TITLE : 好色の戒め 「肉蒲団」の話 〈底 本〉文春文庫 昭和五十八年九月二十五日刊 (C) Setsu Komada 2000  〈お断り〉 本作品を「文春ウェブ文庫」に収録するにあたり、一部の漢字が簡略体で表記されている場合があります。 また、差別的表現と受け取られかねない表現が使用されている場合もありますが、作品の書かれた当時の事情を考慮し、できる限り原文の通りにしてあります。差別的意図がないことをご理解下さいますようお願い申し上げます。 〈ご注意〉 本作品の全部または一部を著作権者ならびに(株)文藝春秋に無断で複製(コピー)、転載、改ざん、公衆送信(ホームページなどに掲載することを含む)することを禁じます。万一このような行為をすると著作権法違反で処罰されます。 目  次 穴埋めの話 誘いこむ話 盗み見る話 馬と狐の話 枕を使う話 板ねぶの話 貝と開の話 においの話 分けあう話 下半分の話 茶臼山の話 谷渡りの話 温柔郷の話 気絶する話 背と腹の話 後庭花の話 精を移す話 花の蕊の話 なすびの話 あわれな話 切り落す話 文庫版のためのあとがき 節名をクリックするとその文章が表示されます。 好色の戒《いまし》め『肉蒲団』の話 穴埋めの話  先年、山潤先生に『性史』と題する小冊子を五冊いただいた。第一集、第二集、第四集、第五集、第八集で、そろっていないのが気になる、というよりも、ほかの集も見たくなって山先生にたずねたところ、 「たしか田岡君に貸したはずだ」  とのこと。  田岡典夫先生は、「六四会」という碁の会の主宰者である。六と四、つまり五(碁)に近いが、五ではないという意味のほかに、この会が一九六四年にはじまったことをも示す、しゃれた名で、これも田岡先生の命名による。  この会へ出かけるときには、私はいつも、『性史』のことを田岡先生にたずねてみようと思うのだが、会場へ行くと忘れてしまうのである。『性史』と碁とは、つながりがないからであろう。  会がおわると、私はよく、木山捷平先生、小田嶽夫先生、八匠《はつしよう》衆一先生などのあとにくっついて酒場へ行く。そこでなら『性史』の話もできる。  ところが、あいにく田岡先生はお住まいが熱海なので、会がおわるといそいで帰って行かれる。そのため、いまだに『性史』のゆくえをつきとめることができないという始末。  ところで、この『性史』は、私にははじめてではない。山先生にいただいてから気がついたのだが、むかしむかし、読んだことがあるのだ。  昭和十二年、まだ学生だったとき、私は夏休みに北京へ行ってこの種の本をたくさん買いこんできた。そのなかに『性史』もあったはずである。たくさんのこの種の本のうち、私は『野叟奇語』だけを残して、あとはみな同学のだれかれにやってしまったのである。 『野叟奇語』、またの名は『循環報』、あるいは『耶蒲縁』、あるいは『覚後禅』つまり『肉蒲団』のことである。作者は清初の小説家・戯曲家である李漁だとされている。  李漁、字《あざな》は謫凡、筆名を笠翁といい、その詩詞文集に『笠翁一家言』、戯曲集に『笠翁十種曲』、小説に『十二楼』『無声戯』『連城璧』がある。  ——ことさらこんなことを附記したのは、ほかでもない。ただのエロ作家じゃないということを示したかったからである。私はこの『肉蒲団』を門外不出の書として、いまも所蔵している。  清初の刊本で、六冊一帙《いつちつ》。希覯本《きこうぼん》というほどではないが、いまでは、それに近いといってもよかろう。  この本を手に入れるために、私は琉璃廠の本屋を何日もさがしてまわった。どこできいても、ないという。ないとなると、一層ほしくなるのが凡夫の情である。  そのうちに、さがしておいてやろうという本屋があって、何日かたって、ようやく手にいれたのだった。本屋が異国の書生にすこしでも高く売りつけようとして、勿体をつけたのだ、などとは思うまい。  なぜ私がこの本をそんなにほしがったのかというと、同学のある先輩から、俗語小説を読む練習には、たとえば『肉蒲団』のような風流小説を読むのがいちばんよい、と教えられたからだった。辞書をひいたり、勘をはたらかせたりして、熱心に読むからである。  はたして練習になったかどうかは断言しがたいが、熱心に読んだことは先輩のいったとおりだった。その後、だんだん俗語小説も読めるようになったところからみれば、あるいは練習になったのかもしれない。それよりも、この種の風流本を精読したことは、のちに『今古奇観』や『水滸伝』などを翻訳したとき、ずいぶん役に立った。  風流本を読んでいなければ解読しがたいような部分にぶっつかって、ははあと思いあたったことがしばしばある。『水滸伝』のなかのある戦闘の場面の描写が、風流本の戦闘(?)の場面と同じ筆法で書かれているのを見つけだして、おそらく石部金吉先生や大井堅蔵先生にはこの文章の滋味は掬《く》むべくもあるまい、とほくそ笑んだことも再三あった。 『肉蒲団』以外の風流本は、みんな東安市場で買った。あやしげな中国語をあやつって、 「有春宮没有?」  などと、あちこちの店をたずねまわっているうちに、わけなく、たくさんの本が手にはいったことをおぼえている。みんな四、五十ページの小冊子だった。  山先生にいただいた『性史』の第一集の「序」には、民国十五年四月としるされているから、私が北京へ行ってこの本を買ったときよりも十余年前の出版である。だが表紙の装画にも見覚えがあり、なかの話も大半読んだおぼえがあるので、同じものであることはまちがいない。この種の本は、なにによらずロングセラーなのだろう。  ところで、前には気がつかなかったことが一つある。それは『性史』の第二集の六編の話のなかに、『肉蒲団』の一部をほとんどそのまま引き写したものがあるということである。『肉蒲団』では、主人公の未央生が、天下第一位の佳人を得ようとして、やがて玉香という容姿たぐいない美女を娶《めと》る、ところが玉香は道学者の娘で、耳に淫声をきいたこともなく、眼に邪色を見たこともなく、まったく風流ということを解さない。 『性史』ではこの「未央生」を「我《わたし》」にかえて、自分の体験として語っているのである。  さて、風流を解さない玉香に対して「我」は一計を案じ、春宮冊子を買ってきて、見せる。  それは絵と文とを一ページずつ並べて書いたもので、その第五図まで見ていったときである——  私は以前、この部分を翻訳したことがあるので、それを写して、穴埋めの話をすることにしよう。『性史』とはちがって、たいへん優雅に語られているから、読む人、乞う安んぜられよ。  玉香はここまで見てくると、覚えず興がわいてきて、もはや堪えられません。未央生がつぎのページをめくって見せようとしますと、玉香は本をおしやって立ちあがり、 「ずいぶんおもしろい本ね。見ているとへんになってくるわ。あなたひとりでごらんなさいな。わたしはあちらへ行ってやすみますから」  未央生は抱きとめて、 「ねえおまえ、まだあとのほうにおもしろいところがあるんだよ。見てしまってからいっしょにやすむことにしようよ」 「あしたという日がないわけじゃなし、きょう見てしまわなければならないってこと、ないでしょう」  未央生は彼女がせいていることを知って、抱きしめて口づけをします。これまでは舌をいれても歯をくいしばったままで、出させようとしてもどうしても出しませんので、ひと月も夫婦でいながら舌の長さも知らずにいたのですが、こんどは、唇をよせるとすぐ、細いやわらかな舌が知らず識らずに歯のあいだから出てきます。 「ねえおまえ、あちらへ行かずに、この椅子を庭石がわりにして、ふたりで本にかいてあることをまねてみようじゃないか」  と未央生がいいますと、玉香はわざとおこったふりをして、 「あんなこと、人間のすることじゃないわ」 「そうとも。人間のすることじゃなくて、神仙のすることだよ。ふたりでしばらく神仙になろうよ」  と手をのばして彼女の帯《クータイ》を解きます。玉香は口では承知しませんが、心では先刻承知で、未央生の肩に手をかけたまま、こばもうともしません。  未央生がぬがせてみますと、襠《クータン》が大きくぬれております。絵を見ているときににじみ出たものです。未央生は自分も子《クーヅ》をぬいで彼女を椅子にかけさせ、東西を戸のなかへいれてから、着ている衣服をぬがせます。  なぜ子の方をさきにぬがせてからそうするのかといいますと、そこが未央生の達者なところで、もしさきに衣服をぬがせようとすれば彼女は心はせいているものの、うわべはまだ羞かしがっておりますので、結局は手間がかかるのです。まず重要な地点を占領してしまえば、ほかのところは自然に、労することなく手にいるわけで、これが兵法にいう王を擒《とりこ》にして穴を搗《つ》くという道理です。玉香は果せるかな、こばむことなく、彼のするままにすっかりとってしまいます。  未央生は自分もすっかりぬいでしまってから、大いに旗鎗をととのえて右へ左へと掏摸りますと、さながら春宮第一図の蝶の花心を求むる光景です。しばらくそうしておりますうちに、玉香は戸をそばだてて東西を迎え、左へゆけば左へ、右へゆけば右へと受けはじめます。と、やがて忽然として、しびれるに似てしびれるに非ず、かゆきに似てかゆきに非ず、おすこともできず引くこともできない気持を覚えるところにつきあたって、 「そのままにして、もう掏摸らないで」  といいます。未央生は花心を求め得たことを知るや、ここを先途と攻めたてます。東西はいよいよ手並みをあらわし、浅より深に、慢より緊に、抽送数百回に及びますと、玉香とて負けてはおらず、春宮の光景をまねようとするわけでもありませんのに、知らず識らずにそれが模写されてまいります。  玉香はもはや滂流横溢、未央生はいよいよ旗鎗をととのえ、大いに攻めつけてさらに数百回抽送いたしますと、彼女は星眼くらみ雲環くずれんとして、いまにも眠りに入りそうなありさま。未央生はこれをはげましていいます。 「ねえおまえ、椅子の上ではらちがあかんから、あっちへ行ってけりをつけようよ」  玉香はまさに佳境にあるのに、寝床へ行くとすれば東西が取り出されて滋味が断たれはすまいかとおそれます。それどころか、腕はしびれ脚はなえて、とても歩いては行けません。  彼にそういわれると、眼をとじたまま頭をふって承知しません。 「おまえ、歩けないのかい」  と未央生がいいますと、玉香はうなずきます。 「それじゃ抱いていってやろう」  と未央生は彼女を抱きしめ、その舌をふくみ、東西もいれたままにして、歩きながら抽送するさまは走馬の花を見る光景さながらでございます。  やがてむこうへ行きつき、さらに数百回抽送いたしますと、玉香は急に一声快を叫んで、々嗄々《はあはあすうすう》と大病人が息たえんとするがごときありさま。未央生もそこで東西を花心におしあててひともみし、彼女のおともをいたしました。  ひと眠りして玉香は眼をさますと、 「ねえ、あなた。わたしさっき死んでしまったようだけど、あなた知っていて?」  といいます。 「知っているとも。あれは死ぬっていうんじゃなくて、《い》くっていうんだよ」  およそ、こういう調子である。風流をえがきながらも、一般の風流本を高く越えた品格があるのだが、それが、この訳文をとおしてうかがえるかどうか、すこぶるおぼつかない。小心な私は、読む人の咎めをうけることをおそれるのあまり、もとの文章を大きく省略して一言に縮めてしまったところもある。苦心の存するところをお汲みとりねがえれば、なによりである。 誘いこむ話 「いけないわ、あんなことお書きになって」  ある女のひとにそういわれた。さきに書いた「穴埋めの話」のことである。 「また書きますよ。こんどは読まないでください」  というと、そのひとは笑って、 「拝見します」  といった。  どうやら、女のひとの「いけないわ」という言葉は、許容を意味するらしい。あるいは、願望を意味することもあるらしいのである。やさしい言葉である。  なにかで読んだのか、誰かにきいたのかは忘れたが、こんな小咄《こばなし》をおぼえている。大店《おおだな》の内儀と番頭との話である。 「そこを通るのは、長松かい?」 「………」 「通るのはよいが、あけちゃいけないよ」  長松が障子をあけると、 「あけてもよいが、はいって来ちゃいけないよ」  長松が部屋のなかへはいると、 「はいってもよいが、傍へ来ちゃいけないよ」  長松が傍へ行くと、 「傍へ来てもよいが、抱いちゃいけないよ」  長松が抱くと、 「抱いてもよいが、たおしちゃいけないよ」  長松がたおすと、 「たおしてもよいが、いれちゃいけないよ」  長松がいれると、 「いれてもよいが、出しちゃいけないよ」  この咄は長松の行為と内儀の言葉とを一つずつずらしてもよい。つまり、  長松が障子をあけると、 「はいってもよいが、傍へ来てはいけないよ」  長松が傍へ行くと、 「抱いてもよいが、たおしてはいけないよ」  というように、ずらすのである。このほうが願望の度合がつよくなる。  墨斎《ぼくかんさい》主人の編纂した『笑府』にも、こういう話がある。墨斎主人とは、明《みん》末の文壇に活躍した馮夢竜《ふうむりゆう》の号である。  初夜に、夫がなかへ入れると、 「いけないわ」  と妻がいう。 「それじゃ、抜こうか」  というと、やはり、 「いけないわ」  という。 「では、どうすればいいのだ」  ときくと、 「入れたり出したりしてほしい」  この小咄の「いけないわ」は、前の話の「いけないよ」とは意味がちがうようである。だが、同じく拒絶ではない。願望のこめられているやさしい言葉であることには、かわりはない。  内儀が長松に「いけないよ」といったのとよく似た場面が、『肉蒲団』にも見られる。これまでにあげた二つの小咄は、ともに笑話である。笑話をきいて眉をひそめるひとは、まず、なかろうが、『肉蒲団』というと、あるいはそういうひともあるかもしれない。しかし、それはただしくない。  魯迅に、『中国小説史略』という名著がある。その第十九篇で、魯迅は『肉蒲団』について、こういう意味のことをいっている。——『金瓶梅』の亜流には、もっぱらセックスをえがいたひどい小説が多いが、『肉蒲団』のみは、それらとはちがって出色のものであると。従って、私のおそれるのは、不粋のひとのとがめをうけるということよりも、むしろ私の翻訳がはたしてその出色ぶりをつたえ得るかどうかということにある。  さて、その場面を訳してみよう。  ある日、玉香が部屋のなかでゆあみをしておりますと、権老実が外を通りかかって、なにも知らずにせきばらいをしました。玉香はそれが権老実だということを知ると、肌を見せてそのこころをかきたててやろうと思い、わざとこういいます。 「わたしここでお湯をつかってるのよ。外にいるのは誰なの? はいって来ちゃいけないよ《ヽヽヽヽヽ》」  権老実はその言葉をきいて、これはほかに誰もいないという意味だとさとり、せっかくのこころざしを無にしてはならぬと、窓紙をぬらして穴をあけ、のびあがってのぞきこみます。玉香はそれを知ると、それまでは窓に背をむけていたのですが、そのときくるりとむきをかえ、あからさまに胸を窓の方にむけて脚をひらき、しばらくのあいだ、見るにまかせておりましたが、それでもまだ、かんじんなところがお湯にひたってよく見えないのではないかと思い、あおむけに寝て、真正面からあますところなく見させます。しばらくそうしてから、からだをおこし、両手を戸口にそえて、うつむいて自分でながめながら、ふうっとためいきをつき、技癢《ぎよう》掻きがたく如何ともすることのできぬやるせなさをあらわします。  権老実はこのありさまを見て、むらむらと燃えあがるとともに、女がもはやがまんができなくなっているものの、自分の方からはどうしかけることもできないそのこころを知って、いきなり扉をおしあけてとびこんで行き、玉香のまえにひざますいて、 「おゆるしください」  というなり、ぱっと抱きつきました。  この、「はいって来ちゃいけないよ」という玉香の言葉は、あの大店の内儀が長松にいった言葉と同じである。だが、一方はみなさんが笑いながら読み、一方はいくらか真剣な顔をしてお読みになったとすれば、それは、小咄と小説とのちがいというものである。  ところで、内儀は「いけないよ」「いけないよ」と、つぎからつぎへと長松をさそいこむが、小説の方はそう簡単にはいかない。どういうことになるかを話すまえに、この権老実という男の素性をあきらかにしておかないことには、話のおもしろさが半減する。 『肉蒲団』の主人公は未央生という書生で、容姿たぐいない美女を娶ったものの、これが道学者の娘で、風流を解せず、未央生はおもしろくない。そこで一計を案じてそれをおぼえさせる一段が、「穴埋めの話」である。この美貌の妻が玉香なのだが、未央生はその後、玉香の父の道学者があまりにも堅物なのでやりきれなくなり、良師を求めて天下を遊学したいといつわって、ひとりで旅に出かける。それからいろいろなことがあった末、未央生は糸屋の女房の艶芳という大陰の女といい仲になるが、この艶芳の亭主が、権老実なのである。  権老実は未央生に女房を盗まれたことを知ると、道学者の家に下男として住みこみ、まじめな働き者をよそおいながら、未央生の妻の玉香を犯して未央生に対するうらみをはらそうと、その機会をうかがっているのである。なにも知らぬ道学者は、働き者の権老実を家につなぎとめておくために、女中の如意という娘を権老実の女房にする。一方、玉香は……、いや、あらすじでは出色ぶりをつたえることはできないので、また訳してみよう。  玉香お嬢さんは、ようやく味をおぼえたばかりのときに、ひどい父親のために夫が出て行ってしまったのですから、酒飲みが酒をとめられ、食いしんぼうが肉をたたれたようなもので、三日や四日ならがまんもできましょうが、一年二年とひとりでくらすことはまったくさびしくてなりません。しかたなく春宮冊子を開いて見るのですが、そんなことでこころの静まるはずがなく、ますますやるせなくなるばかりです。そこで春宮冊子を放りだし、あれこれとひまつぶしの本をさがしてうさばらしをしようとします。  みなさま御存知のように、こういうときにうさばらしをするには、小説などというものはみななんの役にもたたず、子供のときに父親が読めといってくれた本、たとえば列女伝とか女孝経とかいうような本を読めば、うれいがとけるばかりか、こころも静まって、生きわかれであろうと死にわかれであろうと、ひとりをまもりとおすことができるものなのです。ところが彼女は嫁しては夫に従えというわけで、父親がくれた本はすててかえりみず、夫の本ばかりを読むのですが、それは痴婆子伝《ちばしでん》とか繍榻野史《しゆうとうやし》とか如意君伝《によいくんでん》とかいう淫詞褻語《いんしせつご》ばかりなのです。それらをくわしく読んでおりますと、そこには陽物の太いことをほめたり、長いことを誇ったり、抽送の度数は何十、何百でなく、何千、何万としてあります。 「この世の中にそんなに強い男がいるはずはない。そんなにたくましい東西があるはずはない。うちのひとのでも、長さは二寸ばかりで太さは二本の指くらい、あのときには多くても二百抽もすればもらしてしまって、千なんてことは一度もなかったが、それでもおれは天下無敵だといっていたのに、まさかあのひとの何十倍なんて男がいるはずはない。むかしから、ことごとく書を信ずれば書なきにしかずというとおり、こんなことは小説家のつくりごとにちがいない」  そう疑ってみるのですが、またしばらくすると、 「いや、世の中は広いことだし、男もたくさんいるのだから、そんなひともいないとはかぎらない。もしもそんなひとの奥さんになれたら、あのたのしみは、口にはとてもいえないほどだろう。神仙になるよりも、そのほうがどんなにしあわせなことか」  信じてみたり、疑ってみたり、一日じゅう腹這いになって、針仕事などはてんでせず、そんなひまつぶしの本ばかり読みふけっております。  そして、たまらなくなってくると、夫が帰ってきたら存分に気をはらそうと思うのですが、いくら待っても手紙一つ来ませんので、うらめしくてならず、 「本を見ると一人の女が何人もの男を相手にしている。まおとこすることなんかちっともめずらしいことではないのに、わたしはなんの因果で、あんな薄情な男のところへ嫁ぎ、いっしょになってから何カ月もたたないうちに出て行ったきりで何年もおきざりにされるのだろう。あんなに好きなひとだから、いままでちゃんとしているはずはない。わるいことをしているにきまっているんだから、わたしだって、裏口からほかの男をひきいれたってかまやしない」  と思うのです。  玉香はそんな心境になっている。そこへ権老実が下男になって来たのである。玉香としては、餓えた鷹が餌を見つけたようなもので、身分や容貌にはおかまいなし。いきなりとびついて行きたい気持なのだが、権老実の方はそれには気づかないふりをしている。そのうちに権老実が住みこみになったときいて、玉香はいよいよ思いがとげられるとよろこんでいると、なんと、父親が女中の如意をめあわせてしまったのである。玉香はくやしくてたまらず、父親が寝てしまったのを見すまして、そっと部屋をぬけ出し、新婚の二人の物音をききに行ったのである。  権老実の東西はひとなみすぐれております。如意の方は、二十歳をすぎているのですが、なにしろ堅い人につかえていたものですから、まだ男を知らず、まったくのきむすめでその戸口には指も通りませんのに、どうして東西がはいりましょう。ちょっとつかれただけで、わっと泣きだします。そのわめき泣く声は天地をゆさぶり、ぬすみぎきをしているものまで痛くなってくるほどです。玉香は、自分の初夜のときには、ちょっとこらえているうちにはいってしまったのにと思い、あの女中はなぜあんなに痛がって、うけられないのだろうといぶかります。権老実はその夜はだめだとみて、それきりでやめてしまいます。玉香はしばらくたちぎきをしておりましたが、いいところまで行きそうにもないので、部屋へもどって眠りました。  二日目の夜、また、ききに行きましたが、苦をさけぶ声しかきこえません。三日目の夜になると、権老実はいよいよ手並みをあらわしたようです。それまでの二日間はあかりを消して寝たのですが、その夜は娼家でするように、あかりも消さず、とばりもおろさずに、まず、八寸あまりの、片手ではにぎりきれない東西を、如意の手になぶらせ、しばらくしてから戸口にあてがいました。そのときには如意の戸はもうだいぶひろがっております。権老実は本領を発揮してとりかかり、その抽送の度数は、本に書いてあったように、数千をこえてもまだやみません。如意ははじめは苦をうったえておりましたが、やがてにわかに快に達したらしく、その顛狂《てんきよう》の態、呼喚の声は、天をおどろかせ地をゆるがさんばかりです。はじめの苦は、いまや快となり、みるみる滂流横溢して、あたりをぬらしてしまいます。それを見てからというもの、玉香はいよいよ権老実をねらいつづけるようになります。  そして、そのあとである。玉香が部屋のなかでゆあみをしながら、「はいって来ちゃいけないよ」と呼びかけて権老実を挑撥するのは。もともと権老実は玉香を犯して未央生に復讐しようという魂胆でこの家にはいりこんだから、願ったり叶ったりである。いきなり部屋へとびこんで行って玉香に抱きついたのだった。  すると、玉香はどうしたか。  玉香はわざとびっくりしたふりをして、 「おまえ、ひどいじゃないの。なんてことをするの!」  といいます。すると権老実は、 「わたくしがお宅の下男になりましたのは、お嬢さまをおしたいしてでございます。もともと誰もいないところでこのこころのうちをおつたえして、お嬢さまのおゆるしをいただこうと思っていたのですが、はからずも、さきほど通りがかりにお嬢さまのつやつやしたおからだを見まして、もうがまんができなくなってかけこみ、とんだ失礼をしてしまいました。どうかごかんべんくださいますよう」  玉香はなんとかしたいと思いましたものの、ひとにみつけられてはまずいとおそれ、 「おまえはいったい、どうしようというの? まさか、たらいのなかではできないじゃないか」 「わたくしも、いまここでというわけにはいかないことは承知しております。もしお嬢さまさえおゆるしくださいますなら、夜になってからおつとめにまいります」 「夜は如意といっしょでしょう。あの女がはなすものですか」 「あれはよく眠るたちで、夜ひとつすませましたらずっと朝まで眠りつづけて、なんども呼びおこさないことには眼をさまさないのです。うまくやって出てくれば、あれは気がつくはずはありません」 「それなら、おまえにまかせます」  権老実は玉香が承知したのを見ると、そのからだを上から下までなでさすってから、さらに二度三度とくちづけをして、外へ出ました。  すると、玉香は、彼が約束をたがえはしないかと不安になって、呼びとめ、 「おまえ、今夜ほんとうに来るのだろうね。ほんとうなら、扉をあくようにして待っているけど、どっちともわからないのなら、しめてしまうよ」 「来ますとも。安心して待っていてください」  二人はかたく約束してわかれます。そのときはもう日もくれかけていました。玉香はからだをふくと、きものは着ずに、夕食もたべずそのまま床にはいり、彼とのことにそなえて英気をやしなおうとしましたが、どうしても眠れません。  やがて十時ごろになると、扉のあく音がきこえました。彼が来たことを知ると、玉香は声をひそめて、 「遂心さんかい?」  といいます。権老実も声をひそめて、 「いとしいお嬢さま、まいりました」  という。  玉香は暗闇のなかでわかりにくかろうと思って、いそいで寝台をおり、彼の手をとってひきいれましたが、こちらの具合にはおかまいなしにいきなりつきたてられてはたいへんだと思い、 「ねえ、あんた。あんたのはわたしこのあいだ見たんだけど、ふつうのひとのとはちがって、わたしにはなかなかうけられそうにもないから、そろそろとやってね」  すると、権老実は、 「だいじなおからだに、なんでらんぼうなことをしましょう。うまくすすめる方法がありますから、お嬢さまを痛い目にはあわしません」  口ではそういったものの、権老実は彼女がわざとしなをつくってそんなことをいっているのだろうと思い、戸口にあてがっていきなりつきたてます。  玉香はがまんができず、 「そろそろしてっていったのに、なにするのよ」  とおこります。  権老実はほんとうにはいらないのを見て、さっきの言葉がうそではなかったことを知って、やさしくいうには、 「ほんとうにお嬢さまのようなきれいなひとには、これまで会ったこともないのです。お嬢さまのこの肌にふれているうちに、はやくいれたくなってきてこらえきれなくなり、つい力をいれすぎてしまいました。こんどはそろそろとやりますから」  権老実がそれからどんな手をもちいたかということは、書くことはできない。原書の文字がかすれていて、ここからあとは判読しがたいからである。  どうやら「疏石引泉《そせきいんせん》の法」とかいう手をもちいて玉香の戸口に泉をわき出させ、八寸あまりの東西を、すこしずつ抽送しながら次第にすすめて行って、ついにはうずめつくし、玉香に血迷いごとをくちばしらせるまでに至ったようである。そこからあとは、また読むことができる。 「あなた、わたしとははじめてなのに、どうしてそんなにしっくりと、うまくやれるのかしら。うちの亭主なんかはずいぶんあそびあるきながら、とてもこんなにうまくはできやしないわ。わたし、もう、あんたをころしてしまいたいくらい」  権老実も、はじめからこんなにほめられては、なまけるわけにはいかず、猛ならず寛ならず、急ならず緩ならず抽送しつづけて、ついにはもうほめ言葉も出なくなるまで玉香を攻めて、ようやく矛《ほこ》をおさめました。  玉香はこれまでに、これほどの味をなめたことはありませんでしたので、それからはもう、毎晩、彼なしではすませられなくなります。  玉香と権老実とがその後どういうことになるかは、いずれまた、お話しするつもりである。 「いけないわ」という女のひとの言葉の研究から、つい横道の方へ深入りしてしまったかもしれない。まずはこれまで。 盗み見る話 「あれはおもしろかったよ」  と友人のS君がいった。前回の話の入話《まくら》につかった大店の内儀と番頭の話のことである。 「あれは君の創作だろう」  とS君はいう。 「いや、あそこに書いたとおり、むかし読んだか聞いたかした小咄だよ」 「ふん、そうかな」  とS君は信用しない口ぶりで、 「そうかもしれんが、しかし、おしまいの内儀のせりふ、〈いれてもよいが、出しちゃいけないよ〉というところは、君の創作だな」  S君はいやに「創作」ということにこだわる。 「そうかもしれん」  と、私はめんどうくさくなっていった。なにしろうろおぼえの小咄なので、どちらともいえないのである。 「ところで、いれっぱなしじゃ内儀も長松も困るだろうと思って、川柳を作ってやったよ。どうだ、こういうんだ」  S君は内ポケットから手帖をとりだして、ちょっと考えてから鉛筆を走らせ、そのページを破りとって私にくれた。そこにはこう書いてあった。 ぬけるまでそうしていなと内儀いい 「どうだ、それでけりがつくだろう。君、気にいったらつかったっていいぜ」 「なるほど、わるくないね。これ『末摘花』だろう」  というと、S君は、 「そう思うでしょう」  と胸を張った。丁寧な言葉をつかうのは、得意のときの彼のくせである。 「ところが、そうじゃないんだ。純然たるおれの創作だよ。『末摘花』にはこういうのがある、 ぬけるまで置けば女房も機嫌なり  おれのはそれをまねたんだが、出藍《しゆつらん》の才ありとはいえんかね。『末摘花』にはこんなのもある、 ぬくときに舌打ちをする大年増  こいつはちょっと品が落ちるけどね」 「〈ぬくぞ〉といっておどす話もあるんだ。知ってるか」  と、S君はそのときこんな小咄も教えてくれた。  ある家へ盗人がしのびこんだところ、女中がしどけない姿で眠りこんでいる。盗人はそれを見て、これはもっけのさいわいとばかり、いきなりとりかかった。  女中が眼をさまして、 「こりゃ誰じゃ。何者じゃ」  というと、 「おれは盗人じゃ。声を立てると、ぬくぞ」  S君は小咄のあとに川柳をつけるのが好きとみえて、このときも川柳をもちだした。 「『末摘花』にもこういうのがある、 してゆくはよくよく好きな夜盗也  だが、ぬくぞといわれて黙ってしまう女中の方が、よっぽど好きなやつだな」  この女中によく似た女の話が『笑府』にもある。  ある女が役所へ訴えでた。 「井戸で水を汲んでおりましたところ、男にうしろからやられました」  役人がそれをきいて、 「おまえはそのとき、なぜ立ちあがらなかったんだ」  と、といただすと、女のいうには、 「立ちあがったら、ぬけはしないかと思いまして」  また、同じく『笑府』にはこういう話も見える。  ある好きものが、 「この世で一番たのしいことは」  ときかれて、 「それは房事です」  と答えた。 「房事をしたあとで、一番たのしいことは」  ときかれると、しばらく考えたすえ、 「もちろん、それはもう一度やることです」  はたしてこれほどの好きものが世にいるかどうか、盗人の話がでたついでに、『肉蒲団』に登場する大盗人賽崑崙《さいこんろん》氏にきいてみることにしよう。彼は、幾百景ものぬれごとを見たり聞いたりしたと豪語しているから。  どうせ、盗人のいうことだから、気にしないでいただきたい。彼の説によると、貧乏な家の女よりも金持の家の女の方が美人だというのである。 「われわれ盗人が貧乏人の家へ行かないのは、いわずと知れたこと、行くのは金銀珠玉のうなっている家だから、当然、きれいな女にお眼にかかることも多いというわけだ。それに、昼間じゃなくて、夜ふけのことだから、女も、きものをぬいで月明の下に坐っているか、とばりを開いて燈影の中に寝ているかだ。われわれの商売は、女が眠ってしまってからでなければはじめるわけにはいかんから、それまでは、くらがりのなかに身をひそめて、物音に耳をすませ、身動きに眼を光らせているのだ。そして女がぐっすり眠ってしまうのを見とどけてから商売をはじめるのだから、それまでのながいあいだに、女の顔もからだも肌色も、あますところなく見てしまうばかりか、土手の高い低いから繁みの多い少いまで、みんな見とどけるのだ。だから、このあたり数百里内外の金持の家の女なら、あそこのはどういう具合、ここのはこういう具合と、みんな知っているよ。もし気があるのがいたら、教えてやったっていいぜ」 「いや、まったくたいしたものだな。うらやましいかぎりだ。ところで、きれいな女のふっくらしたあれを見ているうちに、もしどうにもこらえきれなくなったときには、どうするんだね」 「このおれも、若いときはそういうのを見るとこらえきれなくなってきて、その女となにするかわりに、いつも、くらがりのなかで女にむけて手銃《てづつ》をうったものだ。しかし、かず多く見ているうちに、女のあれも普通の道具とおなじような気がしてきて、いまではもうなんともなくなってきたな。だが、女が亭主となにをしはじめて、そのうちに、口では々嗄々と声をもらし、下では喞々作々と音をたててくるとなると、やっぱり平気ではおられんね」 「………」 「こんな話、いやじゃないかね。いやでなければ、おれがこの眼で見、耳できいたおもしろいことを、あれこれと話してやってもいいぜ」 「すばらしい。君の話を一晩きけば、十年本を読むよりも勉強になるよ。ぜひ、きかせてくれ」 「ずいぶんいろんなことを見てきたから、なにから話したものかな。そうだ、なんでもいいから君のききたいことをいってくれ。それに一つ一つ答えていくことにしよう」 「なるほど。それじゃきくが、君の見た女のなかには、あれの好きなのときらいなのと、どっちが多かったかね」  ここから話はいよいよ佳境に入るわけだが、このあたりで一休みしよう。  話し手は、もちろん賽崑崙である。きき手は、私ではない。『肉蒲団』の主人公未央生である。風流才子と盗賊とは、妙なとりあわせだが、そこがまたおもしろいところで、二人は偶然、おなじ宿屋の隣りあわせの部屋に泊ったことから、知りあったのである。  前回の話は、未央生に女房の艶芳を盗まれた権老実が、そのうらみをはらそうとして未央生の妻の玉香に近づき、大いに玉香をよろこばせるという話だったが、その権老実の女房の艶芳を未央生にとりもったのは、この賽崑崙なのである。もっともそれは後の話で、いまはまだ未央生と賽崑崙とは知りあったばかりのところとご承知ありたい。  さて、賽崑崙は未央生に、好きなのときらいなのとどちらが多いかとたずねられて、いうには、 「もちろん、好きなのが多いが、きらいなのも、いるにはいる。だいたい百人のうち、きらいなのは一人か二人というところで、あとはみんな好きだな。だが、好きなもののなかにも二通りあって、心のなかでも好きで口でもそれをさいそくするのと、心のなかでは好きなのに、わざとしたくないようなふりをするのとがある。だが、亭主が強いてしかければ本性をあらわしてしまうがね。この二通りの女のうち、はじめの方のは始末しやすいんだ。おれはくらがりのなかにかくれていて、女がはずかしげもなく亭主にさいそくをするのを見たときには、こいつはたいへんな淫婦だ、夜どおしやってもあきないんだろうと思ったが、あにはからんや、いくらも抽送しないうちにあっけなくってしまい、ぐったりとしてもう半分は眠っているみたいで、あとは亭主がやればまあやるが、やらなければもうそれでおしまいという具合だから、亭主の方でもやめてしまうというわけだ。  ところが、心のなかでは好きなのにわざとしたくないようなふりをする女は、こいつはなかなか御しがたいもんだ。ある家へしのびこんだときに見たんだが、亭主がちょっかいをかけても女房はいうことをきかない、亭主がとりつくと女房はおしのけてしまう、そこで亭主はとうとう、しかたなくあきらめて眠ってしまったんだ。すると女は、わざと寝がえりをうって亭主に眼をさまさせようとするんだ。それでも亭主が眼をさまさないので、こんどは亭主を押してみたり引っぱってみたりするんだ。ところが、それでも亭主はぐっすり眠っているものだから、とうとう大声で、泥棒! と叫びよった。もしほかのこそ泥だったなら、びっくりして逃げるんだが、おれは、見つけられたんじゃなくて、女が亭主をおこしてなにしたいからだとわかっているから、あわてなかったね。亭主が眼をさますと、女はうまいことごまかして、さっき猫が鼠を取ってさわいだのを泥棒と思ったんだけど、ちがったわね、などといって、亭主にしがみつき、自分の戸を亭主の東西のあたりへぎゅうぎゅうとおしつけるんだ。亭主があじな気になって乗りかかると、はじめのうちは声をもらすまいとして、いっしょうけんめい、こらえているんだが、抽送幾百回というころになると、とうとうこらえきれなくなって、々哈々とうなりだし、下の方は滂流横溢。亭主が一休みすると、ふきとってまたつづけるんだ。夜もふけてやがて亭主はってしまったんだが、女の方はまだまだ燃えつづけて、亭主にもうその力がないと見ると、あまったるい声で仮病をつかって、亭主に胸や肚《はら》をさすらせて、眠らせないんだ。亭主は仕方なしに、また乗りかかって、はじめからやりなおしをさせられる始末で、夜があけてようやくすんだというしだいだ。おかげでおれは一晩じゅうつきあいをさせられ、さてこれから商売の方をやろうとしたが、もう夜が明けてしまっていたので、何も取らずにぬけだしてきたよ。こういう女は、まったく始末におえん」  まったく、たいした好きものもいるものである。「立ちあがったら、ぬけはしないかと思いまして」といったあの女などは、この女房にくらべると、しおらしいものだ。  さて、未央生は賽崑崙の話をきいて、すっかり感にうたれたらしく、 「ううむ、なるほど」  とうなった。そして第二の質問をする。 「女のなかには、浪《よが》るのと浪らないのと、どっちが多いかね」 「もちろん、浪るのが多いが、なかには浪らないのもいるね。だいたい十人のうち、一人か二人は浪らないが、そのほかはみんな浪るものだ。だが女の声には三通りの浪り方がある。いうことはおなじでも、声の調子がちがうんだよ。それは、きいているおれたちにはわかるんだが、やっている相手の男にはなかなかわからんもんだ」 「その三通りの声というのは?」 「はじめのうちは、まだそれほどよくはなくて、心のずいまで浪るもんじゃないから、うわべだけ浪ってみせて亭主の興をそそろうとするんだ。こういうときの声は、言葉がはっきりききとれる。口では浪っていても、からだの方は浪っちゃいないからね。そのうちにだんだんよくなってくると、心のずいまで浪り、口でも浪り、五官も四肢もすべて浪ってくるから、そういうときの声は、なにをいっているのかうやむやで言葉にならないわけだ。つぎに、快極まってくると、意識はかすみ手足はなえ、口で浪ろうにも、もう浪れなくなってしまうものだ。そういうときの声は、のどの奥でかすれてしまって口まではでてこないのだ。  おれはある家で見たことがあるが、はじめのうちは顛狂し呼喚して、ものすごい浪りようだった。おれはそれをきいていて、なんともなかったが、そのうちにおわりにちかづくと、女は声もださず動きもせず、男の下で死んだようになってしまった。おれは耳をそばだてて、そっと近よってみたんだが、すると女ののどの奥の方でかすかに々呀々という声がするじゃないか。それはなにやら言っているようでもあり、泣いているようにもきこえるのだ。それをきいたときおれは、これが快極まったすがただとわかったのだ」  このあと、しばらく原文のままに訳してみよう。  