TITLE : 新・水滸伝(三) 講談社電子文庫 新・水滸伝 吉川 英治 著  目 次 新・水滸伝 雑魚《ざ こ》と怪魚の騒動の事。また開く琵琶亭の美酒《うまざけ》のこと 壁は宋江《そうこう》の筆禍《ひつか》を呼び、飛馬は「神行法」の宙を行くこと 軍師呉用《ごよう》にも千慮の一失。探し出す偽筆の名人と印刻師《いんこくし》のこと 一党、江州《こうしゆう》刑場に大活劇のこと。次いで、白龍廟《はくりゆうびよう》に仮の勢揃いのこと 大江《たいこう》の流れは奸人《かんじん》の血祭りを送り、梁山泊は生還《せいかん》の人にわき返ること 玄女廟《げんによびよう》の天上一夢に、宋江《そうこう》、下界の使命を宿星《しゆくせい》の身に悟ること 李逵《りき》も人の子、百丈村《ひやくじようそん》のおふくろを思い出すこと 妖気、草簪《くさかんざし》の女のこと。怪風、盲母《もうぼ》の姿を呑み去ること 虎退治の男、トラになること。ならびに官馬《かんば》八頭が紛失《ふんしつ》する事 首斬り囃子《ばやし》、街を練《ね》る事。並びに、七夕《たなばた》生れの美女、巧雲《こううん》のこと 美僧は糸屋の若旦那あがり。法事は色界曼陀羅《しきかいまんだら》のこと 秘戯《ひぎ》の壁絵《かべえ》もなお足《た》らず、色坊主が百夜通《ももよがよ》いの事 友情一片の真言も、紅涙《こうるい》一怨《えん》の閨語《けいご》には勝《まさ》らずして仇なる事 薊州《けいしゆう》流行歌のこと。次いで淫婦の白裸《びやくら》、翠屏山《すいへいざん》を紅葉にすること 祝氏《しゆくし》の三傑《けつ》「時報《と き》ノ鶏《とり》」を蚤《のみ》に食われて大いに怒ること 窮鳥《きゆうちよう》、梁山泊《りようざんぱく》に入って、果然《かぜん》、ついに泊軍《はくぐん》の動きとなる事 不落《ふらく》の城には震《ふる》いとばされ、迷路の闇では魂魄燈《こんぱくとう》の弄《なぶ》りに会うこと 二刀の女将軍、戦風を薫《かお》らして、猥漢《わいかん》の矮虎《わいこ》を生け捕ること 小張飛《しようちようひ》の名に柳は撓《たわ》められ、花の美戦士も観念の目をつむる事 牢番役の鉄叫子《てつきようし》の楽和《がくわ》、おばさん飲屋を訪ねてゆく事 登州大牢破りにつづき。一まき山東落ちの事 宋江、愁眉《しゆうび》をひらき。病尉遅《びよううつち》の一味、祝氏《しゆくし》の内臓に入りこむ事 百年の悪財、一日に窮民《きゆうみん》を賑わし、梁山泊軍、引揚げの事 宋江、約を守って花嫁花聟を見立て。「別芸題《べつげだい》」に女優白秀英《はくしゆうえい》が登場のこと 木戸の外でも猫の干物《ひもの》と女狐《めぎつね》とが掴《つか》み合いの一ト幕の事 蓮《はす》咲く池は子を呑んで、金枝《きんし》の門にお傅役《もりやく》も迷《は》ぐれ込むこと 狡獣《こうじゆう》は人の名園を窺《うかが》い。山軍は泊《はく》を出て懲《こ》らしめを狙うこと 新・水滸伝 雑魚《ざ こ》と怪魚の騒動の事。また開く琵琶亭の美酒《うまざけ》のこと  名所旧蹟地には茶店や料亭は付きもので、またそれが点景《てんけい》の風物《ふうぶつ》にもなっている。琵琶亭《びわてい》などもまさにそんな画中の水亭《すいてい》だった。画中の客となった心地である。 「宋君《そうくん》。ご存知でしょうが、ここで飲ませるのが、純粋な江州産の銘酒《めいしゆ》ですよ。つまりこの芳醇《ほうじゆん》ですな。天下の酒徒なら“玉壺春《ぎよつこしゆん》”の名を知らぬものはありません。江州は米所《こめどころ》であるうえ、水も佳《い》い地方のせいでしょうか」  戴宗《たいそう》のお国自慢は何かとつきない。宋江《そうこう》もすでに微酔気分である。ひとりまだまだ飲み足らないようなのは、黒旋風《こくせんぷう》の李逵《りき》だった。 「どうもお二人さんともお行儀がいい。こっちは手酌《てじやく》とゆきますぜ」 「李逵」 「へ?」 「まるできさまがお客のようだな。おれのも宋君のお肴《さかな》も、料理はみんなきさまひとりで平らげてしまったじゃないか」 「いや、塩ッ辛《から》い今し方の吸物《すいもの》なんぞは、宋江さまのお口に合やあしませんよ。もっと美味《う ま》いのをいいつけます」と、李逵は手をたたいて。 「おういっ、料理場の若いの、ちょっと来い」 「お呼びですか。お客さん」 「おう、てめえが板前か。よくもおれたちを名所見物のおのぼりさん扱いにしやがったな」 「と、とんでもない。何かお気に入りませんでしたか」 「あたりめえだ、中華の米の郷《さと》、鮮魚《さかな》の郷《さと》といわれるこの江州でいながら、死んだ魚の飴煮《あめに》や吸物なんぞ食わせやがって」 「どうも相すみません。じつは昨日の材料なんで、活《い》きた魚は今日はまだ」 「不漁《し け》だっていうのかい」 「いえ。そこの鼻ッ先まで舟は着いてるんですが、問屋の親方が来ないため、まだ市場の水揚げが始まッていませんので」 「そうならそうと、なぜ断わらねえんだ。このおたんちんめ」  李逵は杯の酒を、板前の顔へぶッかけると、もう突っ立ちあがって、 「おれが行って二、三尾《びき》もらって来《く》ら!」  と、出て行ってしまった。戴宗がうしろから、こらっ李逵李逵っ、と呼び返したが振向きもする彼ではなかった。 「いやどうも、困った奴です。せっかくの酒も、あんながさつ者と同座では、美味《う ま》くも何ともないでしょう」  戴宗は詫《わ》びぬくが、しかし宋江は、ただ笑っていた。 「いや、天性無飾《むしよく》というものだ。赤裸、あのまんまな人ですよ。私は好きだな」  こちらはその黒旋風《こくせんぷう》、はやくも江の岸の、水揚げ場へ来ていた。  楊柳《やなぎ》の蔭には、小《こ》博奕《ばくち》に群れているのやら、寝ている者、欠伸《あくび》している者、さまざまだった。漁船の舟かずは百隻をこえようか、それがみんな岸に繋いである。  揚子江は赤く大きな一輪の太陽が、西へ沈みかけていた。 「こう、漁師《りようし》たち。鱸《すずき》でも鯉でもいいや、見事な魚《やつ》を、二、三尾《びき》選《よ》ってよこしねえ」 「やいやい、なんだてめえは!」と、たちまち漁師のすべてから、買出し人、ぼてふりの小商人まで寄りたかッて来て。 「ふざけるな、このもぐりめ。問屋の親方さんが来ねえうちは、小魚一尾、揚げるこたあ出来ねえんだよ」 「百も合点だ、問屋のおやじが来たら、黒旋風の李逵《りき》さまのお買上げだといっておけ。もらって行くぜ」 「あっ、この野郎」  五、六人は一せいに組みついたが、ほとんど彼の一跳躍《いつちようやく》に刎《は》ねとばされ、彼はすでに無数の群舟のなかを、あっちこっち覗《のぞ》き歩いていた。 「おやおや、どの舟にも魚はねえぞ?」  そのはずだった。魚の貯えてある舟底の魚槽《ぎよそう》は、船尾を竹網仕切《じき》りにして、江の水が自由に浸《ひた》すようになっている。——それを取り外《はず》しては覗き込んでいたのだから、魚はよろこんでみな一瞬に逃げてしまったはずだった。  それを見つつ黒山になっていた岸の人影は、 「ああ、見ちゃいられねえ」 「もう、おしめえだ!」  と、嘆息を放った。そしてついに衆のいきどおりをこめた声が「わあッ」となって、櫂《かい》、水棹《さ お》、水揚げ鈎《かぎ》、思い思いな得物《えもの》を押っとり、李逵へむかってかかって来た。  しかし李逵にとっては、一杯機嫌の景物だった。まるで雑魚《ざ こ》の踊りを掻《か》い潜《くぐ》っているようなものでしかない。——ところへ、事の次第を聞いて彼方から飛んで来た六尺ゆたかな色白な壮漢があった。これやこの漁師仲間で、問屋さんと敬《うやま》われている旦那であろうか。  袖口だけに刺繍《ぬ い》のある裾短《すそみじ》かな繍《ぬい》の上《う》わ着《ぎ》、洒落者《しやれもの》とみえて、黒紗《くろしや》の卍頭巾《まんじずきん》には、紅紐《べにひも》で結《ゆ》ッた髷《まげ》が紅花みたいに透いてみえる。商売柄《しようばいがら》、足は八ツ乳《ち》の麻わらじに、黄と黒との縞脚絆《しまぎやはん》といういでたちだ。 「?」  男は、ゆっくりと李逵をにらんで腰にさげていた商売用の秤《はかり》を、ぼてふりの一人にあずけた。 「おいっ眼が見えんのか、血迷い野郎、こっちへおいでよ!」  李逵は振返るやいな、水牛が怒ッたような勢いで突ッかかって来た。待っていた男の拳がその横面をかんと撲る。袂《たもと》が腕に巻きついたほどそれは確かな打力だった。だが、しかし李逵にはこたえもせず、逆に相手の腰の辺へ猛烈な足蹴《あしげ》をくれた。男がよろめく。体当りに、諸倒《もろだお》れとなる。李逵が上だった。こんどは李逵の鉄拳が二つ三つ男のひたいや鼻ばしらを打ちつづけた。すると後ろで。 「やめろっ、やめないか李逵《りき》」 「あっ? ——」振り仰いで「誰かとおもったらお二人さんか。放ッといておくんなさい。殺したって、罪はあっしが一人でかぶりゃいいんでしょ」 「ばかっ。こっちへ来い」  戴宗《たいそう》と宋江とは、騒ぎをきいてここへ馳けつけ、ほこる李逵をむりやりに《も》ぎ離して、なだめつすかしつ、やっと元の琵琶亭《びわてい》の方へ連れて戻って行った。  ところが道がまだ琵琶亭まで行きつかないうちに、早くもさっきの紅紐髷《べにひもまげ》の男が、こんどは雪白《せつぱく》な大肌脱《おおはだぬ》ぎとなって追ッかけて来た。それも陸上でなく、小舟に、水棹《さ お》さし、江の岸を先廻りしていたのであった。 「やいっ、黒旋風とかいった奴、逃げるのか、ざまはねえな!」 「何ッ」  あっと思った瞬間だった。宋江にしろ戴宗にせよ、止める間などはありはしない。李逵は小舟の方へすっ飛んで行き、なにか二た言三言、悪罵《あくば》を戦わせていたかとみるまに、 「うぬっ」  と、相手の舟のうちへ跳《と》びこんでいた。 「よしきたっ」  待っていたとばかり、舟の中の男は両手をひろげた。  李逵の方でも、勝負腰を挑《いど》んでみせたが、何しろ一歩も近づけなかった。なぜなら艫《とも》の男はその両脚で巧妙に、 「それ。……どんぶりこ、どんぶりこ」  と口拍子《くちびようし》に合せて、小舟を左右に大きく揺《ゆ》りうごかし、舟はまるで風濤《ふうとう》に弄《もてあそ》ばれる一葉《よう》の枯れ葉に似ていた。しかもぐんぐんとそのまに岸から揚子江《ようすこう》のただ中へと離れて行くのである。  たまらなくなって、李逵は、 「やい魚屋。おれを恐れたな。男らしくもねえやつだ」 「ふん。言ッたね。さあ来い」 「そんな足拍子はやめて、てめえからかかって来い」 「こころえた。かたづけてやる」  言下に、男は片足立ちとなって、その体を、舟の外へ斜《はす》に描いて見せた。すると小舟は苦もなくひッくりかえってしまった。同時に李逵の姿も男の影もほとんど、一波の白いしぶきも揚げず、ただもっこりと江中に沈んでいった。  驚いたのは、宋江と戴宗である。——慌《あわ》てて近い岸のなぎさまで馳けよって来たときは、江上の舟はすでに裏返しとなってただよい、漁師、ぼてふりの輩は、さも心地よげな眼を沖へやって、 「うまくやんなすったね、親方さんは」 「何ンたって、浪裏白跳《ろうりはくちよう》さ!」 「揚子江のぬしみてえなものだ。あの水牛野郎も、たっぷり水を飲むことだろうよ」  と、がやがや快《かい》を叫びあっていた。  宋江は、またさらに仰天した。大勢の顔へむかってことば忙《せわ》しく。 「あの肌の白い魚問屋の主人。あの人のあだ名が、いま誰かの言った“浪裏白跳《ろうりはくちよう》”というのですか?」 「そうです、そうです。張順《ちようじゆん》さんと仰っしゃいますぜ」 「それは大変だ。——戴宗《たいそう》どの、こいつは、しまった」 「えっ。しまったとは」 「彼が魚問屋の張順なら、その実兄の張横《ちようおう》から私は手紙をもらっている! 江州へ行ったらぜひ会ってやってくださいと」 「や、や、や。それはさて、なんとしたものか?」  困惑と手をにぎる汗、ただ、彼方《かなた》の水面へ、その眼をこらし合うしかない。  夕陽は赤い半輪をしずめかけ、江の波は青く透いていた。白きは浪裏白跳の張順の四肢《しし》か。黒きはさすが弱りぬいた李逵《りき》のもがきか。瑶々《ようよう》たる波騒《なみざ》いのかすかに立つところ、見ゆるが如くまた見えぬようでもある。  すると一瞬、からみ合った両者の肉体が、ぼかと波上に浮き出した。それは白龍に巻きつかれた水牛の吠《ほ》えに似ていた。陸の黒旋風《こくせんぷう》も水中では手も足も出ず、張順の思うままに溺《おぼ》らされて、七顛八倒《しちてんばつとう》の飛沫《しぶき》をたてたが、またたちまち、もくもくもく……と水中深くに引きずり込まれた様子だった。  戴宗思わず両手をあげて辺りへ叫んだ。 「漁師どもっ。早く行け。わしは江州牢城の戴《たい》院長だ。ふたりを引き分けて連れて来いっ」  戴院長と聞いては驚かぬ者はない。すぐ一舟が矢のごとく岸を離れ、ほどなく双方をもぎ離して連れ帰った。——といっても、浪裏白跳の張順は、颯々《さつさつ》と水中を馳けるが如く一人泳いで先に岸へ着き。 「どうも相すみません。院長さんとは少しも存じませんでした」と、すました顔。  李逵もやっと舟から這い上がって来て、 「てへッ、ひでえ目に会わせやがった」  と、鼻や口から三斗の水をゲッゲッと吐いた。 「ともかく、話は彼方《あちら》の琵琶亭《びわてい》で」  と、すぐ四人は、元の琵琶亭へひきあげ、からくもこの大騒動は一トまず無事におさまった。  そこで李逵、張順、各ズブ濡れの衣服を着かえ、髪をたばね直し、そのまに水欄《すいらん》の灯と酒のしたくなど皆、新たな宵をととのえていた。 「さ、みな杯を持ってくれ」  戴宗も、挙げて、和解の音頭《おんど》をとった。 「雨降って地固まるだ。二人ともこれからは、兄弟分の誼《よし》みをもってつきあうがいい。あれほど派手な喧嘩をすりゃあ思い残しはないだろう」 「意趣は何ものこしません。じゃあ、黒旋風の兄貴」 「おやおや、おれが年上かい。張順、よろしく」  次に宋江が、控え目に名《な》のった。 「山東《さんとう》の黒《こく》宋江です。張順さん、あなたのご実兄の張横さんとは、掲陽鎮《けいようちん》でお目にかかって、いろいろお世話になっています。どうか以後はお見知りおきを」 「えっ、では山東城県《うんじようけん》の押司《おうし》、宋公明《そうこうめい》さんだったんで。どうも、こいつあ驚き入った。じつは掲陽鎮の兄からも、とっくに手紙が来ていました。ぜひお目にかかれといって」 「そうでしたか。まことに奇遇だ」 「いやこの張順も、はからずお三名の豪傑に、一夕《いつせき》一堂《いちどう》のうちでお目にかかり、こんなうれしいことはございません。どうぞこれからは兄弟分の端と思ってお叱りを」  と、ここに好漢《おとこ》同士の刎頸《ふんけい》の交わりがまた新たに結ばれ、銘酒“玉壺春《ぎよつこしゆん》”の泥封《でいふう》をさらに二た瓶《かめ》も開いて談笑飽くなき景色だった。 「ほい。すっかり忘れちまったぜ」 「李逵《りき》、何を思い出したのか」 「魚ですよ。事の起りは、魚だったじゃありませんか。張順、二、三尾《びき》くれないか」 「ケチなことを言いなさんな。何十尾でもよろこんでこの席に進呈したい」 「じゃあ一ト走り、俺が行って貰って来よう」 「おっと待ちな」 「なぜだ、張順」 「おめえはまだ江《え》の水が呑み足らねえのかい」 「わはははは。そう何度も、からかいッこなしさ。じゃあ張順、おめえも一しょに行ってくれ」 「いいとも。ではお二人さん、ちょっと中座いたします」  張順と李逵とは、手をつないで野に歌う牧童のように、仲よく縺《もつ》れ合って出て行った。まことやこれ、虚心の自然児、草沢《そうたく》の英雄ともいうべき類《たぐい》か。  まもなく、宿の板前や男衆に桶をかつがせ、見ごとな金鱗《きんりん》の金鯉《きんごい》十数尾《ひき》をすくい入れて二人は帰ってきた。すぐそれを鱠《なます》、から揚げ、汁、蕃椒《とうがらし》煮《に》といろいろ料理させたが、ものの二尾《ひき》とは食べきれたものではない。あと四、五尾は笹に通して、 「どうか、おみやげにお持ち帰りを」  と、あくまで心入れな張順のはからいだった。  これですぐ立てばよかったが、折ふし水亭の別座敷で琵琶《びわ》の音がした。訊いてみると、客の求めに応じてあるく琵琶芸人ということであり、宋江はふと、かつての一夜、穆家《ぼくけ》の宴で聞いた「潯陽江頭《じんようこうとう》……」の忘れがたい一曲など思い出して、ついそれを呼ばせてみた。  ところが、それは見るからに哀れな親子の舟芸人で、歌曲も四絃も、穆家の乙女《おとめ》の比ではない。——しかし素姓《すじよう》をきいてみると、京師《みやこ》生れで、苗字《みようじ》も同姓の「宋」といい、娘の名は玉蓮《ぎよくれん》というとのこと。宋江には、そぞろ哀ればかり催《もよお》されて、酒さえ苦くなってきたので、 「もう、いいよ。ありがとう。もうよろしい。……さあ、娘さんに、何ぞそこらの物を喰べさせておやり」  と、なにがしかの鳥目《ちようもく》をやって、逆に慰めてやるような始末だった。  けれど李逵にはそんな斟酌《しんしやく》もない。娘に酌させて、悪ふざけをしているうちに、何が気に入らなかったのか、娘をキャッと昏倒させてしまった。娘のひたいに小さな血が滲《にじ》み、耳環《みみわ》も簪《かんざし》も飛び乱れていた。 「これっ、何ということをするのだ」  それを機《しお》に、張順と戴宗は彼を外へ連れ出し、宋江はあとに残って、娘の親へ、 「ま。かんべんしてやってくれ。わしは牢城営にいる者だが薬代でも上げるから、わしと一しょについておいで」  と、李逵《りき》に代って深くあやまり、たって芸人の男親ひとりを連れて帰った。それやこれやで、せっかくな琵琶亭の歓《かん》も、帰りは味気ない夜道になった。——けれど、琵琶弾《ひ》き娘の宋という男親は宋江から思いがけない慰藉料《いしやりよう》の銀子《ぎんす》をもらい、涙をながして、その晩、彼の部屋からもどって行った。 壁は宋江《そうこう》の筆禍《ひつか》を呼び、飛馬は「神行法」の宙を行くこと  元来、宋江も酒はつよい。ただ挙止《きよし》やことばが静かなだけで、酒量は誰にも負《ひ》けはとらない。 “玉壺春《ぎよつこしゆん》”やら金鱗《きんりん》の鯉やらで、ゆうべもあれで、したたかに飲み、そして食べてもいたのだろう。……そのせいか明け方から彼はシクシク腹痛を覚えていた。朝陽を見てからはいよいよ烈しく、厠《かわや》へ通うこと何十回であった。  土産《みやげ》の金鯉は、すべて牢城の差撥《さはつ》や仲間へ分けてやった。囚徒はみな交《かわ》り番こに彼の部屋へ来て親切に世話してくれる。下痢《げり》止めの六和湯《りくわとう》を煎《せん》じるやら粥《かゆ》を煮るやらで、同囚のたれ一人、宋江の日頃の徳を、ここで報《むく》わない者はない。  李逵《りき》、張順《ちようじゆん》も見舞に来た。とかくして宋江は、十日余りも寝こんでしまった。ひとつには済州《さいしゆう》から江州送りとなったときの、長途の疲労が、今にして一度に出たのかも知れなかった。  こうしてやっと、散歩を思うようになったのも、二十日ぶりだ。もうすっかり体はいい。季節さえ初夏の風に変っている。 「……さて、意外にご無沙汰したものだ」  友恋しさに、彼はその日、城隍廟《じようこうびよう》の地内の観音庵《かんのんあん》に住む戴《たい》院長を訪ねてみた。  が戴宗《たいそう》は留守だった。 「張順の家は」  と考えてみたが、魚問屋の忙しい身だし、おそらくこんな上《じよう》日和《びより》では江の上か城外の市場だろう。また李逵ときては、賭場《とば》やら牢番溜《だま》りやら、いつも居る所さえわからぬ男だ。  しかし独りも淋しくはない。それに病後の快は、おのずから微吟の口笛を唇に誘ってくる。うッすらと快《こころよ》く肌は汗ばみ、眼は郊外の新翠《しんすい》に洗われ、ちか頃にない空腹感もうれしかった。 「おや……酒旗《しゆき》が見える。……おう小酒屋ではない。すばらしい酒楼ではないか」  近づいてみれば、酒旗には「潯陽江《じんようこう》正庫《ほんてん》」とみえ、また墻門《か き》の簷《のき》には、蘇東坡《そとうば》の書の板額《いたがく》に、  潯陽楼《じんようろう》  の三文字が白彫《しろぼ》りにされていた。 「ああ、これが江州に名高い潯陽楼か。あいにくと一人だが、まま、見晴らしだけでも楽しもうか」  ずっと入ってゆくと、かどぐちの左右には、朱塗り金箔《きんぱく》の聯牌《れ ん》がみえ、一方の華表《はしら》には「世間無比酒《せけんにむひのさけ》」。片方には「天下有名楼」と読まれる。  階上は五楼にわかれ、江を望む風光は、どの欄《らん》に立ってもただ恍惚《こうこつ》たるばかりであった。万畳《ばんじよう》の雲なす遠山は、対岸の空に藍《あい》か紫かの襞《ひだ》を曳き、四川《しせん》くだりの蓆帆《むしろぼ》や近くの白帆は、悠々、世外の物のようである。  ほかの粋客であろう。箏《こと》や胡弓《こきゆう》の奏《かな》でがどこかに聞え、楼畔《ろうはん》の柳はふかく、門前の槐《えんじゆ》のかげには、客の乗馬がつないであった。すべてこれ、一幅《ぷく》の唐山水《とうさんすい》の絵であった。 「お客さま。ほかのお連れさまは?」  みせの女中の声に、 「いや、ほんの気散《きさん》じで、ふらと一人で上がったのだが、一人客はご迷惑かね」 「いいえ、そんなことはございません。どうぞごゆるりと」 「ではお酒をたのむ。菜《さい》、肉、汁、料理はおまかせしておくから」  欄《らん》を前に、一室の卓《たく》で、宋江は独り暢《の》びやかに病後の心を養った。酒はよし、包丁《ほうちよう》もよし、器《うつわ》なども、さすが「天下有名楼」であった。 「……わが故郷にも、名山古跡はないでもないが、やはり江州は違ったものだな」  心は、雲の遠くにまで遊び、ふと故郷にある老父や弟までを想いおこした。  独り酌《く》む酒は、沈酔になりやすい。かつは二十日以上も乾いていた腸《はらわた》だった。彼はどうしたのかはらはらと涙を垂れた。 「自分も三十はとうにこえたのに、一個の名も成さず、家の業をたすけるでもなく、親からいただいたこの体には刺青《いれずみ》されて遠流《おんる》の身だ。ああ、残念な。ああ、腑《ふ》がいないことだ。……すみません、父上」  惨《さん》として独り注《つ》いでは飲み、注いでは飲み、やがてその大酔を自嘲《じちよう》に交《ま》ぜて、思わずも一詩を胸に醸《かも》していた。  また、ふと見ればかたわらの白壁には、あまたの遊子酔客が、それぞれここに興を書きのこした題詠《だいえい》が見える。彼もまたつい、備え付けの筆をとって、次の章句を書きとどめた。——もし他日、歳月《としつき》たって、再びここに遊ぶ日の想い出にもなろうかと。 少年、はやくに、経史を学び 長じて、心に謀《たくみ》をえがくも 爪牙《そうが》、むなしく 迷いの虎に似る 現《うつ》し身は、罪のいれずみ いま江州の囚地にあり もし年ありて、再び来らば このうらみ、この嘆《たん》 潯陽《じんよう》の水も紅《くれない》となって泣かん  こう一気に書いて来て、宋江はその溌墨《はつぼく》の匂いとともに、心気すこぶる爽快《そうかい》になった。無性に、何かうれしくなり、つづいてその後に。 心は山東に、身は呉《ご》にあり 憂心は熱く 涙は冷《ひ》ややか こころざし成るの日は笑うべし 黄巣《こうそう》も丈夫《ますらお》のかずにあらずと 「城《うんじよう》県《けんの》人《ひと》宋江作《そうこうつくる》」    「むむ、久しぶりでものを書いた」  筆をおくと、彼は椅子《いす》に返って、片手に杯を持ち、片手の指で木琴《もつきん》を叩くように卓を弾《はじ》き、小声でそれを吟《ぎん》じてみた。そこですっかり気分をもち直し、やがて勘定を払うと、踉々蹌々《ろうろうそうそう》、元の道をもどって行った。——その孤愁の影、多情多感なその日の彼は、あとで思えば、げにも宋江として珍しいことだった。牢営内のわが部屋へ帰りつくやいな、前後不覚、翌朝までぶっ通しに眠って、前日の墨戯《ぼくぎ》のことなど、ほとんど記憶にもなくなっていた。  ここに無為軍《むいぐん》とよぶ田舎《いなか》町がある。  江州《こうしゆう》のすぐ対岸で、江州府の大街《たいがい》とは絶えず通船《つうせん》が通っており、また黄文炳《こうぶんぺい》のような物持ちとなると、これは洒落《しやれ》た自家用船で、いつも江州大城へ出向いていた。  黄は、非役の閑職だった。  そこで無為軍に美邸をかまえ、ずいぶん贅沢《ぜいたく》な生活ぶりをやっているが、どうして、なおまだ内には野心勃々《ぼつぼつ》たるものがあるらしい。その証拠には、彼が四時《しいじ》の珍しい土産物を積んで行くさきといえば、つねにきまって、江州奉行閣下蔡九《さいきゆう》の私邸であった。  蔡九は、宋朝廷の権臣、蔡《さい》大臣の息子なのである。そこへのご機嫌伺いを、せっせとやっている魂胆をみても、彼の腹はわかるというもの。  しかしこの黄文炳《こうぶんぺい》の評判はすこぶるよくない。多少の学をはなにかけ、下の者にはふんぞり返り、上には媚態《びたい》おくめんなしという型の男である。それが今日もまた、奉行官邸へ伺候《しこう》していたが、折ふし蔡九から、 「今日は大城の宴会で、ちと忙しい。晩にでも来い」  といわれ、黄は、いちど船へ引っ返していた。そして午《ひる》すぎ頃、何の気なしに、江畔《こうはん》の潯陽楼《じんようろう》へ上がって、 「おいおい、ほんの一杯だ。こってりした肴《さかな》はいらんぞ。あとは茶漬でな」  と、横柄《おうへい》にいいつけていた。  金づかいは吝《けち》な客だが馴染《なじ》みは古い。またそれを腹勘定に入れているこのお客さまだ。やたら小女にまで威張り散らしていたが、ふと白壁の書に目をとめて。 「おお、何だと。……少年、はやくに経史を学び、長じて、心に謀《たくみ》をえがくも? ……」  黄は、太い鼻息でうめいた。 「何、何。……このうらみ、この嘆《たん》、もし年ありて再び来らば、潯陽《じんよう》の水を紅《くれない》に。……だれだろう。こんなものを恐れもなく書いたやつは、これは謀反《むほん》の詩ではないか。しかも流罪人の筆だ! 奇っ怪しごく」  彼は手を鳴らして、女中、帳場を呼びつけ、これを壁書きした客の年齢人相などを問いただし、そして「城県《うんじようけん》の人《ひと》宋江《そうこう》作《つくる》」の署名も写《うつ》しとって、晩を待った。いや船に寝て、翌朝を待った。  ここらが彼の奸佞《かんねい》なところである。果たして、奉行の蔡九《さいきゆう》は、ご機嫌すこぶる斜めであった。 「これ黄文《こうぶん》、昨夜見えよと申したのに、なぜ儂《み》を待ちぼけさせおったぞ」 「は。申しわけございませぬが、天下の大事にふと心を悩まし、また万一の間違いでもあらぬよう、その下調べに、奔命《ほんめい》いたしておりましたので」 「はて。今朝はよく、天下の大事という声を耳にする日だな」 「ほ。何ぞお手許へも」 「いやじつは、父の蔡《さい》大臣からご飛脚があって、ちかごろ都の太史院天文監《たいしいんてんもんかん》が、こう申しているとあるのだ。……北斗《ほくと》の星、呉《ご》と楚《そ》の地を照らし、その色赤し、おそらく謀反《むほん》の徒《と》のおこる兆《きざ》しならんかと」 「なるほど」 「また、開封《かいほう》東京《とうけい》のみやこ童《わらべ》の間にも、 山はひがしよ 三十と六つ 家木《かぼく》はみだすよ 水と工《く》と  そんな意味もわからん謎めいた童歌《わらべうた》が、近来しきりに流行《は や》っていると申す」 「いや、恐ろしいものです」  黄は、膝をたたいて言った。 「天に口なし人をもって言わしむ、とか。その童歌も、北斗の妖《あや》しき光芒《こうぼう》も、偶然ではございませんぞ」 「なにか、証《あかし》があるか」 「この一紙をごらんください。てまえが昨日、潯陽楼《じんようろう》の壁書きから写しとってまいった詩でございますが」 「うウむ……。みずから江州の流人《るにん》といってあるようだな。囚人の詩か」 「いえいえ、そこはともかく、詩句すべてに流れている不逞《ふてい》な反逆の血と、その恨みかたの凄まじさをご覧ください」 「いかさま、これは革命者の心胆《しんたん》の迸《ほとば》しりだ。世を呪《のろ》うやつの声だ。城県《うんじようけん》の人、宋江とは一体だれだろう」 「ですからご管下の牢営にいる済州《さいしゆう》の流人《るにん》でしょう。すぐ牢営の蔵帳官に、簿《ぼ》を検《けん》せよと、お命じなされませ」  蔡九《さいきゆう》は、役人をよんで、すぐ簿《ぼ》を調べて来いといいつけ、その間にまた言った。 「都で流行《は や》っている妙な童謡の意味は何と解いたらいいのだろう。こいつは何とも分らんな」 「いえいえ、それもよく符合《ふごう》します。……山はひがしよ、とあるのは山東《さんとう》のこと。家木《かぼく》はみだすよ、とは『宋』の文字を、分解したものでございましょう」 「では、水と工《く》というのは」 「江の文字になります」 「なるほど。して三十と六つというその数字は」 「それだけでは、てまえにも判じかねます。おそらく何か星の天数六六をいったのではないかと思われますが」  そこへ、蔵帳官が牢城の簿《ぼ》を持って来て。 「これではございませんか」  と、点簿《てんぼ》の名に、朱紙《しゆし》を貼《は》って差出した。  見ると「五月新入り囚徒、城県《うんじようけん》産、宋江《そうこう》」とある。折も折、宋朝廷の天文《てんもん》太史院は、都下の謡言《ようげん》や北斗を占案《うらな》って、諸州へ乱のきざしを警報してきたところではあり、この事実なので、奉行蔡九《さいきゆう》は、たちどころに決断をくだし、 「潯陽楼《じんようろう》の壁に、不敵な叛詩《はんし》をしるした犯人、宋江を即刻からめ捕《と》れ、一ときたりとも時をうつすな」  と、すなわち江州牢城の両院長、戴宗《たいそう》へその命をくだした。  宋江は何も知らずに、その朝、籠の小鳥に餌《えさ》をやっていた。病中いらい、窓辺の友としていた鳥籠の黄鳥だった。 「宋君! 小鳥どころじゃないぞ」  後ろの扉《と》ぐちに、こう息ぜわしい声を聞き、ふと振向いて。 「おっ。戴《たい》院長ではありませんか。そのお顔いろは、どうしたことだ?」 「いやあなたこそ、とんだことをしてくれた。どうにもならん」 「何がです」 「潯陽楼《じんようろう》の壁に、あなたは叛詩《はんし》を書いたではありませんか。自分もいま、見とどけて来た。明々白々、あれまで、書いてしまっては消しようもない」 「……。……?」  宋江はいつまで、じいんと差し俯向《うつむ》いていたが、はっと酒中の記憶をよみがえらせた容子《ようす》である。さすがに蒼白になった。しかし悪びれる風もない。椅子《いす》に腰をくずし、首を垂れて「——一生の不覚」と詫びた。  だが、詫びられた戴宗のほうこそ、今は極度につきつめていた。進退きわまった立場なのだ。すでに、蔡九の命で彼は牢城の軍卒頭以下一隊の兵を、城隍廟《じようこうびよう》の廟前に勢ぞろいさせ、しばらく待てと待たせてあるのだ。  そして、ちょんのま、ここへ姿を現わしたのは、彼の道術“神行法《しんこうほう》”の秘を使って、風のごとくさっと忍んで来たのである。といって何をはなしている隙《すき》もない。ただ戴宗《たいそう》が持って来た一計は、 「宋君、ぜひもない。君を縄目にはかけるが、君は偽《にせ》狂人になってくれ。蔡九の前へ出たら、あらぬ口走りと狂態をつくして、ひとまず吟味の手を焼かすのだ。あとの思案はあととして」 「いや、やめましょう。戴宗どの、覚悟しました。縛《しば》ってください」 「いや縛れん。あなたをここで見殺しにしたら、友人の呉用《ごよう》を初め、梁山泊《りようざんぱく》の面々にも一生末生《まつしよう》うらまれる。のみならず、江州界隈《かいわい》で義をむすんだ男どもにも顔がたたん」 「でも、こんなおろかな因《いん》を作ったのは誰でもないこの宋江自身です。たれがあなたを不義としましょうか。たとえ偽狂人など装《よそお》ってみても、しょせん、宋江にはよく出来る芸ではなし、醜態《しゆうたい》をかさねるだけです」 「ま。そうあっさりと、あきらめないで」 「いや天命に従います。それしかない。もしあなたが、いさぎよしとしないなら、私自身で自首して出る」  もう説きようはない。また策もない。  戴宗《たいそう》は長大息した。まもなく、一軍の中に宋江を押っつつみ、蔡九《さいきゆう》奉行のいる大城の一閣へ入って行った。  あらゆるむごい拷問《ごうもん》道具や獄具が白洲《しらす》に用意されてあった。ここでは血の焔《ほのお》が燃えるのである。だが覚悟のていであった彼には、さまざまな苛責《かしやく》もくだしようがない。口述書をとられ、死刑囚用の重さ二十五斤《きん》の首かせが篏《は》められ、その夕、大牢の闇へほうり込まれた。  わずかに、一つの倖せは、命を奉じて、戴宗がさっそくに宋江をこれへつき出していたので、蔡九もその戴宗にたいしては、なんの疑惑も挟まなかった。で、大牢の監視から食事なども、一切彼に委されたことだった。  その夕、一方では奉行蔡九がその自邸で、黄文炳《こうぶんぺい》を相手に、 「やれやれ、これで一トかたづき。まずは大事に至らなくて、めでたかったな」  と晩餐《ばんさん》をかこんでいた。 「いや閣下。これからですぞ」 「まだ何か、急があるか」 「第一には、さっそく、事の仔細を、都のお父君へ急報し、蔡《さい》大臣さまから、陛下へも奏上して、江州大城ご支配の実績として、その功を、朝《ちよう》に聞え上げておくべきでしょう」 「なるほど、そのとおりだ」 「次には、これは国事の大犯人ですから、その処断は、当所において首となすか、あるいは生身《なまみ》を鉄鎖《てつさ》につなぎ、開封《かいほう》の都まで差立てましょうや、この一事も至急お使いをつかわし、お父君の大臣府へ伺いを立てれば、お父君も大そう面目をほどこし、かつまた、お手柄の名聞《めいぶん》に相成ろうかと存じますが」 「むむ、なかなかよく気がつく。その献言は用いよう。わしが陞任《しようにん》したら、きさまもこんどは栄職につけてやるぞ。……ではすぐさま、戴宗をよんで、その使いを命じよう」 「戴宗を?」と、黄は小首をかしげ「彼は両院の長ですが、間違いはありませんか」 「たしかな男だ。それに這奴《しやつ》は、神行法とやらいって、一日よく五百里(支那里)を飛ぶ迅足《はやあし》をもっておる」 「では都へでも旬日《じゆんじつ》のまに行ってまた、すぐ還って来られますな。それは奇妙な重宝者《ちようほうもの》」  黄も異議なく同意した。けれどその夜は何か、蔡九に支度があるとかで、戴宗への申しつけは翌朝に行なわれた。 「戴宗、そちの神行法にものをいわせて、至急、都へ使いに行ってもらいたい」  こう前提して、蔡九は、二つの見事な進物籠《しんもつかご》と、秘封の一書を、そこにおいた。籠には金銀珠玉の祝い物が入っていた。 「じつはな戴宗。儂《み》の父親の大臣には、この七月十五日がご誕生の日にあたる。どうしてもこの祝文と品々は、同日までにお届けせねば意味をなさん。ついては夜を日についで、間に合うように行ってくれい」 「御命《ぎよめい》、こころえました」  心中では、はたと当惑をおぼえたものの、いやとはいえない。早々、彼は大牢の前へ来て内なる蒼白《あおじろ》い顔の人影へ、小声でささやいた。 「すぐ還《かえ》ってきます。くれぐれ、ご短気なくお体をお大事に」  それからまた、李逵《りき》をよんで、云々《しかじか》で都へ行くが、宋江《そうこう》の身を、くれぐれ頼むとかたくいいつけ、もう一つ釘をさして言った。 「おれの留守中、酒だけはつつしめよ」 「ご心配なさいますな。李逵も男だ。お還りを見る日までは、決して酒の匂いも嗅《か》ぐことじゃございません」 「よしっ、行ってくるぜ」  城隍廟《じようこうびよう》のそば、観音庵《かんのんあん》の家にもどると、彼はすぐさま身支度にかかった。胸に銀甲を当て、琥珀色《こはくいろ》の袍《ほう》に、兜巾《ときん》をつけ髪をしばる。  足ごしらえは八ツ緒《お》のわらじ、膝ぶしに咒符《おまもり》を結《ゆ》いつけ、仏神の像を鞍皮《くらかわ》に画《か》いた馬に乗り、進物籠を載せて、即日、江州を立って行った。その迅きこと、霧に駕《が》し、雲を排《はら》い、飛鳥にことならず、といわれていた通りである。  また神行《しんこう》の法は、ときにより馬も用いず、その健脚にまかしても、常人の十倍も走ると信じられていた。つまり道教の道術の一つか。先々の旅籠《はたご》でも、金紙銀紙を焼いて祭りをなし、身は精進潔斎《しようじんけつさい》、呪文《じゆもん》修法、種々《いろいろ》あって、ほとんど道中では寝るまもすくない。  はや、ここは山東の一角。  芦《あし》と平沙《へいさ》と、渺《びよう》として、ただ水である。  戴宗《たいそう》は、馬を降りて、とある水辺の一旗亭を覗《のぞ》いた。そして一ト息入れ、 「おやじさん、酒も飯もいらん。葛湯《くずゆ》でもくれないか」 「なに、葛湯をくれと。冗談じゃねえ。そんな病人の飲むようなものはねえよ。ここは居酒屋だ」 「それは分っておるが、ここ何十里一軒の人家も見ない。では野菜汁でも煮《に》ておくれ」  なおまだ、酒屋の下男は、ぶつぶついっていたが、その間に、外から戻って来たのがじつはほんとの亭主とみえる。ぎょろと、内の客を見たが、軒につないである駒のそばへ戻って行き、その不思議な鞍皮《くらかわ》の神仏像の絵やら、また戴宗のふうていなどを、しきりに眺めくらべていた。 「もし、お客さんえ」 「おう、ご亭主か」 「どちらから来なすったのかね。道者でもなし、武者でもなし、どうも変ったお身なりだが」 「江州から来たのさ。これから開封《かいほう》東京《とうけい》へ行く途中だ」 「へえ、江州のお方ですか。……じゃあ、もしやあなたは、神行法の道術をつかう戴《たい》院長さんじゃありませんか」 「えっ、どうしてわかった?」 「いつも、あっし達の仲間の呉用《ごよう》先生から、天下にただ一人のこんな男が江州にいるといって、神行法の不思議をいつも伺っておりましたんで」 「ふウむ、では貴公は、居酒屋の亭主にあらずして、そも何者だ」 「あなたが呉用先生のお友達の戴宗さんなら、何もおかくしする必要はありません。じつを申し上げます。ここは梁山泊《りようざんぱく》と一水をへだてた江の茶店で、てまえはここに変装して、いつも江の口を見張っている梁山泊の男の一人、旱地忽律《かんちこつりつ》の朱貴《しゆき》という者でございます」 「や、や。では梁山泊とは、このあたりか。そして呉用学人は、いまもおいでか」 「おりますとも、大寨《たいさい》の軍師さまで、まいど江州の噂のたびには、きまって、あなたのお名が出る。そしてまた、そこへ流されておいでになる宋公明《そうこうめい》さまの身を案じなすって、どうしているかと、ほかの一同まで、話のつど胸をいためないことはございません」  と聞いて、戴宗《たいそう》も断腸の感に打たれた。かくまでの男同士の情誼《じようぎ》を聞くにつけ、今はつつみ隠しもしていられず、じつはその宋江その人が、かくかくの大難にあって、いまや命旦夕《めいたんせき》の牢中の闇にあると、事の次第をつぶさに話した。  聞くや否、朱貴は仰天して、俄《にわか》に息まいた。 「そして何ですかえ、そんなさいを、おまえさんは一体これから都へ何しに行くのだ?」 「だから、今も申したように、蔡九の命でよんどころなく都の蔡《さい》大臣邸まで、あれなる誕生祝いを持って急いで来た途中だ」 「冗談いっちゃいけないよ。宋江さまのお命はどうなるんだ。祝い物なんぞは打っちゃっておしまいなせえ」 「そうもゆかん。使いを果たさねば、江州へも還れぬ身では」 「だって、そのまに宋江さまが、ばッさり打首となるかもしれないじゃありませんか。……何、黒旋風李逵《こくせんぷうりき》という牢番が付いているって。そいつは甘すぎる。一人二人でどうなるものか。さあたいへんだ。まッておくんなさい、戴《たい》院長」  朱貴は軒の内へ馳けこんで、例の強弓と鏑矢《かぶらや》を取り出し、江の岸からキリキリと引きしぼった。放つやいな、鏑矢は澄みきッた大気を裂いて、はるか江の彼方へ唸《うな》って消えた。  戴宗は、先へ気が急がれてきたので、「帰りに寄ろう、呉用によろしく」とばかり、軒さきを出て、馬の手綱を解きかけた。 「とんでもねえ、やるもんか」  朱貴は、その手綱を奪いとって。 「くそ、友達がいもねえ人だ。宋江さまを、見ごろしにしていいつもりか」 「だからこそ、急ぐのだ、一刻も早くと、気が気でない」 「こっちも、こうしてはいられねえのだ。さっ、梁山泊へ行ってくれ。おれと一しょに、山の聚議庁《しゆうぎちよう》へ行って、仲間一同へ話してくんなせえ」 「そんな道くさはしておられん」 「何が道くさだ。来ねえといっても連れてゆく」 「えいっ、ききわけのない奴」  戴宗は神速の甲馬の上に跳《と》び乗った。そして鞭《むち》で、朱貴をしッぱたいたが、離せばこその朱貴だった。遮二無二《しやにむに》、馬のしりへよじ登り、うしろから戴宗に組みついて、ふたたび大地へ諸仆《もろだお》れにころげ落ちた。  こんな間に、はやくも江上には、かぶら矢の合図にこたえ、緑旗紅旗の速舟《はやぶね》の影が十二、三ぞう白波を切ってこなたの岸へ近づいていた。 軍師呉用《ごよう》にも千慮の一失。探し出す偽筆の名人と印刻師《いんこくし》のこと  水は渺々《びようびよう》、芦《あし》は蕭々《しようしよう》——。梁山泊《りようざんぱく》の金沙灘《きんさたん》には、ちょっと見では分らないが、常時、水鳥の浮巣のように“隠し船”がひそめてある。そして居酒屋の朱貴《しゆき》が射るかぶら矢を合図に、事あれば、わっと陸《おか》へ上がってくる仕掛けになっている。  戴宗《たいそう》といえど、これを見ては、争いも無用と知った。道を曲げて、梁山泊へ立ち寄り、事のわけを自身語るしかないと腹をきめ、 「かたきでも敵でもないのに、おまえさん方と喧嘩はつまらん。さあ案内してくれ」  と、朱貴に身をまかせて船へ移った。もちろん彼がここまで乗って来た“神行法”の神馬、都へとどける金銀の進物籠も、あわせて鄭重《ていちよう》に船へ積まれる。 「ひと足、お先に」  と朱貴は先頭の水《みず》案内《さ き》舟《ぶね》で急いだ。それが対岸へつくや否、彼は聚議庁《しゆうぎちよう》(山寨の本丸)まですッ飛んで行き、軍師呉用《ごよう》にわけをはなした。呉用はまたすぐ、首領の晁蓋《ちようがい》にこれをつたえ、全山の賊将をよびあつめた。  だから戴宗がそこへ臨んだときは、あらまし、戴宗の開封《かいほう》行きの使命、また、江州牢城の獄にあって、いまや死を待つばかりな運命に落ちている宋公明《そうこうめい》の危機なども、すでに一同知っていた様子であった。  とはいえ、呉用と戴宗とは、じつに久しぶりな邂逅《かいこう》でもある。二人は手をとりあって、 「やあ、おめずらしい。ただ、恨むらくは、こんな時でなければだが!」 「まったく、こうしているまも、気が気でない。一刻一刻が、宋江先生の寿命が縮まッてゆく今だ。事情がおわかりだったら、拙者はすぐ蔡九《さいきゆう》の使いで、朝廷の蔡《さい》大臣の許《もと》まで急がねばならん。——そのうえ江州へ立ち帰り、何とか、先生の救助法に肝胆《かんたん》をくだいてみるつもりですが」 「まあ、おちつき給え」と、呉用は彼の焦燥《しようそう》をなだめて—— 「ここには、晁蓋《ちようがい》統領以下、寨《とりで》のおもなる者、ずらりといる。もいちど、ことこまかに、宋先生の大難とかをよう説明してくださらんか」 「心はせくが、ま、お聞きください。じつは」  と、戴宗は縷々《るる》一同へ急を語る。また聞くうちにも、満座の面々は、やるかたない悲憤と、宋江の救出に気が逸《はや》って、戴宗のことばが終るやいな、 「それっ江州へ行け。江州牢城の獄をぶち破って、宋先生を奪い取って来ようぜ」  と、総立ちの気勢を見せる有様だった。 「いや待った!」と呉用は仲間の一同を制して。「このさい妄動《もうどう》は禁物だ。ヘタな藪蛇《やぶへび》は、逆に宋子《そうし》(宋江)の落命を早めてしまおう。この計略は入念に入念を要する」 「では、軍師に何ぞ妙計がありますか」 「おう無くもない。……まず第一に、戴《たい》院長は都へ行ったことにして、蔡《さい》大臣の偽手紙《にせてがみ》を持ち帰り、蔡九を巧くあざむくことだ」 「そして?」 「蔡大臣への偽手紙にはこう書いておく。——犯人宋江なる者は、世上の童《わらべ》の謡言《ようげん》に照らしてみても、ゆゆしき国罪の張本なれば、軽々しく地方において処刑するな。途中厳重に、都へ差立てい、という偽命令で江州から外へ誘い出す」 「なるほど、その途中を待ち伏せてか。——けれど軍師、大臣蔡京《さいけい》の筆蹟はどうしますか。息子の蔡九が見れば、おやじの筆蹟だ、すぐ見破ッてしまいましょうが」 「案じるには及ばん。近ごろ天下に流行《は や》ッている四家の書体といえば、蘇東坡《そとうば》、黄魯直《こうろちよく》、米元章《べいげんしよう》、蔡京《さいけい》の四人で、これを宋朝の四大家といっている」 「蔡京は書《しよ》ではそんなに偉いのかなあ」 「まあ聞け。……ところで、わしが以前、済州《さいしゆう》の城内で少しばかり世話してやった書生がある。その蕭譲《しようじよう》という者じつに偽筆《ぎひつ》の名人なのだ。どんな碑文《ひもん》だろうが軸物《かけもの》だろうが、ひと目見たら忘れない。四大家の書体などもそっくり書く。人呼んで、“聖手《せいしゆ》書生”とあだ名しているくらいだし、しかも刀槍を持たせれば、これまた相当に使うといったような男だ」 「読めました軍師の計は。……けれど官印が要りますぜ。蔡大臣の印章のほうは、どうしますか」 「その目算もついておる。おなじ済州に住む印刻師で、金大堅《きんたいけん》——異名を“玉臂匠《ぎよくひしよう》”という男がいて、これまたその道の達人。——この二人をつかめばいい」 「つかむとは」 「ここで戴院長が身なりを変えて、泰安州《たいあんしゆう》の岳廟《がくびよう》に住む山伏と化け、済州の町へ行って蕭譲と印刻師の二名人を連れ出すのだ。さきは職人気質《かたぎ》、説き次第で造作はあるまい。……天下の泰安州の岳廟に、碑《ひ》を建てる。ついては天下一の巨匠であるおふたりに、ぜひ岳廟へのぼってお仕事をしていただきたい。そして些少《さしよう》ながら内金としてと、銀子《ぎんす》五十両ずつも持っていけば」 「おうっ、あとは聞かないでも分った!」  晁蓋《ちようがい》以下、みな手を打ったことだし、当然、戴宗としても、この妙策には異存がない。すぐさま彼は姿を山伏に変え、即日また、船で金沙灘《きんさたん》をわたり、済州の道へ急いでいた。  済州の町の役所裏。——と途中で聞いて戴宗はたずね当てて来たが、その家ときたら、覗《のぞ》いて見るまでもない貧乏世帯で、聖手《せいしゆ》書生の蕭譲は、独り者か、泥窯《へつつい》の下を火吹き竹で吹いていた。 「ごめんください。てまえは岳廟の戴法印《たいほういん》という者でございますが」 「なんだい午飯《ひるめし》どきに。また岳廟のお札売りか。行ってくれ、行ってくれ」 「いえ、建碑《けんぴ》のお願いごとで」  と、戴宗はまず銀子《ぎんす》五十両をさきに出して、鄭重《ていちよう》に、碑文《ひもん》の揮毫《きごう》を依頼した。 「ほ。お急ぎかね」 「じつは建碑《けんぴ》の日取りまで予定されておりますので、即日、山へお越しねがって、文案、ご執筆、併《あわ》せて願い申したいというのが、一山の希望でございまする」 「じゃあ、さっそく旅立ちていうわけじゃねえか。したが法印さん、石はあっても、文は間に合っても、彫《ほ》りはどうしなさるんで?」 「ご当所には、金石印刻《きんせきいんこく》の上手、金大堅《きんたいけん》と仰っしゃる人もおいでのよしで、これからそちらへ交渉に廻るつもりでございますが」 「大堅なら友達だから、仕事もしいいな。おっと、待ちなせえ。一しょに行ってやるから」  蕭譲《しようじよう》はもう大乗り気なのである。  泥窯《へつつい》の火も、家の留守も、裏の婆さんへ声をかけて頼んでおき、すぐ連れ立って表へ出た。  そして町中の孔子《こうし》さまの社《やしろ》まで来ると、汚い細路次の蔭から、一見居職《いじよく》とわかる猫背の男がヒョコヒョコ出て来て、出会いがしらに、 「おお蕭譲じゃねえか。どこへ行くんだい」 「おめえンとこへさ。この法印さんをご案内してね。……もし法印さま、こいつですよ、玉臂匠《ぎよくひしよう》というあだ名通りな名人の金大堅は」 「これはお初に」 「ま、どんな御用かぞんじません、どうぞお寄んなすって」  と、大堅はさっそく、わが家へ連れもどって、二人から用向きを聞いてみた。——聞いてみれば、泰安州《たいあんしゆう》の岳廟《がくびよう》で五岳楼が重修《ちようしゆう》され、それを機に、金持の有志の手で一基の石碑が建てられるというはなし。——そして戴宗がここでも銀子《ぎんす》五十両を即金で前においたから、大堅も眼をまろくし、それに単純な職人気質、一も二もなく、 「ようござんすとも! 東岳大帝をおまつりしてある岳廟の碑《ひ》を手がけるなんざ、彫師《ほりし》一代のほまれだ、腕ッこき、やりやしょう」  とばかり大機嫌で引きうけた。二人ともそんな調子で、爪のあかほども、戴宗を疑ってみようともしていない。  その晩は、この路次裏の家で酒となり、明け方には三人連れの旅に立った。そして小半日も歩いたころ、戴宗は「先へ行って有志一同を迎えに出させる」という口実のもとに、姿を消してしまった。  それは、たそがれ近くのこと、道も七、八十里は歩いて、二人ともやや疲れ気味な足を引きずって行くと、突如、夕霧のうちで口笛がつんざいた。見れば、模糊《もこ》とした一団が寄って来る。これなん梁山泊《りようざんぱく》の一人王矮虎《おうわいこ》とその手下で、 「かねを出せ。二人とも、身ぐるみ脱げ」  と、立ちふさがった。 「ふざけるな」  と蕭譲《しようじよう》も金大堅も、おぼえの腕前で相手に立った。あげくに、逃げる矮虎《わいこ》を追っかけたが、それは早や相手の術中に落ち入っていたものだった。——たちまち附近の山から銅鑼《どら》が鳴りひびき、梁山泊の雄《ゆう》、宋万《そうまん》、杜選《とせん》、また白面郎の鄭天寿《ていてんじゆ》などが襲って来て、難なく二人を林のおくへ引きずりこんでしまったのである。  さりとて、金《きん》も蕭《しよう》も、手荒はちっともされなかった。ただ山駕《やまかご》に抛《ほう》り込まれて、上から麻縄をかけられ、夜どおし目も眩《まわ》るような早さで翌日も素ッ飛ばされていただけだった。そしてやがて、船にものせられた心地がする。——奇妙、不思議、いったい何処かと、恐々《こわごわ》、縄を解かれて出てみれば、思いがけない、旧知の恩人が笑っている。 「……おやっ? あなたは」 「覚えておいでか。呉用智多星《ごようちたせい》じゃ。いや驚かせてすまなかった」 「先生、ここは一体どこなんで?」 「梁山泊の聚議庁《しゆうぎちよう》じゃよ」 「げッ……」と、二人は泣き出さんばかりな顔を揃えて。「先生、帰しておくんなさい! 大堅にはおふくろがいる、子供もいます」 「案じなさんな、そのご家族たちも、明日あたりは、寨《やま》の者が、済州《さいしゆう》からこれへ連れてくる手筈になっている。そしてこの寨《やま》の後ろには、ちゃんとおまえ方の住居も用意してあるし、まあ、おちつくがいい」 「じょ、冗談じゃねえ。どうして、あっしどもを、こんな所へ」 「もとより悪戯《いたずら》や粋狂《すいきよう》ではない。二人の腕を見込んでの頼みごとだ。かねてその名は知ってもいよう。もと城県《うんじようけん》の押司《おうし》宋公明さんの一命がおまえらのその技術《う で》で助かるのだ。……としたら、ここは職人一代の仕事効《が》いでもなかろうかい」  呉用は目的を打明けた。呉用には世話になった旧恩がある。かつは宋江その人を、ふたりとも敬慕していた。蕭譲《しようじよう》はたちどころに義心を燃やし、金大堅《きんたいけん》もまた言った。 「ようがす、やりましょう! 蔡京《さいけい》の印でしたら、朱文白文《しゆぶんはくぶん》、いろいろと以前に彫ったこともあり、印譜《いんぷ》ものみこんでおりますから」  ここでさっそく、蕭譲は密室にこもって、呉用智多星と戴宗《たいそう》が作っておいた偽《にせ》手紙の案文をもとに、得意の偽筆をふるい、それに金大堅の彫った印を捺《お》して、もう何人《なんぴと》の眼にも、それとしか見えない蔡《さい》大臣の返信を作り上げた。 「ああ、これで思いがけなく、あのお方には吉運の展開となった。では一刻も早く」  と、戴宗はそれを携《たずさ》えて、山寨《さんさい》の一同に別れを告げ、また、後日の手筈をもしめし合せて、急遽、例の神行法の甲馬に跨《また》がり、江州の空へ帰って行った。  ところが、その戴宗を金沙灘《きんさたん》の埠頭《ふとう》に見送って、寨《やま》の一同、元の宴席へもどって酒くみかわしているうちに、軍師呉用が、はっとした色で、なに思い出したか、 「しまった、千慮の一失! あの偽《にせ》の返信が、逆に宋子《そうし》(宋江)の命とりとならねばいいが」  といったので、人々は愕然《がくぜん》と、酔を醒《さ》ました。わけてその妙技をかたむけ、偽墨偽印の作製に心血をそそいだ蕭譲と金大堅のふたりは、どこが悪いのかと、自分らの面目にかけて、呉用の痛嘆とその後悔の言へ、食ってかかった。 一党、江州《こうしゆう》刑場に大活劇のこと。次いで、白龍廟《はくりゆうびよう》に仮の勢揃いのこと 「たれの落度でもない。手ぬかりはこの呉用にある。呉用一代の失策だった」 「軍師、どうして、あの書翰《しよかん》が、宋公明《そうこうめい》さんの命とりになりましょうか」 「印章を過《あやま》った。……つい心なく“翰林蔡京《かんりんさいけい》”という四字の小篆《しようてん》を彫らせたが」 「よろしいじゃござんせんか」と金大堅は責任上、きっぱりいった。「——従来、てまえが見てきた蔡《さい》大臣の手紙はすべてあの印だった!」 「いや、いけない」呉用はいつもになくその顔いろを青くしていた。「思ってもみるがいい、江州の奉行蔡九《さいきゆう》は、蔡大臣のせがれではあるまいか」 「それは、もちろん」と、異口同音。 「ならば、どうして父が子へ宛てて書いた返信に“蔡京”と諱《いみな》の印を捺《お》しましょうぞ。すなわち、人の諱《いみな》は、目上にたいして、みずからを卑下するばあいに名《な》のるもの。まして公《おおやけ》な意を持つ書翰、地方の奉行へやる大臣の下文《くだしぶみ》に、諱《いみな》の印はつかわない!」  さあ大変である、満座、みな不安と焦燥《しようそう》に吹き研《と》がれた。 「すぐ戴宗《たいそう》を追ッかけて」  とは騒いでみたものの、神行法の飛馬に追いつけるはずもない。ほかに策はないか。まったくない。——ただあるのは、梁山泊《りようざんぱく》の精鋭をすぐって、ただちに江州へ発向することと、そしてこの大過失をいかに償《つぐな》ってみせるか、軍師呉用智多星の神策に待つのみだった。  かかるうちに、一方の戴宗は。  はやくも江州へもどりつき、蔡九奉行閣下へ、都の返信を復命とともに捧呈する。蔡九は大満足でねぎらいの酒、銀子《ぎんす》など賜い、 「いかに神行法といえ、疲れたであろう、数日休養するがいい」  と、彼を退出させ、そのあとで父蔡京の返書をひらいてみた。——それには、祝いの籠の品々たしかに受領とみえ、さらに末文には、  ——妖人宋江《そうこう》は、国賊のこと、朝廟《ちようびよう》の大法に照らし、天下ご直裁の例に倣《なら》うとの仰せである、すなわち、檻車《かんしや》に乗せ、使軍に護らせ、すみやかに都門へ押送《おうそう》するように。  なおまた。そこもとはいうまでもなく、黄文炳《こうぶんぺい》なる者の功も、奏聞《そうもん》に入ってあれば、他日かならず、恩賞ならびに、栄《はえ》の叙任《じよにん》もあらむ。  と、細々あった。  折ふし取次の者から、黄文炳が見えましたという。ここ連日、黄は日参のかたちなのである。蔡は彼の顔を見るとさっそく言った。 「文炳《ぶんぺい》、よろこんでいいぞ。まもなくそちは栄職につける」 「ほほう。これはまた、夢のような仰せを」 「嘘と思うのか。戴《たい》院長が帰って来て、父ぎみの返書をもたらしたのだ、その結果だ」 「や。もう帰りましたので」 「そちの功も、天子に奏上、不日、恩命あらんとある」 「して、宋江の処刑は」 「いそぎ都へさしのぼせとのご下命だわ、まあ、これを見い。ほかならぬきさまのこと、きさまだけには見せてつかわす」 「はっ、これはもったいない」  黄《こう》は、うやうやしげに押しいただき、蔡《さい》大臣の返翰《へんかん》を読み初めていたが、鋭い目が、やがて再三、再四と、その小首をかしげさせ、ついに思いきった風でいった。 