文春文庫    極道の妻たち [#地から2字上げ]家田荘子   目 次  極道世界の内と外  真琴姐さん  治美姐さん  智美姐さん  新子姐さん  裕子姐さん  静江姐さん  加代ちゃん  おわりに    極道世界の内と外 [#ここから3字下げ] 「極道」「ヤクザ」 およそ私には縁もゆかりもない名詞だった。 しかし、山口組・一和会抗争事件が私を変えた。 |血《ち》| 《なま》|腥《ぐさ》い闘いに明け暮れる男たちの背後に、 彼らの妻たちの影が見えてきたのだ。 (彼女たちは“銃後”で何を思い、 どう暮らしているのだろうか?) 足かけ二年にわたる私の極道世界探訪の旅の 始まりだった──。 [#ここで字下げ終わり] 「|極《ごく》|道《どう》」「ヤクザ」──およそ私には縁もゆかりもない言葉だった。こういう呼称は、その筋の人々に対する|蔑称《べっしょう》で、面と向かって使うことはタブーだと思っていた。そんな私が、まさか「極道」の事務所や家に普段着のまま出入りすることを許され、親分たちと、「極道」という呼称をふんだんに使いながら「極道」の話を交したなどとは、自分のことながら今もって信じられないほどなのだ。だから、 「えー! あなたが、どうして? 『極道』ってヤクザのことでしょう?」  と、『週刊文春』の「極道の妻たち」の連載を終えて何カ月もたとうというのに、今なお一日に一度はそう聞かれるのも無理ないかもしれない。  確かに私だって、「極道」や「ヤクザ」に決していい印象を抱いてはいなかった。ただ、かなりなハードボイルド・ホリックとしては、まったく興味がなかったといえば嘘になる。私の「極道」に対する関心は、振り返ってみると、三年半前──私が活字の世界に入ってから半年後に呼び覚まされたような気がする。     奇妙な科白  その頃、ある月刊誌から初めて大きな仕事の口がかかった。 〈西麻布の少女たち──〉  当時、急速に伸びてきた西麻布の街を遊び(仕事)場とする売春少女たちの生態をルポする依頼だった。その時、彼女たちの生活に潜入して取材する過程で仲良くなった少女・A子を通して、|杏《あん》(=仮名)という二十七歳の女性を紹介された。彼女は、A子ら七人の売春少女たちを取りしきっている元締だった。  真っ黒に日焼けして、サーファー|健康《オレンジ》娘を装ってはいたが、|薬《ヤク》(覚醒剤)のためか、杏はガリガリに痩せていて、六本木界隈でカッコイイと評判の男の子たちをとっ替えひっ替え連れ歩いては、A子たちに稼がせた札ビラをちらつかせて、女王気取りで振る舞っていた。 「フーン、ウチで働きたいんだってェ? ちょっと年くってんなぁー」  取材とは知らない杏は、突然に訪ねた私をそんなふうに値ぶみしてから、機関銃のように喋りだした。売春組織の説明に始まり、売春の手口、買春客の様子や悪口、ディスコの内幕、さらには大麻など薬の話に至るまで、あっちにとびこっちにとびしながら。そして、A子が先日とった客がヤクザたった、と口をはさんだことから、話は急にそちらの方に移っていった。 「|刺《いれ》|青《ずみ》見てびっくりしちゃった」というA子の話にフンフンと相槌を打っていた杏は、突然こんなことを喋りだした。 「高校ン時のダチ(友達)なんだけどさ、温子っていうんだ。共稼ぎの普通ん家の一人っ娘でさ。温子が二年の時、経理やってたママが会社の忘年会にでてね、たまたま酔っぱらいついでに二次会についてった先で出会った男がヤクザだったの。その中年ヤクザがほんとに優しくってね、温子のママったら一度で夢中になっちゃったのよ。  だって考えてもごらんよ、家では旦那にかまってもらえない、会社でだってオバン扱い、二次会でも酔っぱらいのちゃんばあ[#「ちゃんばあ」に傍点](ばあちゃん)って誰もまともには相手してくれない。そんなところへ急に優しくされたら、そりゃ嬉しくってポーッとなっちゃうよ」  仕事も家庭も放りだして、すっかり男に夢中になってしまった母親。それまで波風一つ立ったことのない平凡な家庭が崩壊したのは、あっという間だったという。お定まりの離婚。そして温子は、自分の意志で母親の方についていった。母親が、 「一生愛人でもかまわない。少しでもこの人の役にたちたいから」  と娘連れで働きに出た先は、東京からさほど遠くない温泉街だった。温泉芸者をしながら、月に何度か訪ねてくるヤクザの愛人を待つ生活がはじまったのだ。  しかし、そんな母親の姿に温子は耐えられず、東京へ出奔。持ちだした金を使いきってから先のことは考えようと、とりあえず新宿のディスコに飛びこんだ彼女を待っていたのは、 「やっぱりヤクザ、というかチンピラだったのよ。『泊るとこないんだろう?』って優しくされて、ついて行った先のホテルに客が待っていたってわけ。それからは逃げては捕まり、また逃げては捕まって仕置きされて客をとらされるの繰り返し。もう腐れ縁さ。だけど温子、私の前じゃ幸せそうに笑うんだよ。 『あの人には、私がついててあげなきゃ……、一人ぼっちの人だから』  ってね。そうよ、四十路で『女やってる』母親に愛想つかしたはずなのに、言ってることだってやってることだって、その母親とソックリってわけ。そりゃ私だって、ヤクザって嫌いじゃないよ。遊びの金の使い方は汚くないしさ、六本木あたりの兄貴たちって皆カッコイイもん。だけど、やっぱり温子の気持ち分んないよ。なんでそこまでやんなくちゃいけないのか……ってね」  おそらくその時からだったと思う、私の心に「ヤクザ(極道)」という言葉が焼きつけられたのは。キャッキャッと楽しそうに客の評定をしている二人の声を遠くに聞きながら、私は杏の|科《せり》|白《ふ》を何度も心の中で繰り返していた。 「だけど温子、私の前じゃ幸せそうに笑うんだよ。『あの人には、私がついててあげなきゃ……、一人ぼっちの人だから……』」  なぜなのか? 単なる強がりなのか? それだけ虐げられているのに、なぜそんな科白が出てくるのか? 男と女の、いやヤクザとその女との不可解な関係に、私はその時、妙に興味をそそられたのだ。  その後、私は「ヤクザ」という言葉にかなり頻繁に出くわすことになる。 『西麻布の少女たち』は、入稿直前に別口の大スクープに取って替わられて陽の目をみなかったが、それから急に風俗関係をルポする注文がふえた。そのルポのための取材先でだった。  取材相手は、ヤクザではなかったが、二癖も三癖もある男たちが多く、彼らは決まってヤクザの話を持ちだしてきた。××組の親分と仲がいい、◯◯会の若頭には貸しがある……等々、自分の実力を誇示するかのように必ずといっていいほど自慢気に喋ったものだった。こうしていつの間にか慣らされたというのだろうか、ヤクザという存在が、私の仕事の対象とそんなに遠くない世界の存在に思えてきたのだ。と同時に、かえって様々な疑問が湧いてきた。  ヤクザ(極道)とは何なのか──。何をする集団なのか、はもちろんのこと、一体どんな食物を食べているのだろうか、テレビ・ドラマを見て涙を流すことってあるのだろうか、などなど彼らの日常のごく|些《さ》|細《さい》な事柄に至るまで、その実生活を自分の目でつぶさに見て描いてみたいと思った。しかし、対象はむろん、書き手だってこれまでは男性ばかりだった「男の領域」に、はたして女の私が入っていけるだろうか。それだけがひっかかっていた。  予期せぬ出来事──山口組と一和会との一・二六事件が起こったのは、ちょうどそんな時期だった。『極道は常に死と隣りあわせや。そんなもんに女房やガキなんぞいらん』と口癖のようにいっていたという竹中・山口組四代目は、愛人宅へ向かう途中で|殺《や》られた。その二十日後、一・二六事件で竹中組長と一緒に撃たれて死亡した中山会長の跡目を継いだ岡崎・豪友会二代目会長が、妻子と一緒の車中で襲撃された。毎日のように繰り返される両組織の血腥い抗争のニュース。その背後に、それまで思いも及ばなかった、彼らの妻や愛人たちの影が、見え隠れしている。 (男だけの領域とばかり思っていたが、極道にも家庭があり、妻子もいるのだ)  私は何か新発見でもしたような心地だった。いったい、彼らの家族、とりわけ妻たちは、“銃後”でどんな思いをしながら暮らしているのだろうか──。そうだ、極道の妻たちを通して極道の生活を見てみよう、と思った。     一難去ってまた一難  けれども、彼女たちとコンタクトをとることは、予想に反してむずかしかった。  極道をしている夫、あるいはその組織の長の許可を得ないことには、彼女たちに近付けないケースがほとんどなのだ。その手続きを踏む(筋を通す)ことが、後々トラブルを防止することにもなるという。しかも、その極道に会うためには必ず紹介者が要るという。それも、できるだけ組織のトップと親密で、先方に「貸し」はあっても「借り」のないカタギの紹介者が。  実は、この企画を『週刊文春』編集部にもちこんだとき、OKをもらいたいあまり「コネはあります」と強気の発言をしてしまったものの、山口組、一和会についてはコネはゼロに等しかった。それでも、“抗争事件”をいま追っている男性記者たちにたのむ気はさらさらなかった。企画がばれるのが怖かったし、なるべくなら同業に借りをつくりたくなかったからだ。  私は、かねてからヤクザとの繋がりを吹聴していた、“二癖も三癖もある”ネタ提供者八人に、適当な紹介者を捜してもらうことにした。こちらの意向を話すと、彼らは口々に、 「まかせとき、捜してあげるから」  と、私を安心させた。Aさんは山口組、Bさんは住吉連合、Cさんは極東関口本家、Dさんは松葉会と一和会……と、広域七団体の紹介者捜しをそれぞれ引き受けてくれた。  十日ほどたつと、彼らのうちの何人かが一人、二人と目当ての紹介者を連れてきた。  そうして集まった紹介者は計五人。各々が「××組の△△という親分と仕事上のつきあいがある」とか「◯◯連合の××は、自分の弟分みたいなもんだから」と一様に自信あり気だった。  私は、いつ「組とコンタクトがとれた!」と紹介者の連絡が飛び込んできてもすぐに飛びだせるようにと、早速、出張の荷造りをし、急いで参考資料集めと予備取材にとりかかった。  しかし、何日たっても、紹介者からはいっこうに連絡が入ってこなかった。熱意のほどを示す意味でも電話で催促することもならず、それぞれ食事にさそい、さり気なく急かせたりした。  そんなことを、それぞれの紹介者にたいして何度繰り返したことだろうか。「なんせこの時期でしょう、頼むこちらも大変なんだ。親分の機嫌のいい時にしたいし、金だってかかるしねぇ……まっ、必ず逢わせるから、そう急かさないでよ」というのが、彼らの決まり文句だった。途方もなく無駄な毎日が過ぎていった。その間、抗争事件がひんぴんと起こるたびにジリジリ焦ってみたり、毎夜きまって極道に逢った夢を見てはうなされたりした。  もうひとつ、誤算があった。お金が底をついてきたのだ。頼む内容が内容だけに、紹介者と逢うのに喫茶店でというわけにもいかない。そのたびに食事の場をもうけることになり、取材費は羽がはえたように飛んでいく。編集部から神戸行きの費用として前借したのもつかの間、あっという間に使いはたし、再度の前借。それも一週間ともたなかったが、いつ取材にとりかかれるかの見通しさえたっていない手前、さすがにそれ以上は頼む勇気が出なかった。  しかし、紹介者への出費は否応なしに|嵩《かさ》んでいく。ホテルや一流レストランの食事だけではこちらの誠意の示し方が足りないのかと、彼らの奥さんが寝込んだと聞けば、見舞いにかけつけて家事の手伝いをしたし、彼らの家族の誕生日にはきまってプレゼントを贈ったり、見たいという芝居の切符を苦労して手に入れたりもした。彼らの一人がほしがったコンサートのアリーナ席を手に入れるために、雪の降る中、四時間も立ちながら、さすがに(自分はいったいなにをしているのだろう)と情けなくなったこともあった。  これまでの仕事で細々とためた貯金もすべて使い果たし、原稿料は高いが他人のやりたがらない取材をプライドを捨てて好んで引き受けて得た稿料も、これまた右から左へと消えていく。仕方なく、洋服やバッグ、さらに新品同様のパンプスを古着屋に買いとってもらったり、現金に替えられるものはほとんど売却し、紹介者と会う以外の日の食事は、三食五百円以下におさえてなんとか凌いだりした。  そうして三カ月“空腹”と“極道”の二文字に悩まされる毎日が続いたが、とうとう「連絡がとれた」という“吉報”が少しずつ舞い込んでくるようになった。  ところがどうだろう、ニコニコ顔で約束の場所にかけつけた私を前に、紹介者の五人のうち四人までがとんでもない“交換条件”をつきつけてきたのだ。私が女であるという理由で。 「××組の親分を紹介してほしければ……」  第一関門をようやくクリヤーできる寸前で、私はその場をひきさがらざるを得なかった。 (こちらが女だというだけで、なんという汚いやり口か……)  帰り道、悔しさと怒りのあまりボロボロ涙がこぼれてきた。(やっぱり最初から無理だったんだ。もう、『極道の妻たち』はダメかも)と病的におち込んでいった。  だが、捨てる神あれば、拾う神もあった。残った紹介者の一人から、正真正銘の吉報がもたらされたのだ。彼がコンタクトをつけてくれたのは、山口組傘下のある有力組織の親分だった。  私は、三カ月前に整えた荷物を抱え、小躍りしながら新幹線に飛び乗った。  ──極道しているご主人と一緒になって良かったことは? 「なーいよ」  ──じゃ、別れたいと思ったことは? 「ないねぇ」  ──子供さんには、稼業のこと、どう説明してらっしゃるのですか? 「別にィ」  万事がこんな調子だった。山口組傘下の有力幹部夫人で、かつて敵にピストルをむけられた経験があるという|噂《うわさ》の|姐《ねえ》さんは、まったくとりつくシマがない。訊ねても訊ねても、まったく|暖《の》|簾《れん》に腕押し、最小限の返事以外いっこうに具体的なコメントが返ってこないのだ。  記者をやりだしてから四年、随分と相手が喋りにくいことだって聞きだしてきた。逢えればしめたもので相手の口を開かせるのは大丈夫と、それまで抱いてきた私の自信は、ものの見事に覆されてしまった。  いっこうにラチのあかない姐さんを前に、尻尾をまいた犬のように、 「また来ます」  というと、姐さんは薄く微笑みながら、 「またね……」  と見送ってくれたものの、帰りの足取りは重かった。取材対象に逢うまでに一波瀾、逢ってみると厚い壁。予備取材中に「あの世界の人間は、喋るか喋らないかのどっちかだよ。連絡がとれたからって、ポンといきなり行っただけじゃ、別世界の者に本当のことは喋らんよ」と、さんざんこの世界の消息通にきかされてはいたが、まさにその通りだった。  もう一度一から出なおそう。ここで|挫《くじ》けたらきっと後悔することになる──ようやくそう気を取り直したのは、上り最終のひかり[#「ひかり」に傍点]が東京に近づいた頃だった。     極道社会の複雑さ  振出しにもどって、再び紹介者捜しが始まった。  他の仕事で人と会ううち、ひょんなことから道が開けて、直ぐに渡りがつく場合もあったが、相変らずほとんどが手こずらされるケースだった。また、広域七団体のうち、稲川会だけどうしても取材対象者が見つからなかったこともあり、あまり組織単位にこだわらないことにした。  企画がスタートした当座、編集部のデスクからは、「組織をぜんぶ網羅する必要はないよ」といわれていたが、確かにそうだった。目下、抗争中の山口組と一和会はこの企画に欠かせないものの、広域七団体のそれぞれの組織別に妻たちを選んだところであまり意味がないことに気がついたのだ。むしろ、それぞれの妻たちの歩んできた過去、極道の妻ならではの苦労、服役中の夫をもつ妻とか他組織との抗争で夫を失った妻など、別の視点に的をしぼってみると、取材対象者が具体的に選べてずっと紹介者も得やすくなってきた。  こうなると、すべてがいい方に回転しだすようだ。私が極道の妻を取材しているという噂でも流れているのだろうか、どこからか、「◯◯親分の女房は経歴がおもしろいよ」とか「△△会長んところじゃ、奥さんはこんな苦労をしてるらしい」とかいった情報が、次第に集まってくるようになった。  けれども、連絡のとれた姐さんのすべてがすべて取材に応じてくれたわけではない。何度か通ううちに、ようやくOKしてくれるという場合がほとんどだった。  夫に内緒でインタビューに応じてくれたものの、後日それがバレて以後の取材が中止になり、記事にすることを厳禁されたこともあった。夫の許可は得ていたのに、夫の組織の上層部から禁止命令が出されて悔しい思いをしたこともあった。前の日、電話で取材OKの返事をよこしながら、いざ関西の彼女の自宅を訪ねてみると、インターホーン越しに拒絶を繰り返し、ザーザー降りの雨の中、どうしてもドアを開けてくれなかった姐さんもいた。テレビならばそれも絵になるかもしれないが、活字では、このように三行で終わってしまう。  ある親分は、「君の取材した相手が気に入らん。ワシの女房がでるなら、××親分クラスの女房を三人以上は載せなきゃ駄目だ」と断わってきたし、「◯◯会長の名といっしょに載せないとワシの名がすたるよ」と、自分で勝手にその会長に連絡をつけてしまった親分もいた。  反対にこの世界なら、実力親分に会えば、次から次へと簡単に渡りはつくだろうと期待していたが、その考えは甘すぎた。そういった親分は、五人のうち一人といったところがせいぜい。同じ組織の傘下とはいっても、それぞれ派閥があるし、ランクの下の親分が上の親分に、頼みごとはやはりしにくいらしいのだ。ことに目下“戦時下”の山口組に関しては、頼むどころか、(出すぎるとヤバイ)という雰囲気が濃厚で、他組織の紹介の前に当人自身の取材許可を得ることだけで一苦労だった。  もっとも、同じ山口組系や一和会系でも、東京から西の組織の組員たちは、連日マスコミをにぎわせているだけに、目の輝きも鬼のように鋭く光っていたのにくらべ、東京以東の傘下組織の組員たちは、まるで他の系列の組織の人間に会っているような気にさせられたものだ。  紹介者たちも、そういった世界の影響を多分に受けていたようだった。  取材ができたといっても、すべての姐さんが週刊誌一週間分七頁を一人で埋め尽くしてくれるような人生を歩んできたわけではない。「残念ですが、××さんのインタビューは、メインにもっていかれませんけど……」などと、いちいち世話になった紹介者に事後に断りを入れたのだが、そこからがまたややこしかった。 「苦労して紹介してやった以上、ドーンと載せてくれんと困る! 親分に何といって詫びればいいんだい。お前は俺に“指”を持ってけっていうのか?」 「俺の彼女でもない女のためにこんだけやってやったのに、恥かかせる気か!」  まるで東映ヤクザ路線そのままの怒鳴り。私は、ひたすら彼らに平身低頭を繰り返すばかりだった。     A姐さんの場合  例えばA姐さんの場合、連絡先の電話番号を手に入れるまでに三カ月を要し、さらに口説くのに六日を費やした。  典型的な博徒一家の次女として育った彼女は現在、名のある親分と結婚しており、青山でブティックを経営していた。電話番号を手に入れた日、私は早速はやる気持ちを押さえながら彼女の店のダイヤルをまわした。  電話に出た女性に姐さんの所在を尋ねると、しばらく間を置いて、いかにも山の手の奥様然とした上品な澄んだ声が、受話器から響いてきた。「ようやく捜し当てたんです。是非あなたにインタビューさせてほしいのですが──」と、こちらの取材の主旨を説明したが、 「うちはオートクチュールのブティックを致しておりますので、申しわけございませんが……」  丁重だが、キッパリと断わられてしまった。それまで何度も経験したことのある拒絶とはいえ、やっぱり目頭が熱くなってきた。  しかし、稼業の娘として生まれ育って稼業の夫の妻となった彼女の話は、この企画にどうしても欠かせないものだった。やむを得ずこれといった妙案も浮かんでこないまま私は翌日、まったくのフリー客を装って彼女のブティックをのぞいてみた。  レオナール、ロベルタ、エルメスなど高級ブランド婦人服の他に数々のオートクチュールやヨーロッパ調の家具・小物類が整然とディスプレーされた店だった。(場違いな所に来てしまったみたい)と私がギクシャクした落ち着かない心地で店内を見まわしていると、品の良さそうな中年の女店員がすーっと近づいて来て、ニコッと微笑んだ。私は彼女と一言二言交しながら、そっと奥の方を窺ってみると、ちょうど目当ての姐さんが、「いらっしゃいませ」と職業的な笑顔を作りながら出てくるところだった。  サンローランの何でもないTシャツにさり気なくはおった黒白のビッグジャケット。四十代とはとても信じられないほど見事にシェイプアップした身体に、子供っぽさと女っぽさがほどよくミックスされた表情を備えた小柄な彼女は、まるでお嬢さまがそのまま奥様になったかのような雰囲気を漂わせていた。もちろん彼女は、私が前日の電話の主とは知らぬまま店内を案内しながら、楽しそうに商品の説明を始めた。 「これはレオナール。きれいな黄色でしょう? でもこれは売らないことにしたの。このまま飾っておきたいのよ。……あっ、これは、オートクチュールね。このドレスの赤は、パーティでは映えるわよ……」  彼女は並べられた中から一着のドレスを取り出して、私に勧めた。赤と黒の光る素材でできた素敵なオートクチュールだった(結局は買うことになったこのドレスは、その後、取材先の組織へ着て行くたびにどの親分にも誉められたものだ。この世界の人たちは、白の他に原色の赤や黒を身につけることが多かったが、どうやら極道好みの配色といえるようだった)。  商札には値段の記入がなく、ただ三十パーセントオフとだけ書かれていた。 「素敵ですねー」  などとドレスを手にしながら、何度か「実は私が……」と言いだしそうになって、口をつぐんだ。焦りは禁物、彼女とうちとけることが先決だ。そう思って私は、客のふりをしたまま、他に勧めるものをあれこれ物色中の姐さんに、「他も回ってまた来ます」と店を後にしたのだった。  次の日も同じ時刻に店をのぞいてみると、奥から出てきた姐さんは、「あーら」と声を上げて、やはり人なつこい笑顔を向けてきた。  相変らず客のふりをして、高価な洋服の中でも安そうなものを選んで取り出しながら、「あのー」と切り出してみるのだが、彼女の美しい笑顔を前にすると、いかにも手強そうで、どうしてもそれ以上を言う勇気が出ないのだ。 「もう一度考えて、出直してきます」  スゴスゴ帰りかける私に、 「勉強しますからねッ」  と、姐さんは、澄んだ|高《ソ》|い《プラ》|声《ノ》を後ろから浴びせてきた。  そして四日目。服を買うことが、客としての口実になってしまった。安くするまで待つ娘だと思ったのだろうか、姐さんは例の赤黒オートクチュールを四十パーセントオフにしてくれた。四万円だった。そのために私は文庫本を売った。ただ交換条件に思われるのがイヤで、実際それがネライだったのだが、その日は余計に切り出せずに五日目にかけることにした。  五日目。もういつまでも客を装っているわけにはいかなかった。  例の服を着て、また同じ時間に店にとび込んだ私を見て、最初こそ、 「見せに来てくれたのねッ。とってもお似合いョ」  と喜んでお茶を出してくれた姐さんも、ついに気がついたのだ。この時とばかりに、めいっぱい説得する私の言葉には耳も傾けずに、彼女は、腰まである長い栗毛の髪を|弄《もてあそ》びながら、しばらく無言で考え込んでいた。  こうして、私が彼女からOKをもらえたのは、さらに二回訪問した二日後のことだった。 「こうまでされちゃ、仕方がないわねぇ……、あなたには負けたわ。こうなったらいいモノが書けるように、協力してあげようじゃないの。でも私を取材するのなら、もっと年とった偉い先生がいらっしゃるものとばかり思ってましたのよ。ホホッ」  大好きだというマイルドセブンをなまめかしくふかしながら、姐さんは苦笑した。若い衆が部屋住みをしていない代わりに、二軒のブティックの経営に忙しい彼女の取材を終えるのに、合計するとちょうど三十日分かかった勘定になる。  どうやら彼女は、私を連れ歩くことに優越感を感じていたらしい。自分が高級店や高級クラブヘ行く時はきまって電話で呼び出し、どう見ても見劣りする身なりの私を引き立て役にした。  また、人一倍淋しがり屋という姐さんは、深夜に私をクラブまで呼び出しては、午前八時や九時までつき合わせたが、その場合はいつも取材抜きだった。一睡もせずに仕事に出かけ、ヘトヘトに疲れて帰ったところに、「出て来ない?」と電話。それでも彼女の子供のように可愛らしい笑顔を思い浮かべると、どうしても断われなかったのである。  今から思えば、彼女は私の根性をテストしていたのかもしれない。  今日で取材が終わりという日に、「極道の妻って悲しいねぇ……」と私の前でポロポロと大粒の涙を流した姐さんは、その日以降、私を呼び出さなくなったからだ。     居候を続けた半年間 「私の人生は本になるよ」  いったん取材に応じてくれるようになると、姐さんたちの多くはそういったものだ。  ところが、ものの十分もしないうちに、ガッカリさせられるケースが多かった。話が具体的な内容に触れたとたんに、その科白は彼女たちの単なる自己陶酔にすぎないことが明白になる。ヤクザ映画のヒロインに自分の日常の姿をダブらせて、明らかにそれと知れる嘘八百を、彼女たちの何人かは得々と並べたりした。  とにかく本人に逢って具体的な話を聞くまでは、記事にできるかどうか皆目見当がつかない。だから、紹介されたら、とにかく会ってみることを原則に、時間の重なる取材の日程を遣り繰りしては、北は北海道から西は九州まで、相手とコンタクトがとれしだい出向いていった。  そして、会うなりすべてを聞きだそうとして失敗した最初の取材の反省から、いったんこれはと思った姐さんのところへは何度も足を運んだ。相手にとって私は、警戒を要する別世界の人間なのだから、彼女たちとの間に人間的な信頼関係が成り立たないかぎりとても真実を喋ってはくれないと知ったから、短兵急なインタビューは避け、三度に一度は遊びにいったつもりで仕事の話はいっさいしないようにしたのである。  私がもっとも長くかよったのは、B姐さんのマンションだった。  彼女は、若い衆を十人以上もかかえる、山口組の有力戦闘組織の組長夫人である。一和会と抗争中の山口組の最前線に位置する姐さんの家へは、毎月約一週ずつ居候させてもらいながら半年かよい続けた。  居候の間、私が寝泊りさせてもらったのは、家具といえば洋服ダンスが一つポツンと置かれただけの、若頭の六畳間だった。だから毎朝、若頭が八時から十時の間に私の寝ている自分の部屋に着替えにやってきた。襖を開け、私の枕元をのっしのっしと洋服ダンスまで歩いていくのだ。  居候第一日目の朝、前日来の極度の緊張からぐっすり寝込んでいた私は、人の気配に気づいてとび起きた。目の前に若頭が後ろ向きに立っていた。私は驚きと恥かしさに、あわてて布団を頭まで被りなおして「お、お早うございます」と挨拶したのだが、前日ニコリともしなかった彼もさすがにバツが悪かったに違いない、このときばかりはテレ笑いを浮かべながら振り返って、ドスの効いた声で「お早うッス」と応えてきた。恐るおそる布団の隙間から覗くと、着替えしている若頭の背中に|刺青《さ》された、明王サマの光背の真っ赤な火炎が、いきなり強烈に寝ぼけ眼に飛び込んできた。  こうして私の居候の毎日は、若頭と「お早うございます」「お早うッス」と挨拶を交し、彼の背中の明王サマと対面するところから始まるのが日課となった。  それから、姐さんや組長に対してはもちろんのこと、若い衆の言動のいちいちをピリピリと気にしながらの昼間の生活が続くのだ──。  浴室の脱衣場に私がいることを知らずに入ってきた若い衆と面と向かいあって、お互い大慌てしたり、こちらが洗面台の鏡に向かって一生懸命化粧している背後で、若い衆が無表情にヤニ取り歯磨で黙々と歯を磨いていたり、深夜、廊下を抜き足差し足でトイレに行く途中、トイレ帰りの若頭とばったりかち合って、その形相のあまりの恐ろしさに「ギェーッ」と全身をひきつらせてしまったりしたこともあった。  また、物干し部屋に干された若い衆の色とりどりの下着や初めて目のあたりにする|褌《ふんどし》に、私はしばしば赤面させられたりもした。とにかく姐さんと私と猫を除けば、男ばかりたむろするマンションの中は、いつだって男臭さが充満していた。  私は毎日ジリジリ焦り続けていた。姐さんの話を聞けたのは居候生活に入る前日だけ。とにかく彼らの生活についていくだけで精一杯。とても取材にまで頭が回らないし、取材をするチャンスも見つからないのだ。  掃除といえば、当番の若い衆の邪魔にならないように部屋から部屋へと逃げ回るばかり。料理の時間も、家の中で一人だけ除け者にされたみたいに、何も手伝わせてもらえない。まして失敗して気分でも害されてはと、恐くて手が出せない。肝心の姐さんに二十四時間態勢でくっついてはいても、隙を見せずに忙しく動く姐さんに口を切る糸口さえ見つからないのだ。  見事なほど“食っちゃ寝”を繰り返しているだけなのに、疲労感だけは一人前以上に、日に日に体の芯に重く厚く沈澱してくるばかりだった。 (早く帰りたい。東京に帰って、カタギの人と極道以外の話をしたい……)  言葉にでも出そうものなら半殺しの目にあっても言い訳できそうもない無礼なことを、一日の間に何度思ったことか。でも、今帰ったらこのまま姐さんとの縁が切れてしまうのではないか、と思うと、(もう一日だけ……)と自分にいいきかせて口をつぐんだ。  しかし、それも一週間が限度だった。  こうして最初の居候の一週間は、これといった収穫もないままに終わった。極度の緊張と絶えずつきまとう疎外感などからくる激しい胃痛と頭痛は、姐さんのマンションを出て東京行きの新幹線に乗ったとたんに、嘘のように消えていた。      姐さんとの心の通い合い 「今夜、ウチらだけで美味しいモン食べに行こうな」  と、姐さんが初めて白い歯を見せてくれたのは、二度目の居候生活に入って間もなくだった。  姐さんは、再会しても歓迎の表情一つ見せてくれず、例の胃痛が見事にぶり返してきたが、前回の居候期間に唯一の友達だったテレビの前の“指定席”に座ってみると、家の中の空気が心なし動いたような感じには気づいていた。私が例によって意識して笑顔を向けると、「あっ」といって表情を緩めたり、無表情だがペコリとお辞儀を返してくる若い衆が、一人二人現われたのだ。  組長も、相変らず丁寧だが他人行儀に、 「先生[#「先生」に傍点]、よう来てくれはりました」  とニコリともしなかったが、帰宅してから若い衆に聞かせる“極道話”の最中に前回と異なり時折、意識的に私にも視線を向けてくれるようになっていた。だから、何となく予感はあったものの、さすがに姐さんのその一言は、跳び上がりたいほど嬉しかった。  その夜、彼女が酔って心地よくなるのを待って、それとなく水を向けてみた。はたして少しずつではあったが、自分やご主人のこと、そして組のことなどを喋ってくれるようになった。  しかし、許可を得て取材メモをとったのはその夜だけ。一緒に生活しながら、ノートを抱えているのは、自分から違和感をかきたてているようなものだから、以後、面と向かって記録をとるのは止めた。ただ私の記憶力もたいしたことはない。姐さんが席を立つたび、重要な言葉は、若頭の部屋に置いてある旅行バッグの中に待機している大学ノートに素早く記録した。まとめるのは就寝前、布団にもぐってから。書いている途中で眠ってしまったらしく、明け方に何度かノートを抱えて眠っている自分に気がついては、真っ青になって跳び起きたこともある。  三日、四日……と経つにしたがい、確実に空気の変化を感じることができた。組長と十人以上の若い衆に対しては、ひたすら私の緊張は止むことはなかったものの、時折ドジを踏む三十五歳の若頭の前では、少しずつ肩の力を抜くチャンスにも恵まれるようになった。  姐さんが私を連れて飲み歩く回数が増え、酔うと小声で、「なんか妹がでけたみたいや」と誰にともなくつぶやいたり、かと思うと、「へん、あんたなんか嫌いや」と憎まれ口も叩いてアカンベーをしてみせたりもした。  そんな姐さんに人間臭い親しみを感じ、私はこれまでにない感激に胸を熱くする。寝食を共にしているからこそ得られる、ささやかではあるが心の通い合いだったと思う。  二度目の居候を終え、東京に戻って他組織の取材を続けていると、時折、酔った勢いで姐さんが電話を寄越すようになった。好きなウィスキーを|飲《や》りながら組長の帰宅を待っているのだろうか、決まって午前さまだった。早朝の四時半という日もあったし、時には三時間にも及ぶ長電話を続けながら、少しずつ心の内を見せてくれるようになっていた。  そんな中で、彼女が「眠ってはった?」と、初めてこちらを気遣うような言葉を添えて電話してくれた時は、内心小躍りしたいほど嬉しかったものだ。  姐さんの家でようやく食べ物の味も空腹感も、しっかり感じ取れるようになったのは、確か三度目の居候からだった。そして、四回目、五回目と回数を重ねるにつれて私は、時々、彼らの生活にすっかり慣れてしまった自分を発見して驚いた。  以前はテレビを見ていても雑談をしていても、いつだって笑うタイミングや怒る場所が皆と大幅にずれていて、疎外感に悩まされたものだが、ある日気がついたら皆と一緒に笑ったり、怒ったり、同じように反応していたのである。  姐さんの“極道話”にもごく自然に相槌を打ってもいた。若い衆が出払った夕食後、姐さんと二人、畳の上に猫のようにゴロゴロと寝そべりながら、辛いといっては一緒に涙をこぼし、若い衆のドジ話に大笑いし合ったりしていた。  同様に、外見は怖いが意外なひょうきん者の若頭をはじめ何人かの若い衆も、私に話しかけてくれるようになり、電話口でも優しい応対をしてくれるようになっていた。相変らず「先生」と私を他人行儀で呼ぶ組長さえも、その頃には、実にさわやかな笑顔を見せてくれるようになり、私が尋ねると、稼業のことや極道について優しく丁寧に教えてくれた。 (人間はやっぱり慣れるのだ)  と思った。  居候に限らず、取材旅行を終えて東京へ戻るたび、あるいは東京で一人の姐さんの取材が終わるたび、髪の毛がゴソッと抜け、体重もガクッと減っていたものだった。結局は神経性胃炎として尾を引くことになってしまったあの胃痛といい、脱毛といい、それほどまでの苦痛を強いた環境に、いつの間にか私自身もすっかり慣れてしまっていたのである。  このシリーズの取材に応じてくれた姐さんたちは合計で二十六人。彼女たちは、 「正直いって極道モンは嫌いだった」 「たまたま極道している夫と知り合って、愛しちゃっただけ」 「極道だから好んで妻になるなんていやしないわよ」 「嫌って嫌って、それでも仕方なしにこの世界に入ったんです」  と口々にいっていた。極道の夫と一緒になるまで極道の“極”の字さえ知らなかったという姐さんたちもずいぶんいた。そんな彼女たちも、私がわずか半年で慣れたように、いつの間にか“嫌いな世界”の水に慣らされていったに違いない、と思った。     |真《ま》|琴《こと》|姐《ねえ》さん [#ここから3字下げ] 山口組・一和会抗争は、街を戦場と化した。 戦うのは男ばかりではない。 組幹部の妻として生きる女たちもまた “銃後”にいて闘っている。 その一人、三十七歳の真琴姐さんは 夫についてこう語る。 「一に親分二に親分、 三、四がなくて五に親分や。 それを承知でくっついたウチもウチやけど、 それにしても、こうも親分のことばっかりやと 腹立ってくるわ」 [#ここで字下げ終わり] 「ヤロー! その|女《スケ》、渡せィ!」  男は腹巻きの中から光るものを取り出すと、泥酔した足をひきずりながら、いきなり彼女めがけて突っこんできた。  彼女は、たった今、ネオン街から逃げてきた見知らぬ女の子をかばいながら、右へ左へ、|体《たい》をかわし続けた。 「このアマ、ぶっ殺すゾォ!」  男は、闇の中で鋭い刃をふりかざすと、運悪く尻もちついた彼女をめがけて体当たりしてきた。 「オンドリャー、女をなめんじゃねぇ!」  いつの間にか彼女の右手にしっかり握られた男の短刀は、ヒレ肉でも切るようにスッと男の太ももを貫通していた。女の子の「キャーッ」という悲鳴に、夏の新宿公園は、すぐに騒がしくなっていった。そして間もなくパトカーのサイレン。白いズボンを真っ赤に染めて、その場にうずくまる若いチンピラの姿を、彼女は映画館にでもいるような気持ちで眺めていた。 「あれは二十歳の時やった、ウチが初めてヤクザに会うたんは。こんなことあんまし、自慢できることやないけどなァ」  今年で三十七歳になる|姐《ねえ》さんはそういって、てれくさそうに酒をついだ。  杉田|真《ま》|琴《こと》(=仮名)、彼女は山口組系のある組織の幹部夫人である。  山口組。