未央生はこの話をきくと、さながら、その快極まった女が、自分の眼の前で浪っている声がきこえてくるように思われて、からだじゅうがしびれてき、もうながいあいだ洩らしたことのない精を、知らず知らずに洩らしてしまいました。  二人は幾日か仲よくすごしますうちに、友情はますます深くなってゆきます。  ある日、未央生が賽崑崙にむかっていいますには、 「わたしは家をでてから、ずいぶんたくさんの女に会ったが、一人も気にいったのにはでくわさなかったものだから、いまの世には佳人はいないのかと思っていたのだ。ところが、君の話をきいて、佳人は一人や二人ではなく、たくさんいるということがわかった。わたしはかねがね、女色こそわが命だと考えているのだ。いま、君に会うことができたのは、このうえもないしあわせだった。君のたすけさえあれば、わたしの願いははたせるはずだ。たのむから、君がこれまでに見た女のうちで、きれいなのをえらんで、なんとかしてわたしに会わせてくれないか」  こういうところは、訳しているとはずかしくなってくる。その好色ぶりがではない。未央生という男の、ずうずうしさがである。  だが、思えば、これくらいのあつかましさと自惚れとがなければ、『肉蒲団』の主人公はつとまらないだろう。漁色家というものは、大なり小なり、こういう性格の持ち主であろう。と思えば『肉蒲団』の作者はよくその性格をあらわしているということもできよう。  ところで、未央生が賽崑崙に絶世の美女に会わせてくれとたのんだことから、やがて未央生と艶芳とが結ばれるのであるが、そのまえに、とんでもないことがおこる。  二人の対話でそれを紹介しておこう。 「それはそうと、君の道具はどれくらいの大きさなんだい。力の方も、どれくらい保《も》つか、ちょっと見せてくれよ。おれも君の腕前がどれくらいか知っておけば、安心して世話もできるというものだ」 「その点なら大丈夫だ。どんな大食いの女に食わせたって、腹いっぱいにしてやることができる。けちん坊がお客をよぶようなまねはしないよ。存分に食べさせたうえに、酔っぱらうまで飲ませてやれるよ」 「それならまあいいが、抽送のかずはどれくらいだ?」 「相手がもうたくさんだというまで食べさせることにしてるから、勘定してみたことはない」 「かずはわからなくても時間ならわかるだろう」 「一刻はたえられるな」 「なんだ、それくらいなら普通だ。夫婦でならそれでも足りるだろうが、敵陣へ乗りこんで功名をたてようというには、それくらいの力ではだめだな。まあ、見せてみろ」 「………」 「これじゃ、いくらふるいたっても、たかが知れている。おれが君に会わせようと思っている女の亭主は、太さも長さもゆうにこの倍はあるぜ。これじゃどうしようもないな」  未央生はそういわれて、すっかり意気銷沈《しようちん》したあげく、ついに意を決して道具を改造することになるのだが、そのしだいはいずれまた話すおりもあろう。  今回は盗人の話だけをきいてみた。もとより夜盗ふぜいの申すこと、眼に角たてられるむきもあるまい。 馬と狐の話 『流行咄安売』(文政九年)にこんな小咄がある。  ある男がお宮参りの帰り、ふらりふらりとさびしい川岸を歩いていると、むこうから女がひとりでやってきた。見れば綺麗な女なので、男はなんとかものにしようと、あれこれ話しかけ、ようやくくどきおとして土手の下へつれて行き、さっそくやりはじめたが、どうも勝手がちがう。苦心してどうにか一回やるにはやったものの、すこし薄気味わるくなって、「おまえ、まさか狐ではなかろうな」  ときいた。  すると、その女のいうには、 「わたしは狐ではないけど、おまえさんは馬ではないかえ?」  あるとき、〈文芸講演〉というものをやらされる羽目になって、まずこういう話をしてみたところ、満堂粛として誰ひとり笑ってくれる者はなかった。  私は、この話を入話《まくら》にして文芸とはなにかということを話すつもりだったのである。この話をすれば、おそらく、聴衆はどっと笑ってくれるだろう、すくなくともくすくすと笑う者が半分くらいはいるだろう。その笑いのなかで、講演者たる私自身はにこりともせず、しばらくのあいだ聴衆の静まるのを待ち、そしておもむろに本題に入って行く。そういう魂胆だったのである。ところが誰も笑ってくれない。あてがはずれて、私はうろたえてしまった。ものごとはすべて、はじめが肝心のようである。はじめにつまずいてしまった私の〈講演〉は、すっかり調子がくるってしまってとうとうおしまいまで話に身《み》が入らず、みじめな思いだった。  だが、みなさんは先刻くすりとお笑いになったようである。この笑話の、男と女の言葉のやりとりの妙味、おかしさが、すぐおわかりになったからであろう。そういうみなさんに対して、馬は巨陽を意味し、狐は狭陰を意味するなどと説明を加えることは、蛇足というべきであろう。  ところで、女が巨陽をよろこび、男が狭陰をよろこぶということは、古今東西をとわず、人間のかわらぬ願望であるらしい。 『笑府』に、女のその願望をあらわした話がある。この話は『金瓶梅』にもつかわれている。  病気で死んだ男が、閻魔《えんま》大王から、生前に悪事をした罰だとして、姿を驢馬にかえられてしまった。しきりに弁明したところ、ようやく疑いが晴れたので、大王は男をもとの姿にもどし、娑婆へ帰ることをゆるした。  男はよろこんで家に帰ったが、あまり急いだために陽物だけは驢馬のままであることに気がついた。そこで、すっかりもとどおりにしてもらうよう、もういちど冥土へたのみに行こうとすると、女房があわてていうには、 「閻魔さまは、そんなに物わかりのいい人じゃないわよ。わたしはかまわないから、それで我慢しましょうよ」  また、『笑府』には、こんな話もある。  ある男が女房に鞋《くつ》をつくらせたところ、小さくてはいらないので、おこっていった。 「おまえは、小さい方がいいものは小さくないくせに、鞋だけは小さくつくりやがる」  すると女房もいい返した。 「あんたは、大きい方がいいものは大きくないくせに、足だけは大きいのね」  そこで、中国には女の浪《よが》り声にも、こういうのがある。 「大巴我受不住、饒了小罷!」  巴とは陽、とは陰。翻訳すれば、 「大巴よ、我は受くることあたわず。小をゆるしたまえ!」  ということになる。勿論、これは私が実際に聞いた言葉ではない。『性史』第四集の『繍床膩語』という話のなかに挙げられている幾つかの浪声のうちの一つである。理想の状態をいったものであろう。  女が巨陽をよろこぶために、男もみずからそれを欲する。『譚 嚢《はなしぶくろ》』(安永六年)にこんな小咄がある。 「おれはこのごろ魔法を修行しているのだが、だんだんうまくなって、人間を馬にかえるなんてことはわけなくできるようになったよ」 「ばかなことをいうな。人間が馬になるもんか」 「それじゃ、おまえを馬にかえて見せようか」 「おもしろい。どうしてやるのか、やってみろ」  すると男は、なにやら呪文をとなえながら、相手の正面に立って、頭から顔へ、顔から身体へとなでて行くうちに、相手はすっかり馬の姿になってしまった。 「ひょんなことをいったばかりに、馬にされてしまったわい。これは、かなわん。もとへもどす法はあるのか」 「それも、わけはない」  男はそういって、またなにやら呪文をとなえながら、頭から顔へとなでて行くと、それにつれてだんだんもとの人間の姿にもどってくる。やがて男の手が、腹から股へ行きかけると、相手はあわてて叫んだ。 「待ってくれ。そこだけはなでずに、そのままにしておいてくれ」  このように、巨陽と狭陰とは人々の理想とするところであるが、『肉蒲団』の場合は、いささかおもむきを異にする。  すでに名前だけはみなさんも御存知のはずの、あの艶芳。糸屋の権老実の女房で、亭主が旅に出ているすきに未央生がものにしてしまったあの艶芳は、狭陰ならぬ、広陰の持ち主なのである。未央生に、いい女に会わせてくれとたのまれて、盗み見の名手賽崑崙《さいこんろん》が白羽の矢を立てたのがこの艶芳なのだが、その前に賽崑崙は未央生の道具をしらべて、 「これじゃ、いくらふるいたっても、たかが知れている。おれが君に会わせようと思っている女の亭主は、太さも長さもゆうにこの倍はあるぜ。これじゃどうしようもないな」  といったことは、前回の話で紹介したところだから御記憶の方もあろう。未央生はそういわれて、これではならぬと、意を決して道具を改造することになるのだが、その次第はまた後に話すとして、ここでは、改造に成功した未央生と、広陰の艶芳との話に移ろう。  未央生が苦心のすえ、ようやく艶芳との今夜のたのしみを約して帰って行ったところから、話をはじめる。艶芳の家のむかいに、同じく糸屋があった。その糸屋の女房は、さきほどからずっと、のぞき見をしていたのだが、未央生が帰って行くと、さっそく艶芳のところへきて、しきりに、いい男だいい男だと未央生をほめて、こういうのである。 「あなたのような綺麗な女と、あの人のような綺麗な男は、神さまが夫婦にするつもりでおつくりになったのよ。それなのに夫婦になれなかった以上は、せめて仲良くするのがあたりまえよ。こういっちゃわるいけど、あなたと権旦那とでは、まるで似合わないわ。牛のうんこに花を挿したようで、気の毒ったらありゃしない。もしあの人がまたやってきたら、わたしがとりもってあげるから、あなた、うまくやりなさいよ」  この女は、またとないような醜い顔をしているのだが、これがまたたいへんな好きもので、未央生の美男ぶりを見ただけで、ああいう人とああしてこうしてどうすればどんなにすばらしいことだろうと、ひとりで想像をたくましくして、身体をもじもじさせているのである。艶芳はそのおしゃべりを聞きながら、心のなかで思うには、 「この女はあの人にすっかり惚れこんでいるのだわ。わたしがあの人といいことをする以上は、むかいに住んでいるこの女にもすこしは甘い汁をすわせてやらないことには、あとがうるさいだろう。そうだわ、あの人の道具がどんな具合か、この女に相手をさせて、ためしてみよう。もし立派な道具だったら、そのあとでわたしが出て行ったって、こんな醜い女だから、まさかあの人を取られてしまうなんてことはあるまい。もしあの人の道具がつまらないものだったら、そのときにはとびだして行って、追い帰してしまえばいい。そうすればわたしは操をけがさずにすむというもの。これはいい考えだわ」  そこで艶芳はこういった。 「わたしは、そんなことをしたくないわよ。それよりも、あんたどうなの。こんどあの人がきたら、わたしがとりもってあげましょうか。そうすればあんたたち、いくらでもいいことができてよ」 「そんなこと、できっこないわ。あんたそれ本気でいってるんじゃないでしょう? 本気だとしても、わたしのこのまずい顔じゃ、あの人がうんとはいわないわよ。もしあんたがわたしのことを思ってくれるなら、あんたたちがたのしんだあとへわたしが入って行くから、わたしにもなんとかしてくれるようにたのんでよ」 「あたし、本気でいってるのよ。こうしたらいいわ。わたしはあの人にしつこくつきまとわれて困ってるんだけど、きっぱりことわって顔をつぶすのもわるいでしょう。さっき帰って行くときに、あの人、今夜こっそりしのびこんでくるっていったのよ。あんたの御亭主もうちの主人も、商売に出かけていて留守だから、ちょうどいいわ、あんた今夜家をしめて、わたしのところへ泊りにきなさいよ。そして、あかりを消してわたしの寝台に寝てたらいいわ。わたしはわきにかくれているから。あの人がやってきたら、あんたはわたしのふりをして、いっしょに寝るのよ。暗いからわかりっこないわ。あんたがわたしの代りになってくれたら、あんたもいいわけだし、わたしも操をけがさずにすんで、お互いにうまくいくわけじゃない?」 「あんた、あの人に今夜きたっていいといったのね。わたし、からだがむずむずしてきたわ。ほんとにそれでいいのなら、そうさせてもらうわ。でもあんた、どうして今夜きたっていいといったの? そんなことをいう貞女ってあるかしら」 「ううん、わたしのはにせの貞女よ。耳をおおって鈴をぬすもうってわけよ。ほんとうのことをいうと、わたしは、あのあじは十分に知ってるのよ。うちの主人ぐらいの道具はざらにはないのよ。すばらしい御馳走を食べつけていると、ちょっとぐらいの御馳走じゃ食べた気がしないのよ。生臭料理か精進料理かわからないような味は、食べない方がましなのよ。見かけは綺麗でも、おいしくないのはいやなのよ」 「あんたの旦那さんの道具は、このあたりでは有名だからね。つまり、大きな木型でつくった鞋には、小さな木型じゃ間にあわないってわけね。それで、まずわたしにさぐらせて見ようというのでしょう。いいわよ、わたしはなにも損をするわけじゃないから。でも、いくらわたしがさぐり役だからって、すっかりすむまでは待っててほしいわ。かんじんのところで、我慢ができなくなってとびだしてきて、わたしをなまごろしにしないでね。これだけはよくおぼえといてね」 「安心なさいよ。わたしはそんな意地きたない女じゃないから」  あとは、忠実に訳した方がよさそうである。  さて、この女は、すばらしい役目を仰せつかって、うれしくてなりません。  やがて灯ともしごろになると、いそいで戸じまりをして、道をつっきって行きました。すると艶芳はわざとうそをついて、 「今夜はこないんだって。いま使いがきて、友達にひきとめられて酒を飲んでいるのでどうしてもぬけだせないから、またほかの日にしようっていってきたの。すまないけど、だから帰ってね」  女はそれを聞くと、眼から火を出し鼻から煙を出さんばかりにして、艶芳に怨みごとをいいます。 「使いをやって、どうしても今晩くるようにいったらどうなの」  また、こうも疑います。 「さっきはつい口をすべらしてしまったものの、いまは譲るのが惜しくなってわたしを追いかえし、自分ひとりたのしもうというんだわ」  艶芳は笑いだして、 「ちょっとからかってみただけよ。もうすぐくるから、早く用意をしなくちゃ」  と、まずたらいに一杯湯をわかして、二人とも腰から下を洗い、それがすむと長椅子を持ってきて寝台のそばへ置き、そこへ横になりました。こうしてふたりのなにするのを見ようというわけです。 「あんた、おもての鍵をしめて、内側から気をつけていなさいよ。あの人がきたらそっとたたくから、その音がきこえたらすぐ開けて、いれるのよ。なんどもたたかれて、近所の人に気づかれるとまずいからね。あの人をいれたら、鍵をしめて、いっしょにここへきて寝たらいいのよ。声を出すときには、小さくね、あの人に気づかれるといけないから」  女は、はいはいということをきき、艶芳が横になると、表の戸のところへ行ってしまいました。  ところが、しばらく待っていましたがなんの音沙汰もありませんので、女は待ちくたびれて部屋へもどってきて、艶芳にたずねようとしました。と、そのとき、暗がりのなかでいきなり誰かが抱きついてきて、口を吸うではありませんか。女は、 「艶芳さんったら、男のまねをして、またわたしをからかったりなんかして」  と思いながら、前の方に手をのばしてみますと、なんとそこにはえらく大きな道具があるではありませんか。そこではじめてあの人だとわかり、なまめいた声をつくろって、 「まあ、あなたったら、どこからはいっていらっしゃったの?」 「天井から」  と未央生はいいます。 「まあ、そうなの。すばらしいわ。ねえ、あなた、早く寝ましょうよ」  ふたりは身体をはなして、それぞれ着物をぬぎにかかりましたが、未央生がまだぬぎおわらないうちに、女は早くもまるはだかになって、寝台の上に仰向けになっております。未央生はあとから寝台へ上って、手さぐりで女の両脚をさがしましたが、なかなか見つかりません。なんと女は、寝台に上るとすぐ、両脚を高くかかげて戸口を開き、いまかいまかと東西の進みくるのを待っているのでした。未央生はそれを知って、 「この女、なかなかたいした好きものだ。それならそれで、おとなしくやる手はない。一つどんとくらわしてやろう」  と思い、すこし身体をはなしてはずみをつけ、たけり立った東西をいきなり戸口へ突きいれました。と、女は、まるで豚がしめ殺されるときのように悲鳴をあげて、 「もっとそっとして」  と、たのみます。そこで未央生は、両手で戸をかき開けながら、こんどはゆるゆるととりかかりましたが、しばらくやってみてもほんの一寸ばかり進んだだけで、あとはどうしてもはいりません。そこで未央生はいいます。 「ゆるゆるやっていたら、いつまでたってもらちがあかん。ちょっと力をいれるぜ。そのときはいたくたって、すぐよくなるからな」  と、一挙に攻めたてますと、女はまた悲鳴をあげて、 「だめだわ。ゆっくり進めてみて」  といいます。  未央生はきかばこそ、ぐっと力をいれますと、さしもの逞しい東西もすっぽりと根もとまではいってしまいました。女はまたもや悲鳴をあげて、 「なんて乱暴な、戸がつぶれてしまうじゃないの」  未央生は笑いながら、かまわずに抽送をつづけます。はじめのうちは、女は一送ごとに、 「あっ、あっ」  と苦を叫んでおりましたが、五、六十送しますと、もう声を立てなくなってしまい、さらに百送に及びますと、またもや、 「あっ、あっ」  と叫びだしました。はじめの「あっ」は、疼痛の「あっ」だったのですが、あとの方のは快楽の「あっ」なのであります。  やがて抽送五、六百に至りますと、女は無限の騒擾をあらわし、無限の浪声を発して、もはやどうにもこらえきれなかったのですが、もしすでにってしまったことがわかれば、なにしろ代役のこととて、もはや二度とこの快味をあじわうことはできぬとおそれ、二度も三度もきながら、歯をくいしばってそれを口に出すことをこらえております。  かたわらでこれを見ていた艶芳は、これくらいの道具ならばまあまあよかろうと、そっと起き出して、いきなり帳《とばり》をまくりあげ、 「泥棒! 誰だ、夜中にひとの家へしのびこんできて女を盗むやつは!」  と、どなりつけます。  夢うつつでいた未央生は、びっくり仰天、さては亭主が家のなかにかくれていて、わざと女と寝かせ、おどかして金をまきあげるつもりなのかと、がたがたとふるえだしましたが、おそるおそる顔をあげて見ると、どなっているのはなんと艶芳ではありませんか。では、いま自分の下にいる女はと見ると、その女は、顔は漆をぬったように真黒で、髪は真赤なちぢれ毛、まるで焼き豚そっくりの女です。  女はそそくさとはい起きて、おどろきあきれている未央生にいいます。 「またお暇なときには可愛がってくださいね。あんまり薄情になさると、怨みますわよ」  そのあとでおこなわれた巨陽と広陰とのたたかいぶりは、またのおたのしみということにして、今回はこれまで。 枕を使う話  前回の話で、「馬」は巨陽を意味するといったが、川柳の世界ではかならずしもそうではない、というよりも、そうではない場合の方が多いのである。  たとえば、 馬はもういいが今夜は庚申《かのえさる》  という句がある。古川柳にくわしい人には、釈迦に説法ということになって恐縮だが、まず「庚申」の説明からはじめよう。 庚申《こうしん》はせざるを入れて四猿《しえん》なり  という句のあるとおり、庚申の日は、してはいけない日、禁欲すべき日だったのである。  この禁を破ると神罰があたるとされていた。なぜなら、この日は一晩中、猿田彦《さるたひこ》の大神を祭るべき日だからである。  見ざる、聞かざる、いわざる。これを三猿というが、庚申の日は、それに「せざる」が加わって四猿になるというのである。  ところで、はじめの句だが、「馬」はここでは月のさわりを意味する。なぜかは、また「馬に乗る」ともいうことから、ご想像ありたい。 「馬はもうすんだけど、今夜は庚申さまだから、だめよ」  というわけである。そこで、 庚申《こうしん》の夜は持ちのよい嫁の髪  ということにもなるのだが、すべての亭主が、おあずけをくらっておとなしく引きさがるとはかぎらない。 庚申《かのえさる》女房を口説きおとすなり  という亭主もある。 庚申《こうしん》をうるさく思う新世帯《あらじよたい》 新世帯七庚申《しちこうしん》もする気なり  庚申の日は年に六回乃至七回ある。新世帯にとっては、庚申もなんのその、年中無休というわけである。従って、「馬」もまた、なんのその。 来た当座馬の豆でも息子喰う  豆は馬の好物である。また、「豆」は女陰をさす隠語でもある。この二つの意味をかさねて「馬の豆でも喰う」といったところに、おもしろさがある。  旺盛ぶりを遺憾なくあらわしているといえよう。  また、こんな句もある。 長局《ながつぼね》牛をやすめて馬に乗り  長局とは、いうまでもなく奥女中のこと。男子禁制の局(部屋)に、いわば隔離されていた彼女たちは、張形《はりがた》、つまり陽の形をした器具を愛用して自ら慰めていたようである。張形は筒《つつ》の形になっていて、湯を入れて用いる。 湯加減を握ってみなと長局 あつ燗で楽しんでいる長局 湯加減がよくてのぼせる長局  筒形といっても一様ではなく、いろんな形のものがあったらしい。 いぼつきは切らしましたと小間物屋 上反りは値がはりますと小間物屋 長いのははやりませぬと小間物屋 弓削《ゆげ》形は切らしましたと小間物屋  これらの張形には、鼈甲製のものと、水牛の角で作ったものと、木で作ったものとの三種があったが、一般によく用いられたのは水牛製のものだったという。これを「牛」というのである。  鼈甲製のものは「亀」、木製のものは木造といった。 よく見れば亀一本に牛九本 「亀」は湯加減がしやすく、しかもなめらかで、最も具合がよかったらしいが、高価なので何本も具えるというわけにはいかない。 長局くめんのいいのは亀に乗り  という句も、それを示している。 一生を亀で楽しむ奥勤め  というのもあれば、 木造の生きてはたらく長局  というのもある。だが、圧倒的に多いのは「牛」の句である。 牛若と名づけて局秘蔵する 桐の箱から撫牛《なでうし》を局出し あじな縁いずくの牛の角じゃやら くらやみへ牛を引込む長局 お局は丑満《うしみつ》のころ角がはえ お局の熊も牛若相手なり 「熊」は、熊の毛のようにくろぐろと密生しているお局のそれのこと。牛若丸は鞍馬山で熊と格闘したというが、お局の「熊」も、夜になると牛若を相手に奮戦するというのである。 牛好きな局の前も黒牡丹  黒牡丹は牛の異名だが、これも「熊」とおなじく、くろぐろと毛が密生しているそれのことである。ともに、ずいぶんと「牛」を使いこなしてきた局のことをいったものである。  だが、いかに「牛」好きの「熊」とはいえ、「馬」にはかなわない。 水牛も馬には更にはむかえず  そこで、「牛をやすめて馬に乗る」というわけである。  いささか講義口調になってしまって、あるいはみなさんを退屈させたかもしれないが、馬から猿、猿から牛、牛から熊と、動物ずくめにしたところに、苦心のほどを察していただきたい。  ところで、これまでに挙げた川柳の「馬」は、月のさわりの意味につかわれているものばかりである。  そこで、巨陽を意味する「馬」はないものかとさがしてみたが、なかなか見あたらない。ようやく見つけだしたのが、 馬ほどな牛を局は持っている  という一句である。 「馬ほどな牛」というのは、さきの川柳にある弓削形のことであろう。弓削形でなければ満足できぬらしいこの局は、孝謙女帝を、いやわが『肉蒲団』の艶芳を思いおこさせる。艶芳が、「ちょっとぐらいの御馳走じゃ食べた気がしないのよ」といって、むかいの家に住む好き者の醜女《しこめ》に未央生の相手をつとめさせ、かたわらにかくれて、未央生の持ちものとその切れあじのほどを観察したことを、みなさんも、ここで思いだしていただきたい。  さて、艶芳の身がわりになってたらふく御馳走をちょうだいした醜女が、礼をいって帰って行くと、艶芳は表の戸じまりをして、部屋にもどってきた。未央生は艶芳に試されたことを知って、 「もし賽崑崙のいうことをきかずに、道具を改造しなかったなら、試験に落第して今ごろは追い出されているところだったわい」  と、ほっとしているところだったが、その未央生に艶芳はこういった。 「あなたがあんまりしつこくいい寄るものだから、身がわりをたのんで、お相手してもらったのよ。もうすんだのに、いつまでもそこに寝ていて、どうしようっていうの。さっさと帰ったらいいでしょう」 「まだ、すまないよ。あんたに貸しを返してもらわんことにはね。もう夜もふけた。ぐずぐずしていると夜があける。早くこっちへおいでよ」 「あなた、ほんとうにまだしたいの?」 「そうとも」 「それなら起きていらっしゃいよ。するまえに、しなければいけないことがあるでしょう」 「なにをしろというのだ?」 「起きてくればいいのよ」  艶芳はそういいながら、台所へ行って、さきほどわかした湯をたらいに汲んで持ってきた。それを寝台の前において、 「さあ早く起きて、からだをきれいに洗ってちょうだい。ほかの人を抱いたからだで抱かれるのはいやだわ」 「なるほど、そういうことか」  未央生は考えた。 「そうすると、さっきの女と二人で、下の方で『中』という字を書いただけじゃなく、上の方でも『呂』という字を書いたから、口もすすがなくちゃならんな」  見れば、ちゃんと、湯を入れた碗のほかに歯ブラシまで用意してある。 「まったく、よく気のつく女だな」  と未央生は感心する。  このあとは例によって、過激なところは遠慮して、訳せるところだけを訳してみよう。  未央生がからだを洗い、口をすすいでしまいますと、艶芳もたらいの中にすわって下半身を洗います。  艶芳は前に、あの醜女といっしょに腰湯をつかったのに、どうしてまた洗うのかといいますと、さきほど二人の仕事ぶりをかくれて見ていたときに、思わず戸口をしめらせてしまいましたので、未央生にさぐられてそれがわかってはきまりがわるいので、また洗ったというわけです。  洗いおわると、からだをふき、あかりを吹き消して寝台にあがりましたが、まるはだかにはならずに、胸あてと子《クーヅ》だけはつけております。  それは未央生に、自分で取らせるためなのです。  未央生は艶芳をだきよせて、口で呂の字を書きながら胸あてをはずしましたが、二つの乳房をつかもうとすれば掌に余り、おさえれば胸いっぱいにひろがって、まことになまめかしく、やわらかです。子をぬがせて戸をなでさすってみますと、これまた乳房とおなじく豊かで、なまめかしくやわらかく、そして乳房よりもさらにすべすべとしております。  未央生は艶芳をよこたえて、さきに醜女にしたのとおなじやり方で、まず苦を覚えさせてから次第に快をあじわわせるつもりで、攻めたてましたが、なんと艶芳は、東西がはいったことすら気がつかないようです。これでは苦を覚えないどころか、快をあじわうはずもありません。  未央生はおどろきました。 「なるほど賽崑崙のいったとおりだ。この女の亭主の権老実は巨陽の持ち主だときいたが、巨陽でなければとてもこの広陰の相手はつとまらぬわい。このおれのも、もし改造しなかったら、大倉の中の米一粒、大海の中の小魚一匹というところだ。おれの軍勢で敵をおどかすことができぬとあっては、陣容をたてなおさずばなるまい」  あまり深刻になってもまずいので、このへんで笑話をさしはさもう。 『笑府』にこういう小咄がある。  再婚した女が、初夜に、はいっても気がつかずに、 「もうはいりましたか」  と、たずねた。 「はいったよ」  と夫がいうと、女は顔をしがめて、 「あれ、いたい!」  だが、艶芳は「はいったか」ともきかない。  そこで未央生は、艶芳のしている枕を取って彼女の腰の下にあてがい、陣容をととのえて再び攻めつけます。  艶芳はそれでもまだ快を覚えるにはいたらぬものの、未央生が枕を取ってしまったまま頭の下にはなにもあてさせないのを見て、この男はなかなかの巧者だと思いました。枕を腰にあてがうのは行房の常套であって、それだけのことでは巧者とはいえません。  男女の攻防は、兵戦となんらかわるところがなく、よく敵を知ってこそはじめてよく兵を用いることができるのです。  つまり、男は女の深浅を知って進退をわきまえ、女は男の長短を知って送迎をわきまえるもので、これを、「彼を知り己を知らば百戦百勝」というのです。男の長短は人によってちがい、女の深浅も人によってちがいます。浅には長を用いるすべなく、あますとこなくいれようとすれば、女はただに楽しまざるばかりか痛を覚えます。女が痛を覚えるのに、男がひとりで楽しむわけにはまいりません。また、深には長こそふさわしく、すこしでも短であれば快に達することはできません。だが、長短は生まれつきですから、短をおぎなうためには、枕を用いて戸を高く開けひろげて陽を迎えるようにするほかありません。  こうすれば奥に達することもできるのです。  これが短陽と深陰の場合の良法で、むかしから枕が行房の必需品とされるゆえんです。  こうして、短はすくうことができますが、細はすくう法がありません。未央生が道具を改造したときにも、術士は太《たい》にすることを努めて長にしようとはしなかったのは、このためなのです。  さて、未央生は艶芳の深を知って、みずからの短をおぎなうために彼女の腰の下に枕をあてがったのですが、こういうことは世間の人がみな知っていることで、これだけでは艶芳が彼を巧者だと思うはずはありません。艶芳は未央生が、彼女の頭を、枕をはずしたままで上げないようにしたのを見て、そう思ったのです。  腰の下に枕をあてがってもあてがわなくても、頭の下には決して枕をおいてはいけないのです。  行房のさいには、まず女の頭を下につけてしまう。  これが巧者のやることなのです。  こうすれば、女の唇はそのまま男の唇にむかいますし、からだのすべての部分がぴたりと相合います。  上下の二孔は相合うのみならず、相合えば相入るのに具合がよく、相入るのに具合がよければ、相出入するのに具合がよいというわけです。  このへんでまた笑話を一つ。  他郷へ嫁にいった娘が里帰りしてきたので母親がたずねた。 「むこうでも風俗習慣はおなじかい?」  すると娘がいうには、 「枕の使い方だけがちがうわ。こちらでは頭の下に使うけど、むこうでは腰の下に使うのよ」  これも『笑府』の小咄である。  さて未央生は艶芳の腰の下に枕をあてがい、手並みをつくして抽送します。抽のときには半ばまで、送のときには根もとまで。抽のときは急に、送のときには緩におこないます。  これはなぜかといいますと、もし送を急にすれば、音を発しますので、隣家にそれがきこえはすまいかと案じられて、存分にはできないのです。  しばらくしているうちに、はじめのときにはなんのてごたえもなかった戸の中が、だんだんひきしまってくるのが感じられました。未央生は、狗腎《くじん》のはたらきがおこって東西が太くなってきたからだとわかると、勇気百倍して、抽送の度数はますますはげしさを加えます。  艶芳ははじめのうちは声もたてずに平然としておりましたが、このときはじめてからだをよじって、 「好き!」  と一声叫びました。よくなってきたのです。  そこで未央生はいいます。 「ぼくの道具は、はじめのうちはたいしたことはないのだが、しばらくしているうちにだんだん力を増してくるのだ。どうだい? 気に入ったかい。  それにしても、ぼくはどうも音をたてずにするのはきらいなのだ。音がしないと興がわいてこないのだが、こんなせまいところでは、隣りにきこえそうで、思いきってやれなくてね」 「大丈夫よ。一方は空地だし、一方は隣りの家の台所で誰もいやしないから、安心していいのよ」 「それはありがたい」  と未央生は、これまでとは反対に、抽のときには緩に、送のときには急にやりはじめましたが、そのはげしさときたら、わざと人にきかせようとでもするかのよう。その翻天倒地の幹法によって、さしもの艶芳も騒興大いに発して、口中ではたえず「好き好き」と叫びつづけ、戸中からは滂流横溢しつづけます。  未央生がそこで、ぬぐおうとしますと、艶芳はそれをおしとめます。これはどうしてかというと、艶芳も未央生とおなじく、音がすればするほど興がたかまるたちで、いつも、すべてがおわってしまうまではぬぐうことをがえんじないのです。  未央生はそれを知ると、いよいよ力をこめ、いよいよ音をひびかせて、ここをせんどと攻めたてます。艶芳はひしと抱きすがって、 「もうだめ! いっしょにやって!」  と叫びますが、未央生はなおも攻めつづけて、承知しません。  艶芳はあえぎながらいいます。 「あなたの手並みは、もうよくわかったわ。うそじゃなかったのね。わかったから、もうやめて! 一晩に二人も相手にしては、からだにさわるわ。元気を残しておいて、またあしたしましょうよ。むりをしてからだをこわしてしまったら、わたしの楽しみがなくなってしまうわ」  未央生はそういわれるとようやくあきらめ、力をこめ深く送すること一番、艶芳とともに、同時に相果てました。 板ねぶの話  前回の話には枕が出てきたが、頭の下に敷く、そして時には腰の下にも敷くというその枕ではなくて、これは話の方の枕のことである。前回のその入話《まくら》に、「馬」という言葉は古川柳の世界では多く女の月のさわりの意味につかわれていて、巨陽を意味することはめったにない、と書いたところ、未知の読者から手紙がきて、つぎのような句のあることを教えられた。 大社《おおやしろ》神慮なやます馬之助 後家秘蔵男めかけの馬之助  大社とは出雲の大社。縁結びの神さまである。男の道具があまりに大きいので、神さまも相手をさがすのに苦労しておられるというのである。  あとの句は、後家さんが巨陽の男とねんごろになっている、という意味にも取れなくはないが、おそらくこの句の「馬之助」は、前回の入話で紹介した「牛」、つまり張形のことであろう。もちろん、それはただの「牛」ではない。 馬ほどな牛を局《つぼね》は持っている  という句の「牛」で、いわゆる弓削形というヤツである。後家さんがそれを「秘蔵」してひとりでなぐさめている、と解した方がおもしろいと思うのだが、どうであろうか。  巨陽の表現には、ほかにも、なかなか愉快なのがあって、 板ねぶとおぼしき人の青女房  という句の「板ねぶ」もその一つである。「板ねぶ」とは、板をねぶる《ヽヽヽ》こと、つまり、板をなめる《ヽヽヽ》という意味だが、これとよく似た発想(?)の唄を、私は数年前、三朝《みささ》温泉で聞いたことがある。 三朝よいとこ 風呂場の石は 於曾々なめたり 眺めたり  三朝小唄とかの替え唄だそうである。これは女の場合で、石の方がなめたり跳めたりするのだが(そしてそこがおもしろいのだが)、さきの川柳の「板ねぶ」は、板がではなくて、男のが板をなめるのである。板とは、もちろん洗い場の板のことで、女のがそれになめられるということは十分にあり得ることだろうけれども、男のがそれをなめるというのは、なかなかのことである。とどくというだけではなくて、なめるのだから、それほど長いというのである。  この句の意味は、亭主のが長すぎるので女房はいつも青い顔をしている、というのではない。 「青女房」とは、まだ世なれない若い女房のこと。巨陽の亭主とうぶな女房との、そのとりあわせがおかしいのである。それでちゃんとうまくいっているところが、おもしろいのである。 のほうずも内儀小さな形《なり》でうけ  という句も、同じ意味であろう。巨陽がここでは「のほうずもない」と形容されている。とてつもない大きな道具の意だが、「のほうずもない」のない《ヽヽ》を、「内儀」のない《ヽヽ》に重ねたところが、しゃれているといえようか。  いつも講義口調になってしまって恐縮だが、もう一つ、かわった表現を紹介しておこう。 耳のはえそうなで守《もり》を口説くなり  この「耳のはえそうな」は、うなぎ《ヽヽヽ》にたとえたのである。うなぎは、成長してうんと太くなると、耳がはえてくるといわれている。 「守」は子守女のことだが、この守を、弓削形をつかうほどのしたたかものと解しては、おもしろ味がうすれる。古川柳ではそのような女としては「乳母」がつかわれた。 評判はずるりと這入るうばが池 塩引きの腹のようなを乳母は出し 乳母が前もくぞう蟹のごとくなり  こういうむくつけき大年増とはちがって、守はたいてい可憐な小娘である。 おれがのは小さいと守口説かれる  という句などは、そういう小娘にぴったりだが、しかしこの守にしても、はじめてではなさそうだ。「板ねぶ」とか「耳のはえそうな」とかいうような巨大なヤツにではないにしても、とにかく乱暴なヤツに一度か二度やられて、こりたことがあるのだろう。だからこそ、「おれがのは小さい」から、なァいいだろうと口説かれるのである。  こんな可憐な小娘を、グロテスクな「耳のはえそうな」のが口説くのは、無慙《むざん》といえば無慙である。だがこの句のねらいは、そこにあるのだろう。エロとグロとが隣りあってナンセンスをつくるのである。 「おれがのは……」の句にしても、小さいといって口説く男の道具は格別小さくもないと見るのが、古川柳鑑賞のコツである。あるいは案外に「板ねぶ」かも知れないし、「耳のはえそうな」ヤツをぶらさげているかも知れない。もしそうだとすれば、「おれがのは……」の句も、「耳のはえそうなで……」の句も、同じことの裏と表だといえよう。  またしても講義口調になってしまった。厭きられぬうちに話をかえよう。  さて、みなさんも先刻御承知のとおり、わが未央生の道具は、どちらかといえば長ではなくて太《たい》であった。つまり「板ねぶ」ではなくて「耳のはえそうな」の方である。  彼のこの道具の際立った特徴は、戸の中にはいってしまうと刻々と狗腎《くじん》のはたらきがあらわれてきて、太がますます太になるという点にある。そのためにこそ、かの艶芳のような広陰の持ち主もついに音をあげるに至ったことは前回に述べたところだが、未央生の道具を改造した術士が狗腎をどのように使ったかということについては、まだ話すおりがなかったので、このあたりで紹介しておこう。  当節は、整形美容とか美容整形とかいって、いろいろな整形手術がさかんにおこなわれているようだが、こと道具に関しては、「越前」の手術のほかには格別のことがあるようにも聞かない。 越前は一生おさな顔うせず 越前ものろりと出すとおそろしい 越前はいたしにくいと小間物屋  古川柳の世界ではこんなふうにいろいろとからかわれているが、越前というのはもともと越前の槍のことである。越前の殿さまの槍は、その穂先に熊の毛皮の袋がかぶせてあったので、「皮かむり槍」と呼ばれていたそうである。  念のために私は友人の医学者二、三氏にきいてみたが、彼らのいうところによると、越前はなんの支障もないけれども、衛生的見地からいえば、穂先をむき出しにしておいた方がよろしいとのことであった。だから、その手術をすることは結構だが、ほかの手術はいっさい無用である。前回の話にもあったように、短陽をおぎなうには、枕を用いることによって戸を高く開けひろげさせるという妙法もあることだから。  だが未央生は別である。彼に術をほどこしたのは、「天際真人」と名乗る「童顔鶴髪《かくはつ》の老人」と記されている。すなわち仙人なのである。  まさかそんなことはあるまいが、もし未央生にあやかって術を受けたいと思う人があるとするなら、彼はまず、仙人をさがさなければならない。その術は仙人にしてはじめておこなうことができるのだから。ところが、未央生の時代とはちがって、今はどこをどうさがしても仙人などがいるはずはない。だから私も安んじてその術を紹介することができるというものである。  さて、未央生が仙人を訪ねて行くと、仙人は開口一番、こういった。 「そなたは房術を学びにきたのであろう」  おそれ入った眼力、というわけではない。おもての看板にちゃんと、 天際真人 来授房術 能使微陽 変成巨物 (天際真人、来りて房術を授く。