吉村 昭 法師蝉 目 次  海猫  チロリアンハット  手鏡  幻  或る町の出来事  秋の旅  果実の女  法師蝉  銀狐 [#改ページ]   海猫《うみねこ》     一  突堤と言っても、海岸ぞいの道路から突き出た小型漁船の舫《もや》い場《ば》で、道をへだてて二階建の国民宿舎が建っている。  近くに村営の観光船発着所があり、十分ほど前に観光バスから降りた人たちを乗せた船が、飛びかう海猫の群れにかこまれながら出ていった。船は、切り立った断崖《だんがい》や奇岩のつらなるリアス式海岸をめぐって、一時間ほどでもどってくる。  塩崎《しおざき》は、突堤の端に腰をおろして釣糸《つりいと》をたれていた。  五年前の夏に初めてこの村に来た時、その場所で三十尾近い鯖《さば》を釣りあげ、泊っていた和風旅館に持ち帰って女主人に渡した。鯖は、東京の魚屋やスーパーマーケットなどでみるのとはちがった身の細い小型のものであったが、女主人は、かすかに頬《ほお》をゆるませながらも四、五尾焼いて、夕食の膳《ぜん》にのせてくれた。むろん脂《あぶら》はのっておらず、村では食べる者もいないのだろうが、淡白な味がしてほとんど残さず口にした。  少年時代、東京郊外の田畠《たはた》の多い地の池や沼で小鮒《こぶな》などを釣っただけの経験しかなかったが、その夏、村にきたかれは、なにもすることがないままに旅館で借りた釣竿《つりざお》を手にこの突堤に来たのだ。  釣糸を投げて間もなく、急に右方向の海面で銀色に光る太い針のようなものが、沸《わ》き立つように飛び跳ねるのがみえた。  元漁師ででもあるのか、かたわらに孫らしい幼児の手をひいて立っていた老いた男が、 「針魚《さより》の仔《こ》だ。鯖が追ってきている」  と、塩崎に教えるように言った。  光りながら跳ねるものが近づいてくると同時に、浮きが強くひかれて沈み、竿をあげると鯖がかかっていた。  それをはずして、烏賊《いか》をこまかくきざんだ餌《えさ》を鉤《はり》につけて投げると、再び浮きが沈む。かれは竿をあげつづけた。  その折の快い糸の引きが忘れられず、一カ月前に再びこの村に来てから、突堤に坐《すわ》ることをつづけている。が、時折り小魚がかかるだけで、針魚の仔が跳ねることもなく鯖も釣れない。  それでも、その場所で竿をのべるのは、出ていってはもどってくる観光船をぼんやりとながめているのが、自分にふさわしい時間のすごし方のように感じられていたからであった。  家を出ようと心にきめたのは、二カ月ほど前で、どこへ行こうかと地図をひろげた。  眼《め》は北の方向にそそがれ、ためらいもなくこの漁村に足を向けようと考えた。村の背後に山並がせまり、海ぎわに漁師の家や作業場がはりつくように並んでいる光景が、なつかしいものに思い起された。  五年前に来たのは、一週間の暑中休暇に、その村の近くにある町出身の友人にすすめられたからで、多分に気まぐれからであったが、あわただしい東京の生活とは対照的なおだやかな村の雰囲気《ふんいき》に気分が安らぐのを感じた。  家を出る日は、妻の豊子《とよこ》が、友人たちと観劇にゆく日ときめ、妻に気づかれぬように準備を進めた。  持ち出す物と言っても衣類が主で、妻がデパートへ買物に行った間に村の旅館の女主人に電話をかけ、あずかっておいてくれるようにたのんで宅配便に託した。  村にむかう前日、かれは銀行へ行き、定期預金しておいた退職金の中から五百万円を解約し、家に持ち帰ると紙幣の束を本棚《ほんだな》の書籍の裏にかくした。  翌日の午後、豊子は、化粧をして和服を着、 「夕食は、冷蔵庫に煮しめが入っていますから、それですませて下さい」  と言って、ドアの外に出て行った。  かれは、すぐに二階にあがり、寝室の窓のカーテンの隙間《すきま》から道をうかがった。豊子は、ハンドバッグをかかえ、髪に手をあてたりしながら角を曲って消えた。  気持が浮き立つのを感じながら階下におりると、机の曳出《ひきだ》しの奥に入れておいたメモを手に、ボストンバッグの中へ所用の物をおさめ、本棚から紙幣の入った袋を取り出した。  身仕度をととのえたかれは、食卓の前に坐って便箋《びんせん》をひろげ、 「一人で暮してみることにした。定期を一部解約して五百万円を持って行く。預金は決して多くはないが、年金もおりるので、君は今まで通りの生活ができるはずだ。私はこれから何年生きられるかわからないが、健康には十分留意するつもりだ。  私を探す気があるかどうか知らないが、どこかで元気に暮していると考え、そっとしておいてくれ。君も自由が欲しいだろうし、私も欲しい。では……」  何度も夜、ベッドの中で反芻《はんすう》した文句であるだけに、万年筆はなめらかに動き、読みなおしてみても書きなおす部分はなかった。  便箋の紙を食卓の上に置くと、戸締りをし、ガスの元栓《もとせん》をしめてボストンバッグを手にドアの外に出た。錠をしめ、家の裏手にまわると、外出時に鍵《かぎ》をかくしておく伏せた植木鉢《うえきばち》の底の穴に鍵を落した。  もしかすると、豊子が駅から忘れ物などをして引返してくることも予想され、かれは、路上に出ると、駅とは反対方向のバス停がある広い道の方へ足早やに歩いていった。  その日は、新幹線で盛岡まで行ってビジネスホテルに泊り、翌朝、バスに乗って海岸ぞいの村につき、旅館へ行った。  そこで三泊し、女主人の口ききで海岸の近くにある古びた家を、驚くほどの安い家賃で借り、引き移った。その家に一人で住んでいた老女が、近くの町に嫁いでいる娘に引き取られ、空家になっていたのである。  旅館に泊っている間に、かれは、村の郵便局に持ってきた金を預金し、その家に移ってから漁業組合の売店で炊事道具をはじめ日用品を買い入れて自炊をはじめた。  農家で米と野菜をわけてもらったが、野菜の代金はとらず、近くの漁師の家の老婆《ろうば》も魚介類を無料でとどけてくれる。所持金でどれほどの期間、生活できるかと思っていたが、生活費は予想していたよりもはるかに少くすみそうで、これならかなり長い間暮してゆけると考え、小型のテレビも買った。  かれは、なれぬ手つきで煮物をつくり、魚を刺身にしたり焼いたりして食べた。  食事の後片づけをすますと、古びた畳の上に寝ころんでテレビに眼をむける。  東京での生活が遠い過去のように感じられ、だれに気がねすることもなく時間の経過に身をゆだねていることに、自然に頬がゆるむのを感じていた。  思い返してみると、幼い頃《ころ》から、激しい渦《うず》にまきこまれたように絶えずあわただしい日を送ってきたような気がする。  小学校に入ると、母は通信簿の内容を気にかけて勉強するようにと口やかましく言い、進学期が近づいた頃には家庭教師が通ってくるようになった。  中学校に入ってからは、自分でも追われるような気持になって各学期の試験の成績に一喜一憂し、やがて深夜まで受験勉強にはげんで官立の高等学校に進学することができた。  その間、××事変と称する小戦争が鎖の環《わ》のようにとぎれることなくつづき、それがアメリカとの大規模な戦争に拡大していった。  大学の経済学部に入ったものの、戦局は悪化していて軍需工場に勤労動員され、文科系学生の徴兵|猶予《ゆうよ》措置の停止によって学業半ばで入営した。  幸運にも内地勤務のまま終戦を迎えたが、その間に父は病死していて東京の生家は空襲で焼け、母と妹は長野県下に疎開《そかい》していた。  かれは、焼け残った叔父の家に身を寄せて大学に通い、卒業して繊維会社に入社し、四年後に商事会社へ移った。豊子と見合結婚をしたのは、その直後であった。  経済界の混乱がようやくしずまり、それにつれて会社の事業は拡大し、かれは、巨大な機械の歯車の一つになったように休むことなく仕事に専念した。  所属する課に並ぶ机の上では、電話のベルが重なり合うように絶え間なく鳴っていて、かれは課の者や上司とひんぱんに打合わせをし、訪れてくる人にも応接した。夜行列車で往復するような出張が多く、海外へもしばしば出掛けるようになった。  夜は、取引先の人と会食をし、バーやクラブにも行く。帰宅はおそく、朝も早く家を出て会社へ行った。  かれは、課長から次長に進み、部長にもなって、それとともに自分をとりまく渦の動きはさらに速さを増し、その中で激しく動きまわった。  定年が近づいた頃、かれは、系列の子会社へ出向を命じられ、自分ではそのまま会社にとどまれるのではないかとひそかに期待していたので気落ちしたが、多くの前例をみてきただけに、これが自分にさだめられた宿命であったのだと、自らを慰める気にもなった。  自分をとりまいていた泡立《あわだ》つ渦が消え、かれは、子会社の役員の席に坐って時間をすごした。  定時に出勤し、夜は、他の系列会社に移った同僚や学生時代の友人と酒を酌《く》み合うことはあったが、夜おそく帰宅することは稀《まれ》であった。  朝、満員電車にゆられてゆくのが辛《つら》く、駅の階段をのぼる時、足のだるさに年齢を意識し、横断歩道を渡る折に、信号待ちをする男たちの中で自分が最も年長であるらしいことに気づいたりした。  その頃から、家庭のことが急に身近かなものに感じられるようになった。  休日もこれといって行くところはなく、居間の椅子《いす》に坐ってテレビをみたり、買ってきた本を読んで居眠りをしたりする。 「ゴルフにでも行ったらどうなんですか」  妻が、呆《あき》れたように言う。  ゴルフ道具は玄関の上《あが》り框《がまち》に置かれたままになっているが、友人に誘われてもゴルフ場に行くまでがわずらわしく、腕が人並以下なので熱も入らず、その後の疲れを考えると行く気にはなれない。  そうした自分にくらべて、妻には充実した生活があるようにみえた。出身校の短大の同窓会幹事をつとめていることから、バザーの催しや観劇会、お茶会などで外出することが多い。時には、友人たちと二、三泊の旅行にもゆく。  妻は、週休二日の休日に、かれが家にいて三食の食事をすることがうとましいらしく、それを察したかれは、行くあてもないままに家を出て、外で食事をとることもある。  子会社に移ってから、家庭の大きな出来事と言えば、一人娘の結婚であった。  大学を卒業した娘は、かれの口ききで鉄鋼会社に就職したが、一年たらずでやめ、語学の勉強をするからと言ってアメリカに行った。それも半年ほどで帰国し、料理学校や花道教室に通ってすごしていた。  妻は、友人たちに娘の結婚相手を紹介してくれるようにたのんで何度か見合いをさせ、大手の広告会社に勤める男との間で話がすすんだ。  男の生家は資産家で、祖父が政商として著名な人物であったことに、妻は得がたい縁談と考え、娘もそれに同調した。  娘が初めて家に連れてきた男をみたかれは、その表情や言葉の端々におごりに似たものを感じ、好ましい印象はいだかなかった。さらに娘から、男が株の売買に才能があると自負し、事実それになにがしかの金を投じているという話をきき、顔をしかめた。  株の値動きを知るのは、経済の動向を察する上で有効にはちがいないが、若い男なのだから会社の仕事にすべてをかたむけ、額に汗することなく金を手にするようなことに関心をもつべきではない、と思うのだ。  しかし、乗気になっている妻と娘に水を浴びせかけるようなこともできず、かれは、挙式までの手続きを意見らしいことも口にせず見守っていた。やがて娘は家をはなれ、男とマンションで新しい生活をはじめた。  傍系会社を退く年齢がやってきて、嘱託で残ることもできたが、かれは、少しの未練もなく退職した。気がかりであった娘も結婚して親としての義務を果すことができたし、老後の生活も一応不安はないので、妻に対してもなすべきことはしたのだという気持があったからであった。  かれは、長い間の会社勤めを終えたという解放感を味わった。朝、定時に起きる必要はなく、電車にも乗らずにすむことに心がなごんだ。  ノーネクタイの軽装で、少年時代にすごした町に足をむけたり、郊外の墓地にある両親の墓に詣《もう》でたりした。  しかし、そのような心境でいられたのは三カ月ほどで、なにもすることがない時間を持てあまし、うつろな気分になった。  朝食をすませてテレビに眼をむけながら、今日はどのようにしてすごそうか、とあれこれ考えるが、いずれも億劫《おつくう》に思え、腰をあげる気になれない。外に出て駅の方へ歩きかけるが、行ってみたところでこれといって興味をひかれるようなものはなさそうで、近くの遊園地のベンチに腰をおろし、幼児の遊ぶのをながめていたりする。  三歳しかちがわぬのに、妻はいきいきとしていた。白髪《しらが》はほとんどなく、小太りの皮膚には艶《つや》が残っていて、友だちからの電話に応ずる笑いをまじえた声も甲高かった。  かれは、妻が外出しがちであるのをうとましく思っていたが、いつの間にか、一人残されることに気持が安らぐのをおぼえるようになった。妻の言い残したとおりに冷蔵庫から前夜の副食物を取り出して食事をし、居間に寝ころんでうたた寝をしたりする。妻の視線を感じずに時をすごすことに、のびのびしたものを感じていた。  家を出ようと心にきめたのは、些細《ささい》なことが原因であった。  子会社に移ってからは朝、通勤の電車の中で新聞を読むのを常としていたが、退職後は、早朝に新聞配達のバイクが家の前にとまるのを耳にして起き、新聞をとってきてベッドでひろげるのが習わしになった。それまで、そのようにして新聞を読んだことがなく、一つの楽しみであった。  寝室の雨戸はとざされているので暗く、枕許《まくらもと》のスタンドを手もとにひいて灯《ひ》をともす。妻は、壁の方に顔をむけて寝ている時以外は、寝返りをうって背をむける。  そのうちに妻の動きが荒々しくなり、やがて、 「まぶしくて起きてしまうじゃないの」  と、腹立たしげに言うようになった。  無理はないと反省したかれは、商店街に行って手もとだけに光があたる小さなスポットライトを買ってきて、それで紙面をひそかに眼で追った。  妻は、寝返りをすることも少くなったが、或《あ》る朝、半身を起すと、 「新聞紙をひろげる音がうるさくて、たまらないわ」  と、顔をゆがめて言って、再び横になり、背をむけてふとんをかぶった。  かれは、身じろぎもせず天井を見上げていた。自分では音を立てぬように神経を使いながら新聞を繰っていたが、そのかすかな音が妻の眠りをさまたげているらしい。かれは、ベッドをはなれて階下におり、居間のテーブルの上に新聞をひろげた。  翌日の朝も、ひそかに起きて居間で新聞を読んだが、顔をあげたかれの胸に、一人暮しをしようかという考えがかすめすぎた。  たしかにベッドで新聞を読むことが妻を苛立《いらだ》たせているのは理解できるが、長年の会社勤めを終えた解放感の表われの一つとして容認してくれてもよいのではないだろうか。  娘にも妻にも、父として夫としての義務を果してきたつもりだが、少くとも妻にはそれに対する感謝の念がないらしい。  これから何年生きられるかわからないが、死を迎えるまでの間、このような堪えしのぶような日は送りたくない。家にとどまっていれば、絶えず妻に気がねをし、ささやかな楽しみもひかえねばならない。  かれは、狭い庭をながめながら家を去った場合のことを考えてみた。  妻はうろたえ、心配もするにちがいないが、安心させるような置手紙でもしておけば、単なる気まぐれの長旅に出たとでも考え、探しもとめるようなこともないだろう。  かれは、妻のことを気づかっている自分が愚かしく思え、なすべきことはしたのだから自由に生きてみるべきだ、と自らに言いきかせた。  にわかに眼の前が明るくなるのを感じ、鼻唄《はなうた》でもうたいたいような気分であった。  その日から、かれは家を出る準備をはじめた。  気持が浮き立ち、妻にも愛想よく接したが、上機嫌《じようきげん》であることで、自分の企てを妻にさとられるのではないかという恐れも感じた。  かれは、慎重に事をすすめ、予定した日に家を出たのだ。     二  遠くでサイレンの音がし、その方向に眼をむけると、海ぞいのくねった道をパトカーが、赤い標識灯をひらめかせながら走ってくるのがみえた。  パトカーは、漁師の家の間を見えがくれしながら近づき、国民宿舎の前を走りすぎた。その後を紺色の乗用車が同じ速度でついてゆき、岬《みさき》のかげに消えた。  村に来て初めて眼にするパトカーで、交通事故でも起って隣町からやってきたのだろう、と思った。  かれは、視線を海面にもどした。  観光船が、パトカーの去った方向とは反対の岬をまわって姿をあらわし、近づいてくる。短い汽笛がきこえ、それと同時に防潮堤に羽を休めていた海猫がつぎつぎに飛び立ち、船に近づいてゆく。船客が投げるパン屑《くず》などをもとめてむらがるのだ。  船が、海猫につつまれながら防潮堤の内側に入り、速度をゆるめて船着場に横づけになった。船から降りた乗客たちが、二台の観光バスに乗り、バスはつらなって海岸線をゆっくりした動きで去って行った。  海面が、西日に輝きはじめた。  かれは、竿をおさめると腰をあげた。  国民宿舎の前に顔見知りの支配人と数人の男が寄りかたまって立ち、岬の方に眼をむけている。  近づいた塩崎は、男たちの顔がこわばっているのに気づき、 「なにかあったのですか」  と、たずねた。 「死体があがったんですよ。女のね……」  支配人が、岬の方に眼をむけながら、重い口調で言葉をつづけた。  東京から来たという女が国民宿舎に泊ったのは、三日前の夕方で、翌日は、夕方まで附近を歩きまわっていた。 「年も若くはないし、カメラを持っていたので観光に来たと思っていたのですがね」  支配人は、視線を動かさず言った。  つぎの日は部屋にとじこもっていて、夕方、食事の仕度ができたので呼びにゆくと、いつ外に出たのか姿はなく、夜おそくになってももどらない。  部屋にカメラが置いたままになっていることから不吉な予感をおぼえた支配人は、村役場の者を通じて隣町の警察署につたえた。  夜が明けて役場の者たちが海岸線をしらべてまわり、景勝地ともなっている切り立った断崖の上の松林に、茶色い女靴《おんなぐつ》が並べて置かれ、かたわらに石をのせて飛ばぬようにした遺書の入った封筒も発見した。  役場から依頼をうけた漁協の舟が断崖の下を中心にさぐり、近くの岩礁《がんしよう》の間に透けて沈んでいる女の遺体を見出《みいだ》して、近くの磯《いそ》に引きあげたという。 「きまってあそこから飛びおりるんだよな。今年はまだ一人も自殺者がいないから、なんとかこのままですむかと思っていたけれど……」  他の男が、つぶやくように言った。 「毎年、そんなことがあるんですか」  塩崎には、思いもしていなかったことであった。 「二人か三人はね。四年前だったな、子供連れの夫婦をまじえて五人も飛びこんだ。なぜ、あんなところがいいのかね。岩にぶちあたるからむごたらしい仏になる。村には余計な散財で、迷惑きわまりないよ」  男は、顔をしかめた。  塩崎は、無言で岬の方を見つめていた。  身を投げた女には、それ相応の事情があるのだろうが、恐らく都会の生活の中で人との接触に疲れ果てたのだろう。  もしかすると、女は、自分と同じように過去にこの村を訪れたことがあって、その記憶からここを死に場所にえらんだのかも知れない。自分は憩《いこ》いをもとめてやってきたが、女は命を絶つために村に足をふみ入れたのだ。  かれは、しばらく無言で立っていたが、男たちのかたわらをはなれると、家に通じる坂道を登っていった。  翌朝、眼をさますと八時をすぎていた。  かれは、起きてテレビをつけ、立てつけの悪い雨戸を繰った。秋らしい澄んだ空に、白い雲がうかんでいる。  大根を薄切りにしたものを具にして味噌汁《みそしる》をつくり、炊飯器の飯を茶碗《ちやわん》に移して生卵をかけて食べた。新聞は、十時過ぎにしか配達されてこない。  食器を洗い、部屋を簡単に掃除してから、釣竿と小さなバケツを手に家を出て、坂道をくだった。  国民宿舎の前に人の姿はなく、窓ガラス越しに帳簿づけをしている支配人の横顔がみえるだけであった。  かれは、突堤の先端まで行って腰をおろし、竿をのべた。  女の遺体は、検視をうけた後、隣町にはこばれ、棺に納められて縁者のくるのを待っているか、それともすでに引渡されて焼場へはこばれているかも知れない。女は死んだが、村の営みには、いささかの変化もないらしい。  昨日は、アブラッコと言われる小魚を三尾釣り、夜、それを焼いてテレビをみながらビールを飲んだ。東京での生活では想像もできなかったことだが、自分らしい夜のすごし方だ、と思った。  観光船が、エンジンの音をさせて船着場をはなれた。  海猫がむらがったが、客の姿はほとんどなく、船は少し身をかしげながら防潮堤の突端をまわって、いつものように南の方向へ進んでゆく。凪《な》いだ海には漁船が点在し、沖にタンカーらしい船が遠く動いているのがみえた。  浮きが沈み、竿をあげると眼の大きい黒ずんだ小さな魚がかかっていた。焼魚になるようなものではなく、かれは海に捨てると、再び釣糸を投げた。  かれは、沖に眼をむけたり、浮きを見つめたりしていた。  背後に人の気配がして、あなた、という低い声がした。  振向いたかれは、一瞬、だれかわからず眼を大きくひらいた。  かれは、落着きを失い、海面に視線をもどした。  照れ臭く、顔が染まるのを意識した。髭《ひげ》を剃《そ》らずにいるので、白いものが口のまわりをおおっているのが恥しかった。  妻が、かたわらにしゃがんだ。スラックスをはいた体から、妻の匂《にお》いが漂い出ている。 「急にいなくなったので、心配したわ」  妻とは別人のような、しわがれた低い声であった。  かれは、体をかたくして浮きを見つめていた。 「どうしてここがわかった」  かれは、なじるように言った。 「心当りの所をあちこち問い合わせ、この村にいるのかも知れないと思って、旅館に電話をかけたら、いるのがわかったのよ」  家を出る前に、行先をさとられぬように住所録なども点検したが、古い名刺帳に旅館の名刺がはさんだままになっていたのかも知れない。十分に配慮したつもりだったが、手ぬかりがあったことを知った。 「支線の最終列車で来て、タクシーでゆうべおそく旅館についたのだけれど、自殺した人がいたということをきいて、どきりとしたわ。女の人ですってね」  妻の声は、抑揚がとぼしい。 「なにがどきりだ。おれが死んだりするものか」  かれは、腹立たしげに言った。自殺するどころか、気ままに生きたいと思ってこの村に来ているのに、妻がそんなことを考えているのに苛立ちをおぼえた。  沈黙がつづいた。 「なぜ、家を出たんですか。私に不満があったからなのね」  いつものようにからむような妻の口ぶりだった。  まさか新聞紙のためだ、とは言えない。もしも、それを口にしたら、妻は、かすかに笑い、遠慮などせずベッドで読んでくれればいいのに、と言うだろう。が、そんなこの場かぎりの言葉ですまされることではなく、些細なことではあっても根は深いのだ。 「私が、外出が多かったからなのね」  妻は、海面に眼をむけている。 「逆だね。外出するとさばさばしたよ」  投げ捨てるような言葉がよどみなく流れ出たことに、かれは驚いた。そんなことを口にすれば、妻は、そんなに私が嫌《きら》いなの、そうお、よくわかったわ、あなたがそんな気持でいたなんて知らなかったわ、と、甲高い声をあげるはずだった。が、妻は、口をつぐんでいる。 「あなたがいないことが、叔母や友だちたちにも気づかれて、困ったわ。叔母には、お前に落度があると言われて……」  世間態《せけんてい》を気にかけ、そうした見栄《みえ》から娘の結婚相手もきめたのだ。その点、早くに夫を失い、苦労して二人の息子を育てた叔母は、平衡感覚のとれた常識をそなえている。 「来月の五日で、結婚してから三十五年ね。あなたのことはすべて知りつくしていると思っていたけれど、そうでないことを知ったわ。お互いに何年生きるか。そんなに長くはないでしょうから、一緒にすごしたいのよ。帰ってきてくれないかしら」  妻の声には、媚《こ》びるようなうるみがふくまれていた。 「おれは、ここが気にいっているのだ。お前はお前で好きな場所で生きればいい」 「それなら、私もここに住むわ」  かれは、初めて妻に眼をむけた。 「お前がいては、家にいるのと同じだ。出て来た意味がない」  かれは、少し言いすぎたことを後悔した。  妻が感情の動きをしめすのではないかと思ったが、海に眼をむけたまま身じろぎもしない。 「なにが不満なの。具体的に言って下さいな。私もできるかぎり直すわよ」  妻の口調は、決して詰問《きつもん》しているのではなく、哀願するようなひびきがある。  妻に対して不満は数限りなくあるように思えるのだが、具体的にと言われてみると、新聞以外のことはすぐには思い浮かばない。あえて言えば、仕事から解放され、なにもすることがなくなっている自分に対する思いやりに欠けているのだ。 「江梨子《えりこ》が姙娠《にんしん》したわ」  低い言葉に、かれは体をかたくした。結婚して半年近くたっているのだから、娘が姙《みごも》っても不思議はないのだが、予想もしていなかったことに思えた。  かれは、浮きが沈まぬのに竿をあげると、再び釣糸を投げた。 「江梨子も、あなたのことを心配しているのよ。一緒にくると言ったのだけれど、体にさわるからと押しとどめたの」  披露宴《ひろうえん》で、正面に坐るウエディングドレスを身につけた娘を遠くから見つめながら、何度か胸が熱くなるのを感じた。が、その横に頬をゆるめて坐る男の顔を眼にすると、夜、男がどのように娘の体を扱うのかと、堪えがたい思いがして視線をそらせた。  しかし、その後、娘の変らぬおだやかな表情を見るにつけ、夫婦生活が安定しているのを感じ、男に対する嫌悪《けんお》の感情も徐々に薄らいでいる。 「江梨子のおなかの子のためにも、帰ってきて下さいな」  腹の底を見すかしたような妻の言葉に、かれは、いまいましさを感じはしたが、言葉を返すことはしなかった。  かれは、ズボンのポケットから煙草《たばこ》を取り出し、百円ライターで火をつけた。 「いい所ね」  妻が、あたりを見まわした。  お前には関係がないことだ、と言いたかったが、かれは黙っていた。  汽笛がきこえ、観光船が近づいてくるのがみえた。  もしも家に帰るとしても、それは妻の願いをいれたからではなく、父として姙った娘の体を気づかう余りなのだ、と胸の中でつぶやいた。  海猫が、つぎつぎに防潮堤から飛び立ちはじめた。 [#改ページ]   チロリアンハット  昆虫《こんちゆう》の華車《きやしや》な脚に似たものが、近々と何本かみえる。それは、両瞼《りようまぶた》を上下に押しひろげている軽金属製の器具から突き出た棒状のもので、光が淡く透けている。体が手術台に仰向けに横たわっていて、かたわらに白衣をつけた医師と看護婦が立っているはずなのに、その気配は感じられない。  明るい水滴が上方から落ちてきて、それが細い水の流れになり、露出された眼球に降りそそぎはじめた。眼《め》は大きくひらかれているのに、かれは、意識の上で眼をつぶり、洗滌《せんじよう》されるままにしている。  水の微細な泡《あわ》が踊りながら視野いっぱいにひろがり、それに眼球を託していることに安らぎに似たものを感じる。  やがて、泡が徐々に消え、瞼を押しひろげていた棒状のものがはずされると、瞼が閉じて眼球をふさいだ。  闇《やみ》がひろがり、その濃さに重苦しさを感じると同時に、夢がやぶれた。  寺岡は、眼を開け閉じし、天窓に眼をむけた。夜明けの気配がきざしていて、青みをおびた空の色を背景に、藤《ふじ》の蔓《つる》が黒ずんで交叉《こうさ》しているのがみえる。  夢は、いつも筋立てがきまっていて、必ず夜が明けはじめた頃《ころ》に訪れる。雨の音がし、天窓が暗いこともある。  その夢をみるようになったのは二カ月ほど前からで、目覚めた後の気分は決して悪くはない。眼が濡《ぬ》れている感じは残っているが、汚《けが》れなく洗われた爽《さわ》やかさがある。それに、夢が自分の現実の反映であることに、かれは気分が浮立つのもおぼえていた。  少年時代、定期的におこなわれた学校での検眼で、杓子《しやくし》に似たものを片方ずつ眼にあてて、片仮名と一部が欠けた環《わ》のえがかれた図を見つめることを繰返したが、両眼とも一・五と判定されるのが常であった。  その数値に変化が起きたのは、旧制中学校の卒業も近づいた頃で、戦時下の灯火管制の淡い電光で参考書や書物の活字を眼で追っていたためにちがいなく、両眼の度数は一・〇になっていた。  社会人になり結婚してからも視力に異常を感じることはなかったが、三十歳をすぎて間もなく、映画館に入ると自然にスクリーンに近い席をえらぶのに気づいた。  もしかしたら、と思ったかれは、夜、盛り場に行った時、気紛《きまぐ》れに近い気持で眼鏡店に入り検眼してもらうと、右眼が〇・七、左眼が〇・六と言われた。そのまま店を出るのもためらわれ、店員のすすめるままに眼鏡を買った。  歩道に出て眼鏡をかけたかれは、道の両側に重なり合って光るネオンの色が、驚くほどの鮮やかさで視覚にしみいるのを感じ、しばらくの間、立ちつくしていた。動いてくるタクシーの空車の標識、往きかう人の顔などがくっきりとみえ、夜空に飛ぶヘリコプターの淡い輪郭と点滅する赤い光も眼にとらえられた。  その夜から現在まで眼鏡をかけつづけてきたが、近視の度は一定し、フレームをかえてもレンズは同じ度数のものであった。  しかし、五十歳をすぎて間もなく、辞書などの細かい活字の並ぶものを読む折には眼鏡をはずし、それは新聞、書物にもおよび、いつの間にか老眼の度が進んできているのを知った。  視力に思いがけぬ変化が生じているらしいのに気づいたのは、梅雨があがった頃であった。  その日は、週に一度の休日で、朝食を終えたかれは、居間の椅子《いす》に坐《すわ》って庭をながめていた。  