TITLE : コメの話    コメの話   井上 ひさし   まえがき  農村の出のせいか、水田や森や林やお百姓さんの先行きが気になり、あちこちにそのことを書いたり喋《しやべ》ったりしているうちに、いつの間にかこんな分量になってしまいました。  もとより素人《しろうと》の書いたものでありますからいたるところに瑕《きず》や穴があるにちがいないと思いますが、しかし水田や森や林やお百姓さんへの想《おも》いの熱さだけは人並み以上とひそかに自負しております。  お暇な折りにそのへんに寝っ転がってでもお読みいただければうれしく存じます。  かなりの量の数字が出てきます。それからときどき図表なども載《の》っています。それらはわたしが勝手にひねり出したものではなく、すべて専門の方々から拝借させていただいた素性正しいもの、ただし使い方が適切でなければ、その責《せき》はわたしのもの。前もってお礼とお詫《わ》びを申し上げます。 著者敬白     目次 まえがき 井上ひさしのコメ講座 一粒のコメから地球を見れば コメ一粒から見えてくるもの コメの話 好きで嫌《きら》いで好きなアメリカ 続・コメの話 コーデックス・アリメンタリウス こだわる理由 コメの話 井上ひさしのコメ講座 ——一九八八年八月、山形県東置賜《ひがしおきたま》郡川西町遅筆堂文庫第一回「生活者大学校農業講座」講演より    四人家族のコメ代は一日わずか二〇四円  本日は遅筆堂文庫の「生活者大学校農業講座」にお集まりいただきましてありがとうございます。  校長を自称していたツケが回ってきまして、私が最初の講演をやらなければならなくなりました。個々のテーマについてはそれぞれ専門の先生がたからくわしくお話しいただけるはずですから、私は、問題提起をかねて、日ごろ、農業論議で疑問に思っていることをひとわたり申しあげることにいたします。  第一の疑問は、「コメはほんとうに高いのだろうか」ということ。  一九八五年の資料ですが、総理府の統計によれば、一標準勤労世帯は三・八人、その一日のコメ代が二〇四円だそうです。ですから、朝と晩に家族四人近い日本の標準的な勤労者世帯の食べるコメの値段は二〇四円、一人当たり五五円ぐらいです。昼は外食したとしても、コメ代は一〇〇円かからない。いまではアンパン一個でも八〇円、高いのだと一二〇円というのもあります。ですから、アンパン一個とその人が一日食べる主食のコメの値段が同じぐらいなのです。この一家族一日のコメ代の二〇四円が高いでしょうか。ササニシキは茶わん一杯で四五円、秋田小町が三五円、標準米が二五円(一九九一年の値段)、これが高いというのであれば、これはもう世の中に対する見方自体がちがっているので、話し合いは無理ですね。  コメが高いという前に、もっともっとべらぼうに高いものが日本にはある。たとえば、土地の値段や住宅費や教育費など、外国の何倍も高い。まず、そちらのほうから文句をいってもらいたい。モノの順番をまちがえてはいけないのです。  たしかに、アメリカのコメやタイのコメは日本よりもっと安い。しかし一日二〇四円のコメ代が半分の一〇〇円にならないと生活が苦しいのかというと、そうではないはずです。それなら月一〇万はかかる住宅費が半分になったほうが、ずっと生活が楽になる。  そもそも食糧というものはほんとうに国際取引ができるものなのか、という根本的な疑問が私にはあります。世の中には、どうしても輸出入できないものがある。たとえば、電力は輸入できない。日本の電気料が高いのは有名です。世界の標準の二倍ぐらい高い。しかし、電力というものは長い距離を送りますと、途中のロスでどんどん減ってしまいますから近いところにしか送れません。  景色も絵葉書ぐらいでしか輸入できませんから高い。イタリアのアシジの町を見るには、高い運賃を払って現地へ行かなければならない。それから、土地も輸入できません。日本は土地が高すぎるからといって、地代の安い国の土地を輸入するなんてことはできない。日本の面積はアメリカの二五分の一しかありませんが、日本全体の地価で、アメリカが二・五個も買えるんです。農地にかぎりますと、一〇アール当たり日本が一四一・九万円もするのにアメリカは三・五万円、なんとアメリカの四〇倍も日本は高いのです。おまけに、水利・灌漑費《かんがいひ》もアメリカの一〇倍近いし、肥料代は五倍、農薬代は四倍、機械代は二〇倍もする。  こんなに地代その他の経費の高い農地にコメを育てて、できたコメの値段がアメリカのコメの三、四倍ぐらいですんでいるのですから、日本の農業というのはじつはすごく努力しているのではないかと私は思います。  アメリカからコメを輸入するのもいいでしょう。しかし、アメリカには日本が必要とするコメをすべて生産する能力がいまのところありませんので、輸入自由化となったら大急ぎで灌漑で水田をつくると思います。でも、アメリカの農業は日本の農業がやってくれている日本の環境保全の仕事、たとえば、水田が水をためてくれる「ダム効果」などのかわりはしてくれません。  自動車を一台つくるには約一〇トンの水がいるといいます。日本の工業力の進歩は質のよい水がふんだんにあったからで、勤勉だけではどうしようもないのは厳然たる事実です。  最近、東北地方に精密工業の工場がどんどん建てられていますが、じつは水がほしいからやってくる。精密工業には、きれいな地下水がたくさん必要です。ところが、もう関東にはあまりいい水がない。九州の水ももうそうとう使ってしまった。それで、これからは東北だというので、水を求めて工場がやってくる。ですが、その水は東北の水田が何百年もかけてためたものなのです。  岩手大学元農学部長の石川武男氏の計算によると、水田の貯水能力をお金に直せば、東北地方だけで年間二〇億円にもなるという。全国の水田の貯水能力は、日本のすべてのダムの二倍から三倍もあるといいます。それをダム建設コストとして計算しますと、年当たり一兆円ちかいというべらぼうな額になります。もし、その水の代金を田んぼの側が工業から取り立てることにしていたら、日本農業ははたしていま騒がれているほど国の財政のお荷物になっていたでしょうか。  農水省の調査(一九八〇年)では、農業と林業が果たしている国土保全機能は貨幣換算すると、全国で年間三七兆円! だといいます。農業は周囲に利益をめぐむ産業なのです。周囲に不利益をまきちらさざるを得ない工業とは根本的にちがう。ここが大事なところです。  明治のはじめごろに、ドイツの世界的な農学者で地理学者のフェスカという人が日本に招かれ、日本政府の頼みで日本を調べて回りました。日本を隈《くま》なく調査して出した彼の意見は、「日本の川は滝のようなものだ」ということが前提になっていました。ヨーロッパの川は大きな平野をゆっくりと満々と水をたたえて流れている。日本の川は流れが急で、水がすぐ増えたり引いたりして、ヨーロッパの観念でいくとほとんど滝に近いというのです。でも、そんな川をもつ日本の国にそうやたらに水害が起きないのは、水田がダムの役割を果たしているおかげなのだから、日本の農業はいまのままでよいのではないかというのが、報告書での彼の結論でした。  しかし、なぜか日本政府はそれにあまり満足できなかったようで、やがてイギリス式の中農法を取り入れるのです。日本の気候、土地、地味などをぜんぜん計算に入れずに、ただ、当時の最先進国であるというだけで、イギリスの農法を無批判に取り入れた。  その影響は延々、今日にまで及んでいる。日本の農政はずっと一貫して、小さな田んぼや畑では効率が悪いから、規模を拡大しろと農民のおしりをたたき続けてきました。そして、「中核農家の育成」と称して、一部の大規模農家だけを残して、他の小さな農家に農業をやめさせようとしむけてきたわけです。いま、「日本農業は甘やかされている。自由化をしたら強くなる」などといっている評論家のセンセイたちの主張する“改革”も、だいたいこれとほとんど変わりません。  そうやっておかみが何年もかけて指導しても、いまだに日本の稲作農家の平均規模は、一・二ヘクタールぐらいです。それにくらべてアメリカの稲作農家の平均は約一八〇ヘクタール。「やっぱり日本農民は怠慢なんだ」という声が聞こえてきそうですが、私はそうは思いません。  なぜかといえば、さっきもいいましたように、地価が高すぎる。だから拡大しようとしても無理な話なのです。たしかに、一所懸命拡大して、五ヘクタールをこえた稲作農家も、一・三パーセントぐらいはあります。でも、そういった農家は、ほとんどが借地で拡大しているので、かえって小さい農家や、兼業収入のある農家より、経営が苦しかったりする。おまけに、借りた土地があっちに一ヘクタール、こっちに七〇アールと散らばっていることが多いので、効率が悪い。もしコメを自由化して、国内のコメ価格が下がったら、こういった“大規模”農家のほうがまっ先につぶれてしまうでしょう。  それに、日本の田んぼは、日本の気候や地形に合わせてできあがったものなんです。日本の土地は、平地でも微妙に傾斜していますから、アメリカみたいに一枚の田んぼが二〇ヘクタールなんて具合には行きません。どうしてもあぜや水路で区切らなければならない。  また、水田には水管理という作業が必要です。日本の水田は、川などから水を引いて、村全体の水門から村中に水路がまわっていて、水がそれぞれの水田まで引かれている形になっている。そして、イネの微妙な生長ぐあいをみながら、水田に水路から水を入れたり、引かせたりして、水量を調整してゆくのです。これは、コンピューター管理で何月何日の何時何分に何リットル入れればいいとかいうものではなくて、たとえば、今年は少し生長が遅いから去年より半日ほど水入れを遅らせようとか、寒波が急にやってきたから急いで水を入れるとか、カンや経験を必要とする。この水管理の上手下手で収量も大きく左右されますから、経験をつんだ年配の人がこの作業をやっている。しかし、村中にちゃんと水路がいきわたり、微妙な水管理をするためには、どうしても、そう大きな田んぼにはできない。この水路と小さな田んぼがあってこそ、ダム効果も生まれてくる。  アメリカの水田はどうかというと、遠くの人工貯水池から水をひっぱったり、地下水を汲み上げる灌漑施設で水を供給している。しかも日本にくらべて雨があまり降りませんから、水管理なんか必要ない。だからあんなに大きな田んぼがつくれるのです。ちなみに日本の年間平均降雨量は二〇〇〇ミリ、ロサンゼルスは四〇〇ミリ前後です。  こうお話ししていると、「そんなことなら、日本は農業はやめて、アメリカにまかしてしまったらいいじゃないか」と考える方が出てくると思います。たしかに、一、二年だけの効率をみると、日本の水田はいかにも分が悪いようにみえる。しかし結論をお出しになるのはまだ早い。私の話を最後まで聞いていただいたうえで、判断していただきたいと思います。    アメリカ米の安いのは補助金のおかげ  第二の疑問は、「アメリカのコメはほんとうに安いのか」ということです。  あまり知られていないことなのですが、アメリカは農業、とりわけコメ農家に、ものすごい補助金を出しています。一九八五年の農家一戸当たりの農業予算額をみると、日本円に直して、アメリカの農家一戸当たりの農業予算は五五六万円、イギリスが三一〇万円、フランスが二七一万円です。日本はというと、確実に農家にいくお金は平均で六一万円でしかない。日本の補助金のことについてはあとでお話ししますが、とにかくアメリカ政府の農業への力の入れ方はすごい。  面積規模が日本より格段に大きいという違いはあるにしろ、平均して一戸当たり五五六万円。といっても、アメリカでも農家の三分の二は兼業農家なんです。農家らしい農家だけでいえば、一戸当たりの予算額もさらに増え、一〇〇〇万円をこえる。