能《よ》く微陽をして、変じて巨物と成らしむ)  と書かれているのだから。未央生はそれを見てはいってきたのだが、そんなことを考えるいとまもなく、はっとかしこまって、 「さようでございます」  すると仙人のいうには、 「そなたの学びたいのは、人のための術か、己のための術か」 「人のための術とか、己のための術とか申されますのは、どういうことでございましょうか」 「それはこういうことだ。ひたすら努めて相手に快をあたえようとするだけで、己は歓を求めない。これはもっとも容易な術で、まず塞精《そくせい》の薬を飲んで腎水の出ることをおくれさせ、さらに春薬をぬって東西をしびれさせるのだ。そうすれば東西は鉄のようにかたくなるとともに、感覚もうすれて、なえそうになってもなかなかなえず、《い》きそうになってもなかなかかない。かくて相手に十分に快をあたえることができる。これが人のための術だ。  相手も己もともどもに快をあじわい、相手が感ずれば己も感じて、ひとたび抽するごとに双方ともに生きんとし、ひとたび送するごとに双方ともに死せんとする。このような状態になってはじめてこれを交歓といい、取楽といい得るのだが、これこそ快の極みで、女はただただくことのおそきをおそれ、男はただただくことの早きをおそれる。かくてこそ、男はますます快となってしかもますますかず、女はますますきてしかもますます快となるのだ。これはまことに至難の術で、十分に修養をつんでほぼその域に達したとき、さらに薬力の助けを用いることによって、はじめてその楽地に到達することができるのだ。  そなたがもしこの術を学びたいと思うなら、わしについて何年間も天下を遊歴しながら徐々に学び取っていくよりほかない。これは一朝一夕につたえることのできる術ではないのだ」  未央生はそのとき、人のための術を選んだのである。  ひとたび抽するごとに生きんとし、ひとたび送するごとに死せんとして、一抽一送、ますます快を加え、しかもますますかぬという己のための術は、まことに羨望にたえぬところであったが、何年かの修養をつまなければ達することのできない至難の術であるということに不安を感じたからであった。あるいはついに達することができないかも知れないのである。それほどの至難な道を選ぶよりも、容易な道を選んだ方がよいと考えたのであろう。  われわれは、未央生の巨陽をうらやむことはないのである。彼の巨陽はただ、相手に十分に快をあたえることができるだけであって、みずからは快を感じないのだから。  いや、それはちがう、という人もあろう。浪《よが》るのは女と相場がきまっている。女を十分に浪らせることこそ、男たるものの快ではないか。やはり未央生の巨陽はうらやむにたえたり、と。  ここで小咄を一つ。『さしまくら』(安永二年)という小咄集にある話である。  門番の部屋から、毎晩、浪り泣きがきこえてくるので、殿さまはぜひともその女房を試みたいと思い、門番を説きふせて一夜女房を借りてみた。ところが、すこしも泣かないので、殿さまは不審に思って門番を呼んでたずねた。 「おれがしてもすこしも泣かないが、おまえは薬でもつけるのか、大道具なのか、上手なのか。いったいどうやって泣かせるのだ」  すると門番のいうには、 「はい、じつは泣くのは女房ではなくてわたしでございます」  ところで未央生は、人のための術を選んで、いよいよ仙人に道具を改造してもらうことになるのだが、どのようにして改造したかは、その術をほどこす前に仙人が未央生に語った言葉によって紹介しよう。 「その改造の方法というのは、まず、さかりのついた牝犬と牡犬を空部屋の中へとじこめておくのだ。そうすれば二匹はかならずさかりだす。しばらくさからせておいて、もうそろそろおわるというころに、二匹をひきわけるのだ。狗腎というものは極めて熱いもので、いったん陰中にはいると何倍もの大きさにふくれあがり、精をもらしてからでも半日ぐらいは抜き出せないのだ。それを、まだもらさぬうちに、うまい時を見はからって小刀でえぐり取る。そして牝の陰の中から牡の腎を取り出して四つに切り、すばやく当人の東西を麻薬でしびれさせて痛くないようにしておいて、表裏左右に四すじの溝を切り、一すじごとにまだ熱い狗腎をはめこんで、その上に傷口をふさぐ薬をぬっておくのだ。  このときに小刀の使い方をあやまって腎管に傷をつけると、あとで立たなくなってしまうが、腎管さえ傷つけなければ大丈夫だ。手術のあとは、一カ月そっとしておくと、水と乳とがとけあうように、人陽と狗腎との継ぎ目が消えてしまう。それから二、三日たったら、もう使ってよい。東西は狗腎とおなじ熱さだし、普段でも改造前よりも何倍か太くなったのが、戸の中へはいるとさらに何倍か太くなるから、これまでの一本が何十本かになったのと同じだ。それが戸の中で抽送するのだから、その一抽一送ごとに相手がどんなに快を覚えるか、そしてどんなによろこびを感じるか、想像がつくだろう」  未央生は仙人に改造の日をきめてもらって、よろこび勇んで帰って行くのだが、道具の改造などというとてつもないことを語ったあとで、原作者はその章をどう結んでいるか、その部分だけを訳してみよう。おそらくみなさんは奇異の感をいだかれるであろうが、原作者はこれを本気で語っているわけではない。これが、官憲をごまかす手なのである。  未央生は千歓万喜して帰って行きましたが、彼の一生のわざわいのもとは、じつはここにはじまるのでございます。  これによって、天下の房術なるものは、学ぶべからざるものであるということを知らなければなりません。房術を学べば、心術をやぶります。官憲はもし姦淫を捕えようとするならば、春薬屋でお待ちになればよろしい。春薬を買い、房術を学んで、ただ女房だけをもてなそうとする者はいまだかつてないからであります。  未央生が道具を改造してもらってから、まず最初にその力をためしてみようとして選んだ相手が、艶芳であった。だが、未央生の道具を知らぬ艶芳は、なみの御馳走ならば食べない方がましだというわけで、むかいに住む好きものの醜女に相手をさせて未央生の道具をしらべてみた。それが前々回の話であり、そしてそのあとでおこなわれた艶芳と未央生との一戦が、前回の話ということになるわけである。  つまり、原作者のいうとおり、房術を学んだ未央生は心術をやぶって、すでに二人の人妻を犯したわけである。だから房術というものは学ぶべからざるものであると、原作者はちょっぴり書きそえているのだが、それは、この種の物語作者の常套手段であるとはいえ、作者のその語り口にはなかなかあじわいがあって、おもしろい。  開巻第一章に作者はいう。  この小説の作者は、世の人々の淫慾をとどめようとして筆をとったのであって、決して淫慾をすすめるためにではない。それならば、なぜ道学の書を著わさずに、このような風流小説を書くのかと反問する人もあろうが、それは、昔からいう、人を見て法を説けという手段を用いたのである。  このごろの人々は、聖賢の書を読むことをきらって、小説物語を読むことをよろこぶ。そして小説物語の中でも、忠孝節義のことはきらって、淫邪誕妄の書を好む。これはまことになげかわしいことであるが、このような時勢に、私が道学の書を著わしたところで、誰も読んではくれないだろう。そこで、世人の好むところに従って、風流のことを書き、その間に、淫慾のおそろしさ、空しさを、説こうとするのである。  こうして風流小説の形をとった以上は、淫褻《いんせつ》に近いものになりがちだが、それは読者が中途であきてやめてしまわないよう、最後まで読んで本意を知っていただきたいための方便であるにすぎない。  ——いかにもまじめくさった顔で、こんなふうに語り出すのである。そして、結末の第二十章では、未央生をはじめとして、いわゆる肉蒲団の上で淫慾をほしいままにした男たちが、結局その空しさ、おそろしさをさとって、孤峯禅師という高僧のいる寺へ行く話を以て結びとし、その擬装の首尾をととのえるのである。  今回は私自身の話し方も、これは擬装ではないが、講義調に終始してしまった。次回からはまたもとの調子にもどるつもりである。艶芳とねんごろになったあと、未央生はこんどは、香雲、瑞珠、瑞玉という三人の女と同時にねんごろになるのである。はてさて、未央生はいかにして、ひとりで三人の女に歓をわかちあたえるであろうか。 貝と開の話  ある村に金持がいた。息子が三人あって、それぞれ嫁をもらってやった。  ある日、金持は、自分の誕生日に三人の嫁を呼んで、こういった。 「今日はわたしの誕生日だが、おまえたち、めいめいなにかやってわしに祝い酒をすすめておくれ」  三人の嫁はかしこまってひきさがった。  その晩、金持は盛大な宴を設け、一族の者がみなあつまった。  長男の嫁はすでに二人の女の子をもうけていた。彼女は両手にその二人の女の子の手を引き、進み出ていった。 「おとうさま、おめでとうございます。わたくし、『姦』という字でおとうさまにお酒をおすすめいたします」  次男の嫁には男の子が一人いた。彼女はその子の手を引き、進み出ていった。 「おとうさま、わたくしは、『好』という字でおとうさまにお酒をおすすめいたします」  三男の嫁は年が若く、嫁にきたばかりでまだ子供がなかった。彼女は「わたしは子供がないので、どうにも仕様がない」と、しばらく思案をしていたが、やがて進み出て、しゅうとにお辞儀をしてから、片足を真横に椅子の上へのばし、手で自分のかくしどころをさし示しながら、 「おとうさま、わたくしは、『可』という字でおとうさまにお酒をおすすめいたします」  しゅうとはそれを見て、 「なるほど、『可』という字になっておるわい。だが『口』がちょっとゆがんでいるようだな」  一座の客たちはみな大笑いをした。  これは、南宋の張致和の『笑苑千金』という笑話集に出ている話である。一族の者がみなあつまっている中で、自分のかくしどころをしゅうとに見せるような嫁があるはずはない、とおっしゃっては、話にならない。あるはずのない話だからこそ、おかしいのである。しかも、とんでもない恰好をして見せてそれを『可』というところが、いよいよおかしいのである。  他人に自分のものを見せる話は、出典は忘れたが、わが江戸小咄にもある。  年増の妾の家に、口のきけない下女がいた。とかく下女には口の軽い者が多いが、口がきけないのだからその点は安心しておられる。それになかなか利口な女で、日常の用は手真似で通じた。  ところが、ある日、旦那がきたので、酒のさかなに赤貝を買いにやらせようとしたところ、どうしても通じない。妾は仕方なく、前をまくってみせて、 「これだよ、これだよ」  といった。下女ははじめて合点をして出て行ったが、やがてその買ってきたものを見ると、それは鳥貝だった。  鳥貝というのは、赤貝とともによくスシのタネにつかわれる、あの黒紫色をした貝である。いかに海千山千の妾とはいえ、それを下女に見せる女があるはずはない、とおっしゃっては、これまた話にならない。前の『笑苑千金』の話とおなじく、あるはずのない話だからこそ、おかしいのである。しかも、妾が自分では赤貝だと思っているものが実は鳥貝だった、というところが、いよいよおかしいのである。  赤貝には、またこんな小咄もある。  女房が赤貝を買ってきて水の中へ入れておいたら、やがて貝が口をひらいた。亭主がそれを見て妙な気になり、そっと中指をつっこんでみた。すると貝は口をとじて指をはさんでしまい、どうしても抜けない。  みるみる指がはれてきて、痛くてたまらないので、医者を呼んできたところ、医者のいうには、 「まだ、指でよかった」  また、こんな話もある。  竜宮で演芸会があって、魚たちがつぎつぎに芸を披露した。やがて赤貝の番になると、彼女(?)は部屋の中へはいって、からかみをちょっとあけ、口をひらいて、 「ねえ、寄ってらっしゃいよ」  と、娼妓の真似をした。  前の話は『寿々葉羅井《すすはらい》』(安永八年)、後の話は『廓寿賀書《みせすががき》』(寛政二年)の小咄。  さて、赤貝が変じて鳥貝となることはさきの話が示しているが、赤貝もまた蛤の変じたものであり、その蛤はまた蜆《しじみ》の変じたものなのである。『末摘花』のいくつかの句によって、それを見てみよう。 赤貝が蜆をはさむざくろ口  ざくろ口とは、銭湯の入口のことである。江戸の銭湯の入口は、あけたてする戸がなく、かがんではいるようになっていた。ざくろの実はすっぱいが、あの醋《す》はかがみ《ヽヽヽ》をみがく材料になっていたので、かがんではいる入口をざくろ口といったのだという。  この句は、女の子をつれて銭湯にきた女房が、そのざくろ口を出入りするとき、子供を抱いて前をかくすさまを、「赤貝が蜆をはさむ」といったのである。蜆は無論、幼い女の子である。蜆のうちは無邪気で、人に見られてもなんとも思わない。ところが、 蛤になっての不自由いかばかり  で、蜆が変じて蛤になると、そうはいかない。だが母親の眼には、娘が一人前になっても、まだまだ子供のように見える。 蛤になったに母は蜆の気  というのがそれだが、いつまでもそんな気でいると、 にえきらぬ姶むりに口をあけ  というようなことがおこらぬともかぎらない。勿論こんなことをするのはよろしくないことである。なぜなら、蛤にかぎらずおよそ貝類は、むかしから、にても口をあけないヤツは食べてはいけないとされているのだから。  蛤をいつまでも蜆と思う母親がある一方には、またこういう母親もいる。 蛤に母は幟《のぼり》をふかせる気  蛤は蜃気楼《しんきろう》をふき出すといわれている。「蛤にふかせる」とは、蛤に色気をふき出させることである。「幟をふかせる」とは、男の子を生んで鯉のふき流しをあげさせることをいう。この二つの意味をかさねあわせたところに作者の工夫があるといえよう。蛤になった娘を奥女中に出し、はやくお手をつけてもらって、男の子を生んでお部屋さまになってくれたらよい。そうすればわたしも楽ができるのだが。そんなことをもくろんでいる母親もいたとみえる。 蛤は初手赤貝は夜中なり 『末摘花』初篇の開巻第一句で、これは蛤が変じて赤貝となるときを示したものである。「蛤は初手」というのは、婚礼のはじめに出される蛤の吸いもののことである。一つの蛤の殻は、別の蛤の殻とは合わない。そこで、貞女二夫にまみえずという教訓をふくめて蛤の吸いものが出されたのだが、 蛤は吸うばかりだと母教え 新枕覚悟の前をやっとあけ  ということになって、もう遠慮なく身を食べてよいわけである。このときには、それはもはや蛤ではなくて赤貝である。 蛤の風味知らせて里帰り  婚礼後三日目に花嫁は里帰りをする。ここでは赤貝ではなく、「蛤の風味」といっているところに、あじわいがある。まだ「赤貝の風味」とまではいかない。もし赤貝の風味ならば、最も味がよいのは「湯がき」であり、それに配するに松茸の方は「酒蒸し」がよろしいとのことで、 赤貝は湯がき松茸酒で蒸し  という調理法を示した句もある。俗に「湯ぼぼ酒まら」というヤツである。  ところで、前回の話のおわりに、未央生が艶芳についで、あらたにねんごろになる女として、香雲、瑞珠、瑞玉という三人の名を紹介しておいたが、これを貝にたとえるならば、香雲は鳥貝であり、瑞珠と瑞玉とは赤貝というところである。もっとも、未央生はたぐいまれな巨陽の持ち主だから、これを迎えることのできる三人の女のは、鳥貝にしろ赤貝にしろ、その上に大の字をつけなければならないことはいうまでもない。この三人の女のほかに、もう一人、花晨という女がやがて登場するが、これは大の字一つではまにあわぬ特大の鳥貝である。  さて、順を追って話して行かなければならない。  未央生が艶芳に対して大いに狗腎のはたらきを見せ、ついに艶芳に音をあげさせたあの夜から、十幾夜、二人の雲雨《うんう》の情がますます稠密《ちゆうみつ》の度を加えてきたところへ、艶芳の亭主の権老実が帰ってきたのである。  生木を裂かれて、艶芳はくやしくてならない。日も夜も未央生をおもいつづけて、ぼんやりとしている。鳥貝らしくもないが、いわゆる恋わずらいである。『末摘花』に、まるでこのときの艶芳の鳥貝を描写したような句がある。 恋病みの動悸ぴくぴく開でうち  未央生に会いさえすれば、 あれ死にますと恋病みけろり治り  ということになるはずだが、なかなか会えない。そこで艶芳は手紙を書いて、未央生に駈落ち話をもちかけた。おりよくおもてを賽崑崙が通りかかったので、その手紙をことづけたのである。賽崑崙というのは、もうお忘れになった読者もあろうが、未央生と艶芳との仲立ちをした盗賊であり、未央生が道具の改造を思い立って今日のような巨陽にしたのも、もとはといえばこの賽崑崙に「それくらいの力では敵陣へ乗りこんで功名をたてることはできぬ」といわれたからであった。  艶芳は未央生に駈落ち話をもちかけたものの、未央生にそれが決行できるかどうか心配になってきたので、さらに一計を案じた。  その計略というのは、朝から晩まで権老実のあらさがしをしてがみがみとあたりちらし、飯炊きも洗濯もいっさい自分ではせずに亭主にやらせておいて、夜になると、夜明けまで求めつづけるのである。計略とは知らぬ権老実は、夜のおつとめに精を出せば機嫌をなおしてくれるだろうと、一生懸命につとめるのだが、いくらつとめてももういいとはいわない。いろいろと苦心してようやく満足させたかと思う夜があっても、朝になると相変らずどなりつづけ、そして夜になるとまた求めつづけるという具合なので、虎や狼のようにたくましかった権老実も、二月とたたないうちにげっそりと痩せほそって、柴のようになってしまい、このままでは今日明日にも死にかねないというありさまになってしまったのである。  艶芳にとって権老実は二度目の夫であった。最初の夫は、美貌の艶芳にふさわしく、なかなかの美男子で、世間の人の眼にはいかにも似合いの夫婦に見えたが、実はそうではなかった。道具の方がまるでつりあわなかったのである。その夫が、結婚後一年そこそこで腎虚《じんきよ》になって死んでしまうと、艶芳は、醜男の権老実といっしょになった。巨陽で、相手になれる女がいないといううわさをきいて、すすんで嫁にきたのである。巨陽と広陰とはうまく合い、貧しい糸屋の暮らしながら夫婦は満ちたりた日を送っていたが、そこへ未央生が割りこんできたのである。狗腎のすじがね入りの巨陽を持っている上に、美男子ときている。物も顔も権老実とはくらべものにならない。艶芳はすっかり未央生のとりこになってしまって、前の夫を死なせた大鳥貝にもう一度ものをいわせようとたくらんだのだった。ひどい女もいればいるものである。その計略にかかってふらふらになってしまった権老実は、これまで艶芳とは物も気もうまく合っていたのに、旅から帰ってみると急にかわってしまったのには必ずわけがあるにちがいないと気づき、むかいの女房にきいてみた。 「わしが旅に出ているあいだに、誰か家へ出入りした者はいなかったかね」  そのむかいの女房というのは、はじめに艶芳の代役をつとめてうまい汁を吸ったあの醜女である。権老実にきかれても、はじめのうちはとぼけていたが、いまやこの男が艶芳に殺されかかっていることに気づいて、黙って見ているわけにもいかず、仕方なくそっと教えた。 「実はおまえさんの留守中に出入りしていた者がいるんですよ。でも、ほかの者ならともかく、あの男ばかりはどうにもなりませんよ。もし逆らいでもしたら、とんでもない目にあわされるにきまっているから」 「それはいったい誰だね」 「あの、天下にその名のひびきわたっている盗賊の、賽崑崙ですよ」  醜女は未央生の名は出さなかった。読者はこの醜女が艶芳の代役をつとめたときのことを思い出していただきたい。未央生の一送するごとに、この女は、「あっ、あっ」と苦を叫びつづけていたが、やがて抽送五、六十に至ると声をたてなくなってしまい、さらに五、六十送に及ぶと、またもや叫び出したが、それははじめの疼痛の「あっ」とはちがって快楽の「あっ」であったことを。さらに抽送五、六百に至ると、無限の騒擾をあらわし無限の浪声を発して、しきりに《い》きつづけながら歯をくいしばってこらえていたことを。いま、艶芳に殺されそうになっている権老実をあわれに思いながらも、この女が、ついに未央生の名を出さなかったことは、これこそ、まことの女ごころというものであろうか。  権老実は艶芳の相手が賽崑崙だときかされて、ふるえあがった。これはえらいことになったと生きた心地もなく、近所の人々にわけを話して、なんとか助けてくれとたのんだ。近所の人々は権老実があまりに気の毒なので、みんなで知恵をしぼったあげく、こうすすめた。 「おかみさんはもうおまえさんと暮らしていく気はないのだから、家においてもなんの役にもたたないだろう。だからいっそのこと売って金にした方がいい。ほかの者に売ったら、賽崑崙がおこって仇をしにくるだろうから、賽崑崙に売るのだ。商売がうまくいかなくて暮らしがたてられなくなったから買ってほしいといってな。あの男はおかみさんにほれているのだから、二百両ぐらいは出すだろう。その金でおまえさんはまたいい女房を買えばよい。そうすれば、災難もふせげるし、女も手にはいって、万事がまるくおさまるよ。おまえさんの口からはいいにくいだろうから、おれたちがあの男の家へ使いに行ってやろう」  権老実もそうするよりほかないと思って、近所の人々にまかせた。近所の人々が賽崑崙の家へ行ってたのむと、賽崑崙は承知して金を出し、その日のうちに轎《かご》をやとって艶芳を迎いにやった。そして、未央生にはまだなにも知らせずに、さっそく二人のために家をさがし、夜具寝台をはじめ家財道具いっさいを買いととのえ、婚礼の用意をしてから、未央生を呼び、式をあげて二人を新婚の寝屋へ送ってやったのである。原作者はそのあとに、つぎのように書き加えている。  これは鮑叔《ほうしゆく》の友情、髯《きゆうぜん》の侠気に勝るとも劣らないものでありますが、惜しむらくは目的をあやまっておりますために、真の豪傑と申すわけにはまいりません。もしこのような友情とこのような侠気とを、危難の場にほどこしますならば、賽崑崙の人格は一段と高まり、盗賊ではありながら衣冠の者をも下に見ることができるのでございます。  さて、未央生と艶芳とは夫婦になると、昼夜をわかたず寒暑をさけず、情をつくし興をつくして楽しみにふけったが、まもなく艶芳はみごもり、やがて四、五カ月すると艶芳の腹はふくれあがって邪魔になり、うまくやれなくなってきた。そこで二人は別の部屋で寝ることにしたが、未央生がそう幾日も一人で寝ていられるはずはない。  未央生には艶芳とねんごろになる前から、眼をつけていた美人が幾人かあって、その一人一人についての批評が手帖に書きこんであった。ある日、未央生がその手帖を取り出して見ていると、香雲という名が眼にとまった。批評を読んで思い出してみると、そばを通ったときに一陣の香気が鼻をうったこと、それは着物に焚きこめる香の匂いなどとはちがう、なんともいいようのない、いい匂いであったことが思い出された。  埋もれた燠《おき》をかきたてられるような思いで、批評の下に書いてある住所を見ると、なんとそれはいま自分の住んでいる町と同じところではないか。すぐおもてへとび出して行って人にきいてみると、またなんと運のよいことか、天地の神々がすべて彼の味方をしてくれでもしたように、香雲の家は彼の家と塀をへだてただけの隣家なのであった。  未央生はさっそく塀に梯子《はしご》をかけて、香雲の家をのぞきこんだ。ふと見ると、一人の女がおまるにまたがって小用をしている。小用がすむと立ちあがったが、子をあげる前におまるの蓋をしようとしたところ、それが下に落ちているので、取ろうとして手をのばした。上体だけがかがんで、まっしろな二つの球が未央生の正面にむけられた。そのあいだから大きな鳥貝がさかさまにのぞいている。未央生は息をつめてそれを眺めたが、うしろからではその女が香雲かどうかわからない。やがて子をはいてこちらをむいた顔を見ると、まちがいなく香雲である。未央生は思わず声をかけそうになったが、いま声をかけたら香雲はびっくりするにちがいない、もし大声で人を呼んだりしたらまずいことになる、と思いかえして、そのまま梯子をおりてしまった。  その夜、艶芳の眠ってしまったのを見すまして未央生が梯子をのぼって行くと、ちゃんとむこうからも梯子が立てかけてあった。  このあとは、例によってすこし訳してみよう。  梯子をおりて、手さぐりで寝台のところまで行って見ますと、彼女はぐっすりとねこんでいるらしく、身動きもしません。未央生はそこで、彼女がねこんでいるのにつけこんで蒲団のなかへもぐりこみ、まず東西をすこしばかり戸のなかへさしこんで眼をさまさせて、わけを話せばうまくいくと思案をめぐらし、手をのばして蒲団をまくりあげました。ところが、香雲は眠ってはいなかったのです。未央生がやってきたはじめからなにもかも知っておりながら、彼をためらわせないように、わざと眠ったふりをしていたのでした。未央生が蒲団をめくったいまとなっては、もうそんなことをする必要もありませんので、寝返りをして、いま眼がさめたふりをしながら、 「だれ? 暗闇のなかでひとの蒲団にもぐりこもうとするのは」  といいます。未央生がいかに大鳥貝を賞美するかは、次回のおたのしみということにして、今回はまずこれまで。 においの話  女が、男の鼻の大きいのを見て、ふざけていった。 「あんた、あれもさぞ大きいでしょうね」  男はその女の口の小さいのを見て、やはりふざけていった。 「おまえのあそこも、さぞかし小さくていいだろうな」  ふざけあっているうちに、互いにきざしてきて、妙なことになってしまった。  事がすんでから、女がいった。 「あんたのは鼻ほどじゃないのね」  すると男もいった。 「おまえのも、口とはつりあわぬじゃないか」  これは清《しん》の遊戯道人の『笑林広記』という笑話集に出ている話である。一般に、女は巨陽をよろこび、男は狭陰をよろこぶものとされている。互いに相手の鼻と口との大小を見て心をうごかしたが、その期待がみごとにはずれたというところに、この笑話のおかしさがある。  まことに、武器のよしあしは対戦してみなければわかるものではない。だが、いきなり戦ってみるというわけにもいかないので、陽は鼻、陰は口と、形の類似による鑑別法が案出されたのであろう。それは観相学上あたっているという説もあれば、また両者にはなんの関係もないという説もある。さきの笑話はあたらなかった話だが、あたれば笑話にはならない。  同じような話が、わが国の『今歳咄《ことしばなし》』(安永二年)にもある。  婚礼のとき花嫁は、花婿の鼻の大きいのを見て、ひそかに心をときめかしていた。  やがて床入りとなる。事がすんでから、花嫁は花婿の鼻を指さきでつつきながら、つぶやいた。 「この、うそつき!」  鼻や口の大小による鑑別法は和漢共通のものだが、わが国独自の鑑別法に、髪によるものと頬の色によるものとがある。『末摘花』にいう、 お祭に出しのいいのはちぢれ髪 「お祭」とは、男女のお祭りのこと。「出し」とは調味料、出しがいいとは、味がいいということである。つまり、ちぢれ髪の女は味がよいという意で、それを祭礼のときの山車《だし》にかけた句。 ちぢれてる程味のよい茶のはむき 「茶のはむき」は、水茶屋の女のもてなし、つまり水茶屋の女の「出し」である。それはちぢれ髪の女のものほど味がよいという意を、お茶の味にかけた句。「はむき」は葉向きで、葉の形。お茶の葉は、よくもんで形のちぢれているものほど上等で味がよい、という意に取りたい人はどうぞ御自由に。  では、ちぢれ髪の女のものは、どういうふうに味がよいのかというと、 ちぢれ髪本地垂迹蛸《すいじやくたこ》薬師  という句がそれを示している。つまり、蛸のような吸引力、収縮力があるというのである。これを、「ねじめがよい」ともいう。 三味線のほかにねじめのよい女  ねじめがよければ狭陰であることを必要とはしない。吸引し収縮するのだから、これにまさるものはなかろう。蛸が上開《じようかい》として珍重されるゆえんである。  頬の色による鑑別法は、大小とか機能とかではなくて、匂いについてである。 頬赤を匂い袋でふせぐなり  匂い袋でふせぐというのだから、いい匂いであるはずはない。頬の赤い女のは、くさいというのである。  もし、みなさんのなかに、鼻の小さな男性、頬の赤い女性がおられたなら、どうか気にしないでいただきたい。そしてつぎの『喜比談語《きびだんご》』(寛政八年)の話をお読みくださるよう。  学問好きの亭主がいた。本を読みながらときどき紙をちぎっては、唾をつけ、本に貼りつけている。女房がそれを見て、 「なぜ、そんなことをなさるのです」  ときくと、亭主のいうには、 「これは不審紙というもので、わからぬところはあとで先生に聞くために、目じるしに貼りつけておくのだ」  女房はそれをきくと、針仕事をやめて亭主のそばへ行き、紙をちぎって唾をつけ、亭主の鼻のさきへ貼りつけた。 「これ、なにをする」  と亭主がいうと、 「高くもないのに」  と女房は不審顔。  亭主は笑いながら、同じく紙をちぎって唾をつけ、女房の頬へ貼りつけた。 「どういうことです」  と女房がきくと、亭主のいうには、 「赤くもないのに」  くさい話になってしまって、あるいはみなさんの鼻を、いや、眉を、しかめさせたかも知れない。このあたりで、いい匂いの話に移ろう。  前回の話は、未央生が香雲の寝室へしのびこんで行ったところまでであった。——未央生は艶芳を知る前から、香雲に眼をつけていたのである。香雲が、瑞珠、瑞玉という二人の女といっしょに張仙廟へおまいりに行ったときに見そめたのだが、艶芳が身重になって寝室を別にするようになってから、未央生がまず思いうかべたのが香雲だった。そのとき未央生は、かつて香雲に出会ったときに一陣の香気が鼻をうったこと、それは着物にたきこめる香の匂いとはちがう、なんともいいようのない、いい匂いであったことを思い出した、ということを覚えておられる読者もあろう。  その、いい匂いの話に移る前に、一つおことわりしておかなければならないことがある。それは、前回の入話《まくら》にいろいろな貝のことを話して、香雲を鳥貝に、瑞珠、瑞玉を赤貝にたとえたところ、ある熱心な(?)読者からの手紙に、なにかの図鑑から写したという赤貝と鳥貝との絵をそえて、これに似ているということは解《げ》せぬが、どういういわれからそういうのか、という質問が寄せられた。  形ではなく、色なのである。原本の挿絵を見ると、香雲も瑞珠も瑞玉も、みなVの字形のオチョボ口をしている。口による鑑別法に従えば狭陰ということになるが、三人とも未央生の相手がつとまるのだから狭陰であろうはずがない。わかるのはそれくらいのことで、いかに私が風流野郎とはいえ、香雲や瑞珠、瑞玉の形まで見とおせるわけはない。だが、色ならば、みなさんと同じように見とおせるといってもよかろう。  さて、未央生は香雲が眠っているのをさいわい、蒲団のなかへもぐりこんで、まず東西をすこしばかり戸のなかへさしこみ、眼をさまさせてから話をつければうまくいくだろうという心づもりであった。ところが香雲は、眠ったふりをしていただけだったので、未央生がそっと蒲団をめくったとたんに寝返りをうって、 「だれ? 暗闇のなかでひとの蒲団にもぐりこもうとするのは」  といった。  計略がはずれて、常人ならばあわてるところだが、さすがに未央生、あわてずさわがず、香雲の耳もとに口を寄せて、 「わたしです」  といいながら強引に蒲団のなかへもぐりこもうとする。  香雲はもともと、未央生を迎え入れる気なのである。はじめに眠ったふりをしていたのも、そのためであった。だが、原作者は読者に気をもたせて、なかなか香雲に承知をさせない。  香雲は蒲団の端をかたくおさえて、未央生をもぐりこませず、 「綺麗な奥さんがいらっしゃるのに、わたしのような女のところへくるなんて、気まぐれに、からかいにきたのでしょう」  と、いや味をいったり、暗に瑞珠と瑞玉のことをいって、 「お目あての若い娘がいるのでしょう。そっちがうまくいったら、わたしなんかほっぽり出してしまうくせに」  などと、なかなか話はすすまないのだが、原作者とともに読者に気をもたせることはやめて、ついに香雲が承知したところから訳してみよう。  香雲はそこで、手をのばして未央生を引き入れます。未央生は蒲団のなかへもぐりこむなり、すぐ東西を戸口へおしあてましたが、まるで軽車の熟路を走るがごとく、するするとはいってしまいました。それというのも、はじめて会ったときからお互いに気があり、しかも、さきほどから二人ともうずうずしていたところですから、蒲団のなかでは、はいりたい東西と入れたい戸とが、初対面にもかかわらず、まるで十年の知己のように気があったのも当然といえましょう。  未央生は戸口で、香雲の部屋がなかなか広いことをさとりましたが、中は燃えていて待ちきれない様子ですので、そのままずっと奥まではいって行きます。すると香雲はすぐ応対をはじめましたが、未央生はその応対ぶりを見て、これはなかなか手強いと思い、大いに力をふるって抽送につとめます。はじめのうちはすこぶる円滑でしたが、五、六十回抽送いたしますうちに、次第に渋滞してまいりました。  香雲は、うまく応対できなくなってきたのを覚えて、ひと休みしてたずねます。 「どうしたのかしら。うちの主人とだと、いつも、はじめはむずかしくてあとはやさしくなるのに、きょうは、はじめはやさしくてあとでむずかしくなるなんて」  未央生は東西を戸のなかにおさめたままで答えます。 「わたしのは普通のものとはちがって、かわったところが二つあるのです。一つは、はじめは小さくてあとで大きくなることです。まあ乾飯《ほしい》のようなもので、乾飯は湿るとふくらみますが、わたしのは戸のなかへはいるとだんだん大きくなってくるのです。もう一つは、はじめは冷たくてあとで熱くなることです。まあ火打石みたいなもので、こすればこするほど熱くなってきて、しまいには火星が爆発するときのようになるのです。この二つの特徴があればこそ、それを奥さんの御賞翫に供したいと思って、わざわざ参上したというわけです」 「そんな宝ものがあるかしら。うそでしょう。ほんとうだとしても、こんなにやりにくいままでは、つづけてやったって痛いだけでたのしくないじゃないの」 「いまは、わたしのが大きくなってきたものだから渋滞しているのですよ。やりにくくても、しばらくするとうるおってきてだんだん円滑になってきます」 「それじゃ我慢をするから、あなた、やってみてよ」  それからあとは、惜しいことに原本の印刷がうすれていて判読しがたいが、どうやら、未央生が大いに力をつくして抽送し、それにつれてだんだん円滑になり、香雲が快を叫ぶようになるてんまつが書かれているようである。 「好き!」  と香雲が叫ぶところからは、また読むことができる。 「さっきのお話、ほんとうだったわ。すばらしい宝ものだわ。わたし、こんなにいいの、はじめてだわ」  大鳥貝を泣かせて、未央生は得意である。 「ねえ、そうでしょう。わたしはうそはいわない」  そういいながら、なおも抽送をつづける。  さすがに未央生は剛のものというべきである。  いつまでも抽送をつづけることはもとよりだが、それよりも、抽送をつづけながら瑞珠と瑞玉のことをたずねるのだから、おそれ入るよりほかはない。  香雲もまた剛のもので、未央生の抽送に応じながら、こう答える。 「あなたがいつまでもわたしを可愛がってくださるなら、あの二人に会わせてあげるわ。でも、そんなにいそがなくてもいいでしょう」 「うん、たのんだよ」  やがて、香雲も音《ね》をあげる。 「もうだめだわ。やすませて」  未央生はそれではと、最後のひともみをしてから、東西をとり出す。  いい匂いの話は、これからである。  未央生は、東西をとり出して横になったとき、一陣の香雲が四辺にただよっていることに気づいた。  あの、張仙廟ではじめて会ったときの匂いである。 「あなたがたいているのは、なんという香です」  と未央生はたずねる。 「わたし、いつも香なんかたいていないわ。なぜ、そんなことをきくの」  と香雲はいう。 「前に張仙廟で会ったときにも、とてもいい匂いがしたが、いまそれと同じ匂いがしている。香をたいているのでないなら、なんの匂いだろう」 「それなら、わたしの肌からしみ出てくる匂いで、香なんかじゃないわ」 「肌からこんな匂いがしみ出てくるなんて信じられませんよ。もしそれがほんとうなら、たいした宝ものだ」 「わたしはなんのとりえもない女だけど、これだけがほかのひととちがうところなの。わたしが生まれるときのことだけど、お産のときに紅い雲が部屋のなかにはいってきて、いい匂いがたちこめたんですって。わたしが生まれると雲は消えてしまったけど、匂いは消えずにいつもわたしのからだから匂うようになったので、それで香雲という名前をつけたんですって。じっとしているときには、そんなに匂わないんだけど、からだをうごかして汗をかいたりすると、毛穴からしみ出してきて、人に匂うばかりか自分でもわかるの。こんな特徴があるものだから、ほっておくのは惜しいと思っていたところへ、あの日、張仙廟であなたにお会いしてすばらしい人だと思ったので、わざと扇子を落して、わたしの家へ訪ねてきてもらってこの匂いを賞翫してもらおうと思ったんだけど、なかなかきてくださらなくて、きょう、やっとその願いがはたせたというわけなの」  このあとは、また訳してみよう。  未央生はそれを聞くと、あらためて香雲の全身を上から下までずっとかいでみました。どの毛穴も、匂わない毛穴はありません。そこではじめて、絶世の佳人というものは眼だけではわかるものではないということをさとり、香雲を抱きしめて、好きだ好きだと叫びつづけます。  すると香雲は、 「からだじゅう、すっかりかいだ?」  とききます。 「すっかりかいだよ」  と未央生が答えますと、香雲は、 「まだかがないところがあるわ」  といいます。 「いや、すっかりかいだ」 「ほかのところより、もっといい匂いのするところがあるのよ。そこを賞翫しない?」 「それはどこなのだ」  と未央生がききますと、香雲は未央生の指をにぎって戸口へあてがい、 「このなかの匂いは、ほかとはちがうの。もしおいやでなかったら、ちょっとかいでみない?」  未央生はそこで、からだをちぢめて鼻を戸口へあて、なんどもかいでみてから、からだをおこして、 「これこそほんとうの宝ものだ。わたしはもう、あなたといっしょに死んでも悔いはない」  といって、またからだをちぢめ、戸口を左右に開けて、その宝ものを舌であじわいます。 「ねえ、そんなことやめて。へんな気になってくるわ」  香雲がそういってとめようとすればするほど、未央生はいよいよはげしく……。  そこからさきは、また印刷がうすれていて読みにくい。そのへんは飛ばして、つぎへ移ろう。  香雲がとうとう《い》ってしまいますと、未央生はようやくやめて、からだをおこします。香雲は未央生を抱きしめて、 「あなた、そんなにわたしを可愛がってくださって。わたしあなたといっしょに死にたいくらいだわ」 「わたしもだ」  と未央生もいいます。  二人はいっしょに起きて寝台から下り、着物をきて、窓のそとの星にむかって、死んでも二人ははなれないと誓いあいました。  それからまた着物をぬいで寝台へ上り、裸のまま抱きあってあれやこれやと話しあいましたが、そのときになって未央生のいいますには、 「あなたのようなすばらしい人は、この世には二人とはいない。こんな宝ものを持つことのできたあなたの御主人は、なんというしあわせものだろう。それなのに、せっかくのこの宝ものを毎日味わおうともせずに、いつもよそへ泊ってあなたをひとりぼっちにしておくなんて、どういうつもりなんだろう」 「主人だって、楽しみたいのよ。