家が郊外にあるので、春先には鶯《うぐいす》や目白が、つづいて四十雀《しじゆうから》、椋鳥《むくどり》などが狭い庭にもやってくる。かれの作った餌台《えさだい》には、四十雀が、餌である向日葵《ひまわり》の種をくわえては、せわしなく飛び立っていた。  かれは、花壇の隅《すみ》に咲く鉄線の花をながめていた。それは妻がもらった鉢植《はちう》えのもので、花が終った後、かれが花壇の土におろした。手入れもこれと言ってしなかったが、季節になると花がつき、年を追うごとに数が増し、花弁も大きくなっている。  花に二匹の蜂《はち》が来ていて、頭を突き入れては移動していたが、思いがけず膨《ふく》れた蜂の腹部をおおう繊毛が眼に映じているのに驚きを感じた。繊毛は柔かいらしく、一様に微風にゆらぎ、陽光にかすかに光っている。  さらにかれは、その先端に黄色い花粉が附着しているのを眼にして、短い声をもらした。  かれは、花から花に移る蜂を見つめていた。  そのうちに蜂は、翅《はね》をふるわせて花からはなれ、他の蜂もそれにならって、花の真上で浮くようにとどまっていたが、素速い動きで飛び去った。  かれは、少しの間、放心して鉄線の花をながめていた。信じられぬことであったが、繊毛の揺らぎと花粉の色が眼の底に残っている。  しきりに樹《き》から樹へ飛びかう四十雀の姿に、視線を移した。餌台からはなれた四十雀が、近くの樹の枝にとまり、向日葵の種に嘴《くちばし》を小きざみに突き立てて殻《から》を裂いている。かれは、視線を据《す》えた。種をつかむ四十雀の赤みをおびた趾先《あしさき》が一本ずつみえ、殻から露出した白い身が嘴の中におさまるのも眼にできる。嘴のふちには、くだけた殻が附着していた。  かれは、テーブルをへだてて椅子に坐っている妻に顔をむけた。繊毛のこと、四十雀の趾先のことを告げたかったが、グラフ雑誌を繰っている妻の表情を眼にすると、それを口にする気持は萎《な》えた。驚きをつたえても、妻は信じるはずはなく、視線を雑誌に落し、返事もしないだろう。  かれは、再び視線を庭にもどしたが、飛びかっていた四十雀の姿は消えていた。  その日から、かれはさまざまなものを見た。  朝、宝石の装飾デザイナーをしている妻を車に乗せて都心のビルにある事務所に行く途中、思いがけぬものを眼にして、あらためて微細なものまでとらえる視力の変化を感じることが多かった。  前方に車がつらなっていて信号機は遠いのに、赤い光を背景に信号灯のカバーに小さな蛾《が》がはりついているのを眼でとらえたこともある。高速道路の料金支払所では、車の窓からドライバーの差出す紙幣の下部に記された数字が、おぼろげながらも見えたし、道路の近くにそびえるマンションのベランダに干されている肌掛《はだか》けぶとんの柄《がら》も眼にできた。  視力は衰えてきているはずなのに、なぜ、そのようなものまで視覚にとらえられるのか。初めて眼鏡をかけた夜のように、ネオンの色も光り輝いてみえる。  視力が急激に衰える前兆なのだろうか。蝋燭《ろうそく》の灯《ひ》が消える寸前に一瞬の輝きを増すように、眼が最後の余力をしぼって冴《さ》えているのかも知れない。  眼球が水で洗われる夢をみるようになったのは、それから間もなくで、視力が鋭くなっているのを感じるようになったから夢をみるのか、かれにはわからない。  電話のベルの音がして、向き合った机の前に坐る若い女事務員が、受話器に手をのばした。  型どおりの受けこたえをした彼女が、 「草間さんからお電話です」  と、言った。  爪《つめ》に鑢《やすり》をかけていた寺岡は、電話機の切換えボタンを押して受話器をとった。 「元気かね」  草間のまろみのある声が流れてきた。 「ああ、なんとか……」  それはいつも変らぬ最初の挨拶《あいさつ》の言葉だった。 「どうしているね」  寺岡は、ゆったりした口調でたずねた。 「いろいろあってね」 「そうかい」  寺岡は、机に肘《ひじ》をついた。  ビルの一室にある事務所は、広いガラス戸からの陽光で明るく、冷房の温度調節がされている。仕切りの板壁をへだてたデザイン室では、妻と助手の若い女が仕事をしていて、軽い音楽の旋律がきこえている。  草間からは、少くとも月に一度は電話がかかってくるが、寺岡は、話に深入りしないように、ただ話をきくだけという受身の姿勢をとることにしている。いろいろ、と言っても、他愛《たわい》ないことが多く、草間の口癖の一つにすぎない。 「今、いいかね、話をしても……」  草間は、遠慮がちに言った。 「いいさ。別に仕事はしていない。爪を剪《き》っていたところだ」  寺岡は、気を兼ねている草間の気持をやわらげるように答えた。 「二、三日したら、金沢へ行ってみようと思ってね」  草間は、口早に言った。 「兼六園でも見に行くというのかね」 「いや、あそこは二、三度見ているからいいんだ。霊柩車《れいきゆうしや》の写真を撮って来たいんだよ」 「まだ、霊柩車をやっているのかね」  寺岡は、前の席に坐る女事務員が霊柩車という言葉に驚くのではないか、と顔をうかがったが、彼女は帳簿に視線を落したままボールペンを動かしている。 「金沢の霊柩車はね、特殊なんだよ」  草間は、よどみない口調でその特徴を述べはじめた。  寺岡は、窓に眼をむけながら短い相槌《あいづち》を打っていた。東京などでは、神社の造りに似た宮型の霊柩車が使用されているが、金沢では日光東照宮の陽明門を模したものが走っているという。 「京都は、屋根もまわりの装飾も白木でね。それはフィルムに百枚近くおさめてきたが、陽明門型は金沢方面だけで、撮るのが楽しみだよ」  霊柩車に地方色があるなどとは知らなかったが、それを口にでもしたら長い説明をきかされるおそれがある。寺岡は、受話器を耳にあてながらも、広い道をへだてたビルの側壁につるされているゴンドラの上で保安帽をかぶった男が、窓を手早く拭《ぬぐ》っているのをながめていた。  言葉を切った草間が、少し黙っていたが、 「暑さがやわらいで魚でもうまくなったら、どうだね、一杯やらないか」  と、言った。 「いいね。その時は電話をくれよ」 「それじゃ、また……」  草間が電話を切る気配がして、寺岡は、おもむろに受話器を置いた。  草間が前ぶれもなく事務所にたずねてきたのは、昨年の秋も終りに近い頃だった。  中学校時代には、教室での席が並んだりしたこともあって親しく、卒業後も毎年、年賀状を交換し、同期会で顔を合わせると、数人の友人たちと二次会に行くのが常であった。しかし、それ以外に会うことはない付き合いであっただけに、事務所のドアから顔をのぞかせた草間に驚きを感じた。  いつも背広にネクタイをつけた姿しか知らぬ草間が、ノーネクタイでチロリアンハットを手にしているのが珍しく思えた。 「近くまで来たのでね。君の事務所があるのを思い出して寄ったのだ」  草間は、弁明するような口調で言った。  寺岡は、かれをビルの地下にある喫茶店に誘った。 「定年でリタイアしてね」  草間は、坐るとすぐに言った。  かれは学業成績がよく、旧制中学校の四年生で海軍経理学校に入り、戦後、官立大学を卒業して大手の造船会社に入社した。華々しい時代もあったが、経済構造の変化で事業内容の転換をせまられ、かれも忙しいのか同期会に姿をみせぬことがつづいた。  定年間近になって関連会社に出向して役員になり、それも任期を終えた。顧問として残ることもでき、周囲からもとどまるようすすめられたが、ためらいもなく退社したという。 「女房がいれば、まだ働く気はあったがね。会社から帰っても迎えてくれる者もいないし、ここらあたりが潮時だと思ったわけだ」  草間は、慣れた手つきでパイプに煙草《たばこ》の葉をつめた。  数年前の同期会で、自己紹介に立った草間は、妻と死別したことを口にし、再婚相手をさがしている、とユーモラスな口調で話した。妻の死後、一人暮しをするようになって、だれにも気をつかうことのない思いがけぬ解放感を味わったが、冬だけは別で、冷えきったマンションに帰った時の侘《わび》しさは堪えがたく、食事を作って待ってくれている女性が欲しくなったという。  友人たちは、うらやましいなどという言葉を投げかけたりして笑い、寺岡も頬《ほお》をゆるめながらも草間に子がないことを思い出していた。  翌年の同期会で、友人の一人が再婚についてたずねると、三度見合いをし、二度は先方から断わられ、 「一勝二敗だよ」  と、かれは、苦笑しながら答えた。  近くまで来たので、と言う草間に、どのような用件で来たのか、寺岡は少し身がまえる気持になったが、草間の表情には、それらしい気配はみられなかった。 「なにもすることがなくてね、弱っているよ」  草間は、コーヒーカップを手につぶやくように言った。  退職後、かねて考えていたとおり一カ月ほどかけて九州一周の旅行をしたが、帰京すると、再び旅に出るのが億劫《おつくう》になり、あてもなく都内を歩くだけでマンションにいることが多いという。 「体はこれといって故障はなく、もしもこれから二十年、三十年生きでもしたら、どうやってすごしたらよいのか、それを考えると途方に暮れる。なにもすることがないというのは、辛《つら》いよ」  草間は、パイプを手にしながら遠くを見るような眼をした。  返事に窮した寺岡は、あらためてお互いに年をとったものだ、と思った。寺岡たちが勤労動員されていた軍需工場に、短剣をつけ上衣の短い紺色の制服を着てやってきた草間の姿が思い起された。血色が驚くほどよく肉づきも増した草間の顔に、軍学校で質のよい食物を口にしているからなのだ、と羨望《せんぼう》をおぼえたことを記憶している。  その頃の面影《おもかげ》は残ってはいるが、白髪の頭の地肌は透け、首筋に剃《そ》り残した白毛が二、三本光っている。  恐らく草間は貯《たくわ》えもあるだろうし、その上、年金も得ていて生活には困らないのだろうが、どのように時間をすごしてよいかわからぬというかれの言葉に、寺岡は同情した。 「君には、定年がなくていいな」  草間は、かわいた声で言った。 「そんなことはないよ。初めから定年のようなものだ」  寺岡は、うろたえ気味に答え、コーヒーを飲んだ。  中学校を卒業して高等工業専門学校に入りはしたが、学徒徴兵|猶予《ゆうよ》措置の停止で入営し、内地勤務で終戦を迎えた。すでに父は亡《な》く、空襲で家を焼け出されて親戚《しんせき》の家に身を寄せていた母も、終戦の翌年に病死した。  恒産などなかったので学校に復するどころではなく、生活に窮して、食物を不自由なく口にできるという話にひかれて米軍のキャンプに勤めた。  蒲鉾《かまぼこ》兵舎の取りこわしや、それに代る宿舎の建設などに従事し、中学校時代に英語が好きであったことから、いつの間にか英会話にも慣れて、キャンプ内の生活になじんだ。  その後、社会秩序が徐々に恢復《かいふく》するにつれて、基地内の仕事をすることにむなしさを感じたかれは、キャンプをはなれ、小さな貿易会社に勤め、さらに不動産会社に職を得て、外国人専門の賃貸住宅の斡旋《あつせん》の仕事をした。  三十歳の折に、貴金属会社に籍を置き、外国人に装飾品を売る時に立ち会うことを繰返していたが、その会社のデザイナーをしていた妻と知り合い、同棲《どうせい》をへて結婚した。  やがて妻は独立し、かれは、販売を担当してようやく顧客が増し事務所兼仕事場を持つようになっている。  かれは、事務所の顧問という肩書で、朝、車を運転して妻とともに事務所に行き、妻が仕上げた指輪、ネックレス、ブローチなどをお客にとどけたり、時には真珠を仕入れに生産地へおもむいたりする。妻は同棲して間もなく姙娠《にんしん》したが、仕事に支障があると言って堕胎し、それ以後、姙《みごも》ることはない。  たしかに自分には定年はないが、仕事は妻に従属したもので、一日中、事務机の前に坐り、暇つぶしに喫茶店に行って時間をすごすことが多い。  中学校を卒業して四十五年もたつのに、学業成績のよかった草間と向い合っていると、一歩退いた態度をとっている自分が意識され、定年がないことをうらやむ草間の言葉に卑屈さと照れ臭さを感じた。  しばらくの間黙っていた草間が、 「お邪魔をした。また、寄らせてもらうかも知れない」  と、低い声で言って、パイプの灰を灰皿に落し、腰をあげた。  寺岡は、ビルの入口で、かれが歩道を歩いて行くのを見送った。  その後、草間は、事務所に姿をみせることはなかったが、時折り電話をかけてくるようになった。夜、自宅にかけてくる折には、酔っているらしく呂律《ろれつ》が乱れていることもあった。  電話での話によると、草間は、さまざまなものに手を出し、外出する機会も多くなっているようであった。  初めに手がけたのは句作で、かれの住む地区にある俳句サークルに入って手ほどきをうけ、郊外に吟行に出掛けたりもしているらしかった。  しかし、専門俳人の秀作と言われている句の意味がつかめぬことから、才能がないと察してサークルからはなれ、その代りに単身赴任者や一人暮しの男の高齢者を対象とする料理講習会に入会した。もっぱら外食をしていたかれは、料理を自分で作ることに興味をおぼえ、買物袋をさげて食料品店やデパートの地下売場を歩くことで時間を費せるのを喜んでいた。が、それも三カ月ほどで、作った料理を自分一人で口にするのが味気なく、講習会へ足を向けることもしなくなった。  その頃から、草間の関心の対象は、自分の身につけるものから外部の世界に移り、それにともなって寺岡に誘いをかけるようにもなった。  初めに誘われたのは、長良川《ながらがわ》の鵜飼《うか》い見物で、乗合船の券が二枚入ったので行かぬかという。見たことがなく、気持は大いに動いたが、その日は、デザインしたものを二個所にとどける予定があり、それに夜まで仕事をすることもある妻に観光のための旅行をするとは口に出しかね、断わった。 「そうか。君も忙しいからなあ」  草間の声には、決して皮肉なひびきはなく、落胆した気配が感じられた。  三カ月ほど草間からの連絡はなかったが、その後、電話をかけてくると、 「今、話をしてもいいかね」  と、遠慮がちに言うのが常であった。  品評会で賞を得た蘭鋳《らんちゆう》を九十歳近い男が飼っているので、それを見にゆくつもりだとか、和時計をはじめ世界各地の古い時計を陳列している博物館に一度行ったが、再び行きたいなどという。  そのような話をきく寺岡の気持は、複雑だった。草間は、決して誘うような言葉は口にしないが、同行をうながす気配が感じられる。草間に付き合うのはわずらわしく、誘われた場合の断わる口実を、その度に素速く考えるが、電話が切れると草間の侘しさが思われ、自分の冷淡さに悔いの気持も湧《わ》く。  それにしても、なぜ、自分に電話をかけてくるのだろう、と、かれは思う。  恐らく草間は、同じように定年をすぎた友人に声をかけたこともあるのだろうが、それらの友人たちは、新たな職を得て時間的な余裕がないのか、それとも仕事はなくても妻と旅行をしたり、孫と接することに自分なりの時間をすごしたりしているかして、電話をかけても応ずる者はいないのだろう。  そのような友人にくらべて、自分は事務所か自宅にいて、一応、話はきいてくれるし、気易《きやす》く思っているにちがいない。  草間が哀れにも思え、電話がかかってくると親しげな言葉をかわしたが、一定の限度をもうけてさりげない応答をするよう心掛けていた。  しかし、先月の上旬、かれは、電話をかけてきた草間に、誘われもしないのに連れて行って欲しい、と答えていた。  草間は、思いがけぬ寺岡の言葉に驚いたらしく、うわずった声で再びその小さな集いのことを話し、待合わせ場所と時間を指定した。  寺岡が草間に同行する気になったのは、翌日が週一回の休日で、これといった用件がなかったこともあるが、眼が異常なほど鋭敏になっているのに気づきはじめていたので、恐らく二度と見ることのないだろうそれを見てみたいという、子供っぽい気持がひそんでいたからであった。  かれは、視力が冴えていることに気分が浮き立ってはいたが、突然、急激な衰えをみせるのではないかという恐れも感じていて、それ以前に物珍しいものを、眼でじっくりと見ておきたくもあったのだ。  翌日、私鉄の駅に降りたかれは、改札口にチロリアンハットをかぶって待っていた草間と落合い、かれの後について踏切を渡り、閑静な住宅街に足を踏み入れた。  略図を手にした草間が足をとめたのは、坂の途中にある窓の少い現代風の白い鉄筋コンクリートづくりの家の前で、ブザーを押すと、眼鏡をかけた中年の男が顔を出し、中へ入れてくれた。  床も壁も板ばりになっている広い部屋に、十名ほどの男と二名の若い女が、椅子やソファーに坐っていて、寺岡たちよりも年配らしい和服を着た男も一人まじっていた。  部屋の中央には、ガラス戸で二つに仕切られた長方形の箱が置かれ、一方に蛇《へび》が、他方にマングースが入れられていた。  玄関のドアをあけてくれた男が家の主人で、コーヒーカップを手にしながら、ハブの牙《きば》から湧く毒が蛋白質《たんぱくしつ》を分解する作用をもっていて、筋肉を融《と》かし血管壁を破壊すること、その毒液が鼠《ねずみ》を四千匹近く、人間なら五人死亡させる能力があることを、おだやかな口調で説明した。マングースは、ハブの天敵と言われているが、牙をたたきつけられれば即死する、とも言った。  説明を終えた男が、腰をあげると徐《おもむ》ろに木箱に近づいた。  寺岡は、体をかたくして箱の中を見つめていたが、男が仕切りのガラス戸を引きあげた後の情景は、意外にも呆気《あつけ》なかった。  とぐろを巻いていたハブが、急に頭をもたげて後ろにひき、攻撃の姿勢をしめしたが、無造作に走り寄ったマングースは、ハブの頭部を素速く横くわえにし、黒い小さな眼を光らせながら鋭い音を立てて噛《か》みくだきはじめた。蛇の胴と尾がマングースの茶褐色《ちやかつしよく》の体にからみつきはしたものの、それはほとんど効果がないらしく、マングースは頓着《とんじやく》しないように口を小きざみに動かしている。  かれは、マングースの口の端からくだかれたハブの細片がはみ出し、こぼれ落ちるのを見ていた。  頭部が失われ、蛇の体がのびると、若い男が二人立って、箱の両端に手をあてて部屋の外に運び出していった。  身を乗り出していた男や女たちが、ソファーに背をもたせ、煙草をすう者もいた。  やがて、かれらは、思い思いに感想を述べはじめた。  一人の男が、猛毒をもつハブが権力者に似たものだと言うと、初めから勝ちを信じる尊大なマングースこそそれだと反論する者もいて、かれらの間で抽象的な言葉がかわされた。  寺岡は、見知らぬ者たちの中にいることに気づまりを感じ、さらにかれらの歯の浮くような会話にも辟易《へきえき》して、椅子に坐っているのが堪えられなくなった。  そのうちに、和服の男が腰をあげたので、それを潮に草間をうながし、若い女に会費を払って家の外に出た。  駅の近くまで歩いた寺岡は、草間と小さな喫茶店に入った。  帽子をテーブルに置いた草間は、小さな革袋からパイプを取り出し、ウエイトレスにコーヒーを注文した。  無言で坐っていた寺岡は、 「あの会は、どういう趣旨のものなのだね」  と、沈黙を振りはらうようにたずねた。 「趣旨と言われても……」  草間は口ごもると、俳句サークルで知り合った同年輩の男から、その会のことを電話で報《しら》され、行く気になった、と言った。その男も俳句サークルからすぐにはなれたが、その後、物珍しいものを見てまわり、年に一度おこなわれるその会に出たことがあって案内の葉書が来たので、それを回送してくれたという。  草間の口調は物憂《ものう》げで、寺岡から視線をそらせがちであった。  寺岡は、白けた気持になっていた。パイプを手にした草間は、うつろな表情をしていて、その眼にはどのようなものにも刺戟《しげき》をうけることのない深い倦怠《けんたい》の色がうかんでいる。おそらく草間は、ジャコウネコ科の小動物が蛇を殺すという、その世界ではありふれた行為を見るために時間と金をかけたことに、むなしさを感じ、さらに寺岡を誘ったことに恥しさをおぼえているのだろう。  草間の寒々とした生活に肌の冷えるのを感じながらも、寺岡は、マングースの口からはみ出したハブの鱗《うろこ》が反りかえっていたのを思い起していた。それは、なめらかな艶《つや》をおびていて、マングースの口に吸い込まれていった。  かれは、そのようなものが眼にとらえられたことに重苦しい気分もはれて、窓ガラスを通してみえる道をへだてた酒屋の看板に視線を向けた。白いペンキに細かい亀裂《きれつ》が走っていて、その一筋一筋が鮮明にみえる。  微細なものまでとらえられる視力を、かれは草間に告げたい誘惑にかられたが、下瞼のたれたうつろな草間の顔をみると、その気持も失《う》せた。  十月上旬の夜、草間から自宅に電話がかかってきた。 「今、話をしてもいいかね」 「かまわないとも」  寺岡は、リモートコントロールのボタンを押してテレビの音量を低くした。妻は、女学校のクラス会に出席していて、まだ帰ってきていない。 「元気かね」 「ああ、なんとか……」  寺岡は、煙草の箱に手をのばした。 「金沢へは行ったのかい」 「行ったよ。稲垣《いながき》というやつがいたろう、同級生で……。手広く建築の仕事をしていて、息子を社長に、自分は会長におさまり、大した羽振りだよ。かれに御馳走《ごちそう》になった」  稲垣という姓はおぼろげながら記憶にあるが、顔は思い浮ばない。 「霊柩車はどうだったね」  寺岡は、くつろいだ口調でたずねた。 「見たよ、豪華なので驚いた。東京のものなどとちがって両側も破風《はふ》で、いわゆる四方破風というやつだ。それに、屋根にも凝った瓦《かわら》がのせられている」  金沢のすぐれた伝統工芸がそのまま活《い》かされていて、彫刻も塗りも見事だ、という。 「やはり、東照宮の門に似ているのかね」  寺岡は、テレビの画面に眼《め》をむけながら、ライターで煙草に火をつけた。 「華麗という点では、たしかに似ている」 「そうか。いろいろあるものだね」  寺岡は、さりげなく答えた。  草間は、少しの間、黙っていたが、 「小型の霊柩車があるそうでね。近々、それを見に行きたいと思っているんだが……」  と、言った。 「小型と言うと?」 「小さなライトバンぐらいらしい。作りは普通の霊柩車と同じというより、むしろ凝ったものだそうだ」 「なにに使うのかね。子供が死んだ時にか」  寺岡は、思わずたずねた。 「いや、ペットだ。犬とか猫《ねこ》とか」  犬、猫専門の火葬設備をそなえた寺があって、附属する墓地に埋葬するという話をきいたことがあり、死骸《しがい》を運ぶのにそのような霊柩車があっても不思議はないのだろう。しかし、そんなものがあることを、草間はどこで知ったのか。 「ほかに面白いものがたくさんあるだろうに、なぜ、霊柩車などに興味を持つのかね」  寺岡は、草間の世界に足を踏み入れるような言葉を口にしたことに悔いを感じたが、草間が見てみないかとすすめることはなさそうだし、たとえ誘われてもきっぱりと断われる自信があった。 「お祭が地方によってちがうのと同じように、葬式の仕方もちがう。霊柩車は葬式につきもので、それが地方地方の匂《にお》いを最もよく表わしていると思うのだがね」  草間は、言葉を切ると、 「だれだって、最後に一度は乗るものだろう。気になる車じゃないか」  と、言った。 「なるほどね」  寺岡は、うなずいた。  草間は、多種多様のものを見て歩き、霊柩車にまで関心をいだいているが、それに興味を失ったらどうするのだろう。 「どうだね。そろそろ魚がうまくなる季節に入るが、そのうちに一杯やらないか」  草間の声に、そうだね、と寺岡は事務的に答えた。  テレビの画面はコマーシャルに変っていて、荒涼とした大地を車が土埃《つちぼこり》をあげて疾走していた。 [#改ページ]   手鏡  公園の池にかかった長い橋を渡り、両側に太い樹木の並ぶ池ぞいの道を歩いた。  霧がよどんでいて、前方に見える道路灯の灯《ひ》が、蒲公英《たんぽぽ》の綿毛のようににじんでいる。人影はないが、背後から勤め帰りらしい長身の男が、靴音《くつおと》を鳴らして足早やに私を追い越していった。  路面には落葉が散りしいていて、足を踏み出すたびに乾いた枯葉の音がする。夜気は冷えていた。  道が左にゆるく曲っていて、新しく建てられた白い公衆便所の窓からもれる光が、周囲の樹木を明るくうかび上らせているのが見える。  そのかたわらの石段に近づいた私は、鉄製の屑籠《くずかご》の脇《わき》に立つ樹木の幹に立てかけられている細長い看板に眼《め》をむけた。  看板は一カ月ほど前から立てられていて、そこには、この屑籠の中に生後間もない嬰児《えいじ》の死体が捨てられていたが、なにか気づいた者は巡査派出所に一報して欲しい、といった趣旨のことが書かれている。  二十年前から公園の近くに住んでいるが、鬱蒼《うつそう》とした樹木におおわれ闇《やみ》に近い道もあるのに、公園内ではこれといった事件はなく、それだけに警察署の立てたその看板が物珍しいものに思えた。捨てたのは女なのだろうが、結婚できぬ男の子を産んで処置に困ったのか、それとも結婚はしていても子を育てる意志のない女が、無思慮にも遺棄したのか。  恐らく嬰児は生きていて、捨てられた後に死んだのではないだろうか。深夜、ひそかに嬰児を屑籠に入れて足早やに立ち去る女の姿が想像され、私は、その前を通るたびに看板に視線をむけるのだ。  石段をあがり、寺の前の坂を登った私は、息切れがして、酔いを意識した。決して若くはないのだから、心臓に負担をかけるようなことは避けなければならぬのだ、と自らに言いきかせながら、ゆっくりした足取りで家に通じる道を歩いていった。  玄関のブザーのボタンを押し、妻のあけてくれたドアの内部に身を入れた。  食卓の置かれた居間の椅子《いす》に坐《すわ》ると、妻が、 「中学時代の桜岡さんという方から、電話があったわよ。駅の近くの小料理屋さんに出掛けましたと言ったら、帰宅後、電話を下さいって……」  と、言った。  春から初夏にかけて、毎年、中学校の同期会がもよおされ、桜岡は常任幹事をしている。かれは消息のわからない同期生の所在をさまざまな方法で探りあてたりして、そのおかげで毎回、七、八十名の者が集るようになっている。  私は、書斎に行って卒業生名簿を手に居間にもどると、かたわらにある電話機のダイヤルを廻《まわ》した。  桜岡の妻が電話口に出て、すぐにかれの野太い声にかわった。 「相変らず一杯やりに出ているんだね。大したもんだよ。こっちはもうそんな元気はない」  かれは、笑いをふくんだ声で言った。 「いや、十年ほど前までは、よく午前様で帰ったが、今では二時間も飲むと腰をあげる。それに、出掛けて飲むのも週に一度あるかないかだよ」  私は、妻のながめているテレビに眼をむけながら言った。 「ところでね、肥後が死んだそうだ」  桜岡は、語調をあらためて言った。 「肥後が?」  私は、思わず問いかえした。  昨年の同期会で顔を合わせた時は、肉づきがよく顔色も艶《つや》やかで健康そのものに見えただけに、死んだということが意外であった。 「病院をやっている飯村《いいむら》ね。かれから一時間ばかり前に電話があった」  肥後は、飯村の病院で正午すぎに死んだという。  三カ月前に肥後が飯村のもとにやってきて、頭痛と吐き気がするので診断して欲しい、と言った。飯村が精密検査をしたところ、脳腫瘍《のうしゆよう》であることが判明し、すぐに入院させ、手術をしたが、経過が思わしくなく死亡したのだという。 「そんなに早く死ぬこともあるのかね」  若い人の癌《がん》の進行は速いというが、六十歳を越えた肥後が入院後わずかな期間で死亡したことが異常に思え、他人事《ひとごと》ではない空恐しさを感じた。 「手おくれだったんだろうな」  桜岡は、自信のなさそうな声で答えた。  少し黙っていたかれの声が、再び流れてきた。 「肥後には、付き合いのあった同期生がいないんだよ。飯村とも話し合ったんだが、一番親しかったのは君じゃないか、と言うことになってね」  私は、首をかしげながら、 「そうかな。言われてみると、かれの家はおれの家の近くにあったから、付き合っていたのはおれだけかも知れないな」  と、答えた。 「それで、例の白鳩会の生花のことだがね。忙しいのに悪いのだが、霊前に生花を出す手配をして、通夜《つや》か葬儀に行ってもらいたいんだがな」  桜岡は、忙しいのに……という言葉を繰返した。  七、八年前におこなわれた同期会で、桜岡が一人の友人の死を報告した後、一つの提案をした。今後は、年を追うごとに死ぬ者が増すことが予想されるので、死んだ者の霊前に同期会から生花を供えるようにしたらどうかという。  友人たちの間から笑い声が起ったが、一同が賛成したので、桜岡は一口二千円として醵金《きよきん》をつのりたいと言い、それにも異存を唱える者はいなかった。  桜岡は、さらに会の名称を定めたいと提案し、だれかが口にした白鳩会という名が自然に採択された。 「最後に一人が生き残って、その時に金が残っていたらどうする」  友人の一人が、甲高い声で言った。 「もちろん、それは全額そいつが懐《ふところ》に入れる。自分への香奠《こうでん》としてな」  即座に応ずる声がし、再び笑い声が起った。  醵金はかなりの額が集り、それを保管する桜岡が、同期会の席で会計報告をおこなうのが習わしになった。  一人も死なぬ年もあったが、二人、三人と死亡した年もあって、その度に、最も親しかった友人が生花の手配をし、焼香におもむく。肥後の場合、私がそれを担当する役目になったのだ。 「飯村の話によると、通夜は明日、告別式は明後日だそうだ。生花代は立替えておいてくれよ。明日にでも送金しておくから……」  それで、電話が切れた。  私は、立って冷蔵庫から氷を出し、ウイスキーの瓶《びん》を食卓に置いて水割りを作った。  