吉川英治 神州天馬侠(二)  目 次  果心居士《かしんこじ》の壁《かべ》叱言《こごと》  遠術《えんじゆつ》日月《じつげつ》の争《あらそ》い  鷲盗《わしぬす》み  白樺《しらかば》に笛吹《ふえふ》く少女《おとめ》  多宝塔《たほうとう》  あのここな慾張《よくば》り小僧《こぞう》  九輪《くりん》をめぐる怪傑怪人《かいけつかいじん》  紅帆呉服船《こうはんごふくぶね》  変現《へんげん》千畳返《せんじようがえ》し  秀吉《ひでよし》をめぐる惑星《わくせい》  般若丸《はんにやまる》と謎《なぞ》の僧《そう》  南蛮寺《なんばんじ》百鬼夜行《ひやつきやこう》  木《こ》の葉笛《はぶえ》竹童嘲歌《ちくどうちようか》  虫《むし》ケラざむらい  明暗《めいあん》の両童子《りようどうじ》  果心居士《かしんこじ》と愛弟子《まなでし》  白鳥《はくちよう》の予言《よげん》  泣《な》き饅頭《まんじゆう》  地を裂《さ》く雷火《らいか》  呂宋兵衛《るそんべえ》の奥《おく》の手《て》  両童子空《りようどうじそら》に闘《たたか》う  夜《よる》の海月《くらげ》と火《ひ》の百足《むかで》  蜘蛛《くも》の子と逃《に》げ散《ち》る餓鬼《がき》  野風呂《のぶろ》の秀吉《ひでよし》  仲直《なかなお》り  火《ひ》独楽《ごま》と水《みず》独楽《ごま》  割《わ》れたお仮面《めん》  お小姓《こしよう》とんぼ組《ぐみ》  独楽《こま》だまし  おのれの首《くび》を投《な》げる人《ひと》 [#改ページ]   果心居士《かしんこじ》の壁《かべ》叱言《こごと》     一 「また富士山《ふじさん》が、火をふきだしたのであろうか」 「おお、まだ今朝《けさ》もあんなに、黒煙《くろけむり》が、あがっている」 「なあに、お山はあのとおり、いつもと変ったところはない、きっと猟師《りようし》が、野火《のび》でもだしたんだろうよ」 「いやいや、野火ばかりで、あんな音がするものか、戦《いくさ》のためだ、戦があったにきまっている」 「え、戦? 戦とすればたいへんだ、このへんもぶっそうなことになるのじゃないかしら」  ここは、裾野《すその》や人無村《ひとなしむら》からも、ずッとはなれている甲斐国《かいのくに》の法師野《ほうしの》という山間《さんかん》の部落。  人穴城《ひとあなじよう》がやけた轟音《ごうおん》は、このへんまで、ひびいたとみえて、家《うち》に落着けない里《さと》の人があっちに一群《ひとむ》れ、こっちにひとかたまり、はるかにのぼる煙へ小手をかざしながら、今朝《けさ》もガヤガヤあんじあっていた。 「おい、与五松《よごまつ》」  そのうちのひとりがいった。 「おめえの家《うち》で、ゆうべ宿をかした旅の客があったな。なんだかこわらしい顔をしていたが、物しりらしいところもある、一つあの客人にきいて見ようじゃないか」 「なるほど、矢作《やさく》がいいところへ気がついた、どこに戦《いくさ》があるのか、あの人なら知っているかもしれねえ、はやくお呼《よ》びもうしてこいやい」 「あ、その人は、おれがでてくるときに、先をいそぐとやらで立《た》ち支度《じたく》をしていたから、ことによるともうでかけてしまったかもしれねえが、おいでになったらすぐ連れてこよう」  与五松という若者は、すぐじぶんの家《うち》へかけだしていった。ちょうど、立ちかけているところへ間《ま》に合ったものか、しばらくすると、かれはひとりの旅人をつれて一同のほうへ取ってかえしてきた。 「あれかい、与五松の家《うち》へとまった、お客というのは」  里の者たちは、袖《そで》ひき合って、クスクス笑いあった。なぜかといえば、片鼻《かたはな》そげている顔が、いかにも怪異《かいい》に見えたのである。  旅の男というのは、鼻かけ卜斎《ぼくさい》の八風斎《はつぷうさい》であった。越後路《えちごじ》へむかっていくかれは、蛾次郎《がじろう》を見うしなって、ひとりとなり、昨夜《ゆうべ》はこの部落で、一夜をあかした。 「わざわざ恐れいりまする」  と、年かさな矢作《やさく》が、卜斎のまえへ、小腰をかがめながら、ていねいにききだした。 「あなたさまは、裾野《すその》からおいでになった鏃師《やじりし》とやらだそうでござりますが、あのとおりな黒煙《くろけむり》が、二日二晩もつづいて立ちのぼっているのは、いったいなんなのでござりましょう」 「あれかい」卜斎はくだらぬことに、呼びとめられたといわんばかりに、 「あれはたぶん、人穴《ひとあな》の殿堂《でんどう》が焼けたのでしょう」 「へえ、人穴の殿堂と申しますると」 「野武士《のぶし》の立てこもっていた山城《やまじろ》——和田呂宋兵衛《わだるそんべえ》、丹羽昌仙《にわしようせん》などというやつらが、ひさしく巣《す》をつくっていたところだ。それもとうとう時節がきて、あのとおり、焼きはらわれたものだろう」 「ああ野武士ですか、野武士の城なら、いい気味だ」 「お富士《ふじ》さまの罰《ばち》だ」  と、里人《さとびと》はにわかにほッと安心したばかりか、日ごろの欝憤《うつぷん》をはらしたようにどよみ立った。  するとまた二、三の者が、 「あ、だれかきた」と叫びだした。  見ると鳥刺《とりさ》し姿の可児才蔵《かにさいぞう》が、山路《やまじ》をこえてこの部落にはいってきたのだ。ここは街道|衝要《しようよう》なところなので、甲府《こうふ》へいくにも南《みなみ》信濃《しなの》へはいるにも、どうしても、通らねばならぬ地点になっている。 「おお鳥刺しだ」  と、部落の者たちは、また才蔵を取りまいて、裾野《すその》のようすをくどく聞きたがった。けれど才蔵は、これから安土《あづち》へ昼夜|兼行《けんこう》でかえろうとしている体《からだ》、裾野におけるちくいちの仔細《しさい》は、まず第一に、秀吉《ひでよし》へ復命すべきところなので、多くを語るはずがない。 「さあ、ふかいようすは知りませんが、なにしろ、裾野はいま、人穴城《ひとあなじよう》の火が、枯野《かれの》へ燃えひろがって、いちめんの火ですよ、そのために、徳川勢《とくがわぜい》と武田方《たけだがた》の合戦《かつせん》は、両陣ひき分けになったかと聞きましたが、人穴城から焼けだされた野武士《のぶし》は、駿河《するが》のほうへは逃げられないのでたぶん、こっちへ押しなだれてきましょう」 「えッ、野武士の焼けだされが、こっちへ逃げてきますって?」 「ほかに逃げ道もなし、食糧《しよくりよう》のあるところもありませんから、きっとここへやってくるにそういありません。ところでみなさん、わたしがここを通ったことは、その仲間《なかま》がきても、けっしていわないでくださいまし、ではさきをいそぎますから——」  と、可児才蔵はほどよくいって、いっさんに、部落をかけだした。  そして、甲信両国《こうしんりようごく》の追分《おいわけ》に立ったとき、右手の道を、いそいでいく男のかげがさきに見えた。 「ははあ、きゃつは、柴田《しばた》の廻《まわ》し者|上部八風斎《かんべはつぷうさい》だな、これから北《きた》ノ庄《しよう》へかえるのだろうが、とても、勝家《かついえ》の腕ではここまで手が伸《の》びない。やれやれごくろうさまな……」  苦笑を送ってつぶやいたが、じぶんは、それとは反対な、信濃堺《しなのざかい》の道へむかって、足をはやめた。     二  法師野《ほうしの》の部落は、それから一刻《ひととき》ともたたないうちに、昼ながら、森《しん》としてしまった。たださえ兇暴《きようぼう》な野武士《のぶし》が焼けだされてきた日には、どんな残虐《ざんぎやく》をほしいままにするかも知れないと、家を閉《と》ざして村中|恐怖《きようふ》におののいている。  はたして、その日の午後になると、この部落へ、いような落武者《おちむしや》の一隊がぞろぞろとはいってきた。各戸《かつこ》の防ぎを蹴破《けやぶ》って、 「ありったけの食《た》べ物《もの》をだせ」 「女|老人《としより》は森へあつまれ、そして飯《めし》をたくんだ」 「村から逃げだすやつは、たたッ斬るぞ」 「家《うち》はしばらくのあいだ、われわれの陣屋とする」  好《す》き勝手なことをいって、財宝をうばい、衣類食い物を取りあげ、部落の男どもを一人のこらずしばりあげて、その家々《いえいえ》へ、飢《う》えた狼《おおかみ》のごとき野武士が、わがもの顔して、なだれこんだ。  焼けだされた狼は、わずか三、四十人の隊伍《たいご》であったが、なにせよ、武器をもっている命知《いのちし》らずだからたまらない。なかには、呂宋兵衛《るそんべえ》をはじめ、丹羽昌仙《にわしようせん》、早足《はやあし》の燕作《えんさく》、吹針《ふきばり》の蚕婆《かいこばばあ》までがまじっていた。  あの夜、殿堂へ、煙硝爆破《えんしようばくは》の紅蓮《ぐれん》がかぶさったときには、さすがの昌仙も、手のつけようがなく、わずかに、呂宋兵衛その他のものとともに、例の間道《かんどう》から人無村《ひとなしむら》へ逃げ、からくも危急を脱《だつ》したのであるが、多くの手下は城内で焼け死んだり、のがれた者も、大半は、徳川勢《とくがわぜい》や伊那丸《いなまる》の手におちて、捕《とら》われてしまった。  城をうしない、裾野《すその》の勢力をうしなった呂宋兵衛は、たちまち、野盗《やとう》の本性《ほんしよう》にかえって、落ちてきながら、通りがけの部落をかたっぱしから荒らしてきた。そしてこれから、秀吉《ひでよし》の居城安土《きよじようあづち》へのぼって、助けを借りようという虫のよい考え。——ところが、一しょにおちてきた可児才蔵《かにさいぞう》は、こんな狼連《おおかみれん》につきまとわれては大へんと、いちはやく、とちゅうから姿をかくし、一足《ひとあし》さきに上方《かみがた》へ立っていったのである。     三  ここに、一世一代《いつせいちだい》の大手柄《おおてがら》をやったのは鞍馬《くらま》の竹童《ちくどう》。  その得意や、思うべしである。  飛行自在のクロあるにまかせて、かれは、燃えさかる人穴城《ひとあなじよう》をあとに、ひさしぶりで、京都の鞍馬山《くらまやま》のおくへ飛んでかえり、お師匠《ししよう》さまの果心居士《かしんこじ》にあって、得意のちくいちを物語ろうと思ったところが、荘園《そうえん》の庵《いおり》は|がらん洞《ヽヽヽどう》で、ただ壁に、一枚の紙片《かみきれ》が貼《は》ってあり、まさしく居士の筆で、いわく、 [#ここから1字下げ] 竹童よ。誇《ほこ》るなよ。なまけるなよ。ゆだんするなよ。お前の使命はまだ残《のこ》っているはず。 ふたたび、われとあう日まで、心の紐《ひも》をゆるめるなかれ。 [#地付き]果心居士   [#ここで字下げ終わり] 「おや、こんなものを書きのこして、お師匠さまはいったい、どこへ隠《かく》れてしまったんだろう」  竹童は、がっかりしたり、不審《ふしん》におもったりして、しばらく庵にぼんやりしていた。 「おまえの使命はまだ残っている——おかしいなあ、お師匠さまの計略は、いいつけられたとおり|まんま《ヽヽヽ》としたのに……ああそうか、徳川軍《とくがわぐん》にかこまれた伊那丸《いなまる》さまが、勝ったか負けたか、生きたか死んだか、その先途《せんど》も見《み》とどけないのがいけないというのかしら、そういえば、可児才蔵《かにさいぞう》という人からたのまれている伝言《ことづて》もあったっけ」  と、にわかに気がついた竹童は、数日|来《らい》、不眠不休《ふみんふきゆう》の活動に、ともすると眠くなる目をこすりながら、ふたたび、クロに乗って富士の裾野《すその》へ舞いもどった。  やがて、白砂青松《はくしやせいしよう》の東海道の空にかかったとき、竹童がふと見おろすと、たしかに徳川勢《とくがわぜい》の亀井《かめい》、内藤《ないとう》、高力《こうりき》なんどの武者らしい軍兵《ぐんぴよう》三千あまり、旗幟堂々《きしどうどう》、一|鼓《こ》六|足《そく》の陣足《じんそく》ふんで浜松城へ凱旋《がいせん》してきたようす。 「おや、あのあんばいでは、裾野《すその》の合戦《かつせん》は伊那丸《いなまる》さまの敗亡《はいぼう》となったかしら?」  竹童、いまさら気が気でなくなったから、いやがうえにも、クロをいそがせて、裾野の空へきて見ると、人穴《ひとあな》から燃えひろがった野火《のび》は、止《とど》まるところを知らず、方《ほう》三|里《り》にわたって、濛々《もうもう》と煙をたてているので、下界《げかい》のようすはさらに見えない。   遠術《えんじゆつ》日月《じつげつ》の争《あらそ》い     一  七日七夜《なぬかななよ》、燃えにもえた野火の煙は、裾野一円にたちこめて、昼も日食《につしよく》のように暗い。  富士の白妙《しろたえ》が銀細工《ぎんざいく》のものなら、とッくに見るかげもなく、くすぶッてしまったところだ。見よ、さしも人穴《ひとあな》の殿堂《でんどう》すべて灰燼《かいじん》に帰《き》し、まるで鬼《おに》の黒焼《くろやき》、巌々《がんがん》たる岩ばかりがまっ黒にのこっている。  すると、さっきから、その焼《や》け跡《あと》を見まわっていた三|騎《き》のかげが、廃城《はいじよう》の門をまっしぐらに駈《か》けだした。そして濛々《もうもう》たる野火の煙をくぐりながら、金明泉《きんめいせん》のちかくまできたとき、さきにきた山県蔦之助《やまがたつたのすけ》が、ふいに、ピタッと駒《こま》をとめて、 「や? ご両所《りようしよ》、しばらく待ってくれ」  と、あとからきた二|騎《き》——巽小文治《たつみこぶんじ》と木隠龍太郎《こがくれりゆうたろう》へ、手をふって押しとどめた。 「おお、蔦之助、呂宋兵衛《るそんべえ》の残党《ざんとう》でもおったか」 「いや、よくはわからぬが、あの泉《いずみ》のほとりに、なにやらあやしいやつがいる。いま、拙者《せつしや》が遠矢《とおや》をかけて追いたてるから、あとは斬るとも生けどるとも、おのおの鑑定《かんてい》しだいにしてくれ」 「ウム、心得た」  といったへんじよりは、龍太郎と小文治、金明泉へむかって馬を飛ばしていたほうがはやかった。  蔦之助は、鷹《たか》の石打ちの矢を一本とって、弓弦《ゆづる》につがえ、馬上、横がまえにキラキラと引きしぼる。  ——小《こ》一|町《ちよう》は、駿馬項羽《しゆんめこうう》で一足《いつそく》とび、 「やッ、しまった!」  と、そこまできて龍太郎はびっくりした。なぜといえば、いましも金明泉のほとりから、笹叢《ささむら》をガサガサ分けてでてきたのは、呂宋兵衛《るそんべえ》の残党《ざんとう》どころか、大せつな大せつな鞍馬《くらま》の竹童《ちくどう》。  竹童はなんにも知らない。金明泉《きんめいせん》の水でも飲んできたか、袖《そで》で口をふきながら、ヒョイと、岩角《いわかど》へとび乗ってわざわざ蔦之助《つたのすけ》のまとに立ってしまった。  龍太郎はあわてて、うしろのほうへ馬首《ばしゆ》をめぐらし、 「待てッ、味方だ!」 「竹童だ、うつな!」  小文治《こぶんじ》も絶叫《ぜつきよう》した。  が、間《ま》にあわなかった。プツン! とたかい弦鳴《つるな》りがもうかなたでしてしまった。  射手《いて》は名人、矢は鷹《たか》の石打ち、ヒューッと風をふくんで飛んだかと思うと、狙《ねら》いはあやまたずかれの胸板《むないた》へ——  |あっけらかん《ヽヽヽヽヽヽ》と口をふいていた竹童、睫毛《まつげ》の先にキラリッと鏃《やじり》の光を感じたせつなに、ヒョイ——と首をすくめて右手すばやく稲妻《いなずま》つかみに、名人の矢をにぎり止《と》めてしまった。 「竹童、みごと」  矢にもおどろいたし、褒《ほ》め声《ごえ》にもおどろいた竹童、龍太郎と小文治のすがたを見つけて、 「木隠《こがくれ》さま。大人《おとな》のくせに、よくないいたずらをなさいますね」  と、ニッコリ笑った。 「いや竹童、いまのは木隠《こがくれ》どののわるさではない。むこうにいる山県氏《やまがたうじ》の見そこないだから、まあかんにんしてやるがよい」  小文治《こぶんじ》がいいわけしていると、蔦之助《つたのすけ》も遠くから、このようすを見てかけてきた。そして、今為朝《いまためとも》ともいわれたじぶんの矢を、つかみとるとは、末《すえ》おそろしい子だという。  けれど当《とう》の竹童には、末おそろしくもなんにもない。こんな鍛練《たんれん》は、果心居士《かしんこじ》のそばにおれば、のべつ幕《まく》なしにためされている「いろは」のいの字だ。 「ときに龍太郎さま、なによりまっ先に、うかがいたいのは、伊那丸《いなまる》さまのお身の上、どうか、その後《ご》のようすをくわしく聞かしてくださいまし」 「ウム、当夜若君の孤軍《こぐん》は、いちどは重囲《じゆうい》におちいられたが、折もよし、人穴城《ひとあなじよう》の殿堂から、にわかに猛火を発したので、さすがの呂宋兵衛《るそんべえ》も、間道《かんどう》から逃げおちて、のこるものは阿鼻叫喚《あびきようかん》の落城となった。どうじに三河勢《みかわぜい》も浜松より急命がくだって総退軍。そのため、味方の勝利と一変したのだ」 「そして、ただいま、ご本陣のあるところは」 「五湖をまえにして、白旗《しらはた》の森《もり》一帯《いつたい》、総軍一千あまりの兵が、物の具をつくろうて、休戦しておる」 「呂宋兵衛の部下が軍門にくだって、それで急に、味方がふえたわけなんですね」 「そうだ。して竹童、おまえはきょうまで、どこにいたのか」 「ちょっと鞍馬《くらま》へかえって見ましたところが、お師匠《ししよう》さまの叱言《こごと》が壁にはってあったので、あわててまた舞《ま》いもどってきたんです」 「フーム、では果心《かしん》先生には、鞍馬《くらま》の庵室《あんしつ》にも、おすがたが見えなかったか」 「いっこうお行方《ゆくえ》しれずです。またお気がむいて、日本くまなく行脚《あんぎや》しておいでになるのかも知れませんが、困《こま》るのはこの竹童《ちくどう》、先生のおいいつけは、やりとげましたが、こんどはなにをやっていいのか見当《けんとう》がつきません。龍太郎《りゆうたろう》さま、あそんでいると眠くなりますから、なにか一つ中役《ちゆうやく》ぐらいなところを、いいつけておくんなさい」  龍太郎も、じぶんの手柄話《てがらばなし》らしいことを、おくびにもださなかったが、竹童もまた、あれほどの大軍功《だいぐんこう》を成しとげていながら、鼻にもかけず塵《ちり》ほどの誇《ほこ》りもみせていない。  そしてなお、なにか一役いいつけてくれという。よいかな竹童、さすがは果心居士《かしんこじ》が、藜《あかざ》の杖《つえ》で、ピシピシしこんだ秘蔵弟子《ひぞうでし》だ。     二  武田伊那丸《たけだいなまる》、小幡民部《こばたみんぶ》、そのほか帷幕《いばく》のものが、いまなお白旗《しらはた》に陣をしいて、しきりにあせっているわけは、和田呂宋兵衛《わだるそんべえ》の所在が、かいもく知れないためであった。  人穴城《ひとあなじよう》という外廓《がいかく》は焼けおちたが、中身《なかみ》の魔人《まじん》どもはのこらず逃亡してしまった。丹羽昌仙《にわしようせん》、吹針《ふきばり》の蚕婆《かいこばばあ》、穴山残党《あなやまざんとう》の佐分利《さぶり》、足助《あすけ》の輩《ともがら》にいたるまで、みな間道《かんどう》から抜けだした形跡《けいせき》。しかも、落ちていったさきが不明とあっては、真《まこと》に、この一戦の痛恨事《つうこんじ》である。 「そこできょうも、咲耶子《さくやこ》さまをはじめ忍剣《にんけん》もわれわれ三名も、八ぽうに馬をとばし、木の根、草の根をわけてさがしているところだ」  ——と龍太郎からはなされた竹童は、聞くとともに、こともなげにのみこんで、 「では龍太郎さま、この竹童が、ちょっと、一鞭《ひとむち》あてて見てまいりましょう」 「ウム、なにかおまえに、成算《せいさん》があるか」 「あてはございませんが、そのくらいのことなら、なんのぞうさもないこッてす」 「いや、あいかわらず小気味《こきみ》のいいやつ、ではわかりしだいにその場所から、この狼煙《のろし》を三どうちあげてくれ、こちらでも、その用意をして待つことにいたしているから」 「ハイ。きっとお合図《あいず》もうします。じゃ蔦之助《つたのすけ》さま、小文治《こぶんじ》さま、これでごめんこうむりますよ」  竹童、龍太郎から受けとった狼煙筒《のろしづつ》を、ふところに納《おさ》めると、またまえにでてきた笹叢《ささむら》のなかへ、ガサガサと熊《くま》の子のように姿をかくしてしまった。  おや? あんな大言《たいげん》を吐《は》いておいて、どこへもぐりこんでゆくのかと、こなたに三人がながめていると、折こそあれ、金明泉《きんめいせん》のほとりから、一陣の旋風《せんぷう》をおこして、天空たかく舞いあがった大鷲《おおわし》のすがた——  地上にあっても小粒の竹童、空へのぼると、鷲《わし》の一|毛《もう》にもたらず、かれの姿は、翼《つばさ》のかげにありとも見え、なしとも思われつつ、鷲そのものも、たちまち鳩《はと》のごとく小さくなり、雀《すずめ》ほどにうすらぎ、やがて、一点の黒影《こくえい》となって、眼界《がんかい》から消えてゆく。  雲井にきえた鷲《わし》と竹童《ちくどう》。甲駿《こうすん》二国のさかいを、蛇《じや》の目《め》まわりに、ゆうゆうと見てまわって、とうとう、この法師野《ほうしの》の部落に、和田呂宋兵衛《わだるそんべえ》一族の焼けだされどもが、よわい村民《そんみん》をしいたげているようすを|とく《ヽヽ》と見さだめた。  このあたり、野火《のび》の煙がないので、竹童が鷲の背から小手をかざしてみると、法師野の山村、手にとるごとしだ。部落の家には、みな人穴城《ひとあなじよう》の残党《ざんとう》がおしこみ、衣食をうばわれた善良な村人《むらびと》は、老幼男女《ろうようなんによ》、のこらず裸体《はだか》にされて、森のなかに押しこめられている。真《まこと》にこれ、白昼の大公盗《だいこうとう》、目もあてられぬ惨状《さんじよう》だ。 「ちくしょうめ、人穴城でやけ死んだかと思ったら、またこんなところで悪事をはたらいていやがるな……ウヌいまに一あわふかせてやるからおぼえていろ」  空にあって、竹童は、おもわず歯がみをしたことである。そして、一刻もはやく、この状況《じようきよう》を、伊那丸《いなまる》の本陣へ知らせようと、大空ななめに翔《か》けおりる——  するとそのまえから、法師野の大庄屋狛家《おおしようやこまけ》の屋敷を横奪《おうだつ》して、わがもの顔にすんでいた和田呂宋兵衛は、腹心の蚕婆《かいこばばあ》や昌仙《しようせん》をつれて、庭どなりの施無畏寺《せむいじ》へでかけて、三重の多宝塔《たほうとう》へのぼり、なにか金目《かねめ》な宝物《ほうもつ》でもないかと、しきりにあっちこっちを荒らしていた。  吹針《ふきばり》の蚕婆は、ちょうどその時、三重の塔のいただきへのぼって、朱《しゆ》の欄干《らんかん》から向こうをみると、今しも、竹童ののった大鷲《おおわし》が、しきりにこの部落の上をめぐってあなたへ飛びさらんとしているとき—— 「あッ、たいへん」  顔色をかえて、蚕婆《かいこばばあ》がぎょうさんにさわぎだしたので、塔のなかの宝物をかきまわしていた呂宋兵衛《るそんべえ》と昌仙《しようせん》なにごとかとあわてふためいて、細廻廊《ほそかいろう》の欄干へ立ちあらわれた。  見ると空の黒鷲《くろわし》、その翼《つばさ》にひそんでいるのは、呂宋兵衛がうらみ骨髄《こつずい》にてっしている鞍馬《くらま》の小童《こわつぱ》。丹羽昌仙《にわしようせん》はきッと見て、 「ウーム、きゃつめ、伊那丸方《いなまるがた》の斥候《ものみ》にきおったな」  と拳《こぶし》をにぎったが、かれの軍学も空へはおよばず、蚕婆《かいこばばあ》の吹針《ふきばり》も、ここからはとどかず、ただ唇《くちびる》をかんでいるまに、鷲はいっさんに裾野《すその》をさしてななめに遠のく。 「呂宋兵衛さま、もうこうはしておられませぬ」  さすがの昌仙が、ややろうばいして腰をうかすと、いつも臆病《おくびよう》な呂宋兵衛が、イヤに落着きはらって、 「なアに、大丈夫」  と苦《にが》っぽく嘲笑《あざわら》い、じッと、鷲のかげを見つめていたが、やがて、右手に持っていた金無垢肉彫《きんむくにくぼ》りの鷹《たか》の黄金板《おうごんばん》——それはいまの塔内《とうない》から引ッぺがしてきた厨子《ずし》の金物《かなもの》。 「はッ……、はッ……」  と三たびほど息をかけて、術眼《じゆつがん》をとじた呂宋兵衛、その黄金の板へ、やッと、力をこめて碧空《あおぞら》へ投げあげたかと思うと、ブーンとうなりを生じて、とんでいった。 「あッ」 「オオ」  と丹羽昌仙《にわしようせん》も蚕婆《かいこばばあ》も、おもわず金光《こんこう》の虹《にじ》に眼をくらまされて、まぶしげに空をあおいだが、こはいかに、その時すでに、黄金板《おうごんばん》のゆくえは知れず、ただ見る金毛燦然《きんもうさんぜん》たる一|羽《わ》の鷹《たか》が、太陽の飛ぶがごとく、びゅッ——と竹童の鷲《わし》を追ッかけた。  これは、前身|悪伴天連《あくバテレン》の和田呂宋兵衛《わだるそんべえ》が、蛮流幻術《ばんりゆうげんじゆつ》の奇蹟《きせき》をおこなって、竹童《ちくどう》を、鳥縛《ちようばく》の術におとさんとするものらしい。——知らず鞍馬《くらま》の怪童子《かいどうじ》、はたして、どんな対策《たいさく》があるだろうか?     三 「あら、あら、あら! コンちくしょうめ」  竹童は、にわかに空でめんくらった。  いや、乗ってる鷲がくるいだしたのだ。——で、いやおうなく、かれが、大声あげて、叱咤《しつた》したのもむりではない。 「こらッ、クロ、そっちじゃねえ、そっちへ飛ぶんじゃないよ!」  いつも背なかで調子をとれば、以心伝心《いしんでんしん》、思うままの方向へ自由になるクロが、にわかに、風をくらった凧《たこ》のように、一つところを、くるくるまわってばかりいる。  はるか、多宝塔《たほうとう》の上で、呂宋兵衛が、放遠の術気《じゆつき》をかけているとは知らない竹童、ふしぎ、ふしぎとあやしんでいると、怪光をおびた一|羽《わ》の大鷹《おおたか》が、かッと嘴《くちばし》をあいて、じぶんの目玉をねらってきた。 「あッ」  竹童《ちくどう》はぎょッとして、鷲《わし》の背なかへうっぷした。——とクロは猛然と巨瞳《きよどう》をいからし、鷹《たか》をめがけて絶叫を浴びせかける。らんらんたる太陽のもと、双鳥《そうちよう》たちまち血みどろになってつかみあった。飛毛ふんぷんと降《ふ》って、そこはさながら、日月《じつげつ》あらそって万星《ばんせい》うずを巻くありさまである。 「えいッ」  そのとき竹童、腰なる名刀がわりの棒切《ぼうき》れ、ぬく手もみせず、怪光の鷹《たか》をたたきつけた。とたんに、その鋭い気合いが、術気《じゆつき》をやぶったものか、鷹《たか》は、かーんと黄金板《おうごんばん》の音《ね》をだして、一直線に地上へ落ちていった。 「ウーム、しまった!」  多宝塔《たほうとう》の上で、遠術の印《いん》をむすんでいた呂宋兵衛《るそんべえ》、あおじろい額《ひたい》から、タラタラと脂汗《あぶらあせ》をながしたが、すぐ蛮語《ばんご》の呪文《じゆもん》をとなえ、満口《まんこう》に妖気《ようき》をふくみ入れて、フーと吹くと、はるかな、竹童と鷲の身辺だけが、薄墨《うすずみ》をかけたように、円《まる》くぼかされてしまった。  はじめは、そのうす黒い妖気が、雲のように見えたがやがて、チラチラ銀光にくずれだしたのを見ると……数万数億《すうまんすうおく》の白い毒蝶《どくちよう》。——打てども、はらえども、銀雲のように舞って、さすがの竹童も、これには弱りぬいた。同時に、さては何者か、妖気を放術してさまたげているにそういないと知ったから、かねて果心居士《かしんこじ》におしえられてあった破術遁明《はじゆつとんめい》の急法をおこない、蝶群《ちようぐん》の一角《いつかく》をやぶって、無二無三《むにむさん》に、鷲《わし》を飛ばそうとすると、クロは白蝶群《はくちようぐん》の毒粉《どくふん》に眩暈《よつ》て、翼《つばさ》を弱められ、クルクルと木《こ》の葉おとしに舞いおりた。  多宝塔《たほうとう》の上から、それをながめた呂宋兵衛《るそんべえ》、してやったりと|ほくそ笑《ヽヽヽえ》んで、塔のなかへ姿をかくしたが、まもなく金銀珠玉《きんぎんしゆぎよく》の寺宝をぬすみだして、庄屋《しようや》の狛家《こまけ》へはこびこみ、野武士《のぶし》の残党《ざんとう》どもに、酒蔵《さかぐら》をやぶらせて、面《つら》にくい大《おお》酒宴《さかもり》。  寺には、僧侶《そうりよ》が斬りころされ、森には裸体《はだか》の老幼《ろうよう》がいましめられて、飢《う》えと恐怖におののいている。戦国の悲しさには、この暴悪なともがらの暴行に、駈《か》けつけてくる代官所《だいかんしよ》もなく、取りしまる政府もない。  こうして呂宋兵衛たちは、この村を食《く》いつくしたら、次の部落へ、つぎの部落を蹂躪《じゆうりん》しきったらその次へ、群《ぐん》をなして桑田《そうでん》を枯《か》らす害虫のように渡りあるく下心《したごころ》でいるのだ。それは、この一族ばかりでなかったとみえて、戦国時代のよわい民のあいだには「狼《おおかみ》と野武士《のぶし》がいなけりゃ山家《やまが》は極楽《ごくらく》」と、いう諺《ことわざ》さえあった。  さて、いっぽうの竹童は、どこへ降《お》りたろう。  降《お》りたところで、ふと見るとそこは、つごうよく、五湖方面から法師野《ほうしの》地方へかよう街道のとちゅう。小広い平地があって、竹林《ちくりん》のしげった隅《すみ》に、一|軒《けん》の茅葺屋根《かやぶきやね》がみえ、裏手《うらて》をながるる水勢のしぶきのうちに、ゴットン、ゴットン……水車《みずぐるま》の悠長《ゆうちよう》な諧調《かいちよう》がきこえる。  さっきは、呂宋兵衛《るそんべえ》の遠術になやまされて、クロがだいぶつかれているようすなので、竹童は、水車《すいしや》のかけてある流れによって、鷲《わし》にも水を飲ませじぶんも一口すって、さて、一刻《いつこく》もはやく合図《あいず》の狼煙《のろし》をあげてしらせたいがと、あっちこっちを見まわした後《のち》、クロをそこへ置きすてて、いっさんにうらの小山へ登りだした。  ところが、その水車小屋《すいしやごや》には、一昨日《おととい》からひとりの男が張《は》りこんでいた。  呂宋兵衛から、張り番をいいつけられていた早足《はやあし》の燕作《えんさく》。毎日たいくつなので、きょうは通りかかった泣き虫の蛾次郎《がじろう》を、小屋のなかへ引っぱりこみ、このいい天気なのに小屋の戸を閉《し》めきったまま、ふたりでなにかにむちゅうになっていた。   鷲盗《わしぬす》み     一  入口も窓《まど》も閉めきってあるので、水車小屋のなかはまっ暗だ。ただ、蝋燭《ろうそく》が一本たっている。  そこで、早足の燕作が、泣き虫の蛾次郎に、よからぬ秘密《ひみつ》を、伝授《でんじゆ》している。  なにかと思えば、かけごとである。するものに事をかいて、かけごとの方法をつたえるとは、教授する先生も先生なら、また、教えをうける弟子《でし》も弟子、どっちも、褒《ほ》められた人物でない。 「おい蛾次公《がじこう》、まだふところに金があるんだろう、勝負ごとは、しみッたれるほど負けるもんだ、なんでも、気まえよくザラザラだしてしまいねえ」 「だって燕作《えんさく》さん、いまそこへだした小判《こばん》は?」 「わからねえ男だな、いまのはおまえが負けたからおれにとられてしまったんだよ。それを取りかえそうと思ったら、いっぺんに持ってるだけかけて見ろ」 「だって負けると、つまらねえや」 「そこが男の度胸《どきよう》じゃねえか、鏃師《やじりし》の蛾次郎ともあるおまえが、それぐらいな度胸がなくって、将来天下に名をあげることができるもんか、ええ蛾次ちゃん、しッかりしろやい」  と燕作は、ここ苦心|さんたん《ヽヽヽヽ》で、蛾次郎の持ち金のこらず巻きあげようとつとめている。  蛾次郎が、身にすぎた小判《こばん》を、ザラザラ持っていたのは、向田《むこうだ》ノ城の一室で、菊池半助《きくちはんすけ》からもらった金だった。——かれは、本来その報酬《ほうしゆう》として竹童《ちくどう》の鷲《わし》をぬすんで、裾野戦《すそのせん》のおこるまえに、菊池半助の陣中へかけつけなければならなかったはずだが、密林《みつりん》のおくで、鷲をぬすみそこねて、竹童のため、したたか痛められていらい、もうこりごり、のこりの金で買食《かいぐ》いでもしようかと、甲府《こうふ》をさしてきたとちゅう、ここで張《は》り番役をしていた燕作《えんさく》の目にとまり、ひっぱりこまれたものである。  そしてさっきから、うまうまとふところの小判《こばん》を、あらかた巻きあげられ、もう三枚しか手になかった。燕作は、その三枚の小判《こばん》をふんだくってしまったら、おとといおいでと、小屋からつまみだしてしまうつもりだ。 「おい、蛾次公《がじこう》先生、いつまで考えこんでいるんだい」 「だけれど、こわいなあ、この三枚をだして負けになると、おれは、空《から》ッぽになってしまうんだろう」 「そのかわり、おめえが勝てば、六枚になるじゃねえか、六枚はって、また勝てば十二枚、その十二枚をまたはれば、二十四枚、二十四枚は二十四両、どうでえ、それだけの金をふところに入れて、甲府へいってみろ、買えねえ物は、ありゃしねえぞ」 「よし! はった」 「えらい、さすがは男だ、よしかね、勝負をするぜ」 「ウム、燕作さん、ごまかしちゃいけねえよ」 「ばかをいやがれ、いいかい、ほれ……」  と、燕作が壺《つぼ》へ手をかける、蛾次郎は目をとぎすます——と、その時だ……  ドドーンと、裏山《うらやま》の上で、不意にとどろいた一発の狼煙《のろし》。  燕作は見張り番の性根《しようね》を呼びさまして、「あッ!」とばかりはねかえり、窓の戸をガラッとあけて空をみると、いましも、打ちあげられた狼煙《のろし》のうすけむり、水に一|滴《てき》の墨汁《すみじる》をたらしたように、ボーッと碧空《あおぞら》ににじんで合図《あいず》をしている。 「やッ、なにか伊那丸《いなまる》の陣のほうへ、合図をしやがったやつがあるな。ウム、もうこうしちゃいられねえ」  あわただしく取ってかえすや否《いな》、賭《か》けてあった小判《こばん》をのこらずかきあつめて、ザラザラとふところにねじ込む。  蛾次郎《がじろう》はぎょうてんして、その袂《たもと》にしがみついた。 「ずるいやずるいや、燕作《えんさく》さん、おれの金まで持っていっちゃいけないよ、かえしてくれ、かえしてくれ」 「ええい、この阿呆《あほう》め、もう、てめえなんぞに、からかっているひまはねえんだ」  ポンと蛾次郎を蹴《け》はなして、脇差《わきざし》をぶちこむがはやいか、ガラリッと土間《どま》の戸を開《あ》けっぱなして、狼煙のあがった裏の小山へ、いちもくさんにかけあがった。  あとで起きあがった蛾次郎、親の死目《しにめ》に会わなかったより悲しいのか、両手を顔にあてて、 「わアん……わアん……わアん……」  と、手ばなしで泣きだした。  しかし天性《てんせい》の泣き虫にかぎって、泣きだすのもはやいが泣きやむのもむぞうさに、ケロリと天気がはれあがる。  しばらくのあいだ、おもうぞんぶん泣きぬいた蛾次郎は、それで気がさっぱりしたか、プーと面《つら》をふくらましてそとへでてきた。と思うと、なにかんがえたか、賽《さい》の河原《かわら》の亡者《もうじや》のように、そこらの小石をふところいっぱいひろいこんだ。 「燕作《えんさく》め! 見ていやがれ」  怖《おそ》ろしい怖ろしい、低能児《ていのうじ》でも復讐心《ふくしゆうしん》はあるもの。蛾次郎が、小石をつめこんだのは、れいの石投げの技《わざ》で、小判《こばん》の仇《かたき》をとるつもりらしい。  燕作がかえってくるのを待伏《まちぶ》せる計略か、蛾次郎はギョロッとすごい目をして水車小屋《すいしやごや》の裏へかくれこんだ。  と、どこまで運のわるいやつ、わッと、そこでまたまた腰をぬかしそこねた。 「やあ、おめえは、クロじゃねえか」  一どはびっくりしたが、そこにいた怪物は、おなじみの竹童《ちくどう》のクロだったので、蛾次郎は思わず、人間にむかっていうようなあいさつをしてしまった。  そして、いまの泣《な》きッ面《つら》を、グニャグニャと笑いくずして、 「しめ、しめ! 竹童がいないまに、この鷲《わし》をかっぱらッてしまえ。鷲にのって菊池半助《きくちはんすけ》さまのところへいけばお金はくれる、侍《さむらい》にはなれる、ときどきクロにのって諸国の見物はしたいほうだい。アアありがてえ、こんな冥利《みようり》を取りにがしちゃあ、天道《てんとう》さまから、苦情がくら」  竹の小枝を折って棒切《ぼうき》れとなし、竹童うつしにクロの背なかへのった泣き虫の蛾次郎。ここ一番の勇気をふるいおこして、鷲《わし》ぬすみのはなれわざ、小屋の前からさッと一陣の風をくらって、宙天《ちゆうてん》へ乗り逃げしてしまった。     二  血相《けつそう》かえて、小山の素天《すて》ッぺんへ駈《か》けあがってきた早足《はやあし》の燕作《えんさく》、きッと、あたりを見まわすと、はたして、そこの粘土《ねんど》の地中に狼煙《のろし》の筒《つつ》がいけてあった。  スポンとひき抜いて、その筒銘《つつめい》をあらためていると、すきをねらってものかげから、バラバラと逃げだしたひとりの少年。 「うぬ、間諜《まわしもの》!」  ぱッと飛びついて組みかぶさった燕作、肩ごしに対手《あいて》の頤《あご》へ手をひっかけて、タタタタタと五、六|間《けん》ひきずりもどしたが、きッと目をむいて、 「やッ、てめえは鞍馬《くらま》の竹童《ちくどう》だな」 「オオ竹童だが、どうした」 「狼煙をあげて、伊那丸方《いなまるがた》へ合図《あいず》をするなんて、|なり《ヽヽ》にもにあわぬふてえやつ。きょうこそ呂宋兵衛《るそんべえ》さまのところへ引っつるすからかくごをしろ」 「だれがくそ!」 「ちぇッ。この餓鬼《がき》め」 「なにをッ、この大人《おとな》め」  組んずほぐれつ、たちまち大小二つの体《からだ》が、もみ合った。——赤土がとぶ、草が飛ぶ。それが火花のように見える。  さきに、釜無《かまなし》川原《がわら》でぶつかった時、燕作《えんさく》の早足と腕まえを知った竹童は、もう逃げては、やぼとおもったか、いきなりかれの手首へかじりついた。 「あ痛《いて》ッ! ちくしょうッ」  燕作は拳《こぶし》をかためて、イヤというほど、竹童の|びんた《ヽヽヽ》をなぐる。しかし竹童も、必死に食《く》いさがって、はなれればこそ。 「ウム」と唇《くちびる》から血をたらして同体に組みたおれた。そしてややしばらく芋虫《いもむし》のように転々《てんてん》として上になり、下になりしていたが、ついに踏《ふ》ンまたいでねじふせた燕作が、右の拇指《おやゆび》で、グイと対手《あいて》の喉《のど》をついたので、あわれや竹童《ちくどう》、喉《のど》三寸のいきの根《ね》をたたれて、 「ウーム……」  と、四肢《しし》をぶるるとふるわせたまま、ついに、ぐったりしてしまった。 「ざまア見やがれ! |がら《ヽヽ》の小《ちい》せえわりに、ぞんがいほねを折らせやがった」  燕作は、すぐ竹童をひっかかえて、法師野《ほうしの》にいる呂宋兵衛《るそんべえ》のところへかけつけようとしたが、ふと気がつくと、いまの格闘《かくとう》で、さっき蛾次郎《がじろう》からせしめた小判《こばん》が、あたりに山吹《やまぶき》の落花《らつか》となっているので、 「ほい、こいつをすてちゃあゆかれねえ」  あっちの三枚、こっちの五枚、ザラザラひろいあつめていると、突《とつ》! どこからか風をきって飛んできた石礫《いしつぶて》が、コツンと、燕作《えんさく》の肩骨にはねかえった。 「おや」  とふりむいたが、竹童《ちくどう》は気絶《きぜつ》して横たわっているし、ほかにあやしい人影も見あたらない。どうもへんだとは思ったが、なにしろ大《たい》せつな小判《こばん》をと、ふたたびかき集めていると、こんどはバラバラ小石の雨が、つづけざまに降《ふ》ってきた。 「あ、あ、あいたッ!」  両手で頭をかかえながら、ふとあおむいた燕作の目に、そのとたん! さッと舞いおりた大鷲《おおわし》の赤銅色《しやくどういろ》の腹が見えた。  首尾《しゆび》よく、鷲《わし》ぬすみをやった泣き虫の蛾次郎《がじろう》、その上にあって、細竹《ほそだけ》の杖《つえ》を口にくわえ、右手に飛礫《つぶて》をつかんで、 「やい燕作、やアい、燕作のバカ野郎《やろう》。さっきはよくも蛾次郎さまの金を、いかさまごとで、巻きあげやがったな。その返報には、こうしてやる、こうしてやる!」  天性《てんせい》、石なげの妙《みよう》をえた蛾次郎が、邪魔物《じやまもの》のない頭の上からねらいうちするのだからたまらない、さすがの燕作も手むかいのしようがなく、あわてまわって、竹童のからだを横わきに引っかかえるや否《いな》、小山の降《お》り口《ぐち》へむかって、一足《いつそく》とびに逃げだした。  が——一せつな、蛾次郎がさいごの力をこめた飛礫《つぶて》がピュッと、燕作のこめかみにあたったので、かれは、急所の一撃《いちげき》に、くらくらと目をまわして、竹童のからだを横にかかえたまま、粘土《ねんど》の急坂《きゆうはん》を踏《ふ》みすべって、竹林《ちくりん》のなかへころがり落ちていった。 「やあ、いい気味だ、いい気味だ! ひっヒヒヒヒヒ」  白い歯をむきだして、虚空《こくう》に凱歌《がいか》をあげた蛾次郎《がじろう》は、口にくわえていた細竹《ほそだけ》の杖《つえ》を持ちなおし、ここ、竹童そッくりの大得意《だいとくい》。 「さ、クロ、あっちへ飛べ」  南——遠江《とおとうみ》の国は浜松の城、徳川家康《とくがわいえやす》の隠密組《おんみつぐみ》菊池半助《きくちはんすけ》のところを指して、いっきに鷲《わし》をかけらせた。  幸か不幸か、いま竹童は息の根絶《ねた》えてそれを知らない。醒《さ》めてのち、かれが天下なにものよりも愛着してやまないクロが、蛾次郎のため盗みさられたと知ったら、その腹立ちはどんなだろう。     三  ゴットン、ゴットン、ゴットン……  水車の諧調《かいちよう》に、あたりはいつか、たそがれてきた。  竹林《ちくりん》のやみに、夜の風がサワサワゆれはじめると、昼はさまでに思えなかった水音《みずおと》が、いちだんとすごみを帯《お》びてくる。——ことに今夜は、小屋の灯《ひ》をともす者もなかった。  星あかりで見ると、その燕作《えんさく》は、水車場《すいしやば》のすぐ上の崖《がけ》に、竹童《ちくどう》をかかえたまま、だらりと木の根に引っかかっている。  ——ふたりとも、死せず活《い》きず、気絶《きぜつ》しているのだ。  すると上の竹の葉が、サラサラ……とひそやかにそよぎだしたかと思うと、笹《ささ》の雫《しずく》がそそぎこぼれて、燕作《えんさく》の顔をぬらした。で、かれはハッと正気《しようき》をとりもどし、むくむくと起きて、闇《やみ》のなかにつっ立った、——立ったとたんに、笹の枝からヌルリとしたものが、燕作の首に巻きついた。 「あッ——」と、つかんですてると、それは小さな白蛇《しろへび》である。こんどはたおれている竹童の胸へのって、かれのふところへ鎌首《かまくび》を入れ、スルスルと襟首《えりくび》へ、銀環《ぎんかん》のように巻きついた。  夜はいよいよ森々《しんしん》としている。燕作は、なんだかゾッとして手がだせないでいた。そして、顔のしずくをなでまわした。  と、それはあまりに遠くない地点から、ぼウ——ぼウ——と鳴りわたってきた法螺《ほら》の音《ね》、また陣鐘《じんがね》。耳をすませば、ごくかすかに甲鎧《こうがい》のひびきも聞える。兵馬漸進《へいばぜんしん》の足なみかと思われる音までが、ひたひたと潮《うしお》のように近づいてくる。 「オオ!」  燕作はいきなり、そばの木へのぼって、枝づたいに、水車小屋の屋根の上へポンととびうつった。そして、暗憺《あんたん》たる裾野《すその》の方角へ小手をかざしてみると、こはなにごと!  急は目前《もくぜん》、味方の一大事、すでに十数町の近くまでせまってきていた。  竹童《ちくどう》があいずの狼煙《のろし》をみて、この地方に敵ありと知った武田伊那丸《たけだいなまる》は、白旗《しらはた》の森《もり》に軍旅《ぐんりよ》をととのえ、裾野陣《すそのじん》の降兵《こうへい》をくわえた約千余の人数を、星《せい》、流《りゆう》、騎《き》、白《はく》、幻《げん》の五段にわかち、木隠《こがくれ》、巽《たつみ》、山県《やまがた》、加賀見《かがみ》、咲耶子《さくやこ》の五人を五隊五将の配置とした。  采配《さいはい》、陣立て、すべてはむろん、軍師小幡民部《ぐんしこばたみんぶ》がこれを指揮《しき》するところ。  陣の中央はこれ天象《てんしよう》の太陽|座《ざ》、すなわち、武田伊那丸の大将座、陰陽脇備《いんようわきぞな》え、畳備《たたみぞな》え、旗本随臣《はたもとずいしん》たち楯《たて》の如くまんまんとこれをかこみ、伝令旗持《でんれいはたも》ちはその左右に、槍組《やりぐみ》、白刃組《はくじんぐみ》、弓組をせんとうに、小荷駄《こにだ》、後備《うしろぞな》えはもっともしんがりに、いましも、三軍|星《ほし》をいただき、法師野《ほうしの》さしていそいできた。  ひる、それを見れば、孫子《そんし》四軍の法を整々《せいせい》とふんだ小幡民部が軍配《ぐんばい》ぶり、さだめしみごとであろうが、いまは荒涼《こうりよう》たる星あかり、小屋の屋根から小手をかざしてみた燕作《えんさく》にも、ただその殺気しか感じられなかった。 「ウーム……」  と、燕作はおもわずうなって、 「いよいよ伊那丸のやつばらが、呂宋兵衛《るそんべえ》さまのあとをかぎつけてきやがったな。オオ、すこしも早くこのことを、法師野《ほうしの》へ知らせなくっちゃならねえ」  ひらりと、屋根をとびおりた燕作、この大事に驚愕《きようがく》して、いまはひとりの竹童をかえり見ている暇《ひま》もなく、得意の早足《はやあし》一もくさん、いずこともなくすッ飛んでった。   白樺《しらかば》に笛吹《ふえふ》く少女《おとめ》     一  駈《か》けもかけたり早足《はやあし》の燕作《えんさく》。  水車小屋から法師野《ほうしの》まで、二|里《り》八、九|丁《ちよう》はたっぷりな道、暗夜悪路をものともせず、ひととび、五、六|尺《しやく》ずつ踵《きびす》をけって、たちまち大庄屋狛家《おおしようやこまけ》の土塀門《どべいもん》のうちへ、息もつかずに走りこんだ。  きて見ると、こなたは意外、いやのんきしごくなていたらく。  呂宋兵衛《るそんべえ》以下、野獣《やじゆう》のごとき残党輩《ざんとうばら》。竹童《ちくどう》のあげた狼煙《のろし》も、伊那丸軍《いなまるぐん》の出動も知らず、みなゆだんしきッた酒宴《さかもり》の歓楽最中《かんらくさいちゆう》。なかにはすでに酔《よ》いつぶれて、正体《しようたい》のない野武士《のぶし》さえある。  息はずませて、門から奥《おく》をのぞきこんだ燕作、 「ケッ、ばかにしていやがら」  と、むッとして、 「おれひとりを、番小屋に張りこませておきゃあがって、てんでに、すきかってなまねをしていやがる。ウム、くせになるから、いちばん胆《きも》ッ玉のでんぐり返るほど、おどかしてやれ」  じぶんも蛾次郎《がじろう》あいてに、かけごとをしていたことなどは棚《たな》へあげて、不平づらをとンがらかした燕作《えんさく》、いきなり庭先のやみへバラッとおどり立ち、声と両手をめちゃくちゃにふりあげて、 「一大事、一大事! 酒宴《さかもり》どころじゃない、一大事がおこったぞ」  取次ぎもなく、ふいにどなられたので、呂宋兵衛《るそんべえ》は、杯《さかずき》をおとして顔色をかえた。かれのみか、丹羽昌仙《にわしようせん》、蚕婆《かいこばばあ》、穴山《あなやま》の残党《ざんとう》足助《あすけ》、佐分利《さぶり》の二名、そのほかなみいる野武士《のぶし》たちまで、みな総立《そうだ》ちとなり、あさましや、歓楽《かんらく》の席は、ただ一声《ひとこえ》で乱脈となった。 「おお、そちは番小屋の燕作、さてはなんぞ、伊那丸がたの間諜《かんちよう》でも、立ちまわってきたと申すか」 「あ、昌仙さまでございましたか、間諜どころか、武田伊那丸《たけだいなまる》じしんが、一千あまりの軍勢を狩《か》りたて、この法師野《ほうしの》へおそってくるようすです」 「ウーム、さすがは伊那丸、もうこの隠《かく》れ里《ざと》をさぐりつけてまいったか。よもやまだ四、五日は大丈夫と、たかをくくっていたのが、この昌仙のあやまり、ああ、こりゃどうしたものか……」  丹羽昌仙は、ためいきついて、つぶやいたが、急に、ヒラリと庭さきへでて、じッと、十方の天界《てんかい》をみつめだした。  そらは無月《むげつ》、紺紙《こんし》に箔《はく》をふきちらしたかのごとき星月夜《ほしづきよ》、——五|遊星《ゆうせい》、北極星《ほつきよくせい》、北斗星《ほくとせい》、二十八|宿星《しゆくせい》、その光芒《こうぼう》によって北条流《ほうじようりゆう》軍学の星占《ほしうらな》いをたてているらしい昌仙《しようせん》は、しばらくあってのち、なにかひとりうなずいて、もとの席へもどり、呂宋兵衛《るそんべえ》にむかって、離散逃亡《りさんとうぼう》の急策《きゆうさく》をさずけた。 「ではなんとしても、おれもひとりとなり、そちもひとりとなり、他の者どももみなばらばらとなって、退散せねば危《あぶ》ないというのか」  蛮流幻術《ばんりゆうげんじゆつ》にたけて、きたいな神変《しんぺん》をみせる呂宋兵衛も、臆病《おくびよう》な生まれつきは争《あらそ》えず、語韻《ごいん》はふるえをおびて昌仙の顔をみまもっていた。 「ざんねんながら、富岳《ふがく》の一天に凶兆《きようちよう》れきれき、もはや、死か離散かの、二|途《と》よりないようにぞんぜられまする」 「伊那丸《いなまる》づれに亡《ほろ》ぼされて、ここに終るのも、無念至極《むねんしごく》。ウム……では、ひとまずめいめいかってに落ちのびて、またの時節をうかがい、京都へあつまって、人穴城《ひとあなじよう》の栄華《えいが》にまさる出世の策《さく》を立てるとしよう」 「なるほど、京都へまいれば秀吉公《ひでよしこう》のお力にすがることもでき、公卿《こうけい》百官の邸宅《ていたく》や諸侯《しよこう》の門など甍《いらか》をならべておりますから、またなんぞうまい手蔓《てづる》にぶつからぬかぎりもござりますまい。では、呂宋兵衛さま、すこしもはやく、ここ退散のおしたくを……」 「おう、じゃ、昌仙もほかの者も、のちに京都で落ちあうことはたしかにしょうちしたろうな」 「がってんです、きっとまた頭領《とうりよう》のところへ駈《か》けあつまります」  一同が、異口同音《いくどうおん》に答えるのを聞いて、呂宋兵衛《るそんべえ》は、有り金をあたまわりに分配して、武器、服装、足ごしらえ用意周到《よういしゆうとう》の逃げじたくをはじめる。  間《ま》もあらせず、とうとうたる金鼓《きんこ》や攻め貝もろとも、法師野《ほうしの》の里《さと》へひた押しに寄せてきた伊那丸勢《いなまるぜい》、怒濤《どとう》のごとく、大庄屋狛家《おおしようやこまけ》のまわりをグルッととりかこんだ。  その時おそし、呂宋兵衛|一味《いちみ》の残党《ざんとう》、間《ま》ごと間《ま》ごとの燈火《ともしび》をふき消して、やくそくどおりの自由行動、蜂《はち》の巣《す》を突いたように、八方から闇《やみ》にまぎれて、戸外《おもて》へ逃げだした。  塀《へい》を躍《おど》り越そうとする者——木の枝にぶらさがる者、屋根にのぼってすきを見る者、衆を組んで破れかぶれに斬りだす者——いちじにワーッと喊声《かんせい》をあげると、寄手《よせて》のほうも木霊《こだま》がえしに、武者声《むしやごえ》を合わせて、弓組いっせいに弦《つる》を切り、白刃組《はくじんぐみ》は鎬《しのぎ》をけずり、ここかしこにたちおこる修羅《しゆら》の巷《ちまた》。  時に、鉄鋲打《てつびようう》った鉢兜《はちかぶと》に小具足《こぐそく》をつけ、背に伝令旗《でんれいばた》を差《さ》し立てた一|騎《き》、伊那丸の命《めい》をうけて、五陣のあいだをかけめぐりながら、 「——民家へ火をつけるな。——罪なき民《たみ》を傷《きず》つけるな。——降《こう》を乞《こ》う者は斬るな。——和田呂宋兵衛《わだるそんべえ》はかならず手捕《てど》りにせられよ。以上、おん大将ならびに軍師《ぐんし》の厳命《げんめい》でござるぞ。違背《いはい》あるにおいては、味方たりといえども斬罪《ざんざい》」  と、声をからして伝令し去《さ》った。     二 「もうだめだ、表のほうは、蟻《あり》のはいでるすきもねえ。昌仙《しようせん》さま、昌仙さま、うまいところが見つかったから、はやく頭領《とうりよう》をつれてこっちへ逃げておいでなさい」  まっ暗な裏手《うらて》に飛びだして、あわただしく手をふったのは早足《はやあし》の燕作《えんさく》。ひゅうッ、ひゅうッ、とうなりを立てて飛んでくる矢は、そのあたりの戸袋《とぶくろ》、井戸がわ、廂《ひさし》、立木の幹《みき》、ところきらわず突き刺《さ》さって、さながら横なぐりに吹雪《ふぶき》がきたよう。  と、暗憺《あんたん》たる家のなかで、丹羽昌仙のひくい声。 「呂宋兵衛さま、裏手のほうが手うすとみえて、燕作がしきりにわめいております。さ、少しもはやくここをお落ちなさいませ」 「ウム」  となにかささやきながら、奥《おく》からゾロゾロとでてきたのは、丹羽昌仙、蚕婆《かいこばばあ》、足助主水正《あすけもんどのしよう》、佐分利《さぶり》五郎次、そしてそのなかに取りかこまれた黒布蛮衣《こくふばんい》の大男が、まぎれもない和田呂宋兵衛《わだるそんべえ》か——と思うと、またあとからおなじ黒衣《こくい》をつけ、おなじ銀の十字架《じゆうじか》を胸にたれ、おなじ背かっこうの男がふたりもでてきた。  しめて、七人。  そのなかに呂宋兵衛が三人もいる。ふたりはむろん昌仙がとっさの妙策《みようさく》でつくった影武者《かげむしや》だが、どれが本物の呂宋兵衛か、どれが影武者か、夜目《よめ》ではまッたくけんとうがつかない。 「燕作《えんさく》、燕作」  昌仙《しようせん》は用心ぶかく、裏口へ首だけだしてどなってみた。矢はしきりに飛んでくるが、さいわい、まだ伊那丸《いなまる》の手勢《てぜい》はここまで踏《ふ》みこんでいなかった。 「燕作、逃げ口をあんないしろ! 燕作はどこにいるんだ」 「あ、昌仙さまでございますか」 「そうだ、呂宋兵衛《るそんべえ》さまをお落としもうさにゃならぬ、うまい逃げ口が見つかったとは、どこだ」 「ここです——ここです」 「どこだ、そちはどこにいるんだ」 「ここですよ。昌仙さま、呂宋兵衛さま、はやくここへおいでなさいまし」 「はてな?」  流れ矢があぶないので、七人とも首だけだして、裏手の闇をズーと見わたしたが、ふしぎ、すぐそこで、大きくひびく燕作の声はあるが、どこをどう見つめても、かれのすがたが見あたらない。  とたんに、表のほうへ、伊那丸の手勢が乱入してきたのか、すさまじい物音。逃げだした部下もあらかた生《い》けどられたり斬りたおされた気《け》はいである。 「それッ、ぐずぐずしてはいられぬ」  七人のかげが流れ矢をくぐってそとへとびだし、いっぽうの血路《けつろ》を斬りひらく覚悟で、うらの土塀《どべい》によじ登ろうとすると、 「あぶない! そっちは危《あぶ》ない!」  とまた燕作の声がする。 「どこだ、そのほうはいずれにいるのだ」 「ここだよ、こっちだよ」 「こっちとはどこだ」  七人は行き場にまよってウロウロした。  矢は見るまに、めいめいの袖《そで》や裾《すそ》にも二、三本ずつ刺《さ》さってきた。 「ええ、じれッてえな、ここだってば!」 「や、あの声は?」 「早く早く! 早く降《お》りておいでなせえ」 「燕作」 「おい」 「どこじゃ」 「ちぇッ、血のめぐりがどうかしているぜ」  という声が、どうやら地底でしたと思うと、かたわらの車井戸《くるまいど》にかけてあった釣瓶《つるべ》が、癇癪《かんしやく》を起したように、カラカラカラとゆすぶれた。 「や、この井戸底《いどそこ》にいるのか」 「そうです、ここより逃げ場はありませんぜ」 「バカなやつめ」  影武者《かげむしや》のひとりか、ただしは本人の呂宋兵衛《るそんべえ》か、井戸がわに立ってあざ笑いながら、 「こんななかへとびこむのは、じぶんで墓《はか》へはいるもどうぜんだ」 「おッと、そいつは大安心《おおあんしん》、ここは空井戸《からいど》で一|滴《てき》の水もないばかりか、横へぬけ道ができているからたしかに間道《かんどう》です」 「なに抜け道になっているとか、そりゃもっけの幸《さいわ》い」  と、にわかに元気づいた七人、かわるがわる釣瓶づたいに空井戸の底へキリキリとさがってゆく。  そして、すでに七人のうち五人までがすがたを隠し、しんがりに残った影武者のひとりと佐分利《さぶり》五郎次とが、つづいて釣瓶縄《つるべなわ》にすがって片足かけたとき、早くもなだれ入った伊那丸勢《いなまるぜい》のまっさきに立って、疾風《しつぷう》のごとく飛んできたひとりの敵。 「おのれッ」  と、駈《か》けよりざま、雷喝一声《らいかついつせい》、闇からうなりをよんだ一|条《じよう》の鉄杖《てつじよう》が、ブーンと釣瓶もろとも、影武者のひとりをただ一撃《いちげき》にはね飛ばした。  そのおそろしい剛力《ごうりき》に、空井戸の車はわれて、すさまじく飛び、ふとい棕梠縄《しゆろなわ》は大蛇《おろち》のごとく蜿《うね》って血|へど《ヽヽ》を吐《は》いた影武者のからだにからみついた。 「あッ——」  と、あやうく鉄杖《てつじよう》の二つ胴《どう》にされそこなった佐分利《さぶり》五郎次、井戸がわから五、六尺とびのいてきッと見れば、鎧武者《よろいむしや》にはあらず、黒の染衣《せんえ》かろやかに、ねずみの手甲脚絆《てつこうきやはん》をつけた骨たくましい若僧《わかそう》、いま、ちぬられた鉄杖をしごきなおして、ふたたび、らんらんとした眼《まなこ》をこなたへ射向《いむ》けてくるようす。 「さてはこいつが、伊那丸《いなまる》の幕下《ばつか》でも、怪力《かいりき》第一といわれた加賀見忍剣《かがみにんけん》だな……」  五郎次はブルッと身ぶるいしたが、すでに空井戸《からいど》の逃げみちは断《た》たれ、四面楚歌《しめんそか》にかこまれてしまった上は、とうてい助かる術《すべ》はないとかんねんして、やにわに陣刀をギラリと抜き、 「おお、そこへきたのは加賀見忍剣とみたがひがめか、もと穴山梅雪《あなやまばいせつ》が四天王《してんのう》のひとり佐分利五郎次、きさまの法師首《ほうしくび》を剣先《けんさき》にかけて、亡主《ぼうしゆ》梅雪の回向《えこう》にしてくれる、一騎《いつき》うちの作法《さほう》どおり人まじえをせずに、勝負をしろ」  窮鼠猫《きゆうそねこ》をかむとはこれだ、すてばちの怒号《どごう》ものものしくも名のりをあげた。  忍剣は、それを聞くとかえって鉄杖の力をゆるめ、声ほがらかに笑って、 「はははは、さては汝《なんじ》は、悪入道《あくにゆうどう》の遺臣《いしん》であったか、主人梅雪がすでに醜骸《しゆうがい》を裾野《すその》にさらして、相果《あいは》てたるに、いまだ命《いのち》ほしさに、呂宋兵衛《るそんべえ》の手下にしたがっているとは臆面《おくめん》なき恥知らず、いで、まことの武門をかがやかしたもう伊那丸《いなまる》さまの御内人《みうちびと》加賀見忍剣が、天にかわって誅罰《ちゆうばつ》してくりょう」 「ほざくな痩法師《やせほうし》、鬼神といわれたこの五郎次の陣刀を受けられるものなら受けてみろ」 「豎子《じゆし》! まだ忍剣《にんけん》の鉄杖《てつじよう》のあじを知らぬな」 「うぬ、その舌《した》の根《ね》を!」  ——とさけびながら佐分利《さぶり》五郎次、三日月《みかづき》のごとき大刀をまっ向《こう》にかざして、加賀見忍剣《かがみにんけん》の脳天《のうてん》へ斬りさげてくる。 「おお」  ゆうゆう、右にかわして、さッと鉄杖に寸《すん》のびをくれて横になぐ。あな——とおもえば佐分利《さぶり》も一かどの強者《つわもの》、ぽんと跳《と》んで空間《くうかん》をすくわせ、 「ウム、えイッ」  と陣刀に火をふらして斬ってかかる。パキン! パキン! と二ど三ど、忍剣の鉄杖が舞ってうけたかと思うと、佐分利の大刀は、氷《こおり》のかけらが飛んだように三つに折れて鍔《つば》だけが手にのこった。  仕損《しそん》じたり——とおもったか佐分利五郎次、おれた刀をブンと忍剣の面上《めんじよう》目がけて投げるがはやいか、踵《きびす》をめぐらして、いっさんに逃げだしていく。  時こそあれ、 「えーイッ」とひびいた屋上《おくじよう》の気合い。  屋根廂《やねびさし》からななめさがりに、ぴゅッと一本の朱槍《しゆやり》が走って、逃げだしていく佐分利の背から胸板をつらぬいて、あわれや笑止《しようし》、かれを串刺《くしざ》しにしたまま、欅《けやき》の幹《みき》に縫《ぬ》いつけてしまった。     三 「何者?」  鉄杖《てつじよう》をおさめて、忍剣《にんけん》が廂《ひさし》の上をふりあおぐと、声におうじて、ひとりの壮漢《そうかん》が、 「巽小文治《たつみこぶんじ》」  と名のりながら、ひらりと上からとび下りてきた。 「なんだ小文治どのか、よけいなことする男じゃ」 「でも、あやうく逃げるようすだったから」 「だれがこんな弱武者《よわむしや》一ぴき、鉄杖のさきからのがすものか」 「はやまって、失礼もうした」 「いや、なにもあやまることはござらぬよ」  と忍剣は苦笑して、さきに打ちたおした黒衣《こくい》の影武者をのぞいたが、呂宋兵衛《るそんべえ》の偽者《にせもの》と知って舌打《したう》ちする。小文治は敵を串刺《くしざ》しにして、大樹《たいじゆ》の幹につき立った槍《やり》をひき抜き、穂先《ほさき》の刃《は》こぼれをちょっとあらためてみた。 「して、小文治どの、木隠《こがくれ》や山県《やまがた》などはどうしたであろう」 「龍太郎《りゆうたろう》どのは表口から奥の間《ま》へはいって、呂宋兵衛のゆくえをたずね、蔦之助《つたのすけ》どのは、弓組を四町四ほうに伏《ふ》せて、かれらの逃げみちをふさいでおります」 「ウム、それまで手配《てはい》がとどいておれば、いかに神変自在な呂宋兵衛でも、もう袋《ふくろ》のねずみどうよう、ここよりのがれることはできまい。だが……この井戸はどうやら空井戸《からいど》らしい、念のためにこうしてやろう」  法衣《ころも》の袖《そで》をまくりあげた忍剣《にんけん》、一抱《ひとかか》えもある庭石をさしあげて、ドーンと、井戸底《いどそこ》へほうりこむ。それを合図《あいず》に、あとから駈けあつまってきた部下の兵も、めいめい石をおこして投げこんだので、見るまに井戸は完全な石埋《いしう》めとなってしまった。  ところへ木隠龍太郎《こがくれりゆうたろう》が、うちのなかから姿をあらわして、 「オオ、ご両所《りようしよ》、ここにいたか」 「やあ、龍太郎どの、呂宋兵衛《るそんべえ》の在所《ありか》は」 「ふしぎや、いっこう行方《ゆくえ》が知れもうさぬ。どうやらすでに風をくらって、逃げ失せたのではないかと思われる」 「といって、この家の四ほうは、二|重《じゆう》三|重《じゆう》に取りかこんであるから、かれらのしのびだすすきもないが」 「どこかに間道《かんどう》らしい穴口《あなぐち》でもないかしら」 「それもわしが手をわけて尋ねさせたが、ここに一つの空井戸があったばかり」 「なに空井戸?」  と龍太郎がとび降《お》りてきて、 「ウム、こりゃあやしい、どこかへ通じる間道《かんどう》にそういない、なかへはいってあらためて見よう」 「いや、念のために、ただいまわしが石埋《いしう》めにしてしまった」  と、忍剣《にんけん》は|したり《ヽヽヽ》顔だが、龍太郎は|じだんだ《ヽヽヽヽ》ふんで口惜《くや》しがった。呂宋兵衛《るそんべえ》や敵の主《おも》なるものが、この口から逃走したとすれば、この空井戸《からいど》をふさいで、どこからかれらを追跡するか、どこへ兵を廻しておくか、まったくこれでは、みずから手がかりの道を遮断《しやだん》してしまったことに帰結する——と憤慨《ふんがい》した。その理《り》の当然に、忍剣もすっかり後悔して、しばらく黙《もく》しあっていた。  すると、はるか北方の森にあたって、とぎれとぎれな笛《ふえ》の音《ね》が高鳴った。  ——おお、それは、幻《げん》の陣《じん》をしいて鳴りをしずめていた咲耶子《さくやこ》が、かねて手はずをあわせてある合図《あいず》の笛。 「それ、咲耶子どのの笛がよぶ——」  よみがえったように、加賀見忍剣《かがみにんけん》、巽小文治《たつみこぶんじ》、木隠龍太郎《こがくれりゆうたろう》の三名、音《ね》をしたって走り出すと、その余の手勢《てぜい》も波にすわるる木《こ》の葉《は》のごとく、声なく音《おと》なく、渦《うず》の中心に駈けあつまる——  城や|とりで《ヽヽヽ》の間道《かんどう》とちがって、豪農《ごうのう》の家にある空井戸《からいど》の横穴は、戦時財宝のかくし場とするか、あるいは、家族の逃避所とする用意に過ぎないので、もとより、二里も三里もとおい先へぬけているはずがない。  呂宋兵衛《るそんべえ》たち五人のものがわずか二、三|丁《ちよう》の暗闇《くらやみ》をはいぬけて、ガサガサと星影の下に姿をあらわしたのは、黒《くろ》百合谷《ゆりだに》の中腹で、上はれいの多宝塔《たほうとう》のある施無畏寺《せむいじ》の境内《けいだい》、下は神代川《じんだいがわ》とよぶ渓流《けいりゆう》がドーッとつよい水音をとどろかしている。 「道は水にしたがえ」とは山あるきの極意《ごくい》。  五人は無言のうちに、道どりの心《こころ》一致《いつち》して、蔓草《つるくさ》、深山笹《みやまざさ》をわけながら、だらだら谷の断崖《だんがい》を降《お》りてゆく。  ——と、その時だ。  にょッきと、星の空にそびえた一本の白樺《しらかば》、その高き枝にみどりの黒髪《くろかみ》風に吹かして、腰かけていたひとりの美少女、心なくしてふと見れば、黒《くろ》百合谷《ゆりだに》の百合《ゆり》の精か星月夜《ほしづきよ》のこぼれ星かとうたがうだろう——ほどに気《け》だかい美少女が、手にしていた横笛を、山千鳥の啼《な》くかとばかり強く吹いた。 「や、や? ……」  五人の者が、うたがいに、進みもやらずもどりもせず深山笹のしげみに、うろうろしていると、白樺のこずえの少女は、虚空《こくう》にたかく笛をふって、さっ、さっ、さっと三|閃《せん》の合図《あいず》知らせをしたようす。  と思うと、神代川の渓流がさかまきだしたように、ウワーッとあなたこなたの岩石《がんせき》のかげから、いちじに姿をあらわした伏兵《ふくへい》。  これなん、咲耶子《さくやこ》の一指一揮《いつしいつき》に伏現《ふくげん》する裾野馴《すそのな》らしの胡蝶《こちよう》の陣。 「しまった!」  丹羽昌仙《にわしようせん》が絶叫《ぜつきよう》した。  とたんに崖《がけ》のうえから、木隠龍太郎《こがくれりゆうたろう》が、 「賊徒《ぞくと》、うごくな」  と戒刀《かいとう》の鞘《さや》をはらって、銀蛇《ぎんだ》頭上に揮《ふ》りかぶってとびおりる。発矢《はつし》、昌仙が、一太刀うけているすきに、呂宋兵衛《るそんべえ》とその影武者、蚕婆《かいこばばあ》と早足《はやあし》の燕作《えんさく》、四人四ほうへバラバラと逃げわかれた。  と、ゆくてにまたあらわれた巽小文治《たつみこぶんじ》、朱柄《あかえ》の槍《やり》をしごいて、燕作を見るやいな、えいッと逆落《さかお》としに突っかける。もとより武道の心得のない燕作、受ける気もなくかわす気もなく、ただ助かりたい一念で、神代川《じんだいがわ》の水音めがけて飛びこんだ。が、小文治はそれに目もくれず、ひたすら呂宋兵衛の姿をめざして駈《か》けだした。  一ぽうでは丹羽昌仙、龍太郎の切《き》ッ先《さき》をさけるとたんに断崖《だんがい》をすべり落ちて、伏兵《ふくへい》の手にくくりあげられそうになったが、必死に四、五人を斬りたおして、その陣笠《じんがさ》と小具足《こぐそく》をすばやく身にまとい、同じ伏兵《ふくへい》のような挙動《きよどう》をして、まんまと伊那丸方《いなまるがた》の部下にばけ、逃げだす機会をねらっている。  