それに、アメリカの場合、大規模農場というのはすごいですから、農業予算額の四分の三近くを占める一割ほどの大規模農場をとり出せば、実質上一戸当たりの農業予算額は数千万円にもなる。アメリカの農業は強いといわれているはずなのに、いったいなぜそんなに補助金がいるのだろうか。これにはアメリカの世界的な食糧戦略がからんできます。  もともと、農産物というものは、工業製品のように手軽に生産量を調整することはできないし、「いまは値が安いから、しばらく在庫にしておこう」なんてことも長期間はできない。ですから、値段の変動が激しい。皆さんも、日本で野菜が豊作になりすぎて値くずれしたときに、市場まで運ぶ輸送賃にもならないというので、ブルドーザーでキャベツをつぶしたりしたのをテレビかなにかでごらんになったことがあると思います。  国際市場も同じで、いったん世界的な不作がおきると、いっぺんに二倍、三倍に値が上がる。だいぶ昔のことですから、覚えていらっしゃるかどうかわかりませんが、一九七二年に世界的な不作がやってきたとき、大豆の国際相場が急騰し、ニクソン大統領が日本に対する大豆輸出を禁止して、大騒ぎになったことがあります。これは『輸出管理法』(The Export Administration Act of 1969)の発動で、この法律の中に次のような規定があります。 《外交目的の遂行と国際責任の充足のため、農産物の輸出制限が必要であると大統領が決定したとき、また輸出制限が国の安全保障のために緊要であるときは、輸出制限措置がとられ得る》  そのころすでに日本はアメリカの要求で大豆を輸入自由化していて、国内ではほとんど大豆をつくっていませんでした。そればかりか、輸入大豆の九八パーセントをアメリカから買っていた。アメリカはそのことを百も承知で、自分の国の食生活の安定のために、禁輸をしたのです。禁輸の発表があったとたん、日本国内の大豆価格は三倍に上がり、大豆パニックとなりました。それでも、日本はこのとき主食のコメを自給していたからよかった。というのはこの七三年には、コメの国際相場は、なんと六倍ちかくも上がっていたからです。  この七三年の食糧危機には、大豆やコメばかりでなく、小麦も、アメリカの国内買付価格は三倍近く上がりました。なにせ、あの超大国ソ連が、アメリカから小麦を大量に買いつけたのですから、それは値段も上がります。この大もうけに味をしめたアメリカ政府は、農産物を輸出戦略品目に据え、それまで国内価格の安定のために残してあった生産制限を撤廃しました。当然、農民のほうも農地を担保に銀行からお金を借りて、農地を拡大したり、新しい機械を買いそろえたり、規模拡大を大々的にはじめました。  しかし、この波にいちばん乗ったのが、農業商社《アグリビジネス》です。たった五社で世界の農産物取引の七割を占めるというこの農業商社《アグリビジネス》は、取引だけにあきたらず、一部の巨大農場の拡大を積極的に後押しします。そして、ふと気がつくと、八一年には、アメリカの全農家数の一パーセントにも満たないこの巨大農場が、全農業所得の六六パーセントを占めていたのです。  しかしいいことばかりは続かない。こうして供給のほうが増えてくると、当然、穀物価格は下落してきます。とくに七九年のソ連のアフガニスタン侵攻に対して、カーター政権が行った制裁の一環の対ソ穀物禁輸で、大のお得意のソ連が、アルゼンチンなど他の小麦輸出国から買うようになったのが痛かった。  それでも、コメのほうは、八〇年から八一年にかけての韓国の不作で国際価格が上がったため、調子にのって約四割も増産しました。ところが、韓国の不作もすぐおさまり、そのうえそれまでコメの大輸入国だったインドネシアが八四年に自給を達成し、おまけにタイがアメリカ米の三分の二から半分という安価で大々的にコメ輸出をはじめた。なにせタイ農民の年間平均所得は五万円そこそこなのですから、人件費がべらぼうに安い。いかにアメリカでもかなわない。せっかく大増産したアメリカのコメは輸出ができず、八一年からの五年間でアメリカのコメ在庫は五倍近くにふくれあがってしまいます。  あわてたアメリカ政府は、農家に対し、補助金とひきかえの減反政策を行います。ところが、いくら減反してもコメは余るばかり。とうとう八六年にはARPという補助金つき減反比は耕地面積の三五パーセントにもなり、アメリカの稲作経営の純現金所得に占める不足払い補助金の割合は、八五年には驚くなかれ、九三パーセントにも達しました。収入の九割以上が補助金なのです。日本の農家が“補助金づけ”なんていわれている比じゃありません。ところが、それでも余ったコメ在庫はどんどん増えつづけた。八六年には、アメリカのコメ生産のなんと約六割が過剰在庫となってしまいました。  なにせ、アメリカの農業、とくに稲作は国内消費というより、輸出産業ですから、輸出ができなければいくら減反したってどうしようもない。  それでアメリカは、八五年の農業安全保障法(Food Security Act)で、苦しまぎれの戦法に出ました。“マーケッティング・ローン”という名前の輸出補助金を導入することにしたのです。この補助金は、いちおう形の上では農民が手持ちのコメを担保にして政府からローンをうけるというものなので、アメリカは「補助金ではありません」といいはっています。  実際、ガット(関税および貿易に関する一般協定)のジュネーブでの交渉でアメリカが導入を主張したPSE指標という農業保護指数のとり方だと、こういったローン形式の農業支出は加算されず、日本やEC諸国ばかりがやたらと農業保護をしているような数字が出てきます。これにだまされている人も多いのですが、現実に八六年四月にこのマーケッティング・ローンが導入されたあとでは、アメリカは、当時の生産者価格のなんと三分の一でコメ輸出ができるようになったのです。  三分の一ですよ、皆さん。信じられますか。もちろんこの差額はアメリカ政府が埋めていますし、いちばんひどい時期は、新米一〇〇ポンド(約四五キロ)を輸出するごとに一七ドルも穴埋めしたといいますから、これが輸出補助金制度でなくて、いったい何だというのでしょう。たいへんな出血サービスです。日本の評論家で、「アメリカのコメ価格は日本の四分の一」などとわけ知り顔にいう人がいますが、こういう事実を知っているのでしょうか。  この安売り攻勢で、八六年に、アメリカは世界のコメ取引のシェアを奪い返しました。しかし、当然コメの国際価格は暴落し、いろいろなところにとばっちりがやってきました。たとえば、西アフリカの国ぐにで自給を目指してがんばっていた大勢の貧しい米作農民たちが廃業に追いこまれ、都市化と砂漠化に拍車をかける結果を招きましたし、外貨収入をコメ輸出に頼っていたタイは、深刻な経済危機に見舞われ、タイ東北部を中心とした米作地帯の農民が、続々と首都バンコクのスラムへ流れこみました。また、これはコメではないのですが、やはり輸出補助金によるアメリカのトウモロコシの安売りで、安値のコーンシロップ(転化糖)が出まわって砂糖の国際価格が暴落し、フィリピンの砂糖産地ネグロス島の農場労働者たちは、貧困と飢餓のどん底につき落とされたのです。そして、こうした人びとの中には、外国人労働者やじゃぱゆきさんとして、日本でひどい労働条件で働くようになっていった人もいる。タイやオーストラリアは、このアメリカの安売りに対し抗議をしましたが、アメリカはそんな声には耳も貸しません。なんかもう、大資本を背景に進出してきたデパートが、定価の三分の一の出血バーゲンをくりひろげて、周りの商店街を全滅させようとしているというか、そんな感じなのです。  もともと、アメリカには七三年の食糧危機のときにつくった「ニクソン戦略」というものがあります。どういうものかといいますと、まず第一段階として、低価格販売や援助物資、融資というかたちで、輸出先として目をつけた相手国にアメリカの農産物を魅力的なものに見せかけます。相手がこれにだまされてこっちを向いてきたら、第二段階として、「自由貿易」の名のもとに、相手国の関税などをやめさせて、輸出しやすくする。そうして、相手がすっかりアメリカに依存したころを見はからって、第三段階で作付制限などで不足状況をつくり出し、値段を引き上げる。こういう段どりです。  日本の場合、小麦や大豆などは、これですっかりやられてしまいました。そして、いまはコメが、第一段階から第二段階にうつる途中といったところへさしかかっています。  この戦略をつくった委員会の長は、先ほどお話しした五大農業商社《アグリビジネス》のうちの最大手、カーギル社の副社長でした。そして、ジュネーブなどでアメリカの農業部門のガット代表として、日本の一二品目をはじめ、「世界の農業保護を全廃しろ」とブチあげたのが、ダニエル・アムスタッツという人物で、これもやはりカーギル社の元重役です。  また、これはあまり知られていないことですが、アメリカという国はガットの加盟国ではありますが、議会で正式に批准《ひじゆん》していないのです。自分の国の議会が批准していない協定を楯にとって、日本がガット違反であるといい張るのは非常におかしいと思います。  たとえていえば、プロ野球連盟のルールを守るという約束をチーム内できめていないどこかの野球チームが、プロ野球連盟のルールを楯にとって、他のチームに文句つけているようなものです。これはほんとうにおかしい。  そのくせ、アメリカはガットのウェーバー条項(自由化義務の免除)で、一四品目の農産物の輸入制限をしています。そのうえ、そのなかには日本に自由化を迫った一二品目のうち、六品目がダブっているのです。牛肉だって、いまだに輸入障壁を設けています。つまり、アメリカは食肉輸入法をつくってオーストラリアなどの安い牛肉を輸入禁止にしておいて、一方では日本にうちの牛肉を買えといっているわけで、このへんはほんとうにずるい。これでよく、日本に向かって「ガット違反だ」だの「自由化あるのみ」だのといえたものだと思います。  ここまでお話しすると、皆さんのなかには、「ちょっとまてよ、それだけアメリカは輸入制限をし、補助金にたよって輸出をしているのなら、なぜ、ガットの交渉で、自国を含めた世界中の農業保護を全廃しろなどと主張しているんだろう」と思う方がいらっしゃるかもしれません。たしかにその疑問はごもっとも。しかしこれで「アメリカはやっぱり、公正と自由貿易の国だ」などと思ったら、まちがいです。  まず第一には、ただでさえ巨額の財政赤字に悩んでいるアメリカ政府にとっても、補助金支出が重荷になってきたのです。アメリカ政府はコメ以外にも輸出補助金の大盤ぶるまいをしていますが、過剰在庫をかかえていた八六年の実績で、コメ、小麦、トウモロコシなど主要穀物に使った輸出補助金が一二〇億ドル(約一・五兆円)に対し、輸出のほうはたったの四五億ドル、これじゃ商売にもなにもなりません。  また、コメのマーケッティング・ローンを導入した八五年農業安全保障法は、五年ごとに改定する法律ですから、こちらの出血輸出も、もうタイムリミットが迫っている。アメリカ精米業者協会(RMA)が、日本のコメ輸入自由化を求める提訴を最初に行ったのは、マーケッティング・ローンによる安売り攻勢開始の五カ月後、八六年九月のことでした。また最近、このRMAが騒いでいますが、当然、マーケッティング・ローンの時限切れを意識しているのです。  そしてもう一つの理由は、農業商社《アグリビジネス》の思惑です。アメリカがガットの場に送りこんでいる代表が、カーギル社の元重役であることはお話ししました。