「閣下、これは真っ赤なにせものです」 「ば、ばかなことをいえ! まぎれもない父の筆蹟を」 「いやいや、この印章は、尊大人《そんたいじん》がまだ翰林院《かんりんいん》の学士でいらせられた当時ご使用のもの。法帖には見えまするが、大臣現職の今日では、はやお用いではございますまい」 「……ふうむ?」 「それに父上からご子息へ宛てたご書面に、どうして諱《いみな》ノ印を捺《お》されましょうか。文辞はよくととのっておりますが、近ごろ当代四大家の書体をよく真似《まね》る者ありとも聞き及びますし、油断は相成りません。ともあれ、もいちど戴宗《たいそう》を召して、不審のかどかど、お問いただしあってご覧なされませ。……私も屏風《びようぶ》の陰にひそんで、篤《とく》と彼の様《さま》を見届けておりますれば」  このとき、当の人戴宗は、ほぼ安心して、宋江の牢をひそかに訪い、大いに宋江を慰めて、久しぶりにわが家の門へ帰りかけていた途中にあった。  蔡九《さいきゆう》から追っかけの召をうけて、何事かと、再び彼の前へぬかずき出た。しかし蔡九の口吻《くちぶり》もその眉もすでに最初のときのご機嫌ではない。 「戴《たい》院長。その方は、都で父の大臣に、直々《じきじき》お会い申したのか」 「はっ。すこぶるご健勝のていに拝されました」 「では、何事にも内門《ないもん》の取次をなす、門衛長も出てきたろうな、王と申す門衛長だが」 「はい。見かけたように覚えます」 「髯《ひげ》はあったか。それと王の年頃は?」 「さよう、さすが大臣邸の忠勤者らしく、年も長《た》け、ゆゆしい髯もありましたようで」 「それっ、戴宗に縄をかけろ」  勃然《ぼつぜん》たる彼の一声のもとに、武者隠しに潜《ひそ》んでいた家士十数名が、いちどに躍り出《い》で、うむをいわせず、戴宗をからめ伏せた。  戴宗は、仰天して叫んだ。 「こは何事ですッ。閣下、てまえに何の科《とが》があって」 「だまれっ、門衛長の王は、老齢のため、この春、職をやめ、いま勤めておるのはせがれの王だ、髯などもありはしない」  つづいて、屏風の陰から黄文炳《こうぶんぺい》もあらわれて、急所急所をぐいぐいと問いつめる。ついには戴宗も答えにつまり、階から庭へ蹴落されたあげく、仮借《かしやく》なき拷問《ごうもん》に責めさいなまれた。  拷問は夜におよび、さすが戴宗も苦しみもだえた。気を失うと水をぶっかけられ、とうとう偽《にせ》手紙であることは自白のほかなくなった。途中、梁山泊《りようざんぱく》の賊につかまって、摺《す》り換えられたのだと虚実を取り交《ま》ぜて白状した。  たちまち、彼の身は、首枷《くびかせ》をかけられて、獄へわたされ、書翰が偽ものと分明の上はと、蔡九《さいきゆう》はあくる日、大牢の与力をよんで、こう厳しい果断をくだした。 「獄中の宋江と、戴宗《たいそう》とを併《あわ》せて、同日同所で、斬刑《ざんけい》に処せ。刑場の立て札には、ともに梁山泊に気脈を通じ、不逞《ふてい》な陰謀をいだいた大賊なりと公示するがいい」  与力の役人は、日頃、戴《たい》院長に好意をもち、世話にもなっていた下役なので、ただおろおろと、 「して、その……斬刑の日は、いつにいたしましょうか」 「きまっている。即日、あしたのうちに行え」 「ですが、あいにく、明日は国家の忌日で、なおあさっては、七月十五日の中元節、さらに天子の景命(誕生日)と、盆や祝日がつづきますので、地獄の大牢さえ、牢番から囚徒まで、休ませねばなりません」 「ちっ、ぜひもないわ。では今日より六日の後にしろ」  偶然とはいえ、これや天が宋江に、また戴宗に、幸《さいわ》いしたものといえようか。  六日後の牢城から江州郊外への刑場の道はたいへんな雑鬧《ざつとう》だった。聞きつたえた見物人がわんわんと黄塵《こうじん》の下に波打っている。  この朝、死刑囚二人は、かたのごとく、白い死衣を着し、油でない膠《にかわ》の水で、尖《と》ンがり髪に結《ゆ》わせられ、赤い造花が、髪の根元に一本挿《さ》された。  また獄神の青面廟《びよう》の前では、この世の名残に一碗《わん》の飯と酒が与えられ、それが終ると、裸馬の背で、沿道の眼にさらされながら、牛頭馬頭《ごずめず》の獄卒が手綱持ちで、あまたな兵の警戒のもとに、死の刑場へ曳かれてゆく。  刑場は広い竹矢来だ。ただ二ヵ所ほど、矢来の口の囲いを切って、役人口、冥府《みようふ》口と分けてある。死刑囚の口には、一対の白蓮華《びやくれんげ》、白団子《しろだんご》が供えてあり、裸馬から下ろされた宋江、戴宗ふたりはただちに、死の莚《むしろ》へひきすえられたが、時刻の午《うま》ノ刻にはちと早い。まだ、検視官以下の騎馬列は途中であった。 「やい、やい、やい、やいっ。そんな所から入っちゃならん。出ろッ矢来の外へ」  見物の雲集に、矢来は揺れる。警固の兵は声を嗄《か》らす。  だが、おさまればこそ。中でも一群れの香具師《や し》かと見える風態の者どもが、 「おれじゃあねえよ、後ろが押すんだ」 「兵隊さんよ、しみッたれるな、見物はお構《かま》いなしだろ。青天井の下じゃあねえか」  するとまた、役人口の方でも、何か荷をかついだ一群の人夫たちが、どっと中へ入ろうとして来た。 「こらっ、お仕置場へ何をかつぎ込む」 「お奉行所からのお届け物だ」 「嘘をつけ。こらッ、そんな天秤棒《てんびんぼう》など下ろさんか」 「いんごうな兵隊さんだね。ちッたあ粋《すい》をきかせなせえよ」 「ふざけるな、ここを何と思う」  するとまたぞろ、三輛《りよう》の江州車を押してきた旅商人の一団が、遮二無二《しやにむに》、人渦《ひとうず》の中へ割りこんでいた。 「わッしょ」 「わっしょ」 「わッしょい!」 「こらッ——」と、兵隊たちは押し戻し「どこへ行く、どこへ。矢来が見えんか」 「中の広ッ原《ぱ》へだよ」 「てめえらも、首をちょン斬っていただきたいのか」 「ひぇッ……」と、旅商人らは、笑い合って「そいつはごめんだ。こちらは見物させていただきますのさ」  と、車の上に登って、矢来越しに手をかざし合っている。そこへ妙な蛇使いの男、物もらい、風車売り、風船屋、いろんな雑人《ぞうにん》たちもがやがやと寄ってしまう。制止しても、手がつけられない。  なにしろ、あっちこちである。その喧騒たるや一ト通りでない。そのまに早くも刑場の中央では、検視以下の諸役人が現われ、罪文を読み上げ、また両者の首カセを取り外《はず》させるやいな、ずかずかと首斬り役二名が、だんびら提《さ》げて側へ寄り、ただ一語、 「観念!」  という声の下だ。  一閃《いつせん》、キラと動く物が遠目にも見えた。  いやその途端というよりは、一刹那の寸前だった。太刀把《と》り二人が二人とも、飛んで来た二タ筋の矢にあっと顔を伏せ、また、何処かでは、  ジャン! ジャン、ジャン、ジャン……  と銅鑼《どら》の早鉦《はやがね》が鳴っていた。  銅鑼を叩いたのは、江州車を踏んまえて高く立っていた旅商人の一人だが、ほかの連中は皆、もうそこには見えない。  飛鳥のごとく刑場の真ン中へと馳けていたのだ。いやもっと早かったのは、べつな口にいた人夫、香具師《や し》の一団である。すべてたちまち、野太刀、棒、短槍、薄刃刀、天秤棒《てんびんぼう》、あらゆる得物《えもの》の下に刑吏獄卒を血まつりとして荒れ廻った。と見えたのも一瞬のこと、いつのまにか、宋江と戴宗《たいそう》の姿は消えて失《な》くなっている。修羅《しゆら》の中には二つの莚《むしろ》だけで、あとはさながらただ戦場の凄風《せいふう》にひとしい。  怒濤《どとう》に乗せられ、怒濤に運ばれて来た心地だった。宋江はわれに返って、 「や、や、みなさんは」  と、あきれ果て、生きたよろこびも、急にはほんとに思えてこなかった。戴宗とても同様である。  夢にもあらで、彼が目の前に見た面々は、すべて梁山泊《りようざんぱく》の人、晁蓋《ちようがい》、花栄《かえい》、呂方《りよほう》、郭盛《かくせい》のともがら。  また燕順《えんじゆん》、劉唐《りゆうとう》、杜選《とせん》、宋万の雄《ゆう》。  朱貴、矮虎《わいこ》、鄭天寿《ていてんじゆ》の豪。  さらには、阮小二《げんしようじ》、阮小五、阮小七、白勝《はくしよう》といったような頭立《かしらだ》ったもの十七人に、部下百余人の徒党だった。これらいずれもが、旅商人や人足や物売りなどに化けて、一挙、目的をやってのけたのであるのはいうまでもない。 「ああ、あくまで私ごときを、忘れないでいて下さる諸兄の義気《ぎき》、何とことばもありません」  宋江は、悵然《ちようぜん》と泣いた。戴宗《たいそう》もうれし涙にぬれる。万感のこと、来し方から今後のこと、到底、とっさには語りきれもしない。 「ところで、ここはどこです」 「河畔の白龍神廟《しんびよう》でしょう」 「追手がやって来ませんか」 「もちろん来ましょう。けれど、二つの板斧《まさかり》を持った体じゅう黒い男が、殿軍《しんがり》はおれにまかせろと、縦横無尽、追ッ払ってゆきました」 「え。二つの板斧《まさかり》を持った男? それは一体誰だろう。そんな者は仲間にいないが」 「ああ分った、黒旋風李逵《こくせんぷうりき》ですよ。李逵もただ一人ながら、今日のこの機会を窺《うかが》っていたものとみえる」  ところへ、廟門《びようもん》の外から大童《おおわらわ》となった李逵が韋駄天《いだてん》と馳けこんで来た。一同へ向い大声で外から告げていう。 「ここには夕方まで居られねえぞ! 城内では蔡九《さいきゆう》、黄文炳《こうぶんぺい》の指揮で、数千の大軍が集合中だ、はやく江《こう》を渡って逃げのびろ」  宋江と戴宗が、廟から呼んだ。 「李逵《りき》、これへ来い。——梁山泊の頭領たちにひきあわせてやる」 「おおう、こっちもそのつもりだ」  時もよし、ここへまた、今しがた江岸に着いた三隻の船から上陸《あ が》って来た一群があった。それぞれ浪裏白跳《ろうりはくちよう》の張順《ちようじゆん》、張横であり、穆家《ぼくけ》の兄弟、浪人の薛永《せつえい》、また顔役の李俊《りしゆん》、李立《りりつ》から、童威《どうい》、童猛《どうもう》など、すべて“揚子江ノ三覇《ぱ》”といわれる者どもが、塩密売の仲間まで狩りあつめて、これも宋江の救出に馳せつけて来たものだった。  しかし、すでに宋江はここに在《あ》って、 「やあ、ありがとう。お蔭でこの通りです。しかし各が来てくれたことも決して徒労ではありませぬ。まずみんなに会ってください」  と宋江が仲に立って、晁蓋以下一党の同勢へ三覇《ぱ》の連中をひきあわせた。所もよし、白龍廟《はくりゆうびよう》の神殿だった、その大廻廊でのことだった。で、これら初見参《はつげんざん》の面々に、黒旋風の李逵も加え、後世、この日のことをさして、 “白龍廟の仮の勢揃い”  と、その壮観を称《とな》えている。  こんなわけで、いつか夕迫ってしまったため、早くも城内の騎兵歩兵、千余の襲来をつい迎えて、相搏《あいう》つ叫喚《きようかん》と宵の血戦を余儀なくされたが、やがて遠く官軍を追いしりぞけ、同勢ことごとく、白龍廟のほとりから船上へ乗り移った。  風を孕《はら》む帆ばたきもつかのま、江を下るのは矢の如しである。着いた所は掲陽鎮郊村《けいようちんこうそん》の穆家《ぼくけ》、すなわち穆春《ぼくしゆん》兄弟のやしきだった。  穆の老父は、手をあげて迎えた。荘丁《いえのこ》、女わらべも総がかりで、炊出しにかかる。黄牛《あめうし》、羊、鶏、豚、あひる、およそ園菜家畜をあげて、調理の鍋、大釜にぶちこまれた。  大酒宴となる。いくら大家でもせますぎる。卓はすべて庭園に出され、まさに星夜《せいや》の盛宴というべき光景。そして慨歌《がいか》たちまちに、 「奸人《かんじん》黄文炳《こうぶんぺい》をただおくべきでない……」  と、なった。  もと膏薬《こうやく》売りの浪人薛永《せつえい》は、かねての恩返しはこのときと、 「まず、てまえを無為軍《むいぐん》の町へ、探《さぐ》りにやって下さい。いささか地理人情にくわしくもあり、知人もいる」  と、物見役を買って出たので、即座に一同は、 「じゃあ、行ってくれ。すぐにも」  と、彼へ任命の拍手を送った。  二日後である。薛永は一人の小男を連れて帰って来た。彼の紹介によれば、この小男は、洪都《こうと》の生れで、通臂猿《つうびえん》という妙なアダ名があり、本姓名は、侯健《こうけん》ということである。 「なんで、この人を、連れて来たのか」  宋江がたずねると、薛永がニヤリと答えた。 「職は、裁縫師《さいほうし》なんですよ。針と糸を持たせれば、神わざみたいな技能があります」 「ほ。裁縫師とはめずらしい。が、なんのために、その裁縫師を?」 「じつは、ついこの春まで、黄文炳の家庭へ、お抱えの裁縫師として住み込んでいました。いまでは馘《くび》になったのですが」 「では、内部の事情に詳しいな」 「それで連れて参ったのです。どうぞこの侯健《こうけん》から詳しいことはお聞きとりくださるように」  侯健のはなしには、聞くべき価値が多かった。  黄文炳の悪評はかくれもないが、その兄の黄文《こうぶんよう》は、土地の人にも、  黄仏子《こうぶつし》(ほとけの黄さん)  と別名でよばれているほど、善人の聞えが高いという。  まいど、貧民には情けぶかく、孤児を養い、公共の橋を自費で架《か》け、風害水災のたびには、身をかえりみず、財を注《つ》ぎこむなど、なにしろ、弟の悪文炳《あくぶんぺい》とは、ひとつ母親の腹から出たものとは思えないほどな違いだとある。  そこで、その黄仏子《こうぶつし》の弟ながら、悪文炳のことはみな、毒蜂刺《どくほうし》と町でも呼び、男女の召使い四、五十人はいるが、一人とて、文炳を心から主人と敬《うやま》っている者はないともいうのであった。 「そんなわけなんで……」と、裁縫師の侯健は、おちょぼ口をつぼめて言った。「私と薛永さんとが、ぶらりと、雇人《やといにん》部屋へ遊びに行った振りして、みんなを笑わせ、その晩、野菜園の木戸から同勢を引き入れれば、なあに、見かけは厳重な構えでも、あんな屋敷へ踏み込むのは、何の造作《ぞうさ》もありませんよ」 「が、兄の文《ぶんよう》の住居は」 「大路《たいろ》をへだてて、弟の文炳《ぶんぺい》の邸宅とは、すぐの斜向《はすか》いです」 「文《ぶんよう》は善根《ぜんこん》を積んでいる。そのような善人に禍いをかけてはなるまい」  宋江は消極的になったが、文炳の奸怨《かんえん》を憎む一党の憤怒は熄《や》まず、江州立退きの置土産に、また、世上への見せしめだとして、ついに黄家《こうけ》征伐がもくろまれた。  大小七隻の船に、梁山泊のかしら分二十九人、乾分《こぶん》百四、五十人が乗りわかれ、江《こう》を溯《のぼ》って無為軍《むいぐん》の町へ忍んだのは翌晩だった。——すでにその日の昼、裁縫師《さいほうし》の侯健《こうけん》と薛永《せつえい》は、先に黄文炳の屋敷内へ、口実をもうけて巧く入りこんでいる。  深夜。大きな夏の月の下。  町は炎になった。戦火のように。  四更《しこう》にかけて町じゅう灰燼《かいじん》に帰したような大騒動だったが、全焼したのは、黄文炳のやしきだけで、つい斜向いの兄文の邸宅は、無事、そっくり残っている。  いや一時、文の住居の方へ、飛び火したかと見えたときは、町の者でもない家人でもない不思議な人数が、一方の襲撃をやめて、そこの消火に努めたりしていたのだから、町民たちは明け方にいたって、 「いったい、あの降ッて湧いたような人数は、どこから来てどこへ消えてしまったのか?」  と、怪しみ合ったが、誰ともなく、それこそ四日前に、江州府を修羅《しゆら》の巷《ちまた》とした山東の大賊梁山泊の一勢だとの噂が流れ、さてはと、みな身の毛をよだてたことだった。  しかしその暁早くには、すでに大小七隻の怪船は、霧ふかい江上へ漂い出ていた。——事は果たしていたのである。——がただ一つ、最大な目的を逸していた。当の怨敵《おんてき》黄文炳は、その夜、江州奉行所か蔡九《さいきゆう》の官邸かにいて、無為軍の家にはいず、ついに討ち洩らしていたのであった。 大江《たいこう》の流れは奸人《かんじん》の血祭りを送り、梁山泊は生還《せいかん》の人にわき返ること  対岸の火災という言葉はあるが、黄文炳《こうぶんぺい》にとれば、対岸無為軍の火災は寝耳に水、驚倒して気も失いかけたことだろう。ひとごとどころか、わが家が焼けたという取沙汰だ。  彼はあたふたと、蔡九へいとまを告げ、自家用の美船で、江《こう》を渡って行ったが、そのまも心は空だった。  強欲、残忍、吝嗇《りんしよく》、佞奸《ねいかん》、あらゆる悪評を冷視して一代に蓄えてきた金銀財宝、倉に充《み》つる財貨は、いったいどうなったことやらと?  すると突如、水を切って鳴った鉄笛《てつてき》の一声が、彼のきもを冷やした。どこからか漕《こ》ぎ寄って来た三そうの小舟を見たからである。あッと、文炳《ぶんぺい》は腰を抜かした。近づく舳《みよし》に戴宗《たいそう》を見たからだった。もひとつの小舟には二つのまさかりを持った黒旋風《こくせんぷう》が見える。 「やっ賊だ、引っ返せっ」  しかし、もうまにあわない。  ほかにも五隻の大船の影が迫っている。文炳《ぶんぺい》は狼狽《ろうばい》のあまり江の中へ飛び込んだ。とたんに小舟からもしぶきが揚った。浪裏白跳《ろうりはくちよう》の張順が、歩く大魚みたいな影を水中に描いて、苦もなく文炳を引っ捕え、大船の方へ引きあげていた。 「ざまを見さらせ」 「さあ、みんな寄って来い」 「悪文炳《あくぶんぺい》の膾斬《なますぎ》りだ。悪運の強い野郎とおもったが、悪運はやっぱり当てにはなるめえ。思い知ったか」  船上は沸《わ》いた。血まつり騒ぎだ。  一寸試し五分試しのすえ、江へ投げこまれたのはぜひもない。あげくに、その人間が一代爪に火をともして蓄積した財貨金銀は、昨夜、一物余さず彼の倉から、ここの大船三隻に移されていたのであった。 「さあ、引揚げようぜ。足もとの明るいうちに」  この日も、江州の府城を中心に、官軍の旗や馬けむりが江岸一帯に眺められた。おそらくは大規模な手配がおこなわれているのだろう。都へは使者が馳《は》せ、各州には官符《かんぷ》が飛び、梁山泊《りようざんぱく》の名はいまや、全土へ震撼《しんかん》しているにちがいない。 「この上は、てまえたちも、この地には残れません。老父もつれてご一同とともに」  と、穆家《ぼくけ》の兄弟、三覇《ぱ》の面々、例の薛永《せつえい》や裁縫師の小男までも、こう申し出て、すべて梁山泊落ちときまった。  いちど、全員は穆家に引っ返した。そして、先に白龍廟で結んだ義の誓いを、さらに杯の上で固め、穆家の資産も、土地を置き残したほかはすべて十数輛《りよう》の車に移したのである。かくて神出鬼没を極めた一味百七、八十人、日ならずして、風の如く、梁山泊へ帰ったのであった。  寨《やま》には、俄にまた、人間が殖《ふ》え、同時に、財倉も充《み》ちてきた。  そのうえなお、この前後、黄門山の四頭領とよばれた賊が、風《ふう》を慕って、梁山泊へ降って来たので、それも梁党《りようとう》の盟《めい》に加えられた。  四名の前身、氏素姓《うじすじよう》は、どんな漢《おとこ》どもかといえば。  一番上が、欧鵬《おうほう》、アダ名は摩雲金翅《まうんきんし》。  元は、江上警備軍の軍人という士官くずれだ。  二番目は、蒋敬《しようけい》。  湖南は潭州《たんしゆう》の産で、文官試験の落第者。——智略にとみ、書算に長じているところから、神算子《しんさんし》という異名がある。  三番目は、馬麟《ばりん》といい、またの名は、南京建康《なんけいけんこう》、薙刀《なぎなた》をよく使い、鉄笛《てつてき》の名人だった。  さらに、どんじりの四番めの男は、光州産の水呑み百姓のせがれで、ばか力があり、鋤鍬《すきくわ》の巧みはもとよりだが、案外にこれがまた、刀槍の上手。あだなも妙な——九尾亀《きゆうびき》だが——しかし陶宗旺《とうそうおう》という本名もあるからには、まがいなしの人の子には相違ない。 「ところでご一同」  と、或る日、呉用が提案した。 「こう、さまざまな人物、それぞれな技能の持主が、しぜん群星の如く集まったからには、梁山泊をよく保つため、上下の序《じよ》、礼の順を、厳しく立てねばなりますまい。……まずは、宋公明《そうこうめい》その人こそ、われら梁党《りようとう》の上に仰ぐ、主座第一のお人たるべき者ではないか」  ほとんど一人の異議もなく、双手をあげて、 「そうだ、ぜひそう願いたい」  と一同、宋江を繞《めぐ》って言った。 「とんでもない」  宋江はかたく辞退した。 「わたくしは、諸兄のために、からくも一命を助けられ、ただ恩に浴して、そのうえ徒食しているに過ぎぬ者、どうかあるじの座には、晁蓋大人《ちようがいたいじん》をすえて下さい。わたくし如きは、到底その任ではない」  とばかり、何と一同が推《お》しても、ききいれる色はなかった。 「では」  と統領の座には、結局、晁蓋が坐った。——そして二位に宋江、三位に軍師呉用《ごよう》、四位公孫勝《こうそんしよう》と、すらすら衆議がすすんだので、宋江もついそこまでは否《いな》みかねて、受けてしまった。  そもそも、宋江はこんなつもりではない。  彼は漢《おとこ》を愛し、世を憂い、轗軻不遇《かんかふぐう》な人間たちに、ふかく同情はしていたが、かりそめにも賊の仲間入りしようなどとは、ゆめにも思っていなかった。——官に仕えては、善吏《ぜんり》といわれ、家にいては、よく老父に孝養し、書を読み、身をおさめ、かつ四隣の友や県民たちに、愛情とまことを尽して、おだやかな生涯を愉《たの》しまん、としていたのが、彼の人生目的であったのだ。人生如何に生くべきやも、それしかなかった人である。  ところが、こんな破目になった。いまは朝廷から不逞《ふてい》なむほん人と視《み》られ、天地に身をいれるところはない。生きんとすれば、ただこの梁山泊の仲間うちと、一土塊《どかい》の小天地があるのみだった。 「では、以下の座順は、晁《ちよう》統領からご指名ください」  呉用のことばに、晁蓋は、 「おまかせねがえれば」  と、人物、年の高下なども、配慮して、名を呼びあげた。 ——まず五座に、豹子頭林冲《ひようしとうりんちゆう》と。  それから順次。  劉唐《りゆうとう》、阮《げん》小二、阮小五、阮小七、杜選《とせん》、宋万《そうまん》、朱貴《しゆき》、白勝《はくしよう》。 ——以上を左の席として。  そして右側の列順には。  花栄《かえい》、秦明《しんめい》、黄信《こうしん》、戴宗《たいそう》、李逵《りき》。  また、李俊、穆弘《ぼくこう》、張横、張順、呂方《りよほう》、郭盛《かくせい》、蕭譲《しようじよう》、王矮虎《おうわいこ》、薛永《せつえい》、金大堅《きんたいけん》、穆春《ぼくしゆん》、李立、欧鵬《おうほう》、蒋敬《しようけい》、童威、童猛、馬麟《ばりん》、石勇《せきゆう》、侯健《こうけん》、鄭天寿《ていてんじゆ》、陶宗旺《とうそうおう》——すべてで寨《やま》のかしら分はこれで四十人がかぞえられた。  聚議庁《しゆうぎちよう》の大香炉には香が燻《く》べられ星を祭る壇には供え物が上げられて、鼓楽《こがく》のうちに、慶祝の酒もりが催《もよお》された。いつもこうした大祭は三日つづく。あくる日は山寨中の手下から、何十という裏山の家族小屋にも、それぞれな祭り振舞が見られるのだった。  子供もいる、老爺もいる、孫もいる、媼《おうな》もみえる。彼らは山畑をたがやして、世情何たるかも知らず、いとも小さな平和の陽なたを楽しんでいる様だった。  宋江はそうした風景をながめると、また卒然《そつぜん》と、あれきり絶えている家郷の老父を思い出して、つい涙をたれた。  で、その夜のこと、一同のいる席で、 「ここへ助けられて来て、早々にまた、わがままを申すようですが、どうしても自分はもいちど、世間へ行って来なければなりません。その数日の暇を、諸兄におゆるしいただきたいが」  と、申し出た。 「ほ。世間へ行くと仰っしゃるが、どこへ何の御用にですかえ?」 「じつは家にのこしてある老父が甚だ気づかわれますので」 「はははは。また先生が始まった」  と、大勢の仲間は大いに笑った。そして宋江の今にも何か熱いものをこぼしそうにしている瞼《まぶた》を見ると、同情は同情とよく分りながらも、笑わざるをえなかった。 玄女廟《げんによびよう》の天上一夢に、宋江《そうこう》、下界の使命を宿星《しゆくせい》の身に悟ること  宋江の親思いは人並みはずれたものである。晁蓋《ちようがい》も呉用もそれゆえ止めはしなかった。ただ、宋江の一人旅は危険きわまるものと見て、 「では先生、行ってらっしゃい。その代り用心棒を十人ほどお連れなすッて。……でないと手前どもも心配でただ安閑とお帰りを待ってもいられません」  と、すぐその人選にかかりかけた。  だが宋江は、それも固く辞退した。故郷には弟の宋清《そうせい》もいるので、老父をここへ迎え取る目的の帰り途《みち》には三人の旅になる。そのほうがかえって世間に人目立たず、何よりは老父が気楽に来られようというのであった。  どうも何事につけ、人手をわずらわさず、自分のことは自分で処して行こうという内輪好みが、この人の性情らしい。強《た》ってそれを曲げるもどうかと、梁山泊《りようざんぱく》全山の大衆は、あくる日、彼の歓送会だけをさかんにやり、 「どうぞ、お気をつけなすって」  と、金沙灘《きんさたん》の向う地まで、その一人旅を見送った。  日を経て、宋江は、故郷の城県宋家村《うんじようけんそうかそん》へたどり着いていた。——風の音にも心をおきながら夜を待ってわが家の裏門をコツコツ叩いた。すると弟の宋清がすぐ出て来た。顔をみるや兄弟《ふたり》は抱きあってしばらくことばも出なかった。 「兄さん。どうしてこんな危ない中へ、とつぜん帰って来たんですか」 「じつはな宋清。わしもついに、梁山泊のほかには、この天地に身を置く所もなくなった。……それで老父とおまえを、山寨《や ま》へ迎え取ろうと思って来たわけだ。さ……すぐ支度してくれ。父上にもそう告げて」 「と、とんでもない! ……」と、宋清はすぐ手を振った。そしていうには、「江州での騒ぎから兄さんの身元には、すべて手配が廻って、県でも網の目を張っています。ましてここの家を放《ほ》っとくはずはありません。役署の捕手頭《とりてがしら》、趙能《ちようのう》、趙得《ちようとく》のふたりが、たえず部下に巡邏《じゆんら》の目を光らせているんです」 「えっ。それではどこかに県の巡邏が見ているのか」 「私たちは囮《おとり》です。親思いな宋江だから、いまにきっと、これへ立廻るにちがいないと、わざと元のままにおいているのですから、それに引っかかれば、老父も私も、また兄さんまでも、しょせん無事にはすみません。……いっそ救い出して下さるものなら、梁山泊のお力をかりて下さい。大勢の加勢がなければとても村は出られませぬ」  宋江は大いに後悔した。  晁蓋《ちようがい》や呉用があんなにいってくれたのに、と今さらな悔いを禁じえなかった。だが早やどうしようもない。ふたたび戻って頼むしかあるまい。で彼は、老父の顔すら見ず、宋清にだけ後日を約して、すぐ元の道へ走りもどった。走りながらもわが愚を責めた。なんたる浅慮《あさはか》な我意を押し通して無駄な日数を費《つい》やしたことか、と。  汗は衫《さん》(上着)のうえにまで滲《し》み出ている。道は暗い。不気味な月がぼやっとあった。一体どれほど馳けて来たろうか。しかもそのうちに大勢の足音もして。 「——宋江、待てえっ」  彼は何度ものめッた。そして心臓も口から吐いてしまいそうな呼吸だったが、恐怖に突かれ通しだった。喘《あえ》ぎに喘ぎながら急いでいた。だが後ろでは彼を呼ぶ声が、いよいよ近くなってくる。 「南無三……」  薄雲が払われたのか、こつねんと、おぼろな視界が白く月の下に見えた。なんと、彼が迷いこんだ所は、俚俗《りぞく》“還道村《かんどうそん》”という幾重もの丘陵にかこまれた樹林の奥であったのだ。 「野郎、もう逃げ道はねえはずだ」  追ッついて来た四、五十人の捕手は、バリバリと木立の中へ踏み込んで捜査に散らかった。——宋江は生ける心地もなく、ふと目の前に見えた古廟《こびよう》の扉《と》へ、双肩《もろかた》をぶつけてころがりこんだ。  蝙蝠《こうもり》か、むささびか、目をかすめた物がある。いや追手の松明《たいまつ》もピラピラ廟《びよう》の外を走り廻っていた。とてもじっと隠れてはいられない。 「ああ。これまでか!」  よろめいた途端である。そこは内庭《ないてい》の出口か、或は壁でも腐っていたのだろうか。彼の体は、玉垣の中へまろび落ちていた。見ると左右二列《ふたつら》の渡廊《わたどの》を抱えて、青瓦《あおがわら》も草に埋《うず》み、あたりは落葉に寂《せき》たるままな社殿があった——宋江は夢中で階《きざはし》を這いあがった。饐《す》え朽ちた欄干を越え、異様な黴《かび》の匂いやら蜘蛛《く も》の巣やらを面で払った。そして最も奥の深いところの御厨子《みずし》の内へかくれこんだ。  めりめりッと、どこかを踏み破るひびきがした。つづいて趙能《ちようのう》、趙得《ちようとく》ふたりの影が、手下《てか》に松明《たいまつ》を持たせてどやどやと踏み込んで来た。ここの本殿も広くはない。宋江は早や観念の目をとじた。  すると、ごうッとばかりな山風があたりを揺すッた。いや、たんなる山颪《やまおろ》しとも思えないそれは悽気《せいき》をふくんだ家鳴りをなし、とたんに、天井でも落ちてきたような塵埃《じんあい》のかたまりが、墨みたいに捕手たちの松明《たいまつ》を吹きつつんだ。——趙能と趙得の二人は、ともに眼をおさえて、 「うッ……。いけねえ。な、なんだ、この大風は」 「ひょっとすると?」  彼らはひとしく、ぞーっと、身の毛をよだてた顔つきだった。  手下《てか》の七、八人はもう横ッ跳《と》びに外へ逃げ出していたのである。ここは神殿の奥だ、神威を穢《けが》したお怒りだろう、罰《ばち》があたる、血ヘドを吐く、目がつぶれるぞ——。そんな恐怖を口々に、捕手頭の呶号《どごう》もきかばこそ、みな飛び出してしまったのだ。しかし、趙能、趙得はまさか逃げも出来ないのだろう、歯がみをして踏みとどまり、 「ばかな奴めら。狐狸《きつねたぬき》はいるだろうが、神や仏なんてものがあるならお目にかかりてえくらいなもんだ。おうっ兄弟、その御厨子《みずし》の簾《すだれ》を引ッ剥《ぱ》いでみろ。宋江のやつ、もしやそこかもしれねえぞ」 「こころえた!」  だが、どうしたことだろう。一陣の悽風《せいふう》とともに、稲妻のような青白い一閃《いつせん》を浴び、同時に耐えきれぬ眩《めま》いにあたまを抱えたまま、二人ともぐるぐる独楽《こ ま》みたいに廻って気を失いかけたのである。——つまりはたった今、お目にかかりたいものだと言っていたものにまざと出会ったもののように趙能、趙得二人もまた、魂を消し飛ばして、どこかへ逃げ失せてしまったのだった。  ふしぎはそれのみでない。刹那、宋江もまた身を真二つに斬られたような紫電を感じてうッ伏していた。そして落雷の異臭では決してない、いや、馥郁《ふくいく》といってもよい香気が自分に近づいている思いだった。まぎれなくそれは人の気配にちがいなく、 「星主《せいしゆ》さま。星主さま……」  と、二人の青衣《せいい》の童子《どうじ》が左右から自分を呼んでいるのであった。  ぼかと、宋江はうつろな眸《ひとみ》で、ふたりの童子の姿を見た。  天竺髷《てんじくまげ》の頭《つむり》、琅《ろうかん》の耳環《みみわ》、鳳凰《と り》型《がた》の沓《くつ》。  また、その青い綾衣《あやぎぬ》には花鳥《はなどり》のもよう、薄むらさきの、長やかな風持つ紐《ひも》。 「おっ? ……どなたでしょうか。おふたりは?」 「女神さまの使わし女《め》です。宋星主《そうせいしゆ》さまを、お迎えにあがりました」 「星主《せいしゆ》? わたくしはそんな者ではありません」 「いいえ、おまちがいはございません。お越し下さればわかります」 「どちらへ」 「お待ちあそばしている女神さまのお座所まで」  清々《すがすが》しい微風がいつか宋江の身を乗せている。  月があって、その月が、まるで近くの物のようで、かつて見たこともない燿《かがや》かしい真珠色をおびていた。 「おや?」  ここはその月の中なのではあるまいか。宋江は疑った。故郷宋家村《そうかそん》の近くに、かかる所があったとは、生れてから老父のはなしにも聞いたことはない。 「星主《せいしゆ》さま。さあどうぞ」  銀柳《ぎんりゆう》、金花《きんか》、楼を繞《めぐ》る翠靄《すいあい》の苑《その》。  登れと誘うこの玉階《きざはし》は、いったい、たれの館《やかた》なのか。  ふと、天上の仙館が思われた。 「……そうだ、童女も仙童にちがいない」  心の奥で思いながら、宋江は楼台を上ってさらに深い所の殿前《でんぜん》にぬかずいていた。どこやらに聞える仙楽《せんがく》も喨々《りようりよう》と世の常ではない。朱《あけ》の柱に彫られてある龍鳳《りゆうほう》もともに嘯《うそぶ》くかとあやしまれ、やがて珠《たま》の簾《すだれ》のうちに、薫々《くんくん》たる神気がうごいて、 「星主、お久しぶりでした。ここへおいでの上は、おへだてには及びませぬ。どうぞこなたへ」  きれいな声が、さも親しげに呼びかけて、そこの簾をさらさらと高くかかげさせた。  宋江は身をすくませて、一そう懼《おそ》れた。 「これは下界の、はしたなき男にすぎませぬ。なんでかような神界へ、まぎれ参ったものでしょうか。どうぞ、ご憐愍《れんびん》をもって、お帰し下さいますように」 「ホ、ホ、ホ、ホ」  女神は玉をまろばすようにただ笑った。そして四人の仙童に命じ、たって宋江に御簾内《みすうち》の席をすすめた。錦繍《きんしゆう》の椅子《いす》であった。  やっと、ややおちついて四壁《へき》をみると、龍燈《りゆうとう》、鳳燭《ほうしよく》の光は、碧《みどり》と金色《こんじき》を映《は》え交《か》わし、二列となっている仙童女は、旌《はた》、香瓶《こうびん》、笏《しやく》、供華《くげ》などをささげていた。  そして七宝の玉座のお方こそ女神のきみか。おん鬘《かずら》に高々と、飛ぶ鳳凰《おおとり》、九ツの龍、七彩《いろ》の珠などちりばめた金冠を載せ、天然無双の眉目《み め》のおんほほ笑みを、まばゆいばかりに、こぼしておられる。——その雪のおん膚《はだ》、美妙《みみよう》な薫《かお》り。また纏《まと》い給う銀紗《ぎんしや》のおん衣《ぞ》から、藍田《らんでん》の珠の帯やら白玉《はくぎよく》のかざりにいたるまで、光燿《こうよう》そのものの中にあるおすがただった。 「星主には、おつつが無《の》うて」  と、女神のきみは、あくまで、宋江を初めてみる者とはしていず、お久しぶりゆえ、と祝《ことほ》いで、すぐ侍女に酒を命じた。宋江は酌《つ》がるるままに三献《こん》ほどいただいた。女神はまた、 「おさかなに、その棗《なつめ》を」  と、仙界の棗の実などすすめられる。宋江はそれも食べ、核子《た ね》は捨てる所がないので、掌《て》のなかに握っていた。  口中は麝香《じやこう》をふくんだようである。ほのぼのと、身のうちはかろく、 「身は、蝶になって、花のあいだに在るようなここちです。思わず過ごしました。もういただけませぬ」  と、瑠璃《るり》の杯を侍女へ返した。 「あまりおすすめしても……」  と、女神は黒曜石《こくようせき》のような眸《め》を侍女へやって、 「では、天書《てんしよ》の三巻を、これへ」  と、いいつけ、すなわち、宋江への贈り物とした。  それは黄紗《こうしや》にくるまれた三巻の書で、たてよこ五寸、厚さ三寸。——女神はそれを彼へさずけてから告げた。 「星主《せいしゆ》。どうぞ天に代って天書の道を人の世に行ってくだされませ。あなたのほかに、その人はありませぬ。青人草《あおひとぐさ》にあわれをかけ、国の毒と、世の邪《よこしま》をのぞき、なべて義と情けと、信と誠とを、濁《にご》り世にも失わないでください。それを行うところに、お怯《ひる》みはいりませぬ。ここに四句の天の言葉がございまする…… 宿《シユク》ニ遇《ア》イテ重《カサ》ネ重ネ喜ブ 高《コウ》ニ逢《ア》イテ是《コレ》、凶《キヨウ》ニアラズ 外夷《ガイイ》、及ビ、内寇《ナイコウ》 幾処《イクトコロ》カ、奇功ヲ見《アラワ》ス  きっと後々思いあたることがございましょう。一生お心にとめて、おわすれないように」  宋江は心耳《しんじ》を凝《こ》らし、九拝して、ただただ聞き入るのみだった。女神はかさねて、 「——天上の玉帝さまは、あなたにはまだある魔心やら“道”の未熟を研《みが》かさんとの思し召から、わざとあなたを下界へお流しなされましたが、天縁あらば、ふたたび天の紫府《みそら》へお呼びもどしになりましょう。とはいえ、下界において、万一にも冥府《みようふ》の獄簿《ごくぼ》に載るような罪科にお落ちなさればもうわたしの力でもお救いはできません。……三巻の天書《てんしよ》を以後の友となされて、それをお研究《き わ》めなされませ。同学のお相手には天機星(智多星呉用をさす)一人とかぎり、ほかの者には一切他見ご無用です。ゆめ、ご懈怠《けたい》はなりません、……おお、お名残はつきませぬが、天上界と下界のへだたり、そういつまでもお引きとめはなりませぬゆえ、はや、すみやかにお帰りくだされませ」  宋江は、はっと、ひれ伏した。その姿へ、もういちど、女神の声が、こう聞えた。 「いつかは、いずれまた、天上の玉帝さまの御園でお会いいたしましょう。くれぐれも、下界のご宿命を、つつがなくお果たし遊ばしますように」  ……とたんに。  宋江は心のどこかで「あっ」といった。あたりは碧黒《あおぐろ》い波間にみえ、二匹の龍が、自分に戯れからんでくる。自分は恐《こわ》くて、逃げもがき、もがくうちにゴク、ゴク、ゴクと水を呑んだ……。……と思ったせつなに、はっと眼をさましたのである。  すべて、南柯《なんか》の一夢《む》であったのだ。 「……ああ、夢だったのか」  ぐったりと現《うつ》し身《み》を見出したが、夢にしても不思議であった。黄紗《こうしや》にくるんだ三巻の天書は膝にのっている。またしかも、掌《て》には三粒の棗《なつめ》の核子《た ね》を握っていたし、口のうちにも、馥郁《ふくいく》たる酒のかおりが残っていた。 「はてな。おう、夢にして夢にあらずだ。これこそ、霊験《れいげん》とか、また、よくいう夢想のお告げとかにちがいない。——すると自分の宿命は?」  彼は、もう何か、怖れるものもないように、そこの厨子《ずし》を転《まろ》び出て、廟《びよう》の外に立ってみた。そしてそのとき初めて、廟の額《がく》に、金碧《きんぺき》あざらかな四文字をはっきり見たのであった。  玄女之廟《げんによのびよう》  と、それは読まれた。  玄女、九天玄女。彼は口のうちで唱《とな》えながら、眼を天にやった。時刻は、はや真夜中らしい。月は中天にかかっていた。小さく、遠く、かかっていた。  宋江は環帯《かんたい》を解いた。そして腰の肌身へじかに、天書の三巻をくくって持つと、すぐ月の小道を馳《か》け出していた。  ところが、玄女廟《びよう》を去ることまだいくらでもないうちに、早くも彼の影は、人目につけられていたらしい。彼につづき、樹林の間を豹《ひよう》の如く追っかけていた六、七名の男がある。 「おおういッ。おういッ待てえ」  後ろばかりではない。三方でその呼ぶ声は谺《こだま》し合った。宋江はたちすくんで、 「しまッた」  と、叫んだ。前面の断崖に、滝の音がする。ここは行きどまりの滝道であったのだ。  しかるに、天来《てんらい》の援《たす》けともいうべきか。わらわらと背後に迫って来た男どもは、意外にも、 「おうっ、宋先生じゃありませんか」 「そうだ、宋江さまだ」  と、口々に言いつつ、茫然《ぼうぜん》とあきれ顔の彼の前に、 「ご安心なさいまし。梁山泊《りようざんぱく》から来た赤髪鬼の劉唐《りゆうとう》でございまさ」 「てまえは、石将軍の石勇」 「催命《さいめい》判官の李立《りりつ》」  つづいて欧鵬《おうほう》、つづいて陶宗旺《とうそうおう》と、各が口を揃えて名《な》のりつらねた。そして最後に——ややおくれて飛んで来た二挺斧《ちようおの》を持った男も、 「やっ、宋先生か。やれやれ! これでおれたちもほっとした。おいっ劉唐、峠へ出て、早くこのことをみんなに知らせろ」  と、血ぶるいして言った。これなん黒旋風《こくせんぷう》の李逵《りき》だったのである。二挺斧は生々しく血塗られていた。  宋江はほっと、蘇生《そせい》の思いにくるまれたものの、まだ夢に夢見る心地を、たゆたわせて、 「どうしたわけです。いったい、どういうわけで、諸子がここへは?」  と、面々の姿を見まわすばかりだった。 「いや、よくこの李逵をお叱りなさるが、先生くらい、人に世話を焼かすお方もありませんぜ」  と、李逵は例のごとき打ッつけ調子で、ざっと次のようなわけを話した。  さきに宋江が、ただ一人で梁山泊を立つや、軍師呉用も晁《ちよう》統領も、そのあとからすぐ一隊を組織して、おなじ城県《うんじようけん》へ潜行していた。  かならず宋江の身に事が起る。悪くすれば官の罠《わな》に陥《お》ちる。さすれば、兇変を聞いてから馳けつけたのでは間にあわない——という見通しからである。そしてその観測は外《はず》れなかった。  この夜、彼らは宋家村《そうかそん》で同勢を三手に分け、一手は宋江の急を救うため還道村《かんどうそん》の山中へ分け入り、また一方の隊は宋家の屋敷から、宋江の弟宋清《そうせい》と老父の二人を助け出し、これはその場から警固を付けて、まっ先に、梁山泊へ送ってしまったものである。 「ですから先生……」と李逵《りき》は、まず宋江にとって第一の憂いに、こう安心を与えたうえで、 「——次には、県の追手頭の趙能《ちようのう》と趙得《ちようとく》ですが、そいつもかくいう黒旋風が、玄女廟《びよう》の近くでたった今、この二挺斧《ちようおの》でかたづけてしまいました。ですから、もうご心配はございません。……が、峠の方では、一同が案じ合って、吉左右《きつそう》を待っているにちがいない。さあ先生、そっちの方へ急ぎましょうぜ」  と、もう先に立って馳け出していた。  まもなく宋江は、一団の黒い人影を嶺の上に見いだしていた。すでにその人々も劉唐《りゆうとう》の知らせで宋江の無事を知り、月下、こぞって歓びの手を振っている。  すなわち統領の晁蓋《ちようがい》以下、花栄《かえい》、秦明《しんめい》、黄信、薛永《せつえい》、蒋敬、馬麟《ばりん》らの寨友《さいゆう》たちであった。そこへまた李俊、宋万、穆弘《ぼくこう》、張黄《ちようおう》、張順、穆春、侯健、蕭譲《しようじよう》、金大堅らも加わり、李逵の一と組をあわせると、約三、四十名の顔合せとなったわけ。 「まことに、よけいなご心配をおかけしました」  と、宋江は一同へ深く詫びて、また特に、 「老父と弟も、はやお手配のもとに、梁山泊へお引取りくだされたよし、ご温情は忘れません」  と晁蓋の手を拝して、しばらくは、うれし涙にくれる風だった。晁蓋もまた無事をよろこんで、この上は一刻もはやく引揚げるが得策と、みな騎馬となって、駒首を東へ回《かえ》した。——宋江も一頭の馬を与えられ、その馬の背から、ひそかに玄女廟《びよう》の青瓦を山腹の森に見おろしながら、 「いつかはきっと、今日のお礼詣《まい》りにうかがうでしょう。また三巻の天書、四句の天言、それもあわせて心に銘《めい》じ、終生決して忘れますまい」  と、胸の奥でくり返していた。  時に、有明《ありあ》けの空翔《そらか》ける夜鳥の声か。あるいは山家の牧童でも歌っていたのか、ふと古調ゆかしい一篇の詩《うた》が月魄《つきしろ》のどこからともなく聞えていた。 ぜひなけれ、天地《あめつち》の巡環《めぐり》、いましも 麻《あさ》のみだれを、世に見する。 見ずや、微賤《びせん》に起《た》つ、英雄ども 波となって、山東《さんとう》の一角に怒《いか》るを。 天星《てんこうせい》はいまし、天に宿《しゆく》さず 地に降りて、それ、百八の業《ごう》をえがく。 中に瑞気《ずいき》あり、城《うんじよう》の一人 知らざるは無けん、及時雨《きゆうじう》の宋江《そうこう》。 こよい、九天《あまつ》玄女《めがみ》の天書《ふ み》を賜うて 月兎《げつと》、梁山泊《りようざんぱく》へ その人を送る。 見るべし、以後の仁と義と、礼知《れいち》の風《ふう》 また天に代りて、人が天兵を行うところを。 李逵《りき》も人の子、百丈村《ひやくじようそん》のおふくろを思い出すこと  呉用《ごよう》智多星は、このたびは留守をして梁山泊《りようざんぱく》にいたが、宋江の無事を聞く以前に、宋清《そうせい》と老父が寨城《さいじよう》へ送られてきたので、さっそく宋家のために、梁山泊中のほどよい所に、小ぢんまりした一邸を宛《あ》てがって、一同の帰りを待っていた。  日かずも待たず、金沙灘《きんさたん》を渡って来た舟列は、歓呼の中に、晁《ちよう》統領以下の姿を見せた。また、つつがなく戻って来た宋江の明るい顔に、山も水も沸《わ》き返りそうな迎えをみせた。  わけて人々が眼を熱くしたのは、迎えの中から走り出た老父と、走り寄った宋江とが衆目も忘れて、ひしと相抱いたまま、しばし泣き濡れていた姿だった。この日を期して、弟の鉄扇子《てつせんし》宋清も、寨城の一員となったのはいうまでもない。  かくて宋江は、年来望んできた“父子《ふし》同棲《ひとつ》”の願望を達したが、ここにそれからの余波がつづいて生じた。——というのは、それを祝うべく行われた、翌る日の大宴会において突如、起ったものである。 「お願いがあります。統領、また寨友《さいゆう》の諸兄。ぜひ、ききとどけ下されい」  声を誰かとみれば、それはかの道術《どうじゆつ》の達人一清《いつせい》道人、すなわち公孫勝《こうそんしよう》なのだった。 「じつは私にも、長らく不孝のまま、故郷に置き放してある一人の老母がおりまする。また“道教《み ち》”のお師にも、以来、便《たよ》りすらしておりません。併《あわ》せて、一度ふるさとを訪い、日頃の詫《わ》びをすましたい思いで胸がいっぱいです。どうかこの一清に四、五ヵ月のお暇をいただかせてくれますまいか」 「ほう……。あの人が泣いて言っている!」  一同は感に打たれた。異議なく、彼の願いは、 「それや無理もない。一清先生、行ってらっしゃい」  と、その場で衆議一決となった。  公孫勝は大いによろこび、翌々日はもう以前の雲遊の道士姿となり、腰に戒刀《かいとう》、頭《かしら》には棕梠笠《しゆろがさ》、そして白衣《びやくえ》、白の脚絆《きやはん》に、笈《おい》を負って、わが故郷薊州《けいしゆう》へさして立って行った。  すると彼を見送った帰り途《みち》からのことである。何を考え出したか、黒旋風李逵《りき》が、がらにもなく時々拳《こぶし》で目をこすっていた。仲間たちはおかしがって、 「李逵、蜂に刺されたのか」 「ははん、赤辛子《あかがらし》を噛みつぶしたな」  などと、からかってはいたが、しかし奇妙なことには、日ごろ腹立ちッぽい李逵が怒りもしない。のみならず、その晩の聚議庁《ほんまる》の集《つど》いでも、飲まず、笑わず、酔いもせず、ベソベソ泣いてばかりいる。 「どうした? 李逵」  宋江がそばへ寄って訊《き》いてみると、訊いてくれた人が宋江であったせいにもよるだろう。彼は手放しでわんわん泣き出して、そして吠えるように訴え出した。 「お、おれだってよ……木の股《また》から生れたわけじゃねえや。こう見えても、故郷《く に》には、年とったおふくろがいらアな。一清《いつせい》が羨《うらや》ましいや。先生が羨ましいんだ。……なんとか、おれのおふくろも、梁山泊へ連れて来て、ちったあ、楽をさせてやりてえもんだと。……つい、それを考えたら、泣けてきて、泣けてきて」 「じゃあ、おまえも故郷へ帰って、母親をここへ連れて来たいというのか」 「先生、何とかしておくんなさいよ。後生だ……こ、このとおりお願いですから」 「さあ?」  宋江は当惑した。同情の念、禁じえぬものはあったが、周囲すべての面は、不賛成の色をたたえている。目と目で顔を振りあっている。  それも無理ではないのだ。何ぶんにも、黒旋風李逵《りき》の名は、その暴勇の聞えは、江湖《せけん》に高い。  ことに“江州大騒擾《だいそうじよう》事件”のあとでもあるから、故郷へも、官の手が廻っているにきまっている。そんな所へ、こんな男を、と誰にしろ危ながるのは当然だった。  だが、言いだしたらきかない李逵だ。ついそれを訊いたほうが悪いようなものである。李逵は墨をなすッたような涙を顔じゅうにこすッて、果ては宋江へ食ってかかった。 「いけねえンですか先生。あっしは人間の子じゃねえんだろうか。べら棒め。先生の親や弟は一つにいるくせによ。なぜ俺だけには……」 「まあ、まあ」と、宋江はその背をたたいて「そう泣くなよ、李逵。その気もちは、他人のわしにもうれしいものだ……。だが、統領、軍師以下、みな難色を示しておられるのは、万一のばあいを怖れるからだ。……もしきさまが、わしのいう三つの条件を、かたく守ると約束するなら、宋江からご一同へたのんでやるが」 「ど、どういう約束ですえ? 三つの条件とは」 「第一には、道中一滴の酒も飲まないこと」 「ようがす! やめよう!」 「第二、きさま一人では、何をやらかすか分らぬゆえ、蔭の者一人をこっそり尾行《つ け》てやるとする」 「それも合点だ。して第三は」 「君がお得意の得物《えもの》——あの二つの板斧《まさかり》だが——それは帰泊《きはく》の日まで、呉用軍師のお手許へ預けてゆくことだ」  聞いていた一同は、大いに笑った。おそらくそれだけは手放すまい。李逵にすれば、抱いて寝もしたい子みたいなもの。と思っていたが、李逵はそれもまた約束した。こうなっては、宋江の口添えにもなることだし、彼の願いは一同で承知してやるほかはない。  こういういきさつから李逵もまた、やがて大寨《たいさい》の友としばしの別れを告げ、その故郷、沂州沂水《きしゆうきすい》県へと、野太刀一本の身軽な姿で、旅立って行ったのだった。  さて、そのあとではすぐ、 「誰を、奴《やつこ》さんの用心に尾行《つ け》てやったらいいか」と、なった。  杜選が言った。「——それはここの対岸で、見張り役の酒店をやっている朱貴《しゆき》の兄哥《あにき》にこした者はありません。朱貴も沂水《きすい》県の生れで、李逵《りき》とは同じ在所の出ですからね」 「いかにも」  と、宋江はうなずいた。 「そうだ、そんなはなしは、いつか潯陽江《じんようこう》の白龍廟《びよう》でも耳にしたことがある。誰か、速舟《はやぶね》で朱貴を呼んで来てくれまいか」  朱貴はすぐやって来た。そして命じられた使命にも否やはなく、こう呑みこんで、なお言った。 「現に、てまえの弟の朱富《しゆふ》は、いまでも沂水《きすい》県の西門外で、居酒屋をやってますし、李逵の田舎の百丈村とは、たいして離れてもおりません。……へい、李逵の家ですか。左様、たしかにおりましたよ盲《めくら》の老婆が。よく縁先の日なたで糸を紡《つむ》ぐ小車《おぐるま》を廻していましたが、それが李逵のおふくろでしょう。盲の世話には、一人の息子がおりましてね、ええ、李逵の実の兄なんで。……なにしろひどい貧乏百姓でしたから、今でもそれに変りはありますまい」 「なにしろ頼む」と、宋江はくれぐれ朱貴に嘱《しよく》した。「よもやわしとの約束は破るまいが、なにせい、あの奴《やつこ》さん、なにを仕出来《しでか》すかわからんからな」 「お蔭で手前も久しぶり故郷が覗《のぞ》けます。李逵については、充分、注意いたしますから、ご心配なく」  この役は、朱貴にとっても、好都合なものであったから、勇躍して、彼もまた李逵のあとからすぐ沂水《きすい》へ出発した。  あとの梁山泊は、しばし平穏無事だった。大寨《たいさい》の初秋は、水清く、山麗《うる》わしく、また酒が美味《う ま》かった。宋江はよく晁蓋《ちようがい》と時事を語り、また涼夜《りようや》の灯火《ともしび》を剪《き》っては、書窓の下にかの三巻の天書をひもどき、呉用とともにその研鑽《けんさん》に耽《ふけ》っていた。  こちらは李逵《りき》。 「おれも偉いもンだな。とうとう、約束は破らなかった。これへ来るまで、まだ一滴の酒も……」  なつかしい故郷沂水《きすい》県は目の前にある。そしてここは町の西門だった。人だかりがしているのは、県城のどこにもあるおきまりの高札場《こうさつば》だナと、李逵も何気なく、立《た》ち交《ま》じっていた。  と、物識《ものし》り顔が、声を出して読んでいる。 一ツ。正犯ノ極悪ハ城《ウンジヨウ》県ノ者。 共謀ノ戴宗《タイソウ》ハ、モト江州《コウシユウ》ノ 牢屋預リナリ。 同ジク、牢卒ノ李逵ナル者ハ、 当所、沂州沂水県ノ産ニシテ…… 「な、なにってやんで……」  李逵が鼻で笑っていると、 「おい、こっちへ来な」  ぐいぐいと、突然、腕を引っ張って辻の角まで連れ去った男がある。 「おや? おめえは金沙灘《きんさたん》の見張り茶店の亭主、旱地忽律《かんちこつりつ》の朱貴じゃねえか」 「叱《し》ッ。……ば、ばか。人が聞くじゃねえかよ。いま、なにを馬鹿面《づら》して見ていたんだ」 「そう馬鹿馬鹿と言いなさんなよ。ここらは何年ぶりか、見るもの聞くもの、なつかしくってさ」 「ちっ。阿呆《あほう》もほどにしろ。あの高札には、宋江《そうこう》を捕えた者には銭《ぜに》一万貫、戴宗《たいそう》なら五千貫、李逵《りき》は三千貫と、てめえの首のお値段までが、触《ふ》れ書になっているんだぞ」 「へえ、俺のが一番安いのか」 「そういうおめえだから、宋《そう》先生も心配なすって、この朱貴をお目付役に、おめえの後を尾行《つ け》させたんだ。……ま、立ち話も物騒だ。そこの店へ入りねえ」 「冗談じゃねえ」と、李逵は自分の鬼門《きもん》のように尻込みした。 「——そこは居酒屋じゃねえか。うむむ、たまらねえ匂いがしやがる。罪だよ、あにき」 「まあいいから入れッてえに」  朱貴はずっと奥の小部屋へ先に入ってしまった。酒肴《さけさかな》の註文も馴々《なれなれ》しい。そして独りでチビチビ飲み初めた。李逵は汗拭きの布を出して、鼻と口を抑《おさ》えていた。  まもなく、店の亭主が、あいさつに来た。それが朱貴の弟、朱富《しゆふ》だったのである。李逵にしても、同郷人なのですぐ打解けた。ただ打解け難《にく》いのは、みすみす目の前にある酒、杯だ。 「なあ、あにき……。お目付のあにきが見ている前だけなら、ちっとぐらいは、いいだろうじゃねえか。俺アもう目が眩《くら》みそうだ、死んじまいそうだよ。飲ましてくれよ」  朱貴は吹き出してしまった。聞いてはいるが、李逵の酒くせも猛勇ぶりも、彼はまだほんとには知っていない。で、つい同情負けして、 「ちくと飲《い》きねえ、ここだけだぜ」  と、杯を与えてしまった。  舌つづみを打って、李逵は目を細めた。もう自分でも歯止めがきかない。もう少し、もう少しで、夜も丑満《うしみつ》の真夜半ごろまで、ついつい話と酒に興じてしまった。そして亭主の朱富にもせきたてられて、やっとおみこしを上げたのは、五更《こう》(夜明けがた)の残月が淡く町の屋根に傾いていた頃だった。 「だいじょうぶか李逵。足もとは」 「へン、これっぱかしの酒が何でえ。笑わしちゃあいけねえよ。おっと、笠を忘れた」 「それ見やがれ。ま、手を出すな。かぶせてやるから」 「おふくろに会ったら何ていやがるだろうな。ああ、あしたの晩は、おふくろのオッパイに頬ッぺたをつけて寝るかな。……ははは、あばよ。あにき」 「おいおい李逵。そっちじゃねえぞ。そっちは近いが山越しの裏道だ。本街道を行けよ本街道の方を」 「やだよ」 「知らねえのか。子供の時分から、虎が出るんで、虎の名所といわれてるんだぞ。近頃はまた、追剥《おいは》ぎも出るッてえ噂だ」 「そいつあ、おもしれえ。化け物も故郷のやつならなつかしいや。あにき! あさっては、おふくろを負ぶッてここの店へ帰ってくるからな。たのむよ」 「……あ。行っちまやがった」  朱貴と朱富のあきれ顔も、酒の入っている李逵には、振向かれもしなかった。ひょろりひょろりそれでもいつか、朝まだきには、霧深い山路の奥へかかっていた。  ぴ、ぴ、ぴ、と何の鳥か、けたたましく密林のうちに谺《こだま》を呼んだ。新秋の木々は早や紅葉《こうよう》していてやがてそこから突然躍り出してきた一個の人間も紅葉の精か、鬼かと見えた。赤い角頭巾《つのずきん》に、おそまつな革胴《かわどう》を着込み、足は素わらじ。 「おやおや、何か出て来やがったな。はアて面妖《めんよう》な? ……」  李逵《りき》はまだ酔っている。酔眼もうろうではあったが、しかし相手の顔が分らないほどではなかった。道をはばめて突っ立った大男は、墨で顔を塗りこくり、手には二本の板斧《まさかり》を引ッさげていたのである。 「お早う。誰だ? おめえは」 「やいっ。知らねえのか。