もっとも足のよわい蚕婆は、れいの針を口にふくんで、まえの抜け穴《あな》に舞いもどり、見つけられたら吹き針のおくの手をだそうと、眼《まなこ》をとぎすましていたけれど、悪運まだつきず、穴の前を加賀見忍剣《かがみにんけん》と龍太郎が駈け過ぎたにもかかわらず、とうとう見つけられずに、なおも息を殺していた。 「木《こ》ッ葉《ぱ》どもはどうでもよい、呂宋兵衛《るそんべえ》はどうした」 「かくまで手をつくしながら、当《とう》の呂宋兵衛を取り逃がしたとあっては、若君に対しても面目《めんぼく》ない、者ども、余人《よじん》には目をくれず、呂宋兵衛を取りおさえろ」  忍剣と龍太郎が、ほとんど狂気のように叱咤《しつた》してまわったが、なにせよ、身を没《ぼつ》すばかりな深山笹《みやまざさ》、杉の若木、蔦葛《つたかずら》などが生《お》いしげっているので、うごきも自由ならずさがしだすのもよういでなかった。すると、かなたにあって、 「やあやあ、巽小文治《たつみこぶんじ》が和田呂宋兵衛を生けどったり! 和田呂宋兵衛を生けどったり!」  声、満山《まんざん》に鳴りわたった。 「ワーッ——」 「ワーッ」  と、手柄《てがら》名のりにおうずる味方の歓呼《かんこ》、谷間へ遠く山彦《やまびこ》する。  さしも、強悪無比《きようあくむひ》な呂宋兵衛、いよいよここに天運つきたか。   多宝塔《たほうとう》     一  山県蔦之助《やまがたつたのすけ》も、さっきの笛合図《ふえあいず》と、小文治《こぶんじ》の手柄名《てがらな》のりをきいて、弓組のなかからいっさんにそこへ駈《か》けつけてきた。  でかした小文治——と、党友《とうゆう》の功《こう》をよろこびつつ、忍剣《にんけん》も龍太郎《りゆうたろう》も、声のするほうへとんでいってみると、いましも小文治は、黒衣《こくい》の大男を組みふせて、あたりの藤蔓《ふじづる》でギリギリとしばりあげているところだ。 「おお、みごとやったな」  蔦之助と龍太郎があおぐようにほめそやす。忍剣はちょっとざんねんがって、 「どうもきょうは、よく小文治どのに先陣をしてやられる日だわい……」  と、うれしいなかにまだ腕をさすっている。  すると、白樺《しらかば》のこずえの上にあって、始終をながめていた咲耶子《さくやこ》が、にわかに優《やさ》しい声をはって、 「あれあれ、蔦之助さま、忍剣さま! 上《うえ》の手うすに乗じて、和田呂宋兵衛《わだるそんべえ》が逃げのぼりましたぞ、はやくお手配《てはい》なされませ!」 「な、なんといわるる!」  四人は、愕然《がくぜん》として空を見あげた。 「咲耶子《さくやこ》どの、その呂宋兵衛《るそんべえ》は、ただいま小文治《こぶんじ》どのがこれにて生けどりました。それはなにかの人ちがいであろう」 「いえいえ、たしかにあれへ登ってゆくのこそ、呂宋兵衛にそういありませぬ。オオ、施無畏寺《せむいじ》の境内《けいだい》へかくれようとしてようすをうかがっておりまする、もう、わたしもこうしてはおられませぬ」  咲耶子は、笛《ふえ》を帯《おび》にたばさんで、スルスルと白樺《しらかば》の梢《こずえ》から下《お》りてしまった。 「や、ことによるときゃつも? ……」  忍剣《にんけん》は、さっき空井戸《からいど》で打ちころした影武者を思いおこして、黒衣《こくい》の襟《えり》がみをグイとつかんだ。と同時に、その顔をのぞきこんで龍太郎も、おもわず声をはずませて、 「はてな、呂宋兵衛は蛮人《ばんじん》の血をまぜた、紅毛碧瞳《こうもうへきどう》の男であるはずだが、こりゃ、似ても似つかぬただの野武士《のぶし》だ、ウーム、さてはおのれ、影武者であったな」 「ええ、ざんねんッ」  怒気心頭《どきしんとう》にもえた巽小文治《たつみこぶんじ》、朱柄《あかえ》の槍《やり》をとって、一|閃《せん》に突きころし、いまあげた手柄《てがら》名のりの手まえにも、当《とう》の本人を引っとらえずになるものかと、無二無三に崖上《がけうえ》へのぼりかえした。  一足《ひとあし》さきに、白樺を下《お》りて追いすがった咲耶子は、いましも施無畏寺の境内《けいだい》へ、ツウとかくれこんでいった黒衣《こくい》のかげをつけて、 「呂宋兵衛《るそんべえ》、呂宋兵衛」  と二声《ふたこえ》よんだ。  意外なところに、やさしい女の声音《こわね》がひびいたので、 「なに?」  おもわず足を踏《ふ》みとどめて、ギョロッと両眼をふり向けたのは、蛮衣《ばんい》に十字の念珠《ねんじゆ》を頸《くび》にかけた怪人《かいじん》、まさしく、これぞ、正真正銘《しようしんしようめい》の和田呂宋兵衛《わだるそんべえ》その者だ。 「や、汝《なんじ》は根来小角《ねごろしようかく》の娘だな」 「おお、仇《かたき》たるそちとはともに天をいただかぬ咲耶子《さくやこ》じゃ。伊那丸《いなまる》さまや、その余のかたがたのお加勢で、ここに汝《なんじ》をとりかこみ得たうれしさ、悪人! もう八ぽうのがれるみちはないぞえ」 「わはははは、おのれや伊那丸づれの女子供に、この呂宋兵衛が自由になってたまるものか。斬るも突くも不死身《ふじみ》のおれだ。五尺とそばへ近よって見ろ、汝の黒髪は火となって焼きただれるぞ」 「やわか、邪法《じやほう》の幻術《げんじゆつ》などにまどわされようぞ」 「ふふウ……その幻術にこりてみたいか」 「笑止《しようし》やその広言《こうげん》、咲耶子には、胡蝶《こちよう》の陣《じん》の守りがある」 「胡蝶陣? あのいたずらごとがなんになる」 「オオ、そういうじぶんが、すでに胡蝶陣の罠《わな》に墜《お》ちているのも知らずに……ホホホホ、曳《ひ》かれ者の小唄《こうた》は聞きにくいもの——」 「女郎《めろう》! おぼえていろ」  かッと、両眼をいからして、呂宋兵衛《るそんべえ》はふいに咲耶子《さくやこ》の咽首《のどくび》をしめつけてきた。じゅうぶん彼女にも用意があったところなので、ツイと、ふりもぎって、帯《おび》の笛《ふえ》を抜くよりはやく、れいの合図《あいず》、さッと打ちふろうとすると呂宋兵衛が強力《ごうりき》をかけて奪《うば》いとり、いきなりじぶんの力で縦横《じゆうおう》にふってふってふりぬいた。  するとピューッ、ピューッというぶきみな笛鳴りは、たちまちおそろしい暴風となって、満地満天《まんちまんてん》に木々の落葉《おちば》をふき巻くりあれよと見るまに、咲耶子は砂塵《さじん》をかおに吹きつけられて、あ——と眼《まなこ》をつぶされてしまう。 「おのれ!」  きらめく懐剣《かいけん》、ぴかッと呂宋兵衛の脇腹《わきばら》をかすめる。——カラリ、と笛をなげすてた呂宋兵衛は、肩にとまった一枚の紅葉《もみじ》を唇《くち》にくわえて、プーッと彼女の顔に吹きつけるやいなや、ひらりと舞った紅葉の葉は、とんで一|片《ぺん》の焔《ほのお》となり、吹きぬく風にあおりをえて、あやし、咲耶子の黒髪にボウとばかり燃えついた。  あッとおどろいたのは、一瞬の幻覚《げんかく》である。どこからか飛んできた一本の矢が、あやうく呂宋兵衛の耳をかすりぬけたせつな、かれの術気《じゆつき》は、ぱたッとやんだ風とともに破れて、ばらばらとかなたをさして逃げだした。  それは、忽然《こつねん》とかけあがってきた四勇士の影をそこに見たがためであろう。——のがさじと、おいすがる咲耶子《さくやこ》につづいて、忍剣《にんけん》は鉄杖《てつじよう》をひっさげ、龍太郎《りゆうたろう》は戒刀《かいとう》をひらめかし、蔦之助《つたのすけ》は弓に矢をつがえ、小文治《こぶんじ》は朱柄《あかえ》の槍《やり》をしごいて、八|門必殺《もんひつさつ》のふくろづめに、呂宋兵衛《るそんべえ》を、多宝塔《たほうとう》のねもとまでタタタタと追いまくした。     二  さきに、伝令《でんれい》が陣ぶれをしたことばには、かならず、呂宋兵衛を手捕りにせよとの達《たつ》しであった。けれど、もうこうなっては、騎虎《きこ》の勢いというもの、戒刀を引っさげた龍太郎は、まッさきに背後《はいご》からとびかかって、 「奸賊《かんぞく》、和田呂宋兵衛《わだるそんべえ》、伊那丸方《いなまるがた》にさる者ありと知られたる木隠《こがくれ》が素《そ》ッ首もらった」  さッと一陣の太刀風《たちかぜ》をなげた。 「あッ」  呂宋兵衛はきもをひやして、切《き》ッ先三寸のさきからツウと左へ逃げかわす。  そこには加賀見忍剣《かがみにんけん》、鉄杖をまっこうに押《お》っとって、かれのゆくてに立ちあらわれ、 「おのれ、極悪《ごくあく》の山大名《やまだいみよう》!」  みじんになれとふりつける。  右へよければ巽小文治《たつみこぶんじ》、大音とともに、 「呂宋兵衛、はや天命はつきたるぞッ」  とばかり朱電《しゆでん》の槍《やり》をくり出して、まつげを焦《や》くばかりな槍影閃々《そうえいせんせん》。 「えい、なんのおのれ輩《ばら》に!」  絶体絶命《ぜつたいぜつめい》となった呂宋兵衛《るそんべえ》。そのとき、とんと踏《ふ》みとまって腰の大刀を横なぎに抜きはらったかとおもうと、剣は、火をふいて夜光の珠《たま》を散らすかと思われるような閃光《せんこう》を投げつけた。 「おお!」  おもわず目をふさいだ四勇士。  はッと虚《きよ》をうたれて飛びのいたが、これ、火遁幻惑《かとんげんわく》の逃術《とうじゆつ》であって、まことの剣を抜いたのではなかった。そのすきに、呂宋兵衛はしめたとばかり、多宝塔《たほうとう》の階段へ向かってトントントンとかけのぼった。  そこへプツン! と山県蔦之助《やまがたつたのすけ》がねらいはなしてきた二の矢を、みごとに袖《そで》でからみおとした呂宋兵衛は、すばやく多宝塔のとびらへ手をかけた。  この鉄壁《てつぺき》の塔《とう》へかくれて、なかから扉《とびら》をもってふせぐさんだん。  咲耶子《さくやこ》も四勇士も、あッ、しまった! と階段へ追いすがってきたが、呂宋兵衛はそれを尻目《しりめ》にかけて、早くも塔の扉をひらき、そのなかへ風のごとく姿をすいこませてしまった。  けれど、かれのからだがそこへかくれるやいな、漆《うるし》のような塔内《とうない》の闇《やみ》から、とつじょ、 「奸賊《かんぞく》すさりおろう!」  声のひびきに呂宋兵衛《るそんべえ》の五体、はじき返しに、階段の下までゴロゴロとけおとされてきた。  忍剣《にんけん》をはじめ小文治《こぶんじ》や龍太郎《りゆうたろう》は、得たりとばかり、得物《えもの》をすてて呂宋兵衛に折りかさなり、歯がみをしてもがきまわる奸賊を高手小手《たかてこて》にからめあげた。——が、いま頭上でひびいた声の主《ぬし》は、そも何者であろうか、味方にしては意外なと、思ってふと見あげた人々は、 「や、わが君《きみ》」  と、階段の下へひれふしてしまった。 「オオ、心地よいこと!」  そのとき、多宝塔《たほうとう》の扉《とびら》をはいして、悠然《ゆうぜん》と壇上《だんじよう》に床几《しようぎ》をすえ、ふくみ笑《わら》いをして、こう見下ろしたのは、伊那丸《いなまる》であった。白綸子《しろりんず》の着込みに、むらさき縅《おど》しの具足《ぐそく》、太刀《たち》のきらめきもはなばなしい。  そのわきに、片膝折《かたひざお》って、手をついたのは、すなわち軍師小幡民部《ぐんしこばたみんぶ》である。紺地無紋《こんじむもん》の陣羽織《じんばおり》をつけ、ひだりの籠手《こて》に采配《さいはい》をもち、銀作《しろがねづく》りの太刀をうしろへ長くそらしていた。  兵は味方より計《はか》るというが、あまり意外なことなので龍太郎は、呂宋兵衛の縄尻《なわじり》をとりながら、民部に向かってたずねてみた。 「こよいは法師野《ほうしの》に平陣《ひらじん》をしかれて、あれにおいであることとばかり思っておりましたに、いつのまに、この塔《とう》のうちへお越しなされてでござります」 「おん大将の陣は、ありと見ゆるところになく、なしと見ゆるところにあるのが常、べつにふしぎはござりませぬ」  と、民部《みんぶ》はことばすくなく答えたのみ。 「いつもながら軍師《ぐんし》の妙策《みようさく》、敬服のほかはござりませぬ。ところでこやつはいかがいたしましょうか」 「わが君《きみ》の御意《ぎよい》は!」 「そうじゃの……」  伊那丸《いなまる》はじッと考えて、 「厳重にひっくくって、ひとまず、この三|重《じゆう》の塔《とう》のいただきへからげつけておくのはどうじゃ」 「ともすると、幻術《げんじゆつ》をもって人をまどわす妖賊《ようぞく》、なにさま、陣ぞろいのまもありますゆえ、それが上策《じようさく》かも知れませぬ」 「ウム、軍馬をそろえて、小太郎山《こたろうざん》の砦《とりで》へひきあげたうえは、御旗楯無《みはたたてなし》の宝物のありかも、とくと糺《ただ》してみねばならぬゆえ、そのあとで咲耶子《さくやこ》に討たせてやるもおそくはあるまい」 「おおせ、ごもっともです。では方々《かたがた》、呂宋兵衛《るそんべえ》をこの三|重《じゆう》へひっ立てて、かならず妖術《ようじゆつ》などで逃げ失《う》せぬように厳重なご用意あるよう」 「はッ、しょうちいたした」 「立てッ!」  と、呂宋兵衛《るそんべえ》を引ったてた四勇士は、多宝塔《たほうとう》三|重《じゆう》のいただきまで追いあげて、その一室の丸柱に鎖《くさり》をもって厳重にしばりつけ、二階三階の梯子《はしご》まではずした上、扉《とびら》の口々はそとから鉄錠《てつじよう》をおろしてしまった。   あのここな慾張《よくば》り小僧《こぞう》     一  水車《すいしや》は、夜《よ》もすがらふだんの諧音《かいおん》をたてて、いつか、孟宗藪《もうそうやぶ》の葉もれに、さえた紺色《こんいろ》の夜《よ》があけていた。  燕作《えんさく》の拇指《おやゆび》で、息の根《ね》をとめられた鞍馬《くらま》の竹童《ちくどう》は、いぜんとして、水車小屋のうら崖《がけ》に、ダラリとなったまま木の根にからんであおむけざまに倒れている——  とはいえ、まだ幽明《ゆうめい》の境《さかい》にあって、まったく死んでしまったわけではないので、いくぶん、温《ぬく》みがあるが、笹《ささ》の小枝からはいうつった小さな白蛇《しろへび》は、かれの体温《たいおん》へこころよげにそって、腕から喉《のど》へ、銀《ぎん》の輪となって巻きついたきり、去りもやらず、害をくわえるようすもない。  おりから、法師野《ほうしの》の空にあって、三|鼓《こ》七|流《りゆう》の陣鐘《じんがね》が鳴りわたるを合図《あいず》に、天地にとどろくばかりな勝鬨《かちどき》の声があがった。  それは、人穴《ひとあな》の残党《ざんとう》を一挙《いつきよ》に蹴散《けち》らして、主将|呂宋兵衛《るそんべえ》を生けどり、多宝塔《たほうとう》の三|重《じゆう》へ封《ふう》じこめた伊那丸《いなまる》の軍兵《ぐんぴよう》が、あかつきの陣ぞろいに富岳《ふがく》の紅雲《こううん》をのぞんで、三軍おもわず声をあわせてあげた凱歌《がいか》であろう。  とおい動揺《どよ》みが、失神の耳にも通じたものか、そのとき竹童《ちくどう》は、ピクリと鳩尾《みぞおち》をうごかして、すこし顔を横にふった。その唇《くちびる》へ、白蛇《しろへび》は銀の鎌首《かまくび》をむけて、緋撫子《ひなでしこ》のような舌《した》をペロリと吐《は》く。  すると、幾十の麗人《れいじん》が、笙《しよう》をあわせて吹くごとき竹林《ちくりん》の風——ザザザザザッ……とそよぎ渡ったかと思うと、竹童ははッきりと意識《いしき》を呼びかえされて、パッチリこの世の目をひらいた。  ——気がつくと、じぶんはだれかに抱《だ》かれている。  白衣白髯《はくいはくぜん》の老道士《ろうどうし》、片手を彼の首にまき、片手を胸にまわして、わが膝《ひざ》に抱《だ》きながら、なにやら、かんばしい仙丹《せんたん》を噛《か》みつぶして、竹童の口へ唇《くち》うつしにのませてくれる。 「こりゃ、竹童、竹童……」 「あ?」 「気がついたか」 「オオ、あなたはお師匠《ししよう》さま!」 「ウム」  とうなずいたとたんに、老道士《ろうどうし》は竹童《ちくどう》を手からおろして、すばやく七、八|間《けん》ばかり離れてしまった。  その人は、竹童がぎょうてんして呼《よ》んだごとく、かれの恩師《おんし》果心居士《かしんこじ》であった。みずから仙丹《せんたん》をかんで唇《くち》うつしにのませてくれるほどやさしい居士も、竹童が正気《しようき》にかえるとともに、いつもの気むずかしい厳格《げんかく》なすがたにもどっている。 「不覚者《ふかくもの》めが、この後《ご》もあること、敵にあったらかならずわしの教えをおもいだすのじゃぞ」 「はい、面目《めんぼく》しだいもございません。燕作《えんさく》というやつにつかまって、とうとうおくれをとりましたが、こんど会ったら、きっと負けはいたしません」 「よし、早うゆけ」 「ですが、お師匠さま——」  竹童はなつかしそうに近寄って、居士のおもてを見上げながら、 「いつか、人穴城《ひとあなじよう》へなげ松明《たいまつ》をせよと、お師匠さまから密策《みつさく》をさずけられました時に、お別れしたきり、その後《ご》さらにお姿が見えませんでしたが、一たい今日《こんにち》まで、どこにおいでなされたのでござります」 「おお、わしのいたところか、じつは、そちだけにいってきかすが、わしはゆえあって、常陸《ひたち》鹿島《かしま》の宮、下総《しもうさ》香取《かとり》の両《りよう》神社に、七日ずつの祈願《きがん》をこめて参籠《さんろう》しておったのじゃ」 「そして、お師匠《ししよう》さまのご祈願というのは?」 「伊那丸《いなまる》さまのご武運をうらなうに、どうも亀卜《きぼく》の示すところがよくないので、前途のおため神願《しんがん》をたてた」 「では、お師匠さまの易《えき》によると、伊那丸さまには、甲斐源氏《かいげんじ》のみ旗をもって、天下をお握《にぎ》りあそばすほどな、ご運がないとおっしゃいますか」 「いやいやそうともいえぬ、しかしそのことばかりは、ただ天これを知るのほか、凡夫《ぼんぷ》な居士《こじ》には予察《よさつ》ができぬ」  と、果心居士《かしんこじ》はふかくもいわず口をにごして話頭一転《わとういつてん》。 「それはとにかく、法師野《ほうしの》に陣ぞろいいたしている伊那丸君や龍太郎《りゆうたろう》などは、さだめし、そちの見えぬのをあんじているであろう」 「ここで狼煙《のろし》をあげたッきりですから、ほんとうにしんぱいしていられるかもしれません」 「ウム、少しもはやく、ご幕下《ばつか》へはせくわわって、このうえとも、伊那丸さまのおんために働けよ」 「はい」 「わしも、もういちど鞍馬《くらま》のおくにこもって、星座を観《かん》じ、天下の風雲をうかがい、機《おり》あらばあらわれ、変あらば退《ひ》いて、伊那丸《いなまる》さまの善後の策《さく》を立てるかんがえ。——では竹童《ちくどう》、またしばらくそちにも会わぬぞ」 「あッ、お師匠《ししよう》さま——」  竹童が声をあげて呼ぶうちに居士《こじ》のすがたは、風のごとく竹林《ちくりん》をぬって、見えなくなった。  ふたたび法師野《ほうしの》にあたって聞ゆる法螺《ほら》の音《ね》——。すでに夜《よ》はまったく明けはなれて、紫金紅流《しきんこうりゆう》の朝雲が、裾野《すその》の空を縦横《じゆうおう》にいろどっていた。     二  多宝塔《たほうとう》を中心として、施無畏寺《せむいじ》の庭に陣ぞろいした武田《たけだ》の軍勢《ぐんぜい》は、手負《てお》い討死《うちじに》の点呼《てんこ》をしたのち、伊那丸《いなまる》の命令一下に、またも一部の軍卒《ぐんそつ》が、法師野の部落を八方にかけわかれる。  まだ戦いがあるのか——と思うとそうではない。  武田の士卒《しそつ》は、呂宋兵衛《るそんべえ》らのために森にいましめられていた善良の民を第一に解放し、衣《きぬ》なき者には衣《きぬ》をあたえ、財は家々《いえいえ》へかえしてやり、宝物は寺にはこび返し、老人には慰安《いあん》を、わかき者には活動を、女には希望を、子供には元気をつけてやる。 「オオ、あの旗じるしを見ろ、多宝塔《たほうとう》の下にいるおん大将をおがめ、あれこそ、この土地のむかしのご領主、信玄《しんげん》さまのおんまご武田伊那丸《たけだいなまる》さま——」  と、部落の民は、わかれた慈父《じふ》にめぐり会ったごとく大地にぬかずくもの、おどって狂喜するもの、うれし涙にくれる者などさまざまで、さながらそこは、修羅暗憺《しゆらあんたん》の地獄《じごく》から、天華《てんげ》ふる極楽《ごくらく》の寂光土《じやつこうど》へ一変したような光景である。  一たび、めいめい、家へかえった百姓《ひやくしよう》たちは、取ってかえしに、名主《なぬし》の狛家《こまけ》一族をせんとうとして、 「これを、どうぞおん曹子《ぞうし》さまにさしあげてくださいませ」 「八|車《しや》の米と十|駄《だ》の粟《あわ》は、ご陣屋の兵糧《ひようろう》としてご使用くださいますよう」 「わたくしたち若いものは、なんなりと軍役《ぐんえき》をつとめますから、仰《おお》せつけねがいとうぞんじます」  と、兵糧軍用品を、車につんでひきこむかと思えば、家畜野菜《かちくやさい》をもたらしてくる者、あるいは労力の奉仕を申しこむ若者もあり、なかにはしおらしくも、まずしい一家がよろこびの餅《もち》をついて献納《けんのう》するなど、人情の真美と歓喜《かんき》のこえは、陣屋《じんや》の内外にあふれて、まことこれこそ極楽《ごくらく》の景色《けしき》かと、見るからにただ涙ぐましい。  かくて、民の平和をながめたうえで、伊那丸をはじめ幕下《ばつか》の人々、一千の軍兵《ぐんぴよう》、おもいおもいに屯《たむろ》をかまえ、はじめて朝の兵糧をとった。  勝戦《かちいくさ》のあとの兵糧——その味はまたかくべつ。  そしてきょう一日は、夜来《やらい》一睡《いつすい》もせぬ兵馬のため、陣やすみという触《ふ》れ太鼓《だいこ》がなる。  ところへ、ションボリした顔で、陣屋のうちへ、力なくかえってきた鞍馬《くらま》の竹童《ちくどう》。  こんな元気のないことは、竹童として稀有《けう》なことだ。 「オオ、どうした竹童!」 「竹童が見えた、竹童がもどってまいった」  さっきから、士卒《しそつ》を八方にやって、その行方《ゆくえ》をたずねさせていた龍太郎《りゆうたろう》や忍剣《にんけん》らは、栄光《えいこう》の勇士を迎えるように手をとって、狼煙《のろし》のてがらを褒《ほ》めたたえた。  ことに伊那丸《いなまる》は、竹童かえるの声をきくと、みずから幔幕《まんまく》をしぼってそれへ立ちいで、人穴城《ひとあなじよう》いらいの功《こう》を称揚《しようよう》して、手ずから般若丸長光《はんにやまるながみつ》の脇差《わきざし》を褒美《ほうび》として、かれにあたえた。  主君から刀をさずけられたのは、武士の資格《しかく》をゆるされたもどうよう、竹童もきょうからは幕下《ばつか》のひとりである。なりこそ小さいが、押しもおされもせぬ伊那丸の旗本《はたもと》。しかも拝領《はいりよう》したその刀は、武田家《たけだけ》伝来《でんらい》の名刀|般若丸《はんにやまる》尺七、八寸の丁字《ちようじ》みだれ、抜くにも手ごろ、斬るにも自在な反《そ》り按配《あんばい》、かの泣き虫|蛾次郎《がじろう》がじまんする、|あけび蔓《ヽヽヽづる》をまいた山刀などとは、質《たち》がちがう。  これからは竹童も、鞍馬《くらま》いらいの棒切《ぼうき》れをすてて、一人前の大人《おとな》のように、玉ちる刃《やいば》で敵にむかうことができる。  もう、早足《はやあし》の燕作《えんさく》ごときは、一刀のもとに斬ッても捨てられるんだ。  長いあいだの希望がかなって、さだめしこおどりしたろうと思うと、スゴスゴとご前《ぜん》をさがった竹童《ちくどう》、般若丸《はんにやまる》の太刀《たち》をいだいて、ひとけなき陣屋《じんや》のすみで、ひとりシクシクと泣きはじめた。     三 「はてな? ……」  龍太郎《りゆうたろう》は眉《まゆ》をひそめて、そッと、竹童のあとについていった——見るとそのありさま。 「ウーム。こりゃふしぎだ。鞍馬《くらま》の奥にいたころから、泣いたことのない竹童だが……」  すきまからのぞき見をしていた龍太郎、こうつぶやきながら、しばらく考えていたが、やがて、 「こりゃ、竹童、なんでこんなところに泣いているのだ」  幕《まく》をはらって、やさしくかれの背なかをたたいた。  竹童はふいに声をかけられて、恥《は》ずかしそうに、泣き顔をかくしながら、 「いいえ、なにも泣いてなんかいやしません」 「うそをつけ、瞼《まぶた》はまッ赤だし、拝領《はいりよう》のおん刀は、このとおりおまえの涙にぬれているではないか、いったいどういうわけか、おまえと拙者《せつしや》とは果心居士《かしんこじ》先生の兄弟|弟子《でし》、うち明けられぬということはあるまい」 「はい、……じつは龍太郎《りゆうたろう》さま……」 「ウム、どうした」 「あの、クロがどこかへ逃げてしまいました」 「オオ、そちが何者よりかわいがっていた、あの大鷲《おおわし》がにげ失《う》せたと申すか」 「きのう、狼煙《のろし》をうちあげる時、水車小屋のうしろへおいといたのに、今朝《けさ》みると、影も形もみえないんです、……ああとうとう、クロはわたしを見すててどこかの山へかくれてしまいました」 「あれほどなついていたし、そちもかわいがっていた鷲《わし》だから、さだめしさびしく思うだろうが、いくら霊鷲《れいしゆう》でもやはり畜生《ちくしよう》、詮《せん》ないこととあきらめるよりほかないであろう」 「いいえ、おいらはあきらめきれません……」  竹童《ちくどう》は駄々《だだ》ッ子のように頭をふって、 「おいらは悲しい、クロがいなくッちゃ一日もさびしくって生きていられない」 「はははは」  龍太郎は、思わず笑ってしまいながら、 「さてさて、おまえも鞍馬《くらま》の竹童というと、いかにも稀代《きたい》な神童だが、こんなところは、やッぱり年だけのわからず屋だな、これ竹童、そちはクロを失ったかわりに、若君から般若丸長光《はんにやまるながみつ》の名刀を拝領《はいりよう》したではないか、さ、元気をだして、きょうからそれを差《さ》し料《りよう》とするがいい」 「だから、おいらはよけいにかなしいんだ……。人穴城《ひとあなじよう》へなげ松明《たいまつ》をした手柄《てがら》も、きのうの誉《ほま》れをあげたこともみんな、おいらの力よりはクロの手柄。……クロがあってこそこの竹童も、人並以上の働きができたのに、おいらばかりこんなに褒美《ほうび》をもらっても、ちっともうれしくありゃしない……」  いうところは天真爛漫《てんしんらんまん》、竹童はいよいよクロの別れをかなしみ、いよいよ声をだして泣くばかり——さすがの龍太郎も、これには弱りぬいて、ことばをつくしてなぐさめたうえ、きょう一日は陣休みだから、とにかく久しぶりに、じゅうぶん心もからだも養っておくようにと、幕《まく》のあなたへでていった。 「はい、もう泣くのはやめます……」  竹童は龍太郎の立ちぎわにそういったが、ひとりになるとまたさびしさに耐《た》えぬもののごとく、ションボリと陣屋の空を見あげていた。そして、つまらなそうに、馬糧《まぐさ》のなかにゴロリと身をよこたえたが、やがて連日の疲労《ひろう》がいちじにでて、むじゃきないびきが、スヤスヤそこからもれはじめた。  ここに、得意《とくい》なやつは、泣き虫の蛾次郎《がじろう》。  首尾《しゆび》よく、鷲《わし》ぬすみのはなれ業《わざ》をやりとげて、飛行天行《ひこうてんこう》の快《かい》をほしいままに、たちまちきたのは家康《いえやす》の采地《さいち》浜松の城下。  竹童《ちくどう》の故智《こち》にならって、乗りすてた鷲《わし》を、とある森のなかにかくし、じぶんはれいの、あけび巻《まき》の山刀をひねくりまわして、意気ようようと城下|隠密組《おんみつぐみ》の黒屋敷《くろやしき》、菊池半助《きくちはんすけ》の住居《すまい》をたずねあててきた。 「おねがい申します」  反《そ》りかえって立ちはだかった玄関口《げんかんぐち》。  猪口才《ちよこざい》にも、もっともらしい顔をして、取次ぎの小侍《こざむらい》に申しいれることには、 「まかりでました者は、富士の裾野《すその》の住人|鼻《はな》|かけ《ヽヽ》卜斎《ぼくさい》の弟子|鏃師《やじりし》の蛾次郎《がじろう》と申す者、ご主人半助さまに、至急お目にかかりとうぞんじます」  取ってかえしに、奥からでてきたのは、菊池家《きくちけ》の家来とみえて、いかさまがんじょうな三河武士《みかわぶし》、横柄《おうへい》に頭の上から見くだして、 「フーム、おまえか、泣き虫の蛾次公《がじこう》というのは?」 「はて心得ぬ」  蛾次郎、口をとンがらかして、すこぶる威厳《いげん》を傷つけられたように、憤然《ふんぜん》と、 「鍛冶《かじ》にかけては鏃鍛《やじりう》ちの名人、石をなげては百発百中の早技《はやわざ》をもつわたくし。しかも、半助さまのおたのみにより、命《いのち》がけで稀代《きたい》の大鷲《おおわし》を連れてまいりましたのに、近ごろ無礼なごあいさつ。よけいなことをいわないで、さッさとご主人にお取次ぎあれ」  胸に慢心《まんしん》のいっぱいな蛾次郎、天狗《てんぐ》の面をかぶったように、鼻たかだかと大見得《おおみえ》をきった。 「やかましいッ」  侍《さむらい》の一喝《いつかつ》に、蛾次郎《がじろう》はひやりと首をすくめる。 「ご主人|半助《はんすけ》さまには、きさまのような小僧《こぞう》になんのご用もないとおっしゃった。ペラペラむだ口をたたきおらずと退散《たいさん》せい」 「へえ、……こりゃ妙《みよう》だ。あれほど蛾次郎《がじろう》に、鷲《わし》をぬすんでくれとたのんだ半助さまが、きょうになって、用がないとはずいぶんひどい。それはなにかのおまちがいでしょう」 「だまれ、へらず口の達者《たつしや》なやつだ。いつまでお玄関《げんかん》に立ちはだかっていると、つまみだすからそのつもりでおれ」 「ちぇッ、ばかにしやがら」 「こいつめ、まだでて失《う》せぬかッ」 「いまいましい! けッ、よくも人にカスを食《く》わせやがったな、おぼえていろ、いまに鷲に乗って、この屋敷の上から小便をひっかけてやるから」  得意と、えがいてきた慾望《よくぼう》を、めちゃめちゃに裏切《うらぎ》られた蛾次郎は、腹立たしさのあまり、出放題《でほうだい》なにくまれ口をたたいて、黒屋敷《くろやしき》の門をでようとすると、横からふいに、 「これッ、待て!」  と、ふとい腕が、むんずとかれの襟《えり》がみをつかみもどした。 「あッ、——あなたは菊池《きくち》さま」 「ただいまなんと申した」 「くッ、くるしい。……べつになんにもいいはしません」 「いやいった! 不埒《ふらち》なやつめ」 「だって、だってそいつはむりでしょう。あなたさまこそ、竹童《ちくどう》の鷲《わし》をぬすんでくれば、徳川家《とくがわけ》の武士に取りたててやる。褒美《ほうび》はなんでも望みしだいと、向田《むこうだ》ノ城《しろ》でおっしゃったじゃありませんか」 「ばかッ。いやはやあきれかえった低能児《ていのうじ》だ。汝《なんじ》のような|うすのろ《ヽヽヽヽ》を、戦《いくさ》の用に立てようとしたのが半助の大失策《だいしつさく》、ご当家《とうけ》の軍勢が裾野陣《すそのじん》へくりだすときに間《ま》にあってこそ、鷲もご用に立つとおもって申したのだ。それをなんだ、すでに戦《いくさ》もすみ、軍勢もひいてしまった今日《こんにち》のめのめといまごろ鷲をぬすんできたとてなんになるかッ。あのここな慾張《よくば》り小僧《こぞう》めッ」  ピシリッ、と頬《ほお》げたを一つくらわしたうえ、足をもって門外へけとばすと、さっきの小侍や仲間などが下水の水をくんで、蛾次郎《がじろう》の頭からぶっかけ、門をしめて笑いあった。  半死半生《はんしはんしよう》の泥《どろ》ねずみとなって、泣くにも泣けぬ蛾次郎先生、命《いのち》からがら浜松の城下を、鷲にのって逃げだしたはいいが、夜に入るにしたがって、空天《くうてん》の寒冷《かんれい》は骨身《ほねみ》にてっし、腹はへるし、寝る場所のあてはなし、青息吐息《あおいきといき》の盲飛行《めくらひこう》、わるくすると先生、雲のなかへ迷子《まいご》となってしまいそうだ。  されば、村正《むらまさ》の斬れあじも、もつ人の腕しだいであるし、千|里《り》の駒《こま》も乗り手による。——自体《じたい》、蛾次郎《がじろう》の腕なり頭なりでは荷《に》の勝ちすぎたこの大鷲《おおわし》が、はたしてかれの自由になるかどうか、ここ、おもしろい見ものである。   九輪《くりん》をめぐる怪傑怪人《かいけつかいじん》     一  法師野《ほうしの》の空には平和の星がかがやいている。  今夜ばかりは、部落の人も、はじめて楽しい夢路《ゆめじ》にはいっているのだ。  老人はご陣屋のほうへ足をむけずに寝ているだろう。嬰児《おさなご》は母の乳房《ちぶさ》にすがって、スヤスヤと寝ついているだろう。——そして施無畏寺《せむいじ》の庭に陣した千人の軍兵《ぐんぴよう》も、鞍《くら》や物《もの》の具《ぐ》を枕《まくら》にしてつかのまの眠りにつき、馬もいななかず、篝《かがり》もきえ、陣の幕《とばり》にしめっぽい夜がふける。  すると、多宝塔《たほうとう》のまわりを、ぴた……ぴた……と、しずかに歩いてくる人影。  また、廻廊《かいろう》のかげからも、ふたりの武士が、足音ひそやかに、階段をおりてきた。 「オオ、山県《やまがた》どのに小文治《こぶんじ》どのか……」 「これは忍剣《にんけん》どの、おたがいに、こよいの寝ずの番、ごくろう」 「どこにも異状はありませぬか」 「かくべつ」 「では後刻《ごこく》に……」  黙礼《もくれい》して左右にわかれる。  カーン、カーン、——水にひびくような寂《さび》しい音。時刻番《じこくばん》が丑時《うしどき》(午前二時から三時の間)の報《し》らせ。  本陣、おん大将の寝所幕《しんじよまく》のあたりにも、夜詰《よづ》めの侍《さむらい》が警固《けいご》する槍《やり》の穂《ほ》が、ときおり、ピカリ、ピカリとうごいてまわる。  そのころ——、まさにそのころ。  多宝塔《たほうとう》三|重《じゆう》の頂上《いただき》にある暗室へ、ゆうべからほうりこまれていた和田呂宋兵衛《わだるそんべえ》は、らんらんたる眼《まなこ》をとぎすまして、しばられている鉄の鎖《くさり》を、時おり、ガチャリ、ガチャリと鳴らしていた。 「ウーム、いまいましい」  音を立てないようにはしているが、しきりに身もだえして、あらんかぎりの力を鎖にこころみているようす。しかし、しょせんそれはむだな努力。  だれかに、腕でも斬ってもらわないかぎり、鎖の寸断されるはずもなし、塔《とう》の太柱《ふとばしら》が砕《くだ》けるはずもないのだ。 「ああ、ざんねんッ……ウーム、つつつッ……」  もがきにもがくうち、呂宋兵衛《るそんべえ》は唇《くちびる》をかみわって、タラタラと血潮《ちしお》をたらした。  とたんに、バサッと天井《てんじよう》を打ったまっ黒な怪物《かいぶつ》がある。見ると、楼閣《ろうかく》の欄間《らんま》から飛びこんでいた一尺ばかりの蝙蝠《こうもり》、すでに秋の暑《あつ》さもすぎているこのごろなので、翼《つばさ》に力もなく、厨子《ずし》の板壁をズルズルとすべってきた。 「オ! しめた」  呂宋兵衛《るそんべえ》はジリジリと身をにじらせた。蝙蝠をみたとっさに思いうかんだのは、獣遁《じゆうとん》の一|法《ぽう》、南蛮流《なんばんりゆう》の妖術《ようじゆつ》では化獣縮身《けじゆうしゆくしん》の術という。が、それを行うには、ちょっとでもよいから蝙蝠のからだにふれなければやれない。いや、蝙蝠にかぎることはない、なんでも動物|霊気《れいき》の感応《かんのう》を必要とするのだから、ねずみでも猫《ねこ》でもいいが、いまこの塔中《とうちゆう》には蝙蝠よりいないのだから、ぜひそれへ指でもふれたいのである。  しかし、なかなか蝙蝠のほうでちかづいてくれない。  たまに、頭の上へはってきたなとおもって、体をよせていくと柱にしばりつけてある鎖《くさり》がガチャッと鳴るので蝙蝠はびっくりして天井《てんじよう》へはねあがる——が、六角形の密室なので、そとへはでずにまたバサバサと板壁に羽《は》すべりをしてきた。  こんど近くへきたらのがすまいと、呂宋兵衛は息をころした。けんめいになるとおそろしいもの、かれの額《ひたい》は魚の油を塗《ぬ》ったように汗ばんでいる。  けれど、蝙蝠の敏覚《びんかく》に、七たび八たびおなじことをくりかえしても、呂宋兵衛の努力はむなしかった。はやくも里《さと》では一番|鶏《どり》がなく、かれは気が気でなくなった。  そこで、呂宋兵衛《るそんべえ》はまた考えなおした。  かれは坐禅《ざぜん》を組むようにすわった。そして、さいごにもういちど蝙蝠《こうもり》が壁をすべってくるのを待ちかまえこんどは、口に呪《じゆ》をとなえて、つーッと一本のほそい絹糸のような線を吐《は》きだした。  と思うと——一ぴきの小さな金《きん》蜘蛛《ぐも》が、呂宋兵衛の口からスススススと、その細い糸をつたわりだした。  これはかつて、人穴城《ひとあなじよう》で竹童《ちくどう》と初対面のときに、問答《もんどう》ちゅうにかれがやってみせたことのある、呂宋兵衛得意の口術《こうじゆつ》、いま、吐《は》いて糸をわたらせた金蜘蛛は、壁にはりついている大《おお》蝙蝠《こうもり》のそばへはいよったが、それを見ると蝙蝠は、バサリと一すべりして、いきなり蜘蛛《くも》を食《く》いにかかった。  と、蜘蛛はつーッ、と二尺ばかり糸をもどってとまる。蝙蝠はまたソロリと寄って餌《えさ》をうかがう——その機微《きび》なころあいをはかって、呂宋兵衛はスッと、吸う息とともに、蜘蛛を口のなかに引きいれてしまうと、蝙蝠は餌《え》を追ってパッとかれの顔へぶつかってきた。 「えいッ!」  とたんに、かれの五体からおそろしい気合いが発した。そして、忽然《こつねん》と床《ゆか》に鳴った鎖《くさり》の上へ、大蝙蝠のくろい妖影《ようえい》が、クルクルと舞いおちた。     二 「やッ」  愕然《がくぜん》と、多宝塔《たほうとう》の下で立ちすくんだのは、寝ずの番の加賀見忍剣《かがみにんけん》。  左に鉄杖《てつじよう》をつき、右手を眉《まゆ》にあてて、暁闇《ぎようあん》の空をじッとみつめていたが、やがて、 「おお! 山県《やまがた》、巽《たつみ》!」  と同僚《どうりよう》の名を呼びたてた。 「なんじゃ」 「異変かッ」  バラバラと、すぐそこへ飛んできた小文治《こぶんじ》と蔦之助《つたのすけ》、——忍剣は、 「しッ」  と手でせいして、 「愚僧《ぐそう》の気のせいかも知れぬが、あの塔の三|重目《じゆうめ》にあたる欄干《らんかん》に、何者か立っておらぬだろうか」 「どれ……」  すこし身を横にかがませて、暁天《ぎようてん》の闇《やみ》をすかしたふたりは、なるほど、よくよく眸《ひとみ》をこらして見ると、忍剣のいうとおり楼閣《ろうかく》の三階目に、うす黒い影が立っているような気がした。 「しかし、あれに人のいるはずはなし、ことによったら棟木《むなぎ》の瓔珞《ようらく》ではないか」 「いや、瓔珞がアア大きく見えるはずはない」 「といって、厳重にいましめておいた呂宋兵衛《るそんべえ》ではなおさらあるまい。ウーム、おや……、影がうごいた!」 「なに影がうごいた? オオ、いよいよあやしい」 「ちぇッ、やっぱり呂宋兵衛だ、どうして自由になりおったか、あれあれ、棟木の瓔珞に身をのばして、塔《とう》の屋根によじ登ろうとしておるのだ」 「一大事! それのがすなッ」 「オオ」  三人は疾風《しつぷう》のごとく階段をあがって、扉《とびら》を蹴《け》ひらき、塔のなかへ躍《おど》りこんだが、南無三《なむさん》、二階三階へあがる梯子《はしご》は、呂宋兵衛を頂上にほうりこんだ時、まんいちをおもんぱかって、みんな取りはずしたまま施無畏寺《せむいじ》へはこんでしまった。  うっかり、それを忘れて飛びこんだ三人は、じだんだをふんで、 「しまった!」  とふたたびそとへかけだしてきた。 「なんじゃ、なにごとが起ったのだ」  ところへ、、木隠龍太郎《こがくれりゆうたろう》がくる。小幡民部《こばたみんぶ》がはせつける。たちまちにして、陣々の大そうどう、大将|伊那丸《いなまる》も幕《とばり》をはらってそれへきたが、閣上《かくじよう》の呂宋兵衛は、いちはやく屋根の上へとびうつり、九輪《くりん》の根《ね》もとに身をかがめてしまったので、遠矢《とおや》を射《い》かけるすべもない。 「あれあれ、呂宋兵衛《るそんべえ》は幻術《げんじゆつ》に長《た》けた曲者《くせもの》、どう逃げようもしれませぬ、みなさま、はやくお手配《てはい》をしてくださりませ」  と、うろたえまわる軍兵《ぐんぴよう》のなかにまじって、しきりに叫《さけ》んでいるのは咲耶子《さくやこ》の声らしい。十数人の軍兵は同時に、施無畏寺《せむいじ》へ塔《とう》の梯子《はしご》を取りに走りだした。  それを待つのももどかしいと思ったか、れいによっておくれをとらぬ、木隠龍太郎《こがくれりゆうたろう》、ばらばらと多宝塔《たほうとう》の裾《すそ》にかけよったかと見るまに、一階の欄干《らんかん》にひらりと立って、えいッとさけんだ気合いもろとも、千|本廂《ぼんびさし》の瓔珞《ようらく》にとびついた。 「オオ、やったり、木隠《こがくれ》!」  と、こなたの一同は、その機智《きち》に感嘆《かんたん》の声をあげたが瓔珞の飾《かざ》り座金《ざがね》がくさっていたとみえて、龍太郎の体がつりさがるとともに、金鈴青銅《きんれいせいどう》の金物《かなもの》といっしょにかれの五体は、ドーンと大地におちてしまった。 「ウーム、無念」  ふたたび立ってよじのぼるくふうをしていると、朱柄《あかえ》の槍《やり》をひっさげた小文治《こぶんじ》。すっくとそこに立って、槍《やり》の石突きを勢いよくトンと大地につくやいなや、 「やッ——」  と叫んで、みごとに一階の屋根廂《やねびさし》へ飛びあがった。そしてすぐ槍を引こうとすると、 「待ったッ」  と九尺|柄《え》のなかごろに、龍太郎《りゆうたろう》がすがりつく。 「おうッ」  と、上から小文治《こぶんじ》が力をこめると、龍太郎も息をあわせて、槍《やり》の柄《え》とともにポンと跳《は》ねあがった。  たちまち、槍をたよりに二階へあがり、三階目の欄干《らんかん》までよじのぼって、呂宋兵衛《るそんべえ》監禁《かんきん》の六|角室《かくしつ》を見ると、一ぴきの蝙蝠《こうもり》が死んでいるほか、そこには何者のかげもない。 「あ! いよいよ逃げたは、きゃつときまった」 「それッ、この上だ」  とふたりは、東のすみの欄干に足をかけたが、そこから九輪《くりん》のたっている塔《とう》のてっぺんへのぼるには、どうしても、千本|廂《びさし》につってある瓔珞《ようらく》に身をのばして、ブラさがるより道がない。  ところが、それをたよりにすることは、一階のときの失敗があるので、さすがの小文治《こぶんじ》も二の足をふんだが、龍太郎はなんのおそれげもなく、やッと、欄干から瓔珞の根にとびついた。  下にながめていた伊那丸《いなまる》をはじめ、あまたの勇士も、思わず、胆《きも》をひやしたが、こんどは瓔珞も落ちず、龍太郎も完全に棟木《むなぎ》へ片手をかけてしまった。これ、さっきは、瓔珞の頑丈《がんじよう》をたよって不覚をとったが、こんどは、果心居士相伝《かしんこじそうでん》の浮体《ふたい》の法をじゅうぶんにおこなっているためだ。  そのかわり、龍太郎《りゆうたろう》、最後の頂上へのぼるにはだいぶ手間《てま》がとれている。片足を瓔珞《ようらく》の鈴環《れいかん》にかけ、そろそろと手をのばして、屋根の青銅瓦《せいどうがわら》に半身《はんしん》ほど乗りだしたところで、小文治《こぶんじ》のさしだした槍《やり》をつかんでやる。  巽小文治《たつみこぶんじ》は、もとより果心居士《かしんこじ》の門下でないから、浮体《ふたい》の息を知らない。したがってただ度胸《どきよう》のはや業《わざ》。槍《やり》の一端《いつたん》を塔《とう》の角金具《かどかなぐ》にひっかけ、いっぽうを龍太郎につかんでいてもらって、スッと瓔珞の鈴環へ足をかけると、ともに、ふたりの重みがかかっては危《あぶ》ないので、龍太郎はすばやく上へはいあがった。  とたんに、雨とも見えぬ空合《そらあい》なのに、塔の先端《せんたん》九輪《くりん》の根もとから、ザーッと滝《たき》のような水がながれてきて、塔の四面はさながら、水晶《すいしよう》の簾珠《れんじゆ》をかけつらねたごとく、龍太郎の身も小文治のからだも、水の勢いでおし流されそうにおぼえた。 「呂宋兵衛《るそんべえ》の妖術《ようじゆつ》だ、まことの水ではない、小文治どのひるむなッ」  龍太郎は果心居士の手もとにいただけに、幻術《げんじゆつ》しのびの技《わざ》などには多少の心得がある。いま、九輪の根もとから吹いてきた水勢もてっきり、呂宋兵衛の水龍隠《すいりゆうがく》れの術とみたから、こう注意して、無二無三に青銅瓦の大屋根へ踏みあがった。  そして、気は宙天《ちゆうてん》へ、声は、大地にひびくばかりに、 「やあ、奸賊和田呂宋兵衛《かんぞくわだるそんべえ》、この期《ご》になってはのがれぬところ、神妙《しんみよう》に木隠《こがくれ》龍太郎の縄目《なわめ》をうけろ」 「だまれ、青二|才《さい》、汝《なんじ》らごとき者の手にかかる呂宋兵衛ではない。うかと、わが身にちかよると、このいただきから蹴落《けお》として、木《こ》ッ葉《ぱ》微塵《みじん》にしてくれるぞ」  水術の印《いん》を解《と》くとひとしく、あきらかに姿をみせた和田呂宋兵衛《わだるそんべえ》、九輪《くりん》の銅柱《どうちゆう》をしっかと抱《だ》いて、夜叉《やしや》のごとく突ッ立っていた。 「おのれッ——」  と片膝《かたひざ》おりに、戒刀《かいとう》の鞘《さや》を横にはらった龍太郎、銅の九輪《くりん》も斬れろとばかり、呂宋兵衛の足もと目がけて薙《な》ぎつけた。  同時に、波のごとき瓦《かわら》のうえへ、ヒラリと飛びあがった巽小文治《たつみこぶんじ》は、いま龍太郎が斬りつけたとたんに、朱柄《あかえ》の槍《やり》をさッとしごいて、呂宋兵衛がかわさば突かんと身がまえた。   紅帆呉服船《こうはんごふくぶね》     一  下では、あッと、手に汗をにぎる諸軍《しよぐん》の声《こえ》。  伊那丸《いなまる》をはじめ、幕下《ばつか》の面々、また竹童《ちくどう》も咲耶子《さくやこ》も、塔《とう》の一点に眸《ひとみ》をあつめ、ハラハラしながら鳴りをしずめた。  時こそあれ、——大《たい》へん。  三|重《じゆう》の屋根瓦《やねがわら》から塔《とう》の九輪《くりん》のまっ先へ、雷獣《らいじゆう》のごとくスルスルとはいあがった和田呂宋兵衛《わだるそんべえ》、 「おうッ……」  なにやら叫んだかと思うと、片手をブンとふりまわした。  と——またこそ、かれの幻術《げんじゆつ》か、ふいに、さッと落ちてきた一陣の風鳴《かぜな》り。  すると明方《あけがた》の天空《てんくう》から、思いがけない人声がきこえた。 「いけねえいけねえ、おいクロ! こんなところへおりちゃアいけねえ」  いうまもなく、ななめに翔《か》けりきたった、まっ黒な怪物があった。  まさしく鷲《わし》! 竹童《ちくどう》の盗まれたクロ。  乗っているのは——わめいているのは、菊池半助《きくちはんすけ》にドヤされて、遠江《とおとうみ》の国をすッ飛んできた、泣き虫の蛾次郎《がじろう》であった。  鷲は見るまに九輪《くりん》をかすった。  一大事!  巽小文治《たつみこぶんじ》はふたたび槍《やり》をとりなおして、あおむけざまに、ヤッと突きあげたが、鷲の羽風《はかぜ》にふき倒され、さらにいっぽうの龍太郎《りゆうたろう》が、九輪の根もとからはらいあげた戒刀《かいとう》の切《き》ッ先も敵のからだにまでとどかなかった。  その時、それと同時に、呂宋兵衛《るそんべえ》はとんできた鷲の背なかへ乗りうつっていた——ほとんど、電光一過《でんこういつか》——目《ま》ばたきする間《ま》だ。  塔上《とうじよう》の二勇士、塔下《とうか》の三軍が、あれよと、おどろきさけんだ時には、万事休《ばんじきゆう》す、蛾次郎《がじろう》、呂宋兵衛《るそんべえ》、ふたりを乗せた大鷲《おおわし》の影はまっしぐらに、三国山脈《みくにさんみやく》の雲井《くもい》はるかに消えていく。 「しまった!」  伊那丸《いなまる》以下の者、でる声は、ただこの|たんそく《ヽヽヽヽ》ばかりであった。  なかにひとり竹童のみは、陣屋をかけだして、 「おお、クロだクロだ、おいらのクロだ」  空にむかって叫びながら、追えどもおよばぬ大鷲《おおわし》の行方《ゆくえ》へ無我夢中《むがむちゆう》で走りだした。     二  さて、おどろいたのは、蛾次郎《がじろう》である。  多宝塔《たほうとう》のてッぺんを通りすぎたとたんに、ヘンなやつがじぶんの腰へとびついたと思ったが、なにしろ、鷲《わし》の走っているあいだはふり向くこともできず、話しかけることもできない。  目の下に、クルクルまわる山や峠《とうげ》や町や村をいくつも見て、およそ小半日《こはんにち》も飛んだころ、やっと青々とした海辺《うみべ》におりた。 「アア、お腹《なか》がペコペコだ。これで命《いのち》も無事だったし、なにか食《た》べ物にもありつけるだろう……」  すぐにキョロキョロ見まわして、漁師《りようし》の干《ほ》しておいた小魚《こざかな》を見つけ、それを火にあぶりもせず、引ッ裂《さ》いて食《た》べはじめた。  食べながら波打ちぎわを見ると、黒の蛮衣《ばんい》をきた大男が、小手をかざして、しきりに地理をあんじている。 「あッ、あの男だナ、おれの腰に取っついてきた蠅《はえ》のようなやつは」  蛾次郎《がじろう》、干魚《ほしか》をムシャムシャ噛《か》みながら、そばへ寄ってみると、裾野《すその》で見かけたことのある呂宋兵衛《るそんべえ》なので、二どびっくりという顔で、 「お、あなたは人穴《ひとあな》の……」 「ウム、呂宋兵衛《るそんべえ》じゃ、ああ、おまえは、鏃師《やじりし》鼻|かけ《ヽヽ》卜斎《ぼくさい》の弟子《でし》だったな」 「ええ、よくごぞんじでございますね。おおせのとおり蛾次郎という者。……ところで呂宋兵衛さま」 「なんじゃ」 「ここはいったい、東海道のどのへんにあたりましょう」 「まるで方角ちがい——北陸道の糸魚川《いといがわ》と申すところだ」 「すると向こうに見える岬《みさき》は伊豆《いず》の国とはちがいますか」 「あたりまえだ、北日本の海に伊豆《いず》はない。すなわちあれが能登《のと》の半島、また、うしろに見える山々は、白馬《はくば》、戸隠《とがくし》、妙高《みようこう》、赤倉《あかくら》、そして、武田家《たけだけ》と鎬《しのぎ》をけずった謙信《けんしん》の居城|春日山《かすがやま》も、ここよりほど遠からぬ北にあたっておる」 「へえ……そしてあなたは、ここからどこへ行こうってえつもりなんです?」 「京へのぼるのじゃ」 「いいなあ。わたくしも一つお供《とも》につれてッてくれませんか」 「おまえにはたのみがある。蚕婆《かいこばばあ》と早足《はやあし》の燕作《えんさく》、それに丹羽昌仙《にわしようせん》、この三名にあったら、わしが京都へのぼっておるゆえ、あとからかならずくるようにと、言伝《ことづて》をしてもらいたい」 「燕作は大きらいだけれど、あとのふたりは引きうけますよ。……オヤ、アッ、大へん……」  なにを見たか、にわかぎょうてんしてうろたえだした蛾次郎《がじろう》、さようならともいわず、クロにとび乗って、ツーと空へ逃げてしまった。  と、間《ま》もなく、スタスタここへきた旅人。 「や、それにまいったのは、人無村《ひとなしむら》の卜斎《ぼくさい》ではないか」 「これはこれは、呂宋兵衛《るそんべえ》さま、意外なところで……」  と双方《そうほう》、磯岩《いそいわ》に腰かけて、裾野落《すそのお》ち以来のことを話しあったが——卜斎の上部八風斎《かんべはつぷうさい》、伊那丸《いなまる》へ人穴城《ひとあなじよう》の絵図面《えずめん》を持ちこんだことや、自分が柴田勝家《しばたかついえ》の家中《かちゆう》であることなどは、もとよりおくびにもださずにいる。 「しかし、卜斎。おまえは裾野に住みついている鏃鍛冶《やじりかじ》、なにもこんどのことで、逃げる必要もなかろうではないか。いったいこれからどこへまいろうとするのだ」 「裾野《すその》もよろしゅうございますが、ああしばしば戦《いくさ》があった日には、とても、のんびり金敷《かなしき》をたたいてはおられません。そこで、越前北《えちぜんきた》ノ庄《しよう》へ巣《す》をかえようと申すわけで」 「なるほど。じつはわしもこれから都《みやこ》へでて、安土《あづち》の秀吉公《ひでよしこう》へすがり、なんとかいとぐちをつけようと考えているが、うまくとちゅうまでの便船《びんせん》でもあるまいか」 「さあ、わたくしも、北ノ庄まででる船はないかと、ずいぶん尋《たず》ねてみましたが、どうも折り悪く、出船《でふね》のついでがないそうで」  と、ふたりが話すのを聞いていたものか、波打ちぎわにあげてあった空船《からぶね》のなかから、ムックリ起きあがったひとりの船頭《せんどう》。 「おい」  と、いけぞんざいに呼びかけて、 「おめえたち、上方《かみがた》のほうへいきてえなら船をだしてやろうか。越前《えちぜん》へでも若狭《わかさ》へでも着けてやるぜ」 「それはかたじけない。しかし、そこにあげてあるような小舟《こぶね》ではどうにもならぬ」 「いや、長崎から越後港《えちごみなと》へ、南蛮呉服《なんばんごふく》をつんできた親船《おやぶね》が、この沖《おき》にとまってるんでさ。どうせ南へ帰る便船《びんせん》だ、えんりょなく乗っていくがいい」  船頭《せんどう》は空船の艫《とも》をおして、砂地から海のなかへ突きだした。そして呂宋兵衛《るそんべえ》、卜斎《ぼくさい》のふたりを乗せるや否《いな》、勢いよく櫓柄《ろづか》をとって、沖の親船へ漕《こ》ぎだした。  まもなく、海潮けむるかなたの沖に長崎|型《がた》の呉服船《ごふくぶね》、紅帆船《こうはんせん》の影らしいのが、だんだん近く見えはじめる。     三  紅《べに》がら色の帆《ほ》に、まんまんたる風をはらんだ呉服船はいま、能登《のと》の輪島《わじま》と七つ島《じま》の間《あいだ》をピュウピュウ走っている——  カーン カーン カーン……  船楼《せんろう》の鐘《かね》。  もう真夜中《まよなか》であろう、風はないほうだがかなり高波《たかなみ》。パッと、舳《みよし》にくだける潮《うしお》の花にもうもうたる霧《きり》が立ってゆく。  その霧のなかに、ブランブランと、人魂《ひとだま》のようにゆれている魚油《ぎよゆ》のあかり。ギリギリ、ギリギリと帆綱《ほづな》のきしむ気味の悪さ…… 「やい、起きろッ」  ふいに木枕《きまくら》を蹴《け》とばされて、はねおきたのは便乗《びんじよう》してきた卜斎《ぼくさい》と呂宋兵衛《るそんべえ》。フト見ると、胴《どう》の間《ま》のグルリに、閃々《せんせん》と光るものが立ちならんでいる。 「なにをするんだおまえたちは?」  卜斎《ぼくさい》は、前差しの短刀をつかんで、きッとなった。 「まぬけめ、なにをする者か聞かなくッちゃわからねえのか。こいつを見たら少しゃ目がさめるだろう」  わざと、ふりうごかして見せた光は、まさしく槍《やり》、刀、鏃《やじり》、薙刀《なぎなた》——どれ一つを食っても命《いのち》のないものばかり。 「ウーム、さては汝《なんじ》らは海賊だな」  呂宋兵衛《るそんべえ》は、その時のっそり突っ立って、魚油《ぎよゆ》のあかりに照らしだされている二十四、五人の荒くれ男を睨《ね》めまわした。 「知れたことだッ」  槍の穂《ほ》は、いっせいに横になって、車の歯のごとく中心へ向いた。 「おとなしく素《す》ッ裸《ぱだか》になッちまえ、体だけは、ここから輪島《わじま》の磯《いそ》へながれ着くようにほうりこんでくれる」 「待てッ。望みどおりになってもやるが、汝らの頭領《かしら》はいったいなんという者だ」 「そいつを聞くと命《いのち》がない掟《おきて》だぞ。それでも聞きたけりゃ聞かしてやる」 「ウム、しょうちのうえでも聞きたいものじゃ」 「よし、冥途《めいど》の土産《みやげ》に知っておけ。この船の頭領は、龍巻《たつまき》の九郎《くろう》右衛門《えもん》。もと東海の龍王《りゆうおう》といわれた八幡船《ばはんせん》十八|艘《そう》のお頭領さまだ。サ、こう聞かしたからにゃ命《いのち》ぐるみもらったからかくごしろ」 「ばかをぬかせ」 「なんだとッ」 「まごまごいたすとこっちでこそ、汝《なんじ》らの持ち物はおろか船ぐるみ巻きあげてしまうから用心しろ」 「や、こいつが! てめえいったい何者だ」 「富士《ふじ》の人穴《ひとあな》にいた山賊《さんぞく》だ」 「なに山賊……」 「おお、海賊《かいぞく》の腕が強いか、山賊の智恵《ちえ》がたしかか、ここでいちばん腕くらべをしてもいい。それともすなおに頭領《かしら》の龍巻《たつまき》をよんできて詫《わ》びをするか」 「なまいきなッ!」  勃然《ぼつぜん》と海賊の武器がうごいた。  が——無益《むえき》な問答をしているあいだに、呂宋兵衛《るそんべえ》は、じゅうぶんに幻術《げんじゆつ》のしたくをしていた。 「ふッ……」  と、前後の対手《あいて》へ二息《ふたいき》かけると、たちまち、かれのすがたは一|条《じよう》の水気《すいき》となって、あるがごとくなきがごとく乱打の武器もむなしく風を斬るばかり。 「うぬッ」  ひとりがすさまじい気合いで、おぼろの影を槍《やり》で突く。すると、ピチリと一ぴきの魚《さかな》がはねた。  目の下、二尺もある鯔《ぼら》だ。  ザアッと、舷《ふなばた》から二どめの浪《なみ》がしらがきて、鯔《ぼら》を海中に巻きかえそうとしたが、海賊の手下どもはこれこそ蛮流幻術《ばんりゆうげんじゆつ》をやる山賊の変身と、よってたかって、手づかみにしようときそったが、ピチピチはねまわる死力の魚《うお》は、むしろ人間一ぴきつかまえるのよりしまつがわるい。 「ちくしょッ——」  バラリと網《あみ》をなげた者がある。  鉛《なまり》の重味《おもみ》にしばられて、とうとう鯔はそのなかにくるまってしまったが、同時に頭の上で、 「わッはッはははは、あはははは。やい、野郎《やろう》ども、いいかげんにしねえか」  と、ふたりして、笑う声がする。  ひょいと仰向《あおむ》いてみると、船楼《せんろう》の櫓《やぐら》に腰かけている頭領《かしら》の龍巻《たつまき》と、いま下にいた呂宋兵衛《るそんべえ》。  どッちも卓《たく》へ頬杖《ほおづえ》をつきながら、下のありさまを見物して、仲よく酒を飲んでいる。 「じょうだんじゃねえ。お頭領、こいつア、いったいどうしたわけなんで……」  手下どもは、わいわいそこへ寄ってきて、ただふしんにたえぬという面《おも》もち。 「しんぱいするな、こりゃ和田呂宋兵衛《わだるそんべえ》といって、おれが長崎にゴロついていた時代の兄弟分だ」 「へえ? ……」 「見ろ」  と、龍巻《たつまき》は、じぶんの二の腕と、呂宋兵衛《るそんべえ》の二の腕をまくりあげて、手下どもに見くらべさせながら、 「このとおり、ふたりとも蜘蛛《くも》の文身《ほりもの》を彫《ほ》りあって、おれは海で一旗《ひとはた》あげるし、呂宋兵衛は山に立てこもって、おたがいに天下をねらおうとちかって別れた仲なのだ」 「なるほど、そういう兄弟分があるということは、いつかお頭領《かしら》の話にも聞いていました」 「そのふたりが、思いがけなくめぐりあった心祝《こころいわ》いに、てめえたちにも飲ませるから、いまの魚《さかな》を料理して、もっと酒をはこんでこい」 「しょうちしました。だが、そうとするといまの鯔《ぼら》はいったいどうしたってんだろう?」 「あれは呂宋兵衛が、水気魚陰《すいきぎよいん》の法をかけて、てめえたちみてえな半間《はんま》なやつの目をくらましたのだ。しかし、魚はちょうど船へ跳《は》ねこんだほんものだそうだから、安心して料理するがいい」  手下どもを追いはらって、ふたりとなった船櫓《ふなやぐら》に、龍巻と呂宋兵衛、久しぶりの酒を酌《く》みかわして、話はつきないもよう。  名はおそろしい海賊《かいぞく》と山賊《さんぞく》だが、久闊《きゆうかつ》の人情には、かわりのないものとみえる。 「なあ、龍巻。てめえとおれとは、その昔、天下を二分するような元気で別れたんだが、おたがいに、いつまでケチな賊《ぞく》の頭領《かしら》じゃしようがないなあ」 「しかし呂宋兵衛《るそんべえ》」 「なんだ」 「おめえは富士の山大名《やまだいみよう》とか、野武士《のぶし》の総締《そうじ》めとかいわれて、豪勢《ごうせい》なはぶりだってことをうわさに聞いていたが」 「さ、それが残念千万《ざんねんせんばん》な話で、いちじは富士の殿堂に、一国一城の主《あるじ》を気どっていたが、武田伊那丸《たけだいなまる》という小童《こわつぱ》のために、とうとう人穴城《ひとあなじよう》を焼けだされて落武者《おちむしや》となってしまったのだ」 「なに、武田伊那丸だッて」 「ウム、てめえもうわさに聞いていたろう」  いま、船は加賀《かが》の北浦に沿《そ》って、紅帆黒風《こうはんこくふう》のはためき高く、いよいよ水脚《みずあし》をはやめている。     四  龍巻《たつまき》の九郎《くろう》右衛門《えもん》は、杯《さかずき》の南蛮酒《なんばんしゆ》をゴクリと乾《ほ》し、呂宋兵衛へもついでやりながら、 「ふウむ、そいつはふしぎないんねんだ……」  とうめくようにいったものである。 「じつは兄貴《あにき》、うわさどころかこの龍巻《たつまき》も、あの伊那丸のやつと、家来の小幡民部《こばたみんぶ》という野郎《やろう》には、ひどい目にあわされたことがあるんだ」  と、紅帆船《こうはんせん》以前のことを、無念そうに語りだす。  それは、かれが東海をさかんに荒していたころ——といっても古い話ではない、伊那丸《いなまる》が忍剣《にんけん》にわかれて、弁天島《べんてんじま》から八幡船《ばはんせん》の|とりこ《ヽヽヽ》になった時のこと——  穴山梅雪《あなやまばいせつ》の手をへて、伊那丸のからだを徳川家《とくがわけ》へ売りこもうとした晩、小幡民部《こばたみんぶ》に計略の裏をかかれて、沖の八幡船は焼打ちされ、かれじしんは、堺町奉行《さかいまちぶぎよう》の手に召しとらえられてしまった。  その後、龍巻《たつまき》は、堺町奉行の牢《ろう》をやぶって逃亡したが警戒がきびしいため、こんどは、紅《べに》|がら《ヽヽ》色の帆《ほ》をあげて北日本の海へまわり、長崎から往復する呉服船《ごふくぶね》と見せかけて、海上の諸船や、諸港《しよこう》の旅人をなやましている。 「こういうわけで、おれはいまでも、その恨《うら》みを忘れやしねえ。この龍巻の息のねのあるうちは、きっと、あの伊那丸と小幡民部の野郎を、取ッちめずにはおかねえつもりだ」 「そうか……」  と、呂宋兵衛《るそんべえ》は、聞きおわって、 「してみれば、伊那丸一族は、この呂宋兵衛にも、龍巻にとっても、遺恨《いこん》のつもりかさなるやつ。おれもこれから京へのぼって、秀吉公《ひでよしこう》の力を借り、武田《たけだ》一族を狩《か》りつくすさんだんをするから、てめえも折《おり》さえあったら、この仕返しをすることを忘れるなよ」 「いわれるまでもないことだ。……オオそりゃいいが、さっき、兄貴がつれていた男はどうしたろう」 「ウム、すっかり忘れていた。あの槍襖《やりぶすま》におどろいて、胴《どう》の間《ま》のすみで、気を失っているかもしれねえ。……なにしろ裾野《すその》の鏃鍛冶《やじりかじ》で、おそろしい修羅場《しゆらば》は知らねえやつだから」  すると、そこへばらばらと、櫓《やぐら》へ駈けあがってきた手下のひとりが、 「お頭領《かしら》、さっきのどさくさまぎれに、もうひとりの男が、艫《とも》の小舟《こぶね》を切りおとして、逃げッちまったようですぜ」 「なに、卜斎《ぼくさい》が逃げてしまったと?」  それと聞いて、呂宋兵衛《るそんべえ》は、はじめてかれに疑いをいだき、櫓の欄《らん》に駈けよって、漆《うるし》のような海面を見わたしたが、もとより一|片《ぺん》の小舟が、ひろい闇《やみ》から見いだされるはずもない。  いっぽう、あやしげな親船《おやぶね》を逃げだした鼻かけ卜斎《ぼくさい》の八風斎《はつぷうさい》。たちまち加賀《かが》の美川《みかわ》ケ浜に上陸して、陸路|越前《えちぜん》の北《きた》ノ庄《しよう》へ帰りつき、主人|勝家《かついえ》に、裾野陣《すそのじん》のありさまを残りなく復命した。  そして勝家は、ちかごろひんぴんと領海をあらす海賊《かいぞく》に討手《うつて》を向けたが、すでに、紅帆呉服船《こうはんごふくぶね》の行方《ゆくえ》はまったく知れなかった。   変現《へんげん》千畳返《せんじようがえ》し     一 「あ、あ、あア——」  と、煙草《たばこ》くさいあくびを一つ。 「だいぶ遊んでしまったな、もう陸《おか》へあがって四十日目か。おやおや都入《みやこい》りのとちゅうで、おもわぬ道草を食《く》ってしまったわい……」  ひとりごちながら寝台《ねだい》をおり、二階の窓ぎわへ、唐風《からふう》の朱椅子《あかいす》をかつぎだして、そこへ頬杖《ほおづえ》をついたのは、こういう異人屋敷《いじんやしき》にふさわしい和田呂宋兵衛《わだるそんべえ》。  そとは海——それも鯖《さば》の背のような、あお黒い冬の海。  昼の陽《ひ》ざしも、こたえがなく、北日本特有の寒風が、槍《やり》のごとく波面《なみづら》をかすッて、港|泊《どま》りの諸船《もろぶね》の帆《ほ》ばしら、ゆッさゆッさとゆさぶれあうさま、まるで盥《たらい》のなかの玩具《おもちや》を見るよう。  その港を、どこかといえば、賤《しず》ケ岳《たけ》を南にせおい、北陸|無双《むそう》の要害《ようがい》ではあり商業の繁昌地《はんじようち》。——陸《おか》には南蛮《なんばん》屋敷があり、唐人館《とうじんかん》の棟《むね》がならび、湾《わん》には福州船《ふくしゆうぶね》やスペイン船などの影がたえない角鹿《つるが》(いまは敦賀《つるが》と書く)の町である。 「さてと、ことしは天正《てんしよう》十年、もう十二月だな……」  この海を見、この異国|情調《じようちよう》をながめても、呂宋兵衛《るそんべえ》には、詩をつくる頭もないと見え、みょうなことをつぶやいている。 「天正十年、——へんな年だッたな、ばかに天下をかきまわした年だ。まずちょっとおもいだしたところでも、春|早々《そうそう》、甲斐《かい》の武田《たけだ》が亡《ほろ》ぼされ、六月には信長《のぶなが》が本能寺《ほんのうじ》で焼打《やきう》ちにあった。うまくやったのは猿面《さるめん》の秀吉《ひでよし》、山崎の一戦から柴田《しばた》も佐々《さつさ》も滝川《たきがわ》も眼中になく、メキメキ羽振《はぶ》りをあげたが、ずるいやつは徳川家康《とくがわいえやす》だ。どさくさまぎれに、甲州《こうしゆう》から信濃《しなの》の国をわが物にして、こっそり領分《りようぶん》をふくらませてしまった。——だが、まずゆくゆくの天下取りは、どうしても秀吉だろうな。北《きた》ノ庄《しよう》の柴田勝家《しばたかついえ》、こいつもなかなか指をくわえてはいまい。いまに秀吉と、のるかそるかの大勝負だ。……ウム、のるかそるかは俺《おれ》のこと、手ぶらで都入《みやこい》りも気がきかない。手近なところでなにか一つ、秀吉のやつに取りいるお土産《みやげ》を、かんがえようか……」  その時、コツコツ扉《と》をたたく者があった。 「オイ、兄貴《あにき》、いねえのか、寝ているのか!」 「だれだ」 「龍巻《たつまき》だ、あけてくれ」 「いや、こいつはすまなかった」  窓をはなれて、重い扉《と》をギーとひらく。と、待つ間《ま》おそしの勢いで、飛びこんできた九郎《くろう》右衛門《えもん》、片目をおさえたまま、呂宋兵衛《るそんべえ》の寝台《ねだい》の上へ、ゴロリとあおむけに寝てしまった。 「どうしたんだ、耳のほうへ血がたれてくるではないか」 「すまねえが兄貴《あにき》、この左の目へささッている物を、そッとやわらかに抜きとってくれないか」 「いいとも、だが、棘《とげ》でもさしたのか」 「針だ、針がささッてるんだ」 「針?」 