結城昌治 死者と栄光への挽歌     1  睦男が祖母を見舞って帰ると、家の前に見馴れない男が立っていた。年齢は六十くらい、短く刈り上げた頭は白髪のほうが多く、きちんとネクタイを締めているが、黒っぽいスーツは寸法があまっている感じだった。肩幅が広くて体格はわるくない。  しかし、日焼けした右頬にかなり目立つ傷痕があり、顎の鰓《えら》が張っていて、人相までいいとは言えなかった。  男は表札を眺め、それから入口の戸をあけようとした。  錠はかかっていないが、軒が少し傾いているので、コツを知らなければあけようとしても無理な戸だった。 「どなたですか」  睦男は静かに言った。静かに言ったつもりだが、男は睦男に気づかないでいたらしく、驚いたように振返った。 「あなたは?」 「この家の者です」 「すると、ご主人ですか」 「主人と言われるほどじゃありません。祖母といますが、祖母が入院中なので、いまはぼく一人です」 「それじゃご主人だ。わたしはこういう者です」  男は名刺を出した。「有限会社・那須屋建築」の「代表取締役」という肩書がついていた。那須という姓を屋号にしたようで、住所は東池袋だった。 「あなたが社長さんですか」 「まあそんなふうに呼ばれることもありますが、大工に毛が生えたようなもので、うちの若い者《もん》などは親方と呼んでいます。会社の恰好をつけたのは税務署の関係でしてね。むかしなら棟梁ですよ。わたしが代表で女房が監査役、ほかに女房の弟を名前だけの取締役にしてますが、従業員といっても三人しかいません」 「ぼくに用ですか」  睦男は那須の来意がわからなかった。かなり痛んでいる家なので、建築屋に縁がないわけではなかった。まわりの家に較べると、睦男の家がいちばん粗末だった。知合いの大工に改築をすすめられたことが何度かあり、土地を売ればマンションが建つといって、近所の不動産屋も何度かきていた。  しかし、近所ならそういう見当がつくが、池袋では離れ過ぎていた。 「警察が来ませんでしたか」  那須は聞返した。 「いえ」 「それじゃ、近いうちにきっと来ますよ」 「なぜですか」 「あなたのお父さんが亡くなられました」 「父が死んだ——?」  今度は睦男が聞返した。 「八日前になります」 「父を知ってたんですか」 「直接は知りませんが、お父さんの名は菊池一郎さんでしょう」 「ええ」 「まことに申しわけないことをしました。謝って済むことじゃありませんが、なにしろ本人は警察に捕まっているので、とりあえずわたしがお詫びにあがったというような次第です」 「本人って誰ですか」 「野村という、うちの従業員です。ふだんから少しぼんやりした野郎で気をつけさせてたんですが、最近女に振られて、それで余計ぼんやりしてたらしいんです。気がつかなかったなんて言ってるけど、それがぼんやりしていた証拠です。前方不注意か脇見運転、どっちにしても野村の責任です」  四月十三日の夜、野村はライトバンを運転して通行人をうしろからはねた。その被害者が菊池一郎だった。救急車で病院へ運ばれたが、意識不明のまま数時間後に息を引取ったという。死因は脳内出血。 「ちょっと待ってくれませんか。父の名は確かに菊池一郎ですが、とうのむかしに死んでいます。何かの間違いですよ。菊池一郎なんて名は珍しくない」 「何も聞いていないなら、そうおっしゃるのも無理はありません。話が大分込み入っているんです。お父さんは本名を隠して、浅香|節《せつ》という名前を使っていました。会社の人や、商売関係の人たちもみんな浅香節が本名と思っていたらしい」 「浅香節——?」  睦男は憶えがなかった。生きていたということも信じられない。 「どこか落着ける所で話せませんか。お宅でも近くの喫茶店でも、わたしは構いません」  那須が言った。  睦男も立ち話では落着かなかった。家は通りに面していて、車の往来も多かった。しかし好奇心は湧《わ》いたが、どうせ人ちがいだと思うと、見知らぬ男を家に招く気にならなかった。家は一階が六畳と四畳半で、祖母が入院してから散らかし放題で一度も掃除をしていないし、二階の六畳も同様だった。  睦男は先に立って、蔵前通りの行きつけの喫茶店へいった。離婚した相手がいた店だが、経営者の鯨井夫婦とは古い馴染みだった。朝昼兼用の食事は大抵この店のトーストとハム・エッグにコーヒーですませてしまう。睦男が離婚したことについては、夫婦ともに睦男の味方で、あんなわがままな女と別れてよかったという言い方をしていた。  しかし、結婚するときの媒酌人は鯨井夫婦だった。もう三年前のことである。結婚生活は二年たらずで、女のほうから去った。     2  喫茶店はすいていた。いつもすいている小さな店だが、二階が住居になっていて、やや太り過ぎのおかみが二階で三味線と小唄の稽古所をひらき、喫茶店は亭主に任されていた。ウェイトレスは一人しかいない。睦男と別れた女は亭主のほうの姪《めい》だったが、その後つぎつぎに替わっている。今いるウェイトレスは近所の高校生のアルバイトだった。  睦男も那須もコーヒーを頼み、向かい合って腰を下ろした。 「ぼくの父が生きていたというんですか」  睦男は煙草に火をつけ、あらためてきいた。 「もちろんです。生きていなかったら死にません。お元気で、新橋にある貿易会社の専務さんでした」 「しかし、父は三十数年前に南方で戦死したはずですけどね」 「それで話がややっこしくなってるんです。無事に戦地から復員してきたのに、なぜお宅へ帰らなかったのかわからない。しかも、同じ東京の空の下、渋谷区の広尾に住んでいた。地下鉄に乗れば三十分かそこらの所でしょう。会おうと思えば、いつだってあなたに会えたんです」 「やはり何かの間違いですよ。生きていたなんて考えられない」  父が昭和十七年に出征するとき、睦男はまだ母の胎内にいた。生まれたのは翌年で、だから父の顔を見たことはなかった。抱かれたこともないし、叱られたこともない。家とともに写真なども焼失したので、顔さえ知らないでいるのだ。祖母の話によると睦男に眼と口もとが似ていて、生きているなら六十一歳だった。 「いや、間違いじゃありません。わたしは警察で聞きましたが、警察は浅香節さんに聞いたそうです」 「浅香節は菊池一郎の偽名でしょう」 「偽名ですが、浅香節という本名の人もいるんです。菊池一郎さんと夫婦のように暮らしていた女性が浅香節さんで、つまり菊池さんは愛人の名をそっくり使っていたらしい。節という名は男の名でもおかしくない。それでみんな偽名に気づかなかったんですね。もちろん浅香さん本人と慶子さんという娘は知っていたそうですが」 「しかし、なぜ偽名を使う必要があったんですか」 「さあ——、その辺の事情は聞いていません。とにかく浅香節さんと菊池一郎さんは戸籍上赤の他人です。娘さんも他人です。とすると菊池さんがなくなられた場合、その二人に遺産相続の権利はありません。自賠責保険(自動車損害賠償責任保険)も受取れません。受取れるのは故人のただ一人の息子さんであるあなたです。強制保険が二千万円、任意保険も八千万円入っていましたから、手続きがすんなりいけば合計一億円があなたのものになります」 「一億円?」  睦男はおどろいて聞返した。半額の五千万円でもおどろくべき大金だった。  強制保険は自賠法(自動車損害賠償保障法)に定められている保険で、すべての自動車が加入を強制されている。被害者の負傷の程度によって支給額が異なるが、死亡の場合は二千万円だった。賠償の責任を負う者は加害者ではなく、車の保有者、運行供用者である。もちろん加害者は行政上、刑事上の処罰を免れないが、会社の車を勝手に運転したとしても、賠償責任を負うのは車の保有者だった。友人に貸して事故を起こされても保有者が責任を逃れることはできない。管理責任を問われるのである。  任意保険の加入は自由だが、賠償に際して強制保険の支給額だけでは足りないので、五千万から一億円以上入っている者がざらだった。  以上のようなことは、睦男も車を運転するので一応常識として知っていた。 「そうです。一億円です。人間のいのちは金に換えられるものじゃありませんが、何分よろしくお願いいたします。本当に取返しのつかないことをしてしまって、野村からも深くお詫びするように頼まれました。どうか許してやってください」  那須は立上って中腰になり、テーブルに両手をついて、頭をさげた。神妙な態度だった。  睦男は狐につままれている感じで、返事の仕様もなく黙っていた。 「それでですね——」  那須は顔をあげると、また腰を下ろし、先を急ぐように言った。 「任意保険はわたしのほうで請求しますが、強制保険の請求はあなたにやってもらったほうが簡単らしいんです。そのため保険会社へいって、請求に必要な書類をあなたの分もひととおり揃《そろ》えてきました」  那須は大型の茶封筒をだした。なかに保険金請求書などの用紙が入っていた。 「それから、こういうことは早いほうがいいと思いましてね、事故証明と、病院へいったついでにあなたの分の死亡診断書ももらってきました」  那須は別の袋からそれらを出した。  事故が起きたのは四月十三日午後九時三十分頃、死亡は翌日の午前三時二分だった。 「ほかに戸籍謄本や住民票などが要るそうですが、とにかく警察へ行ってくれませんか。池袋署の交通課です。そこの阿部という巡査部長に会えば、事故の詳しい様子がわかるし、あなたが菊池一郎さんのご遺族ということもはっきりすると思います。それがはっきりしないうちは、わたしのほうも保険金を請求できません。保険金を受取ってくれる人がはっきりしなかったら、請求のしようがないんです」 「しかし、やはり何かの間違いですね。ぼくはいま金が欲しいところです。一億なんて夢のような話で現実の問題として考えられないが、ただでくれるなら五万でも十万でもありがたくもらいます。だけど、筋の通らない金を受取るわけにはいかない。あなたの話はどこか狂っている。どこかにとんでもない狂いがある」 「どこかって、どこですか」 「そこまではぼくにわからない。いきなり一億円なんて話を聞いたので、ぼくも狂いそうな感じですよ」 「でも、お父さんの名は菊池一郎でしょう」 「しかし戦争で死にました」 「表札がお父さんの名になっているのは、どういうわけですか」 「それは祖母の気休めにすぎません。戦死公報というのが来ないままなので、祖母は父の死を信じないんです。信じないというより、内心は死んだと思って諦《あきら》めていても、生きていると思っていたいんですよ。父は祖母の一人息子だった。可愛くてたまらなかったらしい。それが戦地へ引っぱっていかれたきり、遺骨も帰ってこなかった。祖母にしてみれば、到底死んだなんて思い切れない。きっと生きていると思い、いつか必ず帰ってくると信じて、そう信じながら戦後三十四年も経ってしまったんです。グワム島のジャングルに二十八年間潜伏していた横井庄一氏の例があるし、三十年ぶりでルバング島から帰還した小野田少尉の例もあります。だからことによると、祖母は本気で父が生きていると信じているかもしれないんです。あなたもごらんになったように、ぼくの家はあの辺でいちばん粗末な家ですが、あれも戦災の焼け跡に建てたまま祖母が改築を嫌っているせいです。周囲がすっかり変わり、町名まで変わってしまったけれど、父が帰ったときすぐわかるようにという祖母の気持で、焼ける前と同じ造りに建てたと聞きました」 「おばあさんはおいくつですか」 「八十二です」 「お元気なんですか」 「年の割に元気なほうでしょうが、転んだ拍子に腰がおかしくなったらしく、ぼくが出かけてしまうと世話する者がいないので入院してもらいました。命にかかわるような病気じゃありません」 「おかあさんは亡くなられたようですね」 「三月十日の空襲で死にました。一歳上の姉がいましたが、姉もそのとき死にました。ぼくは祖母に抱かれて、逃げる途中で母たちとはぐれたという話です。ぼくは二歳たらずだったので憶えていませんが、本所、深川あたりの被害がいちばんひどく、いちめん火の海で、あとは見渡すかぎり焼野原だったそうです。祖母は母や姉の死体を見つけられなかった。でも、母と姉については死んだと思っています。祖母自身火のなかを逃げまわり、沢山の死体を見たせいかもしれません」  昭和二十年三月十日来襲したアメリカのB29爆撃機は、一夜にして東京の四割を焼きつくし、死者は約十万人に及んでいた。睦男の祖父は祖母たちといっしょに隅田公園へ逃げて助かったが、二十年ほど前に病没した。祖母とちがって、祖父は父を死んだものと諦めていたようである。 「ですけどね——」那須は話を戻した。「お父さんは実際に生きてたんですよ。浅香節さんに聞けばわかります」 「しかし、あなたはその人に会っていないんでしょう」 「会おうと思って電話したけど、断られました」 「なぜだろう」 「知りませんが、わたしはその人に会えなくても構わないんです。戸籍のつながりはないというし、会いたくないと言われたら引っこむしかありません。それより、どうしても会いたかったのはあなたです。実は昨日もお訪ねしましたが、お留守だった」 「昨日は一日じゅう出ていました」 「お勤めですか」 「ええ」  睦男は曖昧に頷《うなず》いた。本職は画家のつもりで、一年置きに個展をひらいているが、油絵のほうはほとんど売れていなかった。幼児向けの雑誌や絵本の挿絵をかくのが主な収入源である。そっちのほうなら多少売れていないこともないが、意欲が湧かないからつい怠けがちで、あまり気が晴れない毎日だった。もう三十六歳なのだ。 「警察へ行って、野村にも会ってやってくれませんか」  那須は話を変えた。 「ぼくが会っても仕様がないでしょう」 「そんなことはありません。謝って、許してくださいと言うことができる」 「謝るなら被害者がいるじゃないですか」 「亡くなった人では、許すと言ってくれません」 「ぼくだって許すなんて言えるわけがない。繰り返しになるけど、父はとうのむかしに死んでしまった。ぼくは今度の事故の遺族じゃないんだ」 「弱ったな、どうも。まるで堂々めぐりだ。わたしは正直に喋っていますが、もっと腹を割って言いますとね、賠償の保険金を気持よく受取ってもらった上で、示談書に判を押してもらいたいんですよ。どうせ野村は懲役をくうと思いますが、示談がついていれば、情状酌量とかで少しは刑が軽くなるらしい。その点も考えていただきたいわけです」 「話が食い違ってますね。ぼくはそういうことを考える立場じゃないと言っているんです」 「一億円なんかいらないというんですか」 「あなたは全然ぼくの話がわかっていない。金は欲しいに決まっています。でも、残念ながらぼくは被害者の遺族ではない。ごく単純なことです」 「その証拠がありますか」 「証拠?」 「遺族じゃないという証拠です」 「そんなものあるわけがない」 「わたしのほうは証拠がある。警察で聞きましたが、あなたのお父さんは戸籍に残っている。死んだことになっていない」 「それはさっきも話したように、祖母が父の死を認めないからです」  昭和三十四年三月に「未帰還者に関する特別措置法」が公布されて、それまで生死不明のため遺族援護法を適用されなかった「特別未帰還者」の留守家族も、「戦時死亡宣告」をうけることにより公務扶助料(遺族年金)と弔慰料を支給されるようになった。遅れていた戦後処理の一環だが、このとき軍人や軍属の留守家族約二万人が死亡宣告に同意している。  しかし、睦男の祖母はかたくなにこれを拒否し通していた。遺族年金は軍人恩給とともに年々上って今では相当の額になるが、祖母にとって金は問題ではなかった。おそらく一人息子の生存を信じることが生きる支えで、死亡宣告などで戸籍から抹消されてしまうことに耐えられないのである。  睦男は祖母の気持をそう理解していた。 「わたしもおばあさんの気持はわかります。口先だけじゃなくて、わたしも戦地でさんざんな目に遭ったし、行方不明のまま戦死にされた戦友も少なくなかった。そういう連中の家族に訪ねてこられ、泣かれたことも一度や二度じゃなかった。だから本当によくわかるんです。死顔を見なければ信じられるもんじゃない。でもね、今度の場合は生きていたから轢《ひ》かれたので、葬式は済ませたそうだけど、生きていたことは確かです。野村は幽霊をはねたわけじゃありません」 「被害者は同名異人かもしれない。そういうことは考えられませんか」 「住所も大体同じです。まあ同じとみていいでしょう」 「どういう意味ですか」 「戸籍なら参拾七番地と書いてあるから間違いはないでしょう。でも、普通わたしらが住所を書くときはそんな難しい字を使いませんよね。三七と書けば郵便も届きます。ところが、三はうっかり書くと一と二に分けて読まれる。それで浅香節さんが警察に出した書類は一二七番地になっていたらしいんです」 「何の書類ですか」 「戦地から帰ってきたときのもので、わたしは実物を見ていませんが、菊池の池もサンズイではなくツチヘンの地になっていたそうです。だから事故証明もツチヘンの地です。よく見てください。訂正してもらう必要があります」 「———」  睦男はあらためて交通事故証明書を見た。気づかなかったが、那須の言うとおりだった。本籍地の記載はなく、住所は渋谷区広尾で、氏名は「浅香節こと菊地一郎」となっていた。 「池も地も崩して書けば似たような字になりやすい。多分それで係の者が間違えて書き、それをお父さんはそのまま持っていたんです。そう思いますね」 「ぼくはそう思わない。名字までちがうなんて、やはり別人ですよ」 「まだわかってくれないんですか。わたしのほうはですね、あなたに保険金を受取っていただき、示談にしてもらいたいだけなんです。厄介なら強制保険の手続きもわたしのほうでやりますが、無理なお願いをしてるわけじゃないでしょう」 「無理です」 「どこが無理ですか」 「父が生きていたはずがない」 「あなたも頑固ですな」 「父も頑固だったそうです。祖母はぼくより頑固です」 「それじゃこうしてくれませんか。とにかく阿部という巡査部長に会ってください。むこうも待っているかもしれないし、話を聞けばもっとよくわかるはずです。わたしは出直してきますが、会社はどちらですか」 「毎日出勤するような勤めじゃありません。大抵家にいます」  睦男は電話番号を教えた。     3  睦男は割勘がいいと言ったが、那須は睦男のコーヒー代も払って出て行った。  睦男は経営者の鯨井がいるカウンターの前へ移った。鯨井だから馴染客の間ではクジさんという愛称で呼ばれている。名前の印象とちがって小柄な男だった。童顔で若くみえるが、軍隊の経験があるというから多分五十五、六にはなっている。競馬と麻雀が好きで、女房の尻に敷かれながら、それを愉《たの》しんでいるようなところもあった。 「聞いていたよ。聞くつもりじゃなかったけど、あの声じゃ内緒話はできない」  鯨井は笑いを浮かべて言った。 「どう思いましたか」  睦男はもう一杯コーヒーを注文した。 「すごいじゃないか、一億円なんて。わたしなら素直にもらっちまうな」 「しかし親父が生きていたなんて考えられない」 「かまわないじゃないの、むこうがそう言ってるんだから。あんたが騙《だま》すわけじゃないし、確かに三七と一二七、サンズイの菊池とツチヘンの菊地は間違えやすい。ことによると、いまの人の言うことが正しいのかもしれない。調べてみたほうがいいよ。話半分としても一億円はすごい。眼がまわりそうな大金じゃないか。聞いていてびっくりしちまった」 「ぼくのほうがびっくりしたよ。建築屋の名刺をもらったけど、たちの悪い示談屋ということはないのかな」 「さっきの男がかい」 「うん、一億円の保険金を狙ってぼくという手頃な相手を見つけ出し、金が入ったら分け前を寄越せという手口さ。週刊誌か何かで似たような犯人の記事を読んだ憶えがある」 「あの男はそんな悪いやつに見えなかったけどね。一所懸命という感じだった」 「一億なら誰だって一所懸命になる。ぼくはやっぱり信じられないな。話が現実離れしすぎている」 「おばあちゃんに死んだ人の写真を見せればどうなの。自分の子かどうか、おばあちゃんならわかるはずじゃないか」 「おばあちゃんは駄目だよ。南方のジャングルで見つかったというなら飛び上って喜ぶだろうが、同じ東京都内に住んでいたなんて信じるわけがない。それに写真を見せたって、眼がわるいからね」  祖母は老人性の白内障だった。手術がうまくいかなかったのか、分厚い眼鏡をかけてもぼんやりとしか見えないのだ。馴れてしまったので日常生活に差支えはないが、転んだのも眼がわるかったせいらしく、診断によれば、腰の骨に罅《ひび》がはいっていた。 「しかし一億円もらえるかもしれないのに、ろくに確かめないまま突っ返すという手はないな。別人とわかったところでもともとじゃないの。わたしも軍隊に引っぱられた口だけど、敗戦後の軍隊は本当に目茶苦茶だったからね。いまの人には信じられないようなことが、当時は少しも不思議じゃなかった。自殺したり逃亡したり、むこうの女と結婚して現地人になりすましたのや、リンチで殺されたのもいるし、無実なのに顔が似ていたので戦犯として処刑されちまったのもいる」 「敗戦のとき、クジさんはどこにいたの」 「フィリピンのちっぽけな島だった。わたしがいった頃はもう負けいくさで、戦闘らしい戦闘は一度もなかった。相手が空と海じゃ戦いようがない。空襲と艦砲射撃から逃げまわるだけで、まるで捕虜になるためにいったようだった。終戦になってから米軍が上陸してきて、そのとき小ぜり合いはあったが、結局は全員捕虜ですよ。捕虜生活中に、腹がへってパンを盗み、逃げるところをアメリカ兵に見つかって射殺されたなんてのもいた。内地へ帰されるときも惨めなもので、それでもよく生きて帰れたと思う。部隊の四分の三以上が死んでしまった。死んだ連中は、弾にやられるよりマラリアなどの病気のほうが多かった」 「クジさんのそういう話、初めて聞いたな」 「話したくないんだよ」 「なぜ」 「いい思い出じゃないからな。だから戦友会にも出ないでいる」 「まだ戦友会なんてやってるの」 「部隊によってはむしろ盛んなんじゃないかな。十年くらい前までは通知がきていたが、どうせ欠席と思ったのか、その後は通知がこなくなった。戦友会に集まる連中の気持もわからないことはないけどね。わたしはどうしてもその気になれないんだ。あんたのお父さんはどこへいったんだっけ」 「グワム島のずっと南の、日本から四千キロも離れたボロホロ島という島」 「聞いたことがないな」 「世界地図をひらいてもそんな島の名は見つからない。伊豆の大島より小さな島らしい」 「それじゃ知ってるわけがないが、とにかくさっきの人の話は全然でたらめとも思えない。警察へいってみたほうがいいよ」 「親父が生きていたなんて、クジさんもそう思うの」 「可能性は考えられる。戦地の異常な体験で人生観が変わり、まったく別の人間になりたかったのかもしれない」 「だったら女の名前なんか使わないで、別の名前にすればいいじゃないか」 「あるいは、記憶喪失にかかったのかもしれない」 「しかし、死んだ男は菊地一郎だという書類を持っていたんだ」 「そういう書類があることさえ忘れていたのかもしれない」 「納得できないな」 「人生は納得できることばかりじゃないよ。わたしだってね、命からがら戦地から帰ってきて、喫茶店のおやじになってるなんて納得できない。そんなつもりじゃなかった」 「どんなつもりだったんですか」 「別にどんなつもりもなかったけど、わたしの話はやめよう。それより、あんたは警察で様子を聞いてくることが先決だな。タキ江だったら顔色を変えてすっ飛んでいくね」  タキ江は睦男と別れた女だった。離婚して一年あまりになる。 「例の美容師とは、うまくいっているの」 「いや、もう別れちまった。ほかの男といっしょになって初めてあんたのよさがわかったらしく、この間会ったらよりを戻したいような口ぶりだった」 「ぼくはごめんだな。ひとりのほうが気楽でいい」 「そうだね。あんたが羨ましいよ。わたしだってひとりになれたらと思うもの」 「なぜ」 「あの三味線を聞けばわかるじゃないか」  鯨井は投げやりな笑いを浮かべた。  二階の三味線はさっきから聞こえていたが、鯨井の競馬か麻雀が原因でまた一悶着あったのかもしれなかった。     4  睦男は帰宅した。那須に聞いた話が頭の中で波立っていた。タキ江がよりを戻したがっているという話も頭をかすめたが、それはすぐに消えた。わがままで遊び好きで、そんな女と思わないで結婚したが、惚れたと思ったのは性的な欲望にすぎなかったと今では思っていた。とにかく出ていった女である。  それより問題は一億円だった。  現在、睦男が切実に欲しいと思っているのは個展をひらく費用だが、百万円もあれば充分なのだ。一昨年借りた画廊は日本橋の裏通りで、画廊自体が三流以下で不便な場所だったし、わずかな友人のほかは仕事の関係でやむを得ず顔を出したという客しか現れなかった。それらの客も絵を買ってくれたわけではない。絵は一枚も売れなくて、一年置きの個展をひらいたという自己満足に終わっていた。それは自己満足というより自己欺瞞の気配で、とにかく金がなかったから、知友人、新聞社などへの案内状もガリ版刷りだった。絵に自信はあるが、額縁も安物ですませ、オープニング・パーティもやらなかった。  だが、金さえあれば、チャチな画廊ではなく一流の美術館を借りられる。立派なポスターをつくり、宣伝費をかけ、案内状には自信作のカラー写真を印刷して、美術評論家や美術記者にもきてもらえるように盛大なオープニング・パーティをやる。睦男自身はそのような個展の在り方を軽蔑しているが、新聞に紹介されたりして画壇に認められる機会になるという可能性は否定できなかった。そこまで派手にやるとなったら百万円では不足だが、派閥学閥などの因襲的な美術団体に属さない彼にとっては、個展だけが作品発表の場であり、才能を認めさせるチャンスなのだ。  だから一億円は夢としても、せめて百万円は欲しいところだった。もちろん、正当な理由があって一億円もらえるなら、遠慮するいわれなどはこれっぽっちもない。額が大きすぎて実感がともなわないが、欲しい気持は誰に言われるまでもなかった。日本の画壇など相手にしないで、国際的な評価を問うために、ニューヨークで個展をひらきたいという念願も一億円あれば楽に実現できる。一億円の半分でも拝みたいくらいである。  しかし、金のことは別として、父が生きていたかもしれないということはさらに重要な問題だった。  睦男は煙草を何本も灰にした。  少し寒かった。  催促されている仕事があったが、机にむかう気になれなかった。  もし一億円あれば——。  睦男は父のことを考えるつもりで、つい一億円のほうへ頭がいった。顔も知らない父については恋しいという気持が湧かなかった。生きているなら会いたかったが、生まれたときから父はいなかったし、死んだものとして諦めることに馴らされていた。むしろ生きていてくれたらと思うのは母のことで、なぜ母ばかり恋しいのか自分でも理由はわからなかった。  しかし那須に聞いた話を考えているうちに、交通事故で死んだ男が、ことによると父ではなかったかという気もしてきた。  まだ正午《ひる》前だった。  睦男は考えがまとまらないまま、電話帳をひらいた。池袋署の電話番号を調べるつもりで、実際にダイヤルをまわすかどうか決めていなかった。  そこへ、池袋署の阿部巡査部長が電話をかけてきた。睦男がいつも留守で、一昨日から四度電話をしたという。  しかし、そんなことはむこうの勝手だった。 「出かけてたんです」  睦男は自分ながら不機嫌な声で答え、那須に会ったことを話した。 「それじゃ大体わかったでしょう。わたしのほうからお邪魔してもいいんだが——」  部長は言葉を切った。面倒くさいと言いたそうだった。 「いえ、ぼくが伺います」  睦男は反射的に言った。部長の電話を聞いて、決心がついた感じだった。  睦男はジーパンにジャンパーという恰好のまますぐに家をでた。地下鉄のほうが早く着くと思ったが、車を飛ばしたい気持のほうが強かった。家の横の狭い空地にプラスチックの屋根だけつけて、そこがカーポートになっていた。車は国産車の中古で、それも大分くたびれている。  駒形橋から首都高速に入った。江戸橋付近が相変わらず渋滞していたが、あとは割合スムーズだった。護国寺で高速を下りれば、国電の「びっくりガード」をくぐった先が池袋署である。  阿部巡査部長は待っていたようで、交通課の入口に立った睦男を目ざとく見つけると、 「菊池さんですか」  と声をかけて手招きした。初対面なのに、入口に立った姿を見ただけで睦男とわかったとすれば、勘のいい男だった。もっとも、人ちがいだったところでどうということはないから、ただ安直に声をかけてみたのかもしれなかった。年齢は睦男より二つ三つ上程度らしいが、体重は痩せぎすな睦男の倍近くありそうだった。取っつきにくい感じで、ひげの剃りあとが濃く、眼つきもよくなかった。  しかし、眼つきがわるいと思ったのは最初の印象で、そう感じのわるい男ではなかった。 「電話でも言いましたがね、被害者の身元がはっきりしないと、いろいろ困るんですよ。お父さんは戦死されたんじゃないんですか」  巡査部長がきいた。  刑事上の手続きは加害者の野村を業務上過失致死で送検したが、被害者の名が「浅香節こと仮名菊地一郎」では捜査の決まりがつかないというのだ。  また賠償の問題でも、睦男が被害者の子なら保険金などを受取る権利は睦男にあるが、そうではないとすれば、内縁関係にあったとみられる浅香節という女が受給資格者だった。警察は民事に介入しない建前だが、そういう点からも被害者の身元を曖昧なままにしておけないのである。  しかし、睦男は那須とかわした問答を繰り返すしかなかった。 「父が生きていた証拠はありませんが、死んだという証拠もないんです」 「でも、戦後もう三十四年ですよ」 「だから、ぼくは死んだと思っています。生きているなんて考えようがなかった」 「おばあさんは本当に生きてると信じているのだろうか」 「信じているんでしょうね。それが祖母の生き甲斐です。たとえ信じられなくても、信じると言いつづけることが生きる支えになっている」 「被害者はツチヘンの地の菊地一郎らしい。本名かどうか確認できないが、住所も微妙に食いちがっている」 「ぼくのところは本籍も住所も戦前から同じ番地です」 「そこが問題なんですよ。被害者の本籍はわからないが、とりあえず住所を頼りに墨田区役所へ照会したら、該当者なしという返事だった。ところが翌日になって、三七番地にサンズイの菊池一郎ならいると電話をしてきた。それで話がこんがらがってしまった。該当者なしなら、わたしのほうは一応それでもよかったんだ。中途半端にわかるというのがいちばん困る。電話をくれた区役所の人に教えてもらったが、本所区役所は三月十日の空襲できれいに焼けて、戸籍の原簿も焼けてしまった。だから一二七番地のほうにツチヘンの菊地一郎がいたかどうかわからないというんです。墨田区が昭和二十二年に本所区と向島区を合併してできたことは知っていたが、本所区役所が焼けたことは知らなかった。本所地区だけで二万五千人以上焼け死んだって聞きましたよ」 「ぼくの母と姉もそのときの空襲で死にました。姉はまだ三歳だった」 「三月十日じゃないが、わたしも空襲で両親と弟を亡くした。わたしだけ奇蹟的に助かった」 「話を戻してくれませんか」 「そうだったな。余計なことを喋っている場合じゃなかった。話が逆になるが、あなたの名字や番地が間違っているということはないんですか。たとえばおばあさんが思い違いをして、戦災のあとで区役所に間違えて届けたとか、あるいは区役所のほうで間違えて書いてしまったということです。菊池と菊地、三七と一二七、どっちも非常に間違いやすい。わたしなんかもコザトヘンの阿部なのに、安部と書いてくる人が珍しくない。年賀状にはかならず安部が何通かまじっている。古い知合いでもそう憶えこんでしまって、おそらく間違いということさえ気づかないでいるんです」 「ぼくはずっとサンズイだった。戸籍謄本をよく見たことはないけど、祖母が間違えるわけはないと思います」 「それじゃ区役所が間違えたのかな」 「浅香さんが提出した書類というのを見せてください」 「そうだ、それを見せなくてはいけなかった。これですよ。ちゃんと生年月日も書いてある」  部長は机の隅に重ねた書類の中から、薄茶色に変色した一枚の紙きれを抜き出した。神奈川県の久里浜病院の診断書だった。もとは海軍の病院だったらしく、海軍関係の活字はインクの線で消されていた。  病名は肺結核とマラリア、菊地一郎、大正七年三月六日生、住所は本所区|厩橋《うまやばし》だが、厩橋は昭和四十一年に改称される前の町名だった。丁目までは合っているが、町名を厩橋といった頃から百番台の番地はないのに、番地が一二七になっていた。  そして、「約一年間の入院加療を要す」という診断だった。日付は昭和二十一年一月十九日である。 「ずいぶん古い診断書ですね」 「古いことは相当に古い。紙も粗末だし、うっかり揉《も》んだら粉になってしまいそうな古さだ。しかし大切に保存しておいたらしく、この通りきれいに折り畳んであった」 「浅香節さんが保存してたんですか」 「いや、被害者の菊地一郎氏ですよ。菊地さんが事故で亡くなったあと、書斎を整理していて見つけたというんですがね」 「でも、菊地一郎という名は前から知っていたわけでしょう」 「それはもちろんです。たとえ内縁でも夫婦は夫婦だし、面倒だから菊地一郎を浅香節さんのご主人とみて話をすすめますが、公私ともに自分の名をそっくり使わせていて、夫に別の名があったことを知らなかったなんて言えるわけがない。それをですね、彼女は知らぬ存ぜぬで押し通そうとした」 「なぜだろう」 「わからない。あなたも同感だと思うけど、女の気持というのは男性の理解を越えていることが多い。彼女の場合はとくに常識外で、浅香節は自分の本名であり、夫の名ではないことは認めた。これは調べればすぐにわかるから、認めざるを得ない。だが、それじゃご主人の名はと聞くと、あくまでも知らないの一点張りだった。頑として譲らない。一億円もらいそこなってもいいのかと言っても、いいというんだから始末に負えない。ようやく菊地一郎の名を出してきたのは、もし彼に本妻や子供がいるなら一億円はそっちへゆくと言ってやったあとです。つまり、せっかくもらえる大金を誰も受取らなかったら、保険会社を喜ばせるだけでもったいないと考えたらしい」 「それもよくわからないな」 「わからないでしょう。われわれ男にはわからないんですよ。しかも、本妻がどこにいるか知らないというんだ」 「本妻がいることは知ってたんですか」 「それは当人に聞いていたらしい。だが、所在がわからなくては知らせようがない」 「久里浜か、その近くじゃないのかな」 「いや、それはちがうと思ったほうがいいらしい。わたしもあなたと同世代で、戦争体験はゼロみたいなものです。終戦の頃は焼け跡をヨチヨチ歩いていた。腹ペコで泣いてばかりいたというが、そんなことも憶えていない。そこで、診断書を出した病院が旧海軍の病院だったようだから、敗戦で外地から引揚げてきたという古株の署員に何人か当たってみた。そしたら、南方から帰還船に乗って浦賀に上陸したという署員がいて、病気で歩けないような病人は久里浜の病院に入ったと言っていた。菊地さんもそういう兵隊の一人だった可能性が強い。昭和二十一年一月といえば、まだ戦地から帰還する者が多い時期だったそうだ。そこでさらに調べた結果、久里浜海軍病院というのが確かにあった。病院は現在も残っていて、国立療養所久里浜病院という名に変わっている」 「すると、名字や番地は診断書を書いた医者が間違えたんですかね」 「かもしれない、ということじゃないかな。かりにその医者を探して聞いたって、よほど特徴のある病人じゃなければ憶えていないでしょう。なにしろ話が古すぎる。それでも念のため久里浜病院へ電話で問い合わせてみた。診断書を書いた医者はとうに亡くなっていた。当時のカルテなどは一応引継いだはずだが、実際に保管されているかどうかは曖昧な返事だった」 「菊地一郎が診断書を大切に持っていたのは、なぜだろう」 「わからない」 「浅香節さんはどういう人ですか」 「美人だね。とても四十五なんて年齢にはみえない。三十七、八で充分に通ります。化粧をしたら十歳くらい若く見えるんじゃないかな。あれだけの美人はちょっといない。しとやかで品があって、おまけに何ともいえない色気がある」  部長は浅香節の美貌に惚れたような口ぶりだった。  しかし、睦男が知りたいのは彼女の容貌ではなかった。素性や暮らし向きを聞いたつもりだった。 「それは彼女に直接聞いたほうがいい。警察には嘘をついているかもしれない」 「嘘をつくような女性なんですか」 「わたしが言ってるのは一般論です。牡丹に唐獅子、竹に虎、女に嘘は付き物でしょう。賠償金の受取人の話がなかったら、菊地一郎の名を隠し通すつもりだったんだ。戸籍上は未婚のままだが、慶子という二十二歳の娘がいる。父親の欄は空白で、認知されていない」 「菊地一郎の娘じゃないんですか」 「わからない。彼女が言わないんだ。住民票も彼女と娘の名しか載っていない」 「生活のほうはどうなのだろう」 「申し分ないんじゃないかな。門構えの立派な家に住んで、故人は貿易会社の専務をしていたというし、今後の生活も不安はなさそうだった。だから賠償の保険金が一億円も入るかもしれないというのに、欲しがるような様子はなかった。わたしなどとは生活感覚がちがう」 「ぼくとも違いますね」 「一億といったら凄い金だ」 「あんまり大金でピンとこない」 「わたしだってピンとこない。百万円までなら見たことがある。一万円札が百枚、まあこんな厚さだね」  部長は親指と人さし指をひらいて、睦男の前に突き出した。  太い指で、爪に垢《あか》がたまっていた。  睦男も百万円なら見当がつく。二百万円でもおどろきはしない。 「しかし——」部長は手をひっこめてつづけた。「百万円でゼロが六つでしょう。一億というとさらにゼロが二つふえる。それを本妻にやってくれと言うんだから話しにくくて仕様がない。いらないなら、わたしがもらいたいくらいなんだ」 「娘は何をしてるんですか」 「何もしていない。母親似の美人だが、大学を中退してぶらぶら遊んでいるらしい」 「菊地一郎には似てないんですか」 「どうなのかな。わたしは仏さんになった顔しか見ていない。似てるとは思わなかったが、浅香節さんに元気な頃の写真を見せてもらったらどうですか。菊地一郎と娘は四十歳近く離れているが、親子ならどこか似てるでしょう。似てるはずですよ」 「ぼくと菊地一郎は似てませんか」 「———」  部長は眉間に皺を寄せて、睦男を見つめた。煙草の灰が落ちそうだったが、睦男は注意しなかった。  間もなく灰が落ちた。  灰皿があるのに、机の上は灰だらけだった。 「むずかしいな。仏さんと較べるのは無理ですよ」  部長はようやく言った。  睦男は黙っていたが、部長の父親の顔を想像していた。鼻がまるくて眼もまるかった。