TITLE : 生物の世界 講談社電子文庫 生物の世界 今西 錦司 著  序  この小著を、私は科学論文あるいは科学書のつもりで書いたのではない。それはそこから私の科学論文が生れ出ずるべき源泉であり、その意味でそれは私自身であり、私の自画像である。  私は自画像がかきたかったのである。今度の事変がはじまって以来、私にはいつ何時国のために命を捧げるべきときが来ないにも限らなかった。私は子供のときから自然が好きであったし、大学卒業後もいまに至るまで生物学を通して自然に親しんできた。まだこれというほどの業績ものこしていないし、やるべきことはいくらでもあるのだが、私の命がもしこれまでのものだとしたら、私はせめてこの国の一隅に、こんな生物学者も存在していたということを、なにかの形で残したいと願った。それも急いでやれることでなければ間に合わない。この目的に適(かな)うものとしては、自画像をかき残すより他にはあるまいと思ったのである。  だから実に乱暴に、計画も何も樹てずに書きなぐっていった。その乱暴さに対して、哲学者は認識という言葉の誤用を指摘し、社会科学者はまた共同体とか文化とかいう言葉の濫用を憤るかも知れないが、それは恐らく私にいままで画の心得がなかったせいであろう。しかし、たとえ画法にあっていなくても、その画が私という学問的野人を正しく描き出しているならば、それで私は本懐である。  この小著の中心をなす部分は、第四章にあたる社会論である。その部分は私自身の仕事と直接の関係を有し、相当苦しんでいるだけに、書いておきたいことも多く、書いているうちには、ついまだよく解っていないことにまで筆が走ってしまうのであったが、未完成さは未完成さのままに現わすのが自画像であろう。もっともどの部分だって未完成さは免れないが、未完成の中にも自信のもてる未完成とそうでないものとがある。第一章ないし第三章にあたる部分は、第四章を導き出すためのいわば序論として書いたのであるけれども、この部分は私自身が不案内でもあったし、たどたどして、うまく第四章に整合さすことができなかったかと思う。これに対して第五章の歴史論は、私としてははじめての試みであったが、前から私の社会論の延長として、一度書いてみたいと思っていたことなので、第四章を書きあげた余力を駆って、一気に書き下した。それで、第四章を中心とすれば、前者の方はまだ自信のもてない未完成、後者の方はすでにある程度まで自信のもてる未完成といえるであろうか。  この小著を執筆しながら、私はこの数年間に繰り返した、友人たちとの論議を、たびたび思いかえし、考え直していた。その論議というのは、生物学の一分野としての生態学という、実に広い未開拓の野に踏み込んで、果してどの方向に道を見定めて行ったらよかろうかという、見かけははなはだとりとめのないようなものであって、しかも当事者にとっては、どうしても何とか決めてかからねばならない、差し迫った問題に関連している場合が多かった。曠野にさまようもののつねとして、ジッグザッグに歩いたり、リング・ワンデルングをやったりしつつ、それでも今こうして一書に盛るだけの内容を進み得たことは、私の背後にあって、絶えず私を激励し支持してくださった、諸先生諸先輩の御庇護によるのは申すまでもないけれども、また私とともに野にあって、その労苦を分かち、いつも適切な相談相手となってくれた友人たちがいなかったならば、私一人の力ではとうていなしあたわぬところであったろう。一人一人の名はあげないが、私はここに心からこれら私のよき友人たちに対して尊敬の意を表しておきたいのである。  昭和十五年十一月 著 者     目 次 序 一 相似と相異 二 構造について 三 環境について 四 社会について 五 歴史について 生物の世界 一 相似と相異  われわれの世界は実にいろいろなものから成り立っている。いろいろなものからなる一つの寄り合い世帯と考えてもよい。ところでこの寄り合い世帯の成員というのが、でたらめな得手勝手な烏合の衆でなくて、この寄り合い世帯を構成し、それを維持し、それを発展させて行く上に、それぞれがちゃんとした地位を占め、それぞれの任務を果しているように見えるというのが、そもそも私の世界観に一つの根底を与えるものであるらしい。もっとも世界観なるものは、世界のいろいろな事象を観察し、考察しているうちに、次第にでき上ってくるのであって、はじめからできているものではないが、私がこれから書きたいと思うことを、私は現在私の抱いている世界観によって編集しようと思うから、まず書き出しにおいて私の世界観の一端をにおわせてみたのである。  それでこのような世界観、つまりこの世界が混沌とした、でたらめなものでなくて、一定の構造もしくは秩序を有し、それによって一定の機能を発揮しているものと見ることは、この世界を構成しているいろいろなものが、お互いに他の存在とは何らの関係もないにかかわらず、ただ偶然にこの世界という一つの船に乗り合わせたに過ぎないといったような物の見方をしりぞけて、それらのものはお互いの間を、大なり小なり何らかの関係で結ばれているのでなければならないと、思わしめるのである。  かりに一歩を譲って、この世界という船の船客が、他の世界からお互いに何の相談もなしに乗り込んできた船客たちであったとしても、この船は無制限に、でたらめにいろいろな客を乗せることはしていないのである。一等船客が何名、二等船客が何名、三等船客が何名ということがちゃんと決っているのである。一等に乗りたいが少し遅く来たために一等が満員で、二等で我慢しているというようなものもあるかも知れない。それはさておき、これらの船客は果して他の世界から乗り込んできたものだろうか。  私はもちろん他の世界というものを知らない、だから他の世界というものを考えることはできない。だからもし他の世界から来て、乗り合わしたものでないとするならば、後にはただ一つの考えが許されるだけである。それはすなわち、それらの船客が船の外から乗り込んできたものではなくて、はじめから船に乗っていたものと考えることなのである。いい換えるならばそれらの船客はみな、船の中で生れたものと考えるより他ないのである。つまり船の中で自然発生的に生れた船客であるにもかかわらず、それがあたかも切符を買って乗り込んできた船客と同じように、やはり一等船客も二等船客も三等船客も過不足なしに、定員どおりに乗り込んでいるというのは、ちょっと不思議なようにも思われるのであって、そこには何か、切符を買って乗り込んできた船客相互間の関係以上に、深い関係が介在しているのでなければならないであろう。  この世界、といっても私のいわゆる世界は元来地球中心主義的な世界なのである。これで世界をかりに地球に限定して、地球をさきほどの船にたとえてみよう。すると地球という一大豪華船に船客を満載しているというのは、現在の地球のことであって、その船客が他から乗り込んできたのでないのと同じように、この豪華船の建造に要した材料もまた他から持ち運んできたものではないのである。地球が太陽から分離して、それが太陽に照らされながら太陽の周囲を廻っているうちに、それ自身がいつの間にか乗客を満載した、今日みるような一大豪華船となったというのであるから、全く信じ切れないようなことであるに相違ない。しかしこれをここで一応何とか信じられるように説明しておく必要がある。そのためにはこの地球の変化を、単なる変化と見ないで、やはり一種の生長とか、発展とかいうように見たいのである。もちろん一つの見方である。気に入らぬ人の賛成を求めるつもりはない。すると地球自身の生長過程において、そのある部分は船の材料となり、船となっていった。残りの部分はその船に乗る船客となっていった。だから船がさきでも船客がさきでもない。船も船客も元来一つのものが分化したのである。それも無意味に分化したのではない。船は船客をのせんがために船となったのであり、船客は船に乗らんがために船客となっていったということは、船客のない船や、船のない船客の考えられないことからの当然の帰結である。  こういう拙(つたな)いたとえを持ち出したことは、かえって当を得たものでなかったかも知れないが、私のいいたかったことは、この世界を構成しているいろいろなものが、お互いに何らかの関係で結ばれているのでなければならないという根拠が、単にこの世界が構造を有し機能を有するというばかりではなくて、かかる構造も機能も要するにもとは一つのものから分化し、生成したものである。その意味で無生物といい生物というも、あるいは動物といい植物というも、そのもとを糺(ただ)せばみな同じ一つのものに由来するというところに、それらのものの間の根本関係を認めようというのである。  さてお互いの間の関係などといってみたところでまだはなはだ漠然としている。それは一ととおりや二たとおりの関係でなくて、いろいろな関係で結ばれているからである。これからこのいろいろな関係を、地球上の生物を主題として、おいおい明らかにして行きたいと思うのであるが、その前にも一つ根本的な問題に触れておきたい。さきにわれわれの世界は実にいろいろなものから成り立っているといったが、それはわれわれがいろいろなものを識別し得ているからこそいえることなのである。しかしいろいろなものといったが、この世界には結局厳密に同じものは二つとはないはずである。一つのものによって占有されたその同じ空間を、他のいかなるものといえども絶対に占有できないものである以上、空間の分割はものの存在を規定するとともに、またもってそれがものの相異を生ぜしめている根本的原因であるともいえるであろう。  このように相異ということばかりを見て行けば、世界中のものはついにみな、異なったものばかりということになるが、それにもかかわらずこの世界には、それに似たものがどこにも見当らない、すなわちそれ一つだけが全然他とは切り離された、特異な存在であるというようなものが、けっして存在していないということは、たいへん愉快なことでなかろうか。もしも世界を成り立たせているものが、どれもこれも似ても似つかぬ特異なものばかりであったならば、世界は構造を持たなかったかも知れぬ。あるいは構造はあってもわれわれの理解し得ないものであったかも知れない。それよりもそんなにすべてのものが異なっていたら、もはや異なるという意味さえなくなってしまっただろう。異なるということは似ているということがあってはじめてその意味を持つものと考えられるからである。似ているものがあってこそ異なるものが区別されるのであり、似ている処があってこそ異なる処が明らかにされるのである。  しからばこの世界はいろいろなものから成り立っているといっても、そのいろいろなものというのが、お互いに絶対孤立な単数的存在でなくて、この広い世界のどこかには、かならずそれに似たものが見出されるという複数的存在であることは、いったい何に帰因し、また何を意味しているであろうか。この問題についてはどうせどこかもっと適切なところで詳しく論ずるつもりであるが、ただわれわれはこのような事実、すなわち世界を構成しているものの複数的存在という事実を前にして、この複数的存在の内容となっているところの似たもの同士が、お互いに全然無関係に発生した、偶然の結果であるというようにはどうしても考えられないのであるからして、この点から見ればわれわれは、世界がその生成発展の過程において、お互いに何らかの関係で結ばれた相異なるものに分れていったといい得るのと同じように、世界はその生成発展の過程において、お互いに何らかの関係で結ばれた相似たものに分れていったともいい得るのである。  すると相似と相異ということは、もとは一つのものから分れたものの間に、もともとから備わった一つの関係であって、子は親に似ているといえばどこまでも似ているけれども、また異なっているといえばどこまでも異なっているといえるように、そういったものの間の関係は、似ているのも当然だし、異なっているのもまた当然だということになる。そしてこの世界を構成しているすべてのものが、もとは一つのものから分化発展したものであるというのであれば、それらのものの間には、当然またこの関係が成り立っていなければならないと思う。  だからはじめにもどって、われわれの世界がいろいろなものから成り立っているというのは、われわれがいろいろなものを識別し得るからだといったが、識別というような言葉を用いるから、何だかわれわれが相異ばかりに注意しているような印象を与えるけれども、未だ識別という結果の現われぬ、識別以前の状態にさかのぼって、われわれが直接ものを認めるという立場を考えてみると、それは鏡にものの映るような無意味な、機械的なものではなくて、われわれがものを認めるということは、つまりわれわれが、この世界を構成しているものの間に備わった、このもともとからの関係において、それらのものを認めていることだと私は思う。いい換えるならばわれわれはつねに、相似たところも相異なるところも、同時に認めているのである。  私は哲学者でもないくせに、認識論に立ち入るつもりはないのだから、われわれがものを認めるというこの子供にでも可能なことに対して、ここで私が認識という言葉を使ったからといって、深く咎(とが)めないでほしいのである。何故それなら知覚というような言葉を用いずにあえて認識という言葉を用いるのかといえば、それは私の気持の問題である。世界観はいかに素朴であっても、それは認識という言葉をもって一貫されるべきものと考えるからである。そして私のここで意味するような素朴な認識というのがかくのごとく、ものとものとを比較し、その上で判断するというような過程を踏まなくても、いわば直観的にものをその関係において把握するということであるとすれば、ものが互いに似ているとか異なっているとかいうことのわかるのは、われわれの認識そのものに本来備わった一種の先験的な性質である、といいたいのである。そして、それというのもこの世界を成り立たせているいろいろなものが、もとは一つのものから分化発展したものであるというところに、深い根底があるのであって、それはすなわちこのわれわれさえが、けっして今日のわれわれとして突発したものでもなく、また他の世界からやって来た、その意味でこの世界とは異質な存在でもなくて、われわれ自身もまた身をもってこの世界の分化発展を経験してきたものであればこそ、こうした性質がいつの間にかわれわれにまで備わるようになった。世界を成り立たせているいろいろなものが、われわれにとって異質なものでないというばかりでなくて、それらのものの生成とともに、われわれもまた生成していった。そう考えればそれらのものの間に備わったもともとからの関係を、われわれが何の造作もなく認識し得るということは、むしろわれわれ自身に備わった遺伝的な素質であり、難しいことをいいたくなければ、われわれに備わった一つの本能であるといっても、間違ってはいないであろうと思う。  われわれの認識が問題になり、いままた本能というような言葉が出てきたから、勢いこの辺で一般論をはなれて、私は生物の立場にかえらねばならない。いったいいつでもそうだが、われわれ人間のことが問題になると、いやに難しい面倒くさいことになりがちであるが、生物の立場はいつだって率直で、朗らかで、やはり私の性分にあっているようだ。さて問題はいま述べたようなことが、生物にもあてはまるかどうかということなのであるが、生物といえどもわれわれと同じように、やはりこの世界に生れ、この世界とともに生長してきたものである以上、彼らにだってこの世界を認めるということがあるならば、すなわち彼らがこの世界を成り立たせているいろいろなものをどの程度かに識別しているとすれば、このものを認めるということの本質においては、彼らもわれわれも異なろうはずはない。むしろ私が果敢に本能という言葉をわれわれの場合に使用した意図の中には、われわれ人間さえもともと一種の生物的存在である、だから人間的解釈にしばらく別れを告げて、その現象のよって起る本質を探求してみたならば、そこにはきっと人間的解釈の代理としての生物的解釈が見出されるだろうという仮定のもとに、はじめから人間を生物の立場に引き下げ、あるいは逆に生物を人間の立場にまで引き上げて、両者を同じ基礎に立つものとして同列に談じようという考えが、働いていたものであるといわれるかも知れない。  しかしながら同じく生物といってみたところで、植物もあれば動物もある。動物だってアミーバのような下等なものから猿のように人間に近い、人間に似たものまである。そしてこれらのものがすべて生物であり、人間もまた生物であるからといって、もし私が人間に認められるすべての性質が、これらの生物にもまた見出されねばならぬ、人間に意識作用がある以上は植物にだって同じような意識作用の存在することを肯定しなければならぬというのであったならば、それは取りも直さず私みずからが説き来ったところの主張である、この世界を成り立たせているいろいろなものが、どこまでも異なっていなければならないということに、背反したこととなってしまう。けれどもこの世界を成り立たせているいろいろなものが、どこまでも異なっていなければならないにもかかわらず、それらはお互いに全然異質なものではなくて、もともと一つのものから生成発展したものであるという点では、それらのものがまたどこまでも似ていなければならないのである。  そしてここで、相似と相異という関係をもって結ばれている、この世界のいろいろなものの間の関係が、一応類縁ということによって整理されるのである。類縁とはいわば血のつながりであり、土のつながりである。類縁とはものの生成をめぐる歴史的な親疎ないしは遠近関係を意味するとともに、またその社会的な親疎ないしは遠近関係をも意味するものであろう。もちろんたまには他人の空似ということもないではなかろうが、一般的に類縁関係によっていろいろなものが整理されるといえば、類縁の近いものほど相異なるところよりも相似たところが多くて、類縁の遠いものほどその反対になるということを前提しているのである。何故そういうことになっているかは、も少しさきで説明するが、要するにこの世界を成り立たせているいろいろなものは、すべて一つのものの生成発展したものに他ならないということが、これらのいろいろなものが類縁関係を通じて結ばれているゆえんなのである。  それゆえこの類縁関係を通してはじめて、われわれのものの見方にも一定の基準が与えられる。類縁を通して相似たものがお互いに近しい存在であり、相異なるものがお互いに遠い存在であるということは、同じ一つの世界に住んでいても、類縁的遠近はまたお互いの住まう世界の遠近であるということにもなるであろう。この意味においてわれわれ人間は人間の世界を持ち、猿は猿の世界を持ち、アミーバはアミーバの世界を持ち、また植物は植物の世界を持つものであっても、猿の世界はアミーバや植物の世界よりもわれわれ人間の世界に近く、またそれらを引っくるめた生物の世界の方が、無生物の世界よりもわれわれの世界に近いといい得るのである。そしてここにわれわれに許された類推の根拠があり、それと同時にまたその類推の可能限度ということが考えられる。  世界を成り立たせているいろいろなものが、もと一つのものから生成発展したものであるゆえに、われわれにこの世界を認識し得る可能性があるのであり、世界を成り立たせているいろいろなものがもと一つのものから生成発展したものであるゆえに、われわれの認識がただちに類縁の認識であり得る可能性があるといった。そしてかかる類縁の認識が成立するところに、われわれの類推の可能なる根拠があるというのである。いったいわれわれは類推といえば、一種の思考作用のようにばかり思いやすいが、類推とはその本質において、われわれの認識、すなわちわれわれがものの類縁関係を認識したことに対する、われわれの主体的反応の現われに他ならないと思う。そしてその反応の現われが、まずわれわれの喜び、驚き、怖れ、ないしは愛憎といったものであったにしても、それはすでにこの世界に対するわれわれの表現であり、この世界に対するわれわれの働きかけでなければならない。だからわれわれがいろいろなものを認識したことに対する、われわれの主体的反応の現われ方は、もちろんそのいろいろなものに応じて、いろいろであっていいわけではあるけれども、われわれの認識というのが、元来ものの類縁関係の認識である以上、われわれの認識に対する主体的反応の現われ方もまた、この類縁関係の如何(いかん)によって、ある種の制約を受けているものと考えられるであろう。類推可能の限界ということも、かくのごとくして自然に規定せられてくるのである。  したがってこの問題は、一応なにゆえ類縁関係の違いによって、われわれの認識に対する主体的反応の現われ方が違ってくるかというところまで、さかのぼって考えてみなくてはならないのである。それには類縁関係の近いものは、それの遠いものよりも、より近い、あるいはよりよく似た世界をもっている。よりよく似た世界というのは、いろいろに解釈できるけれども、主体的にいえば、お互いの認識している世界が似ていることだといえるであろう。そしてそれはつまり類縁の近いものなら、また当然にその認識に対する主体的反応の現われ方においても似ているのでなければならぬ、ということを要請するものである。だから類縁の近いもの同士が遭遇した場合を考えると、一方が他を認識するようにして、また片方も他を認識しているのでなければならぬ。そしてその一方がその認識に対して現わす主体的反応と相似た反応を、片方のものもやはり現わすのでなければならぬ。すると相互の認識ひいてはその主体的反応の結果として、ここに一種の関係、もしくは一種の交渉が成立することとなるであろう。認識に対するわれわれの主体的反応とは、認識したものに対するわれわれの働きかけに他ならないといったが、かくのごとき関係の成立を認める場合には、それは多分たんなるわれわれの働きかけではなくて、われわれへの働きかけを予想した上での、われわれの働きかけであるだろう。  しかしこれがもし類縁関係の遠くはなれたもの同士である場合には、こうは行かぬであろう。われわれが石や木を見つけて今日はと挨拶しても、石や木が何も返事しないということは、いかにも無情な現実ではあるが、われわれにとって類縁関係の認識は、すでに述べてあるようにわれわれに備わったところの、一種の本能でさえあるのだから、われわれの子供だってそんな返事は期待しないのである。ところでそれがもし動物ということになり、その中でも高等な犬とか、猿とかいうものになってくると、われわれの働きかけではなくて、かれらのわれわれに対する働きかけをも予想しないわけには行かない、否、その働きかけをわれわれは実際に体験しているではないか。だからわれわれの、こうした動物に対する主体的反応というものが、実際は動物を動物として見ていても、ある程度まで人間に対するのと同じような反応をもって現わされるということは、これらの動物がわれわれに類縁的に近いという、われわれの認識に対するわれわれの表現であり、それをわれわれ人間が現わす以上、それが人間的表現となって現わされるより他には、また表現のされようがないというべきである。  それゆえ認識に対して主体的反応を現わすべき主体が人間である場合には、人間が人間的にものを見、また人間的にものに働きかけるというのは、全く自然的な成り行きであって、人間にそれ以外の態度を要求する方がむしろ間違っているのであろう。原始人や未開人の生活が等しくこういったものの見方にその基準をもつものであったことも、この点では有力な支持を与えているものと思われる。そしてここに私が類推というものも、その本質においてはわれわれがものの類縁関係を認識したことに対する、われわれの主体的反応に基底をもつものであるといったことの、根拠もあるわけである。しかしわれわれ人間同士の間にあってさえ、自分をもって他人のすべてが推測し難いということは、この世界を成り立たせているものが、どこまでも異なっていて、厳密には二つと同じものがないからである。いわんや類縁の隔たり、住まう世界の異なった動物であってみれば、われわれの人間的解釈が果して正しいかどうかはすこぶる疑問とするところである。比較心理学者が擬人的説明を極度に嫌った理由もこの辺にあるかと思われる。  そうかといってわれわれには動物を自動機械と見なしたり、人間のみを全智全能の神の申し子であるかのように考えたりすることはできない。人間もまたこの世界を成り立たせている他のいろいろなものと同じように、もとは一つのものから生成発展したということは、人間がいくら偉くなったって消し去ることはできない。だから人間にこの世界が認識されるのである。だからこれに対する主体的反応として、宗教家や詩人がわれわれ人間以外のいろいろなもの、たとえば木や石と話をし、その声を聴いたからといって、われわれはちっとも驚かない。ただその声はわれわれのように口がしゃべった声ではなく、その声を聴いたのはわれわれのように音を聴く耳ではなかった。それを認めた上でいっていることならば一向差支えはないであろう。われわれは、われわれがわれわれに認めるような生命を無生物にも認めようとは思わない。しかし無生物には無生物の、無生物らしい生命というものがあったって、一向差支えはないのである。それを何でも擬人化して考えないでは気がすまなかったところに、無生物の生物化が主観的な、非科学的な態度として排斥される理由があったのと同じように、われわれの本来の認識、われわれの本来の主体的反応に背いて、動物をさえ擬物化し、動物をさえ一種の自動機械と見なそうという、生物の無生物化は、これもまた主観的な、非科学的な態度であるとの、譏(そし)りを受けねばならないであろう。もっともこういう態度を徹底さすなら、人間さえもがやはり一種の自動機械に他ならなくなるのであるが、人間だけはこれを棚に上げておいて、動物以下にこういう見方を適用したということは、人間自身にまでこんな見方の適用されることを、さすがに人間としては好ましく思わなかったからであるに違いない。  もちろん生物といえども、物質的基礎を離れて存在し得るものではないが、生物はどこまでも無生物と異なるものであるがゆえに生物だったのである。それを博物学などと称して、動物や植物を鉱物や岩石などと一纏(まと)めにして取扱ったというのは、生物が死体となって、もはや岩石などと大して変らぬ物質的存在にまで変化してしまった、生物の標本を研究することばかりが生物学であるかのごとく考えた、前時代の風習が残っていたからであろう。人間も生物であるゆえに、無生物に対するよりも生物に対して類縁が近いのと同じように、生物だってその立場から考えるならば、無生物に対してよりも人間に対して、より類縁の近い存在であらねばならぬ。そして生物を生物として、その正当な立場において研究するというのが、科学としての生物学でなければならないのである。ただ生物と一と口にいう中には、さきにもいってあるごとく、動物も植物も、またそれらの中の高等なものから下等なものに至るまでの、いろいろなものが含まれているのであり、それらのいろいろなものがそれぞれに異なった世界を持ち、異なった生活を営んでいるのであるからして、生物を生物としてその正当な立場において研究するということは、それぞれの生物をそれぞれの正当な立場において研究するということに他ならなくなる。  そしてこのそれぞれの生物をそれぞれの正当な立場におくということは、要するにこれらのものに対するわれわれの認識をより正確なものにするということであり、それはすなわち類縁関係のより正確なる把握を意味し、それによってわれわれの類推をより合理的ならしめることである。くり返していうが、われわれは人間的立場にあって生物の生活を知ろうとし、またその住まう世界をうかがおうとしているのである。だからわれわれに許された唯一の表現方法は、これらの生活や世界を人間的に翻訳するより他にはない。類推ということを奪われた生物学は、ふたたび惨めな機械主義へかえるより途はないのである。類推の合理化こそは新しい生物学の生命であるとまでいい得るであろう。  それゆえ本書で私が、生物の社会だとか生物の恋愛だとかいう表現を用いるのはもとより、ときにはこれこそ人間の専売特許と思われてきた芸術というような言葉をさえ、平気で借用してきたからといって、人間はそのために何もうろたえたり落胆したりすることはないのである。またそういう解釈が成立するということによって、何も生物を人間の立場にまで高めることにもならなければ、人間を生物の立場にまで引き下げることにもならないと思う。社会といってみたところで、人間と動物と植物とが異なるように、人間の社会と動物の社会と植物の社会とでは、それぞれに異なるところがあるべきなのは当然である。しかし人間も動物も植物も生物であるという点では、お互いに類縁関係のつづいた相似たものなのであるから、かれらが根本的には相似た性質をいくら持っていたからとて、それは少しも不当でないばかりでなく、むしろこうした相似た性質の存在を認め、それをわれわれの言葉によって、われわれに理解されるように適切に表現する、ということがすなわちわれわれのそれらの生物に対する認識の表現であり、このように生物を生物の立場において正しく認めるということがまた、われわれをわれわれの立場において正しく認めることにもなるのである。生物学の任務はかならずしもわれわれの生活資源という問題にばかり結びついているのではない。われわれ人間もまたこの世界構成の一環として、生物的類縁をもち、われわれの現わすさまざまな行動習性も、われわれの生物的地盤の中に深く根ざしたものであることを明らかにすることによって、われわれがわれわれの本質について深く反省する資料を与えるものでなければならない。私が本書のイントロダクションに相似と相異という論題を持ち出してきた意図も、これで大体おわかりくださったであろうと思う。 二 構造について  われわれの世界は実にいろいろなものから成り立っている、というのが第一頁における私の書き出しの一句であった。そしてこの世界はいろいろなものから成り立っているけれども、それが混沌とした、でたらめなものでなくて、一定の構造を持った世界であるという私の世界観が、単なる思いつきや信仰に発したものではなくて、相当な客観的根拠を、とくに私の場合にはそれを生物の世界から得ているものであることを、おいおいと明らかにして行こうというのである。そのためには、世界が構造を持った世界であるなどといっても、その構造というのがいったい何を意味しているかが、はっきりしていないと困ると思われるので、私はいまもう一度最初の出発点に帰って、出発し直そうと思う。  この世界は実にいろいろなものから成り立っている、その意味においてこの世界はものの世界であるといえる。ものの存在することによって、われわれもまたこの世界を知ることができるのであって、ものなくしては世界の知りようがないであろう。ものがあれば、そこにわれわれは抵抗を感じ、あるいは束縛をうける。暗闇の中にあっても、ものの存在がわかり、盲人にだって同様にしてものの存在がわかるというのは、ものの存在が元来空間的であり、ものは空間を占拠することによってはじめてものたり得る、ということに帰因しているのである。しかしわれわれがものの存在を認めるという場合は、主としてわれわれの眼がものを認めるのである。するとある空間を占拠することによって、みずからを空間的に限定したものの存在が、ものの形として認められる場合が多い。だからものは形を具えたものであり、また形のあるものがすなわちものであるということになって、われわれの眼に見えない、したがって形のないものの存在は、これを考えることが難しかったとともに、存在すると思われるものには何でも形を与えてみなければ得心できなかった時代が、ふりかえってみればつい最近までつづいていたのである。  とにかく、われわれの世界はいろいろなものから成り立っているが、このいろいろなものを便宜上大別すると、無生物と生物と人間ということになりそうである。われわれ人間もまた生物に仲間入りすることになれば、この世界を成り立たせているいろいろなものといっても、そのいろいろなものが結局、無生物か生物かのどちらかになってしまう。つまり生物でないものが無生物ということになるから、無生物ではなくて正しくは非生物と呼ばれるべきであるだろう。しからば生物とはいかなるものであり、無生物とはいかなるものであるか、というこの常識を無視したような問題にも、ここで一応の解答を与えておいた方がよいであろう。断わるまでもなく、ここにいう処の生物とは動物や植物を指しているのである。動物には獣や鳥や魚や虫があり、植物には木や草や菌(きのこ)が含まれている。これらのものは、あるいはわれわれの食べ物として、あるいはまたわれわれに危険を加える害敵として、いずれにしてもわれわれの今日までの生活史になくてならない存在であったし、またそのようにお互いの生活が久しきにわたりなんらかの関係で結ばれてきた間柄というものは、よきにつけ悪しきにつけ一種の懇意な間柄である。だからわれわれが酸素や水素について知るようになった以前から、はるかの以前から、これらの動植物はわれわれに身近い存在として、その存在がわれわれにまで認識されていたのである。  けれどもさきにも述べたように、われわれが獣を獣とし、鳥を鳥として認識し得たのは、獣が獣としての形を有し、鳥が鳥としての形を有するからであったろう。もちろん獣といい鳥というものを、われわれは形だけについて知っているのではない。獣は走るものであり、鳥は飛ぶものである。そういった習性行動のすべてを、獣といい鳥という形をもったものに結びつけたとき、そこにはじめてわれわれが具体的に認識する獣や鳥の姿が、髣髴(ほうふつ)としてわれわれの眼前に浮んでくるのである。けれどもわれわれがまた標本箱に陳列された蝶を蝶として認め、アルコール漬になった魚を魚として認めるというのは、やはり蝶が蝶の形をし、魚が魚の形をしているからであるだろう。分類学者というものは大体こういう生物の死体を集めて、その外形上の相似と相異とに立脚して生物を分類し、その類縁関係を明らかにしようというのがかれの立前であるが、そもそもこのようなことが可能であり、もしくはこのようにして分類学が成立し得るゆえんのものは、あらゆる生物がその類縁関係を通して、一定の生物としての形を備えていることによるのである。つまり生物としての形を具備するような類縁関係を有するもののみが生物であり、生物でなくて生物の形を具備するようなものの存在は、この世界においては少なくとも自然状態としては存在し得ないというのが、われわれの確信するところである。そしてそれはもともと一つのものから生成発展した世界の成立条件としては、当然要請されていいことででもあるのである。だからわれわれの祖先にしてみれば、かれらに身近なものとしての、肉眼で見える動植物の存在を認識すれば、それで必要かつ充分であったかも知れないが、かれらに縁遠い地球の隅々までも調査されて、そこからかれらの夢想だもしなかったようないろいろな珍奇な動植物の存在が明らかにされ、またかれらが全然その存在を認めなかったような微細な生物の存在が顕微鏡によって見出され、しかもそれらの微生物の存在がわれわれの生活に重大な関係を持ったものであることがわかるに至っては、それはもはや酸素や水素の存在がわかるようになったのと同じように近世的であり、生物学的であるといわれるであろう。