ヤクザのヤの字も知らない私が、今さら解説を加えるまでもなく、この一年、電車の吊り広告で、この文字を見ない日はなかった。  昭和五十六年七月二十三日、山口組三代目組長田岡一雄が心筋梗塞で他界した。その後、五十九年六月五日を契機に四代目をめぐって竹中正久派、反竹中・山本広派と分裂が始まったいきさつは周知の通りで、今さら記すまでもない。  五十九年六月十八日に反山口組の一和会が結成されて以来、両者の抗争は繰り返されているが、六十年一月二十六日、竹中正久四代目、中山勝正若頭、南力組長射殺(一・二六事件)により、全面戦争への火蓋は切られた。  そして六十一年一月二十五日の田岡文子未亡人死去により、抗争はさらに新しい局面を迎えたといわれている。一月二十五日現在、抗争事件の発生件数は二十五件。逮捕者三十九名、死者二十名にものぼる。  しかし山口組の菱の代紋に憧れて、今日も若者が組の門を叩く。暴走族、チンピラあがりなど、愛情に飢えた若者、少年院や刑務所で話を聞いて出所と同時に訪ねる者、なかに大卒のインテリや、自衛隊員、警察官、公務員などもいる。  昭和六十年、警察庁が入念に審査し、ヤクザであると判断した山口組組員は、四百四十九組織、一万一千六十人にのぼる。淡路島生まれの初代山口春吉が、大正四年に山口組を結成して七十年を経過した。現在、日本一の構成員を有する極道組織だ。  真琴姐さんの夫は、その傘下の有力組織の幹部である。     抗争さなかの山口組を見た  この真琴姐さんから話を聞けるようになるまでには、いくつかの関門をくぐり抜けなければならなかった。  山口組と一和合の抗争が激化する中で、その世界で生きる女たちはどう生きているのだろうか。彼女らの夫たち、またある場合子供の父親でもある夫たちの身に、何が起こってもおかしくない状況下に今はある。私は彼女たちの口から|直《じか》に話を聞いてみたいと思った。  つてをたどっているうちに、ある組織の会長に会えるかもしれないという知らせがとびこんできた。山口組内でも有力な組織の長である。私は是非会いたいと思った。ひょっとするとその会長の夫人に会えるかもしれない。それがダメでも誰かを紹介してくれるかもしれない。そんな軽い気持ちで私が東海道新幹線に乗ったのは、六十年のまだ梅雨明け宣言も出ていない七月初めのある昼下りだった。  私は、期待と不安で全身を緊張させながら駅のホームに降りたった。と、隣のグリーン車前のホームには、一目でヤクザとわかるごっつい[#「ごっつい」に傍点]男たちが、白線に沿ってズラーッと直立不動で並び黒い壁を作っていた。何事かしらと、チョコンと彼らの隣につっ立ってのぞき込むと、体全体でこちらをゴミのように無視して、男たちの目は、グリーン車内の一人の人物に注がれている。その人物は、これまた迫力のある男たちにガードされ、深々とシートにかけていた。  発車のサイレンが鳴り始めると、ホームの一同は定規で測ったように同じ角度でいっせいに頭を下げ、ひかり[#「ひかり」に傍点]が走り去るまで終始その姿勢を崩さなかった。  ようやく緩やかな空気がホームに戻った。男たちは、ひと群の熊のようにものものしく移動し初め、そばで|唖《あ》|然《ぜん》としてつっ立っていた私や何人かの下車した客たちを、目で「シッシッ」と追い払うような感じで去っていった。  例のグリーン車中の男性が、住吉連合会常任顧問の浜本政吉氏と知ったのは、それからずっと後のことである。 「ごくろうはんです」  見送りの一同と入れ違いに、いつの間にか髪の短い男性があらわれ、のっしのっしと私に近づいて来て言った。  色つきサングラスに白のジャンパー、白のズボン。小脇には、ハンティング・ワールドのセカンドバッグを抱え、やっぱり白い靴。いかつい体を重そうに引っ張り、肩から歩くそのさまは、まさしくテレビなどで見る極道姿そのままだ。彼の一歩後ろには、ノーブランドのセカンドバッグを抱えた、やはり白の上下の、顔に傷のある男が従ってきた。体は小さいが、目はむやみと鋭い。 「お荷物、お持ちしやしょう」  男はニコリともせず私のバッグを引き取ると、先に立って黙々と歩き始めた。私は、 「すいませーん!」  と、懸命に笑顔を作り、わざと大声で挨拶したけれど、まったく無視された。どうやら彼らには通用しないらしい。その後に続ける言葉も見つからず、私はシュンとして彼らの後に従った。すれ違う人々が、振り返っては、“奇妙な取り合わせ”の私たちを眺めていた。  三人が白いベンツに近づくと、ディマジオ(彼らに人気があるブランドの一つ)のスポーツウェアを着たまだ二十歳に満たない坊主頭の男が、すばやく運転席から飛び出してきて、荷物を受け取るとドアを開けた。ヤクザ映画の俳優を思わせるほど、キリリとした顔立ちの好青年だ。  私は、慣れないエスコートにドギマギしながら「すみません」ばかりを繰り返し、行く先も告げず走り出したベンツの中で小さくなっていた。 「車の中で、失礼つかわしますが、自分、杉田(=仮名)と言います。会長は、Aホテルにまいりますので、とりあえず、そちらへご案内いたします」  愛想笑いさえ浮かべずにそれだけ言うと、色つきサングラスに白ずくめの杉田氏は、サッサと前を向き、自動車電話に手を伸ばした。 「おう、なんか(連絡)あるかー?…… アホか、どついたれ!」  あまりの声の大きさに私は思わず身を|竦《すく》ませた。そんな私の仕草に気づいた眼つきの鋭い方の男は、隣で無視を装いながらも、その目は思いっきり私を小バカにしていた。  ホテルに到着すると、幾人もの一目で極道とわかる若い男たちが、入口からラウンジにまでつながっていた。三角の目が、「なんやこの|女《スケ》」と、いっせいに舐めるように注がれてきた。  想像以上の緊迫感だった。私は、遅ればせながら、この場で初めて“抗争さなかの山口組”を自覚した。 (人の紹介とはいえ、こんな大袈裟になるとは……)  改めて事の重大さに震え上がった。もし、ここへ来る途中、会長の身に何かあったら、私は生きて帰されることはないだろう──そんな想像が頭をかすめ、奥歯がガチガチと踊りだすのを止めることができなかった。  しばらく茫然と座っていると、突然どこからともなくストンと私の目の前に腰を下ろす男性がいた。それが会長だった。想像していた極道のイメージはなく、若手プロ野球選手のように爽やかな雰囲気を漂わせている。額に汗を少しだけ滲ませ、白い歯を見せてくれた。八方を何十人もの若い衆に囲まれた緊迫の中で見た、初めての山口組の笑顔だった。  やっと大型組織の親分に会えたという思いと、得体の知れない恐怖感。そして恐ろしいほどの心細さから、強烈な頭痛と胃痛が同時に私を襲って来た。 「ま、戦争の最中やから、こんなもんですわ」  と、優しい言葉をかけてくれる会長は、クリーニングしたてのパリパリした真っ白なジャンパーの胸元から時折|刺《いれ》|青《ずみ》をわずかにのぞかせた。私が少しだけ平静を取り戻して取材の主旨を説明すると、途端に彼の表情が堅くなった。 「うちは、元気が良すぎるさかいに……、書かれるとまずいんや。こんな時やろ……」  そういって周囲の、険しい表情の若い組員たちを熱い眼差しで眺めわたした。 「山口組は出たがらんのや」  さようですかと引き下がれば、頭痛も消えて楽になるだろう、という声も頭のすみでささやきかけてくる。しかし、ようやく紹介者に恵まれて組織の長と会えたのに、ここで引き下がるわけにはいかない。引き下がれば、また一から出直しだ。それに、厳重なボディガードが必要なほどいつ襲われても不思議でない立場にありながら、笑顔を浮かべて「抗争が原因でムショ(刑務所)へやられた若い衆のために、どうしてもこの組を守らなあかん」と言う会長の言葉に、是が非でもこの組織でなければ、という気持ちになっていた。私は必死に食い下がった。  いったいどれほどの時間が経ったのだろうか。重々しい空気の中で、会長がフッとため息をついた。  執拗な頼みに手を焼いたのか会長は、彼のアイスコーヒーにミルクやシロップを入れ、ストローのカバーまでとって飲むだけに準備していた杉田氏に向かって何事か囁き、それからもう一度、私を眺めた。 「会わすだけ会わせたる、紹介者のカオ[#「カオ」に傍点]たてて。なんにも吐かんかもしれんけどな」  とうす笑いを浮かべた。  それから十分ほどたつと、杉田氏は私を白いベンツヘエスコートし、会長は一足先に何十人もの若い衆に取り囲まれながら、黒の防弾ベンツの中へ消えた。今、どこか物陰から銃弾が飛んで来ても決して不思議でないほど周囲は緊迫した空気に包まれ、若い男たちの目は、恐ろしいほどにギラギラ光っていた。  実は私が会った真琴姐さんは、この杉田氏の奥さんだったのである。     「極道モンは嫌いやった」 「あんたかあ。東京から来た変人ちゅうのは……」  待ち合わせの座敷にズカズカと勢いよく入って来ると、姐さんは叫んだ。足は細いが全体的にポッチャリとして、体全体でものを言うような感じ。カーリーヘアにサングラス、白いストレートパンツにピンクのラメ入りマニキュアを塗った素足。目鼻立ちがキリッと派手な顔つきをした、やけに歯切れの良い姐さんだった(姐さんの化粧顔を見たのはこの時だけ、以後一度もなかった)。 「なんで、人の心ン中掘り返したいんや、ウチ好かんわ──」  そう言って体をそむけて座ると、放り投げたヴィトンのボストンバッグからパーラメント(この世界で人気のあるタバコのひとつ)を取り出し、火を|点《つ》けた。 「こんな子供が来るとは知らなんだわ。ウチ話しとうないわ」  姐さんはそっぽを向きながらサッサとウィスキーに手を伸ばした。あわてて私が手伝おうとすると、 「気ィ遣わんといて。金使ってくれはる? ちゃうか……ヘヘッ」  手酌で勝手に「乾杯」とだけ言うと、グイグイ飲み始めた。  胃は再びキリキリと痛みを増し、頭痛も一向に止まなかった。それでも「根性なし」と思われてはならない。私は慣れないお国言葉と、東京ではお目にかかれない「ズケズケものを言う性分」に圧倒され続けながらも、どうしてもと説得にかかった。  取材に関係した話には一切耳を傾けず、世間話ばかりしていた姐さんも、酔いのせいか、それとも哀れに感じたのか少しずつ私の軽い質問に答えてくれるようになった。 「なんやてェ? ヤクザァ? 悪いけど“極道”いうてくれる? そんな、あんたらが|流《は》|行《や》らせた言葉、使わんといて」  ヤクザのヤの字も知らずに飛び込んできた私にとって、見ること聞くことすべてが驚くことばかりだった。  姐さんは、片肘をテーブルについて仏頂面で話を続ける。 「はん、全然ちゃうなあ、見ると聞くとじゃなあ。えらいトコ入っちまったで、ほんま──そやけどウチ、思うんや。たまたま極道モンと知り合うたさかいに、しゃあないやんか。やっぱ生きてかなああかんだろうなあ、極道モンの女房として。そやったらひとつ、裏街道で、ごはん食べてったろうやないか、頑張って、この世界で生きてったろうやないかい、そう思ったんや。  正直いうて、極道モンは嫌いやった。ほんま夢にも思うてへんかったわ。『好きなことしたれ』いうて日本中旅笠道中しとったウチが、まさか杉田の女房に収まって、もう六年間も毎日十一人の子供(若い衆)の飯炊きバアさんやっとるなんてな。情けないわ」  姐さんはニガ笑いしてから、イッキした。そして横向きに座ったまま、あごを上げて遠くを眺めながら、杉田氏との出会いを語り始めた。 「ええ男やったわあ。たまたま友達のクラブを手伝うとった時に|親《おや》|父《じ》(夫・杉田氏のこと。若い衆が親父と呼ぶことから姐さんも同じようにそういうようになったのだろう)がチョコチョコ来とったんや。もちろん極道モンとは知らんかったで。いつもホステスがぎょうさん取り囲んどったわ。酒が飲めんもんやから、ホステスに飲ませて、自分はジュースを舐めとるけったいな男でなあ、何モンかと思うとった。えろうモテて、ウチが近づける余裕なんかなかったさかいに。  いつだったかなあ、ボックスが満席でとりあえず親父がカウンターに座らせられたんや。それが幸か不幸かウチの隣。ウチ、わざと無視して、そんでもってあいつのボトル、ガバガバ飲んでやったんや。何話したか、よう覚えとらんわ。そやけど最後に、あのごつい親父が、蚊のなくような声でボソボソ言いよった。 『明日、東京へ行くさかいに、帰って来たら電話してもええか──?』  図体ばかしデカくて何いうとるねんと思ったけど、 『勝手に電話したらええやろ。電話はかけるためにあるモンや』  つっぱねるようにして言うてやったわ。そしたらホンマに電話が来よってな。けったいな奴や。ほんでも暇だったのか、ウチ、イソイソと化粧直してあいつと飲みに行ってしもうたんやで。けどまあ、くそおもろない。飲みに誘っといて自分はジュース飲んどる。ウチ頭きて、ガバガバ、ボトルを空にして、サッサと帰ってやったわ。  そやけどあいつ、アホとちゃうか。それから毎晩、 『飲みに行かへんか』  とラブコールや。すっかり親父のペース。気がついた時には、喫茶店でコーヒー飲みながらデートしとったんやで」──。  けど、なんぼか好いちょったんやろな。ある日、うちのマンションに遊びに来て、『女房もおらんし、ごはん、ウチで食べたことない』と言われてホロッと来てな、ウチもアホやったわ。四十に手ェ届く男に女房はおらんかて女一人ぐらいおらんわけないのに、『ちょっと待っといてぇや』とごはん食べさせてやったのが、運のツキ。次の日から、若い男を何人も連れて、『ごはん、食べさしてぇや』ちゅうて毎晩来るようになったんや。ごはんなんか食べさせんときゃ良かったわ。  若い男をゾロゾロ連れて来て初めて、極道モンとわかったんや。毎日毎日、ぎょうさんの男を連れて来るやろ。ウチ中途半端が嫌いやから、一生懸命あいつの顔たてて、もてなしてやったんや。けど、ウチのクラブの給料だけじゃとても大の男たち養っていかれへん。そのうち、お金がなくなってしもて。ウチ、ほんと悩んだんやで。『お金ちょうだい』が、どうしても言えんのや。性分やな。けど、しょうがないわな。預金も底をついてきたし。  十日ぐらい悩んで、ようよう親父にゆうてみたんや。おそるおそるな、『金が続かんわぁ』ちゅうて。そうしたら、何や簡単なことだったんや。『そうかー? なんで早う言わんかったんや』ゆうて、ポンとお金渡してくれたんやで。簡単なことなのにウチ、普通の女の人がやっとるような『男の人にたよる』ようなこと、どうしてもできんかったんや。  けど、『あんたがおらんとウチ、困るわァ』みたいな女が男の人にとって、かわいいんやろな。ウチ、どうしたら女として幸せになれるか、答えが出るまでに半年もかかってしもた。  生活費? ん、以来、キチッと入れてくれるようになったけどな。  あれから七年。クソッタレ、何が悲しゅうて、こんな世界の人間と一緒になったんやろか。 『もうしらん、出てったれ』一日何回だって、そう思うさ。そやけどウチがいィヘんかったら、十一人の若い子は、どないするんやろ。そう思うと、昔みたいに行き当たりばったりが出来んのや。年くったんかなあ……。あんたどう思う? 親父にうまくのせられたって感じや。それとものってやったのかいなあ……」  姐さんは、唇をつき出し、ブータレた顔をしながら氷をグラス一杯に足した。私がまた手伝おうとすると、 「好きな酒ちゅうもんは、自分の金で、自分で作って飲むのが一番美味しいんやで」  子供のようにツンとすると、歯もみせずに微笑んだ。大きな目をくっつくほどに細めて斜め下に視線を投げる。姐さんの得意のポーズだった。     夫を何度か殺そうとした  杉田真琴。三十七歳。東京生まれだが、すぐに西日本に移り、十八歳まで過ごした。  両親は厳しかった。小さな時から朝は五時に起こされ、勉強よりも今でいう花嫁修業をさせられた。学生時代は、短距離で名を知られ、頭の回転の早い、負けず嫌いな少女だったが、ささいな誤解から事件にまき込まれた。真実を叫びつづけたが、両親にさえ信じてもらえず家出、以後、日本全国、行き当たりばったりの人生を送ることになる。  その十年間、惚れられた男は、極道者ばかりだった。多くはこの世界で知られている人間だ。  姐さんは二軒目のクラブに腰を落ち着けると、「この店は剣先しか美味しいものはない」と憎まれ口をたたきながら剣先スルメを注文した。そして、どんなに高い酒よりも好きというオールドの水割りをピッチを上げて飲みながら話を続けた。 「そやけど、とんでもない親父やったわ。ウチ、一緒になってから半年間、毎日殴られたわ。理由もないのに突然殴るんや。親父のお母さんが、『止め!』いうたってきかんのや。電気釜何個ウチの頭でへこましたかいなあ。あの頃、あんたみたいに小っちゃかったさかいに、投げ飛ばされると、唐紙突き抜けて玄関まで飛んで行きよったわ。手ェかけて作った夕食も、ちーと機嫌が悪いと、すぐにテーブルをひっくり返すんや。  今から思えば、『こんな男でも、ついて来れるか?』って、これでもか、これでもかと辛く当たって、ウチのこと試してたんやろな。口惜しかったわ。殺してやろうと、台所から包丁を持って来ては、何度も隣で仰向けになって眠っとる親父の顔の上で構えたわ。──けど、殺せんかった。包丁抱えては、親父の横にうずくまって、声を殺して泣いたわ。  そやけど、親父知っとったみたいやで。顔のすぐ上に刃があるのに平然と寝とるフリしとったんや。  ウチ、親父にかなわんのが、口惜しくて口惜しくてな、どうしたら一発かましてやれるか、殴られながらいつも考えとった。  ある夜、また親父がテーブルをひっくり返したんや。ウチ、やっと決心したわ。黙って耐えるばかりが女じゃない、とな。 (この野郎! 負けてたまるか)  ウチは、オドオド成り行きを眺めている義母の前で、床にこぼれたおかずひとつひとつ皿に盛りつけ直してテーブルにのせると、それを思いっきりひっくり返してやったんや。そうして、ひっくり返ったテーブルの上に片足をかけて、 『おら、よう見とけ。ひっくり返すとは、こうやるんや』  親父は黙って出て行きよった。立場なかったんやろうな。それ以来、殴ることも、感情でもの言うことも、やめてくれはった。もちろん、『二度と暴力いたしません』と一筆書いてもろうたけどな。今も大事にしまってあるで」  姐さんは、勝ったね、とでも言いたげに、カカカ……と気持ちよさそうに笑った。まるで盃で干すようにクイクイと水割りを飲んでいく姐さん。手の振り一つにさえピシッとシンが通っていて、まるで|殺《た》|陣《て》でも見ているようだ。多分こうしていつも若い衆に指示を与えているのだろう。姐さんを見ていてふとそう思った。 「しょうもないなあ、ウチの人生。きっとこの世界の人間と一緒になる運命なんやろなあ。親父にめぐりあわんかっても、やっぱりこの世界の人間と一緒になっとったと思うわ。ん? 極道に|魅《ひ》かれるか、やて? なーんも魅かれん。いくら身をすり減らして頑張ったところで、ウチらはしょせん極道モン。カタギはんにはかなわんで」     地獄の日々  姐さんは突然、「夕焼け小焼け」を歌いながら水割りを作り始めた。 「夕焼け小焼けで日が暮れて……か。ウチ、童謡好きやねん」  ひと睨みすれば泣く子もビビる迫力を持った姐さんと童謡。その不釣合いが面白くて笑いをこらえる私のために、姐さんは最後まで歌ってくれた。 「姐さんは極道の世界で幸せになれる女性なのかしら」 「いうとくけど、ウチの人生、けっしていい極道とだけつき合うてたわけやないで」  姐さんは、あまり聞かせとうないんやけど、といいながら、しぶしぶ苦い経験を話してくれた。 「器の小さい人間もぎょうさんおったわ。そんな極道に捕まって、抜けるに抜けられんで困っとる女も多いとちゃうか。  えらい失敗やったわ。名古屋にいた時かな、しょうもないヤクザもんに捕まってしもて。どえらい酒乱やった。杉田の殴る、蹴るどこの騒ぎじゃない。目から血が吹き出しとったわ。そんでもクラブに働きに行って稼いでな。その頃、大阪のエラーい極道はんが、ウチを好いてくれはってな、毎晩大阪から飲みに来ては、名古屋で泊って、朝大阪へ帰って行きなはってたわ。  なんとなく男にもわかったのとちゃう? ウチが身体中青アザ作っても、嬉しそうに店へ出かけるもんやから、おもろないと、ますます暴力ふるうんや。 『もういやや! 別れる』  いうたら、またぶん殴る。キチガイや。ウチあの時本気で、 『もうたまらん。ヤクザなんかコリゴリや!』  思うたわ。そいで、どないしたら別れてくれるかいなと、二倍に腫れ上がった顔を冷やしながら必死に考えたわ。並大抵のことじゃ別れてくれんからな。  考えに考えたあげく、もう残った道は一つしかなかった。ウチ、床屋へ飛び込んだ。坊主になろう思うたんや。床屋じゃないと、バリカン無いからな。 『そんなこと、でけしません』  二軒の床屋に断わられたわ。しゃあない、三軒目の床屋に入ると、いきなり自分で腰まであった自慢の黒髪をザクザク切ってやった。皆びっくりしとったわ。ハハッ。床屋のおっさん、おそるおそる丸坊主にしてくれはりましたわ。  帰って来たウチの姿見て、男も、びっくりしとったわ。どんなに辛うても泣いたことのないウチの目にも、さすがに熱いもんがあふれてきてな。そりゃそうや、ウチは普通の女やもん。髪は女の命や。そうやろ?  けどな、あいつは、それでも許してくれんかった。カスやな。殴り疲れるまで木刀で殴り潰してから、ウチの持物、パジャマ以外ぜーんぶ、服から、バッグから、下着までハサミを入れてしもた。 『てめえ、絶対に許さんからな、覚えてろ』  捨て|科《ぜり》|白《ふ》を残すと、奥さんトコヘ帰って行きよった。ほんまに男って勝手や。ウチは本妻とちゃうで。なんでこんな目にあわなあかんの? もう精根尽き果てたわ。 (どないしょ……)  金めのモン、そっくり持って行かれて、パジャマ一枚っきり、無一文になってしもた。ウチのへそくり、何百万持ってったかしれん。坊主頭を撫でながら、 (なんで、極道モンと一緒になってしもたのやろ……)  必死で涙をこらえとったわ。そやけどウチはついとった。捨てる神あれば拾う神ありや。例の大阪の極道はんが、 『毎晩お前のクラブに来とるのにおらんで、どないしはったか?』  と、電話をくれたんや。ウチは涙をポロポロこぼしながら、いっさいの事情を話して彼のホテルヘタクシー飛ばしたんや。  そりゃびっくりするで。顔をひん曲がっとるし、丸坊主、惨めやったわあ。けど、その人は、身のまわりのものを若い子に買い揃えさせると、そのまま大阪へ連れて行ってくれはった。  金はそないにないけど、力のあるお人やったわ……。もう一度会うてみたいけどな」  姐さんは、ここまで一気に喋ると、グラスをあけた。顔色こそ変ってはいないが、もうかなり入っているはずだ。ウーロン茶ばかりすすっている私に「飲んだらァ、変な子」と何度もぶっきら棒に勧めたが、あきらめたのだろうか、それとも酔いのせいか、ようやくおとなしくなった。     でけん男に惚れたら地獄  同じカウンターでは、いかにもサラリーマンふうの頭の薄くなったおじさんが、「兄弟仁義」を歌い始めた。それを聞きながら誰にともなく姐さんが、 「カタギはんが、なんでこんな歌うたうんやろ」  とポツリとつぶやいた。 「ヤクザ、ヤクザと批判しとっても、どこぞで男はんは、義理人情の世界に憧れとるんやろ。せめて、歌くらい、その気にさしたりィな。真琴ちゃん」  隣に座っていたママが答えていった。 「よう覚えときィや。今の若い女の子は、ヤクザがカッコイイとかいうて、華やかさだけに憧れてくっついて来よるけど、現実は、とんでもないんや。訳が違ういうて、痛い目あうで。それは肉体的苦痛かもしれへんし、抗争さなかのウチみたいに精神的苦痛かもしれん。何しろ痛いという感覚や感情は、みんな自分持ちやからな。代わってくれる人はおらんのよ」  任侠世界の歌は、次から次へと続く。「人生劇場」「流転」……。  姐さんは、それには耳を貸さず、グラス片手にカラカラと氷の音をさせながら話を続けた。 「極道いうてもな、百人入って一人、一人前になったらええ方や。残りの九十九人とつき合うた女は、そら大変やで。ウチにも二年くらい前におったわ。その|娘《こ》は、東京の有名な自動車販売会社の本社におったのに、でけん男に惚れてな、家出同然、うちの子追っかけてここへやって来たんや。男はまだ若いし、もちろん親父に金を持たされたことがない。惚れた男にゃ小遣いだって持たせてやりたいし、いい服着せてやりたいのが女心というもんや。そやろ? 東京の大学まで出たきれいな娘が、ソープランドちゅうとこで働き始めたよ。  けどな、男ってしょうもないなあ。金が自由に手に入るようになると、案の定、遊び始めてな、シャブ(覚醒剤)には手ェ出すし、女遊びは派手にやらかす。もちろん菱の代紋(山口組の紋)で生きとる限り、シャブに手ェ出したら破門や。一度こっぴどく親父にやられて更生したと思っとったら、またかくれてやりよって、その上、地元のホステスを籍にまで入れてしもた。  水商売と極道、言ってみれば職場結婚。かわいそうなんは、東京からきた娘っ子や。どうしようものうなって、ウチのとこへやって来たわ。そやけど、どうしても別れられんのやと。そのうち、シャブがばれて男は破門、所払いになったんや。哀れやなあ、あの娘。  あれ以来、会うたことない。風の便りじゃ、またヤクザモンと暮らしとるちゅうて聞いたなあー」  あっという間に、時計は午前三時を廻っていた。私は約六時間も姐さんを喋らせていたことになる。いつの間にか極道をしている夫を持った姐さんとしてでなく、杉田真琴というひとりの女性に私はひきつけられていた。 「どこでもいいです、しばらく姐さんちに居候させてください」 「はん……わかっとるわ。あんたの知りたいこと。けど戦争のことは喋れんさかいに。その代わり、気が済むまでおりィや。見るのは勝手や」  こうして私たちは、三匹の猫と、十一人の若い衆が待つ、繁華街から遠くないメゾネット式マンションの八階へと向かった。  途中、「勝手は許さん!」と杉田氏に怒鳴られないだろうか。若い衆たちとどんな会話をすればいいのか。それよりも、この身体を折り曲げたくなるような頭痛と胃痛はどうしたら消えるのだろうか──それと悟られずに元気を装い続けられるのだろうか。私は不安と緊張で頭をパンパンに膨れ上がらせ、あれこれ思いめぐらせながら歩いていた。     「待つ身は針のむしろや」  姐さんの一日は、早朝、昼ひなかにかかわらず、「いってらっしゃい」の一言から始まる。たとえ早朝までボトルを空けていて、ひどい二日酔いでムクんだ顔していようと、持病のリウマチで足がいうことをきかず、起き上がるのに一時間かかろうと、シャッキリした声で、「いってらっしゃい」と見送るのだという。 「この一言にすべてを込めるんや。余分なことをウダウダいうてもしゃあないしな。そんでもドアを閉めてから、内緒で手ェ合わせとるわ。“無事で今日も帰って来ますように──”。  そんなことしとるって、親父にばれたら笑われるで。そやけど、考えてもみい、極道であろうとなかろうと、親父がいのうなって困るのは自分や、ちゃう?」  姐さんのマンションに着いてしばらく経った午前三時頃、杉田氏は、二十歳前後の若い衆三人と例の小柄だが眼光の鋭い若頭を従えて帰宅した。 「そやから一和会が……」  大声で喋りながら、リビングに入ってくるなり私を見つけた杉田氏は、「おっとーッ!」と口をつぐんだ。「泊ってくさかいに、この|娘《こ》、当分の間」と姐さんが「おかえんなさい」の次に言うと、いやな顔もしない代わりに、ニコリともせず、 「先生[#「先生」に傍点]、ゆっくりしてってください」  と言葉は丁寧だが、わざとつきはなしたような言い方をした。  それから三十分間、刑務所からの放免(出所)を迎えに出かけるまで、杉田氏の話すことといえば、自分の会長の話に始まって、本部のこと、事務所のこと、つまり組の話だけであった。  その間、若頭が選んだ靴下を履き、シャツを着け、スーツを着て、最後に姐さんが選んだネクタイを締める。大人が何人も入れそうなほど大きなクローゼットの中には、見るからに上質そうな、派手な裏地のスーツがギュウギュウ詰めに吊されている。二人の若い衆が杉田氏につきっきりで着替えを手伝い、残りの一人は、洋服をハンガーにかけたり、靴を磨いたり、遊んでいる者は一人もいない。  まるで台風一過の勢いで一群がドアの外へ消えると、ドアに向かって姐さんは合掌し、そそくさと二階へ上がって行った。そうして、また神棚に向かって長い間手を合わせた。 「最近、亭主の見送りさえしない奥さんが多いのに……」  神棚と仏壇を慣れた手付きで清める姐さんを眺めながら私がつぶやくと、 「はン? そんなおかみさん、おるんかい?」  真剣に不思議がって、「知らんかったわー」を連発した。そうして、チリ一つない部屋をさらに掃除しながら、 「親父には、外で戦争が待っとるんや。ウチのおる場所は、親父が最後に戻って来るオアシスにしときたいなあ。そのために、せにゃならんことを完璧にやるだけや。偉そうなこと言うけどなあ、この世界、百パーセントしか許されんのや。九のもの十にするために頑張らなあかん。けど、十のうち九しかできんかったら、ナシと一緒や。  女房もおんなじやで、外のことだけでも大変やのに、迷惑はかけられへん。そやさかいにウチにとって、家とは戦場なんやろうなあ。針のむしろや。無事に帰って来るまで心配で心配で、好きな酒も飲めんわ」  そういって姐さんは苦笑いした。  確かに杉田氏の属する組織は、私が居候を始める少し前にマスコミで名前を賑わせた、俗にいう“やり手”戦闘集団だ。この組織にとって、抗争の中でどれだけ貢献できたかは今後、菱の代紋の下で生きていく上で重要なポイントとなる。それだけに危険が伴う。会長に常に寄り添い身を守る役に徹している杉田氏に、何か起こっても不思議ではない。姐さんが針のむしろというのも少しもオーバーではないのだ。     サラリーマンと変らぬ極道もいる  私はこの組織に来る前、会長の名が頻繁にマスコミに登場する山口組直系のある組織の幹部夫人を取材したことがある。あれだけ、マスコミに登場するのだから、さぞかし奥さんも緊張しているだろうな、と想像しながら訪れてみると、意外にも彼女の情報源はテレビのワイドショー番組と女性誌の記事の域を出ず、抗争など“隣は何をする人ぞ”だった。 「心配じゃないんですか」と、私の方が気を揉んで尋ねると、 「そりゃ心配やけど、なんしろ事件以来、ひと月に二、三べんしか帰って来ィヘん。それに家じゃ一切稼業の話はせん。それで十年も連れ添って来たんやから……」  家賃七万円の賃貸マンションに夫と二人暮らし。子供はいない。お茶とお花の師匠をしながら、ひたすら夫の帰りを待つ、着物のよく似合う女子大卒の物静かな女性──。彼女の話は抗争のことよりも、ついつい夫の女性関係の方に進んでゆく。ブツクサやってるところなど、まるで団地の奥さんとかわりがない。まだこの世界を取材し始めたばかりだった頃の私にとって、これは信じがたい事実でショックでさえあった。  しかし、彼女に言わせると、これが当たり前なのだそうだ。もちろん部屋住みの若い衆もいないし、夫は、いわゆるサラリーヤクザで月給制。有名だが穏健な会長で、血の気の多い組員も少ないため、一和会もまさかここまで手は出すまいと自信を持っていた。  この世界の多くの女性に出会い、取材を重ねてわかったことだが、「一から十までこの世界のことを知った上で、できないと解っていても何とかこの稼業に介入したい、しようと思っている」姐さんと、「極道は外でやってくれ、家には決して持ち込むなと、稼業に一切口をはさまず、サラリーマンの女房と少しもかわらない、目のつり上がっていない」姐さんとに大別できる。後者の場合、若い衆と同じ家に住んでいながら一切かかわらない姐さんと、部屋住みがいない上に若い衆と交流のない姐さんとがいる。  西の極道にいわせると、関東の姐さんがどちらかといえば後者にあてはまるという。 「ドンパチやっとるワシらは、やっぱり遅れとるんやろな」  と、歯を見せて笑った。  そういえば関東の組織を取材したとき、「極道」と使ったら、「響きがどうも……、“博徒”と呼んで欲しいな」と言った親分がいた。  一般市民の立場からいわせてもらえば、もちろんドンパチもなく安心して毎日を送ることができるのが一番である。けれど、この世界の女にとって一体どちらが幸せなのだろうか……。私にはわからない。  居候一日目の朝、私が目を覚ました時には、姐さんはもういなかった。姐さんが貸してくれた杉田氏とお揃いのパジャマを着たまま、大きな食器棚、冷蔵庫、テーブルしかないダイニングキッチンヘいくと、三人の若い衆が、新聞を読む姐さんを囲んで、テレビの前で|胡《あぐ》|座《ら》をかいていた。ちょうど、ニュースが始まったところだった。  私も一番端に座り、新聞を声に出して読みながらニュースも聞く姐さんの様子を窺った。と、姐さんの声が止んだ。若い衆の一人が、さっとボリュームを上げる。画面いっぱいに極道の集団が広がる。アナウンサーは、一・二六事件の初公判が行なわれたことを告げていた。画面には、傍聴するためにくじを引いている極道たちと、入念に検査する警察官たちが映っている。若い衆は、画面に接近して釘付けになり、ニュースが終わっても、黙然とテレビに見入っていた。 「アホか!」  突如姐さんは、画面に向かって大声で叫ぶと、無表情で立ち上がり、三匹の血統書付き猫にエサをやった。すかさず若い衆が立ち上がり、無言で姐さんの使った流しの後片付けを始める。私は杉田氏に比べて|華《きゃ》|奢《しゃ》な彼らの背中を眺めながら、入るに入っていかれない強固な壁みたいなものを感じていた。     姐さんの生き甲斐  真琴姐さんのご主人杉田氏の事務所は、マンションの最上階にある。  ドアには、◯×株式会社と、やけにしゃれた名の看板。ブザーを押すと、テレビカメラで入念にチェックされ、鍵があけられる。応接間には、立派な応接セットと壷だけで、余分なものは一つもない。トイレの便器は舐められるくらいきれいに掃除しろ、と教育されるだけあって、陽の光に透かしてみてもチリ一つない。  奥は真ん中に大きな机だけが置かれている組長部屋。机の上には、公衆電話と普通の親子電話が一台ずつ置かれていて、二十四時間シフトの当番が、留守を守ることになっている。すぐ後ろの壁には、山口組三代目、会長、杉田氏の紋付を着た写真が並び、その横には神棚がある。そのはす向かいには、一カ月分の予定が書きこまれたスケジュールボードが掲げられている。◯時府中(府中刑務所)などと義理の予定が書きこんである。また机の正面には、山口組及び組織の規約、そして綱領などが張ってある。 「この事務所もウチが見つけてきたんや」  杉田氏に内緒で、事務所へ案内してくれる途中、姐さんは説明をしてくれた。左手には、いつものように保険証、印鑑、通帳、私が勧めた大びんの「やせる健康食品」など、大切なもの一式を収めたヴィトンの小さなボストンバッグをファスナーもしめずに持って。 「駐車場もな。なーんでもウチや。契約もウチ。家具や電器製品を揃えてやったのも、払ってやったのもみーんなウチの甲斐性や。極道に多いで、女房名義で契約したり、銀行取引きすんのは。親父が極道とわかっただけで、弁護士通じてマンションを追ン出されたこともあったし、道に座ってた猫を撫でただけで、猫をいじめたと警察に通報された組員もおった。何でも悪意にとられてしもうて、ウチらのせいにされるんやで、東京と違うてな」  そうしてまたたく間に夕方がやって来る。それからの数時間は姐さんにとって一番忙しい時間帯だ。何人もの若い衆の夕食の仕度があるからだ。  組織によっては、週一日の定休日を貰っている姐さん、若い衆と一日交代で食事作りをする姐さんなど、様々なタイプがあるが、真琴姐さんは、杉田氏の代わりに出かける義理事などで留守をする日の外は休みなしだ。  食事には香の物以外に必ず三品以上のメニューを取り揃える。そのうえ十一人のうち、肉の食べられない者と、魚の食べられない者が一人ずついる。メインが魚料理と肉料理の日は、それぞれ彼らのために特別メニューを揃えてやる。普通ならまだ学生のはずの若い衆。「杉田は、若い子に厳しすぎるわ。ついてくだけでも人並じゃできんわ」と極道の夫を評価する姐さん。せめて姐さんが介入できる時間──つまり、張りつめた彼らの羽を休めることができる時間くらいは、できる限りのことをしてやりたいという姐さんの母心かもしれない。  私たちは、ティアスポーツ(TSとロゴの入った、極道に人気があるブランドの一つ)の可愛いシャツを着た若い衆に運転をしてもらい、十五分くらいのところにある大型スーパーマーケットヘと買い物に出かけた。途中、数々の商店街やストアを通過するので、見栄でかなと思って質問すると、 「このスーパーが安くて一番新鮮なんや」  と、主婦らしい答えが返ってきた。  姐さんは、「何しよう」を連発しながら、パッパと品物を選び、若い衆の引く買い物ワゴンの中に入れていく。