このおれさまを」 「むりをいうなよ。知るはずがあるもんか。つらに鍋《なべ》ズミを塗って、赤帽子ってえ恰好《かつこう》から見ると、ははん、百丈村の村祭りにござッた旅芸人の道化《どうけ》役者か」 「野郎、酔ってるな。身ぐるみおいてゆけ。これを見たら分るだろう」 「ほう、両手に二挺の板斧《まさかり》とおいでなすったね。えらい物をお持ちだなあ。して、お名まえは」 「百丈村の鉄牛を知らねえのか。いま名の高え、黒旋風《こくせんぷう》李逵たあおれのこった」 「へエ。おまえさんが?」 「おうさ。そう聞けば、十人が十人腰を抜かすのに、てめえは馬鹿か、よそ者か」 「俺はいったい誰だろう、さあ分らなくなっちゃった。ひとつ、当ててみないか、偽《にせ》鉄牛、いやさ偽《にせ》李逵」 「何だと、偽李逵だと」 「だって、よくこのつらを見てくれよ。俺の在所も百丈村、あだ名は鉄牛、もひとつの名は、黒旋風の李逵っていうんだ」 「ひぇっ」 「おもしろい。どっちが真物《ほんもの》か、賭けと行こう。さっ命を賭《は》ったぜ」 「ご、ごめんなさい。……だ、旦那」  追剥《おいは》ぎはヘタッと露の中に坐ってしまった。そして腹を抱えて笑いやまない李逵の姿を仰いで、米ツキ蝗《ばつた》みたいにお粗末な手をあわせた。 妖気、草簪《くさかんざし》の女のこと。怪風、盲母《もうぼ》の姿を呑み去ること 「野郎。——よくもおれの名を騙《かた》って、しかもおれの故郷で、追剥《おいは》ぎなどしていやがったな。さあ、偽名《かたり》代《だい》を支払え、真物《ほんもの》のおれ様へ」  李逵《りき》は言いながら男の二挺斧《にちようおの》の一挺を取って、あわやその細首を打ち落しそうにした。  男は哀号《あいごう》して命乞いの必死をみせた。泣いていうには、ことし九十になる老母がおり、老母を養うための出来心であったと口説《くど》く。そして追剥ぎをするほどな力や度胸がなくても、「黒旋風李逵《こくせんぷうりき》」とさえいって脅《おど》かせば、みな金や持ち物をすてて逃げ出すので、つい面白半分にもご高名をつかって、母子《おやこ》二人の露命をつないでいたもので——と平《ひら》蜘蛛《ぐ も》のようにあやまりぬくのであった。 「ふうむ、おふくろがいるのか」  李逵《りき》はたじろいだ。自分も多年の不孝が詫びられ、故郷の母をひき取るために、梁山泊《りようざんぱく》の仲間からひまをもらって、この故郷へ帰って来た途《みち》である。かたがた、自分の名が売れていればこそ、自分の偽者も出るのだったと考え直すと、こいつも一個の愛嬌者と堪忍されて来たことらしい。やがて彼は、銀十両を男の鼻面へ投げやって、 「やい、これをくれてやるから、とッとと失せろ。正業について、おふくろを大事にしろよ。こんど悪さを見つけたら命はねえぞ」 「えっ、これを。オオ大人《たいじん》、ご恩は一生忘れません」 「何ッてやんで。おらあ、大人なんていうお人柄じゃねえ。おう、だが一応名だけ聞いておこうぜ。てめえの名は」 「李鬼《りき》と申しますんで。へい」 「ほんとかい。苗字《みようじ》から名まで似ていやがる。ま、それも同郷人なら仕方がねえや」  午後の道もまだ山だった。李逵は七月の山路に歩きつかれた。酒はさめ、喉《のど》は渇《かわ》く。考えてみると、前夜、朱富《しゆふ》の店でも、酒ばかりで飯はたべていなかった。 「オヤ、小粋《こいき》な女がいやがるぜ」  山の一軒家だが、酒の旗が立っている。女はざっかけ結びの髪に、草の花を挿《さ》し、李逵を見ると、その朱《あか》い唇が笑った。 「姐《ねえ》さん、酒はあるかい」 「おあいにくさま」 「ひどく素気《すげ》ねえな。じゃあ飯を炊《た》いてくれ。飯の菜《さい》ぐらいあるだろう」 「お客さん、待ってくれるかね」 「よかろう。一ト昼寝、涼んでいる」  小屋の横へ縁台を持ち出して、李逵はいつか蝉《せみ》の声にくるまれてトロとしていた。もしこのとき、梢《こずえ》の栗鼠《り す》か何かが彼の顔へ胡桃《くるみ》の実《み》を落さなかったら、彼の命はどうなっていたかわからない。  何しても、彼はふと小用をたしに立って行った。それで気づいたことなのである。すぐ裏の台所口の外で、ひそひそ囁《ささや》きあっている男女があり、女は草簪《くさかんざし》の先刻の女であるのはいいが、男の方にハッとしたのだ。今朝、峠で、おっ放してやったあの李鬼にまちがいなしだ。 「……そうかえ、まあ、危なかったわねえ!」  と、女は山猫のような眸《め》をくるっとさせて、そして仰山《ぎようさん》に、あとの声はしばらく唾呑《つばの》んでいる。 「じゃあ、本物の李逵が帰って来たんだね。あの黒旋風《こくせんぷう》がさ」 「そうだよ、驚いたの何のッて。だけど口から出まかせに、ありもしねえおふくろを称《うた》って、哀れッぽく持ちかけたら、馬鹿な野郎さ、何とおれに十両くれて行っちまやがった。あははは」 「しっ……。その李逵に違いないのが、飯を炊《た》いてくれといって、さっきから店の横で昼寝して待ってるんだよ。静かにしないと」 「えっ、奴がここへ来てたのか。そいつあたいへんだ。ど、どうしよう」 「なにさ、男のくせに、いっそ、ちょうどいいじゃないか。飯のおかずへ、しびれ薬をしのばせて眠らせてしまえば、いくら黒旋風《こくせんぷう》だって」 「ア、なるほど。金はまだたんまりふところに持っているふうだった。そいつと、身ぐるみの物を合わせれば、おれたち二人が里へ出て小商《こあきな》いをやる資本《もとで》にはなるッてものだ。しめた、こいつア運が向いて来たのかもしれねえぞ」  ここまで物蔭で聞いていた李逵《りき》は、もすこしいわせておく我慢もできず、ついそこから躍り出してこう呶鳴《どな》った。 「やい。なにがそんなにありがたい?」 「あっ」  女は、崖の下へ逃げころんでゆき、飛鳥もおろか、すぐ谷川のすそへ見えなくなってしまったが、李逵は、あきらめた風である。——といっても、その血刀は、雫《しずく》をたらし、李鬼の首は、胴体から五尺も先に飛んで、ころがっていた。 「ふざけやがって」  李逵は、大きな魔の息に変っている。家の中へ入って、二つの行李《こうり》をひっくり返し、目ぼしい物をふところへねじ込んだあげく、ちょうど炊きあがった釜の飯までたいらげて悠々とそこを立ち去って出たのである。そして、その血ぐさい身なりが、西の麓《ふもと》へぶらぶら降りて行った頃、彼の貧しい生れ故郷百丈村にも、はや遠方《お ち》此方《こ ち》、幾つもの小さい灯が、ぼやっと、霧の宵闇のうちに滲《にじ》んでいた。 「ああ、昔のまんまだ。貧乏もそのまんまだ」  李逵《りき》は、生れた家の前に佇《たたず》んだ。赤土の泥小屋、石の破れ囲《がこ》い、屋根を越すひょろ長い松、何一つ変っていない。 「……おっ母《か》あ」  彼の声は、土間の一隅に糸車をすえて、他念なく、糸を紡《つむ》いでいた老母の耳を怪しませた。  老母は、まったくの盲《めくら》である。  だから日が暮れたのも知らず、糸笊《いとざる》や糸車の手元に、灯を必要ともしなかった。 「おっ母あ。どこかね、おっ母あ」 「おや。……誰かい?」 「おらだよ」 「そ、そのお声は」 「李逵だわな! 鉄牛がいま、帰《け》えって来たんだわな!」 「ひぇッ、せがれだか」 「あ、あぶねえ」  あわてて李逵は抱きとめた。小《ち》ッこい老母のからだは、もう彼の体にしがみついて、ただぶるぶるふるえているのである。 「わ、われはまあ、何年も何年も、いったい、どこに何していただよ。ええもう、生きたやら死んだやらさえ、日頃には……」 「ま。……ま、おっ母あ、おちついてくれ。ほんとにすまねえ、勘弁してくらっせ。だがの、こんどは、一生一ぺん、おっ母あにも、なんとか、安心して貰おうと思って、わざわざ、遠くから迎えに来たんだ」 「ほ。遠くから、わたしを連れに? ……それやいったい、どこぞいな?」 「梁山泊《りようざんぱく》といって。いや、違ッた、そ、その梁山泊のある山東《さんとう》という地方へ、じつアこんど、おらあ役人になって行くわけさ」 「ほんとけ?」 「ほんとだとも。そこで、おっ母あにも、こんどこそ、そばにいて一生安楽にしてやれよう。さ、おれの背なかへ負《お》ンぶしなせえ。どこか本街道まで出たら、車を一丁買っておっ母あを載せ、おらが自分で押して行く」 「あれま、そんなに急なのかえ。でも、われの兄がもどってから、とっくり話し合わざ、悪かろうに」 「兄きか。ま、兄きには途中で手紙を出すからそれでいいやな。何しろこっちは急ぐ体だ」  ところへちょうど、外から、兄の李達《りたつ》が帰って来た。李達は李逵《りき》とちがって、根ッからの正直者。十年このかた、音信不通の弟だが、江州奉行所からはこの原籍地へ“お尋ね者”の手が廻っているし、近ごろ梁山泊の仲間へ入ったという風聞もとうに聞いて知っていた。 「なんじゃと? 野郎がおふくろを連れに帰ってきたって。とんでもねえこったわ。何で極道《ごくどう》野郎にそんな殊勝な料簡《りようけん》が」 「まあ兄さん、極道極道と頭ごなしに言いなさるが、おれだって人間の子だ。親を思い出すことだってあらあな」 「いかねえ、いかねえ。餓鬼《がき》の頃からおふくろ泣かせのわれが、急に生れ変ったような親思いになるものか」 「嘘だと思うなら兄さん、おめえもいっそ一緒に梁山泊へ行って、おらやおふくろとともに、山で暮しなすったらどんなものだね」 「この悪玉め。この兄までを、悪党仲間へ引き込むつもりでいるのか。おお、お尋ね者を届け出なかったら、後日、村の衆までみんな罪に問われよう。たとえ弟野郎でも、このままにはしておけぬ。おふくろっ、李逵を逃がしなさんな」  いうやいな、兄の李達は、外へ走り出して行った。日頃、雇われている地主屋敷へわけを告げて、荘家《そうか》の若者大勢を引きつれ、再び、わが家へ引返して来たのであった。  ところが、すでに老母の姿も李逵の影も家には見えない。そして銀子《ぎんす》五十両が、詫《わ》びるように、仏壇《ぶつだん》においてあった。これには李達も心を打たれ、さては弟もほんとに前非を悔いて来たものとみえる。このぶんでは老母を托しても心配あるまい。——そう思い直したとみえて、 「みなさん、せっかくお助太刀を願いましたが、弟野郎は、逸早《いちはや》く風を食らって、ごらんのように、もうここにおりません。なにしろ素迅《すばや》い奴ですから、きっと、他県へ高飛びしてしまったんでしょう。いまいましいが、今夜のところは、ひとまずおひき取りなすって」  と、一同へ詫び、一同もまたぜひなく、やがてぞろぞろ帰ってしまった。  ——げにや、一方の李逵は、その跳《と》ぶこと、まさに飛獣《ひじゆう》のようだった。背に老母を負い、星影青い夜を衝いて、またたくまに、隣県との山ざかい、沂嶺《きれい》のいただきへかかっていた。 「せがれや。……せがれよ」 「どうした? おっかあ」 「く、くるしい。もう、そう馳けんでくれい」 「おう、わるかったな。おれでさえヘトヘトだもの。だが山向うへ越えれば人家もある。人里へ出たら、美味《う ま》い飯やら汁もたんと食わせて上げるでな」 「水がのみたい。……せがれや、のどが渇《かわ》いて渇いて。飯よりは、水がほしいだ、水をよ」 「水か」  彼もまた、火みたいに、喉《のど》の渇《から》びを覚えていたところである。さっそく大きな平《ひら》たい青石の上へ、背の老母を下ろして言った。 「おっ母あ、ちょっくら谷へ降りて、竹筒へ水を汲《く》んでくるが、ここから一歩も這い出しなさんなよ。目の見えねえおっかあを、独りぼッちでおいとくのは心配だが、いいかね」 「ああいいよ。……李逵《りき》や、ちょっとおまえの手を握らせておくれよ」 「なんだい、あらたまって」 「どうして、わりゃあ、そんな優しい子になったんだか。わしゃ、うれしゅうて」 「よせやい、おっかあ。人が見てねえからいいけれど、こんな不出来な伜《せがれ》の手を取って拝むやつがあるものか。……泣くなんて、縁起でもねえ。……じゃあここを動かず待ってなせえよ」  星明りをたよりに、彼は谷川の水音を心あてに降りて行った。谷底は地殻《ちかく》の割れ目みたいな乱岩大石の状をなし、走り流れる奔湍《はやせ》の凄さは、たちまち、夏を忘れさせる。  一石につかまって身を逆しまにし、彼はまず、がぼ……と心ゆくまでそこの谷水を飲んでから、 「ああ、美味《う め》え。氷のようだ」  と、腰の竹筒へも汲み入れた。そしてもとの絶壁を、蔦《つた》に攀《よ》じ、岩にすがり、一歩一歩登りつめて、以前の青石のところへ戻って来てみると、はて、どうしたのか? 老母の破れ沓《ぐつ》と杖はあったが、老母の姿はどこにも見えないではないか。またさらに、呼べど叫べど、谺《こだま》ばかりで母親のこたえはない。 「や、や、や。血がこぼれている?」  李逵《りき》は総毛立った。泣きそうになった。 「おっかあ。……おっかあ!」  血しおのあとを辿《たど》って、くるくる、地面をあるき巡った。どこまでも、その血まなこを、さまよいつづけた。  するうちに、大きな洞穴《ほらあな》があった。前に草原をひかえた台地の蔭である。見ると二匹の虎の子が、人間の片足をしゃぶっていた。猫がまたたびを持ったようにジャレ戯《たわむ》れながら舐《ねぶ》り食らっている様子なのだ。——李逵は怒りに燃えた。——畜生っ、畜生っ、おれのおふくろをあんな啖《く》ってしまやがった! ——。一躍、彼は野太刀の下に、その一匹を叩き斬り、次の一匹を、洞穴の奥まで追いつめて突き刺した。しかし、そこで怨みは癒《い》えもしない。彼は慟哭《どうこく》し、なお、おふくろを呼びつつ、もがき泣いていた。  ——と、洞穴の外で異様な唸《うな》り声がした。わが棲家《すみか》のうちの怪しき気ぶりに鏡のような眼を研《と》ぎすまして帰って来た小虎の親の牝《めす》だった。 「うぬ、おらのおっかあを、初めに、餌食《えじき》の爪にかけたのは、この牝親だな」  李逵《りき》が息をつめていると、やがてのこと、牝は要心ぶかく、まずその尻ッ尾で洞壁を一ト払いしてから、徐々と後ろさがりに、奥へ躄《いざ》りこんできた。——脇差を抜き、狙《ねら》いすましていた彼の一閃《いつせん》はとたんに、大虎の肛門《こうもん》をグサと鍔元《つばもと》まで突き刺していた。せつな、ウオオッという吼え声とともに、牝の巨体は、その臓腑《ぞうふ》の中に短刀を入れたまま、ころげ出て草原をまろび、彼方《かなた》の林へザッと躍り込んだ。それを逃がさじと、李逵は追ッかけ、林の全体も揺りうごくかと思われた。するとその時、 「あっ、べつな虎だ。また一匹出て来たぞ」  李逵は身を反《そ》らした。こんどこそは、彼もその身構えをかたくせざるをえなかったらしい。一陣の風に、牙を剥《む》いて、新たに出て来たのは、額《ひたい》の白い巨大な雄《おす》の虎であった。李逵がじぶんの老母を啖《く》い殺された怒りをそのままこの雄虎も、人間の残虐を怒ッていた。一吼《く》一震《しん》、うらむが如く、かッと赤い口を裂いて、その復讐に挑んでくる。 「くそっ」  一刀、虎のどこかを搏《う》ったが、その虎尾《こび》は、李逵の体を、はるかへ叩き飛ばしていた。虎は彼の上へ、腹を見せて、すぐ躍ッてくる。山が鳴り谷が吼《ほ》え、黒風、飛葉、つむじとなって、一瞬は何もかも目になど全くとまらない。  しばらくして、李逵はわれに返った。雄虎は朱《あけ》になってすぐそばに仆れている。自分も五体のどこかを咬《か》み破られたかと思ったが、どうやら立てる。いや歩いてみると歩けもした。……とはいえ、節々《ふしぶし》の痛さ、綿のような疲れ、野太刀を杖に、それからの彼は、まるで亡霊が歩いている姿に異ならない。そしてどこをどう歩いたやらの覚えもなかったが、夜の白々明け頃、 「ひゃっ? 旅の者、どうしたぞい、その姿は。そしてどこから来なすった?」  と、四、五人連れの猟師《りようし》に驚かれて、彼自身もはっと自分に返った心地であった。 「お……。ここは麓《ふもと》の降り道か。じつアな土地《ところ》の衆、ゆうべ沂嶺《きれい》の上で、連れていたおらの大事なおふくろを、虎に啖《く》い殺されてしまってさ」 「げえっ、沂嶺を越えて来たって。それじゃあ、啖《く》い殺されねえ方が不思議なくらいだ。沂嶺の虎といったら、泣く子も黙るによ」 「そいつを、牝雄《めすおす》二匹、子を二匹、叩っ殺して降りて来たところだ。おふくろ様のかたきを打って」 「やいやい、黙ッて聞いていりゃあ、ほらもいい加減に吹くがいいや。むかしの李存孝《りそんこう》や子路《しろ》だって、たった一匹の大虎を退治してさえ、一世にその名が売れたじゃねえかよ。なんで四匹の虎を……。あはははは。この旅人は気が変らしい。気狂いだんべ」 「勝手にしやがれ。嘘だと思うなら、嶺の上にある泗州大聖《ししゆうたいせい》の祠《ほこら》からひがしの、林や洞穴の近所をよく見て来てから物をいえ」  李逵《りき》は腹が立った。腹立ちッぽくなっていた。老母を亡《うしな》い、五体に虎の生血を浴び、妙に、虚脱と空腹の中間にあったのだろう。関《かま》っているのも馬鹿馬鹿しくなり、蹌踉《そうろう》として、なお、麓道《ふもとみち》を降りつづけていた。  ところが、麓の村を見た頃である。さっきの猟師たちに、なお里人数名を加えた一団が、 「おうい、旅の人、旅の人」  と、彼を追っかけて来、たちまち、彼を前後から敬《うやま》い奉って、なんとしても離れもしない。——のみならず、やがてそのあとからは、李逵が退治した虎四匹を、縄からげにして、村人三十人ほどが、神輿《みこし》のように肩架《けんか》に担《かつ》ぎ、 「さあ、大変だわ大変だわ。沂嶺《きれい》の虎を四匹、しかも、たった一人でこの通り退治した豪傑が、この村を通らっしゃるぞ。曹《そう》の大旦那のおやしきへもすぐ知らせておけ」  と、触れて通った。  村の曹閑人《そうかんじん》というのは、ひどく因業《いんごう》で欲張り者という評判で有名な小長者だが、これを聞くと、自身、門を開いて、 「豪傑。どうぞまあ、ご休息でも」  と、彼をわが家へ請《しよう》じ入れ、そして李逵から夜来のいきさつを聞くにおよび、いよいよ舌を巻いたことだった。そこで日頃はケチで因業な曹《そう》旦那も、これはよッぽど大したお方に相違ないと、庭園に酒食を出して、李逵から猟師たちまでを家人一同でねぎらった。 「ところで、大人《たいじん》、あなたさまのご尊名は?」 「おれかね。おらあ豪傑だの大人なんていわれるような者じゃねえよ。……むむ、名はあるさ。姓は張《ちよう》、名は大胆《だいたん》」 「へえ、張大胆と仰っしゃいますか。なるほど名は体を現わすとか」  こんなうちにも、曹《そう》の屋敷の外は黒山の人だかりだった。虎見物にと押しかけてきた村々の老幼男女は家人の制止もきかばこそ、内門の墻《かき》の辺まで混《こ》み入って来て。「あれだあれだ。沂嶺《きれい》の大虎二匹、子虎二匹」「なるほど凄いもんだぞ」「いや凄いのは、ただ一人で四匹の虎を退治なすった人間の方だよ」「その人間様は、どこにいるだか」「あのお方らしいて。あれあれ、曹旦那のそばでお酒を呑んでいる。あの色の黒い豪傑がそのお人じゃげな」などと、いやもうまるでお祭り以上な弥次馬《やじうま》騒ぎ。  と、その中に交《ま》じっていたのが、かの草簪《くさかんざし》を挿した李鬼《りき》の情婦《おんな》であった。つい昨日、山の居酒屋で見たばかりの顔だし、自分の情夫《おとこ》を殺されたあげく、行李《こうり》の底の物まで盗まれた恨みも深い。その李逵の姿であったから、 「あっ、あいつだ」  と、一ト目見るやいな、すぐ名主の所へ密告に走った。驚いたのは村名主で、かねて布令《ふれ》の廻っている江州荒らしの大逆人で首に三千貫の賞金が懸《か》かっている梁山泊《りようざんぱく》の黒旋風《こくせんぷう》が、村に現われたとあっては一刻も捨てておけない。  すぐ使いをやって、曹《そう》旦那を呼び、かくかくと耳打ちすると、曹もまた仰天して、 「えっ? ではあれが、お尋ね者の黒旋風だったのか。そいつはたいへんだ。もし暴れだされたら一大事」  と、ふるえあがったが、しかし官へ突き出せば、三千貫の賞金にありつける。名主と山分けにしてもこれはまた大金儲《おおがねもう》けと、この因業《いんごう》旦那はたちどころに慾心の炎《ほむら》にもなった。  諺《ことわざ》にも“芥子《けし》は針の穴にも入る”とか。はしなくも草簪《くさかんざし》の女の眼から事は重大になって行った。沂水県《きすいけん》の県役署では、その日、村名主の密訴に接して、ただならぬ動きを俄に見せだしている。知事はただちに、捕手頭の李雲《りうん》を呼び出し、屈強な兵三十人を附して、 「犯人は四匹の虎と戦って、ひどく疲れているそうだが、それにせよ音に聞えた黒旋風であるぞ。衆を恃《たの》んで不覚をとるな」  と、すぐさま沂嶺《きれい》の麓村《ふもとむら》へ急派を命じた。 「なんの抜かッてよいものでしょう。かく申す青眼虎《せいがんこ》がまいるからには」  と、李雲は馬にまたがって先頭に立ち、沂嶺の近道を抜けて急ぎに急いだ。——この青眼虎の李雲という人物は、あだ名の如く、碧眼《あおめ》で羅馬《ローマ》っ鼻の若い西蕃人《せいばんじん》である。従って、ひげは赤く、四肢《しし》長やかで、しかも西蕃流撃剣の達人として沂州では評判な男であった。 虎退治の男、トラになること。ならびに官馬《かんば》八頭が紛失《ふんしつ》する事  いまや李逵《りき》はすっかり宋江《そうこう》との約束も忘れていた。梁山泊《りようざんぱく》を立つさい、あれほどかたく、道中では一切酒を禁じ、杯を持たぬと誓って出てきたのに、持ったが病か、性来の単純さか、酒を見たがさいご、何ともはや、自分で自分の処理がつかない。  加うるに、曹《そう》旦那の胸には一物《いちもつ》のあることなので、あれからもなお「豪傑豪傑」と、一家あげての歓待《かんたい》だった。虎の血だらけな衣服もかえられ、席を曹家の客楼に移して、灯を新たに、宵からまた飲みだしたのだから、もう幾箇の酒瓶《さかがめ》を空《から》にしたやらわからない。 「どうぞ豪傑、幾日でもご滞在なすって。そのうちに、虎の皮を剥《は》がせ、お土産《みやげ》として呈上いたしたいと存じまする。また県役署からも、往来の害を除いたかどで、いずれご褒美のお沙汰もあろうと存じまするで」  世辞も過ぎては何とやらだ。曹旦那の口から、うっかり“県役署”の一語が出ると、さすが大酔の李逵もギクとした容子《ようす》であった。 「な、なんの沙汰だって。県役署。そんなところのご褒美などは要《い》らねえよ。虎の皮も欲しい奴にくれてやらあ。よかったらお前さんの褌《ふんどし》にでもするがいいや」 「ありがとう存じまする。ま、今夜はだいぶお疲れでもございましょうから、ひとまずどうぞご寝所《しんじよ》の方へ」 「ど、どっちだい? ……いったい、おれの寝るところは。いやに、だだッ広い屋敷だな」 「は。ただ今、ご案内させまする。おいおい何をウロウロしている。豪傑のお手をとってあげないか。おっとあぶない……。お足もとをよく気をつけて上げなさいよ」  曹《そう》旦那も自身、中廊下の角《かど》まで、世話を焼き焼きついて来たが、そこから奥は召使いたちの手にまかせ、あとはただ見送っていた。するうちに、李逵《りき》の姿は、大勢の影に囲まれて、一室の内へころげ入った。——いや内へ突きとばされたのだ。——そしてそこの扉《と》が外からすばやく閉められた途端である。どすんっ! と異様な物音が響き、つづいて、ず、ず、ずしんっ……と不気味な震動が一瞬、床下から家の中を揺すり渡った。 「よしっ。うまくいったな」  曹旦那は、ほくそ笑みをたたえて、自分の部屋へ引っ返した。そこには宵の頃から、村名主と李鬼の情婦《おんな》が連れ立って、首尾いかにと待ちぬいていたのである。  まもなく門前には、捕手頭の李雲の人数がどやどや到着した気配らしい。三人はさっそく首を揃えて、李雲を出迎え、 「これはこれは、ご苦労さまに存じます。お訴え申し上げたお尋ね者の黒旋風《こくせんぷう》は、大酒を食らわせたうえ、寝所へ引き入れ、一室に仕かけておいた床板落しの陥《おと》し穴へぶち落しておきましたゆえ、どうぞ、官のお手にてお召捕りをねがいまする」  と、申し出た。 「どこだ? その部屋は」と、李雲は先に立って、奥へすすみ、兵を指揮して、床下穴へ喚《おめ》きかからせ、まだ酔の醒《さ》め果てていない黒旋風李逵の体を、高手小手にふん縛らせた。そして、生ける大虎を搦《から》めるような大騒動の下に、やっと外まで曳きずり出した。  すでに夜は白みかけており、村中はまたぞろ、昨日にまさる噪《さわ》ぎである。そんな中を、李雲の捕手隊は、縄付きの李逵と証人の曹旦那、名主、草簪《くさかんざし》の女などを引っ立てて、意気揚々、沂嶺《きれい》越えの向うにある県城の町へひきあげて行った。  一方、この噂は狭い田舎《いなか》町のことなので、たちまち一般にひろがっていた。わけて西門外で流行《は や》っている朱富《しゆふ》の飲屋にこれが聞えていないはずはない。前夜もう、客の口からこの事を知った朱富は、奥に隠れている兄の朱貴《しゆき》に諮《はか》って「どうしたものか?」と、まったく顔色も失っていた。 「弟、なんとも、おめえには、飛んだ飛ばッちりを食わせたが」と、朱貴も今となっては慰《なぐさ》めることばもなく、 「こうなっちゃ、気のどくだが、ここの店をたたんで、女房子ぐるみ、おめえも梁山泊《りようざんぱく》へ行って、暮らして貰うほかあるめえ。やがてここへも江州奉行所の差紙が来るにきまってるし」 「兄き。そいつは覚悟だが、兄きの立場としても、みすみす、李逵がお縄にかかったのを見ちゃ、このまま、山寨《や ま》へは帰られまいが」 「さ。それで俺もどうしたものかと、まったく思案投げ首だ。こんな弱ったことあねえ。いまさら言っても追いつかねえが、返す返す、あの酒好きの黒ン坊野郎(李逵をさす)を、たった一晩でも、目を離したのが俺の落度だ」 「いっそ兄き、こういう手だてはどうでしょう。どっちみち、店をたたんで土地を売るなら五十歩百歩だ。すこし荒ッぽいが、ぜひもねえ」 「というのは?」 「さいわい、捕手頭の李雲さんは、日ごろ店のお客だし、それとまた、あたしにとっては、剣術の師匠なんです。その人を騙《だま》すッてえのは辛いけれど、平常、青眼虎《せいがんこ》とあだ名のある李雲さんも、官途の者にはよく思われず、とかくいまの腐れ役人や宋朝《そうちよう》の悪政には、鬱勃《うつぼつ》たる不満を抱いているお人なんで」 「うむ、そいつはすこし、都合がいいな」 「ですから、一時は李雲さんを陥《おと》し入れても、後ではかえって、よろこばれるかもしれません。……とまあ、こっちの腹をきめといて、さて、こういう計略に出て、そいつが巧く中《あた》ればしめたもんですがね」  朱富は酒店《のみや》の一亭主だが、稼業柄《かぎようがら》、日常よく人間に接して、世間や人間の機微《きび》本質によく通じているせいか、どうして、なかなかな才気だった。彼が朱貴へささやいた窮余の一策とは、果たしてどんな計略であったかは後として、とにかく、店を閉めたその晩の遅くから人知れぬまに、ここでは俄な夜逃げ支度が始まっている。  すなわち、店の若い者を督《とく》して、朱富は、自分の女房や子供らを一台の箱馬車に乗せ、また家財手廻り一切を、その馬車や手押し車に積みこんで、夜の明けぬまに、町端《まちはず》れの森の辻まで送り出していた。  こうして、翌日となるや、飲屋の店はまた、平日通りに店を開け、入口を掃《は》き清めて、西門外の賑わいの中に、さりげないお愛相《あいそ》ぶりを一ばい明るく、午下《ひるさ》がりの陽ざしを待ちすましていたのである。隣り近所、多少、変な物音も明け方に知ってはいたが、まさか、梁山泊への引っ越しとは、だれも気づいてはいなかった。 「黒旋風《こくせんぷう》が捕まったとよ」 「うそをつけ、沂嶺《きれい》の虎の間違いだろう」 「うんにゃ、四匹の虎を退治したあげく、こんどは自分が虎になって、あの因業《いんごう》旦那の曹《そう》に密告され、たったいま、県役署へ曳かれて行った」  町は七月の猛暑。その乾いた町は一日中、こんな噂で、わんわんと沸《わ》いていた。  ところが、たそがれ早めに、当の李逵《りき》だの証人たちは、再び県城の門から街道へ列をなして曳かれて来た。早くも刑場で処刑になるのかと、早合点な声もあったが、そうではなく、江州府送りの船積みとなるらしく、江岸に繋《つな》いである一船の船牢へ移されることになったのだった。 「もし、もし。李雲先生」  いましも列の先頭が、西門外の辻へかかった時である。飲屋の亭主朱富《しゆふ》が、飛び出して来て、李雲の馬の前に腰をかがめた。 「どうもこのお暑いのに、ご苦労さまでございますね。沂嶺《きれい》の往来を悩ました虎族は退治されるし、あげくに、お尋ね者の黒旋風《こくせんぷう》をお召捕りくだすって、町のものにとっちゃ、こんなありがたいことはございません。祭りをやって、お祝いしてもいいほどでございますよ。ま、どうぞ店《みせ》さきじゃございますが、冷やッこい酒《の》を一杯おやりなすって、ちょっくらご休息でもどうぞ」 「いやいや朱富、気もちはありがたいが、明るいうちに大事な極悪人《ごくあくにん》を船牢まで移し終ってしまわんことには、何せい肩の荷が下りんでな」 「ま、そう仰っしゃらないで。せっかく、町の衆に代って、およろこびのため、あれに朝から冷やしておいた酒瓶《さかがめ》を、もう口まで切って、お待ち申しておりましたので」 「せっかくだが、役儀柄、その志もいまは困る。帰りに寄ろう。さあ、歩け歩け」  李雲は列を振向いたが、意地の汚い兵や獄卒たちは、酒の匂《にお》いに吹きくるまれて、もうテコでも動きたがらない。のみならず、店の若い者に唆《そそのか》されたか、一端の列をくずして、物蔭に隠れ、素早いとこをと、酒の碗《わん》をあばき合っている一ト群れさえある。 「ち……。しようのねえ奴どもだな」  李雲もついに馬を降りた。このまま行き過ぎては一部の兵へは不公平になる。飲み食いの恨みでは、あとあと、いつまで深刻な根をもって、意趣を上役にふくむなどの例は決して少なくない。そのためには、李雲もまた彼らとともに、飲んでやらねばならなかった。 「いかがです、先生、もうお一杯《ひとつ》」  特に、彼への杯には、朱富自身が、酌《しやく》をしていた。——ほか数十人の兵ときては、酌の面倒や愛相《あいそ》はいらない。蜜《みつ》へたかった蠅《はえ》のような黒さである。一杯でもよけいに飲もうと、仲間喧嘩さえ起りかねない噪《さわ》ぎであった。  すると、その間、路傍の槐《えんじゆ》の木に縛りつけられていた李逵《りき》が、悲しげな声で叫んだ。 「やいやい捕手。後生だから、俺にも一杯のませてくれ。こうしているから、この口へ、一杯流し込んでくれ」  それは朱富の方へ言ったのだった。朱貴は見えないが、朱富がいる以上、何らかの計で、自分を助けてくれるつもりだろうと、暗《あん》に、反語をわめいてみたのである。 「ふざけるなッ極悪人め。飲みたければ、てめえにはあとで、溝《どぶ》の孑孑《ぼうふら》でも飲ましてやるから静かにしていろ」  朱富はわざと罵声《ばせい》を投げた。それを聞くと、兵どもはゲラゲラ笑って、口々の呶罵《どば》を肴《さかな》にまた飲んだ。李雲が、列へもどれ、と命じてもなかなか酒瓶《さかがめ》の周《まわ》りを離れようとはしない。  するうちに、一人の兵が「あッ、野郎っ」と街路樹の蔭で絶叫した。いや、とたんに仆れていた。振り向いた大勢の眼もすべて一瞬「——あっ?」といっただけで、あとは異様な静寂《しじま》がみなぎり渡っていた。——なぜなら、李逵のそばへ寄って行った一人の男が、彼の縄目を解き、その手へ野太刀をわたしていたのである。これは猛虎の檻《おり》を開けてやったようなもの。さらにはまた、野太刀を抜いた猛虎も、男とともに、のっそり、のっそりこっちへ歩き出している。 「朱富。行こうか」  李逵《りき》の縄を解いた男は、朱貴であった。弟の朱富は、ふふんと、辺りの顔から顔をあざ笑って、尻目にくれながら、 「おお、出かけよう。——が、待ちなよ、李逵」 「え。なんです」 「どうだ、まだ酒瓶の酒が余っているぜ。一杯ひっかけて行かねえか」 「とんでもねえ、そんな麻薬《まやく》の入っているやつは、いくら俺でもまっ平《ぴら》ご免だ」  なるほど、すでにその麻薬の効《き》き目だったのか。店の内や外、満地の兵たちはことごとく、ぶっ坐ったり横になったり、また或る者は、口から泡吹《あ ぶ》くをふいて、ただすこし手や足ばかりを海鼠《なまこ》のようにもがき合っているだけだった。 「ちッ……畜生。……謀《はか》ったな。や、やられたか」  ただ一人、こう叫んでは、起ちつ、また、こけまろびつ、必死に、あとを追おうとしていたのは、捕手頭の李雲一人だけだった。しかしすでに黄昏《たそが》れそめた町の灯をかすめて、李逵、朱貴、朱富、若い者一群の姿ははや遠くのものになっていた。  町もここから先は一望の野原でしかない追分《おいわけ》に、一ト叢《むら》の暗い夏木立の木蔭がある。  そこに今朝から、家財を積んだ数輛《りよう》の手押し車と、朱富の家族を乗せた箱馬車とが、心ぼそげに、待ち暮れていた。 「さあ、もう大丈夫だ。もう逃げるばかりだぞ」  朱富は飛んで来て、車上の女子らをそう励ましながら、 「ところで、手押し車なぞは、打捨《うつちや》ッて行け。目ぼしい物だけ箱馬車の方へ移して、無二無三、馬の尻をしッぱだき、ここから山東《さんとう》の方へ、車輪が壊《こわ》れるまで急いで馳《か》けろ。おれたちは、追手を要心しながら、すぐ後からつづいて行く」 「合点です」  朱富の店の若い者は、言下に、馭者《ぎよしや》台や馬車の尻へ飛び乗って、ムチを振鳴らし、またたくまに、野中の街道を、遠くへ没し去ってしまう。  ……じっと、見送りすましてから、李逵は初めて、頭を掻いてあやまった。 「兄弟、この通りだ、かんべんしてくれ。ついまた酒の上から、とんだ心配をかけちまって」 「覚えていろよ、李逵」と、朱貴はわざと、懲《こ》らしめのために脅《おど》して言った。「山寨《や ま》へ帰ったら、統領はじめ、宋江《そうこう》先生や呉用《ごよう》軍師にもありのままに言いつけてやるからな」 「後生だ兄き、そいつだけは、ゆるしてくれ。あんなにまで、道中禁酒の誓いを立ててきたのに、男としての面目玉《めんぼくだま》もまるつぶれだ。悪くすると山寨《や ま》を破門になるかもしれねえ」 「それほど性根《しようね》には分っていながら、なんで因業《いんごう》旦那と有名な曹家《そうけ》の酒なぞ食らやがって、いい気になってしまったのか」 「よしてくれ。そんないい気なもんじゃねえよ。じつあ、せっかく連れに来たおふくろを、沂嶺《きれい》の上で、虎に啖《く》われてしまってよ、それからのやけのやん八、四匹の虎を叩っ殺した勢いで、ついまた大酒を飲《や》った始末さ。……むむ、それにつけ、いまいましいのは因業野郎の曹って奴だ。兄き、ちょっくら引っ返して、あいつの首を引ン捻《ね》じって来るからここで待っていてくれ」 「いや、おれも行く——」と、朱富もまた後ろを振り向いて「おれにとっては、師匠にあたる李雲《りうん》さんを、あのままには捨てておけねえ。いや、李雲先生の酒だけには、しびれ薬を軽く入れておいたから、今頃はもう麻薬《まやく》も醒《さ》めて、これへ追っかけて来る途中だろうぜ」 「そうか。もし李逵《りき》とぶつかって、間違いを起しては大変だ。それでは俺も」と、朱貴までが、二人とともに元の道へ一目散に引返した。  果たせるかな、途中、彼方の闇から韋駄天《いだてん》の如く走って来た者がある。それなん、青眼虎《せいがんこ》李雲であった。 「おのれ、曲者《しれもの》。よくも最前は」  と、李雲はたちどころに長剣を抜き払って立ちむかって来たが、 「待った! お師匠。これには深い事情のあること。まあお腹もたちましょうが」  と、朱富は彼の前に身を投げ伏せてまず詫《わ》びた。そして縷々《るる》と、李逵の帰郷のいきさつを語り、また朱貴が梁山泊《りようざんぱく》の命で彼の付人《つけびと》として付いて来たことから、李逵の孝心もむなしく、老母を亡くしてしまった恨みなど、逐一《ちくいち》を物語って。 「師匠、そんなわけで、ここはどうしても、李逵を助けて山寨《や ま》へ帰らねば、兄の朱貴も一分が相立ちません。そのため、恩人のあなたまで、苦計の毒酒を飲ませたりしましたが、でもあなたのお杯へは、麻薬もほんの少ししか、入れておかなかった次第です。いわば心ならずものこと。どうかひとつお怺《こら》えなすって」 「ふふむ……」と、李雲はうめいた。「……そんなわけか」と、いまは逮捕《たいほ》に出る気力も、満面の怒りも、俄にすうっと体から抜けてしまった感を自身どうしようもない態《てい》だった。 「したが弱った! おまえらを見逃してやれば、この李雲も同類とみなされる! 拙者は県城へ帰ることもできぬ」 「ごもっともです。ですが師匠、幸いにと申しては勝手ですが、あなたはまだ妻子も何もいらっしゃらないお独り身でしょう」 「だから、なんだと申すのか」 「いっそのこと、手前ども三名とともに、このまま梁山泊へおいでくださいますまいか。常日頃から、いまの悪政と官人の腐敗にはあいそがつきたと、よく仰っしゃっていたあなたのこと。梁山泊の漢《おとこ》どもとは、かならずおはなしが合うだろうと存じますが」 「しかし、山寨《や ま》には名だたる晁蓋《ちようがい》、呉用、宋江などのほか、ふた癖も三癖もあるのが大勢いるだろうに、おいそれと、この李雲を仲間へ入れてくれるだろうか」 「そりゃもう、おいでくだされば」と、朱貴もそばから助言を加えた。「——梁山泊では、双手を挙げて、一同お迎え申しますよ。まして朱富が多年お世話になった、剣術のお師匠でもあると聞けば」  とっさ、談合《はなしあ》いはここで急転直下ときまったが、いざ行こうとなると、いつのまにか李逵《りき》の影が見あたらない。「はて、あいつがまた、どこへ行ったのか?」と、怪しみ合っていると、そこへ疾風のごとく戻って来た李逵が、片手には曹《そう》旦那の首を提げ、また片手には、かの草簪《くさかんざし》の女の首の黒髪を引っさげて、 「おれを苦しめた奴は、こいつとこいつだ。腹癒《はらい》せにかたづけてきた。——沂嶺《きれい》の虎をあわせれば都合これで六匹だ。畜生に身を啖《く》われて、六道の辻で迷っているだろうおふくろも、これで浮かんでくれるにちげえねえ」  と凄烈《せいれつ》な笑い顔を見せて、その両手の物を三人に示すと、李逵は切れ草鞋《わらじ》でも捨てるように、それを路傍の藪《やぶ》だたみへ抛《ほう》り投げてしまった。そして。 「さ。もうこの土地に名残はねえ」 「オオ、おさらばだ。急ごうぜ」  各、踵《きびす》を回《かえ》して、急ぎかけると、 「いや、ちょっと待て」  李雲はなお、辺りを見ていたが、何か耳打して、三名の先に立ち、藪の横道へ走り込んだ。そこの突当りには、州の牧場管理所がある。李雲は牧夫《ぼくふ》小屋の牧夫を呼び出し、八頭の駿馬《しゆんめ》を目の前に揃えさせた。そして、李逵《りき》、朱貴、朱富、自分——と四人四頭の背にまたがったうえ、 「拙者は山寨《や ま》へ初めてのお目見得だ。みんなが乗った馬のほか、べつな一頭ずつを手綱で曳ッ張って行こうじゃねえか。どうだな、この手《て》土産《みやげ》は」 「こいつはまたとねえ土産だが、しかし師匠、四頭もべつなのを曳ッ張って行くのは余計物じゃありませんか。第一急ぐ道中には邪魔くさい」 「いや邪魔にはならん。先に行ったという箱馬車には、朱富の若い者が幾人か付いてるだろう。すぐその若い者たちに乗せればいい」  聞いていた牧夫たちは驚いて叫びあった。 「捕手頭《がしら》! 馬は県城の御用に持って行くんじゃないんですか」 「おおさ、われわれは、こよい万里の外へ馳《か》け去るのだ。追ッつけ県城の軍隊がやって来るにちがいないが、もしこれへ来て、李雲は何処へ行ったと訊ねたら、名の如く、雲に乗って消え失せましたと告げておけ」 「だめだっ、捕手頭ッ、それじゃあ、ここの官馬はお渡しできねえ」  前へ廻って大手をひろげ、俄に立ち騒ぐ牧夫の群れを、朱貴、朱富、李逵のそれぞれは、 「なにを言やがる、邪魔だてして、蹴ころされるな」  と、鞭《むち》をふるッて、払い退けた。  どうしてこれを、遮《さえ》ぎられよう。あッというますらありはしない。茫々《ぼうぼう》たる牧《まき》の平原を、東へ、ただ見る四騎、八頭の駒は、もう星の夜の彗星《すいせい》のごとく遠く小さくなっていた。さらにはこの四人が、その夜、またたくうちに先の箱馬車に追いついたことも間違いなかろう。かくて万里の外ほどではないが、日ならずして、彼らは、山東梁山泊《さんとうりようざんぱく》の江畔《こうはん》に行き着き、そこの生々たる夏の風に、初めてほッと旅焦《たびや》けの顔を吹かれていたことだった。 首斬り囃子《ばやし》、街を練《ね》る事。並びに、七夕《たなばた》生れの美女、巧雲《こううん》のこと  無頼の徒《と》、さすらいの子、いわば天涯無住の集まりでも、なにか心の拠《よ》りどころは欲しいものか。  いつとはなく梁山泊《りようざんぱく》の聚議庁《ほんまる》の奥所《おくが》には、星を祠《まつ》った一宇《う》の廟《びよう》——  天星地契《ちけい》  と額《がく》を打った道教まがいの祭壇ができていた。そして一味の同志を星になぞらえ、その数だけの燈明をつらねて、なお新入り仲間を迎えるごとには一燈一燈の数を加えてゆくを例とし、その星数もやがてはここに、天星《てんこうせい》、地星《ちさつせい》、百八星の宿業《しゆくごう》を、地上のまたたきとして見る日も近いかとながめられる。  さて、それはともかく。 「やあ李逵《りき》か。朱貴《しゆき》も無事に帰ったか」  山寨《や ま》一同の者は、ふたりの帰泊《きはく》を迎えて大いによろこび、二人もまた、旅先のいちぶしじゅうを報告したすえ、伴《ともな》って来た青眼虎の李雲《りうん》と、笑面虎の朱富《しゆふ》とを、 「どうぞ、よろしく、ご一統のお仲間内へ」  と、推挙した。  もちろんこれは即決でみとめられた。いまや梁山泊が大となるにつれ、不遇不平な天下の才と侠骨《きようこつ》を、いよいよここへ募《つの》ろうとする意志は仲間一同にも熾《さかん》だったのだ。 「そうか。笑面虎は朱貴の弟。また青眼虎は、西蕃《せいばん》流の撃剣の師だというならなおもって頼もしい。聞けば……沂水《きすい》県の沂嶺《きれい》で、黒旋風《こくせんぷう》(李逵《りき》)のために、四匹の虎が殺された代りに、ここへ二匹の虎がふえたわけだな」  ここに。地契廟《ちけいびよう》の星燈《せいとう》は、また二ツの新たな灯を加え、例のごとく、新党員の紹介の盛宴もまたその廟前でおこなわれた。  ときにその席上で、軍師呉用が総統の晁蓋《ちようがい》と、副統の宋江《そうこう》へ、一案の書類を見せていた。何かといえば、それは山寨の「職令」だった。  こう人材もふえ、ここも宛《えん》たる一小国となってきては、対官憲の備えからも、もはやただの浮浪山賊の群れ集まりではいられない。秩序も立たず守備も不安だ、ということからのかねがねな懸案だった。  すなわち。  渡口《とこう》の見張り茶屋は、従来の朱貴の店のほか、三ヵ所をふやす。  童威、童猛の兄弟とその手下に、西口の道に店をひらかせ、おなじく李立《りりつ》には山の南で。また北山の口には、石勇《せきゆう》をして新たな一店を設けさせる。  これで梁山泊四道の見張りはまず充分だろうから、次には、この宛子城《えんしじよう》そのものの大手、中木戸、内門の三壁《ぺき》を堅固にする案だった。運河をつくり、内濠《うちぼり》をめぐらすなど、工事監督一切は、杜選《とせん》とそして陶宗旺《とうそうおう》の任とする。  また、もっとも大事な倉庫《く り》方《かた》——金品出納の事務などは——蒋敬を部長とし、蕭譲《しようじよう》には、通牒や文書のほうを司《つかさど》らせ、金大堅に兵符《へいふ》、印形《いんぎよう》、鑑札などの彫刻係《がかり》を。さらに侯健《こうけん》は、旗、よろい、かぶと、兵衣、すべて足拵《あしごしら》えまでの将士の軍装を調製する。  馬麟《ばりん》は、大小いくさ船の建造係。宋万は金沙灘《きんさたん》の一寨《さい》に住む。王矮虎《おうわいこ》と鄭天寿《ていてんじゆ》もまた、ずっと下《しも》の鴨觜灘《おうしたん》へくだって、おなじく出城《でじろ》の一寨《さい》に就《つ》く。  銭糧《せんりよう》の収入係には、穆春《ぼくしゆん》と朱富がえらばれ、呂方《りよほう》、郭盛《かくせい》のふたりは、聚議庁《ほんまる》番《ばん》。——宋江《そうこう》の弟宋清《そうせい》は酒庫《しゆこ》の監理をかねた宴会支配人に擬《ぎ》せられていた。 「どうでしょう、こんな配置では。あとの水陸は別表にしてありますが」  呉用の案に、晁蓋《ちようがい》、宋江ともに異議はない。そしてその場で発表された。もちろん、それ以外な細かな職目《しよくもく》もかなりあった。  かくて泊内《はくない》は、いちばん強力な態勢となり、水寨《すいさい》では水軍の調練、陸地では騎馬、弓、刀槍のはげみはいうもおろか、陣鼓鉄笛《じんこてつてき》の谺《こだま》しない朝夕とては一日もないくらい。  ところが、ここにただ一人、 「はてな? あれきり消息もないが」  と、不安視され出した仲間があった。  百日の期限をきって暇を乞い、薊州《けいしゆう》の地へ母をたずね、また老師へ会いに行くといって去った公孫勝《こうそんしよう》の一清《いつせい》である。 「よもや仲間を裏切ったのでもあるまいが、いまだに帰らないのはいささか不安だ。だれか探りにやってはどうか」  こんな議が持ちあがったその翌日。——遊軍の一星、神行太保《しんこうたいほう》の戴宗《たいそう》は、みんなから選ばれて、 「戴君《たいくん》。君ならおそらく十日もあれば、たちまち、薊州《けいしゆう》中を見てこられよう。一つ調べてくれないか」  と、その探索使《たんさくし》にさしむけられた。 「こころえた。行って来ます!」  戴宗はただちに走った。こんな時こそ、“神行法《しんこうほう》ノ咒《じゆ》”がものをいって、梁山泊中、飛走の術ではこの人の右に出る者はない。脚には例の甲馬符《おまもりふだ》を結び付け、精進潔斎《しようじんけつさい》、三日目にはもう沂水《きすい》県の境に入り、一山の嶺《みね》を疾駆していた。  すると山坂道のすれちがいに、腰は女みたいに細く、肩は隼《はやぶさ》のような角張った目のするどい男が、 「あっ、神行法の戴宗?」  と、手の管槍《くだやり》を地に突いて振返った。  風のごとく、そばをスリ抜けた戴宗だったが、ふと気になって呼び返した。 「おーいっ、若いの、ちょっと待った。どうしておれが戴宗と分ったかね」 「あっ、ではやはりあなたは戴宗どので」 「そういう、おまえさんは?」 「彰徳府《しようとくふ》の楊林《ようりん》と申す者で、あだ名は錦豹子《きんびようし》。……じつは二た月ほど前に、公孫勝《こうそんしよう》先生に行き会い、おまえもいつかは梁山泊へ行けと、お手紙までいただいておりましたようなわけで」 「拙者のことなども聞いていたのか」 「そうです。一日八百里を走る戴《たい》院長さまも、今では山寨《や ま》にいらっしゃると」 「いい者に出会った。じつは云々《しかじか》な仔細《しさい》で、その公孫先生のあとを尋ねに来たわけだ。教えてくれんか、今おいでになる処を」 「いや、行きずりの居酒屋で、お別れしてしまったきり、さっぱり以後の消息は聞いていません。しかし、薊州管下《けいしゆうかんか》なら隈《くま》なく地理は存じていますから、なんならご案内いたしましょう」 「たのむ。そしてまた、望みとあれば、拙者が君を梁山泊へ連れて行ってやる」 「そう願えれば大倖《おおしあわ》せです。ですが戴院長、かなしいかな、てまえは神行法の術も呪文《じゆもん》も存じませんが」 「心配するな。拙者について、こうして行けば、自然に身も心も軽く、一日八百里の飛走ぐらいは何でもない」  戴宗は、彼にも呪符《じゆふ》を持たせて、大きく腹中の気を空《くう》へぷっと吐くやいな、楊林《ようりん》の腕を拱《く》んで飛走しだした。楊林は驚いた。馳けているとも、喘《あえ》いでいるとも思えないのに、道も草木も急流のごとく、後ろへ後ろへと去って行く。そして肩が切る涼風、面にあたる爽気《そうき》、なんとも堪らない快感だった。  山上は照り、山下《さんか》は雨らしい。  そして濛々《もうもう》と白い蒸雲《じよううん》のたち繞《めぐ》る千山万水。大陸の道は、その中を羊腸《ようちよう》と果てなくうねッているが、村里人煙は、それを見ぬこと、二日であった。 「戴《たい》院長。あれが有名な飲馬川《いんばせん》です」 「おお、絶景だな」 「ひとつ訪ねてみましょうか」 「どこを」 「こんな絶景の中ですが、裴宣《はいせん》、飛《とうひ》、孟康《もうこう》といって薊州《けいしゆう》きっての三賊長が住んでいます。昔、てまえも知っていた仲で、三人三様、みなひとかどの男ですし、それにひょっとしたら、公孫先生の消息もそこで聞けるかもしれません」 「お。どんな山寨《さんさい》か叩いてみよう。ひとしく緑林《りよくりん》(盗賊仲間のこと)の者なら、同じ毛色の旅烏がどこへ来ているかなんてことも、ちゃんと見ているかもしれぬ」  だが、この心あては、むなしく終った。そこの賊寨《ぞくさい》で訊いてみても、公孫勝の居処は、杳《よう》として誰ひとり知っていない。知れず仕舞いとなったのである。  しかし決して、訪ねたのは、むだではなかった。そもそも、ここの三賊首も、地契廟《ちけいびよう》の星の数に入るべき宿命であったものに違いない。これが、はからず天のひきあわせとなって、飲馬川《いんばせん》の山寨上《さんさいじよう》における一夜の盛宴から、たがいに志をかたり、身素姓《みすじよう》を名乗り合い、ついに義を結ぶこととはなった。  まず、目玉が血みたいに赤い、飛《とうひ》から順に、こう名乗った。 「ご高名な戴《たい》院長にお目にかかり、こんなうれしいことはございません。あっしは襄陽《じようよう》生れのやくざ者、人肉を食らったむくいで、火眼《かがん》の猊《しゆんげい》とアダ名され、分銅鎖《ふんどうぐさり》の使い手と、自分ではウヌ惚れておりますが、そちらの兄貴二人にくらべたら、けちな野郎でございます。どうぞ兄貴の素姓《すじよう》をおききなすっておくんなさい」 「いや弟分から、そういわれちまうと、晴れがましくてちと後が困る。——が、有態《ありてい》に申します。自分は真定州の生れで、苗字は孟《もう》、名は康《こう》、あわせて孟康《もうこう》といい、本職は船大工で、それも大江《たいこう》を上下するような大船造りが得意です。……ところが、朝廷の官船奉行と気が合わず、大喧嘩の果て、緑林《りよくりん》なかまへ落ちころび、生れつき、こう肌の白いところから、玉幡竿《ぎよくばんかん》の孟康《もうこう》なんて、人から呼ばれておりますんで」 「いや、ごていねいに」  戴宗《たいそう》は、礼を返して、さてもう一人の頭目《とうもく》へ向い直った。その人たるや、一見、どこか傑出している。年配もまた、三人のうちではいちばんな年かさだった。  裴宣《はいせん》。またの名は、鉄面孔目《てつめんこうもく》。  孔目とは、裁判所づきの与力の職名である。もと京兆《けいちよう》府の司法部に勤めていたが、公事《くじ》訴訟には、いつも人民の声を正しくきいて、少しも、よこしまないところから、逆に上司の奉行や腐敗役人からツマはじきされ、いささかな落度を大きく罪せられ、顔に金印(いれずみ)を打たれて沙門島《しやもんとう》へ流された。——いや流される途中を、ここにいた飛《とうひ》、孟康《もうこう》などの輩《やから》が、義心のもとに、護送役人を斬って助け出し、わが山寨へかつぎ上げてしまったのだった。 「はははは。どうもあまり自慢にもなりませんな」  裴宣《はいせん》は、自嘲をふくんで、多くは語らない。  けれどそれがなお床《ゆか》しかった。すでに戴宗は連れの楊林からも聞いていた。——剣を持たせれば双手に二刀を使う達人であり、孔目《こうもく》の職に在った日は、曲事ぎらいの生《き》一本で、どれほどこの人の公事《くじ》扱いに救われた者があったかわからない、と。  これは人物だ!  戴宗は惚れこんで、切に、梁山泊《りようざんぱく》への入党をすすめた。周囲八百里、宛子城《えんしじよう》、蓼児《りようじわ》を中央に、それを繞《めぐ》る軍船、充《み》つる兵馬、天下四方の奇材は、いまやそこに集まっていることなどを熱心にはなして誘った。  すると、裴宣《はいせん》は、 「いや、よく知っています。四百余州にかくれもない梁山泊のことですからな。じつをいえば、いつかこんな機縁はないかと待っていたところなんで。……烏滸《おこ》な言いぶんですが、この山寨にも兵三百、財物十車、そのほか武器馬匹もかなりある。それを土産《みやげ》に、ぜひお仲間入りをえたいものと存じます。よろしく一つおとりなしを」  と、どこまでも謙虚であった。  戴宗はよろこんだ。そしてさて。 「これを聞けば、梁山泊の一統も、錦上さらに花を添えるものと、双手をあげて迎えるでしょう。……がいまは公孫先生をさがす旅の途中、その役目を果たしてから、帰途、もいちどここへ立寄って、ともに山東へお連れしたいと思うが、どうでしょうか」 「けっこうです。お待ちしている。だが、もう一日は」  と、裴宣は切にひきとめ、次の日はまた、飲馬川の眺望をさかなとして、断金亭の楼台で、終日、送別の杯と、また義兄弟の誼《よしみ》など酌《く》み交《か》わされた。——こうして、ここは去り、日ならずして、戴宗、楊林の二人は、薊州《けいしゆう》城内の街通りをあるいていた。  胸に小太鼓、腕には銅鑼《どら》を掛け、手にも喇叭《らつぱ》を持って吹き、一人で三人楽《がく》の“道囃子《みちばやし》”をドンチャン流して来る男があった。身装《みなり》、ひと目で分る獄卒だった。  もうひとりの獄卒は処刑用の大きな“鬼頭刀《きとうとう》”をささげている。すこし離れて、柄《え》の長い青羅《せいら》の傘を、べつな獄卒が、かっぷくのいい堂々たる男の上に翳《さ》しかけて行く。  それぞ町中で囁《ささや》かれている首斬り楊雄《ようゆう》——またの名を病関索《びようかんさく》の楊雄ともいわれている牢役人だろう。なにしろすばらしい羽振りである。  わけて今日みたいに、人民泣かせな悪党の処刑が行われての帰り途《みち》には、町の老幼が、紅絹《も み》だの、花束だの、緞子《どんす》だの、種々な祝いを感謝のしるしに首斬り役人へ投げるのだった。それを拾い拾い、持ちきれないほど肩や胸に抱えて行く獄卒もべつにあった。 「おっと! 首斬り役人、ちょっと待たんか」 「誰だ。おれを呼ぶのは」 「軍の張保《ちようほ》さ。殺羊《てきさつよう》の張保さまだよ」 「やあ、どなたかと思ったら」 「いやな奴に会ったと言いたいような顔つきだな。この薊州《けいしゆう》の治安はおれの手で守られていながら、おれをよくいう奴は一人もねえ」 「どういたしまして。今日、処刑してきた悪党もお蔭さまで捕まったようなもんでさ。……ひとつ、そこらで御酒《ごしゆ》でも一献《いつこん》」 「うんにゃ、酒はいらねえ。銭で百貫、用立ててくれまいか」 「ご冗談を」 「せせら笑ったな、やいっ。てめえは元々土地者でもなく従兄弟《い と こ》にあたる先の奉行にくっ付いて来て、いつか今の奉行にも巧く取入っているだけのもんじゃねえか。軍のわれわれに、時折の挨拶ぐらいは当然だろ」 「てまえは、いくらでも、ご挨拶いたしたいが、なにせい、背中の一字がいうことをききません」 「背中の? ……背中の一字たあ何だ」 「これですよ」  楊雄がくるりと後ろを見せた。  猩々緋《しようじようひ》の服の上に、もう一重《ひとえ》草色繻子《じゆす》の肩ぎぬを着ていたが、その背には「《ひときり》」の一字が大紋みたいに金糸《きんし》で刺繍《ぬいとり》してあるのであった。 「どうです、とっくりお目に入りましたかね」  依然、後ろ向きのまま、楊雄は薄ら黄ばンだ特有な皮膚に嘲侮《ちようぶ》の笑みをたたえて見せた。  ——根は河南《かなん》生れの俊敏なつらだましい。その眼、その唇、《びん》にもつながるばかりな長い眉、くそでもくらえといった風貌がある。 「しゃらくせえッ」  いきなり、殺羊《てきさつよう》の張保《ちようほ》は、楊のからだを羽ガイ締《じ》めに締めあげながら、四ツ辻の蔭へ向って大きく吼《ほ》えた。 「それっ、おれがこうしているまに、たたんじまえ!」  どっと馳け寄って来たのは張保の部下だった。初めからの計画か。獄卒たちを蹴仆《けたお》し撲《なぐ》り仆し、彼らの持っていた祝い物をみな奪《と》り上げ、さらにこんどは、もがいている楊雄一人へかかって来た。 「あっ。……ひどいことをしやがる」  さっきから辻の一角に立ちどまって、これを眺めていた戴宗《たいそう》と楊林は、もう見ていられず、ひとつあの悪軍人めを、懲《こ》らしてやるかと迅《はや》い眼くばせを交わしかけた。  