もっとも今日ではまだ顕微鏡下にその形を発見することのできぬヴィルスのような微細な生物の存在さえ考えられるのであるけれども、私は今日の科学としての生物学は、この地球上のいろいろな生物が、その形を通してひととおり明らかにされたところにその基礎を見出すものであり、またそこに生物という新しい概念も確立されたものと思うのである。今日のわれわれには生物学的生物以外に生物というものはもはや考えられないのである。そしてその生物学的生物とは詳しくいえば、生物の形態に立脚したところの分類学において、分類学者がこれを生物と認めてこれに種名を与え、これを生物学界に生物として登録済みにしたものをいうのだといえば、生物と無生物との区別なんか今さら問題でもあるまいということになるであろうか。  生物学者にきかなくても、実際われわれの常識は生物と無生物とを取り違えたりするようなことはほとんどない。それは生物の形を持ったもののみが、この世界における生物であるからだということになる。しかしこの世界に形を有するということは生物に限った特徴ではない。無生物だってやはり形を有するからである。しからば無生物の形に対して生物の形にはなんらかそれ自体としての特徴があるであろうか。個々の生物を見れば、なるほど犬は犬の形をし、蜂は蜂の形をしている。しかし犬の形からも蜂の形からもわれわれは一般的生物の形を予想することができない。第一動物といわれるものの中だけでもその形は千差万別であるのに、一般生物といえばその中に動植物のすべてを含むこととなるのである。犬と松の木とアミーバを並べてみよ、誰かよくそれらから一般生物の形を帰納し得るであろうか。しからば一体われわれが生物と無生物とはその形を見ればただちに区別できるといったことに誤りがあるであろうか。いや確かにわれわれは生物と無生物とがその形で区別できると思う。生物と無生物とがそのようにして区別されるというのは、実はわれわれに生来備わったわれわれの認識のしからしめるところであり、それがすなわちわれわれの認識の性格であることを私は前節において説いておいたのである。だからわれわれが個々の生物をその形において無生物と見誤ることがないにもかかわらず、一般生物をその形において無生物から区別し得る準拠が求め得られないとするならば、それは結局われわれの認識というものが、犬とはかくかくの形態的特徴を具えたものであり、松の木とはまたかくかくの形態的特徴を具えたものであるといった、生物学的特徴に一々照らし合せた上で、それらを犬なり松の木なりとして認めてきたのではなかったからであり、それゆえいま開き直って生物と無生物との形の上における区別如何などと問われたら、われわれはまごついてしまうけれども、それだからといってわれわれに生物と無生物との形の上における見境いがついていないということにはならないと思う。しかし確かに生物は生物で無生物に見られぬ形を持っているのだから、見かけの形がまちまちで、一と口にその区別をいい現わすことができぬというのなら、それはそれで少しも差支えのない、正直なところである。ただわれわれが学問する立場からいえば、この生物と無生物との相異という問題も、これを見かけの形の相異ということにばかり捉われてしまう必要はないのであって、それでうまく行かなければさらにその相異のよって起る本質にまで立入って考えてみなければならないのである。  ところで生物の形というが、生物とは外形だけあって中の空(うつ)ろなものでもなければ、また粘土細工のように中の一様につまったものでもない。このことは生物を解剖してみればただちにわかることであって、そこには筋肉、血管、その他いろいろな内臓器官が備わっている、しかもそれらがでたらめに乱雑につっこまれているのでなくて、ちゃんと一定の秩序をもって巧妙に配置されている。生物の見かけの形を外部形態ということにすれば、そこには外部形態に対して内部形態といい得るようなものがあるわけである。そしてこの内部形態だけを見ると、生物の外部形態なるものは、内部形態によって規定せられ、まるでこの内部形態をつつむためにできているもののようにも思われるけれども、反対に外部形態の立場から見るならば、内部形態の方が外部形態に規定され、外部形態にうまくはまりこむようにできているともいい得るのである。しかしもちろん一匹の生物にとっては外部形態が先にあるのでも内部形態が先にあるのでもない。はじめから外部形態も内部形態も備わったものにして、はじめて生物なのであり、生物の身体なのである。外部形態といい内部形態というも、要するにそれらのものが一つになって生物の身体を組立てているのである。それはもはや形といわんよりもむしろ構造である。それがすなわち生物体の構造に他ならないのである。  すると先に生物の形を備えたもののみが生物であるといったことが、生物の構造を備えたもののみが生物であるといいかえられるとともに、生物と無生物との区別如何という問題も、これを見かけの形の上においてではなくて、より本質的な構造上の問題ということにしてもう一度考えられねばならなくなったと思う。しかしながら外部形態をはなれて内部形態は考えられず、また外部形態や内部形態をはなれた処に構造というものが考えられない以上は、犬と松の木とアミーバとの見かけ上の相異は、やはりどこまでもそれらのものの構造に反映して、その構造の相異となっていなければならないのである。それにも拘らず生物体の構造に関する限り、単なる見かけの形などからでは容易に求め得られなかったところの、一つの普遍的な法則をわれわれが有しているということは、生物学のわれわれに齎(もたら)した大きな貢献であるとともに、それがまた生物学自身の今日の発展に対する大きな基礎づけともなってきたものであって、それはもういうまでもなく細胞の発見であったのであり、生物の身体が細胞から成り立っているということであったのである。  犬たると松の木たるとアミーバたるとを問わず、あらゆる生物の身体が細胞の集まりからでき上っているということは、いろいろな点からして生物というものをわれわれが理解する上に役立つ、生物のもっとも生物的な性格の一つであるように思われる。それゆえ生物と無生物との相異を、それぞれの現わす構造上の相異に求めるとすれば、生物にあってはその構造上の単位が細胞であるということぐらい、生物を無生物から別つのにはっきりとした準拠はまず他にないのであり、したがって生物の構造を持つもののみが生物であるということさえ、これをいい換えたならば細胞を構造の単位に持つもののみが生物であるということになってしまいそうである。  生物の身体がかくのごとく細胞から成り立っているということが、もちろん構造的には生物を生物として特徴づけるものではあっても、しからばかかる構造をもったもののみが何故生物なのであろうか。構造だけをもって論ずるならば、標本箱に陳列せられた蝶も、アルコール漬の魚も、それらがそれぞれ蝶の構造をもち、魚の構造をもつゆえに、蝶であり、魚であり得るのであろう。アルコール漬でなくとも、魚屋の店頭に並んだ魚はみな魚の構造をもつがゆえに魚であるといえる。けれどもそれらはみな死んだ魚であり、生物の死骸でしかない。いったいそれらが生物の構造を具えているといっても、その構造はそれらが生物としてかつては一度生きた存在であったからこそ存在するのであって、生きた生物の存在をはなれて、生物の身体だけがあるいは生物の構造だけが、この世界に自然的に発生し自然的に存在し得るとは、われわれには絶対に考えられないところである。それは何故であるか。われわれはさきにも生物の形を論じて、これと同じような問題に逢着(ほうちやく)したのであった。しかしわれわれはいま生物の体が細胞からできているということを知るにおよんで、いっそう有利にこの問題を解決し得る立場に置かれたのである。われわれのような多細胞生物にあっては、その体を形づくっている細胞の数は、それこそ数え切れぬほどの多さであろうが、そもそもこの無数の細胞とはどこからやって来たものであろうか。どこからやって来たものでもない。それらはすべてもと一個の細胞から生成発展したものにほかならないのである。こういえば読者は私が本書の書き出し以来たびたび繰り返してきた言葉を、ただちに思い出されるであろう。すなわちこの世界は実にいろいろなものからでき上ってはいるけれども、それらのものはみなもと一つのものから生成発展したものにほかならないということを。そのものの一つである、いや一半であるところの生物というものについて、やはり同じ言葉があてはめ得られるということが、少なからず私を愉快にする。しかも生物の場合こそはそれが確かにいい得られるのである。それは発生学によって実証されたことであるからである。  生物の身体をつくる細胞にも実にいろいろな種類の細胞があるけれども、それらの細胞がお互いに無関係に無秩序に集合しているのではなくて、それらのものの巧妙な配置配列によって生物の形態が整備され、そこに一個の生物体が形成されているというところに、われわれは生物なるものの構造を見るのであるが、ただかくのごとき構造の存在し得るゆえんは、どこまでももとは一つのものから生成発展したこの世界の、一要素としての生物であるがゆえに、それはまたこの世界の成立条件を反映して、どこまでも一つの細胞から生成発展するより他に成立する途のないものであったと考えざるを得ないのである。そしてこのように考えてくるならば、はじめからでき上った生物の構造などというものはなくて、生物の構造とは生成発展したものである、それがすなわち生物の生長であり、生長するということはすなわち生きているということにほかならないということになって、結局生物の形といい生物の構造というも、それらは生きた生物をはなれては考えられない。いやしくも生物という以上はその具体的な存在のあり方として、つねに生きているということを前提しないでは、もう何一つ考えられないのではないかとさえ思われる。  たしかに生物とは一面で死物に対するものであり、生きているということは死んでいるということに対するものであるに相違ない。しかし生きているというのはどんなことであるのか。魚が生きているといえば一般には魚が泳いだり、餌をとったりすることを考えるであろう。死んだ魚はもはや泳いだり、餌をとったりすることがないからである。けれども死んだ魚でも魚であり、そこに魚の身体が認められるところから、生きているということは元来はこうした死物としての身体に、何ものかが宿り、何ものかが働いて、はじめてこれを生かしているのだとする考えが、実に久しい間われわれを支配していたのであって、その何ものかが生命と呼ばれようと、あるいは精霊と呼ばれようと、それは要するに大した問題ではなかったのである。私はここでこんな愚かしい二元論に今さら深く立ち入る必要を認めないが、こうした考え方においても、生きているということと生命があるということとが同意義に解されているという点だけをとって考えるならば、それはかならずしも二元論ということにはならないと思う。ただ生命をさえ、これを一種のものとしてでなくてはその存在を考えることができなかったというところに、二元論の幼稚さもまたその誤謬もあったのであって、これからひいては肉体は仮りの物、あるいは肉体は滅びるが霊魂は不滅であるなどといったような考えも、導き出されるようになったものであろう。  しかし生きた生物をはなれて生物の身体なり構造なりの存在が考えられぬ以上、そしてまた生物の身体なり構造なりがもと一個の細胞から生成発展したものであることがわかった以上、かくのごとき二元論の成立し得る余地はもはや寸毫(すんごう)といえども残されていないのである。生きた動物が飛んだり泳いだりするのはその動物が生きているからである。それがすなわち生きているということなのである。ただ生きた動物を論ずるのに単なる身体とか構造とかだけをもってしては論じつくされないというのならば、それは飛んだり泳いだりすることがかならずしも構造というだけでは適切に現わしきれない現象に属するからであろう。それらはむしろ構造に対して機能と呼ばれるべきである。しかしもちろん構造をはなれて機能だけが存在し得るものではない。飛んだり泳いだり、そうしたさまざまな機能を発揮し得る構造であってはじめて生きた生物の構造なのであり、そうした構造であってこそまた生物はそれに応じたいろいろな機能を発揮することによって、生きているといい得られるのである。  はじめに私がこの世界を形成しているいろいろなものの一般的な認識のされ方として、まず形というものから論じだしたために、生物というものの解釈も形にはじまり、構造をへて、ついに機能というところまできてようやくやや具体的となってきたのである。それで具体的な生物の存在のあり方というものを、も一度ここに要約してみると、生物というものは構造だけの存在でもなく、また機能だけの存在でもない。構造と機能とが密接な関連を持っているといっても、構造というものと機能というものとが別々に存在しているのではない。構造がすなわち機能であり、機能がすなわち構造であるようなものであってはじめてそれが生きた生物といわれるものである、ということになる。ところでさきに生物の身体とはもと一個の細胞から生成発展したものであるといった。もしもここにいうところの構造と機能との相即が生物存立の根本原則であり得るならば、一個の細胞から生成発展したところのものはかならずしも生物の構造だけでなくて、その機能だってやはりそうでなければならぬ。むしろその一個の細胞自身がすでに構造的機能的に一個の生物的存在を示しているようなものでなくてはならぬとしなければならないから、ここにおいてその一個の細胞から生成発展した、多数の細胞の統合体としての生物においても、細胞は単にその構造の単位たるに止まらずしてまた機能的にもそれが単位でなければならないのである。だから細胞を呼んでオーガニズムという場合のオーガニズムとは、私がここでいっている生物をただちに意味するものではなくても、それは生体とか、有機体とか訳されるべきものなのであろう。そして生物の存在にとって細胞がかくのごとき意味をもっているものである限り、構造機能の相即はこれを生物存立の根本原則といわんよりも、その適用範囲を拡大してむしろこれを生体存立の根本原則といった方がいいかも知れないのである。  細胞というものがすでにかくのごとき性質を持っている以上は、相似た細胞の寄り集まって形成するいろいろな組織や器官にも、またこの原則は適用されるものかも知れない。しかしこれらの部分的な構造が全体として一個の生物体に統合されているのと全く相即的に、これらの部分の発揮する機能もまた全体としての一個の生物が現わす機能に統合されていなければならない。だから個々の機能はそれぞれにいろいろな生理現象として、あるいはまた心理現象として理解せられるようなものであっても、全体としてみればそれはいつでも一個の生物があらわす現象であり、そしてその現象とはこれを機能の立場にたって解釈するならば、一個の生物がその生物としての構造を維持せんとして現わすところのものであるというようにも見られやすいが、構造機能の相即が成立するところには構造が先にあるのでも、機能が先にあるのでもない。機能が構造を維持するために存在するのだと考えられるとともに、構造が機能を維持するために存在するのだというようにも考えられるのであって、実際はそのいずれでもなく、それらはすべて構造機能の相即したものとしての生物が、それみずからを持続せんとして現わすところの現象にほかならないのであり、あるいは生物がその存在を持続して行くということの内容として、生物はつねに構造的機能的表現を示すものだということができるのである。  このように考えるとき、われわれは生物的に構造的機能的なもののみが生物であるといい得るとともに、そのような生物とはつまり生きた生物であり、生命のある生物であるということになるのである。ところでさきにもちょっと述べておいたように、われわれの身体を形成する一個の細胞だってやはり構造的機能的な存在でありその意味ではやはり生きた存在である。だから細胞は生体であるといわれた。生物といえどももちろん生体の一種であると見て少しも差障(さしさわ)りはないのである。それにもかかわらずその反対に細胞さえこれを一種の生物であるとはどうして考えないのであろうか。そこに生物と生体との相違があるとすれば、この相違もこの辺で一応明らかにしておかねばならない。そのためにはまたしても生物とはもと一個の細胞から生成発展したものであるというところへ、解決の道を求めねばならない。生物が一個の細胞から生成発展した多細胞の統合体であるということは、生物が先にあったのでも、これらの細胞が先にあったのでもなくて、生物すなわちこれらの細胞の集まりであり、これらの細胞の集まりすなわち生物として、生成発展したということであり、それが生物の生長ということであるならば、生長とはその内容として構造的であると同時に機能的な生成発展であったといえる。しからば生物と、それらの細胞との関係は、こうした構造的機能的な生成発展をとげる一つの統合体の、全体と部分との関係であり、生物とはつまりかかる一つの有機的統合体に与えられた名称であると解すべきであろう。したがって個々の細胞だってもちろん生きているものに相違ないが、一つの生物が生きているというときには、それはつまりこの有機的統合体の有機的統合作用をさすのであり、生物が死ぬということはすなわちこの有機的統合作用の破綻(はたん)を意味するものと考えればよいと思う。だから生物の現わすこの有機的統合作用の持続がすなわち生命の持続なのである。  それゆえ生物的に構造的機能的な生物とは、いつでもかかる有機的統合体としての身体を持ち、その有機的統合作用としての生命を持ったものであるとするならば、生物の身体をはなれた処に生物の生命があるのでもなければ、生物の生命をはなれた処に生物の身体があるわけでもない、身体即生命、生命即身体というのがすなわち具体的な生きた生物なのである。細胞だって生きているという意味で細胞に細胞的生命を考えて悪いわけではなく、また生物も生体の一種であるという点で、生体的生命という中に生物的生命も細胞的生命も包含させてしまうということに理論的な誤りがあるわけでもないが、ただ生物的生命といえばそれが生物的身体をはなれては考えられないところに、どこまでも構造機能の相即という生体存立の根本原則が反映しているのである。  生物的生命とはこのようにして生物の属性であるというのが私の生命観である。だから生きた生物、生命のある生物以外に生物などというものはもともと存在しようはずがないのである。しかるに生物とか生体とかいう字が現わしているごとく、生物とはまずものとしての存在であり、まず身体的な形態的な存在であると考えられやすいために、生命というものがつい置き忘れられてしまって、あとからそれをくっつけるのに苦労しなければならなくなるのであるが、それというのもこの世界がわれわれにまずものの世界として認識されるというのが、われわれの認識に本来備わった一つの性格的特徴であると解するならば、別段怪しむにも足らないことであったのである。生物という言葉がいつ頃つくられたものであるかは私などがよく知るところではないが、かならずしも翻訳でないと思われる理由は、これにぴったりと適合するような外国語のないことであって、クリエーチュアという言葉はあるが、それは造物主としての神様と結びつけてでなくては考えられない。科学的用語としてはむしろ一般に膾炙(かいしや)されているオーガニズムという言葉が考えられるかも知れない。しかしオーガニズムという言葉はもちろん生物をも意味するものではあっても、それは先にものべたようにもっと広く生体とか有機体とかいう総括的な意味を有し、無機化学に対する有機化学がオーガニック・ケミストリーなのであるから、私の考えるところでは、動物とか植物とかいう言葉が翻訳としてではなくして、仮りに以前からこの国に存在していたとするならば、これらに対してこれらの両者を包含したものとしての生物という言葉は、たとえこれに匹敵する言葉が外国にあってもなくても、当然生れるべくして生れたものであったのだろうと思われる。そしてそういう意味を持ってつくられた生物という言葉であるならば、それがアミーバには適用されても、生物体を構成する個々の細胞には適用されないというわけは、おのずから明らかなのでなかろうか。  けれどもここに単なる理屈だけからだとちょっと困る問題があるのである。有機的に統合された全体が生物であるならば、その一部分としての細胞は生物の部分ではあり得てもそれがただちに生物ではあり得ない。しかし多細胞生物といえどももと一個の細胞から生成発展したものであり、生長したものである以上、これを逆にたどって行ったならば生物は結局一個の細胞にまで還元されねばならぬ。しからば生物的生命といえどもやはり一個の細胞的生命にまで還元されざるを得ないわけである。だから発生的に見た場合には、一つの細胞から生長したものが、生物的身体となるのと全く相即的に、一つの細胞的生命が生長して一つの生物的生命にまで発展するのであって、そのどこまでが細胞的であり、どこからが生物的であるといった、はっきりした区切りなどはもとよりないわけであるから、したがって理屈をいえば、このようにして生成発展する有機的統合体がすなわち生物なのである。受精したときの卵は一つの細胞ではあっても、それが発生初期の生物に他ならないといい得るのである。それを一般には種子から発芽したときとか、卵から孵化したときとか、あるいは胎生のものなら親の体内から生れ出たときとかをもって、生物の誕生と見なし、このときはじめて生物的生命が生物的身体に附与されるものででもあるかのように解釈するのは、全くこの問題に対する便宜的な解釈にほかならないのであって、生物的身体が偶発しないのと同様に、生物的生命もまたけっして偶発したりするものではないのである。  生命についてはあっさりこのぐらいにして切り上げておいた方が賢明であろう。それよりも私はこの一節のしめくくりとして、ではいったい何故構造機能の相即が生体ないしは生物存立の根本原則なのであろうか、あるいはこの原則の系として、何故生物は身体的即生命的な存在たるべきであろうか、という問題を考えておかなければならないのである。しかしこの問題に解答を与えることは私にしてはやや荷が勝ちすぎている。解答などといえばそれが合っているか間違っているかという心配も生じてくるから、こんな考え方でもよいであろうかという程度の試案として読んでいただきたい。さてわれわれの生きている世界というものは空間と時間との合一された世界である。実のところわれわれはそれ以外の世界というものを知らぬのである。ところで生物が形をもち、構造を有するということは、さきに述べてあるごとく、この世界におけるものの存在様式が空間的であるゆえに、ものとしての生物の存在もまた空間的なることを現わした、存在の一つの表現にほかならないと思う。いまかりにこの世界から時間を消去してしまったような世界を想像してみるとする。そしたらそこに現出する世界というものは恐らく単なる構造のみの世界であり、それは年をとらないとともにまた動くことのない世界であるだろう。そのような世界はしかしながら現実にわれわれの生きる世界ではないのである。われわれはまたこの世界から空間を消去してしまったような世界、時間だけの世界というものを考えることができるであろうか。時間を消去した世界ならまだしも想像することはできても、この恐らく構造のない時間だけの世界が私には想像もつかないというのは、われわれが世界を、やはりものの世界、形のある世界として認識するように習慣づけられて来たためであろう。もちろんそのような世界もまたわれわれが現にすむところの世界ではない。われわれにとって唯一なわれわれの世界とは、そこに万物が存在しかつ万物の変化し流転しつつあるこの空間的即時間的な世界である。生物は死んだ瞬間からその身体が解体をはじめるであろう。生物がもし生きたものとしてこの世界に存在しようとするならば、この解体に抗してその身体を維持し、その身体を維持するためにはその身体を絶えず建設して行かねばならぬ。そこに生物とはみずから作るものであり、生長するものであるといわれるとともに、それがまた生きているということにもなるのである。たとえ個体的生長のとまった生物にあっても、その身体では古くなった細胞がつねに新しい細胞でおきかえられている。去年の身体昨日の身体はそれゆえ今年の身体今日の身体とは同じでない。これを新陳代謝というが、この作られたものがつねに新しいものを作って行くところに生物がみずからをこの世界に持続して行く途があり、またこの作られたものがつねに新しいものを作って行くというところに、生物が構造的即機能的であるといってもそのとくに生物的な特質を見るように思われる。  生命ということについても同じように考えることができる。時間のない世界、単なる拡がりだけの世界は、年をとらない世界であり動かない世界であって、それならば死の世界とはいい得てもそれは生命の世界ではあり得ないのである。われわれがものの世界というときには、とかくこのような抽象された、形だけの世界あるいは構造だけの世界を考えるけれども、単なるものとして構造だけの生物であるとか、身体だけの生物というようなものが、この具体的なわれわれの世界には存在しないで、生物という以上はかならず構造的即機能的な存在であり、身体的即生命的な存在でなければならないゆえんは、すなわちこの世界が空間的即時間的な世界であるからである。あるいは逆にこの世界の生物が構造的即機能的であり、身体的即生命的であるゆえに、それはまたこの空間的即時間的な世界において、よく生物的存在たり得るのであり、かくのごときがゆえに生物はよくこの世界の構成要素たり得るのである。それを構造とか身体とかがまずあって後から機能や生命が生じたり与えられたりすると考えることは、空間がさきにあって後から時間が生ずると考えるようなものであり、生命と身体とを別々にみる考え方は、時間と空間とを別々なものと考えるのに等しいであろう。生物がこの世界に生れ、この世界とともに生成発展してきたものであるかぎり、それが空間的即時間的なこの世界の構成原理を反映して、構造的即機能的であり、身体的即生命的であるというのが、この世界における生物の唯一の存在様式でなければならぬと考える。  しかしながらこの世界を形づくっているものは何も生物だけではない。無生物だってやはり同じようにこの世界の構成要素である。しからばこの空間的即時間的な世界の構成原理を反映して構造的即機能的でなければならないという要請が、この世界の構成要素の中でとくに生物に限られねばならないという理由がはたして存するであろうか。無生物といえどもけっして不変の存在ではない。無生物といえどもこの世界においては万有流転の除外例とならないであろう。生物は死んだらもはや生物ではなくして無生物とも見られるが、その生物の身体が死ぬと同時に解体をはじめるということはいかに解釈されるべきであろうか。それは確かに生物としての構造の破壊であり、その機能の消滅を意味する。しかしそれによって生物が生物でなくなるということがただちに構造そのものの消失、機能そのものの消失ではない。解体が行なわれるというのはすなわち生物的構造が無生物的構造に変ることであり、生物的機能が無生物的機能に変ることである。生物として存在するときにはそれでよかったが、無生物ということになってしまうと無生物的存在として安定であるような構造なり機能なりが得られるところまで、解体が進み変化が生ずるものと考えられる。そして生物の生長という現象も、この構造自身が絶えず変化し更新して行くゆえに構造的即機能的であるといい得るものならば、解体の場合だってやはりその構造自身が絶えず変化して行くゆえに、それは構造的即機能的現象なのではなかろうか。  一般に無生物は動かない、変化しないと考えるのは、われわれのように絶えず動きまた変化するものの立場に立って、無生物を見ているからであり、つまり生物と無生物との相違に立脚したものの見方をしているからである。しかし無生物だって単なる構造的存在であり得ないということは、物理学の最近の進歩が、もっとも有力にこれを物語っているのではあるまいか。第一物質構造の単位である原子の構造などというものがけっして静的なものではないのである。われわれの太陽系だってけっして静止してはいない、太陽自身もぐるぐると自転しているのである。それらの運動を習慣上アクションとはいっても、生物の場合のようにファンクションとはいわないが、大は太陽系から小は原子にいたるまで、いやしくも構造の認められるものというものは、かならず単なる構造だけの存在ではなくて、そこにその構造に即した活動を伴っているということがそもそも何を意味しているだろうか。それはいうまでもなく、この世界が空間的即時間的な世界であるゆえに、単なる構造だけの存在といったような存在のあり方が成立し得ないからであろう。だから空間的即時間的であるということがこの世界の構成原理である以上、その存在が構造的即機能的でなければならないのは何も生物に限られたわけではなくて、構造に即した活動はこれすべて機能であるということにすれば、それはやはり無生物的存在だって要請されるべきであろう。そうすればこの構造機能の相即ということが、もはや単なる生物もしくは生体存立の原理にとどまることなくして、それがすなわちこの世界を形成するあらゆるものの存在原理であり、万物存立の原理であるということになって、この世界は空間的即時間的な世界であるとともにまた構造的即機能的な世界であるとさえいい得るのである。  生物とは構造的即機能的であるとともにまた身体的即生命的なるがゆえに生物的存在たり得るのであるといったが、その構造的即機能的ということはもはやこれを生物に限られた存在様式とは見なし難いことになった。しからば、身体的即生命的ということこそ生物を真に生物として性格づける存在様式であるだろうか。同じことをなんべんも繰り返すことになるが、生物的身体といい生物的生命というも、無から有が偶発したものではない。すでに一個の細胞として存在していたときでさえ、それは構造的即機能的であり身体的即生命的な生物的存在であったのである。そしてこの一個の細胞さえ実際はすでに存在していたところの細胞の分裂によって、あるいはその結合によってのみ生じたものであるからして、この作られたものから作るものへという過程をたどって行くならば生物の起原はどこまでさかのぼっても生物的であり、かくして生物は生物のみより生れるという法則の成立を見るに至ったのであろう。生物は死ぬことによってつねに無生物たり得ても、無生物はついにこの世界においては生物たり得ないものときめてしまって誰も不思議に思うものがなかったのである。しかしながら生物というものがはじめからこの世界に存在していたのでないことが確かであるならば、そして生物の現われる以前の世界が無生物の世界であったことを認めるならば、われわれにとって生物の起原は次の二つのうちのどちらか一つを選ぶより他に考えようはないのである。一つは無生物の世界に生物が偶発した、したがって生命もそのときに偶発したとするものであって、それは無が有に変換した、たった一度でよいが、この世界の歴史においてそのときには無が有に変換するようなことが起ったという考え方である。いま一つの考え方というのは無から有は生じない、無生物と生物というから無と有ということになるが、無生物だってこの世界の構成要素である以上構造的即機能的な存在である。その無生物的構造が生物的構造に変り、無生物的機能が生物的機能に変るということが無生物から生物への進化であった。これと同じように解釈するならば生命だって無から偶発したものではなくて、やはり無生物的生命が生物的生命へ進化したものだということになる。  しかるに無生物にも生命を認めるということになると、まるで無生物が無生物でなくなってしまうかのように思ったり、あるいはそういった考え方をもってただちに一種の汎神論ででもあるかのように思ったりする人が多いようであるが、私は無生物には無生物的生命を認めて少しも差支えないことと思っている。あえて進化の歴史をたどったりしなくとも、今日みるところの生物的生命でさえみなもとは細胞的生命から発展したものではないか。そしてそれが細胞的身体から生物的身体への生成発展に即したものであることを認めざるを得ないのではないか。一体われわれの身体の生長とはわれわれがわれわれの周囲からものを取り入れることによってはじめて成り立つところの現象である。このとり入れるものというのは確かに無生物であり、物質である。しかもこれをわれわれがわれわれに同化することによってわれわれの身体はつくられて行くのである。われわれはこの場合けっして無から有を生ぜしめているのではなくて、有を有に変えているだけであろう。しからばこの身体的生長という過程をはなれては考えられない生命的生長においても、生命というものが無から生じた有であると見るのでないならば、それはやはりその生長過程が身体的生長に即したものとして、無生物的生命をとり入れ、これを同化することによって絶えずその生物的生命を発展さして行くものであるというように考えてみるよりほかなかろうかと思われるのである。  すなわち相異に着眼するならば人間、動物、植物、無生物というごときものはそれぞれ異なったものであろう。しかしまたその共通点に着眼したならば、人間、動物、植物、無生物はすべてこれこの世界の構成要素であり、同じ存立原理によってこの世界に存在するものであるということができる。しからば生命といえどもこれをかならずしも生物に限定して考えねばならない根拠はないのであって、この世界に生命のないものはない、ものの存するところにはかならず生命があるというように考えることによって、この世界を空間的即時間的であり、構造的即機能的であるとともに、それはまた物質的即生命的な世界であるといったように解釈することもできるのであろう。ただわれわれが単にものといい、生命といっても、それははなはだ観念的であって、実際にはまた具体的にはどこまでもものに無生物、植物、動物、人間といった相異のあるごとく、生命といっても一様なものではなくてやはり無生物的生命、植物的生命、動物的生命ないしは人間的生命といった相異が認められることを忘れてはならないのである。そしてこのように世界を形成するところのいろいろなものが本質的に相似たものでありながら、どこまでも相異なっており、どこまでも相異なっておりながらもそれによって有無相通ずるというところに、それらのいろいろなものがもと一つのものから生成発展した、この世界の性格ともいうべきものが窺(うかが)われるのである。 三 環境について  前章で述べたことはいくらか内容がごたごたしていて、自分でも巧く書けなかったと思っているのであるが、それでもあれで大体私の考えは述べたつもりである。