でも、力がたりなくてお相手がつとまらないもんだから、いつも色町へ遊びに行っているようなことをいって、わたしから逃げまわっているの」 「まだそれほどの年でもなかろうに、どうしてそんなにだめなの」 「若いときにはずいぶん遊んだのよ。よその女にまで手をつけて、夜ひるの別なくすごしたもんだから、中年になって役に立たなくなってしまったの」 「それじゃ、若いころの力はわたしとくらべてどうだった」 「技術は同じくらいかしら。でも、あなたのものには、二つも、この世にはほかにないものがあるわ」 「わたしのこれにはこの世に二つとはないものがあるし、あなたのこれにもこの世に二つとはないものがある。この二つの宝ものはいっしょにしておいて、はなさないようにしようよ。これからはいつも、あなたのところへ二つの宝ものをいっしょにしにくるよ」  まあ、こんな話がめんめんとつづくのだが、寝物語というものはいずこも同じたあいもない風景というべきものだろう。  今回はこのあたりでひとまず幕として、次回は瑞珠と瑞玉という二つの赤貝の話に移ることにする。 分けあう話  正月には、古来さまざまな行事がおこなわれるが、そのなかに姫始《ひめはじめ》というのがあることを、みなさんは御存知であろうか。  今回は、この姫始ということばの語源の研究(!)からはじめることにする。私の最も信用し愛用している辞典は『広辞林』であるが、この辞典で姫始ということばを引いてみると、 一、古来、正月の《ひめ》を供し始むるに吉しといいし日。 二、馬の乗りぞめに吉しという日。(飛馬始《ひめはじめ》)  と、しるされている。という字は、二字ともめったに使われない字で、普通の漢和辞典には出ていないが、前者は焼き米のことであり、後者は米をたいたときにおもゆ《ヽヽヽ》を取ることである。二字で、飯のことをいう。  元旦は餅を食べて、飯を食べない。二日になって、飯の食べぞめをする、これを姫始といったのである。  この姫始が飛馬始に転じて、馬の乗りぞめのことをいうようになったのであろう。この行事も、正月二日におこなわれるのを常とした。 『広辞林』にはこの二つの意味しか書かれていないのが、私には不満である。『末摘花』に、 あき門《かど》へ槍おっ立てる姫始  という句がある。 「あき門」は明き門。つまり新年の門《もん》である。門へ槍を飾り立てて飛馬始に出て行く、あるいは飯の食べぞめをする、というような解釈をする人があるとすれば、お門《かど》ちがいもはなはだしい。  姫始とは、ここでは、夫婦の交わりぞめのことをいう。やはり正月二日におこなわれる行事の一つである。さきの句の「あき門」は明き門の意とともに開き門の意をふくめている。門は出入口である。正月二日の夜は姫始だから、女房は用意万端ととのえて門を開けて待っている。そこへ槍をおっ立てて臨むというのが、お門をちがえぬ解釈である。  この行事をなぜ姫始というかということについては、諸説紛々として定説がないらしい。そこで、こういう説はどうだろうか。—— 『広辞林』に示されている第一の意味は、飯の食べぞめであり、第二の意味は馬の乗りぞめである。食べるということをするのは女であり、乗るのは普通、男である。食べることと乗ることとが一体となっておこなわれるのは、『広辞林』にはしるされていない意味の姫始よりほかにはない。この意味の姫始は、男にとっては乗りぞめであり、女にとっては食べぞめである。新説のつもりだが、どうだろうか。 やかましいやするにしておけ姫始  という句もある。  語源なんかどうだっていいじゃないか。姫始というのは、とにかく、することなんだ。この句はそういう意味だという説もあるから、私も語源の研究はこのへんでやめることにしよう。  正月二日、亭主は朝から年始まわりに行ったり、年始客を迎えたりして、そのつど酒を飲み、昼間からもうかなり酔っている。女房はそれを見て、気が気でない。このぶんでは夜になったら酔いつぶれてしまって、あれどころではないだろう。今夜は姫始だということを忘れてるんじゃないかしら。そこで女房はなんども亭主にいう。「今夜は姫始なのに、あんたそんなに酔っぱらって大丈夫なの?」女房があまり何度もいうものだから、亭主はうるさくなって、「やかましいや、するにしておけ姫始」ということになる。このほうが素直な解釈ではなかろうか。  姫始には、つぎのような句もある。 忘れても死ぬというなと姫始  おめでたい正月に、死ぬということばは禁句である。正月早々からおまえ、死ぬ死ぬなんていうなよ、と亭主が女房をからかっている頬笑ましい風景だが、女房は女房で、 おめでたく死にますという姫始  この女房、まことによき女房というべきである。  女が死ぬ死ぬというのは、和漢共通の浪声で、『笑府』にこんな咄がある。  夫婦が事をおこなっているうちに、女房は快きわまって、しきりに死ぬ死ぬと叫んだ。二人の子供が傍に寝ていたが、兄の方がそれを聞いて、思わずふき出した。女房ははずかしくなり、怒って兄の頭を打った。すると弟がいった。 「兄さんが打たれるのはあたりまえだ。母さんが死ぬというのを聞いて、泣かずに笑うんだもの」  同じような小咄が『間女畑《まめばたけ》』(天明二年)にもある。  はじめて遊廓へいった堅い侍。女郎がだんだん攻めよせて、 「ああ、いきやすいきやす。死にんす死にんす」  というも、 「ああ身どもも相果てるようだ」 『胡盧《ころ》百転』という漢文体の江戸小咄には、こんなのがある。  唐ノ玄宗、已ニ玉真《ヤウキヒ》ヲ寿王ノ家ニ得テ、昼ニ捉 戯《メンナイチドリ》シ、夜ニ雲 雨《ミトノマグハヒ》シ、復タ後宮ヲ画図セズ。一夜大イニ御ス。佳 境《シゴクノトコロ》ニ至ルニ及ビ、玉真哭イテ曰ク、 「妾死ス、妾死ス」  帝応《コタ》ヘテ曰ク、 「朕モ亦崩御ス、朕モ亦崩御ス」  崩御ということばで、はじめて笑話になる。川柳にも同じく、 道鏡に崩御々々と御大悦《ごたいえつ》  という句がある。  女が浪《よが》り声を発することは、わが『末摘花』の世界では、多くきらわれている。 わるいくせ女房よろこび泣きをする よがり泣きすると間男仕手はなし  などという句がそれを示しているが、これは、家族制度と家屋構造のもたらした弊害というべきであろう。 もう泣きはせぬからよやと女房云い  という句もある。楊貴妃が、哭イテ「死ス死ス」といい、玄宗皇帝が応ヘテ「崩御ス崩御ス」といってこそ、ミトノマグハヒの快もいよいよ高まろうというものを、「もう泣きはせぬから」とたのむ江戸の庶民の女房は、まことに、いじらしくもあわれではないか。  さて、前回の話は、未央生と香雲とが「御大悦」のところまでであった。  ここで思い出していただきたいことがある。それは、未央生が抽送をつづけながら、香雲に、瑞珠と瑞玉に会わせてくれとたのんだことである。そのとき香雲は未央生の抽送に応じながら、「あなたがいつまでもわたしを可愛がってくださるなら、あの二人に会わせてあげるわ」と約束したことである。  香雲はその約束をすぐにははたさなかった。惜しんだのではなく、機会を待っていたのである。その間、香雲は毎日毎晩未央生の宝ものを賞翫しながら、はやくこれを瑞珠と瑞玉にも味わわせてやりたいと思っていたのである。そこが風流女傑の女傑たるゆえんで、凡婦の及ばない大らかさである。  瑞珠と瑞玉は姉妹で、それぞれ臥雲生、倚雲生という夫があった。夫どうしも兄弟で、棟はちがうが同じ屋敷に住んでいる。香雲の夫は、前回の話のなかで香雲が未央生に語ったとおり、香雲の大鳥貝にさんざんこきつかわれた末、いまはもう相手をつとめる力がなくなり、臥雲生・倚雲生兄弟の家に住みついて、めったに家に帰ることはない。というのは、香雲の夫は二人の家庭教師をしていたからである。香雲は瑞珠・瑞玉姉妹にとっては、夫の家庭教師の奥さんというわけだが、好きものどうしで仲がよく、瑞珠・瑞玉は香雲をお姉さんと呼んで親しくしている。  やがて香雲の待っていた機会がきた。臥雲生と倚雲生が都へ試験を受けに行くので、香雲の夫もついて行くことになったのである。以下、例によって原文の調子をまねてみよう。  未央生はその話を聞くと、よろこびのうえにさらによろこびが加わって、まるで神々が自分のためにそうしてくれたような気になります。三人の男がいっしょに旅に出てしまえば、三人の女はいっしょになって、誰はばかることもなく、存分にたのしめるというわけです。  はたして、数日たつと師弟三人はいっしょに旅立ちました。その日、香雲は瑞珠たちの家へ行くことにしましたが、香雲と未央生はいまがいちばん具合よくいっているときですので、ほんのしばらくの別れでもつらく、むこうへ行ったらすぐ瑞珠と瑞玉に話して未央生を呼びよせるということにして、二人はしばしの別れの前にまたひとしきりたのしみあうのでした。  香雲は瑞珠・瑞玉のところへ行くと、さっそく話し出します。 「あんたたち、あれから張仙廟へおまいりに行った?」 「毎日行かなければいけないの? 一度行ったらいいんでしょ?」 「あんな綺麗な男に会えたんだもの、毎日行ったっていいじゃないの」 「会っただけで、それっきり訪ねてもきやしないわ。どうしたのかしら」 「わたし、ちょっと聞いたんだけど、あの人、あんたたちを思いこんで毎日さがしまわっているらしいのよ」 「それ、あんたのことじゃないの?」 「ほんとうなのよ。ひどい恋わずらいで、お医者さんもなおせず、ほうっておくと死ぬかもしれないんだって。あんたたち、助けてあげなさいよ」  瑞珠と瑞玉は香雲のいうことを疑って、相手にしません。香雲の顔を見ると、話しながら笑っていますので、二人はいっせいにいいます。 「あなた、ずいぶんうれしそうね。あの人とできたのじゃない?」 「そうなの。さきに取ってしまって、わるかったわね」  こんなふうに写していくと、なかなか話が進まない。瑞珠と瑞玉は、それから、未央生に会わせてくれというのだが、香雲はなかなかうんとはいわない。そこで、とうとう瑞珠が怒り出す。 「誰だって自分のいい人を人に会わせたくはないのよ。苦しいときにはいっしょに苦しみ、楽しいときにはいっしょに楽しみましょうって、前に三人で誓いあったけど、もうそうはいかないらしいわ」  香雲は、瑞珠が怒り出したのを見て、もう笑わずに、真顔で話します。 「怒らないでよ。わたし、自分だけでたのしむつもりなら、なにもあんたたちに話さずに、家で毎日毎晩あの人とこっそりたのしんでいるわ。自分の御馳走をよその家に持ってきて食べるようなことはしないわよ。わたしがこのことをあんたたちに話したのは、そんな気持じゃなくて、三人で公平にたのしむ相談をしてから、あの人をここへつれてこようと思ってなのよ。そうしないと、取りあいになってはまずいでしょう?」 「まあ、そうなの。やっぱりお姉さんはえらいわ。それじゃ、お姉さんがきまりを作ってください。わたしたちはそのきまりどおりにするから」 「それでは、年の順ということにしましょうよ。夜でも昼でも、するときには必ず年の順ということにするのよ。こういうことは若いほうが得で、年をとった者ほど損なんだから、年の順にすれば公平だと思うんだけど」 「お姉さんがそれでよければ、わたしたちには異存はないわ」 「それじゃ、書くものをちょうだい。あの人を呼ぶから」  瑞珠と瑞玉はうれしくてたまらず、いそいそと、詩箋《しせん》を持ってきて墨を磨《す》ります。  香雲はその詩箋に、さらさらと二句の詩をしたためた。 天台諸女伴 相約待劉郎 (天台の諸女伴《おんなたち》、相約《ちか》って劉郎を待つ)  香雲はそれを女中にわたして、返事をもらってくるようにいいつけた。  女中が出ていったあと、香雲は問われるままに、未央生とねんごろになったいきさつを話したが、さらに瑞玉がつっこんでたずねる。 「それで、あの人の道具のほうはどうなの?」 「それがまたすばらしいのよ。人をこがれ死にさせるほどすごいのよ。あんたたちは、まだあの人の顔を見たことがあるだけで、この世にまたとないほどの美男子だってことしか知らないけど、道具のほうもまた、たいへんな宝ものなの。いままでどんな女だって、見たこともなければ聞いたこともないようなものなの」  瑞珠と瑞玉はそれを聞くと、わくわくしながらたずねます。  ちょうど食事をすましたところで、茶碗や皿はまだ片づけてありませんでしたので、香雲は、口ではいいあらわせないまま、食器の形で示します。 「長さは?」  とたずねられると、箸を取りあげて、 「これくらいだわ」 「太さは?」  といわれると、茶碗を指さして、 「これくらい」 「かたさは?」  とたずねられたとき、香雲は豆腐を指さして、 「これくらいよ」  というと、瑞珠と瑞玉はいっせいに笑い出して、 「こんなにやわらかだったら、いくら大きくたって役に立たないじゃないの」 「そうじゃないわ。この世でいちばんかたいのは豆腐なのよ。金や銀や、銅や鉄は、かたいといったって、火にかけるとやわらかくなってしまうでしょう。ところが豆腐は煮れば煮るほどかたくなるじゃないの。あの人の道具もそれと同じで、すればするほどかたくなってくるのよ」 「そんな宝ものがあるなんて、信じられないわ」 「ほんとうなのよ。ほかにもまだ二つすばらしいことがあるのだけど、わたしがいったって信じないでしょう。やってみればわかるわ」 「そんなこといわずに、話してよ」  香雲はそこで、はじめは小さいがだんだん大きくなり、はじめは冷たいのがだんだん熱くなってくるという次第を、ことこまかに話します。瑞珠と瑞玉は聞いているうちに、思わず慾火が燃えあがり、耳を赤くし顔を火照《ほて》らせて、もう口をきくこともできなくなり、いますぐにもその絶妙の味を試したいと思うばかりです。  ところが、女中は行ったきりで半日たっても帰ってきません。というのは、未央生が留守だったので女中は部屋で待っていたのですが、未央生の書童がそれを見てしのびこんできて、二人は半日もたのしみあっていたのです。  夕方になって未央生が帰ってきましたので、女中は手紙をわたし、ようやく返事をもらってもどってきました。  三人がかけよって手紙を開いて見ますと、未央生はちゃんと詩の意を解して、二句の詩がつづけてあります。 早備胡麻飯 相逢節餒腸 (早く胡麻の飯を備えよ、相逢って餒腸《うえ》を節《ととの》えん)  むかし、漢のとき、劉晨という者が友人と二人で天台山へ薬を採りに行き、道に迷って困っていたところ、二人の女に出会い、その家へつれて行かれて胡麻飯を御馳走になり、ついに夫婦になったという故事がある。香雲がその故事によって前半の詩を書いたところ、未央生はその意を解して後半の詩をつづけたのである。  瑞珠と瑞玉はその手紙を見て、今夜のたのしみは万に一つもまちがいはないと知り、それぞれ自分の部屋へ行って、蒲団を敷き、腰湯をつかい、香を焚いて未央生のくるのを待とうとしましたが、香雲が呼びとめていいます。 「ちょっと待って。今夜は誰からさきにするかきめておきましょうよ。そのときになって、いざこざのおこらないように」  瑞珠は、香雲がこれまでに幾夜も未央生といっしょに寝てきたので、今夜だけは、年の順というきまりを破ってゆずろうとしているのだということに気づいて、うれしくなりましたが、口ではわざと遠慮をして、 「さっききめたとおり、年の順だからお姉さんからよ」  といいます。 「きまりはそうだけど、今夜だけは別よ。むかしから、さきの者は主になりあとの者は客になるっていうでしょう。わたしはさきにしてしまったんだから、主人ということになるわ。今夜はあんたたちはお客さまだから、さきにおやりなさいよ。このつぎからは、きまりどおりにしましょう。ところで、あんたたち、一晩ずっと寝るのと、半夜ずつ寝るのと、どっちがいい? 二人で相談してきめなさいよ」 「わたしたちどうしたらいいかわからないから、お姉さんのおっしゃるとおりにするわ」  話はまさに佳境にはいろうとするところだが、これからはじまる未央生と瑞珠・瑞玉との抽送の次第は今後のおたのしみということにして、今回はこれまで。 下半分の話  先日、村上菊一郎先生のエッセイ集『マロニエの葉』の出版を祝う会が、「ほとときす」という名の料亭で開かれて、私も出席したが、そのとき宮内寒弥先生と私とのあいだに、つぎのようなトンチンカンな会話がとりかわされた。 「君、この家、はじめてかい?」と宮内先生。 「いや、なんどかきたよ」と私。 「おれははじめてだが、きてみておどろいたね。ホトトキスとは、おそれ入ったね」 「どうして?」 「どうしてって、君、入口の看板にもそこいらの広告にも、どこにもここにもホトトキス、ホトトキスと書いてあるじゃないか」  私は心弱くも時勢に迎合して、いまはなるべく漢字をつかわないように努めているけれども、本来は漢字愛好家なので、宮内先生のホトトキス、ホトトキスという声を聞きながら、頭のなかでは、杜鵑、時鳥、子規、杜宇、不如帰などという漢字を思いうかべていた。 「ホトトキスなんだよ。濁らないんだよ」  と、宮内先生の声がおわった。  私は机の上のマッチ箱を手にとって見た。なるほど「ほとときす」と書いてあって、「ほととぎす」とは書いてない。箸包みを見た。これも同じである。 「なるほど、濁ってないね」  私はそう答えたが、宮内先生がホトトキスにおどろき且つおそれ入っている所以《ゆえん》が、どうも解《げ》せないのである。  宮内先生はおそらく私を、ともに談ずるにたらずと思ったのであろう、私からはなれて、木山捷平先生の方へ行ってしまった。おそかった。私は立ち去って行く宮内先生を見てはじめて、ハッと気がついたのである。 「あッ、そうか。女陰《ほと》とKISSか」  宮内先生は私の傍をはなれるとき、「嗚呼我誤焉」と感じたにちがいない。  なぜなら、彼は以前、ある週刊雑誌に私のことを「艶笑文学の大家」などと書いたことがあるからである。いま、その評価の全くちがっていたことを知って、彼はさぞがっかりしたことであろう。  以下は私の推測である。  宮内先生は木山先生にいう。 「ホトトキスといっても、彼はピンとこないんですよ。あれでしゃあしゃあと『オール讀物』に風流話みたいなものを連載してるんですからねえ」  すると木山先生はいう。 「え、なんだね、そのホトトキスっていうのは」  木山先生はなんでも知っていながら、まるで知らないという顔で、そうたずねるのである。ああ、そうだった。おれも木山先生のように、宮内先生にいってやればよかった。 「ホトトキスね、別になんでもないじゃないの」  そうすれば、宮内先生の評価においておれは依然として大家であり得たのに! 『笑林広記』にこんな話がある。  古道具屋のおやじが、よせばいいのに、しきりに息子の嫁にいい寄る。嫁が困って、そのことを姑に話すと、このばあさんもしたたかもので、ひとつじいさんをとっちめてやろうと、嫁の寝床のなかへはいって待ちかまえていた。果してじいさんが忍びこんできて、手さぐりをした。ばあさんがぐっと引き寄せると、じいさんはそれを嫁だと思って夢中になり、盛んに袖送をつづけながら、 「ばあさんのよりずっといい、ばあさんのよりずっといい」  と、しきりにその道具をほめるので、ばあさんは下からどなりつけた。 「この助平じじい、こんな古道具の見わけもつけられんくせに、それでよくもまあ古道具屋がやっていけるものだ!」  ホトトキスといえば、前々回の話のなかに、未央生が香雲に対してそれをする場面のあったことを覚えておられる読者もあろう。  香雲の肌からは、えもいわれぬいい匂いがたちこめた。汗ばめば汗ばむほどその匂いはつよくなる。未央生がそれを不思議がると、香雲は、 「もっといい匂いのするところがあるのよ」  といって、未央生の指をにぎって自分の戸口へあてがい、 「このなかの匂いは、ほかとはちがうの。もしおいやでなかったら、ちょっとかいでみない?」  未央生は鼻を戸口にあてて、なんどもかいでみて、そのあまりにもかぐわしい匂いに感嘆したあげく、かぐだけではあきたりなくなり、ついにホトトキスをしたのであった。 「ねえ、そんなことやめて。へんな気になってくるわ」  と香雲がとめても、未央生はやめず、結局、香雲が《い》ってしまうまでやめなかったのである。  それから数日のあいだ、未央生は毎日毎晩香雲のその宝ものを味わいつづけた。ということは、香雲も毎日毎晩未央生の狗腎《くじん》のはたらきを味わいつづけたということであるが、そうしながらも香雲は、はやくこれを妹分の瑞珠・瑞玉姉妹にも味わわせてやりたいと、その機会を待っていたのである。  やがてその時がくると、香雲は瑞珠と瑞玉に未央生の宝もののことを話し、三人で公平にたのしむ相談をする。年の順ということにきめたのだが、さしあたってその夜だけは、香雲は遠慮をして、瑞珠・瑞玉の二人に未央生をゆずることにしたのであった。 「ところで、あんたたち、一晩ずっと寝るのと、半夜ずつ寝るのと、どっちがいい? 二人で相談してきめなさいよ」  と香雲がいうと、二人は、 「わたしたちはどうしたらいいかわからないから、お姉さんのおっしゃるとおりにするわ」  という。そこで香雲は、 「一晩ずっとなら、その人はいいけど、待っている人はつらいわね。だから半夜ずつということにしなさいよ」とすすめた。すると二人は口をつぐんでしまった。香雲はいう。 「あんたたちの黙っているわけは、わかるわ。瑞珠さんはこう思っているんでしょう、あの人があとの瑞玉さんのために力を残そうとして存分にしないだろうって。瑞玉さんは瑞玉さんでこう思っているんでしょう、瑞珠さんに力をつくしたあとだから鋒《ほこ》さきがにぶっているだろうって。ところが、あの人はそんな人じゃないのよ。ひとりで何人でも相手にできるのよ。瑞珠さん、あの人と寝たらわかるけど、あんただったら半夜もたたないうちに、もうかんにんしてといって逃げ出すにきまってるわ。あの人、それほど強いのよ。あとの番の瑞玉さん、諺《ことわざ》にも酒を飲むならあとがいいっていうでしょう? あの人の徳利は、とりわけ下半分の酒がおいしいのよ」  香雲にそういわれて、二人は眼をかがやかしてうなずいた。  このへんでひと休みして、「下半分」の笑話を一つ。  未央生のような、多々ますます弁ずという男は、めったにあるものではない。  ある男、度がすぎて、すっかり身体が衰弱してしまった。それでもやめるわけにはいかぬとみえて、夫婦で約束をして今後は半分しか入れないことにしようときめた。  さてそのときになると、亭主は半分でとめたが、女房が亭主の腰をぐっと引き寄せて、奥まで入れてしまった。 「約束がちがうじゃないか」  と亭主がいうと、女房のいうには、 「わたしが約束したのは、下半分だよ」  また、こういうのもある。花嫁が初夜の床で、婿に着物をぬげといわれて、 「わたし、母からぬいではいけないといわれてきました。ぬいだら母のいいつけにそむくことになるし、ぬがないと夫のいいつけにそむくことになるし……」と、じっと考えこんでいる。婿がまたせかすと、 「それじゃ、下半分だけぬいで、両方へ義理を立てます」  二つとも『笑府』にある話である。  さて、瑞珠と瑞玉がなっとくすると、香雲は女中に、門のところへ行って未央生のくるのを待っているようにいいつけた。まもなく、女中が未央生を案内してきた。  以下、できるだけ原文をたどって行くことにする。  瑞珠と瑞玉は、未央生の姿を見ますと、さすがに、はずかしそうなふりをしてあとずさりをし、香雲に応対をさせます。  未央生は香雲にむかって、ていねいにお辞儀をしてから、 「お二人にも御挨拶をさせてください」  といいます。香雲は一人ずつ手を引いて、未央生にお辞儀をさせました。  それがすんでから、瑞珠が女中に、 「お茶を持っておいで」  といいつけますと、香雲が、 「お茶はいらないわ。この方はあんたたち二人のことをずっと思いこがれていらっしゃったんだから、あんたたちの口のなかの水をさしあげてお茶がわりにしなさいよ」  といいながら、二人の手を取って未央生に渡します。未央生は二人を両手に抱きかかえて、まず瑞珠と接吻をし、つぎに瑞玉と接吻をしてから、こんどは三つの口を一つに寄せて、品という字の形をつくり、それから瑞珠と瑞玉の舌をいっしょに口のなかにすいこんで、しばらくしてからようやくはなしました。  瑞玉は、だんだん夜もふけてきますので、ぐずぐずしていると後半夜の自分の時間がなくなってしまうような気がして、いそいで台所へ行って、はやく夜食を出すようにと女中たちをせかします。未央生は未央生で、 「もうおそいから、みなさん休もうじゃありませんか」といいます。すると瑞珠が、 「胡麻飯も召し上らずに、どうして休もうなんておっしゃるのです?」 「さっき、お口の水を飲ませていただいたから、あれを胡麻飯がわりにしたっていいでしょう」  そんなことをいっているところへ、夜食がはこばれてきました。未央生が上座に坐り、香雲が下座、瑞珠と瑞玉が左右に坐って、四人が夜食をすませ、女中たちがうつわを片づけますと、未央生は香雲を片すみへ引っぱって行ってたずねます。 「今夜はどんなふうに寝るのです?」 「ちゃんときめてあるわ。前半夜が瑞珠さん、後半夜が瑞玉さん」 「それじゃ、あなたは?」 「わたしは中半夜」 「それでいいのなら、いいけれど」 「お魚だって、まんなかがいちばん骨がすくなくていいでしょう?」 「行ったり来たりで、いそがしいな。それよりも、あなたから、みんないっしょに寝ようっていってくださいよ」 「いそがしいなんて、うそでしょう。あなたの気持はちゃんとわかってるわ。さっきしたように、上の方では品という字をつくって、下の方では串という字をつくりたいのでしょう。そういうこともそのうちにはやれるようになるけど、いまは、あの二人はあなたとははじめてだから、それはうまくないわよ。わたし、さっき、中半夜っていったけど、あれはうそで、今夜はわたしは遠慮して、あの二人にゆずってあげたの。だから、はじめにいったように前半夜は瑞珠さんと、後半夜は瑞玉さんと寝てちょうだい。あなたの宝もののことは二人に話してあるわ。わたしのいったことを二人に十分知らせてやってね」 「それはいわれるまでもないけど、あなたにはわるいな」  こうして話しあいがつくと、香雲は女中をよんで、明りを持って未央生と瑞珠を部屋へ送らせ、自分は、瑞玉が待っているあいだがつらかろうと思って、しばらく話し相手をしてやってから休みました。  さて瑞珠は、未央生と部屋へはいりますと、お互いに相手の着物をぬぎあって、さっそくとりかかりましたが、その苦しさといったらありません。もし昼間香雲から将来の楽しみがはじめの苦しみをつぐなってあまりあるということを聞いていなかったら、とうてい我慢することはできなかったでしょう。この苦しみを堪えなければ将来の楽しみはないと自分にいいきかせて、瑞珠は歯をくいしばって未央生の抽送を受けているのですが、くいしばったつもりのその歯をおしあけて、悲鳴が飛び出してくるのです。  さきに私は、本来は漢字愛好家だといったが、その本性をあらわして漢字でその悲鳴を表記するならば、 「…呀…痛軽一点……受不住…呵……痛……」  そんな悲鳴のなかで、未央生の東西は時々刻々に大になり、刻々時々に熱くなりながら、戸のなかの雑物《ぞうもつ》をひきずり込み、ひきずり出すようにして、抽送をつづけるのですが、泉のうるおいを得てやがてなめらかにうごくようになってきました。抽送の度数はそれに勢いを得て次第にはげしさを加えます。  瑞珠の悲鳴も、それにつれていよいよはげしくなりますが、それはすでに悲鳴ではなくて浪声にかわっております。  再び漢字で表記するならば、 「……我的哥哥…私的心肝…好……好…死我了…好…我的心…我的命……我的宝貝呀………我要死了……呀…親…心肝…我的哥…哥…的真好…小妹子快活死了…好…死也情願…我総没有這様快活過……我…死…也…呀…快…我…死……」  この種の漢字の無限のくりかえしである。  さて、瑞珠の浪声は未央生をはげまし、さらに泉を呼ぶとともに、抽送の度数はさらにはげしくなり、東西は一抽ごとに大きく、一送ごとに熱さを加えて、やがて瑞珠は、腹のなかに、煮え湯をみたした絶大な角《はり》先生《がた》を突きとおされたような感じを受けました。全身がしびれて、ああ、これでもう死ぬのではないか、このまま死んでしまいたいと思うのです。  瑞珠ははじめて、昼間香雲のいったことばがいつわりでないことを知りました。宝もの、と香雲はいいましたが、まさしくそれにちがいないばかりか、宝ものということばは、未央生のこの東西のためにのみつくられたことばであり、それ以外にはつかわれてはならないことばだと思うのでした。  瑞珠はその宝ものを腹のなかいっぱいにいれたまま、もうはなさないとばかり未央生にすがりつき、とめどなくきつづける自分を感じながらいいます。 「あなた、あなたのような美男子なら、幾千人もの女がこがれ死にするでしょうに、そのうえ、こんな宝ものを持っているんだから、世界じゅうの女はみんなこがれ死にしてしまうわね」 「わたしに会って一度くと、みんなこがれ死にをしたがります。あなたも死にたくなったんじゃありませんか」 「こんな宝ものにぶっつかったんですもの。もう生きていたいなんて思いません。なんどでも、殺してほしいわ。なんどもして、なんども死んで、ほんとうに死んでしまいたいわ」  瑞珠はそういったのがせいいっぱいで、いいながらもなお、こんこんときつづけています。元来、瑞珠は香雲ほどのつわものではありませんので、それからまもなく、ぐったりとなってしまってほんとうに死んでしまったようになり、わずかにつめたい息をすうすうと漏らしているだけでした。  未央生はしばらくそのままにしておりましたが、やがてそっと東西を引き出そうとしますと、 「好き! 好き!」  と、まだ半ばは夢のなかで叫びながら瑞珠はまた未央生にしがみつきます。 「もういちど死にたい?」  と未央生がいいますと、 「うれしい!」  と叫んで、送迎の形に身体をたてなおします。  未央生はまた抽送をはじめましたが、こんどはもうはじめの一抽一送から浪声をあげ、二、三百回で、ぐったりとなってしまって、未央生が抽送をやめてしまっても、ぴくぴくとけいれんをくりかえしながらきつづけ、夢のなかで「好き、好き」とくりかえしております。  さて、未央生と瑞玉とはどんなことになるか。それは次回のおたのしみとして、今回はまずこれまで。 茶臼山の話 『落 噺臍《おとしばなしへそ》の七艸《ななくさ》』(嘉永七年)に、『茶臼山』という題の小咄がある。  ある男が先生にたずねた。 「男のことも夫《つま》といい、女のことも妻《つま》というのは、どういうわけでございましょう」 「それはだな、男と女は夫婦になると一つになるだろう。一つになるから名前も一つになるのだ」 「名前が一つでは、どっちが男でどっちが女かわかりません」 「それはだな、妻《つま》のつ《ヽ》は女陰《つび》のつ《ヽ》で、夫《つま》のま《ヽ》は男根《まら》のま《ヽ》だ」 「なるほど、さすがは先生、うまいことかぶせたものだ」 『茶臼山』という題が、この「かぶせた」という落ち《ヽヽ》で生きてくる。「かぶせる」とは、覆いかぶせること、また、うまくごまかすことをいう。「つ」はつびの「つ」で、「ま」はまらの「ま」だというのだから、女が上ということになる。つまり、茶臼の形である。  ところで、茶臼とはどんな形の臼であろうか。『広辞林』によると、「葉茶を碾《ひ》きて抹茶となすに用うる石臼」とある。  石の碾臼《ひきうす》は、上下二つの平たい円形の石から成る。上の石の底部の中央にはくぼみがあって、凹の字をさかさまにした形になっている。下の石の上部の中央には突起があって、凸の字形になっている。このと凸とをはめ合わせるのである。いわば、上が「つ」であり、下が「ま」だといえよう。  こういう形は、むかしは正常な形とはみなされなかったようである。すくなくとも、初級用の形ではなかったらしい。 女房を口説くを聞けば茶臼なり 女房に茶臼ひかせりゃひっぱずし  これらの句は、茶臼の形が、しなれない形であることを示している。 茶臼とは美食の上の道具なり  という句もあって、この形が上級用のものであることをも物語っている。 おじさんを負かしたと乳母茶臼なり  古川柳の世界では「乳母」は無類のつわものである。子供に、おじさんをやっつけた、などといって、茶臼をたのしんでいるずうずうしさ。  乳母にかぎらず、女房でも、場数をふめば茶臼を好むようになり、 茶臼ではなくて白酒臼《しろざけうす》のよう  というありさまになるものであるらしい。  さて本回は、瑞玉が「白酒臼のよう」になる話である。  前回は、瑞玉の姉の瑞珠と未央生との話であった。瑞珠がぐったりとなってしまったので未央生は抽送をやめたが、やめてからも瑞珠はぴくぴくとけいれんをしながらしきりにきつづけて、夢うつつに「好き、好き」とくりかえしていた——、というところまでであった。  やがて瑞珠はうつつにかえって、 「あら、わたし、ひとりで眠っていたのかしら」  と、はずかしそうにつぶやくのだが、そこから後は、しばらく原文を訳してみよう。  瑞珠は未央生から身体をはなそうとして、 「まあ!」  と驚きの声をあげました。どうしてかといいますと、未央生の東西がまだしっかりと戸のなかに納められたままだったからです。 「ねえ、もうはずして」  と瑞珠はいいます。自分ではずそうとしても、身体がなえてしまって力がいれられないのです。「わたしはいつまでもこうしていてほしいけど、でも、妹にわるいわ。待ちくたびれているでしょうから、ねえ、早く行ってやって!」 「はずしてもいいんだね」  未央生は念をおしてから、おもむろに東西を引き出しました。戸口からはその東西を追うようにして、こんこんと泉が流れ出ましたが、瑞珠は流れるにまかせて、後始末をしようともしません。未央生は瑞珠の脚もとで、泉をふき出しながら少しずつ閉ってゆく戸口を鑑賞しておりました。瑞珠は横たわったままで、未央生をうながします。 「早く行ってやって!」 「外は暗闇だよ。どっちへ行ったらいいかもわからないじゃないか。起きて、つれて行ってくれなきゃ」 「わたし、雲のなかで浮いているみたいな気持で、どうにも身体に力がはいらないの。身体じゅうの骨がみんな抜けてしまったみたい。隣りの部屋に女中がいますから、代りに送らせますわ」  瑞珠はやはり横たわったままでそういい、 「香梅、香梅」  と二声呼びました。しばらくすると、十五、六の小娘がはいってきました。上気した顔を伏せて、かしこまっています。 「未央生さまを、瑞玉のお部屋へ御案内して」と瑞珠はいいつけます。  香梅はさきほどから、未央生と瑞珠との、山も揺れ地も動かんばかりの大合戦のもようを、隣りの小部屋で逐一聞いていて、うらやましくてならず、戸の奥が燃えるように火照《ほて》って、歩きにくいほどに戸口をぬらしていたのですが、奥さまのいいつけとあっては致しかたなく、未央生の手をとって暗い廊下を瑞玉の部屋へと向かいました。  香梅は未央生の手をとって瑞玉の部屋へと向かったが、未央生と瑞珠とのもようを思い出しながら、これからまた瑞玉と……と思うと、もうこらえきれなくなってきて、暗闇のなかに立ちどまってしまうのである。 「どうしたの?」  と未央生がたずねると、香梅は息をはずませながら、「おねがいです! わたしにも、奥さまになさったようにして!」  といい、片手で未央生に抱きつきながら、片手でみずから子をおろして、はげしく身体をすりつける。さすがの未央生も、半ばあきれながら、このありさまではことわるわけにもいかぬと思い、 「まあまあ、そんなにせかさないで」  といいながら、そこにある長椅子に香梅を掛けさせた。暗闇のなかに、夜の梅の花のように、開いた香梅の脚がほの白く見える。未央生がさわってみると、すでに十分にうるおっているので、これならばと東西をあてがい、力を加えたところ、一寸も一分も進まない。  以下、また原文をたどることにする。  未央生はそこで、ひとまず下の方はあきらめて、長椅子に並んで腰を掛け、上の方で呂の字を書きます。そうしたまま、左手を下の方へまわしてそこで中の字を書きつづける一方、右手では呂の字の泉を移して、それを交互に東西と戸口とにぬりつけます。  やがて頃合いを見て、再び東西を戸口に臨ませ、こんどは一気に進めようとしました。  ところが、香梅は悲鳴をあげて身をよじり、東西に空《くう》を突かせてしまうのです。なんど試みても、受けようとはしません。  香梅はさきほどの盗み聞きで、瑞珠の苦を訴える声が次第に快を叫ぶ浪《よが》り声にかわって行ったことを知っていますので、なんとかして受けとめたいとは思うのですが、戸口が引き裂かれるように痛んでどうにもこらえることができないのです。  未央生はあきらめて、東西のかわりに手で中の字を書いてやりながら、 「可哀そうに。おまえのこれには、私のような東西はまだ受けきれないのだ」  といいます。  香梅は、未央生の書く中の字に、次第にはげしく息をはずませながら、ときおりよろこびの声をもらします。 「いまよりも、ずっといいの?」 「そうだよ。これでは死ぬってことはないからな」 「そうでしょうね。奥さまはあんなによろこんでいらっしゃったものね。ああ、これよりいいの? これよりいいの」  やがて香梅は、身もだえをしながら未央生にすがりつきます。未央生が手でそれに応じてやりますと、香梅は二声三声鋭く叫んで、ぐったりとなってしまいます。  瑞玉の部屋には、あかりが煌々《こうこう》とかがやいていました。  瑞玉はもうずっと前から、用意をととのえて、床のなかで未央生を待っていたのです。足音を聞くと、すぐ女中に扉をあけさせます。女中は未央生といれかわりに、隣りの小部屋へ行ってしまいます。香梅ももどって行きます。未央生は床の前へ行って、 「おそくなって、すみません」  と、すぐ中へはいろうとしたが、瑞玉はわざとこばむふりをして、 「姉のところに朝までいらっしゃったらよかったのに。無理をして来ていただかなくても、わたしは、かまいませんのよ」 「おや、そうですか。でも、すっかり用意していらっしゃる」  と、ぱっと蒲団をめくると、瑞玉は裸です。 「それに、ここも、すっかり用意ができている」  未央生は瑞玉の戸口に手をふれて、そういいます。戸口ははやくもぬれているのです。未央生は着物をぬいで、すぐとりかかります。  はじめは、瑞珠のときと同じでした。悲鳴を聞きながら抽送をつづけておりますうちに、悲鳴は次第にうすれて、やがて浪声にかわってきましたが、そのもようは瑞珠と同じではありません。  瑞珠の浪声には「死我了」とか「的真好」とか「小妹子快活死了」とか「我総没有這様快活過」とかの叫びがひっきりなしにつづいて、それが未央生をますます力づけたのですが、瑞玉はただ、 「心肝……好……好……」  と、いまにも消えいりそうな声で浪《よが》るだけなのです。ところが、それがまた未央生をよろこばせたのです。瑞玉の身体はその声のように華奢でしたが、そこには、山も揺れ地も動かんばかりに大浪りする瑞珠には見られない、こまやかなあじわいがあるのでした。  未央生には、瑞玉のような華奢な身体ははじめてでしたので、夢中になって抽送をつづけておりましたが、そのうちに瑞玉はもう声も立てなくなってきました。見れば、星眼は朦朧として、朱唇は半ば開き、香魂まさに絶えなんとするありさまで、さらに抽送をつづけたならばほんとうに死んでしまいそうな気配なのです。  未央生は油送をやめて、 「ねえ、もうだめなの?」と、たずねます。  瑞玉は答えることもできないようで、わずかにうなずきます。未央生にはまた、それが可愛くてなりません。  ところが、東西をはずそうとしますと、瑞玉は頭をふって、はなれまいとします。  