TITLE : 新・水滸伝(四) 講談社電子文庫 新・水滸伝 吉川 英治 著  目 次 新・水滸伝 官衣の妖人《ようじん》があらわす奇異に、三陣の兵も八裂《やつざき》の憂《う》き目《め》に会うこと 羅真人《らしんじん》の仙術、人間たちの業《ごう》を説くこと 法力競《ほうりきくら》べの説。及び、李逵《りき》を泣かす空井戸《からいど》の事 禁軍の秘密兵団、連環馬陣《れんかんばじん》となること さらに注《そそ》ぐ王軍の新兵器に、泊兵《はくへい》も野に生色《せいしよく》を失う事 屋根裏に躍る“牧渓猿《もつけいざる》”と、狩場野《かりばの》で色を失う徐寧《じよねい》のこと 工廠《こうしよう》の鎚音《つちおと》は水泊に冴《さ》え、不死身の鉄軍も壊滅し去ること 名馬の盗難が機縁《きえん》となって三山《ざん》の怪雄《かいゆう》どもを一つにする事 三山《ざん》十二名、あげて水滸《すいこ》の寨《さい》へ投じる事 木乃伊《ミ イ ラ》取り木乃伊となり、勅使の大臣は質《しち》に取られる事 喪旗《もき》はとりでの春を革《あらた》め、僧は河北の一傑《けつ》を語ること 売卜《ばいぼく》先生の卦《け》、まんまと玉麒麟《ぎよくきりん》を惑《まど》わし去ること 江上《こうじよう》に聞く一舟《しゆう》の妖歌《ようか》「おまえ待ち待ち芦《あし》の花《はな》」 浪子燕青《ろうしえんせい》、樹上に四川弓《しせんきゆう》を把《と》って、主《しゆ》を奪《うば》うこと 伝単《でんたん》は北京《ほつけい》に降り、蒲東《ほとう》一警部は、禁門《きんもん》に見出だされる事 人を殺すの兵略は、人を生かすの策に及ばぬこと はれもの医者の安《あん》先生、往診《おうしん》あって帰りはない事 元宵節《げんしようせつ》の千万燈《とう》、一時にこの世の修羅を現出すること 直言の士は風流天子の朝を追われ、山東《さんとう》の野はいよいよ義士を加える事 百八の名ここに揃い、宋江、酔歌《すいか》して悲腸を吐くこと 翠花冠《はなかんむり》の偽《にせ》役人、玉座《ぎよくざ》の屏風の四文字を切抜いて持ち去ること 徽宗《きそう》皇帝、地下の坑道《あなみち》から廓通《くるわがよ》いのこと。並びに泰山《たいざん》角力《ずもう》の事 飛燕《ひえん》の小躯《しようく》に観衆はわき立ち、李逵《りき》の知事服《ちじふく》には猫の子も尾を隠す事 新・水滸伝 官衣の妖人《ようじん》があらわす奇異に、三陣の兵も八裂《やつざき》の憂《う》き目《め》に会うこと  高廉《こうれん》とは、まことに不思議な人物というしかない。  宋《そう》朝廷に時めく高《こうきゆう》一門といえば、あたかも当時の日本における平家一門に似て、栄花《えいが》も権勢も意のままな大貴族だった。——だからその高の従兄弟《い と こ》とあれば、白馬金鞍《はくばきんあん》で京師《みやこ》の夕風を追って遊ぶも、廟《びよう》に立って大臣を欲するも、自由だろうに、なぜか彼は、それを求めない。  そして若年頃から、荒公達《あらきんだち》の名をとり、背には“太阿《たいあ》ノ剣”とよぶ長剣を負い、また好んで黒衣黒帽という身装《みなり》で、 「わが目には、列臣の勲爵《くんしやく》も、羨《うらや》ましい物でなく、禁軍八百万の旌旗《せいき》といえど、物の数ではない」  と、つねに豪語して憚《はばか》らぬような変り者だったのである。——で、怖らくは、開封《かいほう》東京《とうけい》でも一門の持て余すところとなり、軍司令官兼民政奉行となって、この高唐州《こうとうしゆう》へ地方下《くだ》りしてきたものではなかろうか。 「なに、梁山泊《りようざんぱく》の賊兵七千が、柴進《さいしん》のため義を唱《とな》えて、この地へ近づいて来るというのか。いや。おもしろい!」  高廉《こうれん》は丹《あか》い口《くち》をあいて笑った。黒紗《こくしや》の帽《ぼう》、黒絹《くろぎぬ》の長袍《ながぎ》、チラと裾《すそ》に見える袴《はかま》だけが白いのみで、歯もまた黒く鉄漿《か ね》で染めているのであった。 「いつかは、我れより出向いて、天下の恐れとなっている梁山泊とやらの野鼠《やそ》の巣《す》、一ト蹴散らしに踏みつぶしてやろうと思っていたに、彼らから旗を掲《かか》げて出て来たとは、いや、待っていたと言いたいような誂《あつら》え向《む》きだ。すぐ城外に出て布陣するぞ。全軍、営《えい》を出ろやい!」  と、大号令をもって令した。  黄色な布に黒で八卦《はつけ》を画《か》いた中軍旗も、すぐさま彼の騎馬に先んじて進められた。——装《よそお》いはといえば、例の、太阿《たいあ》ノ剣を背に高く負い、つねの黒衣へ金帯《きんたい》を締め、豹皮《ひようひ》の胸甲《むねあて》に鎖《くさり》下着を覗《のぞ》かせているのみで——将軍か、公卿か、軍属の道教僧か——得態《えたい》の知れぬ姿であった。  しかし麾下《きか》の軍団は、幾段、幾十隊か数も知れない。そしてそれぞれ金甲鉄鎗《きんこうてつそう》の燦然《さんぜん》たる部将のもとに楯《たて》をならべ——ござんなれ烏合《うごう》の賊——と弩弓《どきゆう》の満《まん》を持《じ》して待ちかまえていた。  するうちに。 「梁山泊《りようざんぱく》の賊将、林冲《りんちゆう》、花栄《かえい》、秦明《しんめい》、李俊《りしゆん》、孫立《そんりゆう》、飛《とうひ》、馬麟《ばりん》など……およそ三千余りが、漠々《ばくばく》と、これへ近づきつつあります」  と、物見の者から報《し》らせがある。  つづいては、また、 「本軍は宋公明《そうこうめい》を主将とし、朱同《しゆどう》、雷横《らいおう》、戴宗《たいそう》、李逵《りき》。——さらに張横《ちようおう》、張順《ちようじゆん》、楊雄《ようゆう》、石秀《せきしゆう》らの部隊など、ぞくぞく到着して、すぐ前面に陣を布《し》いている様子です」  とも急調子に聞えてきて、ようやく迫る緊迫感に、野面《のづら》の風は不気味に熄《や》み、雲間の雁《かり》も行く影を潜《ひそ》めてしまった。——と、たちまちわっと揚がる金鼓《きんこ》、銅鑼《どら》、角笛《つのぶえ》のあらしを分けて、梁軍《りようぐん》のうちから丈八の蛇矛《ほ こ》を横たえ持った林冲をまん中に、秦明《しんめい》、花栄の二将が、左右に添って、馬を進め、 「高廉《こうれん》高廉。——高《こうきゆう》一門の悪代官高廉はどこにいるか。これは天に代って当今の悪官人どもを誅伐《ちゆうばつ》に来た天軍だ。手間ひまかけず、素ッ首をわれらに渡せ」  と、大声で呼ばわった。  聞くやいな高廉もその旗本「飛天神兵」をまン中へ押しすすめ、そのまた中に駒を立てて、 「しゃら臭い草賊どもめ! 泡を吹いて逃げ出すな」  と、まず飛天隊の一騎、于直《うちよく》を出して、林冲《りんちゆう》にあたらせた。が、とても林冲の敵ではない。矛《ほこ》と鎗、十合とも戦わぬうち、于直はもんどりうって馬から落ちる。——つづいて、飛天神兵中の随一、温文宝《おんぶんぽう》が喚《おめ》いて出た。——しかしこれも秦明《しんめい》と闘ッて斬られ、第三、第四、と猪突《ちよとつ》して出た者までことごとく打ち果たされてゆくのを見ると、高廉はその青粘土《あおねんど》のような面《おもて》にたちまち吹墨《ふきずみ》のような凄気《せいき》を呼んで、 「かっッ」  と、背にある太阿《たいあ》ノ剣をぬきはなった。そして剣の刀背《み ね》を眉間《みけん》に立てて何やら一念、呪文《じゆもん》をとなえるらしい姿であった。——と見た花栄《かえい》は、わけもなくぞッとして「あっ、妖人?」と、思わず引きしぼッた弓の弓弦《ゆんづる》をぶンと切った。その矢はあやまたず、高廉《こうれん》の真額《まびたい》を射た。いや射たと思われたのに——一道《いちどう》の黒気《こつき》が矢をも高廉の影をも、墨のごとく吹きつつんでしまっていた。そしてとつぜん、大地は鳴り、天もゆすれ、怪しい風が、ゴオッと翔《か》けたあとから、小石のような雹《ひよう》が、人馬の上へ降ッて来た。 「や、や?」 「これは?」  と、梁軍《りようぐん》七千の人と旗は黒い風に吹きちらされ、揉《も》み舞わされ、冬の木の葉に異ならない。あれよあれよの、叫喚《きようかん》だった。ただ見る日輪だけが赫《あか》く、雹《ひよう》に交《ま》じって砂礫《されき》を吹きつける。しかもまたその中を、長髪鬼のような飛天神兵の数百が槍を持って馳けまわり、逃げまどう梁山泊軍は、そのため、またたくうちに、千人の兵を失ってしまった。 「退《ひ》けっ。ひとまず、退けい」  さしもの軍師呉用すら、また宋江《そうこう》も、すっかりこれには狼狽《ろうばい》して、ただもう逃げ奔《はし》るしか、一時の処置も知らなかった。  さて、残軍六千を、からくも城外五十里の遠くに、陣を引きまとめて。 「軍師。じつに辟易《へきえき》しましたな。いったい、何であったのでしょう? 今日の異変は」  と、宋江の驚き顔に、呉用は沈痛な声で答えた。 「察するに、高廉《こうれん》は妖法を使う術者でしょう。よほど道教の方術——すなわち幻術を——修得した妖人に相違ない」  その夜、宋江は、陣幕《とばり》に灯を掲《かか》げて、独り例の天授の「天書三巻」をひらいてみた。内に“破邪《ハジヤ》ノ兵法”一巻がある。それには“破術破陣《ハジユツハジン》ノ法”があり、また“回風《カゼヲメグラシ》返火《ヒヲカエ》ス法”も見えた。 「よし」  彼は自信を持ち、あくる日、さらに鼓《こ》を鳴らして、城門へ迫った。  けれど、この日も、次の日も、梁山泊《りようざんぱく》軍はさんざんに破られた。なぜならば、高廉《こうれん》の妖法は、ただ宇宙の天色や気象に異変を呼び起すだけでなく、忽《こつ》として、炎を大地に生ぜしめ、また大洪水《おおみず》を捲きおこし、そうかと思うと、豺狼《さいろう》、豼貅《ひきゆう》、虎豹《こひよう》などの猛獣群を、一鞭《いちべん》の下《もと》に呼び出して、これを敵のうちへ追い放つなど、千変万化、じつに極まりのないもので、宋江が身の護符《ごふ》としている「天書」の活用も、これには、ほとんど用をなさないからであった。  こう出たら? ああ突いたら?  とかくして、戦い十日、兵は半数に減《へ》ってしまった。宋江も呉用も、いまは面目なくて、このまま梁山泊へも帰れなかった。  さりとて、この苦慮苦戦を、あえてつづけていれば、残る三千も、野に白骨をさらすだけのものでしかない。——さらには、開封《かいほう》の都から、官の援兵が馳せくだって来る惧《おそ》れなども大いにある。 「……どうしたものか」と、宋江と呉用とは、ついに最後の腹のすえどころにせまられていた。 「じつはの、宋先生。ここに、たった一つの残る策がないでもない」 「なに、軍師には、ご一案があるというのか。ではなぜ早く、その一計を」 「いや」と、呉用はあわてて手を振った——「それがさ、すぐ可能と思えるなら、決して猶予はしていません」 「何か、難かしい計略でも」 「いや行方のわからぬ人物を、急遽、探し出して来ねばならん。ところが、その消息といったら、皆目あてがないのです」 「ははあ。では彼《か》の——一清道人とも呼ぶ公孫勝《こうそんしよう》——を、あなたも思いだしておられたか」 「さよう。仰っしゃる通りだ。高廉《こうれん》の妖法をやぶるには、我れにおいても妖法に通じた道者を味方の内に招くしかありませぬ」 「それならひとつ、薊州《けいしゆう》へ人を派して、八方、探させてみたらどんなもので」 「しかし薊州といっても広い」 「なんの、戴宗《たいそう》が陣中にいる。いずれ一清道人のこと。名山大川《たいせん》の奥深くにいるかもしれぬが、戴宗の神行法《しんこうほう》で馳け探せば」 「なるほど、むなしくいるよりは」 「それに如《し》くなしです。すぐ戴宗を呼びにやりましょう」  伝令をやると、その戴宗は、何事ならんと、すぐここの帷幕《いばく》へやって来た。——そして呉用、宋江の二大将から托命の仔細をきくと、彼も、梁山泊《りようざんぱく》軍三千の運命を担う一期《いちご》の働きはいまだとして、勇躍、すぐ例の神速法の甲馬《おまもり》を脚に結い付けてここを出発した。  いや、彼にはもひとり付いて行った者がある。  例の黒旋風《こくせんぷう》李逵《りき》である。——李逵《りき》などは無用な相棒、ヘマは仕出来《しでか》しても、ろくな足《た》しにはならぬと退けられたのだが——事件《こ と》の起りは自分が殷直閣《いんちよつかく》を殺したことにある。かたがた、柴進《さいしん》大人へのお詫びにもと李逵としてはいつにない神妙な哀願なのでついに連れて行くことになったのだった。 「だが李逵。断わっておくぞ」 「へ。何をで」 「きさまにも神行法を授けるが、わしが呪文《じゆもん》をとなえると、たちまち身は雲を踏んで飛行《ひぎよう》する。呪《じゆ》を解かねば、止まるにも止まれんのだから、心得ておけよ」 「院長(戴のこと)そいつア困るよ。小便する間もなくっちゃ」 「そんなことはどうでもいい。問題は道中では一切精進潔斎《しようじんけつさい》だ。守らねば神行の神力が破れてしまう。守れるか」 「酒を呑まず、肉を食らわず、で居りゃあいいんでしょ」 「そうだ。きっと、貪婪《どんらん》をつつしめよ」  かくて二人は、雲を翔《か》けた。  耳に風がうなり、睫毛《まつげ》に霧が痛いほどぶつかッて後ろになる。地の物象《も の》すべて——町、森、原野、山波、渓流——点々たる部落の羊や牛の影までが見る見るあとへ過《よ》ぎられて行く。  さて、まことに怪奇な談《はなし》になった。  そもそも水滸伝物語は、その発端、百八星のことからして、いわゆる怪力乱神を「世にあり得ること」として話の骨子《こつし》にとり入れてあるものだが、中には多少、宋朝の史実も酌《く》みいれ、編中人物の行動などにはかなりリアルなふしもある。——かと思うと突として、高廉《こうれん》の妖術やら戴宗の神行法《しんこうほう》なども平気で駆使するし——つまりここらが、いわゆる大陸古典の大陸小説らしい筋《テーマ》であって、日本での話なら役《えん》ノ行者《ぎようじや》の伝説でもなければ見られないところである。これは一に道教による幻想らしく、かの白楽天《はくらくてん》の長詩「長恨歌」の中で、玄宗皇帝が術者の方師《ほうし》をして、夢に、亡き楊貴妃《ようきひ》の居るところを求めさせるなどという着想も、民話的な道教信仰を詩化したものといってよい。とにかく、このへんの章は読者も中古大陸の民土を念頭におかれて、風誦《ふうしよう》するが如く、共に空想を遊ばすことにしておいていただきたい。 「戴《たい》院長。今日でもう七日目ですぜ」 「もう七日か。はて、知れんなあ」 「いくら雲霞《くもかすみ》に乗って、こう空ばかり素ッ飛んでみたところで、これじゃあ、知れッこありませんや。毎日毎日、下に見えるのは、山岳だの大川だの渺々《びようびよう》とした田舎ばかり。ちッたあ、人里へも出てみなくッちゃあ」 「きさまのいうのも一理はある。だが、公孫勝《こうそんしよう》は元々薊州《けいしゆう》の生れで、梁山泊へは入ったものの、田舎の母恋しさに山寨《や ま》の仲間に別れて、一時郷里へ帰った者だ。それに彼のごとき修道者であってみれば、市井《しせい》に住まっているはずはない」 「ですがねえ院長、薊州の田舎ときたら、山また山だ。そんな山の襞《ひだ》にいる一人の人間をつかまえるなんてことあ、まるで縫《ぬ》い目の虱《しらみ》をさがし出すより大変ですぜ。やっぱり人を探すには人中を歩かなくっちゃあ」 「きさま、そろそろ美味《う ま》い物でも食いたくなってきたのだろう」 「そいつも察しておくんなさいよ。いくら精進潔斎だって、この七日ほどは、干団子《ほしだんご》しか食ッちゃいません。きのうからもう目が眩《まわ》りそうなんで」 「よし、向きをかえて、ひとつ人混みを探してみよう」  翌日は、脚の咒符《じゆふ》を解いて、薊州の城内を一日歩いた。また次の日も、寺院、祈祷所、道行く僧侶、少しでも由縁《ゆかり》がありそうなと思えばやたらに訊《たず》ねあるいてみた。しかし、手がかりは皆目《かいもく》ない。  そして十一日目のことだった。城外のいぶせき飯屋《めしや》でひるめしの白麺《うどん》を二人してすすっていると、隣の床几《しようぎ》でも一人の老人がお代りを急いでいた。折ふし客が混んでいたのでなかなかお代りの麺《めん》が来ない。出来て来たかと思うと隣の李逵《りき》が逸《いち》早く横から取って食ってしまう。それが八杯にもおよんだので、ついに老人も腹を立てた。 「なんじゃい、この人はまあ。わしが誂《あつら》えたのを、そばからそばから、喰べてしまいくさる。馬か豚腹《ぶたばら》か」 「なに。豚腹だと。やいッ、いい加減にしろとはなんだ。外へ出ろ、この老いぼれめが」 「これっ、李逵。きさまが悪い」 「だって、院長。ものの言い方もあろうッてもンでさ」 「うんにゃ。大体、きさまがガツガツしすぎておる。ご老人、ゆるしてください」 「これはどうも、そう仰っしゃられると、年がいもないことで……。じつはこれからお山へのぼって、羅真人《らしんじん》さまのご法話を伺いたいと思いましてな」 「ほ。……山にご法話の会があるのですか」 「はい。時刻におくれると、羅真人さまのお話が聞けませぬ。それでついわしも心が急ぎましてな」 「オ、また一碗《わん》、麺《めん》ができて来ましたよ。さあさあ、おさきにお喰《あが》りください。して何ですか、そのお山というのは」 「この薊州《けいしゆう》郊外から四十五里、九宮県《きゆうぐうけん》の二仙山というお山の麓《ふもと》でしてな」 「真人がいらっしゃるほどなら、ほかのお弟子の道人《どうじん》たちもたくさんいるのでございましょうな」 「おりますとも、なんといっても、真人さまは、諸道人のうちでも、いちばん修行を積み、位も一段高いお方ですな」 「もしや、公孫勝《こうそんしよう》という道人を、そこでご存知はありますまいか」 「あああの、おふくろ様と一つの庵《いおり》に住んでござらっしゃる公孫一清《こうそんいつせい》さんなら、わしが家のつい近所じゃが」 「えっ、ご近所なので」  まさにこれ、何かのひき合せと、戴宗《たいそう》は雀躍《こおど》りしたいばかりだった。なお仔細《しさい》に道をたずね、老人には厚く謝して、いちど旅籠《はたご》へひっかえした。そして身拵えをあらためるやいな、四十五里を神行法の一ときに馳けて、まもなく九宮県から五里の奥に二仙山とよぶ幽境を目に見ていた。 羅真人《らしんじん》の仙術、人間たちの業《ごう》を説くこと 「ちょっと、伺いますが」  と、ひとりの樵夫《きこり》を見かけたので、戴宗《たいそう》が訊いた。 「一清《いつせい》道人の庵室はどちらでしょうか」  樵夫は、白雲のうず巻いている峰と峰との間をさして。 「一条の白い滝が見えまっしゃろ。あの下の細道をめぐって、南へ出ると、山の角に、琴のような石橋がありますわな。そこらでもいちど訊きなされ」  その通りに行ってみると、上の杣道《そまみち》から山の果物を手籠《てかご》にして降りて来た女があった。女は振り仰いですぐ教えてくれた。 「ほれ。あそこに、柱が十本も並んでいる草舎《くさぶき》の廊《ろう》がある。あの廊の端《はず》れに見える小さいお堂がそれでございますよ」 「ありがとう。して、一清道人はおうちでしょうか」 「ええ、今日はたしか、裏で丹薬《くすり》を練《ね》ッてござらっしゃッたが」  思いはとどいた。戴宗は胸もわくわくそこへ近づいた。しかし、李逵《りき》は遠くへおいて、彼ひとり草庵《そうあん》造りの家の扉《と》へ寄って行き、 「ごめんください。ごめんください」  と、訪《おとな》うこと数度であった。  何処かでは、淙々《そうそう》と水のひびき、松籟《しようらい》の奏《かな》でがしている。それに消されてか、いつまでも返辞はなかった。するうちに、 「どなたじゃの」  内の葭《よし》すだれをサラと掲《かか》げて、白髪の媼《おうな》がふと半身をあらわした。つづれの帯に半上着《はんうわぎ》、貧しげなこと、山姥《やまうば》といってもよいが、霞《かすみ》の目皺《めじわ》、丹《あか》い唇《くち》、どこやら姿態《し な》も賤《いや》しくない。 「オ、ご老母で」と、戴宗は一礼して—— 「一清どのにお目にかかりたいことがあって、はるばる参った者でございますが」 「あなたさま。お名まえは」 「山東の戴宗と仰っしゃって下されば、たぶんおわかりのはずですが」 「それは、あいにくな。せがれは旅に出て居りませぬ」 「はて。里人《さとびと》のことばでは、たしかにおいでだといっていたが」 「いえ、おりません。どうぞお帰りくださいませ」  すると、いつのまにか、戴宗の後ろへ来て佇《たたず》んでいた李逵が、腰の二丁斧を引き抜いて両手に持ち、 「うそをつけ! この山猫め。よしっ、居留守をつかうならあらためてやる」  と、いきなり草堂の横から裏へおどりこんだ。あわててそれを遮《さえぎ》る老婆の悲鳴やら、李逵《りき》を叱る戴宗の声が、ここの静寂《しじま》を破ッたと思うと、彼方の薬園から身に白衣《びやくえ》をつけた一壮士が、 「なんですッ? おっ母さん! 何があったんですか」  と、脱兎のごとく馳けつけて来た。そしてふと、そこの二人を見るや、 「おっ、戴《たい》院長。また、李逵ではないか」 「やあ、いなすったね、公孫勝《こうそんしよう》!」 「ひどいじゃないか。おふくろさまを二丁斧《おの》で脅《おど》すなんて」 「あやまる、あやまる! 毛頭わる気でしたンじゃねえ。こうでもしなければ、おまえさんが出て来ないと見たからだよ」 「戴《たい》院長。まずお上がりください。……おっ母さんもご心配はいりません。決して悪い人たちではない。ま、お茶でも差上げて」  と、一房へみちびき迎え、さて、一別以来の旧情なども叙《の》べ終ると、戴宗はあらたまって、 「じつは、かくかくの次第です。もしあなたが起《た》って、高廉《こうれん》の妖軍を打破ッてくださらぬなら、宋江《そうこう》先生以下、三千の泊兵は高唐州の野に白骨となるしかなく、ひいては梁山泊《りようざんぱく》の本拠も総くずれの破目にたちいたるでしょう。……まげてひとつ、廬《ろ》を出て、お助けくださるまいか」  と、逐一《ちくいち》のわけを語って頼みに頼んだ。  公孫勝は、ありありと、苦痛な色を眉に見せた。 「——ひとたび、義友《と も》と契《ちぎ》った人々の頼みでは」  と、心にもだえるらしかった。で、しばらく頸《うなじ》を垂れていたが。 「いや遠路のお使い、旧友たちの危急、よくわかりました。若年、江湖《せけん》を漂泊《さすろ》うての果て、はしなく梁山泊の諸兄に会い、幾年月のお世話になったことは今も忘れてはおりませぬ。しかし何ぶんごらんの如き一人の老母がありまする。あわれ母は、ひとり子の私が、唯々たよりなのでして、私もここを離れがたく、かつは師匠の羅真人《らしんじん》さまも、どうしてもてまえを山からお手放しになりません」 「ごもっともだ。そこを強《た》っても言いかねるが、梁山泊一期《いちご》の浮沈です。なんとか、母御《ご》にご得心はいただけまいか」 「母は暇《いとま》をくれましても、いま申したその師匠がどうも」 「羅真人さまへは、われら三名が膝をそろえて、お願いしてみようじゃありませんか」 「ま、よく考えてみましょう。今夜一ト晩」 「——と、仰っしゃらず、すぐご同道くださるまいか。高唐州の戦場は、はや朝々の霜。危機は冬と共に迫ッているのです。一日のまも気が気でないのでして」  戴宗もいう。李逵も拝まんばかりに頼む。ついに公孫勝は身を起した。ともあれ、師の羅真人さまの許《もと》へ伺って、そのご意見をきいた上で——と。  遠くはなかった。谷向うの峰ふところ。道をたどるうちに、針葉樹の密林低く、紅い日輪が沈みかけている。やがて羅真人《らしんじん》の住《じゆう》す道教寺の石階を踏み、上を仰ぐと、山門の額《がく》に、  紫虚観《しきよかん》  の三文字が金色もくすんで見える。  廟道《びようどう》は奥深い。つねに道士が寄って経を談じ、山翁は法《のり》を説いて、修行三昧《ざんまい》、宇宙と人魂《じんこん》とのかたらいをなす秘壇《ひだん》とある。祭るものは、虚空《こくう》三千大世界の天《あま》つ星や地宿の星とか。ここへ鸞《らん》に乗って仮に世へ降りてきたような一仙人と、江湖《せけん》の俗から拝まれている羅真人は、いま、松鶴軒《しようかくけん》の椅子《いす》に倚《よ》って、ふと瞑想《めいそう》から醒《さ》めていた。 「真人さま。……今朝、仰っしゃっていたお人が、一清道人《いつせいどうじん》に連れられて見えました」  一童子が、椅子の前に、拝をしてつたえていた。 「お、来たかの。すぐ連れておいで」  羅真人は、すでにこの日の客を、予知していたらしい。——一方、更衣亭《こういてい》で身なりをただした戴宗《たいそう》、李逵《りき》、公孫勝《こうそんしよう》は二人の童子に伴われて長い廊を渡り、やがて、松鶴軒の廂《ひさし》の下にかがまって九拝の礼をした。 「お師匠さま」と、まず公孫勝が——「折入って、この客二名が、尊意をお伺いにまいりました。これは私の旧《ふる》き友」  言いかけると、羅真人は、鶴の羽衣《はごろも》のような袂《たもと》をぱっとひらいて、その法冠《かむり》の星よりするどい眸をきらと三人の上へ射向けた。 「一清。多くをいうな。山東の人々だろう。わかっておる」 「では、はや疾《と》くに、二人がこれへ来た事情《わ け》も」 「よろしいか、一清、おまえはやっと世の火宅をのがれ、そして母と共に、人生の長養長寿をここで習《まな》んでおる者だぞ」 「はっ」 「惑《まど》ってはならん」 「もし、老師!」と、戴宗は思わず躄《いざ》り出るように進み出て再拝した。 「高唐州の悪奉行高廉《こうれん》の妖法になやまされ、いまや泊軍三千、かつての公孫勝の仲間は、死地に立っておりまする」 「悪と悪、業《ごう》と業との入りみだれ、さようなことは、この山の知ったことではありません」 「ですが……。いや、さもございましょうが、なにとぞ、御弟子《みでし》の公孫勝に、ここしばし、暇《いとま》をおつかわし給わりませ。かくのごとく、伏してお願いつかまつりまする」 「いけません。この羅真人《らしんじん》の教え子を、そのような血の巷《ちまた》へやることはできぬ」 「では、どうありましても」 「くどい! 一清、客をお連れして、はやはや浄門の外へ退《さ》がんなさい」  取りつく術《すべ》もなかったのである。悄然《しようぜん》と三名は“紫虚観《しきよかん》”の門を去って、黙々と宵《よい》の星明りの下を帰って行った。  途中、ムカッ腹をぶちまけて、独り悪態《あくたい》口を叩いてやまなかったのは、もちろん、黒旋風李逵《りき》だった。 「けッ、ふざけやがってよ! 羅真人か糞羅漢《くそらかん》か知らねえが、オツに取り澄ましゃアがって、教え子も聞いて呆れら。——久米《くめ》の仙人だって赤い裾《もの》を見りゃ雲から落ッこちたっていうじゃねえか。そこが人間のいいところだ。それを義も情も知ッたことじゃねえと吐《ぬ》かしゃあがる。よしっ、人間でねえならば獣だろう。みてやがれ、けだものめ、化けの皮をひン剥《む》いてやるから」 「李逵《りき》李逵。いいかげんにしろ。……一清の身にもなってみるがいい。むッそりと顔をしかめているじゃないか」 「ほい。いいお弟子だ。師匠をケナされちゃ癪《しやく》にもさわろう。だが、こっちの腹もおさまらねえんだ。ごめんなさいよ、公孫勝《こうそんしよう》」 「いやなに、きさまの悪口などいま知ったことじゃないさ。気になどかけるものか。ははははは」  しかし、一清公孫勝の立場はつらい。自然、口かずも少なかった。また戴宗《たいそう》も、このままでは高唐州へ帰りもならず、何かと、思案顔である。——とかくして、その夜は、一清の家の草堂に、床《しよう》を分けて眠り合った。——眠る前の精進《しようじん》料理と一酌《しやく》の酒がまわって、三人はやがてぐッすり寝込んだようであったが、かねて思うところのあった李逵は、 「……よし。ちょっくら、いまのうちに」  とばかり室から這い出し、そして二丁斧《おの》を手に、風のごとく、峰道から谷、谷から峰のふところへと、馳け躍ッて行った。——それはあたかも一個の黒猿《こくえん》が両手に白い焔《ほのお》を振りかざして行くようだった。  もう勝手は知っている紫虚観の門、松鶴軒《しようかくけん》の廂《ひさし》。そっと、李逵が法院窓の障子に舌で穴をあけて内を覗いてみると、なんと、この森沈《しんちん》たる深夜なのに、羅真人はなお、椅子《いす》に端座したままであり、唇《くち》に玉枢宝経《ぎよくすうほうきよう》を小声で誦《ず》している態《てい》なのだ。  薫々《くんくん》と匂う糸は香炉《こうろ》のけむりか。二本の赤い絵蝋燭《えろうそく》の灯があかあかと白髯《はくぜん》の横顔、頬のクボを描いている。李逵はあさはかにも思い込んだものだった。——この糞仙人《くそせんにん》さえ亡《な》き者《もの》にしてしまえば公孫勝もいやとはいわないはずである——と。  だから彼の眼気《がんき》たるやまさに殺気の炎《ほむら》で、そこの窓障子を蹴やぶるがはやいか、 「けだもの。化ケの皮を剥《は》ぎさらせ!」  と、内へ躍り込んでゆき、かっと、薄刃の斧を振りかざすやいな、羅真人のあたまをめがけ、その脳天から真二つにたちわってしまった。 「はははは。なんてえ応《こた》えのねえ化け物だろう。おや、仙人の血は白いのかな? まるでこりゃ水じゃあねえか。うんわかった。ろくな物は食っていず、一ぺんも女を抱いていねえせいだろう。……どれ行くかな」  すると、物音を知ったのか、廊《ろう》の彼方から、青衣《せいい》の童子が飛んできて、ひらと彼の前にたちはだかった。 「これっ待て。お師匠さまを殺して、どこへ」 「そこ退《ど》けッ。うぬ、退かねえか」  またもや、一閃《せん》の斧の下——童子の首はコロコロところがった。そしてころがって行った闇の隅から泥人形のような白い首が、こっちを見た。ニコと笑ったように見えた。 「うへッ」と、李逵もなんだか、へんな気がした。骨の髄《ずい》をぶるッとさせて。「——くそっ、俺としたことが」と、山門をとびだした。そして後ろを振向くと、山月《さんげつ》が青かった。それからはもう一足跳び。——まだ暁にもなっていず、戴宗《たいそう》、公孫勝は夢深々と何も知らない。——彼もまた夜具の中にもぐりこんで、なに食わぬ顔のあくる日をむかえていた。  朝から午《ひる》まで、その日も、戴宗は公孫勝と対座しづめで、切願《せつがん》、熱弁、情や義にもからませて、どうかしてと、説《と》きつけている。それは李逵《りき》には、くすぐッたかった。ちゃんちゃらおかしくてたまらない。  午食《ひ る》の点心をすますと、一清はぜひなげに、 「では、おことばにまかせ、もう一度、松鶴軒《しようかくけん》へ伺ってみましょう。はたして、お師匠さまが、昨日の言をひるがえして、おゆるし下さるかどうか知れませんが」  と、ふたたび、きのうの如く、連れ立って草廬《そうろ》を出た。——これもまた、李逵の内心ではヘソ茶ものだった。「行ってみれば分るだろう。分った上は、公孫勝もいやとはいえめえ、知らぬ仏だ」と、あとに尾《つ》いて行きながら独りひそかに舌を出していたものだった。  やがて、紫虚観《しきよかん》をくぐる。訪鉦《ほうしよう》を鳴らすこと三打。青衣の童子がひとり出て来て、来意を問う。待つことしばし、ふたたび現れて。 「どうぞ、更衣亭《こういてい》で、おきものや手をお浄《きよ》めください。そして、いつもの長い廊を、ずっとお通りあるように」  李逵《りき》はセセラ笑った。が、なお白ばッくれて、更衣亭でかたのごとき身浄《みぎよめ》をした後、二人のあとに尾《つ》いて廊を進んで行くと、彼方からまたも一人の童子が見え、一清と話していた。 「もし、侍童《じどう》さん。お師匠さまは、いつもの松鶴軒ですか」 「ええ、お椅子《いす》に倚《よ》って、しずかに、皆さんをお待ちになっていらっしゃいます」 「今日は、ごきげんは」 「おかわりもございません。はやくおいでなされませ」  青衣の童子は、そう告げて、李逵のそばをスレちがった。李逵がしんそこ、ぎょッとしたのはその一瞬であった。童子がニコと笑ったのである。その顔が、いやその首が、ゆうべ斧《おの》にかけたあのせつなの童子とまったくおなじなのだった。さらには、やがてまた、「おお、また見えたの」  と、内から聞えたのも紛《まぎ》れなき羅真人《らしんじん》の声であり、またその人の姿だった。しかも、きのうよりは、うちとけて、 「ま。すすめ……。そこな、後ろの方に、うずくまっておる黒猿《くろざる》も、ここへ来い」  と、あるではないか。  李逵はただもう度胆《どぎも》をぬかれ、総身の骨もガクガクしていた。元々、この男は天上界における天殺星《てんさつせい》という魔星《まのほし》であって、かりに人の世に生れ、文明の灯が江湖《よのなか》にかがやくまではと、天帝のおいいつけで、世造《よづく》りと人革《ひとあらた》めのため血をながす地獄仕事をしなければならない宿命となっている。——ということが、羅真人《らしんじん》の神眼には、ちゃんとわかっているのらしい。この黒面《こくめん》の殺人猿《さつじんえん》をあつかうこと、まるで子供を観《み》るにひとしかった。 「李逵よ。どうした。なぜ前へすすんで出ぬ」 「へ、へい」 「おかしな奴よの。ところで、両人」 「はっ」 「願いの儀、かなえてつかわそう。一清の母は、わしが見ておく。さっそく下山するがよい」 「えっ、ではこの一清に、おいとまを給われましょうか」 「む。しかし一清、汝はなおその修行も法術も、かの高廉《こうれん》とひとしい程度の者にすぎん。依って、下山に先だち“五雷天《ごらいてんこう》”の秘法をさずけつかわそう。——それをもって宋江《そうこう》を助けてやれ。また民ぐさを力づけ、世の道をただせ」 「は。必ず、お教えを忘れぬようにいたしまする」 「そもそも、汝の宿命は、天にあっては天間星《てんかんせい》。地あっては草華《そうげ》の露。人と人との間に情けをこぼす性《さが》のものだ。しかし世はまだ溟々《めいめい》の混沌《こんとん》時代。まことの世造《よづく》りと人拵《ひとごしら》えの成るまでには、なお五千年もかかるだろう。それまでは地上の人間も鬼畜の業《ごう》を脱しえず、殺し合い、憎しみ合い、悪と悪との血みどろを這い廻るのもぜひないとするしかない——。それゆえ、今生一生の業《わざ》ではしょせんおぼつかないが、今も暗溟《あんめい》の世造り時期。そうこころえて汝も修羅へ行くがいい。くれぐれ、人欲に迷うなよ。あやまるなよ」  こう、ねんごろな諭《さと》しをうけて、次の日早朝、一清公孫勝は母にわかれ、旅の支度もそこそこ、戴宗と共に、二仙山を降りた。  このさい、李逵《りき》はどうしたのか、前の晩からいなくなってしまった。戴宗が不審がってたずねると、一清は事もなげに笑って答えた。 「なあに、ご心配にはおよびません。たぶん羅真人に可愛がられて、当分、紫虚観《しきよかん》に居れと、止めおかれてしまったものでございましょう。……あの天殺星に修行を積ませ、もすこし撓《た》めておかねばならんという思し召しから。……いえ、いえ。いくら李逵が嫌のなんのといったって、師の呪縛《じゆばく》にかかっては、羽《は》ネを抜かれた禿鷹《はげたか》も同様で飛び立つことはできません。奴もきっと今ごろは、もうすっかり往生して、食堂《じきどう》の粥《かゆ》でも食べているでしょうよ」 法力競《ほうりきくら》べの説。及び、李逵《りき》を泣かす空井戸《からいど》の事  高唐州《こうとうしゆう》の城外、一望百里の戦陣は、がらりと模様が変ってきた。  ほかでもない、かの方術師にしてまた州奉行でもある妖官人高廉《こうれん》の妖術がまったくきかなくなってしまったことに起因している。すなわち高廉の魔陣「飛天神兵」の疾駆《しつく》も、また得意の「太阿《たいあ》ノ剣」の呪文《じゆもん》も妙に威力を失ってしまい、戦えど戦えど、軍《いくさ》はヘマばかり踏む始末で、 「これはいったい、どうしたことか」  と、怪しみつつも、ついに総勢を城内へ退《ひ》き入れて、鉄門堅く、ただ守るのほかない頽勢《たいせい》に傾いてきたものだった。 「お奉行。こいつはどうも方針をお変えにならずばなりますまい」 「やあ薛元輝《せつげんき》か。わしの戦法に過りがあるというのか」 「決して間違ッてはおられません。しかし敵の中には先頃からとんでもないやつが一人加わっている。それへお気づきにならんのはご不覚でしょう」 「一清道人《いつせいどうじん》の公孫勝《こうそんしよう》だろうが」 「そうです。——二仙山の道聖《どうせい》、羅真人《らしんじん》の秘蔵弟子とか。そいつを呼んで来て、破邪《はじや》の術を行わせているんですから、さしもわがお奉行の方術も、いちいち這奴《しやつ》の秘封《ひふう》で、その効《こう》を現わさなくなったものと思われまする」 「そ、そんなことはないッ。そんなことは!」と高廉《こうれん》は、事わが方術にふれてくると青白い焔を眉に燃やして言った。「——紫虚観《しきよかん》の羅真人その人がみずから山を下って来たのなら知らぬこと。一清道人なんていう一弟子のために、わしの方術が破られるはずはない。道教界における修行からして、彼と我れとは段がちがう。高廉をそんな底浅い修行の道人輩《どうじんはい》と同列に見て申すのか」  これはむりもない。  道教の世界にはおごそかな階級があった。修行によって法力の度《ど》もおたがいにわかっている。が、このたびだけは羅真仙人が、暗溟《あんめい》時代の世造りの手助《てつだ》いに下山する一弟子のため、特に“五雷天《ごらいてんこう》”の秘法を一清にさずけていた。ということを、高廉は知っていなかったのだ。あくまで自分の方術は上位と信じていたのである。  だからなお、彼が自身に恃《たの》んだ妖術戦は、彼を大きなうろたえと焦燥にかりたてた。——そのあくる日の城下戦でのこと。——梁山泊軍三千は、怒濤《どとう》をなして、はや城壁下に鼓噪《こそう》していた。時に高廉は、一だんたかい将台にあって、 「おうっ、めずらしや、あれに賊の軍師呉用、賊の大将宋江《そうこう》、またそのわきに一清公孫勝が駒を並べて指揮している。——元輝《げんき》、一軍をひッさげて、一清の首をねじ切ッて来い。怯《ひる》むな! 高廉がこれにあって、法力の加勢をするぞ」  と、太阿《たいあ》ノ剣を抜き払い、眉間《みけん》に当てて咒《じゆ》を唱えた。  するとたちまち、あたりは暗くなり、雲のごとき気流のうちから、数千の豼貅《ひきゆう》(大昔、中国で飼い馴らして戦場で使ったという猛獣のこと、豼《ひ》は雄《おす》、貅《きゆう》は牝《めす》)が敵陣めがけて飛躍していった。——同時にそれに力を得、官軍の猛将薛元輝《せつげんき》もまた、城の一門を押しひらかせ、金甲鉄鎗《きんこうてつそう》の光り燦々《さんさん》、奔流《ほんりゆう》となって敵中へむかって吶喊《とつかん》して行った。  ところがである。  ほとんどの将士が城へ帰らなかった。薛元輝もむなしく討たれてしまったらしい。  それも道理、妖法が吹き放った豼貅《ひきゆう》は、梁山泊軍の上まで行くと、みなハラハラただの枯葉《こよう》になったり紙キレになって、何の加勢にもならずに仕舞ったものである。つまり妖術競べにおいて、完全に、高廉が破れた証拠だ。さすが高廉もこれにはガックリ自信を失って、急遽、隣の東昌と寇州《こうしゆう》の二州へ援軍の急を求めた。 「二州の奉行は、いずれもわが従兄《いとこ》の高《こうきゆう》大臣におひきたてをうけた者だ。大挙、かれらが援《たす》けに来れば」  と、それからは一切、城門の鉄扉《てつぴ》を閉じ、壁《へき》を高うし、殻の如くただ守っていた。しかし城塁の中ではこんどは不思議な現象がおこりだしていた。冬なのに蛇トカゲの爬虫類《はちゆうるい》がうようよ這いまわり、毒蛾《どくが》、サソリ、赤蟻《あかあり》、種類も知れぬ毒虫が群れをなして兵の眠りまで苦しめる。さてはこれも一清の妖術攻勢だなと、高廉は必死な咒《じゆ》を行ってみたが、さっぱり自分の破邪《はじや》の印《いん》には効《き》き目がない。——時も時、こんなところへであった。 「——東昌、寇州《こうしゆう》の援軍がつきましたぞ!」と、望楼番の歓声だった。 「来たか」  と、彼が雀躍《こおど》りしたのもむりはない。  高廉《こうれん》も望楼へあがってみた。打ち見れば、暁の曠野《こうや》には、敵の梁山泊軍が、算《さん》をみだして騒いでいる。  おそらくは寝込みの朝討《あさうち》を食ったものか。支離滅裂となって逃げまどう中を、あざらかな紅い州旗《しゆうき》を朝陽にかがやかせ、約三、四千の州軍がその中を割って、はや城壁の下まで来ていた。 「開けろ、開けろ。疾《と》く城門をあけてやれ」  高廉は上から下知した。  わあっと、城内には歓声がわいた。しかるに何ぞやである。歓呼《かんこ》は、一瞬に阿鼻叫喚《あびきようかん》と変じていた。「——すわ」といったがもう追いつかない。援軍とみせてなだれこんで来たのは、梁山泊の山兵だったのだ。軍師呉用と宋江の智略によって偽装した山将それぞれ——花栄《かえい》、秦明《しんめい》、呂方《りよほう》、郭盛《かくせい》、林冲《りんちゆう》、——また戴宗《たいそう》、公孫勝、孫立《そんりゆう》、馬麟《ばりん》、朱同《しゆどう》、欧鵬《おうほう》などの錚々《そうそう》が指揮するもの。  いやなお、将とも兵ともいえない妙な男もひとりまじっていた。はやくも二本鉞斧《まさかり》を両手に振って縦横無尽城兵を追い廻しているのでもすぐわかる。黒旋風《こくせんぷう》の李逵《りき》だった。  李逵はついきのう仲間たちの戦場へ帰っていた。——一清公孫勝を探しに行った行きは戴宗《たいそう》と一しょだったが、二仙山では、羅真人《らしんじん》に止め置かれてしまい、彼にいわせると、 「あれから紫虚観《しきよかん》で、真人にチクと熱いお灸《きゆう》をすえられて来た」  ものだという。  それがどんなお灸だったかは、李逵はまだよく語っていない。が、おそらくは羅真人のお懲《こ》らしめだ。真人の仙術やら妖法を目に見せられたに相違ない。一匹の黒ンぼ猿が十方無限の大宇宙へ抛《ほう》りあげられ、羅刹金剛《らせつこんごう》の変化にも会って、いやというほど、なぶり者とされて帰されて来たに違いなかろう。だから妙におとなしくなり、また李逵に似げなく、その話だとはにかんでいた。  しかし彼は、帰る途中で、一人の奇異な男を知って連れもどっている。顔ばかりでなく体じゅうに菊石《あばた》のある銭豹子《せんびようし》という鍛冶屋《かじや》さんだ。  もとより銭豹子は本名ではない。苗字《みようじ》は湯《とう》、名は隆《りゆう》、つまり湯隆《とうりゆう》という者で、父はもと延安府《えんあんふ》の軍寨《ぐんさい》長官だったそうだが、軍人の子にもやくざは多い。ばくち、女、かたのごとく流れ流れてきたすえ、武岡鎮《ぶこうちん》の町はずれで、テンカンテンカンやっているところを、こんど通りがかりの李逵《りき》と知って、 「ぜひおれも梁山泊へ入れてくれ」  とばかり一しょにここの戦場先へ来たものだった。見るからに一ト癖もふた癖もあるが、たしかにまた一芸の士《し》。呉用、宋江のめがねでも「よかろう」となって、さっそく今日は戦陣に加わっていた。とはいえ到底、李逵のそばにはついて歩けない。李逵もまた、新米《しんまい》の味方の一人など、ふり返ってもいなかった。  いやここでは、李逵を語るよりは、奉行高廉《こうれん》の行動を見ておかねばなるまい。——高廉は望楼から下りるまでもなく、脚下いちめん殺戮《さつりく》の坩堝《るつぼ》を見、城中に入った敵の奇功を察し、もうこれまでと観念の目をふさいでいた。  下では、山将の花栄《かえい》、秦明《しんめい》、林冲《りんちゆう》など、 「高廉は、どこ?」 「雑兵なんどに目をくれるな」 「高廉をさがせ。あの妖官を逃がすな」  と、弓の弦《つる》を引きしぼって喚《おめ》き求めていたのである。  するうちに。 「——あッ」  誰かが叫んだ。眼を射られたかのように目へ肱《ひじ》を曲げて空を指した。  見ると、一朶《だ》の黒雲が望楼を繞《めぐ》って、望楼をスウと離れてゆく。——チカチカッと墨の中で何かが光った。光が眸を拒《こば》むのである。だが痛みを怺《こら》えて凝視《ぎようし》すると、それは一本の剣の剣光にちがいない。しかもぼうっと高廉の姿も見え、太阿《たいあ》の印《いん》をむすび、雲を踏んでいるものだった。そしてみるみる西南の空へ移行していた。 「や、やっ」 「妖人め」  矢さけび起して無数な矢が雲を追った。雲を縫った。  しかし、ゲラゲラと雲は笑う。  このとき、これを知った宋江も呉用もまったくあわてた。指揮に声をからしても、ほどこすすべすらなかったからである。そして「一清《いつせい》はどこに。一清公孫勝は何をしているか」とあたりへどなった。  知らぬではない。公孫勝もこれを見ていた。  彼は州城内の一宇《いちう》、霧谷観《むこくかん》と額《がく》のある堂の真ン前に佇《たたず》んで、虚空《こくう》を仰いでいたのであり、師から授かった“五雷天《ごらいてんこう》”の秘咒《ひじゆ》に気魂《きこん》を凝《こ》らしていたのだった。そしてたちまち一陣のつむじを吹きおこし、風は空へ翔《か》け揚ッて、黒雲へ挑《いど》み、高廉をつつむ妖雲をむしり千断《ち ぎ》ッた。  すると高廉は口から火を吹いた。それは一道《どう》の奔《はし》る炎となって城頭城門へ燃えついたが、また、たちどころに、公孫勝が呼んだ沛然《はいぜん》たる雨に打ち消され、かえって豪雨は白い電光を孕《はら》み、霹靂一声《へきれきいつせい》、雲のなかで爆雷となって鳴った。一箇の火の玉が破裂したかと見えたほどである。と思うまに、空は青く冴《さ》え、何かふわとした物が城外二里の地へ落ちた。——すぐ兵に拾わせてみると、それは高廉の死骸であった。  町には町を逃げまどう州兵。野には野をどろどろ落ちて行く州兵。散るにまかせて、宋江はこれを追わせなかった。  城内の一掃《いつそう》が終ると、彼はただちに“布告文”を辻に立てた。 一 われらは良民を犯さず。犯すあらば斬らん 一 われらは妖官を懲《こ》らして法は滅《ほろぼ》さず、妖民は斬る 一 天に天神、地に地祇《ちぎ》、人の土《ど》に稼業絶《た》やすな、和を温《ぬく》め合え 山東梁山《さんとうりようざん》の客宋江《そうこう》   住民はこれを見てほっとした色だった。かつては県の押司《おうし》も勤めたことのある宋公明だけに、法三章の要をえていた。 「各、各は何はおいても、すぐ柴進《さいしん》どのを捜《さが》してくれ。あの人の安否を確かめろ」  宋江は厳命した。急務はそれだった。たたかいの目的はそれだったのだ。  しかし、柴進の安否は全然つかめなかった。城内の大牢雑牢、地下または高楼、監禁《かんきん》されていそうな箇所はおよそ隈《くま》なく捜査したが見あたらない。牢番獄卒どもは、逃げ散ッていたし、牢舎中の囚人七、八十人の首カセや鎖《くさり》を解いてやって、これにも質《ただ》したが知る者はない。  ただ三日目に、柴進の眷族《けんぞく》十数人が、発見された。思いがけない林の中で、急造らしい板屋葺《ぶき》の監房に押しこめられていたのである。ここには番人どももまだ残っており、その中のひとり藺仁《りんじん》という老吏から端《はし》なくこんなことが聞かれた。 「……さよう。なにさま、思い当りがないでもございませぬ。……あれはもう七日も前、ここのお城もあぶないような噂でしてな、わしらもオロオロしている日のこと。お奉行の腹心がたが、大牢から引きずり出したとみえる一人の囚人《めしゆうど》をしょっ曳《ぴ》いて、林のおくの方へ入って行きましたのじゃ。ヤレヤレ斬られるのだナと、怖い物見たさで、そっと遠くから見ておりますると、その辺はひどく昼でも陰気な場所でしてな、きっと首を斬るのが不気味になったのかもしれません……その衆たちで何か囁《ささや》いていたと思うと、近くにあった空《から》井戸の中へ囚人《めしゆうど》を抛《ほう》り込んで、そのまま立ち去ってしまいましたのじゃ。……へい、それだけのことでござりますが」 「それこそ」と宋江は、息ぜわしく「……七日も前か。それを見たのは」 「へい、ひょっとしたら八日前か。でなければ、九日前だったかもしれません。なにせいご布告を知るまでは、生きた心地もございませんでしたで」 「空井戸といったが、深さは」 「それがえらい深い空井戸で、八、九丈もございましょうか」 「水はないな。……いやしかし、もはや柴進《さいしん》どののお命はなかろう。食べ物がないだけでも」 「いえ、だんなさま」と、老吏はこのとき初めて自分の良心を公《おおやけ》にいえるよろこびに慄《ふる》えながら言い出した。「……まだまだ、そこはわかりませぬ。死んでいるとはかぎりませぬ」 「どうして」 「じつはその、多年獄吏をやってきた罪ほろぼしにもなろうかと、獄飯《ごくはん》やら何かの食い余りがあるたび、紙にくるんではそっと空井戸の底へ投げやっておりましたんじゃ。……が、それもお城の落ちた日からはそれどころでなくなり、以後はやっておりませんでしたがの」  するとそのとき、頓狂な声の下に、呉用の後ろから躍り出して、言った者がある。 「宋《そう》司令。なにをグズグズしてるんだ。そんな老いぼれ相手に、首を傾げてばかりいたって始まるもんか。あっしを空井戸の底へやっておくんなせえ」 「や、李逵《りき》か」 「こんどのことの発頭人はこの李逵だ」 「なお、その自責を忘れぬだけは賞讃にあたいする。しかし」 「しかしもくそもねえ。底へ行って見届けるのが一番早《は》ええじゃありませんか」 「いやその方法だ。どうして八、九丈もある地底へ降りて行けるかの」 「まかしておくんなさい」  李逵はどこかへ飛んで行った。と思うと手下の兵に、大きな竹籠や麻縄《あさなわ》をかつがせて再び林の奥へやって来た。——すでに牢番藺仁《りんじん》のみちびきで、呉用、宋江、そのほかも空井戸の口をめぐり合い、中を覗《のぞ》いて、その底知れぬ深さに暗澹《あんたん》と顔見合せている態《てい》だった。 「さ。退《ど》いた退いた!」  李逵は意気込んで言ったものである。 「やいやい。そこらの手頃の樹を伐《き》り仆して来い。そして空井戸の上へ三叉《みつまた》を組め。それへ竹籠の麻縄をかけるんだ。……なに、籠をどうするのかッて。べら棒め、飾り物じゃあねえ。俺がその中へはいって井戸の底へ降りて行くんだ。黙って俺のさしず通りにしろい」  いうやいな、李逵は衣服をかなぐり捨て、顔より真っ黒な丸裸となって、はや竹籠の中にうずくまる。——それを見ると、みんなクスクス笑った。黒面《くろんぼ》猿《ざる》がチョコンと揺籃《ぶらんこ》に乗ったような恰好に眺められたからである。しかし宋江のみは、彼にしても罪を償《つぐな》わんとする責任感はかくも強く持っているのかと、ちょっと瞼《まぶた》を熱うして。 「妙案妙案。出来《でか》したぞ李逵。——だが百尺の地底からでは声も合図もとどくまい。その辺へ銅鈴《す ず》を二ツ三ツ括《くく》り付けてゆけ。銅鈴が鳴ったら上から綱を引き上げてやる」 「合点だ。たのんまッせ」  はやスルスルと綱は下ろされた。そして降りて行けども行けどもまだまだ底へは達して来ない。そのうちにぶらんと途中で止まってしまった。李逵は仰向いて呶鳴ッた。 「やアーいっ。どうしたんだよウっ」  すると、上では、おそろしく遥かな声で。 「一ト休みしてろやアい。綱が足《た》りなくなったから、いま取りにやったんだよウっ。——繋《つな》ぎ足したらまた下げるからなアっ」  やがてやっと、李逵のお尻がどすんといった。——李逵は竹籠を這い出し、そこらの冷やっこい岩肌を撫でまわした。案外ひろい。水溜《たま》りもある。するうちに、ぐしゃっとした物に触った。人間にちがいなかった。恩人柴進《さいしん》さまか。大旦那、大旦那と、耳のそばで呼びつづけてみた。  返辞はない。しかし、かすかに呻《うめ》いた感じがする。  しめた。李逵《りき》は夢中になった。吉報吉報。  彼は竹籠の中へもどって銅鈴《す ず》を鳴らした。スルスルスルスル。えいや、えいや。上へあがるやいな彼はあたりへ向って黒裸《こくら》の両手を宙《ちゆう》へ振ッて報告した。 「柴大人《さいたいじん》は生きてるぞ。まだ少しばかり体が温《あつた》かい!」 「では、いたのか。やれ、天はまことの人を殺しはしなかった」と、宋江以下、どよめきを明るくして「——ならば李逵、ご苦労だがもう一度降りてくれ。そしてこんどは柴進どののお体だけ竹籠に入れ、きさまは後から上がって来い」 「ようがすとも。造作はねえ」  勇躍、彼はふたたび井戸の底の人になった。そしていわれたとおり、柴進《さいしん》のからだをそっと竹籠の内へ抱え入れて、銅鈴を振鳴らす。鈴は、りりりん……と暗黒の地底を残して微かな光明の一点へさしてセリ上がって行く。それを仰ぎながら李逵は心から快哉《かいさい》を叫んだ。——ああこれで俺の過失も柴《さい》の大旦那の一命だけは拾って幾分かはまず償《つぐな》い得た、と。  一方、空井戸の上ではその騒ぎも歓びもただならなかった。  竹籠の引上げられる前に、宋江は人を走らせて、医師をここへ呼び迎え、すぐ柴進の体を診《み》させた。 「……この脈搏《みやく》なら」  と、医者は言った。一同いささかほっとする。  五体は傷だらけだが、致命的な深傷《ふかで》はまずないという。まなこは一度開いたが、またすぐ瞼《まぶた》を閉じてしまった。もとより気息もあるやなし。——打ち囲んで案じる人々の顔は、医師の一挙一動、また芥子粒《けしつぶ》ほどな銀丹《ぎんたん》(神薬)をその歯の間にふくませて、うまく喉《のど》へ落ちるかどうか。それさえ固唾《かたず》を呑む思いで、時たつのも忘れていた。  いや忘れたのはそれだけではない。まだ井戸の底に残っている李逵のことまですっかり紛《まぎ》れ果てていた。気がついた宋江が、 「そうそう、鈴も竹籠と一しょに上がってしまっている。さだめし李逵が喚《わめ》いているにちがいないぞ。早く上げてやれ」  と手下どもへ注意したので、急に、ああそうだったと、笑いどよめいたことだった。そこでさっそく次の段取りにかかったが、ほどなく空井戸の口から飛び出して、ここへ立つが早いか、かんかんになって怒ったのはその李逵である。半刻《はんとき》(一時間)の余も井戸の底から上へ呶鳴りつづけていたらしく、精も根《こん》も切らして泣きベソを掻いていた焦躁《しようそう》が声の嗄《か》れにも分って憐《あわ》れにもまたおかしかった。 「やいっ、何がおかしいンだ。ふざけやがってよ。俺を忘れるッて法があるか。俺だって命は可愛いいんだぞ。ひでえや。宋先生も呉用軍師もここにいながら」 「まあまあ李逵、そう怒るな。おまえは人いちばい達者だから、つい安心されるのだ」 「どうせそうでしょうよ。柴《さい》大人のお命が黄金なら、俺なんざ、屑鉄《くずがね》だ。虫ケラ一匹とも見られていないにちげえねえ」 「ひがむな、黒旋風《こくせんぷう》の名が泣くぞ」 「もう井戸の底で、さんざッ腹《ぱら》泣いちまッたい」 「わはははは。いや勘弁しろ勘弁しろ」  この日、柴進《さいしん》の療養に万全をつくす一方、城内の倉庫から山の如き財宝を取出させた。すべてこれは先に官へ没取された柴進と柴皇城家《さいこうじようけ》の物である。それを奪《と》り返し、また併《あわ》せて武具馬具などの分捕《ぶんど》り品を二十余輛《りよう》の車馬に積ませて、 「李逵《りき》、雷横《らいおう》、戴宗《たいそう》、公孫勝、そして新入りの湯隆《とうりゆう》の五名は、ひとまずこれを送って梁山泊《りようざんぱく》へ帰れ」  と、あくる日、先発させた。  そのうえで、宋江と呉用とは、高唐《こうとう》州城の処理を終った。窮民には穀や物を施《ほどこ》し、旧高廉《こうれん》の部下で、悪評の高い二、三を捕えて町中で斬《ざん》に処し、また囚《とら》われていた柴家《さいけ》の眷族《けんぞく》や、病人の柴進は、これを車仕立ての内にいたわり乗せて、やがて全軍をそろえ、凱歌をのこして、山東梁山泊の大寨《たいさい》へ、意気揚々ひきあげて行ったのだった。  泊《はく》の山上一帯は、これを迎えるに、どよめき立って、歓呼をあげ、さらに当夜、また、翌日へかけての、慰労の宴など、お祭り気分に染まったのもまたいうまでもない。  柴進のからだも日ごとに元の健康に復し、総統の晁蓋《ちようがい》以下は、あらためて、彼にこの累難《るいなん》をかけた罪をふかく謝した。しかし、こうなったのもまた天意によるかと、柴進はあえて咎《とが》めず、かえって一同の義気を謝し、一同に請《こ》われるがまま、大寨《たいさい》の見晴らしのいい所へ建てられた一邸にそれからは住むこととなった。げにも浮雲《ふうん》の人生、人事測《はか》り知れないものがある。 禁軍の秘密兵団、連環馬陣《れんかんばじん》となること  ここは開封《かいほう》東京《とうけい》の首都、城《べんじよう》の九重《ここのえ》。  かつての殿帥府《でんすいふ》ノ大尉《だいい》(近衛ノ大将)高《こうきゆう》は、さらに人臣の位階を極めていまでは大宋国《たいそうこく》総理の地位にあった。——もとはこれ市井の間漢《かんかん》、一介の鞠使《まりつか》い高《こうきゆう》の出世したものである。人事《じんじ》測《はか》り難《がた》い一証はここにもあった。  景陽宮の深殿《しんでん》は、ここ燿《かがや》く祗候《しこう》ノ間《ま》だった。出御《しゆつぎよ》の金鈴《きんれい》がつたわると、ほどなく声蹕《せいひつ》の鞭《むち》を告げること三たび、珠簾《しゆれん》サラサラと捲き上がって、 「高。何事の急奏《きゆうそう》なるか」  と、そこの玉座から微妙道君《みみようどうくん》風流皇帝、宋朝八代の天子徽宗《きそう》のまろいお声であった。 「はっ。……」と高は伏して。「一《いつ》ときたりと打ち捨ておかれぬ大事ではありますが、叡慮《えいりよ》を騒がし奉るだん、なんとも恐懼《きようく》にたえませぬ」 「まあ、申してみい。またも禁軍の輩《やから》の私《わたくし》喧嘩《げんか》か」 「さにはあらで、天下の乱兆《らんちよう》にござりまする」 「乱兆? それは容易ならん沙汰じゃないか」 「かいつまんで申し上げまする。昨暁来、高唐州及び東昌、寇州《こうしゆう》の地方より頻々《ひんぴん》たる早馬や落去《らつきよ》の地方吏が門を打ち叩き、梁山泊の賊徒のために、州城は蹂躪《じゆうりん》され、国財もことごとく奪われ、あまつさえ州の奉行高廉《こうれん》は虐殺《ぎやくさつ》されたとの報《し》らせにござりまして」 「なに高廉。高廉といえば、たしかそちには、いとこにあたる者ではないか」 「さようにござりまする。——が、縁者の一個《ひとり》が殉職《じゆんしよく》などは取るに足りません。憂うるところは、これが天下に及ぼす騒乱の緒《ちよ》をなしては一大事と存ずるのです。すでにその水泊の賊徒は、先には済州で官軍に手抗《てむか》い、江州無為軍《むいぐん》でも大騒擾《だいそうじよう》をおこし、以後いよいよ、賊寨《ぞくさい》を強大にしておるもの。いまにして平《たいら》げずば、国の大患《たいかん》となりましょう。伏して、ここに聖断を仰ぎ奉る次第にございまする」  徽宗《きそう》皇帝は、びっくりしたようなお顔だった。——今も今とて、宮中の宣和画院《せんながいん》で、当代の帝室技芸員格の画家を集めて、天子ご自身も絵絹を展《の》べ、美しい侍嬪《じひん》に絵の具を溶《と》かせ、それらの中でご自慢の絵筆に画魂《がこん》をうちこんでいたところなのである。