睦男自身はごく平凡な顔だと思っている。 「しかしね、遺体を解剖した医者の話によると、菊地一郎は結核を患った痕があった。かなり古い痕で、久里浜の病院の診断書に合っている。生年月日も合っているし、姓と住所が多少ずれていても、それは書類上のミスかもしれない。交通事故の被害者はあなたのお父さんですよ。わたしはそう思うな。まさかと思っていたが、だんだんそう思えてきた。あなたは賠償を請求する権利がある」 「いや、そう簡単に決められては困る。金は欲しいが別問題です。三十何年も前に死んだ父を、また死なせるなんてできるはずがないでしょう」 「だけど、戦死した証拠もなかったんじゃないかな」 「生きていた証拠もありません。生きていたなら、なぜわが家に帰らなかったんですか。説明してください」 「そんなことまでわたしに説明しろというのは無理だ。無理を言っちゃいけない。実際に困っているのはわたしのほうで、軍人恩給や遺族年金を取り扱っている厚生省へ問い合わせたら、あなたのお父さん、つまり旧陸軍伍長菊池一郎はボロホロ島で行方不明ということになっていた。戦地で行方不明なら戦死にきまってると思ったが、電話では要領を得ないので厚生省へ行ってきたんです」  敗戦後の復員行政は第一復員省(陸軍)と第二復員省(海軍)でおこなっていたが、その後次第に縮小して厚生省援護局に引継がれていた。  しかし、復員業務はとうに終わったし、旧陸海軍の軍人だった係官も今はあらかた退職したりして、ボロホロ島関係の書類を探してもらうのに大分手間取ったということだった。 「ボロホロ島が南方のどの辺にあるのか、それさえ知っている者がいなかった」 「ぼくだってよく知りません。大体の位置はニューギニアに近いそうだけど、世界地図をひらいても島はいっぱいあるがボロホロ島の名は載っていない」 「どうしてそんな遠い島まで攻めていったのか不思議だね」 「父の話はどうなんですか」 「だから行方不明、生死不明です。しかし、生死不明じゃ困るんだ。戦死でも困る。生きていてもらわなくてはまずい」 「それは警察の都合でしょう」 「こっちの都合ばかりじゃありませんよ。一人の社会的地位を得ていた人間が交通事故でポックリ死んで、その身元がわからないなんてばかな話はない。あなたも、もっと真面目に協力してくれないかな。厚生省に残っていた書類によると、戦死者や病死者などの名は一覧表みたいなものができている。しかし帰還者のほうは大分いい加減な感じで、出身地が抜けていたり階級や部隊名がないものもあった」 「父の名はありましたか」 「戦死や病死などのほうにあった。ただし戦死でも病死でもなく、不明になっていた。そして同じ部隊の帰還者のほうにツチヘンの菊地一郎もあった。階級は両方とも伍長だった」 「すると、サンズイの菊池一郎とツチヘンの菊地一郎がいたのだろうか」 「いや、その辺がいちばんわからない。生年月日が同じで住所も三七番地、診断書の一二七は医者の書き誤りだろうが、復員名簿の名前がダブっているのは作成者のミスかもしれない」 「ダブっているとすれば二人は同一人ですね」 「そう考えるのが常識的だし、話がすっきりする。本来なら内地の原隊に留守名簿とか兵籍簿とかいうのがあって確認できるらしいが、空襲で焼けてしまって何も残っていないんだ」 「厚生省はどういう見方をしてましたか」 「帰還しているなら問題はない。二人は同一人という見方だが、戦地で消息を絶ったとなると、遺族年金を支給しなければけりがつかない。あとはあなたが承知している通りで、遺族が請求を拒んでいるので宙に浮いたきり放りっぱなしです」 「処置なしですか」 「仕様がないでしょう。しかし今度の事故で様子が変わった。生きていた証拠の診断書がでてきた。遺族年金はもらえなくなるが、その代わり賠償金が入る。これで辻褄が合いませんか」 「合いませんね。ツチヘンの菊地一郎が生きていた証拠はあっても、父と同一人だという証拠はない」 「そう言い切ってはおしまいだ。世の中には不思議なことが珍しくない」 「ぼくも調べてみますが、被害者がボロホロ島にいたことはどこで知ったんですか。診断書はそこまで書いてないでしょう」 「浅香節さんに聞いた。しかし詳しいことは知らないようだった」 「加害者の野村はどういう人ですか」 「まだ二十三歳だったかな。素直な好青年で、不注意だったことを全面的に認めている。酒を飲んでたわけじゃないし、スピードを出していたわけでもない。要するに不注意、ぼんやりしてたんですよ。通行人に気がつかなかった。女に振られたせいじゃないかなんて雇い主は言ってるが、事故については本人も相当ショックをうけている。場所は大体この辺です」  部長は管内の地図をひろげ、ボールペンで赤い×印がついている所を示した。  池袋駅の東口で、豊島区役所の裏のほうだった。 「昼も夜も割合静かな通りです。ちょっと先へ行くと賑やかですがね。歩道と車道は白線で仕切られているだけだが、見とおしだってわるくない。普通なら事故が起きるような場所じゃないんです。被害者は白線の外側、車道のほうへはみ出して歩いていたらしいが、野村はブレーキをかけないで、うしろからもろにぶつけている。まるっきり気づかなかったんです。ぶつけてしまってから、あわててブレーキをかけた痕が残っている」 「被害者が酔っていた、ということはないんですか」 「いや、解剖の詳しい報告はまだ見ていないが、そういうことは聞いていない。浅香節さんの話でも、最近の菊地さんはほとんど飲まなくなっていたらしい」 「それじゃ、何か死にたいような悩みがあって、いきなり飛びこんだということはないのだろうか」 「まあないとみていいでしょう。わたしも一応その点を気にしたが、商売は順調のようだし、浅香節さんも思い当たることなどないと言っている」 「しかし、人間はいつ死にたくなるかわからない。この頃は小学生だって自殺する」 「そこまで考えたらきりがありませんよ。死にたくなったとしても、わざわざおんぼろのライトバンに飛びこむ理由はない。ジャガーとかポルシェとか、もっと恰好のいいのがいくらでも走っている。BMWなんてのもわるくないが、どうせ死ぬなら首を吊ったって同じだ」 「それは同じじゃないでしょう。交通事故なら莫大な保険金を遺《のこ》せる」 「だったら尚さら多額の保険に入っていそうな高級車を選ぶはずで、零細企業のライトバンじゃ理窟に合わない。それに、打ちどころが悪かったから死んだようだけど、そう狙い通りに死ねるとは限らない。あなたは、彼が自殺したと思いたいんですか」 「そんなことありません。ぼくは野村という男の立場を考えたんです。那須屋建築の社長に聞きましたが、示談が成立すれば野村の刑は軽くなりますか」 「もちろん裁判に影響する。わたしは裁判官じゃないから、これ以上何とも言えませんがね。野村は那須さんの甥っ子なんですよ。親戚から預かって同居させていたくらいで、しかも用足しに行かせた途中の事故だから、彼自身も野村以上に責任を感じている。野村に会ってみますか」 「会えるんですか」 「留置場にいます。すぐ呼べますよ。彼も謝る相手がいなくて弱っている」 「ぼくが謝られても仕様がない」 「これだけ話し合って、まだ自分が遺族らしいと思わないんですか」 「思いませんね」 「ご遺族ならお悔やみを述べるところだが、賠償金の問題もある。一億円ですよ、あなた」 「わかってます」 「いや、全然わかってないな。わかっていれば、少しは興奮していいはずだ」 「とにかく調べてみます。祖母にも話さなければならない」  睦男は腰を上げ、浅香節の家へ行く道順を聞いた。気づかれないでいるが、彼自身は興奮を抑えているつもりだった。     5  浅香節を訪ねるべきかどうか、睦男は迷っていた。迷っていながら、車は決心をうながすように広尾方面へむかっていた。  やはり会ってみよう。  彼はようやく決心した。  阿部巡査部長が教えてくれた道順は少し違っていたが、浅香節の家は番地をたよりにして簡単に見つかった。静かな住宅地で、立派な家ばかり並んでいる一郭にあった。新しくはないが、和洋折衷のモダンな造りだった。  睦男は大谷石の塀際に車をとめた。  鉄柵のような門はしまっていたが、植込みの黄色い花に囲まれた敷石が玄関へつづいていた。  睦男は「浅香節」と書いてある木製の表札を眺めた。  家のなかは静まり返っているようだった。  睦男はインターホンのボタンを押すのに抵抗を感じ、いったん門の前を通り過ぎた。  すると、塀のはずれにガレージがあり、シャッターが上っていた。覗かなくても車が見えた。西ドイツ製の新型車だった。車体の色は澄みきった紺である。  運転席に人の姿はなかった。  中古でも二百万はするかな、中古といってもいろいろだが、かりに二百万として、一億円あればいったい何台買えるか……。  睦男は立ちどまって眺めながら、漠然と考えた。何台買えるか計算できなかった。中古の値段でしか考えられない自分にも気がつかなかった。現在乗りまわしている小型の国産車も中古だが、値段は五十二万のところを四十五万にまけさせている。いまは絵本や幼児雑誌の挿絵を描かないと食っていけない毎日で、高価な外車には到底手が届かない。  人の気配に気づいたのは、やや経ってからだった。  すぐ近くに、若い女がジーパンに両手を突っこんでいた。長袖の茶色いTシャツを着て、ファッション・グラスを額の上にあげていた。背が高く、細おもての美人だった。  女は無表情で睦男を見ている。その無表情が冷たい感じだった。  陸男は落着かない思いがして、 「こちらのお宅の方ですか」 「ええ」  女は子供のようにコックリ頷いた。 「慶子さんですか」 「あら、あたしを知ってるの」 「警察で聞きました」 「それじゃ警察の方?」 「ちがいます。警察で聞いてきたと言ったんです」  睦男は自己紹介して、これまでの成りゆきを簡単に説明した。  慶子の表情が初めて動いた。明るい動きだった。 「すると、あたしたちは兄妹かしら」 「いや、ぼくは人ちがいと思っている」 「そうね、あなたのことは母に聞いたわ。本所のほうにいるらしいって。母もあなたと同じように警察で聞いてきたのよ。でも会ったばかりのせいかしら、あたしも兄妹のような気がしないわね。兄がいるなんて、考えたこともなかったわ」 「お母さんはお出かけですか」 「もう帰る頃よ。とっくに帰っている時間ですもの。遅くなるなら電話してくるはずだわ。あたしも行くところがあって待っているとこなの」 「失礼なことを聞くけど、あなたは亡くなった方の娘さんですか」 「もちろんよ。母にいろんな話を聞いているし、あたしはそう信じてるわ。間違いなく本当の親子よ。疑ってるの」 「そういうわけじゃない。突然のことで、ぼくもめんくらってるんだ。ごちゃごちゃして、何が何だかわからなくなっている」 「うちへ入らない?」 「ぼくはここで構わない」 「すこし寒くなってきたわ」 「上着を着ればいい」 「父とそっくりな言い方をするのね」  慶子は微笑した。ジーンズの上着が車のボンネットに放り出すように置いてあった。  晴れていた空がいつの間にか曇って、風が冷たかった。 「お父さんはどんな方でしたか」 「すてきな男性だったわ。怒ると怖いけど、怒るなんてことは滅多になかった。友だちに対しても、母より父のほうが自慢ね。そんなにおしゃれじゃないけどダンディだったし、母が夢中になったって無理ないと思う。むかしはもっと素敵だったはずですもの」 「それじゃぼくになんか似てないな」 「———」  慶子はまっすぐに睦男を見つめた。  睦男は気恥ずかしくなって、眼をそらしてしまった。 「よくわからないわ。口もとがちょっと似てるかしら」 「無理に似せなくてもいいんだ。ぼくは父の顔を知らない。戦災で焼かれたので写真も残っていないが、目立つようなホクロでもあれば祖母がきっと憶えている」 「ホクロはなかったけど、背が高かったわ」 「きみも背が高い」 「あたしは百六十七センチ、あたしより五、六センチ高かったんじゃないかしら」 「ぼくと同じぐらいだな。ぼくは百七十三だが、男としては高いほうじゃない」 「父の年代では高いほうだわ」 「ふとってましたか」 「普通ね」 「普通か」  睦男は呟《つぶや》いた。意味のない呟きだった。ふとっていようが痩せていようが、晩年のことはどうでもよかった。知りたいのは若い頃のことで、当時を知っているのは慶子の母だった。 「お母さん、遅いな」  睦男は慶子をもてあまし気味になって言った。初対面の、とくに若い女性との会話は苦手なのだ。  しかしその様子を、慶子は別の意味にとったようだった。見かけによらず気が早いのかそそっかしいのか、誤解しているが鈍感な女ではなかった。 「あなたは遠慮してるみたいね。あたしはもう二十二よ。何を聞かれたって平気。子供じゃないわ。さっき父が怒ると怖いと言ったけど、それは勝手に学校をやめてアメリカヘ行く手続きをしてしまったときのこと、たった一回きりよ。謝ったら許してくれたわ」 「何しにアメリカヘ行ったんですか」 「何となくね。何となく煮つまった感じでいたら友だちが誘いの手紙をくれたから、急に我慢できなくなって行ったみたい。それで一年くらい頑張ったかしら。友だちがインテリアのデザイナーで結構いい線いっていたので、あたしもそのつもりになったの。結局は駄目というより飽きてしまった。あたしは本当にやりたいことがなくて、何の才能もないことがわかったのが取り柄ね。この頃また煮つまってきた感じよ」 「おそらく、きみは恵まれ過ぎているんだ」 「そうかもしれない。反省しているわ。でも、父が死んでから反省しても遅いわね。あたしなんかより、母が可哀そうよ。夜になると泣いているわ」 「亡くなってから、まだ八日しか経っていない。無理ないんじゃないかな」 「あたしはもう泣かないわ。悲しくても、涙が出ないのよ」 「涙は生理現象にすぎない。いくら悲しくても涙が出ないときがあるし、たいして悲しくないのに涙が出るときもある」 「冷たい言い方をするのね」 「ぼくは親兄弟の死に立ち会った経験がない。物ごころがついた頃は死んでいた。冷たく聞こえたとすれば、そのせいかもしれない」 「でも、あたしの父とあなたの父は、同じひとかもしれないのよ」 「ぼくにはそう思えないんだ。せっかくだから遠慮なく聞かせてもらうけど、あなたの名は浅香慶子、お父さんの姓とちがうことは知ってたんですね」 「母に聞いたわ。くわしい事情は聞かなくて、子供のころは意味もわからなかった。でも、聞かなくてもわかるようになったし、母が黙っているならそっとしておいてあげたいと思うようになった。それが中学生の頃ね。くわしい話は高校へ入るとき聞いたわ」 「つまり、戸籍上の妻子がほかにいるということですか」 「おくさんがいるというだけで、子供のことは母も知らなかったらしいの。それが今度初めてわかって、悩んでいるわ」 「しかし、ぼくがその子供じゃなければ、本当のことがわかったと言えない。むしろ、今までわかったと思っていたことまで分からなくなったんじゃないかな」 「でも、母はわかったと思ってるようよ。墨田区の地図を調べたりしてたわ。お宅を訪ねるつもりだったんじゃないかしら」 「複雑だな」 「あら、母が帰ってきたわ」  慶子はふいに右手を上げて指さすと、猟犬のような勢いで走っていった。  そして、きもの姿の母とならんで、何やら話しながら戻ってきた。母のほうが小柄だが、遠目にも色の白い女だった。     6  阿部巡査部長がいっていたように、浅香節は品のいい美人で、四十五歳という年齢より若く見えた。顔立ちは娘の慶子に似ているが、しかし印象は大分ちがっていた。慶子のほうはいかにも現代的な明るい感じだが、節は黒い髪をうしろに束ねて、物腰の静かな、きものが似合う女だった。  睦男と節が挨拶をかわしている間に、慶子は門の閂《かんぬき》をあけた。  そして睦男にむかい、 「また会えるわね」  と言って、車で行ってしまった。  睦男は玄関を入り、応接間へ案内された。女中はいないようで、節は「ちょっと失礼します」と言って出ていった。  睦男は渋い花模様のソファに腰をおろした。派手ではないが、明るい落着きと瀟洒な感じを与える応接間だった。暖炉の上の花瓶に溢れている黄色い花は、たぶん植込みの花を摘んだものである。壁にかかっている額は、睦男も名前を知っている高名な日本画家の風景画だった。ただし装飾的すぎるようで、睦男の好みではなかった。  やがて、節がお茶をいれて入ってきた。 「お待たせしました」  節は睦男のむかいに浅く腰をかけた。 「早速ですが、ご主人の本名をご存じだったそうですね」 「はい」 「しかし、久里浜病院の古い診断書を見せてもらいましたが、菊池の池と番地がちがっています。ぼくのほうはサンズイです」 「それは何かの誤りではないでしょうか。わたくしが主人に——」  節は言いかけて口を噤《つぐ》み、戸惑いを振り切るようにつづけた。 「主人と言ってはおくさまに申しわけありませんが、ほかにどう言えばいいのかわかりません。主人でよろしいでしょうか」 「どうぞ、そのほうがぼくも混乱しないですみます。かりにぼくの母が妻だったとしても、とうに亡くなっています」 「それではお言葉に甘えさせていただきます。わたくしが主人に教えられたのは話の上だけで、字は知りませんでした。知ろうともいたしません。深く考えなかったのです。生まれも大正七年というだけで、おくさまは九州の博多にいらっしゃると聞きました」 「子供もいると言わなかったんですか」 「聞きません。おくさまが離婚を承知なさらないので、喧嘩同様のまま東京へきてしまったが、自分はもう戸籍上死んだことになって墓まで建っているから帰れないと言っていました」 「どういうことなんでしょう。わかりませんね」 「おくさまとは性格が合わなかったそうです。込み入った事情があったのかもしれませんが、それ以上話したがらないので、わたくしも聞かないことにしていました」 「しかしずいぶん年月が経った。お嬢さんも生まれたし、戸籍は重要な問題じゃなかったんですか」 「籍については、いつも済まないと言っていました」 「失礼ですが、慶子さんはおくさんとご主人の子ですね」 「はい。どなたに迷惑がかかってもいけないと思って警察の方には言いませんでしたが、慶子は主人の子に間違いありません。あなたには本当のことを申しあげます」 「ご主人と知り合ったのはいつ頃でしょう」 「慶子が生まれる三年ほど前、わたくしはちょうど二十歳になったばかりでした。昭和二十九年です」  とすると、——菊地一郎は当時三十六歳である。現在の睦男と同じ歳だ。睦男は妙な気持がした。自分が若い頃の父になりかわって、好きな女に会っているような錯覚だった。 「どういうご縁で知り合ったんですか」 「わたくしは向島で芸者をしておりました」  節は意外なことを言った。  睦男は煙草に火をつけた。意外だが、意外ではないような気もした。むしろ彼女のうつくしさが納得できるようだった。どことなく粋な感じが残っている。 「初めて会ったのは会社関係のお座敷です。その会社は間もなく潰《つぶ》れたと聞きましたが、主人は招待された側で、そのとき持田さんもごいっしょだったと憶えています」 「持田さんというのは」 「主人がいた持田商会の社長さんです。持田さんはその少し前から存じていましたが、主人もそれ以来たびたび見えるようになって、わたくしもそのたびにお座敷へ呼ばれるようになりました。あとはご想像におまかせします」 「ご主人のほうが夢中になられたわけですか」 「わたくしのほうが先かもしれません。わたくしは旦那を持たされていたので、いろいろと難しいことがありました。こんなことは慶子にも話していませんが、いっそ死んでしまおうと思ったこともあるくらいです。わたくしは戦災で母と兄を失いました。火の海のなかを、どんなふうに逃げまわったのかわかりません。しかし手をつなぎ合っていたのに途中で母たちとはぐれてしまい、荒川べりへ逃げて助かりました。母たちは言問橋のほうへ逃げたのかもしれません。あとで聞いた話では、言問方面へ逃げたひとはほとんど焼け死んだそうです。何日も何日も遺体を探して歩きましたが、どれもみんな黒焦げで、とうとう見つからずじまいでした」 「どの辺に住んでたんですか」 「向島の小梅です。小さな旅館でした」 「すると三月十日の空襲ですか」 「はい」 「ぼくの家も三月十日です。母と姉が死にました。でも、祖父と祖母は助かった」 「わたくしはひとりぼっちになりました。父は徴用されて軍需工場へ勤めていましたが、その工場が爆弾でやられ、母たちより先に死んでいたのです。戦災後しばらくは両国の伯父の家で育ててもらって、それから向島で芸者屋をしていた遠い親戚の家へ預けられました。こんなふうに話すと不仕合わせなようですけど、それほど不仕合わせに思ったことはありません。人なみに辛いことはありましたが、お稽古事は好きでしたし、芸者になるのも厭ではなかったんです。旦那を持たされることも仕方がないと思っていました。でも、わたくしは主人を知ってから違う女になったような気がします。わがままかもしれませんが、お座敷へ呼ばれるのが辛くてたまらなくなりました」 「しかし、思い通りになれたんですね」 「持田さんのおかげです。いろいろ骨を折ってくださいました」 「その当時、ご主人の仕事は何でしたか」 「やはり貿易関係のようでした。お仕事の詳しい内容は知りません。持田さんにお聞きになればわかるはずです。持田さんとはむかしからいっしょで、ほかに親しい友だちはいなかったようです」 「みんなご主人の本名を知らなかったらしいけど、持田さんだけ例外ですか」 「と思います。わたくしの名を使うようになって二十年以上経ちます」 「しかし、なぜ自分の名があるのに、おくさんの名にしたのだろう」 「それは先ほど申しあげたとおりで、自分は戸籍上死んだ人間だというのです。ですから本名は忘れてしまいたい、節なら男の名でもおかしくないから貸してくれと言われました。それに、わたくしには黙っていましたが、遺産相続のときのことを考えてくれていたようです。葬式のあとで持田さんにそう伺いました。そう伺ってみますと、思い当たることがいくつかございます。主人は戸籍上死んだことになっていますから、万一不慮の事故で死ぬようなことがあっても、そのときは幽霊が消えたようなものだから世間に本名を明かす必要はない、あくまで浅香節のまま葬ってくれと申したことがあります。不審に思われる方があったら、本名は知らないと言って通せばいいなどと冗談半分のように言いました。でも冗談ではなかったのですね。この家も土地も株券などもみんなわたくしの名義になっております。菊地名義のものは何もありません」 「いっしょに暮らしていて、夫婦が同じ名では困ることがありませんか。郵便だって、どっちへきたのかわからないでしょう」 「主人は漢字の節で、わたくしは平仮名で|せつ《ヽヽ》と書いていました。節はタカシとも読むそうで、ひとに聞かれたときやローマ字で書くようなときはタカシのほうを使っていたそうです」 「体は丈夫だったんですか」 「丈夫でした。この十年くらい風邪ひとつひきません。健康には自信があったと思います。会社が休みの日は、慶子とこの近くのゴルフ練習場へ行っていたほどです」 「しかし久里浜病院の診断書には、結核とマラリアの病名が書いてあった」 「むかしは弱かったのかもしれません。わたくしが初めて会った頃も、まだそれほど丈夫そうではなくて、痩せていました。警察の部長さんには亡くなってから診断書を見つけたと言いましたが、本当は三、四年前に見る機会があったのです。会社から主人の電話で、書斎の机の引出しにある書類を使いの者に持たしてくれと言われたときです。わたくしは引出しを一段間違えて、見つからなくて底のほうまで探しました。主人に言いつけられなければ手を触れたこともない引出しですが、そのときいちばん底にあったのがあの診断書です。病院の封筒に入っていました。わたくしは病院の名で好奇心にかられ、つい中を覗きました。主人には言いませんでしたが、菊地一郎の字も、厩橋の住所もそのとき知ったのです。とすると博多におくさんがいらっしゃるというのは嘘ではないのかしら、という疑問がそれ以来ずっとわたくしを苦しめていました。今度の事故で亡くなったあとも、お宅にお知らせしなければいけないと悩みつづけていたのです。ご遺族がちゃんといらっしゃるなら、賠償のお金などはわたくしが受取る筋合いではありません。それで部長さんに診断書を渡して、いっさいお任せすることにしました」 「しかし賠償額は、保険金だけで約一億という大金です。おくさんも受取る資格があるはずです」 「いえ、わたくしにはこの家や土地を遺してくれました。すこしは蓄えもありますし、もう充分です。あなたが遠慮なさることはありません」 「そう言われても困ります。父は戦死したはずで、かりに生きていたとしても、ご主人と同じかどうかわからない。父は南方の戦場だったらしいのです。ご主人に戦争の話を聞いたことはありませんか」 「応召して、ボロホロ島という島で終戦を迎えたそうです。島の名がおかしいので憶えているのですが、詳しい話はしませんでした。聞いたのは一度だけです。戦争の話は嫌いなようでした」 「ぼくの父もボロホロ島にいたらしい。何でもニューギニアに近い小さな島だそうです」 「それなら、主人はやはりあなたのお父さまですわね。偶然にしては、合っていることが多過ぎます」 「ぼくも確かめてみたいので、ご主人の写真を貸して頂けないでしょうか」  おそらく、その写真が決め手だった。祖母は眼がわるいので見分けがつかないだろうが、むかしの父を知っている者は近所にいる。  節は快く承知して席を立った。  話を聞きながら、睦男は自分で気がついたほど煙草をのむ量がふえていた。きれいだったクリスタル・グラスの灰皿が、吸殻でいっぱいだった。  節は煙草をのまなかった。  睦男はまた煙草に火をつけた。  いつ降り出したのか、窓の外は本降りの雨になっていた。  やがて節が戻った。 「こんなものでよろしいでしょうか」  数枚の写真はスナップばかりだった。ひとりで撮ったのは一枚きりで、ほかは節か慶子、あるいは友人らしい男たちがいっしょだった。 「主人はとても照れ屋でした。多分そのせいでしょうが、写真も好きではなかったようです。それでひとりで写したのは一枚しかありません。今になればもっと沢山撮っておきたかったと思いますが、わたくしたちばかり撮って、自分は撮られるのを厭がっていました。主人とわたくしだけの写真もこれ一枚です」 「これはいつ頃撮ったのでしょう」  変色しかかったカラー写真で、菊地と節がならんでいた。菊地は照れくさいのか横向き加減で、背広に蝶ネクタイをしめ、縁なしの眼鏡をかけていた。背が節より十センチは高い。やや神経が細い感じだが、割合整った顔立ちという以外に特徴はなかった。  節のほうはきもの姿で、明るい微笑を浮かべていた。 「慶子が中学へ入った年ですから、十年ほど前でしょうか。この家の庭で、慶子が主人とわたくしを無理矢理にならべて撮ったんです。わたくしと慶子を主人が撮った写真なら、まだ何枚もありますけど」 「この、ご主人ひとりのはいつ頃ですか」 「やはり同じ頃じゃないでしょうか。眼鏡でわかります」  開襟シャツを着て難しい顔に撮れているが、ピントがややぼけていた。 「いちばん古いのはどれですか」 「これだと思います」  男ばかり六人いっしょの、左端にいるのが菊地だった。背景が海で、旅行したときの写真らしかった。菊地は黒縁の眼鏡をかけて眩《まぶ》しそうな顔をしていた。  もちろん睦男はその顔に憶えがない。祖父や祖母に似ているとも思えなかった。 「となりが持田さんです」  節が指さした。  持田は菊地より若い感じだった。ずんぐりした体つきで、口ひげを生やしていた。 「十五、六年前に伊豆の今井浜へ行ったときの写真です。慶子とわたくしは別の旅館に泊まって、翌る日、主人はみなさんと別れてわたくしたちと一緒になりました。それから親子三人で石廊崎をまわり、土肥温泉に泊まって帰ったことを憶えております。慶子が小学校へ入って、初めての夏休みでした」  十年前の菊地は五十一歳である。十五、六年前でも四十五、六歳だ。睦男の父が出征したのは二十四歳のときだというから、写真の菊地の年齢までに二十年以上の歳月が流れている。 「もっと古いのはないんですか」 「ありません。新しい写真でしたら会社の方たちと写っているのがあります」 「結婚されたときは撮らなかったんですか」 「何度も申しあげるようですが、主人とわたくしは正式な夫婦ではありません。式も披露もしておりません。いっしょになれただけで仕合わせでした。主人の仕事が忙しかったせいもありますが、新婚旅行もしませんでした」 「すみません。余計なことを聞いてしまいました」 「いえ、当然のお尋ねと思います。ことによると、持田さんが古い写真を持っているかもしれません」  きょうは土曜日だが、会社は土曜、日曜と休日だった。  睦男は持田の住所と電話番号を聞いてメモした。 「話が変わりますが、ご主人が事故に遭ったのは池袋の東口、区役所のうらのほうだそうです。あの辺に友だちがいたんですか」 「いえ、聞いておりません」 「金曜の夜の九時半頃ですから、仕事の用じゃなかったと思うんです」 「やはり持田さんならご存じかもしれません。わたくしは知らないほうがいいような気がしています。もし持田さんにお聞きになっても、わたくしには黙っていてください」 「どういう意味ですか」 「———」  節は口を噤んで俯いた。  その様子をみて、睦男はまた無神経な質問をしたことに気づいたが、もう言ってしまったので取返しがつかなかった。  しかし、節は静かに顔を上げた。 「考えたくないことですけど、考えないわけにまいりません。主人はなぜ池袋にいたのでしょう。あのひとといっしょになってから、わたくしはこの二十五年間ずっと仕合わせでした。仕合わせがつづきすぎたために、気が緩んでいたのかもしれません。あのひとはいつもやさしかった。慶子にもやさしい父親でした。何ひとつ不自由なく、思い出せば愉しかったことばかりです。仕事は忙しいようでしたが、仕事より家庭を大切にしているようで、持田さんにも冗談まじりにそう言われていたことがあります。でも、その家庭にひとつだけ欠けているものがありました。ご承知のとおり籍のことです。わたくしはあのひとの妻ではありません。慶子の父親の欄も空欄のままです。それを言い出せばあの人を責めることになります。ですから、それについてはいっさい考えないつもりで、慶子も悩んだ時期があったはずですが、いまはすっかり割切ったような顔をしてくれています。けれど、あのひとはいったい何処の何というひとなのか、本当はどういうひとで、なぜわたくしの名を使わなければいけないのか、もしかすると警察に名前を知られたくない事情があるのではないかしらなどと、わたくしはあのひとの顔を見ながらふっと考えることがありました。それは久里浜病院の診断書を見たあとも同じです。かえって考えることが多くなったかもしれません。おくさまを博多に残してきたというのに、診断書の住所は本所区厩橋でした。自分は死んだことになっているから帰れないというのは、どういう意味なのでしょう。わたくしはあのひとに聞けないまま、自分の胸にきいて途方に暮れるばかりでした」  話がすすむにつれて、節は顔をあげているのが辛いのか、下を向いて独り言のようにつづけた。  雨はますます烈しく、時おり雷鳴が聞こえた。部屋が暗くなってきたが、節は明りをつけることも忘れているようだった。 「お母さまが博多にいらっしゃったことはないのでしょうか」 「ないはずです。父は本所の生まれで、母は埼玉と聞いています。埼玉といっても浦和ですから、そう離れていません」 「博多におくさまがいるというのは嘘だったんですね」 「それはわからないでしょう。父がおくさんのご主人だったかどうか、ぼくは疑問に思います。疑問というより否定的です」 「いえ、わたくしは主人があなたのお父さまのような気がします」 「なぜですか」 「お顔はそれほどではありませんが、話し方が似ています」 「話し方なんて当てにならない。下町育ちなら、大体似てしまいます」 「主人は深川で生まれたと言っておりました」 「それじゃ似ていてもおかしくない」 「わたくしは、あのひとのことなら性格から食物の好みから、自分では気づかないでいる癖まで知っています。几帳面で一本気な性格ですが、気の弱いところもありました。野菜や果物が好きで、特に嫌いなものはありませんが、お魚や肉類はあまり好きではなかったようです。コーヒーを飲むときは、お砂糖は軽く二杯でミルクはいれません。お風呂は熱い湯が好きでした。慶子と遊んでいるときなども夢中になると口をとがらす癖がありましたし、そんなことまで知りながら、いったいあのひとはどういう人だったのか、いまは何もわからなくなっています。わたくしは甘えるばかりでうっかりしていたのかもしれません。あのひとの心の奥を深く覗こうとしませんでした。覗くのが怖かったせいもありますが、もしかすると、わたくしなどには言えない悩みがあったのではないでしょうか。たとえば池袋のほうに、好きな方がいたのではないかと考えてしまいます。間違っているでしょうか」 「———」  睦男は答えようがなかった。同じことを考えていたのである。 「ごめんなさい。あなたにお尋ねするほうが間違いですわね」  節の声は沈む一方で、ほとんど溜息のように聞こえた。 「事故の当日、たしか四月十三日と聞きましたが、どこかへ寄り道をするようなことは言ってなかったんですか」 「少し遅くなると言いました。お仕事のせいと思いましたので、理由は聞きません。持田さんのお話では七時ごろ会社を出たそうで、べつに変わった様子はなかったそうです」 「最近おかしいと思ったことはありませんか」 「気がつきません。事故の日も、いつもと同じでした」 「この写真は眼鏡をかけていますが、初めて会った頃から眼鏡をかけてましたか」  睦男は話題を変えた。もう話を切上げる頃合いだった。 「はい」 「近眼ですか」 「たいした近眼ではなかったようです。眼鏡をかけたほうが楽だからと言ってましたが、眼鏡をかけずに新聞を読んだりしていることもありました。でも、五、六年前から老眼のほうがすすんだようです。ふだんは眼鏡をかけませんが、活字を読むときなどは必ずかけていました。お父さまは近眼だったんですか」 「いえ、聞いていません。帰ったら祖母に聞いてみます」 「よろしくお願いいたします。お知らせしなければいけなかったのですが、お葬式は内輪の者だけで済ませました。もしお父さまということがわかれば、お骨はわたくしが預かっております。お返ししなければなりません」 「この写真、貸していただけますか」 「どうぞ、お持ちになってください」 「それじゃお借りします」 「あら、すっかり暗くなって——」  節はようやく気がついて、明りをつけた。  睦男は写真を四枚選んだ。いちばん古いという六人いっしょの写真、それに菊地ひとり、節とならんでいる写真、さらに眼鏡をかけていない最近の写真の四枚だった。     7  雷はやんだが、雨は降りつづいていた。  節が傘をさして、塀際にとめた車まで送ってくれた。思いがけない相合傘だった。いい香りがしたが、香水などの香りではないようだった。  とすれば浅香節の香りである。  睦男は雑念を追い払って車をスタートさせた。  しかし、彼女の香りはいつまでも消えなかった。鼻に残っているというより、胸の奥にしみたような感じだった。初めての経験だが、恋という言葉は浮かばなかった。恋ではないにしても、その前兆のような感覚かもしれなかった。  帰宅すると夜だった。  明りをつけ、ごろんと横になった。すすけた天井を眺めていると、きょう一日の出来事が全部嘘ではないかという気がした。  腹がへったな。  彼は現実的な言葉をつぶやいた。  それから勢いをつけて起上り、四枚の写真をならべた。  しかし、いくら見ても菊地が父親だという気はしなかった。それよりつい視線が節のほうへ走って、節の写真が欲しくてほかの写真まで借りたような気がした。  いや、そんなばかなことはない。  睦男はまた雑念を払った。  最近の菊地の写真は温厚そうな紳士だった。髪は白いが老人という感じではなく、むしろ十数年前の写真では若く見える持田のほうが老けた感じに変わっていた。  どうせ飯を食いに出なければならない。  睦男は祖母に会いに行こうと思った。  そこへ喫茶店の鯨井が電話をかけてきた。 「ちょっとやらないか、四回ばかり」  麻雀の誘いだった。彼の店のとなりが雀荘なのだ。四回ですむはずがなく、土曜は大抵徹夜することになっている。メンバーも大抵きまっていた。 「それどころじゃなくなってしまった。例の話で警察へ行ってきた」 「うん、その話も聞きたいと思ってね」 「雨が降ってるし、明日話しますよ。まだ、ほかの連中に知られたくない」 「その気持はわかるけどさ」 「これから、祖母に会って聞くことがあるんだ」 「それじゃ要点だけ言ってくれないか。わたしだって気になってるんだ。やっぱり親父さんだったのかい」 「まるっきりわからない」 「わからなくちゃ困るじゃないの」 「だから困ってる。警察も困ってるし、建築屋のおやじも困ってる。被害者と夫婦のようにしていた女性にも会ったが、その女性も困っていた。みんな困っている」 「まるで困りっこだね。あんたがいないと、今夜はメンバーが足りないんだ。麻雀のほうも困る」 「麻雀といっしょにされちゃかなわない」  睦男は適当に答えて電話を切った。明日は日曜だから仕事をせっつかれる心配はないが、麻雀をやりたい気分ではなかった。  祖母が入っている病院は近くだった。  睦男は傘をさして出かけた。傘をひらいたとき浅香節を思い出したが、鯨井と電話で喋っている間に彼女の香りは胸の奥から消えてしまっていた。  睦男は残念に思い、鯨井が怨めしかった。  祖母のトヨは食事のあとで、仰向けのままテレビのほうを見ていた。元気だが、腰にコルセットをはめられているから起上れないのである。  病室は女ばかりの六人部室で、トヨのベッドは窓際だった。  睦男は窓際にまわって、丸椅子に腰をかけた。  トヨは一日に二度もあらわれた睦男を不審がるような顔で、テレビを消し、 「よく降るね」  と言った。分厚い眼鏡をかけているが、睦男の姿はほとんど見えないはずだった。テレビも聞いているだけである。その代わり勘がよくて、相手を間違えるようなことはなかった。顔色もいいし、むしろ心配なのは腰の怪我より高血圧だった。 「何かあったのかい」  トヨのほうから言った。 「うん。おどろかないで聞いてもらいたいんだけどね、親父が生きていたんじゃないかという話を聞いたんだ」  睦男はトヨの気持を察すると、いきなり全部打ち明ける気になれなかった。 「ふうん」  トヨは動じないように頷いた。 「どう思う」 「どう思うって、当たり前じゃないか。一郎は生きていますよ。