ところが途端に、その二人の足許《もと》へ、大きな薪木《たきぎ》の束が、どさっと、抛《ほう》り投げられてきた。——見ると、ついそばにいた若い下郎風の薪木《たきぎ》売りが、もう喧嘩の中へ割って入り、兵隊どもを手玉にとって投げ飛ばしている。さらには、楊雄に加勢して、ひょろ長い殺羊《てきさつよう》の脛《すね》、腰、所きらわず、足攻めに蹴つづけていた。 「やあ愉快なやつ。身なりは粗末だが、たいした若者だぞ」  戴宗は、わざと控えて、形勢をみていた。そして、 「不義、非道、弱い者いじめ。そんな跋扈《ばつこ》をゆるさぬ街の鉄火の意気はまだ廃《すた》っていなかったな。……おお悪軍人のかったい棒め、とうとう、不ざまな恰好で逃げ出してしまったぞ。あっ、人斬り楊雄がこんどは追ッかけて行く。薪木《たきぎ》売りも一しょになって」  いつかあたりの見物人も散らかって、あとには薪木売りの薪木の束だけが残っていた。 「楊林、そいつを持って、向うの酒屋で飲んでいよう。そのうちにあの若いのが商売物を取りに返ってくるにちがいない」  案のじょう、やがて薪木《たきぎ》売りは戻って来た。  それを酒屋へ誘い入れて、戴宗は彼の侠気をたたえたり、その身の上などを聞きほじりながら、心ひそかに、  これもまた頼もしそうな。  と、はや一思案を抱いていた。 「そうですかい。……金陵《きんりよう》(南京)のお生れで、そんなに諸国を歩きなすったか。そして、馬買いの叔父御《ご》に死なれて、生業を失ったとはいえ、薪木《たきぎ》売りとはまた、お若いのに、思いきったものに成ンなすったな」 「ええ、資本《もとで》もありませんし、根ッからの鈍物。死に別れた叔父貴からも、今みたいな時世に、おまえみたいな馬鹿正直じゃあ生きてゆけねえぞッて、よくいわれていた私ですから」 「だが子供の頃から騎馬短槍には熟練なすっておいでとか。さいぜんも篤《とく》と拝見していたが、あれほどな腕前がおありなら、官途に志願しても」 「いや、そいつがですね、持ち前、いッち嫌いなんですよ」 「どうしてです」 「朝廷《おかみ》はでたらめ。政閣は奸臣《かんしん》の巣。ここら薊州《けいしゆう》あたりの安軍人までが、あんなざまじゃございませんか。私みたいな凡くらでさえ、何クソっていう気が底にありますからね」 「同感だ。いや全くそのとおり。しかし、そうばかりでもない天地もある。たとえば山東の梁山泊とやらいう男の集まりもあるしさ」 「失礼ですが、あなた、お名前は」 「ここに連れているのは弟分の楊林《ようりん》。そして拙者は……苗字《みようじ》が戴《たい》、名は宗《そう》」 「えっ、じゃあもと江州の戴《たい》院長、あの有名な神行太保《しんこうたいほう》の戴宗さんは、あなたなんで?」 「叱《し》っ」  と戴宗は振り向いた。そのとき酒屋のかどから二十人余りの人間が、どやどやとここへ混み入りかけて来たからだった。しかも捕手目明し態《てい》の者ばかりである。彼は慌《あわ》てて銀子《ぎんす》十両を取出して、薪木《たきぎ》売りの手に握らせた。 「お若いの、いつかまた会おう……少ないが当座のしのぎに」 「と、とんでもない。こんなものを」  しかし、袂《たもと》をつかむ瞬間もなかった。とたんに、店の中は人間でいっぱいになり、戴宗、楊林の二人は、そのドヤドヤ紛《まぎ》れに、風の如く外へ出て行ってしまった。 「おお、恩人。ここにおいでなすったか」  一ト足おくれて入って来たのは、さいぜんの首斬り役人——病関索《びようかんさく》の楊雄《ようゆう》だった。 「どうも思わぬお助太刀を。……お礼のことばもございません。お蔭で野郎は街中で大笑いを曝《さら》したので、ここ当分は、大きな面《つら》では歩けますまい。けれど、しがない薪木売りのお前さんが、あの腕前たあおそれ入りました。さしつかえなければ、お名を伺わせてくれませんか」 「苗字《みようじ》は石《せき》、名は秀《しゆう》。——金陵《きんりよう》は建康府《けんこうふ》の産で、あだ名を命《べんめい》(いのちしらず)三郎とよばれています」 「石秀さんか。これを縁に、不足でしょうが、この楊雄と、義の兄弟になっておくんなさいませんか。……てまえは当年二十九だが」 「わたしは二十八。ではどうぞ、弟同様に」 「おい、酒屋の御亭《ごてい》。別間で杯だ。そして手下のやつらにも、今日はぞんぶん飲ませてやってくれ」  ところへまた、楊雄の岳父《しゆうと》、潘《はん》の爺さんというのが、これへ馳けつけてきた。娘聟《むすめむこ》の一大事と聞いて、近所合壁《がつぺき》の加勢を仰いで飛び出して来たのだが、わけを聞いて、 「やれやれ、ほっとしたわい。ご近所の衆、まアこっちへ入って飲んでください。……いや申しおくれました。おまえ様が娘聟を助けておくんなすった石秀《せきしゆう》さんで」 「はい、よろしくどうぞ。ただいま、楊雄さんから兄弟のお杯をいただきました石秀と申すものです」 「豪気な男ぶりだの。わしにも、聟の義弟《おとうと》、こんなうれしいことはありませんがな」 「おじいさん。どうぞ一つ、お杯を」 「はい、はい。ところでお前さん、もとのご商売は」 「死んだ叔父貴について、つい去年まで獣《けもの》いじりをしておりました」 「じゃあ、豚や羊の肉を解《と》くことも上手なわけだの。じつはわしも元は肉屋稼業《かぎよう》。ところが一人の聟どのが、牢屋勤めのお役人となったので、いまでは隠居しておりますのさ」  いつか、もう灯ともし頃。——まだこれからと飲んでいる連中は、あと勘定として亭主にあずけ、三人は町端《まちはず》れに近い楊雄の屋敷へひきあげた。酔歩まんさん。楊雄は上機嫌で、 「女房、女房。出迎えないか。弟を連れて来たんだよ。弟を見ろ、おれの弟を」 「あら、……あなた」  厨房《くりや》の珠すだれを掻きわけて、良人《おつと》の前に、あきれ顔を見せた細腰《さいよう》の美人がある。三日月の眉、星のひとみ、婉然《えんぜん》と笑みをふくんだ糸切り歯が柘榴《ざくろ》の胚子《た ね》みたいに美しい。 「ホホホ。またわたしをかつぐんでしょ。まあ、たいそうなごきげんですこと」 「嘘なもんか、ほんとだ。巧雲《こううん》。おまえもよく面倒を見てやってくれ」  巧雲とは、この新妻の名であった。七月七日、七夕《たなばた》の生れという珍らしい生れ性。そのせいか天性の肌には何ともいえない潜《ひそ》みがただよい、ものいえば息も香《か》ぐわしい風情がある。で、早くから艶色無双の評判がたかく、十六、前髪を剪《き》るや剪らぬまに、薊州《けいしゆう》の押司《おうし》、王に娶《もら》われたが、つい二年ほどで先立たれ、やがて楊雄に嫁《か》してからでも、まだ一年にもなっていなかった。 美僧は糸屋の若旦那あがり。法事は色界曼陀羅《しきかいまんだら》のこと  一方は、かの戴宗《たいそう》と、錦豹子《きんびようし》の楊林《ようりん》。  以後、いくら歩きさがしても、ついに公孫勝《こうそんしよう》の消息は知れなかった。  そこで一おう引っ返そうということになり、約束のある飲馬川《いんばせん》へ立ち寄って、裴宣《はいせん》、飛《とうひ》、孟康《もうこう》を誘い、偽《にせ》官軍の列をなし、蜿蜒《えんえん》、梁山泊《りようざんぱく》へむかっていそいだ。  いわば戴宗としては、主目的の使命には失敗したが、代りに、錚々《そうそう》たる新党員四名と、三百の兵力、十車に余る財などを、みやげに連れて帰ったわけである。  賀莚《がえん》に歓迎の楽《がく》に、また新たな気勢を加えて梁山泊の山海は沸《わ》いた。しかしここにはしばらく語るべき事件もない。  話はもどって、薊州《けいしゆう》の街、楊雄《ようゆう》の屋敷における或る日のこと。 「どうだの、石秀《せきしゆう》さん。退屈かね」 「や、潘《はん》のおじいさんですか。退屈よりも、義兄《に い》さんや義姉《ね え》さんに、余りよくしていただくので、なんともはや相すまなくて」 「そんな遠慮はいらないよ。ただ、お前さんは官途の仕《つか》えは大嫌いだそうだから、そっちへはお世話もできないと、聟《むこ》どのがいっている」 「ええ、どうも役署づとめは向きません」 「じゃあひとつ、肉屋を開いてみたらどんなものだろ。——屋敷の裏口は袋小路、そのとッつきに一軒、手ごろな家があいている。わしの隠居所とも斜向《はすか》いだしさ」 「あ、あの空家ですか。そいつはぜひ働かせていただきましょう。ご恩返しに」 「とんでもない。こっちでいうことばだよ。儲《もう》けは仲よく歩合《ぶあい》で頒《わけ》るさ。じゃあ聟どのが役署から帰ったら、さっそく相談するとして」  しかし、話はもう出来たも同様。楊雄夫妻も大賛成で、日ならずして“開店大売出し”の爆竹(花火)、ちらし、慶祝の紅挑灯《べにちようちん》などが、どんちゃん、ここの街角をにぎわした。  よく売れる。石秀もよく働く。それに潘爺《はんじい》さんが、あきない馴れた肉切り職人をひとり探してきて、石秀にはもっぱら仕入れ経営の方をやらせたので、この方もとんとん拍子。  こうしてまたたく二た月ほどは過ぎ、冬ぢかい秋の頃だった。 「ちと遠い村だが、豚、羊のいい売り物が出た。三日めには帰ってくるから店をたのむぜ」 「へい、行ってらっしゃい。旦那、そのお頭巾《ずきん》も着物も、さすがお屋敷の若奥様のお見立てで、よくお似合いになりますぜ」 「ばか。なにってやんで。肉切り職人は、暇があったら包丁でもよく磨《みが》いていろ。つべこべと、つまらねえ世辞などいうな」  出がけに、これが気色にさわった。そんな辻占《つじうら》も悪かったし、仕入れ向きはおもしろくなく、ついでに隣県まで足をのばして四日目に帰ってみると、なんと、店の戸は閉まっている。 「ああやっぱり? ……古《むかし》の人はいいことをいっている。“人に千日のいい顔なし、花に百日の紅《くれない》あらじ”と。……無理もねえ。兄貴は欠かさず役署づとめ。家のことはお構いなしの性分だ。そこへもってきて独り身のおれが、とかくあのきれいな義姉《ね え》さんから、帯よ、頭巾よ、やれ肌着よと、あまやかされているのを知っちゃあ、近所の蔭口もそらおそろしい。そうだ、こいつを潮《しお》に身を退《ひ》こう」  中へ入って、持ち金残らず精算書にして帳場におき。またべつに、ざっとした遺書一本書きのこすやいな、さっとそとへ飛び出しかけた。だが、その袂《たもと》は、とたんに物蔭にいた潘《はん》の爺さんにつかまれていた。 「あっ、待たっしゃれ。勘違いしないで、ま、もいちど中へ戻って——この一両日、ぜひなく店を閉めたわけを、とっくりと聞いておくんなされ。どうも石秀《せきしゆう》さん、あんたもまた、おそろしい短気じゃな」  わけを聞いてみれば、まったく石秀の思い過ごしで、むしろ石秀は赤面して頭を掻くのほかなかった。 「じゃあ、おじいさん。今日はご法事があるってわけでしたか。まさか、それでとは思わなかった」 「じつは、うちあけたおはなし。むすめの巧雲《こううん》は、いちど押司《おうし》の王さんにかたづいていましたのでな」 「うかがっています。そのことは」 「ちょうど今日が先夫の王さんの一周忌にあたりますのじゃ。そこで娘がたってご法要を営みたいと言いますのでな、報恩寺のお坊さまもお招き申してありますのさ」 「それじゃあ、肉屋を閉めたのは当然だ。店の者も見えず、肉切り包丁までかたづいていたんで、さてはもう、わたしから身を退《ひ》いた方が世話なしかと考えましてね」 「めっそうもない。わしはこの年で、夜はカラ意気地がないし、聟《むこ》どのは忙しい体、どうでもおまえさんに、法要の手伝いやらお接待のさしずなどもして貰わにゃならん」 「わかりました。何でもやりましょう」 「もうもう、ここを出るなんてことは、夢々考えないでくだされ。わしもさびしい。聟どのもまた嘆きますわい」  楊《よう》家の内では忙《せわ》しない物音である。はや菩提寺《ぼだいじ》からは、法事の諸道具、仏器一切が運び込まれていたから、石秀《せきしゆう》は寺男とともに、祭壇をくみたて、仏像、燈明、御器《ごき》、鉦《かね》、太鼓、磬《けい》、香華《こうげ》などをかざりたてたり、また台所のお斎《とき》の支度まで手伝って、頻りに、てんてこ舞っていた。 「やあ、すまんね、石秀」 「オヤ兄貴ですか。お帰んなさいまし」 「いやほんとに帰って来たんじゃない。役署の手すきにちょっと様子を見に来たまでだ」 「じゃあまた、ご出勤ですか」 「こん夜は泊り番さ。いま女房にもいっといたが、万事君にお願いするよ。法要の執事《しつじ》なんてしたこともあるまいがね。はははは」 「何も経験です、どうかご心配なく」 「よろしく頼む」  主人の楊雄《ようゆう》は、女房への義理立てみたいに、午《ひる》過ぎ、ちょっと顔を見せたが、またすぐ出かけてしまった。すると、ほとんどそれと入れちがいに、一挺《ちよう》の法師轎《ほうしかご》が、供僧《ともそう》二人をしたがえて、玄関さきの前栽《せんざい》へしずしずと入って来た。  潘《はん》じいさんが、慌《あわ》てて迎えに立ち。 「これは、方丈《ほうじよう》さま。ようこそおせわしいなかを」 「おお、ご隠居か。いつもお変りのうて」  轎の内から立ち出でた主僧《すそう》は、まだ三十そこそこか。ぷーんと、麝香《におい》松子《あぶら》の香が立つ剃《そ》りたての青い頭から、色の小白い唇《くち》もとすこし下がったところの愛嬌《あいきよう》黒子《ぼくろ》など、尼かとも見紛《みまが》うばかりな美僧であった。 「さ、どうぞ……、どうぞこなたへ」 「ご隠居。珍らしい物でもありませんが志ばかりです。どうぞ王押司《おうおうし》のお供え物に」 「おおこれは、貴重な香苞《こうづと》やら京棗《みやこなつめ》やらで……。石秀さん、さっそくご霊前へ」 「はい、はい。お茶もただいま、いいつけます」  石秀がそれを持って、奥の法要の間へ急ぎかけると、二階の階段から、花兎《はなうさぎ》の刺繍《ぬ い》の鞋《くつ》に、淡紫の裳《もすそ》を曳いた足もとが、音もなく降りて来て。 「あら、秀《しゆう》さん。それいただき物なの」 「義姉《ね え》さんですか。あちらへもう、ご方丈さまがお越しになっておりますよ」 「いま行くのよ」と、巧雲《こううん》はどこやら容子《ようす》が浮々している。法事姿なので、強い色彩や濃粧は嫌っているが、一点の臙脂《べ に》は唇に濃く、ほんのりと薄化粧を刷《は》いた白珠のおもむきが、むしろ日頃の艶姿よりはなまめかしい。 「どれ。ちょっと見せてよ、それ」 「この香苞《こうづと》ですか」 「まあ、いい匂い。ねえ秀さん、これきっと沈香《じんこう》とか栴檀《せんだん》とかっていうものよ。あの方丈さまは、お生れは都で大きな糸屋の若旦那だったんですとさ。だから気がきいてるわね、こんなおみやげ一つにしてもさ」 「世間で報恩寺の裴如海《はいによかい》……また海闍梨《かいじやり》ともいわれているお方ですね」 「そんなむずかしい法名なんて、わたし呼ばないわ。ただ師兄《に い》さんて呼ぶのよ。だって、うちのお父《と》っさんは、古いご門徒《もんと》でしょ。だから如海兄さんが方丈さまの位置にすわるときなんかも、ずいぶんお世話したものだしさ」  こんな立話のまも、彼女はそわそわと《びん》のおくれ毛や唇紅《べ に》の褪《あ》せを気にして、また、つと鏡の間へ入って、身粧《みじま》いを見直し、それからやっと如海の前へ出て、婉然《えんぜん》と、あいさつしていた。 「これは」  と、裴如海《はいによかい》は、生き仏のようにすうと椅子《いす》を立ち、いんぎんに、頭《ず》をさげる。  福州みどりの法衣、紫印金《むらさきいんきん》のケサ、その《ほそおび》も西域唐草《せいいきからくさ》の凝《こ》ったもの。  ——ことば少なに、あとは流し目で、 「いつも、おすこやかで」  と、ひとみに、えならぬ情気をトロと焚《た》いてみせる。巧雲《こううん》は、すぐ打解けて言った。 「いやよ師兄《に い》さん、そんなおかたいこと」 「ご主人は」 「こん夜は、宿直なので、失礼させていただきますって」 「それはそれは。じつはこんど、山内に施餓鬼堂《せがきどう》が建ちましたので、ぜひご主人のおゆるしをえてあなたにも一度ご参詣をねがいたいとおもっていましたが」 「ええ、ぜひ伺いますわ。いまの主人、わたしの出歩きなどは、頼りないほど、ちっともお構いなしですもの。……それ母が亡くなったときも、血盆経《けつぼんきよう》を上げていただいたままでしょ。その願《がん》ほどきだってしなければなりませんしさ」  そのとき、女中が茶を運んできた。巧雲は茶碗を受けて天目台に乗せ、碗《わん》の縁《ふち》を白絹で拭いた。そして、如海《によかい》へささげ出すと、如海の指と女の白い指とが、碗を媒《なか》だちにして触れあった。そのあいだ、とろけるような眼にとらわれた女の眼もとは茶わんの中の茶の揺れみたいに何とも危なッかしい春情気《い ろ け》だった。 「……ははアん。これだな、法事の目あては」  石秀《せきしゆう》は覗《のぞ》いていた。  客間の窓の掛布が隙《す》いている。ひょいと、如海がそれへ気がついて。 「や。あれは、どなた?」  巧雲《こううん》もビクとした。 「ま、いやな人ね。石秀さん、おはいり。そんな所に立っていないで」 「ご家人ですか」 「ええ、主人の義弟《おとうと》ですの」 「そうですか。どうぞご遠慮なく。わたくしが報恩寺の住持如海でございます」 「申しおくれました」と、石秀はそれへ来て—— 「金陵生れで、またの名、命《べんめい》三郎というがさつ者でございます。どうぞよろしく」 「ではお時間もせまりますから、外に待たせてある衆僧をひきつれ、改めて、ご法莚《ほうえん》へ参《さん》じ直すといたしましょう」  如海はいちどおもてへ立ち去った。  門外にはおくれて来た法要坊主が大勢時刻を待っていたのである。——ひとしきりは何の支度か、饒舌《じようぜつ》の囀《さえず》りがただガヤガヤとかしましい。また何ともいえずなまぐさい。  古人も言っている。 「暴《ボウ》ナラズバ僧ラシクナイ。僧タラバ益《マスマス》暴。暴ナラバ愈僧ラシイ」と。  またこんな洒落た古言もある。  一字でいえば「僧」  二字でいえば「和尚」  三字でいえば「鬼楽官」  四字でいうならば「色中餓鬼《しきちゆうのがき》」だと。  なぜ色事と坊主とが古来こんなに観《み》られているのか。といえば、金持は金持で財貨や内輪事のなやみが多く、妻妾何号の数はあっても、とかく色情海の底までは溺れきれない。また貧者では、労働のつかれ、あしたの米ビツ、また、せまい屋根の下では、病人やら子供やらで、しんそこ女房に春情《こころ》をゆるし、うつつを抜かすわけにもゆかない。  しかるに坊主はどうか。  その肉体はやはり父情母血によって作られたもの。諸人とちっとも変ってはいない。そのうえ、身にきんらんを着、施主檀家《せしゆだんか》のふところで三度のお斎《とき》に飢《う》えは知らず、坐する椅子《いす》は高く、人に施すところは至って低い。住む伽藍《がらん》は殿堂をしのぎ、密房の時間はあり余る。自然、あたまのうちには念々、門外の娘、参詣の人妻、あれやこれの女、女、女、女ばかりの妄想がその有閑な肉体に住む。しかもほかに消耗《しようもう》のない体なので、それの沸《たぎ》るや、女肉へ没するや、さだめし精力絶倫だろうという一般的な見方がなされやすいもぜひがない。  というわけで、石秀が男女《ふたり》を見る目もちがっていた。そしてまた、義兄《あ に》の楊雄の身にもならずにいられない。業腹《ごうはら》が煮えてくる。面罵《めんば》してやりたくなる。 「こいつはあぶねえ。おれの性分がむらむらと出て来そうだ。といって、現場をつかんだわけではなし……」  このとき、はや衆僧は、如海《によかい》に引率されて、奥の法要の道場へ乗込んでいた。香煙《こうえん》るると磬《けい》を合図に礼拝《らいはい》する。そして壇には「王押司霊位《おうおうしれいい》」の位牌《いはい》があかりにまたたいているが、この法要を何と見るやら受けるやら、と石秀は末座で見ていながら滑稽でたまらない。  献斎《けんさい》の礼、茶湯《さとう》の供養。そして一座首《ざす》十坊主がいっせいに歌詠讃揚《かえいさんよう》するお経の仰々しさ。それが、おごそかなればなるほど、石秀にはくすぐったかった。——と、そのうちに施主《せしゆ》の巧雲が、楚々《そそ》と、前へすすんで香《こう》を拈《ねん》じる。誠《まこと》しやかなその合掌の長いこと。それと白襟《しろえり》あしのなまめかしいこと。たちまち、お経はみだれてきた。どの坊主の目もみな巧雲の乳だの小股《こまた》のあたりを愉楽《ゆらく》想像しているらしい。いや香《こう》よりも匂いのたかい女脂《によし》の薫《かおり》がふんふんと如海和尚の打振る鈴杵《れいしよ》もあやふやにし、法壇はただ意馬心猿の狂いを曼陀羅《まんだら》にしたような図になってしまった。  たそがれ、やっと終って。 「どうも皆さま。こんにちは、ありがとうございました。さだめし、仏もよろこんで、成仏得度《じようぶつとくど》したことでございましょう」  巧雲のお礼の辞につづき、石秀、潘《はん》じいさん、召使が先に立ち、 「どうぞ、あちらのお席へ」 「ゆっくりお斎《とき》なと召上がって」  と、別室のほうへみちびいて行く。  如海《によかい》は、いちばんあとから、上気した青い頭に湯気をみせながら歩いていた。すると側へ寄り添って行った女が、そっと匂《にお》う手《ハンケチ》を袖から渡した。 「師兄《に い》さん。お汗が……」  あたかも、舞台を下りてきた俳優と、贔屓《ひいき》の女客のごとき観がある。汗にぬれた手《ハンケチ》を、巧雲は、さもいとしそうに、それで自分の唇をつつむ。紅蘭《こうらん》に似るその瞼《まぶた》にもいっぱいな春心《も の》をいわせながらである。  お斎《とき》は一刻《とき》。やがて般若湯《はんにやとう》(酒)もすっかり廻ると、また祭壇へ出て宵のお経。また休息、またお経。明け方ぢかくまでそれがつづく。  次第にお経は乱調になる。坊主もみんなへべれけなのだ。猥談猥語《わいだんわいご》も出かねない。巧雲はおとりもちを人にまかせて、いつか小部屋の暗がりに如海をひきいれて口説《くぜつ》していた。 「ねえ師兄《に い》さんてば。……おちつかないのね」 「だって、檀家《だんか》先へ来て」 「あらいやだ。水くさい。わたしそんなつもりじゃありませんのよ。わからない」 「どう? ……。なにを」 「まあ、憎い。わかってるくせに。血盆経《けつぼんきよう》の願《がん》ほどきに、きっと行きますわよ。いいこと」 「しかし、昼にちょっとみた、あの義弟《おとうと》さんとかいう若いの。あの眼が気になるね」 「ち、あんなの、何でもありゃしない。いわば居候も同様なのよ」 「楊雄《ようゆう》さんだって、そうそういい顔ばかりもしていまい」 「だいじょうぶ。うちの良人《ひ と》ときたら、お勤め第一の道楽なし。それにわたしのいうことならさ、なんだってもう」 「そんないいご主人があるくせに、どうしてこの身のような者へ」 「いけませんか。あなた、わたしをころす気、死んでもいいというの。いったいこんな心にしたのはだれなんです。ええ、くやしい」 「あ、しずかにおしってば。ほんとにおまえは」 「こまり者」 「なにさ、もう可愛くって」 「うそっ。ほんとなら、どうかして」 「そんなむりを」 「いや、いや。いや。……くるしい。あたし、どうかしてしまったのかしら」  甘いすすり泣きに一瞬《いつとき》しいんとなったかと思うと、あまりにも早いうちに、廊《ろう》のどこかで衆僧の呼ぶ声がここの男女《ふたり》を驚かせた。 「海闍梨《かいじやり》さま、海闍梨さま、紙銭をお焼きください。暁天でございますぞ」  有明けの空とともに、祭壇の紙銭を焚《た》き、それで回向《えこう》一切も終るのだった。  煙とともに、如海の轎《かご》と十坊主の列は、山寺へ帰って行った。あとは乱脈、あとかたづけがまた大変である。そんなところへ、楊雄はなにも知らず、役署から帰ってきた。 「やあ、ご苦労ご苦労。石秀《せきしゆう》、君がいちばん骨折りだったろう」 「お、お帰んなさい。なあに何でもありゃしません。まずまず、無事にすみました」 「女房のやつは」 「え。義姉《ね え》さん、そこらに見えませんでしたか。じゃあ二階の寝室でしょう。ずいぶんおくたびれなすったろうから」 「すまんね。あとかたづけまで君にまかせ切りで。何しろあれは余り丈夫な体質でない方だからな。気だてはいい女なんだが、心でわびながら寝たんだろ。かんべんしてくれ」  わが女房である。恋女房でもある。義弟の石秀へも悪くは見せたくないのであろう。楊雄は女房に代って言いながら、二階の階段をのぼって行った。……ああ、何だッてまた、あんな気のいい男が選《よ》りに選った女をお持ちなすったのかと、石秀は階段の下からその後ろ姿を見上げて、ふと義憤の眦《まなじり》を熱くした。 秘戯《ひぎ》の壁絵《かべえ》もなお足《た》らず、色坊主が百夜通《ももよがよ》いの事  路次の角店《かどみせ》——一度は閉《し》めた例の肉屋をまた開業して——石秀《せきしゆう》はもうくだらないムシャクシャなどは、努めて忘れようとするものか、今日は早くから店頭に顔を見せ、客へもお世辞をふり撒《ま》いていた。  すると、午《ひる》すこし前のこと。  路次の奥から美しい女轎《おんなかご》がぞろと出て来た。お供は小婢《こおんな》の迎児《げいじ》と、舅《しゆうと》の潘爺《はんじい》さんとで、二人とも清々《すがすが》した外出《よそゆき》姿《すがた》、常ではない。 「おや、おじいさん、どちらへ?」 「石秀さん、留守を頼むよ。今日はの、それ……わしの死んだ家内の血盆経《けつぼんきよう》の願解《がんほど》きでな」 「へえ。報恩寺へですかい」 「先だってのご法要の晩、お住持の海闍梨《かいじやり》さまと、むすめの巧雲《こううん》がお約束をしたとやらで、聟どのの楊雄《ようゆう》も、そんなことなら行って来いと、機嫌よくゆるしてくれたというわけじゃ。帰りは晩になるかもしれないが」 「そうですかえ。行ってらっしゃい」  石秀は腕を拱《く》み、睨《ね》めすえるような眼で女轎《おんなかご》の巧雲を見送った。淫婦め! と口のうちでは言っている。そして、 「……気のどくなもんだなあ。何も知らずにいる気のいい兄貴(楊雄)は!」  と肉切り台へ吐き出すように呟《つぶや》いた。  うちの良人《ひ と》が拾って来て、店まで持たせてやっている厄介者《やつかいもの》の石秀——と見、巧雲は彼の眼のいろなど、気にしてもいなかったろう。心はただイソイソと先にある。むかしは糸屋の若旦那、いまは報恩寺のお住持となりすましている海闍梨《かいじやり》の裴如海《はいによかい》——その女にしても見ま欲しい姿へと、もうたましいは飛んでいる。  そこは薊州《けいしゆう》城外の古刹《こさつ》、さすが寺だけは山巒《さんらん》松声《しようせい》、いかにも苔《こけ》さびた閑寂な輪奐《りんかん》だった。 「オオようこそ。ようおいでなされました。さ、さ、ずっとすぐ御本堂のほうへ」  山門で待ちかねていた海闍梨《かいじやり》の如海《によかい》は、衆僧とともに、先に立って内へ導く。  巧雲はもうぼウとしていた。彼女も今日は思いきり化粧をこらし、楚々《そそ》とついてゆく姿は、欄間彫《らんまぼり》の吉祥天女《きちじようてんによ》が地へ降りていたかのようである。  だが諸僧のてまえ、お互いは、眼と眼でものをいっているだけでしかない。由来、お寺の“逢曳《あいび》き”というものは、妙に秘かな春炎と妖情を増すものだった。釈迦《しやか》の経《おしえ》、華厳《けごん》の呪《まじない》、真言《しんごん》の秘密。それと本能が闘って燃える。かつまた、世間離れした反逆の快《こころよ》いときめきなども手伝うものか。  客堂では、まず蘭《らん》を浮かした茗煎《みようせん》(茶)一ぷく。  ほどなく設けの施餓鬼堂《せがきどう》に入り、一同、神妙な回向《えこう》の座につく。看経《かんきん》二タ刻《とき》、巧雲は、御本尊の地蔵菩薩《ぼさつ》までが、いつかしら裴如海《はいによかい》の色白な顔に見えてきて、るると乱れる香煙の糸も妖《あや》しく、心は故人の願解《がんほど》きどころか、わが生身《なまみ》の願結《がんむす》びで、うつつはなかった。  やっと、やがて終って——。 「さあ、どうぞ奥院で、ご休息を」  と、一僧にいわれたときのありがたさ。潘《はん》の爺《じい》さんも、やれやれと腰をのばして、廻廊づたい、奥の小座敷へひき移った。  ここでは、精進《しようじん》料理のお斎《とき》がある。轎《かご》かきの者、お供の迎児《げいじ》までが、別室でご相伴《しようばん》の振舞いにあずかり、潘の爺さんは、持参の銀子《ぎんす》や織物などを差出して、 「ほんの、軽少ですが」  と、寄進におよぶ。 「まアまあ、そのようなお堅いことは」と、如海は収めながらも、すぐ一方で「どうぞ、今日はごゆるり遊ばして。さ、いかがです、おじいさん、もう一杯《ひとつ》」 「いやもう充分いただきましたよ。海闍梨《かいじやり》さま。これはいったい何という御酒で」 「山門自醸《じじよう》の銘酒でございますが」 「……道理で。こんな美味《う ま》いお酒はついぞ飲んだことがありませぬわい」 「ホ、ホ、ホ。いいんですか、そんなに召上っても」 「巧雲。まアおまえも、一ト口いただいてごらんよ」 「いえ」と、如海はべつな銚子《ちようし》を取って。「奥さまには、こっちのを差上げましょう。お弱いご婦人にはこの方が」 「ま。……酌《つ》いでくださいますの。もったいないこと」  そろそろ巧雲の沸《たぎ》る思いは姿態《し な》にもなって、眼もともとろり、肌の凝脂《ぎようし》も匂《にお》い立つ。  淫僧、裴如海《はいによかい》のこころもそこは同じ焦々《いらいら》だったに違いない。いつぞやの晩はむなしい交唇《くちづけ》だけで別れたこと。今日こそはの機会を外《はず》すわけはなかった。さればこそ潘爺《はんじい》さんの酒へは微量な眠り薬を混《こん》じ、巧雲へすすめたお銚子《ちようし》のものへは媚薬《びやく》を入れてあったのだ。薬法もまた仏家《ぶつけ》でいう“未見《みけん》真実”なら、色坊主が女体開眼の方便として用いるのもまた、彼らには、いわゆる女人済度《によにんさいど》の慈悲のひとつか。 「ま。嫌アねえ、おじいさんは。……すっかりいただき過ぎたとみえ、よだれを垂らしてしまって」 「奥さま。そっとしてお置きなさいまし。よろしいじゃありませんか」 「だって、あまり遅くなっても。……あ、わたしも何ですか、こう、少し酔ったみたい」 「ちょっと、こちらへ出て、風にお吹かれなさいませ。ここから先は、めったに、どんなお人も入れない所でございますが」 「ま。お静かですこと。まだ廊の先にお部屋があるんですの」 「私の部屋です」 「見せて。……いけません?」 「奥さまならば」 「嫌《いや》。……奥さまなんて。ねえ師兄《に い》さん、こないだの晩は、おまえといってくれたじゃありませんか」  煩悩《ぼんのう》の火は鉄も溶《と》かす。ましてや以前は糸屋の若旦那とか。出家沙門《しゆつけしやもん》となったのも、因《もと》は女からで、色の道と借金づまりの世間遁《のが》れ。——という前身の裴如海《はいによかい》であってみれば、煩悩などは、今が今のものではない。女の良人楊雄《ようゆう》の目を偸《ぬす》む恐ろしさは封じえないが、それにもまさる秘密な悦楽《えつらく》の唆《そそ》りは熟《う》れた果実のように巧雲の体から嗅《か》がれる。巧雲もまた、いまは触れなば落ちん風情《ふぜい》で、男の手へ。 「ごめんなさい、師兄《に い》さん。……わたし」 「おや、どうなすったえ」 「……なんだか。もう」 「そんなに飲みもしなかったのにね。いやすぐ醒《さ》めますよ。ちょっと、そこでお横になっては? ……ね、そうなさいよ」  次の間の帳《とばり》を引けば、当然、山僧が孤床《こしよう》の寝台は、五戒三帰《ごかいさんき》の菩提《ぼだい》の夢、雲冷ややかなはずであるが、どうして、迦陵頻伽《かりようびんが》の刺繍《ぬ い》の襖《ふすま》、紅蓮白蓮《ぐれんびやくれん》の絵《え》障屏《ぶすま》も艶《なまめ》かしく、巧雲は顔を袂《たもと》にくるんだまま、身を捻《ね》じ曲げて、 「アア」  と、練絹《ねりぎぬ》のようにそれへ横たわると、もう身も世もない姿だった。同時に、彼女の肌の蒸《む》れでもない妖《あや》しい香気、それも薫々《くんくん》と身悶《みもだ》えを感じるような匂いの底に焚《た》きくるまれる。  枕床《ちんしよう》にある宋青磁《そうせいじ》の小香炉《こごうろ》から、春情香のけむりの糸が目に見えぬ小雨の一ト条《すじ》ほどな細さに立ち昇っていたのである。それさえあるに、さきの酒には媚薬が混じてあったことゆえ、彼女の体のうちのものは正常な位置と唯のひそかな呼吸にあきたらず、誰かその唇を窒息《ちつそく》するほど吸ってくれて、そして体の奥所《おくが》のものに肉の縛《いまし》めと血の拷問《ごうもん》を加えてくれるような力を望むらしく、ウームとくるしげに眦《まなじり》さえも吊ッて、身もだえして見せるのだった。 「おくるしいんですか。え、お寝《よ》れませんか。上の着衣《も の》など、お脱ぎになっては」 「ひどいわ。薄情ねえ」 「あれ、泣いていらっしゃる」 「だって、泣かすんですもの」 「どうして」 「わたしをこんなにして」 「どうもいたしはしませんのにさ」 「だからよ。もう師兄《に い》さんていうひとは」 「ア、いた」 「食いころしてやりたい。わかっているくせに。ええもう、わたしを焦《じ》らして。離さない。離さない。もうどんなになっても」 「いいんですか」 「なにが」 「ご主人の楊雄《ようゆう》さんにさ」 「そんなこと、なんでいうの」 「それにあの、なんといいましたっけ。そうそう、石秀《せきしゆう》とかいう眼の恐い男もいるでしょ」 「あんなやつ。……ああわかった。あなたは恐いのね。恐くなったから、逃《に》げ口上《こうじよう》を仰《お》っしゃるのね」 「憎い?」 「そのまあ平気なお顔。悪魔。白い悪魔みたい」 「いま知ったんですか、この如海を。私は色魔なんですよ。ほんとの私という者はね。だから自分が恐ろしいのだ。それでもいい? ……。それでも」 「知らない」  ついと、顔を横にする。翡翠《ひすい》の耳環《みみわ》が充血した頸《うなじ》で小さく揺れ、その眦《まなじり》のものは、喜悦《きえつ》を待ち焦《じ》れる感涙に濡れ光り、一種の恐怖と甘い涙の滴《したた》りが、グッショリと、もみあげの毛まで濡らしている。  如海はおもむろに女の羞恥《しゆうち》をとりのけていった。巧雲の肌は、そのまさぐりに絶えきれず、いくたびも白雪の乳房をのけぞらしては頸椎骨《けいついこつ》を前へ折り曲げ、そして唇を求めるらしい喘《あえ》ぎをみせた。だが如海の方はあわててその唇にすぐ唇を与えるでもなく、 「ネ……。いつも、楊雄はどんなふうにするの」  と、海棠《かいどう》の花みたいな耳たぶを、噛むでもなく舐《ね》ぶるでもなく、歯で弄《もてあそ》びながら囁《ささや》いた。 「酷《むご》いわ」  と巧雲は拗《す》ねて少し怒った。 「だから断っておいたじゃないか」  のしかかっていた如海の体は、後半身を揚げて顔を女の腋《わき》の下に埋め、そのあたりから徐々に乳部を残して柔軟な肌を舌で探って行った。女は縒切《よぎ》れるように身を縒《よ》じる。苦痛の火にちかいうめきを歯の根にかんで熱い息をあらく吐く。それがとつぜん死んだように熄《や》んだ。如海の青い入道頭の頸《くび》すじあたりに女の雪をあざむく太股が挙げられて、男の顔のありかもない。ただ津々《しんしん》と地下泉の湧く渚《なぎさ》に舌をねぶる獣《けもの》のうつつなさといった姿態《し な》。そしてそのうちに女の鼻腔《びこう》が昏絶《こんぜつ》のせつなさを洩らしたと思うと、彼はやにわに胸をのばして巧雲の唇へ移った。女は夢中で女自身の津液《しんえき》をふくんだ男の口を奪い、刹那、狂奮して顔を烈しくふるわせた。むしゃぶり啖《く》らう勢いで如海の舌のその奥の根元までを痛いほど吸った。なおかつ如海は加えるものを与えず、女の蘭瞼《まぶた》をむごたらしく上から見すえる。女は眸《め》も気も霞《かす》み、怨めしげに重なっている上の眼を見すえた。細めているが艶を超えて生き物の極美を放つような虹が女の眼の中に沸《たぎ》るとみると、如海ははじめて心に誇りきっていたものを悠々と女の望むところへ充たした。  叫絶《きようぜつ》一喚《かん》、これは唐風《からふう》な彼国《かのくに》の表情表現法で、わが国の春語のごとく、哭《な》くとはいわない。  きょきょとして泣く。すすり泣く。などというのは特有な日本的閨房語《けいぼうご》で、極まるとき、一叫《きよう》また一叫《きよう》、叫ぶというのがあちらの男女の感受性らしい。「阿呀《ああ》一声《せい》、身子《み は》已是酥麻了《しびれわたる》」といったような文字がよく見られる。前技、後技のことも、万国色道哲学における人類の研鑽《けんさん》はどこといっても変りはないが、その執拗度《しつようど》やねばりにおいては、多少、国情や体力の相違もあろうか。一研《けん》一擦《さつ》、三深《しん》九浅《せん》、緊々縮々《きんきんしゆくしゆく》、などという表字法にみても、別してこの裴如海《はいによかい》ひとりがそう傑出した色坊主であったわけでもあるまい。むしろ四囲の環境と、姦通《かんつう》の秘味と、またその折の巧雲のからだの条件とにこのさいは問題がある。  なにしても巧雲は、この一ト出会いに頭の芯《しん》まで忘れられないものに焦《や》かれてしまった。となると、大胆さは男よりも女にある。彼女は別れ際に、次をせびった。しかし寺である。そう口実をみつけて通って来るわけにはゆかない。そこで次のような一策を案出した。  良人の楊雄は、月のうち半分は宿直で、勤め先の牢《ろう》役署から家には帰らない。——だから召使の迎児《げいじ》を裏口に出しておき、楊雄が不在の晩は、門口に線香を焚《た》かせておく。  しかし、ひょっとして、逢曳《あいび》きの寝疲れなどで、鴉《からす》の声にも目覚めずにすごしたら大変だから、朝まわりの頭陀《ずだ》(朝《あさ》勤行《ごんぎよう》に町の軒々を歩く暁の行者《ぎようじや》)をたのみ、朝々裏口で木魚《もくぎよ》を叩いて貰うことにしておけば、まず万一の心配もない。 「おいや? そうするは」  と、巧雲はながし目で言った。 「よいとも」と、如海もまた、この女の湿潤《しつじゆん》な肌の奥行きが忘れえず。「——寺に一人、気のきいた寺男がいる。それにたんまり握らせて、頭陀《ずだ》の役をやらせよう。だが、きっとだね」 「いやよ、あなたこそ、忘れては」  艶笑一顧《いつこ》、女は、もいちどおくれ髪を調《しら》べて寺を立ち去った。そして屋敷へ帰ると、次の日は小婢《こおんな》の迎児《げいじ》に珠やら着物やらを買ってやり、これも手のうちにまろめこんだ。わずかな鼻ぐすりですぐ忠犬に変る“奴才《どさい》”の婢は、どこの家にもあるものか。——かくて、楊雄が家に帰らない夜といえば、線香の火と、この小婢《こおんな》の手びきで、頭巾を眉深《まぶか》にかぶった色坊主が、不敵にも、ほとんど一晩おきに、人妻の秘室へ忍び通うという不義の甘味を偸《ぬす》んでいた。 友情一片の真言も、紅涙《こうるい》一怨《えん》の閨語《けいご》には勝《まさ》らずして仇なる事  世間、どこかには、眼があるものだ。  まして石秀《せきしゆう》はかねがね、臭《くさ》いと見ていたことなので、ここ一と月もたつと、 「……ははん。やってやがるな」  と、感づいていた。  頃は十一月《しもつき》初め。朝々はもう真っ白な霜なのに、夜明けまぢかというとよく、わざわざ袋路次の奥へ入って来て、ぽかぽか、木魚を叩きぬく頭陀《ずだ》がある。今朝も今朝とて、まだうす暗い外で、  ……普度衆生《ふどしゆじよう》  救苦救難《きゆうぐきゆうなん》  諸仏菩薩《しよぶつぼさつ》 「……また、やってやがる。ちッ、気になって、これで目が覚めるともう寝られやしねえ」  肉屋の裏木戸から、路次を覗《のぞ》いて、一喝《いつかつ》くれてやろうと思っていると、なんと、奥の楊雄《ようゆう》の家の裏門から、ひらっと、べつな頭巾《ずきん》姿の大男が出て来るなり、頭陀《ずだ》と一しょに、すうっと、表通りへ消えて行った。 「ああ、やっぱり、あいつだ。……お気のどくだなあ。奥の兄貴は」  彼には、もう見て見ぬ振りは出来なかった。第一気がクサクサして店の客へお愛相も見せていられない。ぶらっとその日、州橋の街通りを行きつ戻りつ、なんとか楊雄を役署から呼び出す法はないものかと考えていた。 「おいっ石秀《せきしゆう》。どうしたんだい。浮かぬ顔して」 「あ、兄貴か。いや今、思いきって、役署の誰かに頼んでと……考えていたとこなんで」 「おれにかい。おれに会いに?」 「へえ、折入ってね」 「いつだって、家《うち》で会える仲じゃあねえか。なんだって、わざわざ外で」 「兄貴。ここじゃ何ともおはなしが出来ません。ちょっと、一杯つきあっておくんなさい」 「君に奢《おご》らせる手はないよ。ここらは縄張り内だ。おお、そこへ登楼《あ が》ろう」  橋畔に見える一亭。顔ききの楊雄である。先に入る。楼中の者、下へもおかない。 「料理も酒もそれだけでいい。呼ばないうちは、誰も来るなよ」  そこで楊雄は、あらたまって訊《たず》ねた。 「石秀。義の杯は、伊達《だ て》に交わしたわけじゃあない。君の憂いは俺の憂いだ。さ、何でも打明けてくれ」 「いや兄貴。自分のことじゃあないんだ。じつは兄貴の女房——義姉《ね え》さんのことにつきましてね」 「なに。巧雲《こううん》のことで?」 「へ。……言い難《にく》いなあしかし……。だが、いわずにもいられまい。兄貴、怒ッちゃいけませんぜ」 「ふーむ。何か巧雲に、おもしろくないことでも」 「大有りなんで。じつあ、お耳に入れるのも遅いくらいなんですが、報恩寺の色坊主と、とうにお出来になっておりますぜ。……さ、さ。そう目の色をお変えなすっちゃいけません。おちついて、私の眼玉が間違いか真か。あなたはご亭主。冷静にご判断なすっておくんなさい」  と、そもそも海闍梨《かいじやり》の裴如海《はいによかい》が、一周忌《しゆうき》法要で屋敷へ来た夜のことから、以後の不審や、ちかごろ気づいた頭陀《ずだ》のことまで、またこの眼で、怪しい頭巾男が明け方抜け出る姿を目撃したことまですっかり並べたてて忠告した。 「ねえ兄貴。兄貴にとっても恋女房。せっかくなご夫婦仲を裂《さ》くようで、なんとも口が硬《こわ》ばりますが、どうも義姉《ね え》さんというおひとは、いい心のお方じゃあありませんぜ」 「……。ありがとう!」 「やっ、急に。……兄貴、いったい何処へ?」 「知れたこと。離してくれ」 「だから言ったじゃありませんか。ここは胸にたたんでおきなすって、まあまあ、現場を抑えてからになさいまし。ご身分もある。世間態《てい》もある。男のつらいところでさね」  なだめているところへ、役署の組下が、楊雄を探しに来た。その夜は非番だったが、奉行の自宅で、祝いに呼ばれていたのである。  石秀と街で別れて、彼はそっちへ出向いたが、鬱々《うつうつ》と、腹が煮えてたまらない。またいつにない彼の悪酔に、奉行や朋輩《ほうばい》も目をそばだて、もう飲ませるなと警戒したが、止めればこそだ、なおさら意地になって飲む。  結局、彼は配下の者に舁《かつ》がれて、ぐでんぐでんになって帰った。玄関は大騒ぎである。潘爺《はんじい》さんやら迎児《げいじ》やら、妻の巧雲もまた出て来て、さらに二階の寝室までかつぎ上げるといった騒ぎ。 「どうなすったの、あなたはまあ……」 「なんだと! この売女《ばいた》め」 「あら恐い目。ま、着物を脱いで、寝床《と こ》へお横になりなさいよ」 「触《さわ》るなっ。けがらわしい」  仰《あお》に寝たまま、楊雄は足をあげて、どんと彼女を蹴とばした。 「臭いっ、男臭いっ。あっちへ素去《すさ》れ!」 「酒臭いのはご自分じゃありませんか。どうかしてるわ、この人は」 「よけいなお世話だ。面《つら》を見るのもムカつくわ。すべた、私窩子《じ ご く》、消えて失せろ。この部屋に寝るのはゆるさん」 「じゃあ、勝手になさい。知りませんよ、風邪をひいても」  巧雲は唇の端をチッと鳴らしながら扉《と》を排して隣室へ行ってしまった。楊雄は大ノ字なりにふんぞり返っている。しかし眠れない。眠らんとすればするほど心炎《しんえん》はカッカと冴えてくるばかり。ついにまた、脚を床にドタバタさせて呶鳴《どな》りだした。 「巧雲、巧雲っ。……離縁状をくれてやるからここへ来いっ。やいっ、出て来いッていうのに、髪の毛を切って梵妻《だいこく》にしてくれるからここへ出て来いっ」  寝てもいられない。巧雲はまた良人《おつと》の部屋へ恐々《こわごわ》と入って行った。するとすぐ、彼女の悲鳴がヒーッともれた。しかしまたしばらくするとそれは、甘いようなすすり泣きに変り、夫婦らしい密語にしいんと密《ひそ》まッて、なお、しゅくしゅくと、五更《よあけまえ》の残灯《あかり》もともにまたたき哭《な》いているふうだった。 「……じゃあ何か、巧雲、おれがいったのはみんな根もない嘘だと言い切るのか」 「く、くやしい、わたし……。嘘ッぱちにも何も、まったく身に覚えなんかありませんもの。みんなあの居候めの、つくり言《ごと》です、濡《ぬ》れ衣《ぎぬ》です」 「てえと……石秀の讒訴《ざんそ》だというわけだな」 「そうですとも、元々はあなたが、どこの馬の骨やらしれないあんな男を連れて来て、義の弟だの、やれ私を義姉《ね え》さんだなンて、呼ばせるからツケ上がってくるんですよ。もう私だって、我慢はならない。言ってしまう! ……」 「何を」 「今日が今日まで、じっと我慢していたんですけれど。……畜生、わ、わたしにこんな汚名を着せて、あなたとの仲を裂こうとするなら」 「ま、まさか、夫婦仲を裂こうなんて、そんな石秀じゃあるまいに」 「いいえ、あなたのその人の好さ。それをあいつは、ちゃんと見抜いて、私までを誑《たぶ》らかそうとしてるんです。女の口からは、つい言えもしない言い難《にく》さから、今まで黙っていたのは、私も良くはありません。けれどそれは、かんにんして下さるでしょ。もう言ってしまいますから」 「何をおまえにしたというのか」 「はじめのうちは、うるさく艶書《つけぶみ》なぞをそっとよこしていましたけれど、しまいには図ウ図しくなって」 「えっ、艶書を」 「それどころじゃあないんですよ。あなたが非番の夜だというと、裏庭から忍んで来てさ」 「ここへか」 「いちどなぞは、私を手ごめにしようとさえしたので、私も覚悟したほどです。見てください、そこの化粧台の抽斗《ひきだし》を。いつも魔除《まよ》けの短刀を入れておくんです。つい、こないだの晩だって、私は刃を抜いて見せてやりました。乱暴するなら自分の手で死んでやるって。そしたら良人が仇を取ってくれるだろうといったら、こそこそ消えて行きましたけれど……」 「泣くな。……悪かった」  楊雄は、ごくっと、乾いた口に、息を呑んだ。元来が一徹《いつてつ》である。真《ま》にうけると、急傾斜する。  ど、ど、ど、と足音あらく階段を降りて行った。そして隠居所の潘爺《はんじい》さんを呼び起し、ふた言三言、何かいっていたと思うと、まだ空も暗いのに、役署の方へ行ってしまった。  潘爺さんはまごついた。「——今日限り角《かど》の肉屋をたたんじまえ、店の諸道具も、豚も羊も物置へ叩ッ込んで店仕舞《みせじま》いの札を出せ」と、いいつけられたのである。またすぐ役署からは牢屋勤めの楊雄の配下の者がやって来て、たちまち外から戸をコジ開け、潘爺さんの手も借らず処理してしまった。そして豚の股を何本も肩にかついでゲラゲラ笑いながら退散した。  事の急変と、その荒ッぽさに驚いたのは、店の一室で寝ていたあだ名、命《べんめい》(命知らず)三郎の石秀《せきしゆう》である。むらむらッとしたが、すぐ否《いや》と、胸をなでさすった。 「……兄貴に科《とが》はねえことだ。現場を抑えぬうちは決して言いなさんなよと、あれほど堅く断ッといたのに、つい女の顔を見た業腹《ごうはら》まぎれ、責めなすったに違いない。そこで淫婦の持ち前、逆手と出やがったものとみえる。ふふん、考えてみりゃあ、世間ありがちな犬も食わねえことかもしれねえ。まずは大人しく引き退《さ》がろうかい」  元々、気らくな流浪三界の身、すぐ荷物を取りまとめ、店の現金、出入り帳、きれいに揃えて、潘爺さんの隠居所へ抛《ほう》り込み、朝飯も食わずにぽいと飛び出した。そしてそのまま薊州《けいしゆう》の地を去ろうとしたが、 「いや、待てよ」  彼は町端《まちはず》れの木賃宿に泊りをとって、その日一日考えた。  性来の淫婦といっても、ひと通りな巧雲《こううん》ではない。かつは情夫《おとこ》の裴如海《はいによかい》がしたたか者。わるくしたら行くすえ邪魔者の楊雄《ようゆう》に一服毒を盛らないものでもない。そんなことにいたらないまでも外聞がある。楊雄の面目はまるつぶれだ。薊州の男が一匹すたる。 「一宿一飯の恩はさておき、かりにも、いちどは義を結んだ兄弟を」  彼は思い直した。一思案に向ったのだ。楊雄が宿直の日はわかっている。——その晩、丑満《うしみつ》ごろに木賃宿を出て、五更《こう》の前から以前住んでいた袋路次の角《かど》にひそんで期すものを待ちかまえていた。とも知らず、例の乞食頭陀《ずだ》が、やがて木魚を叩きながら、路次口へ入りかけて行く様子。しめたとばかり——いきなり跳びかかって「やいッ、声を出すな」と頭陀《ずだ》の襟元を引っつかんだ。 「いるんだろうナ。ゆうべから」 「な、な、なんでございますか。てまえは、何も」 「しらばッくれるな。密夫《みそかお》の如海《によかい》坊主が、巧雲の寝間にもぐり込んでいるだろうと、訊いているんだ」 「へ、へい……。よくは存じませんが、その」 「まあいい。着物を脱げ。頭陀袋も、木魚もそこへ置け。裸になれ、裸に」  頭陀はふるえ上がった。いわるるままに、章魚《た こ》のような物が出来上がり、ガクガク歯の根をならして地に坐りこむ。石秀はすぐ自身の衣類を彼のと着替えて、 「てめえはちょっと眠っていろ」  と、喉の辺を、ひとつ締めた。頭陀はかんたんに目を白くして仮死してしまう。それを肉屋の裏口へ抛《ほう》りこんで、彼自身頭陀その者になりすまし、奥の屋敷の塀に添って、裏門の辺をうろつきながら……普度衆生《ふどしゆじよう》……救苦救難《きゆうぐきゆうなん》……諸仏菩薩《しよぶつぼさつ》……ポクポク、ポクポク、木魚《もくぎよ》をたたきぬいていた。 薊州《けいしゆう》流行歌のこと。次いで淫婦の白裸《びやくら》、翠屏山《すいへいざん》を紅葉にすること 「お。頭陀《ずだ》の木魚が聞える。もう夜明け近いのか」  前夜からの濡れ事に、ぐっすり寝込んでいた裴如海《はいによかい》は、あわてて法衣《ころも》を着込み、長頭巾をかぶり出した。  白粉《おしろい》の痕《あと》もないほど、巧雲《こううん》も性《しよう》を失った姿で寝入っていたが、後朝《きぬぎぬ》ともなれば、まだ飽かない痴語《ちご》も出て、男の胸へ纏《まと》いつく。 「何さ、またすぐ会えるじゃないか。幾日もの別れじゃなし……」  如海ひとりがスッと出て行くと、階下の廊では小婢の迎児《げいじ》が提洋灯《てらんぷ》をさげて待っている。——手筈は毎々の順序どおり。カタンと裏門の閂《かんぬき》を迎児が外《はず》すと、とっさに如海がひらと表へ抜けて出る。  ポクポク、ポクポク、頭陀《ずだ》の影は塀《へい》の角で、しきりとまだ木魚を叩いてるばかり。「——おや、頭陀のやつ。どうしたんだろ、いつになく?」と如海は、自分から馳け寄って行き、 「よせ。木魚はもういい。帰るんだよ、帰るんだよ」  と、一ト声叱ッた。そして、先にそこの路次から表へ走りかけたが、とたんに何かがその襟《えり》がみをぐんと後ろへ引きもどした。 「和尚《おしよう》っ。ちょっと待て」 「げっ?」 「じたばたするな。こう、ふん捕まえたら逃がすこっちゃあねえ。俺の面《つら》には覚えがあろう」 「ヤッ。おぬしは」 「この世の見おさめによっく見ておけ。楊雄《ようゆう》の義弟《おとうと》分《ぶん》、命《べんめい》三郎の石秀だ。よくも兄貴の面《つら》に泥を塗りゃあがったな。うぬっ」 「あっ、た、たすけて」 「してえ三昧《ざんまい》な真似しやがって、虫のいいことをぬかすな。この極道《ごくどう》坊主」 「わ、わかれる! いつでも、女と別れますから」 「くそ。もう間に合わねえ!」  石秀は相手のもがきを後ろから抱きしめたまま、右手の短刀で如海のわき腹を深く刺した。抉《えぐ》りまわし、抉り廻して、どんと捨てた。  霜の路次を、さっと鮮血が流れ走る。彼は、如海の頭巾や法衣を剥《は》ぎとって手に抱え、路次から往来へ飛鳥のごとく躍り去った。……と、まもなく夜は白々明け。世間のあちこちでは、戸を開ける音。車の往《ゆ》き来《き》。 「たいへんじゃ。人殺しじゃ。裸のお坊さまが殺されている!」  いちばん先に、路次の死骸を見つけて騒ぎ出したのは、毎朝これもきまってこの辺へ手車の鈴を鳴らしながら廻って来る、餅粥《もちがゆ》売りの爺さんだった。さあ騒動である。往来はすぐ人の山。役署からは検死が来る。目明しが近所一帯を洗って聞き廻る。  死体は、報恩寺の如海とすぐ知れた。もう一人の頭陀、これは気絶していただけなので、すぐ息を吹っ返し、裸のまま拉致《らつち》された。頭陀は報恩寺の納所《なつしよ》、胡道人《こどうじん》というやつ。彼の白状で事はあらまし奉行所の調書にのぼった。  ところがまずい。事件は牢役署勤めの官人楊雄《ようゆう》の妻の姦通沙汰だ。おそらくは楊雄がそれを知って、他人の手で姦夫《かんぷ》如海を殺させたものにちがいなかろう。と奉行所では観《み》たのである。  奉行は処置に窮した。巧雲が、楊雄の恋女房とは日頃の私交上でわかっている。彼に同情せずにいられない。かたがた、頭陀の白状でも、如海の悪行はあきらかなので、これは極小に内輪扱いとしておくに限ると考えた。で、報恩寺内の全坊主の呼び出しや犯人捜査の令は、型どおり行ったが、楊雄には、一片の証言を取っただけで、おかまいなしとなった。  巧雲は、ぞーっとしたろう。潘《はん》の爺さんも、きもを冷やしたにちがいない。だが、娘のことである。爺さんも、ぷつんと、口を閉じて、以後これについては、何も世間へ語らない。  けれど、世間には目がある、口がある。  妙な俗謡が、薊州《けいしゆう》の町では流行《は や》りだしてきた。 羅傘《らさん》 さんさん 銅鑼《どら》 どんどん 肩で風切る病関索《びようかんさく》(楊雄のアダ名)も 惚れた女房は 斬りよもないよ 惚れた弱味じゃぜひもない 和尚ヌクヌク 頭陀《ずだ》ポカポカ 如法闇夜《によほうあんや》の 玉門《ぎよくもん》じゃもの いちど潜《くぐ》れば 忘られないよ 泳ぐ血の池 ぜひもない  町の酒場の妓《おんな》も唄う。辻でも子供が唄って囃《はや》す。楊雄《ようゆう》の耳に入らぬはずはない。楊雄は囃《はや》されている自分をあわれむとともに、以来影を消し去った義の弟石秀《せきしゆう》を思い詫び、 「どうかして、もいちど彼に会いたいもの」  と、ここ毎日、役署の行き帰りには、彼の居所を探していた。そしてついに、町端《まちはず》れの木賃宿に、彼のいることを突きとめ、会って、とたんに、はらはらと涙をたらした。 「石秀! ……。すまなかった。君の忠告をアダにしたこの腑抜《ふぬ》け者。わらってくれ、ゆるしてくれ給え」 「なんの、兄貴が分ってくれさえすればそれでいいんだ。もしかしてまたも女房の口に言いくるめられて、逆にこの石秀をお恨みなすっているんじゃないかと、私もついこの土地を去りえず、もういちど兄貴に会い、そして動かぬ証拠もお見せした上で立ち退《の》こうと思っていたんで……。ま、念のため、ごらんなすって」  と、石秀は血の乾いた如海の頭巾《ずきん》法衣などを取出して、彼の前に示し、これでもう今は心残りもない。義の杯はお返ししよう。これをもって自分は他国へ退散すると言い出した。 「いや待ッてくれ」と、楊雄は色をなして。「義兄弟の杯とは、そんな軽薄なものではあるまい。君はそれで気がすんでも、俺の心はすまない。また楊雄の男が立たぬ。もう一日待ってくれ」 「兄貴。待ったら、どうする気なのだ」 「女房の巧雲から、君へむかって、詫びをいわせる。すまないが、明日の午《ひる》、城門外の翠屏山《すいへいざん》へ来てくれないか」 「翠屏山? あの人里離れた山の上か」 「そうだ、きっと待ってるぜ。久しぶりに一杯というところだが、お互い胸のつかえを持っていては、美味《う ま》くもあるまい。あしたをすませた上でとしよう。じゃあ石秀、間違いなく」  と、楊雄は再度念をおして、帰って行った。  あくる日、石秀は、旅包みを背へ斜めに結び、 「おやじさん。お世話になったね。また旅烏さ。あばよ」  と木賃のはたご代を払って出て行った。いずれともなれ、もう薊州《けいしゆう》にはいないつもりらしい。  