——このたのしい平和に盈《み》ちた地上のどこにそんなあぶないことが起っているのかと、むしろ不審にたえぬらしい、おん目をしばだたかせているのだった。 「たいへんだね、それは」 「まことに容易ならん異変にござりまする」 「高《こうきゆう》、どうしたらいい。思うところをいってみい」 「良き将軍に、勅をお降し賜わって」 「良き将軍には、誰がよいのかね」 「目下、汝寧《じよねい》におる呼延灼《こえんしやく》に如《し》く者はございません。——彼は河東《かとう》における開国ごろの名将呼延賛《こえんさん》の末裔《まつえい》で、兵略に通じ、よく二本の赤銅《あかがね》の鞭《むち》をつかい、宇内《うだい》の地理にもあかるく、梁山泊征討の任には、打ってつけな武人かとおもわれます」 「ではすぐ枢密院《すうみついん》へ、朕《ちん》の旨を申し、汝寧《じよねい》からその者を呼びよせい」  汝寧の地はかなり遠い。なれど俄《にわか》な勅を拝した呼延灼《こえんしやく》は、ただちに任地から馳《は》せ上り、着いた日、まず、高《こう》総理の衛門府《えもんふ》に駒をつないだ。 「ようぞ早くに」  と、高はみずから迎え、このたびの大役と聖旨《せいし》をつたえ、 「足下は、人も知る開国の功臣たる将軍の玄孫だ。再び、朝野《ちようや》に名をあげ給え」  と、その夜は公邸で歓待し、翌日、伴って徽宗《きそう》皇帝に拝謁の儀をとらせた。  呼延灼《こえんしやく》をごらんあって、徽宗もたいそう頼もしがられた。風貌、物ごし、音声《おんじよう》、まさに万夫不当《ばんぷふとう》の骨柄《こつがら》である。「よき手柄せよ、勝利のあかつきには、さらに重賞せん」と仰せあって、とりあえず彼への門出祝《はなむけ》に、  雪烏騅《てきせつうすい》  と号する秘蔵の名馬を下賜された。  烏騅《うすい》とは、総身、まるで烏の濡れ羽色していたからで、蹄《ひづめ》だけが白かった。馬卒はこれを“雪《ゆきけ》り烏騅《うすい》”ともいっていた。 「総理。あなたのご推挙を感謝します。まことに今日は面目をほどこしました」 「なんの。貴公の面目はこれからでなくてはならん。ところで呼延氏《こえんうじ》、さっそくご発足だろうが、準備として、何か求められるものはないか」 「大いにあります。聞説《きくならく》、敵の梁山泊も昨今では一大強国ほどな兵備もあるよし。討つにはまず士気の上におく大将、次に装備で」 「その将たる器《うつわ》の者のお心当りは」 「目下、陳州《ちんしゆう》練兵場で指揮官をしておる韓滔《かんとう》。これは百勝将軍とよばれていますが」 「ほかに」 「もうひとり、あだ名を天目《てんもく》将軍とよばれ、今、潁州《えいしゆう》の練兵指揮をやっている彭《ほうき》。この二人を左右の腕にもてば、たとえ水泊の草寇《こぬすびと》など何万おろうと、不日、きれいにかたづけてごらんにいれる」  朝《ちよう》を退出してきた晩の総理邸での話だった。高《こうきゆう》と彼とはあくる日、禁軍の練兵場で閲兵《えつぺい》をすまし、その足で枢密院へ行き、すぐ軍機の相談となったあとで、 「——陳州の韓滔《かんとう》、潁州《えいしゆう》の彭《ほうき》、その二軍人へ、ただちに召致《しようち》の内命を発していただきたい」  と申し入れた。そしてこの両名もやがてまもなく着京した。あとは兵数如何《いかん》。また装備如何。それを余《あま》しているのみだった。  兵員は呼延灼《こえんしやく》として、騎兵三千、歩兵八千、輜重《しちよう》工兵二千五百、伝令及び物見組約五百。すべてで一万四千人を要求した。 「よろしい。むしろ少数に過ぎはせんか」  と、高はちっとも驚かない。だが一驚を喫したのは装備の方の請求だった。  よろい三千領、かぶと五千箇、かたな、長槍三千余本、鉾《ほこ》、なぎなた五千丁《ちよう》、弓、楯《たて》などは数知れずだ。このほか火砲、石砲、戦車。さらに禁軍武器庫に眠っていた大量な“網鎖《あみぐさり》の馬鎧《うまよろい》”までぞッくり装備に積んで行った。  そしてこの呼延灼、韓滔《かんとう》、彭《ほうき》の三大将軍がひきいる三軍、あわせて一万四千の豼貅《ひきゆう》(猛兵)がいよいよ都門をたつ日の旺《さかん》な光景といったら形容のしようもない。凌雲閣上《りよううんかくじよう》、天子もみそなわし、衛府《えふ》以下八省の官人、満都の群集も堵《と》をなして、花を投げたり爆竹を鳴らしたりした。あわれむべし、ここの庶民は、梁山泊が庶民の味方とは何も知っていない。ただ聞くがまま残忍無比、鬼畜同様な乱賊とのみ聞いている。  このあいだに、初春《は る》をまたいで、野は残雪まだらに、若草の浅みどりを呈していた。大陸の霞《かすみ》は渺《びよう》として果てなく、空ゆく飛鴻《ひこう》はこれを知らなくても、何で梁山泊の油断なき耳目《じもく》がこの情報をつかまずにいようやである。 「……ま、ご意見もいろいろ出たが、こんどは一州一県の田舎《いなか》城《じろ》を揉《も》みつぶすのとは、ちとわけが違う。熟慮を要そう。慎重が要《い》る」  今日もここでは評議だった。大寨《たいさい》の聚議庁《ほんまる》である。晁蓋《ちようがい》、呉用、宋江——おもなる領袖《りようしゆう》と山将のほとんどが顔をそろえている。 「軍師。さっきから再三ここで、軍師軍師と声をかけてるのに耳をすっぽかしておいでなさる」 「李逵《りき》か。なんだ」 「禁門軍の一万や二万がなんですえ。あっしを先鋒《せんぽう》にやっておくんなさい」 「気のどくだが、きさまの二丁鉞斧《まさかり》ぐらいではの」 「歯が立たねえッていうんですか」 「こんどの歩騎《ほき》総指揮官は、河東の名将、呼延賛《こえんさん》の玄孫灼《しやく》だ。左右両翼の将軍も名だたる人物。うかとはかかれん。宋《そう》先生には、まだご発言もないが」 「いうほどな名智も出ません。しかし待つよりは、野戦に出る。そして野戦は正しく相手の力を見せましょう。一応、そう考えられるが」 「同感です。ならばこの戦法と配列ではどうでしょう」  呉用がさいごの案を出した。  それによれば、まず霹靂火《へきれきか》の秦明《しんめい》の隊を先鋒に出す。つづいて豹子頭《ひようしとう》の林冲《りんちゆう》、小李広《しようりこう》の花栄、一丈青《いちじようせい》の扈三娘《こさんじよう》、病尉遅《びよううつち》の孫立《そんりゆう》——などを二番三番と順次に置く。  これが、車輪となって、入れかわり立ちかわり、敵陣の先頭を打つ。  みだれに乗じ。  右翼五将の五隊。  左翼五将の五隊。  つまり十隊二陣が鶴翼《かくよく》となって敵をつつむ。そしてまたべつの二隊は舟軍として水路を行き、敵の想像もなしえぬ地点から上陸して虚《きよ》をさらに衝《つ》くという兵略だった。  大寨《たいさい》の泊兵《はくへい》はただちにこの兵図式のもとに泊を離れて遠く平野に出て行った。見れば、かくあらんと、敵は察知していたかのようである。柵《さく》を打ち、木戸を設け、地雷を伏せ、堅陣厚く、 「来たか」  と、剣戟《けんげき》の白いさざ波立てて、一瞬は揺《ゆ》らいだが、びくともしたさまではない。  対陣半日。はやくも気みじかな秦明は、馬を躍らせて、敵前へ立ち、 「ここらは生きた人間のいる所。なまぬるい都の風は吹いておらんぞ。何しに来たか、貢税《みつぎ》肥りの盗《ぬす》ッ人《と》めら」 「やあ、賊の一匹か」  と、官軍三大将のひとり韓滔《かんとう》は、その怒りを白馬に乗せ、くろがねの鎧《よろい》、朱纓《しゆぶさ》の馬かざり、手に長槍をかまえて、 「うごくな、賊」  と突ッかけて来た。  将と将との一騎討は、賭《か》け物《もの》である。賭けにはそれ以外な者の手出しはゆるされない。兵はその間、かたずをのんで勝負ノ場をただ見まもっているだけなのだ。声援として折々には両軍どッち側からも、わあああ、という喊声《かんせい》だけは風《つむじ》のように巻きあがる。  勝負は果てしなく見えた。  いや韓滔《かんとう》には、百勝将軍のあだ名もあるくせに、どうもそろそろあぶなく見える。りんりたる汗が額《ひたい》から眼にながれている容子《ようす》など、こころもとない。 「韓滔《かんとう》、さがれ。その相手、おれがもらった」  代って出たのは、主将呼延灼《こえんしやく》だ。  白蹄烏毛《びやくていうもう》の名馬、“烏騅《うすい》”が泊軍の目をひいたこというまでもない。  二番手にいた林冲《りんちゆう》はそれを見るなり惚れ惚れした。「あの馬を人手には」と思ったのだろう。彼が得意とする丈八の蛇矛《だぼう》が馬首ひくめて進んで行ったかと見るまに、 「秦明《しんめい》、すこし休め」  と、灼《しやく》の前にたちふさがった。 「おおっ、むかし禁軍にいた豹子頭《ひようしとう》か。あわれや、泥棒仲間へ落ちたおちぶれ者」 「なにを、廟堂《びようどう》の冷や飯食いめ」  発矢《はつし》。  空《くう》を切った閃光《せんこう》に何かが鳴った。  しなやかなこと、鯨《くじら》のヒゲの如き薄銅《うすがね》の長い二本の鞭《むち》だった。鞭には西域模様《せいいきもよう》の金銀象嵌《ぞうがん》がちらしてある。  これを使う妙技は天下呼延灼《こえんしやく》あるのみなので、不思議な武器と相手に立つものはみな初手《しよて》に大いに惑う。また防ぎようも見いだせない。——ひゅっと鳴って伸びるとおもえばスッと引く。あるいは輪をなし、あるいは波を描く。——林冲《りんちゆう》もいくたびとなく蛇矛《だぼう》をからめ取られんとした。しかし、灼《しやく》にすれば、敵の蛇矛も息つくひまもないものだった。相互、炎の息となっている。  ところへ、第三の控え、花栄《かえい》が陣をくり出して来た。そして林冲に代ったのである。林冲は一ト息つく。それをしおに、呼延灼もまた、 「おととい来い」  と、林冲をうしろに、自己の中軍へ消えこんでしまった。無視された花栄は癪《しやく》にさわって、「……卑怯」と、呼延灼の姿を敵の中軍近くまで追っかけて行ったがもう見えない。寄りたかって来るのは、打っても張合いのない雑兵ばかりだ。 「木っ葉どもめ、花栄さまのお通りだ、そこ退《の》け、そこ退け」  蹴ちらしつつ自陣へもどって来る途中だった。はしなくも燦然《さんぜん》たる一将を見かけた。天目将軍《てんもくしようぐん》の彭《ほうき》にちがいない。三尖刀《さんせんとう》と称して四ツの孔《あな》に八つの環《かん》がさがっている大刀に血のしたたりをみせ、千里駿足の黄花馬《しろかげ》をせかせながら、 「ざまを見さらせ!」  と、逃げなだれた泊兵《はくへい》の勢《ぜい》を後目《しりめ》に自陣の方へ帰りかけるところだった。——それを見ると、休んでいた林冲がまた馬を躍らせて来て。 「待った。彭《ほうき》」 「や、うぬは」 「林冲」 「げッ、あの豹子頭か。高《こうきゆう》大臣ににらまれて、滄州《そうしゆう》へ流され、終身刑で刑地にいるはずの、あの林冲かよ」 「悪大臣の番犬めら。驚いたか」 「しゃッ、この日蔭者」 「日蔭者、痩せてはおらんぞ」 「高総理へよい土産《みやげ》だ。かッ、そのそっ首を」 「しゃらくさい」  ふたりは花栄《かえい》を入れなかった。馬と馬をめぐらし合い、閃々《せんせん》の光芒《こうぼう》をまじえ合った。  あたりの残雪は黒い飛沫《しぶき》となって、ふたりのよろい、かぶと、またその面までを胡麻《ごま》のようにした。  火を降らすこと二十合、また三十合、いずれが劣るとも見えない。そこへあだかも騎乗した飛天女《ひてんによ》のような戦袍《せんぽう》の裳《もすそ》、袂《たもと》をひるがえして、さっと割って入って来た女戦士がある。 「オ、一丈青か、あぶない、あぶない」 「いえ、林《りん》将軍。おさがりください。私の二刀がひきうけます」 「さまでいうなら」  と、林冲《りんちゆう》も花栄もパッと馬を一ト退《さ》げ退げて、 「久しぶりだ。扈三娘《こさんじよう》の双刀《そうとう》のさばきをここで見物しようか」  と、敵をゆずった。  たかが女とみていた彭《ほうき》は案外な思いにあせりを現してきた。しかもである。いつのまにやら勝負ノ場にはぐるりと泊兵ばかりが遠巻きにしていた。第五番手の病尉遅《びよううつち》もすでに手具《てぐ》すね引いてこれへ来ていたのだ。「これはまずい!」と、ややうろたえ気味な彭《ほうき》のからだが隙を作った。間髪を入れず、一丈青の一剣が飛んだ。それはサッと彭の交わすところとなったが、つづいて虹のごとき紅錦《こうきん》の輪索《わなわ》が彼女の手を離れた。錦の蛇が彭の首にからむかと見えたのである。せつな、病尉遅《びよううつち》の孫立《そんりゆう》が、 「それっ!」  と、手下の兵へ言った。その声と、どうっと、馬からころげ落ちた彭《ほうき》の地ひびきとは、ほとんど、秒の差もなかった。 「捕《と》った。さいさきは吉《よ》いぞ。官軍の一将彭はいけどったぞっ」  ここでは万雷のような勝鬨《かちどき》が上がった。とりことした彭は、ただちに泊兵の手で後陣へ遠く送りこまれる。  ただし、勝ち色に色めいたのは、全く、ここではのことだった。ほかを見れば味方の影は惨《さん》としてどす黒い。鶴翼《かくよく》も車掛りの陣形もはやあったものではない。支離滅裂だ。官軍の精鋭らしい中軍は、深く泊兵の陣を裂いて割りこみ、あたりに敵なき猛威をふるいぬいている。 「ああ、これはいけない」  林冲も病尉遅《びよううつち》も、おもわず嘆《たん》を発した。 「こっちの中軍にも、宋《そう》先生、呉軍師、そのほか、日頃の手だれもたくさんいるのに、まるで手込めにされているさまだ」 「どうしたことだ。この崩れは」  すると、先にとりこの彭《ほうき》を送って行った一丈青が、馬をとばして引っ返して来た。そしていうには。 「全軍、あとへ帰って中軍をかためてください。こう分散していれば、個々みなごろしになるおそれがあります。呉軍師の急命令です」 「軍師もやきが廻ったのか。いまさらここで陣替《じんが》えとは」 「でも、まったく思いもよらぬ奇計が敵にあってはぜひもありません。敵の騎兵隊です。敵には特殊な騎兵隊“連環馬軍《れんかんばぐん》”というのがあって、その三千騎が一せいに馳け入って来たのです」 「なに、なに。連環馬軍《れんかんばぐん》?」 「さしも泊中《はくちゆう》での豪傑たちさえ、それには当りうる者がありません。雷横《らいおう》、石秀、孫新《そんしん》、黄信《こうしん》、いずれも傷《て》を負い、蹴ちらされた兵といったら数えきれず、あの黒旋風の李逵《りき》までが」 「李逵までが」 「血まみれとなって、後陣へかつがれて行きました。ここの兵は少数、あなた方も、ひきあげねばあぶないと、呉軍師のご心配です」 「さても口惜しい。連環馬軍とはいったい何だ。まさか鬼神の騎兵隊でもあるまいに」  ともあれと、ここの者もいそいで中軍の陣地へ馳け争ッて行った。だが、中軍のいた地、すでに中軍の陣地でない。  見えるかぎりのものは、残雪の泥土と、るいるいたる死屍《しし》だった。破れた旗、いたずらに空《むな》しき矢柄《やがら》、折れた鎗《やり》、すべては泊兵の残骸ではないか。そして味方の影は、さらに遠くへまで退却しているのだ。  しかもこの大打撃を与えた官軍の大蹄団《だいていだん》は、すでに潮《うしお》の如く凱歌と共に自陣へ引いてしまったものとみえる。腥風《せいふう》いたずらに寒く、曠野《こうや》の夕風は青い五日月を無情の空に研《と》ぎすましているのみだ。  わずかに、宋江と呉用とは無事をえていた。しかし、敗陣、寂《せき》として声なしの有様である。林冲《りんちゆう》、秦明《しんめい》、病尉遅《びよううつち》などは、なぐさめる言葉もなく、ただ残念そうに、その前で首を垂れていた。 「軍師、勝敗は兵家の常とか、敵を知れば、また勝目を取る智略も出ようというものじゃございませんか。宋先生も、どうぞお心をとり直しなすって」 「林冲《りんちゆう》。よく言ってくれた。しかしこの敗《やぶ》れは梁山泊《りようざんぱく》はじめての傷手《いたで》だ。みなにすまん」 「兵略の誤算でしょうか」 「いや、一に連環馬軍の機動力を知らなかったことにある」 「いったいその馬軍というのはどういう性能の騎兵なので?」 「馬自体が鉄甲の戦車だといってよい。三千の騎兵を横列《おうれつ》に敷き、三十頭ずつを一ト組みに、鉄の連環でつなぎ合い、自信満々、二十隊三十隊で押してくる」 「それだけなら何も」 「そうだ、それだけなら驚くに足らん。ところが、討ちとった馬を調べてみたら、馬の一頭一頭、その全身は細かい網鎖《あみぐさり》でつつまれ、すべて蹄《ひづめ》のほかは鎧《よろ》われておる。騎上の兵もまた然《しか》りで、面《おもて》にまで薄金《うすがね》の面頬《めんぼお》という物をかぶり、全身、矢も立たぬ不死身の武装——。どうもそんなぜいたくな武装は、禁軍ならでは三千もの武者にほどこし難い。それに比べれば、わが泊兵のいでたちなどは、素裸でたたかっているのも同然だ。たたかえばたたかうほど、連環馬軍《れんかんばぐん》は功を誇り、味方はかばねを積むばかり……」 「へえ……」と、初めて知った敵の装備に舌を巻いて「それじゃあまるで鉄仮面《てつかめん》をかぶっている動物と素手で取ッ組んでいるようなもの。何かいい作戦はございませんかな」 「ない。まったくない」  ぽつんと、言ったのは呉用である。呉用の口からこれを聞いては、もうお仕舞いかと、林冲《りんちゆう》、秦明《しんめい》ばかりでなく、幕舎のとばりに影を投げている者、みなただ腕をこまぬいて、黙然たるばかりであった。そのとき、 「おう」  と、ふと思い出したように、 「一丈青。とりこの彭《ほうき》はどこへおいた?」  と、宋江がうしろを見てたずねた。 「彭の身でございますか。それなら彼の疎林《そりん》のうちに、きびしく番をつけて、どう暴れても、逃げることはないようにしておきました」 「そこへ案内してくれんか」 「斬るのですか」 「いいや」と、宋江は怪しむ人々の目へ言って、また呉用にむかい。「軍師、あのとりこの処置は、宋江におまかせ下さるまいか」 「おう、どうなと」 「一存でちと試みてみたいことがあります。では一丈青、彭のおるそこの疎林へ、みちびきを頼む」  と、彼は女戦士扈三娘《こさんじよう》を先に、ひとり幕舎を出ていった。およそ捕虜《とりこ》を見るなら、兵に命じて、曳《ひ》かせて来るべきが作法である。人々はみな宋江の意に不審をいだいた。血迷われたナと、その後ろ姿へ、ひそかな眼をやった者もなくはない。 さらに注《そそ》ぐ王軍の新兵器に、泊兵《はくへい》も野に生色《せいしよく》を失う事  彭《ほうき》はおどろいた。また疑った。  捕虜の身だ。殺されるものと観念しきっていたのである。——ところが、これへ来た宋江は、彼の縄を解いてやり、しかも礼を低く告げたのであった。 「将軍、さだめし心外でございましょうな。天子の軍をひきいて下りながら、武人として、こんな辱《はずかし》めに会われては」 「ぜひもない。時の運だ。武将にだって、運命はまぬがれ得ん」 「ですが、ご安心なさるがいい。われらはただ殺戮《さつりく》を好むものではありません。またあなたのような有能な士をいたずらに辱めようとも思いませぬ」 「待ってくれ。わしは擒人《とりこ》だぞ。なんでこんな待遇を君はとるのか」 「元々のこの宋江は、世間の凡《ただ》の一民です。無事なれば無事で暮らしていたかったのだが、たまたま、世路の難に会い、しばし水泊《すいはく》に拠《よ》って、その仲間のうちで、種々雑多な人間と知りあうことになりました。……そして彼らの生い立ち彼らの受難を聞けば、みなこれ、根は素朴善良な野性の民にすぎません」 「ちッ。なにが善良なものか。梁山泊《りようざんぱく》と名のある賊の集まりが」 「いや彼らでなくとも、人たれにも、魔心はあるものです。ただ彼らは賊心を抑える自制に弱く、反骨の方はやたらにありすぎる。そのうえにです。中央から地方末端の官吏にいたるまでの悪政が彼らを闇へ闇へと追いつめていた。——いうなれば、梁山泊という現代の悪の巣は、宋朝《そうちよう》政府の腐敗そのものが拵《こしら》えたといっていい」 「やめてくれ。この彭《ほうき》は天子の軍人だ。くそおもしろくもない」 「お聞きづらいでしょう。私とて天子そのひとに恨みもなし、敵対の意があるでもありません。その御方をめぐって天日を晦《くろ》うしている奸臣佞吏《かんしんねいり》、世を蔽《おお》う悪政の魔魅《まみ》どもが敵であるだけです。それさえ打ち払うなれば、いつでも水泊の巣を焚《た》き、頭《こうべ》をさしのべて、世に罪をわびる覚悟でいるのです」 「……ふウむ。ことばは立派だが?」 「信じて下さい。いやどう言ったってこれはお疑いだろう。ですからあなたを梁山泊へ送ることにします。しばらく泊中にいて、そこの男ども、組織、規律を目で見てくだされば自然判断がつくと思う。いつかまた、その上でお目にかかろうではありませんか」  こうして宋江はその夜ただちに彭の身柄に兵を付けて、前線から梁山泊へ送り込んでしまったのだった。  これは宋江らしい処分だが、しかし呉用そのほか、当夜の陣営に、髪をそそけ立てていた泊軍の領袖《りようしゆう》たちの間には、 「勝ってもいないこの敗け軍《いくさ》に、宋先生も、また、手ぬるいことをやってるものさ!」  と、必然な不満や嘲笑があったのは仕方もない。なにしろ、またもや次に敗北でも重ねようものなら、梁山泊の陸の一線はすでに危ないと観《み》るしかない実状なのだ。  早暁。  ここの陣立てはあらたまった。  きのうに懲《こ》りたので今日はいちばい重厚な構えで“五雲《うん》十風《ぷう》ノ陣”が組まれた。ひだりは林冲《りんちゆう》、一丈青の隊伍。みぎは花栄と孫立《そんりゆう》。まん中の先鋒隊が秦明《しんめい》である。  また、それを守る衛星軍としては。  随所に二百人ずつ十組の十風隊が、軍師呉用《ごよう》の指揮一つで変貌自在に敵へあたるという陣形だった。——が、やがてのこと——これほどな堅実さも、ほとんど、木の葉を並べたほどにも値しないことがすぐわかった。  ドドドドッ……遠くで起った地鳴りと共に、味方の頭上には火箭《ひや》、石砲、薬砲の巨弾が、雨となって落ちて来る。——こういう新兵器は朝廷の禁軍ならでは持っていないもので——実際に見舞われたのも初めてなほどだった。泊軍はただなだれを打ち、はや累々《るいるい》の死屍《しし》を出して、 「畜生っ。卑怯だぞ」 「これじゃあ戦《いくさ》にならねえ。官軍め。近寄って来い」  と、呶号し合ったが、しかしこれが官軍の戦である。いかに吠《ほ》えてみたって始まらない。 「ああ、これはいかん」  宋江は、慄然《りつぜん》とした。  さんざんな砲口の吠えが歇《や》んだと思うと、こんどは、精鋭な禁軍の弓箭《きゆうせん》陣が矢の疾風《はやて》を射浴びせてくる。さッとそれが分れると、次にはきのうも見た“連環馬陣《れんかんばじん》”の三千騎が、雲のごとく、不死身をほこる吶喊《とつかん》を起してきて、こなたの為《な》すなき混乱の中を、戦車にも似た猛威で馳け巡り、また蹂躙《じゆうりん》し抜く。  ついにまた、この日も泊軍は、総退却などという程度でない滅茶苦茶な逃げを余儀なくしてしまった。  それもである。——官軍の呼延灼《こえんしやく》と韓滔《かんとう》の二大将に追いまくられ、あわや宋江や軍師呉用すらが、あぶなく、殲滅《せんめつ》の危機に見舞われかけたほどだったが、 「軍師軍師。宋先生。逃げ退《の》きならこっちだこっちだ!」  と、瀬戸の葦間《あしま》から李逵《りき》と楊林《ようりん》が救いに現われたので、 「おっ、水軍は来ているか」  と、水岸へ目がけて走り、そこに船を並べていた味方の李俊《りしゆん》、張横《ちようおう》、張順、阮《げん》の兄弟らに助け取られ、いちはやく船へ移るやいな、鴨嘴灘《おうしたん》(梁山泊の水寨)のほうへ向って、からくも逃げのびられたものだった。  ふりかえれば、官軍の連環馬軍《れんかんばぐん》は、なおも水路の岸に沿って、追ッかけ追ッかけ、執拗《しつよう》に乱れ箭《や》を飛ばしてくるし、しかも船に収容された泊兵はいくらでもない。陸地にはまだ右往左往の捨てられたる味方の影が諸所諸方に望まれる。——宋江は惨《さん》として面を蔽《おお》った。これは梁山泊始まっていらいの大惨害、また、大危機ともおもわずにいられなかった。  いつも晴天の日ばかりはない。梁山泊にも泣きッ面《つら》を見る日はある。という戒心《かいしん》を彼らは今やいやというほど、どの顔にも顰《しか》め合っていた。 「なあに! これしきのことに」 「極まり文句だが、勝敗は兵家の常。負けたのは、俺たちの腕じゃねえ。敵にはあって、こっちにはねえ装甲馬《そうこうば》だの火砲のせいだ」 「そうだとも! 馬に鎖《くさり》かたびらを着せた三千騎の連環馬軍《れんかんばぐん》さえぶち破る策を考えれば——」  と、お互い、なぐさめ合ってはいたものの、泊中をつつむ悲愁の気、宛子《えんし》城の一帯をおおう敗色の深刻さ、それだけは、どうにもならない。  戦野へくり出した六千余の山兵のうち、帰りえた者は三分ノ一にも足らず、あまつさえ、頭目《とうもく》のなかの林冲《りんちゆう》、雷横、李逵《りき》、石秀、黄信《こうしん》らまでが、みな負傷して、かつぎこまれて来るという惨状なのだ。 「傷者《ておい》はみな山へ上げて養生させろ」と、総統の晁蓋《ちようがい》は、こんなときこそと、おちつきを示して、 「——宋《そう》先生も、おつかれでしょう。こんどはてまえが代って戦闘に当りますから、しばらくは聚議庁《ほんまる》で、お休みになってはどうで?」 「とんでもない。敗軍は私の責任だ」  宋江は応じなかった。——事実またそうしてもいられない。次の日には、すでに水泊の対岸には、官軍の旗がいたる所に見え出し、そして埠頭《ふとう》茶屋の石勇《せきゆう》、時遷《じせん》、毋大虫《ぶだいちゆう》おばさんなども、みな敵に追われて逃げ渡ってくる始末。——まさに、ここ梁山泊も、芦荻《ろてき》一水《すい》をへだてるのみで、ぐるりと、彼方の岸は、官軍の猛威に包囲され終った形とはなってきた。  ここに。——この捷報《しようほう》は早くも開封《かいほう》東京《とうけい》の城《べんじよう》の宮門へ飛脚されたので、天子徽宗《きそう》は大いによろこばれ、高《こう》総理に聖旨《せいし》をくだして、御感《ぎよかん》の状と、黄封《こうふう》の宮廷酒十瓶《とかめ》とを、征地の慰問に送らせた。  勅使いたる——  と聞いて、将軍呼延灼《こえんしやく》は副将の韓滔《かんとう》をつれ、みずから立って、これを陣門に出迎え、かつ戦果の報告では、 「賊どもの生け捕り五百余人は、不日なお宋江、呉用、晁蓋《ちようがい》らの賊首を搦《から》め捕《と》ッた上で、あわせて都へ送り、都門大衆の中において、首斬ッてごらんに入ればやと存じております」  と、誇らかに述べた。 「祝着《しゆうちやく》です」と勅使も、讃嘆《さんたん》を惜しまなかったが——「ところで、三将軍の内、彭《ほうき》将軍ひとりがここにお見えでないが?」 「さ。それだけが残念なので、……序戦、功を急いで深入りしたため、惜しいかな、賊に生け捕られ、梁山泊に繋《つな》がれています」 「や、あの天目将軍《てんもくしようぐん》が」 「いや必ず助け出してお見せする。ただしかし、梁山泊の地勢は、周囲すべて湖《みずうみ》なので、陸づたいには攻めかかれん。……で、ご帰京にさいし、総理府へひとつお願いの儀があるが」 「何ですか。お望みとは」 「禁軍武器庫の副史《ふくし》で、かつ、砲手師範を兼ねている凌振《りようしん》——一名を轟天雷《ごうてんらい》——ともいう廷臣《ていしん》がおります。これに彼が望むところの兵士と砲をさずけて、急遽、戦地へおつかわし願われますまいか。さすれば、賊巣《ぞくそう》の根絶は、易々《いい》たるものにござりまする」  勅使は、帰京するや、さっそくこれを総理高《こうきゆう》につたえ、高は帝のみゆるしのもとに、衛府《えふ》、および禁軍武器庫、それぞれの文官武官に命じて手順をとらせた。  すでに宋朝《そうちよう》末には、火箭《ひや》、石砲のほか、火薬による爆雷術なども発達しつつあったのか。ここに召出されて、即刻、征野へいそいで行った轟天雷《ごうてんらい》凌振《りようしん》の軍隊をみるに、その装備には驚目される。  砲型は三種あり、その第一が風火砲《ふうかほう》、第二が金輪砲《こんりんほう》、第三が母子砲《ぼしほう》。それの砲架《ほうか》は脚立《きやたつ》式で、砲身は台座に乗って、どっちへもうごく仕掛けになっている。  そしてこの砲兵隊の半数は、輜重《しちよう》馬車、幌《ほろ》馬車、鉄甲車などだった。戦力、思うべしである。——意気揚々、前線につき、待ちかねていた呼延灼《こえんしやく》をよろこばせ、その大歓迎のもとに、当夜は陣中で、酒盛りが催された。  あくる日、凌振《りようしん》の手並は、実証された。——湖畔からつづけさまに、轟然《ごうぜん》、三発の砲口が鳴ったと思うと、二発は水面で水柱をあげたのみだが、一発は鴨嘴灘《おうしたん》をこえて、水寨のやぐらを粉砕した。  それからは、命中率もだんだんに増してゆき、夜に入るや、泊中二、三ヵ所に火災が望まれ、終夜、水も燃ゆる紅《くれない》だった。 「はははは」と、呼延灼《こえんしやく》は小手をかざして笑った。 「凌砲手《りようほうしゆ》。さすがだな。賊の巣は、四面が水、いまに逃げ場を失うだろう」 「いや島は広そうだ。いずれ頃合いを見て、押し渡らねば、みなごろしには出来ますまい」 「どれ、いまのうちに、兵糧でも」  言っているところへ、一角の葭《あし》の洲《す》から、物見の兵が「——大変だっ」と、急を告げて来た。暁闇《ぎようあん》の靄《もや》のうちから、泊兵の水軍が舳艫《じくろ》をならべて、これへ接岸して来る模様だ——と絶叫する。 「待っていた」と、呼延灼《こえんしやく》は言った。「——どうせ、やぶれかぶれと、打って出て来たにちがいない。こっちは船手不足のところ、渡りに船だ。船を分捕《ぶんど》れ」  水陸入り乱れての接戦は小半日に及び、大軍の壁にはばまれた賊の水軍は、またぞろ、快艇《はやぶね》三ぞう、小舟十七、八そう、大船一隻をそこへ捨て、あと数十そうは、影をみだして、水寨の方へ逃げはじめた。 「今だ!」  と、凌振《りようしん》は思った。砲手の働きは、味方の掩護《えんご》でしかない。自分にしろ梁山泊《りようざんぱく》を実地に踏んで賊首の二ツ三ツは都の土産《みやげ》にしなければ軍功になるまいと逸《はや》ッたのである。  彼のこの逸り気を誘《おび》き出しに来た敵の水軍であったとは、如何《いかん》せん、後で分ったことだった。——とも覚《さと》らず、凌振は小舟で追ッかけ、逃げる敵の大船の中へ斬り込んだ。  これを見た呼延灼《こえんしやく》や韓滔《かんとう》の部下も、 「やあ、凌振にかんじんな戦功を独り占めにさせるな」  と、ばかり、水上へ乗り出し、ぐずぐずしている賊船を包囲して、われがちに乗りこんだ。しかもこの追撃に会うやいな、ぽんぽん、どの船の泊兵もみな蛙みたいに水けむりの下へ消えてしまったから、ほとんどの船上は、たちまち官兵と入れ代わりになり、そして舳艫《じくろ》はそのままなお梁山泊へと進んでいた。  ところが、どうしたことか。 「や、や、や?」 「船底から水が入る」 「船が沈む!」  騒ぎ立ったときはすでにどうにもならなかった。どの船も、どの船もである。いつのまにか、船底の栓《せん》が抜かれ、人間を山と盛ったまま傾き出していたものだった。  たねをあかせば、これは呉用軍師の神算鬼謀《しんさんきぼう》で、初めからこの一戦で勝つ気はなく、過日らい、さんざんな砲撃に悩まされた結果、 「——砲手の凌振《りようしん》一名をさえ失えば、敵の砲陣は空《くう》にひとしい。凌振を湖上におびき出して生け捕れ」  と、李俊《りしゆん》、張順、張横《ちようおう》などの、揚子江《ようすこう》生れの水馴れた者を選んで、この策をさずけ、一挙に出てきたものだった。  すなわち、船を捨てて飛びこんだ水中の影のうちには、水を潜《くぐ》ること河童《かつぱ》のごとき阮《げん》ノ三兄弟もいたのである。船底へくぐって栓《せん》を抜いたのももちろんこの者ども。そのため、溺れ去る官兵はかず知れずだが、そんな者には目もくれはしない。かねて目ざしていた凌振が、覆《くつがえ》ッた船から泳ぎ出したのを見るが早いか、 「おッと。この人、この人」  とばかり、阮《げん》小五、阮小七、阮小二また張順、張横らまで寄ッてたかって、水中の珠奪《たまど》り争いみたいに、凌振の体を手捕り足捕り捉《つか》まえてしまい、そしてやがてのこと、水寨の岸で水を吐かせると、すぐ山のうえへと、わっしょ、わっしょ、かつぎ上げて行ったのだった。  一時、したたかに水を呑んで、昏々《こんこん》の状におちていた凌振だったが、はっと気づくと、ここは宛子《えんし》城中の一閣、賊寨の聚議庁《ほんまる》、たしかに、虜囚《とらわれ》となった自分に相違ない。 「しまった!」  一方の扉を蹴って、外へ躍り出ようとすると、 「轟天雷《ごうてんらい》、どこへ」  と、目の前に立っていう者がある。 「やっ、君は」 「彭《ほうき》だ。まあ慌《あわ》て給うな」 「かねて君も賊の捕虜になっていたとは知っていたが」 「それでだ、話がある。——じつは統領の晁蓋《ちようがい》、宋江《そうこう》、そのほかのお頼みで、君を説いてくれとのこと。——どうだ轟天雷、君もここの仲間にならんか」 「ば、ばかな。……では何だな、君は潁州《えいしゆう》練兵指揮官という光栄ある官職もわすれ、いまでは賊徒に加盟してしまったのか」 「うむ。われながら、こうなろうとは思いきや——だ。しかし、おれは梁山泊をこの目で見て、その一員になったことを悔いていない。晁蓋は重厚な義人だ。宋江は世が世なればすずやかな賢人だ。そのほか、ここの人間は、義にあつく、仁を知って、お互いに情けを尊び、よく飼い、よくこれを養えば、決して悪鬼外道《げどう》の類《たぐい》ではない。外道《げどう》はむしろ、王府の都に、充満している」 「どうも変ったことをいうな。それがかつての、彭《ほうき》将軍だろうか」 「ともかく、座に着き給え、篤《とく》と話そう」  彭は、心から言った。さきに自分が宋江から説かれた通りを、今は凌振にむかって説得していた。——その熱意に、凌振も折れて、ついに同意を誓うに至った。——やがて両者は姿を揃えて、晁蓋、呉用、宋江らの並び居る所へ来て、 「今日よりは」と、拝《はい》を執《と》った。そして「——おゆるしがあるなら、お仲間のうちへ加えていただきましょう。しかし、心にかかるのは、都に残してある老母や妻子です。この悩みを慰《い》すべき道がありません」  と、悲しんだ。  宋江は、その手を取って、なぐさめた。 「お案じには及ばぬ。彭将軍のご家族も、当所へおつれすることになっている。あなたのご妻子も、併せて、かならず無事なご対面を計りましょう」  それからすぐ、呉用は、 「まずもって、彭《ほうき》、轟天雷《ごうてんらい》の二傑を泊中に迎え得ては、時しも非常ながら、一夜の祝宴はあってよかろう」  と、この夜は、わざと大祝宴を張って、近来とみに沈衰《ちんすい》しがちな山寨《さんさい》の士気に一振《しん》の気を吐かせた。  これで、敗北つづきの悲調の底からも、慨然《がいぜん》として、奮起の色が沸いた。その熱した頃を見て、宋江が言った。 「——砲手凌振《りようしん》はもうわれらの友だし、敵の陣で、なお怖るべきものは、連環馬軍《れんかんばぐん》があるのみだ。たれかあの鎖鎧《くさりよろい》で不死身にくるまれた馬とその騎兵隊を破る策は持たないか。あれば、いかなる者の言でも、謹んでその意見を聞きたいが」  しばし声はなかった。すると一党中でも、もっとも端の方にいた先ごろ新入りの湯隆《とうりゆう》が、 「あります! ありますっ」  と、突拍子もない大声で満座一同をおどろかせた。 「おお」と宋江は目をやって「——そう申すのは、李逵《りき》の手引きで先頃入った武岡鎮《ぶこうちん》の鍛冶屋銭豹子《せんびようし》の湯隆《とうりゆう》じゃないか」 「へい、その湯隆で」 「あるとは、どういういい智恵があるのか、こっちへ進み出て、一同の方々へ話してくれ」 「では、ごめんなすって。……どうもこう口幅《はば》ッたいことを申すようですが、あの連環馬軍《れんかんばぐん》ってやつは、どうでも、ある一つの武器と、てまえには従兄弟《い と こ》にあたるその人とを使わぬことには、破れッこはありません」 「ふム。そんな特殊な武器があるのか」 「あっしの親父祖父《じ い》も、家代々の打物《うちもの》造り、甲《よろい》、兜《かぶと》に限らず、その道では名工といわれた人。……わけて祖父《じ い》は、延安府《えんあんふ》の経略使《けいりやくし》、《ちゆう》閣下にはかくべつご贔屓《ひいき》にされ、どうして外敵が使っている連環《れんかん》の甲馬《よろいうま》をやッつけ得るかッてえなご相談にもあずかって、その結果、苦心工夫のあげく、“鉤付《かぎつ》キ鎌鎗《かまやり》”という打物を祖父《じ い》が発明いたしましたんで」 「ほ、それはどんな?」 「絵図では伝わっておりますが、実物はどこにもありません。それにまた、そいつを使いこなす段になると、天下唯一人、てまえの従兄弟《い と こ》しかないんでして」  そのことばの真ッただ中を、横からばっと薙《な》ぎ取って。——林冲《りんちゆう》が、突如、言った。 「湯隆《とうりゆう》。……その天下一人の人とは、近衛の金鎗組《きんそうぐみ》師範、徐寧《じよねい》のことじゃないのか」 「えっ、ご存知なので」 「知らないでか。拙者も元は禁軍の一人だ。都にいた頃は、よく武を談じ、技《わざ》を競べあったこともあり、たがいに畏敬《いけい》していた友人だったが、さあ……あの正真正銘の鉤鎌《かぎかま》ノ鎗の一人者を、どうしてここへ迎えうるかだ。そいつがちと、むずかしいて」 「いえ、よんどのことなら、ひとつここで無理な手をつかえば」 「……どんな手を?」と、ここで宋江がまた訊くと、湯隆がここでいうには。 「徐寧《じよねい》の家には、世に二つとない先祖伝来の宝があります。てまえも亡くなった父と東京《とうけい》見物に参ったさい、徐寧の家で見せて貰った薄ら覚えが残っていますが……なんでもそれは“鎗貫《ヤリトオ》サズノ鎖小札《クサリコザネ》ノ鎧《ヨロイ》”……とかいう物で、朱革《しゆがわ》ノ鎧櫃《よろいびつ》に入れ、いつも大事に、二階の天井裏に吊ッてある。つまり徐寧にとっちゃア命から二番目の宝。——どうでしょう。そいつを一つ巧くこっちの手に奪《と》り上げて口説いてみたら」 「むむ! 一案だな」  呉用が大きく頷《うなず》いた突嗟《とつさ》である。またも末座から剽軽《ひようきん》な声で、「——ほいッ、御用とございますなら、あっしを忘れちゃいけませんぜ」と人を分けて、こう名のり出て来た者がある。  鼓上蚤《こじようそう》の時遷《じせん》だった。 「おう誰かと思えば、梁上《りようじよう》ノ君子《くんし》(泥棒の意味)か。なるほど、時遷ならお手の物だろう」 「はばかりながら——」と、時遷は鼻うごめかして。「忍びにかけてなら!」 「よしっ、きさま、ひきうけろ」 「のみ込みました。ところで軍師。ほかのお手筈《てはず》は」 「いまそれぞれに役割を付けて申し渡す。——楊林《ようりん》、薛永《せつえい》、李雲《りうん》、楽和《がくわ》、それと湯隆《とうりゆう》。そしてもう一名戴宗《たいそう》も。——ずっと揃ってここへ列《なら》んでくれい」  呉用がたちどころに授けた一計とはそもどんな策か。一人一役、各の能《のう》に応じて割り振られ、ここに“宝盗み”の手だてと“徐寧《じよねい》抱き込み”の段どりはでき上がった。そして「物置のガラクタでも月日のうちには陽《ひ》の目を見る」の譬《たと》えで、まずは先陣の蚤《のみ》の時遷《じせん》、日頃にも似ず張りきって、一ト足さきに山をおり、開封《かいほう》東京《とうけい》の空をさして立って行った。 屋根裏に躍る“牧渓猿《もつけいざる》”と、狩場野《かりばの》で色を失う徐寧《じよねい》のこと  城《べんじよう》城下、花の都。冬ながら宋朝文化爛漫《らんまん》な千街万戸《がいばんこ》は、人の騒音と賑わいで、彩霞《さいか》、煙るばかりであった。禁裡《きんり》の森やら凌炯閣《りようけいかく》の瑠璃瓦《るりがわら》は、八省四十八街のその遠方《お ち》此方《こ ち》にのぞまれる。——で、この巷《ちまた》での一人の旅人時遷《じせん》のごときは、一匹の蚤《のみ》とも人目には映るまい。  ——その日、旅籠《はたご》を出た時遷は、城内の官庁街をうろついていたが、やがて太衛府《だいえふ》の横をぐるっと歩いて来て、 「もしもし、禁門の金鎗組《きんそうぐみ》ってな、どこを入って行ったらいいんです?」  と、往来で会った書記風の男にきいていた。 「組ではあるまい」と、書類を抱え直しながらその男は——「組の大きいのを班《はん》という。金鎗班《きんそうはん》なら彼方の一郭《いつかく》で、禁軍鎗隊《そうたい》の軍人ばかり住んでるところだ」 「その金鎗班のご師範、徐寧《じよねい》さんのおやしきもそん中ですか」 「班の門を入って、十字路のひだり側、そのうちで一番大きい黒塗りの門がそのお宅だよ」 「二階がありますか」 「へんなことを訊くな、きさま」 「いえなに。雨が漏るとかで、屋根瓦の葺《ふ》き換えをたのまれましたんでね」 「なんだ瓦職人か」 「へい、屋根屋なんで」 「二階もあるよ」  時遷《じせん》は、腹のうちで「まず、目ぼしはついた」と、取ッて返した。その日は旅籠《はたご》へもどって、忍び道具一式を調べ、さて晩になると、晩飯もたっぷり食い溜《だ》め、真夜半、出かけだしたものだった。  巨大な門も築土《ついじ》も、彼にかかっては何の用も果していない。時遷はいつのまにか大きな椋《むく》ノ木の梢《こずえ》に、栗鼠《り す》みたいに止まっていた。どこかの城楼で時の太鼓がにぶく鳴っている。丑満《うしみつ》すぎると何処もかしこも白々と霜がむすび、万象《ばんしよう》寂《せき》として声もない。ただ星のまたたきだけが、一個の黒い怪しい物の行動を見せていた。  その時遷の影も、いつのまにか、木の上にはない。枝から枝を這って、屋根へへばりつき、そこの二階の破風《はふ》を壊《こわ》して、もう天井裏にいたのである。  耳を澄ます。あるじの徐寧《じよねい》らしき人の声がする。妻、女中。階下《し た》と階上《う え》とを行き交《か》う足音。どうもここの家族は夜更《よふ》かしらしい。 「はてな? いまから飯の支度などいいつけているぞ」  時遷。こいつはおかしいと、考え直した。今夜は瀬ぶみ、どっちみち二晩三晩は、通うつもりでいたのだが、家族はこれから寝るのでなく、いま起きたような様子なのだ。……としたら、ひょッとして、今夜が機会になるかもしれない。さきの不運、こっちの天運と、時遷はなおも息をこらし、天井裏を注意ぶかく、撫《な》で、這《は》い、そして隙間をさがして覗《のぞ》いてみると、 「……ふ、ふ、ふ。……あるぜ、あるぜ。朱革《しゆがわ》の鎧櫃《よろいびつ》が、ちゃんと、天井に吊ッてあら。帰命頂来《きみようちようらい》、鼻の先だよ」  と、思わず北叟笑《ほくそえ》みして、天性の一種声なき快感にくすぐられていた。 「おや? ……」と、下では夫妻が天井を見上げ。 「なんだろ? へんにゴソゴソしなかったかい」 「いいえ、べつに、……鼠でしょう」 「鼠か。つまらん。……ところで飯はまだか」 「外はお寒うございますから、召使たちも、何か温い物を差上げようと、気をつかっているのでございましょう」 「天子さまのお狩猟《か り》で、今朝は暗いうちに宮門をお出ましだ。そんなことはいっておれん。早くしてくれ」 「でもまだ、お早過ぎるくらいお早いのに」 「ま、ひと口、酒でもくれ。それそこの瑠璃杯《るりはい》でいい。——これも先ごろの御《み》狩猟《か り》で天子から拝領の物だ。——現徽宗《きそう》皇帝陛下は、絵ばかり描いておられて、とんと軍事には御心をかたむけられぬ。それだから梁山泊《りようざんぱく》のごとき世を怖れぬ大盗の巣窟《そうくつ》も出来たりすると、高《こうきゆう》大臣のおすすめでな、このごろは朔風《さくふう》の野に御弓も持たれるようになってきたわけ。われら供奉《ぐぶ》の武官もいちばいここは励まなければ相成らん」  とかくするうちに、例のこの家《や》の黒門の方で、がやがやと人声がする。班《はん》の従兵たちが迎えに来たのらしい。屋敷の召使はそれらの者にも酒飯を与えて待たせておく。こなた二階の一室では、徐寧《じよねい》が早や供奉《ぐぶ》の盛装を着にかかっていて。 「奥方《お く》。留守中は屋敷廻りを気をつけろよ」 「ご心配なさいますな。わけて班のご門内ではありませんか」 「いやそうでない。わが家には、先祖伝来の秘宝があるだけに、たとえ物売りだろうが、よく気をつけてくれねば困る。わけて火の元の要心なども」  言いながら、徐寧は天井をまたふと見上げる。その愛着の容子《ようす》は、常住坐臥、寝てもさめても朱革《しゆがわ》の櫃《ひつ》の無事から寸分も心は離れない人かのようであった。 「行ってくる」  綺羅《きら》な狩猟《か り》扮装《いでたち》の良人に添って、妻も階下まで送りに降りて行った気配だ。——時遷《じせん》はスルスルと以前の破風《はふ》の穴から這い出して、こんどは二階の窓を窺《うかが》い、難なく、戸を外《はず》して中へ入り込む。動作の迅《はや》さ、まるで守宮《やもり》としか見えない。 「いけねえや……案外高い」  当然、吊ってある鎧櫃《よろいびつ》なので、おいそれと、手は届かなかった。そのうちに階下《し た》で、 「眠かったろうね。旦那さまももうお出ましずみだから、おまえたちも、もいちどお寝《やす》み」  召使へいっている妻女の声がする。しまった。まにあわない。時遷はふたたび窓の外へ出て窓をたてた。果せるかな。奥方はそれから独り二階へ来て、寝台の帳《とばり》を引き、やがて眠りについた様子。 「夜が明けては」  時遷《じせん》、気が気ではない。ふところから何か取出した。細い葦みたいな管《くだ》である。つないでゆくといくらでも長くなる。窓の隙間から内へ伸びて、その先が灯台へ近づいたと思うと、ふッと、ひとりでみたいに灯が消えた。帳《とばり》の内では気がついた風もない。  それからすぐどこか暗い大地のうえへ、ポト——と何か毬《まり》でも落ちたような軽い音がした。と思われてからやや後のこと。 「火事だっ」「火事。火事」と、一ト所の声でなく、あっちこっちで「火事だ、火事火事!」  これは時遷の、みずから名づけて、“擬遠《ぎえん》発声術”と称する奥の手。幾人もの声みたいに響き合い、それへ犬の吠え声まで交《ま》ぜてすることもある。  多くは、見つかった土壇場《どたんば》でやる遁走法だが、今夜の場合はそうでない。あわせて火遁法を使い、所持の油ボロを撒《ま》いて、徐家《じよけ》の浴室の裏、厨房《ちゆうぼう》の芥捨場《ごみすてば》、ほか一、二ヵ所に狐火みたいな炎がめらめら撒《ま》かれていた。  ドドドドッと、二階へかけあがった召使たちの声は口々にもう逆上《あ が》っている。「奥さま、奥さま!」「たいへんっ」「お早くしないと」「焼け死にますよ」  けれど、さすがは徐寧《じよねい》の妻だった。 「おまえたち、あわてるんじゃありません。わたしはいい。私はいいから、旦那さまが命から二番目としているあのご宝物。あれを早く天井から降ろしておくれ」  室内はまっ暗闇。うろうろまごまご。それ踏み台がない、いや人間梯子《ばしご》を組んで重ねろ。なんだかんだの大騒ぎで、目には見えずも、見えるが如きものがある。 「あっ、あぶない」  どすん、と聞えた物音は、誰か一人が鉤《かぎ》から外《はず》した鎧櫃《よろいびつ》をささえきれずに、手から離したものだろう。同時にまた、人間梯子《ばしご》となっていた連中も総もンどりを打ち合ってみな尻モチついたことらしい。時遷《じせん》もまた、その中にいたとは奇怪不思議のようであるが、彼はいつのまにか屋根窓から内へまぎれ入り、そして下男の似せ声を巧みにつかって、 「だめだ、だめだ。階下《し た》に火が廻ってたらどうするだ。階段から運び出すよりここがいい。ここからなら一番無事だよ!」  と、わッさもッさを退けて、遮二無二《しやにむに》、窓から屋根の外へ持ち出し、共にスルリと屋根上へ脱け出していた。いや出るが早いか、鎧櫃《よろいびつ》には必ず付いている荷担《にない》革《がわ》に双手《もろて》をさしこみ、それを背に負ったと思うと、もう例の破風《はふ》を足《あし》がかりとして、大屋根の天ッ辺に立ち、 「はははは。あばよ」  たちまち、椋《むく》の大枝に両手を伸ばした。そして、ぶらんと、牧渓猿《もつけいざる》のごとき曲芸を演じるかと見えたのもほんの一瞬。あとはどこを伝い、どこを跳び去ったか、根が白浪のお家芸の素迅《すばや》さ、それっきりもう行方は知れない。  開封《かいほう》郊外の離宮“龍符宮《りゆうふきゆう》”から十里の野は、御《み》狩猟《か り》の行幸《みゆき》に染められて、壮観な狩場の陣がいちめん展開されていた。  皇帝のお野立ち間近には、総理兼近衛大将高《こうきゆう》の陣と彼の床几《しようぎ》がある。そこへ、 「お願いにござりまする」  と、九拝して伏した一武士が見えた。 「お、金鎗班の徐寧《じよねい》ではないか。何だ願いの儀とは」 「ご遊猟中を、供奉《ぐぶ》の一員として、恐懼《きようく》にたえませんが、ただいま家より急な使いがございまして、妻が急病の由、告げまいりました。家族とては召使のほか、幼児一名あるのみ。数日の賜暇《しか》をおゆるし願わしゅうぞんじ奉りますが」 「なに、妻女が急病だと。それはいかんな。君辺《くんぺん》はさしつかえない。すぐ戻ってみてやるがいい」  徐寧《じよねい》は再拝してひきさがり、あとは班の各組頭に頼んで、ひとり城《べんじよう》の都門へ向って、金鎗を小脇に手馴れの馬を飛ばして帰った。  その間とて、彼の血相はただならない。妻の急病とは、公《おおやけ》へのてまえで、じつはかけがえない家宝の紛失を妻から知らせて来たのである。  寝耳に水だ。彼の華やかな紫の狩衣《かりぎぬ》、紅錦《こうきん》の陣半被《じんはつぴ》、纓《えい》に飾られた冠《かんむり》といえど、蒼白なその憂いにみちた面《おもて》には、すべて、悲調を強めるものでしかなく、珠を失った龍か、瑞雲《ずいうん》を奪われて荒地《こうち》に怒る鳳凰《おおとり》にも似て、焦躁《しようそう》、狼狽、哀れといっても言い足りない。 「ち。どうしたことだろう。いったい、どういうわけなのか?」  たちまち、わが屋敷。——この血相で妻をただした。だが、妻も召使も彼の前に打ち悄《しお》れ、泣いて詫びるのみである。火事騒ぎとかのいきさつ、前後の模様、事細かに訊き取ってはみたものの掴《つか》み得るところは何もない。 「さては、前々から狙われていたか。何奴かが忍者を使って、盗み奪《と》らせたにちがいない」  不覚だった。考えてみれば、日頃に思いあたりはいくらもある。  徐家《じよけ》の薄羽《うすば》ノ鎧《よろい》といえば、余りにも有名なので、諸侯の武門や将軍から一見を請《こ》われたり、ぜひ譲り受けたいなどの交渉は一再でなく、わけても大将軍花児王《かじおう》からは、銭《ぜに》三万貫の値さえつけて、数度の使者が来ていたほどだ。 「ああ、ご先祖にも申しわけない」  死んだ子の通夜を傷《いた》むような一夜が明け、次の日も、徐寧《じよねい》は茫然、腕拱《こまぬ》いて鬱《ふさ》ぎこんでいるばかり。すると、思いがけない客が、折も折、ぶらりと訪ねて来たものだった。 「お従兄《いとこ》さまの、湯隆《とうりゆう》とか仰っしゃるお方で」  と、いう召使の取次に。 「え。あの銭豹子《せんびようし》か」  なんと、あいにく浮かない日ではあったが、さっそく通して、久闊《きゆうかつ》をあたため、さて何用でと来意を訊くと、客の湯隆は、旅包みの中から、二タ竿の黄金、おもさ二十両を、そこへさし出して。 「どうも長いご無沙汰をしちまいましたが、願《がん》がかなって、やっとこんど東京《とうけい》へ出て参りましたので、今日はこれをお届けにあがりましたようなわけで」 「隆《りゆう》さん。何だね、この黄金《か ね》は」 「亡くなった親父のかたみでございますよ。臨終のせつ、父の遺言で、これは甥《おい》の寧《ねい》にやってくれといわれ、長いこと預っておりましたが、つい折もなくッて」 「へえ。叔父御《ご》から私へだって。——じゃあ叔父さんは、そんなにも、死に際まで、わしを思っていてくれたのか」 「どうぞお納めくださいまし。亡父の遺言を果し、てまえもこれで荷が下りました」 「かたじけない」と、徐寧は納めて。「……久しぶりだ、ともかく一献《こん》」  と、その夕は、酒となったが、自然、色にはかくせない徐寧の浮かぬ素ぶりに、湯隆がわけを訊くと、じつは云々《しかじか》、先祖には申し訳ないし、自分にとっては愛児を奪われた悲しみにも勝《まさ》る、かつは世間に聞えたらいい物笑い、いっそ鎗を捨てて坊主にでもなろうかと思っているところだ——という嘆息《ためいき》。  じっと、聞いていた湯隆は、さも同情の念にたえないように。 「……ああ、そんなわけでしたのか。そいつは飛んだご災難。てまえも小さい頃、親父に連れられてお宅へ伺ったとき、一度拝見させてもらった覚えがありますが、じゃあ、あれですね」 「むむ、今となっては、思い出すのも辛くなる」 「もうウロ覚えになってしまいましたが、たしか立派な櫃《ひつ》に入っていたようでしたが」 「羊皮の紅い革櫃《かわびつ》だ。縁《ふち》は雷紋《らいもん》の金箔《は く》押《お》し、四方の横にもまた精巧な彩画《さいが》で、牡丹の花に、毬《まり》遊びの獅子《しし》がえがいてある……」 「えっ。紅皮に獅子のもようですッて」 「隆さん。なんだって、そんな眼をするんだ」 「だ、だって。この眼を疑わずにゃいられません。ついゆうべ、見たばかりなんで」 「げッ、見た!? どこで見たのか」 「城外四十里ほどの村の居酒屋でしたっけ。……痩せッぽちの、眼の玉のするどい野郎が、のそっと入って来て、そいつもてまえのいた床几《しようぎ》の向う側で、オイ大急ぎで、酒と飯をくれと、せかせか呶鳴っていたんでさ」 「ふむ! そして?」 「見ると、その野郎が、いまいった通りな櫃《ひつ》を側へおいて、後生大事に片肱《かたひじ》を乗ッけています。はてな? 風態《ふうてい》にも似合わねえ立派な物を……と、ついジロジロ見てたもんですから、奴も気がさしたか、酒も飯もがつがつすまして、すぐ街道を東の方へ急いで行ってしまいましたよ」 「それだ! 隆さん。東へ行ったか」 「それとすりゃあ、しめたもンだ。今からでも追ッつける。野郎、足でも怪我《けが》をしたことか、後ろ姿を見たところ、跛行《びつこ》をひいていましたぜ」 「奥方《お く》っ。奥方《お く》っ」と徐寧は俄かに妻を呼んで——「いま隆さんから聞くと、かくかくの次第だ。すぐ旅仕度をそろえてくれ。隆さんも一しょに行ってくれるだろうな」 「行きますとも。男の人相は、ちゃんとこの眼におさめてある。さ……お急ぎなすって」  それよりは前のこと。一方では例の“梁上《りようじよう》ノ君子《くんし》”蚤《のみ》の時遷《じせん》。あの朝、首尾よく盗みとった一物をかついで、明けがた、早くも城外の草原を低い雁《がん》のごとく飛んでいた。 「おーいっ時遷、待った待った……」 「やあ、戴《たい》院長(神行太保《しんこうたいほう》ノ戴宗)じゃござんせんか」 「さっそく、荷をそこへ下ろせ。呉軍師が書いた狂言どおり、これから先の手順にも、きさまはまだ一ト役あるぞ」 「わかっております。どうか中身の鎧《よろい》は院長がお持ちなすって」  と蓋《ふた》を開けて、中の薄羽小札重《うすばこざねがさ》ねのよろいだけは、戴宗《たいそう》にここで預けた。——戴宗はそれを持って、独自の神行法で、すぐ梁山泊《りようざんぱく》へと急いでしまい、時遷は空櫃《からびつ》だけをかついで、その日、かねて諜《しめ》し合せていた街道茶店へ入って行った。  ここには、これも呉用の命で、湯隆が彼を待っていた。かくて時遷と湯隆との打合せは、事前に出来ていたのである。——すなわち、時遷は空櫃を負って、梁山泊までの陸路をただの旅人のように旅籠《はたご》泊りをかさねて行く。泊り先の宿屋の軒には、かならず目印《めじるし》として、白墨《はくぼく》でどこかへ丸を描いて残しておく。途中で休んだ腰かけ茶屋にも同様な印を残す。——というだけの段取りだった。  つまるところ、湯隆が徐寧《じよねい》の家を訪ねたのは、すでにこれらの諜《しめ》し合せをすまし、時遷とも一時別れ、さてあくる日、なに食わぬ顔して城内へ入って行った午後のことだったわけなのだ。そして徐寧の誘《おび》き出しも、まずは、ここにまんまと目的の半ばを達しかけていたもの——。  あれから二人は城外の街道を、東へ東へ、急いでいた。湯隆の目はたえず、白い丸印、白い丸印。 「あ。あった……」 「隆《りゆう》さん。何があった?」 「いえなに、その……茶店がですよ。あんまり腹が減《へ》ってきたので」 「じゃあ、一ト息つこうか」  ずっと入って、腹ふせぎに軽い物で一杯飲む。その間に、湯隆が茶店の亭主にこう訊ねたものである。 「じいさん。つかねえことを訊くようだが、眼のするどい、ひょろッと痩《や》せた野郎が、朱革《あかがわ》の鎧櫃《よろいびつ》を背負って通るのを見かけなかったかい」 「へエ、その男なら、昼、ここで休んで飯を三人前も食って行きなすったが」 「どっちへ」 「たしか東の方で」  徐寧《じよねい》は聞くやいな、先に立って。 「隆さん、急ごう!」  湯隆も思うツボと歩きにかかる。やがて宵のくち。白い丸印をまた見かけた。徐寧が夜道をかけてもというのを、まあまあと、ここで旅装を解いて一泊とする。——そして翌朝の立ちぎわ、あいさつに出て来た女将《おかみ》をつかまえて、湯隆がまた訊ねた。 「一見、人相のよくねえ男が、朱革《しゆがわ》の櫃《ひつ》をかついで、きのうこの辺を通らなかったかね」 「あらまあ、だんなさま、その人なら」 「どうしたと?」 「暗いうちに、宅を早立ちして行きましたよ」 「えっ、ここに泊っていたのか」  徐寧は地だんだ踏んだ。しかしその日の街道では、何も聞き知るところはなかった。湯隆も丸印を見なかったのである。  だが、次の日は、しばしば見かけた。そのたび湯隆は連れを誘って茶店へかける。すると何となく手がかりも聞く。——けれどそれが、いつも半日かわずか二タ刻《とき》遅れだった。かくてついつい幾日かを釣られて歩き、徐寧はいやが上にも、焦《いら》ついていた。 「ええ、くそいまいましい。今日ではや七日目。妻の急病と称《とな》えて、賜暇《しか》はいただいたものの、禁軍への届けもあれきり……。こりゃどうしたものだろうな」 「ま、寧《ねい》さん。そうご落胆にゃ及びますまいぜ。下手人のホシはついてることだし」 「けれど、こう何度も、鼻ッ先を掠《かす》めながら捕り逃がしているようではな」 「こっちも息が切れるが、逃げる野郎の方だって懸命にちがいねえ。ここが辛抱のしどころ。もう一ト息ってえところでさ」  すでに道は山東《さんとう》に入っており、冬の日も薄れだすと、楊柳の並木影は蕭条《しようじよう》と肌寒く、街道百里、人影を見ることも稀れ……。 