きっと帰ってくる」 「それで確かめたいんだけど、うちは三十七番地に間違いないね」 「うん」 「菊池のチは、ツチヘンじゃなくてサンズイのほうだろ」 「うん」 「戦災のあと区役所へ届けるのに、うっかり間違えたということはないのかな」 「そんなことないよ。番地がどうかしたのかい」 「もう少し我慢して、おれの言うことに答えてくれないか。おれは親父のことをあまり知らない。それほど知りたいとも思わなかった。生まれたときからおばあちゃん子で、親父がいないことに馴れてしまっていた。でも、いまはとても知りたい。これまでおばあちゃんに聞いていたことも、もう一度よく聞きたいんだ。親父はどんな男だったのだろう」 「そりゃあいい男さ。あたしの子だからね。よく気がつく子でやさしくて、勉強もできたほうだし、仕事の腕もよかった。おじいちゃんはみんなに一目置かれていたけど、この界隈の箪笥《たんす》職人で、おじいちゃんの右にでる者はなかったんだよ。贔屓《ひいき》にしてくれるお邸《やしき》がいくらもあった。といって気が向かないと、お金《あし》なんかどんなに積まれても断ってしまうひとだった。まあ職人気質というんだろうね。戦争で仕事が思うようにならなくなってきたけど、一郎はおじいちゃんの血筋を引継いでいた。兵隊にとられないですむとわかったときの、おじいちゃんの喜びようといったらなかった」 「あれ、親父は兵隊で戦地へ行ったんじゃないの」 「ちがうよ。もっと前の話をしてるんじゃないか。むかしは二十歳になると、徴兵検査をうけて軍隊に入らなければならなかった。それくらいはおまえも知ってるだろう。でも、検査のとき一郎はちょうど肋膜をやったあとだった。肋膜に水がたまって、三月《みつき》ほど寝てたかね。それでうまい具合に甲種合格にならないで済んだ。今だからうまい具合なんて言えるけど、あの頃そんなことを言ったら大変だった。非国民だというんで憲兵隊へ引っぱられ、どんなひどい目に遭わされたかわからない。甲種合格おめでとうなんて言ったものだが、本当はそうじゃなかった。あたしだって大事な息子を兵隊に取られたくなかった。支那事変(日中戦争)が始まっていたし、戦地へやられたら生きて帰れるかどうかわからないからね。乙種か丙種か忘れたけど、とにかく甲種にならなくて、あたしもどれほどほっとしたか知れやしない。おじいちゃんは一郎を立派な跡継ぎにするつもりだった。そこへ今度はアメリカやイギリスと戦争じゃないか。兵隊さんの数が足りなくなって、とうとう一郎にも召集令状がきてしまった。よく憶えているが、昭和十七年の二月だった。一郎が二十四歳のときだよ。あたしもおじいちゃんもがっかりしたけれど、一郎は日の丸の旗をタスキがけにして、万歳万歳の声におくられていった。そしてその年の七月、三日間だけ休暇で帰ってきた。戦地へゆくという話だった。戦地は南のほうらしいというだけで、南のどこかということは一郎も知らなかった。その三日間の間、おまえのおふくろは毎晩泣いていた。泣声を聞いたわけじゃないが、朝になると眼のふちが赤く腫《は》れていた。ずいぶん心細かったろうし、やはり悲しかったんだろうよ。美代子が生まれてまだ半年くらいだったもんね」  美代子は睦男の姉だった。母といっしょに戦災で死んだ。  トヨの話で初めて気がついたが、おそらく、母が睦男を妊《みごも》ったのは父が三日間帰宅したときである。父はそれっきり消息を絶ち、葉書一枚の便りもなかったのだ。 「肋膜に水がたまったというと、肺病の気《け》があったのかな」 「ひところはそういう心配もしたけれど、元気で働いていたし、入隊したって肺病とわかればすぐ帰されちまうよ。いまと違って、あの頃の肺病は怖い病気だったからね」  とすると、睦男の父と菊地一郎が同一人なら、出征した頃の父は胸を病んでいたとしても気づかれない程度の軽症で、戦地へいってから悪化したということも考えられた。 「親父は痩せてた? それとも太ってた?」 「普通だった。痩せてもいないが、太ってもいなかった」 「背は」 「高いほうだったよ。おじいちゃんも高かったし、だからおまえも高い」 「食物の好き嫌いは」 「随分いろんなことを聞くんだね」 「とにかく知りたいんだ」 「小さい頃は野菜嫌いで困ったけど、だんだん直ったよ」 「ビフテキはどうだろう」 「ビフテキなんか食べられる時代じゃなかった。でも、肉屋さんで揚げているメンチカツやトンカツは食べていた。魚のほうが好きで、とくに刺身が好きだった」 「夢中で仕事をやっているときなど、口をとんがらせる癖はなかったかな」 「それはどうだろうね。おじいちゃんが生きてればわかるけど、女は細工場《さいくば》を覗いちゃいけないと言われていた。だから休みのときにお茶を運ぶくらいだった。そういう癖があったような気もするが——」  トヨの記憶は曖昧だった。  以前は二間つづきの奥に広い板の間があって、そこが祖父の細工場だった。いつも新しい木の香やニスの匂い、鉋屑《かんなくず》が散らかっていたが、子供の頃の睦男は弟子の職人に木刀などを作ってもらった。しかし仕事が次第に機械化されてくると、祖父のような職人は敬遠されがちになった。職人の腕が機械に追い払われるように、弟子が一人去り、ついに二人とも去った。機械を入れるようにすすめる者もいたが、祖父は機械より鉋や鑿《のみ》や鋸《のこぎり》が好きだった。おそらく性分のせいで、そういう時代の変化についていけなかったのかもしれない。何度か得意先と喧嘩した末に、細工場をこわして庭にしてしまった。それは時代に対する抗議なのか仕事への未練を断ち切るためなのか、祖父はそれっきり鉋を手にしなかった。そして間もなく、まるで過ぎ去った時代を追いかけるように心臓の発作で死んでしまった。  現在も粗末な家の割には広い庭が残っているが、トヨはその庭に草花を植え、入院しても心配は草花のことばかりで、睦男は見舞いにゆくたびに庭の手入れをしているかどうか注意された。 「眼鏡はどう」 「眼なんかわるくなかったよ」 「顔にホクロがあるというような特徴は」 「なかったね。もういいじゃないか。じらさないで話しておくれ」 「うん、ちょっと信じられない話なんだ。この写真、おばあちゃんは見てもわからないだろうな。親父じゃないかという人がいるんだ」  睦男は四枚の写真を渡した。  分厚い眼鏡の奥で、トヨの眼が光ったようだった。写真を手にとると、一枚一枚じっと顔に近づけて見つめた。だんだん頬に赤みがさしてきた。  睦男は写真を見せたことを後悔した。やはり無理なのだ。自分の五本の指さえぼんやりとしか見分けられないのである。  しかし、トヨはいつまでも写真から眼を離さなかった。 「こんな写真、だれからもらったんだい」  トヨは写真を見つめたまま言った。 「浅香節という女のひとだけど——」  睦男はかいつまんで成りゆきを話した。 「ばかばかしい。よくそんなつまらない話を聞いてきたね」  トヨは吐き出すように言った。 「やっぱり信じられないよな。おれもばかばかしいと思った」 「もし東京にいたなら、あたしたちが待っている家があるじゃないか」 「そうなんだ。それが第一におかしい。でも、戦地で烈しいショックを受けて記憶をなくしたなんてことはないのかな」 「おまえもばかなことを考えるね。それじゃ診断書はどういうことなんだい。名字や番地が少しくらい違っていても、尋ねてくればわかるじゃないか」 「もちろんそうだけどさ」  トヨの言うほうが理窟に合っていた。 「この三十四年間、あたしはずっと一郎が生きていると思いつづけてきた。今だってそう思っている。最後に家を出ていったときの元気そうな、だけど少し寂しそうだった、あの顔が忘れられないんだ。ここであたしが忘れてごらん。いったい誰があの子を思い出してくれるの。おまえのおふくろも美代子もおじいちゃんも、みんな死んでしまったじゃないか。おまえは一郎の顔を見たこともないんだし、そう思うだけでも忘れられやしない。あたしが生きている間は一郎も生きている。きっと元気で帰ってくる」 「わかった。おばあちゃんと同じように、おれも親父の帰りを待つよ。たとえ顔を知らなくても、待っている者がいれば帰ってくる。この写真は返そう」  睦男は手をのばした。  しかし、トヨは写真を放さなかった。 「徳ちゃんに聞いてみたらどうだろうね」  急に話が変わった。 「徳ちゃん?」  睦男は聞返した。 「左官屋の源さんとこの伜《せがれ》だよ。グレちまってどうしようもない伜だったけど、一郎とは小学校も同級で仲がよかった。兵隊にとられたのも同じ頃で、徳ちゃんは運がよくて無事に帰ってきた。徳ちゃんにこの写真を見せればわかるんじゃないかね」  左官屋の源さんはとうに亡くなっていた。その伜といっても、睦男の父と同級なら六十一歳だった。大倉徳三という名である。徳三は錦糸町駅の近くで小さな不動産屋をやっているが、睦男たちの家を壊してマンションを建てないかと言いにきている一人だった。色黒の精悍な感じで、あまり柄がいいとは言えなかった。  しかし商売は真面目にやっているようで、わるい評判はない。  睦男は祖母の思いつきに賛成した。 「それから、あたしの箪笥のいちばん下の引出しにクッキーの缶がある。その中を探すと戦友会の案内状が入っている。もしかすると役に立つかもしれない」 「戦友会?」 「ボロホロ島の戦友会だよ。その案内状で一郎がボロホロ島にいたとわかったんだからね。郵便が遅れて届いたので会には間に合わなかったけど、確か昭和二十七年だった。案内状をくれたひとは小谷というひとで、あたしはすぐそのひとを尋ねていった。それ以来ボロホロ島で一郎といっしょにいたひとを何人も何人も尋ねて歩いた。長野、福井、鳥取県の浜村なんて所から佐世保へも行ったし鹿児島へも行った。いろんな話は聞いたが、一郎の死顔を見たひとはいなかった。一人もいなかったんだよ。同じ部隊の同じ分隊にいたというひとに会い、小隊長さんや中隊長さんにも会った。おじいちゃんが死んだあとも、あたしはそんなふうに独りきりで尋ねまわったんだ。もう尋ねつくして行く所がなくなったけどね。おまえも父親のことなんだから、動けないあたしの代わりに、その生きていたとかいう男を調べてみたら、何か新しいことがわかるんじゃないのかい。なんとなくそういう気がしてきたよ」 「おばあちゃんがそう言うなら、調べてみてもいいな」 「でも、ツチヘンの菊地という男は贋ものだからね。騙されるんじゃないよ」 「それは大丈夫」  睦男は、祖母がようやく手放した写真を内ポケットにしまった。余分な気をつかわせると思って、一億円のことは話さなかった。 「おふくろが博多にいたなんて話、聞いたことないよね」  睦男は腰を上げてからきいた。 「ないよ。おまえのおふくろの家は浦和で八百屋をしていた。むかしからずっと浦和だった」 「池袋のほうに親戚なんかもなかっただろ」 「あるもんかね。みんな嘘っぱちだよ」  久しぶりに一郎が話題になったせいか、トヨは興奮しているようだった。菊地が別人にちがいないとわかっているつもりでも、睦男に調べろと言ったことは、一縷《いちる》の望みを捨てきれないしるしだった。     8  睦男は帰宅すると、祖母の箪笥の引出しをあけた。  クッキーの缶はすぐわかるところにあった。なかは古い手紙ばかりで、睦男の父に関するものだった。差出人の住所が長野から鹿児島にまでわたっている。  睦男は取りあえず戦友会の案内状を見た。藁半紙にガリ版刷りで、 [#ここから2字下げ] 「拝啓 皆様益々御健勝のことと存じます。 昨年は第一回のことでもあり、連絡不十分で集まりが芳しくありませんでしたが、今回も昨年同様四月二十九日に左記要領で戦友会を行い、お互いの無事を祝し、戦友の冥福を祈りたいと思います。万障お繰合わせの上ぜひ御参加下さい。 記 集合場所日時 四月二十九日午前十時 靖国神社大鳥居前 (参拝のあと希望者は九段下の松丸亭で会食の予定です。会費五百円) 昭和二十七年三月                 ボロホロ会                 (世話人)小谷良介」 [#ここで字下げ終わり]  右肩あがりの、上手ではないが読みやすい字だった。そして同じ字体のペン字で「今回は特に師団長閣下も御臨席下さる由、連隊長殿も出席されます」と余白に添え書きしてあった。  封筒の宛名は「菊地一郎」住所は一二七で届いている。交通事故で死んだ男が持っていたという、久里浜病院の住所氏名と同じだった。  小谷良介の住所は芝区金杉二丁目になっているが、芝区は行政区画変更で麻布区、赤坂区と合併して港区となり、金杉という町名も消えて、現在は芝二丁目である。  睦男はほかの手紙も拾い読みした。すべて祖母あてにきたもので、ボロホロ島から帰還した旧兵士たちとの文通だった。ほとんどが返事である。それも一郎の生死は確認できないという内容ばかりだった。  睦男は、それらの手紙はあとでゆっくり読むことにして、大倉徳三に電話をかけた。  店はしめたが、待っているという返事だった。睦男が用件を言わなかったので、商売の話と勘ちがいしたらしく、愛想がよかった。  しかし、睦男は用件を言わないまま受話器を置いた。雨が降っていなければ歩いても大した距離ではないが、依然やみそうもなかった。  睦男は車で行き、店の前にとめた。ガラス戸いっぱいに売家や貸室のビラを貼った入口はカーテンがしまっていたが、明りはついていた。カーテンのむこうが店で、二階が夫婦きりの住居だった。三人いた娘は三人とも結婚して、そのうちのいちばんきれいな末娘が離婚してバーに勤めていたが、同棲していた男に殺されたという新聞記事を睦男は読んだことがあった。もう数年前のことだ。  ガラス戸をあけると、大倉は電話のときと同じように愛想よく迎えた。 「どうしたんだい、こんな時間に、珍しいじゃないか。まあ掛けなよ」 「ええ」 「ビールでも飲むかい」 「車できたから結構です」  睦男は腰を下ろした。  店内の壁もビラをいっぱいに貼りつめていた。 「おばあちゃん、よくなったの」 「あと一週間くらいで退院できるそうです」 「そりゃあよかった。いくら元気なおばあちゃんでも、歳だからな。大事にしないといけない。お天気だったら、今日あたり見舞いに行こうかと思ってたんだ」  大倉は調子よく言った。いつもこんなに調子がいいわけではないが、ゴルフを知らない相手にまでゴルフの自慢をする男で、ある意味では単純な好人物だった。 「この写真を見てくれませんか」  睦男はまず六人いっしょの写真を出した。 「何だい、これ」 「写真です」 「写真はわかってるよ」 「このなかに知ってる人がいませんか」 「わたしのかい」 「ええ。見憶えがある程度でもいいんです」 「———」  大倉は老眼鏡をかけて写真を見た。じっと見ているうちに口がとがってきた。菊地一郎と同じ癖だった。 「わからないな。こっちの若いのは知らないし、この変な顔をしたやつも知らない……」  大倉は呟くたびにボールペンで写真の顔を叩いた。  変な顔と言われたのは持田商会社長の持田だった。  しかし睦男が見れば、大倉徳三のほうが変な顔の部類だった。高級そうなスーツを着ているが、スーツよりステテコに鉢巻がぴったりという感じである。  大倉は、菊地一郎の顔については首をかしげただけだった。 「これはどうですか」  睦男は二枚目に浅香節とならんでいる写真を重ねた。 「ふうん、いい女だな、すごい美人じゃないか」 「女はどうでもいいんです。男のほうを見てくれませんか」 「どうして」 「あとで種を明かします」 「手品師みたいなことを言うもんじゃないよ。あんたはね、大体ふだんから水くさい。この店の前を通りながら、いつも素通りだ。わたしはあんたの父親と仲がよかった。近所だったし、小学校もいっしょだった。菊池は戦死してしまったが、彼の忘れ形見があんただと思えば、他人のような気がしない。何だって相談にのってやるくらいの気持は持っている。あんたがこんな小さい頃から知ってるんだからな。恩に着せるわけじゃないが、だっこしてやったこともある。早く言っちまいなよ。決して悪いようにはしない。土地家屋のことなら大船に乗ったつもりで任せてもらう。この二人が、お宅の土地を買いにきてるのかい」 「弱ったな。まるっきり話がちがう。家は関係ないんです」 「ふうん」  大倉は憮然としたようだった。 「すると、問題は女か」 「女も問題です」 「なるほどね。わかったよ。こういう女は必ず問題を起こす」 「男のほうが先に問題なんです」 「三角関係か」 「ちがいますよ。もっとよく写真を見てくれないかな。似てるひとがいるでしょう」 「どこに」 「これも同じひとです」  菊地一郎ひとりの写真をとなりに並べた。 「うん、これとこっちは同じだな」 「ぼくに似てませんか」 「あんたに?」  大倉は眉を寄せ、写真と睦男を見較べた。 「ぼくの親父かもしれないという人がいるんです」 「誰がそんなこと言うの」 「この女性です」 「どういうことなんだ」 「菊池の池がツチヘンだからちょっと名字がちがうけれど、やはり一郎という名で、ボロホロ島から帰還したらしい。生年月日も同じです」 「それじゃ菊池じゃないか」 「そう思いますか」 「しかし、菊池は戦死したはずだろう」 「死体を見た者はいません。おばあちゃんは死んだなんて信じようとしない。どこかに生きてると思っている」 「そんな無理を言ったって、戦後三十四年も経つ」 「でも、おばあちゃんにとっては戦後なんか何十年経っても同じなんだ」 「その気持はわかるけどさ。おばあちゃんは菊池が可愛くてたまらなかったもんな。うっかり菊池を泣かせようものなら、棒きれを持って追っかけてきた。怖かったぜ、ほんとに。わたしなんか何度追っかけられたか知れない。それほど可愛かったんだ」 「親父に似てるかどうか、写真をもう一度見てくれませんか。おばあちゃんは眼がわるくて見えないんだ。それで大倉さんに見てもらうように言われたんです」 「うむ」  大倉は眼鏡のかけ具合を直し、あらためて写真を眺めた。  また、口が次第にとがってきた。 「年をとると、こういう顔になるもんかな」  大倉は感慨深そうに呟いた。 「誤解しないでください。まだ親父とわかったわけじゃないんです」 「しかし、何となく菊池のような気がしてきた」 「何となくじゃ困るんです。かえってそういうのがいちばん困る。だから初めは理由を言わないで見てもらったんだ」 「それより、写真の本人に会ってみればわかるんじゃないの。あんたが気おくれしてるなら、わたしが会ってもいい。これから、すぐにでも会いたいね。いっしょに行こうか」 「無駄です。交通事故で死んでしまった。つい八日前のことで、もう骨になっている。葬式もすませたし、その女のひとはもしぼくが遺族なら遺骨を返したいと言ってるんです」 「ずいぶん厄介な話だな」 「くどいようだけど、その写真の男は親父じゃありませんか」 「何となく似てるような気がするし、全然似てないような気もする。なにしろ三十何年も会ってないんだ。わたしが応召したのは十六年の四月で、菊池に餞別をもらった憶えがあるし、わたしのほうが早かったことは間違いない。そのときから数えると、——三十八年前に別れたことになるかな。わたしは中支へ行って、中支は後方の部隊で楽だったが、それから仏印(ベトナム)にちょっといて、ビルマヘやられた。ビルマといってもインパールヘ行った連中に較べると楽なほうらしかったけど、それでもかなり烈しい戦闘をやったよ。敗戦で内地へ帰れたのは二十一年の二月だったが、家は丸焼けで惨憺たるものだったね。まあ無事に帰れたのが儲けもの、家の者も死なないでいてくれたのが何より嬉しかった。菊池が帰らないので心配していたが、南方の島へやられたらしいと聞いて、それじゃ駄目だったろうと思っていた」 「でも、戦死公報はこなかった」 「戦死公報なんて当てになりゃしない。あの頃は生きていた英霊がいくらもいた」 「生きていた英霊って?」 「戦死した兵隊を英霊というじゃないか。ただの霊とはちがう。死して護国の鬼となるというんで、みんな靖国神社に祀《まつ》られた。どこそこで壮烈な戦死を遂げたという公報がきて、ちゃんと遺骨まできてさ、家族のほうはてっきり戦死したと思って嘆き悲しんでいる、ところが戦争が終わったら、死んだはずの亭主や親兄弟が元気で帰ってきたなんて例が珍しくなかった。なかには再婚しちまった女房がいたりして、新聞種にもなっていた。べつにその女房が尻の軽い女だったわけじゃない。戦死公報がいい加減だったんだ。勝ち戦《いくさ》のうちは公報もしっかりしていただろうが、敗け戦で前線が混乱してきたら、いちいち死体を確かめるなんてできるわけがない。戦闘のあと、いない奴がいれば戦死だな。遺骨も拾ってもらえない代わりに、名誉の戦死で無言の凱旋ということになる」 「とすると、その逆に戦死公報がこなくても死んでいる場合があるんでしょう」 「もちろんある」 「親父の場合はどうなのだろう」 「わからないね。まあ死んだと思うのが普通だろうけど、難しいよ。敗戦後の日本へ帰るのが厭で、現地人になりきってしまったなんて人の話も聞くからな。なぜ今頃こんな写真がでてきたんだい」 「複雑な事情があったらしい」 「この二人はいっしょに暮らしてたのか」 「夫婦同様です、籍は入ってませんが」 「なぜ籍を入れなかったんだ」 「知りません」  睦男は詳しいことを話さなかった。大倉は信用してもいいが、女房に話されると、女房がお喋りなのである。 「ふっと思い出したが、こうは考えられないかな。この写真の男は捕虜だったんじゃないかということだ。敗戦後なら一兵卒から軍司令官にいたるまでみんな捕虜だから問題にならない。だけどね、敗戦前に捕虜になった連中は偽名をつかっているのが多かった。生きて虜囚の辱《はずかしめ》を受けず、という戦陣訓の時代だった。捕虜になったなんてわかったら、家族まで非国民扱いだ。本人は原隊へ逃げ帰っても銃殺されると聞いていた。わたしなんかも戦死より捕虜になるほうが怖かった。それで阪東妻三郎とか机龍之助とか、映画俳優や小説の主人公を偽名にしていたのが大分いたらしい。わたしは帰還船のなかで竹田という男と仲よくなったが、戦後しばらく経って会ったら別の名に変わっていた。わけを聞くと、竹田というのは捕虜のときの偽名で、そんなこと誰にも知られたくないし、内地へ上陸するまで偽名のまま通したと言っていた。竹田は戦友の名前だったそうだがね」 「それじゃ、この写真の男も捕虜になっていた口で、親父の名をつかっていたのだろうか」 「考えられないことじゃない」 「しかし内地へ帰ったら、もう偽名でいる必要はないんじゃないかな」 「うむ」  大倉は口をとがらせて唸《うな》った。  睦男は唇を噛みしめた。何もかも、すべてが疑問につつまれていた。     9  睦男は大倉徳三に別れると、祖母に結果を伝えてから近くの食堂で遅い晩飯をすませた。鯨井たちが麻雀をやっているだろうと思ったが、覗きにゆく気にならないまま家へ帰った。  依然雨が降りつづいていた。  睦男は日本酒をコップについだ。父は下戸だったというが、睦男も二十代まではほとんど飲めなかった。飲めるようになったのはタキ江といっしょになる頃で、離婚してから量がふえていた。タキ江が去って寂しくなったせいだなどとは考えないし、とくにうまいと思って飲むわけでもないが、つい飲む習慣がついていた。  睦男は祖母あてにきた父の戦友たちの手紙を読み、横になると間もなく眠った。明け方近く父の夢をみたが、本当の父の顔は知らないのだから、夢にあらわれたのは写真でみた菊地一郎という男にちがいなかった。浅香節と夫婦のように暮らしていた男である。夢の内容は眼をさました途端に忘れたが、もう一度眠ろうと思っても、今度は浅香節の顔が瞼《まぶた》に浮かんでなかなか眠れなかった。  しかしいつの間にまた眠ったのか、電話のベルで起こされた。  電話は局番ちがいで、若い女らしい相手は、 「あら、十円損しちゃったわ」  と言っただけで切ってしまった。  おかげで睦男は不機嫌な朝を迎えた。  雨があがって、空は珍しいほどきれいに晴れていたが、風が冷たかった。  睦男は鯨井の喫茶店へ行きかけ、途中で日曜ということに気がついた。日曜は鯨井の店も近所の行きつけの食堂も休みだった。鯨井が起きていればコーヒーにトーストくらい作ってくれないことはないが、家へ戻ってインスタント・ラーメンを食った。  それから、電話帳で小谷良介の名をさがした。すぐに見つかったが、住所がちがっていた。目黒区下目黒になっている。別人かもしれないが、戦友会の案内状の日づけから二十七年も経っているのだ。転居したのかもしれなかった。  睦男はダイヤルをまわしてみた。  女の声がでた。若くはなさそうだが、年寄りでもなさそうな声だった。 「まだ寝てるんですけど」 「何時ごろ起きますか」 「さあ——」 「きょうはお休みですか」 「と思いますけど」 「外出の予定などは聞いていらっしゃいませんか」 「さあ——」 「失礼ですが、以前は芝のほうにおられた小谷さんですね」 「どうなんでしょう。芝にいたんですか」 「ぼくがお尋ねしているんです。戦争で、南方の島にいたという話は聞いていませんか」 「さあ——」  女の返事はいっこうに要領を得なかった。そして、 「あなたは、どなたかしら」  と聞いてきた。 「申し遅れました。菊池といいます」 「どこの菊池さん?」 「本所です」 「知らないわね。川崎の菊池さんなら知ってますけど」 「川崎じゃありません。ぼくの父と小谷さんが戦地でいっしょだったらしいんです」 「それで?」 「もし父をご存じでしたら、お訪ねしたいと思って電話をしました。父の名は菊池一郎で、大分前に戦友会の案内状をいただいたことがあります。戦友会のこともお聞きになっていませんか」 「さあ——」  依然頼りない返事だった。  睦男はもう一度電話をすると言って、受話器を置いた。  時刻は九時を過ぎていた。  机にむかったが、煙草をふかしただけで、仕事をする気にならなかった。いつ起きるかわからない小谷を、ぼんやり待っていても仕方がなかった。  持田商会の持田に会ってみることにした。電話番号は浅香節に聞いてあった。  ダイヤルをまわすと、持田が直接電話口にでた。気さくな口調で、太い声だった。 「あなたのことは浅香節さんに聞きましたよ。お目にかかりたいと思っていたところです。ぜひ会いたいですな」 「ご迷惑でなければ、お伺いします」 「それじゃいらっしゃい。家内は出かけたし、伜夫婦も子供らとどこかへ行ってしまった。おかまいはできないが、邪魔な者はいません」  持田は道順を言った。渋谷区の恵比寿で、そのあと小谷を訪ねるとすれば、ちょうどいいコースだった。  睦男はジーパンのまま、シャツだけ新しいのに着替えた。  そこへ、タキ江が電話をかけてきた。一年あまり前に別れた元女房である。ごく稀に、気まぐれのように電話をかけてくるが、今年に入ってからは初めてだった。朝のうちというのも初めてだが、彼女の消息については昨日鯨井に聞いたばかりである。 「お元気?」  ちょっと鼻にかかった甘い声で、かつては官能的な唇が魅力だった。 「まあね」 「ずいぶん会わないわ。叔父の店で偶然会ったのが半年くらい前じゃないかしら」  彼女が叔父というのは、鯨井のことだった。 「そうかな」  睦男はわざと素っ気なく言った。 「たまには会いたいわ」 「いまさら会っても仕様がない」 「つめたいのね」 「つめたいもあったかいもない。例のハンサムな美容師はどうしたんだい」 「とっくにサヨナラよ。あたしはまるでばかみたい。すっかり騙《だま》されてたわ。彼にはおくさんも子供もいたのよ」 「珍しい話じゃないな」 「あたしは今、友だちと小さなアパートを借りて、また美容院に勤めてるわ。真面目そのものって感じよ」 「それはいい。きみなら、まだ若いし、今度こそ理想的な結婚相手が見つかる」  タキ江は美容師の免状を持っていた。鯨井の店で働くようになる前は美容院に勤め、彼女が騙されたという相手はその店にいた頃からの知合いらしかった。 「そんなふうに言わないで——。あたしは睦男と別れて後悔してるの。ほんとうに後悔してるわ」 「おれは後悔していない。とてもいい勉強になった」 「好きなひとができたの」 「いや」  睦男は首を振った。浅香節の顔が脳裡をかすめた。 「おばあちゃんが入院して、睦男がひとりきりでご飯も外で食べてるって聞いたら、急に会いたくなったのよ。ただ何となく会うだけでも厭かしら」 「きょうは都合がわるい。出かけるところなんだ」 「あたしがいっしょに行ってはまずいの」 「まずいだろうな。初対面のひとのお宅へ行って、複雑な話をしなければならない」 「複雑って」 「複雑は複雑さ。クジさんに何も聞いてないのか」 「何のことかしら」 「クジさんに聞けばわかる。おまえには関係ないけどね」 「そんなこと言わないで教えてよ。関係がなくても気になるわ」  タキ江は親戚の法事で十日ほど前に鯨井と会ったが、それっきり会う機会もなく、叔母がいい顔をしないから店へ訪ねるのは気が重いと言った。  とすると、タキ江が電話をかけてきたのは一億円のせいではなかった。  しかし、いずれにせよタキ江には関係がない。睦男自身にさえ無関係かもしれないのだ。  睦男は適当にあしらって電話を切った。甘ったるい声が耳に残ったが、彼女に対する未練はとうに消えているはずだった。  睦男は外に出て空を仰ぎ、何度も深呼吸をした。新しい人生が待っているような予感が胸いっぱいにひろがっていた。  ところが、電話を切ったばかりのタキ江がひょいと現れた。服装は以前より地味になったが、化粧は相変わらず派手だった。もともと派手な顔立ちである。 「すぐ近くの公衆電話にいたのよ。声を聞いたら、どうしても会いたくなったの。いけなかったかしら」 「いけないとは言わないが、いいとも言えないな。せっかく別れて一年以上経つのに、会ったところで意味がない。ぼくたちの仲は終わったはずだ」 「でも、たまには会ってくれてもいいんじゃないかしら」 「ぼくはそう思わない」 「ときどき、寂しくてたまらなくなるのよ」 「美容師に振られたせいか」 「そうじゃないわ。彼のことはきれいさっぱりよ。ちょっと口惜しかったけど、もう平気ね。まるで風邪が治ったみたい、何でもないわ。こんな話をしてるより、映画でも行かない?」 「それほど暇じゃないんだ。電話で言ったとおり、出かけるとこさ」 「お仕事?」 「うん」 「あなたって、いつもお仕事なのね」 「きみはいつも欲求不満だった。ぼくよりひとまわりも若いし、遊びたい気分が残っていた。だから結婚したあとも、まだ遊びたがっていた。しかし結婚生活は遊びじゃない」 「誤解してるわ。あたしは睦男といっしょに暮らしたかっただけ、ほんとうよ。でも、睦男はあたしなんかいてもいなくても同じみたいで、頭のなかは仕事のことばかりだった。あたしは寂しかったのよ。出ていけなんて言われなければ、絶対に出ていなかったわ」 「———」  睦男は答えないで、車のドアにキーをさした。タキ江のしおらしい態度はいじらしくなるくらいだが、過ぎ去ったことをとやかく言っても仕方がなかった。離婚の原因は幾重にも絡み合っていたので、そう簡単に別れたわけではない。いちばん大きな原因は無断で子供を堕ろしたことだが、そのときでも、タキ江が謝れば睦男は許したかもしれなかった。しかしタキ江は謝らなかったし、睦男は出ていけと怒鳴ってしまった。子供を生むのはまだ早いというのがタキ江の言い分だったが、それなら結婚そのものがまだ早かったのである。睦男はそう思って離婚に踏み切ったのだ。そのうち美容師との噂が耳に入って、やはり離婚してよかったと思っていた。  だが、彼女はその美容師とも別れたらしい。  睦男は運転席に腰をかけ、ドアをしめてから、窓を半分ほど下ろした。 「元気を出せよ」 「置いてっちゃうの」 「相手が待ってるんだ」 「寂しいわ」 「寂しいなんて、おまえらしくないな」  少し可哀そうな気がしたが、欲望が愛ではなかったように、憐憫も愛ではなかった。いまは寂しいなどと言っているが、好きな物を腹いっぱい食えば、あるいは気に入ったアクセサリーを誰かにもらったら、けろっと元気になる女だった。ことによると、妻子持ちの美容師に失恋したあと、また別口の男に失恋したのかもしれなかった。さもなければ、なぜ突然あらわれたのかわからない。  睦男はエンジンをかけた。  タキ江はようやく諦めたように、 「気をつけてね」  と言った。  睦男は抱いてやりたい気持になったが、我慢して、ギヤを入れた。     10  持田の家は閑静な高台の住宅地にあった。浅香節の家より堂々たる造りで、まわりの家々もみんな立派だった。本所界隈とはまるっきり雰囲気がちがっている。睦男の近所は小さな家ばかりで、改築したといってもモルタル塗り、塀があるといってもブロック塀である。道筋は碁盤目のように整っているが、材木屋、運送屋、倉庫、梱包材料屋などが多く、たまに立派な建物があると思えばマンションだった。全体にごみごみした感じを否めない。しかし、睦男が本所という町が好きなのはそういうごみごみしたところだった。町や人々に対して親密な情を抱くとき、そのなつかしいような匂いはごみごみした間から湧いてくるものと思っていた。  だが、持田の家の近所にはそういう匂いがまったくなかった。それぞれが冷たく孤立して、大谷石の塀、あるいはバラの垣根で外来者をはねつけている感じだった。  睦男は、持田がそんな感じの男でなければいいがと思いながら、インターホンのボタンを押した。 「どなたですか」 「菊池です。先ほど電話をしました」 「やあ、待ってましたよ。門はしまっているが、すぐ脇にくぐり戸がある。そこから入っていらっしゃい」  持田は電話のときと同じ気さくな口調だった。  睦男はくぐり戸をくぐり、碁石に使えそうな砂利を敷きつめた道を歩いていった。  持田は玄関の前に立っていた。縦縞の派手なゴルフ・ズボンに赤いチェックのスポーツ・シャツという目まぐるしい服装で、ずんぐりした体つきは写真と変わらなかった。口ひげが丸い顔に愛嬌を与えて、六十歳前後のようだが、感じはわるくなかった。 「どうぞ、どうぞ——」  持田は先に立って応接間へ案内した。  皮張りの応接セットにふかふかの絨毯《じゆうたん》、それに仰々しいシャンデリヤ、象牙の置物に熱帯魚の水槽……。  いかにも成金趣味である。  睦男がそう思ったとき、 「わたしはどうも成金趣味でね、菊地さんによく笑われましたよ」  持田自身がそう言った。  睦男は苦笑した。これで、お互いに胸がひらけたという感じだった。 「どうです。少しは遺族らしい気持になってきましたか」  持田は葉巻に火をつけて言った。 「いえ、父の幼友だちに写真を見てもらいましたが、わからないようでした。もっとも、そのひとは父より早く出征したので、三十八年ぶりに見た写真だった」 「それじゃわかるわけがない。わからせようとするほうが無理だ」 「浅香節さんに、初めて会った頃の父は痩せていたと聞きました。持田さんが知り合った頃もそうですか」 「まあ痩せてたほうでしょう。わたしだって、むかしはこんなじゃなかった。ぐっとスマートでしたよ。節さんに聞きませんか」 「いえ」 「そいつは片手落ちだな。背も低かったから、おかげで兵隊にとられなかったくらいです。ろくに物を食えなかったせいもあるが、菊地さんより痩せてたんじゃないかな」 「いつごろ菊地さんと知り合ったんですか」 「二十三年か四年頃です。節さんにあなたの話を聞いてから一所懸命思い出そうとしているんだが、どうもはっきりしない。まだ焼け跡のバラック時代で、壕舎生活をしている者が少なくなかった。そういう人たちはバラックも建てられなくて、防空壕のつもりで掘った一畳か広くても二畳くらいの穴ぐらに住んでたんです。しかし闇市の取締まりが相当きびしくなっていたから、戦後そう早い時期ではなかったと思う。お互いに復員服だったことも憶えている。兵隊の服から階級章を取ったやつが復員服です。復員服も将校と兵隊では見るからに違っていたが、もちろん将校用のほうが生地もいいし恰好もよかった。といって、どんな服でも金で買えるんだから、将校の服を着ていても将校だったというわけじゃない。菊地さんもわたしも兵隊の復員服でしたけどね。女はモンペ、男はカーキ色の国民服か復員服、なかには白いマフラーに飛行服と長靴《ちようか》なんて予科練くずれのようなものもいたが、とにかくほかに着る物がなかった。上野駅の地下道は戦災で両親を失った孤児や浮浪者がいっぱいだった」 「その頃のことほぼくも聞いています」 「それじゃアメ横も知ってるでしょう。いまのアメ横とはちがいますよ。場所は同じでも、いまはアメリカ横丁で舶来品が幅をきかしているが、本来はそうじゃない。芋アメのアメ横です。みんな腹ペコで、とくに甘い物に飢えていた。それで一本一円の芋アメが飛ぶように売れた。もちろん芋アメだけじゃありません。ふかし芋とか芋汁粉、鉄板で鰯《いわし》やいかも焼いて売っていた。闇市なんていうが、れっきとした露天商売です。闇米、闇煙草、闇の女、とにかく闇の時代で、みんな闇のなかに光を求めていたんです。政府は取締まるばかりで頼りにならないし、統制の網の目をくぐってきた闇の物がなかったら食っていけなかった。実際に、配給品以外は食わなかった裁判官が栄養失調で死んじまったというくらいですからね。取締まる側の警官たち自身が闇米を食ってたんです。だから闇屋などと言われても、罪の意識は全然なかった」 「持田さんも闇屋だったんですか」 「その通り。闇屋もいろいろで、田舎から闇米をかついできて上野駅に着いた途端に取締まりに引っかかる連中が多かったが、軍需物資の横流しなどで大儲けに儲け、毎晩のように築地や柳橋でドンチャン騒いでいる奴らもいた。わたしなんぞは闇米のかつぎ屋で捕まっていた口ですがね。そのうちアメ横の親分格の溝内という男に、一坪くらいのショバを割ってもらったんです。それから間もない頃ですよ、菊地さんと知り合ったのは。彼も溝内から落花生やスルメなどを卸してもらっていたので、溝内がいる事務所へ売上げを持ってゆく度に顔が合うようになった。彼は戦災で親兄弟を失って天涯孤独だと言っていた。わたしも同様だった。そんな事情は別にしても、わたしらは何となく気が合った。いわゆるウマが合うというやつです。いくら稼いでも儲けは溝内に吸い取られる仕組みだし、取締まりも厳しくなる一方で、しまいには露店そのものが撤去される雲行きになってきた。露店取っ払い反対運動なんてのもやったけれど、とにかく人に使われていたのでは駄目だと言い出したのは彼です。いま思えば絶好のチャンスで、朝鮮戦争のおこぼれで世間の景気がようやくよくなってきたところだった。初めは秋葉原にちっぽけな店をだしたが、どんな物でも仕入れて来さえすれば面白いように売れた。右の物を左へ、左の物を右へ動かすだけで儲かってしまう。といって、こんなふうに口で言うほど簡単じゃありませんがね。菊地さんの腕がよかったんです。商売の腕がいいなんていうと騙すのがうまいように聞こえるかもしれないが、彼の場合はまったく違う。信頼を得ることによって商売を伸ばしていった。だから大金を貸してくれるスポンサーがいたし、大きな取引きもやれたんです。わたしなどは彼の言いなりになっていればよかった。