翠屏山《すいへいざん》は、薊州東門のそと、郊外二十里のところ。全山は墓地であり、丈《たけ》なす草、樺《かば》、白楊《はくよう》の茂み、道は磊々《らいらい》の石コロで、途中には寺も庵もなく、ただ山上に荒れ朽ちた岳廟《がくびよう》があると聞くばかり……。 「ほ。轎屋《かごや》か。そこにいる連中は」 「へえ、轎屋です。楊家の旦那と奥さまをお乗せ申して来たんで……。するってえと、岳廟のお詣《まい》りをすますから、麓《ふもと》で待てと仰っしゃいます。そこでこう、暢気《のんき》にみんなで御酒を頂戴しているという寸法でござんして」 「そいつアいい。めずらしいお日和《ひより》だからな。酒も風流に飲めるだろう。……じゃあ楊雄さんご夫妻は、もう先にお着きだね」 「とっくに山上でございますよ」 「ちと、遅かったか」石秀は足をはやめた。  谷も、鳥の声も、目の下に沈む。 「おう、兄貴」 「やあ、来てくれたか、石秀」 「待たせたらしいな。すまない、すまない。が、どうなすったんです。義姉《ね え》さんは」 「巧雲か」 「どこにも見えないじゃございませんか」 「いや来ている。いま会わせるよ。……が、まず寂《しず》かな景だ。一杯《ひとつ》、息やすめに飲まないか」 「麓で轎舁《かごか》きたちも飲んでいた。じつあそれを見てから、急に喉《のど》がグビついていたところでさ。一杯いただきましょうか」  岳廟の前に並んで腰をかけ、楊雄がたずさえて来た二箇の瓢酒《ふくべざけ》も、たちまち二人でカラにした。 「どれ……」と、楊雄はさきに腰を上げ、「じゃあ、石秀。巧雲に会ってもらおうか」 「お。どこにいるのか」 「この裏だ」  数歩。——石秀はそこで、ぎょッと立ちすくんでしまった。  巨木の幹に、半裸とされた女が縛《くく》り付けられている。  巧雲だ。すこし離れて、小婢《こおんな》の迎児《げいじ》も縄目のまま、灌木《かんぼく》の中に打《う》ッ抛《ちや》らかしてある。 「兄貴、いったい、これは? ……」 「約束どおりさ、巧雲から君へあやまらせるのだ。……ここまで、女房《こいつ》を連れ出すにも、なかなか、なんのかのと言い渋るので手拈《てこ》ずッたが、俺の夢見に二タ晩も岳廟の神があらわれて、きょうまでの魔邪《まがつみ》は水に流し、以前の夫婦仲を誓い直せと、お告げあったから行こうじゃないか……と、うまく誘い出して来たわけさ」 「それはいいが、なんでまた、こいつは余りに酷《むご》い仕置じゃないか」 「酷いって。……うむ、それは君が、この楊雄へ義理立てに言ってくれるのだろうが、石秀、君のほんとの腹では、八ツ裂きにしても飽き足らない思いに違いあるまい。町の俗謡《う た》を君だって聞いてるだろう。病関索《びようかんさく》の楊雄は、もう薊州《けいしゆう》では男がすたッた。君ももうそんな義理立ては捨ててくれ。……やい、巧雲」と、彼は一歩、女へ迫って。 「さ! 一切を懺悔《ざんげ》して、おれの義弟《おとと》にあやまれ。てめえは、二重三重に、亭主を誑《たぶ》らかしただけでなく、あらぬ罪を石秀にも着せ、始終、石秀がうるさく自分に口説き寄って困るなどとぬかしたろうが」 「……すみません! あれはまったく私の一時のつくり言。……石秀さん、うちのひとに詫びてくださいよ。後生だから」 「ふざけるな。女房の不始末は亭主のおれが始末する。石秀が何といおうと今はこのおれが堪忍ならぬ。……石秀、証拠の品は持って来てくれたろうな」 「これですかい」  石秀は、背の包みを解いて投げ出した。如海の法衣と頭巾である。ひと目それを見ると、さすが巧雲も真白な肌を鳥肌にし、髪の根もよだてて顔を横にした。 「覚えがあるな。知らぬとはいえまいな。巧雲」 「か、かんにんして。あなた……あなたとも、一度はあんなにも想い合った仲。後生、それを、もいちど思い出して」 「思い出すからこそ、ゆるせねえのだ。よくも俺の男を泥ンこにしやがったな。また、男と男の義を裂こうとしやがったな。もうこんな物は、てめえの髪には不要な物だ」  と、楊雄は、彼女の珠櫛《たまぐし》、金釵《きんさ》、簪《かんざし》などことごとくムシり奪《と》って地へ投げ、その手で腰の剣を抜き払った。  白刃を見ると、巧雲はヒーッと悲泣《ひきゆう》しだした。そして、遁《のが》れ得べくもない縛《いまし》めをもがき抜いて、半裸の白い肉体に縄目が食い込むばかりムチムチと波打ちもだえた。 「石秀。この刀を君に渡す。ぞんぶんに恨みをはらしてくれ」 「いやだ!」石秀は首を振って。「——いくらこの人が悪婦でも、兄貴の女房、まして自由のきかない女ずれを」 「まだ憐愍《れんびん》を持ってくれるのか。そこは君のいいところか。しかしこんな女を生かしておいたら、後日また、世間で毒をなすのは知れたことだ。よしっ、おれの手でする」  白い刃の切っ尖《さき》をつきつけられ、巧雲は髪ふりみだして悲鳴をあげた。足の指を曲げて爪さき立ち、眉をひそめ、喉《のど》を伸ばして叫絶《きようぜつ》する。その狂える様は、淫蕩《いんとう》な女体が、焚《た》きこめられた春情香の枕を外《はず》して、歓喜の極に、一喚《かん》、死息を怪しましめ、一叫《きよう》、凝脂《ぎようし》を汗としてうるおす、あのせつなに見せる摩那識《まなしき》の全くうつつない貌《かお》とそっくり似たような態《てい》でもあった。——おそらくはふと、良人《おつと》楊雄の脳裡《あたま》には、そのとき、他人の覗きえない幻影が彼女の姿態に重なって見えていたのではあるまいか。 「やかましいっ」  大喝《だいかつ》、こういったが、その剣の先は、彼女の悶動《もんどう》する乳くびのへんを、わずかに、ちょっと突いたのみである。血が走った。紅い絹糸のような血の条《すじ》だ。でも彼女は仰山なうめきをあげ、 「助けてーッ。死にたくない。人殺しっ。誰か来てえーッ」と、声をからして叫びつづけた。  このさまを見て、小婢《こおんな》の迎児《げいじ》は、縄目のまま灌木の中を跳び出して逃げかけた。一閃《いつせん》、楊雄は躍ッて迎児を斬り伏せ、返すやいな、その血刀で、 「阿女《あま》、思いしれ」  と、巧雲の心部を刺しつらぬいた。血を見るや彼自身も、その濛気《もうき》に酔ってきたのか、女の半裸から裳《も》の下までをズタズタな朱《あけ》に斬りさいなみ、あとは憑かれたものの如く、茫然《ぼうぜん》、血刀をさげて我に返らぬことしばしであった。 「……兄貴、やんなすったね、とうとう」 「覚悟の前だ。今朝、家を出て来る前から」 「もう薊州《けいしゆう》にはいられませんぜ。たとえ女房でも小婢《こおんな》でも」 「おお、人を殺したからには、そいつも覚悟さ。いさぎよく自首して出る」 「めっそうもねえ。そんな愚はおよしなさい。あなたほどな男が、こんな淫婦のいたずら事と、自分の一生を取りかえたりして埋まるものか」 「じゃあ、この楊雄はいったい、どうしたらいいのだ。俺もまだ若い。世間へ何も尽していず、世間の端ッこを覗《のぞ》いただけだ」 「どうです。梁山泊《りようざんぱく》へ行こうじゃありませんか」 「えっ、梁山泊へ」 「山東の及時雨宋公明《きゆうじうそうこうめい》をはじめ、義胆《ぎたん》の男どもが、雲の如く集まっていると聞くし、かたがた、近ごろ仲間を求めているとも言いますぜ」 「だって、何の手引きもなしでは」 「いいや、いつかあなたと兄弟の約をしたとき、町の居酒屋で、ちょっと行きずりの会釈を交わした二人がいます。ひとりは梁山泊の神行太保《しんこうたいほう》の戴宗《たいそう》、もひとりは錦豹子《きんびようし》の楊林《ようりん》。あの二人を頼んで行きましょうや」 「確かか。それは間違いない人か」 「じつはそのとき、戴宗その人から、銀十両もらっていました。その十両もまだここにある。ねえ兄貴、こうなったのも、思えば何か不思議な糸が私たちの運命をどこかで引いているような気はしませんか」 「行こう! 深い話は途々《みちみち》として」 「じゃあすぐここから」 「長居していると、麓に待たせておいた轎舁《かごか》きが、ひょっと登って来るかもしれない。オオ女の櫛、簪《かんざし》も路銀の足し、そいつも拾って」  と、血刀を拭《ぬぐ》って、鞘《さや》におさめ、石秀もまた旅包みを背に結び直して、峰づたい、道をほかへ探ろうと歩き出したときである。 「見たぜ、見たぜ! こう薊州《けいしゆう》牢役人の楊《よう》のおかしら。——ここに人ありだ、すっかりこの耳で聞いちまいましたぜ! 梁山泊落ちのご相談もネ。へへへへ」  何者だろう、どこかで不敵な笑い方をした者がある。いやに横着な言い廻しでもあった。 祝氏《しゆくし》の三傑《けつ》「時報《と き》ノ鶏《とり》」を蚤《のみ》に食われて大いに怒ること  折も折である。誰か? と楊雄《ようゆう》と石秀《せきしゆう》はぎょっとして、後ろの木蔭を振りむいた——。が、その目の前へ、颯《さ》ッと、泳ぐがごとく出て来た男の魔性めいたお辞儀振りを見ると、 「なアんだこの野郎、ひとを脅《おど》しゃあがって」  と、楊雄は怒るにも怒れぬように、かえってゲタゲタ笑いだした。 「だれかと思ったら、てめえは小泥棒の鼓上蚤《こじようそう》じゃねえのか」 「へい、蚤《のみ》の時遷《じせん》です。ひょんな所でお目にかかりましたね。牢屋のお頭《かしら》」 「てめえ。何もかも、物蔭で見ていたんだな」 「いけませんでしたか。——これから梁山泊《りようざんぱく》へ落ちのびようッていうご相談事も、ついそこで残らず聞いてしまいましたが」 「いまさら、いけねえといってみたって、仕方がねえや。……石秀、どうしたもんだろう。この蚤男《のみおとこ》を」 「蚤男とは、巧く言いなすったな。一体何者です、その男は」  そこで楊雄が、こう説明した。  ——昨日までの職掌柄《がら》で、自分も多年いろんな囚人《しゆうじん》を手がけて来たが、この時遷《じせん》アダ名を鼓上蚤《こじようそう》という蚤みたいな人間は、めったに知らない。  生れは、高唐州《こうとうしゆう》というがもとより前身不詳の無宿者で、よく捕まって薊州《けいしゆう》の牢屋へ入って来るが、すぐにまた牢から出て行く。——なぜなれば、たいがい軽い微罪だからで、ほかの罪人のように、被害者も訴え手もないのである。  じゃあ何で食ってるかというと、あちこちの墳墓《はかば》を掘って、殉葬《じゆんそう》(死者に副《そ》えて埋めた生前の遺愛品)の珠だの金銀を見つけては、市でこかしているものらしい。もちろんそれとて重罪だが、現場を見つかった例《ため》しはないので、ほかの微罪で捕まえて来る。ところが牢にいても牢中の愛嬌者だし、また、牢舎に飽きると、いつのまにか、自分の意志でぷいとどこかへ消えてしまう。——というと獄屋の境もないようだが、そうではなく、元々この鼓上蚤《こじようそう》ときては稀代《きたい》な“忍び”の達人で、骨はやわらかく、体は海鼠《なまこ》のように、緊縮《きんしゆく》自在なのだった。——それにまた気が向けば、獄を我が家のように心得、自分から帰って来ることもあるし、世間の生きている人間へは、かつて加害者となったことのない男だけに、牢番と相牢の仲間も、すべて笑ってこれを見ているという変り者でもあるのであった。 「なるほど、変ってますな」  石秀は、聞き終って、もういちど時遷《じせん》の風態《ふうてい》を見直した。なるほど妙に愛嬌があって小《ち》ッこい顔だ。目は細く、常に、日光をおそれるごとく眩《まばゆ》そうであり、顔じゅう、茶色の生《う》ぶ毛《げ》を持ち、笑うと不気味な歯並びが刃物のように真白だ。 「兄貴」  と、石秀は楊雄の耳へ口をよせて、 「……これも一能《いちのう》のある男。殺すのはもったいない。といって、生かしておけば、ここで見られた俺たち二人の所業《しわざ》から落ち行く先まで世間へむかって喋《しや》べられる惧《おそ》れもある。……どうでしょう、いっそのこと、梁山泊へ誘って一しょに連れて行っては?」  すると、聞こえもしないはずなのに、時遷《じせん》は跳び上がってよろこんだ。 「どうか、お連れなすッておくんなさい。あっしにとっても、願ったり叶《かな》ったりだ。——この山から薊州《けいしゆう》を通らずに梁山泊へ行ける抜け道だって知っていますぜ。どうかこの時遷に道案内をさせておくんなさい」 「げっ? ……」と、二人は驚いて、「時遷。おめえには、二人のこんな小声の耳打ちも、そこにいて聞えるのか」 「へエ、どういうものか、子供の時から耳のいいことといったら、蟻《あり》の足音も聞こえるほどなんで」 「気味のわるい。まアいいや、これも何かの縁だろう。ともあれここに長居はできねえ。おい、抜け道というのはどっちだ」 「そうきまったらこうお出《い》でなせえ」  と、時遷は間道《かんどう》へさして、先に立った。——かくてここ翠屏山《すいへいざん》における“潘巧雲《はんこううん》殺し”の一場面は、そのあとで、薊州じゅうの大評判となった以外に話はない。  旅の日をかさねて、先の楊雄《ようゆう》、石秀、時遷の三人づれは、はや州《うんしゆう》ざかいにかかっていた。——その日、香林《こうりんあい》という一村をすぎて、舂《うすづ》く彼方《かなた》に、一座《ざ》の高山を仰いだ頃だった。 「おや、ここらにしちゃあ洒落《しやれ》た旅籠《はたご》があるぜ」  足もくたびれ加減である。三人が近よってみると、やはり田舎《いなか》は田舎で、街道を前に、崩れ築土《ついじ》の茅葺《かやぶ》き屋根。しかし、百樹の柳にくるまれて、それも画《え》と見えるばかりか、入口の聯《れん》(柱懸け)には、 庭ハ幽《ユウ》ニシテ夕《ユウベ》ニハ接ス五湖ノ賓《ヒン》 戸《イエ》ハ厰《ホガラカ》ニ朝《アシタ》ハ迎ウ三島《トウ》ノ客  と、左右一行ずつの詩句が読まれる。 「……おい、お客さんよ。そんな顔して、その聯が読めるのかね」  門を掃《は》いていた宿の若い男が言った。 「読めなくてさ……」と、いまいましげに、楊雄が逆にたずねた。「なかなかいい書風だが、これは一体誰の字だい?」 「祝朝奉《しゆくちようほう》さまのご直筆だよ」 「書家かね」 「冗談じゃない。このあたり三百里四方きッての、荘《しよう》のおあるじだアね。つまり地頭《じとう》の大旦那さまだ。よく拝んでおきなせえ」 「はははは。こんな宿屋は初めてだ」  三人は笑いながら部屋へ通った。おおむね当時は自炊《じすい》ときまっていた。米、味噌《みそ》、肉、菜《さい》、飲みたいだけの酒、すべて現金買いである。  それを旅籠《はたご》で借りた鍋釜で煮炊《にた》きする。  ——楊雄はさてと、巧雲の髪から抜き取ってきた釵《かんざし》を出して、前払いの物代《ものしろ》とした。そしてさっきの若い男が何か面白そうなので、それをも加えた車座の四人でやがて飲みはじめた。  するうちにふと、石秀は、妙な物に目がつきだした。——厨房《ちゆうぼう》(料理場)へ入るてまえの細土間に、ずらと野太刀が十数本ならべてある。気になって仕方がないので、つい若者に訊いてみた。 「いい刀がありますね。道中、腰淋しくてならなかったところだ。一本売ってくれませんか」 「とんでもねえ」と、若者は一笑した。「——あれには一本一本、みんな番号がついてるからね、失くしたら大変なのさ。第一売り物じゃありませんよ」 「じゃあ何だって、飾り立てておくんですえ」 「知らねえのかい、お客さん。ここらはもう名うてな梁山泊に近いので、いつなんどき、やつらが襲《や》って来ないとも限らないから、その要心に備えてあるのさ」  三人はそっと目顔を見あわせた。  宿の若者はそれとも気づかず、酒の機嫌も手つだってか、喋々《ちようちよう》と“わしが国さ”のお郷《さと》自慢だの、また、自分らの上にいただく地頭の“わが殿自慢”を一席ぶった。  それによると。たそがれ。  ここの軒から彼方に見えた一座《ざ》の高山を、独龍山《どくりゆうざん》といい、その中腹に、この地方を統治している祝朝奉《しゆくちようほう》という豪族が代々《よよ》住んでいる。  その祝家《しゆくけ》には、世間で、  祝氏《しゆくし》ノ三傑《けつ》  と、敬称している三人の優《すぐ》れた子があり、麓《ふもと》のあちこちには、百戸、二百戸、また六、七百戸といった按配《あんばい》に、部族部族の村があった。さらにはまた、百里二百里の外にまで、小作百姓の聚落《じゆらく》を擁しているので、その勢力と財富とは、宛《えん》として、一国の王侯もおよばぬほどのものだというのであった。 「……ああ、いけねえ。すこし喋《しや》べり過ぎの飲み過ぎとござった。お客さん、ごめんなさいよ。どうか、ごゆっくりと」  若者は自分の寝間へひっこんだ。これでこっちも大人《おとな》しく眠りについてしまっていたら、後日の騒動はなかっただろう。——ところが、いつのまにか居なくなっていた蝙蝠《こうもり》男《おとこ》の時遷《じせん》が、ふらと帰って来たのを見ると、手に一羽の鶏——いや羽《は》ネをむしッて赤裸としたのを、どこで焼いたのか丸焼きにして提《さ》げてきた。 「オヤ鼓上蚤《こじようそう》、どこでそんな物を」 「へへへ。実はさっき厠《かわや》へ立ったとき、小窓から覗《のぞ》いてみたんで。……すると鶉籠《うずらかご》かと思ったら、なんと鶏が一羽入れて飼ってある。ちょうど辺りを見れば人もいず、ちょっくら締めて、一ト焙《あぶ》りして来ましたのさ」 「失敬して来たというわけだな。はて、こいつアまた薊州《けいしゆう》の牢屋戻しだぜ」  楊雄が冗談をとばすと、石秀もつづいて笑った。 「いやムダだよ兄貴。奴にとっては、お家の芸だもの。この癖は止みッこない」  さてまた絶好な肴《さかな》を見ると、新たに興を催《もよお》してくる。鶏の丸焼きをムシりあって、三人、さらに飲んで飲み更《ふ》かし、やがてグッスリ寝こんでいた。  すると五更《よあけ》の頃。 「おいっ、客人、起きてくれ。起きねえかよ、やいっ」  と、声にどすをきかせて枕元で呶鳴《どな》っている男があった。三人、同時に眼をさまして、ひょいと仰ぐと、例の宿の若者で、手に棍棒《こんぼう》をひッさげ「——大事な鶏を食っちまったのは、てめえらだろう」と、怒っている。 「知るもンか、そんなものを!」と、時遷《じせん》は下手人なので、慌《あわ》てた色を隠せない。「おい、客へむかって、変な言いがかりをつけるなよ」 「おや、この野郎。居直りやがったな」 「知らねえことは、知らねえというしかねえや」 「ふざけるな。頭かくして尻隠さず、そこに食い散らした鶏の骨が残っているじゃねえか」 「あ。これか」 「これかもねえもんだ。さあ、どうしてくれる」 「じゃあやっぱり、酒の上で食っちゃったのかな。とんとゆうべは覚えもなかった。だが、たかが、鶏一羽、代を払ったらいいだろう」 「うんにゃ。この鶏は、ただの鶏とはわけが違う。時報《と き》ノ鶏《とり》といって、狂いなく五更《よあけ》を告げるんで、この界隈《かいわい》での共同の物になっているのだ。さあ生かして返せ」 「無理をいうなよ。おれたちは魔法使いじゃねえんだから」 「それじゃあ、梁山泊《りようざんぱく》の下ッ端だろう。探りに入って来やがったな」 「なんだと」 「そうだ、そうに違いねえ。こないだうちから胡散《うさん》な奴が、この祝家荘《しゆくかそう》にうろついているから用心しろと、山荘からもお触《ふ》れが出ていたところだった。ようし! 三人ともに引ッ搦《から》げて、独龍岡《どくりゆうこう》の大旦那の御門へ送りこむからそう思え」 「何を」  と、時遷《じせん》が平手打ちを食わした弾《はず》みに、若者はどんと外へよろけた。——しかし部屋の外にも、はや近所の仲間が加勢に来ていたものとみえる。ど、ど、どッと得物《えもの》を持った一群の男どもが、とたんに、躍りこんで来た。  凄まじい格闘となり、楊雄と石秀とは、からくも相手を投げとばしながら、細土間の槍掛けにあった野太刀一本ずつを奪って外へ逃げ出していた。——けれど馳《か》けても馳けても、蚤《のみ》の時遷《じせん》は後から追いついて来そうもない。——捕《つか》まったらしい? と心配になってきた。振り返ると、旅籠《はたご》の一軒は、朝火事を出して炎々と燃えているのだ。しかもそこからなお数十人の喊声《かんせい》がこっちをさして追跡して来る。 「あきらめよう。蚤《のみ》一匹に関《かか》ずらって、おれたち二人までが、祝家荘《しゆくかそう》のやつらに、がんじ縛《がら》めの目に会わされては堪らない」  街道を外《はず》して、わざと横道へ走りこんだ。それがかえって悪かったともいえばいえる。さんざん方向に迷ったあげく、また一軒の居酒屋にぶつかった。朝飯前の空《す》き腹ではあり、ままよという気も手つだっていた。「——ごめんよ」とばかり入り込み、そ知らぬ顔をして、腹を拵《こしら》え、道など訊いていたものだった。  そして。「どれ、出かけようか」と、立ちかけると、あいにく、入れちがいにぬうっと入って来た、片目“目ッぱ”の大男がある。その半顔から瞼《まぶた》まで引ッ吊《つ》れている恐《こわ》い顔が、 「おや?」  と、楊雄の背を振り返ったと思うと、さらに声を大にして呼びとめた。 「おお! 薊州《けいしゆう》奉行所の牢《ろう》役人。そうだ、そこへおいでなさるのは、たしかあだ名を病関索《びようかんさく》とおっしゃる牢頭《ろうがしら》さんじゃございませんか」  彼を呼びとめたのは、中山府の人で、片目の醜《みにく》いところから、鬼臉児《きれんじ》と異名《いみよう》のある、杜興《とこう》という人間だった。  その杜興は、薊州の地に暴動があったとき捕《つか》まって、後日、免囚《めんしゆう》となってからも、しばらく楊雄《ようゆう》の世話になっていたことがある。  楊雄はすっかり見忘れていたが、何やかや、話のうちに、やっと思い出し、 「ああ、あの暴動の時の一人か。こいつア妙な所で会ったもんだな」 「へえ、その鬼臉児《きれんじ》の杜興《とこう》ですよ。こっちは暴動仲間の一人。旦那は薊州の首斬り役人。もう病関索《びようかんさく》の刀のサビかと、素直にあきらめをつけていたら、なんと、免囚の後々まで、えらいお世話になりまして」 「そんなことがあったかなあ」 「旦那はお忘れでも、こっちは忘れたことはございません。……が、その病関索の楊雄ともあろうお人が、こんな所で何をそそくさなさっているんで」 「じつあ、おれはもう薊州の役人じゃあない。仔細があって、女房の巧雲を手にかけ、二人の連れと一しょに落ちてきたんだが、その道連れの時遷ってえ奴が、ゆうべ祝家荘《しゆくかそう》の旅籠《はたご》で“時報《と き》ノ鶏《とり》”を盗んで食っちまったという騒ぎさ」 「ははあ。聞いていますよ、朝火事のことは。聞けば、そいつがまた、竈《かまど》の火を、家じゅうにぶり撒《ま》いたんだっていうことじゃありませんか」 「どうなのか、後はよく知らねえが、野郎一人、どうやら大勢に捕まってしまったらしい」 「捕まったのは確かでしょう。ここへ来る途中、毬《まり》くくりにされた男が一人、独龍山の方へ差立てられて行くのを見ましたからね。……だが、ご安心なさいまし。恩人のお連れの人なら、なんとか、救ってあげる工夫がないでもありません」 「ふうむ、そして君はいま、この土地で何をしているのか」 「言いおくれましたが、お蔭でその後、当地へ流れて来て、今では独龍山の地頭一族の一荘《そう》に、まあ浪人の用心棒格といった名目で、召抱えられておりますんで」 「するとやはり、祝朝奉《しゆくちようほう》の一族の家なのか」 「そうです。——詳しくいうと、祝朝奉というのは、土豪《どごう》の本家で、その西の麓に扈家荘《こかそう》、東に李家荘《りかそう》、三つの部族でこの地方三百里四方をかためているんで」 「えらい勢力なんだな」 「それに、祝朝奉には、祝氏ノ三傑といわれるいい息子が三人も揃っているし、また西の部族の扈家荘《こかそう》にも、飛天虎の扈成《こせい》というたいした腕前の一子やら、またその妹には、一丈青《いちじようせい》の扈三娘《こさんじよう》といって、日月の二刀を馬上で使うという稀代《きたい》なお嬢《じよう》さんもおりますしね……」 「そして、おまえさんが抱えられている主人というのは?」 「もう一ヵ所の、東の麓《ふもと》に居館《きよかん》をもっている同族の当主で、つまりその人が李家荘《りかそう》のおあるじ……。みだれ焼きの槍の上手で、また、戦場《いくさば》では、五本の“飛閃《な げ》刀《がたな》”を背にかくし、百歩離れて人を仆すという神技の持ち主です」 「では、その李家《りけ》の旦那というのは。……もしや世間でもよく噂にのぼる撲天《はくてんちよう》の李応《りおう》ではないのか」 「そうです!」と、彼は自慢していった。「大人物です。世にいう侠漢《おとこだて》です。ぜひ、いちど会ってごらんなさい。そして、お連れの人のことも、事情をいって頼めば、呑みこんで下さるにちがいありません」 「でも、こっちは見ず知らずだし、君は一介の食客、どうだろうな」 「いやいや、じつをいえば、主人李応とこの杜興《とこう》の間は、深く将来の心契《しんけい》で結ばれているんです。古くからいる召抱えのてまえ、表面は用心棒の食客としておりますが、吉凶、どんな相談事でも、私だけには打明けてくださる仲。……ともあれ、李家荘までおいでください。ご思案はまたその上でも」  と、杜興は恩人楊雄《ようゆう》と石秀をうながして、そこからわが住む主家の李家荘へ案内して行った。 「なるほど」  と楊雄も石秀も、ここへ来てみて驚嘆した。  山の根に拠《よ》って、広い濠《ほり》をめぐらし、千松万柳、門への道は、吊《つ》り橋だった。正門の次に内門をひかえ、白壁高く、楼に楼を層《かさ》ね、武器庫、厩長屋《うまやながや》、およそ備《そな》わらざるはない。  さらに、李応《りおう》その人も、噂にたがわぬ風貌の持ちぬしで、 「おはなしは、ただいま、杜興からよく聞きました。ほかならぬ杜興の恩人。杜興に代って、旧恩にお報いいたさずばなりますまい」  と、客殿《きやくでん》にあらわれるやいな、まず言って、楊雄と石秀を安心させた。  そしてすぐ祐筆《ゆうひつ》を呼び、 「本家へだぞ。ていねいに書け」  と、頼み事を口授《こうじゆ》して、一通をしたためさせた。終ると、自身署名して封緘《ふうかん》をし、べつな家従の者に持たせて、すぐ本家祝朝奉《しゆくちようほう》の居館へと、いそがせてやった。 「ま。……お連れ人は、すぐ貰いうけて帰って来よう。何もないが、その間、おくつろぎを」  李応のいいつけで、午餐《ごさん》が出る。——李応は、杜興のはなしで、楊雄の義気を愛し、また石秀の人となりをみて、これを好漢と見たものか、しきりに棒術や鎗《やり》のことなど持ち出して、感興、飽かない容子《ようす》だった。  ところが、——やがて帰って来た使者の報は、ひどく彼の眉を掻きくもらせた。——彼のいんぎんな書簡も、本家の息子たちの手に握りつぶされ、その返答としては「配下の者の旅籠《はたご》屋で搦《から》め捕った曲者《しれもの》は、梁山泊《りようざんぱく》の廻し者ゆえ、他人の手にはまかされぬ。わが家から奉行所へ突き出す」と、剣《けん》もほろろに突ッ刎《ぱ》ねられ、むなしく帰って来たとある。 「これはどうした間違いだろう。祝家《しゆくけ》を中心に、西の扈家荘《こかそう》、東のわが李家荘《りかそう》、三家は一族同体の仲なのに。……そうだ、杜興《とこう》、使いの口不重宝《ぶちようほう》のせいかもしれん。ひとつ今度はおまえ自身が行って、朝奉《ちようほう》に会い、直接、よくかけあってみたらどうだ」 「は。おゆるしとあれば」 「待て、念のためだ」  と、李応《りおう》は花箋紙《かせんし》を取って再度、前より丁重な手紙を直筆でしたため、さらに印章まで捺《お》して、杜興に持たせた。  杜興は馬に乗って、山腹の祝氏の本拠、独龍岡《どくりゆうこう》ノ館《たち》へいそいで行った。あとでは、浮かぬ顔いろながら、李応はまた、酒茶をかえて、二人を相手に、四方山《よもやま》ばなしをつないでいたが、しかしそれも、 「遅いのう。どうしたことか」  と、やがてはまた、一抹の不安と、時たつほど、重たい焦慮《しようりよ》になっていた。  すると。あわただしく、召使の一人がここへまろび込んで来た。——杜興が馬を飛ばして帰って来たというのである。李応がすぐ、 「二人でか?」  と、訊くと、 「いえ一人で」  と、顫《ふる》えていう。 「さては」  と一同、座を立って、中門まで行ってみると、なるほど、袋叩きにでもなって戻って来たのか、杜興は、紫いろに顔を腫《は》らし、歯ぐきからも血をたらして、悄然《しようぜん》と、馬のそばで、衣服の泥を払っていた。 窮鳥《きゆうちよう》、梁山泊《りようざんぱく》に入って、果然《かぜん》、ついに泊軍《はくぐん》の動きとなる事  独龍山《どくりゆうざん》は、梁山泊《りようざんぱく》を去ること、さして遠い地方ではない。  自然、対峙《たいじ》のかたちだった。  しかも梁山泊の勢いは、日に日に旺《さかん》となりつつある。疑心暗鬼、つねに祝家荘《しゆくかそう》一円が、彼から蚕食《さんしよく》されはしまいかと、厳に警戒しあっていた。  特に、祝朝奉《しゆくちようほう》の総領の祝龍《しゆくりゆう》、二男の祝虎《しゆくこ》、三男の祝彪《しゆくひよう》——この三人兄弟は——梁山泊を眼前の敵とみなし、配下一帯にわたって、うさんな奴が立ち入って来たら、容赦《ようしや》なく捕まえて来いと命令していた。  二度目の使い、杜興《とこう》は、そんな意気込みでいるところへ重ねて行ったものである。もとより祝朝奉は会ってもくれない。出て来たのは“祝氏ノ三傑《さんけつ》”と呼ばれる前述の三兄弟だった。——それも李応が自筆の書簡など目にもくれず、 「渡せぬといったら渡せん!」  の一点張りで、あげくには、 「きさまも梁山泊の仲間か。でなければ、梁山泊から鼻ぐすりでも貰ったのか」  という暴言。  杜興《とこう》は口惜しかったが、祝氏のおん曹司《ぞうし》たちが相手では怒りもならず、唯々、わけをはなして、哀願と陳弁とにこれ努《つと》めるほかなかった。 「くどい!」  三男の祝彪《しゆくひよう》は、短気者か。帰れとばかり、いきなり杜興を蹴とばした。杜興もつい、かっとなり、独龍山三家の誼《よし》みと、同族の義を知らな過ぎるなどとつい理を述べた。それがまた、若気《わかげ》の兄弟たちを、逆に煽《あお》ったものとみえ、二男の祝虎が、こんどは李応《りおう》の手紙を引き裂いて叩き返したものだという。 「……余りな仕打ちに」  と、杜興は今——紫いろに地腫《じば》れした顔の火照《ほて》りを抱えながら、李応《りおう》、楊雄《ようゆう》、石秀の前に、哭《な》いて、そのくやしさを語るのだった。 「……てまえも黙ってはいられません。第一、主人李応さまを侮辱《ぶじよく》されたも同様な仕儀では、このまま立ち帰れぬと申しますと、ならば馬に帰してもらえと、家来大勢を呼んで袋叩きとなし、遮二無二《しやにむに》馬の背へくくし上げられてしまい、ぜひなく一応恥をしのんで戻ってまいったような次第でございまする」  一《いち》ぶ一什《しじゆう》を聞くと、ついに李応も怒髪《どはつ》を逆立てて言った。 「いまはもう堪忍ならぬ。近ごろの宗家《そうけ》の小伜《こせがれ》どもは祝氏ノ三傑などといわれていい気になり、われら同族の長上までを軽侮《けいぶ》している風《ふう》がある。——やいっ、馬を曳《ひ》け! 者ども」  たちまち、彼は武装して、馬上となった。獅子面の胸当《むねあて》に、鍍金鋼《ときんはがね》のかぶとをいただき、背には五本の飛閃《な げ》刀《がたな》をはさみ、またその手には長鎗をかいこんだ。そして怒れる鳳凰《おおとり》のごとく、独龍岡《どくりゆうこう》へむかって馳け出した。 「すわ、おあるじの一大事だぞ」  と、荘兵《そうへい》二、三百も馳けつづいて行き、楊雄、石秀もまたこれをただ眺めてはいられない。ともにあとから追っかけて行った。  山腹の総本家、祝氏の門では、はやくも偵知《ていち》していたとみえる。三重の城壁と二つの荘門を堅め、銅鑼《どら》、鼓笛《こてき》を鳴らすこと頻りに急であった。——そしてたちまち、城門の吊り橋をさかいに、同族李応の人数と睨みあいの対峙《たいじ》となった。 「申すことあり! 祝《しゆく》の小伜《こせがれ》ども、これへ出て来い」  李応が呼ばわると、 「オオなんだ! 麓《ふもと》の伯父」  と、三男の祝彪《しゆくひよう》が、これも縷金荷葉《るきんかよう》のうすがねの兜《かぶと》に、紅梅縅《こうばいおど》しのクサリ鎧《よろい》を着し、白馬紅纓《はくばこうえい》の上にまたがって、三叉《さんさ》の大鎗も派手派手しく、部下百人の先頭に立って城門の外へ出てきた。 「彪《ひよう》だな、きさまは。こらっ、いつのまにきさまはそんな生意気口を覚えたか。その口にはまだ、おふくろの乳の香が消えておらんじゃないか。そもそも、きさまのおやじとこの李応とは、切っても切れぬ同族であるのだぞ。家柄として、祝家を宗家《そうけ》と立てているが、血からいえば、きさまらはわが輩《はい》の甥《おい》ッ子と申すものだ。……しかるに、何ぞや」 「はははは。李家《りけ》の伯父。無理をしなさんな。セイセイ息を喘《き》っているじゃないか。その先の文句は彪《ひよう》からいってやろう。——おれたち兄弟の手に落ちた梁山泊の廻し者、時遷《じせん》という蝙蝠《こうもり》面《づら》をした小《こ》盗人《ぬすつと》を、返してよこせというのだろうが。どうしておめおめ返せるものか。梁山泊はわが祝家荘《しゆくかそう》の敵国だ」 「だまれ、ばかもの」 「ばかとは何だ。さては李家の伯父も、欲にかかって、いつのまにか、ぬすっとたちの後ろ楯《だて》に廻ったな」 「よく聞け。あの時遷という男は、決してさような者ではない」 「ないといっても、当人が白状している。道づれの楊雄、石秀の二人に誘われ、梁山泊へ行く途中だったと、拷問《ごうもん》にたえきれず、白状しているんだから疑いはない。——それを戻せというからには、李家も臭い。梁山泊の手先になって、宗家《そうけ》のわが家を乗っ取ろうという腹か」 「青二才。いわしておけば」 「何を、老いぼれ」  祝彪《しゆくひよう》の朱《あか》い姿が、飛焔《ひえん》のごとく、李応《りおう》へせまった。——李応の長鎗、彼の三叉《さんさ》の鎗が、からみあって、音を発し、閃々《せんせん》といなずまのような光を交じえ、とたんに、両勢入りみだれて陣鼓《じんこ》、喊声《かんせい》、一時に鳴りとどろき、いずれも早や、退《ひ》くに退けないものとなったが、そのうちに、城壁の高櫓《たかやぐら》から、二男の祝虎が狙い放した一すじの矢が、李応の姿を、どうと、馬の背から射落した。 「や、や」  楊雄と石秀とは、仰天して、馳けよってゆき、「こいつは、しまった。おれたちのために、この人を死なせては」  と、馬の背へ抱き上げ、なお何か、気丈な李応は、叫んでいたが「——ひとまず退《ひ》け」と、麓へさして、総人数、なだれて帰った。  李応の矢傷はかなり深く、ただ、幸いに致命傷は外《はず》れている。石秀、楊雄は夜ッぴて、その人の病室にかしずいた。そして唯々「申しわけない」を繰り返していると、病床の李応もまた、 「……何の。こっちこそ、うんといって頼まれながら、その義も果たせず、おまけに、同族仲間の醜態をさらすなど、何ともはや面目ない」  と、顔をしかめて、苦吟《くぎん》するばかりであった。  げにも、不測な禍《わざわ》いは、どんな小事から生じるものやら分らない。鼓上蚤《こじようそう》の時遷《じせん》が、ふと、宿屋の“時報《と き》ノ鶏《とり》”をちょろまかし、それを三人して酒の肴《さかな》に食ってしまったなどの一些事《さじ》が、かかる大事におよぼうとは——と、楊雄、石秀も今はただ臍《ほぞ》を噛んで悔やむばかり。  しかも事件《こ と》はこれきりですみそうもない。祝氏《しゆくし》と李家《りけ》との同族の仲には大きなヒビが入ってしまった。そのうえまた梁山泊というものが、相互の感情対立を事難《ことむず》かしくし、祝氏の三兄弟は、その疑念のまま、さらに二段三段の追撃策を取って、徹底的な圧迫を、李家へむかって下さんものと、密々、うごいている風だった。 「ああ、何とも困ッた。二人がここで身を退《ひ》けばいいというだけのものではなくなった。どうしよう。石秀。おれたちとしても坐視《ざし》していられまいが」楊雄《ようゆう》が頭をいためての嘆息に、石秀もついに、自分の考えを持ち出した。 「このうえは、君と俺とで、梁山泊へ行って“馳《か》け込み願い”と出てみようじゃないか。なにしろ、相手が相手だ、おれたち二人の力では歯も立たぬ」 「む。……馳け込み願いか。よかろう。だが一応は、杜興《とこう》にも相談し、李応《りおう》大人にも、計ってみた上でなければ」  と、さっそくこれを、杜興から病床の李応にはなしてみた。李応は一日じゅう考えていたが、このままでは、李家の自滅と彼も観念したものか。反対はしなかった。そしてただひたすら、時遷《じせん》助け出しの一義が果たせなかったことを、深く病床から詫びているだけだった。  ここ梁山泊《りようざんぱく》の聚議庁《ほんまる》では、その日、山寨《さんさい》の群星が居ながれて、大評議がひらかれていた。  楊雄、石秀、ふたりの“馳けこみ訴え”が議題にとりあげられていたのである。  総統の晁蓋《ちようがい》が、まず最初の“決”を取った。 「よろしい、わかった。二人の入党はみとめるとしよう。しかし、楊雄と石秀の身素姓や、その人間の保証は、たれの推挙になっているのか」 「戴宗《たいそう》です。——先ごろ戴宗が薊州《けいしゆう》へ旅したとき、石秀を知り、その石秀の義の兄として、楊雄もつれて来たわけで」  と、軍師呉用《ごよう》が、そのそばで、説明をあたえていた。 「だが」  と、晁蓋は、議事をもどして、 「そのほかに、もう一人、鼓上蚤《こじようそう》の時遷《じせん》っていうのが、連れじゃあないか。その連れの男が、気に食わんな。……“時報《と き》ノ鶏《とり》”を盗んで食っちまうような小盗《こぬす》ッ人《と》……公徳心のない乞食野郎……そういう人物は梁山泊へ入れたくない」 「ですが、仔細を聞くと、一芸一能はあり、性根もいたって好い奴だそうですが」 「しかし君」と、晁蓋はやや色をただして、呉用のとりなしに反駁《はんばく》した。「——われわれ梁山泊一味の者は、かつて王倫《おうりん》をここで断罪にしていらい、義をとうとび、世間へは仁愛をむねとし、かりにも非道の誹《そし》りや恨みを民百姓に購《か》わぬよう、仲間の内は、古参新参のへだてなく、和と豪毅の結びで、一家のように生き愉しもうと、天星地契廟《てんせいちけいびよう》の前で、かたく誓いあってきているのじゃないか。……そんな、鼓上蚤《こじようそう》とかいう蚤虱《のみしらみ》みたいな奴は、入れるわけにはゆかんよ。……ましてやだ! そんな人間を助けるために、ここの人数をくり出すなどはもってのほかだ。取り上げるわけにはゆくまい」 「いや、おことばですが」  と、それまで黙っていた及時雨《きゆうじう》の宋江《そうこう》が、ここで初めて口をひらいた。 「あながちには申せません。鼓上蚤といえ、やはり一個の人命ですから。……それに捕《つか》まッた原因は“時報《と き》ノ鶏《とり》”をムシリ食ったつまらん悪戯にすぎませんが、これを捕えた祝家荘《しゆくかそう》では、梁山泊の廻し者として、声を大に、われわれを誹謗《ひぼう》しているとのことです」 「副統——」と、晁蓋《ちようがい》はつねに一目おいて敬愛している宋江のことなので唇《くち》もとに微笑をみせながら「いつになく、このことでは、さいぜんから、ご熱心なお顔色ですな。どうしてですか、こんな小事件に」 「いや、事は小さきに似ていますが、なかなかこれは将来の大事を孕《はら》んでいる問題です。——なぜならば、祝氏ノ三傑をはじめ、かの独龍山三荘の勢力というものは、こことの距離、地勢、その他いろいろな条件からみて、どうしても行くすえ、わが梁山泊と、雌雄《しゆう》を決せねばならぬ運命をもっておりますよ」 「む、む」  と、かたわらに居並んでいる呉用、戴宗、秦明《しんめい》、林冲《りんちゆう》、みな大きくうなずいた。 「のみならずです。……祝朝奉《しゆくちようほう》は、その身、土豪の長として、領下の民百姓の汗をしぼり取り、財を富庫《ふこ》に充《み》たして贅《ぜい》に倦《う》んでいますが、なおその欲望の底では官職の栄位を求めています。……折あらば、官軍を手引きして、梁山泊を攻めつぶし、それを手柄に官へ媚《こ》びんとしているもの。——機先を制して、われから彼を挫《くじ》くとすれば、今は絶好な潮時ですし、また鼓上蚤《こじようそう》の出来《でか》した些事《さじ》も、かえって、いい機《き》ッかけと名分に相成りましょう」 「…………」 「かつはここの梁山泊も、爾来《じらい》、群雄が集まり、兵馬舟船なども厖大《ぼうだい》になってきたものの、あえて、非道な掠奪《りやくだつ》はやっていませんから、ここへ来てようやく、庫中の糧秣《りようまつ》や予備の財もとぼしくなってきています。そこでもし祝家荘《しゆくかそう》を襲って、彼の富をここへ移せば、まず数年はゆたかに兵馬を練っていられましょう。まさに一石《せき》二鳥三鳥です。……さらに私には、もひとつの望みがある。それは李応《りおう》を味方に招きたいことです。祝氏の一子のため、不覚な傷を負ったようですが、同族の小伜《こせがれ》と、つい控え目に、甘くあしらっていたせいでしょう。撲天《はくてんちよう》の李応は一人物です。なかなかそんな者ではありません。辞《じ》を低うして迎えるべき人物でさえあるのです。それだけでも大きな意義があるではありませんか」  満座、すっかり耳をすました。統領晁蓋《ちようがい》もいまは黙ってきいていた。衆判すでにそれと一致した色である。晁蓋はついに言った。 「わかりました。一切は先生におまかせする」 「ありがとうございました。では、かくまで主張を通したのですから、このたびのことには、率先《そつせん》、自分が陣頭に出て当りましょう。出陣のしたく、隊伍一切の編成は、統領から軍政司の裴宣《はいせん》へお命じ出しください」  これで大綱《たいこう》はきまった。  あくる日は、出陣祭が催され、そして楊雄《ようゆう》、石秀《せきしゆう》の入党も、同日、披露《ひろう》された。  相手は、一国の王侯にも比せられる勢力の祝氏《しゆくし》である。五、六千の兵は持ってゆかねばならない。——で、山寨の留守には統領晁蓋のほか、劉唐《りゆうとう》、呂方《りよほう》、郭盛《かくせい》など、本営のかために残ることとなったが、出陣の方には、名だたる男ども、あらましの豪傑が、宋江《そうこう》の麾下《きか》にしたがって征《い》で立った。  すなわち、宋江を総大将に。  そして、呉学究《ごがつきゆう》の呉用を軍《いくさ》奉行に。  花栄《かえい》、李俊、穆弘《ぼくこう》、李逵《りき》、楊雄、石秀、黄信、欧鵬《おうほう》、楊林。これが三千人一軍。  また、第二軍は。  林冲《りんちゆう》、秦明《しんめい》、戴宗《たいそう》、張横《ちようおう》、張順、馬麟《ばりん》、飛《とうひ》、王矮虎《おうわいこ》、白勝《はくしよう》などの三千余人。  それと遊軍の騎兵三百ずつが、両軍のあいだを、漠々《ばくばく》と、駒の蹄《ひづめ》を鳴らして出た。  すべては、糧秣船《りようまつせん》とともに、金沙灘《きんさたん》の岸と、鴨嘴灘《おうしたん》の桟橋《さんばし》とから、ぞくぞく船列にのりこんで対岸へ押しわたり、そこでもういちど、戦闘態勢を組んで西へいそいだのだった。  日をへて、早くも祝家荘《しゆくかそう》の領内へ着く。  敵の本拠、独龍山の影も、その日、空の彼方、昼靄《ひるもや》のうちに早や指させた。 「まず、偵察が先だが」  と、宋江は、司令部とする幕舎《ばくしや》を張らせて、粗末な椅子《いす》につくとすぐ、花栄《かえい》とふたりで、仮に独龍山三荘図と称する、軍用絵図をひらいていた。 「花栄君、どうもこれだけでは、よくわからんしまた、信用して、実戦の指針とするわけにはゆかないね」 「もちろんです。何しろ、実測した絵図ではなく、俄か作製《づくり》の案内図に過ぎませんからな」 「特に、世間では、祝家荘の魔の道とかいわれている。万一の日の防ぎに、周到な用意がなされているのだろう。めったに、この線から先へは乗り込めまい」 「まず、物見隊を入れてみましょう」 「いや大勢はいけない。さりげない、探りを放してみるにかぎる」  すると、幕舎の幕の間を割って、ぬっと、赭黒《あかぐろ》い面をつき出して言った者がある。 「こころえた。あっしが行って、悉皆《しつかい》、道をしらべて参りましょう」 「ああ、李逵《りき》か。きさまではいかん。ひっこんでおれ」 「なぜです、先生」 「おまえの二挺斧《ちようおの》がものをいうのはまだ早い。人には人の能がある」 「黒旋風《こくせんぷう》では役に立ちませんか」 「いざ斬り込みとなったら出て来い。——そうだ石秀と、そして錦豹子《きんびようし》の楊林《ようりん》をこれへ呼んでくれ」  やがて、二人は呼ばれて、宋江の幕舎へ入って来た。  楊林《ようりん》は、管鎗《くだやり》の使い手とか。先ごろ神行太保《しんこうたいほう》の戴宗《たいそう》が、その旅路から裴宣《はいせん》などとともに、梁山泊へつれて来た新入り仲間の一人である。  その才を試してみようとするものか。宋江は、この男と、命《べんめい》三郎の石秀とに、探りの役をいいつけた。 「かしこまってござる」と楊林は、選ばれた身を誇り顔に「じゃあ、てまえは短刀一本、ふところに呑み、旅の祈祷《きとう》坊主に化けて行きますから、石秀、貴公は錫杖《しやくじよう》の音を目あてに、俺のあとから見え隠れについて来給え」 「いや、ただついて行くのも芸がない。この間までは薊州《けいしゆう》で、薪木売《たきぎう》りを生活《たつき》としていた私だ。薪木売りに身を窶《やつ》して行きますよ。いざッてえときには、天秤棒《てんびんぼう》も役に立つ」  二人は、その夜、身仕度を拵《こしら》え、明ける早暁に村道へ入って行った。  ところがである。——山の中へ深く入ってしまった。オヤ? と慌《あわ》てて取って返し、里へ出たつもりでいたが、さて一軒の家にもぶつからない。 「変だなあ?」  石秀は首をひねった。李応《りおう》の館《やかた》のあった所などは、方角の見当もつかないのである。半日以上、それからも、足を棒にして歩いたものの、まるで知恵の環《わ》か、迷路の藪《やぶ》にでも入りこんでしまったよう……。果ては路傍の大樹の下に、天秤《てんびん》をおろして、ヘタッと足を撫《な》でていた。  すると後ろの方から、ジャラン、ジャランと、錫杖《しやくじよう》の音がしてくる。石秀はその者の影を見るとおかしくなった。これもまた狐に憑《つま》まれたような恰好なのだ。破《や》れ笠《がさ》のひさしに手をかけ、元気もなく、ただキョロキョロと道ばかり見廻して来る。 「おう、楊林。どうしたね?」 「やあ石秀か。ヘタばりそうだ……。いくら歩いたって、並んでいるのは並木ばかり。犬の子にも出会わねえ」 「いったい俺たちは、どこを歩いているのだろう。こんないい道があるのだから深山でもあるまいに」 「ひょっとしたら、梁山泊の襲来ときいて、人間から豚や犬コロまで、さっと逃げ散ッてしまったものか」 「そんなら部落の跡があるはずだろうに」 「それもそうか……。するってえと、おれたちは魔魅《まみ》に化かされているかな?」 「よしてくれ。何かこう、ゾッとしてきた。……おや、へんだな。いま風に乗って聞えてきたのは人声らしいぜ」  半信半疑、また歩き出して、一叢《ひとむら》の森道を抜けてみると、なんと、そこには忽然《こつぜん》と、かなり賑やかな田舎《いなか》町の一聚落《じゆらく》がガヤガヤと喧騒《けんそう》していた。  それはいいが、二人がぎょッと、目くばせをつい交《か》わした。往来の人間は、すべて黄色い袖なしの“袍《ほう》”を着て、袍の背なかには、大きく「祝」の字が染め抜いてある。——のみならずみな非常時らしい足拵《あしごしら》えをかため、町通りの肉屋、酒屋、寺子屋、何かの細工屋、髪結い床《どこ》の軒先にまで、鎗立て、刀掛けが、植え並べてある。  いやもっと、物々しいのは、町会所の柵門《さくもん》で、刺叉《さすまた》やら鳶口《とびぐち》のごとき物まで並べたて、火事櫓《やぐら》には、人間が登って、四方へ小手をかざしているふうなのだ。——すべてこれ、町じゅうが戦時態勢で、また、町じゅうの若い男女が、みな民兵と化しているすがたであった。 不落《ふらく》の城には震《ふる》いとばされ、迷路の闇では魂魄燈《こんぱくとう》の弄《なぶ》りに会うこと 「こいつは、おかしい。うっかり町へは物騒《ぶつそう》で踏み込めないぞ。気をつけろ、石秀《せきしゆう》」 「いや楊林《ようりん》。おめえはそこらの物陰で待ってるがいい。おれ一人で探って来るから」 「いいか、一人で大丈夫かよ、おい」 「おれよりは、おめえの方こそ、ちょこまかして、化けの皮を剥《は》がれるなよ」  石秀は言い捨てた。楊林に荷担《にない》を預け、ひとりカラ身で町中へまぎれ込んで行ったのだった。そして人の好さそうな老人が町中の軒ばに佇《たたず》んでいるのを見ると「……すみませんが、水を一杯」と、小腰をかがめて近づいた。 「ああ、水かね。おあがり。土間の甕《かめ》から勝手に汲《く》んで」と、老人はともに中へ入って来ながら——「オヤおまえさんは、旅の者だね。この町じゃ見たことのない人だ」 「へい、山東《さんとう》から出て来た棗《なつめ》商人《あきんど》でござんすが」 「そうそう、棗漬《なつめづけ》は山東が本場だったな。だが、荷物はどこへ置きなすったえ?」 「それがさ、おとしより、途中でどえらい目にあいましてね」 「ははあ、梁山泊《りようざんぱく》の寨兵《さいへい》にぶつかったんだろ」 「まるで戦争支度でしたよ。いきなりそいつらに脅《おど》されたので、荷物も何も押ッぽり出して一目散ッていうわけでさ……。おとしより、ご存知ですかえ」 「知らいでかい。見さッしゃれ。この町でも、町会所から火ノ見櫓《やぐら》にまで、ああして武装した若い衆が詰め合っているところだよ」 「道理で……どこの軒にも槍や棒が立てならべてあると思ったら」 「ここは祝家荘《しゆくかそう》といってね、うしろの岡が独龍山《どくりゆうざん》だ。つまり岡全体が、ご領主の祝朝奉《しゆくちようほう》さまのお館《やかた》さ、梁山泊のやつらは、そこへ攻めよせて来たんだな、恐れも知らずに」 「ヘエ、じゃあほんとに戦争じゃありませんか。こいつはまアえらいところへ舞い込んじまった。たいへんですね、守る方も」 「なあに、梁山泊の寄手《よせて》ぐらいに、ビクともするご領主じゃありませんよ。ここらのご城下だけでも一万戸の余もあるし、岡の東西にはまだ二つの村があって、東には撲天《はくてんちよう》の李応《りおう》さま一族がひかえ、西には扈《こ》の大旦那をかしらに、あだ名を一丈青《いちじようせい》といって、ひとり娘だが、扈三娘《こさんじよう》というたいした腕前の女将軍もおいでなさる」 「ほ。お嬢さんでいながらね。それにひきかえ、てまえなどは、さっきからもう足のふるえがガクガクとして止まりませんや。いったい、無事な所へ出るにはどう行ったらいいでしょうか」 「道かね」と、老人はすこし口を濁し気味だったが、「……ま、こっちの部屋へ来て、飯でも喰べて行きなさい」 「どうも、とんだお世話にあずかって相すみません。おじいさん、失礼ですが、お名まえは」 「わしかね、わしは二字名の苗字《みようじ》で、鐘離《しようり》といいますのさ。この地方には、祝《しゆく》という姓が多いんだが」 「祝氏《しゆくし》でかためられているわけですか。ところで、その祝家荘からほかの土地へ出るには一本道でしょうか」 「どうして、ここらの道は蜘蛛《く も》手《で》になっていて、迷い込んだがさいご、皆目、出道のわからぬ何とかの藪《やぶ》知らずも同然だ」 「へエ、そんな迷路なんですか」 「いざッてえ時の要心に備えてあるのさ。だがの棗屋《なつめや》さんよ。おまえにだけはそっと耳打ちしてあげる。——なんでもいいから、道の曲がり角へ来たら白楊樹《はくようじゆ》(ポプラ)を目あてにお曲がり。白楊のない方へうッかり行くと、行けども行けども同じ藪か、ふくろ路次。どうかすると落し穴だの、針金の茨《いばら》だの、猪罠《ししわな》なども仕掛けてあるぞ」  こう聞かされていた時だった。とつぜん往来をガヤガヤと人騒《ひとざわ》めきが流れてゆく。「密偵《い ぬ》だ、いぬだ」「梁山泊の密偵《い ぬ》が一匹捕まッた」という喚《わめ》きなのである。  石秀はぎょっとした。さては楊林《ようりん》が捕まったか。「さあ、どうしよう?」彼は老人とともに表へ出てみた。そして民団の槍や棒の中に、裸にされた縄目の楊林が追ッ立てられてゆくのを見ても、さて、どうにも手出しは出来ずにしまった。  ところへまたも、一群の正規兵が、隊伍粛々《たいごしゆくしゆく》と、目の前を通りすぎた。総《ふさ》つきの立て槍を持った騎馬隊と鉄弓組の中間には、雪白の馬に跨《また》がった眉目《びもく》するどい一壮士の姿が見えた。老人は敬礼で見送っていたが、あとで石秀にこういっていた。 「ごらんなすッたろ。いま行ったのが祝朝奉さまのご三男、祝彪《しゆくひよう》さまだよ。そして扈家荘《こかそう》のお一人娘、一丈青《いちじようせい》という女将軍とは、お許娘《いいなずけ》になっている。なにしろ祝氏《しゆくし》ノ三傑といわれる中でも、兄弟中で一番の偉者《えらもの》だそうな」  かかるうちに、町はいよいよ戦時態勢の沸騰《ふつとう》ぶりだ。これでは道も危険だからと、老人は裏の草小屋を石秀のために開けて、この騒ぎがおちつくまで、泊ってゆくがいいといってくれ、石秀もまた「では、ご親切にあまえて」と、その晩はついにそこへもぐり込んでいた。  すると宵の口だった。領主からの布令だろうか。一軒一軒大きな声で触れ歩いてゆく声がした。いわく「今夜半には、例の紅《あか》い挑灯《ちようちん》、魂魄燈《こんぱくとう》に従《つ》いて、民団の壮丁すべて行動せよ。梁山泊の賊将宋江《そうこう》以下を、迷路へ引き込み、期して生《い》け擒《ど》りにしてくれるのだ。よろしいか! 魂魄燈《こんぱくとう》を見失うなよ。日ごろ訓練の魂魄燈の合図に従って動くのだぞ」と。  一方、祝家荘《しゆくかそう》の入口に駐屯《ちゆうとん》していた梁山泊軍七千の上も、暮天《ぼてん》ようやく晦《くら》く、地には刀鎗《とうそう》の林を植えならべ、星は殺気に白く研《と》がれていた。 「ああ、二人とも捕《つか》まったか」  宋江はいま、帰ってきた細作(しのび)の報をきいて、楊林、石秀を物見に出して、つい深入りさせたことを、わが罪のように悔いていた。 「こうなっちゃ、捨ておけますまい。あっしが先陣して斬り込もう。宋《そう》大将はおあとから進んで、二人を敵から助け出しておくんなさい」  大言はいつも黒旋風李逵《こくせんぷうりき》の専売といってよい。これが日頃ならその逸《はや》りを制すところだが、いまは宋江も「よし!」といって起《た》った——。すなわち先駆の一陣は李逵《りき》と楊雄《ようゆう》。——しんがりは李俊《りしゆん》ときまった。  そして宋江《そうこう》は、ひだりに穆弘《ぼくこう》、みぎには黄信《こうしん》、さらに花栄《かえい》、欧鵬《おうほう》らの兵幾団を、二陣三陣と備え立てて、戦鼓《せんこ》、陣鉦《じんがね》、トウトウと打ち鳴らしながら、独龍岡《どくりゆうこう》へじかに攻めのぼった。——まさか石秀一人は、難をのがれて、その晩、麓町《ふもとまち》の一軒の草小屋に、息をこらしていようとは想像もされていなかったのだ。  さらにはまた、祝朝奉家の本拠、独龍岡の山館《やまだち》の前へも、何らさえぎるものなく来てしまった。——見れば濠《ほり》の吊《つ》り橋を高く上げ、門扉《もんぴ》かたくとざして、山城一帯は寂《せき》として声もない。 「ざまを見やがれ、恐れやがって」  先鋒は、猛夫の李逵《りき》だ。なんでただ見ていよう。例の二挺斧《ちようおの》を諸手《もろて》に、濠へ下りて、浅瀬から馳け渡らんとする様子に、楊雄はおどろいて、連れもどした。 「暴勇は笑いぐさだぞ。敵には計があるらしい。とにかく、引っ込め」 「ばかをいえ。ここまで来て思い止まれるものか。臆病風に吹かれたなら、きさまは後ろで見物していろ」  言い争っているところへ、宋江の中軍もぞくぞく着いて来た。宋江は二人の争いを見て言った。 「楊雄のいうのが正しい。これへ来てからわしも思い出した。——敵ニ臨ミテハ急ニ暴《ボウ》ナルナカレ、と彼《か》の天書にも載《の》せてあった。こよいの急襲はちと暴だったぞ。すべてみな兵を退《さ》げろ」 「えっ、退《さ》げるんですって、何もしずに」 「そうだ、命令にそむくやつは、罰するぞ」  言には峻烈《しゆんれつ》なするどさがあった。が、それでさえ間に合わないほど、とたんに、轟然《ごうぜん》と一発ののろしが天地をゆすッた。もちろん彼方の城中からである。