「や、や、やっ? 寧さん、寧さん。体を伏せて隠れなせえ」 「な、なんだ。どうして?」 「野郎がいます。あんな所に」 「げっ、いるって」 「ほれ、街道沿いのひだり側。松林があって、チラと古廟《こびよう》の門が見えるでしょ」 「むむ見える」 「よくごらんなせえ。どうも夕陽のせいで眩《まぶ》しくッていけねえが、廟門《びようもん》の石段に腰をかけ、野郎が朱《あか》い櫃《ひつ》をそばにおいて、休んでいる風じゃござんせんか」 「おッ、しめた……」  なんの猶予《ゆうよ》があろう、もう徐寧はそれへ向ってすッとんでいた。湯隆もあとから一目散に馳けまろぶ。すでに先の徐寧は、ばッと、逃げかけた痩せ男の襟《えり》がみをつかんでいた。だが反撃を食ったらしい。とたんにそこの石段を、諸仆《もろだお》れに、ころころ転がりあっていた。 工廠《こうしよう》の鎚音《つちおと》は水泊に冴《さ》え、不死身の鉄軍も壊滅し去ること  じつは一場の狂言——梁山泊《りようざんぱく》の仲間が書いた偽計《はかりごと》とは——金鎗手《きんそうしゆ》の徐寧《じよねい》がここで気のつくはずもない。  街道の胡麻《ごま》の蠅《はい》みたいな一方の男は難なく捕り抑えたが、こいつもじつは梁山泊のひとり時遷《じせん》なのだ。  だが、徐寧をこれまで誘《おび》き出してきた徐寧の従兄弟《い と こ》湯隆《とうりゆう》とは、ちゃんと、筋書が出来合ッていることなので、時遷にしては大いに芝居はやりいいわけだ。 「あっ。……ア痛《て》、痛《て》、痛《て》。……そう首を締めちゃアしゃべれといっても、何もしゃべれやしねえじゃねえか。もう何でもいっちまうから、手をゆるめてくんねえ」  時遷の泣きッ面《つら》に、湯隆もそばからいった。 「徐寧さん、もう大丈夫だろうじゃないか。とにかく、そいつの言い分を聞いてみよう」 「よしっ、さあ吐《ぬ》かせ」と、徐寧は突ッ放して——「よくもわが家の宝、薄羽小札《うすばこざね》のよろいを盗み出しおったな。その朱革《あかがわ》のよろい櫃《びつ》がここにあるからには、下手人はうぬに相違あるまい。さ、白状しろ」 「するがね、大将、こいつは空《から》だよ」 「うそをつけ」 「嘘かどうか、蓋《ふた》を除《と》ってごらんなせえ」 「あっ、なるほど空《から》ッぽだ。中身のよろいはどこへやった! 隠しだてしやがると、素ッ首をねじ切るぞ」 「よろいはとうに泰安州《たいあんしゆう》へ行ってるさ。経略使《けいりやくし》の《ちゆう》の旦那のご註文でね!」 「ご註文だと。ひとの物を」 「金じゃあ売らぬ宝と聞いて、《ちゆう》の大旦那が李三《りさん》ていう泥棒の名人にいいつけてお宅へ忍び込ませたのさ。俺アその手伝いとして張番にくッ付いていただけだ。おれが犯人じゃあねえよ」 「でも。何で空櫃《からびつ》だけをてめえ背負《し よ》ってかえるのか」 「……この通り、逃げる途中で左の足首を挫《くじ》いてしまい、李三《りさん》の早足には追ッつけねえので、野郎が中身のよろいだけを持って、先に泰安州へ行っちまったというわけだ……。ア痛《いた》。……ちょっと曲げても足が痛む。……よろい櫃はそっちへ返すから、俺もここで押ッ放してくれ」 「待て。そうは問屋で卸《おろ》さねえぞ。……弱ったなあ、隆さん、どうしよう?」 「そいつを証人にしょッ曳いて、泰安州へ乗り込もうじゃありませんか」 「そして」 「李三《りさん》を捕ッつかまえる。もし李三が分らなかったら公沙汰《おもてざた》にし、経略使の《ちゆう》をあいてに訴訟するしか途《みち》はありますまい」  湯隆は頻りにすすめた。その間、チラと時遷《じせん》の目が、彼の眸《ひとみ》と怪しい交叉《こうさ》を交《か》わしたが、考え込んでいた金鎗手《きんそうしゆ》の徐寧《じよねい》はもとよりそれに気づきもしない。 「ムム、それしか途はあるまいなあ!」  そこで時遷をしょッ曳いて、さらに街道の旅をつづけた。朝は早立ち、夜も暗くまで歩いて、数日なおも、東へ東へと。  すると、幾日目かの昼である。空樽《あきだる》を積んで街道を行く空《から》馬車を先に見かけて、 「馬車屋のおッさん、どこへ行くのかね」  と、湯隆が追ッついて呼びかけた。  剽軽《ひようきん》そうなおッさんである。馭者《ぎよしや》台から振向いて。 「おいよ、おれかね? あきないで鄭州《ていしゆう》へ行き、泰安州へ帰るところさ」 「そうかい。そいつアちょうどいい。——こう、連れの一人が、跛行《びつこ》を曳いて、弱ってるんだ。乗せてッてくんねえか」 「また空樽《あきだる》が三ツ殖《ふ》えるわけかい。ま、乗んなよ。骨が折れるのは、わしではない、馬だからね」 「空樽扱いはひでえな」と、三人、さっそく空樽の間へ割り込んでそれへ乗り込み——「こう見えても、ふところは空じゃねえぜ。向うへ着いたら、駄賃はやるからな、おッさん」 「お礼は先に言っとくよ」  と、おッさんは、鞭《むち》を振り振り、口笛を鳴らし初めて、 「なるべく、たんまり酒代《さかて》が出ますように、ひとつ、退屈しのぎに、ごきげんを伺いやしょうかね」  と、ひなびた山東節《さんとうぶし》など途々《みちみち》歌い出した。これまた地方調ゆたかで、しかもすこぶる美声なのだった。  気は急ぐが、道は捗《はか》どり、それに馬車屋がおもしろい。  三日目ごろには、すっかり仲間気分に醸《かも》され、馬車屋のおッさんが、こう言いだした。 「おい、旅の衆よ。毎日わしの唄ばかりでも味気なかンべ。その赤丸の印《しるし》の小樽には泰安酒《たいあんしゆ》が半分ほどまだ残っているだよ。飲むなら飲まッせ。じつアわしの寝酒の分だがね」 「ほ……。酒があったのか。じゃあご馳走になるぜ」  ところで、この小樽の酒を、湯隆がどう巧みに、徐寧《じよねい》に飲ませ、時遷《じせん》にもやり、また自分も一しょに飲んでみせたか。  とにかく、これは麻睡《ますい》酒だった。——時遷、湯隆はなんでもなかったが、徐寧ひとりには、しびれ薬がまわって、彼は正体もなくよだれをたらしてやがて夢魔にひきずりこまれていた。  以後、どれほどな時間がたったか、彼はまったく知るところがない。——例の梁山泊のこっち岸で降ろされたのも知らず、船へ乗せられて水上を対岸へ送られた間も昏々《こんこん》たる姿だった。——そしてハッと目がさめてみると、あたりには見つけない男が居ならび、馬車屋のおッさんこと、じつは鉄叫子《てつきようし》の楽和《がくわ》も、従兄弟《い と こ》の銭豹子《せんびようし》湯隆も、また道中で捕《つか》まえた時遷もそのなかにいて、みなニヤニヤ笑いながら自分を見ている—— 「やや。ここは? ……。隆さん、いったいここはどこなのだ?」 「梁山泊の聚議庁《ほんまる》の一房です」 「げッ、梁山泊だって」 「かんにんして下さい、徐寧《じよねい》さん。じつはわたしも今では仲間の一人。——今日までのこと一切は、ここの軍師呉用《ごよう》先生が書いた計略《はかりごと》です。そしてわたしがあなたの従兄弟という縁故からあなたを連れ出す“誘《おび》き役《やく》”として参ったので」 「じゃあ、家宝のよろいを盗み出した盗《ぬす》ッ人《と》も」 「そいつは、時遷《じせん》がやったお家芸で」 「うぬッ、よくも」  奮然と、こぶしを握って、徐寧《じよねい》が突ッ立ちあがったとき、凜《りん》として、しかも猛《たけ》からぬ一ト声が、 「金鎗班《きんそうはん》のご師範徐寧先生、お腹も立ちましょうがしばらく待ってください。申し上げる仔細がある」  といった者がある。  それなん、座にいた宋江《そうこう》であり、ほか、晁蓋《ちようがい》、呉用、公孫勝などもみな居ならんでいたのだった。  宋江は、しずかに、事情を話した。  いま、梁山泊《こ  こ》は、官軍包囲の中にある。  戦えど戦えど、敵の呼延灼《こえんしやく》将軍——というよりは、その装備——連環馬陣《れんかんばじん》の猛威に会っては、何とも抗しうる法がない。  その連環鎖《れんかんぐさり》の鎧馬《よろいうま》をやぶるにはどうするか。それが山泊《や ま》の運命を今や決するところまで来てしまった。 「……為に、です」  と、宋江は礼を低うして徐寧へいう。 「あなたは、禁軍における鎗《やり》のご師範。そして家にお伝えの一流鉤鎌《かぎかま》ノ鎗の名人であるともうかがった」 「…………」 「よく連環陣の鉄騎を破るものは、その鉤鎌《かぎかま》ノ鎗を歩兵に持たせて戦うしか破る法はないとも、そこにおる湯隆《とうりゆう》から聞きました。……で、どうしても、あなたを山泊《や ま》へ迎える必要となったわけです」 「ばかなッ」と、徐寧は怒ッて。「どんな事情かしらぬが、勝手きわまる無茶な話だ。人の身を。人の運命を」 「その点は重々謝す」 「貴公も、義人宋江と、世に敬われているほどな人ではないか」 「決して、不義不仁を働くのではありません。山寨一同の志はいずれ胸をひらいて話しましょう。したが事は焦眉《しようび》の急です、背に腹はかえられず、あなたを偽《あざむ》いてこれへ迎え、鉤鎌《かぎかま》ノ鎗の製法、またその鎗のつかいかた、併せて二つを、ここの者へご伝授していただきたい」 「しかし拙者は宋《そう》朝廷の朝臣だ。妻子も都においてある」 「いやそのご家族も、一味の者が、すべてこれへお連れしてまいりましょう」 「えっ、家族までも」 「もはや開封《かいほう》の都では、あなたを班の脱走者とみなし、徐寧追捕《じよねいついぶ》の令が出ている。否といっても、あなたの帰る所はない」 「ああ、それはむごい。余りといえば騙《たばか》り過ぎる」 「ですが、ここには官軍方の彭《ほうき》将軍と凌振《りようしん》将軍のふたりも悪政府の旗を見かぎり、われらの仲間に入っています。……その二人から聞いて下されば、あなたが男の半生を託すに足る山泊《や ま》であるかないかもご分別がつくでしょう。とまれ、しばらくご休息をとって、後ほどまでにご決意をきかしてください」  宋江は言って立った。  晁蓋《ちようがい》以下の領袖《りようしゆう》たちも、わざとみな一時、座を去った。そしてそれに代るに、彭《ほうき》と凌振《りようしん》の二人が入って来た。  互いに、王城の禁軍では、顔見知りだった。意外な邂逅《かいこう》に、相互、唖然《あぜん》とはしたものの、だんだん話しあってみれば、そこには忌憚《きたん》も何もない。  彭は説《と》いた。  ここの賊は決して世にいうただの賊徒ではない、と。  彼ら一人一人の人間が、ここに到るぜひない宿命と、一つの悲願に生き抜こうとする理想とに結ばれており、因《もと》をただせば、こんな反逆の徒の巣窟ができたのも、腐爛《ふらん》した現政府や悪役人の罪にある。  それを膺懲《ようちよう》し、それを正し、濁世《じよくせ》に喘《あえ》ぐ良民の味方たらんとするのが、ここの者どもの悲願とするところだ。その悲願さえかなえば宋江も晁蓋も呉用も寨《さい》を焼いて解散する——といっている、と。  こう聞いた徐寧は、 「知らなかった。そんな人間たちなのか。それが梁山泊というものであったのか」  と本来の義胆《ぎたん》から、たちどころに、彼も腹をすえて、仲間入りの一諾《だく》を宋江まで申し出た。  山泊《や ま》は沸《わ》いた。  ここに一脈の活路が見いだされ、先に戴宗《たいそう》が持って帰っていた薄羽小札《うすばこざね》の鎧《よろい》は、当然、徐寧の手へ返された。またまもなく、徐寧の妻や家族らもここへ届けられて来た。  同時に。  まだ都に残されていた凌振《りようしん》、彭《ほうき》、二将軍の家族も山泊《や ま》へ送りこまれて来、このよろこびも併せて、休戦一日の或る日、徐寧の入党祝いを兼て恒例の山泊《や ま》祭《まつ》りが盛んにおこなわれた。  すでにもう、その頃には。  徐寧の指揮のもとに、泊中の鍛冶廠《かじしよう》では、テンカンテンカン、昼夜の火花と黒煙のなかで、無数な鉤鎌鎗《かぎかまやり》が製産の作業に乗っていたし、それの出来上がるそばから、一隊二隊と、カギ鎗隊が編制され、その鎗法の調練も、あわせて徐寧が指南の下に、活発に始められていた。 「みな、見給え。——鎗《やり》を使うには、こう九ツの変《へん》がある」  徐寧はみずから一鎗《そう》を持って、自由自在にそれをこなして見せ、 「直鎗《ちよくそう》とちがって、カギ鎗の特長というのは、三手《みて》が引ッ掛け、上下左右、四手《よて》が撥《はら》い、さらに突《つき》! また分《はらい》! あわせて九ツの変《へん》という」  と、教えること、じつに懇切だった。  かつはその男振りも見事である。「雨江月《うこうげつ》」という唄の集にも徐寧をうたった歌詞があって—— 六尺ゆたか 身はやなぎ 花のかざしを かぶとに挿《さ》して いつも行幸《みゆき》の鳳輦《みくるま》に 添うて行くのはありゃ誰か 禁門一の鎗つかい 徐寧 三ツ児も知る徐寧  聚議庁《ほんまる》の廻廊に立ちならんで、遠くから彼の教練ぶりを眺めていた晁蓋、呉用、宋江、ほかあまたの領袖《りようしゆう》たちも、 「……見事だ」  と、見惚れて、頼もしげにみな讃嘆をもらしあった。  かくて七隊七百人の鎗隊が磨き上げられたので、ひそかに泊中では官軍撃破の秘計を練りに練り、本軍、遊軍、騎隊、砲隊、潜行隊、また水寨《すいさい》の水軍などもあわせて無慮《むりよ》八千、或る夜、忍びやかに無月《むげつ》の江灘《こうたん》を渡って総反撃に出て行った。  一方。  官軍がたの呼延灼《こえんしやく》にしても、この間、むなしくいたわけではない。  あらゆる攻勢をこころみ、偵察も出し、わけて水寨《すいさい》を窺《うかが》ッて、しばしば船庫《ふなぐら》の焼打などにも出ていたのだったが、泊《はく》の守りはかたく、いつも失敗に帰していたのである。  それに味方の二大将、彭《ほうき》と凌振《りようしん》とが賊にとらわれてしまったのみか、梁山泊のために働いているらしい様子なども、自然に官軍方の警戒を神経質にさせ、特に闇夜などは、その攻勢よりはむしろ守りにかたくなっていたところだった。 「や、や。敵だっ。賊軍が江を渡って来たぞ」 「奇襲か」 「そんな小勢ではない」 「おお、いつのまにか。こりゃ凄まじい……」 「水も野も芦《あし》のあいだも、いちめんな火、たいまつの火だ!」  歩哨、幕僚たちの立ち騒ぐ声に、 「あわてるな。犀笛《さいぶえ》を吹け。全軍、即時部署につけいッ」  呼延灼《こえんしやく》は、ただちに例の“雪烏騅《てきせつうすい》”の名馬にまたがり大号令をくだしていた。  副将の韓滔《かんとう》もすぐ馳けつけて来た。 「将軍。賊の大兵を見るに、野末《のずえ》をぐるぐる輪をかいて馳け、いまや、ま南へ廻ってますが」 「陽気に釣られて——」  と、呼延灼《こえんしやく》は、くちびるを噛み、 「久しく穴ごもりしていた奴らが、蛇とおなじで、穴を出て来たものらしい。連環馬軍《れんかんばぐん》の一隊をくりだして踏みつぶせ」  しかし、たちまち、韓滔《かんとう》は、さんざん敗れたていで、ひっ返して来た。 「将軍。うかつでした」 「どうした韓滔《かんとう》」 「敵の中心は、ま南とばかり睨んでいたら、わが連環馬《れんかんば》が突進して行くと、声は闇の遠くに消え、代るに左右から妙なカギ鎗《やり》を持った鎗《そう》隊が襲い来たりたちまち、わが連環馬八十余騎を殲滅《せんめつ》されてしまいました」 「ば、ばかな……」と呼延灼《こえんしやく》は耳もかさず「——そんなわけはない。乱軍の誤認だろう。一頭一頭鎖甲《くさりよろい》で馬体をかためている連環《れんかん》の鉄騎が、そんな無造作な敗《はい》をとるわけがあるものか」 「でも……」  ことばも終らぬうちだった。幕舎の附近で、一弾の砲火が、轟然《ごうぜん》と炸裂《さくれつ》した。バッと黒い土砂を持った爆風があたりをつつみ、二弾三弾とまたもつづいて落ちてくる。 「しゃッ、こいつは凌振《りようしん》のしわざだ」  と呼延灼は、いななき狂う馬の手綱をしぼりながら—— 「敵のとりことなった砲手の凌振めが、賊の手に加担しておるのだ。油断はならんぞ。韓滔、敵の砲陣へ、新手の連環馬陣をやって蹴ちらせ!」  すでに、敵味方の喊声《かんせい》は、野面《のづら》を埋め、水に谺《こだま》し、凄絶きわまるものがある。  その黒い潮の吠えは、南かと思えば北に揚がり、北かと思えば、東にどよめく。  おまけに、つるべ撃ちの砲撃は、ここ中軍の幕舎に集中してきて、母子《おやこ》砲《づつ》の火の玉が、そこらじゅうを火の海にした。——母子砲とは一名を鼠弾《ねずみだま》ともいって、一弾が幾ツにも割れ、その中からまた無数の小弾や油ボロが散発するという始末のわるいものだった。 「韓滔《かんとう》はどうしたか?」  ついに彼は帰らない。  いや彼のみか、北へ、南へ、東へ、と兵を引ッさげては出て行った幕将たちも、そのどれ一人、再び本営には帰って来ず、しかも附近いよいよ炎と化すばかりなので、ついに呼延灼もそこに居たたまらず、さいごの親衛隊と、一陣の連環馬軍とを前後に立てて、 「本営をべつな所へ移す。——彼方の小高い丘へ行け」  と、金沙灘《きんさたん》の江畔《こうはん》を去り、俄《にわか》に、後方の平野へ馳けだした。  こうあろうとは、すでに賊の泊軍《はくぐん》では、知っていたことらしい。つまりお誂《あつら》えのツボに嵌《はま》ったわけである。たちどころに、その行く手を声《こえ》海嘯《つなみ》がくるんでいた。 「しまった。伏兵がいる!」  呼延灼《こえんしやく》は、前面の危急をみて、道をかえた。道なき道へ、ぜひなく馳け込む。芦、水溜《たま》り、窪地、また芦。  ところがなお、やがて縦横な蜘蛛《く も》手《で》の縄《なわ》だった。  ばたばたと、兵はつまずき、その上へまた、騎馬が来て折り重なる。  ピューッ、ピューッ、さかんなる賊兵の指笛がどこかでつンざく。——するとたちまち、カギ鎗を持った無数の影が、立ち惑う連環馬の騎隊へむかって猛然と襲いかかッてきた。  カギ鎗に引ッかけられては、さしも鎖甲《くさりよろい》の馬も不死身《ふじみ》扮装《いでた》ちの騎兵も、一トたまりさえなかった。そばからそばから、ぶッ仆れる。仆れると、あがきがつかず、敏速に起ち上がれないのは連環馬《れんかんば》の致命的な弱点だった。  そこへまた、熊手や火煙玉を持った泊軍があらわれて、十重二十重《とえはたえ》にとりまき、いちめんな阿鼻叫喚《あびきようかん》を巻きおこした。——あがきのわるい連環馬のほとんどは、火の早い芦原《あしわら》のそこかしこで、蒸し焼きに焼き殺されたかのようである。 「残念っ」  からくも、遁《のが》れえていた呼延灼《こえんしやく》は、ただ一騎で、狂気したような名馬烏騅《うすい》の背にしがみついたまま何処へともなく馳けていた。  振返れば、天地すべて瞑々《めいめい》だ。つづいて来る一兵だにない。  三軍、ここに壊滅《かいめつ》、ことごとく、四散し去ったものとしか思われなかった。 名馬の盗難が機縁《きえん》となって三山《ざん》の怪雄《かいゆう》どもを一つにする事  梁山泊《りようざんぱく》は、またも一大勢力をここに加えた。  鎗《やり》の徐寧《じよねい》、火砲の凌振《りようしん》、それに彭《ほうき》将軍などの雄を、新たな仲間に迎えただけでなく、韓滔《かんとう》もまた官軍総敗北のさい、あの闇夜から捕われて来て、先の三名に説かれ、山泊《や ま》の一頭領となってとどまることを、ついに天星廟《びよう》の前で宣誓したのであった。  加うるにまた。  官軍総くずれのあとの戦利品も莫大《ばくだい》だった。  連環馬三千騎のうち千頭は山泊《や ま》の捕獲するところとなり、官軍が捨て去った糧秣《りようまつ》、よろい、かぶと、武器の一切、ことごとく泊中へ運びこまれ、三日間ぶっ通しの山泊《や ま》祭りの大祝宴にわきかえった。しかし、げにもこれはおかしな奇現象で、官はわざわざ、この賊巣《ぞくそう》へ遠くから、武器、武人、糧《りよう》を送って、その驕《おご》りをいよいよ誇らすような結果をみてしまったわけである。 ×      ×  さて、一方はかの敗軍の将、呼延灼《こえんしやく》。  いまさら、都へも帰れない。  麾下《きか》三軍の兵は、めどを失い、散々《ちりぢり》逃げ帰りもしたろうが、彼とすれば「何でおめおめ、この面さげて都へ」という感慨だろう。  落武者のみじめを沁々《しみじみ》身に味わいながら、あてどもなく、二日ほど落ちて行ったが、 「待てよ。このまま山野に隠れて、郷士となり終るのも智恵がない」  と、そこで、一ト思案に行きついた。 「——青州の奉行、慕蓉氏《ぼようし》には、かつて一面識がある。あちらは慕蓉貴妃《ぼようきひ》のお血すじだ、ひとつ朝へおとりなしを願って、もういちど、雪辱の軍をなんとかしていただこう。そうだ。再起の工夫、望みなきにもあらずだ……」  気もちにゆとりを生じると、急に、身心の疲れや空腹をおぼえだした。それにもう黄昏《たそが》れ頃。見れば路傍に一軒の田舎《いなか》酒屋がある。 「亭主。今夜は泊めてくれい」 「だんな、うちは宿屋じゃございませぬ」 「わかっておる。どこでもいい。身を休めることさえできれば」 「じゃあ、あんな物置小屋同様な寝小屋でもようございますかい」 「わが輩は出征中の体だ、樹下石上も厭《いと》うものではない。……ただ腹が減《へ》った、さっそくそこの羊の股《もも》でも煮てくれい。そして酒だ、つづいて汁、飯、何でもいいから早くいたせ」 「かしこまりました。ま、こんなお菜《さい》で、とにかく一角《かく》お飲《あが》りなすっていて下さい」 「お、忘れていた。外に繋いでおいたのは、雪烏騅《てきせつうすい》と申す名馬。あれへもあとで飼糧《かいば》をやっておいてくれんか。そして、どこか人目につかん所へ繋いで今夜は大事に守っていてくれよ」 「じょ、冗談じゃございません。だんな。なんでわしらに、一ト晩中の保証ができるもんですか」 「どうして」 「この辺、馬泥棒は名物なんで。ヘイ……。しかもそんな宝物みたいな名馬とあっちゃあ、なおさら目をつけられるにきまっていまさあ」 「ふうむ……。この地方では、そんなに馬の値段がいいのか」 「いいえだんな、山賊村が近けえンですよ。——ここから先に桃花山というのがありましてね」 「桃花山」 「へい、打虎将《だこしよう》の李忠《りちゆう》、小覇王《しようはおう》の周通《しゆうつう》、その二頭目《とうもく》の下に六、七百の子分がおります。強いのなンのッて、おかみの討手も、寄りつけた例《ためし》はないほどでして」 「はははは。わしは軍人だ。そんな者に恐れはせんよ。おう酒がなくなった。あとのを、あとのを……」  呼延灼《こえんしやく》は、ついつい、手酌《てじやく》をかさねて、したたかに酔ってしまった。さいごに、飯をと亭主が揺り起しても、そこの卓に俯伏《うつぷ》したまま、どっと疲れも出て眠り入ってしまった態《てい》だ。  ところが、亭主の子であろう。吩咐《いいつ》けられて、飼糧《かいば》桶《おけ》を抱え、裏から軒の外へ廻って行った童子が、そこで、すッ頓狂に、わめいていた。 「馬がいないよ! 馬がいないよ! おとっさんお客さんの馬って、どこにいるのさ」 「げッ、いないって?」 「馬糞《ばふん》だけだよ、ここにあるのは」 「もう盗《や》られたか」 「攫《さら》われたんだね」 「風の仕業《しわざ》だ、まるで黒い風の——」  この騒ぎに、呼延灼《こえんしやく》もガバと目をさまし、 「なに、烏騅《うすい》が」  と、飛び出して来たが、夜は暗々、地の理はわからず、それに飲んだ酒が、顔には一瞬に冷めながら、こめかみの辺では、ぐらぐら、眸《ひとみ》の裏側を、沸《たぎ》らせている。 「亭主、桃花山は、どっちの方だ」 「どっちといっても、とてもだんな、間に合やしません。さきは盗んだ馬で一足跳び。おまけに、そいつが脚の早い名馬ときては」 「恩賜の名馬なのだ。ああ……このうえ烏騅《うすい》まで盗《と》られたとあっては、いよいよわが輩の面目はない」  数日後。彼は青州へ入っていた。  奉行の慕蓉《ぼよう》は、取次から彼の名を聞いたとき「はて?」と大いに怪しむ風だったが、会ってみると、まちがいのない呼延灼《こえんしやく》なので、 「将軍! いったい、どうしたんです?」  と、仰天《ぎようてん》した色だった。 「武人として……」と、呼延灼は惨《さん》とした面《おもて》を伏せて「じつに、面目ない始末だが、まあ聞いてください」  と、つつまず、恥を語り終った。そして、仰ぎ願わくは、もういちど、軍のご派遣《はけん》をゆるされ、この身に雪辱の一戦をなさしめ給わるよう、伏して、おとりなしのほどを……と、男泣きに、九拝して、言った。 「よろしい。将軍は滅多に人へ額《ぬか》ずくべきではありません。将軍は将軍の権威を取りもどすべきだと私も考える」  慕蓉《ぼよう》は同情して、さて言った。 「……がしかし、朝廷へ奏《そう》するにしても、恩賜の馬まで失ったとは申し上げ難い。それにじつは、この青州所轄《しよかつ》の地域でも、桃花山のほか、二龍山、白虎山などの賊塞《ぞくさい》があり、猛害をふるッて熄《や》まず、わが奉行所でもてこずっておる。ひとつ将軍がここで、烏騅《うすい》をとり返す事のついでに、それらの賊徒をも掃討《そうとう》してみませんか。さすれば、大いに、朝《ちよう》へおとりなしの儀もしよいと思うが」  桃花山には近来、打虎将《だこしよう》李忠が住みついていた。  この李忠の前身は、かつて魯智深《ろちしん》がまだ花和尚《かおしよう》といわず、渭州《いしゆう》の町で憲兵をしていた時代、同じ町の辻で、膏薬売《こうやくう》りをやっていたあの香具師《や  し》の痩《や》せ浪人の崩れなのである。 「いけねえ、いけねえ。兄き、さんざんな目に会ッちまったよ。はやく助太刀に出てくんねえ」 「どうしたい周通《しゆうつう》」 「どうもこうもねえ。青州奉行の軍隊が来たッていうんで、いつものとおり、山寨《さんさい》の木戸をおっ開いて、ただ一ト蹴散らしと出て行った。ところが、まったく勝手が違った。こんどの討手の大将は凡物《ただもの》ではねえ」 「梁山泊《りようざんぱく》で敗《ま》けて来た官軍方の将軍、呼延灼《こえんしやく》という野郎だろう。……そいつが来ることは、おとといの晩からわかっていた」 「わかってはいたが、ああ強いとは思わなかったよ。双手《もろて》で薄がねの鞭《むち》をつかい、そばへ寄りつくこともできねえ」 「奴のほかに、奉行所の軍兵は」 「ざッと、二千か」 「そいつはだめだ。敵《かな》いッこねえ。稀代《きたい》な名馬は、先の晩に、こっちへ貰ッてあることだし、この上、ヘタな欲を掻くと、資本《も と》も子も失《な》くしちまわぬ限りもねえ」 「といって、どうする?」 「仕方がねえ。山じゅうの寨門《さいもん》を堅固に閉めておいて、てめえ、二龍山へ一ト走り行って来い」 「えっ、二龍山へ」 「そうだ。二龍山の宝珠寺にいる花和尚《かおしよう》の魯智深《ろちしん》へ泣きつくんだ。後々には、きっと貢物《みつぎもの》をいたします。ですから、ここんとこはどうか助けると思って、ひとつご加勢ねがいます、とな」 「合点だ」  裏山づたい、一日半。  ——ここ宝珠寺の破《や》れ本殿《ほんでん》では、時に、三人の怪人が、三ツの曲《きよくろく》に、片《かた》胡坐《あぐら》を組みあっていた。  ひとりは花和尚魯智深《ろちしん》である。  次が、青面獣の楊志《ようし》。  もひとりは、虎殺しの名のある「行者《ぎようじや》の二郎」武松《ぶしよう》だった。  このほか。——べつに山門の方にも、四人の小頭《こがしら》がいた。  もと孟州の牢番せがれ、金眼彪《きんがんひよう》の施恩《しおん》。  それに、操刀鬼《そうとうき》の曹正《そうせい》。これは二龍山の下で小酒屋をやっていたあの男だ。  あとのふたりは夫婦者で、孟州は十字坡《は》の峠茶店で、凄い商《あきな》いをやっていた菜園子《さいえんし》の張青《ちようせい》と、その女房、母夜叉《ぼやしや》の孫二娘《そんじじよう》なのである。  これらはいずれもその後、ここに武松あり花和尚ありと知って、身の都合から集まり頼って来た者どもだった。 「……よし、わかった。おかしらたちが、何と仰っしゃるか、ま、お取次だけはしてやるから、俺について来い」  曹正は、いま山門へやって来た桃花山の周通を伴《ともな》って、本殿の下へ来、使いの口上を彼と共に申し述べた。  耳かたむけていた花和尚たち三名は、何か、囁《ささや》き合っているふうだったが、やがて。 「わけを聞けば、打ッちゃってもおけまいなあ」  呟《つぶや》いたのは、楊志《ようし》である。  武松《ぶしよう》も「……うん」と大きく一つうなずいたが、花和尚だけは、渋ッたい顔をしていた。 「殺生はもうたくさんだ。ほかの山のおせッかいまではいらんことさ。それに李忠も、周通《しゆうつう》も、根ッからケチ臭え男でしかねえ」 「だが、花和尚」と、武松がいう。「——禁軍で名高い双鞭《そうべん》の名手呼延灼《こえんしやく》と聞けば、なんだか、ちょっと唆《そそ》られるなあ。それとだ、奴が梁山泊の不名誉を、ここで取り返す気だとすれば、桃花山を破ッたあとは、かならずここへやって来る」 「それは来る」  と、楊志も同調した。 「それからでは、後手《ごて》を踏むおそれもある。どうせ一ト波瀾は見るところ。それならこっちから先《せん》を取って、桃花山の願いも入れ、呼延灼にも、一ト泡吹かせた方がいい」 「む。行くか!」  と、ついに花和尚も、その重たげな体躯《きよく》を、のしッと、腰かけていた曲《きよくろく》から上げた。 「あ、ご承諾くださるんで。……ど、どうもありがとうございます」  と、使いの周通は、ひざまずいて九拝した。そして連れて来た早足の子分に、これをすぐ桃花山の方へ速報した。  桃花山の李忠《りちゆう》は、報をうけると、ただちに二龍山との策応を考え、全山から喊声《かんせい》をあげて、ふもとの奉行勢へ反撃に出た。  さきの呼延灼《こえんしやく》は、奉行慕蓉《ぼよう》から二千の鎮台兵《ちんだいへい》をあずかって、その先頭に立っていたのである。——山上から打って出て来た賊魁《ぞつかい》の打虎将李忠が跨《また》がっているその馬を一見するなり彼はかっと鎧《あぶみ》を蹴ッて進み。 「やあ、それはわが輩から盗み取った名馬烏騅《うすい》。太々《ふてぶて》しい盗賊めが。よくも洒《しや》ア洒《しや》アと出て来おッたな。覚悟しろ、人民の敵」 「笑わすな。貢税《みつぎ》の膏血《こうけつ》でぶよぶよ肥っている廟堂《びようどう》の豚めが。梁山泊で赤恥かいた上、ここへ来てまで尻の穴で物をいう気か。人民の敵とは、うぬらのことだ」 「ほざいたな、尖《と》ンがり頭の青大将」 「なにを……」  この李忠も馬鹿にはできない。大道で香具師《や  し》の真似《まね》などしていたが、もとは定遠の浪士のせがれで鎗の妙手。その骨ばッた青面《あおづら》とひょろ長い四肢は、呼延灼《こえんしやく》が言ったように、いかにも爬虫類《はちゆうるい》の皮を鎧《よろ》うている一個の怪そのものだ。  しかし呼延灼の双手《もろて》から噴き出す二タ筋の薄刃金《うすはがね》の鞭《むち》に対しては、とても敵であろうはずもない。——接戦の火花を見せたのもほんのつかのま、たちまち子分どもも破れて、李忠以下、深く山へ逃げこんでしまった。  それを追ッかけて、山腹の寨門《さいもん》までせまッてゆくと、こんどは待ッてましたとばかり、山上諸所から鵝卵石《つ ぶ て》の雨が降ってきた。ところへまた、後方の鎮台隊から伝令の兵があって。 「将軍。たいへんです。なにか、えたいの知れない大人数が、鼓《こ》を鳴らして、街道の遠くを迂回《うかい》し、こっちへ向って来る様子です」 「なに。うしろの平野から」  呼延灼はあわてて山を馳けくだり、そして、一陣の砂煙を彼方《かなた》に見た。なるほど、えらい喧騒《けんそう》轟々《ごうごう》だ。しかもその先頭には、法衣《ころも》姿に腹巻を鎧《よろ》った大きな和尚が、戒刀《かいとう》を佩《は》き、禅杖《ぜんじよう》を掻い込み眼のさめるような白馬にまたがって来るのであった。  いうまでもなく、それは花和尚の魯智深《ろちしん》で、迫り寄ること、両陣の間隔約五十間。まず和尚の方からいう。 「おういッ。梁山泊でぶちのめされた、だらしのねえヘッポコ将軍てなあ、てめえか」 「だまれ。呼延灼とはわがことだ。義によって、慕蓉《ぼよう》閣下を助け、桃花、二龍、白虎の三山に巣食う害虫どもの一掃に参ったり。観念いたせ」 「だまって聞いていれば臍《へそ》が茶を沸《わ》かす。義によってなんて言葉がてめえらの仲間にあるもんか。花和尚の魯智深《ろちしん》を知らねえな」 「さては、過ぐる年、大相国寺《だいしようこくじ》の菜園から都の内を騒がせたあのずくにゅう坊主か」 「泣く子も黙る花和尚に、こけ脅《おど》しなんざ片腹いたい。足もとの明るいうちに、退《さ》がれ退がれッ」 「うごくな。そこを」  だッ——と馬を馳け合すやいな、双鞭《そうべん》の唸り、風を切る禅杖《ぜんじよう》、さながら波間《はかん》の魚紋《ぎよもん》そのまま、凄まじさといったらない。  ついに勝負は果てなく、どっちからともなく、銅鑼《どら》が鳴り、両勢一せいに入りみだれ、やがてまた、さッと両陣とも引き分かれた。 「和尚。こんどは拙者に代わらせてくれ」  買って出たのは、青面獣楊志《ようし》である。  楊志は、いわゆる“虎体狼腰《こたいろうよう》”といった体質。しかも大太刀の名人だ。  ところが、この楊志ですらも、呼延灼《こえんしやく》の双鞭《そうべん》の秘術には敵の一髪《ぱつ》も斬ることはできなかった。  双方、りんりの汗と炎の息の間に、時を費やすのみで、ついに勝負の決を見ず、ふたたび引鉦《ひきがね》のうちに陣を遠くへ退き、さて、つくづく、花和尚と共に、舌を巻いた。 「世間はひろい。なンてまア強い野郎もいるもんだろう」 「まさか、おれたちの腕にヤキが廻ったわけでもあるめえにな」  同様に。——一方の呼延灼の方でもまた、陣場の床几《しようぎ》で、息を休めながら、 「いや危なかった。あいつら、どっちも、盗《ぬす》ッ人《と》ずれの手並ではない。武芸は禁軍の専売だと思っていたら大間違いだわ」  と、これも胆《きも》を寒うしていた。  ところがこの夕、意外な早打が、奉行慕蓉《ぼよう》の鎮台から馬を飛ばして来た。 「将軍。すぐ軍をかえしてください。ご命令です」 「えっ。どういうわけで」 「三山の一寨《さい》、白虎山に住む孔明《こうめい》と孔亮《こうりよう》と申す賊が、城内の手薄を知って、急に押し襲《よ》せてまいったので」  呼延灼《こえんしやく》は仰天して、陣をたたみ、夜どおしで青州へ引っ返した。  とはいえ、いかに城内の手薄を知ったにしろ、白虎山の賊徒が、どうしてそんな積極的な挙に出てきたのか? 途々《みちみち》、使者に訊いてみると理由《わ け》はこういう次第だった。  古くから、白虎山の下の大庄屋に「孔家《こうけ》」という名門の一家がある。  なかなか人望もあって、兄を毛頭星《もうとうせい》の孔明、弟を独火星の孔亮《こうりよう》といい、壮丁《わかもの》や小作の百姓もたくさん抱えていたが、去年、町の大金持に騙《だま》されて、伝来の田地山林をのこらず法的に差押さえられ、その懸合《かけあ》い中に、つい若気の兄弟が、金持の一家を鏖殺《おうさつ》するという大事件をおこしてしまった。  当然、土地にいられぬ兄弟は、白虎山へ逃げ込んで、いつか打家劫舎《も の ど り》に変じ、官へ反抗をしめしだした。ところが彼らの叔父にあたる孔賓《こうひん》というのが、青州城内で店舗《てんぽ》を持っていたので、累《るい》はこの叔父に及び、孔賓は以来、官の手に捕われて、奉行所の一牢にぶち込まれている。 「……というわけでして、つまりここんとこ、城内にはいくらも軍隊がいないと見て、孔明、孔亮のふたりが、叔父孔賓《こうひん》の身を、牢から奪い出そうと計って、押しかけて来たものに相違ございません」 「よしっ、わけは分った」  呼延灼《こえんしやく》は、こう聞いたので、すでに突撃態勢を作って、城下へ馳けつけた。  見れば、果たして州城は賊軍の包囲にあり、奉行慕蓉《ぼよう》は、孤塁を守る姿で、からくも城頭に立って指揮している—— 「お奉行っ、これへ呼延灼が馳けつけましたぞ。ご安堵《あんど》あれよ」  彼は、高い所へ向って、こう手を振った。  そしてたちどころに、賊徒をけちらし、かつ、兄弟の姿を追ッて、城外四里の地点で、孔明に追いすがり、ついに闘い伏せ、孔明だけを生捕《いけど》りとして引きあげて来た。 「将軍。よくぞ、神速に——」  と、慕蓉《ぼよう》のよろこびと、賞《ほ》め称《たた》えは、一ト通りでない。 「なんのこれしきのこと」  と、彼はかえって、謙遜《けんそん》して。 「むしろお恥かしいくらいです。なんとなれば、桃花山一つもまだ片づきません。甕《かめ》の中の泥亀《すつぽん》を採るようなものと思っていたのがまちがいで、思いきや、二龍山から花和尚、また青面獣の楊志《ようし》なんどの、意外な助太刀があらわれましたために」 「悪かった。事前に注意しておけばよかったが、そのほかまだ、景陽岡《けいようこう》で虎退治をした行者武松《ぶしよう》なども、一味の内にたてこもっておる。……それゆえにこそ今日まで、この州城でも征伐し難く手をやいていたわけなのだ」 「いや、もはやご安堵あってしかるべしです。追ッつけこの呼延灼が、ひとりびとり、引ッ縛《くく》ってきて、ご面前に据えるでしょうから」 「たのむ。急に心も明るくなった。まずは将軍も大いに休養してください。酒庫《しゆこ》を開いて、兵どもにも、ひとつ今夜は勇気づけさせましょう」  ——場面は一転して。ここは郊外十里の野。  地は暗く、空には鋭い細月《さいげつ》があった。  一隊の黒い流れが見える。——先なる一壮漢は、狭霧《さぎり》の薄《うす》戦衣《ごろも》に、虎頭《ことう》を打ち出した金唐革《きんからかわ》の腹巻に、髪止めには銀のはちまきを締め、おぼろめく縒絨《よりいと》の剣帯《けんたい》へ利刀を横たえ、騎馬戛々《かつかつ》、ふと耳をそばだてた。 「おいっ、物見」 「へい」 「何か地の音が遠くからする。行ってみろ」 「合点です」  すると、走った物見は、またたくまに、戻ってきて。 「親分。やって来たのは、白虎山の仲間のやつらです」 「呼延灼の部下じゃなかったのか」 「その呼延灼にぶち負けて、さんざんな態《てい》たらくの孔亮《こうりよう》でした。なんですか、親分をよく知ってるそうで、いますぐこれへまいります」 「なに、孔亮が来るって」  武松《ぶしよう》は、馬を降りて、木に繋《つな》いだ。  俄に、呼延灼が青州へひきあげたので、これは怪しいと見、武松は一隊をつれて、今宵、城内附近の敵状を窺《うかが》わんがため、密《ひそ》かに、これまで来たものだった。  ところへ、その青州城下で惨敗を喫《きつ》したのみか、兄の孔明を生捕られ、無念やるかたなく落ちて来た孔亮の一勢と、偶然、行き会ったものである。孔亮《こうりよう》は、武松と聞くや、なつかしそうに馳け寄って。 「武《ぶ》行者。私です……。お変りもなく」 「オオ、亮《りよう》君か。まことに一別以来だったな」 「いちど二龍山へ、ごあいさつに出ようと思ってたんですが」 「拙者こそだ。無沙汰の罪はこっちで詫びたい。ところで兄上は」 「不覚にも、生捕られました、呼延灼《こえんしやく》のために。無念、いや面目もありません」 「あいつに馳け向っては無理もない。稀代《きたい》な刃《は》がね鞭《むち》の使い手だ。だがさ、なんだッてまた、そんな無謀な深入りをしなすッたのか」 「城中の牢に囚《とら》われている叔父孔賓《こうひん》を、助け出したい一心につい駆られまして」 「オ。……そんな噂はかねて薄々耳にしていた。叔父御《ご》の孔賓とやらは知らないが、あんたがたご兄弟の家には、かつて、たいへんなお世話になったことがある。——いま梁山泊にいる宋先生とふたりしてね」 「なおご記憶でございましたか」 「ご恩を忘れていいものか。宋先生も折には思い出していなさるだろう。いや、今はそれどころではない。亮《りよう》君。ここは何とかしなくっちゃなるまいぜ」 「もちろんです。ですが如何《いかん》せん、微力です、白虎山には、もういくらの手下も残っていません」 「亮君、弱音《よわね》を吹くな。とにかく今夜は拙者について来給え」  武松は彼を力づけて、魯智深《ろちしん》と青面獣楊志《ようし》のいる味方の陣場までつれもどった。  暁の篝火《かがりび》をかこみ、羊の股《もも》を裂いて、焙《あぶ》り焙り齧《かじ》り合いながら、さて、談合の結果、 「よろしい、青州《せいしゆう》奉行の悪政に、塗炭《とたん》の民が、愚痴《ぐち》も泣き言もいえずにじっと歯の根を噛んでる姿はすでに久しいものがある。いっそのこと、亮さんの兄上孔明と叔父御の孔賓《こうひん》を助け奪《と》る事のついでに、慕蓉《ぼよう》をかたづけ、呼延灼《こえんしやく》を生けどり、州城の庫の物もそっくり貰って、ひとつ、窮民祭りでもしてやろうではないか」  言ったのは、日頃は腰の重い不性者《ぶしようもの》、花和尚魯智深《ろちしん》なのである。  武松はもとより願うところ。それだとばかり異議はない。だが、かつて一ト度《たび》は北京軍《ほつけいぐん》の大名府《だいみようふ》に仕えていた日もある青面獣楊志《ようし》は、さすが小首をかしげて雷同《らいどう》もしなかった。 「むずかしそうだなあ。そいつあ、まあ夢だろうぜ」 「楊志、どうしてそれが夢なんだ?」 「おれが見るところ、青州城ッてえのは、ちょっと不落といえそうな堅固な城だ。かたがた呼延灼も正直つよい。慕蓉ッて奴も、なかなかな出来物《できぶつ》。それをろくすっぽ装備もねえ三山の手下ぐらいで、なんで、乗ッ取れるもんじゃねえ」 「いかにも道理だ。いわれてみれば、この花和尚にも一言なし、一言なし」 「では楊志、何かほかに、策はねえか。この武松とすれば、どうしても、孔家《こうけ》兄弟の恩にここで報いてみせねばならん」 「一案はある。ただし大覚悟を要するが」 「それは?」 「孔家《こうけ》の恩を思う人に、もうひとり宋公明《そうこうめい》があるといったね。どうだ、孔亮《こうりよう》さんをここから急遽、梁山泊《りようざんぱく》に使いにやる——。そして云々《しかじか》と事情《わ け》を訴える。——梁山泊とすれば呼延灼《こえんしやく》は討ち洩らした官軍の首将だ、それに孔家の旧恩にたいする宋江《そうこう》先生の奮起もかならずありと見てよいと思う」 「うーむ。いい案だが、そうなると、いよいよ俺どもも、さいごは梁山泊入りときまるな」 「どっちみち、こう火の手が大きくなったからには、もうこの辺の小寨《こじろ》に殻をかぶッてはいられまい」 「それもそうだ。では、腹をすえるか」 「すべては、みんな、天星のおはからいさ」 「なるほど。おはからいか。うめえことを言やがる!」  と、花和尚は、腹を揺すって大笑いした。 三山《ざん》十二名、あげて水滸《すいこ》の寨《さい》へ投じる事  孔亮《こうりよう》は、その場からすぐ、急使となって、青州《せいしゆう》を離れた。  日ならずして着いた先の、梁山泊では、すぐ宋江《そうこう》が会ってくれて、 「おい、孔家《こうけ》のご次男ではないか。どうしてこれへは?」  と、彼を見ると、手をとってなつかしがった。……その宋江はまた、彼のはなしによって孔家の主《あるじ》はすでに亡く、孔家はつぶれ、兄の孔明《こうめい》、叔父の孔賓《こうひん》、みな青州奉行の獄中にとらわれているなどの仔細《しさい》を聞いては、 「ああ申しわけない。ご恩のある旧家の災いを、私は少しも知らずにいた。ゆるしてください」  と、さんぜんと涙を垂れた。  すでに、宋江の忘れない旧情が、このようであったから、孔亮《こうりよう》の頼みは、一議におよばず、全山の仲間からも支持されて、たちどころに、  青州襲撃  の義挙も異議なくまとまった。  そこには、さきに戦場で見失った官軍の総帥、呼延灼《こえんしやく》も逃げこんでいるという。  また。味方としては。  二龍山の花和尚魯智深《ろちしん》、青面獣《せいめんじゆう》の楊志《ようし》。ほか桃花山、白虎山など、あわせて三山《ざん》の漢《おとこ》どもも、ひたすら梁山泊の援《たす》けを望み、孔亮の使いの吉左右《きつそう》を、首を長くして待ッている場合でもあるとのこと。宋江はすすんでそれに当ろうとした。 「晁《ちよう》総統。おききおよびの通りです。この宋江に三千の兵をおまかせ下さい。義のため青州へ行って来ます」 「いや、宋先生」と、晁蓋《ちようがい》は首を振った。「——こんどは、あなたはお残りなさい。ここ度々の陣務。青州へは、てまえがあなたに代って行こう」 「いや目的は、旧恩のある人々の救出にある。それを総統に代らせては、私の義が立ちません」  あくまで宋江は宋江らしい。二十人の頭目《とうもく》と、五隊三千人の泊兵をひきい、率先、青州の野へ出発した。  彼が、かねて江湖《せけん》に噂のたかい花和尚魯智深《ろちしん》と会ったのはこのさいである。青面獣の楊志《ようし》らとも初対面であった。——三山を代表して二人は途中で宋江の軍を迎え、青州城の模様などをつぶさに話した。時にそれをそばで聞いた軍師呉用《ごよう》は、 「ははあ……」と、うなずきを見せて、こういった。 「青州は有名な嶮城《けんじよう》だし、奉行慕蓉《ぼよう》の権勢もまた人の知るところだが、要は、その中へ呼延灼《こえんしやく》という者が入り込んで、いやが上にも気勢を揚げているものと観《み》られる。……宋先生、これはまず呼延灼をいけどってしまうのが、いちばんの早道でしょう」 「呉《ご》軍師。そんなうまい方策がありますかな」 「ないこともありません。——陣中につれてきた秦明《しんめい》と花栄《かえい》とは、共に以前、この青州で兵馬総管をしていた者だったはずですから」 「なるほど」  宋江もいわれて思い出した。そこで第四隊にいたその二将を、第一隊に入れ代え、燕順《えんじゆん》、矮虎《わいこ》、楊雄《ようゆう》、朱同《しゆどう》、柴進《さいしん》、李俊《りしゆん》などを二陣三陣として、城下へせまった。  もとより秦明《しんめい》や花栄《かえい》は、ここの地勢や、城内の抜け道にまで精通している。しかし短兵急には寄らず、連日、銅鑼《どら》や喊声《かんせい》をあげ、鼓譟《こそう》して、逃げたりまた寄せたり、巧みに、城兵を疲らせていた。  ——ついにその策《て》に乗って、奉行慕蓉《ぼよう》は、客将の呼延灼《こえんしやく》へこう命じた。 「将軍。——あれ、あのように、いつも賊の陣の前に立って指揮している花栄と秦明《しんめい》の二人は、もとこの地で兵馬総管までつとめていた軍人でありながら、官に叛《そむ》いて賊の仲間へ奔《はし》った憎ッくき奴らです。にもかかわらず、日々あれへ出て恥もしらぬ悪口雑言を吐いている様、どうにもはや、我慢がならぬ」 「わかりました。あの賊の二将の首を取ッて来いとの御意《ぎよい》ですな」 「そうだ。いちどは敗れたりといえ、禁軍三万の上に指揮をとっていたあなただ。賊将の首二ツぐらい慕蓉《ぼよう》の前に供えられぬことはあるまい」  こういわれては、呼延灼《こえんしやく》たる者、なんで否《いな》まれようや、である。精兵八百をひきつれて、城の一門から敵中へ突進して行った。  けれど秦明、花栄は、 「それっ、おいでなすッた!」  と、これは思うつぼの様子だった。決してあわてないし、また驚かない。巧みに陣を開き、また旋回し、チラチラ、自分たちの姿をそのあいだに見せながら、次第に遠くへ退いて行った。 「卑怯っ、卑怯!」  追っかけ追っかけ、呼延灼はつい深入りしてしまった。あげくに、陥《おと》し坑《あな》へ落ちこみ、搦《から》め捕《と》られて、やがて、宋江のいる本陣へ、大熊みたいに、曳きずられて行ったのだった。  すでに伝令で知っていた宋江は、それを見ると、気の立っている大勢の手下を叱った。 「手荒にするなっ。縄を解け。——縄を解いて、わしに預けろ」  さらに、宋江は、その呼延灼《こえんしやく》の手をとって、幕舎の内に入れ、しかも礼を執《と》って、こう慰めたものである。 「将軍、無残な目にお遭《あ》いなされましたな。ご胸中もお察しできる」 「やあ、きさまがかねて聞く宋公明だな。このほうに恥をかかす気か。早く首を打て」 「いや将軍。まだ人生を見限るのは早過ぎましょう。お互いはまだ若い。あたら命を、そう粗末にすることはない」 「では、生かしておいてどうする気だ?」 「あなたの勇と才能を使いたい」 「だれが」 「天が」 「ばかを申せ。使いたいのはきさまらだろうが、いやしくもわしは呼延灼だ。賊徒の道具には相ならん」 「しかし、人間と生れた宿業《しゆくごう》の尽きぬうちは、いやでも天はあなたを地上で使い切るでしょう。梁山泊は賊の巣窟《そうくつ》とのみお考えのようだが、これなん天星《てんこうせい》の集まりです。天意による世直しの大作用《だいさよう》を、この土《ど》においてしいるものです。呼延《こえん》将軍」 「なんだ」 「さきにあなたが盗まれた名馬烏騅《うすい》は、盗んだ桃花山の周通《しゆうつう》を納得させて、そこの幕《とばり》の外につないである。あらためてお返し申す」 「なに。あれをわしに返すと?」 「されば、烏騅《うすい》に跨《また》がって、ここをお逃げになるならお逃げなさい。——しかし、すでにあなたは朝廷からあずかった三軍を征途に亡《うしな》い、また三千の連環馬軍《れんかんばぐん》を殲滅《せんめつ》され、いわば籍《せき》なき敗軍の孤将にひとしい。どの顔さげおめおめ都へお帰りになれようか」 「…………」 「おそらくは、慕蓉《ぼよう》をたよって、朝廷への帰参をとりなしてもらおうというお腹なのでしょう。ところが、その慕蓉は早や青州城を捨てて、今夜あたりは、首になるか、あるいは、都へ落ちんと、野を逃げ惑ッていることでしょう。そのほうは、おあきらめなされたがよい」 「ば、ばかなッ。いい加減なことをいえ。いいかげんなことも程々に」 「いや、あなたのつれて出た精兵も、あらましは軍師呉用の八陣の計に落ちて、そっくり捕虜《とりこ》にされている。その旗、その城兵を巧みに使って、今夕の宵闇《よいやみ》にまぎれ、こちらの秦明《しんめい》、花栄そのほかの部隊が、城中へなだれ込み、一気に青州城を内から占領する手順になっているのです。……ま、事実を待ちましょう。やがて火の手が揚がるはずですから」  宋江の言は、嘘ではなかった。  青州はその晩に陥ちた。炎々たる城頭の火柱《ひばしら》は、郊外十里の野づらを染めて夜もすがらな城内の人声が、赤い雲間に谺《こだま》している—— 「炎の下から、獄中の孔賓《こうひん》と孔明《こうめい》の二名は無事に救い出しました。また奉行《ぶぎよう》慕蓉《ぼよう》の一家は、みなごろしにいたし、あとは領民の混乱ですが、目下、それを鎮撫中《ちんぶちゆう》であります」  こう宋江の幕舎へ、伝令があると、宋江はすぐ馬に乗って出て行った。  そして、城内の鎮撫やら指令をすませて、明けがた、再びこれへ帰って来ると、まだ幕舎の片隅に首うなだれて坐っていた呼延灼《こえんしやく》が、いきなり彼の袖にすがって言った。「宋大人《そうたいじん》。きのうまでの自分の倨傲《きよごう》は、慚愧《ざんき》にたえん。まったく、迷いの夢がさめた。わしは梁山泊というものも、また広くはこの社会《よのなか》をも、見損なっていた。いまからはぜひ水滸《すいこ》の寨《さい》の一員にお加え願いたい」 「おう、おわかり下すったか」 「じつは昨夜、あなたがここを出たあとで、入れ代りに、旧友の彭《ほうき》、凌振《りようしん》、また韓滔《かんとう》も、揃ッてここへやって来ました。……そしてかれらからつぶさに梁山泊の内状を話され、かつまた、泊中の人達の、烈々たる理想をかたり聞かされて、真底《しんそこ》、自分の考え方も革《あらた》められてしまったのです」 「祝着《しゆうちやく》、祝着」  宋江は大いによろこんで—— 「では、さっそくお戻しした名馬烏騅《うすい》にお乗り下さい。轡《くつわ》をそろえて、城内へ参りましょう。そこには、あなたのほかにも、今日あらたに、梁山泊入りしたいと望んでいる同志の新顔がまだたくさんに待っている」  といって、彼をうながした。  城内の街々はまだ余燼濛々《よじんもうもう》の騒ぎである。——だが早くも、街角には、宋江が立てさせた“撫民《ぶみん》ノ制札《せいさつ》”が見られ、一部では城壁の消火につとめ、また一隊の泊兵は、罹災民《りさいみん》を他にまとめて、それには米や衣服やかねを見舞にめぐんでやっている。  役署の穀倉《こくそう》は開かれ、奪いとった金や衣《きぬ》は山をなし、良馬二百余頭も、一ヵ所につなぎ出された。宋江はこれの半分を梁山泊へ輸送させ、 「あとは窮民に領《わ》けてやれ」  と、土地《ところ》の長老《としより》五人をえらんで、その者たちに処理を托した。——そして、即日、 「長居はまずい。梁山泊へ」  と、すぐ全軍を青州から引き揚げにかからせたが、その途すがらも、秋毫《しゆうごう》犯《おか》すことない徳風を慕って、郷村《きようそん》の老幼男女は、みな道にならび、香を焚《た》き、花を投げて、歓呼した。 「……ああ、うそではない」  呼延灼《こえんしやく》は心中、つくづく、途上《み ち》で感じていた——。 「かつては自分も、禁軍三万をひきつれて、征途のみちを、こうして行軍したものだが、まだいちども田野《いなか》の郷民が、こんなに王軍へ歓呼するような景色に出会ったことはない……。これがまことの野の声というものか」と。  さらに彼は、梁山泊でも驚いた。  その規模の大は、さきに彼が攻めあぐねた時から分っていたが、内部の秩序、また宛子城《えんしじよう》の大会議に集まった漢《おとこ》どもの、いずれも一トかどな面だましいに、今さらの如く、ひそかな舌を巻いたのだった。  総統の晁蓋《ちようがい》以下、従来の名だたる面々はいうまでもない。特にこのたびの凱旋《がいせん》では、新たな降人、呼延灼《こえんしやく》をはじめ、二龍、白虎《びやつこ》、桃花《とうか》の三山から——魯智深《ろちしん》、武松《ぶしよう》、青面獣、施恩《しおん》、曹正、張青、孫二娘《そんじじよう》、周通、孔明、孔亮——しめて十二名の新加盟者も居流れていたことなので、そのありさまは、なんとも壮観のかぎりであった。 「三山の者を代表して」  と、さかもりの最中に、青面獣楊志《ようし》が起って、一場の挨拶をのべた。 「このたびは、梁山泊ご一同の義にたすけられ、かつまた、新参の十二名へ、かような盛宴を張っていただき、身に余るばかりか、魚が水を得たような新天地をここに見いだしました。どうぞ以後はよろしくお引きまわしを」  それにたいして、晁蓋《ちようがい》からも歓迎の辞があった。 「かねがね、お噂のたかい花和尚《かおしよう》魯智深《ろちしん》、また行者武松。そのほかの方々でも、ご縁があるならこちらから出向いてもお誘いしたいほどな思いでいたのです。——それがはしなく、こんどの事件で、こう一堂にお揃いでご加盟を願えることになったのも、申さば、天のおはからいといえるものかもしれません。われらにとって、こんなよろこばしいことはない」  すると花和尚が、即座に、相槌《あいづち》を打って言った。 「おはからいか! なるほど、ここへ来る前にも、誰かが同じことをいっていた。——では、今日ご馳走の酒も、おはからいによるものとして、存分、遠慮なくいただくとしよう。諸子! ひとつご乾杯を」  彼の音頭《おんど》に、どっと笑い声が揚がり、満堂一せいに杯をあげ合った。  かくも錚々《そうそう》たる顔ぶれがふえたので、水滸《すいこ》の寨《とりで》は、いよいよその陣容の充実をみせてきた。——旌旗《はたじるし》もこれまでの物では不足し——三歳、九曜、二十八宿の旗、飛熊《ひゆう》ノ旗、飛豹《ひひよう》ノ旗をも新たに作らせ——山の四面には、狼火《のろし》台《だい》まで築かれてきた。  泊内での、農耕はもとよりのこと。酪農《らくのう》から酒の醸造《じようぞう》も今ではここで事を欠かない。老幼は養蚕《ようさん》をして糸を紡《つむ》ぎ、漆林《うるしばやし》では漆も採《と》る。——器用者の侯健《こうけん》は、やき物の窯場《かまば》も設けて、陶器《すえもの》を焼きはじめ、武器の工廠《こうしよう》では、連環《れんかん》の馬鎧《うまよろい》からカギ鎗、葉鉄《うすがね》の鎧《よろい》、またあらゆる兵具を、日夜さかんに作っていた。  こんな或る日のことである。 「宋《そう》先生——。ひとつ、折入って、ご相談があるんですが」  と、花和尚《かおしよう》の改まったことばに、宋江もまたふと、その眼をニッとほそめた。 「ほ。折入ってとは、何事ですか」 「おかげでこの花和尚も、近来になく、身のおちつきを覚えていますが……」と、魯智深《ろちしん》は、こう語り出す。「ところが、てめえの身がおちつきを得てみると、思い出すのは、なつかしい、しかも恩のある旧友でして」 「ウむ、それはいいことだ。して、思い出すそのご友人というのは」 「九紋龍の史進《ししん》ていう奴です」 「史進《ししん》? ……。それならこの宋江もとうに名前は聞いている」 「以前、わが輩がまだ流浪中、その史進には、瓦罐寺《がかんじ》で助けられたことがあり、それッきり会ッちゃおりません。ところが、聞けば近ごろは華州華陰県《かしゆうかいんけん》の少華山にいるッてえはなしなんで、ひとつそこへ出向いて行き、仲間に誘ッて来てえもんだと思うのですが、どうでしょう先生」 「それは願ってもないことだ。ぜひ行ってくれ給え」 「ありがたい。それではさっそく」 「しかし、一人では、万一ということもあるが」 「いや、武松《ぶしよう》もぜひ、一しょに行こうと言ってくれてるんで」 「それなら文句はない。吉左右《きつそう》を待っていますぞ」  しかし、宋江は要心ぶかい。これでも心中決して安心はしていず、密かに、神行太保《しんこうたいほう》の戴宗《たいそう》に耳打ちして、二人の出立後、華州へ放った。 木乃伊《ミ イ ラ》取り木乃伊となり、勅使の大臣は質《しち》に取られる事  こちらは、旅僧魯智深《ろちしん》と、行者すがたの武松との二人。  日をかさねて、はや少華山の山麓《さんろく》へ来ていた。  山寨《や ま》には、九紋龍史進《ししん》をかしらに、神機軍師の朱武《しゆぶ》、跳澗虎《ちようかんこ》の陳達《ちんたつ》、白花蛇《はつかだ》の楊春《ようしゆん》、こう三人の頭目がいる。——ところが、それに会って訊いてみると、 「どうも、せっかくな時に、おいでなすったな。……じつあ、史《し》の若旦那(彼ハ以前、コノ近県切ッテノ大荘院《オオジヨウヤ》ノ嫡男《チヤクナン》)は、あいにく、つい先頃からここにはおいでなさらねえんで」  と、その三頭目が三人ともに、何とも元気なく鬱《ふさ》ぎ込んでいる。 「なに。ここにはいないって。——ここにいなければ、一体どこにいるってんだ」  気色《けしき》ばんで、花和尚がただしてみると、その仔細《しさい》がまた容易でない。  ここ華州華陰県のすぐ西の方には、天下に有名な霊廟《れいびよう》がある。  西岳《せいがく》の華山といって、いわば天子のご祈願所の一つ。——そこへ或る日——いやつい先ごろ。史進はお詣《まい》りに行って、その帰りに、道ばたで泣きぬれていた一人の男を見かけ、あわれに思って山へ連れ帰った。  きいてみると、男は北京《ほつけい》大名府の者で、職は画工《えかき》であるという。