「ウン、ゆうべ沖の客船から、四、五人の旅人をさらってきて、この下の穴蔵《あなぐら》へほうりこんでおいたのだ。そこでいま手下どもと、ひとりひとりの持ち物や身の皮をはいでいると、そのなかにふんじばられていた婆《ばばあ》めが、いきなりおれの顔へ針をふきつけやがったんだ。ア、痛、……なにしろ早く抜いてくれなきゃ話もできねえ」 「うごいてはいけないぞ、いま洗い薬を、こしらえているから」 「たのむからはやく……」 「よし、じッとしていろよ」  と、多少|蛮法《ばんぽう》の医術にも心得があるらしい呂宋兵衛、口をもって龍巻《たつまき》の眸《ひとみ》にふかく突きささっている針をくわえとり、すぐ洗い薬をあたえておちつかせた。  すると、四、五人の手下が、扉口《とぐち》から首をだして、 「おかしら」  と、どなった。 「いよいよあの船へ、角鹿町《つるがまち》の和唐屋《わとうや》から一|万両《まんりよう》の銀を送りこみましたぜ。船積みするところまでたしかに見届《みとど》けてきました」 「そうか!」龍巻《たつまき》は、苦痛もわすれ、 「して、厦門船《アモイせん》は、いつ纜《ともづな》を巻きそうだ」 「いつどころじゃねえ、もう出船《でふね》のしたくをしているようすなんで、風のあんばいじゃ夕方にも、港をズリだすかも知れませんぜ」 「じゃ、こうしちゃいられねえ。てめえたちは、穴蔵《あなぐら》にいる子分を呼びあげて、すぐ沖《おき》の鼻へ、船をまわして見張っていろ。おれはあとから、早船《はやぶね》で追いつくから」 「がってんです。じゃ、お頭領《かしら》もすぐにきておくんなさい」  ドカドカと階段を降《お》りていった。 「大そうな仕事じゃあないか」  呂宋兵衛《るそんべえ》は、いまの話であらかたのもようをさっしていた。 「この角鹿へ煙草《たばこ》を売りこんだ厦門船が、一万両の売り代を積んでかえるやつを、玄海灘《げんかいなだ》あたりで物にしようというたくらみさ。そこでこんどはしばらくこの仲間《なかま》屋敷へも帰らねえから、兄貴《あにき》はここで冬を越すとも、また閉《し》めて京都へ立つなりと好《す》きにしてくれ」 「ちょうどいい。じつはおれも、いつまでここにいい心持になってもいられないから、一つゆきがけの駄賃《だちん》に北《きた》ノ庄《しよう》のようすをさぐり、それを土産《みやげ》に都入《みやこい》りして、うまうまと秀吉《ひでよし》のふところへ飛びこむつもりで考えていたところだ。すぐおれもここを立つとしよう」 「するととうぶんお別れだが、秀吉公《ひでよしこう》へ取りいったら、おれもお船手の侍大将《さむらいだいしよう》かなにかになれるように、うまく手蔓《てづる》をしてもらいてえものだな」 「野武士《のぶし》だろうが海賊《かいぞく》だろうが、人見知りをせず味方にする秀吉だから、おれが上手《じようず》に売りこんで、龍巻壱岐守《たつまきいきのかみ》ぐらいにはしてやるよ。まあそれを楽しみにしているがいい」 「あ——厦門船《アモイせん》がでやがった」  窓口から港をながめて、龍巻はにわかに立った。そしてせわしい別れをつげ、部屋《へや》からかげを消したかと思うと、やがて、海賊の巣《す》である異人屋敷の裏手から、一|艘《そう》の|はしけ《ヽヽヽ》を矢のごとく漕《こ》がせていった。 「ははあ、紅帆船《こうはんせん》は、むこうの岬《みさき》のかげにかくれているんだな」  それを見つつ、呂宋兵衛《るそんべえ》も伴天連《バテレン》の黒服《くろふく》をつけ、首に十字架《じゆうじか》をかけて、ふところには短刀をのんだ。さて、すっかり身支度《みじたく》がおわると、バタバタ窓をしめて、かれもこの家を立ちかけたが、門口《かどぐち》でフイと一つの忘れ物を思いだした。 「針《はり》……針……針がいたッけ……」  呪文《じゆもん》のようにつぶやくと、クルッと踵《きびす》をかえして、うす暗い石段をスルスルと地の底へ——     二  陰湿《いんしつ》な穴蔵部屋《あなぐらべや》、手さぐりで近寄《ちかよ》ると、鉄格子《てつごうし》の錆《さび》がザラザラ落ちた。すると、ウーム……とうめきだしたかすかな人声。海賊《かいぞく》たちにつれこまれた旅人らしい、ムクムクと身をおこして、人のけはいにおびえている。 「おい、おい」呂宋兵衛《るそんべえ》は、鉄格子からのぞきこんで、 「もしやおまえは、富士の裾野《すその》にいた蚕婆《かいこばばあ》ではないか」 「えッ!」  と、びっくりしたが、しばられているので、そばへは寄ってこられぬらしい。 「わ、わたしを知っているのは、いったい、だ、だれだい……」 「人穴《ひとあな》の呂宋兵衛よ」 「ひえッ、呂宋兵衛さま? ああありがたい、助かった。海賊の龍巻がこないうち、はやくここからだしてやっておくんなさい」 「どうしておまえはまた、こんなところへつれこまれたのだ」 「どうしてだって、このくろうをするのも、みんなおまえさんに味方をしたためじゃないか。人穴城《ひとあなじよう》から法師野《ほうしの》へ逃げて、落ちつくまもなく、伊那丸《いなまる》の夜討ちにあい、やッと北陸道まで逃げのびたと思うと、こんどは海賊につかまってこのありさまさ」 「やッぱり、おれの想像《そうぞう》があたっていた」 「くやしいから龍巻《たつまき》の目の玉へ、針を一本吹いてやったら、いまになぶり殺しにしてやるからおぼえていろと、おそろしい血相《けつそう》で、二階へかけあがっていったが……」 「その龍巻や手下どもは、にわかに船をだすことになって、おまえをここへおき去《ざ》りにしていった」 「すると、わたしを餓死《うえじに》させる気だったんだね。呂宋兵衛《るそんべえ》さま、とにかく早くだしてくださいまし」 「よし、そのかわりにこれからさきは、おれのために、火の中へでも水の中へでも飛びこむだろうな」 「ごめん、ごめん。わたしはもう大きな慾《よく》のない身だから、また裾野《すその》で、蚕《かいこ》の糸でものんきに引きたいよ」 「ふん、それじゃ、いッそ、死ぬまでこの穴蔵《あなぐら》で隠居《いんきよ》をしていろ。たぶんもう二、三年は、この屋敷の戸を開《あ》けにくる人間はないはずだから」  呂宋兵衛が、もどりかけると、蚕婆《かいこばばあ》は悲鳴をあげた。いやおうなく、いろいろな誓《ちか》いを立てさせられて、そこから助けだしてもらうと、婆《ばばあ》は、頭にくろい頭巾《ずきん》、身に黒布《こくふ》をまとわせられて、あたかも女《おんな》修道士《イルマン》のような姿となり、呂宋兵衛のあとからあてもなくついていった。  それから数日ののち——  角鹿《つるが》の浦から十六、七里、足羽御厨《あすわみくりや》の北《きた》ノ庄《しよう》(今の福井市《ふくいし》)の城下に、ふたりの偽伴天連《にせバテレン》があらわれて、さかんに奇蹟《きせき》や説教をふりまわしていた。  と、ある日である。濠端《ほりばた》にたって、なにやら祈祷《いのり》をささげている伴天連をみかけて、美しい夫人が鋲乗物《びようのりもの》を止《と》めさせた。 「もし、伴天連さま」  きれいな侍女《こしもと》たちが三、四人、駕籠《かご》をはなれて腰をかがめた。伴天連——呂宋兵衛《るそんべえ》と蚕婆は、もったいらしく、祈祷の膝《ひざ》をおこして、 「はい、なんぞご用でござりますかな」 「あの駕籠《かご》のうちにおいでなされますのは、ご城主さまの奥方|小谷《おだに》の方《かた》さまでいらっしゃいます」 「ああそれはそれは、右大臣信長公《うだいじんのぶながこう》のお妹|君《ぎみ》で小谷の方さま、おうわさにもうけたまわっておりました」 「奥方さまは、そのむかし、安土《あづち》においでのころから、マリヤさまをふかいご信仰《しんこう》でいらっしゃいます。ついては、なにかお祈祷のお願いがあるとのこと、ごめいわくでも城内までお越しあそばしてくださいませぬか」 「おやすいこと、すぐにもお供《とも》もうしましょう」  と、呂宋兵衛は、人知れず蚕婆に目くばせして、聖僧気《せいそうき》どりのうやうやしく、小谷の方の乗物について大手の橋を渡りこえた。  すると多門《たもん》の塀際《へいぎわ》ですれちがった、りっぱな武士がある。 「おや?」  と伴天連《バテレン》のすがたを見送って、 「こりゃふしぎだ、いま奥方の供《とも》に加わっていったやつは、たしかに、いつぞや海賊船《かいぞくせん》で別れた和田呂宋兵衛《わだるそんべえ》、ひとりは裾野《すその》の蚕婆《かいこばばあ》によく似たやつだ……はて、みょうだわい」  と、下城《げじよう》のとちゅうで腕ぐみをしてしまった。 「ウーム、あの呂宋兵衛がこの城内へ……伴天連になりすまして……蚕婆をつれて……こりゃ時節がらゆだんがならん!」  従者だけをそこから下城させて、スタスタとふたたび曲輪《くるわ》へ帰りだしたのは、もと裾野では鏃師《やじりし》の鼻かけ卜斎《ぼくさい》——いまではこの城の礎《いしずえ》とたのまれる上部八風斎《かんべはつぷうさい》だった。     三  足羽《あすわ》九十九橋《つくもばし》を脚下《きやつか》にして、そびえたつ北《きた》ノ庄《しよう》の城は北国一の荒大名《あらだいみよう》、鬼柴田勝家《おにしばたかついえ》がいる砦《とりで》である。塁濠《るいごう》は宏大《こうだい》、天主や楼閣《ろうかく》のけっこうさ、さすがに、秀吉《ひでよし》を成りあがりものと見くだして、大徳寺では、筑前守《ちくぜんのかみ》に足をもませたと、うそにも、いわれるほどなものはある。 「憎《に》っくい猿面《さるめん》、ウーム、一あわふかしてくれねばならぬ」  と、本丸の上段、毛皮の褥《しとね》に、どッかりかまえた修理亮勝家《しゆりのすけかついえ》は、その年、五十三の老将である。こよいも、岐阜《ぎふ》の侍従信孝《じじゆうのぶたか》からの飛状《ひじよう》を読みおわって、憤怒《ふんぬ》を面《おもて》にみなぎらしていた。  評定《ひようじよう》の間《ま》のあかりは、晃々《こうこう》と照って、席には一族の権六勝敏《ごんろくかつとし》、おなじく勝豊《かつとよ》、徳山則秀《とくやまのりひで》、不破光治《ふわみつはる》、小島|若狭守《わかさのかみ》、毛受勝介《めんじゆかつすけ》、佐久間玄蕃允《さくまげんばのじよう》など、万夫不当《ばんぷふとう》の北国衆が、評定の座へズラリといならんでいる。 「この勝家《かついえ》が冬ごもりのまを、鬼《おに》のいぬまと思うて、猿面秀吉《さるめんひでよし》がすき勝手なふるまい。この書状《しよじよう》のようすでは、疾《と》く佐和山《さわやま》をおとしいれ、長浜の城まで手をだしてまいったらしい。ウム、もう隠忍《いんにん》している場合ではない。若狭《わかさ》! 若狭守!」 「はッ」 「そちはすぐ天守《てんしゆ》へあがって、陣触《じんぶ》れの貝をふけ」 「はッ」 「勝敏《かつとし》、勝豊《かつとよ》! また玄蕃允《げんばのじよう》! その方《ほう》どもは先陣に立ってまッしぐらに、近江《おうみ》へむかえ、すぐにじゃぞ……」 「君《きみ》! しばらく待たせられい」 「なんじゃ、毛受勝介《めんじゆかつすけ》、そちも一陣のさきがけをのぞむか」 「いや、もってのほかな——」  とニジリだした勝介《かつすけ》、やや色をあらためて、きッと、 「さきほど、軍師《ぐんし》の八風斎《はつぷうさい》どのが、列席のおりには、秀吉退治《ひでよしたいじ》のご出陣は、来春の雪解《ゆきど》けと、同時に遊ばすことに決したではござりませぬか」 「ひかえろ、それはまだ信孝公《のぶたかこう》の御書《ごしよ》がつかぬまえじゃ。秀吉の独断かくまでと思わぬからじゃ」 「ご立腹はさりながら、時はいま十二月の真冬、北国|街道《かいどう》の雪たかく、軍馬の進路、おもいもよりませぬ」 「だまれ、勝介《かつすけ》、おりから今年《ことし》は雪がすくない。このくらいな天候ならば、柳《やな》ケ瀬《せ》越えもなんのその、一挙《いつきよ》に、長浜を取りかえして、猿《さる》めに、一あわふかすぐらいなんのぞうさがある」 「仰《おお》せながら、ひとたび軍旅を遠くはせて、木《き》ノ芽峠《めとうげ》や賤《しず》ケ岳《たけ》の険路《けんろ》を、吹雪《ふぶき》にとじこめられるときは、それこそ腹背《ふくはい》の難儀《なんぎ》、軍馬はこごえ、兵糧《ひようろう》はつづかず、ふたたびこの北《きた》ノ庄《しよう》へご凱旋《がいせん》はなりますまい」 「ウーム……」  勝家《かついえ》も愚将《ぐしよう》ではない、ましてや分別もじゅうぶんな年ごろ。理《り》のとうぜんに、やり場のない怒気《どき》が、うめきとなって口からもれる。 「いちおうの理がある、しかし……」  とやや落ちついて、 「来春を待つとして、ほかになんぞ、よい策《さく》があるか」  と極《き》めつけた。 「ござります——それは裾野《すその》よりご帰参の上部《かんべ》どのが、一月《ひとつき》あまりお屋敷にこもって、苦心のすえ作戦された、秀吉袋攻《ひでよしふくろぜ》めの奇陣《きじん》、必勝の布陣《ふじん》、軍旅の用意にいたるまで、お書付《かきつけ》としてご家老《かろう》徳山《とくやま》どのへお渡しになっております」 「そんなものがあったか。伊那丸《いなまる》を味方につけ、甲駿《こうすん》へ根を張らんとしてながらくでていた八風斎《はつぷうさい》、それが不首尾《ふしゆび》で、帰参後も、めッたに顔をみせぬと思うていたら、すでに、秀吉袋攻めの奇陣を策《さく》しておったのか、どれ、一見《いつけん》いたそう」  と、勝家《かついえ》はことごとくきげんをなおして、徳山則秀《とくやまのりひで》の取りだした書類や図面に目をとおし、また時折にはなにか小声でヒソヒソと密謀《みつぼう》をささやいていた。  するとこの夜陰《やいん》、おくの曲輪《くるわ》にあたって、にわかにジャラン! ……と妖異《ようい》な鐘《かね》のひびきがゆすりわたった。 「なんじゃ」  折もおりなので、一同おもわず、ガバと顔をはねあげる。  勝家《かついえ》も聞きとがめて、 「南蛮寺《なんばんじ》で聞くような、いまわしい鐘の音色《ねいろ》、奥の局《つぼね》でするらしいが、やかましいゆえ、止《と》めてまいれ」 「はッ——」  と気転《きてん》よくたった小姓《こしよう》の藤巻石弥《ふじまきいしや》、ふと廊下《ろうか》へでるとこは何者? 評定《ひようじよう》の間《ま》の袖部屋《そでべや》へじッとしゃがみこんでいる黒衣《こくい》の人間。 「間諜《かんちよう》ッ!」  大声に叫んで、ダッ! と組みついた。奮然《ふんぜん》と、むこうからもむかってくるかと思ったがあんがい、グズグズとくじけてしまったので石弥《いしや》もあっ気にとられた。 「なに、諜者《ちようじや》が入りこんでいたと?」  勝家《かついえ》をはじめ、玄蕃允《げんばのじよう》、若狭守《わかさのかみ》など、めいめい燭《しよく》をかざしてそれへでてきた。 「なんじゃ、そちは伴天連《バテレン》……しかも老婆《ろうば》ではないか」 「はい、はい、……どうぞおゆるしくださりませ」  黒いかげは、竿《さお》でハタキ落とされた蝙蝠《こうもり》のようにおののいていた。毛受勝介《めんじゆかつすけ》|はッた《ヽヽヽ》とにらんで、 「きさま、ただいまの密議を、ここで聞きおッたな!」 「めっそうもないこと、わたくしは神さまに仕える修道士《イルマン》でございます……戦《いくさ》のご評議などを立ちぎきしてなんになりましょう」 「その修道士が、なんでかような場所へ入《い》りこんだか。婆《ばばあ》! うそをもうすと八ツ裂《ざ》きだぞ」 「奥方さまのおたのみで、お祈祷《いのり》にあがりました……ハイ、三人の姫君さまが、そろいもそろうてご風気《ふうき》の大熱《たいねつ》……そのご平癒《へいゆ》を神さまにお祈《いの》りしてくれとのご諚《じよう》をうけてまいりました」 「ほ、なるほど……」  勝家《かついえ》の面《おもて》がすこしやわらいだ。 「おさない姫《ひめ》たちが、このあいだから風邪《かぜ》に悩《なや》んでいる。奥もきょうはそれで祈祷《いのり》にまいった。アレは昔からその宗門《しゆうもん》でもあった」 「まったく、ご錠口《じようぐち》をまちがえまして……」 「石弥《いしや》、この修道士《イルマン》の婆《ばばあ》を、おくの局《つぼね》へつれていってやれ、間諜《かんちよう》でもないらしい」 「かしこまりました」  と、石弥《いしや》が立ち、一同がちりかけると、そのとき、四十九|間《けん》の長廊下《ながろうか》を、かけみだれてくる人々! 小谷《おだに》の方《かた》をまっ先に、局《つぼね》侍女《こしもと》など奥の者ばかり、めいめい鞘《さや》をはらった薙刀《なぎなた》をかかえ、雪洞《ぼんぼり》花のごとくふりてらしてきた。 「奥ではないか、なにごとじゃ」 「オオ殿さま、ごゆだんあそばしますな」  と小谷の方は、薙刀をふせて、 「今がいままで、一|間《ま》のうちに祈祷《いのり》の鐘をならしていた伴天連《バテレン》がみょうなそぶりで、ご城内の要害《ようがい》をさぐり歩いているという小者の知らせでござります」  と息をあえいだ。 「うかつな者をめしいれるから悪い。む! さすればただいまの老婆《ろうば》もその片われじゃな」 「オオ、そこにいる修道士《イルマン》、引っくくってごせんぎなされませ」  といわせもはてず、小谷《おだに》の方《かた》のうるわしい頬《ほお》へピラピラッと四、五本の針がふき刺《さ》さった。 「あッ!」と藤巻石弥《ふじまきいしや》も、同時にひとみをおさえて飛びしさる、とたんにすきをねらった老婆《ろうば》は、黒布《こくふ》をひるがえしてドドドドドッと大廊下《おおろうか》から庭先へ飛びおりた。 「それッ」  と近侍《きんじ》をはじめ侍女《こしもと》の薙刀《なぎなた》、八|面《めん》をつつんでワッと追いかぶさったが、雪ともつかぬ雹《ひよう》ともつかぬふしぎなものが、近よる者のひとみに刺さって、見るまに怪異《かいい》な老婆のかげは、外曲輪《そとぐるわ》の闇へ、飛鳥《ひちよう》と消える。  ふいのそうどうに、ガランとしていた評定《ひようじよう》の間《ま》。  一|羽《わ》の蛾《が》がピラピラと飛んでいる。……  これはあやしい。蛾《が》は妖異《ようい》だ。夏なら知らず十二月、蛾が生きているはずがない——と思うと灯取《ひと》り虫、一つ一つの燭《しよく》をはたきまわって、殿中《でんちゆう》にわかにボーッと暗くなってきた。  スウーッとその蛾《が》が吸いこまれてしまった。  いつの間《ま》にか襖《ふすま》のかげに立っていた呂宋兵衛《るそんべえ》の口のなかへ——滅光《めつこう》の口術《こうじゆつ》? ニヤリと笑って、評定の間へスルスルとはいってきた。     四  暗闇《くらやみ》のなかで、呂宋兵衛《るそんべえ》、ムズとつかんだ。一同が評議にかけていた秀吉袋攻《ひでよしふくろぜ》めの秘帖《ひじよう》、それだ! それをつかんだ。——片手につかんで蟇《がま》のように評定《ひようじよう》の間《ま》をはいだした。  大廊下《おおろうか》には人がいる、ワイワイとさわいでいる。そッちへは逃げられない、次の間《ま》へ、スーと抜けてくると、障子《しようじ》に槍《やり》をもってる人影がうつっている。 「こいつは危《あぶ》ない……」  と、あとずさりをした壁ぎわで息をのむ。と、うしろからだれか、指のさきで、チョイと背中をついた者がある。  二寸ばかり納戸襖《なんどぶすま》があいていた。そのなかから手がでて呂宋兵衛の指へやわらかにさわった。 「蚕婆《かいこばばあ》だな……」  と、すぐ肚《はら》のうちで、うなずいた。  そして、手につかんでいた秘帖を、スルリと引っぱられたが、婆《ばばあ》があずかるつもりだろう——と思ってわたしてしまった。  とたんに、ズドン! と短銃《たんづつ》の弾《たま》がまつげをかすった。白いけむりが評定の間でムクッとあがった。いけねえ! と思ったので呂宋兵衛、いきなり障子《しようじ》を開《あ》けるやいな、バラッと飛びだすと、待ちかまえていた長身《ながみ》の槍先《やりさき》が、 「えいッ」  と、するどい光をつッかけてきた。 「おッ!」  と、すばやくつかみとめた槍の千|段《だん》、顔を見るとおどろいた、闇《やみ》でも知れる鼻——あの鼻のもちぬし、上部八風斎《かんべはつぷうさい》である。  こいつは苦手《にがて》だ、ばらばらともとの部屋へ逃げこむ、と同時に、佐久間玄蕃允《さくまげんばのじよう》の声で、 「曲者《くせもの》ッ!」  組んできた。ドンとつぎの千畳敷《せんじようじき》へ投げつけられた。起きあがると、またふたたび、毛受勝介《めんじゆかつすけ》の大喝一声《だいかついつせい》、 「おのれ、間諜《かんちよう》!」  グンと襟《えり》がみを引ッつかまれた。が、こんどは呂宋兵衛《るそんべえ》にれいの奥の手をだすよゆうがあった。ポンとその手をはらうや否《いな》、跳《と》びあがって広間の壁へ、守宮《やもり》のようにペタリと背なかを貼《は》りつけてしまった。  上部八風斎、すばやく見つけて、槍の素扱《すご》きをくれながらブーンと壁の下からつき上げた。——もんどり打って呂宋兵衛のからだが畳《たたみ》の上へおちたかと思うと、木《こ》の葉《は》をめくるように一枚の畳がヒラリと起きて槍へかぶった。 「おおッ」  と、毛受、佐久間が飛びつくまに、かれのすがたは畳《たたみ》の下へもぐって消える。 「方々《かたがた》、方々、曲者《くせもの》はこの部屋《へや》でござる。千|畳敷《じようじき》を取りまきめされい!」  毛受勝介《めんじゆかつすけ》が城中へ鳴りわたるばかりにどなった。  と——あら奇怪、畳から次の畳へ、ムクムクムクと波のごとくうごいていった。そして、向こうの端《はし》の一枚がポンとめくれる——たちまち飛びだした呂宋兵衛《るそんべえ》、脱兎《だつと》のごとく大廊下《おおろうか》から武者走《むしやばし》りににげだした。 「幻術師《げんじゆつし》! のがすなッ」  とひしめきあって、あらん限りの武者がそれへ殺到してしまった。そのようすを見すまして、はじめて、納戸襖《なんどぶすま》をソロリとあけた黒装束《くろしようぞく》、押入れからとびだして、呂宋兵衛からわたされた攻軍《こうぐん》の秘図《ひず》をふところにおさめ、別なほうから築山《つきやま》づたいで、北庄城《ほくしようじよう》の石垣《いしがき》をすべり落ちていった。   秀吉《ひでよし》をめぐる惑星《わくせい》     一  橡《とち》ノ木峠《きとうげ》の大《おお》吹雪《ふぶき》——  軍飛脚《いくさびきやく》か狼《おおかみ》か雪女よりほかはとおるまい。  ところがひとりのお婆《ばあ》さん、元気なものだ。歓喜天《かんぎてん》さまのお宮の絵馬《えま》を引ッぺがして、ドンドン焚火《たきび》をしてあたっている。  黒い頭巾《ずきん》をかぶって、姿は気《け》だかい修道士《イルマン》だが、中身《なかみ》は裾野《すその》の蚕婆《かいこばばあ》だ。たきびで焼いた兎《うさぎ》の肉をひとりでムシャムシャ食《た》べている。 「ここで落ちあうやくそくだのに、どうしたんだろう……にげ損《そこ》なってやられたのかしら」  同じことを、口のうちでなんどいったか知らない。そのうち麓《ふもと》のほうから、雪をおかしてくる人かげ。 「おお、呂宋兵衛《るそんべえ》さま」 「婆《ばばあ》、待っていたか」  かぶってきた蓙《ござ》をすてて焚火《たきび》のそばへふるえついたのは、おなじ姿の呂宋兵衛だった。 「待っていたかもないもんだ、半日もおさきだったあね」 「気の毒だった、捕手《とりて》に逃げ口をふさがれて、足羽川《あすわがわ》の上《かみ》を遠まわりしてきたため、ばかに手間《てま》をとってしまった。それはいいが、城中でわたしたアレは落とさずもってきたろうな」 「城中で? おやなにを……」 「この呂宋兵衛《るそんべえ》が、命がけでとった柴田方攻軍《しばたがたこうぐん》の秘帖《ひじよう》、秀吉公《ひでよしこう》への土産《みやげ》にするのだ」 「いいえ、わしはなんにも知りませんよ」 「城中のくらがりで、たしかに汝《なんじ》の手へわたしたはず」 「ごじょうだんを……この婆《ばばあ》はおまえさんがはたらくまえに、逃げだしたんじゃないか」 「はてな? するとあの手はだれだろう」  早打《はやう》ちの男か、またサクサクとここへ雪の峠越《とうげご》えをしてきたものがある。頬《ほお》かむりの上に藁帽子《わらぼうし》、まるで、顔はわからないが蓑《みの》の下から大小の鐺《こじり》がみえた。  ふたりの前をとおりかかって、 「吹雪《ふぶき》がくる——、追手《おつて》もくるぞ」  ヘンなことをいって通りすぎた。 「なるほど、また北から黒い雲がまいてきた。日の暮れないうち麓《ふもと》の宿《しゆく》へたどりつこう」  呂宋兵衛と蚕婆は、また伴天連《バテレン》になりすます約束でサクリ、サクリと歩きはじめた。  案《あん》の定《じよう》、ドーッと、陣太鼓《じんだいこ》をぶつけるような吹雪がきた。燃えのこった焚火《たきび》が雪にまじって、虚空《こくう》に舞い、歓喜天《かんぎてん》の堂の扉《とびら》もさらってゆかれそう。このぶんで一晩ふったら、お宮も埋《う》もって山の木がみんな二、三|尺《じやく》になるかも知れない。 「オオ寒ッ!」  いたたまれないで、お堂のなかから飛びだしたはひとりの少年。寒いはずだ、膝行袴《たつつけばかま》に筒袖《つつそで》の布子《ぬのこ》一枚、しかし、腰の刀は身なりにも年にも似あわぬ名刀の銀《しろがね》づくり。 「こんな雪が降ってるうちは、クロも空をとべないだろう。アア、いつおいらとめぐりあえるのかしら」  吹雪《ふぶき》の空を見あげて、くろい大鷲《おおわし》の幻影《げんえい》をえがいたのは、法師野《ほうしの》いらい、その行方《ゆくえ》をたずね歩いている鞍馬《くらま》の竹童《ちくどう》である。  信濃《しなの》をこえて、飛騨《ひだ》を越えて、クロを尋ねつ冬にはいって、この大雪にゆきくれた竹童、腰に名刀|般若丸《はんにやまる》のほこりはあるも、お師匠《ししよう》さまは尊《たつと》いもの、クロはおいらのかわいいものとしている、あの鷲《わし》にあえざる心はさびしかろう。     二  あければ、天正《てんしよう》の十一年。  本能寺《ほんのうじ》の焼け跡《あと》にも、柳《やなぎ》があおい芽《め》をふいた。  都の春のにぎやかさ。ことに、羽柴従《はしばじゆ》四|位《い》の参議秀吉《さんぎひでよし》が入洛《じゆらく》ちゅうのにぎやかさ。——金の千瓢《せんなり》、あかい陣羽織《じんばおり》、もえ黄縅《ぎおどし》、小桜《こざくら》おどし、ピカピカひかる鉄砲《てつぽう》、あたらしい弓組、こんな行列が大路小路《おおじこうじ》に絶えまがない。  戦《いくさ》があっても貧相でなく、新鋳《しんちゆう》の小判《こばん》がザラザラ町にあらわれ、はでで、厳粛《げんしゆく》で、陽気で、活動する人気《にんき》は秀吉の気質《きしつ》どおりだ。京ばかりではない、姫路《ひめじ》へ下向《げこう》すれば姫路の町が秀吉になり、安土《あづち》へゆけば安土の町がそッくり秀吉の気性《きしよう》をうつす。 「ご前《ぜん》」  馬廻《うままわ》りの福島正則《ふくしままさのり》、ニヤニヤ笑いながら、秀吉の前へひざまずいた。京都の仮陣営《かりじんえい》、ここに天下の覇握《はあく》をもくろんでいるかれ、飯《めし》を噛《か》むまもないせわしさ。いまも、祐筆《ゆうひつ》になにか書かせながら、じぶんは花判黒印《かきはんこくいん》をペタペタ捺《お》している。  ちかく出師《すいし》せんとする柴田《しばた》がたの滝川|征伐《せいばつ》、その兵を糾合《きゆうごう》する諸大名《しよだいみよう》への檄文《げきぶん》であるらしい。 「なんじゃ」  むぞうさにこたえて、次のへ、ペタリと一つ捺した。 「とうとうやってまいりました」 「だれが」 「裾野《すその》の和田呂宋兵衛《わだるそんべえ》。おそるおそるご拝謁《はいえつ》を願いに、陣前へまかりこしております」 「富士の人穴《ひとあな》で、二千の軍兵《ぐんぴよう》をかかえながら、勝頼《かつより》の遺子《いし》、武田伊那丸《たけだいなまる》に追いまくられて、こんどはわしへとりいる気だな」 「むろん、ご賢察《けんさつ》のごとくでござりましょう」 「まアいい、ここへ持ってこい」  と、まるで品物を見るようにいった。 「可児才蔵《かにさいぞう》はあるか!」  おおきな声でどなった。  はなやかな小具足《こぐそく》をつけた可児才蔵《かにさいぞう》、幕《まく》をはらって階下に頭《ず》をさげる。 「しばらくそこにおれ」  といったまま、また祐筆《ゆうひつ》にむかってなにか文言《ぶんげん》をさずけている。と、福島正則《ふくしままさのり》、和田呂宋兵衛《わだるそんべえ》と蚕婆《かいこばばあ》の修道士《イルマン》を連れてはるかに平伏《へいふく》させた。  呂宋兵衛は、ここぞ出世の緒口《いとぐち》と、あらんかぎりの巧舌《こうぜつ》と甘言《かんげん》で、お目見得《めみえ》した。まず、将来|天下人《てんかびと》の兆瑞《ちようずい》がお見えあそばすということ、君のおんためには死も一|毛《もう》より軽しということ、それから、こんどは手まえ味噌《みそ》で天下の野武士《のぶし》はわが指一本にうごくというじまん、幻術《げんじゆつ》は天下|無双《むそう》、兵法智略には、丹羽昌仙《にわしようせん》という腹心の者があること、——かぎりもなくならべたてる。  秀吉《ひでよし》は、フン、フン、フン、で、聞くことだけは聞いている。  さてと呂宋兵衛、まだなにかいうつもりだ。 「さてこのたびのご拝謁《はいえつ》に、なにがなよき土産《みやげ》ともぞんじまして、上洛《じようらく》のとちゅう、命《いのち》がけでさぐりえましたのは柴田勝家《しばたかついえ》の攻略《こうりやく》、まった北庄城《ほくしようじよう》の縄《なわ》ばり本丸外廓《ほんまるそとぐるわ》、濠《ほり》のふかさにいたるまでのこと、それを密々言上《みつみつごんじよう》いたしますれば、ちかきご合戦《かつせん》はご勝利うたがいもなきこととぞんじまする」  と、蚕婆《かいこばばあ》にさぐらせた評定《ひようじよう》のもよう、じぶんがしらべた砦《とりで》の秘密など、得々然《とくとくぜん》とかたり出した。  いま、勝家《かついえ》と秀吉《ひでよし》の仲、日ごとに険悪《けんあく》となりつつあることは天下の周知《しゆうち》。さだめし、秀吉が目をほそくしてよろこぶだろうと思うと、呂宋兵衛《るそんべえ》がしゃべっているまに、 「うッははははは」  と腹をおさえて笑いだした。 「呂宋兵衛、柴田《しばた》の内幕話《うちまくばなし》ならもうやめい」 「はッ」とかれは目をぱちくり。 「仰《おお》せにはござりますが、勝家《かついえ》一族が、ご当家を袋攻《ふくろぜ》めにせん奇陣をくふうし、雪解《ゆきど》けとどうじに出陣の密策《みつさく》をさぐってまいりましたゆえ」 「わかった、わかった。そちの申すのはこれであろう」  座右《ざう》の文庫から、むぞうさにとりあげて、呂宋兵衛のほうへみせた書類! ヒョイと仰《あお》ぐと、いつぞや、北庄城《ほくしようじよう》の一室で、納戸襖《なんどぶすま》から合図《あいず》されて手へわたした、あの攻軍の秘帖《ひじよう》だ! あの手が秀吉《ひでよし》だったのか? あの手が? 呂宋兵衛はぼうぜんとして二の句《く》がでない。 「こりゃ、そちは幻術《げんじゆつ》をやるだろうが、諜者《ちようじや》はから下手《べた》じゃの。さぐりにかけては、まだそこにいる男のほうがはるかにうまい」  と、可児才蔵《かにさいぞう》を顎《あご》でさした。 「才蔵、びっくりしておるわ、種《たね》をあかしてやれ」 「はッ、呂宋兵衛どの」  と、こんどは才蔵があとをうけた。 「先日はまことに失礼つかまつった」 「や! ではあの時、うしろから手をだされたのは?」 「貴公《きこう》よりまえに、北庄城《ほくしようじよう》へさぐりにはいっていた拙者《せつしや》でござる。また、橡《とち》ノ木峠《きとうげ》でごあいさつして通ったのもすなわち拙者で」 「ははあ……」といったまま、呂宋兵衛《るそんべえ》も蚕婆《かいこばばあ》も、すっかり毒気《どつけ》をぬかれたていで、いままで喋々《ちようちよう》とならべたてた吹聴《ふいちよう》が、いっそう器量《きりよう》を悪くした。     三  と、そのとき、羽柴《はしば》の荒旗本《あらはたもと》、脇坂甚内《わきざかじんない》、平野《ひらの》三十郎、加藤虎之助《かとうとらのすけ》の三人、バラバラと幕屋《まくや》の裾《すそ》にあらわれて一大事を報告した。  しかも、ふしぎな事件である。  いま、ふいにこの陣屋へ徳川家《とくがわけ》の武士《ぶし》五人がおとずれてきた、というのである。五人の頭《かしら》は、徳川家のうちでも、音にきこえた菊池半助《きくちはんすけ》。  その半助のいうには、武田勝頼《たけだかつより》、ほかふたりの従者がすみぞめの衣《ころも》に網代笠《あじろがさ》を目《ま》ぶかにかぶり、ひそかに、東海道からこの京都へはいったので追跡《ついせき》してきたが、ついに、この洛中《らくちゆう》で見うしなったゆえ、羽柴どののご手勢でからめてもらいたいとの口上《こうじよう》である。  こんな奇怪《きかい》な話はない。  武田四郎勝頼《たけだしろうかつより》——、すなわち、伊那丸《いなまる》の父なる大将は去年天正十年三月、織田徳川《おだとくがわ》の連合軍にほろぼされて、天目山《てんもくざん》の麓《ふもと》ではなばなしい討死《うちじに》をとげていること、天下の有名、だれあって知らぬものはない。  だのに、その勝頼が、すみぞめの衣《ころも》をきて、京都にはいったとは、なんとしても面妖《めんよう》である。 「おまちがいないか」  と、虎之助《とらのすけ》が念をおした時、 「断じてそういはござらん」  と、菊池半助《きくちはんすけ》が語《ご》をつよめていった。  しかし、京都は徳川家《とくがわけ》の勢力圏内《せいりよくけんない》ではない。ぜひお手配《てはい》をわずらわしたい、との懇願《こんがん》。事件、人物がまた容易《ようい》ならぬ人、なんとへんじをしましょうかと、三人の旗本《はたもと》がこもごも申したてた。 「ふウむ……勝頼がな」  と秀吉《ひでよし》も、これを聞くとしばらく沈思瞑目《ちんしめいもく》していたがやがて重く、 「ほかならぬ徳川どののおたのみ、聞いてあげずばなるまい。しょうちいたしましたとごへんじをいたせ」 「はッ、お伝《つた》え申しまする」  と平野《ひらの》三十郎ひとりだけが立ってゆく。と、脇坂甚内《わきざかじんない》すぐに小膝《こひざ》をゆるがして、 「ご承引《しよういん》のうえは、それがしと虎之助《とらのすけ》どのとにて、四郎|勝頼《かつより》のありかをたしかめ引っとらえてまいりましょうか」 「待てまて……」  秀吉《ひでよし》は、まだ瞑目《めいもく》をつづけていたが、はじめて、いつもの調子でいいのける。 「やがてこの筑前守《ちくぜんのかみ》は伊勢《いせ》の滝川《たきがわ》攻めじゃ、この用意のなか、死んだ勝頼をさがしているひまな郎党《ろうどう》はもたぬ」 「はッ」  甚内《じんない》は五体をしびらせておそれいった。 「じゃが、ひきうけたこと抛《ほう》ってもおけまい、この役目は和田呂宋兵衛《わだるそんべえ》に申しつける。よいか」 「しょうちいたしました、すぐ洛中《らくちゆう》をくまなくただしてご前《ぜん》へその者を召《め》しつれます」 「やってみろ、そちには手ごろな尋ねものじゃ」  人使いの名人、顔を見たとたんに、もう呂宋兵衛をあそばせておかなかった。が、ふしぎな大役《たいやく》、いいつけられた、呂宋兵衛のほうでも、なんだかムズムズ油がのる。秀吉公《ひでよしこう》への目見得《めみえ》の初役《はつやく》、ぜひ引っからめて見せねばならぬとひそかにちかった。  ましてや、武田《たけだ》四郎勝頼、伊那丸《いなまる》の父である。事実、天目山《てんもくざん》で討死《うちじに》していなかったとすれば、天下の風雲、さらに逆睹《ぎやくと》すべからざることになる。   般若丸《はんにやまる》と謎《なぞ》の僧《そう》     一  里の二月は紅梅《こうばい》のほころぶころだが、ここは小太郎山《こたろうざん》の中腹、西をみても東をながめても、駒城《こまぎ》の峰や白間《しらま》ケ岳《だけ》など、白皚々《はくがいがい》たる袖《そで》をつらねているいちめんの銀世界で、およそ雪でないものは、伊那《いな》をながるる三峰川《みぶがわ》か、甲斐《かい》へそそぐ笛吹川《ふえふきがわ》のあおいうねりがあるばかり。 「北国すじへ間者《かんじや》にいった、巽小文治《たつみこぶんじ》はどうしたであろう」 「そういえば、東海道へいった山県蔦之助《やまがたつたのすけ》も、もうもどってこなければならないじぶんだが? ……」  小太郎山の山ふところ、石垣《いしがき》をきずき洞窟《どうくつ》をうがち、巨材《きよざい》巨石でたたみあげた砦《とりで》のなかは、そこに立てこもっている人と火気で、室《むろ》のようにあたたかい。  いま、砦の一ヵ所に炎々《えんえん》と篝《かがり》をたいて、床几《しようぎ》にかけながらこう話しているのは、忍剣《にんけん》と龍太郎《りゆうたろう》であった。 「ふたりとも、あまりに日数がかかりすぎる。悪くするとこの雪に道でもふみちがえて凍《こご》えたのではあるまいか」 「いや、とちゅうには番卒《ばんそつ》小屋もあり、部落部落には味方もいるから、けっしてそんなはずはない」 「では深入りして徳川家《とくがわけ》のやつに、生けどられたかな」 「蔦之助《つたのすけ》も小文治《こぶんじ》も、おめおめ敵の縄目《なわめ》にかかる男でもなし……きっとなにか大事なことでもさぐっているのだろう。それよりあんじられるのは竹童《ちくどう》じゃ」  と、龍太郎は眉《まゆ》をくもらせた。 「オオ、竹童といえば、いったいどこへいってしまったのか、とんと尻《しり》のおちつかぬやつだ」 「しかしあいつのことだから、かならずクロをさがしだして、元気な顔でもどってくるだろうが、この雪や氷の冬のうちを、どこで送っているかと思うと、ふびんでもありしんぱいでならぬ……」  さすがに木隠龍太郎《こがくれりゆうたろう》は、兄弟|弟子《でし》の竹童を、明けくれ忘れていないのである。  去年の晩秋——人穴城《ひとあなじよう》をおとし法師野《ほうしの》の里に凱歌《がいか》をあげた武田伊那丸《たけだいなまる》は、折から冬にかかってきたので、幕下《ばつか》の旗本《はたもと》をはじめ二千の軍兵《ぐんぴよう》をひきいて、ひとまずこの小太郎山へ引きあげたのだ。  しばらくは、この山城で冬ごもりだ。  陣具《じんぐ》をつくり武器をとぎ、英気をやしなわせて、春の雪解《ゆきど》けをまっている。  で、おん大将をはじめ軍師《ぐんし》の民部《みんぶ》も、咲耶子《さくやこ》も、みな一家《いつか》のごとく団欒《だんらん》して、この冬をこし、初春《はつはる》をむかえたのであるが、ただひとり、人気者の竹童がいないのは、なにかにつけて、だれもがさびしく感じていた。  竹童よ、竹童よ。おまえはいったいどこにいるか?  ああ、クロの行方《ゆくえ》がわからないように、竹童のたよりもいっこうわからない——と、いまも龍太郎が灰色の空をあおいで長嘆《ちようたん》していると、バラバラと、砦《とりで》の柵《さく》の方から、ひとりの番卒《ばんそつ》がかけてきた。 「木隠《こがくれ》さま! 加賀見《かがみ》さま!」 「なんじゃ」  煙のかげからふたりの声が一しょにおうじた。 「ただいま、巽小文治《たつみこぶんじ》さまと山県《やまがた》さまが、ふもとのほうからこちらへのぼっておいでになります」 「オオ、かえってきたか!」  ふたりはすぐに篝《かがり》をはなれて立ち、バラバラと砦の一の柵まで迎えにかけだした。     二  ここは大将の陣座とみえて、綺羅《きら》ではないが巨材《きよざい》をくんだ本丸づくり、おくには武田菱《たけだびし》の幕《まく》がはりまわされ、そのなかにあって、当《とう》の武田伊那丸《たけだいなまる》は、いましも、軍師《ぐんし》小幡民部《こばたみんぶ》から、呉子《ごし》の兵法図国編《へいほうとこくへん》の講義《こうぎ》をうけているところであった。  そばには、咲耶子《さくやこ》もいて、氷のような板敷《いたじき》にかしこまり両手を膝《ひざ》において、つつしんで聞いている。  と——、幕をはらって加賀見忍剣《かがみにんけん》、 「わが君」  と声をかけた。 「おお忍剣、なんであるな」 「ご講義ちゅうでござりますか」 「いや、兵学のつとめも、ちょうどおわったところじゃ」 「では、せんこく帰陣しました山県《やまがた》、巽《たつみ》のふたり、すぐこれへ召入《めしい》れましてもよろしゅうござりましょうか」 「オオ、北国と徳川領《とくがわりよう》へさぐりにいったふたりのもの、日ごとに帰りを待っていた。すぐここへ呼んでよかろう」 「はッ」  幕をおとして忍剣のすがたが消えると、やがてふたたびその幕がはねあげられ、山県蔦之助《やまがたつたのすけ》と巽小文治《たつみこぶんじ》、それに龍太郎《りゆうたろう》と忍剣もつづいて、伊那丸《いなまる》の前へひざまずいた。 「雪中の細作《さいさく》、さだめし難儀《なんぎ》にあったであろう」  と伊那丸は、まずふたりの使いをねぎらって、 「順序として、北国|筋《すじ》の動静をさきに聞きたい、小文治そちのさぐりはどうであった」 「はッ」  威儀《いぎ》をただして、小文治が復命する。 「多宝塔《たほうとう》のいただきから、たくみに鷲《わし》をつかって逃げうせました呂宋兵衛《るそんべえ》は、どうやら、越前北《えちぜんきた》ノ庄《しよう》を経て、京都へ入りこみましたような形跡《けいせき》にござります」 「ウーム、京都へ!」  小幡民部《こばたみんぶ》がうなずいた。 「おりから、裾野《すその》にいた鏃鍛冶《やじりかじ》の卜斎《ぼくさい》も、柴田《しばた》の家中へひきあげて、北庄城《ほくしようじよう》では雪解《ゆきど》けとともに、筑前守秀吉《ちくぜんのかみひでよし》と一戦をなす用意おさおさおこたりなく、国境の関《せき》はきびしい固めでござります」 「それでおよそのようすはわかった……」  と伊那丸《いなまる》はつぎに山県蔦之助《やまがたつたのすけ》へことばをむける。 「して、東海道のほうにはなんぞかわりはないかの」 「若君——」  すぐ受けて蔦之助、 「容易《ようい》ならぬうわさをきいてござります」  といった。 「なに、容易ならぬうわさとな?」 「また徳川《とくがわ》の痩武者《やせむしや》どもが、この砦《とりで》へ攻《せ》めよせてくるとでもいうことか」  忍剣《にんけん》は気早《きばや》な肩をそびやかした。 「それとはちがって、世にもふしぎなうわさでござる」  と、蔦之助《つたのすけ》は伊那丸《いなまる》の顔をあおぎ見ながら、 「——若君、おおどろき遊ばしますな、そのうわさともうすのは、お家滅亡《いえめつぼう》のみぎり、あえなく討死《うちじに》あそばしたと人も信じ、またわれわれどもまでが、うたがって見ませぬ四郎|勝頼《かつより》さま」 「オオ、父上——その父上がなんとあるのじゃ」 「じつはお討死《うちじに》とは表向《おもてむ》きで、まことは、天目山《てんもくざん》の峰《みね》つづき、裂石山雲峰寺《れつせきざんうんぽうじ》へいちじお落ちなされて、世間のしずまるころをお待ちなされたうえ、このほど身をいぶせき旅僧《たびそう》にかえられ、ひそかに、京都へお入りあそばした由《よし》にござります」 「えッ!」  はたして伊那丸のおどろきは一通りではなかった。  勝頼——と父の名をきいただけでも、はやその眸《ひとみ》はうるみ、胸は恋しさにわななくものを、まだ存命《ぞんめい》ときいては、そぞろ恩愛の情《じよう》あらたにひたひたと胸をうって、歓喜《かんき》と驚愕《きようがく》と、またそれを、怪しみうたがう心の雲が入《い》りみだれる。 「ではなんといやる、父上にはなおご武運つきず、旅の僧となって、都へおちゆかれたと申すのか——蔦之助もっとくわしゅう話してくれ」 「されば、まだことの虚実《きよじつ》は明確に申しあげられませぬが、東海道——ことに徳川家《とくがわけ》の家中《かちゆう》においてはもっぱら評判《ひようばん》いたしております。それゆえ、なお浜松の城下まで入《い》りこみまして、ふかく実否《じつぴ》をさぐりましたところ、その旅僧《たびそう》を勝頼《かつより》なりといって、隠密組《おんみつぐみ》の菊池半助《きくちはんすけ》、京都へ追跡《ついせき》いたしました」 「ウーム、さては真《まこと》にちがいない」  心そぞろに、伊那丸《いなまる》のひとみは燃《も》える。 「意外なこともあるものじゃ。真実《しんじつ》、勝頼公《かつよりこう》が世におわすとすれば、武田《たけだ》のご武運もつきませぬところ、若君のよろこびはいうもおろか、われわれにとっても、かようなうれしいことはないが……」  つぶやきながら軍扇《ぐんせん》をついて、ふかく考えているのは小幡民部《こばたみんぶ》である。しかし、加賀見忍剣《かがみにんけん》や龍太郎《りゆうたろう》やまた咲耶子《さくやこ》にいたるまで、みなこの報告を天来の福音《ふくいん》ときいて武田再興《たけださいこう》の喜悦《きえつ》にみなぎり、春風|陣屋《じんや》にみちてきた。 「京都へまいろう! そうじゃ、すぐ京都へまいってお父上にめぐりあおう!」  なかにも伊那丸は、おさなくして別れた父、なき人とばかり思っていた父——その父の存命《ぞんめい》を知っては、いても立ってもいられなかった。 「民部、わしはこれよりすぐに京都へまいるぞ、そしてお父上を小太郎山《こたろうざん》へおむかえ申さねばならぬ」  一刻《いつこく》のゆうよもならずと立ちあがった。 「しばらくお待ちあそばしませ」  いつも思慮《しりよ》ぶかい小幡民部《こばたみんぶ》、しずかに、伊那丸《いなまる》の裾《すそ》へよって両手をついた。 「民部、そちはわしの孝心をとめるのか」 「なんとしてお止《と》め申しましょう。若君のお心、そうなくてはならぬところでござります。しかしようお考えあそばせ、元来、徳川家《とくがわけ》には策士《さくし》の伝言《でんごん》多く、虚言浮説《きよげんふせつ》は戦国の常、にわかにそれをお信じなされるもいかがかとぞんじます」 「いいや、徳川家の菊池半助《きくちはんすけ》が、それとみた旅の僧《そう》を、京都まで追いつめていったとあれば、こんどのうわさはうそではあるまい。まんいち、時をあやまって、お父上が、家康《いえやす》の手にでも捕《とら》われたのちには、もうほどこすすべはないぞ、この伊那丸が生涯《しようがい》の大不孝となろうぞ」 「おお、ぜひもござりませぬ……」  さすがの民部《みんぶ》にもそれをはばむことはできない。かれはとちゅうの変をあんじ、伊那丸じしんがとおく旅する危険を予感《よかん》しているが、孝の一|言《ごん》! それをさえぎる文字《もじ》は、兵法にもなかった。  にわかに、旅のしたくがふれだされた。  旅から旅をつぐ道筋《みちすじ》は、みな敵の領土《りようど》だ。むろんしのびの旅である——ともは加賀見忍剣《かがみにんけん》、木隠龍太郎《こがくれりゆうたろう》のふたりにきまった。  雪をふんだ一列の人馬が、蟻《あり》のように小さくくろく小太郎山《こたろうざん》の砦《とりで》をくだった。ふもとの野呂川《のろがわ》は富士川へ水つづき、筏《いかだ》にうつった伊那丸と忍剣、龍太郎の三人は、そこで送りの兵をかえし、雪と水しぶきの銀屑《ぎんせつ》を突ッきって、まっしぐらに、東へ東へと下《くだ》っていった。  父にめぐり会《あ》いたさの一心《いつしん》、伊那丸《いなまる》は敵地をぬけ、関《せき》をかすめて旅する苦しさやおそろしさを思わなかった。  東海道のうら道をぬけて、主従三人が京都へたどりついたのは二月のすえ。おりから伊勢路《いせじ》一円は、いよいよ秀吉《ひでよし》が三万の強軍を狩《か》りもよおして、桑名《くわな》の滝川一益《たきがわかずます》を攻めたてていたので、多羅安楽《たらあんらく》の山からむこうは濛々《もうもう》たる戦塵《せんじん》がまきあがっていた。     三  伊勢は戦《いくさ》といううわさだが、京都の空はのどかなものだ。公卿《くげ》屋敷の築地《ついじ》には、白梅《しらうめ》の香《か》がたかく、加茂川《かもがわ》の堤《つつみ》には、若草がもえている。  そのやわらかい草のうえに、グタリと足をのばしている少年。ときどき、水をみてはさびしい顔——空をあおいではポロポロと、涙《なみだ》をこぼしている。 「クロ! クロ! こんなにおまえをさがしているおいらをすててどこへかくれてしまったんだい、クロ、もう一どおまえのすがたを見せておくれ。おいらはおまえがいないので、こんなにさびしがっているんだぜ! さがしてさがしぬいて、こんなにつかれているんだぜ!」  鞍馬《くらま》の竹童《ちくどう》は空へむかってこう叫んだ。  しかし、その訴《うつた》えに答えてくれるものもなければ、クロの幻影《げんえい》さえも見えてこない。かれはまたぼんやりと加茂の流れをみつめていた。  すると、往来からこっちへ歩みよってきた男が、 「おい、おまえは竹童《ちくどう》じゃねえか」  ふいに背なかをたたいていった。 「え?」  と、すこしおどろいた顔をして、その男をふりあおいだ竹童は、へんじをするまえにパッと立ちあがって、般若丸《はんにやまる》の柄《つか》へ手をかけた。 「おいおい、やぼなことをするなよ」  と、男は手をかまえて、飛びのきながら、 「人の面《つら》をみると、すぐ喧嘩面《けんかづら》だから怖《お》ッかなくってしようがねえなあ。竹童、おめえとおれとは、なにも仇同志《かたきどうし》じゃあるめえし、そういつまで根《ね》を持つことはねえじゃねえか」  としきりとなだめている男は、裾野落《すそのお》ちのひとりである早足《はやあし》の燕作《えんさく》。なぜか、きょうにかぎってばかに下手《したで》だ。 「なあ竹童——じゃあない、竹童さん。そういつまでも怒《おこ》ってるのはやぼだぜ。呂宋兵衛《るそんべえ》は没落《ぼつらく》するし、人穴城《ひとあなじよう》の住人《じゆうにん》でもなくなってみれば、おまえとおれはなんの仇でもありゃしねえ。久しぶりで仲よく話でもしようじゃねえか」  竹童《ちくどう》は純《じゆん》なものだ。そういわれてまで、かれを敵視《てきし》する気にもなれないので、意気《いき》ごんだ力抜《ちからぬ》けに、またもとの堤草《どてぐさ》へ腰をおろした。 「みょうなところで会《あ》ったなア」  と燕作《えんさく》もそばへ寄《よ》ってきて、 「どうしておまえひとりで、こんなところにぼんやりしているのよ。え? ばかに元気のねえ顔つきじゃねえか」 「クロがいなくなったので、それでがっかりしているんだよ」 「クロ? ……なんだい、クロってえのは」 「おいらのかわいがっていた大鷲《おおわし》」 「ああなるほど——」  と燕作は手をうって、 「あれならなにもしんぱいすることはねえぜ。泣き虫の蛾次公《がじこう》が、おまえのすきをねらって、乗りにげしたッていう話だから」 「ところが行方《ゆくえ》が知れないんだもの——しんぱいしずにいられないよ」 「なアに、蛾次公のことだもの、いまにあっちこっちを飛びまわったあげくに、この京都へもやってくるにきまってら。な、そこをギュッと取っつかまえてしまいねえ」 「ああ、おいらもそう思って、北国街道《ほつこくかいどう》から、雪のふる橡《とち》ノ木峠《きとうげ》をこえて、この京都へきたけれど……まだ鷲の影《かげ》さえも見あたらない」 「そう短気《たんき》なことをいったってむりだ。ものはなんでもしんぼうがかんじんだからな……おや、そりゃそうと、竹童《ちくどう》さん、おまえはたいそうすばらしい刀をさしているじゃねえか」  と、燕作《えんさく》はソロソロ狡獪《こうかい》な本性《ほんしよう》をあらわして、なれなれしく竹童の帯《お》びている般若丸《はんにやまる》の鍔《つば》や目貫《めぬき》をなでまわしながら、 「こりゃ大《たい》したものだ。目貫の獅子《しし》は本金《ほんきん》で、鍔《つば》は後藤祐乗《ごとうゆうじよう》の作らしい。ウーム……どうだい竹童さん、ものはひとつそうだんだが、その刀をおれに四、五日|貸《か》してくれないか」 「えッ」  竹童は図々《ずうずう》しい相手のことばにびっくりして、 「とんでもないこと! この刀は貸すどころか、ちょっとでも肌身《はだみ》をはなすことのできないだいじな品物《しなもの》だよ」 「そんな意地《いじ》の悪いことをいうなよ。じつは裾野《すその》を落ちていらい、着《き》のみ着のままで、路銀《ろぎん》もなし資本《もとで》もなし、なにをすることもできずに困《こま》っているところだ。後生《ごしよう》だから、その刀を貸してくんねえ。二、三百両にゃ売れるだろうから、そうしたらおまえにも、小判《こばん》の十枚や二十枚は分けてやるぜ」 「ばかなことをいうとしょうちしないぞ」 「オヤ、こんちくしょう」  と燕作《えんさく》はグッと腕《うで》をまくりあげて立ちあがって、竹童の胸ぐらをつかんだ。 「さっきから下手《したで》にでていればツケあがって、素直《すなお》にわたさねえとまた痛《いた》い目に会わすからそう思え」 「おのれ、さてはやさしくいいよって、はじめからこの刀をとろうとしていたんだな」 「知れたことよ。だれが、てめえみてえな山猿《やまざる》に、ただペコペコするやつがあるものか!」 「ちぇッ、そう聞けばなおのこと、命《いのち》にかけても般若丸《はんにやまる》をわたすものか!」 「命知らずめ、後悔《こうかい》するなよッ」  もろ手で喉《のど》をしめつけながら、足がらみをかけて、ドンとねじたおすと、たおれたとたんに竹童が、さっと下から般若丸の冷光《れいこう》をよこざまにはらった。 「おッとあぶねえ!」  一足《いつそく》とびに切《き》ッ先《さき》をかわして、おのれも脇差《わきざし》をぬきはらった燕作、陽《ひ》にかがやく大刀をふりかざして、ふたたびタタッ——と斬りこんでくる。  竹童はすばやく跳《は》ねかえって、チャリン! とそれを引ッぱずした。が、それは剣《けん》の法ではなく、いつも使いなれている棒《ぼう》の呼吸《いき》だ。  鞍馬《くらま》のおくを下《お》りてから、きょうまでいくたびも生死のさかいを超《こ》えてきたが、ほんものの刀をとって、敵《てき》と刃交《はま》ぜするのは竹童きょうがはじめての経験《けいけん》である。なんともいえぬおそろしさだが、またなんともいえぬ壮快《そうかい》な気分と、必死《ひつし》の力が五|肢《し》にも刃《やいば》にもみなぎってくる——     四 「この山猿《やまざる》め、味《あじ》なまねをしやがるな」  燕作《えんさく》は見くびりぬいて上段《じようだん》にかまえ、すきをねらって竹童の手もとへ、パッと斬りつける。  鞍馬《くらま》の竹童、剣道《けんどう》は知らぬが、胆《たん》は斗《と》のごとしだ。 「なにをッ」  と叫《さけ》ぶがはやいか、名刀|般若丸《はんにやまる》を棒《ぼう》とおなじに心得《こころえ》て燕作の刀へわが刀をガチャッとたたきつけていった。  なんでたまろう、二|条《じよう》の白虹《はつこう》、パッと火花をちらしたかと思うと、燕作の鈍刀《なまくら》がパキンと折れて、氷《こおり》のごとき鋩子《きつさき》の破片《はへん》、クルッ——と虚空《こくう》へまいあがった。 「しまった!」  と燕作、悲鳴《ひめい》をあげて逃《に》げだすところを、やっと追《お》いすがった竹童が、ただ一息《ひといき》に、斬《き》りさげようとすると、サヤサヤと葉をそよがせた楊柳《かわやなぎ》のこずえから、雨でもない、露《つゆ》でもない、ただの光でもない、音のない銀の風!  オオ、無数《むすう》の針《はり》!  光線《こうせん》をそそぐがごとくピラピラピラピラ! と吹きつけてきて竹童の目、竹童の耳、竹童の毛穴《けあな》、ところきらわずつき刺《さ》さッた。 「ウーム?」  と息《いき》ぐるしい悶絶《もんぜつ》の一声《ひとこえ》。  さすが気丈《きじよう》な怪童子《かいどうじ》も、その一瞬《いつしゆん》に、にわかにあたりが暗《くら》くなった心地《ここち》がして、名刀|般若丸《はんにやまる》をふりかぶったまま、五|肢《し》を弓形《ゆみなり》に屈《くつ》して、ドーンとうしろへたおれてしまった。 「ざまをみやがれ、すなおに渡《わた》してしまえばいいに、おあつらえどおりに、苦《くる》しい目を見やがった」  セセラ笑って、ひっ返した早足《はやあし》の燕作《えんさく》、歯《は》がみをする竹童の胸板《むないた》に足をふんがけて、つかんでいる般若丸《はんにやまる》を力まかせに引ったくった。  そして、ニヤリと刃渡《はわた》りをながめていると、ふいにだれか、えりくびをムズとつかんだ。 「あッ、なにをするんだ」  いうまもなかった。  フワリと足が大地をはなれたとたんに、かれのからだは宙《ちゆう》をかすって、堤《どて》の若草を二、三|間《げん》さきへズデンともんどり打っている。 「ア痛《いた》ッ」  と跳《は》ねおきて見ると、いつの間《ま》にそこへきたか、網代《あじろ》の笠《かさ》を眉深《まぶか》にかぶったひとりの旅僧《たびそう》、ひだりに鉄鉢《てつぱち》をもち、みぎに拳《こぶし》をふりあげて、 「こりゃ、かような少年をとらえてなんとするのじゃ」  はッたと睨《ね》めて、よらばふたたび投げつけそうな構《かま》えである。 「おや、この乞食坊主《こじきぼうず》め、よくも生意気《なまいき》な手だしをしやがったな!」  うばい取った般若丸《はんにやまる》を持ちなおして、いきなり燕作《えんさく》が斬《き》ってかかると、旅僧はやすやすと体をかわして、手もとへよろけてきた小手をピシリと打った。——燕作はしたたかに手首《てくび》をうたれて、ホロリと刀を落としたので、それをひろい取ろうとすると、ふたたびヤッ! というするどい気合い、こんどは堤《どて》の下へつき落とされた。  ズルズルとすべり落ちたが、まだ性《しよう》こりもなく起きあがって、いまの仕返《しかえ》しをする気でいると、ひとりとおもった旅僧のほかに、まだ同じすがたの行脚僧《あんぎやそう》がふたり、すぐそこにたたずんでいたので、 「あッ、いけねえ!」  とばかり一もくさん、堤のしたを縫《ぬ》って逃《に》げだしてしまった。  そのうしろすがたのおかしさに、ふたりの僧《そう》は見おくりながら、 「ははははは」  とほがらかに笑い合う。  と、堤の上から先のひとりの僧が降《お》りてきて、燕作のすてていった般若丸《はんにやまる》をたずさえてきて、 「この太刀《たち》を見おぼえはござりませぬか……」  膝《ひざ》をおって、丈《せい》のたかい僧《そう》のひとりへさしだした。  網代笠《あじろがさ》にかくされて、僧《そう》のおもざしはうかがいようもないが、丸《まる》|ぐけ《ヽヽ》の紐《ひも》をむすんだ口もとの色白く、どこか凜々《りり》しいその行脚僧《あんぎやそう》は、衣《ころも》のそでで陽《ひ》をよけながら、ジイッと刃《やいば》をみつめていたが、やがてきわめてひくい声で、 「さてさて珍《めずら》しい刀をみることじゃ」  感慨無量《かんがいむりよう》な語調《ごちよう》をこめて、瞳《ひとみ》もはなたずつぶやいた。 「見るもなつかしいことである。これはまぎれもなき伊那丸《いなまる》の守《まも》り刀《がたな》……」 「わたしも、しかとさように心得《こころえ》ますが」 「つきぬ奇縁《きえん》じゃ……おもえばふしぎな刀とわが身のめぐりあわせのう」 「御意《ぎよい》にござります、あれにたおれている少年を介抱《かいほう》して、ひとつしさいをただしてみましょうか」 「いや、世をしのぶ身じゃ。それはソッと少年の鞘《さや》にもどしておいたほうがよい」 「しかしなにやら、苦《くる》しんでおりますものを、このまま見捨《みす》ててまいるのもつれないようにぞんじますが」 「オオ、では、河原《かわら》の水でもすくってきてやれい。じゃが、夢《ゆめ》にも刀のことはきかぬがよいぞ。訊《き》けばこなたの素性《すじよう》も人に気《け》どられるわけになる」 「しょうちいたしました……」  と、ひとりが河原《かわら》へ下《お》りていくと、ひとりは竹童《ちくどう》を抱《だ》きおこして活《かつ》をいれ、口に水をあたえただけで、ことばはかけずにスタスタといき過《す》ぎてしまった。 「ア痛《つ》……どなたですか……ありがとうございました。ありがとうございました……」  竹童は遠退《とおの》く跫音《あしおと》へいくども礼《れい》をいったが、両手《りようて》で顔をおさえているので、それがどんな風《ふう》の人であったか、見送ることができなかった。  顔をおさえている指のあいだから、タラタラと赤い血の筋《すじ》…… 「あ痛《つ》ッ……」  と片手《かたて》さぐりに河原の水音をたどっていった竹童、岩と岩との間から首をのばして、ザアッと流れる水の瀬《せ》で血汐《ちしお》をあらい、顔をひやし、そして目や髪《かみ》の毛のあいだに刺《さ》さッた針《はり》を一本ずつ抜いてはまた目を洗っていた。  そのあいだに——以前《いぜん》の場所の楊柳《かわやなぎ》のこずえから、ヒラリと飛びおりたひとりの女がある。  女といってもお婆《ばあ》さんだ。修道士《イルマン》の服《ふく》をかぶった蚕婆《かいこばばあ》——。  くろい頭巾《ずきん》の中から、梟《ふくろ》のような目をギョロリとさせて、柳《やなぎ》がくれに遠去《とおざ》かる三つの網代笠《あじろがさ》を見おくっていたが、やがてウムとひとりでうなずいた。  いつか河原は暮《く》れている——  青いぶきみな妖星《ようせい》が、四条《しじよう》の水にうつりだした。  伊勢路《いせじ》に戦《いくさ》のあるせいか、日が沈《しず》んだのちまでも東の空だけはほの赤い。 「あいつだ! たしかにあいつにちがいない!」  こうさけんだ蚕婆《かいこばばあ》、妖霊星《ようれいせい》をグッとにらんで、しばらく首をかしげていたが、まもなく、黒い蝶々《ちようちよう》が飛ぶように、そこからヒラヒラと走りだした。   南蛮寺《なんばんじ》百鬼夜行《ひやつきやこう》     一  空にはうつくしい金剛雲《こんごうぐも》、朱雀《すざく》のはらには、観世水《かんぜみず》の小流《ささなが》れが、ゆるい波紋《はもん》をながしている。  月はあるが、月食《げつしよく》のような春のよい——たちこめている夜霞《よがすみ》に、家も灯《ともしび》も野も水も、おぼろおぼろとした夜であった。いつともなく菊亭右大臣家《きくていうだいじんけ》の釣《つ》り橋《ばし》にたたずんだ三人づれの旅僧《たびそう》は、人目《ひとめ》をはばかりがちに、ホトホトと裏門の扉《と》をおとずれていた。 「はて、まだ答《いら》えがござりませぬが、どうしたものでござりましょう」  やがて、当惑《とうわく》そうにつぶやく声がきこえた。 「まえもって、密書《みつしよ》をさしあげてあることゆえ、館《やかた》にはとくよりごぞんじのあるはずだが……」 「あまりあたりをはばかりますゆえ、まだ詰《つ》め侍《ざむらい》が気がつかぬのでござりましょう。どれ……」  となかのひとりが、こころみにまた、閂《かんぬき》をガタガタゆすっていると、こんどは、その合図《あいず》がとどいたとみえて奥にもれていた小鼓《こつづみ》の音《ね》が|はた《ヽヽ》とやみ、同時に人の跫音《あしおと》がこなたへ近づいてくるらしい。  ギイ……とうちから裏門《うらもん》の扉《と》があかった。  ななめに、紙燭《ししよく》の黄色い明かりがながれた。その明かりに、泛《う》いた僧形《そうぎよう》のかげを見ると、顔をだした公卿侍《くげざむらい》は、 「や! これは?」  とおどろいたさまで、すぐに、ふッとかざしてきた紙燭を吹きけしてしまった。 「意外にお早いお着《つ》き、お館《やかた》さまもお待ちかねでござります。いざ……」  あたかも、貴人《きじん》の微行《びこう》でも迎《むか》えるように、いんぎんをきわめて、扉《と》のすそにひざまずいた。網代笠《あじろがさ》をかぶった三人の僧形は、黙々《もくもく》として、その礼《れい》をうけ、やがてあんないにしたがって、菊亭殿《きくていどの》の奥へ、スーッと姿《すがた》をかくしてしまった。  ふたたび閉《し》めきられた裏門《うらもん》は、秘密《ひみつ》をのんでものいわぬ口のようにかたく封《ふう》じられた。夜はふけてくるほど、草にも花にも甘《あま》い香《か》が蒸《む》れて、あとはただ釣《つ》り橋《ばし》の紅梅《こうばい》が、築地《ついじ》をめぐる水の上へ、ヒラ、ヒラと花びらくろく散りこぼれているばかり。  すると、その濠《ほり》ぎわの木のかげから、ツイとはなれた人影《ひとかげ》があった。黒布《こくふ》をかぶった妖婆《ようば》である。いうまでもなく、それは加茂《かも》の堤《どて》から、三人の僧《そう》をつけてきた蚕婆《かいこばばあ》——  修道士《イルマン》すがたの黒いかたちが、朧月《おぼろづき》の大地へほそながく影《かげ》をひいた。婆《ばばあ》はヒラヒラと釣《つ》り橋《ばし》のそばまできて、かたく閉《と》じた裏門《うらもん》を見まわしていたが、やがて得意《とくい》そうに「ひひひひひひひひ」と、ひとりで笑いをもらした。 「あれだあれだ、やっぱりわしの目にまちがいはなかったぞよ。あの三人の僧侶《そうりよ》のうちのひとりがたしかに武田勝頼《たけだかつより》、あとのふたりは家来《けらい》であろう。うまく姿《すがた》をかえて天目山《てんもくざん》からのがれてはきたが、もうこの婆《ばばあ》の目にとまったからには、運《うん》のつき……すこしも早く、呂宋兵衛《るそんべえ》さまへ、このことを知らさなければならぬが、めったにここをはなれて、また抜《ぬ》けだされたら虻蜂《あぶはち》とらずじゃ、ええ、あの半間《はんま》の燕作《えんさく》のやつ、いったいどこへいってしまったのだろう」  ブツブツ口小言《くちこごと》をいいながら、濠《ほり》のまわりをいきつもどりつしていると、向こうから足をはやめてきた男が、ひょいと木を楯《たて》にとって、 「だれだ! そこにいるなあ?」  と、ゆだんのない目を光らした。 「おや、おまえは燕作じゃないか」 「なアんだ、婆《ばあ》さん、おめえだったのか」  と、声に安心して、早足《はやあし》の燕作、木のそばをはなれて蚕婆《かいこばばあ》のほうへのそのそと寄《よ》ってきた。 「どうしたんだい、半間にもほどがあるじゃないか」  と婆《ばばあ》は燕作《えんさく》を息子《むすこ》のように叱《しか》りつけて、 「竹童《ちくどう》みたいな小僧《こぞう》には斬《き》りまくられ、旅僧《たびそう》ににらまれればすぐ逃《に》げだすなんて、いくら町人《ちようにん》にしても、あまり度胸《どきよう》がなさすぎるね」 「婆《ばあ》さん婆さん、そうガミガミといいなさんな。あれでも燕作にしてみりゃ、精《せい》いっぱいにやったつもりなんだが、なにしろ竹童のやつが必死《ひつし》に食《く》ってかかってきたので、すこし面食《めんく》らったというものさ。だがおまえが木の上にかくれていて、れいの針《はり》をふいてくれたので大助かりだッたぜ」 「そうでもなければ、おまえさんは、あんな小さな者のために、般若丸《はんにやまる》のためし斬りにされていたろうよ」 「まったく! あいつは鷲乗《わしの》りの名人だとは思ったが、剣道《けんどう》まで、アア上手《じようず》だとは夢《ゆめ》にも気がつかなかった」 「なアに竹童は剣術《けんじゆつ》なんて、ちっとも知っていやしないのだけれど、おまえのほうが弱過《よわす》ぎるのさ。だがまア、そんなことはもうどうでもいいや、燕作さんや、一大事《いちだいじ》が起ったよ」 「え? またいそがしくなるのかい」 「用をたのみもしないうちから、いやな顔をおしでないよ。おたがいにこれが首尾《しゆび》よくいけば、呂宋兵衛《るそんべえ》さまも一国一城《いつこくいちじよう》の主《あるじ》となり、わたしや、おまえも秀吉《ひでよし》さまからウンとご褒美《ほうび》にありつけるんじゃないか、しっかりしなくッちゃいけないよ」 「合点《がつてん》合点。ところでなんだい、その一大事とは」 「それはね……」  婆《ばばあ》はギョロリと館《やかた》のほうへ目をくばってから、燕作《えんさく》のそばへすりよって、その耳へ口をつけてなにやらひそひそとささやきだした。  しばらく、目を白黒させて聞いていた燕作。 