それで会社組織にするときも、当然彼が社長になると思っていた」 「会社組織にしたのは何年頃でしょう」 「昭和二十九年です。すっかり物忘れがひどくなったが、それくらいは憶えている。彼が節さんと世帯を持った年ですよ。会社組織にしたのは対外的な都合と税金対策のためもあって、必要に迫られていたことは確かです。その点は彼とも話し合っていた。ところが法人登記の書類を見たら、わたしが社長で節さんが専務、会社の名も持田商会で、菊地さんの名がどこにもないんだ。これにはびっくりしましたね。理由はあなたも節さんに聞いたでしょうが、そのとき以来、彼は菊地一郎という名を消してしまった。おれは戸籍上死んだ人間で、墓も建っている、と笑いながら言っていた」 「博多に本妻がいるというのは、どう思いますか」 「わからない。今度の事故で、わかったつもりでいた彼の正体が全然わからなくなった。彼は東京の深川で生まれたが、戦後博多へ移って結婚したと言っていた」 「浅香節さんを知るまで、彼のまわりに特定の女性はいなかったんですか」 「いなかった。その点は保証してもいい。当時はまだ粗末な二階建ての社屋だったが、彼はその二階にベッドを運んで寝起きしていた。食事はいつも外で、週一度くらいの割で家政婦に掃除や洗濯を頼んでいました。浮気程度ならしていてもおかしくないが、わたしが知る限りではそれもなかった。よほど博多の女房に懲りたのだろうと思ってましたよ。銀座のバーのマダムに惚れられたこともあったが、とうとう相手にしなかったらしい。その彼が節さんに会ったら、たちまち人間が変わったようになってしまった。幽霊が女に惚れたって始まらないと言っていたくせに、いまにも駆け落ちか心中しかねない成りゆきだった」 「浅香節さんには旦那がいたと聞きました」 「それで大分揉めたんです。その旦那というのがある大会社の社長でしたが、節さんにばかな惚れようで放そうとしないんです。そうなると節さんの立場は弱い。いくら華やかに着飾っていても、所詮は金で縛られている。おまけに、金だけなら工面《くめん》できないことはなかったが、節さんは芸者屋の養女として育てられたので、そっちのほうの義理もあった。金と義理で動きがとれない。わたしも間に入って参ったけれど、死ぬの生きるのという騒ぎがあって、ようやくその社長に諦めてもらいました。考えてみればその社長も可哀そうで、もう七十歳過ぎのひとだったが、本気で節さんに惚れてたんです。わたしはその社長に泣かれましたよ。実に辛かった。節さんも辛かったようだが、どう仕様もありません。節さんと別れたあと、その社長は半年くらいでぽっくり死んでしまった。まあ運命ですな。今度は菊地さんがぽっくり死んだ。わたしは運命論者でね。みんな運命だと思っています。生き残っているわたしが幸福かといえば、決してそんなことはない。この水槽の魚を眺めていると、ぽっくり逝《い》った菊地さんが羨ましくなったりする。なぜかわからないが、彼に死なれて気落ちしているせいかもしれない」 「話を戻させていただきます。菊地さんが浅香節さんと愛し合っていっしょになったことはわかりました。しかし、それから二十五年も経ちます。その間に、新しい愛人ができたということは考えられませんか」 「それは無理じゃないかな。彼はそんな浮気な男とはちがう。娘の慶子さんのことも非常に可愛がっていた」 「それでは、車にはねられたとき池袋にいたのはなぜでしょう。金曜の夜で、あの辺に友だちがいたわけでもないらしい。仕事でしょうか」 「いや、あの辺に取引先はありません。社用でつかうバーとか料亭などもない。うちは土曜日曜と休みで、金曜の夜はまったく解放されるはずです。なぜ池袋へ行ったのか、わたしも不思議で仕様がない」 「愛人がいたのかもしれない」 「邪推でよければ何とでも考えられる。しかし、菊地さんについてはちょっと考えにくい。そんな気配はまったくなかった。金曜日に会社をひけるときも普段と同じで、わたしはまっすぐ自宅へ帰るものと思っていた」 「自殺するような心当たりはありませんか」 「ありませんね。商売は順調だし、体も健康だったでしょう」 「体といえば、むかし肺病をやったということは聞いていませんか」 「聞きませんな。こう見えても、肺病ならわたしもやっている。自然に治ったらしいが、むかしは肺病なんかざらだった。かりに彼が患っていたとしても、とうに治っているはずでしょう。だから元気でゴルフをやっていた」 「浅香節さんに写真を借りましたが、もっと古いのはありませんか」  睦男は四枚の写真をテーブルにならべた。 「ちょっと待ってくださいよ」  持田は席を立ち、やがて古ぼけたアルバムを持ってきた。  しかし、あまり古い写真は見当たらなかった。いちばん古くて二十年前、二階建ての旧社屋を背景に持田と二人で写っていたが、十数年前に伊豆の今井浜で撮った写真の印象と変わらなかった。菊地はやはり眼鏡をかけていて、初めて会ったときから眼鏡をかけていたという。 「今みたいに簡単なカメラが流行《はや》っていなかったし、仕事に追われて、遊ぶ余裕などなかったんですよ。向島の料亭で節さんに会ったときも、遊びではなく商売のためだった。そういうところは今だって同じです。遊びたくて銀座のバーヘ行ったり、芸者をあげて騒ぐなんてことはほとんどない。ゴルフまで商売がらみです。まったくばかな話だが、貧乏人根性と商売人根性がしみついてしまっている。その反動でこんな成金趣味の家を建てたりして、われながらうんざりします。菊地さんはインテリだから、わたしなんかと違ってましたけどね」 「菊地さんは大学出ですか」 「いや、学校は中学までだと言っていた。しかし、大学を出たからインテリとは限らんでしょう。常識的なことも知らないような大学出がごろごろしてるじゃないですか。だが、菊地さんは実によく本を読んでいた。小説ばかりではなく、経済学などの難しい本を始終読んでました。頭がいい上に努力家だったんです。これからの商売は英語が喋れなければ駄目だというんで、英会話の夜学へ通って喋れるようにもなった。会社の発展に彼の語学力がどれほど役に立っているかしれません。とにかくインテリでしたよ。わたしらとは話すことが違っていた」 「ゴルフのほかは全然遊ばなかったんですか」 「まず遊びませんね。ゴルフだけは社用以外でもやっていたが、麻雀もやらなかったし、賭け事は性に合わないと言っていた。仕事のほかは家庭第一という男だった」 「しかしその大切な家庭に、おくさんや娘さんの籍が入っていない。ぼくはどうしてもそこが納得できないんです」 「誰にも言えない事情があったんですよ。そう解釈してやるしかありません。節さんも悩んでいたらしいが、彼自身が話したがらないようなので、わたしもそのことは突っ込んで聞かなかった。秘密がない人間なんていないだろうし、いくら仲のいい友だちでも、それくらいの遠慮は礼儀だと思っていた。無理に聞く必要はありませんからね。入籍できないことは最初から節さんも承知していたんです」 「菊地さんが死んだあと、専務としての浅香節はどうなるんですか」 「そのままです。本物の浅香節はちゃんと生きている。菊地さんは、おれが死んだら幽霊が消えたと思ってくれなんて冗談を言ってましたが、冗談が冗談ではなくなった。まさに幽霊が消えたようなもので、会社にとってはたいへんな打撃だが、法人登記の上では何の影響もない。浅香専務は健在で、株の配当なども従来通りです」 「妙な話ですね」 「まったく妙な話だが、彼は自分が死ぬときのことを考えて、不動産などの名義も浅香節にしておいた。したがって遺産相続の問題もゼロです。幽霊に遺産なんかあるわけがないし、生命保険にも入っていなかった。しかし、交通事故で死んだとなると話が別です。彼もそんなふうに死ぬなんて思っていなかったのだろうが、一億といったら大金ですよ。幽霊で片づけられる問題じゃない。あなたのお母さんは亡くなられたそうだが、まだあなたという遺族がいる。あなたがもし遺族なら、一億円の賠償金を受取る権利はあなたにある。しかしそうじゃないとすれば、節さんが内妻ということで受取人になれるらしい。いったいどうなんですかね。節さんはあなたに賠償金が渡るようにしてくれと言っているが、保険会社だって調べるだろうし、そう簡単にいくもんじゃないでしょう。あなたの意見を聞かせてくれませんか」 「ぼくは意見などありません。意見を聞きたいのはぼくのほうです。父が生きていたなんて考えられないが、交通事故で亡くなった菊地一郎という人を、浅香節さんよりむかしから知っているのが持田さんでしょう。ぼくを見てどう思いましたか」 「難しい質問だね。節さんは話し方が似ていると言ったが、わたしもそう思う。何となく似ている」 「顔はどうですか」 「やはり何となくだが、似ているような気がしないでもない」 「ずいぶん曖昧ですね」 「曖昧でいいんじゃないのかな。子供が親に似るとは限っていない。それより、久里浜病院の診断書とか、ボロホロ島で終戦を迎えたとか、故人とお父さんの共通点が沢山ある。偶然の一致にしては話が合いすぎている。菊地さんはあなたのお父さんですよ。多分間違いない」 「多分じゃ困ります。金が欲しいことは否定しません。しかしこうしてお伺いしたのは、事実を確かめずにいられなくなったからです」 「その気持はわかりますがね。久里浜病院の診断書を証拠として、あなたが遺族になるわけにいかないんですか」 「いきません。そんなことをしたら、かりに保険会社は納得するとしても、祖母が承知しません。金のために父を戸籍から消したようなものです」 「しかし、いずれにしてもお父さんは帰らないんでしょう。だったら、せっかくの金をもらわないという手はない。事実は別に調べればいい」 「いえ、事実と金は別になりません」  睦男は首を振った。  祖母に言われていることだが、睦男が父といちばん似ている点は、筋が通らないことにはあくまでも首を振りつづける性格だった。     11  睦男は持田の家を出たあと、公衆電話を見つけて小谷良介のダイヤルをまわした。  また要領を得ない女が電話口にでたが、今度は小谷が起きていたので取次いでもらった。  しかし、女は睦男のことを話していなかったようで、睦男はあらためて自己紹介した。  小谷は、やはりボロホロ島の帰還兵だった。現在は個人タクシーの運転手をしているという。  睦男は早速訪ねることにした。  日曜なので道路はすいていた。三十分以内に行くと言ったが、十分ほどで着いた。古びた小さい家で、ガレージはシャッターがおりていた。塀がないから門もない。玄関先を飾っているのは植木鉢だけだった。  睦男はほっとした気持で硝子戸をあけた。  声をかけると、四十歳くらいの女があらわれた。小谷の妻か娘かわからないが、多分電話を取次いでくれた女だった。美人でも不美人でもなく、背中を向けたらすぐ忘れてしまいそうな顔である。  しかし、小谷のほうは一度で憶えられる顔だった。お神楽のひょっとこが年老いたような感じで、人のよさそうな眼をしていた。  二間つづきの奥の台所まで見通しだが、ほかに家人の姿は見えなかった。  睦男は二間つづきとは別の、玄関脇の六畳へ招かれた。日当たりのいい部屋で、大きな雑種の猫がまるくなっていた。 「菊池伍長、菊池伍長と——」  小谷はジャンパーの腕を組み、菊地一郎の写真を眺めながらしきりに首をひねった。睦男の話を聞いたが、思い出せないらしいのである。 「大分前に祖母がお訪ねしたはずですが、やはり思い出せませんか」 「そう言われても弱っちまうんですよ。ひところは親兄弟の消息を尋ねていろんな方がきましたからね。記憶がごっちゃになっている。大体わたしが戦友会の世話役をやらされたのは、連隊本部の書記をやっていたせいなんです。各部隊の人事に詳しいだろうという、それだけの理由だった。わたしも連隊長に頼まれて一応引受けたけれど、人事に詳しいなんてことはなかった。書記の仕事は机の上で、会社でいうと庶務係のようなものです。つねに連隊本部といっしょに動いてましたが、各大隊、中隊の兵隊の顔までいちいち憶えていません。連隊本部や直轄中隊にいた人の顔なら会えばわかりますがね。それに連隊といっても、内地で編成された連隊のようにきちんとしたものじゃなかった。普通は三千人くらいのところを、せいぜい二千人前後でしょう。初めからボロホロ島守備の目的で上陸した連中が半数程度、あとは海没組やガダルカナルのほうから逃げてきた連中だった」 「海没組というのは何ですか」 「輸送船が空爆で撃沈され、駆逐艦に助けられたか、あるいはほとんど素っ裸で島に泳ぎついた兵隊です。ガ島方面からきた兵隊も同様で、そういう兵隊たちを寄せ集めてつくった連隊だった。つまり大隊がふくれあがって連隊になったようなものです。それでも連隊長は大佐、大隊長は少佐でしたけどね。お父さんが第二大隊だったといえば、たぶん海没組のほうでしょう。そう思って間違いない。無事に上陸して軍装なども整っていたのは第一大隊です。第二大隊はいちばん戦死者をだした部隊だった。十九年四月二十九日の総攻撃でも、いちばん犠牲者が多かったんじゃないかな。わたしはそんなふうに憶えている」 「戦友会の日づけを四月二十九日にしたのは、総攻撃の日だからですか」 「そうです。四月二十九日は天長節、天皇誕生日ですよ。天長節に総攻撃をやった部隊はほかにも多いと聞いていますが、わたしらには一生忘れられない日です。大勢の戦友が死んだ命日ですからね。あの日が最初で最後の戦闘らしい戦闘だった。その後は弾がないので攻めようがない。制海権も制空権も敵に奪われて、全然補給がないんです。まるで置き去りですね。七月にサイパン島の守備隊全滅、八月はグワム島の守備隊全滅でしょう。大本営は比島決戦のほうが重大で、ボロホロ島なんか構っちゃいられないというわけです。米軍のほうもそこまで戦況が有利にすすめば、戦略価値がなくなったボロホロ島を占領したって始まらない。それより比島を攻略し、やがて沖縄を占領して本土に迫るという作戦でしょう。だからボロホロ島の米軍も、四月二十九日の総攻撃で恐れをなしたせいもあると思うけど、無駄に血を流すような戦闘は仕掛けてこなかった。その代わり、朝夕かならず艦砲射撃と空爆です。こっちは大砲の弾もないというのに、たまったもんじゃない。ロッキードやグラマンの汚職事件が起きているが、わたしらにとっては怨み骨髄のロッキード、グラマンだった。ロッキードといえばP38戦闘機、グラマンF4Fは艦載爆撃機です。こいつらにどれほど多くの日本兵が殺されたか知れない。いくら世の中が変わったとしても、汚職した連中に聞かせてやりたいくらいですよ。おそらくあんたのお父さんも、四月二十九日の総攻撃で戦死したか、あるいはロッキードかグラマンにやられたんです」 「おそらくでは困るんです。あるいはでも困ります。事実を知りたいのです」 「いま言ったことは全部事実です。どれに当てはめてもおかしくない」 「いえ、ぼくが知りたい事実というのは、父は本当に戦死したのか、もしかすると生きて帰ってたんじゃないかということです。厚生省に引継がれている名簿に、サンズイの菊池一郎とツチヘンの菊地一郎が記載されているのはなぜですか。二人とも実在していたのでしょうか。ツチヘンの菊地一郎なら帰国しています」 「あの名簿はあんまり当てにならないんですよ。わたしも少し手伝ったが、帰還船のなかで、復員手続きに必要らしいというので急いで作ったものですからね。いわば員数合わせで、まさかあれが軍人恩給支給の拠所《よりどころ》にされるなんて考えもしなかった。だって、そうでしょう。戦争に負けた軍人が、恩給をもらえるようになるとは考えられるわけがない。それより、生きて日本の土を踏めるという喜びでいっぱいだった。親父やおふくろに会えると思うだけで夢のような気分だった。みんな奇蹟的に助かったんです。しかし、連隊の名簿を作れと言われても、敗戦で捕虜になるとき重要書類は軍旗といっしょに燃やしてしまったし、これだけは持ち帰ろうと思っていた功績名簿も米軍に見られたら危いというので、やはり燃やしてしまった。しかも帰還船は船倉までぎゅうぎゅう詰めの満員です。ほかの島から移ってきた連中もいたし、口もきけないような病人もいた。そんなごたごたしているときに作ったので、いちいち本人に確かめたわけじゃない。なるべく正確を期したつもりだが、なかには、おれはもう兵隊じゃないというんで、階級を言わない奴もいる。敗戦前に捕虜になっていたことを知られたくなくて偽名を使っていたものもいるらしいし、戦犯の追及を怖がって死んだ戦友の名を使っていたのもいるらしい。とにかく、恩給がもらえるようになるとわかっていれば戦死と書くところでも、生死不明なら不明のままにしておいた。だからいい加減に書類を作ったわけではないが、あんまり当てにしてもらっても困るというわけです。ひどいのは、内地に上陸したらまた捕虜にされるんじゃないかというので、復員手続きも済まさないで上陸した途端に逃げてしまった奴も何人かいます」 「復員手続きはどんなふうだったんですか」 「特にどうってことはありません。浦賀に上陸したのが一月十六日、こういう日づけだけは不思議に憶えてますね。まずシラミ退治のDDTを頭からぶっかけられて、それからアメリカ兵と日本の役人に所持品を調べられ、もと重砲学校だった馬堀収容所に入れられた。そこに二日間泊まったかな。夏服のままで、やたらに寒かったのが忘れられない。帰りは新しい軍服と乾パンを二袋、現金二百円と自宅へ帰る無料乗車券、もらったのはそれくらいです。ところが久里浜駅へ行ってびっくりした。インフレがすごいとは聞いていたが、ミカン三個で十円、落花生も一袋で十円していた。二百円もらったありがたさがいっぺんで吹っ飛んでしまった」 「久里浜病院のことは聞いてませんか」 「聞いたというより、じかに知ってましたよ。あそこへ入ったのは歩くこともできない重症患者ですが、わたしを可愛がってくれた連隊副官が入院するとき、担架で運んでやったんです。マラリアの特効薬でキニーネというのがあるでしょう。このキニーネの副作用で黒水熱にかかると黒い小便がでて、これにやられたら百パーセントといっていいくらい駄目です。部下思いの副官だったけれど、入院したその晩のうちに死んでしまった」 「すると、菊地一郎も重症だったわけですね」 「そうとも限らないんです。ほとんど全員がマラリアにかかってましたが、マラリアにも種類があって、発作を起こすのが二日置きとか三日置きとか、あるいは週に一度、月に一度という具合にいろいろだった。四十度以上の熱が急に出て、下がるときも急です。けろっと下がる。脳マラといって脳をやられたら助からないが、大抵五、六時間で下がります。だから病院へ運ばれた者も、たまたま発熱していたせいかもしれない」 「しかし上陸が一月十六日とすれば、退院の日づけは三日後です」 「三日くらい熱がつづくのもあったんですよ。まあ一概に言えないが、上陸したときの気持というのは、みんな一刻も早く帰りたいいっしんだった。動けるなら、這《は》ってでも帰りたいというのが本当の気持でしょう。病院のほうも次から次へ患者がくるので、動けるようになればすぐ退院させたんじゃないかな。つまり診断書を持たせたのは、帰郷先の病院へ入院させるためでしょう。そう思いますね。約一年間の入院加療を要す、なんて診断がその証拠で、肺結核というのも久里浜病院の医者が見つけたんじゃないんですか。戦地では結核など病気のうちに入らなかった。もっとひどい病気でばたばた死んでたんです」 「戦友会の案内状は、厚生省に残っているような名簿によって発送したんですか」 「そうです。わたしの上官の松丸さんという人、准尉でしたけどね、もう十何年か前に亡くなりましたが、この人が自分の作った名簿を復員省へいって写してきたんです。そしてあっちこっちへ手紙を出して、ほかでもやってるんだから、われわれも戦友会をやろうじゃないかということになったわけです」 「いま松丸さんという名前がでましたが、戦友会の案内状に書いてあった九段下の松丸亭と関係はないんですか」 「松丸亭の主人が松丸さんですよ。戦前は有名な料理屋だったらしいが、戦友会を始めた頃は焼け跡に建てたバラックでね。それでも五十人くらいの宴会をやれる座敷があった。詰めれば六、七十人坐れたでしょう。でも、住所が変わったりしてなかなか連絡が難しく、第一回は十五、六人しか集まらなかった」 「祖母が受取った案内状は第二回でした。第一回は来なかったようです。第二回の案内状も、期日を過ぎてから届いたらしい」 「あの頃は郵便ストなんかも盛んだったし、遅れて届くなんて珍しくなかった。第一回の案内はどこかへ紛れちまったんでしょう。二回目は五十人近く集まって、三回目は広間がいっぱいになるほどだった」 「三回目の案内状はいただいていません」 「それはなぜかな」 「一回目もいただいていない。案内状は第二回だけです」 「どうしてだろう。わかりませんね。わたしが世話役をやったのは二回目までで、あとは仕事の都合で松丸さんに頼みました。松丸さんなら発起人みたいなものだし、いつも家にいて、電話もあって連絡に便利だからです。でも、松丸さんがやったのも七、八回くらいまでじゃないかな。その後は連隊一本にまとまらなくて、各大隊ごとにやるようになったようです」 「何かあったんですか」 「まあいろいろとね。第二回のときは師団長も新潟からやってきたし、連隊長も出席して実にいい戦友会だった。しかし参会者がふえてくると、難しい問題が起こってくるんですよ。同じ戦地で苦労したといっても、人によって体験がちがっている。戦後の世の中に対する考えも各人各様です。わたしなどはぼんやりしていたが、みんな戦友という絆《きずな》で結ばれていると思ったら、とんだ甘い考えだった。いちばん熱心に世話役を買っていた松丸さんが厭気がさして、世話役を返上してしまった。それまでは連隊史をつくる話も進んでいたのに、三個大隊がばらばらに分裂です。十年くらい前に遺骨収集慰霊団を結成してボロホロヘ行ったときも、大隊ごとに別行動をとったと聞いている。わたしは胃の手術をしたばかりで行けなかったんですけどね」 「すると、もう戦友会はやってないんですか」 「いや、やってます。第一大隊も第二大隊も毎年四月二十九日にやっている。わたしは連隊本部にいたのでゲストのような感じだが、両方の部隊から案内状がきます。ことしの戦友会も、わたしは両方へかけもちで出ることになっている。好きなんですね。女房の命日に墓参りをサボることはあっても、戦友会にはかならず出席します。いまの女房は不思議がってますが、わたしには戦争が青春だった。間違った戦争とわかっていても、あの戦争のなかにしか青春時代がなかったんですよ。だから出席するので、戦争がなつかしいわけではなく、みじめだった自分の青春がなつかしいんです。わかりますか」 「考えてみます」 「考えてもらうほどのことじゃありません。戦争の話になると、わたしはつい夢中になってしまう」 「第三大隊の戦友会には呼ばれないんですか」 「第三大隊はちょっと事情がちがっている。中隊ごとに何人か集まっていると聞いたが、大隊長が復員後行方不明のままなんです。それでまとまりが悪いらしく、戦友会の通知はもらっていません」 「なぜ行方がわからないんですか」 「知りません。いったん郷里へ帰ったらしいが、すぐにどこかへ消えてしまったようです,いずれにしても、もう亡くなっているかもしれない」 「師団長は生きてるんですか」 「亡くなりました。連隊長も四年前に亡くなったし、戦友会は寂しくなる一方でしょう」 「第二大隊長はお元気ですか」 「高見さんは元気です。もう七十歳を越えてますが、わたしなんかよりぐっと元気そうです。去年の戦友会にも来ていました。足腰もしっかりしたもので、とてもそんな年寄りに見えない。毎朝マラソンをやっていると言ってました」 「住所はまだ練馬ですか」 「よく知ってますね」 「祖母に手紙がきてたんです」  もと第二大隊の大隊長高見礼四郎、住所は練馬区の上石神井で、二十数年前の手紙だった。祖母の手紙に対する返事だが、菊池一郎の生死については確かな記憶がないらしく、戦死したと思って供養してくれという簡単な内容だった。  睦男は、高見のほかに手紙をくれた人たちの住所をメモしてきたので、そのメモを小谷に見てもらった。 「この佐世保の人は亡くなりましたよ。もう大分前だが、ばかな話でね、トカゲやネズミまで食ってようやく生き残ったのに、河豚《ふぐ》にあたって死んじまったんです。まったく何で死ぬかわかったもんじゃない。鹿児島の人も死んだって聞いたな。うん、この人も死んだ、この人も死にましたね」  小谷はいちいち指さしながら言った。 「静岡の五十嵐さんは生きてるでしょう。去年は見かけなかったが、一昨年の戦友会には来てましたよ。手紙なんてまだるっこしい手間をかけなくても、電話局で聞けば電話番号がわかるんじゃないかな。いや、それより武藤さんに聞くのがいちばんだ。このメモにはないけど、武藤今雄という名前です。芝浦にある倉庫会社の重役で、二大隊の戦友会はずっと武藤さんが世話役をやっている。武藤さんなら、お父さんを憶えてると思います」  自宅は港区の青山で、電話番号も小谷が知っていた。 「井山富造さんと、砂木哲夫さんという人も都内ですね」  井山の住所は小石川区の高田豊川町、砂木は板橋だった。 「井山さんは荻窪へ転居しましたが、彼も戦友会には割合熱心なほうでしょう。高見さんの当番兵だったし、戦友会に行くと大抵会います。会社は定年で辞めたけど、武藤さんの世話で別の会社へ就職したんじゃなかったかな。武藤さんはそういう面倒見もいい人です。自分の会社の部下にしないで、別の会社へ紹介するなんてところが戦友らしい思いやりですね。わたしはそう思って感心しました。かつての部隊長の当番兵を、自分の部下にしては申しわけないという気持でしょう。もちろん井山さんも立派な人で、やはりお父さんを憶えていると思います。でも、砂木さんは会わないほうがいいかもしれない」 「なぜですか」 「性格がちょっと難しいんです。わるく言うつもりはないが、言ってしまえばそういうことでね。戦友会にきたのも最初の頃だけじゃないかな。今は縁が切れているはずですよ。わたしは仕事の関係で彼に会うことが多かったが、とうとう仲よくなれなかった」 「砂木さんも個人タクシーの運転手さんですか」 「いや、彼は個人じゃありません。わたしは個人タクシーをやるようになって十三年経ちますが、彼とよく会っていたのはそれ以前です。営業所はちがっていたが、同じ会社にいたこともある」 「現在はどうしているのでしょう」 「やはり運転はしてると思いますけどね。そういえば、しばらく姿を見かけない。まあ元気なんでしょう」  小谷は冷たい言い方をした。     12  睦男は小谷の家を出ると、まず戦友会の世話役をしている武藤に会いたいと思った。  しかし、武藤の家は留守のようで、会社にも電話をしてみたが、休日だという当直員の返事だった。  小谷に言われたせいで、砂木に会うのは気が重かった。好奇心は湧いたが、まだ会ってみようという気にならない。  といって、大隊長だった高見に会うのも気が重かった。  そこで井山富造の自宅ヘダイヤルをまわした。  話し中だった。  睦男は煙草に火をつけた。別れるとき玄関まで送ってくれた小谷良介の顔が浮かんだ。となりに女房の顔が並んでいた。すぐに忘れそうな顔だと思ったが、そうでもなかった。ふたりは似合いの夫婦のようだった。  睦男は煙草を一本吸い終わって、またダイヤルをまわした。  依然話し中だった。  睦男は二本目の煙草も灰にした。そして三本目の煙草をくわえながらダイヤルをまわして、ようやく井山が電話口にでた。長かった話し中の相手は、小谷良介だった。睦男が井山を訪ねると言ったので、小谷のほうから彼に電話をしておいてくれたのである。  おかげで睦男は自己紹介もしないで済んだ。  井山は睦男の父を憶えていると言った。  陸男は道順を聞いて受話器を置いた。期待と不安で胸が弾んだ。予期しないでいた期待と不安だった。ギヤを入れる手に力がこもり、こもる力を抑えるようにアクセル・ペダルを踏んだ。  井山の家まで一時間とかからなかった。駅前の繁華街からやや離れて、小ぢんまりした二階家だった。  睦男は二階へ案内されてから聞いたが、階下《した》は娘夫婦が住み、井山は五年前に妻を亡くしたので、二階に間借りしているようなものだと笑いながら言った。半白の髪を短く刈って、眼がやさしそうな男である。戦地で死線をさ迷ったはずだが、そういう影は感じられなかった。 「あらましは小谷さんに聞きました」  井山はあぐらをかき、睦男にも膝を崩させて言った。 「あなたのお父さん、菊池さんのことは憶えてますよ。こうして会ってみると、どことなく面影が似ている。わたしは部隊長の当番兵だったので、あまり親しくなる機会はありませんでしたがね。しかし同じ東京出身ということで親しみを感じていたし、もちろん口をきいたこともある。四月二十九日の総攻撃では、二大隊が敵の主力にぶつかっていちばん割をくってしまったが、とにかくみんな勇敢に敵陣へ突っ込んだんです。菊池さんがそのとき戦死されたことは間違いない。帰らなかったのがその証拠です」 「でも、引揚げのときの名簿では生死不明になっています」 「あれは小谷さんに聞いたでしょうが、帰還船のごたごたしている中で作ったので、当てになるもんじゃありません。死んだ者が名簿作りのとき生き返ったりしていたなんて話があるくらいです。不明とか病死なんて書かないで、船にいない者はみんな戦死と書いておけば問題なかったんです。それを日本陸軍特有の員数さえ合えば構わないというやり方でやったから、ああいういい加減なものができてしまった。そのため迷惑したのは、あなたの家族ばかりじゃなかった。確か軍人恩給の復活は昭和二十八年だったと思うけど、それ以来いろんな人がわたしのところにもやってきてね。名簿に洩れていた連中が多かったが、そいつらの大半は名簿作りに協力しないで、名前も言わなかった連中です。それが恩給がもらえるとなったら泡くってやってきた。なかには名簿のミスで気の毒な人もいたが、戦友の証明があれば受給できるというので、わたしも何人か証明してやりました。あなたのおばあさんは恩給目当てじゃなかったけど、戦死なら遺族年金をもらえるのに、生死不明じゃもらえないんです。それで五中隊の中隊長といっしょに厚生省へ行った憶えがある。菊池さんを戦死扱いにしてくれって頼みに行ったんです。でも駄目でしたね。役人は職業軍人だった奴らですが、カチカチに頭が固くてどうにもならなかった」 「中隊長は何という人ですか」 「大河原さん、高校の先生をしてましたが、とうに亡くなりました。ガンで亡くなったそうです」 「その中隊長も、父は戦死したと言ってたんですか」 「そうです。直属の中隊長が言ったことだから間違いありません。戦地では中隊長が父親みたいなもので、戦闘の際の行動も中隊単位です。部下のことなら何もかも知りつくしている。その中隊長の大河原さんが、菊池さんは戦死したと言ってました。まさか嘘じゃないでしょう」 「しかし、父の死体を見てそう言ったのだろうか」 「大河原さん自身かなりの重傷を負ったようで、部下の死を確かめる余裕などなかったらしい。詳しい様子は武藤さんが知ってますよ。あの人は菊池さんと同じ五中隊だった。小隊も同じだったんじゃないかな。優秀な機関銃手で、爆弾で吹っ飛ばされて左腕がありません。武藤さんと、神奈川県の保土ヶ谷にいる本間さんも五中隊でしょう。なにしろ四月二十九日の総攻撃は、全員玉砕を覚悟という凄い戦闘だった。こんな瓢箪《ひようたん》みたいな形の島ですが——」  井山は便箋に島の輪郭を描き、そしてボールペンで丸や三角の印をつけながら、 「連隊本部と一大隊はこのサボ川沿いのジャングルをちょっと奥へ入ったサムス村付近、二大隊は反対側のルエ、ここは遠浅の海岸だが、敵が上陸してたちまち飛行場をつくったババンに近かった。敵はババン湾から上陸したんです。二大隊のルエと、ババン湾を挟んだ向こう側のケチャに三大隊がいた。そしてこの三方から攻めてババンの敵軍を叩き潰すはずだった。師団長は別の島にいたが、もちろん師団命令です。連隊長が功を焦ったとか、自棄《やけ》になってたなんていう人がいるけど、そんなことはないと思います。むしろ作戦の失敗は海軍の協力を得られなかったことで、海軍の部隊は食糧を持ってジャングルヘこもったきり全然戦闘に加わらなかった。それに本部と一大隊はボロホロ山脈を越えるのに予想外の苦難を強いられて、作戦通りにいかなかったのも二大隊の不幸だった。当初の作戦では、二大隊は陽動隊として動いていればよかった。それが一大隊の遅れと三大隊がもたもたしていたせいで、敵の主力ともろにぶつかってしまったんです。ろくな武器がなくて、小銃さえ持っていないのがいたんだから、いくら勇敢でもかなうわけがない。あの戦闘だけで二大隊は半数以上が死んだはずです。わたしらも死にもの狂いで戦ったが、武器の力が桁ちがいで実にさんざんだった。血みどろで苦しんでいる日本兵の体を、まるで蟻んこを踏みつぶすみたいに敵の戦車が轢《ひ》いていくんです。それをジャングルの蔭で見ているしかない気持なんて、思い出すと今でも胸が痛くなるほどです」 「大隊は何人くらいいたんですか」 「ボロホロ島では六百人前後でしたね。総攻撃で半分に減り、その後も病気などでまた半分以上死んで、帰国する頃は百五十人いたかいないかでしょう。特に二大隊は消耗がひどかったから、百人もいません。せいぜい六十人から七十人程度だった」 「正確な数はわからないんですか」 「復員名簿に載っているのは六十二人です。しかしわたしの記憶ではもっと多かった。七十人はいたと思うんです。ところが小谷さんに聞いたでしょうが、中国から転戦してきた部隊や内地で編成された部隊とちがって、二大隊は海没組などの寄せ集めだった。ひげは伸び放題、髪もぼうぼうで、お互いに顔もよく憶えないうちに総攻撃の準備です。総攻撃に失敗したあとは、一カ所に集まっていると危険なので中隊ごとに分散していたし、敗戦後は捕虜収容所でほかの部隊ともごちゃまぜにされた時期があって、はっきりした数をつかみきれなかった。その余波が復員名簿の曖昧性につながっている。大隊長の高見さんがいれば統率が乱れるようなことはなかったはずだが、捕虜になると同時に将校と下士官以下は別々の収容所に分けられてしまった」 「高見さんはどういう人ですか」 「そりゃあ立派な人ですよ。会ってみればわかります。職業軍人だったというと白い眼で見られやすいが、軍の上層部が高見さんのような方ばかりだったら日本は戦争に負けなかった。勝てなかったとしても、負ける前に講和の手を打っていたでしょう。そう思いますね。兵隊を消耗品扱いするような連中とは違っていた。責任感が強くて、戦闘のときはいつも自分が最前線に出て指揮をとっていた。だから敗戦についても責任を感じて、軍人恩給を返上しています。戦局の大勢を決める立場にいたわけじゃなく、前線の一指揮官にすぎなかったとしても、恩給はもらえないというんです。なかなか真似できることじゃありません。自分に対してはそんなふうに厳しいが、部下に対しては思いやりがあって、菊池さんのことも何とか年金をもらえるようにならないかと心配していました」 「年金はどうでもいいんです。祖母がお尋ねしたのは年金のためじゃありません。これを見てください。復員名簿の生還者の欄に載っていた菊地一郎の写真です」  睦男は浅香節に借りた写真を並べた。  それまで饒舌なほど熱っぽく喋っていた井山が、写真を見ると黙ってしまった。 「小谷さんは見憶えがないようでした」  睦男は話をうながすつもりで言った。 「小谷さんは無理でしょう。あの人は連隊本部のほうですからね。陣地が離れていたし、知らなくて当然です」 「井山さんはどう思われますか」 「別人じゃないのかな。きっと別人ですよ」 「父に似てないんですか」 「なにしろ総攻撃の日から数えると三十五年も経つ。それに、戦地の菊池さんは伸び放題のひげづらだった」 「しかし、この写真の人は久里浜病院の診断書を持ってました。ツチヘンの菊地一郎ですが、生年月日も父と同じです」 「何かの間違いということは考えられる」 「たとえば、どういうことでしょう。小谷さんに聞きましたが、敗戦前に捕虜になったことを隠すためとか、戦犯の追及が怖かったりで偽名をつかっていた人がいるそうです」 「そういう話はわたしも聞いています。しかしそれはほかの部隊のことで、高見部隊ではそんな奴は一人もいなかった。もちろん逃亡兵もいない。最後まで軍規厳正だった。疑うなら武藤さんに聞いてもらってもわかる。名簿がダブっていたのは単純な書類のミスで、お父さんは戦死したとしか考えられない。もし生きていたら、帰還船のなかでわたしらと顔が合っているはずだ。そう思いませんか」 「すると、この写真の男はなぜ菊地一郎の診断書を持っていたのだろう」 「その辺は少し不思議ですがね」 「偶然にしては似ている点が多過ぎます。父とまったく無関係な人物とは思えない。砂木哲夫さんという方も同じ部隊にいたようですが、砂木さんなら何か知っているでしょうか」 「彼は無駄ですよ。むしろ会わんほうがいいくらいで、それより高見さんや武藤さんに会うことをすすめます」 「砂木さんに会うのは、なぜ無駄ですか」 「小谷さんから聞きませんか」 「性格が難しいと言ってました」 「小谷さんは遠慮してそう言ったんでしょう。砂木もわるい男じゃないが、難しいのは性格だけじゃなくて、戦友会に反感を持っているんです。どういうわけか、やたらに反感を持っているらしい。彼も初めの五、六回くらいは欠かさず戦友会に出席してたんですがね。そのうち様子がおかしくなって、せっかく出席しながら不機嫌に黙り込んでいる。みんなが歌っていても彼だけ歌わないでいる。そのくせ実によく軍歌を知っている男で、ちょっとでも歌詞を間違えたりすると、すかさず訂正させるんです。つっかえたときも同じで、�戦友�なんて十四番まであるし、�歩兵の歌�も十番まである。それを全部きちんと憶えていて、だったら自分も歌えばいいのに、彼一人のせいで白けてしまいます。酔わないうちはそれほどでもないが、酔うとからみたくなるらしい。要するに酒癖がわるいんです。それでみんなに敬遠されて、彼も来辛くなったのか、十年くらい前から姿を見せません。わたしは気にしませんでしたが、武藤さんなどは困ってました」 「今でもタクシーの運転手をしてるんでしょうか」 「どうなのかな。しばらく会わないから何とも言えないが、おかみさんが小料理屋をやってましてね、かなり繁昌してるって聞いたことがあります。小料理屋というより飲み屋という感じらしいけど、おかみさんがしっかり者で、砂木がひねくれたのはそんなせいもあるように聞いている。つまり、店はおかみさんが切りまわしているから、砂木が顔を出したって邪魔なわけでしょう。彼も真面目に働いて小谷さんのように個人タクシーの免許を取ればいいが、競馬好きの酒好きで、そのため会社をいくつもかえていたようです。借金がかさんだり同僚や上役と喧嘩したりして、長つづきしないんですね。