グラスを口に近づけた私は、再び名簿を眼にし、ダイヤルをまわした。 「やあ、どうも」  いつもと変らぬ飯村のはずむような声がした。  私は、肥後の病状と死までの経過をたずねた。  悪性の末期症状であったため、頭痛、嘔吐《おうと》が激しくなり、視力も低下した。飯村は、頭蓋《ずがい》内圧をさげる減圧手術をして苦痛をやわらげるとともに、放射線治療や化学療法もこころみたが、効果はなかったという。 「あれじゃ、どうにもならないよ。可哀相《かわいそう》だったが……」  飯村の幾分投げやりな声がした。  かれは、昼間は病院の仕事があるので、告別式には出られず通夜に行くという。私も通夜におもむくつもりであったので、通夜のおこなわれる肥後の家で会うことにし、およその時間をきめて受話器を置いた。 「どなたか亡《な》くなったの」  妻が、こちらに顔をむけた。 「ああ」 「親しい方?」 「まあね」  私は、氷がとけて薄くなったグラスに、少しウイスキーをおぎなった。  親しいと言っても、二十歳代半ばまでで、その後は疎遠《そえん》になり、年賀状の交換も絶えて久しい。  中学校在学時から卒業後二、三年は、互いに家を訪問し合ったりして顔を合わせる機会が多く、私がかれの家に泊ったこともある。桜岡が電話で言ったように、かれと付き合いがあったのは私一人で、他に友人がいなかったのは、多分にかれの性格によるものにちがいなかった。  かれの家は、古くからの地主で、家をついだ者は先祖からの資産を減らすまいとつとめてきた気配がある。そうした家風がかれにもしみこんでいるらしく、自らの身を守る意識が殊更《ことさら》強い。  同期会で、学校の体育館新築の寄附に協力をして欲しい、と桜岡が言ったことがあるが、肥後はそれから数年間、会に姿をみせなかった。  そのことについて、 「あいつは自分本位のやつだからな。寄附するのがいやだから来ないのさ」  と言った友人がいたが、私もひそかにその通りにちがいない、と思った。しかし、人間にはそれぞれの生き方があり、別に他人に迷惑をかけているわけでもないのだから、とやかく言うことはないのだ、とも思った。  桜岡や飯村が、肥後にとって私が唯一《ゆいいつ》の親しい友人だと思ったのも無理はない。卒業後、私が三度目の肺結核の発病で病臥《びようが》していた時に、かれが私を何度か見舞ったことを知っていたのだろう。  中学二年の初冬に肋膜炎《ろくまくえん》になり、五年生の夏に再発し、さらに二十歳になった年の正月に喀血《かつけつ》した私は、寝たきりの身になっていた。  血を再び吐くことにおびえながら、医師に命じられた絶対安静を守り、手洗いにも行かず、食物も付添婦に口に入れてもらっていた。毎日、体温は三十八度前後にのぼり、咳《せき》が絶えず出て、腸も結核菌におかされて激しい消化不良におちいっていた。手首の骨や鎖骨がひどく太く感じられるようになったのは、体が急激に痩《や》せてきていたからであった。  病状が悪化するにともなって、眼がいちじるしく刺戟《しげき》に弱くなっていた。天井から吊《つ》りさげられた電灯の光をうけているだけで、刺すような痛みが起り、涙がにじみ出る。閉じた瞼《まぶた》の裏側には、燃えるような朱の色がひろがっていた。私は、弟に頼んで電灯からコードをのばし、枕《まくら》もとのスタンドを灯《とも》すようにしてもらった。  病臥していたのは、六畳と三畳二間のバラック建の家であった。  その地には亡父が隠居所として建てた家があったが、終戦の年の春に夜間空襲で焼失した。敗戦を迎え、一年ほど空地のまま放置されていたが、兄が板を打ちつけただけの十坪たらずの家を建て、そこに私は弟と住み、発病後も六畳間に身を横たえていたのだ。  眼が刺戟に弱くなると同時に、視覚が異常なほど冴《さ》えてきているのを感じ、それは死の近づく前ぶれのように思え、不安になった。  私の眼にできる範囲はかぎられていた。部屋の内部と、障子の間からみえる三畳間の一部。寝ている頭の方向にガラス戸のはまった広い窓があり、顔を強く仰向けにすると軒庇《のきびさし》がみえる。  私は、その軒先から近くの樹木の枝に張られた蜘蛛《くも》の巣をながめるのを楽しみにするようになっていた。  蜘蛛は、頭を下にして巣の中央に脚をひろげている。時には、新たに巣をつくり直すらしく、細い脚をのばして鉤状《かぎじよう》の脚先を丹念に動かしながら網を張りめぐらす。脚にはえた毛も、私の眼にはとらえられた。雨の降っている日には、網の所々に微細な水滴が光り、網がハンモックのように垂れる。濡《ぬ》れた蜘蛛の体に雨水がはねるのも見えた。  小さな昆虫《こんちゆう》が網にかかると、中央に静止していた蜘蛛の体に急に精悍《せいかん》な動きが起り、素速く近づくと、脚で昆虫の体を驚くほどの速さでまわし、尾部から放たれる糸をからめてゆく。糸でおおわれた昆虫の体は、たちまち白い繭《まゆ》のようになった。  付添婦の持つ手鏡を借りることを思いついて、私の視野はひろがった。  手鏡をかざすと、窓の外が鏡面に映る。雑木が植えられた庭の道ぞいに竹垣《たけがき》があって、その左方にある門代りの杭《くい》が一本だけみえる。青く澄んだ空には、まばゆく光る雲片がかすかに動いていた。  冬が去り、春の季節がやってくると、樹々《きぎ》の枝に緑青《ろくしよう》の粉を吹きつけたような芽が萌《も》え出て、日を追うにつれて葉がもっくりと身をもたげ、やがて葉先をひろげる。樹葉の緑が鏡の中で陽光を浴びてそよぎ、雨に白く煙る。私は、葉からしたたる雨滴を見つめ、濡れた幹をながめた。  手鏡の中に、私はさまざまな生き物を見出《みいだ》した。  清浄な空気を吸うようにと医師に言われていたので、夜が明けると付添婦が窓をあける。  軒に近く竹が数本のびていて、そのなめらかな表面を、朝露に濡れた蝸牛《かたつむり》が錫色《すずいろ》の跡をひいてゆっくりと這《は》いのぼってゆく。竹のむこう側にまわり、しばらくしてかなり上方のこちら側に姿を見せたりする。豆粒ほどのものもいて、渦紋状《かもんじよう》の模様のある殻《から》を木綿針で突き刺せば、小気味よい音がするのではないか、と想像したりした。  灌木《かんぼく》の繁《しげ》みの上に交尾した蜥蜴《とかげ》がのっているのを眼にしたこともある。互いにからみ合っていて、一方が他方の腹部をくわえこんだまま動かない。双方の腹が波打ち、私は、時折りその姿を鏡に映し出して見つめていたが、一時間ほどして鏡面をむけた時には消えていた。  垣根の外の道を人が通るのをしばしば見たが、或《あ》る日、おかっぱ頭の少女の顔が、垣根の下から伸びあがるように現われるのが鏡に映った。少女の視線は、こちらに据《す》えられている。  その少女は、道をへだてた地主の家の娘で、よく声をあげて笑う子であったが、垣根の上からのぞく顔には、恐しいものをうかがいみる硬い表情がうかんでいた。  私は、その少女がなにをしているのか、すぐに理解できた。  結核患者は、肺病やみと言われて恐れられていた。一人が発病すると他の家族に感染し、一家全滅する家も稀《まれ》ではない。家族に患者がいれば肺病の家系と言われ、縁談も破談になる。発病した妻が、離縁されて実家へ帰される例もあった。  少年時代、家の近くに患者が寝ている煎餅屋《せんべいや》があり、母は、私や弟にその店に行くことをきびしく禁じた。私自身も恐れを感じて、店の前を通る時は、呼吸をとめて走りすぎるのが常であった。  少女も、私の家に近づいてはならぬ、と家の者に申渡され、好奇心からひそかにうかがい見ているにちがいなかった。  やがて、こちらにむけられていた少女の眼が、徐々に垣根の下に沈んでいった。  熱が三十九度以上になることもあって、病状は悪化し、死の予感もいだくようになった。  或る日の午後、庭樹を映していた楕円形《だえんけい》の鏡の中に、突然、一人の男の顔がうかび上った。黒い服を着た三十五、六歳の男で、髪は金色だった。  男は、軽く頭をさげると、 「御加減《おかげん》はいかがですか」  と、妙な抑揚の言葉で言った。  私は、手鏡を手にしたまま無言でうなずいた。服装から察して牧師であることはあきらかだった。  牧師は、教会と自分の名を口にし、 「聖書を差上げます。ぜひ、お読み下さい。心が安らぐと思います」  と言って、手をのばして聖書を窓の下の畳に置いた。 「お大事にして下さい。また、うかがいます」  牧師は、再び頭をさげると、鏡の中から消えた。  恐らく牧師は、伝道の途中、私が病気で寝ているのを近所の人からきき、庭に入り、窓をのぞいたのだろう。  買物から帰ってきた付添婦に頼んで、聖書を枕のかたわらに置いてもらった。  表紙をひらいてみると、「我らの主なる救主イエス・キリストの新約聖書」と中央に書かれ、左側に「紐育《ニユーヨーク》、倫敦《ロンドン》、東京聖書協曾|聯盟《れんめい》」と印刷されていた。  寝ながら手に持つのに適した大きさと軽さで、私は、その日から少しずつページを繰っていった。文章にリズム感があり、初めて読むものであったが音楽でもきいているような感じがして、いつの間にか終りまで読んでしまった。  その間にも手鏡で庭をながめることをつづけていたが、半月ほどした同じ時刻頃《じこくごろ》、再び牧師の顔が鏡の中に現われた。 「読んで下さいましたか」  牧師は、親しげな口調で言った。  私は、はい、と答えた。 「どのような感想をもちましたか」  牧師の眼には、笑みをふくんだ色がうかんでいる。 「小説を読んでいるように、面白く読みました」  私は、鏡の中の牧師に言った。 「そうですか。それでよいのです。また、気が向いたら読んで下さい」  牧師は、うなずくと、 「お大事にして下さい」  と言って、窓のかたわらからはなれていった。  聖書を置いていった牧師は、当然、それを読むことによって私が信仰をもとめる心境になることを望んでいたにちがいない。私の答えは期待はずれであったのだろうが、聖書を私が読んだことで、一応、目的は達したと考え、満足したのではないだろうか。  鏡に映っていた生毛《うぶげ》のような睫毛《まつげ》にふちどられた牧師のおだやかな眼が、いつまでも印象に残った。  学生服を着た肥後が、窓の外に顔を見せたのは、それから間もなくであった。かれは、私立大学の予科に通っていて、だれにきいたのか、私が喀血し、病臥しているのを知り、訪れてきたのである。  私は、手鏡の中のかれと話すのをためらう気持が強く、体を横にずらせ、首を曲げてかれと言葉をかわした。  病状をたずねたかれに、私は、稚《おさな》い虚勢を張って、血を吐きはしたものの、病状は日増しに好転して起きてもよいまでになっているが、万が一を考えて身を横たえているのだ、と言ったりした。  その後、肥後は、時折り窓の外に立つようになった。学生生活のこと、観《み》た映画の感想、闇市で売られている品物のことなどを話し、私は、首をねじ曲げた姿勢で相槌《あいづち》を打つ。かれが決して家に入ってこようとしないことに、私は別に不快感はいだかず、無理もないと思っていた。用心深いかれは、私からの感染を恐れて、窓に手を置くこともせず少しはなれた位置に立っている。  私は、病勢が進んでいるのをさとられまいとして、咳が出るのをこらえ、出来るだけ張りのある声でかれと言葉をかわしていた。かれは、一時間近く窓の外に立っているのが常で、かれが去ると、私はもとの仰臥の姿勢にもどる。が、首筋がひどくしこっていて胸苦しく、堪えていただけに激しい咳がつづいて出て、そのため高熱を発し、胸痛になやまされた。  その日も肥後がやってきたが、付添婦が家の外に出てゆき、かれに声をかけた。窓の外からかれの姿が消え、家の入口の方でなにか言っている付添婦の低い声がきこえていた。  やがて、家の中にもどってきた彼女は、 「お見舞いに来て下さるのはありがたいのですが、窓の外からでは病人の体にさわりますから、と注意しました」  と、うわずった声で言い、台所に入っていった。  私は、黙って天井に眼をむけていた。  それを最後に、かれは訪れてくることはなかった。  七月中旬、私は、喀血以来初めて身を起し、畳の上に立った。  弟に手伝ってもらって白絣《しろがすり》の着物を着、付添婦が帯をつけてくれたが、それは胸に近いむすび方であった。  私は、兄と弟に支えられて入口の土間に置かれた下駄《げた》をはき、庭の中を小きざみに足を踏み出して歩いて、道にとめられた箱型のダットサンに乗った。  兄の運転する車で、私は大学病院に連れて行ってもらい、入院した。その後、一カ月近く何度も検査を繰返し輸血もして、手術をうけた。  退院したのは九月下旬で、私は、車で兄の家に行き、その離屋で療養の日々を送った。  病臥していた家は、私の入院中に兄が処分し、再び私は、その家を眼にすることはなかった。  テレビのスウィッチを切った妻が、眠くなったと言って部屋を出てゆき、二階にあがっていった。  窓の外に立っていた肥後の姿が、思い起された。  かれに対して、現在もこれと言った感情はいだいていないが、首をねじ曲げていた私の不自然な姿勢を、かれはどうとも思わなかったのだろうか、と、考えると、少し不快な気分にもなった。  私は、グラスを手に椅子に背をもたせかけた。  感染を恐れて家に入ろうとしなかった肥後が死に、私は生きている。  二、三年前から、なぜ、生きていられるのだろう、と自らを見つめるような気持になることが、しばしばある。病臥していた頃は、四十余年も生きられるなどとは夢想もしていなかった。  後になって知ったことだが、私のうけた肋骨《ろつこつ》切除の手術は、ドイツの外科医ザウエルブルフによって開発され、日本に導入されたという。手術中に死亡する者もいて、一年以上の生存率は四〇パーセント以下であったときく。  私が手術をうけたのは終戦後三年目の夏で、自分より以前にその手術をうけて生きている人に出会ったことはない。手術前後の大量輸血が血清肝炎の発病をうながし、それによって死亡した人も多いのだろう。執刀した外科医は、すでに退官し隠棲《いんせい》しているが、数年前に会った時、かれは、もしかすると当時の患者の中で生きているのはあなただけかも知れぬ、と、半ば真剣な眼をして言った。  二年前に長男夫婦に女児がうまれ、かれらと花火大会の催される海ぞいの温泉町に一泊旅行したが、孫を抱きながら打ち揚げられる花火をながめていた時、不意に私は涙ぐんだ。骨を切除されることで死をまぬがれたが、それがなかったら長男は、この地上に存在していないし、まして孫もいない。抱いている孫の皮膚を通して感じられる小さな骨格に、私は、自分が生きていることの不思議さを思い、胸が熱くなったのだ。  肥後の死と、孫の骨の感触が重なり合った。  私は、グラスにウイスキーをそそぎ、氷と水を入れて再び背を椅子にもたれかけさせ、グラスを口に近づけた。  紺の背広を着て、黒いネクタイを内ポケットに入れ、夕方、家を出た。  手術後四年間の療養生活をへて大学に入ってからも、肥後と会うことはなかった。久しぶりにかれと顔を合わせたのは、十年ほど前の同期会の席で、容貌《ようぼう》は学生時代と少しも変らなかったが、髪がほとんど白くなっていた。 「その後、体はいいの」  かれの問いに、私は、 「まずまずだよ」  と、答えた。  かれは、話し相手もないらしく、私がはなれると、窓ぎわに一人で立って夜景に眼をむけていた。  電車を乗りつぎ、私の生れた町の駅で下車し、街灯のつらなる坂をのぼって商店街に出た。その附近一帯は空襲でも焼けなかったので、戦前の家並のたたずまいが所々に残っている。その道は、中学校への私の通学路で、佃煮屋《つくだにや》や煎餅屋も当時のままの店恰好《みせかつこう》であった。  墓石商の店の角を左に曲ると、静かな住宅街で、人通りも少い。  前方の右手に明るい光が見え、花環《はなわ》が二、三基ほの白くうかび上っていて、そのあたりに人の出入りが眼にできた。  私は、歩きながらネクタイをはずし、黒いネクタイにとりかえた。  町会の名が記されたテントが肥後の家の前に張られていて、そこに近寄った私は、椅子に坐った中年の男に頭をさげ、机の上にひろげられた記帳簿にサインペンを走らせた。  庭に入って家の横にまわると、座敷に祭壇がもうけられ、僧が読経《どきよう》をしていた。肥後の家の者に電話をして生花を依頼したが、同期会の名を記した札が添えられた生花が、祭壇の脇に置かれていた。  私は、焼香台の前に立ち、遺影を見上げて焼香し、合掌した。祈ることはなにもなかった。  祭壇の片側に坐っている親族らしい人たちに頭をさげたが、いずれも見知らぬ人ばかりであった。  庭から出た私は、受付の男に生花を依頼したことを口にし、紙幣の入った袋を差出した。男は承知していて、袋の中の紙幣をしらべ、生花店の領収証を渡してくれた。  私は、テントの近くの道の端に立った。焼香客は少く、時折り人が入り、出てゆくだけだった。  道を長身の男が近づいてきて、私に、 「おう」  と、言った。  飯村は、受付に行くと香奠袋を出して記帳し、庭に入っていった。  やがて、飯村が出てきたので、私は、かれと道を引返した。 「清めの酒を一杯やらないか」  私が言うと、飯村は、 「いいね」  と、答えた。  墓石商の店の前までゆくと、私は、細くくねった坂を下り、戦前からあるそば屋の格子戸《こうしど》をあけた。  私は、かれと小座敷にあがり、向い合って坐った。  酒が運ばれ、肴《さかな》がテーブルに置かれた。 「肥後はね、入院する一年前に女房と別れているんだよ」  飯村が、銚子《ちようし》をかたむけながら言った。 「こんな年齢になってかい」  私は、酒を口にふくんだ。 「かれが会社を定年になって退社した時、女房が、私も定年だから別れたいと言ったんだそうだ」  飯村は、かすかに頬《ほお》をゆるめた。 「面白いことを言う女だな」  私は、飯村に眼をむけた。 「私も今まで我慢してあなたに勤めてきたのだから、退職金の半分はもらう、と言ってね。かれは驚いて何度も説得したが、頑《がん》としてきかず、仕方なく金を渡して別れたんだって」  飯村は、肴を口にしながら言った。 「すると、病院に女房は来ていなかったのか」  私は、杯を手にたずねた。 「一度もね。かれの妹と親戚《しんせき》の者が来ていただけで……。親しい者はいないんだな。それ以外にはだれも来なかったようだ。君を呼ぼうか、とかれに言ったら、同期会でたまに会うだけの仲だから悪い、と言っていた」 「そうか」  私は、肴に箸《はし》を伸ばした。  たとえ飯村に声をかけられても、果して見舞いに行ったかどうか。  自分が病臥していた時のことを考えると、見舞客が来てくれるのは嬉《うれ》しいと思う反面、苦痛でもあった。肥後に対してそうであったように、元気であるかのようによそおい、それが体に好ましくない影響をあたえた。そのような経験があるので、重病である人への見舞いはひかえ、花を買って病室の近くまで行きながら通路を引返し、看護婦詰所で渡してくれるよう頼んで帰ったこともある。  肥後は病みやつれていたにちがいなく、それを眼にするのも酷な気がする。疎遠になっているかれと会ったところで、話すことはなく、気まずい気持になるのではないか。恐らく私は、花を贈る程度で、飯村の病院へは足をむけなかったにちがいない。 「肥後は、苦しんだ?」  私は、杯を手にたずねた。 「かなりね」  飯村は、顔をしかめた。  やがて、私たちは、腰をあげた。 「今夜は御苦労さんでした。お互い体には気をつけようや」  駅の改札口をぬけた飯村は、片手をあげると、私とは逆方向にゆく電車のホームに通じる階段をおりていった。  車内は空《す》いていて、私は、座席に腰をおろした。  窓の外をながめながら、肥後の妻のことを想像した。  恐らく彼女は、肥後との生活に辟易《へきえき》しながらも堪え、定年を迎えたかれとこれから毎日顔をつき合わせて日々をすごさねばならぬことにやり切れぬ思いがし、かれと別れてのびのびと余った時間を生きたいと思ったのだろう。  肥後の性格を考えると、彼女がそのような気持になったのも無理はないと思うと同時に、かれが哀れでもあった。  自宅のある駅で下車した私は、喫茶店やスナックなどの並ぶ道をすぎ、公園に入った。  昨夜とちがって夜気は澄み、空には欠けた月がかかっている。池の水面には、黒々と鴨《かも》が寄りかたまってうかんでいた。  橋を渡り、樹木の並ぶ道を歩いた。  公衆便所の近くまで来た私は、足をとめた。  嬰児が遺棄されていたことを記した看板が、夕方、この場所を通った時には立てられていたような気がしたが、消えている。撤去されたのは、嬰児を捨てた女が発見されたわけではなく、通報者もないままに捜索が打ち切られたからなのだろう。  嬰児は焼かれ、小さな骨壺《こつつぼ》に入れられて無縁墓地にでも埋められたにちがいない。  私は再び歩き出し、道路灯が光をかすかにおとしている石段を登っていった。 [#改ページ]   幻  小料理屋の鉤《かぎ》の手《て》になったカウンターの席に、空席はない。その店の客は、ほとんどが五十年輩以上で、時には待合わせた女と口数も少く酒を飲んでいる客もいる。店を経営している女は下町風の和服を着、髪型をしているが、生れは水戸だという。  註文した土瓶蒸《どびんむ》しが、私と友人の前に置かれた。  銚子《ちようし》をかたむけて杯を口に近づけた友人が、 「それは、君。幻を見たんだよ」  と、私の顔にうかがうような眼《め》をむけて再び言った。  十日ほど前、久しぶりに会って飲みたいね、というかれからの電話に応じた私は、なじみのこの店の所在を教え、落合ったのだ。  かれと最後に会ったのは数年前に催された中学校時代の同期会の席で、その時は白髪《しらが》まじりであった頭髪がすっかり白くなっている。  終戦直前、かれは海軍兵学校に入り、終戦後、旧制高校をへて大学を卒業し、新聞社に入社して主として報道部門に所属していた。定年を迎えたかれは、私立の女子大学の教授となり、新聞学その他の講義を受け持っている。体が少し肥え、言葉づかいもおだやかになっていて教授らしさが身についていた。  酒を飲みながら、自然に戦争末期の話になった。勤労動員された工場でのこと。徴兵年齢に達していない者が大半であったので、戦争で命を失ったのは、下町の夜間空襲で家族とともに消息を断った塩川という友人だけであったということも口にしたりした。  話題がとぎれ、私たちは黙って酒を飲んでいた。  カウンターのはずれの柱に、お酉様《とりさま》の熊手《くまで》がかざられている。それは去年のもので、今年の一の酉はいつになるのか、と考えながら、私は終戦直後に見た一光景を思い起していた。 「今でも不思議に思っているのだが、祭礼の行列を見てね」  友人には興味もなさそうな話だということを意識しながらも、他に話題はないので、つぶやくように私はそのことを少し詳しく述べた。  無言できいていた友人が、私に顔をむけると、 「いつのことだね、それは……」  と、言った。 「終戦の翌年だよ。春から初夏にかけての頃《ころ》だ」  私は、記憶をたどりながら答えた。  視線をもとにもどしたかれは、思案するような眼をして酒を飲んでいたが、 「それはおかしいな。終戦の翌年というと、五月に例の米|寄越《よこ》せデモがあって、赤旗をかかげたデモ隊が宮城に入った。そんな時に、君が言うような祭礼がおこなわれたなんて考えられない。記憶ちがいだよ。見たとしたら、それは数年後のことだ」  と言って、私を見つめた。 「いや、終戦の次の年。予備校に行く途中で見たんだ。予備校に通っていたのは、終戦の年の十月頃から翌年の末までだからね。終戦の翌年であることはまちがいない」  私は、反撥《はんぱつ》した。  友人は、首をかしげ、 「どう考えてもおかしい。食糧危機で食うや食わずの時代に、悠長《ゆうちよう》にそんなお祭りなんかするわけがない」  私に向けているかれの眼には、女子大学の教授の眼とは異なった新聞社の報道部記者時代の刺すような光がうかんでいた。  たしかにデモ隊が宮城になだれ込んだのはその頃で、新聞も大きなスペースをさいて報道し、坂下門をくぐるデモ隊の群れの写真がのっていたのも記憶している。そのような時代に大がかりな祭礼がおこなわれたはずはないというかれの言葉も無理はない。 「しかしね、おれはまちがいなく見たんだよ」  私は、どうでもいいことだとは思いながらも、酔いも手伝って力をこめて言った。  友人の顔にかすかな笑いの表情がうかび、少しの間黙っていたが、私の顔に眼をむけると、 「幻でも見たんじゃないのか。腹がすいていて意識もかすんでいたのさ」  と、言った。その眼には、大学教授らしい光がもどっていた。 「幻ね。本当にそれを見た時は不思議な感じがした。夢でも見ているみたいだったよ。しかし、見たことはたしかなんだ」  私は答え、杯に銚子をかたむけた。  すでに四十五年が経過した遠い昔のことだ。すべての記憶が薄絹をかけられたように霞《かす》んでいるが、その祭礼の色彩だけは鮮明な印象として胸に焼きついている。  私が病臥《びようが》していた父の枕許《まくらもと》に正坐《せいざ》し、手をついて予備校への通学を許して欲しいと頼んだのは、終戦の日から一カ月ほどたった頃であった。  その日の前夜、「学生に告ぐ」という文部大臣の講話がラジオ放送され、それをきいているうちに胸に熱いものが突き上げ、涙を流した。戦争が終ったのだから、散り散りになっている学生たちは、学窓にもどって勉学にはげめ、という趣旨のものであった。  その講話をききながら、過去一年間のことを胸の中で反芻《はんすう》した。  前年に勤労動員で通っていた工場で、突然、高熱と激しい胸痛におそわれ、肺結核の再発と診断されて四カ月間欠勤し、病臥した。そのため卒業時の内申書はクラスの中で最低で、上級学校への進学はできなかった。  その一カ月後に家が夜間空襲で焼かれ、長兄の経営していた江戸川河口の木造船所に行って労働に従事し、終戦を迎えた。  荒川放水路に近い地に次兄が軽金属工場を経営していて、私は造船所をはなれ、その工場の社宅の一室に移り住んで事務の手伝いをしていた。母は前年に病死し、次兄と同居している父は、脳溢血《のういつけつ》の軽い症状を起して寝たり起きたりの生活であった。  突然の敗戦で虚脱状態にあった私は、今後どのように生きていったらよいのか、考える力さえ失われていた。眼の前はただ茫漠《ぼうばく》としていて、時間の流れの中にむなしく身を置いているような感じであった。  そのような私に、学窓に帰れと説く講話は強い衝撃であった。闇《やみ》の中に光る小さな一つの灯《ひ》に思えた。荒涼とした原野に自分のたどるべき一筋の道がきざまれているのを見出《みいだ》したような興奮をおぼえた。  上級学校へ進みたい、と思った。中学校へ入って以来、受験勉強にはげんだのもそのためであり、足踏みはしたもののあらためて目標にむかって歩いてみたかった。  翌日、私は、荒川放水路と隅田川《すみだがわ》にそれぞれかかった橋を渡り、焦土になっている私の生れ育った町に行った。  焼野原に点々と町の地主たちの土蔵が立っていて、その一つに私は足を向けた。  火であぶられた土蔵の外壁は赤茶けていて、火が入らなかった内部に田原という中学校時代の友人が家族とともに住んでいた。  声をかけると、半びらきになった土蔵の分厚い扉《とびら》の間からかれが出てきて、私たちは亀裂《きれつ》の走った白っぽい庭石に向い合って腰をおろした。  かれは、徴兵のがれで理科系の専門学校に籍を置いていたが、その学校に通う気はなく、旧制高校への進学を目ざして、数日前から御茶ノ水駅近くの焼け残った予備校へ通いはじめているという。  私は、昨夜の講話の内容を口にし、自分も進学を希望していると言って予備校の所在や月謝その他についてききただした。  その夜、私は、父の枕許に坐《すわ》って予備校へ通わせて欲しい、と頼んだ。  大企業の工場のほとんどすべてが焼かれたり破壊されたりしていて、職を失った者が多く、その上、深刻な食糧の枯渇《こかつ》に人々はおびえていた。そのような折に、予備校へ通うなどということは時代錯誤で、怒声を浴びせられると予想していたが、父は思いがけずあっさりと許してくれた。終戦時までジュラルミン製の機銃弾の外包をつくって軍の機関に納入していた次兄の工場では、残ったジュラルミンで鍋《なべ》、釜《かま》、喫煙パイプなどを細々とつくって為体《えたい》の知れぬ商人たちに売っていた。事務の手伝いをしているとは言え、仕事の量はわずかで、私がいてもいなくても支障はなく、好きなことをさせてやろう、と思ったにちがいなかった。  翌日から、私は予備校へ通うようになった。  朝、家を出て荒川放水路にかかった千住新橋を渡り、秋葉原まで都電に乗り、そこから御茶ノ水の予備校に歩いてゆく。  古びた木造二階建の建物の一室が教室になっていて、二十名ほどの学生が授業を受けていた。むろん、田原もその中にまじっていた。授業は午前中で、英語と数学の二課目であった。学生の服装はまちまちで、兵隊服を着ている者もいれば学生服を着ている者もいる。私は、カーキ色の作業服に戦闘帽をかぶっていた。  かれらは、休憩時間でもほとんど他の者と言葉をかわすことはなく、互いにうかがうような眼をむけているだけであった。  私も、かれらと眼が合うと視線をそらせる。人々が生きることのみに汲々《きゆうきゆう》としている中で、予備校通いをしていることに罪の意識に似たものを感じ、かれらの眼にも、世の人々をはばかる後暗さを秘めた光がうかんでいた。  私は、授業が終ると急いで帰宅し、次兄の家の台所で冷くなった雑炊やすいとんを食べ、事務所に入って伝票の整理をしたり帳簿の記帳をしたりした。  学校への往き帰りに眼にする米兵の姿は、私に敗戦を実感させ、萎縮《いしゆく》した気分になった。昼間でも煌々《こうこう》とヘッドライトをともして走るトラックやジープには、威嚇《いかく》するように自動小銃を手にした米兵が、チューインガムをかみながら乗っていた。