画工一代の悲願と、腕みがきのため、御山《みやま》の金天聖廟《きんてんせいびよう》の壁画を描くべく娘の玉嬌枝《ぎよつきようし》を連れて、数日間、願《がん》がけの参籠《さんろう》をしていたものだった。  ところが、この玉嬌枝をチラと見染めて、理不尽にも、妾《めかけ》に出せといって来た者がある。しかもそれが官憲だった。  父娘《おやこ》が泣いてあやまると、ついに一夜、暴力のあらしが娘の悲鳴をつつんで手の届かぬ所へ遠く攫《さら》ッて行ってしまった。何者かといえば、華州第一の覇権者“賀《が》”という奉行がその当人だった。——たまたま、華山の霊地に詣《もう》でた賀《が》が、ふと、玉嬌枝を見そめて「……なんでも、ぜひ、わがものに」と、その淫欲と暴とを逞《たくま》しゅうしたものだった。  史進《ししん》はこれを聞いて、義憤やるかたなく、 「よし、おれが懸合《かけあ》って、娘をとりかえして来てやる……」と、ただ一人、県城の奉行所へ出向いて行った。——が、それきり彼も、山へ帰って来ない。今日でもう十日にもなるが何の音沙汰もないのを見れば……その一命も気づかわれる……という三頭目が逐一《ちくいち》な話なのだった。 「ふウ……む!」  ひとたび、花和尚がこう呻《うな》ると、たちまちその満面も、背の文身《ほりもの》の緋桜《ひざくら》のようになる。 「おい、聞いたか武松」 「聞いた。ひどい奉行もあるもんだな」 「わが輩がもっとも憎むべき奴としている代物《しろもの》だ。よしッ。行って来るからな。貴公は山泊《や ま》との連絡もあること。ここにいてくれ」 「えっ、どこへ行く気だ、和尚」 「知れたこと。華陰県の奉行所へよ」 「よせ。そいつア無謀だ。九紋龍の轍《てつ》もあること。二の舞を踏んではつまるまい」 「じゃあ何か。史進の災難を、この花和尚に、知らん顔でいろっていうのか」 「おい、おい。喧嘩腰はよそうぜ。この武松だってそんな気じゃあない。ともに心配はしてるのだ。だが、ここは大事をとり、いちど梁山泊《りようざんぱく》へ引っ返して、一同のお智恵と協力を仰いだほうがよかろうと俺は考えるのだが……」 「喝《か》ッ……」と、花和尚はもう突ッ立ちあがっている。そして——「ええ悠長な。そんなこんなのうちに、もし史進の一命にまちがいでもあった日には、義として、情として、この花和尚、のほほんと生きてもおれんわ。ぜがひでも、わが輩《はい》はこれからすぐ行く!」  朱武や陳達《ちんたつ》はおどろいて、あわてて子分をよびたてた。そしてたちまちただ一人で、山を降ッて行った花和尚のあとをつけさせた。  だが、そんなものは、眼のすみにも顧みている花和尚ではない。  すでに翌々日の午後である。この異形《いぎよう》なる大坊主は、れいの錫杖《しやくじよう》を片手に、のッしのッしと、華州城内の雑鬧《ざつとう》をあるいていて、 「こら、ちょっと訊くが、奉行所はどこだ、ここの奉行所は」  と、道行く者をつかまえては訊ねていた。  すでにその権《けん》まくからして只ならないものがある。往来の者は、呆《あ》ッ気にとられて、 「なんだろう、あの風来坊は?」  と、目をそばだてた。しかもちょうどこの日、当の奉行の賀《が》は、街をお練《ね》りで帰って来る途中にあったが、たれも花和尚にそれが奉行だとは教えてやる者もない。  奉行は綺羅《きら》な輿轎《こしかご》に乗ッていたのである。輿《こし》ワキには護衛の力士が鎗を持ってつきしたがい、騎馬の与力がそのあとさきを守って往来の邪魔者をいちいち叱咤《しつた》しながら行く——  これがやがて州橋《しゆうきよう》の上までかかると、輿《こし》の垂れ絹の内から奉行の賀が、 「ちょっと、待て」  と、急に列を止めさせていた。そして与力の一人をそば近く呼んで。「……途々《みちみち》、異形な坊主が列のあとから尾《つ》けて来るようだが知っているか」 「はっ。不審な奴と見、油断はいたしておりません」 「いや、それよりもだ、いッそこうせい。……よいか、抜かるなよ」  どんな策をさずけられたのか、その与力は、馬を力士の一人に預け、あとへ戻って、花和尚の前に立ち、いやにていねいに、こう言ったものである。 「おん僧は、そも、どちらからお出《い》でになられましたか」 「わが輩か。わが輩は見たとおりの旅僧さ。いってみれば、天涯無住《てんがいむじゆう》だ」 「おそらくは、由緒あるお山のご高徳でいらせられましょう。ぜひ、一夕《いつせき》のお斎《とき》なと差上げて、ご法話でも伺いたいと申されますが」 「誰がよ」 「お奉行さまが」 「ははアん。じゃアいま先へ行った輿轎《か ご》は、やはりここの奉行だったのかい。……どうもそんな臭《にお》いがと、思って尾《つ》けて来たんだが」 「何かお奉行へ御用でも」 「さればさ。ちょっくら会って、話したいことがあってね」 「それはまことに好都合です。お奉行はいたって仏心の深いたちで、有縁無縁《うえんむえん》によらず、旅の法師とみれば官邸に請《しよう》じて、何がな布施《ふせ》のお徳を積まれるのが、まアお道楽といったようなお方。それでは、どうぞてまえとご一しょに」  と、案内に立つ。  こんなうまい機ッかけがあるはずのものではない。けれど魯智深《ろちしん》は、渡りに舟とよろこんでしまった。——そして宏壮な一門に入って行く。すると当然、腰の戒刀《かいとう》と錫杖《しやくじよう》も「……お預かりを」という奥向きの侍に、つい預けるほかなくなってしまい、丸腰となって、さらに中廊下を深く一殿の内へ通された。 「やあ、連れて来たか」  すぐ帳《とばり》を排してあらわれた奉行の賀《が》は、魯智深《ろちしん》には、ただのひと口も物をいわせぬうちに、 「者ども。こいつは梁山泊の廻し者だ。からめ捕れッ!」  と一方の手を颯《さ》ッと高く振りあげた。  とたんに、ひそんでいた力士、捕手、何十人もが、どッと出て来て、一瞬のまに、魯智深の体を高手小手にからめてしまった。一吼《ほ》え、二タ吼え、猛虎の唸きさながらなもがきはその下で聞えたが、山のような人数の岩磐、さしもな花和尚もこうなっては、早やどうしようもない。無念無念と、ただ毒づくばかりだった。 「はははは。よくよく智恵のない奴だの」  賀《が》は笑った。——彼はこれへ帰るやいな、かねて他県の官庁から廻附されている多くの手配の牒《ちよう》を調べさせ、そのうちから「あっ、これだ」と魯智深の人相書を見つけ出していたのである。  かつては渭州《いしゆう》の憲兵あがりで、関西五路の肉屋殺し。そしてまた都の大相国寺でも、大暴れをやったあげく、近くは二龍山にこもって、梁山泊の賊とともに、青州一城を全焼《まるやき》にしたという飛報もきている。なんで、奉行の賀《が》が気《け》どらずにいようやである。しかも、賀の底意《そこい》には、さきにわが手で、九紋龍史進《ししん》を獄にくだしていた要心もあった折のことだ。かさねがさね、こんな所へわれから踏みこんだ魯智深の不覚は不覚というよりは、浅慮《あさはか》だったというしかない。  またぞろ、梁山泊の内では、 「すわ。ほってはおかれん」  と、俄な大動員をここに見ていた。不幸にして宋江《そうこう》の予感が中《あた》ったわけである。——すなわち、神行太保《たいほう》の戴宗《たいそう》が、武松《ぶしよう》に会って、  云々《しかじか》、かくかく。  と、史進、花和尚、ふたりまでの災厄を聞き、ただちに、これへ注進して来たことからの、騒ぎであった。  例のごとく、宋江を総大将に、軍師呉用《ごよう》が参謀につき、花栄《かえい》、秦明《しんめい》、徐寧《じよねい》、林冲《りんちゆう》、楊志《ようし》、呼延灼《こえんしやく》、そのほか二十人の頭目《とうもく》、一千の騎兵、三千の歩兵、数百車《しや》の輜重《しちよう》、べつに一群の船団、あわせて五千余のものが、 「それッ急げ」  とばかり、疾風《はやて》雲《ぐも》のごとく、河川を溯《のぼ》り、野を踏破して、昼夜わかたず、華州《かしゆう》へ急行したのだった。  ひとあし先に、飛ぶこと鳥の如き戴宗《たいそう》は、すでに少華山へこのことを知らせている。——さっそく、武松は陳達、楊春などをつれて、泊軍を山の麓《ふもと》に出迎えた。  着くとすぐ、宋江はまずまっ先に、こう訊ねた。 「花和尚と史進《ししん》の生命は、なおまだ、無事でいるだろうか?」 「まだ、おそらくは——」と、陳達が答えた。 「獄中のままいのちだけは、延ばされているんじゃないかと思われます」 「どうして、それが保証できる」 「五日ほど前、都へ向って、奉行の急使が立って行きました。ですから二人の身の処分は、朝廷のさしずを待って、おこなわれるものに相違ございませぬ」 「——軍師」  と、宋江はまた、呉用にむかって。 「何か、よいお手策《てだて》がありましょうか。ともあれ、二人のいのちは、命旦夕《めいたんせき》と思わねばなりませんが」 「ま——お急ぎあるな。いちど城下へ出て、とにかく、城中の雲気を篤《とく》と窺《うかが》ッてからのことですよ」  呉用は、一小隊をべつに編制して、宋江と共に、その夜から翌夕にかけ、華州の城下へといそぎだした。そして城下の小高い所に立ち、折ふし時も二月の月夜、月下の城と、城のうしろ、山波の彼方まで、昼かのような、西岳華山《せいがくかざん》のながめにしばし佇《たたず》んだ。  空には片雲の影もない。地に光るのは水であろう。それは濠《ほり》をなして、華陰城の城壁の下を稲妻形にめぐッている。  その不落をほこる城楼も巍峨《ぎが》たる姿だが、さすが霊山の華岳《かがく》はもっと神々しい。仙掌《せんしよう》ノ峰、雲台ノ観《てら》。斧《おの》をならべたような石峰。李龍眠《りりゆうみん》の墨の画筆で“月夜山水図”を宇宙へ一ト刷《は》きしたような景である。 「さても。むずかしい地勢」 「きびしい城壁?」  これでは、いかなる策もほどこしようがない感に打たれたらしい。宋江、呉用はやがて少華山へもどって来た。しかし武松へも、まだ何らの方針がついたという相談《はなし》が出ない。  すると、二日目。——かねて少華山から放ッておいた子分の一人が、県境の遠くから飛んで帰って来て、はしなく、耳よりな聞き込みをこれへもたらして来た。 「いや、えらいこってすぜ。なんでもこんど開封《かいほう》東京《とうけい》の都から、天子さまのお使いで、内殿司《ないでんす》の大臣《おとど》とかいう大官が、霊山へ献納する黄金の吊燈籠《つりどうろう》を捧げてやって来るんだそうで。へい。……え。嘘だろうッて。間違いッこあるもんですか。……なにしろ、勅願のご代参だッてんで、途々《みちみち》の露払いもえらい騒ぎで、見事な勅使仕立て船で、黄河《こうが》から支流《よ こ》の渭河《いが》へ入り、ずッと華州へ下って来るそうで」  これを聞くと、呉用はハタと膝を打った。 「宋先生。もう心配はありませんな!」 「え、どうしてです?」 「聞くうちに、ふと妙計が胸にうかんできたのです。天来の声とはこれでしょう。さっそく、精密なしめし合せと、その手くばりとを」  すでに、翌朝となると、いちはやく、山を降りて行った三人がある。  白花蛇の楊春を道案内とした、李俊《りしゆん》と張順の二人だった。この二人は、一ト足先に渭河《いが》の埠頭《ふとう》へ行って、大小幾隻かの船を手にいれ、なにやらそこで待機していた。  つづいて翌日には、花栄、秦明《しんめい》、徐寧《じよねい》、呼延灼《こえんしやく》の四人とその部隊が来て、これは渭河の両岸に、埋伏《まいふく》の計をとって、影をひそめる。  また、三度めには、宋江、呉用、朱同、李応《りおう》などが見え、先に来て待っていた張順たちの船に乗り込む。この船は、埠頭《ふとう》へ寄せて、ただの荷船か何ぞのように見せかけていた。  かくて、ふた夜ほどは、何事もない——  三日目の朝まだきである。  まだ川靄《かわもや》もほの白いうちに、しきりと、鴻雁《こうがん》が遠くで群れ立ち、やがて鑼声鼓笛《らせいこてき》の音と共に、櫓手《ろしゆ》の船歌が聞えだしていた。近づくのをみれば、花やかな三隻の官船である。特に、勅使船の舳《みよし》には、  欽奉聖旨《みことのりをほうじて》  西岳降香《せいがくにこうこうす》  大臣《だいじん》 宿元景《しゆくげんけい》  と書いた金繍縁《きんしゆうべり》の黄旗がゆるい川風になびいていた。 「あっ?」  と宋江は目をそばだてた。  むかし、九天玄女の夢告《むこく》をうけたとき宿《シユク》ニ遇《オ》ウテ喜ブ——という一語をたしか聞いている。これかもしれない? 彼と呉用とはそれッと船を少し進めさせて、 「やあ! お待ちください……」  と、やにわに勅使船のみよしをさえぎった。 「や、や、や?」  と官船の上では、騒ぎ立った銀帯金剣《ぎんたいきんけん》、それに紫の短い陣羽織を着た宮廷武官の面々が、二十余名、一せいに、勅使旗の下へ走り出て来て、ののしッた。 「こらッ、なんじらには、この御旗が目に入らんのか」 「おそれ多くも、内殿司《ないでんす》の大臣宿元景さまがお座船《ざぶね》の水路《みずみち》をば」 「さまたげなすと、ただはおかんぞ」 「推参《すいさん》な下種《げす》どもめが、目ざわりだわ。とッとと船を遠くへ避けい!」  いわせるだけいわせておいて、呉用は苦笑をうかべたが、さりとて、慇懃《いんぎん》な態度ではあった。 「あいや、お騒ぎ立ちは、なんのご利益にもなりますまい。——これは梁山泊の義士宋江《そうこう》です。義士宋江が折入って、御見《ぎよけん》を得に参った次第ですから」 「げッ? ……」と、一せいに白み渡って「梁山泊の輩《やから》だと! して、きさまがその宋江」 「いえ、宋江はこちらの御仁《ごじん》です。てまえは、おなじく梁山泊の一員、呉学究《ごがつきゆう》なので」 「しゃッ。白昼は歩けぬやつらが、首を揃えて何しにここへ」  宋江が、次をうけて、言った—— 「お願いのためにです。宿《しゆく》大臣閣下に、暫時《ざんじ》、ご上陸いただきましょうか」 「ばかなッ。わが大臣閣下が、なんじらごとき草賊《そうぞく》に親しくお会いになるものか」 「はて。ならんと仰せなれば、ぜひもない。——しかし、いかなる難《なん》が降ッてわいても、おさしつかえはないのだな」 「な、なにを」 「ま。おちついて最後をお決めなされたがよい。しばし、大臣ご自身の返答をお待ち申すとしよう」  ふたりの後ろには、李応《りおう》、朱同、そのほかが、鎗を持って、睨んでいる。  陸《おか》ではこのとき、花栄、呼延灼《こえんしやく》などの弓組が、官船三隻を、鏃《やじり》のさきに見すましていた。対岸にいた埋伏《まいふく》の兵もいちどに姿をあらわしていた。だから効《き》き目は充分こたえたものにちがいない。 「やあ、これは、これは……」  ついに、船屋形の帳《とばり》を払って、自身みよしに出て来た宿大臣は、今はその沽券《こけん》もすて、 「義士——」  と相手を呼んだものである。 「そも、何の御用じゃの。儂《み》は朝廷の重臣、かつは聖旨《せいし》を帯《たい》した参詣の途中での」 「わかっています。なればこそ、ていねいに、こうお迎えにまいっておる」 「はて、お迎えとは怪しからんはなしじゃが、いったい何処へ」 「近くの、山寨《さんさい》まで」 「えっ、山寨へだと。ば、ば、ばかげたことを」 「おいやか」 「か、かりそめにも身は……」  すでに歯の根もカチカチ言葉もなさない声音《こわね》である。そこへ持ってきて、このとき、官船の横ッ腹へどんとぶつかって来た小舟がある。李俊《りしゆん》、張順、楊春たちである。船上に躍り込むやいな、二人の警固を川へ取ッて投げた。為に、飛沫《しぶき》は船上をぱッと濡らした。 「あっ、ひかえろ。李俊も張順も、大臣閣下をおびやかすではない」  宋江が、せつなに、こっちの舳《みよし》で叱ると、その二人はまた、身を逆さまに、どぶんッ……と沈んで行ったものである。なにしろ“揚子江ノ三覇《さんぱ》”といわれた河童たちのこと。自分で投げ込んだ水中の人間を手玉にとり、水をゆくこと平地のように、やがてひらりともとの船へ上がって来た——。これを見ていた宿《しゆく》大臣はいうまでもなく、官人すべて、ぞうッと、肌をそそけだてた。  衣冠が燿《かがや》く世界でなければ、衣冠や栄位も、一個の木ノ実、一枝の草花にも値しない。  宿大臣閣下は、供奉《ぐぶ》の随員、宮廷武官、小者など、あわせて六、七十名と共に、ごッそり、少華山の人質《ひとじち》となってしまい、意気も銷沈《しようちん》、粥《かゆ》も水も、喉《のど》に通らぬほどな悄《しよ》ゲかただった。 「大臣、——ここへ来ては、もうご観念のほかありますまい。おいのちは保証する。まあ数日は、ゆるりと、ご静養のおつもりになって」 「宋江とやら。なぶるのも程にしてくれ。たとえ命があったところで、どう朝廷へ、こんな始末を提《さ》げてもどれようか」 「いや、すべてこの宋江の罪にして、ご帰還なされたらよいでしょう」 「すでに、立帰る船もない」 「渭河《いが》のお船には、李俊、張順の二名に、手下三百名をつけて、お帰りの日まで、守らせておいてありますから」 「なんのそれよりは天子から霊山へご献納の吊燈籠《つりどうろう》だ。そのほか、貴重な香木《こうぼく》やら数々なお供《そな》え物など。ああ、どうしようもない」 「それとて、お案じにはおよびません。きっと、華岳《かがく》の霊廟《れいびよう》へ、つつがなくお納めします」 「いッそ、それならわしを放してくれい。儂《み》が霊山へまいらぬことには、どうにもならん」 「いや元々、あなたは天子のご代参。ですからまた、あなたのご代参はわれわれがする。——そのため、大臣のご衣裳、お乗物、供奉《ぐぶ》員の式服。すべてをそっくり拝借申す」 「いったい、また、なんでそんな道化《どうけ》た芝居を演じねばならんのか」 「いずれ後ではお分りになりまする。たしかにこれは一場の劇。都へのよい土産《みやげ》ばなしになるでしょう」  山寨の一窟《くつ》で、宋江が彼を揶揄《やゆ》したり慰めたりしているうちに、一方では呉用のさしずで、一切の準備は進められていたのである。  馬子にも衣裳とはよくいうこと。ヒゲを剃《そ》るやら、金剣銀帯《きんけんぎんたい》を佩《は》いてみるやら、宮廷武官の紫袗《ししん》と称する短か羽織を引っかけるなど、さながら楽屋裏の忙しさと異ならない。  また仲間うちでも、のッぺり顔の漢《おとこ》をえらんで、これには、宿元景の衣服佩刀《はいとう》をそっくり体に着けさせる。そして、 「わあ、似合う、似合う……」  と、まるで子供みたいな拍手《はくしゆ》かッさい。  すでに儀仗《ぎじよう》の旗手《きしゆ》もできあがり、献納燈籠《どうろう》を入れた螺鈿《らでん》の塗り箱をかつぐ仕丁《じちよう》の役割もすべてきまる。かくて、これらが一せいにふたたび渭河《いが》への埠頭《ふとう》へさして返り、例の、勅使旗の船にひそまり返ったものだった。——するうちに、一方また、武松《ぶしよう》をかしらとした一軍が、道をたがえて、西岳《せいがく》の下、霊山山麓の総門へ、風のごとく、潜行して行った。  この日。——華岳《かがく》の中院、雲台観《うんだいかん》(道教寺)の前に、忽然《こつねん》と、雲から降りて来たような男が立って、こう大声告げて去った。 「観主《かんず》、観主《かんず》。院司《いんじ》もおらんか。勅使は早や渭河《いが》の河口へお着きになるぞ。なぜ出迎えん。一山の用意は滞《とどこお》りなかろうな」——と。  寺内では、あっと、一同驚き騒いだ。数人の僧がすぐ外へとび出してみたが、もうどこにもその人間は見あたらない。見えないはず、これは神行太保《たいほう》が使いに化けて、一令を触れ、またたちまち、宙を翔《か》け去ッてしまったものであったらしい。  しかし、天子ご名代の入山予告はとうに観《てら》へ入ってる。儀式万端奉迎のしたくにおいても手落ちはない。——ただ驚いたのは寝耳に水の、到着だった。あわてふためいて、観主《かんず》以下、一山の僧、河口の埠頭《ふとう》へ馳せさんじてみる。  ——なるほど、香花《こうげ》、燈燭《とうしよく》、幢幡《とうばん》、宝蓋《ほうがい》などをささげた行列——それはすでに船をはなれて上陸していた。  すると、列の先頭で、すぐ声があった。 「やあ、ひかえろ、ひかえろ……長い水路やら旅のおつかれで、宿大臣閣下には、あいにく、お病気《いたつき》におわせられる。観主《かんず》、ごあいさつは、あとにいたせ」  いったのは、呉用である。  この呉用も宋江も、もちろん、大臣の近侍に姿を変えており、あたりの武官、警固の兵、献納燈籠《どうろう》をかついでいる仕丁《じちよう》、小者の端まで、すべてお互い常に見ている顔ばかりだったのはいうまでもない。  クスリッ……時折り吹き出しかける奴には仲間の眼がぎょろと光った。もっとも巧妙な役者は、轎《かご》の内で、白絹のふとんに倚《よ》りかかっていた偽《にせ》大臣の男である。これはらくな役でもあったがなかなか巧い。すこぶる真面目くさッていた。うつらうつらと揺られて行く。——はや森々《しんしん》たる華岳の参道を踏み登っていたのである。奏楽が起る。喨々《りようりよう》と笛の音、金鈴《きんれい》のひびき。そして身は仙境を思わせる香《こう》のけむりと一山の僧衆が粛《しゆく》と、整列するなかをすすんでいた。すでにご病中との触れなので、偽《にせ》大臣はお轎《かご》のまま中庭《ちゆうてい》の客院までずッとそのまま通ってしまう。——勅使旗やら内府の官服、献納物の儀仗《ぎじよう》、だれひとりこれを疑って見るものはない。 「観主《かんず》」と、呉用は、客殿に大きくかまえて。 「怠りも、はなはだしいではないか。なんでお出迎えにおくれたか」 「申しわけございませぬ。まったく、万端のととのえはして、お待ち申しておりましたれど」 「叱りおくぞ。近ごろ、緩怠《かんたい》きわまる!」 「はっ……」 「それに奉行もまだ見えんようではないか」 「おそらくは、まだご存知なく、当寺より走らせた使いによって、仰天しておらるるものと思われまする」 「使いはやってあるのだな」 「追ッつけお見えになるでございましょう。いや取る物もとりあえず」 「ま。なんじらは、倖せと思うがいい。折ふしご勅使の宿《しゆく》大臣閣下には、ご不快のうえ、いたく今日はお疲れのもようで、あれあのように、まだご休憩の間《ま》でも、お轎《かご》の内を出で給わず……、為に、何らのおとがめも出ぬが、これがもし、お元気であらせられたら、ご立腹はいかばかりであったと思う」 「げに、なんとも、恐れ入り奉りまする。よそながら、ごあいさつをかねて、おわびなと……」 「ああこれこれ、近寄るまい。うるさく思し召すかもしれん。次の間より、遥拝いたせ。そこでよい、そこからで」  ところへ、あわただしげに、一群の役人が、華陰府の城中からはせさんじて来た。——奉行の賀《が》は、まだあとから少し遅れてまいりますと、三拝九拝、階《きざはし》の下で、詫《わ》び入るばかり。  これにたいしても、にせものの病大臣は、轎《かご》のままで、ただ轎の垂巾《たれぎぬ》の内から、弱々しげに、手をふって、こたえて見せたのみである。役人一同は「……へへッ」と、それにすら階下で額《ひたい》をすりつけたままでいる。  けれど、奉行の賀が来ると、これに対してはそうもゆかない。宋江が接待役に出て、正殿の廊から内へ案内して通す。そして、まずそれからである。恩賜の献納燈籠の内覧をゆるす——と、宋江と呉用とが、あたまから大きく言って、 「中書《ちゆうしよ》の者。御文書《ごもんじよ》を持て」  と、次の間へ大きく呼ぶ。  はーっと、遠くで答えがある。絢爛《けんらん》な公文の箱をささげて、静々と裳《も》を引いて出てきたのは、中書省の一官に化けていた、花栄《かえい》であった。  宋江が、次を呼んだ。 「御物《ぎよぶつ》の燈籠をささげて、殿司寮《でんすりよう》の者、お鍵番《かぎばん》の者、粗相なきよう、これへ出ませい!」  おーと、これもはるか遠くの返辞。やがてのこと。螺鈿櫃《らでんびつ》を抱えた宮廷人と見える者と、紅錦《こうきん》の袋に入れた鍵《かぎ》を持った鍵番とが、一歩一歩、つつしみぶかく、そこへ来て、奉行の賀の前で、その蓋《ふた》をはらった。  さんぜん、眼もくらむばかりな八角燈籠があらわれた。地金《じがね》すべて、黄金なのはいうまでもない。迦陵頻迦《かりようびんが》のすかし彫《ぼり》である。蓮《はちす》の花は白金だし翠葉《みどりは》は青金《せいきん》だった。万花《まんげ》の彩《いろど》りには、琥珀《こはく》、さんご、真珠をちりばめ、瓔珞《ようらく》には七ツの小さい金鈴と、数珠《ずず》宝珠《だ ま》をさげるなど、妙巧の精緻《せいち》ただ見恍《みと》れるのほか、ことばもない。 「げに、ありがたき聖徳にござりまする。かく近々と、拝させていただき、奉行の身にとりましても」 「冥加《みようが》と思われるか」 「ただただ、かたじけなく」 「しかるに」と、宋江がことばをかえた。「なにゆえ、勅使のお迎えを怠ったか」 「ふしぎや、何の伝令も、城内へございませんでしたので。……どうも腑《ふ》におちかねまする」 「ふしぎとは何事。ただいま、中書省の公文、恩賜の燈籠、あわせ見て、一点の疑義でもあるか」 「おそれながら、ただひとつ」 「それは」 「次室に見えまする、あの轎《かご》の内。失礼ながら、てまえには役儀上のことながら、ちょっと、そのお轎の内のお人へ直接、ものを申したい」  さっきから、じろと、そっちを眼の隅から睨んでいた奉行の賀《が》は、さすが一トかどの者だった。いうやいな、席を蹴って、ばっとそっちへ歩きかけた。  けれど、これは彼みずから敵に絶好な、断刀一閃《せん》のいい弾《はず》みを与えたものでしかない。  鍵番の吏《り》、すなわち徐寧《じよねい》は、かくし持っていた一刀の抜く手も見せず、賀の首を、斬りおとした。——それっと、これが全活動の合図となって、雲台観中《うんだいかんちゆう》、たちどころに修羅と変り、衣冠式服をかなぐり捨てた梁山泊の男たちの、跳梁《ちようりよう》の場となった。  この夕、華陰県の城中からも、火の手があがった。——総門にひそんでいた武松《ぶしよう》の一手が、賀《が》を送って来た供の人数を囮《おとり》にして、城中へまぎれ入り、一方、城下に待機していた解珍《かいちん》、解宝《かいほう》、楊雄、林冲《りんちゆう》、石秀のともがらと一致して、全城を乗っ取ってしまったもの。——また、もちろん、獄中にあった史進と花和尚の身は、炎の下から救出された。  けれど、ここにあわれをとどめたのは、絵師の娘玉嬌枝《ぎよつきようし》である。彼女はどうしても見あたらなかった。あくる日、城中の小者を捕えてただしてみれば、あわれこのときすでに、玉嬌枝は、父との別れをかなしみ、賀の夜ごとな執拗《しつよう》さにもたえきれず、井戸に身を投げてしまっていたものであったという。 喪旗《もき》はとりでの春を革《あらた》め、僧は河北の一傑《けつ》を語ること  華州地方の数日間は、まったくの無政府状態、そのものだった。  なにしろ稀代《きたい》な大騒動ではある。——県城から市街の半分は一夜のまに灰と化し、奉行は霊山の廟《びよう》で殺され、勅使宿元景《しゆくげんけい》は監禁されていた少華山からコソコソ都へ逃げ帰るなど。——どう見ても、これでは政府や法律がある世上とは思われない。  しかし、梁山泊《りようざんぱく》の輩《ともがら》は、これをもって、  天ニ代ッテ、道ヲ行《オコナ》ウ  ものと称し、風のごとく水滸《すいこ》の寨《とりで》へひきあげていた。そして例のように、凱旋の宴、分捕り品の披露《ひろう》、新加盟者の紹介などがおこなわれ、ここだけには、独自の“仲間掟《なかまおきて》”も制裁もあり、また彼らだけの“おらが春”も醸《かも》されていた。  まもなくまた、泊《はく》中の大兵は、徐州沛県《じよしゆうはいけん》の芒蕩山《ぼうとうざん》へ出撃して行った。そしてこれにも打勝ったすえ、やがて芒蕩山《ぼうとうざん》の三魁《さんかい》といわれる三名の賊将をとりこにして帰り、彼らの降《こう》を入れて、即日、新顔の列に加えていた。  それを、誰々かといえば。 樊瑞《はんずい》——あだ名を(混世《こんせい》魔王) 李袞《りこん》——あだ名を(飛天大聖《たいせい》) 項充《こうじゆう》——あだ名を(八臂那《はつぴなだ》)  という者たちで、いずれも投げ鎗や投げ刀の達人だった。中でも混世魔王の樊瑞《はんずい》は、丸型の楯をよく使い、また、道教の術を究《きわ》めた方術師《ほうじゆつし》でもあった。 「なアおい、春だよ。もう当分は、修羅場もあるめえぜ」 「まったく、殺し合いにも、少し飽きたな」 「ごらんよ、水寨《すいさい》の辺を。柳はみどりの新芽《しんめ》を吹き、杏花《あんず》や桃も笑いかけてる」 「むむ、女衆や年寄りの畑打ちも始まったね」  殺伐《さつばつ》な男どもにも、春は人並な多情多感をそそるらしい。あちこちの若草にころがって、ここ、ちょっと途《と》ぎれていた血臭い修羅場を忘れかけていた。  ところが。  例の対岸の見張り茶屋にいる見張り役の朱貴《しゆき》が、ある日一人のひょろ長い痩《や》せッぽちの男を泊内へつれて来た。州《たくしゆう》生れの金毛犬《きんもうけん》とアダ名のある段景住《だんけいじゆう》という者で、 「どうか、お仲間の端《はし》に加えておくんなさい。てまえ、なんの能《のう》もありませんが、そのかわり天下に二頭とない名馬をお土産《みやげ》に持ってまいりました」  と、いう。  しかし彼は、その名馬とやらを、ここへ持って来たわけではない。途中で横奪《よこど》りされてしまったというのである。なんのことはない、その泣き言《ごと》を訴えにここへ馳け込んで来たようなものだった。  ——訊けば、事情はこうなのだ。  州は金国(旧、満州国)の境に近い。そこに鎗竿嶺《そうかんれい》ノ牧《まき》がある。  牧には、大金国の王子のお召料《めしりよう》で、  昭夜《しようや》ノ玉《たま》の獅子馬  と名のある雪白の優駿《ゆうしゆん》が放牧されていた。金毛犬の段《だん》は、これが欲しくてたまらない。それを盗んで土産に持ってゆけば、かならず梁山泊への仲間入りができるにちがいないと、かねがね出奔《しゆつぽん》の望みを持っていたからだ。  そしてついに彼はそれに成功した。——盗んだ名馬の脚にものをいわせ、やがて凌州《りようしゆう》の西南、曾頭市《そうとうし》までやって来た。  するとここに市《し》の長者で“曾家《そうけ》の五虎”と呼ばれる五人兄弟がある。段《だん》はその輩《やから》に因縁をつけられて、せっかくな馬を途中で奪《と》られてしまった。無念、なんとも業腹《ごうはら》でたまらない。——どうか奴らを懲《こ》らして、稀代《きたい》な名馬白獅子《しろじし》をお取り返しなすッて下さい。「——お願いの筋はそれなんで」と、金毛犬の段《だん》は、百拝した。  始終を聞き終った総統の晁蓋《ちようがい》は「こいつ、どこか見どころがある」と宋江や呉用に諮《はか》って、ひとまず段の身柄は泊中にとめておいた。そして念のため、戴宗《たいそう》を曾頭市《そうとうし》にやって、虚実をしらべさせてみると段のことばにいささかの嘘もなかった。  のみならず、その曾頭市では今、子供の間に、こんな童謡が流行《は や》っており、居酒屋でさえもよく囃《はや》しているのを聞くという。 曾家《そうけ》の鈴が鳴りだせば 影をひそめる魔魅《まみ》や鬼 梁山泊など一トならし 都送りの鉄ぐるま 晁蓋《ちようがい》とらえて抛《ほう》りこみ 宋江《そうこう》ひねッて生捕《いけど》りに そウれ出て来い 智多星《ちたせい》(呉用)来い あとの小粒はふみつぶす  戴宗はなお、つけ加えて、一同へ告げた。 「——曾家《そうけ》の当主は、もと金《きん》国の人間ですが、これは老いぼれていて、問題ではありません。が、油断ならぬことには——総領の曾塗《そうと》、二男の曾密《そうみつ》、三男の曾索《そうさく》、四男の曾魁《そうかい》、五男の曾昇《そうしよう》——これらがみな、なかなかの者でして、将来の栄達を誓い合い、いつかは梁山泊を攻めつぶし、その功をもって、朝廷のご嘉賞《かしよう》を得んものとしていることです。ですから武器、戦車、囚人《めしゆうど》車《ぐるま》など、武庫《ぶこ》のうちに山と蓄《たくわ》えておることからみても、たえず虎視眈々《こしたんたん》と、わが水滸《すいこ》の要害を窺《うかが》っているものとしか思われませぬ」  一同は大いに驚いた。  そればかりではない。——戴宗の言によれば、ほかに史文恭《しぶんきよう》という兵法家、蘇定《そてい》という武術の師範まで召抱えて、曾頭市四千戸の街そのものが、いつでも曾家の濠《ほり》を中心に、全市一つの要塞化となるような組織にもなっているとのことだった。 「あぶない、あぶない。いつのまにそんな大敵国が出来ていたのか」 「曾頭市はだいぶ遠地だが、しかし捨ててはおかれまい。いまのうちに、こっちから行って禍根を絶ッてしまわぬことには」  衆議、異口同音に、そうなったのは、もちろんである。  すると、首席から立上がった総統の晁蓋《ちようがい》は、宋江の方を見て言った。 「宋先生、毎度毎度、出勢《しゆつぜい》の日には、あなたにばかり戦野《せんや》のご苦労をわずらわしてきた。しかしこんどこそは、この晁蓋が陣頭に立ってゆきます。どうか今回は留守をおねがい申す」 「なにを仰っしゃる」と、宋江も立って、言をさえぎった。 「——いちいちの戦に、総統自身が出ることはありません。あなたは水滸《すいこ》のおあるじだ。このたびもまた、この宋江と軍師呉用とに、お任せおきあらばよいでしょう」 「いやいや、心ならずも総統の首席にのぼって以来、ただの一ぺんも、自分は戦場に出たことはない。——何も決してあなた方と功を争うわけではないが、余りに何か心ぐるしい。どうかこんどはこのほうの意志を通させてもらいたい」  人々も止めたが、晁蓋は何といってもきかなかった。ぜひなく宋江もついに譲った。——晁蓋は大いによろこんで、みずから二十名の部将をえらび、五千の兵を動員して、その朝、水滸の宛子城《えんしじよう》を立ちかけた。  すると、突如、一陣の狂風が吹いて、旗の数も多いのに、わけて泊軍の象徴《しようちよう》とする大将旗がその竿首《さおくび》のところからポキと折れてしまい、一同は、はっと顔色をかえた。 「あ、これはいかん、不吉な前兆だ」  軍師呉用も言い、宋江もまた、晁蓋へむかって、切に、今日の出陣を止めた。 「首途《かどで》に旗が折れるなどは——どう考えても吉兆ではありません。——ひとつ、日を改めては如何《いかが》なものか」 「はははは」と、晁蓋は気にかける風もない。「こんな例はままありがちなこと。いちいち御幣《ごへい》をかついでいたら、そのたび部下の士気を沮喪《そそう》させるばかり。お案じあるな」  と、ばかり意気揚々、江《みず》を渡って、この日征途に立ってしまった。——がしかし、これはやはり悪い前兆であったとみえる。——晁蓋はこの一戦を買って出たばかりに、曾頭市《そうとうし》の市街戦で矢にあたり、約一ヵ月ほど後、あえなき重傷者になって、故山《こざん》へ送り還《かえ》されて来た。  曾頭市の守備は思いのほか固く、五虎の兄弟と、二人の兵法者の下《もと》に、その兵もまたすこぶる強かった。——為に、晁蓋は苦戦をかさね、あげくに、自身も頸《くび》の根に一矢《し》をうけて、無念な姿を、送還されて来たものだった。 「……これは重態だ。鏃《やじり》に毒を塗った毒矢であったに相違ない」  水滸の寨《とりで》は、このため、一同色をうしなった。さっそく宛子城《えんしじよう》の病房《びようぼう》に入れ、金創《きんそう》の手当やら貴薬《きやく》を煎《せん》じて飲ませるなど、日夜の看護《みとり》に他念もない。しかし晁蓋の息づかいは、刻々悪化するばかりだったし、加うるに、林冲《りんちゆう》、徐寧《じよねい》、呼延灼《こえんしやく》らの部隊も、総大将を失った結果、支離滅裂となって、ぞくぞく、敗戦の戦場からここの泊中へ引きあげていた。 「……すまなかった。賢弟《き み》たちの忠告をきいていたら、こんなことはなかったろうに」  そうした一日《あるひ》のこと。  晁蓋は、身うごきもならぬ体のまま、にぶい眸で、枕頭にいた宋江と呉用の顔を見あげ、そして虫の息で……。 「あとを……あとをひとつ、よろしく頼む。……そして誰でも、この晁蓋を射た矢の主を、つかまえたら、その者を梁山泊の次の盟主に立ててやって行ってくれ給え」  と、遺言した。  抜きとったその矢は大事にしまってある。後日のためにだ。矢柄《やがら》には「史文恭《しぶんきよう》」の三文字が彫ってあったのである。 「総統、しっかりして下さい。そんなお気の弱いことでは」 「いや、もうだめだ。人には天寿がある。わしの天寿はもう尽きたらしい」  言い終るとまもなく、彼は従容《しようよう》として死に就いた。宋江も呉用も、哀哭《あいこく》してとりすがったが、魂魄《こんぱく》、ついに還らなかった。  ただちに喪《も》を発し、泊中の者は頭巾に喪章《もしよう》をつけ、また宛子台《えんしだい》の上には黒い喪旗《もき》が掲げられ——一山、哀号《あいごう》のうちに沈みきった。  日をえらんで、聚議庁《ほんまる》の大堂には、霊幃《たまだな》の祭几《つくえ》が安置され、中央の位牌《いはい》には、  梁山泊主《りようざんぱくしゆ》、晁天王霊位《ちようてんのうれいい》  と書かれ、香花《こうげ》、燈燭《とうしよく》のかざりはいうまでもなく、特に供えられた一すじの“誓いの矢”が人目をひいた。これなん晁蓋《ちようがい》を殺した「史文恭《しぶんきよう》」と彫りのある毒矢の矢柄《やがら》なのである。  大葬の日には、近郷近郡の諸寺院から、たくさんな僧侶をよび、そのさかんなことは、一国の太守《たいしゆ》の弔《とむら》いも及ばない程だった。それも一日や二日のことでなく、あとの供養も七日にわたっておこなわれた。  さて、そのあとであった。あらたまって呉用と林冲《りんちゆう》とが、宋江の前にきて、 「国に一日も君なきあたわず、家に一日とて主《あるじ》なきあたわずです……。どうか今日以後は、あなたがこの水滸《すいこ》ノ寨《さい》の上に立って盟主の座について下さい。大寨《たいさい》一同の声でもありますので」 「とんでもないことを」  と、宋江はかたく辞した。 「先生の遺言にも——史文恭をとらえた者を次の盟主に——と仰っしゃっておられ、しかも私には、この大寨《たいさい》を統御してゆけるほどな力も徳望もありません」 「いや、衆望は充分です。また、ご遺言の儀は、今が今、誰と定めるわけにもゆきますまい」 「ですが、私は器《うつわ》ではない」 「というて、首脳がさだまらねば、泊中の取締りがつきませぬ。とにかく、復讐の成るあかつきまで、仮に、一同のあるじの位置につくことを、曲げても、ご承諾ねがいまする」  すでにこのことは、梁党《りようとう》の下部から中堅にいたるまでの者が、当然のように、心で推していたことであり、ついに宋江も否《いな》みかねて、 「——では、暫定的に、仮の首席として」  ということで、承認した。  と、聞いた黒旋風の李逵《りき》などは、 「そいつはよかった! 宋《そう》先生なら、梁党《りようとう》の盟主どころか、大宋《たいそう》国の天子さまに納まッたって、ちっとも、おかしいことはねえ!」  と、放言して、はしゃぎ廻った。  だが、そんな人気的な浮評《ふひよう》こそ、宋江がもっとも嫌《きら》ったところであり、任に就くと、彼は即日、大寨《たいさい》中のおもなる人物、すべてを聚議庁《ほんまる》に呼びあつめて、 「不肖、やむなく、一時の重任をおひきうけしたが、もとより私に神異《しんい》の才があるわけではない。一心同体、人々の和と結束に待つばかり。——そこで、一そうの団結と、気を一新するため、めいめいの部署と職制をあらためる。——またこの聚議庁《ほんまる》も、今日からは、——忠義堂と改称する。すなわち、天ニ代ッテ道ヲ行《オコナ》ウ——お互いの志をここに結ぶという意味で」  と、いい渡した。  そしてまた、 「この忠義堂の壁に、ただいま、新しい職制と部署の人名とを書いて貼り出すから、各はよくそれによって、責任を果たしてもらいたい」  とも、つけ加えた。  招くともなく、またしいて、寄るともなく、天命地宿、不思議な縁《えにし》のもとに、いつかこの梁山泊には、やがてもう百人ちかい天星《てんこうせい》、地星《ちさつせい》の漢《おとこ》どもが、集まっていた。  ちょうど、その全部の名が、忠義堂の壁に貼り出されたこと、いまその全簿名を、ここに写しておくのもムダではあるまい。  主席、宋公明《そうこうめい》。——次席、軍師呉学究《ごがつきゆう》、第三、道士《どうし》の公孫勝《こうそんしよう》以下——すなわち次のような順位だった。  第四、花栄。第五、秦明《しんめい》、第六が呂方《りよほう》、第七、郭盛《かくせい》。  以上が、船つきの水寨《すいさい》を挟んだ、右がわの山の砦《とりで》の一軍。  そして、左の関門には。  林冲《りんちゆう》をかしらに、劉唐《りゆうとう》、史進、楊雄、石秀、杜選《とせん》、宋万《そうまん》。  正面の木戸の守りは。  呼延灼《こえんしやく》を一番に、二番朱同《しゆどう》、三番戴宗《たいそう》、以下順に——穆弘《ぼくこう》、李逵《りき》、欧鵬《おうほう》、穆春《ぼくしゆん》など。  さらに。二ノ木戸には李応《りおう》あり、徐寧《じよねい》あり、魯智深《ろちしん》あり、武松あり、楊志《ようし》、馬麟《ばりん》、施恩《しおん》あり——という堅め。  宛子城《えんしじよう》直下には、なお、  柴進《さいしん》、孫立、黄信、韓滔《かんとう》、彭《ほうき》、飛《とうひ》、薛永《せつえい》。  このほか、水軍のとりでや、船庫《ふなぐら》の備えもあって、その船手には。——李俊、阮《げん》小二、阮《げん》小五、阮《げん》小七。——それに張横《ちようおう》、張順、童威《どうい》、童猛《どうもう》といったような、大江《たいこう》の河童《かつぱ》にひとしい面々が得意の持場にあたっている。  べつに“山上大隊”と称する遊軍だの烽火《のろし》台《だい》の哨戒《しようかい》隊などもあって雷横《らいおう》、樊瑞《はんずい》、解珍、解宝があり、またその搦《から》め手の守りは、項充《こうじゆう》と李袞《りこん》のふたりだった。  なお、ずっと離れて。  金沙灘《きんさたん》のとりでに燕順《えんじゆん》、鄭《てい》天寿、孔明、孔亮《こうりよう》の四将がいる。  その後ろ山に置かれた小寨《しようさい》の守備は、王矮虎《おうわいこ》、一丈青、曹正《そうせい》。みぎの小山にも、朱武、陳達、楊春。——以上があらましの配置であった。  が、この軍に配する軍需や、庶務、主計などの人選も、おろそかではない。  まず、忠義堂の内の、文書課では、蕭譲《しようじよう》が主任にあげられ、そのしたに賞罰係の裴宣《はいせん》、印鑑《いんかん》信書の部に金大堅《きんたいけん》。——また勘定方に蒋敬《しようけい》がおかれている。  大砲の鋳造《ちゆうぞう》から指揮訓練の主任。  これは、凌振《りようしん》以外に当る者はない。  造船廠《しよう》ノ長は、孟康《もうこう》。  衣服、旗、兵甲などの縫工《ほうこう》は、すべて侯健《こうけん》の係。造壁《ぞうへき》、築造《ちくぞう》の任は、陶宗旺《とうそうおう》。  雑事、家具、李雲《りうん》。  鍛冶一切のかかり湯隆《とうりゆう》。  酒や酢《す》のかかりに朱富《しゆふ》。それと縁のある宴会の主事は宋清《そうせい》。什器《じゆうき》、つまり納戸役《なんどやく》は白勝《はくしよう》と杜興《とこう》のふたりだ。いやそのほかにまだ対岸には四ヵ所の見張り茶店がある。——古顔の朱貴を筆頭に、顧《こ》のおばさん、孫新《そんしん》、李立《りりつ》、時遷《じせん》、楽和《がくわ》、張青、孫《そん》の妻などが、それらのことはやっている。  なにしろ驚くべき組織の大世帯ではあった。このまま一小国をなしうるといってもよい。——が、それでもなお足らぬ物はある。油、漆《うるし》、皮革、薬剤、砂鉄、糖蜜《とうみつ》、またいくらあっても欲しい馬匹など。——それらの買入れには、楊林、石勇、段景住《だんけいじゆう》らが旅商人に化けて各地へ派出されることになった。 「新しき寨主《さいしゆ》を迎えて」  と、式が終りかけたところで、一同は起立し、 「われらは、欣舞《きんぶ》にたえません。また仰せつけの部署に、各自、異存もありません。誓って責任をつくします」  と、宣誓の拝を執って、一せいに乾杯した。このあとで、宋江はただちに、 「一軍議をここに出す」  といって、先主晁蓋《ちようがい》の弔《とむら》い合戦の議を提出した。——自身、曾頭市《そうとうし》へ行って、曾の五虎を打ち、また毒矢のぬし史文恭《しぶんきよう》をもいけどって亡き人のうらみを報ぜん、というものであった。 「いや、お待ちなさい。それを議することすらまだ早い」  と、呉用はのっけから反対した。  そして、反対の理由としては、 「——曾家はいま、日の出の勢いにある。第二に、われから攻めるには遠隔すぎる。第三には、泊中の兵は、冬中からの連戦で疲れているうえ、先ごろも少なからぬ損傷をうけている。以上の裏を返せば、諺《ことわざ》にもいう——上リ馬ニハ当ルベカラズ——で我れにとって歩《ぶ》のいい勝目は一つもない。よろしく、ここは他日を期し、まず内を充実しておくべきでしょう」  と、いった。 「お説は正しい。いまの提議は撤回します」  と、宋江は素直に容れた。  全員の色にも同調な容子《ようす》がみえた。で彼は以後、故人の追善供養をただ旨《むね》としていた。すると早や七々忌の営《いとな》みも近づいた或る日のことである。——泊中にはたくさんな法要僧が逗留《とうりゆう》していたが、そのうちの一人に大円《だいえん》という僧侶があった。  この大円和尚は、北京《ほつけい》は大名府《だいみようふ》の、龍華寺《りゆうげじ》のお坊さんである。たまたま行脚に出て済寧《さいねい》へ行く途中、梁山泊の近くにかかり、請《こ》われて、これへ来ていた者だが。——田舎《いなか》沙門《しやもん》とはちがい、なかなか博識で、北京《ほつけい》の都会話《ばなし》もゆたかだったから、宋江と呉用とは、茶炉《ちやろ》に茶を煮ては、よくこの和尚と、風談《ふうだん》を興じ合っていた。  そして、ふとした話のはずみから、 「ほう? ……」と、大円が目をまろくした。 「では、おふた方とも、今日まで、河北《かほく》の玉麒麟《ぎよくきりん》をご存じなかったのですか」 「されば、ついぞまだ」 「これは驚いた、いやあきれましたな。ほんとうの姓名は盧俊儀《ろしゆんぎ》——それまでをいわなくても、玉麒麟《ぎよくきりん》といえば、河北はおろか、四百余州知らぬ者はないはずだがの」 「そんな、どえらい人物なので」 「はあ、お家《うち》は代々北京《ほつけい》の大商人、質屋と物産を表看板にしてござらっしゃるが、当主、盧《ろ》の大旦那は、そんな銅臭の人とは全く違う。学深く、武芸に長《た》け、わけて棒を使えば、おそらく天下無双じゃろ」  よく天下天下という坊さんである。呉用は苦笑していた。宋江は知らん顔して聞いていた。——全然知らなかったわけではなく、ふと忘れていたのである。しかし、それを思い出させてくれたのは、大円の茶話《ちやばなし》のおかげだったので、あとで二人だけになると、宋江からすぐ言った。 「軍師。今日ふと、玉麒麟と聞いたら、はっと、記憶をつかれて、思わず身ぶるいが出た。なんとかあの人物を、この梁山泊に迎えられまいか」 「造作はない。大円と話してるうちに、わしはもうそれを腹で考えていたほどだ」 「しかし北京《ほつけい》の大名府でも随一の長者。尋常なことでは仲間入りなどしてきますまい」 「いや、人を見て法です。この呉用が三寸不爛《さんずんふらん》の舌をもってすれば」 「説《と》きつけてみせると仰っしゃるのか」 「いや、とてもとても、それだけで来るはずはない。べつに一策を立て、たれか向う見ずな者を一人供に連れて行く必要がある」  すると、物蔭にいたらしい黒旋風《こくせんぷう》の李逵《りき》が、やにわに、二人の前へ出て来て言った。 「そのお供には、あっしが適役。軍師、李逵を連れて行ッておくんなさい!」 「いかん!」  宋江は、あたまから、彼をしりぞけた。 「とかく、君の悪い癖で、出場《でば》というと、すぐ自分を売り込みたがるが、短気、お喋舌《しやべり》、悪酒《わるざけ》、暴力好き、一つも取り柄《え》はありはしない。ましてこんどの行くさきは北京《ほつけい》第一の城市《ま ち》。李逵《りき》には不向き極まる所だ。引っ込んでおれ。君の出る幕ではない」 売卜《ばいぼく》先生の卦《け》、まんまと玉麒麟《ぎよくきりん》を惑《まど》わし去ること  宋江《そうこう》に叱られて、李逵《りき》はシュンと頭を抱えてしまった。——呉用《ごよう》は見て笑っていたが、 「李逵、そんなに行きたいのか」 「北京《ほつけい》と聞いては、矢もたてもありませんや。あの有名な大名府《だいみようふ》の城市《ま ち》。ああ行ってみてえ……」 「それほどに申すなら連れて行ってやらぬものでもないが」 「えっ、お連れ下さるって。やっぱり呉軍師だ。話がわからア」 「だが、条件があるぞ。——第一に、道中では一切酒を断《た》つこと、第二には、わしの童僕《ち ご》となって何事もハイハイと服従すること。第三……これはむずかしい。唖《おし》のまねして、決して口はきかぬことだ。どうだ、できるか」  李逵にとって、どれ一つ難題でないものはない。だが元来この男たるや、一日でも無事と退屈には居られない性質なので、一も二もなく、 「ようがす、三ヵ条はおろか何ヵ条でも、お約束はきっと守ります」とばかり誓約して、ついに呉用を承知させ、その供になって、翌る日、泊中一同の見送りをうけ、金沙灘《きんさたん》を彼方へ渡って、北方の旅に立って行った。  幾山河、行くこと二十日余り、明日は北京の城門を仰ごうというその前夜だった。旅籠《はたご》のおやじが、呉用の部屋へねじこんできた。 「お客人、どうしてくれる? おまえさんの供の童僕《ち ご》めが、わしんとこの若い衆をぶン撲《なぐ》って血ヘドを吐かせた」  という騒ぎ。——驚いて、呉用がその場へ行ってみると、偽唖《にせおし》の李逵をからかった宿の男が、店の土間にへた這《ば》っている。 「この唖《おし》めが!」と、呉用はまず李逵を叱っておいて「重々《じゆうじゆう》、すみませんでした。きっと折檻《せつかん》してくれます。どうかこれで一つ、ご養生でもなすッて」と亭主と被害者には、なにがしかの銀子《ぎんす》を与えて、早々に李逵を部屋へひきとって来た。 「こらっ、李逵」 「へい」 「そろそろ癖を出し初めたな。あしたはもう北京《ほつけい》の城内、万一きさまがヘマをやると、わしの一命にも関《かか》わってくる。約束が守れぬなら、きさま一人でここから帰れ」 「いえ、守ります。きっと悪い癖は出しません。どうぞお連れなすッて」  ここの旅籠《はたご》で、二人は入城の身支度をこしらえた。呉用は白地に黒い縁《ふち》とりの道服《どうふく》に、道者頭巾《どうじやずきん》をかぶり、普化《ふけ》まがいの銅鈴《どうれい》を片手に持ち、片手には藜《あかざ》の杖をついて出る——。またお供の李逵《りき》といえば、これは道者の稚子《ちご》と化けて、バサラ髪を二つに分けた総角《あげまき》に結《ゆ》い、着物は短褐《たんかつ》という袖無しの短い袴《はかま》、それへ交《ま》ぜ編《あみ》の細ヒモ締めて、足は元来の黒い素はだし、そして一本の旗看板《はたかんばん》を肩にかついだものである。  旗の文字にいわク。  運勢判断、八卦神如《はつけかみのごとし》 見料一両  つまり遊歴の八卦見《はつけみ》道者と化けすましたもので、宿を立ち出て、ほどなく、南大門にさしかかって見れば、さすが河北第一の大都《たいと》・紫金《しきん》の瓦、鼓楼《ころう》の旗のぼり、万戸の人煙は、春の霞《かすみ》を思わせて、北方の夷狄《いてき》に備える梁中書《りようちゆうしよ》が下の常備軍も数十万と聞えるだけに、その物々しさなど、他州の城門の比ではない。 「こら、こらッ。道人《どうじん》、どこへ通る?」 「おう、ご番卒でございますか。てまえは、泰山《たいざん》の儒者《じゆしや》ですが、諸国遊歴がてら、占《うらない》を売って旅費とし、また諸山の学問を究《きわ》めんとしている者でございまする」 「それはたいした秀才《せんせい》だな。して供の黒ンぼは」 「これは、李童《りどう》と申す、唖《おし》の童僕で」 「唖《おし》か。道理で目ばかり光らせておる。旅券は持っておるか。うム、よろしい。……通れ」  呉用はほっとしながらも、わざと悠々、関内《かんない》へ入って行く。たちまち、目も綾《あや》に織られるばかりな大名府の殷賑《いんしん》な繁華街が果てなく展《ひら》かれ、ともすれば、李逵《りき》は迷子になりそうだった。「オイオイ李童《りどう》。こっちだ、こっちだ」 「ほい! そッちか」 「口をきくな、唖のくせに」 「う。う……。ああくるしい」 「わしのそばを離れるなよ。ただ黙ってついて来いよ」  呉用はやがて、片手の鐸鈴《す ず》を振り鳴らしつつ、売卜《ばいぼく》先生がよくやる触れ口上を歌いながら、街をりんりんと流して行った。 甘羅《かんら》 早や咲き 子牙《しが》は おそ咲き 彭祖《ほうそ》 ながいき 顔回《がんかい》 わかじに みんな人物 ひとかどの者 みんな一生 同じでない かねもち びんぼう 運のつる 明日《あ す》が知りたくおざらぬか 金一両は お安いもの さあさ 神易《しんえき》にお問いなされ  ここに紫金大街《しきんたいがい》で一番の大《おお》店舗《み せ》、質《しち》、物産屋の招児《かんばん》も古い盧家《ろけ》の内では、折しも盧の大旦那——綽名《あだな》玉麒麟《ぎよくきりん》が——番頭《ばんとう》丁稚《でつち》をさしずしてしきりに質《しち》流れの倉出し物と倉帳《くらちよう》との帳合《ちようあい》をやっていたが、そのうちにふと、 「うるさいな」  と、大旦那の盧俊儀《ろしゆんぎ》が、舌打ちして、番頭のひとりへ言った。 「なんだい、外のあの騒ぎは?」 「子供ですよ。いやもう、さっきからたいへんなんで」 「ふうむ? 子供が何をやってるんだね」 「いいえ、風変りな占《うらな》い者《しや》が、鈴を振り振り歌って来るのを真似《まね》て、ゾロゾロ尾《つ》いて歩いているんです。へい。……それ、聞えるじゃございませんか」 「なるほど。甘羅《かんら》、子牙《しが》、顔回《がんかい》など、史上の人物を並べて、生意気なことをいってるらしいな。ひとつ呼び入れて、からかってやろうか」 「およしなさい旦那。見料は金一両だなんて、とんでもない法螺《ほら》を吹いてますぜ」 「まあいい。ものは試し。連れて来い、連れて来い」  まもなく、あたふたと、戻って来た番頭が。 「大旦那。八卦見《はつけみ》をよんで参りました」  すぐうしろから、つづいて入って来た呉用も李逵《りき》を後《しり》えに、一礼して。 「お招きは、こちら様でございますかな」 「おうわたくしです。ひとつ、わたしの運勢を占ってもらおうと思いましてね」  盧俊儀《ろしゆんぎ》は言った。——じろッと、呉用のひとみ、盧《ろ》の眼光。何か、どっちもどっち。言外に、人を観《み》ている。  が、盧《ろ》はさりげなく、 「ここはみせさき。先生、どうぞこちらへ」  と、一方の簾《すだれ》を排して、客間の鵝項椅《がこうい》(鵝鳥《がちよう》の首の付いた椅子《いす》)へ呉用を請《しよう》じ、そして、いんぎんに訊ね出した。 「ご旅装と拝しますが、先生、ご郷里はどちらですか」 「山東です。姓は張、名は用。談天口《だんてんこう》とも号していますが売卜《ばいぼく》は本業ではありません。郷里《いなか》では儒《じゆ》の寺小屋をひらいており、たまたま、遊歴の旅費かせぎに、好きな筮卜《ぜいぼく》をとって、特にお望みの方だけに見て上げておるような次第でして」 「そうですか。さすがどこか、街の売卜者《ばいぼくしや》などとは、どこかご風采も異なるものがあると思いました。ところで、私の運勢をみていただけましょうか」 「まず、お生れ年と、月日を」 「本年三十二歳、甲子《こうし》ノ年、乙丑《いつじゆう》ノ月、丙寅《へいいん》ノ日、丁卯《ていぼう》ノ時刻に生れました。……が先生、金が入るとか、損するとか、そんな日常茶飯事は、貴筮《きぜい》に伺う必要はありません。ただ男子の三十、生涯の方途如何《いかん》という、そこのところの運勢を篤《とく》とみてくだされい」 「こころえた」  呉用は、香炉台《こうろだい》を借り、香《こう》を薫《くん》じ、おもむろに算木《さんぎ》を几《つくえ》にならべ始めた。そして筮竹《ぜいちく》をひたいにあてて、祈念三礼《らい》、息をつめて、無想境に入ったと思うと、その相貌はまったく人間の肉臭を払って、みるみる聖者のごとき澄みきったものに変った。盧俊儀《ろしゆんぎ》も、はっとその真剣さに打たれてか、共に息をこらして、伏羲《ふつき》神農の呪《じゆ》を念じずにはいられなかった。  するうちに、ばしッと筮竹《ぜいちく》を割り、算木《さんぎ》の表裏を反《かえ》して、卦《け》を現わすやいな、 「あっ。これは?」  と、呉用があらい息の下に呟《つぶや》いた。  盧俊儀は、横からさし覗《のぞ》いて。 「先生、何と出ましたか」 「はてな。……いぶかしい」 「吉ですか、凶ですか」 「ご主人」 「はっ」 「失礼ながら、てまえはあなたを、ひとかどの人物と観《み》た。しかるに、なんとも神易の告げはよろしくない。もし、お気を悪くなさらぬなら、あるがまま、卦面《けめん》の告げるところを、歯に衣《きぬ》きせず、おはなししようが」 「おっしゃっていただきたい。なんで気を悪くなどするものですか」 「ならば申すが……卦《け》には“血光《けつこう》の災《さい》”という大凶が出ている。百日を出ぬまに、当家の財は崩れ、あなたは剣難に遭って一命を終るでしょう」  聞くと、盧《ろ》は笑い出した。 「なるほど、当るも八卦《はつけ》、当らぬも八卦ですな。家は北京《ほつけい》で重代の老舗《しにせ》。私は人に恨みをうけている覚えもない。……今日はとんだ春日《しゆんじつ》の閑戯《おなぐさみ》にお目にかかった。謝金一両、これにおきます。どうか、ゆるゆる、おひきとりを」 「いらん」  呉用は、金を押し戻した。もう身は椅子《いす》を起ち上がっている。そして、いかにも憐《あわ》れむように、こう呟《つぶや》いたものである。 「ああ! およそ世間から大人物だなどといわれているほどな者も、会ってみれば知れたものだ。——みんな自分に甘いお上手を聞きたいだけのものらしい! いやまことに、小人《しようじん》の閑戯《かんぎ》をお見せしてお恥かしい。では、おいとま申す。ごめん!」 「あっ、先生」 「何をおとめなさる」 「そう、ご立腹では心ぐるしい。ま、茶でも煎《い》れましょう。もうすこし話して聞かせてください」 「だめです。ひとたび妄《もう》に晦《くら》んだお人には。——いかなる神占《しんせん》も耳には仇事《あだごと》。つまりは、それが運勢というものでな」  こういわれてみると、人間の弱さ、盧俊儀《ろしゆんぎ》も何か密《ひそ》かな危惧《きぐ》を抱かずにいられなかった。わけて彼には、人間を観る目がある。その目で呉用を観れば、決してただの凡庸《ぼんよう》な売卜者《ばいぼくしや》ではない。よけい彼がこの手管にひッかかった理由はそこにあったといってよい。 「先生。