しいたけ一つ買うにも三パック、調味料はもちろん特大サイズ、あっという間にワゴンがいっぱいになって、若い衆は次のカゴ取りに走る。今夜の献立は、焼魚と、野菜のごった煮と、揚げものとに無言のうちに決まった。重くなったワゴンを引く若い衆は、姐さんの目をかすめては、菓子を選んで入れる。 「──ったく、またか」  しかめっ面をしてみせる姐さんに、坊主頭をかいてニヤニヤしながらペコリと頭を下げる。そこにはまだ少年のあどけなさが残っていた。  こうして一日平均一万円の買い物は、ギューギューに詰めても、それぞれ二重にしたスーパーのビニール袋三、四つになる。学生のような顔をした、けれども眼光だけは鋭い若いお供。普通の家庭では一週間分の買い物量。何者かしらと眺める主婦の視線に、私も日ごとに慣れていった。 「夜道をいつも歩いとればあんたも慣れるやろ、それと同じことや。剌されても血ィ見ても、何とも感じなくなるんや。指つめんのもいっしょや。ブルブル震えて脂汗たらしながら、|介錯《かいしゃく》に押さえられてつめるウチの子を初めてそばで見た時は、やっぱし内心ぶっ倒れそうになったけど、そのうち、血ィ見る恐怖感よりも『生き指になってくれるとええけど』とか、『指の墓が足らんから困ったなあ』とか、先のことを考えとるようになったわ。慣れってホンマ恐ろしいわ」  姐さんは、車の中でソフトクリームを舐めながらそんな生臭い話をした。最後に「あれは、親分の目の前でやるか、血のダラダラ流れとる内に親分ンとこ持っていって詫びないと、効果がないんやで」とつけ加えた。  ちなみに杉田氏の指は一本も損じていない。それが姐さんのささやかな誇りだ。  その日、買い物にお供した若い衆が慣れない手つきで、手際よく調理していく姐さんの手伝いをする。この時間が、姐さんと若い衆が一対一でフランクに話のできる個人面談の時間でもある。包丁を持つ姐さんの横で、大きな手で野菜を洗いながら、ニキビが花盛りの若い衆は、自分がオートバイに狂っていた故郷の話に始まって、組員仲間のこと、会長や杉田氏や若頭の話、体調の相談に至るまで、姐さんに喋る。姐さんは、どんな些細なことでも、いちいち「ふん、ふん」と頷きながら適切な助言や指示を与えていく。ひと通りの話が終わる頃には、もうできあがりだ。  彼は、大きな食器戸棚から、次々と色々なサイズの食器を取り出して盛りつけし、手際よく食卓に並べる。いつの間にか私の分まで並べられている。体裁を繕って、私が何か手伝いたそうな仕草を見せると、すかさず、 「あっ! じっとしとってください。僕がやりますから……」  と、十歳も年下の組員に丁重にお断わりされた。最初こそ、手持ちぶさたと落ち着かなさに悩んだ私も、そのうち、何もしないことに慣れてしまった。ダイニングテーブルの大きな椅子に腰を降ろして、彼らの会話に耳を傾けながら、ぼんやりとテレビに目を移す。いつの間にか、母親の作ってくれる夕食を待っている子供のような心境になっていた。 「退屈やろ? 皆食べさしたら、飲みに行こうな」  姐さんが近づいて来て、嬉しそうにそっと目配せをする。聞こえているのか聞こえていないのか、若い衆は、食器洗いに一心不乱に取り組んでいた。こういうのをバカ丁寧というのだろう。けれども、彼らが割った食器は数知れず、一式揃ったセットは一組もないとか。  まもなく、二、三組に分かれて若い衆がドドドッと帰ってくる。玄関のドアは、出入りのたびにロックされる仕掛けで、呼び鈴を押して、ドア越しのチェックが終わらないことには誰も入れてもらえない。  食べ盛りの若い衆たちは、「いただきます」と、元気よく言ってから、気持ちいいほど美味しそうに食べ始める。食べながら、親分が今日、(若い衆の)誰を連れて、どこそこへ行っただの、本部で何があっただの、姐さんに話して聞かせ、食事が終われば、サッサと後片づけ。ウロウロしている私の食器まで洗ってくれてしまう。ある者は、サッサと引き上げて仕事に戻り、ある者は、しばらく新聞やテレビに目を通しながら、居間でネコと一緒にゴロゴロとくつろぐ姐さんとの話に花を咲かせる。夕食の買い物が始まる三時過ぎから四時間ちょっと。姐さんの表情が一番輝いている時間だった。     姐さんの祈り  ある夜のこと。その日、九州まで放免の迎えに行き、温泉地へ立ち寄ってお祝いして来たからか、なんとなくソフトな感じのする杉田氏は、例によって、抗争の話を若い衆に聞かせ始めた。たまたまダイニングテーブルでお茶を飲みながら、姐さんとテレビを見ていた私の向かいに杉田氏はサングラスをしたまま座った。  お土産の|明《めん》|太《たい》|子《こ》を姐さんに手渡す。テーブルの上には、饅頭だの、煎餅だの、名産品が積み上げられているにもかかわらず、杉田氏は義理で出かけるたびに必ず土産を買ってくるのだ。  杉田氏は、隣に座る姐さんが小さくちぎってはバターを塗ってから手渡す好物のフランスパンを、次から次へと口に入れながら話を続ける。そんな親分の話を、居間に座って、まばたきさえはばかるほど真剣な表情で見つめながら聞く若い衆たち。杉田氏が一息ついたのをいいことに、何か訊かなくては、とあせった私は、思わず、 「こんなにマスコミに騒がれて、一和会の報復怖くありませんか」  と言ってしまった。若い衆を目の前にして答えは決まっている。確かに愚問だった。はたして杉田氏は私の方を向いてニタリと笑ってから、すぐに乾いた声で返事をした。 「全然」  あまりの簡単な杉田氏の返事に窮した私を哀れに思ったのか、フランスパンを一くちつめ込むと、意味あり気な目で私を眺めながら、話を続けた。 「自分が死ぬのはええさ。そやけど、中には、ひょいと残された|者《もん》のこと考えてしまう者もおるんやろな。極道にも人間の心が|甦《よみがえ》るんやろ。そんな奴は、どたん場になって、あがくのかもしれんなあ。けど、自分の親分が危いいう時、守ることに精一杯で、そんなこと考えとる余裕もないと、ワシは思うけどなあ。ちゃうか?」  そんな女にとって聞くに耐えない言葉を、姐さんはまったくの無表情で、まるでわざと聞き流しているかのようにパンをちぎってはバターを塗り続けていた。  昭和六十年一月二十六日。テレビの画面に流れた「山口組四代目撃たれる」の衝撃的な文字。風俗関係の取材をしてきた私は東京のヤクザに接触する機会はあったが、関西の山口組、一和会がどんな状態にあったのか、ほとんど無知だった。それにしてもショックは大きかった。病院に運ばれる重体の四代目や、身を案じて集まってくる極道の集団が画面に映し出されると、 (タマを取った(頭を|殺《や》った)一和会はどんな報復を受けるんだろ)  そんなことを漠然と考えては、何度もチャンネルを切り替え、テレビの前にかじりついていた。  一般市民の、しかも東京に住んでいて、関西のヤクザ世界をよく知らない私でさえ、ショックは大きかったのだから、菱の代紋に生きる真琴姐さんの衝撃は相当なものだったに違いない。たとえ冷静沈着な真琴姐さんだったとしても。  ある日、私は姐さんが一番イヤがるはずのこの話をもちかけた。多分まだ記憶に新しすぎるからだろう、真琴姐さんはやっぱりイヤな顔をした。 「ちょうど二、三人のうちの子と一緒にテレビを見て笑っとったんや。『四代目が撃たれた!』いう文字が画面の上の方に流れた時は、びっくりしすぎて、声もでんかったわ。『大変なことが続くで』目の前が真っ暗というより真っ赤になったわ。皆、目ン玉ひんむいたまま、テレビの前に釘付けや。『いつまで続くんやろ、一年、二年かかるやろうな……』もちろんこげん大きな抗争はウチにとって初めての経験やった。事件以後、久しぶりに帰ってきた親父は、ただ仁王のような怖い顔して黙りこくっとった。疲れてはるくせに、目ェかっ開いたまんま、横になっても全然眠っとらんのや。  ウチ、親父の大きな背中を見つめながら、『何にも起こらなええがなあー』と祈っとった。そりゃウチの組織のことや。何か起こすことくらいわかっとった。|鳶《とび》職のような行動しやすい、足の裾にゴムのついた紺色の服着て、『ちょっといんで来るわ』と珍しい言葉残して行ったら(何か起こるな!)って簡単に想像がつくやろ。  |殺《や》るか、殺られるか、殺ったらムショやし、殺られたらそれまでや。どっちにしても畳の上じゃ死ねんわなあ。  しゃあない、ウチだけの男と一緒に暮らしとるとちゃうもんなあ。杉田は組織の男や。組織に必要な人間で、ウチの子の組長にも親父にもならにゃあかん男や。組のために命かけとる人間に向かって、『危いからあんた行かんといて』ちゅうて引っ張れるわけないやろ。何かあったら、どないしょなんて、そんなこと考えたこともないわ」  姐さんは少しずつではあるが、この話題についても触れてくれるようになった。ピンクのきれいなトレーナーに、しょう油のしみが付いた白い半ズボン。洗たく場では、もう一つある白い半ズボンが漂白中だ。畳の上で仰むけになって新聞を広げ、私のために抗争事件に関する記事を大声あげて読んでくれる。  その日、また山口組組員が逮捕された。けれど姐さんは、「またか……」とつぶやいただけだった。  広げた新聞紙に隠れて、姐さんの表情が見えないことをいいことに、私はこれまで面と向かってどうしても聞けなかった質問をぶつけてみた。 「子供? そんなもん要らんわ。矛先が鈍るやろ。自分から望んで組織に入って、そこでご飯食べとる以上、せんといかんことは、絶対にせんといかんのや。一人なら、バンバン親分のために尽くせるやろうけど、子供がおると、普通のお父ちゃんになりかねんもんなあ。  親父は組のために生まれてきたような人間や。親父には、中央線やのうて、東海道線を走ってほしいんや。そんでいつか、この世界で『極道バカ』と、たとえ死んでも名を残すような男になってくれはったら……と口には出さんけど思うとる。そうなるにふさわしい人やと信じとる」  姐さんは、照れくさそうに体を起こし、私から視線をそらした。中央線でなく東海道線というのは、中央線のように曲がりくねって停車の多い人生でなく、太平洋に沿った東海道線のように真っすぐ目的に向かって進む人生を送って欲しいということだ。     「損な生き物やな、女って」  後で明かされたことだが、姐さんは、杉田氏の子供を身ごもったことがある。 「ウチ、ホンマに子供が欲しかったんや。そやけど親父のことや、子供の将来考えると、どうしても手放しで喜べんのや。悩むなんてもんじゃなかったわ。子供はお腹ん中でどんどん大きゅうなっとるのに結論がでんのや。子供は欲しい。まして極道モンは、どういうわけか子供を欲しがるしな。  そやけど、この子は絶対大きゅうなって、ハンデを背負うことになるやろ。好んで『ヤクザの子供』に生まれて来るわけじゃないんや。ウチは、必ずその子が『どうせヤクザの子や』と考える日がくると思っとった。女の子ならお嫁に行く時かもしれんし、男の子なら、いくら頭が良くても、なれん職業があることを知った時かもしれん。  女として、子供ひとりくらい生んだって当たり前の年や。けど、結局ウチは、女としての幸せを断ち切ったんや。決心したとたん、お腹の子は偶然、流れてしもたわ。女って、つらいなあ……」  姐さんは初めて視線をおとした。スキのない女を演じ続け、毎日殺伐とした環境で暮らしてきた真琴姐さん。メゾネットタイプの3LDKの部屋を見渡してみても、すべて夫のものばかり。本棚には、『刑務所まんだら』とか『山口組三代目』『部下を上手く動かす法』など、杉田氏の読む本ばかりで、室内装飾といっても、人形一つない。あるのは「網走刑務所」と書かれた土産物だけだった。  十冊以上あるアルバムも、盃事や、年中行事、組の旅行写真ばかりで、姐さんの写っている写真はほとんどない。姐さん名義で借りたマンションなのに、ここには姐さんがいる、と一目でわかる品物が一つもないのだ。 「こんなトコで暮らしとったら、顔が|歪《ゆが》んできても当たり前やろ」  姐さんは言い訳っぽくポツリと言った。  私は、ふと先日姐さんが、 「たまには、ウチの話聞いたってよ! ちゅうて親父に言うてやりたくなるわ」  と何気なくこぼしたのを思い出した。よくある家庭の奥様方なら、夫にうるさがられながらも、隣の奥様の話に始まって、子供の成績、家のおねだりなど、喋るチャンスに恵まれることもあろうが、私が杉田家に居候していた限りでは、杉田氏は、たとえ三分間しか時間がなかったとしても、組織の話に始まり、組織の話で終わる。姐さんは、相槌を打つだけ。家の中のことについて話を持ちかける余裕すらない。杉田氏の身の周りの世話は、タバコに火をつけるといったささいな仕事から、浴後体を拭くことまで、若い衆がテキパキとやってしまうから、 「ウチの家やのに、ウチの居場所がない──」  と姐さんが淋しさを感じるのも、無理ないことかもしれない。  急に熱いものがこみ上げてきた。悟られまいと、私があわてて、 「姐さん、女になんか生まれなきゃよかったね」  話をかえると、 「そうやなあ──男に生まれときゃ良かったわ。そやけど男に生まれとったら今頃殺られとるとちゃうか。一本気やさかいに」  姐さんは宙を見つめながら嬉しそうに言った。多分、極道やってる自分の姿を思い浮かべているのだろう。 「けど、ウチ、親父以上の極道になろうとは思っとらんよ」  意味ありげにニタリと笑った。どことなく笑い方まで杉田氏に似ているようだった。  かつて生まれ変るなら男といつも言っていたという。しかし今の姐さんに言わせれば、それは現在女としての幸せを感じていない女が言うセリフだという。姐さんも最近、ようやく女に生まれて良かったと言えるようになってきた。もちろん、こう言えるように「どうしたら女として幸せになれるか」を考えて努力しているという。  こんな姐さんだから、万一のために備えて準備万端整えているに違いない。たとえば生命保険なんかは……と切り出すと、開口一番、「アホンダラ!」と、怒鳴られた。 「親父の死を希望しとる女房がどこにおるんや。いくら危険が多くたって、ウチは親父と死ぬまで一緒やと思うとる。そんなもん、かけとらん。そりゃウチの名義で養老保険には入っとるけど。子供がおらん限り、そんなもん、一切いらんわ」  姐さんは目を光らせながら、不愉快そうに私を見た。  しかしまもなくいつもの姐さんに戻ると、一つ一つ言葉を選びながら、私にこんなことを言い始めた。 「生活費チョロマカして、千万円単位でヘソクっといて、親父に何かあっても当分ウチの子たちを食べさせていけるようでなきゃ、極道の女房は務まらんよ。パクられとるのに金網越しに金の相談なんかできるわけないやろ。何があっても一つも変らんで面倒見ていく。これがたまたま任侠世界で一緒に歩いてきて、自然と身についた『極道のカミさん業』とちゃうか?  ……けど、悲しいなあ。これでもか、これでもか、ちゅうて尽くしたってしょせん女や、境界線をピシーッと引かれてしもうて、組織の中に入れてもらえんのやから。今日入門した若い子が入っていけるのに、なんで七年も一緒におるウチが入れんのや。損な生き物やなあ──女って……」  真琴姐さんはいつになく淋しげな顔をして私に言った。     「一にも二にも親分」の夫  私が、極道の取材をしていると言うと、八十パーセント以上の女性が、 「おおこわ、大丈夫?」  と言い、のこりの二十パーセントの人が、面白い! と言った。ところが前者のうち、いきなり私につっかかって、「ヤクザ批判」を始める人間も決して少なくない。 「他人を泣かした金で、楽な生活をしている」 「絞り取れなくなっても、まだ女から絞り取る冷血漢」 「一般人をまき込む抗争が許せない」  などなど。確かに否定できないし、私が一度もそういったことを考えなかったと言ったら嘘になる。取材で出会った何人かの女性たちも、極道と出会う前、そう思ったこともあると答えていた。けれども、 「男と女しかいないこの世界で、たまたまめぐり逢い、愛した人が、極道だった」  と声を揃えてすべての妻たちは言った。 「荘子ちゃんにも愛しとる人がおるんやろ? そうしたら、あんたが死んでもまた、その人と一緒になりたいって思うやろ。ちゃう? 同じことや。たとえ夫が生まれ変って警察官やっとったとしてもやっぱしおんなじ。愛しとることに変りはないわ」  生まれ変っても主人と一緒になりたい、と答えなかった女性は、一人もいない。ただし全員、「けど、極道はコリゴリや」と最後につけ加えたけれど。  朝の六時頃。杉田氏に義理がなければ、家中が一番静まる時間だ。襖をあけて、電話を抱えながら眠っている若頭の枕元を通りながらトイレに行くと、どうしても気になる部屋を通過しなくてはならない。玄関を入ってすぐ左にある、全く陽の当たらない、しかも窓の都合でクーラーも入れられない部屋──私はこれをいつも「女中部屋」と呼んでいたが、これが姐さんの部屋であり、杉田氏の寝室でもある。不思議なことにこの部屋、昼間は戸が閉められているのだが、杉田氏と枕を並べて眠る夜になると、戸が開け放たれるのだ。見てはいけないと罪の意識に|苛《さいな》まれながらも、トイレに行けば、どうしても暗闇の中でその光景が目に飛び込んでくる。並べられた女性らしくない大型洋服ダンスの片隅に金庫がドッカリ。余白の部分にダブルの布団を敷いて、小さな枕が二つ並べられている。背中をつき合わせて二人眠る姿は、まるで熊の親子みたいにかわいい。突然、ケラケラと笑い出す姐さん。一体、どんな楽しい夢を見ているのだろうか。  私は、なぜか出逢ったばかりの頃、姐さんが自分自身に言い聞かせるように言った言葉を思い出し、そうしていつまでも眠りに戻れなくなってしまった。 「二年ぐらい前からかなあ。男と女というより分身になっちまったんや。すぐ隣には、ウチの子たちが寝とるし、無理もないやろ。こうやって、組のことばっかしウチも考えて忙しくしとると、男と女ちゅうことなんか忘れてしまうんやで。けど……」  一体、その後に何と言いたかったのだろうか、それっきり姐さんは言葉を濁してしまった。  真琴姐さんの家にいると、時折、ここが極道の家であることを忘れてしまう。  今日もどこかで山口組と一和会が抗争を繰り広げているに違いない。ところが、姐さんが言うような、「明日は(どころか、今日は)わが身」の緊張感を忘れてしまい、(なんてきれいな空なんだろう……)と、ベランダで思いっきり背伸びして、高い所から街を眺める快感に浸ってしまうことがある。この家に居候するまでの異常なほどの緊張感は、いつの間にかなくなってしまって、私自身の中で、私がここに居ることがちっとも不思議でなくなってしまいつつある。私は、極道にとけこみやすい女なのだろうか。いや決してそうではないはずだ。多分姐さんが言った、「夜道をいつも歩いていれば慣れる」とは、このことなのだろう。こうしてヤクザのヤの字も知らなかった女性たちが、極道の妻として縁の下の力持ちになっていくのだろうか。  いつものように夜と朝の間になって帰ってきた杉田氏が、「また殺られた!」と、全員に事件のいきさつを目を光らせながら話しはじめる時、改めて(ああ、私は極道の家にいたんだ)と気づき、ようやく一種の緊張を取り戻す。 「お父さん、そのご飯、ネコにやってちょうだい」  と真琴姐さんに言われて、 「オイオイ」  と猫の頭を撫でながらエサをやっている杉田氏の意外な一面を見ていると、背中の刺青が、肌色のシャツに書かれた刺青模様のように思えてくる。姐さんは、 「帰ってきたから、やっと安心してうまい酒が飲めるわ」  と、若頭を肴に「つぶれるまで飲んでやる」とクイクイ水割りを飲み干している。その後ろ姿を酒の飲めない杉田氏はいつにない優しい瞳で見守るように眺めていた。  わずかの仮眠をとって、すぐに出かけようとする杉田氏に、まだつぶれず飲んでいる姐さんが、 「たまには一緒にいて」  と、笑った。姐さんにとって|素《しら》|面《ふ》では言えないセリフだ。 「冗談や」  でも姐さんはすぐに打ち消した。調子の悪いことにはわざとそっぽを向いて、忙しそうに仕度する杉田氏。私はなにか人間くさい、男と女のやりとりを感じた。  杉田氏をドアの外へ送り出してから私はそっと姐さんの顔をみた、(やっぱり逃げられたネ)と。 「わかっとるんや、お父さんがウチに頭があがらんことは。一に親分、二に親分、三、四がなくて五に親分、のお父さんやもん。それを承知でくっついたウチもウチやけど、それにしても、こうも親分のことばかし考えとると思うと腹立ってくるわ」  姐さんは酔いながらも長い時間をかけ、杉田氏を送り出してからのお祈りをすませると、酔いにまかせて今まで杉田氏の女房として一番辛かった思い出を私に話して聞かせた。 「一緒になってから、二年目のことやった。親父のお母さんが長患いから、いよいよ危篤になってしもた。今日こそ病院に行ってくれって、ウチ必死でたのんだのに、親父は、当時の会長について義理へ出かけよった。 『こんな世界の男にするために、大学へ行かしたんやない』  が口癖だった母さんも、その日は最後まで息子のことを口にせんかったわ。ウチ、親父が来んこと百も承知で、細くなった母さんの手をしっかりと握って、 『もうじき来るからな、母さん。今、こっちに向かっとるんやから、もうじきやで。がんばりィな』  息子が来るわけないこと承知で嫁に嘘言わせて、|騙《だま》されたフリしとる母さんも辛かったやろうな。息も絶え絶えの中で、 『ねぇちゃん、おおきに』  いうて目を閉じたんや。義理がなんやの。ウチ、こげん親父を恨んだことあらへん。葬式の日まで、母親が亡くなったことさえ告げんと会長にお供する親父を玄関口でとっつかまえて、 『なんで、こんな時くらいいてくれへんの』  いうて、すがりついたら、 『ワシの親は、極道の親分や。お袋は、生みの親であっても、母親やない。この世に親は一人っきりや』  そう言うてウチを振り払って行ってしもたわ。けど、親父も辛かったやろなあ。母一人、子一人。女の細腕一本で大学まで行かせてくれた母親に『おおきに』の一言もいえんかったんやから。葬式の後片付けも終わった深夜、骨になった母さんの前にずーっと座ったまま瞼が開けられん親父の姿みて、頭をガーンとハンマーで殴られたようなショックやったわ」  姐さんは、そう言いながら、初めて目に涙を浮かべた。「辛かったことばかりで、もう涙も|涸《か》れ果てたわ」と、そっぽを向きながら。     「組のために何人懲役に行くんやろ」  山口組・一和会抗争は、こんな姐さんをもっと淋しくさせてしまった。 「一・二六事件以来、見事にカタギの人間が逃げていきよった。半年に一回くらい実家に戻っても、五分とおられんわ。だあれも怖がって喋っちゃくれん。親兄弟でさえもこうやもん、普通の人なんか、ウチの組織が事件起こしてから、なおさらや。今まで一週間に一ペんは遊びに来て、お茶飲んで行きよった連中が、ピターッと来んようになった。杉田真琴の親父は極道やけど、うちは関係あらへん。近づくのが怖いんやったら、電話だけでもええんや。 『大変やね。気いつけてェや』  いうて、気持ちひとつでええのにな。それが人情とちゃう?  債券取り立てだの、金だの、トラブった時ばかし尾っぽ振ってついてきよって。うちらの関係もこんなもんやったのかなあ、と淋しくなってくるわ。  今まで仲よく飲みに行っとった一和会の組員たちもそうや。姐さん姐さんいうて、ほんまにええ子たちやったわ。そやけど戦争になって以来、一本の電話もよこさん、当然といえば当然やけど。偶然、飲み屋で出くわした時も、その子たちは三分とおらんかったんやで。コンちゃん(仮名・若頭のことを姐さんはこう呼んでいる)の友達もそうや。あの子ら、どないしとるんやろ。ちゃんと食べていっとるんやろうか、いっつも金ないいうて……。  ほんまに戦争ってええことないなあ。しょうがないちゅうたら、しょうがないことやけど、やっぱりウチ悲しいわァ、ひとつのもんが分裂するって。同じご飯食べた仲やのに……」  憎しみどころか、逆にカタキのしのぎのことまでつい心配してしまう。お人好し姐さんはこの世界に入って、「人に尽くしても、見返りを期待すべからず」を学んだという。  出逢った人間も多かったけれど、泥をかけて去っていった人間も多い、と姐さんはいう。現実に、私が取材で出入りする半年ほどの間にも、一人が女子高生と駆落ちし、一人が夜逃げした。そうして間もなく二人の若い衆が入ってきた。 「自分のヘマでムショに行きよった子でも、九州であろうと北海道であろうと、必ず面会に行ってやるんや。内縁の妻としてな。若いから、まして初めてやったら淋しいんやろな。 『姐さん、すんまへん』  いうて、皆、金網越しに涙ぐんどるわ。  ところがようやくシャバに出てきて、 『さあ、これから頑張ろうな』  いうてるはなからいなくなっちまうんやから。  自分の親父が恥かかんようにウチはこの通りボロを着とっても、若い子にはパリッとした洋服買うてやって、お金が持てん代わりに何不自由ない生活させてんのになあ。  ある日、事務所に電話を入れたら誰も出ん。けったいやなあ思って行ってみたら、着のみ着のままで入門してきたのに、出てく時は、てめぇのロッカー、見事に空にして行きよった。何でも一緒にやろう思うて、がん首そろえて眠ることだってしてきたのに、事務所の金は持って行きよるし、ホンマ悲しいトコやなあ……。  なんぼ本人のやる気があっても、どうしても極道に向かんって子、おるやろ? そんな子が、 『カタギになって、親のあとを継ぎます』  いうて堂々とやめてく時は、ウチ、もの凄う嬉しいんやで。 『よかったなあ。頑張りィや』  ちゅうて、ウチの組は皆して見送ってやるんや」  姐さんは、嬉しそうに頬を赤らめながら、先刻からリビングテーブルを片付けている若い衆二人を眺めている。それぞれベルトにつけている、赤いカバーケースに入ったポケットベル。ここにも姐さんらしさが窺える。 「若いモンなんか、おらん方がええ、と思うことがようある」  と言いながらも、やっぱり若い衆と一緒にいる姐さんは、表情に生気が甦る。  私は、十一人の若い衆一人一人を思い浮かべてみた。目を輝かせてビシッとした姿勢で杉田氏の話を聞く彼らよりも、夕食を皆で食べながら楽しそうに笑う彼らのあどけない表情が浮かんでくる。 「この子ら、五年後、十年後、どないしとるんやろ。何人残っとるんやろうなあ。  そんでもって、何人組のために懲役に行っとるんやろ。まっすぐ大人になってくれるといいんやけど……」  その目は、母親のそれと変らない。  一日くらいは自分のために生きたい、と事あるごとに口にする姐さんに、「何をしたいの?」と尋ねたら、 「一日ががりで、手のこんだ料理を親父につくってやりたいわ」  と意外な答えが返ってきた。  私は若い衆に大声で世話をやく姐さんの姿を眺めながら、 「親父がウチの夫に戻んのは、グーグー寝とる時だけや。さすがにこの時だけは、組のこと言えんもんなあ……」  と無理に微笑みながら言った言葉を思い出していた。    |治《はる》|美《み》|姐《ねえ》さん [#ここから3字下げ] 現在服役中のヤクザは約五万名。 今日も日本中の刑務所で何人かのヤクザが 放免になり、そしてまた何人かが、 コンクリート塀のむこうへ送られてゆく。 治美姐さんも毎日毎日、幼い娘を背負って 府中へ通い続けた。 服役中の夫に会った後、 娘はいった。 「ママ、なんでパパったら、 へんなお洋服着てるの?」 [#ここで字下げ終わり] 「ママ、なんでパパったら、へんなお洋服着てるの?」  三歳に満たない娘は、金網越しに脂じみた汚い囚人服を指さしながら、父親に触れようと頑張っていた。  もう子供に、「パパはね、お腹を切って入院してるのよ」では通用しないことを悟った|治《はる》|美《み》(=仮名)姐さんは、ある夜、イチかバチかで娘にぶつけてみた。 「マミ(=仮名)ちゃん、パパは刑務所ってとこにいるのよ」 「ケイムチョ?」  もちろん娘には、そこがどういう所か、聞いただけでわかるはずがなかった。 「そう、刑務所。パパはおまわりさんに連れていかれてあそこで、いけないことしたって、反省してるのよ。でもね、パパはケンカして刑務所で反省してるんだから、マミちゃんは何にも恥かしく思うことないのよ」  姐さんは幼い娘を膝にしっかりと抱きながら、一語一語、噛み締めるようにして言って聞かせた。父親にそっくりな娘のパッチリとした大きな目はまばたき一つせず、姐さんを見つめていた。 「ケンカちちゃったのかー、パパは」  それ以上、娘は何も聞かなかった。そして、悲しいとも嬉しいとも言えない、あどけない顔で、姐さんの表情を窺った。彼女は娘の両肩にしっかりと手を置いて、にらめっこするように顔をくっつけながら、 「でも、人に言っちゃダメよ。いい?」  と念を押した。こっくりと頷く娘。以来、マミちゃんは、人前で父親のことを決して口にしなかった。たとえ、「マミちゃんのパパ、どうしていないの?」と人に聞かれても。わずか三歳に満たない女の子の言動とは、思えなかった。けれども、母親と二人っきりの時は、やっぱりいつもの子供に戻る。 「マミちゃん、明日、府中へ行こうね」  と言うと、大喜びして部屋中を駆け回り、タクシーの運転手にも、「おじちゃん。フチューケイムチョ」と、自分からハキハキと行く先を告げて、姐さんを驚かせた。 (ああ、あの時、子供を生んで、ほんとうに良かった……)  姐さんは、タクシーの中で隣にチョコンと座って、一生懸命アニメの主題歌を歌っている一人娘を見つめながら、 (これからは、家族三人、きっとうまくいく)  真っ暗闇の不安の中にも、ささやかな幸せを期待せずにはいられなかった。  近頃、母親より口うるさくなってきた娘も家の中ではいろいろ聞こうとするが、一歩外へ出ると知らないふり。普通の小学生になってしまうという。現に同じクラスに同じ稼業の息子がいるが、お互い知っていながら知らん顔だとか。  PTA名簿の職業欄は「会社役員」、子供は「パパのお仕事なあに?」と聞かれたときは、「お洋服屋さんよ」と答えるという。  姐さんは「誰もそう答えろと教えたわけじゃないのにねェ」といって笑った。  刑務所──ある親分は、この世界に入ったからには、避けられない場所で、己れを鍛えるためには最もいい場所だと私に言った。しかしとにかく行けばいいというものではない。この場合は、一家を守るために自ら進んで罪を犯した場合や、一家を守ってもらうための罪代人等の場合のことを言っているのだろう。  しかしながら実際に服役中のヤクザは、必ずしもそれだけではない。恐喝、ゆすり、暴行、覚醒剤……等々。  昭和六十年に警察庁が入念に審査した上でヤクザと断定した者は、日本全国で九万三千九百十人(たとえ本人がヤクザと思っていても、警察庁が認めない者は含まれていない)、構成組織二千二百七十八団体にものぼる。そして、現在服役中のヤクザは約半数の五万名。  今日も日本中の刑務所で、何人かの極道が放免になり、何人かの極道が、厚いコンクリート塀の向こうへ送られて行く。  送られる当人はもちろんだが、それ以上に留守をあずかる女たちは、過酷な日々を強いられる。     たいへんな女道楽だった夫  渋谷治美さんは、極東関口本家に属し、構成員三百五十名以上を抱える組織の会長夫人である。ある雑誌で夫の会長が、「自分の服役中は、若いのに本当によくやってくれた」と自慢した姐さんだ。  池袋から私鉄に乗ること約五分。駅前で待ち合わせした私は、遠くから近づいて来る彼女の姿を見て、初対面ながらすぐに姐さんと分った。薄化粧にもかかわらず、派手に見えるキリッとした顔立ち。ぜい肉がなく細身でスッと伸びたGパン姿にロベルタ(色鮮やかなことから、この世界の女性に好かれるブランドのひとつ)のエプロンが、とてもよく似合う。 「あ、今コーヒーたのみますからね。あそこのアイスコーヒー、この辺じゃ評判なんですョ」  ハスキーな声で喋りながら、お茶だの、お菓子だの、クーラーだの気にして、シャカシャカ動き回るところなど、まさしく江戸っ子そのものだ。キチッと片付けられた部屋。会長の趣昧なのだろうか、部屋は骨董品で彩られていた。 「あっ、早く。冷たい内にアイスコーヒー飲んでくださいよ。はい、ミルク……」  とにかく元気のいい姐さんだ。ようやくひととおりのもてなしを終えて、チョコンと私の向かいのソファに座り、「お待たせしました」と言うなり、突然ペロリと舌を出した。 「あ、ごめんなさい。どうもヤクザの奥さんって、行儀が悪くってぇ。Gパンはいてると、すぐ足が開いちゃうんですよ。パパにもいつも注意されるんですけどォ──」  白い歯を見せながら姿勢を正す姐さん。私の緊張は、これでほぐれていった。 「とにかく大変な女道楽だったのよ、パパは……。二十歳の頃、私はちょうど東宝のオーディションに受かって、女優を目指しながら、夜は友達の店を手伝っていたの」  姐さんは目をくりくりさせ、気持ちのいいほど早いテンポで適確に私の質問に答えてくれた。頭の切れは相当なものらしい。 「私の家にはヤクザの兄がいて、何かというと|義《あ》|姉《ね》に乱暴してたから、絶対にヤクザはいやだって思っていたのよ。  私は、時々店にやって来て、金払いのいい、とってもシックな身なりをしたパパを、何者かしら、と思っていた。ヤクザだなんて思いもよらなかったわ。ある日、店にきた兄に尋ねると、 『池袋で一番と言われるほど、やり手の社長さ。でも、そいつと変なこと[#「変なこと」に傍点]だけは起こすなよ』  と妙に真剣な表情で、私に釘をさすの。  でもその三カ月後だったかな、彼の白いシャツからこぼれる見事な刺青を見ることになったのは。『やり手の社長』──そう信じていたの、私。けれどいつの間にか兄の案じたとおり、食事に連れて行ってもらうようになって……運命の夜のご馳走は、ウフッ、天ぷらだったの。  千駄ヶ谷の旅館へ連れて行かれたのは、ほんとに男と女の自然の成り行きだったみたい。でも、その時、気がついたの。 (なんで、旅館の玄関まで秘書と運転手がお供して来るんだろ……)  って。と、分った時には遅かったってわけ。 (あー。やっぱり、ヤクザだったんだ……)  覚悟を決めるしかなかったみたい。 (彼は好き。でもヤクザはイヤ。けど兄キの顔は潰せないし……)  いろんな思いが頭の中でグルグル回っちゃって、とっても複雑な心境だった。でも、別に本妻になりたいわけじゃなかったから、 (ま、いいか。流れに従ってみよう)  そうして私は、マンションをあてがわれたの。  彼の女になっても、ほとんど生活は変らなかった。私は相変らず友達の店で働いていたし、彼が家に来るのは、月に二度がせいぜいだった。  半年くらい経ってたかしら、彼とつき合うようになってから。ある夜、彼は突然私を銀座のクラブヘ呼んだの。 『今からすぐに来い!』  いつもの横柄ぶりに閉口しながら、それでも不思議と一生懸命化粧して、教えられたクラブヘ行ってみると、もうビックリ! そこには、彼を中心に一つのテーブルを占領するように六人の華やかな若い女性がいて、“あなた”とか“パパァ”って言葉が、あちこちで飛びかってるんだもの。 (なんて男かしら……)  私は呆れて物も言えなかった。一番端の席に座ると、『全員俺の女なんだ』って彼はニンマリ笑うの。 (えらいトコ入っちゃった)  二十一そこそこの小娘にそんなこと言ってくれたって、どういう顔して何て答えたらいいかわかりゃしない。私は内心、 (真剣に別れちゃォかな……)  って考えながら、ただポケーッとして皆の会話を聞き流しているだけだった」  姐さんは大きくため息をつきながら、“お手上げ”の仕草をした。 「つまり、本妻と二号を除いてほか七名が集められたってわけよ。もちろん私はガリ[#「ガリ」に傍点](しんがり)。よくやると思わない?」  それでもあまりに強く頭に焼きついているのか、姐さんの口調からはどことなく、“思い出は愉し”の雰囲気も窺える。 「じゃ、ラッキーセブンの姐さんが、本妻に選ばれたってわけ……?」  私も、姐さんにつられて笑うと、 「とんでもない、ない! それからまた三年間が大変だったのよ。  それからは、 『うちのいる?』 『パパ、そっちにいってる?』 『昨夜は、一緒だったのよ。どう? いいでしょう?』  なんていやがらせ電話が、X号さんたちから頻繁にかかってくるようになったわ。『一緒にさせてくれなきゃ、死んでやるゥ!』と、大騒ぎしたX号さんだっていたのよ。流されるままに、何となく彼とつき合って来た私だったけど、そのうち、半年たち、一年たって、若い私にも情が出て来て、いつの間にか一人前に嫉妬することを覚えていたの。  三年経って、あまりの女道楽に愛想を尽かされたのか、本妻との関係がおかしくなって、ついに離婚。それと同時に最終的に残った五人が、一堂に集められたの。誰もが彼のこと、愛していたし、誰もが本妻になりたがっていたけど、そんなことは、おくびにも出さないで、ただ真剣に皆彼の話を聞くだけだった。 『いいか、近いうち、この中から本妻を選ぶからな』  それからしばらくしてからだった、『お前と一緒になるぞ』っていう彼の言葉を聞いたのは。忘れもしないわ、二十五歳の時よ」  その瞬間から大変な毎日が始まった。  