米兵にすがりつくようにして歩く日本の若い女たちは、あきらかに街娼《がいしよう》とわかる者もいたが、良家の子女ともいうような初々《ういうい》しい感じの目鼻立ちのととのった女もいた。  米兵たちの臀部《でんぶ》は、例外なくズボンがはち切れそうなほど肉付きがよく、かたわらを歩く日本人の体が骨と皮ばかりにみえた。  秋がすぎ、初冬を迎える頃になると、予備校の学生の数が増し、教室の空席も少くなったが、相変らずかれらの口数は少かった。  年末に、父が焼け残った下町の医科大学附属病院で死んだ。脳溢血とされていたが、実際は癌《がん》で、すでに末期症状であったのである。遺体をおさめる棺がなく、長兄が造船所から運んできた板でつくり、さらに遺体を焼く燃料も必要だというので、かなりの量の薪《まき》も用意し、それを棺とともにリヤカーにのせて火葬場に運んだ。  年が明け、私は、私立の旧制高校の文科を受験し、入学資格を得た。が、両親を失っていた私は、将来、大学を出て就職する際に理科系の学部を卒業していなければ就職もおぼつかないと考え、入学資格を放棄して官立高校の理科を受験した。もともと理科系の課目は不得手であったので、当然のことながら不合格となり、私は再び予備校に通う身になった。  餓死した死体を時折り眼にするようになったのは、その頃からであった。  戦時中は、戦局の悪化にともなって配給食糧の質が加速度的に低下し、主食も米の代りに薯類《いもるい》や雑穀が配給されるようになっていたが、それでも強力な統制で一応、名目だけの量は維持されていた。が、戦争の終結と同時に、辛うじて保たれていた流通秩序が一挙にくずれ、配給制度は持続されていたものの、農家は供出をしぶって農作物を横流しし、そのため遅配が習慣化していた。人々は、衣類などを農家に持っていってわずかな穀物や野菜類と交換し、辛うじて飢えをしのいでいた。  私が初めて餓死者を見たのは、予備校へ行くため家を出て、荒川放水路の土手が見える両側に耕地のひろがる道を歩いていった時であった。  田の水が落ちている道ばたの溝《みぞ》に、無帽の男が頭を突き入れた姿勢でうつ伏せになっていた。近くに住んでいるらしい女たちが三、四人、少しへだたった所に立ってそれをながめていた。  幼児を抱いた浅黒い女が、立ちどまった私に、 「行き倒れだよ」  と、無表情な顔で言った。  私は、男の体に眼を向けながら土手の方へ歩いていった。  新聞には、上野駅周辺で連日餓死した死体がみられるという記事がのっていたが、溝に頭を突き入れていた死体を眼にした私は、この都会のいたる所にそのような死体がころがっているのだろう、と想像した。  それから間もなく、私は再び死体を見た。驚いたことに同じ場所で、同じように頭を溝に突き入れている。近くに人の姿はなかった。  なぜ、同じ場所に倒れていたのか。荒川放水路にかかった千住新橋の向うは果しなくひろがる焼跡で、瓦礫《がれき》と焼けトタンがあるばかりだ。恐らく飢えた男は、そこをさ迷い歩いて橋を渡り、土手下から池沼《ちしよう》が点在する耕地がひろがっているのを眼にして、食物がありはしないかと足を踏み入れ、溝にたまった水を飲もうとして、そこで息絶えたのではないだろうか。夜間に耕地の農作物が盗まれる出来事が続発していて、男も口にできる物をもとめてやってきたにちがいなかった。  その後、橋のたもとに行くまでに何度か餓死した死体を眼にしたが、いずれも小さな池のほとりや溝の近くに倒れていた。  それらの死体は、学校から帰る頃には消えていたが、或《あ》る日、耕地の中の道で数人の男が蓆《むしろ》にくるんだものを長いリヤカーに載せているのを眼にした。蓆の端から布靴《ぬのぐつ》をはいた足が突き出ていて、それが死体であるのを知った。  男たちは、区役所の吏員ででもあるのだろうか、鳶口《とびぐち》を肩にリヤカーをひいて遠ざかっていった。  その日も私は、朝、家を出て橋を渡り、都電の終点になっている停留所に行った。そこにはいつも長い列が出来ていて、折返す電車に乗るが、手すりをつかんでステップに乗る者もいて、乗れるのは三台目か四台目であった。  都電は焼跡の中をゆっくり走ってゆく。焼けトタンでつくった小屋が点在し、そのかたわらで鍋や釜を鉛管から流れ出る水で洗っている女の姿などがみえる。小工場や銭湯のものであったのか、細い煙突が所々に立っていた。  三ノ輪をすぎ、入谷をへて上野駅前にゆくと、駅の周辺に浮浪者や浮浪児の姿がみえた。かれらは、駅の建物の外壁にそって横になったり腰をおろしたりしていて、衣服の虱《しらみ》をとっているらしく半裸になっている男の姿もあった。  そこで降りる客が多く、車内は少し楽になった。  電車は昭和通りを進み、私は、秋葉原駅前で下車した。  塗料の剥《は》げた電車が左右に車体を揺らせながら去ってゆくのを見送りながら、所々にくぼみのある道を歩いていった。  不意に、私は足をとめた。  前方の道に思いがけぬものを見た。戦前に私が住んでいた町の神社の祭礼では、百貫|神輿《みこし》と称される神輿が静々と道を進んだが、それをかつぐ男たちと同じ白い衣を着、黒い冠《かぶ》り物《もの》をつけた二人の男が姿を現わしたのだ。  私は立ちつくし、視線を据《す》えた。二人だけではなく、白い衣をつけた男たちが、道の前方の右手にある環状線のガードの下から二列になってつづいて出てきて、昭和通りを横切ってゆく。  そのうちに絵巻物でみる平安朝時代の公卿《くげ》のような衣服と烏帽子《えぼし》をつけた男が、白い衣を着た男が手綱をとる馬に乗って、ガードの下から現われた。附近は一面の焼跡で、その白茶けた色と対比して華麗な衣裳《いしよう》が色鮮やかであった。  ようやく私は、どこかの神社の祭礼の行列であるらしいことに気づいたが、そのような衣裳を身につけて歩いているかれらが、時代ばなれしたものに感じられた。  私は、車道を横切ってゆく馬を見つめた。馬を見なくなってから久しく、人間が飢えて死んでいるこの都会に馬が生きているのが不思議に思えた。  馬は痩《や》せこけていた。足を踏み出す度に、足の付け根の骨が薄れた体毛の表面に浮き出ていて動くのがみえ、脇腹《わきばら》にも肋骨《ろつこつ》の形が露《あら》わになっている。馬の歩みは大儀そうであった。  その後から、源平時代の武者の装束をした男たちが歩いてきて、さらに馬がつづいてゆく。長柄《ながえ》の傘《かさ》を立てて歩いている者もいた。  行列の最後尾が昭和通りを横切り、華やかな一筋の色彩になって焼けトタンと瓦礫のひろがる地の道を遠ざかってゆく。  空はにぶく光っていた。私は、それを眼で追いながら、行列の出てきたガードの下をくぐって、御茶ノ水駅に通じる坂道をのぼっていった。  友人から電話がかかってきた。  かれは、私が口にした祭礼の行列のことが頭からはなれず、昨日、定年退職した新聞社の近くに行ったついでに、社の資料室に立寄り、当時の新聞を繰ってみたという。 「君が予備校へ通うきっかけになったのは、文部大臣の講話をラジオできいたからだと言っていたね。ラジオ欄をみたら、たしかに文部大臣の前田多門が放送しているよ。九月九日の午後七時からで、『学徒に告ぐ』という題だ」  九月九日というと天皇の終戦を告げるラジオ放送があってから一カ月たらずで、自分の記憶とほぼ合致している。「学生に告ぐ」という題であったと思っていたが、勤労学徒と呼ばれていたことでもあきらかなように、学徒という名称が常用されていたのだろう。 「祭りをみたという終戦の翌年の新聞を見てみたがね、祭礼の記事はのっていない。もっとも、新聞はペラ一枚で、大がかりなものであっても記事にはしないだろうがね」  友人は、そこで言葉をきると、再び口をひらいた。 「すさまじい時代だったんだね。『死の行進、餓死はすでに全国の街に』という大見出しの記事がのっているし、六月の主食の配給が欠配三十日とも書いてある。つまり、配給なしということだ。恐しいね。そういう時期に、君、馬も加わったような祭礼なんかやったとは到底思えないがね」  私が小料理屋で、ふと、もらしたことを、友人が当時の新聞まで読んでしらべたのは、かれ自身も、その時代をどのように生きたかをたしかめたかったのだろう。 「欠配三十日か。すごいね、それは……」  私は、思わず声をあげた。 「おれも、これほどとは思っていなかったよ。殺人の記事が多いが、ほとんど食い物がからんでいる。歌舞伎俳優《かぶきはいゆう》が食物のうらみで弟子に殺された記事ものっている。耕地の作物を盗んだ者を殺したという事件が最も多い」  かれの言葉のひびきは、新聞社に勤めていた頃と同じ張りがある。 「そんな時代だからこそ、おれも不思議に思えてね。今でも忘れられないのさ。しかし、たしかにおれは見たんだよ。馬の足の付け根の骨がすっかり浮き出て、歩くたびに動いていたのもね。神主みたいな人をよく乗せて歩けるな、とさえ思った。もっとも、乗っていた男も痩せていたが、その細面《ほそおもて》の男の顔もうっすらおぼえている」  私が言うと、かれの声は絶えた。  やがて、かれのおだやかな声が流れてきた。 「ともかく、新聞をみたことだけは報告するよ」  かれは口をつぐみ、私も少し黙っていたが、かれの胸のうちを推しはかって、 「やはり、それは、幻だと言いたいのだろう」  と、言ってみた。 「まあね」  かれの声には、かすかな笑いがふくまれていた。  受話器を置いた私は、葉が黄ばみはじめた庭の娑羅《さら》の樹《き》をながめた。  焼跡の中を華やかな祭礼の行列が遠ざかっていった光景が眼の前にうかぶ。文相のラジオ放送が私の記憶していた通りであったと友人は教えてくれたが、それと同じように行列を見たことも事実なのだ。  友人は、あきらかに疑念をいだいていて、別の時に見た祭礼の情景を焼跡の中でのことと錯覚していると思っているのかも知れない。しかし、私は、あれほど痩せた馬を見たことはなく、それはまちがいなく予備校に通っていた終戦直後のことなのだ。  私は、その事実を裏づける証拠を探りあてて友人に突きつけてみたい気持にかられ、同時に自分でも不思議に思っているその光景の実態をつかんでみたくなった。  行列がすぎた秋葉原に近い神社と言えば、神田明神ということになる。列に加わった人たちの衣裳から考えても、それは格式高い神社の祭礼にちがいなく、神田明神のもよおしたものらしく思えた。  私は、受話器をとって電話番号問合わせで番号をたしかめ、神社に電話をかけてみた。  若い女の声がし、用件を述べると、少ししてから神官だという男の声に代った。  終戦直後に見た祭礼のことを口にし、神田明神のものではないか、とたずねると、 「当社の祭礼は、戦争中は中断し、戦後初めてもよおしたのは昭和二十七年五月です。秋葉原附近は、私の所の氏子ですから行列は通ります。馬も出ます」  と、神官は言った。  私が重ねて終戦の翌年に見たのだと言うと、神官は、 「二十七年のまちがいじゃありませんか。それ以前にやったという話はきいておりません」  と、答えた。  私は、受話器を置いた。  声の調子から察して神官は五十歳前後にちがいなく、四十年以上もたった終戦後のことは神社の記録などで知っているにすぎないのだろう。もしかすると、神官は知らないが、二十七年以前に臨時の祭礼がおこなわれたのかも知れない。  思案した私は、東京の歴史の資料収集をしている都庁の外郭団体の広報室に勤務している女性のことを思い出し、電話をかけて、しらべる手がかりを教えて欲しい、と頼んだ。  彼女は、私の話に興味を持ったらしく、戦中戦後の祭礼について知識をもっている人たちにあたってみる、と言った。  しばらくして、彼女から電話があり、さまざまな所に電話をしてみたが、祭礼具の研究で第一人者である村井という人にただしてみると、即座にそれは東京都の復興祭だ、と言ったという。  私は、その人に会ってみたいと思い、住所と電話番号を教えてもらった。  電話を切った私は、なるほど復興祭か、と思った。飢餓におののく都民に少しでも慰めをあたえるために、そのような祭礼の行列を組ませて歩かせたことは十分に想像できる。  私は、村井という人の家に電話をかけ、翌日の午後にうかがう約束をとりつけた。  窓ガラス越しに娑羅の葉をながめながら、こんなことに執着する自分に呆《あき》れていた。見たものは見たのだから、それでいいではないか、と思う。が、友人がそれは幻を見たのだと言い、当時の新聞を読み返してそのようなことが現実にあったとは思えない、と告げてきたことから、私は平静ではいられなくなったのだ。  餓死した死体を見た私の眼が、同じ時期に馬も加わった華やかな祭礼の行列も見た。それは、四十五年という歳月をへて、私にも幻視のように感じられ、それがなんであったかをたしかめなくては落着かない。  翌日、神田駅に降りた私は、メモした住所をたよりに道から道をたどった。会社のオフィスが入っている建物が多く、このような所に祭礼に豊かな知識を持っている人の居宅があるとは思えなかった。  道の角を曲った私は、前方の右手に二階建の和風の家が周囲の建物の中に異物がはさまっているように建っているのを眼にし、それが目的の家にちがいない、と信じた。  予想通り、軒下に村井という標札がかかっていて、私はガラス戸をあけた。  板の間があって、そこに神輿が置かれ、奥の部屋に広い机を前にして坐っている初老の男が見えた。  和服を着た夫人が出てきて、私は、板の間にあがり、机をへだてて村井氏と向き合って坐った。  机の上には、祇園祭《ぎおんまつり》でみられるような山車《だし》の設計図がえがかれた大きな紙がひろげられていた。 「これはなんですか」  私がたずねると、氏は、江戸東京博物館で展示予定の山車をつくるための設計図だ、と言った。氏の家は代々神輿専門の仕事を継承していて、博物館の依頼をうけて錦絵《にしきえ》その他を参考に江戸時代の山車と神輿を復原して納入することになっているという。  きらきらと光る眼に、秀《すぐ》れた技倆《ぎりよう》と一徹さを持った職人であるのが感じられ、口からもれる言葉は伝統的な下町の歯切れのよさがあった。  早速、秋葉原駅近くで見た祭礼の行列のことを話し、神田明神がもよおしたものではないかと思っている、と私は言った。 「そんなことはありませんね。終戦後、神田明神で初めてお祭りをしたのは、昭和二十七年の五月ですから……」  それは、電話できいた神田明神の神官の言ったことと一致し、私は村井氏が都内の祭礼について精通しているのを感じた。 「それに、終戦直後は、進駐軍の命令で神道だけは宗教行事を禁じられていましたからね。神社が祭礼をやれるはずはないんです」  氏は、よどみのない口調で言った。  私は、氏の顔を見つめた。日本を占領した連合国軍は、あらゆる分野できびしい統制と管理を強行したが、それは宗教の領域にもおよんで、殊《こと》に神道には強い圧力を加えたのだろう。氏の言葉は、かすかにいだいていた私の推測をうちくだいた。 「それは、東京都の復興祭ですよ。この神田でもやりましたし、日本橋でもやりました。その時の写真があります」  氏は立ってゆくと、古びたアルバムを持ってきて机の上に置いた。  氏がひらいた個所には、お仮屋の前に据えられた神輿を中心に、主として祭姿の少年たちが並んでいる写真が貼《は》られていた。  神田の復興祭では、駅に近いガード下の倉庫におさめられていた神輿が焼け残っていたので使い、日本橋では疎開《そかい》してあった神輿を取り寄せて祭りをしたという。  氏の説明をききながら、写真にうつっているのは私の見た祭礼とは別種のものである、と思った。神輿ではなく行列で、それに加わっていたのは大人だけなのだ。  写真から顔をあげた私は、自分が眼にした祭礼の行列について説明した。白い衣を着た男たち。長柄傘、そして馬。  氏は黙ってきいていたが、私が言葉を切ると首をかしげ、 「考えられませんね。馬など絶対に出るはずがない」  と、言った。眼にかすかに笑いの色がうかんでいる。  私は、氏と向き合っていることに気持がなごみ、 「友人は、幻を見たんだと言うんですがね。幻でしょうかね」  と、頬《ほお》をゆるめて言った。 「そうですね。幻ですよ」  氏の笑いの表情が深まった。  焼けトタンが風に音を立てて鳴っていたあの情景は、すでに漠とした過去の襞《ひだ》の中に埋れてしまっているのか。  私たちは、少しの間黙っていた。  やがて私は、氏にお礼の言葉を述べ、腰をあげると家の外に出た。  人や車の往きかう道を縫って、神田駅前に出た。横断歩道の信号は赤で、私は足をとめた。  幻ですよ、と言った村井氏の言葉のひびきが、おだやかな旋律の余韻のように胸に残っている。  しかし、見たものは見たのだ、と私は胸の中でつぶやきながら、信号が青になった横断歩道を小走りに歩いていった。 [#改ページ]   或《あ》る町の出来事  町の商店街は、夜になると、ほとんどの店が戸をとざすので、星明りに道が仄白《ほのじろ》く見えるだけであった。商店街と言っても、道の両側に二十たらずの店が並んでいるだけで、近在の村々からくる客が絶える夜は、そうそうに店の電灯を消す。  道の片側に溝《みぞ》がのびていて、清らかな水が走っている。その水の音を耳にしながら桐野《きりの》は、電光を路面に流している店にむかって歩いていた。  店の前には細長い提灯《ちようちん》がさがっていて、いくつかの花環《はなわ》がその光にうかび出ている。店の中から黒い服を着た二人の男がつづいて出てきて、闇《やみ》の中に消えてゆく。  服の内ポケットから香奠《こうでん》の袋を取り出した桐野は、その光に近づいていった。  店の入口に忌中の簾《すだれ》がたれ、かれは、店の右側にある植込みの間をぬけて庭に入った。そこに内玄関があって、親族らしい見知らぬ若い男が立っていた。  桐野は、男に軽く頭をさげ、うながされて玄関に入り、靴《くつ》をぬいだ。  廊下から奥の部屋に入った。  そこに祭壇がかざられていて、かたわらに死んだ三原の妻の時子が喪服を着て坐《すわ》っていた。  桐野は、祭壇の前に坐って香奠を台の上に置き、焼香し合掌した。坐りなおして時子に顔をむけたが、言うべき言葉はなく、ただ頭をさげただけであった。 「あちらにお清めの物を用意してございますので……」  時子の言葉に、かれは、腰をあげると隣室に入った。  白い布をかけた長いテーブルが並んでいて、親族らしい人たちと数人の町の男女が坐っていた。  桐野は無言で頭をさげてテーブルの端の前に腰をおろし、横に坐っている男のそそぐビールをコップに受けた。  声を発する者はなく、互いに視線をそらせ合っている。顔には一様に気まずそうな表情がうかび、料理に箸《はし》をのばす者も稀《まれ》であった。  やがて、町の者たちが親族に頭をさげて腰をあげたので、桐野もテーブルのかたわらをはなれた。再び祭壇の前に行って焼香するのが礼儀なのだろうが、かれは町の者たちの後から玄関に出て、靴をはいた。  店の前で右手に行く者が多く、桐野は、酒店を営む男と左手の方向に歩いた。 「これから佐野さんの家に行かれるのですか」  男は、桐野に顔をむけた。  そうです、と答えると、男は、 「私は、行ってきました。全く困ったものですね。どちらのお通夜《つや》へ行っても、どのようにお悔みを言っていいかわかりませんし……。妙な夜です」  と、つぶやくように言った。  二人は、黙って歩いていった。  酒店の前にくると、男は挨拶《あいさつ》し、白いカーテンのたれた大きなガラス戸の中に身を入れた。  道の角を右に曲ると、左手の家の前に、三原の店の前にあったのと同じような提灯がさがっていたが、花環はみられなかった。  桐野は、三原の家と同じような気まずさを味わうのかと思うと、気分が重く、足をとめて煙草《たばこ》を内ポケットから取り出した。  思わぬ出来事が起ったことが町の中にまたたく間にひろがったのは、昨日の午後であった。  総合食料品を商う三原の家と町役場に勤める佐野の家に、それぞれ警察署員がおもむいたことから、町は騒然となった。三原と佐野の妻である君代が、遠い海岸にある松林の中にとまっていた車の中で死亡していたのだという。  エンジンはかけ放しになっていて、ホースで排気ガスが車の内部に引きこまれ、窓はガムテープで目張りされていた。二人は抱き合い、互いの腰がロープで縛られていて、フロントガラスに二人で書いた遺書がセロハンテープではりつけられていたことから、心中と断定された。  新聞記者もやってきて、今朝の新聞にはその記事がのっていた。  二人がいつ頃《ごろ》からそのような関係になったのか、両家の者も町の者も知らずにいたことが不思議であった。人々は、さまざまな憶測をした。  三原は、車で一時間ほどの距離にある海に近い都市にしばしば行って、商品の仕入れをし、佐野の妻の君代は、その市にある刺繍《ししゆう》教室の助手をしていて週に二度、バスで出掛けてゆく。そうしたことから、二人がその都市でひそかに逢《あ》うことを繰返していたと想像された。  三原夫婦も佐野夫婦も一応|仲睦《なかむつ》まじくみえたのに、なぜ二人がそのような深い関係になったのか。或る者は、三原の妻の時子が気性が強く、三原は抑圧された気持になっていて、知り合った君代に気持がかたむいていったのだろう、と言った。また、他の者は、服装も地味で口数の少い君代が、夜おそくまで酒を飲みマージャンで徹夜をすることも多い佐野に不満をいだき、趣味もこれといってもたぬ真面目《まじめ》な三原にひかれたのではないか、とも口にした。  それにしても、二人が死ぬ気になどなったことが不可解だった。君代の場合、子に恵まれていないので心残りになるものがなく、死を受けいれることに強いためらいはなかったのかも知れない。また、三原は、女の噂《うわさ》など全くない謹厳そのものの男で、不倫の罪の意識をいだき、君代との死を考えたとも思われる。  いずれにしても、心中の原因は不明で、二人が純粋な性格の持主であったことが、死への道をえらばせたことはたしかであった。  二人の遺体は、市の警察での検視を受け、柩《ひつぎ》におさめられて、今朝早く一台の霊柩車《れいきゆうしや》で町に運ばれた。まず、佐野の家に君代の柩が運びこまれ、ついで三原の店の前で柩がおろされた。  それは異様な光景で、人々は見守り、霊柩車が市の方へ去るのを見送った。  遺体の顔は二人ともきれいだという話が流れたが、警察から早目に焼いて骨にするように指示されたこともつたわった。  町に葬儀店は一店しかなく、両家に祭壇その他をかざり、通夜は今夜、葬儀は翌日とさだめた。  そのため、町の者たちは、同時刻に営まれる両家の通夜におもむかねばならなくなったのだ。  桐野は再び歩き出し、佐野の家の前に立った。  狭い玄関のガラス戸がとりはらわれていて、敷台の前に白い布のかけられた焼香台が置かれ、線香入れと灰壺《はいつぼ》がのせられていた。  玄関からつづく三畳間に親族の男が二人坐っているだけで、佐野の姿はない。遺体は奥の間に置かれているようだった。  三原の家のようにあがることもなく焼香ができるのに安堵《あんど》を感じ、親族の男に目礼し、香奠を台の上に置いて焼香し、合掌した。  死んだ君代と同年齢ぐらいの女が二人、桐野の後ろに立ち、かれは、女たちのかたわらをすりぬけて路上に出た。  これでいやな役目はすんだ、と、かれは胸の中でつぶやき、暗い道を歩き出した。  隣町の中学校の校長を最後に教職をはなれ、それまで関心を持っていた郷土史の仕事に本格的に取り組めると楽しみにしていたが、退職後間もなく町会長の役目を押しつけられた。老齢の前会長が健康上の理由で辞意を表し、後任として桐野を推した。前会長は、郷土史研究会の顧問で、それまで教えをうけていたので引受けざるを得なかった。  町内の冠婚葬祭には顔を出さねばならず、四季折り折りの行事にも参画する。わずらわしいといえばわずらわしいが、そのために体を動かすことが老いてゆく自分にはよい刺戟《しげき》になるのかも知れない、とも思っていた。  ただ、通夜、葬儀に出向くのは気が滅入《めい》った。高齢者の死はまだよいとしても、自分より年齢の低い者の死に、自分の死も遠くはないのだ、と考えたりする。  酒店の店主が、妙な夜です、と言ったが、全く妙な夜だ、と思った。明日は両家で葬儀が営まれるが、町の人たちとともに掛け持ちをするのかと思うとうんざりし、苦笑した。  後方から小走りに近づく足音がし、 「先生」  と、声をかけられた。  桐野は足をとめ、振返った。葬儀店主の小柄《こがら》な田代《たしろ》であった。  田代は町の中学校に勤務していた頃の教え子で、桐野が町会長に就任してからも先生と呼ぶ。高校を卒業後、父の店をついだ田代は実直な性格で、店の仕事に適しているらしくそつなくこなし、町での評判はよい。 「御苦労さん。同時に二つやるのは大変だね」  桐野は、前に立った田代に言った。 「いえ、一日に三つ御葬儀をお世話したこともありますし、同業者に応援を頼みますので、その点はどうにでもなります。それよりも、明日の両家の御葬儀の時間のことで厄介《やつかい》な問題が起き、困っています」  田代は、眉《まゆ》をしかめた。 「どういうことかね」  桐野は、首をかしげた。 「御承知のように、火葬場の窯《かま》は一つです。これまでは葬儀が重なりました場合、お亡《な》くなりになった時刻が早いほうからお骨にするのが習慣で、それでなんの支障もなかったのです。ところが、今回は、三原家も佐野家もお亡くなりになりましたのは同時刻で……」  田代の言葉に、桐野はうなずいた。  田代は、桐野から視線をはずすと、 「長い間、仕事をしてきましたが、こんなことは初めてです。いろいろ考えました末、市の霊柩車で運ばれてきた御遺体が家に入った順にしたがって、お骨にするのが筋ではないか、と。佐野家にまず遺体が入り、その後に三原家へ入りましたので、佐野家のほうを先に……、と考えました」  と、言った。  桐野は、なるほどと思った。心中した二人が息絶えた時間には多少のずれがあったかも知れないが、それは警察でもわかるはずはなく、同時と考えるのが自然である。田代が、遺体が先に家に入ったほうを早目に火葬場に持ってゆくべきだ、と考えたのは理にかなっている、と思った。 「窯にお入れしましてからお骨になるまでは二時間かかりますので、佐野家の御葬儀を午前十時からとし、三原家の御葬儀を午後一時としました。それを佐野家におつたえし、三原家にもそのように申し上げたのですが、奥さんの時子さんが承知しないのです」  田代の顔には、困惑の色が濃くうかんでいる。 「なぜかね」  桐野は、田代の顔を見つめた。 「女を焼いた窯で主人を焼くのはいやだ、と……」  田代の眼《め》は光り、その真剣な表情に中学生であった頃の田代の面影《おもかげ》がうかび上った。 「そんなことを言うのか、それは困ったね」  桐野は、かすかにうなずいた。夫が心中したということは、妻として他人には想像もつかぬほどの衝撃であるはずだった。しかも、相手が同じ町内に住む女であれば尚更《なおさら》のことで、人にも顔を合わせられぬような恥しさと屈辱をいだいているにちがいない。  死んだ夫に対して激しい憤《いきどお》りをいだきながらも、世の習慣にならって通夜、葬儀を営まねばならぬ時子の胸の内は、察するに余りある。気持が千々に乱れ、そうしたことから「女を焼いた窯で……」という言葉が吐かれたのだろう。 「それで、会長さんのお力をぜひお借りしたいのです。佐野家のほうは午前十時からとさだめましたので、佐野家ではそれを親族の方や町の人たちにもつたえています。これは今になって変更はできませんので、なんとかして時子さんを説得していただきたいのです」  田代の眼には、すがるような光がうかんでいる。  先生と言わず会長と呼ぶ田代は、町内の代表者である桐野以外に依頼する者はないと判断していることはあきらかだった。  思いもしなかった田代の言葉に、桐野は、あらためて町会長などという役目を引受けなければよかった、と後悔した。が、その任に就いているからには、町内の混乱を穏便にしずめねばならぬ義務がある、と思った。教師としての意識もよみがえって、教え子である田代の苦衷を察し、手を貸さねばならぬ責任も感じた。 「そうか。それは困ったな。わかった。私にできるかどうか自信はないが、やるだけはやってみよう」  桐野は、おだやかな眼をして言った。 「お願いします。助かります」  田代の顔に、安堵の色がうかんだ。  桐野が歩き出すと、田代も後ろからついてきた。  道を曲ると、前方に提灯の光が見えた。  その光に近づいた桐野は、田代を振向き、 「午後一時からだったな」  と念を押し、庭に入った。  内玄関の前で足をとめた桐野は、立っている若い男に名を告げ、 「奥さんにお話したいことがある、と言って下さい……」  と、言った。  うなずいた男は、敷台にあがると奥に入っていった。  やがて廊下に足音がして、時子が姿を現わし、 「どうぞおあがり下さい」  と、言った。  桐野が靴をぬぐと、時子は二階への階段をあがり、洋室のドアをあけ、桐野にソファーに坐るよううながした。その表情に、桐野がどのような用件で来たかを察しているのが感じられた。  ソファーに腰をおろした桐野は、 「この度は、まことにお気の毒というか、言葉もありません」  と、言った。自然に言葉が流れ出たことに、かれは安堵しながらも、自分の正直な気持だ、と思った。 「本当に困っております」  椅子《いす》に浅く腰をおろした時子は、視線を伏せた。  あらためて時子が気の毒に思えた。心中して死んだ者はいいが、後に残された者はたまらない。  桐野は少しの間、黙っていたが、 「葬儀屋の田代君からおききと思いますが、明日の葬儀の時刻について……」  と、そこまで言うと、顔をあげた時子が、 「そのことは、田代さんにはっきりおことわりしてあります」  と、甲高い声で言った。  