そうじゃなくても個人タクシーの免許は試験が難しくなっているというのに、そんなふうでは小谷さんを見習うこともできない。兵隊の階級は砂木のほうが上だったが、戦後は小谷さんと逆転です。武藤さんも砂木の面倒は見きれないと言ってました」 「戦友会の世話役はずっと武藤さん一人でやってるんですか」 「そうです。戦友会の通知といったような事務的なことは会社の者にやらせているんでしょうが、二大隊の戦友会が高見さんを中心に結束して戦後三十四年経っても盛んなのは、もっぱら武藤さんの蔭の力です。戦地では下士官だったが、高見さんと並んで坐ってもおかしくない人格者です。尊敬してますね。戦友会の世話ばかりではなく、わたしなどは勤め先まで世話してもらった。定年退職して、遊んでいても退屈で仕様がないと言ったら、すぐ世話してくれたんです。仕事といっても倉庫番が主で、たまに小型トラックを走らせる程度ですけどね。盆栽なんかいじっているより体にいいことは確かでしょう。働かなくても生活のほうは困らないようになってますが、まだ老い込んでしまうのは早いと思ってるんです」  井山は話をつづけながら、菊地一郎の写真に何度も眼をやっていた。見憶えがあるような、しかしどうしても思い出せないという表情だった。     13  陸男は喫茶店でサンドイッチをつまみ、コーヒーを飲んだ。それから武藤今雄の家へ電話をかけた。  相変わらず留守のようだった。  だが、高見礼四郎には井山が電話をしておいてくれたので、夕方までならいつでも会えることになった。七十過ぎの老人というだけでも気が重いが、大隊長だったといういかめしい肩書も何となく気を重くさせていた。  しかし、父の大隊長だったと思えば、やはり会ってみたい人物の一人だった。菊地一郎の写真に触発された感情だが、今までそういうことを考えなかったほうが不思議な気持なのだ。三十六歳にもなって、初めて父と子の絆《きずな》を感じたのである。  睦男は急《せ》かされるように席を立った。  高見の住居は、外壁を煉瓦で張りつめた五階建てのマンションの一階だった。井山の話によれば高見がマンションの持主で、息子夫婦と孫たちも同じマンションの五階にいるという。  高見の妻は腰の低い小柄な年寄りだった。  睦男は八畳の和室へ通された。外部からは想像できないような和風の造りで、暖房がほどよくきいていた。床の間にかかっている軸は漢詩らしいが、睦男には難しくて読めなかった。部屋の隅に、鉄製の火鉢が貫禄を示すように置かれている。  しかし、やがてあらわれた高見礼四郎は黒っぽいズボンにスポーツ・シャツという軽装だった。といって彼自身は軽い感じではなく、肩幅のがっしりした体格で、角張った顔も健康そうに黒光りしていた。坊主頭の白髪は薄いが、白茶けた太い口ひげをたくわえ、もと大隊長という先入観のせいか眼つきも鋭く見えた。 「よくいらっしゃいましたな」  高見は黒檀《こくたん》の机にむかって正坐すると、おだやかに言った。  睦男は堅くなっている自分を意識した。 「あまりお役に立てなくて心苦しいが、わたしが知っていることはお話しします。どういうことを知りたいんですか」 「この写真をごらんになってください」  睦男はまた菊地一郎の写真を出した。  高見は老眼鏡をかけ、写真を一枚一枚手にとって眺めた。眺めているばかりで、何も言わなかった。眉を寄せたが、ほかに表情の動きはなかった。 「見憶えはございませんか」 「見当がつきかねますな」 「ぼくの父かもしれないという人がいます」 「ほう」 「でも、父は戦死したはずで、こんなふうに生きていたと思えません」 「生きていたという人がいるわけですか」 「いえ、かもしれないということです。この人は父と同じ名を名乗り、内地に帰ったとき入院したらしい久里浜病院の診断書を持っていました。それによると、生年月日も父と同じです」 「妙な話だ」 「ぼくも妙だと思います。確かめなければ気が済まなくなりました」 「難しい問題だ。戦後の混乱期は妙なことがいくらもあった。目茶苦茶だったといって差支えない。だが、菊池伍長は名誉の戦死を遂げたと聞いている」 「死体を見た者がいません」 「それは井山くんに聞いたでしょう。戦闘はそれほど烈しく悲惨を極めた。遺体を収容することもできなかった。私も左大腿部に貫通銃創を負っている」 「戦死公報もきていません」 「そういう例はきみのお父さんだけではない。責任を免れるつもりはないが、前線は筆舌につくしがたい状況だった。手続き上の疎漏はやむを得なかったと思っていただきたい。あらためてお詫び申しあげる。不徳のいたすところだった。朝晩部下の冥福を祈っているが、それで済むものではない。戦後三十四年経っても、わたしのなかでは戦争が終わっていない。おそらく、生きている限り戦争はつづいている。戦争という言い方は誤解を招くが、忘れるわけにいかんということです。忘れてしまっては、戦死した部下に申しわけが立たんのです。私は多くの部下を死なせてしまった」 「父は勇敢な兵士だったのでしょうか」 「もちろんだ。わが部隊に臆病者はいなかった。みんな勇敢に戦ってくれた。きみは妙な話に惑わされんことだ。遺族年金を受取れるようになったのだから、遠慮なく受取ったほうがいい。それがお父さんへの供養にもなるはずだ」 「しかし祖母が承知しません」 「だが、今さら確かめることは不可能だ。むかしでさえ不可能だった」 「もう一度伺いますが、この写真の人物に見憶えはないでしょうか」 「ありません」  高見は両手を膝に置き、睦男を見据えてきっぱりと答えた。     14  高見はきっぱりと答えたが、睦男は釈然としないものが残った。態度も言うこともすべて立派で、床の間つきの部屋がいかにも和風につくってあったように、睦男と向かい合った高見も、かつての大隊長らしくつくっている感じがしたのだ。もっとよぼよぼしていてもよかったし、もっと人間的な弱さが見えてもよかった。そのほうが彼に対して抱いていた睦男のイメージに合っていた。  しかし、イメージなんて勝手な想像にすぎない。  小谷も井山も知らないと言って砂木の電話番号を教えてくれなかったが、電話帳で調べると簡単にわかった。  睦男は彼に会いたい気持が強くなっていた。小谷や井山に会わないほうがいいと言われた反動かもしれないが、砂木なら父の生死は確認できないとしても、写真の菊地一郎を知っているような気がした。むかし祖母が受取った葉書によれば、砂木は父と同じ中隊の分隊長だった。小隊はちがうが戦闘行動はいっしょで、激戦のさなかに父を見失ったと書いてあった。  睦男は砂木のダイヤルをまわした。  呼出しのベルがしばらく鳴って、睦男は留守かと思い、受話器を置こうとしたとき、無愛想な女の声がでた。 「出かけてますけど」 「すぐお帰りになりますか」 「わかりませんね」 「ぜひお目にかかりたいんですが」 「あなたは誰なの」 「失礼しました。戦地で砂木さんといっしょにいた菊池という男の伜です」 「それじゃ、あなたも菊池というの」 「ええ」 「どんな用かしら」 「父のことです。父は戦死したらしいのですが、そのときの様子を伺えたらと思って電話をしました」 「ずいぶん古い話ね。古過ぎるじゃないの」 「ぼくにとっては新しいんです。今まで聞いたことがなかった」 「今ごろ知って、どうしようというの」 「どうもしません。知りたいだけです」 「だったら砂木に会ったって無駄よ。戦争のことなんか、とっくに忘れてるわ」 「思い出してくれるかもしれない。行先がわかっていたら教えていただけませんか」 「わからないわね、いつだって家にいないんだから」 「とにかくお邪魔させてください」  電話では埒《らち》があかなかった。睦男は強引に頼んで受話器を置いた。  車に戻って地図を調べた。板橋方面は不案内だが、およその見当はついた。環状七号と川越街道の交叉点から近いようだった。  途中でガソリンを入れ、勘定を払うときレジの女子店員に道順を聞いた。  その店員が砂木の店を知っていた。 「男の人だけが飲む店ね。あたしたちが入るお店じゃないわ」  一方通行の道順をこまかく教えてくれた。  睦男はモツ焼きの匂いがもうもうと立ちこめているような店かと思った。  しかし行ってみると、それほど安酒場という感じでもなかった。「小料理、お茶漬け」という看板がかかっていて、まだ開店前か日曜だから休みなのか、閉じたガラス戸の内側に暖簾《のれん》がさがっていた。  暖簾のせいで中が覗けない。見上げると、二階の戸もしまっていた。  睦男は声をかけた。返事がないので、ドアを叩いた。 「うちを壊す気なの」  背後で女の声がした。薄化粧をして、きものの着こなしが水商売の感じだった。気が強そうで、五十五、六歳になっている。 「すみません。さっき電話をした菊池です」 「砂木はいないと言ったはずよ」 「帰っているかもしれないと思ったんです」 「あなた、ほんとうに砂木の戦友の子なの」 「ええ」 「怪しいもんね。篠塚の使いで来たんでしょう」 「篠塚って」 「知らないの」 「知りません」  砂木の妻は、探るような眼つきで睦男を眺めた。  睦男は、祖母が保存していた葉書で砂木の名前や住所を知ったと言った。 「それじゃ言いますけど、そこにいるかどうか分からないわよ」  砂木の妻の態度が少しやわらかになった。駅の近所のパチンコ屋にいるだろうというのである。 「あのひとはパチンコ屋へ軍歌を聞きに行くんです。昼間から軍歌をやってるところといったら、パチンコ屋しかないでしょう。あたしは全然知らなかったんですけどね。うちの店にくるパチンコ屋のマネージャーが言ってました、流行歌を流してると砂木が軍歌にしてくれって注文をつけるんですって。そんな客は砂木しかいないそうです。ほかの人が軍隊の話をすると厭な顔をしてるくせに、あたしにまで内緒で軍歌を聞きたがるなんて、どういう気持なのかしら」 「戦争のことは忘れたんじゃないですか」 「忘れたふりをしてるんです。あたしらの前では決して戦争の話なんかしません。だから、あなたが会っても無駄よって言ったの。きっと喋らないわ」 「戦友会の話などもしませんか」 「しないわね。そういうむかしの友だちとは、つき合っていないらしいわ」 「きょうは日曜ですが、普通の日はどこかへお勤めですか」 「日曜も平日もなしよ。父ちゃんは週休七日だって、つい昨日も娘に言われてたわ。娘は嫁にいって、子供が三人います。なまじあたしがお店を出して働いたのがいけないなんて娘は言いますが、あのひともむかしは働き者だったんです。タクシーでへとへとになるほど働いた上に、帰ってくるとお店のほうも手伝ってくれました。それがいつの間にか怠け者になってしまった。勤めても、たいてい喧嘩したりして長続きしません。競馬をやりだしたのもいけなかったんですが、あたしはそれだけじゃないと思うの。あら、こんな話をしていいのかしら」 「結構です。聞かせてください」 「でも、あなたとは初めてじゃないの」 「父が砂木さんの戦友でした」 「あたしは戦友じゃないわ」 「戦友のおくさんです」 「関係あるかしら」 「あるかもしれない」 「それじゃ、お店へ入りましょうよ。通る人が変な顔で見てるわ」  砂木の妻は戸をあけて、先に暖簾をくぐり、明りをつけた。  広くはないが、小綺麗な店だった。カウンターの前に七、八人分の椅子と、テーブルも四卓あった。壁に民芸品の藁細工などがかかっている。生臭い匂いがしたが、不潔な匂いではなかった。 「お酒は」 「いりません」 「飲めないの」 「車できたんです」 「それじゃ仕様がない。あたしは飲むわよ」 「どうぞ」 「いつも昼間から飲むなんて思わないでね」 「ええ」  睦男はカウンターの前に腰をかけ、砂木の妻は向こう側へまわった。 「へんね、あなたとこんなふうに話をするなんて」 「すぐお暇《いとま》します」 「いいのよ、遠慮なんかしなくて。どこまで話したかしら」 「砂木さんが働かなくなった理由です」 「競馬みたいな賭け事をやったら、真面目な仕事がばからしくなるわ」 「理由はそれだけじゃないとおっしゃった」 「そうね。砂木を駄目にしたのは軍隊だと思うの。あのひとは戦争が終わっても、軍曹のままでいたかったのよ。わかるかしら、軍曹って」 「それくらいは知ってます。下士官で、伍長の上でしょう」 「たいした階級じゃないわ。でも、ずいぶん威張っていられたらしいのね。分隊長で軍曹で、毎日生きるか死ぬかの戦争だった。二十歳で兵隊になってから終戦までの五年間、その間だけが青春だったみたいなの。だから、本当は命がけで生きていた軍隊時代がなつかしくて仕様がないんじゃないかしら。よくわからないけど、あのひとがパチンコ屋で軍歌を聞くという話を聞いてから、そう思うようになったわ。生きて帰れても、そんな青春はもうどこにもないし、それでだんだんひねくれてきたような気がするの。そう思うと可哀そうなひとよ。のんきそうに遊んでいられると癪にさわるけど、あんまり冷たくもできないわ。ああいうひとは、戦死できたらいちばんよかったのよ」 「何というパチンコ屋にいるか教えてください」 「もう行っちゃうの」 「早く会いたくなってきた」 「あたしが余計なお喋りをしたなんて内緒よ」 「もちろん黙ってます」 「それから、あのひとに飲ませない約束をして。飲まなければおとなしいけど、酔うと違ったひとみたいに変わるわ。酒癖がわるいのよ」  砂木の行きつけはドリームというパチンコ屋だった。 「しかし、ぼくは砂木さんの顔を知らない。どうやって探せますか」 「痩せっぽっちで、似合いもしないサングラスをかけている。わからなかったら、マネージャーに言うと見つけてくれるわよ。それで見つからなかったら、どこをほっつき歩いてるか誰にもわからないわ」  砂木の妻は、コップに残っていた冷酒を呷《あお》るように飲み干した。好きな酒を味わって飲むという飲み方ではなかった。     15  砂木はパチンコ屋にいた。彼の妻が言った通り、痩せた男で、サングラスをかけていたが、サングラスは似合わないこともなかった。似合うとも言えないだけだ。  満員の客を鼓舞するように軍艦行進曲が威勢よく流れ、パチンコ玉の音と騒々しさを競っていた。  初め、睦男はその男が砂木かどうかわからないので、しばらく様子を眺めていた。  ところが、男はパチンコをしているわけではなかった。ぼんやりと台にむかっているだけで、受皿は空っぽだった。玉が入らなかったのだろうが、脇見もしないでいる。ひと休みしているのかもしれないが、睦男は砂木の妻に聞いていることがあったから、砂木に間違いないと思って声をかけた。  やはり砂木だった。  パチンコとレコードの音がうるさいので、外へ出てもらった。  砂木は警戒するようにいくつも質問を浴びせてきたが、睦男が小谷や井山、高見に会ったことを話すと、ようやく納得したようだった。 「しかし、おれがパチンコ屋にいるなんて、だれに聞いたの」 「おくさんです」 「ふうん」  砂木は意外そうだった。  パチンコ屋の地階の喫茶店へ入った。  睦男はコーヒーを、砂木はビールを注文した。砂木の妻に酒を飲ませるなと言われていたが、ビールくらいなら構わないだろうと睦男は思った。 「井山も小谷も、おれをよく言わなかったでしょう」 「いえ」  睦男は否定した。正直に言えば怒らせるに決まっていた。 「どうかな」  砂木は疑っていた。サングラスを取らないので、眼の色が読めなかった。煙草を薄い唇の端にくわえ、マッチで火をつけるとき少し手が震えた。上の前歯が二本欠けていた。  睦男は、菊地一郎が交通事故で死んだことは伏せておいた。 「小谷さんたちに最近はあまり会わないそうですね」 「会ったって仕様がねえからな。戦友会なんて、あんなくだらねえのにも全然出ない。ばかばかしくってね」 「どこがばかばかしいんですか」 「まあ行ってみればわかりますよ。むかしの上官を上座に坐らせてさ、部下は相変わらず部下なんだ。下士官と兵隊はいっしょだが、将校は別っていう感じ。師団長がきたときなんかひどいもんだった。迎えの車から旅館まで用意してやって、相変わらず閣下なんて奉っている。戦時中は威張りくさっていて大勢の兵隊を死なせたくせに、なにが閣下だっていうんですよ。戦争の責任者じゃないか。負けたら腹を切るのが当たり前でしょう。連隊長だって同じだ。おれたちに、捕虜になるくらいなら自決しろって命令してたんだから。そのためにどれほど多くの兵隊が死んでいったか知れやしない。それがおめおめと捕虜になり、戦友会にものこのこやってきて大きなつらをしている。冗談もいい加減にしてくれっていうんです」  砂木の口調が熱っぽくなって、まるで睦男に突っかかるようだった。パチンコ台の前にいるときは疲れている感じだったが、声までいきいきしてきた。 「それで戦友会に出なくなったんですか」 「まあね。ほかにも理由はあるが、戦友会に出ないのはおれだけじゃないってことだな。戦友会の常連は半分くらい、あとの半分は出てこない。今はもっと少なくなっているかもしれない」 「なぜでしょう」 「おもしろくないからだよ。高見さんはもちろん出席だね。大隊長だったことを認めてくれる場所は戦友会しかないからな。それと下っ端の下士官や兵隊でも、武藤みたいに要領がよくて大会社の重役になったような連中はくる。軍隊で大隊長といえば、兵隊なんか虫けら同然でうっかり声もかけられない。連隊長なら雲の上、師団長といったらもっと上のほうに霞んで見えやしない。それが敗戦のおかげで戦友会ということになれば、気やすく高見さんなんて呼べるんだ。中隊長とだって対等に口がきける。当たり前には違いないが、そんなのが嬉しい連中が集まって軍歌を歌い、そしてあのときはこうだったとか、ああだったなんて戦地の思い出ばかり、それもみんなきれいごとばかり、勇ましい話ばかりなんだ。お互いに戦場美談を作りっこしているようなもので、戦争に対する反省などひとかけらもない。餓死すれすれで一匹のトカゲを奪い合ったり、芋を盗みにきた他部隊の兵を射殺したなんてことは、すっかり忘れたふりをしている」 「そんなこともあったんですか」 「あったなんてものじゃない。戦地では、ありとあらゆることがあったと考えて構わない。なにしろ総攻撃に失敗したあとの日本軍は、まるで敗残兵だった。弾薬もなければ食糧もない。ガダルカナルを餓島というけど、おれたちはボロホロ島ではなくボロボロ島だと言っていた。ボロボロの軍服でも着ていればましなほうで、ふんどし一張で土人と見さかいがつかないようなのがいくらもいた」 「土人もいたんですか」 「もちろんいた。いまは現地人と言わないとまずいらしいが、サムスとかルエ、ケチャ、ババンなどというのは彼らがつけた地名だった。海岸と山間部で種族がちがっていたが、合わせて千人はいたんじゃないかな。ほんとうに真っ黒な肌で、裏も表もわからないような土人だった。奴らにもひどい目に遭わされたが、その前にこっちがひどいことをしてたんだから仕方がない。先発の一大隊は無血上陸で、土人たちも初めは協力的だった。日本軍は土人の農園を荒らしまわり、タロ芋でもバナナでも椰子でも取り放題に取っていた。タロ芋はやつがしらのような芋でね、こいつを石焼きにして食う。上等のパンみたいな味で、いま思い出してもうまかった。椰子の実も甘い水気があってうまかったが、ボロホロ島の椰子は幹まで食えるんだ。固い表皮を剥くと中が綿のようにふんわりしていて、輪切りにしてから芯《しん》を抜きとり、水にさらして繊維カスを取っちまうと、椰子油で揚げたりして食うんだが、まるで餅みたいで腹持ちもよかった。しかし土人のほうから見れば、こんな日本軍がおもしろいわけがない。米軍が上陸したらたちまち米軍側に寝返って、土人に殺された日本兵もかなりいる」 「父も土人に殺されたと考えられますか」 「いや、菊池はちがう。総攻撃で、おれたちといっしょに敵陣へ突っ込み、それっきり帰らなかった,多分そうだったと思う」 「多分ですか」 「———」  砂木は答えないで、サングラスをかけたまま天井を仰いだ。何を考えているのか分からなかった。そして初めて気がついたように、コップのビールを一息で飲み干した。 「今頃になって、あんたはなぜ親父さんのことを聞きたがるのかな。遺族年金がもらえるなら、もらっとけばいいじゃないか」  砂木は急に不機嫌になったようだった。 「事実を知りたいんです」 「そんなもの知ったところで始まらない」 「自分の親父のことです。どうしても知りたい」 「連隊としてまとまった戦友会は二回目までだった。あとは大隊ごとに分裂してしまった,そのわけを聞いてますか」 「いえ」 「まとまるはずがない連中を集めようとしたからですよ。総攻撃失敗の原因はいろいろに言われている。連隊長が功を焦ったとか、軍司令官に楯ついてボロホロ島へ飛ばされたため自棄くそで自滅を図ったとかね。しかし問題はその後だった。まるで敗残兵と言ったが、特にひどいのが二大隊のおれたちだった。手持ちの食糧を食ったら、何にも食う物がない。生きているネズミを、毛を吐き出しながら食っていた奴がいたが、ネズミやトカゲを食えるうちはまだいいほうだった。そうじゃなくても、マラリアと悪質な潰瘍とアメーバ赤痢で毎日のようにばたばた死んでいた。そこへ栄養失調だから普通なら助かるわけがない。おれも菊池も五中隊だが、約百五十人いたうち何人生きて帰ったか知ってますか。たったの十八人、死亡率九十パーセントに近い。しかも戦死は半数足らずで、残りはほとんど病死か餓死だった。ところが一大隊だけは、半分くらいしか死んでいない。連隊本部といっしょで、農園でカボチャやナス、キュウリまで作ってたんだ。さっき芋泥棒の兵隊を射殺したと言ったけど、こっちも同じように盗みにいって殺されたのがいる。こうなると生存競争で、逃亡して山賊みたいになったのもいるし、海軍の食糧倉庫を襲撃して逆に全滅した連中もいた。要するに戦場は地獄だった。虫けらまで奪い合っていた地獄から帰ってきて、和気あいあいとやれるわけがない」 「しかし、高見さんは立派な大隊長だったと聞きました」 「三大隊の大隊長に較べればそうかもしれない。そいつなんか、あんまり部下を苛《いじ》めたので、帰国したら復讐されるのが怖くて姿をくらましてしまった。でも、高見さんが立派だったかというと、おれなんか首をかしげたくなる。恩給を返上したのは確かに立派だろうが、あのひとは土地成金で恩給など目じゃないんだ。まだ、ひげを生やしてましたか」 「ええ」 「それじゃ少しも変わっていないな。彼は今でも大隊長のつもりでいるんだ。戦地にいた頃だって、偉そうにしているだけで兵隊の気持は全然わかっていなかった。さんざん部下を死なせながら、遺族の気持もわかっていない。長生きして、幸福なじいさんさ」 「でも、井山さんはとても尊敬していた」 「あいつは当番兵だから別だよ。もう一人帰国してから死んだ当番兵がいたが、当番兵というのは大隊長の炊事から掃除、洗濯まで、女中と同じだからな。いつかネズミの味を聞いてやったら、あんなうまい味を知らなかった。高見さんのお余りを食っていれば知らないのが当たり前で、ということは高見さんもネズミを食わないでいられたってことじゃないか。トカゲは知ってたが、そりゃトカゲや蛇のほうがうまい」  砂木は自分でビールをつぎ、二杯目を飲み干した。 「この眼鏡をかけている男に憶えがないでしょうか」  睦男は浅香節とならんでいる菊地一郎の写真を見せた。説明はわざと省いた。 「誰だろう」  砂木は体を乗り出した。 「まず、ごらんになってください」 「おれが知ってる男かい」 「ボロホロ島でいっしょでした」  睦男は断定的に言った。 「———」  砂木は驚いたように睦男を見た。依然サングラスをかけたままだった。  しかし、やがて写真を手にとって体を起こすと、サングラスを外した。  瞼のたるんだ眼が、寝不足のせいかやや充血していた。奥歯を食いしばるように唇を結んで、じっと写真を見つめている。  睦男は様子を見守った。 「憶えてないな」  砂木はようやく言った。長い沈黙の末だった。 「彼は無事に浦賀へ上陸して、体が弱っていたらしく、久里浜病院に入院しました。退院したときの診断書を持っていた」 「ボロホロ島にいたことは間違いないのか」 「帰還船のなかで作った復員名簿は当てにならないそうですが、その名簿にも名前が載っています。菊地一郎という名前でした。ただし地の字がツチヘンですが」 「菊地一郎——、あんたの親父さんの名前じゃないか」 「そうです。生年月日も同じです」 「———」  砂木はまた黙ってしまった。もう写真を見ていなかった。横を向いて、泡しか残っていないグラスを眺めていた。 「出征中に生まれたので、ぼくは親父の顔を知りません。母も祖父も死にました。祖母がいますが、眼がわるくて写真を見せてもわからないんです」 「小谷や井山はどう言ってるの」 「小谷さんは親父を憶えていなかった。井山さんは憶えてましたが、この写真は別人じゃないかと言っていた」 「おれも別人だと思うけどな。菊池が生きていたなんて考えられない」 「すると、この写真の人物はいったい誰で、なぜ親父の名を使っていたのだろう」 「わからないね。いきなりそんなことを聞かれたって、答えようがない」 「さっきの話では、逃亡して山賊のようになった兵隊がいた。あるいは敗戦前に捕虜になり、帰還船のなかで偽名をつかった者もいるらしい。ぼくの親父もそんな連中の一人で、こっそり帰ったという可能性はありませんか。この写真の男は最近亡くなりましたが、ことによると親父だったかもしれない」 「それなら、そう思えばいいじゃないか」 「そう思えないから困ってるんです。武藤さんに聞いてもわからないでしょうか」 「まあ難しいだろうな。彼にわかるなら、おれにだってわかる。それより——」  砂木はまた考えるように黙った。そして、 「鶴川という男が知っているかもしれない。部隊は同じだったが、中隊がちがうので名字しか思い出せない。確か軍人恩給復活の頃、菊池の遺族が年金をもらえるように、そいつが奔走していた。おれもそいつといっしょに厚生省へ行った憶えがある」 「住所などはわかりませんか」 「どうも名字しか思い出せない」  砂木はしきりに考えるようだった。     16  外はもう夜だった。  武藤と会うのは明日に伸ばし、病院へ寄って祖母を見舞った。  しかし、どうせ落胆させるだけだと思ったので、父の戦友たちに会ったことはまだ話さなかった。そして食事をして帰ると、催促されている仕事を翌日の明け方近くまでかかって仕上げた。  仕事先からの電話で眼をさますと十時半だった。仕事は鯨井の店で受取ってもらうことにして、彼の店へ行った。  鯨井は出かけたあとで、おかみがふくれっ面をしていた。おそらく夫婦喧嘩で、珍しいことではなかった。  ウェイトレスに注文しなくても、睦男の朝食はきまっていた。トーストにハム・エッグとコーヒーだった。  待っている間に、武藤今雄が重役をしている会社へ電話をかけた。  武藤は井山から話を聞いたらしく、待っているという快い返事だった。  睦男は急いで食事をすませ、依然ふくれっ面で口をきかないおかみに絵本の挿絵が入っている封筒を預けた。こういうことも珍しくなかった。  いったん家へ戻り、ひげを剃ってから車で出発した。昨日とちがって、新しい人生が待っているような予感はしなかった。その代わり、父の悲惨な最期を知らされるのではないかという予感がして、一億円の受取人になれるかもしれないという期待のほうはゴム風船のように萎《しぼ》んでいた。  武藤の会社は倉庫ばかり並んでいる芝浦の海岸通りで、六階建てのビルだった。受付の女子社員はタキ江に似ていたが、タキ江のほうが美人だと思いながら四階の専務室へ案内された。  武藤は恰幅のいい男だった。あとで聞いたが体重八十五キロで、それが戦地から帰国した頃は三十七キロしかなかったという。 「まあ掛けてください。菊池くんのお子さんじゃ他人と思えない」  武藤はいかにも世話好きな感じで、爆弾で左腕を吹っ飛ばされたという上着の袖口は、さほど気づかれないように左のポケットに入っていた。 「あなたはおばあちゃんに似てるようですな。菊池くんよりおばあちゃんに似ている」 「祖母に会ったことがあるんですか」 「もらろん会いましたよ。このビルがバラックの頃だから、もう相当むかしになる。わざわざ訪ねて来られてね、トタン屋根に真夏の日がカンカン照りつけて暑かったことを憶えている。クーラーなんかない時代です。菊池くんのお母さんも、まだおばあちゃんと呼ぶほど年寄りじゃなかった」 「そのとき、どんな話をされたのでしょう」 「菊池くんが戦死したときの様子です。彼とは中隊がいっしょで、小隊もいっしょだった。申しわけないが、同じ小隊で生還したのはわたし一人しかいないんです。小隊長以下みんな死んでしまった。わたしは運がよかったという以外に言いようがない」 「ほかは全員戦死ですか」 「いや、もう一人助かったのがいます。しかしその戦友も、間もなくマラリアで死んだから同じことでしょう。公報は戦死になっているはずです」 「父は戦死ですか」 「それは間違いありません。四月二十九日未明の総攻撃で戦死された。こんなことまで話すのは辛いが、納得していただくにはやむを得ないと思って話すわけです」 「死体を見たんですか」 「見ました。退却のときです。突撃のときは気が狂っているような状態だから、無我夢中でわかりません。しかし退却のときはちがいます。いくらかは冷静な意思が働いている。突っ込んで死ぬんだというときと、退却すれば助かるというときでは当然のちがいでしょう。こんな理窟もあとで考えたことですが、菊池くんは血に染まって倒れていた。もう息がなかったと思います。かりに多少息が残っていたとしても、助けてやれる余裕などありません。敵の戦車に追われて逃げる途中だった」 「すると戦車に轢かれたのでしょうか」 「いや、戦車が通れるような場所ではなかった。ジャングルの中で、大きな樹の蔭に倒れていたように憶えている」 「それでは、かりに息が残っていたとすれば、捕虜になるとか、ジャングルの奥で生きのびた可能性も考えられませんか。砂木さんの話によると、山賊のようになった逃亡兵がいたようだし、敗戦前に捕虜になった兵隊も同じ帰還船にいたそうです」 「砂木くんに会ったんですか」 「会いました」 「彼の言うことなど信じてはいけない」 「なぜでしょう」 「彼はひがみっぽいんです。おそらくそのせいで、戦友会に対しても反感を抱いている。以前はそういう男じゃなかったが、おかみさんの尻に敷かれているうちにそんなふうになったらしい。彼が戦友会の悪口を言ったとすれば逆怨みです。彼の言うことも部分的には正論だが、正論かならずしも正しくはないということがある。自分だけ正しければいいというのでは世間に迷惑をかける,その辺のことが彼にはわかっていないんです」 「芋泥棒に対するリンチや、海軍の食糧倉庫を襲った話も聞きました」 「でたらめですね。他の部隊の話をわざと混同させている。他の部隊ではそういうことがあったかもしれない。噂だけなら、わたしも耳にしたことがある。しかし高見部隊に限ってそんなことは全くなかったと断言できる。リンチなどとんでもない話です。逃亡兵もいるわけがありません。もし逃亡したら、いちばん困るのが本人ですよ。まず食い物に困るし、ジャングルにもぐったら土人にやられる危険が大きい。たとえ少数でも、わたしらが生きて帰れたのは部隊と共に行動していたからこそです。しばらく会っていないが、砂木くんはますますおかしくなってるんじゃないかな。そう思いませんでしたか」 「おかみさんは、飲まなければおとなしいと言ってました。ぼくと会ったときは飲んでいなかった」 「しかし言うことが普通じゃありませんね。あの戦争は確かに無謀だったし。ボロホロ島に置き去りにされたわれわれは地獄のような毎日を送らねばならなかった。弾も食糧も尽きて、飢えと病気でつぎつぎに死んでいった。彼らの死は結果的にみれば犬死にだったかもしれない。しかしですよ、あの島にいた日本兵われわれは、親兄弟や妻子がいる祖国の戦禍を少しでも食いとめようとして戦ってたんです。腹ペコでトカゲやネズミをあさっていたばかりじゃありません。斬込み隊を編成して、敵に一泡ふかしたことが何度もある。それを砂木くんは忘れている。というより、忘れたふりをしたがっているんです。彼のような言われ方をしたら、死んだ戦友の魂が浮かばれませんよ。あなたもそう思うでしょう」 「ええ」  睦男は慌てて頷いた。おかしな成りゆきだと思っていた。小谷も井山もそうだったし、砂木もそうだったが、戦争の話になるとみんな熱っぽくなってくるのだ。 「砂木くんは戦友会についても甚だしい誤解をしている。わたしらは戦争がなつかしくて集まるんじゃないんです。あの島が恋しいなどと本気で言う者は一人もいるはずがない。しかし悲しいことに、わたしらにはあの戦争の中にしか青春がなかった。一度きりの青春の衣裳としてカーキ色の軍服しか与えられなかった。その貧しくて惨めな、軍国主義の負い目まで背負わされた青春を悼《いた》んでやりたいんですよ。わたしらにとって四月二十九日は天皇誕生日じゃありません。多くの戦友の命日です。だから戦友会の当日は、いわば追悼の集まりで、戦友会で歌う軍歌は追悼の歌なんです。それは死んだ戦友への供養でもあるし、すくなくともわたしはそう思って世話役を買っている。それでもいけませんか」 「いえ、ぼくにはよくわからない」 「あなたは正直だ。わからなくていいんです。あなたにはあなたの青春があればいい。わたしはもう老人だが、老人だから青春を悼むのかもしれない。しかし戦地の苦労を思ったら、今だって何でもやれますね。極端にいえば人殺しだってできる。機関銃の音を聞いたことがありますか。テレビの戦争映画なんかでやってるでしょう、ダ、ダ、ダ、ダッというやつです。わたしはあれを聞くとたまらない気持になる。どうしても戦地を思い出してしまうんです」 「鶴川さんという方をご存じでしょうか」  睦男は話を戻した。まだ肝心な話が済んでいなかった。 「鶴川さん?」  武藤は怪訝《けげん》そうな顔をした。 「中隊はちがいますが、父と同じ部隊にいたそうです」 「鶴川何というんですか」 「名字しか知りません」 「何中隊だろう」 「それもわかりません。軍人恩給復活の頃、父が生死不明のままでは遺族年金がもらえないので、もらえるように奔走してくれた人らしいんです。砂木さんもいっしょに厚生省へ行ったと言ってました」 「鶴川というひとね——、厚生省へは菊池くんの件ばかりではなく、ほかにもいろいろあったから、わたしも何度か行っているが——」 「憶えがありませんか」 「どうも思い出せませんな。もう二十何年も前の話でしょう。この頃は忘れっぽいから、忘れているのかもしれない。それより、写真を見せてくれるんじゃなかったんですか。井山くんに聞いたが、ツチヘンの菊地くんがいるという話だった」 「失礼しました」  睦男は写真を四枚とも並べた。  武藤は眼を細くして、熱心に眺めていた。  しかし、返事は意外にあっさりしていた。 「ちがいますね。あなたのお父さんじゃありませんよ。誰だかわからないが、わたしの知っていた菊池くんではない」 「でも、久里浜病院の診断書を持っていました」 「その点は確かに不思議です。井山くんも不思議がっていた」 「こういう考えは無理でしょうか。この写真の男と父が捕虜になっていて、帰還するとき名前を交換したということです」 「すると、名前を交換した一人は写真の男としても、菊池くんはどこへ行ったんですか」 「わかりません」 「それがわからなくては話にならない」 「そうですね」  たしかに武藤の言うとおりだった。  睦男は夢が消えた。父の夢と一億円の夢が、ふたつとも消えてしまった。残っているのは浅香節と菊地一郎の写真だけで、いずれ写真は返さなければならないが、返しにいけば浅香節に会えるという期待と、返したら二度と会う機会がなくなるという未練が交錯していた。  それに、夢は本当に消えてしまったのかどうか。諦めてしまうのはまだ早過ぎるのではないか。父の最期がはっきりしたわけではないし、成りゆきによっては一億円入るかもしれないのである。睦男は諦めのいい性格を自認していた。それはタキ江に指摘されて気づいたことだが、短気なせいもあり、無精なせいもあった。ときには潔《いさぎよ》いと言われ、欲望が少ないせいだとも言われた。しかし今度の場合、ここで諦めてしまうことはあまりに怠惰な気がした。日頃から怠惰な点も自認してはいたが、怠惰という言葉だけではおさまらない気持だった。  要するに金が欲しかった。  父が死んだときの様子もはっきり知りたかった。  睦男は父の戦友にもう一人会ってみようと思った。祖母への手紙にあった本間という男で、井山の話にもでたが、彼は父と同じ中隊だった。高速道路がすいていれば、神奈川県の保土ヶ谷まで大して時間はかからない。ただし住所に変わりがなく、健在だったらの話だ。  睦男は彼の安否を尋ねた。 「元気だと思いますけどね。亡くなったら通知くらいくれてもいいし、がっしりした体格で、そう簡単に死ぬような男じゃありませんよ。住所も変わっていないでしょう」 「無駄かもしれませんが、本間さんにも会ってみたい」 「それじゃ電話しといてあげましょうか。実はこの五、六年戦友会を無断欠席で、案内状を送っても返事さえこない。何かあったんじゃないかと思って気になってたんです。あなたが会いたいというなら、ちょうどいい機会だ」  武藤はキャビネットから戦友会名簿らしいノートを持ってくると、念入りな手つきでプッシュフォンのダイヤル・ボタンをノックした。  すぐに電話が通じて、武藤は睦男が訪ねてきたことを話し、なぜ戦友会に出てこないのかというようなことをながながと喋っていた。 「お聞きになったでしょうが、本間くんは商売が忙しいらしい。商売といっても小さな電気屋です。店番くらいはおくさんに任せればいいし、戦友会に出てこられないわけはないと思うんだが、とにかくあなたがくれば会うと言っています。住所は変わっていません」  武藤は釈然としない様子で、本間の家へ行く略図を書いてくれた。     17  高速道路はすいていた。  略図のおかげで、本間の電気器具店も割合簡単にわかった。店の名を染めたオレンジ色の日除けがしゃれた感じで、狭い店内はテレビ、洗濯機などの電化製品でいっぱいだった。大小のボール箱が道路にはみ出しているが、それらは電化製品の空箱にちがいない。  睦男はガラス・ドア越しに店内をのぞいた。  すると、電話の応対をしていた男が、まるで声をかけられたように、受話器を耳に当てたまま振返った。黒っぽいジャンパーを着て、六十歳がらみの気難しそうな顔で、体格のいい男だった。  彼は受話器を置き、外へ出てきた。ひとめで睦男がわかったらしく、 「菊池さんですか」  と言った。風邪をひいているような声で、顔色もよくなかった。  睦男は頷いて、自己紹介した。そして、父の戦友たちに会ったことを話した。 「わたしは病院へいくところなんです。歩きながら話しましょう。病院はこの近くです。あんたが来るというので、待ってたんだ」 「どこかお悪いんですか」 「女房が入院してるんです。