「えッ、じゃさっきの旅僧《たびそう》が、天目山《てんもくざん》からのがれてきた勝頼《かつより》だったのか」 「しッ……」  その素頓狂《すとんきよう》な声をおさえつけて、 「わたしはここに見張《みは》っているから、はやくこのことを呂宋兵衛《るそんべえ》さまに知らせてきておくれ。こんな役目《やくめ》はおまえさんにかぎるのだから」 「よしきた! おれの足《あし》なら一足《いつそく》とびだ」 「そして、すぐに手配《てはい》をまわすようにね」 「おッと心得《こころえ》た!」  いうが早いか燕作は、朱雀《すざく》の原をななめにきッて、お手のものの韋駄天《いだてん》ばしり、どこへ駈《か》けたか、たちまち、すがたは朧《おぼろ》の末《すえ》にかくれてしまう。  あとにのこった蚕婆《かいこばばあ》は、黒い袖《そで》を頭からかぶって、釣《つ》り橋《ばし》のかげにピッタリと身《み》をひそめている。そして菊亭殿《きくていどの》の奥《おく》のようすをジッと聞きすましているらしかったが、ひろい大殿作《おおとのづく》りの内からは、あれきり鼓《つづみ》の音《ね》も人声ももれてはこず、ただ花橘《はなたちばな》や梅の香《か》に、ぬるい夜風がゆらめくのを知った。     二  駈《か》けるほどにいくほどに、早足《はやあし》の燕作《えんさく》は、さっさつたる松風《まつかぜ》の声が、しだいに耳ちかくなるのを知った。臥龍《がりゆう》に似たる洛外天《らくがいてん》ケ丘《おか》のすがたは、もう目のまえにおぼろの空をおおっている。 「アア、息《いき》がきれた……」  よほどいそいだものと見えて、さすがの燕作も、そこでホッと一息《ひといき》やすめた。  丘《おか》はさして高くはないが、奇岩乱石《きがんらんせき》の急勾配《きゆうこうばい》、いちめんに生《お》いしげっている落葉松《からまつ》の中を、わずかに、石をたたんだ細道《ほそみち》が稲妻形《いなずまがた》についている。 「どりゃ、もう一息——」  というと燕作は、兎《うさぎ》のようにその道をピョイピョイと登《のぼ》りだした。やや中ごろまでのぼってくると、道は二股《ふたまた》に分れて右をあおぐと、石壁《いしかべ》の堂《どう》に鉄骨《てつこつ》の鐘楼《しようろう》がみえ、左をあおぐと、松のあいだに朱《あか》い楼門《ろうもん》がそびえていた。燕作はひだりの朱門《あかもん》へさして駈《か》けのぼった。  これこそ、有名な洛外天ケ丘の朱門。  なんで有名かといえば、その門作《もんづく》りがかわっているためでもなく、風光明媚《ふうこうめいび》なためでもない。ここのいただきの平地に、織田信長《おだのぶなが》の建立《こんりゆう》した異国風《いこくふう》の南蛮寺《なんばんじ》があるからである。  まだ信長の世に時めいていたころは、長崎《ながさき》、平戸《ひらど》、堺《さかい》などから京都へあつまってきた、伴天連《バテレン》や修道士《イルマン》たちは、みなこの南蛮寺《なんばんじ》に住んでいた。そして仏教《ぶつきよう》の叡山《えいざん》におけるがごとく、ここに教会堂《きようかいどう》を建て、十字架《じゆうじか》の聖壇《せいだん》をまつり、マリヤの讃歌《さんか》をたたえて、朝夕、南蛮寺のかわった鐘《かね》の音《ね》が、京都《きようと》の町へもひびいていた。  しかし、本能寺《ほんのうじ》の変《へん》とどうじに、異国《いこく》の宣教師《せんきようし》たちは信長というただひとりの庇護者《ひごしや》をうしなって、この南蛮寺も荒廃《こうはい》してしまった。そして無住《むじゆう》どうようになっていたので、秀吉《ひでよし》は呂宋兵衛《るそんべえ》に、天《てん》ケ丘《おか》へ居住《きよじゆう》することをゆるした。だが、南蛮寺をおまえにやるぞとはいわない。しばらくのあいだ、あれに住めといったばかり、要するに呂宋兵衛は、荒廃《こうはい》した南蛮寺の番人《ばんにん》におかれたわけである。  だが、慾《よく》のふかい呂宋兵衛は、もう南蛮寺を拝領《はいりよう》したようなつもりで、すっかりここに根を生《は》やし、またボツボツと浪人者《ろうにんもの》を山内《さんない》へあつめて、あわよくば、一国一城《いつこくいちじよう》の主《あるじ》をゆめみている。  だから、むろん、祭壇《さいだん》はあれほうだいだし、もとの教会堂《きようかいどう》には、槍《やり》や鉄砲《てつぽう》をたくわえこみ、うわべこそ伴天連《バテレン》の黒布《こくふ》をまとっているが、心は、人穴《ひとあな》時代からかわりのない残忍《ざんにん》なるかれであった。 「よくいう諺《ことわざ》に、天道《てんどう》さまと米の飯《めし》はつきものだというが、まッたく世のなかはしんぱいしたものじゃない。人穴城《ひとあなじよう》がなくなったと思えば、こんないい棲家《すみか》がたちまちめっかる。わはははは、富士の裾野《すその》だの大江山《おおえやま》だのにこもっているより、いくら増《ま》しだか知れやしねえ。しかもこんどは、羽柴秀吉《はしばひでよし》から公《おおやけ》にゆるされているのだからなおさら安心、しかし、だれもかれも、悪事をやるなら上手《じようず》にやれよ、裾野《すその》とちがって都《みやこ》のなか、あの秀吉ににらまれると、おれもすこし困《こま》るからな」  広間《ひろま》には、燃《も》えるような絨氈《じゆうたん》をしきつめてあった。そこは南蛮寺《なんばんじ》の一室。四|方《ほう》に大きな絵蝋燭《えろうそく》をたて、呂宋兵衛《るそんべえ》は、中央に毛皮《けがわ》のしとねをしき、大あぐらをかいて、美酒《びしゆ》をついだ琥珀《こはく》のさかずきをあげながら、いかにも傲慢《ごうまん》らしい口調《くちよう》でいった。 「なあ昌仙《しようせん》、そんなものじゃないか」 「仰《おお》せのとおり、こうなるのも、頭領《かしら》のご武運のつよい証拠《しようこ》でござる」  そばにいて、相槌《あいづち》を打ちながら、頭をさげた武士の容形《なりかたち》、どこやら、見たようなと思うと、それもそのはず、人穴落城《ひとあならくじよう》のときに、法師野《ほうしの》までともに落ちてきて別れわかれになった軍師《ぐんし》、丹羽昌仙《にわしようせん》だ。  席《せき》には、昌仙以外にも、人穴城から落ちのびてきた野武士《のぶし》もあり、あらたに加わった|やくざ《ヽヽヽ》浪人《ろうにん》もいならんでその数四、五十人、呂宋兵衛《るそんべえ》のお流《なが》れをいただきながらどれもこれも、軽薄《けいはく》なお追従《ついしよう》をのべたてている。     三  ところへ、朱門《あかもん》をぬけて、本堂《ほんどう》の階段《かいだん》からバラバラと駈《か》けあがってきたのは早足《はやあし》の燕作《えんさく》。 「お頭《かしら》、とうとう目《め》っけてまいりました」  と、廻廊《かいろう》のそとへ、膝《ひざ》をついて大汗《おおあせ》をふいた。 「おう、燕作《えんさく》か」  と、呂宋兵衛《るそんべえ》は、大広間《おおひろま》からかれのすがたを見て、 「目っけてきたとは吉報《きつぽう》らしい。ではなにか、勝頼《かつより》の在《あ》り家《か》が、知れたというのか」 「へい……それなんで」と燕作は、唾《つば》で喉《のど》をうるおしながら、 「じつあ、きょうも、それを探索《たんさく》するために、蚕婆《かいこばばあ》とふたりで、加茂川《かもがわ》の岸をブラブラ歩いていると、ごしょうちでがしょう、あの鞍馬《くらま》の竹童《ちくどう》のやつがボンヤリ堤《どて》に腰かけていたんです。見ると、すがたに似合《にあ》わぬ名刀をさしているので、こいつ一番セシめてやろうと、蚕婆はやなぎの木の上にかくれ、わっしはそしらぬ顔で、なれなれしく話しかけたものです」 「やいやい、燕作!」  ふいに呂宋兵衛が魔《ま》のような口を開いてさえぎった。 「バカ野郎《やろう》め。目っけたというのはその竹童のことをいうのか。ふざけやがッて! だれがあんな小僧《こぞう》をさがせといいつけたのだ」 「ま、ま、待っておくんなさい」と燕作はちぢみあがってどもりながら、 「その竹童のことは、話の順序《じゆんじよ》なんで……じゃ、てッとり早《ばや》く本筋《ほんすじ》をもうしあげます。そこへ通りかかった三人の旅僧《たびそう》、挙動《きよどう》があやしいので蚕婆《かいこばばあ》がつけていくと、朱雀《すざく》の原の……ええと……なんといッたっけ……おおそれそれ菊亭右大臣《きくていうだいじん》という公卿屋敷《くげやしき》の裏門《うらもん》から、こッそり姿をかくしました。そのうちのひとりは、たしかに、武田勝頼《たけだかつより》にそういないから、すぐこのことを、呂宋兵衛《るそんべえ》さまにお知らせもうせという蚕婆からの言伝《ことづて》なんで」 「ウーム、そうか……」  と、呂宋兵衛はやっとまんぞくそうにうなずいたが、まだうたがい深い顔をして、 「どうだろう、昌仙《しようせん》、そいつアたしかに勝頼かしら?」 「さよう……」  と丹羽昌仙《にわしようせん》、じッとうつむいてかんがえていたが、なにか思いあたったらしく、丁《ちよう》と膝《ひざ》をうって、 「たしかにそういござるまい!」  と断言《だんげん》した。 「どうしてそれがわかるのだ」 「そのわけは、菊亭家《きくていけ》と、武田《たけだ》の祖先《そせん》とは、縁戚《えんせき》のあいだがら。のみならず、勝頼の祖父|信虎《のぶとら》とは、ことに親密《しんみつ》であったよしを、耳にいたしました。さすれば、いま天下に身のおきどころのない、落人《おちゆうど》が、そこをたよってくるのは、まことに自然《しぜん》だとかんがえます」 「なるほど、ウム……さてはそうか!」  と呂宋兵衛《るそんべえ》は、昌仙《しようせん》の説《せつ》をきいて、それこそ、落人《おちゆうど》勝頼《かつより》の化身《けしん》にちがいなかろうと、大きく一つうなずいた。  で、すぐに、それを召《め》しとる方法を議《ぎ》しはじめたが、昌仙にも名案《めいあん》がなくなかなかそうだんがまとまらない。なぜかといえば、菊亭右大臣《きくていうだいじん》ともある堂上《どうじよう》の館《やかた》へ、うかつに手を入れれば、後日《ごじつ》朝廷《ちようてい》から、どんなおとがめがあるかもしれないから——これは秀吉《ひでよし》じしんの手をもってしても、めったなことはできないのであろう。  といっても、あのやかましい秀吉から、その捕縛《ほばく》をいいつけられている呂宋兵衛は、なんとしても、勝頼を秀吉の面前へ拉致《らつち》していかなければ、たちまち、かれの信用が失墜《しつつい》することになる。  ——策《さく》はないか! 策はないか! なにかいい名策《めいさく》はないか! と呂宋兵衛はややしばらく、額《ひたい》を押《お》さえて考えこんでいたが、やがてのこと、 「うむ、どうしても、こよいをはずしてはなおまずい。昌仙、耳を……」  決断《けつだん》がついたか、あの大きな碧瞳《へきどう》をギョロリと光らし丹羽昌仙の耳もとへなにかの計略《はかりごと》をささやいて、ことばのおわりに、 「よいか!」  ときつく念《ねん》をおした。 「ご名案《めいあん》、心得《こころえ》ました」 「ではさきにでかけるぞ、燕作《えんさく》、その菊亭《きくてい》の館《やかた》へあんないをしろ」  呂宋兵衛《るそんべえ》は、くろい蛮衣《ばんい》をふわりとかぶって立ちあがり、早足《はやあし》の燕作をさきにたたせて、風のごとく、天《てん》ケ丘《おか》から駈《か》けだした。  満山《まんざん》を鳴らして、ゴーッという一陣《いちじん》の松風が、朧月《おぼろづき》へ墨《すみ》をなすッてすぎさった。と、呂宋兵衛が、立ちさったのち、——南蛮寺《なんばんじ》の絵蝋燭《えろうそく》は一つ一つふき消されて、かなたこなたから狩《か》りだされた四、五十人の浪人《ろうにん》が、いずれも覆面《ふくめん》黒装束《くろしようぞく》になって、荒廃《こうはい》した石壁《いしかべ》の会堂《かいどう》へあつまってくる。  ガチャン! という錠前《じようまえ》をはずす音。ガラガラとおもい鉄の扉《と》を開《あ》けるひびき——。そして狼《おおかみ》が食《く》い物へとびつくかのように、覆面の者どもが一せいにそのなかへゾロゾロはいると、たちまち鉄砲《てつぽう》、鉄弓《てつきゆう》、槍《やり》、捕縄《とりなわ》など、おもいおもいな得物《えもの》をえらび、丹羽昌仙《にわしようせん》の指揮《しき》にみちびかれて、百鬼夜行《ひやつきやこう》! 天ケ丘からシトシトと京の町へさしてまぎれだした。   木《こ》の葉笛《はぶえ》竹童嘲歌《ちくどうちようか》     一  風もないのに、紅梅《こうばい》や白梅《はくばい》の花びらが、釣《つ》り橋《ばし》の水に点々《てんてん》とちって、そのにおいがあやしいまで闇《やみ》にゆらぐ。——と、更《ふ》けわたった菊亭家《きくていけ》の裏門《うらもん》のあたりから、築土《ついじ》をこえて、ヒラリと屋敷《やしき》のなかへ忍《しの》びこんだ三つの人かげがある。  月《つき》ケ瀬《せ》の景趣《けいしゆ》をちぢめたような庭作り、丘《おか》あり橋《はし》あり流れあり、ところどころには、蟇《がま》のような石、みやびた春日《かすが》燈籠《どうろう》の灯《ひ》が、かすかにまたたいていた。  その館《やかた》の奥庭《おくにわ》を、もののかげからかげへ、暗《くら》がりから暗がりへ、ソロ……ソロ……と息《いき》をころして忍《しの》んでいった三つの影《かげ》は、やがてひろい泉水《せんすい》の縁《ふち》へでて、たがいになにかうなずき合いながら、ひとりは右へ、ひとりは左へ、別れわかれに姿《すがた》をかくして、そこにうッすらと立ちのこったのは、和田呂宋兵衛《わだるそんべえ》だけになった。  呂宋兵衛はじッとたたずんで、泉水のなかほどをみつめていた。そこには泉殿《いずみどの》とよぶ一棟《ひとむね》の水亭《すいてい》がある。泉《いずみ》の亭《てい》の障子《しようじ》にはあわい明かりがもれていた。その燈影《とうえい》は水にうつって、ものしずかな小波《さざなみ》に縒《よ》れている。 「…………」  呂宋兵衛は唇《くちびる》だけをうごかして、印咒《いんじゆ》のまなこを閉《と》じだした。と思うと、そッと足もとの小石をとって、池のなかへ、ポーンと投げる。 「あ!」  とおどろいたような声が、泉の亭のなかからもれ、池に面した塗《ぬ》り骨《ぼね》の障子《しようじ》がスッと開《あ》いた。  その部屋《へや》から、なかば身をさしだして、音のした池の面《も》をながめたのは、館《やかた》の菊亭右大臣晴季公《きくていうだいじんはるすえこう》で、そのまえには、さっきの僧《そう》のひとりが対坐《たいざ》し、ふたりの僧は、末《すえ》のほうにひかえているらしかった。 「なんじゃ……」  晴季は微笑《びしよう》をふくんで、波紋《はもん》のなかにしずんでいく魚《うお》のかげを見ながら、 「緋鯉《ひごい》であったそうな……ごあんじなさるまい」  こういって、またピシャリと障子《しようじ》をしめてしまった。  ところが——そのわずかもわずか、ほんの目《ま》ばたきするあいだに、泉《いずみ》の|ふち《ヽヽ》に立っていた呂宋兵衛《るそんべえ》のすがたが忽然《こつぜん》と消《き》えてしまった。いや、消えてしまったのではない。水遁《すいとん》の秘法《ひほう》をもちいて、泉殿《いずみどの》の橋《はし》をわたり、いつのまにか、晴季や僧《そう》たちのいる室《へや》のどこかに忍《しの》びこんでいたのだ。  とも知らず——晴季は、障子《しようじ》を閉《し》めてほッとしたもののように、また小声で、目のまえにいる僧形《そうぎよう》の貴人《きじん》へ話しかけていたことばをつづける。 「いや、なにごとも時世時節《ときよじせつ》……こうおあきらめがかんじんじゃ。あのような水音にさえ、はッと心をおくお身の上、さだめしおつらかろうとお察《さつ》し申すが、またいつか天運のお恵《めぐ》みもあろうでな。まずそれまではご一身《いつしん》こそなによりの大事、かならず早まったことをなさらぬがようござる」 「お情《なさ》け、かたじけのう思います」  正面にすわった僧形の貴人は、ことばすくなに沈んでいた。これ、はたして武田勝頼《たけだかつより》その人であるか否《いな》かは、あまりに、主客の対話《たいわ》がかすかで、にわかに判《はん》じがたいのである。しかし短檠《たんけい》の光に照らされたその風貌《ふうぼう》をみるに、色こそ雨露《うろ》にさらされて下人《げにん》のごとく日にやけているが、双眸《そうぼう》|らん《ヽヽ》として人を射《い》るの光があり、眉色《びしよく》うるしのごとく濃《こ》く、頬麗丹脣《きようれいたんしん》にして威《い》のあるようす、どうみても、尋常人《じんじようじん》でないことだけはたしかである。 「とにかく、いちじこうなされてはどうであろう……」  晴季《はるすえ》は、さらにいちだんと声をひくめて、 「嵯峨《さが》の仁和寺《にんなじ》に、麿《まろ》の親身《しんみ》な阿闍梨《あじやり》がわたらせられるほどに、ひとまずそれへお越《こ》し召《め》されて、しばらくは天下の風雲《ふううん》をよそに、世のなりゆきを見ておわせ。そしてご武運《ぶうん》だにあらば、機《おり》を待ってまたの大事をお計《はか》りなさるのがなによりの万全《ばんぜん》じゃ。……晴季はそう思うが、御意《ぎよい》のほどはどうおわすの?」 「しごくなお計《はか》らい……いまの身になんのかってな我意《がい》を申しましょうぞ。よろずとも、よろしきようにお願《ねが》いするばかりじゃ」 「では、追《お》い立てるようではあるが、ここの館《やかた》は召使《めしつかい》どもも多いことゆえ、夜明けをまって一刻《いつこく》もはやく嵯峨へお身を落ちつけあそばしたほうがよい、麿から阿闍梨どのへ、しさいに頼《たの》み状《じよう》を書いておきますでの……」  こういって晴季《はるすえ》は、千鳥棚《ちどりだな》の硯筥《すずりばこ》と懐紙《かいし》を取りよせ、さらさらと文言《もんごん》をしたためだした。ところがいつになく筆《ふで》がにぶって、書いているまに頭脳《あたま》がボーと重くなり、さながらムシムシとした黒い霧《きり》に身をつつまれているようなだるさをおぼえてきた。  はッとして、こころを冴《さ》え澄《す》まそうとした。そしてなにげなく見まわすと、まえの人は端然《たんぜん》としているが、ふたりの従僧《じゆうそう》は坐《ざ》しながら、われをわすれていねむっている。 「奇怪《きかい》な!」  晴季《はるすえ》はクルクルと手紙をまいてゆだんのない目をみはった。とたんに、三人の僧《そう》たちも、なにかいいしれぬ魔魅《まみ》の気《け》におそわれているのを知って、無言《むごん》のまま、ジロジロと部屋《へや》のすみずみをみつめ合った。  しかし、短檠《たんけい》のかげ、棚《たな》のかげ、調度《ちようど》のもののかげのほか、あやしいというものの影《かげ》は見あたらない。 「では……」  と晴季は、したためた手紙を僧の手にわたした。——とはるかに、ガラガラと戸をあける音や、人声のザワめきや、また牛車《ぎゆうしや》の轍《わだち》、鶏《とり》の声など、夜明けを知らせる雑音《ざつおん》が、入《い》りまじって、かすかに聞えだしてきた。 「はてな? まだ夜明けにしては、あまり早すぎるが」  ふと、池の面《も》の障子《しようじ》をひらいてみると、いつか暁《あかつき》の光が、ほのぼのと水にういて、あなたこなたの庭木の花さえ、しらじらと明けはなれている。 「オオ、不覚《ふかく》不覚、あまり話に身がいって、時刻《じこく》のたつのを忘れていたとみえる」 「ではお館《やかた》、人目にたたぬうちお暇《いとま》をいたす」 「お疲《つか》れでもあろうが、昼のおでましは、かなわぬおからだ、すぐにお立ちがよろしかろう」  にわかに取りいそいで、三人の僧《そう》はそこから、網代笠《あじろがさ》をかぶり、菊亭晴季《きくていはるすえ》に見おくられて、泉殿《いずみどの》から池《いけ》の橋《はし》をわたってきた。  すると、四人が橋を渡りおえるとともに、いまがいままで、さえざえと夜明けの光をたたえていたあたりは、また、どんよりとしたおぼろ月夜《づきよ》となり、人声や車の雑音《ざつおん》もバッタリ聞えなくなった。 「や、や? ……」  立ちどまっていると、ものかげから、ひとりの男、すがたは見せずに、 「お館《やかた》さま」と、声をかけた。 「だれじゃ」 「番《ばん》の者でござります」 「ウム、門まわりの小者《こもの》か。して、なにか変ったことはないか」 「忍《しの》びの者《もの》が入《い》りこみました」 「なに、忍びの者?」 「はい、徳川家《とくがわけ》の菊池半助《きくちはんすけ》というしのびの名人が」 「なんという! すりゃ一大事じゃ」 「世をしのぶ危《あぶ》ないお方《かた》、はやくお落としなさいませ。早く、早く、早く……」 「ウム、そちが裏門《うらもん》をあけてご案内《あんない》してさしあげい。かならずそそうのないように」 「心得《こころえ》ました。さ、こちらへ……」  ガサガサと木《こ》の葉《は》をわけて、男がさきに立ったので、三つの網代笠《あじろがさ》が晴季《はるすえ》に目礼《もくれい》をしてついていった。  が晴季は、そのあとで、ふと不安な疑念《ぎねん》におそわれたか、小走りに僧《そう》たちのあとを追おうとした。するとそのとたんに、かれは背なかから、何者かに、ペタリと抱《だ》きつかれて、蝙蝠《こうもり》の翼《つばさ》のようなものに、さえぎられてしまった。 「だれじゃ、麿《まろ》を止《と》めるものは」  ふりはなそうとしたが、その力はねばり強く抱きすくめていた。さては! と感じたので、晴季は前差《まえざし》の小太刀をぬいて、ピュッと一揮《いつき》に、 「曲者《くせもの》!」  力まかせに後ろにはらった。 「ひッ……」  とさけんで四尺ばかり、まッ黒なかげが、身をはなれた。みると、黒衣《こくい》の妖婆《ようば》。——晴季の切《き》ッ先を跳《と》びのくが早いか、乱杭歯《らんぐいば》の口を、カッと開いて、ピラピラピラピラ! と目にもとまらぬ針《はり》をふいた。     二  妖婆《ようば》の吹き針に目をつぶされて、なにかたまろう、菊亭晴季《きくていはるすえ》はウームとそこへ気をうしなってしまった。  と、すぐにまたそこへ一つの人かげ、ヒラ——とこなたへかけてきて、 「婆《ばばあ》、いそげ!」  と、あとには目もくれずに、屋敷《やしき》のそとへ走りだした。いうまでもなく、呂宋兵衛《るそんべえ》と蚕婆《かいこばばあ》で、さきに、屋敷の小者《こもの》のふりをして、貴人《きじん》の僧《そう》をさそいだしていったのは、早足《はやあし》の燕作《えんさく》であった。  その燕作は、いましも、三人の僧を早く早くと急《せ》かしながら、朱雀《すざく》の馬場《ばば》を右にそって、しだいに道を天《てん》ケ丘《おか》の方角へとって駈《か》けている。 「待てまて、小者まて!」  従僧《じゆうそう》のひとりが、ふいに足をとめて、 「こうまいっては、嵯峨《さが》の方向とはまるで反対《はんたい》ではないか。仁和寺《にんなじ》へまいるのであるぞ」 「心得《こころえ》ております」 「心得ておりながら、なんでかようなところへ、あんないするのじゃ」 「まアだまって、わっしについておいでなさい。どうせあなたがたは、甲州《こうしゆう》の田舎者《いなかもの》、都のみちは、ごあんないじゃありますめえが」 「まだ、いうか」  飛びかかッた従僧《じゆうそう》のひとり、燕作《えんさく》の襟《えり》がみをつかんでグッとうしろへ引きたおした。 「無礼《ぶれい》なやつめ、甲州《こうしゆう》の田舎者《いなかもの》とはなにをいうのじゃ、おそれ多くもこれにわたらせらるるは……」  怒《いか》りのあまり、口をすべらしかけると、別のひとりがハッとしたようすで袖《そで》をひいた。 「ええ、なにをするんだッ」  燕作は、よろけながらヤケになって大声にわめいた。 「そのことばが、甲州《こうしゆう》なまりだから、甲州の田舎者といったのがどうした、甲州も甲州、二十七代もつづいた武田《たけだ》の落人《おちゆうど》、四郎|勝頼《かつより》はてめえだろう!」 「あッ、こやつ——」  声と一しょに従僧の手から、隠《かく》し差《ざ》しの一刀が、サッとのびて燕作の肩《かた》をかすった。 「おッとあぶねえ」  燕作は、バッと五、六|間《けん》ほど、泳《およ》ぐようにつんのめっていきながら、ピピピピピ……と合図《あいず》の呼子《よびこ》をふいて逃《に》げた。——と思うと八方から、おどりたった覆面《ふくめん》の浪人《ろうにん》どもが、 「落人待った!」 「武田勝頼! ご用!」 「天命《てんめい》はつきたぞ」  口々に呼《よ》ばわりながら、ドッと三人の僧侶《そうりよ》をとりかこんだ。 「ちぇッ、さては早くも……」  歯《は》ぎしりを噛《か》んだふたりの従僧《じゆうそう》、網代笠《あじろがさ》をかなぐり捨《す》て、大刀をふりかぶって、主僧《しゆそう》の身をまもり、きたるをうけて槍《やり》や刀をうけはらった。  いつか白刃《しらは》はみだれ合って、朱《あけ》になったふたりの従僧は、別れわかれの渦《うず》に巻《ま》きこまれてしまった。そして、すきをねらった一本の飛縄《ひじよう》が、松のこずえからピューッと風をきってきたかと思うと、かれらの主《しゆ》と守る僧《そう》は、あッ——と大地へ搦《から》めたおされたようす。 「これ、用意の駕籠《かご》を」  闇《やみ》にあたって、丹羽昌仙《にわしようせん》の声がひびいた。 「おうッ」  というと覆面《ふくめん》のむれ、ガチャガチャと一|挺《ちよう》の鎖《くさり》駕籠《かご》を舁《か》きこんできて、七|重《え》八|重《え》にしばりあげた貴人《きじん》の僧をそのなかに押《お》しこみ、それッとかつぎあげるや否《いな》、まッ黒にもんで、天《てん》ケ丘《おか》の南蛮寺《なんばんじ》へいそぎだした。 「ええ、しまった!」 「わが君ッ——」  悲痛《ひつう》な声が、血煙《ちけむり》のなかに残った。満身《まんしん》の太刀傷《たちきず》にさいなまれたふたりの従僧、斬ッつ、追《お》いつ、小半町《こはんちよう》ほど鎖駕籠を追いかけたが、刀おれ力もつきて、とうとう馬場《ばば》のはずれの若草の上で、たがいに喉《のど》と喉とを刺《さ》しちがえたまま、無念《むねん》の鬼《おに》となってしまった。     三  東山《ひがしやま》に、金色《こんじき》の雲《くも》がゆるぎだした。  京の大宮人《おおみやびと》が歌よむ春のあけぼのは、加茂《かも》の水、清水《きよみず》の花あかりから、ほのぼのと明けようとしている。  だれもいない南蛮寺《なんばんじ》、緑青《ろくしよう》のふいた銅瓦《どうがわら》の上へ、あけぼのの空から、サッ——と舞《ま》いおりてきた怪物《かいぶつ》がある。みると、ひさしく裾野《すその》からその影をたっていた、竹童《ちくどう》の愛鷲《あいしゆう》、——いやいや、いまでは泣き虫の蛾次郎《がじろう》が、わがもの顔に乗りまわしている大鷲《おおわし》だ。 「やあ、いよいよここが都だな、ゆうべは伊吹山《いぶきやま》でさびしい思いをしたが、きょうはひとつ、クロにも楽《らく》をさせて、京都の町でブラブラ遊んでやろう」  あれからのち——どこをどう飛《と》んで歩きまわっていたか、あいかわらず、のんきの洒《しや》アな顔をして、泣き虫の蛾次郎。南蛮寺の屋根の上から、小手《こて》をかざしてひとりごと…… 「いいなア、いいなア、さすがに天子《てんし》さまの都だけあるなあ。オーむこうに見えるのが御所《ごしよ》の屋根だな。霞《かすみ》をひいて絵《え》のとおりだ。二|条《じよう》、三条、四条、五条。こうしているあいだにだんだんみえてくる……おッとこんなところで感心していたところでつまらない、はやく一つ腹《はら》ごしらえして金閣寺《きんかくじ》だの祇園《ぎおん》だの、ゆっくり一つ見物《けんぶつ》してこよう」  ふわりと鷲《わし》を地へ舞《ま》わせて、南蛮寺《なんばんじ》の朱門《あかもん》へおりた蛾次郎《がじろう》。あッちこッちを見まわしていたが、やがて、天《てん》ケ丘《おか》の松林を奥《おく》ふかくはいってしまった。  そして、とある松の大木《たいぼく》へ、用意の鎖《くさり》で、鷲《わし》の足をしばりつけてから、 「おいおい、クロ公《こう》」  と、人間へいうように、いいきかせる。 「おれはな、ちょッと久しぶりだ、きょうはほうぼうあるいてくるから、おれのるすに、どこへもいっちゃいけねえぜ。いいかい、帰りにゃ兎《うさぎ》の肉をウンと買ってきてやるからな、たのむぜ、クロ公《こう》」  これで安心したらしい。  そこでさて泣き虫蛾次郎、すこし気どって、れいのボロ鞘《ざや》の刀を差《さ》しなおし、松の小道をとって、ふもとの方へ歩きだしながら、みちみち、山椿《やまつばき》の葉を一枚もいで唇《くち》にくわえ、木《こ》の葉笛《はぶえ》で調子をとりつつ、へんな歌をさけびだした。   ピキ、ピッピキ  トッピッピ   竹童《ちくどう》ちッぽけ   ちッぱッぱ   鷲《わし》を盗《と》られて   ちッぱッぱ   とられる半間《はんま》に  盗《と》る利口《りこう》   鴉《からす》がないても   おら知らねえ   竹童《ちくどう》ちッぽけ   ちッぱッぱ   ピキ、ピッピキ  トッピッピ 「わアおもしれえおもしれえ。竹童のやつがきいたら口惜《くや》しがるだろうな。フフンだ、もうだめだッてことよ。クロは死んでも蛾次《がじ》ちゃんのそばを離《はな》れるのはいやだとさ……あはははははだ。うふふふふふだ。やアい——竹童|小《ち》ッぽけちッぱッぱ」  ひとりで、はしゃぎ立て、ひとりで踊《おど》り足をふりながら、天《てん》ケ丘《おか》をなかほどまでくだってきたが、そこで、なにを見つけたか蛾次郎《がじろう》は急に、 「おやッ?」  と目玉をデングリかえした。 「オヤオヤオヤ、なんだなんだありゃ、まッ黒に顔をつつんで、目ばかり光らした侍《さむらい》が大勢《おおぜい》ここへのぼってくるぞ」  崖《がけ》の上へはいあがって、木《こ》の葉《は》を頭から引っかぶり、なおも目をみはってつぶやいた。 「ずいぶんくるなあ、四、五十人もくるぞ。オオ鎖《くさり》駕籠《かご》もやってくる。だれがいるんだろうあのなかに。罪人《ざいにん》かしら? えらい人かしら? アレアレ見たような奴《やつ》が、おさきに立ってくるぞ……いけねえ! 呂宋兵衛《るそんべえ》に蚕婆《かいこばばあ》だッ」  というと蛾次郎《がじろう》は、その覆面《ふくめん》の群《む》れが、目の下へくるよりはやく、鉄砲玉《てつぽうだま》の反《そ》れたうさぎのように、横ッとびの一もくさん——崖《がけ》から崖をころげていってしまった。   虫《むし》ケラざむらい     一  ——きょうは、西陣《にしじん》の今宮祭《いまみやまつり》。  紫野《むらさきの》から加茂《かも》の里《さと》あたりまで、なんとすばらしいにぎわいではないか。  太鼓《たいこ》の音《ね》に、道の紅梅《こうばい》は散りしき、笛《ふえ》の音《ね》にふくらみだす桜《さくら》のつぼみ。鐘《かね》チャンギリも浮《う》きうきとして、風流小袖《ふうりゆうこそで》の老幼男女《ろうようなんによ》が、くることくること、帰ること帰ること、今宮神社《いまみやじんじや》の八神殿《はつしんでん》から、斎院《さいいん》、絵馬堂《えまどう》、矢大臣門《やだいじんもん》、ほとんど織《お》りなすばかりな人出《ひとで》である。  これで、世が戦国だ、乱世《らんせい》だとはまったく、ふしぎなくらいのもの。  ときしも、羽柴筑前守秀吉《はしばちくぜんのかみひでよし》は、北国《ほつこく》の柴田権六《しばたごんろく》をうつ小手しらべに、南海《なんかい》の雄《ゆう》、滝川一益《たきがわかずます》の桑名《くわな》の城《しろ》を、エイヤ、エイヤ、血けむり石火矢《いしびや》で、攻《せ》めぬいているまッさいちゅうなのである。  留守《るす》の都で、ピイヒャラドンドンの今宮祭は、やや悠長《ゆうちよう》すぎるようだが、日本はもともと祭《まつ》りの国だ。かりそめの戦雲《せんうん》が日月《じつげつ》をおおうても、神《かみ》のまつりは絶《た》えないがいい。また、じしんはとおく戦陣《せんじん》の旅《たび》にあるとも、留守《るす》の町人百姓《ちようにんひやくしよう》や女子供には、こうして、春は春らしく、平和にのんきに景気《けいき》よく、今宮祭《いまみやまつり》ができるようにしておくのも、つまり、筑前守秀吉《ちくぜんのかみひでよし》が、やがて大《だい》をなすゆえんであるかも知れない。  なにしろきょうは、けっこうな日である。  戦《いくさ》をしている秀吉にはここへくるひまもないだろうが、百姓には百姓のわざ、商人《あきんど》には商人のわざがある。大いにお祭をし、大いにはたらけ、それが秀吉さまもおすきだぞ! とばかり、いまも本殿《ほんでん》三|座《ざ》の御榊《みさかき》をひっかついで、ワーッと矢大臣門《やだいじんもん》へなだれてきたのは、|やすらい踊《ヽヽヽヽおど》りのひとかたまり。  紅衣《こうい》の楽人《がくじん》たちが笛《ふえ》をはやし、白丁狩衣《はくちようかりぎぬ》の男たちが鉾《ほこ》や榊をふって、歌いに歌う。そして輪《わ》になった女子供が花棒《はなぼう》ふりふりおどって歩く。  するとこの踊りの渦《うず》まきが境内《けいだい》の神馬小屋《しんめごや》のまえまできたとき、  だれか! どこかで? 「キャーッ!」  と悲鳴《ひめい》をあげたのである。  だが——うかれ、熱《ねつ》している踊りのむれ。それにも気がつかずに、なおも足なみを練《ね》ってゆくと、こんどは、 「わーッ」  といって、白丁《はくちよう》の衛士《えじ》がふいにぶッ倒《たお》れた。  白丁だから目についた。たおれた姿《すがた》が血《ち》まみれである。 「踊《おど》りをやめろ! 踊りをやめろ!」 「踊るやつは、ぶッた斬《ぎ》るぞッ」  おどろくべき乱暴者《らんぼうもの》が、いつのまにやら、この極楽《ごくらく》へまぎれこんでいたのだ。  ふいに、破《わ》れ鐘《がね》ごえでこう叫んだのを見ると、雲つくような大男が三人、大小|打《ぶ》ッこみ、侍すがた、|へべれけ《ヽヽヽヽ》に酔《よ》って熟柿《じゆくし》のような息《いき》をはき、晃々《こうこう》たる大刀をぬきはらい、花や女子《おなご》の踊りにまじって、ブンブンふりまわしているのだからたまらぬ。 「アレーッ」  と泣いて逃げるもの。神馬小屋《しんめごや》へ飛《と》びこんで、馬のお尻《しり》にかくれるもの、さては韋駄天《いだてん》と逃《に》げちる者など——いまが今までの散華舞踊《さんげぶよう》は、一しゅんのまにこの我武者《がむしや》のろうぜきで荒涼《こうりよう》たるありさまと化《か》してしまった。  それにも飽《あ》かず、この三人の浪人者《ろうにんもの》。  またぞろ八神殿《はつしんでん》の参詣道《さんけいみち》に、ヒョロヒョロとあらわれて、あッちへ当り、こッちへ当りちらし、肩《かた》で風をきってくる。 「こらッ、物売《ものう》りどもは、店をかたづけい」 「見世物《みせもの》小屋はたたんでしまえ」 「鳴《な》り物《もの》をはやすことはまかりならんぞ。いまは、そんな時世《じせい》ではないのだッ、このバカどもめ!」 「秀吉《ひでよし》さまは、合戦《かつせん》のまッただ中、町人《ちようにん》のくせに、祭《まつり》などとはもってのほか、さッ、店や小屋《こや》はドシドシとたたんでしまえ!」  手には刀をふりまわし、足はそこらの物売《ものう》りの荷《に》を片《かた》ッ端《ぱし》から蹴《け》ちらしてゆく。——烏帽子《えぼし》を売っていたおじいさん、鳩《はと》の豆を売っているおばあさん、逃《に》げそこなってかわいそうに、燈籠《とうろう》の下で腰《こし》をぬかしてしまう。  さらに哀《あわ》れをとどめたのは——大勢《おおぜい》の客を呼びあつめ足駄《あしだ》ばきで三方《さんぼう》にのっていた歯磨《はみが》き売りの若い男、居合《いあい》の刀を持っていたところから、一も二もなく目がけられて、豹《ひよう》のごとく飛《と》びついてきた酒乱《しゆらん》の浪人者《ろうにんもの》に、血まつりの贄《にえ》とされた。 「あぶないぞウ!」  と、なだれる群集《ぐんしゆう》。 「よるなようッ」 「母《か》アちゃあん——」  悲鳴《ひめい》! 叫喚《きようかん》! 子をかばい、親をだいて、砂けむりをあげる人情地獄《にんじようじごく》。それは面《おもて》も向けられない砂ほこりであった。 「ざまをみろ、蛆虫《うじむし》めら」 「祭がやりたかッたら、なぜ天《てん》ケ丘《おか》へ付けとどけをしておかねえのだ」 「商《あきな》いがしたいと思うなら、ここから近い南蛮寺《なんばんじ》へ、さきに礼物《れいもつ》を持ってこい」  かってなことを吠《ほ》えた上に、カラカラッとあざわらった三名の酒乱《しゆらん》。 「おおッ、こんどは今宮《いまみや》の社《やしろ》へかけあいをつけろ!」 「うむ、いいところへ気がついたぞ。すぐ目のまえの南蛮寺《なんばんじ》へ、なんの貢物《みつぎ》もせずに祭《まつり》をするとは太い神主《かんぬし》だ。グズグズぬかしたら拝殿《はいでん》をけちらかして、あの賽銭箱《さいせんばこ》を引ッかついでゆけ!」  神慮《しんりよ》をおそれぬ罰《ばち》あたり、土足《どそく》、はだかの皎刀《こうとう》を引っさげたまま、酒気《しゆき》にまかせてバラバラッと八神殿《はつしんでん》の階段《かいだん》をのぼりかけた。     二  なだれを打って逃《に》げかけた群集《ぐんしゆう》も、このさまをみて、どうなることかと、こわいもの見たさの好奇心《こうきしん》に、遠くからアレヨアレヨとながめている。  すると。  八神殿の朱柱《しゆばしら》のかげから、ヒラリとあらわれたふたりの男があった。  右の丸柱《まるばしら》から駈《か》けよってきたのは、白衣《びやくえ》に白鞘《しらさや》の刀をさしたひとりの六部《ろくぶ》、左からぬッと立ったのは墨《すみ》の法衣《ほうい》をまとって、色しろく、クリクリとした若僧《わかそう》である。  そのふたり。  手をつなぐように、階段の上へ大手をひろげて、 「待て! 酔《よ》いどれッ」 「ここを通すことはまかりならぬ!」  どッちの声も、威力《いりよく》がある。 「な、なんだとッ」  頭をおさえられた狼《おおかみ》は、ふんぜんと、牙《きば》をむいて食《く》ってかかった。 「見うけるところ、二|匹《ひき》とも、乞食《こじき》にちかい六部《ろくぶ》と雲水《うんすい》。下手《へた》なところへでしゃばると、足腰《あしこし》たたぬ片端者《かたわもの》にしてくれるぞ」 「酔《よ》いを醒《さ》ませ、この白痴者《しれもの》! ここをいずこと心得《こころえ》ておるのだ」 「オオ、ここは紫野《むらさきの》の今宮神社《いまみやじんじや》、八神殿《はつしんでん》と心得《こころえ》ておる。それが一たいどうしたのだ」 「ははは。生酔《なまよ》い本性《ほんしよう》にたがわずだ。このバカ侍《さむらい》どもよく聞けよ。それ、日《ひ》の本《もと》の武士《ぶし》たるものは、弱きをあわれみ、力なき者を愛し、神仏《しんぶつ》をうやまい、心やさしくみだりに猛《たけ》きをあらわさず、知《ち》をもって、誠《まこと》の胸《むね》とするのが、真《しん》の武士というもの——」  色白な若僧《わかそう》が、右手の禅杖《ぜんじよう》を床《ゆか》へついてから、諭《さと》したが、そんなことに、耳をかすかれらではない。 「エエ、口がしこいことを申すな。われわれをただの浪人者《ろうにんもの》と思いおるか。おそれ多くも、羽柴《はしば》どのよりお声がかりで、天《てん》ケ丘《おか》一帯《いつたい》の取りしまりをなす、南蛮寺《なんばんじ》の番士《ばんし》だぞ」 「だまれッ、番士であろうと秀吉《ひでよし》じしんであろうと、民《たみ》をしいたげ、神をけがするなど、天、人ともにゆるさぬところじゃ」 「ゆるすゆるさぬはこっちのことだ。南蛮寺へことわりなしに、|ぎょうぎょう《ヽヽヽヽヽヽ》しい祭《まつり》や踊《おど》りをなすゆえに、この神主《かんぬし》へかけあいにまいったのが悪いか。やい、じゃまだッ、そこをどかぬと、うぬらも血まつりにするぞ」 「きさまたちのいい分《ぶん》は腑《ふ》におちぬ。秀吉ほどな人物がさような沙汰《さた》をするはずがない。アアわかった、主《しゆ》もなし能《のう》もなしに、かようなことをして、良民《りようみん》をくるしめ歩く野武士《のぶし》だなッ」 「野武士とは無礼《ぶれい》なことを申すやつ。耳をかッぽじって聞いておけ、いま、天《てん》ケ丘《おか》の南蛮寺《なんばんじ》を支配する、和田呂宋兵衛《わだるそんべえ》さまの身内人《みうちびと》、斧大九郎《おのだいくろう》とは拙者《せつしや》のことだ」 「やッ、呂宋兵衛? ……」  と、六部《ろくぶ》は若僧《わかそう》と目ばやくうなずき合って、 「うむ、呂宋兵衛の手下《てした》ときけばなおのこと!」 「なおのことどうしたッ」  いきり立って駈《か》けあがってきたやつを、グイと右手で猫《ねこ》づかみにつるしあげた若僧、 「問答無用《もんどうむよう》! こうしてやる」  すこし力を入れたかと、思うと、ふわりと宙《ちゆう》へおよがせて冠桜《かんむりざくら》の根瘤《ねこぶ》のあたりへ、エエッ、ずでーんと気味《きみ》よくたたきつけた。 「うぬッ」  と、また飛びついてきたやつは、待ちかまえていた六部が、気合いをかけた当身《あてみ》のこぶしで、顎《あご》をねらってひと突《つ》きに、突きとばす。  なにかたまろう、ウームというと蝦反《えびぞ》りになって、階段の中途からデンとおちる。それも、冠桜《かんむりざくら》の根ッこのやつも、神罰覿面《しんばつてきめん》、血|へど《ヽヽ》を吐《は》いてたおれたままとなってしまった。 「わーッ、わあッ——」  と、かなたでよろこぶ群集《ぐんしゆう》の声々、八百万《やおよろず》の神々《かみがみ》も神楽《かぐら》ばやしのように、興《きよう》じ給《たも》うやと思われるばかりに聞える。  じぶんたちから、南蛮寺《なんばんじ》にある呂宋兵衛《るそんべえ》の部下と名のった斧《おの》大九郎、それを見ると、かッと逆上《ぎやくじよう》したていである。ひっさげていた大刀の下からはらいあげて、ふたりの足を、諸薙《もろな》ぎにせんず勢いで、またかかってきた。 「猪口才《ちよこざい》なやつめ」  手もとへよせて、怪力《かいりき》の若僧《わかそう》が、また、虫でもつまむように引っとらえた時である。いつか、六部《ろくぶ》のうしろまで進んできた品《ひん》よき公達《きんだち》が、 「忍剣《にんけん》、そやつを投げころしては相《あい》ならぬぞ」  あわや——という手をさえぎった。     三  思いがけない悪魔《あくま》がでて、のろわれた今宮祭《いまみやまつり》や踊《おど》りのむれも、また思いがけない侠人《きようじん》の力で、午《ひる》すぎからは、午前におとらぬ歓楽《かんらく》の巷《ちまた》にかえってにぎわった。 「いったいあのわかい坊《ぼう》さまと六部《ろくぶ》はなんであろう?」 「天狗《てんぐ》のような力と早わざ、よも、尋常人《ただびと》ではございますまいよ」 「それに、もうひとりうしろにいて、だまってみていた公達《きんだち》がいたではありませんか」 「そうそう、藺笠《いがさ》をかぶっておりましたが、年は十五、六、スラリとして、観音《かんのん》さまがお武家《ぶけ》になってきたようなおすがた」 「それそれ、あの人たちは、神か菩薩《ぼさつ》かの化身《けしん》でしょうよ。まったく、悪いことはできないもので」  うわさはどこもかしこもであるが、その焦点《しようてん》の人々はあれからどこへいったろう?  紫野《むらさきの》の芝原《しばはら》には、野天小屋《のでんこや》がけの見世物《みせもの》が散在《さんざい》していた。おおくの人が、大《たい》がいそれへ目をうばわれているのをさいわいに、れいの若僧《わかそう》が、斧《おの》大九郎を小脇《こわき》にひっかかえ、飛ぶがごとく駈《か》けぬける——とあとから大股《おおまた》に、藺笠《いがさ》の公達《きんだち》と六部《ろくぶ》のすがたが、つづいていった。 「ここらでよかろう」  立ちどまったのは、舟岡山《ふなおかやま》のすそ。  高からぬこの山にのぼるとすれば、西に愛宕《あたご》や、衣笠《きぬがさ》の峰《みね》の影《かげ》、東はとおく、加茂《かも》の松原ごしに、比叡《ひえい》をのぞんでいる。さらに北をあおぐと、竹童《ちくどう》の故郷《ふるさと》鞍馬山《くらまやま》の翠巒《すいらん》が、よべば答えんばかりに近い。 「若君ここへおかけなさりませ」  たかだかとそびえた杉林の下——。  一つの切株《きりかぶ》の塵《ちり》をはらって、六部《ろくぶ》はわきへ片膝《かたひざ》をついた。 「…………」  目でうなずいて、藺笠《いがさ》の美少年は、それへ腰《こし》をおろした。この公達《きんだち》こそ、甲州《こうしゆう》小太郎山《こたろうざん》の雪の砦《とりで》から、はるばる、父|勝頼《かつより》の消息《しようそく》を都へたずねにきた武田伊那丸《たけだいなまる》であった。  そのわきに、頭を下げたのは木隠龍太郎《こがくれりゆうたろう》で、加賀見忍剣《かがみにんけん》は、ひッかかえてきた斧《おの》大九郎をそこへほうりだして、 「若君、いざ、おしらべなさいませ」  と、少しさがったところで、れいの鉄杖《てつじよう》を、持ちなおしている。 「下郎《げろう》、おもてを見せい」  伊那丸はいった。これはまた、忍剣の鉄杖より、龍太郎のはや技《わざ》より、一種《いつしゆ》べつな気稟《きひん》というもの、下郎大九郎は、すでに面色《めんしよく》もなく、ふるえあがって両手をついた。 「ま、まったく持ちまして、さいぜんのことは泥酔《でいすい》のあまりでござる。どうぞ、ひらにひらに、おゆるしのほどを……」  これがつい、いましがた、今宮《いまみや》の境内《けいだい》を修羅《しゆら》にして暴《あば》れまわった男とは、思えぬような、弱音《よわね》である。  いうのをおさえつけて、伊那丸は、ハッタとにらんだ。 「卑怯《ひきよう》なやつではある。むだ口を申さずと、ただこのほうがたずねることに答えればよいのじゃ」 「は……はい、命《いのち》さえ、おたすけくださるぶんには、斧《おの》大九郎、なんなりとぞんじよりを申しあげます」 「その口を忘《わす》れまいぞ」  きッと、半身《はんしん》をつきだした伊那丸《いなまる》、針葉樹《しんようじゆ》の木洩《こも》れ陽《び》を、藺笠《いがさ》としろい面貌《おもざし》へうつくしくうけて、 「なんじはさいぜん、和田呂宋兵衛《わだるそんべえ》の家来《けらい》じゃというていばっていたの?」 「あ……あれは」 「いや申した! たしかに聞いた」 「いいましたにそういございませんが、じつは、こ、心にもないでたらめごと」  いいかけるとあとから、忍剣《にんけん》の鉄杖《てつじよう》のさきが背なかへ穴《あな》があくかとばかりドンとついて、 「このうそつきめが。呂宋兵衛の部下なるがゆえに、ことわりなしに祭《まつり》をもよおした神主《かんぬし》をこらしめるとか、かけ合うとか、ほざいていたではないか。若君《わかぎみ》のおしらべにたいして、寸言《すんげん》たりともあいまいなことを申すと、いちいちこれだぞ」  も一つ、ドンと食《く》わせる。 「ウーム、フフフ、痛《いと》うござる、痛うござる」 「痛かったら申しあげろ」 「も、もうしあげます。まったく和田呂宋兵衛《わだるそんべえ》の手のものにそういございません」 「よくいった」  伊那丸《いなまる》は、うなずいて、 「して、その呂宋兵衛は、ただいま、どこに巣《す》をかまえそしてなにをいたしておるな」 「秀吉《ひでよし》さまのお気に入り者となりまして、天《てん》ケ丘《おか》の寺領《じりよう》と、南蛮寺《なんばんじ》を拝領《はいりよう》いたし、裾野《すその》いらいの一味《いちみ》、丹羽昌仙《にわしようせん》や蚕婆《かいこばばあ》や燕作《えんさく》など、みなそこに住居《すまい》をいたしております」 「オオ、定《さだ》めしそれらのものは、一味同類《いちみどうるい》となって、武田勝頼《たけだかつより》の行方《ゆくえ》をたずねておるであろうな」 「えッ、どうしてごぞんじでござりますか」 「知らないでか!」  と伊那丸のかけたかまを、たくみに引きうけた龍太郎《りゆうたろう》。わざと少しわらいすまして、 「これにおいで遊ばすは、徳川家《とくがわけ》のさる御公達《ごきんだち》。まった某《それがし》やこの若僧《わかそう》は、みな、浜松城《はままつじよう》の隠密組《おんみつぐみ》だ」 「あッ、さては貴殿《きでん》たちも、菊池半助《きくちはんすけ》どのたちと一しょに、あの僧形《そうぎよう》を京都へつけてこられたおかたで?」 「さよう——」  と龍太郎は、おかしく思いながら、まじめにおうじて、 「ところで、その僧形《そうぎよう》であるが、なんと変った消息《しようそく》はないか。すなおに話してくれれば、敵《てき》でも味方《みかた》でもないお主《ぬし》とわれわれ、そこらで仲なおりの酒でも酌《く》もうし、また、ここにおわす徳川家《とくがわけ》の御公達《ごきんだち》に、出世《しゆつせ》の口を取りもってやらぬものでもないが……」 「へへッ」  というと大九郎、慾《よく》につりこまれて、草芝《くさしば》の上へあらたまり、おとといの真夜中《まよなか》、呂宋兵衛《るそんべえ》が手策《てだて》をつくして従僧《じゆうそう》ふたりを殺《あや》め、ひとりの主僧《しゆそう》をいけどってきて、天《てん》ケ丘《おか》の古会堂《ふるかいどう》へ打ちこんであるということまでベラベラしゃべってしまった。  すぐお追従《ついしよう》をいう軽薄《けいはく》なかれの舌《した》は、それでもまだいいたらずに、つけ加えて、また話すことには、 「ところで、その勝頼公《かつよりこう》。たしかに生《い》けどってきた僧形の貴人《きじん》にそういないとはにらんでおりますが、なんせい、野武士《のぶし》や浪人《ろうにん》どもばかりの天ケ丘、真実《しんじつ》の勝頼公の面態《めんてい》を見知るものがないのでござった」 「して、その謎《なぞ》の僧《そう》は、いまもって、南蛮寺《なんばんじ》の古会堂に押しこめてあるのか——」  と、龍太郎も忍剣《にんけん》も息《いき》をころして聞いている。 「されば、ただいまも申したとおり、まだ真《まこと》の勝頼公なるや、いなや一|点《てん》のうたがいがござりますゆえ、いッそのこと、桑名《くわな》にご在陣《ざいじん》の秀吉公《ひでよしこう》のところへ、かれを差《さ》したて送ろうという、昨夜の評定《ひようじよう》で」 「なんと申す! 滝川攻《たきがわぜ》めのため、近ごろ桑名にいると聞く秀吉の陣へそれを送りこむという手はずになっているのか。してそれは何日、時刻《じこく》は何時《なんどき》じゃ」 「明日《あす》の朝まだきに、東山《ひがしやま》から陽《ひ》がのぼるを出立《しゆつたつ》の時刻として、天《てん》ケ丘《おか》から桑名城《くわなじよう》へ。そのために、きょう一日は、われわれも骨《ほね》やすみのひまをもらい、かようなところをブラついておりましたわけ、さきほどの無礼《ぶれい》の段《だん》はひらにお目こぼしねがいまする」  一伍一什《いちぶしじゆう》のはなし。  聞くからに伊那丸《いなまる》は、われをわすれて、両《りよう》のこぶしを膝《ひざ》の上ににぎりしめつつ、 「ウーム! さてはお父上には、早くも毒手《どくしゆ》に墜《お》ちたもうて、桑名へさしたてられるご武運《ぶうん》の末《すえ》とはおなり遊ばしたか、……ああ、おそかった……」  と、まなじりに血をにじませ、藺笠《いがさ》のうちに鬢髪《びんぱつ》をブルブルとふるわせた。  父上、という一|句《く》をきいて、斧《おの》大九郎、ハッとあっけにとられながら、じりじりと尻《しり》ごみする。  伊那丸がハラハラと落涙《らくるい》するようすを見て、 「若君《わかぎみ》、かならずお力おとしはご無用でござります」  と、忍剣《にんけん》、龍太郎《りゆうたろう》のふたりが、口を合わせてなだめるのだった。 「すでにお命《いのち》のないものなら、真《まこと》にご武運のすえ、また人力《じんりよく》のおよぶところではござりませぬが、ただいま、大九郎の話によれば、まだご尊体《そんたい》にはなんのご異状《いじよう》なく、明朝、天ケ丘から桑名の陣《じん》へうつされてまいるとのこと、折こそよし、これ天の与えたもう好機会《こうきかい》ではござりませぬか」 「おお! かならずお父上を、お救い申しあげねばならぬ」  立ちあがった時である。 「ややッ! さては武田《たけだ》の?」  ぎょうてんした大九郎、跳《は》ねあがって逃げだすと、伊那丸《いなまる》の一喝《いつかつ》。 「龍太郎、そやつを討《う》て!」 「はッ」  と答えるまでもなく、立ちあがった木隠《こがくれ》が、やらじと猿臂《えんぴ》をのばしたので、胆《きも》をとばした斧《おの》大九郎、にげみちをうしなって無我夢中《むがむちゆう》に松のこずえへ飛びついた。 「ええ——ッ」  つんざいた木隠の気殺《きさつ》!  とたんに、抜《ぬ》きはなたれた無反《むぞ》りの戒刀《かいとう》、横にないでただ一|閃《せん》の光が、松の枝にブラさがった大九郎の胴《どう》を通りぬけてしまった。  バサリと血のなかにおちたのは、胴《どう》から下、上半身《じようはんしん》は枝をつかんだまま、虚空《こくう》にみにくく止《とま》っていた。  そのとき、あなた——今宮《いまみや》の舞楽殿《ぶがくでん》では、笛《ふえ》や太鼓《たいこ》、そして鈴《すず》の音《ね》がゆるぎだした。|やすらい踊《ヽヽヽヽおど》りのどよめきにあわせて、神楽《かぐら》囃子《ばやし》がはじまったのであろう。——悪魔《あくま》たいじの御《み》神楽歌《かぐらうた》。   明暗《めいあん》の両童子《りようどうじ》     一   ピイヒャラ ドン助《すけ》 ひゃらりこドン!   鷲《わし》をとられて オッぺけぺ!   竹童《ちくどう》ドン助 ひゃらりこ ドン!  これは、あちらの神楽歌《かぐらうた》ではない。  暮れなんとする杉林から芝生《しばふ》のへんを、しきりに浮かれまわっている少年の放歌《ほうか》である。  はるかに聞える神楽《かぐら》にあわせて、   ピイヒャラ ドン助《すけ》 ひゃらりこドン!  すっかりゆかいになっている。  右手に一本もっているのは、串《くし》へさしたお芋《いも》の田楽《でんがく》、左につかんでいるのは黒い飴《あめ》ン棒《ぼう》、ひゃらりこドンと踊《おど》りながら、芋《いも》をたべては飴《あめ》をなめ、飴《あめ》をなめては芋《いも》をくい、かわりばんこに舌《した》を楽しませて、   竹童《ちくどう》ドン助《すけ》 ひゃらりこドン!  いよいよ無上の大歓楽《だいかんらく》、歌もおどりもやむことを知らず、陽《ひ》が暮れようとするのも知らず、いましも林をぬけてきた。  このお天気な少年は、いうまでもなく蛾次郎《がじろう》である。  きのうから遊びつづけて、きょうは、今宮祭《いまみやまつり》の見物《けんぶつ》としゃれているのか。  胸《むね》や口のまわりには、田楽《でんがく》の味噌《みそ》だの、黄粉《きなこ》だの、あまくさい蜜糖《みつ》の粘《ねば》りだのがこびりついていて、いかに、かれの胃袋《いぶくろ》が、きょう一日をまんぞくにおくっていたかを物語っている。  のみならず蛾次郎は、目のかたきにしている竹童にたいして、いま、大なる優越感《ゆうえつかん》をもっている。 「竹童のやつめ、さぞいまごろは、クロを盗《と》られて、メソメソしているだろうな。まっ黒な富士の裾野《すその》で、まぬけな面《つら》をしているだろうな。  このおれさまはどうだ! 日本中クロを乗りまわしてきて、いまは、天子《てんし》さまと同じ都《みやこ》の土をふんでいるんだ。九重《ここのえ》の都をよ!  どうだい、蛾次郎《がじろう》さまの光栄《こうえい》は!  食《た》べたいものをウンと食べたぜ。見たいものもウンと見たぜ。だからおいらは踊《おど》るのさ、踊らずにはいられないや。ワ——イだ、ワ——イ! ワイ竹童、ざまをみやがれ!」  こんな気分が、かれ蛾次郎の歌となり、舞躍《ぶやく》となるのであった。  ところで、有頂天《うちようてん》の蛾次郎が、いま、なんの気なしに林の中をおどってくると、なんだか、ぬらりとしたものが鼻《はな》の頭をなでたのである。 「おやッ?」  と思ってさわってみた。  どうも人間らしいのである。しかし、今晩《こんばん》は、とはいわなかった。 「おかしいなア、この人は……」  と、上から下へ、ソーとなでてみると、へんだ! へんだ! へんな人間! 腰《こし》から下がなにもない。 「わッ、化《ば》け物《もの》ッ」  蛾次郎は芋《いも》の串《くし》をほうりだして、逃《に》げるわ逃げるわ、むちゅうでにげた——一心不乱《いつしんふらん》に、あかるいほうへかけだした。  夜になっても、今宮《いまみや》の境内《けいだい》はにぎやかであった。そこで蛾次郎は、はじめてホッと人《ひと》心地《ごこち》にかえった。更《ふ》けるにしたがって、踊《おど》りの輪《わ》もちり、参詣《さんけい》の人もたえ、いつか、あなたこなたの燈籠《とうろう》の灯《ひ》さえ、一つ一つ消えかかってくる。     二 「こんやの宿屋《やどや》はどこにしようか」  額堂《がくどう》は吹きさらしだし、拝殿《はいでん》の廊下《ろうか》へねては神主《かんぬし》が怒《おこ》るだろうし、と、しきりに寝床《ねどこ》を物色《ぶつしよく》してきた蛾次郎《がじろう》。 「ウム、ここがいい。神《かみ》さまの足《あし》もとなら、化《ば》け物《もの》もでないだろう」  と、四つンばいになって、のこのこはいこんだのは、八神殿《はつしんでん》の床下《ゆかした》。藁蓙《わらござ》を一枚かかえこんで、だんだん奥《おく》のほうへいざってきた。  むろん、縁《えん》の下はまっ暗で、鼻をつままれてもわからないくらいだが、蛾次郎がはいすすんでいったすこしさきに、なにやら、ゴソ……という音がした。 「ははあ、お仲間《なかま》がいるな」  そう思って、地べたへ顎《あご》をつけながら、じッと闇《やみ》をみつめていると、しだいに眸《ひとみ》がなれてきて、おぼろげながら、人かげがみとめられた。  姿《すがた》かたちは、だれともわからぬけれど、やはり蛾次郎と同じように、土台柱《どだいばしら》のしたへ一枚の蓙《むしろ》をしき、そこへじッと身をかがめたまま、しきりに、器《うつわ》の水へ布《ぬの》をひたして、目を洗《あら》っているらしい。  しばらくするとその影《かげ》は、小布《こぎれ》で目をおさえたまま、蛾次郎のいるのは知らぬようすで、 「ああ、困《こま》ったなア……」  ひとり惆然《ちゆうぜん》として、つぶやくのである。 「もう春にもなったし、目さえ見えれば、山のおくへでも海の果てまでも、たずねてさがしだすのだけれども……急にこの目が見えなくなってしまった、蚕婆《かいこばばあ》の針《はり》にふかれて! あの吹き針《ばり》に目をいられて——おいらはとうとう盲《めくら》になってしまったんだ……」  見えぬのは目ばかりでなく、心も憂《うれ》いの雲にとじられているのであろう。なんともいえぬ、悲哀《ひあい》のこもったつぶやきである。 「神さまッ……」  ガバと伏《ふ》して、その影が合掌《がつしよう》した。 「八神殿《はつしんでん》の神々《かみがみ》さま! このお社《やしろ》にまつられてある神々さま。おいらはそれがなんという名の神さまだか知りませんが、どうぞこの目をなおしてください。神さまのお力で、針《はり》にふかれたこの目の痛《いた》みをとってください……」  こっちにいた蛾次郎《がじろう》は、オヤオヤ、という腰《こし》つきで、じッと聞き耳をたてている。 「なんだいあいつは? 気ちがいじゃねえのかな、みょうに、ふるえた声をだしやがって……アレ見や、むちゅうになって手を合わせている、ア、泣いていやがら……ばかだなあ、泣くなよ兄弟」  と、うっかり声をすべらしかけたが、待て、もうすこし、見ていてやろうと息《いき》をころした。  盲《めくら》のすがたは一心|不乱《ふらん》に、掌《たなごころ》をあわせ、八神殿《はつしんでん》の神々《かみがみ》に念《ねん》じていた。  信仰《しんこう》に熱《ねつ》してくると、おのずから手がふるえ、声もわれ知らず高くなって、 「この目のいたみをおなおしくださいませ! 八神殿の八つの神さま、おいらにはどうしても、さがしたいものがあるのです。クロという鷲《わし》をたずねだしたいのです。そして、伊那丸《いなまる》さまのおんために、もっともっと、大きな手柄《てがら》を立てなければなりません。こんなところにもぐっていると、お師匠《ししよう》さまに叱《しか》られます。盲のすがたを見られたら、一味《いちみ》の人たちにも恥ずかしゅうございます。なおしてください。八神殿の神々さま、その大望《たいもう》をとげましたら、わたしの腰《こし》にさしている般若丸《はんにやまる》を、きッと奉納《ほうのう》いたします」  血汐《ちしお》も吐《は》かんばかりである。  一念の声、一念のいのり! 祈《いの》らなくても、人の誠《まこと》は天地をうごかすという……。だが、床下《ゆかした》のやみは、しいんとしていた。     三  おどろいたのは蛾次郎《がじろう》だった。  梟《ふくろ》のように目をまるくして、ソーッと、また一、二|間《けん》ちかづいて、よくよくその影《かげ》を見さだめていると、あんにたがわず、それは鞍馬《くらま》の竹童《ちくどう》である。  いつぞや、加茂《かも》の堤《つつみ》で蚕婆《かいこばばあ》の吹《ふ》き針《ばり》にふかれてその目をつぶされ、いまは黒白《あやめ》もわかたぬ不自由な身となった。  町をあるけば人につまずき、森をあるけば木の根《ね》にたおされるしまつ。クロの行方《ゆくえ》を知るよしもないので、瀬戸物《せともの》のかけらに御洗水《みたらし》の清水《しみず》をすくってきて、この床下《ゆかした》へ身をひそめ、ただ一念《いちねん》にいのり、一念に目を洗っているのだった。 「ふウん……やっぱり、竹童《ちくどう》にちがいない」  蛾次郎《がじろう》は犬つくばいにようすをながめて、 「へんなところで、でッ会《くわ》したな。目がわるいようすだから、一つ、からかッてやろうかしら」  手にさわった土塊《つちくれ》をつかんで、竹童のかげへ、バラッと投げつけた。 「だれだッ」  さなきだに、盲《めくら》になってからは、神経《しんけい》のとがり立っている鞍馬《くらま》の竹童、こういって、からだをねじむけてきたのである。  蛾次郎は、おもわずズルズルとあとへさがった。  だが、目がわるい、ここまではきやしまいと、たかをくくってまた、 「どうだい大将《たいしよう》——」  と、あざわらった。 「なんだと」 「おもらいがたくさんあるかい。え、お菰《こも》さん」 「…………」 「はははは、さすがは偉《えら》いもんだ、果心居士《かしんこじ》のお弟子《でし》さんはな。鞍馬《くらま》の竹童はえらいよ偉いよ、とうとう花の都《みやこ》へでて、天下のお乞食《こじき》になったんだからな」 「だれだ、だれだッ、おいらの名を知っているのは?」 「おめえ、盲《めくら》のくせに勘《かん》がわるいな。アアにわか盲だから、声まで見えなくなったのか。じゃアいって聞かしてやろう。びっくりして気絶《きぜつ》するなよ。こう申す者こそはすなわち、おめえのクロを頂戴《ちようだい》して、天下に名をあげている蛾次郎《がじろう》さまだア」 「なにッ! 蛾次郎だとッ」  さけぶや否《いな》、鞍馬の竹童、般若丸《はんにやまる》の名刀をピュッと抜きはなって、声のするほうを、さッと斬《き》りはらった。  まさか鞍馬の竹童が、こんな名刀を持っていようとは夢にも知らなかった蛾次郎、アッといって床下《ゆかした》からころげだし、すぐむこうにあった小屋《こや》のなかへ、四つンばいにかくれこんだ。  が、そこはれいの神馬小屋《しんめごや》であったので、注連飾《しめかざ》りをつけた白馬《しろうま》が、ふいの闖入者《ちんにゆうしや》におどろいて、ヒーンと一|声《こえ》いなないたかと思うと、飛びこんできた蛾次郎の脾腹《ひばら》を蹄《ひづめ》でパッと蹴《け》りかえした。 「ウーム……」  と、打《ぶ》ったおれた泣き虫の蛾次郎は、脾腹をおさえてフンぞったとたんに、昼間のうち胃袋《いぶくろ》を楽しませたご馳走《ちそう》をのこらず口から吐《は》きだして、厩《うまや》のまえに|へた《ヽヽ》ばってしまった。  馬は、見むきもせず、われ関《かん》せず焉《えん》と、かッたるそうに目の皮をふさいでいる。  ——更《ふ》けてくると、祭《まつり》の夜も寂《せき》としてものさびしい。  一陣《いちじん》の山嵐《さんらん》が、鞍馬山《くらまやま》の肩あたりから、サーッと冷気《れいき》をふり落としてきたかと思うと、八神殿《はつしんでん》の冠桜《かんむりざくら》の下あたりに——竹童《ちくどう》のお師匠《ししよう》さま果心居士《かしんこじ》のすがたが、めずらしくもほのかに見えたのである。そして、もくもくとして裏宮《うらみや》のほうへ杖《つえ》をひいていった。   果心居士《かしんこじ》と愛弟子《まなでし》     一  右手《めて》に、名刀|般若丸《はんにやまる》を、ひだりの手では、地や蜘蛛《くも》の巣《す》をなでまわしながら、ソロリと、八神殿の床下《ゆかした》をはいだしてきた者がある。  それはさっき、泣き虫の蛾次郎《がじろう》に、さんざんな悪口《わるくち》や揶揄《やゆ》をなげられていた盲《めくら》の少年——鞍馬の竹童。  あたりをさぐって、そとにでれば、夜は四|更《こう》の闇《やみ》ながら、空には、女菩薩《によぼさつ》たちの御瞳《みひとみ》にも似《に》る、うるわしい春の星が、またたいている。  鳥の巣《す》のようなかれの頭、土にまみれた肩《かた》や肘《ひじ》、そして、血のにじんだかれの素足《すあし》——。それらのあわれな物のかげをつづった竹童のすがたは、星影《ほしかげ》の下にあおく隈《くま》どられて見えたが、かれの目には、ただ一粒《ひとつぶ》の春の星さえ、うつらぬのである。  見えぬがために、見ようとする、心の異常《いじよう》なはたらきが、心眼《しんがん》ともいうべき感覚《かんかく》を全身にするどく研《と》いで、右手《めて》につかんだ般若丸《はんにやまる》を、おのれの背なかにかくしながら、 「蛾次郎《がじろう》……蛾次郎はどこへいった!」  八神殿《はつしんでん》の石段《いしだん》にそって、裏宮《うらみや》の方へしのびやかに歩いてくる。おお、その影《かげ》のいたましくもおそろしい。  かれは、心のうちでこう叫《さけ》ぶのだ。  返せクロを! 返せクロを!  おいらの手から横奪《よこど》りした、あの鷲《わし》をかえせ、おいらの手にタッタいまかえせ!  竹童の目は見えないはずでありながら、その一念《いちねん》に、あたかも、なにものかを、的確《てつかく》に見ているように、いうのであった。歩きだすのであった。  でてこい蛾次郎! 泣き虫の腰《こし》ぬけ。  でてこい蛾次郎、どこへいった!  よくもよくもクロをうばったな。また、よくもさっきは、この竹童を盲《めくら》とあなどって、土塊《つちくれ》をぶつけたり、お師匠《ししよう》さまの悪口《わるくち》をたたいたり、そして、鞍馬《くらま》の竹童のことを、天下のお乞食《こじき》さまとののしり恥ずかしめたな。  おまえはさっきたいそうなじまんをいった。いかにも得意《とくい》らしいことをいった。だが泣き虫|蛾次郎《がじろう》よ、ひとの愛している鷲《わし》をうばって乗りまわしたり、ひとのダシに使われてもらったお金で買いぐいをしたり、また益《えき》もなく都の町を浮《う》かれあるいたりして、それがなんの自慢《じまん》になる! それがなんで男の誇《ほこ》りだ!  あの秀麗《しゆうれい》なる神州美《しんしゆうび》の象徴《しようちよう》。富士《ふじ》の裾野《すその》に生まれながら、どうしておまえはそんなきたない下司根性《げすこんじよう》をもっているんだろう。情《なさ》けないやつ、意気地《いくじ》のないやつ、怠《なま》けもの、腰《こし》ぬけ腑抜《ふぬ》け、お天気な少年!  それはみんな、蛾次郎よ! おまえの名だ。  おいらは鞍馬《くらま》の山育ちだ。  だが、蛾次郎よ。  