すなわちわれわれの住む世界が空間的即時間的な世界であるということは、その世界を成り立たせているいろいろなものが構造的即機能的な存在様式を現わすということである、あるいは身体的即生命的な存在様式をとるものであるといってもよい。この世界を成り立たせているものが生物と無生物とであるならば、原則的にはそれは生物にだって無生物にだってあてはまらねばならないのである。しかし生物が構造的即機能的であり、身体的即生命的であるためには、生物はたえずみずからをつくらねばならない、単に現状を維持するということさえもつくるということなくしては成り立たない。実際にはつくられた細胞がつねに新しい細胞をつくって行くことによって生物はその生命を持続しているのであり、そしてこの生物的過程が滞りなく行なわれるために、生物はつねに外界から原料を取り入れ、これを自己に同化するとともに、不用品はこれをすててしまわねばならない。取り入れられるものは物質であり、無生物であるにもかかわらず、それによって生物の身体がつくられて行くのと同様に、無生物的生命をとり入れそれに養われて生物的生命も生長し維持されると考えられないことはない。ただしかし念のためにこれだけのことはいっておいた方がよい。酸素の一原子は体内にあろうとなかろうと同じ酸素の一原子であり、水の一分子だってやはりそうであるだろう。生物体内に発見される複雑な有機化合物も今日ではおいおい人工的に合成されるようになったから、生物とは物質的にどういうものがどういうふうにしてつくり上げているものであるかが判明するときはかならず来るであろう。しかしそれだからだといって簡単な生物でも人工的に試験管内で合成し得る見込みが、今のところ果してどれほどあるだろうか。  私は生物存立の物質的基礎について少しも疑いをさしはさむものではない。あえて生物といわずともこの世界そのものがものの世界であり、物質の世界であると見ることは、世界の正しい一つの見方でなければならぬ。しかし生物という物質はもはや単なる化合物の集積ではなくて、物質のすこぶる複雑な有機的統合体である。そしてその複雑な有機的統合体のあらわす有機的統合作用が生命であり生命の現われであるといった。だから生物的生命というものもこの見解からすればいろいろな物質的生命が有機的に統合せられただけであって、個々の物質的生命に変化があったわけではなく、酸素の原子はどこにあっても酸素の原子としての生命を担っているといっていいわけであり、またこのような意味における生命とは実際には酸素原子の現わす活動以外の何ものでもなかろうから、ことさらに物質的生命などという間違いの起りやすいような言葉を使用するにも及ばぬであろうが、ただ酸素原子の現わす活動といっても、生物の体内にある酸素原子には全くの自由な活動が許されているわけではなく、生物体の現わす有機的統合作用に背反しないように、いわばある統制の下に活動し得るのみであるというところに、単なる物質的存在ないしは物質的生命と、その統合体としての生物ないしは統合作用としての生物的生命との間の相違を見逃がさないようにしたいのである。  つまりここにいうところの統合体とは一つの全体性を具備したものであって、この統合体を分析すればなるほど細胞となり、また原子や電子にまで追跡することが可能であっても、電子や原子や細胞の現わす現象がただちにこの統合体自身の現わす現象の説明とはならない、ということを忘れてはならないのである。たとえば鳥のように飛んだり、魚のように泳いだりすることのできない細胞を持って来て、鳥の飛び魚の泳ぐことを説明しようとしたって、それはできない注文である。このように考えてくると生物といい、生物的生命といっているものの輪郭がほぼはっきりしてきて、それの構成要素であるがしかしそれよりも次元の低い存在であるところの細胞とかあるいは物質とかいうものの世界と、その統合体としての生物の世界とはおのずから区別されていいものだということが了解されるであろう。物質を研究の対象にした物理学や化学は、早くから生物学とは独立に発達した学問であったが、今日生物学なる総称のもとに包括されてはいても、細胞を研究の対象にするような生物学は将来細胞学として、生物自身の研究と物質の研究との中間を占めて、そこに独自の領域を展開してもいいのじゃなかろうかという考えが浮んでくるのも、また認容されるべきであろうと思う。  生物はあくまでも生物であって、細胞にあらずまた単なる物質でもない。生物はそれらのものから成り立っているとはいってもそれが有機的に統合された一つの全体である。こういえばわかったようであるが、しかしそれらのものを一体何が全体に統合し、あるいは統制しているのだろうか。われわれはすぐわれわれのことを考えるから大脳とか精神作用とかいうものを連想するが、大脳や精神作用は植物をも生物として取扱う場合には、恐らく無効となってしまうだろう。だから植物なんかはやはり一種の自動機械であり、自動的統合機械だといって頑張るひとがあるかもしれないが、この点に至るとどうもものの考え方の相違であるから、こうでなければならぬということもできないであろうが、そもそも統合体といい全体という意味の中には、それがなかったならば統合体とも全体ともなり得ないで、部分がばらばらになってしまうような、一つの要素がなければならないと思う。それを統合性とか全体性とかいってもよいが、つまりそういう要素のあるところに全体というものが見出され、全体の見出されるところにはかならずまたそういうものが予想されねばならないと思うのである。ところでこの統合性というものをも少し深く考えてみるのに、部分が勝手気儘(きまま)をすることを統制し、支配するこの統合性というものには、部分を統制し支配するべきなにか一定の方針とでもいったようなものがなければならない。そういう方針があってこそ部分の勝手気儘が統制され、支配されることにも意味が生じてくる。さらにも一歩つきすすめていえば部分さえその方針を体得し、その方針によって統制され支配されることに安住するというのならば理想的であって、そうなれば一般に支配被支配という言葉の中にふくまれるような対立的な意味はなくなってしまうのである。  われわれはこのような全体の一つの典型を生物にみる。生物においてその構成単位としての細胞はもはや生物を離れては存在し得ない存在である。一方で細胞を離れて存在し得る生物がないということは、すなわち全体を予想せずしてその部分の存在を考えられないとともに、部分を予想せずしてその全体の存在を考えることができないということである。しかも生物とは部分がさきにあって合成された全体でもなければ、全体がさきにあって部分を分離したものでもない。もとは一つのものから生成発展し、作られたものが作るものとなるといっても細胞の分裂は結局全体を完成するための分化であった。だから生物という全体にも統合性を認め、統合性というものには一定の方針とかプリンシプルとかいったものが予想されるとしたならば、それはもう発生初期の細胞時代からずっと引きつづいた統合性が、あるいは方針があったものとしなければ、この生物の発生とか生長とかいうことは理解できなくなるのである。いやその最初の分裂前の受精卵さえ、偶然できたものではないのだから、生物におけるこの統合性ないしは方針というものは親から引きついだ遺伝的のものでなければならぬ。実に生物発生以来の遺産でなければならぬ。そしてそれは繁殖という現象を通して伝えられてきたのであるが、恐らく生物は繁殖によってこれからもこの遺産を子子孫孫にまで伝えるであろう。  有機的統合体という言葉は、有機体というところをちょっと修飾したぐらいのものであろう。だから生物は有機的統合体であるといってもその反対に有機的統合体はかならずしも生物にのみ限られたものではない。生体としての細胞もまた一つの有機的統合体でなければならぬ。その意味で細胞には細胞の方針とでもいうものがあるかもしれないが、細胞というものは全体としての生物の部分であり、全体としての生物の方針に従って統制されているものである以上、われわれがここでまず考えるべきは生物という有機的統合体における方針であるだろう。ではこの方針とは一体いかなるものであろうか。その答えはもう私が今までに述べてきた中にすっかり用意されていたはずであって、ただそれを要求に応じ少しずつ変えればよいのである。つまり生物というものが存立する上に必要な統制方針とは、当然この世界における生物存立の根本原則に背反してはならないものである、というよりもむしろこの生物存立の根本原則に背反しないために、そこに生物の存立上ある方針というものが必要になってきたのであるといった方が明瞭でなかろうか。  この空間的時間的な世界において、すべてのものにみずからを維持し、現状を持続しようとする傾向のあることは、それはいわばこの世界に備わった空間的性格のしからしめているところに違いない。しかるにこの世界に備わった時間的性格というものが、これに抗して万物を流転せしめようとする。この現実の世界が生者必滅となるゆえんである。生者必滅ではあっても未だこの世界から生物が影をひそめ、混沌とした星雲のような状態にこの世界がなったりしていないということは、この空間的時間的な世界というものがすなわち構造的機能的な世界であり、未だその構造を維持するための機能があり、その機能を維持するための構造があるからである。生物というものもやはりこの世界の構成要素であるからして構造的機能的であり、世界がどこまでも空間的時間的にこの世界でありつづけて行くのと同じように、生物もどこまでもこの構造的機能的な生物としての存在をこの世界につづけて行く。そしてそのために生物は作られたものが作るものとなって、みずからと相似たものをどこまでもこの世界につくり与える。細胞が細胞をつくって行くということは一個体の維持ということにほかならないし、個体が個体をつくって行くということは種族の維持ということにもなるが、それは細胞の立場においては細胞の維持であり、個体の立場においては個体の維持ということを成り立たせるための現象であると見なすことができるのである。要するにこのようにして細胞が細胞を再生し、個体が個体を再生して行くことによって、細胞といい個体というものもそれが世界の構成要素たり得るのであり、またそれによってこの世界が成り立ちこの世界が持続されて行くのである。この生物がみずからを維持せんがためにたえずみずからをつくって行く、作られたものがまた作るものとなって行くということを生きることというならば、この生きるということこそは生物という有機的統合体における指導方針でなければならぬ。いいかえるならば生物においては生きることそれ自体が目的となっていなければならぬ。生きることそれ自体が目的だというと、われわれとしては少し気のすまぬところもあろうが、とにかく一応はこうしておかねばならぬ。これを生命の持続といっても差支えないが、とにかくこの世界における生物は生きるということによってこの世界の生物たり得るのであって、それは大脳や精神作用を引っぱり出すより以前のもっと根底的な原理的なものなのである。  生きるということ自体が目的であり、生きるという方針に従って部分を統制支配して行く有機的統合体が生物であるとしても、大脳も精神作用も認められない植物や下等な動物で、どのようにしてこの統制や支配が行なわれているか、そこに統合性がなくてならないといってみても、その統合性とは具体的にどんな表現としてわれわれに認められるであろうか。生物が一定の形をもつということにわれわれはまず一つの統合性の具現を見る。統制といい支配ということは、一種の空間性を有している。統制の範囲とか支配の範囲とかいうものがあって、それがでたらめなようなところでは実際には統制も支配もあり得ないのである。生物が一定の形をもつということ、生物体が一つのそれ自身として完結した独立体系であるということは、それゆえ生物における統合性の現われであり、あるいは統合性というもののもつ空間性の現われであるといってもいいであろう。細胞もこの意味では細胞膜によって空間的に限定せられた一つの完結体系であり、細胞がそもそもこのような完結体系であるゆえに生物もまた完結体系をもつものであるかもしれない。しかし細胞のことはしばらくおき、生物がこのように一般的には完結した独立体系を現わすところの、いわゆる個体としての存在様式をとっているということは、ここではすこぶる重要な意味を持っているのであって、この独立性ということと、統合性ということとはもはや切りはなしては考えられないもののようにさえ思われるのである。だからわれわれが母体から生れ出て、独立体系としてのわれわれというものをはじめて主張したときをもって、われわれの誕生とすることにも、まんざら意味がないわけでもないであろう。  この生物という統合体が独立体系であるということの結果として、生物とその外界あるいはそこに生物を入れているものとしての環境というものが考えられる。けれども独立体系としての生物であっても、生物が生きて行くためにはその外界からあるいはその環境から生物はまず食物をとり入れねばならない、またはその中に生物はその配偶者を見出さねばならないということは、生物は環境をはなれては存在し得ない、その意味で生物とはそれ自身で存在し得る、あるいはそれ自身で完結された独立体系ではなくて、環境をも包括したところの一つの体系を考えることによって、はじめてそこに生物というものの具体的な存在のあり方が理解されるような存在であるということである。環境から取り出し環境を考慮の外においた生物はまだ具体的な生物ではないのである。そしてここでやはりも一度いっておかねばならないと思われることは、こうした外界あるいは環境というものがすでに存在していてそこに生物が発生してきたのではないということである。環境といえどもやはり生物とともにもと一つのものから生成発展してきたこの世界の一部分であり、その意味において生物と環境とはもともと同質のものでなければならぬ。それは船がさきにあったのでも船客がさきにあったのでもなくて、もと一つのものから船と船客とが生れてきたといったたとえに当てはめるとすれば、生物がさきでも環境がさきでもない。環境なくして生物の存在が考えられないとともにまた生物の存在を予想せずして環境というものだけを考えることもできないといったものが、すなわちわれわれの世界でなければならないのである。  こうはいってみたもののさて具体的に環境とは何を意味するだろうか。われわれとしてみれば、その中にわれわれをつつみ、自己に対する外界であるなどといえば、広くも狭くも考えられはするけれども、その外界のうちには月や星までも加えられていていいわけであろう。そしてこのように広く解釈するならば、われわれの認識し得る世界がわれわれの環境であり、われわれの環境とはすなわちわれわれの住むこの世界にほかならないといえるのである。けれども植物やアミーバにまで月や星がわれわれと同じように認識されているとはどうしても考えられないし、また植物やアミーバに、これがおれたちの環境であると意識された環境があるわけでもない。環境とはそこからその生物が食物をとり、またそこにその生物を殺すところの敵もいる処だと定義してみても、生物は元来食物をとらねば生きて行けないから食物をとり、また敵から逃れなければ生きて行かれないから敵を見れば逃げるのである。生きて行くためには食物をとったり敵から逃げたりしなければならないということは、この世界において生物というものは一刻も活動を停止するわけに行かない。生物の求めているものは実は活動などということではなくて、この世界に安住し、つねに平衡を保って静止していたいのかも知れぬ。食物をとらねばならないというのは何かこの平衡が得られていないから、それを得ようとする努力であるともいえる。しかし食物をとったらそれで果してよく平衡が得られたであろうかというに、今度はその食物が腹の中で消化されなければ平衡が得られないということになる。食物が消化され吸収されたらそれでほんとうの平衡が得られたかというに、もうその時にはまた食物をとらねば平衡が保てなくなっているというように、まるで時計の振子のごとく瞬間的にまた断続的に平衡は得られようとも、生物にとって絶対の平衡などは望みがたいところである。作られたものが作るものになるというのもやはりそうして行かねばこの世界に生物として存続できないからであり、だから生物が生きるということは生物が働くということにほかならないであろうし、生物とはいままでにもまたこれからさきにも生きんとして働く存在でなければならないということは、これを簡単にいってしまえばつまり生物とは生活するものであり、生活しなければならないものであるということになる。  生物に生命があると考えれば生命とは何ぞやという問いも生じてくるであろう。生物を一つの有機的統合体であると考えれば統合のよって起る方針として、生物とは生きることそれ自体を目的とした存在であるという解釈もできるであろう。しかしそういった客観的な解釈をはなれて生物の立場に立って考えるとすれば、生物には恐らく生命とは何ぞやという疑問も起らないだろうし、また生きるという目的を生物が意識するということもなさそうだ。生物にとっては恐らくその日その日の生活が円滑に進められて行くのがまず何よりも緊要であろう。生物は外から食物をとり入れなければならないといっても、自分に同化し得ないようなものまでやたらにとり入れていたのでは、生活は円滑に進められないだろうし、自分の仲間と自分の敵との見境いがつかないようではこれまたけっして生活の円滑な進行が望めないに相違ない。そう考えると生物にとって食物とは自己の体内に取り入れられたから食物なのではなくて、すでに環境に存在するうちから食物でなければならないし、敵はまたそれに危害を加えられ、殺されたからはじめて敵となるのではなくて、害され殺される前にすでに敵であることがわかっていなければならないのである。  だから生物と環境と一と口にいっても、生物としてはまずこういった生活に必要かくべからざるものの認識がすなわち環境の認識なのであろう。食物や敵を認めることもなしに、月や星を認めたところで、それは生物にとって無意義なことでしかない。しかしこの認識なるものをも一歩進めて考えてみるのに、食物は口から体内へとり入れたからといってただちに自分に同化されたわけではない、消化管の管内というものは考えようによっては外界がわれわれの身体にまで入り込んでいる部分であり、環境の延長であるとも考えられる。生物は完結体系だなどといってもその身体はこういう意味で、その身体の中にちゃんと環境を担いこんでいるのである。しかし体内にとり入れられた食物がただちに生物そのものではないにしても、それはすでに生物化の過程におかれている、その食物はすでに生物そのものの部分として取扱われ、その統合性のもとに統制され支配されているのだから、それを環境の延長と見ないで生物そのものの延長であると見なしても少しも差支えがない、というよりもそういう見方の方が実際にわれわれのしている見方であるように思われる。  しからば食物とは体内にとり入れられなくとも、生物がそれを食物として環境の中に発見したときにすでに食物なのであるからして、生物が食物を食物として認めたということはすでにそのものの生物化の第一歩であり、同化の端緒であるともいえよう。環境といえば漠然としているが、こうして生物が生物化した環境というものは、すなわちなんらかの意味において生物がみずからに同化した環境であり、したがってそれは生物の延長であるといい得るのである。私が第一章の中でわれわれがものを認識するということは、そのものに対するわれわれの表現であり、われわれの働きかけであるといった意味がここで生きてくるであろう。生物はまず生活するのに必要なものを認識すればよい。いや認識しなければならぬ。それ以外の必要でないものは認識しなくたっていいのである。認識されないということは何かといえば、認識するものにとってそのものが存在しないということと同じである。認識するということは単に認めるという以上に、すでにそのものをなんらかの意味において自己のものとし、または自己の延長として感ずることである。こういうように解釈して行くと外界とか環境とかいうものも少しは意味が変ってくるであろう。生活するものにとって主観と客観とか、あるいは自己と外界とかいった二元的な区別はもともとわれわれの考えるほどに重要性をもたないのではなかろうか。生物にとって生活に必要な範囲の外界はつねに認識され同化されており、それ以外の外界は存在しないのにも等しいということは、その認識され同化された範囲内がすなわちその生物の世界であり、その世界の中ではその生物がその世界の支配者であるということでなかろうか。外界とか環境とかいう言葉を用いるとよそよそしく聞こえるが、環境とはつまりその生物の世界であり、そこにその生物が生活する生活の場であるといってもいいであろう。  生活の場というからにはもちろん一種の空間的な拡がりを考えていいわけであるが、ただ生活の場という意味は単なる生活空間といったものを指すのではなくて、それはどこまでも生物そのものの継続であり、生物的な延長をその内容としていなければならないのである。われわれはいままで環境から切り離された生物を、標本箱に並んだような生物を生物と考えるくせがついていたから、環境といい生活の場といってもそれはいつでも生物から切り離せるものであり、そこで生物の生活する一種の舞台のようにも考えやすいが、生物とその生活の場としての環境とを一つにしたようなものが、それがほんとうの具体的な生物なのであり、またそれが生物というものの成立している体系なのである。そういう点からいえば、私はライフフィールドをここに生活の場と訳しているが、あるいはこれを生命の場と訳した方が、その意味を伝えるのにより適切であるかもしれない。英語ではライフという言葉一つであるが、日本語でいう場合には生命と生活といえば可成りな相違を感ずるからである。そして私がさきに生物とは身体的即生命的なものであるといったことを、ここでも少し補足しておきたいと思う。  つまり生物を身体的即生命的なものといっても、それを環境から切り離された生物という体系に限定して考えることも一つの考え方であるし、また環境をも含めた環境—生物という体系を考えることも一つの考え方なのである。身体的ということは一面物質的ということであり、環境と生物といってもこれを物質的に見た場合には、一種の連続があることは食物を例にとってさきに述べたとおりである。だから食物というものを率直にわれわれの身体の延長であると見なす勇気があるならば、その食物にはまたわれわれの生命の延長が感ぜられると考えたってけっして矛盾したものではないであろう。実際われわれの身体にだっていろいろな部分があって、毛髪や爪のようなわれわれの身体の延長にすぎないといった感じによくあったものもあれば、また入れ歯や眼鏡のように、元来は一種の道具にすぎないはずであるにもかかわらず、もはやわれわれの身体の一部分として、まるでわれわれの神経が通っているかのように感ぜられるものもある。道具というのはもとわれわれがわれわれの身体を補足するものとしてつくったのであろうから、道具をわれわれの身体的延長と考える方が食物をそう考えるよりももっと自然的であるかも知れない。こういったからといって何もわれわれの身体とわれわれの道具とを同じものと考えるわけではもとよりない。しかしながらわれわれの身体とか生命とかいってみても、それだけがこの世界から切り離された完結体系としては成り立たないものである以上、これを個体的に限定しなければならぬ理由もないのであって、身体も生命ももちろんその中心としてそこに個体的なわれわれを必要とするものではあるが、それを中心としてそれから周囲に拡がったものである、そういう場(フイールド)的なものである、したがって具体的にはその限界が明瞭なものではあり得ないだろうと考えた方が、何だか私にはよりよい解釈のように思われる。とくに生命観というものに対して、いままでのような抽象論ではあきたらなく思い、どこまでも生命の物質的基礎をつかんだ上での身体即生命的な生命観を求めようとする立場においては、個体内に束縛された生命を解放して、これを世界に拡がるものと見なし、それゆえにこの世界がすなわちわれわれの世界たり得るという結論に持って行くより、いまの私にはよりよい考えが浮ばぬのである。  生物の認識し得る環境のみがその生物にとっての環境であり、それがまたその生物にとっての世界の内容ででもある。そしてその世界においてその生物はその世界の支配者であるといった。だから生物とはその個体的な部分を統制支配しているだけではなくて、その統合性は個体を越えてかれの環境にまで及んでいるものと解釈されねばならぬのである。そしてこのように考えてくると、この世界は一つであっても、そこにいろいろな生物が存在しているということは、それらのいろいろな生物によってそれぞれにその住んでいる世界の異なることを意味し、住んでいる世界の異なるということはすなわちその住まう環境が異なるということであり、環境が異なるということはいいかえたならば、それらのいろいろの生物によってそれぞれにその環境の認識され方が異なっているということにほかならないであろう。それでは環境とはどのようにして認識されているものであろうか。われわれのように発達した神経中枢も感覚器官も持ち合わせていないような下等な動物や植物にあっては、いったい何によって環境が認識されているのであろうか。  ここは大変重要なところであって、もしも私がここを巧く説明し切れないと、折角いままで記してきた私の論旨というものも、もひと息というところで瓦解してしまうことになるであろう。もっとも私はわからないことをわかったように書くつもりはないが、この重要なところが実は今日の生物学ではまだはっきりさせてないのである。いろいろな生物を調べてみると神経中枢や感覚器官の発達にもいろいろな段階があって、それはもちろんわれわれ人間において最高の段階にまで達しているのであるが、こういう段階が認められるということは、進化論的にみればすなわち進化の過程において、生物はみずからの環境を拡大するような方向に進んだ、あるいはみずからの働きかけみずからの生活する世界を拡げるように進んだ、ともいえるのであろう。環境の拡大とは要するに認識する世界の拡大であり、認識の拡大とは生物における統合性の強化とか集中化とかを意味する。だからわれわれのような精神現象とか意識作用とかいうものは、われわれのような世界に生活するものにとってはじめて必要とされるような統合性の要請するところではあっても、下等な動物や植物の場合にはおよそ無意味なものだということになるであろう。しかしそれだからといってそれらの生物がそれらの生物の世界を、それらの生物らしく認めていないということにはけっしてならないのである。むしろそれらの生物さえそれぞれの世界を認めるということにおいてはけっして例外じゃないというのでなければ、ほんとうの進化論的な解釈は成立しないのでないかを私は疑うのである。  私はわれわれにくらべてごく世界の狭い、下等な動物にあっても、たとえば食物と食物でないものとの区別ぐらいはついていなければならないと考えるものであるが、しからばこの区別とは動物が判断したり選択したりするものであろうか。私は第一章で認識を論じた場合に、認識の本質とは類縁を知ることだといった。すると食物などというものは元来類縁的には縁の遠そうなものでなければならないのに、動物が自分の食物をただちに認め、あるいは認め誤ることがないというのには何とか説明がいりそうに思われる。しかし食物がさきにあったのでも生物がさきにあったのでもなくて、食物と生物とはもともとはじめから切りはなせない存在であり、それほど生物にとって食物が身近き存在であったということは、食物というものが実は生物体の延長であり、生物を養う源であったからである。だから類縁ということをいうならば、食物と生物とではたとえ生物学的分類学的な類縁は問題にならなくとも、食物は生物にとってもっと直接的な身体的類縁であり、自分の身体の延長であるゆえに食物を認めるということはすなわち自分を認めていることになるのである。しかし食物であるからといって、それを生物はいつでも食物として認めているものかということになると、また一考を要するのである。多分下等な動物などでは腹の空いたとき、食物の必要なときにはそれが食物として認められようが、必要のないときにはそれは食物でもなんでもなくて、そんなときにはまた別に必要なものが認められ求められているのであろう。食物と配偶者とを前に並べたところで、動物はその選択に困るようなことは恐らくあるまい。配偶者の必要なときには食物は食物としてもはや認められてはいなかろうからである。ところでおかしなことに、われわれ人間のしていることでも、生物の場合のように直截簡明でないというだけで、やはり同じ方針に従っているように見える。  すなわち認めるか認めないかということはその生物の要求に従ってそのときどきに一定していない、そしてその要求とはつまり生物における統合性が一定の指導方針に従って、そのときどきに求める処置を意味するとすれば、生物が痛いところをなめたり、かゆいところをかいたりするのと、食物をとったり、敵をさけたりすることとは本質的には何も区別されるべき性質のものではないかも知れぬ。しかしかゆいところをかくのも食物をとるのも敵をさけるのも、生物にとってみれば一々生きるためにしていることだとは意識されていないのであって、それは多分かゆいからかき、食いたくなったから食っているに過ぎないであろう。だから本能といい、あるいは本能の合目的性などといわれる。本能という言葉の中には明らかに意識的でない、または自覚的でないという意味が含まれていると思われるから、極端にいえばわれわれのようにかゆいと感じたり、食いたいと欲したりすることさえ否定されねばならないのでなかろうか。今までの説明法というものは、生物の行動を何でも本能といってしまえばそれで充分説明がついたように思っていたのであるが、本能などということをやたらに振りまわすのは、つまり生物を生物として解釈できないという窮状の曝露であり、それならば生物を自動機械と見なすこととそう大した相違はないのである。  そこで本能と呼ばれる行動をも少し考えてみる必要がある。自覚的でないとか無意識とかいうことなら、われわれのやっていることの中にだって少なくはないであろう。眠っていても蚤がくってかゆければわれわれはかいているであろう。起きているときでも内臓器官の運動などというものは一々意識されてはいないのである。これをもとは一々意識されていたものだが、だんだん複雑な世界にわれわれが住むようになってきたため、いわば意識の経済として、一々意識しなくてもいいようなものはしないですませるようになった、というのも一つの解釈であろう。しかしその反対にもともとはわれわれのいうような意識なんかないものであった。しかしおいおい意識というようなものも必要に応じて発達して来たので、あまり必要でないと思われる部分はそのままで取り残されているというようにも考えられる。一つ一つの細胞現象や消化器官の活動などは、だからわれわれに遺伝された植物的な現象、植物的な性質ということもできる。  それにしても下等な動物や植物の無意識的に行なう行動の一つ一つが、ちゃんと目的に適っているばかりでなく、それらがばらばらとなり互いに矛盾するようなこともなくして終始一貫一つの方針に従っているということの裏面には、本能という説明では説明しつくされていない何ものかが潜んでいるように思われる。それをすなわち生物に具わった統合性の発現であるといえば、少なくとも本能といっているのよりも進んだ説明に相違なかろうが、しかしこの統合性というものが今度は本能に代って、われわれの理解の前に立ちふさがる障壁をつくってしまうのである。だからこの統合性というものを突き破っても一歩奥へ踏み込まなくては、どうしても本質論が完成せぬように思われるのである。  生物はその統合性によって自己および自己をとりまく環境ないしは世界を統制し支配している。環境といい世界というものも要するに自己の延長であるとすれば、生物の統合性とはすなわち自己の統制であり支配である。われわれのように神経中枢の発達したものであれば、そこにわれわれの意識の中心というものがあって、それがまたわれわれの行動とか生命とかの中心を代表するものでもあろうから、われわれの場合ならばこの統合性ということがただちに自主性ということであり、あるいは主体性ということであるといってももちろん差支えのあろうはずはないのである。しかしわれわれのような中枢や感覚器官の発達していない生物でさえ、食物をとるべきときにとり、敵からさけるべきときにさけているということは、そしてそこに矛盾を来していないということは、それらの生物においてもその統合性というものは結局主体性であり、自主性であるということにならないであろうか。ただそれらの生物が食物を認める、敵を認めるといっても、それがわれわれのような意識的な認め方でなくて、もっと原始的な認め方である。くわしいことがわからないから化学的な刺戟に対する反応を呈したなどという物質的な説明法が与えられたりするけれども、それもやはり認め方の一つなのであって、主体的に反応すれば主体的に認めているということにほかならないのであろう。  それでこのような認めることがすなわち働くことであり、働くことがすなわち認めることであるような、生物の原始的行動においても、それらがみな生物の統合性に従った行動であるという以上は、認めたということも働いたということもやはり全体として、個体として、ないしは自己として、なんらかの方法によって感ぜられているのでなかったら、単に腹のすいたという不平衡状態から腹のふくれたという平衡状態までに至る間の複雑なひと連りの摂食行動を説明できまいと思う。そしてそこにわれわれのような意識はなくとも一種の潜在する意識、あるいは意識以前の意識といった方がより適切と思われるような原始的意識を想像するということが許されてならないだろうか。われわれの意識の中心がわれわれの生命や行動の中心を代表するのと同じように、これらの生物にあってはこの意識以前の意識、原始的意識の中心が、やはりそれらの生物の生命や行動を中心づけていると想像されはしないであろうか。もしもこのような想像が許されるとすれば、下等な生物を無意識的生活者と見なしてしまうことによって起きてくるいろいろな説明の困難さからわれわれは救われて、生物の高等と下等とを問わず、およそ生物が、生活しなければならぬ、働かねばならぬ存在であるということは、生物がこの世界において主体的であらねばならぬということであり、認めるということもまた働くことにほかならない以上、認めるということもやはりなんらかの方法をもって生物はこれを主体的に認めているのである。そしてこの主体性こそは生物が生物としてこの世界に現われたはじめから生物に具わった性格であって、この主体性の陰にやがてこの中からわれわれにみるような意識とか精神とかいうものの発達するべき源も潜んでいた。