ガンがあちこちに転移して、どうせ助からないんだが、医者は植物人間にさせても生かしておくのが義務と思っているらしい。危篤が半年もつづいている。ばかな危篤だが、退院させるわけにもいかない」 「———」  陸男は返事ができなかった。同じような例を知っているのだ。友人の身内のことだが、はじめは病人の子供たちが嘆き悲しんでいたのに、危篤状態が長びくにつれて看病する側が疲れ、入院費用もたいへんだし、病人は死を待たれるようになっていた。 「大体のことは武藤さんに聞きましたがね。菊池さんはほぼ百パーセント戦死に間違いない」  本間は歩き出して言った。 「ほぼというのは、どういう意味ですか」 「死体を見たわけじゃないからです。当時の状況からみて、ほかに考えようがない。もし生きていたら、お宅へ帰ってるはずでしょう」 「ぼくもそう思います。でも、父と同姓同名で、やはりボロホロ島にいたという男が最近まで生きていたんです」 「それはね、そいつに何か事情があったせいで、あんたの親父さんが戦死したこととは無関係じゃないかな」 「事情って、どんなことですか」 「そんなこと知らないよ。おれは菊池が死んだと思っている。それだけだ。おれの記憶では、彼は斬込みにいったまま帰らなかった」 「砂木さんや武藤さんにも聞きましたが、総攻撃で戦死したんじゃないんですか」 「いや、ちがう。人間の記憶なんて当てにならない。だから、おれの記憶が正しいなどと言う気はないけど、砂木の記憶はちょっとおかしい。頭がぼけたのかもしれないが、大分前に戦友会で会ったとき話したことがあるんだ。総攻撃が失敗したあと、生き残った兵隊はろくに食う物がなかった。その辺の様子は砂木たちに聞いたと思うが、まるで敗残兵というより敗残兵そのものだった。そこで斬込み隊が何度も編成されたけれど、斬込み隊といっても二種類あった。大隊本部の命令によるものと、勝手に斬込みに行った連中がいた」 「なぜ二種類にわかれたんですか」 「本部命令のほうは人べらしが目的だった。もちろんそう言ったわけじゃないが、選ばれた連中をみればわかった。役立たずになった病人と負傷兵ばかり、つまりそういう連中は乏しい食糧を食うだけで、長期戦の食糧を維持してゆくためには余計者だった。どこへ移動するにも足手まといだし、いずれ死ぬこともわかっている。だったら早く死なせちまったほうがいい、というのが本部の将校連中の考えじゃないかな。おれはそう思ったが、砂木も同じ見方をしていた。大和魂とか特攻精神とかうまいことを言って斬込み隊をつくり、死にかかっているような兵隊を敵陣へ追っ払ったんだ。彼らは一人も帰ってこなかった」 「父もその一人ですか」 「いや、菊池の場合は本部命令じゃなかった。砂木が誘ったんだ。おれも誘われて三人だった。玉砕覚悟で斬込みを志願した者もいたが、おれたちは違っていた。どんなことがあっても生きて日本へ帰りたかった。そのためにはどうすればいいか。砂木は熱心におれたちを説得した。ひとりでは心細かったのだろうが、うっかり話せることではなかった。そこで彼と気が合っていたおれと菊池が見込まれたってわけです。生きて帰れる第一の道は、米軍の捕虜になることだった。米軍の飛行機が撒《ま》いたビラによると、捕虜になった日本兵の元気そうな笑顔の写真つきで、降伏を呼びかけていた。そして、米軍は捕虜を虐待しない、食う物もたっぷりあるし、間もなく日本が負けて戦争が終わったら、無事に日本へ送り返すというようなことが印刷されていた。内地の主要都市が空襲で焼野原になっていることや、沖縄が占領されたことなどもそのビラで知った。しかし、おれたちは疑心暗鬼だった。敵前逃亡は死刑と聞かされていたし、ビラの内容も信じきれなかった。といって、このままでは栄養失調かマラリアで死んでしまう。それくらいなら、いっそ斬込みに行こうというのが砂木の考えだった。危険な賭けだが、うまくいったら敵の倉庫から食糧を掻っ払ってくる、さもなければ捕虜になってみようというんだ。おれは迷った。菊池も大分迷っていた。でも、結局は砂木に賛成した。賛成というより引きずられた恰好だが、とにかく食糧を掻っ払ってくるという名目で、中隊長に斬込みの許可をもらった。斬込みにゆくふりをして逃亡しジャングルにもぐった奴らもいたらしいが、おれたちはちゃんと中隊長の許可をもらった。こっそり逃亡した奴らとはちがう。  ところが、いざ敵陣に近づくと砂木が考えたような甘いものじゃなかった。電流を通したピアノ線がいたるところに張りめぐらしてあって、そいつに引っかかったら、たちまち弾が飛んでくるんだ。降伏の呼びかけなんて意味がない。倉庫を襲う計画も、もちろん駄目さ。そして逃げ帰る途中、菊池はおれたちとはぐれてしまった。暗かったし、ジャングルの中だった。気がついたら彼がいなくて、とうとう隊へ戻らなかった。終戦後も、ジャングルから出てこないかと思っていたが、やはり姿を見せなかった」 「ジャングルの中で病死したのでしょうか」 「おれはそうとしか考えられないけど、砂木のやつ、なぜ斬込みのときのことを話さなかったのかな。あいつはむかしから変なやつだった。わるい男ではないが、つまらないことで意固地になったり、秘密主義みたいなところもあった。ま、元気なら何よりだがね。おれはしばらく彼と会っていない」 「砂木さんは戦友会の誰とも交際がないそうです」 「おれも今は戦友とつき合っていない。武藤にごちゃごちゃ言われたが、戦友会とは縁を切ったつもりでいる」 「なぜでしょう。砂木さんは戦友会に反感を持っているようでした。しかしほかの方たちは、戦地でうしなった青春を悼み悲しみ、あるいは亡くなった戦友の供養のために集まるのだとおっしゃっていた」 「みんな考えはそれぞれさ。やりたい者は勝手にやっていればいい。だが、おれはもう忘れたいんだ。確かにおれたちの青春はボロホロ島にしかなかった。死んじまった奴らは可哀そうだ。女房や伜にも話せないことがいっぱいあって、戦友会へ行けばそんなことを存分に話し合える。そして軍歌を合唱すれば、あんたが今言ったような気分に何となく浸って、それは決して悪い気分じゃない。しかし、おれはそんな戦友会の空気が厭になったんだ。よくわからないが、そうだと思うね。砂木も同じ気持じゃないかな。とにかく思い出すのも厭になった。どうせ死んだ連中はかえらないし、生き残ったところでろくなことはなかった。それをなつかしそうに集まって、さんざん喋りつくした三十何年もむかしの話を蒸し返したって始まらない。あんたが菊池の子供だというからつい余計なことを言ったが、あんたも忘れてしまったほうがいい」 「やはり、父はボロホロ島で死んだんですか」 「と思うな」 「総攻撃に失敗して退却するとき、武藤さんは血に染まって倒れている父を見たと言いました。嘘をついたのでしょうか」 「嘘だね。砂木も嘘をついたことになるが、その点は善意に解釈できる。あんたの親父さんがボロホロ島で死んだことに間違いないなら、総攻撃で戦死したことにしてやったほうが勇ましいし、遺族の気持もすっきりする。遺族年金の関係もあるだろうから、それで嘘をついたんだな,おれもあんたに会うまでは、同じ嘘をつこうと思っていた。しかし会ったら、気が変わった」 「なぜですか」 「わからない。あんたのためでも誰のためでもない。本当のことを言いたくなっただけで、すこし後悔している」  本間の妻が入院中という病院にきた。五階建ての大きな病院だった。 「あの四階にいるんですよ」  本間は足を止め、四階の窓を指さした。白いカーテンがかかっていた。 「同じ部隊にいた鶴川さんという方を憶えていませんか」 「———」  本間は四階の窓へ眼をやったまま、反応を示さなかった。 「はじめに言いましたが、父と同姓同名で最近まで生きていた人かもしれないんです」  睦男は浅香節に借りた四枚の写真を見せた。  本間はじっと写真を見つめていた。  しかし反応はないままで、睦男が父かもしれないと言うと、 「菊池じゃないでしょう」  とだけ言った。     18  睦男は本間と別れ、車に戻り、一応家へ帰った。父の死について新しい話を聞いたが、依然最期がはっきりしたわけではなかった。砂木や武藤の話が嘘だというなら、本間の話もまた嘘ではないかという疑問まで残ってしまった。  いずれにせよ、一億円の夢はますます遠のいたようだった。  日が暮れかかり、睦男は落着かない気分のまま鯨井の店へいった。  鯨井夫婦は仲直りしたようで、二階から三味線の音が聞こえ、鯨井はカウンターにいた。 「どうだった、一億円は」  鯨井が早速きいた。 「残念でした」 「駄目だったの」 「まあね。謎だらけで面白くはなってきたけど、交通事故で死んだ男が親父じゃないことは確からしい。明日あたり、もう一度砂木というひとに会ってみようかと思う」  睦男はいきさつをかいつまんで話し、カウンターの隅の夕刊に手をのばした。一面を見出しだけ読み、それから社会面をひらいた。  ぎくっとしたのは、主な記事を読んだあとだった。 「たいへんだよ、クジさん」 「何が」 「何がって、いま話したばかりじゃないの。砂木哲夫という男が死んだ。夕刊にでている。名前も住所も間違いない」 「殺されたのか」  鯨井は新聞を覗きこんで言った。 「いや、そこまではわかっていないらしい」  死体が見つかったのは今朝の七時過ぎだった。新宿区西早稲田三丁目、神田川にかかっている面影橋から、砂木は酔っ払って落ちたのかどうか、川床に全身を打って死んでいた。  神田川は江戸期最古の上水道で、水源を三鷹市の井之頭池に発し、両国橋の上手で隅田川に注いでいる。かつては上流を神田上水、中流を江戸川、下流を神田川と呼んでいたが、昭和四十年の河川法改正によって全体を神田川と総称するようになった。面影橋も江戸では古い橋のひとつで、橋の名は、薄倖《はつこう》の美女がおのれの姿を水に映して歌を詠《よ》んだのち入水したという伝説にちなむといわれている。昭和初め頃までは近辺に染物屋が多く、清流に布地を浸して染色に用いた糊《のり》を洗い落とす風景が見られ、子供たちにも恰好の水遊び場だったが、現在はほとんど濁流である。 「この記事じゃよくわからないな」  睦男は新聞を見たまま呟いた。 「しかし、あの橋の欄干はそんなに低くない。酔ってよろけたくらいじゃ落ちないんじゃないかな」  鯨井が言った。 「面影橋を知ってるの」 「うん、あの近くに親戚がいたんだ、いまは引っ越しちゃったけど」 「たとえば酔っ払って、欄干に体を乗り出して吐いていたらどうだろう。やはり落ちないだろうか」 「落ちるかもしれないが、そう簡単には落ちないと思う」 「すると、落とされたことになる」 「いや、そこまでは請け合えない」 「どんな橋なの」 「コンクリートの、普通の橋だよ。名前はいいが、欄干だってどうってことはない。青いペンキ塗りの鉄管で、頑丈な感じというだけだな。もう十年以上行ってないが、水面まで相当あるから、川床が浮いてたとすれば、マンションの四階か五階あたりから落ちたようなもので、死んだこと自体は不思議じゃない。問題はなぜ落ちたか、なぜ面影橋へ行ったかだよ」  鯨井の疑問は急所に触れているようだった。砂木哲夫の住所は板橋なのだ。かなり離れている。  睦男は鯨井に夕刊を借りた。 「話がちがうけど——」  帰りかけた睦男に鯨井が言った。 「タキ江があんたに会いたがっていた。電話をしたら振られたと言ってたがね」 「今さら振るも振られるもないでしょう」 「わたしもそう言ってやったが、やはりよりを戻したがってるらしいから、気をつけたほうがいい。別れたことを後悔して、あんたに惚れ直した感じだった」 「ここに来たんですか」 「ちょうど正午頃じゃなかったかな。家へ訪ねたが留守なので、こっちに来てるかと思って来たみたいだった」 「一億円のことを話してやったの」 「ちょっとだけどね。いけなかったかな」 「いや、ぼくは平気ですよ。今度来たら、よりを戻す気はなさそうだと言っておいてください」  睦男はタキ江の気持を推察して苦笑した。  タキ江は鯨井の姪なのだ。言葉とは裏腹に、鯨井はタキ江と睦男のよりを戻させたいのかもしれなかった。さもなければタキ江のことなど話題にする必要がない。  しかし睦男自身も、昨日タキ江に会ってから、何となく妙な気持になっていた。今までは彼女の欠点ばかり拾っていたが、そう悪いところばかりではなく、料理はうまいし女らしいやさしさもあった。改心してわがままな点をあらためるとすれば、もう一度やり直せないこともないような気がした。睦男も自我が強くてゆずらないほうだし、離婚にいたったのは子供を勝手に堕ろしたせいばかりではなく、甘い言葉を口にできない睦男にも一半の責任があるかもしれなかった。  だが、浅香節の顔を思い出すと、タキ江の影はたちまち薄くなった。  睦男は帰宅して、道路地図を調べた。  面影橋は新宿区内で、神田川の右岸に沿って早稲田と三ノ輪橋間の都電が走り、橋の袂に「面影橋」という停留所があった。道路も並行していて、明治通りの近くだった。明治通りを左折すれば新宿、右折すれば池袋である。  睦男は地図を閉じた。砂木の死についてもっと詳しい様子を知りたいが、警察方面に知合いはなかった。一昨日会った池袋署の阿部巡査部長では知合いのうちに入らない。  ちょうどそう思っているところへ、阿部部長が電話をかけてきた。留守の間に何度も電話をしていたようだった。 「明日の午前中に来てもらえませんか」  部長の声はどことなく機嫌がわるかった。 「例の交通事故のことですか」  睦男は聞返した。 「うん、明後日《あさつて》が勾留満期なんですよ。加害者の野村は過失を認めているから、起訴されることは間違いない。事件そのものは単純すぎるくらいなんだ。しかしこの前も話したように、被害者の身元がはっきりしなくては恰好がつかない」 「恰好なんかどうでもいいんじゃないんですか」 「そうはいかない。捜査にもスタイルというものがある。けじめはきちんとしたい」 「しかし、それは警察の問題で、ぼくのせいじゃないでしょう」 「いや、あれからまた浅香節さんに会ったが、菊地一郎はあなたのお父さんに間違いないと言っていた」 「誤解ですね。ぼくもあれからいろいろな人に会いました。浅香節さんに借りた写真を持って、父の戦友を尋ねて歩いたんです。父が生還したという人はひとりもいなかった。やはり、父はボロホロ島で戦死したそうです」 「ところが生きていたんだからおもしろい」 「少しもおもしろくありません。父が血に染まって倒れていた姿を見た人もいます。息が絶えていたかどうかまでは確認する余裕がなかったそうですが」 「そこが問題じゃないか」 「いずれにしても、写真の菊地一郎はぼくの父ではないらしい。一億円は諦めました」 「そう筒単に諦めてもらっては困る。那須屋建築のおやじも困っている」 「ぼくは困りません。それより、昨日会ったばかりの父の戦友が死にました。夕刊にでています」 「夕刊に?」 「砂木哲夫さんといって、父と同じ中隊で分隊長だった人です。面影橋から落ちて死んだらしい」 「それが菊地一郎氏に関係あるというんですか」 「まったく無関係かもしれないし、大いに関係しているかもしれない」 「面影橋の辺というと目白署の管内かな」 「いえ、戸塚署です」 「詳しいね」 「新聞にでてました」  戸塚署で死因を調べているとでていたのだ。 「ちょっと待ってくれ」  部長は夕刊を見に行ったようだった。  しかしなかなか戻らないので、睦男は電話を切ってしまった。どうせ池袋署へ出頭する気はなかった。  部長と話している間に、新聞社に勤めている友人を思い出した。高校時代から親しかった青柳という友人で、現在はやや楽な係にいるらしいが、以前は警視庁の記者クラブに詰めていた男だった。警察に顔見知りが多いはずである。  睦男は早速ダイヤルをまわした。  青柳は社にいた。社にいなければ、大抵銀座うらの安いバーで飲んでいる男だった。  睦男は大体の事情を話し、砂木の死体が見つかったときの模様や、警察の動きなどを調べてくれと頼んだ。 「菊池はずっと家にいるのか」 「多分いないほうが多い。いないときは近所の喫茶店に連絡しておいてくれ」  睦男は鯨井の店の電話番号を教えた。  青柳は強い好奇心を示していた。彼の父も南方で戦死したのである。     19  睦男はすぐに家を出ると、祖母のトヨが入院している病院へ行った。毎日一度は見舞うことにしているが、砂木が死んだことは言わないつもりで、いつもと同じように寄ったふりをした。 「さっき、タキ江が見舞いにきてくれたよ」 「ふうん」  睦男は無関心を装ったが、タキ江は睦男の態度が冷たいので、トヨのほうから再婚を迫るつもりかもしれないと思った。鯨井に一億円のことを聞いた影響も考えられる。 「おかしな女だね、あれも。ふっつり音沙汰がなかったのに、あたしのことをクジさんに聞いて心配になったんだってさ。おまえのことも、ひとりで不自由してないかなんて言っていた。まだおまえが好きなのかね」 「どうかな」 「勝手に出て行ったんだから、うっかり気を許しちゃいけないよ」 「大丈夫さ。おれもそれほど甘くない」 「庭の手入れはちゃんとやってくれてるだろうね」 「うん。躑躅《つつじ》の花がきれいに咲いた」  たしかに躑躅の花はきれいに咲いたが、事故死した菊地一郎の話を聞いて以来、植木に水をやることを忘れていた。それより祖母に話さなければならないこと、聞きたいことが沢山ありながら、祖母の気持を察して言いそびれているほうに自責の思いがあった。 「黙ってるけど、戦友会の人たちに会ったんじゃないのかい」 「会った」 「無駄だったんだね。そうだろうと思っていたよ。だから昨日寄ってくれたときも、おまえは何も言わないで帰ってしまった」 「でも、みんな本当のことは知らないんだ。戦死にちがいないと言うだけで、死体を見た人はいなかった」 「写真はどうなの」 「やはり別人らしい。なぜ親父の名をつかっていたのかわからないが、親父と同じ小隊にいたという武藤さんも不思議がっていた」 「武藤さん?」 「芝浦の倉庫会社に勤めている。おばあちゃんが真夏の暑い日に訪ねてきたって、そのときのことを話してくれた」 「うん、憶えてるよ。右か左の腕を爆弾で取られたひとだろう。とても痩せたひとだった」 「今はすっかり太って、会社も大きくなり、専務取締役をしている。おばあちゃんによろしく言っていた」 「親切な人だったね。あたしは遺族年金なんかもらうつもりじゃないが、厚生省へ連れられていったことがあるよ」 「砂木という人も憶えてるかな。おばあちゃんの引出しに葉書があったんだ。板橋に住んでいる」 「ああ憶えてる。ちょっと垢《あか》抜けした感じのきれいなおかみさんがいた」 「それじゃ鶴川というひとは」 「鶴川さん?」 「やはり年金がもらえるようにというので、厚生省へ行ったりしてくれたらしい」 「小谷さんや、中隊長だった大河原さんなら憶えてるけどね」 「あのひとは亡くなった。佐世保のひとも、鹿児島のひとも亡くなっている」 「そんなに亡くなってるの」 「おばあちゃんが訪ねた頃から二十五、六年経ってるんだ。みんな戦地で無理をしたようだし、体が弱っていたのかもしれない」 「静岡のひとは元気なのかね、名前は忘れてしまったけど」 「まだ問い合わせないとわからないが、もうほかを聞いても無駄なような気がする。それより、鶴川さんというひとを思い出せないかな」 「——忘れたみたいだね」 「大隊長の高見さんには会わなかったの」 「うん、手紙だけだった。手紙があっただろう、クッキーの缶に」 「あった。戦友会の案内状は一通しかなかったけど、あとは全然こなかったのかい」 「こなかった。どうせ一郎はいないから、というつもりなんだろうね。遅れて帰ったかもしれないのに、それっきり連絡がなかった」 「彼らは親父が戦死したと信じているんだ」 「あたしは信じないよ」 「ぼくも信じないことにしているが、とにかく写真の菊地一郎は親父じゃなかった」 「きっと悪い奴だね、その男は」 「なぜ」 「きまってるじゃないか。まともな男なら、どうして一郎の名を使ったり、女のひとの名に変えたりしてたんだい」  トヨの言うことは、まさに正論だった。     20  睦男はラーメンで夕飯をすませた。  どうしても砂木の死が気になった。  車が混む時間なので、錦糸町まで歩き、国電と私鉄を乗継いで板橋へ行った。  小料理屋の店はもちろんしまって、忌中《きちゆう》の札がかかっていた。店の中は明りがついていたが、睦男は勝手口へまわった。  台所を手伝っているらしい中年の女がいたので、砂木の妻を呼んでもらった。  間もなくあらわれた彼女は、昨日会ったばかりの睦男を憶えていた。喪服姿にしては化粧が濃いと思ったが、泣いたせいか眼の縁が赤く腫《は》れていた。 「取り込み中なのに済みません。ちょっとお邪魔して構いませんか」 「病院から戻ったばかりで、まだごたごたしてるわ。明日にしてもらえないかしら。葬式は明日の十時、焼香していただくのはそのときで結構よ」 「見つかったときは亡くなってたんじゃないんですか」 「へんな死に方をしたから、病院で解剖《かいぼう》されちゃったのよ」 「解剖なんて、殺されたみたいですね」 「殺されるような甲斐性などなかったわ。警察が念のため解剖したいと言うから、どうぞと言ってやっただけよ」 「面影橋の辺に友だちがいたんですか」 「聞いたことないわ」 「それじゃ、なぜ面影橋へ行ったのだろう」 「知らないわよ、断りなしに行ったんですもの」 「ぼくがお会いしたときは元気だった」 「何かむしゃくしゃしてたことがあったのね。八時か九時頃いったん帰ったけど、誰かに殴られたらしくて唇の端を切っていた。それでむしゃくしゃして、酔っ払ってふらふら面影橋のほうへ行って川に落ちたんじゃないかしら。酒を飲んで出かけたのよ」 「しかし、ここから面影橋までかなり遠い」 「タクシーを拾えば遠くないわ。あのひとは、いつだって何処にいるのかわからないひとなのよ」 「殴った相手はわかってるんですか」 「それは、あたしよりパチンコ屋のマネージャーに聞いたほうがいいわね。昨日話したじゃないの。うちのお客さんでくるマネージャーよ」  睦男も砂木の妻も立ったままだった。  喋っている間に、彼女は何度も奥のほうから呼ばれていた。  睦男は部屋へ上らずに、辞去することにした。  昨日砂木に会ったパチンコ屋へ行った。  砂木が死んだことなど知らないように、相変わらず軍艦行進曲が威勢よく流れ、いっぱいの客だった。  睦男は電動式のハンドルで玉を弾いている客の背中の間を通り抜け、景品交換所の女子店員にマネージャーの所在を聞いた。  景品交換所のすぐうしろが事務所で、マネージャーは事務所にいるという返事だった。 「どうぞ、入って構わないわ」  店員は忙しそうで、案内まではしてくれなかった。  睦男はドアをあけた。  マネージャーは机に片肘をついて、劇画の週刊誌を読んでいた。四十五、六の、人のよさそうな小柄な男だった。狭い部屋の隅にレコード・プレイヤーがあり、たぶん回転中のレコードが軍艦行進曲で、彼はレコード係を兼ねているのかもしれなかった。睦男が自己紹介をして砂木の妻に会ってきたことを話すと、彼も閉店したら通夜にゆくつもりでいると言った。 「砂木さんはこちらの常連だったんですか」 「まあ常連というか、お得意さんでしたね。ここは十時半開店ですが、大抵五分もしないうちに来てましたよ。たまに見えない日があると、気になるくらいだった」 「プロだったわけですか」 「いや、プロじゃありません。わたしも長いことこんな商売をやっているんで、プロならひとめでわかります。眼つきがまず違っている。でも、砂木さんが下手とは言わないけど、パチンコを飯の種にできるというほどじゃなかった。特に昨日はツキがわるかったようで、打止めになった台を解放してあげたが、やはり駄目だったらしい。ちっとも入らないというので、文句を言われてしまった」 「文句といえば、店内放送のレコードに注文をつけてたそうですね」 「ええ、初めはそれで砂木さんを知ったんです。へんな人だと思いましたよ。流行歌なんか流してると、玉の出がわるいのは流行歌のせいだなんて言ってくる。パチンコは軍歌じゃなければいけないと言うんです。軍艦マーチに愛馬進軍歌、父よあなたは強かった、なんてのが好きみたいでしたね。わたしのほうはどうでもよかったが、まさかあの人が桃屋のご主人とは考えたこともなかった」  桃屋は砂木の妻がきりまわしている店の屋号だった。 「マネージャーはよく桃屋へ行ってたんですか」 「週に一度か二度、多くて三度ですね。去年の今ごろ引っ越してきて、それが桃屋の近くだった。すると、店の帰りに一杯やるのにちょうど手頃な店でね。うまい酒を飲ませるし、値段の安い割に気のきいた物をつくって、おかみさんもおもしろかった」 「どんなふうにおもしろかったんですか」 「そう聞かれても困るが、要するにサービスがよくて、客あしらいがうまいということじゃないかな。わたしなどは昼間の顔を知ってるから色気も何も感じないけど、夜になって化粧をすると、結構色っぽいという客がいた。冗談めかして口説いている客なんかもいましたよ」 「あるいは、深間になった客もいたかもしれませんね」 「そこまでは知りません。おかみさんの名は桃子というくらいで、名前からして色っぽい。若い頃は本当に色っぽかったんじゃないかと思いますよ。でも、いまは婆さんでしょう。五十六、七になるんじゃないかな。色気といってもたかが知れてるし、深間になるほどの客はちょっと思いつかない」 「しかし、砂木さんは甲斐性のない亭主だったらしい。店に顔を出されてもおかみさんは迷惑なようだった。とすれば、そんな亭主が不満で、ほかの男を好きになってもおかしくない」 「そう言われればそうかもしれないが、男がいるなんてことは聞いてません。あのおかみさん、意外と固い気がしますけどね」 「咋日の晩砂木さんは殴られて帰ったそうですが、喧嘩でもしたんですか」 「おかみさんが言いませんでしたか」 「あなたに聞くように言われた」 「例の篠塚を知ってるでしょう」 「いや、全然知らない」 「それじゃ喋りにくいな」 「でも、名前は聞いたことがある。初めて訪ねたとき砂木さんが留守で、おかみさんに篠塚の使いで来たんじゃないかと疑われた」 「その篠塚ですよ」 「その篠塚がどうしたんですか」 「つまりね、砂木さんは篠塚に借金してたってわけ」 「何の借金ですか」 「それも知らないの」 「知りません。ぼくは名前を聞いただけで、会ったこともない」 「べつに隠すようなことじゃないんです。もう警察は知っているし、篠塚も調べられたって聞きましたからね」 「だったら話してください。ぼくは何にも知らないんだ」 「どうしてそんなに知りたがるのかな」 「砂木さんはそいつのせいで死んだのかもしれない」 「そう言っちまっては篠塚が可哀そうだ。殴った篠塚もよくないが、借りた金を返さないほうもよくなかった。大分借金がかさんでいたらしい」 「篠塚は金貸しですか」 「ノミ屋ですよ。一杯やるほうの飲み屋ではなく、競馬のノミ屋。すぐそこの横丁を入った先にブルペンという小さな喫茶店がありますが、店は自分の女にやらせて、篠塚はノミ屋を専門にしていた。ノミ屋だからといって、やくざとは違う。もとは職業野球の選手で、とうとう二軍のまま引退したって聞いたけど、それでブルペンなんて名をつけたらしい。わたしもたまに利用してますが、まじめで良心的なノミ屋です。腰が低くて愛想がよくて、金の払いもきちんとしている。歳はわたしと同じくらいかな。それにしては店をやらしてる女が若すぎるが、それはまあどうでも構わない。とにかく、やたらに暴力をふるうような男じゃありません。その篠塚がこの店にきて、砂木さんを見つけてつれていった。そのときの様子がいつもと違っていた。砂木さんは逃げようとして、無理矢理つれていかれた感じだった。それでわたしも気になったから、しばらくブルペンの前を行ったりきたりしていた。そしたら、砂木さんが突き飛ばされるように出てきたんです。唇を切ったのか歯を折られたのか、唇の端から血を流して、殴られたみたいに腫れてましたね。口惜しそうな顔でしたよ。声をかけたけど、振りむきもしないで行ってしまった」 「パチンコをしに戻りましたか」 「いえ、わたしが砂木さんを見たのはそのときが最後です」 「砂木さんが帰ったあと、篠塚に会ってみましたか」 「いや、それほど暇じゃありません。店内の見まわりとか従業員の監督とか、レコードをかけたりアナウンスのテープをまわしたり、結構忙しいんです」 「砂木さんはいったん家へ帰り、酒を飲んでまた出かけたらしい。その行先が面影橋の辺ということになりますが、あの辺に友だちがいるということは聞いていませんか」 「聞いてません。そんな橋があることも知らなかった」 「篠塚はブルペンにいるだろうか」 「いるんじゃないかな。警察で相当絞られたようだから、おとなしくしてると思います。彼に会うんですか」 「会ってみたい」 「わたしに聞いたなんてことは内緒ですよ」 「言いません」  睦男は腰をあげた。  レコードは愛馬進軍歌に変わっていた。     21  車が一台しか通れない一方通行の狭い道を入ってゆくと、ブルペンはすぐ近くだった。ブラインドが下りているため内部《なか》が覗けなくて、ふりでは入りにくい店だった。ドアも自動ではない。  睦男は木製のドアを押した。  小さな店は薄暗く、客は中年の男同士が一組しかいなかった。カウンターにいる女が多分篠塚の愛人で、髪を染め、セクシーな感じの美人だった。睦男にはどうでもいいことだが、年齢はおそらく二十歳前である。  睦男は篠塚に会いたいと言った。 「二階にいるわ」 「呼んでくれないか」 「あなたは誰って言えばいいの」 「砂木さんの知合いと言ってもらえばいい。菊池というんです」 「砂木さんを知ってたの」 「少しだけどね」 「あのひと、死んだのよ」 「それで篠塚さんに聞きたいことがあるんだ。きみに聞いても同じだと思うが、砂木さんはこの店によくきてたんですか」 「そうね、よくきてたほうじゃないかしら」 「昨夜は篠塚さんに殴られたらしいが、そのときの様子を話してくれないか」 「そういうことは篠ちゃんに聞いてもらうわ。あたしは見てただけですもの」  女はプッシュ式のホームテレホンで篠塚を呼んだ。爪を長く伸ばして、金色のマニキュアをした指にダイヤの指輪をはめていた。ただし本物のダイヤかどうかわからない。離れて見たときほど美人ではなく、頽《くず》れた感じで、顔色もよくなかった。  間もなく、トイレのほうの通路から篠塚があらわれた。髪を短く刈上げたやくざっぽい男を想像していたが、パーマをかけたような長い髪で、顎ひげを生やしていた。野球の選手をしていたというだけあって、上背も肩幅も睦男より一まわり大きかった。平べったい顔も普通より大きいが、細い目は柔和な感じだった。  初め、彼はカウンターの隅で女とひそひそ話していた。時折ちらっと睦男のほうを見るが、ほとんど表情が動かなかった。 「警察の方ですか」  彼は睦男の脇にきて言った。 「いえ——」  睦男はパチンコ屋のマネージャーに聞いたことを、警察で聞いてきたように摩替《すりか》えて言った。 「それじゃほかに話すことがありませんけどね。わたしが死なせたような言い方をされて、ひどい迷惑だった」 「しかし、砂木さんを殴ったのは確かでしょう」 「ほんのちょいとですよ。あんなのは殴ったうちに入らない。鼻血が出やすいとか、化膿しやすいとか、そういう体質の人がいるじゃないの。桃屋のおっさんはそれと同じだったんだ。わたしは暴力が嫌いだし、そんなに強く殴ったわけじゃない。平手で二、三回叩いたら鼻血が出たようなので、おしぼりで鼻のまわりを拭いてやって帰したんです。ハルミに聞いてもらってもわかる」  カウンターにいる女がハルミだった。  砂木哲夫は「桃屋のおっさん」と呼ばれていたらしい。 「暴力は嫌いだというあなたが、どうして殴ったんですか」 「厭になるな、まったく。また同じことを喋れっていうの」 「警察は詳しく教えてくれなかった」 「でも、なぜあんたまで知りたがるのかな」 「少し考えたことがある」 「わたしが死なせたなんて思ってるんじゃないでしょうね」 「聞いてみないとわからない。ぼくは週刊誌のライターをしている」  睦男は嘘をついた。  篠塚の態度が怖気《おじけ》づいたように変わった。 「それじゃ喋りますよ。記事になるような話じゃないと思うが、いい加減なことを書かれたら迷惑する。酔っ払って川へ落ちただけなんだからね。べつの日に落ちれば何てことないのに、とんだ飛ばっちりです。わたしの名や店の名は書かないでくれますか」 「必要がなければ書きません」 「必要などあるわけがない」 「あなたはノミ屋をやっていて、砂木さんにいくらくらい貸してたんですか」 「ノミ屋なんて、それが第一に誤解だというんです。こういう商売をやっていると、お客さんにいろいろなことを頼まれる。要するに便利屋ですが、わたし自身が競馬好きで馬券を買いに行く。そのとき、馴染みのお客さんからついでに馬券を買ってきてくれと頼まれたら、厭だとは言えません。引受けるのが当たり前で、たまにはお客さんのふところの都合で馬券を買う金を立替えることもあります。それをノミ屋みたいに言われたんじゃかないませんよ。桃屋のおっさん、砂木さんの場合はその立替えが多くなっていたことは確かです。一攫千金《いつかくせんきん》の穴ばかり狙うからいつも損をしていた。とめたって聞かないんだから仕方がない。でも、以前は損をしても必ずおかみさんが払ってくれるので、わたしも安心して立替えてたんです。ところがこの頃はおかみさんが渋くなって、三十万くらい貸しがたまってました」 「多いですね」 「警察でもそう言われたけど、おかみさんを当てにしたのがわたしの間違いだった。そんな借金があるくせに、砂木さんのほうは平気な顔です。パチンコはやっているし、自分の店では飲まないが、よそで飲んでいることもわかっていた。それでもわたしは我慢してたんです。催促はしますが、手を出すような真似はしません。しかしハルミは女房ですよ」 「そちらにいらっしゃる方ですか」 「そうです。世間ではどう見ているか知らないが、籍が入っていないだけで、れっきとした妻です。そのハルミにむかってですね、わたしのような男とは別れたほうがいいと言ったらしい」 「ほんとですか」  睦男はハルミにきいた。  ハルミは篠塚と睦男の会話を黙って聞いていたが、無言のまま頷《うなず》いた。 「かりに冗談半分としても、余計なお節介じゃないの。立場を逆にして、わたしが桃屋のおかみさんに同じことを言ったら、彼だって憤慨するにちがいない。そう思いませんか」 「先をつづけてください」 「それでパチンコ屋にいる彼を見つけたから、ハルミの前で事実を確かめさせ、頬っぺたを二、三回叩いたというわけです」 「彼は謝りましたか」 「いや、謝りません。素直に謝れば許してやるつもりだった。でも、仏頂《ぶつちよう》づらで横を向いたきり、ウンともスーとも言わなかった。あとで聞いたら、酔ったふりをしてハルミを口説こうとしたこともあったらしい。ハルミに気があったから余計なお節介をやいたんですよ。いわば、おためごかしというやつで、もちろんハルミは相手にしなかった」 「この店を出てからのことは知らなかったんですか」 「全然知らなかった。ほとんど忘れていたくらいだった。もし疑うなら、ちゃんとしたアリバイがある。昨日はとなりの雀荘で徹夜ですよ。いっしょに雀卓を囲んでいた仲間が三人いるし、麻雀屋のおやじも知っている。麻雀が終わったのは今朝の七時過ぎだった。ゴルフの約束があったけど、眠くてすっぽかしてしまった」 「なぜ面影橋のほうへいったのかわかりませんか」 「わかりませんね。砂木さんはうちのお客というだけで、わるい人だったとは思わないが、桃屋のおやじさんで酒と競馬とパチンコが好きだということしか知らなかった」 「いまの話じゃ記事にならないな」 「そうでしょう。週刊誌のネタなんかになるわけがない。とにかくわたしは喫茶店の経営者で、ノミ屋じゃありませんからね」  篠塚は念を押すように言うと、ほっとした様子でコーヒーをすすめた。  睦男は断って外へ出た。     22  睦男は新聞社の青柳に電話をしたが、出かけているという返事だった。  つづいて、一〇四番で戸塚署の電話番号を調べてもらってダイヤルをまわした。砂木が墜死した事件の担当部署は知らないが、青柳の同僚のふりをして、青柳が取材に行っているはずだと言って電話交換手に連絡をたのんだ。  睦男の予測通り、交換手は青柳を見つけてくれた。 「こっちにまで電話を寄越すなんて、ばかに熱心じゃないか。何か嗅ぎつけたのか」  青柳はからかうように言った。 「そういうわけじゃない。気になることがあると仕事が手につかないんだ」 「だったら安心するんだな。ただの過失死らしい」 「しかし、解剖されたって聞いたぜ。どういうわけだ。おかしな点があったからじゃないのか」 「今どこにいるんだい」 「板橋だ。死んだ男の女房に会った」 「それじゃ会おうか。おれも少し気になることがある。面影橋で落合おうか。国電なら高田馬場で下りると、早稲田大学のほうへ歩いて十分くらいだろう。おれは近くだから、たぶん先に行っている」 「わかった」  睦男は電話を切った。気になっていたことはパチンコ屋のマネージャーや篠塚の話を聞いて大方消えたはずだが、まだすっきりしないものが残っていた。  面影橋まで、道順はわかりやすかった。  睦男が着くと、青柳は欄干から下を覗いていた。睦男も覗いてみたが、暗いので、水の流れと船着き場のように張出しているコンクリート敷きの台が見える程度だった。  車は川沿いの狭い道を通っているが、ほとんど人の往来はない。 「寂しい所だな」  青柳は呟くように見回して言った。  橋の長さは睦男の足で三十歩くらいだった。下流に神田川整備工事現場の裸電球が灯《とも》り、同じく下流側の左岸に電気会社の明りがついていた。しかし砂木が死んでいたのは上流側の船着き場のような台の上で、マンションや民家が背中を向け合って淡い明りを川面に映していたが、死体が見つかった右岸沿いの一部は空地になっており、駐車場代わりのように数台の乗用車がとまっていた。 「やはり過失死かな。警察はそう見ている。だから捜査本部も設けていない」  青柳は煙草に火をつけて言った。 「解剖のことを教えてくれ。なぜ解剖なんかしたんだ」  睦男も煙草に火をつけた。 「それほど大した意味があるわけじゃない。普通、自殺や過失死などの変死体は東京都の監察医務院で解剖する。いわゆる行政解剖というやつだ。遺族がわかっていれば遺族の了解をとってやる。いちおう死因を確かめるためだな。麻雀の最中に急死したとか、腹上死なんてのもこれらのうちに入るから気をつけたほうがいい。しかし他殺の疑いがあれば司法解剖で、裁判所から令状をとって東大か慶応の法医学教室で解剖する。戸塚署の管内なら慶応だが、遺族の了解なしでもやれる」 「すると、他殺の疑いがあったのか」 「まあね。捜査の連中は何でも疑いたがるんだ。お互いに商売商売で、おれたちがつまらない事件を追っかけて記事にしたがるようなものだが、初めは酔っ払い同士の喧嘩で川へ投げ込まれたんじゃないかと疑ったらしい。