おいらはおまえのような下卑《げび》たやつとは心のみがき方《かた》がちがっている。また、おいらがこんな乞食のような姿《すがた》になっていたり、盲《めくら》になってしまったのも、みんな自分の慾《よく》ではない。甲斐源氏《かいげんじ》の御曹子《おんぞうし》、武田伊那丸《たけだいなまる》さまへ忠義《ちゆうぎ》をつくすため、また、お師匠《ししよう》のおいいつけを守《まも》らんがためしていることだぞ。  おいらは恥《は》じない。  乞食になっても、盲になっても、この竹童《ちくどう》の心は八神殿《はつしんでん》の神々《かみがみ》さまや、弓矢八幡《ゆみやはちまん》がご照覧《しようらん》ある。  罵《ののし》るものなら罵ってみろ。鷲《わし》を返さぬというならば、男らしくどうどうと竹童《ちくどう》の前へたっていいきってみろ! オオこの般若丸《はんにやまる》の名刀でおのれただ一刀に斬《き》りすててくれるから……  いきどおろしい、竹童の心は湯《ゆ》のごとく沸《たぎ》りたって、こう叫《さけ》びながら方角《ほうがく》もさだめず、裏宮《うらみや》のお堂《どう》を巡《めぐ》り、いましも、斎院《さいいん》の前まであるいてきた。  ——すると、かれより六、七|歩《ほ》まえを、だれやら、しずかに、ピタピタと足をはこんでいく者がある。  夜はすでに更《ふ》けしずんで、さまよう者とてあるはずのないこの境内《けいだい》、さては蛾次郎《がじろう》めが、またわれを盲《めくら》とあなどってからかうつもりだな!  竹童はかッとなって、こう思った。  しかし、かなしいかな目がみえぬ。すぐそこをピタピタといく跫音《あしおと》を聞くのであるが、ただ一討《ひとう》ちにとびかかってはいかれない。 「おのれ目がみえぬとて、たかのしれた蛾次郎ぐらい、斬って捨《す》てられないでどうするものか」  竹童は、とっさに、地べたへ身をかがませた。  そして、般若丸の太刀《たち》を背中にかくし、左の手と膝《ひざ》ではい歩くように、まえなるものの跫音をスルスルとつけてゆく……  一|歩《ぽ》——二|歩《ほ》。  さきの者の草履《ぞうり》のかかとが、かれの顔へ土をはねかえしてくる近さまで寄《よ》りついたので、いまこそと胸《むね》おどらした鞍馬《くらま》の竹童。  猛然《もうぜん》と、たつが早いか、ふりかぶった般若丸《はんにやまる》に風をきらせて、 「覚《おぼ》えたかッ」  とばかり、鉄《てつ》も切るような一刀、一念の気《き》、盲《めくら》となってから、それは一そうすさまじいするどさをもって、まえなる人のあり場をねらって、揮《ふ》りおろした。     二  剣《けん》は、空《くう》をきって、七、八|尺《しやく》はしった。  あたかも闇《やみ》なる彗星《ほうきぼし》が、地界《ちかい》へ吸われていったように。  燦然《さんぜん》たる蛍《ほたる》いろの太刀《たち》! かかとをあげて、ダッ——と斬《き》りすべっていった竹童の手にそれが持たれている。 「ウウム、無念《むねん》!」  とさけんだ悲痛《ひつう》な声。  竹童の唇《くち》から、血のようにもれて、かれはあやうく突《つ》ンのめりそうになった足取りを踏《ふ》みしめた。  そして、さらに、まえよりはすごい血相《けつそう》で、般若丸の切《き》ッ先を向けなおし、剣を目とし、見えぬ目に、ジリジリと闇をさぐってくる。  針《はり》がふれてもピリッと感じるであろう柄手《つかで》の神経《しんけい》に、なにか、ソロリとさわったものがあったので竹童は、まさしく相手の得物《えもの》と直覚し、 「エ——エイッ」  身をおどらして斬《き》りかかった。  飛躍《ひやく》は、竹童の得意《とくい》である。  かつて、かれがまだ鞍馬《くらま》の山奥《やまおく》にいたころは、朝ごと薪《まき》をとりに僧正谷《そうじようがたに》をでて、森林の梢《こずえ》をながめては、丈余《じようよ》の大木へとびかかって、枯《か》れたる枝をはらい落とした——その練習《れんしゆう》によるのである。  だが、いままでは剣《けん》をもつと剣をつかおうとする気に支配《しはい》され、棒《ぼう》をもつと棒をつかう心にくらまされて、この呼吸《こきゆう》というものが、いつかまったく忘れていた。  いま、かれは無我無心《むがむしん》に、相手の脳天《のうてん》をねらってとんだ。  ——それは剣法《けんぽう》でいう梢斬《こずえぎ》りともいうべきあざやかなものである。たれかよく、宙天《ちゆうてん》から斬りさげてくるこの殺剣《さつけん》をのがれ得よう。  ところが——相手は苦《く》もなくかわした。  風のごとく身をひるがえし、さらに持ったるなんらかの得物で、パーンと竹童の般若丸《はんにやまる》をはらいつけたのである。  と、竹童、思わず両手のしびれに柄《つか》をゆるめたので、般若丸は彼の手をはなれて地上におちた。無手無眼《むてむがん》となった竹童は、もう打ってかかるものは、五体そのものよりほかはない。 「おのれッ!」  というと、隼《はやぶさ》のように、相手の胸《むな》もとへとびかかって、ムズと襟《えり》をつかんだのである。  だが、そのとたんに竹童《ちくどう》は、 「あッ——人ちがい!」  といったまま、のけ反《ぞ》るばかりな驚《おどろ》きにうたれた。いまが今まで、蛾次郎《がじろう》とばかり思って斬《き》りつけていた当《とう》の人は、枯巌枯骨《こがんここつ》そのもののような老人であったのだ。 「オオ、ちがった、人ちがいであった。——どなたかぞんじませぬが飛んでもない無礼《ぶれい》をしました。どうぞかんにんしてくださいまし」  こういうとその老人、枯《か》れ木のような手をのばして、竹童の肩《かた》をやさしくかかえこんだ。 「竹童よ」 「えッ……」  見えぬ目をしばたたきつつ、かれは、じぶんの名をあきらかに呼《よ》んだ者を、だれかしらとあやしむように、両手でその人の衣服《いふく》をなでまわした。 「あやまることはない、あやまることはない。他《ほか》の者ならあぶなかったが、わしであったからまアよかった……」 「オオ!」  竹童《ちくどう》は、こごえていた嬰児《あかご》が、母のあたたかな乳房《ちぶさ》へすがりついた時のように、ひしと、ひしと、その人の胸《むね》にかじりついて、 「あなたは鞍馬《くらま》のお師匠《ししよう》さま! オオ、お師匠さまではございませんか」  と、声もからだもふるわせた。 「わかったか竹童、いかにもわしは果心居士《かしんこじ》じゃ。ずいぶん久しく見えなかったのう」 「では、やっぱりお師匠さまでございましたか、ああ、おすがたを見たいにも、竹童めは、なんの罰《ばち》でか、このような盲《めくら》となってしまいました」 「竹童、目がつぶれたことを、おまえはそんなに不自由とおもうか」 「はい、伊那丸《いなまる》さまのおんために働くことはおろか、だいじな鷲《わし》をとり返すことさえできませぬ」 「そして、それを悲《かな》しいと思うか」 「お師匠さま。これがなんで悲しまずにおられましょう」 「まだまだおまえは修行《しゆぎよう》が足りない。なぜ盲《めしい》となったなら、心眼《しんがん》をひらくくふうをせぬ。ものは目ばかりでみるものではない。心の目をひらけば宇宙《うちゆう》の果てまで見えてくるよ。……しかし、おまえはまだ歳《とし》も歳じゃ、このりくつは、ちっとむずかしかろう」 「はい、わたしにはよくわかりませぬ」 「よしよし、おまえの目は、もともと生まれつきの眼病《がんびよう》ではない。吹針の蚕婆《かいこばばあ》、あれの毒針《どくばり》に目をふかれたためじゃ。わしが一つなおしてやろう」 「えッ、お、お師匠《ししよう》さまッ。ではこの目を見えるようにしてくださいますか」 「ウム! 竹童《ちくどう》。まずその太刀《たち》を鞘《さや》におさめて、わしの腕にしっかりとつかまっているがよい」  いわれるまま竹童は、地べたをさぐって般若丸《はんにやまる》をひろい、果心居士《かしんこじ》の右腕《みぎうで》にからみつくと、居士は藁《わら》でも持つようにフワリと竹童のからだを小脇《こわき》にかかえ、やがて、八神殿《はつしんでん》の裏宮《うらみや》から境内《けいだい》をぬけ、森々《しんしん》たる木立《こだち》のおくへ、疾風《しつぷう》のように駈《か》けこんでいった。  竹童はおよぐように引っかかえられていた。  さっさつと——風があたる。  バラバラと雨のごとき夜露がぶつかる。  居士は愛弟子《まなでし》竹童をかかえて、いったいどこへつれていく気か? やがて森林をぬけて、紫野《むらさきの》のはて、舟岡山《ふなおかやま》の道を一さんにのぼりだした。  ゴウ——ッという水のおと。  それはほどなく近づいた雷神《らいじん》の滝《たき》のひびきである。暗々《あんあん》たる梢《こずえ》から梢を、バラバラッと飛びかうものは、夜の夢《ゆめ》をやぶられたむささびか怪鳥《けちよう》であろう。  鞍馬《くらま》の道士《どうし》果心居士、竹童をひっかかえて岩頭《がんとう》にたち、|※[#「革+堂」]鞳《とうとう》たる雷神《らいじん》の滝を眼下《がんか》にみた。 「竹童!」  居士《こじ》の、こう呼ぶ声をきいたが、かれは小脇《こわき》に引っかかえられていて、こたえる声さえでなかったのである。  と——居士は両手をさし伸《の》ばして、あわやという間《ま》に竹童《ちくどう》のからだを、目よりも高くさし上げた。  そして、もいちど呼んだのである。 「竹童!」 「はい……」  かれは、虚空《こくう》におよぎながら、かすかに、しかし、はっきりと答えた。 「おまえはその目が開《ひら》きたいか」 「ハイ、開きとうございます」 「なんのために」 「…………」 「なんのために?」 「りっぱな人間となりますために」 「ウム」 「そして正義《せいぎ》の武士《ぶし》となりますために」 「ウム。ではそのためには、どんな艱難辛苦《かんなんしんく》もいとうまいな」 「いといませぬ。たとえこの身がどうなりますとも」  敢然《かんぜん》たる声でいった。 「オオ、それでこそ、師たるわしもはりあいがある。雷神《らいじん》の滝《たき》の宙天《ちゆうてん》で誓《ちか》いをたてたこのことばを終身《しゆうしん》の守《まも》りとするなら、おまえはおそらく天下の何人《なんぴと》にも、おくれをとらぬ武士《ぶし》となるであろう。オオ、苦しめ苦しめ! 苦しまぬ者はみがかれぬ。八神殿《はつしんでん》の八柱《やはしら》の神々、あわれ竹童を、このうえとも苦しめたまえッ」  祈《いの》るがごとく、吠《ほ》えるがごとく、雷神の滝の岩頭《がんとう》に、果心居士《かしんこじ》の声がこうひびいた時である。 「あッ——」  と、いうと鞍馬《くらま》の竹童。  ドウッ——と鳴る滝津瀬《たきつせ》の音を、さかしまに聞いて、居士の手から闇《やみ》のそこへまッさかさまに投げこまれた。   白鳥《はくちよう》の予言《よげん》     一  枯《か》れ木をあつめて焚《た》いた燃《も》えのこりの火が、パチパチとわずかな火の粉をちらし、一すじのうすじろい煙《けむり》は、森の梢《こずえ》をぬけて、まっすぐに立ちのぼっていた。  その火のまわりを取りまいて、夜の明けるのを待ちさびしげに語りあっている三人の武士《ぶし》。  あかき光を正面《しようめん》にうけて、薪束《まきたば》のうえに腰《こし》をかけている影《かげ》こそ、まさしく伊那丸《いなまる》であり、その両側《りようがわ》にそっているのは、木隠龍太郎《こがくれりゆうたろう》、加賀見忍剣《かがみにんけん》、いつも、すきなき身がまえである。 「若君《わかぎみ》。待つというものは久しいもの、まだなかなか夜が明けそうもござりませぬな」 「そちたちは、火にぬくもったところで、少しここでやすんではどうじゃ」 「いや、なかなか寝《ね》られるどころではございませぬ」  こういったのは忍剣である。 「夜明けと同時に、天《てん》ケ丘《おか》をくだる呂宋兵衛《るそんべえ》の列《れつ》を待ちうけ、勝頼公《かつよりこう》のお乗物《のりもの》を、首尾《しゆび》よくとるかいなかのさかい。——それを思うても眠られぬし、また、日陰《ひかげ》に敵《てき》のいましめをうけておわす、大殿《おおとの》のご心中《しんちゆう》を思うても、なかなか安閑《あんかん》とねている場合ではございませぬ」 「おっしゃる通りじゃ」  木隠もうなずいて、 「たくみに大殿をワナにおとし入《い》れ、桑名《くわな》にいる秀吉《ひでよし》の陣屋《じんや》まで、送りとどけんとする呂宋兵衛、さだめし明日《あす》はぎょうさんな人数《にんず》をもってくりだすことでしょう。ここぞ、若君にとって、武運のわかれめ、忍剣どのもおぬかりあるなよ」 「いうまでもない。たとえなにほどの敵だろうとも、降魔《ごうま》の禅杖《ぜんじよう》は、にぶりはしませぬ」 「いつもながらふたりの者のたのもしさ、わしはよい味方を持ってしあわせに思う」  と、伊那丸《いなまる》は心から、よろこばしげに、 「その意気《いき》をもってするからには、たとえ敵陣《てきじん》のかこみのうちに、無念《むねん》の鬼《おに》となろうとも、わしは心残《こころのこ》りではない」 「心よわいことをおおせ遊ばすな。呂宋兵衛《るそんべえ》こそ、多少|蛮流《ばんりゆう》の幻術《げんじゆつ》を心得《こころえ》ておりますが、他の有象無象《うぞうむぞう》は、みなたかの知れた野武士《のぶし》や浮浪人《ふろうにん》の寄《よ》りあつまり、きっとけちらしてごらんに入れましょうから、お心やすく思《おぼ》しめせ」 「そうとも、死をいとうのではないが、こんど、木隠《こがくれ》とこの忍剣《にんけん》がお供《とも》をしてきて、首尾《しゆび》よう大殿《おおとの》のご安否《あんぴ》をつきとめねば、小太郎山《こたろうざん》にのこっている、小幡民部《こばたみんぶ》や咲耶子《さくやこ》や小文治《こぶんじ》などにも笑われ草……」  と、つとめて、伊那丸の勇気《ゆうき》を鼓舞《こぶ》するため、ふたりが快活《かいかつ》に話していると、あなたの林をへだてた闇《やみ》にあたって、ドボーン! とすさまじい水音がたった。 「や、あれは……?」 「雷神《らいじん》の滝《たき》のあたり、まさしくその滝壺《たきつぼ》になにかあやしいもの音がいたしたようす」 「それ、あらためてみよう」  というと、木隠龍太郎《こがくれりゆうたろう》は、手ばやく、用意《ようい》の松明《たいまつ》を焚火《たきび》に突《つ》っこんで燃《も》えうつし、それをふりかざしてまっさきに走りだした。  木々のあいだを縫《ぬ》っていく、松明《たいまつ》のあかい光について伊那丸《いなまる》も忍剣《にんけん》も滝壺《たきつぼ》のほとりへ向かって歩《ほ》をはやめる。  たちまち見る、眼前《がんぜん》の銀河《ぎんが》、ドウッ——と噴霧《ふんむ》を白くたてて、宙天《ちゆうてん》の闇《やみ》から滝壺へそそいでいる。 「龍太郎、龍太郎!」  伊那丸は雑木《ぞうき》をわけて、まっ暗な淵《ふち》をのぞきながら指さした。 「そこへ松明をふってみい」 「はッ」 「あぶない! 岩苔《いわごけ》にすべるなよ」 「おあんじなさいますな」  と龍太郎、松明を左手にもって、ヒラリ、ヒラリ、と岩から岩へとびうつっていった。     二  漆《うるし》の渦《うず》まくを見るようなものすごい闇の滝壺である。そこに、百千の水龍《すいりゆう》が、泡《あわ》をかみ霧《きり》をのぞんで躍《おど》っている。 「おお、人がおぼれているぞ」  さけんだのは、加賀見忍剣《かがみにんけん》。 「なに、人がおぼれていると?」 「やッ——また沈んでいった、木隠《こがくれ》木隠、早くこっちへ松明《たいまつ》をかざしてみてくれ」 「待て、ただいままいるから」  と龍太郎《りゆうたろう》は、また二つ三つの岩をとんで、忍剣のそばへ寄っていった。  焔《ほのお》を高くささげながら、じッと、あわだつ水面を透《す》かしてみていると、やがて真白《まつしろ》な泡《あわ》がブクブクと湧《わ》きあがって、そのなかから、蓬《よもぎ》のような、人間の黒髪がういてみえた。 「しめた!」  と忍剣は、岩につかまって鉄杖《てつじよう》のさきをのばした。おぼれている者は、まだ多少の意識《いしき》があるとみえて、目のまえにだされた鉄杖へシッカリと、両手をかけた。 「オオ、はなすなよ——」  と声をかけながら、ズーと岩の根へひき寄せると、滝壺《たきつぼ》のなかのものはプーッと水を吹きながら、けんめいにはい上《あ》がろうともがくのである。 「拙者《せつしや》の手にすがるがよい」  龍太郎が片手をだした。  氷《こおり》のようにこごえた手が、ビッショリと雫《しずく》をたらしてそこへすがってきた。——と同時に、滝壺のなかからはいあがってきた少年をみたふたりは、おもわず声をあげて、 「やッ、そちは竹童《ちくどう》ではないか!」  見まもると、上にいた伊那丸《いなまる》も、 「なに、竹童じゃ……」  とうたがうように叫《さけ》んだ。そして、森のなかへすくいあげてから、たしかに鞍馬《くらま》の竹童だとわかると、伊那丸をはじめ、あまりの意外《いがい》さにぼうぜんとしたほどだった。場所もあろうに、深夜《しんや》の滝壺《たきつぼ》から、法師野《ほうしの》いらい、久しく姿《すがた》を見うしなっていた竹童をすくいだそうとは、なんたる奇蹟《きせき》! あまりのことにあきれるばかりであった。  しかし、その人々のおどろきよりは、竹童のおどろきのほうが、どんなに強いものだったか知れない。  かれは、忍剣《にんけん》に、森のなかへかかえこまれてきた時にありありとそこに燃《も》えている赤い火をみた。  その火に照らされている、伊那丸のすがた、龍太郎の顔、忍剣の禅杖《ぜんじよう》も、あきらかに、かれの眸《ひとみ》に見えたではないか。  かれの目が癒《い》えた。竹童の目があいた。  |※[#「革+堂」]鞳《とうとう》たる滝《たき》の水にうたれて毒《どく》が洗われたためか——あるいは、竹童の精神を修養《しゆうよう》させる果心居士《かしんこじ》の心で、居士が、神力をもって癒やしたものか、とにかく、竹童はおのれの目の見えるのを疑《うたが》い、と同時に、絶《た》えてひさしき人々を、ここに見たのを夢のように、ふしぎがった。  竹童《ちくどう》の話をさきに聞いてから、龍太郎《りゆうたろう》と忍剣《にんけん》は、かわるがわるに、こんどの、都入《みやこい》りの大事をはなして聞かせた。  竹童は四方《よも》の話をしているあいだに、ぬれた衣服《いふく》を焚火《たきび》にほして身にまとった。その火のぬくみに全身《ぜんしん》の血が活々《いきいき》とよみがえってくるのをおぼえて、かれは、この新しい力を、どこへそそごうかと勇《いさ》みたった。  話をきけば、夜明けとともに、若君《わかぎみ》の伊那丸《いなまる》は、ふたりを力に、天《てん》ケ丘《おか》から降《お》りてくる和田呂宋兵衛《わだるそんべえ》の一族《いちぞく》をむかえ、桑名《くわな》に送られる父|勝頼君《かつよりぎみ》をうばいとらねばならぬとのことである。  いい機会《きかい》にめぐりあった竹童は、その壮挙《そうきよ》に加わりたいとねがって、すぐ伊那丸の許《ゆる》しを得た。 「では、龍太郎さま、忍剣さま」  かれは、気早《きばや》に立ちあがって、 「まだ夜は明けておりませぬが、わたしは一足《ひとあし》さきに、天ケ丘へのぼって、呂宋兵衛のようすをさぐり、やがてほどよいところから、みなさまに合図《あいず》をいたすことにいたしまする」 「ウム、いつも間諜《かんちよう》の役《やく》は竹童の得意《とくい》、おまかしなされてはどうでござりましょう」  忍剣が伊那丸の顔をあおぐと、伊那丸も小気味《こきみ》よいやつとうなずいて、竹童のすがたを見ながらこういった。 「では、われわれ三人は、天《てん》ケ丘《おか》から十四、五|町《ちよう》手まえ寒松院《かんしよういん》の並木《なみき》にかくれて待つであろう。そちは身なりの目立たぬのをさいわい、出立《しゆつたつ》のようす、人数《にんず》、道順《みちじゆん》、落ちなくさぐって知らせてくれい」 「はい。かならずくまなく見とどけてまいります。ではまだ雷神《らいじん》の滝《たき》の上に、お師匠《ししよう》さまがおいでになるかも知れませぬゆえ、ひとことお礼を申しあげて、すぐその足で天ケ丘へむかいまする」 「なんという。では、果心居士《かしんこじ》先生が、この近くにおいであるのか。オオ、ちょうどよいおり、ぜひお目にかかっておこう」  と伊那丸《いなまる》はにわかに立ちあがった。  龍太郎や忍剣も、居士のすがたを拝《はい》さぬこと久しいので、先の松明《たいまつ》をふりかざし、竹童をあんないにして、雷神の滝の断崖《だんがい》をよじ登《のぼ》っていくと、やがて竹童。 「みなさま、ごらんなさいませ。あのいちばん高い岩の上に、お師匠さまが立っておられます。そしてこちらの松明《たいまつ》が、近づいていくのを待っておいでなされます」  指さすかたをみると、なるほど、滝の水明かりと、ほのかな星影《ほしかげ》の光をあびて、孤岩《こがん》の上に立っている白い道士《どうし》の衣《ころも》がみえる。 「おお、老先生——」  龍太郎は、はるかに見てさえ、なつかしさにたえぬように、声をあげた。  熊笹《くまざさ》にせばめられた道、凹凸《おうとつ》のはげしい坂、息《いき》をあえぎあえぎ、その岩《いわ》の根《ね》もとまでいそいできた四人は、そこへくると同時に、岩の上をふりあおぎ、声もひとつによびかけた。 「果心《かしん》先生! 果心先生!」  すると——おおという声はなく、ふいに、孤岩《こがん》の上の道士《どうし》のすがたが、ふわりと宙《ちゆう》へ舞《ま》いあがったので、四人のひとみも、あッ——と空へつられていった。  その時——  夜はまだ明けぬが有明《ありあ》けの月《つき》、かすかに雲の膜《まく》をやぶって黒い鞍馬《くらま》の山の端《は》にかかっていた。  白き衣《ころも》をつけた居士《こじ》のすがたとみえたのは、はからざりき一|羽《わ》の丹頂《たんちよう》! まっ白な翼《つばさ》をハタハタとひろげて、四人の上に輪《わ》をえがいて舞《ま》いめぐり、あれよと見るまに有明けの月のかげをかすめて、いずこともなく飛んでしまった。  しかし、四人はまだ、なお岩の上に、果心居士《かしんこじ》がいるような心地《ここち》がして、その上まで登ってみた。そこにはだれもいなかった。  ただ残っていたのは一本の刀。  滝壺《たきつぼ》のなかに落としたとばかり思っていた、竹童《ちくどう》の愛刀|般若丸《はんにやまる》は、水にもぬれずにおいてある。 「や、まだなにやらここに……?」  と、伊那丸《いなまる》は|たいまつ《ヽヽヽヽ》の光をよんで足もとをみつめた。  見ると、岩をけずって、数行《すうぎよう》の文字が小柄《こづか》で彫《ほ》りのこされてある。それは、うたがう余地《よち》もなく、果心居士《かしんこじ》らしい枯淡《こたん》な筆《ひつ》せきで、   父子《ふし》の邂逅《かいこう》はむなしく   小太郎山《こたろうざん》の砦《とりで》はあやうし  とただ二|行《ぎよう》の文字であった。  しかし、この二行にすぎぬ文字の予言《よげん》は、武田伊那丸《たけだいなまる》にとって、否《いな》、その帷幕《いばく》の人すべてにとって、なんと絶望的《ぜつぼうてき》な、そして戦慄《せんりつ》すべき予言《よげん》ではあるまいか。   泣《な》き饅頭《まんじゆう》     一  予言《よげん》は、よき未来《みらい》の暗示《あんじ》であり、いましめの謎《なぞ》である。かならずしも、文字の表《おもて》にあらわれている意味ばかりが真《まこと》なのではない。その裏《うら》の意味もふかく味読《みどく》してみねばならぬ。   父子《ふし》の邂逅《かいこう》はむなしく   小太郎山《こたろうざん》の砦《とりで》はあやうし  孤岩《こがん》の上に——こう彫《ほ》りのこした果心居士《かしんこじ》の心は、どう解《と》いたらいいであろうか?  伊那丸《いなまる》をはじめ、忍剣《にんけん》も龍太郎《りゆうたろう》も、また竹童《ちくどう》も、ひとしく松明《たいまつ》の燃《も》えつきるのを忘れて、岩上《がんじよう》の文字をみつめ予言《よげん》の意味《いみ》をときなやんでしまった。  これを、読んで文字のごとく考えれば、 (伊那丸よ——おまえのいま望《のぞ》んでいることは無益《むえき》であるぞ、徒労《とろう》であるぞ、幻滅《げんめつ》をもとめているにすぎないぞよ、そして、そんなことをしているまに、留守《るす》の小太郎山《こたろうざん》の砦《とりで》は、徳川家康《とくがわいえやす》におそわれて、あの裾野《すその》の陣《じん》の終局《しゆうきよく》をむすばれてしまうぞよ——)  思うてみるさえ、おそろしい声がきこえる。  だが、まさかそんなことはあるまい!  伊那丸は心のそこで、否定《ひてい》した。  これは老先生の激励《げきれい》であろう。いまが大事なときであるぞと、凡夫《ぼんぷ》のわれわれを鼓舞《こぶ》してくださる垂訓《すいくん》なのであろう。すなわち、予言の裏《うら》にふくむ真意《しんい》をくめば、  ——ここに最善《さいぜん》のつとめをなさねば汝《なんじ》と父勝頼《ちちかつより》との、父子《ふし》のめぐり会うのぞみはついにむなしいぞ。  ——ここにゆうゆうといたずらな日を過《すご》すときは、小太郎山の砦もあるいは危《あや》うからん。  というおことばなのにそういない!  忍剣《にんけん》もそう解《と》いた。  龍太郎《りゆうたろう》も、それにちがいないといった。  で、武田伊那丸《たけだいなまる》は、いやがうえにも、希望《きぼう》をもった。武者《むしや》ぶるいとでもいうような、全霊《ぜんれい》の血と肉《にく》との躍《おど》りたつのがじぶんでもわかった。 「おのれ和田呂宋兵衛《わだるそんべえ》、きょうこそは、かならず汝《なんじ》の手から父君《ちちぎみ》をとり返してみせるぞ」  固《かた》くかたく、こう誓《ちか》った。  そして、予言《よげん》の文字に吸《す》いつけられていた眸《ひとみ》をあげてふと有明《ありあ》けの空をふりあおぐと、おお希望の象徴《しようちよう》! 熱血《ねつけつ》のかがやき! らんらんたる日輪《にちりん》の半身《はんしん》が、白馬金鞍《はくばきんあん》の若武者《わかむしや》のように、東の雲をやぶってあらわれた。  夢《ゆめ》からさめたようにあたりをみると、舟岡山《ふなおかやま》は水いろにあけている。春のあけぼの! 春のあけぼの! 小鳥はそういって歌っていた。森をこえて紫野《むらさきの》の里《さと》に、うす桃色《ももいろ》の花の雲をひいて、今宮神社《いまみやじんじや》の大屋根《おおやね》が青さびて見える。 「夜が明けた!」  竹童《ちくどう》が、とびあがるような声でいった。 「おお!」  と龍太郎と忍剣、きッとなって、伊那丸《いなまる》の顔をみながら、 「若君《わかぎみ》、時刻《じこく》をうつしては一大事です。ともあれ竹童を先にやって、天《てん》ケ丘《おか》のようすを、しかと見とどけさせましょう」 「ウム、そしてわれわれは、寒松院《かんしよういん》の松並木《まつなみき》に待ち伏《ぶ》せているか」 「それが、上策《じようさく》とかんがえまする」 「竹童」 「はい」 「心得《こころえ》たか」 「たしかにうけたまわりました」 「では、これを——」  と龍太郎が、狼煙筒《のろしづつ》を、竹童の手へわたして、 「呂宋兵衛《るそんべえ》をはじめ天ケ丘の者どもが、山をくだって、寒松院の並木へかかるころを見はからい、この狼煙をうちあげてくれい。時ならぬ狼煙の音におびやかされて、きゃつらは、かならずうろたえるにちがいない」 「その虚《きよ》につけ入って、呂宋兵衛の一族をけちらし、勝頼公《かつよりこう》のお駕籠《かご》をうばいとる、ご計略《けいりやく》でございますか」 「そうじゃ。機《き》をあやまらぬようにいたせ」 「かしこまりました。ではみなさま——」  般若丸《はんにやまる》をさしなおして、伊那丸《いなまる》に一礼すると、もうヒラリと岩の上から飛びおりていた。そして、バラバラと舟岡山《ふなおかやま》をかけおりていく彼のすがたを見送っていると、たちまち、崖《がけ》をこえ、雷神《らいじん》の滝《たき》の流れをとび、やがて森から紫野《むらさきの》のはてへ霞《かす》んでしまった。  そのはやいことはやいこと、まるで鹿《しか》のようである。もっとも、あのけわしい鞍馬《くらま》の谷や細道になれきッている竹童《ちくどう》だ。ここらの山や森などは、ほとんど、坦々《たんたん》たる芝生《しばふ》の庭をかけるようなものだろう。 「あれ、ごらんあそばせ」  龍太郎《りゆうたろう》が、そのうしろ姿を指さしていう。 「竹童め、今朝《けさ》はすッかり忘《わす》れております」 「なにを?」  と、伊那丸がきく。 「きのうまでは盲《めくら》であったが、老先生のお力で、にわかにアアなったことをまるで忘れているらしゅうございます」 「お、……それが童子《どうじ》らしいところである」  微笑《びしよう》をもってながめていた伊那丸は、愛らしいやつ、——たのもしいやつ——そう思ってうなずいた。  やがて、その三人も、雷神《らいじん》の滝《たき》の岩頭《がんとう》をおりた。そして、裏道《うらみち》をめぐって、敵の廻《まわ》しものに覚《さと》られぬように、ひそかに寒松院《かんしよういん》の並木《なみき》にかくれ、腕《うで》をさすッて、合図《あいず》の狼煙《のろし》を、待ちうけていた。     二 「オオ、寒《さむ》い」  正気《しようき》にかえって、ポカンとあたりを見まわしたのは、ゆうべ、今宮神社《いまみやじんじや》の境内《けいだい》で、馬にけられてヘドを吐《は》いて、あのまま気絶《きぜつ》していた泣き虫の蛾次郎《がじろう》。 「オオ寒、寒、寒……」  ブルブルガタガタふるえている。  ひょいと見ると、目のまえには、じぶんの吐《は》いたご馳走《ちそう》やら、馬の糞《ふん》やら紙屑《かみくず》やらで、きれいな物は一つもない。  この汚穢《おわい》だらけな地面の上に、気をうしなって寝ていたかと思うと、いくら洒《しや》アつくな蛾次郎でも、さすがにすこしあさましくなって、今朝《けさ》の寝起《ねお》きは、あまりいい気持でなかった。 「アア、おなかがペコペコだ……」  起きるとすぐに食《く》うしんぱい。  ゆうべスッカリ吐きだして、今朝《けさ》は胃袋《いぶくろ》が、カラッポになっているとみえて、食慾《しよくよく》ばかりになった目つきで、しきりに、そこらをキョトキョトと見まわしながら、 「なにかないかナ、なにかないかナ……」  泥《どろ》だらけな着物もハタかず、ふらふらと立ちあがった。  その姿や寝ぼけ面《づら》が、おかしいとみえて、すぐそばの神馬小屋《しんめごや》で、白と黒と二|疋《ひき》の馬が、ヒーンと鼻で吹きだした。すると頭の上のモチの木でも、鴉《からす》がカーッと啼《な》き合わせた。  虫のいどころが悪かった。 「ばかア! てめえのことじゃねえやい」  と、蛾次郎《がじろう》、鴉をどなりつけて、スタスタと向こうへ歩きだした。  すると、あった! あった!  ひとつの御堂《みどう》の神前《しんぜん》に、蛾次郎の見のがしならぬものがあった。  蕎麦《そば》まんじゅうのお供物《くもつ》である。  きのうのお祭《まつり》に、氏子《うじこ》があげた物であろう。三方《さんぼう》の上に、うずたかく、大げさにいえば、富士《ふじ》の山ほど積《つ》んであった。  犬もあるけば棒《ぼう》にあたる!  これなるかな、これなるかなと、蛾次郎はそこで、よだれをたらして見とれてしまった。 「ちぇッ、ありがたし、かたじけなし」  と泣き虫の蛾次郎、じぶんのおでこをピシャリとたたいて、神さまに感謝《かんしや》したのである。が、さてと口に唾《つば》をわかせてみると、いけないことには、厳重《げんじゆう》な柵《さく》をめぐらしてあって、いくら長い手をのばしてみても、とても、そこまではとどかない。 「ウーム、いまいましいなア」  宝の山に入《い》りながら、この蕎麦《そば》まんじゅうに手がとどかないとは、なんたる無念《むねん》しごくだろうというふうに、胃液《いえき》をわかせながら蛾次郎《がじろう》の目がすわってしまった。だが、こういう事業にたいしては、人一|倍《ばい》の熱をもつ蛾次郎である。たちまち一|策《さく》をあんじだして、蕎麦まんじゅうの曲取《きよくど》りをやりはじめた。  そこらで見つけてきた一本の細竹《ほそだけ》、先をそいでとがらせ、柵《さく》のそとから手をのばして、三方《さんぼう》の上のまんじゅうを上から一|箇《こ》ずつ突《つ》いては取り、突いては食《た》べ、口の中へ五つばかり、ふところの中へ八つばかり、まんまと、せしめてしまったのである。 「エヘン。どんなものだい、蛾次郎さまのお手なみは」  これで兵糧《ひようろう》もでき、目もさめた。 「さア、これからきょうはどうしよう、どうしておもしろくあそぼうか」  富士の裾野《すその》をでていらい、鷲《わし》に乗って北国《ほつこく》も見たし、東海道《とうかいどう》も見物《けんぶつ》したし、奈良《なら》の堂塔《どうとう》、大和《やまと》の平野、京都の今宮祭《いまみやまつり》まで見たから、こんどはひとつ思いきって、四国へ飛ぼうか、九州へいこうか?  なにしろ——前途《ぜんと》は洋々《ようよう》たるものだ。  ひとまず、きょうは天《てん》ケ丘《おか》へかえって、ゆッくりと考えたうえにしよう。  おお、天ケ丘といえば、おればかりご馳走《ちそう》を食《た》べあるいて、クロのことをすッかり忘れていた。あの丘《おか》の奥《おく》の松の木へ、鎖《くさり》でしばりつけておいたから、逃《に》げる気づかいはちっともないが、きッと腹をへらしているだろう。  こう気がついたので蛾次郎《がじろう》も、にわかに足をはやめて今宮神社《いまみやじんじや》の内《うち》から、天《てん》ケ丘《おか》のほうへ歩きだした。  すると、ちょうどその麓《ふもと》。  南蛮寺《なんばんじ》ののぼりにかかろうとする参道《さんどう》の並木《なみき》を、忍《しの》びやかにゆく人かげがある。  まだ朝霞《あさがすみ》がたちこめているので、おおかた薪拾《まきひろ》いの小僧《こぞう》か、物売《ものう》りだろうくらいに思っていた蛾次郎は、だんだん近づいて見てびっくりした。どうも、それは鞍馬《くらま》の竹童《ちくどう》らしい。 「おやッ」  蛾次郎は、もういっそうちかくよってみた。まちがいなく竹童である。 「だが、へんだなあ。……あいつ目が見えないくせにして、いやにまっすぐに向いて歩いていやがる。ははア読《よ》めた……よく盲《めくら》というやつは、見えるふりをして歩くというが、竹童もそれであんなにすましているんだな。うふッ、……また一つからかって見てやろうか」  と、ひとり合点《がてん》をして泣き虫の蛾次郎、止《よ》せばよいのに性懲《しようこ》りもなく、また悪戯心《いたずらごころ》をおこして、竹童の後からピタピタとついていった。     三  霞《かすみ》にぼかされた松の丘に、南蛮寺《なんばんじ》の朱門《あかもん》は、まだ、かたくとざされてあった。  稲妻形《いなずまがた》についている石段《いしだん》の道を見まわしても、きれいな朝露《あさつゆ》がたたえられて、人の土足《どそく》にふみにじられているようすはない。  きょうの朝まだきに、桑名《くわな》に在陣《ざいじん》する秀吉《ひでよし》のところへ向けて、和田呂宋兵衛《わだるそんべえ》が護送《ごそう》していこうとする勝頼《かつより》の駕籠《かご》は、まだあの朱門《あかもん》をでて山をくだっていないようだ。……竹童《ちくどう》はまずよかったと、そこでいっそう身をかがませながら、はうようにして、石段を一|歩《ぽ》一歩とのぼっていく……  それを見ると、蛾次郎《がじろう》は、 「あはははは。やっぱり盲《めくら》だ、石段を四つンばいになって登《のぼ》っていきゃアがる」  と、嘲笑《あざわら》いながら、心をゆるめてしまった。そこで、ふところの蕎麦《そば》まんじゅうを半分たべて、のこりの半分を、ポンと竹童の背なかへ投げつけながら、 「おい、鞍馬《くらま》の竹童——どこへいくンだい」  と呼びかけた。竹童は、ハッとして石段へ身をねかせた。そしてジロリと、ふりかえって見ると、ゆうべ八神殿《はつしんでん》の床下《ゆかした》でにがした蛾次郎だ。 「ああ、またきたな」  と思ったが、はやる心をおさえて、なお盲のふりをしながら、しずかに天《てん》ケ丘《おか》へのぼりだすと、蛾次郎《がじろう》は、それとも知らずに、 「オイオイ、つんぼかい?」  いよいよ図《ず》にのって、減《へ》らず口《ぐち》をたたきだした。 「ゆうべはつんぼじゃなかったはずだ。盲《めくら》の上にツン的《てき》ときたひにゃ、それこそ、でくの坊《ぼう》よりなッちゃあいねえからな。ええオイ竹童……おッと、こいつは俺《おれ》がまちがった。おまえは八神殿《はつしんでん》の床下《ゆかした》をお屋敷《やしき》としている、天下のお乞食《こじき》だッたんだっけ。それじゃ返事をしないはずだよ。ではあらためて呼びなおすことにしよう……」  蛾次郎、ますますお調子《ちようし》づいて、いまや、その身が竹童の般若丸《はんにやまる》の切《き》ッ先に、まねき寄《よ》せられているとは知らずに、ノコノコとすぐ後《うし》ろへまで近よっていった。  そして、黄色《きいろ》い歯《は》をムキだして、ゲタゲタと笑いながら、竹童の顔を、肩《かた》ごしにのぞくようにしながら、 「——もし、天下のお乞食さま。おめえ、これからどこへいくのよ。南蛮寺《なんばんじ》の台所《だいどころ》か、それにゃ、まずすこし時刻《じこく》が早かろうぜ。おあまりは朝飯《あさめし》すぎにいかなけりゃくれやしないよ。うふふふふ……怒《おこ》ってるのか。澄《す》ますなよ。はずかしいのか、蛾次郎さまにすがたを見られて……。まアいいじゃアねえか、なアおい竹童、おれとおめえとは、いまじゃ身分がちがってしまったが、もとは裾野《すその》の人無村《ひとなしむら》で、おなじ柿《かき》の木の柿をかじりあった仲だ。——おれはおめえに同情《どうじよう》しているんだぜ。だからよ、ゆうべだッて、おれから声をかけたんじゃねえか。うまい飴《あめ》ン棒《ぼう》でもしゃぶらしてやろうと思って、ひとが親切《しんせつ》にいったものを、コケおどしの刃物《はもの》なんぞふりまわして、よせやい、おれだって、はばかりながら、刀ぐらいは差《さ》しているんだからな」  竹童《ちくどう》は、唖《おし》のようにだまっていた。  しかし、全身の血は、沸《たぎ》りたち、毛もよだつほど怒《おこ》っていた。だが、——いまは、どこまで盲《めくら》の態《てい》をみせて蛾次郎《がじろう》にゆだんをさせ、その素《そ》ッ首《くび》をひンねじってやろうと、心の奥《おく》にためきって、かれの悪口雑言《あつこうぞうごん》を、いうがままにこらえている。 「エエ、オイ、なんとかいえよ、なんとか」  蛾次郎は、竹童のからだから棘《とげ》の立っているのに気づかず、いきなり蕎麦《そば》まんじゅうをムシャムシャ食《た》べて、 「やい乞食《こじき》、これでも食《く》らえ」  と、その食《く》いかけを、竹童の口もとへ持っていった。  待っていたぞ——と、いわぬばかりに。 「逃げるな、蛾次!」  と、いうがはやいか、鞍馬《くらま》の竹童、顔まできた蛾次郎の右の手を、いきなりつかんでひきよせた。 「あッ! こ、こいつ」 「よくやってきた。思いしれ」  と竹童は、その利《き》き腕《うで》をねじあげて、石段の中途《ちゆうと》へ、押《お》したおした。 「おう! て、てめえ目が見えるのか」  と押《お》しふせられながら蛾次郎《がじろう》は、胆《きも》をつぶして、ふるえあがった。竹童《ちくどう》はその上へのって、膝《ひざ》がしらで、相手の腕をおしつけ、両手で喉《のど》と腕首をしめつけて、ビクとも動きをとらせずに、 「やい蛾次公《がじこう》! よくもおのれは、この竹童を、さんざんに恥《は》ずかしめたな。うぬッ、どうするかおぼえていろ」 「あッ——か、か、かんにんしてくれ」 「えい、いまになって、卑怯《ひきよう》なことをいうな」 「あやまる、あやまる、あやまる! あやまりますから! かんべんしてくれッ!」 「だめだ! だめだ! だめだッ。もうなんといッたってゆるすもんか、ここでおいらの手につかまったのが百年目だ、般若丸《はんにやまる》の斬《き》れあじを試《ため》してやるから、そう思え」  と、刀の柄《つか》へ手をやった。 「アア待ってくれ、竹童、竹童さまーッ」  と、蛾次郎はついに本性《ほんしよう》をだして、ベソをかきながら悲鳴《ひめい》をあげた。 「待ってくれよ、おめえに返すものがある。おれを殺してしまうと、それがわからなくなるぜ」 「なに? 返すものが……オオ鷲《わし》をか」 「そうだ。クロを返すから、命《いのち》だけを助けてくれ」 「きっとだな!」 「きっと!」 「よし、クロを返すというならば命《いのち》だけは助けてやる。だが、それはいったいどこにあるのだ」 「す、す、……すこうし手をゆるめてくれなくちゃ、のどがくるしくって、声が……」 「さッ、はやくいえ!」  と少しからだを浮かしてやると、そのとたんに、泣き虫の蛾次郎《がじろう》、ドンと足をあげて竹童の頤《あご》を蹴《け》とばした。あッ、と竹童もふいを食《く》ったが、胸《むな》ぐらをつかんでいた手をはなさなかったので、足を踏《ふ》みはずした勢いで、蛾次郎もろともに、ゴロゴロゴロと、二つのからだが、俵《たわら》のように、石段の中ほどから下までころげ落ちていった。   地を裂《さ》く雷火《らいか》     一  ごろんと石段の下にとどまると、蛾次郎はいきなり、竹童の唇《くち》へ、爪《つめ》をひっかけた。 「なまいきなッ」  と竹童、その手をはらって、襟《えり》がみをつかみ、腰《こし》をあてて、車投《くるまな》げに、——ぶんと、大地へなげつける。が、蛾次郎もここ一生の命《いのち》がけ、投げつけられて立つや否《いな》、バラバラッと横ッとびに逃《に》げだした。 「待てッ——」  なんで竹童の足にかなうものか! すぐ追《お》いつかれそうになる、これはとおどろいて、蛾次郎、高くそびえ立った一本の樫《かし》の木へ猿《ましら》のようにツツッ——とよじのぼった。  木登《きのぼ》りは、また竹童の得意《とくい》とするところ。  かれが猿《さる》なら、竹童はむささびのごとく敏捷《びんしよう》だ。ピョンと枝へ飛《と》びつくと、もう蛾次郎の踵《かかと》をつかまえた。 「わッ!」と蛾次郎。  あぶなくすべり落ちそうになったところを、蹴《け》はなして、ザワザワと横枝へはいだした。人の重味で樫《かし》の枝が弓《ゆみ》なりになって崖《がけ》へさがる——すぐあとからまた、竹童が猿臂《えんぴ》をのばしてきた。南無三《なむさん》! 蛾次郎はポンと枝から崖《がけ》へ飛びうつっていちもくさんに天《てん》ケ丘《おか》へかけのぼった。  鷲《わし》だ、鷲だ!  こんな時には手のとどかない、地面をはなれてしまうのが一番|安全《あんぜん》。  こう思って蛾次郎は、いつぞや、クロをつないでおいた松の木の下まで、無我夢中《むがむちゆう》にかけのぼってきてみると鷲は、人の跫音《あしおと》を聞きつけて、羽《は》ばたきの音を高々とさせている。 「おお、いたな! ありがてえ」  息をはずませてかけよった。  そして汗《あせ》を拭《ふ》くまもなく、クロの足をしばりつけてある鎖《くさり》をガチャガチャ解《と》きはじめた。だが、——意地《いじ》わるく、急げばいそぐほど、鎖は笹《ささ》や枯草《かれくさ》にひっからんで、容易《ようい》にむすびこぶしが解《と》けない。  とこうするまに、鞍馬《くらま》の竹童《ちくどう》、ヒョイと見うしなった蛾次郎《がじろう》のすがたを血眼《ちまなこ》で、さがしながら、もうすぐそこまで、のぼってきた。 「オオ、クロがいた! おれのクロだ!」  かれは思わずこうさけんだ。あたかも、暗夜《あんや》に見うしなった肉親の姿でも見つけたように——  と、ちょうどその時である。  南蛮寺《なんばんじ》の奥《おく》のほうから、ジャン、ジャン、ジャン! 妖韻《よういん》のこもった鐘《かね》の音《ね》——そして一種の凄味《すごみ》をおびた貝《かい》の音《ね》がひびいてきた。ハッと思ってふり向くとたんに、丘《おか》のいただきにある南面の朱門《あかもん》が、魔王《まおう》の口を開いたように、ギーイと八文字に押《お》しひらかれた。  同時に——  その朱門の中からワラワラとあふれだしたおびただしい浪人武者《ろうにんむしや》! 黒装束《くろしようぞく》へ小具足《こぐそく》をつけたるもの、鎖襦袢《くさりじゆばん》をガッシリと着《き》こんだもの、わらじ野袴《のばかま》に朱鞘《しゆざや》のもの、異風《いふう》さまざまないでたちで、その数五十人あまり。  百鬼夜行《ひやつきやこう》ということはあるが、これは爛々《らんらん》たる朝の陽《ひ》をあびて、その装束《しようぞく》が同じからぬごとく、その武器《ぶき》も槍《やり》、太刀《たち》、かけや、薙刀《なぎなた》、鉄弓《てつきゆう》、鎖鎌《くさりがま》、見れば見るほど十人十色。 「それッ、列《れつ》をみだすな、駕籠わきへつけ、駕籠わきへ」  なかに、ひとりこういって、手をふりあげた者がある。これぞたしかに、紅毛黒衣《こうもうこくい》の怪人《かいじん》、和田呂宋兵衛《わだるそんべえ》にまぎれもない。  黄金《おうごん》の鎖《くさり》を胸《むね》にたらした銀色《ぎんいろ》の十字架《じゆうじか》、それが、朝陽《あさひ》をうけて、ギラギラ光っている。 「おう!」  と答えて、ひとつの駕籠のまわりへ、警固《けいご》についた者たちを見ると、おなじ黒布《こくふ》をかぶり黒衣《こくい》をつけた吹針《ふきばり》の蚕婆《かいこばばあ》をはじめ、呂宋兵衛のふところ刀、丹羽昌仙《にわしようせん》、早足《はやあし》の燕作《えんさく》、このほか、腕《うで》ぶしの強そうな者ばかり、ひしひしと足なみをそろえた。  そして、あたかも、深岳《しんがく》の狼《おおかみ》が、群《む》れをなして里《さと》へでるごとく、列《れつ》をつくって、天《てん》ケ丘《おか》の石段《いしだん》を下《くだ》りはじめる。中にはさんでいく一|挺《ちよう》の鎖《くさり》駕籠《かご》は——まさしく、桑名《くわな》の羽柴秀吉《はしばひでよし》へおくらんとする貴人《きじん》の僧形《そうぎよう》、武田勝頼《たけだかつより》が幽囚《ゆうしゆう》されているものと見られる。 「やッ! 呂宋兵衛がいく、勝頼さまのお駕籠《かご》がいく」  それを見るや竹童《ちくどう》は思った。寒松院《かんしよういん》の並木《なみき》に待ちぶせている伊那丸《いなまる》やそのほかの人々に、すこしも早く、このことを合図《あいず》してやらねばならぬと。——  といって——  狼煙《のろし》のしたくをしているまには、おお、すぐそこにいる蛾次郎《がじろう》めが、クロの背をかりて、宙天《ちゆうてん》へ逃げ失せてしまうであろう。  蛾次郎を見のがすぐらいは、虫ケラと思えばなんでもないが、いまここで、せっかくその姿を見たクロとふたたび別れてしまうのは、なんとしてもしのびない。いつまた、それが蛾次郎の手から、じぶんの手へ返ってくる時節《じせつ》があるかわからない。  さればといって——それにグズグズ手間《てま》どっているまに、呂宋兵衛《るそんべえ》一族《いちぞく》が天《てん》ケ丘《おか》から道をかえて、勝頼公《かつよりこう》をとおく護送《ごそう》してしまったら、それこそ伊那丸《いなまる》さまへたいしてぬぐわれざる不忠不義《ふちゆうふぎ》! 腹を切っておわびしても、その大罪《だいざい》をつぐなうには値《あたい》しない。 「ああ、困《こま》った」  竹童は、髪《かみ》の毛《け》をつかんで、迷《まよ》いにまよった。合図《あいず》か? 鷲《わし》か? 合図か? 鷲か?  どっちへこの身をむけていいか。 「おお、クロを?」かれはとつぜん蛾次郎のいるほうへ征矢《そや》のごとく飛んでッた。  クロこそは、人間のもつなにものも、匹敵《ひつてき》するあたわざる飛行の武器《ぶき》だ、生ける武器だ。クロさえ蛾次郎の手からとり返せば、のろしをあげるまでもなく、あの偉大《いだい》なつばさで一はたきで、寒松院《かんしよういん》の並木《なみき》にいる味方《みかた》へ、このようすをお知らせにも飛んでいける。  そのうえ、たとえ呂宋兵衛《るそんべえ》が、どこをどう逃《に》げまわっても、空からそれを見てとることもできるというもの。——こう竹童《ちくどう》はかんがえた。  しかし、その時すでに、蛾次郎《がじろう》は、鎖《くさり》をといて鷲《わし》の背へ、フワリと乗っていたのである。 「あッ、待て!」  飛《と》びついていった竹童と、地上をはなれた大鷲《おおわし》とはそのとき、ほとんど同時であった。 「くそうッ」と蛾次郎、鷲の上から竹をふるって、竹童の肩《かた》をピシーッとなぐった。 「ちイッ……」と、こらえながら、竹童は、必死《ひつし》につかんだ蛾次郎の足をはなさず、大鷲のつばさが、さッと大地を打ってまいあがるのと一しょに、かれも蛾次郎とともに、無二無三《むにむさん》に、鷲の背《せ》なかへかじりついてしまった……     二  かくて巨大《きよだい》な黒鷲《くろわし》の背には、いまやたがいに、敵《てき》たり仇《あだ》たるふたりの童子《どうじ》が、ところもあろうに、飛行する大空において、ひとつ翼《つばさ》の上に乗りあってしまった。  だが、しかし——鷲そのものは、蛾次郎《がじろう》を敵ともおもわず、また竹童を仇《かたき》とも思うようすもない。軽々《かるがる》と、二少年を背にのせて、そのゆうゆうたるすがたを、南蛮寺《なんばんじ》の空にまいあがらせた。  おお、みるまに下界《げかい》は遠くなる——遠くなる——  南蛮寺《なんばんじ》の屋根《やね》、天《てん》ケ丘《おか》一帯《いつたい》、さらに四方の山川まで、たちまち箱庭《はこにわ》を見るように、すぐ目の下へ展開《てんかい》されて、それが、ゆるい渦巻《うずまき》のように巻いてながれる……  蹴《け》おとされては大へんと、泣き虫の蛾次郎《がじろう》は、歯《は》を食《く》いしばって、鷲《わし》の頸毛《えりげ》にしがみついた。  と——同じように、地上とちがって、大空の風をきってゆく鷲の背なかにいては、さすがの竹童も、手がはなせないので、みすみすそばに乗りあっている蛾次郎をどうすることもできないのである。  それはいいが、ここに、なおなお困ったことは、ひとりならば自由な方角《ほうがく》をさして飛《と》ばすこともできるが、こうして蛾次郎と相乗《あいの》りになってしまったために、クロはただクロ自身の意志《いし》で、勝手なほうへさっさつとして飛んでいく。それでは、伊那丸《いなまる》たちへ、合図《あいず》をするたよりがないので、かかるまも、竹童の腹のなかは、引っくり返るような心配《しんぱい》である。  ピューッ、ピューッと顔をかすっていく風の絶《た》えまにはるかに下をみてあれば、もう和田呂宋兵衛《わだるそんべえ》一族《いちぞく》の列は蟻《あり》のように小さく見えながら、天ケ丘の石段を降《お》りきっている。 「かならず——合図《あいず》をまちがえてくれるなよ——」  くれぐれもことわられた龍太郎《りゆうたろう》のことばが、空の上なる竹童の耳に、いまもありありと聞える心地がする。  ——とそのせつなである。竹童は、すぐ真下《ました》の地上に一点の火の塊《かたまり》を見いだした。  枯草《かれくさ》をやく百姓《ひやくしよう》の野火《のび》か、あるいは、きこりのたいた焚火《たきび》であろうか、とある原のなかほどに、チラチラと赤くもえている焔《ほのお》があった。 「しめた」  竹童は、やっと片手をふところへ入れて、龍太郎から渡《わた》されてきた、狼煙筒《のろしづつ》をかたくつかんだ。そして、鷲《わし》の腹がちょうどその火の上へ舞《ま》いめぐってきたとたんに、ポーンと下へ投げおとした。  ツーと斜線《しやせん》をえがいて落ちていく、小さい物体《ぶつたい》の行方《ゆくえ》に、竹童は祈《いの》りを送った。  しめた! 狼煙の筒《つつ》は、うまく、地上に見えるその焔の廓《くるわ》のなかへ落ちた。  と、思うまもあらず、轟然《ごうぜん》たる青天《せいてん》の霹靂《へきれき》。  筒の中の火薬《かやく》が破裂《はれつ》して、ドーン! とすさまじい火と灰《はい》と炸裂《さくれつ》した物体《ぶつたい》の破片《はへん》を舞《ま》いあげた。  合図《あいず》の狼煙! それは一|倍《ばい》ものすごい響《ひび》きをもって、寒松院《かんしよういん》の並木《なみき》にいる、伊那丸《いなまる》、忍剣《にんけん》、龍太郎の耳へまでつんざいていったことは必定《ひつじよう》である。だが——? そのとたんに、ビックリした大鷲《おおわし》は、雷気《らいき》にあって天空をそれたようにパッ! ——と一陣《いちじん》の風をついて、竹童と蛾次郎をのせたまま、いずこともなく飛びさってしまった。   呂宋兵衛《るそんべえ》の奥《おく》の手《て》     一  さて——。  寒松院《かんしよういん》の松並木《まつなみき》——ここもまだ、朝がすみがこめていた。四条《しじよう》五条《ごじよう》へ花売りにでる大原女《おはらめ》が、散りこぼしていったのであろう、道のところどころに、連翹《れんぎよう》の花や、白桃《しろもも》の小枝《こえだ》が、牛車《ぎゆうしや》のわだちにもひかれずに、おちている。  並木のこずえには、高々とうたう春の百鳥《ももどり》、大地はシットリと露《つゆ》をふくんで、なんともいわれないすがすがしさ。  かかるところへ、霞《かすみ》のなかから、ポカリと浮《う》きだした一列の人かげがある。寂光浄土《じやつこうじようど》の極楽《ごくらく》へ、地獄《じごく》の獄卒《ごくそつ》どもが練《ね》ってきたように、それは殺風景《さつぷうけい》なものであった。  きょう、桑名《くわな》の陣《じん》をさして、天《てん》ケ丘《おか》をくだってきた、和田呂宋兵衛《わだるそんべえ》の一行《いつこう》である。れいの鎖《くさり》駕籠《かご》をいと厳重《げんじゆう》に警固《けいご》して、随行《ずいこう》には軍師《ぐんし》の昌仙《しようせん》、早足《はやあし》の燕作《えんさく》、吹針の蚕婆《かいこばばあ》、そのほか五十余名の浪人《ろうにん》が、鳴り物こそ使わないが、いわゆる一|鼓《こ》六|足《そく》の陣あゆみで、ピタッ、ピタッ、ピタッ、ピタッ……と、足なみをそろえてくる。  せんとうに立ったのは三人の野武士《のぶし》である。さえぎるものあらばと、刀の柄《つか》に手をかけたまま歩いてくる。次には、黒柄《くろえ》九尺の槍《やり》を横にもち、するどい穂先《ほさき》をならべてくる者が七人。——そのつぎに、和田呂宋兵衛《わだるそんべえ》、黒衣《こくい》に蛮刀《ばんとう》を佩《は》き、いかにも意気ようようとしていた。  追分《おいわけ》へでたら、左だぞ、左だぞ。すこしは道がまわりになっても、なるべく裏街道《うらかいどう》をえらんでいけよ。——途中《とちゆう》、ほかの大名《だいみよう》にあったらば、同格《どうかく》の会釈《えしやく》をして、かまわないから、羽柴筑前守《はしばちくぜんのかみ》のみ内《うち》と名のれ——関所《せきしよ》へかかったときは、武器《ぶき》を伏《ふ》せろよ! いいか、関所で武器をふせるのを忘れるなよ! そのほか、桑名《くわな》のご陣《じん》につくまでは、みちみち話をかわすことはならぬ。  列の前後へむかって、こう号令《ごうれい》したが、令をくだす自分だけは軍律《ぐんりつ》もなにもなく、黒布《こくふ》のかくしぶくろから陶器製《すえものせい》のパイプを出し、それへ、葉《は》煙草《たばこ》をつめたかと思うと、歩きながら、スパスパとむらさき色の煙をくゆらしはじめた。  しばらくゆくと、また呼《よ》んだ。 「昌仙《しようせん》、昌仙」 「はッ」  と、うしろのほうでこたえる。丹羽昌仙《にわしようせん》と早足《はやあし》の燕作《えんさく》とは、鎖《くさり》駕籠《かご》の両わきに、つきそっていた。 「京の大津口《おおつぐち》から桑名まで、およそ何里《なんり》ほどあるだろう」 「さよう? ……」  と昌仙《しようせん》は歩きながら懐中絵図《かいちゆうえず》をひろげて見て、 「二十九|里余町《りよちよう》——まア、ざっと三十里でございまする。すると桑名《くわな》のご陣《じん》へつきますまでには、約三日ののちとあいなります」 「三日はすこしかかりすぎるな。どこか間道《かんどう》をとおって、二日ぐらいでまいれる工夫《くふう》はなかろうか」 「なにしろ途中には、大津《おおつ》の関所《せきしよ》、松本の渡舟《わたし》、鈴鹿山《すずかやま》の難路《なんろ》などがございますので……」  と、しきりに懐中絵図の説明をしていたが、そのうちに列のまっさきにあたって、あッ、という声がした。さきの野武士《のぶし》三人の手から、ふいに、虹《にじ》のような陣刀《じんとう》がひらめいたのだ。  と思うと、その三名は、電光《でんこう》一瞬《いつしゆん》のまにたおれ、すさまじい一陣《いちじん》の風をついて、何者かが、向かってくる。 「おお!」  と、五十余名の大衆《たいしゆう》が、シタシタと足をひいて、まえをみると、霞《かすみ》のふかい松並木《まつなみき》のかげから、忽然《こつぜん》とおどりだした年わかい怪僧《かいそう》があった。染衣《せんえ》の袖《そで》を綾《あや》にしてうしろにからげ、手には、禅杖《ぜんじよう》をふりまわして、曠野《こうや》をはしる獅子《しし》のごとくおどりこんできた。 「おのれッ!」  さけぶやいな、第二段の浪人組《ろうにんぐみ》七人が、黒柄《くろえ》九|尺《しやく》の槍《やり》の穂《ほ》さきを、サッと若僧《わかそう》の一身《いつしん》にあつめ、リラッ、リラッ、リラッ、と|しごき《ヽヽヽ》をくれて八面を押《お》っとりかこんだ。     二 「や、や?」  と、呂宋兵衛《るそんべえ》は、陶器《すえもの》パイプを口からおとして、 「おう! ありゃ、武田方《たけだがた》の加賀見忍剣《かがみにんけん》だ。さては、勝頼《かつより》をうばいかえすために、伊那丸《いなまる》をはじめ、その他《ほか》のやつらも、このちかくに身をふせているとおぼえたぞ。昌仙《しようせん》、昌仙! 燕作《えんさく》もゆだんするなッ」  いうもおそし、その伊那丸は、いきなり横あいの草むらから、バラバラとおどりだして、木隠龍太郎《こがくれりゆうたろう》とともに刀のこじりをはねあげ、呂宋兵衛の前へぬッくと立った。 「野武士《のぶし》ども待て、しばらく待て、むりにおし通らんとすれば、命《いのち》がないぞ」 「おッ——おのれは武田伊那丸に龍太郎だな。秀吉公《ひでよしこう》の威勢《いせい》をもおそれず、都へ入《い》りこんでくるとは、不敵《ふてき》なやつ。この呂宋兵衛の手並《てなみ》にもこりず、わざわざ富士《ふじ》の裾野《すその》から討たれにきたか」  内心、胆《きも》をつぶしながらも、怯《ひる》みを見せまいとする呂宋兵衛は、蛮音《ばんおん》をはりあげて、刀へ手をかけた。 「やかましいッ!」と、木隠龍太郎。 「はるばる、若君《わかぎみ》がここへ、お越しあそばしたのは、お父上勝頼公《ちちうえかつよりこう》をお迎えにまいったのだ。その鎖《くさり》駕籠《かご》のうちに、お身をひそめたもうおん方《かた》こそ、まぎれもなき勝頼公《かつよりこう》と見た。呂宋兵衛《るそんべえ》、神妙《しんみよう》に渡してしまえ」 「なにを、ばかな。いかにも鎖駕籠のうちには、これから桑名《くわな》のご陣屋《じんや》へ護送《ごそう》するひとりの落武者《おちむしや》が入《い》れてある! だがよくきけよ! おれも人穴城《ひとあなじよう》にいた野武士《のぶし》とちがって、いまでは、南蛮寺《なんばんじ》を守護《しゆご》する羽柴家《はしばけ》の呂宋兵衛だぞ。なんで勝頼をうぬらの手にわたすものか」 「渡さぬとあらば、なおおもしろい。木隠龍太郎《こがくれりゆうたろう》や忍剣《にんけん》が力をあわせて、汝《なんじ》らを、この松並木《まつなみき》の生《い》き肥《ごえ》にしてくれる」 「わはははは、片腹《かたはら》いたいいいぐさを聞《き》いちゃいられねえ。オオ! めんどうだが、桑名へのいきがけの駄賃《だちん》にうぬらの生首《なまくび》を槍《やり》のとッ尖《さき》にさしていくのも一興《いつきよう》だろう。それッ、この虫けらを踏《ふ》みつぶしてしまえッ」  剣《けん》をはらって、うしろの狼軍《ろうぐん》をケシかけようとすると伊那丸《いなまる》の声が、またひびいた。 「ひかえろッ、雑人《ぞうにん》ども!」  機山大居士武田信玄《きざんだいこじたけだしんげん》の孫《まご》、天性《てんせい》そなわる威容《いよう》には、おのずから人をうつものがあるか、こういうと呂宋兵衛にしたがう山犬武士ども、おもわず耳の膜《まく》をつン抜《ぬ》かれたように、たじたじとして、われ一番にと斬《き》りつける者もない。 「えいッ、相手はわずか二人か三人、なにを猶予《ゆうよ》しているのだ、ふくろづつみにして、そッ首をあげちまえッ」  呂宋兵衛《るそんべえ》が怒号《どごう》したとたんに、ズドンッ! と一発、つづいてまた一発のたま! シュッと、硝煙《しようえん》をあげて伊那丸《いなまる》の耳をかする。 「おッ、若君《わかぎみ》、飛道具《とびどうぐ》のそなえがありますぞ」 「なんの!」  と、武田伊那丸《たけだいなまる》、小《こ》太刀《だち》をぬいて、身をおどらせ、目ざす呂宋兵衛の手もとへとびかかった。 「それッ、頭領《おかしら》をうたすな」  と、なだれてくるのをおさえて、木隠龍太郎《こがくれりゆうたろう》はかれが得意《とくい》の戒刀《かいとう》をぬいた。——たちまち、前後の四、五人を斬りふせつつ、かの鎖《くさり》駕籠《かご》のてまえまで走りよった。  と——駕籠《かご》の屋根にはさっきから、一人の老野武士《ろうのぶし》が立っていた。その上から、銀象嵌《ぎんぞうがん》の短銃《たんづつ》をとってかまえ、いましも、三度目の筒口《つつぐち》に、伊那丸の姿をねらっていたが、龍太郎が近づいたのをみると、オオ! とそのつつ先を向けかえた。 「おのれッ!」  とたんに、ごうぜんと、また一発のけむりが立った。老野武士は短銃を持ったまま、駕籠の屋根から向こうがわへぶっ倒《たお》れ、龍太郎のすがたは、太刀《たち》を走らせたまま煙の下へよろめいた。  短銃をつかんでいた者こそ、すなわち人穴《ひとあな》以来、呂宋兵衛の軍師格《ぐんしかく》となっている丹羽《にわ》昌仙——ああ好漢、木隠龍太郎、とうとうかかる無名の野軍師《のぐんし》と、あい討《う》ちになってしまったか?     三  龍太郎《りゆうたろう》と伊那丸《いなまる》が、呂宋兵衛《るそんべえ》の側面《そくめん》をつくよりまえに、ただひとり、列のまっ正面から禅杖《ぜんじよう》をふっておどりこんだ勇僧《ゆうそう》は、いうまでもなく加賀見忍剣《かがみにんけん》だ。  七、八人の野武士《のぶし》どもが、九|尺柄《しやくえ》の槍尖《やりさき》をそろえて、ズラリと円陣《えんじん》をつくり、かれをまんなかに押しつつんでしまったが、笑止《しようし》や、忍剣の眼から見れば、こんなうすッぺらな殺陣《さつじん》は、紙のふすまを蹴《け》やぶるよりもたやすいことであろう。——見よ、錬鉄《れんてつ》の禅杖が、かれの頭上《ずじよう》にふりかぶられて、いまにも疾風《しつぷう》をよぼうとしているのを!  かッと、目を見ひらいて、加賀見忍剣、 「命《いのち》のおしいやつはどけッ!」と大喝《たいかつ》した。  と思えば——虚空《こくう》からさッとおちた禅杖が、右なる槍を二、三本たたき伏《ふ》せる! それッと、ひだり側《がわ》から間髪《かんはつ》をいれずにくりこんだ槍は、ビューッと禅杖が輪《わ》をえがいてかえったとたんに、乱離微塵《らんりみじん》! 三|段《だん》四|段《だん》におれとんで、その持主《もちぬし》は血の下になった。 「わッ」  と円陣の一角《いつかく》がくずれると、もうかれらは、こらえもなく浮《う》きあしをみだした。忍剣はといえば、その瞬隙《しゆんげき》に、檻《おり》をでた猛虎《もうこ》のごとく、伊那丸の側《そば》へかけだしている。  伊那丸はどこまでも、呂宋兵衛をのがさじと追《お》いつめて、いまや、火をふらして血戦《けつせん》をいどんでいた。そこへ忍剣《にんけん》がかけつけて、あたりの木《こ》ッ葉浪人《ぱろうにん》を八面にたたき伏《ふ》せ、 「若君《わかぎみ》、お助《すけ》太刀《だち》」  いきなり、呂宋兵衛《るそんべえ》の横から打ってかかった。 「おう!」  と魔《ま》もののように吼《ほ》えた呂宋兵衛は、すでに、味方《みかた》の半《なか》ばはきずつき、半ばはどこかへ逃げうせたのを見て、いよいよ狼狽《ろうばい》したようす。伊那丸《いなまる》のするどい切《き》ッさきと、忍剣の禅杖《ぜんじよう》をうけかねて、息をあえぎ、脂汗《あぶらあせ》をしぼりながら、一|歩《ぽ》一|歩《ぽ》追いつめられたが、そのうちに、ドンとうしろへつまずいた。  ほうりだされた鎖《くさり》駕籠《かご》——それへ打《ぶ》つかって、呂宋兵衛がヨロリと駕籠《かご》の棒《ぼう》へささえられた。 「しめたッ!」  と、いう声がそのうしろでした。——だれかとおもうと、さいぜん、弾煙《たまけむり》のなかにたおれた木隠龍太郎《こがくれりゆうたろう》である。  いかなる戒刀《かいとう》の達人《たつじん》も、飛道具《とびどうぐ》のまえに立っては危険《きけん》なので、わざと身をうっ伏《ぷ》せたものだった。  しかし龍太郎は、たおれたまま仮死《かし》をよそおっていただけではない。かれは、丹羽昌仙《にわしようせん》が、じぶんの切《き》ッさきからとんで逃げ、あたりの者も見えないしおに、得《え》たりとばかり鎖駕籠の側《そば》へはいより、その錠《じよう》まえをねじ切っていたところである——そこへ、呂宋兵衛がヨロケこんできたから、龍太郎《りゆうたろう》はなんの苦もなく、 「しめた!」  と、その片足をつかんでしまった。  まえには忍剣《にんけん》、横には伊那丸《いなまる》の太刀、足をつかまれて立ちすくみになった呂宋兵衛《るそんべえ》は、いよいよいまが最後とみえたが、いつもこうした破滅《はめつ》には、かならず南蛮流幻術《なんばんりゆうげんじゆつ》で姿《すがた》を消すのが、かれの奥《おく》の手だ。  いまもいまとて、伊那丸と忍剣が、一気にかれを討《う》ちとろうとしたせつな、どこからともなく、ビラビラビラビラビラッと吹きつけてきた針《はり》の風! それは呂宋兵衛の幻術《げんじゆつ》ではない、すぐかたわらの松の木のうえに、蝙蝠《こうもり》のごとく逃《に》げあがっていた蚕婆《かいこばばあ》が、呂宋兵衛あやうしと見て、例の妖異《ようい》な唇《くちびる》から、ふくみ針《ばり》を吹いたのだ。  梢《こずえ》はたかく、下へはかなりの間隔《かんかく》があった。無数の針は音なき風となって、ピラピラと飛んできても肌《はだ》につき立つほどではないが、あたかも毒蛾《どくが》の粉《こな》のように身を刺《さ》したので、ふたりはあッ——と面《おもて》をそむけた。その一瞬《いつしゆん》だ! 「ええッ!」  と、するどく龍太郎の手を蹴《け》はらった呂宋兵衛は、いきなり駕籠《かご》にかぶせてある鎖《くさり》の網《あみ》をつかんで、パッと大地へ投網《とあみ》のように投げた。 「あッ、また妖術《ようじゆつ》を——」  とさけぶまに、龍太郎のからだがその鎖網《くさりあみ》のなかへつつみこまれたので、おどろいた忍剣《にんけん》、禅杖《ぜんじよう》に風をきらせて五体みじんになれとふりつけると、おお奇怪《きかい》! 一陣《いちじん》の黒風がサッと流れて、いままでほがらかだった春暁《しゆんぎよう》の光はどこへやら、あたりは見るまに墨色《すみいろ》にぬりつぶされ、ザアッ——という木《こ》の葉《は》のそよぎとともに、雨か霧《きり》かしぶきか、なんともいえないしめッぽい水粒《すいりゆう》がもうもうと立ってきた。  とたんに、呂宋兵衛《るそんべえ》のからだは、邪法秘密《じやほうひみつ》の印《いん》をむすびながら、ヒラリと駕籠《かご》の屋根《やね》へ飛《と》びうつっていた。