すべて分化したものの立場から分化する以前の状態を見るときの注意がここでもなされるべきである。生物はすべて生成発展したものである。分裂前の卵細胞といえどもそれが主体的存在であったからこそ主体的存在としてのわれわれが発展し得たのである。細胞に細胞的生命を認め、植物に植物的生命の認められるものならば、細胞に細胞的精神を認め、植物に植物的精神を認めることさえそれほど突拍子もないことではなかりそうである。ただどこまでも細胞は細胞であり、植物は植物であって、それがわれわれと異なるごとく、精神といい意識といってもそれらがそれぞれに異なることを念頭においての話である。  私の叙述が廻りまわっているうちに、私はとうとう精神というようなことを持ち出してしまったが、これで首尾よく私の獲物を罠に追い込むことができたのであったら、はじめからも少し書き方もあったろうと思われるのである。絶えず働かねばならぬ生物の生活とは、環境の同化であり世界の支配であり、それは結局生物に具わった主体性の発展ということにほかならないということは、私のはじめからいいたかったところなのであった。そしてこの主体性を認めないで生物の生活を本能と解釈したり、あるいはも一歩進めて統合性をもって解釈したりしてみても、どうしても満足できなかったところから、この主体性を持ち出してくるために、一応精神というようなものも引き合いに出されたが、精神とはもともと統合性の一つの現われであり、統合性とは独立性とともに全体のもつ一つの性格である。しからば主体性といい自主性というも、やはりこれは全体のもつ一つの性格なのでなかろうか。生物は全体的なものゆえにまた主体的なものであり、その結果として精神のようなものもまた生物に認められるに至ったのであるというように、次の機会には書き直してみてもよいと思う。 四 社会について  生物と環境との関係は、まだまだいろいろなことをいわねば充分にいいつくされないのであるが、結局環境というものを持ってくることによって、生物のもつ独立性とか主体性とかいうことが、一応はっきりしてきたと思う。環境とはそこで生物が生活する世界であり、生活の場である。しかしそれは単に生活空間といったような物理的な意味のものでなくて、生物の立場からいえばそれは生物自身が支配している生物自身の延長である。もちろんこういったからといって環境は生物が自由につくり自由に変え得るものではないのである。環境をどこまでも生物の自由にならない、その意味において生物自身に対立するものと見るならば、その環境はわれわれの身体の中にまで入り込んで来ているばかりでなくて、実はわれわれの身体さえ自由につくり自由に変えることができないという点では、これを環境の延長と見なすこともできるであろう。生物の中に環境的性質が存在し、環境の中に生物的性質が存在するということは、生物と環境とが別々の存在でなくて、もとは一つのものから分化発展した、一つの体系に属していることを意味する。その体系というものは、広い意味ではこのわれわれの世界全体が一つの体系ということにもなるが、一匹一匹の生物がそれぞれの世界の中心をなしているという意味からいえば、その生物とその生物の環境とでやはり一つの体系をつくっているといえるのである。  そしてこの生物と環境との交互作用によって成り立った体系において、環境は一応物質または物質を代表するものというように考えられてよいであろう。だからわれわれの身体までが、その意味において環境の延長と見なし得られるわけである。これに対して生物の方は、生命または精神を現わす側にあるものであり、環境を生物の延長とみることはすなわち環境の生命化であり精神化でなければならぬ。それにもかかわらずいままで生物と環境というような問題を取扱う場合には、研究者はいつも生物の立場をとらないで環境の立場をとり、環境の物質的性質を介して生物なるものを解釈しようという態度をとる場合が多かったのである。もちろんこういう態度をとることが、生物学の研究方法として間違っているというのではない。生物の立場をとるということは、どんな生物にだって同じ程度にその適用が許されているのではないからして、われわれの類推がきかないような下等な動物や植物の生活を、環境の物質的性質でもってはかり、これによってそれらの生物を知ろうというのは、確かに客観的科学的な態度として認められるであろう。けれどもこのようにしていわば環境によって翻訳され、環境によって定義された生物が、はたして具体的な生物のそのままな姿を現わしているといえるだろうか。環境は確かに生物がこれを自由につくったり変えたりはできないものである。しかしそうかといって生物はけっして環境に支配され、環境の規定するままに一切の自由を失ったものとはいえないのである。むしろ生物の立場にたっていえば、絶えず環境に働きかけ、環境をみずからの支配下におこうとして努力しているものが生物なのである。環境のままにおし流されて行くものなら、われわれは何もそこに自律性や主体性を認める必要はないのである。それならば単なる機械にすぎない。  ここにだから環境の側に立って生物を解釈する際に、われわれが注意しなければならない点が潜んでいるのである。すなわちそれが方法論として間違ったものではなくとも、それから導き出された結果として、環境が生物のすべての行動を決定するもののごとく解したならば、この解釈は明らかに間違いであるといわねばならない。もっとも生物によって環境に対する働きかけあるいは環境に対する主体性とか独立性とかいうものの相異がなければならないが、生物というものを認める以上環境決定論を承服できないというのは、あえて生物における進化の上下を問わずとも、当然生物そのものの本質的性格から要請されていいことなのであると思う。  研究者が環境の側に立ち、環境によって生物を定義しようとする傾向は、勢い環境といっても、その中でそれを数量的に表現できるような、いわゆる無機的環境要因にのみその重点のおかれる結果を招いたのではないかと解される。もちろんこの方面の研究にしても、たとえば温度や湿度の表現に、地上一メートルの高さにおかれた百葉箱内の寒暖計や湿度計の読みをもってしていたのでは、実際に植物なりあるいは昆虫なりの感知している環境を現わすことにはならないだろうということになって、今日のように直接にその植物に、あるいは昆虫に触れているところの空気の温度なり湿度なりを測定するようになった。それがすなわち微細気候とか植物気候とかいわれているもので、それは明らかに環境なるものの解釈がより徹底してきたことに伴った研究上の進歩であるだろう。だから植物気候といっても喬木と灌木と地表の蘚苔とでは、その環境を指示する気候がそれぞれに異なっているであろうし、また植物気候がある以上は動物気候だってあるわけである。それもまたその動物の生活様式の相異に従って、それぞれに異なったものでなければならないであろう。  しかしこういった無機的環境要因がはたしてどの程度にまで生物に感知されているであろうか。温度や湿度の変化がただちに生物に反映して、生物自身の活動の変化となって現われてくることは、われわれの常識であり、生物自身がその活動を変えるということがすなわちその生物の環境の変化を感知した証拠である。それは働くことがすなわち認めることであり、認めることがすなわち働くことであるという、生物の環境に対する根本的関係からそういえるのである。しかしながらここでちょっと考えてみたい。われわれは暑いから汗が出るのだと思っているが、暑いと感ずることがかならずしも汗の出ることに対する直接の原因ではないであろう。暑いときには汗がひとりでに出るのだといえば、何だか説明になっていないようにも思えるけれども、外界の温度の上昇に対してわれわれの体温を一定に保たんがために汗は生理的に出てくるのである。われわれが外界の温度や湿度を意識して、意識的に汗を出さなくとも出てくるからひとりでに出るのだといったが、われわれの身体が生理的に外界の温度や湿度を感知し得るようになっているからこそ、汗が出、われわれの体温は保たれて行くのである。すなわちわれわれが汗を出すということは環境に対するわれわれの働きかけであり、それは同時に汗を出すべき環境をわれわれが認めることではあっても、その場合かならずしもわれわれの意識作用がこれに伴っているというわけではない。認めるということと意識作用とを結びつけてでなければものごとの考えられないような狭いものの考え方をする人には、こんなことをいえば矛盾にしか思えないことではあっても、汗はこのようにして現に出てくるのだから仕方がない。汗が出なかったらわれわれは死んでしまうのである。  植物が葉の気孔から水分を蒸散させるのは、汗の出るのと同じ意味合いのものではないだろうが、外界の状態に応じて気孔を開いたり閉じたりするということはやはり外界の状態を植物が感知している、あるいは認めているからだと私はいいたいのである。そしてそれが大脳の発達とかそれに伴う意識作用とかに結びついていなくてもかまわないということをいいたいために、われわれだって体温の調節は意識作用じゃないということをここに持ち出してきたのである。だからそれはわれわれにおける植物的性質であるともいえるのである。胃の中に食物が入ったら消化液がひとりでに出るということもやはりこのような植物的性質の一つの現われであろう。植物でもムシトリスミレやモウセンゴケは昆虫をとらえれば消化液を出してこれを消化しているのである。  つまりここにいうわれわれの植物的性質なるものは、ちょっと妙ないい方をするけれども、眼があっても一向眼では見えない空気のようなものであるとか、あるいは内臓のはたらきであるとかいったものに関連している。実際また植物のような固着的な生活を営むものにあっては眼などいらぬものであるに違いない。植物には眼がないゆえに、われわれのように眼によって、隣りに生えた木が自分と同種類のものかどうかを見別けることはないであろう。しかし植物だって同種類のものと異種類のものとは見別けているのである。それは植物にあってもその受粉作用が原則としては同種類間にのみ行なわれているということから考えられるのであって、花粉には眼がないけれども、花粉は同種類の花の柱頭に達したことをなんらかの方法によって感知するのでなければ、このような受粉作用したがって繁殖の機構は達成されないであろう。動物だって受精作用はやはりこのようなものでなければならぬ。精子にも卵にももちろん眼などはないのである。それを卵から出す刺戟物質、いわゆるホルモンのようなものに誘引せられて精子が卵の方へ行動すると説明されているが、結果的に見ればそれは精子が卵の存在を認めたことにほかならない。しかもこのような生物存続の基本的行動としての受精作用ということが、われわれの意識作用の外にあるなどということは、まさに現代における一種の人間的悲劇でなければならない。しかし私はここでは単に、精子のようなわれわれの身体の延長であり、われわれの生命の担荷体であるところのものさえ、われわれの意志の力によってその行動を左右し得ないということに注意を喚起すればよいのであって、ここにもわれわれのもって生れた植物的性質というものが牢乎(ろうこ)として頑張っていることを知るのである。  こういう植物的性質というものは結局生理学の取扱う領域に属しているのであるが、それは生理学という学問が物性によって、くわしくいえば物理学的化学的な性質によって現象を解明しようという立場にあるからであって、つまり現象を環境の側もしくは物質の側にたって研究するより他には合理的な研究方法がないから、そういうことになってしまうのである。だから環境といえばただちに無機的環境要因だけのように考えられやすいということは、現象をなるだけ簡単化し、動物を植物化し植物をさらに物質化して考えようとする、一種の分析主義の現われであり、方法論としてはそれでもよいであろうが、それでは動物の動物的性質や植物の植物的性質が充分説明できていないということになるのは、あたかも細胞をもって個体を説明し、原子や電子をもって細胞を説明しつくされないのと同じ理由によるのである。つまりさきにあげた例にしても、発汗作用が生理的現象で無意識に行なわれるといったところで、そこに汗を出しているところの個体の存在を予想するのでなかったならば、もはや発汗の意義は絶対にわからなくなってしまう。それがさらに精子の行動ということになると、その行動が物理化学的に解明されたといっても、そこにはその行動の前提として卵の存在が考えられなければならないのであり、そうすれば精子や卵の行動が意識的か無意識的かなどということの前に、それらの精子なり卵なりを出した個体の存在が予想されねばならぬ。というのはたとえばウニのように精子なり卵なりを海水中に放出する動物であっても、卵が精子を誘引するのに適当な距離に、雌雄二匹の動物がいるのでなかったならば、精子を出すことにも卵を出すことにもおよそ意義がなくなってしまうからである。そしてこのことは植物だって有性生殖を営む以上、自花受精をせぬ限りはやはり同じことがいえるはずであろう。  生殖とか繁殖とかいうことを持ち出せば、ひとはすぐに種族保存または種族維持ということを思うようであるが、さきにもいったとおりそれは個体的に見るならばどこまでも個体維持である。自分は死んでも自分と同じような個体をこの世界につくり残しておくことによって、この世界においてその個体の占める位置が維持されるということがすなわちこの世界の維持されることにほかならないのである。しかし私はもちろん繁殖という現象のもつ種族維持的な意義を無視するわけではない。むしろ繁殖という現象にはこのように種族維持的と個体維持的という二た通りの意義が含まれていながら、しかもその間になんらの矛盾も認められないという点が重要なのであって、このことは通常繁殖を種族維持的と考えるのに対して、個体維持的であると考えられる営養にも、やはり適用されるのである。営養ということが個体維持的であるというのは、結局それが個体を成り立たせている部分としての細胞を維持するからであり、したがって営養が元来細胞的、生理的な、無意識的、植物的現象であることの根拠もここに見出されていいわけである。もちろん繁殖にしてももとをただせばやはり生理的植物的現象に帰着するであろう。植物だってやはり繁殖を営むのだから。しかし繁殖と営養との区別を求めるとするならば、今までのように種族と個体というような次元のちがった立場の比較をする前に、一応両者を同次元において考察し、その比較の結果がすなわち次元の相違であるということにしなければならないと思う。それでこの両者を同次元に揃えるために個体維持的という立場をとってみよう。すると営養の方は他の個体の存在を予想しなくても食物さえあれば達成せられるべきものであるのに、繁殖の目的が遂げられるためには、まず原則として他の個体の存在が予想されねばならぬ。予想されねばならぬではなくて実際他の個体というものが存在しているのである。  このことは前に述べておいたように、この世界を形成しているいろいろなものが、異なるという点から見ればそれらはどこまでも異なったものであるにもかかわらず、また似ているという点から見ればこの世界にどこにも似たもののないような孤立的なものは存在しないといったことに関係してくる。では一体どうして相似たものがこの世界に存在するのだろうか。人間の子供に猿が生れたり、アミーバが生れたりしないのはもとよりだが、人間の子供が単に人間であるという以外に、その子供が親に似ていることをひとは遺伝という。しかし何故遺伝という現象が認められるのであるか。親の個体維持本能からいえば、その子供が親によく似ているほどその目的が達成されたものと考えてもいいであろう。そしてそれがひいてはこの世界の現状維持に寄与しているのだともいえるであろう。似たもののできてくる原因を生物学的に説明するとすればそれは遺伝というよりほかないかも知れぬ。けれどもこの世界に似たものが存在する、この世界を形成しているものはどれをとってみても、似たものが存在するということになると、これはもはや単に生物学の範囲だけでその意義を解釈しつくせない世界的現象ということになりはしないかと思う。そしてそうなるとまたその解釈は私の力の及ぶ範囲ではなくなるのだが、いまの私はただ漠然と、このように相似たものが存在するというところに、なにか世界構造の原理といったようなものが含まれているのではないかと考えるのである。  この世界が流転し、混沌化しないで、そこに構造があるということは、つまりこの世界を形成しているいろいろなものの間に一種の平衡が保たれているということを意味するのでなかろうか。生物の身体が示す構造もそういえばやはり一種の平衡現象でなければならぬ。しかし平衡といってもいろいろあるであろう。これを力の釣合いというように解するとすれば、第一にこの釣合う力というのが同じ種類の力であることを必要とする。第二に力が釣合うことによって生じた平衡というものを、ただちに静止とは考えたくないのである。それは均衡のとれた働き合い、すなわち交互作用の一つの状態と考えたいのである。すると構造というものは同じ力をもったものがお互いに働き合うことによって生ずる関係である。関係である以上単独では意味をなさないということになって、相似たものの存在するゆえんが構造と結びつき、また関係といい構造という以上、次にはこれらの相似たものの相対的な位置がおのずから問題になってくるであろう。  それでこのような前提をしておいて、これに生物の場合をあてはめるとすれば、まず力というのがなにを意味するかを考えなくてはならない。しかしこれは意味を多少曖昧にする嫌いがあっても、恐らく生活力とかあるいは生活内容の表現とかいうことをもってくるより他なかろうと思う。しかるときには同じ生活力あるいは同じ生活内容をもった生物というのが、大体生物学上でいう同種の個体ということになるであろう。では同種の個体はお互いの働き合いによって、なんらかわれわれが構造と呼ぶにふさわしいような現象をわれわれに示しているであろうか。  同種の個体間の働き合いといえばひとはすぐに繁殖現象を思う。確かに受粉作用を達成せしめるためには二本の植物は花粉の運ばれ得る範囲内に存在していなければならないし、雌雄二匹の動物は相会し得る距離内に棲んでいなければならない。だから生物に見られる社会現象の起原を繁殖もしくは雌雄の関係に求めるというのが、今までの慣例であり、それがまたもっとも一般的、自然的なものの考え方であるのかも知れぬが、一匹の雄にとっては雌に会する機会と同じだけの機会が、また雄に対しても存在するのでなかろうか。それはなにもここで自然界における雌雄の比が、多くの生物にあってはほぼ同数であるということを強調するためではなくて、むしろそのような機会をもつということには、雌雄関係ではない何か他の理由があるのでなかろうかということを考えたいためである。  そのために私はも一度環境を引き合いに出してこようと思う。環境とはそこで生物がその生活内容を表現する生活の場である。環境とは生物の延長であり、生物が主体化し、生物が支配するところのものであるといった。だから二匹の生物がその生活力において釣り合うということは、これを環境というものを介して考えるならば、その二匹の生物がお互いの環境に対してお互いに侵入しないような状態におかれているものと見なすことができるのであり、そこに環境を主体の延長と見た場合の生物個体の独立性というものも認められるのである。もちろんそれが人間と蟻との場合であったならば、人間の足が蟻の環境に侵入し靴の裏で蟻を踏み殺してしまうようなことはあっても、生活内容を同じゅうする同種の二個体は原則としては同一環境を共有するわけに行かぬであろう。自己の生活を脅かすような場合、たとえば一つの食物を争わねばならなくなった場合を考えるならば、雄と雌との区別などはつけていられないものであるに相違ない。  このように同種の個体同士はその生活内容を同じゅうするから原則として相容れないものであるにかかわらず、何故同種の個体というものがばらばらに存在しないで、ある距離内に見出されるのであるか。合目的という点からいえばそれによって繁殖を達成せしめていることにはなるが、それではまだこの現象のすべてを説明したことにはならない。およそこの世界で相似たもの同士がお互いに孤独に存在しないで、ある距離内に見出されるということには、それらの相似たものが全然無関係に、別々につくり出されたのではなくて、もとは一つのものから生成発展したという、この世界の性格の反映が感ぜられるのであり、したがって両者の間の距離というものがやがては両者の関係の親疎すなわちその類縁の遠近を現わすものでなければならないというように考えられるのである。だから同種の個体がある距離内に見出されるということは、一つにはそれらのものの血縁的関係がしからしめているのでなければならないのである。けれども実際はこの血縁的関係がそれらのものの生活内容を同じからしめているのだから、その結果として原則的には相容れないもの同士を、ある距離内に存在せしめているということには、なにか血縁的関係以外の要素があるのであろう。そしてそれはやはりそれらのものが生活内容を同じゅうしているということから導き出されてくるのだと思われる。  生活内容を同じゅうするということは、環境的にみれば同じ環境を要求しているということである。それでもし同一の環境条件が連続している場合を考えたならば、一つの環境を共有するということが許されないとしても、同じ生活内容を持つものが相集まってきて、その連続した環境を棲み分けるということには、当然予想されていいことなのであるまいか。それは同じ生活内容をもった生物が環境に対して働きかけた主体的行動の当然の帰結であると見なされはしないであろうか。ここに同種の個体間を関係づける他の一要素としての地縁的関係が生ずるものと考えられる。  このように同種の個体が血縁的地縁的関係によって結ばれているということが、具体的には同種の個体が同じ形態を具え、同じ機能をもって、同じ場所に同じような生活を営んでいるということにほかならない。生物において形態が違うということは、一般には分類学的な意味で種が違うということに解されるけれども、形態が違い種が違うということは、棲む場所が違うことであり、その生活内容が違うことでなければならぬ。もちろん生物の形態にその生活内容のすべてが刻印されているとは断言し得ないのであって、形態では全然区別ができないにもかかわらず、その習性でははっきりとした違いの認められるような二種類の生物が存在していてもこれを怪しむには足らないが、あらゆる生物の生活内容が明らかにされる日はまだなかなかに来ないであろうと思われるから、生物の形態はある程度までその生活内容を反映したものと認めて、いい換えるならば死物となって標本箱に陳列された生物の形態には分類学的な意義はあっても、形態の本来の意義はその生物が生き、自然に生活している状態において求められねばならないという生態学的な立場から、生物の形態をつねにその生物の生活内容に結びつけて考えるとき、その形態はもはや単なる形態ではなくして、それは一応その生物の生活内容を反映したものとして受け入れられるであろう。このような意味で生物の形態に生活内容を含ませた場合にはこれを生活形と呼ぶのである。実をいうと形態に生活内容を含ませるのでなく、生活内容に形態を含ませたものとして、私はこれに生態なる言葉を適用するのがもっともふさわしいと思うのであるけれども、今さら生態という言葉を定義づけるのも気の進まぬ話であるから、しばらく生活形という言葉を用いて行こうと思う。すると同じ種類の個体同士というのは、血縁的地縁的関係のもとに結ばれた生活形を同じゅうする生物であるということができるであろう。  同種の個体がばらばらに存在するのではなくて、お互いにある距離をおいて集まっているという理由を、血縁的地縁的な関係によるものであるといったが、血縁的といってもその生物の生活内容の如何によっては、われわれから見てほとんど孤独生活といえるほどにお互いの間に距離が隔ったものもあろう。また地縁的といったところで、浪打ち際に寄せられた塵芥のように生物が環境によって運ばれ、飼育された場合のように自然状態にあっても生物が環境的に檻禁されたものとは考えられないのである。それにもかかわらず、同種の個体の分布を調べてみると、どんな生物にも一定の分布地域というものがあって、ちょうど一個の生物にその必要とする生活空間があるごとく、種というものにもまた種の生活空間といったものが認められるのでなかろうかということを考えさせる。種の中から生れ種の中に死んで行く生物の個体は、種の単なる一構成要素にすぎないという見方に異論はなかろうが、しからばこの世界における具体的な種とは何であるか、種は個体にとっていかなる形のものであり、いかなる振舞いをなすものであるかということになると、まだ今までの説明では充分でないように思われる。  この問題を考えるのはなかなか難しい。難しいわけはわれわれの平素のものの考え方が、どうしてもわれわれ個体を中心としたものの考え方になっているからであって、種族や国家のことを考えるといってもそれは個々の人間の頭脳が考えるのである。しかし種族や国家は個々の人間の頭脳がつくり出したものではない。細胞が先にあるのでも個体が先にあるのでもないといえるように、われわれはまた種族が先にあるのでも個体が先にあるのでもないといえる。しかし個体がただちに細胞であるのでもないし、また種族であるわけでもない。われわれが個体の立場にあって細胞の立場を考えたり、あるいは種族の立場を考えたりするということに含まれるもっとも大きい危険の一つは、それらがそれぞれ次元を異にした存在であるということにかかっている。一方で細胞と個体という次元の異なったものを並べて考え、他方で個体と種族という次元の異なったものを並べて考えた場合、前者の場合における次元の相違と後者の場合における次元の相違とが同じでなかったならば、前者の場合から後者の場合を論ずることなどはできないはずであろう。種族がはたして細胞や個体から推論できるような存在であるかどうかを誰かが吟味してみたであろうか。種族はわれわれが個人の立場に立って見ればこそ一種の絶対的な単位のようにも見えるけれども、それはちょうど細胞から個体にいたる中間単位としての組織や器官が存在するように、人類という単位の前にはその中間単位として解消してしまうものでなかろうか。  以上はやや脱線の嫌いがあるのでもとに戻って、生物の種のもつ内容をも少し追求しなければならぬ。前にのべたように、植物はその隣りに生えた植物が同種のものであるかどうかを恐らく見別けていないであろうというのは、眼の有無だけの問題でなくて、植物の習性ないしは反応の中に、われわれがそうと解釈し得るような手掛りが一つも見出されないからである。けれども動物になると原生動物のような眼のないものでも、同種の他の個体の存在に対して反応を現わす、二匹の個体が接近していると分裂が促進されるというような現象がすでに見られるのである。こうなるともはや私の見方からいえば同種の個体を認めているものといわねばならないのであって、それが感覚器官の発達し、とくに視覚の発達した動物になれば、相手を眼によって認めることにもなるが、もちろん嗅覚や聴覚だってこの認識に役立たないわけではない。むしろ一般には視覚よりも嗅覚の方がこの点では重要な役割をはたしているもののように考えられる。  相手の臭いがわかり、相手の声が聞こえるのであるならば、もちろん自分の臭いや声が、わかりまた聞こえるのでなくてはならないであろう。自分であるという意識は、自分に対する他者の存在することによってはじめて可能であるともいわれるが、意識の発達の程度が低い動物にまで、これはそのままでは用いられない。動物はその臭いが自分と同じ臭いであり、その声が自分と同じ声であるからして、同種の他の個体を自分の身体の延長ぐらいに見なしているということがないであろうか。もしも傍にいる動物が生活内容を異にしたものであったならば、お互いの行動の間にはなんらかの衝突が生じないにも限らないが、それが生活内容を同じゅうした同種の個体である場合には、お互いの行動には摩擦が起らない。摩擦が起らないということは刺戟が抵抗を受けないで伝わるというようにも解されるし、またつねに一致した行動をとるというようにも解されるのであって、それをすなわち同種の個体における力の釣り合いのとれた状態というより他なく、またこの個体間の平衡状態のゆえに、同種の個体間にはしばしば模倣という言葉をもって呼ばれるような現象が認められるのであるといいたいのである。  だから生物に元来個体保存的現状維持的な傾向があることを認めるならば、生物がいたずらな摩擦をさけ、衝突を嫌って、摩擦や衝突の起らぬ平衡状態を求める結果が、必然的に同種の個体の集まりをつくらせたとも考えられる。したがってとくにお互いが誘引し合うことを仮定しなくとも、同種の個体が集まっているのは、その共同生活のうちに彼らのもっとも安定し、したがって保証された生活が見出されるからである。そこにいわば彼らの世界というものがつくられるからである。そうすればその世界がとりも直さず種というものの世界であり、そこで営まれる生活がすなわち種の生活ということにもなるであろう。それは構造的には個体の生活の場の連続とも見なし得られるが、そこで個体が生れ、生活し、そして死んで行く種の世界はもちろん単なる構造の世界ではなくて、持続的に生成発展して行くこの空間的即時間的、構造的即機能的な世界の一環をなす体系でなければならない。そしていまもし生物の世界に社会あるいは社会生活という言葉をあてはめるとするならば、私は何をおいてもまずこうした種の世界なり、同種の個体の共同生活なりに、それを持って行くべきだと考える。共同生活といったのは、かならずしも意識的な積極的な協力を意味しているわけではないが、同種の個体が交互作用的に働き合う結果、そこに持続的な一種の平衡状態がつくられ、しかもその状態の中にあるのでなかったならばもはや個個の個体はその生存が保証され難いというにおいては、同種の個体の集まりは単なる集まりではなくて共同生活なのである。  社会という場合にひとはしばしば集団現象を連想するが、広義に解した社会というのはいま述べたように、その中でその社会の構成員が生活する一つの共同体的な生活の場である。生物学的にいえばその中で個体が繁殖もし、営養もとり得るようなものでなければならない。社会現象としてわれわれに認められる個体相互間の関係が、空間的に集結しているかそれとも疎開しているかということは、現象学的に社会の類型を別つ特徴とはなっても、それ自身によって社会であるや否やを決定するべき準拠とはなり難いものである。もしも生物が繁殖だけを行なって営養をかえりみなくてもすむものであったとしたら、あらゆる生物は集結していた方がいいのであるかも知れない。繁殖ということは元来生物存立の時間的な一面の現われとも見なすことができる。営養といえどもやはり個体維持という意味では時間的な一面から切り離すことのできないものではあるが、営養ということが問題となるに及んではじめて生物は空間的にも積極化してくるのである。動物と植物とが別れたのも、またその動物や植物にいろいろな生活形のものが生ずるようになったのも、たいていはこれ営養に関する問題からであった。実際どの生物の身体をとってみても営養に関した器官の方が繁殖に関した器官よりも大きい部分を占めているし、どの生物の一生を考えてみても、営養のために費す時間の方が繁殖のために費している時間よりも多いのである。生物をおい立てて環境を主体化し、生活空間の拡大をはかるように向わしめた最初の衝動も、やはり食物の獲得ということに関連していなかっただろうか。  しかしもちろん営養だけによって生物の存在を考えることは繁殖だけによって生物の存在を考えることが一面的消極的な解釈となってしまうのと同じように、一面的であり、不完全なものでなければならない。ただ一個の生物といえどもそれが血縁的地縁的な社会的生物であることを認める以上は、いままでのように社会現象といえばすぐに繁殖現象のように考えた生物の見方を清算して社会生活における営養の重要性を正当に評価する必要があり、それと同時に私がさきにいったような、繁殖と営養との区別が一つは他の個体の存在を予想し、他にはそれを予想する必要がないといったような解釈は、すでに社会の存在を前提し、社会の中にある個体の立場においてのみいい得ることであるということを、この辺で明らかにしておく必要があったから、私はいま社会の立場において営養を論じなければならなくなったのである。つまり血縁的地縁的な社会的生物とは、それが繁殖的営養的なものであることによってはじめてその生物個体も、またそれをその中に含む社会も等しくこの時間的空間的世界の構成要素としてその体系に参与する資格を得ているものというべきである。  そこで次には社会の立場において考えるのであるが、その社会の成員がその中にあって充分に営養をとり得るものであったならば、その成員はいくら集結していてもよいであろう。しかるに生物の社会に集結した社会と疎開した社会とが見出されるというのは、その営養の種類、すなわち食物が、生物によって異なるために、したがってその食物獲得の方法なり手段なりが異なることに帰因するのであろうということになって、われわれに人間社会における狩猟・遊牧・耕作といった生活様式とその社会構造との間に見られる一種の公式的な結びつきを思い出させるのである。しかし原則として人間社会と生物社会とは絶縁されたものではない、その相異は要するに進化の相異である。捕食性の動物が一般に孤独的な生活を営むのは、集結していては餌に困り、餌を取り合わなくてはならないからで、なるべくむだな抗争を避けようとする、生物に本来具わった一種の能率主義悪くいえば一種の保守主義の現われとも見ることができる。孤独的な生活を営むといってももちろん全くの孤立生活ではなく、生活の場を通してお互いに隣りの者とは連絡しているのであって、捕食性動物の場合にはその生活の場を具体化し、これを地域的に解釈して狩猟地の縄張りといってもよい。しかし捕食性動物でも協力によって大きな動物を斃(たお)すことができ、それによって餌の分配に不足を来さぬようであれば、集結は可能となるであろう。鯨を襲う鯱(しやち)がつねに群(むれ)をなして生活しているのは、この間の消息を語っているかと思われる。  これに反して草食性動物に群棲するものの多いのは、いうまでもなくその食物が豊富で、彼らの間には食物の獲得や分配のための争いが生じないからではあろうが、群棲したものがひと処にじっとしていたのでは、やがて食物の不足を告げるときが来なければならない。だから彼らには遊牧ということが欠くべからざる生活条件となってくるとともに、またそのような条件を満す土地が必要なのである。遊牧というとよく水草を追うてあてなくさまよう生活のように思われるが、遊牧は放浪と同じではない。