そして、CIA(中央情報局)もまっさおの情報網と強力な経済力をにぎって、世界のあらゆる農産物取引を独占している農業商社《アグリビジネス》にとっては、べつに、あつかう農産物がアメリカでつくられようと、カナダやオーストラリアでつくられようと、要するに各国の農産物保護がなくなって、輸出入がしやすくなればかまわない。  実際、農業商社《アグリビジネス》はもうすでに、中米などの熱帯林を大々的に切り開き、現地の人びとを低賃金で雇って、得意の大農場をどんどんつくっています。むしろ、アメリカの輸入障壁がなくなってくれれば、こうした自分たちの息のかかった外国の農場でつくった牛肉などを、アメリカの消費者に売りこめる、というわけです。だから彼らにとって、保護や補助金がなければ国際競争力のないアメリカ農業なんか、もう切り捨ての対象でしかない。    穀物一トンに土六トンを失うアメリカ  みなさん、私はこれまでアメリカの悪口をさんざんいいました。しかしちょっと一言つけくわえますと、私はアメリカ政府や農業商社《アグリビジネス》に対してはいくらでも悪口をいいますが、アメリカのお百姓さんには、むしろ同情しているのです。  一九七〇年代のアメリカ農業の大拡張期に、アメリカの中小の家族経営農家は、たくさんの借金をして、規模拡大をしました。この一〇年余りで、アメリカ農家の負債は、七倍以上にもなりました。しかしそうまでして得たもうけの大部分は、農業商社《アグリビジネス》後援の巨大農場のほうにもっていかれてしまいます。たとえば、七〇年代中期の三年間で、中小農家が所得を二〇パーセントのばしたのに対し、巨大農場は二三〇パーセントもの高成長をしていました。  そして、そのあとにやってきた農業不況の波をもろにかぶったのが、こうした中小農家だったんです。借金が払いきれずに倒産する農家が、毎日、一〇〇戸から二〇〇戸も出ています。アメリカは農家戸数が少なく、人口が日本の倍なのに、農家戸数は日本の四〇〇万戸に対し二〇〇万戸ほどですから、この倒産数はそうとうなものです。すでに、家族農場の破産の数は、あの『怒りの葡萄《ぶどう》』に描かれた一九三〇年代をも越えています。借金のかたにとられ、競売にかけられる農地や農機具が続出し、農地価格は八一年からの六年間で、半値以下に下落しました。ミネソタ州農務省はこうした実態を調査し、「このままでは、ミネソタの農民の三割が破産に追いこまれる」という報告を出しています。「数年のうちに、アメリカの家族農家の五〇パーセントが失われるだろう」という意見もあるほどです。それでも、輸出競争優先の政策のため、農産物の値段は低く押さえられてしまった。農民のあいだで自殺、アルコール中毒、一家離散、うつ病などもたくさん出ている。  そんななかで、無理に借金を返そうとして長時間休みなく働くものですから、事故も増えている。八六年のアメリカの産業別就業者一〇万人当たりの事故死数は、二位が鉱業、農業がこれをしのいで第一位です。そのなかでも悲惨なのが、両親を手伝っていて事故にまきこまれた子供たちで、一〇歳やそこらの子供が、コンバインにはさまれて手や足を切断されたなどという話がたくさんあり、社会問題になっています。  そうまでして働いても、つくった農産物は輸出促進のため安く輸出をするという名分のもと農業商社《アグリビジネス》に安値で買われ、補助金は大農場ほど有利なようにできているし、おまけにガットの場では自国の代表が保護の撤廃を主張しているのですから、まさに泣き面にハチのありさまです。トラクターを連ねたデモなども行われていますが、アメリカ政府にとっては、農民など全体の三パーセントほどの票にしかならないのですから、彼らの声より世界の富をかき集めてくる農業商社《アグリビジネス》の世界戦略のほうが大切なのでしょう。  おまけにひどいのが、アメリカの農地の荒廃です。もともとは、アメリカでも家族農家にとって農地は子供たちにゆずる大切なものですから、きちんと土壌保全や休耕などに気をつかっていました。ところが、七〇年代になってできた農業商社《アグリビジネス》後援の巨大農場は、そんなことにはおかまいなし。ただその年の収量があがればよいというわけで、農薬は大量にばらまくわ、規模拡大で防風林は切り倒すわ、地下水はめちゃくちゃに汲み上げるわ、やりたい放題をやりました。そんな相手と競争させられては、家族農家のほうもしだいに無理な耕作をせざるをえなくなってゆきます。  おかげで、肥料や農薬で地下水はおろか、街の上水道まで汚染され、土壌はすっかり荒れ果てて表土はむき出しになってしまいました。そのうえ防風林をなくしてしまったのですから、雨や風で肥沃《ひよく》な表土がどんどん失われてゆく。レスター・ブラウンの調べですと、八〇年代に入ってから、穀物一トンをアメリカが収穫するごとに、六トンもの土が失われたといいますから、たいへんなものです。  そのうえ、何千年もかけて自然が貯えてくれたアメリカの地下水は、たとえばテキサス州などでは、すでに四分の一が失われてしまいました。農業商社《アグリビジネス》のほうは、アメリカの大地を食い尽くすだけ食い尽くしたら、さっさと中米など他の土地へ移ってゆきますが、残された中小農家は悲惨です。  みなさん、先ほど私は日本の水田は、アメリカに比べて、一、二年の効率からみれば分が悪いといいました。でも、長期的にはちがうのです。日本の水田は、あぜや水路で仕切ったり、水管理が必要なので、アメリカみたいに大きくできない。ところが、これを逆からみると、あぜや水路で区切られているからこそ、土壌が風雨で失われたりしないのです。めんどうな水管理が必要でも、灌漑に頼っていないから、地下水の枯渇もおこらない。むしろ日本の水田は、地下水を貯めてくれています。  地下水で灌漑する農法は、たしかに短期的には人為的にコントロールをしやすいので効率がよいけれど、やっぱり長期的には自然にしっぺ返しをくらうのです。  灌漑農法でいちばん恐いのは、塩害です。毎年、水を土の上に満たしては蒸発させることを繰り返しているわけですから、だんだんに土中の塩分が表面にたまって、表土が白くなってくる。もうこうなると、作物はなんにも育ちません。古代メソポタミア文明も、チグリス・ユーフラテス川の灌漑農法で栄えたのですが、最終的にはこの塩害で国土が砂漠化して、滅びてしまったといわれています。  そして、この恐ろしい塩害が、もうすでに、アメリカの各地でおこりつつあるのです。カリフォルニア州の農業地帯、サンホアキン・バレーなどでは、約一七パーセントもの耕地が、塩害でかなり危ない状態になっているそうです。古沢広祐《こうゆう》さん(相模女子大学)の報告では、「サンホアキン・バレー地域では塩類を多量にふくんだ水が湖に流れこみ、水を飲みに集まる渡り鳥たちが多数死ぬ(略)農民が次つぎとガンで死んでいる」(「果実日本」一九八八年六月号)そうです。ところが、日本の水田はちゃんと水路を通じて水が循環していますから、こうした心配はありません。「効率が悪い」なんてさんざんにいわれている日本の水田こそが、じつは長い目でみれば、いちばん合理的なのです。  もっとも、ここにおそろしい数字がありまして、一九八六年に世界全体で稲作に使った農薬代は三三二三億円ですが、そのうちの五〇パーセントをこえる一八一四億円が日本の水田に撒かれている。つまり日本のコメは農薬だらけで育てられているんですね。しかし、水田の機能がコメを農薬から守ってくれている。ここにも水田の功徳《くどく》があります。もちろん、農薬についてはひとつひとつ厳密に検討すべき時期にきておりますが、とにかくかろうじて、水田がコメを守ってくれています。  いずれにもせよ、そんな状態で日本がコメを自由化したら、アメリカはまたぞろめちゃくちゃに地下水を汲み上げて、灌漑水田をたくさんつくるでしょう。しかし、当座はよくても、いったいそれが何年もつでしょうか。そんなことでは、アメリカ農民にとっても、長期的には日本のコメ自由化は利益にならないでしょう。  実際、中小の家族経営の農民の中には、「日本がコメを自由化すればもうかるかもしれないが、もうけの多くは、流通商人や巨大農場のほうにもっていかれてしまうかもしれない。同じ農家として、日本のコメ農家を破産させてまで自由化を強要したくはない」「アメリカの大地と農民を犠牲にし、農業商社《アグリビジネス》をうるおす輸出優先の農業政策は、もうやめるべきだ」といっている人も多いのです。  ついでにいいますと、よく「日本のコメ市場は開かれていない」とか言って提訴なんかをやっているRMAという団体があります。皆さんのなかには、あれをアメリカの農民団体か何かと思っていらっしゃる方もいるかもしれませんが、こんど新聞かなんかに出たら、よく正式の名前をみてください。RMA(アメリカ精米業者協会)と書いてあるはずです。つまり、あれは精米業者の団体なんです。しかも、正会員の精米業者より、準会員のコメ輸出業者のほうが多いような団体です。  このRMAは、コメを扱う流通商人の団体ですから、アピール効果やおどしを考えて、すぐに提訴をはじめたりする。そのため、八六年の提訴以来、あきれて脱退する会員が多く、正会員がへってきています。おまけに、コメ輸出のことばかり考えて行動する団体なので、他のアメリカの農業団体からは嫌《きら》われている。げんに、八八年九月の提訴の時は、いくつかのアメリカの農業団体は、「RMAの提訴は却下すべきだ」という要請を、USTR(米国通商代表部)に出しています。ですからRMAを、アメリカ農民や、国民の声だと思ってはいけません。  これからガットの交渉が本格的になってきますが、アメリカの提案する世界の農業保護全廃案に乗っているのが、オーストラリア、カナダ、ニュージーランド、タイといったアメリカよりももっと農業に競争力のある国ぐにです。これらの国ぐにはもちろん、日本ばかりではなく、アメリカ市場への自国の農産物売り込みもねらっているでしょう。  そして、このアメリカ案に反対しているのが、域内食糧自給をなんとか守ろうとしているEC諸国です。日本も、EC諸国といっしょにアメリカ案に反対しているのですが、いままでの牛肉やなんかの交渉をみていると、日本政府は、アメリカにちょっと圧力をかけられると、すぐに「まいりました」とかいって降参しそうな気がしてしようがない。しかも日本の財界などは、「自分たちが農業自由化を唱えるとまずい。アメリカから日本に圧力をかけてくれ」と泣き言をいっているようで、これも困りものであります。  これは私個人の考え、私の信念なのですが、結局、安保条約あたりから日米関係を考え直さないと、アメリカの日本への横暴は防げないのではないか。きちんと自立し、アメリカと友情は充分に保ちながらも、堂々と意見をのべるようにならないと、アメリカとの貿易摩擦は解消できないのじゃないかと思います。  アメリカとの従属関係を断つというのは、おそらく日本の皆さんはあまり好きじゃないと思いますが、このままでは、農業問題はどうもアメリカにやられっぱなしになりそうです。アメリカと日本とが仲よくするのはもちろんいいのですが、その「仲よく」の仕方を考え直すべきではないか。いまのようにアメリカの準州扱いで、日本の食い物は全部おれたちがつくる、そのかわりおまえのところの工業製品を買ってあげるという関係を続けていくのははたしていいことかどうか。ともあれ日本はすでにアメリカからたくさんの食糧を輸入しています。もう充分すぎるほど買っています。そのことを私たちはアメリカにはっきり言うべきだと思います。 (一九八九年四月、ガット交渉の場で、農業問題をめぐりECとのはげしい対立に直面したアメリカは、当初の農業保護全廃提案をとりあえずとり下げ、段階的な農業保護削減交渉に応じる姿勢を示した。知的所有権など、他の検討課題の解決を優先したためだが、同年一〇月、ふたたび「一〇年間で全廃」との提案方針にもどった——編集部)    世界のコメは定期的に大不作  第三の疑問は、「自由化したら、はたして日本人の食べる充分なコメが確保できるんだろうか」ということです。  