毎晩毎晩七、八人の人相の悪い男たちが、家の二階に集まり、|博《ばく》|奕《ち》がはじまる。  姐さんは、「あれ持って来い」「これ持って来い」と夫に怒鳴られ、間に合わなければ蹴とばされた。タバコ、シャブ、アルコール。悪臭がムンムンたちこめる部屋で、博奕は夜通し続けられたという。  夫がやっと家に帰り、「あれも話したい、これも言わなくっちゃ」とついて行けば、すぐにドドド……と男たちが遠慮もなく二階まで上がって来る。姐さんは、仕方なく身重の体にムチ打ち、夜は殴られながら博奕のヘルプをつとめ、昼間眠った。姐さんの体中に青タン、赤タン(あざ)が増えていった。  まもなく姐さんはマミちゃんを生んだ。     「女の子を生んでくれ」  姐さんは、たった今学校から帰ったばかりのマミちゃんを横に座らせ、おやつを与えてから、彼女の後れ毛をかき上げて、 「どう? パパそっくりでしょ。食べ物の好みまで似てるのよ。酒飲みのパパと一緒なの」  嬉しそうに笑った。 「ママ、どうしたの? お化粧してる」  キャッキャッと恥かしそうに笑って、姐さんの後ろに隠れるマミちゃん。親の愛情を一身に受けて育ったに違いない。彼女の目は、キラキラと光っていた。 「妊娠した時? うん、ものすごく迷ったわ。四カ月まで、どうしようと思ってたの。ヤクザの子は、ヤクザの子でしょ。子供に関係ないって言ったって、やっぱり世間はそう思ってくれないものよ。そんなことわかってる。でも、やっぱりそういうのって辛いね。自分は何を言われてもいいのよ。知ってて一緒になってんだもん。でも子供は、たまたまヤクザの子供に生まれて来ただけでしょう?  だけどねェ……生んでくれ、どうしても女の子が欲しいんだ……ってあの人が……」  そう言って、微笑みながら下を向いた。セミロングヘアのすき間から見えるうなじがまぶしいほど美しい。エプロンのポケットに手を入れて、モゾモゾと指を動かす姐さん。初めて彼女が作った、ゆったりとしたひとときだった。  じっとしていることに飽きたのか、マミちゃんは、「ノリちゃんちへ行ってくる」と大声で言って、風のように飛び出して行った。 「ヤクザの兄見てきて、私苦しんだでしょ。|不《ふ》|憫《びん》な思いをさせたくなかったから、男の子が生まれるように、ただただ祈っていたの。女の子だったら可哀相だもの。でも、女の子だった。夫は『ありがとう、ありがとう』って、子供みたいに喜んでいたけど」  遠くから大声で、 「ママーッ、五時には帰って来るからねーッ」  マミちゃんの叫ぶ声が聞こえてくる。そうして、キャッキャッと笑う、かん高い声も遠ざかって行った。 「パパの真似してるんです。パパは、いつも遠くから、『オーイ!』って呼ぶんですよ」  屈託なく、さわやかに笑う姐さんは、今年で三十五歳。夫とは、十八歳も年が離れている。東京生まれで、四人兄妹の末っ子だった。武士のように(と姐さんはたとえる)厳格なサラリーマン家庭なのに、どういうわけか兄はヤクザ世界へ入ってしまった。手がつけられないほどの暴れん坊な上に、父親の給料をそっくりもっていってしまうような悪ぶりだった。  が、父親は、そんな兄に対して暴力ひとつふるわず、母は、給料袋を毎月そっくり取られてどう金を都合していたかはいまだにわからないが、きちんとやりくりしていた。そんな両親を誇りに思っている姐さん。「あの頃決して親の泣いているところを見たことがなかったけれど、陰で泣いていたに違いない」と、子供をもってみて、初めて親の気持ちがわかったという。  しかし子供が生まれても、夫の短気は少しも直らなかった。  まもなく酔っ払って傷害事件。警察にひっぱられてもわがままな夫は、毎日二回、姐さんに手作りの弁当を持って来させた。そして一回でも遅れると、たちまち電話がかかってきた。姐さんは、マミちゃんをおんぶしながら、夫への差し入れに連日連夜、明け暮れた。  保釈金を積んで出て来ると、またケンカ。捕まって、また保釈金を払い、そしてすぐにまたケンカ。姐さんは、遠かろうと近かろうと、雨の日も風の日も決まって一日二回、子供を抱えながら警察通いに明け暮れた。 (放っぽっといて、どっかへ行っちゃおうかな……)  電車に乗って、窓から見える青空を見上げながら、姐さんは、何度も別れようかと思った。けれども、背中にずっしり重いマミちゃんのことを考えると、 (あの人は、私の夫じゃなくて、この子の父親なんだ……)  どうしても別れられなかったという。  こうして三カ月の警察たらい廻しの後、夫は起訴され、小菅にある東京拘置所へ送られた。  治美姐さんに会う以前に、私は、あるささいな事件で起訴された極道に面会に行く弟分について刑務所を訪れたことがあった。  朝八時を過ぎると、面会を待つヤクザ風の男性や親子連れなどで、門の前は賑やかになる。それまで、すぐ前の喫茶店で時間を潰していた連中も、八時半の開門と同時にわれ先にと、面会申し込み所へ詰めかける。  小さなワラ半紙の書類に、住所・氏名・職業などの簡単な必要事項と、面会したい人との間柄を明記し係員に提出すれば、代わりに番号札が渡される。  門を入ってすぐの待合室で、申し込み順通りにいかない面会を待ちながら、売店で、差し入れ用の缶詰、菓子などの食料品や雑誌などを買って時間を潰す。  白い着衣に白い靴。坊主頭か、パンチパーマ。いかにもヤクザ風な、いかつい男性組が目立つ。けれども、ハッと目に止まるのは、しっかり髪を結って粋に着物を着こなし、ピシーッと姿勢を正して順番を待つ、いかにもヤクザ幹部の妻といった風な姐さんや、痩せた母親と身を寄せ合う子供たちなどである。  スピーカーを通して番号を呼ばれて中ヘ入っていくと、消毒の臭いがツンと鼻をさす。ロッカーに持物を入れ、空港さながらの身体チェックを終えると、再びその先にある待合室で待たされる。  正面には長い廊下が続き、そこを嬉しそうな顔をして出てくる者あり、目頭を押さえて出てくる者あり、さまざまなドラマが窺える。  マイクで再び、「◯番の方、◯号室へお入りください」と呼ばれてようやく、胸より下の高さにしか穴の開いていないプラスチック板で遮られた暗い部屋で、監視付きの面会が始まるのだ。 「いやぁ、今度は七カ月ぐらいですから、たいしたことありませんよ」  頭をかきながら、プラスチック板の向こうで目当ての兄ィは笑っていた。     みじめだった拘置所通い  一日一回に減ったけれども、治美姐さんの小菅通いが始まった。子供を背負うと背中にあせもができる、暑いさかりだった。 「忘れもしない、台風が接近していた日。私にとって一生で一番、みじめで辛い日だったんじゃないかと、今でも思っているの。  子供は一歳半になっていた。初めてのことで、私わからないまま無我夢中だった。とにかく毎日、パパに逢いにいかなくっちゃいけない──朝目覚めて、夜眠りにつく時まで、そのことだけを考えていた。というよりそのことしか考えられなかったのね。  外は電車が止まるかもしれないほどの大雨で、傘なんかさせる状態じゃなかったけど、とにかく『行かなくっちゃ、行かなくっちゃ』と念仏のように唱えながら、子供をおぶった上にレインコートを頭からすっぽりかぶって、電車に乗ったの。  拘置所に着いて申し込みを終え、待合室で初めて自分の姿に気がついた時、ガクゼンとしたわ。ここへやってくる女性は、皆きれいに化粧して着飾り、好きな人に一番美しい自分を見せようとしているのに、私は自分の足元を見てビックリ。私だけパパのゴム長靴を履いていたのよ。自分が玄関で何を履いたかさえ気がつかなかったのね。 (なんてみじめ……)  ほんと、雨しぶきが涙と一緒になって……。 (こんな思いまでして、尽くさなくっちゃいけないの? 極道の妻って……。私は普通の女なのに──)  大声で叫んで飛び出していけたら、どんなに楽だろうって思ったわ。でも、娘の顔をみて、嬉しそうに目尻を下げるパパの顔を見ると、やっぱり次の日も同じことを繰り返すしかなかった」  姐さんは、憂いを帯びた表情で私を眺めた。 「ヤクザの女房って、辛いね」  小首を傾げ、長いマツゲでゆっくりまばたきする。やせて細っそりした|顎《あご》の線が、なぜか私の目をとらえてしまって離さなかった。 「めんどくさいし、厳しいし、いいことなんてちっともないのよ。そりゃ、指輪とか、ネックレスとか、ミンクのコートとか、高価な物は買ってくれるけど。こんなのちっとも欲しくないのよ、ほんとの話。第一、ご近所の手前、いくら東京でも、チャラチャラ身に付けて歩くわけにもいかないしィ。普通の人より、少しくらい高そうな物、身につけられたって私、ちっとも嬉しかないわよ。  ──ベンツに絹の服。ダイヤモンドにゴールド。そんなもんに憧れてヤクザについていく女なんてバカよ」  姐さんは、一語一句しっかりと選びながら私に言った。  法廷に入って来た夫は、終始|俯《うつむ》いたまま、まるで抜けがらのようだった。姐さんは、手が届かない先にいる、少しだけ太った男の中に、かつての夫を見出しながら、「懲役二十カ月」の判決を聞いた。  何もわからずに、「パパ! パパァ!」と、父親の姿を見つけてはしゃぐ娘をしっかりと抱き締めながら、 (これから、どうなるのかな──) (私、待ち続けていけるのかな──)  と、ただ漠然と考えていた姐さん。  護送車の見える場所まで行って、子供を抱えながら、夫の出て来るのを、まるで何かに取り|憑《つ》かれたようにひたすら待っていると、間もなく、手錠をかけられてガックリと肩を落とした夫が出て来た。その場に立ちすくむ姐さんの顔をみて、夫は目だけで「たのむ」と言うと、すぐにダッコされている娘の方へ視線を走らせた。  何も知らないマミちゃんは、「パパだッ。パパ、パパァ」と大喜びで手を振っていた。  走り寄って、わが娘をその手にしっかりと抱き締めてやることができない父親。大きな目に、みるみる涙をためていく夫の姿に、(泣くもんか!)と姐さんは、血のにじむほど唇をかんでつっぱっていた。 「あ、お茶の葉、かえなきゃッ」  そそくさと姐さんは立ち上がって、私に背をむけた。チャキチャキ姐さんの頭の中に今、苦い思い出が鮮やかに甦っているに違いない。台所で、わざと時間をかけて急須をすすいでいる彼女に、声をかけるべきかどうか思案しているうち、かけるべき言葉も見つからず、ただ無言で彼女の華奢な背中を見守るばかりだった。     毎日獄中の夫に手紙を書く 「府中刑務所へは、片道二時間もかかったのよ。月一回の決められた日に、わずか十分程度の面会。だけど二時間や三時間の待ち時間はザラ。ちょうど子供のおしめが取れた頃で、途中何度もトイレヘ行きたがるし、かといって時間に遅れたら次回まで逢えない。月一回のことといっても、大変な仕事だった。  とにかくすべてが初めてずくめ。必死の思いでやって来て、やっと面会まで辿りつけたというのに、私の顔見るなり夫は、 『恥をかかせるな』 『俺のカオを潰さないようにしろ』  とか、刑務所に来てまで、減らず口たたいているし。  でも子供に『パパ、パパ』って呼ばれた時の夫の喜びようったらなかった。金網越しにはしゃぐ娘を見つめながら、『マミ、おりこうにしてろよ』って、大粒の涙をポタポタ流してるの。今まで極道の親分として涙一つ流したことのなかった人なのにね」  ところでこの服役の二十カ月間、姐さんが毎日手紙を送ったという献身ぶりは有名な話である。 「だって私が心を込めてやってあげられることって、とりあえず手紙しか思い付かなかったんですもの」  クスリと笑った姐さん。その内容を尋ねてみると、 「いつの間にか癖になっちゃったの。日記みたいなものよ」  やっぱり一つのものをやりとげた自信って凄い。それもそのはず、この手紙が日ごと夫の支えとなっていたのだから。 「二級(服役態度で四級から上に上がってくる)になって週一回の面会が許されるようになると、三歳未満だった娘は、ダッコしてもらうことが許されたの。 『大きくなったなあ……』  夫の目は、娘を見ただけで潤んでいたの。どんなにか、この日を楽しみにしていたんでしょうね。娘を抱き上げて『高い高い』をする夫。夫のことだから、前夜は嬉しすぎてきっと眠れなかったに違いないわ。  囚人服には体の脂がしみついているらしく、娘は、 『くちゃい、くちゃい』  を連発しながら、それでも嬉しそうに抱かれていた。涙でぐしょぐしょになったパパのヒゲ面を撫でながら、 『パパ、いつ帰ってくるの?』  と甘えている姿を見ていると、泣くまいと思っていたけど、つい涙が出てね……。 『俺、早く帰りてェ。こんなバカなこと、もうできねェよ』  そう言って、涙でぐしょぐしょになったヒゲ面で娘に頬ずりを繰り返している夫。 『今度は、ちゃんとやり直すっからな』  囚人服の袖で顔をぬぐいながら泣き笑いする夫の幸せそうな顔を眺めながら、 (ほんとうね。きっとよ……、今度こそ……)  私は何度も心の中で叫んでいたの。だから四百人以上の人間が出迎えに集まってくれた放免の日、最後に私の待つ車へやって来て、 『良く頑張ってくれた。本当に悪かったな。これからは三代目のため、子供のためにバカな真似はしねェからよ』  と、初めてほめてくれた時、私はすべての苦労が|酬《むく》われた気がした。思わず夫の腕にすがりついて、声を出してウェンウェン泣いちゃった」     「娘はヤクザの嫁にしたくない」  ヤクザの親分といっても、日曜日と祭日は働かず、「子供の日」と称して、朝から晩まで娘につきっきりで過ごす。  朝は、前夜どんなに帰りが遅くとも必ず七時に起きて、朝食をとる娘と、父娘の会話をする。運動会だといえば、娘のよりボロい自転車に乗って、いつもはつり上がってる目尻を情けないほどに下げて応援にかけつける。本当にごく普通の子煩悩なおじさんになりきっているパパ。治美姐さんはそんな様子を眺めていると、 (この人の仕事って何だったのかな……)  なんて錯覚を起こしてしまう。 「だけど月曜の朝になって、玄関に迎えに来た若い衆を見ると、『ああ、この人、やっぱり極道の親分だったんだ』と淋しいけれど、現実に引き戻されちゃう」  多くの極道の家を訪ねて、私は一つの不思議な小さな発見をした。もちろんすべての家庭に言えることではないけれど、自宅でペットを飼っている極道が実に多いということだ。  子供がいない家庭なら、ほとんどが犬とか猫を飼っている。そして不思議なことに、世話をするのは奥さんでも、極道している夫のかわいがり方は半端じゃない。時には人を|殺《あや》めることも運命づけられている職業軍人のような男たち。虫も殺せなかったり、四六時中、ペットを膝元に座らせて撫でていたり、そんな時の彼らの目は、いつものように光ることなく、子供をかわいがるのと同じような優しさに満ちている。こうした人たちがどうしてああまで凶暴になれるのだろう。彼らのしぐさを眺めているとつい考え込んでしまう時がある。私は、そんな意外な一面を見ながら、(愛情を注がれても、裏切れるのは人間だけか……)そんなことを思っていた。  最近治美姐さんは、夫を見て、(年とったな)と感じる時があるという。ことに夫が娘のことを語る時、しわが一本、二本と増えていくらしい。 「『娘よ』って歌とか、それから娘がお嫁に行くドラマなんか見ちゃうともうダメ。夫は、ティッシュで何度も鼻をかみながら、夢中で見ているの。そんな姿を横で眺めていると、 『ヤクザでも親バカなんだなー』  って、つくづく思っちゃう。(あの子が結婚する時、どれっくらい、オイオイ泣くんだろう)って今から先が思いやられちゃうけど、そのためには何としても、娘の花嫁姿を見るまでは、生きててもらわなくっちゃね。  私は近頃つくづく早く年をとりたい、と考えるようになったの。そうしたら早く娘の花嫁姿をパパに見せてやれるから。  嫌って、嫌って、だけど、たまたま入っちゃったこの世界。ヤクザの嫁になんかならなきゃ良かったって、いまだに思ってる。できることなら、普通のサラリーマン家庭で、子供らしく育ててやりたかった。  でもいつか娘に適齢期がきて、大恋愛をして、『この人と一緒になりたい』って本気で考えた時、ヤクザの娘とわかっただけで相手が去っていったとしたら……。  そのときはショックだろうな。だけど親思いの娘のことだから、『父親のせいで』なんて決して言わないだろうし。 『真っすぐに育ってきてくれたのに、苦労かけさせなきゃいけないなんて』って淋しくなってきちゃう。同じ稼業の人間と一緒になればめんどくさいことがなくて楽かもしれない。でも私は、どんなことがあっても、娘をヤクザの嫁にだけはしないから」  姐さんはきっぱりと言った。     深夜の電話が恐ろしい 「ママー、お腹すいた」  かなり遠くの方からマミちゃんの声が聞こえて来た。すかさず姐さんも家の中から大声で、 「早くゥー。冷蔵庫の中にケーキがあるから、手ェ洗って食べなさーい」  姐さんはクスリと笑った。 「やってることは主婦なのに、ちょっとやっかいなことやってる主婦ね」  とペロリと舌を出してみせた。 「でも……|傍《はた》からはそう見えないでしょうけど、実際私の気の安まる時って一分だってないのよ。これが死ぬまで続くかと思うと、淋しいやら、悲しいやら。同じ女に生まれたのにねェ……。  夜、夫が遠くから、『おーい』と呼びながら帰って来て初めて、『ああ、無事で帰って来てくれた』ってホッとする。でもそれも束の間よ。今度は、『深夜の電話がありませんように』って新しい心配事が生まれてくる。深夜の電話って本当にろくなことがないの。ほとんどがマチガイ(紛争、ケンカ)。『どうかマチガイがありませんように』ってハラハラ、ドキドキしながら眠りについて、朝目覚めた時、初めて電話のなかったことにホッとする。『よかったァ、無事で』とね。でもそうしているうちに、また『今日も何事もなければいいけど』って新たな心配が始まっちゃうの。その繰り返し」  姐さんは、深くため息をついた。そう言われて私もハッとした。これなら夫が生きてるかぎり針のむしろが続くだろう。まして、極東関口本家の中で地位も高くなってしまった今、会長に何もなくても、若い衆に何かあった場合、出て行かざるを得なくなる時だってあるだろう。  姐さんが夫のもとに嫁いでから、今日まで抗争と名のつくものは三回あったという。  家の周りには至る所に警官が立ち、子供は母親、警官につきそわれて登下校した。姐さんには、怖いという実感は少しもなかったが、一日何回となく訪れ、電柱の陰でギョロリと目を光らせている警官を見ると、ただ、 「ご近所に申し訳ない」  の気持ちでいっぱいだったという。 「まだ娘が小さかった頃なんだけど、娘がテレビニュースで夫の姿を見つけたの。ある組織のお葬式で、黒装束の険しい顔した何百人もの極道が、画面いっぱいに広がっていた。娘も抗争の不気味さを経験しているから、子供心に不吉な予感がしたのね。 『パパも死んじゃうのかな──』  って。こんな小さい子にどうしてそんな思いをさせなきゃいけないのかって思うと、つい、しっかり娘を抱き寄せて、『パパが死んじゃうときは、ママたちもいっしょに死んじゃおうね』って叫んでしまって……。  極東を愛している夫。この大きな一家でおまんまを食べてるんだから、家を守るためのいさかいは仕方ないと、私もいくらか覚悟はしていた。でもこういう運命に生まれた娘を見ていると不憫でねェ。世の中のこと何もわからない年なのに、 (負担かけてごめんね)  何度も何度も心の中でわびていたのよ。  男の戦いって本当にイヤ。この人と一緒にならなきゃ、別の幸せがあっただろうなって思うことだってあるわ。でも生まれ変っても主人とは一緒になりたいけどね」  とつけ加えた。もし極道の夫とめぐり逢っていなかったら、絶対に女優をやっていたという。     重たい看板で食べていく  姐さんは、ようやく遊びから帰って来て、おいしそうにケーキを頬ばるマミちゃんを眺めながら、 「この世界、夫の身に『何か』は、すぐかもしれないし、一週間後かもしれない。でも、とにかく『今日も一日、何事もなく帰って来られますように』の思いを『行ってらっしゃい』の一言に込めて言うの。夫は、万が一のこともすべて含んでか、必ず『(あとを)たのむ』と言って出ていくのね。極道者らしく、肩で風切って歩いていくんだけど、近頃、『背中が泣いてる』って感じる時があるの、ほんとうに……。  年とったってつっぱって生きてかなきゃいけないんだもん、大変だなあってつくづく思うわ。おまけに、その大変に私がくっついてるんだから、『ああ、たーいへん』よ。  安心して暮らせるって一番ね。夫が戦地に行ってる奥さんって、こんな気分なのかなぁ。主人と一緒になってからよ、仏壇の前でこんなに長いこと手を合わすようになったのは。考えるなっていう方が無理なんだから。  でも不思議ねェ。最初は、殺されたらどうしよう……って自分のことばかり考えてオドオドしていたのに、いつの間にか私も腹がすわってきちゃったみたい。 『何があっても私は家庭を守っていくのが仕事なんだ』  って自分に言いきかせられる余裕が出てきたもの。私もいよいよ染まってきたのかしら。でも、マチガイというと、『ヤダナー』と胸さわぎしながらも、へんに血が騒ぎ出すのは、どうしてかしらね」  姐さんは、意味ありげにニヤリと笑った。この世界の奥さん特有の|表《ポ》|情《ーズ》だ。 「女房なんて、しょせん|場《ば》|下《した》(妻のこと。夫と対等の地位でないことが字から窺える)。女中か、飯炊きばあさんみたいなものじゃないかなって気がしてきちゃうのよ。それだけに辛いわねェ。ねーぇ、そこまで女に思わせるなんて、本当に辛いことだわ」  私は、返す言葉もなく、それでも肩を落とせない姐さんを見つめるだけだった。  最後に一つだけ夫に対して願いごとはないかと尋ねたら、意外な答えが返ってきた。 「死ぬまでに一回くらい、やさしい言葉かけてくんないかなぁ。ダンナさまに優しい言葉をかけてもらっている奥さんを見かけると、やっぱりちょっぴりうらやましくて……腕だって組みたいし。 『おい、おまえ、るせィ、喰いたきゃ勝手に喰え』  なんて声から遠ざかってみたいの。でも、やっぱり無理でしょうね」  姐さんはカッと口を開けて笑った。  そろそろ夕食の準備をする時間だ。私は帰り仕度をしながら、料理の手伝いをするマミちゃんを眺め、すぐにそっくりな会長の顔を思い浮かべた。 「世間様にいつも迷惑をかけているから」  と福祉の仕事にも精を出して何度も表彰され、「腰を必要以上に低くしろよ」と姐さんに口すっぱく言っているという会長。 「だけどどんなに気を遣ったってしょせんはヤクザ。悪く言う人がなくなるわけじゃない。引退したからってカタギになれるわけじゃなし。結局私たちは、この重たい看板で食べていくしかないのねェ」  そんな姐さんの独り言が私の耳に焼きついて離れなかった。    |智《とも》|美《み》|姐《ねえ》さん [#ここから3字下げ] かつてはシャブ(覚醒剤)に溺れた。 足を洗いカタギに嫁いだが、 その夫もまたシャブ地獄に堕ちた。 そしていま、極道の夫のために ソープランドに出たこともある姐さんは、 ヤクザとかかわった自分の人生を つくづく振り返るのだ。 「……なんででしょうねぇ」 彼女の背には、極彩色の天女が舞っている。 [#ここで字下げ終わり]  ハラリと床に落ちた浴衣、そして、私の前に極彩色の見事な天女がひろがった。 「きれい……」  私は思わず感嘆の声をもらしていた。|智《とも》|美《み》(=仮名)姐さんと言葉をかわすのは、今日が二度目。一週間前初めて逢った日に約束した通り、姐さんは私のために|刺《いれ》|青《ずみ》を披露してくれたのだ。ここはあるホテルの一室。 「シャワーを浴びた方が、刺青に|生《い》|気《のち》が甦るのよ」  姐さんは、サッサとシャワーを浴びて、私の前に裸身をさらした。初めて見る女性の刺青。暗い部屋が急に明るくなったようなあでやかさに、私は異様な感激を覚える一方で、もう一歩踏み出して近づくことができない、何か不思議な魔力めいたものを感じていた。 「|痛《つら》かった……。でも彫ってる最中に深呼吸したら、ホッと緊張がほぐれてね、彫り師が、『それが心得だよ』ってほめてくれた。それから先は、あっという間……」  とても二十九歳、二児の母とは思えないセクシーな体つきだった。 「熱いお風呂に入る時が地獄だったね。もう、『ギャーッ』って飛び上がるくらい……。出たり入ったり。この苦痛を毎日繰り返して、やがて襲って来る恐怖の|痒《かゆ》みを我慢すれば、こんな風にきれいに仕上がるんだ」  姐さんは浴衣を着ながら満足げに笑った。 「でも、どうして彫る気に?」  私は、彼女に逢う前から、それが聞きたくて仕方がなかったのだ。姐さんは、 「それを話すと長くかかるから、あとでね」  と、思わせぶりに言ってバスルームヘ消えた。私は、真っ赤なスポーツシャツを着た姐さんをラウンジでイライラしながら待った。彼女の衰えを見せない見事な肢体と、呼吸する刺青が、いつまでも私の心を捕えて離れなかったからだ。  智美姐さんは、私が、「極道の妻たち」の取材を始めてから出逢った三人目の女性だった。  私は、約二千名の構成員(警察庁調べ)を持つ関東に本部がある組織の幹部の奥さんを捜していた。  ある組員の紹介で、教えられた事務所にダイヤルしてみる。とたんに、 「◯◯こぉーぎょォーッ(興業)!」  と、鼓膜を貫通するような不気味な大声が響いてきた。あまりの凄まじさに思わず離した受話器をまじまじと眺めて、 「すみません……」  わけもなくあやまってしまう。一呼吸おいて、ついついこちらも負けじと大声をはり上げて、 「家田でございますが、××会長はいらっしゃいますでしょうか?」  と、尋ねる。間髪を入れずに、 「おう! どこの誰や?」  と凄みある声で聞き返される。  今でこそ、相手が第一声を発する前に、必ず耳から少し受話器を離す、というコツを覚えて、電話の声にビビることもなくなったが、最初の頃の私にとっては、電話さえ難関の一つだった。 「すまんけど、協力してやれんなあ」  幹部たちに何度も断わられた挙げ句にやっとOKをもらえたのが、中堅どころの極道を夫に持つ智美姐さんだった。これまで金の苦労よりも、精神的苦労の方が重かったと語ってくれた女性たち。しかし私は、智美姐さんによって、覚醒剤、金、売春といった、この世界の別の一部分を知ることになる。     初めてのヤクザ体験 「なあ、アコ(=仮名)。俺だって辛いんだ。けどよ。どうしても今、金が要るんだよなー。たのむよォ──」  東京に初雪が降った、とっても寒い夕方だった。中学三年の二学期末テストが終わったその日、智美姐さんと、親友のアコ、そしてクラスメートの二人が、行きつけの喫茶店でビールを飲みながらダベっていた。そこへやって来たのがアコの彼氏の修(=仮名・どこの組かも不明)。「ヤクザ」というよりも、「チンピラ」と言った方がふさわしい十八歳くらいの男だった。真っ白なズボンに高級牛皮ブーツ。細面で鼻筋の通った修は、当時十五歳の姐さんにとって、えらくカッコイイ男に見えたらしい。  区立中学の制服を着て、ニキビが花盛りな顔に化粧したアコの隣に座ると、彼女のためにハイライトの火をわざわざつけてやって、眉を八の字に垂らしながら、こんなことを言った。 「だから、今度の競馬は仕組んであっから心配ないってば。ほんの一週間の辛抱だからさ。な、アコ。前借分は今度の競馬でキチッと返してやっからさ」  バン(女番長)を張っていた姐さんも、さすがに小さくなって目だけをキョロキョロさせながら何も言い返すことができなかった。隣のテーブルでは、太いたて縞のワイシャツに真っ赤なネクタイをして、丸坊主に口ひげ、いかにも怖そうな顔した修の兄貴分がサングラスの奥でニンマリとしながら、彼女たちを観察していたからだ。  アコは、相変らずタバコをふかしていた。ほんの数週間前、新宿のディスコで修にナンパされたばかりなのに、とっくに彼に一途になってしまっていた。 「おい、時間がねぇんだ。早くしろ修! なんなら、そいつのダチ公、代わりに連れてってもいいんだ」  丸坊主の男が、凄い勢いでテーブルを叩きながら立ち上がると、一斉に店内にいた客が取るものも取りあえず飛び出して行った。平然と煙にかすむ天井をすかしていたのはアコだけ。姐さんたちはといえば、ますます小さくなって、抱き合いながら小ウサギのようにブルブル震えていた。 「わかったよ。行きゃいいんだろ」  アコはタバコを灰皿にこすりつけると、姐さんたちに一言も挨拶をしないで無表情で立ち上がった。そうしてサッサと外に止めてあった修の兄貴分の車に乗り込んでしまった。化粧道具とハイライトしか入っていないペチャンコの学生鞄を大事そうに抱えながら。  私は姐さんたちが取材にOKしてくれたその日のうちに、必ず尋ねる質問がある。 「あなたの人生で初めて『ヤクザ』に触れたのはいつでしたか」  智美姐さんの場合も、ヘアダイとパーマのためかつやのない髪をいじりながらラウンジに彼女がやって来ると、私は最初にきり出した。 「──アコ? 二度と制服を着られなかったね。代わりに着せられたのは、何だと思う? 着物よォ。温泉芸者のね、つまり売られたってわけ」  乾いた調子で話を続けた。姐さんと逢うのは二度目。けれども取材をするのは今日が初めてだった。初っぱなから飛び出してきた、姐さんのヤクザ体験。聞いている私の方がブルブル震えてしまった。 「バン張ってるわりにアコっておく手でさ。生理がきたのも中学二年だったんだよ。そりゃ修が初めてってわけじゃないけど……可哀相に。アコの稼ぎは組の若いモンが食べるために使われたらしいよ。よっぽど辛かったんだろうね、運良く泊り客が泥酔して寝込んじゃうと、決まって旅館を抜け出して来たもんよ。それも素足のまんま、ヒッチハイクして仲間の所に来たんだから。 『なんか食べさして!』  って。途中で|姦《や》られたのカモよ、着物が泥まみれだった。でも三日も経たないうちに捕まっていたよ。どこへ逃げてもおンなじ。写真までばらまかれるっていうじゃない?  とっ捕まったらその場で殴る、蹴るの大騒ぎ。骨にひびが入るくらい仕置きをされ、一週間や十日くらい平気で食べ物もろくに与えられないで放っておかれんの。そんな顔の腫れが引くのを待って、またビシバシ客を取らされるんだから」  姐さんは、クレージュの真っ赤なハンカチ(姐さんたちのハンカチにお目にかかる機会はなぜか少なかったが、鮮やかなカラーを特徴としているこのブランドは、いかにも華やかさを好む姐さんたちに人気がありそうだ)で、きらきら光る額を化粧くずれしないように丁寧に押さえながら、意地悪っぽく歯を見せずに笑った。 「ネ、ヤクザって怖いでしょ? もう取材するのやめたら?」  呆れたような顔をする私を目尻で見やりながら、眉間にしわを寄せた。倍賞美津子を若くしたような、いかにも江戸っ子姐さんタイプ。スポーツウーマンっぽいショートヘアと、真っ赤なポロシャツに白いストレートパンツ、素足には赤いスニーカーをひっかけて、こんないでたちは、いかにも彼女らしい。がさつな喋り方といい、歯を見せないうす笑いといい、ちょっと目を離せば、すぐに私から遠ざかってしまいそうな、そんなスキを見せない姐さんだった。 「それでアコさんは?」  彼女の言葉を待ちきれずに私が尋ねると、 「さあ……、人のことだから……。でもあくまでもこれは昔の話よ。今のヤクザが、こういうことしてるかって聞かれても、私のことじゃないから『知らない』としか答えられないもん」  美味しそうにロングラーク(この世界で人気のあるタバコの一つ)をふかしながら、煙越しに肩をすくめてみせた。     シャブに明け暮れた一年間  小林智美。三人兄妹の末っ子。新宿の繁華街の近くで生まれ育った。そのせいか歌舞伎町あたりには、中学の時から出入りし、スケ番として名をはせていた。また兄も高校卒業と同時に極道の世界へ入った。平凡な家庭で普通に育ち、サラリーマンと結婚したのは、三つ違いの姉だけ。極道の長男と、極道に嫁いだ次女。物静かで平凡な母親は、「死んでくれた方かいい」と、姉に愚痴をこぼしていたという。  現在彼女は、二児の母親。八歳になる長男は、ある極道の愛人時代に生まれた子供で、三つ下の長女は、初婚のカタギの夫との間にできた子供だ。覚醒剤中毒におちたその夫との地獄生活からやっとの思いで逃げ出し、めぐり逢ったのが、今の夫。現在の小林家の収入源は、「ノミヤ」だが、結婚後も三カ月間、智美姐さんは、特殊浴場で働いていたことがある。 「私のまわりにヤクザが関係してくると、ろくなことないね。身近なことで言えば、兄貴が義姉を気に入らないと殴る、金がないと質屋通いさせるで、苦労のかけっぱなし。だから私、絶対ヤクザの嫁になんかなるもんかって思っていた。大に大の字がつくくらい、だーいっ嫌いだったんだ」  ヤクザにまつわる恐怖の体験は、思い出せないほどあるという。ところが、どういうわけか、最後にはまたヤクザが登場して救ってくれるので、いくら大っ嫌いと口では言っても、どうしても憎むことができず、いつの間にか魅かれてしまうことになるという。 「|射《や》ったことある?」  突然、彼女が私の目の前に白い腕をさらしてニコッと笑った。よく見ると、静脈に、かすかに注射痕が残っていた。 「刺青のことを話すには、まず、このことから知っておいてもらわないとね……。こんな恥かしいこと、今さらむし返したくないんだけど」  姐さんはそう言って袖を下ろした。  薬に明け暮れた一年間は、どん底とも言える悲惨な生活だった。けれど意外にも当人は、それすら美しい思い出としてしまっていた。なぜなら一人の極道との出逢いが、姐さんのヤクザ観ばかりか、人生までも大きく変えてしまったのだから。 「十八歳の時だったかな、同じクラブに勤める|友《ダ》|達《チ》から『気持ち良くなるよ』って、シャブ(覚醒剤)を分けてもらったのは。耳かき一杯のガンコロ(覚醒剤の結晶)を〇・五ccの水に溶かして静脈注射するんだけど、三カ月も|射《や》れば立派なシャブ中になってたね。  初めは、ただでくれてた|友《ダ》|達《チ》の彼氏で売人やってるヤクザも、 『欲しけりゃ、テメェで稼げ』  って、ある日、ポン引きを連れて来た。だけど、楽しかったな。薬を見ただけでもう心臓が音するくらいにドッキドッキすんの。針を入れると、手足の先がスーッと冷たくなってさ、まもなく全身に鳥肌が立って、目の前が明るくなっちゃう。もう、てんぱっちゃって[#「てんぱっちゃって」に傍点](薬が効いている)たまんないの。だから私は、またネタ(覚醒剤)を買うために、ポン引きが連れて来るカタギの男を次から次へと相手したのよ。羞恥心が消えて、サービスも満点だったから、客の受けも良くって、連日セックスに明け暮れてたっけ。  悪夢と知った時には、もう遅かった。食物を受けつけないから、ガリガリに痩せちゃうし、肌は透けるように白くなってね。稼いだ金も、ポン引きのピンハネと、ネタ代にぜーんぶ消えて何も残らなかった。  情けないねぇ。だけどシャブの魅力って凄かったんだ。指つめたってやめらんないヤクザがいるくらいだもん。 『シャブやめて、まともになりたいよー』  って、自称ヤクザのポン引きに言えば、口から内臓が飛び出すくらいはっ倒されちゃうし、どうにも脱け出せない毎日だったね。  そんな状態が一年ぐらい続いたかな。その夜もラブホテルで泊り客をとらされてた私は、一大決心して二階の窓から抜け出したんだ。ちょうどシャブが切れる時間だったけど。汗ばんだ手に握るのは、たったいま客から貰ったばかりの四万円。十年前にすればいい金だった。  私は、鉛のように重たい体と頭が割れそうな偏頭痛とを引きずりながら、シャブ仲間の香(=仮名)のアパートヘと必死で逃げて行った。だけど、あと百メートルもないのに精根尽きてね、倒れた場所は、公園の汚い公衆便所の前。  私は、脂汗タラタラ流しながら這いずって、汚物にまみれたタイルの上に顔をつけて冷やして、 『ちっきしょう! 負けるもんか。お前はしょせん薬じゃないか。私は人間さ。負けるもんか!』  って、タイルに爪がめり込むくらい、ふんばって薬と戦っていた。運良く通りかかったのが、深夜のクラブが終わって帰る途中の香でね。気がついた時には、彼女のベッドの中。 (また|射《や》っちゃった……)  罪悪感と、いずれポン引きに見つかるって恐怖感が、頭の中で入道雲みたいに広がって、私は毛布にくるまったまま、怖くてさすがに起きあがれなかった。シャブ中症状の不安感って半端じゃないのよ。  突然、ドアがもの凄い勢いで壊されて、三人の鬼のような形相したヤクザが、ドドド……と飛び込んで来た。 (もう見つかった!)  反射的に毛布の中に身をかくしたけれど、土足のままズカズカやって来たヤクザたちが、足を止めたのは、私のいるベッドじゃなくて香の前だった。 『何よ、あんたたち』 『この野郎、てめェ、ヤクザを手玉に取りやがって』  香の華奢な体は、いとも簡単に、ごっついヤクザに抱き上げられて、台所との境にあるガラス戸めがけて投げ飛ばされていた。 『ガッチャーン』  もの凄い音と共に香の獣のような叫び声が。 『こいつ。借金踏み倒すとは、ふてえ野郎だ。