その違うところは、遊牧の方は移動しながらもまたもとの出発点へ帰ってくる、すなわち一つの群には大体一定の遊牧地域というものが定まっているというところにあるのであって、何故そうなるかといえば、それはやはり他の群の遊牧地域へ侵入していたずらな抗争を招きたくないからであり、その点で狩猟と遊牧との違いはあっても、これは同じように縄張りの問題と考えることができる。ただ前者にあっては普通は一個体ないしはせいぜい雌雄二匹ぐらいが単位となっているのに対して、後者では群が縄張りの単位になっている点がここでもう一度注意せらるべきであって、それが単にその動物の捕食性か草食性かということだけできまるものなら、すべての草食動物が群棲していなくてはならなくなるし、一方で鯱の群棲生活などは拒否されねばならないことになるであろう。  植物のように無機物から有機物をつくり得る立場にあるものでは、異種間における立地の争奪といったような問題をのぞけば、一般論としては同種の個体が群生し得ない理由はなかろうし、またそこを利用してわれわれの祖先は耕作ということにも成功したのである。しかるに動物にあっては食物の潤沢なるべき草食性のものでさえ、多くのものはむしろこのような群単位の社会をつくらないで、かえって一般的な個体単位の疎開社会をつくっているように見えることには何か理由がなくてはならない。まず考えられることは正規な群の行動というものがさきに述べたように、一定の遊牧地の拡がりを要求するばかりではなくて、そういった群とその遊牧地とがいくつかつづいたところにはじめて群単位の社会というものが構成されているということである。私はこう書いているとき、熱帯降雨林で樹梢生活をしている猿の群や、ステッペやサバンナにおける有蹄類の群、あるいは海の中の鯨の群を想像する。それらはいずれも大形な、われわれ人間もその仲間入りをしている哺乳類のメンバーである。彼らの社会生活にならわれわれの類推もある程度まできくであろうが、それが昆虫となるともうさっぱり歯が立たないのである。彼らだって遊牧生活ができないわけではなかろうが、しかしこういう小さい動物にとっては、その住まう世界がわれわれの想像以上に複雑な、不規則なものであり、とうていひとつづきの遊牧地などというわけに行かぬものでなかろうか。われわれの眼にはステッペと映るものでもバッタにとっては森林であるかも知れないという意味のことである。いやここで森林というのさえ、それはもうわれわれ流の解釈であろう。とにかくそのような複雑な不規則な世界にこれらの小動物が適応していったということは、結局大動物には意味をなさないような、特殊な微細な環境に彼らが意味を見出したことであり、そういう特殊な環境と結びつき、それを求めるところの小動物の生活には、捕食性の動物ではなくても勢い集結を困難ならしめる状態が発生する。たとえば寄生虫の生活というものを考えるとよくわかるであろうと思うが、寄生虫には遊牧なんて大それたことはできないのである。寄生虫の遊牧というのがおかしければ草食性の昆虫のような小動物をとってもよいが、彼らはたとえば一本の樹においてもその葉をかじったり、樹液をなめたり、あるいは樹幹にもぐりこんでその材を食ったりしている。そういった彼らの植物に対する食性関係は、これをやはり一種の寄生関係と見なすことができるのであって、寄生者という以上は寄生に依存し、寄主の生活力の余剰を利用させてもらって生活しているのである。  しかしステッペの草食性動物はバッタでなくとも大型の有蹄類だってやはり草に依存して生きているのであり、捕食性の猛獣だってそういえばやはりその餌となるべき動物に依存して生きているのである。草を食いつくし餌を食いつくした場合に共倒れになる懼(おそ)れのある点でも、寄主と寄生者との関係になんら異なるところはない。それをもし普通には寄生関係と呼ばないとすれば、その違いはけだし食うもの対食われるものの大きさの関係によってきまるのであろうか。確かにそれも一つの見やすい標準を与えるものであるには相違ない。けれども、も一歩つっこんで考えるならば、食うものが食われるものよりも大きいということは、前者が後者を支配する位置に立っている、それを主体化しそれを自分の環境のうちに取り込んでしまっている。だから有蹄類にとってはステッペがただちに彼らの遊牧地であるわけである。これに対して食うものが食われるものよりも小さい、いわゆる寄生関係の成立するところでは、前者が後者を支配し、そのすべてを主体化しているのではなくて、そこには主体化し切れない後者の主体性というものが大きく眼の前に立ち塞がっている。そいつと抗争しそいつを征服できればもはや寄生関係が解消したことにもなるが、寄生関係を保っているような生物というのは、はじめからそんなむだな抗争をさけて、その環境に適応していったものであろう。それによって彼らは、実は他のいろいろな生物との間に必然的に生ずるべきむだな縄張り争いや勢力争いから逃避することができたのであるから、彼らにすれば彼らの生活内容の積極的拡充を犠牲にすることによって、今日の成功を得たものともいえるのである。  こういう他の生物との関係についてはここではあまり深入りしないつもりであるが、も一つ補足的にいっておきたいことは、上にのべた食うもの対食われるものの大きさの関係が、かならずしも一対一の場合における両者の絶対的な大きさばかりできまるものではないということであって、それを鯨を襲う鯱(しやち)の場合にも認められるのであるが、また蟻のようなものもその好例となるであろう。蟻は小さいけれども寄生と呼ばれるような生活をしていない。蟻がいろいろなものをその生活資料として利用していることは、彼らの生活内容の豊富さ、彼らの世界の広さを示すものであり、地中に巣をつくり、アブラムシを飼育し、茸(きのこ)を栽培するに及んではその環境の主体化あるいは環境からの独立化において、彼らの社会に匹敵するものはわれわれ人間の社会をのぞけば他になかろうとさえ考えられる。もっとも蟻が代表するような昆虫の高度に発達した社会とわれわれの社会とでは容易に比較し難い一面もあるのであって、そこに彼らの住まう世界とわれわれの住まう世界との相異がうかがわれるのである。  われわれ人間の社会についてはしばらくおき、さきにあげたような哺乳類の遊牧的な群単位の社会にくらべると、蟻の社会などはこれを家族単位の社会といってもいいのであるが、いずれにしてもそれらはより一般的な疎開社会の構成単位である個体が、なにかの理由でただお互い同士の間隔を縮め、ひと処に集結したようなものではなくて、かかる一般的な疎開社会との間にはむしろ社会組織上のある変革を通して結ばれた、その意味においては次元を異にする社会であると考えた方がいいものであるかも知れぬ。それらの社会を集結社会といっても、それは社会の構成単位が個体の集結した群なり家族なりであるという意味であって、これらの群や家族の配置に着眼したならば、それらはやはり一種の疎開状態を示すであろう。だから混乱をさけるためには、個体中心社会、群中心社会、家族中心社会というようにでもすればよいと思われる。動物の中には平素は孤独生活をしていながら繁殖期だけに家族をつくるものもあり、また平素は群生活をしていながら繁殖期になると家族生活に変るものなどあって、それを一々分類的に例示する余裕を持たないが、家族というものが起原的には繁殖の延長であるということには間違いはないのである。しかし家族が持続的となれば当然育児ということが予想され、また家族の成員数の増加ということも考えられてくるから、家族の成立はもはや営養とは切り離しては考えられない、換言すれば食物の保証なくしては家族は成立しないのである。そして蟻がこの点で成功するに至った理由は、彼らの社会で繁殖係と営養係という分業が確立されるようになったからであり、また彼らの寿命が長くなったこととも関連しているであろう。これを幼虫の営養という立場から考えてみるのもまた興味あることであって、家族性昆虫と呼ばれるものの幼虫はいずれもその営養の供給を親に依存しているのであるが、適当な場所に卵さえ産みつけておいてもらったらあとはひとりで幼虫が食って行けるようなものにあっては、親が傍らにいてくれる必要もないであろう。そんな幼虫の方が昆虫の大部分を占めているということは、またそれらが大体広義の寄生生活を営んでいるということに結びつけて考えられるべきであろう。  さていままでは子供と親との生活を切り離して考えてはいなかったが、昆虫のように子供はいも虫、親は蝶々というようなものにあっては、例の生活形という立場から考えても、幼虫と成虫とではその生活内容もしくはその住まう世界が当然異なっていなくてはならぬのである。広義の寄生生活を営む幼虫がある場所に集結しているということは、しばしばその卵がある場所にかためて産みつけられたということによるのであり、そのことにももちろん生態学的な意義を認められるが、しかしその場合たとえば一本の木にいる幼虫と隣りの木にいる幼虫との間にまで何らかの働き合いが存するとは思えない。けれどもそれが成虫になるとその住まう世界がすっかり広くなって、お互いに距離を隔てていてもある程度まで同種の個体間の働き合いが生ずるのではなかろうかと考えられる。それは彼らの特殊に発達した感覚器官の存在をそう説明するより仕方がないからであって、このように考えればその社会といっても、幼虫であるいも虫の社会は成虫である蝶々の社会に比較して一種の未発達な社会であるといわねばならないのである。その成虫の社会でさえつねに他の個体の存在が問題となっているのではなくて、たまたま同じ花蜜を吸いに来た雌雄二匹が交尾する、それも生理的にそういう要求が起きているときでなかったならばお互いの存在を認め合わないかも知らぬといった心細いものであろうから、一概に生物の社会といっても、隣りに生えた木が同種のものであるかどうかを知らずに暮している植物の場合と、このような蝶々の場合とまた哺乳類のようなものの場合とで、その内容がそれぞれ異なってくるのは、それらの生物の生活内容がそれぞれ異なっているからであって、これを別のいい現わし方にすれば、それぞれの生物によってその環境に見出される意義が違うということであり、同種の他の個体というものも、やはりこれを一つの環境と考えるならば、それがその生物の生活状態の如何によってその意義を異にする、あるいはそれがその生物の生活の場に現われたりひっこんだりするのである。われわれだって生きている以上はその生活の場はつねに可変的なものであり、厳密にはそのときその場所における状態によって同一対象に見出すわれわれの意義を異にするものではあるが、多くの動物などではそれがもっと簡単化され、したがってより効果的により積極化されていると考えられないであろうか。生活の場に現われたりひっこんだりするといったのはその意味であったが、それもでたらめにそうなるのではなくて、一定の生理的過程によってその生物の生活史というものが至極鮮やかに展開するようにできている、したがってどういう環境が生活史のどういう時期に求められ、どういう対象がそのどういう時期に生活の場に登場してくるかということがほぼきまっており、その適切な時期に一致していなければそのものはその生物にとって何ら意味のない、存在しないと同様なものとして取扱われる。そしてこういう現象を一般に呼んで生物の、とくに昆虫などの本能的習性といった場合が多いのである。  だから生物の社会などとひと口にいってしまって、これを抽象的に取扱いすぎると、とかく誤解を生ずる。個体間の交互作用的な働き合い、縄張りによる相互限定といったところで、その生物の生活内容の如何によってはそれがかならずしもわれわれにまで明瞭に認められない場合も少なくないが、しかし原則的には同種の個体が相集まれば、そこになにか同種の個体であることによってのみ生じ得るような状態が発生し、そういう関係が持続的に成立して行くところには、そういう集団が家族とか群とかいうような構造にまで発展していることを認め得られるといっても、要するに同種の個体の集まりでない種というものもなければ、種というもので同種の個体の集まりでないというものもないのである。植物のようなものにも、寄生虫のようなものにも、やはり一定の分布地域というものがきまっているということは、種というものがその中で個体の繁殖し、また営養をとる一つの共同生活の場であることを意味し、またその限りにおいては種というものの中に、根原的になにか社会というものを意味するものが含まれていなければならないと思うのである。そういう意味において社会性ということは、このもとは一つのものから生成発展し、どこまでも相異なるものの世界においてどこまでも相似たものが存在するという、この世界の一つの構造原理であり、それが構造原理であるというゆえんは、相似たもの同士はどこまでも相対立しあうものであり、相対立しあうもの同士とはどこまでもその対立を空間化し、空間的に拡がって行かねばならない存在として、社会性はこの空間的構造的一面を反映した、この世界を形づくるあらゆるものに宿っている一つの根本的性格なのであるかも知れないのである。そして生物の社会とはどこまでもその中で個体が繁殖もし営養もとるところのものではあっても、社会のこの空間的構造的性格はどちらかといえば営養ということの方により深い関連を示すものであると、解釈しておいたのである。  社会ということに関してはなはだ長談義をやってしまったが、これでいいたいことをすっかりいいつくしたわけではない。ただこれからさきに述べて行くことをよりよく理解してもらうためには、この世界における具体的な種のあり方とかあるいは種の世界とかいったことを、ひと通り社会的な表現として取扱えるようにしておいたがいいと考えたからであった。私はいまこの世界における種のあり方を一層具体的に考えようとしている。ところでこの世界には恐らく百万種以上の生物学的な種が現存しているのである。しかしこれだけ多数の種が世界のどこをとってもいるわけではなくて、それぞれの種には大体それぞれの種の分布地域というものがきまっているというのは何故であろうか。もしもこの地球上がどこへ行っても同じ状態にあったとしたならば、そしてその上この地球上にはただ一種の生物よりすんでいないと仮定したならば、あとはその生物の繁殖力さえ旺盛であったらいつかその生物が地球上全体に平均に分布するものと考えてよいであろう。しかるに地球上の状態がけっしてどこでも同じではないのである。水陸の分布が不平均であるし、ある処には山があり、ある処には山がない。第一に生物活動のあらゆるエネルギーの源泉ともいうべき太陽の輻射熱がけっして地球上のすべての場所に平等に与えられてはいないのである。だからわれわれの世界というものは根本的に不平等な世界であり、不平等はわれわれの世界が担っている一つの宿命的性格であるともいえる。もっとも世界はこの不平等を一方では緩和するようにできているともいえるのであって、極地も夏には赤道直下より多量の熱量が分配され、また風や海流は絶えず温度の均一化をはかり、風に運ばれた水蒸気は内陸にも雨を降らし、風や水によって土地の高低さえ次第に平均化されるというのはまことではあるけれども、それだからといってこの不平等が取りのぞかれて世界が平等な状態になる望みなんかどこにも持てないのである。  しかし私はこの不平等さのゆえに、かくも多種類の生物がこの地球上に繁栄し得ているのだといいたいのである。すると問題は生物がこの不平等さをどのようにして彼らの生活内容にまで取り込んでいったかということになるであろうが、それをここではごく概括的に説明しておこう。いまここにAという生活形の生物があって、その生物の生活の場をとくに土地的な意味に限定してその棲地aとするならば、ある地域内に存在し得るAの個体の数はその中に存在する棲地aの数によって限定される。しかるにもしAが棲地 a′a″ a′a″ などを見出してそこに棲むことにも成功したとすれば、同じ地域内に棲み得るAの一族の数はさらにその地域内にある a′a″ a′a″ などの数だけ増加することができる。しかしそれとともにAにて現わされたその生物の生活形もまた A′A″ A′A″ と変って行くであろう。それが棲地の変化に適応した種の形成である。ところでAの個体がある地域内に限定せられずに同じような棲地を見出してどしどしとその地域外に拡がって行ったとき、棲地はかりに同じであるとしても気候が異なっていた場合にどうなるか。その場合にもやはりその気候に適応するための生活内容の変化に伴って、その生物の生活形Aは変化するものと考えられねばならない。けれどもこの二つの場合を比較してみると、一般に棲地の変化に適応した場合の方が気候の変化に適応した場合よりも、種の形成が促進されているというのは、多分気候の変化よりも棲地の変化の方が生物の生活にとってより直接的な関係を持っている、したがってその方がより重要な意味を待っているからであると考えられるのである。その意味では食性の変化、たとえば草食性の動物が肉食性に変るといったような変化はもっとも直接的なもっとも重要な変化の一つでなければならないから、そこには当然この生活形の変化に照応した種の形成が予想されていいであろう。  大体このような前置きをしておいたのちに、も一度種の分布状態というものを見てみると、いろいろな生物が同一地域内に共存しているのが認められるといっても、それがそれぞれにその生活形の異なった、生活内容の異なった、しかしてその生活の場の異なったもの同士であるならば、共存といっても実はその生活空間が異なるのであり、もっとわかりやすい言葉を用うるとすれば、要するに同一地域といっても、その地域を棲み分けることによって、いわばお互いの間の縄張り協定がすでにでき上っているものというようにも考えられる。もっとも動物と植物、寄生虫と寄主、哺乳類と昆虫といったようなものを並べたところで、それらはお互いにもう今日ではあまりに異なった種類の世界に棲んでいるのであるからして、異なった種類のものの間の棲み分け、あるいは縄張りといったことを基礎的に考えてみるためには、やはりこれを種の分化のあまり進まないもっと類縁の近しい間柄に求めてみなければならない。一体種の分化が進まないで、どこまでも相似た生活形をもち、どこまでも相似た要求を満たそうとするもの同士が同一地域に共存し、しかもその共存によってお互い同士の間の平衡を保ち得る途というのはただ一つよりない。それはお互い同士が同じ生活形をとり、その生活に対して同じ要求をもつようになることである、すなわちそれは同種の個体となってそこに種の社会を形成することにほかならない。けれどももしこれらのものの間に二つの傾向があって、それがお互いに相容れぬものであったならばどうなるであろうか。その結果として同じ傾向をもったもの同士が相集まるようになるのじゃなかろうかと思われるのは、そうすることによって無益な摩擦をさけ、よりよき平衡状態を求めようというのが、生物のもった基本的性格の一つの現われでなければならないと考えられるからである。だからこの相容れない傾向をもったもの同士が相集まってそこに彼ら同士の社会をつくるようになれば、それぞれのものがその求める平衡状態を得ることになるとともに、またこの二つの社会はその地域内を棲み分けることによって、相対立しながらしかも両立することを許されるにいたるであろう。植物と動物、寄主と寄生虫、哺乳類と昆虫といっても、いまはかならずしも相対立したものではないが、もしそれらがすべてもと一つのものから分化発展したものであるならば、その進化の途上でいつかこのような社会的対立の状態を経過してきたものに違いない。このように相対立し、したがって棲み分けせざるを得ないような社会のことを私は生物の同位社会と名づけたのである。  このように同位社会の内容となっている生物同士は、元来類縁関係の近い間柄であって、相容れないといっても、その相容れない傾向さえ除いたら、あとはすべて相容れるような間柄であるということを前提している。相容れないといってもそれはお互いに相容れるための棲み分けに必要な相容れなさである。相容れなくなったという理由もいろいろ考えられるであろうが、たとえばさきに述べたように、一つの種が分散して行って、気候的土地的その他のいろいろな環境状態に出遭った場合に、それに適応した結果そこにいろいろな種が形成されるに至ったと考える。種というものの立場に立って考えるならば、こうして相容れない性質を生じ相対立するようになるのではあっても、全体から見ればそれは一つのもののいろいろな場に対する適応である。もともと地球上が不平等にできていて、太陽と地球との位置関係や陸と海との配置具合から、いろいろな気候的の場というものが生じていると考えれば、これに対して一つの生物が働きかけた結果、一つの生物の種がそのいろいろな場に応じた種に変化したのである。もしもその生物がそのようにしてその場を占めることを成就しなかったとしたら、別の系統から出てきた他の生物によってその場は奪われたかも知れない。元来は相容れるもの同士が場という関係を通じて相容れなくなっているだけであるから、お互いは種として対立し合っているといっても、その対立は場を通じての平衡に他ならない。しかるに棲み分けの隣り同士が、系統の異なった別の生物ということになると、その関係はもはや平衡ではなくなってきて、その結果はあらゆる意味においての摩擦と紛擾とを残すのみとなる。こういうように考えてくると同位社会というのは生物の個々の社会の寄り集まりからなる一つの構造であり、一つの共同社会である。それを構成するおのおのの社会はお互いに相対立し相容れないものではあるが、しかしお互いは他の存在を待ち、他をみずからの外郭とすることによってはじめてお互いの平衡を保ち、それによってそれみずからの社会としての機構を完(まつと)うしているという意味において、それらは互いに相補的であるとさえいい得るであろう。そしてこのようにしてわれわれは細胞の集まりからなる個体、個体の集まりからなる社会、さらに社会の集まりからなる同位社会といったものが、それぞれ同一の原理に立脚した体系要素として、この世界における生物の世界をつくり上げていることを知るのである。ただ同一原理に立脚した体系要素といっても、それらのつくり上げている体系そのものの相互関係がつねに部分と全体との関係を現わしている点で、それらはもちろんお互いに次元を異にした体系要素と考えられねばならないのである。  このようにいっても私のいうところははなはだ観念的に聞こえ、一向具体性をもたないもののように思われるであろう。私はさきにこの世界に現存する生物の種類数は多分百万を超えているであろうといったが、それはただちにそれだけの種類数に相当するだけの種類の生物の社会が、この世界に存在することを意味する。しからば今度はこれだけの数に上る生物の社会が、この世界においてはたしてどれだけの同位社会に配列され、系統づけられているであろうかという問いが提出されないであろうか。植物と動物との類縁の相異が、植物の社会と動物の社会とを同位にあらしめないのはもとよりであるが、植物の社会のような発達段階の低い社会においても、そこに同位社会への分離が認められるということはわれわれの興味をそそらずにはおかない。その上植物のようにその活動性が乏しく、したがって生活空間に対する要求の少ないものにあっては、生活形の類似した個体同士が、われわれの眼から見て一般に集結しているように見えるから、これらの諸性質が相俟って、ここに植物の社会に独自な、景観的とでも呼ばれるべき一つの性格を現わすに至ったものであると考えられる。しかしてこの植物の社会的表出が景観的であるということによって、植物における同位社会もまたすこぶる簡単に、われわれの景観的把握によって分析し得るのである。  たとえばここに一つの森林がある。この森林が森林であるゆえんは、この森林における喬木の存在によるものである。多分その喬木は集団をなしているであろう。ところで森林はかならずしも喬木のみからできているのではなくて、森林の中に入ってみると、その喬木層の下には灌木層があってみたり、草本層があってみたりする。さらにそれらの下にあって地面に接したところには蘚苔層や地衣層が認められる場合が多い。またここに別の森林があるとすれば、その森林にもまた喬木層は存在し、灌木層、草本層、あるいは蘚苔地衣層も存在していていいであろう。そしてこの場合に喬木層同士は同じような生活形をもち、同じような生活空間を占める個体の集まりとして、同じような社会的地位を占めるものであると考えられるのである。灌木層や草本層や蘚苔地衣層に対しても同じことがいえなければならない。だからこの世界において喬木層はそれ自身が一つの同位社会を形成し、灌木層はまた灌木層として、その上に喬木層があってもなくっても、やはりそれ自身が一つの同位社会を形成する。喬木層とか灌木層とかいえば成層的なお互いに対立した地位を占めるもののようにも考えられるが、森林の中に灌木層が認められるときには、それは実は喬木のつくる社会空間の一部に灌木のつくる社会空間が見出されているのであり、換言すれば灌木社会は喬木社会の中に内包されている。その意味において喬木社会は灌木社会よりも優位を占めるものといい得るのである。われわれは植物の集団生活を景観的に見るからして、森林とか草原とかいってしまうけれども、森林とは生態学的にいえば喬木社会が最優位を占めるような一つの植物社会集団であり、草原とは草本社会が最優位を占めるような一つの植物社会集団である。ところで喬木とか草本とかいうのは植物における一種の生活形を意味する。だから植物において喬木社会とか草本社会とかいうものが植物の同位社会を現わすものとするならば、かかる同位社会とはそれがただちにまた生活形社会であり、一つの生活形共同体なのであるということになるであろう。植物のような生活をしているものでも、その生活形を分類するとなると、やはり十数個かの生活形に別れる。その中にはもちろん分布の広い重要なものと、そうでないものとの区別はあるだろうが、植物における同位社会の数は一応この生活形の数によって判断することが許されるであろうと思う。  けれども植物のように簡単な生活をしておらない動物にあっては、生活形の分類もそう簡単には行きそうにない。もともと植物の中に隠れ、そこで一種の寄生生活を営むようになっている多くの小動物の生活が、景観的でないのもまたやむを得ないのである。では全然生活形分類の手掛りがないかといえば、そうでもないのである。同じようにステッペの草を食う動物ではあっても、黄羊(ホワイヤン)のような大動物の社会がバッタのような小動物の社会よりも優位を占めているだろうということ、したがってそれらは同位社会を形成しないだろうということは、喬木社会が灌木社会よりも優位を占める植物の場合からのアナロジーをもって来ても考えられるところであるが、それならばバッタのように小さな黄羊の一種がいたらバッタと同位社会を形成し、あるいは逆に黄羊のように大きなバッタがいたら黄羊と同位社会を形成するために、早速棲み分けでもしなくてはならなかったであろうか。しかるにわれわれが幸いにしてバッタのように小さな黄羊も、黄羊のように大きいバッタも見かけないということは、動物においては原則的に種の類縁によってその同位社会の成立が規定されているということであり、それはつまり動物の生活は種によって実にまちまちではあるけれども、原則的には類縁の近いものが相似た生活を営んでいる、すなわち相似た生活形を持っているということでなければならない。だから動物においてはしばしば同位社会を形成している種が一つの分類学的単位であるところの属・科ないしは目に限定されている場合が多いのである。生物学における種とは、具体的なものかそれとも抽象的なものか、といったような問題が今世紀になってからでも何回蒸しかえされたことであったろう。だがこのような場合をとって考えるならば、種はもとよりのこと、属や科のような単位でさえが、同位社会というものによって具体化されていないと、どうして断定し得るであろうか。ここに分類学と生態学との提携して進むべき一つの途が考えられないであろうか。  同位社会というものをこのように考えてくると、それの適用にあたっては、その範囲を広くも狭くもとり得るものであることを知るのである。すなわち相似た生活形といっても非常によく似たものからだんだんよく似ていないものまでの移り行きがあるからである。そしてそれがもと一つのものから分化発展したものにもともと具わった類縁関係というもののしからしめているところであることは、すでに本書の第一章、相似と相異において予め注意しておいたのだから、ことここに至ってなるほどと合点してもらわねばなるまい。もちろん類縁の近いものほど、その生活形が似ていて明確な棲み分けをするというのは原則的である。とくにその環境が比較的に単調な場合ほどこの棲み分けが顕著に現われる。たとえば樹木社会が優位を占める森林というようなものにくらべて、渓流の底などは、そこに存在する石の表面に辛うじて一種の蘚苔社会が見られる程度の、植物社会的に見てすこぶる発展段階の低い、その意味ではいわば高山の頂上付近の石の表面に見られる一種の地衣社会のみからなる植物社会にも比すべきものである。しかしこの植物社会が重複していない、ただ一層しか存在していないという環境の単調さが、ここに棲む動物の棲み分けをして勢い平面的ならざるを得ぬようにしてしまった。したがってこういう環境に即応した棲み分けはしばしば見事な帯状の配列となって現わされているのである。海の底に棲む動物などにも同じような理由でやはり帯状の棲み分けが認められる。そういえば植物自身も動物にくらべて比較にならぬような単調な環境にみずからを見出しているものであるから、植物にこそもっともしばしば模範的な帯状の棲み分けが認められるのであり、一方では渓流や海岸にすむ動物の中には、押し流される危険を冒してまで積極的に活動して餌を求めるというよりも、むしろ水流や浪によって運ばれてきた餌をとるように適応したものが多いから、したがってこの固着化が動物の植物化を意味し、その結果としてやはりこれらの動物に植物に見られるような模範的な帯状の棲み分けが一層顕著に現われるようになったともいえよう。これらの水棲動物に対して多くの陸棲のものの棲み分けは、その複雑な植物社会の構造に応じて、棲み分けをかならずしも平面的に限定する必要がない。だからあるものは地上の草むらに、あるものは灌木に、またあるものは喬木にその棲地を求めて分れた。けれども分れたからといって、地上の草むらに棲むものと喬本に棲むものとが、あたかも草本社会と喬木社会とがその社会水準を異にするごとく、その社会を分ったと考え得られるだろうか。アメリカの生態学者の中にはこのような棲地の分類をもってただちに社会の分類と見なす一派があるけれども、それは動物の立場に立たないで人間の立場に立ち、人間の眼に映る景観を基準にしたものの見方であって、灌木の葉を食う昆虫と喬木の葉を食う昆虫とが人間と同じように灌木と喬木とを区別しているという証明がその理論を根拠づけているものではけっしてないのである。むしろ灌木の葉を食う昆虫と喬木の葉を食う昆虫との相違は、人間につく条虫と犬につく条虫との相違に近いものであって、それらはともに棲み分けすることによって並立する同位社会的現象と解すべきものでなければならないと思われる。  ところで類縁が遠く生活形のそれほどよく似ていないもの同士だと、お互いに割合に近接して棲んでいるため、一見したところでは、それらがお互いに混在し、棲み分けをしていないかのような観を呈する場合も多いのであるが、しかしその生活形の相違はたとえばその餌(えさ)の相違であるとか、あるいはその餌のとり方、すなわちその活動のし方の相違であるとか、その他のいろいろな点を通して反映しているので、お互いにその生活内容したがってその棲んでいる世界はやはり違うのである。棲んでいる世界が違うからその社会はわれわれからみては重複していても実際は分離しているのである。それではお互いに全然交渉のない世界かといえば、恐らくそうではなくて、お互いに同じ場所に棲んでいるものの間にはやはりいろいろな点で折衝がある。その世界はお互いに干渉し、お互いはその世界の一部を共有しているものと考えられる。それにもかかわらずお互いに混在し得ているというのは、やはりそこに一種の場の制約ともいうべきものがあって、それによってお互いの間に平衡が保たれている。たとえばお互いに生活形の酷似した、力の等しいもの同士であると、この平衡を得るためにはどうしても棲み分けによる一種の空間的対立より解決の道がないといったけれども、生活形も異なり、また力も等しくないもの同士にあっては、一方がつねに他に対して優位を占め、他はつねに一方に席を譲るようにすることによっても、一種の別な平衡は保たれるであろう。そしてこのように正面衝突をしたならば席を譲るようにするといっても、それは一方が他に対して優位を占めるような場においてのことであって、すでに両者の共存それ自身が、つねにそのような場面ばかりでなくて、そのときは劣位のものでも完全に主体的地位を保ち得るような場面がなおほかに存在するであろうことを予想さすのである。この場の制約がいろいろな要因に俟つものであることはもちろんであるが、小さな蟻が大きな虫を捕殺するかしないかは、攻撃される大きな虫の方を同一条件とすれば、それは攻撃する蟻の個体数に依存した一つの場の関係できまるものとも考えられるであろう。同じ食物を求める動物はお互いに時間的に棲み分けている場合が少なくないのであって、樹液に集まる蝶や蠅は強力なスズメバチのおらぬ隙間をうかがってその液をなめるのである。こうした時間的棲み分けがさらに昼と夜との棲み分けにもなる。時間的棲み分けの一種と考えられる季節的棲み分けというのはむしろもっと生活形の匹敵した、したがって同時的存在のためにはどうしてもお互いの混在を回避しなければならないようなもの同士が、同一場所を季節的に分割している場合が多いのである。そしてこの現象によってわれわれは同位社会というものが、単なる空間的拡がりだけのものではなくして、やはりそれ自身の中に持続的という一面を持っており、したがってそれはこの点でも単なる構造的単位にとどまるものではなくて、この世界における空間的時間的な統合体として、この世界の一つの体系要素たることを具体的に現わしているもののように思われるのである。  さてこのように生活形の異なり、棲む世界の異なったもの同士でも、その世界の一部分は互いにこれを共有している。たとえば同じ食物をとったり、同じ地域にその棲地を見出したりする。しかしそれだからといって、これらのものをいつでもただちに同位社会の構成員であると解されては困るのである。それではたとえば同じ場所に生え、同じような営養を求めている、喬木社会と灌木社会ないしは草本社会とを同位社会に属するものと考え、また同じようにステッペで草をくう黄羊(ホワイヤン)とバッタであるから、これを同位社会に属するものと考えるような誤謬をその中に含むからである。