こういうと、みなさんのなかには、「たしかに、アメリカの農業が思ったより頼りにならないのはわかった。でも、世界には他にコメをつくっている国はたくさんあるし、この世界貿易の発展した世の中で、そんな心配はいらないんじゃないか」と思う方もいるでしょう。  しかし、じつをいいますと、世界の食糧生産は、一五年ぐらいで豊作の時期、食糧があまってくる時期と、凶作で足りなくなってくる時期とがくり返されているのです。一九七三年の食糧危機の次が、今年(一九八八年)のアメリカ、カナダ、中国などの大不作です。  おまけに、コメは世界的にいっても、他の小麦などの穀物とは少し事情がちがいます。コメは他の作物より値段の上がり下がりが激しい。なぜかというと、コメの主な輸出国はアメリカをのぞくと、タイやビルマ(現ミャンマー)といったアジアの小さな国です。これらの国ぐには、まず自分たちの自給するぶんのコメを確保したうえで、あまったコメを輸出するだけです。だから、これらアジア一帯が凶作にでもなったら、世界市場にコメが出なくなってしまう。逆に、コメがとれすぎたときには、国内で全部消費しようとすると、国内価格が暴落してしまうので、少しぐらいもうけが少なくても輸出してしまう。だから、アジア地域のコメのとれぐあいによって、極端に値段が上がったり、下がったりするのです。  他の作物、たとえば、小麦ですと、カナダやアメリカ、アルゼンチン、オーストラリアといった、もともと生産量のうちのかなりの部分を輸出用としてつくっている国ぐにが世界市場への供給源ですし、アルゼンチンとオーストラリアが一度に不作になるなんてことはまずない。だから、どこかの国が不作になって、国際相場が上がり出すと、「それっ」といって、他の国が大々的に輸出しだす。そこで、それほどひどい供給不足はおこらない。  でも、コメはちがう。東南アジア一帯が不作ということはしょっちゅうありますし、京都大学助教授の辻井博さんによると、これはだいたい七年おきぐらいで、モンスーンのぐあいでくり返されているそうです。それに、何よりそれぞれの国が自給最優先ですから、不作のときには、他の国がコメ不足でも、かまっている余裕なんかない。  もともと、世界のコメ生産量のうち、貿易市場に出てくるのは、小麦など他の穀物が一〇〜二五パーセントなのに対し、たった三、四パーセントです。総量も年間約一二〇〇万トンで、日本の総需要量とほとんど変わりません。もちろん、日本がアメリカのいうなりになってコメを自由化したら、アメリカは日本人好みのコメを大増産するでしょうから、一時的には、どっと安いコメが日本に入ってくるでしょう。でも、もしアメリカが不作にでもなったら、その埋め合わせをして、極端な値上がりを防いでくれるようなコメ供給を行える国は、おそらくないと思います。  事実、今年の大旱魃《かんばつ》でアメリカの食糧生産は大幅におちこんだ。トウモロコシなどは、約四割ちかい減収だそうです。しかも、これは旱魃のせいだけではなくて、先ほどお話ししたアメリカの農地の荒廃などが、じょじょに正体をあらわしてきているのです。  だいいち、小麦やトウモロコシ、大豆といった他の穀物とちがって、コメには国際取引所がありません。ですから、個々の国や業者と直接に交渉して買わなければならない。万一の場合は、暴騰を防ぐのはおろか、日本人全体の必要量を確保することさえむずかしくなるんじゃないかと心配でならない。そうしたとき、たとえ日本だけは、お金の力にまかせて高いコメを買えたとしても、そのことでコメの国際価格が上がったら、他の第三世界の輸入国などは、いったいどうなってしまうのか。 「市場開放こそが経済大国日本の果たすべき責任だ」などという人が多いですが、私は、逆に影響力の強い経済大国だからこそ、自分の食べ物ぐらい自分で面倒をみるべきだと考えます。    日本では禁じられている農薬が  第四の疑問は、「アメリカのコメは、ほんとうにおいしいのか」ということです。  よく、「カリフォルニア米は日本のコメよりおいしいぐらいだ」なんてことをいいますが、それは私にいわせればあたりまえのことで、カリフォルニアでつくっているあのコメは、日本のコシヒカリ系統の親ダネを向こうに持って行ってつくったものなのです。  実際に食べてみますと、温かいうちは日本のコメと同じぐらいうまいです。それでカリフォルニア米は日本のおコメとほとんど同じぐらいうまいなどという困った人がいるわけですが、冷めると格段にちがってきます。また、カリフォルニア米はおにぎりにはしにくいのです。おにぎりにしますと、自然にほどけてきてしまう。  また、試食などで日本の主婦の方にアメリカの業者がむこうのコメを提供する場合は、空輸されてきたものを食べさせているのです。しかし、日本がほんとうに買い入れることになりますと、ミシシッピ川流域の南部諸州のコメも出てきますので、船でニューオリンズから出発し、パナマ運河を通って三二日間ぐらいかけてやってくる。そうすると、どうしても虫がわくのを防ぐために薬を撒いたりする。そんなに長いあいだ旅をして薬をかけられたコメがほんとうにうまいだろうか。  また、それをほんとうにいまの値段で売ってくれるのか。たださえ、アメリカはいまコメにたくさんの補助金を入れてようやく安くしているのですからね。  アメリカのコメ産地はアーカンソーなど南部の州とカリフォルニアですが、そのほとんどは日本人の口には合わない粒の長いコメで、日本風の短いタネのイネは、いまのところカリフォルニアでしかつくっていない(南部でもつくっていますが、ほとんどが米国国内向けの加工品やビールの原料になっています)。  世界的にはこうした長いコメ(長粒米)のほうが主流で、タイをはじめインドや東南アジアの国ぐにがつくっているのは、ほとんどこれです。短いコメ(短粒米)だけを食べているのは、日本のほかは、韓国や中国の一部ぐらいなのです。  ご年配の方は、戦争中に「外米」という、長い粒のパサパサした、変な匂いのするコメを、まずい思いをしながら食べたことがあるでしょう。あれが長粒米です。あの外米は、戦争中に日本が東南アジアからむりやりに運んできたもので、そのために大勢のアジアの人びとが飢えて死んだのですが、そのことは今回は置いておきまして、とにかく日本人の口には合わない。カレーライスやチャーハンにするにはいいですけれどね。ですから、たまに「日本は、東南アジアの貧しい国からコメを買ってあげなければいけないんじゃないか」という人がいるんですけど、おそらく日本がコメを自由化しても、タイなどのコメはあまり入ってこないでしょう。もっとも、最近ではタイでも日本人好みのコメをつくりはじめているのですが、これはタイにもとからあった種類のコメではありません。この種のコメのほとんどは、政府や外国資本などの設備投資でつくられた灌漑水田で生産されていて、東北部などで伝統的農業をやっている貧しい農民たちには、あまり縁のない代物なのです。  だいいち、自由化してタイからおコメを買ったりしたら、アメリカが黙っていないと思います。出血サービスの輸出補助金も、おどしすかしの自由化要求も、もとをただせばタイとのコメ輸出競争に敗けてあまった過剰米を日本に押しつけるためのものなのですから。  話が脱線しました。いまのところ、アメリカでは短粒米はあまりつくっていません。もともと、コメ自体がアメリカ農業の中では小さな存在で、コメ農家は全体の〇・六パーセント、一万二〇〇〇戸ぐらい。その中でも短粒米は、コメの作付面積のほんの五パーセントぐらいです。  ですが、私のみるところでは、アメリカは「もともとカリフォルニア米は少ないんですから自由化しても大したことはないですよ」といって、日本に市場を開かせた瞬間に、日本人の好きな短粒米をバーッと大量生産しはじめるのじゃないか。向こうは農業もビジネスですから。精米なんかでも、アメリカのコメは薬をかけて表面をきれいにしてあって、ほんとうに「買わせてやるんだ」という感じがします。  しかし、基本的にいえることは、食べ物はやっぱり近場のものがいいということです。つまり、自分が食べるためにつくるとしたら、絶対に安全でうまいものをつくる。隣の人に食べさせるものだったら、やっぱりいいかげんなものはつくれません。しかし、海の向こうのよくわからない国へ輸出するのだとなると、これはどうなるかわからない。いくらでも薬をブッかけて、みた目だけきれいにしとけばいいということになりかねない。いや、実際にそうなっているのです。  たとえば、レモンを自由化したときのこと、日本では禁じられていたOPPという農薬を、アメリカはどうしても使いたいといいはりました。もうそのときは、自由化のあとで、日本のレモンはだめになっていましたから、しかたなく、日本側の規制をゆるめて、OPPを許可したのです。「有害な輸入食品なら、買わなければいい」と言ったって、いったん自由化してしまえば、それはできないのです。  レモンならまだ食べないでもすみますが、主食のコメで同じようなことがおこったら、どうするか。現にアメリカではコメにパラチオン剤を用いています。これは日本で禁止されている農薬です。また、貯蔵にあたっても、日本では使っていけない農薬を一七も使用している。やはり、そこでとれたものを、そこで食べるのがいちばんおいしくて、すばらしいことなのです。  ここで余談のようなものをひとつ。いま世界の、水稲栽培が可能なところでは米作に転向し、コメをたべる例が多くなっています。理由は水田のコメは、収量が多く、かつ安定しており、味もよく、さらに水田では連作もきくし、表土流出も少ないからです。学者たちの説は、「一ヘクタール当たりの穀類収量は五トンが限度」ということで一致しています。ちなみに小麦の一ヘクタール当たりの収量は、二・二五トン(一九八四年の世界平均)です。小麦の本場のアメリカの中西部でも三・五トンどまりです(最近、イギリスその他が小麦に力を入れて収量はコメと並ぶようになりましたが)。  ところが一ヘクタール当たりの収量が、その限度の五トンをこえている穀物がある。たとえばコメがそうです。日本のコメの一ヘクタール当たりの収量は、五・一七トン(一九八四年)です。日本の上を行くのは北朝鮮と韓国だけ(両国とも六トン以上)。つまり日本のコメづくりの技術は世界でもトップランクにある。北朝鮮、韓国、そして日本、ともに水田によるコメづくり。水稲栽培がいかに効果的かこれでおわかりいただけるとおもいます(これまた近年、カリフォルニアの稲作技術が長足の進歩をみせ、一ヘクタール当たり五・七トン(精米ベース)に達しています。アメリカの全国平均は四・五トン、日本のそれが四・六トンですから、たいへんなものです)。  だから水稲栽培が可能な国ではぞくぞく米作米食に転向している。おいしい上に、たくさんの栄養価をふくんでいて、消化吸収率は高く(九八パーセント)、熱量もある理想的な食品ですから、これは当然です。もうひとつ、みなさんはフォード大統領時代のマクガバン委員会というのをご存知でしょうか。この委員会はアメリカ合州国の人びとの食生活を調べるのが目的で組織されたものですが、その報告(一九七七年)のなかに「コメを中心にした日本人の食生活がきわめて理想的である」という記述があります。日本食ブームはこれが切っ掛けで始まったといわれます。さて、国連が三〇年後、二〇二〇年の世界人口予測を行っています。それによると二〇二〇年の世界人口は七八億人です。小麦その他の穀物では、とても七八億人の人口はまかない切れない。そこで一ヘクタール当たりの収量が最大のコメに世界中が注目し、南北アメリカ、アフリカ諸国、ソ連、中近東、地中海沿岸などの水稲栽培可能な国ぐにでは米作をはじめている。