ヤクザを甘く見るんじゃねぇ』  砕けたガラスの上につっ伏して、殴られ、蹴とばされる香の真っ白なスリップがみるみる真っ赤に染まっていった。 (噂には聞いてたけど、香がヤクザに借金しまくって、バックレ[#「バックレ」に傍点](知らん顔する)てたのは本当だったんだ)  私は、毛布の中で耳を押さえながら、半ば覚悟を決めていたよ。ようやく香が気を失って静かになった時、あたりは血の海になってた。 『つれてけ』  鬼瓦のような顔した男が、残りの二人に命令すると今度は私の番。果たして毛布をめくると、首根っこ掴まれて畳に放り出されていた。 『知らんじゃすまされねぇことくらいわかってるよなア。二人で働けば、金も早く返せるってことよ』  金歯を光らせてニターッと不気味に笑った鬼瓦は、私の腕を引っ張って歩き出した。 (仕方ないか)  今、捕まらなくてもいずれポン引きに捕まる運命。私は最悪の中でも最良の方法はないかと歩きながら考えていた。 『待ってよ! どうせ売られるんなら、私の納得できるヤクザに売ってよ』  鬼瓦のびっくりした顔ったらなかったね。ついでにニンマリとうす笑いのお返しもしてやったよ。それが私にできた恐怖の中での唯一の抵抗だったみたい。  当時、私には、ひそかに憧れていたヤクザがいたんだ。背が高くって、昔の小林旭みたいに素敵な男だった。私は、例の鬼瓦に案内してもらうと、 『私をあんたの手で売ってちょうだい』  って|啖《たん》|呵《か》を切ってやったよ。  彼は、テツ兄ィ(=仮名)と言って三十五歳だった。兄ィは、例の男に目で『帰れ』とだけ言うと、ラークに火をつけ、私の体をマジマジと眺めていた。値ぶみしてるなって思った。  そこは新宿の真ン中にあるマンションの五階でね、美しいネオンを見下ろしながら、 (私は、どこのネオンの下に行くことになるのかな……)  ってボンヤリ思っていた。長い長い沈黙の後、ようやく兄ィは口を開いてくれた。それが、 『(薬は)止めような』  のたった一言だけ。頭をハンマーで殴られた気持ちって、ああいうことを言うのね。とたんに熱いものがこみ上げてきて、私は彼の胸の中で、子供のようにウェンウェン泣いちゃった。負けず嫌いで、ツッパってきた私が、初めて人前で見せた涙だったような気がする……」     刺青を彫ったわけ 「それで止められたの?」  私が疑いの眼差しで尋ねると、姐さんは、「失礼ねぇ」とでも言いたげな顔で、 「ん、『あ、これがヤクザなんだ』って思ったよ。三カ月間ホテルをリザーブしてくれて、毎日ボウリングに連れてってくれた。何かに熱中しなきゃダメだって。テレビドラマみたいにあんなのたうち回ることなんてしないけど、とにかくクスリがきれるとだるくって怠け者になっちゃうんだ。そのうち、テツのこと好きになっちゃって……」  姐さんは二十九歳の女性の顔に戻って、微笑みながら下を向いた。 「そうして彼の子供を生んだんですね──」 「ん。家庭のある人だったけど、とっても愛してたんだ。私、我慢するから、一生日陰の女でいいから、って。ねぇ、ドラマチックだと思わない?  でもほんとに彼には感謝してた。ヤクザとして、ものすごくできる人だったけど、やっぱしあんまり金はあった方じゃなかった。私って金運ないのかな。アハッ」 姐さんは照れくさそうに笑って私の顔を見た。 (私なら、いくら愛していても未婚の母になる勇気はないかも)  そう思うと、姐さんが刺青を彫った理由も自然とわかってきた。 「それで彼と同じ絵柄を彫ったとか?」  図星だった。姐さんは初めて白い歯を見せた。とてもきれいな笑顔だった。 「何か、一生背負って行けるつながりが欲しかったの。私の気持ちをわかってもらうには、これっきゃないってね。でき上がったモンモン(刺青)見て、彼が、『きれいだー』って喜んでくれた時、本当に嬉しかったね。なんか私らしくない世界かな……」  そう言って恥かしそうに視線をそむけた。  ちょうど、彼女を紹介してくれた組員が、五歳になる長女の成美(=仮名)ちゃんを連れてやって来たところだった。  真っ白なスポーツシャツに真っ白なズボン。小脇に抱えたヴィトンのセカンドバッグといい、一人で歩いていれば見るからに極道という感じの組員も、成美ちゃんと並んで手をつなげば、ただの“やさしいおじちゃん”だ。けれど姐さんは話を変えようとせず、 「おりこうだから、ここでケーキ食べて待っててね」  と成美ちゃんを隣に座らせて、「どこまで言ったっけ?」と促した。 「いいんですか? 娘さんが聞いていても……」  かえって私の方が気を遣って尋ねると、 「ウチの子供は何もかも知ってるから」  そう言って姐さんはピンクの花のヘアピンをつけた成美ちゃんの頭をポンと叩いた。 「子供には好きなことさせてやりたいけど、ヤクザだけはダメ。これだけは今から言ってんの。だから八歳になったばっかしの息子が刺青見て、 『かっこいい』  なんて抱きついて来た時なんかでも、 『おばかさんだね。絶対やっちゃダメだよ。母さんこのために苦労したんだからね』  って教えて聞かせてるの。この|娘《こ》もそう。だから今じゃ肩から刺青が見えたりすると、 『ママ、お絵かきが見えてるよ』  って、隠してくれるんだから。ヤクザの子供って、どうしてマセるのかしら、不思議ね」  姐さんは、顔じゅう生クリームをつけてイチゴのショートケーキを頬ばっている成美ちゃんを「汚い子ね」と苦笑いしながらも|愛《いと》しそうに眺めている。ミキハウス(高級子供服ブランド)の可愛いジャンパースカートと、ロゴ入りの白いブラウス。 「金には苦労するけど、子供には、コンピュータだって買ってやっちゃうんだから」  と得意そうに笑った姐さんのいでたちは、派手だが、決して高級ブランドものではなかった。ここでも「金がない時だって、夫と子供だけは、いい格好させたい」という極道の姐さんらしい気持ちが窺えた。 (いずこも同じか……)  私が思わず微笑むと、 「どしたの?」  姐さんは、|怪《け》|訝《げん》そうに小首を|傾《かし》げた。     “極道の血”  テツ兄ィとの生活に意外にも早く、終止符を打つ時がやって来た。長男が満一歳の時だったという。日陰の身で一生かまわないと、クラブで働きながら子供を育てていた姐さんは、ある日、彼に女ができたことを知った。嫌われて捨てられる前に身をひこう……そう思った姐さんは、テツ兄ィの知らない間に引っ越しをしてしまった。ところが意外なできごとが待っていた。 「引っ越しして三日目ぐらいだったと思うけど、クラブが終わって、六畳一間の小汚いアパートヘ帰っていったら、階段の陰から弟分が二人、出てきたの。  そうして目を光らせながら、 『兄貴に恥かかせたな。早く兄貴のトコヘ戻れ』  っていきなりおどかすのよ。  来る日も来る日も待ち伏せされて、あと五十メートルのところなのに帰れないで、近所の物陰で一夜を明かしたみぞれの夜だってあった。ある時は、弟分の彼女も命令されてやってきたの、さすがに殴れなかったみたいよ。 『姐さん、やっつけてこいって言われたんだけど──』  って私におそるおそる言ってきたよ。 『じゃ殴ったと言っておき。私、包帯巻いとくから』  って帰したの。その翌日だったかな、新宿の|喫《サ》|茶《テ》|店《ン》に呼び出されたのは。兄貴が逢いたがってるってね。私、(連れ戻されるなら仕方ない。でもあの人なら、きっと私が良かれと思ってやった気持ち解ってくれる)そう思って、彼女にやられたようにわざと体中、ぐるぐる包帯巻きながら出て行ったのよ。やっぱりその日も雪が降ってたねぇ……。  大きな喫茶店の中央の席に、見なれた弟分が座っていた。言われた通り、前に座ると、彼の周りの席に座っていた三人のヤクザが一斉に私の方へ向き直った。 『テツは?』  恐る恐る尋ねるけど、二十歳をちょっとまわったばかりの弟分は、ニヤリと笑うだけ。そして右手が背広の内懐にいれられていた。 『やられる!?』  口惜しかったよ。 (金が目的でもないのに、どうして別れてくれないの? 別れてあげるって言ってんのにどこがいけないの?)  私、弟分が内懐で握るドスの怖さよりも、口惜しさの方が先に立って、 (涙を見せるようなみっともないマネだけはできない!)  って、そればかり考えて握りこぶしに力を込めていたの。すると、そこへ、 『よう、智美じゃねぇか』  と笑いながら声をかけてきたのは、彼らの兄貴分で、私の兄の兄貴分でもある茂(=仮名)兄貴だった。今まで目を吊り上げていた男たちが、号令をかけられたようにピシーッと立ち上がって席を譲ったの。 『智美! おめえも弟分連れてコーヒー飲みに来れる身分になったのか。出世したなぁ。ハハ……』  わざと何も知らないふりして彼は大笑いすると、もっとおいしいコーヒーを飲ませる店ができたと、私を連れ出してくれたわけ。そうして包帯だらけの私のことは何も聞かずに、大通りまで出るとタクシーを拾ってくれた。 『今度、嫁ハンになる時は、俺みたいにいい男選べよ』  そう言ってコートのポケットに一万円札を何枚か突っ込むと、『子供に』と言ってさっさと背を向けて行っちゃった。  あとからわかったんだけど、別れるなと妨害したのは弟分たちが兄貴のことを考えて勝手にやったことで、当の本人は、何も知らずに新しい女の尻を追いかけまわしてたんだって。笑ってやって!」  金で苦労した何人かの極道の妻や愛人たちは、 「ヤクザを怖いと初めて思い知らされるのは、どうしようもないヤクザにつかまって利用されてた自分が、別れたいと決心した時」  と一様に答えていた。しかしいずれも偶然の一致か、 「もうヤクザなんてまっぴら」  と言いつつ、もっと地位が上の極道と一緒になっているのだった。 「どうして……と言われてもねぇ……私にも極道の血が流れてるのかしら」  そう言ってニンマリ笑ったある組長の奥さんの言葉が、今でも私の心に焼き付いている。 「なぜ極道の妻に?」私だけでなく多くの人々の大きな疑問の一つだ。それが証拠に、 「一体、どんな女性が極道の妻になっているの」  と私はよく聞かれる。そのたび私は、「どんな人も」と答える。智美姐さんのようにスケ番あがりの女性から、水商売の女性をはじめとして、一流大学出のインテリ女性、華道の師匠までいる。そんな彼女たちの多くが、「たまたま愛した人が極道だった。好きで自らこの世界に入っていく人なんていやしない。嫌って嫌って、だけど彼のこと愛してしまったために入っていったのよ」と私に言って聞かせた。  ところが取材を積めば積むほど、ある姐さんが言ったように「極道の血」というものも、切り離せなくなってくる。「血」とたった一言で片づけてしまうには、あまりにも無責任すぎるので、「共通のなにか」と言い直した方がいいかもしれないが。     シャブに狂ったカタギの夫  智美姐さんもそうだった。例のゴタゴタ以来「ヤクザはこりごり」と、カタギの男が新鮮に映り、勤め先もサラリーマン相手のクラブにかわった。極道から遠ざかる決心をしたのだ。  そして、十カ月後。結婚。相手はレストランの経営者だった。彼女の友人から紹介を受けて一方的に惚れられてしまったのだ。極道の愛人時代に生まれた息子も、背中の刺青も愛の力で気にならなかったという。真面目で優しい夫。そうして姐さんはまもなく成美ちゃんを出産するのだが──。 「長女が生まれてすぐ夫が熱病にかかったの。医者に治療してもらってもちっとも熱は引かないし、私、もう死ぬか、たとえ回復しても障害が残るかもしれないと覚悟してた。毎日毎日寝ないで看病して一週間目だったかな、私、夫の熱を下げるには、もうアレを使うしかないな……って、意を決してあるバーヘ足を運んだの。そこにだけは二度と行きたくなかったんだけどね。  ゴキブリとネズミの巣になってるような、汚くて、うらぶれた十人も座れないようなバーでね、カーリーヘアに真っ赤なリボンをした化粧の濃い女の子がカウンターに入って掃除してた。においがするの。彼女の身体から本当にシャブのにおいがしてくるのよ。 『ありますか?』  と聞いただけで、彼女も私ににおいを感じたみたい。使いかけのポケットティッシュをくれた。私、カウンターに二万円置くと、夢中で家まで駆けていった。はたしてポケットティッシュの中には、なつかしいパケ(小分けした覚醒剤が包まれているビニール製小袋)が入っていた。  高熱でうなされる夫の目の前でパケをさらして、 『これは、シャブだけど、熱が引くまでだからね』  と説明して注射したの。みるみる夫の熱が引いて、起き上がった時には、さすがにびっくりしたわ。だけど、夫とシャブとは、あまりに相性が良すぎたのね。  あと一回だけ、あと一回だけ、とせがまれて……薬を買ってこなきゃ、殴る、蹴る、壊すの大暴れ。すぐにシャブ中になっちゃった。これまでもの静かないい夫で通ってた人が、突然凶暴になって、子供にまで殴る、蹴る、今で言う家庭内暴力よ。おまけに幻聴、幻覚で、 『俺の悪口をテレビが言ってるゾ、天井裏で誰かが俺の噂をしてるな』  と言っては包丁もって暴れ出す。裸で外へ飛び出したことが何度もあった。あんなにはやってたレストランを潰すのも四カ月あれば充分だった。それでもシャブに狂う夫は、私の知らないうちに親兄弟、親戚からも金を借りまくって──それでも足りず、ついにお定まりのサラ金に手を出したのよ。  顔に傷のある黒サングラスに口ひげのヤクザが、ドカドカとアパートにのりこんできた時、私は初めて二百万の借金を知ったんだから。  家中、もうメッチャクチャ。窓ガラスや食器は割れっ放し。幻覚でドアや壁が押しよせてくると、至る所ガムテープで固定してあったりで、さすがのヤクザもあきれていたね。  二人の子供を両脇に抱えて、 『すみません。ごめんなさい』  と土下座する私めがけて、そのヤクザが思いっきりシャブを投げつけてきたの。 『シャブなんかに手ェ出しやがって。こんなもん、そんなに欲しけりゃくれてやる!』  彼、私のこと知ってたみたい。せっかく私が薬から立ち直って幸せになったと思ったら、今度はカタギの夫とこんなことになってしまって……。  無言で出て行ったよ。二百万円の請求書だけ残してね……。  残された道は一つしかなかった。私ってふんぎりがいいからさ。けじめだけはつけなくっちゃって、次の日、早速、吉原へ行ったんだ。人間って、ホントにわからないものよ」  姐さんは深々とため息をついた。らしくない表情をすると、ファンデーションにアイラインと茶色っぽい口紅をさしただけの薄化粧の顔に隠されていた小じわが沢山顕われて私を驚かせた。かつて姐さんは、いつもこんな表情でしわを寄せていたのかもしれない。     ソープ嬢からヤクザの妻に 「今度はもうカタギなんてコリゴリと思ったんだから。ヤクザと違って、自分で自分をコントロールできないんだもの」  いつものことながらドタン場での姐さんの決断力には驚かされる。 「吉原って……とまどいとかなかったんですか?」  私が遠慮がちに尋ねると、 「仕方ないでしょ、別れるには借金返すより他ないんだから」  少しも悲愴めいたところのないサバサバした口調だった。  約一年、修羅場をくぐった後、ソープランドヘ勤め、半年で借金を返してしまった姐さん。夫のシャブ中はますます悪化するばかりで、至る所から借用書が出て来た。もう堪忍袋の緒が切れたと、義姉に相談すると、 「今までほんとうにありがとう。逃げて──としか言ってあげられなくて申しわけないけど、あなたは頑張って生きていってよね」  と涙ながらの返事が返ってきた。そうしてその夜、姐さんは大家公認の夜逃げをすることになる。今まで一部始終をずっと見て見ぬふりしてきた大家の老夫婦は、 「あんただけ、そんな倒れるまで苦労することないんだから、頑張りな」  と言って、夜逃げを黙って見送ってくれたという。夫がシャブを買いにいってるわずかの間に両手に子供を引っ張り、着のみ着のままで姐さんは出ていった。そうして、勤め先からほど近い下町の安アパートで母子三人、スッテンテンからの暮らしが始まった。 「春だったけど、ほんとになんにもない部屋は寒すぎて。兄がくれた布団一組に母子三人くるまって、寒い夜を明かしたものよ。私が勤めに出ている間、五歳の長男は、赤ン坊だった成美のおしめまで取り替えてめんどうを見てくれた。着のみ着のまま、食べる金がなかったあの頃、友達が持って来てくれたインスタントラーメン一つが嬉しくてね。三人で素ラーメンをすすりながら、『ありがとう……』って泣いたこともあった。人間丸くなったのかなあ。ほんと、よく泣いたねぇ。  刺青が怖いって、一回きりで終わりの客もいたけど、私の一生懸命なとこわかってくれて、何度か通ってくれる優しいお客も増えていったんだよ。 (もう、まともな人生歩けないんだから、しっかり稼いどかないと)  女であることを忘れるくらい我武者羅にやってきたんだ。だけど、一年ぐらい経った時かな、生活がようやく順調にまわりだしたら、心の支えが欲しくなったんだね。六畳一間のアパートが急に広くなっちゃったよ。  そんな頃、|友《ダ》|達《チ》の引っ越しを手伝いに行って、今の夫と出逢ったの。みるからに硬派の、一目でヤクザってわかる素敵な男だったねぇ。私、一目惚れだった。向こうもそうだった。デートを重ねて、プロポーズを受けたのは、それから間もなくだったと記憶してるんだけど──夫は私の過去をひっくるめて一緒になろうって言ってくれた。  ある日、長男に相談したんだ。 『母さん結婚してもいいかなあ……』  って。だけど、さんざん男で苦労したこと知ってる息子は即答したよ。 『結婚したいの? 結婚なんかしない方が、母さん幸せだよ』  って。やっぱり子供の気持ちが一番だな、そう思い直した私は、彼と別れるつもりで子供を連れて、最後の晩餐ってしゃれこんだわけ。ところが彼は大の子供好きでね、息子の方が一度で気に入っちゃったみたい。 『おじちゃん、母さんと結婚しない?』  って、別れしな仲をとりもってくれたの」  残念ながら私は、姐さんの夫と逢うことができなかった。ただ、彼女を紹介してくれた組員に言わせると、「人の良すぎるヤクザバカ」だそうだ。  他人に良くしてやろうと、自分を犠牲にすることなど何とも思っていない人らしい。それだけに姐さんの苦労は絶えない。 「恥かかせちゃいけないからって、毎日財布みてお金を入れといてあげるんだから。足りなかった日なんて大変、思いっきりぶん殴られるわ。お金貯める目的で三カ月間だけソープランド勤めも許してもらったけど、今じゃそれもスッテンテン。そのうえ、戻ってくるわけない金を人に貸してやっちゃうんだもの。どこまで見栄はらなくっちゃいけないんだろってウンザリしちゃうよ。  そりゃカタギじゃないから、百万、二百万ころがって入ってくる時だってあるけど、電車賃さえなくなっちゃう時だってあるんだから。そんな時は、もうたーいへん。|友《ダ》|達《チ》んち、駆けずり廻って、借りまくってさ。私のゴールドなんて何回質屋に入ったことか。なんせ、金があったって、なくったって使い方は一緒なんだもん。またクラブ勤めでもしようかなぁ。  中には、こんな時、働きつけのソープランドに行って前借しては金を都合してる奥さんもいるって聞いたよ。  こんなに金の苦労やケンカするんなら、普通の人と一緒になればよかったなんてまた思うのよ。普通の人でさんざんな思いしてきたのに、人間って不思議ねぇ……」  慣れてきたのか、姐さんはよく笑うようになった。笑えば赤坂あたりに住む、カタカナ職業の夫をもったサバケた奥さまと少しもかわりがない。まるで三時のお茶を飲むために一流ホテルまで来たような気がしてくる。それほど、真っ赤なマニキュアをした長い指先だけでコーヒーカップを持つ仕草が板についていたからだ。 「大変な人たちとかかわっちゃったな、私の人生って……。最近ふり返ることがあるんだ」  姐さんはそう言ってロングラークに火をつけた。タバコの箱の中をよく見ると、一本だけ上下ひっくり返して入れてある。最初の一本に祈りを込めて、ひっくり返し、最後にその一本を吸うと願いごとが叶うという乙女チックなおまじないだ。  一体、姐さんの願いとは何なのだろうか。私が「それって……」と尋ねると、姐さんは、「あ、コレ? ウフ……」と言っただけでごまかされてしまった。それにしてもこの世界の女性は、喫煙する人が実に多い。     「抗争が他の組でよかった」  再び姐さんに逢ったのは、それからまた一週間後のことだった。競馬のために土日は、このホテルの近くで仕事をするのだ。  その日姐さんは、真っ赤な綿シャツに黒のタイトスカートを履いていた。八センチはあるだろう、折れそうなほどヒールの細いパンプスに夏だというのに黒いストッキング。以前のスポーツウーマンっぽさは、微塵もなく、そこには、雑誌のグラビアに出てくるようなセクシーな女性が、引き締まった足首を見せるように足を組んでいた。やっぱりミキハウスのパンツルックの成美ちゃんは、大きな椅子にチョコンと座って足をバタバタさせながら、 「コンニチハ」  恥かしそうに虫歯だらけの歯を見せた。 「息子さんは?」  と尋ねると、 「いつもの組員に預けて来たの」  私の方を向きもしないで答えてから、さっそくピンクパンサーのついたライターで、ロングラークに火をつけた。姐さんは、いつもと変らずサバサバと質問に答えてくれていった。けれども調子にのったところで私が、これまで尋ねる機会に恵まれなかった山口組VS.一和会抗争について尋ねると、やっぱり触れてもらいたくなさそうに警戒した。タバコを吸いながら、ようやく言葉少なに語ってくれた。 「他の組でよかったよ。これが正直な感想。当の奥さんたちには申しわけないけど──。  でも明日は我が身って思ってるよ。現にウチの組織でマチガイが起こった時なんか、本当にノイローゼになりそうだった。無事帰ってくるかなあ……って心配で心配でじっとしてらんないの。だって、『やる』と決めたら、そのことしか頭にないのがヤクザだもん。特にウチのは一本気だから。じっと大切なものを抱えたまま、『やる』ことばかり考えていたの。私がいくら『やめて』ってたのんだって、聞こえてもいないようだった。ある夜、背中をピリピリさせながら、 『あとをたのむ』  なんて珍しい言葉を出がけに言われて、 『ウン』  と答えたものの、あとを一体どうたのまれたらいいものかわからなかったね。内心、(どうしよう、ああ、それより前にとにかく無事で帰ってきてよ)ってドキドキだった。  神なんて信じる方じゃないけど、やっぱりこの時ばかりは、祈らずにはいられなかったな。ちょうど初詣でで買ってきた明治神宮のお札と|破《は》|魔《ま》|矢《や》があったから、それをブルブルと握りしめたまま、一夜を明かさずにはいられなかったのよ。  本当にヤクザって大変な人たち。どうして、ここまでしなくっちゃなんないのかなって、最近つくづく考えちゃうよ。  でもさ、はじめっから知っててヤクザと一緒になったんだもん。そのへんのお嬢育ちがヤクザんとこ嫁にきたのと訳が違うんだから。 『この世界で生きてく限り、ヤクザには、しなきゃいけない時ってあるものだ』  って半分覚悟できるようになったんだ。たとえ事件となって、ウチのがマスコミに出ちゃったとしても、私、逃げたりしないよ。苦労は一カ所だけで充分だから。  学生時代、あの|威《え》|張《ば》って、ふんぞり返ってる姿がイヤでイヤで仕方なかったのに、結局は一緒になってるんだもん。だけど、もっと早くに『できるヤクザほど人間もできてて腰が低い』こと知っておきたかったな」  そう言って姐さんは、隣でおとなしく座って目をくりくりさせている成美ちゃんの顔をのぞきこんだ。いつの間にか姐さんの顔から笑みが消えていた。三杯目のアメリカンをかみしめるように口にしてから、 「──今、正直言って、私、自信ないよ。私、ヤクザの女房に向いてないんじゃないかな……って、時々思うことあるもん。こんなにヤクザと関わって歩いてきた私の人生なのに、まだ、どこまで出しゃばって、どこまで引っ込んで耐えたらいいのか、わかんないんだもの。入れば入るほどわかんなくなるよ、この世界。難しすぎて、とてもついていけそうにないみたい。だって、私、ヤクザほど精神的に強くないもん」  としんみり言った。 「遠回りしたけど、結局極道しているご主人のところへ戻ってきたのだから……」  と私が最後の誘いを姐さんにかけると、 「……なんででしょうねぇ」  ため息まじりに歯を見せずに笑って、「じゃ……」とだけ言って席をたった。私は、子供と手をつないで、ヒールの高いパンプスをはきながら、まだ十代の少女のようにはつらつと駆けていく姐さんを席から見送った。小さくなっていく姐さんの赤い綿シャツに隠された背中の天女が、 「でもヤクザの強さに魅かれるの……」  とでも言っているような気がした。    |新《しん》|子《こ》|姐《ねえ》さん [#ここから3字下げ] 十六歳の年、それまでおとなしい、真面目な 少女だった新子姐さんの生活は一変した。 父親から受け継いだ 熱い博徒の血が一気に噴き出したのだ。 田川、飯塚、別府……と、 ボストンバッグに札束をつめこみ、 九州の博奕場を渡り歩いた。 そして現在、彼女は住吉連合の幹部夫人である。 「途中、カタギの男で苦労を重ねて、 二十年も遠回りしちゃった……」 [#ここで字下げ終わり]  縁あって極道の男を愛し、「一番悩むのは、子供のこと」と答える妻たちが非常に多かった。山口組の真琴姐さんは、悩みに悩んだ末、母としての幸せを断念した。一方、一児をもうけた極東関口本家の治美姐さんは、「極道の家に生まれたがために、余分な苦労をする娘が不憫だ」と、ひたすら娘の将来の心配をし続ける。  ではたまたま極道の家に生まれた娘は、何を見、何を感じて成長していくのだろうか。そしてその行き着いた先は、どうだったのだろうか。もちろん、戦前生まれと戦後生まれ、また育った土地によっても大きな違いはあるだろう。私は、ぜひ極道の家で生まれ育った女性に話を聞いてみたいと思った。  私が、住吉連合の中でも勢力の強い一家で、A市に縄張りを持つある親分に嫁いだ女性が、福岡の有名な博徒一家の次女であるという噂を耳にするまで、随分時間がかかった。 「ごめんなさいね。遅くなって……」  指定されたA市の小さな喫茶店に新子姐さんが現われると、まわりが急に明るくなったようだ。小柄な体に腰まである栗色の髪をなびかせ、笑みを浮かべながらやって来た彼女は、四十二歳にはとても見えないほど若々しい。  外国ブランドの服で身をかため、いたるところにダイヤモンドが光っていた。  現在、夫のシマ(縄張り)と青山でオートクチュールのブティックを経営する姐さんは、澄んだ高い声といい、丁寧でゆっくりした口調といい、どう見ても良家の令嬢風だ。とても血の気の多い二十名の男の中で育った女性とは思えない。ピンク色にコーティングされたサングラスのフレームを、左手の親指と人差し指でつまんで心もち持ち上げながら、女優のように目尻にしわを作らないようにして口だけで笑顔を作る姐さん。そんな芝居がかった仕草の彼女を前にして、(ほっとけば本音一つ聞けなさそう!)と、私はますます緊張した。     稼業の娘 「『鬼龍院花子の生涯』って映画見たことあるかしら。でも稼業の家の中ってあんなに暗いものじゃないのよ。似てる雰囲気もあるけれど。ウチはもっと広々としていて明るかった……」  姐さんは、生まれ育った「稼業の実家」を振り返ってくれた。  六百坪はあったという。武家屋敷のような大きな門構えに××家と書かれた大きな提灯。 「天下の博徒◯◯一家だ」と、近づいただけで活気が伝わってくるような家だった。今のように稼業を隠す必要は、当時まったくなかった。稼業だらけの町、福岡。  父親は、子供の目にも異色に映った。着道楽、家具道楽、食い道楽の三道楽で、稼業につきものの女道楽はほどほど、当時、全国で数えるほどしかいなかった大卒のインテリヤクザだった。  今のお金で二百万円以上はするだろう着物、帽子、ステッキ……およそ稼業らしくない、おしゃれな父親が、十人前後の子分を引き連れて家に近づいてくると、一行から一人、下っぱがツツッと飛び出し、 「帰って来らはった」  と大声で叫びながら大家族の待つ家へ駆け込んで行く。それに応えてすぐ、家で留守番をしていた十人前後の若い衆が、ドドドーッと飛び出し、すばやく門前に並ぶと、 「ごくろうはんです」  と大声で頭を下げて出迎えるのだった。  中国で買った沢山の壺を気分良く眺めながら、土間のような玄関を父親が先頭で入って行くと、最後に母親が三ツ指をつき、 「おかえりなさいませ」  と頭を下げて迎える。 「今じゃピンポーンだもの、情緒がなくなってしまったわね」と姐さん。  さあ、それから女たちの大戦争が始まる。  当時、姐さんの家にはいつも二十人前後の若い衆が部屋住みをしていた。その半分が女房持ちで、それぞれが六畳一間を与えられ、共同生活をしていた。朝夕は父親と二十人分の食事を作るため、母親は十人の女房たちを指図し、大きな台所はごった返していた。大きな釜に大きな鍋、ズラーッと並んだお膳、まるで旅館の調理室のようだった。 「私? もちろん手伝ったことなんてなかったわよ」  銭湯のような大きな風呂に、父親は若い衆と一緒に入り、背中を流してもらっていた。その間に、女たちは、座敷にお膳を運び、宴会のようにキチッと向かい合わせに並べる。こうして女たちは、おかわり係以外、台所で片付けごとをしたり、お酒の|燗《かん》をしたりして男たちの長い食事が終わるのを待つ。  昔のことで白いご飯に、手の込んだおかずが食べられたのは男だけ。女たちは、すべての片付けが終わった後、自分の夫が残したおかずや、質素な物で、台所の隣にある女中部屋のような部屋で肩を寄せ合いながら食べた。 「母親は口数が少なくてね、常に控え目で稼業の妻の|鑑《かがみ》のような人だった。十人前後の女性を率いる立場にありながら、いつも静かで、どこに居るのかと思うほど目立たなかった。私には掃除も料理もさせたことがない、そんな母親が、いつか一つだけ私に言って聞かせたことがあるの。 『新子、男はんは偉いとよ。いつも尽くさんとあかんよ。いくら頑張っても、しょせん女は女よ。頭が良かろうと、金儲けがうまかろうと、やっぱり女は女よ。男の人にかなうはずがないとよ。そやけん女は、なんでも二の次以下でいいとよ』  ってね。三人姉妹の真ン中に生まれて、物心ついて周りを見回した時には、三十人以上の男女が一つ屋根の下にいた。愚連隊を押さえていたのが私たち稼業の人間で、地域社会に貢献していたと思ってたから、稼業の娘と知っても、まったく嫌悪や負い目を感じたことがなかったの。今でさえ、その考え方は少しも変らないわ。稼業の妻だからって、少しもコンプレックスを抱いたことなんてないわね。  大勢で暮らすことにも慣れているから、家族だけで静かに暮らしたいなどと思ったことも一度もなかったわ。女十人で一緒に生活をしながら、一つもトラブルやぎこちなさとかなくて、今の感覚で考えると不思議なくらい」  そう言って姐さんは、目を細めて笑った。 「コーヒーとマイルドセブンがないと生きられなくってねぇ」  と、ゴールドのライターで火をつけるたびに言い訳っぽく言う姐さん。みるみる小さな灰皿が吸殻で埋まっていった。少女時代のことを思い出しているのだろうか、姐さんは、ガラス越しに街行く人々を見下ろしながら、しばらくボーッとしていた。  私は紫煙越しに、そんな姐さんを眺めながら、性格も姿も生き写しといわれる今は亡き彼女の父親の姿を想像していた。  東京の高級住宅地に住み、きれいなものにしかふれたことのないような、上品な物腰の新子奥様は、実は、稼業のドロドロとした側面も見てきた。けれどそれを別段変ったこととも思わないできたところに、極道の妻となって初めて稼業の実態を知った女性と、生まれた時から稼業の家に育った女性の違いがあるのだろうか。  彼女にとって、切った張ったは、何でもない生活の一つだったとか。むしろ今やっている夫のために一生懸命献立を考えて、手の込んだ料理を作る、一般家庭でごく当たり前のことこそ、ひどく重大かつ新鮮なことに思えて仕方がないと言う。     十七歳で博奕場通い  新子姐さん。彼女は昭和十八年、福岡の博徒一家の次女として生まれた。十五歳まで、姉、妹と同じくおとなしい真面目な少女で、何不自由なく育った。が、十六歳の終わりに、突然体の奥にひそんでいた父と同じ熱い血が噴き出し、以後、十八歳までケンカと博奕に明け暮れる。  そしてこの手のつけられない自称・極悪娘は、十七歳の時、現在は九州で五本の指に入る実力者といわれる当時四十一歳の親分と出逢って、メロメロの恋におちる。が、友人に彼を奪われたことに初めて涙した彼女は、「一旗あげて帰って来る」と三百万円を持って勇ましく東京へ向かった。十九歳の時だった。  手持ちの三百万円をわずか数カ月で使いきった後、姐さんは銀座のホステス、赤坂の芸者と修業を積み、スポンサーを持たずに、クラブの多角経営にのり出した。眠る暇さえ惜しんで昼夜働き続けたという。二十三歳の若さだった。けれども母を見て知らず知らずのうちに身についてしまった「男はんに尽くす」性格からか、男性に一途になり、父親の違う二人の息子をもうけている。  二人の男との生活について姐さんは、「ここに書くほどの男じゃない」とそっぽを向いた。あまり幸せな生活ではなかったようだ。今の夫とは四年前、勤め先のクラブで知り合った。お互いひと目ぼれだった。  現在、次男は、姐さんの実家が育て、長男は夫が実の子以上の愛情で育てている。夫の先妻の息子は結婚して普通の職についている。姐さんは現在、シマの二十坪ほどのマンションで、三人とゴサクという名の犬一匹とで静かに暮らしている。組の定例会で夫がでかける以外、二人はいつも一緒に家でのんびり過ごし、時折、釣り旅行へ出かける。  マンションヘ入ると、一瞬ブティックと間違えてしまうほど、ゴチャゴチャと物が置かれ、床の上やイタリア家具の中に溢れかえっている。同じようにダイニングテーブルの上も山のように小物が並び、一体どれが実際に使われていて、どれが飾りなのか判然としないほどだった。 「こんなに沢山小物が置いてあっても、一つでも位置が変っているととっても気分が悪いものなのよ」  と説明しながら、あわただしく私のためにピラフを作ってくれる。その間、何度も私に聞かせたことのない甘い声で「パパァ……パパァ……」と親分に話しかけながら。姐さんのホームウエアは、十年前のサンローランの白いTシャツに本物のモンペだ。 「私のことを派手だって人が言うのよ。口惜しくってねぇ。だから一年くらいモンペを履いて買い物にも行ってたの。そしたら、好きになっちゃって……」  さすがにピンクのサングラスをはずした家の中では、姐さんの表情もおおらかになる。  充分広いはずの4LDKの住いは、慣れないせいか歩くたびに体に何かが当たる。トイレまで造花と小物で埋め尽くされているからだ。食器棚には、目の覚めるようなカップや食器の数々が並び、飾っておくだけで売り物でないのが、もったいないほどだった。  ただ一部屋だけ、家具も小物も少なかったのは、少しだけ開いていたドアの隙間からチラッと見えた寝室だけだった。落ちついた寝室の中央にダブルの布団。枕元には、|生《なま》|漉《す》きの紙が置かれていた。後日姐さんにそれとなく尋ねると、照れもせず、真顔で即答した。 「あー、お母さんがいつも持って来てくれるの。ティッシュペーパーなんか置くものじゃありませんって。お母さんは男はんのために、こういう教育を娘にしてきた人なの。パパがお風呂に一人で入っていれば『早く一緒に入って背中をお流ししてきなさい』とかね」  思わず私の方が恥かしくなって顔を赤らめてしまった。なるほど、夫婦のアツアツぶりは相当なものだ。私がいるのもまったくかまわずに手をしっかりとつないだまま、テレビを見ている。でかける時も、車の中でも必ず手をつないでいるという。多くの女性が腕くらい組んで歩きたいといった。私が見てきた中で、新子姐さん夫婦は非常に珍しいカップルだった。 「苦労がなくて幸せすぎるのが苦労の種ね」  と、姐さん。この静かな笑顔のどこに博徒に負けない迫力が潜んでいるのだろうか。 「インテリヤクザの父は、しつけはともかく、こと教育となると、半端じゃなく厳しかったのよ。でも私は、それが普通だと思ってた。掃除も料理も、したことがなくて、若い衆に『嬢ちゃん、嬢ちゃん』と可愛がられて、とっても真面目で勉強好きな女の子だったのよ。ただし……」  姐さんは意味ありげにニヤッと笑ってゴールドのシガレットケースから、タバコを取り出した。 「ただし十五歳まではね……」  新子姐さんが初めて博奕場へ足を踏みいれたのは十七歳のときだった。しみ一つなく、ピシーッと部屋の中央に置かれた大きな白い布。その両側に向かい合うように二十人分くらいの座布団が一分の乱れもなく並べられていて、その一つ一つにタバコ盆が備えられていた。(指をつめるトコかな?)と錯覚したくらい、そこは神聖で美しい場所だった。 「きれいねー」  姐さんは思わず声を出してしまったという。  当時、つき合っていた稼業の男に連れられて行ったのがきっかけだった。