だから相互対立的でかつ補足的であり、お互いの混在を許さないような原則的な、第一義的あるいは一次的な同位社会から、その内容を一歩拡張したような同位社会というのは、やはり昆虫は昆虫同士、哺乳類は哺乳類同士といったような、類縁で結ばれたものであり、類縁で結ばれているということがすなわち生活形の似ているということにほかならないのであるから、同位社会というのはどこまでも生活形に基礎をおいた生活形共同体を考えねばならないのである。  だから渓流の底の一つの石に棲んでいる昆虫どもは、それぞれの種類が一つの同位社会の構成単位となるような社会に属し、したがってその意味でそれらの社会はそれぞれ別個な同位社会に属するといえるのであるけれども、一方では彼らはお互いに同一場所を棲み分けた、一つの生活形共同体をつくっているということができるのであり、そして少なくとも他の異なった生活形共同体、たとえば同じ渓流にすむ魚どもに対するよりも、彼ら同士の方がより同位社会的な存在であるというように考えられるのである。だからこういった生活形共同体をも同位社会的なものと考える場合には、これを原則的一次的な、相互対立的非混在的な同位社会から区別して、このような一次的な同位社会を基礎として成り立った一つの構造と見なせばよいと思う。名称が必要であるならばこのものに対しては同位複合社会といえばいいのであるが、社会という言葉がどちらかといえば観念的理論的な印象を与えるのに対して、共同体という言葉はより即物的で明快であるから、たとえば昆虫の寄ってつくる同位複合社会のことを、実用上は昆虫共同体といってしまっても少しも差支えはないであろう。ただ社会構造の立場からいえばそれはどこまでも同位複合社会なのである。  一体このように考えてくると、われわれがさきに簡単に同位社会と認めてきたところの、植物の灌木社会であるとか喬木社会であるとかいったものも、実際はそれらがそれぞれ一つの同位複合社会としての灌木共同体であり、喬木共同体でなければならなかったのである。なんとなればこれらの生活形共同体がただ一種類の灌木なり喬木なりからできているようなこと、すなわちその共同体がそのままでただちに一次的な同位社会を現わしているような場合はむしろ一般的ではなくて、そこには幾種類かの灌木なり喬木なりが集まっている場合の方が多いからである。したがってそれらの幾種類かの灌木なり喬木なりは分析すればそれぞれの属する一次的な同位社会に別けられるべきものであり、その点で喬木社会という一つの生活形共同体は、渓流の底の石に棲む昆虫という一つの生活形共同体に対比されるべき、同位複合社会でなくてはならないのであるが、この点がとかく看過されやすいというのはいうまでもなく、植物における生活形の分岐がその生活に応じてすこぶる簡単であり、その上それらのつくる生活形共同体がわれわれの眼にはいつも景観的に映るからなのである。そして喬木といえばたとえ闊葉樹と針葉樹とが混在しても、もうすぐにそれらが同一の社会を形成しているごとく解するのであるけれども、闊葉樹・針葉樹あるいは竹類などというものはいずれも系統の違い、類縁を異にしたもの同士である、それらを分析して行けばやはりこの系統の違い類縁の隔たりに応じて、それぞれが一次的な同位社会に別れねばならぬ。だからそれらが同じ生活形をとるようになり、一つの生活形共同体をつくるようになったのは、鯨と魚とが同じような形を呈するのと軌を一にした、一種の収斂現象(コンバーゼンス)に過ぎないであろう。  それでも植物の場合には、喬木は喬木で一つの生活形共同体をつくるものという考えに間違いはないけれども、動物の場合に、鯨と魚とがはたして一つの生活形共同体をつくるものだろうか。確かに生活形という概念はその生物の形態に立脚している、形態に立脚し、形態の相似からその生活内容の相似を推論しようとしている。それをここで否定するつもりはないのである。けれどもわれわれは動物の場合には形態の収斂現象をよほど警戒しなければならぬ、形態の現わすところがその動物の生活内容のすべてではないのだから。植物のように下等なものから高等なものまでの間の、いわば進化の幅の狭いものにあっては、形態に立脚した生活形がある程度まで同位社会の構成に対する準拠となるかも知れないが、動物のように進化の幅の広いものになると、同じ脊椎動物といっても進化の段階の低い魚類とその段階の高い哺乳類とで相当な開きがあるのでなかろうか。卵を産みっぱなしにしておくのと親がその子供を哺乳するのとを比較しただけでも、魚と鯨との間には単なる外形上の相似をもってははかることのできぬ、生理学的ないしは心理学的相異があることを予想せしめるのである。しかも魚のすむ世界と鯨のすむ世界との相異とは、結局このような両者の生理学的ないしは心理学的相異に帰因するものでなければならないから、もしも動物においてこの生活内容の相異に照応する形態学的基礎を生活形なる概念の中に含ましめようとするならば、もはや見かけ上の形態を云々していたのではだめであって、それはどうしても構造すなわち体制の相異ということに持って行かねばならないのである。そしてここに何故動物においては同位社会構成の準拠が植物とちがって、いつでも系統あるいは類縁関係というものに即しているかということの理由が見出されるべきであろうと考える。だから鯨と魚とは見かけ上の相似にもかかわらず同位社会的な存在ではない、鯨のすむ世界は魚よりもかえって陸上の哺乳類のそれに近いであろう。  私は鯨と魚とが同位複合社会をつくらないということをいったのであるが、そうであるからといって両者の生活がお互いに全然没交渉、無関係であるとは考えないのである。多分鯨と魚とが見かけ上でも似ているほどに、これらのものの生活と章魚(た こ)や蝦(えび)や貝類の生活とは似ていないであろう。だからその意味で鯨と魚とは脊椎動物的な一つの同位社会を構成するものと考えられないだろうか。同様にして陸棲の哺乳類は象も鼠も一つの哺乳類的な同位社会を構成するものと考えられないだろうか。これはまことに適切な反問であるだろう。類縁というものはこのように似ているところをとればどこまでも似ているし、異なっているところをとればどこまでも異なっているのであるから、同位社会という概念が類縁に基礎を置く以上、このような解釈が絶対に許されないという理由もないわけである。けれども同位社会という概念が必要とされるようになった、ことの起りに立ち帰って考えるならば、何もこんなものにまでかかる言葉を適用しなくたって、それらは脊椎動物共同体、哺乳類共同体で充分その意味がわかるのである。いやその意味ならばこの地球上に生活する生物は、みんなして一つの生物共同体を構成しているのであり、その生物をその生活形に従ってかりに動物と植物と単細胞生物と別つとすれば、それらはそれぞれ動物共同体、植物共同体、単細胞生物共同体を構成しているといわれなくてはならないであろう。もちろん意味もないくせにやたらに共同体というような言葉を振りまわすのは、好ましいことではないが、いまの場合は少なくとも、もとを糺せば一つのものから分化発展したいろいろな生物が、この地球上を、あるいはその一地域なり一局地なりを棲み分けることによって、お互いにお互いの生活を成り立たせているということだけを取り上げても、そこに共同体という言葉を使う意味が充分に含まれていると思う。  そこで少しくどいようだが、も一度もとへ戻って、ここにいう共同体にしても、それを社会という言葉を用いて現わそうとすれば、やはりそれは一つの複合社会にほかならないのである。ところでさきにこれらの共同体はこれをあえて同位社会とは見なさないといっておきながら、いままたこれを複合社会であるといっているのは、つまり複合社会であるけれども同位複合社会ではない、それを構成する社会がすべて同一水準にあるような複合社会ではないということである。しからばそれらの社会が同一水準にあるかないかを、そもそも何によって決定するかということが、も一度ここで問題にならねばならない。そしてわれわれはこのような社会構造上の問題に対しては、一応その解決を営養という方面に求めてみるのが今までの習慣であった。生態学でいう食性連鎖というのは、たとえば一株のばらについた〓虫(あぶらむし)をテントウムシの幼虫が食う、そのテントウムシを蜘蛛が食う、その蜘蛛を蛙が食う、その蛙を蛇が食う、その蛇をサシバが食うといったような、食性で結ばれたひとつづきの相互関係をいうのである。この場合原則として食われるものよりも食うものの方が身体が大きく強力であるが、繁殖力ないしはその現われとしての個体数においては、つねに食われるものの方が食うものよりも大であるという関係が成り立つ。したがってこの関係は食うものの食われるものに対する支配関係というようにも考えられるし、また食うものの食われるものに対する依存関係であり、一種の広義の寄生関係であるというようにも考えられるが、それは多分どちらも正しいのであろう。われわれは今日この食うものと食われるものとの関係がいかにして発生したかということについての正確な知識を欠いているが、この関係が現世で繁栄していると思われるような動物では、きまってその類縁内に見出される、すなわち昆虫の中に昆虫を食うものがおり、魚の中に魚を食うものがおり、鳥の中に鳥を食うもの、獣の中に獣を食うものがおるということは、その起原について一応次のような仮説を提出させるものでないだろうか。もっともできるだけ簡単化した場合を考えることとして、地球上はどこでも平等であるとしておこう。そこに一種類の生物が存在し、一定の繁殖率をもって繁殖しはじめた、その結果として遅かれ早かれ地球上はその生物で一杯になる。この飽和状態に達したときにその生物の繁殖率が減退して、以後はこの飽和状態を持続し得る程度の繁殖率に変化してしまうのであったならば、それでもよろしいが、それではあまりにも生物らしからぬ消極策のような気もする。だからといってもとのままの繁殖率をつづける場合には、この世がいわゆる生存競争の修羅場と化するだけであって、それも無益な抗争を好まぬ生物にとってはふさわしからぬことであろう。だからこの矛盾の、生物らしい円満な解決というのは、その生物社会が食うものと食われるものとの分業に発展することによって、繁殖率を減退させずともその飽和状態を持続することにあるだろうと思う。そしていわばこの量から質への変化を通して、実際は地球上の生物の絶対量も、増加したのである。一つの社会が二つの社会になることによって、一種類の生物が二種類の生物になったのである。  私はこの仮説を簡単化するために地球上をどこでも平等と考えたが、地球上が不平等ならこそ棲み分けが可能となり、そこに同位社会の成立も見たのであった。しかし地球上の平等不平等にかかわらず、このような食性連鎖を通した種の分化形成が行なわれる可能性があってもよい。あってもよいどころではなくて、もしも生物がこの仮説のように積極的な繁殖率を持続するものとすれば、この食うものと食われるものとの関係は生物の社会を平衡状態に保つためには、必要かくべからざる一種の社会的機能でなければならないであろう。もっとも食うものと食われるものとの分離というのも、やはりこれを一種の棲み分けとして解釈できるのであるけれども、それが一次的な相互対立的非混在的な同位社会と異なる点は、この機能を遂行するためにはどうしてもはじめから両種の混在を予想しなければならないところにあり、したがってその棲み分けが元来は一つの同位社会の生成発展ということにあっても、導くところは結局はじめから同位複合社会の構成ということになってしまうのである。しかしこれで一次的な同位社会と同位複合社会との間に一つの明快な連絡が見出されたと思う。そして、これによって私は何故食うものと食われるものとがしばしば類縁の近い間柄であるのかということを説明したつもりであり、それはつまり食うものと食われるものとは元来類縁の近い、同位社会的な関係で結ばれている場合が多いのだから、この関係をもって社会水準の相違をはかる準拠とは必ずしもなし難いということを意味するのである。  するとこの準拠はやはり体の大きさとかその重量とかいったような、生物としてみれば全く卑近な、物質的な性質に求めてみるよりほかないのでなかろうか。こういった性質の正確な生態学的意味がまだよく把握されていないというのでは、今日の生物学のために私としていささか恥かしい思いをしなければならないのであるが、しかし私は解決の手がかりなどというものは案外このような卑近なところにあるものだと考えたい。けれども体の大きさとか重量とかいった数量的表現によって、はたして社会的水準の合理的な識別ができるかどうかを疑う人があるに違いない。そしてその人たちというのは多分自然には飛躍がないということを金科玉条と心得ている人たちであるだろう。なるほど自然に飛躍がないということもいえるのであるかも知れないが、それは世界中の植物や動物を全部ひと処に集めて並べてみた場合に、あるいはそんなことになるかも知れないというだけであって、前にも注意したように、百万種以上にも及ぶ生物の種類の全部が世界のどこにでも見出されるのではけっしてない。ある一定の地域をとって考えれば、そこにはある特定の種類の生物だけしか棲んでいないのである。それでこの地域的な生物の種類相の相異に着眼して、地球上をいろいろな区系に別つ試みは、いままでにも生物地理学者と称せられる人たちによって何度も何度も蒸しかえされて来たのであるが、その人たちの多くは単に生物の種類鑑定家というに過ぎない分類学者であって、生態学の素養に欠くるところがあったためであろう、ほとんど誰一人としてこの種類相の内容について、すなわちいかにしてそれだけの限定された種類のみがその地域内に見出されるのであるかとか、あるいはそれだけの種類がその地域においていかなる機構のもとに共同生活を営んでいるのであるかとかいったようなことまで、考えてみようとする者はなかった。それでこんなことを考えるのは新しく登場してきた生態学者の役目のようになってしまったが、ここで動物生態学者が植物生態学者に一歩の遅れをとるようになったことには深い理由がなければならぬ。そしてそれはやはり植物社会のあの斉一的な景観的性格が植物生態学者に幸したものであったろう。疑う人は森林を訪れてみよ、とくに原始林を訪れてみよ。生活形の分類ということがたとえ今日ほどに喧しくいわれない以前にあっても、ひとは森林の構造における喬木複合社会、灌木複合社会、草本複合社会ないしは蘚苔複合社会相互間の、あの整然とした配列をみたならば、その中のある植物がどの複合社会に属するかについて迷うかもしれないなどと心配することが、いかに非現実的であるかを知るであろう。もっとも喬木といってもはじめから喬木であるのではない、灌木程度の大きさの稚樹から一人前の喬木になるまでの間の、いろいろな程度の生長過程にある木が混在していてこそ、持続的な健全な原始林というべきものでなかろうかという人は、まだ真に原始林を知らない人である。そういう現象は森林の破壊された跡にこそ認められ、安定した森林というものがどこまでも整然とした同位複合社会の配列を示しているということは、すなわち自然に飛躍があるということであり、かりに世界中の樹木を並べたとすれば、灌木から喬木までの移り行きが連続的になるとしても、灌木と喬木という二つの同位複合社会の具体的な存在のあり方は、どこまでも非連続的であるということである。そしてこの非連続さはどこまでも灌木と喬木との大きさの非連続さによってこのように直截的に表現されているものとしなければならないであろう。  さて問題は動物の場合である。私はさきに同じ草原の動物でも、黄羊(ホワイヤン)とバッタとでは社会水準が違う、それは単に大きさだけの問題ではなくて、黄羊のような大きなバッタもいなければバッタのような小さな黄羊もいないということは、要するに哺乳類と昆虫との類縁の相異である、動物の複合社会はまず類縁によって結ばれた生活形共同体でなければならないといっておいた。だから哺乳類の中にだって、カヤネズミやトガリネズミのように、せいぜいバッタ級の大きさしかないようなものも存在してはいるが、それだってやはりバッタといっしょに同位複合社会を構成するものと見なし難いというのは、この類縁の相異による制約があるからであって、この点で植物のようなものでは全部の植物をひとまとめにして考えてよいようなところを、動物ではまず類縁的な一群を切りはなし、その類縁共同体について考えてみなければならないというところに、さきにもいった植物と動物とにおける進化の幅の相違がものをいっているのである。つまり森林という一つの植物共同体をとってみても、その構成要素の中で蘚苔や地衣のような地上にも生え、樹幹にも生えるといったものは、これは類縁的にいっても大分系統が異なり、したがって分離して考えた方がいいものであるが、その他の草本社会、灌木社会ないしは喬木社会の構成員たちは、基本的には同じような生活内容をもち、同じような生活条件を要求しているのである。その意味でそれらを一つの類縁共同体と見なし得る一つの証拠には、類縁の近い間柄のものでもたとえば薔薇科のもののように、一つの種類が喬木になっているかと思えば、他は灌木になっていたり、また荳科のもののように喬木になっているものも、灌木になっているものも、草本になっているものもある。そればかりか同じ種類のものであっても、環境状態の如何によって、灌木になったり喬木になったりするものさえ存在するのだから、こういった三種類の生活形がそれぞれ森林における一つの社会水準を示すものであるといっても、それは類縁的にいえば一つの幅をもって現わされる一つの進化共同体であり、その全体でようやく、動物でいえばたとえば哺乳類といったような、動物全体から見たらその一部分に過ぎないような進化共同体の現わす進化の幅に相当しているということになりそうなのである。  そこでこういう見地に立って哺乳類というものを見てみると、ある地域に棲まっている哺乳類共同体の中にはいろいろなものが含まれていても、その大きさからいえばやはりそこに明確な不連続性があるように思われるのである。だからこの不連続性がやはり社会水準の相異であり、同位複合社会識別の準拠に値するであろうと考えることによって、一応植物共同体の場合と同一の立場にたって動物共同体の構造を考えてみることができるようになったのである。いまやわれわれは象と鼠とが同位社会的存在でないということを、自信をもって断言していいだろう。ただ動物にあっては、これも充分予想のつくことではあるが、植物のように類縁の近いものが異なった社会水準に跨(また)がるようなことが少ないということは、動物の生活の場が植物よりも複雑であって、環境の主体化はすなわち主体の環境化であり、主体が分化して環境に適応して行くことにほかならなかったから、勢い種の形成が促進され、相互間の分離が深刻となったためであるだろう。この点で哺乳類の中でも食肉類に異なった社会水準に跨がる傾向の認められることは、彼らの体制に環境の烙印の押され方が比較的少ないことと一致しているようで面白いと思う。それにしても一つの進化共同体に属する動物の大きさが不連続的であり、そこに社会水準の相異が認められるということをいかに説明するべきであろうか。森林の場合ならば整然とした同位複合社会の配列ということも、恐らく光なり地下養料なりの分配に対する、それがもっとも合理的な、というのはお互いの間の抗争を避けてしかもそれがお互いにお互いをもっとも効果的に生かす配置状態であることを意味するであろう。それはやはり一つの進化共同体内の平衡でなければならない。しからば動物の場合だってやはりこれと同じことが考えられないであろうか。ここのところを私はさきにあげた仮説の延長として、取扱えるものかどうか試してみようと思う。  食うものと食われるものとの分業によって、ここに一つの同位複合社会ができたのである。しかしそれがいかに一つのものの生成発展を意味するといったところで、食うものの方は食わなければ生きて行けないのだし、食われるものの方は食われたら生きて行けないのである。食うものが大きくより強力になることはすなわち食うことを確実にすることである。しかし食われるものが大きくなり強力になることはすなわち食われないことをより確実にする意味を持つであろう。その結果は一種のシーソーゲームで食うものも食われるものもともに大きくなって行くと考えられる。大きくなることができなかったものは恐らくもっとも容易に食われてしまうであろう。だが一層のこと小さくなればどうであろう。ある程度まで小さくなれば確かに大きな敵の目をくらますといったようなことが可能になる。しかし食うものだってそうなればやはり身体を小さくしてこれを追って来ないにも限らない。たとえ追ってこなくとも、小さくなって一旦成功したものの間には、その中からいつか食うものと食われるものとの分業が起らなくてはならないというのは、先の仮説に従い、それをそのまま適用した結果に他ならないのである。かくして一つの同位複合社会が二つの同位複合社会に別れる。それと共に生物はその種類数を増し、個体の絶対数もまたこれに伴って増加したのである。  ではその次にはどうなるであろうか。  一体こうして成立した二つの同位複合社会が、その相互関係において一種の平衡状態にあるものとするならば、この平衡というのは断絶による平衡とでもいおうか、原則としては相互の間の不干渉によって成り立った平衡なのである。それはたとえば大きくなったものがふたたび小さくなろうとし、小さくなったものがふたたび大きくなろうとして、この一種の不干渉地帯へ踏み込んでも、小さいなら小さいなりに大きいなら大きいなりに、この二つの同位複合社会のいずれかに属するような小ささなり大きさなりでない限り、中間的存在は一切これを許容しないというのでなければ、そもそもこうした同位複合社会の成立与件と矛盾を起してくるような、社会構造上の性格的断絶であるともいえる。だから次の発展の方向は発端において与えられた二方向によるのほかはない、すなわち大きくなったものはさらに大きくなる方向へ同位複合社会を分離し、小さくなったものはさらに小さくなる方向へと分離して行くより他ないのである。  もっとも実際はこの仮説と違って地球上が不平等なのであるし、われわれもまたこんな簡単な説明で満足しているものではけっしてないが、この中にさえ幾分かの真理は含まれているであろうと思う。生物の種類が百万以上もあっても、その大部分は動物が占めており、またその動物の種類数も、陸上に棲むものが海中に棲むものの四倍の数に達しているといったようなことは、要するにこの地球上の不平等さに応じて、生物が同位社会なり同位複合社会なりを構成しつつ、能うる限り能率的な繁殖をつづけて行った結果と見ればよいであろう。そして自然の不継続というようなことも、私は同位複合社会の水準分離に際してはじめてこれを前面に持ち出して来たが、実は類縁というもの自身がこれを反映してすでに不連続なのである。だからして哺乳類共同体とか昆虫共同体とかいうものを考える可能性があるのである。昆虫共同体は一つの類縁共同体であり進化共同体であるといっても、その中にはやはり類縁の不連続さが含まれている。昆虫はどれもこれも小さいものばかりと考えるのは哺乳類のようなものと比較するからであって、昆虫の中の小さなものと大きいものとを較べたならば、あるいは鼠と象との違いよりも、その違いは大きくなるかも知れない。しかしそうだからといってこの量の比較が、いつでもそのままその質の比較になっているだろうか。なるほど昆虫と哺乳類とは動物分類学上からみれば同じ分類学的位階を占めるものではあるが、その生態学的内容からみれば鼠と象との違いよりも蟻とバッタとの違いの方がはるかに大きいのではあるまいか。私がさきに昆虫は昆虫で一つの同位複合社会を形成しているといったことは、多分訂正されねばならないのであろう。だがその訂正は哺乳類の立場からではなく、昆虫の立場にたって訂正されるべきである。そして類縁といってもどこまでも類縁の不連続さが分析の手がかりであり、一方ではまた類縁共同体の構成員たちの体の大きさ、重量あるいは運動量といったものの不連続さが手がかりとなって、実際の生活の場における彼らの相互関係が社会構造論的に明らかにされねばならないというのが私の考えである。動物共同体といえばすぐいたずらにその全体的把握にのみ走ろうとする現代の風潮に慊(あきた)らなくなったので、生物の世界をこの世界の具体的な一表現として、とにかく曲りなりにでもこれを理論的に体系づけて行こうと試みたのであるが、まだまだ実力の足らなさを感ずるばかりである。 五 歴史について  この世界を成り立たせているいろいろなものが、お互いに無関係なでたらめな存在ではなくて、それらはすべてこの世界という一つの大きな、全体的な体系の構成要素である。この世界はこれらの構成要素から成り立った一つの構造を持った世界であるということを、生物の世界について明らかにするために、私は前章で生物の社会ということをかなり詳しく論じてみたのである。いまもう一度その要点だけをふりかえって考えてみると、生物の個体なるものは、それがそこに生れ、そこに生活し、そしてそこに死んで行く種社会なるものの構成要素として、同種の他の個体に対するものであり、種社会なるものもまた、それは同位社会の構成要素として、他の種社会に対するものであった。そして種社会といい同位社会というも、それらはもともと血縁的関係にその成立の地盤を持つものであり、そういった血縁共同体の構造として、元来時間的なるべきものが空間的となっていったところに、その発展の契機を認めるとともに、それがまた生物そのものの発展の一様式であると考えたのである。これに対して同位複合社会というものは、この時間的なるものが空間的となるべきところを、逆に空間的となるべきものが時間的となっていった。そしてわれわれはそこにもまた生物そのものの一つの別な発展様式を考えてみたのである。同位複合社会はそれゆえその成立の地盤として単に血縁的関係ばかりでは説明し切れないもの、すなわちそこにはすでに地縁的関係というものが入り込んできていると見なければならぬ。この同位複合社会がさらに発展していくつかの同位複合社会に別れた場合は、これを断絶によって結ばれた関係であるといったが、その断絶はむしろ血縁的断絶を意味するのであって、これによってその社会成立の地縁的地盤までが失われてしまうのではない。かえって血縁的地盤が稀薄になるのとは反対にその地縁的地盤が顕著に認められるようになるであろう。われわれが具体的な生物共同体として把握するものは、これを分析すればいくつかの同位複合社会なり、同位社会なりに別ち得るものではあっても、その全体社会というものはいつもこのような生物の地縁的共同体としてわれわれに認められるものである。またここに生態学がその初歩的操作として、生物共同体を地理的にないしは景観的に類別しようとした理由もあるのである。  このような地縁的共同体としての生物の全体社会が、われわれの眼に映るありのままの自然であり、一方では個体から種社会、同位社会、同位複合社会と総合していった最後的な、その意味では唯一な生物の全体社会でもある。しかしこのような全体社会をわれわれはいかに解したらよいであろうか。その全体性とはいままでに論じてきた種社会やあるいは同位社会に認められたのと同じ意味における全体性であろうか。そもそも生物の個体というものは一つの複雑な有機的統合体である。全体は部分なくしては成立せず、部分はまた全体なくしては成立しないような全体と部分との関係を持しつつ生成発展していくところに、生きた生物があり、生物の生長が認められる。このような全体と部分との、いわば自己同一的な構造を持つものであるゆえに、生物個体の全体性はつねにその主体性となって表現せられるのである。したがってその全体性の発展が主体性の発展であり、発展の結果としてそこに意識作用や精神作用のごとき統制機能が認められるようになったとしても、反対にこういった作用や機能が認められないからといって、その生物からその主体性を否定するわけにはいかないのである。植物個体のもつ全体性だってそれはつねにその主体性として表現せられているのである。全体的なるものはすなわち主体的なるものであり、主体的なるものというのは何らかの意味においてみずからをつくって行くものである。  ところでこのような個体をその構成要素とする種社会というものは、個体に対する一つの基体とも考えられるが、もともと個体が先にあったのでも種が先にあったのでもない。すると個体と種との関係もやはり部分と全体との関係として、それは自己同一的な構造を示すものといえるであろう。したがって種の全体性にはやはり種の主体性といったようなものが考えられてもよいと思う。種もまたみずからをつくり行くものでなければならないのである。種の起原は種自身になければならないのである。もちろん環境ということを考えていないのではない。環境を主体化した種の立場に立って考えているのである。しかしながら生物の種社会というものは、個体の、家族の、あるいは群のそこにおいてある場所としての拡がりを持つという点で、空間的であり、またその意味において形態的であるという以外に、個体に見るような全体性なり主体性なりの表現に乏しいものであるといわざるを得ない。このように解することは確かにわれわれの実感に裏づけられた直言であると思う。恐らく全体としての種において、部分としての個体が、全体としての個体における部分同士のように緊密に結合していないということも、この場合考えられているであろう。そして全体を離れて部分は存在せず、部分を離れて全体が存在し得ないといっても、個体の場合には部分が全体の中に含まれているということはいい得ても、一般には部分の中に全体が含まれているとはいい得ないと考えられているであろう。そしてそれは多分個体が生殖細胞という特殊な部分から再生する現象に捉われすぎているからであろう。けれどもこのことは別の意味ですこぶる重要なのである。生殖細胞から個体が再生するということはつまり個体においてその部分が分化しているということである。個体における全体性ないしは主体性の発展はすなわちこの部分の分化ということに即応するものであった。ここに個体の主体性が発展するところにすなわち世界の主体化があり、個体はすなわち世界の中心であるといったことが思い出される。これに対して種はその部分としての個体間に一般に分化が認められない。個体が種の中に含まれているといえるとともに、どの個体の中にも同じように種が含まれている。どの個体からでも種はつくられて行く可能性がある。個体はすなわち種であり種はすなわち個体である。種は個体に対してかならずしも優位を占めるものではない。もっとも家族や群の場合でも、それらがただちに種であり得るが、家族や群をつくる動物では、家族や群が個体に対して優位を占めるという点で、それはすでに一歩人間の社会に近接してくる。それが人間の社会ということになると、その個体に分業が現われ、その分業の発展がその社会を発展せしめることによって、社会の全体性ないしはその主体性の発展を促したと考えることができるから、この点では個体における全体性の発展と、人間社会における全体性の発展との間に、ある種の並行現象を認めることさえ許されるかも知れないが、生物の種社会は一般にはその個体間に分化ないしは分業の見られぬ社会である。単なる個体の拡がりにすぎぬ平面的な社会である。それだけでは体系的に完結性をもたぬ一つの未発展の社会にすぎない。  ただここで注意すべきは、種すなわち個体であり、種は個体に対してかならずしもその優位を示すものでないということは、その生物の生活条件がしからしめているのであって、原則的理論的には、われわれはどこまでも個体に対する種の優位性を認めなければならぬと思う。平素は孤独的に生活している生物でも、なにかの理由でそれが合目的的に集合している場合には、当然種の優位性が認められることになろうが、それでも種に属する個体全体が集まるというようなことはけっして考えられないであろう。だから一つの孤立した個体なり集団なりに着目すれば、それはその不連続さのためにそれ自身が種であることにもなるけれども、われわれの視野を拡げて行けばこの不連続が連続して、一つの種にはやはり一つの基体的な、そこにその個体全体の生活を含む分布地域としての土地が占有されておるのであり、かくしてみずからに対立すべき同位種と棲み分けを行なっているという点では、どこまでも種自身に具わった全体性、したがってその主体性を認めるのほかないのである。種の全体性ないしは主体性をこのように環境的輪郭的に定めるということになれば、一応はどの生物にもこれを認め得るであろう。しかし種としての分布地域の中で個体の分布が不連続となるのには、環境の不連続さによるものとそうでないものとがあって、いわゆる微細環境に適応していった小動物の分布のごときは、この微細環境の不連続さによる不連続の連続を現わしたものであろうが、これに対して大型哺乳類のごときは肉食獣たると草食獣たるとを問わず、むしろ種としての分布地域内を自律的に棲み分けているものと考えられるから、この場合はかえって連続の不連続ということができる。そしてこのような差異の生じてくる根拠は、結局それぞれの動物個体の環境に対する主体性の違いにあるものと思われるから、種の主体性といっても、その内容はやはり個体の生活内容というか、つまりその棲まう世界の相異を反映したものでなければならないのである。  種社会は分業のない、それ自身としては体系的に未完結な未発展な社会であるといったが、逆に考えればこれは種社会がどこまでも発展して行く可能性をもつということである。同位社会はすでに種社会の発展した一つの形態であり、同位社会を構成する種社会は、それぞれ全体としての同位社会に対する部分として分化したものであるから、分業が認められるといっていえないこともなかろうが、それはまだ種社会の平面的な発展にすぎない。それはまだ種社会と同じように体系的には未完結な社会である。しかるに同位複合社会ということになると、それはもうかなりの程度に分業的である。私は前章ではこのことを食うものと食われるものとの分業といって説明したが、かならずしも食うものと食われるものとの関係に限ったわけではない。同じ場所に棲んでいても異なった食物をとれば、それも一つの分業であるが、同じ食物をとるにしてもそのとり方が異なっておれば、それはやはり一つの分業なのである。そしてこういう意味からいえば、同位社会は一つの血縁共同体として、同じような生活を営んでいるもの同士から成り立った、いわば一つの同業者共同体、一つの職能組合にたとえることができるかも知れない。これに対して同位複合社会の方はいろいろな職能のものがその中に含まれている。そういういろいろな職能のものが集まって共同生活をしているという点で、共同社会としての同位複合社会は、単なる血縁共同体としての種社会や同位社会よりも社会的に発展したものということができる。もちろん同位複合社会には同位複合社会としての全体性というものが考えられるであろう。けれども血縁の異なり、職能の異なったものの共同生活である同位複合社会には、それを構成する一々の生物が、全体としてその運命をともにしなければならないような理由も具わってはいないであろう。