桐野は、口をつぐんだ。長い教師生活で、生徒の母親その他から抗議をうけたことも多く、説得に成功したこともあれば不調に終ったこともある。いずれにしても、このような場面に立会うのはなれていて、落着きが肝要だ、と思った。 「こんなことは言うまでもないことですが、火葬場ではさまざまな人が焼かれて骨になっています。伝染病で死んだ人もあれば、事故にあった人、長患《ながわずら》いで死んだ人もいます。そうしたことを考えれば、どちらが先でも後でも、どうでもよいことではないのでしょうか。田代君がこちらの御葬儀を午後一時から、としたのは、世の習わしに従ったまでで……」  かれは、言葉をえらびながらゆっくりした口調で言った。 「どんな人を焼いた後でもいいのですが、あの女の後だけはいやなのです。私の主人は、あの女にだまされたのです。主人はまじめそのもので、そこにつけこまれたのです。その主人を、女を焼いた窯で焼くなんて……」  時子のいかった眼が、涙で光っている。  女にだまされた、などというのは、自分の夫に非はないという余りにも一方的な解釈だが、そうした気持をいだいているからこそ、夫婦としての生活をつづけてきたのだろう。  時子は、両手を膝《ひざ》の上にそろえて置き、背筋をのばして坐っている。祭壇の前で焼香客に挨拶をしていた時子には、夫亡き後の家を守ってゆこうという姿勢がうかがえた。気性が強い女と言われているが、たしかにその通りなのだ、と桐野は思った。 「世の習わしにそむくことになるというのは、どんなものでしょうね」  桐野は、故意に首をかしげた。 「世間でどう言われようと、気になどかけません。こんな通夜をしなければならなかったのですから、なんと言われようと……」  時子の言葉には、拗《す》ねたようなひびきがあった。  この説得は無理だ、と、かれは思った。時子は、きわめて稀な辛《つら》い立場に立たされながらも、必死にそれに堪え、居直った気持にもなっている。そのような時子の頑《かたく》なな姿勢をくずすことは、到底不可能にちがいなかった。 「そうですか。それでは、田代君とよく話し合ってみましょう」  桐野はうなずき、腰をあげた。  時子は黙って桐野の後から階段をおり、内玄関の敷台に立つと、玄関を出てゆく桐野に丁重に頭をさげた。  店の前に田代が待っていて、近づいてくると、 「いかがでしたか」  と、桐野の顔をうかがうように見つめた。 「だめだったよ。あれでは誰がなんと言おうと気持は変えられないな」  桐野は、淡々とした口調で答えた。 「弱りました」  田代は、深く息をついた。 「佐野家のほうを後にはできないのかね」  桐野は、たずねた。 「十時からときめ、忌中の紙にもそのように書きましたので……」  田代は、困惑しきった表情で佐野の家のある方向に眼をむけた。 「乗りかかった船だ。佐野君は役場でも何度か顔を合わせているし、なんとか葬儀を午後にするよう話をしてみよう」  桐野には、佐野もむろん気持は乱れきっているはずだが、時子のように葬儀が後か先か固執することはなさそうに思えた。 「それが、佐野さんは、警察が来て心中事件があったことをつたえた夜から、どこかに行ってしまい、家にはいません。それでお通夜、御葬儀の打合わせは、佐野さんの叔父という方としております」  田代は、弱々しい眼をして言った。 「そうか。それならその叔父さんに会って話をしてみよう」  桐野は歩き出した。葬儀などでは仕来《しきた》りにうるさい親族がいたりして、その叔父もそれに類する男かも知れないが、一応、説得するだけはしてみなければならぬ、と思った。  佐野の家の前まで行くと、後からついてきた田代が家の裏手にまわっていった。  その場で待っていると、家の後ろから田代につづいて白髪《しらが》の小太りの男が歩いてきて、桐野の前で足をとめ、頭をさげた。  桐野は火葬場の窯が一つであること、田代が考えあぐねた末、佐野家の葬儀を先にきめたが、三原家では後になるのを頑《がん》としてこばんでいる、と率直に告げた。 「私としては、町会の責任者として穏便に事が運びますよう願っております」  と言って、佐野家の葬儀を午後にしてくれないか、と頼んだ。  叔父は、しばらく黙っていたが、 「気づいておられるかも知れませんが、常夫は昨夜からどこかへ行ってしまい、帰ってきません。無理もないことですが……。葬儀のことは、後になろうと先になろうとかまいません。世間に顔むけできないことをした女ですからね。こんな通夜も葬儀もしてやる必要なんかないんです。よろしいようにして下さい」  と、投げやりな口調で言った。 「そうですか。それならそのようにさせていただきます」  桐野は、常夫が佐野の名であることを思い出しながら頭をさげた。  男は、桐野に背をむけると、家の裏手の方に消えた。 「助かりました。早速、手筈《てはず》をととのえます」  田代が、安堵したように言うと、簾に近づき、忌中の紙に記された告別式の時刻をなおすため紙に手をのばした。  桐野は、首筋をなでながら暗い道を家の方へ歩いていった。  翌日、桐野は、午前十時から営まれた三原家の葬儀に参列した。親族や町の者以外に店の取引き関係らしい男たちの姿も多くみられたが、一様にかたい表情をしていた。  一時間後に出棺となって、桐野は町の者たちとマイクロバスに乗って、町はずれにある低い山の麓《ふもと》の火葬場に行った。  位牌《いはい》を胸にした時子は無表情で、小さな待合室の長椅子に無言で坐っていた。  町の料理屋から運ばれた弁当がくばられ、桐野たちは箸をとった。  田代は、紺色の背広を着た若い店の者をその場に残し、佐野家の葬儀を取りしきるため小型車でひそかに火葬場をはなれていった。  やがて骨が焼きあがり、それを拾って壺に入れる時子の眼に光るものが湧《わ》いていたが、その表情には感情の色らしいものはみられなかった。  彼女は、骨壺の入った箱を胸に、従業員の運転する車の助手台に身を入れ、マイクロバスや数台の車とともにゆるい傾斜の道を町の家並の方へ去っていった。  佐野家の葬儀におもむくためマイクロバスに乗っていった者もいたが、桐野は、数人の町の男女とともに待合室の椅子にそのまま坐っていた。葬儀に参列するより荼毘《だび》にふされるのを見守る方が親身だと思ったのだが、二つの葬儀に参列するのがわずらわしくもあったのだ。  かれは、待合室にいることに退屈し、外に出ると町の方に眼をむけた。  緑におおわれていた遠くの山々は、紅葉の気配がきざしていて変色し、町の北側を流れる川は秋の陽光に輝いている。町の家並は細長くつづいていて、周囲にひろがる耕地では所々に白い煙が立ちのぼっていた。  やがて、家並の間から霊柩車とマイクロバスが姿を現わし、こちらにむかってくるのが見えた。マイクロバスの後ろには一台の車がつづいているだけであった。  桐野は、待合室にもどり、茶を飲み、煙草をすった。  車のとまる音がし、かれは待合室の外に出た。  霊柩車から柩がおろされ、数人の男に支えられて小さな火葬場に運び入れられ、車のついた長い台の上に置かれた。  それらの人の中に佐野の姿はなく、僧の読経《どきよう》の中で親族につづいて桐野たちが焼香した。心中した君代の肉親なのか、ハンカチを眼にあてている女もいたが、他の者は白けた表情をしていた。  窯の扉《とびら》がひらかれ、係員が柩をその中に入れ、扉をとざした。  点火される音が起り、桐野たちは火葬場の外に出た。田代が親族たちを待合室にみちびき、手伝いの女とともに茶をかれらにくばった。  桐野は、親族たちのかたい表情を眼にするのが気づまりで、待合室に入る気になれず、外で立っていた。  佐野の親族たちは、むろん心中した君代に憎悪《ぞうお》をいだき、君代の親族に冷い眼をむけ、言葉をかける者もいないのだろう。君代の親族たちは、一様に身をすくめているにちがいなかった。  そのような異様な空気の中に身を入れるのは堪えがたく、それは町の者たちも同じらしく待合室に入る者はいなかった。  しばらくして、田代が待合室から出て来て桐野に近づき、頭をさげた。 「御苦労だったね」  桐野は、低い声で言った。 「これで一段落つきました。先生のおかげです」  田代の顔に、初めて笑いの表情がうかんだ。  二人は黙って立っていたが、係員との打合わせでもあるのか、田代が火葬場の建物の中に入っていった。  骨が焼きあがるまで二時間近く待っていなければならぬことを思うと、気が重かった。今夜は隣町で郷土史研究会の集りがあり、帰宅したら、すぐにそれに関する書物に眼を通そう、と思った。  車の近づく音がして、眼の前で紺色の小型車がとまり、若い男がおりてきた。田代の店の従業員だった。  男は、ガラス窓ごしに待合室の中に視線を走らせ、小走りに火葬場の建物の中へ入っていった。  男の動きになんとなくあわただしさが感じられ、桐野は、火葬場の入口に眼をむけた。  すぐに男が骨壺を手にして姿を現わし、桐野には眼もむけず、車に近づき、ドアをあけた。  車は反転し、坂をおりていった。  男が骨壺を手に引返していったことが不可解に思えた。近くに立つ町の者たちの顔にも、いぶかしそうな表情がうかんでいる。  首をかしげた桐野は、なぜ男が骨壺を持っていったのか、田代に事情をたずねてみよう、と思った。町内の責任者としてたしかめる義務がある、とも思った。  火葬場の建物の方へ歩きかけた時、入口から田代が姿を現わし、その場で足をとめた。放心したような眼をしている。  桐野は近づき、 「骨壺を店の人が持っていったが、なにかあったのかね」  と、声をかけた。  田代は桐野に眼をむけると、 「骨壺を庭石にたたきつけたんだそうですよ、三原家の時子さんが……」  と、抑揚のない声で言った。  桐野は、田代の顔を見つめた。  時子は、通夜、葬儀につぐ荼毘の折にも、終始、心の乱れをみせず、毅然《きぜん》ともいえる態度をくずさなかった。町の者が言うように気性の強い女だと、桐野も感心していたが、田代の言葉に、やはり時子は普通の女なのだ、と思った。  荼毘をすませて家にもどった時子は、抑えに抑えていた感情が一時に噴出し、箱から骨壺を取り出して庭石にたたきつけたのだろう。 「骨壺が割れたので、新たに骨壺を持っていったのだな」  桐野は、ようやく事情を理解した。 「骨が庭に散らばりましてね。うちの店の者があわてて拾い集めたそうですが、そのままにしておくわけにもゆかず、壺を取りに来たのです」  田代の顔からは、少し血の色がひいている。  恐らく時子は、髪をふり乱して泣きわめき、収拾のつかない状態になっているのだろう。それも無理はなく、桐野は、あらためて時子のおかれた立場に同情した。 「三原家は大変だろう。気性が強い女だけに、荒れたら手がつけられぬだろうからな」  桐野は、顔をしかめた。 「いえ、それで気がすんだらしく、黙って坐っているそうです」  田代が、桐野に眼をむけることもせず言った。  桐野は、意味もなく何度もうなずいた。冷えびえした眼をして端坐《たんざ》している時子の姿が眼の前にうかんだ。  恐しいことだ、とかれは胸の中でつぶやき、細く黒い火葬場の煙突を見上げた。少し紫色がかった煙が立ちのぼっている。  もう少しで骨に焼きあがるのだろう、と思いながら、かれは、煙が澄んだ空に吸われてゆくのを見つめていた。 [#改ページ]   秋の旅  観光案内所から連絡してもらってあったので、姓を告げると、帳場から出てきた旅館の主人らしい長身の男が、愛想よく迎え入れてくれた。  清瀬が靴《くつ》をぬいで、敷台に並ぶスリッパに足先を入れると、五十年輩の和服を着た女が、かれのボストンバッグを受取り、広い階段をのぼってゆく。大正年代にでも建てたままとも思える造りで、天井が高く、柱も床も壁もひどく古びている。終戦後十年近くは、地方に行ってこのような旅館に泊ったことはあるが、それ以後はない。  二階の廊下も広く、歩くときしむ音がし、片側に客室が並んでいて、女は一番奥の部屋の板戸をあけて入った。  三畳間の次に六畳間の部屋があって、部屋の隅《すみ》にボストンバッグを置いた女が、坐《すわ》ると手をついて頭をさげ、急須《きゆうす》にポットの湯をそそいだ。  清瀬は、財布から紙幣を取り出して小さい袋に入れ、茶をいれ終えた女に渡した。  女が出てゆくと、かれは部屋の中を見まわした。畳はいつ換えたのか茶色く、踏むとふわふわしている。狭い床の間には達磨《だるま》をえがいた掛軸がさがり、隣室との間は襖《ふすま》で仕切られていた。  一年前に定年退職してからも、旅行先ではホテルに泊って、バスの湯に身を沈めベッドで寝るのを常としている。和風旅館に泊るのは異例であったが、今度の旅は、このような古びた旅館に泊るのがふさわしいのだ、と思った。  旅に出る前、どこへ行こうか、と思いまどった。日本の地図を頭にえがいてあれこれ考えてみたが、いずれにも気持が動かず、自分には行くべき地がないような気がして、いっそ宛《あて》もなく北か南へむかう列車に乗ろうか、とさえ思った。  食堂を兼ねた洋風の居間の窓から曇った空をぼんやりながめている時、十数年前、新聞にのった記事のことが濃い靄《もや》の中からうかび出るように思い起された。それは、終始|脇役《わきやく》をつとめていた八十歳を越した歌舞伎役者《かぶきやくしや》の死をつたえるものであった。  役者は、家人に行先も告げず家を出て瀬戸内海にうかぶ島に行き、或《あ》る旅館に投宿した。翌日、旅館の近くから出ている定期船に乗ったかれは、船が島からはなれると甲板の手すりをまたいで海に身を投げ、停止した船がその附近を探しまわったが発見することができなかった。泊った旅館の宿帳にはかれの本名が記されていて、その住所に警察が連絡をとって初めて歌舞伎役者だということがあきらかになった。遺書はなく、自殺の原因は不明であったという。  なぜ、そのような古い新聞記事を思い出したのか。その記事を読んだ時、清瀬は、役者が旅館を出て船の発着所にむかって歩いてゆく後姿を思いえがいた。頭髪は白髪で短く、和服に黒い羽織を着て信玄袋を手にし、と勝手な想像をした。その後姿が眼《め》の前にうかび出たのだ。  かなりの歳月がたっているが、歌舞伎役者が船上から投身自殺した出来事は、島の人の記憶に残っているにちがいない。その役者が、地味ではあるが名脇役であったと新聞に報道されたことから、泊った旅館には、本名を記したという宿帳が残されているかも知れない。  清瀬は、行くべき地を見出《みいだ》したように思った。島の旅館に行き、宿帳を見せてもらう。たとえ宿帳がなくても、役者が最後の夜をすごした旅館に泊るだけでもその地におもむく価値はある。  その夜、冷蔵庫から氷を出してウイスキーの水割りをつくった清瀬は、テレビの画面をながめながら、かすかに頬《ほお》がゆるむのを感じた。  妻は、短大時代の友人といつものような長電話をし、時折り笑い声をあげたりしている。湯からあがった妻は、ネグリジェにガウンをまとい、髪にカーラーを巻きつけている。髪に白いものがわずかにみえるが、少し肥え気味の体の白い肌《はだ》は艶《つや》をおびている。この妻のもとをはなれて一人だけの時間の中ですごすことができると思うと、拗《す》ねたような小気味よさをおぼえた。  酔いが体にまわり、かれは居間をはなれると二階の寝室に行き、ベッドに身を横たえた。すぐに眠りが訪れた。  翌朝、髭《ひげ》を剃《そ》って薄れた髪に櫛《くし》をあて、食事を終えた後、食卓の椅子《いす》に坐ったまま庭に眼をむけた。姫娑羅《ひめさら》の葉の一部が朱色をおびている。かれは、煙草《たばこ》をすいながら時間がたつのを待った。  階段に足音がして、妻が居間に入ってきた。小紋の着物に絵羽織をつけている。友人たちと観劇をし、その後、会食をすることになっている。 「昼食は外ですると言いましたね。御飯がポットにあるから、夜は鮭缶《さけかん》をあけてすませて下さい。帰りは十時すぎになるわ」  妻は、小さな腕時計に視線を落して言った。  清瀬は、うなずいた。  妻がドアをあけて外に出てゆく気配がしたが、かれは椅子に坐ったまま庭に眼をむけていた。妻が家に帰ってくるまでに家を出てゆけばよく、急ぐことはないのだ、と思った。  かれは、立つと、電話台のかたわらに置かれたマガジンラックの中に入っている列車時刻表を手にし、食卓の上に置いてページを繰った。目的の島に行くには、新幹線で岡山まで行き、港から出ている定期船に乗ればいい。岡山に一泊することも考えられるが、それよりも夕方までに島につく方が望ましく、そのためには、出来るだけ早目に家を出る必要がある。  かれは、時刻表をマガジンラックにもどすと、洋服箪笥《ようふくだんす》をあけてタウンウエアーを身につけた。ボストンバッグに洗面道具を入れると、他に入れるものは思いつかなかった。家にある下着類は、家の臭《にお》いがしみついていて持ってゆく気は起らず、そんなものはどこでも買える。かれは、ボストンバッグのチャックをしめた。  旅に出ようと思ったのは一カ月ほど前で、その時から家を出る折のことを考えた。旅に出る、とだけ書いた便箋《びんせん》を食卓の上に残してゆこうか、とも思ったが、そんな必要はなく、なにも残さぬことにきめた。妻にとって自分は空気のような存在で、それにふさわしく空気が流れ出るように家を出てゆけばよいのだ、と思った。  ボストンバッグを手に玄関へ出たかれは、戸締りはしておかなくてはならぬと考え、二階にあがって窓をしらべ、階下の庭に面したガラス戸の鍵《かぎ》をしめた。玄関のドアも施錠《せじよう》し、妻か自分が外出する時いつもそうするように、庭にまわると野鳥にあたえる餌《えさ》の入った缶の中に鍵を入れた。  道に出たかれは、駅への道を歩いた。道に人の姿はなく、秋のやわらいだ陽光がひろがっていて、体が清冽《せいれつ》で洗われたようなすがすがしい気分だった。  駅に近い銀行に入り、キャッシュカードでまとまった金をおろして財布におさめた。どこへ行っても思いのままの額の金を引き出せるそのカードが、殊《こと》のほか重宝なものに思えた。かれは、背広の上から内ポケットに入れた財布の厚みをたしかめるように手でおさえ、駅の構内に入っていった。  東京駅に行って新幹線切符売場の前に立ったかれは、少し思いまどってから自動券売機に近づき、自由席券を買ってホームにあがった。すぐに出る広島行きの「ひかり」がホームに入っていて、かれは車内に入り、座席に坐った。四十代半ばになって管理職についてから社用で旅に出る時は、列車はグリーン車に乗るのを常としていた。会社の外部に対する体面上、普通車に乗らぬよう上司に指示されていたからで、六十歳近くなって傍系会社に出向した後もその習慣は変らない。傍系会社を定年退職した後も、金銭の余裕があることもあってグリーン車に乗る。  そのような習わしがあったのに、自由席車に乗ったのは、これまでの生活と一線を劃《かく》したい気持がはたらいたからであった。  列車が動き出し、徐々に速度をあげてゆく。車内は所々に空席があってどこに坐ることもでき、その名の通り自由なのだ、と思った。  大小さまざまなビルが後方に去り、やがて丘陵や耕地がつづくようになった。  車内販売のワゴン車が近づき、かれはサンドウィッチとコーヒーを買い、窓外に眼をむけながら口を動かした。樹葉は黄ばんだり茶色くなったりしているが、濃い緑の色を残したままの樹木もある。空には薄い雲がうかんでいるだけで、景色が驚くほど澄んでみえ、自分の視覚がいつもより冴《さ》えているように思えた。  浜松駅を通過した頃《ころ》から眠り、眼をさますと新神戸駅を発車するところであった。かれは、東京を遠くはなれたことにくつろいだ気分になって、煙草にライターの火をつけた。  岡山駅で下車したかれは、タクシーで港に行き、船に乗った。瀬戸内海の空も晴れていて、海が陽光に輝いている。かれは甲板に立って、白い海鳥の群れが舞っている遠い海面を見つめていた。  島の船着場は、華やかな西日につつまれていた。  下船したかれは、船着場の外にある観光案内所に行き、窓口にいる若い女に歌舞伎役者の名を口にし、投身自殺した前日の夜に泊った旅館を教えて欲しい、と言った。  女はわからぬらしく首をかしげたが、奥の机の前に坐っていた初老の男が、旅館名を口にして立ってきた。 「島の南側の港に近い所にありますがね」  男はそう言いながらも、なぜ清瀬がその旅館の所在地を知ろうとしているのか、いぶかしそうな眼をした。 「その旅館に泊りたいのですが、部屋がありますでしょうか」  清瀬が言うと、女は少し笑いをふくんだ眼をして、 「泊れるはずです。きいてみましょうか」  と言って、電話機に手をのばした。  受けこたえしていた女が、受話器を置くと、 「お待ちしているそうです」  と言い、一覧表を眼にして宿泊料を口にした。予想外の安い料金であった。  清瀬は、タクシーに乗った。すでに日はかたむき、道ぞいの旅館や商店に灯《ひ》がともりはじめている。  車は、短いトンネルをくぐったりしてくねった道を走り、前方に海がみえると、海ぞいの家並の間を進み、門がまえの古びた旅館の前でとまった。  浴室の壁は板張りで、床は粗いコンクリートであったが、浴槽《よくそう》は真新しいステンレス製であった。床は乾いていて、だれも入った気配はない。湯は熱目で、かれはそうそうに体を洗い、浴室を出た。  和服を着た女が、食事を運んできた。  テーブルの前に坐った清瀬が、歌舞伎役者が泊った旅館だときいてきたのだが、役者が住所、氏名を書いた宿帳が残っているかどうかをたずねた。 「ありますよ。御覧になりたいんですか」  女は、口もとをゆるめて答えた。  その表情に、事故直後は宿帳を見にきた者もいたのだろうが、今ではそれも絶えているらしいのを感じた。  女が出てゆくと、すぐに廊下に足音が近づいてきて、御免下さいまし、という声とともに板戸がひらき、宿の主人が入ってきた。  主人がテーブルの向う側に坐り、紫色の風呂敷《ふろしき》の包みをといた。多くの新聞記事の切抜きと宿帳が現われた。  主人は、黄ばんだ新聞に宿帳の写真がのっているのを指でさししめし、宿帳の栞《しおり》をはさんだ部分をひらいてみせた。  他の宿泊者の名は鉛筆で書かれているが、そこだけは書きなれた筆の文字で住所、氏名、年齢が記され、職業欄は無職と書かれていた。 「矢立を持っておられましてね、さらさらとお書きになりました。自殺した後、この宿帳を見に来た新聞社の人が、遺筆になるので筆で書いたのだろう、と言っていましたが……」  主人は、神妙な表情をして言った。  清瀬の問いに、主人は、役者が旅館に入ってから翌朝出てゆくまでのことを、何度も繰返して口にしたらしいよどみのない口調で答えた。清瀬が想像していたのとはちがって、役者は茶の背広に緑系のネクタイをしめ、その服装から歌舞伎役者などとは到底考えられず、矢立を持っていることから俳句の趣味でも持っているのだろう、と思ったという。口数が少く、物静かで、朝食後、革製のボストンバッグを手に出ていった。役者が船から身を投げたことは、警察署員が甲板に置かれていたボストンバッグの中の宿泊料の領収書からしらべに来て、初めて知ったという。 「その後、御遺族などが来られましたか」  清瀬は、ビールの半ばほど入っているコップに手をのばしてたずねた。 「いえ、一人も……。奥さんも子供さんもいるという話でしたがね」  主人は、無表情に答えた。  清瀬が礼を言うと、主人は宿帳を風呂敷につつみ、部屋の外に出て行った。  かれは、コップにビールをそそいだ。遺族が宿に訪れてこなかったということに、歌舞伎役者の死の原因がひそんでいるのではないだろうか、と思った。新聞には、芸は秀《すぐ》れていても、名門の出ではないために脇役に終始しなければならなかった歌舞伎の世界に失望したにちがいない、といった趣旨のことが書かれていたと記憶している。果してそれが原因のすべてなのか。  ボストンバッグを手に旅館を出てゆく役者の後姿が、あらためて思いえがかれた。自ら命を断つというかれの決意を、少くともかれの妻子は飜意《ほんい》させる存在でなかったことはたしかだ。かれの家庭は、ただ寝起きし、食物を口にするだけの場にすぎなかったのではないのだろうか。  自分は死ぬわけではない、というつぶやきが胸の中をかすめた。  清瀬は、少し頬をゆるめ、冷酒の入っている銚子《ちようし》を手にして酒を杯にみたすと、肴《さかな》に箸《はし》をのばした。そのことが歌舞伎役者との大きな差だが、心情には共通したものがありそうだ。船の発着所に歩いてゆく役者の後姿は、自分のそれでもあるのだろう。  大学を出て会社に入ってから五年ほどたった頃、新しく入社してきた妻に心をひかれた。明るい性格でよく笑い、かれは半年間交際の末、婚約し、結婚した。会社と銀行から借りた金で家を購入し、妻は男子と女子を産んだ。  成長した息子は、私立大学を卒業してカメラ会社に入社し、結婚して大阪に転勤になり、マンション住いをしている。娘も仙台で開業している医師のもとに嫁いで、一人の女児の母親になり、妻としばしば電話で話し合っている。息子は時折り上京するらしいが、家にくることはない。  本社に勤務していた頃、清瀬は充実した日々を送っていた。机の並ぶ明るく大きいオフィスで、かれは机の前に坐って書類を繰り、受話器に耳をあて、上司、同僚、部下と言葉をかわし、訪れてくる人と話し合った。時間が驚くほど早く経過し、残業することもしばしばで、むろん夜の街にも出て酒を飲んだ。休日には、取引先の会社の人とゴルフ場でクラブを振り、時には飛行機や列車で遠出をすることもあった。  夜、帰宅すると、入浴して居間のソファーに腰をおろし、ブランディーのグラスを手にテレビを見、寝室に入る。四十代の半ばまでは、クラブの女などと関係を持ったこともあるが、それ以後は妻の体を抱くのみで、妻の反応のよさにも満足していた。  妻は、かれの会社での昇進を期待して食事に留意し、夜おそくかれが帰宅しても必ず起きている。家庭は、かれの仕事の活力源でもあった。  海外にある出張所その他との打合わせで外国へ行くことも多かったが、帰国した翌日には出社し、それでもほとんど疲れは感じなかった。定期的な健康診断でも常に異常はなく、鏡にうつる顔は、頭髪は薄れていたが艶があった。  定年前に傍系会社への出向の辞令を渡された時は、張りつめていた緊張が一挙にくずれ、虚脱感におそわれた。本社での役員への道をひそかに期待していただけに、はじき出されたような失望感をおぼえた。  妻の慰めの言葉が、かれにとってわずかな救いであった。本社で部長職まで昇進したことは幸運というべきで、傍系会社で役員の座を用意していることは、かれの能力が高く評価されていることをしめしている、と妻は言った。決して若くはないのだから、体を使うことの少い役員としてすごす方が好ましい、とも言った。  かれは、あらためて周囲を見まわすような気持になった。本社の役員になるのは、ごくひとにぎりの者だけで、管理職にもつけず会社を去っていった者も多い。そうしたかれらと比較すれば、きわめて恵まれた境遇にあると言え、このあたりが限界なのだ、と自らを納得させた。  傍系会社では一室をあたえられ、かれは大きなデスクの前に置かれた椅子に坐った。毎日、午前中に社長を中心に打合わせがおこなわれたが、絶えず空気が激しく揺れ動いていたような本社の雰囲気《ふんいき》とは異なった静かな時間がすぎた。社員は忙しそうにしていたが、かれは窓ぎわに立ってビル街や空をながめていることが多かった。  一年がすぎた頃から、かれは自分の体の動きがとみに鈍くなっているのを感じるようになった。歩いていても、中年の女にさえ追い越され、帰りの電車の座席に坐って居眠りをすることもしばしばだった。  そのうちに、朝、出勤する折に満員の電車に乗ることが苦痛になった。電車が駅についたり発車したりする度に押し寄せる乗客の圧力に堪えることができず、そのため早目に起きて、ラッシュアワーになる前の六時半すぎには電車に乗るのが常になった。朝食は、会社の近くの喫茶店でモーニングセットを口にしてすますが、朝食を家でとらぬのは、朝早く起きて食事をととのえてくれる雰囲気が妻にはなくなったからで、それは、娘につづいて息子が結婚し、二人きりの生活になって以来の変化であった。  息子が結婚して半年ほどした頃、妻は、短大時代の友人たちと北欧へのツアーを申込み、ビザをとったり銀行でトラベラーズチェックをつくってもらったりした。かれの諒解《りようかい》を得た上でのことではなく、すでに旅行に出ることはきまっていて、友人たちと会ったり電話をし合ったりして打合わせを繰返していた。 「今まで長い間あなたの世話をし、子育てもしてきたのだから、これからは自分の思う通りにして楽しまなくちゃ」  妻は、かれが詰問《きつもん》するのを封じるような強い口調で言った。  自分の思う通りに……という言葉に、かれは少からぬ衝撃をうけた。かれの意向もたしかめずに海外旅行をきめたように、今後はかれを無視して行動することを意味している。  そのような言葉を口にする妻に、少しも反撥《はんぱつ》できぬ自分が不思議であった。なぜか気が臆《おく》して、荒い声などあげる気持にはなれない。かれは、旅行への期待で表情を明るくしている妻の顔をひそかに盗み見ているだけであった。  妻は、出発の日の早朝、大きな旅行鞄《りよこうかばん》を手にタクシーに乗って家を出て行った。  かれは、うつろな表情で日をすごした。夜も会社の帰りに外で食事をし、家のドアをあける。家の空気は冷えきっていて、煖房《だんぼう》をつけても容易には暖まらず、コートを着たまま居間のソファーに長い間坐っていた。  休日には、下着を洗って室内で干し、クリーニング店に電話をかけてワイシャツを持って行ってもらい、新聞紙を束ねてごみ回収車のくる日に家の外に出しておく。そのようなことをしている自分に、今までなんのために働いてきたのか、と情ない思いがした。  