以来、姐さんは他の博徒と同じように、スーツケースやボストンバッグに入りきれないほどの札束を詰め込み、田川、飯塚、別府……と九州中の博奕場を渡り歩くことになった。  姐さんが初めて博奕場を自分の家で見たのが、六歳の時。母や女房たちが、博徒や、控え室で親分を待つ若い衆のために、酒だの、お茶だの、食事だのと、大忙しだったのを、よく覚えている。しかし実際に盆の前に座るのはそのときが初めてだった。 「私は彼の顔を見ては、ニコニコ、ドキドキ。人数が集まるまで余興として行なわれるタボ(ザルにサイコロを入れてする遊び)が始まっても、ルンルン気分。顔に刃傷のあるような、ごっつい男たちの顔を眺めては、喜んでいたのよ。 『ようございますか』  って壺振りの言葉で、いよいよ博奕が始まると、血かしらねェ、熱い血がドクドクと音をたてるようだった。十枚ずつ束にしたお金の束が何センチにも積み上げられ、それがあっちこっちで飛びかっていたわ。でも十七歳の私には、それがただの新聞紙のようにしか見えなかったのよ。  その頃、着る物すべてオーダーメイド、お金の価値や苦労をまったく知らなかったのね。博奕のない日は、百万円くらい持って私の金めあてでくっついて来た四、五人の男の取り巻きと一緒に別府などの温泉地へ行って、バカやったりケンカしたりして、あっという間に使い果たしていた。(あんなことで得意になって情けない)って、今考えると恥かしくなってくるけれど、仕方ないわね。お金の使い方を教わらなかったんだから。  スカンピンになっても私は全然平気。もったいないとか、口惜しいとか、そんな感情はまったく湧いてこなかった。  父とは博奕場でよく顔を合わせたわ。これが父の本業だったから。けれど私は、『◯◯の娘だ』なんて父親の看板を笠に着たことは一度もなかったから、こんなとこで一緒になっても父と娘の会話なんてまったくなかったの。かえって父が負けて、真っ赤な顔をしていても(おもしれぇや)と盗み見するだけ。助けてやるなんてこと一度もしなかったわ。父は父で、博奕場に来ている私を見て、|咎《とが》めようともしなかったし、稼業の人間とつき合っていることを知っても、何も言わなかった。本当のところはあきらめていたみたいよ。それまでおとなしかった娘が、突然、自分とそっくりなわがままで激しい気性に変ったわけでしょ。父も手の下しようがなかったみたい。  何が原因で変ったの? と聞かれても、本当に突然のことだったから。教育に厳しすぎた父親に対する反動だったのかもね。第二反抗期と重なって爆弾みたいになっちゃった。父のいない間にちょっと気に入らないことがあったりすると、家の中にある目につくものを手当たり次第に次から次へとぶっ壊して、今で言う家庭内暴力だわね。  父は父で気にさわることがあると、木刀を振り回して若い衆にあたっていたでしょ。だから父や私が大暴れを始めると、四十人近くいた家中の者が、一瞬のうちに家の外へ避難しちゃって、気の静まるのを待つのが習慣になってたみたい。誰でも良かったのよ、本当は叱って欲しかったのに。皆から『嬢ちゃん、嬢ちゃん』って大切に育てられすぎちゃったのよ。  図にのっていた私は、自分を“何様”と思っていたみたい。若い衆が頭を下げるのは、私の後ろにいる父親に対してなのにね。勢いにのって大雨の中でも、『タバコを買ってこい』とか、若い衆が父親のことで忙しいのに『靴を磨いとけ』とか──。『ありがとう』のひと言なんて頭にも浮かばなかった。  出かける時と、帰ってきた時は必ず、家の若い衆が全員出てきて礼をしないと気に入らなくて、少しでも無視されると、その場で大暴れ……」  そうして姐さんは、子供のように照れながら、ニコッと笑った。     「よく今まで命があった」  彼女が若い衆の運転する車から降りる時、さかんに「ありがとうございます」と頭を下げ、「◯◯さん、どうぞお帰りください。ご苦労さまでした」と敬語を使っていたのを私は思い出した。二十歳前後の若い衆に丁寧に頭を下げる彼女の姿は、私の目には、意外な光景として焼き付いていた。姐さんのそんな態度がようやく解りましたと私が言うと、 「稼業の二代目が大成しにくいってよく言われるけど、私には経験からとってもよく解るの。“|若《ワカ》”は、物心ついた時からチヤホヤされることに慣れすぎて、ヘンにずる賢くなってしまうのね。何かあると『親父に言いつけるゾ』って睨みをきかせるし、親は親で『叱ってくれ』と言っておきながら、やっぱり若が若い衆に叱られるのを見ていい顔はしない。だからわがままになっちゃうのね。私? 子供のときそうだったから、今じゃ若い衆にどんどん息子を叱ってもらってるわ。息子が若い衆より先に、『お早うございます』が言えなかった時は、その場で私の“蹴り”が飛んで行くからね。フフフ……。  あの頃は何をやっても本当に楽しかったわ。たとえば“手入れ”もそう。素敵な思い出なのよ。|三《さん》|下《した》(見張り番)の『手入れだ!』って一言で皆、あっという間に散って行くの。ある人は金を詰められるだけ懐に入れて、ある人は全額放ったまま、それこそ|蜘《く》|蛛《も》の子を散らすように。小柄な私は、壁に開けられた小っちゃな出窓から屋根に登って、いらかの波を跨ぎながら必死というよりも、むしろ(やったね!)って感じで皆の様子を眺めていたの。川を泳いで逃げる人、人の家に二階の窓から入って横断する人……とっても滑稽な景色だったわ」  そう言って姐さんは突然顔を近づけた。 「ちょっと見て。私の顔、傷がいっぱい残ってるでしょう。これ、みーんなケンカ傷よ」  私は姐さんに接近してジッと顔を眺めてみる。確かにいくつかの傷跡が残っていた。 「ケガすることなんて、ちっとも怖くなかった。額を割って顔を流れる血を感じると、ハキ(意欲)が出ちゃうのね。『上等だあ』なんて、血を流しながらニターッと笑うと、大体敵は降伏してきたわ。家族にいまだに言われるのよ、『よくここまで命があったもんだ』って。私もそう思うけど」  姐さんは相変らずニコニコと微笑んでいる。それにしてもこんなに笑顔が美しく、乱れることなく上品な姐さんにこんな一面があったなんて、本人を目の前にして私はどうしても信じがたかった。この天真爛漫な笑いといい、タバコ一本吸うにも計算された仕草や表情を作る姐さん。多分あの博奕時代に養われたに違いない。それだけに正体をあらわさない姐さんが二重どころか三重人格みたいに思えて、私は内心怖くなってきた。 「当然、ゴロ(ケンカ)や、マチガイ(抗争)は、私の記憶の中にもいくつか残っているわ。何人かの大切な家族の一員も失ったし、何人も冷や飯食いに見送った。中でも特に印象に残っているのは──。  たぶん十七の頃だったと思うけど、若い衆の中にバカがつくほど一生懸命なヤクザがいたの。親分のことしか頭になかった兄ィは、ある日、一家を守るために顔色一つ変えずに殺されに行ってしまった。『ちょっと行ってくる』って奥さんにそれだけ言うと、肩で風切って出て行っちゃった。六畳一間の障子の向こうで一人、誰にもわからないように泣いている姐さんの姿はいまもよく憶えているわ。 『立派な最期をお祈りしています』なんて誰が言えるものですか。愛する人には、万にひとつの可能性を信じて生還を祈るものよ。全身で『死なないで』って言っているのに、それを声に出すことが許されない。兄弟の手前、堂々と涙することも許されない。私は、そんな姐さんを遠くで見て見ぬふりしながら、(稼業の女って悲しいな)ってつくづく思った。  はたして彼は、タタキのように刻まれて帰って来た。血にまみれたピンクの切り口がパックリと開いて、思わず皆、息を飲み込んでいた。だけど兄ィの顔は、乱れた表情一つなくて……壮絶な死に様だったわ。若い衆が、 『これだけ切り刻まれれば、兄ィも本望だったんじゃないか?』  ってつぶやいた時、誰もがほんとに深く頷いていた。こんなことの繰り返し繰り返し……」     姉の述懐 「私のまわりにいたヤクザバカは、男だけじゃなかったの。たとえば私の四つ違いの姉。彼女は、母親の一枚上手をいく、稼業の女房としてできすぎた女性だった。血がそうさせるのかしら。やっぱり十九歳の時、二歳の連れ子のいる男のところへ嫁いで行ったの。彼女は私と違っていつだって物静かで、ぐち一つこぼしたことのない姉だった。でも夫は、貧乏を平気でさせて、姉に苦労ばかりかけていたっけ」  その姉が二十歳をいくつも過ぎていない頃だったという。たまたま遊びに来ていた新子姐さんが一階の居間でテレビを見ていると、義兄の弟分二人が玄関を壊して、もの凄い勢いで入ってきた。 「兄ィは、どこだ!」  組を解散すると宣言した義兄に考え直しを迫り、受け入れられないなら|殺《や》ってしまう覚悟で飛び込んできたのだ。そう察した姐さんは、とっさに、 「逃げろ!」  と二階に向かって叫んだ。 「この野郎、余計なマネしやがって」  二人は彼女の目の前でドスを取り出すと靴履きのまま、ズカズカと二階へ上って行った。姉に何かあったら……と姐さんは急いで台所へ行って包丁を握ると、上りきった階段の陰で身をひそめ、様子を窺った。 「オラー。どこ行ったァ。言わねえと、きさん(貴様)たたっ殺すゾ──」  義兄は二階から逃げたらしく、そこにいたのは、姉と、二人の子供だった。部屋の真ン中で子供を両脇に抱えて仁王立ちの姉は、すわった目で、まばたき一つせず男を見つめるだけ。  男達は、ジワリジワリと姉に近づいた。 (あ、|殺《や》られる)  そう直感した姐さんは、震える手で包丁を握り直しながら、すぐにでも突っ込んでいけるように身構えた。と、 「殺せるもんなら、殺してみんしゃい!」  初めて聞く姉の低い声だった。姉は、リンとしたまま、燃えるように熱く、氷のように冷たい目で、男を見据えるだけだった。何分かもしれないし、何十分だったかもしれない。ピーンと糸を張りつめたような緊迫した時間が続き、男達は、とうとう冷や汗を流し始めた。  一人階段の陰で、胸を撫でおろしたのも束の間、 「こん畜生。俺にゃ極道しかないんじゃー!」  突然向かい合った二人は、その場で差し違え、あわてて駆け寄る姐さんの顔にも血しぶきがとんだ。 「『極道しかない』と思って生きてきた男たち。組を解散させられるくらいなら死んだ方がいい、と思ったんでしょうね。二人は、仲良く病院へ連れて行かれ、そして並んで刑務所行き。今じゃお笑い草だけど、当時はこんな極道バカは珍しくなかったのよ。  それにしても、素人が見ても稼業の人間が見てもこの世界の妻とは思えない、それくらい美しくて優しい目をした姉なのに、あの体じゅうからにじみ出る覇気は一体何だったのかしら。刑事の取調べ室での厳しい詰問にもガンとして口を割らず、最後まで無言で通した姉。  でも、そんな姉がいつか私に言ったことがあるわ。 『女ってずるい生き物ね。調子のいい時には、男になりたがってイキまいてるのに、調子が悪くなるとすぐに女に戻っちゃうんですもの』  頭がガクンって揺れるくらい、ショックだったわ。  だから私がいまの夫のもとへ嫁いだ時、(しょせん女は男はんにかなわないんだから、偉そうな口をきくのはやめよう)と、“見ざる”“聞かざる”“言わざる”の三原則を守る決心をしたの。稼業のことは、稼業育ちですべて知ってるつもりだけど、男の世界に口を出すってことは、夫の足をひっぱることになる。私は、妻としてやるべきことを一生懸命やっていればそれでいいんじゃないかって思ったの。  でも、二十四時間、徹底して夫中心に生きていくことは、本当に大変なことなのよ。  ただひとつだけ、私が稼業に関わるとしたら、それは総長に何かあったときだけ。大前田英五郎の生まれかわりみたいな夫は、総長に何かあったら決して後れをとるなって、いつも考えているの。  私もそうよ。女だてらにと信じてもらえないでしょうけど、私も夫と一緒に後れをとるまいって決めたんだから」  そういうと姐さんは視線をそらせた。心なしか肩がふるえているようだった。     持った親分で人生が決まる  ところで、姐さんの話にはたびたびドス(短刀)が登場する。「親分の命を守るために大切にしているもの」だ。今はどちらかといえば、一般人にはチャカ(拳銃)の方が耳慣れているだろうが、いずれにしても内心興味を抱いていることには変りない。  新子姐さんも、やはり“大切なモノ”のせいで父親をコンクリート塀の向こうに送ってしまったという。  姐さんの実家は博奕が禁止されてから没落の一途を辿り、父親の死後住み慣れた家を売り、稼業は下の者にまかせて、姐さんの家族は普通の生活を始めた。 「盛況だった時代は、ドンパチも多かったから、ガサ(家宅捜査)で随分持って行かれちゃったのよ。大勢の警察官が探知機をもって家中を捜索するの。  あのときもそうだった。私たちは、居間に集まって、バックレ(しらばくれる)ながら平然とタバコをふかしていたっけ。と、ピッ、ピッ、ピッって音がして、にわとり小屋から、チャカやら、認可されてないドスやらが。それで六十歳の父は、お縄になったってわけ。  私が生まれて初めてのムショ行きだった。誰もあわてたり、騒いだりしやしなかったわ。母は無言で若い衆の陰から父を見送っていたし、それから先も、父がいた頃とまったく変らない生活だった。  私? 別にィ、何とも思わなかった。ただ(どれくらい、うたれる[#「うたれる」に傍点](懲役に服する)んだろう……)って漠然と考えていたわ。だから冷やかし半分で父親に面会に行った時も、逆に父親の方が照れくさそうに笑いながら恥かしがっていたっけ」  楽しそうに声を出して笑う姐さん。稼業の話となると、こんなに目を輝かすのだから、稼業世界は嫌いじゃないでしょと尋ねると、即座に「嫌いよ」って返事が返ってきた。そして、 「だって、しょせん女よ。どんなに頑張ったって偉くなれるのは男はんだけだもの」  と苦笑いした。 「若い衆が『姐さん』と頭を下げるのは、私に対してでなく、あくまでも自分の親分に対して下げているのよ。 『バカ野郎、この野郎』は、いつだって言えるの。だけど私は、稼業の親分をしている夫の妻。しょせん刺身のツマなのに、苦労してきて私も自信がつきましたって、大きな面しているようじゃ、まだまだ女房失格。親分のために尽くしてくれる若い衆に心から愛情と感謝を持って接することができるようにならなきゃ、しかも無理してでなく、自然にね。  それが十代の頃の私には解らなかったけど、履き違えたら大変なことになるって自分の失敗からようやく解ったの。  履き違えた女性も可哀相だけど、ほんとに若い衆こそ可哀相よ。持った親分、持った兄ィ、持った姐さんで人生が決まってしまうんですもの。組のために十年以上の懲役に行ったところが、出所してきたら組がなかったなんて、ちっとも珍しいことじゃないのよ。  清水の次部長親分は、確かに偉かったけれども、持った子分が偉かったんだな、って近頃そう思えるようになったの」  それにしても、どんな時も美しい表情を見せる新子姐さん。不思議なことに、私が出逢ったこの世界の女性の八十パーセント以上が、化粧ばえのする派手な顔立ちで、昔風に言えば「小股のきれ上がった」いわゆるいい女だった。     稼業の妻の“課題”とは 「もうそろそろパパに夕食を作らないと」  と大あわてでタクシーに乗り込む姐さんに便乗しながら、最後に「皆さん美しいのは何故?」と尋ねてみた。姐さんは「でしょ?」といって満足げに笑いながら、逆に「じゃお金の苦労がついてまわる奥さんはどうだった?」と聞いてきた。そういえば……と私に、彼女たちの一様な赤い髪や、つり上がった目が浮かんできた。 「稼業の男は、美しいものが大好きなの。位が上がっていけば当然、そのレベルで物事を見るようになるでしょ? 位が上がって、お金ができれば、当然それに似合った女を求めるようになる。稼業の男にとって、女も生きがいなのよ。  仕方のないことだけど、位が上がって目がこえればこえるほど、次から次へと女房をかえられちゃうのよ。だから一般的に最初の奥さんよりも最後の奥さんの方がきれいで若いって言われているのよ。最後の奥さんほど、一番美味しい生活を味わえると言われているわね。でも──」  姐さんは、真っすぐ向きながら、表情をくもらせた。 「それだけに大変すぎるわ。自分より年上の若い衆にチョロなめされないようにと、自然につり上がる目尻は下げなくちゃいけない。そして夫に対しては、捨てられないように一生懸命努力しなくっちゃいけない。  奪ったものは、必ず奪われるのよ。私が見たって、ハッとするくらい美しい女性がごまんといる世の中ですもの。いつ自分より若くて美しい人に奪われるかもしれないんだから。本妻になれたことに甘んじないで、最後の奥さんで終わるように努力して努力して自分を磨いて、内も外も美しく、親分の妻として恥じない妻にならなくっちゃいけないの。そうしてどうしたら夫にとってかけがえのない妻と思われるか、それを研究することが、私たち、稼業の妻に与えられた、些細だけれども大きな課題じゃないかしら。  でもこれは一般の奥さんにも言えることなのよね。ただ、私たちの世界の場合、生存競争が激しいだけ。特に私は、カタギの男で苦労を重ねて、二十年も遠回りしちゃったから。  稼業の親分によって、やっと掴ませてもらえたこの幸せですもの、二度と手放すものですか」  私は姐さんのピーンと真っすぐな眉を眺めながら(姐さんが、苦労を決して苦労と言わないのは、“ひたすら男はんに尽くす”母親を見て育ったからかしら)──ふとそう思った。  タクシーが煉瓦色のマンションの前に横付けされると、 「本当に苦労らしい苦労してなくてごめんね。原稿にならないでしょ?」  眉毛を八の字にしながら、そんな言葉を残してマンションの中へと駆けていった姐さん。その後ろ姿は、少女のように小さくかわいかったけれど、  ──どういう苦労を、あなたは極道の妻の苦労として認めてくれるのかしら?  という疑問を私に残していったような気がした。    |裕《ゆう》|子《こ》|姐《ねえ》さん [#ここから3字下げ] 身内が撃たれた── 一本の電話で部屋の空気が凍りついた。 「命は……?」 一和会の大幹部である夫が低い声でうめく。 二十五歳。姐さんと呼ぶにはあまりにも若い 裕子さんが、初めて身に感じた抗争の一瞬だった。 山口組との闘いの中で女も変る……。 「夫が殺られたら仕返しに行きます」 事件から三カ月を経たいま、彼女はキッパリ言う。 [#ここで字下げ終わり] 「親分、××が撃たれましたッ!」  一本の短い電話は、一瞬にして、家中の人間をこわばらせた。 「エエッ……? あの××さんが……?」  その場に居合わせた組員は、誰もがそういった。 (まさか、ウチの組までが……あの人一倍用心してはった××さんなのに、なんでまた……)  台所で洗いものをしていた裕子(=仮名)さんは、(ついに来た)と、初めて体で感じる「抗争」に身がふるえた。左手にスープ皿、右手にスポンジを持ったまま。 (だんだん抗争が、私のところへも押し寄せてくる……、別の世界のことみたいに考えてたのに……)  聞こえてくるのは、水道の水が勢いよく流れる音だけで、まるで時間が止まったようだった。青白い緊白した空気を背中に痛いほど感じながら、裕子さんは、撃たれた組員のことを思い浮かべていた。その人のよさそうな「おじさま」は、先日逢った時もニコニコしていた。  ソファの中央にデンと座った彼女の夫(会長)は、 「命は……?」  とうめいたきり口をつぐみ、眉間に深いしわを寄せて、今まで見たことのない怖い顔をしていた。  何人かの組員が駆けつけてきて状況を説明したり、輸血のため病院へと飛びだしていったり、時計の針が早廻りで動き始めたのは、ずいぶんたってからだった。  会長は、言葉少なに腕組みしたまま宙を見つめ、その場に居合わせた若い衆は、 「とことん、うちの親分、怒らす気か」  と、唇をかみしめていた。初めての不気味な空気に、裕子さんは仏壇の前で手を合わせ、 (どうか助かって……)  と、ただひたすら、祈らずにはいられなかった。     「夫が殺られたら仕返しに行きます」  一月二十六日、山口組四代目・竹中正久組長らが狙撃されて、ドロ沼と化した山口組・一和会抗争の中、一和会では大幹部のひとりである会長傘下の組員が受けた初めての報復だった。ユニバーシアード休戦にもかかわらず組織の有力な組員が撃たれたのだ。幸いにも、生死の境を脱して命はとりとめたものの、弾を抜くことができず、どこの組が|射《や》ったかわからないまま、いまだに入院生活を続けている。 「『どこが|射《や》ったんや』  と、皆が思ったのは、かなり後でしたから、怒りが湧いてきたのは、そのまたずーっと後。そういうもんじゃないでしょうか。とにかく命が心配で……。当たり前ですよ、身内やもん、家族みたいなもの。でも命が助かって本当によかったわァ……」  そういって裕子さんは、ほっと胸を撫でおろした。私が取材で会った中では一番若い、二十五歳になったばかりの奥様だ。いつもの癖で「姐さん」と呼ぶと、 「すみません。名前呼びでいいんですよ」  と、遠慮がちな答えが返ってきた。 「今まで、一人、二人と死傷者が出るたびに、山口組も一和会も関係なしに、(あー、かわいそうやなあ……死にはった人はもちろんやけど、残された人も、ほんともっと気の毒やなあ、私やったら、どないするやろ)そんなこと考えていたんです。  でも初めて起こった身内の事件、撃たれた組員の奥さんの大変さは、それは想像以上でした。若い人がちゃんと来てはるのに、奥さん、連日つきっきりで看病してはるんです。初めて主人とお見舞に行った時だったかしら、奥さん、燃えるような凄い目で、 『どこが|射《や》ったか、もしわかったら自分が行ったる、仕返しに』  そう言わはった言葉が胸にやきついてしまって……口惜しいですよね、どこが射ったかもわからんなんて。私、それを聞いたとき、思わず深く頷いていたんです。  もちろん私も行きますわ、お父さん(夫の会長)が|殺《や》られたら、仕返しに。確かに男の世界で女の私が行ったら皆に迷惑がかかります。自分だけで済んだらええけど、この世界、そうはいかないこと百も承知しとります。けど、でけへんなりに、私、仕返しせずにはいられへんのです。あなたやってそうでしょ、もし自分の愛する人が|殺《や》られたら……」  そう言って裕子さんは、唇を固くかんだ。知的で、おとなしそうな、いかにもいいところのお嬢さま然とした裕子さんから伝わってくる不思議なジワッとした迫力。私は彼女の大きな瞳に吸い込まれてしまいそうな気がした。そして家庭愛とはまた少し違った兄弟愛が充満する家の中で、私はまた、いつものような疎外感を感じるのだった。     父親より年上の夫  梅雨も明けた暑いさなか、私は大阪の繁華街をキョロキョロ迷いながら歩いていた。 「一和会の◯◯事務所は、どこでしょうか?」  買い物帰りのおばさんに尋ねると、気前良く丁寧に教えてくれた。 (どうして普通の人が、事務所の場所まで知ってるのかしら……)  東京では考えられないことだ。事務所を借りるのだって難儀だ。自分でビルを持っている場合は別だが、持っている会社名を使って、入居希望者審査にかけられるのだが、稼業がばれて断わられることは往々にしてある。そうして、ようやく捜し当てたビルの一室も、◯◯企業とか、株式会社△△とか、ごく普通の名前がドアに書かれていて、これでは、一般人が知るはずもない。  不思議に思った私は、ためしに何人かの男女に「◯◯事務所」の場所を尋ねてみた。やっぱり、「あー、あそこね」と言って詳しく教えてくれるのだ。  はたして私が、徒歩十五分くらいの距離にあるそこへ行くと、一台のワゴン車が、事務所の正面を覆うように停車していた。表の壁には、デカデカと金文字で「一和会◯◯組本部」とある。これで誰もが知っている理由が明らかになった。 「たまたま……ってこともあるから、くれぐれも気をつけて」  と、多くの人に言われてやって来た一和会の事務所。気のせいか、肌に触れる空気が痛い。インターホーンを押すと、防弾ガラス越しにチェックされ、まもなく少しだけドアが開けられた。広々とした室内。備品はすべて二階へ上げられたのだろうか、電話の置かれた机とソファがあるだけで、あたりは閑散としている。まるで空っぽになった冷凍庫に閉じ込められたようだ。屋内は強冷房にしているらしく、底冷えさえする。  最近、中央地方を問わずこの世界で流行しているようで、ボディガードと称する坊主頭の二十三歳くらいの体の大きい男も、パステルカラーのスウェットスーツを着ていた。 「じゃ、親分とこ、ワシが案内しますからー」  白いテニス帽を目深にかぶって、注意深くドアを開けて、再び外に出る。火事場へ急ぐように大股でサッサと歩を進める彼は、まるで私のことなど忘れているかのようだ。  陽差しは厳しく、彼の白い顔に玉のような汗がふいてきた。 (もし、ここにタマが飛んで来たら……)  キョロキョロ辺りを気づかいながら、遅れまいと懸命に小走りでついて行く私。慣れたとはいっても、やっぱり初対面で世間話をするには無理があった。大通りに出て間もなく、機動隊の灰色の装甲バスが目に入ってきた。 (ここが例の銃撃戦地区か)  そう思うと、やっぱり身震いせずにはいられなかった。  大幹部の妻や愛人から、下のほうの組員の妻や愛人まで、私は多くの一和会の女性に会うことができた。なかでも強く印象に残っているのが、短大生時代から交際を始め、ついに大幹部夫人となってしまった、この裕子さんだった。私と年が近いせいだろうか、彼女の話には、うなずくことが多かった。  神原裕子、二十五歳。大阪で生まれた。ごく普通のサラリーマン家庭で、父親から叱られたり殴られたりした経験もなく、大切に育てられた。が、五十五年の夏に友人がアルバイトをしているスナックで、渋い高級スーツを着た自称「新聞社の株主」の夫と知り合う。当時夫は「稼業」を隠していた。いつも乗りまわしている外車を使わず、わざわざ国産車でやってきて、彼女をデートに誘い、運転手も使わず自ら運転席に座るという徹底ぶりだった。  以前から同年代の男性は頼りないと、“おじさま好き”だった彼女は、彼の猫っかわいがりな優しさに日ごと魅かれていった。けれども、父親よりも年上の彼に気の毒で、「おいくつですか?」と聞くことができなかった。  はじめての夜は、真っ暗にしたホテルの一室、暑いさなか、浴衣をきちっと着たまま、布団を頭からかぶってだった。刺青を隠すためだ。 「まるでマンガみたいでしょ」  とコロコロと笑う裕子さん。しかし、いつまでも隠しおおせるわけがない。 「若い衆がついポロリと私の前で『親分』と言って、夫の職業を知ったとき、(あ、やっぱり。売りとばされちゃうかな)って、内心ヒヤリとしたんですよ。でも、ヤクザの親分って、私にとってはまったく普通の人だったんです」  裕子さんは、夕食を作るのを遅らせて、一生懸命話してくれた。張りのある透けるような肌、大きな瞳、長い柔らかそうな髪、澄んだ高い声、抗争によるカン詰め暮らしで五キロも太ったとはいうものの抜群のプロポーション。女の私でも思わずうっとりと眺めてしまいたくなるほどだ。  もしいまの夫と出逢っていなければ、裕子さんは外資系の会社に就職したかったそうだ。しかしそれからが大変だった。 「学生を一年余分にやってる短大時代でした。お父さん(夫)の写真持ってて友達にばれちゃったら、ついでに母親にもばれて……。もう、メッチャクチャでしたわ。 『絶対に許さへん』  ヒステリーになった母親と毎日、『別れろ』、『別れへん』の繰り返し。もう頭がおかしくなるかと思いましたわ。 『つき合ってろくなことないんだから、とにかくすぐに別れなさい』  そう言われたって、私だって頑固な母親の子やもん。簡単に引き下がれるわけがないでしょ。たまりかねた母が、強行手段やいうて彼に電話しちゃいました。 『どうか娘のために別れてやってください。何も学生まで相手にしなくても……』  って。涙こぼして訴える母の小さくなった背中見つめて、私ももらい泣きしちゃった。それでも別れられなかったんです。 『ヤクザのどこが悪いの?』 『年が離れてることのどこが悪いのよ』  でもさすがに父には言えませんでした。絶対的に信用されてましたから、父の夢を壊すのが怖かったんです。知らずにいるのが幸せかちゃんと話すのが幸せか、どっちが本当の幸せと言えるんでしょうか。どちらにしても私は罪つくりを重ねてるんでしょうね」  公立大学へ行っていた二つ違いの妹も、理解者になるどころか、逆に激しく裕子さんを責めた。 「お姉ちゃん、私のことも考えてよ。お姉ちゃんは自分のことばっかし考えて、勝手なことしてるけど、私が結婚する時のこと考えてんの」  それでもあきらめられなかった裕子さんは、ある日、 「ヤクザでも何でも、ウチの好きな人や。結婚ぐらい自由にさせてよ」  とうとう着のみ着のままで家出してしまったのだ。しかし一年後、母親に再会した時、さすがに裕子さんは心がキュンと痛かったという。「娘が帰ってきますように」と毎日おまいりに出かけ、五キロも痩せた母親。帰らないことを百も承知で、最後まで「帰っといで」と言い続ける小さくなった母親に、何度も「ごめんね」を繰り返しながら、それでも彼女は夫のもとへ戻っていくしかなかった。 「それで、お母さん、今は?」  私が遠慮がちに尋ねると、 「相変らず否定的よ。でもあなたが幸せなら……って、四年たってようやく言ってくれるようになったの。私、母は今幸せだと思ってるんですよ。だって私がこんなに幸せなんですもの」  さわやかな笑顔だった。けれどもいまだに父親には内緒で、裕子さんは妹と一緒に住んでいることになっている。だから、 「妹は、ちょこちょこ実家へ帰ってくるのに、あいつはなんで帰ってこんのや」  と言うのが父親の口癖だという。     一・二六事件で生活が一変した  山口組四代目が狙撃された一・二六事件まで、どこへ行くのも夫と一緒だった。毎日外食で、「ままごとしとったんや」と会長は言う。  そして事件。突然に外出禁止のカン詰め生活が始まった。二人だけの城に若い衆が常時五人寝泊りするようになり、ボディガードの他、買い物も、若い衆が代行するようになった。  おろした大根をさらに布で絞り、スカスカの大根おろしを平気で盛り付けしていたくらい料理ひとつ知らなかったお嬢さまが、一度に七人分の料理を本を見ながら作ることになってしまったのである。 「夫に、『これからは、若い衆が一緒に住むから』と言われた時、思わず、『エーッ』って息がつまりそうなくらいびっくりしました。一週間くらいなら、我慢できる。そやけどこれが終結までずーっと続くやなんて……。 『ねぇ、若い人は別の家に寝せて』  と顔に出さずにはいられませんでした。突然一緒に住むことになったのは、若い人といってもみんな私より年上の人たちでしょう。育った環境も考え方も違うのに、どう接したらいいんだろう……何をしてもらって、どれを自分ですべきなのかもわかんないし、『あれしい、これしい』いうて、若いのに偉そうなこというてと思われたくない……。気ばっかりあせってる上に人見知りはしちゃうし、ほんと自信喪失でしたわ。 (若い人って私と違うんだ)って、勝手に自分からピシーッと境界線引いて、(組織のことなんかわからへん)と聞く耳持たずに一人で疎外感と戦っていたんですから。  ほんと淋しかったわ。その上、お父さんには、 『ちゃんとやれ、ちょこちょこすんなッ』  ってビシビシ注意されて、(あー、やっぱりヤクザなんだな……)って思い知らされました。  私、そんな怒られ方に慣れてませんでしたし、周りの人間に、『なんやあの女、生意気な』、そう思われるのがいやで、口応えもできなくて……・ほんとしんどかった。それをぶつけるところも、泣く場所もなくて、お風呂につかりながら、殺し泣き。何度も湯船でバシャバシャ顔を洗っていたんですよ」  裕子さんはそう言って苦笑いした。隣で彼女の肩を抱きながら耳を傾けていた会長が、 「そんなことあったか?」  と|素《す》っ|頓狂《とんきょう》な声を出した。 「愛しとるんやから、頭ごなしに言うはずないんやけど、お前がそう受け取ったんやろなあ……言葉のはしばしがきついもんなあ……」  そう言って彼女の長い黒髪を|愛《いと》しそうに撫でた。会長は雑誌の写真で見るのとは大違い。眉間のしわも消えて子犬のように優しい目をしていた。     妻・会長秘書・姐さんの三役をこなす 「そやけど不思議ですわ。一つ屋根の下に住んで、同じもの食べてると、自然と情が湧いてくるんです。それこそ骨肉の争いとも言える大きな戦争で、私たちは、ご覧のとおり閉じこめられちゃったけど、逆に戦争は私にも自信をつけさせてくれたんですね。良きにしろ、悪しきにしろ、貴重な体験でしたわ。  わずかの音でも家じゅうの者の耳に入るようなマンションの生活ですもの、夫婦生活だってほんとに気を遣うんですよ。テレビの音を大きくして絶対その気配を若い人に悟らせないように、って。そんなカン詰め共同生活、早いものですね、もう一年たってしまいました。知りたくないこと、見たくないこと、いっぱいありました。でも、若い人をかけがえのない家族の一員として考えられるようにだけはなりました。『こんな最中やから、私だけはいつも明るく、笑っていよう』って自分に言いきかせているんです。私はただお父さんにいい女房と言われたらいいんだ、とわかるまで五年もかかってしまいましたからね。  人は大変でしょうと、同情してくれはりますけど、私、よく言われる“息がつまりそうな生活”、何とも思ってないんですよ。むしろ、これが我慢できるんだから、何にでも耐えていけそう……って、主婦の自信が出てきましたわ」  裕子さんは、白い歯を見せて夫の顔を見た。若い男性が多いせいか、凍えるほど冷房は効かせてあるが、本当のところ、息がつまりそうな室内を、私は見渡してみた。  玄関の外につけられたテレビカメラは、出入りする若い衆を終始私の横に置かれたテレビに映し出していた。きちっと片付けられた防弾ガラスで囲まれた3LDKの室内。会長の座るソファのすぐ後ろには、一和会の役員名簿が墨で書かれてはってある。所狭しと並べられたブランデーと、ミニチュアビンの酒の数々。部屋の至る所に夫婦の思い出写真が引き伸ばして飾られている。水着ではしゃいでいる二人、部屋でくつろいでいる二人など……。中には、裕子さんが成人式のとき、一緒に写した記念写真もある。カン詰めになってから唯一一家の余興であるカラオケセット。来客とともに深夜まで続けられるらしい。そして、本棚には、『青春の門』や『徳川家康』が並べられ、端っこに、今は必要なくなったという『おかずの全集』が、何冊か置かれていた。 「二十四時間、一緒にいて、逃げ出したいと思うことないんですか」  私が尋ねると、 「そりゃたまには、心斎橋へ買い物に行きたいし、旅行にも行きたいですわ。けどお父さんが一緒ですからね、こんな生活でも平気なんですよ。かえって彼がいないと落ちつかなくって、ゆっくりできないんです。へんですね。お父さんといっつも一緒にいることに慣れたのかしら」  裕子さんはクスリと笑った。すかさず会長が、 「それとも、慣れざるを得んのかなあ……」  と遠くを見ながら、つぶやくように言った。会長の得意のポーズだ。  私が山口組の真琴姐さんのところに居候して、裕子さんの家への出入りをやめていた三カ月間に、彼女はひとまわりもふたまわりも大きくなったような気がする。  会長宛てにかかってきた電話は、まず裕子さんが受けて、取り次ぐ必要のある相手だけ会長に受話器を渡す。会長が「◯◯ンとこ」と一言いえば、電話帳も見ずに、即座にダイヤルする。まさしく有能な会長秘書だ。そして、若い衆にはテキパキと指示を与え、彼らの部屋にもズカズカと入って行く。時折、中からコロコロと快活な笑い声が、低い声に混じってもれてくる。まるで以前の彼女とは別人のようだ。  かつて言葉のはしばしにまだ二十四歳を感じさせていた裕子さん。その間にひとつ歳をとったせいもあったろうが、三カ月後の彼女の眼差しは、自信からかまっすぐに輝いていた。     “殺られた側”と“殺った側”  一和会と山口組の間で抗争が始まって間もなくの寒い盛りのことだった。私は、抗争によって男が地下に潜り、そのため東京へ逃げざるをえなくなった彼の愛人とめぐり逢うことができた。その時、彼女は銀座のクラブで働き、自活していた。栗色にそめたロングヘア。こってり塗られたマスカラとシャープなアイライン。スーツにあわせたピンクの口紅とマニキュア、至る所、ゴールドで埋められて、すっかりその世界の女性らしくなっていた。が、彼の手に触れた最後の記憶は、一・二六事件よりかなり前のこと。「私、もうここにはいられへんわ」と男にサヨナラを告げたのは、新幹線ホームの公衆電話からだった。  東と西、恋人たちは別々になってしまい、今なお男は潜行を続けている。それでも一カ月に一度くらいは電話をよこし、金がないといえば、十万円単位で送金してくれるという。  夜の銀座にふさわしく、長身で妖艶な由加(=仮名)さんは、切れ長のやさしい目を開き、ジェスチャーたっぷりに熱っぽく語ってくれた。 