あれよ! と眼をみはるまに、まッ暗になった両側の松並木《まつなみき》の根もとから、サラサラサラサラ……という水音がしてたちまち滾々《こんこん》とあふれてくる清冽《せいれつ》が、その駕籠をうごかして、呂宋兵衛を乗せたままツウ——と舟のように流れだした。 「魔人《まじん》め。また邪術《じやじゆつ》をほどこしたな」 「若君《わかぎみ》若君。これは呂宋兵衛の幻惑《げんわく》ですぞ、かならず、その手に乗って、おひるみあそばすな」  投げかけられた鎖《くさり》をはらって、龍太郎と忍剣が、流るる駕籠をジャブジャブと追《お》いかける、その時もうこの街道《かいどう》は、まんまんたる濁水《だくすい》の川となって、槍《やり》の折れや、血あぶらや、死骸《しがい》がうきだし、ともすると伊那丸《いなまる》まで足をながされておぼれそうだ。 「ちぇッ、ざんねんだ!」  なにしろ水の勢いが、とうとうと足の運びをはばめるので、さすがの伊那丸も二勇士も、目前《もくぜん》に仇《あだ》を見、目前に父の駕籠を目撃《もくげき》しながら、どうしても追いつくことができない。そのまに、筏《いかだ》のように水に浮いた駕籠がグングンとゆれつつ押しながれ、その上には和田呂宋兵衛《わだるそんべえ》、ざまを見ろといわんばかりに、白い歯《は》をむいてあざわらっている。 「ウーム、おのれ邪法《じやほう》の外道《げどう》め、見ておれよ!」  水勢に巻かれて、むなしく立《た》ち往生《おうじよう》してしまった主従《しゆじゆう》三人は、もう胸の上まで濁水《だくすい》にひたって、樹《き》の枝につかまりながら、敵のゆくえをにらんでいたが、そのとき、加賀見忍剣《かがみにんけん》は、はじめて破術《はじゆつ》の法を思いだして、散魔文《さんまもん》の秘句《ひく》をとなえ、手の禅杖《ぜんじよう》をふりあげ、エイッ! と水流を切断《せつだん》するように打ちおろした。  水面をうった法密《ほうみつ》の禅杖に、サッと水がふたつに分れたと思うと、散魔文の破術にあって狼狽《ろうばい》した呂宋兵衛は徒歩《とほ》になってまッしぐらにかなたへ逃げだし、まんまんと波流《はりゆう》をえがいていた濁水は、みるみるうちに、一抹《いちまつ》の水蒸気《すいじようき》となって上昇《じようしよう》してゆく……そして松並木《まつなみき》の街道《かいどう》は、ふたたびもとののどかな朝にかえっていた。  まるで、悪夢《あくむ》から醒《さ》めたよう……ふとみると春の陽《ひ》はさんさんと木の間からもれて若草にもえ、鳥はほがらかに音《ね》を張《は》ってうたっている。それのみか、呂宋兵衛が水に浮かして乗りさったと思えた鎖《くさり》駕籠《かご》は、一|寸《すん》の場所もかえずに、もとのところにすえられてある。     四  呂宋兵衛が得意とする水術に眩惑《げんわく》されて、かれをとり逃がしたのは遺憾《いかん》だが、勝頼《かつより》の駕籠をうばったのは、せめて伊那丸《いなまる》の心をなぐさめるに足《た》るものであった。 「待て待て、忍剣《にんけん》。龍太郎《りゆうたろう》も待て!」  伊那丸は、なおも憎《に》ッくき賊《ぞく》を追おうとするふたりを止《と》めて、 「このたび都《みやこ》へまいったのは、まず何よりもお父上の危急《ききゆう》をお救《すく》い申すにあった。いまここに、その駕籠《かご》を迎えまいらせた以上、呂宋兵衛《るそんべえ》を討つのは、いまにかぎったことではない。それ、一刻《いつこく》もはやく、お駕籠のうちからお救い申しあげて、小太郎山《こたろうざん》のとりでへもどろうぞ」 「おっしゃるごとく、それこそ、大願《たいがん》の目標《もくひよう》でした」 「忍剣! 手をかせ」 「はッ」  と、主従《しゆじゆう》三人、バラバラと駕籠のそばへ寄っていったが、ああ、去年《こぞ》の春、織徳連合軍《しよくとくれんごうぐん》の襲《おそ》うところとなって、天目山《てんもくざん》の露《つゆ》と化《か》したまうと聞えて以来、ここにはやくも一めぐりの春。——いまこそ、亡《な》き君とのみ思うていた、武田四郎勝頼《たけだしろうかつより》その人のかわれる姿《すがた》を拝《はい》すことができるのかと、龍太郎も忍剣も、思わず胸《むね》をわななかせて、大地にひざまずき、伊那丸もまだその姿《すがた》を拝《はい》さぬうちから、睫毛《まつげ》になみだの露《つゆ》をたたえている。  一同、駕籠《かご》のまえに、ピタと両手をついて、 「あいや、それにおわす貴人《きじん》のご僧《そう》に申しあげまする。われわれは武田家恩顧《たけだけおんこ》のともがら、ここにいますは、お家《いえ》のご次男伊那丸さまにおわします。ひそかにおうわさのあとをしたって、遠き小太郎山のとりでより、ここまでお迎えに参《さん》じましてござります。このうえはなにとぞ、もとの甲山《こうざん》にお帰りあそばして、あわれ、甲斐源氏再興《かいげんじさいこう》のために、臥薪嘗胆《がしんしようたん》いたしている若君《わかぎみ》をはじめ、われわれどもの盟主《めいしゆ》とおなりくださいますよう。またそれをごしょうちくださいますとあらば、なにとぞ、ここにて久しぶりに、若君へご対顔《たいがん》おおせつけ願いとうぞんじます」  誠意《せいい》をこめて、ふたりがいうと、 「うむ……」と駕籠《かご》のうちで、かすかにうなずく声がした。 「さてはおゆるし? ……」  と龍太郎、忍剣《にんけん》と目くばせしながら、おそるおそる寄って駕籠の塗戸《ぬりど》へ手をかけ、 「若君、ご対面《たいめん》なされませ」  スーと開《あ》けると、なかには、まぎれもなきひとりの僧形《そうぎよう》、網代笠《あじろがさ》をまぶかにかぶって、うつむきかげんに乗っていた。 「おお、お父上でござりましたか。おなつかしゅうぞんじまする。わたくしは伊那丸《いなまる》でござります——天目山《てんもくざん》のご合戦《かつせん》にもい合わさず、むなしく生き永《なが》らえておりました。お父上! お父上!」  ほとばしる激情《げきじよう》! われをわすれて駕籠の戸にすがりつき、僧形の人の手をとると、僧も黙然《もくねん》として手をとられ、ゆらりと駕籠のそとに立った。 「お父上! またもや敵の手がまわらぬうちに、一刻《いつこく》もはやく、ここを去ってお越《こ》しくださいませ、いざ伊那丸がごあんないいたしまする」 「どこへ? ……わしを連れていくというのじゃ」 「甲信駿《こうしんすん》三ヵ国のさかい、小太郎山《こたろうざん》のとりでの奥《おく》へ。——オオ父上、そここそ山また山、自然の嶮城《けんじよう》、難攻不落《なんこうふらく》の地にござります。お父上のご武運つたなく、ひとたびは織田徳川《おだとくがわ》のために亡《ほろ》びこそすれ、まだその深岳《しんがく》のいただきには、甲斐源氏《かいげんじ》の旗《はた》一|旒《りゆう》、秋《とき》をのぞんでひるがえっておりまする」 「ああ、その秋《とき》はすでに去りました——、天の運行《うんこう》は去ってかえらず、還《かえ》るは百年ののちか千年の後か——」 「えッ、なんとおっしゃいます……父上!」  染衣《せんえ》の袖《そで》にすがりついて、ふと、網代笠《あじろがさ》の下からあおいだ伊那丸《いなまる》は、あッといって、ぼうぜん——ただぼうぜん、その手をはなしてこういった。 「父上とのみ思うていたが、そちは、鞍馬《くらま》の果心居士《かしんこじ》ではないか」  聞くより龍太郎《りゆうたろう》もびっくりして、 「やッ、老先生でござりますと? ——」  あまりのことにあきれはてて、忍剣《にんけん》とともに、ただ顔を見あわせているばかり。しばらくの間《あいだ》は、口もきけないほどであった。 「定めしおおどろきでござろう。……しかし、わしが雷神《らいじん》の滝《たき》の孤岩《こがん》の上に、書きのこしておいた通り、これもみな、まえからわかっていることなのでござる。おう、ご不審《ふしん》の晴れるように、いまその次第《しだい》をお話しいたそう。若君《わかぎみ》も、まず、そのあたりへ御座《ござ》をかまえられい」  居士《こじ》はゆうゆうと、ちかくの石へ腰をおろした。そして、伊那丸《いなまる》へ、 「おん曹子《ぞうし》——」と重々《おもおも》しく呼びかけた。 「はい」と伊那丸は、老師のまえへ、神妙《しんみよう》に首をたれてこたえる。 「あなたは、甲斐源氏《かいげんじ》の一つぶ種《だね》——世にもとうとい身《み》でありながら、危地《きち》をおかしてお父上を求めにまいられた。孝道《こうどう》の赤心《せきしん》、涙ぐましいほどでござる。が、しかし——その勝頼公《かつよりこう》が世に生きているということは、はたして真実でござりますか? あなたはその証拠《しようこ》をにぎっておいでなさりますか?」 「わしは知らぬが、伝《つた》うところによれば、父君は天目山《てんもくざん》にて討死《うちじに》したと見せかけて、じつは裂石山《れつせきざん》の古寺《ふるでら》にのがれて姿をかえ、京都へ落ちられたといううわさ……」 「さ。それが真実か虚伝《きよでん》かは、まだまだ深いなぞでござるぞ。いかにも、この果心居士《かしんこじ》が知るところでも、呂宋兵衛《るそんべえ》の手にとらえられた僧形《そうぎよう》の貴人《きじん》は、勝頼公《かつよりこう》によう似ておった」 「おお、してその僧侶《そうりよ》はどうしました。また、居士はなんで、かような姿をして、この鎖《くさり》駕籠《かご》のなかにはいっておいでになりましたか」 「されば、じつをいうと、その貴人の僧は、南蛮寺《なんばんじ》の武器倉《ぶきぐら》に押しこめられている間《あいだ》に、わしがソッと逃がしてやりました。そして——その人の笠《かさ》や衣《ころも》をそのまま着て、わしがこの鎖駕籠に乗っていたのじゃ」 「お! では老先生、やはりその僧こそ、父の勝頼《かつより》ではございませぬか」 「さあ? ……その人が勝頼であるかないか、それはだれにもはっきりは申されぬ」 「な、なぜでござります」 「武門《ぶもん》をすて、世をすて、あらゆる恩愛《おんあい》や争闘《そうとう》の修羅界《しゆらかい》を、すてられた人の身の上でござるもの。話すべきにあらず、また話して返らぬことでもある」 「や、や、や! ではこの伊那丸《いなまる》が、かくまで心をくだいて、武田家《たけだけ》の再興《さいこう》を計《はか》っているのに、お父上には、もう現世《げんせ》の争闘をお忌《い》みあそばして、まったく、心からの世捨人《よすてびと》とおなりなされたのですか」 「もし、おん曹子《ぞうし》——まえにもいったとおり、まだその僧が、勝頼公かいなか、はっきり分っておらぬのに、そうご悲嘆《ひたん》なされてはこまる。どれ、わしもそろそろ鞍馬《くらま》の奥へ立ちかえろう」 「老先生、しばらくお待ちくださいませ。……もう一言《ひとこと》うかがいますが、居士《こじ》が身代《みがわ》りとなって逃がしたとおっしゃるその僧は、いったいどこへいったのでござりましょうか」 「おそらく、浮世《うきよ》の巷《ちまた》ではありますまい」 「と、すると」 「浄悪《じようあく》すべてをつつむ八葉蓮華《はちようれんげ》の秘密の峰《みね》——高野《こうや》の奥には、数多《あまた》の武人が弓矢を捨てていると聞く」  と、謎《なぞ》のような言葉をのこして、果心居士《かしんこじ》は飄然《ひようぜん》と松のあいだへ姿をかくした。  幻滅《げんめつ》の悲しみをいだいて、ぼうぜんと気ぬけのした伊那丸《いなまる》は、ややあってわれにかえった。そして、なお問《と》いたいことのいくつかを思いだし、あわただしくあとを追って、老師《ろうし》! 老師! ——といくたびも声のかぎり呼んで見たけれど、もう春影《しゆんえい》の林間《りんかん》にそのうしろ姿はなく、ほろほろとなく山鳥の声に、なにかの花がまッ白に散《ち》っていた。  ああわからない、わからない。どう考えても伊那丸にはわからない。  果心居士の話しぶりでは、居士はすでに貴人の僧に会っているのだ。そして、自身がその身代《みがわ》りになり、桑名《くわな》に護送《ごそう》されるまえに、どこかへ落としてしまったとおっしゃる。だのに、居士はそれが父の勝頼《かつより》であるとは決していいきらない。その一点だけをどうしても打ち明けてくれない。  なぜだろう? ——ああさてはお父上には、居士が口をもらしたとおり、まったく弓矢の道をすてて、高野《こうや》の道場にこもるおつもりなのか? ……そして浮世《うきよ》に未練《みれん》をもたぬため、いさぎよく、わざとじぶんにも会わず、父とも名のらず、愛情のきずなを断《た》って三密《さんみつ》の雲ふかきみ山にかくれてゆかれたのであろう?  そう伊那丸はかんがえた。  お父上よ! お父上よ! ではぜひないことでござります。敗軍《はいぐん》の将《しよう》は兵をかたらずと申します。ひとたび天目山《てんもくざん》に惨敗《ざんぱい》をとられた父上が、弓矢をなげうつのご決心は、よくわかっておりまする。  甲山《こうざん》に鎮守《ちんじゆ》して二十七|世《せい》の名家《めいか》、武田菱《たけだびし》の名聞《みようもん》をなくし、あまたの一族郎党《いちぞくろうどう》を討死させた責任をご一身《いつしん》におい、沙門遁世《しやもんとんせい》のご発心《ほつしん》! アア、それはよくわかっておりまする! お父上のご心中、戦国春秋《せんごくしゆんじゆう》の常とはいえ、ご推察《すいさつ》するだに、熱いなみだがわきます。  さあれ、伊那丸《いなまる》はまだ若年《じやくねん》です。  伝家《でんか》の宝什《ほうじゆう》、御旗楯無《みはたたてなし》の心をまもり、大祖父信玄《だいそふしんげん》の衣鉢《いはつ》をつぎ、一|片《ぺん》の白旗《しらはた》を小太郎山《こたろうざん》の孤塁《こるい》にたてます。  われに越王《えつおう》勾践《こうせん》の忍苦《にんく》あり、帷幕《いばく》に民部《みんぶ》、咲耶子《さくやこ》、蔦之助《つたのすけ》あり、忍剣《にんけん》、龍太郎《りゆうたろう》の驍勇《ぎようゆう》あり、不倶戴天《ふぐたいてん》のあだ徳川《とくがわ》家を討ち、やがて武田《たけだ》再興《さいこう》の熱願《ねつがん》、いな、天下|掌握《しようあく》の壮図《そうと》、やわか、やむべくもありませぬ。  伊那丸は心のそこで、高く高く、こう思い、こう誓《ちか》い、こうさけんだ。  そして彼は、まもなく忍剣と龍太郎とをつれて、寒松院《かんしよういん》の松並木《まつなみき》をたち去った。  かかるうえは一刻《いつこく》もはやく、小太郎山のとりでへ帰って、一党《いつとう》の面々《めんめん》にこのしまつをつげ、いよいよ兵をねり陣をならし、一旦《いつたん》の風雲に乗じるの備えをなすこそ急務《きゆうむ》である——と思ったのである。  伊那丸はほんぜんとさとった。大悟《だいご》すれば、居士《こじ》の謎《なぞ》めいた言葉も、おのずから解《と》けたような心地がする。  会わねど、見ねど、さらば父上よ高野《こうや》の道場にいませ。  ——かれの心はすがすがしかった。   両童子空《りようどうじそら》に闘《たたか》う     一  いそぎにいそいで京都をでた伊那丸主従《いなまるしゆじゆう》が、大津《おおつ》越え関《せき》の峠《とうげ》にさしかかったのは、すでに、その日の薄暮《はくぼ》であった。  ここは木曾街道《きそかいどう》、東海道、北国街道《ほつこくかいどう》、三道のわかれ道で、いずれを取るもその人の心まかせ。伊那丸は三井寺山《みいでらやま》のふもとに立ち、魚鱗《ぎよりん》の小波《さざなみ》をたたえている琵琶《びわ》のみずうみをながめながらかんがえた。 「忍剣《にんけん》、龍太郎《りゆうたろう》。そちたちは、これから小太郎山《こたろうざん》へもどる道を、いずれにえらぶがよいと思うか」 「されば」と、龍太郎はすぐこたえた。 「北国路《ほつこくじ》には、上部八風斎《かんべはつぷうさい》のつかえる柴田権六勝家《しばたごんろくかついえ》が、厳重に柵《さく》をかまえていて、めッたな旅人は通しますまい、また、東海道はなおのこと、徳川家康《とくがわいえやす》の城下あり、井伊《いい》、本多《ほんだ》、榊原《さかきばら》などの、陣屋陣屋もござりますゆえ、ここを破ってまいるのもひとかたならぬご難儀《なんぎ》かとぞんじまする」 「と、われらのとる道は、まず木曾路《きそじ》が一番安全であるという意見じゃの」 「さようにござります」  というと、忍剣《にんけん》が、異論をとなえて、木曾路ゆきに反対した。 「イヤ龍太郎どののお言葉は、もっとものようであるが、木曾路もけっして安心な道中ではない。なんとなれば、木曾の木曾義昌《きそよしまさ》、きゃつも昔は武田家《たけだけ》の忠族であったが、いまでは徳川家《とくがわけ》の走狗《そうく》となっている、かならず若君に弓をひくやつであろう。ことに木曾路はゆくところみな難所折所《なんしよせつしよ》、いざという場合にはいちだんと危険が多いように考えられる」 「では、忍剣どのには、北国路がよいと仰《おお》せられるか」 「北国路とて同じこと、柴田権六《しばたごんろく》、ちかく賤《しず》ケ岳《たけ》まで軍兵《ぐんぴよう》をだして、木《き》ノ芽峠《めとうげ》には厳重《げんじゆう》な柵《さく》をかまえているように聞きますゆえ、ここを通るも難中《なんちゆう》の難でござる。で、おなじ難儀をみるものなら、むしろどうどうと徳川家の領土《りようど》をぬけ、あわよくば浜松城のやつばらに、一あわふかせて引きあげたほうがおもしろいとぞんじます」  ちょっと聞くと忍剣の説は、暴論《ぼうろん》のように聞えるが、ふかく考えれば北国も木曾も東海も、その危険さは一つである。ましてやいま、天下に一国の領土もなく、一城の知己《ちき》もない伊那丸《いなまる》に、安全な通路というものがあろうはずはない。  おなじ敵地をふむものなら、忍剣のいうとおり、徳川家の蟠踞《ばんきよ》する東海道こそもっとも小太郎山《こたろうざん》に近く、もっとも地理平明である。では——と相談《そうだん》がまとまって伊那丸は藺笠《いがさ》の緒《お》をしめ、忍剣《にんけん》は禅杖《ぜんじよう》をもち直し、やおら、そこを立ちかけたせつなである。  頭のいただきから、山嵐《さんらん》をゆする三井寺《みいでら》の大梵鐘《だいぼんしよう》が、ゴウーン……と余韻《よいん》を長くひいて湖水のはてへうなりこんでいった。と、一しょに——これはそもなに? 逢坂山《おうさかやま》の森をかすめて、ピューッと凧《たこ》のうなるがごとき音をさせつつ、斜《なな》めにひくく、直線にたかく、そしてゆるく、またはやく旋回《せんかい》してきたあやしいものがある。——オ、舞いめぐる空の怪物《かいぶつ》! それは丈余《じようよ》の大鷲《おおわし》だ。  そのとき、暮れなんとする春の夕空は、ひがし一面を紺碧《こんぺき》に染《そ》め、西半面の空は夕やけに赤く、琵琶《びわ》の湖水を境にして染めわけられたころあいである。空にかかった大鷲の影も、遠き夕照《ゆうで》りをうけて金羽《きんう》|さんらん《ヽヽヽヽ》として見えるかと思えば、またたちまち藍色《あいいろ》の空にとけて、ただものすごき一点の妖影《ようえい》と化している。 「おお、ありゃクロだ! 竹童《ちくどう》がたずねている大鷲だ」  禅杖をあげて忍剣が高くさけぶと、龍太郎《りゆうたろう》と伊那丸《いなまる》も目をみはって、 「うむ! まさしくクロにそういない。寒松院《かんしよういん》の並木《なみき》へのろしの音はきこえてきたが、竹童はあのまま帰らぬ。もしや鷲に乗って、追いついてきたのではあるまいか」 「そういえばだれか乗っているようす、——や、竹童だ!」 「なに竹童が乗っている。オオ、竹童——竹童ッ——」  とふたりが、声をあげて大空に呼んだが、鷲はひくく樹木のさきへふれるばかりにおりてきて、また、ツーッとあらぬ方角へそれてしまう。と、龍太郎が、なにを見いだしたかおどろきの声をはずませて、 「や、ふしぎな! あの鷲《わし》には、竹童ばかりでなく、ほかの童子《どうじ》も乗っている。たしかにふたりの人間が乗っている」 「龍太郎どのの目にもそう見えたか、わしもそう思ってふしぎに感じていたのだ。アレアレ、こんどは湖水のほうへいっさんにかけりだした——」  瞳《ひとみ》をこらして見ていれば、さっさつたる怪影《かいえい》は、関《せき》の山《やま》から竹生島《ちくぶしま》のあたりへかけて、ゆうゆうと翼《つばさ》をのばして舞《ま》うのであった。その鷲の背にありとみえた両童子《りようどうじ》こそ、まぎれもあらず、南蛮寺《なんばんじ》の丘からムシャブリついて飛びあがった、鞍馬《くらま》の竹童——泣き虫の蛾次郎《がじろう》。     二  天空《てんくう》のふたりは、朝から今まで、たがいに、飲まず食《く》わずである。  竹童は、蛾次郎を鷲の背から蹴《け》おとさんとし、蛾次郎は、竹童をふりおとして、じぶんひとりで翼を占有《せんゆう》しようとしている。  しかもそれは、寸分《すんぶん》の休みもなく走っている鷲の背なかで、天空の上で——行われつつある争闘《そうとう》だ。一しゅんのゆだん、一|分《ぶ》のすきでもあれば、鷲じしんにふりおとされるか、そのいずれかが見舞ってくる。朝から飲まず食わずでも、またこれからいく日《にち》、一|滴《てき》の水を口にしないまでも、そんなことは念頭《ねんとう》にない。まさに真剣以上の真剣だ。それに早くまいったほうが惨敗者《ざんぱいしや》だ。 「やい、蛾次郎《がじろう》!」  かけりゆく鷲《わし》の上で、こういう声は鞍馬《くらま》の竹童《ちくどう》。 「なんだ、竹童」  蛾次郎は、ただそれ下界《げかい》へ蹴《け》おとされまい一念で、鷲の頸毛《えりげ》にダニのようにたかっていた。 「いいかげんに降参《こうさん》してしまえ。そしてこの鷲をおいらに返してしまえ。そしたら命《いのち》だけは助けてやる」 「いやなこッた。てめえこそ、低いところへ降《お》りたときに、飛び降りてしまやがれ。そしたら命だけたすけてやる」 「こいつめ、人の口まねをするな。おのれ、今にどこかで突きおとしてくれるから見ていろよ」 「手をはなせば、人を落とすまえに、じぶんのからだがお陀仏《だぶつ》だぞ。ざま見やがれ、唐変木《とうへんぼく》、突きとばせるものならやッて見ろ」 「おのれきっとか」 「くそうッ!」  と、ののしり合った空のけんか。  両手をはなして組みあえば、蛾次郎のいう通り、鷲の上からふりすてられてしまうので、片手と片手のつかみ合い。  蛾次郎《がじろう》は猫《ねこ》のごとく爪《つめ》をたって、竹童の頬《ほ》ッぺたをひっかいたが、指にかみつかれたので、びっくりして手を引っこめ、こんどはいきなり対手《あいて》の髪《かみ》の毛を引っつかんだ。 「うむ! こんちくしょうッ」  竹童は拳骨《げんこつ》をかためて、かれの脇《わき》のしたから顎《あご》をねらった。そして、二つばかり顔を突いたが、蛾次郎も命《いのち》がけだ。くちびるを噛《か》みしめて、なおも必死にこらえている。 「ちぇッ——強情《ごうじよう》なやつだ、降参《こうさん》しろ、降参しろ! まいったといわないうちは、こうしてくれる!」  竹童の鉄拳《てつけん》が、目といわず鼻といわず、ポンポン突いてくるので、さすがの蛾次郎も、だんだん色をうしなって顔色まっ青にかわってきた。これがいつもならば泣き虫の蛾次郎、本領《ほんりよう》を発揮《はつき》してワアワア泣き声をあげているはずだが、かれも生死の境にたった以上、ふだんよりは相当《そうとう》につよい。タラタラと鼻血をながして、くちびるの色まで変えたが、まだ参《まい》ったとはいわないで、 「ちッ、ちッ、畜生《ちくしよう》ッ!」  というがはやいか、竹童の腰《こし》に差されてあった般若丸《はんにやまる》の刀に目をつけ、あっという間《ま》に、それを抜いてふりかぶった。  雲井《くもい》にあらそう両童子《りようどうじ》を乗せて、鷲《わし》はいましも満々《まんまん》たる琵琶《びわ》の湖水をめぐっている。   夜《よる》の海月《くらげ》と火《ひ》の百足《むかで》     一  はてしもなく舞《ま》う大鷲《おおわし》の背《せ》なかに、はてしもなき両童子《りようどうじ》の争闘《そうとう》! 蛾次郎《がじろう》は、敵の剣《けん》を抜きとッてふりかぶり、竹童《ちくどう》はその腕《うで》くびを引ッつかんで、やわか! とばかり般若丸《はんにやまる》の柄《つか》をもぎ取ろうとする。  黒毛《こくもう》ふんぷん、大地の上なら、まさに組《く》ンずほぐれつである。  蛾次郎勝つか? 竹童勝つか。  雲井《くもい》に賭《と》した命《いのち》と命! かれも必死《ひつし》、これも必死だ。  だが、大鷲の神経《しんけい》は、かかる火花をちらす活闘《かつとう》が、おのれの背におこなわれているのも、知らぬかのように、ゆうゆうとして翼《つばさ》をまわし、いま、比叡《ひえい》の峰《みね》や四明《しめい》ケ岳《たけ》の影をかすめたかとみれば、たちまち湖面の波を白くかすって、伊吹《いぶき》の上をめぐり、彦根《ひこね》の岸から打出《うちで》ケ浜《はま》へともどってくる。——  さッきから三井寺《みいでら》の丘《おか》のふもとに立って、かたずをのんで見つめていた伊那丸《いなまる》と、忍剣《にんけん》、龍太郎《りゆうたろう》の三人は、その巨影《きよえい》がありありと目前へ近づいたせつなに、 「あッ——竹童!」  と、異口同音《いくどうおん》にさけんだが、いかにかれの危難《きなん》を知っても、それへ力を貸《か》してやることもならず、鷲《わし》はまた、バッと山かげに突きあたって飛翼《ひよく》をかえし、広い琵琶湖《びわこ》の上を高くひくく舞いはじめた。  と思うと——一しゅんのまに、鷲はいような羽《は》ばたきをして、糸目《いとめ》のからんだ凧《たこ》のように、クルクルッと狂《くる》いはじめた。  両童子《りようどうじ》が背なかの上で、たがいに、斬らんとし、奪《うば》わんとしていた般若丸《はんにやまる》の切《き》ッさきが、あやまッて鷲のどこかを傷つけたのにそういない。あッ——というまもなく、虚空《こくう》の上から引ッからんだ二つの体《からだ》が、フーッと真ッさかさまに落ちたなと思うと、琵琶湖のまン中に、龍巻《たつまき》でも起ったような水煙が、ザブーンと高くはねあがった。  しぶきの散ッたあとは、雪かとばかり白い泡《あわ》がいちめんにみなぎっていた。そしてその泡沫《ほうまつ》が消えゆくにつれて、夕ぐれの青黒い波が、モクリ、モクリと、大きな波紋《はもん》をえがいていたが、ジッと波の中をすかして見ると、電魚《でんぎよ》のような光がして、たッたいままで天空《てんくう》にあった竹童《ちくどう》と蛾次郎《がじろう》、こんどは湖水の底で、なおもはげしくあらそっている。  時おり、黒い波を切ッて、ピカリピカリとひらめくのは、般若丸の光であった。やがて、竹童の力がまさったか、その刀をもぎ取ってブクリッ……と水面に浮かびだしてくると、その腰《こし》にからんで蛾次郎も、 「ア、ぷッ……」  と鮫《さめ》のように水をふいた。 「えい、じゃまなッ」  と鞍馬《くらま》の竹童《ちくどう》は、般若丸《はんにやまる》を口にくわえるやいなや、蛾次郎《がじろう》をけって……サッと抜き手をきったが、かれはまた一方の足をかたくつかんで、死んでもはなすまいとした。  ふたたび三たび、浮いては沈《しず》み、浮いては沈みするうちに、さすがの竹童もきょくどに心身《しんしん》をつからして、蛾次郎に足を引かれたまま、ブクブクと深みへ重くしずんでしまった。  そしてついに、湖面《こめん》へ浮かんでこなかったが、ややしばらくたつと、そこからズッとはなれた竹生島《ちくぶしま》の西浦《にしうら》あたりに、名刀|般若丸《はんにやまる》の血流しをくわえたまま失神している竹童と、その右足にからんでグンニャリした泣き虫の蛾次郎とが、くらげのごとく、フワリ、フワリ……と夜の湖水の波をよりつつただよっていた。     二 「これッ、だれかおらぬか、この渡場《わたしば》のものはおらぬか!」  もうトップリ日がくれた松本《まつもと》の渡船場《とせんば》へきてあわただしく、そこの船小屋《ふなごや》の戸をたたいていたのは、加賀見忍剣《かがみにんけん》であった。 「湖水に落ちておぼれたものがある、それを救ってやるいそぎの船を借《か》りたい。これ、だれかおらぬか、船頭《せんどう》は!」  と、破れんばかり戸をたたいたが、なかにもれる灯影《ほかげ》があるのに、いっこうこたえがないので、加賀見忍剣《かがみにんけん》、禅杖《ぜんじよう》をかかえて附近の波うちぎわを見まわしていると、三井寺《みいでら》のふもとから、おくればせに馳《か》けてきた伊那丸《いなまる》と龍太郎《りゆうたろう》も、はるかに見た竹童《ちくどう》の危急をあんじて、 「忍剣、船はあったか」と、そこへくるなり声をいそがした。 「ふしぎなこと、……この渡船場《とせんば》に、一そうもそれが見あたりませぬ」 「まだ宵《よい》なのに、矢走《やばせ》へかよう船がないはずはない。そのへんの小屋に、船頭《せんどう》がいるであろう」 「さ、それをただいま、呼んでいるところでございますが」 「船頭もおらぬのか。——さては、さきに逃げた呂宋兵衛《るそんべえ》やその手下どもが、このあたりの船を狩《か》り集めて、琵琶湖《びわこ》を渡ったものとみえる。アーふびんなことをいたした。いかに竹童でも、あの高い空から落ちて、はや日も暮れてしまったことゆえ、さだめし水におぼれたであろう……なんとか、助けてやる工夫《くふう》はないものか」  主従三人、愁然《しゆうぜん》と手をつかねて湖水の闇《やみ》を見つめていると、瀬田川《せたがわ》の川上、——はるか彼方《あなた》の唐橋《からはし》の上から、炬火《きよか》をつらねた一列の人数が、まッしぐらにそこへいそいできた。  危難は竹童の身ばかりではない。  敵地に身をおいて、草木の音にも気をくばっている伊那丸主従は、それを見ると、ハッとして、和田呂宋兵衛《わだるそんべえ》がさかよせをしてきたか、膳所《ぜぜ》の城にある徳川方《とくがわがた》の武士がきたかと、身がまえをしていると、やがて、炬火《きよか》の先駆《せんく》となって、駒《こま》をとばしてきた一|騎《き》の武者《むしや》。 「やあ、それにおいであるのは、武田伊那丸《たけだいなまる》さまではございませぬか」  音声《おんじよう》たからかに呼んで近づいてきた。 「おお、いかにもこれに渡らせらるるは、伊那丸君でおわすが、して、そこもとたちは何者でござる」  まえにたって龍太郎《りゆうたろう》と忍剣《にんけん》、きびしくこういって油断《ゆだん》をしずにいると、 「さては!」  とその騎馬武者《きばむしや》三人、ヒラリ、ヒラリ、と鞍《くら》から飛びおりて、具足陣《ぐそくじん》太刀《だち》の音をひびかせながら面前に立った。 「それがしは、福島市松《ふくしまいちまつ》の家来、可児才蔵《かにさいぞう》」  こう名《な》のると、つぎの武者が—— 「拙者《せつしや》は、加藤|虎之助《とらのすけ》の家臣、井上大九郎と申す」 「おなじく、木村|又蔵《またぞう》でござる」  と、いずれもりっぱな態度《たいど》で会釈《えしやく》をした。  そしてふたたび、なかの可児才蔵が、一|歩《ぽ》すすんで、 「不意《ふい》にかような戦場のすがたで、人数をひきいてまいりましては、さだめしお驚きとぞんじますが、じつはこれお迎《むか》えの軍卒《ぐんそつ》、さっそく、あれへ用意いたしてまいった馬にお召《め》しをねがいます」 「なんといわれる。伊那丸《いなまる》さまをお迎えにまいられたとか?」  意外な口上《こうじよう》をきいて、忍剣《にんけん》と龍太郎《りゆうたろう》が顔を見あわせていると、井上大九郎が語をついで、 「それは、桑名《くわな》のご陣にある、秀吉公《ひでよしこう》からの、直命《ちよくめい》でござる。殿のおおせには、このたび伊那丸さまのご上洛《じようらく》こそよきおりなれば、ぜひ一どお目にかかったうえ、ながらくおあずかりいたしている品《しな》を、手ずからお返し申したいとの御意《ぎよい》、なにとぞ、ご同道のほどくださいますように」 「はて、不審《ふしん》なおおせではある? ……」  伊那丸は優美な眉《まゆ》をひそめて、 「べつにこの方《ほう》より、秀吉《ひでよし》どのへおあずけいたした品《しな》もないが……」 「イヤ、たしかに、大事な品をおあずかりしているとおおせられました。そのために、桑名攻《くわなぜ》めの陣中から、われわれどもが、騎馬《きば》をとばしてお迎えにまいったわけ」  というと、加賀見忍剣《かがみにんけん》、もしや巧言《こうげん》をもって、若君を生《い》けどろうとする秀吉の策《さく》ではないかと、わざと、鉄杖《てつじよう》をズシーンと大地へつき鳴らして、 「ではおうかがいいたすが、桑名攻めの戦場にあられたかたがたが、どうして、ここへ伊那丸さまがお通りあることを、かように早く承知《しようち》めされたのじゃ」 「その不審《ふしん》はごもっともであるが、じつはきょうの午《うま》の刻《こく》まえに、南蛮寺《なんばんじ》の番人《ばんにん》和田呂宋兵衛《わだるそんべえ》をはじめその他の者が、ちりぢりばらばらとなって、桑名《くわな》のご陣へかけつけてまいりました」 「ウム。勝頼公《かつよりこう》を差《さ》したてよとは、アレも、秀吉《ひでよし》どのの指図《さしず》であろうが」 「都に風聞《ふうぶん》の立ったとき、その在所《ありか》をしらべよとはおいいつけになりましたが、罪人《ざいにん》あつかいにして、桑名に護送《ごそう》することなどは、まッたく、秀吉公のごぞんじないこと。——しかるに呂宋兵衛、桑名のご陣へまいって、いろいろと差出《さしで》がましいことを申しあげたため、かえって秀吉公のお怒《いか》りをうけて、そくざに、ご陣屋を追いはらわれ、南蛮寺《なんばんじ》の番衛役《ばんえいやく》も召《め》しあげられ、この後は、京都へ立ち入ることはならぬと、手下のものまで追放《ついほう》になりました」  まことはおもてにあふれるもの。  使者三名の口上《こうじよう》には、その真実味《しんじつみ》がこもっていた。  では、筑前守秀吉《ちくぜんのかみひでよし》は、かならずしも、悪意があって勝頼のゆくえをたずねさせたのではなかろう……と伊那丸《いなまる》も心がとけ、忍剣《にんけん》や龍太郎《りゆうたろう》も、さらばと、その意《い》に従《したが》うことになった。  いつか、一同のまわりには、松明《たいまつ》をあかあかと照らした軍兵《ぐんぴよう》が五、六十人、ズラリと輪形《わがた》になって陣列を組んでいた。 「それ、用意のみ鞍《くら》をさしあげい」  と、木村|又蔵《またぞう》が合図《あいず》をすると、おッといって馬廻《うままわ》りの武士、月毛《つきげ》、黒鹿毛《くろかげ》の馬三頭のくつわをならべ、馬具《ばぐ》の金属音《きんぞくおん》をりんりんとひびかせて、三人の前へひいてきた。と——伊那丸《いなまる》が、 「ごめん——」  と、目礼《もくれい》をして、まッ先に、白駒《しろこま》の金鞍《きんあん》にヒラリと乗る。つづいて忍剣《にんけん》と龍太郎《りゆうたろう》、波に月兎《げつと》の鞍《くら》をおいた黒鹿毛《くろかげ》の背へヒラリとまたがって、キッと手綱《たづな》をしぼり、たがいにあいかえりみながら、 「裾野《すその》以来、こうして馬上になるのは、久しぶりだなあ……」という風《ふう》に微笑しあった。  やがて、まッくらな瀬田《せた》の唐橋《からはし》、小橋《こばし》三十六|間《けん》、大橋九十六|間《けん》を、粛々《しゆくしゆく》とわたってゆく一行《いつこう》の松明《たいまつ》が、あたかも火の百足《むかで》がはってゆくかのごとくにみえた。   蜘蛛《くも》の子と逃《に》げ散《ち》る餓鬼《がき》     一  夜も昼《ひる》も、伊勢《いせ》の空は、もうもうと戦塵《せんじん》にくもっていた。  七万の兵をひきいて、滝川《たきがわ》攻めにかかった秀吉《ひでよし》は、あの無類《むるい》な根気《こんき》と、熱と、智謀《ちぼう》をめぐらして、またたくうちに、亀山城《かめやまじよう》をおとし、国府《こう》の城をぬき、さらに敵の野陣や海べの軍船を焼《や》きたてて、一益《かずます》の本城、桑名《くわな》のとりでへ肉迫《にくはく》してゆく。  それが、天正《てんしよう》十一年、三月|上旬《じようじゆん》のことである。  春となれば、焼蛤《やきはまぐり》の汐《しお》のかおりに、龍宮城《りゆうぐうじよう》の蜃気楼《しんきろう》がたつといわれる那古《なこ》の浦《うら》も、今年は、焼けしずんだ兵船の船板《ふないた》や、軍兵《ぐんぴよう》のかばねや、あまたの矢や盾《たて》が、洪水《こうずい》のあとのように浮いて、ドンヨリした赤銅色《しやくどういろ》の太陽が、その水面へ反映《はんえい》もなく照っていた。  陸《おか》をみれば、泊《とまり》、八幡《やわた》、白子《しらこ》の在所《ざいしよ》在所、いずれをみても荒涼《こうりよう》たる焼《や》け原《はら》と化して、あわれ、並木《なみき》のおちこちには、にげる途中でなげすてた在家《ざいか》の人の家財荷物《かざいにもつ》が、うらめしげに散乱して、ここにも、斬《き》ッつ斬られつした血汐《ちしお》や槍《やり》の折れや、なまなましい片腕《かたうで》などがゆくところに目をそむけさせる。  すると、この酸鼻《さんび》な戦場の地獄《じごく》へ、血をなめずる山犬のように、のそのそとウロついてくる人影がある。 「お、こいつの差している刀はすばらしい」 「しめた、ふところから金《かね》がでたぞ」 「やあ、この陣羽織《じんばおり》は血にもよごれていねえ。ドレ、こっちへ召上《めしあ》げてやろうか」  ざわざわと、こんなことをささやきながら、あなたこなたにたおれている武士の物《もの》の具《ぐ》や持ち物を剥《は》ぎまわっているのだ。  ああ戦国の餓鬼《がき》! 戦場のあとに白昼《はくちゆう》の公盗《こうとう》をはたらく野武士《のぶし》の餓鬼! その一|群《ぐん》であった。 「おい! もう大がいにしておけ。あまりかせぎすぎると、こんどは道中の荷《に》やッかいになって、釜《かま》をかぶって歩くようなことになるぞ」  すると、この野盗《やとう》の頭《かしら》とみえて、ふとい声が土手《どて》の上からひびいた。ヒョイとそこをふり仰《あお》ぐと、臥龍《がりゆう》にはった松の木のねッこに、手下の稼《かせ》ぐのをニヤニヤとながめている者がある。 「もうたくさんだ、たくさんだ。そう一ぺんに慾《よく》ばらねえでも、ちかごろは、ゆくさきざきに戦《いくさ》のある世の中だ。まごまごしているまに、秀吉《ひでよし》の陣見《じんみ》まわりでもきた日には大へんだ」  また、こういって、そこにスパスパ煙草《たばこ》を吸《す》っていたのは、すなわち、和田呂宋兵衛《わだるそんべえ》、ほかの二人は蚕婆《かいこばばあ》と丹羽昌仙《にわしようせん》だ。  これで事情はおよそわかった。  秀吉の御感《ぎよかん》にいって、出世《しゆつせ》の階段をとびあがるつもりでいた勝頼探索《かつよりたんさく》の結果が、あの通りマズイはめとなったうえに、命令以上なでしゃばりをやッたので、ついに、軍律《ぐんりつ》をもって陣屋追放をうけたというから、そこで呂宋兵衛は、もちまえの盗賊化《とうぞくか》して、これから他国へ逐電《ちくてん》するゆきがけの駄賃《だちん》とでかけているところであろう。  いくら捨《す》て鉢《ばち》になったにしろ、よくこんな、残忍《ざんにん》な盗みができることと思うが、根《ね》を考えると、富士の人穴《ひとあな》に巣《す》をかまえていた時から、和田呂宋兵衛、このほうが本業なのだ。 「頭領《かしら》、思いがけなく、金目《かねめ》なものがありましたぜ」  と、二、三十人ほどの手下が、そこへ、剥《は》ぎとった太刀や陣羽織《じんばおり》や金をつんでみせると、呂宋兵衛《るそんべえ》は土手《どて》の上からニタリと横目にながめて、 「そうだろう。このへんに討死《うちじに》しているやつらは、おおかた滝川一益《たきがわかずます》の家来で、ツイきのうまでは、桑名城《くわなじよう》でぜいたく三昧《ざんまい》なくらしをしていた者ばかりだからな。……う、そりゃアとにかく、もう南蛮寺《なんばんじ》も秀吉《ひでよし》のやつにとりあげられてしまったから、京都へもどることはできねえ。いッたいこれからどこへ指《さ》して落ちのびたものだろう?」  と、昌仙《しようせん》と蚕婆《かいこばばあ》のほうに相談《そうだん》をもちかけた。 「また、富士《ふじ》の人穴《ひとあな》へかえろうじゃないか」  と、蚕婆は常に思っていることを、このさいにもちだして、あの曠野《こうや》の棲《す》みよいことや、安心なことを数えたてた。 「そうよ、もうほとぼりもさめたから、久しぶりで、富士のすがたも拝《おが》みてえな」 「だが——それはまだよろしゅうござるまい」  といったのは丹羽昌仙《にわしようせん》。野武士《のぶし》のなかにいても、軍師格《ぐんしかく》なだけに、この者はすこし厳《いか》めしくかまえこんでいる。 「なぜだい?」 「なぜと申しても、小太郎山《こたろうざん》の砦《とりで》には、伊那丸《いなまる》の幕下《ばつか》、小幡民部《こばたみんぶ》、また、頭領《かしら》を親の仇《かたき》とねらっている咲耶子《さくやこ》などが、きびしく裾野《すその》を見張っております」 「ウームなるほど。すると、おれがまた人穴城《ひとあなじよう》へ入《はい》りこむと、さっそく、小太郎山からやつらがドッと攻めかけてくるわけだな」 「火をみるよりも明らかな話でござる。まず、もうしばらく、こッちの力がじゅうぶんにととのうまで、裾野《すその》へはいるのは、見合わせたほうがいいようにぞんじます」 「じゃアひとつ、北国路へでもいって、あの敦賀津《つるがつ》の海に紅《べん》|がら帆《ヽヽほ》をおッ立てている、龍巻《たつまき》の九郎《くろう》右衛門《えもん》と合体《がつたい》して、こんどは海べのほうでも荒してやるか」 「イヤイヤ、それもダメなことで」  と、昌仙《しようせん》はいう下からかぶりをふって—— 「もうそろそろ北国|街道《かいどう》の雪も解《と》けてまいったはず、春となれば、秀吉《ひでよし》と、弔合戦《とむらいがつせん》をやるべく意気ごんでいた柴田勝家《しばたかついえ》が、北《きた》ノ庄《しよう》から近江路《おうみじ》へかけて、ミッシリ軍勢《ぐんぜい》をそなえているでございましょう」 「じゃ、そッちへもいけねえとしたら、いったいどこへ落ちのびたらいいのだ」 「まず、いまのところしずかなのは、東海道でございますな」 「フーン。すると徳川家《とくがわけ》の領分《りようぶん》だな」 「さよう。近ごろ家康《いえやす》と秀吉とは、たがいに、珠《たま》をあらそう龍虎《りゆうこ》のかたち。その仲の悪いところをつけこんで、こんどは家康のふところへ食《く》いいる算段《さんだん》が、第一かと考えます」 「そううまくこっちの註文《ちゆうもん》にハマるかな」 「いくら狡獪《こうかい》な家康《いえやす》でも、策《さく》をもって乗《の》せれば、乗らぬものでもございますまい、じつはその用意のために、早足《はやあし》の燕作《えんさく》を物見《ものみ》にやッてありますゆえ、やがてそろそろここへ帰るじぶん……」  と、話ついでに、のびあがって向こうを見ていると、オオその燕作であろう、竹《たけ》ノ子笠《こがさ》に紺無地《こんむじ》の合羽《かつぱ》、片袖《かたそで》をはねて手拭《てぬぐい》で拭《ふ》きふき、得意な足をタッタと飛ばして、みるまにここへ駈《か》けついた。     二 「やあ、ごくろう、ごくろう」  と丹羽昌仙《にわしようせん》、土手《どて》の上から飛びおりて、 「して、どうだッた。伊那丸《いなまる》のようすは?」 「やッぱり、東海道から裾野《すその》へはいって、それから小太郎山《こたろうざん》へかえる道順《みちじゆん》をとるらしゅうございます」  と、さすがに早足《はやあし》、あれほど韋駄天《いだてん》と走ってきながら息もきらさずこう答えた。 「そうか、やッぱりこっちの想像《そうぞう》どおり、思うつぼにハマったわい」 「ところが昌仙さま、あまり思うつぼでもありませんぜ。というなあ、秀吉《ひでよし》の指図《さしず》で、瀬田《せた》まで迎えにでやがった軍勢があるんで」 「ほ……秀吉が? フーン猿面《さるめん》め、じょさいないことをやりおって、うまく伊那丸を抱《だ》きこもうという腹だな。だがよいわ、まさかに家康《いえやす》の領分《りようぶん》まで、その軍兵《ぐんぴよう》がクッついてもいけないだろう」 「昌仙《しようせん》——」  と呂宋兵衛《るそんべえ》もズルズルと下へおりてきて、 「徳川家《とくがわけ》へ取りいる算段《さんだん》とは、やッぱりなにか、その伊那丸をおとりにして? ……」 「こいつを利用しないのは愚《ぐ》でござる。武田伊那丸《たけだいなまる》を心のそこから憎《にく》みぬいて、あくまでもかれを殺害してしまいたいと願っているのは、秀吉《ひでよし》よりは家康でございますからな。また伊那丸にとっても、かれは、父の勝頼《かつより》をほろぼした仇《あだ》。どッち道、このふたりのあいだは生涯《しようがい》の敵同志《かたきどうし》でおわるでしょう。——ところが、こんど伊那丸が小太郎山《こたろうざん》へかえるには、どうしても、その家康の城下を通らねばなりますまい。さア、おもしろいのはここの細工《さいく》で、そのさきにわれわれが浜松城へまいって、なにかのことを教えてやったら、あのずるい家康も、眼をほそめて、うれしがるにきまッております」 「名策《めいさく》! 名策!」  呂宋兵衛、手を打ってよろこんだ。 「そいつアいい考えだ。ではさっそく、浜松へ乗りこもう! だがなんでも慾得《よくとく》ずくだ、無条件《むじようけん》じゃいけねえぜ」 「むろん、伊那丸を討《う》ったあかつきには、こうしてくれという条件《じようけん》もつけてのうえに」 「富士《ふじ》の裾野《すその》は徳川領だから、あのへん一帯から人穴《ひとあな》を、おれの領分としてくれりゃありがたいが」 「家康《いえやす》が夢《ゆめ》にまでみておそれている、伊那丸《いなまる》がないものとなれば、それくらいなことは承知《しようち》しましょう」 「天下はひろい! もう草履《ぞうり》とりあがりの猿面《さるめん》なんざア、くそでも食《く》らえだ。ワハハハハハ」  にわかに前途を明るくみて、小心な呂宋兵衛《るそんべえ》が、こう元気づいていると、しきりに向こうを見はっていた早足《はやあし》の燕作《えんさく》が、 「あッ、いけねえ! もうきやがッた」  と、いかにも狼狽《ろうばい》したらしくさわぎだした。 「な、な、なんだ、なにがきたンだ」 「ゆうべ瀬田《せた》から伊那丸をむかえてきた、木村|又蔵《またぞう》、可児才蔵《かにさいぞう》、井上大九郎なんていうやつの軍兵《ぐんぴよう》で」 「そいつア大へんだ、ヤイ、てめえたち、はやく獲物《えもの》を引ッかついで浜べのほうへ姿をかくせ! オオ蚕婆《かいこばばあ》、おまえがさッき目をつけておいた船があッたな、船で逃げろよ船で——。燕作燕作、向こうだ向こうだ、蚕婆と一しょにいって、はやく船のしたくをしていろい」  まるで、突風《とつぷう》に見まわれた紙屑《かみくず》か、白日《はくじつ》に照らされた蜘蛛《くも》の子のように、クルクル舞いをして呂宋兵衛とその手下ども、スルスルと土手草《どてくさ》へとびついて、雑木林《ぞうきばやし》の深みへもぐりこんだかと思うと、木の葉ばかりをザワザワとそよがせて、首もみせずに海べのほうへ逃げぬける。   野風呂《のぶろ》の秀吉《ひでよし》     一  二里さきには桑名《くわな》の城が見える。  亀山《かめやま》の出城《でじろ》、関《せき》、国府《こう》の手足まで、むごたらしくもぎとられた滝川一益《たきがわかずます》、そこに、死にもの狂いの籠城《ろうじよう》をする気で、狭間《はざま》からはブスブスと硝煙《しようえん》をあげ、矢倉《やぐら》には血さけびの武者をあげて、合図《あいず》おこたりないさま、いかにも悲壮《ひそう》な空気をみなぎらしている。  その城とは、三里|弱《じやく》の距離《きより》をおいて、水屋《みずや》ノ原《はら》にかりの野陣をしいているのは、すなわち秀吉方《ひでよしがた》の軍勢《ぐんぜい》で、紅紫白黄《こうしびやくおう》の旗さしもの、まんまんとして春風《しゆんぷう》に吹きなびいていた。  きょう——あかつきの半刻《はんとき》ばかりの間に、バタバタとここへ集団した野陣であるから、板小屋一ツありはしない。  ところどころに鉄柱《てつちゆう》を打ちこみ、桐紋《きりもん》の幔幕《まんまく》をザッとかけたのが本陣であろう。今——このかげから四、五人の軍卒《ぐんそつ》、鎖具足《くさりぐそく》に血のにじんだ鉢巻《はちまき》をして、手に手に鍬《くわ》や鋤《すき》をひッさげ、バラバラと陣屋へ駈《か》けだしてきた。  れんげがいっぱい咲《さ》いている。  やわらかい若草が、二、三|寸《ずん》ほどな芽《め》をそろえている野原を、血汐《ちしお》だらけな武者《むしや》わらじがズカズカと踏ンづけてひとところへかたまったかと思うと、鋤《すき》を持ったものが、サク、サク、サク、と四角い仕切《しき》りをつけてゆく。と、ただちにそのあとから、鍬《くわ》をふりかぶッた方《ほう》が戦《いくさ》をするような力で、線のうちがわを、パッ、パッ、パッと土をかきだして、みるまに穴《あな》を掘《ほ》ってしまった。  と——こんどは、その穴へあつい桐油紙《とうゆがみ》を一面にしき、五|寸《すん》かすがいでふちを止《と》めて、ドウッと水を入れはじめる。  そのまに他《ほか》のものが、まッ赤《か》に焼けた金《かね》の棒《ぼう》を持ッてきては、ジュウッ、ジュウッ……とその中へ突っこむうちに、いつか、中の水は湯にかわって、モクリと白い湯気《ゆげ》を立てた。 「できた——」  といって、軍兵《ぐんぴよう》たちは、むこうの陣場へかくれてしまった。  何ができたのだろう?  すると、ややあってから、一方の幕《まく》をサッとはらって、羽柴筑前守秀吉《はしばちくぜんのかみひでよし》、ズカズカと大股《おおまた》にあるいてきた。 「殿、——しばらく、ただいまお支度《したく》を設《もう》けます」  あわてながら追っかけてきたのは、秀吉《ひでよし》の脇小姓《わきこしよう》、朝野弥平次《あさのやへいじ》、加藤孫一《かとうまごいち》。  抱《かか》えてきた楯《たて》を、バタバタと四、五枚そこへ敷きならべて、なおも、あとから運んできたのを、まわりへ立てようとすると、秀吉手をふって、 「うっとうしい」と、うしろ向きになった。 「はッ……では」  と陣礼儀《じんれいぎ》をして、ふたりがそこをさがると、秀吉は鎧草摺《よろいくさずり》をガチャリと楯の上へ投げすてて、まッぱだかになった。  そして、一|片《ぺん》の布《ぬの》をもって、前に軍兵《ぐんぴよう》がつくっていった、野陣の野風呂《のぶろ》へドブリと首までつかりこんだ。 「ウーム……ウウム……」  と、秀吉、湯のなかに首まではいって、さも心地よげにうなっていたが、ザブリと一つ顔をあらって、 「ああ、よい湯かげん——」  と、湯穴《ゆあな》のフチにしいてある楯の上に腰かけ、両《りよう》の足だけを、ダラリとなかへブラさげていた。そしてときどき無意識《むいしき》にジャブリジャブリとさせながら、 「智恵《ちえ》じまんな一益《かずます》も、ゆうべは定めしおどろいたろう……」  苦笑《くしよう》をうかべて、桑名城《くわなじよう》を観望《かんぼう》している。  そうだ。昨夜は滝川一益《たきがわかずます》が、ここから五、六里はなれたところの白子《しらこ》の陣へ夜討《よう》ちをかけた。秀吉《ひでよし》は、きゃつめかならずこうくるな——と手を読んでいたから、四|方《ほう》の平地《へいち》や森や人家のかげに、堀尾茂助《ほりおもすけ》、黒田官兵衛《くろだかんべえ》、福島市松《ふくしまいちまつ》、伊藤《いとう》掃部《かもん》、加藤虎之助《かとうとらのすけ》、小川土佐守《おがわとさのかみ》など配置よろしくしいておいて、左近将監一益《さこんしようげんかずます》が枚《ばい》をふくんで寄せてきたところを、逆《ぎやく》に、ワ——ッと鬨《とき》の声をあげさせて、敵が森へ逃げんとすれば森の中から、海辺へはしれば海の中から、金鼓《きんこ》を鳴らして追いまわし追いまわし、とうとう桑名城《くわなじよう》まで袋《ふくろ》づめに追いこんだ。  これは兵法《へいほう》でいう八門遁甲《はちもんとんこう》。諸葛孔明《しよかつこうめい》が司馬仲達《しばちゆうたつ》をおとし入れた術《じゆつ》でもある。秀吉、それを試《こころ》みて、滝川一益《たきがわかずます》をなぶったのだ。 「まずこれで伊勢《いせ》は片づけた、——つぎには柴田権六《しばたごんろく》か、きゃつも、ソロソロ熊《くま》のように、雪国の穴《あな》から首をだしかけておろう……」  敵城を前にして、すッかり野風呂《のぶろ》であたたまった秀吉は、こうつぶやきつつ、まッ赤《か》になった下ッ腹へ、ウン、と、一つ力をいれて、いかにも愛撫《あいぶ》するごとくへそのまわりをなではじめた。  なでると黒い垢《あか》がボロボロ落ちた。  それもそのはず、この二月十日に七万の大軍を三道にわけて、都を発してきて以来の入浴《にゆうよく》で、寝ぬ日もきょうで三日つづく。しかし、垢はでるがいねむりはでない。かれは精力の権化《ごんげ》であった。 「どれ……上がろうか」  湯の中に立って、手ばやく上半身を拭《ふ》きはじめると、オオ、その時だ! れんげの花へピタリとからだを伏《ふ》せて、蛇《へび》のようにスルリ、スルリ……とはってきた異形《いぎよう》の武士が、寝たまま片腕《かたうで》をズーッと伸《の》ばして、種子島《たねがしま》の筒先《つつさき》を、秀吉《ひでよし》の背骨《せぼね》へピタリとねらいつけた。  火縄《ひなわ》をプッと吹いたようす——、ドーンと弾《たま》けむりがあがるかと思うと、せつなに、パッとはねかえった異形の武士は、串《くし》にさされた蛙《かえる》のように、九尺|柄《え》の槍《やり》に胸板《むないた》をつきぬかれ、しかもその槍尖《やりさき》はグザと大地につき立っていた。 「孫一《まごいち》、やりおったの」  それをニヤニヤ笑ってながめながら、秀吉、足を拭《ふ》いて楯《たて》の上にあがった。加藤|孫一《まごいち》、すがたは見せないが、向こうの楯のかげで、 「は、一益《かずます》のまわし者と見ましたので」と答えた。 「イヤちがう。ありゃおそらく、徳川家《とくがわけ》の隠密組《おんみつぐみ》であろう。家康《いえやす》もなかなか人が悪いからの。あとでよく死骸《しがい》のふところをあらためてみい」  ところへ、バタバタと早運《はやはこ》びの足音がひびいてきた。フト見ると、加藤|虎之助《とらのすけ》、はるかにはなれて具足《ぐそく》の膝《ひざ》を地につかえる。 「お上《かみ》」 「ウム、虎之助《とらのすけ》」 「近江路《おうみじ》へやりました井上大九郎、その他の者、ただいま武田伊那丸《たけだいなまる》をご陣屋まで召しつれましたが」 「や、帰ってきたか。ウム、伊那丸《いなまる》も同道して。——そうか。では表陣屋西幕《おもてじんやにしまく》のうちに床几《しようぎ》をあたえて、鄭重《ていちよう》におとりなし申して置くがよい」  これだけの言葉をはくうちに、秀吉《ひでよし》は、肌着《はだぎ》小手《こて》脛当《すねあて》をピチンと着《つ》けて、皆朱碁石《かいしゆごいし》おどしの鎧《よろい》をザクリと着こみ、唐織銀文地《からおりぎんもんじ》に日月《じつげつ》を織りうかした具足羽織《ぐそくばおり》まで着てしまった。  そして鎧のアイビキ紐《ひも》、草摺《くさずり》のクリシメ紐《ひも》、陣太刀の緒《お》と、端《はし》からキチキチむすんでゆく指の早さといったらない。まるで神技《かみわざ》と思わるるくらいだ。もっとも秀吉ばかりでなく、およそ戦国の世に男とうまれ武士の子と生まれたほどの者は、みな、陣太鼓《じんだいこ》の音《ね》が三ツ鳴るあいだに、具足着《ぐそくき》こみのできるくらいの修養《しゆうよう》を、ふだんのうちにつんでいた。 「孫一《まごいち》」  武将いでたちとなると、秀吉の威風《いふう》、あたりをはらって、日輪《にちりん》のごとき赫々《かつかく》さがある。 「はッ、御意《ぎよい》は?」 「右陣《うじん》にいる福島市松《ふくしまいちまつ》のところへ伝令せい! ただ今、武田伊那丸《たけだいなまる》が見えたによって、あずけておいた一品《ひとしな》、そっこくここへ持参いたせと」 「は、かしこまりました」  ヒラリと溜《たま》りへかえった加藤孫一、使番目印《つかいばんめじるし》の黄幌《きほろ》に赤の差旗《さしもの》を背《せ》につッたて、馬をあおって、右陣《うじん》福島市松《ふくしまいちまつ》のところへ馳《か》けとばした。  伊那丸《いなまる》から秀吉《ひでよし》があずかったという品《しな》、——それは果たしてなんであろうか?     二  伊那丸は与えられた床几《しようぎ》によって、秀吉《ひでよし》のくるのを待っていた。右には忍剣《にんけん》、左には龍太郎《りゆうたろう》が炯《けい》とした眼をひからせている。  張りめぐらした幔幕《まんまく》のそとには、槍《やり》の穂《ほ》さきがチカチカと霜《しも》のごとくうごいていた。やがて、加藤|虎之助《とらのすけ》があらわれて、いんぎんに礼をして、秀吉《ひでよし》の大将座をもうけ、その脇《わき》にひかえていると、順をおって堀休太郎《ほりきゆうたろう》、蜂須賀小六《はちすかころく》、仙石権兵衛《せんごくごんべえ》、一柳市介《ひとつやなぎいちすけ》などの、旗本《はたもと》がいならび、やがて幕をはらって、秀吉の碁石縅《ごいしおどし》の姿がそこへあらわれた。 「おお、伊那丸どのな——」  こういいながら秀吉は、ズカリと前へよってきた。その満顔《まんがん》の笑《え》みをみると伊那丸も旧知《きゆうち》のような気がして、笑みをもって迎えずにはいられなかった。 「まずもって、あっぱれなご成人ぶりを祝福いたす。つねにうわさはきいておるが、イヤ、さすがは機山大居士《きざんだいこじ》の御孫《おんまご》、末《すえ》たのもしい御曹子《おんぞうし》じゃ……」  みじんのわだかまりもなく、胸をひらいて手をつかんだ。そして、その手をふって明るく笑った。あたかも肉親の邂逅《かいこう》のように。 「さて、眼前《がんぜん》にまだ一攻《ひとせ》めいたす桑名城《くわなじよう》もござるゆえ、ゆるりとお話もいたしかねるが、お迎えもうしお返しせねばならぬ一品《ひとしな》。おじゃまではあろうなれど、小太郎山《こたろうざん》のとりでへ、土産《みやげ》としてお持ちかえり願いたい」  床几《しようぎ》になおって、羽柴秀吉《はしばひでよし》、こういうと手の軍扇《ぐんせん》を膝《ひざ》にとってかまえながら、 「市松《いちまつ》! 市松!」とおごそかに呼《よ》ばわった。 「はッ」  という幕《まく》かげの答え。主命《しゆめい》によって、いまそこへ、控《ひか》えたばかりの福島市松《ふくしまいちまつ》、一|箇《こ》の鎧櫃《よろいびつ》をもって、秀吉と伊那丸《いなまる》の中央にすえた。 「伊那丸どの、お返し申す品《しな》はこのなかにある。すなわち、それは武田家《たけだけ》のご再興《さいこう》になくてかなわぬ什宝《じゆうほう》、御旗楯無《みはたたてなし》の名器《めいき》でござりますぞ」 「や、ではこの中に、御旗楯無の宝物《ほうもつ》が?」 「秀吉の手にあるわけは、あの和田呂宋兵衛《わだるそんべえ》めが、人穴城《ひとあなじよう》におったころ、京へ売りつけにきた物をもとめておいたからでござる。もとより、もとめる時からこの秀吉には用のない品《しな》、いつかそこもとの手へ返してあげたいと念じていたのじゃ、どうぞ、あらためて貴手《きしゆ》へお受け取り願いたい」  武田家《たけだけ》無二《むに》の什宝——御旗楯無。それこそは、伊那丸にとってなによりなものである。裾野《すその》の湖水へしずめて隠しておいた後、それが何者かに盗みさられて、呂宋兵衛の手で京都にはこばれ秀吉の手からふたたび伊那丸へ返ってきたのは、これ武田家再興の大願がなる吉兆《きつちよう》か——と、かれはなつかしくそれをながめ、また、秀吉《ひでよし》の好意を謝《しや》さずにもいられない。  二言三言《ふたことみこと》、その礼をのべている時だった。なにごとか、にわかに、陣々に脈々《みやくみやく》たる兵気がみなぎってきたかと思うと、本陣へ京都からの早馬の急使がきて、秀吉に、時ならぬ急報をつげた。  いわく、  北国|北《きた》ノ庄《しよう》の柴田勝家《しばたかついえ》、盟友一益《めいゆうかずます》の桑名《くわな》の城危《しろあや》うしと聞いて、なお残雪のある峠《とうげ》の嶮《けん》をこえ、佐久間盛政《さくまもりまさ》を先鋒《せんぽう》に、上部八風斎《かんべはつぷうさい》を軍師《ぐんし》にして近江《おうみ》へ乱入し、民家を焼き要害《ようがい》のとりでをきずいて、作戦おさおさおこたりない——と。  その飛状《ひじよう》を手にした秀吉は、あわてもせず、莞爾《かんじ》として、 「では残りおしいが、伊那丸《いなまる》どの、また会う機会もあるであろう。その宝物の御旗《みはた》、その楯無《たてなし》の鎧《よろい》が、かがやく日をお待ちするぞ」 「ご芳志《ほうし》、ありがたくおうけいたします」 「おお、それより小太郎山《こたろうざん》へお帰りあるは、途中さだめし多難であろう。秀吉の部下五、六十|騎《き》おかし申そう」 「イヤ、徳川領《とくがわりよう》を通るのがおそろしゅうて、秀吉どののさむらいを借りてきたと申されては……」 「ウウム、名折《なお》れといわるか」 「多難は旅の道ばかりではございませぬ」 「そうじゃ。天下は暗澹《あんたん》——いずれ、光明の冠《かんむり》をいただく天下人《てんかびと》はあろうが、その道程《どうてい》は刀林地獄《とうりんじごく》、血汐《ちしお》の修羅《しゆら》じゃ。この秀吉《ひでよし》のまえにも多難な嶮山《けんざん》が累々《るいるい》とそびえている」 「ましてやおさない伊那丸《いなまる》が、わずかな旅路を苦にしてどうなりましょうか」 「愉快なおことば、秀吉もその意気ごみで、ドレ北国の荒熊《あらぐま》どもを、一煽《ひとあお》りに蹴《け》ちらしてまいろうよ」  さらば——と別れて、秀吉はたって作戦の用意にかかり、伊那丸は、はからずも手にもどった御旗楯無《みはたたてなし》の具足櫃《ぐそくびつ》を忍剣《にんけん》の背に背おわせて、陣のうらかられんげ草のさく野道へ走りだした。  ワーッという武者押しの声をきいた。  小手をかざして桑名《くわな》の方《ほう》をみると、はやくも秀吉の先陣は、ふたたび戦雲をあげて孤城奪取《こじようだつしゆ》の総攻めにかかり、後陣は鳥雲《ちよううん》のかたちになって、長駆《ちようく》、柴田《しばた》との迎戦《げいせん》に引ッかえしてゆく様子——。  その戦雲をくぐり、敵味方の乱軍をぬけて、伊那丸主従は、やがて名古屋から岡崎へとすすんでいった。——ああ、いよいよあと十数里で、徳川家康《とくがわいえやす》の本城、浜松の地へ入ることになる。  さきに、奸策《かんさく》をえがいていた呂宋兵衛《るそんべえ》が、こんどは、狡智深謀《こうちしんぼう》な家康と、どう手を組んでくるだろうか。  伊那丸《いなまる》のまえには、いまや、おそるべき死の坑穴《こうけつ》が何者かの手で掘られている。  死といえば、夜の湖水にただよっていた、鞍馬《くらま》の竹童《ちくどう》と泣き虫の蛾次郎《がじろう》。あのふたりの死はどうなっただろう。  死はどうなるものでもない。  死は絶対《ぜつたい》であり永遠である。   仲直《なかなお》り     一  琵琶湖《びわこ》のなかにひとつの島がある。本朝《ほんちよう》五|奇景《きけい》のうちに数えられている竹生島《ちくぶしま》。  島の西がわ、天狗《てんぐ》の爪《つめ》とよぶ岩の上に、さっきからひとりの神官《しんかん》、手に笙《しよう》の笛をもち、大口《おおぐち》の袴《はかま》をはき、水色のひたたれを風にふかせて立っている。  そこから小手をかざしてみると、うッすらとした昼霞《ひるがすみ》のあなたに、若狭《わかさ》の三国山《みくにやま》、敦賀《つるが》の乗鞍《のりくら》、北《きた》近江《おうみ》の山々などが眉《まゆ》にせっしてそびえている。そして、はるか柳《やな》ケ瀬《せ》のおくから、この琵琶湖へ一|冽《れつ》の銀流をそそいでくる高時川《たかときがわ》のとちゅうに、のッと空に肩をそびやかしているのは、賤《しず》ケ岳《たけ》の巨影《きよえい》で、そのうしろに光っているいちめんの明鏡《めいきよう》は余呉《よご》の湖水と思われる。  と、——その神官《しんかん》の眼が、そこにピタリと吸《す》いついて時ひさしくたたずんでいるうちに、賤ケ岳から柳《やな》ケ瀬《せ》にわたる方角に、モクリと黄色いけむりがあがった。  見るまに、それを一手として、つぎには、大岩山《おおいわやま》、木之本附近《きのもとふきん》、岩崎山《いわさきやま》のとりでとおぼしきところから山火事のような黒煙《こくえん》がうずをまいて、日輪《にちりん》の光をかくした。と思うと、余呉の湖水や琵琶《びわ》の大湖《たいこ》も、銀のつやをかき消されて、鉛《なまり》のような鈍色《にぶいろ》にかわってくる。 「ああ、敗れた!」  神官は手にもてる笙《しよう》のような声でさけんだ。 「賤ケ岳のとりでも落ちた——柳ケ瀬の陣も総くずれだ——柴田勢《しばたぜい》はとうとう秀吉《ひでよし》のためにほろぼされる運命ときまった……」  いかにも悲痛《ひつう》な色をうかべた。  神官のひとみには、かすかな涙の光さえみえる。  そして、亡国《ぼうこく》の余煙をとむらわんとするのか、おがむように笙を持って、しずかに、その歌口《うたぐち》へくちびるをあてた。  壮《そう》な音色《ねいろ》、悲愁《ひしゆう》な叫び、または錚々《そうそう》としてさわやかに転変する笙の余韻《よいん》が、志賀《しが》のさざ波へ微《び》に妙《たえ》によれていった—— 「宮内《くない》さま、——菊村《きくむら》さまア!」  すると、その笙《しよう》の音《ね》をたよりにして、岩々《がんがん》たる島の根を漕《こ》ぎまわってくる小船があった。  呼ぶこえ、櫓《ろ》の音《おと》。船のなかにはひとりの若い漁師《りようし》が、櫓柄《ろづか》をにぎって、屏風《びようぶ》のような絶壁《ぜつぺき》をふりあおいでくる。 「おう、源五《げんご》か」  天狗《てんぐ》の爪《つめ》からのびあがって、こう答えた神官は、すなわち菊村宮内《きくむらくない》である。松の枝に手をささえて、波うちぎわを見おろした。 「宮内さま、おたのみをうけまして、すっかり陸《おか》のようすをみてまいりました」 「ごくろうごくろう、さきほどから、その返辞《へんじ》を待ちかねていたところ、どうであった戦《いくさ》の結果は」 「伊勢《いせ》の陣から引っかえした秀吉勢《ひでよしぜい》は、おそろしい勢いで、無二無三《むにむさん》に北国|街道《かいどう》をすすみ、堂木山《どうきざん》に本陣をおいて、柴田勢《しばたぜい》を追いちらし、北《きた》ノ庄《しよう》まで馳《か》けすすんでゆくというありさまです」 「ウーム、そうか、北国一の荒武者《あらむしや》といわれた、佐久間盛政《さくまもりまさ》もそれを食《く》いとめることができなかったか……」 「佐久間勢《さくまぜい》も、一どは秀吉方《ひでよしがた》の中川清兵衛《なかがわせいべえ》を破ったそうですが、丹羽長秀《にわながひで》が不意の加勢についたため、勝軍《かちいくさ》は逆《ぎやく》になって、北国勢《ほつこくぜい》は何千という死骸《しがい》を山や谷へすてたまま、越前《えちぜん》へなだれて退《ひ》いたといううわさです。このあんばいでは、やがて北《きた》ノ庄《しよう》の柴田勝家《しばたかついえ》も、近いうちには秀吉《ひでよし》の軍門《ぐんもん》にくだるか、でなければ生《なま》くびを塩《しお》づけにされて凱旋《がいせん》の土産《みやげ》になってしまうだろうと、もっぱら風聞《ふうぶん》しております」 「おうわかった——北国勢の敗軍であろうとは、ここからながめても、およそ見当がついていた。源五《げんご》、ごくろうだった。また用があったら笙《しよう》を吹くから……」  力なくこういうと、神官《しんかん》の菊村宮内《きくむらくない》は、天狗《てんぐ》の爪《つめ》からすべりおちるように、よろよろと島のなかへすがたをかくしてしまった。  