それと百千のたいまつが赤々と満城にヒラめき立ち、門楼、やぐら、石垣の上などから、火矢、石砲、弩弓《どきゆう》の征矢《そや》などが雨とばかり射浴《いあ》びせてきた。 「しまった!」  宋江はこの深入りを転じるべく、声をからして、 「全軍、元へ引っ返せ。行く行く伏兵にも気をくばれ!」  しかし、ひとたび崩れた人馬の混乱は容易でない。さらには、意外な方角からも、石火矢《いしびや》の唸《うな》りが火を噴《ふ》いて樹林を震《ふる》わせ、そこらの巨木の上からも乱箭《らんせん》が降りそそいでくる始末だ。 「伏兵は四面にいる。慌《あわ》て惑うな、四散するな。ただ一道をさしてつき破れ」  ところが、たちまち全軍の足はバタと止まり、逆に先の方から押し戻されて来る。「なぜ進まん?」と後ろでいえば、前方は行き止まりの袋路次だという。「では、べつな方へ」と転進すれば、そこでもまた行く手にあたって、カラ濠《ぼり》があり針金の柵《さく》があり、小道を探ッてみてもソギ竹だらけで歩けもしない大藪《おおやぶ》の闇だとある。 「ああ、惨《さん》たる敗北! これがこの宋江の最期とは」と彼は嘆じた。だがそのとき、天来のような騒《ざわ》めきが殿軍《しんがり》からつたわって来た。「石秀だ」「石秀が来た!」というのである。「はて?」と疑うまもなかった。まぎれもないその石秀が宋江の馬前へ来ていた。彼は昼からの仔細を早口に告げ、そしてなお、ここの迷路についてこう呶鳴《どな》った。 「ただやみくもに歩いても、迷うばかりで荘《むら》の外へは抜け出られませんぞ。白楊樹《はくようじゆ》が正しい道の目じるしです。曲がり角へ出たら、なんでも白楊の立木を目あてに折れ進んで行ってください」  やがて方向はそれによって駸々《しんしん》と支障もなく流れだした。しかしその進路にはまた伏兵のうごきが見え、その動きはいよいよ執拗《しつよう》に、いよいよふえるばかりだった。そこで宋江はかさねて石秀にただしてみた。 「なぜだろう。行けども行けども、伏兵がつきまとうのは。いかに祝朝奉の勢力でも、こう手兵の多いはずはないが」 「そうです。正規の兵ではありません。あれは祝家荘《しゆくかそう》の民兵が、魂魄燈《こんぱくとう》の合図にあやつられて、あっちへ動き、こっちへ廻り、いわゆる変現を見せているので大勢に見えるわけです」 「なに、魂魄燈の操作《あやつり》だと?」 「ごらんなさい。あの高藪《たかやぶ》の上に、ふらふらと、人魂《ひとだま》のような赤い挑灯《ちようちん》がしきりに暗号を振っているでしょうが」 「オオあれがか。花栄《かえい》、花栄」 「なんですっ、副統《ふくとう》」 「いまの話を聞いたろうが。君は空行く雁《かり》をさえ射落すほどな弓の達人だ。あの遥かな赤い灯を射消《いけ》せまいか」 「造作はありません。こころえました」  キ、キ、キ……と引きしぼった花栄の弓弦《ゆんづる》がぶんと鳴ったと思うまに、遠い所の一点の火光が、とたんにぱっと掻き消された。それからは、もとより訓練もない土民兵のこと、闇はしどろな気配だけだった。いや、するとすぐ一颯《さつ》に散り去った木の葉のような跡を、一隊のひづめが地を打って近づいていた。遊軍の李俊《りしゆん》と秦明《しんめい》の隊が、彼らを駆けちらしつつ合流して来たものだった。  いつか朝となっている。全軍は村はずれの一丘《きゆう》に集合して、からくも死地をのがれえた無事を見合い、さて、人員点検の段になると、 「黄信《こうしん》がいない!」 「黄信は討死にしたらしい」  と、俄かにみな悲しみだした。  すると、黄信の手についていた手下の兵が言った。 「いや黄将軍は、死んではおりません。ゆうべ葦《あし》の中で、伏兵の熊手に馬の足を攫《さら》われ、落馬したところを、大勢の敵にのしかかられていたような様子でした」 「きさま、なぜ今まで黙っていたか」  宋江は怒ったものの、最下級の兵ともいえない手下のことだ。怒るよりは、さて、いかにその黄信を取り戻すか。また昨日捕われた楊林の身も——と、朝の野天兵糧《のでんひようろう》をみんなしてすますやいな、評議にかかった。  すると、病関索《びようかんさく》の楊雄《ようゆう》がすすみ出てこう献策《けんさく》した。 「独龍岡《どくりゆうこう》の強味は、三家鼎足《ていそく》の形をなしているからです。けれどいつかも申しあげた通り、東麓《とうろく》の一族、撲天《はくてんちよう》の李応《りおう》だけは、本家の祝氏《しゆくし》と気まずくなっているだけに、こんどは加勢に出ていません。……だのに、副統にはなぜ、そこへお目をつけられませぬか」 「なるほど、それはわしの一失だったな」  宋江は彼の策をいれ、さっそく東の李家を訪ねて、李応を味方に抱きこむべきだと思い立った。 二刀の女将軍、戦風を薫《かお》らして、猥漢《わいかん》の矮虎《わいこ》を生け捕ること  宋江《そうこう》は自身その使いに立った。  楊雄《ようゆう》に道案内させ、花栄《かえい》、石秀など二百騎を後ろに連れて、李家荘《りかそう》の濠端《ほりばた》まで来てみると、はやくも門楼では非常太鼓が聞こえ、吊《つ》り橋もひきあげられて、寄せもつけない厳たる警戒ぶりにみえる。 「これは梁山泊《りようざんぱく》の宋江と申す者です。ご当家に敵意はない。ただひとえに、ご主人撲天李応《はくてんちようりおう》どのへ拝姿をえたく伺った事、なにとぞお取次ぎを。お疑いなく、お取次ぎをねがいまする」  濠越《ほりご》しに、馬上の宋江は、こう大音声をくりかえした。——と、まもなく、彼方の石垣から一そうの小舟が渡って来た。これなん、楊雄とは親しく、また楊雄を恩人ともしている、李家の食客、鬼臉児《きれんじ》の杜興《とこう》だった。 「おう兄弟」——と、楊雄はさっそく、彼を引いて、宋江にひきあわせたが、杜興は何ともすまない顔つきで、こういった。 「せっかくですが、主人李応は、病中でもあり、なんとしても、お目にかかれん、とのみで苦《にが》りきっておられます。またの折もございますこと、今日のところはどうぞ一つおひきとりのほどを」 「矢傷をうけて、ご療養とは伺ッておる。だが、会えぬというのは、それだけの理由でもありますまい。ご本家、祝朝奉《しゆくちようほう》にたいするご遠慮か」 「それもありましょう。それとまた、主人は直情の士です。梁山泊《りようざんぱく》の人間は、いわば、無頼《やくざ》の集まりで、しかも天下の叛逆人《はんぎやくにん》だと、卑《いや》しむ風がないでもございません」 「ごもっともだ!」と、宋江はいった。「それでこそ撲天《はくてんちよう》その人らしい。さるを、しいてその人に義を曲げさせようとしたのは心ないわざだった。ご面会はあきらめましょう」 「申しわけございません」 「なんの。……この上は李応どのの援助を待たず、祝家荘《しゆくかそう》の敵は、自力で討つ。……もしその以後に、ご縁もあらばお目にかかる」 「主人李応も本来ならば三家一体で、独龍岡《どくりゆうこう》の守りに立つところですが、こんどのことでは、本家の仕方をいたく怒ッておりますので、加勢には出向きません。——とはいえ、西の扈家荘《こかそう》の女将軍一丈青《いちじようせい》は、日月の双刀をよく使う稀代《きたい》な女傑ですし、独龍岡そのものも、不落の城、充分お気をつけなさいまし。わけてその荘門は、前と後ろ、前後同時に攻めなければ、破れるものではございませぬ」  杜興《とこう》はなお、知るかぎりの地理やら、攻め口、城中の内状などを、宋江に助言した。——宋江はふかく謝して、さて、以前のわが陣地へ帰るやいな、云々《しかじか》であったと、むなしく戻って来たわけを、帷幕《いばく》の面々へはなして聞かせた。 「ふざけやがって——」と、話の途中で、怒り出したのは李逵《りき》である。「副統も副統だ、なんで唯々諾々《いいだくだく》とお引っ返しなすったのか。李応とかいう奴、二タ股者《またもの》にちげえねえ。まずその李家荘からさきに蹴ちらそうじゃございませんか」 「いや、李応は立派な人間だ。彼を敵にしてはならん。それよりは、囚われの味方二人の生命が心もとない。諸君、もういちどこの宋江の令をきいて、祝朝奉《しゆくちようほう》の本家へ向ってはくれまいか」  言下に、鎧響《よろいひび》きを立てて、帷幕《いばく》のかしらだった者、ざっと、一せいに起立をみせた。 「おことばまでもありません。して先陣は誰としますか」 「もちろん、この俺だ」と李逵《りき》が買って出るのを、宋江は、一眄《いちべん》の下に叱った。 「ひかえろ。李逵の先鋒はまま事を破る。君はこんどは後陣に廻れ」  李逵はむくれる。——しかし宋江は、馬麟《ばりん》、欧鵬《おうほう》、飛《とうひ》、王矮虎《おうわいこ》の四名を指名し、 「わし自身が、先陣に立つ」  と、言った。  第二隊には、戴宗《たいそう》をかしらに、秦明《しんめい》、楊雄、石秀、李俊、張横《ちようおう》、張順、白勝《はくしよう》。  第三隊は林冲《りんちゆう》、花栄《かえい》、その組の中に李逵も入っている。つまりは、総攻撃である。赤地に「帥《すい》」の大字を白抜きした大旗をさきに、陣鼓鼕々《じんことうとう》、祝朝奉《しゆくちようほう》家《け》の山城へせまった。  ここ独龍岡《どくりゆうこう》の城門の大手には、巨大な青石に、一篇の頌《しよう》が刻《きざ》んである。 森々《しんしん》の剣《つるぎ》 密々の戟《ほこ》 柳花《りゆうか》 水を斬り 草葉《そうよう》 征矢《そや》を成す 濠《ほり》を繞《めぐ》る垣は是《こ》れ壮士《おのこ》 祖殿《そでん》には在《あ》り 三傑の子 当主の朝奉《ちようほう》 智謀に富み 事しあらば 満城吠《ほ》ゆ 独龍山上 独龍岡下《こうか》 窺《うかが》う外賊は仮にもゆるさず 一触 霏々《ひひ》の虫と化《け》し飛ばさん 「おや、まだ何か、そこの杭《くい》に?」  宋江が近よって見ると、それには新しい墨気《ぼつき》で、こう詩句めいた文字が読まれた。  “水泊《スイハク》ヲ填《ウズ》メ平《タイラ》ゲテ晁蓋《チヨウガイ》ヲ生擒《イケド》リ”  “梁山《リヨウザン》ヲ踏破《トウハ》シテ宋江ヲ捉《トラ》エン”  馬麟《ばりん》、王矮虎《おうわいこ》らは、これを見るなり怒髪をさかだてて。 「うぬ、小癪《こしやく》な唄い文句。ようし、ここを踏みつぶさぬうちは、梁山泊へはひきあげぬぞ」  しかし、宋江は冷静だった。  三軍のうち、第二隊だけを、ここの前門にのこして、自身の本隊と第三隊は、道を潜行して、搦手《からめて》の裏門へかかった。  ところが、はしなくも今、敵側からも搦手《からめて》の坂を、馳け下りてきた一勢がある。——それぞ大手の寄手の背後を突くべく、兵五百ほどをひきつれて裏門を出た扈家荘《こかそう》の秘蔵むすめ、あだ名を一丈青《いちじようせい》という女将軍であったのだ。  宋江は、見るやすぐ、左右へ言った。 「オオ、あれなん噂の扈三娘《こさんじよう》にちがいない。誰かあの蝶の如き戦士を、手捕りにして連れて来ないか!」  すると、言下に。 「おう、まかせておくんなさい」  馳け出したのを誰ぞとみれば、槍を取っては無敵と号する王矮虎《おうわいこ》その者だった。「矮虎《わいこ》だ、矮虎が行ったわ」と、やんや、やんやの声援である。それに応《こた》えて、敵方でもワアアッという鬨《とき》の声。はやくも扈三娘はその青毛の駒をのりすすめ、単騎、ござんなれと待ちすましている姿。  しかも、涼霄《りようしよう》の花も恥ずらん色なまめかしい粧《よそお》いだった。髪匂《かみにお》やかに、黄金《き ん》の兜巾《ときん》簪《かんざし》でくくり締め、《びん》には一対《つい》の翡翠《ひすい》の蝉《せみ》を止めている。踏まえた宝鐙《あぶみ》には、珠をちらし、着たるは紅紗《こうさ》の袍《ほう》で、下に銀の鎖《くさり》かたびらを重ね、繍《ぬい》の帯、そしてその繊手《せんしゆ》は、馬上、右と左とに、抜き払った日月の双刀《そうとう》を持っているのであった。 「……これは、いけない」  はるかに見ていた宋江は、一丈青へおめきかかった王矮虎のいつにない槍のにぶさに、すぐある一事を思いあたっていた。  元々、矮虎ときては色情《い ろ》に目のない性分である。その彼をして、窈窕《ようちよう》たる美戦士へあたらせたのは、けだし人をえたものではない。事実、王矮虎は近づいて彼女の二刀に接するやいな、すでに戦意と色欲とは半々だった。でも、隙をみせれば斬られるから必死は必死におめきかかって、丁々《ちようちよう》閃々《せんせん》、ひたいに汗をかいて、幾十合と接戦のおめきはあげつづけているものの、ともすれば、ああ美しい女だ! とつい思い、刃《は》がねの火花にも、何か、べつな精気をふと漏らしてしまいそうだった。同時に、一丈青もそこは女の直感《か ん》で、 「ま、なんていう敵だろう。ふざけた男よ」  と、いちばい、憎さも憎しと柳眉《りゆうび》を立てて、綾《あや》なす二刀の秘術をきわめ、魔術とも見えるその迅《はや》い光の輪のうちに、発止《はつし》と、相手の槍を見事、巻き取ッて搦《から》め落していた。 「——あッ、しまった」  鞍の上から矮虎《わいこ》が思わず身を泳がせる。すかさず、一丈青の一刀が、片手なぐりに肩をなぐった。カンと金属的な音がそれにこたえたのをみれば、幸いにも、鎧《よろい》の金具が、矮虎の一命を救っていたものとはみえる。だが、よほどな衝撃だったのだろう。そのまま矮虎の体は鞍からもんどり打っていた。 「だれか。はやくこの敵を、搦《から》めておしまい!」  一丈青の涼しげな声だった。そう後ろの味方へいうとすぐ、彼女の二刀はもう次の敵を迎えている。矮虎危うしとみて、救いに出て来た欧鵬《おうほう》だった。  だが、間に合わず、矮虎はたちまち、城兵方の縄目にかかり、どっと敵に気勢をあげさせている。欧鵬はあせッた。挑《いど》みかかった彼の鉄鎗《てつそう》もまた、蝶になぶられているようで、いたずらな、空《くう》を感じてきたからだった。「いまいましさよ」と、猛《たけ》れば猛るほど、自分の呼吸も馬の息も、ただ荒《すさ》ぶのをどうしようもない。  宋江は、これ、ただならずと見て、 「飛《とうひ》も出ろ。馬麟《ばりん》も助太刀に行け」  と、躍起になった。  もう一騎討ちを見物している場合でない。  敵の搦手門《からめてもん》からは、祝朝奉《しゆくちようほう》の長男、祝龍の一手三百人が現われて、宋江の側面へ狙い寄っている。——果然、宋江の身辺にも殺気が立つ。ところへ、大手の秦明《しんめい》が一部隊をひッさげて応援に来た。宋江はよろこんでそれへもすぐ命じた。 「ここはいい! 馬麟《ばりん》、飛《とうひ》とともに、あれなる扈三娘《こさんじよう》へ当ってくれ。矮虎は早やあの手の者に生け捕られている」 「こころえた」  秦明の一隊が、猪突《ちよとつ》をしめすと。 「待った」  とばかり、その途中で、祝龍の手勢が横からぶつかってきた。  だが、秦明の狼牙棍《ろうがこん》(棘《とげ》立った鉄棒)にあたりうる敵はない。もしこのとき、城中から祝家の武芸指南番、欒廷玉《らんていぎよく》が助けに出て来なかったら、祝龍もあぶなかったとさえいえる。 「拙者が代る。あなたは退《ひ》いて、一ト息入れておいでなさい」  欒廷玉《らんていぎよく》は、その新手をひきいて、秦明の前に立ちふさがった。そしてさんざん戦い疲らせたあげく、偽って、逃げ出した。そこに埋伏《まいふく》の計があるとも知らず、秦明は騎虎の勢いのまま追っかけて行き、草むらの落し穴へ馬もろとも顛落《てんらく》した。伏兵がいたのである。  そればかりか、飛《とうひ》も同じ計にかかった。  飛は、一丈青《いちじようせい》の部下を蹴ちらしていたのだが、ひょいと振向いたせつな、 「ああ、秦明《しんめい》が?」  と、戦友が陥《お》ち入ったらしい危難の姿に、われを忘れてそこへ飛んで行ったものである。いわばわれからかかッた罠《わな》のようなもので、近づくやいな“馬縛《うまがら》めの縄《なわ》”と呼ぶ陥穽《かんせい》に引ッかかって、たちまち伏兵の好餌になってしまったのだった。かさねがさねというほかはない。  一方、欧鵬《おうほう》と馬麟《ばりん》とは、 「これはそも、人か天女の怪か」  と、なおまだ、女の一丈青《いちじようせい》ひとりを、男ふたりして、もてあましていた。  ただ強いといっただけでは言い足りない。身の迅《はや》さは浪をかすめる燕《つばくろ》のようである。また、白雪の屑《くず》がひらめく風と戦っているようなものだ。そしてうかとすればすぐ繊手《せんしゆ》の二刀が斬りこんでくる。息もできぬほど、みぎ、ひだり、と斬りきざんで来る。それさえ、受け太刀ぎみで喘々《せいせい》いっていると、そこへ、 「お嬢《じよう》さま、一匹はひきうけましたぞ」  欒廷玉《らんていぎよく》が、加勢に飛んで来たのである。はッと、欧鵬《おうほう》は馬を交《か》わした。けれど、欒廷玉が振り下ろしたくろがねの鎚《つち》は、せつな、欧鵬のどこかにぶつかったらしい。欧鵬は落馬し、ウームとそのまま起ちもえない。  このとき、宋江もまた、全軍のさきに身をさらして、乱軍のなかにいたので、 「それっ、欧鵬の体を、馬の背へ拾い上げろ」  と、とっさの指揮はしたものの、その欧鵬を、助けとるだけが、やっとであった。馬麟《ばりん》も一丈青に追われ、すべての敗色はどうしようもなく、味方が味方を押して、坂下遠くの、ま南まで逃げなだれた。  ここには第二隊の楊雄、石秀、花栄らがいた。この惨敗に歯がみして、 「夜叉《やしや》ではあるまい。よしっ、小癪《こしやく》な女戦士を」  と、代って進み出たが、すでに一丈青や祝龍の姿はない。敵の新手は、名だたる祝氏の三男坊、祝彪《しゆくひよう》の五百余騎となっている。  こんどの敵は、みだれ矢をあびせてきた。近づきもえない矢ぶすまである。そのうち槍組二百人が突進して来るし、駿馬《しゆんめ》にまたがって祝彪が、これまた雷光《いなずま》のごとく出没して、ひとつ所になどとどまっていない。  陽《ひ》はたそがれ、夕雲赤く、まったく、乱戦のかたちをおびてきた。——大手のかたの、李俊《りしゆん》、張横《ちようおう》、張順、穆弘《ぼくこう》らも、濠水《ほりみず》に入って、敵塁《てきるい》に取りすがろうと企てたが、つぶて、乱箭《らんせん》、石砲などに会って寄りつけず、陸上の戴宗《たいそう》、白勝も唖然《あぜん》たるばかりで、手のくだしようもない様子である。 「ああ、過《あやま》った。戦《いくさ》の指揮などは、この宋江のがらではなかった。これ以上の死者を出すのは見ていられぬ」  宋江は急に退軍の銅鑼《どら》をうたせた。彼らしいところである。薄暮の下に総勢をまとめて、泣いてくやしがる猛者《も さ》どもをなだめて、村口の方へひきあげ初めた。といっても無事には退《ひ》けない。敵の追撃に、返しては戦い、戦ってはまた、退路をさがす、といったようなくるしみだ。  しかも敵は、地理に明るいし、急追《きゆうつい》、また急追の気負いをゆるめない。宋江の軍は、闇夜彷徨《あんやほうこう》のすがただった。そのうち、行くての道に先廻りしていた一勢の敵が現われた。夜光虫のような燦々《さんさん》たる一騎がその先頭を切って来る。胆《たん》、驚くべし、女将軍の一丈青であった。 小張飛《しようちようひ》の名に柳は撓《たわ》められ、花の美戦士も観念の目をつむる事  一丈青の扈三娘《こさんじよう》は、あれからいちど、城へ入って、息をやすめていたものか。粧《よそお》いまでもかえている。  嵌玉《かんぎよく》のかぶと、磨銀《まぎん》のよろい、花の枝を繍《ぬ》い出した素絹《そけん》の戦袍《せんぽう》すずやかに、 「宋江とやらのおからだを戴きましょうか」  と、言い払い、ホホとその白い花顔《かんばせ》が闇を占めて笑っているかのよう。……宋江以下、修羅《しゆら》という修羅の場かずをふんできた梁山泊の男どもも、思わず馬列を恟《すく》み立てて、 「や? 一丈青」  と、何とはなくぞくとした。  だが、そんな神経を持たないのもある。黒旋風《こくせんぷう》の李逵《りき》だ。 「なにを、阿女《あま》っちょめが、洒落《しやら》くせえ」  と、薄刃金《うすはがね》の二丁斧《ちようおの》をひッさげて、彼女の前へ挑《いど》みかかった。しかし、かたわら疎林《そりん》のうちで、ザッと、風の通るような音がしただけで、一丈青の影は、もう李逵《りき》の目のとどく所にはいなかった。  かえって、李逵は求めもしない敵の雑兵の中に置かれ、二丁の斧は、大いに怒った。そしてそこはたちまち一団の乱戦と化した。 「後ろからも、敵が尾《つ》けてくる」  宋江は、敵の詭計《きけい》を怖れた。周囲も彼へ、ここにかまわず、落ちろとすすめる。  ところが、先へ落ちて行くと、またもや行くての闇のうちから、こう美しい音声《おんじよう》が揶揄《からか》うように響いてきた。 「逃げようとて逃がしはせぬ。——宋江とやらのお体をいただきましょうか」 「あっ?」  と、駒をひるがえすまもなかった。  日月二刀のひらめきが彼の身をかすめ、それを庇《かば》おうとした誰か一人は馬上からずんと斬り下げられていた。戛然《かつぜん》と、戟《ほこ》の柄《え》がつづいて斬られた。暗さは暗しである。宋江は危なかった。  すると、さらに一陣の突風がこの渦《うず》の中に渦を加えた。キラと夜目にもしるき獅子頭《ししがしら》の兜巾《ときん》と、霜花《し も》毛《げ》の駿馬《しゆんめ》にまたがった一壮漢の姿を、その一勢のうちに見て、宋江はおもわず地獄で仏のような声を発した。 「豹子頭《ひようしとう》か。加勢に来たのは豹子頭の林冲《りんちゆう》か」 「林冲です、林冲ですっ。ここは打ちすててお落ちください」  聞くとすぐ、宋江ならぬ一丈青のほうが、颯《さ》ッと、駒の背に身を沈めて横道へ馳け出した。  林冲といえば、梁山泊《りようざんぱく》以外でも、「当代の小張飛《しようちようひ》」という勇名がある。それには一丈青も女ごころの脅《おび》えにふと吹かれたものか。 「待てっ。女将軍」  林冲は逃がさない。馬の速さがてんで違う。観念したものか、一丈青はふいに馬を向けかえた。林冲の打物は、丈八の蛇矛《だぼう》であった。彼女の二刀もすぐその一剣は搦《から》み落され、ひッきりなしに、睫毛《まつげ》へ迫る白い焔《ほのお》のような蛇矛の光を交わしながら、彼女のしなやかな腰から胸はまるで柳の枝を撓《たわ》めるように何度も反《そ》ッた。  彼女は死を忘れて恍惚とした。林冲に翻弄《ほんろう》されるのが甘美でさえあった。気づいたときは、手にさいごの一剣もなく、林冲の猿臂《えんび》にかかって、鞍の上から毟《むし》りとられていた。宙を飛ぶ巨大な男の腕のなかに、彼女はあきらめの目をつぶっていた。窒息《ちつそく》の境が甘い夢のようだった。 「副統、生け捕ってまいりました」  投げ出された所は、すでに村口の梁山泊軍の幕舎だった。宋江は無事一ト足先に着いていたし、ほかの幕僚なかまも、続々、たどりついて来つつある最中《さなか》らしい。 「林冲。まったく貴公のおかげだ。これでいささかは梁山泊の面々へも申しわけが立つ」  しかし宋江は、終夜、浮かない容子《ようす》だった。明け方までは寝もしていない。——三々伍々、逃げおくれた部下の着くのを、いちいち迎えて人員のまだ不足なのに心を傷《いた》めていたのである。  おびただしい損害だった。翌日は帳《とばり》に入ったが、なお輾転《てんてん》と自責にもだえた。そしてやがて、おもい瞼《まぶた》をして帳を出ると、 「女はここにおけぬ。組の頭《かしら》四人、兵三十人で、一丈青の身を馬の背にくくし付け、即刻、梁山泊の内へ、送りとどけて来い」  と、命じた。  また、欒廷玉《らんていぎよく》のために、重傷を負ってうめいている欧鵬《おうほう》の身を案じて、それも同時に、山寨《や ま》へ送らせるようにした。 「はてね?」  使いに選ばれた小頭《こがしら》たちは、快馬をそろえて村口を離れるとすぐ、顔見合せてクスと笑いあったものである。 「どうも、ただじゃないよ。宋《そう》副統も元は女のしくじりで山寨《や ま》入りしたお方だからな。このみちはまたべつさ。きっと一丈青におぼしがあるにちげえねえ。……ふ、ふ、ふ」  戦《いくさ》には勝ち誇ったが、祝氏《しゆくし》一族の側にすれば、独龍岡《どくりゆうこう》の花、一丈青の扈三娘《こさんじよう》を敵の手にゆだねた一事は、 「ざんねんだ、千慮の一失」  と、あとの悔やみを、地だんだにしたに違いなかろう。ましてや、彼女の許嫁《いいなずけ》、祝朝奉《しゆくちようほう》の三男祝彪《しゆくひよう》の心中はなおさらだろう。——それの腹いせには、天に誓って、宋江を生け捕る。そしてさきに捕えてある黄信《こうしん》、飛《とうひ》、秦明《しんめい》、また楊林《ようりん》、そのほか多くの捕虜とを一トまとめにして、開封東京の朝廷へつき出し、それによる恩賞と名誉とをもって、このうらみを晴らさねば——と、期して、矛《ほこ》、鏃《やじり》を研《と》ぎ直したにちがいなかった。  が、一方の宋江にしろ、 「これぞ」  と、案を打って、三たび起《た》つべき策もなかった。  怏々《おうおう》と、昨日も今日も、彼は帳《とばり》をたれて深く考えこんでいた。  ところへ、はからずも、 「山寨《や ま》の軍師、呉用《ごよう》先生がお見えです」  と、村道の見張りから報《し》らせて来た。 「えっ。呉学究《ごがつきゆう》どのがお見えだと?」  折も折である。  宋江は丘を下って、そも何事かと、呉用を迎えた。  一行は五百人。呉用をかしらに、阮《げん》ノ三兄弟、呂方《りよほう》、郭盛《かくせい》なども加わっていた。そして一行中の車には酒、乾肉《ほしにく》など多量な物資まで持ってきたので、その夕は、これが全軍にねぎらわれ、久しぶりに陣地には生色がよみがえった。 「総統の晁蓋《ちようがい》どのを初め、山寨《や ま》では、えらくあなたのお身を案じていますよ」  呉用のことばに。 「いや面目もありません」  宋江は、一そう沈んだ。 「して、ご近況は」 「二度も惨敗をかさねました。のみならず、楊林、黄信、さらに秦明《しんめい》、飛《とうひ》と四人までも、敵の囚《とら》われとさせてしまうほどな始末で」 「それも途中でききました。一丈青を差立てて行く味方の者から」 「もし、林冲《りんちゆう》がなくば、あの功もなかったところです。何たる愚将でしょう。わらって下さい。晁《ちよう》総統には、もはや会わせる顔がありません」 「は、は、は。そうご卑下《ひげ》にはおよぶまい。誰が来て指揮をとっても、ここの祝氏《しゆくし》の独龍山の備えでは、同程度の損害は避けえられん。……しかし、宋副統、機会は来ていますぞ」 「え、機会とは」 「かならず陥《お》ちる」 「独龍岡《どくりゆうこう》が」 「そうです。仔細をいわねば、そうかと、おうなずきもあるまいが」 「いったい、それはどういうわけで」 「山寨《や ま》に残っている石勇《せきゆう》をご存知であろう」 「石勇。もちろん、知っています」 「それの縁故の者が、ごく近ごろ、山寨《や ま》へたよってやって来た。——なんと、その者がまた、祝家の指南番、欒廷玉《らんていぎよく》と仲がよい」 「ほ?」 「かつまた、味方の楊林や飛とも、親交があった間柄とか。……ところで、その者が、ここ祝家荘《しゆくかそう》におけるあなたの苦戦を聞いて、自分からすすんで一つの計略を申し出てきたというわけだ。奇縁、また奇計ではありませんか」 「なるほど、奇妙ではあるが、奇計とはまだ何のことか、わかりませんが」 「ごもっともだ! 順を追って、ひとつ今夜は酒酌《さけく》みながら、それの吉報をおはなししよう。……当人どもは、すこし遅れ、追ッつけ五日以内にはここへ参るはずですから」  以下、呉用の物語るところであるが、呉用のことばを仮るにはちと長すぎる。項《こう》を分けて、しばしその由来ばなしへ舞台を移すことにしよう。 ×      ×  山東の一角に、地名登州《とうしゆう》とよぶ海浜の村がある。  海に近いくせに、いやなものが名物だった。州城外の山には、虎、豹《ひよう》、狼《おおかみ》などの猛獣が多く、年じゅう人畜の被害が一ト通りでない。  ところで。近日この地方を諸国巡閲《じゆんえつ》の大官が通るという沙汰がある。登州奉行はそのために、令を発して、 「期限付き、虎退治の指令を、村々の百姓猟人《かりゆうど》へいい渡せ」  と、土地《ところ》の庄屋や村役場へ厳達してきた。  ここに、兄を解珍《かいちん》、弟を解宝《かいほう》という猟師《りようし》がいた。父もなければ母もない兄弟《ふたり》暮らし。  解珍はあだ名を両頭蛇といい、解宝は双尾蝎《そうびかつ》とよばれている。いずれも名のごとき七尺ゆたかな壮漢であり、州中の猟師らは、 「解氏《かいし》の二雄士」  といって、おそれたてまつっているほどだ。わけて弟のほうは、その太股《ふともも》に飛天夜叉《ひてんやしや》の刺青《いれずみ》を持ち、嶺を駆ければ、鹿狼《しかおおかみ》は影をひそめ、鳥も恐れ落ちなんばかりな風があった。 「兄貴、行って来たよ、村役場へ」 「日限《ひぎ》りの厳達書か」 「しようがねえやな。お上《かみ》のいいつけじゃあ」 「どうだっていうんだ、一体その文句は」 「日限までに獲物《えもの》を出せとよ。日限すぎたら受付けねえってんだ。罰として、しばり首にするとさ。……だが、いい獲物には、褒美《ほうび》を取らす。……まあおきまり文句さね」 「首はいやだな。褒美といくか」 「かねがね狙っていたあのツボだ。あの嶺のやつを狩り出そうぜ」 「合点だ。弟、今夜のうちに、罠弓《わなゆみ》、毒矢、それから弩弓《いしゆみ》、そうだ刺叉《さすまた》も持って行こう。揃えておけよ」  日限は三日とある。  明くるや早くに、二人は薄刃の山刀を腰に、手には必殺道具を抱え、しめたる帯は虎の筋、豹の皮の半袴《はんばかま》といういでたちで、雲を踏み、風にうそぶいて、「ここらは出るところ」  と、日ねもす歩き廻っていた。  さがすときには、ぶつからない。虎の糞《ふん》を見ただけである。あくる日もまた、乾飯《ほしい》、牛骨を舐《ね》ぶり舐ぶり、この日もまた駄目。 「兄貴、あしたで日限《ひぎ》れだぜ」 「知ッてやがるのかな、虎のやつ」 「意地のわるいもんだ。手ぶらで歩いている時にゃ、よく、のそついて来やがるくせによ」 「弱ったなあ。考えると寝つかれねえや」  野宿《のじゆく》の夜半もすぎていた。  火の気は禁物。霧が寒い。抱きあって二人は寝ていた。いつかぐうっと深い鼾声《いびき》をかきこんで——。 「あっ?」  刎《は》ね起きたのは夜明けまぢかだった。 「兄貴、まちがいねえ。今のはたしかに、罠弓《わなゆみ》が弾《は》ぜた音だぜ」 「しめた。行ってみろ」  転び出てみると、暗中にもがいている巨大な物がある。かねがね狙ッていた大虎が、見事、罠弓《わなゆみ》にかかっていたのだ。  だが、近よって、これを刺叉《さすまた》にひッかけようとすると、いわゆる猛吼《もうく》一声というやつ、ウオオッと背を怒らし、矢を負ったままな大虎の影は、彼方の谷崖《たにがけ》の下へ、どどどと雷雲のころがるように落ちて行った。 「いけねえ、こいつアしまった」 「なにさ、弟、あわてるこたあねえ。毒矢の毒がまわっているんだ。落ちた所でおだぶつさ。それ以上は逃げッこねえよ」 「だって兄貴、この崖下は、たしか因業《いんごう》旦那と伜《せがれ》の毛仲義《もうちゆうぎ》のやしきのうちだぜ」 「べらぼうめ。毛旦那《もうだんな》に借りがあるわけじゃなし、ちょっとお庭うちを踏ませておくんなさいぐらいな頼みに、何の苦情があるもんか」  道を廻って、二人は山腹の豪勢なお大尽《だいじん》やしきの門を叩いた。まだほの暗い早朝だ。荘丁《いえのこ》らは渋い目をこすッて何かと出て来る。毛《もう》旦那もやがてあとから現われた。 「なんだえ、一体お前らは、こんな早くから」 「あいすみません。とんだお騒がせをいたしまして。じつあお上《かみ》の厳命で、三日と日限りの虎を狙ッていましたんで」 「ああ、あのお達しだね。そして巧く獲物を仕止めたのかい」 「と思ったら、罠弓《わなゆみ》を外《はず》しゃあがって、お庭つづきの地内へころげ落ちてしまったわけでさ。おそれいりますが、裏庭を通していただき、ご地内を探させて貰えませんでしょうか」 「何かとおもったらおやすいことだよ。いいとも、いいともよ! だがの解《かい》の兄弟、まだ外は暗い、そこでお茶でものんで話していなよ」 「でも、ごやっかいの上に、お世話をかけては」 「なんの、わしも一緒に行ってみたいし、朝茶は何を措《お》いてもだ。まあお待ち」  これが案外に悠長だった。やっと毛旦那が荘丁《いえのこ》に鍵《かぎ》を持たせて、裏庭の木戸へ出て来たときは、はや嶺の端《は》に、朝陽が出ていた。 「旦那、めったにここは開けたことがないので、錠前が錆《さび》付いていて開きはしませんぜ」  荘丁《いえのこ》の声を聞くと、毛旦那は言った。 「なに開かない。開かなかったら金鎚《かなづち》を持ってきて叩きこわして入るがいい」  そうして入って、裏山じゅうを探してみたが、どうしたか、虎はどこにも見あたらなかった。 牢番役の鉄叫子《てつきようし》の楽和《がくわ》、おばさん飲屋を訪ねてゆく事  おかしい? と解珍《かいちん》、解宝の兄弟《ふたり》はともに首をかしげ合う。しかし毛旦那が住む屋敷地域の裏山一帯、これ以上は歩き探す余地もなかった。 「おい、解《かい》の兄弟——」と毛旦那はくたびれ顔をしぶらせて。 「どこにも虎の死骸などはころがっていないじゃないか。他山《よそやま》だろう。大迷惑だナ、当家にとっては」 「いやそんなはずはございません。この上の高原で罠《わな》にかけ、罠を引っ外《ぱず》して逃げる虎《やつ》を、たしかに一本は狙いたがわず毒矢を射当てていたんですから」 「だって見えまい。見当らんものはどうしようもない」 「旦那。お待ちなすって。……ちょっとここをごらんなすっておくんなさい。滴々と血がこぼれていますぜ。オオ上の方から崖の灌木《かんぼく》や草までが折れなびいている。毒矢を負った虎はここへころげ落ちて来たにちげえねえ」 「ふざけちゃいけないよ。野獣猛禽《もうきん》、何が咬《か》み合った血やら知れたもんじゃない。おまえ方は朝ッぱらからわしの家へ因縁をつけに来たのかよ」 「とんでもない。そんな道楽半分の騒ぎじゃござんせん。こちとは命がけです。今日のうちに登州《とうしゆう》のお奉行所へ虎をさし出さなければお布令《ふれ》どおりの厳罰ッてことは、旦那もこの村の庄屋ならご存知のはずでございましょうに」  とかく言い争ってみたが、前とは打って変って毛《もう》旦那は解《かい》の兄弟の言いがかりだと言い張って相手にしない。兄弟の方ではまた「これは毛旦那も今日中に役署へ虎を出さなければならないので、自分の地内へ逃げこんだやつをこれ幸いと横奪《よこど》りして口を拭いてやがるのだな」と、早くも腹の中ではにらんでいる。  あげくの果ては、喧嘩腰になって「家探しでも何でもしてみろ」「オオしてみなくて!」と、行くところまで行ってしまった。けれど村一番の大尽《だいじん》屋敷だ。広さは広し、それに荘丁《いえのこ》雇人らが二人のあとに付いて廻って離れない。ついにその家探しでも得るところはなく、兄弟はやけのやん八、 「みていやがれ、出る所へ出て白黒をつけてやるから!」  と、捨て科白《ぜりふ》を吐いて、毛《もう》家の門を飛び出してしまった。  そして出るとまもなく途中で毛家のせがれ毛仲義《もうちゆうぎ》にばったり会った。仲義は一群の見知らぬ男どもを連れていたが、兄弟の訴えを聞くと、 「よしよし、俺と一しょに来い。親父は何か悪い雇人に欺《だま》されているのだろう。おれが帰って家じゅうを調べてやる」  という同情的なことばだった。やれ有難えと二人は仲義に従《つ》いてあとへもどった。ところがこれはなお悪かった。なぜなら仲義はこの日の五更《こう》(夜明け前)ごろ、わが家の裏山で拾い獲《え》た大虎を、さっそく奉行所へ届け出た上、なお予防線をしいて、こう訴えておいたものである。「この虎に難クセをつけ、村の悪猟師の兄弟が、家へ火を放《つ》けるの、毛家の奴らをみなごろしにするなどといっています。ひとつ諸人の迷惑、虎以上な両名を、お召捕りのうえご処罰ねがいたいもので……」と。——そしてことば巧みに、その場から役人捕手を連れて戻って来た途中だったのだ。  解《かい》の兄弟は、これではまるで、われから求めて縄目に陥《お》ちたようなものでしかない。元の門内へ入るやいな、捕手と荘丁《いえのこ》らに組伏せられて高手小手に縛られてしまった。毛の大旦那は二人が家探しをした狼藉《ろうぜき》のあとを役人に示し、なお出まかせな訴状を書いて子の仲義とともに、後刻、登州奉行所へもッともらしい顔をして出頭におよんでいた。  村の小事件とみなされ、奉行自身は白洲《しらす》には顔もみせない。  一切は奉行名代《みようだい》の第一与力《よりき》、王正《おうせい》という者が係となって処置された。ところがこの王正は毛家の女婿《むすめむこ》にあたる者。なんでたまろう解《かい》兄弟の調べもほんの形ばかり、拷問《ごうもん》、爪印《つめいん》の強制、大牢送りの宣告と、わずか二日ほどのうちにかたをつけられ、 「いずれ流刑の地は後日申し渡す」  と、揚屋《あがりや》入りに附されてしまった。  ここの牢屋あずかりは苗字《みようじ》を包《ほう》、名を吉《きち》といい、牢屋中の囚人からは、もちろん閻魔《えんま》の如く恐れられている。のみならず毛家の鼻グスリは奉行以下、すべてに行きとどいているうえ、与力の王からは「……いずれ一服(毒薬)ものだ」と囁《ささや》かれていたので、 「やいっ、土下座するんだ。ええいっ、面《おもて》を上げろ」  と、のッけから噛みつきそうな権柄《けんぺい》で、身柄、罪状の書類を片手に。 「……ええと、なんだって、両頭蛇の解珍《かいちん》と、双尾蝎《そうびかつ》の解宝だと。蛇が兄きで、蝎《かつ》が弟か」 「へい」 「へいだけじゃ分らねえ。どっちなんだ」 「仰っしゃるとおり、兄の解珍が両頭蛇と呼ばれておりますんで」 「てめえが、弟で蝎《かつ》か。覚えとけ、おれのつらを。ここへ入ッたからにゃ、蝎も蛇も、のさばらしちゃおかねえぞ。おい牢番」 「はっ」 「こいつらを一番湿めッぽい奥の大牢へぶち込んどけ」 「こころえました。さッ起《た》て」  引っ立てて行ったが、人前のきびしさに似ず、その牢番は人なき牢屋まで来ると急に声をひそめて兄弟へいった。 「……わしを知らんか。わしをよ」 「えっ?」 「おまえ方は、提轄《ていかつ》(憲兵)の孫《そん》さんとは?」 「あっ、あの人なら、いとこです。母かたのいとこですが」 「わしはな、その孫提轄《そんていかつ》の小舅《こじゆうと》にあたるもんですよ」 「へええ? ……」と見すえて。「ではもしや、楽和《がくわ》さんてえのは」 「それだ、その鉄叫子《てつきようし》の楽和ですわ。もうクヨクヨしなさんな。わしがここにいる!」  天は兄弟を捨てず、だ。悪庄屋《あくしようや》の方に毛家の女婿《むすめむこ》がいたのは運の尽きであったようだが、ここには解《かい》兄弟の遠縁のひとりが牢番としていたのである。  楽和はもと茅州《ぼうしゆう》の生れで、生れつき悧発《りはつ》で器用なたち、わけて耳の官能がすぐれていた。ひとたび聞いた唄はすぐ覚え、しかも節まわしが巧みで、すこぶる美音だった。  鉄叫子《てつきようし》というアダ名は、すなわち、それに由来する。  登州城の東門外、十里牌《じゆうりはい》とよぶ地に、盛《さか》っている飲屋があった。ここの帳場にいつも見えるおかみが、  毋大虫《ぶだいちゆう》の顧《こ》  という気ッぷしのいい年増女で、ただたんに、「おばさん。おばさん」で通っている。しかしこのおばさんはただ女《もの》ではない。奥でのべつ開かれている常賭場《じようとば》の連中も一目おいているし、店の者はもちろん、客の呑ン兵衛も毋大虫の臼《うす》みたいなお尻がでんと帳場にござる日はゴネもきかないし踏《ふ》み仆《たお》しもできなかった。 「ごめんよ。こちらは孫《そん》さんのお店で?」 「はい、はい。いらっしゃいまし。孫《そん》はわたしの亭主ですよ。飲屋の看板は、おかみのわたしだと思ってたら、変ったお客さまですわね。さあ、どうぞお好きなところへお掛けなさいまして」 「では、ちょっとここを拝借しましょうか」 「ホ、ホ、ホ。お堅いこと。お酒ですか、お肉? それとも博奕《おあそび》なら奥の方ですが」 「いいえ、おばさん。てまえはあなたのお連れあい孫新《そんしん》さんの兄、孫提轄《そんていかつ》の妻の弟にあたるもんですよ」 「へエ。それじゃあ楽和《がくわ》さんとかいう? ……」 「はい、その楽和で」 「これはまあ、おめずらしい。ついご城内の奉行所にお勤めとはうかがっていたけれど」 「こちらこそ、ご無沙汰のままですみません。……じつはその、今日は折入ったことでね」 「なにか急な御用ででも」 「急も急、人命二つに関《かか》わることで出てまいりました。しかもあなたの、お従兄弟《い と こ》さんにあたる者ですから」 「えっ……。じゃあ、ことによったら登雲山の麓村《ふもとむら》で猟師をしている解《かい》の兄弟のことじゃございませんの? わたしは小さい時にあの人たちの親御さんの手で育てられ、そしていまの孫新に嫁《かたづ》いてきたわけなので、ほんとの弟みたいに思っている仲なんですが」 「兄弟《ふたり》も言っておりました。じつは十里牌《じゆうりはい》で居酒屋をやっている姉さん同様な人がいるんだが……と、牢の中で、涙をたれて」 「げっ。入牢ですって?」 「はあ。じつはこんなわけがらでしてね」と、鉄叫子《てつきようし》の楽和《がくわ》は、そのいきさつと、密《ひそ》かに、自分が二人から頼まれて来た仔細を告げ、「……なにしろ、上は奉行から下は牢預かりにまで、毛家の袖の下がとどいていますからヘタをするとここ数日中には一服盛られてしまうかもしれません」 「ま! ……。どうしたらいいんだろう」  おばさんはサッと顔色まで失った。毛の薄い描き眉、かなつぼ眼。しょせん美人の内ではない。それをご当人は承知か否か。大きな頬の黒子《ほくろ》一ツ残してそのほかは真ッ白けに塗りたくり、半裸同様なあらわな腕には金無垢《きんむく》の腕環《うでわ》デカデカ。髪にも色気狂いのような釵子《さいし》やら簪《かんざし》やら挿して、亭主はおろか、股旅《またたび》でも、呑み助の暴れン坊でも、まちがえばちょいと抓《つま》んで抛《ほう》り出すなどお茶の子だといわれているこのおばさんにしてさえ、しんそこは、やはり女であったらしい。大粒の涙をこぼして早やオロオロの容子《ようす》だった。  やがて、店のすみにいた若いのへ。 「何さ! 何でポカンと口を開いて人の顔を見てるんだよ! はやくどこか探して良人《うちのひと》を連れておいで。急な話があるんだからといって」  幾人もの若いのがすぐ表へ飛び出して行く。その間におばさんは楽和《がくわ》にむかって礼をのべ、またくれぐれ兄弟のことを頼み、きっと助け出してみせるからと涙を拭き拭き誓って言った。  楽和は牢屋勤めの身、すぐ城内へ戻って行ったが、入れちがいに、おばさんの亭主孫新が、何事かと息せき切ッて帰って来た。この人、眉目奇秀《びもくきしゆう》、体躯は長くしなやかで、どこか元、武士《さむらい》の風がある。  祖先は瓊州《けいしゆう》の出で、軍官の裔《すえ》であり、いまでも実兄の孫立《そんりゆう》は、登州守備隊の提轄《ていかつ》隊長の職にある。兄弟ともに“尉遅恭《うつちきよう》”——唐代の勇士——の再来だと称され、この弟孫新の方は小尉遅《しよううつち》とよばれていた。 「……ふうむ。そいつはえらい災難にひッかかったな」  と、孫新は女房から聞く一《いち》ぶ一什《しじゆう》にただ唸って、深く腕ぐみを結んだままだったが、やがてこうぼそっといった。 「なにか。楽和《がくわ》さんには、吝《しみ》ッたれずに、たんまり銀子《ぎんす》を預けてやったか」 「そんなことを抜かッてはいませんよ。地獄の沙汰以上、牢屋まわりは金ですからね」 「よし。じゃあこっちから助けに行くまで、何とか工合よく計っておいて下さるだろう。あとは思案ひとつだ」 「思案ていったって、おまえさん、どんな思案をお持ちなのかえ」 「べらぼうめ。そうおいそれといい智恵が出るものかい。毛家はあの財力と勢力だから、しょせん地道な手だての賄賂《わいろ》じゃ敵《かな》いッこはねえ。まず腕ずくだ。その腕ずくには、鄒淵《すうえん》、鄒潤《すうじゆん》の叔父甥《おい》を、こっちの者にしておきてえが」 「あ、あの登雲山から降りて来ては、よくうちの賭場《とば》で遊んでゆく山の衆かえ」 「そうよ。なんとかならないかなあ」 「来るよきっと。今夜あたりは」 「あてがあるのか」 「丁《ちよう》よ半よには目のない二人だもの。おとといだったか。一日おいたらまた来るぜ、といって山へ帰ったからね」 「ならば奥へ酒さかなを用意しておけ。奴らもいつか俺にむかって、酒の上だが、今の世の鬱憤《うつぷん》やら上《かみ》役人《やくにん》の非道《ひどう》を鳴らしていたことがある。存外、こいつア乗ってくるかもしれねえ」  はたしてこの夕、異相の大男二人が、のそっと店へ姿をみせた。賭場《とば》の常連だから黙ってスウと奥へ通ってしまう。おばさんは良人の孫新へチラとすぐ目《ま》ばたきを見せる。世辞を撒《ま》き撒き孫新があとから奥へついていく。——店いッぱいの客あしらいの隙をみて、おばさんもまた、やがてのこと、奥へ消えた。  賭場でない別室では、鄒淵《すうえん》と鄒潤《すうじゆん》を上座に、そして孫新が取りもち役で、酒酌《さけく》み交わして飲んでいたが、毋大虫《ぶだいちゆう》の顔を見るなり孫新が、 「オ、女房、お二人さんへまずお礼をいえ。解《かい》の兄弟の救い出しに、腕を貸そうと、ご承知してくんなすったぞ」 「えっ、では。……ああ、これで」 「おばさんよ……」と、鄒淵《すうえん》がすぐその傍らから。「そんなにうれしいのかい、おれたちの助太刀がよ。こんな可憐《しおら》しいおばさんなんて、ついぞ見たことはねえの。なア鄒潤《すうじゆん》」 「まったくだ。それだけに俺たちにしろ、うんと張合《はりあ》いがあるッてもんだ。叔父貴、いま孫新へ言ったことを、もう一ぺん話してやりねえ」 「おう、じつはおばさん、おれたちの腹もこうなんだ」  と、ここにこの叔父甥二人も、日頃の意中をうちあけた。  というのは、彼らはいま登雲山に、八、九十人の手下を持ち、近郷は避けて当りさわりのない街道で盗《ぬす》ッ人稼《とかせ》ぎをやっているが、元々これが彼らの素志でもない。  山東の梁山泊《りようざんぱく》には、旧友三人がその仲間へ入っている。錦豹《きんびよう》子《し》の楊林、火猊《かげい》の飛《とうひ》、石将軍の石勇、その三人だ。——かたがた、宋公明以下の漢《おとこ》たちの会盟をきき、羨《うらや》ましくてたまらない。いつかはケチな街道稼ぎなどすてて一党へ身を投じたいと願っていたものの、さて踏ン切りをつける機会もなかったという述懐なのだった。  さもあろうと、これは信じられる。  叔父と甥《おい》だが、年ばえは二人とも大しては違っていない。叔父の淵《えん》には出林龍とアダ名があり、甥の潤《じゆん》は、あたまの後ろに瘤《こぶ》があるので独角龍と世間で異名《いみよう》されている。  ともに莱州《らいしゆう》の産《うま》れだが、武芸はいずれ劣らない。慨世《がいせい》の気があり過ぎてかえって世に容《い》れられぬ狷介《けんかい》の男どもだ。わけて甥の方はムカッ腹立ちの性分で、かっとなると何へでも頭でぶつかッて行く癖がある。かつてその瘤頭《こぶあたま》で松の木をヘシ折ったなどの話さえ持つ独角龍であった。  しかしこの淵《えん》、潤《じゆん》の二龍にも、苦手《にがて》な者がないではない。それは城内の守備隊である。「そいつに出て来られたら……」と、いささか怯《ひる》む風《ふう》が見えなくもなかった。すると孫新が胸をたたいて請け合った。 「その心配はまず無用だ。じつは守備隊にはてまえの実兄孫提轄《そんていかつ》という者がいる。その兄も呼んでひとつ事を打明けてみましょう。切るに切れない血肉の仲、敵に廻る気づかいはございませんよ」  その夜。孫新は店の若い者を城内へ使いにやった。——女房の毋大虫《ぶだいちゆう》がとつぜん発病して危篤におちた。一ト目会いたいといっている。夫婦ですぐ見舞に来てくれ。——こう出たら目な迎えをやって兄の孫立と嫂《あによめ》とを驚かしたものなのである。 登州大牢破りにつづき。一まき山東落ちの事  病尉遅《びよううつち》  それは孫立《そんりゆう》の綽名《あだな》だ。  いろ青白く、青粘土《あおねんど》みたいに沈んでいるが、まなこは鯉の金瞳《きんどう》のごとく、黒漆《こくしつ》のアゴ髯《ひげ》をそよがせ、身のたけすぐれ、よく強弓をひき、つねに持つ緋房《ひぶさ》かざりの一鎗《そう》も伊達ではないと、城内はおろか、守備隊の中でも、こわがられている孫提轄《そんていかつ》だ。  弟の女房が危篤と聞いて、 「わからないもんだな。鬼のかくらんということはあるが」  と、妻を車に乗せ、自身は騎馬で、兵卒十人ばかりを供につれ、急遽《きゆうきよ》、休暇願いを出して、明けがた十里牌《じゆうりはい》へ急いで来た。  だが、弟の店へついて、奥へ迎えられてみると、なんと出て来たのが危篤のはずなその毋大虫で、弟の孫新もけろりとしたもの。——孫立《そんりゆう》夫婦は、呆ッ気にとられるよりはまず腹が立った。 「おい、おばさん。孫新もだ。悪洒落《わるじやれ》はいい加減にして貰いたいな。こっちは官の勤務が忙しい体なんだ」 「なんともすみません。嘘もよほどな口実でなければ、すぐ来てはくださるまいと思いましたので」 「ひとを驚かすにも程があらあ。いったい何のためにこんなまねして呼んだのだ。俺ばかりか妻までを」 「じつは兄さん。不慮の災難が持ち上がッて、この弟夫婦はよんどころなく店を畳み、不日《ひならず》、梁山泊へ仲間入りいたします」 「なに?」  と、病尉遅孫立《びよううつちそんりゆう》は、きッと、軍人になった。 「おれは州城の提轄《ていかつ》を奉職している者だぞ」 「わかってますよ兄さん。だからこそわざわざお断りしておくわけなんで。……弟のわたしが州城の牢屋をぶち破り、あげくに梁山泊へ落ちのびて行ったとあれば、当然、肉親のあなたへも累《るい》がかかり、後日の咎《とが》めはのがれぬところでございますからね」 「きさま、いよいよ聞き捨てならんことをいうが、一体どういうわけで、そんな大それた暴挙をせねばならんのか」 「ゆるしてください。じつは女房のやつが幼少に養われた恩人の子二人——猟師渡世の者ですが。——それがいまむじつの罪で牢内にいるばかりか、悪《わる》庄屋の毛《もう》に買収されて、その女婿《む こ》の与力から奉行、牢屋あずかりまでみながグルになって、解《かい》の兄弟を闇から闇へ殺そうとしているんです」 「ふウ……む」と、孫立はうめき出し。「解珍、解宝のふたりなら、おれにとってもまんざらあかの他人ではない」 「聞いてませんか。いまいった事件は」 「知らなかった。奉行も与力も、よほどこっそりやったんだな」 「そのはずです。みんな毛家の賄賂《わいろ》に買われている仲間ですから」 「ひどいもんだな今の役署は。いやおれも官の禄《ろく》を食《は》んでいるその中の一人だが、こうまで腐ッているとは思わなかった」 「兄さん、天下到る所、今の役署ッてえなあそんなもンですぜ。上は宋朝《そうちよう》の宮府から下は与力、岡ッ引の小役人まで」 「孫新! おまえが梁山泊へ行こうってえ気もちはよく分るよ。だが、あそこへ入るには誰か手づるがなければむずかしい。見込みはあるのか」 「あるんです! おい女房、鄒淵《すうえん》と鄒潤《すうじゆん》さんをここへお呼び申して来い」 「あ。待った」 「なんです兄さん」 「その二人は登雲山の草寇《ぞ く》じゃないか。登州守備軍に籍をおく俺とは日頃からの仇敵《あだがたき》だ」 「ですからさ兄さん。一つ会ってみてお互いの腹をぶち割っておくんなさい。彼らもただの草寇《ぞ く》ではありません。私たち同様、慨世の恨みをもつ者。そして梁山泊の中には、石勇、飛《とうひ》、楊林ていう三人の知己を持っている。——そこでまずともに落ち行くさきは梁山泊と腹を決め、城内から解兄弟を救い出すことにも腕を貸してくれる約束になっているんです。兄さん、この通りだ。お願いします。私たち夫婦が一生のお願いだ。どうかお力をかしておくんなさい」 「……むむ。一つ考えさせてくれ」  孫立は深く腕をくんだ。大きな運命の岐路《きろ》に立たされた容《かたち》である。しかし他人の鄒淵、鄒潤さえも弟に組みしてくれたという。実兄として見ていられようか。かつは奉行所内部の腐敗にもほとほとあいそがつきてくる。彼はついに意を決した。  事。こうまとまると段取《だんどり》はバタバタついた。  彼と、鄒《すう》との会見も、心地よくすみ、さっそく大牢襲撃の密議に入り、鄒淵《すうえん》はいちど山へ帰って行った。山寨の人馬財物を一ト括《から》げにし、子分のうちから二十人を選り抜いて、ふたたびここへ戻って来る約束だ。  また孫新は、そっと城内へ行って、楽和《がくわ》に会い、これとも密々な手筈を打ちあわせ、さらに孫立《そんりゆう》の屋敷へも寄って、目ぼしい貨財を若い者に運ばせる。「兄のいいつけで」という弟の行為なので、屋敷の召使もなんら不審を抱くふうでもない。  かくて勢揃いの朝が来た。  その朝、おばさんは外出着《よそゆき》に着かえて、おめかしも念入りに、何か進物籠《しんもつかご》のような物を若いのに持たせて一ト足さきに城内へ立って行く。  残る一同、孫立、孫新。また鄒の叔父甥二龍、その子分、店の若い者、孫提轄《ていかつ》の士卒十名。すべて四十名余りは、店を閉じて、夜明けまえから酒をくみ合っていたが、やがて、おばさんが立ったのを見とどけてから二隊に分れ、裏と表の口から風の如くここをすっかり出払っていた。 「さて。……今日は一つやっちまおうか。小面倒だが、毛家の女婿《む こ》のあの与力が、まだかまだかとまたうるさく言って来やがるにちげえねえ」  包吉《ほうきち》。  例の、登州牢預りの閻魔面《えんまづら》だ。  監視亭《かんしてい》の机の小ひきだしから、独りこッそり毒薬袋を取出して、それを二人分の量に薬紙《やくし》へ小分けしていた。やりつけているに違いない。薬剤師のような手つきである。 「……おや?」  あわてて、毒薬を元の小ひきだしへ仕舞い込むと、窓から外を覗《のぞ》き、何を見たのか、あたふたと早足に出て行った。  いま彼方の牢路次《ろうろじ》の角《かど》を、スウと見つけない大女の派手ッぽい姿が消えて行った。それから奥は解《かい》兄弟が入っている大牢があるだけである。そこで包《ほう》が急いで行ってみると、そこには牢番の楽和《がくわ》が水火棍《すいかこん》を持って立っていたので、出合いがしらに、包は呶鳴《どな》ッた。 「ええい、あぶねえ。女はどうした?」 「あ。差入れに来た女ですか」 「差入れに? ……。差入れならなぜきさまが預かって、一応監視亭へ届けに来んか」 「いま行こうと思っていたところです」 「だって女が見えんじゃないか」 「え、見えませんか。待てといっておいたんだが……。はてな、小用にでも行ったのかな?」  そこへほかの牢番人が走って来て。 「おかしら。ただいま孫提轄《ていかつ》がお目にかかりたいとかいって、どんどん表門を叩いていますが」 「何の用か用だけを聞いておけ。ここは守備隊の管轄《かんかつ》じゃねえんだからな」  言い捨てるやいな、大股に大牢の獅子《ろうや》口《ぐち》へ駆け寄って行き、またも後ろの楽和へ、かみなり声を叩きつけた。 「やいっ。錠前《じようまえ》があいているじゃねえか。大事な錠前がよ」 「へえ、そんなはずはございませんがね」 「ばか野郎。きさまあ、何のためにここへ立っているんだ、何のために」 「でも、開けた覚えはないんでして」 「けッ。まだ言ッてやがる。——それっ、見やがれ」  包《ほう》は癇癪《かんしやく》まぎれに獅子《ろうや》口《ぐち》の厚い戸をドンと押し開けた。とたんに何か内部の異様を見たにちがいない。及び腰に上半身を中へ入れるやいな、 「あッ。女?」  と、叫んだ。  いやその叫びは、彼が前のめりにそのまま牢内へ転がり込んだ驚きとも一つであった。後ろの楽和《がくわ》が力まかせに彼の尻を押し飛ばしたによることはいうまでもない。すかさず、楽和もすぐ飛び込んで、 「畜生っ」  と、その巨体へ起たせもやらず組みついたが、猛然、でんとばかり投げ飛ばされた。  しかし刹那、おばさんの毋大虫《ぶだいちゆう》は、包のふところへ深く入って、そのワキ腹へ明晃々《めいこうこう》のあいくちを一ト突き加えていたし、解宝《かいほう》は後ろから抱きついて動かさず、また解珍は、包の佩剣《はいけん》を抜いて包の胸元を刺しつらぬいた。 「うまくいった!」 「さ、早く外へ」  このときもう牢営中は蜂《はち》の巣をついたような騒ぎとなっていた。