もし卦面《けめん》の告げがわたくしの運命だとしたら、何とか、その凶運を避ける術はないものでしょうか」 「ないことはありません。それが易《えき》だ。易とは、過去のことをあてて足れりとせず、未来の凶にそなえて、よく身を護るべきためにあるもの。それでなくては易学ではない」 「では、どうしたらよいでしょうか。おっしゃるような厄難《やくなん》を避けるには」 「真実、謙虚になって、おたずねか。……ならば申そう」  と、呉用は、巽《たつみ》(東南)の方を指さして。 「北京から一千里の外、巽にあたる地方へ一時身をかわしておしまいなさい。多少、驚くことにぶつかるが、自然、運が開け、明年以後は、無事なるを得ましょう」  と、いった。  彼はまた、謎《なぞ》めいた一詩を書いて盧《ろ》に渡した。後日、この詩句にも必ず思い当りがありましょうと言い残したものである。——そして飄然《ひようぜん》と、ここを辞すや、旅籠《はたご》においてある荷物をまとめて、次の日にはもうもとの山東への道、梁山泊をさして、李逵《りき》と共に風のごとく帰りを急いでいた。 「李固《りこ》——」と、俊儀《しゆんぎ》は、みせの一番番頭の李固をよんで訊いていた。 「きのうの易者は、きょうも街を流しているかね」 「いえ、あれッきり見えませんよ。あれッきり」 「妙だなあ。じつにふしぎだ」 「何がです、大旦那」 「いや何でもないが……」  しかし、争われないことには、あれから数日。盧《ろ》は、怏々《おうおう》として、どこか心のおちつきを欠いている。  何か、わが家の守護神が易者となって啓示を垂れてくれたのではあるまいか。——そんな気もしてくるのである。  別れぎわに渡された詩を、彼は自分の部屋の壁に貼って見入ったりしていた。——蘆花叢裡《ロカソウリ》一扁《ペン》ノ舟、俊傑俄《ニワカ》ニ此《コ》ノ地ニ遊ブ——口に誦《ず》して何べんも読んではみるが、謎は謎で、思い当ってくるふしもない。  そして明け暮れ、気になってならないのは、“血光の災”といわれた家運の厄《やく》と剣難の禍《わざわ》いだ。煩悩《ぼんのう》は煩悩を呼ぶ。迷うと果てはない。とうとう彼は意を決して、 「折入って、一同に相談がある。晩飯がすんだら、みんな奥の大広間へ集まってくれ」  と、いい渡した。  さて何だろう? ただ事ではない、と。宵《よい》のくちになると、大番頭の李固《りこ》以下、盧家《ろけ》の雇人四十幾人、二列になって、大旦那の前に出て生唾《なまつば》呑んだ。  わけてこの李固は、十年前、凍《こご》えきって店の前に行き倒れていたのを、大旦那に拾われて、その実直をみとめられ、読み書きそろばんも達者なところから、いまでは一番番頭に起用されていた者なので、「お家の大事」には、まず誰よりも真剣になるのは当然だった。 「李固。みんな揃ったかい」 「へい。洩れなく、揃いましてございますが」 「ひとり、あれが見えんようだが」 「お。——燕青《えんせい》さんだけまだ見えていませんな。どうしたのか」といっているところへ、「オオ見えた」という人々の声を割って、 「どうもおそくなりました」  と、神妙にわびながら、李固の隣へ来て、直立した者がある。  小づくりで、肉《しし》むら白く、朱唇のどこかに愛嬌《あいきよう》をたたえ、年ばえ二十四、五かと見える、生きのいい若者だった。白衫《はくさん》に銀紗《ぎんさ》模様という洒落《しやれ》た丸襟の上着《うわぎ》に、紅絞《べにしぼ》りの腰当《こしあて》をあて、うしろ髪には獅子頭《ししがしら》の金具止め、黄皮《きがわ》の靴。そして香羅《こうら》の手《ハンケチ》を襟に巻き帯には伊達な挿《さ》し扇《おうぎ》、《びん》の簪《かざし》には、季節の花。  さらに、これを脱げば、雪白の肌に、目のさめるような美しい刺青《ほりもの》ももっている。  生れながらの、北京《ほつけい》ッ子だった。  幼少、両親を亡くし、盧《ろ》の大旦那にひきとられて、わが子同様に愛育されてきた者だ。  かねにあかせた名人刺青《ほ り》師《し》の仕事だけに、どこの刺青《ほりもの》競《くら》べに出ても、ひけはとらない。笛、琴、胡弓、歌、踊り、天性すぐれざるなしでもある。——かつは一を知って十を知る悧発《りはつ》であるばかりでなく、四川弓《しせんきゆう》と呼ぶ短弓《たんきゆう》を手挟《たばさ》み、わずか三本の矢を帯びて郊外に出れば、必ず百禽《きん》の獲物を夕景にはさげて帰るというのでも、その技《わざ》の神技がわかろう。——ともかく相撲《すもう》に出ても、遠乗りの騎にムチを打っても、北京の巷《ちまた》では花柳《かりゆう》の妓《おんな》までが、彼の姿を見れば、  浪子燕青《ろうしえんせい》 浪子燕青  と、まるで酔ったように謳《うた》い囃《はや》してやまないほどだった。——その瓊《たま》の面《おも》は、漆《うるし》のひとみは、今、一同と共にじっと、盧《ろ》の大旦那のくちもとを見まもっていた。 「おお、燕青も見えたな。……では、これからわしの意中を打ち明けるが、決して誰も止めないでくれよ」  と盧俊儀《ろしゆんぎ》は、過日来の易《えき》の一条と、血光ノ災のこととを、語りだした。——そして、つくづくいうには、思うに、自分は祖先の業と財と徳を継《つ》いできたのみで、何の報徳もしていなかった。まことに不信心であった。  易者の言など、あてにならないかもしれない。しかし自分は発心した。ここから千里の外、巽《たつみ》の方角といえば、そこには、泰安州《たいあんしゆう》は東岳《とうがく》泰山の霊地がある。一に罪障の消滅を祈り、二に衆生のための浄財を喜捨《きしや》し、三に、あきないがてらの見物もして廻りたいと思う。……で、李固《りこ》はさっそく、山東向けの商品や旅の荷を車につんで、わしの供について来る支度にかかれ。そしてまた燕青《えんせい》は、わしに代って、庫《くら》の鍵《かぎ》をあずかり、よく家事一切の留守をかたくして欲しいと、縷々《るる》、言い渡しを、言い渡した。 「大旦那。いえ、大旦那らしくもない」  と、李固は、第一に反対した。 「どこの風来とも知れぬ、あんな売卜者《ばいぼくしや》ずれの言を、そうまで、お気に病むことはございますまい。諺《ことわざ》にも『易者の身の上知らず』というではございませんか」 「いや、わしには、べつな発心が生じているのだ。どんな富でも、富は浮雲のようなもの。おちぶれてから後悔しても及ばんからな」 「ですが、ご主人」  と、燕青もまた、黙ってはいられぬように、口をひらいた。 「巽《たつみ》とはまた、方角が悪いじゃありませんか。泰安州へ行くには、どうしたって、梁山泊《りようざんぱく》のそばを通ることになる」 「はははは。噂のたかい梁山泊か。世間は恐れているらしいが、わしからみれば程の知れた草賊だよ。ま、水滸《みずのほと》りの蛙も同然さ」  そこへ、楚々《そそ》と、盧俊儀《ろしゆんぎ》の妻の賈氏《こし》が、屏風《びようぶ》を巡ってあらわれた。李固《りこ》や燕青と共に「——そんな遠出の旅は、思いとまっていただきたい」と、すがるばかりに止めるのだった。  嫁《とつ》いできてまだ五年たらず、二十四、五の美人であった。  だが盧《ろ》の大旦那は、この妻のいさめにさえ、意をひるがえす色はない。また燕青はしきりに、旅先の方角が気になって仕方がないらしく、「では、ぜひもございません。が、供人には、ぜひこの燕青を連れて行ってください」と、執《しつ》こく頼んだ。けれど、これもまた、 「あきないは、李固でなければわからない。おまえは留守しておれ」  と、一言の下に、しりぞけられてしまった。  ところが、選ばれた番頭の李固とくると、どうも彼は、旅の供をよろこんでいる風ではない。主人の身よりは、自分の都合か。「……じつは、このところ、ちと脚気《かつけ》の気味で……」などと渋りだしたものである。そこでついには、盧俊儀《ろしゆんぎ》の大喝《だいかつ》を食って、急に縮《ちぢ》み上がり、否《いな》やもなくなったようなわけだった。  ともあれ、それから三日後。  十数輛の馬車と人夫と、そして先発の李固とが、貨物の商品や旅の必需品をつんで、盧家の倉前《くらまえ》から西南へ立って行った。——ときに、盧《ろ》の細君の賈氏《こし》が、その遠ざかる馬車の上を見送って、ふと、ぽろりとして、あわてて奥へひっこんだ。——ということなど、もとより盧《ろ》の大旦那は何も知っていない。  あとにのこって、一夜はなお、何かと、家事の始末など留守の者にいいつけ、そして翌朝は早くから、先祖のまつりなどして、さて、旅衣さわやかに、腰には、彼が得意としてほこる棒術の一棒を横たえ、 「では、行って来るからな。火の用心と、体だけを、気をつけろよ」  と、妻の賈氏《こし》へ言い残した。 「あなたこそ……」と、妻は打ち萎《しお》れて「旅では、食べ物にも、お気をつけてくださいね。そして一日もおはやく」 「うむ、百日もたてば、帰って来る。……おう燕青《えんせい》、おまえにも、たのんでおくぞ」 「はい。行ってらっしゃいまし。どうも早や、こうなっては、お留守のご安心を願うしかございません。お心丈夫に」 「などといっても、おまえは元来諸所方々でちともてすぎる。うっかり色街《いろまち》の妓《おんな》などにはまりこむなよ」 「これは、なさけないおことば。どうして、ご主人の留守にそんなことを」 「いや冗談だよ。何よりみんな仲よく機嫌よく暮らしていろよ」  彼は馬に乗った。そして馬の上から、さすがあとに残す妻の姿をふりむいた。賈氏《こし》も燕青も、その人が見えなくなるまで手を振っている。しかし賈氏のひとみには、前日、先発した馬車を見送っていたときのような瞼《まぶた》の濡れはさらにない——。街の空には、春の雲を縫《ぬ》って、雁《かり》の影が、これも巽《たつみ》の方へ消えて行った。 江上《こうじよう》に聞く一舟《しゆう》の妖歌《ようか》「おまえ待ち待ち芦《あし》の花《はな》」  さきに、一日早く北京府《ほつけいふ》を立っていた番頭の李固《りこ》は、約束の旅籠《はたご》で、主人盧俊儀《ろしゆんぎ》があとから来るのを待ちあわせていた。 「オオ大旦那。お留守中の御用はもうすっかりおかたづきで?」 「む、家内にも燕青《えんせい》にも、わしがいないうちの万端の仕切廻しはすべて申し含めて来たからな。もう何も気がかりはないよ」 「でも、十日や二十日のご旅行ではなし、昨晩はさぞ、お内儀さまも……」 「よけいな心配はせんでもいい。馭者《ぎよしや》、人夫、商《あきな》い物の貨車《くるま》など、なにしろ大勢を連れての旅だ。おまえはその方の係としてそのため連れて来た者だ。気をつかうならそっちへ頭を向けていろ」  旅の毎晩毎朝、旅籠《はたご》旅籠では大持《おおも》てだった。  なにしろ北京一流の豪商盧《ろ》の大旦那が、自身で交易《こうえき》がてらの泰山廟詣《たいざんびようまい》りというので下にもおかず、お供の端まで日々、とんだいい目のご相伴《しようばん》にあずかった。  盧《ろ》、その人もまた、 「ああそろそろ五月だな。新緑の美しさ、谷水の麗《うるわ》しさ。千山万水、いまが一ばんいい季節か。立つまでは、さんざッぱら迷いに迷ったが、やはり思いきって出て来てよかった。旅はいいなあ」  と、これまた一日とて、愉しまぬ日はない様子だ。  はやくも南下二十日余り。或る一宿場まで来ると、その晩、宿の亭主が、おそろしく心配顔して、あくる日の旅を注意した。——これから、二、三日の間の道は、かの有名な梁山泊《りようざんぱく》のほとりに近い。近ごろ寨首《さいしゆ》となった宋公明《そうこうめい》(宋江)は決してただの旅人衆に害を加えるようなことはしないが、でも万々、お気をつけなすって、というのであった。 「ありがとう。ご親切に」  ところが翌朝、盧俊儀《ろしゆんぎ》は何思ったか、同勢出発という間際になって、衣裳箱の白絹を取り出してそれを旗四枚に仕立てさせ、一旒《りゆう》ごとに一行《ぎよう》、墨痕淋漓《ぼつこんりんり》とこう書いたものである。 慷慨《コウガイ》ス北京ノ盧俊儀《ロシユンギ》 遠ク貨物ヲ駄《ダ》シテ郷地ヲ離ル 一心只強人《タダキヨウジン》ヲ捉《トラ》エント要《ホツ》ス 那時方《ソノトキマサ》ニ志ヲ表サン  李固《りこ》は首をさしのばして見ていたが、まっ青に顔色を変えて。 「ど、どうするんです大旦那。そ、それを……」 「お禁厭《まじない》さ。十二輛の貨車《くるま》の上に、間をおいて一旒《りゆう》ずつ立てて行くんだ」 「ひぇッ。いいんですか。そ、そんな、かえって盗賊を招《よ》ぶような真似《まね》をなすって」 「来るものかよ、盧俊儀《ろしゆんぎ》と知れば——」  広言でなく、これは彼の自信だった。水滸《すいこ》の草賊、北京での噂も高いが、心ではつねに嗤《わら》っていたのである。  しかしその朝いらい、彼は家伝の一刀を腰に横たえ、棒は手に持って、ここを出た。そしてまず一日は無事だったが次の日のこと。青い海へでも入ったような原始林の道へかかると、怪鳥の啼《な》き声を思わすような口笛がどこかで聞えた。 「そらッ、出て来たッ」  と、馭者《ぎよしや》や人夫らはみな車をとび降りて車の下に這《は》い込んでしまう。元々、賃雇《ちんやと》いで連れて来たこれらの雑人《ぞうにん》はぜひもない。だが、李固《りこ》までが車の下でワナワナ慄《ふる》えているざまに盧《ろ》は腹立たしげにどなりつけた。 「たわけめ。きさまは主人がどんな人間かをこの年まで知らずに仕えてきたのか。何が出て来ようと、ここに玉麒麟《ぎよくきりん》の盧俊儀《ろしゆんぎ》がおる! わしが相手を斬り伏せ叩き伏せたら、きさまは人夫を督《とく》して、それらの賊どもを片ッ端から車の上に積んでしまえ! 泰山詣《たいざんもう》での土産《みやげ》として、北京府の官へ突き出してくれようわい」  すると、ことばの終らぬまに、ザ、ザ、ザ、ザッと、躍り出てきた者がある。手に二丁斧《ちようおの》をひらめかせた黒人猿のような男だった。 「とうとう、おいでなすったネ、北京《ほつけい》の旦那!」 「やっ、うぬは何日《い つ》ぞやの」 「おおさ。旅の売卜《うらない》者《しや》について、お宅へ顔を見せた唖《おし》の童僕《ち ご》だよ。ジツの名、黒旋風《こくせんぷう》の李逵《りき》だ」 「さては何か?」 「もうおそい! 気がつくのが遅すぎらあ」 「うごくな、食わせ者」  棒が唸《うな》った。二丁斧の一丁がカンと鳴る。  とたんに、両者の戦う影に、ちぎれた草が舞い、梢《こずえ》の葉が雨と散る。だが、ヒラッと黒旋風は次の一瞬に逃げ出していた。それを追って行くとさらにまた、一方の木蔭から黒い薄《うす》法衣《ごろも》を体に巻いた大坊主が現われて、 「待った。わが輩は花和尚の魯智深《ろちしん》。せめて、わが輩の挨拶《あいさつ》はうけてもらいたい」  と、鉄の禅杖《ぜんじよう》をつきつけて道をはばめた。 「なに、あいさつだと」 「そうだ。じつあ、お歴々な山の兄貴たちからいいつかり、おめえさんを迎えにここまで出ばって来たんだ。おとなしくわが輩と共に水滸《すいこ》の寨《とりで》まで来てくれまいか」 「ばかなッ」  叱りとばすや否、盧《ろ》は棒術の秘をあらわして跳びかかった。花和尚は逆にその下をくぐって振向きざま一颯《さつ》するどく風を起す。せつなに、棒は砕け飛び、そして盧俊儀《ろしゆんぎ》が抜打ちに薙《な》いだ刀は、花和尚のころもの袖を切っていた。 「おッと、あぶねえ、和尚は退《ど》け」  また、違った声である。これなん、行者武松《ぶしよう》である。戦い戦い、密林の奥へつり込まれた。——まずい! と感じて盧《ろ》はひッ返す。すると、こんどは、赤髪鬼の劉唐《りゆうとう》と名のる者。没遮《ぼつしやらん》の穆弘《ぼくこう》と喚《おめ》く者。またわれは撲天《はくてんちよう》の李応《りおう》なりと、みずからいう者。あとからあとから彼を試みるように出ては挑みかかり、戦ってはまた隠れ去る始末に、さすがの盧も、全身、水をあびたような汗になってしまった。  いやそれはまだしも。——彼がその一ト汗を拭くべく小高い丘へ馳けのぼって行くと、すぐかなたなる山坂道を、銅鑼《どら》の音ジャンジャン囃《はや》しながら遠ざかって行く一群の賊の手下があり、その中には、自分の供の李固《りこ》も人夫も、十二輛の貨車も、引ッ立てられているのが見えた。 「やあ、賊ども待てッ」  盧《ろ》は、宙を飛んで、先の一群を追ッかけた。  数珠《じゆず》つなぎの人と馬とそして貨車《くるま》とを追い立てていたのは、挿翅虎《そうしこ》の雷横《らいおう》であり、また美髯公《びぜんこう》の朱同であった。  二人とも、盧《ろ》を目前に見ると、呵々《かか》と大笑して。 「御用か。御用とあれば、もっけの幸い。この車にお召しあっては如何《いかが》なもので」 「だまれっ。罪もない召使や雇い人夫。そこへおいて去れ。去らぬとあらば」 「どうなさる?」 「かッ」  と、盧は心火を燃やした。理のほかだ。力で見せ、血で物を解《わか》らせるしか、意志のとどく相手ではないと思った。だからこの一刹那からの彼のまさに名にしおう河北《かほく》の三絶《ぜつ》(傑物ノコト)玉麒麟《ぎよくきりん》その者の本相だった。日ごろ秘《かく》していた武芸と剛胆とをその姿に極限まで描いて雷横《らいおう》、朱同の二人を相手に火花をちらした。——といっても、それはまたつかの間で、彼はいつか当面の敵も手下の群れも見失い、どこか高い所でする簫《しよう》、絃《げん》、鉄笛《てつてき》、板《はん》(一種のカスタネット)などの奇妙な楽奏《がくそう》の音に、はっと耳を醒《さ》まされていた。  気がついてみれば、自分はせまい一渓路《けいろ》に立っており、渓流をへだてた彼方、硯《すずり》の如き絶壁の中層には、紅羅《こうら》の金襴傘《きんらんがさ》を中心に、一座百人以上な人影が立ちならんでいて、上には、  替天《てんにかわりて》行道《みちをおこなう》  と四大字を書いた繍縁《ぬいべり》の大旗がひるがえってみえるではないか。 「や、や、や?」  仰天《ぎようてん》する彼の姿を、彼方では笑うかのように。 「盧員外《ろいんがい》(盧は大員外トモ呼バレテイタ)どの、盧員外どの。お変りもありませんか」  こういったのは、羅傘《らさん》の下に見える人物。すなわち宋江《そうこう》であって、右がわに公孫勝《こうそんしよう》、ひだりには呉用。  この呉用へ、ヒタと眸をすえた盧俊儀《ろしゆんぎ》は、いまや自分がなぜここにいるかも分らぬような夢幻感と憤りの中に燃えた。 「やあ、そこにおるのは、先頃の偽易者《にせえきしや》、談天口《だんてんこう》とかいう奴だったか。おのれ、よくも!」 「だましたと、お怒りか。わはははは」  と、彼方の笑い声は、谷谺《たにこだま》に大きく響いて。 「いまは実を申上げる。お伺いした偽易者、まことは水滸《すいこ》の一人智多星《ちたせい》呉用です。これにおられる寨主《さいしゆ》宋公明には、久しくあなたを慕っておられ、梁山泊一同協議のうえ、あなたを仲間にお迎えしようものと、すなわち、呉用が一策を用いた次第でした。——不悪《あしからず》、不悪」 「ばかげた夢ッ、悪戯《いたずら》もほどほどにしろ。山野に巣食う栗鼠《り す》や貉《むじな》の分際で」 「いや、野《や》には遺賢《いけん》だらけだ。あなたもこの旗の座にきてください。天に代って共に道を行いましょう」 「盗賊の道をか! くそでもくらえ」 「仰っしゃったな。花栄《かえい》、客人《きやくじん》はまだお目が醒《さ》めぬらしい。一ト矢、ご馳走申せ」  そばにいた小李広《しようりこう》の花栄は、これを聞くと、手馴れの弓に矢をつがえて、はッしと放った。花栄の神技、狙いはあやまたず、盧俊儀《ろしゆんぎ》がかぶっていた羅紗笠《らしやがさ》の緋纓《ひぶさ》をブンと射切った。  これには盧も大いに驚いて、足は無意識に逃げ走っていた。すると突如、山が震《ふる》い鳴った。鼓声《こせい》、鬨《とき》の声である。——そしてなお逃げまどう先々の途《みち》でも、豹子頭《ひようしとう》の林冲《りんちゆう》、霹靂火《へきれきか》の秦明《しんめい》、金鎗手《きんそうしゆ》の徐寧《じよねい》などが入りかわり立ちかわり、彼のまえに立ちあらわれて「見参っ」と叫び、また「ご挨拶——」と呼びかけ、各自が一芸一芸の武技をもって彼をさんざんに悩ませた。どうも、ひどいご挨拶もあったもの。  とまれ、いつか彼は渺《びよう》たる水と芦《あし》のほとりへ出ていた。それや水滸の泊《はく》に近い鴨嘴灘《おうしたん》とは知るよしもない。微かな星、ほのかな月、小道をかきわけ掻きわけ、茫《ぼう》と、いちめんな芦の花に行き暮れていると、 「旅の衆。道に迷ったのかね」  と、一そうの小舟の櫓音《ろおと》、そして、小舟の上からその漁師がなおもいう。 「……迷ったものなら仕方ねえが、なんだってこんな所にぼんやりしていなさるのかい。ここらは名うてな盗人の巣だ。それとも命の捨て場にでも困っているのかね」 「冗談ではない——」と、盧《ろ》は言った。「命あっての物種《ものだね》だろうではないか。どこか無事な所へ着いて、ひとまず宿をとりたいのだが」 「そいつは生憎《あいにく》だ。ここらには旅籠《はたご》もねえ。本街道へ出るまでにしても、三十里は軽くあらあ」 「駄賃はいくらでも出そう。舟で渡してくれないか。灯のある岸まで」 「乗ンなせえ。その代り銭《ぜに》十貫、銀でもいい、前払いで貰おうか」  盧はほっとした。過分な礼を見たせいか、船頭の櫓《ろ》は気持ちよく水を切る。たちまち芦《あし》の洲《す》を幾めぐり、水上十数町も漕《こ》ぎ去り漕ぎ来ったと思われる頃——ふと、べつな小舟が行くてに見えて——上には二ツの人影、ひとりは長い水竿《みざお》を手に唄っていた。 本は嫌いで 詩も知らず 虎のさし身に 茶わん酒 飽きりゃ水滸《すいこ》で 鯨《くじら》釣る  美《よ》い声なので凄味があった。わけもなく盧《ろ》はハッとした。いや何を思うひまもない。芦の叢《むら》からまたも一舟が漕ぎすすんで来る。そしてそれにも二人の男がみえ、ひとりの男がこう唄う。 おまえ待ち待ち 芦の花 色香《いろか》はないが 欲でもない 梁山泊の上段に すえてみたさの玉麒麟《ぎよくきりん》  つづいてまたも同じような一艘《そう》が漕ぎ寄せて来た。盧はギョッとして見廻すばかり……。何のことはない、三ぞう三ツ巴《どもえ》に、こっちの舟へ絡《から》み絡み漕ぎめぐっている按配《あんばい》。 「おい、船頭。早くやってくれ、早く」 「船頭だと。へへへへ、旦那え。……船頭にはちがいねえが、俺を一体なんだと思いなさる。上は青空、下は大江、オギャアと泣いたときから、潯陽江《じんようこう》の水を産湯《うぶゆ》に男となった混江龍《こんこうりゆう》の李俊《りしゆん》、いやさ今では梁山泊のお一人だ。これほどまでにみんなが手をつくして仲間入りをすすめているのに、まだいやだと仰っしゃるならぜひもねえ」 「どうする?」 「しれたこと。命を貰うだけのもんだ」 「なにをッ」  せつなの一剣は、盧《ろ》の体まかせに、相手のみずおちを見事突いたかと見えたほどな迅《はや》さだった。が、とたんに李俊のからだは、とんぼを打って水中に隠れ、舟は飛沫の中に傾斜し、剣は空を突いていた。 「や、や、や? ちいッ、しまった」  彼は不思議な水の渦を見た。舟は独楽《こ ま》みたいに空廻《からまわ》りし初めている。のみならず、艫端《ろばた》に人間の腕だけが見える。盧は北京育ち、泳ぎを知らない。しかるにそのとき、 「旦那え。ご案内に来ましたよ。水底へさ。……ついでに、この面も覚えておきなせえ。浪裏白跳《ろうりはくちよう》の張順だ!」  と、河童《かつぱ》のような頭が船尾にぬッと見え、そしてその声も終らぬうちに、はや小舟は引っくり覆《かえ》っていた。淡い星影の下に舟底は仰向いてしまい、青ぐろい渦紋のほかは、もう何も見えなくなっていた。 浪子燕青《ろうしえんせい》、樹上に四川弓《しせんきゆう》を把《と》って、主《しゆ》を奪《うば》うこと  昏々《こんこん》、一夜は過ぎている。翌日の夕方だったに違いない。気づいてみると、盧《ろ》は丁重に寝かされていた。肌着衣服、すべて真新らしい。口中には神気薫《かん》ばしい薬の香がしきりにする。 「盧員外《ろいんがい》どの。ご気分はどうです」 「ほ。あんたは?」 「神行太保《しんこうたいほう》の戴宗《たいそう》です。ご用意ができておりますが」 「ご用意とは」 「とにかく、あれにお乗りくださいませぬか。ここでは一切、何のお話もできませんので」  すすめられたのは轎《かご》である。前後八人の子分が舁《かつ》ぐ。いうまでもなくここはすでに梁山泊下の一寨《さい》であったのだ。  うねうね登って行くほどに、紅紗《こうさ》の燈籠《とうろう》二、三十基が朧《おぼろ》に彼方へ見え出してくる。おそらくは宛子《えんし》城の大手か。外門を入ると、音楽がきこえ、一群の騎馬列が照らし出されている。近づけば、それは宋江《そうこう》、呉用、公孫勝《こうそんしよう》らの出迎えであった。さらに二の木戸、三の木戸と、高く進むほど人数は厚くなり城寨《じようさい》の構造は密層《みつそう》をかさねている。すなわち本丸の忠義堂は盧俊儀《ろしゆんぎ》の前にあり、轎《かご》をおりた彼は、ただ茫然《ぼうぜん》たるばかりであった。 「いざ、どうぞ、こちらへ」  郭中《かくちゆう》は一面燦々《さんさん》たる燈燭である。中央のひろい一殿に、彼は請《しよう》じられた。しかし彼は、椅子《いす》に倚《よ》らず、宋江を見ると、下に坐って、 「お手間はかけたくない。こう囚《とら》われとなった以上は、さっそくご処分をしてもらおう」  と、いった。 「なんの! お詫《わ》びは私の方ですること」  宋江もまた、下にひざまずく。わけて呉用は、最上の礼をもって、 「切に、ご容赦《ようしや》を」  と、北京以来の罪を平身低頭してあやまった。  宋江は彼の手を取り、起って、数歩を導いた。忠義堂第一番の上座の椅子に彼をすえようとしたのである。 「お名はすでに雷鳴のごとく知り、威徳、お人柄はかねがね深くお慕い申していたところです。さるを慮外きわまるこのたびの謀《はか》り沙汰、さだめしご不快、いやお怒りに相違ございますまい。けれどそれも、飢える子の如き、あなたへの敬慕がなさしめたことと、どうかご寛容のうちに、お笑い捨て願わしゅう存じまする」 「はて、合点がゆきません。そして一体どうせいと仰っしゃるのか」 「ここの寨首《さいしゆ》となって、おさしずを給わり、長く泊中の上にいていただきたいのでございます」 「断る! 毛頭そんな気もちは持ち合していません」 「でも、切にひとつご一考を」 「一考の余地もない。死すとも嫌だ。どうにでもおしなさい」 「さようにご憤怒では恐縮します。ではまた、明日にでも」  すでに酒宴の設《しつら》えができている。衆の歓語、満堂の和気。ぜひなく盧俊儀《ろしゆんぎ》も杯にかこまれた。さてまた、次の日も宴だった。馬、羊を屠《ほふ》り、山菜の珍、水産の佳味《かみ》、心入れでない物はない。幾めぐり杯もまわった時分、宋江はかさねて言った。 「ここは以前、聚議庁《しゆうぎちよう》とよび、前《さき》の総統晁蓋《ちようがい》の亡きあと、忠義堂と改めました。そして仮に私が寨首《さいしゆ》の椅子《いす》についていますが、元来、その器《うつわ》ではありませぬ。ぜひどうか昨夜お願いの一儀は、ご辞退ありませぬように」 「む、ご真実の色が見える。それにたいしての礼儀、私も率直に言いましょう。——不肖《ふしよう》ですが私、かつて犯した罪とてなく、家は北京《ほつけい》に古いし、財にもめぐまれているのです。いうなれば、生きては大宋《たいそう》の人、死すとも大宋国の鬼。それが望みだ。そちらのご希望にはそいかねる」 「伺えば伺うほどお慕いが増す。あなたさまも、大宋国を愛す人。われらといえ国を愛す念では全く変りもない」 「いいや、どうあろうと、かかる所に身をおくことはできません。たとえ殺されましょうとも……。は、は、は」  時を措《お》いては、またべつな者が杯を持ってすすみ、献酬《けんしゆう》のあいだに説《と》く。或いは情《じよう》をもってすがる。或いは世情の嘆や官の腐敗を言って口説《くどき》にかかる。が、盧《ろ》の拒否はまるで巌《いわお》のようでしかない。 「ぜひもない。無理にご意志を曲げさせても——」  ついに言ったのは呉用であった。 「しいて体をお留めしたところで、心ここにあらざれば如何《いかん》せむ、だ。……では盧員外《ろいんがい》どの、せめて幾日かご逗留《とうりゆう》を願って、そのうえでお見送りといたしましょう。双方、不機嫌を残さずに」 「ならば、私はかまわんが、家にある留守の者たちがどうも……」 「いやそのお案じには及びませぬ。李固《りこ》に貨車《くるま》をつけて先に帰してやり、まずお宅さまへ、無事なご消息さえ伝言させておかれさえすれば」  呉用は、ここへ李固をよんで、初めて盧《ろ》に会わせた。貨車、人夫、そっくりそのまま無事と聞いて、盧も腹をきめたふうである。李固へ向って、先に帰るように命じ、そしてなおこう言い足した。 「わしも数日中にはここを立つからな。妻にも燕青《えんせい》にも、心配するなと言っておいてくれ」 「へい、へい。かしこまりましてございます。李固がお先に戻りますからには、何のお気づかいは要《い》りません。……へい、お内儀さまへもようおつたえ申しあげておきまするで」  李固はおちつかない。片時でも早く帰りたい帰りたいの一念らしい。翌朝、彼は早くも鴨嘴灘《おうしたん》から船に乗りかけていた。すると子分の一人が来て、あちらで軍師さまが番頭さんを呼んでるという知らせ。行ってみるとなるほど昨夜の呉用が楊柳の根に腰かけて待っていた。 「や……李固か、ご苦労だな、こんどは」 「どういたしまして、して何の御用で?」 「じつはだな。深い仔細は知るまいが、もうおまえの主人は、ふたたび北京へは帰らんのだぞ」 「えっ。ほ、ほんとですかえ」 「おはなし合いの結果、梁山泊で第二番目のおかしらの座に坐ることにきまったよ。これはわれらの懇請にもよるが以前からあのお方のお望みでもあったのだ。その証拠には、帰ったら主人の部屋をよく調べてみるがいい。遺書の詩を書いた物が残っているはず。ただし世間には口外せぬ方がお前らにとっても身のためだろうぞ」  李固は「ひぇっ!?」と呆《あき》れたり驚いたりであったが、ぼっと妙な血色を、どこか顔じゅうに騒がせた風でもある。とまれ釣針を抜けた魚みたいに、蒼惶《そうこう》として、この日、江《こう》を渡って北京の空へと先に帰り去ってしまった。  よく悪女の深情けというのはあるが、漢《おとこ》仲間の深情けとなれば、悪女どころな絆《きずな》ではない。前世、いかなる業《ごう》の縁か、ここに、なお梁山泊にひきとめられた盧俊儀《ろしゆんぎ》は、まったく、ほとほと弱りはてていた。 「ぜひ、もう一夜」 「もう一夕《いつせき》」  と、宋江や呉用のひきとめ策ばかりでなく、次から次へと、水滸《すいこ》の大寨《たいさい》にある各部門の一将一将から毎夜のような招待なのだ。  ——となるとその部署だけでも数十かわからない。忠義堂だけでも、参謀室、文書課、印鑑信書部、賞罰係、勘定方。さらに宛子城《えんしじよう》の三門やら山上大隊、烽火《のろし》台《だい》、教練隊、哨戒《しようかい》隊。——さてはまた、金沙灘《きんさたん》その他の水軍部、造船廠、醸造局、縫工班《ほうこうはん》、糧秣廠《りようまつしよう》、諜報機関、楽手寮《がくしゆりよう》など数えていったら限りもないほどである。  だがつい、盧《ろ》自身も、しまいには、断り切れぬだけでなく、興味をもって、毎日あちこちの招きに惹《ひ》かれていた。というのは、それぞれの部にある局部長らの人物もみな一トかどの人物だし、それらの者との談笑裡《り》の会飲《かいいん》やら話のおもしろさといったらない。  かつては、禁門の師範だった豹子頭《ひようしとう》の林冲《りんちゆう》、五台山を騒がせた花和尚、虎退治のことで世間に名だかい行者武松《ぶしよう》、あるいは九紋龍、あるいは高士柴進《さいしん》、または名匠気質《かたぎ》の金大堅《きんたいけん》、鉄笛の名人楽和《がくわ》、大砲火薬の智識に富む凌振《りようしん》、といったふうに、これら何か一芸一能の奇才や豪傑は天《あま》つ星のようにいたことなので、一夕の歓談に一夕を忘れ、またつい、夜を語り明かして飽かない夜が、毎日延々《えんえん》と心にもなくつづいたようなわけだった。  かたがた、宋江や呉用が、あらゆる言辞で、彼の足どめ策を講じていたのもいうまではない。  だが、ひとたび、北京にある留守の妻を思い、ここに潜《ひそ》む魔力みたいなものをかえりみると、 「ああ、これはいかん。わしの意志が弱いのだ。決然と魔魅《まみ》の袂《たもと》を払わぬことには」  と、身の在る所にゾッとして、帰心、矢の如きものに襲われもする。——  家を出たのは晩春五月まぢか。いつか、月日は過ぎて、天地は秋の色だった。  そこで彼は、一詩を書いて、宋江にみせた。どうか帰してくれと改まって切に懇願したのである。 晩春 家郷に別れて いま新秋 朝《あした》に家を想い 夜には妻を恋う 恨むらく 身に双翼のなきことを 天風よ 吾を憐《あわれ》んで 水涯《すいがい》を渡せ 「いや、このご心情を見てはもう……」と、宋江は言った。 「これ以上は、おひきとめもなりますまい」  最後の大饗宴をひらいて、莫大な金銀を餞別《はなむけ》に贈り、翌朝、全山を挙げて、いよいよ彼を送別することになった。 「家に帰れば、不足なき身、おこころざしはいただきますが、金銀財帛《きんぎんざいはく》はどうぞ、そちらのお手もとに」  盧《ろ》はそういって、泊中の見送りを謝し、夢遊一百余日の感慨を、金沙灘《きんさたん》の船上に吹かれながら、やがて対岸に渡り、日をかさねて、じつに久しぶりな家郷北京府《ほつけいふ》に帰った。  たそがれ過ぎれば関門は閉まる。あぶなく間にあって、彼は、城内大街《たいがい》の灯をまばゆげに、足のうつつもないような歩みだった。するといきなり誰かその袂《たもと》をつかまえて、 「だ、だんなさまっ。……ああ、大旦那だ。待ってました。どんなにお待ちしていたかしれません!」  と、果ては大地に伏して、泣きじゃくってしまう男があった。 「なんだ。乞食かと思ったら? ……。いったいおまえは誰なのか」 「こ、こんなボロ、垢面《あかづら》、素はだし。お見忘れも無理ではございません。私は小乙《しよういつ》(総領むすこをいう世間の愛称)です。小乙の燕青《えんせい》です」 「げっ……。オオッ、燕青だ。燕青だわえ。だが、その姿はまあ、いったい何としたざまか」 「お留守中に、追ン出されました。何一つ持たせられず、裸のままで」 「たれに?」 「奥さまと、大番頭の李固《りこ》から、出て行けといわれまして……。ご主人! ここへお帰りなすっては大変です。もういちど、もとの所へお引っ返しなさいまし」 「何をいう。わしがわしの家へ帰るのに」 「でも、夏の初め頃、李固が帰って来ますってえと、その日から李固と奥さまとは夫婦気どり、おまけにご主人は梁山泊に入って賊の副統領になったから再び北京にもどることはない、と雇人一同に触れるばかりか、お上《かみ》へまで訴え出て、親類がたの証判も取り並べ、財産名義の書き替えまでやりかけているんです。だんなさま、うっかりすると、お命もあぶない……。どんな罠《わな》にはまるかしれませぬ」 「ばかをお言い!」と盧《ろ》はかえって燕青の正気を疑った。「——わしの家内にかぎってそんな不貞の女ではない。しかもだ。わしの家は北京で五代の旧家、家憲がある。番頭の李固にしろ、なんでさような大それたまねができるものか」 「でも大旦那、人間です、人間なんて、一つ狂うと、何をしでかすか、分ったもんじゃないってことを、わたしはこの眼で」 「まだいうかっ。あらぬ讒訴《ざんそ》もいい加減にしろ。ははあ、なんだな、何かきさまこそ、わしの留守中に、色街《いろまち》の妓《おんな》にでもひッかかって」 「めっそうもない! 大旦那、なさけない!」 「ええ、そうに違いないわ。離せっ。せっかくなわしの帰宅を不愉快にさせおって」  盧《ろ》は、蹴放した。そして燕青がなおも何か後ろで叫ぶ声に耳をふさいで、あたふたと、北京府《ほつけいふ》でも目抜きな街中の大構え、質屋と物産交易を兼ねた老舗《しにせ》看板の金箔《は く》も古いわが家の宵の大戸をドンドン叩いた。 「俊儀《しゆんぎ》だよ、いま帰ったぞ。開けないか。わしだよ、わしだよ!」  家の中では何かドタバタとあわただしい。変な気配である。大戸はいつまでも開かなかった。  が、やっと大番頭の李固《りこ》が顔を出して来た。そして、さもさも、ようこそご無事で、とは迎え入れたものの、雇人一同もみな何か狐に憑《つ》ままれたような挨拶ぶり、奥に入れば、妻の賈氏《こし》は、見るなりすがったが、ただただ泣いて、良人のいない旅の留守の、余りな長さと淋しさを、口説《くぜつ》に訴えてみせるばかり……。 「ま、お離し……。燕青はどうしたね。顔を見せないじゃないか」 「そのことでは、大旦那」と、李固はすぐ横から話を取って——「いずれ申しあげますが、あれにはいろいろ不始末などもございましてな。お帰り早々、いやなお話も如何でしょうか。ま……お久しぶりのご帰宅、さっそくお風呂にでもはいって、今夜はまあゆるゆる楽におやすみ遊ばしては」  妻の賈氏《こし》もいそいそすすめ、李固も何かともてなすので、盧《ろ》は自分の小心を辱《は》じ、その晩はわれから機嫌を直して寝《しん》に就いた。  ところが、真夜中の頃、盧家《ろけ》のおもて門と裏門から二、三百人の捕手がとつぜん土足でなだれ込んだ。事すでにただ事でない。一瞬の屋鳴《やな》りがやむと、はや主人の盧《ろ》は縄付きとされ、家じゅう大乱脈の中を、深夜、管領庁《かんりようちよう》へと引ッ立てられて行った。  北京《ほつけい》の長官、梁中書《りようちゆうしよ》は、あくる日、白洲《しらす》にひきすえられた彼を見た。  ——呼び出された賈氏《こし》、李固《りこ》の両人も、やや離れて、平伏している。 「盧俊儀《ろしゆんぎ》!」と、中書はやがて、声あららげて。「そのほう、北京に住むこと五代の由緒《ゆいしよ》ある良民にてありながら、梁山泊の賊徒と通じ、不逞《ふてい》を謀《たく》むよしの聞えあるが、言い開きはあるまいな」 「あっ、もしッ……」と、盧俊儀はさけぶ——「覚えなきことにございまする。身の不覚より、偽《にせ》売卜《うらない》者《しや》にたばかられ、一時は足を入れましたものの」 「通らん。さような言い訳は通るまい。賊と密盟なきものなら、なんで百余日も梁山泊にとどまりいよう。また、賊が解き放すはずもない。すでに、なんじの女房と番頭の李固から夙《つと》に訴状も出ており、かつまた、なんじの書斎より常々反逆の意をふくむ一詩も見つけ出されてある」 「あいや、仰せですが、それはてまえの作った詩でなく、偽易者めが、先にわが家を訪れたときに、たまたま書きおいてまいったもので」  すると後ろで李固が、へへへへと、声をころすようなわざと笑いをもらしていた。 「旦那え。……大旦那え。お白洲《しらす》は浄玻璃《じようはり》の鏡。もうそんなムダな抗言《あらがい》はおよしなすって、神妙にちっとでも罪を軽くしていただきなすった方がおよろしいんじゃございませんか」  妻の賈氏《こし》もまた、尾について。 「あなた……。わ、わたくしはもう、あきらめました。もしや、罪九族におよぶなどというお申し渡しにでもなったらどうしましょうぞ。後生《ごしよう》です、お願いです、前非を悔いて、素直に洗いざらい、お上《かみ》へ、ほんとのこと仰っしゃってくださいまし。せめてそれが」  よよと、泣きみだれる彼女の態《てい》に、盧《ろ》は愕然《がくぜん》と、伸びあがってどなった。 「なにをいうか、そなたまでが。……逆上したのか、女房っ」  しかし、庁上庁下、居ならぶ役人の目ぼしいところには、すでに李固から廻した鼻ぐすりが効《き》いていたこと。機をすかさず、与力の張《ちよう》が、次にわめいた。 「中書《ちゆうしよ》閣下、これは一ト筋縄ではいけますまい」 「ウむ。打てッ」  おきまりの拷問《ごうもん》となった。たちまちに唸《うめ》きの下、凄惨、目もくらむばかりな鮮血が白洲を染め、絶叫がつづく。そしてついに、心にもなき口書《くちがき》が取られ、その夕すぐ死刑囚の大牢へ送りこまれた。  この大牢の牢屋預かり兼《けん》首斬り役には、蔡福《さいふく》、蔡慶《さいけい》といって、鬼の兄弟がいた。 凌雲《りよううん》の気 堂々の男 誰とかなす 押牢《おうろう》の蔡福《さいふく》なれ 青鸞《せいらん》の帯 無角《むかく》の頭巾《ずきん》 歩むところ 草木おののき 声きけば 哭《な》く子もやむ 名《つ》けたりな そのアダ名も鉄臂膊《てつぴはく》とは  これは兄の方だが、弟の蔡慶《さいけい》にも、街詩《まちうた》があって。 らんらんの眼には毛虫眉《まゆ》 衫衣《さ ん》に繍《ぬ》わせた 吾亦紅《われもこう》 あまりに人がこわがるので 《びん》に挿《さ》したよ 花一枝《はないつし》  彼はつねに帽の傍《びんぼう》に何か花を挿《さ》す習慣を身につけていたので河北《かほく》の人は彼を、一枝花《いつしか》の蔡慶《さいけい》とも呼びならわしていた。 「おい蔡慶。新入りはちと大物だ。番をたのむぞ。おれはちょっくら家《うち》へ行ってくるな」  その夕、弟にあとをまかせ、蔡福《さいふく》は大牢の路次を曲がりかけた。と、薄暗がりの物蔭から走り出た蝙蝠《こうもり》のような人影が、ペタと彼の前にぬかずいて。 「お慈悲です、ご主人に一ト目会わせておくんなさい。お願いします。こ、このとおりに……」 「や、おめえは、浪子燕青《ろうしえんせい》じゃないか。何を手に持っているんだ」 「お粥《かゆ》です。ご主人に食べさせたいと思って。……この小瓶《こがめ》に半杯の粥を、やっと街で工面して来ましたんで」 「ふーむ。主人思いだなあおめえは。……ま、いいや、自分で持って行って、食べさせてやるがいい」  蔡福は言い捨てて行ってしまった。宿なしの燕青には世間の同情があったらしい。蔡福はそんなことを考えながら大街《たいがい》通りの州橋を渡っていたが、するとまた、 「おかしら、うちの二階に、お待ちかねのお客さんが、さっきから見えてますよ」  と、馴《な》じみの女が呼びとめる。  茶館の二階に待っていたのは李固《りこ》だった。うしろの扉を密閉すると、李固は延金《のべがね》で五十両を卓においた。そして“闇から闇へ”の取引きを初め、蛇《じや》の道はヘビ、多くはいわないでも……と謎をかけた。  蔡福は、わざととぼけて、 「はてね。なんのおはなしで?」 「いやですぜ、大牢のおかしらが。諺《ことわざ》にも、おなじ穴の貉《むじな》は化かし合わぬ、というじゃありませんか」 「貉になれっていうわけかい。おい李固さん、お役所前の戒石《いしぶみ》に、こう彫《ほ》ってあるのをしらねえな。——下民ハ虐《シイタ》ゲ得ルトモ、上天ハ欺《アザム》キ難シ——と。真っぴら、真っぴら。後日、提刑官《ていけいかん》(監察)に睨まれて、かかりあいになるなんざアご免だよ」  こいつはいけないと見たので、李固は相場を上げた。五十両を百両にし、百両を二百両、さらに三百両とまでわれからセリ上げてみせると、もう蔡福の顔色もはっきり欲にうごいている。そこで李固が念を押したものである。 「ぜひとも、今夜じゅうに、ひとつ、首尾よくねむらしておくんなさいよ」  蔡福は、金をおさめると、すぐ立ち上がって、あっさり、こう約束をつがえて帰った。 「よし! あした死骸を取りに来ねえ」  ふくふくな気もちで、宵闇、わが家の門口まで帰って来た蔡福はそこでふとギクとした。  たれか見つけぬ人影が佇《たたず》んでいる。——  それも、どうも常人《ただびと》でない。びろうどの黒い丸襟《まるえり》の服を着、羊脂《ようし》の珠《たま》のかがやく帯には細身な短剣を佩《は》いているのみでなく、金鶏《きんけい》の羽ネで飾られた貴人の冠《かんむり》といい珍珠《ちんしゆ》の履《くつ》、どう見ても、王侯の香《にお》いがする。 「これは。……どなた様でいらっしゃいましょうか」 「ほ。あなたが蔡福《さいふく》か」 「さようで。して何ぞ、御用でも」 「奥をおかり申したい。ちと、折入ってのおはなしなので」  さて、それからの一室での密談だった。みずから名のっていうその人とは、滄州横海郡《おうかいぐん》の名族、遠き大周皇帝の嫡流《ちやくりゆう》の子孫、姓は柴《さい》、名は進《しん》、あだ名を小旋風《しようせんぷう》。すなわち小旋風の柴進《さいしん》とは私であると、まず言って、 「幸か不幸か、性来、財をうとみ、義をおもんじ、天下の好漢と交《まじ》わりをむすんで来ましたが、それがついこの身をして梁山泊の一員となる契機の因《もと》をなしていたのです。……ところがこのたび、当地の盧員外《ろいんがい》どのが、淫婦奸夫《いんぷかんぷ》のはかりに陥《お》ち、かつまた貪官汚吏《どんかんおり》の手にかかって、あえなく獄にとらわれ召された。いやすでに命《めい》旦夕《たんせき》の危急と聞く。……で。じつは寨主《さいしゆ》宋江先生の秘命をおび、急遽《きゆうきよ》、おたすけに参ったわけだ。しかもあなたの一存でここは延ばせる。足下の侠気にすがるほかはない。寸礼《すんれい》のおしるしには、ここに黄金一千両を持参いたした。お受けとり給わるか、あるいは嫌か。もしまたこの柴進《さいしん》を縄にしようというならば、それもよし、眉一トすじも動かすものではございません」  いうことの立派さ。その気魄。蔡福は聞くうちにも腋《わき》の下に冷めたい汗をタラタラとたらしていた。くやしいが人間の違いか。この威圧はどうしようもない。 「河北に漢《おとこ》あり、鉄臂膊《てつぴはく》(蔡福)はそのお一人とうけたまわる。漢《おとこ》は度胸、なんのお迷い。うム、ご返辞は。なさることで見ていよう。とりあえず、持参の黄金はお収めおきを」  すっと立って、柴進は門を出てしまう。入れ代りに従者らしき男が一嚢《のう》の沙金《さきん》をおいて風の如くぷッと去ってしまった。なんたる大人《たいじん》ぶり、いや肝《きも》ッ玉だろう。てんで歯の立つ相手ではない。  蔡福はさばきに困って、その暁、ふたたび大牢に帰り、弟の蔡慶《さいけい》に相談してみた。聞くと蔡慶は手を打って笑った。 「運はかさなるもの。いい目と出初めると切りがねえな。どっちも戴いておいたらいいさ。——梁山泊の使いだって、くれたのはあっちの思惑。なにも盧員外《ろいんがい》の身を生《なま》で渡せというんじゃなしさ。……なんとかズルズル延ばしてりゃあ、そのうち片がつこうというもんじゃねえか」 「なるほど。じゃあこうしよう。おめえは盧の旦那にこっそり事情《わ け》を話せ。そして朝晩の糧《かて》も上々な物にしてあげて、おからだを大事になさいと耳打ちしておけ」  もちろん、これには蔡《さい》の兄弟にしても、上役から下ッ端までへの心づけがだいぶ要《い》る。しかしおさまらないのは、あくる日、顔をみせた李固《りこ》であった。 「まあ、李固さんよ、そうふくれなさんな。明け方、盧《ろ》をねむらしちまおうと思って、獄飯《ごくはん》の中へ一服盛《も》ってると、急に、中書《ちゆうしよ》さまのご意向が違うッてんで、大まごつきさ。どうも長官閣下か、まわりの者か、そこは知らねえが、盧をころすまでの腹じゃあねえらしいんだな。ひとつ、そっちの方を運動しなせえ、こっちはいつでも、やれるんだから」  李固はてんてこ舞いした。色と欲、生涯のわかれめだ。ここで老舗《しにせ》の財産半分をつかっても、もとはひとの物、安い物、そんな料簡からに違いない。その日まず、管領《かんりよう》の梁中書《りようちゆうしよ》の公邸にちかづいてから、連日、あらゆる手をつくして暗躍にかかった。  ところが一方、副官や与力の張は、蔡福から少なからぬ袖の下をおさめていた。で、何やかやと判決は遷延《せんえん》してゆく。それはいいが自然、北京《ほつけい》府内では、おもしろからぬ噂も立つ。盧俊儀《ろしゆんぎ》その人への日ごろの人望やら同情なども抑え難い。で、梁中書も考えた。  ここで読者は、この梁中書について過去の一事件を思い出されているであろう。かつて、都の蔡《さい》大臣の許へ、その誕生祝として、夫人の名義で、時価十万貫にものぼる金銀珠玉を送り出させたあの大官である。そのときの輸送使が、かの青面獣楊志《せいめんじゆうようし》であったのだ。ゆらい梁山泊とは宿怨浅からぬ官憲の大物といってよい。それだけに彼は、盧の処分には慎重をきわめたのだ。盧に同情のつよい北京において、万が一にも、ぼろを出しては、はなはだまずい。 「そうだ、千里の先なら、耳の外だし、風まかせ」  ついに、流刑の断をくだしたのである。さきは終身刑のみが送られる滄州沙門島《しやもんとう》の大流刑地。護送役の董超《とうちよう》、薛覇《せつぱ》という二名は、これまた、かつて林冲《りんちゆう》を都から差立てたことのある端公《たんこう》だ。あれ以後、林冲が逃げた滄州事件のとばッちりから高《こう》大臣の不興をかい、この北京《ほつけい》へ左遷《させん》されていた者たちである。  しかし流刑人送りの練達者として、この二人の端公の腕は、たしかに抜群だったものだろう。管領庁でも彼らが付いて行くからにはと万々途中は安心と公文その他一切の手順もすすめられた。  ——首かせは嵌《は》められ、二本の水火棍《こん》に小突き立てられ、行くて三千里の道へ、盧《ろ》は素はだしで歩かせられた。  木賃宿の朝夕、端公は囚人《めしゆうど》を、奴僕《ぬぼく》のようにこきつかう。これらはやさしいことである。四、五日も旅するうちには、すでに盧俊儀その人の面影はどこにもない。飢え疲れきッた無力の奴隷《どれい》、いやいや、そんな形容ではまだ足りない。 「おい。董公《とうこう》。ちょっくら、こいつの腰鎖《こしぐさり》を代って持っててくれ」 「なんだよ薛公《せつこう》。こんな山ん中で」 「生き物だもの仕方はねえ。用達しがしたくなったんだよ」 「ぜいたくを吐《ほ》ざいてやがる。垂れ流しに歩き歩きさせたがいいじゃねえか」 「囚人《めしゆうど》じゃねえッてばさ。おれがするんだよ、おれが」 「はははは、おめえが催したのか。それ、やって来ねえ」  腰鎖《こしぐさり》をうけとって、ぼんやり立っていると、彼方へ行ってかがみこんでいた董公《とうこう》がギャッと一ト声叫んでころがり伏した。  驚いた薛覇《せつぱ》が、上を見て、あッ——といったと思うと、これまた、クルクルッと体を廻してぶっ仆れた。その喉笛《のどぶえ》にも、彼方の死骸にも、矢が立っていた。秋の深さを告げる黄色い椋《むく》や柏《かしわ》の葉が、同時に上からバラバラ降った。  どん! と空から一童子が飛び下りた。いやその紅顔は童子ともみえるが年はもう十八、九の若者で、破れた衣服、鳥の巣のようなあたま、腰には残る一本の矢柄《やがら》を挿《さ》し、手には四川弓《しせんきゆう》(半弓)を持っている。 「ご主人! 燕青《えんせい》ですっ。逃げましょう。燕青の肩につかまってください」 「やっ、おまえは? ……。ああ小乙《しよういつ》か。小乙、おまえには、あわせる顔がない」 「な、なにいってるんです、主従の仲で。が、待って下さいよ、二本の矢を抜いて来ますから。……いや先に鎖をお解きしましょう。ちぇッ、この冤罪《むじつ》のご主人をくるしめた首枷《くびかせ》め」  と、燕青《えんせい》は満身の力で主人の首カセの鍵《かぎ》を叩き割り、そしてまた、三本の矢をも腰に挿し揃えてから、盧《ろ》の力なき体を、わが背中に背負い、やがて飛鳥のように峰道、谷道、みるみる、どこへともなく逃げ去ってしまった。 伝単《でんたん》は北京《ほつけい》に降り、蒲東《ほとう》一警部は、禁門《きんもん》に見出だされる事  薬草採りの寝小屋らしい。深山幽谷をあるいて仙薬をさがす“薬種《くすり》掘《ほ》り”の仲間は、幾十日でも山に入っているという。そこらには、欠け茶碗がある。火を燃した跡もある。 「ああ、うまくいった。天のたすけだ。大旦那え……」と、燕青《えんせい》は、肩から主人のからだをズリ降ろしながら言った。「もう、ご心配なさいますな。ここなら人に見つかりッこはありません」  それからの彼は、たとえば、巣に病む親鳥へ子鳥が餌《えさ》を運ぶような可憐《いじらし》さだった。朝夕、心から主人の盧俊儀《ろしゆんぎ》をいたわった。仕えること以前《むかし》とすこしもかわらない。  盧《ろ》はそのたびに慚愧《ざんき》した。彼の手をとって「……すまない」といっては詫《わ》びた。燕青はまた打ち消してそれを笑う。幼少から可愛がられてわが子同様に十九のこの年まで育てられたご恩に比すれば、こんなことぐらいは、謝恩の万分の一でもありません、というのだ。  そして時々、彼は例の四川弓《しせんきゆう》を持って、鵲《かささぎ》や雉子《き じ》を射《い》に出かけた。また谷へおりては、川魚や川苔《かわのり》を採って帰った。しかしいつも木の実《み》やそんな物ばかりでは主人の体に力もつくまいと思って、あるとき、そっと山腹の部落へ粟《あわ》を買いに行った。  ところが、部落の口にも辻にも高札が立っている。——北京《ホツケイ》ノ囚人盧俊儀《ロシユンギ》、及ビ、ソノ護送役人ヲ殺害シテ盧《ロ》ヲ奪《ウバ》イ去ッタ大罪人ヲ訴エ出《イ》デヨ、という莫大な懸賞つきの布令《ふれ》なのだ。 「あぶねえ、あぶねえ」  燕《えん》は、あわててほかの部落へ行った。しかし、そこにも北京府《ほつけいふ》の捕吏《ほり》が来て屯《たむろ》していた。ぞっとして、彼は粟も求めずもとの巣へ逃げ戻ったが、これが足のツキ初めとは知るよしもなかったのである。  あいかわらず、鳥を射、川魚を採って、露命をつないでいたが、ある日の夕、小屋へ帰ってみると、盧俊儀《ろしゆんぎ》の姿がみえない。あたりは狼藉《ろうぜき》、血しおまでこぼれている。さてはと仰天して、燕《えん》は夢中で追っかけた。けれど時すでに遅し。——盧は馬の背にくくられ、二百人からの土民や捕吏の手で麓へ引ッ立てられて行く途中だった。 「ちくしょうッ。ええ、どうしたら?」  しかし、どうすることも早やできない。彼は泣いた。天を恨んだ。断崖から谷へとびこんで死んでやろうか。死んでどうなる?  ……ここに。夜の白々明《しらしらあ》けのこと。  范陽笠《はんようがさ》に、縞脚絆《しまきやはん》、腰に銀巻き作りの脇差《わきざし》という身がるな姿。  またもう一名は、古物だが、錦襴《きんらん》の腰帯《こしあて》に、おなじく大刀《だんびら》を帯《たい》し、麻沓《あさぐつ》の足もかろげに、どっちもまず、伊達な男ッ振りといえる旅の二人が、何か、笑い声を交わしながら峠を北へ降りかけて来た。 「オヤ。あれ見や兄哥《あにき》。へんな野郎が、谷へむかって、泣いていやがるぜ」 「ほ。まだ餓鬼臭《がきくせ》え若造じゃねえか。まさか身を投げて死ぬ気でもあるめえに」 「いや何とも知れねえよ。声をかけたら飛び込んでしまうかもしれねえ。そっと行って抱き止めてやろうか」  しかし、彼方の岩頭に腰かけていた若者は、すぐ気づいて、気づくや否、隠し持っていた四川弓《しせんきゆう》(半弓)にバシッと矢をつがえて、こっちを睨《にら》まえた。 「あっ——」と、二人は矢面《やおもて》から飛び別れて。「小僧ッ、なにをしやがる! てめえは身投げをする気でいたのとは違うのか」 「おじさん」と刹那《せつな》に、若者のほうも、落着いたらしく、弦《つる》の矢筈《やはず》を外《はず》して。「ごめんなさい。おじさん達は、旅の衆だね。北京府《ほつけいふ》の捕方《とりかた》じゃあなかったんだね」 「や。おめえの言葉は北京語だが、そういうところをみると、もしやおめえは、盧員外《ろいんがい》(俊儀のこと)の縁故《えんこ》の者じゃあねえのかい。いや、安心しねえ。おれたちは、梁山泊《りようざんぱく》の者だからよ」 「ほんとかい! おじさんたち」 「なにを隠そう。おれは命《べんめい》三郎の石秀《せきしゆう》。ここにいるのは病関索《びようかんさく》の楊雄《ようゆう》だ。——仲間の一人、小旋風柴進《しようせんぷうさいしん》からの知らせで、これから盧員外をどうして助け出すか。その下探《したさぐ》りに出かけて来た途中なのさ」  燕青《えんせい》はこれを聞くと、わっと声をあげて泣きだした。「遅かった! 間に合わない、間に合わない!」といっては、地だんだをふんでまた泣いた。楊雄と石秀とは驚いて、こもごもにその理由をただした。  そしてこれが盧家《ろけ》の小僕、浪子《ろうし》燕青と聞いて、さらに驚きを新たにしたが、しかし盧の再度の大難が、ここでわかったのは、まだまだ、天の加護として、よろこんだ。そこで楊雄は俄に方針をかえ、燕青を連れて、梁山泊へ引っ返し、北京府《ほつけいふ》へは、石秀がただ一人で入り込むことになった。——  もちろん以後の連絡をかたく諜《しめ》し合せてである。ところが、これがまた第二の奇禍と、次の大波瀾とを招く逆の転機となってしまった。  しかも、その日である。その日とは、姿を変えた石秀《せきしゆう》が、北京府の関内《かんない》へ、首尾よく潜入しえた当日なのだ。  わらわら、わらわら、一方へ向って、人が馳けて行く。 「何か、お祭りの花車《だ し》でもやって来るんですか」 「とんでもない……」と、訊かれた方の者は、眼をとがらせて、石秀の姿をジロジロ見。「知らないのかい、おまえさんは。この北京府であんなに惜しまれている盧員外《ろいんがい》さんが斬られるんだよ。ついこの先で首斬り役人の蔡福《さいふく》と蔡慶《さいけい》の手にかかるんだよ。なんてまあ、なさけない」 「ひぇっ。断罪ですって?」  たいへんな群集である。黄色い埃《ほこ》りですぐ知れた。空地の草ッ原では、はや執行の寸前とみえ、正午《しよううま》ノ刻《こく》の合図を待って、首斬り刀に水を注《そそ》ぐばかりらしい。  すぐ前は、十字路だった。角《かど》の酒館《のみや》の階上では、たくさんな顔が、鈴なりに見物している。中に、石秀《せきしゆう》の異様なる双眼も光っていた。  刻《とき》の太鼓が、近くの鼓楼《ころう》で鳴りだした。それッと、役人たちの蟻《あり》のような影が中天の陽の下で忙しく動きはじめる。——と、まだ太鼓の音が刻《とき》ノ数《かず》をも打ち終らないうちだった。酒館の窓から廂屋根《ひさしやね》の尖端へおどり出した一箇の怪漢が、片手には剣、片手に拳《こぶし》を振りあげて大音声をふりしぼった。 「待てーっ。盧員外《ろいんがい》に手でも触《さわ》ると命はないぞ。梁山泊の勢揃いを知らねえのか。そこらには、梁山泊の者が大勢来ているのを!」  もちろん、嘘である。だが、これしかほかに策はなかったのだ。叫ぶやいな、石秀はそこをとびおりて刑場内へ斬りこんだ。そして、うろたえ騒ぐ刑吏や獄卒をけちらして、一瞬の旋風《つむじ》の如く、盧のからだを奪い去った。肩にかついで逃げ出したものである。  たしかに「梁山泊の勢揃いだぞ」といった機智が、功を奏したものにはちがいない。が、一枝花《しか》の蔡慶《さいけい》も、兄の蔡福《さいふく》も、全然これを、意識的に見のがしていた傾向がある。——さきに梁山泊の密使柴進《さいしん》から沙金《さきん》千両をもらっていた礼心《れいごころ》でもあったろうか?  けれど、じつは折角なその効《か》いもなかった。なぜならば、石秀はまもなく、高い城壁下《じようへきか》のどんづまりに追いつめられて逮捕されてしまったからだ。——いかんせん彼は北京の案内に晦《くら》かったし、白昼のこと、隠れ場もなかったらしい。