半月後、帰ってきた妻は上機嫌《じようきげん》で、電話で友人に旅の印象をつたえたり、旅の疲れもないらしく外出したりしていた。かれには、土産だと言って高級ブランディーを二本、食卓の上に置いた。  出向した会社の定年の時期が来て、さらに三年間、顧問として残るのが慣例に近いものになっていたが、かれは社を去ることをつたえた。これと言って仕事もないのに、会社に関《かか》わりをもつのが潔《いさぎよ》くないように思えたからであった。それに、たとえ毎日でなくても会社への往き帰りに電車に乗ることを思うと気分が重苦しくなった。若い頃から仕事に明け暮れしてきた疲労の積み重ねが、一時に体にのしかかってきたような感じであった。  会社では慰留の姿勢をとったが、それは決して熱心なものではなく、かれの意向はうけ入れられ、退社記念として典雅な音色で時を打つ柱時計が渡され、退職金が預金口座に振込まれた。  かれは、家で日をすごすようになった。  妻は、またも海外ツアーを申込んでいて、カナダへ出掛けていった。  その留守中、かれは食事を三食とも外ですませていたが、駅の近くのデパートの地下売場で眼にしたインスタントの粥《かゆ》の袋を買ってきて、袋に記された指示にしたがってつくり、朝食をとった。想像以上にうまく、かれはインスタントの味噌汁《みそしる》も買って、毎朝、それを口にすることを繰返した。  昼食と夕食をとりに駅の近くに行くが、往きかう女の姿を執拗《しつよう》に眼で追っている自分に気づいていた。女がひどく美しく見え、それは若い女であったり、人妻らしい三十代か四十代の女であったりした。デパートのエレベーターに乗ったかれは、髪に白髪が幾筋かみえる女が通過する階の光った文字盤を見上げているのに視線を据《す》え、上向きの鼻の形をこの上なく美しいものに感じたりした。  路上で見かける女の眼、唇《くちびる》、首筋、胸のふくらみ、脚の線に魅力をおぼえ、自然に足が動いてその後を追うこともあった。後方から歩きながら、それらの女を抱きしめ、唇にふれ、指先を下腹部にのばしてゆくことを想像し、深く息をついた。  二週間の旅を終えて帰ってきた妻は、さすがに疲れの色が濃かったが、それだけに女らしさが感じられた。  その日、夕方から寝室に入った妻は、翌朝早くかれが眼をさました時には、眼をあけていた。  妻の横顔を見つめていたかれは、体が熱くなるのを感じ、ベッドをはなれて妻のベッドに身を入れた。  妻は仰向いたまま無言でいたが、かれの手が腿《もも》にふれると、 「もう、こういうことはやめにしましょうよ。私はわずらわしいし、あなたも自分の年齢を考えて……」  と、かれに顔もむけずに言った。妻の顔には白けた表情がうかんでいた。  かれは、身じろぎもしなかった。卑屈感が胸にみち、妻のかたわらに身を横たえている自分が愚かしく思えた。  やがて、かれは足をずらせて床におろし、ベッドをはなれた。  それまで月に二、三度は妻の体を抱き、妻の反応はきわめて淡かったものの、かれは一応男としての満足感をおぼえていた。そのような接触が年を追うごとに稀《まれ》になってゆくとは予想していたが、それが完全に断たれたことを知った。  その日から妻が、自分にはなんのゆかりもない人間に感じられるようになった。同じ家で寝起きし食事を共にするが、ただ一人の女が眼の前にいるのを意識するだけであった。距離を置いてながめてみると、七歳下の妻は、五十代後半になっていながら四十代の女のように体の動きがきびきびしていて、声に張りがあり笑い声も甲高い。その明るい逞《たくま》しさが、かれには堪えがたいほどまぶしいものに感じられた。  妻は、短大時代の友人以外に行きつけの美容院の客たちとも親しくなっていて、二、三泊の国内旅行に出掛けることもある。家にそれらの女たちが集って、仕出しの弁当で昼食をとりながら、なにが可笑《おか》しいのか息をあえがせて笑い合う。辟易《へきえき》したかれは、ひそかに外に出て夕方まで歩きまわった。  かれが家を出ようと思ったのは、妻がそれらの美容院の客たちとスペインへの旅行に出掛けた日の翌朝だった。  前日の夜、買ってきたインスタントの粥をすすりながら、自分はなんのためにこの家にいる必要があるのか、と思った。  家は妻のためのみにあって、妻は思いのままに外出したり旅行に出掛けたりしている。自分の存在はなきに等しく、このまま老いて死を迎える以外にない。息子は疎遠《そえん》になっていて、娘も妻のみを意識しているように思え、子供にとっても自分はなんの意味もないらしい。たとえ自分が死んでも、妻も子供たちも悲しむことはなく、今まで通りの生活をつづけてゆくにちがいない。むしろ、さらに明るい気分になってそれぞれの生活を楽しむのだろう。  かれは、うっすら湯気を漂わせている粥を見つめた。こんなものをすすって家で日をすごしている自分が愚かしく、どこか思いきり遠くへ行き、自分だけの時間を持ちたかった。  かれは少し涙ぐみ、旅に出ようと思った。  翌朝、女中の声に眼をさました。枕《まくら》の近くに置いた腕時計を引寄せてみると、針が八時近くをさしていて、いつもより長い時間寝ていたことを知った。  昨夜は和服を着ていた女が、簡単な洋服姿で食事を運んできた。他に客はいないらしく、旅館は森閑としている。  食事をすませたかれは、少しの間、茶を飲んだりして坐っていたが、なすこともないので腰をあげ、旅館を出た。  船の発着所の方へ歩いてゆくと、左手に喫茶店が見え、かれはドアを押した。客はなく、道路に面した席に腰をおろした。  コーヒーカップにミルクを入れながら、どこへ行ってみようか、と思った。船に乗って島から島へ渡ってゆくのもよいかも知れない。岡山へ引返す気はなく、四国へ渡ってみようか、とも思った。東京に近づくことだけはしたくなかった。  窓の外に朱色の小型車がとまり、夫婦らしい男女が入ってきて、入口に近い席に向い合って坐った。茶色いハンチングをとった男の頭髪はとぼしく、派手な服に青みをおびた眼鏡をかけた女の髪は白い。二人とも自分と同年齢ぐらいにみえた。  女は、コーヒーを飲みながら五十年輩の店主と言葉をかわした。四日間、車で旅をし、今、フェリーで島についたが、紅葉の名所の色づき具合はどうか、とたずねた。 「冷夏でしたので今年は駄目《だめ》だと言われていましたが、心配していたほどではないようです。ただし、もう終りに近くなっています」  店主は、窓の方に眼をむけながら答えた。  男が、道路マップを手にその名所への道を店主にたずね、店主は指先を動かして説明した。  清瀬は、その男女に視線を走らせながら、このような夫婦もいるのだ、と思った。二人は年齢の差もそれほどなく経済的にも一応恵まれているらしく、車で秋の旅を楽しんでいる。女はおしゃれでイヤリングもしていて、二人はむろん夜の生活もあるのだろう。  女は、コーヒーがおいしかった、と店主に言って代金を払い、男の後から店を出ると、車の助手台に身を入れた。  清瀬は、車が去るのを見送った。  家のことが頭をかすめた。妻は、夜も帰らなかった自分をいぶかしみ、外出先で事故にでもあったのではないか、と思っているかも知れない。妻がどう考えようと、自分には関係のないことで、足のむくままに旅をすればよいのだ、と思った。  店を出たかれは、船の発着場の方とは逆の、夫婦の車が去った方向に足をむけた。  店主が説明していたように、道が二股《ふたまた》になっていて、夫婦の車は山の方にむかっている道を進んでいったはずで、清瀬もその上り傾斜の道を歩いていった。紅葉見物の人を乗せているのか、後方から観光バスが二台つづいてやってきて、それを追うように乗用車が走ってゆく。  右手に海がみえ、振返ると、海面に点々と島がうかび、その間をタンカーや観光船らしい白い船が動いていた。  道の両側に常緑樹がつらなるようになって、海は見えなくなった。  左手の林の中に砂利道が通じているのを眼にしたかれは、その道に入っていった。車の走る音が遠くなり、あたりに静寂がひろがった。  道が右手に曲っていて、曲り角で足をとめた。前方が明るくひらけていて、畠《はたけ》をへだてて丘陵がみえる。斜面が黄、朱の色におおわれ、その彩《いろど》りを眼にしただけでも道をたどってきた甲斐《かい》があった、と思った。  光るものが、眼にふれた。丘陵の麓《ふもと》のくぼみに霊柩車《れいきゆうしや》がとまり、その後ろに薄い青色のマイクロバスと三台の乗用車がみえる。霊柩車の後部から白い柩《ひつぎ》がおろされ、黒い服を着た者たちがそれを支えて傾斜した道をのぼってゆく。その前方に、鉛筆の芯《しん》のような細い煙突がみえ、焼場があるのを知った。  半年ほど前、妻と居間で向き合って坐っていた夜のことが、ほろ苦く胸によみがえった。  その日、建築会社を経営していた妻の叔父の葬儀が営まれたが、在社中、盛大な葬儀に何度か参列したことのある清瀬にも、それらとは異なった雰囲気が感じられた。  葬祭場には驚くほど多くの花輪と生花が並び、祭壇は見たこともない豪華なもので、祭場の入口には水の飛沫《しぶき》を散らせてまわる大きな水車が置かれていた。葬儀が終り、霊柩車に柩がおさめられると、おびただしい数の白い鳩《はと》がはなたれ、その羽音が祭場の敷地にみちた。その中を霊柩車が動き、ハイヤーの列がそれにつづいて門を出た。  贅《ぜい》をこらした葬儀に、終戦直後、肺結核で病臥《びようが》して死んだ父のことが思い起され、夜、居間でそのことを妻に話した。  当時、清瀬は十七歳で、復員してきたばかりの兄とともに区役所に埋火葬許可証をもらいに行った。区役所では、許可証を渡してくれたが、焼場に遺体を焼く燃料が少いので、遺族が燃料を焼場に持ってゆかぬと、焼くのが何日間ものばされる、と言われた。  あたり一帯は空襲で焼きはらわれて生活物資は枯渇《こかつ》し、区役所で指示された量の燃料など入手できるはずはなかった。  清瀬は兄と、親しくなっていた近くの鳶職《とびしよく》の男のもとに相談に行った。男は、職業柄《しよくぎようがら》、死者の出た家との接触もあって、兄の口にする言葉をすぐに理解した。まず柩のことについて、焼け残った葬儀屋にも柩がなく各自が用意しなければならないが、板がないので作れず、竹の簾《すだれ》をゆずるからそれを遺体に巻け、と言った。 「燃料のことだが、二人は若いのだから電柱を一本掘り上げるんだな。それを薪《たきぎ》にすれば十分だ」  男は、さりげない口調で言った。焼跡では、電柱もすべて焼けているが、土中に埋れた部分は残っていて、それを掘れというのだ。  男は二|挺《ちよう》のスコップを貸してくれて、清瀬は兄と焼跡を歩き、焼けた太い電柱を見出してスコップを突き立てた。柱は土中に二メートルほどの深さまで入っていて、二人はかなりの時間を費して掘り上げ、鳶職の家までかついで行って薪にした。  簾に巻いた父の遺体と薪をのせたリヤカーをひいて、喪服をつけた母とともに焼跡の中を焼場の方へ歩いた。母はその三年後に肺炎で死に、大学教授になった兄も七年前に癌《がん》で死亡している。 「電柱一本で父を焼いた」  清瀬は、妻の叔父の柩が窯《かま》に入ると同時に重油に点火された音を思い出しながら言った。  妻は、黙っていた。  なに気なくその顔に眼をむけたかれは、そんな話をしなければよかった、と深く悔いた。  妻の顔には、かすかな笑いの表情がうかんでいる。妻は、滑稽《こつけい》な作り話と思っているのか。それとも、話を信じたとしても、他に才覚を働かせる方法があったはずだ、と蔑《さげす》んでいるのか。自分には自分なりの過去があって、それを口にしても妻の理解の範囲を越えたもので、妻には理解しようとする気はないのだろう。  かれは、妻との間に深い亀裂《きれつ》が介在しているのをあらためて感じ、テレビの画面に視線をむけた。  霊柩車が二度後退して車体をめぐらすと、丘陵の根に通じている道をゆれながら引返してゆく。車体の飾りが、閃《ひらめ》くように光った。  煙突に眼をむけると、先端から淡い煙がゆらぎはじめている。  かれは、煙が樹林の方に流れてゆくのを見つめながら、背広の内ポケットから煙草を取り出した。 [#改ページ]   果実の女  駅前の広場を横切り、銀行の脇《わき》の道に入った。  両側には、事務所などが入った三、四階建の鉄筋コンクリートの建物が並び、いずれも入口のシャッターはおりている。街灯の光を背に、駅で下車して家路をたどる会社勤めらしい男や女が、足をはやめて歩いてゆくのが見える。  後方からヘッドライトの光が流れてきて、笠井《かさい》は、道の端に身を寄せた。この年齢まで生きてきたのだから、交通事故などで命を落したりしたくないという気持が強く、必要以上に身を避けるようにしている。  かたわらをタクシーが、通りすぎていった。  産婦人科医院の角をまがり、長い坂をのぼりはじめた。  路面に眼《め》をむけながら、今日は体調がいいようだ、と思った。  この坂道をたどる時、足が重くて思うように動かず、息苦しくなって坂の途中で立ちどまり、呼吸をととのえることが多い。が、足にだるさはなく、かれはゆっくりとのぼっていった。  週に二回、一駅はなれた繁華な町のビルの一室でひらかれている料理教室に通っている。昨年の春、小学校の校長を定年退職して家で一人で暮すようになってから、食事は外食やパンとコーヒーですましたりしてすごしてきた。が、健康を維持するには規則正しい食生活をすることが必要だと考え、新聞の折込み広告をみてその教室で料理をならうようになった。  講習は一年、二年のコースに分けられていて、かれは初歩の料理の仕方を身につけさえすればいいと考え、一年コースに入り、すでに四カ月がすぎている。  講習をうけているのは、当然のことながら女性が大半で、男は、かれ以外に料理好きだという中年のサラリーマンだけであった。その男は妻帯者で、女たちは、かれを変り者としてみているようだったが、笠井が一人住いで、必要があって講習をうけていることを知って同情したらしく、助言をしたり手を添えたりしてくれていた。  その夜は、グリーンピース入りの御飯と茶碗蒸《ちやわんむ》しを教えてもらったが、坂道をたどりながら、明日の夕食はそれを作ってみよう、と思った。  坂道をのぼり終えたかれは、両側に住宅の並ぶ道をたどり、新しく建てられたアパートの脇の道に入った。  その露地は袋小路になっていて、一番奥の左側にかれの家がある。  家の門の近くにある街灯は、蛍光灯《けいこうとう》が古くなっているらしく半月ほど前からついたり消えたりするようになっている。その点滅する光に、家の前に立つ人の姿が見えた。  こちらにむけている顔はほの白く、髪形から女であるのが感じられた。転勤になった夫について福岡に住んでいる娘か、と一瞬思ったが、娘なら当然、電話で上京をあらかじめつたえてくるはずであった。  かれは、その女に視線を据《す》えながら露地を進んだ。  女は、ボストンバッグをさげている。隣家を訪れてきている女かも知れぬ、と思った。  近づいていったかれに、女が頭を深くさげた。  かれは足をとめ、点滅する光にうかびあがった女の顔を見つめた。学校に勤めていた頃《ころ》は、夜、生徒の親が相談ごとのためなどで訪れてくることがあったが、退職してからはそのようなことは絶えている。女の顔に見おぼえはなかった。 「どなたでしょうか」  かれは歩き出し、声をかけた。  女が再び頭をさげ、 「折原です」  と、かすれた声で言った。  かれは、女に近寄り、足をとめた。知らぬ姓で、教え子の中に折原姓の者は思いうかばない。 「くだもの屋の……」  けげんそうなかれの気配を察したらしく、女が、低い声で言い添えた。  くだもの屋というと、近くの商店街にある果実店しか思いあたらない。  不意に、胸によぎるものがあった。店主の姓が折原かどうかは知らぬが、眼の前に立っているのが一年ほど前から姿を消している店主の妻であることにようやく気づいた。 「あのすずらん通りの……」  かれが言うと、女は、はい、と答えた。  店にいた頃とは印象が異なっていて、別人のように面変《おもがわ》りしている。痩《や》せていて、頬骨《ほおぼね》も突き出ている。  家の前に立っているのは、自分の帰りを待っていたからだろうが、なぜ訪れてきたのか、かれには理解できなかった。 「私に御用でも……」  かれは、声をかけた。 「はい。折り入ってお願いしたいことがございまして……」  女の声は、低かった。  頼みごととはなんだろう、と思った。 「そうですか。ここで立ち話もできませんから、入っていただきましょうか」  かれは、門の戸をあけると玄関に近づき、ドアの鍵穴《かぎあな》に鍵をさしこんだ。  ドアの内部は、空巣にねらわれぬため、無人ではないように電灯をつけたままにしてある。  女に入るよううながしたかれは、右手にある居間の電灯をつけ、座卓の前に坐《すわ》った。  女が遠慮がちに部屋に入り、入口近くにボストンバッグを置いて坐った。 「こちらへ……」  かれは、座卓の前の座ぶとんに坐るよう女に声をかけ、急須《きゆうす》を手にすると茶の葉を入れてポットの湯をそそいだ。  恐縮する女の前に茶碗を置いたかれは、湯呑《ゆの》み茶碗の茶をひと口飲んだ。  女は、顔を伏せている。  かれは、女に視線をむけた。洗いさらされたようなブラウスをつけ、髪も乾いている。侘《わび》しい生活をしていることが、その姿から感じられた。 「夜分におうかがいしまして、申訳ありません。実は、他におすがりできる方もおりませんので、先生のお力をおかりしたいと思って参りました」  女は、視線を落したまま言った。 「どういうことでしょうか」  かれは、女の顔をのぞきこむように見つめた。 「おきき及びかも知れませんが、昨年の三月末に、私は、魔がさしたと申しましょうか、家を出てしまいまして……」  そのことは、かれも知っていた。  月に数回、かれは商店街にある鮨屋《すしや》に行って、鮨種を肴《さかな》に銚子《ちようし》を二本あけるのを楽しみにしている。そこには、商店街の店主たちや近くに住む職人などが飲みに来ていて、自然に町の噂《うわさ》が耳に入る。  果実店の店主の妻が、いつの間にか男ができて家出し、店主が狂ったように探しまわったが、わからずに終ったという話をきいていた。 「そう言えば、あなたの姿はお見かけしませんでしたね」  かれは、とぼけて言うと茶碗を手にした。 「はい。まことにお恥しい話ですが、男のひとに誘われまして……」  女は、顔をあげてかれの表情をうかがうように視線をむけ、すぐに顔を伏せた。悪戯《いたずら》を見つかった子供のような眼であった。  女が顔を伏せたまま、低い声で話しはじめた。  彼女は、男に誘われるままに北海道に行き、札幌のパチンコ店で夫婦と称して雇われ、郊外のアパートに住んだ。  休日はほとんどなく、それでも近くの湖畔や牧場に行って、バーベキューでビールを飲んだりして楽しい日をすごすこともあった。  しかし、それも半年ほどのことで、彼女と一緒にアパートに帰るようにしていた男が、さまざまな口実をもうけて一人で飲み歩くようになった。 「店に勤めていた私より八歳下の二十九歳の女と親しくなったんです」  彼女の顔に、少し険しい表情がうかんだ。  やがて男は外泊もするようになり、樹葉が朱の色に染まりはじめた頃、男は女とともに姿を消した。 「私の預金通帳から、ほとんどの金がおろされていました」  彼女は、深く息をついた。  その店にいるわけにもゆかず、津軽海峡を渡って青森市に行き、土木会社の工事人の宿泊所で炊事婦となって働いた。  雪がやってきて、彼女は寒さに辟易《へきえき》しながらも今年の二月まで勤め、それから宇都宮に来てパチンコ店に住込みで雇われた。 「昨日、そこをやめて、今朝、東京に出てきたのです。疲れました」  顔を少しあげた女の眼に、少し涙がうかんでいた。  女の顔はやつれ、三十代とは思えぬほど老《ふ》けこんでみえる。眉毛《まゆげ》が毛ばだっていた。  背を丸めて坐っている姿に、不倫をおかして失踪《しつそう》した彼女の代償の大きさを感じた。と同時に、快楽のおもむくままに夫を裏切った哀れな結果を小気味よくも思った。  女が、かれに眼をむけ、 「夫はどうしておりますでしょうか」  と、探るような眼をして言った。  かれは、煙草《たばこ》にライターで火をつけ、 「相変らず店をやっていますよ」  と、答えた。  女が家出をしてから、折原というその店主は暗い眼をしていて口数も少かったが、次第に表情がもとにもどるようになり、時には笑顔をみせることもある。 「女のひとがいるなどということは、ありませんでしょうか」 「そんなことはないようです。御主人が店に一人でいますから……」 「そうですか」  女の口もとが、かすかにゆるんだ。  かれは、煙草をくゆらせながら仏壇の方に眼をむけた。妻が病死してから八年がたち、娘も嫁いで二児の母になり、かれは一人だけの生活をつづけている。妻と結婚した後、家庭に波風が立つこともなく、空気が静止したような日々がすぎた。折原とその妻のような混乱した生活は、自分たちには無縁のものであった。 「それで、折り入ってお頼みしたいのですが……」  女が、また視線を落した。 「なんでしょう」  かれはたずねながらも、女の口にしようとしていることがほぼ察しがついていた。 「今さらこんなことを言える身ではないのですが、私が詫《わ》びを入れましたらあの人が許してくれますかどうか。こんなことをお頼みできるのは先生以外におりません。私の気持をあの人につたえていただくわけには参りませんでしょうか」  女はとぎれがちに言いながらも、あらかじめその言葉を何度も胸の中で反芻《はんすう》してきたらしい口調で言った。  予想通りだ、と思った。そんなことを女が頼みにきたことに、自分がみくびられているような気もした。  しかし、胸にことさら不快な感情は湧《わ》いていなかった。それは、長年、教師としてすごしている間に身にしみついたものであることをかれは知っていた。  生徒の親などの理にかなわぬ訴え、抗議、依頼があっても、かれは一応それをうけいれ、穏便に解決することにつとめて後に尾をひかぬような処理をした。決して事を荒立ててはならぬという意識が常にあって、それが、偶然に助けられたのかも知れぬが、いつも好ましい結果をうんだ。  眼の前に坐る女の依頼は、虫がよすぎるが、自分にすがってきた女を無下に突き放す気にはなれなかった。  しかし、かれは、女の秘事を少し突いてやろうという思いがけぬ感情が胸に湧いたことに驚きを感じていた。それは教師時代には考えられぬことで、教師の世界から遠くはなれたためにちがいない、と思った。 「お引き受けしてもよいのだが、あなたは前にも同じようなことをしたのではないですか」  かれは、思い切って言った。  女が、驚いたように顔をあげた。 「事実でなかったらお詫びするが、二、三年前にも家を出たことがあったのでは……」  かれは、こんなことはやはり口にすべきではなかった、と後悔した。昨年三月に女が失踪した時、鮨屋の主人が、二度目だ、と言った。一回目の時は、折原が彼女を探し出し、連れもどしたという。 「そんなこと。いやですわ、先生。友だちの所に四、五日行っていただけですよ」  女が、甲高い声で言った。顔に笑いの表情がうかんでいたが、眼にはあきらかに動揺の色があった。 「そうでしたか。なんとなくそんなことをきいたような気がしたものですから……」  かれは、うろたえぎみに言った。噂をきいて廻《まわ》っているはしたない男に思われたのではないか、という気恥しさを感じた。  かれは、気まずそうに黙っていた。  しばらくして、女が、 「お願いしますね、先生。許して欲しいと私が言っていることを、うちの人につたえて下さいな。魔がさしたんです。私がばかだったんです」  と、うるんだ声で言った。  かれは、無言でうなずいた。  女は、友だちのアパートに二、三日泊らせてもらうことになっている、と言って、その部屋の電話番号を記した紙片を食卓の上に置き、腰をあげた。  ドアの外に出た女は、頭を深くさげ、静かにドアをしめた。  下駄箱《げたばこ》の上のすりガラスが、街灯の光をうけて明るくなったり暗くなったりしていた。  翌朝起きた笠井は、小鰺《こあじ》の干物を焼き、胡瓜《きゆうり》と若布《わかめ》の酢の物で食事をとった。  昨夜、訪れてきた女の顔が、しきりに眼の前にうかんできた。  かれが折原夫婦を知ったのは、五年前に娘が嫁ぎ、近くのすずらん通りと名づけられた町の商店街に日用品その他の買物に歩くようになってからだった。その頃は、昼食と夕食は外食ですませ、朝食に口にするパンは、学校からの帰途、駅ビル内で買うのを常としていた。  しかし、日用品はその商店街で買いもとめることが多く、果物が好物なので果実店にも時折り立寄った。  その店の前にくると自然に足がとまるのは、折原の妻の好ましい印象によるものだった。  長身の折原は口数が少く、それとは対照的に妻は接客態度がいきいきしていて、店が彼女の存在で明るく輝いているようだった。  少し東北|訛《なま》りの残った声に張りがあって、身のこなしも素速い。化粧はせず服装も地味であったが、肌《はだ》は白く目鼻立ちもととのっていて、彼女が眼の前に立つと気持がなごんだ。  笠井は、商店の主婦として彼女は理想的な女だと思い、きびきびと働く姿に殊勝さを感じ、好感をいだいていた。  折原が左手の薬指に細い金の指輪をはめているのに気づいた笠井は、夫婦生活もうまくいっているのを感じた。ブラウスの胸の部分のふくらみを眼にして、彼女の白い裸身を不謹慎にも思いえがいたりした。  そのような彼女が、昨年の早春、男ができて失踪したときいた時、耳を疑うような驚きをおぼえた。さらにそれ以前にも彼女が家を出たことがあるという話に、かれは茫然《ぼうぜん》とした。  不倫などとは決して縁がないと思っていただけに、かれは信じられないような気持であった。  笠井は、折原の顔を見るのが堪えがたい気がして、店の前を通るのを避けた。折原が衝撃をうけて閉店でもするのではないか、と思ったが、遠くからみると、店はひらいているようだった。  二カ月ほどして、笠井は、さりげなく店に入り、苺《いちご》を買った。  それがきっかけで、かれはまた店に立寄るようになったが、暗い表情をし頬の肉も落ちた折原しかいない店に入るのがためらわれ、以前よりも立寄る回数は少かった。  笠井は、果物を袋に入れる折原の指に、指輪が消えているのにも気づいていた。子供がいないかれに再婚話もあるにちがいないと思ったが、それらしい気配はなかった。  むろん笠井は折原に、かれの妻がなぜいないのかをたずねることはしなかった。折原の方もそれについて口にすることはなく、なんとなく気づまりな思いがし、笠井は、そうそうに店を出るのが常であった。  食事をすませて流し場で食器を洗いながら、厄介《やつかい》なことを引受けたものだ、と笠井は思った。女がどこか商店街の店主にでも頼みに行ったとしたら、 「それはあんたたち夫婦の問題だろう。二人で話し合ったらどうだ」  と、冷く突き放すにちがいない。  長い間の教員生活で、第三者から頼まれればそれをそのままうけいれる自分の習性にうとましさをおぼえた。  しかし、かれは、折原の妻に依頼されたことに不快感はいだかなかった。定年退職後、朝起きて、今日はなにをしてすごそうか、と思案する日が多い。周囲の人たちはあわただしそうに日をすごしているのに、自分にはなすべきこともなく、社会の枠《わく》の中から一人はみ出しているような侘しさを感じている。  そうした自分に、女はすがれる唯一《ゆいいつ》の存在だと言って、力を貸して欲しいと懇願した。それは女が、自分を思慮分別のある元教育者だと考えているからにちがいなく、笠井は自分の矜持《きようじ》が少しみたされるのも感じていた。  かれは、いつものように新聞に眼を通し、腰をあげた。  ドアの鍵をしめ、露地を出ると、住宅街を歩き、商事会社の寮の角をまがった。  少しカーブした道の両側に、商店が隙間《すきま》なく並び、すずらんの形をした笠のついた街灯がつらなってのびている。駅の周辺には、スーパーマーケットやアーケードつきの商店街があって客足が絶えないが、駅から徒歩で十分ほどのその商店街も、附近の住宅やアパート、社員寮などの客を集めて活気がある。  かれは、書店の隣りにある果実店の前に行くと、店の中に入った。  西瓜《すいか》をはじめ桜桃《おうとう》などが陳列されているが、女がいた頃とはちがって品数も少くなっている。店に客はいなかった。  奥の机の前に坐っていた折原が立ちあがり、軽く頭をさげた。  笠井は机に近づき、 「今日は、ちょっとお話があって来ました」  と、言った。  折原は、いぶかしそうな表情をしながらも、あわてたように丸椅子《まるいす》をすすめ、自らも坐りなおした。  笠井は、椅子に腰をおろし、果実に眼をむけながら、 「今までおききするのもどうかと思い、黙っていましたが、奥さんは家を出ているのですね」  と、おだやかな口調で言った。 「はい」  折原は不意をつかれたように反射的に答え、笠井の横顔に視線を据えた。 「咋日の夜、奥さんが私の家に訪ねて来ましてね」 「徳子がですか」  折原の眼が、動かなくなった。  黒々とした髪が密生したように額にせまり、眉毛が太く、顔が鉱物のようにみえる。  笠井は、初めて女が徳子という名であるのを知った。 「なぜ、私の家に来られたのか。私が教職にあった身なので話をきいてもらえると思って来たのでしょうが、私も途惑いました」  折原の凝視に、笠井は眼をしばたたいた。 「奥さんから家を出られた理由をききました。むろん私がおたずねしたのではなく、奥さんの言うのをきいただけです」  笠井は、折原が眉をしかめ、少し視線をそらすのを見た。眼に怒りとも悲しみともつかぬ光がうかんでいる。  笠井は、なにか事情のある生徒を職員室に呼んで私的なことをたずねているような錯覚をおぼえた。 