一々の生物はどこまでも一々の生物として主体的に生きようとしているものである。だからその全体性というものは、要するにこれらの異なったもの同士の共存において認められる、一つの平衡にすぎないと思われる。そしてこの平衡状態をもって仮りにこの社会の現わす構造と見なすならば、その全体性とはすなわちこの構造上の全体性であり、また構造という以上はそこにその完結性ということも考えられていいであろう。われわれは同位複合社会にしてはじめて社会組織ということを考えるのである。  同位複合社会といえどもなおそれ自身として完結したものではない。それはいわば社会組織における一つの階級に相当するものと考えられる。一つの階級の中にもいろいろな職能のものが見出され、あるいは実直な働き手もあり、顔役もあるかと思えば、その社会の居候同様なものもあるであろうが、しかし階級は他の階級の存在することによって階級なのである。だからいくつかの同位複合社会の共存は、これを階級的共存と見ることによって、ここにわれわれは全体社会としての生物共同体をはじめて一つの完結性をもった社会組織と認めることができるのであると思う。それがわれわれの認め得る唯一の生物の全体社会であるという意味で、その完結性を認めるのでなく、むしろその社会組織としての完結性を認めようというのである。しかし真にこの全体社会の完結性を論じようというのならば、それはわれわれが眼の前に見ている、任意な生物共同体をもってしてはなお不充分であろう。そのような生物共同体が全体社会として一つの類型的なものであるということは、すなわちそれが地球上における生物共同体の、地球上の場に応じた一つの位相であることを示すものである。そしてそのような位相の現われとは、もともといろいろな同位社会における種の棲み分けに根拠を持つものであり、この棲み分けがどの同位社会をとってみても厳密に同じように行なわれているのでない限り、一つの類型的な生物共同体がそれ自体として一つの血縁共同体のように形態的な完結性を示し得ないであろうことは、同位複合社会の場合と同様であろうと思う。だから地縁的共同体として考えられる一つの生物共同体における各成員の共存は、むしろその場における一種の遭遇であり合致(コインシデンス)である。彼らを統合する原理が組織上の平衡ということにあるとしても、その平衡さえとれるものならば、極端にいえばその成員の類縁とか質とかいうものはさまで問題ではない。しかしもし類縁とか質とかいうことすなわち生物の種類とか、あるいはこの種類相に立脚した類型とかいうことを考えるのであったならば、それは平面的であるといった同位社会にまで戻って、どこまでもその拡がりを追求して行かねばならぬ。そしてその拡がりの限界とは結局地球のもった限界でなければならぬ。だから生物の全体社会という以上、その真の完結性は地球の現わす完結性に由来するものでなければならないし、また地球全体の生物を考えるときにのみ、われわれは生物社会のほんとうの全体性というものを考えることができるのである。そしてこのように地球上の生物全体を含んだ一つの生物共同体ないしは生命共同体が、いわば全体としての生物の世界ででもある。このように考えてくると生物の世界というものは、個体と世界とをその両極に持ったもののようにも解せられるであろう。個体はそれぞれが一つの世界の中心として、種社会・同位社会・同位複合社会・全体社会といったものを介して世界に通じている。もちろんこれらの社会もまたそれぞれに世界の一つの中心として考えられるであろう。しかしこれらの社会は要するにこれを個体のそこにおいてある場所と解することによって、実際は世界の一極としての個体もつねに世界に接し、つねに世界に対して働きかけているものであるということができるのである。  ところで生物の世界もしくはこの生物共同体としての全体社会が、上にのべたような意味において自己完結性をもつということは、このような全体社会がどこまでも持続して行くということを否定せしめるものでなければならぬ。一つの全体社会はそれ自身の特徴を持って出発し、その特徴を発揮することによって発展するが、その発展の頂点に達したならば、それはおそかれ早かれ自己解体を起し、その崩壊によって今後は新たに別な特徴を持った全体社会が発展しはじめる。生物の世界を成り立たせているいろいろな生物は、もと一つのものから分化発展したものであるということに間違いはなくても、この生物の世界の歴史を、単なる生長、われわれの身体がだんだん生長して行くような連続的な、一種の直線的な発展のように考えることは、正しい物の見方とは思われない。古生物学者が化石の研究によって編纂した生物の世界の歴史を繙(ひもと)いてみれば、このことはただちにわかるのであって、そのいわゆる全体社会は何回も変革に遭っては、また新しく建て直されてきたのである。そのかみの遠い昔のことはさておき、中生代が爬虫類の時代といわれるのは、この中生代を通して爬虫類という一つの類縁共同体が生物の世界を支配した、その支配的階級を占めた。その時代に他の動物が存在しなかったわけではない。魚類も昆虫類もすでに棲息しておったのである。しかしその時代は爬虫類的な特徴の発展がすなわち生物の世界の発展であった。いい換えるならば爬虫類が新しい世界を創造して行ったのであって、魚類も昆虫類もこの時代の歴史的発展には積極的に参与しておらなかったといえるのである。われわれはこの場合魚類や昆虫類をさしおいて、どうして爬虫類が支配的階級を占め得たかという、くわしい経緯を知らないが、ただ爬虫類が全体社会における最優位な支配階級を占め得たことによって、その発展が促進され、時代を特徴づけるような巨歩的な創造が可能となったのであろうと思われる。そしてそれは最優位を占める同位複合社会にあっては、もはやそれを形成している生物の頭を押えるような他の生物が存在せぬということによって推察し得るところである。かくして爬虫類は地球上のあらゆる環境に適応進化し、同位社会を拡げ同位複合社会を分離して行くとともに、食うものと食われるものとの関係においては、その大きさの競(せ)り上げを遠慮なく高めることができたから、しまいには怪物のように巨大な爬虫類までつくり出されることとなって、世界は全く爬虫類の王国といった感じを呈したことだったろうと想像せられる。  しかしこの爬虫類の王国にもついに覆滅のときがきた。この爬虫類滅亡の原因について、ある人は気候の変化を想像し、ある人はまた地殻の変動を考える。たとえば地質学者のいわゆるララミッド変革をもってこれに対応せしめるようなものである。だが恐らく環境の変動はこの偉大なる王国の崩壊に対する一つの契機となったものではあるだろうが、それが唯一の原因ではあるまいと思われる。原因はむしろ生物の側にあり、その全体社会の自己完結性に内在していたものと見なさなければならない。もっとも可能性の少ないのは、次いで勃興するべき哺乳類との生存競争の結果、爬虫類が知能的に破れたと考える説であって、それは生物の世界の構造ないしはその社会組織を知らない人のいうことであろう。生物の社会における階級としての同位複合社会は、お互いの間を断絶によって結ばれた関係にあるといった。その意味で階級は一種の身分社会である。任意に他の階級と抗争を起し、他の階級を打ち敗(ま)かしてこれに代ることのできぬ限定的な保守的な社会である。かくのごとき階級が社会組織において、それぞれの地位を守っているところに、生物の社会の平衡が保たれ、そこにまた全体社会としての全体性も認められたのである。しかるにこの社会の支配階級が倒れたとき社会がそのまま萎縮してしまわないで、どこからか新しいものが出てきて、これに代るべき支配階級を建設して行くということは一体何を意味するであろうか。ここにわれわれはこの生物の世界における生物全体社会の社会組織的な完結性というものを認めざるを得ないとともに、また一つの階級としての同位複合社会では、なおそれ自身として完結性を持たないものであると考えざるを得ない一つの根拠がある。そしてこの全体社会が失われた階級を新たにつくって行く働きと、全体性を持った生物個体が失われた部分を再生して行く現象とを比較して、それを一種の相似現象と見なし、この再生作用の中に両者のもつ全体性に即した主体性の相似を認めようというのであるならば、そのような主体性は恐らく種社会にも同位社会にも同位複合社会にも認められていいものであろう。ただ再生といっても分化の認められぬ種社会のようなものの場合には、単なる個体の増殖ということによってその目的が達せられるであろうが、同位社会や同位複合社会の場合には、そこにもはや新種の形成ということが必要とされてくるであろう。そしてそれがさらに全体社会における階級の再生ということになれば、いくつかの新種が形成されねばならぬ。だからそれはもはや単なる再生ではなくして創造である。全体社会の再生こそは生物の世界におけるもっとも大きな創造性の発現でなければならぬ。  われわれはこの例を、中生代を代表した爬虫類の滅亡後に、これに代って新生代の代表者となった哺乳類と鳥類との進化において、もっとも如実に見ることができるのである。いま哺乳類を例にとるならば、彼らはかつて爬虫類が占めていた生活の場で、その滅亡のためにいわば空き場となった処を占めるべく、それぞれに適応して行った結果、やがてそれらの場は一つ残らずといっていいぐらいに哺乳類のそれぞれな種類によって満たされることとなった。草食のものもあればこれを捕食するものもあり、海中生活をするもの、沼沢生活をするもの、樹上生活をするもの、さては蝙蝠(こうもり)のように飛翔生活をするものさえ生じた。そればかりではない、巨大な爬虫類の占めた社会的地位はやはり巨大な哺乳類の出現によって踏襲された。かくして哺乳類が失われた支配階級を再建したとき、そして生物の全体社会がいま一度その平衡を得、その完結性に達したとき、新生代はまさしく哺乳類の時代と呼ばれるにふさわしき社会組織を呈するに至ったのである。そしてその発展の頂点は、多分その身体の大きさによって、象が一番力の強い動物となって他の動物に君臨し、象の一族が地球上にもっとも広く分布したその時代であったであろう。その象の一族もいまでは大方亡びてしまい、生き残ったものは家畜化され人間に使われて、荷物など運んでいる有様を見るとき、有為転変とはいうものの、われわれはもはやはかなくも過ぎ去ってしまった哺乳類の全盛時代を偲んでうたた感慨に堪えないものがある。  さて私はさきに、爬虫類がどういう経緯で支配階級になったかは知らないが、支配階級をかち得た爬虫類がその時代を代表するような創造をなしたのであって、魚類も昆虫類もその場合は積極的にこの創造に参与していないと見なし得るといった。ところでいまこれと同じようなことが哺乳類の時代にもいい得るのである。爬虫類といってもそのすべてが滅亡したわけではなく鰐や蛇や亀などはいまでも現存しているのである。しかし哺乳類のめざましい創造進化の時代に、これらの残党がどれだけ進化したことだろうか。もちろん彼らといえども新しい時代に適応するだけの変化が必要であっただろう。その変化を遂げたればこそ彼らが今日まで残存しているのだともいえる。そしてその変化といえどもその意味においてはやはり進化にほかならないであろう。進化という以上それは何らかの形における創造であったであろう。およそこの空間的時間的な世界において絶対の現状維持はなにものにも許されない。生物が生きるということの根底もこの現状維持が許されないところにある。生物が生きるということは働くということであり、作られたものが作るものを作って行くということである。個体の生長にも世代の連続にも、理論的には単なる繰り返しというものはなくて、どこかにかならず新しいものが作られているであろう。進化は創造であり、創造性は生きるものの属性であると考えられねばならない。それにしても爬虫類の残党が哺乳類のめざましい飛躍発展に比較すれば、ほとんど比較にならないほど遅々とした進化しかしておらないということは、一概に進化といっても、それはすべての生物に同じ速度で表現されているものでない。生きるということは働くことであり作ることであり、その意味ではすべての生物の日々の生活が進化に触れていなければならないという意味の、一般的な進化は実はこの爬虫類の残党に見られるようにすこぶる微細な進化である。何百代を重ね、何千年を経たところで、われわれの眼にほとんどその変化が認められぬような遅々たる進化である。もちろんわれわれの短い一生の間ぐらいでこの進化が立証されるようなものではなかろう。このことは爬虫類ばかりについていわれることではない。魚類や昆虫類もやはり哺乳類の時代を通じてほとんど進化らしい進化はしていないのである。だから彼らは爬虫類・哺乳類の両時代を通じてほとんど進化しなかった。彼らはいずれも被支配階級に属した。彼らはいわば庶民階級であった。支配者が爬虫類であろうと哺乳類であろうと大して問題ではなかった。時代を担い時代をつくって行くだけの大幅の進化をすることは、いわば支配階級に一任された形である。そして新生代は哺乳類が爬虫類に代って新たに支配階級となったから、そこで哺乳類のみが飛躍的な進化を遂げたと考えるのである。と同時にこのような飛躍的な進化は、庶民階級の微細な日常生活的進化をいくら累積しても、それによってはとうてい到達できるものではあるまいと考えられる。  だがこの一躍時代の寵児となった哺乳類、このような偉大な創造性を発揮した哺乳類というものは、そもそもどこから現われてきたのであったか。爬虫類の時代には彼らはどんな社会の隅に潜んでいたのであるか。そしてどうして他の動物ではなくて彼らが爬虫類を継ぐべき支配階級となり得たのであるか。今日得られている化石上の資料だけではこれらの問題はいずれもまだ明快には解かれていない。それで一度問題を次のように書き改めて提出することとしたい。すなわち爬虫類の崩壊の際に、どうして昆虫がこれに代って支配階級を占め得なかったのであろうかと。恐らく昆虫類といえどもかつては一度支配階級を占め得たことがあるのではなかろうかと思われるのは、翅の端から端までが一尺もあろうというような、馬鹿に大きな蜻蛉(とんぼ)の化石などが出てくることから推察せられるのである。しかしもちろん昆虫が支配した時代があったとしても、まだ爬虫類も哺乳類も現われてきていなかった時代の社会組織が、それらの高等動物が現われるようになってから後の社会組織と同一であったとは考えるわけに行かない。それはもっと簡単なものであったに違いないのである。そのうちに水中から起った脊椎動物が、その領域を拡げて陸上に侵入してきた。それは多分今日の両棲類が示すような、水陸両棲の一時代を経て爬虫類に発展したものであろうが、この意外な場所から意外な侵入者が現われたことによって、どのような変化がその社会組織の上にもたらされたと考えられるであろうか。彼らがお互いに殺戮(さつりく)し合わないで共存するためには、同位社会なり同位複合社会なりを形成すればよいといえるかも知れないが、それにはこの二つの類縁共同体が、系統的にあまりにもかけ離れすぎていた。そこに残された唯一の解決は恐らくこの二つの類縁共同体が、それぞれ一つの階級としての別々な同位複合社会をつくることであり、それは結局同位複合社会の追加として、今までの社会組織の発展を意味するものであったろう。そしてその際昆虫類は両棲類に支配を譲ったから、昆虫類はそれから被支配階級として次第に身体が小さくなり、両棲類の方は支配階級として次第に身体を大きくしていったであろうということが想像される。もちろんこれは単なる想像にすぎないとしても、ここで注意されるべきは爬虫類が両棲類の道をたどって発展したであろうと考えられることである。そしてそれは他でもない、爬虫類と両棲類との類縁関係が物語るところである。しかるに今度は鳥類や哺乳類がまた爬虫類にもっとも類縁が近いというに至っては、変革ごとに支配階級が変ったといっても、それは同じ一つの脊椎動物共同体における支配階級の交代である。少なくとも脊椎動物が地上に現われて以来、支配階級は脊椎動物によって独占されていたということになる。このように考えてくるとなるほど爬虫類の時代は爬虫類の時代として、それ自体完結性を持ったものではあろうけれども、爬虫類の時代と哺乳類の時代とが全然縁の切れたものであるというようには思われない。むしろ哺乳類の時代を建設して行った哺乳類の先祖というものは、どこから出て来たものでもない、実は爬虫類の時代にすでにその爬虫類の社会自身のうちに胚胎されていたものと考えざるを得ないのである。つまり爬虫類の社会が変革を経て哺乳類の社会へ変ったと見るから、そこに断絶されたものがあるようにも思えるが、この変革(レボリユーシヨン)を通して爬虫類が哺乳類に変態(メタモーフオーゼ)したと見れば、それはつづいているのである。そして先にも述べたように、哺乳類時代の社会組織というものは、爬虫類時代のそれを発展せしめたものというよりも、どちらかといえばその複製(レプロダクシヨン)に近いものであった。だからそれは哺乳類という変態し進化した爬虫類が、爬虫類の時代を再建したようなものであるともいえる。このように次の支配階級を担うべきものが崩壊するべき支配階級の中から出てくるといったところに、われわれは生物の社会における階級がどこまでも身分社会というにふさわしい性質を帯びたものであることを知るとともに、身分社会なるがゆえに庶民階級としての昆虫類からでは、所詮なろうにも支配階級にはなり得なかったという解釈もつくのである。  いったん支配階級を他の動物に譲った昆虫類の、その後に進むべき途はおのずからきまっていた。彼らがより上位を占める他の同位複合社会との摩擦をさけるためにその身体を小さくしていったということは、彼らが大きい動物の侵入し得ないような、生活の場を求めてそこに安住していったということである。しかしここで一応思い出しておかねばならぬことがある。それは生物というものは、その身体を唯一の道具とし、また手段として生きて行かねばならないということである。しかもその身体というものは親譲りの身体であり、その身体のうちに、彼の祖先たちが経験してきた歴史のすべてが象徴されているともいえよう。過去はどうすることもできないという意味において、この身体はどうすることもできないものである。それはすでにつくられたものであり与えられたものである。翅のないものには空飛ぶ生活は許されないであろう。鰭(ひれ)のないものには水潜る生活は許されないであろう。それは生活の限定であり、拘束である。だから彼らの生活様式を、身体によって生計を樹てる機能にたとえたならば、このことは彼らが世襲された職能を持つということになるであろう。しかしもちろんそのような身体がはじめから存在したのではなく、作られたというのは作ったもののあることである。昆虫類だってもとはその原型とでもいうべきものであって、ある時代にそれがいろいろな環境へ拡がっていったものに違いない。ところで環境の主体化はつねに主体の環境化であった。身体の環境化であった。生物自体はかりに自由な創造性をもっていたとしても、その創造性を限定するものが環境であった。だからその意味では作られたものとしての環境が逆に生物を作ったともいえる。そしてそのようにして作られた生物はまたそのような環境をもっとも好適なる生活の場として求めたであろうから、この環境と生物との交互作用が進めば進むほど、あるいは身体が特殊化してくればくるほど、その場から離れにくくなり、ますますその方向に深入りしていったであろう。しかしそのために生物がもはや創造性を失ってしまったかのごとく見なしてしまうのがはたして正しいであろうか。  私は彼らが世襲された職能を持ち、その職場を守って次第に彼らの天賦の職能に専門化していったということは、りっぱな創造性の現われであったと考える。ただ六本の脚をうけついだものはその六本の脚をできるだけ活用するより他なかった。その結果として、今日の昆虫はかつての昆虫よりも確かに身体は小さくなったであろうが、小さいなりにもキリリと身が締っていて、化石に出てくるような、図体ばかりが大きくてどことなくブヨブヨとした間の抜けた感じを与えるようなものが減ってきていることも事実である。それはあたかもわれわれの製作する機械が、精巧になり、その性能が高められてくるほど、整ってくる、一種の美観をさえ呈してくるのにもたとえられるであろう。けれどもすでに彼らが世襲の職能をもったところに、彼らの社会が身分社会とならざるを得ない根拠があったのである。彼らがその職場をその職能をすてて、明日からでも支配階級に立ち得るといった自由を持ち合わさなかったのは、生活の唯一のもとでたるべき身体をすっかり環境に投資してしまったものがもつ無限の悲哀でなければならぬ。それならなぜそこまで行きつく前に方向変換をはからなかったのだ。それぐらいのことは充分できるだけの創造性を彼らは持ち合わせていたと私は信ずる。ただ彼らはその根底において現状維持を欲する保守主義者であり、無益な抗争を好まぬ平和主義者であった。分を守ってなるだけ多くのものが平和な共同生活を営み、その共同生活を繁栄させることができたらそれでよかった。むろんこれは人間的な解釈であろう。生物の社会組織に秩序があり、平衡があり、それを通して生物共同体の全体性なり主体性なりが認められるといっても、この社会組織は発展してきたものであり、生物共同体の構成員は次第に増加してきたのである。それをどこまでも包容してきたというのは職能の分化職場の分化という分業がしからしめるものであって、階級が身分社会として断絶によって結ばれるようになったことも、やはりこの分業の徹底化であったろう。こうして生物の世界は全体としてはどこまでも一つのものでありながら、それはまたつねにそれぞれの生物を中心とした世界の統合体ででもあった。そしてこの一即多多即一というごとき生物の世界の自己同一的な性格の現われを、生物の側に反映して考えるときには、おのずから目的論的な人間的な解釈になってしまうのではあるまいかとも思われる。  理論的にいえばこの生物の世界の自己同一性を通して、どの個体もどの種も、あるいはどの階級も世界に触れ世界の創造に参与しているものでなければならない。しかしこの創造ということさえ、これを画期的な創造に限定してしまえばやはり分業的にこの創造にあたるものがきまっている。それは支配階級にのみ許された特権だということになる。すると生物の世界の歴史、生物進化史というものも、それは一応支配階級の興亡史であると定義されるかも知れない。しかもこの支配階級もやはり身分社会であって、支配階級は支配階級より生ずるという点がどこまでも生物的である。中生代以後の歴史は要するに支配階級としての脊椎動物共同体の興亡史でもあり、またその発達史でもある。人間は哺乳類共同体の中から起り、哺乳類に代って一応は生物の社会の支配階級を占めたものであるといえる。それから後の歴史が正(まさ)しく人間の歴史であろう。進化史を生噛(なまかじ)りすると、とかく人間の次に世界を支配するものは何だろうかということに興味が持たれるらしく、それはバクテリアだ、いや昆虫だなどと勝手なことがいわれるようであるが、バクテリアや昆虫の子孫が人間のような支配階級になるということは、ちょうど人間の子孫がバクテリアや昆虫のようなものになると考えるのと同じ程度にあり得べからざることであらねばならぬ。一体進化史に値するような創造的進化さえ、それが分業的にその時代の支配階級に一任されていたとすれば、そして新しく起った支配階級がしばしばそれまでの支配階級の残党を一段低い階級として、新しい社会組織を打ち建てていったとしたらどうであろう。現在の世界を成り立たせている生物はこれすべて現在に生きているものではあっても、彼らは歴史的時代的にはそれぞれ異なっているはずである。そのように異なったものがもし雑然と雑居しているのだったら生物の社会組織に秩序なんかあったものではないが、それが階級として段階的に、非連続的連続をもって組織の一環をなしているところにすこぶる妙味が感ぜられるのである。そしてこの組織というのは旧時代のものといえども、適当な地位さえ占め得たならばそれで存続して行けるとともに、存続して行こうとするものはその地位を守って行くより仕方がないといった仕組になっているものと考えられる。だからこのように考えてくると創造的進化というような歴史的役割りを果すべき機会は、どの生物にだって一度きりよりない。現在は人間が支配階級で大いに創造的進化を遂げているときだから、もう他のあらゆる生物はその一度きりよりない機会にその役割りを果してきたものだといわねばならぬ。むろん現在のバクテリアや昆虫が彼らの黄金時代のものと同一であるとはいわない。だがバクテリアや昆虫も、あるいはもっと新しい獣や鳥さえも、この意味ではもうその役割りを果したものであることに何らの変りもないであろう。ひとはよく自然は単なる繰り返しであるに過ぎないなどというが、それは抽象された法則的自然のことであるだろう。われわれとともにある具体的自然というものは法則的自然ではない。生物もこれを自然として見る以上、少なくともこのような進化の事実をただ単なる自然の繰り返しといってしまうわけには行かないものがある。生物一般に人間のような個性を認めるわけには行かないかも知らぬが、生物の種には種の個性があり、種の歴史がある。歴史を自然に対立させ、歴史を人間だけのもののように考える人たちの反省を促す必要がないであろうか。  さて私はさきほどの問題の解答をここで簡単にしておかねばならない。人間の次に世界を支配するものは何だろうか。恐らく人間の支配はまだまだつづくことだろうが、人間の発展にも限度があると考えられてよいと思う。しかし心配しなくても今の人間に代って立つべきものは——もはや人間と呼ばれるべきものでないかも知れぬが——今の人間の中に胚胎されていなければならぬ。今の人間の中からつくり出されねばならぬ。それが進化史の教えるところである。  私はこの小著の中で、種の起原すなわち新種がいかにしてつくり出されるか、というメカニズムについては述べるつもりはない。それは今日実験遺伝学の取扱っている問題であるから、私のようなその方面の素人がよくするところでもないのである。しかし種の起原はダーウィン以来進化論の中心問題と見なされてきた。その限りにおいて私もまた以上に述べきたったところを、も一度種の起原という立場から見直すことによって、種の起原がはたしていかなる点において進化論の中心問題たり得るのであるかといったことを、できるならば追求吟味してみたいと思う。そしてできるならば私の世界観が立脚する進化論と、現在伝統的に正統視せられている進化論との、基礎的な相違を明らかにすることによって、この小著の結論に代えたいのである。  すでに述べたように、ある類縁共同体が飛躍的な進化を遂げるべき時代は歴史的にきまっていた。その意味で現代は正(まさ)しく人類の時代なのである。かつては飛躍的な創造的な進化を成し遂げた生物が、今ではほとんど進化をしていないもののように見えるのは、彼らが生物全体の社会組織の上で、一定の地位ないしは職能ともいうべきものを占めている。あるいはそのような地位関係ないしは職能関係というものを通して、彼らは生物共同体の一構成員として、他の構成員たちとの共同生活を営み得るのである。みだりにその地位を変えその職能を変えるということは社会組織の破壊であるが、彼らの地位や職能の具体的表現ともいうべき親譲りの身体が一朝一夕で変えられないことと、彼ら自身がみだりにむだな抗争をしないこととによってその社会組織は平衡を得ている。ただ最優位の支配階級を占めているもののみはある限度までその頭を押えるもののないことによって進化をつづける可能性がある、というような総括のうちに私の見解は要約されているはずである。そしてこの見解の中には、かつては素晴しい飛躍的進化をとげたが、今ではほとんど進化しているようには見えないからといって、その生物の創造性を頭から否定してしまうつもりはどこにもないのである。進化の促進されるかされないかは要するに生物の全体社会における、その生物の社会的な場によってきまるものであって、生物はどこまでも創造性を具えたものでなければならないと考えるのである。もちろんこの創造性がどの生物でも同じであるとはいえないであろう。しかし人間が野生の動物を捕えてきて、これを家畜化した場合に、いろいろな変異(バリエーシヨン)が現われてくるということは一体何によるのであろうか。私の見解によるならば、それはその動物が自然のままな生物共同体の一員としての生活を清算して、人間社会に転籍せられ、人間の保護下に家畜として、全く異なった生活の場を与えられたがために、いい換えるならば生物共同体における進化の社会的制約が取り去られたがために、顕現してきたその創造性のしからしめるところにほかならないのである。だからダーウィンが飼育動植物における変異性ということから、自然状態に生活する動植物にもまたこれと同じように変異が存在するであろうと考えたことは、いままでにもしばしば指摘されたように、彼の進化論の構想が、その出発の第一歩において誤っていたのではないかを疑わしめるに充分である。  いうまでもなく進化論で問題になる変異は遺伝的な変異である。このような変異が悠久なる世代の連続を通して、何千年何万年ないしは何百万年の間に蓄積されて、自然生活を営む動植物といえども次第に変って行くという一般論は誰だって否定すまい。これを否定することは進化の否定でしかないから。しかしその変異ははたしてダーウィンが飼育生物に認めたようなでたらめな、気紛れな、無方向な変異であるだろうか。もしくはあってよいだろうか。この気紛れな無方向な変異の中から、人間は自分の気に入ったものを残し、気に入らないものを抹殺して行った。そうして自分の望むような飼育生物を人間がつくっていったことを人為淘汰というのである。自然状態においてもこれと同じように、気紛れな無方向な変異の中で、生存競争という篩(ふるい)をかけることによって適者は残るが不適者は残り得ない。だから次第に適者の子孫のみが栄えるようになるというのが、自然淘汰説であって、もともと人為淘汰によって示唆され、人為を自然に置きかえたものに過ぎないと思われるにもかかわらず、進化学説としてそれはついに一世を風靡するまでに至った。しかし自然における変異ははたして気紛れな無方向なものであるだろうか。もしくはあってよいだろうか。もちろん気紛れとか無方向とかいっても、人間の子供に魚が生れたり、魚の子供に人間が生れたりはしない。つまり瓜の蔓(つる)には茄子はならない。親の身体はどこまでも作られたもの過去のものとして、作るもの未来のものとしての子供の身体を限定している。かかる限定の範囲内における三六〇度の変異可能性を無方向といっているのである。  しかし身体というがその身体も生活の現われにほかならない。身体というものを通して生物と環境とが交互に働き合うところに生活の根底があると考えたのである。身体はその意味で生物にとって主体的なものと考えれば、それはどこまでも主体的なものであろうけれども、環境的物質的に考えるならば、それはどこまでも環境の延長であり、環境の代弁者であるにすぎない。ところで自然淘汰説というものは生物の環境に対する働きかけというものを全然認めないで、環境の生物に対する働きかけだけを取り上げているのでなかろうか。何故というに、生物が上にのべたような意味での三六〇度の変異をはたして現わすものとするならば、生物は環境に対して、全然これを認めることすらできない全く盲目的な存在である。そうなると主体性などと難しくいわなくても、生物が生きるということがわからなくなるはずだ。生きるということは死ぬということに対している。いや生物が生きるといった場合には、この生きるか死ぬかのうちで生物が生きることを選んだから生きているのだともいえる。何故生きることを選んだかといえば、それは生物存立の根本原理がこの世界存立の根本原理によって導かれているからである。だから生物が生きることを選ぶのは必然的なものかも知れないが、その必然性の背後には選択の自由ということがどこかしらにおぼろげながらも感ぜられはしないであろうか。具体的にいえば、生物が食物をとるのも、敵を避けるのも、配偶を求めるのも、みな生きるための必然がしからしめるところではあろうが、食物も敵も配偶もみなこれ一種の環境である。だからこのようなものを認めるということは環境全体の中からとくにこのようなものを生物が選んだのである。すなわち認めることは選ぶことである。口の中へ入ってから食物となり、食われてから敵となり、交尾してから配偶となるのではない。環境は生物の方から働きかけてこそ生物を生かすものとなるが、生物がもし働きかけなかったならば恐らく環境は生物を殺し、これを単なる物質に変えてしまうであろう。生物が環境を認めることは環境に対する働きかけであり、それはすなわち環境の生物による選択である。それを必然的なものと見れば本能ということにもなるであろう。しかしそれは必然であってもよいが必然の自由である。決定にして未決定のものである。単なる必然、単なる決定をもってしては、生物の進化はついに解き得ない謎とならざるを得ない。  もちろん生物が変異することは進化の端緒であり、創造の示現である。だから自然淘汰説は三六〇度の変異を認めて、生物の創造性を全幅的に認容しているではないかといわれるかも知れないが、結局環境に淘汰されていわゆる優勝劣敗の優者しか残り得ないものとするならば、生物のやっていることは創造ではなくて投機である。進化は必然の自由によってもたらされたものではなくて、偶然の不自由に由来するものである。生物がこの世に現われて以来実に何億年何億万年を閲したことか。その間に生活した生物はすべて環境に対して働きかけ、また環境によって働きかけられることによって生きてきた。ひとり生物の変異に関する限り、生物はその生活の指導原理から遊離し、環境から超然として偶然のなり行きのままに拱手(きようしゆ)傍観してこの長い歳月を送ってきたということがあり得るだろうか。たとえ変異のメカニズムが生殖細胞内の微妙なからくりによるものだとしても、生殖細胞のみが身体の外に超然と存在しているものでもなし、その身体の延長が環境であり、環境の延長が身体であると考えるならば、およそ生物の生活内容に身体から超然とし、環境から超然とした部分があるなどとどうして考えられるであろうか。それをそのように考えたということは、生物と環境とを別々のものに考え、そのような抽象化された生物と抽象化された環境とを因果関係によって結ぼうとした、機械論華やかなりし時代を特徴づける物の考え方であって、それでは少しも具体的な生活というものが説明されはしないのである。  生物が生きるということは身体を通した環境の主体化であり、それは逆に身体を通した主体の環境化であるといったが、このように自由にして自由ならざるものが身体であり、この自由と必然との相剋を通して新たなる身体が創造せられる。それを変異とは解されないだろうか。身体を受け継ぎ身体を伝えて行く生物の進化は、かくのごとくして一応は身体の創造であるともいえるであろう。