孫立《そんりゆう》と孫新は牢門を破ってあばれこみ、おばさん、楽和、解兄弟とひとつになり、また、べつな一手の鄒淵《すうえん》、鄒潤《すうじゆん》の二龍は、はやくも奉行所を突いて、毛家の女婿《む こ》の与力王正《おうせい》の首をひッさげて合流して来た。 「さ。ひきあげろ!」 「目的は遂げたというもの」 「これ以上の殺生は無用無用」  町中はもうたいへんだ。軒並みバタバタ店を閉じている。しかし追って来た奉行所役人も州兵も、馬上、弓をつがえて殿軍《しんがり》していた相手が、 「やや。孫提轄《そんていかつ》だ?」  と分ってからは、たれひとり近づこうとはして来ない。そのまに、おばさん、解の兄弟、そのほかみな、辻風のように、城門の外へ奔《はし》り出していた。  孫立もあとから馬で十里牌《じゆうりはい》へ追っ着いた。店の前には貨財を積んだ馬、車、旅支度をした若い者。すでに立退《たちの》く準備が待ちかねている。 「わたしは馬車より馬がいいよ」  おばさんは一頭の馬に乗る。孫立の妻は、馬車の上だった。馭者《ぎよしや》はさっそく鞭《むち》を鳴らす。  すると二十里も行かぬうちに、解宝《かいほう》、解珍が言い出した。 「すでに一命のないところを、こうして助けていただきながら、なお勝手な妄執《もうしゆう》を吐《ほ》ざくようですが、毛家のおやじと、せがれの毛仲義、あいつら親子を思い出すと、どうでも腹がおさまりません。てまえどもはあとから山東へ追っつきますから、どうぞ皆さんは一ト足先へ落ちてください」 「いや、解の兄弟。おまえたちがこのまま立ち退けぬというのは無理もねえ。この孫立《そんりゆう》も一しょに毛家へ乗り込んでやろうぜ」  すると、鄒《すう》の二龍も、 「あそこは登雲山の麓村《ふもとむら》。いわばおれたちの古巣に近い。おれたちも行ってやる」  と、途中で馬を向け変えた。  こんな一隊に寄り道されては堪ッたものではない。その晩の毛家《もうけ》の惨状は目もあてられなかった。毛の大旦那も伜の仲義もずたずたに斬りさいなまれ、あげくに家屋敷はあッというまに焼き払われた。荘丁《いえのこ》雇人も多かったが身を挺して殉《じゆん》じるほどな者もない。だから蓄えの金銀も鄒《すう》の叔父甥《おい》が「残して行くのも、もったいない」と、馬の背に付け放題な始末であった。そして炎の空をあとに、一行は道四、五十里を急ぎに急ぎ、やがて先の仲間に追いついた。  かくて、日ならず道は山東に入り、やがて行きついたのは、梁山泊《りようざんぱく》を彼方に見る江岸の一酒店。すなわち見張り茶屋の石勇がいる孤亭《こてい》だった。  鄒《すう》と石勇とは旧知の仲。くどいことはここでは略す。——ただ石勇が一同へ話したことばは重大だった。 「まことに、せっかくでござんしたが、あいにく宋公明《そうこうめい》さまは、先頃からお留守で、ここんとこ、泊中《はくちゆう》にはおられません。同様に一味の楊林も飛《とうひ》もいないんです。……というわけは、ご承知かどうか。祝家荘《しゆくかそう》の祝朝奉をあいてに大戦《おおいくさ》の最中なんでして……。しかもこっちは敗《ま》け色です。楊林と飛《とうひ》も、じつは敵のとりこになっている始末。なにしろ先には、祝氏《しゆくし》の三傑だの、鉄棒つかいの欒廷玉《らんていぎよく》なんていうのがいて、どうにも手に負えないんだそうで、いやもう梁山泊も、今はただの日じゃあねえんですよ」 宋江、愁眉《しゆうび》をひらき。病尉遅《びよううつち》の一味、祝氏《しゆくし》の内臓に入りこむ事  この日、軍師呉用《ごよう》は、泊中を立っていた。  呂方《りよほう》、郭盛《かくせい》、阮《げん》の三士など、五百人の新手をつれ、祝家荘《しゆくかそう》の苦戦へ、応援に行く首途《かどで》だった。  同勢、船から上がって、隊伍をととのえていると、江岸の酒店から石勇がとびだして来て、 「軍師。ちょっと、お立ち寄りねがわれますまいか」  と、兵馬発向のドサクサ中なので、手ッとりばやく、云々《しかじか》の人たちが、梁山泊入りの望みで来ていることを告げ、 「そのうちの一人、病尉遅《びよううつち》の孫立《そんりゆう》と申すものが、もし陣へお連れくださるなら、一策を献じたいといっておりますが」  と、つけ加えた。 「なに、病尉遅《びよううつち》? ……。ではその弟は、小尉遅孫新《しよううつちそんしん》じゃないのか。よろしい会ってやろう」  かねて彼らの名は聞いている。  やがて出林龍の鄒淵《すうえん》、独角龍の鄒潤《すうじゆん》、解珍、解宝らすべて呉用の前に姿をならべた。——わけて鉄叫子の楽和《がくわ》、毋大虫《ぶだいちゆう》のおばさん、孫立の妻など、みな呉用の眼には善良に見えた。 「病尉遅は、あなたか」 「は。てまえ孫立です」 「なにかよい策があるとか聞いたが」 「もし陣中へおつれ下さればです」 「もちろん、同気《どうき》を求めて来た諸君。大いに歓迎する。が、その計略とは」 「てまえがまだ武芸修行中のころ。欒廷玉《らんていぎよく》とは、師を一つに同門であったことがあります」 「ほ。……相弟子《あいでし》だな」 「ですから彼の気性、彼の手のうちはほぼ分っております。かたがた、ここずいぶん会っていませんが、このたび、登州守備隊から州《うんしゆう》の駐屯《ちゆうとん》へ移動を命じられた途中、なつかしさに、顔を見に立ち寄ったといって行けば、這奴《しやつ》、必ず自分をよろこんで迎えるでしょう」 「内へ入って、外のわれわれへ、機脈の便を与えるという計か」 「内臓に入って、内臓を切り破る策です」 「おもしろい」  呉用は見抜いた。これは使える、と。  しかし孫立たち八人へは、一日おくれて後から来るがよいと命じておき、呉用とその軍勢は、即刻、現地へ向けて先発した。そして祝家村の陣営——宋江の幕舎へつくやすぐ、まず事情とこの一計とを呉用が参陣の手《て》土産《みやげ》として、彼に語りつたえたものなのだった。 ×      ×  次の日、孫立たちの男女一行も、ここの陣所に着いた。すぐ、ひきあわせの小宴。そして、各《おのおの》身素姓《みすじよう》を名のり合う。  宋江《そうこう》は眉をひらいた。  ここ不利な戦いをつづけ、面目を失ったのみか、四人の味方の将を、敵の手に捕虜としてゆだねている。  かつは多くの部下も死なせ、日夜、やるかたない悶々《もんもん》を抱いていたところである。が、いまはまったく心身も冴え返った。呉用が来た。また思わざる味方が加わった。彼らのもたらしてきた奇計なども、まさに天来の救いともいうべきか。宋江は天の星を拝した。 「戴《たい》院長」  と、あくる日、呉用は陣中の戴宗《たいそう》をよんで、急使を托した。 「ご足労だが、一ト飛び梁山泊《りようざんぱく》まで行ってもらいたい。——至急、泊中の四名の者をこれへ急派して欲しいのだ」 「こころえました。誰と誰ですか」 「鉄面孔目《こうもく》の裴宣《はいせん》。聖手書生の蕭譲《しようじよう》。通臂猿《つうびえん》の侯健《こうけん》。玉臂匠《ぎよくひしよう》の金大堅」 「みな一芸の者ですな」 「む。それと、仮装用のこれこれの服飾をたずさえ、すぐ駆けつけてくれるように頼む。なお、詳しくはこの中に書いてある」  一封を彼にさずけ、踵《きびす》をめぐらして来るところへ、柵の哨兵《しようへい》がつたえて来た。 「扈家荘《こかそう》の扈成《こせい》という者が、陣見舞の酒肉を持って、お目にかかりたいといってまいりましたが」 「扈家荘《こかそう》とは、敵の独龍岡《どくりゆうこう》を繞《めぐ》る三家の一つではないか」 「はっ。西の麓にいる祝氏《しゆくし》の一族で」  すると、幕舎の内から宋江が出て来て。 「いやさしつかえございません。伝令、ここへ通せ」  扈成《こせい》は、司令部の前まで来ると、膝をついて、宋江を再拝した。 「自分の妹は、ご存知の扈三娘《こさんじよう》こと、一丈青というものにござりますが」 「あ。あの凜々《りり》しい女将軍の兄上か」 「女だてらに、乱軍の中を駆けまわり、ついに尊軍のとりことなってしまいました。めんぼくもございません」 「なんの、擒人《とりこ》を出したのはお互いだ。恥じることはない」 「が、じつは……」 「何を言い難そうにしておられるのか」 「妹がとりのぼせて、尊軍へお手抗《てむか》いいたしたのも、じつは祝氏の一男と縁組みの約があったからでございまして」 「それで?」 「なにとぞ一つ、若い娘のこととおぼしめし、ご寛大なおなさけの下に、彼女《あ れ》の身柄を、てまえにお返しいただけますまいか。どんな償《つぐな》いでもいたしまする。また向後は決してお手抗《てむか》いはさせません」 「よろしい」 「えっ。ご承知くださいますか」 「代りに、こちらの取られた捕虜、王矮虎《おうわいこ》をお返しください」 「さ。その矮虎《わいこ》どのは」  このとき、呉用が口を入れた。 「どこにいます。矮虎は現在」 「独龍岡《どくりゆうこう》の本城に、鎖《くさり》でつながれてますので、さて、われらにはどうすることもできません」 「ははは。ではお話になりませんな。だが、こういう約束ならばしてもよい。今後一切、扈家荘《こかそう》からは加勢をくり出さないこと。そして祝朝奉から入り込んだ者は、そちらの手で捕えておくこと。——その約条が守れるなら、後日、妹さんの身はきっと返す。ただし妹さんは早や梁山泊へさしたててあるが、あちらでは絶対安全にさせてある。それだけはご安堵《あんど》なさい」  扈成《こせい》は、約を誓い、拝謝してすごすご帰った。——陣中こんな風景もあったりするまに、一方、孫立《そんりゆう》の組は、呉用のさしずの下に、着々とそのはかりごとを進めていた。そして一日、  登州守備隊 提轄《ていかつ》孫立  と大書した旗じるしを作り、馬卒二十余り、同気七名を伴《ともな》い、昨夜ひそかにここの陣をはなれ、わざと道を遠く廻って、やがて独龍山の裏がわ、祝氏の城の搦《から》め手道へかかって行った。 「御指南」  城兵の一人が駆け込んで来て告げた。  武芸指南役の欒廷玉《らんていぎよく》は、ちょうど城内の弓の広場で、祝氏の三傑——朝奉の息子、祝龍、祝虎、祝彪《しゆくひよう》らと、なにか立ち話していたところだった。 「なんだ、あわただしげに」 「はっ。ただいま登州守備隊の孫立と名乗るお人が、同勢二十七、八名で御指南をたずねてまいられましたが」 「どこへ」 「搦《から》め手門の濠《ほり》の外へ。中に女人《によにん》も二人ほど連れております」 「おかしいなあ。ほんとか」  そばで、ふと聞きとがめた祝龍が。 「何者です、先生。それは」 「以前、おなじ師匠の許《もと》にいた同門の者ですが」 「ならば会ってみたら分るじゃないですか。女連れだとか。まさか物騒な者じゃあるまい」 「ではおゆるしを得ましょうか。兵卒、濠《ほり》の吊り橋を下ろして通せ」  孫立《そんりゆう》の一行は、まもなく郭門《かくもん》でみな馬をおりて、これへ来た。相見るや、欒廷玉《らんていぎよく》もオオと双手で迎え、孫立もまた手をさしのべ、かたく握り合って、お互い久闊《きゆうかつ》の情を見せた。 「しばらくだったなあ」 「ほんとに」 「君が登州にいることは知っていたが、どうしてこれへ来たのか」 「急に州駐屯《うんしゆうちゆうとん》の任へ就けと、総管辞令でいやおうなしに廻されてさ」 「州《うんしゆう》だとすると、梁山泊に近いな」 「それだ。このごろやたら暴徒の数がふえ、おだやかならん風聞《ふうぶん》もある。移動もそのおかげらしいよ」 「じつはここも今、やつらと一戦の最中なのだ。よく途中で、梁山泊の者に遮《さえぎ》られなかったな」 「いや聞いている。だからわざわざ道を変えて搦《から》め手から訪ねて来たんだが……。いまあちらへ行ったお三人は誰なのか」 「祝氏のご子息がただろう。見たか」 「いや、先様でチラと俺たちの方を流し目にして行かれただけだが、さてはあれが有名なご当家の三傑だったか」 「君っ」  と、欒廷玉《らんていぎよく》は、孫立の肩へ手をのせて。 「どうだ、ここで一ト働きしてみんか。君の受けた移動命令にも添うものだ。寄手の賊のなかには宋公明《そうこうめい》がいる。彼を生けどって都へ差立て、さらに梁山泊をも突き破れば、一躍大功名、将軍の印綬《いんじゆ》はかたいぞ」 「む。同門の友が宋《そう》朝廷の禁軍に臨み、白馬金鞍《はくばきんあん》を並べるなどの日がもしあったら、そいつあ、どんなに愉快だろうな」 「さ、本丸へ通ってくれ。ご子息がたへ、紹介する」  そのあいさつ、儀礼もあって、当夜の晩餐《ばんさん》には、めずらしく当主祝朝奉《しゆくちようほう》までが席に姿を現わした。  終始、弾《はず》んでいた欒廷玉《らんていぎよく》は。 「大殿。これです。昼、お耳に達しておきました旧友の病尉遅孫立《びよううつちそんりゆう》というのは」 「孫立です。初めて御意《ぎよい》を拝しまする」 「やあ、あんたか。こんど総司令部の命で、近くの州《うんしゆう》へ移駐して来られたと聞くが」 「さようです。何かと以後は、ご教導のほどを」 「とんでもない。当家こそ、ご支配の区域になる。よろしくおちかづきを願わねばならん。そして、そちらのお方は?」  楽和《がくわ》は、とたんに、まごついたが、すぐ孫立《そんりゆう》が仲をとって言った。 「これは州《うんしゆう》の役署の方で」  つづいて鄒淵《すうえん》、鄒潤《すうじゆん》、孫新、解《かい》の兄弟らをさしては、 「いずれも、登州の軍人でして、てまえには腹心の部下どもです」  と、機転をはたらかせたものである。このあざやかな紹介に疑いを抱いたものは誰ひとりもなかったらしい。  祝朝奉《しゆくちようほう》といい、三傑の息子といい、決して凡庸《ぼんよう》な人物ではなかったが、孫立一行《いつこう》のうちに、孫《そん》の妻と、おばさんのいたこととが、なんといっても、女づれと視《み》る油断の一因を醸《かも》していたのは争えない。そして行李《こうり》を積んだ馬やら馬車やら、どう見たって、これは赴任軍人の引っ越しだった。 「女は女同士がよかろう」  と、朝奉は彼女らを伴って奥へみちびき、自分の夫人、側室、そして侍女《こしもと》たちと一しょに遊ばせ、さらに元の席へ返って来て、 「ひとつ、乾杯しましょう」  と、たいしたご機嫌ぶりだった。その歓談のあいだに、孫立《そんりゆう》は隣の席の祝龍へ、ちょっと、こんなふうに当ってみた。 「さすが、磐石《ばんじやく》なお城ですな。敵が攻めているのかいないのか、まったく何もわかりません」 「でも梁山泊の寄手は、昼夜、歯がみして、どこかを突ッついているんですがね」 「及びもつきますまい。しょせん、やつらの力では」 「しかし勝敗は逆睹《ぎやくと》できません。また一気に勝負もつけかねますよ。這奴《しやつ》らは逃げるだんになれば、水を渡ってあの蕭々《しようしよう》たる芦《あし》の彼方へ隠れこんでしまうでしょうから」 「いやそのときには、官でも水軍を押し出しますよ。不肖《ふしよう》が州に駐留しているからは」 「よろしくどうぞ」  かくて、三日目のことだった。城楼や城門でただならぬ動揺《ど よ》めきがわき揚がったとおもうと、鉄甲、花やかな味方一騎が、 「宋江みずから、一軍をひきいて、近々と攻めよせてまいりましたぞ」  と、城庭を駆け巡り駆け巡り、報じていた。 「なに、宋江が」  すぐ立ちかける祝龍《しゆくりゆう》を抑えて、三男の祝彪《しゆくひよう》が、 「いや、おれが行く。まかせてくれ。おれが捕まえて来る」  と、言い争った。いや言うやいな、そこの床几場《しようぎば》を躍り出し、濠《ほり》の吊り橋を下ろさせて、部下百騎ほどの先を切って駆け出して行く彼だった。 百年の悪財、一日に窮民《きゆうみん》を賑わし、梁山泊軍、引揚げの事  城楼、城門、城壁。その中の無数な顔という顔がみな大きな口を開けッ放しに開けていた。鬨《とき》の声である。それに合せ銅鑼《どら》や金鼓《きんこ》も万雷の音を揺すッてやまない。  城外へ出た味方への声援なのだ。  ——と見るまに、祝彪《しゆくひよう》の一隊は、勝ちほこッたかの如く、濠《ほり》の吊り橋を渡って、とうとうと荘門の内へひきあげて来た。その車仕掛けの吊り橋は味方を収めるやいなキリキリと高く巻き揚げられる。 「ざまはねえ! 宋江《そうこう》の臆病者めが」  祝彪は大勢のいる荘の床几場《しようぎば》へ来るなり言った。 「宋江と聞いたので、ござんなれと討って出たが、なんのこと、相手に出て来やがったのは、梁山泊《りようざんぱく》では弓の上手とか聞く小李広《しようりこう》の花栄《かえい》という奴。相手にとって不足だが、そいつもまた、手もなく逃げてしまってさ……。いや張合いのねえことといったらない」  ここ一郭《いつかく》の陣座には、祝朝奉《しゆくちようほう》をはじめ、祝氏《しゆくし》の三傑とよばれる息子の祝龍、祝虎、また武芸師範の欒廷玉《らんていぎよく》、そのほか祝一門おもなる者、ぞろッと甲冑《かつちゆう》をならべていた。  そしてまた一隅には。  これは巧みに、欒廷玉との旧縁をつかって、荘内の客となり澄ましていた連中がいる。すなわち病尉遅《びよううつち》の孫立《そんりゆう》、孫新、また鄒淵《すうえん》と鄒潤《すうじゆん》、それに解《かい》の兄弟や鉄叫子楽和《てつきようしがくわ》などの七名で、なるべく目立たぬようにと、さしひかえている姿だったが、 「いや、ご三男さま」  と、その中から孫立がめずらしく口を出した。 「敵の宋江が、姿を見せないのも、弓の花栄が尻ッ尾《ぽ》を巻いて逃げたのも、そいつは無理もありません。自然だろうと思いますな」 「なに。それはどういうわけだ、孫立」 「だって、みすみす死を求めに出て来るばかはありますまい。音にひびいた祝氏の三傑の中でも、わけて勇猛のお聞えあるあなたが、いきなり陣頭に出て行っては、ご自身、木の葉を掃いてしまうようなもので、それでは合戦になりッこもないでしょう」 「わははは、なるほどな」  祝彪《しゆくひよう》が大笑すると、父の朝奉《ちようほう》も、満座の面々も、みな手を打って、 「これは考えものだ」  と、しばし笑いに揺れ合った。  酒宴になる。いろんな作戦上の策が話題に出る。  鉄叫子《てつきようし》の楽和《がくわ》は、頃あいをみて、 「余興に一つ」  と、得意の歌をうたい、さらにまた、求められて、諸葛孔明《しよかつこうめい》の“五丈原《ごじようげん》ノ賦《ふ》”を指笛で吹いて聞かせた。 「これはうまい! 素人《しろうと》芸ではないぞ、おもしろい客人だ」  と、楽和はすっかり人気者にされ、やんや、やんやの喝采《かつさい》をあびた。  こんなことから、孫立一味の七人客も、また、朝奉夫人が住む大奥へ入りこんでいた孫《そん》の妻と毋大虫《ぶだいちゆう》おばさんの二人も、すっかり信愛をうけて、いつか城内ではなにへだてなく扱われていた。  するとまた、七日ほど後のこと。 「すわ! 梁山泊の賊軍が、前にもました勢いで、濠の彼方《むこう》へ襲《よ》せかけて来ましたぞ」  と、郭門《かくもん》一帯にどよめきを見せ、朝奉以下の陣座へ、頻々《ひんぴん》と指令を仰いできた。  再三、敵将の宋江をとり逃がしているので、今度はと、祝氏の三傑は口をそろえて、 「騒ぐな、放《ほ》ッとけ、しばらく、敵がなすままにして、出方を見ていろ」  と、号令した。  だが、放ッておいたら、たいへんである。城外の寄手は、火箭《ひや》を撃ちこみ、堤《どて》をくずし濠を埋め、また巨木を伐《き》って筏《いかだ》となし、どうなることかわからない。  かくと聞くや、祝龍、祝虎、祝彪の三兄弟とも、 「小癪《こしやく》な」  とばかり癇癪《かんしやく》に駆られ、吊《つ》り橋を下ろさせて、突風のごとく、荘門から討ッて出た。  敵がたには、 「豹子頭《ひようしとう》の林冲《りんちゆう》!」  と名のる一将がいた。  祝龍、祝虎はそれへむかって、おめいていたが、豹子頭《ひようしとう》の影は、まるで乱軍の間に明滅する陽炎《かげろう》のごときもので、追い疲れ、戦い疲れ、兄弟がハッと思ったときは、 「あっ、こいつはいかん」  と、余りに城を離れた深入りに気づき、ついに駒を返したことだった。  三男の祝彪《しゆくひよう》もまた、ただ敵の怒濤の中を泳ぎ暴れただけで、宋江の姿も見ず、むなしく郭《かく》の内へひきあげていた。——翌日も、また次の日も、変りない襲《よ》せつ返しつの膠着万遍《こうちやくまんべん》といった戦況だった。  すると三日目のこと。大陸的な夕空いちめんまさに灼奕《しやくえき》と真っ赤に燃え映《は》えている頃だった。——寄手の後ろの方から車輪陣の象《かたち》をなした一団が近々と濠ばたへ押し進められてきた。一旗《き》高々と夕風にひらめいているのを見て城内の兵は、 「や、や、あれこそ宋江だ。宋江の本軍が出てきたにちがいないぞ」  と、言い騒いだ。 「ござんなれ宋江。さあ決戦だ」  と、郭門《かくもん》を押ッ開き、吊り橋を下ろし、手に唾《つば》して逸《はや》りきる祝氏の三傑三兄弟にむかって、このとき、 「ま。お待ちなさい」  と止めたのは、荘の客、病尉遅《びよううつち》の孫立《そんりゆう》だった。 「——率先、あなた方が躍り出たら、またもや折角な大魚を獲《と》り逃がしましょう。まずそれがしと孫新が一隊を拝借して討ッて出ます。お三方は郭門《かくもん》の蔭にひそみ、われわれが、宋江の退路を断《た》ッたとみたところで、いちどに吊り橋を渡って包囲したらどんなものでしょう?」 「む。いい考えだ。では先陣を切ってくれ。おう、この馬をそちに遣《や》る」  長兄の祝龍は、みずからの愛馬を、孫立《そんりゆう》に与えた。それは“烏騅《うすい》”と名のある漆黒《しつこく》の馬だった。  陣鼓《じんこ》、喊声《かんせい》の沸《わ》く中を、孫立と孫新の一隊は、敵の前面へ馳け出しざま、 「梁山泊の盗《ぬす》ッ人《と》ども、この祝朝奉《しゆくちようほう》家の内には、登州守備隊の提轄《ていかつ》、孫立以下の者が、先頃から客となっていたのを知らぬのか。どいつもこいつも引っ縛《から》げて、御用とするから覚悟をしろ」  と、敵のみか、後ろの城門へも聞えるような大音声《だいおんじよう》でまず呶鳴った。  たちまち戦塵が煙り立ッた。  無数な人渦《ひとうず》のなかに、無数な剣戟《けんげき》がひらめきうごく。  宋江の陣からは、せつな。 「おうッ、捕《と》れるものなら生け捕《ど》ってみろ、没遮《ぼつしやらん》の穆弘《ぼくこう》とはおれのこった!」  つづいて、また。 「いぜんは薊州《けいしゆう》の刑吏、今は志を変えて梁山泊の一人、病関索《びようかんさく》の楊雄《ようゆう》もこれにいる!」  さらに、次の一騎も、猛然、突き進んで来ながら名のった。 「——命《べんめい》の三郎石秀!」と。  これは手強《てごわ》い。陣も堅い。  石秀《せきしゆう》と孫立とはただちに鎗《やり》を合せ、両々譲らず、火をちらし、鎗身《そうしん》を絡《から》みあい、激闘数十合におよんだが、勝負、いつ果てるとも見えなかった。  一方の孫新もまた苦戦だ。  穆弘、楊雄の二隊に取りまかれ、かつはそれらの豪の者に迫られ、あわや危ういかとさえ思われた。  その戦況を、郭門から眺めていた祝氏の三傑は、 「もう見てなどいられるものか」  まず祝龍が、先頭を切って、た、たっ! と濠の吊り橋を馳け渡って行った。  するとそのとき、孫立は馬の鞍わきに、敵の一将石秀を生け捕って来て、 「やあ、ご長男さま。こいつを城内へ縛《くく》っといておくんなさい」  と、祝龍の前へその者を抛《ほう》り投げた。 「なに、生け捕りか。出来《でか》したぞ孫立」  と、祝龍はただちに部下へいいつけて、石秀を縄からげにし、郭門《かくもん》の内へ送りこむやいな、ふたたび馬を回《かえ》して敵の中へ突入して行った。  祝彪《しゆくひよう》、祝虎も、もちろん兄におくれてはいない。突然、宋江の陣は総退却をおこした。しかし時すでに薄暮。勝つには勝ったが、またもついに、宋江は取り逃がした。  城内は赤々と凱歌《がいか》にかがやく篝火《かがり》の晩を迎え、荘の本《ほん》曲輪《ま る》では一同、 「また一人、擒人《とりこ》がふえた」  と、酒壺《しゆこ》を開いて、陣宴の歓《かん》に沸いていた。  祝朝奉《しゆくちようほう》もすこぶる上機嫌で、 「お客人の大手柄だわ」と言い、「——せがれども、合戦いらい、これで梁山泊の捕虜は幾人になったかの?」  と、酒の肴《さかな》みたいに訊ねていた。  二男の祝虎が答えて言った。 「今日の捕虜、石秀という者を加えて、ちょうど七人になりますよ。——まず最初に捕まえたのが時遷《じせん》、次に間諜の楊林《ようりん》、それから黄信《こうしん》、王矮虎《おうわいこ》、秦明《しんめい》、飛《とうひ》——どいつもこいつも梁山泊では一トかどなやつばかり」 「うむ、いずれみな、檻車《かんしや》に乗せて、開封《かいほう》東京《とうけい》の朝《ちよう》へ差立て、皇帝からお褒《ほ》めをいただくわけだが、しかしそれまでは、傷物《きずもの》にしてはならん。大事にしておけよ」 「さよう、さよう。捕虜も見ばえをよくしておかなければいけませんな」と、相槌《あいづち》を打ったのは、客卓にいた孫立だった。 「——ご子息がた。あとは宋江を生け捕ることです。これに宋江が加えられれば、祝氏の三傑の名は都の大評判となりましょう。ところで、押送《おうそう》までの監視は、充分、お抜かりなくしてあるでしょうな」 「大丈夫だとも。郭北《かくほく》の倉庫十八棟のうちの三番蔵《ぐら》に一人一人檻車《かんしや》に入れて押し籠めてある。何しろ戦騒《いくささわ》ぎで手が廻らんでな。しかし、なるほど奴らを都へ送るにも、見ばえをよくしておく必要はあった。あしたからは肉もたっぷり食わせておこう」  このあと数日は、梁山泊軍の襲来もなかった。  そのあいだに、孫立《そんりゆう》一味は城郭中の通路、隠し道、奥との連絡、すべての探《さぐ》りを遂げていた。毋大虫《ぶだいちゆう》のおばさん、孫立の妻も、ひそと心得顔である。楽和《がくわ》はまた、人目を忍んで、折々城壁の堤から濠《ほり》の彼方へむかって、のん気な指笛を吹いて逍遥《しようよう》していた。が、これが決して暢気《のんき》な遊びでないことはいうまでもない。  ついに来る日が来た。  宋江はこの日、いつもと攻め手をかえて、全体を四軍にわけ、城の四面から迫って来た。そのうえ四隊個々の上に中軍旗をひるがえし、さかんに陣鼓喊声《じんこかんせい》をあげさせ、どの隊も宋江がいる本陣かの如くに見せかけていた。  しかし、梁山泊方《がた》にそんな大兵はあるはずもないから、これは宋江が土地《ところ》の農民や雑夫《ぞうふ》を狩り集めて兵鼓《へいこ》を振るわせた擬勢《ぎせい》であったに相違ない。けれど城中の驚きは一ト通りでなく、 「すわ。寄手は梁山泊から援軍をよんで、いちかばちかの総攻撃をしかけて来たとみえるぞ。やよ欒廷玉《らんていぎよく》、せがれどもと力を協《あわ》せ、一挙にこれを屠《ほふ》り去れ」  と、祝朝奉《しゆくちようほう》みずから、将台に立って指揮にあたり、城方《しろかた》もまたその全力を四面の防ぎに投入した。——すなわち祝氏の三傑は一人一人にわかれて荘門外に奮戦してゆき——また、いつもは総大将朝奉のそばを離れない欒廷玉《らんていぎよく》まで、一隊をひきいて搦手《からめて》からつい討って出てしまったものであった。  必然、いまや郭内《かくない》はまるで手薄。——と見るや、どこかで、 「おおっ、お待ち遠さま! お膳立てはととのったぞ。先頃から逗留《とうりゆう》中のお客衆、それっ、思い思いの膳につけ」  と、病尉遅孫立《びよううつちそんりゆう》の大音声につれて、とつぜん、鉄叫子楽和《がくわ》のするどい指笛が祝朝奉の耳を驚かせた。 「な、なんじゃあれは?」  朝奉は怪しんだ。いや狼狽《ろうばい》のひまもない。彼のいる将台の階《きざはし》を目がけて、だ、だ、だッと馳け登って行った孫新、楽和、鄒淵《すうえん》、鄒潤《すうじゆん》の四客は、手に手に剣をひッさげ、 「朝奉、観念しろっ」  と、斬りつけてきた。  左右の兵は仰天して、乱刃の下に防ぎ戦い、朝奉は欄《らん》を躍りこえて将台の下に逃げ転《まろ》んだ。——が、下には孫立が、一鎗《そう》を構えて待ちうけていたから、朝奉はいよいよ逃げ戸惑い、ついに女曲輪《おんなぐるわ》の境まで走ッてそこの深い石井戸へ身を投げてしまった。  追って来た孫立は、井戸べりに片足かけて、中を覗《のぞ》き込み、 「おあつらえ」  とばかり手の一鎗《そう》を逆《さか》にかざし、ドボンと投げ突きに井戸底の物を突き殺した。——そして、あとから来た楽和にむかい、「鉄叫子《てつきようし》。すぐ奥へ行って、毋大虫《ぶだいちゆう》やおれの妻に助太刀してくれ。そして祝夫人や侍女《こしもと》などは殺さぬように、どこか一つの女房《によぼう》(女部屋)へ押しこめておくがいいぜ」  と、早口に言い渡し、そして彼自身は、郭北《かくほく》十八倉《そう》の一つ三番蔵《ぐら》の方へ宙を飛んで行った。  すでに、蔵番《くらばん》の哨兵《しようへい》一隊は、そこらじゅうに叩きつけられてしまい、三番蔵《ぐら》の鉄の扉は、滅茶苦茶に破壊されてしまっている。  ここを襲ったのは解珍《かいちん》、解宝の二人を先頭に、さきごろ一行の供人《ともびと》に仕立てて一味の中に入れ共に泊りこんでいた仲間の手下《てか》たちだったのである。いうまでもなくここに囚われていた時遷《じせん》、楊林、黄信《こうしん》、矮虎《わいこ》、秦明《しんめい》、飛《とうひ》、石秀の七人の救出のためにだ。 「火を放《か》けろ」 「いや倉庫はよせ。あとでは、こっちの頂戴物だ」 「ならば櫓《やぐら》を」 「そうだ、まず荘門からぶッ潰《つぶ》せ」 「馬糧《まぐさ》を撒《ま》いて、将台も焼き払え」  これだけの屈強が突如、城の心臓部から暴れ出したことである。鼎《かなえ》が沸くなどという形容も充分ではない。同時に奥の方からは毋大虫《ぶだいちゆう》おばさん、孫立《そんりゆう》の妻、そして、楽和《がくわ》そのほかも馳せ集まる。  驚愕したのは、城外に戦っていた欒廷玉《らんていぎよく》や祝兄弟それぞれの隊と、その戦場であった。 「や、や。あの煙は?」  と吊り橋を引っ返して来た欒廷玉は、そこの口を塞《ふさ》いでいた孫立以下の者と、後ろからの追撃に挟まれて、橋上の立往生を遂げてしまい、祝龍、祝虎の兄弟は、おなじく城の火の手に驚いて戻る途中、寄手の呂方《りよほう》、郭盛《かくせい》の埋伏《まいふく》隊につつまれて、これまた最期の是非なきにいたってしまった。  ひとり三男の祝彪《しゆくひよう》は、 「こいつはてッきり城中の裏切り?」  と見、死地を脱して、扈家荘《こかそう》へ逃げた。  ——例の一丈青《いちじようせい》の兄、扈成《こせい》が支配している一族の一荘だ。  ところが、扈成《こせい》はすでに、妹の一丈青の身の保証と交換に、宋江《そうこう》とのあいだに、不戦密約をしていたので、門を閉じて、彼を入れず、為に、戦い疲れた祝彪は、それを執拗《しつよう》に追いまわして来た黒旋風李逵《こくせんぷうりき》の二丁斧《ちようおの》の下に、ついに命を終ってしまった。  ところで李逵《りき》は、これだけにしておけば、いい男であったものを、宋江と扈成の密約などは頭におかず、つづいて荘門をぶちやぶり、家族召使いを、みなごろしにしたあげく火をかけてしまったものである。そのため、扈成は、命からがら延安府へと落ちのびてゆき、やがて後にこの人は、宋朝《そうちよう》中興の業にひとかどの将として働いた。  だが、それは後のはなし。宋江はこの日、本陣にいて、この伝令を聞くやいな、 「李逵《りき》をよんで来い」  と命じ、彼を見るや、いつにない烈しさで怒った。 「この蛮夫《ばんぷ》め、無知め、扈成は先頃、陣見舞のみやげを持って、降《こう》を申し入れてきた者ではないか。その肉を食らい酒も飲んだきさまは、這般《しやはん》の約も知っているはずだ。だのになんで、降人の家族をみなごろしにいたしたか」 「こいつア恐れ入った。いけませんでしたか。——扈家荘《こかそう》の一丈青という女郎《めろう》には、あなたからして、ひでえ目にあった怨みがあるじゃございませんか」 「怨みも捨てるのが降《こう》というもの、また和というものだ。祝彪《しゆくひよう》を討ったきさまの手柄はそれで帳消しだ。後陣へ退《さ》がッて謹慎しておれ」 「ふへえ! また謹慎ですかい。どうしてだろ。おれが働くと、ご褒美はいつも謹慎だ」  李逵は口をとがらした。うそぶきながら引っこんでゆく。が、こんな悄然《しようぜん》たる姿は彼ひとりだった。  はやくも孫立《そんりゆう》、孫新をさきに、長らく城中の捕虜となっていた面々も、宋江の前に来て立ちならび、「めでたい」  と、生きての再会をよろこびあい、また、 「ひとえにこれは、病尉遅《びよううつち》以下、君たち一同の奇計がもたらしてくれた大功だ」  と、宋江はひとかたならず、孫立たちの労を謝した。そしてただちに、城内の財宝を外へ運び出させることにした。  なにしろ万戸の王侯にひとしい祝朝奉家の蓄えである。武具、爆薬、穀物、車輛、また奥の調度品には、絹、糸、油、金銀、それと牧場にも、牛、羊、騾馬《らば》、家鴨《あひる》などまであって、その集荷《しゆうか》には、七日も要したほどである。 「すべてこれは梁山泊へ運び入れよう」  軍師の呉用は言ったが、宋江はそれに反対な色をみせた。 「われらは世から盗《ぬす》ッ人《と》といわれています。だが人は言っても、われらの内では盗《とう》は盗でも、ただの悪《あく》には終るまい、何か一善は、世間にお返ししようぜと、これは鉄則にしていたはず。——いま、多年苛烈《かれつ》な鞭《むち》の下に農奴を泣かせて富み栄えてきた祝家をここにぶッ潰《つぶ》したのも、天に代ってしたものとしなければなりません。さすれば当然、分捕りの財は、それの大半を窮民《きゆうみん》へ分け与えてやるべきかと思いますが」 「よかろう。もとより徳を施すことならこの呉用から梁山泊の面々も、異存のあろうはずはない」 「では。……先に石秀《せきしゆう》が敵地へ探りに入り込んだとき、何の利も得《とく》もなく、一夜を親切に匿《かくま》ってくれた鐘離《しようり》という老人がある。あの老人を窮民布施《ふせ》の奉行役にして、それをやらせてはどんなものか」  と、さっそく石秀を使いにやり、鐘離をよんで来て、分捕り物分配の任にあたらせた。それもしかしなかなか大仕事だった。何しろ穀物糧米《りようまい》だけでも五十万石の余にのぼる量だった。が、これで独龍岡《どくりゆうこう》支配下の何万戸という荘民は、まるで夢みたいなお助けに潤《うるお》され、かれらはまた、 「できることなら何でも」  と、労力をもって、そのよろこびを、宋江らの義軍にこたえてきた。  かくて、残余の分捕り品輸送なども難なく進み、宋江らの全軍は、ほどなくここを総引きあげに引揚げた。一路、山東梁山泊へと、凱歌に沸く蜿蜒《えんえん》の列を作《な》して——。  ところが、ここにまだ不遇なる賢人が残っていた。  かの撲天《はくてんちよう》の李応《りおう》である。  彼は、亡び去った祝朝奉家の親戚だ、つまり祝一族の一軒だ。  事の始めに。彼は宗家のためを思い、極力、事を穏便にと、相互のあいだに立っていた。——が、逆に、それが族長の息子どもからは疑われ、以来、門を閉じたきり、今度の騒ぎには全く圏外《けんがい》にいて静かに矢傷《やきず》の身を療治していたのである。——しかし今や、本家の朝奉初め、息子の三傑も、旧家の城とともに、死に絶えたとつたえ聞き、 「ああ、ぜひもない。驕《おご》る者久しからず。これも輪廻《りんね》か」  と、惆然《ちゆうぜん》と独り嘆じていたところだった。  ところが、はしなくこの李応の家の門へも、禍《わざわ》いの波は、禍いから余さじとするかの如く、或る日、どやどやと七、八十人一隊で押しよせて来た。 宋江、約を守って花嫁花聟を見立て。「別芸題《べつげだい》」に女優白秀英《はくしゆうえい》が登場のこと 「このほうは登州与力《とうしゆうよりき》の裴鉄面《はいてつめん》だが、奉行の逮捕状《たいほじよう》を帯びてこれへ参った。当家のあるじ李応《りおう》を出せ。有無《うむ》を申さば、官権をもって召捕るまでだが」  威猛《いたけ》だかである。  屋敷じゅうは慌《あわ》てふためいた。  李応《りおう》はまだ片手を繃帯《ほうたい》して首に吊っている。かくと聞くや衣服を着かえ、静かに病床を出て、官憲との応対に当った。 「てまえが李応ですが、何かのお間違いではないか。逮捕されるような覚えは身にない」 「だまれ。四散した祝家の夫人や家来から連名の告訴が出ておる。それによれば、汝は祝一族の者でありながら、わざと梁山泊《りようざんぱく》との間に紛争を作り、彼らを手引きして、宗家を亡ぼし、後日、荘の土地や金銀の分け前をとる内約していたということだ。言いわけがあるなら奉行閣下の前で申しのべろ」 「これは奇ッ怪な。察するに何者かの讒言《ざんげん》と思われる。ともあれ念のため未亡人の血迷ったその讒訴状とやらまた、お奉行直筆の逮捕状などもお示しいただきたい」 「オオ見るがいい。どうだ、返答あるか」 「なるほど……。ううむ、これは紛《まぎ》れもない登州の官印、また、告訴状もそれらしいが」 「はや言いぬけもあるまいがな。それッ縄を打て」  つづいて、与力は、 「当家の食客の杜興《とこう》とかいう奴。そいつも搦《から》め捕ったか」  と、後ろの人数へ言った。  杜興はすでに縛られている。それを見て、李応も観念した。覚えのない冤罪《えんざい》だ。公《おおやけ》の法廷で堂々申し開くに如《し》くはない、と。  馬に乗せられ、与力、捕手、獄役人などの大勢にとりかこまれ、泣いて見送る老人女子供らの家族へは、 「なあに、すぐ帰って来るからな」  さりげない笑顔すら見せて郷門を去って行った。かくて李家荘《りかそう》をあとに、急ぐこと八、九十里、一叢《そう》の雑木林の中にかかった。 「待てっ」  一声が静寂《しじま》を破ッた。  立ちふさいだのは、豹子頭《ひようしとう》の林冲《りんちゆう》だった。つづいては宋江《そうこう》、花栄《かえい》、楊雄、石秀などである。口ほどもなく、奉行与力以下の者は、 「あッ、梁山泊の奴らだ!」  と白昼の妖怪でも見たように、李応《りおう》、杜興《とこう》の護送馬もそこへ捨てて、蜘蛛《く も》の子のごとく逃げ散ってしまった。 「とんだご災難でしたな」と、宋江はただちに二人の縄目を解かせ——「じつは、お待ちしていたんです。撲天《はくてんちよう》先生、どうぞてまえどもと一しょに、ひとまず梁山泊へお越しください。決して悪くはいたしません」 「お。あなたが、著名な宋公明か」 「そうです。お恥かしい者ですが」 「いかにもな。そのご卑下《ひげ》はよく分る。この李応もまだそんな日蔭者の仲間におちぶれるほど身を持て余してはおりません」 「でも、今日は遁《のが》れても、いつかは必ず官憲はあなたを不問にしておきますまい。——梁山泊の軍勢が、みすみす自分らの管轄《かんかつ》下に、こんな大騒動を起したのです。いわば彼らの落度になる。その罪はみんなあなた一人に被《き》せようとするにきまっている」 「いやどんな難儀がかかろうとも、だ」 「それはご潔癖もちと強情に過ぎはしませんか。しばらくここの余熱《ほとぼり》をさまし、周囲のおちつきを見とどけてから、世間へお帰りある方が、諸事、無難でございましょうに」  杜興もそれをすすめ、呉用もまた、呉用一流の弁で、切にすすめる。そこで李応もついに我《が》を折って、一行の中に入って行をともにし、やがて梁山泊の人となった。  といっても、正道の士、撲天《はくてんちよう》李応のことだ。あくまでここは仮の宿と見、毎日の聚議庁《ほんまる》における酒宴のもてなしにもついぞ打ち溶《と》けた風もない。——その日もまた彼は、梁山泊一統の統領晁蓋《ちようがい》の姿を見たので、 「総統、おねがいです。はや今日で五日目になる。家族らも気がかり。ひとまず、ここを出して、家へ帰して下さらんか」  と、やや哀調をもって嘆願した。  すると晁蓋《ちようがい》は、かたわらの宋江、呉用らの顔を見て、意味ありげに笑って諮《はか》った。 「どうでしょうご両所。撲天《はくてんちよう》先生には、頻りにああいっていますが」 「はははは。李《り》大人。そのご心配は、すこぶる変なものですな」 「どうしてです。呉学究どの」 「だって、あなたのご家族は、もはや李家荘《りかそう》にはおりませんぜ」 「えっ、いない。ではどこにいますか」 「ここにです」 「こことは」 「もちろん梁山泊。ついさっき、金沙灘《きんさたん》の対岸の茶店から報《し》らせがありました。ほどなくやって来るでしょう」  何をいうか、人を愚弄するにもほどがある。——李応はそう取ったものの如く不快な色を閉じてしまった。けれどこれは嘘でなかったのである。ほどなく山寨《や ま》の下からこれへ登って来る群れの蟻行列《ありぎようれつ》のごとき人影が見えだした。近づくに従い、李応は、アっ! とばかり驚いた。その中にはわが妻子が見える、舅《しゆうと》や年来の召使いまでがいる。いや覚えのある家財道具までが百人余りの人間と数十の驢馬《ろば》や牛の背に積まれてやって来るではないか。 「なんとしたことだ?」  彼は走り出して、まず妻にたずねた。妻や老人たちは、口をそろえてこもごもいった。 「旦那さま、ようもまあご無事で。あなたが、州の奉行所へ連れて行かれると、その晩でした。またぞろ百人ほどな者が来て、否やもいわせず、この通りにしてしまい、なんでも来いというままに、これへ曳かれてまいりました。——もう帰るにも帰る所はございません。荘を出るやいな、屋敷は炎になってしまいましたから」  聞く李応《りおう》は、唯々、あきれるばかりだった。すると、後ろから追って来た宋江が、彼の前に膝をつき、両腕を交叉《こうさ》して、地に伏さんばかり詫びて言った。 「おゆるし下さい。まったくは、あなた方をあざむいたのです。それも久しい間、撲天《はくてんちよう》李応というお名を聞き及び、その為人《ひととなり》をお慕い申していたからのことで、われらの内に、あなたを引入れたい一心のほかでしかありません。どうかひとつご堪忍を。またわれわれの切な願いをば、ぜひおきき入れのほどを」 「では一体、あの官人どもは、何者であったのですか」 「州奉行の与力とみせたのは、仲間の鉄面孔目《こうもく》の裴宣《はいせん》という者です」 「あ、あの有名な」 「ふたりの警吏は、偽筆の名人蕭譲《しようじよう》と、篆刻《てんこく》の達人金大堅《きんたいけん》でした。そのほか捕手頭には李俊、馬麟《ばりん》、張順などが付いて行ったもの。——それらすべても、仮装仮面を脱《と》って、今夜はあらためて酒宴の席でお詫びすることになっています。——夫人やご家族の老幼には、決して、ここではご苦労をかけません。平和な村作りをしていただくまでのこと。李応《りおう》先生、なにとぞ、お覚悟をすえてください」 「ああ、それほどまでにこのほうを」  李応はついに、腰をかがめて、宋江の手を取った。その手を押し頂いて。 「士は己れを知る者のために死す。ぜひもありません。死にましょう。死んでここに生れおちたものと思いましょう」 「いまにわかりますが、これや天星宿地《しゆくち》の宿縁なので、紛《まぎ》れなくあなたも仮に地へ生れ墜《お》ちる約束事による天星の一つに違いありませぬ」  このことばは、李応にはただ奇に聞えただけであろう。いやひとり宋江のみが悟っていた宿命観であった。かつて見た不思議な夢告と、そのとき授けられた天書を繙《ひもど》いてから彼はこの梁山泊中の奇異なる生命のよりあつまりを、不可思議、かくのごときものかと、おぼろに信じだしていた。  山も酔い、波も歌い、馬や羊や家鴨《あひる》までも踊り出しそうな“遊びの日”が、一日《あるひ》ここの泊内を世間知らずな楽天地にした。  李応を迎えたよろこびと、十二名の新入りとを、山寨《や ま》中へご披露におよんだためである。かつは祝家荘《しゆくかそう》から移してきた大量な分捕り物の豊年祝いという意味もなくはない。  新入り十二人とは誰々か。  李応は別格とし。まず孫立《そんりゆう》、孫新、それから解珍《かいちん》、解宝、鄒淵《すうえん》、鄒潤《すうじゆん》、杜興《とこう》、楽和《がくわ》、時遷《じせん》。また女人では一丈青の扈三娘《こさんじよう》、おばさん飲屋のおかみ毋大虫《ぶだいちゆう》、楽和の叔母にあたる孫立の妻。以上である。  これらの新顔を入れた大宴の席で、宋江《そうこう》がふと言い出した。 「どうでしょう。この吉日に、私は一組の新郎新婦を立てて、その媒酌人《ばいしやくにん》をつとめたいと思うのですが」 「えっ、誰と誰で?」  満座は色めいた。とかく色香のとぼしい泊内では、これは時なら花見にひとしい。 「花嫁は一丈青の扈三娘《こさんじよう》です。そして花聟《はなむこ》は」  しんとなった。どこからともなく、熱い男臭い、溜息《ためいき》の波がつたわる。 「花嫁にくらべると、武芸人柄、少し品は落ちるが、花嫁には目をつぶってもらい、曲げて一つご亭主に持ってもらいたい男とは、あれにいる王矮虎《おうわいこ》です。……女好きの矮虎です。……じつは彼の欲望をいましめるため、かつて清風山にいた頃、よく自戒するなら、いつかきっと私がよい女房をとりもってやると約束したことがある。男の一言は金鉄です。けれどなかなか山寨《や ま》では良縁もなく、平常心の重荷としておりました。いかがでしょうか、扈三娘さん」  人々は今さらながら宋江の義の堅さに打たれた。わけて扈三娘が生け捕りになって来てからは、宋江にたいして、とかくな蔭口もなくはなかった。——きっと宋先生だッて思し召しがあるにちげえねえ——といったような囁《ささや》きがである。それが今、かくと披露されたので、思わずヤンヤヤンヤの拍手だった。矮虎はうれし涙を拳にこすり、扈三娘は頬を紅葉にしてただ俯向《うつむ》いているのみ。しかし宋江の真心には深く感じたもののようでついに素直にうなずいた。  折も折。こんな慶事にわいていたその日の午《ひる》下がり。はるか対岸の見張り酒店から、例の朱貴《しゆき》の使いが、一舟を飛ばして告げてきた。 「州《うんしゆう》の捕手頭《がしら》、雷横《らいおう》さんてえお方が、旅の途中とかで、統領《とうりよう》や宋江さまに会いてえといっておりやすが」 「なに州の雷横さんだと。それはわしたちの恩人だ。すぐていねいにお迎えして来い」  晁蓋《ちようがい》も宋江もまた呉用も聞いて、大いによろこんだ。——きっと彼《か》の人もまた、官途の腐敗にいびり出され、ついに梁山泊入りを決意して来たものに違いあるまいと。  だがこれは糠《ぬか》よろこびに過ぎなかった。会ってみると、少々、はなしの勝手は違っている。 「じつは県知事の命令で、東昌府へ出張しての帰り途だが、ここへ寄る気もなく、朱貴の茶店で一杯飲《や》ってると、こいつ臭いと思ったか、いきなり子分どもをケシかけて俺を撲りにかかったので、ぜひなく名のッたついでに、各の消息をちょっと聞いてみたまでのことなのさ」 「それはどうもはや……。あれいらいはお目にもかかれず、常々、お噂もしては、おなつかしく存じておりました。朱貴の無礼が、かえって倖せ。思わぬ日に、ご壮健を拝し、こんなうれしいことはない」  宋江がいえば、呉用、晁蓋《ちようがい》も共々に、 「どうぞ、ごゆるりなすってください。こんな時でもなければ、お心のあらわしようもない」 「ありがたいが、何しろ急ぐ公用なのでな」 「ま、そんなことを仰っしゃらずに」 「じゃ、せめて、一ト晩、厄介になるとしようか」 「いや幾日でも」 「そうはゆかない」 「ゆきませんか。残念ですな、どうも」  歓待の間々に、それとなく、仲間入りの水を向けてみるものの、雷横《らいおう》にはいッかとそんな気はないらしい。「おふくろの年が年なので、郷里は離れられない」  と、老母思いな方へ話は移ってしまう。——で、結局、中一日いただけで、翌々日には、 「また、縁があったら」  と、雷横はサッサと草鞋《わらじ》をはきだして別れを告げた。いまはぜひなく、三名は舟で金沙灘《きんさたん》を送って行き、街道に出て、袂《たもと》をわかつに際し、 「なんぞ、ご老母さまへの、おみやげにでも」  と、一嚢《のう》の金銀を彼に贈った。いやこんな物はと、断るのを、三名が強《た》ってのことばに、ついに懐中《ふところ》におさめて去った。  あと見送って、三名は朱貴の店を覗《のぞ》き、 「そうだ、ここの店へは、もひとり楽和《がくわ》を手伝いによこそう。こんな間違いでよかったが、何か事件を起しては困る」  と、呟いた。  それにつづいて、三名の主脳は、金沙灘《きんさたん》から帰る舟中で、新党員のふえたのを機とし、山寨の配備がえを協議した。東西南北、四つの見張り茶屋の一つには、ぜひ、毋大虫《ぶだいちゆう》おばさんに孫新を付けてやろうと、これもきまった。  新夫婦の矮虎《わいこ》と一丈青は、裏山の牧の馬監《ばかん》とする。  杜選《とせん》、宋万は、宛子《えんし》城の二の木戸の守備に。  劉唐、穆弘《ぼくこう》は本丸ざかいの三の木戸。  南山の水寨は、阮《げん》の三兄弟にあずける。  その他、造船廠、鍛冶房《かじぼう》、銭糧局、織布《しよくふ》舎、築造大隊、酪乳《らくにゆう》加工所、展望台組、倉庫方、邏警《らけい》部など、あらゆる適所に適材をおき、水際巍然《ぎぜん》、少くもここの寨《さい》では、遺賢をムダに遊ばせておかない智恵が自然な地と水の如く繞《めぐ》りよく思い巡らされていた。  一方。かの雷横《らいおう》は、 「母上、ただいま帰りました」  と、城県《うんじようけん》のわが家に入るやいな、まず老母の室をみまい、あくる日はさっそく、県役所へ出て、出張先の要務を復命し、これでやっと、いささか身軽となった夕心地を、町辻の風に吹かれながら戻って来た。  すると、土地の遊び人で李小二《りしようじ》という奴《やつこ》さん。出あいがしらに、 「おお旦那あ、お珍しいじゃござんせんか。いつお帰りで」 「いや帰ったばかりなのさ。まだ旅疲れだ」 「そいつあ、ちと、さっそく過ぎますが、どうですえ旦那。ひとつ面白れえ小屋掛け演劇《しばい》を……いや演劇《しばい》でもねえナ……水芸の太夫《たゆう》さんですがね、ちょっとご見物になりませんか」 「ふうむ、そんな旅芸人が土地へ来ているのか」 「聞きゃあ東京者《とうけいもん》ですとさ。別嬪《べつぴん》ですぜ。いや何よりは、唄、弾奏《ひきもの》、軽い茶番、何をやっても田舎廻りにしちゃあズバ抜けてるんで」 「たいそうな惚れ込み方だな。そんなにいいなら、ぜひおふくろに観《み》せてやりたいもんだ。そのうち弁当でも拵《こし》らえて、おふくろと一しょに観《み》に行こうよ」 「……旦那、旦那。あれ、行っちまうんですか。……けッ、よしゃあがれ。捕手の先頭に立つと鬼にも見える雷横だが、へんなものだナ。自分のおふくろには、目も鼻もありゃあしねえ。ふん、つまらねえ人間だよ」  おふくろ思いな雷横だが、老母の眼から見ればこの子にもたった一つ心配はある。悪癖がある。ほかでもない、酒癖がよくないのだ。 「ま。そうクヨクヨ言いなさんなよ、おっ母さん。雷横だって、いつまで心配をかける年頃でもねえさ。ましてや役署勤めの身だ、それに新しい知事さんに代ったから、このさいきっぱり禁酒ときめ、旅先から帰ってからも、杯は手にしたこともねえんだから」  雷横は母へ言っていた。事実、家では飲んでいない。また外でも禁酒を公言していたが、友達はまったく違う。てんで信用してくれないのだ。  その夕も、役署帰りの辻酒屋で、彼はつい悪友どもに飲まされてしまった。というよりは土根性《どこんじよう》から好きなのである。禁欲意識がふと破れると、逆に度を過ごさせるものでもある。さあいけない。苦労性なおふくろに、このグデングデンは見せられないと頻りに悔やむ。だが、友達と別れてからも、なかなか酔は醒《さ》めないのだった。  すると賑やかな演劇《しばい》囃子《ばやし》が耳の穴へ流れこんできた。ははあ、いつぞや李《り》小二が噂していた掛小屋だな。木戸の呼び声、旗幟《はたのぼり》のはためき。それに釣られてふらふらと雷横は泳ぎ込むように木戸口を通った。役署の「顔」が無意識な習性にある。小屋者たちも心得ていて、 「ほい、県の旦那だよ」  とばかり、客席の中でも上等な桟敷《さじき》へご安座を奉《たてまつ》る。といっても板の腰掛け、丸太の手欄《てすり》。どっちみち雷横は“酔ざまし”が目的なのでもうすぐそれに頬杖かけて、居眠ッていた。  舞台では今し水芸の女《おんな》太夫《だゆう》白秀英《はくしゆうえい》が観客の大喝采《かつさい》をあびてサッと緞帳《どんちよう》のうしろに姿をかくしたところらしい。  胡弓《こきゆう》、長笛《ちようてき》、蛮鼓《ばんこ》、木琴《もつきん》、鉦《かね》などの合奏《オーケストラ》にあわせて真っ赤な扮装《ふんそう》をした童女三人が炎の乱舞を踊りぬいてしばらくお客のご機嫌をつないでいる。——それが引っ込む。曲が変る。——と今度は、孔雀扇《くじやくせん》を胸に当てた白衣黒帯《びやくえこくたい》の老人が尖《と》ンがり靴をヒョコヒョコ舞台中央まで運ばせて来て、オホンと一つまず客を笑わせ、 「あいもかわりませず連日のお運び。てまえ白玉喬《はくぎよくきよう》も大御満悦《だいごまんえつ》の態《てい》とござりまする。ただいまご喝采をいただきました娘白秀英《はくしゆうえい》の水芸はまだほんの序の口。いたらぬ芸にはございまするが開封《かいほう》東京《とうけい》は花の都の教坊《きようぼう》で叩きあげた本場仕込み。いささか、そんじょそこらの大道芸とは事違いまする。ご当地では初のお目見得。吉祥《きつしよう》のご縁結び。当人も大張り切りで、精《せい》を根《こん》かぎりに一代の芸を尽してお目にかけたいといっておりますれば、ゆるゆるとひとつご観覧なあって永当永当《えいとうえいとう》ご贔屓《ひいき》のほどを乞《こ》いねがっておきまして——さて」  と、ここで口上の調子をかえ、次の芸当の筋書を述べていたが、雷横は夢か現《うつつ》で、あぶなく居眠りの肱《ひじ》を外《はず》しかけ、はっと、居場所を思い出したように、急に舞台へ、赤い眼をしいて瞠《みは》りだしていた。  すでに舞台では、花の精か、白鳥の霊か、満場、人なきような焦点に、舞い歌っているものがあった。これなん人気女優の秀英であろうか。雪の羅衣《うすもの》に、霞の風帯《ふうたい》、髪には珊瑚《さんご》の簪花《さんか》いと愛くるしく、桜桃《おうとう》に似る唇《くち》、蘭《らん》の瞼《まぶた》。いや蘭の葉そのものの如き撓《しなや》かな手ぶり足ぶり。その手には左右二つのカスタネットを秘《かく》し持ち、戦う鳥となり、柳の姿態《し な》となり、歩々戛々《ほほかつかつ》、鈴々抑揚《れいれいよくよう》、下座《げざ》で吹きならす紫竹の笛にあわせ“開封竹枝《かいほうちくし》”のあかぬけた舞踊の粋《すい》を誇りに誇る。 「なるほど。評判だけなものはある」  雷横もふと、目を拭《ぬぐ》われた心地であった。ひとしく満場の観客も、万雷のような拍手を一せいに送る。するとこのとき、待ッてましたというように、尖《と》ンがり靴の白玉喬《はくぎよくきよう》は、秀英のそばへ来て、お約束の肩を一つぽんと叩いた。 「おっと、太夫。何か忘れてやしないかね」 「あらひどい。わたしの踊りが何か間違ってたというの」 「なにサ。都一の花の太夫。天女が雲から落ちることはあっても、太夫さんの芸にソツがあるものか。お忘れ物というのはね」 「あ。あのこと」 「芸に無我夢中なのは結構だがさ、稀《たま》にはお客さまの顔いろも見て、お心もちを汲んで上げなければいけないやね。いまのご喝采の中には、祝儀《は な》をやれ! 祝儀の盆を廻せ! ッてなありがたいお声もあったじゃござんせんか。次の芸題《げだい》にかかる前に、どうですえ、ここらで一つお志をいただいては」 「ま。うれしいわね」 「では、御意《ぎよい》にあまえて!」  と、白玉喬《はくぎよくきよう》は片手を腰に、また、片方の尖《と》ンがり靴をぴょんと前へ投げ出し、手にしていた薄手な盆を翳《かざ》すなり見物席を眺め渡して、 「いやお待ちかねお待ちかね。さすがご当地のお客様は品がちがう。アレもう大様《おおよう》にご懐中物を解いていらッしゃる。ヘイっ、ただいまご順にそちらへ頂戴に伺いまする。なんと太夫さんよ、かッちけねえご見物衆じゃないか。おまえさんは舞台から精いッぱいその眼でいちいち御礼を申し上げるんですよ。……ヘイっ、唯今。おやじは唯今お盆を持って順ぐりそちらへ廻りまするで。ほい。これはお嬢《じよ》ッちゃん坊ッちゃんまでが。……へえい、おありがとう。おありがとうぞんじまする」  盆廻しは旅芸人の常套《じようとう》である。お客の方でも心得たもの。祝儀《は な》は見得坊な桟敷《さじき》の上客がハズむものと知っていた。