コメはいまや世界的な注目を浴びている作物なのです。  つまりさまざまな理由から、世界に「コムギからコメ」へ大きく転換しようとする気配があるのですが、日本の動きは、まさにその逆ですね。世界でもっとも水稲栽培に適した国であり、むかしからコメを主食としてきたのに、ひとり小麦のほうへ嗜好《しこう》が移りつつある。これはじつに不思議な現象です。    農民が政府のいうなりになって借金地獄  最近、「日本の農民は補助金泥棒だ」という批判がよくなされています。補助金づけという点では、アメリカのほうが数段上だ(一九八八年の数字では、アメリカのコメ農家への価格・所得支持支出は一農家当たり一、二七〇万円。日本のそれは一農家当たり九・三万円。農業基盤整備の総額を加えても三六万円である)と申し上げましたけど、もうひとつ、われわれ都市住民は、日本政府の農業予算が全部農村にいってしまっているという錯覚を改めないといけません。  農業関係の予算のうち、実際に農家に落ちるのは、全体の一八パーセントにすぎません。あとの八二パーセントは水利事業をやっている土建会社とか農機具メーカー、肥料会社などへ流れていく。そして、そこで働く社員の人、その社員の奥さん、子供、その子供が行く学校、その人たちの買う店、その他へ日本中に農業予算のお金がしみ出してゆく。  また、たとえば、あるお百姓さんが、ハウス野菜をつくろうとします。ところが、最初、五〇万円で建てようとしていたところへ、農業事務所の人がやってきて、こう指導します。「補助金を一〇〇万円つけるから、二〇〇万円規模のハウスをつくれ」と。いまの日本の農業政策はとにかく規模拡大一本槍ですから、そう指導する。しかし、そうすると、自前のお金が一〇〇万円必要ですから、足りない五〇万円は農協かなんかから借金する。そして、その二〇〇万円のハウスの工事は、おかみが指定した材料で、指定した業者が、指定した規模でつくる。しかし、野菜は年によって当たりはずれがありますし、ハウス栽培も燃料代がちょっと上がったら、大きければ大きいほど維持費で足が出てしまう。結局、補助金は農民の前を素通りして土建業者や材料屋のふところに入り、農民には借金が残される。  七〇年代には、おかみの指導をまじめに聞いて、コメづくりをやめ、畜産をやろうとした農家がたくさんありました。こうした農家も、たとえばサイロひとつにしても、日本の気候には合わないEC式のばかでかいものを、やっぱり補助金と借金でつくらされた。牛舎なども同じです。そして、そのうち牛乳やなんかが余ってきたらむりやり生産調整を押しつけて、あげくの果てには「効率が悪いから自由化だ」という。こうして、借金でつぶれてしまった農家がたくさんあります。それなのに、農業予算は全部農家のふところに入っているといっている評論家が大勢いる。  たとえば、通産省の予算は全部大企業がとっていると農民がいったら、向こうはきっと怒り返してくると思うのです。そういう批判に対しては、その予算はいろいろなことに使われていて、大企業に実際にいくのはこれっぽっちだとかきっと反論すると思うのですが、なぜ企業にはそれが許されて、農業の側は反論できないのでしょうか。  かつて3Kといわれていたもの、国鉄、コメ、もうひとつは健康保険か憲法か、どっちかはわかりませんが、とにかくその3Kがつぎつぎにやられようとしています。国鉄は実際に解体されてしまいました。  国鉄の分割民営化は一見成功しているように見えますが、旧国鉄の土地がこの先いったいだれの手に売られてゆくのか、事故がいまのまま起きないですむのかどうか、清算事業団の借金はふえる一方ですし、一〇年ぐらいみてないとほんとうの答えは出てこないと思います。実際に、旧国鉄の土地を大きな不動産業者が地方公共団体をうまく仲介に使って手に入れようとしています。国鉄解体というのは、国の土地を民間の有力企業が自分たちで分けてしまうためのものだったのはたしかです。  こんどのコメも、もう票田として農村は必要なくなってきたとにらんだ自民党が、日米貿易摩擦でアメリカに対して何か妥協をしなければならない産業界の意向に従ったということだと思います。農村切り捨てをほんとうにやろうとしているような気がします。そして最終的な狙いは農地法の大改正でしょう。農地法を改めて、企業が農地を自由に取得できるようにしようとしているのではないか。  だいたい、対米貿易黒字は、工業製品の輸出でつくりだされたものです。その黒字の約五割は自動車など上位一〇品目のもの。たった三〇社が、対米黒字の六割を占めている。八五年には、わずか一〇社で対米黒字の八割をもうけていたという指摘もあります。それに対し、もし四〇〇万戸のコメ農家とひきかえにコメをすべてアメリカから買ったとしても、対米黒字は一割もへりません。  国鉄解体のときも、国鉄の労働者は親方日の丸でサボっているとか、いろいろなことがマスコミでまずいわれ、国鉄はけしからんという世論が盛り上がり、反対論を押さえこんでしまった。こんどのコメもまったく同じパターンで、日本の農民は税金泥棒の怠けものだと宣伝している。こんな手口に二度、三度とだまされるというのは、だまされるこっちのほうが馬鹿です。ですから、そのために私たちはうんと勉強しなければいけないのじゃないか。  この川西町に遅筆堂文庫をつくった動機も、そこにあります。農業関係の本が山ほどあります。私たちはここに集《つど》い合ってうんと勉強しなければなりません。  こういうことをいいますと、お百姓さんのなかには、「下手に勉強して利口になればなるほど、ますます百姓は馬鹿にされる一方じゃないだろうか」という方がいらっしゃいます。変に小ざかしい百姓になろうといっているんじゃありません。まず、根拠のない農業批判に対してきちっと勉強して反撃しないとだめです。  この川西町あたりは昔、小作争議がさかんだったところで、うちの父親なども小作人運動をやっていたのですが、そのころのほうが、「これは嫌だ」「これは困る」ということをきちっといっていたと思います。それなのにいまは、下手なことをいうと、補助金をもらいにくくなるんじゃないかとか、そういう考えがはたらいてしまって、「そりゃおかしいんじゃないか」といわないようになってしまった。  農民は、いつも政府の農政に引きずり回されてきました。それも、がっぷり四つに組み合って戦ってもなお勝てなくて、結果としてそうなってしまったというのならまだいいのですが、いつも農民の側がおかみの意向を先どりしたりしながら、自分から引きずり回されている。  そうした意味では、農民が変に小利口になって、おかみより先にたってうまく立ち回るようなことを覚えても、よけい馬鹿をみるだけだという意見は、よくわかります。しかし、たとえば、オレンジや牛肉の自由化のときに、「どうして牛肉をやれなんて指導したのか。あのとき言うことを聞いてつくった借金はどう責任をとってくれるんだ」というようなことを、選挙のときにきちっと意思表示するとかしないといけないのではないか。「農政に忠実であればあるほど、農政にほろぼされる」というばかげた連鎖をどこかで断ち切らねばなりません。そのためにもおかみを相手にまわすための勉強が必要なんじゃないか。仲間うちでブツブツいっているのではなくて、そのブツブツをもうちょっと強く高く口を揃えて言えないものか。そして安全でおいしいコメを少しでも安くつくることに生命がけになるべきときだとも思います。    日本人にとっておコメはお金でした  ところで、昔はコメはお金のかわりになっていました。コメは運搬性があって、交換性があって、長持ちする。モミにしておきますと三、四年もつ。ほとんどお金と同じように日本人はコメを大事にしていた。  すでに江戸時代から、コメはお金のように全国を流通していました。たとえば、西日本のコメは大坂の堂島の米市場に運ばれた。それから東北の宮城、福島、岩手あたりは、船で江戸へ運ばれた。とくに仙台米は江戸のおコメの三分の二ぐらいを占めていたのですが、当時は、「仙台米はまずい」ということになっていて、貧乏人が食べていました。それらのおコメは太平洋を通りまして、銚子の港で川船に積み替えられて、利根川をさかのぼり、関宿から江戸川へ入ってきます。それから江戸川から荒川へ入り、木場あたりの運河を通って江戸市中に運ばれました。  諸藩のコメも天領のコメも、いったん大坂や江戸へ運ばれて、そこから売られてゆきました。四分の一が江戸、四分の三は関西で処理されていた。  当時のコメの等級は米問屋がどこそこのコメは一等米、こっちのコメは二等米というふうに決めていました。大坂と江戸では様子がちょっとちがいますが、だいたいいちばんおいしいコメとされていたのは加賀米です。それから熊本の肥後米、近江《おうみ》の江州《ごうしゆう》米、名古屋の尾張米と三河米、このへんが日本の一流どころでした。これでおわかりのように、ほとんど東海地方から南にコメの名産地がならんでいたのです。  それが元禄ごろから変わってきます。いいコメの境界線がずっと北へ上がっていったのです。たとえば、武蔵、下野《しもつけ》、常陸《ひたち》、上総《かずさ》、下総《しもうさ》、安房《あ わ》、そういう関東のコメがだんだんいいコメとされるようになっていったのです。寒いところでもその土地に合ったコメができるようにどんどん改良していったからです。いい工業製品ができていっぺんにバーッと全国的に波及するという形ではなく、一年ごとに少しずつジリジリと北上していったのです。  元禄の終わりごろになりますと、江戸でいちばんいいコメは稲毛の弥三郎米ということになっていました。弥三郎というお百姓さんがいろいろなところのモミをもらって改良して、稲毛の田んぼにいちばんよく合うコメをつくったのです。この稲毛米の次が川越米。江戸の米問屋によるとそういう格付けが九番目まである。  そのころの仙台米は「下の上」で、七番目でした。江戸では、稲毛米は殿様や大商人、それから吉原の花魁《おいらん》が食べました。それからだんだんと貧乏な順に安いコメになり、仙台米はおそらく長屋の連中が食べたのです。  いま、コメがよくつくられているのは新潟、山形、宮城、秋田の四県ですから、時代を経るにしたがって、コメが北上していったのがわかります。それはすべて農民の努力によるものです。  元禄のころは、じつは日本の農業全体の転換期でした。元禄から享保にかけて農業生産が大発展をした。たとえば、元禄時代になると、「江戸わずらい」とか「江戸やまい」という言葉が出てきます。西鶴などを読むとよく出てくるのですが、江戸とか大坂とか京都ではやった病気で、コメを食べすぎて脚気《かつけ》になった。このころには大都市ではこんな病気になるぐらいみんなコメを食べるようになっていたわけです。たとえば、一八五九年、大丸江戸店の店員たちは年間一人当たり精米で二二八キロも食べていました。  ただし、山村や畑作地帯の村はまだまだで、病人が出ますと、白米を食わせるか、朝鮮にんじんを買うか、どっちにしようかと迷ったあげく、ごはんを食べさせたらすぐ治ったという話も、当時の随筆などを読みますとたくさん出てきます。  それはとにかくとして、大都市でそんなにコメが自由に食べられるようになってきたのは、この時代にぐんと農業技術が進んだからです。  具体的には、新田開発が進みました。藩営の新田もありましたが、大坂、江戸の大金持が金を出し合って農地を造成してしまうのも多かった。たとえば、江戸の大商人がナントカ藩のために一〇〇両で農地を造成してあげて、そしてその藩の殿様から、そこでとれるコメで、たいへんな利息をつけながら年賦で返してもらうという、いまの不動産の売買とほとんど同じようなことをやっていた。