事実、解剖の結果かなり酒を飲んでいたことがわかった。欄干に寄りかかって吐いているうちに誤って落ちたのではないかという見方もあったが、吐いたような形跡は全然なかった。船着き場のコンクリートに叩きつけられて、頭蓋骨が割れ、首の骨も折れていた。ほとんど即死だろうな」 「ますます怪しいじゃないか」 「ところがだよ。砂木が酔っている姿を見たという目撃者がいた。欄干に跨《またが》って、怒鳴るような大声で軍歌を歌ってたというんだ。それが深夜の一時過ぎで、そいつがサングラスをかけていた点も砂木に合っているし、軍歌をがなっている声を聞いた者は目撃者以外に何人もいる」 「目撃者はこの辺のひとか」 「うん、いま会ってきたところさ。書道の塾をやっている元気な老人だが、昨夜は親戚の法事へ呼ばれて遅くなり、駒込から終電に乗って帰ったそうだ。警察の調べによると、山手線内回りの終電は零時五十五分に高田馬場着で、つまり目撃者の老人が砂木と思われる男を見たのは午前一時過ぎ頃ということになる。男は露営の歌とか戦友とか、さかんに歌いまくっていたらしい」 「露営の歌って、どんな歌だっけ」 「勝ってくるぞと勇ましく、ってやつじゃないかな、よく知らないが」 「目撃者は、砂木が落ちるところは見ていないんだな」 「もちろん見ていない。見ていればその場で通報するさ。朝になって見つけたのは近所の小学生だ」 「目撃者は砂木のそばを素通りしただけか」 「危いから注意しようかと思ったそうだが、夜遅いし、へんな酔っ払いにからまれたら面倒だと思って声をかけなかったと言っていた。しかし、男の歌はそれから間もなくやんだらしい」 「それから間もなく落ちたわけか」 「大部分の刑事はそう考えている」 「そう考えない刑事もいるのか」 「いる。矢串という若い刑事だが、その前に、そっちの話も聞かせろよ。さっきからおればかり喋っている」 「こっちは大した話がない。篠塚という男、当人はノミ屋じゃなくて喫茶店の経営者だと言ってるが、そいつに借金や女のことで殴られ、酒を飲んで出たのが昨夜八時か九時頃だった……」  睦男は成りゆきを説明した。 「砂木氏が篠塚の女に別れたほうがいいと言ったとか、口説いたとかいうのは当てにならない。しかし、篠塚に殴られて家へ帰り、酒を飲んでまた出かけたことまでは間違いないと思う」 「夫婦仲はよかったのか」 「いいも悪いもなかったんじゃないかな。長年つれ添った夫婦で、娘は結婚して、孫が三人もいるんだ」 「砂木は二千万円の生命保険に入っていた。受取人は女房になっている」 「今どき二千万くらい珍しくないだろう」 「珍しくないが、おれなんかゼロだ」 「おれだってゼロさ。保険金目当てに殺したとでも言うのか」 「いや、事実を言っただけだ」 「矢串という刑事の話を聞かせてくれ。何を疑っているんだ」 「問題は二つある。砂木が酔って家を出たのが九時頃として、それから面影橋にあらわれるまでの約四時間、いったい何処にいたのかわかっていない」 「板橋なら池袋が近い。池袋あたりで飲んでたんじゃないのか」 「池袋のどこだ」 「おれは知らないよ」 「知らないで済む問題じゃないぜ。つぎに、なぜ面影橋へ行ったかという理由もわかっていない。しかも夜なかの一時頃だ。この辺に親戚はないし、友だちがいるわけでもない」 「同感だな。おれもそれが不思議だった。ここにきてあらためて考えたが、なぜこんな所で軍歌なんか歌ってたんだ」 「つまり疑問がいっぱいさ。暗いのにサングラスをかけていたのもおかしい」 「しかし、彼はいつもサングラスをかけていたらしい。おれが会ったときも夜だったが、やはりサングラスをかけていた。パチンコ屋でも、薄暗い喫茶店でもサングラスをかけていた」 「だが、そのせいで法事帰りの老人は欄干に跨っていた男の顔を憶えていない」 「体が大きいとか小さいとか、それくらいはわかったろう」 「普通だと言っていた」 「全然特徴がないのか」 「ないらしかった。若くはなさそうだったというが、軍歌といえば、大抵五十歳過ぎの男を連想してしまう。案外若い男だったかもしれない。若くても軍歌に詳しいのがいる」 「若い男で怪しいような人物がいるのか」 「いれば面白くなってくる」 「パチンコ屋のマネージャーは四十五、六、篠塚も同じくらいだった」 「———」  青柳は答えないで、面影橋の停留所を発車した早稲田行きの黄色い都電を見送っていた。     23  睦男は久しぶりに会ったのだから飲もうと言ったが、青柳は矢串刑事に戻る約束をしてきたというので、戸塚署の前で彼に別れ、地下鉄の高田馬場駅へ歩いた。  電車を待つ間に時刻表を眺めると、中野行きの終電が零時二十四分、反対方向の東陽町行き終電が零時七分だった。本所吾妻橋へ戻るには、日本橋か茅場町と上野で乗換えねばならない。  睦男はまっすぐ帰宅し、ひとりで酒を飲んだ。そして、いくら飲んでも酔わないと思っているうちに、急に眠気がさして眠ってしまった。  翌る日眼を覚ますと、九時近かった。  砂木の葬式は十時と聞いていた。あまり気がすすまなかったが、たとえ一度でも会って父の話をしてもらった男の葬式である。妻の桃子には二度も会っているし、参列しなければ悪い気がした。  滅多に着ないスーツを着て、ワイシャツに黒いネクタイを締め、喪章と香典も用意して家を出た。コーヒーだけでも飲みたかったが、時間がないので、鯨井の店へは帰りに寄ることにした。  電車のなかでは、昨日青柳と話したことが頭の中心で回転していた。  砂木は深夜の一時頃までどこにいたのか。  なぜ夜遅く面影橋へ行ったのか。  回転の速度は早くなるばかりだった。  砂木の家に着くと、店の一部を祭壇に仕切って、焼香の列が終わりに近づいていた。警察に疑われるような死に方をしたせいか、供花や花輪の数は少なく、参列者も少なかった。  睦男は喪服姿の桃子に目礼して焼香をすませると、出棺《しゆつかん》を見送る人たちに加わった。パチンコ屋のマネージャーや篠塚の姿も見えた。戸塚署の矢串刑事も来ているのではないかと思ったが、顔を知らないので見分けようがなかった。青柳は来ていないようだった。  その代わり、人びとのうしろのほうにいた井山富造に気がついた。高見大隊長の当番兵だった男である。黒のダブル・スーツを着て、沈痛な面持だった。 「先日は失礼しました」  睦男は彼のとなりへまわって挨拶をした。 「いえ、わたしこそ失礼を——」  井山は睦男に会ったのが意外なようで、口ごもるように言った。 「あれから高見さんをお訪ねしました」 「そうですってね。高見さんから電話で聞きました」 「そのあと砂木さんにも会ったんです。まさかこんなことになるなんて、新聞で知ってびっくりしました」 「やはり酒がいけなかったんでしょう。あのひとは酔うと自分がわからなくなってしまう。酒さえ飲まなければいい人だったが、結局は酒で命を取られてしまった。数少ない戦友がまた一人減って、残念というか気の毒というか、たまらない気持です」 「高見さんはお見えになっていませんか」 「どうしても来られない用事があるそうで、代わりにわたしが焼香してくるように言われました。わたしは言われなくても来るつもりでしたが、さっきまで武藤さんも見えていました。やはり仕事の都合があるらしくて、帰ったばかりです」 「ほかに、戦友会の方はどなたかいらっしゃっていませんか」 「いないようです。小谷さんは今日は都合がわるいので、昨日のお通夜に顔を出したそうです。彼に電話で聞きましたが、戦友がいなくて寂しい通夜だったと言ってました。長いこと戦友会に来ていないし、つき合っていた戦友もいなかったんじゃないかと思います」 「井山さんもつき合いがなかったんですか」 「しばらく会いませんでしたね。小谷さんはタクシーの仕事がいっしょだったりして、ひところは始終会っていたそうですけど、この頃はほとんど会わないと言ってました。わたしも、砂木が戦友会に出ていた頃は割合気が合って、この店にも何度か来たことがあります。おかみさんが愛想よくて繁昌していたし、砂木はみんなに羨ましがられていたくらいだった」 「戦友会に出席しなくなった理由は砂木さん自身に聞きましたが、みんなが歌っているのに自分だけ歌わないでいた砂木さんが、なぜ川へ落ちた夜はひとりで歌っていたのでしょう」 「そこが彼の性格の難しい点です。いまも前のほうで誰かが話してましたが、彼は軍歌が好きだったんですよ。誰よりもいちばん好きだったかもしれない。でも、どういうわけかひねくれてしまった。みんなが仲間外れにしたわけではなく、彼のほうから外れていったんです。だから死んだ夜に限らず、いつもひとりで歌ってたんじゃないかな。そう思いますね。小谷さんも同じ意見だった」 「砂木さんに聞いたことですが、鶴川さんというひとを憶えていませんか。名字だけで何中隊かもわかっていない。しかし遺族年金をもらえるようにというので、砂木さんと厚生省へ行ってくれたことがあるらしいんです」 「武藤さんに聞いてみましたか」 「憶えていなかった」 「戦友会の世話役をしている彼に憶えがないなら、二大隊の者じゃありませんね。わたしも憶えがないな。ほかの部隊の者でも、以前はよくいましたよ、そういう世話好きなひとが。そのひとがどうかしたんですか」 「いえ、井山さんにも見ていただいた写真の人物を、鶴川というひとが知っているかもしれないと砂木さんが言ったんです。砂木さんは同じ部隊だと言ってました」 「どうかな、それは」  井山は首をかしげた。  砂木の記憶ちがいかもしれなかった。  僧侶の読経《どきよう》が終わり、焼香の列も絶えたが、出棺はまだのようだった。肝心の霊柩車《れいきゆうしや》が到着していないらしいのだ。 「弱ったな。出棺までいるつもりだったが、もう会社へ戻らなければならない」  井山は腕時計をみて呟いた。  ほかの参列者たちも時間を気にしているようで、篠塚は神妙な顔つきで残っていたが、パチンコ屋のマネージャーは帰ってしまった。 「それじゃお先に——」  やがて井山も帰ってしまった。  これで砂木の戦友は一人もいなくなったことになる。  空は晴れていたが、風が強かった。  その風の音を聞きながら、睦男は、ぼんやりとパチンコ台にむかっていた砂木の顔を思い出していた。     24  睦男は砂木の出棺を見送ってから、帰りに鯨井の店へ寄った。池袋署の阿部部長が待っているだろうと思ったが、どうせ押し問答で埒があくはずがないので、最初から部長のほうはすっぽかすつもりでいた。 「珍しい恰好をしてきたね」  鯨井は、睦男を見るなり不審そうに言った。 「葬式ですよ」  睦男はカウンターにむかって腰をかけ、黒いネクタイを解いた。 「誰が亡くなったの」 「昨日話してたでしょう、砂木という親父の戦友が死んだって」 「あんたも義理堅いな」 「義理だけでもないんだ。問題はなぜ落ちたか、なぜ面影橋へ行ったかだと言ったのはクジさんだった。それで面影橋へは、ぼくも昨日のうちに行ってきた」 「何かわかったの」 「わからない」 「わからなけりゃ仕様がない」 「腹ペコなんだ。いつもの通り頼みます」  いつもの通りといえば、トーストにハム・エッグとコーヒーだった。トーストにハム・エッグなどはどこの店でも大して変わらない。とうに飽きていい頃だが、ほかに食べたい物はないし、コーヒーは鯨井のつくる酸味のきいた味が口に合っていた。 「結局どうなんだろうな。やっぱり、親父さんのことはわからないままで終わってしまうのかい」 「いや、砂木哲夫が死んだので様子が変わってきた。彼は誤って川へ落ちたのではなく、突き落とされたのかもしれない」 「おだやかじゃないな。そんなこと言っていいの」 「ここなら何を言っても構わないでしょう」 「そりゃあ構わないけどさ」 「なぜ彼が面影橋へ行ったのか、どうしても気になるんだ。つまらないことで競馬のノミ屋に殴られ、多分むしゃくしゃして自棄《やけ》酒を飲んだことはわかった。しかし九時頃家を出てから面影橋にあらわれるまでの約四時間、どこで何をしていたのか全然わからない。面影橋の付近には親戚や友だちもいなかったらしいんだ。目撃者によると、彼は橋の欄干に跨って、がなるように軍歌を歌いまくっていた。しかし軍歌を歌いたいだけなら、夜遅く、あんな寂しい所へ行く必要はない」 「行ったっていいじゃないか」 「もちろん何処へ行ってもいいが、橋の上じゃなければ川へ落ちることはできない」 「すると、川へ落ちるために面影橋へ行ったなら、自殺じゃないか」 「いや、本人は落ちるなんて考えていなかったと思う」 「それじゃ突き落とされたことになる」 「そう考えるのは無理かな。たとえば誰かに呼び出されたか、待ち合わせの約束をして面影橋へ行ったのかもしれない」 「その相手は誰なんだい」 「わからない」 「あんたの話は肝心なところへくるとわからなくなってしまう」 「しかし、親父の名をつかっていた男に関係しているような気がするんだ」 「なぜ」 「わからない」 「また、わからないか」 「そう言わないで、いっしょに考えてくれないか。場合によっては一億円入ってくる」 「その金は諦めたんじゃなかったの」 「諦めたつもりだけど、ことによったらという未練は残っている。なにしろ一億円だからね。一万円じゃない。一万円札が一万枚だ」 「一万円が一万枚か——」  鯨井は溜息をつくように言った。  まずトーストができて、コーヒーもできた。 「写真を見た人たちの反応からいえば、親父だという見込みは薄い。大隊長の当番兵だった井山という人は、別人じゃないかと言った。しかし、ぼくに返事をうながされて答えたので、写真を見たときは、それまで熱っぽく喋っていたのに、急に黙ってしまった。大隊長の高見氏は憶えがないと断言したが、どうも釈然としない感じだった。砂木哲夫さんも憶えていないと言ったが、じっと写真を見つめたきりで、返事が返ってくるまでにかなり時間がかかった。それから戦友会の世話役をしている武藤氏、彼は父と同じ小隊にいたので、いちばん父の身近にいたひとでしょう。血に染まって倒れている父を見たというのも武藤氏だが、写真の男は父じゃないとはっきり言った。父と斬込みにいったという本間氏も否定的だった。これだけ次つぎに否定されたら、ぼくも別人と思わざるを得ない」 「それじゃ久里浜病院の診断書はどういうことなのかな。いっこうに謎が解けないじゃないか。生年月日がまるっきり同じで、名字や番地のわずかな違いは書類上のミスと考えておかしくない。身長も合っているようだし、結核の既往症も合っている。ボロホロ島にいたことまでぴったりだ。三十何年も経てば人相なんか随分変わるだろうし、食物の好き嫌いだって変わる。本妻が博多にいるなんてのは嘘っぱちで、偶然の一致にしてはあまりに合っていることが多過ぎる。不自然だよ」 「いや、不自然じゃない。偶然の一致と考えれば不自然だが、わざと一致させたと考えれば合っているのが当たり前なんだ。もし父が生還していたら家に帰らないわけがない。ぼくはおばあちゃんの言うほうを信じる。おそらく、父の名を騙《かた》り、ついで浅香節という名の人物になりすましていた男は、万一のときのために財産を本物の浅香節名義にしておいたが、その万一が交通事故という形でこんなに早く来ると思っていなかった。それに、浅香節になりきって二十年以上も経っていたので、久里浜病院の診断書が机の引出しの奥にしまったままになっていることも忘れていたんだ」 「すると、そいつはいったい誰なんだ」 「父と同じ部隊にいた男ですね。あるいはそいつが鶴川かもしれない。鶴川の名を口にしたのは砂木哲夫だけで、ほかの連中は知らないと言ったが、砂木氏が知っているのに、ほかの連中が知らないのはおかしい。記憶力のいいおばあちゃんが憶えていないのもおかしい。とくに武藤氏は戦友会の世話役なんだ。鶴川の名が戦友会の名簿にないとすれば、たぶん父と同様で、戦死したことになっているせいだと思う」 「なるほど——」  鯨井は焦げついたハム・エッグを皿へうつした。  二組いた客が帰ってしまうと、ウェイトレスは退屈そうに週刊誌をめくっていた。おかみは出かけたのか、二階はしんとしている。 「勝手な解釈かもしれないが、そう考えてゆくと、写真の菊地一郎が幽霊だと言っていた意味がわかってきませんか」 「戦死したはずの男が実は生きていて、今度あらためて死んだというのか」 「そうです。彼が戸籍上死んだ人間で、墓も建っていると言ってたのは嘘じゃない気がしてきた。おれが死んだら幽霊が消えたと思ってくれなんて冗談を言ってたそうだけど、冗談じゃなかったんだ」 「しかし、彼が鶴川だという証拠もないんじゃないの」 「ない。これから探してみますよ。ちょっと電話を借ります」  睦男は手帳にメモしておいた池袋署のダイヤルをまわした。交通課の阿部部長が待ちくたびれているはずだった。  果たして、部長の声はかなり機嫌がわるかった。 「午前中と言ったのに、もう十二時過ぎている。昨日の電話も無断で切ってしまったし、あとでいくら掛けても留守だった。留守のほうは構わないが、約束は守ってくれないと困る」 「お話は伺いました。でも、約束はしていません。夕刊をとりに行ったきりなかなか戻らないので、だから電話を切ったんです。ぼくは急ぎの用があった。夕刊にでていた男の家へ行ってきました」 「あんなつまらない事件になぜ興味を持つのかな。一応戸塚署へ聞いてみたが、ただの事故死じゃないか」 「ぼくにはそう思えなかった」 「どう思ったんですか」 「お目にかかって話します」 「この電話でも話は聞ける」 「いえ、ぼくがそちらに行くまでに調べておいてもらいたいことがあります。交通事故で死んだ菊地一郎のことで、阿部さんは前に厚生省へ行ったでしょう。そのとき、戦死者や病死者などの一覧表みたいなものができていると言った。それをもう一度調べてくれませんか。名字しかわかっていないが、鶴川という名が名簿に載っているかどうか知りたいんです」 「なぜ」 「浅香節こと菊地一郎の正体がわかるかもしれない」 「もっと詳しく言ってくれ」 「詳しいことは、名簿を調べてもらわないとわからないんです」 「待たせた上に、昼飯抜きで仕事をしろというのか」 「これくらいのことは、電話で問い合わせても簡単にわかると思う」 「簡単だなんて、あんたもいい加減勝手だな。だったら自分で問い合わせればいい」 「ぼくじゃ答えてくれないでしょう。阿部さんなら警察官だし、前に行っているから顔も知られている」 「とにかく、こっちに来てくれるんだね」 「行きます」 「今度は約束だぜ」 「約束します」 「それじゃ調べておく」  部長は荒っぽく電話を切った。  睦男はつづけて浅香節に電話をかけようとした。  そこヘタキ江が入ってきた。 「あら——、やっぱりここにいたわね。家へ行ったら留守なので、きっとここに違いないと思ったのよ。勘が当たったわ」  タキ江は興奮気味な顔色で、張り切っているようだった。そして、睦男のとなりに腰をかけた。 「おれを探してたのか」  睦男はいい予感がしなかった。 「ええ、もしいなかったら、何時間でも待つつもりだったわ」 「おそろしいことを言わないでくれよ。おまえに構ってる場合じゃないんだ」 「知ってるわ。一億円のことでしょう」 「残念ながら、あれは期待外れだった。見込みはほとんどゼロに近い」  睦男はあらましを説明してやった。  しかし、タキ江はびくともしなかった。 「なぜそんなふうに諦めてしまうの。一億円よ。たいへんなお金じゃないの。あたしなんか一生働いても縁がないわ」 「たしかにたいへんな金だが、駄目なものは仕方がない。縁というなら、初めから縁がなかったんだ」 「諦めがよすぎるわね。睦男のわるい癖だわ。あたしは叔父に話を聞いて、それから保険会社にいる友だちや区役所にいる友だちなどにいろいろ聞いてまわった。そしたら、交通事故で亡くなったひとが睦男のお父さんなら問題なく一億円もらえるという返事だったわ。相続税を大分取られるらしいけど、とにかく睦男が亡くなったひとの子だと言いさえすればいいのよ」 「嘘をつくわけにいかない」 「違うかもしれないけど、本当かもしれないほうが大事だわ。迷惑をかけるひとがいるわけじゃないし、頑張るべきよ」 「それで激励にきてくれたってわけか」 「黙っていられないわ。あたしで役に立つことがあれば、どんなことでもするつもりよ」 「無駄だね。せっかくだが、おれには詐欺師の才能がない」 「詐欺なんて言ってないわ。本当に亡くなったひとの子かもしれないというほうに全力をつくしてもらいたいのよ。誤解されると厭だから断っておくけど、また睦男のおくさんにしてもらうなんて考えて言ってるんじゃない。そんなこと別問題ね。迷惑をかけたから、お返しをしたいのよ。とても純粋な気持、それだけはわかってもらいたいわ」 「しかし、おまえの気持がいくら純粋でも駄目なものは駄目さ。まあ諦めだな」 「あたしなら諦めないわ」 「おれも未練は残っている。それにクジさんと話していたところだが、親父の戦友だった男が面影橋から落ちて死んだ。そんなこともあって、一億円は諦めたとしても、このまま引っ込めなくなっている」 「きなくさいわね。橋というのは渡るものよ。人間が落ちるために作ったんじゃないわ。どうして落ちたの」  タキ江は砂木の死を知らなかった。 「たいした理由はない。酔っ払ってたんだ」  睦男に代わって、鯨井が説明した。 「ますます、きなくさいわね。面影橋といったら、戸塚のオバサンがいた近くだわ」 「そういえば、戸塚のオバサンの具合がわるいらしい。聞いてないか」 「聞かないわ。戸塚のオバサンには母の葬式のとき会ったのが最後じゃないかしら。ずいぶん会ってないわね。具合がわるいって、どこがわるいの」 「脳出血だというんだが、見舞いに行こうかどうしようか迷っている」 「ちょっと——」  睦男は口を挟んだ。戸塚という言葉が聞き捨てにできなかった。 「戸塚に親戚がいたんですか」  睦男は鯨井にきいた。 「昨日話さなかったかな、面影橋の近くに親戚がいたって。あんまり親戚づき合いをしていないが、わたしの腹ちがいの妹が戸塚にいたんですよ」 「戸塚のどの辺ですか」 「だから面影橋の近く、町名が変わって現在は西早稲田かな。とうに南長崎へ引っ越したけど、タキ江は小さい頃から戸塚の叔母さんと呼んでいたので、南長崎の叔母さんなんていうより、戸塚の叔母さんのほうが言いやすいらしくて、むかしの呼び名をつかっているんです。どういうわけか知らないが、この頃は気が狂ったんじゃないかと思うくらい町の名を変えている。南長崎だって以前は椎名町でしょう。タキ江じゃなくても、ばかな役所仕事にいちいち付き合っちゃいられませんよ。戸塚がどうかしたんですか」 「いや、また電話を借ります」  睦男は浅香節の家ヘダイヤルをまわした。     25  睦男は「もっと話したいことがある」というタキ江を振り切るようにして、いったん帰宅し、東京の古い区分地図を探し出した。  それから車で広尾へむかった。  ガレージがあいて、慶子がTシャツの腕をまくって車を磨いていた。 「やっぱり会えたわね」  慶子は笑顔で、なつかしそうに言った。 「お母さんはいらっしゃいますか」 「あら、母に会いにきたの」 「さっき電話をしておいた。きみに用じゃない」 「冷たいのね。あたし、だんだんあなたがお兄さんのような気がしてきたわ」 「ぼくはそういう気がしない」 「そのうち兄妹みたいな気がしてくるわよ。そうなったら嬉しいわ」 「ぼくも嬉しいが、無理だね」 「なぜなの。母は、あなたが父の子に間違いないと言ってるわ」 「思い違いだな、とにかくお目にかかって説明すればわかる」 「あたしも聞いていていいかしら。その代わり、邪魔しないように黙ってるわ」 「お母さんがいいとおっしゃれば、ぼくは構わない」 「母は大丈夫、あたしたちは決して隠し事をしない約束ですもの」 「しかし、おとなの話なんだ」 「失礼ね。あたしだっておとなよ」  慶子は気分を害したようではなく、先に立って、門の脇の潜り戸をあけた。  浅香節はこの前より親しみのある態度で睦男を迎えた。ほとんど無地に近い黒っぽいきものを着ていたが、銹朱《さびしゆ》の帯が品のいい色気と落着きを感じさせた。しかし浅香節だから似合うので、ほかの女が同じきもので同じ帯をしめてもそうはいかない。慶子のほうが若くていきいきとしているが、それに美人であることも確かだが、魅力は母親にかなわない。もちろんタキ江など比較外だ。  睦男はそう思いながら腰を下ろした。 「写真をお返しするはずでしたが、もう少し貸しておいていただけますか」 「それは構いませんけど、お父さまのこと、何かわかったのでしょうか」 「ようやく分かりかけてきたところです。ご主人は、やはりぼくの父じゃないらしい」 「なぜかしら」 「父の戦友たちに写真を見てもらったら、みんな別のひとじゃないかと言ってました。祖母も、もし父が生還していたら、家へ帰らないはずがないと言っています」 「そうしますと、主人はいったい誰なのでしょう」 「鶴川さんという名をお聞きになったことはありませんか」 「鶴川さん——?」  浅香節は考えるように視線を落とした。 「父と同じ部隊じゃなかったかと思います」 「———」  浅香節は黙っていた。  やや離れた椅子にいる慶子も黙っているが、彼女のほうは好奇心でいっぱいという目で、母と睦男を見守っていた。 「ご記憶があるんですね」  睦男は節の表情を読み取って言った。 「はい」  節はためらい勝ちに頷き、顔をあげた。 「おっしゃってください。大切なことかもしれないんです」 「でも、ずいぶんむかしのことで、確かな記憶ではございません」 「不確かで結構です」  睦男は緊張した。確かではないと言うが、それほどむかしのことを忘れずにいるなら、強い印象を与えた名前にちがいなかった。 「まだ主人といっしょになる前で、わたくしがお座敷にでていた頃のことです」 「ご主人と知り合ったばかりの頃でしょうか」 「はい、主人に呼ばれまして、その帰りしなでした。料亭の玄関まで見送りにでましたら、別のお座敷にいたお客さんも帰るところで、その方はもう靴を履いておりましたが、主人に気がつく と驚いたようでした。偶然会えたので懐しかったのかもしれません。やあ鶴川じゃないか、元気でやってるのかい、とおっしゃったように憶えています」 「おくさんも驚かれたでしょう」 「意外な気がしました。それまでは菊地一郎という名前しか知りません。商売の上でちがう名をつかうことがあるのかもしれないと思いました」 「あとで聞いてみなかったんですか」 「何となく聞きそびれてしまいました。一度聞きそびれると、ますます聞きにくくなります。どうしても聞きたいほどではありませんし、鶴川という名前だけ頭の隅に残りました」 「そのことについて、ご主人は何も言わないままですか」 「はい」 「料亭の玄関で会った客を憶えていますか」 「割合小柄な方だったと思いますが、初めてお目にかかっただけなので、もう顔は憶えておりません」 「名前は」 「伺いません。ほかのお客さんや芸者衆がいっしょでしたし、すぐお帰りになってしまったんです。主人とも、立ち話で挨拶をかわした程度でした」 「その立ち話の内容ですが、元気でやっているのかと聞かれ、ご主人はどんなふうに答えてましたか」 「まあ元気でやっているというような、当たり障りのない返事だったと思います。とくに憶えてはおりません」 「その後、おくさんはその客に会ったことがありませんか」 「ございません。きっと贔屓《ひいき》の芸者衆がいたわけではなく、お仕事か何かの関係で招待されたのだと思います。その方のことをお知りになりたいんですか」 「いえ、鶴川という名が気になるんです。あるいは、それはご主人の本当の名字だったんじゃないでしょうか」 「もしそうだとしますと、どういうことになるのでしょう」 「少なくとも、ご主人がぼくの父じゃないことだけははっきりします。料亭の玄関で会ったのはご主人の戦友か、もっと古い友だちだと思いますが、それ以外のことはまだわかりません」 「あなたは、鶴川の名をどこでお聞きになったんですか」 「父の戦友で、砂木哲夫というひとです」 「砂木さん——?」  浅香節はまた視線を落とした。  憶えがないようだった。 「その方が鶴川という名のひとをご存じなんですか」 「そうです。しかし砂木さんにご主人の写真を見せたけど、憶えがないという返事だった」 「それじゃ、その方がおっしゃる鶴川というひとは主人じゃないわね。あなたのお話と矛盾していないかしら」 「矛盾しています。ご主人の本当の名字が鶴川なら、ボロホロ島の戦場に鶴川という兵隊が二人いたことになってしまう」  キクチ一郎も二人なのだ。サンズイの菊池一郎は生死不明で、ツチヘンの菊地一郎は帰還したことになっている。 「へんな話ね」  慶子が口を挟んだ。 「どこがいちばん変だと思いますか」 「全部へんよ。父が死んだのはただの交通事故ではなく、殺されたということはないのかしら」 「殺された理由は何ですか」 「わからないわ」 「それがわからなくては仕様がない」  睦男は腰を上げた。     26  睦男は、浅香節に見送られて玄関をでた。  すると、慶子が門の外へついてきた。 「どこへ行くの」 「仕事です」 「お仕事という感じじゃないわ」 「それじゃ、どういう感じかな」 「もちろん父のことね。あたしの運転でよかったら、どこへでもお供するわ」 「ありがたいが、ぼくは自分の車できた。その塀際にとまっている車さ。きみの車とは較べものにならない。見かけどおりのおんぼろだが、あれでもぼくがハンドルを握れば結構よく走るんだ。しかし、ほかの者ではそうはいかない」 「おもしろいわ。試してみようかしら」 「やめたほうがいい。こわされても困る」 「あたし、あなたといっしょにどこへでも行って、父のことをもっと知りたいのよ。今までは母の気持を考えて知らんぷりをしたり分かったふりをしてきたけど、そんなのはセンチメンタルな偽善ね。これから先も一生自分を騙していくことになるわ」 「しかし、お母さんはそれに耐えてきた。おそらく、これからも耐えていく」 「あたしは母とちがうわ」 「知らないで済むなら、知らないままのほうがいいこともある」 「でも、あたしはあなたと母が話すのを聞いてしまった。もう知らないままじゃ済まされないわ」 「鶴川という名を聞いたのは初めてですか」 「もちろんよ。あなたに言われるまで、母も忘れてたのかしら」 「わからない」 「そうね、忘れるはずがないわね。忘れたふりをしながら、ずっと胸の奥にしまってたんだわ」 「ぼくは余計なことをお母さんに思い出させ、きみのお父さんに対するイメージも傷つけたらしい。その点は謝ります」 「そんなことないわ。父はすてきな男性だった。あたしは父のような男性と結婚したいと思っているし、その気持はすこしも変わらないわ。ただ、本当のことを知りたいだけよ」 「本当のことなんて何の値打ちもないかもしれない」 「値打ちなんかの問題じゃないわ」 「本当のことを知るのが怖いという気持はないかな」 「それはあるような、ないような、ちょっと複雑な気持ね」 「それじゃこうしよう。とにかく調べた結果はお母さんかきみに報告する」 「あたしをつれて行ってくれないの」 「ぼくはひとりで動きまわるのが好きなんだ」 「あたしは邪魔というわけかしら」 「たぶんね」  睦男は車に乗って、勢いよくドアをしめた。  エンジンがなかなかかからなかった。  慶子はおかしそうに笑った。  睦男は笑い返してやった。  ようやくエンジンがかかった。エンジンを暖めてから発車したかったが、すぐにギヤを入れ、強引にアクセルを踏んだ。見かけより性能がいいことを示すつもりで、慶子のような女に見られていると、睦男にもそれくらいの見栄はあった。  睦男は池袋署へ行った。  阿部部長が仏頂づらで腕を組んでいた。 「遅かったじゃないか」 「ちょっと寄り道してきました」 「寄り道するなんて聞いていない。すぐ来ると思って、わたしは飯も食いに出ないで待っていた」 「調べてくれましたか」 「わたしは約束を守る」 「教えてください」 「そうはいかない。今度はあなたの話を先に聞く。わたしに調べさせたことが、どういうわけで菊地一郎に結びつくんだ」 「ぼくのほうは阿部さんの調査結果次第です。阿部さんの話を聞かなければ答えようがない。厚生省の名簿に鶴川の名がありましたか」 「あった。鶴川慶吉、大正八年生まれで、菊地一郎より一歳若い」 「帰還していますか」 「いや、戦死している。昭和十九年四月二十九日だ」 「総攻撃の日ですね。階級もわかりますか」 「中尉だから、自衛隊でいうと二尉かな。警察なら警部クラス、中堅どころの会社なら課長あたりでしょう。よくわからないが、軍隊の経験者に聞いたらそう言っていた。菊地一郎と同じ部隊の副官で、副官というのもよくわからないが、部隊長の女房役みたいなものらしい。命令の起案とか伝達とか、そのほか人事一切を扱うそうだ」 「住所も載っていましたか」 「住所は池袋だが——、この辺は今は東池袋で、区役所の裏のほうじゃないかな。——待ってくださいよ」  部長は急に何かを思いついたらしく、メモをつかんで席を立ち、どこかへ消えてしまった。  そして、十分くらいで戻ってきたが、興奮している様子だった。 「こんな妙なことがあっていいのかね。鶴川慶吉の住所は、菊地一郎がライトバンにはねられた場所の近くですよ。あなた、わかっていて調べさせたんでしょう」 「いえ、ぼくもそれほど意地悪じゃありません。住所が池袋とは意外だった」 「それじゃ、なぜ調べさせたんですか」 「名簿に鶴川の名があれば、鶴川と菊地一郎は同じ人物ではないかと考えたからです」 「そう考えた理由を聞きたい」 「ぼくは浅香節さんに菊地の写真を借りて、父の戦友たちに尋ねて歩いた。しかし、みんな否定的な返事で、写真の人物に見憶えがあるという者はいなかった。そのうち、ある戦友の口から鶴川の名がでてきた。鶴川は父と同じ部隊で、遺族年金をもらえるように奔走してくれたという話だった。ところが、そのある戦友を除いて、ほかの者はやはり鶴川の名に憶えがなかった」 「ある戦友というのは、誰ですか」 「砂木哲夫です」 「夕刊にでていた男じゃないか」 「そうです。だから、夕刊を見るようにと言いました」 「あれは、酔っ払って川へ落ちただけだろう。ちがうのか」 「わかりません」 「自分が言い出しておいて、わかりませんじゃ困る」 「ぼくは刑事じゃない」 「しかし、会ったら話すと言ったはずだ。嘘だったのか」 「嘘じゃありません。現にこうして話しています。ぼくは砂木哲夫の死が気になった。彼に聞いた鶴川の名も気になった。それでまた浅香節さんに会って、鶴川のことを尋ねてみた。そしたら、彼女が菊地といっしょになる前のことですが、料亭の玄関でばったり会った男に、彼は鶴川と呼ばれたことがあったとわかった。その男については浅香節も憶えていません。しかし、菊地が鶴川慶吉だったとすれば、浅香節に生ませた娘に慶子という名をつけた理由もうなずける。すっかり別人になりきっていた男だが、もちろん本名を忘れるはずはなく、娘に名前をつけるとき自分の名から一字をとったのでしょう。浅香慶子、わるい名前じゃありません」 「すると、鶴川は生きていたというのか」  部長の眼が険しくなった。  睦男は部長の調査に感謝して、腰を上げた。 「どこへ行くんですか」 「帰ります。もう用はないでしょう。交通事故で死んだ男は父じゃありません。鶴川に遺族がいないなら、例の一億円は浅香節さんが受給資格者です」 「残念じゃないのか」 「残念です」 「わたしも残念だな」 「なぜですか」 「何となくだがね」  部長は釈然としないようだった。     27  井山富造には電話をしなかった。砂木の葬式で会ったとき会社へ戻ると言っていたので、いきなり会社のほうへ行った。  井山は仕事が一段落したのか、倉庫の半開きの扉の前に立ち、ぼんやりと海のほうを眺めていた。葬式に着てきた黒のダブルは、もちろん作業服に着替えている。  睦男も、いったん帰宅したときジーンズに着替えていた。 「お仕事中かもしれませんが——」  睦男は、気づかないでいる井山に声をかけた。  井山は驚いたように振返ったが、 「きょうは失礼してしまって——。あなたは出棺までいたんですか」  怪訝そうに言った。睦男の来意を計りかねている様子だった。 「あれから三十分くらい待ちましたが、お見送りしました」 「戦友のわたしらが帰ってしまったのに、申しわけありません」 「そんなことはありません。砂木さんには父の話を聞かせてもらったので、そのお礼の気持です。もう一度井山さんのお話を伺いたいんですが、お邪魔して構わないでしょうか」 「今、ここでですか」 「ええ」 「どうぞ、構いませんよ。ちょうど一仕事終えたところだった。ここじゃお茶も出せないから、なかへ入りませんか」 「ぼくはここで結構です。海を見るのは久しぶりだし、まわりに人がいないほうが落着いて話せます」 「しかし、きょうは風が強い」 「ぼくは強い風が好きです。父が死んだ本当の理由を教えてください」 「本当の理由?」 「そうです。本当の理由です。あなたも小谷さんも、武藤さんも砂木さんも本当のことを言ってくれなかった。父と同じ中隊にいたという本間さんにも会いましたが、本間さんの話も本当かどうかわからない。亡くなられた大河原さんが生きていたとしても、やはり本当のことは言わなかったでしょう。ぼくが受けた印象を率直に言うと、みんな嘘をついている。その嘘に、悪意などはこれっぽっちもなかったでしょう。むしろ、ぼくや祖母に対する善意だった。しかし嘘をついていることに違いはない」 「どうしてそんなふうに言うんですか」 「菊地一郎という男が交通事故で死んで、ぼくの父じゃないかと思って歩きまわっているうちに、知らないほうがよかったことまで知るようになってしまった。戦友会の方で、ぼくが最初に会ったのは小谷さんだった。つぎは井山さんですが、お訪ねする前に小谷さんから電話連絡があって、ぼくが菊地一郎の写真を持って行くこともすっかりわかっていた。高見さんの場合も同様です。あらかじめぼくの用件がわかっていた。武藤さんも例外じゃない。だから、口うらを合わせることができた。父は総攻撃で戦死したと言い、菊地一郎の写真に見憶えがないと言った。しかし砂木さんはちがいます。戦友会と縁が切れていた。気やすく電話一本で話が通じるような仲ではなかった。彼が戦友会に反感を持っていたせいもあるでしょうが、あなたも小谷さんも彼をよく言わなかったし、電話番号も教えてくれなかった。ぼくを彼に会わせたくなかったんだ」 「なぜですか」 「本当のことを喋られたら困るからですね。しかし、砂木さんも分別はわきまえていた。たとえ戦友会に反感を抱き、甲斐性のない男で性格がひねくれていたとしても、戦友の遺族に対する思いやりはみなさんと同じだった。だから彼もまた、父は総攻撃で死んだと言ってくれた。菊地一郎の写真をじっと見つめていたが、やはり憶えがないと言った。もう戦後三十四年です。今さら何を言っても始まらないでしょうし、それが祖母やぼくを喜ばせることならともかく、そうでなければ忘れたふりをするのが当然です。