私はかならずしも生物の生活にわれわれのような目的を考えようとはしない。しかし生物とは生きるか死ぬかにおいて生きる方を選ぶものであるということだけで、生物の生活はすでに方向づけられている。生活の指導原理は確立していると考える者である。しからば主体の環境化が環境の主体化であるという生物の生活において、生物はどうしてその身体の創造を投機に換えることができるであろう。変異ということそれ自身もまた主体の環境化であり、環境の主体化でなければならぬ。生きるということの一表現でなければならぬ。否よりよく生きるということの表現でなければならぬ。現状維持が死を意味するとき、生物はつねに何らかの意味でよりよく生きようとしているものであるということができる。生物の生活がこのように方向づけられているからこそ、環境化された主体はいよいよその環境を主体化せんとして、いよいよ環境化されて行く。適応(アダプテーシヨン)の原理はここにあるであろう。三六〇度の変異などということは生活のない生物を考える抽象の産物である。生活する生物は生活の方向を持っている。それは生物によって決定されたものでも環境によって決定されたものでもない。それは必然の自由によって決定される創造の方向性である。ついでだからいっておくが、こういったからといって別段に獲得形質が遺伝されねばならないということを主張しているつもりもないのである。親の身体に無限な生活力・適応力・創造力がないからこそ、子供の身体に変るのである。その子供の身体がよりよき生活に適する変異を備えておればそれでよいのである。またかならずしもその親のその子供という限定があるわけではない。種全体から見て、その個体の中によりよき生活に適する変異が増しつつあればそれでよいのである。  ここで種の起原ということも問題になるだろう。一体三六〇度の変異を考えるから、自然淘汰ということを持ち出してこなければならなかったのである。いい換えるならば環境の主体化を考えないで、主体の環境化のみを考えようとしたから、このような組合せになってしまったのである。けれども主体の環境化は環境の主体化であり、環境の主体化は主体の環境化であるというところには、はじめから三六〇度の変異などということはあり得ない。はじめから変異は生活の方向性に導かれている。したがってそこには自然淘汰がその辣腕(らつわん)を振うべき余地がないということになりはしなかろうか。もっとも方向性といっても一直線を意味しているわけではない。三六〇度の代りに二〇度とか三〇度とかいった角度を考えて、無方向性に対する方向性と見ているのである。自然淘汰といっても老いたるものは滅び、病弱なもの傷つけるものが生活を全うし得ないことまで含めるのであったならば、それを否定しようというものもなかろう。けれどもそのような自然淘汰ならばまたけっして種の起原を論証するために引き合いに出されるほど有力なものではないのである。そもそも種とは何であったか。それは一つの血縁共同体として同じ身体をもつゆえに同じ生活をなし、同じ生活をなすゆえに同じ身体をもった個体の地域的な拡がりであった。しからばいまこれを一歩進めて考えると、同じ生活をなすものであるゆえに彼らは同じ生活の方向を持ち、したがって同じ変異を現わすべく方向づけられているといえるであろう。それはかならずしも全個体が同時に変異を現わすものでなくてもよい。世代を重ねて行くうちに次第にそのような変異を呈する個体の数が増して行って、いつの間にか種自身が変ってしまうのである。一番(ひとつが)いの雌雄が変異して、その子孫が生存競争の適者となって、変異しなかったものの子孫を次第に滅ぼし、次第にこれに代って拡がって行くと考えるのが一般的な自然淘汰説流の考え方であるが、種自身に変異の傾向がきまっていて、種自身が変って行く場合には、早く変異をとげた個体はいわば先覚者であり、要するに早熟であったというだけで、遅かれ早かれ他の個体も変異するのである。種の起原というと、ちょうど個体の起原というように、いままでにない新しい種が誕生する。その反面には個体の死滅のように、いままでにあった古い種は滅亡して行かねばならないといったような一種の誤解を招きやすいが、種がこのように一つの方向をたどってだんだんに変って行くものと考えたならば、その変化はむしろ個体の生長に対比されるべきものであって、幼虫と蛹(さなぎ)と成虫とがいかに身体的に異なっていようとも、それが一個体の単なる発展の時期的な相の差異に過ぎない以上は、それを一つの自己同一的な個体として取扱うように、種自体がこのように変化して行くうちにはじめの頃とはよほど異なったものになってしまい、その両端を別々に見て、これを古生物学で別種と判定しても、その中間が連続して一系列をなすものは、やはりこれを一つの自己同一的な種の発展というように取扱うべきでなかろうか。  しからば種もまた個体のように死滅するときがくるであろうか。種の起原を論じないで種の死滅に持っていったのは、死ぬということがあるから一方で生れるということがあるのである、種の死滅を正しく認識することが同時に種の起原に対する正しい認識を与えることになるであろうと考えたからである。確かに多くの生物の種が滅亡して行った。その子孫を残さなかった種のあったことは疑う余地なき事実である。しかし種が個体の身体のようにかならず亡びてしまうものなら、もう今日は地上に生物の影が認められなくなっているはずであろう。もと一つのものから発展したという意味からいえば、現在生きている植物もアミーバも動物もみな絶対的には同じ時間同じ年代をこの地球上に送ってきたものといわねばならぬ。その意味では皆恐ろしく長命であり、不死とさえいえるであろう。けれども相対的にいえば同じ動物でも哺乳類は爬虫類より新しい。新しいというのは地球上に哺乳類として現われたのが新しい、したがって哺乳類は爬虫類よりも若いのである。しかもその哺乳類は爬虫類潰滅の大変革を通して爬虫類から生れた、爬虫類が哺乳類に変態したのだともいった。すなわち哺乳類の起原はまた哺乳類に属する種の起原でもある。  この爬虫類覆滅の跡をうけて、支配階級の再建という重責を担って立った哺乳類の祖先が、どんなものであったかはよく知られていないが、人間的にいえば彼はそのとき非常な決意をもって立ったとでもいわねばならないような、めざましい創造性を発揮した、実にそのときには三六〇度の変異が現われたのであったろうと想像される。しかも注意すべきは、この場合の三六〇度の変異は自然淘汰をうけずに、そのままどしどしと受け入れられて行っただろうと考えられることであり、逆にいえば自然淘汰が働かないような場合だから、生物は進んで三六〇度の変異を現わしたものともいえる。そしてここに私は生物と環境との不離不即な関係を認めたいのである。だから一方では生物の変異がこのような場合以外には、一般に方向性をもった飛躍的でない小変化を示すということから、かならずしもその生物のもつ三六〇度の変異性を否定するわけには行かないであろう。いまもう一度この二つの場合を考えてみるのに、方向性をもった変異という場合はさきに私の日常生活的進化といったものに対応し、三六〇度の変異という場合は、一つの全体社会の組織的変革に対応したものであって、これをそれぞれ小進化(ミクロエボリユーシヨン)、大進化(マクロエボリユーシヨン)といってもいいけれども、そのいずれをとっても自然淘汰がその学説の求めているような働きをしておらないのではないかという帰結に達するのである。そしてさきにも述べたとおり、小進化というものはむしろ生れた種が生長し発展して行く途上の変化であると考えるならば、種の起原すなわち種の創成という問題は種の壊滅に結びつき、社会組織の変革に伴った大進化に関連せしめることによってのみ、われわれはよくその論議の正しい地盤を見出し得るのではあるまいか。  私ははじめから進化の諸問題を全面的に拾い上げ、その一々について批判するつもりではなかった。その目的のためなら別に一冊の書としての内容が要求されたであろう。私はただ私の立場から、いまもなお進化論の正統的学説と認められている自然淘汰説を相手どって、それに対する不承服を宣言した。しかしそれははなはだ性急な、不用意なものであったかも知れぬ。要点をのみこんでもらうつもりでかえって読者の不信を買っているような点がないにも限らぬ。たとえば生物と環境との交互作用ということをいえばすぐに、すべての生物が完全にその環境に適応していなければならないかのごとく解されるかも知れないが、いろいろな生物の中にはまだ完全に適応できていないものも少なくはないであろう。人間だって直立してからもうずいぶんになるが、脚の骨などを詳しく調べてみると、まだ完全にその直立姿勢には適応できていないといわれている。けれども生物と環境とを媒介するものとして、身体はつねに適応へと導かれて行くのが生活原理であるといわねばならない。だから適応はまた生活の必須部分から先にはじまるということも考えられるであろう。分類学者が種の特徴として選んでいる形質は、たとえば蝶の翅の斑紋だとか、幼虫の体節の毛の並び方だとかいった細かい点に触れている場合が多いが、斑紋が一つや二つ多かろうと、毛の並び方が少しぐらいずれていようと、それがただちに彼らの生活に影響してくるようなものだとは考えられない。そして一般に小進化の資料として取り上げられている変異が、このようなわれわれから見て直接その生活に役立っているとも思われぬような形質に多く認められることは、逆に考えれば変異しても生活にさし障りが起らぬようなものであるから変異しているのだというようにも解されるのである。そしてまた、同じ生活を営む同種の個体だから、その変異の方向が同一になるといっても、その変異とはある角度の開きをもって示されるものであるといった。その開きとはすなわち個体差の開きを現わすものにほかならないであろう。しかしその開きは変異の絶対的限界ではない。三六〇度の変異可能性をもった生物にとって、その限界はつねに環境に対する相対的限界でなければならない。だからして時にはこの限界を超えた変り種が現われてくることもあり得るであろう。問題はこのような変り種の運命如何にある。  一般にこのような変り種は、その生活力が弱いとされていることも、私の見解から充分首肯できるところであるが、かりにその生活力が旺盛であったとしても、その変異が生活に直接影響を及ぼさぬような部分の変異であったならば、適者生存をその結果として予想する自然淘汰は、淘汰力を働かせようにも働かせ方がないであろう。またしても自然淘汰説否定の繰り返しとなってしまったが、私は変り種というものがごく稀には自然界においても現われるという事実を否定するつもりはけっしてないのである。けれども、このような変り種の出現と種の起原ということとは、全く別な問題として考えるべきでなかろうかと思うだけである。そして自然界における種というものは、実際は変異可能の相対的限界内にあってさえ、自由に好き放題に変異しているのではない、種とはむしろ極端なものをつねに押え、つねに変異の地均(じな)らしをやることによって、一種の平衡状態を保っているものだともいえる。これもやはり生物の現状維持主義、保守主義の一つの現われと見なし得られるかも知れない。しかしその現状維持とは結局生物の世界の社会組織を維持し、ひいては世界の構造ないしは体系の維持に与(あずか)っているものといわねばならない。だから変異の地均らしとは、いわば遺伝質の混淆(こんこう)によって、不安定な病的な純系の発生を防遏(ぼうあつ)し、なるだけ多くの個体をして変異の中庸を得しめんとする変異の集中化であり、恐らくそれは種自身の強化作用とも考えられる一つの主体性の現われであろう。だからある角度をもって現わされた種の変異可能限界内には、その種に属するもっとも多くの個体によって示されるような一つの変異中心点ともいうべきものがなければならない。もっとも統計学的に解釈するならば、もっとも多くの個体が現わすような変異、平均化された変異といったようなものは、いわば変異していないというに等しいことにもなるかも知れない。だが統計はものを静的に見ている、種は変化しないものと見ているからそうなるのであって、種といえども絶えず変化し絶えず生長して行くのである。そう考えたならば、そのような種の変化とは、要するに上に述べた変異中心点の変化として把握されてくるのでなかろうか。そしてその中心点の移動の中に種の進むべき変異の方向が指示されていなければならない。ではこの中心点の軌跡は何を現わすであろうか。もちろん直線ということはあり得ない。また平面的なものでもあり得ない。変異といい進化といい、いやしくも時間を考慮に入れずしては考え得られないようなものに平面的ということはない。中心点が右にあるいは左に動いて行く一瞬一瞬はこれを平面上にあるものと考えてもよいが、その軌跡は恐らく螺旋状を呈するものであるだろう。螺旋状を呈するが変異中心点は結局右か左かに動くのであり、現在の問題としてはかならず右か左かということもきまっていなければならない。それがきまっているとしてこそ変異の方向性ということも主張されるのだから。するとその方向において変異可能の限界を逸脱した変り種などというものは、未来を予見していながらも時期尚早のために、空しく衆愚の踏みにじるところとなった先覚者の運命にたとえることができるかも知れぬ。ただ人間ならば、不運な先覚者も歴史の一ページに残ることであろう。しかし生物にあっては種の歴史が生物の歴史であると私は信ずる。個体の現わすいわゆる変り種は、その意味においても進化史の資料とはならないものであるまいか。  以上の説は断るまでもなかろうが、変異の一単位として、何かある一つの形質に着目した場合のことであって、それが生物としての身体ということになれば、もちろんある形質は積極的にある方向に向って変化して行くであろうが、一方ではこれと相殺的に消極的な変化をたどる他の形質も存在することであろう。また変異ということはこれをかならずしも生物の構造的形態的な一面に限定しなければならないわけのものでもないから、その機能的習性的な他の一面に対しても、同様な要請が試みられてしかるべきである。ただいつも最後に問題となってくるのは分類学者が種の特徴としているような形質が、たとえば蝶の翅の斑紋であり、あるいはペニスの棘(とげ)の数であるといった場合に、そうした形態的特徴の一つ一つが、これに対比されるような特徴ある機能ないしは習性と結びついているのではないばかりか、そういった特徴の多くが生活に必須なもの、したがって生物が生きるという指導原理に従って獲得したものとしては説明できないということである。それはあるいはわれわれの無知によるのかも知れない。しかし少なくともわれわれの現在の知識として、生きるために必須でないと考えられるような形質が、どうして種の特徴にまで発展したのであろうかを、一応は疑ってみなければならぬであろう。そしてそれについて考えられるのは、さきに述べた職能の専門化ということである。すなわち生活の場がきまり、その生活が型にはまって来て、その身体もこれに応じていちじるしく特殊化して行くような場合をいったのである。その極致はまた生物にとって適応の極致ともいえるであろう。そのような状態に達した生物にあっては、もはやそれ以上にその身体をその生活の要求に応じて変える必要はないかも知れぬ。あるいはできないのかも知れぬ、下手な改造は折角の見事な適応を破壊するばかりである。ところでここまで来ても種がなおその存続の可能性を失わない限り、われわれはその種に具わった創造性を、たとえその生活適応面に現われなくなったからといっても否定するわけには行かないのである。しからばその創造性がいまは生活と直接に関係のないような形質の変異を通して現われるよりほかなくなったとは考えられないであろうか。ひとはよく生物といえば、生れてから死ぬまで四六時中生きることに追い廻わされているもの、食欲とか性欲とかいったいわゆる本能生活以外に生活のないもののように考えてきたし、私もまた生物の生活はその指導原理が生きるということにあるといって、今まではその立場から生物を解釈するように努めてきた。しかしそのような解釈だけで生物の現わす生活のすべてが理解できるであろうか。生物の生活ははたして浅ましい畜生道に終始しているであろうか。そもそも生物がそのようなものであるとしたら、花は何故美しいのであろうか、蝶は何故綺麗なのであろうか。四六時中あくせくとしてパンのことを考えねばならないというのは実は生物の世界に叛(そむ)き、生物の世界から離脱した人間のことであって、生物の世界における生物共同体の成員たちは、お互いにその地位に安んじその職場を守っている限り、ただ生活ということだけを考えれば人間よりはるかにその生活は保証されたものでなかろうか。もちろんそこには敵もあり病気もあろう。しかしそういった生活の否定面ばかりでなくて、もっとその肯定面が考えられないであろうか。適応の発達も社会組織の発達も、生物の求めたよりよき生活というのが、元来はその生活の保証なり、無益な抗争の回避なりに起因していたことには異議を申し立てようとは思わぬ。だが生活の保証された生物にとってのよりよき生活とは何であったろうか。生物は怠け者で食って寝ているうちに、求めもせぬのに知らぬ間に美しくなったのであろうか。私はもちろん生物が美の何たるかをわれわれ同様に解しているとは考えはしない。しかし生物もしくは生物の生活というものの中には、ただ単に生きんがためということをもってしてはどうしても解釈できない一面があるということを、ここで率直に認めておきたいと思う。その一面とは生物が意図するとしないとを別として生物が次第に美しくなって行った、よく引き合いに出される例でいえば、中生代の海にすんだアンモン貝の貝殻に刻まれた彫刻が、時代を経て種が生長するに従い次第に緻密に繊細になって行ったというが、そこにいわば生物の世界における芸術といったようなものが考えられはしないであろうか。もちろんわれわれ人間の場合と同じではないが、そこにいわば生物の世界における文化といったものがあるのではなかろうか。  すると分類学者が近似種の識別に用いる種の特徴が、ほとんど生活そのものには直接関係のないような形質であるということは、一体何を意味するであろうか。近似種といえば一つの血縁共同体として同位社会を構成する種類同士が類縁的にはもっとも近いであろう。そしてこのような同位種とは一つの血縁共同体の生活の場に対する適応として成立したものであると解したのだから、その意味でならばそれぞれの種にはもっと明白に場の制約が反映していなければならぬ。いい換えるならばその環境の影響が、もっと生活に直接関係のあるところに現われていていいはずなのである。しかしそれもやはり現在におけるわれわれの無知がしからしめているのであって、詳しく調べたならば案外細かなところにそういった相異も認められるかも知れないが、それにも増して生活そのものには直接関係のないところに、誰が見ても見紛(みまが)うことのないような、はっきりした相異が存するというのであるならば、結局種の特徴になるものはその文化的特徴によって分類学者はこのような文化的特徴によって種を別っているということにもなるのである。すると種の起原ということも、ここではこのような文化的特徴がどうして種の特徴となるまでに分化発展して行ったかという問題である。もちろん文化的特徴といってもやはり一つの変異として進化したものと見なければならない。文化的特徴といってもやはりその変異には方向性がなければならない。アンモン貝の貝殻の彫刻が次第に緻密になって行ったごとくである。しかしそれが種の特徴となるような、それぞれ独立したものに発展して行ったということの根底に、一般的な生活の指導原理を考えても間に合わないのである以上は、もはや最後の切り札として種の素質といったものを考えてみるよりほかないであろう。しからば種の素質とは何を意味するものであるか。  種の素質とはつまり血の素質である。こういっても何も神秘的なものを考えているわけではない、より科学的にいい現わすとすればやはり遺伝的素質ということであろう。一体さきにも述べたように種にはその個体の遺伝的素質をなるだけ均質化することによって、その個体の現わす変異を集中化しようとする傾向がある。そしてこの傾向は種に具わった主体性の一つの現われであるというようにも解されたのである。だから種と種との対立はこのような主体性の対立ということでなければならない。もしも地球上がどこまで行っても環境的に同じ条件を具えているのであったならば、一つの種が同じ種としてどこまでも地球上に拡がったかも知れないけれども、地球上が同一でないゆえに、異なった生活の場に対応するものとして異なった種が、同位種として分離し、それらの同位種が一つの種社会の代りに血縁共同体としての同位社会を地球上に拡げたと解した。そして同位種の成立を傾向を異にする個体群の分離による平衡維持であるといっておいたが、この傾向が何を意味するものであろうと、要するに傾向の相異はその素質の相異であり、素質の相異は傾向の相異である。ただここで問題となるのは、素質の相異あるいは傾向の相異といっても、それが例の稀にみる変り種といった程度のものであったならば、恐らく種の主体性に背き種から分離するなどということはあり得ないであろう。なぜなら分離は主体性の分離であり、主体性の対立に起因するものでなければならないからである。だからこのような分離にまで導いた素質の相異というものの根底には、多くの個体に共通的に働いている、なにか環境的なものの影響ということが、当然考えられていいわけであって、こんなことがはたしてあるかどうかは別問題としても、たとえば同種の個体という中にも、個体の密集した棲みにくい分布の中心地よりは、気候が少々悪くてもまたそれと闘っても分布の周縁地を求めた方がよいとするものがあるとすれば、周縁地に棲むものと中心地に棲むものとは単にその傾向を異にしているばかりでなくて、さらにそこには気候の相異ということが結びついているであろう。実際に中心地と周縁地といえばその間の距離の隔たりのごとく、血のつづきも隔たっていると考えてよい。しかしそれだけではまだ分離は完結していない。分離は主体性の分離であり種の独立であることを要する。  今のところこの分離の径路はも少し明らかでないが、分離の完結すなわち種の独立というのは、どちらの種ともはっきりしないという所属不明の個体が次第になくなって、両種が境を接していても、その間に一般にはもはや雑交が行なわれなくなったときであり、したがって分離の完結とは両種の主体性の完結を意味するものと考えてもいいであろうと思う。もっともこれだけのことからただちに、その時期に至ればもう両種を識別し得るような特徴が認められるほど、両種が血縁的に遠ざかっているだろうということまではいい得ないのである。ただこの分離ということは種の形成に必要欠くべからざる条件であることを強調したいのである。種は雑交しないから種であり、素質の純潔を守るから種なのである。だから個体には何らかの方法によって、自己の属する種の個体と、自己の属さぬ種の個体とを識別する能力があるのであろうと考えられる。植物には雑種の例があり、動物でも異種の個体が交尾していた例は報告されているけれども、そのような稀に起る現象を持って来て一般を論ずるわけには行かないであろう。分離の根底には環境的なものが働いているといっても、その環境の影響がかならずしも外面的な形態に現われずに、主体の生理的ないしはその習性的な変化をもってこれに応じている場合も多いであろう。もともと分離しても血縁的に近く、根本的な生活形を等しくするものゆえに同位社会をつくっているのであるともいえる。根本的な素質はやはり一致しているのである。根本的な傾向に違いは起らないはずである。ただどちちかといえば根本的でない、つまり生活に直接関係のないような文化的特徴に次第に差異を生ぜしめたとすれば、そのような差異に導いた素質の差異というものは、分離に際しては全く何らの意味をも持たなかったものであるにもかかわらず、分離の結果としてそれが意外にも種の特徴と認められるような発展を遂げたということになるのであって、われわれの認める種の特徴が実際に種の特徴として同種の個体間で識別に役立っているのなら別であるが、そうでもない限りここではどうやら偶然性ということを一応認めておいた方がいいかも知れぬ。偶然というような言葉を使うために誤解を生ずる虞(おそ)れがあるならば強いて使う必要もないが、たとえば何故科学がヨーロッパにおいて発展したにもかかわらず、アジアでは発展しなかったかという疑問に対して、多くの人はそれを風土の相違に帰因せしめようとするらしいが、ヨーロッパ的風土はアメリカにも南半球にも、その類似を求めればかならずしもないわけではない。それにヨーロッパに限って科学が発展したということは、やはり素質の分離に伴った偶然に由来していると考えられないであろうか。むしろこのような偶然が多くの個体間に共有され、種がこのような文化的変異に対してさえその集中化を通して、みずからの主体性を発揮して行くところに、なにか偶然にして偶然ならざるものが感ぜられる。種というものはいわば目的なき目的といったようなものによって方向づけられているようにも思われる。それは創造性を与えられたものの持つ運命のようにさえ思われる。文化という言葉はこの運命の上に咲いた花をいい現わしたものとして、あえて生物の身の上にも借用しているゆえんである。  さてここで論じているような分類学的近似種の形成に、素質の分離ということがかくのごとく重要なものであるとするならば、陸棲動物の場合には一つの大陸が二つに別れて、その間の交通が海によって遮断されてしまったような場合には、否応なしにこの分離が働き、かかる分離が長く継続すれば、もとはひとつづきのものであった種もついにそれぞれ別個の種となるであろうというのは、考えやすい道理でなければならぬ。地球上の水陸の分布が太古以来少しも変っていないなどということは、どうも進化論的でないものの考え方であって、私は賛成し難いのであるが、かりに水陸分布の輪郭というか、大陸と大洋との配置状態がいまのままであるとしても、海面が少し上昇すれば、すなわち地盤が少し沈降すれば、パナマ運河など掘らなくても北米と南米とは分離されたであろうし、反対に地盤が少し隆起すれば北米とアジアとはベーリング海峡をつなぐ陸橋によって接続するに至るであろう。わが国は大八洲といって有史以来島国であるようだが、これも間宮海峡や朝鮮海峡がなくなって大陸と陸つづきになるぐらいはわけのないことであるだろう。そして悠久な地質時代を通して、大なり小なりこのような水陸分布の変動が繰り返され、その度ごとに素質の分離が強制されたであろうし、一方ではまた種の移動も抑制されたり奨励されたりしたであろうから、現在における種の分布状態だけを見て、かならずしもその種の成立起原を論ずるわけには行かぬのである。しかしこの点でもっとも興味深い例を提供しているものは、オーストラリアの生物相であって、それはオーストラリアがとにかくずっと昔に他の大陸から分離し、それ以後分離したままで今日に至ったことの証左となるほど、それほどその生物相が他の大陸のそれとはいちじるしく異なっているからである。例を哺乳類にとってみよう。するとここにはその分布が世界的に普遍的な蝙蝠(こうもり)の類と、鼠の類と、それに人類とを除いたならば、あとは哺乳類中でもっとも原始的なものとされている単孔類と有袋類としか見出されないのである。ひとはよくこの原始的という言葉に捉われて、オーストラリアの哺乳類共同体は社会組織的にも低調な単純なものであるように想像する。しかしオーストラリアの哺乳類といえども他の大陸の哺乳類とその起原を同じゅうするものである。それは世界に君臨した爬虫類王国の覆滅のあとを受け、新たなる支配階級を再建するべき任務を帯びて生れ出て来た点では他の大陸の哺乳類と少しも異ならないのである。ただそうした建設の任務を帯びた哺乳類の祖先の一部がオーストラリアに植民したとき、オーストラリアは他の大陸から分離してしまった。その分離がすなわち素質の分離であったから、オーストラリアの哺乳類は有袋類にとどまり、他の大陸の哺乳類にはより進んだ近代的なものが現われたのである。けれどもオーストラリアに分離された哺乳類は、素質的体制的には有袋類にとどまるべきものであったとしても、その素質の許す範囲内でりっぱに与えられた任務を遂行したということができる。何となれば彼らの子孫にはカンガルーばかりができたのではなくて、カンガルーを捕える狼のような肉食獣もおれば、あるいは熊のような雑食性のものもおり、樹上生活者さえちゃんと具わっていて、他の大陸の哺乳類共同体に比較すればそれなりにひととおり整った社会組織を完備しているからである。すなわちオーストラリア以外の大陸が哺乳類の一つの世界として、進化の舞台として考えられるのに対して、オーストラリアはその分離のために小さいながらもそこに一つの世界を形づくっていた。そしてその小さい世界の住民は、も一つの大きい世界で何が行なわれているかを全然知らないで、それ自身で独自の発展を遂げた。それが結局オーストラリアの有袋類共同体という特異なものになったけれども、そしてそれを他の世界における哺乳類共同体と比較すれば、どこか田舎臭い見劣りのするものではあっても、それはそれ自身としての一つの完結性を具えたものであった。他の世界における哺乳類共同体がかつて一度はいま見るようなオーストラリアの有袋類共同体と同じ段階を経て進化したのでもなく、オーストラリアの有袋類共同体がいつの日にか現在オーストラリア以外の世界に見るような哺乳類共同体へ進化するものでもない。それらは分離のつづくかぎり、それぞれに質を異にした、あるいは類型を異にした哺乳類共同体として、同時並存的に発展するべく運命づけられた、いわば一種の運命共同体であったと見なされるべきであろう。  それにしてもその発展によって示された自己完結性こそは、ここにいわゆる運命の正体であり、それがまた実はあらゆる進化の推進力なのではなかったか。自己完結性といえば個体の再生現象のごときもそうであろうし、また植物社会に認められる天然更新のごときものもその一つの現われといえよう。だが進化における自己完結性はつねに創造の自己完結性であった。それぞれの生物がそれぞれに、花も蝶も美しくなっていったということには、個体の進化における自己完結性が考えられないであろうか。それが個体の好き放題に任かせないで、つねに主体的に集中的に進められて行くというところに、種の自己完結性が考えられないであろうか。さきに新種の成立はその主体性の完結にあるといったその完結も、やはりこのような自己完結性のしからしめた完結でなければならぬ。その新種の形成さえ、これを単なる種そのものの生長に伴う変化すなわち種の自己同一的な完結性から区別して考えるならば、そう無闇やたらとどこででもまたいつでも行なわれるべきものでない。しかしオーストラリアの有袋類からカンガルーばかりでなくて、狼のようなものや熊のようなものやあるいは鼠のようなものまでが新成されたことを考えると、種の形成の背後にはさらに一つの階級の、あるいは生物の全体社会の進化を方向づけている、階級のあるいは全体社会の自己完結性といったものが考えられるであろう。もと一つのものから生成発展したこの世界という体系、それを生物の世界という立場から見たところで、生物の世界はけっしてでたらめなものではなかった。体系に秩序があるように、その発展にも秩序があった。偶然の蓄積が発展になったのではなくて、はじめから発展へと方向づけられていたもののように見える。その方向づけがもちろん一々の生物に目的として意識されていたわけではない。しかしこの方向づけは一々の生物に、いやこの世界という体系に内在する自己完結性のしからしめたものでなかったか。私はついに目的論におちいったであろうか。私はもう筆をおくべきなのでなかろうか。だがこの自己完結性こそは主体性の根原でもあり、全体性の根原でもあり、それはまた歴史の根底にあって歴史を超越し、創造の根底にあって創造を超越した何ものかである。一々の生物も、生物のつくる社会も、この自己完結性を通してつねにこの世界の理念——この世界の自己完結性——といったものに触れていなければならない。  だが、もしもオーストラリアがもう一度大陸と陸続きになったらどうなるであろうか。恐らく他の世界のより進んだ哺乳類がオーストラリアに侵入して来て、オーストラリアの有袋類の多くは避難所を得られずに滅亡するであろう。陸続きにならずともヨーロッパ人が彼らの侵入とともにいろいろな動物を輸入したため、もうこのような結果がぼつぼつと現われてきている。そしてこのような場合こそはダーウィン流の自然淘汰なり、あるいは適者生存なりが認められるほとんど唯一の場合であるだろうことを、私はこの最後の一節に書き記しておきたいのであるが、ただその結果として何か私の論旨に撞着(どうちやく)が生ずるもののように思われる懸念がないでもない。けれどもこのオーストラリアにおける生物共同体の社会組織の再編成は、どこまでも世界に立脚した組織の再編成である。今まで別の世界をつくっていたオーストラリアが、一つの世界に包含されるために必要な平衡上の新体制が要求されているのである。適者生存の半面に不適者が滅亡して行くことは悲しいのであるけれども、これは世界の立場にたって考えなければならない。滅び行く者もまた世界に触れているのである。広義に解すればそれはやはり、世界の立場における一種の新陳代謝でもあるだろう。ただ私として最後にこんなことを持ち出してきたのに対しては、私が自然淘汰を認めんとするこの明らかな例においてさえ、自然淘汰はかならずしも種の起原という問題とは直接に結びついていないことを注意すればよかったのである。 ●今西錦司(いまにし きんじ) 一九〇二(明治三五)年京都市生まれ。京都帝国大学農学部卒業。理学博士。京大人文科学研究所員、京大教授、岐阜大学学長などを歴任。一九七九年文化勲章受賞。著書に『生物の世界』(本書)『山と探検』『生物社会の論理』『日本山岳研究』『私の進化論』など。『今西錦司全集』(全一〇巻)がある。一九九二年死去。 * 本書は、一九四一年、弘文堂より刊行されたものです。 本電子文庫版は、講談社文庫版『生物の世界』(一九七二年一月刊)を底本とし、『今西錦司全集』第一巻を参照して校正しました。 講談社文庫版収載の「年譜」「解説」は割愛しました。 生物(せいぶつ)の世界(せかい) *電子文庫パブリ版  今西(いまにし)錦司(きんじ) 著 (C) Bunataro Imanishi, Akito Kawamura, Madoko Ueda, Mitsuko Uji 1941 二〇〇一年一一月九日発行(デコ) 発行者 野間省伸 発行所 株式会社 講談社     東京都文京区音羽二‐一二‐二一     〒112-8001     e-mail: paburi@kodansha.co.jp 製 作 大日本印刷株式会社 ◎本電子書籍は、購入者個人の閲覧の目的のためのみ、ファイルのダウンロードが許諾されています。複製・転送・譲渡は、禁止します。