未央生はしばらくそのままにしておりましたが、ふと気がつくと、東西がひとりでにわずかながら抽送をつづけているようなのです。そこで、東西はそのままにして、身体をおこして戸口を眺めてみますと、たしかに東西がひとりでに動いているのが見えます。抽のときには戸口がぴくぴくとひきしまり、送のときには戸口から泉がにじみ出ます。瑞玉はもう眠ってしまったようですが、戸はうごいていて、未央生はじっとしていながら快味が東西を通って身体じゅうに伝わってきます。  未央生は次第にたえられなくなってきて、瑞玉をゆりおこし、 「まだ、だめなの?」とききます。  瑞玉ははじらうように笑って、首を横に振りました。 「ねえ、それじゃ蝋燭をともそう」  未央生はそういって、そのまま自分の身体を上向きに倒し、瑞玉を上に乗せます。瑞玉が上で抽送をしようとしますと、 「抽送はあなたの戸にまかせて、あなたは私の肚の上で朝まで休んでいなさい。私が戸の抽送に調子をあわせてやるから」  瑞玉は未央生に貼りつくように身体を伏せましたが、華奢な身体は未央生には重みを感じさせません。二人は上の方で呂の字を書き、下の方の中の字はひとりでに抽送をつづけております。未央生がそれに調子をあわせているうちに、瑞玉の戸はいよいよそのはたらきをあらわして滂流横溢し、こころよい音を立てます。やがて瑞玉はそのままの恰好でまた眠ってしまいましたが、その戸は依然として抽送をつづけているのです。 茶臼ではなくて白酒臼のよう  という句は、いま瑞玉と未央生とが書いている中という字のあたりの光景にあてはまる。未央生が瑞玉にいった「蝋燭」というのは、いまのこの二人の形で、わが国でいう茶臼のことである。  瑞玉と未央生とは、夜があけてもまだそのまま蝋燭をともしておりました。  日ごろは朝寝坊の香雲と瑞珠は、その日はいつになく早起きをして、二人でいっしょに瑞玉の部屋へやってきました。どうしたら未央生を相手に三人がたのしく暮らせるか、相談をしようと思ってです。  瑞玉と未央生は、まだ蝋燭をともしております。香雲と瑞珠はそれを見て、あきれるやら羨ましがるやら。  未央生は瑞玉を抱いたまま身体をおこし、ようやく東西を引き出しましたが、その東西はすこしも力が衰えておりません。その雄大なすがたを見て、三人の女はいまさらながら感歎の声をあげました。  さて、一同はこれからどんな相談をはじめるか。それは次回のおたのしみとして、今回はまずこれまで。 谷渡りの話 『噺《はなし》の見世開《みせがい》』(文化三年)という小咄集に、こんな咄がある。『末摘花』の句をいくつか挿《はさ》みながら、紹介しよう。なお、「見世開」の「開」とは、蛤や赤貝や鳥貝の貝、つまり、皆さま先刻御承知のとおり、戸のことである。  さて、ある男、女房が浮気をしていることをかぎつけて、ある日、何くわぬ顔をしていった。 「きょうは店《たな》の衆にさそわれて川崎大師へお詣りに行くから、どうせ帰りは品川泊りになるだろう。よく気をつけて留守をしていてくれ」  亭主が仕度をして出て行くと、女房はしてやったりと、さっそく間男を呼びこんで酒盛りなどはじめ、宵の口から表を閉めて床に入り、いまや真最中のところへ、亭主がすっと裏口からはいってきた。 かねてかくと知りけん亭主不意にくる 能因《のういん》をまねて間男とらまえる  という光景である。つづいて展開される光景は、 間男と亭主抜身《ぬきみ》と抜身なり 抜いて逃げ抜いて亭主が追っかける  ということになる。  抜身は抜身でも、亭主の抜身と間男の抜身とはちがう。亭主のは鞘から抜いた刀であるが、間男のは、 ふといやつ人の女房まで泣かせ  という抜身。あわてて戸の中から抜いたばかりのふとい東西である。  さてこの亭主は、抜身をふりあげてどなりつけた。 「ふといやつだ。こんなことであろうと思ったから、川崎へ行くと嘘をついて、かくれて見ていたのだ。さあ、まっ二つにしてくれるぞ」  間男は自分の抜身をおさえて逃げまどいながら、 「待ってくれ。首代をはらうから、見逃してくれ」  亭主はそれを聞いて、 四つにしようか馬鹿になろうかはーてなあ  と一思案。 「ふむ、首代をはらうというのだな。いくらよこす」 「おきまりの相場は七両二分だが、おれは今夜がまだ二度目だから、七両はまけて、二分にしてくれ」  まったく「ふといやつ」である。「間男七両二分」というのが相場だったらしいが、川柳の世界では五両が多い。 四つにすべきを黄なるもの五つにし もはやのがれぬ尋常に五両出せ  その出しかたにも、 首すじへひやひやで五両出し  というのもあれば、 音高しおさわぎあるなはい五両  という、いやに堂々たるのもある。  ところで元禄時代の一両は、米の値段から換算するといまの一万五千円くらいにあたるから、五両なら七万五千円、七両二分なら十一万円くらいになる。美人局《つつもたせ》にひっかかっても同じ金額だったというが、この値段は昭和元禄のいまの相場にくらべてどうだろうか。  それはさておき、二分にまけてくれといわれた亭主は、断乎として、 「いや、まけられぬ」  といった。 「それじゃ、せめて一両にまけてくれ」 「一両か。仕方がない、まけてやるから、さあ、よこせ」 「持ちあわせがないから、ちょっと家へ取りに行かしてくれ」 「すぐ持ってこなけりゃ、ぶった斬るぞ」 「すぐ取ってくる、待っていてくれ」  間男は急いで家へ帰り、女房にたのんだ。 「すまんが、一両出してくれんか」 「なににしなさる」 「とんだことをしでかしてな、一両ないとおれの命が飛ぶのだ。早く出してくれ」 「なんのことか、わけをいっておくれ」 「いや、わけはいえぬ」 「いわぬなら、出しません」 「そんならいうが、怒らないでくれよ。太郎兵衛の女房とつい浮気をして見付けられたのだ。こないだの晩と今夜と、たった二度だ。もう絶対にしないから、堪忍してくれ。一両はその首代なのだ」 「なに、おまえさん、あの太郎兵衛さんのおかみさんと浮気しなさったのか」 「うん、面目ない」 「ばからしい。たった二度くらいなら、まあいいよ。おまえさん、太郎兵衛さんに、金は出さなくてもいいとわたしがいったと、そういいなさるがいい」 「いや、それではすまぬ」 「なに、いいよ。おまえさんは知りなさるまいが、わたしはあの太郎兵衛さんとちょうど三度浮気をしたから、逆に一両取ってきなさるがいい」 「なんだと! おまえ、太郎兵衛と三度浮気をしたと! それで一両取ってこいというのか。そいつはでかした! おい、ほかにまだそんな口はないか」  この小咄の二人の亭主は、女房を交換する意志はなく、自分だけが浮気をしているつもりだったのだが、結果としては交換していたのと同じだった。広い世間には物好きもいて、すすんで臨時に交換をする者もあるようである。そういう二組(あるいはそれ以上)の夫婦の関係を、専門語では「交姦」というそうである。  今回は未央生の「谷渡り」の話をするつもりなのだが、入話《まくら》はこれで終わったわけではない。これまでのは入話の入話で、これからがほんとうの入話である。本話はなおしばらくお待ちいただきたい。 『笑府』にこんな話がある。  ある女房、戸口にできものができたので、医者を呼んだところ、医者は仔細にしらべてから、 「これは、わたしが自分で薬をぬってあげないことにはなおらぬ」  といい、しらべているうちにいきりだした自分の東西の頭に薬をぬりつけて、女房の戸口にあてがい、ぐっとおしこんだ。  亭主はそばで、医者の熱心な抽送をじっと見ていたが、だんだん気がわるくなってきて、大分たってからいった。 「もし薬を東西の頭につけていなかったら、わしも気をまわさずにはおられんところだが」  こういうのは、いったい何姦というのだろう。 『笑林広記』に、またこんな話がある。  ある方士が迷婦薬というものを売っていた。その薬を女の身体に弾《はじ》きかけると、女がよろめいてくるというのである。  ある日、町のどら息子がその薬を買いにきた。ちょうど方士は外出していたので、女房が薬を出して渡した。すると、どら息子はその薬を女房の身体に弾きかけ、あとを追って女房の部屋へはいりこんでしまった。女房は仕方なく、どら息子のいうままになった。事がすむとどら息子は、 「ほんとによく効く薬だ。また買いにくる」  といって帰って行った。  やがて方士が帰ってきたので、女房がありのままを話すと、方士は怒って、 「誰がそいつとしろといった!」  と、どなりつけた。すると女房のいうには、 「だって、もしわたしがいうことをきかなかったら、おまえさんの薬が効かないということになるじゃないの」  こういうのは「和姦」といってよいだろう。ところで、いろいろと資料を提供してもらっている友人のH君に、先日、この話をしたところ、H君は即座に、これの翻案らしい江戸小咄を教えてくれた。それはこういう話である。  ある男、薬屋の主人が出かけたのを見すまして店へはいって行き、媚薬を一袋買って、いきなり女房と下女にふりかけていう。 「なるほど、よく効く薬だわい。ちょっとふりかけただけで、おかみさんの眼の色も、ねえやさんの眼の色も変ってきた。不思議、不思議。どれほど効いているのか、ひとつためして見ずばなるまい」  そういいながら、女房と下女をじりじりと店の奥へ追いこんで行って、まず女房に組みついた。  女房ははねのけようとしてもがいたが、男はよほどの巧者と見えて、だんだん妙な気になってきて思わず浪《よが》り声をあげた。  部屋の隅で小さくなっていた下女も、見ているうちに気がわるくなり、女房の浪り声にあわせて思わず溜息をつく。  男はそれを聞くと、女房を捨てておいて下女に組みつき、下女が浪りだすと女房の方に移り、女房が浪りだすとまた下女の方に移るという具合にして、二人に気をやらせてしまうと、 「よく効く薬だ。また亭主のいないときに買いにくるよ」  といって帰って行った。  まもなく帰ってきた主人が、女房も下女も顔を火照らせてぼんやりしているのを見て、どうしたのだときくと、女房は、 「おまえさん、うちの薬はほんとうによく効くようだねえ」 「ほんとうに!」  と、下女もいった。  これが、いわゆる「谷渡り」である。  この小咄が翻案ものであるという痕跡は、薬をふりかけるというところにあらわれていると思う。わが国には、身体にふりかける媚薬はなかったからである。江戸の庶民が用いた媚薬として有名なのは、両国の四つ目屋佐々木忠兵衛という店で売っていた、長命丸と女悦丸である。これは名のとおり丸薬で、これを口でかみくだき、唾でねって、東西に、あるいは戸口に塗って用いる。すると、 薬力のあたりへもれるよがり声  ということになる。四つ目屋、佐々木、長命丸、女悦丸という名を織りこんだ『末摘花』の句を一つずつあげておこう。 四つ目屋の効能おめき叫ぶなり 老武者は佐々木の勢をかりるなり かくあらんとは思いしが女悦丸 あべこべさ長命丸で死ぬという  第三の句は、予期以上の効能があったという意。第四の句の「死ぬ」というのは女の浪り声である。  さていよいよ本題にはいる。入話が長くなりすぎたが、やがて未央生たちは長さ五尺もある枕を使うようになるのであるから、それに免じてというのもおかしなこじつけであろうが、まあ、おゆるし願いたい。  前回は、未央生と瑞玉とが蝋燭をともしたまま、つまり、わが国の専門語でいうならば「茶臼」のまま眠っているところへ、香雲と瑞珠とがやってきてそれを見、あきれるやら羨ましがるやら、というところまでであった。そのとき未央生はようやく東西を引き抜いたが、すこしも力の衰えていないその雄大なすがたを見て、引き抜かれた当の瑞玉は勿論のこと、香雲と瑞珠も既に承知のことながら、いっせいに感歎の声をあげたことも思い出していただきたい。  三人の女が、こんなすばらしい宝ものの持ち主を帰したくないと思うのは無理もない話で、さっそくこんなことをいい出した。 「ねえ、このままずっとこの家にいてくださらない? 毎日、朝帰って夜きていただくというのでは、人目にもつきやすいし、お宅の奥さまだって変に思われるでしょう。なんとかうまくごまかして、しばらく家をあける法はありませんの?」  物はいってみるものである。 「ちゃんと手が打ってありますよ」  と、未央生はいった。 「まあ、どんな手が?」 「昨日こちらへくるときにほのめかしておいたのです。艶芳はいまおなかがふくらんでいるので、家にいても寝るのはどうせ別々の部屋です。それで、こういっておいたのですよ。郷里を出てから長いこと帰っていないから、おまえと部屋が別なあいだに、一度帰って様子を見てくる。三月たったらもどってきて、お産を見てやるってね。だから三月のあいだは家へ帰らずに、あなたがたとゆっくり遊ぶことができます。これからちょっと家へ帰って、荷物をまとめてきましょう。そうすれば今夜からは、あなたがたと、中の字は勿論のこと、串の字だって、中と串とをあわせた字だって、なんだって気ままに書けるというものです」  三人の女はそれを聞くと、いっせいに小おどりして、 「まあ、すばらしい!」 「それからもう一つ相談したいことがあるのです。うちに書生が一人いるのですが、それをつれてきてもいいでしょうか。主人に似てなかなか好きものですので、これにもすこしは甘い汁を吸わせておかないことには、あとで面倒なことをひきおこさないとも限りませんので」 「つれていらっしゃればよろしいわ。うちの女中の香梅といっしょにしておけば、ちょうどいいから。そうすればその書生さんをつないでおくこともできるし、わたしたちの主人が帰ってきたときに香梅の口をふさぐこともできて、わたしたちも安心して楽しめますから」  ここで、みなさんに思い出していただきたいことがある。香雲にも、瑞珠・瑞玉姉妹にも、それぞれ夫があるということを。香雲の夫は瑞珠・瑞玉姉妹の夫の臥雲生・倚雲生兄弟の家庭教師で、現在は、臥雲生・倚雲生は都へ試験を受けに行き、香雲の夫も二人について行って、留守中であるということを。なぜ思い出しておいていただきたいかというと、これらの人物はいずれ後の話のなかに登場するからである。  さて、相談がきまると未央生はひとまず家へ帰り、その夜、書生をつれ、荷物を持ってもどってきたが、その夜は香雲が一晩中お相手をした。年の順に毎晩一人ずつという約束だったのである。  以下、しばらく原文のあじわいをおつたえしよう。  ひとめぐりいたしますと、未央生はまた、これまでの法のほかに新しい法をふやしました。それは、三分一統並行不悖《さんぶんいつとうへいこうふはい》の法と申しまして、三人のそれぞれと一夜ずつをすごしたつぎの一夜を、三人といっしょにすごし、そのつぎの三夜はまたもとどおりにすごすということをくりかえして、三人に共体連形の楽しみを味わわせてやろうというのです。そのために別に大きな寝台をそなえ、長さ五尺の細長い枕をつくり、幅の広い蒲団をぬいました。こうして一統不悖の夜になりますと、未央生は三人に頭を並べて寝させ、自分は絶対にじかには蒲団に身体をつけることはなく、三人の身上をあちらへ渡りこちらへ渡りして楽しませ且つ自分も楽しむのでございます。一人が声をあげて身もだえをいたしますと、ぱっとその隣りへ移って抽送をはじめます。  隣りの者は常に未央生の抽送の次第を眺め、その相手の浪声を聞きながら、戸をふるわせて待っているというわけです。  この三人の色量はいずれもさほどではなく、多くて二百抽、少いときは百抽もすれば《い》ってしまいますので、右の者がけばすぐ中の者へ移り、中の者がけば左の者へ移り、左の者がけばまたぱっと右の者へ移るということを四時間ほどもくりかえしておりますうちに、三人はみなほとんどもう息もたえだえになってしまいます。そこで未央生は、こんどはゆっくりと三人の身上を渡りながら、あるいはその香味をあじわい、あるいはその夢の中での浪声を聞き、あるいはひとりでに動く戸を楽しむのでございます。  みなさんは、香雲・瑞珠・瑞玉のそれぞれの特徴を覚えておられるであろうか。香雲の身体、就中《なかんずく》、その戸からは、えもいわれぬいい匂いがただようことを。瑞珠ははげしい浪声をあげて、気をうしなってからもなおひとりで浪りつづけることを。  瑞玉はすぐぐったりとなってしまうが、その戸だけはひとりでに動いているということを。それらのことを思い出して私の訳文のいたらぬところを補ってくださるならば、ありがたいのだが。  あるとき、香雲が瑞珠と瑞玉に相談をした。 「わたしたち三人、まるで神仙のような人にめぐりあって、あんなすばらしい宝ものをしょっちゅう賞翫できるなんて、これ以上のしあわせはないわ。でも、昔から好事魔多しっていうから、楽しいときほど要心をしなければいけないと思うの。もしも、あの人がこの家にいることを誰かに気づかれて、うわさが広まりでもしたら、わたしたちばかりか、あの人も立つ瀬がなくなってしまうものね」 「この家は広いし、関係のない人がはいってくることはないから、外《そと》の人には誰にも、奥のことはわかりっこないわ。下男たちも奥へは入れないようにしてあるから、これも大丈夫。ただ心配なのが一人いるのよ。その人に知られたら、わたしたちの楽しみもおしまいよ」  と瑞珠がいうと、香雲は、 「誰なの、それは」 「わたしたちの親戚の人。お姉さまも知ってらっしゃる人よ」 「じゃ、晨おばさま?」 「そうよ。晨おばさまときたら、たいへんな好きものだから……」  晨おばさまというのは、花晨のことである。数回前に貝の話をしたことがあったが、そのとき、瑞珠と瑞玉の戸を赤貝に、香雲のを鳥貝にたとえて、そのあとに、「この三人の女のほかに、もう一人、花晨という女がやがて登場するが、これは大の字一つではまにあわぬ特大の鳥貝である」と紹介しておいたその花晨が、ここにいよいよ登場することになる。乞う、次回をおたのしみに。 温柔郷の話  当今の女性の多くは、痩せることに憂身《うきみ》をやつしているようである。ツマランことだと私は思う。  目玉の大きい、枯木のような胴体に枯木のような腕と脚をつけた女が、西洋からやってきて、舞台の上でゆらゆらと歩いて見せて、それだけで大金をカッサラっていったことがあったが、まったくバカラシイことだと私は思う。  当今の女性の多くが痩せることに憂身をやつすのは、一つにはファッション・ブックとかスタイル・ブックとかにあやつられてであろうが、また一つには、当今の男性の多くがそれをカッコイイとモテハヤスからであろう。なぜモテハヤスのか。枯木のようなのしか相手にする自信がないからじゃないか。まことにナゲカワシイことだと私は思う。そんなことでは、枯木のような女性からも、あんたダメネ、といわれるのが落ちである。生木《なまき》の男性なら、枯木のような女性を好むはずはないと私は思うのだが。  いつだったか、『週刊文春』で大宅壮一先生と対談したとき、大宅先生はこうおっしゃった。  大宅 中国人はなよなよした、弱々しいのを非常に愛するですね。太ったのはあまり……。  駒田 いや、唐の時代は、楊貴妃《ようきひ》なんかは、絵を見ても、こうでっぷりしてますよ。  大宅 しかし、文学なんかに出てくるのは、みんな「柳腰」だ。そういうなよなよした女自身が権力者になると、みんな太ってくる。だから権力者で太った女は、あとで太ったんであって、最初から太っておったら、ああいう地位にはつかなかったでしょう。  どうやら大宅先生も、なよなよとしたのがお好きのようである。  しかし、楊貴妃ははじめから太っていた。  最愛の寵妃・武恵妃《ぶけいひ》をうしなって以来、後宮に武恵妃にかわるほどの妃嬪《ひひん》もなく、日々遊楽にふけりながらも怏々《おうおう》として心楽しまなかった玄宗皇帝は、開元二十八年、避寒のために温泉宮へ行幸したとき、ひとりの美女に眼をとめた。玄宗の心をとりこにしたその美しさを、白居易はこう歌っている。  眸《ひとみ》を廻《めぐ》らして一笑すれば百媚《ひやくび》生じ  六宮の粉黛《ふんたい》 顔色《がんしよく》なし(「長恨歌」)  後宮三千人の美女たちをして顔色なからしめたというその人は、寿王《じゆおう》の妃《きさき》で、名を楊玉環《ようぎよくかん》といった。寿王は、武恵妃の子である。つまり、玄宗にとって玉環は息子の嫁である。息子の嫁だろうが何だろうが、気に入ったものは自分のものにしてしまうのが皇帝である。  玄宗は玉環をゆあみさせるために、あらたに浴室をつくらせる。浴槽の底にはエメラルドをしきつめ、大理石でかこい、金銀珠玉で飾りたてた華麗な浴室である。ゆあみする玉環を、玄宗はひそかに見た。湯水をはじきかえす肌、湯からあがったときのなまめかしい姿態。それは玄宗を恍惚とさせた。白居易は歌う。  春寒くして浴を賜う華清の池  温泉 水滑《なめら》かに凝脂《ぎようし》を洗う  侍児 扶《たす》け起《おこ》せば嬌《きよう》として力なし  始めて是れ新《あらた》に恩沢を承《う》くるの時 「凝脂を洗う」とは白居易ならではのすばらしい表現である。枯木の肌は凝脂ではない。豊かなぴちぴちとした生木の肌である。痩せた女をこの句から連想することはできない。だが、これだけでは大宅説に反対する資料にはならないばかりか、すぐあとに「侍児扶け起せば嬌として力なし」とあって、大宅説に味方しているようでさえある。  別の資料を提出しよう。  武恵妃の生前から、ときおり玄宗の寵幸を得ていた妃嬪のひとりに、梅妃《ばいひ》という女がいた。ほんとうの名は江妃といったが、玄宗は、梅の花を愛する江妃を見て、その花の清楚可憐な美しさをそのまま江妃の美しさであると思って江妃を梅の精と呼び、たわむれて梅妃といった。それが江妃の通称となったのである。  玄宗は牡丹が好きだったが、その濃艶な色香に倦むと、梅の花のつつましやかな美しさに心をひかれた。武恵妃と梅妃とは、玄宗にとって、いわばそういう二つの花だったのである。武恵妃がなくなってからは、しぜん梅妃が後宮第一の寵妃となった。だが玄宗が怏々として楽しまなかったのは、牡丹の花を求めていたからである。それが楊貴妃であった。楊貴妃を得てからは、玄宗は梅の花を忘れてしまった。  梅妃は、にわかにあらわれて帝の寵愛を奪いさらってしまった楊貴妃に対して、内心はげしい嫉妬を感じて、敵意を燃やした。一方、楊貴妃にも、きのうまでは後宮第一の寵妃だった梅妃に対して、いつ帝の寵愛を奪いかえされるかもしれぬという不安があった。その不安をなくするために、貴妃は後宮から梅妃を追いはらおうとたくらんだ。すべてに積極的な楊貴妃に対して、万事ひかえ目な梅妃には、勝ちめがなかった。やがて玄宗は楊貴妃にくどかれて、梅妃を後宮から上陽宮《じようようきゆう》の東宮《とうきゆう》へ移してしまったのである。  その後、玄宗もさすがに梅妃をあわれに思うこともあったが、楊貴妃のてまえ、いったん遠ざけた者をまた召し出すこともできず、そのまま何カ月かすごした。だが、ある夜、梅の花なつかしさにたえかねて、ひそかに宦官を上陽宮へつかわして、梅妃を翠華宮へひきいれた。  梅妃はうれし涙にかきくれて玄宗との一夜をすごし、翌日、日が高くのぼるころになっても、ふたりはまだ醒《めざ》めなかった。 「たいへんでございます。貴妃さまがお見えになりました」  あわただしく呼びおこす侍女の声に、玄宗と梅妃はあわててとびおきた。梅妃は帳《とばり》のうしろへ身をかくす。楊貴妃ははいってくるなり、玄宗にたずねた。 「梅の精はどこにおいでです?」 「上陽の東宮にいるにきまっているではないか」 「それならお呼びしていただきたいのです。きょうは梅妃さまとごいっしょに温泉にゆあみしたいと存じまして」 「あの女は、おまえにいわれて遠ざけたのだ。いまさらどうして呼びよせられようか」 「おや、ほんとうにそうでしょうか。お机の上には皿や杯がちらばっておりますし、お榻《ねだい》の下には女の履《くつ》が見えております。昨日はどなたがお伽《とぎ》をなさったのでしょう」  玄宗は答えに窮した。 「どなたがお伽をなさったのか存じませんが、その女のために日が高くなるまでおやすみになって、朝廷へもお出ましにならぬとは、あまりのことです。早くお出ましなさいますよう。わたくしはここで、陛下がおもどりになるまでお待ちしております」  玄宗は困りはてて、 「きょうは気分がわるい。朝廷へは出ぬ」  と、また蒲団をかぶって寝てしまい、顔を衝立《ついたて》のほうへ向けたまま、ふりかえらなかった。そのままとりあわぬ玄宗に対して、楊貴妃もどうすることもできず、持女たちにあたりちらしながらひきさがって行く。  楊貴妃が帰ってしまってから、玄宗は梅妃をなだめようとして帳をあけたが、梅妃はもういなかった。玄宗と楊貴妃とがいいあっているあいだに、宦官が上陽宮へ送って行ったのである。  玄宗は梅妃が残していった履に翡翠《ひすい》のかんざしを添えて、使いの者に持たせてやった。  梅妃はその使者にたずねた。 「陛下はもうわたしをお見捨てになられたのでしょうか」 「いいえ、決してそんなことはございません。貴妃さまのてまえをはばかっておられるだけでございます」  すると梅妃は、さびしく笑っていった。 「あの肥婢《ひひ》がこわくてわたくしをお遠ざけになるということは、やはりお見捨てになられたことです」  これは『梅妃伝』からの引用である。『梅妃伝』は、唐の曹《そうぎよう》の作といわれているが、じつは宋人の偽作である。だが、そんなことはともかく、私の目的は、ここに梅妃が楊貴妃をさして「肥婢」といっていることによって、大宅先生の意見に対する反対資料にすることである。  念のために原文を読みくだしておこう。 「我を怜《あわれ》めば則《すなわ》ち肥婢の情を動かさんことを恐る、豈棄《あにす》つるにあらずや」  肥婢とは、いうまでもなく、太った女に対する罵語である。  楊貴妃が太っていたということを証明しようとして、つい話が長くなってしまったが、私のコンタンは、じつは大宅説に反対するためではなく、当今の女性の多くが痩せることに憂身をやつしていること、痩せてさえおればそれをカッコイイとする男性が多いらしいことに対する啓蒙(?)である。  これからお話しする本題の中で、『肉蒲団』の作者・李笠翁先生は明言しておられる。 「肥えたるがよく、痩せたるはよろしからず」と。いざ、そのわけをお聞きください。  前回は、香雲・瑞珠・瑞玉の三人が、一晩ずつ交替で未央生と中という字を書いてたのしみ、第四夜になると三人はいっしょになって、中という字プラス串という字を未央生に書いてもらってたのしむ、という話であった。そんなたのしみをくりかえしているうちに、三人は不安になってきた。もし誰かに見つかったなら、すばらしいこのたのしみがおしまいになってしまう、という不安である。  誰も奥までははいってこられないようにしてあったが、ただ一人、それをことわれない者がいた。瑞珠・瑞玉のおばにあたる花晨である。おまけにこの花晨は、たいへんな好きものときている。  そこで三人は、どうすれば花晨に見つからずにすむだろうかと相談しあった。  香雲は部屋の隅の、書画がいれてある竹のつづらを指さした。長さ六尺あまり、幅二尺あまり、深さ三尺ほどのつづらである。 「ここなら、人ひとり十分はいれるでしょう? 中のものを出しておいて、いざというときにはそこへはいってもらうのよ。そうすれば竹で編んであるから息がつまる心配もないし、おばさまだって、まさかその中に人がはいっているとは気がつかないでしょうし」 「それはいい考えだわ」  と瑞珠・瑞玉も大よろこびで、さっそく女中にいいつけて、つづらの中の書画をほかへ運ばせた。未央生を中へ寝かせてみると、うまい具合に、すっぽりとかくれることができた。  三人が案じたとおり、それからまもなく花晨がやってきたが、女中のせきばらいを合図に未央生はつづらの中にかくれて、事なきを得た。  ある日、未央生を中にして三人が大さわぎをしていると、とつぜん女中のせきばらいが聞こえた。さあたいへん。未央生は着物を着る暇もなく、あわてて裸のままつづらの中へとびこむ。香雲はぱたぱたとそこらを片付けはじめ、瑞珠と瑞玉は一刻でも長く花晨を部屋のそとへひきとめようとして出て行く。  花晨は瑞珠・瑞玉の顔を見て、これはなにかあるな、と感じ、二人をおしのけるようにして部屋の中にはいって行った。だが、部屋はちゃんと片付いていて、なんの変った気配もない。 「いらっしゃいまし」  と、香雲はすました顔をしている。 「いつきても、きれいに片付いているわね」  花晨はそういいながら、あちこちさがしまわったが、なにも見つからない。  三人がほっと胸をなでおろす思いでいると、花晨がいった。 「あのつづらの中にしまってある画を、ちょっと見せてくれない?」 「お安いご用ですわ」  と瑞珠はいった。 「でも、鍵をどこかにやってしまいましたの」 「おや、鍵をなくしたって? 鍵なら家にいくらでもあるから、ねえやに持ってこさせましょう。ねえや! 家へ行って鍵を何百本でもいいからあるだけみんな持ってきておくれ」  女中が鍵を持ってくると、三人は生きた心地もない。どうか合わないようにと祈るばかりだが、運のわるいときにはわるいもので、最初の鍵であっさり蓋があいてしまった。  蓋をあけると、中には裸の男が上向きに寝ている。その身体のまんなかに、東西はぐんなりと横たわっていたが、花晨はそれを見てあっとおどろいた。ぐんなりとしていても、これだけである、硬起したらどんなありさまになるかわからない。すばらしい! と、花晨は、すぐもとどおり蓋をして鍵をかけ、 「あんたたち、ずいぶんいいことをしてたのね。しばらく借りていくわよ」  と、いって、女中に下男を呼びに行かせた。  四人の下男につづらをかつがせて家に帰ると、花晨はさっそく、未央生をつづらから出した。  あとは原文のあじわいを、あじわっていただくことにしよう。  女中にいいつけて昼食の仕度をさせ、それがすみますと、晩まで待ってはいられず、二人はさっそく床へあがってはじめます。  花晨の身体は、たいへん太っているというほどではありませんが、かなり肉づきのよいほうで、未央生ははいあがるなり、ふんわりと抱きしめられてしまいました。唇をはなすと、好き! と花晨は叫びます。未央生は身体じゅうがしびれるような思いです。彼はこれまでに幾人もの女を経験してきましたが、ただ抱きしめられただけでこんな思いになるのは、はじめてでございます。これはどうしたわけでしょうか。  そもそも女というものには、見てよいものと用いてよいものとの二種がございまして、見てよいものが必ずしも用いてよいとはかぎりませんし、用いてよいものが必ずしも見てよいとはかぎらないのでございます。  それでは、見てよいのはどういうのかと申しますと、それにはつぎの三つがございます。 痩せたるがよく、肥えたるはよろしからず。 小なるがよく、大なるはよろしからず。 嬌怯《たおやか》なるがよく、強健《すこやか》なるはよろしからず。  それゆえ、絵にかいてある美人はみな、腰は細柳《さいりゆう》のごとく、体は衣に勝《た》えず、肥えて強健なのはございません。絵というものは用いるためのものではなく、見るためのものでございますから、こういうことになるわけです。  それでは用いてよいのはどういうのかと申しますと、これにもつぎの三つがございます。 肥えたるがよく、痩せたるはよろしからず。 大なるがよく、小なるはよろしからず。 強健なるがよく、嬌怯なるはよろしからず。  まことにこのとおりでございまして、その上にあがるからには、第一には温柔なること褥《しとね》のごとくでなければなりませんし、第二には身体の大小が相応じなければなりません。第三にはこれを受けるだけの力がなくてはいけません。  痩せた女というものは、石の板のようなものでございまして、その上におりますと身体が痛くなってまいります。太った女ですと、あたたかく、やわらかですから、その上で格別なにもしなくても、自然とこころよく、それに冬は暖かく夏はつめたいという妙味がございます。これで、痩せたるは肥えたるにしかずというわけがおわかりでございましょう。  小さい女というものも、うまくあわないものでございます。上をあわせようとすれば下があわず、下をあわせようとすれば、上があいません。これではまるで子供を抱いているようなもので、あわれみを感じこそすれ、よろこびを感じるわけにはいきません。それゆえ、小なるは大なるにしかずというわけです。  男の体重は重い者で百余斤、軽い者でも七、八十斤ございます。強健な女でなければ、これを受けることはできません。嬌怯な女ですと、おしつぶしはしないかと絶えず心配していなければなりません。これでは十分にやるわけにはいきません。それゆえ、嬌怯なるは強健なるにしかずというわけです。  こういうふうに考えますと、見てよいのと用いてよいのとは、全く相反するものであることがおわかりでしょう。用いてよい条件をそなえている人があれば、たとえ、その容貌のほうはそれほどでなくても、もうそれだけで十二分でございます。花晨は容貌のほうは十分とはいえませんし、年も香雲・瑞珠・瑞玉よりふけてはおりますが、用いてよいという点では、まことに十二分の女でございます。  さて、作者御推薦の花晨の用い具合やいかに。それは次回でお話しいたします。 気絶する話  見てよい女と用いてよい女とは全く相反するものである、というのが、李笠翁先生の意見であった。 「肥えたるがよく、痩せたるはよろしからず。大なるがよく、小なるはよろしからず。強健《すこやか》なるがよく、嬌怯《たおやか》なるはよろしからず」  これが、李笠翁先生のいう、用いてよい女の三つの条件である。花晨はこの三つをあわせそなえているとのこと。  では、さっそくこの、三拍子そろった花晨の用い具合を拝見することにしよう。  ……花晨はそのやわらかな二本のかいなで未央生の上半身を抱きしめました。下半身の方は、まるで、やわらかい綿のつまった褥子《ふとん》にくるめられているような感じです。それがどんなによい心地かは、みなさまもご存じでございましょう。しかも、花晨のからだは強健ですので、未央生をちゃんと受けとめていて、大舟に乗った思いをあたえます。この舟の中でなら、どんなにあばれまわっても顛覆《てんぷく》する気づかいはございません。存分にあばれることができそうです。  未央生がこれまでに乗りました舟は、花晨にくらべると、どれもみな痩せて小さく嬌怯なのばかりでしたから、このような楽しみは全くはじめてでございました。  未央生はまだなにもしないうちから、からだじゅうがしびれてきて、快活この上もありません。そのため、東西はことのほか勇壮となり、侵《しん》を待たずしておのずから太くなり、擦《さつ》を待たずしておのずから熱くなります。未央生がそれを戸口に臨ませますと、花晨はようこそとばかり、すぐ戸をあけて奥まで案内いたします。  さすがに花晨は年を経ておりますので、戸口も広く奥も深く、香雲や瑞珠や瑞玉とはくらべものになりません。香雲たちですと、戸口で必ず苦楚《くそ》を訴えます。ところが花晨は、わけもなく、するすると納めてしまったのです。香雲らの場合ですと、未央生の東西の狗腎のはたらきは奥におさまってからおこります。苦楚を訴えながらも受けいれることができるのはそのためです。ところが花晨は、戸口に臨む前に早くもはたらきのおこった壮大な東西を、なんの苦もなく納めてしまったのですからたいしたものです。これは、聞きしにまさるしたたかものだと未央生は思いました。  未央生が、負けてはならじと、勢い猛に十抽ばかりいたしますと、花晨は全身をはげしくうちふるわせ、未央生にしがみついて叫びました。 「快弄なり、われ《い》かんとす!」  わずか十抽ばかりでってしまうはずはありません。未央生はそれを花晨独得の浪声だと思いました。まことに浪声というものは人さまざまですが、はじめたばかりでくというのは、これまでにかずかずの浪声を聞いてきた未央生にもはじめてでございます。めずらしい浪声だと未央生は思いましたが、どんな浪声にしろ、浪声というのは相手をよろこばせ、励ましをあたえるものです。未央生が励ましを得て、さらに十抽ばかり乱抽乱送いたしますと、花晨はにわかに送迎をやめて、下半身を弓なりに反《そ》らせ、戸口を東西の根もとにおしつけるようにして、未央生に抽送のできないようにしたまま、 「やめよ。動くをやめよ。われかんとす」  と叫びつづけます。  未央生は、これも花晨の浪声であり浪態なのであろうと思ったのです。そこで、花晨のするにまかせて抽送をやめ、頭のさきを花心におしあてたまましばらくじっとしておりますと、花晨はぴくぴくと痙攣をつづけながら、なんと、ほんとうにってしまったのです。  李笠翁先生御推薦の、三拍子そろった花晨の用い具合いかにと、せっかく期待して拝見に及んだのに、わずかに二十抽ばかりであっけなくってしまうとは!  未央生もがっかりしたことだろうが、みなさんも同様にがっかりなさったかもしれない。ごもっともである。木戸銭をはらって見物なさっていらっしゃるのに、二十抽でおしまいになるとは、芸がなさすぎるというものである。  だが、李笠翁先生もいっているとおり、見るのと用いるのとは大違いで、この場合の花晨のように、忽ち浪り忽ちく、感度きわめて良好な女は、未央生のような超人は別として、凡庸な力の男性にとってはまことに好ましい相手である、という意見に賛成なさる方もあるにちがいない。なかなか反応を示さない、まるで木石のようなのは、骨折り損のくたびれもうけにすぎぬと。勿論、二十抽だけでおしまいというのでは、いくらなんでもものたりないけれども。  再び眼を舞台の上に向けよう。  未央生はひとり抽送をつづけながら、花晨にいいます。 「ねえ、どうしてそんなに弱いんです? 三十抽もしないうちに、ひとりでってしまうなんて。あなたの二人の姪御さんだって、多いときには二、三百抽、すくないときでも一、二百抽はかかりますよ。わたしはそれでも手間がかからない方だと思っているのに、世間にはもっと手間のかからない人もいるのですね」  花晨はそういわれると、気をとりなおして送迎をはじめながら、こういいました。 「まあ、ずいぶん見くびったいいかたをするのね。わたしはこれでも、女の中で一番手ごわい相手なのよ。ほんとうは一、二千抽ぐらいしないとだめなのよ。しかも一、二千抽してやっときそうになってから、もう一踏張《ひとふんば》りしてもらわないことには、ほんとうにかないのよ」  花晨が次第にはげしく送迎をくりかえしながら、こういいますと、未央生もそれにあわせて抽送をつづけながら、 「それほどの手並みがあるのなら、なぜ、さっきはあんなに簡単にまいってしまったのです? まさか、ったふりをしてわたしをだましたわけでもないでしょう?」  花晨はいよいよはげしく送迎しながら、いいます。 「ったふりをしてだましたのじゃないわ。あれはほんとうにったんだけど、それにはわけがあるのよ。わたしは十何年間も男に近づいたことがなくて、うずうずしてたのよ。その絶頂のときあなたに会ったのよ。あなたの人柄も、器量も、道具も、みんなすばらしいものだから、すっかりうれしくなってしまって、ちょっと受けただけで、つい精が出てしまったのよ。だからあれはわたしが自分でっただけのことで、あなたの抽送とは関係がないのよ。もし、うそだと思うのなら、これからどうなるか、ずっとつづけてみればわかるわ。さっきのようなことはもうないから」  未央生はますますはげしく抽送をつづけながら答えます。 「なるほどねえ。ところで、一、二千抽してから、もう一踏張りしなければならないというのは、どうすることなの? こんなふうに抽送するよりほかに、この仕方はないと思うのだが」  花晨の送迎もますますはげしさを加えてきます。右へ逃げ左へ追い、上に送り下に迎え、迎えてはぐるぐると渦を巻き、また左へ逃げ右へ追いして、とどまるところを知らぬありさまです。滂流横溢しているあたりからは、休みなく音がきこえてきます。