「もう電話が鳴った時から、(これは彼だ!)ってわかっちゃうの。受話器を取るなり、『待ってたのよ』って。  言葉少なに『元気にしとるか』って低音でボソボソって喋る彼のなつかしい声に、私、思わず受話器を見ちゃうのよ。バカね……、彼の顔が見えるはずないのに。 『どうしてんの?』『新聞読んだよ。大変やねぇ』『これから、どうすんの?』って、次から次へと投げる私の質問に、彼は、『んー、んー』と答えるだけ。そのくせ『金は足りとるかー?』なんて一人前にひとの心配までするんだから……。  あとは、『気ィつけてね』を繰り返すだけのほんとにたった二、三分の短い電話。  切ったとたんに|堰《せき》を切ったように涙が溢れてきて止まんないのよ。思い浮かぶのは、昔の楽しかった思い出ばっかり。  ほんとに愛してる人と喋ってる時って、夢中すぎて涙も出ないものじゃないかなあ……。受話器置いて自分を取り戻した時、あたりはもう涙でビッショビショ、もう体じゅうから涙が吹き出てくる感じなの。ほんと辛いわぁ。あれも話したかった、これも話したかったって後悔ばっかし。逢わなきゃ忘れられると思ってたのに、やっぱり愛してるのね。  生活を共にしてきた人と突然別れなきゃいけなくなるって、ほんとに悲しいことよね。山口組と一和会もこんなんじゃないかしら。菱の代紋を愛して愛して生きてきた人達が分裂するんだもの。残された連中も悲しいけれど、愛していながら離れざるを得なかった連中の悲しみも、もっと大変じゃないかな、って思うのよ」  これまで“殺られた側”の心情しか想像できなかった私にとって、“殺らざるを得なかった側”を語ってくれた由加さんの言葉は、衝撃的だった。 「もう逢えないでしょうね」  と淋しそうに笑う由加さん。彼の名前が活字に載るたび、(まさか)と心臓が音をたてて踊り出すそうだ。 「もうお店に出る時間だから」  と言ってサーモンピンクのスーツをひるがえしながら、彼女は並木通りに消えて行った。裕子さんのような自信にあふれた姿はそこにはない。つっぱった後ろ姿が、やけにか細く見えた。 「私は最初から、親分だった今の主人と一緒になったでしょう、夫の下積み時代から一緒になってるわけじゃないので、下の奥さんのご苦労がわからなくて……」  と裕子さんは申しわけなさそうに下を向いた。由加さんとは形こそ違うが、彼女も、抗争によって、一つ一つ昔の枝葉を落としていった。 「一人、二人と、友人とか、周りの人が変っていくんです。まったく連絡のなくなった人も何人かいます。そうかもしれませんね。だって、この窓を防弾ガラスに代えるとき、ガラス屋さんでさえ出入りを嫌がったくらいですもの。ごく普通の生活をしている人に、変らないおつき合いを、と言っても、それは無理かもしれません。つい先日も、危険だからと病院に診察を断わられましたね。(そんなもんかな……?)って淋しい時もありますわ」  裕子さんは、夫の手をしっかりと握りながら、言葉を選ぶように言った。隣で裕子さんの言葉に何度もうなずいている会長。抗争のことを語る時は、眉間にしわを寄せ、小柄な体が何倍にもふくれ上がるほど怖い表情になるのに、彼女のこととなると、打って変ったように幸せそうな顔に戻る。 「とにかく徹底的にやさしい夫ですわ。いくつになっても男の人って幼児性があるんですね」  現在、会社や弁護士との打ち合わせから、銀行関係に至るまで、会長の代わりに、裕子さんがすべてきりまわしている。  ある日、道端で「マル暴(暴力団取締り)」の警官に出くわし、「こんなとこ、ウロウロしとったら、あきまへんよ」と注意されたとか。 「でも私、最近、お父さん見習って、『やれるもんなら、やってみィ』って堂々と構えてるんですよ。『人が死ぬ時って、決まってんねん』ってお父さんに言われて、『あー、そんなんかなあー』と思えるようになってきたんです。けど……」  私は身をのりだした。 「……けど内心、やっぱり怖いわあー」  ずっこけた私を見て、ケラケラとかん高い声で笑う裕子さん。けれどすぐ真剣な表情に戻った。     裕子姐さんの「悲しい夢」  先刻から会長は、今朝、事務所をトラックで壊されたという大幹部に電話を入れていた。 「気の毒やけど、もうちっと辛抱しとってえや」  私は、会長が席をはずしているのをいいことに、会長の前では聞きづらかった質問を投げてみた。けれども不愉快な顔ひとつせず、裕子さんは話を始めてくれた。 「私、いっつも思うんです。ドーンと来た時、私、ほんとに守ってあげられるやろか……。ひょっとしたら、かわすんじゃないだろうか……って」  事件以来、彼女は、よく同じ夢を見る。  ある時、クラブに皆が集まって、楽しそうに歌っていると、突然ドアが開いて、ドーンとタマが飛んできた。若い人たちは、親分を守ろうと抱きついていったのに、彼女一人、ただジーッとしたまま、怖くて動けなかったというのだ。 「あー、私、なんて恥かしいことしたんやろ。あんなに守らなくちゃっていっつも心構えしてたのに、土壇場になって、守ってあげられなかった……なんて情けないんやろ……夢とはいえ、恥かしいなあって後悔するんです。ほんとに悲しい夢。  だから私、お父さんと歩いてる時なんて、いつもキョロキョロまわりを観察しながら緊張してるんですよ。もし今、前から来たらどうお父さんを守ったらいいか。横から来たら、どう出るべきか。後から来たら、抱きつくのが一番かな……とか。そやけど私だって人間、まして女やもん、怖くない言うたら嘘ですわ。即死ならええけどね……」  裕子さんはそう言って眉をくもらせた。黒いTシャツに黒地に原色の大胆な花柄の巻きスカート。ほんとにどこから見ても、いいとこのお嬢さんなのに、彼女の表情は、私がこれまで何度かお目にかかったことのある極道の妻たち特有の表情と、少しも変らなかった。  普通ならまだ、会社勤めをし、プライベートタイムは、女友達やボーイフレンドとのつき合いに忙しいさかりの年齢。女として一番羽をのばせる時に、彼女は、愛する人や血のつながっていない子供たちと一緒にカン詰め生活をし、万一の場合、自分を犠牲にしてまでも彼を守ろうとしている。 (まだ、こんなに若いのに──)  裕子さんを自分に置き替えてみただけで、心がズシンと重くなってきた。  私は以前、狙われる可能性のある某親分と、お忍びで飲みにやってきたクラブで偶然出くわし、同席させてもらったことがあった。  親分を囲むように若い衆が座り、クラブの入口にもボディガードが立っていた。私は、楽しそうな表情を装いながら、正直なところ、(もし、今、親分を狙ってきたら)と考えずにはいられなかった。左に飛んで逃げようか、それともテーブルの下へもぐろうか、それでも当たるだろうな……。情けない話だが、ついつい考えてしまうほど、不気味な情景だった。  だから裕子さんの気持ちを聞いた時、私は、そんな言葉を期待はしていたものの、驚かずにはいられなかったのだ。 「心配してもキリないけど、やっぱり仏壇にしつこいほど手ェ合わせて、(今日も一日無事でありますように)と、祈らずにはいられないんです」  どんな時でも辛い表情を見せまいと、つとめて明るくふるまう裕子さん。それだけに彼女の明るい表情は私の胸を刺す。 「お父さんがこのまま帰って来ィヘんかったら、どないしょ……、病院から電話がかかってきたら私……そう考えると、心配で心配で。ここに敵がやってくるんでしたら、まだいいんです。私が守ってあげられますもの。それにこんなことは、あってならないことやけど、たとえ万が一のことがあっても、私の胸の中で瞼を閉じてくれはるんですもの。そやけど、私のいないとこで何かあったら……そう思うと、ほんと辛くて。だって私、お父さんのいない生活なんて耐えられないんですもの。よう生活していかれんと違うかしら。人間は忘れんと生きてかれへんものやけど、忘れるって淋しいことですものねぇ……。若い人には組が残りますけど、私はお父さんがいなくなったらもうおしまい。私にはお父さんだけなんですから……」  私は返事に窮した。それを聞いて次の質問が切り出しにくかった。 「いいんですよ。続けてください」  やっぱり彼女も言うように「気ィ遣っしい(よく気を遣う)性格」だ。私が年の差のことを切り出すと、裕子さんは(あ、やっぱり)という顔をした。けれどすぐにもとの明るい表情に戻って、話を続けてくれた。 「そうよねぇ。ただでさえ、こんなにお父さんと年が離れてるんですもの。どうしても、お父さんの方が先に死んじゃう順番ですよね。私、最近思うんですよ。ええかっこじゃないけど、お父さんより先に死ねたら、どない幸せやろ……って。ほんとにもっと早く逢えてたらな……そう思うと、一分たりとも無駄にできなくって。そやから、今のカン詰め生活、うまくやっていけるんとちゃいますか?」  年が近いせいだろうか、裕子さんの素直な気持ちが、痛いほど伝わってきた。  会長に、あの話をした、この話をした、と楽しそうに報告する裕子さん。 「それは、言っちゃあかんことや」  と咎められては、「まだまだですわ」と恥かしそうに笑う。そんな彼女の表情を見つめながら、十年後も、この世界の人々特有の鋭い眼光でなく、純粋に一生懸命さから目を輝かせている女性であって欲しいな、と彼女の「けど、お父さんに愛されてほんとに幸せです」と言っている美しい瞳を見つめながら、思っていた。  ヤクザのヤの字も知らない女性が、たまたま愛してしまった男性のためにこの世界へ入った。そして、ずいぶん長い間、ヤクザと思われるのが、イヤでしようがなかったという。 「ブティックとか、飲みに行った先で、お父さんの妻ってわかるとやたらペコペコして大事にしてくれはるんです。そやけど理由がわかったんです。決して心からペコペコしてるんじゃなくて、怖いからしてるんやって。(なんかしたら怖いなあ……)って目つき、これが普通の人ですわ。  ヤクザというだけで、人からどんな目で見られるか、この世界の妻になって、初めてわかったんですよ。私一人でデパートヘ行っても、応対は普通の女の子への接し方なのに、隣にお父さんがいるだけで態度がガラリと変っちゃうんです」 (仕方のないことかしらねぇ……)とでも言いたげに裕子さんはため息をついた。彼女が「この世界以外の友達ができにくい」と言うのもわかるような気がする。 「お前が(極道を)嫌っとると感じることは何度かあったわ。けど仕方のないことやもんなあー」  かばうように会長が言った。     うなされる夫  束縛されるのが大嫌いで会社勤めも半年ともたなかった私が、突然狭い家の中に閉じこめられたら……。裕子さんの家を訪ねるたび考えることだが、想像しただけで頭がおかしくなりそうになる。裕子さんはこのカン詰め生活で五キロ太ったという。発散するところがなくて、一体どうしているのと、たまりかねた私がある日尋ねると、裕子さんは苦笑しながら首を横に振った。 「初めは、やっぱり眠れなかったんですよ。でも今はもう慣れたんです。それにしても私って、こういう生活、ぜんぜん平気なんですよ」  台所に立って、若い人に、 「あれしてくれはる? これしてくれはる?」  と言いながら、元気いっぱい料理に取り組む裕子さん。しかし、彼女に過酷な夜が待っているなどと一体誰が想像できるだろうか。 「お父さんは、いまだに夢でうなされるんです。殺られる夢でも見てるんじゃないでしょうか、眠ったまま両手を動かして大暴れするんです。かわいそうやから、 『お父さん』  って揺り動かすと、敵が向かってきたと思うんでしょうね。両手で私の体、バッチンバッチン叩いてワーワー叫びながら大格闘するんです。朝がくれば、キョトンとして、『何か、やけに手が痛いなあ』なんて不思議がってますけどね。  いやあ、男の人って、つくづく大変なんやなあって。いつもシャンとしてなきゃいけないから夢でうなされるんですね、きっと。そんなお父さんを見ていると、かわいそうで、かわいそうで。  殺られた方がかわいそうといいますけど、誰だって人を殺したくないんです。でも、それでも殺らざるを得なかった人たちの気持ちって、もっと辛いと違いますでしょうか。それこそ血の涙をのむ思いだったと……。  そやけど、自分の中で苦しんでいたのはお父さんだけじゃなかったんです。夢でうなされたお父さんが、やっと静かになって、ぶたれた頬を冷やしに台所へ行ったある夜のことでしたわ。若い人の眠っている隣の部屋から何か聞こえてくるんです。そっと近づいてよくよく聞いてみたら、うなされてますの。それも、 『親分、逃げてください。早く、逃げてください』  って。私、愕然としちゃって動けませんでした。(これが極道なんだ……)ほんとにショックでした。私、若い人を起こさんように、一生懸命涙をこらえながら『ありがとう、ありがとう』って心の中で叫んでいたんです。 (こんなにお父さんのこと思ってくれてるんだもん、私も頑張らなきゃ……)  それからだったと思います、私が、きっちりと引いてしまっていた若い人たちとの間の境界線を日ごとに破っていったのは。簡単なことでした。あの人たちとは別、と考えないようになっていったんです。そうしているうちに同じように若い人のぎこちない態度も次第に消えて、『姐さん』と呼ぶ声に愛情がこもってきたんです。ほんとうれしかった」  会長が他人に、「女房です」と裕子さんを紹介するとき、 「若くておうらやましいわ」  と愛想笑いを作りながらも、目は、「本当は愛人なんでしょ」と冷やかに語っているのを感じることが時々あるという。  けれども、若い衆が米をとぎながら、『姐さん、姐さん』と言って慕ってる姿を目のあたりにすると、「もう立派な主婦」と声をかけてあげたくなる。  気持ちいいほどサッサと動き廻り、ポンポンと楽しそうに会話を繰り広げる裕子さん。 「今は、むしろ若い方がやりやすいかも……と思うようになりました」  と言った彼女の気持ちがわかるような気がした。そして(どうか彼女から笑顔を奪わないで)と祈らずにはいられなかった。    |静《しず》|江《え》|姐《ねえ》さん [#ここから3字下げ] “ウチのお父ちゃんだけは、 どんな時でも大丈夫や” そう信じていたのに、夫は撃たれて死んだ。 葬儀が終ったある日、 小学生の娘がポツリと言った。 「ママ、私……少年院に入るかもしれないよ」 「エッ、どうして?」 「私、どうしてもパパの|敵《かたき》をとるの」 突然の言葉に、姐さんは愕然とした。 [#ここで字下げ終わり]  どんなに遅くても、必ず化粧した顔で夫の帰りを待つのが、静江(=仮名)姐さんの習慣だった。最近、夫の帰りが遅くなったのを心配しながら、その夜も姐さんは夫の帰りを待っていた。  と、遠くの方で、 「パン、パーン、パーン」  タイヤがパンクしたような音だった。銃声というのは、テレビドラマに出てくるような凄い音と思っていた姐さんは、その時はとりたてて気にもせず、ひたすら夫の帰りを待っていた。ところが虫の知らせというのだろうか、秒針がひと周りするごとに先刻聞いたパンク音が妙に甦ってくる。姐さんは、次第に不気味な不安につつまれていった。 (まさか……!?)  大通りに面したマンションの窓を開けてみる。けれど相変らずネオンはまぶしく、行きかう車も人も、いつもと同じ夜が広がっているだけだった。  それにしても、こんなに遅い夜ってなかった。 (泥酔して道端で寝ているのでは……)  たまりかねた姐さんが繁華街の方へ迎えに出た時、初めて遠くに黒山の人だかりを見つけた。 (もしや……)  人垣をかき分けて近づいた姐さんの目に、うつぶせに倒れている血まみれの夫の姿がとびこんできた。 「お父ちゃーん!」  駆け寄った姐さんの声に、夫はピクリと手を反応させただけ。そしてそれが最後の“夫婦の会話”となってしまった。     「まさかウチのお父ちやんが……」 「もし将来、出所してきた犯人とばったり出くわしたら、どうしますか?」  考えてみると、かなり酷な質問だった。姐さんは一瞬言葉をつまらせた。心の動揺を隠そうとしたのだろうか、妙な笑いを浮かべながら、 「わかりまへん……。その時にならないと……」  これまでにない不気味な表情だった。 「世の中、何万人って極道がおるのに、なんでうちのお父ちゃんだけがって、ほんま、『エェッ』って感じでしたわ。ずっと昔にも、タマが|家《うち》に飛んで来て怖い思いをしたことがあったさかい、お父ちゃんから、『くれぐれも気ィつけるように』とか、『窓ガラスの近くは歩かんように』とか言われとったんです。そやからウチも、お父ちゃんが帰って来はるまで心配で心配で、『つきあいいうても、あんまし遅くまで飲まん方がええよ』いうてたんです。  何か大切な連絡があるといかんから、家を空っぽにすることは、極力控えとったし、『どうか何ごとも起こりませんように』いうて、お父ちゃんのこと考えるたびに神様に手ェ合わせてたんですわ。そやから、 (まさか、あのお父ちゃんが……)  ほんとに信じられへんかったわ。けったいな話やけど、女って誰でも心ン中では、 (ウチのお父ちゃんだけはどんな時でも大丈夫や)  って信じてるもんですの。組織のためとか、親分のためとか、きれいごというたって、やっぱり家族。帰って来はると、ほんま肩の荷がスーツと降りたみたい。ほっとしたもんですわ」  静江姐さんは、壁に掲げられた夫の遺影を見上げながら小さな声で言った。  古い人間だから、極道の中の極道だったけれども、決して憎まれるような人じゃなかった、と姐さんが言うように、穏やかな表情をした写真だった。  テレビの画面には、知人の結婚披露宴で嬉しそうに「君といつまでも」を歌う夫のビデオが映っていた。  目を真っ赤に染めた姐さんを正視しきれず、私が、 「まだ……生きてらっしゃるみたい」  とつぶやいても、姐さんはコクンと頷いただけで黙ったきり、画面の中の遠くを眺めていた。 「言い表わしようがないわね、この気持って」  中学校のセーラー服を着た娘の浩子(=仮名)さんが、わざと平気な顔をして誰にともなく言った。そして(正直に心情を吐露することは許されない)と思っている姐さんの立場を察してか、見ればわかると、告別式の時の貴重なビデオテープを見せてくれた。  画面に広がる黒装束。重々しい雰囲気の中で静江姐さん一人がメラメラと燃えているようだった。画面から流れるお経を聞きながら、頭を深々と下げ、肩を震わせる浩子さんに、 「泣くんじゃないよ」  と低い声がピシャリととぶ。 「こんな時だって、涙を見せちゃいけないんやからねぇ……」  姐さんは、言い訳っぽく言った。 「事故なら、悲しみや憎しみをぶつけるところがあるかもしれんけど、ウチらはねぇ……。お父ちゃんが極道やっとった以上、死んでも悲しみや憎しみをあらわにすることは許されんのですわ。  耐えて耐えて、なんでこんなにがまんをせんといかんのやろうと、毎日自問自答しながら必死でお父ちゃんについてきたのに。若い衆の信望も集めて、極道らしくなって、 (ああ、やっとこれから……)  ってとこで──。そんでも事件のあとも、前とおんなじようにお腹ン中に、しまっておくしかないんです。誰かに話して、人前を|憚《はばか》らずに泣くことが許されたら、悲しみは変らんやろうけど、どんなに心が軽くなるやろね」  見るに耐えなくなったのだろうか、浩子さんは、 「ウチは絶対、極道だけはいやや、お母ちゃん見てきてもうコリゴリや」  そう言い残すとデッキから告別式のテープを取り出し、そそくさと自分の部屋へ引っ込んでしまった。それでもまだ、何も写っていない画面を見続けている姐さん。告別式でみせた気迫はすっかり消え失せて、目つきさえ優しく「いいお母ちゃん」になってしまっているようだった。  部屋の中央に置かれた大きな仏壇。一日のほとんどをこの部屋で過ごすという姐さんは、毎日夫と、どんな会話をしているのだろうか。「よく思い出すことって?」と尋ねると、少しだけ照れ笑いしながら、 「だんだん頭の中が空っぽになってしまって……」  そして視線をそらせると、 「もう疲れましたわ」  と誰にともなく言った。  夫が生きている頃は、緊張と心配の連続で、風邪をひく暇もなかった代わりに円形脱毛症と縁が切れず、至る所に十円玉ハゲを作っていた。しかし事件以来、二度とハゲもできなくなった。ただ緊張する種がなくなって神経性ハゲから解放された代わりに今度は体のあちこちにガタがきて、すっかり病院と仲良しになってしまったという。 「極道しとる限り看板を背負っていくんやろ。死にはったって、お父ちゃんは極道なんですわ。けどなあ……。そりゃ極道やけど、うちら家族にとっては大切なお父ちゃんや。一日たっても、十年たっても、このお父ちゃんを思う気持ちって、変らんのとちゃいますか? ウチ思うんですよ、ああ、一生、娘とこの気持ち背負っていくんかなって。もうこれ以上は、私の口から言えませんわ」  姐さんは、こう表現するしかない、とでも言いたげに、淋しそうな眼差しを私に向けた。おそらく姐さんが口にすることを許された最大限の言葉だったに違いない。  事件が起こってからというもの、弔問客で神経をすり減らし、子供が悲しむからと、相変らず泣くことも許されなかった姐さんは、三カ月もの間、毎日数時間しか眠ることができなかった。体は綿のように疲れているのに、頭の中は冴えきって、やっと眠りについても、またいつもの悲しい夢で起こされるのだった。 「ピシッと背広着はったお父ちゃんが、死にはった時のあの穏やかな表情のまま、お墓から起き上がってくるんですわ。そのお父ちゃんの顔が、頭ン中いっぱいにドバーッと広がって、『あ、お父ちゃん』と叫んだところで、いつも終わってしまうんです」  子供のためにも、お父ちゃんの分まで頑張らんと……と健康管理に気を配る姐さん。いつか子供が嫁に行って孫ができて、「おばあちゃん」と呼ばれるようになっても、やはり、あの時以来年をとっていない夫と夢で逢うのだろうか。そんなことを考えると、「たまたま愛した人がヤクザだった」と多くの女性が言う「偶然」のわりに、払うことになった代償はあまりに大きすぎるのでは──と思えて仕方がない。     忍耐の先に何があるか?  懲役十年以上と言い渡されても、待つのが当然のこととして待っている姐さんたち。一体何がそうさせるのだろうか。稼業の妻であるがゆえに差し人れをもって面会を強いられる。時には、生後数カ月の子供をかかえ、女一人、金の工面もしながら刑務所通い。一体どうして耐えられるのだろうか。私にはとてもできない行為だ。  私がある地方の組織の取材に出かけた時だった。短気な上にシャブ好きな某組員は、想像を絶する凄さだった。彼を紹介してくれる友人と私が階下にいるのも一向に構わず、癇癪を起こして華奢な体つきの姐さんを二階から思いっきり蹴とばして、つき落としたのだ。 「この野郎、早くしろィ」  至る所にあざを作り、腕から血を流しながらも、無言のまま手足をガクガクさせ、体を引きずる姐さんを、 「この野郎、ウロウロしやがって」  と、また蹴とばす。廊下には折れた歯がころがっていた。見かねた友人が止めに入ると、 「こいつ、犬と一緒で俺が飼ってんだ、ほっといてくれ」  そう言いながら、また蹴とばす。とても可哀相で取材依頼どころじゃない。ところが、今年三十歳になったばかりの姐さんはどんな苦痛にも叫び声一つ上げない。夫がトイレに立ったわずかの時間に、 「どうして逃げないんですか。あとが怖いからですか?」  私は気の毒すぎて、たった一言しか尋ねられなかった。と、意外にも折れてガタガタになった歯を見せて、 「びっくりしたでしょう? でもいいんです。私がいないとあの人ダメになっちゃうから」  口から血を流しながらも、そう言って笑うのだった。  聞くと、すれ違いざま、他の男と目が合ったというだけで道のど真ン中でも姐さんをぶっとばし、髪の毛を持って引きずり廻す、近所では有名な夫だという。まもなく彼は覚醒剤で逮捕されたが、犬よばわりまでされて、それでもなぜ姐さんがこんな生活を続ける必要があるのか。愛だけじゃない。親も捨て、友人も捨て……と多くを失っても極道の女となった意地なのだろうか。帰る所がないからすがりつくのか、それだけじゃない。権力欲、それとも名誉欲、金銭欲……一体この忍耐の先に何が待ってるというのだろうか。  極道の妻としての幸せって、一体何なのだろうか。尽くす喜びが、愛だというのか。  自由がいつだって簡単に手に入る私は、「俺に黙ってついて来い!」的古風な女性には、どうしてもなりきれない。仕事に対して我慢はできても、男性に対して耐え忍ぶことは、私にとってこの上ない苦痛である。  一体、極道のどこに魅かれるというのか。妻たちに限らず、愛人、恋人、極道を嫌いじゃない女性たちに逢うたび尋ねていた。 「強いから」  多くの女性がまっ先に答える。といってもスポーツマン選手にあるような、誰もが讃美する強さのことを言っているのではない。裏街道のヒーロー的、孤独を背負った強さだ。  ある親分が、かつて私にこんなことを言った。 「女と別れる時、オレはいつも言ってやるんだ。二度と極道を好きになるんじゃねぇぞ、とな。けどよう、次の男も、これまた極道なんだよな。別れてはまた極道。そいで別れても今度も極道ってわけよ。さんざん苦労して、『もういやだ』と逃げてったくせにまた元の木阿弥。尽くすこと、待つことの喜びを知ってんだろうなあ──」  彼の言葉は、私には大きなショックだった。が、取材を進めて、いろいろな姐さんや親分に逢ううちに、(そういえば)と思い当たるふしが何度かあった。しかし、こういった男性歴は、何も極道の妻たちに限ったことではないように私は思う。  かつて取材したことがあるが、黒人とつき合っていた女性が、見切りをつけて日本人と結婚しても、何年か先、離婚してまで黒人のもとへ走って行った例も多かった。不倫関係でさんざん傷ついた挙げ句に別れたものの、次に恋に落ちた相手もやはり妻帯者だったという例、また性風俗産業で働いていた女性が、普通のOLとして再出発したのに、いつの間にか元の街に戻っていたりといった例にもよくぶつかった。  私は、宿命という言葉が嫌いだし、こういった言葉で片付けてしまいたくはない。ただそれぞれの愛の形において、魅かれる共通の何かに捕えられて離れることができないに違いない。例えば、極道の“強さ”に魅かれるように。かくいう私も、やはり同じパターンの男性に魅かれているような気がする。     「お母さん、ヤクザって何?」 「ヤクザって、あなたにとって何でしょうね」  私は取材で出逢った多くの女性に、こんな難しい質問をしていた。  山口組の真琴姐さんには、 「あんたにとって、ジャーナリストって仕事は何ですかって聞いとるようなもんや」  と逃げられてしまったが、ある女性は、「とにかくたーいへんな世界よ」と答え、またある女性は、「耐え忍び、緊張し苦労し続ける種」と即答した。  その中でも印象に残ったのは、十代から二十年間夫に連れ添い、いま抗争のさなかにある、ある組の姐さんが、 「私にはまだ、これだって答えが出てないんですよ。おそらく死ぬ寸前なら、それがわかることもあるでしょうけど……でも答えが出ないまま死んでいくのかもしれませんね」  と遠慮がちに言った言葉だった。彼女がそう答えたのには、それなりの理由があった。  まだ長男が七歳の時だったという。 「小学一年生だった息子が、学校から帰ってくるなり、 『お母さん、ヤクザって何?』  って聞くんです。|咄《とっ》|嗟《さ》のことで、 『エッ?』  と聞き返したら、 『ねぇ、お父さんて、ヤクザなの? ◯◯君が言うんだよ』  って私の体を揺さぶるんです。  私、何て答えたら息子にとって最良なのか、いつか子供に質問されるって覚悟はしてたんですが、あまりに突然のことで。  でも子供って怖ろしいですね。どう説明したらと返事に窮してあせっている私の顔を読んだのでしょうか、 『お腹すいたよ。お母さん何かない?』  って話題をかえるんですよ」  これまで父親の職業に何の疑問も抱かなかった長男は、父親不在の家庭を、これが「普通の家庭」と思っていたらしい。だから小学校へ入学して、級友の父親が毎晩、きちんと家へ帰って来ると知った時、息子は首をかしげながら、 「変だなあ、なんで皆のお父さんって、毎晩、家に帰って来るんだろ。おっかしいなあー」  と何度もつぶやいていたという。  どう見ても鎌倉あたりに住むお茶の師匠としか見えない姐さん。まるで進路相談にやって来た父兄のようにつつましやかで、育ちの良さを窺わせる彼女の目が心なしか潤んでいるような気がした。     春奈姐さんの場合 「愛してしまった男性がたまたま極道だっただけで、極道だから愛したんじゃないのよ」と多くの女性たちは語る。そんな彼女たちの多くが、稼業が故に心を痛めるのは、どうやら「子供」のことを考える時らしい。  だから、ある事件で夫を亡くした春奈(=仮名)姐さんの家では、子供が物心ついた時から、父親の稼業のことを教えてきたという。 「『パパは、こういう世界でしか生きられない人だからね。でも人がどう言ったって、パパはパパ。恥かしい行ないは絶対にしてないし、人様に迷惑かけるような弱い者いじめも絶対にしてないからね』  って、いつも教えてきたんです。一人で十人分の明るさを持っていたパパのせいでしょうか、ヤクザの子供だからって、ぐれることもなく、まっすぐに育ってくれたんですよ」  パパ──たった二文字の言葉なのに、深い愛情が伝わってくる。ヤクザでありながら、普通の家庭の父親以上に家庭的だった夫は、父兄参観、運動会、サークル……と、子供に関する行事はどんなに忙しくても第一番にすっ飛んで行った。子供の友達をいつも自宅に呼んでは、「パパ、邪魔!」と言われるまで、一緒になってはしゃぎまわり、まさしく「パパ」そのものだった。だから振り返ってみて姐さんは、一度も稼業をイヤと思った記憶がない。二人の子供たちも、稼業のことを忘れ、父親がいつも言う通り、子供らしく育っていった。そんな矢先、事件が起こった。 「小学生の娘に、 『パパが明日の課外活動に来るってお友達に宣伝しちゃったからね、来てよね』  そう言われて娘に同行したのが、最後の思い出になっちゃったんです。いつも忙しくて、どこにも連れて行ってあげられないから、せめて学校の行事だけでもって、子供の中にまじって、夫は相変らずのはしゃぎようだったんです。娘と一緒にいられて嬉しかったんでしょうねえ。その夜も酔っ払っちゃって上機嫌で帰って来ましてねぇ。ところが翌日、事件が──。  すぐに知らせを聞いた上の息子は、 『エッ……」  と言ったきり。あまりにショックが大きすぎて信じられなくて。でも私はさすがに娘には言えませんでした。だって、 『楽しかったーッ、ほんとに楽しかったァ。パパったらほんとにドジなんだもん』  って、パパの話ばかりしてキャッキャッはしゃいでいる娘に、どうやって知らせたらいいんでしょうか。  けれど娘は、自分で知ってしまいました。私がただ茫然としたまま、事を進めていく間に、娘は新聞に載っているパパの顔を見つけてしまったんです。 『あのおじちゃんが──』  娘の友達も、次から次へ新聞に載ったパパの写真を見つけて親といっしょになぐさめに来てくれました。知らない人たちからも、頑張ってと次から次へ電話をいただきました。買い物に出ればわざわざ優しい声をかけてきてくれるんです。これもパパの人柄でしょうか。おかげで肩身の狭い思いだけはしなくてすみました。  子供の仲間に入りたくって仕方がない、誰よりも優しい、子供みたいなパパ。あんなに大切に大切に幸せな家庭を築いてきたのに、崩れる時は一瞬。息子は、一人ぼっちになった私のために進路も変えてくれたんです。それにしても、私たち、これからどんな思いで生きていかなくっちゃならないんでしょうか。それを考えると、もう辛すぎて……言葉に表わせないんです。こうなって初めてわかるなんて……」  姐さんは声をつまらせた。  姐さんは葬儀の時も、キッと目をすえたまま、涙ひとつ見せなかったと某親分から聞いた。 「──口惜しいですね……」  私もそれだけ言うのが精一杯だった。     「私、パパの|敵《かたき》をうつ」  唇をキッと結んで夫の写真を眺めたまま、春奈姐さんは夫と二人っきりの会話をしているようだった。 「ただ……」  突然姐さんは、私の方へ向き直ると、悲しそうに眉を歪めた。  葬儀も終わって、初めて母子だけになった夜のことだったという。しっかりしなくては──と、自分にも言い聞かせながら、 「ママは、ママの分をわきまえて一生懸命やっていくから、あなたたちも自分の分をわきまえて一生懸命やっていこうね」  と姐さんが言った時だった。ずっと黙り込んでいた小学生の娘、薫(=仮名)ちゃんが思いつめた表情で姐さんに言った。 「ママ、私……ママたちと一緒に頑張って暮らしていかれないかもしれない」 「え? どうして?」  姐さんは軽い気持ちで尋ねた。しかし薫ちゃんの後に続く言葉を聞いて姐さんは愕然とした。 「私、少年院に入るかもしれないよ……」  どういうことなのとつめ寄る姐さんに、まばたきひとつせず薫ちゃんは目を光らせながら、 「どうしてもパパの|敵《かたき》を取りたいから」  早口に言った薫ちゃんの大きな目にみるみる涙があふれていった。 (こんな小さな子にまで、そんな|科《せり》|白《ふ》を言わせるなんて、あまりに悲しすぎる……)  私は涙を拭いながら、けれどそれは声にならなかった。  葬儀で涙ひとつ見せなかったという春奈姐さんが、いま私の目の前で肩を震わせている。 「男はヤクザでも、女は普通の女なんです。でも、でも……」  生きてるうちは、「女子供にゃ関係ねぇ」と境界線をピシーッと引かれ、なのにこの一番大変な時に、女子供にドーンとツケだけがのしかかってくるなんて……、と続けたかったのだろうか。これ以上、話を続けることは、姐さんにとっても私にとっても酷だった。  こうして月日が経った今でも、姐さんは、夫が生き返って抱きしめてくれる夢に枕を濡らしているという。    |加《か》|代《よ》ちゃん [#ここから3字下げ] 服役中の三郎が手にした久々の便り。 それは、新妻からの離婚請求だった──。 女郎上がりとチンピラ──若い半端者同士の 貧しくとも熱かった新婚生活はそれで終った。 それから三十年。 心機一転、事業で成功を収め、 この世界では名の売れた親分となったいま、 何不自由ないはずの妻は、こう言って去った。 「ウチの青春を返して!」 最初の妻・加代ちゃんと今の妻・京子さん。 二人の“極道の妻”を、三郎親分がしみじみと語る。 [#ここで字下げ終わり]  初公判のその日、加代(=仮名)ちゃんは、モンペに長靴を履いて傍聴席の真ん中にぽつんと一人だけで座っていた。  手錠に腰縄、法廷へ引っ張られて来た彼は、最愛の新妻の姿を目のあたりにして、思わず目を疑った。 (あの人一倍見栄っ張りで、きれいな衣装の好きな加代ちゃんが……!?)  久し振りに愛する夫の前に自分の姿をさらさせられるその日、女ならば誰だって目一杯のおしゃれをして来るものだ。が、その日の加代ちゃんは違っていた。彼のことなどどうでも良かったわけではない。着替える時間がなかったというのでもない。加代ちゃんは、汗と泥にまみれたモンペ姿をわざわざ夫に見せに来たのだ。 (ウチ、今、こういう仕事して、頑張ってんのよ。わかるやろ、安心してぇや)  とでも言いたげに背筋をピーンと伸ばして。  やがて、加代ちゃんのモンペが「何よりも美しいドレスなのだ」と納得した彼の目から、大粒の涙がボロボロこぼれて、手錠にくくられた両手と膝を濡らしていった。  ハンディキャップを背負った半人前同士の二人。二人合わせても、ようやく一人前──それに彼が気づいたのは、他の組とシマ争いでマチガイを起こして、塀の中に送られてからのことだった。裁判は、まだ始まったばかり。しかし判決を聞く前から、(今度こそ、やり直そうな)と加代ちゃんと手を取り合えるようになるまでに、気の遠くなるような月日を費やさねばならないことくらい分っていた。 (今ごろになって気がつきゃがって、アホンダラ!)  彼は、被告席で知らずしらず小さくなって終始泣き顔を上げられないでいる自分が情けなくてしようがなかった。けれども加代ちゃんの生活臭のにじみ出た美しい|素《すっ》|面《ぴん》にだけは、心の中で手を合わせて拝まずにはいられないのだ。見栄の世界で生きる彼にとって妻にさえ弱味をみせることは、とても格好の悪いことだが、ちらっと垣間見た加代ちゃんは、 (ウチ、この人の妻やから、罰も一緒に受けるんや)  と、全身でそう表現しながら毅然と座っていた。それでも、時折送られて来る三郎の哀れな視線の意味を読み取って、その都度、若い夫の方に投げかける視線に、 (どんなことでもして、今度こそウチら、幸せになったろうな)  と、声にならない気持ちをこめるのだった。そんな加代ちゃんの無言の言葉を受け取るたび、彼は、人が見れば決して幸せとは言えなかった、けれども二人にとって一番幸せだったかもしれないつい半年前までのことを思い起こしていた。そう、十日に一度、二人で肌を重ねられる夜に、「一緒になったら、こうもしような、ああもしような……」  と一晩中、夢を語り合っていたあの頃のことを──。  