やがて雷横の前へ盆が廻ってくると白玉喬は、いちだん愛想よく腰をかがめ、残り物には福、お大尽《だいじん》様は総括《そうくく》り、ヘイ一つお弾《はず》みをとうながした。  はっと当惑したのは、雷横だった。今日は友達の奢《おご》りだが、禁酒いらいは、酒の虫を封じるため、外でも紙入れは持たぬときめていたのである。祝儀はやりたいが無一文だ。なんともかとも間が悪い。「あっ、いけねえ」と、その袂《たもと》さぐりはテレ隠しと誰にも分るような、下手《ま ず》い仕ぐさで「うっかり、紙入れを家に忘れて来てしまった。二、三日うちに、おふくろを連れてまた見物に出直すよ。そのときにはうんと色をつけるからな」 「テヘヘヘヘ。……ありがとうござんすといいてえが、と、いったお客に二度お目にかかったためしはねえや」 「何てえ笑い方をしやがるんだ。そうムキ出さなくても、てめえの出ッ歯は見え過ぎらあ」 「大きに悪うござんしたね。笑っているのはお客衆だ。ねえご見物、どうですえ、こんな桟敷《さじき》の上席に、セセラ楊子《ようじ》で一杯機嫌の旦那がですよ、大きな面《つら》をしていながら、祝儀の出し惜しみに事を欠いて、人の顔の棚下ろしでゴマ化そうてえんだから恐れ入っちまうじゃありませんか、ねえ、この吝《しみ》ッたれなご面相でさ」 「なに、なに、吝《しみ》ッたれだと」 「いいえね、旦那。不粋《ぶすい》な文句はよしなせえ。意気で生きてる芸人だよ。気は心だ。一文二文の投げ銭でも、贔屓《ひいき》とあって下さる物ならありがてえが、おまはんみたいな野暮天《やぼてん》の袂クソなんざ、くれるといってもお断りだ。けッ、とんだ物に蹴つまずいて、すっかり場内のお客さんを白けさせてしまったい。さあ、その脚の先を引っ込めておくれ。通行の邪魔にならあ」 「だまれ、この野郎」 「おや、大きく出なすったね」 「な、なんとぬかした」 「二度いうと風邪《か ぜ》を引かあ。おまはんみたいな人がよくいう見かけ倒しという代物《しろもの》だ。犬の頭に角《つの》が生えても、こんな朴念仁《ぼくねんじん》からカビも生えやしねえってことさ」 「いったなッ」  雷横の母親がつねづね心配していたのはつまりこれだったにちがいない。ぐらっと彼のこめかみの辺をいなずまが走ったと感じたときは、もう白玉喬《はくぎよくきよう》の体などは彼の一拳《けん》の下に素ッ飛んでいてそこらには見えもしなかった。そしてただ見る掛小屋じゅうの見物がわアっと総立ちになって沸《わ》き、舞台の上の白秀英《はくしゆうえい》はといえば、演劇ならぬ悲鳴の演舞をクルクルさせて、下座《げざ》や楽屋裏の者たちをかなきり声で呼び廻っていた。 木戸の外でも猫の干物《ひもの》と女狐《めぎつね》とが掴《つか》み合いの一ト幕の事  いつも朝は機嫌《きげん》もよく二十日《は つ か》鼠《ねずみ》みたいにクルクルと小まめな雷横《らいおう》の母であるのに、今朝はどうしたのか、しいんと南廊《なんろう》の小椅子《こいす》にふさぎこんでいた。——ゆうべおそく泥酔して帰った息子の官服を膝にくりひろげて、泥を払い、ほころびを縫《ぬ》い、またふと、血らしい汚染《し み》に老いの目をしばだたいて、 「ああ、あの子はまた何をしたんだろ? ……あんなにまで、かたく、ふッつり禁酒しましたからと、この母へは優しく誓ってくれていた子なのに。……やっぱり男の子というものは幾歳《いくつ》になっても」  と、独り胸を傷《いた》めている姿だった。  ところへ、玄関の方でどやどやと大勢の声がした。出てみると、伜《せがれ》の雷横が勤めている役署の朋輩たちである。さあさあどうぞと、老母は色をかくして愛相《あいそ》よく内へ請《しよう》じた。けれど役署の同心たちと捕手たちは、外に突っ立ったまま気のどくそうに、 「じつは、知事の公命ですが」  と、まず断わって、やんわり言った。 「雷横君は、どうしていますか」 「なんですか、伜はゆうべ、たいそう晩《おそ》く帰ったものですから、まだ今朝はぐッすり眠っておりますが」 「すぐ起して下さい。公命です。猶予《ゆうよ》はなりません」 「はい、はい」  老母はあたふた奥へ馳けもどった。そしてしばらくすると、当の雷横が、衣服を着け、やや腫《は》れぼったい瞼《まぶた》をもって、 「やあ」  と、そこへ立ち現われた。いや、挨拶《あいさつ》の間《ま》もあらばこそである。左右からパッと寄った同僚がすばやく彼の両手へ手錠《てじよう》をかけてしまった。 「おかしら。われわれ下役の者に、こんなまねをされちゃあ、さだめし心外でしょうが、知事の命令なので、どうも仕方がありません。目をつぶって、とにかく、ゆうべの小屋掛けの木戸まで歩いておくんなさい」 「え。小屋掛けってえと?」 「おかしらがゆうべ、派手なことをなすッちまった旅芸人の女太夫白秀英《はくしゆうえい》の演劇《しばい》小屋でございますよ」 「ああ、あの……」  雷横は、がつんと、しびれた頭を吹き醒《さ》まされた。が、さあらぬ顔で老母の姿へ言っていた。 「なあに、おっ母さん、じつはゆうべ、ちょいとした弾《はず》みから、その小屋者と、ひょんな喧嘩をしちまったんで。……なにもべつにそうご心配なさるほどのことじゃありませんよ。すぐ帰って来ますからね」と、一方の下役達へも、わざと笑顔を作って見せながら、 「さあ行こう。こんど来た新任の知事さんも、物わかりのいいお人だ。話せばわかって下さるだろ」  と、すずやかに、我れから先にわが家の門を出た。  しかし例の町端《まちはず》れまで来てみると、事態の空気は容易でない。——ゆうべの騒動で太夫《たゆう》元《もと》の白玉喬《はくぎよくきよう》は片腕を折ッぴしょられ、下座出方《げざでかた》の連中も、あたまを繃帯《ほうたい》したりビッコを曳いたり、かつはまた、舞台もあれで中止となってしまったので、今朝はそれらの客までが小屋前へ押しかけて、 「木戸銭を返せ! 銭で返すなり、今夜の木戸札を、もう一度無料《た だ》で配れ」  などと昼からそこはもうたいへんな騒ぎなのだった。  県役署からは、べつな役人が来て、それらの群集をとりしずめていた。そして手錠の雷横は、大勢の前で、知事の戒告文を読み聞かせられ、木戸口に立っている幟旗《のぼりばた》の竿《さお》の下に曝《さら》し物としてすぐ縛《くく》しつけられてしまった。その懲罰《ちようばつ》の文にいわく。 県ノ与力《ヨリキ》、雷横 身、治安ノ警吏ニテ有リナガラ 大酒乱酔ヲ恣《ホシイママ》ニシ 劇場ヲ騒ガセ、人ヲ傷ツケ 公安ヲ紊《ミダ》スノミカ 官ノ民望ヲ墜《オト》スコト甚《ハナハダ》シ 依而《ヨツテ》 十二刻《トキ》ノ「立チ曝《ザラ》シ」ニ処《シヨ》シ 是《コレ》ヲ、諸民ノ指弾《シダン》ニ委《イ》ス 城県知事《ウンジヨウケンチジ》     立て札の文字が雷横を射すくめている。雷横は恥かしかった。文の通りであったと思う。——だがゆうべのことは半分以上覚えがない。——覚えているのは太夫《たゆう》元《もと》白玉喬に人中で侮辱された刹那の憤怒だけである。  だが、あれがいけない。性来の自分の悪い酒癖だ。母にも禁酒を誓っていたのに。……要するに不孝の罰か。あまんじて十二刻《とき》の恥を民衆の前にうけよう。身の薬だ。と彼は観念の目をふさいで幟竿《のぼりざお》を背負っていた。  ところが本来なら、群集の弥次馬心理や日ごろの反官意識が当然、彼への唾《つば》ともなり悪罵《あくば》や石つぶてになるべきなのに、 「おや、雷横の旦那が?」 「どうしてまた?」  と、気のどくそうに、目をそらす者はあっても、いい気味だと嘲《あざけ》るような副作用はほとんど見られなかった。これというのも常日ごろ、捕手頭《がしら》としての雷横には、多年の間、なんら諸民の怨みは買ったようなこともなかったのみでなく、官権を振廻したり私腹をこやすなどの不正もなく、親孝行者と知られ、弱い者には親切で男気なということが、ふかくこの町一般の者に根ざしていたからにほかならない。  かつはまた、下役や同僚の間にも、人望があったから、今日の懲罰《ちようばつ》の番人に当った者も、じつは、心ならずもとしている風《ふう》がありありと見えていた。そのうちに、人もまばらな午《ひる》過ぎになると、番の一人が、そっと幟竿《のぼりざお》の下へ寄って来て、 「おかしら。……我慢しておくんなさいよ。今夜一ト晩だけのことだ。……それにしてもおかしらは、何もご存知なかったんでございますね」  と、思いがけないことをふと雷横に聞かせてしまった。 「えっ? 俺が何も知らなかったとは一体どういうわけだ」 「こんど赴任して来た新知事と、ここの女とのわけ合いでさあね」 「女」 「ええ。女太夫の白秀英《はくしゆうえい》と、こんどの知事とは、もうだいぶお古いレコなんですぜ。何しろ美《い》い女でさあネ。こんな田舎《いなか》へ小屋掛けに来る芸人《た ま》じゃあねえ。それが来たっていうのは、つまり自分の情夫《い ろ》旦那がこの土地の知事さんになって来たからのことなんでしょ」 「そうだったのか」 「なんでも、お互いが開封《かいほう》東京《とうけい》にいた頃からの古馴染みですとさ。そいつを知ってたら、おかしらもね」 「遅かった。いやしかし、それなら知事さんもかえって小屋側の者をなだめて、事を内輪におさめてくれるだろう」 「さ、どうでしょう。ゆうべも晩《おそ》く官邸の裏門をくぐって、白秀英と親父の白玉喬《はくぎよくきよう》が、何やら訴えていましたし、今朝の知事の様子ッ振りじゃあ、どうやら女に泣きつかれたあんばいで、凄いけんまくでござんしたからね。……あ。いけねえ、白玉喬が来やがった」  太夫元の白玉喬は、繃帯《ほうたい》した片腕を首に吊《つ》り、足も少しビッコを曳いて、木戸口へかかって来たが、ふと幟竿《のぼりざお》の下の雷横を見るや、 「ふ、ふん。そこにいたのか。どうしたい、ゆうべの元気は。……ざまア見やがれ」  と、青啖《あおたん》を吐きかけて、小屋の内へ入ってしまった。——と、まもなく、やぐらの太鼓がしばらく鳴った。今夜も開場いたしますの町触《まちぶ》れだろう。小屋者総出で木戸前の打水や清掃がはじめられる。わざと箒《ほうき》のさきで雷横へ砂をぶッかけたり水を浴びせてた奴もある。だが雷横は一切に耐え、唇を噛んでうなだれたままでいた。  いつか夕風がそよめいている。女太夫の白秀英《はくしゆうえい》は、小屋前で輿《こし》から下りた。それを見ると、さすが人気者の楽屋入り、近所の女子供がわっと周《まわ》りへたかって来る。——だが秀英はそんな者に見向きもしない。舞台姿とはまた違う艶《あで》な装いに脂粉《しふん》の香を撒《ま》きこぼしながら、ツツウと幟竿《のぼりざお》の下へ歩いて来て、雷横の顔をさも憎しげに睨《ね》めすえていた。そしてとつぜん、ホ、ホ、ホ、ホ……と大げさな表情のもとに笑い抜いて、 「ま。これが県の町与力とは呆れたもんだこと! よくもおまえさんゆうべは私の舞台を滅茶滅茶にしてくれたわね。なにさ! その眼つきは。……そんな顔を人が恐がると思ってるのかい。ばかにおしでないよ。根ッからの田舎《いなか》廻りなら知らぬこと、開封《かいほう》東京《とうけい》の芸人には、おまえさんみたいな三下《さんした》に小屋を荒らされて、縮み上がってしまうようなお人よしはいませんとさ。ふウん、おかわいそうに」  なるほど美人だ。なるほど、開封《かいほう》ッ子の切れのいい啖呵《たんか》でもある。知事の古い情婦《い ろ》だというのもこれでは嘘ではないだろう。  雷横はついそんな気もちでじっと女を睨《ね》め返していたのだが、秀英にすればその眼光も憎悪の挑戦と受けとれたにちがいない。それに人気者の思い上がりやら、背後《うしろ》には知事がひかえている驕《おご》り心も手伝って、 「なにをにらむのさ。口惜しいのはゆうべの木戸銭《あ が り》をみんなフイにしたわたしの方だよ。こんな仕置ぐらいではまだまだこっちの腹が癒《い》えるもんかね! そうだ、そこらにいるご贔屓《ひいき》の皆さん、さだめしあなた方も、このヘボ警吏には日ごろ憎い恨みがあるんでしょ。石でも泥でもみんなしてこいつにぶっつけておやんなさいよ。手を叩いて笑ってやるがいいわよ。こんな生れ損《ぞこな》い!」  と、紅唇《こうしん》をひるがえしてケシかけた。  するとふいに、走り出て来たひとりの老婆が、彼女の胸をどんと突いて、泣き声交《ま》じりに烈しく叫んだ。 「売女《ばいた》め! 自分の臭い身をかえりみたがいい。人の子をつかまえて、生れ損いとはよういえたもんじゃ」 「あらっ。……あら、あら、よくやったね。いったいおまえはどこの山出し婆さんだえ。いいえさ、どこの馬の骨なのさ」 「わが身はこの雷横の母じゃ。生れ損いを産んだ母じゃ。けれどな女子《おなご》、わしはまだそなたのような淫《みだら》な売女《ばいた》風情を子にもったことはないぞえ」 「なんだって。もういちどいってごらん」 「言わいでか。紅《べに》白粉《おしろい》を塗りたくって、さも艶《なま》めかしゅうしていやがるが、一ト皮剥《む》けば、その下は貉《むじな》か狐とも変りはなかろう。舞台の夜は前芸で、奥の芸は女の淫を売る女狐《めぎつね》じゃわ」 「おだまりッ、くそ婆。よくも人前で、私のことを売女だといったね。さ、いつ私が淫売したのさ。何を証拠に」 「もっと言うて欲しいのか。おお言うてあげようとも。わしはここへ来るまでに、伜《せがれ》のおゆるしを願うため、方々のお知り合いを訪ねて来たのじゃ。ところが、誰も取り合うてはくれん。よくよく訊けば、知事さまとおまえとは、昔からの深間《ふかま》な仲で、その知事さまを焚《た》きつけたのは、おまえの親とその紅い唇じゃそうな」 「悪かったわね。知事さんを情夫《い ろ》に持ってはいけないなんて掟《おきて》は女芸人の仲間にはござんせんのよ。大きなお世話じゃないか。猫の干物《ひもの》みたいな婆のクセにして、お妬《や》きでないよ」 「ち、ちくしょう」 「なんだって」 「そんな沙汰でここへ来たのではないわ。わが子を返《か》やせ!」 「目の前にいるじゃあないか。お悧巧《りこう》さんでご器量よしの曝《さら》しものがさ」 「いいえ、おまえの手で縄目を解いて、この母の許へ返やせ。讒訴《ざんそ》したのはおまえら父娘《おやこ》じゃ。そして知事さんの情婦《おんな》のおまえが解くならば、知事さんも怒れはしまい」 「知ッたことかい、そんなお世話焼きを」 「知らぬとはいわさぬぞい」  老母には子に賭《か》けた一図な盲愛の血相があったし、女には裏をあばかれた捨てバチと人気稼業の驕慢《きようまん》があった。われを忘れて老母が先の胸にしがみつくと、白秀英は邪けんに相手の骨ッぽい体を振りとばし、さらにかかって来るところを、その白髪《しらが》あたまの毛をつかんで、 「ま、執《しつ》こいね、この猫の干物《ひもの》は。いいかげんにくたばっておしまいよ」  と、地上をぐるぐる引きずり廻した。いや、このせつな事は急転直下していた。きゃッといったのは、なんぞはからん、白秀英の方だったのだ。ぱッと唇《くち》からも鼻腔《は な》からも血を噴いて、花顔《かがん》むなしく、虚空をつかむようにのけ反ッてクルと仰向《あ お》に仆れてしまったのであった。 「あっ、た、たいへんだっ」  さっきから、手もつけられん、といった顔をしてただ眺めていた番役人も、仰天して雷横のそばへ馳け集まって来、 「お、おかしら、やりましたね、白秀英を蹴殺してしまいなすった!」 「さ。お逃げなさい。手錠も外《はず》しました。逃げなければ、お命はない」  と、衆情一致、あとの落度もかえりみず、さあさあと、急《せ》きたてた。  がしかし、雷横はうごかなかった。蒼白い凄惨な顔のうちにも、はや覚悟をみせ、 「いや、みんなに迷惑はかけられん。これから県役署へ自首して出る。ただ、おふくろだけを。……何ぶんとも」  と一顧《いつこ》、老母の姿へ胸中一ぱいな慚愧《ざんき》の眼を伏せて、わんわんと立ち騒いでいる群集の中を同僚の手で曳かれて行った。  折ふし、小屋の木戸は、これから灯も入れ客も入れようとしていた汐時《しおどき》だった。だが今はそれどころか、降ッて湧いた椿事《ちんじ》である。ただ一人しかない花形の女太夫が横死《おうし》とあっては、演劇《しばい》囃子《ばやし》も幕開けのしようもない。太夫元の白玉喬は、裸足《はだし》でとび出して来たが、娘の死骸を見るや、号泣して、何か、あふ、あふ……とわけのわからぬことを口走りながら県役署の方へ素ッ飛んで行き、町辻という町辻は、すべてこの噂で宵《よい》も夜半も持ちきりになってしまった。 蓮《はす》咲く池は子を呑んで、金枝《きんし》の門にお傅役《もりやく》も迷《は》ぐれ込むこと  ここに州《うんしゆう》県城の町与力では、雷横《らいおう》とならんで古顔でもあり人望家の、美髯公《びぜんこう》の朱同《しゆどう》がある。  女太夫殺しの件もややしずまった一週間ほどの後のことだ。  済州《さいしゆう》奉行所へと差立てる一囚人に付いて、朱同の人馬は、旅途にあった。囚人はきのうまでの刎頸《ふんけい》の友、同役の雷横なので、馬上の、彼の顔も怏々《おうおう》として、つね日ごろのものではなかった。  するとその途上、一旗亭《きてい》を見かけ、彼は護送の部下に、酒を振舞った。また彼らの好きな袖の下をたんまり握らせ、そのあいだ囚人《めしゆうど》の雷横を、そっと裏の雑木林へつれて行き、手鎖《てぐさり》を解き首枷《くびかせ》を外《はず》してやった。 「朱同。どうするのだ俺を」 「わかっているじゃないか。君とおれとは十年の友だ。なんできさまを獄へ送れるものか。逃げてくれ」 「ばかをいえ。あとで君の難儀は知れたこと。舎利《しやり》(骨)になっても、男として、そんなまねができるものか」 「うんにゃ、雷横。ここは考え直せ。きさまには、大切な老母がある」 「……言ってくれるな。そのことは」 「この朱同は独り身同然だ。しかもな、君は獄へ行けば殺される。けれど俺が君を逃がした落度を背負ッて帰っても、知事は俺までを殺しはせん。……なぜならばよ、知事は自分の情婦《おんな》を殺された怒りでかっとなったものの、知事にも世間への弱みがある。俺もそこを突いてやる。さあ、あとはいいから梁山泊へ突ッ奔《ぱし》れ」 「え、梁山泊へ」 「おう、かつて俺たち二人が年来のご恩返しにお助けした名主の晁蓋《ちようがい》さんは昨今あの山寨の統領。宋江《そうこう》先生もおいでだと聞いている」 「かたじけない。じつは先頃の旅帰りの途次、はからずお目にかかっていたのだ。そのことは、君にもちょっと話したと思うが」 「だからよ。君が行けば一も二もなく匿《かくま》ってくれよう。さあ行き給え。あとはおれがひきうけた」 「だが、老母の身が」 「いや心配するな。県城を立つときからおれは腹をきめていたので、確かな者に、君のおふくろの身を頼み、すでに先へ山東の旅へ立たせてある。ここから急げば、きっと途中で追いつくだろう。ああ、長いつきあいだったな雷横、達者でいてくれ」 「すまん! ……この恩は忘れぬぞ。では朱同」 「おお、銀《かね》はあるか」 「持っている、持っている。じゃあ、いつかまた」  友の情に涙しながら雷横は疎林を走ッてたちまち東へ姿を消した。  朱同はぶらんと居酒屋へ戻って来て、 「さあ大変だ。雷横に逃げられちまった。だがあわてるな。罪はおれ一身が着る。飲むだけ飲め。どうせこれから帰りは空身《からみ》だ」  と、カラカラと打笑った。さてはと、部下は暗にさとっていたが、誰あって雷横に憎しみを抱いていた者はなく、またみな朱同の友情も知っていたので、黙々と彼のいうがままに元の道へもどって行った。  ただこの報告に釈然としきれなかったのは女の情人でもある新任の知事殿だった。不快至極であったには違いない。しかし事件は自己の情事にもふれてくるので、これをあっさり済州《さいしゆう》奉行所の処置に廻してしまった。ところが済州奉行所でもこれは困った。罪跡《ざいせき》といってもすこぶる不明瞭でただ単に「公務怠慢」というだけな差紙《さしがみ》なのだ。そこで即時これをまた滄州《そうしゆう》の苦役場《くえきば》の方へ七年の刑期付きで送りつけた。——七年という刑期は滄州の大苦役場としては、もっとも軽罪のほうなのである。 「ほ。美髯公《びぜんこう》。この髯男《ひげおとこ》は、城県《うんじようけん》では評判のいい与力だったはずじゃないか。よろしい、苦役には就《つ》けんでもよい。わが屋敷で雑用に使ってみよう」  滄州牢城の牢営長は、公文の差紙《さしがみ》を見た日すでにこう呟《つぶや》いた。そしてなお、じっさいの人間を白洲《しらす》で見るにおよび、いちばいその骨柄《こつがら》に惚れ込んだ容子《ようす》で、 「なるほど、髯《ひげ》も見事だ!」  と、大いに唸《うな》った。すっかりお気に入ってしまったのである。また日をふるに従い、長官公邸の下役から下僕《しもべ》にまで、お髯さん、お髯さん、と朱同を呼ぶ愛称はその人柄への好意とともにたかまっていた。  或る日の如きは、長官が独り小酌している席へ呼ばれて、身の上を訊《き》かれ、何で流罪になって来たかと仔細をたずねられたので、朱同は、友人雷横のことから女太夫と新知事とのいきさつまで、何のかざりもなく話してしまった。 「ふウむ……」と、長官は苦笑して、「なかなかその知事もやっとるな。よほどな色男だと見える。……しかし何か。君はその雷横の親孝行に感じて、わざと逃がしてやったというのか」 「いえいえ。そんなわけではありません。まったく、役目の落度です、油断からです」 「そうではあるまい。友情だろう。まア何しても、さしたる重罪ではなし、七年間はわしの邸に仕えていろ」 「は。こんなことなら、どうか一生でも」 「はははは。うい奴だ。ま一杯飲め」  ところへ、チョコチョコと、唐子《からこ》人形みたいな愛くるしい四ツばかりな男の子が入って来て、そこらで悪戯《いたずら》していたと思うと、朱同の髯《ひげ》が童心の好奇をそそったものとみえる。ひょいと、朱同の膝へ乗って、その長やかな黒髯《こくぜん》を、おもしろそうに弄《もてあそ》びはじめた。 「長官。お孫さんでございますか」 「ばかをいッちゃいかんよ。わしだってまだ若い。わしの末子だ」 「それは、それは。……ア痛。お坊っちゃま、そんな引ッ張ると、この小父ちゃんが泣き出しますよ」  子供はよく大人を観《み》る。さあこれからというもの、この唐子《からこ》は、おヒゲの小父ちゃんを見かけると、彼のあとを追っかけ廻して離れない。  とんだいいお傅役《もりやく》として、彼はいらい、坊ッちゃん付きを兼任の恰好でもあった。するうちに、いつか一ト月、盆の七月十五日をここで迎えた。  お盆には地獄の釜の蓋《ふた》も開《あ》く。  大牢の城門外にある獄神廟《びよう》と地蔵寺では、例年盂蘭盆会《うらぼんえ》の当夜、さかんなる燈籠流しの魂祭《たままつり》がおこなわれる。 「さ、お坊っちゃま。お供して参りましょう」  昼からさんざんせがまれていた朱同《しゆどう》は、たそがれ、まだ燈籠流しには早すぎるが、主人の唐子《からこ》を肩ぐるまに乗ッけて、長官邸から遠くもない地蔵寺へ出かけて行った。  いやたいへんな人出である。地獄極楽の見世物やら、刀玉採《かたなたまど》りの大道芸、皿廻しの掛け声、煮込《にこみ》屋の屋台、焼鳥屋の煙など——。山にはひびく梵音《ぼんおん》の鐘、池には映る俗衆の悦楽。これやそのまま浄土極楽か、地獄の四生六道《ししようろくどう》か。なにしても、うごきもとれない人の流れだ。 「おヒゲ。おヒゲってば、お待ちよ」 「はいはい、坊ッちゃま。おしッこですか」 「ちがうよ。乳母《ばあや》が見えなくなっちゃったよ」 「え。乳母さんが。……ああいけねえ、どこかへ迷子にしちまった」  探し歩いたが見当らず、施餓鬼《せがき》から裏の大きな蓮池《はすいけ》をめぐり、石の反《そ》り橋を渡って来ると、こんどはほんとにお坊ッちゃんが、オシッコだと言い出した。——ここらは余り人通りもなしと、朱同はてんぐるまの坊ッちゃんを肩から降し、橋の欄干に立たせて後ろから抱きささえていた。 「さ。なさいませ……。ホラ、ホラ、ホラ、下は紅蓮白蓮《ぐれんびやくれん》の花ざかりですよ。観音様のオシッコみたいでさ。蓮の花や葉の上に、瑠璃白玉《るりしらたま》となって、オシッコがすぐ成仏《じようぶつ》しているでしょ。ネ……お坊ッちゃま。……さあもういい。もう出ないんでしょ」  すると、誰か。  朱同の後ろへ来ていた男が、 「兄弟。ちょっと、彼方《むこう》の森の蔭まで、顔を貸してくれないか」 「えっ……?」と振向いて。「おおっ、君は」 「叱《し》ッ。ここでは人目につく。話は彼方《むこう》で」 「うむ、合点だ。そうそうもしお坊ッちゃまえ。いま小父さんのお友達が、御用があって来ましたから、ちょっくら行って参りますからね。……あれ、ベソをお掻きになっちゃいけません。すぐです。すぐ戻って来ますから、ここでおとなしく蓮の花でも見ていらっしゃいよ。ようございますか」  言い残すやいな、池塘《ちとう》を駈けて、彼方の森の中に人目を避け、 「雷横! どうして君はここへ来たのか」 「朱同! よかったなア、まず無事で。——じつはあれから、君の情けで、母とともに梁山泊へ落ちてゆき、お蔭でこちらの身はひとまずおちついたが、しかし忘れられないのは君のことだ」 「いやそんな心配しないでくれ。牢城の長官に目をかけられて、俺もなんとかやっている」 「だが、君の流刑《るけい》を聞き、また君が俺にしてくれた友誼《ゆうぎ》の厚さに、山泊《や ま》の頭目《とうもく》連中は、どうしても一度君に会いたいといってきかないんだ」 「だって、俺は牢城の刑囚だ。どうにもならんさ!」  あたかも、彼のこの言を待っていたもののように、そのとき、木蔭から別人の声が、否と答えた。 「美髯公《びぜんこう》! あなたほどな男一匹が、なにもそんな鎖《くさり》にとらわれていることはない。ひとつ、まかせてくれませんか。われわれに」  何者か、と朱同は驚いた。その目の前へ、にこやかに出て来た者は、山泊の軍師呉学究《ごがつきゆう》、あの呉用学人であったのである。  晁蓋《ちようがい》、宋江《そうこう》をはじめ、泊中の一統は、どうしても朱同を仲間に迎えたいとなって、衆議、ここへ雷横《らいおう》をさしむけて来たもので、呉用はその説得役をひきうけて来たことらしい。  だが、呉用のどんな説得の弁にも、朱同は「うん」といわなかった。彼には彼の信条がある。たとえ官憲の手先といわれ、刑囚の身と落ちても、真人間の潔白は維持していたいとする性来の背骨があった。 「どうも、それほど、いやだと仰っしゃるものならぜひもない。……可惜《あたら》、あなたほどな人物を、七年もこの地の牢城長官の小使みたいに朽ちさせておくのは勿体《もつたい》ないし、また将来とても、とうてい、官界の堕落腐敗のなかに長く晏如《あんじよ》としていられるあなたでもないことは知れきっていると思ったからだが……」  と、さすが才略の弁に富む呉用もいまはあきらめ顔して。 「ま。……お話もこれまでとしたら、ひとつ、ぶらぶらその辺まで、ご一しょに歩きましょうか」  と、連れ立った。  そして蓮花《はちす》の池畔《ちはん》から前の石橋の上までかかると、朱同はアッと顔色を変えた。どこへ行ったのか、主人の子が見えないのである。  彼はウロウロした。気のどくなほどうろたえて探し廻る。それを呉用は他人《ひ と》事《ごと》に見ながら言った。 「いや朱同さん。探してもムダだろう。じつはもう一人、てまえが供人《ともびと》を連れていたから、その供の男が、気をきかして、どこかへ遊びに連れて行ったものとみえる」 「冗談じゃあない!」と、朱同はなぐさめられているどころか、憤然として。「大事な大事な長官の乙子《おとご》(末子)さまだ。いったいどこへ連れて行ったんだ、人の気も知らないで」 「ま、お怒りあるな。ご一しょに探しましょうわい」  それから附近を尋ね廻ったが、影も形も見当らない。——のみか、いつのまにやら日はたそがれ、盂蘭盆会《うらぼんえ》の熱鬧《ねつとう》のちまたも遠く夕闇の楊柳《やなぎ》原《はら》まで来てしまった。 「おい、雷横」 「なんだね」 「なんだネじゃあるまい。おかしいじゃないか。なんでこんな方へ探しに来るのだ」 「いや、ことによったら、その供の男ッて奴は、ケタ外《はず》れな人間だから、旅宿《や ど》へ連れて帰ってしまったんじゃないかと思ってさ」 「旅宿《や ど》へ。——どこの旅籠《はたご》だ、その家は」 「ずっと町端《まちはず》れの、まだ十里も先だが、軒先に馬繋《うまつな》ぎの杭《くい》を打ち並べてある土蔵二階の家さ」 「供の男というのは」 「一見して分る黒奴《くろんぼ》だ。名は、黒旋風《こくせんぷう》の李逵《りき》といって」 「げッ。そいつは、かつて江州城内を暴れ廻り、得意の二丁斧《ちようおの》で、人を殺した奴じゃないのか」 「その李逵だが」 「と、とんでもない! そんな野郎にかかった日には、抱かれただけでも、お坊ッちゃんは泣《な》き脅《おび》えに泣き死んでしまうだろう。ええもう、乳母には迷《は》ぐれるし、夜にはかかるし、長官もきっとご心配し抜いているにちがいない。……そうだ、こんなブラブラ歩きなどしていられるものか。雷横、おれは先へ行くぞ」  朱同《しゆどう》は二人を捨てて教えられた旅籠の方へ馳け出した。すると、行くこと数里、薄刃の二丁斧を持った風の如き黒い人影とすれちがった。てッきりと思ったから朱同はいきなりその男の襟《えり》がみを引ッつかんで一喝《いつかつ》をくれた。 「やいッ李逵《りき》っ。お坊っちゃんをどこへ置いて来た」 「あっ、お髯《ひげ》の朱同か」 「すぐ返せ、大事なお子様を」 「そいつア気の毒しちまったな」 「な、なんだと」 「おれの顔を見たら泣いて逃げ廻りゃあがるんだ、あの石橋の上でよ」 「あたりまえだ、そしてどうした?」 「呉用先生のいいつけだから、どうでも旅宿《や ど》へ連れて行こうと思ってよ、こっちも夢中で追ン廻しているうちに、あの蓮池へ落ッこちてしまった」 「や、や、や。うぬ! さてはてめえが殺したな」 「とんでもねえ、いくら李逵が鬼だって、あんな可愛らしい子を殺せるものか。しまったと思ったが、あの蓮池にゃあ人間を引きずり込む河童《かつぱ》がいるっていうことだ。ぶくぶくといったきりで姿も見えねえ。そこで仕方なしに落ちていた坊やの髪の珠纓《たまぶさ》だけを拾って来たよ。これで勘弁してくれやい」 「しゃッ畜生っ」  朱同はかッとし、襟がみの掴《つか》みを一ばい深く取って、李逵の体を、力まかせに投げつけた。  でんと、九尺も先へ、投げられたかと見えた李逵の体は、ぴょいと蛙立ちに彼方へ立って、へへへへ、と白い歯で笑っていた。 「おやんなすったね、お髯《ひげ》さん……。さあ、やるなら来いっ」 「うごくな、黒ンぼ」 「オオ、二丁斧が見えねえのか。ふん、知らねえな、俺を」 「くそっ。もう生かしてはおかねえぞ」  だが朱同は刑囚の身だった。身に一剣も帯びてはいない。しかるに相手は手練《て だ》れの二丁斧だ。李逵《りき》は充分見すかしている。  ところがその李逵もだんだん持て余した。斧は空振《からぶ》りに空振りをかさね、朱同の姿は飛電の光にことならない。なにせい州《うんしゆう》随一の捕手頭、乱捕《らんど》りの達人なのだ。むしろ空手《からて》が得意であったとみえる。 「こいつはいけねえ」  李逵は逃げ出した。逃げはじめるやこの男廉恥《れんち》もない。山坂また山坂をころげ降りた。すると蒼々《そうそう》たる松の林が十里もつづく。松風が耳を洗う。 「はて、どこへ失《う》せたか」  朱同は追いに追った。どうせおめおめ空身《からみ》では長官邸へは帰り難い身でもある。いつか夜が明けかけ、チチチチと鳥の音はしていたが心にも耳にも入らない。そして彼の血眼はふと奔《はし》る鹿のごとき影を見た。李逵だったのだ。ところがそれは村道へ出て彼方のすばらしい土豪の門内へ馳け込んでしまった。いぶかしいとは思ったが、朱同もつづいてその豪勢な大門の内へ、盲目的に、 「野郎っ、待てっ」  とばかり追ッかけて入った。  すると、泉石《せんせき》見事な庭苑《ていえん》の彼方で、すらと、鶴のような姿の人が立ってこなたを振向いた。髪に紫紐金鳳《しじゆうきんぽう》の兜巾《ときん》をむすび、裾《すそ》長い素絹《そけん》の衣を着《ちやく》し、どこか高士《こうし》の風がある。 「たれじゃ、何者じゃ」  その涼やかにして射る如き眼光も尋常《た だ》人《びと》とは思われなかった。 「あっ。つい、どなたのお屋敷ともわきまえなく、無断立ち入りましたこと、重々の不埒《ふらち》、どうぞお見のがしを」  膝を折って、朱同は詫びた。われに醒《さ》めればこの仕儀は恥かしい。  高士《こうし》はほがらかに笑った。 「美髯公《びぜんこう》。あんたはまあ、よほどあの黒助にからかわれなすったの」 「えっ? てまえをご存知でしたか」 「されば、山東の及時雨宋江《きゆうじうそうこう》から手紙をもらっていましたのでな」 「そしていま、黒助と仰っしゃったのは」 「李逵のことですわい。……じつはの、かねて宋江からの密書で、この館《やかた》の内に、呉用、雷横、黒旋風《こくせんぷう》の三名を泊めてやっておりましたのじゃ」 「あっ、ではここが彼らの旅宿《や ど》で」 「さよう。あんたには、さまざま解けぬご不審だろうが、すべてはただ、梁山泊《りようざんぱく》の輩《ともがら》が、あんたを山泊《や ま》の仲間に加えたいという願望から出たことじゃ。しかし、その否やなきご承諾をうる手段《てだて》に、あの長官の和子《わこ》を、李逵の手に預けてつい死なせてしまったのは、何としてもちと呉用の誤りじゃったな。……軍師にもまた智恵の行き過ぎはあるものか。……」  と、やおら長い袂《たもと》を揚げて奥なる一閣の人々をさしまねいた。  おうっと答えて、そこからこなたへ歩いて来る三人を見れば、紛《まが》うなき昨日の呉用であり雷横であり、また一ばんどんじりから、のそのそ来るのは黒旋風の李逵《りき》だった。  呉用と雷横とは、こもごも自分のした偽態を詫び、またかさねて、梁山泊一同の希望を切にくりかえした。ともに、かたわらの高士《こうし》もそれをすすめるし、ここにいたっては、朱同もついに、その熱意に、冷ややかではいられなかった。 「わかりました。もうぜひもない、梁山泊入りと腹をきめましょう。……ですが、一条件がある。それは叶《かな》えて欲しいんです」 「おっ、おきき入れ下すったか。やれかたじけない。して一条件とは何ですか。この呉用一存で出来ることなら何でもしますが」 「ほかでもありません。ご三名お立会いの前で、そこにおる李逵と決闘をさせて下さい」 「ほ。それはまた、いかなる意恨で」 「ひとり自分の意趣だけでなく、たとえ牢城の長官でも、この流囚《るしゆう》の身を一時たりと温かに養ってくれたあの人の恩顧を踏みにじッては去れません。いや和子を亡《な》くしたことは重々に申しわけない。せめてその下手人李逵《りき》の首をひッさげて、お詫びのしるしにご門前へ呈し、それから山泊《や ま》へ落ちて行きたいと考えます」  聞くやいな、李逵は飛び退《の》いて、バッと気早な身構えを取り、 「な、なんだとお髯《ひげ》。あんなにも、わけを話してあるのに、まだ俺が坊やを殺したと疑っていやがるのか。勝手にしやがれ。さ、恨むなら恨むでいい、勝負をしてやる」 「こらっ、止《よ》さんか李逵」 「だって、先生」 「待てっ。おまえにいいつけたのはこの呉用だった。無知野蛮、李逵の如き者に、子供を預けたなどは、かえすがえす呉用の落度」 「ひでえや、先生。おらは無知野蛮という奴なのかね」  すると、朱同の顔いろを中心に、相互を見すましていた館《やかた》の主《あるじ》が、 「いや呉用先生。朱同が申した自責の念も、ないがしろにはできません。それはそれで尊ぶべきじゃ。ですから、こうなされたらいかがかの」 「何かよいご一案でも」 「ム。李逵の身は、ひとまず当家で預かりおこう。そして、おふたりは朱同ひとりを伴《ともの》うて、ひとまず梁山泊へひきあげ、宋江そのほかの一統へ、首尾よく朱同を迎え入れたよしをご披露なすっておいたらどうか」  かくまでの取りなしに会っては、朱同もなおそれでも不服とはいえなかった。ではそうしてと、やがて主客五名、一閣のうちに卓を囲み、 「いずれ次には、お預けの黒猫を、迎えに来ずばなりますまい」  などと、大いに笑い合った。  いや李逵《りき》はムクれた。無知だの野蛮だの黒猫だのと、さんざんな玩具《おもちや》である。忌々《いまいま》しさよと、朱同を睨むと、朱同もまた、胸中千丈の焔《ほのお》がほんとにはまだ鎮《しず》んでいないので、ぐッと睨み返す。心火の闘いだ。それへ酒が注《そそ》がれる。物騒なことといったらない。 「これは」  と気づいたので、館の主《あるじ》は、侍女にいいつけて、弾琴《だんきん》をとりよせた。主は七絃琴《しちげんきん》のたしなみを持ち、朗詠《ろうえい》が上手であった。微吟、風流、おのずから荒《すさ》ぶる男たちをも優しくなだめた。 「はははは。つまらんお耳よごしじゃったな」  一曲を終って、また酒になる。朱同はそこで、さっきから独りしていた自問自答を率直にきいてみた。いったいこの地方などにはあるはずもない宏壮萃麗《こうそうすいれい》なこの邸館は、どういう由緒の家なのか。またお主《あるじ》は何者なのか、と。  そのつぶさを知って、朱同はあらたに、一驚を喫《きつ》した。  ここの家は、五代の末期、宋《そう》の太祖の時代に地方へ降《お》りたもので、祖先の柴世祖《さいせいそ》は、帝位にあった幼君だった。時に契丹《きつたん》との大戦あり。幼君では国政軍事、成り難しとあって、周の一将軍趙氏《ちようし》が、全軍から推戴されて、その帝位を代って即《つ》いだ。——これが宋《そう》の太祖であり、この史事を世に「陳橋《ちんきよう》ノ譲位《じようい》」という。  ところで、帝位《くらい》を譲った柴氏《さいし》の先祖へは、以後の朝廷から、丹書鉄券《おすみつき》が下賜された。そこで野にくだっても、これが代々皇統の家柄たるを証拠だて、ずいぶん尊敬もされ、特権も持ちつたえて来たことでもある。——けれど、世は滔々《とうとう》と紊《みだ》れ、宋末の朝廷朝臣もいまはそんな古事《いにしえごと》などてんで忘れ去っていよう。——そしてただ滄州《そうしゆう》の片ほとりに、その昔《かみ》の庭園や館《やかた》の美に、かすかなる金枝玉葉《きんしぎよくよう》の家の名残りを保《たも》ち、地方人の畏敬と、あるじの徳望とによって、なお門戸に、いくたの客を養い、荘丁《いえのこ》を抱えなどしているもので、その今日の当主を誰かといえば、  柴進《さいしん》、あだ名は「小旋風《しようせんぷう》」その人だった。  ここまで聞けば、当然、おもい当って来よう。  いまでは梁山泊にいる一手の旗頭《はたがしら》、豹子頭《ひようしとう》ノ林冲《りんちゆう》も、かつては滄州の大苦役場に送られて来たさい、柴進《さいしん》の厚い世話になり、また柴進の助けによって、牢城を脱し、やがて梁山泊の人となったものだった。そのほか、泊中には、柴進の庇護《ひご》をうけ、柴進と相識のある者は、数知れぬほどあるといっていい。 「ああ、さしたるお方とも知らず」  と、朱同はことごとく感動に打たれ、ひとしお、その人を見直した。そしてこういう人物までが、人知れず肩持ちしている梁山泊という男どもの巣をもまた、あらためて考え直さざるをえなかった。  翌日。——その梁山泊へさして、呉用、雷横、朱同の三人はここから立って行った。  しばらくの、別れにさいし、呉用は言った。 「李逵よ。ま、当分はおぬし一人、こちら様のごやっかいになるわけだが、しかしくれぐれ、うぬが持ち前の粗暴だけはつつしめよ。……いいか」 「へい。無知野蛮とかいうやつを、噛《か》み怺《こら》えていりゃあいいんでしょ」 「それ、その通りきさまは性なしだ」 「また性なしが一ツ殖《ふ》えましたか」 「たわけ。困ったものだ。だが何ンといってみても貴様のような人間も縁の端。いずれ朱同の腹もおさまり、晁総統《ちようそうとう》や宋江先生から、よしとお言葉がかかったら迎えに来てやる。おとなしくお庭の掃除でも毎日していろ」 「下《さ》がったね、あっしも」  李逵《りき》は、黒いお出額《で こ》を叩いた。  その日、柴家《さいけ》の荘丁《いえのこ》は、大勢して、旅立つ客の三名を、関外まで送って行った。関《かん》の番卒といい、牢営内の役人までも、柴進《さいしん》の家の者と聞けば、疑いもしない。  それとこの両三日は、城外城内、ひと通りな騒ぎでなかった。牢営長官の愛児が、盂蘭盆会《うらぼんえ》の夜、地蔵寺の池で溺れ死んだ。そして傅役《も り》の朱同が当夜からいなくなったという、それの詮議《せんぎ》や家ごとの町調べだった。  しかし、こういう捜査の手すら、柴家《さいけ》の内へは決して臨んで来ることはない。治外法権の門といったかたちである。かくてはや四、五十日はいつか過ぎた。その或る日のことだった。——どこから来た使いやら飛脚やら、秋、静かなここの門へ、一封の書がとどけられた。 「大旦那さま。ただ今、高唐州《こうとうしゆう》からこんなお手紙でございますよ」  あわただしく、侍女はそれをすぐ、柴進《さいしん》の室へ持って来た。 「おや、火急とある」  柴進は、封を切った。読みゆくうちに、やや手がふるえてみえる。何かよほどな大事でも起ったらしい。 「柴の旦那え。……もし大旦那」 「あ、李逵。そこにいたのか」 「おいいつけで、外から窓框《まどわく》の拭《ふ》き掃除をしておりやしたが、何か、えらいこッても持ち上がったんでございますか」 「むむ……ちとなア。……だが、おまえに話してみたところで仕方がない」 「李逵じゃお話し相手にならねえと仰っしゃるんで」 「うるさいのう……。ひとが物を思案しているのに。ああ、どうしても、これはひとつ、わし自身、高唐州まで出向いてゆくしかあるまいなあ」  李逵はそれを小耳にはさむと、窓際の踏み台を降り、庭から廊《ろう》へ廻って、のそっと柴進の部屋へ首を突っ込んで来た。 狡獣《こうじゆう》は人の名園を窺《うかが》い。山軍は泊《はく》を出て懲《こ》らしめを狙うこと  もちろん誇張したことばだが——常ニ家ニ飼ウ食客三千——といったような野の名門、柴家《さいけ》のことである。日ごろ居候《いそうろう》はめずらしくないが、けだし李逵《りき》のごとき居候は珍しい。まるで黒面《くろんぼ》猿《ざる》を家に置いているようなものだった。  ゆるしも待たず、あるじ柴進《さいしん》の室へ闖入《ちんにゆう》して来た彼は、柴進の身に降って湧いた急な旅行がどんな心配事であるかなどは一こうに無頓着で、 「ほい、ありがてえ。お供ができる!」  と、まずまず自分を祝福してから言ったものである。 「ねえ大人《たいじん》。大人が高唐州《こうとうしゆう》へお旅立ちなら、あっしだって、いや、あっしもすぐ身支度にかからなくっちゃなりません。ご出発は今日中ですか。それとも明朝で?」 「なに。たれが連れて行くといった。物見遊山とはわけが違うわ」 「でも大人の側を離れたくねえんですよ。それにご当家へ預けられてからもう五十日。あれッきり李逵《りき》は一歩だッて門の外を踏んでもいねえ。ぜひ連れて行っておくんなさい」 「ちッ、ひとの心配も知りおらんで」  柴進は、舌打ちした。それどころではないといった憂色なのだ。そしてさっそくその日、旅途についた。荷持ち男三人、家来七騎。それへ交《ま》じって黒旋風李逵《こくせんぷうりき》もついに供人《ともびと》として従《つ》いて行った。  旅は半月余りつづいた。やがて高唐州に着く。その城内街もずっと北郊に一叢林《そうりん》の大邸宅があった。土地でも著名な名園でまた名族でもある柴皇城《さいこうじよう》の家である。——が、そこで馬を降りるやいな、柴進は、 「あっ、まに合わなかった。叔父君《ぎみ》は早や世を去ったか」  と、茫然《ぼうぜん》、希望のむなしさに、涙となった。門は喪《も》に閉じられていたのである。すなわち、柴進の旅は、叔父皇城《こうじよう》の危篤の報に急いで来たものだが、こう早くとは、日ごろ強健な叔父だっただけに、よほど意外であったらしい。  だが、あとで聞けば、皇城の死は、やはりただ事ではなかった。彼を待ちかねていた皇城の妻や一族は、その夜、柴進にむかって、次のようないきさつを涙ながら物語った。  ——ちかごろ、この地方の軍司令を兼ねた一奉行が、都から赴任して来た。  時めく宋《そう》朝廷の大臣高《こうきゆう》の従兄弟《い と こ》で高廉《こうれん》という人物。  これが地方民を蔑視《べつし》して、権勢をふるッているのみか、女房の弟の殷直閣《いんちよつかく》という青二才が、これまたいやに貴公子ぶッた官僚臭の男で、いつも大勢の取巻きとともにのさばり歩いているやつだが、或る日「庭を見せてくれ」といって不意にここを訪れ。「——これはすばらしい。庭園もいいが、水亭閣廊《すいていかくろう》、四門の造り、おまけに粋《いき》な数寄屋《すきや》まで、どうしてこんな田舎にあるのか。さっそく義兄《あ に》に話して、下屋敷におすすめしよう」と、まるで自分の持ち物みたいに言って帰った。  でも、まさか。  と思っていると、ほどなく、十日以内に他へ立ち退けと、殷直閣《いんちよつかく》から言って来た。もちろん、当主の皇城は一笑に附していた。「——他郷《よ そ》者《もの》だ。わが家の来歴を知らないのも無理ではない」と。  ところが「なぜ明け渡さんか」と再三な催促《さいそく》である。あげくには直閣《ちよつかく》自身が呶鳴り込んで来た、で、皇城は親しく柴家《さいけ》の由緒を話して聞かせた。——代々この地方に住んではいるが、祖先は金枝玉葉《きんしぎよくよう》の出であり、宋《そう》の太祖《たいそ》の丹書鉄券《おすみつき》も家に伝えられている。——「ご存知ないか?」その迂愚《うぐ》を嘲《あざけ》ったのである。  すると直閣《ちよつかく》はかえって威猛高《いたけだか》となり、ではそれを見せろと迫った。ここにはない、と答えると、いきなり皇城を足蹴にし、「われらは、現朝廷に並びなき高《こうきゆう》閣下の一族だぞ。そんな偽系図《にせけいず》に驚くような田舎者と同一視されてたまるか」と、なおも左右の取巻きと一しょになって蹴るやら撲《なぐ》るやらさんざんな侮辱《ぶじよく》を加えて立ち去った。  皇城の死は、これが因《もと》だった。どっとその夜から病床につき、大熱のあいだにも「くちおしい、ざんねんだ、無念だ!」といいつづけ、さいごの息をひくときには「——甥の柴進《さいしん》に告げて、この恨みをはらしてくれ!」とくり返し言い遺《のこ》して逝《い》ったという。  柴進は一《いち》ぶ一什《しじゆう》を聞いて腸《はらわた》をかきむしられた。が、取り乱しているときでない。 「いやどうも、お互い、何といっていいか悲嘆のことばもありません」  と、未亡人以下、親族一同へむかって。 「この上は、てまえの滄州《そうしゆう》の家にある伝来の丹書鉄券《おすみつき》をとりよせ、他日、都へのぼって、宋朝の天子へ直々に訴え出ましょう。……朝廷歴代の文書《ふ み》庫《ぐら》には、祖先柴世祖《さいせいそ》から宋の太祖《たいそ》へ世を譲ッた——『陳橋《ちんきよう》ノ譲位』——の写シ文もかならず収めてあるはずですから、明判たちどころに、殷直閣《いんちよつかく》の暴を懲《こ》らし、おかみも叔父皇城の霊を悼《いた》んでくださるにちがいありません」  と、なぐさめた。  すると、祭壇の間《ま》の端で、これを聞いていた李逵《りき》が、場所柄もわすれて、ヘラヘラと笑い出した。 「そんな手間暇《てまひま》は無駄事ときまッてらあ、訴えの筋が通ったり、ちゃんと、掟《おきて》が立つようなお上なら、天下に謀反《むほん》のおきる道理はねえ!」  親族たちは変な顔して、みんな李逵の方を振り向いた。柴進もその人たちの手前、勢い叱らざるを得なかった。 「これッ李逵。駄弁を弄《ろう》すな。きさまこそ、供部屋《ともべや》へ退《さ》がって、ほかの供人のように神妙にしていろっ。どうも仕方のない黒面《くろんぼ》猿《ざる》だ」  その日は折も折だった。柴家《さいけ》では故人皇城の七々忌《き》に当たり、典儀のあと、型のごとく、法事の宴に移っていた。——と、そこへ、どやどやと一群の“招かれざる客”が門へおしかけて来たものだった。 「当主の病死はわかっておる。だが、誰か口のきける奴は残っているだろう。あいさつに出せ」  と、中の一人が門内でわめいている。  見れば、従者、取巻き、無頼漢《ならずもの》、およそ三十人余り、城外へ遊山にでも出た帰りか。半弓、吹矢、笛太鼓、蹴《けまり》、酒瓢《さけふくべ》などを持ちかざし、おそろしく派手に飾った化粧馬の鞍上《あんじよう》には、例の兼軍奉行の義弟、殷直閣《いんちよつかく》がニタニタと乗っていた。 「これは、これは」  と、やがてその前へ家の内から柴進《さいしん》が会釈に出ていた。そしてあくまで下手《したで》に。 「何の御用か存じませぬが、あいにく今日、当家はかような取混《とりこ》み中《ちゆう》。おかまいも出来ません。どうかまた他日でもお立ち寄りを」 「こら、こらッ。きさまは何者だ。雇人か、家職の者か」 「いえ、柴進《さいしん》と申す親族の一人で」 「では滄州《そうしゆう》の」 「はい」 「オオその柴進なら話はつけよい。皇城の病死、つづいて葬儀、やむなく今日まで待ってやったが、早や七々の忌《き》も今日で相済《す》もう。さっそく明日はここを明け渡せよ。よろしいな」 「ご冗談を」 「なにッ」 「こんりんざい、当館《とうやかた》はお譲りできません。たってお望みなら、天子のご裁可をうけておいでなさい」 「大きなことをいうな、大きなことを」 「いや広言ではない。時代《と き》こそ降《くだ》るが、わが柴家《さいけ》は天子の裔《えい》だ。しかも証拠の丹書鉄券《おすみつき》も伝わっている」 「見せろッ、それを」 「いま、滄州《そうしゆう》へ人をやってとりよせている。奉行の威をかさにきて、余りな非道を押すならば、こちらにも考えがある」 「あはははは」と、直閣《ちよつかく》は馬上で大きく身を反《そ》らして笑いながら「こいつも死んだ皇城と同じことをいっておる! 虚構歴然《きよこうれきぜん》だ! 明日まで猶予しておこうと思ったが、もはや仮借《かしやく》にはおよばん。それッ、法莚《ほうえん》の奴らを追っ払って、ここの邸宅に封印をしてしまえ」  あらかじめ、そんな腹でもいたのだろう。従者、手下の無頼漢《ならずもの》、同勢わッと土足のままで邸内へなだれ込んだ。柴進さえ防ぐいとまもないほどな瞬間だった。——すると、どうしたのか。  いちど押し入った人間どもが、ど、ど、どッと屋鳴《やな》りのうちにまた、外へ転《まろ》び出して来た。どれもこれも朱《あけ》に染まり、手足満足なのは一人もない。そして、それを追ッかけ追ッかけ続いて二丁斧を振りかざしながら躍り出して来た黒面《こくめん》の阿修羅《あしゆら》がある。——あッと、これには殷直閣《いんちよつかく》も仰天して急に、馬首を向けかえた。  だが、一喝《いつかつ》、 「てめえだなッ」  李逵《りき》の一斧《ぷ》が、馬の脚を払った。また間髪を入れず、ころげ落ちた直閣《ちよつかく》の体へ、次の一閃《いつせん》が下《くだ》っていた。噴血、ひと堪《たま》りもあろうはずがない。  あとの手輩《てあい》はもう蜘蛛《く も》の子だった。——柴進は、この瞬間の出来事に、ただもう茫然のていだったが、やがて。 「李逵! きさまは、とんでもない事をしてくれたな。ああ、とり返しはつかん」 「大人《たいじん》。いけませんでしたか」 「知れたことを。いかなるわけあいでも、人を殺していいという法があろうか。だが今は何を言ッてみたところで始まらぬ。きさまはすぐ梁山泊《りようざんぱく》へ落ちて行け」 「どうしてです。こうなる以上、逃げる気なんざありません」 「なんでもいいからここに居るな。あとは柴進《さいしん》がひきうける。万が一、きさまが縄になったら続いては梁山泊一統に禍《わざわ》いがおよんで行こう。この柴進なら出る所へ出ても、堂々と、正しい申し開きは持っておる。早く行け。路銀を持って」  と、ふところの金をつかませ、遮二無二《しやにむに》、彼をこの場から落してしまった。そして彼自身は、甘んじて、その直後に襲《よ》せて来た捕手の群れに身をまかせ、われから司直の裁きの庭へすすんで坐ったものだった。  しかし、上司の奉行高廉《こうれん》は、直閣《ちよつかく》の姉の良人《おつと》である。でもなおその高廉が吏《り》として公平な人物であったら正しい裁判も見られたろうが、いずくんぞ知らん、稀代《きたい》な妖人だったのだ。やがてそのことは後章でも説《と》くが、ともあれ小旋風柴進《さいしん》が、なお時の政道を信じて身の処置に出たのは、かえって彼一個の大難を求めたばかりでなく、予想もしなかった一大波瀾を逆にこの地方に捲き起すものとはなった。  ここで、視野を一転。——山東の梁山泊へ目を移してみると。  泊中の聚議庁《ほんまる》では今、高唐州から山寨《や ま》へ帰って来た黒旋風の李逵《りき》が、衆座の前に、おそれ入った恰好で、目をパチクリさせていた。 「いやもう、あきれた奴だ。またぞろ、その二丁斧で、思慮もない事件を起してしまったのか!」  彼の報告をきいた晁蓋《ちようがい》以下の領袖《りようしゆう》たちは、頭ごなしに、こう叱りつけて。 「ところで、きさまは難をのがれて来たようなものだが、あとの柴進大人《さいしんたいじん》はどうなるのか。ただではすむまい」 「すまねえでしょうが、あとはご自分でひきうける。なんでも、きさまはこの場を逃げろ、と仰っしゃるんで、是非もなく」 「はアて、後難が案じられる」  と、呉用、宋江、林冲《りんちゆう》などもみな眉をくもらせた。これらの者はみな王道政治の糜爛《びらん》腐敗を身に舐《な》めて知っている。かならずや柴進の主張などは通るまい。一刻もはやく恩人柴進の安否をまずたしかめぬことにはと、さっそく、 「ご苦労だがひとつ、高唐州へ行って、仔細、調べて来てくれまいか」  と、神行太保《しんこうたいほう》ノ戴宗《たいそう》へ、一同から声がかかった。で、戴宗は、 「おやすいこと」  と、即日、彼が得意とする神行法を利用して高唐州へ飛び、日時およそ半月ほど経て、ふたたび泊中へ帰って来た。 「さてこそ、やはり! ……」  戴宗の報告を聞きすました満座の眉色《びしよく》は、一瞬、しいんと恩人の受難を傷《いた》み、また鬱々《うつうつ》たる義憤に燃えた。  果たせるかな、柴進は以後、獄中につながれ、故人皇城《こうじよう》の邸館とその名園は、そっくり門の相《すがた》を変え、“官没”の名のもとに、今では奉行高廉《こうれん》の別荘になっているという。  のみならず、高廉の妻は、いわゆる外面如菩薩《げめんによぼさつ》の美夜叉《びやしや》ときている。そこで弟の恨みを良人へケシかけ、白洲《しらす》の拷問《ごうもん》、獄中の責め、やがては柴進に“直閣《ちよつかく》殺シ”の罪名を着せて、いやおうなく、死にいたらしめるのではないか。——ともあれ柴進の一命は今や風前のともし灯《び》にある——という戴宗のつぶさな話は、いよいよ、聞く者をして、 「うぬ」  と、高唐州の空を睨まえさせずにはいなかった。 「この梁山泊にとって、柴進さまは大恩人だ。その人の受難や柴家《さいけ》の抹殺されるのを、よそに見てはいられまい。まして事の起りは、山寨《や ま》の一人、李逵《りき》から出たこと」  期せずして、この声は一致した。そして軍師呉用の案の下に、七千の泊兵《はくへい》は、二十二人の領袖《りようしゆう》が将として編制され、ここに柴進救出の軍をくり出すことになった。  七千の泊兵は、寨員《さいいん》の大半である。なぜにこんな山軍をうごかすかというに、相手の高廉《こうれん》はただの奉行ではない。一面軍権をにぎっている司令であるのみならず、その配下には、山東、河北、江西、湖南、両淮《わい》、両浙《せつ》、各省の軍管区から選抜された「飛天神兵」と呼ばれる精鋭隊があると——これまた戴宗の探《さぐ》りによって分っていたからだった。 新・水滸伝 第三巻 了  本電子文庫版は、吉川英治歴史時代文庫73『新・水滸伝』(一九八九年七月刊)を底本としました。 * 作品中に、身体の障害や人権にかかわる差別的な表現がありますが、作品の時代背景および著者(故人)が差別助長の意図で使用していないこと等を勘み、そのままとしました。読者のご理解を賜わりますよう、お願い申し上げます。 * 吉川英治記念館ホームページのアドレスは、http://www.kodansha.co.jp/yoshikawa/です。 新《しん》・水滸伝《すいこでん》 講談社電子文庫版PC  吉川《よしかわ》英治《えいじ》 著 Fumiko Yoshikawa 1960-1963 二〇〇二年五月一〇日発行(デコ) 発行者 野間省伸 発行所 株式会社 講談社     東京都文京区音羽二‐一二‐二一     〒112-8001 ◎本電子書籍は、購入者個人の閲覧の目的のためのみ、ファイルのダウンロードが許諾されています。複製・転送・譲渡は、禁止します。 KD000210-0