ざしてしまい、いらいらした眼差を窓の外に向けた。  昨年の春、彼は偶然のことながら御岳山をのぞむM村のH邸からさして遠くない町に引越した。ある日、仕事部屋に籠っていた彼は、突然思い立ったように自転車を駆ってM村まで出かけていった。古びた竹林にひしひしと囲まれたH邸はひっそりと静まっていた。落葉を踏んで正門に近づくと「記念館解体」という墨筆の木札がかけられていて、その|解体《ヽヽ》という文字が異様にひびいてきた。そのとき彼はいつかの晩Hが保育園の二階で「この部屋にいると孤独にならんかい」とポツンと洩らした言葉が痛いように甦るのを覚えた。Hは人にわからぬ孤独に囲まれて生きてきたのではなかったろうか。それは彼に不覚の念を惹き起すのだ。何ということだ。俺には、あいつの表面しか見えなかった。あの貴公子然とした優しい表情の下にあった人間の孤独、絶望の影をいちどとして見出すことがなかった。それが人間の心の仕事にたずさわっている自分を、ひどく愚かに思わせる。そんな自分の愚かさをやむをえないとしてみても、Hが自分の生涯を絶ってしまったいまは、もはや友情を披瀝しようにもできない断絶が|峻《けわ》しすぎるのである。しかし、死に急ぐなんて。死なずに、この世の中をのたうっても生きていればよかったのに。  彼は自転車のハンドルを握ったまま、茫然とそのH邸の前に立っていた。  それから、ふいに自転車を走らせた。セミヤ。わがセミヤ達。彼は猛然とペダルを踏んだ。後から、誰かがひたひたと迫ってくる感じがした。  どいて 水汲むんだから  その声を聞いたように思ったが、あれはたんなる錯覚だったのだろうか。 [#改ページ]   初出誌
  砧をうつ女  季刊藝術 一九七一年夏   人面の大岩  新 潮 一九七二年一月   半チョッパリ 文 藝 一九七一年十一月   長 寿 島  週刊朝日 一九七三年十月二六日号   奇蹟の日   高一時代 一九六四年二月号   水汲む幼児  文學界 一九七二年三月号 [#改ページ]          文春ウェブ文庫版     砧をうつ女     二〇〇一年十一月二十日 第一版     著 者 李成     発行人 堀江礼一     発行所 株式会社文藝春秋     東京都千代田区紀尾井町三─二三     郵便番号 一〇二─八〇〇八     電話 03─3265─1211     http://www.bunshunplaza.com     (C) Lee Hoesung 2001     bb011113