また、そういうのばかりでなく、村請《むらうけ》新田といって、村の人たちが力を合わせて開く場合もあったのです。  改良された農機具も普及してきます。これは鉄を鍛える技術の進歩とも関係していますが、それも元禄時代を境にしてのことです。  戦国時代、日本のコメの総収穫高は二五〇〇万石ぐらいだったのが、元禄が終わったころでは、三五〇〇万石にもなっていた。つまり一〇〇年足らずのあいだに一〇〇〇万石の増産をしているのです。これはたいへんな技術革新です。  一年に人間が食べるコメは、だいたい一石(一六〇キログラム)です(もっともいまはその半分ぐらいにへりましたが)。ですから、元禄時代の日本の人口は三〇〇〇万前後です。おそらくその後、田んぼの面積自体はそんなに増えていない。というのは、江戸時代でできるところはほとんど開墾して、明治以降拓《ひら》いたところはそんなにないからです。  その後、明治を経て、戦争があったりしましたが、その間も日本の農業技術は進歩してゆきました。戦争に負けて、そのあと日本の農業はピークに達するのですが、このごろはほとんど一億人の口を養う量までコメがとれるようになったわけです。それらはすべて、農民の努力のたまものでした。そのコメがアメリカのいうなりになって自由化してしまっていいのか。    コメ一粒から見えてくるもの  そうはいっても、農業というのは、理屈よりはまず体が先に動かなければいけない仕事です。私も、戦争中、農業の手伝いをやらされたことがあります。そのころは農家の働き手が兵隊にとられて、留守家族の家には「出征兵士の家」という札が貼ってありました。  当時、いまの小学校にあたる国民学校に学校田というのがありまして、そこで田植えや、いろいろな農作業も習っていました。そして、国民学校の生徒も、労働力の一部としてそういう出征兵士の家へ手伝いに行かされた。農繁休暇というのがありまして、農作業が忙しくなりますと学校も休みになり、子どもたちはみんな学校から割り振られて、出征兵士の家を手伝いました。  そのとき痛感したのは、こんなに力が要るひどい仕事があるだろうかということでした。同級生の農家の子をあらためてみてみると、小さいときから力仕事をしていますので、体が早く老化して、子どもなのに老人のような感じの友だちがたくさんおりました。子どもなんですが、インドの老哲学者みたいな顔になっていたのです。  そんなことを思ったのは私だけではなかった。ガルブレイスというアメリカの経済学者がいますが、彼はカナダのオンタリオ州の大きな農家の出身です。大学では農業経済学をやり、やがてハーバードの教授になりました。ケネディ大統領の農業部門の演説は全部このガルブレイスが書いておりました。ケネディの農業問題の演説はすばらしいという評判がありましたが、これは原稿をつくったガルブレイスがすばらしいのでして、私の好きな学者です。  その『回想録』(TBSブリタニカ)を読むと、少年のころの彼のねがいはただひとつ、それは農村脱出でした。とにかくこんな辛い仕事はない、ほかのどんな仕事でもいいが、農業だけはいやだと書いている。私もおぼえていますが、農民はイネを背負ったり、腰を曲げて田植えをしたりして、気絶するか、その寸前ぐらいまでがんばる。そこでガルブレイスの『回想録』を読んだとき、「ああ、この人もやっぱり農業から抜け出したかったんだな」と考えさせられたものです。  先ほどから「農民の努力で生産が増えた」などと簡単に言っていますけれど、実際の現場は、それはたいへんな、ねばり強い仕事が必要だったのだろうと思います。たとえば、寒さに強いイネを品種改良でつくったというけれど、それはすぐできるというものじゃない。  具体的にはどうしたかというと、山の奥の冷たい清水が最初に落ちてくる小さな日当たりの悪い田んぼにイネを植えるのです。たいてい全滅してしまうのですが、なぜかそこでがんばっているイネが何本かあります。それで、「ああ、これは日当たりの悪いところでも、冷たい水でもがんばれるイネだ」というわけで、それを引き抜いて、次の年にまたそこへ植えると、だんだんに冷害に強い品種ができてくる。それを何年も何年もやっているうちに、ある地域に非常に合ったコメができてくる。そうやって、少しずつ、その土地ごとに適したイネをつくっていったわけです。  ここで大事なことは、コメというのはどんなにがんばっても一年にいっぺんしかとれないということです。もちろん二期作のできる地方もありますけれども、基本的には一年に一回だけ。ですから、工場でつくる品物は、何回でも実験ができて、技術革新ができるのですが、コメの場合はいくら品種改良といっても、大自然のリズムに合わせて試みねばならない。大自然を早まわしすることはできませんから仕方がない。コメ改良は、ほんとうに一年、また一年と時間をかけていくわけです。  昔、ある農家のおじいさんに聞いた話に感動したのですが、「おれたち百姓はうまくて五〇回、下手すると三〇回しかコメはつくれない」というのです。最初の一〇年間は親父とか先輩のやり方を勉強して取り入れて、それを田んぼで活かすという段階で、まだ自分のやり方ではない。それがすぎて、やっと自分の方法でほんとうにいいコメができたという年が少し多くなる期間が一〇年か一五年ぐらいある。それから、やがて自分の次の世代へコメづくりを教えていく時代が一〇年か一五年あって、それでおしまいです。その人は「コメを工場みたいに三〇〇〇回も四〇〇〇回もつくれたらな」といっていましたが、これは農業の本質をついていると思います。  つまり農業は、工業やサービス業などのほかの産業とは明らかにちがう。最近では、温室がどうの、バイオテクノロジーがどうのといっていますけれど、人間がいくらあがいても、自分たちが生きている自然全体をかえてしまうことなんかできっこない。そんなことを無理にやろうとしたら、一時はうまくいったようにみえても、やがて手ひどいしっぺ返しがやってくるはずです。  この日本の気候、この山形県の川西町の平均湿度とか平均温度、そしてこの景色も、この水も、土の質も、ここにしかないものなのです。だから、ここにいちばん合ったコメを育てるしかない。  いつかテレビの農業問題の討論会のときに、東大のある先生が、日本はコメが高いんだから、日本酒でもなんでもアメリカでつくってもらえばいい、そうしたら日本酒も安くなるはずだ、というような乱暴なことをいいました。あえてこの先生の名を申しますと舛添《ますぞえ》センセイである。この人は、土地ごとのコメのちがいとか、気候しだいで麹《こうじ》が変わってしまうとかをぜんぜん考えない。まったく工業製品と同じ感覚で、ものの値段や効率とかを計算してものをいっているだけなのです。こういう方が東大の先生をなさっているところが、日本のおもしろいというか、情けないところです(先生は、後に東大をおやめになりました)。  農業は人間と大自然との合作であって、しかも、その仕事は、コメをつくるだけでなくて、たとえば、ダム効果や保水機能のような力もひっそりと発揮している。  みなさんがこの会場までおいでになったときに、この川西町の田んぼをごらんになったと思いますが、これは身びいきかもしれませんが、緑がきれいです。とくに東京あたりからきますと、遠くに山があって、その下に緑のジュウタンが敷きつめてあるみたいで、緑が脳のあいだにずっと滲《し》み入ってくるような感じがしますけれども、そういう人の心におよぼす効果も水田はもっている。  そのほかにも光合成をおこなって酸素を出すとか、いろいろな効果を果たしている水田の代金が、一家族一日二〇四円というのはいかにも安い。そして、それらをたいへんな努力で支えてくれているのが、日本の農民のみなさんなのです。  農民は正当にもらえるはずの賃金を充分に得られないまま、コメをつくっているというのが実情です。農民は税金が安くていいなんていいますけど、都会の勤労者の平均月給と専業農民の一カ月分の収入とをくらべたら、びっくりするぐらい農民の収入のほうが安いはずです(専業で都会の約六割、兼業では約四割しかない)。  いまの社会では、ものを比較するものさしは、主として値段です。ですが、値段では比較できないものがたくさんある。比較できないものをむりやり比較するために値段や数字を持ち出してくるというのは、そろそろやめたほうがいいのではないか。  世の中には数字に入らないもの、市場を通らずに受け取る大事なものはたくさんあると思うのです。緑であり、きれいな空気であり、おいしい水であり、梢《こずえ》をわたるさわやかな風でありますが、これらはまったく数字にあらわれてこない。  それらは世の中にふんだんにありますから、みんなそれらをぶんどって「ただ乗りして」勝手に使ってしまうけれども、先ほどのダム効果の話のように、もしそういうものに値段をつけて、利用した人がお金を払うようにしたら、農業は絶対に黒字が出るはずです。  しかし、そんな黒字うんぬんじゃなくて、地球全体の環境とかの視点から考えていくべきなのじゃないか。われわれは地球の一部にしがみついて生きているわけですが、川西町を大事にすると同時に、フロンガスや温室効果の問題なども考えて、地球そのものを大事にしていくことが必要なのではないか。エネルギーをこんなものすごいスピードで使ってしまういまのわれわれの生活、ほんとうにこれでいいのか、じつは生活程度を落とさなければいけないのじゃないか、今日より明日の生活のほうがよくなるはずという神話をどこかで捨てないと地球のなかの再生産システムまで荒し尽くしてしまうのじゃないか。  こういった赤信号を鋭くつかまえられるのが農業だと思います。もっとも大切なことは、工業はモノをつくるとき、たくさんの不利益を工場の外へ出すのにひきかえ、農業はタベモノをつくりながら、かぞえきれないほどの利益(きれいな水、みどり、ダム効果や保水機能、地下水の涵養《かんよう》、酸素、生態系の維持)を外へ出すということ。どうかお百姓さんは、胸を大きく張っていただきたい。  いまの世の中は、みんないちおうは豊かになったようにはみえるけれど、じつはだれもが効率やスピードに仕えることに疲れ切ってしまっている。  そこでだれもが地球やアジアなどの大状況や中状況は考えないで、職場と家族、身のまわりのことだけに自分の関心をしぼっていき、できるだけまわりを見ないようにするという精神衛生術を発明している。  しかし、自分の食べ物や、農業を考えてゆくことで、ごく自然に、この壁を乗りこえることができるのじゃないか。宇宙や地球と川西町の生活や田んぼ、いわば極大のものと極小のものとをつなげるのが、じつは農業ではないかとひそかに思って、私はたとえば『吉里吉里人』を書きました。いまでもその気持は変わりません。  ご静聴ありがとうございました。 (一九八九年五月、岩波書店刊、岩波ブックレット『井上ひさしのコメ講座』に加筆)   一粒のコメから地球を見れば ——一九八九年六月〜一二月、西武池袋百貨店スタジオ200「新潮文化講演会」連続講演より    1 都市生活者と農業問題  コメの問題につきましては、たくさん申し上げることがありまして、本当に時間がいくらあっても足りないぐらいです。とくに皆さんのように都会にお住まいの方々は、通勤・通学の途中などに坪何百万という農地をご覧になっているもんですから、農民に対しては非常に反感があると思います。東京は世界一の栗《くり》の産地です。なぜそうなったかといいますと、栗の木を植えておきますと農地ということになり税金が安くなります。それに栗の木は一番手がかかりませんので、都市の農民は、一部の方ですけれども、栗の木を植えまして、回りに有刺鉄線など張って、人の出入りを禁止して、それで実は税金を非常に安くしてもらっている場合もある。