「奥さんは、魔がさした、と言っていました。あなたの所にもどりたいのだが、あなたが許してくれるかどうか、私にきいて欲しいというのです。こんなことはあなたがた夫婦の問題で、私が口をさしはさむのはさしでがましいとは十分承知してはいますが、頼まれましたので一応おつたえします」  笠井は、折原が荒い言葉を口にするような予感がした。妻をののしるだけでなく、そんなことをつたえにきた自分を「放っておいて下さい」となじるにちがいない、とも思った。  折原は、口をつぐんでいる。道の方に眼をむけているかれの顔には、うつろな表情がうかんでいた。  笠井は、息苦しくなった。やはり女の頼みを引受けるべきではなかった、と後悔した。教師が接するのは生徒とその保護者にほぼ限定され、そのせまい世界での判断は一般社会に通用しないのかも知れない。夫婦間のことに第三者である自分が介入するのは、常識を欠いたことなのだろう。  つたえるべきことはつたえ自分の役目も終ったと思った笠井は、その場にいることが堪えがたい気がして、腰をあげかけた。が、かれは、折原の眼に光るものが湧いているのに気づき、かれの顔を見つめた。 「徳子は、どこにいるのですか」  折原が言った。 「友だちのアパートに二、三日厄介になる、と言っていました」 「そのアパートはどこですか」 「電話番号を書いた紙を置いてゆきました。家にありますが、お知りになりたいのなら、これから家に帰って電話で番号をお報《しら》せします。それでよろしいですか」  折原は立つと、 「お願いします」  と言って、頭をさげた。  笠井は、折原の店の電話番号を印刷した名刺を手にすると、腰をあげた。  店の外に出た笠井は、道をタクシーが近づいてくるのを眼にして書店の店先に身を寄せ、タクシーがかたわらを過ぎると、家の方向にむかって歩き出した。  徳子が訪れてきたのは、五日後の夜であった。  ドアの外に立った彼女は、 「御恩は生涯《しようがい》忘れません。ありがとうございました」  と言って、店の包装紙につつんだものを差出し、何度も頭をさげて露地を去っていった。紙包みには、高級メロンが入っていた。  笠井は、その贈物で折原が徳子を許したことを知った。  二日後の夕方、鮨屋へ行くと、鮨種を笠井の前に置いた店主が、 「くだもの屋のかみさん、もどってきましたよ。本当かいな、と思っていましたら、昨夜、特上二人前という注文があって女房が持っていったところ、あのかみさんが出てきたそうです」  と、言った。 「そうかね」  笠井は、関心もなさそうに答え、銚子をかたむけた。自分が仲介したことを口にする気はなく、無関係であるようによそおう方がいい、と思った。 「あのくだもの屋は、余程かみさんに惚《ほ》れているんですね。それにしても、男と手に手を取って家を出ていった女房を家に入れるなんて、人がいいというか、寛容というか」  店主は、顔をしかめて首をふった。  笠井は、黙って肴に箸《はし》をのばし、杯を口にはこんだ。 「しかし、どうですかね、あのかみさん。前歴があるから、いつまで持つか」  店主は、つぶやくように言った。  その後、笠井は、果実店に近づくことは避けていた。徳子がもどるのを折原が許したとはいえ、当然のことながら二人の関係はぎくしゃくしたものになっているはずで、そこに顔を出せば自分もその渦中《かちゆう》に巻きこまれる恐れがある。これ以上わずらわしい思いをするのはいやであった。  しかし、一カ月ほどたった頃、商店街の書店で毎月読んでいる総合雑誌を買ったかれは、素通りもできない気がして、隣りの果実店をのぞいてみた。なんとなく、生徒の家庭訪問をしているような気持であった。  店の奥の椅子に折原が坐り、徳子はそのかたわらに立っていた。 「あら、先生」  徳子が甲高い声をあげ、顔に笑いの表情をうかべて近づいてきた。  笠井は、呆気《あつけ》にとられて彼女を見つめた。憔悴《しようすい》しきったあの夜とは異なった、失踪前と変らぬ表情であった。眼は明るく輝き、顔の皮膚にも艶《つや》がある。  椅子から腰をあげた折原が、頭をさげた。頬をゆるめたかれの眼には、おだやかな光がうかんでいた。 「ちょっと隣りに雑誌を買いに来たのでね。元気そうでなによりだ。では、これで……」  笠井はうなずきながら片手をあげ、店の前をはなれた。 「また、お立寄り下さい。お待ちしています」  徳子が店先に出て頭をさげるのを背後に意識しながら、かれは小走りに歩いていった。  張りのある徳子の声が、耳の奥にいつまでも残った。近所の人たちは彼女が不倫をおかしたことを知っていて、冷い好奇の眼をむけているにちがいないが、それらの視線を無視して愛想よく客に接しているらしい徳子に、薄気味悪さを感じた。  その後、笠井は折原の店に足をむけることはなかった。毎日のように駅周辺まで散策するのが習慣になって、品数が多く値段も安い店を見出《みいだ》し、そこで果実を買い求めるようになっていた。  料理教室に通ってきていたサラリーマンは、転勤になって姿を見せなくなり、男は笠井だけになった。彼女たちに誘われて喫茶店に入ったり、時にはレストランで食事をとることもあった。  秋も深まった頃、講習を終えて料理教室のある建物を出た笠井は、アーケードの商店街を駅にむかった。  その町にはデパートもいくつかあって、商店街は人通りが多い。駅の近くにきた時、かれは足をとめかけた。  前方から歩いてくる女に気づいたかれは、一瞬別人かと思ったが、それは徳子であった。ハイヒールに紫色のワンピースを着、顔に化粧をほどこしている。ネックレスが光っていた。  口もとをゆるめたかれは、すぐに笑いの表情を消した。徳子は一人ではなく、男と肩をふれ合うようにして歩いている。二十七、八歳の華車《きやしや》な体つきをした男であった。  笠井の視線は、硬直したように徳子の顔からはなれなかった。  徳子の眼が笠井にむけられ、表情にわずかに揺れ動くものがみられた。口もとをゆるめ、会釈《えしやく》する気配があったが、それは動きともいえぬかすかなものであった。  徳子の視線が前方にもどされ、取りすました表情でかたわらを通りすぎていった。  笠井は、振りむくことはせず歩きつづけた。殊勝な仕種《しぐさ》で店で働く彼女に、別の貌《かお》があるのを知った。  サラリーマン金融の宣伝なのか、近寄ってきた若い男がティッシュペーパーを差出した。受取ったことがないかれは、自然にそれを手にした。  かれは、歪《ゆが》んだ笑いのようなものが胸に湧くのをおぼえながら、人があわただしく動く駅の構内に入っていった。 [#改ページ]   法師蝉《ほうしぜみ》  受話器を置いた星野は、洋間のガラス窓を通して庭に眼《め》をむけた。  狭い庭に樹木らしい樹木は百日紅《さるすべり》だけで、珍しく花が白い。数日前から満開で、雪が分厚く降りつもっているようにみえる。  中学校の同期会の幹事をしている友人は、一応|報《しら》せるだけは報せる、と、柿本《かきもと》という友人の死を口にしてから、 「驚いたよ。同期会で会ってからまだ一カ月もたっていないのだからな。一人で温泉旅館に行っていて、朝、死んでいたのが見つかったのだ。元気そうにみえたがな」  と、再び驚いたよという言葉を繰返して、電話を切った。  数年前から年に何人かの同期の者の死がつたえられるようになり、中には親しかった友人もあって、通夜《つや》か葬儀に出向いたこともある。が、それは稀《まれ》で、時には香奠《こうでん》を送ったり悔みの手紙を書いたりすることはあっても、報せをうけただけで聞き流すことが多い。  柿本とは親しい間柄《あいだがら》ではなく、同期会に出席しても目礼をする程度で言葉をかわしたこともない。死んだのか、という思いだけで、なんの感情も湧《わ》かない。  しかし、元気そうにみえた、という友人の言葉が、釈然としないものとして胸に残った。友人の眼には、実際にそのようにみえたのだろうか。  同期会は立食パーティーで、柿本は、食物が並ぶテーブルの近くに立ち、談笑する友人たちの中で、だれとも話すことはせず一人はなれていた。顔に表情がとぼしく、眼はなにを見ているのか、うつろであった。  中学校時代、小柄で色白だったかれの頭の地肌《じはだ》は透けていて、髪も半ば白くなっている。首は細く、グレーの背広を着たかれの姿が、陽炎《かげろう》がゆらぐ中で立つ細い標石のようにみえた。  昨日、会に出席した者の記念写真と薄い会員名簿が送られてきていたので、星野は和室の窓ぎわの棚《たな》に置かれた写真を手にした。  並んだ友人の中で、柿本の顔を見出《みいだ》すのは容易だった。かれは、二列目の端に立っていた。グレーの背広が白っぽくうつっていて、顔が固定し、葬儀の祭壇にかざられる遺影が一つまぎれこんでいる感じさえする。  幹事の友人は、元気そうにみえたと言い、その死に驚きを感じたと繰返したが、会に出席した柿本の肉体は、すでに死が約束されていたのではないだろうか。  名簿を手にして繰った星野は、柿本の勤務先の欄に悠々自適《ゆうゆうじてき》と記されているのを見た。星野自身も、長年勤務していた会社から傍系会社に移って役員となり、そこも三年前に定年退職している。なにもなすべきことはないのだが、悠々自適などという安穏な心境にはなく、会社に勤めていた頃《ころ》の余燼《よじん》がまだ残っていて、同期会の名簿の勤務先の欄には、会社名の前に元という字を記してある。  写真にうつる柿本の姿に、少年時代に眼にした法師蝉の羽化する情景がよみがえった。長い歳月がたっているのに、それは鮮やかな記憶として胸に焼きついていて、晩夏にオーシーチュクチュクと鳴く蝉の声を耳にする度に、眼の前にうかび上る。  夏も終りに近い頃の朝、庭の樹《き》の枝にはりついている露に濡《ぬ》れた蝉の殻《から》の背が、徐《おもむ》ろに割れてゆくのを、少年であった星野は見つめていた。  割れ目に白く透き通ったものがみえ、それが少しずつ盛りあがって、上部から頭部がのぞいた。後頭部が淡い茶の色をおび、眼が黒い。  停止しているかと思うほど動きはかすかだが、チューブから押し出される透明な軟膏《なんこう》のように体が上方にのびてゆき、上半身が露《あら》わになった。動きにわずかな変化が起きて、体が徐々にのけぞり頭部がさがりはじめた。  頭部を下に体が垂直にたれさがった時には、尾部がわずかに茶褐色《ちやかつしよく》の殻の中に残っているだけで、それから急に頭が上方にもどりはじめて、やがて前肢《ぜんし》で殻の背をつかむと、尾部が殻からはなれた。羽は、濡れた薄い絹布のようにしおれていた。  その後、星野は蝉の羽化を眼にしたことはないが、羽化したばかりの法師蝉の体内の単純な臓器が、すべて透けてみえていたような記憶がある。血管に相当する細いビニールの管に似たものの中を、無色の澄んだ体液が流れているのも眼にした。  それも瞬時に近いことで、体がほの白い膜におおわれて内部はみえなくなり、それにつれて羽もひろがってのびた。  二列目の端にうつる柿本の映像が、羽化したばかりの法師蝉の姿と重なり合った。頬《ほお》をゆるめたり歯をみせて笑ったりしている他の友人たちの顔は、かたい殻におおわれているようにみえるが、細い首をした柿本の顔は被膜がかかりはじめた半透明のものに感じられる。  蝉の卵は、孵化《ふか》して幼虫になると、土中に入って七年間をすごし、地上に出て樹木にのぼり羽化する。しかし、地上ですごすのはわずか十日ほどで、短い生を終えるという。つまり羽化は、きわめて近い将来に死が約束されていることをしめしている。  星野は、十九歳の夏から四年間、肺結核で病臥《びようが》していた折のことも思い出した。  空襲で家が焼かれた敷地に建てられたバラック建ての家の六畳の部屋で、星野は、終日、ふとんの上に身を横たえていた。  壁は薄い板が張られているだけで、夕刻近くになると、西側の板壁の所々に赤みをおびた斑点《はんてん》に似たものが湧く。それは大小さまざまな板の節目のある個所で、華やかな西日がかたむいて外壁全面にあたりはじめると、節目の赤い色が急に濃さを増し、やがて赤い光を放つ。板壁にルビーが象眼されたように、その光はきらびやかで、部屋がほのかに赤く染まる。  西日がかたむくにつれて、板壁の下方の節目から上方へと光を失い、天井に近い大きな節目がひときわ鮮やかに赤く光ると、それも薄れて部屋は暗くなる。  星野は、晴天の日の夕方、板壁の赤い輝きを見つめながらすごした。  その頃、かれは、身を横たえたまま手をかざして掌《てのひら》をながめることが多かった。  腸も結核菌におかされ、激しい消化不良が日常化していて、青白い皮膚に骨の形が浮き出ていた。皮膚が極度に薄くなったかのように、静脈の青い線が濃くみえる。  殊《こと》に掌は、豊かな彩《いろど》りにみちていた。静脈のみならず動脈のそれぞれの毛細血管が掌一杯に透けてみえる。都会の電車の交通網図に似た青と赤の細い線の複雑な交叉《こうさ》が、見飽きることがないほど美麗であった。  その鮮やかな毛細血管の色に、星野は、羽化したばかりのはかない生命の法師蝉の姿を連想した。自分の体は、さらに透明度を増し、それは死につながるものだ、と思った。  咽喉《のど》も菌にむしばまれて滲《し》み入るような痛さが増し、声もかれて出なくなった。肺結核の最も末期に起る症状で、死が真近にせまっているのを感じた。  その頃、結核に特効のある抗生物質が普及し、入手した町医が注射針で注入してくれた。それは驚くほどの効果があって、咽喉の痛みがたちまち消え、さらに消化器の動きも正常にもどり、食欲が増した。  その薬は、難聴を起す副作用があると言われていたが、それらしきものもあらわれず、半年後には病床生活から解放された。掌を彩っていた毛細血管の色も徐々に薄れて、さらに半年後に大学の入学試験を受けた頃には消えていた。  大学を卒業して海運会社に入り、結婚して一人の男児の父となった。  息子は妻に似て色白で、手足が細く、冬にはしばしば風邪をひき、夏には消化不良を起して発熱した。外で遊ぶよりも家で絵本を繰るのを好んだ。  小学校の二年生になった春、首の付け根に瘤《こぶ》に似たものができた。町医は淋巴腺《りんぱせん》がはれていて、結核性の疑いがあるので大学の附属病院で診断をうけるように、と言い、紹介状を書いてくれた。  星野は、暗澹《あんたん》とした気持になった。肺結核は癒《い》えたとされ、病状らしいものは全くなくなっているが、肺臓に依然として菌が根強く巣くっていて、それが息子に感染したにちがいないと思った。息子が生れてから、それを恐れる意識はあったが、抱いて頬をすり寄せたり、小さい唇《くちびる》に自分の唇をふれさせたりしたこともある。脾弱《ひよわ》な息子の肉体の中に、菌がひろがっているのを感じた。  かれは、息子を連れて大学病院に行った。  息子は放射線室に入り、胸部の透視写真をとった。  一時間ほどしてフィルムが現像され、星野は、息子とともに外来担当医の前に行った。電光のひろがるスクリーンにフィルムがさしはさまれ、息子の小さな胸部の像が明るく浮き出た。胸骨を中心にほの白い肋骨《ろつこつ》が左右に彎曲《わんきよく》してのび、それは剣道具の面に似てみえた。  担当医は、フィルムに眼を近づけて仔細《しさい》に見つめ、肺臓に異常はなく、咽喉から菌が入って淋巴腺がはれているだけだ、と言った。念のためツベルクリン反応検査をしてみると、陰性であった。  星野は、深い安堵《あんど》を感じた。  しかし、一年後に息子は病死した。扁桃腺《へんとうせん》がしばしばはれ、高熱を発し吐き気にもおそわれて敗血症となり、髄膜炎を併発して死亡したのである。  妻は変貌《へんぼう》するほど泣きつづけ、かれも小さい柩《ひつぎ》が火葬場の窯《かま》の中に消えた時、激しく嗚咽《おえつ》した。フィルムに映し出されていた細い肋骨が焼かれることを思うと堪えがたかった。  その後、歳月がたつにつれて、息子の容貌、体つきは次第に漠《ばく》となってゆき、透けてうつっていた小さな胸の骨の白さだけが鮮明な記憶として残った。肋骨が息子そのものに感じられた。  星野が同期会の記念写真を棚の上に置いて洋間にもどると、 「どなたか、お亡《な》くなりになったの」  と、食卓の前の椅子《いす》に坐《すわ》って茶を飲んでいた妻が、声をかけてきた。 「中学時代の友人だよ。一人で温泉宿に行き、朝、死んでいたのが見つかったそうだ」  かれも、椅子に腰をおろした。 「体に悪いところがあったのでしょうに、自分では気づかなかったのかしら」  妻は、少し首をかしげた。 「一カ月前に同期会で会った時、なんとなく影が薄くみえてね。報せてきた友人は、さかんに驚いたと言っていたが、私は、やはりそうかと思っただけだ。いつ死んでもおかしくないように見えた」  星野は、柿本の姿に羽化したばかりの法師蝉を連想したことを口にしようと思ったが、黙っていた。そんなことを話してみたところで、妻はなんのことやらわからず、途惑いを感じるだけだろう。四十年近く妻とすごしているが、考えていることを妻に話さないことも多い。 「どのようなお仕事をしていらしたの」 「たしか化学関係の会社に勤めていて、私と同じように定年退職した。名簿に悠々自適とあったから、なにもしていなかったのだろう」  星野は、茶碗《ちやわん》を手にして答えた。  同期の友人たちの中には、勤めていた会社を定年で退いても関連会社その他に籍をおいている者もあり、かれらは声に張りがあり、血色もよい。また、勤めをやめて、その自由を楽しむようにゴルフや囲碁などの会にひんぱんに参加し、以前にはみられぬ享楽《きようらく》の色が抑制されることなく眼にうかび出ている者もいる。  星野の場合は、会社にいる間十分に働いたという満足感があって、年金生活によって安楽に日々をすごしているのは当然の結果だという気持がある。趣味と言えばゴルフであったが、傍系会社に移ってから体力の衰えを意識して興味も薄れ、クラブをにぎることもなくなった。朝起きて新聞を読みテレビを観《み》て、商店街に買物に行く妻についてゆき、午睡をしたり読書をしたりするが、それだけで一日がすぎてゆく。  定年退職後、夫婦で旅行を楽しむ者が多く、星野もその気持はある。が、妻は、結婚以来、外出を好まず、二人で旅行をしたことはほとんどない。家の中ですごすのが最も気持が落着くという。  大学を卒業後、海運会社に入社して間もなく、かれは妻と見合いをし、結婚した。化粧らしい化粧もせず、藤色《ふじいろ》のツーピースを身につけた彼女の清潔な感じに魅せられた。肌が白く、透きとおっているようにさえみえた。  それから四十年近くがたつが、容姿は当時とほとんど変りはない。濡れたような光沢をおびている髪は、右側の前頭部の部分にそこだけ白くヘアーダイでもしたように白髪《しらが》が幾筋か寄り集っているが、他の部分は黒々としている。首筋にわずかに皮膚のたるみがみえるだけで、顔の肌には張りがある。  かれは、月に二、三度妻の体を抱く。  体形は若い頃と同じで、ふくらみの薄い乳房の乳暈《にゆううん》と乳頭の形もそのまま保たれている。  しかし、殊のほか敏感だった乳頭は、ふれてもなんの反応もしめさず、性的に肉体がすでに死んでいるのを感じる。それでも妻の白い裸身に感情がたかまり、身を接することに満ち足りたものをおぼえていた。  妻が家にいても、家の中の空気は静止したままであるように思える。かたわらのベッドに寝る妻は、呼吸をしているのかと疑うほど寝息を立てず、寝返りの気配もしない。体を抱いても皮膚は冷えていることが多く、汗ばむようなことはない。  少年時代、瞬間的に眼にした法師蝉の体内の微細な管を流れている体液の記憶がよみがえる。妻の血管の中には赤い血液は流れていず、蝉と同じ無色の液が鼓動とともに流れているのではないか、とさえ思う。  若い頃の妻の体は、熱することもあり、湧き出た汗が光ってもいた。星野が加える刺戟《しげき》で身をよじることもあったが、年齢を重ねるにつれてそのような動きは全くみられなくなり、今では体が固形物のように横たわっているだけである。  彼女にはほとんど感情の起伏はなく、わずかに関心をいだいているのは、自分が死亡した折の葬儀のことだけと言っていい。仏式で僧の長々と唱える読経《どきよう》の声は粘液が体にはりつくようでうとましく、むせ返るような香煙も好ましくない。祭壇の飾りは簡素にし、弔問客にはただ献花をしてくれるだけでいいという。 「このことだけは必ず守って下さいね」  妻は、珍しく真剣な光を眼にうかべて言う。 「私の方が先に死ぬ。平均寿命も男の方が短い」  かれが答えると、彼女は、 「いえ、死ぬのは私の方が先です」  と、確信にみちた表情で言うのが常であった。  庭の百日紅の花が散り、隅《すみ》に植えられた小さな楓《かえで》の葉が朱色に染り、唯一《ゆいいつ》の庭の彩りになった。  気温が低下し、楓の葉も枯れて落ちた。空が青く澄み、夜空の星の光が冴《さ》えた。  幹事をしている友人から、また同期の者の死をつたえてきた。それは医科大学の講師をつとめた後、医院を開業している広瀬という友人だった。 「医者の不養生というやつだよ。おれたちの仲間の四、五人は、医者として信頼できるかれの所へ行って定期検診をうけ、健康管理の指導をうけていたのだがね。かれ自身は、検診をうけていなかったんだ。半年前、なんとなく具合が悪く医科大学に行って胃の内視鏡検査をしてもらったが、モニターテレビにうつった胃の内部を見て、かれは癌《がん》だとすぐにわかり、あと半年の命だ、と言ったそうだ。その予言通り死んだんだよ。診断が的中したのだから、やはり名医だったんだな」  友人は、いい奴《やつ》に死なれてショックだよ、と、少しうるんだ声で言った。  星野は、広瀬と家が近くであった関係もあって中学時代から親しく、淡白な性格が好きであった。卒業後は付き合うこともなくなったが、年賀状は交換し、姪《めい》が子宮筋腫《しきゆうきんしゆ》の手術をうけた時には、かれに医科大学の外科教授を紹介してもらった。同期会のパーティーの後、かれをふくめた友人たちとバーに行くことも多かった。  星野は、明日の夜に通夜が著名な寺院で営まれることを友人からきき、列席する、とつたえた。 「また、亡くなられたんですか」  電話で受けこたえする星野の言葉をきいていた妻が、細い眉《まゆ》をしかめた。 「少年期から青年期にさしかかろうとする頃に食糧が枯渇《こかつ》していたから、体がもろいのだろう。身長が一六二センチしかない私だが、同期会に行くとちょうど中ぐらいだ。皆、背が低い」  星野は、妻が観ているテレビのホームドラマの画面に眼をむけた。  翌朝、庭に霜がおりた。  寒気の中を通夜にゆくのは辛《つら》く、明日の午後一時からの葬儀に出向く方が楽に思えたが、商社マンとして長い間外地に駐在していた甥《おい》が、妻子とともに帰国の挨拶《あいさつ》にくる予定になっているので留守にはできない。乳呑子《ちのみご》であった甥の娘が、どのように成長したか見たくもあった。  夕方になり、紺の背広に黒いネクタイをつけ、裏地のついたダスターコートを着て家を出た。バスで駅までゆき、地下鉄の電車に乗った。車内はすいていた。  目的の駅におりて階段をあがると、広瀬家と書かれた提灯《ちようちん》を手にした若い男が立っていて、男のうながす方向に歩いた。弔問客らしい男や女が歩道を歩いてゆき、かれはその後をついていった。  山門を入ったかれはコートをぬぎ、左手の記帳台に行って記帳をし、香奠を渡した。  本堂の前に長い列が出来ていて、その後尾についた。列の中に友人らしい姿はみられなかった。  豪華な祭壇の上方に、大きな遺影がかかげられていた。顎《あご》のはった広瀬のその写真は、十年以上も前に撮影したものらしく顔に皺《しわ》らしいものはなく、髪は黒々としている。星野は焼香し、合掌した。  本堂を出ると、葬儀社の人らしい初老の男が、 「お清めの席が用意してありますので、どうぞ」  と、声をかけてきた。  恐らくその席に友人たちもいて、かれらに通夜に来たことを知ってもらいたい気がして、星野はすすめにしたがって本堂の下の広い部屋に入った。  予想した通り、右手の席に数人の友人たちが坐っていて、星野に気づいた一人が手をあげた。星野は近づいて椅子に坐り、すすめられるままにコップにビールをうけた。  友人の中には病院に広瀬を見舞った者もいて、その話を星野は黙ってききながら、さりげなく友人たちの顔に視線を走らせた。五十歳前後にしかみえぬような若々しい顔をした友人もいれば、典型的な老人の顔をした者もいる。かれらも、あと十年もたてば半数以上はこの世にいないにちがいない、とかれは思った。  友人の一人が、 「席をあらためて、軽く一杯やるか」  と言ったが、若くみえる友人が、 「その元気はないよ。おれは帰る」  と答え、他の者は黙っていた。  友人たちが立ち、星野も席をはなれた。  車を待たせてある友人がいて、それに同乗する者もあり、星野は、一人で地下鉄の駅の方に歩いていった。  電車に乗り、家の近くでバスから降りた星野は、家に通じる道をたどった。三十年近く前に建売りの家を買った頃は家もまばらで夜道は暗かったが、今では家が建ち並んでいて落着いた住宅街になり、街灯も点々とともっている。家のローンは勤めている間に終り、小住宅ながら自分の家を持っていることに安らぎを感じていた。  家に近づき、持っている鍵《かぎ》で玄関のドアをあけ、たたきに入って靴《くつ》をぬいだ。内部は煖房《だんぼう》がきいていて、家に帰ったくつろぎが体をつつみこんできた。  コートをぬぎながら食卓のおかれた洋間のガラス戸をあけたかれは、立ちつくした。妻が、薄い絨緞《じゆうたん》の敷かれた床の上にうつ伏せになって横たわっている。茶色いスカートがまくれ、片方の細い足が露出してのびている。眠くなって身を横たえているのかと思ったが、妻は椅子に坐ったままうたた寝をすることはあっても、床に寝たことなどない。  こちらにむけている顔を見たかれは、一瞬、背筋に冷いものが走るのを意識した。妻はいつも柔和な顔をし、不快な折には眉をしかめるだけだが、床に接した顔は激しくゆがみ、細い眼が異様なほど大きくひらかれている。  かれは走り寄って膝《ひざ》をつき、頬に手をふれてゆすった。思いがけず凍りついたような冷い感触が掌につたわり、かれは手をはなした。妻の色白の顔は青ずみ、かれは、その顔が生きている者の顔ではないのを感じた。  かれは、膝をついたまま動かない妻の眼を見つめていた。なにかをしなければならぬ、としきりに思ったが、頭の中は空白だった。  救急車を呼ぶべきだ、と自らに言いきかせて電話機に近づき、敬老の日に配られた「緊急の場合」と朱書きされた紙が壁に貼《は》られているのを見つめながら、プッシュボタンを押した。  すぐに落着いた男の声が流れてきて、星野は問われるままに口を動かした。受話器をおくと、同じ男の声で確認の電話がかかり、星野が住所、氏名を告げると、電話が切れた。  かれは立ったまま、横たわっている妻の体をながめていた。  しばらくして、救急車のサイレンの音が遠くから近づき、急にきこえなくなると、玄関のチャイムが鳴った。  かれは、部屋を出て玄関に行き、ドアをあけた。  白いヘルメットに白衣を着た二人の男が、あたかも自分の家ででもあるかのように無造作に入ってきて、洋間に足をふみ入れた。一人が妻のかたわらに坐って、妻の手首をつかみ、ブラウスのボタンをはずして露わにさせた胸に聴診器をあて、ひらいた眼をのぞきこんだ。  妻になにか病気があったか、と男がたずね、星野がないと答えると、男は立ち上り、立っている他の男と低い声で言葉をかわし、玄関の方へ去った。  星野は、男たちがなぜ妻を運び出してくれぬのか、といぶかしみ、不満にも思った。部屋に残った男は、立ったまま黙っていた。  しばらくすると、玄関の方で人声がし、背広を着た二人の男が、足音を立てて部屋に入ってくると、警察の者です、と言って黒い表紙の手帳をしめした。救急車の男は、部屋を出て行った。  初老の刑事が妻のかたわらにしゃがみ、白い手袋をはめた手で無遠慮に妻の顔と頭にふれ、さらにワンピースと下着をまくり上げて体をながめまわした。その荒々しい動作に、星野は腹立たしさをおぼえたが、口から言葉は出なかった。  洋間から隣接の和室に入って物色するように視線を走らせていた若い刑事が、 「なぜ、黒いネクタイをしているのですか」  と、星野に刺すような眼をむけ、妻のかたわらにしゃがんでいた男も星野を見つめた。 「友人のお通夜に行って帰ってきましたら、妻が倒れていて……」  星野は、ネクタイが妻の死と関連があると男たちが疑っているのをかすかに意識しながら答えた。声はかすれていて、自分の声のようには思えなかった。  初老の刑事が部屋から出てゆくと、すぐにもどってきて、 「法律上の規則で、監察医務院で死因をしらべさせていただきます」  と、事務的な口調で言った。  死因という言葉に、星野はぎくりとし、それが法律とどのような関係があるのか、と思った。  自分の周囲に薄い膜がはられたように、眼に映るものすべてが霞《かす》んでいて、少ししてから白衣を着た若い男が二人、担架を手にして入ってきたのもかすかに意識しただけであった。  妻の体が担架にのせられて運び出され、青い車にのせられた。星野は、初老の刑事と警察の車に乗った。  車は前後して夜の街を走り、長い塀《へい》のつづいた坂をのぼると石柱の立つ門を入り、樹木にかこまれた白い建物の前でとまった。  車からおりた白衣を着た男たちが、建物の中から担送車を押して出てきて、それに妻の体を移し、建物の奥の方に運んでいった。  星野は、刑事の後について建物に入り、待合室、とドアのガラスに黒い文字で書かれた入口に近い部屋の長椅子に腰をおろした。  かたわらに坐った刑事は、煙草《たばこ》を黙ってすっていたが、眠いのかそれとも退屈なのか欠伸《あくび》をし、立ち上ると部屋から出ていった。  