花晨の声ももうだいぶんうわずっているようです。 「勿論、この仕方しかないにきまってるわ。だけど、興を添える工夫があるでしょう? 音をさせるとか、声をたてるとか。それを聞かないことには、わたしだめなのよ。音もさせず、声もたてないんだったら、ちっともたのしくなんかないじゃないの。そんなのを夜中から明け方までつづけたって、たんのう《ヽヽヽヽ》するってわけにはいかないわ」 「ほら、とっくにもう、うるさいほど音はしてるじゃないか」 「そうね、だが、まだまだだわ。わたしがほんとうにくときは、ほかの人とはちょっとちがうのよ。死にそうになると、一刻ばかりたたないと息をふきかえさないの。さきにいっておくけど、死んだときに、あなたびっくりしないでね」 「そうすると、よほど力のある男でなければ、なかなかあなたのお相手はつとまりませんね。わたしなんか、とても一流ということはできません。せいぜい二流の上というところですが、全力をつくしたら、なんとかお相手がつとまるかもしれません。ところで、お宅の亡くなられた御主人の力はどれくらいだったのです? いつも満足できたのですか?」 「二流とまではいかなかったわ。まあ三流ってところでしょうね。それでも、はじめのうちは、たいへんな好きもので、よその女にまで手を出してずいぶんふしだらなまねをしてたのよ。そのうちにもう、それもできなくなってしまったけど、そのころあの人はわたしにこういったことがあるわ。よその女の戸は肉でできているけど、おまえのは鉄だって。いろいろやってみても、どうしてもわたしがかないものだから、あの人、あれこれと興をたすける方法を考え出して、わたしを燃えたたせておいてからすることにしたの。そうすると一千抽二千抽なんてせずに、半分くらいでってしまうのよ」  花晨はもうかなり息をはずませているのですが、それでもなおこんな話ができるのですから、全くたいしたものです。 「その方法というのを教えてくださいませんか。そうすればわたしも、それをまねして、すこしは力をはぶくことができるかもしれません」 「なにもむずかしいことではないのよ。たのしいことなの。その方法は三つあるんだけど、いえばすぐおわかりになるわ」 「その三つとは?」 「絵を見ること、本を読むこと、声を聞くこと。この三つなの」  このへんで、一休みすることにしよう。  同じ場面がめんめんとつづくので、見物のみなさんもそろそろお疲れになるころと思うので。  未央生にしても、もうかなり疲れているようである。「すこしは力をはぶくことができるかもしれません」といって、興をたすける方法を花晨にたずねるあたり、これまでの未央生の口からは聞くことのできなかった弱音である。  みなさんは覚えておられるであろうか。未央生が玉香を娶った当初のことを。道学者の娘で、全く風流を解さない玉香に手を焼いた未央生が、ある日、春宮冊子を買ってきて玉香に見せ、成功したことを。  未央生はいま、花晨にいわれて、そのときのことを思い出したのである。だが、絵や本は、二、三回見れば興味がうすれてしまう。一度は役にたつが、長つづきするものではない。  未央生が花晨にそういうと、花晨はながながとその利用法を説き出した。数枚の絵や、数冊の本では、すぐ見あきてしまい読みあきてしまうから、ものの役にはたたないということ。数百枚、数百冊をそなえておくならば、常に新鮮な興を感ずることができるということ。二つのうち、まず絵の方から見るべきであるということ。それも、事をはじめる用意をせずに見るのが効果的であるということ。見ているうちに、もし東西が気負いたち、戸口がうるおってきたならば、すぐにはじめることなく、そのままさらに何枚かを見つづけ、互いに禁ずることができなくなったことをたしかめあってから、準備にかかること。かくて東西を戸の中に納めたならば、そのままの状態で、かわるがわる低い声で本を読んで相手に聞かせてやること。読んだり聞いたりしているうちに、互いに禁ずることができなくなってきたならば、はじめて抽送をすること。だが長くはつづけず、しばらくでやめて、また読んだり見たりすること。  われわれが一休みしているあいだに、花晨はおよそそのようなことを、くわしく、ながながと話したのである。勿論、依然として、はげしく送迎をつづけながら。ということは、未央生も抽送をつづけながら聞いていたわけである。その間、未央生はおよそ五、六百抽ぐらいおこなったであろう。 「なるほど」  という未央生の声は、さすがに乱れております。 「もう一つの、声を聞くというのは、どういうことですか」  花晨の声も乱れております。 「人の浪り声を聞くことなのよ。これほど興をそそられることは、ほかにはないわ。わたしは人のを聞くのがとても好きで、うちの人が生きていたころは、わざと女中に手をつけさせたの。女中がたまらなくなって声をあげ出すのを、わたしはわくわくしながら聞いていて、やがて女中がもうこらえきれなくなったころに、せきばらいをするのよ。するとあの人が飛ぶようにやってきて、待ちかまえている戸の中へすべり込み、乱抽乱送、乱送乱迎ということになるの。そうするとわずか七、八百抽で、わたし、満足ができるのよ。絵よりも本よりも、この方法がいちばんすばらしいわ」  未央生はそれを聞いて嫉妬に似た気持を感じました。それが倦み疲れた彼の東西に活力をよみがえらせます。未央生は花晨の話の中のその主人がしたように、ひときわ力をこめて乱抽乱送しながらいいます。 「それは、話としてはすばらしいが、あなたはさっき、御主人の力はさほどでもないとおっしゃったじゃないですか。それなのに、さきに女中に手をつけて、声をあげさせるほど奮戦したあとで、よくあなたのお相手ができるものですね。二人を相手にするなんてことが、できるはずはありません。その話はわたしには信じられませんよ」 「女中とはあの人がするのじゃなくて、代役をつかうのよ。わたしとのときにも、あの人は代役の助けを借りるの。そうしなければあの人にはとてもつとまりはしないわ」 「なるほど、その代役というのは角《かく》という姓の人でしょう?」 「そうよ。うちには何人もいるのよ。すばらしいわよ。女中にも何人かあてがってあるわ」  未央生は、角先生などに負けてなるものかと、いよいよ力をつくして抽送をつづけます。すでにもう千七、八百抽に達していて、二千袖まではあとわずかです。ここを先途と未央生がはげみつづけているうちに、さすがの花晨もとうとう浪声をもらしはじめました。  未央生は、東西は納めたままに上半身をおこして、あちらこちらさわってみましたが、ぴくりとも動かず、冷たくなってしまって、息もしておりません。全く死人同様のありさまです。もしさきほどの話を聞いていなかったら、どんなにおどろいたことかわかりません。  未央生はそのままじっと、花晨が息をふきかえすのを待っておりました。やがて一刻ばかりたちますと、花晨は夢からさめたように、ようやく我にかえりましたが、そのとき、からだを動かそうとして、戸の中にまだ東西がはいったままなのに気づきました。 「すばらしいのね、あなた」  と、花晨はまた未央生に抱きついてつぶやきました。 「すばらしいわ。代役をつかわずにわたしをかせてくださったのね。あなたのお力は、ほんとうに特級だわ、二流の上の部だなんて、とんでもない!」  さて、角先生というのは誰であろうか。誰でもない。張形のことを中国語ではそういうのである。  ところで、このごろは「失神小説」とかいうのがはやっているようだが、この花晨あたりはさしずめ「失神派」の大先輩であろう。  玉香も、未央生に絵を見せられて風流の極致を知ったとき、しばらくは気をうしなっていたが、やがて我にかえって、 「わたし、さっき死んでしまったようだけど、あなた知っていて?」  と聞いたことがあった。 「知っているとも。あれは死ぬっていうんじゃなくて、くっていうんだよ」  未央生はそのときそう教えたが、この玉香も「失神派」たちの可愛い先輩というべきであろう。 背と腹の話  さっぱりはやらぬ女郎と野郎《ヽヽ》が、いっしょに天神さまへ願《がん》をかけて、 「なにとぞわたしどもによい客がつきますよう、守らせたまえ」  と、お百度参りをした。  女郎の方はそのかいあって、にわかにはやりだしたが、野郎の方はいっこうにはやらないので、野郎は腹をたてて天神へ行き、 「同じように願かけをしましたのに、女郎の方だけはやらせて、わたくしをはやらせてくださらぬのは、どういうわけでございますか。あまりにもえこひいきではございませんか」  と、さんざん恨みをいうと、神殿の扉をあけて天神さまが姿をあらわされ、 「その方の恨みはもっともなれど、どうも背に腹はかえられぬ《ヽヽヽヽヽヽヽヽヽ》のでのう」  と仰せられた。  似た小咄をもう一つ。  さっぱりはやらぬ陰間《ヽヽ》がいた。たまたま田舎の客がきて、ねんごろになったが、またふっつりこなくなったので、勝鬘院へ行って、 「前には五百人も客がありましたのに、このごろはさっぱりこなくなってしまいました。日ごろせっせとお参りしておりますのに、ご利益のないことでございます」  と、恨めしそうに祈ると、本尊の愛染《あいぜん》明王が姿をあらわされて、 「やまいうな(大きなことをいうな)」  と仰せられた。野郎はそれを聞いて、 「それはお眼がわるい。わたしはおやま《ヽヽヽ》ではございません。若衆《ヽヽ》です」  前者は『軽口浮瓢箪』(寛延四年)の「野郎の恨み」、後者は『軽口本』(宝暦十三年)の「野郎独《ひとり》相撲」という話である。  女郎を関西ではおやまということ、また、野郎も若衆も陰間《かげま》の別名であることなどは、ことわるまでもなかろう。  女郎は腹(つまりまえ《ヽヽ》)で商売をし、陰間は背(つまりうしろ《ヽヽヽ》)で商売をする。それを「背に腹はかえられぬ」という俗諺《ぞくげん》にひっかけたのがはじめの話だが、野郎自身は年をとると「背に腹をかえ」たらしい。『末摘花』の、 背に腹をかえてよし町客をとり  という句がそのことを示している。  陰間は十二、三歳から十七、八歳くらいまでが盛りで、二十歳をすぎると営業がなりたたなくなったらしい。おそらく、カツヤクキンが、ゆるんでしまうからだろう。そこで、うしろでの営業を、まえでの営業にきりかえるのである。  江戸では、女郎は吉原《よしわら》、陰間は芳町《よしちよう》が一流とされていた。陰間は営業をきりかえても、やはり陰間と呼ばれて、そのまま同じ店にいたようである。 よし町へ女のあがる気のわるさ  本来は男が行く芳町へ、女が行くのだから気恥かしかったにちがいない。恥かしさを忍んで行くその女客は、後家や御殿女中だったらしい。 お釜のばくばくを後家は買いにくる 後家へ出す陰間一本づかいなり 「ばくばく」とは笑わせる。カツヤクキンがゆるんでしまって役に立たなくなった状態をいったのである。その方は役に立たなくなってしまったので、うしろは用いずに、まえの方の一刀で営業するという意味であろう。 牛はものかはと陰間へ局《つぼね》いい よし町のあす張形の大味さ  牛というのは張形のこと。  中国の坊さんも似たりよったりである。  くさい話で恐縮だが、『笑府』にこんな話がある。寺へ糞を買いに行ったら、下働きの坊主が倍の値を要求したので、ふしぎに思ってそのわけをきくと、 「この糞はよそのとはちがって、みんなお師匠さんたちが突きかためなさった糞だからな」  といった。 『末摘花』にも、 よし町の居続けほんの糞たわけ  という句がある。「たわけ」に糞をつけたのは、うしろを用いるからである。糞を突きかためるというのも、同じ意味であることはいうまでもない。  同じく『笑府』に、またこんな話がある。  小僧が師匠のまねをして、はじめて弟弟子《でし》のうしろを用いてみた。うまい具合だわいと夢中になっているうちに、弟弟子の方も妙な気になって前がおっ立ってきた。兄弟子はふとうしろから手をのばして、それにさわり、びっくりして叫んだ。 「うわっ! 突きぬけたか!」  また、こんな話もある。  ある和尚、女郎屋へあがって、手で女郎の前うしろをさぐっているうちに、とつぜん大声で叫んだ。 「奇なる哉《かな》、妙なる哉、前の方は尼さんのようだし、うしろの方はわしの弟子のようだわい」  うしろとは、つまりシリである。シリのことをわが国では釜というが、中国ではこれを後庭という。  さて、今回は未央生が後庭で遊ぶ話だが、その相手は、男ではなくて女なのである。男ならよほどの「ばくばく」野郎でなければ、壮大な未央生の東西は受けられないだろう。いや、それは女とておなじはずだが、相手はいったいなにものであろうか。  それは、ほかならぬ花晨である。  前の方ならば、花晨は世にもまれな剛のもので、これを陥没させるためには、「絵を見ること、本を読むこと、声を聞くこと」の三つの法を用いたうえに、さらに角先生(張形)の助けを借りないことにはラチがあかないのが普通なのを、未央生は三つの法も用いず角先生の助けも借りずに陥落させて、 「すばらしいわ。あなたのお力は、ほんとうに特級だわ!」  と花晨を感服させたことは、前回に話したところである。  つまり、花晨の前の方は未央生以外のものにとっては「ばくばく」なのだが、うしろの方もそういう具合になっているのだろうか。いや、花晨には後庭の趣味はなく、これまでにそれを用いたことは一度もないから「ばくばく」であるはずはない。それなのに、それを未央生に提供して苦痛を忍ばねばならなくなったのは、どういう事情からか、それを語るのが今回の目的である。  さて花晨は、独力で自分を陥没させた未央生の力を、しきりにほめていたが、そのうちに、ちょっとうらみがましく二人の姪たちのことをいい出した。 「あなたが、わたしにかくれて、あの三人のところにいらっしゃったのは、なぜだったの? そりゃあ、あの三人は若くて、わたしよりもちょっとばかり器量もいいかもしれないわ、だから、見ているぶんにはたのしいでしょうけど、どう? 用いてみた具合は。わたし自慢するわけじゃないけど、わたしの方がずっといいと思うんだけど。ねえ、あの三人とわたしとどちらがいいか、お願いだからいって!」  未央生はそういわれると、かえってあの三人がなつかしくなってきた。花晨ももちろんすばらしいが、あの三人にもそれぞれすぐれた特徴がある。香雲のからだからは、動きがはげしくなるにつれてえもいわれぬいい匂いがただよってくるが、ことにその戸の中から出てくる匂いはすばらしい。瑞珠はたえまなくはげしく浪声をあげるが、すんでしまってからもなおひとりで浪《よが》りつづけるその声は可愛くてならぬ。瑞玉は弱くて、あっけなく《い》ってしまうかわりに、からだは動かなくなっても戸の肉だけはひとりでに動いて、いつまでも東西を吐いたり呑んだりしつづける。未央生はそういう三人を思いながら、 「もちろん、あんたがいちばん強いですよ」  といった。すると花晨は、 「わたし、あの三人に、わたしにかないっこないのだということを思い知らせてやりたいの。いつか、日をきめて集まり、男一人に女四人、みんなはだかになって昼間からはじめるのよ。そして、めいめい自分の力を見せあえば、若いのがいいか年増の方がいいか、あの三人にもわかるはずだわ」  あとは、しばらく例によって訳していこう。  やがて夕暮れになり、二人は起きて着物を着ます。花晨は女中にいいつけて酒席の用意をさせて、未央生の歓迎をいたしました。花晨の酒量はなかなかたいしたもので、未央生とどちらが強いかわからぬくらいです。二人は拳《けん》を打って二更ごろまで飲みあってから、酔って床にはいり、またはじめましたが、その夜は、まだ久しぶりのこととて、あの三つの法を用いるまでもなく花晨はまた満足してしまいました。  翌日は起きるとさっそく、花晨は、長いあいだ使わずにいた本や絵をみんな運び出してきて机の上に置き、いつでも見られるようにするとともに、女中を四人、身辺にはべらせておいて興を助ける役をさせることにしました。四人のうち二人は十七、八歳で、これは使えますが、あとの二人は十五、六歳で未央生用ではなく、書生の書笥《しよし》に使わせて興を添えようというわけです。  それからというものは、この三つの法を用いて、未央生と花晨は朝な朝な楽しみを求め、夜な夜な歓を追いましたが、花晨は隣家の三人に未央生を取りかえされることをおそれて、かたく門をとじておきました。三人は果してやってきましたが、いくら呼んでも花晨は門をあけません。  五日目になると、未央生は三人が可哀そうになってきて、帰してほしいと花晨にたのみました。花晨は仕方なく、七日すぎたら帰すと約束します。三人はそれを聞くと、ようやく帰って行きました。  八日目の朝、未央生が花晨に別れの挨拶をしましたところ、花晨はどうしても門をあけようとしません。未央生はあれこれといいつくろって、ようやく門をあけさせて飛び出して行きましたところ、香雲ら三人は、それはもうたいへんなよろこびようです。  三人は口々にたずねます。 「毎晩の楽しみはどんな具合でした?」 「おばあちゃんの戸のお味は?」 「おばあちゃんの海の中で、底をさぐったり岸にたどりついたりできまして?」  未央生は三人がやきもちを焼くといけないと思って、わざとほめずに、あの三つの法のことを話して、あなたがたも見習った方がよいとすすめます。そして、花晨が集まって力くらべをしたいといったことも伝えました。  三人はしばらくのあいだ、力くらべのときにはどうしたらよいか、花晨の力はどれくらいだろうなどと話しあいましたが、それはともかく、その夜から三人は、以前の約束どおり、年の順に毎晩一人ずつ未央生と寝ることになりましたが、四日目になって、今夜は「合体連形《がつたいれんけい》」の法で三人いっしょに未央生と寝ようと相談しておりますところへ、はからずも花晨からの手紙がとどいて、力くらべをしようといってきました。  みんなで一両ずつ出しあって酒席を設け、酒を飲みながら、一方で力くらべをやりましょう、そうすればどんなにおもしろいことか、というのです。  三人で相談しましたところ、ちょうど「合体連形」の日ですので、むかしからいうとおり「客がふえても鶏をつぶすことはない」わけで、一人くらいふえても、わけまえがたいして減るということもないのだから、それで義理をすませることができるのならよかろうと、さっそく、「承知いたしました」という返事をすることにしました。  花晨は返事を受けとりますと、一刻ほどしてやってきました。未央生は花晨の袖の中になにやらはいっているらしいのに気づいて、 「それ、角先生じゃありませんか」  とたずねます。すると花晨は首をふって、 「ちがうわ。とてもおもしろいものなの。酒と色との両方に使えるものなのよ。それで持ってきたんだけど」  と、取り出して見せました。  見ればそれは春意酒牌《わらいえのかるた》です。未央生が、 「これはおもしろい、力くらべに使おうじゃありませんか。いまはまだ見ずに、酒がまわってきたら一枚ずつめくってみて、その絵にかいてあるとおりのかたちで、わたしと取り組むことにしたらどうです」 「わたしもそうするつもりで持ってきたのよ」  と花晨がいいますと、香雲が、 「わたしたち、さきにひととおり見ておかないことには、いざというときになって、そのかたちがまねられないわ」 「それじゃ、見ておきなさいよ」  と未央生はいいます。花晨もいっしょに見て、若い三人にあれこれと教えてやってくれるといいと思ったのです。ところが花晨は、 「わたしは何度も見て、みんなおぼえているからいいわ」というのです。  三人は笑いながら、一枚ずつめくって、ていねいに見てゆきましたが、やがて、ある一枚に眼をとめました。一人の若い女が太湖石の上にうつぶせになって、高く後庭をそびえたたせ、男と竜陽《おかま》をやっている絵です。  三人はくすくす笑って、 「これはなんてかたちかしら。どうしてこんなへんな恰好してるんでしょう」 「どれ、見せてごらん」  と花晨がいいます。香雲がそれを花晨に渡しますと、 「ああこれね、これはむかしのお話から取ったのよ。あなたがた知ってるでしょう?」 「知らないわ。どんなお話なの?」 「『奴要嫁《どようか》伝』というお話よ。あなたがた読んだことあるでしょう?」 「ないわ。教えてください」  そこで花晨は得意になって話し出す。そのことから、やがて花晨は未央生に竜陽されることになって、さんざんな目にあわされるのだが、まずその話しぶりをお伝えしておこう。 「一人の綺麗な娘と、若い書生が、隣りあわせに住んでいたの。書生はその娘を思いつめて、とうとう恋わずらいになってしまったのよ。そこで、人をたのんで、娘に自分の思いをつたえてもらったの。——ぜひ一度会ってください、そうすれば死んでも思い残すことはありません、決して非礼なまねはしませんからって。娘は可哀そうに思って、しぶしぶ承知をして書生に会ってやったのよ。そして書生の膝の上に坐って、抱かせてくれといえば抱かせてやり、なでさせてくれといえばなでさせてやり、接吻させてくれといえば接吻させてやったのだけど、ただあのことだけは、いくらさせてくれといっても承知しないの。——わたしはこれからお嫁に行く身だから、そのことだけはいけませんって。  すると書生は、急に地べたにひざまずいて、どうしてもさせてくれといってきかないの。娘は奴要嫁(奴嫁《われとつ》がんとす)の三字をくりかえして、  ——あなたの膝の上に坐って、からだじゅうどこでも、さわりたいといえばさわらしてあげたし、なでたいといえばなでさせてあげたのだから、もうこれでいいでしょう。どうしてまた、わたしのからだに傷をつけなければ気がすまないのです? 傷ものにされてしまったら、お嫁に行ったとき困るじゃないの。お婿さんに気づかれたら、わたしの一生は台なしだわ。  ——でも、男と女が会えば、東西を進めるのがおきまりじゃありませんか。そうしてこそ情がかようわけで、それでなければ路傍の人とおなじことです。あなたとからだは抱きあいもし、肌はふれあいもしましたが、それだけでは満足できません。どうかお願いいたします。  書生は地べたにひざまずいたまま、どうしても立ちあがらないのよ。娘は困ってしまって、うなだれて考えこんでいるうちに、ふといいことを思いついたの。  ——わたしはお嫁に行く身だから、これだけはどうしてもあげるわけにはいかないけれど、ほかのものならあげたっていいわ。  ——ほかのものって、なんです。  ——表門ではなくて、裏門の方へ東西を進めたらどうなの? そうすれば気がすむでしょう?  書生は娘が熱心にそういうのを聞いて、これ以上たのんでもどうにもならぬと思ったらしく、娘のいうとおりに、表門のかわりに裏門をつかったというわけ。このかたちは、そのお話から取って描いたのよ。あなたがた、こんないいお話をどうしてこれまで読んだことがないの?」  三人は、花晨がばかにしたような口ぶりで話すので、内心おもしろくなく、いよいよ力くらべになったらもっと威張り出すにちがいないと思い、もう酒牌を見るのはやめて三人で部屋の片隅へ行き、花晨をやりこめる方法をめぐらしあったが、さてどんな妙計がたくらまれたことやら。 後庭花の話  前回の入話《まくら》のなかで、女郎は吉原、陰間は芳町と書いたが、では夜鷹の営業地として江戸で最も名高かったところはというと、柳原《やなぎわら》である。 『出頬題《でほおだい》』(安永二年)という小咄集にこんな話がある。  尻のわれめまで着物をはしょって、はやり歌をうたいながら、柳原から帰ってくるやつがある。それを見た男が、うしろからからかった。 「そう白い股《もも》を出しているところを見ると、仙人でも落ちるだろうな」  すると女がふりかえって、 「いや、今夜は百人ぐらいだよ」 『末摘花』にも、 柳原夜もばくもの売るところ  という句がある。柳原は「安かろう悪かろう」という古着を売る店が並んでいたところであるが、夜になるとまた別の「安かろう悪かろう」の「ばくもの」を売るところになるというのである。  この「ばくもの」というのは、同じく『末摘花』の、これは前回の入話に引用した句だが、 お釜のばくばくを後家は買いにくる  の「ばくばく」、つまりカツヤクキンがゆるんでしまってばくばくになったもの、という意味ならば、これから後庭の花の話に移ろうとする私には好都合なのだが、実はそうではなくて、「安かろう悪かろう」の古着同様のまやかしものという意味なのである。  だが、著者不明の『猥談奇考』という本によると、この柳原の「ばくもの」のなかには、客の求めによっては後庭の方を提供するものもかなりいたとのことである。とすれば、この種の「ばくもの」たちの存在は、陰間にとってはたいへんな営業妨害になったことだろう。 「仙人」といわれて「百人」と答えた柳原の女と、前庭の遊びなら誰にもひけをとらぬという自信を持っている花晨と、タフネスという点ではどちらに軍配をあげたらよいかわからないが、後庭のこととなると、花晨のほうは、からきしダメなのである。今回は、前回のあとを受けて、この後庭のほうはからきしダメな花晨が、香雲・瑞珠・瑞玉の三人に対しておのれの前庭の力量を誇ろうとしたばかりに、未央生に後庭を提供せざるを得なくなって悲鳴をあげるいきさつを語ろう。人をのろわば穴二つ、という教訓をふくんでいるという点では、これはマジメな話である。  前回は、花晨が香雲ら三人を見くだしたような口をきくので、三人が片隅へ行って、花晨をやりこめる策をめぐらすところまでであった。どうやら妙案を考えついたらしいのだが、それがどういう策であるかはまだわからない。  三人がひそひそと相談しているあいだじゅう、花晨はこれさいわいと、未央生に抱きついて呂の字を書き、 「三日間もお手あわせをしなかったのだもの、さびしがってるわ」  という。未央生を香雲ら三人のもとに返してから、今日は四日目なのである。 「さびしがって泣いてるわ」  と、未央生の手をにぎって、その手をさびしがっているところへ持ってゆき、泣いていることを手に知らせようとしたところを、香雲が見つけて、 「おばさま!」  と呼んだ。 「力くらべの前にそんなことをして、ずるいわ」  花晨は笑って未央生の手をはなし、 「あんたたちこそ、三人でなにをこそこそやってるのよ。早く力くらべをはじめて、あんたたちに、わたしにはかないっこないってことを、早く思い知らせてあげたいわ。待ちきれないのよ」  やがて香雲ら三人は、女中を呼んで酒席の用意をさせた。酒席がととのうと香雲は、まず未央生を上座につかせ、そのむかいに花晨を坐らせてから、自分たちは両側に坐り、酒をくみかわしながら、拳《けん》をうって順位をきめた。一番になったものの命令を、他の三人はきかなければならぬという約束である。  拳のうまい花晨のたくらみどおり、花晨は一番になった。二番は香雲、三番は瑞珠、四番は瑞玉。だが香雲ら三人は、不平をいわずに花晨の命令に従った。四番の瑞玉は力くらべに参加することができず、寝台の傍に立って力くらべを見ながら滂流するのを拭うという役目をいいつけられたが、それでも不平をいわなかった。さきに三人で計略がめぐらしてあるからだった。力くらべの順は、瑞珠・香雲・花晨という順にやることになった。これも、もちろん花晨がきめたのである。  さて、これからさきは、例によって訳していこう。  てはずがととのうと、花晨は未央生にむかっていいました。 「はじめの相手とは百抽だけ、二番目の相手とは二百抽だけに限ります。それより一抽多くても、一抽すくなくても、罰杯です。相手がってもかなくても、浪《よが》っても浪らなくても正確に百抽と二百抽をまもってください。三番目の相手、つまりわたしの番になったら、ほかの二人とはちがって、くまでやめないでください。ほかの二人のときは、瑞玉さんが傍でちゃんと数をかぞえるのよ。もしかぞえちがったら、やはり罰杯よ」  それから香雲と瑞珠にむかって、 「さあ、あんたたち、その酒牌を上から一枚めくりなさい。なにをめくっても、めくった酒牌に描いてある絵と同じやりかたでやるのよ。好きなのが出るか、きらいなのが出るかは運だから、とりかえることはゆるしません。酒牌の絵とそっくり同じやりかたでなくちゃいけないのよ。ちょっとでもちがったら、罰杯のほか、抽送の数もへらしますからね」 「わたしたちがもし絵のとおりにできなかったら、罰杯は受けるわ。だが、もしおばさまがそっくりにやれなかったら、そのときはどうするの?」  と瑞珠がいうと、花晨は、 「わたしにできないはずはないけど、もしやれなかったら、罰杯はあんたたちの三倍にするわ。その上、そっくりにできるまで、なんどでもやりなおすわ」 「それならいいわ」  と瑞珠はうなずいて、一番上の酒牌を一枚めくりました。見ればそれは、「蜻蜒点水《とんぼのみずせせり》」という形の絵です。瑞珠はその酒牌を花晨にわたしてから子《クーヅ》をぬぎ、絵のとおりに仰臥して足を張開いたします。すると未央生も同じく絵のとおりに、その上に両腕をつっぱって東西と戸のあいだを三尺あまりもはなしてから、ちょうど蜻蜒が水せせりをするように、勢いよく東西を戸の中に送しては、また勢いよく抽し、三尺はなして、また勢いよくそれをくりかえします。なにしろ、未央生の抽送は三尺の距離を以ておこなわれるのですから、抽するときも送するときも水がたいへんな勢いで飛び散り、拭う役目の瑞玉は、てんてこ舞いです。戸の近くを拭おうと手をのばすと、未央生の東西が突進してきてぶっつかりそうになります。その上、瑞玉は抽送の数をかぞえる役目もおおせつかっていますので、うかうかしているわけにもまいりません。  瑞珠もまた瑞珠で、自分の戸が人一倍感度がよいことを花晨に見せびらかそうとして、まだそれほどでもないうちから早くも声をたてはじめます。未央生が一点するごとに浪声をあげ、十点すれば十浪、二十点すれば二十浪という具合に、次第に声を激しくしてゆくばかりか、未央生の一送にあわせて一迎し、一抽にあわせて一送しながら、戸口をそのつど開閉して飛沫をあげ、津液をあふれ出させるというありさま。しかも、瑞玉が百をかぞえると、瑞珠はさっと身を引いて、 「おばさま、ひどいわ」  といいます。 「ご自分だけはくまでなんて。くまでではなくても、せめて千抽くらいはさせてくださらないと。生殺しはひどいわ」 「うそおっしゃい。もうきかかっていたくせに」  という花晨の言葉をおしのけるようにして、香雲が、 「さあ、こんどはわたしの番よ」  と、二枚目の酒牌をめくりました。見ればそれは、「順 水 推 船《みずにしたがいふねをおす》」という形の絵です。香雲はその酒牌を花晨にわたすと、子をぬぎ、絵のとおりに長椅子の上に仰臥して未央生を待ちます。未央生も同じく絵のとおりに、香雲の双脚を肩頭に放在し、両手で長椅子を抵住し、力を用《もつ》て推送いたします。こんどは瑞珠のときとはちがって、水があたりに飛び散るようなことはありません。水に順《したが》う船は推しやすく、船に順う水は出やすく、船上の浪声と船下の浪声は、いっせいに澎湃《ほうはい》とおこります。  その浪声がわるかろうはずはありません。花晨はこれまで、興を添える法の一つとして、人の浪声を聞くことを好んできましたが、それはみな暗がりの中のことです。今は眼のあたりにそのありさまを見、その声を聞くのですから、これまでの興とはくらべものにはなりません。もうどうにも我慢することができない状態です。瑞玉がようやく二百をかぞえると、その声のまだ終わらぬうちに立ちあがって、 「こんどはわたしよ」  と、片手では三枚目の酒牌をめくりながら、片手では子をおろしはじめます。ところが、酒牌の絵を見たとたん、花晨は、あっと叫んで顔色をかえました。そして、 「この酒牌はつかえないから、ほかのとかえるわ」  といいました。 「だめよ、だめよ」  と三人はさわぎたてて、残った酒牌をみんなかくしてしまいました。花晨のめくった酒牌は、あの、さきに花晨が得意になって三人に話した「奴要嫁」の物語のもので、女が後庭をそびえたたせて、男と竜陽《おかま》をやっている絵が描いてあるのです。  なぜこんなことになったのでしょう。たくさんの酒牌のなかで、なぜ、よりにもよってこの一枚をめくりあてたのかといいますと、これこそ香雲ら三人がたくらんだ計略だったのです。三人は、自分たちのうちの誰か一人が酒牌を切る役目をいいつかるにちがいないと思い、その「奴要嫁」の酒牌にしるしをつけておいて、それを花晨のめくる番のところに入れておこうと相談したのでした。三人のおもわくどおり、花晨は瑞玉に酒牌を切る役目をいいつけました。瑞玉が力くらべから除外されて、抽送の数のかぞえ役、飛沫の拭い役などという端役をあたえられながらも不平をいわなかったのは、三人でたくらんだこの計略をとどこおりなくはこんで、あとで花晨をギュウといわせてやろうという、たのしい目標があったからでした。そのとき花晨は、自分は三番目にめくるといいましたので、瑞玉は酒牌を切るときに「奴要嫁」の絵のを三枚目に入れておいたのです。今、花晨はそれをめくったというわけ。こんなことになったのも、もとをただせば花晨の驕慢の報いでございます。  さて三人は、花晨のめくった酒牌を見ると、すぐ花晨の子をはぎにかかりました。花晨はばたばたとあばれまわって、どうしてもぬがせません。 「ねえ、ひどいじゃないの。こんなことができるわけはないじゃないの。未央生さんのあの大きな東西が、うしろにはいるわけがないじゃないの。ねえ、ゆるしてよ」 「はいるわよ。はいらなければてつだってあげるから、さあ、約束どおりにこの絵とそっくりにやってみせてよ」  と三人はいいます。 「そんなひどいこと。あんな大きなのを入れられたら前の方までつぶれてしまうわ。ゆるしてよ」 「よくそんな勝手なことがいえるわね。もしわたしたちがこの酒牌をめくりあてたら、おばさまはゆるすつもりだったの? 酒牌をかえることはゆるさないっていったのは、誰だったの? 酒牌に描いてある絵はみんな空でおぼえていて、みんなできるっていったのは、誰だったの? この形だけできないというのなら、はじめからこれだけは抜いておけばいいじゃないの。これをめくりあててから、なんのかんのいったって、ゆるせないわ」  三人はさらに未央生にむかっていいます。 「あなたは監督の役目でしょう? それなのにどうして、口もきかず手も動かさずにいるの? 約束どおり実行させるのが監督の任務でしょう?」 「監督としても、無理じいするには忍びないのですよ」  といいながら、未央生は手を東西に触れます。それは、瑞珠と百抽し、香雲と二百抽した後のいまも、そのときのまま壮大にそびえ立っています。 「ねえ、わたしのこの東西は、おばさまの後庭にはとても無理ですよ。だから、約束をまもらなかった罰として、罰杯をもっと多くしてゆるしてやることにしてはどうです?」 「とんでもない。おばさまははじめ、もしできなかったら罰杯はわたしたちの三倍にした上で、絵とそっくりにできるまで、なんどでもやりなおすっておっしゃったんですよ。ねえ、おばさま、そうでしたわね。わたしたちだって、もし罰杯だけですむことだったら、なにも、人前で着物をぬいで、人前でしてみせたりなんかしなかったわ。力くらべをしようとおばさまがおっしゃって、こうこうこうしろと命令なさったから、そのとおりにやったのよ。わたしたちだけにやらせて、張本人のおばさまがやらないなんて、そんなことゆるせないわ」  未央生は香雲らのいうことが筋がとおっていますので、いい返す言葉もありません。そこで仕方なく、こういいました。 「それじゃおばさまに子をぬがせて、絵とそっくりに全部入れてしまうのは無理だから、半分くらいのところまでやって、ゆるしてあげてくださいよ」 「だめよ。ほかの形でやるのと同じように、ちゃんとやって見せてくれなければ」  と香雲と瑞玉がいうと、瑞珠が二人に眼くばせをして、 「それじゃ、半分くらいのところまででもいいわ。全部入れなくたって」  といいます。 「それならいいでしょう」  と、未央生は花晨を引き寄せて、子をぬがせようとしましたが、花晨はやはり承知しません。しかし、しまいには未央生にすすめられて、ついさきほどまで、おばさま顔をしていばっていたのとは別人のように、すっかりしょげかえって、しぶしぶ承知をし、子をぬいでうつぶせになりました。未央生が片手で東西をささえながら、片手で十分に津液を抹上し、後庭の花にあてがいざま力をこめて一突きいたしますと、花晨はギャアッと叫声をあげ、起きあがって東西を引き抜こうとしました。ところが、かの三人のいたずら女どもは、さきほど瑞珠が眼くばせをしたのがそれだったのですが、花晨が子をぬいでうつぶせになると同時に、一人は頭をおさえつけ、一人は両手をつかまえていました。ですから、もう、花晨がいくらもがこうとしてもどうにもなりません。いや、それどころか、あとの一人は未央生のうしろへまわって、どんと一突き未央生の腰を突いたのです。そのはずみに東西は半分ほど入ってしまいました。いやいや、まだそれどころか、未央生の腰をつかまえて力かぎりに前後にゆすぶったのです。花晨はまるで締め殺される豚のような声で泣きながら、 「助けて! 助けて!」  というのですが、三人はあくまでもゆるそうとはしません。 「おばさまはさっき、わたしたちには百抽とか二百抽とかきめながら、ご自分は数はきめずにくまでするとおっしゃったじゃないの。どうなの? おばさま、もうったというの? そんなはずはないわ」  花晨はそれを聞いて、しきりに、 「った! った!」とわめきます。 「ほんとうにったのなら、そんな豚みたいな声でいうはずはないわよ」 「ほんとうにった。もう、ゆるして」  と、花晨の声は次第に、息もたえだえという調子になってきます。  三人はそれを聞いて、もうこのへんでゆるしてやろうと、ようやく手をはなしました。  未央生もほっとした思いで東西を引き抜きます。花晨はようやく起きあがりましたが、まるで死人同然で、口もきけず、立つのもやっとというありさま。女中たちに子をはかせてもらい、おぶさるようにして家へ帰ってゆきましたものの、後庭から血が流れ、腫れあがって、ふるえがきたり熱が出たりして、四、五日は床についたままでした。  花晨は香雲たちをうらみましたが、もとをただせば自分がわるかったのだとさとり、香雲たちの方でもすこしひどいことをしすぎたと後悔して、花晨の身体がよくなってからはまた花晨を招いて、一男四女、枕をともにし衾《しとね》を同じくしてたのしみをつくしましたが、その次第は話し出せばきりがありませんので、さしひかえることにいたします。 精を移す話  親父が息子の嫁と寝ていると、息子がそれを見つけて、 「お父っさん、あんまりひどいじゃないか」  と怒った。すると親父はむっくり起きあがって、逆襲してきた。 「なんのひどいことがあるもんか。おまえはずっとおれの女房と寝てきたじゃないか。おれがおまえの女房と寝るのがなぜわるい!」 『笑府』にある話で、「父子論理」という題がついている。この親父の論理、まことにお見事というほかない。  同じく『笑府』に「陰痣」という話がある。 「戸口にアザのある女は必ず貴子を生みます」  人相見がそういうのを聞いて、ある男、 「そうすると、うちの兄嫁は貴子を生むな」  と大よろこび。 「はて、おかしな。あなたは兄嫁さんの戸口にアザのあることを、どうしてご存じなのです?」 「なに、はじめは親父がわたしの女房に話したんですよ。それを女房がわたしに話したもんだから、確かめてみたのです。まちがいありません」  大らかな話だが、この人間関係はどんなふうになっているのか、ちょっとややこしい。もう一つ、これはわが国の抄訳本『笑府』にある話。  女房と妾が喧嘩をはじめた。亭主はうるさくてかなわぬので、妾を叱りつけた。じつは亭主は妾のほうを可愛がっていたのだが、そうしないことにはおさまりがつかないと思ったからである。 