当然、盧と共に、彼も大牢へぶちこまれた。そして、こんどは二人並べて、二頭一断とする、次の用意がなされていた。  するとその日、南区の奉行、王という者が、一枚の伝単(ちらし)を持って、管領庁へ出むいてきた。いや同時に、ここで拾ッた、かしこに落ちていたという伝単が、北奉行や町廻りの手からも、何十枚となく届け出られていた。  長官の梁中書《りようちゆうしよ》は、それを一読するや、顔の色を失ってしまった。気魂《きこん》、おののきふるえて、天外《そ ら》に飛ぶの態《てい》だった。  伝単の文にいう。  梁山泊ノ義士 宋江《ソウコウ》。  大名府《ダイミヨウフ》、及ビ天下ノ人士ニ告グ 今ヤ、大宋国《タイソウコク》ニアリテハ上《カミ》ハ濫官《ランカン》、位《クライ》ニアリ 下《シモ》ハ汚吏権《オリケン》ヲ恣《ホシイママ》ニ、良民ヲ虐《シイタ》グ  北京《ホツケイ》ノ盧俊儀《ロシユンギ》ハ善人ナリ 衆望 人ノミナ慕《シタ》ウ所ナリ。然ルニ 賄賂《ワイロ》ニ毒セラレタル官コレヲ捕エテ 却《カエ》ッテ淫婦奸夫ヲ殺サズ。抑《ソモソモ》天命ヲ逆《サカ》シマト為《ナ》ス者ニ非《アラ》ズシテ 何《ナン》ゾヤ 即《スナワ》チ 天ニ代ッテ吾等ノ道ヲ行ワントスル所以《ユエン》ナリ 若《モ》シソレ 盧俊儀ト石秀ノ二人ヲ故《ユエ》ナク断刑《ダンケイ》ニ処《シヨ》サバ 梁山泊《リヨウザンパク》数万ノ天兵ハ タチドコロニ北京ヲ焼キ払ワン 且《カ》ツ悪吏ノ一人タリトモ 鬼籍《キセキ》ノ黒簿《コクボ》ヨリ除《ノゾ》キ ソノ命ヲ助ケオクコト無カラン  銘記《メイキ》セヨ 曾《カ》ツテ梁党《リヨウトウ》ノ宣言《センゲン》ニシテ 必ズ行《オコナ》ワザルハ無キ事ヲ。  サラニ又 愕《オドロ》クヲ要セズ 孝子 仁者 純朴ノ善民 マタ清廉《セイレン》ノ吏《リ》ニ至リテハ 是《コレ》ヲ敬《ウヤマ》イ愛スルモ 誓ッテ是ヲ困苦《コンク》セシメズ 乞《コ》ウ善大衆ヨ 御身等《オンミラ》ハタダソノ天誅《テンチユウ》ヲ見 ソノ職ニ安ンジ居ラレヨ 「さーて? これは容易ならんぞ。のう……王奉行、どうしたものだろう」 「どうも、ゆゆしいことに相成りましたな。何せい、朝廷直々《じきじき》の掃討《そうとう》軍ですら、たびたび打ち負かされて手を焼いているあいつらのこと」 「もし北京軍をあげて、戦うとせば」 「とても、だめでしょう。ヘタをすれば朝廷からの援軍もまにあいません。——ま、愚見《ぐけん》をいってみれば、このさい、大牢中の二名は、生かしておくだけの形にしておき、第一には、急遽、都へ早打ちをお出しになること。第二には、北京軍をくりだして、一応、城外遠くの要路を塞《ふさ》ぐこと。——これが手おくれとなりますと、お手持の軍は失い、朝廷からは譴責《けんせき》をうけ、人民は足もとから騒ぎだすなど、収拾《しゆうしゆう》もつきますまい」 「む。余も同感だ。さっそく、大牢の番役人、蔡福《さいふく》、蔡慶《さいけい》にも、申しふくめろ」  そしてまた、即日。  北京府の兵馬総指揮官——大刀聞達《だいとうぶんたつ》と天王李成《りせい》という正副の二将軍——が城外百余里の地、飛虎峪《ひこよく》とよぶ山、また槐樹坡《かいじゆは》とよぶ街道の嶮《けん》に、布陣すべく、大兵で出勢して行った。  これがすでに、秋も半ば過ぎ——  梁山泊では、さきに神行太保《しんこうたいほう》の戴宗《たいそう》を走らせて、雲の上から伝単を撒《ま》き散らさせた直後において、北京《ほつけい》出勢のしたくはしていた。  それも、こんどは、かんたんでないと見た用意のもとに、充分な馬匹兵糧を携行し、人数もまた、梁山泊全員を二つに割って、全兵力の半分を出動させた。  宋江の下に、軍師呉用。  ほか、歴戦の猛者《も さ》が、幾十隊の部将となってくりだしたが、中には紅《こう》一点の女頭領《おんなとうりよう》、一丈青の扈三娘《こさんじよう》も、こんどは一軍をひきいて行った。  朱地《しゆじ》に「女将軍一丈青」と金繍《きんぬい》した軍旗は、やがて敵のあらぎもをひしいだ。  槐樹坡《かいじゆは》のたたかい。また飛虎峪《ひこよく》の激戦。  されば、すさまじいものだったが、結局、北京軍はついにさんざんに打ちやぶられてしまった。そして大刀聞達《だいとうぶんたつ》も、副将李成《りせい》も、それぞれ、残兵の中に押し揉《も》まれながら、まるで身一つのようなぶざまで逃げ帰って来た。以後、北京《ほつけい》の関門に命からがら辿《たど》り着いた兵を数え入れても、発向の時の三分の一にさえ足らなかった。 「なんたることだ! これではまるで、殲滅《せんめつ》に会ったも同様な惨敗にひとしいではないか」  梁中書《りようちゆうしよ》は、驚きのあまり、床を踏み鳴らして、その弾《はず》みに、沓《くつ》を飛ばした。沓は飛んで、報告のため、階下に畏服《いふく》していた李成《りせい》の顔に当って落ちた。 「どう仰せられても、面目はございません」と、李成は沓を拾って捧げながら——「このうえは、再度の早飛脚《はやびきやく》で朝廷のご急援を切に仰ぐこと。——次には、近くの各県に合力《ごうりき》を下知《げち》せられること。——またここは、聞達《ぶんたつ》が第二の新手をくりだしておりますから、一そうそれを強めるため、城壁にはさらに塁《るい》をかさね、砲石、踏弓《ふみゆみ》、火箭《ひや》、目つぶし、あらゆる防禦物を揃えて、守備に怠りないことです」  寄手の泊軍《はくぐん》、宋江の指揮下では、もう短兵急な猛攻は止めていた。東、西、北の三門はかたい包囲下においていたが、わざと南大門の一方だけはあけておき、自由に往来させている。——なお交渉の余地あることをわざとそこに見せておいたのだ。——城中の大牢にある二人の者の露命につつがなかれと、切に祈る気もちから。  だがこれは、双方にとっての微妙なかねあいだ。梁中書《りようちゆうしよ》も、獄中の者を殺しはしない。時を稼ぐためにである。  中書の急使は、その南大門を忍び出て、はや昼夜、都へ向って、馬にムチ打っていた。使者は腹心の王定《おうてい》という者だった。日かずもまたたく、彼は帝都開封《かいほう》東京《とうけい》の城《べんじよう》に着いた。だが、宮内府の一門にたどり着くやいな、気のゆるみでか、気絶してしまった。  大臣蔡京《さいけい》は、憂いにみちた眉色《い ろ》で、白虎節堂《びやつこせつどう》の大臣席に着席している。  ほかに五大臣、また、枢密院長の童貫《どうかん》、枢密院の全議員、各司庁《かくしちよう》、司署の長官らが、しいんと、満堂にみちて、彼の口もとをみまもっていた。 「みな、聞かれたであろうが」  蔡京が言った。 「……いま、北京府の急使、王定が訴えに聞けば、これを一地方の擾乱《じようらん》とだけでは見過ごせん。天下の兇事、大宋《たいそう》朝廷のご威厳にかかわる」  沈痛な語気だった。  この蔡《さい》大臣、かの梁中書には岳父《がくふ》にあたるひとである。つまり中書夫人の実父なのだ。——当然、私《わたくし》の情愛と心痛もある。  しかし、彼が最も胸をいためたのは、現皇帝の徽宗《きそう》陛下が、夜は管絃、昼は画院の画家たちを相手に絵を描いてのみおられ、いっこう天下の変もよそにしておられることだった。すでに、北京からは先にも禁軍の救援を求める早打が来ているが、それにも早速なご会議のもようはなく、またつづいての、王定の請願を奏上すれば「——よきにしておけ。枢密院の衆議にまかせる」というのみの御諚《ごじよう》だけだ。 「諸卿」  と、彼はふたたび発言して、全議員の上を見わたした。彼のわたくしの心配も、国を憂える肺腑《はいふ》のひびきと聞えなくもない。 「なにか、策はないか。第一に人だ。軍を派すにしても、その人を得ざれば、だ。これと思う人物があらば、遅疑なく、推挙してもらいたい」  依然、たれも沈黙している。求めて重大な責任を負うことはない。といったような尻込みなのだ。  するとここに、防禦保儀使《ぼうぎよほぎし》の宣賛《せんさん》という者があって、はるか末席から直立して言った。 「大臣。——ご推薦したい人物があります。彼こそ隠れた傑物と信じるからです」  ところが、彼の大真面目な進言も、あちこちでクスクス笑う声にもみけされた。保儀使《ほぎし》といえば軍人でも佐官に過ぎない。のみならずこの宣賛《せんさん》は、西蕃《せいばん》との混血児《あいのこ》である。ヒゲは赤く、ちぢれ毛で、鍋底《なべぞこ》のような顔にまた念入りにも雄大なる獅子ッ鼻ときている。  かつては、或る西蕃王の邸《やしき》にいて、郡馬《ぐんば》(王の女婿《む こ》)となったが、その黒い姫君すらも、彼を嫌って、振り抜いたとかで、自分からそこを追ン出てしまったため、以来、“醜郡馬《しゆうぐんば》”という名誉あるアダ名すら貰っている宣賛《せんさん》だった。——だから誰もその発言に本気で耳をかそうとしなかった。  しかし、蔡《さい》大臣は、宣賛の大真面目なところを買って、 「む! 言って見給え。君が推すその人物とは?」  と、傾聴すべき容子《ようす》をみせた。 「はっ」と、宣賛は、直立不動のまま—— 「目下、蒲東《ほとう》にいて、警部長の現職にある者ですが」 「なんだ、そんな下級の警吏か」 「はいっ。……ですが家系は古く、三国時代の後漢《ごかん》の名臣、関羽《かんう》のただしい子孫にあたり、苗字《みようじ》を関《かん》、名を勝《しよう》といい、よく兵書を読み、武技に長《た》け、黙々と、田舎《いなか》警部《けいぶ》を勤めてはいますが、もし彼に地位と礼を与えるなら、きっと天下のお役に立つにちがいありません」  と、口を極めて、ほめたたえた。  これは“掘り出し物”かもしれない。蔡《さい》大臣はやや意をうごかした。が、重大なる任命だ。ひとまずその日の会議は閉じ、人事院をして調べさせた。その結果、ついに宣賛《せんさん》を蒲東《ほとう》にやって、ともかく関勝《かんしよう》を宮内府へ呼んでみることにした。  洛外《らくがい》、蒲東《ほとう》は小さな田舎町である。  そこの警部局へ、ひょっこり訪ねてきた宣賛の姿に、 「やあ、これはおどろいた。何年ぶりだろう。いったい何の用で?」  と、関勝は狭い役室の中に立って、友の手を握り、まずと、汚い椅子《いす》をすすめた。 「じつは、その……」と、さっそく用向きを切り出しかけたが、関勝のそばには、べつな一人の男がいた。何者だかわからない? 「いや、先に紹介しよう。宣《せん》君、ここにいるのは僕の義兄弟で、思文《かくしぶん》という変った姓名の人でね。このひとのおふくろが、井木《せいぼつかん》(二十八宿星《しゆくせい》の一ツ)がお腹《なか》に宿ると夢みて産れたというんだから、生れつきからして変っている。しかも武芸十八般の達人だ。以後、よろしくたのむよ」 「それは、どうも。……拙者は関《かん》君の古い友人、保儀使の宣賛《せんさん》という者です。いや、ちょうどいい時に居合せて下すった。——どうです、ひとつごいっしょに、帝都の内閣まで来てくれませんか。というのも蔡《さい》大臣閣下のお招きなんです。仔細《しさい》はこのお召状の内にありますからご一見の上で」  関勝《かんしよう》はそれを読んで感激にふるえた。思文《かくしぶん》に相談すると、これもまた否やはない。——俄に、家族を呼び、家事のあとを託《たく》して、三名はその日のうちに東京《とうけい》へ急いだ。  まず官邸に入る。  蔡《さい》閣下との対面は、例の白虎節堂《びやつこせつどう》だった。ただし、関勝《かんしよう》ひとりだけの謁見《えつけん》で、階《きざはし》の下に、拝《はい》を執《と》る。——蔡京がつらつら見るに、なるほどすばらしい偉丈夫だ。身ノ丈《たけ》八尺余、髯《ひげ》美しく、まなこは鳳眼《ほうがん》——。気に入った。 「関《かん》警部長。お年は幾つだの?」 「三十二に相成ります」 「兵学、武芸、すこぶる素養に富むと聞くが、どうして田舎《いなか》警部などで満足していたのか」 「いや蛟龍《こうりゆう》も、時に会わねば、いたしかたございません」 「その“時”を汝に与えよう。梁山泊の暴徒が、先頃から北京府《ほつけいふ》の城をかこんで、良民を苦しめておる。その害をのぞく自信があるか」 「なきにしもあらず、です。水滸《すいこ》の賊が、われから、本拠の泊巣《はくそう》を離れて遠く出たのこそ運の尽き。——北京の難を、直接、救わんとすれば大きな犠牲を要しますが、彼らの留守を襲って、先に、梁山泊を陥《おと》してしまえば、元々、烏合《うごう》の衆《しゆう》、あとは苦もなき掃討《そうとう》でかたづきましょう」 「なるほど。——魏《ギ》ヲ囲《カコ》ンデ趙《チヨウ》ヲ救ウ——の策か。さすが達見《たつけん》。よろしい、今日以後、君を推して征賊の将軍とする。この一生一期《いちご》の大機会を君もよく活《い》かしたまえ」  その日に、上奏、また枢密院の任命式なども行われ、ほどなく、一万五千の大軍が、都門を立った。  思文《かくしぶん》が先鋒、宣賛《せんさん》が殿軍《しんがり》、段常《だんじよう》が輜重《しちよう》隊。そして総司令関勝《かんしよう》は、中軍という編制。——これが満都の歓呼と注目をあびて城《べんじよう》を立つ日の巷《ちまた》に歌があった。 漢代《かんのよ》の功臣 三国の良将の末裔《す え》 いま赤兎馬《せきとば》に似たるに跨《また》がり 繍旗《しゆうき》、金甲《きんこう》、燦《さん》として征《ゆ》く 行く手の雲や厚く 搏浪《はくろう》の水涯《すいがい》は嶮《けわ》し 自愛せよ、大刀の関勝 関菩薩《かんぼさつ》(関羽ノコト)の名に恥じぬ 義あり勇ある今日《こんにち》の好漢《よきおとこ》 人を殺すの兵略は、人を生かすの策に及ばぬこと  北京《ほつけい》の天地は、そろそろ冬の荒涼を思わせ、遠山はすでに白い雪だった。  城外の野に、軍幕《テント》をつらねて、朝夕、ひょうひょうの寒風にはためかれている一舎《しや》の内に、宋江《そうこう》は今日しも、深い思案に沈んでいた。 「ああ、どうもすこし戦略を過《あやま》ったようだ。一気に城中へ攻め込めば、大牢にいる盧員外《ろいんがい》と石秀《せきしゆう》の命があぶない。……と手加減しているまに、いつか冬となってきた。いや冬のみならず、各府県の援軍が来て、城壁の守りもいよいよ固い。……もしこのうえ京師《みやこ》の正規軍《せいきぐん》が大挙して、これへ下《くだ》ってでも来た日には?」  ところへ、呉用が顔を見せた。 「宋《そう》先生」 「お。軍師」 「お驚きになってはいけませんぞ。意外な変《へん》となってきた」 「どうしたのですか」 「梁山泊《りようざんぱく》があぶない! 危機に瀕《ひん》していると、たったいま、神行太保《しんこうたいほう》の報《し》らせです」 「えっ。では泊内《はくない》から裏切りでも」 「いや、東京《とうけい》の蔡《さい》大臣が、蒲東《ほとう》の大刀関勝《だいとうかんしよう》という者を抜擢《ばつてき》し、彼に大軍をさずけて差しくだしました。ところが、この関勝は、有名な後漢《ごかん》の名臣関羽《かんう》の子孫。なかなか勇武奇略があるらしい。北京へ向って来ずに、われらの留守をついて、いきなり梁山泊をとりかこんでしまったというわけなので」 「しまった。それこそ“魏《ギ》ヲ囲《カコ》ンデ趙《チヨウ》ヲ救ウ”の策……。やられましたな」 「だが、まにあわぬことはない。留守の張順、張横《ちようおう》、李俊《りしゆん》、童威、童猛、阮《げん》ノ三兄弟、そのほかも、必死で防戦中とのこと。ともあれ、さっそく引き揚げましょう」  しかし、これがまた一大難事だ。  城中では、すでに京師からの密令で、このことは知っている。——必然、宋江軍《そうこうぐん》の総退陣を見越して、一挙に、追い打ちをかけんとしている気味合いが歴々と見えていた。  それも覚悟の上として退くしかない。  宋江は、小李広《しようりこう》の花栄、豹子頭林冲《りんちゆう》、また呼延灼《こえんしやく》などに、殿軍《しんがり》を命じて、一角の陣から引き揚げを開始した。……と見るや、敵は城をひらき、どっと飛虎峪《ひこよく》の嶮《けん》まで猛追撃してきたが、ここにも伏兵がおかれていたので、逆に彼らは大いたでを負って、逃げもどってしまった様子。それからは、一路、留守の危機へと帰りを急ぐ、梁山泊数千の山兵とその頭領の面々だった。  そして早くも水滸《すいこ》の寨《とりで》を彼方に望みうる近くまでは来たが、偵察によると、 「沿岸は諸所、関勝《かんしよう》の陣地で、これから先は、蟻《あり》の通る隙もありません」  と、物見はみな口を揃えて、官軍のゆゆしさをいう。  はたと、行軍は行きなやんだ。第一には、どう泊内との連絡をとるかであった。ところが、その晩のこと、細い水路を辿《たど》り抜けてきた一そうの“忍び舟”がある。捕えてみる、これなん味方の一人、浪裏白跳《ろうりはくちよう》の張順だった。 「おう張順か。泊内の士気はどうだ。まだ一ヵ所も破られてはいないだろうな」  宋江に問われると、張順は面目なげに言った。 「さ。それが……必死の防ぎで、からくも、鴨嘴灘《おうしたん》から金沙灘《きんさたん》の岸まで、保《も》ちささえてはきましたが、残念なことに、兄弟分の張横《ちようおう》と阮小七《げんしようしち》の二人が、関勝《かんしよう》の手に捕虜とされてしまいました。……で、留守隊一同、首を長くして、お待ちしていたわけなんで」 「なに、張横、阮《げん》小七のふたりが敵にいけどられたと。……はて、それは戦法が難しくなったな。下手《へ た》に出れば、たちまち、陣頭の血祭りにされるだろうし」  なお、仔細《しさい》をきいてみると、張横は得意の水戦を用いて、敵の攪乱《かくらん》に出かけ、かえって敵の計《はかり》におちて捕われたもの。また阮小七も、その復讐戦を挑《いど》んで、逆に、関勝の奇計に引ッかかったものだという。 「なにさま、敵将の関勝というのは、よほど奇略に富む者らしい。……軍師、なんぞご名策はありませんか」  呉用は、さっきから、髯《ひげ》を撫《ぶ》して、そばで聞いていたが、 「ともあれ、当ってみましょう。その戦《いくさ》ぶり、また、その人物を見てからの上の勝負だ。……いかなる智将といえ、その兵略には、限界もあるし癖もある。彼に得意な戦術があれば、その智を用いて智の裏を掻く……」  次の日の早朝。  まず味方の花栄《かえい》を先陣にくり出して、敵の堅陣へと、ぶつけてみた。  その手の官軍方の将は例の、醜郡馬宣賛《しゆうぐんばせんさん》だった。乱戦半日の果て、小李広《しようりこう》の花栄と醜郡馬とは、互いに面《おもて》をあわせての接戦となったが、弓の花栄といわれた彼の射た一箭《せん》が、カン! と醜郡馬の背なかの護心鏡《あてがね》にあたったので、 「これは」  と、きもを冷やしたか、さすがの宣賛も陣を崩して逃げなだれた。  しかしそれは“新手《あらて》がわり”の扇開陣かと見えもする。——蜘蛛《く も》の子と散ったうしろ側の二段の陣には、旌旗《せいき》、弓列、霜のごとき矛隊《ほこたい》が、厳然として控えていた。そしてその真ん中には、炭火のような赤い馬にまたがり、手に青龍刀の烈々たる冷光をひッさげた偉丈夫が、眼をほそめて、全戦場を見わたしている。威厳、いやその絶妙な陣容、たとえば底知れぬ深淵のごときものがあって、とても、うかとは近づき難い。  ——時しも、すでに紫の夕雲が、水滸《すいこ》の蕭条《しようじよう》たる彼方に真ッ赤な日輪をのんで沈みかけている。やがて、吹き渡る薄暮の暗い風のまにまに、相互とも、事なく退《ひ》き鉦《がね》を打鳴らしていた。  露営の天幕《テント》には、夜の霜が降りた。宋江は、すっかり何かに感じ入っている。彼はよく人を観《み》る。 「さすがは、漢代の功臣の末裔《す え》——」  と、一、二度ならず呟《つぶや》いた。 「まことに、関勝《かんしよう》とは、聞きしにまさる武人ではある。ちかごろ稀れに見る人品骨柄《じんぴんこつがら》」  これを、そばで聞いていた林冲《りんちゆう》は、すくなからず不愉快な顔をして、 「はて、宋統領としたことが、なんだって、敵にそんな気おくれを持たれるのか。自体、宋先生は人に惚れ過ぎる癖がある。ようし、明日の戦いには、関勝をおびき寄せて、統領の目の前で、関勝のだらしなさを、この林冲が見せてやる」  と、心でちかった。  そして翌日の激戦で、彼は思いどおりに関勝をひきよせた。だが、関勝の方は、彼をあしらうのみで、眼中にも入れている風ではない。 「宋江、出でよ」  と、喚《おめ》きつづけ、 「水溜《みずたま》りの孑孑《ぼうふら》どもに用はない。宋江、みずから出て、勝負を決しろ」  と、陣前へ来て、近々と呼ばわった。  引き止める人々を排して、宋江はサッと馬を乗り出し、すぐ馬を降りて、関勝へ向い、まるでふだんのような礼をした。 「元、城《うんじよう》の小役人、宋江です。漢《かん》の代《よ》の良臣のご子孫、お見知りおき下さい」 「やあ、汝が宋江か。なんで世を紊《みだ》し、朝廷にたてをつくぞ」 「世をみだす者は、われらではありません。朝廷ご自体。いや讒佞《ざんねい》の権臣《けんしん》、悪官吏のともがらです。されば、私たちは天に代って」 「黙れッ、黙れッ。天とはここに臨んだ錦旗《きんき》をいう。身のほど知れ、この鼠賊《そぞく》め。ただちに、兇器を投げて、降参いたせばよし、さなくば、みじんにいたすぞよ」  これを見、宋江の卑下《ひげ》と関勝の傲岸《ごうがん》に腹をたてた林冲《りんちゆう》、史進、秦明《しんめい》、馬麟《ばりん》などの連中は、小癪《こしやく》な! とばかり前後から、関勝ひとりをつつんで、喚《おめ》きかかッた。  いかに関勝の青龍刀たりといえ、これにはおよぶべくもない。もちろん、官軍方からも、 「わが関《かん》将軍を打たすな」  と、どっと助太刀には出て来たが、あわや、関勝あやうし、と見えた。  ところが、宋江は急に、鉦《かね》を打たせて、味方の猛者《も さ》をひきとらせてしまった。さあ、彼の身辺は、不平、ごうごうである。中には、 「なんだって、かんじんなところで、いくさをお止めなされたのか。これでは、いくさにも何もなりはしない」  と、突っかかって来る者さえある。  宋江は、屹《きつ》となって、たしなめた。 「諸君は相手を殺すのが勝ちだと思っているが、私は、人を生かすことをもって勝利としている。われわれの仲間は、世に忠義をむねとし、人に仁と義をもって接するのが、本来の約束ではなかったか。いわんや、関勝は忠臣の子孫、その先祖は神に祀《まつ》られている者だ。もし彼に徳と智とまことの勇があるなら、宋江はいま預かっている統領の椅子《いす》を、彼に譲ってもよいとさえ思っているのだ」  打てば響く。——宋江にあったこの心は、関勝の胸にも何かを呼び起していたにちがいない。——彼はその夜の陣営で、ひとり密かに考えていた。 「はてなあ? 宋江というやつは解《げ》せん男だ。おれの危なくなった刹那に、戦《いくさ》を止めさせたのは、なんのつもりか?」  その魂胆《こんたん》が気になって仕方がない。だが解けなかった。で、とうとう部下に命じて、かねて捕虜《ほりよ》の檻車《かんしや》へ放り込んでいた囚人《めしゆうど》の張横《ちようおう》と阮《げん》小七とを引っぱり出させ、宋江の人となりを問いただしてみた。  ふたりとも、口を揃えて、憚《はばか》るなく、宋江の人間を称《たた》えた。 「いま頃まだ、及時雨《きゆうじう》の宋公明を、知らねえなんざ、よくよくお前さんは、世事の盲《めくら》か、軍人なら軍人のもぐりだろうぜ。山東《さんとう》、河北《かほく》では、三ツ子ですらが知ってらあ。義にあつく、お情けぶかく、だれにも慕われなさる人民の中の光明《あかり》みたいなお人としてだ」  関勝《かんしよう》は、かえって、なにか辱《は》じてしまった。つまらない糺問《きゆうもん》をしたとは思いながら怏々《おうおう》と、こころも愉しまず、幕舎を出て、独り寒月を仰いでいた。すると—— 「将軍、ここにおいでですか」 「歩哨兵《ほしようへい》か。なんだ」 「ただいま、賊将にしては、いやしからぬ人品の者が」 「なに、敵中から」 「はっ。抜け出して来たものらしく、ひそかに、関《かん》元帥にお目にかかりたいといって来ましたが」 「ひとりか」 「はっ。ただ一騎で」 「ふうん……? ま、連れて来てみろ」  密々、この夜、彼をここへ訪ねて来たのは、呼延灼《こえんしやく》であった。  会うのは初めてだが、関勝もつとにその名は知っている。有名なる元、禁軍の一将軍だ。——禁軍の連環馬軍《れんかんばぐん》をひきいて遠征し、敗れて、ついに梁山泊の賊寨《ぞくさい》に投じ、こんども敵中にいることは分っていた。 「御用は?」  と、関勝の眼は冷たい。 「じつは……」と、呼延灼《こえんしやく》は、声をひそめ「待っていたのです。今日の日を」 「それは、おかしいじゃないですか。君は今や、賊将の一人でしょう。僕は朝廷の使軍《しぐん》の将だ。いますぐ君に縄を打って、都へ押送することだって出来る」 「いや、それがしとて、本心、賊に降伏していたわけじゃない。——今日、現に戦場であなたの急を救った者は、じつはこの私なのだ。——あのさい、林冲《りんちゆう》、史進《ししん》、秦明《しんめい》などに囲まれて、御辺《ごへん》の身、危うしと見たので、突嗟《とつさ》に、退《ひ》き鉦《がね》を鳴らさせたので……あとでは、さんざんに、宋江から怒られたが」 「ほ。さては、そんなわけだったのか」 「なお、疑わしく思われるかもしれんが、機会があったら、官軍へ投じて、帰順したいものと、ひそかに諜《しめ》し合っている同志の者は少なくないのです。——林冲も秦明も、共に元は都出の軍人。……どうです元帥、彼らにその機会を与えてくれませんか」  要するに、もとこれ同根《どうこん》の誼《よし》み。つい、関勝は彼の口車に乗ったのである。だんだんにうちとけて、その夜は、呼延灼《こえんしやく》と共に、陣中鍋《なべ》をつッつきあい、大いに飲んで、旧情を、いや偶然なる新情と邂逅《かいこう》とを、よろこびあった。  そして呼延灼のすすめるままに、翌晩、彼はめんみつな布陣を先にととのえおき、身は、単騎軽装となって、呼延灼を案内に、敵中深くへ忍んで行った。 「叱《し》っ……」  と、延灼《えんしやく》は、ほどよい地点で、関勝《かんしよう》の駒を制した。  彼のいうところによれば。  このへんで、火合図する——  すると、元、青州の総司令をしていた黄信や、また帰順の腹のある林冲《りんちゆう》、秦明《しんめい》らも「待っていた!」とばかり、賊軍の内から裏切りを起す。  そこを、その機《しお》を、かねて、言いふくめておいた思文《かくしぶん》と宣賛《せんさん》の二軍が、敵の両わきから、一せいに、こぞッて出る。さすれば賊の陣は、夜討の不意と、内応の混乱とに、めちゃくちゃとなって、四分五裂するにちがいない。——宋江、呉用、の大物から以下の賊将どもまで、一網打尽《いちもうだじん》とすることは、まさに今夜にあり——という計だった。  しかし、この戦法は、すこぶる妙にして、じつは大あて外《はず》れだった。  まさしく、内応のうごきは見えたが、宋江も呉用も、ここの陣中にはいず、一だん遠い彼方の小山の嶺《みね》に、紅火点々と、その在る所を見せている。 「しまった。申しわけありません。……這奴《しやつ》らは、何かさとって、襲われる寸前に、彼方へ退《さ》がったものとみえます」  延灼は、言って、詫びた。けれど、全然、功がなかったわけでもない。内応によって官軍は勝ったのだし、一陣地は奪取したのだ——そのうえ、内応の賊将、黄信、林冲、史進、秦明などは、挙げて彼の馬前へ来て、投降していた。 「あの山には」  と、関勝は、投降者を見廻しながら訊ねた。 「防備があるのか。かたい防寨《ぼうさい》でもきずいてあるのか」 「そんな物はありません。裸山《はだかやま》で——」  と、延灼《えんしやく》はさらに言った。 「あわてて、仮に逃げ退いただけのものです。ですから、四方へ逃げ散った賊兵が、まとまらないうちに、かしこを突けば、宋江を生け捕ることは、明け方までに遂げ得られましょう」  そこで、再度の潜行に出た。もちろん、宣賛《せんさん》、思文《かくしぶん》のふた手も連れて。——ところが、すでにこれが宋江の術に落ちていたものだった。——関勝は途中でとつぜん馬もろとも陥穽《おとしあな》にころげこんだ。同時に、周囲にいた黄信、史進、秦明らが、たちどころに、彼の上へおいかぶさり、そのよろいも甲《かぶと》も剥《は》いで、捕縛《ほばく》してしまった。  思文《かくしぶん》もまた、べつな所で、山兵の埋伏《まいふく》に出会って捕われ、例の、醜郡馬宣賛《しゆうぐんばせんさん》も、翌朝、湖畔に追いつめられて、いけどられた。その湖畔の官軍本営といえば、すでに迂回路《うかいろ》をとって出た撲天《はくてんちよう》の李応《りおう》が、先にもう占領していた。  そして、檻車《かんしや》のうちに放り込まれていた、味方の阮《げん》小七、張横の二名も、無事に救い出されている。  かくて、一葦帯水《いちいたいすい》の梁山泊へ向って、その朝、ただちに、  ——戦サ止ム、吾レ勝テリ、船送レ  の合図がなされた。水は歓声に沸《わ》き、留守の山は、歓呼に震《ふる》ッた。  金沙灘《きんさたん》のあいだを、一日じゅう、大船や小舟の群れが行き来した。官軍の陣跡《じんせき》からめしあげた軍器糧米の量から馬匹などでもたいへんな数量である。  すでに山兵のあらましを、呉用そのほかの頭分も「——まずは」と、無事な泊内を見て帰っていた。宋江は、忠義堂にいて、さっそく、関勝とほか二人の虜将《りよしよう》を目の前に曳いて来させた。 「これは、さだめし、ご窮屈でしたろうに」  と、宋江はすぐ、自身の手で、三名の縄を解いてやり、とくに関勝の腕を扶《たす》けて、中央の椅子《いす》へかけさせた。  関勝は、うろたえた。 「なんでまた、わたくしを」 「いやいや、やむをえずとは申せ、流離《りゆうり》亡命の宋江の如きが、錦繍《きんしゆう》の帝旗にてむかい、あなたへも、さんざんな無礼、どうか平におゆるしを」  そこへ、呼延灼《こえんしやく》も来て、あやまった。 「関《かん》元帥。憎いやつと、お恨みでしょう。ですが、敬愛するあなたのため、また、宋統領の命で、やむなく、おだまし申したこと。どうか悪しからず水に流してください」  関勝はしかし、それに答えず、暗然たるままで、同憂の宣賛《せんさん》と思文《かくしぶん》を見て言った。 「君たち二人には、じつに気のどくなことをした。僕さえいないものだったら、二人とも、この難には会わなかったろうに。……が、かんべんしてくれ給え。こうなったからには」 「いや、あなたのせいではない。朝廷のためだ。世のためだ。なんとも思っているものか」 「では、覚悟をしてくれるか」 「百も覚悟はしているさ」 「ありがたい」と、関勝は身をただして宋江へ、言い払った。 「いまさら、よけいな手間暇はいるまい。わが友はみなかくの如しだ。……さ、はやく首を刎《は》ねてくれ」 「斬れません。生はあなた方のもの、宋江の自由にはできない」 「なんの、こっちは、囚《とら》われの身。どうにだって出来ようが。僕も関菩薩《かんぼさつ》の子孫だ。恥をかかせてくれるな」 「なぜ、生きてその言を、身にお示しになろうとはしないのか。関菩薩《かんぼさつ》が哭《な》いていましょう。世のみだれ、官の腐敗、民の困窮、目をおおいたいばかりではありませんか。私たちはそれに義憤を感じる者です。ここの天星廟《びよう》にちかいをたてて天に代って道を行なおうとしている者です。関《かん》将軍、またご両所、篤《とく》と、生きても長からぬ漢《おとこ》の一生をお考えください。いまとはいいません。——それなる呼延灼《こえんしやく》、黄信、彭《ほうき》、林冲《りんちゆう》らとも、よくおはなしあってみてください。その上で、わたくしどもにお力をかそうというお心になってくれたら、泊中一同は、よろこんであなた方を迎え、義の友として、今生《こんじよう》を共にするに、やぶさかな者ではありません」  関勝は、いつか、その首《こうべ》を深くたれていた。思文《かくしぶん》と宣賛《せんさん》も、また、沁々《しみじみ》と聞いていた。  この三名が、やがて、梁山泊のどんなものかを知って、翻然《ほんぜん》と、仲間入りを約したのは、いうまでもあるまい。いや、この三者ばかりでなく、官軍の虜兵《りよへい》幾千という者もまた、これに近い寛大な処置に浴した。  老兵やら、年若い少年兵には、かねをくれて、それぞれの故郷へ返してやり、望む者だけを、泊兵の内に入れた。——さらには、薛永《せつえい》、時遷《じせん》などを、ひそかに東京《とうけい》へ派して、蒲東《ほとう》にある関勝の家族たちをも、ひそかに、梁山泊へひきとる手配なども、忘れられてはいなかった。  こうして、いつか冬も、深くなっていた。  それにつけ、宋江は、いまなお、大牢のうちに幽囚《ゆうしゆう》されているであろう盧員外《ろいんがい》と石秀の身を思いやって、北京《ほつけい》の空のみが、たえず胸のいたみであった。 「ま、そうクヨクヨなさらないで」  と、呉用はなぐさめ、 「——今日、関勝の方から申し出ました。一命をたすけられたうえ、何もせず、暖衣飽食《だんいほうしよく》にあまえているのは心苦しい。宣賛《せんさん》、思文《かくしぶん》と共に、先鋒《せんぽう》をうけたまわって、再度の北京攻めには、ぜひ一ト働きいたしたい、と。ひとつ、それを先手に、春を待たず、出勢しようではありませんか」  と、言った。 「この雪に」 「そうです。雪中の行軍は、困難極まる。けれど、それだけに、北京府では、油断しているだろうとも思われる」  その日も、霏々《ひひ》たる雪だった。水も芦《あし》も遠い山も、雪ならぬ所はなく、雪の声と、鴻《こう》の啼《な》き渡るほか、灰色の空には、毎日、何の変化もなかった。 はれもの医者の安《あん》先生、往診《おうしん》あって帰りはない事  北京《ほつけい》の空の下では、そのご、はかばかしい戦果もなかった。  毎日が雪である。なんといっても、厳冬の攻撃はムリだったのだ。守るに利だ、攻めるには困難が多い。——敵を打つには、誘《おび》き出して、これを撃つしかない。  そのうえ、城外三十里の野に、朝夕、吹きさらされている露営の凌《しの》ぎも容易でなく、宋江《そうこう》はこのところ、風邪《か ぜ》ごこちだった。食がすすまず、微熱がある。  ——で、ついにその日は司令部の幕舎《テント》のうちで横になってしまった。謹厳な彼として、陣中、昼の臥床《がしよう》に仆《たお》れるなどは、けだし、よくよくであったらしい。  すると、幕門の衛兵長、張順が入って来て、しきりに彼をよびおこしていた。 「総統総統。ただいま、軍師の呉用大人《たいじん》と、先ごろ梁山泊《りようざんぱく》へ入った関羽《かんう》の子孫の関勝《かんしよう》とが、二人づれで、戦場のご報告にとこれへ見えましたが」  聞くと、宋江は刎《は》ね起きて、すぐさま軍衣の容《かたち》をただし「——これへ」と、つねのごとく、呉用と関勝の二人に会った。  関勝は、まず詫びた。自分がすすめた出兵なのに、今日までなんらの功も挙げえないでと、恥じるかのように言ったのだ。——すると、呉用はそのそばから、 「いやいや、宋《そう》先生、さすがは関勝でした、賞《ほ》めてやっていただきたい。じつは昨夜来の戦いで、敵を南門外におびき出し、関勝は、敵の急先鋒索超《さくちよう》を手捕《てど》りにしたばかりでなく、索超を説いて、われらの仲間へ入ることを承知させた。——功がないどころか、見上げたものです。やはり関羽の末裔《まつえい》関勝だけのものはある」  と、報告した。 「それは、すばらしい」  宋江もよろこんで、共に、彼の軍功を賞《ほ》めたたえたが、どうも調子がへんである。唇の渇《かわ》きや皮膚の血色も常ではない。呉用は目ざとく、すぐ訊ねた。 「宋先生。どこかお加減が悪いのではありませんか」 「いや、たいしたことはないでしょう。ただここ七日ほど微熱を覚えて、どうも食がすすみませんが」 「そりゃいかん。大熱にきまっている。眼底《がんてい》が赤い」 「眼が赤いのは、じつは今、午睡《ごすい》をとっていたからです。ああそれで思い出した。張順に起されたとき、私は夢を見ていたようだ……」 「どんな夢を?」 「死んだ晁蓋《ちようがい》天王が、枕元に立って、ひどく心配そうな顔をしているのです。そして梁山泊の方を指さして、しきりに、帰れ帰れとでも言っているようでしたが」 「そこを呼び起されたわけですか」 「ええ。醒《さ》めてみると、ぐッしょり汗をかいていました。妙な夢をみるものですな」 「はアて。ただの夢とは思われん。総統、あなたは大事なお体なのだ。つまらん我慢はしないでください」 「いや、夢は、五臓の疲れ。おそらく、風邪でしょう。ご心配はいりません」  宋江はあくまで軽く言っていた。しかしその晩、降参の索超《さくちよう》を加えて一酌汲《しやくく》もうと約していたのに、彼はその席へすら出ず、もうたいへんな苦しみ方だ。人々が驚いて体をみると、なんと、背なかの一部に、大きなはれものができていた。癰《よう》だったのだ。癰といえば、命とりである。呉用は愕然《がくぜん》として言った。 「夢はまぎれもなく正夢だ。梁山泊へ帰れとのお告げなのにちがいない。ここにいては宋先生の治療もかなわず、全軍もまた危殆《きたい》に陥《お》ちよう。すわ大事、すわ大事」  俄に全軍、引揚げと急にきまった。けれど、梁山泊にも名医はいない。医師はどうするか? 評議となった。  すると、浪裏白跳《ろうりはくちよう》の張順が、その役目を買って出た。——自分の郷里、潯陽江《じんようこう》のちかい所に、江南随一というはれもの医者が住んでいる。そいつを捜して、梁山泊へ連れて行きましょう、というのだった。 「おお、そんな名医がいるならぜひ行ってくれい。一日も早くだ。手違いのないように」  と、呉用は彼に、かねで百金、路銀三十両をあずけて、その場から西へ立たせた。——そして即日、戦野の幕舎《テント》千旗《き》を払って退却に移ったが、北京府《ほつけいふ》の城内では、この変《へん》を知っても、たびたび奇計に懲《こ》りていたので、 「またも騙《だま》しの手か?」  と、狐疑《こぎ》したままで、ついつい、追撃にも出ずにしまった。  一方は、旅を急ぐ一人の男、張順。  幾十日の風雪を凌《しの》いで、やっと揚子江《ようすこう》のほとりに出ていた。この日も雪は梨の花と散りまがい、見れば、江岸の枯れ芦《あし》の叢《むら》から、一ト筋の夕煙が揚っている。 「おウウい、舟の衆。渡船《とせん》じゃねえのか」 「そうだよう。渡船じゃねえよーっ」 「いくらでも駄賃はハズむぜ。潯陽江《じんようこう》まで渡してくんねえ。恩に着るよ」 「かねとなら相談にのッてもいいがね。うんと出すかい」 「出すとも、いうだけ出そうじゃねえか」 「よしきた! 乗りねえ」  苫《とま》をかぶせた漁船だった。船頭は二人いる。  案外な親切者で、張順の濡れた着物を火に焙《あぶ》ッてくれたり、寒いだろうといって、雑炊鍋《ぞうすいなべ》の物を馳走してくれ、また自分の小夜着《こよぎ》と木枕を出して、 「潯陽江《じんようこう》じゃあ、だいぶ間《ま》がある。ま、客人、一ト寝《やす》み、横になってござらッしゃい」  と、すすめるなど、張順もつい、旅のつかれと、人の情けに温《ぬく》もられて、いつか波上の身をも忘れていた。  ——ところが、目がさめてみたときは、もう遅い。体は荒縄でしばられていた。そして、船頭の一人は、自分の肌から抜き取ッた胴巻を口に咥《くわ》え、手に薄刃《うすば》のだんびらをひっさげていた。 「やっ? ち、畜生。おれに毒入りの雑炊《ぞうすい》を食わせやがったんだな」 「あたりめえよ」と、もうひとりの若い者は、張順の体を船ベリに抑えつけて「——縁もゆかりもねえ野郎に、なんで、得もねえ親切気など出すものかよ。……だが兄哥《あにき》、こんな薄野呂《うすのろ》にしちゃあ、存外な大金を持ッてたものだな」 「やいやい。よけいなことはいわねえでもいい。このだんびらで、俺がそいつの素ッ首を叩ッ斬るから、てめえも、すこし船ベリの際《きわ》へ出て、そいつの背中をぐッと前へ突ン出させろ」 「よしきた! こうか!」 「そうだっ」  言ったと思うと、船頭のだんびらは、意外にも、仲間の男を、一颯《さつ》のもとに斬り殺し、そしてまたすぐ、張順の頭上へ、次のやいばを振りかぶって来た。張順は体がきかない。振り下ろしてきた相手のものをかわすやいな、相手の腰の辺りを足で蹴とばして、身は、揚子江《ようすこう》の流れへむかって飛びこんでいた。  元々、張順は、ここの生れだ。揚子江《ようすこう》の水で産《う》ぶ湯《ゆ》をつかい、大江《たいこう》の河童《かつぱ》といわれたくらいな者で、水の中に浸《つか》ったままでも二タ晩や三晩は平気な男なのである。  縛られてはいたが流れにまかせながら縄目を咬《か》み切り、やがて南の岸へ、鮫《さめ》のごとく、波を切って、泳ぎついていた。 「ううッ。陸《おか》のほうが、よっぽど寒いや」  張順は、火を見つけた。馳けだして行って見ると、一軒の田舎《いなか》酒屋だ。 「わっ、助かった。火にあたらせてくれ。凍《こご》え死ぬ」 「おや、お客人、どうなすった?」 「じいさんよ。えれえ目にあっちまったよ。船の上で、毒を噛《か》まされ、路銀持ち物、みんな巻き上げられてこの裸さ」 「おまえさんは、山東《さんとう》のお人らしいが」 「ことばつきで分るのかね。元は、この地方の生れなんだが」 「山東から生れ故郷へ帰って来なすったというわけかの」 「ま。そんなわけだが、じつは建康府《けんこうふ》に、安道全《あんどうぜん》ていう、はれもの医者がいるだろう。……あの先生をお迎えに来たんだよ」 「へえ、どちらから」 「だからよ、山東からだ」 「あっ、そうですかい」と、酒屋のじいさんは、独りで、なにか呑み込み顔して「——そうですかい、それでわかりました。はい」 「何がよ、じいさん」 「おかくしなさるには及びません。あなたは浪裏白跳《ろうりはくちよう》の張順さんでございましょう」 「げっ。どうして分る?」 「梁山泊へ突ッ走りなすったと、一ト頃はもうえらい評判。それにまた、この寒中、揚子江を泳ぎ渡って来るなんてえお人は、そうザラにあるものじゃございませぬ」 「隠すまい。その通りだ。じつは山寨《や ま》の大親分さま宋公明《そうこうめい》というお方が、癰《よう》をおわずらいなすッたんで、はれもの医者の安道全を迎えに来たのよ。ところが、船強盗にうッかり嵌《は》められ、路銀から医者に渡すかねまですっかり奪《と》られてしまい、いや、俺としたことが、途方に暮れているところなのさ」 「おやおや、そんなことでしたら、張順さん、ご心配にはおよびますまい。ひとつ伜《せがれ》に相談してごらんなされ」 「じいさんの、お伜かね」 「へい。兄弟中での、六番目のやつで、名は王定六、アダ名を活閻婆《かつえんば》といわれております。こいつは毎日、酒桶《さかおけ》を担《にな》って、揚子江の船着《ふなつ》きという船着きを売り歩いておりますから、およそ船頭仲間のことなら何でも耳にしておりますでな」 「そいつは、ありがたい。さっそくひき会わせてもらおうか」  その晩は、ここに泊まり、あくる日、その活閻婆《かつえんば》の王定六に会った。そして定六の話によれば、張順をだました船頭は、名うてな悪者、截江鬼《せつこうき》の張旺《ちようおう》にちがいあるまいとのことだった。 「だがね、もう一人いたよ。若いのが」 「その若い方は、孫五《そんご》ッてえ野郎でしょう」 「けれど、その截江鬼《せつこうき》が、どうして、仲間の孫五を殺したのだろう?」 「知れたことじゃありませんか。だんなの胴巻を奪《と》って、中を見ると、思いがけない大金だ。そこで野郎、急に孫五と山分けするのが惜しくなってきたんでさ」 「なるほど、ひでえ悪党だな」 「きっと、野郎はあっしが見つけ出しますよ。それよりは旦那、急ぎの、御用の方が大切だ。だんなは少しもはやく安道全をお捜しなさい。こいつもまた、医術はうまいが、呑ン兵で助平で暢気坊《のんきぼう》ときているフラフラ医者。いつも家にいるとは限りませんでね」  王定六は、自分の着物から十両の銀子《ぎんす》まで貸して、張順を、一日も早くと、建康府へ立たせてやった。それに力をえて、彼が、城市では槐橋《かいきよう》のそばと聞いた、安道全の宅まで来てみると、折もよく、ちょうど店の一ト間《ま》に薬研《やげん》をすえて薬刻《くすりきざ》みをしている彼の姿が見えた。 「こんにちは。……どうも先生、お久しぶりで」 「はてね。おまえさんは?」 「お忘れかもしれませんが、たった一ぺん、おふくろの腫物《できもの》を癒《なお》していただいたことがございましてね。はい。潯陽江《じんようこう》の張順と申すんで」 「げッ、ではあの、梁山泊へ入ッた?」 「大きな声をしなさんな。じつは、宋公明《そうこうめい》さまが云々《しかじか》なわけで、命《めい》旦夕《たんせき》にせまっている。あっしと一しょに、すぐ行っておくんなさい」 「そ、そいつはムリだ」 「無理を承知のお願いです。この通りに」 「でも、じつは、わしの家内も病気でな」 「ご家内は、まさか、命旦夕ではございますまい。帰ったあとで、ゆっくりと、女房孝行して上げればいいじゃございませんか」 「じゃというて、山東《さんとう》の遠くでは」 「おいやですかい。そうですか。ぜひもございません。では仕方がねえ!」 「あっ、な、なにをなさるんで」 「ほッといてくれ。俺ア、この店をかりて、身の処置をつけざアならねえ。俺がここで自害したら、役人が来て、梁山泊の張順だ、さては安道全《あんどうぜん》も一味の仲間かと、おまえさんにも嫌疑がかかるかもしれねえが」 「じょ、じょうだんではない。役所沙汰などはふるふるだよ。金看板《きんかんばん》もだいなしになってしまう」 「いいや、俺もこのままでは山東へ帰れねえ。気のどくだがおまえさんを抱き込んでここで死ぬ。ここは仲間の隠《かく》れ家《が》だと言って死ぬ。観念しろよ、安道全」 「待ってくれ、行くよ、行くよ。覚悟をきめて」 「ええ、では承知してくれるか」 「宋公明といえば、天下の義人。ほかならぬお人のことだ。仕方もあるまい。だがの、今夜一ト晩ぐらいは、待ってくれてもいいだろう」 「そのまに、どろん……か」 「とんでもない。じゃあ、一しょに来なさるがいい」  家内の病気とは嘘らしい。元々この安道全は、医者の女好きという方で、建康府の花街《いろまち》には、大熱々《おおあつあつ》となっている妓《おんな》がある。  妓《おんな》は、李巧奴《りこうぬ》といって、一流の歌妓ではないが、気転がよく、男惚れのする肌合いで、いつも濡れているような睫毛《まつげ》は濃くて翳《かげ》が深い。 「……いいわ、もう。知らないわ、わたし」  と、妓《おんな》は拗《す》ねる。  絃《いと》の音《ね》に更けた新道の路次の一軒。夕方から飲みはじめて、すでに安道全先生は、海鼠《なまこ》のようになっていた。  ここは李巧奴《りこうぬ》の妓家《ぎけ》で、通い馴れてもいるらしい。口説《くぜつ》、いろいろあって、先生はひそかにうれしくもあり、持て余し気味でもあった。 「おい、巧奴《こうぬ》、どうしたんだよ、飲まないのか」 「知りませんよ。どうせわたしなんか、あんたにとって、何でもない女なんだから」 「なにをいうのじゃ。山東といったって、一ト月か、ふた月の旅。すぐ帰って来るからと言ってるんじゃないか。さ……きげんを直して、きげんよく立たせてくれ。心にもない女なら、なにもわざわざ別れになど来やせんよ」 「じゃあ、山東行きなんか、お止めになったらどうなの」 「それができるくらいなら、何も苦労は」 「……おや、まあ」  と、巧奴《こうぬ》はこのとき、座敷のすみの一卓《たく》に、独りぼっちで飲んでいた男の方へ、その流し目をジロとやって、 「忘れていた。そこにはお差合いの人がいたのね。もし、お連れさんえ」 「なんだい」と、張順は空嘯《そらうそ》ぶいて、ニヤニヤ笑う。 「ご親切ね、あなたは。人の心を知らないで、うちの先生を、一ト月もふた月も、遠いところへ、ご案内して下さるなんて」 「そうお礼ではいたみ入りますよ」 「ふン。真《ま》にうけてるよ、この人は」 「どうか、ゆっくりと、今夜一ト晩は、噛みつくなりとも舐《な》めるなりとも、痴話口説《ちわくぜつ》のかぎりをおやりなさるがよい」 「よけいなお世話というもんよ。……そんな粋《すい》に気がつくなら、おまえさんこそ、さっさと消えて行ったらどう?」 「なるほど、そいつア一本参った。……では安道全先生、また明朝」  と、眼で念を押しながらひきさがった。男として胸くその悪さといったらないが、ここが我慢のしどころと、婆やにまで、小馬鹿にされされ、火の気もない小部屋にもぐって、寝込んだのだった。  すると、ま夜中すぎである。いちど、しいんと寝しずまったはずなのに、どこかで人のささやく声がする。そして中庭越しの向うの部屋には明りが灯《つ》いた。 「……はてな?」  油断のできる体ではない。張順は中庭へ潜んで窺《うかが》ッていた。情人《ま ぶ》でもないらしいが、酒肴《さけさかな》が運ばれてゆく。客はつまりこわもての客とみえ、婆やもなかなか気をつかっている。 「あら、いやだ。張旺《ちようおう》さんたら、妬《や》いてるんだね。いいえ、巧奴姐《こうぬねえ》さんは、すぐ来ますからさ」 「だれだい。奥へ来ている旦《だん》つくッてえな、巧奴の情人《い ろ》か」 「とんでもない、ほれあの……槐橋《かいきよう》のそばの、やぶ医者ですよ。なんでもあしたから二た月ほど、旅に立つとかいって」 「ああ、安道全か。あいつは小金を持ってるからな。だが婆さん、この截江鬼《せつこうき》の張旺《ちようおう》だって、いつもそうそう、素寒貧《すかんぴん》じゃねえんだぜ。巧奴にも言っといてくれ。これだけあったら当分は通いづめでも費《つか》いきれめえッて」 「おやまあ、たいしたお金を……」 「叱《し》ッ。大きな声を出すない。それよりは、はやく巧奴《こうぬ》を呼んで来な。あいつも、眼を細くするにちげえねえ」  婆やがいそいそ出て行くと、入れ代りに、しどけない女の影がちらと部屋へ入って行った。張順は引っ返して、厨所《だいどころ》から料理《いたまえ》庖丁《ぼうちよう》を手にかくして来た。江上稼《こうじようかせ》ぎの悪船頭、截江鬼《せつこうき》をここで見てはもう見のがしておけないという気になっていたのである。  だが、彼が部屋の扉を開けたとたんに、灯は消されて、一方の窓から、当《とう》の張旺《ちようおう》はすばやく外へ逃げてしまった。「待てッ——」と、追わんとするのをまた、女が、必死にしがみついて来たのである。弾《はず》みで、張順はつい、殺す気もなく、女を刺し殺してしまった。——こいつはまずい! と一瞬、悔いたがすでに追いつかない。 「婆や、ばあや。……巧奴《こうぬ》、巧奴」  と、奥ではこの物音に目をさまして、安道全がうろうろしていた。腰でも抜かしたか婆やの声も返辞もない。やがて聞えたのは張順の声だった。 「先生、お目ざめで?」 「何だい? 今の物音は」 「その蝋燭《ろうそく》を持って、先生、あっしの後からついておいでなさいよ」 「どこへ。なにしに」 「ひと目、巧奴に会って、きれいに、お諦《あきら》めをつけて行った方がいいでしょう」 「えっ。巧奴が、どこにいるって?」  何気なく尾《つ》いて行ってみると、そこには男の飲みちらした卓があり二つ枕が帳台《とばり》に見える。  いや安《あん》先生が、仰天したのは、当然、女の血まみれな死体であったが、もっと驚いたのは、張順が書いたらしい部屋の壁に見えた一行の血文字《ちもじ》であった。 “コノ淫婦ヲ殺シテ去ル者、槐橋《カイキヨウ》ノ安道全也《ナリ》” 元宵節《げんしようせつ》の千万燈《とう》、一時にこの世の修羅を現出すること  ここは江畔《こうはん》の一軒。例の田舎酒屋のじいさんと、せがれの王定六とが、いまし方、店を開けたばかりのところだった。 「お早う。先日は、どうも、何かと」 「おや張順さんか。オ、首尾よく、安道全先生のお供をして来なすったね」  聞くと、張順の後ろにいた旅姿の安《あん》先生は、首を振り振り、痛嘆した。 「ああ、分らんものだ。わしも多年病人の脈は診《み》てきたが、自分の運命が一夜にこう変ろうとは、予見も出来なんだわえ」 「先生、どうして、そんなに悄気《しよげ》るんですえ」 「どうの、こうのッて、おまえたち。これが悄気ずにいられるかい。わしの可愛がッていた妓《おんな》を亡《な》くすし、おまけに、その女を殺した下手人みたいにされてしもうたんや。もう二度と故郷へも帰れはせん」 「いいじゃありませんか」と、王定六はヘラヘラ笑った。「槐橋《かいきよう》先生といえば、はれもの患者も癒《なお》しなすったが、ずいぶん、女遊びや極道《ごくどう》もやり尽しなすったはず。ここらが年貢《ねんぐ》の納めどきですぜ。やがてわたしたちも店をたたんで梁山泊《りようざんぱく》へ行くつもりですから、以後よろしくお頼み申しますよ」 「なに、おまえらも、梁山泊へ」 「へい、先日、張順さんにもお願いしてあるんです。そうそう言い遅れたが、張順さん、ついさっき、截江鬼《せつこうき》の張旺《ちようおう》のやつが、ここをあたふた通って行ったぜ」 「ふウむ、野郎、通って行ったか」 「一ト足ちがい、まったく惜しいことをした」 「いや、俺は大事な使いの途中、けちな仕返しには関《かかわ》ッていられねえよ」 「でも、あんな悪党を、みすみす逃がすのは、天道さまのおはからいに反《そむ》くから、オイ截江鬼《せつこうき》、今日は酒の仕入れに、北岸まで行きてえんだ、おめえの船で渡してくれろと、巧くだまして、彼方《むこう》の渡口《とこう》に野郎を待たせておきましたよ」 「そうか。そいつアほんとの渡りに舟。じゃあすぐ出かけよう」  もちろん、張順も安《あん》先生も、頭巾や笠で面《おもて》を深く隠したから、一見、誰とも分らない。これを店のお客と偽って、王定六とじいさんとは、やがて待っていた截江鬼の船にのりこんだ。  ほどなく、大江《たいこう》のまん中へかかる。張順、帆綱《ほづな》の加減を取っている截江鬼のそばへ来て、着ていた蓑笠《みのがさ》をかなぐり捨てた。 「張旺《ちようおう》っ。ちょうど、この辺だったな。いつかの晩、てめえが俺に、うまい雑炊《ぞうすい》を食わせてくれたのは!」 「あっ、うぬは」 「覚えていたか、俺の顔を」  野太刀の抜打ちに斬り下げて、張順はその死骸を、ごみのように江《こう》の流れへ蹴おとした。  北岸へ着くと、王定六の親子は、いちどその船で元の住居へ返り、店や世帯の始末をすまして、後から追いつきますと言ってすぐ去った。 「待ってるよ、じいさん、王定六。おめえさんたちは恩人だ。きっと、梁山泊でみんなにひきあわせて、こんどのお礼はするからな」  張順は、手を振って別れ、あとは安《あん》先生とふたりきりで、道を急いだ。が、さて急いでも急いでも、山東までは前途遥《はる》かだ。  ところが、梁山泊の方では、宋江《そうこう》の病状がいよいよ重く、それも昼夜の苦しみなので、ついに神行太保《しんこうたいほう》の戴宗《たいそう》を、迎えに出したものであろう。——二人はこの戴宗と途中で出会った。そこで安先生ひとりだけは、戴宗の飛行《ひぎよう》の術に抱えられ、先に、山東の空へと翔《か》けた。  水滸《すいこ》の泊《はく》では、人々、わんわんという出迎えである。それッとばかり、すぐ宋江のいる一閣の病室へ彼を通す。色街《いろまち》では海鼠《なまこ》のような安先生も、ひとたび重病人の生命に直面するや、さすが別人のように、どこか名医の風がある。 「なるほど、あぶないところだったな。しかし、手おくれではない」  診断がすむと安先生、委《まか》せておいてくれといわぬばかりな態《てい》である。その自信ぶりを見て一同ホッと安堵《あんど》の胸をなでおろした。  吸出し膏《こう》ともいうべき物か。まっ黒な練薬《ねりぐすり》の貼布《てんぷ》。爪の先みたいな医刀による手術、灸治《きゆうじ》の法、強壮剤らしい煎薬《せんやく》などで、宋江の容体《ようだい》は、みるみる快《よ》くなり、二十日もたつと、元の体になりかけていた。  この間に、張順も、王定六とじいさんを連れて帰山し、泊中は、一時に雪も氷も解けてきた観がある。  事実、冬もすでに終りに近い。かつは体も本復してみると、宋江はまた、北京《ほつけい》の空に思いを馳せ、 「——ああ、獄中の盧俊儀《ろしゆんぎ》、石秀《せきしゆう》は如何にせしぞ。二人の身こそ案じられる」  と、ついに呉用に胸を語って、自身、再度の出陣を言いはじめた。 「とんでもない、まだ瘡口《きずぐち》もふさがったばかり、もし再発でもしたら」  と安道全が、たって止めれば、呉用もまた、かたく止めた。 「こんどはひとつ、ご養生かたがた、大寨《たいさい》の留守を願うといたしましょう。獄中の者の生命は、お案じには及びません。関勝の投降いらい、開封《かいほう》東京《とうけい》の蔡《さい》大臣は、北京府へたいして、とかく弱腰な指示をとっているようです。おそらく、梁中書《りようちゆうしよ》もまた、獄の二名を、よう殺しきれますまい。——機会があれば、それを交渉の囮《おとり》に使うつもりでいましょうから」  それから半月ほど後だった。 「冬が去り、春のはじめ。ここに一案が立ちました」  呉用が、宋江へ、その秘を語った。 「——春となれば、元宵節《げんしようせつ》もまぢかです。北京府《ほつけいふ》では毎年、年にいちどの大賑わい。その夜を期して、城市の内外から、一挙に事を果たそうという計ですが」  さらに、ことこまかな計略の内容を聞き、宋江は手を打ってよろこんだ。規模の大、敵の意表外を突くの策など、すべて兵法の、天の時、地の利、人の妙用などに、かなっている。  ここで所は北京府の公館、管領庁の一殿《でん》に移る——。  長官の梁中書《りようちゆうしよ》は、兵馬総指揮の天王李成《りせい》、大刀聞達《だいとうぶんたつ》、そのほか、南北の両奉行、以下の役人らを、ずらと目の前において。 「そうかなあ。わしは禁止がよいと思ったが、聞達、李成はじめ、多くの意見は、その逆か」 「はいっ……」と、李成が一同を代表していう。「ご高見にも、一理はありますが、なにせい、昨年から人心は極度な不安に落ち、政府の威信をすら疑っております。……そんなばあい、もしここで、彼らが一年の楽しみとしておる元宵節《げんしようせつ》の行事までを、禁止すると発令したら、またも不景気の様相を一倍にし、怨嗟《えんさ》、蔭口《かげぐち》、果ては暴動にもおよばぬ限りもありません」 「厄介なもんだなあ、じつに人民というやつは」 「ですが、その人心も、政治の持って行き方では、案外、他愛のない一面もあるものです。思うに、むしろ今年などは、前年よりも、元宵節は盛んにすべし、とご布告あってしかるべきかと存じられまする」 「なるほど。それもいいな」 「すなわち、祝祭は陰暦一月十三日から十七日までの、五日間となし、ご城内でも、高楼《たかどの》に百千の燈籠をかざり、門という門は、これを花と緑でうずめ、閣下もまた、吉例の“春祭りの行列”へおくり出しあるなど、人民と共に楽しむ事実をお示しあらねばなりません」 「大きに、そうだった。北京市は河北第一の大都会。四方の県や州へたいしても、威信を失わぬことが肝要だったな。よろしい。元宵節は例年以上にも盛大なる規模のもとにこれを行《おこな》え」  ここに、はやくもその日は、あと幾日と、せまっていた。  