島にはつつじ、山吹《やまぶき》、連翹《れんぎよう》、糸桜《いとざくら》、春の万花《まんげ》が|らんまん《ヽヽヽヽ》と咲いて、一面なる矮生《わいせい》植物と落葉松《からまつ》のあいだを色どっている。宮内のすがたは、その美《うる》わしい自然に目もくれないで、しおしおと細道をたどっていった。  かれの直垂《ひたたれ》の袖《そで》をかすめて、まッ黄色な金糸雀《カナリア》がツウ——と飛んだ。  と、その向こうには、神さびた弁天堂《べんてんどう》の建物が見えた。なお、あたりには、宇賀《うが》の御社《みやしろ》、観音堂《かんのんどう》、多聞堂《たもんどう》、月天堂《げつてんどう》などの屋根が樹の葉のなかに浮《う》いている。 「宮内さま、もうお午《ひる》でございます」  社の内から走りだしてきた巫女《みこ》の少女が、かれの姿をみるとこう告《つ》げた。だが、宮内はゆううつな顔をうつむけたまま、 「う、お午《ひる》か。やめよう、今日はなんだか食《た》べたくない」  とかぶりをふった。ちいさい巫女はそれを追って、 「ですけれど、あの、可愛御堂《かわいみどう》のなかにいるお方《かた》へは、いつものように、お粥《かゆ》を作っておけとおっしゃったので、もうできておりますが」 「お、忘れていた。じぶんの心がみだされたので、ツイそのことを忘れていた。さだめしお腹《なか》がすいていよう」 「じゃ、いつもの通り、あそこへ運んでまいりましょうか」 「あ、両方《りようほう》へ同じようにな」  宮内《くない》は急にいそぎ足になって、境内《けいだい》のかたすみにある六角堂《ろつかくどう》へ向かっていった。一|間《けん》の木連格子《きつれごうし》が、六面の入口にはまっていた。  その一方の錠《じよう》をあけて、宮内はやさしい声をかけた。うすぐらい御堂の中には、蒲団《ふとん》をかぶって寝ている少年のすがたがある。——ふと見ると、それは泣き虫の蛾次郎《がじろう》だった。     二 「どうだな、蛾次郎さん」  と宮内はそこへしゃがみこんで、体《からだ》の、容体《ようたい》をききはじめた。そのようすをみると、かれはしばらく病人となって、この可愛御堂に閉《と》じこもっていたものとみえる。  だが、蛾次郎は、蒲団のなかにねてこそいるが、もうあらかたご全快《ぜんかい》のていとみえて、宮内の顔をみるや否《いな》、ムックリとそこへ起きあがった。そして、 「おじさん、ひどいじゃねえか! どうしたンだいッ」  とどなりつけた。  病人にどなりつけられたので、宮内《くない》も少しびっくりしたが、二十|日《か》あまりもこの蛾次郎《がじろう》の世話をやいて、いまではすッかりその性質をのみこんでいるから、かくべつ怒《おこ》りもしなかった。 「たいそうな元気じゃの。けっこうけっこう、それくらいな勢いなら、もうじきに元の体《からだ》になるだろう」 「なにをいッてやがるンだい」  蛾次郎は不平の口をとンがらして、 「もうとッくの昔に、このとおりまえの体になっているんじゃないか。それを、いつまでこんな中へほうりこんでおいて、だしてくれないッて法があるかい。え、おじさん——どこの国へいったって、そんなばかな法はないぜ」 「そうかな、それは悪かったよ」  と、宮内は、どこまでも好人物《こうじんぶつ》らしく笑っている。 「おまけに、笙《しよう》ばかり吹いていて、まだお午《ひる》の飯《めし》も持ってきてくれやしねえ。ちぇッ、おらア腹がへってしまった」 「いまじきに持ってきてあげるから、おとなしくしておいでなさい」  宮内はこうなだめておいて、そこの扉《とびら》をピンと閉《し》めたかと思うと、こんどは、つぎから二ツ目の木連格子《きつれごうし》の錠《じよう》をあけた。と、みょうなことに、この中にも蛾次郎《がじろう》のところと同じように、一組の夜具《やぐ》が敷きのべてあって、その蒲団《ふとん》の上にも、やはりひとりの少年がいる。  だが、これは向こうの蛾次郎のごとく不作法《ぶさほう》ではなくいかにもものしずかに、いるかいないかわからぬようにしてすわっていたが、木連格子がギーッと開《ひら》いたので、顔をさし入れた菊村宮内《きくむらくない》と目を見あわせ、だまって、頭をさげた。 「うっかりして、昼の食物《もの》をおそくいたした。さだめし空腹になったであろう」 「どういたしまして、それどころではございません」  こういった者こそ、かの鞍馬《くらま》の竹童《ちくどう》なのである。  その日からおよそ二十|日《か》ほどまえ、海月《くらげ》のようにただよって、湖水におぼれていた竹童と蛾次郎が、いまなお、この竹生島《ちくぶしま》の可愛御堂《かわいみどう》という建物のなかに生《せい》をたもっているところをみると、あの夜か翌朝、島の西浦《にしうら》で、弁天堂《べんてんどう》の神官菊村宮内の手で救いあげられたにそういない。そして、柔和《にゆうわ》で子供ずきな宮内の手当《てあて》が厚《あつ》かったために、こうしてふたりとも、もとのからだに近いまでに、健康をとりもどしてきたのだろう。 「ありがとうぞんじます。もう体《からだ》もよほどよくなりましたから、けっして、ごしんぱいくださいますな。そして、わがままのようですが、どうぞわたくしのからだを、この島からおはなしなすッてくださいまし」  竹童が、こういったものごしを見るにつけても、宮内は、向こうにいる蛾次郎とこの少年とは、なんという性格の違い方だろうと思った。  だが、かれは、どッちも憎いと思わなかった。竹童《ちくどう》が好きなら、蛾次郎《がじろう》も好きだった。イヤ、菊村宮内《きくむらくない》という人物は、すべての子供——どんな鼻垂《はなた》れでもオビンズルでもきたない子でも、子供と名のつく者ならみんな好きだった。  それがために、かれは武士の身分をすてて、この竹生島《ちくぶしま》へ、可愛御堂《かわいみどう》という六角屋根の建物をたてた。  今日は東の国、あすは西の国と、つぎからつぎへ戦《たたか》いがあってやまない世の中。——その兵火のたびごとに、武士も死ねば女も死ぬ百姓も死ぬ、まして、たくさんな子供のたましいも犠牲《いけにえ》になる。  菊村宮内は、もと柴田勝家《しばたかついえ》の家中《かちゆう》でも、重きをなしていた武将であったが、そういう世のありさまをながめると、まことに心がかなしくなった。で、主君の勝家から暇《いとま》をもらって、いくたの戦場をたずね、やがて竹生島の弁天《べんてん》の社《やしろ》にそって、この可愛御堂を建立《こんりゆう》した。 「弁財天《べんざいてん》は母である。そしてわしは不運なおおくの子供たちの慈父《じふ》になりたい」  こういう願いをもっている。  ところが、さきごろから、琵琶湖《びわこ》の附近にも、戦《いくさ》の黄塵《こうじん》がまきあがった。すなわち、伊勢《いせ》の滝川一益《たきがわかずます》をうった秀吉《ひでよし》が、さらにその余勢《よせい》をもって、北国の柴田軍《しばたぐん》と、天下分《てんかわ》け目《め》の迎戦《げいせん》をこころみたのである。  不幸な子供の魂《たましい》をとむらいながら、可愛御堂《かわいみどう》の堂守《どうもり》で生涯《しようがい》をおわろうと思っていた菊村宮内《きくむらくない》も、むかしの主人であり、ふるさとの兵である北国勢《ほつこくぜい》が、すぐ向《むこ》う岸《ぎし》の木之本《きのもと》でやぶれ、賤《しず》ケ岳《たけ》から潰走《かいそう》するありさまを見ると、なんとなく心がいたんで、いっそのこと、島をでてふたたび主君の馬前に立とうかとさえ——ツイさっきも迷ったのである。  しかし、それもそれだが、まったくみじめな、乱世《らんせい》の子供たちの慈父《じふ》となる生涯も、けっして悪い目的ではない。ことに、いま、この島には、じぶんが心をそそいで救いかけている竹童《ちくどう》という少年、蛾次郎《がじろう》という少年がいる。  もう、からだはなおったが、からだだけなおしてやっただけでは、まんぞくとはいえない。ふたりの境遇《きようぐう》や、心までも、幸福に健全《けんぜん》にして、そして、この竹生島《ちくぶしま》をだしてやりたいと、かれは願った。     三  でいまここに、蛾次郎の顔をみ、竹童のすがたを見ると同時に、宮内《くない》は、湖《みずうみ》をへだてたかなたの戦《いくさ》のことも、きれいに心頭《しんとう》から忘れさって、まことに慈父《じふ》のような温顔《おんがん》になっていた。 「この島からだしてくれといわれるか?」 「はい」竹童はキチンとすわって、そしてすなおに、 「わたくしには、一刻《いつとき》も忘れてはならない主君がありますし、それに、だいじな鷲《わし》のゆくえもさがさなければなりませんから……」 「おお、おまえは主人持ちか。してそのお人という者の名は?」 「ここでは、お話し申されません。ですが、お師匠《ししよう》さまの名まえなら、打ちあけてもかまわないでしょう。わたくしは鞍馬山《くらまやま》の僧正谷《そうじようがたに》にいる果心居士《かしんこじ》先生の弟子《でし》のひとりでございます」 「ウム、有名な、果心居士のお弟子であったか。なるほど、それならものの聞きわけもよいはずだ。……ではおまえに一つのたのみがあるが」 「はい、命《いのち》をたすけられたご恩人」 「なんでも聞いてくれるというのか」 「できることならきっとききます」 「ほかではないが、おまえと一しょに、湖水におぼれていた蛾次郎《がじろう》な」 「ああ、あの蛾次郎がどうかしましたか」 「どうも、ひどく仲《なか》が悪そうだが、なんとかわしの顔にめんじて、これからさき、仲をよくしてくれないか」 「…………」  竹童《ちくどう》はだまって下を向いてしまった。 「でないと、ふたりをこの御堂《みどう》からだしてやることができない。せっかくわしが助けてあげても、この塔《とう》をでるとたんに、檻《おり》をでた犬と猿《さる》のように、また血まみれになったり、取ッ組んだりされては、わしの親切がかえって仇《あだ》になってしまう。それがゆえに、罪《つみ》のようだが、ふたりを別々な口へいれて、錠《じよう》までおろしているのだよ、これもひとつの情けのかぎだ。悪く思ってくれてはこまる」  宮内《くない》のあたたかい真心が、じゅんじゅんと胸にひたってくるので、竹童も思わず涙ぐましくさえなった。  だが、そればかりは、竹童にも、ハイとすなおに快諾《かいだく》されなかった。かれはだまって、いつまでも下をむいていた。 「いけないと見えるな……ウーム、これだけはさすがのわしも困《こま》ったな」  そこへ、巫女《みこ》の少女が粥《かゆ》をはこんできたので、宮内はそれを竹童にあたえ、蛾次郎《がじろう》の分はじぶんが持って、また以前のところへもどってきた。  お粥のけむりを見ると、空腹《すきばら》で、喉《のど》から手がでそうなくせにして、蛾次郎はプンプンと怒《おこ》った。 「けッ、またおかゆかい、おじさん」 「うごかずにいる間《あいだ》は、まアまアこれでがまんをしなければ」 「じょうだんじゃねえや、おれなんか、裾野《すその》にいたじぶんから、ズッと奈良《なら》や京都のほうを見物して歩いてる時なんかも、こんなまずいものを一どだって食《く》ったことはありゃしねえ」 「ほウ、おまえはそんなぜいたくだったのか」 「そうさ、おいらはこう見えても、徳川家《とくがわけ》へゆけばはぶりがきくんだからな。浜松にいる菊池半助《きくちはんすけ》という人を知っているかい。おじさんなんか知るめえ。隠密組《おんみつぐみ》で第一ッていう人よ。おれはその人にずいぶん小判《こばん》をもらったぜ、つかいきれないほどあった——アアつまらねえつまらねえ、また浜松へいって、少しお金を|せび《ヽヽ》ッてこよう」  ひとりでペラペラしゃべりながら、まずいといった粥《かゆ》を一つぶのこらずなめてしまった。  そして、すぐにゴロリと横になって、手枕《てまくら》をかいながら、生意気《なまいき》そうな鼻の穴《あな》を宮内《くない》のほうにむけ、 「おじさん、いまおめえは、この向こうにはいっている竹童《ちくどう》のところで、なにかコソコソ耳こすりをやっていたろう」  といった。 「ウム。おまえと仲《なか》をよくせぬかと、そのそうだんをしていたのじゃ」 「くそウくらえ——だれがあんなやつと仲をよくするもんか。おいらは徳川びいきだし、あの竹童ッてやつは、山乞食《やまこじき》の伊那丸《いなまる》って餓鬼《がき》や、イヤな坊主《ぼうず》に味方をしているんだ」 「ではどうもしかたがないな。……ふたりの気がおれて、仲をよくするというまで、この塔《とう》にはいっていてもらうよりほかに方法はあるまい」  宮内《くない》は竹童《ちくどう》のたべた土鍋《どなべ》のからと、蛾次郎《がじろう》の食《た》べたからを両手にもって、社家《しやけ》のほうへもどってしまった。  格子《こうし》のすきまから、そのうしろ姿をみて、蛾次郎は声のあるッたけ悪《あく》|たれ《ヽヽ》をついた。 「やい、早くここをだしてくれよ。いッてしまっちゃいけないよ! やい神主《かんぬし》! つんぼか唖《おし》か|でく《ヽヽ》の坊《ぼう》か! オイきこえないふりをしてゆくない。オーイ、バカ神主め、おいらをいつまで竹生島《ちくぶしま》へおいておくんだい。かえせ、帰せ、かえしてくれ! 帰さねえと、いまに弁天《べんてん》さまへ火をつけるぞッ!」  あおむけに寝《ね》ながら、足で床板《ゆかいた》をふみ鳴らし、口から出放題《でほうだい》にあたりちらしていると、その仕切境《しきりざかい》の板のむこうがわで、 「やかましいッ」と、小気味《こきみ》のいい一喝《いつかつ》がツンざいた。 「オヤ、なんだと!」  ムクムクと身をおこした蛾次郎。 「なにがやかましいッ!」と負けずにどなりかえした。  だが、じぶんの声が、ガーンとくらい塔《とう》の内部へひびいただけで、もう向こうにいる竹童は、それきり、かれの相手になってこなかった。   火《ひ》独楽《ごま》と水《みず》独楽《ごま》     一  強がりンぼで横着《おうちやく》で、すぐツケあがる泣き虫の蛾次郎《がじろう》。いざとなれば声をだしてわめくくせに向こうでだまりこむと、その足もとをつけこんで「やい、竹童《ちくどう》ッ」と、こっちからけんかを吹ッかける。  これだから菊村宮内《きくむらくない》も、この性《しよう》のあわないふたりを、一つのじぶんの手にすくって、難儀《なんぎ》をしているところなのだ。で、どうかして、仲をよくしてやりたいと考えてはいるが、なにしろ蛾次郎は、からだを養生《ようじよう》するうちに菊村宮内のやさしさに馴《な》れ、すっかり増長《ぞうちよう》している気味《きみ》だから、とても竹童と手をにぎって、心から打ちとけるべくもない。 「やいなんとかいえよ!」  業《ごう》をにやして蛾次郎は、さかいの板をドンドンとたたいた。すると、向こうにいて、ジッと我慢《がまん》をしているらしい竹童も、ついに、堪忍袋《かんにんぶくろ》の緒《お》をきって、 「だまれッ、狂人《きちがい》!」と叱《しか》りつけた。 「なに、狂人だと! おれのこと、狂人だとぬかしたな。なまいきなア! いまに野郎《やろう》おぼえておれよ。フーンだ——いまにこの島をでてみやがれ、あの大鷲《おおわし》をまたおいらの手に取りかえして、きさまたちに目にもの見せてくれるから」 「井《い》の中の蛙《かわず》——おまえなんかに天下のことがわかるものか、この島をでたら、分相応《ぶんそうおう》に、人の荷物《にもつ》でもかついで、その駄賃《だちん》で焼餅《やきもち》でも頬《ほお》ばッておれよ」 「よけいなおせッかいをやくな。てめえこそこの島からだされると、また八神殿《はつしんでん》の床下《ゆかした》で、お乞食《こじき》さまのまねをするより道がねえので、それで、おとなしくしていやがるンだろう。武田伊那丸《たけだいなまる》だッて、忍剣《にんけん》とかいうやつだって、龍太郎《りゆうたろう》という唐変木《とうへんぼく》だって、てめえの味方は、みんなロクでもねえ山乞食《やまこじき》ばかりだ」 「うぬッ、伊那丸さまのことをよくも悪《あし》ざまにいったな」 「オイオイ、どッちもでられないと思って、強そうなことをいうなよ、なぐれるものならなぐってごらんだ。お手々《てて》が痛《いた》くなるばかりだ」 「バカ! こんなほそい木連格子《きつれごうし》ぐらい、破ろうと思えば破れるが、それでは、ご恩《おん》になった菊村《きくむら》さまにすまないから、おゆるしのあるまで、ジッとしんぼうしてはいっているのだ」 「ちぇッ! |おつ《ヽヽ》なことをおっしゃったよ。お腹《なか》の虫がチャンチャラおどりをしたいとサ」 「きッとか! 蛾次郎《がじろう》!」 「おどかすねえ、琵琶湖《びわこ》の水をのんで、助かったばかりのところを」 「だからだまっていろというのだ」 「そういわれりゃなおさわぐぞ」 「勝手にしろい」 「ざまを見やがれ、へッこみやがって!」 「こいつ!」  と竹童《ちくどう》がわれをわすれて立ったとたんに、ヒョイと手をかけると格子《こうし》のとびらが、観音《かんのん》びらきにサッと開《あ》いた。 「あッ——」  はずみを食《く》って、塔《とう》の口からころがりだしたせつなに、蛾次郎《がじろう》も仰天《ぎようてん》して扉《と》をおした。すると、意外や、そこも容易《ようい》にパッとひらいて、かごの鳥が舞うようにかれも表へとんででる。——  そうだ、菊村宮内《きくむらくない》は、さッき社家《しやけ》のほうへもどる時、いつものように、そとから錠《じよう》をおろしてゆかないようであった。なにか考えごとをしていて、ウッカリそれを忘れていたのだ。  それはいいが、さてまたここに一大事。  パッと両方の口からとびだした蛾次郎と竹童とは、王庭《おうてい》に血戦《けつせん》をいどむ闘鶏《とうけい》のように、ジリジリとよりあって、いまにもつかみ合いそうなかたちをとった。  裾野《すその》以来——また、京都の八神殿《はつしんでん》以来——かれとこれとは、いよいよ怨《うら》みのふかい仇敵《きゆうてき》となるばかりであった。ことに蛾次郎は、一ど徳川家《とくがわけ》からあまい汁《しる》をすわされているので、その方《ほう》に肩をもち、竹童はそれを伊那丸《いなまる》とともに敵としている。また、いまはいずこの空へ飛んでいるかわからないが、あの大鷲《おおわし》をたがいにわが手におさめんとする競《きそ》い人《て》も蛾次郎は竹童をめざし、竹童は蛾次郎の息のねをとめてしまわなければやまない。  ところが、蛾次郎も、近ごろは先《せん》のうちより、だいぶ強くなってきた。もともと彼は石投げの天才であって、智能《ちのう》の点はともかくも、糞度胸《くそどきよう》がつくとなると、どうして、容易《ようい》にあなどりがたい。  ましてやいまは、竹童も般若丸《はんにやまる》を宮内《くない》の手にあずけてあるし、蛾次郎も|あけび巻《ヽヽヽまき》の一腰《ひとこし》を取りあげられているから、この勝負こそ、まったく無手《むて》と無手。 「ウーム、よくもいまは広言《こうげん》をはいたな」  と、掌《て》につばきをくれながら、竹童がジーッとせまると、蛾次郎もまた腕《うで》をまくりあげて、 「こん畜生《ちくしよう》、もう一ど琵琶湖《びわこ》の水をくらいたいのか」  いきなり拳《こぶし》をかためて、電火のごとき力まかせに、グワンと相手の頬骨《ほおぼね》をなぐりつけていったが、なにをッ! と引っぱらって鞍馬《くらま》の竹童、パッと身をかわしたので、ふたりはすれちがいに位置を取りかえ、またそこで血ばしった眼をにらみ合った。  と——思うと蛾次郎は、ふいに五、六|間《けん》ほどとびさがって、足もとから小石をひろった。卑怯《ひきよう》! 飛礫《つぶて》をつかんだな! と見たので竹童も、おなじように大地のものを右手につかんだ。  だが、竹童のつかんだのは、石でもない、土でもない。  あたり一面に、雪かとばかり白く散っていた、糸桜《いとざくら》の花びらである。  花びらの武器《ぶき》? なんになるのか蛾次郎《がじろう》にはわからない。畜生《ちくしよう》、すこし血があがっていやがるなと見くびってひろいとった石《いし》飛礫《つぶて》、ピューッと敵の眉間《みけん》へ打ってはなすと、竹童すばやく身をしずめて指の先から一|片《ぺん》の花をもみだして唇《くちびる》へあて、息をくれて、プーッと吹いたかと思うと、それは飛んで一ぴきの縞《しま》蜘蛛《ぐも》となり、つぎの飛礫をねらいかけていた蛾次郎の鼻へコビリついた。  これはかつて竹童が、人穴城《ひとあなじよう》へ使者としていったとき、呂宋兵衛《るそんべえ》の前でやって見せたことのある初歩の幻術《げんじゆつ》、きわめて幼稚《ようち》なものであるが、蛾次郎ははじめてなのでおどろいた。 「わッ」  といって、おもわず顔へ手をやった。すでに体《たい》はみだれたのだ。得《え》たりと竹童、そこをねらって馳《か》けよりざま、さらにつかんでいた無数の花びらを、エエッと、力いッぱい蛾次郎の頭からたたきつけた。オオ落花《らつか》みじん、相手はふんぷんたる白点につつまれたであろうと見ると、それとはちがって、竹童の手からパッと生まれて飛んだのは、まッくろな羽に赤い渦《うず》のある鎌倉蝶々《かまくらちようちよう》、——蛾次郎の目へ粉をはたいてすぐにどこかへ消えてしまった。  いよいようろたえた泣き虫の蛾次郎、たわいもなく竹童の足がらみにけたおされて、ギュッと喉笛《のどぶえ》をしめつけられ、さらにうらみかさなる拳《こぶし》の雨が、ところきらわずに乱打《らんだ》してきそうなので、いまは強がりンぼの鼻柱《はなばしら》がくじけたらしく、 「たッ、たすけてーッ、神主《かんぬし》さま、神主さま」  最前、ここをだしてくれなければ、火をつけるぞと悪《あく》|たれ《ヽヽ》を吐《つ》いていた、その弁天《べんてん》さまのほうへ、声をしぼって救いをよんだ。     二  その晩である。  瘤《こぶ》だらけになった蛾次郎と、みみずばれをこしらえた竹童とが、菊村宮内《きくむらくない》の住居《すまい》のほうで、かた苦しくすわらされていた。  昼間、もう少し蛾次郎がやせがまんをしていたら、竹童のためにしめ殺されていたかもしれない。あのとき、すぐに宮内が馳《か》けつけて引き分けてくれたからこそ、かれの頭が多少のでこぼこを呈《てい》しただけですんでいる。 「なんとしても、ふたりは死ぬまで、敵となり仇《かたき》となり、仲よくしてはくれないというのか。アア……どうもこまった因縁《いんねん》だの」  宮内は双方《そうほう》の顔を見くらべて、つくづくとこう嘆息《たんそく》した。  およそどんな者にでも、真心から熱い慈愛《じあい》をそそぎこめば、まがれる竹もまっすぐになり、ねじけた心も矯《た》めなおせると信じているかれだったが、竹童はとにかく、蛾次郎の横着《おうちやく》と奸智《かんち》と強情《ごうじよう》には、すっかり手を焼いてしまった。  こういう性質《たち》の不良なものでは、日本に天邪鬼《あまのじやく》という名があり、西洋にはキリストの弟子のうちに、ユダという男がいた。ユダの悪魔《あくま》ぶりにはキリストも持てあましたし、十二使徒《じゆうにしと》の人々も顰蹙《ひんしゆく》して、あいつはとても、真人間《まにんげん》にはなりませんといったくらいだ——という話を、宮内《くない》はいつか伴天連《バテレン》の説教《せつきよう》にきいたことがあるので、蛾次郎もそれに近い人間かなと考えた。 「では、なんともいたしかたがない。いつまでおまえたちを、この竹生島《ちくぶしま》へ鎖《くさり》でつないでおくわけにもゆかぬから、明日《あした》はふたりをむこうの陸《おか》におくってあげよう」  とうとう宮内もあきらめてこういいわたした。 「まことに、永いあいだ、手あついお世話になりました」  竹童は尋常《じんじよう》に礼《れい》をいったが、蛾次郎は、ヘン、お粥《かゆ》ばかり食《く》わせておきやがって、大きな顔をしていやがる——といわんばかり、面《つら》と瘤《こぶ》をふくらましてそッぽを向いたままである。 「だが? ……」と宮内はまたなにか考えて、 「明日《あした》までにはまだだいぶ間《ま》がある。たがいに顔を見ているとツイつかみ合いをやりたくなるから、向こうへゆくまでの間《あいだ》、これをかぶって双方《そうほう》口をきかぬことにしているがよい」  と、奥《おく》へいって持ってきたのは、ふるい二つの仮面《めん》である。あおい烏天狗《からすてんぐ》の仮面《めん》を蛾次郎《がじろう》にわたし、白い尊《みこと》の仮面《めん》を竹童にわたした。  それをかぶらせておいてから、宮内はも一つのほうの箱を開けてふたりの前に妙《みよう》なものをならべてみせた。  なにかと思って目をみはった蛾次郎が、 「オヤ、独楽《こま》だ!」と、すぐに手をだしそうになるのを、 「まあ、お待ち」  と宮内がそれをおさえて、じぶんの両手に一|箇《こ》ずつ持ち、さて、ふたりの者へ、たのむようにいうには、 「この古代|独楽《ごま》は、竹生島《ちくぶしま》の宮にあった火《ひ》独楽《ごま》と水《みず》独楽《ごま》という珍《めずら》しいものだ。この火独楽を地に打ってまわせば、火焔《かえん》のもえて狂《くる》うかとばかりに見え、この水独楽を空《くう》にはなせば、サンサンとして雨のような玉露《ぎよくろ》がふる……」 「おもしろいな!」  説明をきいているうちに、蛾次郎、もう瘤《こぶ》のいたさを忘れて盗《ぬす》んでもほしそうな様子をする。 「これこれ、そうおもしろいことばかり聞いてくれては、わしが話をする意味がなくなる。まだこの独楽にはふしぎな力がたくさんあって、たとえば、じぶんの迷《まよ》うことを問《と》わんとし、または指すべき方角をこころみる時に、この独楽をまわせば自然にそのほうへまわってゆく——、などということもあるが、あまり話すと、また蛾次郎《がじろう》が勘《かん》ちがいをいたすから、もうそのほうのことはいうまい」 「おじさん、——じゃアなかった。神主《かんぬし》さま、もう蛾次郎も、けっして勘ちがいなんかしないことにいたします」 「わかったわかった、ところで竹童《ちくどう》」 「はい」 「この紅《あか》い火《ひ》独楽《ごま》はそなたに進上する」 「えッ!」  といったのは、もらった竹童ではなくって、それをながめた蛾次郎である。 「そ、それを竹童に? ……もったいないなあ。じゃおれにもこっちをくれるんだろう」 「やらないとはいわない。この青い水《みず》独楽《ごま》は、すなわちおまえにあげようと思って、とうから考えていたくらいなのだ」 「ちぇッ、かたじけねえ」  独楽《こま》を押しいただいた蛾次郎は、そのままうしろへ引っくりかえって、鯱鉾《しやちほこ》だちでもやりたかったが、また叱《しか》られて取りあげられては大へんと、かたくにぎって踊《おど》りだしたいのをこらえていた。 「そこでな、ふたりの者」  きッとあらたまった宮内《くない》は、まず少年の心理をつかんでおいてから、その本道《ほんどう》を説《と》こうとする。 「こんどはわしのいうことをきいてくれる番だぞ。よいかな。明日《あす》この島をでて、向こうの陸《おか》へあがってから、もうわしがそばにいないからよいと思って、その仮面《めん》をとるが早いか、喧嘩《けんか》や斬りあいをするのでは、今日《きよう》までの宮内のこころは無《む》になってしまう」 「ごもっともでございます」  と蛾次郎《がじろう》、みょうなところでばかていねいな返辞《へんじ》をした。笑いもしないで竹童《ちくどう》はまじめに、 「それで、宮内さまのおたのみというのは、いったいなんでございますか」  とかたずをのむ。 「ほかではないが、ふたりの遺恨《いこん》を、きょうからこの独楽《こま》にあずけてしまって、たがいに、討つか討たれるか、命《いのち》のやり取りをしようという時には、この独楽で勝負をしてもらいたい。そうすれば、独楽はくだけても、そなたたちのからだに怪我《けが》はできないから」 「わかりました」 「その儀《ぎ》、きっと承知《しようち》してくれるだろうな」 「じゃア、なんですか?」とまた蛾次郎が反問《はんもん》した。 「たとえば、わたしたちの争っている大鷲《おおわし》を、どっちのものにするかという時にも、つまり、この独楽《こま》のまわしッくらで、きめるんですか」 「そうだ、そればかりでなく、今日のような場合《ばあい》でも、腹がたったら独楽で勝った者のいいぶんを通すなり、または、あやまるということにしたら、なにもつかみあって湖水におぼれるまでの必要もなくなるであろう」  欲《ほ》しいものは与えられ、愉快《ゆかい》な方法はおしえられて、なんで少年の心がおどり立たずにいよう。竹童《ちくどう》はむろんそれに異存《いぞん》もなし、蛾次郎《がじろう》も一|言《ごん》の不平なく、きっとその約束を守りますといって宮内《くない》にちかった。  でふたりは、いいつけられた仮面《めん》をかぶり、あたえられた独楽《こま》をかたく抱《だ》いて、奥《おく》の部屋《へや》に、今夜だけは仲《なか》よく寝こんでしまった。   割《わ》れたお仮面《めん》     一  死人《しにん》の顔のように青い月があった。  にらんでいるかと思うほど冴《さ》えている。月も或《あ》る夜はおそろしいものだ。  昼は蓬莱山《ほうらいさん》の絵ともみえた竹生島《ちくぶしま》が、いまは湖水から半身《はんしん》だしている巨魔《きよま》のごとく、松ふく風は、その息かと思われてものすごい。  まさに夜半《やはん》をすぎている。  ザブーン! と西浦《にしうら》の岩になにか当った。パッと散ったのは波光《はこう》である。百千の夜光珠《やこうじゆ》とみえた飛沫《しぶき》である。だが、そこに、怪魚《かいぎよ》のごとき影がおどっていた。舟だ、人だ。 「やッ」  とさけんだのは舟中《しゆうちゆう》の男だろう。ほかに人はだれもいない。またつづいて、やッ! という声がかかった、声というよりは気合いである。  ピューッと舟から空に走ったのは、鉤《かぎ》のついた一本のなわ。ガリッというと手にもどって、上からザラザラと岩のかけらが落ちてくる。  エイッ、ガリッ! というこの物音、なんどくり返されたかわからない。そのうちに、 「しめた!」  という声。うまく投げた鉤のさきが岩松の根に引っからんだとみえる。  力をこめて手応《てごた》えをためし、よしと思うとその男のかげ、度胸《どきよう》よく乗ってきた小舟を蹴《け》ながし、スルスルと一本|綱《づな》へよじのぼりだした。  胆《きも》も太いが手ぎわもいい、たちまち三|丈《じよう》あまりの絶壁《ぜつぺき》の上へみごとに手《た》ぐりついて、竹生島《ちくぶしま》の樹木の中へヒラリと姿をひそませてしまった。  と。それからすぐに——。  弁天堂《べんてんどう》のわきにある菊村宮内《きくむらくない》の家の戸を、トントントンと根《こん》よくたたき起していたのはその男で、やがて手燭《てしよく》を持ってでてきた宮内《くない》と、たがいに顔を見合わせると、 「や」 「おお」  といったまま、中にはいって厳重《げんじゆう》に戸じまりをかい、奥《おく》の一室に席をしめて、声ひそやかに話しはじめた。 「どうなすった。こんどの合戦《かつせん》に、北国勢《ほつこくぜい》の軍師《ぐんし》であるそこもとが、かかる真夜中に落ちてくるようでは、いよいよ北《きた》ノ庄《しよう》の城もあぶないとみえますな」 「おさっしのとおりまことにみじめな負けいくさ。ここへきて貴殿《きでん》に顔をあわすのも面目《めんぼく》ないが、じつは、賤《しず》ケ岳《たけ》の一戦に、この方《ほう》と佐久間盛政《さくまもりまさ》との意見が衝突《しようとつ》いたし、そのためにいろいろな手ちがいを生んだので、いまさら越前《えちぜん》へももどれず……」  深夜の客は暗然《あんぜん》として、話す間《ま》に、その顔すらもあげなかった。宮内《くない》も、いまは浪人《ろうにん》の身であり、まったく弓矢をすてた心ではあるが、北庄城《ほくしようじよう》にいたころの友が、かく負軍《まけいくさ》で逃げこんできた姿をみたり、または旧主《きゆうしゆ》の亡《ほろ》びる消息《しようそく》をつたえられては、さすがに一掬《いつきく》の涙が眼《まな》ぞこにわきたってくる。 「オオ……ではあの我《が》のつよい佐久間どのと意見がちがって……なるほど、得《え》て、一国の亡びる時には、そういうふうに人心へヒビの入りやすいもので」 「のみならず、かれは賤ケ岳をすてて、先に北ノ庄へ逃げかえり、このほうの軍配《ぐんばい》すべて乱脈《らんみやく》をきわめたりと、勝家公《かついえこう》へざん言《げん》いたしたとやら」 「ウ、それはまたあまりなこと」 「でなくてさえ、味方の敗軍《はいぐん》に、いらだっている主君には、手もなくそれを信じて、身《み》どもを軍罰《ぐんばつ》にかけよという命令をくだしました」 「や、では」 「北《きた》ノ庄《しよう》へかえれば、軍罰に照らされて首を打たれるは必定《ひつじよう》。といって戦場にとどまれば、秀吉《ひでよし》の手におさえられて、生恥《いきはじ》をかかねばならぬ窮地《きゆうち》に落ちたのでござる。で、ぜひなく、羽柴勢《はしばぜい》の目をくぐって、ここまで落ちのびて、まいったわけじゃ、ごめいわくでも、二、三日この島にかくまっておいてくださるまいか」  深沈《しんちん》とふけゆく座敷《ざしき》のうちに、こう湿《しめ》ッぽい密々話《ひそひそばなし》。ハテナ? ハテナ? なんだかどこかで、聞いたことのある声だぞと、亀《かめ》の子のように、のこのこと蒲団《ふとん》の中から首をもたげだしたのは、独楽《こま》をもらったうれしさに昂奮《こうふん》して、つい寝つかれずにいた泣き虫の蛾次郎《がじろう》。  こういうことに出《で》ッ会《くわ》すと、がんらい、ジッとしていられない性分《しようぶん》。よせばいいのに、ソロリ、ソロリと四ツン這《ば》いにはいだして、つぎの部屋《へや》の向こうがわの、線香《せんこう》のようにスーと明かりの立っているところを目あてに、 「だれだろう? そばできくと、よけいに聞きおぼえのある声だが……」  と、細目《ほそめ》にすかして、烏天狗《からすてんぐ》の仮面《めん》をつけたまま息を殺してさしのぞいた。     二  見てびっくりするくらいなら、のぞかなければいいものを、襖《ふすま》のすきへ仮面《めん》をつけたとたんに、 「あッ! こいツアいけねえ」  と仰天《ぎようてん》して、蛾次郎《がじろう》みずから、そこにじぶんのいることを、となりの武士に知らしてしまった。  草木《くさき》のそよぎにも心をおくという、落武者《おちむしや》の境遇《きようぐう》にある者が、なんでそれを気づかずにいよう。  イヤ、当《とう》の蛾次郎よりははるかに胆《きも》をひやしたかもしれない。 「ヤ、だれか、となりへ!」  太刀をつかんでパッと立った。おそろしく背《せ》のたかい武士。筋骨《きんこつ》も太く、容貌《ようぼう》がまたなくすごいようにみえたが——オオなるほどこれには蛾次郎が仰天したのも無理《むり》ではない。だれあろう、この落人《おちゆうど》こそ、柴田方《しばたがた》では一方《いつぽう》の軍師《ぐんし》とあおがれていた上部八風斎《かんべはつぷうさい》——すなわち、富士の裾野《すその》にいた当時は、綽名《あだな》されて鏃師《やじりし》の鼻《はな》|かけ《ヽヽ》卜斎《ぼくさい》といわれていた人物。  蛾次郎はそのころかれの弟子であった。じつはまだはっきりとお暇《ひま》もいただいてないのだから、ここで逢《あ》ったのはまずいというより運のつきだ。 「南無三《なむさん》。とんでもねえやつが舞いこんできやがった。こいつアどうもたまらねえ」  と、バタバタと奥のほうへ逃げこんだので、八風斎《はつぷうさい》の鼻|かけ《ヽヽ》卜斎《ぼくさい》は、さてこそ、秀吉《ひでよし》のまわし者でもあろうかと邪推《じやすい》をまわして、そこの唐紙《からかみ》を蹴《け》たおすばかりな勢い——間髪《かんはつ》をいれずにあとを追いかけていった。  一足《いつそく》とびに二|間《けん》ほど馳《か》けぬけてくると、卜斎はなにかにドンとつまずいた。 「あッ」  といって、蒲団《ふとん》のなかから躍りだしたのは、尊《みこと》の仮面《めん》をつけて寝ていた竹童《ちくどう》である。  だが卜斎は、その背《せ》かっこうの似《に》ているところから、これこそ、奥へ逃げこんだ小童《こわつぱ》であろうと、拳《こぶし》をかためてなぐりつけた。  寝《ね》ごみの不意をくったので、さすがの竹童もかわすひまなく、グワンと血管《けつかん》の破れるような激痛《げきつう》をかんじてぶッ倒《たお》れたが、とっさに枕《まくら》もとへおいて寝た、般若丸《はんにやまる》を抜きはらって、かれの足もとをさッと薙《な》ぎつける。 「うむ」  と卜斎一流の妖気《ようき》みなぎる含《ふく》み気合いが、それをはねこえて壁ぎわへ身を貼《は》りつけると、 「オオ、なんじは鞍馬《くらま》の竹童だな」  らんらんとして眸《ひとみ》を射《い》て、こなたのかげをすかしたものだ。ハッと思って、竹童は自分の顔に気がついた。  卜斎《ぼくさい》の鉄拳《てつけん》をくったせつなに、仮面《めん》は二つに割《わ》られてしまった。そして二つに割られた仮面が、畳《たたみ》の上に片目をあけて嘲笑《あざわら》っている。 「なんでおいらの寝ているところをぶンなぐった。裾野《すその》にいた鏃鍛冶《やじりかじ》、顔は知っているが、怨《うら》みをうけるおぼえはない」 「ではなにか、今この方《ほう》が宮内《くない》と話をしていたのを、ぬすみ聞きしていたのは、きさまではなかったか」 「それは向こうに寝ていた泣き虫の蛾次郎《がじろう》だろう」 「や? ——蛾次郎もここにおったか。ちッ、ちくしょうめ」  と、そのほうへ走りだそうとしたが、卜斎、なにをフト思いなおしたかにわかに大刀の柄《つか》をつかんでジリジリと竹童のほうへよってきながら、 「いやいや、たとえ怨みがあろうとなかろうと、ここへおれが潜伏《せんぷく》しているということを知られた以上は、もうきさまも助けておけない」 「なにッ」竹童も身がまえを直《なお》した。 「秀吉《ひでよし》の陣へ内通されれば、八風斎《はつぷうさい》の運命《うんめい》にかかわる。気の毒だが生命《いのち》はもらうぞ——だめだだめだ! 鞍馬《くらま》の竹童ジリジリ二|寸《すん》や三寸ずつ後退《あとず》さりしても、八風斎の殺剣《さつけん》がのがすものか、立って逃げればうしろ袈裟《げさ》へひと浴《あ》びせまいるぞ、——ジッとしていろ、運が悪いとあきらめて、そのままそこに、ジッとしていろ」  スラリと青光《あおびか》りの業物《わざもの》を抜いた。  戦国時代の猛者《もさ》が好んでさした、胴田貫《どうたぬき》の厚重《あつがさ》ねという刀である。竹童ぐらいな細い首なら、三つや四つならべておいても優《ゆう》に斬れるだろうと思われるほどな。——  そいつを抜《ぬ》いて、鼻|かけ《ヽヽ》卜斎《ぼくさい》、ダラリと右手《みぎて》にさげたのである。そして、 「ジッとしていろ!」  とおそろしい威迫《いはく》を感じる声で、ズカリとくるなり足をあげて、般若丸《はんにやまる》を構《かま》えていた竹童の小手を横に蹴《け》った。しかも、その足力《あしぢから》がまたすばらしい、あッというと、般若丸はかれの手をもろくはなれて、ガラリと向こうへ飛ばされてしまった。 「これでおれの力量《りきりよう》はわかったろう、じたばたするなよ、とてもむだだ。——ジッとしていろ! ジッとしていろ! 痛《いた》くないように斬ってやる」  こういいながら胴田貫、おもむろに切《き》ッさきを持ちあげて、ヌッと竹童のひとみへ直線にきたと思うと、パッと風を切って卜斎の頭上《ずじよう》にふりかぶられた。  なんで、これがジッとしていられよう。そのすきに鞍馬《くらま》の竹童、グッとうしろへ身を反《そ》らしたが、落とした刀へは手がとどかず、立って逃げれば、われから卜斎の殺剣《さつけん》へはずみを加えてゆくようなものだし? ……  絶体絶命《ぜつたいぜつめい》。  いまは、のがれんとするもその術《すべ》はなく、この五体、ついに鮮麗《せんれい》な血をあびるのかと、おもわず胸をだきしめる、とその手のいったふところに、さっきの火《ひ》独楽《ごま》が指にさわった。   お小姓《こしよう》とんぼ組《ぐみ》     一  賤《しず》ケ岳《たけ》の総《そう》くずれから、敵営《てきえい》、秀吉方《ひでよしがた》の目をかすめて、やっと世をはなれた竹生島《ちくぶしま》に、旧知《きゆうち》の菊村宮内《きくむらくない》をたよってきた——柴田《しばた》の落武者《おちむしや》、上部八風斎《かんべはつぷうさい》の鼻|かけ《ヽヽ》卜斎《ぼくさい》。  草木《くさき》のそよぎにも、恟々《きようきよう》と、心をおどろかす敗軍の落伍者《らくごしや》が、身をかくまってもらおうと、弁天堂《べんてんどう》の神主《かんぬし》、宮内の社家《しやけ》にヒソヒソと密話《みつわ》をかわしていると、止《よ》せばよいのに、でしゃばりずきな泣き虫の蛾次郎《がじろう》が、ワザワザ寝床《ねどこ》からはいだして、それを、ぬすみぎきしていたのを、卜斎、気取《けど》るや否《いな》や、おそろしい形相《ぎようそう》で、かれを奥へ追いまくした。  南無三《なむさん》——もとの主人卜斎だったかと、仰天《ぎようてん》した蛾次郎は、すばやく風を食《く》らって逃げだした。けれど、その禍《わざわ》いは、なにも知らずに寝こんでいた、鞍馬《くらま》の竹童《ちくどう》の身にふりかかって、すでに、自身のあるところを知られては、秀吉のほうへ、密告《みつこく》されるおそれがある、きさまも生かしてはおけぬ、目をつぶって、覚悟《かくご》をしろ、逃げようとしても、それは無駄《むだ》だぞ——と、おそろしい威迫《いはく》の目をもって、胴田貫《どうたぬき》の大刀を面前にふりかぶった。 「——ジッとしていろ! ジッとしていろ。痛《いた》くないように斬ってやる!」  卜斎《ぼくさい》の足の拇指《おやゆび》が、蝮《まむし》のように、ジリジリと畳《たたみ》をかんでつめよってくるのに、なんで、鞍馬《くらま》の竹童《ちくどう》、ジッと、その死剣《しけん》を待っていられるものか。そんな無意義《むいぎ》な殺刀《さつとう》にあまんじる理由があろうか。  といって、身をまもる唯一《ゆいつ》の愛刀、般若丸《はんにやまる》はそのまえに、卜斎の足蹴《あしげ》にはねとばされて、拾《ひろ》いとって立つ間《ま》はない。しかも、寸秒《すんびよう》の危機《きき》は目前《もくぜん》、おもわず、額《ひたい》や腋《わき》の下から、つめたい脂汗《あぶらあせ》をしぼって、ハッと、ときめきの息を一つ吐《は》いたが——その絶体絶命《ぜつたいぜつめい》のとっさ、ふと、指さきに触《ふ》れたのは、さっき、菊村宮内からもらって、ふところに入れていた、希代《きたい》な火《ひ》独楽《ごま》! その火独楽だ。     二  宵《よい》に、神官《しんかん》の菊村宮内が竹童と蛾次郎《がじろう》をならべておいて、蛾次郎には青い水《みず》独楽《ごま》をあたえ、竹童にはあかい火独楽をくれて——その時ふたりにいったことには、これは、竹生島《ちくぶしま》の弁天《べんてん》に、歳久《としひさ》しく伝わっている奇蹟《きせき》の独楽《こま》だといった。  宮内は、この独楽をもって、仲のわるい二|童子《どうじ》の手をむすぼうとしたのである。だから、その奇蹟についてはあまり、多くを語らなかったが、火《ひ》独楽《ごま》水独楽、どっちも、なにかの不可思議力《ふかしぎりよく》を持つものにちがいない。  だが、——竹童の今は、しんに、間《かん》一髪《いつぱつ》をおく間《ま》もない危機《きき》である。もとより、かれが、卜斎《ぼくさい》が大刀をふりかぶったとたんに、ふところの独楽《こま》をつかんだとはいえ、ふかい、冷静な、思慮《しりよ》ののちにそうしたのではない。寸鉄《すんてつ》もおびていない自衛意志《じえいいし》が、おのずから独楽をつかませたのだ。  それが、たとえば一個の石にすぎなくとも、この場合《ばあい》、竹童《ちくどう》の手は、その石へふれていたにちがいない。 「なんできさまたちの刃《やいば》にたおれるものか!」  口にはださないが、竹童の顔筋肉《がんきんにく》はそういう風《ふう》に引きしまっていた。  そして、独楽をかたくにぎった。  遊戯《ゆうぎ》に、まわすべき独楽なら、紐《ひも》のこともかんがえるが、いまの場合《ばあい》そうでない。武器《ぶき》として、目つぶしとして、敵が大刀へ風を切らせてくるとたんに、卜斎の眼玉へ、それをたたきつけようと気がまえているのだ。  卜斎も、竹童のたいどをみて、うかつにはそれをふりおろしてこない。ジリ、ジリ、と一|寸《すん》|にじり《ヽヽヽ》に寄《よ》りながら息をはかり、気合いをかけたが最後、ただ一刀に、息《いき》の根《ね》をとめてしまおうとするらしい。 「まいるぞッ!」  と、いきなり魔獣《まじゆう》のような気合いがかかった。  はッ——として、竹童の五体も、おもわずその凄《すさ》まじさにすくんでしまおうとしたせつな—— 「ええッ」  とわめいた卜斎《ぼくさい》の大剣が、電火《でんか》のごとく竹童《ちくどう》の頭上におちてきた。あッ——といったのは刀下《とうか》一|閃《せん》のさけび、どッと、血けむりを立てるかと思うと、必死の寸隙《すんげき》をねらって、竹童の右手《めて》がふところをでるやいなや、 「なにをッ」  と一声、待ちかまえていた独楽のつぶてを、パッと卜斎の眉間《みけん》へ投げつけた。  すると、まっ赤な火《ひ》独楽《ごま》は、文字どおり、一|条《じよう》の火箭《かせん》をえがいて、しかも、ピュッとおそろしい唸《うな》りを立て、鼻|かけ《ヽヽ》卜斎の顔へ食《く》いつくように飛んでいった。 「おお、これはッ?」  と、おどろいた卜斎、斬りすべった厚重《あつがさ》ねの太刀《たち》を持ちなおす間《ま》もなく、火の玉のように宙《ちゆう》まわりをしてきた火焔《かえん》独楽《ごま》をガッキと刀の鍔《つば》でうけたが、そのとたんに、独楽《こま》の金輪《かなわ》と鍔《つば》のあいだから、まるで蛍籠《ほたるかご》でもブチ砕《くだ》いたような、青白い火花が、鏘然《そうぜん》として八方《はつぽう》へ散った。 「うつッ……」  と、卜斎が、片手で眼をふさいだ間髪《かんはつ》に、竹童はいちはやく、般若丸《はんにやまる》の刀をひろって、バラバラッと廊下《ろうか》へでたが、それと一しょに、奇蹟《きせき》の火焔独楽、ポーンとはね返って、竹童の手《て》もとへ舞いもどってきた。  いかにもふしぎな魔《ま》独楽《ごま》の力よ!  とあやしまれたがのちによく見れば、独楽《こま》の金輪《かなわ》の一端《いつたん》に、ほそい金環《きんかん》がついていて、その金環から数丈《すうじよう》の紐《ひも》が心棒《しんぼう》にまいてあるのだ。はねもどったのは、独楽《こま》それ自身の魔力《まりよく》ではなく、竹童《ちくどう》の帯《おび》に結んであった紐《ひも》の弾撥《だんぱつ》。手もとへおどり返ってきたのは、とうぜんなのであった。     三  竹童をとり逃《に》がして卜斎《ぼくさい》は、不意の燦光《さんこう》に目をいられて、一時は、あたりがボーッとなってしまったが、廊下《ろうか》を走ってゆく足音を聞きとめると同時に、 「うぬッ」  憤然《ふんぜん》として、その真《ま》ッ暗《くら》な部屋《へや》からかけだした。  そして、いきなり廊下から、庭先《にわさき》へ降《お》りようとして、やみのなかにそれと見えた、沓脱石《くつぬぎいし》へ足をかけると、こはいかに、それは庭の踏石《ふみいし》ではなくて、ふわりとしたものが、足の裏《うら》にやわらかくグラついたかと思うと、 「ぎゃッ」と、蛙《かえる》のようにつぶれてしまった。  それは、竹童より先ににげた泣き虫の蛾次郎《がじろう》で、いま、床下《ゆかした》へもぐりこもうとしているところへ、卜斎の足音がしてきたので、そのまま、縁《えん》の下へ首をつっこんだなりに、石の真似《まね》をしていたものらしい。  あの勢《いきお》いで、大兵《だいひよう》な、卜斎に踏《ふ》みつけられたのだから、蛾次郎もギャッといって、|ぴしゃんこ《ヽヽヽヽヽ》につぶれたのはもっともだが。  おどろいたのは、むしろそれへ足を乗せた卜斎《ぼくさい》のほうで、まさか、やわらかい石だとは、夢《ゆめ》にも思わなかったはずみから、よろよろとツンのめって、あやうく、向こうの梅《うめ》の老木《ろうぼく》に頭をぶつけ、ふたたび、目から火のでるつらい思いをするところだった。 「やッ……おのれは蛾次郎《がじろう》だな」  気がつくと卜斎は、いきなり蛾次郎のえりがみをつかんで、ウンと、そとへ引きずりだそうとした。  蛾次郎は、半分もぐりこんだまま縁《えん》の下の土台《どだい》にかじりついて、 「ごめんなさい! 親方《おやかた》、親方!」  と土龍《もぐら》のように、でようとしない。  なにしろ蛾次郎は、この卜斎ほどおっかないものはないと心得《こころえ》ている。裾野《すその》にいた時分から、気にいらないことがあると、すぐに鏃《やじり》をきたえる金槌《かなづち》で、頭をコーンとくるくらいはまだやさしいほう、|ふいご《ヽヽヽ》で拳骨《げんこつ》を食《く》ったり、弓のおれでビシビシとどやされたおそろしさが、頭のしんにしみこんでいる。  しかもまだその当時《とうじ》の、弟子師匠《でしししよう》の関係を断《た》っているわけではなく、卜斎が北《きた》ノ庄《しよう》へかえるとちゅう、目をくらまして逃《に》げだしていたところだから、見つけられたがさいご、こんどこそ、どんな目に遭《あ》わされるかと、いきた空もないのである。 「たわけめ。でろ、ここへ!」  とどなりながら、卜斎《ぼくさい》はすこし苦笑《くしよう》をもらしてしまった。  いまでも、裾野《すその》当時《とうじ》の気持で、じぶんへあやまるのに、親方《おやかた》親方と呼《よ》んだところが、いくぶんか正直《しようじき》らしいと、おかしくなって、この蛾次郎には、竹童へ向かったような、ああいう本気にはなれなかった。 「かんべんしてください、親方、後生《ごしよう》です」 「でろと申《もう》すに!」 「あッ、苦《くる》しい……いまでます、いま……」 「このバカッ」  力まかせに引ッ張《ぱ》りだして、イヤというほど叩《たた》きつけようとすると、蛾次郎、頬《ほ》ッぺたをおさえて飛《と》び退《の》きながら、 「親方《おやかた》、どうも、お久《ひさ》しぶりでした」  ピョコンと、おじぎをして、たくみに、あとの拳骨《げんこつ》を予防《よぼう》した。 「蛾次郎!」 「へいッ」 「きさまはだれにゆるされて、方々《ほうぼう》かってにとびまわっているんだ」 「もうしわけございません」 「まだ、きさまにひまをだしてはいないぞ」 「承知《しようち》しています。これから、けっして気ままにあそんで歩きません。はい、親方の腰《こし》についております」 「また、なんのために、この竹生島《ちくぶしま》へなどきているのだ」 「琵琶湖《びわこ》で土左衛門《どざえもん》になるところを、ここの神主《かんぬし》のやつが助けやがったんで……わたしがきたいと思ってきたところじゃありません」 「竹童《ちくどう》もか」 「そうです」 「武田伊那丸《たけだいなまる》やあの一党《いつとう》の者は、その後《ご》、どうしているか、なにか、うわさを聞いているだろう」 「あのなかの、小幡民部《こばたみんぶ》や咲耶子《さくやこ》や山県蔦之助《やまがたつたのすけ》などは、小太郎山《こたろうざん》のとりでに、留守番《るすばん》をしているそうです」 「そして、伊那丸は?」 「加賀見忍剣《かがみにんけん》と木隠龍太郎《こがくれりゆうたろう》をつれて、しばらく京都におりましたが、そのうちに、なんでも秀吉《ひでよし》の陣《じん》をとおって桑名《くわな》から東海道《とうかいどう》のほうへ帰っていったという話です。……けれども、それは、わたしが見たわけじゃありませんから、親方、ちがっていても、かんにんしてください」  と蛾次郎《がじろう》は、卜斎《ぼくさい》の顔色《かおいろ》が、だんだん和《やわ》らいでくるのを見ると、甘《あま》ッたれたような調子《ちようし》でしゃべりだしてくる。 「ウーム。秀吉は伊那丸に好意《こうい》をよせて、暗《あん》に、かれを庇護《ひご》しているものとみえる。だが……」  というと、卜斎《ぼくさい》は、なにか自分の前途《ぜんと》について、だいじな方針《ほうしん》をかんがえかけてきたとみえ、逃《に》げたる竹童《ちくどう》のことはともかく、どっかりと、庭石へ腰《こし》をおろして腕《うで》ぐみをしてしまった。 「——だが、家康《いえやす》は伊那丸《いなまる》をにくんでいる。たしかに、かれを亡《な》き者にせねば、ある不安から離《はな》れられまい。伊那丸も家康を武田家《たけだけ》の仇《かたき》とねらっているのは知れきったこと……」 「そ、その通りですよ、親方」  と、蛾次郎《がじろう》は、そばから、おちょぼ口をつぼめて、 「これからまた、富士山のまわりで、すさまじい戦《いくさ》があるとすりゃ、伊那丸と家康の喧嘩《けんか》でしょうよ。家康も東海道《とうかいどう》の名将だが、伊那丸のほうにいる忍剣《にんけん》や龍太郎《りゆうたろう》というやつも強いからな。それに、小太郎山《こたろうざん》にのこっている小幡民部《こばたみんぶ》というやつが、たいへんな軍師《ぐんし》だそうで」  いいかけたところで、また、卜斎の顔色をみて、 「だが、親方には、かなわねえやきっと——」  と前言《ぜんげん》をあいまいにした。 「おれも柴田家《しばたけ》から爪弾《つまはじ》きをされてみれば、なんとか、ここで行《ゆ》く末《すえ》の方針を立てなければならない場合《ばあい》だが」 「はい、そうです」  と深いわけもわからぬくせに、卜斎《ぼくさい》が問《と》わず語《がた》りにつぶやくのへ、蛾次郎《がじろう》、いちいちあいづちをうって、じぶんも腕《うで》ぐみのまねをしている。 「ウム」  それには相手にならないで、卜斎はなにかひとりでこううなずき、上に着ていた陣羽織《じんばおり》を脱《ぬ》ぎすてて、 「しばらくの間《あいだ》、またもとの鏃鍛冶《やじりかじ》にばけて、世間《せけん》のなりゆきを見ているとしよう。そのうちには、なんとかいい運《うん》がひらけてくるだろう」 「じゃ親方《おやかた》、また裾野《すその》の人無村《ひとなしむら》へかえって、テンカンテンカンやるんですか」 「どこに住《す》むかわからないが、てめえもこれからは、無断《むだん》でほうぼうとんであるくと承知《しようち》しないぞ」 「へ、へい」 「どこまでもおれについていろ。そして一人前《いちにんまえ》の鏃師《やじりし》になったら暇《ひま》をくれてやる。お、そんなことはとにかく、おれがここへきたことを、竹童《ちくどう》に知られてしまったから、もう永居《ながい》をしているのはぶっそうだ。鏃師卜斎にすがたをかえて、夜《よ》の明けないうちに、竹生島《ちくぶしま》をでるとしよう」  卜斎は陣羽織をすててつぎに、手ばやく籠手《こて》の具足《ぐそく》をとり、脛当《すねあて》の鎖《くさり》を脚絆《きやはん》にかえて、旅の鏃師らしいすがたにかわった。そして蛾次郎に、 「菊村宮内《きくむらくない》どのへ、ちょっとお暇《いとま》をつげてまいるから、おまえも、そのあいだに支度《したく》をして、ここに待《ま》っているんだぞ」  と、いいのこして、そこを立とうとすると、なんだろう? 周囲《しゆうい》の闇《やみ》——樹木《じゆもく》や笹《ささ》や燈籠《とうろう》のかげに、チカチカとうごく数多《あまた》の閃光《せんこう》。  槍《やり》だ——槍の穂先《ほさき》だ。  いつのまにか、卜斎《ぼくさい》と蛾次郎《がじろう》のまわりには、十|数槍《すうそう》の抜身《ぬきみ》の穂尖《ほさき》、音もせずに、ただ光だけをギラギラさせて、芒《すすき》のように植《う》えならんでいた。 「さては、秀吉《ひでよし》の陣《じん》から、もう追手《おつて》がまわってきたな」  卜斎ははやくも観念《かんねん》して、飾《かざ》りをとった陣刀《じんとう》を脇差《わきざし》にぶっこみ、りゅうッ——と抜《ぬ》くがはやいか、その槍襖《やりぶすま》の一角《いつかく》へ、われから血路《けつろ》をひらきに走った。     四 「親方《おやかた》——ッ」  と泣きごえをだした蛾次郎は、そのとたんにいきなり、突《つ》っかけてきた槍の柄《え》にむこうずねをたたかれ、ワッといって、打《ぶ》ッたおれた。  あとはおそらく、蛾次郎じしんにも、むちゅうであったにちがいない。とにかく、ひとりや半分の敵ではなく十数人——あるいは二、三十人もあったろうと思われる甲冑《かつちゆう》の武士《ぶし》が、なにも知らずにいるところへ、なにもいわずに、ズラリと槍の尖をそろえてきたのだから、胆《きも》は天外《てんがい》に吹ッとんでいる。  一どたおれた蛾次郎《がじろう》は本能的《ほんのうてき》にはねかえって、起きるが早いか、そばの大樹《たいじゆ》へ、無我夢中《むがむちゆう》によじのぼった。  猿《ましら》のように梢《こずえ》へのぼるとちゅうでも、秀吉方《ひでよしがた》の甲冑武者《かつちゆうむしや》に、槍《やり》の柄《え》でピシリッと叩《たた》かれたが、それさえ、必死《ひつし》であったので、痛《いた》いともなんとも性《しよう》にこたえなかった。  そして、運よく大樹の枝先が、弁天堂《べんてんどう》の上へおおいかぶさっていたのを幸《さいわ》いに、かれはヒラリと身をおどらして、枝から屋根へ飛びうつり、てんてんと影《かげ》をおどらせて、やっと竹生島《ちくぶしま》の磯《いそ》へかけ下《お》りてきた。  するといっぽうの急坂《きゆうはん》からも、血路《けつろ》をひらいた卜斎《ぼくさい》が、血刀《ちがたな》を引っさげてこの磯へ目ざしてきたので、ふたりは前後《ぜんご》になって磯の岩石《がんせき》から岩石を飛びつたい、やがて、一|艘《そう》の小舟を見つけだすとともに、それへ飛び乗って櫓《ろ》をおっとり、粘墨《ねんぼく》のように黒い志賀《しが》ノ浦《うら》の波《なみ》を切って、いずこともなく逃《に》げのびてしまった。  それよりまえに、あやうく卜斎の殺刃《さつじん》をのがれて、堂《どう》の裏《うら》に姿《すがた》をかくしていた鞍馬《くらま》の竹童《ちくどう》は、ほど経《へ》てあたりをうかがいながら、そっと、ようすをながめにでた。見ると、弁天堂のまえへ、大勢《おおぜい》の武士をつれて篝火《かがりび》を焚《た》かせている者は、かの賤《しず》ケ岳《たけ》で勇名《ゆうめい》をはせた、加藤虎之助《かとうとらのすけ》の臣《しん》、井上大九郎であることがわかった。  思いがけないところで、大九郎にあった竹童は、かれの口から、その後《ご》の伊那丸《いなまる》の消息《しようそく》をくわしく知ることができた。  すなわち、武田伊那丸と従臣《じゆうしん》のふたりは、大九郎が桑名《くわな》の陣《じん》を引きはらうと同時に、秀吉《ひでよし》にわかれて小太郎山《こたろうざん》へかえるべく、徳川家《とくがわけ》の城地《じようち》へ危険《きけん》をおかして進んでいったという話。——  それを聞くと、竹童《ちくどう》は、すぐにあとをしたって、三人に追《お》いつき、ひとまず小太郎山のとりでへ帰ろうと決心《けつしん》した。そののちに、琵琶湖《びわこ》の上で乗り落ちたまま行方《ゆくえ》をうしなったクロをさがす方針《ほうしん》もかんがえ、また、一党《いつとう》の人々にも、久《ひさ》しぶりで会《あ》いたいと願った。あの、温厚《おんこう》にして深略《しんりやく》のある小幡民部《こばたみんぶ》、あのやさしくて凜々《りり》しい咲耶子《さくやこ》、あの絶倫《ぜつりん》な槍術家《そうじゆつか》と弓の名人である、蔦之助《つたのすけ》や巽小文治《たつみこぶんじ》にもずいぶんながく会わなかった。あの人たちは、みなじぶんを心の底《そこ》からいとしんでくれる、骨肉《こつにく》のようなやさしさと、温味《あたたかみ》をもっている。  その人たちに久《ひさ》しぶりで会おう。  小太郎山は、乱世《らんせい》の中にあってゆるがず、みだされずにある、義血《ぎけつ》の兄弟たちの家《うち》だ。その家《うち》へ帰ろう。こう思うと矢《や》も楯《たて》もなく、竹童は、神官《しんかん》の菊村宮内《きくむらくない》に、きょうまでうけた親切《しんせつ》の礼《れい》をのべ、井上大九郎の舟に送られて、ほのぼのと夜《よ》の白《しら》みかけた竹生島《ちくぶしま》へ別れをつげた——。  もとより、辛苦《しんく》になれている竹童には、野に伏《ふ》し樹下《じゆか》にねむることも、なんのいとうところではなく、また鞍馬《くらま》の谷《たに》で馴《な》らした足には、近江《おうみ》街道《かいどう》の折所《せつしよ》や東海道《とうかいどう》の山路《やまじ》なども、もののかずにはならないので、なみの旅人《たびびと》のはかどるよりは数日もはやく里数《りすう》をとって、間《ま》もなく、家康《いえやす》の領地《りようち》、遠江《とおとうみ》の国へ近づいてきた。  しかしそこまでいって、ハタと竹童《ちくどう》がとうわくした、というのは、いたるところの国境《くにざかい》に、徳川家《とくがわけ》の関所《せきしよ》がきびしく往来《おうらい》をかためていて、めったな者は通さないという風評《ふうひよう》であった。  で、やむなく、街道《かいどう》を遠《とお》くはなれて、人もとおらぬ山河《さんが》を越《こ》え、ようよう遠江の国へはいったが、こんな厳重《げんじゆう》さでは、さきに桑名《くわな》を立った伊那丸《いなまる》たちも、やすやす、無事《ぶじ》にここを通れたとは思われない。なにかの危険《きけん》にであっているにちがいない。 「ああ、だれかに、ご安否《あんぴ》をたずねてみたいが、めったなものに、そんなことをきけば、みずから人のうたがいを招《まね》くようなものだし……」  こう思いながら、鞍馬《くらま》の竹童は、野末にうすづく夕陽《ゆうひ》をあびて、見わたすかぎり渺茫《びようぼう》とした曠野《こうや》の夕ぐれをトボトボと歩いていた。  ここは、どこの野辺《のべ》ともわからないが、いま渡《わた》ってきた川の瀬《せ》には、都田川《みやこだがわ》という杭《くい》が立っていた。  なお、はるかにあなたの野《の》のはてには、一抹《いちまつ》、霞《かすみ》のように白い河原《かわら》がみえる。あとは、西をあおいでも、北を見ても、うっすらした山脈《さんみやく》のうねりが黙思《もくし》しているのみだ。  微風《びふう》もない晩春《ばんしゆん》の夕ぐれ、——ありやなしの霞をすかして、夕陽《ゆうひ》の光が金色《こんじき》にかがやいている。いちめんの草にも、霞にも、竹童の肩《かた》にも——。  するとやがて、耀々《ようよう》とした夕がすみのなかから、あまたの青竹と杉丸太《すぎまるた》をつんだ車が、ガラガラと竹童《ちくどう》のそばを通りぬけた。そのあとについて、八、九人の足軽《あしがる》と十数名の人夫《にんぷ》たちが、斧《おの》や、鉞《まさかり》や、木槌《きづち》などをかついで、なにかザワザワと話しながら歩いてゆく。  すれちがった時に、なんの気もなく竹童がふりかえると、一ばんさいごについてゆく足軽が、一本の立て札《ふだ》をかついでいる。  生《なま》あたらしいその高札《こうさつ》の片面《かためん》に、なにか墨色《すみいろ》もまざまざと書いてあったが、その文字のうちに、ふと、武田《たけだ》と読めた一|行《ぎよう》があったので、竹童はハッと胸《むね》をさわがしたが、 「あ、もし」  と、呼《よ》びとめておいて、つとめて冷静《れいせい》をよそおいながら、 「浜松のご城下《じようか》へゆくには、これをまっすぐにゆけばいいんですか……」  と道にまよっているふりをして、そのあいだに、足軽が肩《かた》にかけている高札の文字を読もうとしたが、意地《いじ》わるく、文字面《もじめん》の裏《うら》を向けていて、よく読むことができなかった。 「うむ、ご城下へは一本道だが、まだだいぶ道のりがあるぜ」 「じゃ、日が暮《く》れてしまいましょうね」 「いそいでゆきねえ。ぶっそうだから」  曠野《こうや》にさまよう子供と見て、その足軽は、さきへ青竹をつんでいった車やつれの人数からひとりおくれて、こまごまと、十字路《じゆうじろ》の方角《ほうがく》や里数《りすう》をおしえてくれている。 「どうもありがとうございました」  竹童はその道|しるべ《ヽヽヽ》より、肩《かた》にかついでいる高札《こうさつ》のことを、なんとかして聞きほじりたいがと苦慮《くりよ》したが、いきなりたずねだすのもさきの疑《うたが》いを買うであろうと、わざと空《そら》とぼけて、 「それでよく道はわかりました。ですけれど、おじさん、この広い原ッぱは、いったいなんという所なんでしょうね」 「おまえは、それも知らずに歩いているのか。子供ってえものはたわいのねえものだ。ここはおまえ、甲斐《かい》の信玄《しんげん》と家康《いえやす》さまとが、鎬《しのぎ》をけずった有名な戦場《せんじよう》で、——ほれ、三方《みかた》ケ原《はら》というところだ」 「あ、ここが、三方ケ原でございますか。——なるほど、広いもんだなあ。そして、おじさんたちは、やっぱり徳川《とくがわ》さまのご家来《けらい》ですか」 「そうよ、おれたちは、浜松城《はままつじよう》の足軽組《あしがるぐみ》だ」 「いまごろから、あんな青竹や松明《たいまつ》をたくさん車につんで、いったい、どこへおいでになりますので?」 「おれたちか……」足軽は、ちょッといやな顔をして、 「これから都田川《みやこだがわ》の手まえまでいって、夜明《よあ》かしで、人の死に場所《ばしよ》をこしらえにかかるんだよ」 「へえ、人の死に場所を」 「うむ。つまり、刑場《けいじよう》のしたくにゆくんだ」 「ああ、それで、矢来《やらい》にする竹や丸太《まるた》や、獄門台《ごくもんだい》をつくる道具《どうぐ》をかついで、みんながさっき向こうへいったんだな」 「そうだ、おまえも、こんなこわい話を聞いてしまうと、たださえさびしい三方《みかた》ケ原《はら》が、よけいにさびしくなって歩けなくなるぜ。だがまだいまのうちなら、夕陽《ゆうひ》がキラキラしているからいい、はやく、いそいでゆくことにしねえ」  クルリとふり向くと、さきの者とは、だいぶ距離《きより》ができたのにびっくりして、足軽《あしがる》の男は、急にいそぎ足に別《わか》れかけた。 「あ、おじさん。もしもし」  竹童《ちくどう》は、あわててそれを呼びかえしたが、べつに、どういう口実《こうじつ》もないので、とっさの機智《きち》を口からでまかせに、 「腰《こし》の手拭《てぬぐい》が落ちますよ」といった。 「ありがとう」  と、さきの男が、うっかり釣《つ》りこまれている間《あいだ》に、かれは、すかさず、矢《や》つぎ早《ばや》にさぐりをいれた。 「あの、いまおじさんがいった刑場で、いったいだれがいつ斬《き》られることになるんです」 「よくいろんなことをききたがるな。子供のおまえにそんなことを話してもしかたがねえが、男は一どは見ておくものだそうだから、あさっての夕方、都田川《みやこだがわ》の竹矢来《たけやらい》のそとへ見にきねえ。この高札《こうさつ》に書いてある通り、こんど徳川《とくがわ》さまの手でつかまった、武田伊那丸《たけだいなまる》とその他《ほか》二人の者がバッサリとやられるのだから」  もう、うるさいと思ったか、こんどはそっけなくいいはなした。肩《かた》の高札を持ちかえると、ふり向きもせずにタッタとさきの人数を追《お》いかけていった。       五  ゆき別れた足軽《あしがる》のすがたが半町《はんちよう》ばかり遠ざかると、生《い》ける色もなく、そこに取りのこされた竹童は、 「ウウム……」  髪《かみ》の毛をつかんだまま、よろよろと、草のなかへ腰《こし》をついて、 「た、たいへんだ」  身をゆすぶッて、もだえだした。 「伊那丸さまが——あとのふたりも? ——」  くわっと、眼をひらいて、宇宙《うちゆう》に眸《ひとみ》をさまよわせたが、 「こうしてはおられない!」  また、ものぐるわしくそこを立った。  いても立ってもいられない焦燥《しようそう》である。  その驚愕《きようがく》とうろたえのさまは、鞍馬《くらま》の竹童《ちくどう》として、いつにない取りみだしようだ。