「こんな辛気《しんき》くさい思いをさせられるくらいなら、いっそのこと、おまえなんか殺してしまったほうがましだ!」  亭主がそういって刀をふりあげると、妾は逃げだした。亭主は追っかけて行く。  女房は妾が叱られたので溜飲のさがる思いだったが、亭主がなかなかもどってこないのでさがしに行くと、奥の部屋から、息もたえだえに、 「死ぬ、死ぬ」  といううめき声が聞こえてくる。さてはほんとうに殺してしまったのかと、おそるおそる襖《ふすま》をあけてみると、なんと、亭主と妾はいまや抽送のまっ最中である。女房はかッとなって叫んだ。 「くやしい! そんな殺されかたなら、わたしが殺してもらいたいよ!」  男一人に女二人となると、なかなかうまくいかぬようである。  しかし、うまくいかぬとは限らぬ。 「まあ待て。そんなに急《せ》くもんじゃない。いまこの女を死なせてやってから、ゆっくりおまえさんも死なさせてあげるから」  とでもいったら、どうだろう。勿論、それは必ず実行しなければならない。さらに、いつもただそんな具合に別個に中の字を書くというのではなしに、ときには串の字を書く必要もある。そうすればおそらくうまくいくにちがいない。  未央生がそのようにしてきたことは、みなさんもご存じのはずである。香雲、瑞珠、瑞玉、それに花晨を加えて、一男四女、枕をともにし衾《しとね》を同じくしてのたのしみは、そのようにしてつづけられたのである。  ところでみなさんは、艶芳をおぼえておられるであろうか。艶芳は糸屋の権老実の女房であったが、未央生が奪い取った、というよりも、広陰の、大鳥貝の艶芳の方が、狗腎《くじん》のすじがね入りの巨陽の未央生に熱中してしまって、二人はいっしょになり、昼夜をわかたず寒暑をさけず情をつくし興をつくしてたのしみにふけっているうちに、やがて艶芳がみごもったことを。そのうちに艶芳の腹がだんだん突き出してきて、ほしいままに抽送・送迎のできなくなったとき、未央生は三月たったら帰ってくるといって家を出、それ以来ずっと瑞珠・瑞玉姉妹の家にいるのである。  未央生は瑞珠の家で、中の字、串の字、串串の字のたのしみにまぎれて、すっかり艶芳のことを忘れていた。思い出したのは、約束の三月をだいぶん過ぎてからである。もうお産もすんだころだろうと思って、書生の書笥に様子を見に行かせると、果してそうで、一月まえに双子の女の子を生んだという。香雲たち四人はそれを聞くと、酒を買って未央生のために祝宴を開き、またひとしきり一男四女の例のたのしみをしたあと、さらに四日たってから未央生を艶芳のもとへ送りかえした。四日というのは、四人の女が一日ずつ、別れの中の字をたのしんだからである。  未央生が帰ってくると、艶芳はさっそく、その大鳥貝の口をあけて、四カ月分の貸金をいちどに取りたてようとしてわくわくとふるえたが、豈《あに》はからんや、相手は民窮し財尽きて取りたて不可能な状態。大鳥貝はいたずらに涙をにじませるばかりであった。さすがの未央生も、四カ月ものあいだ昼夜の別なく一人で四人の敵にあたりつづけたために、神《しん》疲れ力《ちから》尽きてしまったのである。未央生は大鳥貝の涙を見て、あわれに思い、なんとかこれをなぐさめようとするのだが、どうにもならない。思いをみたすことのできない艶芳は、ついに未央生に対して恨みを抱くようになるが、この話はひとまずここでとどめて、一方、未央生が郷里に残してきた妻の玉香と、艶芳のもとの夫の権老実の話に移ろう。  ここでまた思い出していただきたい。  未央生に艶芳を盗まれた権老実は、復讐のために未央生の留守宅へ行き、下男として住みこみながら未央生の妻の玉香を犯そうと虎視眈々《たんたん》としていたことを。ところが、案ずるよりも生むがやすいとはよくいったもの、久しく空閨を守っていた玉香は、ゆあみをしてわざわざ権老実にのぞき見をさせ、両手を戸口にあてて溜息をつき、技癢《ぎよう》掻きがたく如何ともすることのできないやるせなさを示して、権老実をさそったのであった。それからというもの、玉香は毎晩、権老実なしではすませられなくなり、はじめのうちは、玉香の父が権老実にめあわせた女中の如意の眼を盗んでたのしんでいたが、いつまでもそうしているわけにもいかず、ついには、お嬢さまである玉香が女中の如意に頭をさげてたのんでようやく承知をしてもらい、一晩を二人で前後にわけてたのしんだり、一晩置きにしたりしていたが、やがて慣れてくると三人で一つ寝をして串の字をたのしむようにもなったのである。  権老実はもともと復讐のためにきたのだから、存分に玉香をもてあそんだら捨ててしまうつもりだったのだが、つい深間にはまりこんでなかなか捨てきれずにいるうちに、禍というものはどこにあるかわからぬもので、艶芳とは何年も暮らしながら子供ができなかったのに、思いがけず玉香がみごもってしまったものだから、すっかりあわててしまった。玉香もあわてて、薬をのんだり腹をもんだりして、いろいろ手をつくしたが、どうしても下りない。玉香は泣いて権老実にたのんだ。 「父に知られたら、わたしもあなたも殺されてしまいます。お願いです、殺されぬうちにわたしをつれて逃げてください」  権老実は仕方なく、玉香と如意をつれて駈落ちをした。その道中、玉香は、家にいたときにはどうしても下りなかった腹のなかの子が、慣れない旅で無理をしたためか、下りてしまったのである。  権老実は駈落ちをするとき、子供が生まれてしまったら玉香を売りとばしてしまおうと考えていたが、さいわい下りてしまったので、さっそく主従二人の女をつれて都へ行き、宿をとって、女衒《ぜげん》をさがした。  こうして玉香も如意も娼家に売られてしまうのだが、このあとは例によってしばらく訳文をかかげよう。  さて都に、顧仙娘《こせんじよう》というやりてばあさんがいました。彼女は玉香を一目見て、これはいいたま《ヽヽ》だと思い、言値どおりの金を出し、如意もいっしょに買ってしまいました。もとどおり女中として玉香の世話をさせるためです。  権老実は玉香を売ってしまいますと、はじめはちょっと気になっただけでしたが、だんだん後悔の念がおこってきました。 「お経にこういう言葉があったな、前世の因果を知りたくば今生《こんじよう》の姿で知れ、来世の姿を知りたくば今生の行ないで知れ。とすると、艶芳があんなことをしでかしたのは、おれが前世で人の女房を盗んだから、今生で女房を人に返すようなめぐりあわせになったのだ。それなのに、なんだってまたおれは人の女房を犯して来生に禍を残すようなことをしたのだろう。あの女と幾晩か寝ただけで仇はとれたわけだのに、なぜ女郎に売るなんてことをしてしまったのだろう。おまけになんの罪咎のない女中までいっしょに売ってしまったりして」  あれこれ考えると、権老実は思わず胸をたたき足ずりをして、われとわが身を恨めしく思うのでした。思えば思うほど、自分のあやまちがくやまれるのでしたが、いまとなってはもうどうにもなりません。せめて今生のうちに、すこしでも罪ほろぼしをして来生のわざわいをまぬがれようと、二人の女を売った金を難病や貧乏に苦しんでいる人にほどこし、自分で頭の毛を半分剃りおとして、乞食になって諸国遍歴に出かけ、ほんとうの高僧に出会ったら、得度《とくど》を受けようと決心いたしました。  彼は後に括蒼山へ行ったとき孤峯長老に出会いましたが、長老が活仏《いきぼとけ》であることを知って、得度を受け、仏門に帰依いたします。そして二十年の苦行のすえ、さとりを開くのですが、これは後の話です。  このあたり、なかなか殊勝な文章であるが、話は忽ちもとの調子にもどる。  さて女郎屋へ売られて玉香は、如意と二人で顧仙娘の家へ行き、はじめて普通の良家とちがうことに気がつきました。しかし、いったんこういう家の敷居をまたいでしまいますと、いかに貞節な女でも、なかなか逃げ出せるものではありません。まして玉香はすでに操を失った女です。もうどうすることもできないと知ると、かえって落ちついてしまって、青楼の女になってしまい、名前も妙娘《みようじよう》とあらためて、客をとることになりました。作者はしかし、彼女をやはり玉香と呼ぶことにいたします。妙娘という名をつかいますと、あるいは看官《みなさん》がおまちがえになるかも知れませんので。  さて玉香は、初見世の夜からお金持の客がつきました。ところがこの客は、翌日になるとすぐ帰ろうとします。顧仙娘がいくらひきとめてもききません。この客は帰りしなに顧仙娘にこういったのです。 「あの娘は顔も姿もなかなかいいが、例の三種の妙技を知らん。よく教えてやってくれ。おまえさんがちゃんと教えこんだら、またくるとしよう」  そういって帰って行ったのです。なぜこんなことをいったのかと申しますと、元来、顧仙娘は三つの神技を身につけていたのです。これは普通の女は全く知らない妙技で、ただ十人並みの容貌にすぎない彼女が若いときから三十年ものあいだ盛名をたもち、なじみ客はみな大金持や大家の若さまばかりで、もう五十になろうとするいまでさえ、身分の高い人や金のある人が彼女の客になるのは、この三種の妙技があるからなのです。  三種の妙技と申しますのは、第一は、陰を俯《ふ》せて陽に就くという技。第二は、陰を聳《そびや》かせて陽に接すという技。第三は、陰を舎《お》きて陽を助くという技でございます。  彼女は客をもてなすとき、相手を仰臥させてその上にのぼり、東西を戸中に挿《はさ》み、立って套《とう》すること一陣、坐って揉《じゆう》すること一陣。坐って揉すること二陣、立って套すること一陣、というふうにするのです。ほかの女ですと、二、三度するうちに脚はしびれ腿はなえて動けなくなってしまうのですが、彼女の膝はまったく鉄でできているようで、弄《ろう》すれば弄するほど力が出てくるのです。こうして相手をもてなすだけではなく、自分も心ゆくまでたのしみます。これが陰を俯せて陽に就く技で、第一の妙技です。  彼女は下になるときでも、相手だけに力をつかわせるようなことは決してしません。自分の身体を聳かして、相手が抵《てい》すれば彼女は迎《げい》し、相手が抽《ちゆう》すれば彼女は譲《じよう》します。これは相手の労力の一半をはぶいてやるというだけのことではなく、彼女自身も一半の便宜を得るのでございます。もし彼女が迎することをせず、送することもせずに、ただ相手だけに抽させ抵させるのでしたら、泥人形か木彫りの美人を持ってきて、まんなかに孔をあけ、東西を入れて抽送すればよいわけです。生きた人間とする必要はありません。それゆえ、名妓といわれるようになるには、この道理をよくわきまえなければなりません。これをわきまえてこそ、はじめて相手の歓心を買うことができ、自分もたのしむことができるというわけです。これが陰を聳かせて陽に接する技で、第二の妙技です。  陰を舎きて陽を助く技となりますと、これはなかなか玄妙なわざでございます。彼女は相手に、限りある精を無用のところに洩らさせるようなことは決してさせません。一たびくごとに彼女は相手に一たび分の益を受けさせるのです。それはどのような方法でするのかと申しますと、まさにかんとする際に、彼女は相手に東西の頭を自分の花心の口にあてさせ、そのまま動かさないようにします。そうしておいてから、彼女は、花心の口の小孔を東西の頭の小孔とぴったりあわせ、あらかじめ相手に教えておいた吸精の法で、自分の精を相手の東西の中へ吸いこませるのです。それは尾閭《びりよ》からずっと上の方へのぼって行って、丹田へ入ります。この精の効き目のあることは、人参や附子《ぶし》などとはくらべものになりません。不老長生の薬として、これにまさるものはないのです。  この妙技は、彼女が十六歳のとき、一人の異人が客にきて、何気なしに話しだしたのですが、彼女はすぐ覚えこんでしまったのです。それ以来、気に入った客があると、いつもその技を用いました。客は彼女にそうしてもらいますと、かならず効き目があらわれて、彼女と幾晩かすごすうちに精力が倍加するばかりではなく、顔の色さえもつやつやしてくるのです。そこで人々は彼女を仙女の生まれかわりだといいだして、それで仙娘と呼ぶようになったというわけです。  この妙技は彼女の客は教えてもらえるのですが、家へ帰ってつかうことはできません。なぜならば、吸精の法はおぼえても、花心と東西の精孔をあわせる法は、なかなか教えられるものではありません。これは女の方で、花心の小孔がうまく東西の頭の小孔にあたるように持って行かなければなりませんから、なかなかできないのです。この妙技は、天下の女は誰もできないのに、彼女一人だけができるわけで、そこがつまり、妙技の妙技たるゆえんであります。  ところで玉香は、ここへきたばかりで、こんな三種の妙技があるなどということは知りません。彼女の客は、彼女が第一の妙技をさえ心得ていないのを見て、ほかの二種の妙技は知るわけがないと思い、草々にすませて眠ってしまったのです。しかし翌朝、彼女が美貌なのを見て、捨てておくのは借しいと思い、彼女がこの妙技を知らないことを残念に思ったのです。そこで帰りしなに顧仙娘にあんなことをいったのです。  仙娘はその客を送り出すと、 「形ばっかりつくろって、お客さまのもてなしもできないなんて、なんだい。あんなお金持を一晩きりで逃がしてしまって、これからさき、どうやってお金をかせぐつもりだね」  と罵って、鞭《むち》で玉香をぶつのです。玉香はなんどもわびをいい、ようやくゆるしてもらいましたが、それからは、例の三種の妙技を仙娘について日夜学ぶことになりました。  仙娘は自分が客をとるときには、玉香をそばに立たせて、よく見せてやり、くわしく教えてやります。また、玉香が客をとるときには、そばで見ていて、あれこれとこまかに指図をします。玉香はこのきびしいやりてばあさんのもとで熱心に学びましたかいがあって、わずか一、二カ月のあいだに、このむずかしい妙技をすっかり学び取ってしまいました。この妙技を覚えた上に、容姿は美しく、字も上手ときては、忽ちのうちに都の評判になり、大金持や大家の若さまで彼女のところへこない者はないというありさま。そのなかでも、二人の客は特別に金ばらいがよくて、一晩に二十金もつかいます。  さてこの二人の客というのは、いったい誰であろうか、それは次回でお話しいたします、というところで今回はお別れすることになるが、さて、みなさんはこの三種の妙技なるものをどうお思いでしょうか。第一と第二については、みなさんはどなたも先刻ご承知のところで、どなたも実行しておられることと思うが、第三の妙技というのはどうだろう。試みに、いつも資料を提供してもらっている友人のH君にたずねてみたところ、 「え? 君はそれを知らないのか」  と一笑された。思えば世の中は『肉蒲団』の時代よりも、この方面においてもはるかにはるかに進んでいるようである。 花の蕊の話  ゆきつけの古本屋の主人が、一冊の小冊子をくれた。何冊か本を買ったら、おまけ《ヽヽヽ》としてくれたのだが、その小冊子もまた、ある婦人雑誌の付録《おまけ》で、『性の医学』と題されていた。「お役にたちますよ」と彼はいったが、なるほど、そのとおりだった。  著名な医学者が解説をした「性の体位」という一章があった。前回に紹介した顧仙娘の「三種の妙技」をその解説に照らしあわせてみると、第一の「陰を俯せて陽に就く」というのは「乗馬位」にあたり第二の「陰を聳《そびや》かせて陽に接す」というのは「高腰位」にあたるようである。解説によると、格別めずらしいかたちではないとのこと。  第三の「陰を舎《お》きて陽を助く」というのは、これは体位の問題ではなくて、純粋に技術の問題である。  顧仙娘は、自分がまさにかんとするとき、相手に、東西の頭を自分の花心の口へあてさせるという。——ここまでは、顧仙娘ならずともできるであろう。そうしておいてから、彼女は、花心の口の小孔と東西の頭の小孔とをぴったりとあわせ、自分の精を東西の中へ吸いこませるのである。こんなことが果してできるであろうか。 「え? 君はそれを知らないのか」  と、友人のH君が私のそんな疑いを笑ったことは前回に書いた。 「それじゃ君は、相手の精をあんなふうにして吸いこんだことがあるの?」  と反問すると、彼は傲然《ごうぜん》としていった。 「いつもそうしているよ」 「それは君の錯覚じゃないのか。花心へあてていると、そんな気がするだけのことじゃないの? だいいち、くというのは、女の場合は精を出すことじゃないだろう」 「出すヤツもいるんだ」  とH君は断言した。  彼は実践派である。その断言には体験の重みがあった。私はたじたじとなって、 「そうかねえ……」  と、なかば屈服しながらもなお釈然としないものがあったのだが、後にあの古本屋の主人がくれた付録によって、H君の断言の正しかったことを知った次第である。  それにはこう書かれていた。 「女性にも男性の精の射出に相当するものがあるかどうかということは、なかなかむずかしい問題ですが、オルガスムスのとき、全身の痙攣に呼応して、バギナやウテルス筋の収縮がおこり、殊にウテルスは下垂して、頸管から精を排出することが、人によっては著明にみとめられることがあります」  ウテルスとは花心、頸管とは花心の口のことである。  しかし私は、その花心の口から排出されるものを、ほかの方法でならともかく、東西の頭の小孔によって吸いこむということについては、今なお疑いを持っている。H君は、私をからかったのではなかろうか。もしほんとうだとすれば、H君は顧仙娘にも匹敵する妙技の指導者ということになる。それを認めるのはシャクだ。『肉蒲団』にもちゃんと書いてあるではないか、「この妙技は、天下の女は誰もできないのに、彼女一人だけができるわけで、そこがつまり、妙技の妙技たるゆえんであります」と。  精をもらさないことが生を養う最上の法であるという思想(?)は、古代の房術の書である『素女経』をはじめとして『玄女経』『洞玄子』『千金方』『玉房指要』『玉房秘訣』などの、みな説くところである。顧仙娘の技術も、これにもとづいて考案されたものであろう。 『素女経』で彭祖《ほうそ》は、黄帝の使《つかい》として延命長寿の法をききにきた妥女《たじよ》にこう教えている。 「それは数多くの女と交わることです。年若い女を多く御し、しかもみだりに精をもらさないようにするならば、身体は爽快になり、百病の生ずることもなく、長寿をたもつことができます」  また『玉房指要』では彭祖はこういっている。 「生を養うためには、未通の女を多く御するのが最もよろしい。年若い女と交われば、おのずから肌の色までも若やいでくるものである。十四、五歳から十八、九歳までがよく、三十歳をすぎた者は生を養うためにはよろしくない。三十歳にならぬ者でも、子供を生んだことのある者はよろしくない」  H君ならいうであろう、三十歳をすぎた者は、「生を養う」ためにはよろしくないとしても、「性を養う」ためには最も恰好な年齢であると。  彭祖はまた、こうもいっている。 「接して生を養おうとするならば、一人を以て満足してはいけない。三人、あるいは九人、あるいは十一人と奇数がよく、その数は多ければ多いほどよい。そのとき花心の吐く精を採ってこれを口にふくむならば、精を還元し得て、肌は光沢を増し気力は盛大となり、さらに多くを御することができて、しかも生を養うことができる」  相手に精をもらさせないばかりか、自分の精を吸わせるという顧仙娘の「妙技」が、これらの房術の書から出たものであることは明らかである。  さて、話を玉香の上にもどさなければならない。  顧仙娘のきびしい指導によって三種の妙技を学び取った玉香は、たちまち都じゅうの評判になった。もともと容貌の美しいうえに、稀有《けう》の妙技を身につけたのだから無理もない。顧仙娘のおもわくどおり、大金持や大家の若さまが玉香めあてに、さきをあらそって顧仙娘の青楼へ通いつめるというありさま、「青は藍《あい》より出でて、藍よりも青し」という。玉香の技には顧仙娘よりもまさるところがあったのである。それは——、  顧仙娘の陰を舎《お》きて陽を助く技と申しますのは、まさにかんとする際に、相手にその東西の頭を自分の花心の口へあてさせ、そのままじっと動かさせないようにするのですが、玉香はそうではなく、その花心が東西を求めて戸口の近くまでそれを追いつめ、花心の口で東西の頭をとらえてはなしません。花心の口の小孔は、東西の頭の小孔とぴったりあい、そこから精を迸《ほとばし》らせますので、相手は吸精の法を心得ていなくても、自然に玉香の精を吸いこむことになるのです。  古本屋の主人のくれた付録が、私にとって最も役にたつのは、この場面を解釈するときにであった。みなさんもさきに私がその付録から引用した著名な医学者の言葉を、もう一度お読みください。「バギナやウテルス筋の収縮がおこり、殊にウテルスは下垂して、頸管から精を排出することが、人によっては著明にみとめられることがあります」というところをこれに照らしあわせてみると、「花心が東西を求めて戸口の近くまでそれを追いつめ」るということが、あながちいわれのないことではない、ということがわかるのである。  ところで、玉香をしたってくる嫖客たちのなかに、特別に金ばらいのよい者が二人いたが、因果はめぐる世のならいといおうか、その二人はなんと、瑞珠・瑞玉姉妹の夫の、臥雲生・倚雲生兄弟だったのである。  ここで思い出していただきたい。臥雲生と倚雲生が試験を受けるために香雲の夫の軒々子とともに都へ行った留守のあいだに、未央生が、まず香雲と、つぎには瑞珠・瑞玉とねんごろになり、留守宅に住みこんで「共体連形」の楽しみにふけっていたことを。  臥雲生・倚雲生は都で下宿をして試験にそなえていたのだが、ちょうど瑞珠・瑞玉が未央生と「共体連形」の楽しみにふけっているころ、玉香の評判をきいたのである。  はじめに顧仙娘の青楼へ行ったのは兄の臥雲生で、弟には内証で幾晩か玉香の妙技をあじわってきた。するとこんどは弟の倚雲生が、兄をだましてまた幾晩か玉香の妙技をあじわってきたのである。二人とも玉香のその妙技がわすれられず、もう勉強どころではない。兄はそわそわしている弟を見てあやしみ、弟も兄をあやしみ、互いに問いただしてそのわけを知ると、いっそのこと玉香を下宿へ呼んで兄弟いっしょに楽しもうではないかということになり、大金をはたいて顧仙娘にたのみ、しばらくのあいだ玉香を買いきることにしたのである。  こうして、玉香を下宿にかこって兄弟は利を同じくするようになったが、さらにまた、師弟が門を同じくするようにもなる。つまり、未央生と香雲・端珠・端正という一男三女の楽しみに対して、玉香と軒々子・臥雲生・倚雲生という一女三男の楽しみが、場所をことにして同時におこなわれるということになったのである。  ところがこの軒々子は——、  玉香と二晩ほどすごしましたところ、あのくたびれはてた東西が、みるみる元気づいてくるのを覚えました。そこではじめて玉香の戸の妙味がどんな補強の薬にもまさる妙薬であることを知って、こういう女を女房にしていたら役目のがれに逃げまわらなくてもよかったのに、と思うのでした。  臥雲生兄弟は都へ勉強にきてから、もう一年たちました。ふと故郷のことを思い出して、女房たちの様子を見に帰りたいと思い、つけとどけをして監督官にたのみ、数カ月の休暇をもらいますと、三人はそれぞれ玉香と名残りの一夜をすごしてから、別れて故郷へむかいました。  三人が家へもどりますと、妻たちはそれぞれ祝い酒を出して夫を迎えましたが、それがすむと、さっそく床へはいってふざけながら夫にたずねます。 「この東西ったら、都でずいぶん遊んだようね。どんな人と遊んだの?」  夫の東西を見ていちばんおどろいたのは香雲でした。前にはくたびれて役にたたなかったのが、立派に役にたつどころか、くたびれる前よりもずっと逞しくなっているのです。香雲は戸の中にそれを感じながら、送迎するのをやめて、たずねます。 「おかしいわ、別の人みたい。これはいったいどういうことなの?」  すると軒々子は得々として玉香のことを話し出し、その三種の妙技の絶妙さ、ことに陰を舎きて陽を助く技の無上のすばらしさ、まさにかんとするとき花心が口をあけながら戸口までせり出してきて東西にからみつく快美を、ことこまかに話しました。香雲は自分の大鳥貝がにわかにみすぼらしくなっていくような思いで、負けじと送迎にこれつとめましたが、つとめればつとめるほど夫が自分をさげすんでいるように思われてならないのです。ちょうど一年前までは自分が夫の東西を力なしとさげすんでいたように。  翌日、香雲はそのことを瑞珠と瑞玉に話しました。すると二人も、昨夜同じことを聞かされたといいます。 「しかしわたし、そんなこと嘘だと思うわ。そんな怪物のような女がいるわけはないでしょう。もしほんとうにいるとしたら、わたしたちは三人とも役たたずってことになるじゃないの」と瑞珠がいいますと、瑞玉も、 「あれは三人で相談してこしらえた話にちがいないわ。わたしたちを刺戟して、もっと気をいれさせようと思って、あんなことをいったのよ」といいます。 「しかしあなたがた、ご主人のが前よりも立派になってはいなかった?」 「さあ、別になんとも感じなかったけど」 「わたしのところはちがうのよ。前はもうまるで役にたたなかったのが、前よりもずっと立派になってるのよ」 「まあ、そんなに! それなら一度お目にかからせていただきたいわ」  瑞珠と瑞玉は笑っているのですが、香雲は大まじめです。 「あの人なら世間が広いから、そんな妓女がいるとしたら知っているにちがいないわ。こんど会ったらあの人にきいてみましょうよ」  あの人というのは未央生のことです。  それから幾日かして、清明節になりました。三人の夫はいっしょにお墓参りに行って、翌日まで帰ってきません。  香雲たちはそこで、女中に未央生を呼びに行かせました。そして未央生がくると、すぐそのことをたずねましたが、未央生は知りません。 「世の中にはいろいろ不思議なこともあるものです。妓女のなかにはそんな戸の持ち主もいるかもしれませんよ。その女が都にいるのなら、こんど行ったとき一度会ってみましょう。そのとき、もしわたしにそういうことをしたら、それこそほんとうの怪物ってことになりますね」  四人はあれこれと話しあい、未央生はその夜は泊ってまた「共体連形」の楽しみをつくし、翌日帰って行きました。  家に帰って未央生は考えました。 「三人の亭主のいったことが、一つの口から出たように同じだということは、ほんとうのことだからにちがいない。そんな変った女がいるのなら、ぜひとも会いたいものだ。おれもこのごろ、一度に三人、四人とお相手をして、だいぶん精をへらしてしまったから、吸精の法を学んで一度補強しなければならぬ。その女がいろいろと妙技を心得ているのなら、一晩遊んでその法を教えてもらおう。そうすれば一生つかっても、もうへらないだろう」  未央生はそう腹をきめますと、先ず故郷へ帰って妻に会ってから、都へ行ってその名妓を訪ねることにしました。  ——妻と名妓とが同一人であることを未央生は知らない。未央生がそれを知ったとき、なにごとがおこるであろうか。  その次第は次回でお話しすることにいたしまして、今回はまずこれまで。 なすびの話 「うらやましそうに書いてたね」  と友人のS君がいった。前回の、玉香が修得した妙技——まさにかんとするとき、戸の奥から花心が戸口までせり出してきて、東西にからみつく、という話のことである。 「あれはね、ナスビじゃないのか」  とS君は事もなげにいった。  S君というのは、このところしばしば登場してもらっているH君とともに、私がこの話を書く上でいろいろ教えを乞うている友人のひとりで、もうだいぶん前のことだが、彼が作った川柳で、 ぬけるまでそうしていなと内儀いい  というのを話の中に使ったことがあるといえば、読者の中には「ああ、あれか」と思い出してくださる方もあるかもしれない。  ところで、 「ナスビってなんだ?」  と私がききかえすと、S君は、 「また! とぼけるなよ」  といって、 かわらけとナスビ夜湯《よるゆ》にさそいあい  という『末摘花』の句をもち出し、 「はずかしがって、人のすくない仕舞《しまい》風呂へ行くというのだが、そのナスビのことじゃないのか、花心が戸口までせり出してくるというのは」  念のために、机の上の辞書を引いてみると、こう書いてあった。  なすび(茄・茄子) 一 茄科の一年生草本…… 二 紋所の名…… 三 病気のためウテルスがバギナの外にあらわれ出でたるもの。  さらに念のために、あの、ゆきつけの古本屋の主人がおまけ《ヽヽヽ》にくれた、婦人雑誌のおまけ《ヽヽヽ》をしらべてみたら「お産での異常」という項のなかに、つぎのように書かれていた。 「分娩の際、胎児が通過したために骨盤底の筋肉がゆるみ、そこに腹圧がかかってウテルスがさがり、バギナから外に出るものをウテルス脱と呼びます。さがっても外にまで出てこない状態をウテルス下垂といっています。産後にあまり休養を取らず、立ち仕事や腹に力のはいる労働などをすることが原因と見られていますが、元来骨盤底の筋肉の発育が弱いことも素地になります。その形が似ているためか俗になすびと呼ばれています」 「色が似ているからという説もあるね」  とS君がいった。 「鳥貝色か」  というと、S君は大笑いをして、 「君は艶芳という女のを、いつも大鳥貝と書いているね。艶芳をナスビということにしておけばもっとおもしろかったのに」 「そうはいかんよ。おれは原作をなぞっているだけだから」 「ところで、その医者先生の説明は、玉香にあてはまるじゃないか。玉香は権老実と駈落ちをしている途中で、慣れない旅で無理をしたために子供が下りてしまったんだろう? すると権老実はこれさいわいと玉香を娼家へ売りとばした。娼家で玉香は、顧仙娘に鞭でたたかれながら、例の妙技を夜となく昼となくしこまれたんだったね。つまり、そこに書いてあるように、産後に休養をとらずに腹に力のいる労働をさせられたわけだ。だからナスビになったんじゃないのか」 「玉香のはナスビじゃないよ。まさにかんとするとき、東西を追っかけて戸口までせり出してくるんだから」 「その医者先生の言葉でいうと、玉香のはウテルス脱じゃなくて、ウテルス下垂だろうな。流産したときに骨盤底の筋肉がゆるんじゃったんだよ」 「おいおい、これは昔の風流小説だぜ」 「そうさ、まあおこるな、その昔の風流小説に科学的照明をあてると、そういうことになるってわけさ」 「それじゃ、ナスビは快美なのかい?」 「それは知らん。その医者先生も快とも不快とも書いていないから、それはH君にでも実践的照明をあててもらうよりほかないね」  S君も私同様、わいわいとバカなことをいってさわいでいるのが好きなだけで、実践派ではない。ナスビが快美なりや否やはいずれH君にきいてみることにしよう。  S君は私が玉香の妙技を「うらやましそうに書いている」と見て、私をひやかしにきたのだった。うらやむな、うらやむな、それはナスビなんだ、病気なんだ、と。おせっかいなヤツである。その道の達人である未央生でも、話を聞いてうらやましく思ったのだから、私がうらやましそうに書いたとて、なにも水をぶっかけることはなかろうに。  さて未央生は、ナスビの——じゃない、戸口までせり出してきて東西にからみつく花心の話を聞いたとき、ぜひともその妙技の持ち主に会いたいと思ったのである。そして、いちど郷里へ帰って妻にも会ってから、都へ行ってその名妓を訪ねようと決心した。  そこでさっそく旅仕度をととのえ、義兄弟の賽崑崙《さいこんろん》に留守中の家の世話をたのんだ。——読者は、この賽崑崙という大泥棒を覚えておられるであろうか。彼がこの物語に最初に登場したのは、 ぬけるまでそうしていなと内儀いい  というS君の川柳を入話《まくら》にした話のときである。そのとき彼は、このあたり数百里内外の女なら、あそこの家の女の戸の具合はどう、ここの家の女の戸の形はどうと、みんなつぶさに知っていると豪語した。だが、彼はただ見て知っているだけであって、試みて知っているわけではない。 してゆくはよくよく好きな夜盗也  というような泥棒を彼は軽蔑する。品物を盗みにはいって女を盗むようなことは、彼の義として為さざるところである。  そのとき賽崑崙は、これまでに見たいろんな戸のことを未央生に話したところ、未央生はしきりにうらやましがって、その中でいちばんいい戸に会わせてくれと彼にたのんだ。そこで賽崑崙は、未央生にふさわしい広陰の持ち主を教えたのである。それが艶芳で、いわば彼は未央生と艶芳との仲人のような存在なのである。  その賽崑崙に、未央生は留守中の家の世話をたのんだ。家には艶芳と、生まれて一年あまりになる双子の子供がいる。 「それは、こまるよ」  と賽崑崙はことわった。 「子供だけならいいが、あの好きものの奥さんの閨房《ねや》の番は、ごめんこうむりたいね。暮らしむきの世話なら、商売柄なんだって用立てられるから、いくらでもやるがね」 「いや、暮らしの世話だけで結構なんだよ。閨房《ねや》のことなら心配ないさ。兄貴も知ってるとおり、あれの戸に合う男なんて、めったにいやしないから。権老実のがどうにか間にあったんだが、それにあきたりなくて私といっしょになったんだ。私のようなのが二人といるはずはないから、その点は安心だよ」 「それじゃ、ひきうけよう」  そこで未央生は、花晨・香雲・瑞珠・瑞玉に手紙を書いて、しばらく旅に出ることをつたえ、艶芳とは幾晩か名残りの抽送を楽しんで、ようやく旅立ちます。  幾日かして故郷に着きました。鉄扉道人の家へ行って門をたたきましたが、いくらたたいても誰も出てきません。 「こんなに厳重に閉めてあれば、誰もはいれるはずはない。これなら玉香も、ほうっておいても心配はあるまい。家へなんか寄らずに、まっすぐに都へ名妓を訪ねて行けばよかったわい」  そんなことを思いながら、なおたたいておりますと、日暮れになってようやく、門のすきまから人影が見えました。のぞいて見ると、鉄扉道人です。 「おとうさん、私です。帰ってきました、門をあけてください」  と呼ぶと、道人はびっくりしたふうで、あわてて門をあけて未央生を中へ入れ、奥へつれて行きます。  奥の間へはいって挨拶をすましてから、未央生が、玉香は元気ですかとたずねますと、道人は溜息をもらして、 「このわしはまあまあ元気なんだが、娘は、おまえさんが旅に出たあと、すぐ病気になって、夜も眠れず食べ物ものどを通らず、気ふさぎの病気で、一年たらずのうちに死んでしまってな」  そういって、声をあげて泣きだしました。 「どうしてまた、そんなことに!」  と、未央生も泣きだしましたが、しばらくしてから、 「棺《ひつぎ》はどこにあるのです? もう埋葬してしまったのですか」  とたずねますと、 「物置に置いてある。おまえさんが帰ってきてからお葬《とむら》いをしようと思ってな」  未央生は物置へとんで行って、棺の上におおいかぶさって、またひとしきり泣きました。  ところで、みなさん、この棺はいったいどこからあらわれたのでしょうか。玉香は死んでなんかいません。いま都で名高い三種の妙技の持ち主、これから未央生が訪ねて行こうとしている名妓が玉香であることを、みなさんは御承知のはずです。  鉄扉道人は、娘が下男の権老実と駈落ちをしたということしか知りません。道人としては、婿の留守のあいだに娘が下男と駈落ちをしたなどということは、婿に対していうわけにはいかないのです。ことにこの道人はいかめしい道学者なのですから。  道学者などというものは、まことに窮屈なものである。それならばそれで、いっそのこと断乎として風流などとは絶縁すればよいのだが、そうではないのだからおかしい。 『笑府』にこんな話がある。  ある道学先生、事をおこなう前に理屈をこねて曰く、 「わしはこんなことが好きだからやるのじゃない。御先祖の供養をする者を絶やすまいと思って、やるのだ」  一突きしてから、また理屈をこねて曰く、 「わしはこんなことが好きだからやるのじゃない。お上のために人口をふやそうと思ってやるのだ」  さらに一突きしてから、 「わしはこんなことが好きだからやるのじゃない。天地のために万物の生長することを願って、やるのだ」  そしてまた一突きする。 「四突き目にはなんというのだろう?」  ときくと、物知りの曰く、 「それ以上はいわない。道学先生などというものは、せいぜい三突きでおわってしまうものだ」  さて、鉄扉道人は道学者ですから、娘が駈落ちしたなどということは、どうしてもいえません。世間の人に知られたら、それこそいい笑いものになってしまいますし、婿に知られたら、いいわけの仕様がないからです。そこで鉄扉道人は、娘が死んだことにして、棺を買ってきて釘付けにしておいたというわけなのです。こうしてごまかして、道学者としての体面をつくろおうというのですから、あさましいというよりほかありません。  未央生は道学先生である鉄扉道人が、まさか嘘をいうなどとは思いませんから、すこしも疑わず、自分がなかなか帰ってこなかったために玉香が気ふさぎの病気になって死んだのだと信じて、わるかったと自分をせめるばかりです。せめてもの罪ほろぼしにと、さっそく何人もの高僧をたのんできて、三日三晩のあいだお経をあげてもらいました。罪ほろぼしといっても、未央生のことですから、こんな虫のいいことも同時に考えております。つまり、玉香に早くいいところに生まれかわっておくれ、と祈っているのです。わしを怨んであの世からやきもちをやかないでおくれ、と。  それですから、三日間の供養がすむと、さっそく鉄扉道人にこういいます。 「玉香もいないことですし、せっかく帰ってきたものの、これでは家にいても落ちついて勉強もできそうにもありません。それで、また遊学に出かけたいと思うのですが」 「おお、そうするがよい」  と道人はいいます。道人にとっても、いまは未央生がいないほうが気がらくなのです。そこであれこれと旅費のさんだんをして、内心ほっとしながら未央生を送り出しました。  未央生は道人に別れを告げて、いそいそと都へ旅立ちます。名妓に会うのが目的であることは、いうまでもありません。  ところで、ちょうど未央生が玉香の供養をしているころ、艶芳は賽崑崙の眼をぬすんで、どこかへ姿をくらましてしまったのです。 「あれの戸に合う男なんて、めったにいやしないから、大丈夫だ」  未央生が旅立つとき、賽崑崙にそんなことをいっているのを耳にして、艶芳は内心、フフンとうすら笑いをうかべていたのでした。  未央生が、花晨・香雲・瑞珠・瑞玉の四人とさんざん楽しみをしてから、家に帰ってきたときのことを、思い出していただきたい。あのとき艶芳は、さっそく大鳥貝の口をあけて、四カ月の貸金をいちどに取りたてようとわくわくふるえながら待ち受けていたのに、豈《あに》はからんや、相手は民窮し財尽きて、取りたて不可能な状態であったことを。  以来、艶芳は大鳥貝の持ち主であるだけに一層、ひとりで悶々としていたのである。旅立つ前に未央生は大奮発をして、幾晩か名残りの抽送をおこなったものの、楽しんだのは未央生だけで、艶芳にはいまは、前夫の権老実の東西のほうがまだまだ力があったと思われるのだった。しかし、いまさらどうにもならない。未央生のいったとおり、そうたやすく合う相手が見つかるはずもない。  賽崑崙なら、大きさはともかく力はあるだろうに、と思っているところへ、ある夜、泥棒が忍びこんできた。賽崑崙かもしれぬ、と思いながら、わざとしどけない恰好をして眠ったふりをしていると、逞しいのが触れてきた。泥棒は久しぶりに艶芳を堪能させたのである。それはもちろん、賽崑崙ではなかった。「よくよく好きな夜盗」だったのである。艶芳は待っていましたとばかり、その夜のうちに、その夜盗と手をとりあって姿をくらましてしまった。  