わけてことしは、大々的な元宵節になる見込みということが、四隣の州や県にも響いていたので、各地方の商人は、はや、ぞくぞくと、北京一都に雲集してくる。  旅館、小《こ》旅籠《ばたご》、素人《しろうと》宿。これもまたすごい前景気で、およそ五日間は、すでに予約ずみとなり、近県からの見物目あても、田舎《いなか》土産《みやげ》をさげたりして、親類縁者、あらゆる手づるの家へもう泊りこんでいる。  こうして、いよいよ、当日となれば、つねの人口の倍にもふくれ上がったかと見える北京中の街は、万戸《ばんこ》、花燈籠《はなどうろう》を軒にかざりたて、わき立つ歌や、酒の香やら、まさに歓楽の坩堝《るつぼ》と化す。  たとえば、  富豪《ものもち》の家などでは、表へ向って、五色の屏風《びようぶ》をたてならべ、書画の名品や古玩骨董《こがんこつとう》の類を展観してみせたり、あるいは花器に花を盛って、茶を饗《きよう》し、または“飲み放題”の振舞い酒をするなどもあって、この日に限り、日頃のケチンボといえど、よろこんで散財する風習がある。  また各町内ごとに踊り輪をつくって、これがジャンジャンドンドン、夜も昼も音頭と囃子《はやし》で練りあるく。子供らは花火に狂い、わけて投げ爆竹《はなび》の音は絶えまもない。  すべて祭りに暮れ祭りに明ける五日間なので、盛り場の人出はいうまでもなく、州橋通りの賑わいなどは言語に絶し、社火《しやか》行列(祝いの仮装行列)だの、鰲山《ごうざん》(燈籠《とうろう》で飾った花車《だ し》)の鼓楽《こがく》だの、いやもう、形容のしようもない。銅仏寺でさえ山門をひらいて、百千の花燈《かとう》をとぼし、河北《かほく》一のお茶屋と評判な翠雲楼《すいうんろう》ときては、とくに商売柄、その趣向もさまざまであり、花街の美嬌《びきよう》と絃歌《げんか》をあげて、夜は空を焦《こ》がし、昼は昼で彩雲《さいうん》も停《とど》めるばかり……。  しかもこれらは城下だけのことで、北京城の城には、五色の祝旗が立ちならび、大名府《だいみようふ》、管領庁楼以下の官衙《かんが》にも、例外なしに、緑門《りよくもん》が建ち、花傘《かさん》が飾られ、そして辻々には、騎馬の廂官《しようかん》(左右・南北の奉行役人)が辻警戒にあたり、ひどい酔ッぱらいは拉《らつ》して行ったり、押し合う群集の交通整理などにもあたっている。  こうして、すでに、まつりも五日目。  遊び疲れ、飲みくたびれ、人も街も爛《ただ》れ気味の黄昏《たそが》れとなっていたが、なおまだ、 「ほれ! 今夜かぎりだ。あしたは知れぬぞ」 「踊れよ、踊れ」 「踊らにゃ、損だぞ」 「踊る阿呆《あほう》に、見る阿呆」  と、熱に憑《つ》かれた男女の群れが、社火行列の仮装とも一つになって、北京《ほつけい》全市の辻々に狂舞の袖と輪を描き、いよいよ、爆発的な本能図絵に地を染めていた。  すると、踊りの輪をツイと抜け出した若衆姿のひとりが、道ばたで籠《かご》を仕舞いかけていた物売り男の背を一つポンと叩いて耳もとへささやいた。 「青面獣《せいめんじゆう》。そろそろ、行くかね」 「あ。花栄《かえい》か」 「叱《し》ッ。廂官《しようかん》がこっちへ来た」  ふたりは、籠を抱えて、飛燕のごとく、たちまち、人波の中へ消え込んで行った。  すると、ふいに、 「御用だ」  と、そのうしろへ、追ッかけて来た者がある。 「ええ、びっくりした。蚤《のみ》の時遷《じせん》じゃねえか」 「ははは。楊雄《ようゆう》もあすこにいるぜ」 「みんな俺について来い」  と花栄は言って、また先へ走り出した。  時を一つにして、銅仏寺の前では、雲水《うんすい》姿の花和尚魯智深《ろちしん》と、行者武松《ぶしよう》が、人待ち顔にたたずんでいた。  そこへ、乞食すがたに身を窶《やつ》した劉唐《りゆうとう》だの、飴《あめ》売りの王矮虎《わいこ》だの、また、小粋《こいき》な茶屋女に化けた一丈青と、顧《こ》のおばさん。さらにお上《のぼ》りさんに変装した鄒淵《すうえん》、鄒潤《すうじゆん》。ほか十人以上もの人影がいつのまにか集まって、これもほどなく、夕闇まぎれ、どこへともなく消え去った——。  ところで、これはやや宵の口に入ってからのこと。  おなじく梁山泊の一員で、元来、貴人の風格のある例の小旋風柴進《しようせんぷうさいしん》は、衣冠帯剣《いかんたいけん》の身なりで、九紋龍史進と浪子燕青《ろうしえんせい》のふたりを供人《ともびと》に仕立て、大名府の小路《こうじ》の角に、さっきから、かなり長いことたたずんでいた。  折ふし、この夕、華やかに扮装《いでた》った鉄騎五百人と軍楽隊との“元宵《げんしよう》の行列”にまもられて城中の“初春《は る》の宴《うたげ》”から退《さ》がってきた梁中書《りようちゆうしよ》の通過を、男女の見物人とともに見送っていたものらしいが、やがて群集が崩れ散ると、早足に、管領庁の門を、颯爽《さつそう》として入って行った。 「…………」  はっと、門衛はそれに敬礼した。  怪しむにも怪しみえない大官と見えたものにちがいない。  だが、庁内もずんと奥の、大牢門と呼ぶ獄界の境まで来ると、ここではふとスレちがった男が、 「おやっ?」  と、巨眼《きよがん》を光らして、振返った。  柴進《さいしん》も、ぎょっとして立ちどまる。が、それは死刑囚あずかりの押牢使《おうろうし》蔡福《さいふく》だった。——かねてこの蔡福、蔡慶《さいけい》の兄弟には、その私宅で柴進から莫大な砂金が賄賂《わいろ》されていたことである。——蔡福はジッと相手を睨まえてはいたが、 「…………」  何もいわない。  いや、黙って行ってしまったばかりでなく、足もとへ何かチンと落として去った。  拾い取ってみると、それは大牢の鍵《かぎ》だったのである。「よし! 事すでに成る」と、柴進《さいしん》はよろこんだ。そして燕青《えんせい》、史進をひきつれて、死刑囚ばかりのいる大牢長屋へ馳けこんだ。 「あっ待てッ。通るのは、何者だっ」 「蔡福《さいふく》の弟。蔡慶《さいけい》か」 「いかにも一枝花《しか》の蔡慶だが」 「わしは梁山泊の柴進だ」 「げっ、柴進? ……。かねて兄貴から、名はきいていたが」 「ならば、委細のいきさつも聞いていよう。また、これにいる浪子燕青《ろうしえんせい》も顔見知りのはず。すぐ大牢を開けて、獄中の盧俊儀《ろしゆんぎ》と石秀のふたりをわれらに渡してくれい」 「そいつはだめだ。鍵《かぎ》はいつも兄貴が肌身を離したこともねえ」 「いや、鍵はここにある」 「えっ? オオほんとだ。どうしてこれを」 「蔡福はもう梁山泊入りと覚悟をきめ、今頃は家に帰って、家財家族の始末をしているにちがいない。君もすぐ家へ帰り給え。そして、兄と共に身支度を急げ。まもなく、北京全市は炎の海と修羅になるぞ」  いかに柴進が言っても、ことばだけでは、蔡慶には信じられなかったが、しかし、じつにこの時といっていい。夜空にあたって、奇怪な火の粉と、魔の雲に似た黒煙《くろけむり》が見えだしていた。  城楼からの出火だった。按《あん》ずるに、火の原因《おこり》は、昼、初春《は る》の宴《うたげ》に、たくさんな花籃《はなかご》が持ち込まれており、上には、蝶花の祭り簪《かんざし》がたくさん挿《さ》してあったが、籃《かご》の底には、硫黄《いおう》、焔硝末《えんしようまつ》、火薬玉などが、しこたま潜《ひそ》めてあったのではあるまいか。  そして、これを繞《めぐ》ッて、余興を見せたのは、掀雲社《きんうんしや》(遊芸人のクラブ)の連中だったが、中には地方芸人も交《ま》じっており、たとえば、解珍、解宝、鉄叫子《てつきようし》の楽和《がくわ》といったような人物が、そのうちに紛《まぎ》れ込んでいなかったとは限らない。  かつは、方術師《ほうじゆつし》の公孫勝《こうそんしよう》がいるし、火薬の智識にかけては凌振《りようしん》もいる。それに、蚤《のみ》の時遷《じせん》も、得意の忍びを用いて、あれから後、城の天主へ忍び入っていたかもしれない。  いずれにせよ、こんどの元宵節《げんしようせつ》を機して、梁山泊の輩《ともがら》が、その一芸一能と変幻出没な化身《けしん》のもとに、上下、あらゆる面の人中へ浸々《しんしん》と紛《まぎ》れ入っていたには相違なく、北京城頭の三層楼《そうろう》にあがった炎は、その目的行動の合図をなす第一火だったものであろう。  これを望み見るや、城外の闇の遠くにあって、鳴りをひそめていた梁山泊軍は一せいに、鼓《こ》を打ち、声を合せて、野を馳《か》け出した。  第一隊、豹子頭《ひようしとう》の林冲《りんちゆう》。馬麟《ばりん》。  第二、飛《とうひ》。孫立《そんりゆう》。  第三、大刀の関勝《かんしよう》。宣賛《せんさん》。思文《かくしぶん》。  以下、第八隊までには——秦明《しんめい》、欧鵬《おうほう》、黄信、燕順、雷横《らいおう》、施恩《しおん》、穆弘《ぼくこう》、鄭天寿《ていてんじゆ》、黒旋風の李逵《りき》——。上には、軍師呉用の左右に、裴宣《はいせん》、呼延灼《こえんしやく》、韓滔《かんとう》、彭《ほうき》らが付きしたがい、 「無辜《むこ》の庶民は殺すな」 「放火はつつしめ」 「一隊はすぐ、盧俊儀《ろしゆんぎ》の家へ向って、淫婦、姦夫を捕り逃がすまいぞ」 「ほかは、梁中書《りようちゆうしよ》」 「また一手は大牢の獄へ」  と、呼び交《か》わしながら、たちまち南大門を突破し、さらに東門西門を打ち破る鬨《とき》の声も一つに、すべて、五千余人の歩騎兵が、どっと、その夜の六街三市《ま ち な か》へ洪水の逆巻くかと見えるばかりに流れ入った。  万戸《こ》の燈籠は一時に消え、歌舞の絃歌《げんか》は、阿鼻《あび》の叫《きよう》や悲鳴に変った。逃げまどう乙女《おとめ》、母を呼ぶ子など、目もあてられず、炎は路を照らして赤く、その中を、疾駆、馬上に人を抱えて馳け去った二騎の影と、それを守護して行く十数騎とが、あたかも、天から降りて来た十二神将の像のように見えた。  それこそ、後に思い合せれば。  盧俊儀《ろしゆんぎ》をかかえた浪子燕青《ろうしえんせい》と石秀を助け出してきた柴進《さいしん》、史進らであったらしい。  盧俊儀のかつての店舗《てんぽ》と住居の一廓《いつかく》は、あれよというまもなくぶち壊《こわ》され、番頭の李固《りこ》と、盧《ろ》の妻の賈氏《こし》は、逃げも隠れもできないうちに、どこへとも拉致《らち》されて行った。——これを見ていた近所界隈《かいわい》の住民は、身の恐ろしさも忘れたように、わっと快哉《かいさい》の声をその人《ひと》旋風《つむじ》の行方へ送っていたという。  ここにまた、九死に一生を得たともいえる者は、かの梁中書であった。一時は狼狽《ろうばい》の極、あぶなかったが、李成《りせい》とその部下に守られて、からくも死地を脱し、満都の火光をあとに西へ西へとやみくもに逃げ走っていた。かえって、あとに残った中書夫人や、官邸の召使いたちの方が、よほどひどい目に会っていたろう。  この夜、蔡福《さいふく》と蔡慶の兄弟は、家族を先に山東へ立たせたあと、軍師呉用のいる所をたずねて来て、こう頼んだ。 「軍師。北京《ほつけい》の民に罪はない。なんぼなんでもこの犠牲は大き過ぎましょう。一般の者は助けておくんなさい」 「もちろんだ」と呉用は言った。「庶民を泣かす気などは毛頭ない。むしろこのあとは、よくなるように祈っている。もう目的は達したから、あとは、全軍に命じて、諸所の消火にあたらせよう」  かくて、夜明け方には、市中の火は、あらかた消しとめられたが、なお焔々《えんえん》と燃えてやまないのは、北京城の瑠璃《るり》の瓦、黄金の柱、官衙《かんが》の建物などだった。  呉用は命じて、城中の財宝、穀物、織布《しよくふ》などを取り出させ、これを罹災《りさい》の民と貧民に頒《わ》けてやり、また残余の物と軍需品は、馬や車輛に積んで、梁山泊へ持ち帰った。  水滸《すいこ》の大寨《たいさい》は凱旋した仲間を迎えて、歓呼に沸《わ》いた。なにしろ、北京の府は、四百余州中でも屈指な城市であったから、これを陥《おと》すには、じつに多くの犠牲と困難があった。それだけに、泊中全山の沸き返り方といったらない。  大宴《たいえん》、三日のあと。  宋江は、盧俊儀《ろしゆんぎ》を、忠義堂の上座に厚く迎えて。 「あらためて、おわびします。すべては水にお流しください」 「いまは何をか申しましょう。何事も水の流れと観《かん》じて忘れております」 「では、私どもの初志をいれて、大寨《たいさい》の頭領の位地にお就き下さることも、併《あわ》せて、ご承知くだされようか」 「それはいけません。自分の才にないものは」 「いや。呉用以下、われらすべての望みなのです」 「何と仰っしゃられても、その儀ばかりは」  どうしても、盧《ろ》の意志は、うごきそうもない。で、ぜひなく当分は、客分の名で別格な座にあがめ、そして何かの相談にはあずかるということで、ひとまずここはおさまった。 「ところで、番頭の李固《りこ》と、その李固と密通していたご家内の賈氏《こし》は、どうご処分なさいますか」 「見たくもありません」と、盧はいった。「——とるに足らない虫ケラども、燕青《えんせい》の手にまかせておきましょう」  後日、浪子燕青は、この淫婦姦夫の身柄を貰って、水寨《すいさい》の畔《ほとり》へ連れて行き、楊柳《やなぎ》の幹にしばり付けたふたりを、短刀のただ一ト突きのもとに成敗した。  また蔡福《さいふく》、蔡慶《さいけい》の兄弟は、裏山の一端に耕地をもらって、家族らと共に住みついた。かつては、大牢の囚人たちから、鬼と呼ばれて恐がられた兄弟だったが、ここでは牢というものがなく、自然、牢屋の用もなかった。 直言の士は風流天子の朝を追われ、山東《さんとう》の野はいよいよ義士を加える事  飛報が都へはいったのは月のすえで、まずその詳細を第一に知ったのは、宰相《さいしよう》官邸で早打の使者を引見《いんけん》した大臣蔡京《さいけい》であったこと、いうまでもない。  書翰《しよかん》は、彼のむすめ聟《むこ》、梁中書《りようちゆうしよ》の筆である。  北京府《ほつけいふ》の大半は匪賊《ひぞく》のために灰燼《かいじん》となり、官民の死傷は万を超え、自分たち夫妻が助かったのもまったく奇蹟なほどで、いまもって恐ろしい悪夢からさめきれないほどである——と書面は委曲《いきよく》をつくしていた。 「これはいかん。梁山泊の賊とは、そうまで強大なものだったのか。これではもう伏せてはおかれまい」  驚愕も驚愕だが、蔡《さい》大臣があわてたのは、ほかの理由からでもあった。北京の乱も彼だけは夙《つと》に知っていたのである。だが、わが聟《むこ》に鎮圧の功をあげさせてやりたいとする私情から、今日まで援軍の派遣をはからわず、朝廷へも「——いや、梁中書がおりますからには」と、半ば嘯《うそぶ》き、半ばフタをしていたものだった。  蒼惶《そうこう》と、彼が参内するとまもなく、景陽楼の鐘が鳴り、祗候《しこう》ノ間《ま》には、ぞくぞくと、文武の群臣があつまった。  やがて玉階《ぎよつかい》の御簾《みす》が高々とまきあがる。道君《どうくん》徽宗《きそう》皇帝の姿は珠の椅子《いす》にあった。逐一《ちくいち》を聞きとられると、さすが風流天子の眉もふかい憂色に沈んで見える。……と、諫議《かんぎ》ノ大夫《たゆう》趙鼎《ちようてい》が、列座からすすみ出て奏上した。 「これはもはやただごとではありません。いまにして大策をめぐらさねば、一波は万波をよび、全土の兇乱ともなりかねますまい」 「ゆえに、いかにせよと、諫議《かんぎ》はいうのか」 「暴《ぼう》を伐《う》つに、武をもってしては、火を消すに火をそそぐようなものでしょう。加うるに、彼らは水滸《すいこ》の要寨《ようさい》に拠《よ》って、野性放縦《ほうじゆう》、とても手におえないことは、これまでもしばしば差向けられた討伐軍が、いたずらに損害また損害のみうけて、いちどの勝利も得てないのに見てもその愚がわかると思います」 「だから、どうせいというのだ、諫議《かんぎ》」 「よろしく慰撫《いぶ》の沙汰を降し給うて、彼らの罪を赦《ゆる》され、彼らの不平をして、逆に世のための意義ある仕事に役立たしめるよう、ここに皇徳の無辺をお示しあらば、元来が単純一片の草莽《そうもう》、なまなか闕下《けつか》の恩寵《おんちよう》に狎《な》れている都人士などよりも、あるいは世の公《おおやけ》に役立つ者どもかとぞんじられます」  諫議はすずやかに述べた。いかにも直言《ちよくげん》の士らしい。  ところが、大臣蔡京《さいけい》は、 「なにを申す! 諫議ノ大夫ともあろうものが」  と、満面に怒気を発して叱りつけた。 「水滸《すいこ》の草賊どもを朝《ちよう》に入れて、官人なみの扱いをせよというのか。ば、ばかな意見を。——かりそめにも宋《そう》朝廷が匪賊《ひぞく》に降《くだ》っていいものか。あいや皇帝」  と、彼は玉階のほうへ、身を一揖《いちゆう》して。 「おどろき入った諫議の献言です。かかる悪思想を抱くやからは、一日も参議の列に加えおくわけにゆきますまい。列臣の心を荼毒《とどく》するもの、怖るべきものがありまする」 「職を剥《は》げ。——免職する。——趙鼎《ちようてい》、堂を退《さ》がれ」  即座に、彼は官爵《かんしやく》を解かれて、悄然《しようぜん》と退場した。  蔡京《さいけい》は、つづいていう。 「私の愚見を申しあげます。凌州《りようしゆう》の団練使《だんれんし》、単廷珪《ぜんていけい》と魏定国《ぎていこく》という二大将は、とみに近ごろ勇名のある者、これに郷軍の大兵と、禁軍の精鋭をそえ、水滸《すいこ》討伐の勅命をくだし給わらば、よも敗退をふたたびするようなことはなかろうと存じまするが」 「大宋《たいそう》の下、英雄は無尽蔵《むじんぞう》だな。よきにいたせ」  徽宗《きそう》皇帝は立つ。  議は枢密院《すうみついん》に移り、勅を奉じた使いは、すぐ凌州へ馳けた。  事は、はやくも風のごとく、梁山泊の早耳にきこえている。  だが、さきにここへ仲間入りしていた蒲東《ほとう》の関勝《かんしよう》は、自信をもってそれに当る先鋒軍《せんぽうぐん》の役を買って出た。 「なにさま、凌州の団練使《だんれんし》(師団長)単廷珪《ぜんていけい》は有数な大将ですし、魏定国《ぎていこく》も人物です、……ですがその志や人間はよく分っている。なぜならば共に少壮軍人であった頃、自分とは都で一つ釜の飯をくったこともある仲です。きっと彼らを説き伏せて、われらの仲間へ投降させてみましょう」  彼のこの広言は、なかなか広言どおりにたやすくはいかなかったが、しかし凌州《りようしゆう》の野で、二箇月にわたる戦いのすえ、ついに呉用そのほかの助勢もあって、関勝《かんしよう》はそれに成功し、魏《ぎ》と単《ぜん》の二大将を、とうとう梁山泊の仲間へ誘い入れてしまった。  それのみでなく、この凌州《りようしゆう》の戦いによる副産物として、黒旋風の李逵《りき》が、枯樹山の山賊、喪門神《そうもんしん》の鮑旭《ほうきよく》と、相撲とり上がりの没面目《ぼつめんもく》の焦挺《しようてい》という二人をも仲間につれて帰って来た。 「めずらしいこともあるものだ」  泊中の仲間は、みな笑った。 「李逵《りき》ときたひには、人間も鶏も見さかいがなく、つぶすことは知っても、卵から殖《ふ》やすなんて芸当は知らねえ奴だ。そいつが仲間を殖やしたんだから、こいつは一つの天変地異だぜ」  この年。  梁山泊では、もひとつ一大快事を仕果たして、凱歌《がいか》をあげた。  なにかといえば、それは春も半ばの頃、かねてから遺恨鬱々《うつうつ》と時をうかがっていた曾頭市《そうとうし》の豪族、曾一門を討って亡き前の総統晁蓋《ちようがい》の無念ばらしをしたことだった。  その曾頭市《そうとうし》は曾一家の勢力で私領化され、ほとんど全市一大要塞をなし、武術師範の史文恭《しぶんきよう》をかしらに、曾塗《そうと》、蘇定《そてい》、曾密、曾索《そうさく》、曾魁《そうかい》などの一族でかためられ、じつに苦戦は苦戦だったが、しかし初めに、 「ひとつ、てまえに働かせてみて下さい。山へ来てから、まだいちども、これという働きもせずにいるこの盧俊儀《ろしゆんぎ》に——」  と先陣の苦闘をあえて自分から買って出た彼の努力に、その帰結は大いに負うところが多かったのだ。  で、曾一族のことごとくを殺し、また、生け捕った史文恭はこれを山寨にひきあげてから斬《ざん》に処した。そして一同して首と生肝《いきぎも》とを亡き晁《ちよう》総統の祭壇にそなえた。  そのさい泊中のおもなる頭目は、みな喪服《もふく》をつけて居ならび、宋江は、聖手書生の蕭譲《しようじよう》に命じて書かせた“晁蓋の霊を弔《とむら》う”の祭文を壇にむかって読んだ。しゅくしゅくと、男泣きの悲哭《ひこく》をもらす者さえある。——終ると、宋江は座について言った。 「ここの者はみな、お忘れではあるまい。晁《ちよう》天王の遺言には、誰でもあれ、かたきの史文恭をとらえてわが妄念をはらしてくれた者をもって、次の梁山泊の統領にせよとあった……」  盧俊儀《ろしゆんぎ》は、はっとして、宋江のことばも終らぬうちにあわてて言った。 「いけません、いけません。曾頭市《そうとうし》を陥《おと》したのも、てまえ一人の力ではない。かつは私は徳もなし才もない」 「いや!」と宋江もまたそれを抑えて。「盧《ろ》大員には、いくたび言っても、いつもご卑下《ひげ》あるが、この宋江をごらんなさい。正直、私は三つの点であなたのお人柄には及びもつきません」 「どうしてですか」 「第一に、私は色が黒く体も小さい。風貌において、あなたの大どかな貴人の相とはくらべものにならぬ。第二には、私はもと小役人の出身で罪を犯して逃亡のあげく自然ここに身をよせているに過ぎない人間。しかるにあなたは北京府の富家《ふか》に生れ、かさねがさねの天祐《てんゆう》を蒙《こうむ》っている。天運おのずから衆に超えているものです。——第三には、私は浅学、あなたは学《がく》古今に通じておられる。のみならずじっさいの武技もあり智略勇胆に秀《ひい》でています。すべてその才徳は大器というもの。あなたを措《お》いて誰がここの上座にすわる者がありましょうか」 「ああ、迷惑です。ご過賞に過ぎる」 「いや、ここの者どもも、生涯このままではいられません。いずれ時あればおかみに帰順して、世に功業を捧げねばならぬ。罪ほろぼしの善を地に植え、時により官爵《かんしやく》を帯ぶる身となるやも知れぬ。だが私はすでに分《ぶん》にあらずとかたく腹はきめているのです。どうか山寨《さんさい》一同の願いを入れて、いまはおききとどけ下されたい」  しかし、盧《ろ》はついに、椅子《いす》を降りて、身を下に置いてしまった。 「どのように仰っしゃられても、それだけはお受けできません。死すともできません」  あとは座中、私語騒然と、思い思いな声や囁《ささや》きになってしまった。  要するに、ほとんどの者の本心は、やはり宋江に主席となっていて貰いたいのだった。軍師呉用からしてそうらしい色に見える。人情、心服、信頼感、そして盧《ろ》よりも古い一つ釜の飯。どうにも理屈ではなかったのである。  これはいけないと見たか、宋江がここに一案を提出してみなに諮《はか》った。 「このうえは、天意に訊《き》いてみようではないか。あくまで盧大員を主座に仰ぐべきか、不肖《ふしよう》、どうしても私がよいのか」 「天意。それはまた、どうなさるので」 「ここからひがしに、東昌府、東平府の二城市がある。ゆたかな城街《ま ち》だが、かつてわれらもそこだけは侵したことがない」 「なるほど」 「城戸《じようこ》の民はみな沃土《よくど》と物産にめぐまれ、官民和楽してよく暮らしていると聞いていたからだった。ところが近年、奉行が変ってからはひどく苛烈な税をとりたて、賄賂《わいろ》悪徳の風が幅をきかして、ために良民は汗に痩《や》せ、無頼のやからと小役人だけが肥え、一般はもってのほかな困窮だという」 「そこで?」  と、呉用は宋江の面を見つめた。 「二府へたいして、銭糧《ぜにかて》を借りたいと申し込む」 「もちろん先は断りましょうな」 「知れている。だがそれは口実。それを名分にうたって二途《と》二軍勢で同時に二つの城市へ攻めてゆく。つまり一方の首将には盧《ろ》大人になっていただき、一方の指揮には私があたる。——そしてどちらでも先に相手の府を降伏させた方を梁山泊のあるじとするのだ。この案はどうであろうか」 「さあ、それもよいでしょうが?」  と、呉用は盧俊儀《ろしゆんぎ》のほうばかり見て、可否をいわない。当の盧俊儀もまた、ひとえにそれは逃げて、うんという気色もなかった。  で、せっかくな一案もお流れに終って、現状そのまま、つい半年余を過ぎてしまったが、晩秋の頃、どうしても、銭糧借款《ぜにかてしやつかん》の申し入れをせねばならない状況が再燃していた。  というのは、その夏の旱魃《かんばつ》やら秋ぐちの大洪水で、特に、水滸《すいこ》の周辺は五、六百里にもわたってひどい飢饉《ききん》を来したのである。で、宋江はこんな時とばかり泊内の穀倉をひらいて難民の救済にあて、蓄《たくわ》えの物は糠《ぬか》もすくい出し、羊、鶏、耕牛までも食いつぶしていたのだった。 「このうえは、東昌府と東平府を食うしかない」 「もう銭糧を貸せなどと手間暇かけているのは愚だ」 「さもなくば、この梁山泊の者もみな乾《ひ》あがってしまう。こんなところを官軍に見舞われたら一トたまりもないぞ」  事実、泊中の炊煙《すいえん》がもう細々になりだしていたのである。馬糧、兵糧、少しでもあるうちにと、全員の声が高い。  ここにおいて、盧俊儀《ろしゆんぎ》もついに一方の大将をひきうけ、また一軍は宋江が首将となった。そしてかつての一案にしたがい、どっちでも先に向う所の城市を陥落させた者が、梁山泊のあるじとなることもまた約束された。 「では、先だってまず、先主晁蓋《ちようがい》の霊堂で、いずれがいずれへ向うか、籤《くじ》を引いてきめましょう」  これも宋江の発言だった。  その結果。  盧俊儀が東昌府をひき、宋江は東平府をひきあてた。  盧《ろ》の麾下《きか》にしたがうもの、呉用、公孫勝、関勝、呼延灼《こえんしやく》、朱同《しゆどう》など水陸七千人——  宋江の下には林冲《りんちゆう》、史進、花栄、劉唐《りゆうとう》、徐寧《じよねい》、燕順ら、これも水陸七千人——  日をかさねて、めざす上県《もんじようけん》へも、はや七十里という、安山鎮の嶺まで来ると、 「では、盧《ろ》大員君」 「宋公明先生」 「おたがいの前途を祈って、ここで再会までのお別れとしよう」 「よきご武運を」 「あなたも」  と、両将は、手を握って、西と北、二た手に道を別れた。  そうして宋江の軍は、東平府へ打ち入り、日かずにして約二十日あまりで、東平府を陥《おと》してしまった。  もっとも、それは決して易々《やすやす》なんていうものではなく、東平府の総指揮には、双鎗将の董平《とうへい》という万夫不当な将軍があって、よく兵を用い、二本の短鎗《たんそう》を使い、戦《いくさ》のかけひきには神出鬼没で、これには寄手の宋江軍もさんざんな目にあったのだが、そのうちに敵にはひとつの“隙《げき》”——つまり弱点——があることを知ったのが勝因だった。  奉行の程万里《ていばんり》。  これはもと都の大官童貫《どうかん》の邸で家庭教師をしていた者で、根ッからの佞官《ねいかん》型であるうえに、着任いらいは、私腹を肥やし、権勢をかさに着、人民泣かせをただこれ能《のう》として省《かえりみ》るところもないのであった。  ところで、この上官を迎えた双鎗将の董平《とうへい》はといえば、これは軍人気質の生《き》ッ粋《すい》だったが、しかし程万里《ていばんり》には一人のきれいな娘があって、それに想いを寄せていたため、程《てい》奉行の悪政には不平も、つい心からの意見もいえずにいたのである。  狡獪《こうかい》な奉行の程《てい》は、またそこを見抜いていて、 「董《とう》将軍。まずよく防ぎ、よく戦い、賊兵を追ッぱらって、宋江の首を持って来給え。それを聟引出《むこひきで》として、君にわしの愛娘《まなむすめ》をやろうじゃないか」  と、猛獣使いにひとしい狡《ずる》さで彼を戦場へとケシかけていた。  ために董平《とうへい》は、たびたび、身を死地に抛《なげう》ッて奮戦した。宋江はこれをながめて、彼を惜しんだ。密書をやって誘ったのである。 “——董《とう》将軍。この地で聞けば、あなたには風流将軍の別名もあって、その純潔を尊ばれている。  しかるに惜しむべし、将軍の若さは騙《だま》されておいでだ。  奉行の程《てい》が、真に、あなたを愛し、愛する娘を、あなたにくれる心なら、なんで将軍をかくもたびたび、死地の苦戦に駆り立てるのか。  見給え。程《てい》自身は一ぺんも、危険な陣頭へは姿を見せたこともない。  われら梁山泊のうちではそんな不義卑劣《ひれつ》はゆるされない。天に代って良民の塗炭《とたん》の苦しみを救うのが梁党の目的だ。もし君がわが党へ来るなれば、よろこんで迎えたい。  のみならず、君の欲する女性を共に城中から奪って、水滸《すいこ》の平和郷に、ささやかだが、新しい一家庭を、君のために贈ろう。賢判、いずれを君は選び給うか。”  董平《とうへい》は、夢のさめたように、宋江の陣門へ来て降《くだ》った。  宋江も弓を払って、他意なきを示し、共に、謀計《はかりごと》をしめし合せて、奉行の程《てい》を城外へ誘い出した。そしてこれを殺し、程の娘を、城中から奪ったのだ。  ——こうして、首尾よく東平府を陥したので、宋江は官の倉庫を開かせ、また程《てい》の私有財物なども、すべて沢山な米や穀類と共に、これを車馬に積んで梁山泊へ運ばせた。  そして、先に盧俊儀《ろしゆんぎ》と別れた安山鎮までひき揚げて来たが、盧の軍はまだ、凱旋《がいせん》してここを通った形跡がない。 「諸君。道をかえる!」  と、宋江はそこでとつぜん鞭《むち》を西へさした。 「東昌府はまだ陥《お》ちていないらしいぞ。われらはまだ山へ帰るわけにはゆかない。宋江につづいて来給え」  七十余里、それからまた息もつかずに、 「盧俊儀の籤運《くじうん》のわるさよ! 万一を思って、呉用や公孫勝までつけてやったのに、いかなる難戦へぶつかったのか?」  と、加勢に急いだ。  行ってみると、むりはない。この日もまだ、東昌府全面の空は、戦煙濛々《もうもう》で、地は喊声《かんせい》のまっ盛りだ。しかも敵方の旗色のほうが断然いい。 「どうしたのです? 呉軍師」 「やあ、宋先生か。東平府の方は」 「はや、かたづきました。ところで、ここの戦《いくさ》は?」 「ごらんの如く、東昌府は、すっかり捏《こ》ね損《そこ》なッてしまった形だ。序戦に二度も失策をかさね、あげくに、おそろしい傑物がいた」 「傑物が」 「もと彰徳府にいた虎騎隊の指揮官で、あだ名を没羽箭《ぼつうせん》といい、苗字《みようじ》が張《ちよう》、名は清《せい》」 「ああそれは有名な軍人です」 「しかも、部下には中箭虎《ちゆうせんこ》の丁得孫《ていとくそん》。花項虎《かこうこ》の旺《きようおう》などという猛者《も さ》もいて、あたるべからざる勢い。……しかしきのう、巧々《うまうま》と陥穽《かんせい》におびき込んで、その二人だけは生け捕ったが、なおまだ、かんじんな張清のほうは、あれあのように、戦塵漠々《せんじんばくばく》と乱軍の中を馳《か》け廻って味方をなやまし、ほとんど、彼の前に立つ者はない」 「ひとつ、見たいものですな、どういう男か」 「いや、それよりも、敵はまだ、ここへあなたの援軍が加わったとは知らぬようだ。すぐさま、新手を間道から敵の後方へ廻していただきたいが」 「こころえた」  と、宋江はただちに、部下の花栄、史進、林冲《りんちゆう》、一丈青、解珍、解宝らの麾下《きか》あらましを、敵のうしろへ潜行させた。  一夜は明け、ふたたび、曠野は戦塵と鬨《とき》の声で埋まッた。  が、その凄烈さは、前日の比ではない。  敵将、没羽箭《ぼつうせん》の張清《ちようせい》は、はや決死のかくごだったとみえる。たのみにしていた両翼の旺《きようおう》と丁得孫《ていとくそん》のふたりはすでに《も》ぎ捕《と》られていた。——のみならず賊軍の数は倍加している。——きのうまでは何の異常もなかった後方にあって、万雷のとどろきがするのもみな、それは梁山泊軍の鼓噪《こそう》ではないか。  だが、彼は決して、猛獣が度を失った如き者ではない。  ついには仆れるまでも、山東の兇賊ども、一人でも多く、あの世へ連れて行くぞ、としているようだった。  次の日である。いよいよ、彼の馳駆《ちく》をゆるす戦線も圧縮されてきた。——宋江はたのしんでいた。「今日こそは、張清の阿修羅《あしゆら》な姿を、近々、この目で見られようか」と。  はや黄昏《たそが》れ近い。  張清は一河川《かせん》の岸に追いつめられ、突如、河中の船からおどり上がった泊兵の水軍にどぎもを抜かれた。湿地《しつち》を脱するだけでもやっとだった。しかし、奮然このときに最期のはらを決めたのだろう。あたりに残る部下の精鋭わずかと共に猛然たる勢いで、 「盧俊儀《ろしゆんぎ》に見参《げんざん》ッ。呉用はどこに?」  と、泊軍の本陣を目ざし、そこの旗門《きもん》へ真ッ向に突進して来た。 「むむ、なるほど、ただびとでない!」  宋江は見た。  その没羽箭《ぼつうせん》張清の勇姿をたたえたものには、「水調歌」という時の流行曲に、一ト節の詞《うた》がある。 鍍金兜《ときんかぶと》に、照り映える 茜《あかね》の纓《ふさ》は、花に似て 狼腰《おおかみごし》を、鞍《くら》つぼに 片手づかいの左《ひだり》太刀 右手《めて》には持てり、石つぶて つぶて袋の底知れず 打つや流星 放《はな》てば飛電 矢つがえ無用、強弩《きようど》も要らぬ たてがみ青き、駿足に 靡《なび》け行く、雉子《き じ》の尾羽《おば》ネの駒飾り 葵花《あおい》のあぶみよ、揺れ鳴る鈴よ 没羽箭《ぼつうせん》、ああ、去るところ 風は蕭々《しようしよう》たり、敵屍《てきし》あるのみ 「ころすな! 討つな! 手捕りにしろ」  宋江は、旗の下から馳け出して叫んだ。  けれど、すでに味方の群雄も、門旗をうしろに、必死だった。なかんずく盧俊儀《ろしゆんぎ》は、 「この敵に背《うしろ》は見せられん」  と、あわや馬を張清へ向って駆らんとしている。  むらがる諸将は「盧《ろ》大将を討たすな」と、これまたわれがちに彼を庇《かば》う。そして代って躍り出た金鎗手《きんそうしゆ》の徐寧《じよねい》は、近づきもえぬまに「あッ——」と眉間《みけん》を抑えたまま落馬し、つづいておめきかかった錦毛虎の燕順も、相手の投げたつぶてにどこかを打たれたらしく横ッ飛びにあらぬ方へ馳けてしまった。  そもそも、没羽箭《ぼつうせん》張清の得意とする“礫《つぶて》”ほどやっかいな物はない。近づけば左手の閃刀《せんとう》が片手使いのあしらいを見せ、離れればたちどころに、一塊《かい》の小石を発矢《はつし》と飛ばしてくる。しかもその石たるや小さいけれど鉱石みたいな稜角《りようかく》と堅質を持っているので、中《あた》り所が悪ければ死ぬ。あるいは骨もくだける。  次々に、この礫でやられた。  彭《ほうき》、韓滔《かんとう》、醜郡馬の宣賛《せんさん》。  また、呼延灼《こえんしやく》。花和尚の魯智深《ろちしん》。  わけて、劉唐などは、片目をつぶされ、青面獣楊志《ようし》さえも、かぶとの鉢に、ガンとこたえた弾丸力に驚いて退《ひ》きしりぞいた。  みるみる梁山泊の部将格、前後十五、六人というものが、傷を負ったのだ。  宋江はこれを見、舌を巻いて、そばにいた呉用や公孫勝へこう言ったものである。 「五代《ごだい》の頃、大梁《たいりよう》の王彦章《おうげんしよう》は、日影のまだうつろわぬうちに、唐《とう》の将三十六人を、矢つぎ早に射て仆したというが、張清のつぶては、王彦章には及ばぬまでも、たしかに当代の神技、ひとかどの猛将といってよいのではなかろうか」  しかし、こう話を向けられても、人々は苦々《にがにが》と口を緘《かん》したきりだった。——とはいえ、それほどな張清でも、天《そら》を翔《か》ける鬼神ではない。ついにこの夕、力つきて、まっ黒な人間の怒濤の下に生け捕られた。 百八の名ここに揃い、宋江、酔歌《すいか》して悲腸を吐くこと  宋江《そうこう》が、彼を営中に見るや、これを迎えるように、みずから縄を解いてやったことはいうまでもない。  しかし、営内から旗門のそとでは、ごうごうたる不平と抗議の呶罵《どば》だった。 「宋司令。没羽箭《ぼつうせん》を渡し給え。ずたずたにしてくれねば腹がいえん!」  と、わめくのである。  頭を繃帯《ほうたい》している花和尚、片目をつぶされた劉唐《りゆうとう》。そのほか、生け捕るために、傷《て》を負ッたり、またクタクタに骨を折らせられた連中だ。無理はない。  だが、宋江は叱って言った。 「君らは自分以上な者を敬うことを知らないのか。思うに、天星《てんこうせい》が相会《あいかい》する重大な機運が来ているものと思う。諸君の望むわたくしの成敗などはゆるされない」  すでに、張清も観念の色だった。彼も、東平東昌二府の奉行、程万里《ていばんり》の悪行には、ひそかな同情を人民によせ、決して官途に安んじていたのではなかったのである。 「ですが、東昌府には惜しい人間がひとり残っています。なろうことなら、その者も共に、梁山泊《りようざんぱく》へひきとっていただけますまいか」  張清は、推薦して措《お》かなかった。  訊けば。  姓は二字の皇甫《こうほ》、名は端《たん》。  年ひさしく府城の馬寮に勤めてきた実直なる馬医師であるという。 「本来は幽州の生れで、ひげは、黄色く、眼は碧《あお》く、どうみても西蕃人《せいばんじん》そっくりなので、あだ名も紫髯伯《しぜんはく》といわれています。……が、稀代《きたい》な伯楽で、馬相を観《み》ること、馬の病《やまい》をなおすことでは、まず天下一品の馬医といえるでしょう」  宋江はよろこんで、さっそく彼をやって、城中から皇甫端《こうほたん》を招きよせた。なるほど碧眼《へきがん》紅毛の異人種だがりっぱな風采は見るから神医の感をうける。——張清から途々《みちみち》、話は、きいていたとみえ、これへ来ると、拝をして、彼もただちに仲間入りの誓いをたてた。そして、「これは私のみやげです」といい。馬寮から曳いて来た吐蕃《ちべつと》の斑白《まだら》月毛《つきげ》、北地《もんごる》産《さん》の捲毛駿《まきげうま》の二頭を献じたりなどしたのである。宋江は、そこで一同へまた告げた。 「はからずも、東平、東昌の二府を討って、幾人もの人傑を新たに迎え、また、稀代な神馬が二頭も手に入るなど、まことに天の冥助《みようじよ》、奇瑞《きずい》としか思われん。されば天をおそれて、無辜《むこ》の民を、このことで苦しませてはなるまい。良民の助けを急ぎ、そのうえで山へひきあげよう」  異論はない。全軍は府へ入って、城中の官倉を開放し、民生を励まし、窮民をいたわり、余るところの銭糧《ぜにかて》はこれを車馬に積んで水滸《すいこ》の寨《さい》へ持って帰った。  かたのごとく、山では山じゅうの凱旋《がいせん》祭りと、忠義堂では、主なる頭分《かしらぶん》だけの祝宴がもよおされ、乾杯にいたって、宋江が、そのあたまかずを数えてみると、まさに百零《れい》八人となっていた。 「百八人!」  彼は、この数にふと、なにか、天扉《てんぴ》の神鈴《しんれい》を聞く気がした。  そこで彼は一同へ告げた。「何かは知れず、油然《ゆうぜん》といま、いま胸に抑えがたい感慨がわいた。天意が私を通じていわしめるものかもしれない。——しばらくご静聴ねがえようか」と。 「おう、仰っしゃってください。なにごとでしょうか」  一同は、襟《えり》をただした。 「ほかでもありませぬが」  と、宋江は満座を見ていう。 「いまふと、かぞえてみるに、いつかここに相寄ッてきた数奇なる運命の漢《おとこ》どもは、まさに百八人に達している。宿縁、まことに奇と申すしかありません」 「…………」  ああそうだったのか。百八人になっていたのかと、急に自他を見まわして一同もまた粛《しゆく》と、感慨に打たれたようなふうだった。 「……が、このうちには、ただひとり欠けた人があった。前《さき》の統領、托塔《たくとう》天王ノ晁蓋《ちようがい》です。しかしいま思えば、それも上天の意《こころ》だったものでしょう。われらを冥界《めいかい》から見まもってくれるために……。さもなくんば、白業黒業《びやくごうこくごう》、さまざまな難を経《へ》つつかくも百八人がつつがなく一堂に揃うようなことはないでしょう。ひとえに神明の加護によるものと私は思う」 「…………」 「しかるに、われらは暗黒の世とはいえ、ぜひなくも、いくさの都度《つど》にはたくさんな人をころしています。その罪業は怖れねばなりません。で、ここらでひとつ、敵味方のわかちなく、戦没した者、横死した者、水火の難に厄死した者、無数の霊をとむらうために、羅天大《ほしまつり》を、とりおこない、あわせて、兄弟分諸君の義魂と正義のいよいよ磨かれんことをいのり、また二つには、朝廷におかせられて、よく今日の政治《まつりごと》の濁悪《じよくあく》に目ざめられ、われらの罪をゆるして、このわれらをして、天下鍛《う》ち直しの大善業に向けしめ給わるよう。思いを下天《げてん》に凝《こ》らし、誓いを上天にささげ、七日七夜、つつしんで祈りの行《ぎよう》に服したいと思うのですがどうでしょうか」 「おう」  みな太いためいきの下に賛同した。 「なんで異存がありましょう。大追善《だいついぜん》です。大供養です。やりましょう」  しかし、越年もすぐまぢかにひかえていた。で、年明けから、春の四月までにそれは準備された。すなわち、その月の十五日から、七日七夜の長きへかけて——。  一切の司祭は、道教において一位に次ぐ道位《くらい》をもっている一清道人の公孫勝がつとめた。忠義堂の前には四ながれの旛《ばん》がつるされ、堂上には三層の星辰台がみえ、三聖の神像をなかに、二十八宿《しゆく》、十二宮辰《しん》の星官《ほしがみ》たちの像も二列にならんでまつられている。  ちりばめたような無数の灯やら香のけむり、花、花、花。そしてくだもの、五穀、くさぐさなお供え物など、いうまでもない。  いよいよ、まつりの第一日。  月白く、風すずやかな夜から始まる。  公孫勝を大導師に道士四十九人、立ちならぶ中を、まず宋江《そうこう》、盧俊儀《ろしゆんぎ》、呉用の順に、長いこと壇下にぬかずいて伏し拝む。  そして瑤《たま》の台《うてな》に願文《がんもん》をささげ拈香《ねんこう》十拝、花に水をそそいで静かに退《さ》がる。  順次百八人のものみなこれに倣《なら》って、壇を巡り、そして、あかつきへかけては、導師以下の修法になった。  修法は日ごと二回おこなわれる。このあいだ、一同は穢《けがれ》を厭《い》み、口をきよめ、念誦《ねんず》一心、一歩も忠義堂を出ることはない。そこに寄りつどったきりなのである。  こうして七日目の満願《まんがん》の三更《よなか》だった。誰もが神気朦朧《もうろう》としているうちに、宋江は夢とも現《うつつ》ともなく一炬《きよ》の白い光芒《こうぼう》が尾をひいて忠義堂のそとの地中に墜《お》ちるのを見た。それこそは上天の啓示にちがいない、すぐそこを掘らせてみようと、公孫勝以下の道士が鋤鍬《すきくわ》をもって掘ってみると、はたせるかな、一面の石碣《いしぶみ》が掘りおこされた。 「これはおそろしく古い物らしい」 「神代文字《かみよもじ》だ。何か彫ってあるが、てんで読めぬ?」  すると道士のうちに何玄通《かげんつう》という者があって、自分はつねに太古の蝌蚪《かと》文字古代文字を解読する一辞書を持っているが、これに照らせばどんな古代文字といえど読み解けぬことはないという。そこでさっそく何道士《かどうし》にそれを取寄せさせて、読ませてみると。 「——わかりました。碑《ひ》の左右にある二聯の文字の一方には“替天《てんにかわつて》行道《みちをおこなう》”とあり、一方には“忠義双全《ちゆうぎふたつながらまつたし》”と読めるのであります。そして上にずらりと書いてあるのは、すべて南斗、北斗の星の名まえ、下にはその星の性《さが》をもった人間の名が記されておりまする」 「や。しかも? ……」と宋江は碑に顔をよせて「碑のうらおもてにかけて、それはちょうど百八行だが」 「そうです。おもての蝌蚪《かと》文字三十六行は天星《てんこうせい》でして、うらの七十二行もまた、すべて地星《ちさつせい》の名。そしてその星それぞれの下に、すなわち性《さが》を個々の身に宿した宿命の人名が書いてあるのでございまする。もしお望みなれば順にそれを読み上げてみますが」 「オオ願おう。一同もこれに集まって粛《しゆく》と下にいて聞くがいい。そうだ、蕭譲《しようじよう》は筆をとって黄紙《こうし》にそれを書き写せ」  ここで読者はすでにお読みになったはずの序編水滸伝第一章“百八の星、人間界に宿命すること”のくだりを想起していただきたい。  いま、何道士《かどうし》が読むにしたがって、蕭譲が黄紙に写しとっていた石碣《いしぶみ》の星の名は、すなわち幾世前《いくせまえ》の天変地異でそのときに地にこぼれ降った百八星であったのである。——すなわちその星の生れ代りなる梁山泊の天星《てんこうせい》三十六人とは、 天魁星《てんかいせい》  呼保義《こほぎ》の  宋 江 天星  玉麒麟の  盧俊儀 天機星  智多星の  呉 用 天間星  入雲龍の  公孫勝 天勇星  大刀の   関 勝 天雄星  豹子頭《ひようしとう》   林 冲 天猛星  霹靂火   秦 明 天威星  双鞭の   呼延灼 天英星  小李広《りこう》   花 栄 天貴星  小旋風   柴 進 天富星  撲天   李 応 天満星  美髯公   朱 同 天孤星  花和尚   魯智深《ろちしん》 天傷星  行者の   武 松 天立星  双鎗将   董《とう》 平《へい》 天捷星  没羽箭   張 清 天暗星  青面獣   楊 志 天祐星  金鎗手   徐《じよ》 寧《ねい》 天空星  急先鋒   索 超 天速星  神行太保《たいほう》  戴《たい》 宗《そう》 天異星  赤髪鬼   劉 唐 天殺星  黒旋風   李《り》 逵《き》 天微星  九紋龍   史 進 天究星  没遮《ぼつしやらん》   穆《ぼく》 弘《こう》 天退星  挿翅虎   雷 横 天寿星  混江龍   李 俊 天剣星  立地太歳  阮小二 天平星  船火児   張 横 天罪星  短命二郎  阮小五 天損星  浪裏白跳《ろうりはくちよう》  張 順 天敗星  活閻羅《かつえんら》   阮小七 天牢星  病関索   楊 雄 天慧星  命《べんめい》三郎  石 秀 天暴星  両頭蛇   解 珍 天哭星  双尾蝎《かつ》   解 宝 天巧星  浪子    燕 青  といった人々であり、また裏面にあった地星《ちさつせい》の七十二名とは、次のような面々だった—— 地魁星  神機軍師  朱 武 地星  鎮三山   黄 信 地勇星  病尉遅《びよううつち》   孫 立 地傑星  醜郡馬   宣 賛 地雄星  井木《せいぼつかん》   思文《かくしぶん》 地威星  百勝将   韓 滔 地英星  天目将   彭《ほう》 《き》 地奇星  聖水将   単廷珪《ぜんていけい》 地猛星  神火将   魏《ぎ》定国 地文星  聖手書生  蕭 譲 地正星  鉄面孔目  裴《はい》 宣《せん》 地闊《ちかつ》星  摩雲金翅《きんし》  欧 鵬 地闘星  火眼猊《しゆんげい》  《とう》 飛《ひ》 地強星  錦毛虎   燕 順 地暗星  錦豹子《きんびようし》   楊 林 地軸星  轟《ごう》天雷   凌《りよう》 振《しん》 地会星  神算子   蒋 敬 地佐星  小温侯   呂 方 地祐星  賽《さい》仁貴   郭 盛 地霊星  神 医   安道全 地獣星  紫髯伯《しぜんはく》   皇甫端 地微星  矮脚虎《わいきやつこ》   王 英 地急星  一丈青   扈三娘《こさんじよう》 地暴星  喪門神《そうもんしん》   鮑《ほう》 旭《きよく》 地然星  混世魔王  樊《はん》 瑞《ずい》 地好星  毛頭星   孔 明 地狂星  独火星   孔 亮 地飛星  八臂那《びなだ》  項《こう》 充《じゆう》 地走星  飛天大聖  李《り》 袞《こん》 地巧星  玉臂匠《ぎよくひしよう》   金大堅 地明星  鉄笛仙   馬 麟 地進星  出洞蛟   童 威 地退星  翻江蜃《ほんこうしん》   童 猛 地満星  玉旛竿《ぎよくばんかん》   孟 康 地遂星  通臂猿《つうびえん》   侯 健 地周星  跳澗虎《ちようかんこ》   陳《ちん》 達《たつ》 地隠星  白花蛇   楊 春 地異星  白面郎君  鄭《てい》天寿 地理星  九尾亀   陶宗旺 地俊星  鉄扇子   宋 清 地楽星  鉄叫子《きようし》   楽 和 地捷星  花項虎《こうこ》   《きよう》 旺《おう》 地速星  中箭虎《せんこ》   丁得孫《ていとくそん》 地鎮星  小遮《しやらん》   穆《ぼく》 春《しゆん》 地稽星  操刀鬼   曹 正 地魔星  雲裏金剛  宋 万 地妖星  摸着《もちやく》天   杜《と》 選《せん》 地幽星  病大虫   薛 永 地伏星  金眼彪《ひよう》   施 恩 地僻星  打虎将   李 忠 地空星  小覇王   周 通 地孤星  金銭豹子《きんせんびようし》  湯 隆 地全星  鬼臉児《きれんじ》   杜 興 地短星  出林龍   鄒《すう》 淵《えん》 地角星  独角龍   鄒《すう》 潤《じゆん》 地囚星  旱地忽律《かんちこつりつ》  朱 貴 地蔵星  笑面虎   朱 富 地平星  鉄臂膊《ぴはく》   蔡 福 地損星  一枝花   蔡 慶 地奴星  催命判官  李 立 地察星  青眼虎   李 雲 地悪星  没面目   焦《しよう》 挺《てい》 地醜星  石将軍   石 勇 地数星  小尉遅《しよううつち》   孫 新 地陰星  毋《ぶ》大虫   顧大嫂《こだいそう》(顧のおばさん) 地刑星  菜園子   張 青 地壮星  母夜叉《ぼやしや》   孫二娘《じよう》 地劣星  活閻婆《かつえんば》   王定六 地健星  険道神   郁保四 地耗星  白日鼠   白 勝 地賊星  鼓上蚤《こじようそう》   時 遷 地狗星  金毛犬   段景住  聞き終って、みな、おどろいた。  すでにこの身この名まえが、古代文字の古い世頃の石ぶみに誌《しる》されていようとは。 「ふしぎ、ふしぎ。これで見れば、宋江さまには、すでに上天の星の上座とさだめられている。そしてわれらの順位まで」 「これによれば、もう順位には何の文句もいざこざもないはずだ。天地の理数《さだめ》に決まっていたもの。従うほかないではないか」  この日、公孫勝をのこす以外、道士一同は飄《ひよう》として去り、翌日、宋江は軍師呉用や朱武たちと諮《はか》って、忠義堂の扁額《へんがく》のほかに、こんどの一奇瑞《きずい》を記念して「断金亭《だんきんてい》」という大きな額をかかげることにした。  また、一座の霊廟《みたま》が、断金亭のうしろ、小高き所に築かれて、晁《ちよう》天王の位牌《いはい》がまつられ、その御殿《ごてん》のみぎひだりから周囲の八地域にわたって、宋江以下、諸将の住む甍《いらか》がいっぱいに建て並べられた。もちろん、各所の水寨《すいさい》や望楼台などにある部将の住居はべつでここにはない。  かくてその年の秋ともなると、山上の景観はいよいよあらたまって、断金亭の大廂《おおびさし》のまえには、つねに刺繍《ししゆう》金文字の二旒《りゆう》の長い紅旗がひるがえり、一つには「山東呼保義《さんとうのこほぎ》」一旒には「河北玉麒麟《かほくのぎよつきりん》」としるされていた。  また、総司令部のたてものを中心としては、各営に、朱雀玄武旗《すじやくげんぶき》、青龍白虎旗、白旌《はた》、青旌《はた》、黒旌、黄旌、緋纓《ひぶさ》の大幡《ばん》など、へんぽんと梁山《りようざん》のいただきから中腹までを埋め、北斗七星旗から八卦旗《けき》、一百二十四流れの鎮天旗まで、およそここになびいて見えざるはない。  こうして象《かたち》だけでなく、陣容もきまった。  すなわち、山寨の最上位——総司令の地位には、宋江と盧俊儀《ろしゆんぎ》のふたりがつき、軍師も呉用と公孫勝のほかに、副軍師として、神機軍師朱武があらたに加わった。  銭糧《せんりよう》部の主宰には、柴進《さいしん》、李応。——五虎ノ大将、騎兵八彪《ひよう》隊の将、歩兵、斥候《せつこう》、輸送、情報、水軍など、すべての役割に、その人と特技とを配して、 「義にむすばれた大小の兄弟諸君、おのおの命ぜられた役目をもって、おたがいに誼《よし》みを傷つけないで自重して欲しい。そむく者は容赦《ようしや》なく衆判にかけて処断する」  宋江は、その表《ひよう》を断金亭に貼りだした日、一同をまえにこう誓わせた。  表の終りには、  宣和《せんな》二年九月秋  とある。  誓いの式がすむと、みな異口同音に、ねがいをともにし、生々世々、生き代り死にかわり、この土《ど》の友となって、この再会を、よろこびあわんと言い合った。  九月九日は重陽《ちようよう》の節句《せつく》である。この誓いの式は「菊花の会」につづき、山も風流な宴にいろどられた。月明の下、馬麟《ばりん》は簫《しよう》を吹き、楽和《がくわ》はうたい、また燕青《えんせい》は箏《こと》を奏でた。 ——菊見酒 汲《く》めかし兄よ弟よ こころ温《ぬく》めん座を分けて 黄なるを折らん 白妙《しろたえ》の 香《か》もまたよけれ 愛《め》ずるべし さあれ弟よ 友垣よ 黄《こ》がねや玉の 何かせむ 醜《しこ》の醜《しこ》ぐさ世に満ちて そとに夷《えみし》のうかごうを ああ やる瀬なの わが胆《きも》や など この憂いのとどかざる 鴻雁《こうがん》告げよ 大ぎみの 御夢《みゆめ》に通《かよ》え 野の心 もし 天日の雲洩れて 汲ませ給うの詔《みことのり》 野の子を招きあらしめば 酒ほがい—— わが祈《ね》ぎ事のかなえる日なり 菊をや簪《かざ》し 舞い酔わん 舞うて向わん 御代《みよ》の御為《みため》に  燕青の箏《こと》にあわせ、この夜めずらしく大酔した宋江が、こう自作の即興を歌ったのであった。  すると、宴の末席のほうにいた武松《ぶしよう》、李逵《りき》などが、突《とつ》として、宋江の歌にたいして、野蛮な憤懣《ふんまん》をぶちまけた。 「ちぇッ、くそおもしろくもねえ。また宋司令の天子さま礼讃《らいさん》が始まったよ。いったい、詔《みことのり》だの、お招きだのと、何を待とうッていう寝言なのか」 「そうだとも、武松兄哥《あにい》のいう通りだ。おれっちは根っからの野育ち野郎。そんなものには、縁もゆかりも持ッちゃあいねえや。へん、おもしろくもねえ! 誰か、陽気な唄でもうたえよ!」  俄然、せっかくな菊花の会は、白け渡った。 翠花冠《はなかんむり》の偽《にせ》役人、玉座《ぎよくざ》の屏風の四文字を切抜いて持ち去ること 「武松、もののわかっている君までが」と、宋江は菊見の杯を下において——「李逵《りき》と一しょになって“大義”の何であるかも解さないとは余りに情けないことではないか。ああ、じつに困ったものだ」  と、暗い顔をして心から嘆いた。 「いや、宋《そう》司令」と、魯智深《ろちしん》はその横から「たれも天子を馬鹿にはしていませんが、しかし、天子のお招きなどをあてにしている奴はこの梁山泊《りようざんぱく》にはいますまいぜ。李逵や武松の悪態《あくたい》はお耳ざわりかもしれねえが、また、むりでないところもある」 「どうして」 「だって、現朝廷の腐敗、悪政、その下に泣かされている辺土《へんど》の民《たみ》、いまさらでねえが、ひでえものだ。それはみんな天子が悪いからじゃあありませんか」 「いかにも、世の怨嗟《えんさ》はみな天子に帰する。だが」  と宋江は、坐り直した。 「いい機会《し お》だから今日は一つみんなにもいおう。たしかにそれは天子のご不徳ではある。けれど宋朝《そうちよう》の今上《きんじよう》、徽宗《きそう》皇帝は元来お人のよい公正なおかたなのだ。文雅風流の道に傾きすぎるきらいはあるがまず聖明な君と申しあげてよい。ただ困るのはその君側の奸《かん》だ。奸佞《かんねい》な侯公《こうこう》や悪臣のみが政治《まつりごと》を自由にしている」 「だから、それの分らねえ盲《めくら》天子じゃ飾り物じゃありませんか」 「といって、だれを一天の至尊《しそん》と仰ぐか。ともあれ宋朝《そうちよう》の御代《ぎよだい》はこんにちまで連綿と数世紀この国の文明を開拓してきた。その力はじつに大きい。しかるにもしその帝統がここで絶えるようなことにでもなったら、それこそ全土は支離滅裂な大乱となり、四民のくるしみは、とうてい、今のようなものではなかろう……。いや、もっと心配なことさえある」  宋江のことばには、ようやく、国を思う熱意のほとばしりと憂いとに荘重なひびきをおび、彼をのぞく百七人の、耳をすまし心を打たずにおかなかった。  大宋国《たいそうこく》の北から東の大山脈をさかいとして、その彼方の蕃地《ばんち》には遼《りよう》(韃靼《だつたん》のわかれで契丹《きつたん》ともよぶ)という大国がある。  遼《りよう》は、南下の野望がさかんで、つねに辺疆《へんきよう》を侵《おか》しては、山東《さんとう》、山西《さんせい》をおびやかし、河南《かなん》、河北を掠《かす》め、またあらゆる手段の下に、いつかは物資文化の花ゆたかな宋へ攻め入って、これを併呑《へいどん》してしまおうと侵略の機をうかがっているのだ。  ところが、それも思わぬ大宋の朝廷やこの国の上下は、めぐまれた土壌《どじよう》と文化の上で、腐敗と乱脈をみずから演じ、長夜の夢を貪《むさぼ》ッているが、こんな現状をなお長くしていたら、ついには蕃土《ばんど》の遼《りよう》から攻め入られて、あっというまに、宋は遼《りよう》に変ってしまうにちがいない。  それでいいのか。生を宋の国にうけたわれらが、それでいいとしていられるか。 「誤解しないで欲しい」  と、宋江はさらにいった。 「——いつの日か天子のお召があれば、欣舞《きんぶ》してそれにお応《こた》えしたいと私が歌ったのは、私の多年の宿望には違いないが、しかし、一身の安穏や栄達を願うためでは決してない。ただ国を思うからだ。そしてわれらの称《とな》える“天ニ替《カワ》ッテ道ヲ行ウ”その志を遂げるには、天子の大赦《みゆるし》をえて、勅の下に働かねば、どうしても、誠の働きは発揮しえないからでもあるのだ。諸君、わかってくれたであろうか」 「……なるほど」  百七人、みな、うなずいた。  それきり宋江の至誠を嘲《わら》うどころか、みな恥じる色だったが、いかんせん、せっかくな重陽《ちようよう》の宴は理におちて、浮かれず仕舞いの散会となってしまっただけはぜひもない。  が、梁山泊にとって、記念すべきこの重陽《ちようよう》の会は、決して無意味ではなかった。それは宣和《せんな》二年九月九日のことで、明ければ、  宣和三年一月。  宋江は、思うところがあって、俄に、宋朝廷の都、開封東京《とうけい》へ行くことになった。  もちろん、人目を忍んでの旅行である。  同行は十人。——二人一ト組となって、戴宗《たいそう》は浪子燕青《ろうしえんせい》と、武松は魯智深《ろちしん》と、朱同は劉唐《りゆうとう》と、史進は穆弘《ぼくこう》と、そして宋江は柴進《さいしん》と連れ立ち、年暮《く れ》うちに山を出て、正月十五日の元宵節《げんしようせつ》を前に、一行は帝都の万寿門外の旅籠《はたご》に着いた。  