三郎(=仮名)親分は、ずっと遠くを眺めたままだった。まるで私の存在など、忘れてしまったかのように独り言を続けた。  最初の妻、加代ちゃん(と彼は呼ぶ)は、三郎親分にとって、まさしく美しき青春の一ページにあたるらしい。「加代ちゃん」と、その名が出るたびに、五十を過ぎた親分の血色の良い顔の表情がゆるむ。階下の事務所では、パンチパーマで、社員と称する額に傷のある若い衆たちが仕事をしているというのに。いつのまにか極道の親分に対面していることなど忘れてしまうほど、彼の瞳は、青年のように美しい輝きを放っていた。  こうして極道世界の取材を続けていくうち、いつの間にか、「極道」という言葉に敏感になってしまい、マスコミ媒体はもちろんのこと、人の話もさらに突っ込んで聞き取ることができるようになった。これまで極道という言葉さえ知らなかったはずなのに、いつの間にか親分の名や、組織を聞いただけで、頭の中に色々な図式が浮かんできたりする。そして一度は話を聞いてみたい人物が、少なからず浮上してくる。  三郎親分も、その一人だった。マスコミには余り名前は登場してはいないが、極道仲間の間では名の売れた極めつきの極道といわれていた。けれども一般の人にとっては、事務所に始終出入りして心をぶっちゃけ合える、「極道らしくない親分」として通っている人物と聞いていたからだ。  知人を介して紹介してもらったものの、はたしてマスコミ嫌いを登場させるのには骨が折れた。辛いことや悲しいことをストレートに人前でさらけ出すことは、極道にとってどうやら恥の一種に当たるらしい。どんなに辛くとも、ピシーッと背筋を張って、何喰わぬ顔して構えているのが極道の美学、というものらしいのだ。 「女房が出るならともかく、極道やっとるワシが女房のことで……」  と何度も断わられ、ようやく取材にこぎつけても、「やっぱり出ん方が……」と、また途中で|躊躇《ちゅうちょ》する、そんなことの繰り返しだった。ところが、いつの間にか私は、三郎親分の事務所へ足を向けるのが楽しみになっていた。頬を赤らめながら加代ちゃんの話をする親分の普通の表情に、新鮮な興味さえ感じはじめていた。 「あんたはんには、よう解らんのとちゃうか。三十年前のワシらの恋愛ちゅうもんが……」  そういって、また三郎親分は遠くを見た。     二カ月だけの新婚生活  その夜は雪が降っていた。 (十日ぶりに加代ちゃんに逢える)  三郎は、はやる胸を押さえながら、加代ちゃんのいる|廓《くるわ》へと急いでいた。加代ちゃんと一晩過ごすために必要な金が、ズボンのポケットをふくらませていた。  ところが、廓にたどりつく前には“関所”を通過しなければならないのだ。賭場である。何度も痛い目をみて懲りたはずなのに、その夜も素通りすることができず、つい飛び込んで、またもやスッテンテンにされてしまった。それでも逢いたかった。逢って、今夜一緒に過ごせなくなったことだけでも詫びなくては──そう思うと三郎は、雪の中、コートもセーターも負けのカタに剥がれた哀れな姿で、加代ちゃんが務めを終えて出てくるのを、庭の植木の陰でじっと待っていた。 「がっかりして眉を八の字にする加代ちゃんの顔を思い浮かべると、情けないちゅうか、自分のアホさ加減に腹が立って、寒さが一段と身に沁みたなあ。  だけんど障子の向こうじゃ、大事な加代ちゃんが、海千山千の男に抱かれとる。そう思うたら、自分に甲斐性がないばっかしに足抜きさせてやれんのを棚に上げといて、腹の底から煮えたぎるような嫉妬が湧き上がってくるんや。  あいつ、本気で感じてるんじゃねぇか、とか、あいつ、俺に言うた|同《お》ンなじ科白を客に囁いてやしねぇか──とかな。それこそ、ジュージューちゅう音たてて足元の雪がとけるほどヤキモチやいてんやけど、そのうち胸がキリキリと痛むくらいに切のうなってきてな。ワシ、一体何やっとるんや、ちゅう具合や。  そうこうするうちに加代ちゃんが出て来たで。キチッと着物を着てるんやけど、肌はピンク色に染まっとるのを見逃せえへん。ワシが例によって言い訳すると、やっぱり加代ちゃんは淋しそうに笑いよったわ。そやけどあいつ、ワシの冷とうなった手を抱えて『何してはるの、早うおいで』ちゅうて部屋へ入れてくれるんや。加代ちゃんは、その日暮らしで博徒やっとったワシのために、いっつも客にもらうチップを貯めといてくれたんや。チップが足りん時にゃ、質屋通いもしとったらしい。ワシに買われる金を作るために。そやけど、ワシ、そげんことしとるって、全然知らんかったんやで。そんなあいつのことを知ったんは、ワシがムショに入ってから、加代ちゃんを買うたことのあるムショ仲間からやったんや。  若かったんやろか、あいつが苦労しとるなんて|慮 《おもんぱか》りもせん。ワシに逢うために、チップをぎょうさんもらわなあかんから、客相手にさんざん愛しとるふりして、普通以上のサービスで客を喜ばせんとあかんかったことも全然知らなんだ。もちろんワシの心にたまっとる嫉妬を消そうとあいつが一生懸命だったこともな。ワシが二十二、あいつが二十一やった。  最近の風俗営業ちゅうとこで働く娘はわりきっとる子が多いと聞くけど、あの頃は訳ありで働いとるんやから。その上にこんな負担かけてしもて、ほんま悪いことしたわ」  三郎親分は、遠い記憶を手繰り寄せるように、丸っこくて、しわの少ないつややかな顔にさかんにしわを寄せながら喋り続けた。 「今の常識じゃ、考えられんことやろ。そやけどワシらにとっちゃ、ほんま真剣だったんや。それとも“二人の世界”ちゅうドラマチックさに酔っとったのかもしれんなあ。いいや、そんなことはないで……」  白いマル=ボロのセーターに紺のなんでもないズボン、ポコッと突き出した腹とセーターの間で見え隠れしているのは、バレンチノのベルトだ。それが癖なのだろう、無意識のうちに頭をスルリと撫でるその辺りは、髪の毛が乏しく、輝きを放っていた。  フィラ(テニスウェアのブランド)の白いソックス。「お若いですね」と私がクスリと笑うと、「国立大へ行っとる息子のやつや」と言い訳っぽくテレ笑いした。指さえ十本揃っていたら、それこそ商店主として地元に貢献しているようなタイプの、人の良いおやじさんである。  三郎親分、五十五歳。本人の希望で詳しい経歴は載せられないが、五人兄弟の四番目。父親は早くに亡くなり、当時板前見習いをしていた兄と母とのわずかな嫁ぎでほそぼそと生計を立てていた。現在、兄弟は金融業や飲食店を営んでいる。極道をしているのは彼だけである。  兄弟に比べて血の気の多かった三郎は、中学時代からすでにバクチやヒロポンに溺れて、問題児だった。母親のたっての願いで卒業と同時に大工の見習いに出されたが、仕事がきつい、つまらないと、繁華街へ出入りするうちに傷害事件を何度も引き起こし、十六歳で少年刑務所に送られた。出て来てはまた傷害事件、そればかりか刑務所の中でさえ事件を起こすという手のつけられない不良だった。  加代ちゃんに逢ったのは、すったもんだの挙げ句に刑期を延ばされ、ようやく少年刑務所を出所した二十二歳の時だった。しかし、加代ちゃんが廓から足抜きできるまでの一年間、某大型組織に身を置いて相変らず傷害事件ばかり起こしていた。  二人一緒に暮らせるようになったといっても、その生活ぶりは最低だった。  三尺幅の板の間がついた畳一枚だけの三畳間。そこにミカン箱二つ並べて二人の新婚生活が始まった。タンスもやっぱりミカン箱で、加代ちゃんが買って来た十円均一のはぎれで見映えを良くしただけのものだった。  隣の部屋とは薄いベニヤ板で仕切られているだけ。子供の泣き声はアパートじゅうに響き渡るし、隣のヒソヒソ話も筒抜け。夏は、申しわけ程度に切ってある西の窓から熱風が吹き込む異常に暑い部屋だった。食事といえば、毎日ゴボウのキンピラ、金まわりが少し良い日でも、それにニンジンが加えられるだけ。もちろん銭湯代にもこと欠き、それでも「あんたに悪いから」と遠慮する加代ちゃんだけをたまには無理矢理に行かせ、三郎は夜遅くに、共同炊事場でこっそりと体を拭いていた。  お互いハンディキャップを負った身と、いたわり合い身を寄せ合っていたものの、三郎が加代ちゃんと肌を重ねるたびに思い出すのは、彼女の過去だった。 「ちきしょう。障子の向こうでお前が男に抱かれとると思うと、どんなに辛かったかわかるか」  そういって加代ちゃんを涙ながらに殴ったのだ。だが、そんな生活もつかの間。二カ月後に某組との出入りに加わり、二年四カ月の禁固刑で府中刑務所へ送られた。     体を売った金で面会に来た 「『帰って来るまで必ず待ってるから』と女は必ずいうもんや。そやけど一口に待つちゅうても、ほんまに大変なことなんや、ワシらもそうや、(逃げるかもしれん)そう思うと、そればっかしが頭から離れんのや。女のことばかし考えよってくだらん奴と思うやろうけど、なんせムショなんて他に考えることがないからな。  ある日、ムショに入って来よったワシのダチから、モンペはいて魚を売っとった加代ちゃんが、また元の商売に戻ったと教えられた。そりゃもう情けないちゅうか、申し訳ないちゅうか。  亭主がつかまったその日から女房が路頭に迷うことくらいわかっとったのに、何も残しておけんかった。考えてみりゃ、面会くるにゃ汽車賃だって相当かかる。今ごろまた他の男に抱かれとる、そう思うと、嫉妬が入道雲のように広がってな。どうにもじっとしとれんくなって、血がでるまで壁に頭をぶつけても、やっぱり忘れられんかった。  体売った金でわずか十分くらいの面会にやって来た加代ちゃんの顔を金網越しに見ると、どうしても自分の口から確かめられんかった。ワシの額の傷を見て、ケンカしたのかと心配顔する加代ちゃんの、男好きのする顔を目のあたりにすると、やっぱり『愛しとる』ちゅう言葉しか浮かんでこん。そりゃ声には出せんけどな。そんで言いきかせるんや、自分に。 (たとえその間に何があったって、待っとってくれるなら、何もかも許すべきじゃないか。待たせる方だってこんなに辛いんや、待つ方は、きっともっと辛いんだぞ)  とな。自由なシャバで暮らしとりながら、自分の心を縛らんといかん女の方はもっと可哀相かもしれん。ムショん中には男しかおらん。けど、女の方は、窓を開けたら、そこに男がみえるんやから。親切な男なんてぎょうさんおる。いくらしっかりしとったって女は女や、親切に弱い生き物やから決心も鈍るわ。そんでも『ウチは待たなあかん人がおります』と、言わなあかん。辛いことやで。待ったところで、また刑務所に送られるかもしれん人間を待つんやから」  親分はそう言って、マイルドセブンに火をつけ、少しだけけだるそうに煙をはいた。それから「一息入れようか」と、テレビのスイッチを入れ、階下の女性事務員に「お茶のお替りたのむ」と大声で叫んだ。  私はその間に、それとなく部屋を見回してみる。十五畳ほどある大きなワンルームは、一般の人が出入りするからと、一目で極道と分る物は一つも置いてない。テレビドラマの社長室によくある大きな机と、私が座っている大きな牛皮のソファ。私の背後のわずかな空間にはソファベッドが置かれている。仕事の合い間に仮眠をとるためらしい。ただ一つだけ、極道を連想させるものといえば両脇にあるサイドボードにギッシリと並べられた高級輸入酒ぐらいだった。  新婚時代に離ればなれになってしまった二人。それだけに加代ちゃんの献身ぶりは大変なもので、所内のインク工場で働いている三郎の許へ毎日、担当さんから手紙が届けられた。 「ほれ、今日も加代ちゃんから来てるよ」  休憩から帰ってくる彼の手にはいつも彼女からの手紙が握られていた。  何の楽しみもない刑務所の中でも極道同士、見栄の張り合いがある。自分の女が面会にくる回数、どういう美しい装いで来たか、週に何度手紙が来てどれくらい愛していると書かれていたかなどなど、受刑者同士で自慢し合うのだ。しかし三郎にとって、そういった見栄張り競争は論外だった。ただ一人喜びを噛みしめるだけで充分だったのだ。 「寒いのに中で、仕事をしてると思うと、ウチ淋しいわ」  などと、青テン(受刑者服)を着て作業をしている三郎の姿を想像しながら、時には、 「あんたもうちのこと考えてはると思って……」  と、時には一日二通も書き送ってきた手紙を手にするだけで、三郎は胸が一杯になり、目を潤ませていた。  ところが一年後、突然パタリと加代ちゃんからの手紙が途絶えたのだ。 「これまで、必ず担当はんの手に加代ちゃんからの手紙が握られとったのに、一週間たっても二週間たっても、ワシの所にだけは手紙が届かんかった。担当はんばかりか、皆も気の毒がってな。本当はあいつら、手紙受け取って嬉しいはずなのに、ワシに気をつかいやがる。もう頭ン中が真っ暗やった。  こういう時、何考えるか、ゆうと、ムショにおるワシらにとっての最悪のことや。つまり男ができたんじゃないか、ちゅうことやな。そやけど、手紙にゃ書けへん。(お前、今、何しとるんや)と心の中で叫びながら、『どうしたんや、体の具合でも悪いとちゃうか』という短い文章にすべてを托すんや。  そうして、一カ月、さらに一カ月経ったけど、加代ちゃんから何の音沙汰もなかった。仕事はもちろん手ェつかん。毎日だって手紙を書きたいのにワシらに許されるのは、週にたった一回だけや。『どうしたんや』とワラにもすがる気持ちで短い文章を書きながら、そのうち、頭の中に(ここから出て、加代ちゃんに逢わんと)という気持ちが湧いて来る。脱走という文字が頭の中をぐるぐる廻りよった。  ムショにおる人間にとって、待っててくれる人がおる、ゆうことが、どれだけ支えになっとるか。それが、のうなってしまうんなら、もうどうなっても同ンなじや。やけくそやったわ。  そやけど最悪の中でも、最善のことを期待したい気持ちって人間にはあるんやな。加代ちゃんがほんまに病気で手紙も書けん状態かもしれん。ここで脱獄したら、何年ものでっかいつっかい棒をはめられて、灰色の世界をますます灰色に過ごさなあかん。そうなったら、ますます加代ちゃんに逢えんくなる。ワシは、もう少し冷静になって待ってみようと考え直したんや。  そりゃ心の中は火事場だったけどな」     加代ちゃんからの離婚請求  その頃、三郎は刑務所の係長の部屋で茶坊主(給仕)をしていた。係長は、週に一度、多ければ二度、受刑者の妻から送られてくる“別れ話”の手紙を検閲した上で、受刑者に伝えていた。そんな時、係長の前に立った|男《ナカマ》を三郎はまともに見ることができず、給仕に忙しいふりをして背を向けていた。 「元気にやっとるか……」という世間話から始まり、係長はいよいよ本題に入っていく。 「なあ……お前。社会にいる奥さんが、自分のダンナから離れて行くって、並大抵のことじゃないんだ。きっとお前以上に悩んだろうし、お前以上に辛いんだ。お前は憎しみを考えちゃいけないよ。奥さんだって、まして子供がいるのに、離れて行くことを決心するのは、そりゃ大変なことなんだ。それをお前は大きな心を持って送ってやるところに男らしさがあるんじゃないか。女なんて星の数ほどいらあ、その気持ちで別れてやって、自分の幸せを掴むんだよ」  まるで死刑囚に宣教師が説教するようだった。聞いているうちに、全身が震え出して止まらなくなる者、ガクンとその場に座り込んでしまう者、ポロポロと人目も憚らず涙をこぼし始める者、三郎も、そのたびにもらい泣きしながら、愛する女に去られる辛さを身にしみて感じていた。  が、まさかその何カ月後に自分が係長の前に立たされる破目になろうとは──。 「まさしく、ガツーンちゅう感じや。いくら握りこぶしを固めて頑張っても、全身が震えて、力が入らんのや。担当さんに呼び出されて、何の話かおおよそ察しはついとるものの、そんでも、係長の話を聞くまでは、『違う話や』と信じたくってしょうがなかった。けど係長の口から出た言葉は、聞き慣れた例の慰めの言葉やった。ボロボロ涙がこぼれて、こらえようとしても、こらえられんのや。けど、やっぱり“地獄に仏”や、有難かったでぇ。なんでこの人、こんなに上手いこと喋るんやろと思ったわ。人に話しとるのを聞くと、自分が聞くのとじゃ大違いや。  加代ちゃんから来た離婚訴訟の通知を見せながら、 『お前は出廷しても、しなくてもいいけど、返事は十日以内にしてくれ』  と言い渡されたんや。鉛のような足をひきずって部屋に戻ると腑抜けになってしもた。その晩からもう眠れんかった。やっとの思いで寝ついても、ハッと目が覚める。加代ちゃんが他の男に寝取られる夢を見て、三日も四日もうなされとった。まさに飯ものどを通らん感じやな。ムショの中じゃ大きな楽しみになっとる飯も食べられんかったのやから、相当なもんやで。  口惜しくて腹が立つやら、悲しいやら、一生復讐してやろかなとも思った。ワーと叫んで泣けたらどないええやろ、そう思ったわ。けど、どうにもならへん。そやから泣きたい弱さを笑ってごまかしとった。弱さを隣の人間にも見せられんなんて、ほんま辛いわ。  けど、悲しさを笑いでごまかすのが、この世界なんや。よく、映画なんか見せられると、皆、悲しいとこで必ず笑い始めるんや。辛いなあ、テレじゃないんやで。けど悲しい時に素直に涙が流せんなんてなあー、ほんま。とうとう六日目になってしもた。  ワシふと思うたんや、待てよ、きれいに別れることによって心の糧が出来るんじゃないか。出所して、一生懸命働いて、いつか女房が戻って来たがるような男になってやるんだ。  さらに考えること一日。(なんでワシだけこんな苦労せんといかんのや)つのる憎しみをこらえながら、八日目、やっぱり担当さんに『同意しますから出廷させてください』と言ってしまった。言ったものの、やっぱりええことのぎょうさんあった女房と別れるのは辛かったで。何度も何度もぐらついて、眠れん夜を過ごして、とうとうその日を迎えてしもたんや」  その日、二名の調停員と向かい合って座っていた加代ちゃんは、三郎に殴られるのではないかと終始ビクビクしていた。約束通り、三郎は離婚に同意し、最後の願いとして、加代ちゃんと二人だけで話すことを希望した。三郎を恐れていた彼女は、ついに顔を上げようとしなかった。が、三郎が胸をつまらせながら、 「今までさんざん苦労かけて来たけど、今度はお前、きっと幸せになってくれよな。本当にお前だけは幸せになってほしいんや」  無駄とわかっていながら、最後の最後まで「戻って来てくれ」と心の中で叫びながらやっとの思いで途切れ途切れに言うと、|堰《せき》を切ったように加代ちゃんは泣き出した。もっと上手いこと言ってやろうと、一生懸命科白を考えて来たのに、あとは涙をこらえることで精一杯。  加代ちゃんも「あんたも体に気ィ……」と言ったきり涙で声をつまらせてしまった。 (女の涙は、あてにはならん)  そう思いながらも、やっぱり三郎の胃は三日間食事を受けつけなかった。もう終わったというのに、やはり心のどこかでは、いつか戻って来てくれる──そんなはかない希望を托していたのだ。けれども、月日が経つにつれて、ようやく三郎にも自分というものが見えてきた。相手に虫のいい期待ばかり抱いていたくせに、相手が自分に期待を寄せるべき何ものもなかったということに。  三郎、二十五歳。出所まであと半年の頃だった。以来、三郎は、見違えるように勉強を始めた。 (貴重な若さを無駄にしたらあかん。女のことよりも、まず自分の将来を考えるんや。吸収できるもんは、みんな吸収してやれ)  三郎は、人を掴まえては熱心に話を聞き(服役者の中には、裁判官もいれば、書記官、教師もいた)、自由時間は本を読み漁り、(もっと早く気がつけば良かった)と後悔しながら残り少ない服役期間を無我夢中で過ごした。  そして出所。彼は、放免祝いで集まった金を元手に金融業を始めた。     息子の作文に愕然とする 「出所してから、結婚ということは、全くあきらめてたんや。ことある毎に異端者ちゅうレッテルが背中にのしかかってきてな」  三郎親分の話には、よく“異端者”とか“ムショ帰り”という言葉が登場する。そのくせ、刑務所時代の話となると、堰を切ったように話し始め、|倦《う》むことを知らない。まして、そこにムショを経験した男が加わろうものなら、たちまちにして話に花が咲き、私一人が取り残される。  たまたま私がある親分に取材で会ったときのことだ。その親分と同じ刑務所で何年か共に過ごした仲間三人と、同席することになった。彼らは「アメリカにいた時」という隠語を使いながら、あっという間に二時間も喋り続けた。かすめてきたパンをアイロンで焼いたことやタバコを手に入れるための苦労など各々のムショ体験を、彼らは涙を流さんばかりに笑いこけながら、次から次へと繰り出してくるのだった。  三郎親分が、三十歳になって当時十八歳だった現在の妻、京子(=仮名)さんと結婚後、彼女が極道というものが分って慣れるまで、何かと異端者的目つきで彼を見ていたという気持ちは、私には分るような気がした。やっぱり女にとってこの世界は特殊な世界であるようだ。  階下では、四六時中、電話が鳴り続ける。三郎親分は、時折かかってくる直通電話にあいそ良く応対しながら、「えっと、どこまでいったんやっけ」と、人なつっこい笑顔を見せて、血色の良い顔をこすっては、また話を続けた。 「今度こそ、女房に苦労させられへん。そう思ったワシは、年が一まわり違うこともあって、京子を娘っ子のようにして育てて来たんや。  承知の通り、ワシは、いつどうなるかわからん身。けど、男の子を二人持ってしまった以上、今度だけは女房子供に辛い思いさせられへん、と思うとった。何かあるまでに残せるだけ残しとかんと──そう思って、ワシは必死に働いたんや。四十になるまでに、なんとか実にせんことには、と仕事に徹するばかりか、節約にも徹しとった。そんな毎日に若い女房は、むしろ『面白いやないの』と実に協力的やった。そやから、朝食は、お新香と味噌汁だけがおかず、昼はザルソバ、車は持たず、タクシーなど最大の贅沢や、という暮らしも上手くいきよったんや。  そりゃ極道で糧を得るんやから、並大抵のことじゃないで。まさしく体を張らなあかん弱肉強食の世界や。ワシみたいに、シマもなけりゃ財産もない人間にとっちゃ、それこそ人に優しい顔ばかし向けられへん。極道だからやらなあかん自分と、家に帰れば二人の息子の父ちゃんやっとる自分。矛盾を感じながらも、この道で生きてかなあかんのや。  この稼業の人間は、少なからずこの矛盾を感じとるとちゃうか。けど、いくら分っとっても、どうにもならん世界やからなあ……」  三郎親分は唇を無理にゆるめて微笑んだ。多分、刑務所時代に身についた“逆の表情”だろう。  怒鳴られるのを承知で、「最悪の事態が起きた場合には?」私が、おそるおそる尋ねると、とたんに親分の表情から笑いが消えた。鋭い眼光を放つ親分を目の前にして、私の体は一瞬ゾクッと震え上がり、たちまちにして、突っ込みすぎたと後悔の念に襲われた。  が、まもなくゆっくりと天井を仰いだ親分は、 「この道でいざという時、死んでいくことは本望だと思うで。ワシには、やっぱしこの生き方しかできんのやから」  一語一句自分に言いきかせるように私に聞かせ、冷めたお茶を一気にのどに流し込むと、大声で、「お茶のお替りーッ」と、階下に向かって怒鳴った。  まもなく気さくな感じの二十五歳前後の女性事務員が、お茶をもって二階へやって来る。 (こういう血の気の多い所で働いていて、恐くないのだろうか)  私が|怪《け》|訝《げん》そうに彼女を眺めていると、その視線の意味を読みとったのか、 (なんでもないんですよ)  とでも言いたげにニコッと微笑んだ。それは、この世界の女性にもありがちな鋭い眼光でなく、ふつうに見かける平凡な若い女性の表情だった。カンのいい三郎親分は、おそらく私達の無言の会話を読みとったに違いない。事務員が去ったのをきっかけに、突然生臭い話を始めた。 「結婚当時は、自宅の一階に事務所を構えとった。事務員も雇えんから、女房が代わりに働いとったんやけど、なんしろ、出入りする人間ゆうたら極道しかおらんのや。ワシだって時には、怒鳴って凄みを見せなあかん時だってあるし、『金払えんなら、指置いてけーッ』と言わなあかん時もある。|俎《まな》|板《いた》と包丁を女房に持って来させて、その場で指を落とさせた時は、女房のやつ、いちいち貧血起こして卒倒したもんや。思い出しては、『もう極道の女房なんていやや』ゆうて泣いとったわ。  けど不思議や。やっぱり人間って慣れるんや、極道の“極”の字も知らんかったあの女房が、『指つめさせてもらいます』と構えた極道の刃物に、『何すんの!!』ゆうて飛びついていきよったり、切り落として床にころがっとる血まみれの指を手で摘み上げて、一生懸命くっつけようとしとるんや。そんな姿を眺めとると、もう立派な極道の女房になりきっとったわ。  そやけど子供は、そうはいかんかった。子供にだけは、極道しとる自分を見せとうない。けど、やっぱり子供はよう知っとる。起伏の激しい商売でしょっちゅう極道や若い衆を怒鳴りつけたり、暴力ふるっとる父親を、見とうなくても見てしもたんやろな。  上の息子が五年生の時、父親参観日に行ったワシの前で作文を読まされたんや。父親のための参観日ちゅうことで、父親についての作文を書かされたんやなあ。息子のタイトルは、〈晴れのちくもり〉やった。なんや妙な題やな、と思っとったら、 『ウチのパパは、今、ものすごく僕たちの前で機嫌がいいと思ったら、突然、ウチに来たお客を前にして鬼のようになる。僕には一体、どのパパが本当のパパなのか、わからない』  そんなことを読み上げるんや。悲しかったわ。まさしく晴れのちくもりや。ワシ、もうそれ以上、教室にはおられんかった。そりゃ、ワシだって人間や、平凡な暮らしに憧れとる。静かな所で、家族と一緒に趣味を楽しみながら暮らせたら、どんなにええか。けどなあ、ワシは止まれんのや。この道に入った以上、走り続けるしかないんや。一定の収入をもらっとるサラリーマンには、こんなこと感じることないとちゃうか。そんでも、人の幸せなんて、秤りにかけられへん。サラリーマンしとるから、幸せだとか、極道しとるから、不幸やなんてやっぱり簡単には言えん。 『山の|彼《あな》|方《た》の空遠く、幸い住むと人の言う』や、けど──」  親分はフッとため息をついた。余分なことを喋りすぎたのではないか──親分の表情に後悔の念が浮かんでいた。おそらく親分は、これから先のことを言った方が良いのかどうか、迷っているに違いない。長いようで短い沈黙が流れた。数分後、私が、「けど──?」ともう一度、聞き直すと、ようやく親分は重たい口を開き始めた。     「ウチの青春、返してよ」 「けど、淋しい世界やなあ、この世界は」  ごまかすように、そそくさとタバコに火をつけた。 「虚勢を張らなあかんこの世界、裏腹にある孤独と手が切れんのや。その孤独を向ける先ゆうたらやっぱし、女──ワシなら女房やろうな。孤独をぶつけられた女房としては、おそらく、母性本能をかきたてられるとちゃうか。 『この人は、外の世界じゃ、こんなに強いけど、本当は子供みたいに淋しがり屋の人なんや』  そう思うと、『ウチがいなきゃ、ウチがやってあげなきゃ……一人っぽっちの人やさかいに』  という責任を感じてくるとちゃうか。そんで女は、極道やっとる男から離れられんくなっていく。女って不思議や。どんなに痛い目に会うて、どんなに辛い思いをしとったって、 (この人にはウチが必要なんや、ウチがおらんと何もできん人なんや)  そう思ったら、とことん尽くし抜いてしまうからな。それが女にできる愛情表現ちゅうものなんやろうか。あんたどう思うか」  独り言のように言った。おそらく、また加代ちゃんのことを思い出しているのだろう。加代ちゃんも、やっぱりそんなことを思いながら、二人の生活のためにお客をとっていたに違いない。  だからこそ、三郎親分は、京子さんにだけは同じ苦しみを味わわせてはいけないと、身を|粉《こ》にして必死で働いてきたのに、しかしそれは決していい結果を生まなかった。 「上の息子が、ストレートで国立大へ入学した時のことやった。突然女房が不満を訴え始めたんや。仕事もとっくに軌道に乗って、ようやく人並以上の暮らしができるようになったその矢先のことやったなあ。 『ウチの青春、返してよ』  なんて言い出したんや。そりゃ、節約に節約を重ねて二人して頑張って来た時代、女房は女房なりに張りのある人生を楽しんどった。ところが、いざ夢が達成されたとなったら、女房は夫婦としての役目が終わった気がしたらしい。ワシみたいに、これからは、子供に夢を托そうなどと、考えもせんで、 『人生に、もう一花咲かせたい』  なんてぬかして並の女になっちまいやがった。この人のために一生懸命やってきたのに、ハッと振り返ったら青春がなかった。『ウチの青春、返してよ』なんて言いやがる。かつてのワシなら、暴力も振るっとったやろうけど、もう今のワシには、暴力で押しつけるほどの強さもないし、加代ちゃんのようにぶつかり合って生きていく若さもない。  そのうちに、女房の気持ちも収まるやろうと、好きなことやらせといた。毎日のように買い物に行っては、高価な洋服や装飾品を買うてきて、ワシに見せとった。衝動買いして、そんであいつの気持ちが収まるんなら、高いことない。ワシは、いつか家庭に戻って来てくれる日があると信じて、女房を放し飼いにしとったんや。  ところがある日、『私は洋服が着たいんじゃないわ』という簡単な手紙と、衝動買いした衣類のほとんどを残して出て行っちまいやがった。また裏切られた。けど今度は、(もしかしたら帰って来る)とは思わんかった。帰って来てもらうだけで幸せが甦る加代ちゃんの時とは事情が違うんや、逆に今ワシがあいつを捜し出して、『帰って来てくれよ』と頼めば、あいつは帰ってくるかもしれん。けど帰って来てくれたところで、今の女房を満足させられるか、ちゅうたら自信ないんや。  そんならしゃあない。子供のために残されたエネルギーすべてを費やそうと、ますます仕事に精を出して財産を貯めてやろうと思えば、子供は子供で、親父の財産なんかいらん、とぬかす。  ワシは、金を持つことが出世であり、幸せの早道だと信じて疑わんかった。そやけど、ワシの愛する家族は、他のことに幸せを求めとったんや。何ちゅうことや。ワシの“前科者”ちゅう傷が女房や子供の負い目にならんようにと、この世界で地位を上げることばかし考えとったのに、結局、結局は、極道って淋しい稼業やなあー。一人ぼっちや」  親分は、アハッハとわざと大声を出して笑った。私は、五十歳を越えても、弱みを見せられずに笑うしかない親分の姿を遠くに感じながら、奥さんの京子さんのことを思い出していた。     京子さんの言葉  ある人から、京子さんが某スーパーの食料品売場でアルバイトをしているらしい、と耳にして私は、早速、名前だけをたよりに、まだ顔も知らない彼女を訪ねてみた。  これまで一日十万円以上の買い物をしていた彼女が、化粧もほとんどせず、時給五百五十円のパートタイマーとして、鮮魚売場で大声を張り上げて働いていた。四十歳を過ぎたというのに、プロポーションの整った色の白い女性だった。長い髪を束ね、大口を開けて「奥さん安いよ」と勧めている姿は、私から見れば、やはり「極道の妻」らしく、しゃきしゃきとしていた。  終業時を待って、エンジ色のハーフコートに同色の手袋をし、黒のパンツ姿でそそくさと従業員出口から出て来た彼女に私が声をかけると、京子さんは一瞬たじろいだものの、すぐに「あー」と微笑んでくれた。高級ブランド品ばかり身につけていたという彼女。が、私の隣で歩調をあわせる京子さんは、とても質素で目立たない身なりの、いいおばさんだ。 「主人、……どうしてますか」  何分かたって、ようやく彼女は口を開いた。私はどういっていいのかわからなかった。迷ってひたすら歩き続ける私に、ポツリポツリと三郎親分のことを話し始めた。 「主人は優しい人や、ほんまに。ウチがメロンを食べたいゆうたら、毎日メロンを買うて来てくれるんや。ほんとに毎日、必ず買うて来てくれるんやけど、人間やもん、そのうち飽きるやろ。そうすると今度は、どう断わったらええか困ってしまう。冷蔵庫に入りきらないくらいメロンがたまってくのに、『そろそろ他のにしようか』ゆうてくれんから、ウチ、ますます気を遣うんや。それくらい一本気な人や。極道で生計たてとる分、一生懸命気を遣ってくれてんのはようわかるけど、ウチは、そんなことに気ィ遣ってほしいんじゃなかったんや……」  京子さんは、電車に乗り遅れるから、と、それだけ言うと小走りになった。 「最後に一つだけ」と私が、「時給五百五十円の生活、それがしたかったのですか」と投げるように質問をすると、京子さんは、ピタッと立ち止まり、そして振り返ってまた微笑んだ。  どことなく会ったことのない加代ちゃんのイメージに重なった。 「極道の妻やってるより、今の生活の方がウチには向いてるかもね」  ペコンと軽くおじぎをすると、あっという間に人混みにまぎれてしまった。     おわりに  準備期間をも含めると、足かけ二年を越える極道世界の取材。その間出逢った二十六人の女性たちの泣き笑いが走馬燈のように浮かんでくる。  淋しいといっては、深夜に電話をしてきて、「新宿まで出て来て!」と何度か一緒に朝帰りした姐さん。酔っ払ってわざわざ電話をかけてきて起こしておいては、自分が眠くなるまでつきあわせる姐さん。 『週刊文春』に連載を続けていく間に、編集部や私の所へ手紙を送ってくださった稼業の女性たちも大勢いた。逢って話をしているうちに、 「死ぬまでこの緊張が消えないんですね。皆、笑っているけど心の中じゃ泣いているんですよ」  と涙声になっていく姐さん。そして最後はいつだって、 「しゃあないか。自分で選んだ道なんやから」  と笑って背を向けていくのだった。  取材を終えて、原稿を書き始める直前になって、突然に親分から破門を言い渡されてしまった某組長もいた。 「何にも喋ることはありません。親分に従うだけです」  とヤクザとしての生命を断たれてからもなお、親分に気を遣い、肩を落とした姿を見せまいと、必死に耐える組長。そんな彼を元気づける、かつてえらくチャキチャキしていた姐さん……。  そんな一般市民が知らない裏の世界の人生をちょっぴりだけのぞかせてもらって、泣く子も黙ると言われている極道(ヤクザ)も、見栄ははっているけれど意外と人間らしいんだな……、と感じることがあった。  極道も、ごく普通の生を受けた人間だった。ならば、その妻たちも普通の女性であることに変りはない。  私たちにとって山口組・一和会抗争事件に関わるニュースや記事は、ともすればド迫力のノンフィクション映画にも思えてくる。ただ、その衝撃の大きさに興奮して、私たちは大切なことを忘れていた。極道の妻であろうと、サラリーマンの妻であろうと、女は女。愛する人との生活を無理矢理裂かれた悲しみや辛さに大小はないのだ。 「こんな思いは、私だけで沢山、こういう辛い経験だけは、二度と誰にも味わわせたくない」  事件で夫を失った姐さんたちは皆、一様にそういった。なのに今日もまた抗争犠牲者が跡を断たない。  抗争で血の涙をのむ思いをしていると男たちは言う。けれども血の涙さえ涸れ果ててしまったのが、“銃後”にいる彼女たちではないだろうか。「家を守るためには、戦いは避けられん」と男たちは言ったが、彼女たちのためにも一日も早く血を流さずに抗争を終結させて欲しいと願わずにはいられない。 〈|殺《や》ったら青い着物、|殺《や》られたら白い着物〉  とこの世界の人々は言う。だが、いずれにしても泣くのは、残された女たちや家族なのだ。 〈明日はわが身〉  妻たちは、ことあるごとにそう口にした。けれど、これは、決して極道の妻たちだけに言える科白ではない。  極道──一般の人々は彼らを別世界の人間と考え、抗争も面白いドラマくらいに思っているかもしれない。でも、取材で歩いてみると、この世界ほど私たちに身近なものもない。ちょうどコインの裏表のように、私たちの住む表の世界と彼らの世界が分かちがたく存在しているのが、よく分った。  電車に乗れば、あなたは知らないだけで、ヤクザとふれ合っている。飲みに行けば、きっとそこで、ヤクザがカラオケで歌っていることだろう。  取材でこれだけ極道の妻たちとふれ合ってきた私でも、もしかしたら明日はどっぷりとこの世界につかって、「姐さん」と呼ばれているかも知れない。それほど極道世界は、私たちと隣りあわせにある。そして、外に対して閉じられたこの世界も、女にだけは開かれている。  まさか、と思っているあなた、あなたもいま、その世界に向かって歩いているかもしれないのである。   単行本 昭和六十一年八月文藝春秋刊 文春ウェブ文庫版 |極《ごく》|道《どう》の妻たち 二〇〇二年六月二十日 第一版 著 者 家田荘子 発行人 上野 徹 発行所 株式会社文藝春秋 東京都千代田区紀尾井町三─二三 郵便番号 一〇二─八〇〇八 電話 03─3265─1211 http://www.bunshunplaza.com (C) Shouko Ieda 2002