それを大都会の方々はご覧になっておりますので、あれが本当の農民の姿であるというふうにお考えになる方もいらっしゃるようで、農民に対して厳しい見方をなさっている方が都会には多い。  それから、新聞、週刊誌でコメは高いということをしょっちゅうお読みになってますね。国際価格の三倍か四倍というのをお聞きになって、それはけしからんではないか、というふうにお考えの方も多いと思います。そこで今日は、コメを取り巻くいろいろな基本的な問題を皆さんにお話しして、共通の認識をつくりあげ、農業についての誤解をいろいろな角度から解いていき、最後はコメ一粒から全世界を見るというふうな話につなげていきたいと思います。  コメを自由化しようという動きがあります。とくに大都会では安いコメを買って、その代わり日本の工業製品を外国に買ってもらう、それでいいではないかという声が非常に多い。まあ「赤旗」か「日本農業新聞」ぐらいじゃないでしょうか、いけないと言っているのは。あとはコメの自由化はいろいろな条件をつけながらも、しかたがないというふうに扱っているようです。  コメの問題を考える場合の一番基本的なリトマス試験紙は、農業は工業と同じかどうかということを人に聞くといいと思います。普通は、農業と工業は同じであるというふうに考えていらっしゃるようですが、僕は全く違うと思うのです。それはどういうことかというとまず、工業は工場の外側にあるいろいろな利益を工場へ持ち込みます。利益という言葉は熟しておりませんが、とにかくその利益を工場で活用して、絶えず不利益を生み出しながら、煙とかいろいろな有害なものを外へ出しながら、製品と雇用を作り出す。これが工業である。  外から取り込む利益の一つに水がありますね。自動車一台造るのに、水が一〇トンいります。水がたいへんに必要なんです。しかも、その水もかなりいい水でないといけない。とくに先端産業では、水をメス代わりにしていろんなものを細工したりしますから、これは本当に綺麗な水(「純水」と言われる)が必要になってきます。そういう外にある社会的な利益を工場の中に取り込んで、それで自動車なり、ICのチップスなりを造っていく。ところが、外へは、汚れた水とか、煙とか、ノイローゼとか、こじつければきりがありませんけど、そういう不利益を出していく。  一方、農業は回りにある不利益を全部取り込んで、それを利益にして回りに返していく。水をつくる、国土保全を行う、緑や酸素を作り出す、生態系を維持する、いろんな利益を出しながら、水田の場合はコメをつくり出すわけです。  国土保全機能というのは、ダム効果とか、そういうことをいうわけですけれども、農林水産省の統計によれば、一年間に日本の水田と森がする仕事をお金に見積もりますと、三七兆円になる。つまり日本からコメをなくしたり、森を切ったりして、その分ダムを造ったり、今水田や森がやっている仕事を別のことでやらせれば、その費用が一年に三七兆円かかります。しかし残念ながら、コメをつくる過程で水田が黙々としてやっている見えない仕事を、われわれは算盤《そろばん》の上には乗せない。出てきたコメの値段ですべてを決めようとします。その辺に気が付かないで、できてきたコメの値段だけで比べるので、高いという声が起きてくるわけです。  もっともこのようなことは皆さんよくご存知のことと思います。もう一度大づかみに言いますと、水田というのは、あるいはコメというのは、回りのいろいろな汚れたものを全部吸収して、コメをつくるかたわら、それを綺麗にして回りに返していく。一方、工業というのは、回りにあるいろんないいものを全部取り込んで、それは粗削りなものではあるかも知れませんが、それを取り込んで、ある利益のあるものを一つ造り出しはしますけれども、しかし不利益も生み出していく。ですから、国際競争力というただ一つのモノサシでコメが高いだの安いだのと言う人とは、話が通じない。  それからもう一つ、アメリカやタイの安いコメを買えば生活が楽になるか、という問題があります。一九八五年ですから四年前の総理府の統計ですけれども、一勤労者世帯三・八人の家庭が、コメに使うお金は一日に二〇四円です。この一日四人弱の家庭の食べるおコメ代を半分の一〇二円にして、一〇二円浮くから生活がうんと楽になるかというと、そう楽にならないと思います。一日一〇〇円浮いたから家が買えるなんてことはない。とくに大都会ではとてもとても無理な話です。だったら住宅費が安くなったらどうか。住宅費はだいたい家計の三〇パーセントです。これも総理府の統計ですけれども、一勤労者世帯が住宅費に払うお金はだいたい家計の二八パーセントから三二パーセントという数字が出ています。平均をとって三〇パーセントとしますと、普通の家庭は、収入の三〇パーセントをローンや家賃に回しているわけですね。三〇パーセントというのは、総理府の数字で換算しますと、一〇万円ちょっとです。そうしますと、住宅費を安くする方へエネルギーを注いだ方が、ずっと話は早い。コメを目の敵にして、隠れた仕事をたくさんしているコメを散々いびって、一〇〇円安くして「バンザイ」をいっているよりも、住宅費というものに目をつけて、それをたとえば一割安くしたら、月一万円浮くわけですから、その方がずっといいんじゃないか。  しかし、世の中の流れは、なかなかそうはならない。一番いじめやすい、一番力の弱いところに行く。はっきり言いますと、財界主導のもとでコメに目をつけているきらいがある。それから順不同で申し上げますが、なにもかも数字で考えていいのかなという疑問が、ずっと昔からありました。つまりマーケットにいろんな商品が出て行って、その売り買いでGNPというのは決まるわけですけれども、例えば病人がたくさん出てもGNPは増えるわけですね、医療費がかかります。それは支出であり収入であるわけですから、うんと不幸な国があって、全員が病院に入って薬をたくさん使って、手術を散々やって、全員が病気だという国がもしあったとすると、そこのGNPはきっと高いはずです。ですから、GNPで国民の幸せ不幸せをはかるというのは、そもそも最初からおかしい。GNPは、いろいろあるモノサシのなかの一つであるにすぎません。がしかし、その一モノサシを絶対化したところからコメ問題が発生したのです。数字に換算されないものもじつに大事です。水の質、空気、景色や風景、人びとがゆったり暮らしているかどうか、風が気持ち良く吹いているかどうか、緑がたくさんあるか、いい住宅環境に人びとは住んでいるかどうか、そういうお金に換算できない大切なものを無視して、あるいはそれに「ただ乗り」して、とにかく数字に換算できるところだけで考えてきたのが、果たして正しかったかどうか。だいたい、水、空気、緑の風、風景、住宅、土地、医療、教育、消防、警察といった公共性の高いものは、数字による競争力とはそぐわないものなんです。  コメも同じことです。つまりコメを商品として、値段だけ高い安いと言っていていいのか、コメが黙ってやってる他の仕事をなぜコメの中に、コメの値段に含めて考えないのだろうか。逆に言いますと、自動車。これは道路を使います、空気を汚します、そういうものは無尽蔵にあると思って、われわれはそういう費用を全然考えなかったわけですね。しかし、それもだんだんと考えざるを得なくなるんではないか。道路を造る費用、それからわれわれが吸っている空気を汚す、それを綺麗にする費用を全部含めていくと、自動車は相当高いものになるんじゃないか、いまは不当に安いんじゃないか。これは僕が正しいというのではなくて、見解の相違ですから、こういうのを一つ一つ検討していって、じゃああなたはそれでもコメを自由化した方がいいのか、あるいは、コメは国内でつくろうとか、そういうふうになってくれればいい。ですから、いま共通の認識を作るためにいろんな問いを皆さんに差し上げているところです。  それから、コメを手放す、で、外国から食品を買ってくる、その場合、食品の安全性はどうなるかという問題があります。日本に国際空港が五つあります。それから国際港が一五あります。ですから輸入食品は、二〇の窓口から日本に入って来ます。日本が食べ物、輸入食品に使う金額というのは、第三世界の全ての予算と同じなんてことも最近いわれています。つまり、食べ物にはたいへん贅沢な国になりました。  帝国ホテルの統計ですが、残飯量がついに六〇パーセントに達したということです。いろんなパーティがありますけれども、食べられるのは四〇ちょっとで、六〇近い量が残飯になって、養豚業者に回ります。ですから、豚も帝国ホテルのパーティの客と同じものを食べているという、面白い世の中になってきているわけですね。  輸入食品の窓口は五つの国際空港と、一五の国際港から入って来るわけですけれども、これを検疫する食品衛生検査員の数は、一昨年(一九八七年)の数字ですが七五人です(一九九一年現在は約一〇〇人)。たった七五人で日本に入ってくる輸入食品を検査しようという、バカバカしい仕組みになっております。ですから、当然すべてを検査することはできません。  輸入食品の検査費の予算は二億二〇〇〇万円です。日本人の食べる外国産の食品を検査する予算は以前は六億円でした。中曾根さんが総理大臣になってから、その予算は三分の一に減りました。それからどうなったかといいますと、民間の検査機関が四〇ぐらいできました。例の民活ってやつです。民間の検査業者がやってますけれども、検査率はその年その年によってちがいますがだいたい四パーセント前後です。  ですから、われわれの食べてるものは、ほとんど検査されないで入ってくる。問題があった場合、例えばチェルノブイリで原発事故があったりした場合には、検査員が全員そっちに回ります。ですから、後はフリーパスですね。食物に対する残留農薬を担当するお役人が厚生省にいますけれども、これは定員一人です。食べ物の中にどれだけ農薬が入っていて、それは国民にとって危険かどうかを調べる、こういう食べ物だったら農薬はここまでで駄目とか、それ以上あったら全部輸入禁止とか、作っちゃいけないというふうな仕事をやっているお役人は、日本にたった厚生省に一人。お役人というのは、ご存知のように絶えず配置換えがありますから、そう長い間いるわけじゃありません。それに農薬というのは、非常に難しいです。ですから、そこへ転勤してきて、一所懸命勉強して、いろんなことを前任者から引き継いで、さあやっと仕事で頑張れるかなという時に、また次に転勤していく。ですから厚生省のポスト・ハーベスト(食糧収穫後の農薬撒布)に関する資料は、こんなこと言っちゃ失礼ですけど、僕より少ない。  日本は少なくともコメが主食で、コメに使う農薬は非常に厳しく制限されています。ところがアメリカの場合は、おコメは輸出用につくっているケースが多いので、農薬の制限は緩いんです。日本で禁止している農薬でも、あるいは日本が知らない農薬でも、アメリカでは使っていますから、担当の省官がたった一人では、いかにも心細い。この辺をもっと強化してもらわないうちはコメの自由化にはとても賛成できません。  日本は確かに農薬大国で、水田に農薬をたくさん使います。しかし、育つ途中で使いますので、水の力と稲自身の力でその農薬を分解して、害のないものに変えていく。もちろん分解しきれない場合もありますけれども、育つ途中で使えば、その生物自身がそれをこなし、害の少ないものにしていく。ところが、ポスト・ハーベストは、ご存知のようにできたあとに使う農薬ですから、これは人間が分解するしかなくなる。だから困るのです。  現にこういうことがあった。チェルノブイリの事故のあと、西ドイツの牛の出した牛乳が汚染した。西ドイツはどうしたかといいますと、自国民には飲ませられないので、カナリア諸島へ安く輸出した。カナリア諸島は逆に、自分のところの牛乳を西ドイツへ運んだ。