はね起きたが、その足を向けようとする方角《ほうがく》にも、迷《まよ》いともだえがからんでみえる。 「アア、どうしたらいいだろう」  三方《みかた》ケ原《はら》は渺《びよう》として、そこには、ただようようにうすれてゆく夕陽《ゆうひ》の色があるばかりだ。 「はやく、小太郎山《こたろうざん》にのこっている、一党《いつとう》の人たちへ、この大事を知らせるのが、一ばんいい工夫《くふう》だけれど、そんなことに、四|日《か》も五日もかかっていては間《ま》に合いはしない。エエ、どうしたらいいだろうッ……」  歯《は》を食いしばったまま、湧《わ》きたつ胸《むね》を、両手《りようて》でギュッとだきしめた。 「どうして、伊那丸《いなまる》さまが……おまけに龍太郎《りゆうたろう》さまや忍剣《にんけん》さままでついていて、やみやみと、徳川家《とくがわけ》の手へつかまっておしまいなされたのであろう。アア、だけれど、いまはそんなことを考えている間《ま》などない。おいらの頭の上へ降《ふ》りかかってきた使命《しめい》は——どうして、はやくこのことを、小太郎山へ知らせてあげるか、どうしたら伊那丸さまをお助けすることができるか、この二つだ! この二つが目のまえの大事だ」  ひとり問《と》い、ひとり答えて、はては当面《とうめん》の大難《だいなん》にあたまも惑乱《わくらん》して、ぼうぜんと、そこに、腕《うで》ぐみのまま立ちすくんでしまったのである。  すると、野原のどこからか、ワ——ッと、元気のいい声が、潮《うしお》のように近づいてきたかと思うと、やがて青々《あおあお》とした草の波《なみ》から、おなじ年頃《としごろ》の少年ばかりが二十人ほど、まっ黒になって、竹童《ちくどう》のほうへなだれてくる。 「や、なんだろう?」  ぼうぜんとしていた竹童は、その気配《けはい》に顔をあげたが、ようすがわからないので、いち早く、草のなかに身をふせてしまった。  姿《すがた》をかくして、眸《ひとみ》だけをジッとそれへ向けていると、あまたの少年たちは、いずれも、前髪《まえがみ》だちで、とんぼ模様《もよう》のついたそろいの小袖《こそで》、おなじ色の袴《はかま》をうがち、なにか、大きな動物に綱《つな》をつけて、その動物の力にワイワイと引きずられてくる。  見ると、それはクロだ。  竹童の愛鷲《あいしゆう》——あの大きな鷲《わし》だ。  とんぼのついたそろいの小袖を着《き》ているところでは、これこそ、浜松城《はままつじよう》で有名な、お小姓《こしよう》とんぼの少年たちにちがいはない。そして、このとんぼ組《ぐみ》の餓鬼大将《がきだいしよう》とかげ口をいわれているものは、結城秀康《ゆうきひでやす》の子で家康《いえやす》には孫《まご》にあたる、徳川万千代《とくがわまんちよ》である。  万千代は、いまもこのとんぼ組の小姓たちの先達《せんだつ》となって、しきりに大鷲《おおわし》の背《せ》なかへ乗ろうとしては落ち、乗ろうとしては、翼《つばさ》にハタかれて、ぶッたおれた。  足に結びつけた、綱《つな》にすがりついている多くの小姓も万千代も、手や足にすり傷《きず》をこしらえて血《ち》だらけになっているが、さすがに、戦国の少年、三河武士《みかわぶし》の卵《たまご》たちである。あくまで鷲と力をあらそって、自由にせずにはおかないふうだ。  竹童は、われを忘れて草の中から立っていた。   独楽《こま》だまし     一  草の嵐《あらし》にうすづく夕日。  日の暮《く》れるのも忘れてしまって、三方《みかた》ケ原《はら》の奥《おく》へ奥へ、鷲《わし》にひきずられてゆくとんぼ組《ぐみ》のお小姓《こしよう》たち。  鷲をオモチャにしているのか、鷲にオモチャにされているのか、ともすると、あべこべに、空《そら》へつるしあげられそうになるのを、からくも、一|本杉《ぽんすぎ》の根《ね》ッこへ、その手綱《たづな》を巻《ま》きつけて食《く》いとめたとたんに、 「あア、くたびれた」  と、ヘトヘトにつかれたこえを合わせながら、 「休《やす》もう」 「休もう」 「休んでからまた飛ぼう!」  と、これでも鷲のつばさと一しょに、飛んできた気でいるのだからたわいない。  見ればみな、なつめのような眼をもった、十二、三から十五ぐらいまでの前髪《まえがみ》少年。浜松城《はままつじよう》のお小姓《こしよう》であれば、しかるべき家柄《いえがら》の息子《むすこ》たちにはちがいないが、城下《じようか》からこんなところまで、鷲《わし》と取っくんできたのだからたまらない、とんぼぢらしのおそろいの小袖《こそで》も、カギ裂《ざ》きやら泥《どろ》だらけ。  なかには、手や頬《ほ》ッぺたをすりむいて、ざくろみたいになっている者、鼻血をだしておさえている者、髷《まげ》の草《くさ》ッ葉《ぱ》がとれないでこまっているもの、脇差《わきざし》の鞘《さや》だけさしてすましているもの。——どれもこれも弟《てい》たりがたく兄《けい》たりがたき腕白顔《わんぱくがお》だ。さだめし、屋敷《やしき》へかえったのちには、母者人《ははじやびと》からお小言《こごと》であろう。  お山の大将《たいしよう》おれひとり——という格《かく》で、中にまじっている徳川万千代《とくがわまんちよ》は、みんなと一しょに、つなぎ止《と》めた大鷲《おおわし》を取りまきながら、 「やあ、金光《きんぴか》りの眼で、ギョロギョロとにらんでいるわ。怒《おこ》るなおこるな、いまに餌《えさ》をやるからな。余一《よいち》、余一、さっきの餌《えさ》を持ってこい」  と、鞭《むち》をあげてさしまねいた。 「はい」  というと、とんぼ組《ぐみ》の中でも一番チビなお小姓余一、にわとりの死んだのを、竹のさきにかけて、万千代の手へ渡《わた》した。 「おお、鷲のごちそう」  と一同にみせて、笑《わら》わせながら、万千代はそれを猛禽《もうきん》の鼻《はな》ッ先へ持っていった。そして、くちばしのそばへぶらぶらさせたが鷲は横をむいて、その匂《にお》いすらかごうとしない。  業《ごう》を煮《に》やした万千代《まんちよ》は、意地《いじ》になって、 「こりゃ食《く》え、食え。くれたものを、なぜ食わんか」  と、よけいに突《つ》きつけると、うるさいとでも感じたか、金瞳黒羽《きんどうこくう》の大鷲《おおわし》、嵐《あらし》に吹かれたようにムラムラと満身《まんしん》、逆羽《さかばね》をたててきた。  と思うと——畳《たたみ》二|枚《まい》ほどは優《ゆう》にある両《りよう》の翼《つばさ》が、ウワーッと上へひろがって、白い腋毛《わきげ》が見えたから、びっくりしたお小姓《こしよう》とんぼ。 「そら——ッ」  とまわりを飛びはなれたが、偉大《いだい》なる猛禽《もうきん》のつばさが、たッたひと打ち、風をあおるとともに、笑止笑止《しようししようし》、まるで豆人形《まめにんぎよう》でもフリまいたように、そこらの草へころがった。 「アー痛《いた》い」 「オーひどい」  やがてめいめい、腰《こし》をさすって起きあがってみると、鷲《わし》は杉《すぎ》の根《ね》もとにケロリとして、とんぼ組《ぐみ》の諸君《しよくん》、なにを踊《おど》っているんです、といわないばかりの様子である。  だが、えらいやつがいた。  たッたひとり、いまの羽風《はかぜ》にも倒《たお》されずに、鷲のそばに突《つ》っ立ったまま、ジッと腕《うで》ぐみをしている少年。  お小姓《こしよう》とんぼのなかにも、あんな強胆《ごうたん》な者がいたかしら? とみんなが眼をみはって見ると、ちがッてるちがッてる、肩《かた》つぎのある筒袖《つつそで》に、よごれきった膝行袴《たつつけ》を穿《は》き、なりにふさわぬ太刀《たち》を差《さ》して、鷲《わし》にも負けない眼の持ち主《ぬし》。  浜松城《はままつじよう》の小姓組《こしようぐみ》には、こんなきたない小僧《こぞう》はいない。 「だれだ、あいつは?」 「いつのまに、どこから降《ふ》ってきおったのじゃ」  ぞろぞろと集《あつ》まった。  そして、こんどは鷲《わし》よりも、この小僧に好奇《こうき》の目をそそいだ。けれど、そこに黙然《もくねん》と立った鞍馬《くらま》の竹童《ちくどう》は、じぶんをとり巻《ま》いてジロジロと見る、小姓たちのあることなどは忘れはてて、 「オオ、おまえはクロじゃあないか」  と、心のそこから、いっぱいななつかしさを、無言《むごん》に呼《よ》びかけているのである。——  ああ、ずいぶん久《ひさ》しぶりだったねえ——  そう思うと、竹童は、なんだかボッと顔が赤くなる気がした。かれの愛着《あいちやく》とあこがれは、不意《ふい》にめぐり会《あ》ったクロを見て、やさしく動悸《どうき》を打っていた。  そこに動物と人との、なんのへだたりもなく、 「おまえを蛾次郎《がじろう》にぬすまれてから、おいらはどんなに諸国《しよこく》をさがし歩いていたろう。波《なみ》のあらい北の海、吹雪《ふぶき》のすさぶ橡《とち》ノ木峠《きとうげ》、それから盲目《めしい》になってまで、京都の空へ向かっても、おいらは、クロよ、クロよと呼《よ》んでいた。そのかいがあって、やっと、天《てん》ケ丘《おか》で蛾次郎《がじろう》とうばい合いをしたかと思うと、おまえはまた、ふたりを琵琶湖《びわこ》へふりおとしたまま、どこかへ姿《すがた》を消《け》してしまった——さあ、それからも竹生島《ちくぶしま》にいるあいだ、おいらは、朝となく夜となく、どれほど空を気にしていたか知れやしない……だがよかったなア、いいところでめぐり会《あ》ったなア。わかるかい、おぼえているかい? この鞍馬《くらま》の竹童の顔を……」  と、口にはださないが、熱《あつ》い思慕《しぼ》をこめて、ジイッとみつめているうちに、思いもうけぬ邂逅《かいこう》の情《じよう》が、ついには、滂沱《ぼうだ》の涙《なみだ》となって目にあふれてくる。  そして、なにげなく愛撫《あいぶ》の手が、クロの襟毛《えりげ》へ伸《の》びようとすると、 「これッ」鞭《むち》をかまえながら、徳川万千代《とくがわまんちよ》、 「わしの大事な飼《か》い鳥《どり》へ、なんで手をふれるのじゃ」 「あ」  竹童はその声に、はじめてわれに返《かえ》ったように、万千代のすがたと、あたりに群《む》れているとんぼ組《ぐみ》の少年たちを見まわした。  そして、だまって、頭をさげた。 「なんだ、おまえはッ。どこの子だ」 「わたくしは」 「あやしい小僧《こぞう》じゃ、敵国《てきこく》の間者《かんじや》であろう。おじいさまのお城《しろ》へつれて、役人の手へ渡《わた》してくれる」 「アアもし、けっして、そんな者ではございません。わたくしは、たびたび東海道《とうかいどう》へもきております、伊吹村《いぶきむら》の独楽《こま》まわしです」 「なに独楽まわしじゃ?」と、みんなどよめきだして、 「独楽まわしなら廻《まわ》してみろ! うそをついたら承知《しようち》せんぞ」  と、腕《うで》まくりをして見せた。 「ハイ。独楽のご用ならおやすいこと、商売《しようばい》ですから、お望《のぞ》みにまかせてまわします。ですが、わたくしが首尾《しゆび》よく芸《げい》をごらんにいれましたら、そのご褒美《ほうび》には、なにがいただけるでございましょう」 「鳥目《ちようもく》を投げてやる」 「いえ、お鳥目はいりません。そのかわりに、ひとつのお願いがございますから」 「では、扇子《せんす》がほしいか、きれいな巾着《きんちやく》がのぞみなのか」 「いえいえ、わたくしのお願いと申すのは、この鷲《わし》に乗らしていただきたいのです。はい、上まであがりましたら、すぐにまた降《お》りてまいりますから」 「これへ乗るッて」  万千代《まんちよ》は目をまるくして、 「そんなことができるのか」 「できますとも。伊吹の山にいたころは、毎日、鷲や鷹《たか》をあい手にあそんでいたわたくしです」  たわいのないお小姓《こしよう》とんぼは、興《きよう》にそそられて、一も二もなくかれのことばを信《しん》じてしまった。そして竹童《ちくどう》にむかって、はやく独楽《こま》をまわせ、独楽をまわしたら鷲《わし》をかしてやる、とせがんだ。 「じゃ、まわしますから、ズッとそこを開《ひら》いてください」  かれはどこかの町で見かけた旅芸人《たびげいにん》の所作《しよさ》を思いうかべて、わざと、興《きよう》をそえながら、杖《つえ》でクルリと円形《えんけい》の線《せん》をえがいて、 「——そもそも独楽にもいろいろござります、古くは狛江《こまえ》の高句麗《こくり》ゴマ、島《しま》からわたった貝《べい》独楽《ごま》も、五|色《しき》にまわる天竺《てんじく》独楽《ごま》も、みんな渡来《とらい》でございます。そこで日本《にほん》独楽《ごま》のはじまりは、行成大納言《ゆきなりだいなごん》、小松《こまつ》|つぶり《ヽヽヽ》に村濃《むらご》の糸をそえまして、御所《ごしよ》でまわしたのがヤンヤとはやりだしました初《はじ》め。さあそれからできましたこと、できましたこと、竹筒《たけづつ》の半鐘《はんしよう》独楽《ごま》をはじめとしまして、独楽《ごま》鍛冶《かじ》もたくさんできました。陀羅《だら》ゴマ銭《ぜに》ゴマ真鍮《しんちゆう》ゴマ、ぶんぶん鳴るのが神鳴《かみな》りゴマ、おどけて踊《おど》るが道化《どうけ》ゴマ、背《せい》のたかいは但馬《たじま》ゴマ、名人《めいじん》独楽《ごま》は金造《きんぞう》づくり、豆ゴマ、賭《かけ》ゴマ、坊主《ぼうず》ゴマ、都《みやこ》ではやっておりまする。そこで手まえのあつかいますのは、近江《おうみ》は琵琶湖《びわこ》の竹生島《ちくぶしま》に、千年あまり伝《つた》わりました、希代《きたい》ふしぎな火焔《かえん》独楽《ごま》——はい、火焔独楽!」  と、ここに竹童《ちくどう》が、にわか芸人《げいにん》の口上《こうじよう》をうつして、弁《べん》にまかせてのべ立てると、万千代《まんちよ》はじめ、とんぼ組《ぐみ》、パチパチと手をたたいて無性《むしよう》にうれしがってしまった。  だが、竹童は、真剣《しんけん》である。  口に道化《どうけ》ても肚《はら》のそこでは、たえず、伊那丸《いなまる》の危急《ききゆう》をあんじているのだ。  さきに、都田川《みやこだがわ》の刑場《けいじよう》へ、したくにいそいでいったあの足軽《あしがる》のはなしが事実《じじつ》ならば——  武田伊那丸《たけだいなまる》と忍剣《にんけん》と龍太郎《りゆうたろう》とが、むなしく徳川家《とくがわけ》の手に縛《ばく》されて、あさっての夕ぐれ、河原《かわら》の刑場に斬《き》られるという、あの高札《こうさつ》が事実ならば——  じつに、武田|一党《いつとう》の致命的《ちめいてき》な危難《きなん》は、目睫《もくしよう》にせまっているのだ。  竹童《ちくどう》の胸《むね》がなんで安かろうはずはない。かれは、一刻《いつこく》もはやく、この大へんを、小太郎山《こたろうざん》のとりでへしらせたいともだえている。どうしても、四、五日かかる道のりのある小太郎山へ、今夜のうちに、かけつけたいと苦念《くねん》している。  とうてい、人の力でおよばぬことをなさんがために、竹童は心にもない大道芸人《だいどうげいにん》のまねをするのだ。見ているお小姓《こしよう》とんぼはおもしろかろうが、ああ、かれには涙《なみだ》の芸《げい》であった。     二 「さあ、それから、それから——」  と、輪《わ》になっている前髪《まえがみ》たちは、待ちきれないで、あとをせがんだ。  きわどいところで、竹童はたくみにおッとりして、 「さ、火焔《かえん》独楽《ごま》の曲《きよく》まわし、いよいよかかりますがそのまえに、ちょっと、おうかがいしたいことがございます。どうか、話してくださいまし」 「なんじゃ? 独楽《こま》まわし」 「あの、近ごろ浜松《はままつ》のご城下《じようか》で、武田伊那丸《たけだいなまる》という方《かた》が徳川《とくがわ》さまの手でつかまったそうですが、それは、ほんとでございますか」 「捕《つか》まったのはまことじゃ、家来《けらい》のやつふたりも一しょに」 「ああ、では……」  思わず、あおざめたかと思う顔を、むりに微笑《びしよう》させて、 「やっぱり、うわさはまことでございましたか。それで、さだめし家康《いえやす》さまもご安心でございましょう。けれど伊那丸や家来のふたりも、なかなか智勇《ちゆう》のある者とききましたが、どうしてそんなに、たやすく捕まってしまったのでしょう?」 「いいではないか、そんなこと。早くそれより独楽をまわして見せい」 「はい、いままわします。ですけれど、じつはこのさきの都田川《みやこだがわ》で、そんな高札《こうさつ》を見ました時に、仲間《なかま》の者と賭《かけ》をしたのでございます」 「じゃ、話してやるから、それがすんだら、すぐに火焔《かえん》独楽《ごま》をまわすのじゃぞ」 「ええ、まわしますとも、まわしますとも」 「その武田伊那丸は、まえからほうぼうへ手配《てはい》をしていたが、なかなか捕まえることができなかった。するとこんど、桑名《くわな》のほうから、和田呂宋兵衛《わだるそんべえ》という者が密訴《みつそ》をしてきた。その者のことばで、伊那丸のとおる道がわかったから、関所《せきしよ》に兵を伏《ふ》せておいて、苦《く》もなくしばりあげたのじゃ。だから、あさっての太刀取《たちと》りは呂宋兵衛《るそんべえ》が役《やく》をおおせつかって、都田川《みやこだがわ》の刑場《けいじよう》で、その三人の首を斬《き》ることになっている」 「ああ、そうですか。いや、それでよくわかりました」  と、さり気《げ》なく聞いていたものの、竹童《ちくどう》の胸《むね》は早鐘《はやがね》をついている。 「そして、この大鷲《おおわし》は、どうしてまた、あなたがたのお手に入りましたか。浜松にも、めったにこんな大鷲は飛ばないでしょうに」 「この鷲《わし》か。——これもその呂宋兵衛が、桑名《くわな》から浜松へくるとちゅうで捕《つか》まえたのを、菊池半助《きくちはんすけ》のところへ土産《みやげ》に持ってきたのじゃ。それを万千代《まんちよ》さまが、おねだりして、こうしてとんぼ組《ぐみ》で飼《か》っているのじゃ。だから、めッたな者にはかさないが、おまえが上手《じようず》に独楽《こま》をまわせば、万千代さまもかしてやろうとおっしゃる。サ、はやくまわしてみせい、はやく火焔《かえん》独楽《ごま》の曲《きよく》まわしをやってみせい」  もうすっかり、竹童を旅の独楽まわしと思っているので小姓《こしよう》たちは、城内《じようない》で聞きかじっていたことを、みんなベラべラしゃべってしまった。  事実《じじつ》だ。伊那丸《いなまる》の遭難《そうなん》はまことであった。ああ、大事はついにきた。 「ウウム、もうこうしてはおられない!」  と竹童の眼はわれ知らずかッと燃《も》えた。  その真剣《しんけん》な気《け》ぶりに、万千代や小姓たちが、少しあとへさがったのをしおとして、かれはまた、ふたたび芸《げい》にとりかかるような身構《みがま》えをキッと取り、 「では! 竹生島神伝《ちくぶしましんでん》の魔《ま》独楽《ごま》!」  と、こえ高《たか》らかに叫《さけ》んで—— 「——小手《こて》しらべは剣《つるぎ》の刃渡《はわた》りッー」  片手《かたて》に独楽《こま》——まわすと見せて、一方の手に、般若丸《はんにやまる》の脇差《わきざし》を抜《ぬ》きはなったかと思うと、杉《すぎ》の根もとにつながれている、クロの綱《つな》をさッと斬《き》った。  紫電《しでん》のおどろきに、鷲《わし》は地をうってユラリ——と、空に足をちぢめた。  ふたたび帰らぬ高き上に。 「あ、あ、あッー」  と、不意《ふい》をくったとんぼ組《ぐみ》の小姓《こしよう》たちは、旋風《つむじ》にまかれた木《こ》の葉のように、睥睨《へいげい》する大鷲《おおわし》の腹《はら》の下で、こけつ、まろびつ、悲鳴《ひめい》をあげて、 「逃《に》がすな」 「いまの独楽まわしーッ」 「あッちへいった!」 「鷲も逃《に》げた!」 「それ」 「そらッ」 「追《お》ッかけろ!」と走《はし》りだした。  見れば竹童もまッ先に馳《か》けてゆく。  竹童は鷲《わし》を追い、万千代《まんちよ》は竹童を追い、小姓《こしよう》とんぼは万千代のあとからあとから——     三  いつか茜《あかね》いろの曠野《こうや》は、海のような青い黄昏《たそがれ》とかわっていた。草をけって、追《お》いつ追われつする者たちには、十|方《ぽう》なにものの障壁《しようへき》もない。  すると不意《ふい》に、  さきへ走った竹童が、するどい気合《きあ》いをあげて、なにやら、虚空《こくう》へ棒《ぼう》のようなものを投げあげた。  クルクルと螺旋《らせん》に舞《ま》って、それが、空の藍《あい》へとけ入《い》ったかと思うと、高いところで、かッ、という音がひびいた。そして、前の棒切《ぼうき》れが反落《はんらく》してくるのと一しょに、クロの巨影《きよえい》もそれにつれて真一文字《まいちもんじ》に地へ降《お》りてきた。  そしてやがて。 「独楽《こま》まわしのにせ者め」 「鷲をかえせ、鷲をかえせー」  声をそろえて、そこへ万千代《まんちよ》たちのなだれてきたころには、すでに、地上に竹童のすがたもなく、大鷲《おおわし》の影《かげ》もなかった。  ただ、あッ気《け》にとられていた眼へ、ふとうつったものはちょうどそのとき野末《のずえ》をはなれた、大きな宵月《よいづき》の光に、なにやら知れぬものの影が、草の上をフワフワとさまよった——それだけであった。  おお、お小姓《こしよう》とんぼの坊《ぼ》ッちゃんたち!  三方《みかた》ケ原《はら》をあとにしながら下に月光の山川《さんせん》を見、あたりに銀鱗《ぎんりん》の雲を見ながら、鞍馬《くらま》の竹童《ちくどう》は鷲《わし》の上から叫《さけ》ぶのである。  これはもともとおいらの鷲《わし》だ。  おいらのものはおいらに帰《かえ》る。なんのふしぎもないはなしだ。蛾次郎《がじろう》みたいに、ぬすんで逃《に》げるのとはわけがちがう。  独楽《こま》でだましたのは悪かったけれど、おとなしくクロを渡《わた》してくれといっても、かせといってたのんでも、浜松城《はままつじよう》の腕白坊《わんぱくぼ》ッちゃん、けっして、すなおには承知《しようち》しないでしょう。だから、あんな詐術《さじゆつ》をやりました。  それも武田《たけだ》一党《いつとう》のため。ああ、しかも伊那丸《いなまる》さまの危難《きなん》を知った日に、この鷲が、ふたたびじぶんの手にかえるとは、天がこの竹童《ちくどう》をあわれんでか、果心居士《かしんこじ》さまのお護《まも》りであろうか。  なにしろ、おいらは、これからいそがなくってはならない身だ。久しぶりでこのクロを、じぶんひとりで、ほしいままにのってかけるのだが、いまは、その翼《つばさ》の力さえなんだかおそい心地《ここち》がする。  クロよ、ひとはたきにとんでくれ。  小太郎山《こたろうざん》へ、小太郎山へ。     四  右少将《うしようしよう》徳川家康《とくがわいえやす》、いつになく、ほころんだ顔をしている。ごきげんがよいのである。  常《つね》に、かれが気にしている秀吉《ひでよし》が、近ごろメキメキとはぶりをよくして、一挙《いつきよ》に桑名《くわな》の滝川《たきがわ》を陥《おと》し、軍をかえして北国《ほつこく》をつき、猛将《もうしよう》勝家《かついえ》の本城《ほんじよう》、北《きた》ノ庄《しよう》にせまって、抜《ぬ》くべからざる勢力をきずき、北陸《ほくりく》の豪族《ごうぞく》前田利家《まえだとしいえ》と仲《なか》をよくしたという間諜《かんちよう》もあった。  で、はなはだ、かれの気色《きしよく》がうるわしくない。  どこかで秀吉がつまずけかし、と祈《いの》っているのに、その反対《はんたい》なうわさばかりが飛んできて、ここしばらくの間《あいだ》、かれの心を楽しませぬのであった。  しかし、きょうはいたって和《やわ》らかい眉目《びもく》である。  がんらい、家康という人、心のうちの喜怒哀楽《きどあいらく》を色にださない質《たち》である。いつも、むッつりと武者《むしや》ずわりをして、少し猫背《ねこぜ》になりながら、寡言多聞《かげんたぶん》を心がけている。ひじょうに狡猾《こうかつ》で気むずかしく、腹《はら》ぐろい人相《にんそう》のようでもあり、ばかに柔和《にゆうわ》であたたかい相好《そうごう》のようにも見える。だから、その顔を好《す》くものは深くしたしみ、忌《い》みきらうものはまたひどくきらう。  めずらしく、酒宴《しゆえん》をのべていた。  多くの近侍《きんじ》や旗本《はたもと》をあいてに、ほがらかな座談《ざだん》。それが倦《う》むと、つづみの名人|大倉六蔵《おおくらろくぞう》に、鼓《つづみ》をうたせて聞きとれる。  そこへ、おそく酒宴《しゆえん》にまねかれた、菊池半助《きくちはんすけ》が末席《まつせき》にすわった。隠密《おんみつ》のものは、禄《ろく》は高いが士格《しかく》としては下輩《げはい》なので、めったに、こういう席に招《しよう》じられることはない。  半助のすがたをチラリと見ると、 「鼓《つづみ》をやめい」  と盃《さかずき》を取って、 「かれへ」  と、近侍《きんじ》へ取りつがせた。  破格《はかく》な盃をいただいた半助へ、人々は羨望《せんぼう》の目を送った。そして、半助、なにかよほど手柄《てがら》をやったな、とささやいていた。  そういう様子をながめながら、家康《いえやす》はまた、近《ちこ》う、とかれをまぢかく呼《よ》んで、 「数日来《すうじつらい》のはたらき、まことに、過分《かぶん》である」  と賞《ほ》めことばをあたえた。めったに、人を賞めない家康、これもあまりないことである。 「は」  とのみいって、半助は平伏《へいふく》していた。  伊賀衆《いがしゆう》のなかでも、隠密の上手《じようず》とは聞いたが、なんという光栄《こうえい》をもった男だろうと、人々の目は、いよいよかれと主君《しゆくん》とにそそがれていた。 「して、こんどのことに、偉功《いこう》を立てた、和田呂宋兵衛《わだるそんべえ》は、いかがいたした」 「せっかく、ご酒宴《しゆえん》のお招《まね》きをうけましたが、まだ身分の定《さだ》まらぬ浪人境界《ろうにんきようがい》で、出席はおそれおおいと辞退《じたい》しましたので、手まえの屋敷《やしき》にのこしてまいりました」 「そうか、野武士《のぶし》でも、なかなか作法《さほう》を心得《こころえ》ている。そちの家《うち》に食客《しよつかく》しているあいだ、じゅうぶんにいたわってとらせろ。そのうちに、なにか、適宜《てきぎ》な処置《しよち》をとってつかわす」 「かれが聞きましたなら、さだめし、ご恩《おん》に感泣《かんきゆう》いたしましょう」 「ながらく捕《と》らえ得《え》なかった武田伊那丸《たけだいなまる》、またふたりの者まで、一網《いちもう》に召捕《めしと》り得たのは、いつにかれの訴《うつた》えと、そちの手柄《てがら》じゃ」 「は、ご過賞《かしよう》、身にあまるしだいでござります」 「当日、都田川《みやこだがわ》の刑場《けいじよう》で、伊那丸を斬《き》る太刀《たち》とり役《やく》、それも呂宋兵衛とそちとに申しつけてあるが、用意万端《よういばんたん》、手ぬかりはあるまいな」 「じゅうぶん、ご奉行《ぶぎよう》とともに、お打ち合せをいたしますつもり」 「矢来《やらい》、高札《こうさつ》、送り駕《かご》、また警固《けいご》の人数《にんず》など、そのほうは?」 「いちいち、手配《てはい》ずみでございます」 「またその日はうわさを聞きおよんで、あまたの領民《りようみん》があつまるにちがいない。甲賀組《こうがぐみ》、伊賀組《いがぐみ》の者、残りなく狩《か》りだして、あやしい者の見張《みは》りに放《はな》ちおくように」 「変装組《へんそうぐみ》百人ばかり、もう今日のうちに、ご領内《りようない》へ散《ち》らしておきました」 「ウム、ではもう牢内《ろうない》の、武田伊那丸、加賀見忍剣《かがみにんけん》、木隠龍太郎《こがくれりゆうたろう》、その三人を都田川にひきだして首を洗《あら》って斬《き》るばかりか」 「御意《ぎよい》。もはや、裾野《すその》の雲は晴れました」 「甲斐《かい》ざかいの憂惧《うれい》がされば、これで心を安《やす》らかにして、旗《はた》を中原《ちゆうげん》にこころざすことができるというもの。家康《いえやす》にとって、伊那丸はおそろしい癌《がん》であった。幼少ながら、彼の行《ゆ》く末《すえ》は浜松城《はままつじよう》の呪《のろ》いであった。それを捕《と》らえ得《え》たのは近ごろの快事《かいじ》、いずれも斬刑《ざんけい》のすみしだいに、恩賞《おんしよう》におよぶであろうが、その日のくるまでは、かならず油断《ゆだん》せまいぞ。よいか、半助《はんすけ》」  さては、家康のごきげんなわけは、伊那丸が捕《と》らえられたことであるか。と一同はうなずいて、徳川家《とくがわけ》のため、暗雲《あんうん》の晴れた心地《ここち》がした。そして、城を退《さが》ったものは、このうわさを城下《じようか》につたえて、その日のくるのを、心待《こころま》ちにしていた。そして、かつて軍神《いくさがみ》の信玄《しんげん》が、甲山《こうざん》の兵をあげて、梟雄家康《きようゆういえやす》へ、乾坤一擲《けんこんいつてき》の血戦《けつせん》をいどんだ三方《みかた》ケ原《はら》。  そのいわれのある古戦場《こせんじよう》で、その信玄の孫《まご》が、わずかふたりの従者《じゆうしや》とともに、錆刀《さびがたな》で首を落とされるとは、なんと、あわれにもまた皮肉《ひにく》な因縁《いんねん》よ!  と、気の毒《どく》がるささやきもあれば、心地《ここち》よげに嘲《あざ》む三河武士《みかわぶし》もある。  とにかく、春もくれかかる東海道《とうかいどう》の辻《つじ》には、そのうわさが、なにかしら、人に無情《むじよう》を思わせた。   おのれの首《くび》を投《な》げる人《ひと》     一  すんだ笛《ふえ》の音《ね》が流《なが》れてくる。  鬼《き》一|管《かん》とか天彦《あまひこ》とかいう名笛《めいてき》の音《ね》のようだ。なんともいえない諧調《かいちよう》と余韻《よいん》がある。ことに、笛の音は、霧《きり》のない月明《げつめい》の夜ほど音《ね》がとおるものだ。ちょうど今夜もそんな晩《ばん》——。  そこは、白樺《しらかば》の林であった。  さらぬだに白い斑《ふ》のある樺《かば》の木に、一本一本、あおじろい月光が横から射《さ》している。  笛がとぎれた時の、シーンとした静寂《しじま》と冷気《れいき》とは、まるで深海の底《そこ》のようだ。けれど、事実《じじつ》はおそろしい高地《こうち》なのだ。  小太郎山《こたろうざん》の中腹《ちゆうふく》、陣馬《じんば》ケ原《はら》の高原《こうげん》つづき。  かの、伊那丸《いなまる》の留守《るす》をあずかる帷幕《いばく》の人々、民部《みんぶ》や蔦之助《つたのすけ》や小文治《こぶんじ》などが、天嶮《てんけん》を擁《よう》してたてこもるとりでの山。  笛は喨々《りようりよう》とうむことなく、樺の林をさまよっている。やがて、そこに人かげがうごいた。見ればひとりの美少女である。長くたれた黒髪《くろかみ》に、蘭《らん》の花をさしていた。  その人かげのあとから、幾年《いくねん》も朽《くち》つんだ落葉《おちば》をふんで、ガサ、ガサと、歩いてくる者があった。小具足《こぐそく》をまとった武士《ぶし》である。  七、八本の槍《やり》が、月光をくだいてギラギラとした。 「だれだッ!」  呼《よ》びかけると、ひとりの手から、黄色い閃光《せんこう》が三角形《さんかくけい》に放射《ほうしや》された。  龕燈《がんどう》のあかりのなかに浮《う》きたった少女のすがたをみると、 「おお、咲耶子《さくやこ》さま——」  と、目礼《もくれい》して、武士たちは、樺《かば》の林をぬけてしまった。とりでを見張《みは》る番士《ばんし》たちである。  そのうしろ姿《すがた》を、咲耶子はたのもしい思いで見おくった。ああして、寝《ね》ずに、夜なか、あかつきもこの要害《ようがい》を見まわっている人々の忠実さに感謝《かんしや》した。そして、まだこのとりでに雪《ゆき》のあるころ、山をくだって京都へ向かった伊那丸の上にも、どうぞ、この山のように無事《ぶじ》があるように——と祈《いの》った。  咲耶子は裾野《すその》にいたころから、月の夜《よ》に笛《ふえ》をすさびながら歩くのが好《す》きであった。この小太郎山《こたろうざん》にきてからは、ことに白樺《しらかば》の林に、ほのかな蘭《らん》の香《か》のながれる道を、しずかに歩むのが好《この》ましく、今夜も陣馬《じんば》の搦手《からめて》から、月にさそわれて、思わず夜《よ》のふけるのを忘れてしまった。 「おお、ひえびえとしてきた。二子山《ふたごやま》に見えた月が、もうあんなに遠い谷間《たにま》にある。……あまり遅《おそ》うなっては、さだめし、民部《みんぶ》さまや小文治《こぶんじ》さまがおあんじなされているかもしれぬ……」  そう思いながら、それでもまだ、帰《かえ》る道をむなしく歩いていくことはおしそうに、狛笛《こまぶえ》をとって、その歌口《うたぐち》を湿《しめ》しはじめる。  するとどこかで、びゅうッ——という風のような音がした。だが、樺《かば》の梢《こずえ》はゆれてもいなかった。野呂川《のろがわ》のひびきにしては一しゅんである。いや、それは天地をゆく音ではなく、高いところをかすめた音響《おんきよう》にちがいなかった。 「なにかしら? ——」  咲耶子《さくやこ》はいそいで林をかけぬけた。  陣馬《じんば》の高原《こうげん》には、さまざまな植物の花が、露《つゆ》をふくんで黒々《くろぐろ》と眠《ねむ》っていた。ここに立てば、昼《ひる》は東の真正面《まつしようめん》に富士《ふじ》の銀影《ぎんえい》や裾野《すその》の樹海《じゆかい》がひと目にながめられ、西には信濃《しなの》の山々、北には甲斐《かい》の盆地《ぼんち》、笛吹川《ふえふきがわ》のうねり、村、町、城下《じようか》の地点《ちてん》までかぞえられる。 「耳のせいであったか、それとも、やはりただの風か? ……」  見まわした空には、なにものの影《かげ》も見あたらなかった。ただ、しずかに黙《もく》している、月はある、星はある。  ふたたび、狛笛《こまぶえ》の音《ね》が高くすんだ。そして咲耶子が、われとわが吹く音色《ねいろ》にじぶんをすら忘れかけたころ、さらにすさまじい一陣《いちじん》の疾風《しつぷう》が、月のふところをでて、小太郎山《こたろうざん》の真上《まうえ》をびゅうッ——と旋回《せんかい》しはじめた。 「オオ!」  咲耶子《さくやこ》は、笛《ふえ》を唇《くち》からはなして、高く高くうちふった。 「——竹童《ちくどう》ではないか! 鷲《わし》! 鷲! 竹童の鷲よ——」  おどり立つばかりに叫《さけ》んだが、すぐにまた、笛を持ちなおして、息《いき》いッぱいに、空へ向かって高らかに吹く。  砦《とりで》の灯《ひ》は、夜はまったく隠《かく》されてあるので、このあたりの重畳《ちようじよう》たる山の起伏《きふく》に、どれが目ざす小太郎山《こたろうざん》か、宙《ちゆう》に迷《まよ》いめぐっていた鞍馬《くらま》の竹童も、やっと、その音《ね》を聞きあてた。  こころみに鷲の上から、下界《げかい》へ向かって、声いっぱいに、 「咲耶子さまーッ」と呼《よ》んでみる。  小手《こて》をかざしてみれば、いちめんの高原植物《こうげんしよくぶつ》、月光と露《つゆ》に繚乱《りようらん》たるなかに、ぽちりと、ひとりの少女のすがたが、ありありと立って見えた。  少女は笛で呼んでいる。  竹童もまた声をはって、 「咲耶子さまア。咲耶子さまアー」  巨大《きよだい》なる波紋《はもん》を宇宙《うちゆう》にえがきながら、だんだんに陣馬《じんば》の地上へくだってきた。  ただならぬ怪影《かいえい》を見つけた砦《とりで》の番士《ばんし》は、なにかとおどろいて、変《へん》を小幡民部《こばたみんぶ》につげた、その夜、自然城《しぜんじよう》の山曲輪《やまぐるわ》には、巽小文治《たつみこぶんじ》と山県蔦之助《やまがたつたのすけ》も、虫の知らせか、しきりに伊那丸《いなまる》の安否《あんぴ》や、随従《ずいじゆう》していった忍剣《にんけん》と龍太郎《りゆうたろう》から、なんの消息《しようそく》もないことなどをうわさし合っているところであった。     二  三方《みかた》ケ原《はら》をとんで、夜の空をいそいだ鞍馬《くらま》の竹童《ちくどう》は、そうして、小太郎山《こたろうざん》の同志《どうし》へ、伊那丸の急変《きゆうへん》をもたらした。  かれは、かれの使命《しめい》をとげた。一念《いちねん》を達《たつ》した。  けれど、寝耳《ねみみ》に水の変を聞いた、一党《いつとう》のものの驚《おどろ》きはどんなであったか。なかにも、小幡民部《こばたみんぶ》はその急報《きゆうほう》をうけるとともに、 「ううむ……」  と、深くうめいたまま、しばらく、いうべき言葉もなかったくらい。  山曲輪《やまぐるわ》の一|廓《かく》、評定場《ひようじようば》の扉《とびら》はかたくとざされた。  ひそやかに、そこへ集《あつ》まった人々は、むろん、帷幕《いばく》の者ばかりで、民部を中心に、山県蔦之助《やまがたつたのすけ》、巽小文治《たつみこぶんじ》。そして、竹童はそのまえに疲《つか》れたからだをすえ、咲耶子はうちしおれて、紫蘭《しらん》のかおる黒髪《くろかみ》を、あかい獣蝋《じゆうろう》の灯《ひ》のそばにうつむけていた。 「竹童」  やがて、民部はおもおもしい顔《かお》をあげて、 「そちがさぐってきた、若君《わかぎみ》のご異変《いへん》、また都田川《みやこだがわ》の刑場《けいじよう》でおこなわれる時日《じじつ》、かならずまちがいのないことであろうな」 「たしかに、そういないこととぞんじます。その刑場《けいじよう》をつくる足軽《あしがる》のはなしや、またお小姓《こしよう》のいったこともみなピッタリと、合っております」 「すると、今宵《こよい》もやがて夜明けに近いから、のこる日は明日《あす》だけじゃ……」  さすが、甲州流《こうしゆうりゆう》の軍学家《ぐんがつか》、智謀《ちぼう》のたけた民部《みんぶ》といえども、この急迫《きゆうはく》な処置《しよち》には、ほとんど困惑《こんわく》したらしく、憂悶《ゆうもん》の色がそのおもてを暗《くら》くしている。 「若君《わかぎみ》のご運命《うんめい》がそうなっては、もう、われわれもこの砦《とりで》をまもる意義《いぎ》がない」  巽小文治《たつみこぶんじ》は、悲痛《ひつう》なこえでいった。 「そうだ!」と蔦之助《つたのすけ》も嘆声《たんせい》をあわせて、 「このうえは、砦《とりで》にのこる兵をあげて、小勢《こぜい》ながら裾野《すその》へくだり、怨敵家康《おんてきいえやす》の城地《じようち》へ、さいごの一戦を」  みなまでいわせず、民部は首をよこにふった。 「そのとむらい合戦《がつせん》なら、すこしも、いそぐことはありますまい。いつでもできることじゃ」 「といって、むなしく、手をつかねておられましょうか」 「むろん、どうにか工夫《くふう》をせねばならぬ。しかし、人数をくりだして、とおく浜松《はままつ》へ着《つ》くころには、若君のお命《いのち》が、すでにないものと思わねばならぬ」 「おお、それもごもっとも」  と、蔦之助《つたのすけ》はまた悶々《もんもん》とだまって、いまはただ、この民部の頭脳《ずのう》に、神のような明智《めいち》がひらめけかし、とジッと祈《いの》るよりほかはなかった。 「ともあれ、若君《わかぎみ》のご一命《いちめい》や忍剣や龍太郎《りゆうたろう》を、いかにせば救《すく》いうるか、それが目睫《もくしよう》の大問題であると思う。いたずらに最後の決戦をいそいで、千や二千の小勢《こぜい》をもって、東海道《とうかいどう》を攻《せ》めのぼったとて、とちゅうの出城《でじろ》や関所《せきしよ》でむなしく討死《うちじに》するのほかはない。それでは、きょうまでの臥薪嘗胆《がしんしようたん》、伊那丸君《いなまるぎみ》のおこころざし、すべては水泡《すいほう》となり、また世《よ》の笑われぐさにすぎぬものとなる」  やはり民部の説《せつ》は常識《じようしき》であった。  あくまで伊那丸を中心とする一党《いつとう》が、その盟主《めいしゆ》をうしなって、なんの最後の一戦がはなばなしかろう。どうしても、いかなる手段《しゆだん》をもって、石に噛《か》みついても! 伊那丸をたすけなければ意義《いぎ》がない! 武士道《ぶしどう》がない。  はなやかならぬ、また勇《ゆう》にのみはやれぬ、軍師《ぐんし》のつらい立場《たちば》はそこにあるのだ。 「ああ策《さく》は一つしかない」やがて、かれは決然《けつぜん》といった。 「蔦之助《つたのすけ》どの、小文治《こぶんじ》どの、すぐに、旅《たび》のおしたくを!」 「や、われわれのみで? その他《た》の味方《みかた》は?」 「むしろ秘密《ひみつ》に——」  と、民部は席《せき》をたって、太刀《たち》をはき、身ごしらえにかかった。  熟考《じゆつこう》の長さにひきかえて、意《い》を決《けつ》するとすぐであった。蔦之助と小文治も、膝行袴《たつつけ》の紐《ひも》をしめ、脇差《わきざし》をさし、手馴《てな》れの弓《ゆみ》と、朱柄《あかえ》の槍《やり》をそばへ取りよせた。 「民部《みんぶ》さま……」  咲耶子《さくやこ》と竹童《ちくどう》は、じぶんたちに指図《さしず》のないのを、やや不満《ふまん》に思って、おなじように身じたくをしようとしながら、 「わたしも」 「わたくしも」  一しょに立つと、民部はそれを制《せい》して、 「ふたりは、どうかとりでのるすを護《まも》っていてくれい。なお、われわれがおらぬ間《ま》も、われわれがいるように見せかけて、こよい、三人が小太郎山《こたろうざん》をぬけだしたことは、かならず、敵《てき》にも味方《みかた》にも秘密《ひみつ》にしておくように」  そういって、評定場《ひようじようば》の床《ゆか》を上げた。  まっくらな空洞《うつろ》が口をあけた。  峡谷《きようこく》の一方へひくくくだっていく間道《かんどう》である。 「では」と、そこへ足を入《い》れながら、民部はもういちど咲耶子と竹童をふりかえった。 「いまのたのみ、くれぐれも心得《こころえ》てくれよ、なにごとも若君《わかぎみ》のおためじゃ」  いなむこともならず、ふたりはさびしい目で見おくった。小文治《こぶんじ》と蔦之助《つたのすけ》は、目と目で別れをつげながら、民部につづいて、もくもくと間道の下へすがたを入《い》れる。  ドーンと、下から入口をふさいでしまわれると、山曲輪《やまぐるわ》の一|室《しつ》にはもう、竹童と咲耶子、たッたふたりきりになってしまった。  それから二刻《ふたとき》か、一刻《いつとき》ばかりの後《のち》——。  味方の目をしのんで、一散《いつさん》に、ふもとへ走っていった小幡民部《こばたみんぶ》とほかふたりは、やがて、夜のしらしら明けに、麓《ふもと》の馬舎《うまや》から三|頭《とう》の駿馬《しゆんめ》をよりだして、ヒラリと、それへまたがった。  |あいたい《ヽヽヽヽ》と、たなびく雲の高御座《たかみくら》に、富士《ふじ》のすがたがゆうぜんとあおがれる。民部は、鞭《むち》をさして、 「ご両所《りようしよ》!」と呼《よ》んだ。 「竹童のしらせによると、若君が刑場《けいじよう》へひかれるのは、明日《あす》の夕方ということじゃ。きょう一日で、裾野《すその》から東海道《とうかいどう》のなかばまではかどれば、その時刻《じこく》にようよう間《ま》に合おうかと思う。いや、たとえ、駒《こま》とともに血《ち》を吐《は》くまでも、それまでに三方《みかた》ケ原《はら》へかけつけねばならぬ」 「おお、もとよりそれぐらいなこと、この場合《ばあい》になんのことでもござりませぬ。して、その時には?」 「なんの手段《しゆだん》をめぐらす時間もない。ただ、群集《ぐんしゆう》のなかにまぎれて、せつなに、矢来《やらい》のなかへ斬《き》りこみ、若君《わかぎみ》をはじめふたりの盟友《めいゆう》を救《すく》いだすばかり」 「心得《こころえ》ました」  小文治《こぶんじ》は腕《うで》をうならせて、朱柄《あかえ》の槍《やり》をからぶりさせた。  さっさつたる朝の風が、駒《こま》のたてがみをこころよく吹《ふ》き散《ち》らす。  ひゅうッ、と一鞭《ひとむち》あてると、三|騎《き》はそのまま馬首《ばしゆ》をそろえて、東へひがしへ疾走《しつそう》していった。  やがて、やがて、渺茫《びようぼう》とした裾野《すその》と、はてなき碧落《へきらく》が目の前にめぐりまわってくる。  海のようだ。五月の裾野《すその》、五月の大気。  目のとどくかぎり、十|何里《なんり》、ただ一|色《しよく》の青ずすきが、うねうねと風のままに波に似《に》たる、波を立てている。  そのなかを、いとも小さな三|騎《き》がはしっていく。  風にかくれ、風に見え、風をついて疾走する。  ああまだ東海道《とうかいどう》へはへだてがある。なお浜松《はままつ》や三方《みかた》ケ原《はら》には間《ま》がある。覚悟《かくご》のとおり、あの三騎は、とちゅうで血《ち》を吐《は》いてしまいはせぬだろうか。  かかる場合《ばあい》は、千|里《り》をとぶ逸足《いつそく》ももどかしく、一日の陽脚《ひあし》もまたたくひまである。すでにその日は、天龍川《てんりゆうがわ》のほとりに暮《く》れた三騎のひとびと、はたして、翌日《よくじつ》の午後までに、刑場《けいじよう》の矢来《やらい》ぎわまで、馳《か》けつけることができるのであろうか?     三  ついに、その日、その時刻《じこく》はきた。  都田川《みやこだがわ》の右岸《うがん》には、青竹《あおだけ》をくんだ矢来《やらい》の先が、針《はり》の山のように見えている。そのまわりに、うわさを聞きつたえて集《あつ》まった群集が、ヒシヒシと押《お》していた。  夕ぐれの風が、矢来《やらい》の竹にカラカラとものさびしい音を鳴らすほか、むらがった大衆《たいしゆう》も、シーンとして、水のようにひそまっていた。  さっき、浜松《はままつ》の城下《じようか》から、三方《みかた》ケ原《はら》をとおっていった裸馬《はだかうま》には、まだおさない公達《きんだち》と、僧形《そうぎよう》の者と六部《ろくぶ》のすがたがくくりつけられて、この刑場《けいじよう》へ運ばれてきたから、もうほどなく、首斬《くびき》りの役人が、太刀《たち》に水をそそぐであろうと、予想《よそう》するだけでも、みんなの息《いき》がつまってくる。  と——丁字形《ていじけい》に幕《まく》をはった矢来のすみの溜《たま》り場から、くろい服をまとった男が、のっそりと刑場のまン中にでてきて、ジロジロと矢来の周囲《しゆうい》を見たり、天をあおいでなにかつぶやいているようす。 「おや、伴天連《バテレン》がきています」と、みんな、耳や口をよせあっていた。  すると、ややおくれて、矢来の死門《しもん》から三人の縄《なわ》つきがひかれてきた。菊池半助《きくちはんすけ》がその縄取《なわと》りのうしろから、おごそかに口をむすんでくる。 「ごくろうでした」 「そこもとにも」  と、伴天連と半助は、こう会釈《えしやく》をして、すぐに刑吏《けいり》へさしずして、死座《しざ》をつくらせ、血《ち》だまりの穴《あな》をほらせ、水《みず》柄杓《びしやく》をはこばせる。  あなたには奉行《ぶぎよう》、検視《けんし》の役人などが、床几《しようぎ》をすえて、いそがしくはたらく下人《げにん》たちのようすをながめ、ときどき、なにか下役《したやく》へ注意をあたえている。  |かけや《ヽヽヽ》を持ったひとりの男は、やがて、三ツの死のむしろのそばへ、三本の杭《くい》をコーン、コーンと打ちこんだ。 「それッ」と、菊池半助《きくちはんすけ》が、時刻《じこく》をはかって目くばせする。 「武田伊那丸《たけだいなまる》ッ、立て!」  まっ先の杭へ、あらあらしく引きずってきて、ギリギリ巻《ま》きにいましめの端《はし》をからめつけた。  むしろの上にすえられた姿《すがた》は、悄然《しようぜん》と、うつ向いていた。さすがな家康《いえやす》も、その身分《みぶん》を思ってか、衣服《いふく》は着《つ》けたままの白綸子《しろりんず》、あきらかに、武田菱《たけだびし》の紋《もん》がみえて、前髪《まえがみ》だちのすがたとともに、心なき群集《ぐんしゆう》の眼にも、あわれに、いたいたしい涙《なみだ》をもよおさせる。  さらに、ひどかったのは、つぎの、法師《ほうし》すがたのものと、白衣《びやくえ》の人をあつかった刑吏《けいり》の待遇《たいぐう》である。打つ、蹴《け》る、あげくの果《は》てに、伊那丸と同じように引きすえて、何か、口あらくののしりちらした。そのふたりも、ついにはこらえかねて、刑吏にするどい言葉を返《かえ》していた。  だが、目は布《ぬの》をもってふさがれ、両手《りようて》は杭にしばりつけられている二人の怒声《どせい》は、むざんな役人たちの心に、ありふれた、世迷《よま》い言《ごと》としかひびかなかった。なお、矢来《やらい》のそとの群集には、そのありさまを見るだけで、ことばの意味《いみ》は聞きとれない。 「罪人《ざいにん》どもの泣きほえるのを、いちいち取りあげていては果《は》てしがない。それッ、時刻《じこく》の過《す》ぎぬうちに支度《したく》をせい」  こう、奉行役人《ぶぎようやくにん》が、大きな声でどなったのは、だれの耳にもわかった。 「太刀取《たちと》りのお方《かた》——」  と、目くばせすると、それまで、小気味《こきみ》よげに三人をにらんでいた伴天連風《バテレンふう》の怪人《かいじん》は、 「半助《はんすけ》どのに、代理《だいり》をお願いいたしたい。この呂宋兵衛は、さきごろ桑名《くわな》で少し右腕《みぎうで》をいためておりますので……」  と、辞退《じたい》した。  その妖異《ようい》なすがたをした者こそ、伊那丸《いなまる》の通過《つうか》を密告《みつこく》して、またうまうまと徳川家《とくがわけ》のふところに食《く》い入《い》ろうとして、猫《ねこ》をかぶっている和田呂宋兵衛《わだるそんべえ》である。  呂宋兵衛の辞退をきくと、半助は、だれも刑場《けいじよう》へでると、一種《いつしゆ》の鬼気《きき》におそわれる、その臆病風《おくびようかぜ》に見舞《みま》われたなと、苦笑《くしよう》するさまで、 「さようか。では、不肖《ふしよう》ですが、半助|代刀《だいとう》をつかまつります」  と、奉行にもいって、刑吏《けいり》の手から、無作《むづく》りの大刀をうけとり、すぐに、鞘《さや》をはらった。  小《こ》柄杓《びしやく》の水を、サラサラと刃《やいば》にながして、その雫《しずく》のしたたる切《き》ッさきを、まず、右の端《はし》にいた者の目の前につきつけて、 「忍剣《にんけん》ッ!」  と、声をかけた。  白布《はくふ》で、目をふさがれている法師《ほうし》すがたは、その時、顔をあげ、肩《かた》をゆすぶッて、なにやら、無念《むねん》そうに叫《さけ》ぼうとしたが、 「徳川家《とくがわけ》に仇《あだ》なすやつ、やがて、あとからいく伊那丸《いなまる》の先駆《さきが》けをしろッ」  という、半助のののしりに消《け》され、それと同時に、戛然《かつぜん》と剣《けん》がひらめいた。  バサッ——と血《ち》しぶきが立った。  とたんに、俯《う》ッ伏《ぷ》せとなった死骸《しがい》の斬《き》り口から、百千の蚯蚓《みみず》が走りだすように血がながれた。矢来《やらい》のそとに息《いき》をのんでいた群集《ぐんしゆう》も、さすがに、目をそむけて、手につめたい汗《あせ》をにぎりしめた。 「木隠龍太郎《こがくれりゆうたろう》ッ——」  つづいて、こう叫《さけ》ぶ声がしたので、こわいもの見たさの眼をソッと向けてみると、袴《はかま》の裾《すそ》に、返《かえ》り血をつけた半助《はんすけ》のすがたが、すさまじく斬《き》れた大刀へ、ふたたび手桶《ておけ》の水をそそぎ直《なお》して、つぎの者へズカリと寄《よ》っていったかと思うと、 「龍太郎ッ! 覚悟《かくご》は? ——」と、光流《こうりゆう》をふりかぶった。 「覚悟《かくご》? そんなものはないッ」  と、どなることばもおわらぬまに、風をきる刃《やいば》がはすかいに下《お》りて、白衣《びやくえ》の全身がまッ赤《か》になった。  あとは伊那丸ひとりだ。  菊池半助《きくちはんすけ》はゆうゆうとして、三人目の成敗《せいばい》にかかろうとしている。  点々《てんてん》たる返《かえ》り血は、夜叉《やしや》のように、かれの腕《うで》や袖《そで》をいろどった。  哀寂《あいじやく》な夕雲は、矢来《やらい》の上におもくたれて、一しゅん、そこを吹く風もハタと止《や》んだ。  ああ、ついに間《ま》に合わなかった。  小幡民部《こばたみんぶ》。  山県蔦之助《やまがたつたのすけ》。  巽小文治《たつみこぶんじ》。  かれらはなにをしているのか!  いそぎにいそいで、小太郎山《こたろうざん》から疾駆《しつく》してくるとちゅうで、馬もろとも、血を吐《は》いてぶったおれたのか。あるいは、もう、そのへんまで——三方《みかた》ケ原《はら》の北のへんまでは、きているのか!  それにしても、ああ、もう大事は過《す》ぎてしまった。  一党《いつとう》になくてはならない盟友《めいゆう》、加賀見忍剣《かがみにんけん》はたおれている。木隠龍太郎《こがくれりゆうたろう》も血の中に俯《う》ッ伏《ぷ》してしまっている。  と——思うまに菊池半助の無情《むじよう》な刃《やいば》は、颯然《さつぜん》と、伊那丸《いなまる》の襟《えり》もとへおちた。     四  目をおおうべし。  菊池半助が気をこめた刑刀《けいとう》は、一|閃《せん》、ひゅッと虹光《にじびかり》をえがいて、伊那丸《いなまる》のすがたを血けむりにさせた。 「アーア——」  群集《ぐんしゆう》はただ、こう口からもらしただけであった。正視《せいし》するにしのびないで、なかには、矢来《やらい》につかまったまま蒼《あお》ざめた者すらある。  八双截鉄《はつそうせつてつ》の落剣《らつけん》! 異様《いよう》なる血の音を立って、武田伊那丸《たけだいなまる》の首はバスッとまえにおちた。  胴《どう》はそのとたんに死座《しざ》から前向きにガクッとつっぷしてしまう。あの小袖《こそで》につけた武田菱《たけだびし》の紋《もん》も、朱《あけ》に染《そ》まって、もうビクリともしなかった。  完全な死だ、完全な断刀《だんとう》だ! 家康《いえやす》もまた選《よ》りによって斬《き》れる刀を、刑吏《けいり》へ授《さず》けたものとみえる。  忍剣を斬り、龍太郎の首をうち、いままた伊那丸を刑《けい》した半助は、さすがに斬りつかれがしたとみえて、滴々《てきてき》と、血流《ちなが》しから赤い雫《しずく》のたるる刃《やいば》をさげて、ぽうッとしばらく立っていた。そのあたりの草いッぱい、曼珠沙華《まんじゆしやげ》という地獄花《じごくばな》が咲《さ》いたように、三ツの死骸《しがい》の返《かえ》り血《ち》が斑々《はんはん》とあかく燃《も》えている。  斬刑《ざんけい》がすんで、浜松城《はままつじよう》からきている奉行《ぶぎよう》や検死《けんし》役人などは、みな床几《しようぎ》を立ちはじめた。入《い》りみだれて立ちはたらく下人《げにん》たちの間《あいだ》に、血なまぐさい陰風《いんぷう》が吹《ふ》く。  ひとつ星《ぼし》、ふたつ星。……空は凄愴《せいそう》な暮色《ぼしよく》をもってきた。だが、矢来《やらい》のそとの群集《ぐんしゆう》は容易《ようい》にそこをさろうとしない。 「ああ、いやな気持になった! はじめのうちはおもしろかったが、なんだかいまになって毛穴《けあな》がゾーッとしてきやがった。へんなもんだなあ、人の斬《き》られるッていうものは」  矢来《やらい》にたかっている数多《あまた》の中で、こういった、ひとりの見物人《けんぶつにん》がある。 「親方《おやかた》! 親方はなんともないような顔をしていますね」  つれの男は太い口をむすんで、黙然《もくねん》と、刑場《けいじよう》のなかを見つめていた。革胴服《かわどうふく》にもんぺを穿《は》き、脇差《わきざし》をさした工匠風《こうしようふう》、だれかと思うと、秀吉《ひでよし》の追捕《ついぶ》をのがれて、竹生島《ちくぶしま》から落ちてきた上部八風斎《かんべはつぷうさい》、いまではもとにかえって鏃鍛冶《やじりかじ》の鼻《はな》|かけ《ヽヽ》卜斎《ぼくさい》。  しゃべっているのは蛾次郎《がじろう》だった。 「だけれど、考えてみると、伊那丸《いなまる》もかわいそうだな。ちょっと、旗上《はたあ》げのまねをしたばかりで、もう首を斬《き》られちまった。忍剣《にんけん》も龍太郎《りゆうたろう》もとうとう冥土《めいど》のお相伴《しようばん》。アアいやだいやだ死ぬなんて。ねえ親方、こういうところを見ると、やっぱり富士《ふじ》の裾野《すその》あたりで、テンカンテンカンと鏃《やじり》をたたいているのが一ばん安泰《あんたい》ですね」  卜斎はそばのおしゃべりへ、耳もかさずに腕組《うでぐ》みをしていた。  だが蛾次郎は、卜斎が返辞《へんじ》をするとしないとにかかわらず、ひとり所感《しよかん》をのべている。 「これで、木から落ちた猿《さる》みたいに、ベソをかくのは竹童《ちくどう》だろう。この見物《けんぶつ》のなかにあいつがいたら、いまの景色《けしき》をどんな顔して見ているだろうな……オヤ、もうおしまいかしら、役人がみんな幕《まく》のかげへはいってしまった——つまらねえな。ア! 非人《ひにん》がきたぞ非人が、三ツの死骸《しがい》をかたづけるんだな。やあいけねえ、伊那丸《いなまる》の首を河原《かわら》の方《ほう》へ持っていってしまやがった。ホウ、あんなところの台《だい》へ首をのせてどうするんだろう、龍太郎《りゆうたろう》の首も、忍剣《にんけん》の首も——アア、獄門《ごくもん》というのはあれかしら? 親方親方、あれですか、獄門にかけるッていうことは?」  指差《ゆびさ》しをして卜斎《ぼくさい》の顔を見あげたが、その卜斎は、蛾次郎《がじろう》とは、まるで見当《けんとう》ちがいなほうに目をすえているのであった。  さっきから、なにを見ているんだい親方は?  と——蛾次郎も卜斎の視線《しせん》にならってその方角《ほうがく》へ目をやってみると、竹矢来《たけやらい》の一角《いつかく》、そこはいまあらかたの弥次馬《やじうま》が獄門台《ごくもんだい》と掲示《けいじ》の高札《こうさつ》を見になだれさったあとで、ほのあかるい夕闇《ゆうやみ》に、点々《てんてん》と、かぞえるほどの人しか残《のこ》っていなかった。  卜斎は最前《さいぜん》から、そこばかりをじっとにらんでいた。横目づかいの白眼《しろめ》で——  蛾次郎の注意もはじめて同じ焦点《しようてん》へ向いた。  とたんに、  かれ蛾次郎の目の玉《たま》が、デングリかえるようにグルグルとうごいた。そしてその睫毛《まつげ》がせわしなくパチパチと目《ま》ばたきをし、眉《まゆ》に八の字《じ》をこしらえた。なにか叫《さけ》ぼうとした唇《くちびる》が上下《じようげ》にゆがんだが、いう言葉さえ知らぬように、鼻《はな》の穴《あな》をひろげたまま、アングリと口をあいて茫然自失《ぼうぜんじしつ》のていたらく……。  あたかも磁力《じりよく》にすいつけられてしまったよう。そも、泣き虫の蛾次郎《がじろう》および親方《おやかた》の卜斎《ぼくさい》までが、なにを見てそんなにぼうぜんとしているのかと思えば——それも道理《どうり》、ふしぎ! イヤふしぎなどという生《なま》やさしい形容《けいよう》をこえた、あるべからざる事実《じじつ》が、そこに、顕然《けんぜん》とあったのである。  見れば北側《きたがわ》の矢来《やらい》そと、人かげまばらなあとにのこって、なにかヒソヒソとささやき合ってる旅人《たびびと》がある。よくよく凝視《ぎようし》するとおどろいたことには、それが、たったいま、刑場《けいじよう》のなかで首をおとされたはずの忍剣《にんけん》、龍太郎《りゆうたろう》、伊那丸《いなまる》の主従《しゆじゆう》三人。  あやしいといってもこれほど怪異《かいい》なことはない。菊池半助《きくちはんすけ》が、大衆環視《たいしゆうかんし》のなかでたしかに斬《き》った三人——しかもその血汐《ちしお》は、なおまざまざと刑場《けいじよう》の草をそめており、その首は都田川《みやこだがわ》の獄門台《ごくもんだい》にのせられているのに!  その人間がここにいる。  話している。  笑《わら》っている。  ときどき、じぶんの首がのせられた獄門台のほうを見ている。  そして微笑《びしよう》する。  くすぐったいように——不審《ふしん》なように——ささやき、うなずき合っている。     五  卜斎《ぼくさい》が眼をはなさなかったのもあたりまえ。  蛾次郎《がじろう》が鼻《はな》から息《いき》を吸《す》ったままぼうとあッけにとられてしまったのももっともだ。  人ちがいじゃないか?  とも思って、眼をこすって見なおしたが、やはり記憶《きおく》はいつわらない。どう見てもあの三人、菊池半助《きくちはんすけ》にバサと斬《き》られた三ツの首の主《ぬし》にまぎれはない。  すなわち武田伊那丸《たけだいなまる》は、眉目《びもく》をあさく藺笠《いがさ》にかくし、浮織琥珀《うきおりこはく》の膝行袴《たつつけ》に、肩からななめへ武者結《むしやむす》びの包《つつ》みをかけ、木隠龍太郎《こがくれりゆうたろう》は白衣《びやくえ》白鞘《しらさや》のいつもの風姿《なり》、また加賀見忍剣《かがみにんけん》もありのままな雲水《うんすい》すがた、手には例《れい》の禅杖《ぜんじよう》をつっ立てている。 「ウーム……親方《おやかた》……」  蛾次郎はうなるように卜斎を見あげた。 「……はアて……」と卜斎もまたしきりに首をひねっていたが、 「どうもわからぬことがあるものだ。弥次馬《やじうま》にはなにもわかるまいが、わかる者から見ていると、世の中の裏表《うらおもて》は、じつに奇妙《きみよう》だ。いや裏が表だか、表が裏だか、こう見ているとおれにさえわからなくなってくる」 「まったくです!」と蛾次郎も相槌《あいづち》をうって、 「斬《き》られた首が本《ほん》ものの伊那丸か、見ている首が本ものか、なにがなんだか、さっぱりワケがわからなくなっちまった」 「そりゃもちろん、あっちのやつがにせ者だろう」 「テ、どっちがです?」 「矢来《やらい》のそとに立っているやつらよ」 「すると、生きてるほうの伊那丸《いなまる》ですか」 「ウム、方々《ほうぼう》の落武者《おちむしや》や浪人《ろうにん》で、飯《めし》の食《く》えない侍《さむらい》などは、よく名のある者のすがたと偽名《ぎめい》をつかって、無智《むち》な在所《ざいしよ》の者をたぶらかして歩く手輩《てあい》がずいぶんある。おおかたそんな者たちだろう」 「だって親方《おやかた》、それにしちゃ、あんまり似過《にす》ぎているじゃありませんか。ちょっとそばへいって、わたしが目利《めき》きをつけてきましょう」 「これッ、よけいなとこへ突《つ》っ走るな」 「へい!」 「ばかめ、すぐに調子《ちようし》に乗りおって!」 「でも……」  と蛾次郎《がじろう》は河豚《ふぐ》のようにプーッとふくれた。——なにもそう頭からこんなことをガンと叱《しか》らなくッたってよかりそうなもんだと。  と思ったが、卜斎《ぼくさい》に袖《そで》をひっぱられたので、気がついた。うしろに、いやな目つきをした町人《ちようにん》が立っている。  うさん臭《くさ》い目つきをして、じぶんたちの挙動《きよどう》に注意《ちゆうい》しているらしい。蛾次郎《がじろう》は口をむすんで、あわてて夕星《ゆうぼし》へ顔をそらしながら、 「親方《おやかた》、そろそろ晩《ばん》になりましたネ」  と空《そら》とぼけた。 「もどろうかな、ご城下《じようか》へ」 「帰りましょうよ。はやく、宿屋のご飯《はん》が食《た》べたい」  空の星がふえるのと反比例《はんぴれい》に、地上の人影《ひとかげ》はぼつぼつへっていた。ふたりは矢来《やらい》のきわをはなれながら、それとなく気をつけたが、いつのまにか疑問《ぎもん》の三名は忽然《こつねん》とかげを消《け》して、あたりのどこにも見えなかった。まるでたったいま、ありありと見えたあの姿《すがた》が、まぼろしか? 人間の蜃気楼《しんきろう》でもあったかのように。  妖麗《ようれい》な夜霞《よがすみ》をふいて、三方《みかた》ケ原《はら》の野末《のずえ》から卵黄色《らんこうしよく》な夕月《ゆうづき》がのっとあがった。都田川《みやこだがわ》のながれは刻々《こつこく》に水の色を研《と》ぎかえてくる、——藍《あい》、黒、金、銀波《ぎんぱ》。  そして河原《かわら》はシーンとしてしまった。秋のようだ。虫でも啼《な》きそうだ。獄門台《ごくもんだい》の釘《くぎ》に刺《さ》された三ツの首は、その月光に向かっても、睫毛《まつげ》をふかくふさいでいた。  そばには生々《なまなま》しい新木《あらき》の高札《こうさつ》が立ってある。  いつぞやこの原の細道《ほそみち》で、足軽《あしがる》がになっていくのを竹童《ちくどう》がチラと見かけた、あの高札《こうさつ》が打ってあるのだ。——といつの間《ま》にか、その立札《たてふだ》と獄門《ごくもん》の前へ、三ツの人影《ひとかげ》が近づいている。 「わしの首級《しゆきゆう》がさらしてある」  こういったのは、伊那丸《いなまる》の首のまえに立った伊那丸である。 「これが拙者《せつしや》の首でございますな」と龍太郎《りゆうたろう》も、おのれの首をながめて笑《わら》った。 「じぶんの首と対面《たいめん》して話をすることはおもしろい。これ忍剣《にんけん》の首! よくそちの面体《めんてい》をわしに見せろ」  加賀見忍剣《かがみにんけん》は禅杖《ぜんじよう》を持ちかえ、いきなり、獄門台《ごくもんだい》の首のもとどりをつかんで月光に高くさし上げ、 「は、は、は、は。運《うん》のわるい弱虫の忍剣め、つぎの世には拙僧《せつそう》のような不死身《ふじみ》を持って生まれかわってこい。喝《かつ》! 南無阿弥陀仏《なむあみだぶつ》ッ——」  ドボーンと都田川《みやこだがわ》の流《なが》れへ首をほうりこんだ。  その水音があがったとたん。  獄門番《ごくもんばん》の寝《ね》る|むしろ《ヽヽヽ》小屋《ごや》から、銀《ぎん》の鞭《むち》をたずさえた黒衣《こくい》の伴天連《バテレン》、豹《ひよう》のごとくおどりだして、 「計略《けいりやく》ッ、図《ず》にあたった!」と絶叫《ぜつきよう》した。  だれかと思えば、それこそ、和田呂宋兵衛《わだるそんべえ》なのであった。 「ウウむ、網《あみ》にかかった!」  と、呂宋兵衛の叫《さけ》びにこたえてどなったのは、隠密頭《おんみつがしら》の菊池半助《きくちはんすけ》、いつのまにか、三人の背後《はいご》に姿《すがた》をあらわして、 「しめた! 伊那丸主従《いなまるしゆじゆう》のやつら、そこを去《さ》らすな」  と四方へ叱咤《しつた》する。  同時に、ピピピピピ……と二人が音《ね》をあわせて吹《ふ》いた高《たか》呼笛《よびこ》につれて、河原《かわら》のかげや草むらの中から蝗《いなご》のように、わらわらとおどり立った百人の町人《ちようにん》。これ、その日|見物《けんぶつ》のなかにまぎれこませておいた菊池半助|配下《はいか》の伊賀衆《いがしゆう》、小具足《こぐそく》十手《じつて》の腕《うで》ぞろい、変装《へんそう》百人|組《ぐみ》の者たちであった。  さらに見れば、川向こうから三方《みかた》ケ原《はら》のおちこちには、いつか、秋霜《しゆうそう》のごとき槍《やり》と刀と人影《ひとかげ》をもって、完全な人縄《ひとなわ》を張《は》り、遠巻《とおま》きに二|重《じゆう》のにげ道をふさいでいる。 [#地付き]神州天馬侠 第二巻 了  本作品は、「少年倶楽部」に連載(大正一四年五月号〜昭和三年一二月号)、小社より単行本として出版されました。 本電子文庫版は、吉川英治歴史時代文庫79『神州天馬侠(二)』(一九八九年一二月刊)を底本としました。     * 作品中に、身体の障害や人権にかかわる差別的な表現がありますが、作品の時代背景および著者(故人)が差別助長の意図で使用していないこと等を勘み、そのままとしました。読者のご理解を賜わりますよう、お願い申し上げます。