星野は、一人取り残されたことに心細さを感じた。待合室という文字をながめながら、調べが終るまで待っているのが不自然に思えた。妻の死因をしらべるなら、夫である自分も立会うべきではないのだろうか。建物の内部は、無人のように静まり返っている。  かれは立ち上ると、部屋の外に出た。  妻の体が運ばれていった通路が奥の方にのびていて、かれは進み、白い壁に突きあたった。左右に通路があって、かれは右の方に歩いた。  少し行くと、通路が左に折れていて、角を曲ったかれは、足をとめた。通路の奥の方まで左側の全面がガラス張りになっていて、かれは、ガラスを通して思いがけず明るい電光にあふれた広い部屋を見た。  壁は白く、ステンレス製らしい台が四つ床におかれ、その二つに裸身の体が横たわり、左手の台に妻の体が横たわっているのを眼にした。妻の体は電光を浴びて白く輝き、台の両側に立った白衣を着た二人の男が、胸囲や手足の長さを計測している。  右手の台にのせられているのは、髪の少し白い肥満した男の体で、その体に作業がはじめられていた。  白衣を着た男が、かたわらに置かれた小さな台から取り上げたメスを、顎の下に食いこませると下腹部まで一気に引いた。それは、定規をあててひいたような正しい直線で、星野は、その切開された部分から光沢をおびた黄色いものが盛り上ってはみ出るのを眼にした。脂肪であることはあきらかだった。  白衣の男は、手袋をはめた手で脂肪を素速く取りのぞき、さらにメスを動かして露わになった内臓をつかみ出した。  妻の体がのせられた台のかたわらに立つ二人の男にも動きがみられ、メスが妻の体の中央を上から下にひきおろされた。が、黄色いものはみられず、切開部分がメスで大きく切りひらかれると、内部は赤みをおびた筋肉の色がみえるだけであった。  星野は、不意に激しい目まいをおぼえ、金属製の手すりをつかんだ。頭の中に小さい気泡《きほう》が無数に湧いて、それがつぶれるような音がし、かれは、その音が薄らぐのを待ってゆっくりと通路を引返した。  待合室にもどると、かれは長椅子にくずれるように腰をおろした。メスで胸から下腹部にかけて切りひらかれた妻の体に、妻が自分の手のとどかぬ遠い所に去ってしまったのを感じた。  頬を涙が流れ、かれは頭をたれていた。  死因は心筋梗塞《しんきんこうそく》と判定され、星野は監察医務院から検案書を渡された。  甥が通夜、葬儀を取りしきり、家に多くの人が出入りし、星野はそれらの人に頭をさげ、悔みの言葉をうけた。葬儀は、妻が口にしていたように祭壇の飾りを簡素にし、献花だけですませた。かれは、眼をしょぼつかせながらも涙を流すことはなかった。  火葬場の窯に柩が入れられ、やがて骨が焼かれたという連絡をうけて、かれは甥夫婦や親戚《しんせき》の者たちと窯の前に行った。  星野は、薄い金属板の箱に入れられた妻の骨を見つめた。素焼きの陶器のように淡白な色をし、灰は純白に近い白だった。  かれは、長い箸《はし》で拾った骨を壺《つぼ》の中に入れながら、妻の体に脂肪はなく、体も透明に近いものになっていたのだ、と思った。  冬がすぎ、梅の花が咲きはじめた頃、かれは、郊外の霊園の小さな墓地に妻の骨壺をおさめた。墓石のかたわらにある墓誌に息子の名があって、その横に妻の名がきざまれた。  納骨を終えたことで一応生活のリズムらしいものをとりもどし、朝起きると新聞を読みテレビを観て、雨天の日をのぞいて日に一回、バス停の近くにある商店街に買物を兼ねた散歩をする。居間には妻の遺影が額におさめられて置かれていたが、メスで切りひらかれた脂肪の全くみられぬ妻の体が、その遺影と重なり合った。  散歩の途中、時折りすれちがう男がいた。数年前まで、その男は、朝、薄い書類袋をかかえたりしてバス停の方に小走りに歩いてゆくのを眼にし、夕方、勤めからの帰りらしく汗をうかべて住宅街の中に入ってゆくのも見た。  その頃は、顔も浅黒かったが、すれちがう男の皮膚は晒《さら》されでもしたように艶《つや》が失われていて、白い。あきらかに会社勤めを退いたらしく、杖《つえ》をついてゆっくりと歩いている。少い毛髪はほとんど白く、長身の体に肉づきはない。  男とすれちがう時、冷い空気がかすかにふれてくるのを感じ、振返ってみると陽炎のゆらぐ中を歩いているように遠ざかってゆくのがみえた。星野は、近い将来、男の姿を眼にすることはなくなるだろう、と思った。  星野は、一日置きに湯を浴槽《よくそう》にみたしてつかり、体を洗うが、或《あ》る夜、足の脛《すね》に視線を据《す》えた。  若い頃から足は濃い毛におおわれていたが、毛が次第に少くなり、殊に脛の下半分はまばらになっている。あらためて脛を見つめたかれは、細い毛がすべて消え、白い皮膚に静脈が透けているのを見た。  陶器のようにすべすべしたその脛が、蝉の殻の割れ目から徐々にあらわれた白いものに似て感じられ、自分の体もわずかながら透き通りはじめているような恐れをおぼえた。  かすかな眩暈《めまい》を感じたかれは、体の石鹸《せつけん》の泡《あわ》をそうそうに湯で流し、立ち上ると湯に足先を入れた。 [#改ページ]   銀狐《ぎんぎつね》  赤みをおびはじめた空に眼《め》をむけながら、片桐《かたぎり》は、自分の推測にあやまりがなかったのを知った。  二年前、北海道の小さな半島の中程にある町におもむいた時、列車の窓から夕焼けた空を見た。それは、国内はもとより海外への旅行でも眼にしたことのない鮮烈な空の色で、数輛《すうりよう》連結の列車が、朱一色に染まった果しない空間を動いているようにさえ感じられた。  町におもむくことをきめた時、かれは、列車が町に近づいた折に眼にした夕焼けの空を思い起し、その色を再び見たい、と思った。  かれは、夕刻に町に近づく列車を時刻表でしらべ、それから逆算してその列車に乗れる飛行機の航空券を買いもとめ、東京の郊外にある自宅を出た。北海道の天気予報は晴天で、二年前に町におもむいた時と同じ時期であるので、望み通りの空の色を眼にすることができるにちがいない、と思った。  列車は各駅停車で、途中、学校から帰る高校生が多数乗ってきたが、それらもすべて下車して乗客が所々に坐《すわ》っているだけになっている。駅にとまってもほとんど乗降客はなく、列車はディーゼルエンジンのうなるような音をさせて駅をはなれる。  列車は、レールの継ぎ目に車輪のふれる音をさせて、ゆるい速度で進んでゆく。線路の両側に樹林がつづき、梢《こずえ》の上の空が次第に赤くなっていた。  列車が侘《わび》しい駅にとまり、動き出して間もなく、右側の樹林が突然のように切れて朱の色が一面にひろがった。  砂礫《されき》におおわれた浜に流木が打ち上げられ、そこから海がひろがっている。空には一片の雲もなく、水平線の近くまで、真紅の照明を浴びたホリゾントのように濃い朱の色に染まっている。海面は赤く輝き、浜も赤い。  空に黒いものが群れをなして飛びかっているが、それは烏《からす》で、夕焼けの色をさらに際立《きわだ》たせているその群れも眼にしたいと願っていたものであった。  車内は赤く染まり、自分の顔もその反映をうけているのを感じながら、かれは空の色を見つめていた。  再び樹林がつづいて海が見えなくなり、左手の窓に眼をむけたかれは、広大な原野の赤い空を背景に、おびただしい烏が舞っているのを見た。  列車が進むにつれて朱の色が急速に薄らぎ、車内に灯《ひ》がともって、ようやくかれは窓ガラスから顔をはなし、座席の背に体をもたせかけた。  腕時計を眼にしたかれは、間もなく列車が終着駅である町の駅につくのを知った。  町に住む工藤から手紙が送られてきたのは、一カ月ほど前であった。江戸中期から明治初期まで廻船問屋《かいせんどんや》を営んでいた町の旧家の土蔵から、かなりの量の文書が出てきたので見に来ないか、という。  高校の教師を十数年前に定年退職した工藤は、独学で古文書を解読できるようになり、町史の編纂《へんさん》にも従事している。  大学で日本経済史の講義を担当している片桐の専門は海運史で、殊《こと》に和船の研究に多くの力をそそいできた。古代の船から遣唐使船、朱印船をへて江戸期の弁才船——千石船の構造、航海術等を史料によって調査することにつとめ、それは自然に江戸期に頻発《ひんぱつ》した千石船の漂流事故の探究にまでおよんでいる。  和船の研究は、島国でありながら手をつけられることの少い領域で、かれは、未知の世界に足をふみ入れているような意欲をいだいていた。  八年前に初めて町を訪れたのは、町が、江戸後期に請負場所のおかれていた択捉《えとろふ》、国後《くなしり》両島との連絡地にされていたからであった。海産物を主とした両島の産物が町に海上輸送され、それが北海道各地で得られた産物とともに内地へ送られていた。  それらは、当時の日本の経済に影響をあたえていて、その流入量の推移を正確に把握《はあく》することは重要だった。それに、その方面の航海は、いちじるしく変化する気象にさまたげられて、海難事故も多い。そのことも片桐にとって魅力にみちた研究対象で、町に残された古記録に意義を感じていた。  工藤を識《し》ったのはその時で、かれの手引きで多くの文書を眼にすることができた。  それ以後、四度、町を訪れているが、二度目に地方大学の助教授をしている牛島に会った。牛島は、北方史殊に江戸中期以後の樺太《からふと》、千島と日本との関係を研究課題としていて、町に何度か訪れて工藤と親しくなり、町史編纂にも助言をあたえていた。  牛島は、その時も休暇を利用して来ていて、片桐は、工藤に編纂室で引き合わされたのである。  十歳若い牛島のもつ知識は片桐にも興味深く、その研究は北方地域の全域にわたる概括的なものではあったが、当然のことながら海路による物資の輸送状況の推移、請負場所を中心とした商人の経済活動などもふくまれていて、片桐の関心とも重なり合った。  牛島も、海運史研究で知られている片桐に会えたことを喜び、千島を中心とした船の往来に耳をかたむけ、メモをとったりしていた。  片桐は、牛島と一日接しただけであったが、大学へ帰ってから発表した小論文を互いに郵送し合い、牛島から電話をかけてきたこともある。  二年前に町へ来た時は、牛島と打合わせて町で落合い、帰途も同じ飛行機で北海道をはなれた。  半年ほど前、江戸後期に交易のため樺太にやってきていた山靼人《さんたんじん》についての小論文が牛島から送られてきたが、同封された便箋《びんせん》には、いつもとはちがったくだけた筆致で町に起った思いがけぬ出来事が記されていた。  片桐は、初めて町に行った日の夜、工藤に小綺麗《こぎれい》な小料理屋へ案内された。店主は三十五、六歳の女で、工藤が高校の教師であった頃《ころ》の教え子であった。長身の女は、驚くほど色白で、それだけに髪と眉毛《まゆげ》の黒さが際立ってみえた。札幌で調理師の修業をしたという女の甥《おい》が魚介類を程よくととのえて出し、片桐はその店が気に入った。  牛島と町で一緒になった時も、工藤をまじえてその店のカウンターの前に坐り、酒を酌《く》み合った。女は、他に客がいても片桐たちのかたわらからはなれず、すすめられるままに杯を口にもした。  牛島の手紙には、女が人を殺したことが記されていた。そのことをかれが知ったのは、大学で教えた若い男が町で家業の海産物問屋の手助けをしていて、その男から事件を報ずる新聞記事のコピーとともにその後の経過を記した手紙が送られてきたからであった。  前年の二月の夜、或《あ》る男が数人の若い男を連れて店にやってきた。かなりの量の酒を飲み、若い男たちが店を出て行った後、男は、代金をアパートで支払うからついてきてくれ、と女に言った。  女が雪道を男について行き、アパートの部屋に入ると、ドアの鍵《かぎ》をしめた男が出刃庖丁《でばぼうちよう》を手に荒々しく女の体をもとめた。女は拒んだが、胸に庖丁の刃先を突きつけられて恐怖におそわれ、衣服を脱いだ。  男が庖丁を畳の上に置き、背をむけてズボンをはずすのを見た女は、壁に立てかけられていたゴルフのウッドのクラブをつかんで、男の後頭部にたたきつけた。  男は昏倒《こんとう》し、女はドアをあけると素足のまま雪道を走った。  店にもどった女に調理師の甥が警察に行くようすすめ、連れ立って署に行った。署員がアパートに行ってみると、男は死んでいた。  それが新聞に報じられると、男が職業らしい職業にもつかず素行が悪いことが広く知れわたっていたことから、女に同情が集り、多くの町民が署名した嘆願書が警察署に提出された。捜査の結果、女の陳述がすべて裏づけられ、執行猶予《しつこうゆうよ》つきの判決が下されたという。 「今では、彼女は店に出ていて、相変らず働いているそうです」と、牛島の手紙に記され、「彼女が人を殺したとは全く驚きました」とむすばれていた。  町にくる途中、牛島から送られた新聞記事のコピーが眼の前にちらつき、落着かない気分だった。女の写真ものっていて、そのこわばった表情が女とは別人のようであった。  駅の改札口をぬけたかれは、両側に商店街の並ぶゆるい下り傾斜の道を歩いていった。  道に人の姿はとぼしく、かれは、シャッターのおろされた燃料商の店の角を曲ると、ビジネスホテルのドアを押した。  フロントで前払いの宿泊料を若い男に渡し、部屋に入ると、ベッドに腰をおろして電話機のプッシュボタンを押した。  工藤の妻につづいて、少し訛《なま》りのある工藤の声が流れ出てきた。工藤は、長患《ながわずら》いの末に死んだ教師仲間であった友人の通夜《つや》に行かねばならず、廻船問屋から出た文書は役場の町史編纂室に運んであるので、明朝、そこで待っている、と言った。  受話器を置いた片桐は、丸椅子《まるいす》に坐り、煙草《たばこ》を取り出した。町にくると、夜は必ず工藤と女の経営する小料理屋に行くが、今夜は一人ですごさねばならぬのを知った。町で飲むには女の店以外に知らず、とは言っても事件を起した女のもとに一人で行くのは気が臆《おく》して、足をむける気にはなれない。  かれは、腰をあげると、一階におりてホテルを出た。  夜気に潮の香がしているのを感じながら、商店街を海の方向にむかって歩いた。ほとんどの店が戸をしめていて、人気のない道に点々と街路灯がともっているだけであった。  脇道《わきみち》をのぞきこんだかれは、道の左側に赤い提灯《ちようちん》が軒からさがっているのを眼にした。侘しそうな店だが、これ以上歩くのも億劫《おつくう》で、近づくと古びたガラス戸をあけた。  テーブルが三つあって、その一つに若い男が二人向い合って酒を飲み、他のテーブルには子供を連れた夫婦らしい男女がラーメンをすすっている。  片桐が入口に近いテーブルの前に坐ると、調理場からエプロンをつけた中年の女が出てきた。かれは、壁にはられた紙に眼をむけ、烏賊《いか》の刺身とおでんを頼み、ビールを註文した。  コップにビールをそそぎながら、このような店で飲むのもこの町らしくてよいかも知れぬ、と思った。  小料理屋の色白の女の顔が、眼の前にうかんだ。都会ならば、そのような事件を起せば店を閉じて他の地に移り住むはずだが、この町に生れ育った女は、町で生きることしか知らず、再び店に出て働くようになったのだろう。  周囲の者たちもそれを許し、客は相変らず店に来て以前と同じように酒を飲み、女も何事もなかったようにそれらの客に接しているにちがいない。  工藤からは、女は離婚歴があって男の子が一人いるときいたが、女の生活についてそれ以上のことは知らない。  店に大学教授がくることなどないためか、片桐が工藤や牛島と行くと、女は、理解できるはずはないのに、かたわらに坐って片桐たちのかわす文書などの話を黙ってきいている。  女は、町にくれば必ず店に寄る片桐に感謝の意をしめそうとしたらしく、かれに時間の余裕ができた折にミンクの飼育場に連れていってくれたこともある。飼育場の場長が店にくる客で、連絡をとり、親戚《しんせき》の若い男に車を運転させて行ったのである。  待っていた場長の案内で、大きな建物に入った。  長い棚《たな》が幾列ものびていて、その上に金網がはられたケージが並び、一つ一つに光沢のある灰色の毛におおわれたミンクが入っていて、魚肉のミンチを食べていた。場内には、おびただしいミンクの動きまわる雑然としたざわめきがみち、異様な体臭がよどんでいた。  ミンクは、眼を光らせて急に首を出したかと思うと、素速くひっこめる。その動作には、イタチ科の小動物の機敏な野性が強く感じられた。  場内に婦人用のショールなどにされる銀狐の飼育場もあって、場長の後から建物を出ると、裏手にある柵《さく》に近づいた。  不意に異様な音が、柵にかこまれた敷地一帯に起った。敷地には四本柱で支えられた檻《おり》が二十近くあって、檻の中に黒と白の毛がまざり合った銀色にみえる大型の狐が一頭ずつ入れられていて、それらが一様に体をすくませ、暗く光る眼をこちらにむけている。異様な音は、それらの狐が一斉《いつせい》に尿を放った音で、尚《なお》も下方の地面に尿がしたたり落ちている檻もある。 「おしっこをしたのは、こわいからだわ」  檻に視線をむけた女が、甲高い声で言った。 「そう、そう。銀狐はひどく臆病で、人の姿を見ただけで放尿する」  場長は、柵にもたれた。 「銀狐は、いつかは殺されて毛皮にされるのを知っているんだわ。それだから人の姿が見えると殺しにきたと思うのよ」  女は、かたわらに片桐や場長がいるのも忘れたように、檻に視線を据《す》えていた。  片桐は、ビールのコップをかたむけながら、女の少し血の色のひいた横顔と、食い入るように檻を見つめていた眼の光を思いうかべた。  突然のすさまじい放尿を、片桐はなんのことかわからなかったが、女は、即座に恐怖感とむすびつけた。女には恐怖を感じる感覚がことのほか強く、死を予感する反応が常人より鋭敏なのかも知れない。  おどされたとは言え、体をもとめられた彼女がクラブを男の頭部にたたきつけたことは、幾分、常軌を逸した行為とも思える。女は、男に肉体をおかされる屈辱と嫌悪《けんお》からのがれようとしたというよりも、刃物を擬した男に強い恐怖をおぼえ、クラブをつかんだのだろう。  ビールについで清酒を飲みはじめたかれは、冷くなったおでんを口にしながら、狐のおびえきった眼の光を思いうかべていた。  翌朝、ホテルで食事をすませたかれは、町役場に行った。  編纂室に工藤がすでに待っていて、ガラス戸棚から出した文書の一部を、大きな机の上に積み上げた。文書は元廻船問屋の最も古い土蔵の奥に置かれていたもので、工藤が一応眼を通したのはその三分の一ほどだという。新造船の廻船加入証文や請負場所で集荷し船積みした産物の量を記帳したものなどのほかに、当時しきりに出没した異国船についての記述もある、と工藤は説明した。  工藤は黒いネクタイをしていて、これから葬儀に参列する、と言って部屋を出ていった。  片桐は、文書を丁重に繰りながら文字をたどった。文書には、その地の匂《にお》いがしみついている、と常に感じているが、手にしている文書には潮の香がしているように思えた。  役場の近くの食堂で昼食をとり、部屋にもどって再び文書の前に坐った。編纂室には女子職員が一人いて、時折り茶をいれてくれる。彼女は、目録の整理をしたりコピー機の前に立ったりしていた。  午後おそく部屋の電話のベルが鳴り、彼女が工藤からだと言って、受話器を渡してくれた。  工藤は、焼場にいるが、夕方、ホテルに迎えに行くので待っていて欲しい、と言った。女が店主をしている小料理屋にゆくことはあきらかだった。  やがて、役場の中に執務終了を告げるオルゴールの音がスピーカーから流れ出てきて、片桐は、文書を戸棚の中におさめ、部屋を出た。  ホテルにもどったかれは、部屋の浴槽《よくそう》に湯をみたし、身を沈めた。休暇がとれたのは五日間だけで、文書の内容に一通り眼を通し、折をみて再びやってきて重要な部分を引き写そう、と思った。  約束の時刻に一階におりると、工藤がソファーに坐って待っていた。  工藤とホテルを出た片桐は、商店街を歩いていった。すでに街路灯に灯がともっていた。  片桐は工藤に、女の起した事件を牛島が手紙で報《しら》せてきたことを告げた。 「一時、町ではその話で持ちきりでしたよ」  工藤は、おだやかな表情で言った。 「相手の男が、定職にもつかず人に金をたかってばかりいて、女房にも愛想づかしをされて逃げられたような、言ってみれば町の鼻つまみ者でしてね。賭《か》け事《ごと》が好きで、近頃は柄《がら》にもなくゴルフに凝ったりして……。そうした男ですから、ミッちゃんに同情が集って、だれ言うとなく嘆願書を出そうということになり、私もずいぶん動きました」  ミッちゃんという言葉のひびきに、教え子であった女に対する工藤の親愛感がにじみ出ていた。 「元気に店で働いているのですね」  片桐は、工藤の頬《ほお》の剃《そ》り残した白い髭《ひげ》を見つめながらたずねた。 「ああいうおおらかな性格の子ですから、以前と同じように働いていますよ。客の中には、ゴルフの帰りに寄るとクラブで叩《たた》かれそうだ、と陰で言う者もいるようですが、それは冗談でしてね。ミッちゃんに事件のことを思い出させるのは気の毒だというので、ゴルフをした日は道具を家に置いて店にくるんですよ。人の噂《うわさ》も七十五日。今では事件のことを口にする者も少くなりました」  工藤は、相変らず視線を前にむけたまま答えた。  道を曲ると、女の店が見えた。  工藤が近づき、ガラスのはまった格子戸《こうしど》をあけた。左側にある小揚《こあが》りの座敷に数名の客がいて、片桐が工藤とカウンターの前に坐ると、奥からいつものように和服を着た女がにこやかな眼をして出てきた。顔が幾分やつれたようで、そのためか眉毛が毛羽立ってみえた。  酒が来て肴《さかな》が運ばれ、片桐は、その日眼にした文書について工藤と言葉をかわしながら、横に坐った女の掌《てのひら》が自分の腿《もも》の上におかれるのを感じた。初めて店に来て以来、女はいつも掌を腿の上におく。その仕種《しぐさ》は、どの客にも同じようにするらしく自然であった。  バーでは、そんなことをする女はいるが、小料理屋の、それも女店主としては珍しい。  片桐は、習性化しているその仕種が、男に女の体と接したいという欲望を誘発させたのではないか、と思った。もしかすると、男は飲《の》み代《しろ》を所持していて、アパートで支払うと偽りを言い、女を誘い出したのではあるまいか。  片桐と工藤の会話がとぎれた時、片桐の杯に銚子《ちようし》の酒をそそいだ女が、工藤に顔をむけ、 「先生。私がお裁きをうけたこと、片桐先生にお話した?」  と、低い声で言った。 「したよ」  工藤は、さりげない口調で答えた。  女は、片桐に視線を据えると、 「ごめんなさい、先生。大それたことをしてしまって……」  と言って、神妙な表情で頭をさげた。  女は、自首した後、警察署員や検事などに何度もそのような頭のさげ方をしたにちがいなく、一種の馴《な》れに似たものが感じられた。 「災難だったね」  片桐は、頭をさげたままの女に言った。 「ふだんのミッちゃんの生活がしっかりしていたから、町の人も嘆願書に署名したし、裁判官も、事情をよく理解して執行猶予つきにしてくれたのだ。日頃の生き方が大切なんだな」  工藤は、杯を手にしながら言った。  片桐は、女から視線をはずし、杯を口に運んだ。ふと、人を殺した人間を見たのは初めてであることに気づいた。その人間が横に坐って自分の腿に掌をおいているのが、落着かない気分であった。 「先生」  という声に、片桐は、女の顔に視線をむけた。 「不思議なんですよ。雪道を裸足《はだし》で店まで逃げ帰ってきたのに、少しも冷たさなど感じなかったんです。当然、凍傷になるはずなのに脹《は》れもしないで……。夢中になっていると、冷たさなどはじき返してしまうものなんでしょうかね」  女は、少女のような甘えをおびた眼をして言った。  店の戸がひらいて新たに客が入ってきて、女は席を立った。腿に女の掌の温かみが残っている。 「ああいうことを言ったりして、少しずつ気持がやわらいでいくんでしょうね」  工藤が、杯を手につぶやくように言った。  片桐は、無言で杯を口に運んだ。女は別に体力がありそうにはみえぬが、クラブでたたかれて死んだ男の生命がはかないものに思えた。  その後、三日間、かれは夜、工藤と女の店に行くことを繰返した。  町をはなれる前日の夜、女は瓶《びん》に入れた醤油漬《しようゆづけ》のイクラをくれた。 「また、来て下さいね」  女は、頬をゆるめて言った。  帰京したかれは、学生が提出した卒業論文を読むことに多くの時間を費し、それが一段落した後、出版社に依頼されている和船史の執筆に取り組んだ。  専門の知識を土台に一般読者の興味もひくようなものにして欲しいという出版社の要請をいれ、古代から近世までの和船の変遷《へんせん》を主とし、それに附随して壇ノ浦合戦と潮流の関係など和船についての余話にもふれるという構想を立てた。各種の和船の絵図を撮影したカラー写真も数多くおさめ、かなり贅沢《ぜいたく》な本になる予定であった。  その執筆の間、工藤から眼を通した文書の目録が送られてきたりして、工藤が一人で整理に地道な努力をしていることがうかがえた。  新学期に入って間もなく、経済学部の教授から鉄道会社の研修センターに講演に行ってもらえないか、という思いがけぬ申し出をうけた。教授の弟が民営化された鉄道会社の要職についていて、そのセンターで研修をうけている者たちに和船の話をして欲しい、と言ってきたという。  青函《せいかん》連絡船も廃止されて、鉄道は船に無関係になっているのに、と思ったが、教授は、 「実習の授業をうけるかたわら、一般教養として、天文学の専門家やテレビドラマの脚本家などにも話をしてもらっているのだそうです。船は交通機関なのですから関係はあるわけで、ぜひに、というのです」  と、言った。  片桐は納得し、大学の講義のない日に行くことを承諾した。  大学に研修センターの職員が打合わせに来て、かれは、約束した日に指定された東京郊外の駅に降りた。改札口に職員が待っていて、車でセンターに行った。  所長室で、研修をうけている者についての説明をうけた。センターの乗務員研修室では、高校卒の新入社員の教育がおこなわれているが、乗務員の知識を得るためすでに会社の各部門で実務についている社員の短期研修もおこなわれている。講師は、現場で管理職についている者が業務のかたわら担当しているが、時には会社関係以外の者を臨時講師として招いているという。片桐もその一人であった。 「広い視野をもつことが必要なのです。民間会社の社員なのですから……」  所長は、生真面目《きまじめ》な表情をして言った。  時刻が来て、片桐は、職員に案内されて講堂に入った。千人近い研修生が坐っていて、職員の紹介をうけた後、演壇に立った。 「千石船について」という演題にそって、かれは、メモに視線を走らせながら話しはじめた。研修生たちの興味をひくため、江戸期に頻発した千石船の漂流事故を中心に、難破しやすい船の構造、漂流の大きな要因である黒潮について述べ、多くの実例にもふれた。  聴いている者たちは、所長が口にしたように高校卒の若い男たちが大半で、後方の席に、あきらかに現場で実務につき短期研修をうけている三十歳前後の男たちの姿が見えた。大学で講義をうける学生たちとは異なって、熱心に耳をかたむけている気配が感じられ、かれも熱をこめて話しつづけた。  定刻が来て、かれは壇からおりた。座席の間の通路を通り、講堂の外に出た。  樹葉の緑が眼にしみ、かれは青く澄んだ空を見上げ、中庭を横切った。  所長室のある建物に入りかけたかれは、 「片桐先生」  という声に足をとめ、振返った。  ノートをかかえた、あきらかに高校卒の研修生が、半ば走るように近寄ってきた。  かれの前に立った研修生が、北海道の半島にある町と小料理屋の名を口にし、 「先生のお名前は、母からよくきいております。講演をきくことができるとは、思ってもいませんでした」  と、言った。 「ああ、あの店の……」  片桐は、呆気《あつけ》にとられて研修生の顔を見つめた。女には男の子が一人いるときいていたが、その息子が眼の前に立っているのが信じがたい気がした。 「ここで研修をうけているのか」  片桐は、ようやくそれだけを口にした。 「はい。あと半年ほどしましたら研修を終えて、運転士の見習いになります。北海道に配属されることにきまっています」  研修生は、明るい眼をして言った。  背が高く、女に似ていて皮膚が白い。大学生に接しつづけている片桐は、その表情に、かれが誠実な若者であるのを感じた。 「しっかりやりなさいよ」  片桐が言うと、かれは、はいと答え、頭をさげると、背をむけて足早やに歩いていった。かれと親しいらしい若い研修生が三人、こちらに眼をむけて立っていた。  所長室に入ると、職員が、 「あの研修生を御存知なのですか」  と、たずねた。 「母親を知っていましてね。私がよく行く町で店を経営しています」  片桐は、小料理屋をやっていると言ってもさしつかえはないはずだが、店とだけ言った。  片桐は、若者に爽《さわ》やかな印象をいだいた。娘はすでに結婚しているが、あのような若者を突然連れてきて結婚したいと言ったら、許しそうな気さえするほど好ましい感じであった。  女の家庭での生活が思われた。離婚後、彼女が男の子をきびしく育ててきたことが感じられた。高校を卒業したかれは店をつぐ気はなく、鉄道員になるという地味な道をえらび、女もそれに賛同したのだろう。  若者には、母が人の命を断ったという暗い翳《かげ》りは少しも感じられず、その顔は健全な家庭でつつましく育った顔であった。  片桐は、運転士の制服、制帽を身につけたかれが列車を走らせている姿を思いえがき、手にした茶碗《ちやわん》を口に近づけた。 この作品は平成五年七月新潮社より刊行され、平成八年六月新潮文庫版が刊行された。