小谷さんも武藤さんも戦争が青春だと言っていた。どんなに貧しくて惨めな負け戦でも、その中にしかなかった青春を汚したくない気持はわかるような気がします。しかし祖母にとっては、戦地へ駆り出された息子の元気な顔を見るまでは戦争が終わっていません。戦後なんて始まってさえいないんです。そして砂木さんも、祖母の気持とはちがいますが、戦争を終わらせることができないひとだった。ああいうひとは戦死できたらいちばんよかったとおかみさんが言っていたが、ぼくもそうかもしれないと思います。戦争は彼にとっても掛け替えのない青春で、その青春を惜しむあまりに戦後の社会にとけこめなくて、とけこむことができた戦友たちの集まりに反感を持つようになったのではないでしょうか。あえて彼を弁護するなら、戦争に対する反省が戦友会の在《あ》り方に背を向けさせるようになったのかもしれない。いずれにしても、彼の気持はほかの戦友たちとそう違っていなかった。もし競馬のノミ屋に殴られなかったら、そして自棄酒なんか飲まなかったら、多分殺されないで済んだはずです」 「殺された?」  井山はぎくっとしたように睦男を見た。それまでは海のほうばかり眺めていた。 「そう思いませんか」 「酔っ払って川へ落ちたんじゃないんですか」 「酔っ払っていたことは確かでしょう。解剖されて、かなり酒を飲んでいたことがわかりました。おそらく、殴られたので胸がむしゃくしゃして飲んだにちがいない。ふだんはおとなしいが、酒癖がわるくて、酔うと別人のように変わるということも聞いています。だが、なぜ面影橋へ行ったのかわからなかった。家を出てから面影橋へあらわれるまでの約四時間、どこにいたのかもわからなかった」 「しかし、そんなことがわからないからといって、殺されたなんていうのは考え過ぎでしょう。滅多なことを言うもんじゃない」 「いえ、彼には殺される理由があった」 「何ですか」 「余計なことを喋ろうとしたからです。勝手な想像ですが、それは戦友会において暗黙の秘密だった。かつての大隊長高見さんを中心に結束して戦後三十四年経っても盛んだという戦友会です。その戦友会のタブーを、砂木さんは酔った勢いで破ろうとした。彼はぼくの話を聞いて、鶴川という名を洩らしましたが、そのときから事実を話すべきではないかと考えていたと思います。いくら酔っ払っても突然喋りたくなったわけじゃないでしょう。ことによると、今まで曖昧に過ごしてきた戦争体験を清算する考えもあったかもしれない」 「いったい何を言ってるのか、さっぱりわかりませんね」 「それじゃはっきり言います。みんな鶴川を知らないと言ったが、彼の身元がわかったんです。鶴川慶吉、第二大隊の副官で、階級は中尉だった。戦死したことになっているから当然戦友会の名簿に載っていない。しかし彼は無事に生還した。サンズイの池をツチヘンと間違え、番地も少し違っているが、それは書類上の単純なミスかもしれない。とにかく彼は菊地一郎の変名で帰国し、やがて愛人の名を借りて浅香節になりすましていた。交通事故で急死するようなことがなければ、そのまま平穏な生涯を送れるはずだった」 「妙な話になってきたな」 「どこが妙ですか。厚生省に引継がれている復員名簿によると、サンズイの菊池一郎は生死不明だが、ツチヘンの菊地一郎は帰還している。だからツチヘンの菊地に対して戦友会の案内状がきた。その頃の戦友会の世話役は小谷さんです。彼は連隊本部の書記で、案内状を出したときは第二大隊の内情を知らなかったにちがいない。しかし、菊地が生還したなら、その後も毎年案内状が来なければおかしい。現に未だにつづいている戦友会なんです。ところが、案内状はそれっきり来なかった。祖母が小谷さんを訪ねたので、復員名簿の杜撰《ずさん》さがわかり、ぼくの父が死んでいるとわかったせいですね。それ以来、父は総攻撃で勇ましく戦死したことになった。戦友たちが遺族年金をもらえるように努力してくれたことも事実でしょうし、みなさんの善意を疑うつもりはありません。しかし、なぜ鶴川慶吉は父の名を騙《かた》って帰国したのか。ぼくはまずそれを知りたい。もちろん砂木さんは知っていた。写真を見たとき、すぐ鶴川とわかったにちがいないが、話していいのかどうか決心がつかなくて、いろいろ迷った末に鶴川という名字だけ暗号のように出したのだと思う。その暗号は第二大隊の戦友なら必ずわかるはずで、戦友会から離れている自分が話すより、戦友会の誰かに話させたかったのかもしれない。もしそうとすれば、彼が殺されたのは彼自身が秘密をバラそうとしたからではなく、誰かに喋らせようとしたためだった」 「誰かって、誰のことですか」 「武藤さんではないでしょう。武藤さんを訪ねたとき、あのひとはぼくが砂木さんに会ったことを知らなかった。砂木さんの死は前の晩です。戦争で左腕を失っているし、両手をつかうようなことはできません。本間さんもやはり砂木さんが死んだことを知らないようだった。それより面影橋で軍歌を歌っていた男がいる」 「そいつは砂木じゃないか」 「ちがいます。といって高見さんでもない。高見さんは体が大きくて、坊主頭で太い口ひげを生やしているから、サングラスで顔を隠したつもりでもわかってしまう。そいつは井山さん、あなたですよ。あなたしか考えられない。祖母がもらった手紙によると、あなたの以前の住所は小石川区の高田豊川町だった。うっかりしていたが、古い地図を調べたら、小石川区は本郷区と合併して文京区になり、高田豊川町は文京区目白台に変わっている。わかってみれば謎でも何でもない。目白台なら面影橋に近いし、あなたはあの辺をよく知っていた。だから砂木さんを酔って川へ落ちたように見せかけるため、恰好の場所として面影橋を選んだ。そして砂木さんを落としたあと、自分は顔がわからないようにサングラスをかけ、砂木と思わせるため軍歌をがなっていた。ちがうというなら、一昨日の真夜中、どこで何をしていたか言ってください」 「———」  井山は黙ってしまった。 「言えないんですか」 「———」 「それじゃ少し話を変えて、父が死んだときの様子を話してくれませんか。高見部隊は軍規厳正で、みんな勇敢に戦ったという。捕虜になった者などいないし、逃亡兵もいなかったという。武器も食糧も尽きて、虫けらまで食いあさっていたという地獄のような戦場で、確かに美しい戦友愛もあったでしょうが、決してみなさんが話すような美談ばかりではなかったと思う。その実際の模様は砂木さんからも本間さんからも聞きました。もう、父が戦死じゃないことははっきりしている。戦死なら、鶴川が戦死者の名を騙って帰るような真似はできなかった。病気で死んでも同様です。かりに芋泥棒のため友軍のリンチで殺されたとしても、あるいは現地人に殺されたとしても戦犯で処刑されたとしても、死者に変わりはありません。ぼくの父、菊池一郎がある時期まで生きていたことは確かなんだ。だからこそ、鶴川は父の名を利用して帰国した。しかし、その鶴川は戦死したことになっていて、無事に帰国したあとも本名に戻ろうとしなかった。そして、父はついに帰らなかった。どういうわけですか」 「———」  井山はまだ黙っていた。放心しているような眼で、どこを見ているのかわからなかった。 「教えてください。もう、ぼくはどんなことを聞いても驚かないつもりです。考えられることは全部考えました。あなたたちが口を揃えて言ってくれたように、父は勇敢に戦って死んだと思っていられたら、それがいちばん仕合わせだった。しかし、それでは済まなくなったんです。あなたが言いにくいなら、ぼくのほうから言います。父は逃亡兵だったんだ。高見部隊に逃亡兵などいなかったというが、ほかの部隊にあったことが、いちばん死亡率が高くて地獄のようだったという高見部隊にだけなかったとは思えない。戦争に勝つ見込みもなく、南方の小さな島に置き去りにされた部隊です。父は計画的に逃亡したのか、戦闘中に部隊を見失ったままジャングルのなかをさ迷っていたのか、その間の事情は知りません。とにかく逃亡兵のようになり、そして空腹のため、まるで山賊のように友軍を襲って食糧を強奪していた兵隊の一人だったんじゃないだろうか。ぼくはそう思います」 「ちがう。彼はそんな連中じゃなかった」 「それじゃどんな連中だったんですか」 「逃亡していたことは、あなたの言うとおりだ。生死ぎりぎりの最前線において、みんなが生きのびるために保管していた食糧を盗むのは殺人と同じです。たとえ僅かな乾パンでも、窃盗は戦友を殺すようなものです。許されることではなかった。その点は菊池さんも自覚していたし、ほかの三人も自分らがわるいことを認めていた」 「ほかの三人?」 「逃亡は四人いっしょだった。本来なら、敵前逃亡は軍法会議にかけられて死刑です。でも、高見さんは軍法会議にかけられないように憲兵隊にも知らせなかった。憲兵がいる連隊本部は離れすぎていたし、敗戦直後の大混乱のときで、威勢のいい将校などが最後の一兵まで戦うなんて顔色を変えている最中だった。そんなところへ、菊池さんたちがジャングルから出てきたんです。日本軍が無条件降伏したという米軍のビラを見て、しばらく様子をうかがってから出てきたらしい。降伏したので、逃亡のことは帳消しになると思っていたようだった。ジャングルにもぐっていたのでは、いつまで経っても日本へ帰れません」 「敗戦後と言いましたが、いつ頃ですか」 「十日後くらいだった」 「それで?」  睦男は自分が質問しているのだと分かっていながら、耳をふさぎたい気持だった。井山を追いつめているつもりで、本当に追いつめているのは戦地へいったきり顔も見たこともない自分の父だった。 「高見さんは自決を命じました」 「自決——?」  陸男は思わず聞返した。 「憲兵隊へ送る代わりに、自分で責任を取らせたのです」 「しかし、日本軍は降伏したあとでしょう」 「降伏しても、軍隊の組織は厳然と残っていました。ほかの部隊でも敗戦と知ってジャングルから出てきた兵隊が何人もいる。だが、ほかの部隊ではその場で銃殺だった」 「そんなばかなことがありますか」 「今になって思えば、わたしもひどいと思う。しかし、今だからそう思うので、当時はそれで当たり前だった。軍法会議にかける手間などかけません。どうせ軍法会議にかければ死刑だった。遺族を悲しませるし、部隊の栄誉にも傷がつく。それくらいなら銃殺して責任をとらせ、戦死か病死したことにしてやったほうが本人や遺族のためだった」 「ばかなことを言わないでくれ。戦争中ならともかく、戦争が終わったあとじゃないか。しかも敗戦だった」 「敗戦後でも事情は同じです。さっき話したように、食糧を盗んで逃亡した兵隊は戦友を殺す行為と変わりがない。軍規の厳正を保つためには、銃殺もやむを得なかった。そうでなくても、敗戦によって軍規が乱れかけていた」 「戦争に負けた軍隊にとって、まだ人間の命より軍規のほうが大事だったというんですか」 「戦争を知らないあなたには理解できないかもしれない。わたし自身が悪い夢を見たような気がしている。ボロホロ島の情況はとくに苛烈だった。生きて帰れたのが不思議でたまらないくらいです」 「本間さんに聞きましたが、父が本間さんや砂木さんと斬込みに行ったという話はどうなんです。父はジャングルではぐれたと聞いた」 「それは記憶ちがいでしょう。大分むかしのことだし、そういう記憶ちがいは珍しくない。もし事実とすれば、一度そういうことがあったけれど無事に部隊へ帰って、それから別の機会に逃亡したんじゃないかな。本間さんの記憶はその辺を混同している」 「話を戻してもらいます。高見大隊長は自決を命令したんですね」 「そうです。銃殺ではなく、自決だった。部下思いの大隊長は、銃殺させるに忍びないようだった。まだ武装解除される前だったので、将校は拳銃を持っていた。その拳銃を四人に貸してやり、潔く自決させた」 「四人とも、おとなしく命令にしたがったんですか」 「わたしはその場に立会っていなかった。大隊長の命令は副官が中隊長に伝えたはずです」 「その副官が鶴川慶吉で、中隊長は大河原さんというひとですね」 「そうです。わたしはあとで大河原さんに聞いたが、拳銃を顳《こめかみ》に当てて、四人とも立派に自決したそうです。泣きも喚《わめ》きもしないで、今わたしが海を眺めているように、その四人も魂が抜けたような顔で海のほうを眺めていたそうです」 「鶴川が父の名で帰国したのはどういうわけですか」 「誤解しないでくれるなら話します」 「そんなことは請け合えない。鶴川は命令を伝えただけじゃない。父の死とどこかで繋《つな》がっているはずだ」 「あなたはもう誤解している。二つの事件は別個に起きたことだった」 「一つは父たち四人の自決でしょう。それは一応わかったことにする。もう一つの事件は何ですか」 「戦犯の問題です。総攻撃の少し前頃だが、味方と思っていた土人の酋長が敵のスパイらしいとわかったことがある。そのときは、高見さんはマラリアで寝ていたから事件に関係していません。鶴川さんが命令して酋長を処刑しました。ところが敗戦になったら、酋長を殺した関係者は戦争犯罪人だというので、米軍側が四人の名を指名して出頭しろと言ってきた。土人たちが憶えている日本兵の名をいい加減に挙げたようで、憶えられていた者こそ災難です。鶴川さんは確かに関係していたが、ほかの三人はまったく無関係だった。土人と接触する機会が多くて名前を憶えられていただけです。処刑から一年も経っているし、みんなひげもじゃの乞食よりひどい恰好で、顔なんか見分けられなくなっている。名前だけが証拠のようなものだが、戦犯にされたら死刑にされるという噂で、徹底抗戦をとなえる連中もどうせ戦犯でやられるならという気持が強いようだった。降伏するにしても、戦犯問題があるので内心びくびくしている者が多かった。そこへ四人の戦犯指名と、四人の逃亡兵が重なってきたんです」 「うまく重なったわけですか」 「そういうふうに誤解されると困る。偶然だった。戦犯に指名された四人を助けるために菊池さんたちを自決させたんじゃありません」 「しかし、おかげで鶴川は助かった。明らかに拳銃で自決したとわかる四人の遺体を見せれば、いかにも日本兵らしい最期と思って米軍側も納得しただろう。それで戦犯問題はおしまいだ。命拾いをした四人は、それぞれ自決した四人になりすまして帰国すればよかった」 「砂木も命拾いの一人だった」 「砂木さんも——?」  意外だった。 「彼も戦犯に指名されていた。酋長の処刑に関係していないが、多分名前を憶えられていたせいです。日本兵は土人に憎まれていた」 「すると、砂木さんも別人の名で帰国したんですか」 「そうです。しかし彼は、帰国したらすぐに自分の名に戻っていた。ほかに命拾いの仲間が二人いるが、その二人は帰国して間もなく亡くなったと聞いた」 「鶴川だけ自分の名に戻らなかったのはなぜですか」 「彼は実際に酋長処刑を命令した責任者だから、砂木たちと違って慎重にしていたのだと思う。敗戦後しばらくは、戦死公報が届いているのに帰国したという、いわゆる生きている英霊が珍しくなかった。彼も書類上は戦死したことになっていたが、消された戸籍を取戻すのは簡単にできたはずです。しかし彼はそうしなかった。講和条約の頃まで戦犯の追及がつづいていたし、やはり怖がっていたのかもしれない。戦友会とも縁が切れていた」 「でも、鶴川が浅香節という女性と知り合ったのは昭和二十九年だった。講和条約は二十七年でしょう。とうに戦犯の心配はないはずじゃないか。それでも彼は菊地一郎の名を使っていて、さらに浅香節の名に変えていた」 「みんないろいろ事情がある。わたしにはわからない」 「それじゃあなたのほうの事情を聞かせてください。面影橋で軍歌を歌っていた男、そいつはあなたに間違いない。おそらく、そのとき砂木さんの死体は橋の下に横たわっていた。あなたは歌っている姿を誰かに見られさえすれば、あとは面影橋にいる必要はなかった。死体を運んできた車を返すために、急いで元の場所に戻ったはずだ」 「———」 「また沈黙ですか。ぼくは砂木さんを、戦争を終わらせることができないひとだと言った。だが、あなたは砂木さん以上にそういうひとらしい。相変わらず高見大隊長の当番兵で、命令されたら何でも従う癖が抜けていない。きょうも高見大隊長の命令で砂木さんの葬式にきた。命令の内容は焼香だけじゃない。警察に疑われていないかどうか、様子をさぐるためだった。あなたからみれば、高見さんは確かに立派なひとかもしれない。高見さん自身も戦争が終わっていないと言ったが、あなたも高見さんのいいなりになることで戦争の夢を追いつづけている。その夢は戦争というより青春の夢と言うべきかもしれない。しかし、砂木さんはようやく戦争を終わらせる決心をしたんだ。ぼくは彼の気持をそう解釈する。ぼくに会い、鶴川の写真を見たとき、初めてその決心が芽生えたにちがいない。鶴川と同じように、彼は父たち四人が自決したおかげで生き延びることができた。自決した逃亡兵四人の代わりに祖国の土を踏んだ戦犯指名者四人のうち、二人はとうに亡くなり、今度は鶴川も死んだ。残ったのは砂木さんだけです。もう喋ったところで迷惑する者はいない。彼はそう考えながら、酒の勢いをかりて高見さんのお宅へ行った。そうじゃないだろうか。もし酒を飲まなかったら、意志の弱い彼は決心をしただけで、やがてその決心も鈍ったかもしれない。だが、彼は酒癖がわるかった。女が見ている前で競馬のノミ屋に殴られ、胸がむしゃくしゃして飲んだ酒だった。それで直接ぼくに話せばいいのに、日ごろの鬱憤も手伝って高見さんの家へ押しかけて行った。ぼくが会ったとき、彼は高見さんをよく言わなかった。今でも大隊長のつもりでいるんだと言っていた。日ごろの鬱憤に限らず、戦地にいる頃から高見さんを怨んでいたのかもしれない。高見さんは大隊長で、砂木さんは下士官にすぎなかった。砂木さんが虫けらを食いあさっているとき、高見さんが何を食べていたか当番兵のあなたは知っているはずです」 「———」 「もう話していいでしょう。ぼくばかり想像で喋っているが、あなたの当番兵としての役目は終わったんだ。兵隊ごっこは終わりです。あなたが黙っていても、高見さんは逮捕される。もちろんあなたも逮捕される」 「しかし——」  井山は口ごもった。 「何ですか」 「わたしが逮捕されるのは構わない。しかし、高見さんは許してやってくれませんか」 「許すとか許さないとか、ぼくにそんな権利はない」 「しかし逮捕されるとわかったら、高見さんは腹を切る」 「まさか——」 「いえ、高見さんはそういうひとです」 「とにかく話してください。あなたは高見さんに呼ばれたんですね」 「ええ、夜の十時過ぎだった。急いで来てくれという電話で、わたしはすぐタクシーを拾って行った。そしたら、八畳の和室に砂木が倒れていた。鉄製の火鉢は部屋の飾りですが、その火鉢に頭をぶつけたんです……」  高見の話によると、砂木はかなり酔っていて、最初から喧嘩を挑むような口調だったという。そして、自決した四人と戦犯追及を免れた四人について、高見の口から睦男に話せと迫ったという。 「もちろん高見さんは断ったそうです」 「なぜですか」 「名誉ある部隊の栄光のためです。今さらそんな話をしたところで誰のためにもならない。遺族に辛い思いをさせるだけです。しかし、砂木は頑として自説を曲げなかった。事実を伝えることが生き残った者の義務だという理窟で、遺族に土下座して謝れとか、責任をとって自決しろとか、言いたい放題のことをわめき散らしたらしい。さすがに高見さんも腹が立って、怒鳴りつけてやったそうです。そしたら、いきなり砂木が飛びかかってきた。高見さんは柔道五段です。まだまだ元気だし、砂木をねじ伏せるくらいわけありません。ところが、ひょいと体をかわしただけで、砂木は勝手に火鉢に頭をぶつけて、よほど打ち所がわるかったのか、それっきり動かなくなったそうです」 「勝手に頭をぶつけたわけじゃないでしょう。柔道五段の男に体をかわされたら、酔っている相手が転ぶのは当たり前だ。そのとき、すぐに救急車を呼ばなかったんですか」 「おくさんも手伝って人工呼吸などの応急手当てをしたけど、救急車を呼んでも間に合わないと判断したらしい」 「誰が判断したんですか」 「高見さんです」 「医者でもないのに、そんな判断をするほうが勝手じゃないか。警察沙汰になるのが怖かったんだ。それであなたに救いを求めた。あなたなら忠実な部下だし、車の運転もできる。初めて会ったとき、あなたはたまに小型トラックを走らせると言っていた。命令どおりちゃんと駆けつけ、善後策を相談した。そして思いついたのが面影橋だった。砂木さんの死体を、過失に見せかけるように提案したのも高見さんですか」 「———」  井山は無言で頷いた。  逃亡兵に自決を命じるのも部隊の栄光のためなら、砂木の口を封じ、その死体を過失に見せかけて部下に捨てさせるのも部隊の栄光のためなのだ。そんな栄光はどこにも残っているはずがないのに、気づこうともしないのが高見であり井山だった。 「死体を運ぶ車は誰に借りたんですか」 「高見さんの息子さんの車がマンションの駐車場にありました」  高見夫婦はマンションの一階で、五階に息子の家族がいる。 「ご苦労さんでしたね」  睦男は別れ際に言ってやった。 「やはり高見さんに会うんですか」 「あなたは自分の心配をしたほうがいい」  睦男は背中を向け、車に戻った。     28  睦男は焦っていた。どうしても高見に会い、自決させられた父について、彼から直接事実を聞きたかった。  しかし、無駄と思って口止めしなかったが、睦男が井山を訪ねたことは、井山が早速高見に電話しているはずだった。まさか腹を切るようなことはないだろうが、逃げるのではないかという心配があった。睦男としては、話を聞いてから自首させたかった。  高見のマンションに着く頃は日が暮れて、窓に明りが灯っていた。 「どうぞ、待ってましたよ」  高見はドアをあけて言った。やはり井山から電話がいっていたのである。そのせいではないだろうが、先日の身軽な服装とちがって紬《つむぎ》のような黒っぽいきものを着ていた。 「家内は出かけました。きみがくるらしいと聞いたので、使いに出したんです。ここにいるのはわたしときみだけだ。邪魔者はいない」  高見は黒檀の机にむかって正坐した。眉間に皺が刻まれ、白茶けた太い口ひげまで緊張しているようだった。  もちろん睦男も緊張していた。高見は不安を抑えている感じだが、睦男も高見がどのような態度に出てくるか不安だった。  部屋の隅に、砂木が頭をぶつけたという鉄の火鉢が置かれている。 「この写真をもう一度ごらん願います」  睦男は菊地一郎の写真を高見の前に置いた。  高見は写真を見た。  しかし、腕を組んだきりだった。鈍い眼差しで、何かほかのことを考えているように首を傾けた。 「まだ思い出せませんか。井山氏から電話で聞いたはずでしょう。この写真の男は父ではなかった。ボロホロ島の戦場で、あなたがもっともよく知っている人物だった。旧陸軍中尉、高見大隊の副官、鶴川慶吉です。こいつら四人が戦犯の追及を免れた代わりに、父たち四人が逃亡兵として自決させられた。その命令をしたのが高見大隊長、あなただった」 「きみは戦争というものを知らん」 「どういう意味ですか」 「戦地における出来事を、平和が三十何年もつづいた現代の常識に当てはめて考えるのは間違っている。第一線の指揮官として、わたしは最善の策をとった。きみのお父さんの名誉を考え、鶴川くんたちの名誉を考えた。理解してもらえんだろうが、わたしは過《あやま》ちをおかしたと思っていない」 「ばかなことを言わないでくれ。無理矢理自決させられた父に、いったいどんな名誉があったというんだ」 「きみが詮索しなければ、お父さんは勇敢に戦って死んだことになっていた」 「まだばかなことを言っている。あなたは何もわかっていないんだ。父は腕のいい職人で、祖父も将来を愉しみにしていた。母はぼくの姉を生んでから半年くらいしか経っていなかった。そこへいきなり召集令状がきた。母がぼくをみごもったのは、父が戦地へゆく前に三日間だけ帰宅したときです。父と母、祖父母たちとの別れはぼくなどの想像以上に辛かったと思う。父は行きたくもない戦地へ駆り出され、負け戦《いくさ》とわかっている南方の島で戦い、弾薬や食糧の補給もなく、虫けらまで食いあさっていた。その挙句が逃亡罪ということで、自決させられた」 「その逃亡の際、きみのお父さんたちは大隊本部の食糧を盗んだ。それが何よりいけなかった」 「ぼくはそんな話を信じない。父たちの弁明を聞けない以上、あなた方の話なんか信じない。かりにその話が事実としても、生きていける見込みのないジャングルヘ好きこのんで逃げる者はいないはずだ。それでも逃げたとすれば、そこまで追いこんだ責任は指揮官にある。高見さん、あなたが責任者だ」 「いや、責任の所在を問うなら無謀な作戦を立てた参謀本部の連中だ。わたし自身はボロホロ島へ追いやられた軍人にすぎない。わたしは皇軍の名誉を守るために、軍規を維持するだけで精いっぱいだった」 「父たちがジャングルから出てきたのは敗戦後十日くらい後と聞いた。無条件降伏した日本軍の、どこに名誉が残ってたんですか」 「皇軍の精神は勝敗にかかわりなく厳然と存在した。終戦の詔書に明らかなように、堪え難きを堪え忍び難きを忍ばねばならなかった。終戦で兵隊たちが動揺しているときに、逃亡兵を放任したら軍規も何もなくなってしまう。だから自決させたというより、本人たちの名誉を重んじて自決を選ばせたのだ。他の部隊では銃殺させている。井山くんに聞いたと思うが、お父さんたちの自決は鶴川くんたちの身代わりではない。それは別の問題だった」 「砂木さんを殺したのはどういうわけですか」 「きみは誤解しておる。甚だしい誤解だ。殺したなんてとんでもない。砂木くんは酒乱だった。酒のために分別をうしなって、わけもわからぬ状態で飛びかかってきた。わたしはそれをよけただけだ。そして、運わるく火鉢に頭をぶつけてしまった。もちろんわたしは人工呼吸などの応急手当てをしたし、医者を呼ぶことも考えた。しかし、もう間に合わないことがはっきりしていた」 「そんな言い訳なら井山氏に聞いた。全然言い訳になっていない。井山氏を呼びつけ、砂木さんの遺体を面影橋から捨てさせた理由を伺います」 「まず第一は砂木くん自身のためだ。あまり外聞のいい死にざまと言えんからな。酔って川へ落ちたというなら、おくさんの気持もそのほうが落着くと思った」 「それに、あなたも警察に調べられないで済む」 「その点も考えたことはおっしゃるとおりだ。否定はしない。栄誉ある部隊の歴史を傷つけるに忍びなかった。たとえ戦争に敗れても、最後まで勇敢に戦ったわが部隊の精神は現在もなお脈々と生きつづけている。戦後の日本が見事に復興したように、われわれは精神まで敗れたわけではなかった。きみにも分かってもらいたいが、その精神の支柱が戦友会なんだ。砂木くんは酒のせいで頭がおかしくなっていた」 「冗談じゃない。これ以上あなたと言い合うつもりはないが、あなたの言う精神が父たちを自決へ追いやり、それ以前にも多くの兵隊を死なせ、今度は砂木さんを死なせたんだ。あなたは老いぼれただけで、何ひとつ分かっていない。あるいは分かろうとしないで済ませてきた。しかし今度は、そうはいかない。決着をつけてもらいます。自首しませんか。井山氏は遺体を川へ落としたことを認めている。あなたはもう逃げ道がないんだ。戦争で死んだ兵隊たちのことを、刑務所へ入ってゆっくり考えたほうがいい。いずれ井山氏も逮捕される」 「———」  高見は腕組みをしたまま、刺すような眼で睦男を見つめた。  睦男は視線をそらさなかった。  高見の頬が紅潮してきた。  石焼き芋の売り声がのんきそうに通り過ぎていった。  高見は依然黙ったきりで、何を考えているのか分からなかった。  睦男は沈黙を破った。 「ぼくは砂木さんとちがう。酔ってもいない。彼の二の舞いはごめんです。だから、あなたに飛びかかるような真似はしない。ロビーで五分間だけ待つことにする。そしていっしょに警察へ行く。五分待ってもあなたが来なかったら、そのときは一一〇番でパトカーを呼ぶ。そのつもりで出かける支度をしてもらう」  睦男は素早く席を立った。高見に組みつかれる危険があったし、うかうかしているうちに井山が加勢に来ないとも限らなかった。  ロビーは閑散としていた。小さなロビーで、観葉植物のほかは何の飾りもなく、たまに出入りする人はマンションの居住者らしかった。  睦男はソファに腰をおろし、煙草に火をつけて、壁の掛時計の秒針を追った。  二分経ち、三分経った。  高見が睦男の言葉にしたがってあらわれるという確信はなかったが、逃げることはあるまいと思っていた。非常口などから逃げたところで、どうせ逃げ通せるはずがない。そう思って油断していた。  ところが、ちょうど五分間経ったとき、駐車場のあたりで重い地ひびきがした。  高見はマンションの屋上から飛び下りたらしく、睦男が駆けつけたときは息が絶えていた。  睦男は大勢の人だかりにまじって、茫然と立ちつくした。     29  その翌晩、睦男は浅香慶子を誘って池袋の寿司屋で飲んだ。慶子は寿司をつまんだが、睦男は酒ばかり飲んでいた。 「このお店、知合いなの」  慶子は低い声で聞いた。池袋駅に近い喫茶店で待ち合わせ、まっすぐ連れてこられた寿司屋だった。 「いや、まだ二度目だが、一度目は全然飲み食いしていない。主人に会って話を聞いただけだった。それからきみに電話したんだ」 「へんね。あたしを誘ってくれたなんて、それも不思議な感じだわ」 「昨日約束したじゃないか。きみのお父さんのことを報告したかった」 「どんな報告かしら。母も気にしてたわ」 「お母さんには、きみが報告すればいい。ぼくはきみのほうが話しやすいんだ」 「それがおかしいのよ。今までは、あたしなんか相手にしてくれなかった」 「気が変わったんだ。気なんてものは、あっという間に変わる」 「あたしも気が変わりやすいって言われるわ」 「精神が柔軟なのさ」 「そうかしら」 「多分ね。それより話をしよう。やはり、お父さんの本名は鶴川だった。鶴川慶吉、きみの名はお父さんの名前から一字取っている。大正八年生まれで、ぼくの父より一歳下だ。軍隊では陸軍中尉だった」 「あなたのお父さんは」 「戦死している」 「はっきりしたの」 「うん、初めからはっきりしてたようなものだった」 「でも、父はなぜあなたのお父さんの名前を使ってたのかしら」 「仲がよかったからじゃないかな。こう言っただけじゃ納得できないだろうが、お父さんはこの寿司屋のとなりに住んでたんだ。妻はいなかったし、もちろん子供もいなかった。両親と妹が二人いて、五人暮らしだった。ところが鶴川さんが出征したあと、昭和二十年四月十三日の夜、この辺は空襲できれいに焼けてしまった。その晩は王子や四谷のほうも大分焼けたが、とくに豊島区がひどかったらしい。そして、鶴川さんの両親と妹さん二人は逃げ遅れ、この寿司屋の主人が焼死体を見つけて葬ったそうだけど、戦地から帰った鶴川さんの気持は想像できないほど悲しかったと思う。それで何もかも忘れたくて、名前まで変えたんだな」 「すると、父が交通事故に遭った四月十三日の夜、池袋を歩いていたのはこの近所なのね」 「ここから百メートルと離れていない。四月十三日は両親や妹の命日なんだ。おそらく、お父さんは亡くなった両親や妹たちを思い出し、冥福を祈りながらこの辺を歩いていた。そして交通事故に遭ってしまったんだ」 「でも、母の名を使うようにしたのはなぜかしら」 「それは遺産を間違いなく渡すためさ。肉親は亡くなってしまったし、長いこと他人の名前でいて、戸籍は戦死ということで抹消されたまま捨てたようになっている。とすれば、お母さんの名を借りるのが遺産を遺すいちばんいい方法だった。そうじゃなかったのかな」  睦男は話しながら、論理がやや怪しくなってきたような気がした。寿司屋の主人に聞いたことはそのまま話せるが、戦地の出来事は話せなかった。砂木が殺されたことも、浅香節と慶子には余計なことだった。それに、保険金を受取るには鶴川の肉親が死亡しているので、身元の証明がむずかしいだろうし、証明された場合は浅香節に遺産相続税がかかってくる。一億円を受取るか相続税を支払うか。一億円を受取った上で相続税を支払うのが順当のようだが、いずれにせよそれは浅香節が考える問題で、睦男にはまったく関係がない。  新聞によると高見が自殺した原因はわかっていないらしく、昨日睦男が訪ねたことを知る者もいないようだった。睦男が喋らない限り、井山が自分から警察に出頭することもないだろう。目下のところ井山は逮捕されていない。睦男が黙っていれば砂木も過失死ということで処理されそうだが、それならそれで睦男はかまわなかった。 「あたし、この辺を歩きたくなってきたわ」 「ぼくもだ」  睦男は慶子にうながされて寿司屋をでた。  静かな通りだが、少し歩くと映画館やパチンコ屋、バーやキャバレーなどが集まっている繁華街だった。 「池袋も結構にぎやかなのね」  慶子は屈託のない声で言った。  睦男は返事をしないで、先日来の結末を祖母にどう話せばいいか迷っていた。とにかく祖母を悲しませる必要はない。 「この写真、お母さんに返してくれ。忘れるところだった」  睦男は思い出して、浅香節に借りていた写真を慶子に渡した。鶴川慶吉の写真を返すのは少しも惜しくないが、節がいっしょに写っている写真は渡したくない気持が残っていた。  〈了〉  文庫版のためのあとがき  戦後三十七年経って、戦後が終わったなどと言われ出してから随分久しい。  しかし、戦後は本当に終わったのだろうか。中国残留孤児の問題ひとつをとってみても、そんなふうに言えるはずがないのではないか。  ちょうど十年前の夏、私はある新聞に「風化する戦争の体験」と題し戦後二十七年目の感想をつづった。この小文はまだエッセイ集にも収めないまま放ってあったので、この機会に一部を再録しておきたい。本篇の執筆と深くかかわり合っているからである。 「昭和六年、侵略戦争の口火を切った満州事変が起きたとき、私は四歳だった。昭和十二年、支那事変(日中戦争)が始まったときは十歳である。そして昭和十六年、日本軍がハワイの真珠湾を攻撃し、アメリカ、イギリスに宣戦布告したのは中学二年生のときだった。それまで、そしてそれ以後も、私が受けてきた教育は軍国主義一色に塗りつぶされていた。思想や言論はとうに統制されていたから、民主主義とか基本的人権などという言葉は聞いたことさえなかったし、当時の合い言葉は尽忠報国、滅私奉公で、国のため天皇陛下のために死ぬことが至上の名誉であり義務であると教えられて育った。そのために死ぬことは悠久の大義に生きることであって、そう教えられればそのとおりに信じ、あるいはまた大東亜共栄圏という結構ずくめの幻想があって、その裏側に隠されている軍財閥の侵略的意図は知らされなかった。新聞やラジオの報道自体が規制されていたから、一般の国民は真実を知りようがなかったのである。  昭和二十年三月、私は旧制中学卒業を間近に控え海軍の募兵に志願した。すでにサイパン、グワムの日本軍は潰滅し、内地の主要都市も連日のように空襲されていた。ここまでやられてくれば、いくら必勝の信念を吹き込まれた少年にも、いよいよ日本が危ういというくらいはわかる。  だから海軍を志願したとき、私は当然死ぬ覚悟で、その覚悟の原点に国家と民族があったのである。私の場合は病気のせいで間もなく帰郷させられたがとにかく志願した時点において、祖国の正義を信じて死を選んだことに変わりはない。  ところが戦争が終わったら、負けたのだから当たり前だろうけれど、現人神《あらひとがみ》とされていた天皇は人間宣言をして、国家の指導者はデモクラシーを唱え出した。  私は焼け跡に佇《たたず》み、何もかも全く信じられない気持ちで茫然とした。  それから二十七年経った。その間に東京オリンピックが開かれ、大阪では万国博が盛況だった。経済力は国際社会の指弾を受けるほど発展した。しかもその一方では世界随一の公害国で、増強しつづける軍事力は隣国の警戒心を買うまでに至っている。悲惨な戦争があったことはとうのむかしに忘れたような顔をしている。  これはいったいどういうことなのか。敗戦によって百八十度転換したはずなのに、ふたたび百八十度転換してもとへ戻ったようではないか。いつからそんなふうに戦争体験が風化してしまったのか。それは、たとえば横井庄一氏の奇跡的な生還さえ空騒ぎに終わらせてしまうような体質にあらわれているが、とすると、あのおびただしい犠牲者を出した戦争とは、私たち日本人にとって何だったのかわからなくなってくる。本当は戦争の傷痕がまだあちこちに残っていて、戦死者の遺骨さえ南方の島々に埋もれたままなのである。中国や朝鮮、東南アジア諸国に対する贖罪も怠りながら、経済繁栄を謳歌する施政者の神経は恐ろしいくらいだし、また国民の多くもそのような風潮に平然と流されていくかに見えてしようがない。杞憂なら幸いだが、すでに自衛隊は治安出動の法的権限を持っていて、まかり間違えば軍事クーデターも可能な存在に成長している。かりにもっと時代が悪くなって、徴兵制がしかれようとした場合に反対運動を起こしても、そんなものは国会における強行採決と連合して簡単に叩き潰されかねないのである。(後略)」  右に書いたような状況と現在との間に、いったいどれほどの隔たりがあるだろうか。むしろ事態は悪化しているのではないか。文部省の教科書検定はかつての「侵略」を「進出」と変えさせたりして中国、朝鮮をはじめ東南アジア諸国の批判を浴びるありさまだし、改憲の動きも声高になる一方で、防衛(軍事)予算もアメリカの圧力を逆手にとったかたちで増大しつづけている。  わたしはすでに「軍旗はためく下に」(中公文庫、講談社文庫)で戦争の実態を戦後の現実から問い質してみようとした。軍法会議の裁判を軸として、一兵士、一国民にとって戦争とは何だったのか、国家とは何だったのか考えてみた。BC級戦犯を主人公にした「虫たちの墓」(講談社文庫)でも主題は同じだった。私は上から下を見るような書き方を好まない。だから視点はつねに一兵士、一国民で、将官や佐官などのように勲章を胸につけた連中ではなかった。わずかな期間でも私自身が一兵士であったし、いつまた国民の一人として戦争に巻きこまれるかしれないという危険を感じているからである。もちろんこの危険は若い世代と共有のもので、本篇を推理小説にしたのも、若いひとたちに読んでもらいたいという願いをひそめた結果にほかならない。                     結 城 昌 治 〈お断り〉 本作品を「文春ウェブ文庫」に収録するにあたり、一部の漢字が簡略体で表記されている場合があります。 また、差別的表現と受け取られかねない表現が使用されている場合もありますが、作品の書かれた当時の事情を考慮し、できる限り原文の通りにしてあります。差別的意図がないことをご理解下さいますようお願い申し上げます。 初出誌 オール讀物 昭和五十四年八月号〜十月号 単行本 昭和五十五年三月文藝春秋刊 底 本 文春文庫 昭和五十七年十一月二十五日刊