宋江の目的が、燈籠祭りやただの都見物でないことは明らかで、要は他日のためだった。輦轂《れんこく》の下の人心も知っておきたいし、王城内外のじっさいも見ておきたい。  元々、彼は山東《さんとう》に古い地方官吏の子であるが、まだ一ぺんも東京《とうけい》は見ていなかった。それにしても、いちど冤罪《むじつ》の罪でも兇状持の金印《いれずみ》を額《ひたい》に打たれた身が、どうして京師《みやこ》の人中へ出られたろうか。これは名医安道全《あんどうぜん》が山にいたおかげだった。 “美玉《びぎよく》滅斑《はんをめつす》”という道全の外科手術と神薬でいつか人目にはわからぬほど巧みに消されていたのである。  宋江と柴進《さいしん》とは一見、非役の地方官吏のような服装して泊っていたが、万寿門の外の旅籠《はたご》で一夜を過ごしたあくる日のこと、 「宋先生、万一があってはいけません。てまえがまず燕青《えんせい》一人だけ連れて入城し、あなたは明十四日の晩、元宵節《げんしようせつ》の人出にまぎれてお入りになってはどうでしょう」  と、柴進が言い、宋江もまた、 「そう願いたい」  となったので、柴進は燕青とふたりだけで、まずその日、ひと足先に、帝都東京《とうけい》の街中《まちなか》へ下見に入った。  州は水《べんすい》と号し、府を開封《かいほう》とよぶ。  黄河《こうが》の上流にあたり、渭水《いすい》の下流に位置し、旧《ふる》き呉《ご》や楚《そ》の国と隣りあい、遠くは斉《せい》と魯《ろ》の境につらなる水陸の要衝だった。——山河の景勝はいうまでもなく、郊外千里に霞む起伏の丘を四方《よも》に、古都の宮城は朝映《あさば》え夕映えの色にかがやき、禁門の柳、官衙《かんが》の紫閣《しかく》、大路《おおじ》小路《こうじ》、さらに屋根の海をなす万戸の庶民街にいたるまで、さすが宋朝《そうちよう》の古き文化の色や匂いは、道を行く婦女の姿の一つにもわかる。 「燕青、ひとつ、どこかで休もうか」 「ここは東華門のそと、すぐこの中はもう宮城のお苑《にわ》でしょう」 「なにしろ、人に酔ったよ。田舎者はな」 「あそこに、静かそうな酒楼がみえる。ひとつ昼寝でもなさいますか」  二人はそこへ上がったが、欄干《らんかん》から往来をながめていると、内裏《だいり》へ入って行く宮内府の役人がしきりに目につく。——みな頭巾や冠《かんむり》のはしにこの日は“翠葉花《すいようか》”という簪《かざし》を挿《さ》していたからである。 「オッ、燕青。いいことを思いついた」 「なんですか」 「耳をかせ。……どうだ。……この一案は?」 「なるほど。ひとつ、やってみましょう」  燕青は、なにか、のみ込み顔をして、往来へ出て行った。そして、東華門へかかる一人の役人をよびとめて、いと丁寧に。 「これは、張先生でいらっしゃいますか」  相手は、怪訝《けげん》な顔をして。 「何をいう。わしは王だが」 「あ、失礼を。そうそう王先生と申されました。じつは私の主人がそこの酒楼でお待ち申しておりまする。さ、どうぞこちらへ」 「これこれ、お下僕《しもべ》。いったいそのお方とは誰なのだ」 「お目にかかればお分りでございましょう。とにかく、たいそう旧《ふる》い時分のお友達だったそうで」  一方、こなたの柴進《さいしん》は、酒肴《しゆこう》をととのえ、簾《れん》を垂れてとりすましていたが、そこへ燕青が連れて来た一官人を見ると、 「ほう、ようこそ」  と、立って席へ迎え、 「王君でいらっしゃるか。実にお久しいことだ。いや。ご出世を見て私までがじつにうれしい」  と、眼を細めてなつかしがった。 「はて? どなたでしょうか」 「おわかりにならんかな?」と、いよいよ親しみをこぼしながら「どこか幼な顔というものはお互いにあるものです。思い出してみて下さい」 「では郷里の」 「そうです」 「あなたも楚州《そしゆう》のおかたですか」 「だんだんご記憶が浮かんでこられましたな。とにかくあなたが都で進士《しんし》の試験に通ってめでたく官途につかれたということは、私は遠い北京《ほつけい》にいて聞いたのです。いやお別れしたのはそれいぜんお互いにまだ一つ童塾《てらこや》へ通っていた頃ですからな」 「ああ、ではあの淮安《わいあん》の小学塾で」 「ま、一献《いつこん》まいりましょう。なにしろ、話がそこへ行ったら限りがない……」と、さっそく杯をすすめ、話の綾《あや》を巧みに縫いながら、柴進がふと問いかけた。 「その冠《かむり》の花は、元宵節《げんしようせつ》の何かですか」 「そうです」と、王は得意になって「班《はん》にして二十四班、五千八百人の官吏に洩れなく、天子さまからお祝として、時服《じふく》一ト襲《かさ》ねと、この翠葉金花《すいようきんか》の簪《かざし》が一本ずつ下賜されます」 「なにか小さい金の小牌《こふだ》が付いておりますな」 「四つの文字に『与民同楽《たみとたのしみをおなじくす》』と彫ってあるので」 「なるほど、今上《きんじよう》の大御心は、そこにあるのでしょうな。お……小乙《しよういつ》(燕青)。熱いのをもひとつ持っていらっしゃい」 「はい」  その小乙といい柴進といい、どう見ても人品のいい主従なので王もすっかり安心してしまったらしい。ところが、さいごの酒瓶《ちろり》には痺《しび》れ薬がいつか混《ま》ぜてあったのである。たちどころに、王は麻酔におち、柴進は王の着ていた錦袍《きんぽう》、帯《たい》、剣、はかま、たび、そして花冠《はなかんむり》まですっかり自分の体に着け換えてしまった。  そして王が持っていた御用包みの何かまで小脇にはさんで。 「燕青、あとはたのむよ」 「行ってらっしゃい。こっちは、どうにでも巧くごまかしておきますから」  柴進《さいしん》は、すうっと出て行った。店の者も気がつかない。  しかも実物の王よりは柴進のほうが、鞋《くつ》の運びまでが立派であった。東華門、正陽門の二衛府《えふ》を通ると、内裏《だいり》もいわゆる鳳闕《ほうけつ》のまぢかで、瑠璃《るり》のかわら、鴛鴦《えんおう》(おしどり)の池のさざなみ。生々殿《せいせいでん》の長廊《ちようろう》はその果ても知れず、まったく、ここもこの世かを疑わせる。  いつか彼は、文徳殿の庭から紫宸殿《ししいでん》のほとりへ来てたたずんでいた。禁門のいずこでも咎《とが》められはしなかった。けれど深殿《しんでん》のおもなる所はみな錠《じよう》がおりているので立入ることはできない。そのうちに凝暉殿《ぎようきでん》の廻廊の橋からふとみると、  叡思殿《えいしでん》  という金文字の額《がく》が仰がれ、ふと見れば、そこだけは朱《あけ》の障子が開かれている。 「あ。天子のご書見の間《ま》だ」  柴進は、われも忘れて、人なき玉座を巡ってみた。お机には、端渓《たんけい》の硯《すずり》、龍華紋《りゆうげもん》の墨《すみ》、文房具の四宝、いずれも妙品ならぬはない。そして「大宋国山川社稷之図《さんせんしやしよくのず》」という大きな構図の絵屏風《えびようぶ》が立てめぐらしてあり、屏風の裏面は白無地だったが、ふと、柴進がそのうしろにまわってみると、何と、国内四人の大寇《たいこう》(むほんにん)として、天子直筆で、四名の名がしるされていた。  山東宋江《さんとうのそうこう》   淮西王慶《わいせいのおうけい》  河北田虎《かほくのでんこ》   江南方臘《こうなんのほうろう》 「……ああ」  柴進は、眺め入った。 「われわれが国をさわがすので、つねにこうまで、み心にかけておられるのか」  彼はすばやく短刀をぬいて「山東宋江《さんとうのそうこう》」の四字だけを切り取り、さっと内苑《ないえん》から姿をくらまして、元の酒楼へと帰って来た。 「燕青、階下《し た》の帳場へ行って、すぐ勘定をすましておけ。そして、みせの者たちに、祝儀をやって、あとに一人残しておくが、こうこうなわけでと、そこはおまえの口でうまく」 「わかりました」  万端、のみこんで、燕青が店の者をまろめ、元の二階へ戻って来てみると、もう柴進は自分の衣服に着かえて、借物の花冠や官服などは、そっくり王の体の上にかぶせてある。——王はまだ、昏々《こんこん》と、麻酔からさめていないのだった。  彼が正気がついたのは、日没の頃である。何が何だか分らない。また何一つ失くなっている物もない。恥かしいのか、給仕人のことばもそら耳に、衣服や冠を着直すやいな、あわてて店のそとへ出て行った。  その王は、あくる日、自邸で客の口からふとこんな噂を聞かされた。 「なにしろ奇ッ怪なこともあるもので、叡思殿《えいしでん》のお屏風から『山東宋江』の四文字だけが、何者かに、切りとられているというのです。いやもう禁門の内外は、そのご詮議《せんぎ》でたいへんらしい」 「ほほう?」  さてはと、王は、背すじの顫《ふる》えにぶるッとしたが、一切、口には出さなかった。  一方の柴進《さいしん》は、はたごへ帰ると、さっそく宋江へ「山東宋江」の宸筆《しんぴつ》を見せ、またつぶさに、禁裏《きんり》の様子もはなして聞かせた。  宋江は、宸筆《しんぴつ》を見て、ああ……と浩嘆《こうたん》してやまなかったが、明ければ十四日、この黄昏《たそが》れを外《はず》してはと、まつりの人波にまぎれて、城内の中心街へ入りこんでみた。  連れは、柴進と戴宗《たいそう》と、そして浪子燕青《ろうしえんせい》だけをつれ、あとは自由行動にさせておいたのである。いわゆる六街三市の人口やその殷賑《いんしん》は、さすが大宋の帝都で何とも讃《たた》えようがない。空には月があり、ぬるい人いきれも匂うようで、封丘門《ふうきゆうもん》、馬行街《ばこうがい》などはわけて灯の海か燈籠の花園さながら、不夜の城とはこれかと思われるばかりだった。 「おや、ここは色街《いろまち》ではないのか」 「ええ、たぶん廓《くるわ》でしょうよ」と、燕青《えんせい》は根が北京《ほつけい》育ちのいなせで伊達《だ て》な若者だったので粋な道にも通じていて——「道の両側をごらんなさい。ずらと木札《きふだ》に四季の造花を飾って女の名前が書いてあるでしょう。みんな花魁《おいらん》の廓名《さとな》であれを“煙月牌《えんげつはい》”と申しますのさ」 「ほ、一軒のこらず、いずれも両側はお茶屋らしいの。こころみに、どこかへ登楼《あ が》って、ちょっと一酌《しやく》いたそうか」  宋江にしてはめずらしいことだ。燕青が小粋な若党姿であるほかは三名ともみな歴乎《れつき》な非役の武家か官人といった風な身なりなので、茶屋では上客と見たか、下へもおかない。  しばらくは、妓《おんな》をよんで、いわゆる通《つう》な“きれいごと遊び”に時をすごしていたが、そのうち斜《すじ》向いの、わけて一軒すばらしい大籬《おおまがき》の揚屋《あげや》に、チラと見えた歌舞《かぶ》の菩薩《ぼさつ》さながらの人影に、 「おや、豪勢なお取巻きだね、あの花魁《おいらん》はいったい誰?」  妓《おんな》と妓は、顔見合わせて、まるで耳こすりでもするように、宋江へ囁《ささや》いた。 「あれが廓《くるわ》一番の、李師々《りしし》大夫《たゆう》さんですのよ」 「へえ、李師々大夫」 「だめですよ、岡惚《おかぼ》れをなすっても」 「どうして」 「だって、今上《きんじよう》の天子さまがお馴染《なじ》みで、毎度毎度、お通いになっている高嶺《たかね》の花、いいえ、お止山《とめやま》の花ですもの」 「はははは、じゃあ何ともわれわれでは仕方がないね」 「だから、妾《わたし》たちにしておきなさいよ」 「どういたしまして、君たちでも、もったいない」 「うそばッかり。お杯もくれないで」  いつのまにか、燕青はここの席から消えていた。何事かを宋江から耳打ちされて、斜《すじ》向いの大籬《おおまがき》の門へ、すうっと、入って行ったものである。  内は前栽《せんざい》から玄関もほかの青楼《せいろう》とはまるで違う上品な館《やかた》づくりだ。長い廊から廊の花幔幕《はなまんまく》と、所々の鴛鴦燈《えんおうとう》だけが艶《なま》めかしいぐらいなもの。 「あら哥《にい》さん、あんた誰? どこへ行くの?」 「オ、禿《かむろ》さんか。じつはね、ご内緒《ないしよ》のおっかさんに会いたくって来たんだが」 「おっかさんなら、あそこでお客さんと話しているわよ」 「ほ。……あの肥えた女のひとがそれかい」  内庭の向うを覗くと、なるほど、斑竹《はんちく》のすだれ越しに、花瓶《かびん》の花、四幅《ふく》の山水《さんすい》の掛軸《かけじく》、香卓《こうたく》、椅子《いす》などが透《す》いてみえる。——燕青《えんせい》は禿《かむろ》の女の子の手へ、そっとおかねを握らせた。 「たのむから、べつな部屋へ、ちょっと、おっかさんを呼んでくれないか」  やがてのこと、ご内緒のおかみは、燕青が待っている前へやって来たが、もとより知っているはずはない。まじまじと、ただ怪訝《けげん》顔である。 「ああ、お久しぶりです、おっかさん。ひと頃より、少しお肥りになりましたね」 「たれなのさ、いったいおまえは」 「張ですよ。いやだなあ。忘れちゃっては」 「張って? ……張だの、王だの、李《り》なんて名は、世間にありすぎるよ」 「ですからさ、幇間《たいこもち》の張のせがれの、張二《ちようじ》なんで」 「じゃあ、太平橋のそばにいた、あの唐子髷《からこまげ》でチョコマカしていた子がおまえかい」 「へえ、そのご東京《とうけい》を飛び出しましてね」 「どこへ行ってたの」 「北京府《ほつけいふ》の紫雲楼《しうんろう》で一ト修業してまいりました」 「紫雲楼といえばおまえ、北京では一流のお茶屋じゃないか。だけど去年、焼けたというはなしじゃないか」 「へえ、それで田舎茶屋を稼《かせ》ぎ歩いていますうちに、燕南《えんなん》から河北《かほく》では一番の大金持ッていう旦那のごひいきになりましてね、久しぶりに、旦那のお供で、当地へやってまいりましたようなわけ。……ところでひとつおっかさんにも、よろこんでいただけることがあるんですが」 「なんなのさ、いってごらんよ」 「その千万長者が、たった一度でよい、そしてなにも、泊めてもらわなくてもいいから、李師々《りしし》大夫《たゆう》と話がしたいというんです。ちょっと手《て》土産《みやげ》がわりという纏頭《は な》でも、百両千両はきれいにお撒《ま》きになるお大尽。おっかさん、どうでしょう?」  欲には目もないのが廓《さと》の慣《なら》わし。わけてここのご内緒ときては、強欲の名が高い。おかみはさっそく、李師々をよんで、燕青にひきあわせ、李師々はまた、品よくおかみのはなしを聞き終って、 「お話し相手でよいことなら、いつでもお渡りくださいませ」  と、いう返辞。ではさっそくと、燕青はすぐ走り戻って、向いのお茶屋から宋江《そうこう》、柴進《さいしん》、戴宗《たいそう》を迎えて来た。  席は、李師々の部屋か、すばらしい一亭である。楽器の供え、芙蓉《ふよう》の帳《とばり》、そして化粧室の華美など、いうばかりもない色めかしさだが、しかし酒は出さない。茶を煮て、金襴手《きんらんで》の茶碗に、それもほんの少し注《つ》いで、彼女の手で各の前に、すすめられたのみだった。 「おおこれは四川《しせん》の名茶。田舎者の私たちには、めったにいただけない玉茶だ。なんとも、すずやかな香味ですわい」 「さる高貴なおん方《かた》の賜り物です。これがお分りなれば田舎者どころではございません。お目にかかれてうれしゅうございます」 「てまえこそ、近頃の倖せ。お名の高い大夫《たゆう》には、こうしてお話ができたし、またお手ずからなお茶までいただいて」 「ごゆるりと遊ばしませ」  李師々《りしし》大夫は言ったが、折ふし、わらわらと禿《かむろ》や新造《しんぞ》が小走りにそとまで来て。 「大夫さんえ。お上《かみ》が、裏の御門へお成りでござんすぞえ」 「ま。あいにくな」  と、李師々《りしし》は、宋江へ、気の毒そうに、 「あすならば、お上も上清宮へ御幸《みゆき》なされて、ここへはお渡りもございませんのに。——どうぞ、これにお懲《こ》りなく、また」  と、その雲花顔《うんびんかがん》に、一顧《いつこ》万金の愛想笑《あいそえ》みをこぼして、金簪《きんさん》瑶々《ようよう》と立って行った。  宋江たちは、やがて外へ出て、小御街《しようぎよがい》から天漢橋《てんかんきよう》を渡りながら、 「さすが、目にのこるような美人だったな」  と、李師々の噂をしながら、橋畔《きようはん》の樊楼《はんろう》のまえまで歩いて来た。  すると、樊楼《はんろう》から出てきた二壮士がある。酔歩まんさんと、何か歌って行く。歌は、三尺の剣、志をえず、いたずらに泣く——といったような物騒きわまる悲歌だった。 「おや、史進と穆弘《ぼくこう》じゃないか。こんな人中の大道で」  宋江は舌打ちをならし、柴進《さいしん》はかけ出して、 「おい、ご機嫌になるのも、程にしろ」  と、二人の肩をどやして、たしなめた。  二人は恐縮して、あとに尾《つ》いて、旅籠《はたご》へ帰った。ところが留守のうちに一人部屋へ入ってふて寝をしていた奴がある。こんどの行《こう》に洩れた黒旋風の李逵《りき》で、無断であとから追ッかけて来たものらしい。 「ごめんなさい」と李逵《りき》はあたまをかかえこんで言った。「お叱言《こごと》はかくごの前だアね。だけどさ、宋《そう》先生、もう来てしまったものは仕方がないでしょ。ねえ、来てしまったものは」 「この、黒猿め」  宋江も苦笑のほかはなかった。百八の性《さが》は、百八人、その容貌の異なるように違っていたが、まったく、集団生活の規律はおろか、箸《はし》にも棒にもかからないのは、この男ひとりだった。 徽宗《きそう》皇帝、地下の坑道《あなみち》から廓通《くるわがよ》いのこと。並びに泰山《たいざん》角力《ずもう》の事  翌晩は上元《じようげん》の佳節《まつり》、一月十五日の月は、月さえふだんよりも大きく美しく見える。 「おやまあ、よく来たこと。ゆうべの張二《ちようじ》さんじゃないか」 「これは、おっかさん、昨晩はどうも……」と、燕青《えんせい》は揚屋構《あげやがま》えの朱壁《あかかべ》の大玄関に、つつましく腰をかがめて、 「おかげさまで、てまえもすっかりいい顔になり、お大尽《だいじん》もまた、えらいおよろこびでしてね、へえ、都一の李師々《りしし》大夫《たゆう》にも会えて東京《とうけい》へ来た効《か》いもあったと、たいそうなご満足。ですが、ゆうべは、つい、おっかさんにお礼もせずに戻ったし、いずれ郷里からも何か珍しい物を送らせるが、これはほんの寸志、よろしくと、おことづけを頼まれてまいりました」  お内緒へと、こがねで二百両。楼中へと、べつに五十両、帛紗《ふくさ》にのせてそれへおいた。 「あら、これを」 「どうか、お納めなすって」 「まあ、お義理がたいお大尽さま。いまはどちらにいるのだえ」 「河岸を代えて、廓《なか》の入口のお茶屋に休んでいらっしゃいます」 「なにサ、まあ水臭い。そこまでお出《い》ででいながら、顔も見せてくださらないなんて。張二さん、はやくお連れしておいでよ」 「だって、いいんでしょうか」 「上元のおまつりだもの。大夫もこん夜はつまらないお客は断わって、あとであたしと飲もうと言っていたところなんだよ」  燕青《えんせい》は、しめたとばかり、飛んで帰って宋江《そうこう》に首尾を話す。もちろん、初めから宋江のさしずであったのはいうをまつまい。  この夜、宋江は、例の柴進《さいしん》と戴宗《たいそう》のほかに、もひとり厄介者を連れていた。李逵《りき》である。  だが、その李逵と戴宗は、玄関の供待《ともま》ち部屋《べや》へ残しておいてずっと奥へ案内された。こよいのやかたは、また一だんと、ゆうべの席よりは奥ふかい。  とくに今夜は酒も出て、おかみのとりなしはもとより、李師々《りしし》の艶《なま》めかしい廓《くるわ》言葉も、すっかり打ち解けきっている。 「これも宿世《すくせ》のご縁でしょうか。大夫と口がきけるなんて、夢にも思いませんでした」 「まあ、いやですわお大尽さまは。さっきから妾《わたし》をまるで天人みたいに仰っしゃって」 「どう見ても、あなたの美しさは、あたりの模様、ここは下界とも思われません」 「銀のお杯はお飽きでしょう。おっかさん、瑠璃杯《るりはい》か、金盃をもって来て」  そこへ、女が小走りに来て訴えた。供待ち部屋にいる“奴《やつこ》さん”と、もひとりのお供が、なぜ俺たちも座敷へ通さんかと、当りちらして、手がつけられないというのである。  柴進《さいしん》は聞いて、これは危ないと思った。宋江もすぐ目くばせする。燕青が心得て、すぐ二人を連れて来た。 「あら……」と、李師々は、李逵の風貌に恐れて、宋江の腕にすがった。 「まるでお閻魔《えんま》さまに仕えている小鬼のようね」 「なあに、あれで気がいい奴《やつこ》だから、なにもこわがることはない。李《り》といって、子飼《こがい》からのわが家の下僕《しもべ》さ」 「おや、苗字は妾《わたし》とおなじなのね。わたしはよいが、李太白《りたいはく》(唐朝の大詩人)さまは、さぞ……ホ、ホ、ホ、ホ」と、その花顔《かんばせ》を袂《たもと》の蔭につつみながら「ご迷惑がッていらっしゃるでしょうね」 「うまい、よく言った!」  みなどっと笑ったが、ご当人の李逵《りき》だけには何の意味か分っていない。  もう次の間で飲み初め、嫉《や》けてくるのか、すこぶるご機嫌がななめである。戴宗《たいそう》も大杯で仰飲《あ お》るし、柴進《さいしん》も負けてない。いや宋江もめずらしく大酔し、酔うと彼の癖で、筆硯《ふですずり》を求め、楽府《がふ》(絃にのせて歌える詩)の一章を、墨も、りんりと書き流していた。——するうちに、突然、 「お上《かみ》が、いつもの御門からお見えなされましたぞえ」  と、楼中へ告げまわっている声がした。聞くと、李師々《りしし》大夫の心はもうここにない容子《ようす》ですぐ立って行ってしまうし、あとの座敷をかまっている女もいない。 「……叱《し》っ。静かに」  宋江と柴進とは、これを機《しお》に、台臨《たいりん》の間の中庭へ忍んでゆき、ほかの面々も、影をひそめた。巷間《こうかん》、その当時の隠れない取り沙汰では、時の風流天子徽宗《きそう》は、禁中から廓《くるわ》まで地下道を坑《ほ》ってしげしげ通っていたものと言い伝えられている。  蘭燈《らんとう》の珠の光や名木《めいぼく》のかそけき香《にお》いが、御簾《みす》ごしに窺《うかが》われる。やんごとないお人の影と向いあって、李師々《りしし》の白い横顔も紗《しや》の中の物みたいだった。そして折々、中庭の暗がりへ男女《ふたり》の囁《ささや》きだけがこぼれていた。 「天子さま。きょうは、上清宮へお詣《まい》り遊ばしたのでございましょう」 「そうだよ、宣徳楼《せんとくろう》では、毎年、万民の福祉《ふくし》と四季の天候を祈る式があるのでね」 「さぞ、おつかれでいらっしゃいましょう」 「終日《ひねもす》、群臣にとりまかれて、くつろぐひまもないからなあ。せめてここへ来て、そなたとこうしている一刻《いつとき》ぐらいが」 「あれ、もったいのうございます。わたくしはうれしゅうございますが」 「いや、ほんとだ。でなければ、画院《がいん》にこもって、絵筆を把《と》っている日だけだね。自分が自分なりに居られる時は」 「いつかお絵《え》を拝見させてくださいませね!」 「おおそのうちに何か描いてやろう。ま、いつもの葡萄《ぶどう》の美酒に瑠璃《るり》の杯。ひとつそなたの白い手で酌《つ》いでくれぬか……」  中庭の木蔭にかがんでいた宋江は、このとき、胸もはずむ思いで、柴進の耳へ諮《はか》ってみた。 「天の与えだ。咫尺《しせき》へ進んで、直々《じきじき》に、われらの微衷《びちゆう》とみゆるしを、おすがりしてはどうだろう」 「いいや」柴進は顔を振った——「まずいでしょう、いい機会ではありますが、ここはその場所でない」  すると、このせつな、どこか別な部屋の方で、 「あっ、何者だッ」  という大喝《だいかつ》と共に、どたんと、床を打ったような響きが聞えた。  これは、天子の侍者として、廊のそとにいた楊《よう》大臣が、何気なく一室の扉をあけてみたところ、そこに大酔した李逵《りき》がふンぞり返って寝ていたので、驚いてとがめると、とたんに、躍り起った李逵《りき》が楊大臣の巨きな体を、いやというほど床へ叩きつけたための物音であったのだ。 「しまった」  宋江と柴進とは、とっさに、やかたの外へ走り出したが、時すでに、李逵は楊大臣以下の宮廷人らを相手に例のごとき持ち前の暴勇をふるい出し屋鳴《やな》り振動のうちに、過《あやま》って、どこかでは火を失し、焔、黒煙、その中を、帝は、裏の坑道《あなみち》を、あわただしげにご帰還となった様子—— 「火事だ」 「李師々《りしし》のやかただ」  廓内《かくない》は、一瞬《いつとき》のまに、大騒動となり、かえりみれば、月の夜空は、火の粉をちりばめ、どこかでは早や、軍隊がうごいている。  かねて、内裏《だいり》の叡思殿《えいしでん》に起った一怪事から、禁軍の警戒は、密々諸方へ手配されていたもので、その総指揮には、かの高《こうきゆう》——すなわち徽宗《きそう》天子の無二の寵臣、高大臣がみずから当っていた。 「燕青《えんせい》、李逵《りき》はおまえがあとから引っ張って来い。ぐずぐずしていると、東華門の脱出もむずかしい」  事実、城門は諸所で閉めかけられていた。宋江の身を案じて、史進、穆弘《ぼくこう》は血まなこで探しており、朱同と劉唐《りゆうとう》とは、例の旅籠《はたご》で待っていた。なにしろ一刻もはやく、城外遠くへ逃げるしかない。  ところが、高《こうきゆう》の兵は、すでに八道《どう》の関門から街道の旅籠旅籠の詮議《せんぎ》にまで手をまわしており、宋江はいくたびか逃げ道を失った。で、ぜひなく裏街道の陳留県へ道をかえてくると、はからずも、 「宋司令、お迎えに来ました」  という梁山泊からの味方に出合った。  山の五虎ノ将——関勝、林冲《りんちゆう》、呼延灼《こえんしやく》、董平《とうへい》など——の一軍で、どうせこんなことも起ろうかと、軍師呉用が、変を見越して、かくは差し向けてよこしたものだという。 「やれやれ、せっかくな都さぐりも……」  宋江は大いに悔やんだ。しかし、あとの魯智深《ろちしん》や武松なども、やがてみな、虎口をのがれて、無事に揃って山へ帰り得ただけでも見つけものと思わなければならなかった。 「何事も時が熟さぬうちは成り難い。自然、深く慎《つつし》んでいれば、やがて天子のみゆるしと招安《おめし》の沙汰もあるだろう」  そのご梁山泊は、いと静かだった。が、ただひとりこの春日《しゆんじつ》を檻《おり》の中で、もがいていたのは李逵《りき》である。李逵は罰として、百日の禁足を食い、それが解けて、檻から外へ出されてみると、春は弥生《やよい》(三月)の花の霞《かすみ》だ。 「あ、あ、あ、あア……。ひでえ目にあわせやがったな……」  李逵《りき》は、思うさま大きな欠伸《あくび》を一つした。  すると、ちょうど、その日のこと。  腰に柄太鼓《えだいこ》を挿し、肩から斜《はす》に、包みを背負ったいなせな旅商人ていの若者が、すたこら、麓《ふもと》の方へ降りて行くのを見つけ、 「はて。山では見かけねえ身装《みなり》だが、誰だろう。おやっ、燕青だ。おうい、どこへ行くんだよ。小乙《しよういつ》」  と、李逵《りき》は飛ぶがごとく追っ馳けて行った。  この三月二十八日は、例年、泰安州《たいあんしゆう》東岳廟《とうがくびよう》の大祭で、また例年きまって、有名な「奉納相撲《ずもう》」がおこなわれる。  ことしもまた、その奉納相撲には、鳳州《ほうしゆう》生れの力士で、アダ名を天柱《けいてんちゆう》といい、相撲名を“任原《じんげん》”という者が、弟子、贔屓《ひいき》の旦那など、数百人に打ちかこまれ、 「どうせ、三年勝ちッ放し。今年も山と積まれた懸賞はただもらいさ。すまねえこッたなあ」  と、人もなげな大言を払って、すでに乗り込んでいるという。  燕青《えんせい》は、李逵へ話した。 「癪《しやく》じゃあねえか。泰州といえば、山東の鼻ッ先だ」 「むむ、そいつは生意気な野郎だなあ」 「だから宋《そう》先生と盧俊儀《ろしゆんぎ》さまにお願いして、おゆるしを得、俺はこれから、その泰岳《たいがく》へ出かけて行くのさ。二十八日の奉納相撲で、天下無敵とかいってやがる任原《じんげん》の野郎を、数万人の見物の中で投げ飛ばしてやったら、さだめし胸がスーッとするだろうと思ってね」 「ちょ、ちょっと待ちなよ」 「なんだい」 「おめえは、浪子《ろうし》燕青とかいって、四川弓《しせんきゆう》を持たせちゃ、巧いもんだそうだが、体ときては、山ではいちばん小《ち》ッけい方だ。先はいずれ仁王のような大男だろうに、自信はあるのかい」 「黒旋風《こくせんぷう》、見損なッちゃいけないよ、これでも北京《ほつけい》の春相撲、秋相撲には、一ぺんだって、負けたことはないんだぜ」 「よし。万一ッてえこともあらあ。おれが助太刀に行ってやろう」 「まっぴらだ。みんなも言ってたよ。李逵が顔を出すと、ろくなことは一度もないって」 「いや、こんどは俺も考えたさ。百日もお灸《きゆう》をすえられれば沢山だろう。連れて行けよ。なあ燕青。まったくこのところ、世間の匂いも嗅《か》いでいなかったんだ」  すがられると、燕青はあわれにもなって、つい条件付きで、連れて行くことになった。  日をかさねて、泰州に入る。  四山《ざん》六岳《がく》のお社廟《やしろ》を彼方に、泰山街道はもうえんえんと蟻《あり》のような参拝者の流れだった。多くは相撲の噂でもちきりである。そして麓町まで来ると「太原之《たいげんの》力士、天柱任《けいてんちゆうじん》原《げん》、有《ここにあり》」と大幟《おおのぼり》が立ててあり、幟の下には「拳《コブシ》ハ南山ノ虎ヲ打チ。脚ニ北海ノ蒼龍《ソウリユウ》ヲ蹴ル」と二行に書いた立て札まで建っている。 「ちッ、目ざわりな……」  と、燕青は札を引ッこ抜いて、発矢《はつし》と、かたわらの岩へ打つけて、叩き割ってしまった。 「やあ、たいへんだ。えらいことをしやがったぞ」 「ことしは、札を叩き割った相手が出てきた」  この噂は、嵐のように、大岳じゅうの人から人へつたわった。  それも、どこ吹く風かの顔をして、燕青は一軒の講中宿《こうじゆうやど》に寝ころんでいた。  初めからの条件なので、李逵《りき》は病人をよそおって、頭から夜具をかぶったままで口かずも余りきかない。そして相撲の当日も、一切、見物の中でおとなしく見ているという約束なのだ。  そこへ、どやどやと近づいて来た大勢の足音と共に、案内して来た宿の番頭らしいのが、 「へい、へい。関取のお弟子さんがた。その、腰に柄太鼓《えだいこ》を挿《さ》した若い旅商人というのは、この部屋のお客でございますがね」 「うむ、ここか。おうっ、若いの」 「なんです。人の部屋へ」 「てめえだろう。町の入口で、親方さまの立て札を、叩き割った野郎というのは」 「知りませんね、そんなことは」 「嘘をつけ。見ていた者が大勢あるんだ。大それた真似《まね》をするからにゃ、たしかに、任原《じんげん》関取の向うに立って、勝負を挑むつもりだろうな」 「へへへへ」 「何を笑う。やいっ、そいつを確かめに来たんだよ。相撲名は何というんだ。その日になって、どろんをきめ込もうとしても、そうはさせねえ。俺たちの眼が光っているんだぞ」 「もし、お弟子衆——」と、番頭はそばから言った。 「なにか、お間違えじゃありませんか。どう見たって、こんな小柄なただの若造、そして旅商人風情《ふぜい》の男が、あの任原《じんげん》親方の、小指にもさわれたもんじゃございますまい」 「ウム、そういえば、そうも見えるな。……おやもう一人、隅で蒲団《ふとん》をかぶっている奴がいるじゃあねえか」 「おうっ、引っ剥《ぱ》いでみろ」  と、ほかの一人が、飛びかかって、夜具をめくッた。 「……?」  李逵は、ぬうっと、顔を上げて、坐り直した。黒奴《くろんぼ》特有な油光りのしている皮膚に、ギョロと、眼が白く、唇は厚くて赤い。  燕青との約束で、彼は口をきかなかった。それがまた不気味に感じられ、任原の弟子たちはタジタジとした。「どうせ、相撲の当日には、分るこった」「まあ、今日は見のがしておけ」「覚えていろよ」などと口々に言いながら、ごそごそと、いちどに外へ出て行ってしまった。 「ふ、ふ、ふ」 「あははは」  そのあと、二人が手を打って、不敵に笑い合ったのを見て、宿の番頭は、胆《きも》をつぶしたように帳場の方へ素ッ飛んで行った。  翌朝燕青は、その番頭をつかまえて。 「任原《じんげん》は、どこに泊っているんですか」 「関取のお宿は、迎恩橋《げいおんきよう》のそばで、門前町でもいちばんの大旅館ですが」 「その迎恩橋というのは」 「もっとずっと、お山に近い中腹なんで。へい、なんでもお弟子衆の二、三百人を、毎日に半日は、えいや、えいや、揉《も》んでやっているということですよ」 「おもしろそうだな。ひとつ見物してくるかな」 「お連れの、黒いお方は?」 「あれは病人だからね、今日もふとんをかぶって留守番だ。そっと寝かしておいてください」  なるほど、迎恩橋まで来てみると、旅館は任《じん》の一行で貸切《かしきり》とみえ、旗、幟《のぼり》、牌《かんばん》、造花で縁《ふち》どられた絵像の額《がく》など、たいへんな飾りたてである。  それに裏庭では今、さかんに稽古をつけているところとみえ、歓声、拍手、見物の笑い声など、人の出入りも自由と見えたので、燕青も大勢に紛《まぎ》れて中に立ちまじっていた。 「あれだな」  燕青の眸は、任原《じんげん》だけしか見ていない。  さすが、ちから山を抜く、という形容も不当でなく、大力士らしい貫禄は充分だ。弟子どもに大汗を拭わせながら、床几《しようぎ》でひと息ついている様子は、そのまま巨大な金剛像といってよい。  するうちに、弟子のひとりが、彼に何か耳こすりしていた。燕青の顔を見おぼえていた者だろう、任原は聞くやいな、やにわに、砂場の真ン中まで歩き出して来て、猛虎の吠えるようにこう言った。 「片腹痛いが、ことしは俺の牌《かんばん》を割った奴がある。健気《けなげ》な奴だと賞《ほ》めておこう。あしたはきっと姿を消さずに出て来いよ」  そして、じろと、燕青の方をにらみ、大地も揺るげとばかりしこを踏んでみせた。  燕青は、さっさと、自分の宿へ帰って来た。顔を見ると、さっそくに、李逵《りき》は愚痴と不平で、とめどがない。 「もういけねえよ、もう辛抱はできねえよ、いったい、俺は何しに来たんだ」 「いや、あしたは、いよいよ奉納相撲《ずもう》。こんどは、柄《がら》になく、よく辛抱をしなすったね」 「じゃ、今夜一ト晩か。飲もうじゃないか」 「うん、飲むのもいいが、少しにしてくれ。はれのあしたを控えている身だ。俺は精進潔斎《しようじんけつさい》をしなけりゃならねえ」  宵のうちに寝て、夜半をすぎると、燕青はもう起き出していた。裏へ出て、水をかぶり、湯をもらって、髪に櫛《くし》を入れ、持ってきた練絹《ねりぎぬ》の白いさるまた、新しい腹巻、襦袢《じゆばん》、縞脚絆《しまきやはん》、すべて垢《あか》一つない物にすっぱり着代えて、朝飯をすますやいな、「黒旋風、さあ、行こうぜ」  と、立ちかけた。  李逵《りき》もまた、 「そうだ、俺もこいつを持って行こう」  と、例の二丁斧《おの》を、取出して手に持った。しかしそれはいけないと、燕青が切に言って止めさせた。——梁山泊の黒旋風と人に感づかれたらすべてぶちこわしになってしまう。 「そうかなあ?」  不承不承、李逵は布にくるんで、それは旅籠の帳場に預けた。——すると番頭を初め、泊り客の三、四十人が、ふたりが鞋《くつ》の八《や》ツ乳《ち》を結んでいる間じゅう、口を揃えて言い出した。 「ねえ、お若いの、悪いことは言いませんぜ、相手は、なンたって、無敵の任原《じんげん》だ」 「あいつに、ぶつかるなんて、犬死にだよ」 「いっそ、物笑いになるだけのことだ。若気《わかげ》だろうが、考え直して、ここから姿をかくしたがいいぜ」  燕青はニコとして言った。 「大勢さま。ありがとうございます。ですがたぶん、山のような懸賞《かけもの》の褒美《ほうび》は、こちらの物になるでしょう。そしたら皆さんにも、晩には、おすそ分けをいたしましょうかね」 「あっ、あんな大口を叩いて行っちまった。……かわいそうに、ちょっと、愛嬌のあるいい若者なのに、またことしも一人、血ヘドを吐くのか」  唖然《あぜん》として、そのたくさんな顔も、やがて鞋《くつ》やわらじをわれがちに穿《は》き込んでいた。そして泰岳の上ではもう暁をやぶる一番の刻《とき》の太鼓につづいて、玲々《れいれい》と鳴る神楽《しんがく》が霞《かすみ》のうちにこだましていた。 飛燕《ひえん》の小躯《しようく》に観衆はわき立ち、李逵《りき》の知事服《ちじふく》には猫の子も尾を隠す事  泰山《たいざん》はこの日、人間の雲だった。わけて東岳廟《とうがくびよう》を中心とするたてものの附近は社廟《やしろ》の屋根から木の上までがまるで鈴なりの人である。  奉納大相撲はそこの嘉寧殿《かねいでん》とよぶ高舞台でおこなわれ、例年のごとく、ことしも州の長官閣下とその妻女やら役人だのが桟敷《さじき》に見え、波のごとき群集はのべつ揺れ騒ぎながら一ト勝負ごとにさかんな喝采《かつさい》や罵声《ばせい》を舞台の力士へ送っていた。  土俵はない。  勾欄《こうらん》を繞《めぐ》らした高舞台そのものが土俵である。  やがてばんかずも進むうちに、勾欄の一角に錦繍《きんしゆう》の幟《のぼり》が立った。わアっと同時に四山《ざん》六岳《がく》もくずれんばかりな歓声が揚がる——。いよいよ天下無敵と称する天柱任原《けいてんちゆうじんげん》の出場なのだ。見れば嘉寧殿の宝前にも山とばかりこの一番へ贈られた賞品が積み上げられた。 「退《の》いた、退いたア」  露払いの声につづいて、弟子や介添えの大勢をうしろに、やおら任原《じんげん》は舞台の一端に登場した。すぐ腹巻や頭巾を解く。そのそばから弟子は蜀錦《しよつきん》の半被《はんぴ》を着せかけ、手桶の神水《おみず》を柄杓《ひしやく》に汲んで任原の手に渡す。  がぼ、がぼ……と二タ口三口うがいして、あとの一ト口をがぶりと飲みほした任原は、社廟《やしろ》の奥の灯へむかって一礼するやいな、ばっと蜀錦の半どてらをかなぐり捨てて、 「いで、ござらっせい! 今年のお相手」  と、掌《て》につばして二ツ三ツ打鳴らしながら舞台の真ん中へ歩み出してきた。  髪は紅元結《べにもとい》で短くしばり上げ、金の型《かた》模様《お き》をした薄革《うすかわ》の短袴《たんこ》に玉の胡蝶《こちよう》の帯留を見せ、りゅうりゅうたる肉塊で造り上げられたようなその巨体は生ける仁王《におう》とでもいうほかはない。  行司役の年寄りがそばからいう。 「東西東西、四百余州の国々からご参詣の皆さまがた。任原関《じんげんぜき》にはご当地でもすんでに二年間の勝ちッ放し。ことしで三年目。来年はもう泰山《たいざん》には見えられませぬ。腕に覚えのある新顔のお相手には、今日一番がさいごの機会《し お》だ。さあ、出たり! 出たり、幾人でも名のッて出なされい」  任原《じんげん》もつづいて言った。 「不戦勝ちの只貰いでは、あっしも張合いがねえし、あれへ山と積まれた賞品のお贈り主にも申しわけがごわせん。誰か、この任原《じんげん》へ当ッて来るご仁はないか」  行司がまたいう。 「ここには、南は南蛮、北は幽燕《ゆうえん》の境におよぶ所までの、相撲好きという相撲好きはお集まりのはず、従って、われと思う大力の衆も必ず中にはいようというもの」 「ええ、焦《じ》れッてえ!」と、任原はついに持ち前の豪語のありッたけを吐いた。 「こわいのか。たった一人の角力取りが。なるほど、天下無双の任原と聞いては、皆の衆のオジ毛立つのもむりはないが、なにも、相手と見たらみな腕を折ッぴしょッたり血へどを吐かすとは限っていねえ。よい程にもあしらッて進ぜますだ。こんなに言っても出て来ねえのか。いやさ相手はいないのか」  すると、どこかで。 「ここにいる!」 「やっ、何か言ったな?」 「ここにいるといったのだ。やい任原、あまり世間に人もないような大言を吐《ほ》ざくなよ」  そのとき、舞台横の小高い所から、人のあたまから頭をまたいで、泳ぐように進んで来た者がある。はやくも床下柱《ゆかしたばしら》から勾欄《こうらん》をよじ登って来て、 「さあ来い、任原」  とばかり彼の応戦者として立った。  これを見ると、わあっと全山は笑いに揺れた。肉のひきしまった色白な若者だが、背は任原の三分ノ一ほどしかない。しかも一個の素町人《すちようにん》らしい。しばらくは嘲声《ちようせい》がやまなかった。しかしそれが止むのを待って、やっと行司は真顔《まがお》で訊いたものである。 「お若いの。お名まえは」 「山東の張ッていう旅商人だよ」 「どういうお覚悟で出なすッたのか」 「覚悟。べつにそんな物ア持ち合わせねえさ。ただあそこにある賞品が欲しいのでね」 「げっ。正気か、哥《にい》さん」 「行司さんよ。おめえは行司だけが役目だろうぜ」 「退《の》いた」と、時に任原も横手を振って行司の年寄りを遠くへやって。「——おお若いの。よく出て来た。角力とはどんなものか、望みとあるなら味をみせてやろう。ただしだぞ、首の骨が折れたの、血へどを吐いたのと後でいっても、角力道に泣き言は追ッつかねえのが約束だ。おふくろは合点なのか」 「ふざけるな。勝負はしてみなければわかるまい。てめえこそ、死顔にベソを掻くな」 「よし、いったな、支度をしろ」 「おお、いわれるまでのことはねえ」  燕青《えんせい》は、頭巾を払った。今朝、櫛目《くしめ》を入れておいたきれいな髪——。脚絆《きやはん》、肌着、わらじまで、一瞬のまに解いて丸めて隅の方へ投げすてる。  とたんに海騒《うみざい》のような観衆の鳴《な》りはハタと唾《つば》を呑んでやんだ。燕青の真白な肌に藍《あい》と朱彫《しゆぼり》のいれずみが花のごとく見えたからである。任原《じんげん》もまたそれを見て、「——おや、こいつ、ただ者ではないぞ」と、ちょっと、怯気《おくれ》に似た警戒を心に生じたかのようだった。  さて。どうしたのか。  土俵上の、いや舞台のうえの両力士は、いざと見えながら、なかなか取組となる様子もない。なぜかといえば、州長官閣下たちの見える桟敷《さじき》からとつぜん役人や近習の一ト群れが走り出して来て、 「待った」  と、上意の声がかかっていたからである。  要は、州長官夫人の胸から出たものらしい。健気《けなげ》ではあるが見るからにまだ少年といってもいい花の若者。虎の前へ投げられた一片の肉ほどな歯ごたえも任原《じんげん》には感じまい。不愍《ふびん》すぎる。むごたらしい。若者にはその意気に愛《め》でて賞品の一部だけを与え、退《ひ》き下がらせよ——というありがたい仰せつけであるという。 「どうじゃな任原、そちに異存はなかろうな」 「ごわせん。だが命冥加《いのちみようが》な野郎でごわすな。おい若造、お桟敷《さじき》の方へ向って、三拝九拝して引ッ込め」 「たれが」 「知れたことを」 「気のどくだが、いちど上がった舞台、てめえを叩きつけて、ご見物に得心《とくしん》をつけるまでは、ここを退《さ》がるこっちゃあねえんだ。……ええ、お侍さまたち」と、一方へ向っては小腰をかがめ「まことにお情けはありがとうございますが、殿さまにはよろしくお伝え下さいまし。こんな薄汚ねえ獣を、天下無敵の何のと吐《ほ》ざかせて、この日下《ひのした》を人もなげに歩かせておくわけにはまいりません。へい、男はここに一匹いるのですから」  燕青はどうしても承知しない。のみならず、騒ぎだしたのは数万の見物である。「やらせろ!」「よけいな水はいれるな!」「役人どもは引っ込め」と、喧々囂々《けんけんごうごう》、木の実を投げる、石が飛ぶ。まちがえば暴動にもなりかねないような狂気めいた騒ぎだった。  桟敷《さじき》からはまた、追ッかけの使者が走ッていた。「ぜひもない、引きさがれ」という旨らしい。で一同は颯《さつ》と桟敷の方へひきあげる。見物はこの様子に、わが意を得たかのごと万雷の喝采《かつさい》を起して、よろこぶこと限りもない。すでに舞台では、任原《じんげん》があらためて屹立《きつりつ》していた。対するは、花の刺青《いれずみ》。山の如き相手にたいして、なんと小さく見えることか。  行司は、観衆へ向って、もいちど開催を告げ直し、両力士に対しては、相撲道の宣誓文を読み聞かせた。「遺恨を残すまじきこと」「卑怯《ひきよう》の手を用いまじきこと」等々、七ヵ条ほどな誓約である。終ると、再び観衆の方へ、 「片や、任原《じんげん》。片や山東の張」  と、名のり触《ぶ》れを触れ渡し、 「用意ッ。見合ッて!」  と、先がササラになっている青竹で舞台の床を大きく叩く。さっと、それが阿《あうん》のあいだに上がるのが合図だった。  いちめん、狂瀾《きようらん》のような声がわき起った。見物はまったくもう酔ッているのだ。任原の巨体はいきなり飛込んできた燕青の体を脇の下に抱きこんだまま身ゆるぎもしていない。ジリと二、三寸は踵《かかと》がうごくかと見えただけである。刻々と、燕青の皮膚の色が変っていた。見物はそろそろ案じだした。このまま息のねを止めてしまわれるのか。相撲もこれだけのもので終るのかもしれない、と。  が一瞬に、二つの体は相搏《あいう》ッて反《そ》りあっていた。燕青の仕掛けが効《き》いて、さしもの任原も腰をちょっと浮かせたらしい。間髪《かんはつ》、さらに隙を突いて、燕青の肩か頭が、相手の鳩尾《みずおち》へ体当りを与えたかと思うと、任原は二ツ三ツしどろ足を踏んでよろけた。観衆がわーッとよろこぶ。任原は吠えた。猛虎の勢いで、 「うぬっ」  と、つかみかかったものである。  しかし燕青はむしろ相手自体の動力を待っていたのだ。身を低めるやいな任原の体を肩ぐるまにかけて投げとばした。が、任原もさる者、片足でよろめき止まって、奮然とふたたび躍りかかる。するとまた一方は、飛鳥《ひちよう》と交《か》わす。そして戸惑う大きな臀《しり》を突き飛ばした。もう任原は逆上気味だ。何度目かには、燕青を腹の下につかまえた。燕青は盤石の下の亀の子にひとしい。ところが、岩盤は四肢《しし》を伸ばして宙へ持ち上げられていた。燕青が担ぎ上げたのだ。信じられぬような怪力である。ダ、ダ、ダッと燕青の足が床を鳴らして走った。そして高舞台の勾欄《こうらん》の端から下を臨んで、 「勝負あった! 勝負は見たろう! くたばれッ任原」  と、叩きつけた。  そこは最も高床《たかゆか》の懸崖《けんがい》だった。投げられた任原はクシャッと一塊の肉と血《ち》飛沫《しぶき》になったきりで動きもしない。仰天したのは万余の見物だけではない。任原の弟子数百人は、一瞬、呆《あ》ッけにとられていたが、 「野郎っ。逃がすな」  たちまち、燕青のまわりをおおいつつんだ。素早い奴は、早くも懸賞品の山へむかって掠奪に殺到する。また桟敷《さじき》そのほかも総立ちになる。  あとの格闘と混乱はもう形容のしようもない。——燕青危うしと見るや、さっきからすぐ舞台わきにいた黒旋風《こくせんぷう》の李逵《りき》が、 「さあ、こんどは、俺の出番だ」  とばかり躍り出して、以来、我慢に我慢をしぬいていた持ち前の暴勇を奮い出したからでもある。彼と燕青が駈け廻るところ、まるで人間の木の葉旋風《つむじ》が飛ぶようだといっても決して過言でない。  すると、どこからともなく、 「梁山泊だ、梁山泊の人間だ。さっきの若いのも梁山泊だったに違いないぞ」  という声が嵐のように立ち初めた。それも当然で、この時、群集の中を割って、かねて燕青の身に万一があってはと案じて山寨《や ま》から密かにこれへ来ていた——玉麒麟《ぎよくきりん》の盧俊儀《ろしゆんぎ》、九紋龍の史進、魯智深《ろちしん》、武松、解珍、解宝などの男どもと手下が、いちどに姿をあらわして、「もうよい、ここの目的は達した、一時もはやく山泊《さんぱく》へ引きあげろ」と、殺傷を避けるべく、ふたりを守り囲んで泰岳《たいがく》の麓《ふもと》へ走り出していたからだった。  けれど燕青と李逵《りき》とは、旅籠《はたご》に預け物をおいてあるので、 「それを取ってすぐ追いつきます」  と、途中で別れ、そして燕青だけは、すぐ仲間の一行《いつこう》に加わったが、どうしたのか、李逵だけは後ろに見えない。  すでにこの時、州長官の手勢と役人たちは、梁山泊の徒とあっては聞き捨てならず、全山の警邏《けいら》を招集して、四方に配備を布《し》いていた。ぐずぐずしていれば県道の城門を閉められる惧《おそ》れもある。盧俊儀《ろしゆんぎ》は李逵一人にかまってはいられないと思った。 「どうぞ、ご一同は先へ行ってください」——言い出したのは穆弘《ぼくこう》である。「どうせ、李逵のこと。何か道草を食ってるに違いない。てまえが探して連れ戻ります」 「たのむ」  と盧俊儀たちは、穆弘《ぼくこう》にあとをまかせて、一ト足先に梁山泊へ引き取った。  ところで一方の李逵は、例の、二本の斧《おの》を旅籠《はたご》から受け取って両手にぶらさげ、いつか道を間違えて、寿張県《じゆちようけん》の役所の前へ来てしまった。まるで方角ちがいへ来たのだから後から慕って来る捕手もない。それにちょうど午飯時《ひるめしどき》か、役所の門を覗《のぞ》いてみると、ここはいたって、しんかんとしていた。 「ほ……。飯時か。道理でおれの腹も減《へ》っている」  のそりのそり、彼は中へ入って行った。 「ここは空家《あきや》か。人間はいねえのか」  李逵《りき》は、両の手の二丁斧を卍形《まんじがた》に持って、役所の玄関口に突っ立った。  出て来たのは受付の小吏らしい。一ト目見るや腰を抜かしかけた。寿張県は梁山泊の所在地から最も近い町なので、黒ン坊猿の李逵といったら誰知らぬ者はない。何もいわず、もんどり返しに小吏は奥へ逃げこんでしまった。 「ちぇっ……」と、李逵は舌打ちして「なんで俺を見て逃げやがるのだ。おういっ、役所中の小役人ども、黒旋風李逵さまのおいでだぞ。なぜ首を揃えてお出迎えに出てうせねえのか」  廊下をずかずか、右、左をねめ廻して通って行くが、李逵と聞いただけで、書記室も登録局も白洲《しらす》の控えも、急にそれまでの笑い声や雑談を消し、猫一匹いるような気配もしない。 「よしよし、どいつもこいつも、挨拶に出て来ねえな。……ふうむ、ここが知事室か。知事はいるだろう」  扉を排《はい》して、内へ入った様子である。  あっちこっちの隅に、ふるえ上がって隠れていた役人たちは、そっと首を外へさしのばして、 「おや、黒ン坊猿、何かごそごそやってるぞ」 「知事閣下はどうしたろう?」 「いやな奴が来たとばかりすぐ裏門から馬に乗って官舎の方へ消えちまったさ」 「そいつはよかった」 「よくはないよ。李逵《りき》のことだ、ただは帰るまい。こっちはどうする?」 「そうだな、放っておいたら暴れ出すかもしれないぞ。いや、呼んでる呼んでる。余り怒らさないうちに誰か三、四人行ってみろ」  恐々《こわごわ》と逃げッ尻を揃えて李逵《りき》のいる一室を窺《うかが》ってみると、なんと李逵はそこらにあった革梱《かわごり》のふたを引っくり返して、緑袍《りよくほう》の知事の官服を出してすっかり着込み、腰に革帯佩剣《かくたいはいけん》を着け、足にはこれも官人用の靴《くろぐつ》、そして手に、槐《えんじゆ》の木の笏《しやく》をにぎって、 「はてな? まだ何か足らねえな。そうだ帽子帽子」  と、冠掛《かんむりか》けに見えた冠をつかんで、無理に頭へ冠《かぶ》っていた。そして、がたんと足で次室の扉を開け、 「ははあ、これがいつも知事がいる卓《たく》だな。なるほどこいつア悪くない」  と、椅子《いす》にかけて、頬杖ついた。  見ると、印鑑筥《いんかんばこ》がある、書類がある。李逵は官印の一つを取って、ぽんぽんと書類を問わず次から次へ捺《お》し初めた。しかしそれにもすぐ飽きて官印を抛《ほう》り捨てると、 「こらっ、誰かおらんか。書記、監察、どいつでも目通りへ罷《まか》り出ろ」 「うへっ。な、なにか御用で」 「なんだ逃げ腰を浮かせやがって。やいっ、弁当を持って来い、弁当を。わが輩は空腹なのだ」 「へいっ」  と役人たちはむしろほっとした。まずまずそんな程度ならとさっそく昼飯を卓に供える。すると李逵は、一目見て、 「気のきかんやつだ。酒を持て、酒を」  と、呶鳴る。その量がまた、ちょっとやそっとの酒量ではない。運んで来るそばから碗を傾けて、およそ一斗も飲んだろうか。気がすむと今度はたちまち飯をがつがつ平《たい》らげて、ゆらゆらと立ち上がり、 「こら一同の者、法廷へ出ろ。一匹でも逃げ隠れなどすると、引きずり出して首を捻《ね》じ切るぞ」  と、破《わ》れ鐘《がね》のような声でこうご託宣《たくせん》をくだしたのである。そして彼は広間の法廷に出て、壇の中央にある知事席に腰をすえ、大真面目で、槐《えんじゆ》の笏《しやく》を胸のまえに構え込んだ。  炊事場の爺や婆やから小使、書記、諸役人らは仕方なしに、みなぞろぞろ来て壇下《だんか》の床に首を揃えて平伏した。李逵は突如、本ものの県知事閣下になったような気がして来たらしい。睨み渡して、 「一同っ」 「へへい」 「どうだ、似合うか。俺の官服姿は」 「ようお似合いでございます」 「ところで、これから裁判を開くぞ。みんな面《おもて》を上げろ。この中に泥棒がいるだろう」 「じょ、じょう談ではございません。てまえどもはみな役人で」 「わかっておる……だが泥棒がいなくては裁判にならん。うむ、前列の四番目におる奴、きさまは人相が悪い。召捕れッ。こら、なぜ縄をかけん。庇《かば》う奴は同罪だぞ」 「あっ、ど、どうぞおゆるしを」 「だまれっ。おかみのご威光もおそれず、なんじは到る所で強盗を働いたろう。そもそも法律を何と心得るか。この生《うま》れ損《そこな》いめが! 盗《ぬす》ッ人《と》野郎、きさまのような奴を人間の屑《くず》というのだ……」と、威猛高《いたけだか》に卓を叩いて罵《ののし》ッたが、 「いけねえ、どうも少し俺に縁がありゃあがる。放してやれ。泥棒ばかりが悪党じゃねえや。裁判は止めたよ。さあ退《ど》け退け」  蹌踉《そうろう》と彼はその身なりのまま往来へ出て行った。空腹へ入った昼酒がまわって、すこぶるいいご機嫌のていである。——役人や捕手は物蔭から首を出して見送っていたが、ゆらい梁山泊の近県では泊中の手なみを知っているしまた飢饉《ききん》などの時には逆に助けられてさえいるので、官民ともに積極的な敵意は持たず、いわば触《さわ》らぬ神にたたりなしとしていたのであった。 「おや、寺小屋だな。こいつはなつかしい」  童蒙村塾《どうもうそんじゆく》とある一家屋を見かけると、李逵《りき》はそこへも酔狂に入って行った。驚いたのは先生であり学童たちである。蜂の子みたいに騒ぎかけたが、 「しずまれ」  と、李逵は槐《えんじゆ》の笏《しやく》で号令をかけながら教壇へ上った。 「おい、きみが教師か」 「はっ、さようで」 「俺がわかるか」 「へ?」 「わかるかよ、この俺が」 「どこかの、知事さまで」 「そうだ、そうだ。今日は一つ小学塾の視察に来たんだが、なにを今、教えていたのか」 「神農の話を聞かせておりました」 「神農とは何だ」 「天地の始めに人間たちへ病《やまい》を癒《なお》す薬草や喰べ物を教えてくれた仙人なので」 「古い古い。そんな講釈よりは、おお、みんなの机の上に筆硯《ふですずり》がおいてあるじゃないか。習字をさせろ」 「はっ、いま習字は終ったところですが」 「いいからさせろ。そうだ、そこの壁に大きく黒旋風《こくせんぷう》とお手本に三字書いて、子供らに書かせるがいい。おれも習うから」 「へえ。黒旋風とは」 「俺の名だよ。俺はまだつい自分の名が書けずにいるから、ちょうどいい。ここで一つ覚えて行く」  李逵は空《あ》いている一つの机に向って本気で手習いをし始めた。それを見ると子供たちは忽ち組《くみ》しやすいおじさんだと見たか寄ッてたかってキャッキャッと笑い出した。字にも何にもなっていないからである。 「こいつら、なにを笑う」  李逵《りき》は墨をぶッかけた。すると学童たちは、俄然、このおじさんへ向って恐い物知らずに筆や墨汁を投げ返して来た。椅子《いす》、机はひっくり返る。  李逵は足を拯《すく》われて転ぶ。先生は右往左往する。  子供らは手を叩く。近所では何事かと往来へ飛び出す。——こんなところへ、ちょうど穆弘《ぼくこう》が通りかけて、ここにいたかと、李逵を塾から引っ張り出して、酔歩まんさんたる彼の腕を小脇にかかえ、遮《しや》二無二、山寨《や ま》へ連れて帰った。 「なんだい、李逵か、あれは?」 「まるで知事の化け物だ」  泊中では、彼を見る者、笑わぬはなかった。  すでに燕青《えんせい》もまた盧俊儀《ろしゆんぎ》以下の者も、みな山上の忠義堂に帰っており、そこへ穆弘《ぼくこう》に伴《ともな》われて来た李逵を見ると、腹が立つよりはまず腹を抱えて笑わずにいられなかった。 「李逵か。百日の禁足が解けるやいな、誰にも無断でどこへ行っていた?」  宋江《そうこう》から一喝《いつかつ》の叱言《こごと》をあびると、もう酔いもさめはてていた李逵は、さすがに悄《しお》れ返って平あやまりに謝《あやま》りぬいた。また百日の禁足でも食ってはと、いつもの彼の元気もない。燕青は見て気の毒になり、しきりにとりなしをしてやると、盧俊儀もまたそばから言った。 「穆弘の話を聞くと、珍しく李逵は一人の人間も殺《あや》めず、いつもなら血を誇って帰るところを、今日は学童たちに墨汁を浴びせられ戻って来たそうです。彼としてこれは善行の方でしょう。賞《ほ》めるわけにはゆきませんが、まあ、今日のところはゆるしてやってください」  初めて、一同は目をみはった。なるほど、よく見ると、李逵の顔は墨だらけだ。しかし、ちょっと分らないほど彼の地膚《じはだ》も黒いのである。宋江はつい吹き出した。すると李逵も白い歯を出して笑った。  これでは罪を責めて折檻《せつかん》のしようもない。  珍しいのは李逵の神妙さばかりでなく、ここ梁山泊の浅春二タ月ほどもめずらしい。泊中はなんとも毎日なごやかで、水寨《すいさい》に矢たけびなく、烽火《のろし》台《だい》に狼煙《のろし》の音もしなかった。しかし、中央から地方へかけて官軍のうごきは、決して万里春風《ばんりしゆんぷう》の山野、そのままではなかった。 新・水滸伝 第四巻 了  本電子文庫版は、吉川英治歴史時代文庫74『新・水滸伝』(一九八九年七月刊)を底本としました。 * 作品中に、身体の障害や人権にかかわる差別的な表現がありますが、作品の時代背景および著者(故人)が差別助長の意図で使用していないこと等を勘み、そのままとしました。読者のご理解を賜わりますよう、お願い申し上げます。 * 吉川英治記念館ホームページのアドレスは、http://www.kodansha.co.jp/yoshikawa/です。 新《しん》・水滸伝《すいこでん》 講談社電子文庫版PC  吉川《よしかわ》英治《えいじ》 著 Fumiko Yoshikawa 1960-1963 二〇〇二年七月一二日発行(デコ) 発行者 野間省伸 発行所 株式会社 講談社     東京都文京区音羽二‐一二‐二一     〒112-8001 ◎本電子書籍は、購入者個人の閲覧の目的のためのみ、ファイルのダウンロードが許諾されています。複製・転送・譲渡は、禁止します。 KD000231-0