後に、賽崑崙はこう語っている。  あのあばずれが姿をくらましてから、おれは、毎日さがしまわった。ひっとらまえて痛い目にあわせてやらんことには気がすまないじゃないか。あいつのかくれていそうな家には、かたっぱしから忍びこんでみたんだが、どこにもいないじゃないか。いないも道理、あいつは坊主といっしょに穴倉の中にかくれていやがったんだ。  穴倉へはあいつをさがしに入ったんじゃないんだ。坊主でありながら、盗みもすれば殺しもするというひどいやつがいて、穴倉の中にしこたま金銀をたくわえているということを泥棒仲間から聞きこんだので、あっちこっち嗅ぎまわって、ある晩、その穴倉をさがしあてたんだ。忍びこんでみると、坊主が女を抱いてうまくやってるじゃないか。かげにかくれて様子をうかがっていると、女の声が聞こえてくる。 「あたしのはじめの亭主は、世間並みで、たよりなくて仕様がなかったわ。二度目のは、野暮な男だったけど、ちょうど具合よく合ったのよ」  男の声は聞こえないのだが、なにやらいったらしい。そうすると、女がくすくす笑いながら、 「そりゃ、このほうがすばらしいわよ」  とかなんとかいってやがるんだ。そのうちに、このおれの名前が出たんだ。 「賽崑崙って大泥棒がいるでしょ。あいつがあたしを未央生という男にとりもって、そっちのほうへおしつけてしまったのよ。前の亭主のよりもすばらしくて、当座はあたしも夢中だったけど、そのうちに家をほったらかしにして浮気ばっかりして歩いて、それはまあいいとしても、そのうちに精も根もつきたとみえて、ようやく帰ってきたときにはもう役にたたないのよ。あたしのは普通じゃだめだから、どうしようもないでしょう、さびしかったわ、ずっと。あんたのこれに出会うまでは」  そんなことをいってやがるんだ。そこで、そいつが艶芳だとわかったんだ。大声に名前を呼んだら、あのあばずれめ、びっくりしやがって裸のまま寝台からとびおりやがったが、おれが大ダンビラを抜くと、逃げ場がなくてまた坊主めに抱きつきやがった。そこをおれは、二人を重ねたまま、ばっさりと四つにしてしまったというわけだ。そのあとでさがしてみると、金だけで二千両もためこんでいやがった。そいつをそっくりちょうだいして、みんな困った人たちに配ってやったよ。坊主も艶芳もそれでいくらかなりとも罪ほろぼしができるだろうと思ってね。  さて一方、都へ名妓を訪ねて行った未央生はどうなるか、それは次回にゆずって、今回はまずこれまで。 あわれな話  玉香が顧仙娘《こせんじよう》から修得した妙技、まさにかんとするとき花心が戸口までせり出してきて東西にからみつくという妙技を、S君が、それは妙技ではなくてウテルス下垂という病気、つまり俗にいうなすび《ヽヽヽ》だ、といったことは、前回のはじめに話したが、それが果して快美なのか否かについてはS君も知らず、結局、実践派のH君にでも聞くよりほかないということになった。  その後、私はH君の門をたたいて、たずねた。ナスビは快美なりや否や。  H君の答えは明快であった。ナスビというのは常に下垂している状態であって、これは病気であるが、玉香のは、まさにかんとするとき下垂するのであって、極めて健康な状態である。これをナスビというのはあやまりである。 「だから、ナスビは快美なりや否やなんていう質問は、愚問だね」 「乞う、先ずその愚問に答えて我が蒙《もう》を啓《ひら》け」  と辞を卑《ひく》くして教えを乞うと、 「快美であるはずはないじゃないか。戸口から花心がはみ出しているんだよ。第一、できっこないじゃないか」 「東西でおしこんでやるってわけにはいかないのか」 「そんなのにぶつかったことはないからわからんが、まず、だめだろう」 「なるほど、愚問だったね。それじゃ、ナスビのような状態になるのは、つまり玉香のような状態になるのは、快美なりや否や」 「ますます愚問だよ。快美だからそのような状態になるのであって、相手が、まあ君なら君がそれを快美と感ずるか否かは君の感度の問題だよ」 「きびしいねえ。おれは下垂するやつにぶっつかったことがないなんていうと、感度がわるいのだと決めつけられそうだな」 「そうだよ。君が相手に快美を感じさせれば、勿論相手の感度も問題だが、相手の花心は必ず下垂してくるものだよ。下垂の程度の差はあるがね。玉香のは著しく下垂する例だな」 「………」 「一つ、壮大なのを見せてやろうか」  と、H君は立ちあがった。  なにをするのかと見ていると、彼は押入れの中に頭をつっこんでしばらくごそごそやっていたが、やがて一個の箱をひっぱり出し、その箱の中から一冊の和本を選び出してぱらぱらとページをめくりながら、 「まあ、この規模壮大な浪《よが》り声を聞いてみろよ」  と、その本を私に手渡した。『通俗如意君伝』という本であった。 「如意君伝は君も持っているね。これは如意君伝の和訳ということになっているのだが、実は如意君伝をもとにした江戸時代の創作なんだ」  H君はそういいながら、ある個所を指さした。そこには、則天武后《そくてんぶこう》の浪り声が書かれていた。 「快美々々。中華も九夷も悉《ことごと》く朕が牝《ひん》中に聚《あつ》まる。この興の外、何を以てか最上の楽しみとせん。牝吻《ひんふん》に歯あらば、麈柄《しゆへい》を噛み切るべし。舌あらば、麈柄を纒《まと》いて吸い切るべし。牝屋《ひんおく》に喉《のど》あらば、呑みて再び抽《ぬ》かざらん。一身の気血、牝より漏れ尽きんとす」  牝とは戸、麈柄とは東西、牝屋とは花心のことである。則天武后のお相手をつとめるのは巨陽の持ち主の薛敖曹《せつごうそう》という寵臣。  薛敖曹はこのとき、おのれの麈柄が、やわらかな歯で噛み切られそうな、舌にまといつかれて吸い切られそうな、喉に呑みこまれて吸い取られてしまいそうな快美にまきこまれ、ついにたえきれなくなって抽《ぬ》き出そうとする。そして、 「牝溝《ひんこう》の際に漏精せんとすれば、牝屋ついに牝外まで呼び出さるるを見るに、その色火の如くにして、菱《ひし》の形に似たり。唇は三角に披《ひら》けて、精水を受け含む度に口蠢《うごめ》く」  なるほど、規模壮大だな、と私は思った。その牝屋が麈柄の頭を追って牝外までせり出し、その先端の三角の口をうごめかせて麈柄の精を受け含むとは! さもありなん、武后の快美は、中華も九夷も(つまり全世界が)悉く朕の牝中にあつまるというほどの快美なのだから。 「わかったよ」  と私はH君にいった。  ところで、武后の花心は、せり出してきて相手の精を吸うのだが、玉香のは、逆に、せり出してきて相手に自分の精を吸わせるのである。玉香のその妙技に接すると、精力が倍加して身体中に力がみなぎり、顔の色もつやつやしてくるというのだから、未央生ならずとも、世の男性たるもの、一度はその妙技に接してみたいと願うのは無理もない話である。  未央生は、その妙技の持ち主が玉香だとは知らない。玉香は艶芳のもとの夫の権老実のために青楼に売られて、名を妙娘《みようじよう》とかえていたからである。  都へその名妓を訪ねて行くついでに、未央生は、郷里へ帰ってみて、玉香の父親の鉄扉道人から、玉香は未央生の帰るのを持ちわびているうちに気ふさぎの病気になって死んだと知らされた。さすがの未央生も、それを聞いて玉香をあわれに思ったが、三日間の供養をすませると、鉄扉道人に別れを告げて、いそいそと都へ旅立った、というところまでは前回に述べたが、さて、未央生は都へ着くと、宿を取って旅装をとくなり、さっそく顧仙娘《こせんじよう》の青楼へ行って、妙娘に会いたいと申しこんだのである。ところが、あいにく妙娘は馴染の客に呼ばれて遠出をしており、二、三日は帰ってこないとのこと。  一日千秋というが、未央生にとって、宿ですごした二日間はまさにそうであった。二日たってまた青楼へ訪ねて行くと、 「夕方までには帰ってまいりますから、もし御用がございませんでしたら、上ってお待ちになってくださいませ」  と顧仙娘がいう。 「妙娘さんに会いたいばかりに都へ出てきたのです。ぜひそうさせていただきます」 「まあ、さようでございますか。それでは妙娘の部屋へお通しいたしますから、本でもお読みになるなり、昼寝をなさるなりして、お待ちくださいますように。帰ってまいりましたら、すぐお相手をさせます」  顧仙娘はそういって未央生を玉香の部屋へ案内し、女中に茶を出させると、そのままひっこんでしまった。  未央生は夜の戦闘にそなえて十分に休養を取っておこうと考え、昼ごろから夕暮れまでぐっすりと眠った。眼をさまして寝台から下り、たいくつしのぎに、そこにある本をぱらぱらとめくっていると、薄絹を垂らした窓のむこうから、綺麗な女がちらりと窺《のぞ》いたかと思うと、あわてて駈けだして行くではないか。 「いま、ちょっと窺いたのは誰だい」  と女中にきくと、 「あれが妙娘ねえさんです」  という。未央生は、さては嫌われたかと思い、とにかく会うだけでもと、急いで追いかけて行った。  一方、玉香は、薄絹の窓ごしに一眼見て未央生だとわかり、権老実とのいきさつを知って捕えにきたのだと思いこんで、顧仙娘にわけを話してなんとかうまくのがれる方法を考えてもらおうと、あわてて駈けもどって行ったのだったが、ふり返ってみると未央生が追いかけてくるので、顧仙娘の部屋へ逃げこむなり、わけを話すいとまもなく、 「あの人には会いたくないの。会わせないで」と、扉を閉めて、片隅にうずくまってしまった。顧仙娘はわけがわからなかったが、相手が気にいらなくて会うのが嫌なのだろうと思って、出て行って未央生にいった。 「妙娘から便りがありまして、ひきとめられてどうしても帰れないといってきたのですが、どうしたものでございましょう」 「妙娘さんはいま帰ってきたじゃありませんか。どうしてそんなことをいうのです。もっと金をはらえというのですか」 「本当にまだ帰ってこないのですよ。お金がどうのこうのというのじゃございません」 「さっき、窓の外から窺いて逃げて行ったのを、この眼で見たんですよ。どうしてそんなでたらめをいうのです。わたしが嫌いなら嫌いでいいが、挨拶ぐらいはさせたっていいじゃありませんか。顔さえ見せてくれたら、ちょっと話をしただけで、帰りますよ。なにもそう、毛嫌いすることはないじゃありませんか」 「ほんとうに妙娘はまだ帰ってこないのですよ」 「わたしはさっき、一人の女があんたの部屋の中へかくれたのを見たが、ほんとうに帰っていないというのなら、わたしに部屋をさがさせてもらおう。さがしてもいなかったら、わたしは、女もあきらめるし、はらった金もいらないよ」  顧仙娘は未央生が強く出たので、部屋へはいってさがされては立つ瀬がなくなると考え、仕方なくこういった。 「ほんとうは、帰ってきたにはきたのですが、たちのわるい男に幾晩も責めつけられて、身体をこわしてしまったものですから、一日二日休まないことには、とてもお客さまのお相手はできないのですよ。どうしても会いたいとおっしゃるのでしたら、呼んでまいります」 「いや、わたしが自分で呼ぶよ。あんただと、またうまいことごまかしてしまうかもしれぬからな」  と、未央生は顧仙娘といっしょに部屋の前へ行った。 「妙娘、旦那さまが会いたいといっておられるのだよ。出てきて御挨拶をしなさい」  と顧仙娘が呼んでも、返事がない。なんど呼んでも同じだった。未央生も呼んだが、いくら呼んでも、扉は開けられない。  一方、玉香は部屋の中で、未央生と顧仙娘がしきりに呼ぶのを聞いていよいよ進退きわまった思いであった。出て行ったら、役所へつき出されてお仕置を受けなければならないだろう。そんな目にあうよりは、いっそのこと死んでしまったほうがましだ。そう思うと、覚悟を決めて腰紐をほどき、梁《はり》にかけて、首をつってしまった。ああ、哀しいかな。しばらくのあいだ都にその名をとどろかせた妙技の持ち主も、こうなってしまっては、もうおしまいである。人の世は、すべてみな一場の夢か。  未央生は、いくら呼んでも返事がなく、いくら叩いても扉があかないので、とうとう扉を打ち破って中へおし入ったが、はいったとたんに、アッとおどろいた。眼の前に女が梁からぶらさがっているではないか。これはえらいことになった、あわてて逃げだそうとすると、顧仙娘がその腕をとらえてわめきたてた。 「どこへ逃げようというのだね。おまえさんは、いったい、あたしになんの怨みがあって、あたしが苦労して仕込んだ大事な娘を死なせてしまったんだね。この、人殺しめ!」  顧仙娘のわめき声を聞いて、嫖客たちがぞろぞろと集まってきた。みんな玉香の馴染の若旦那たちで、玉香が何日もつづけて遠出をしていたのでしばらく会えなかったところ、帰ってきたと聞いて、われ勝ちに会いにきた連中である。ところがその玉香が殺されたと聞いて、おどろくやらなげくやら、みんなカッとなって番頭たちにいいつけ、いっせいに未央生におそいかからせて地べたにおさえつけ、薪や棍棒でめった打ちにさせた。ただ急所だけは外れていたが、ほかのところは身体中、一寸の隙間もないほど打たれて、全身が紫色にはれあがってしまった。みんなはさんざん打ちのめすと、鉄のくさりで縛って死人の傍へつないでおいて、役人を呼びに行った。  未央生はさきほどは、びっくりして逃げることに気をとられ、死人の顔を見るどころではなかったが、いま死人の傍につながれて、いったいどんな顔の女かと窺きこんでみて、アッとばかりおどろいた。  その顔は死んだ妻とそっくりではないか。 「玉香のやつは、あるいはよその男と駈落ちをしたのかもしれぬ。岳父《おやじ》は自分の娘の不始末をかくそうと思って、棺を買ってきておれをだましたのじゃなかろうか。いや、それにちがいない。そうすれば、この女は玉香だ。おれを見て逃げたのは、そうだからだ。もうどうにも逃げられないと知って、首をくくってしまったのだ。しかし、あの玉香が妙技の持ち主だったということは、がてんがいかないが……」  未央生はそのとき、玉香の頭のてっぺんに灸《きゆう》のあとがあって、それが小さい禿《はげ》になっていたことを思いだした。そこで、まげをほどいて髪の毛を分けてしらべてみると、果して、指さきほどの禿があった。もはや疑う余地はない。  そのとき、どやどやと役人たちがやってきて、訊問をはじめた。 「この首をつった女は、わたくしの妻でございます。人にかどわかされて、顧仙娘に売られて客をとっていたのです。じつはわたくしも、妻とは知らずに、評判を聞いて来てこの女を買おうとしたのですが、妻のほうではわたくしだということを知って、顔を見せるのがつらくて、首をつってしまったのでございます。妻の死体の傍に縛られてから、よく顔を見て、はじめてそういう事情がわかりました次第で、決してわたくしが殺したのではございません。どうかお役所へおつれくださって、よくおしらべくださいますよう」  未央生がそういうと、役人はこんどは顧仙娘を訊問した。 「この女を、おまえは誰から買ったのか」  顧仙娘はどういったらよいかわからず、おろおろして、辻褄のあわぬことを喋っていたが、やがて、 「この女といっしょに、女中を買いました。この女についてきた女中でございます。それにおききになれば、売った男のこともわかるかもしれません」  といった。 「死人には口なしだから、その女中にきけばわかるだろう」  役人たちはそういって、顧仙娘に女中をつれてくるように命じた。顧仙娘は家の内外をあちこちさがしまわったが、どうしても見つからない。  さて如意はどこへ行ってしまったのでしょうか。  じつはどこへも行っていないのです。この部屋の顧仙娘の寝台の下にかくれていたのでございます。とうとう見つかって、人々に引きずり出されましたが、この女も未央生を見たときこれはえらいことになったと、玉香同様、あわててこの部屋へ逃げこんだのでございますが、玉香が首をつってしまい、未央生が部屋へとびこんでくるのを見ると、どこにも逃げ場のないまま、寝台の下へもぐりこみ、じっと身をちぢめていたのですが、とうとう見つかって引きずり出されたというわけでございます。役人は未央生を指さしながら、如意にたずねます。 「おまえはこの男を知っているか」  如意はしきりにかぶりをふって、知らぬ存ぜぬでおしとおそうとするのですが、いかんせん、その顔色は逆に、知っていると白状しているのです。役人はこれはくさいぞとにらみ、かくすとためにならぬぞ! と大声でおどかしますと、如意はついに、玉香が家にいたときある男と通じて子供ができてしまったこと、玉香はそれを父親に知られて非道《ひど》い目にあわされるのをおそれて、その男と駈落ちをしたところ、途中でその男が、ついてきた自分もいっしょに売りとばしてしまったことを、一切白状してしまいました。  原作はそんな調子で語られるのだが、くどくどしい話ははぶいていえば、役人たちはあれこれ協議した末、未央生も、顧仙娘も、如意も、無罪放免ということになるのである。  放免された未央生は、身体中がはれあがって歩くのもやっとのこと、はうようにして宿にたどりついたが、身体はますますはれ、熱も出て、いたみはいっそう激しくなるばかり。 「ああ痛い。ああ苦しい。おれは、人の女房はおれと寝るもの、おれの女房はおれのもので、人と寝ることはないと信じていたので、女房をほったらかしにして年中おんな漁《あさ》りをし、天下の滋味をみんな嘗《な》めつくしてやろうとしていたのだが、こんなに早く、自分の身にめぐりあわせが返ってくるとは! ああ痛い。ああ苦しい。なんと、おれが人の女房と寝ていたときには、人がおれの女房と寝ていやがったのか! おれが人の女房とこっそり寝ていたとき、人はおれの女房と大っぴらに寝ていやがったのか! おれが人の女房を妾にしていたとき、人はおれの女房を女郎にしてやがったのか! ああ痛い。ああ苦しい。ずっと前におれに姦淫の報いの話をしてくれた坊さんがいたが、おれはそんな報いなんてあるものじゃないといい返したが、現に報いはおれに返ってきたのだ。もう、女なんてこりごりだ。ああ痛い。ああ苦しい……」  この未央生の口から、女なんてこりごりだという声を聞こうとは! ここから話は急転直下して、大団円になるのだが、それは次回での話で、今回はまずこれまで。 切り落す話  本妻と妾とを同居させている男がいた。  昼間は仲よく暮らしていたが、夜になると二人の女が焼きあってうるさくてならぬので、男は思案にあまっていった。 「さて、今夜はどうしよう? おれが自分できめると、おまえたちはいがみあうから、今夜は一つ手をかえて、こうしようじゃないか。おれは何もせずに仰向けに寝ているから、おまえたちで勝手におれの東西を起きあがらせるがよい。東西が向いたほうへ行くことにしよう」  二人の女は承知して、左右にわかれ、互いに東西をなでたりさすったりした。と、たちまち東西は起きあがって帆柱のようになる。男はその、右にも左にも傾かずに直立している東西を見て、大いに笑いながらいった。 「この正直者!」  これは、『笑林広記』の抄訳本の一つ、『解顔新話』(寛政六年刊)という小咄集にある話である。  このあと、この男が二人の女をどういう方法で満足させたかは、みなさんの御想像のままだが、未央生ならば、たかだか二人の女に互いにやきもちを焼かせるなどということはなかった。  香雲・瑞珠・瑞玉と同居した当座は、未央生は一夜を、前夜・中夜・後夜の三つにわけて平等に三人をたのしませたことを、みなさんは覚えておられるであろう。その方法では相手に休養をとらせる暇がないとさとってからは、第一夜を香雲、第二夜を瑞珠、第三夜を瑞玉、そして第四夜を「合体連形」と称して三人といっしょにすごして同時に三人を満足させたことも、みなさんは覚えておられるはずである。 「合体連形」というのは、わが国の専門語でいうならば「谷渡り」。つまり、谷間《たにあい》をわたりあるくことである。未央生の場合は、三人を並べておいて先ず一人にとりかかる。一人が浪声を発しだすと、ぱっとその隣りへ移る。空《あ》いている二人は、隣りの者と未央生との抽送・送迎のさまをつぶさに眺めながら、戸をふるわせて自分の谷のふさがる番を待ちどおしがる。  浪声のつぎにくるものは、滂流横溢である。一人が滂流横溢しだすと、未失生はまたぱっとその隣りへ移る。空いている二人は……、というわけで、未央生は三人が三人とも、数知れずき、息もたえだえになるまで谷渡りをつづけるのである。  ところで、私のこの長話もいよいよ今回でおしまいということになるので、ここで、しばしば寄せられる疑問の一つにお答えしておくことにしよう。  私のこの話にかぎらず、すべて風流本には滂流横溢することが書かれているが、はたしてそういうことがあるのか、あるいは、誇張なのか。もしほんとうにあるのなら、それはいったいどこから出るのか。——という疑問である。  これはくときのことではない。くときのことについては、玉香の妙技の話のところで述べた。人によっては、そのとき、花心が下垂してその頸管から精を射出することがある、という医学者の説を引いて。  滂流横溢については、私も釈然としないままだったのが、つい最近、私の疑念を察してであろう、友人の林富士馬先生が黙って『東京医師会雑誌』(第二十巻第四号)を貸してくれた。そこに、長沢米蔵先生の『スケネ(Skene)腺』というエッセイがあった。  それによると、尿道開口部の両側に対称的に、スケネ腺という腺の開口部があって、その腺口からの分泌液は無色透明で、粘着性はなく、ほとんど無臭で、「どんなに多量の分泌が溢れ流れても、忽ちに乾燥して殆んどあとを残さないのが特徴」であるという。  このスケネ腺の開口部は、人によって、尿道口の両側に対称的に二つずつあることもあり、また、一つずつだけのこともある。一つずつの場合は、開口部が大きく、分泌もさかんで、その流量あるいは流域は、二つずつの場合よりも大であるとして、つぎのような実例があげられている。  A氏の愛人の或る中堅舞踊家は、特別の名香を有し、しかも、はげしい興奮状態を持続するという。A氏の話によると、彼女の分泌はまことにすさまじく、雪解けのときの谷川の流れのようで、その液体だけでシーツの広範囲をべとべとに濡らしてしまうが、すこし時がたつと、粘液性ではないので乾いてしまってほとんどわからなくなる、ということである。  長沢先生はまた、つぎのようにも書いておられる。すこし長くなるが引用させていただく。 「その実証の二、三の例をあげてみると、われわれの友人、いまは故人になったが、その道の達人を以て自他ともに許しておったT君は、ある若き女性を納得せしめ、明視し得べき状態において、クリトリスに刺戟を加えたところ、その女性が興奮状態になってくると、あの尿道口外側の開口部から、実際にトロッ、トロッと流出して、忽ちにして性器全体に溢れてきたのをハッキリと実験しておるのである。  また、彼《か》の性学者押鐘博士は、ある人妻から相談を受けた。それは、『あたしはあのときどうにも分泌が多くて困ってしまいますの。一回行うのに何回も始末しなければどうにもならないんです。何か病気ではないでしょうか』ということであった。そして博士は日を約束して、彼女の自宅に赴《おもむ》き、彼女を仰臥させ、彼女自身に自由にクリトリスを刺戟させ、顔を近づけて観察しておると、彼女興奮したとたんに、シュッ、シュッと音をたてて分泌液を噴出し、その液が直接博士の顔面に奔《はし》って、博士はビックリして顔を引っこめたということであった。  私も一、二度、興奮時、音をたてて噴射した実例を知っている。こんなことは相当にあるのではなかろうか」  滂流横溢ということがかならずしも風流本作者の誇張でないことは、これによって明らかである。まことに、事実は小説よりも奇である。トロッ、トロッと流れ出ることはともかく、シュッ、シュッと音をたてて噴出することを書いた風流小説を、私はまだ読んだことがない。  読者はまた、香雲の戸からは妙なる香りがただよい出ることを覚えておられるであろうか。あの香りのことも、同じく絵そらごとではないことを、長沢先生のこのエッセイは教えてくれる。スケネ腺液は一般には「ほとんど無臭」ということだが、A氏の愛人の舞踊家のそれは名香を有していたという実例があげられているから。  さて、未央生にもどろう。  未央生は香雲・瑞珠・瑞玉の三人を同時に満足させたばかりか、その後は、さらに花晨を加えた四人を相手にしてすこしもひるまなかったことも、みなさんは覚えておられるはずである。  ところがその未央生が、いまは、姦淫の報いのおそろしさにうちひしがれているのである。  都に妙技を心得た妙娘《みようじよう》という女がいると聞いて訪ねて行ったところ、こともあろうにその妙娘という女は妻の玉香だったのである。玉香は客が未央生だと知ると、かくれて、首をくくってしまった。 「おれが人の女房と寝ていたときには、人がおれの女房と寝ていやがったのか! おれが人の女房とこっそり寝ていたとき、人はおれの女房と大っぴらに寝ていやがったのか! おれが人の女房を妾にしていたとき、人はおれの女房を女郎にしてやがったのか!」  いまはもう、いくら悔いても及ばない。  そのとき未央生は、玉香を娶《めと》る前、姦淫の報いの話をしてくれた坊さんがいたことを思い出したのである。報いなどというものがあるはずはない、というと、その坊さんは、 「いくら話してもわからぬのなら、仕方がない、肉蒲団の上で悟りを開いてきなさい。悟ったときにはまたくるがよい。待っていますぞ」  といったが、そうだ、あの坊さんを訪ねて行こう、と未央生は決心した。  かくて未央生は孤峯和尚というその坊さんに弟子入りをして、頑石という法名をもらったが、それは、未央生の側からいえば、悟るのがおそくてまるで石のように頑《かたく》なだったという意味であり、和尚の側からいえば、石のように頑なだった男をついに悟らせたという意味からだった。  さて、それからというもの、頑石はもっぱら参禅をこととして悟道にいそしんでおりましたが、年の若い出家というものは、なかなかうまくいかないものでございます。淫心を制し慾火を抑えるにしても、昼間は念仏看経《かんきん》をして自然とまぎらわせることができますが、夜になって床へはいりますと、あの罪の根が知らぬまに人をゆすぶりおこします。蒲団の中で手にさわったり脚にふれたりして、抑えつけようとしても抑えきれなくなってまいります。放っておこうとしても放っておけなくなってまいります。  これを落ちつかせようとするには、指をつかって急を救うか、弟子をさがしてまぎらわせるかよりほかありません。  弟子をつかう話には、『笑府』にこんなのがある。  坊さんが弟子にいった。 「今夜はひとつ精進《しようじん》でやろう」 「精進というのはどうすることですか」 「唾をつかわないのだ」  さて、はじめたところ、弟子は痛くてたまらないので、 「お師匠さん、お願いですから精進びらきをしてくださいませ」  さて、指をつかう方法と弟子をつかう方法との二つは、僧家の方便としておこなわれていることなので、未央生はそういうこともやりません。未央生はいまは、出家は姦淫するとかしないとかいうことよりも、慾を断つことを主としなければいけないと考えているのです。この二つの方法をおこなったところで、規則にそむくわけでもなく名節をうしなうわけでもないのですが、慾を断つことができないならば、姦淫するのとなんのことなることもありません。いわんや、手銃《てづつ》は乃《すなわ》ち房事の媒《なかだち》、男色は乃ち婦人の漸《はじめ》。仮《かりもの》によって真《ほんもの》を思っているうちに、次第に真にむかっていくことは必然の勢いでございましょう。ものごとはそのはじめを禁じなければならないわけです。  ある夜、こんな夢を見ました。花晨と香雲・瑞珠・埼玉がこの寺へお詣りにきたのです。おまけに、玉香・艶芳までやってきました。未央生はそれを見て、カッとなり、花晨・香雲らにてつだってもらって玉香・艶芳を捕えようとしたところ、またたくまに二人は見えなくなってしまいました。そこで花晨ら四人の女と旧交をあたためようとして、禅房へひきいれます。みんなは着物をぬいで、かつてのように試合をすることになり、東西を戸口にあてがってまさにはじめようとしたとき、外で犬が吠えだして、はっと眼をさましたのです。ところが、夢だったことがわかってからも、かの翹然《ぎようぜん》たる東西は、蒲団の中であちらへ突きかかり、こちらへ突きかかりして、むかし馴染の戸口をさがしているではありませんか。  そこで頑石は、その東西を握ってかの方法で落ちつかせようといたしましたが、また思いとどまって、 「わしのこれまでの罪は、みなこいつのためだ。こいつこそわしの仇《かたき》だ。こいつのしたいどおりにさせてはならん」  と、妄念を断って眠ろうとしましたものの、なかなか寝つけません。かの罪の根が蒲団の中であばれまわっているからです。そこで、こう考えたのです。 「こんなわざわいのもとを身につけていては、いつまでたってもうまくはいかぬ。いっそのこと切り取ってしまおう。そうすれば、将来のわざわいを根絶することができるだろう。まして狗《いぬ》の肉というやつは、仏家の最も忌《い》むものだ。こんなものを身につけているのは、よろしくない。切り取ってしまわないことには、畜生と同じで、人間とはいえない。このままではいくら修行をしたところで、人間になるのがせいぜいで、とても仏《ほとけ》にはなれないだろう」  そう考えると、夜があけるのを待ちきれずに起きだして明りをつけ、薄刃の庖丁を取ってきて、片手で東西をつかみ、片手で庖丁を持って、一思いに切り落してしまいました。こうして、畜生道を断って人間に生まれかわろうとしたのでございます。切り落すときには、あまり痛みも感じませんでした。これより後は、慾心は急に絶え、道心は益々堅固になったのでございます。  狗の肉というのは、未央生の東西にはめこんである狗腎《くじん》のことである。未央生は「天際真人」と名乗る仙人からその手術を受けた。それは、牝犬と牡犬をさからせておいて、両者がまさに精を洩らさんとする直前にその部分をえぐり取り、牝の陰の中から牡の腎を取り出して、まだ熱いうちに四つに切り、一方、東西の表裏左右に四すじの溝を切って、その一すじごとに熱い狗腎をはめこんだのである。その狗腎のはたらきのために、どんな相手も音をあげない者のなかったことは、みなさん御承知のとおりである。  いまの未央生にとっては、それはわずらわしい慾の本《もと》、罪の根であった。一思いにそれを切り落してしまってから、早くも半年がすぎたころ、孤峯和尚は授戒会《じゆかいえ》を催した。授戒を受けようとする者は、これまでに犯した罪悪のかぎりをくわしく告白し、仏前にひざまずいて、大和尚に、本人に代って懺悔をしてもらうのである。孤峯和尚が壇にのぼると、二十人ほどの弟子が、入門の順にその下に並んだ。弟子たちは順々に罪の告白をする。頑石は一番遅く入門した弟子なので、一番末席である。やがて、頑石のすこし上座に並んでいた武骨な顔をした僧の番になった。 「わたくしはもともと悪事をしたことのない人間でございましたが、後にある人に身売りをして下男になりましたとき、主人の娘を犯したあげく、その女中までつれ出して駈落ちをいたしました。そして都へつれて行って青楼へ売り、二人とも娼婦にしてしまったのでございます。死んでもつぐないきれぬ大罪と存じますが、なにとぞお師匠さま、わたくしに代って仏さまに懺悔をしてくださいますよう」 「それは大変な罪だ。昔から万悪淫《いん》を首とすというが、淫事を別にしても、大悪を犯したものだ。かどわかした上に、売って娼婦にしたとは。たのみとあらば懺悔してあげるが、仏さまがはたして許してくださるかどうかはわからぬぞ」 「もともと好きこのんでやったのではございません。じつは人がそうさせたのでございます。と申しますのは、その女の亭主がさきにわたくしの女房を犯しました上に、女房を売れといってわたくしをおどかしたのでございます。わたくしは、力ではかなわない相手でしたので、仕方なくいうとおりにしたのです。そこのところを御斟酌《しんしやく》くださいまして、是非とも懺悔をお願いしたいのでございます」  頑石は下座でそれを聞いていて思いあたることがあったので、その僧にたずねた。 「あなたがかどわかして売ったという女は、なんという名前ですか。なんという人の女房で、なんという人の娘ですか。その人はいまどこにおりますか」 「その女は未央生という男の女房で、鉄扉道人という人の娘です。玉香という名前で、女中は如意といいます。二人ともいま都で客を取っております」  未央生はびっくりして、 「それではあなたは、権老実さんですね」 「するとあなたが未央生さんで?」 「そうなのです」  二人はいっせいに席を立って、互いに罪をわびあってから、孤峯和尚にむかってかわるがわる、ありのままに告白した。  すると和尚は笑って、 「よい、よい。仇はいつかはめぐりあうものだ。仏さまの慈悲のおかげで、こういうところで会えたということは、結構なことだった。もしほかのところで出会ったら、一騒動おこるところだ。そなたたちの罪は懺悔をしても許されるものではないが、さいわいなことには、そなたたちの妻がそれぞれ夫に代って罪のつぐないをしてくれている。そうでなければ、一世を修行しようと十世を修行しようと、輪廻《りんね》を脱し劫《こう》を免れることはできないだろう」  孤峯和尚はそういって二人を仏前にひざまずかせ、お経をとなえて、二人に代って懺悔をした。そして二十年後には、頑石も権老実も、修行のかいあって立派に正果《さとり》を得て、めでたく遷化《せんげ》したという。  これを見ても、この世の人はみな仏になれるということがわかります。ただ、金と色との二つにからみつかれますと、迷いの海をぬけ出して彼岸にのぼることができなくなるのです。そのため、天堂《ごくらく》は土地が広いのに人がすくなく、地獄は土地が狭いのに人が多くて、上天大帝は清間《ひま》で困っておられるのに閻羅天子はお裁《さば》きがしきれないのです。  それというのも、天を開き地を闢《ひら》かれた聖人が、女色と銭財をお造りになったからです。人がそれにとらわれるのも無理はございません。四書の言葉を借りて聖人の罪状を定めますならば、 「始めて俑《よう》を作る者はそれ聖人か」  ということになりましょう。  ——『肉蒲団』はそう結ばれる。  私の長話も従ってこれでおわります。では、みなさん、さようなら。御機嫌よろしく。 〈了〉 文庫版のためのあとがき  知りあいの編集者から電話があって、予定していた原稿がはいらなくなったので、至急、穴埋めをしてくれないか、ということだった。何枚? ときき返すと、四ページぶんで、十二、三枚でよいという。いつまで? と重ねてきき返すと、すぐにですよ、という。だいぶんあわてているようだったが、私は筆がのろいほうなので、それは無理だといってことわった。  ところが、しばらくするとまた電話があって、あちこちあたってみたが見込みがないので、たのむ、という。電話は印刷所からかけているのだった。穴埋めか、それじゃ、穴埋めをする話でも書こうか。そういって書いたのが「穴埋めの話」なのである。  それはつい数年前のことのような気がするのだが、まさに光陰は矢の如しで、実際には十数年も前のことなのである。  私はいま、この原稿を北京の旅舎の一室で書いているのだが、「穴埋めの話」の中に書いたように私が六巻一帙の『肉蒲団』をこの地で買い求めたとき、私はまだ一介の学生だったのである。あれから四十数年が過ぎてしまったのだ! そしていま北京の旅舎でこれを書いている私は、劉希夷の詩句を借りていうならば、 「応《まさ》に憐れむべし半死の白頭翁」  なのである。そして、 「この翁白頭真《まこと》に憐れむ可きも  伊《こ》れ昔は紅顔の美少年」  だったのである。  その往時の「紅顔の美少年」は、後に心ならずも中国の戦場に駆り出され、そして生き残り、北京に遊学したときから数えて三十年後に「穴埋めの話」などという不謹慎な話を書き、それから更に十数年後のいま、全く面目を一新してしまった北京に舞い戻って来て、旅舎の一室でこれを書いているとは!  ところで、穴埋めをするために書いたその「穴埋めの話」は、当然それきりの一篇のつもりだったのだが、それではすまなくなってしまったのだった。 「穴埋めの話」の載った『別冊文藝春秋』が発売されると、幾つもの週刊雑誌や読物雑誌から、あのような話を書いてくれという注文が、誇張していえば「殺到」しだしたのである。私は狼狽した。原稿の依頼が殺到するなどということは、はじめてのことだった。当惑して、穴埋めをさせた編集者に苦情を訴えたところ、彼は泰然として、注文をことわる方法を教えてくれたのである。その方法というのは、なんと、「穴埋めの話」のつづきを書くということだった。つまり、書かないのではなくて、書きつづけるということだったのだ。うまく誘い込まれてしまったのである。  そのようにして書いたのが「誘い込む話」以下の二十篇で、それは『オール讀物』の昭和四十二年七月号から四十四年二月号まで連載された。以来私は数多くこの種のものを書くようになった(というよりも、書かされるようになったというほうがあたっているかもしれない)が、この『好色の戒め』は右のような事情から、私のこの種の作品のいわば処女作のようなものになってしまったのである。 「処女作」を書くにあたっての心構え、というと何やらものものしくきこえるかもしれないが、そういうものは当然あった。ただの猥談では味がない。羽目をはずしながらもブレーキをきかせて、従来の艶笑譚とは変った味わいのものにしたい、というだけのことではあったが——。その方法として、中国の白話《はくわ》(口語《こうご》)の短篇小説の形を自己流に取り入れることにしたのである。  白話の短篇小説には必ず入話《まくら》がある。その入話にも本話にも、詩や詞《うた》や常言(諺)などがふんだんに挿入される。私はその入話を大きくし、詩や詞や常言のかわりに、江戸小咄や川柳や、中国の笑話や、日常身辺の些事《さじ》やらを、主として話の前半に織り込み、そして後半で本話にはいっていって、しかも手短かに語る、という方法を考えたのである。  ときにはその前半の話が知ったかぶりになったり、あるいは講義口調になったりするきらいがあったかもしれないが、それも白話の短篇小説が持っている性格の一つをまねたのだといえばいえなくもない。白話小説のそもそものはじまりは、唐代、大きな寺院で行なわれだした俗講(一般大衆を対象とする説教)であった。当然、ときおり説教的口調が露呈する。私の場合にはそれが、知ったかぶりになったり講義口調になったりするのである。『肉蒲団』という長篇小説自体、それは意識的に逆用したものではあるけれども、その語り出しの部分と結末の部分とにだけ「説教」を用い、これは淫猥の書ではない、好色を戒めるための書であるという形を取っているのである。  だが、こんなことは読者にとってはどうでもよいことであろう。筆者である私にしても、たのしく読んでもらうことができればそれでよいのだから——。  北京での「半死の白頭翁」の感慨なども読者にとってはどうでもよいことであろう。琉璃廠へも行ってみたということだけをつけ加えて「あとがき」に代えたい。  一九八三年六月 北京にて 駒 田 信 二  単行本 昭和四十四年文藝春秋刊 文春ウェブ文庫版 好色の戒め 「肉蒲団」の話 二〇〇〇年十二月二十日 第一版 二〇〇一年七月二十日 第三版 著 者 駒田信二 発行人 堀江礼一 発行所 株式会社文藝春秋 東京都千代田区紀尾井町三─二三 郵便番号 一〇二─八〇〇八 電話 03─3265─1211 http://www.bunshunplaza.com (C) Setsu Komada 2000 bb001204