カナリア諸島の人は安い牛乳が飲めて、しかも西ドイツへは牛乳は高く売れますから、大歓迎です。それは内部告発でバレましたけど、そういうケースはいっぱいあります。  食べ物は、自分で食べるものには絶対に毒を使いません。それから、隣の人がたべると思えば、毒のあるものはつくらない。同じ町の人が相手でもひどいものは作りません。しかし、見も知らない人が食べるとなると、算盤《そろばん》ずくの割合が多くなる。  チェルノブイリでソ連は、汚染されたものを捨てるかと思ったら、全部収穫した。それがなぜか、トルコを通って、第三世界へ輸出されていく。なぜ第三世界が狙われるかというと、検疫制度がお粗末で、ほとんどないといってもいいからです。ですから、そういう検疫制度の弱いところへ、国あるいは商社が、やばいものを売っていく。  日本はいま言いましたように、検疫制度が非常にお粗末な国の一つです。第三世界並みといっていい。これだけの量をたった七五人で検査しようというんですから、楽天主義もここまでくればたいへんなものですね。ですから、外国から食糧を輸入する場合には、検疫制度をしっかりさせて、検査員を五〇〇〇人くらいに増やしてやる気でないといけないと思う。そういうことを考えずに、食糧を、とくに主食を、買っていいのだろうか。  それからもう一つ大事なことは、コメは投機商品です。つまり、上がり下がりが非常に激しい食品なんです。世界のマーケットにでてくるおコメの量は、現在一二〇〇万トンくらいです。これは世界中でとれるおコメの量の約四パーセント。ですから、少ないコメが市場に出ていくわけです。小麦はどうかといいますと、世界でとれた小麦のうちの二〇パーセントくらいがマーケットに出ていきます。このくらいたくさん出ていきますと、多少のことでは値動きはしません。ですから、コメはちょっとした不作にもグーンと跳ね上がります。  いい例があります。一昨年(一九八七年)、タイのコメがちょっと不作だったんですね。標準作を一〇〇としますと九七ぐらいでした。三ポイントぐらい、取れ高が少なかったんです。ところが、コメの値段は五〇パーセントも上がった。  そういうことを全部覚悟してコメを自由化せよというなら、少しは納得しますけれども、そういうことを知らないでやっていると、これはいけない。こういう投機的な商品を主食にしていいのか。こういうことを全部承知した上でそう決まるのであれば、それはそれでいい。しかし、そういうことを知らないで、なんとなくしょうがないんじゃないかというふうになっていくと、悔いを千載に残す。  それから、コメが余っているかどうかという問題があります。都会では、どうも日本のコメはとれ過ぎで余っているらしいという過去の記憶が残って、やっぱり依然として余っているんじゃないかというふうに考えがちですけれども、お手元にお渡しした資料(次頁図1、図2)をちょっとご覧になってください。これは農水省の出した数字で、図2の△だの×だのは、僕がつけたんであります。  ご覧になればわかりますように、とれた分が余れば、それは生産過剰、その過剰量が一〇パーセントを超えていた場合は、ゆとりある年ということで、〇になっています。一〇パーセント以内だったら、これは何があるかわかりませんので、まあぎりぎりというふうに△になっております。不足している年が×印ですね。一九六七年、六八年、六九年に、〇印が三つ続いています。豊作だったんですね。必要な量よりも一六パーセント、一六パーセント、一七パーセントも多くとれています。いわゆるとれ過ぎです。これは、農業技術や農薬の技術が非常に進んだことがあるわけですね。それからコメを食べなくなったという事情もありました。それに機械化も進みましたし、ここでぐんぐんコメの生産性が上がりまして、〇が三つ続きます。  この辺から財界の攻撃が始まりまして、減反が開始されたのが六九年ですね。次の七〇年は標準作よりもちょっととれて、一〇六パーセントです。そこからは順調にきてるんですけれども、一九八〇年代に入りますと、たいへんです。とくに一九八〇年の八七は、必要な量の八七パーセントしかコメが国内でとれなかったわけですから、これはたいへんなことで、××××△△、その後も去年に至るまで〇印は一つもありません。良くて△ですから、一九八〇年代に入ってコメがとれ過ぎるという年は一年もありません。ことし(一九八九年)も天候不順で駄目だと思います。  ですから、決してとれ過ぎていないんです。とくに一九八〇年代に入りますと、逆に足りなくなってきている。ここには載せませんでしたけれども、一九八〇年の早食い量は三〇トンあった。早食い量とは、普通はその年にとれたコメは一〇月一日から食べることになっているのですが、コメが足りなくなりますと、一〇月まで待っていられなくて、早場米を九月、ひどい時には八月の末ぐらいから食べていく。早食い量とはそういう意味です。一九八〇年の早食い量は三〇トン、まあ大したことはなかったんですね。それが次の年は四五トンに増えます。さらに次の年一九八二年は五〇トンに増えます。それから八三年は六五トンに増えます。八四年、冷害が四年続きましたので、この年そのものはまあぎりぎり普通の年でしたが、それは秋になって初めてぎりぎりの年になるわけで、その秋までが大変、なんと一〇〇トンも早食いしてしまう。ですからどんどんどんどん早食い量が増えてきている。  なおかつ、五年前の一九八四年、ご存知のように、急遽《きゆうきよ》韓国米を輸入するということが起きた。これが現実、不作つづきでコメが足りなくなってきます。  普通ならここで減反政策を緩めるっていうのが本当だと思いますけど、減反政策はそのまま厳しくしながら、例えば農家保有米を出せとか、政府が売る予定のコメをいろんな理由をつけて売らないでおいて、国民にはコメは不足になっていませんよというふうを装った。そのうち、どうにもならなくなりまして、一九八四年に韓国米を輸入する。ところが輸入した韓国米は五〇パーセントが虫食い米だった。害虫がいたんです。こういうことがあるから、本当にやばい。いずれにしても、早食い量が増えているのにかかわらず、それを国民に、はっきり知らせようとしなかった。  ところで、コメに対する世界の見方はどうか。フォード大統領時代に、アメリカの議会にマクガバン委員会というのができました。当時のアメリカでは、肥満が問題になっていた。太ると血圧や血液中の糖分やコレステロール値が上がり、病気になりやすい、病気になればなったでもろい。だいたい食生活が豊かになると、最初にはやるのがアル中なんですね。もうちょっと豊かになってきますと、痩身産業がはやります、ちょうど今日本はそこに差し掛かっていると思います。で、さらに贅沢になってきますと、太っているのが恥ずかしくないという時代が来る。  そのころ、アメリカでは、さまざまな分野の学者たちが、なぜ肥満が増えたかについて、研究をかさねていました。もちろん、脂肪のとりすぎがある、糖分のとりすぎもある。そのほかに、心理的な動機もある。たとえば、嫌なことを忘れようとしてたべる「気晴らしぐい」、いらいらしながら知らないうちにものをたべている「いらいらぐい」、余ったものをもったいないからと言ってたべてしまう「残飯ぐい」、せっかくいただいたものだから自分がたべなくてはもうしわけがないと言ってたべる「気兼ねぐい」、忙しさにかまけて食事をするのを忘れ、腹もすいているので、いっときにぱーっとたべてしまう「固めぐい」、痩せようと減食しているうちに、その反動でわーっと大食してしまう「反動ぐい」……。こういった新種の食べ方があるのは、アメリカの都市生活者の精神が少し病んでいるからだと喝破した学者もおります。  そこで、「飢餓療法」なるものが大流行しました。  これは痩せたいという人は「飢餓療法承ります」という看板、そういう看板が出ていたかどうかはともかくとして、病院に入るわけです。そうしますと、まず一週間から二週間ぐらい、一切断食になる。そのままずっと断食してますと死んでしまいます。それでは治療になりませんから、患者の体力を計算して、死ぬ一歩手前ぐらいのところで、食べ物(たとえば「麦粥」)を与える。体力をつけたところでまた断食をさせる。つまり飢餓状況を病院が作ってあげる。そうやって二カ月入っていると大体二〇キロぐらい痩せる。これがすごくはやった時期が一九六〇年代にあった。しかしこれが非常にトラブルが多い。一番多かったのは、心筋という心臓を動かしている筋肉がプッツンと切れちゃう。その他、急激に痩せたり、断食しますと、いろんな弊害が出まして、ついに禁止された。  それで今度は「半飢餓療法」ってのがまたはやったんです。これは、断食はしないんですけれども、一日に六〇〇キロカロリー、普通時の四分の一あるいは五分の一ぐらいの、しかも良質の食べ物を与えて痩せさせる。しかしこれもやっているうちにみんな寒がりになっちゃうとか、治ってからも、夏でも毛布かぶったりしなくちゃいけなくなるなど、副作用が多いので、禁止になった。  その次に流行したのが、「肥満外科」です。一九七〇年代のはじめに大流行しました。飢餓療法は危険すぎるので行なわれなくなったということを申し上げましたが、もう一つ、飢餓療法には大きな弱点がありました。つまり、飢餓療法で成功し、無事に痩せて退院しても、二年後の追跡調査によると、三分の二の人が元の体重に戻っていることがわかった。そこで「肥満外科」が登場したのです。これにはいろんな方法があります。羊の腸の細い糸で胃袋を縛る、あるいは、メッシュで胃を半分ぐらい縛ってしまう。そうすると、少したべても満腹感が生じる。食物の栄養を摂取するのは小腸だから、その小腸を短くしてしまう「バイパス手術」もおこなわれました。脂肪をメスで削り取る手術ももてはやされた。  こういう有様をみて、フォード大統領が「これはいかん」と考えた。そして、上院のジョージ・マクガバン議員に、委員会を組織して、アメリカ人の食生活を徹底的に調査せよ、と命じたのです。調査報告は一年後に発表されました。これが名高い『アメリカ人の食事目標』というリポートです。その中で、委員会は、理想の食事とは、全粒穀物、とくに玄米をたべ、肉も魚も野菜もたべ、さらに海藻などもたべるのがよい、と。つまり、これは日本食のことですね。その時からです、日本食ブーム、すしブームが始まったのは。こうして、コメが見直されました。  それからもう一つ、国連の中に世界銀行というのがあって、いつも人口調査をやっております。一昨年(一九八七年)の数字では、今の世界の人口は四八億人で、二〇年後、二〇一〇年には、今から世界の人口の増加状況にブレーキを掛けても、七二億ぐらいになるんじゃないかと推定しています。人口というのは車と違いまして、ストップといってもなかなか止まりません。静止人口といいまして、人口がピタッと止まる、そうなるには五〇年から一〇〇年ぐらいかかる。そういうことを世界銀行は勘定にいれて、西暦二〇一〇年の世界人口は七二億人と推定しました。これにたいして、「世界銀行の推定は甘い。二〇一〇年には一〇〇億人に近い人口に達している」と唱える学者も大勢おりますが、とにかく、二〇年後にはたいへんな人口になる。問題は、そのときの食糧です。耕地はこれ以上増えそうもない、農業技術もほぼその限界に達している、異常気象がつづいている。そういう難しい条件のもとで、増えた人口をどう養うか。肉を食べるのを減らして、家畜に行く穀物を人間にまわす、バイオ農業を発展させるなど、いろんなことが考えられていますが、「コメのできるところでは、できるだけコメをつくる」という意見が有力です。  コメは、単位面積当たりの収量が、小麦やトウモロコシにくらべると多いからです。栄養価もすこぶる高い。肥料も、ほかと比べて少なくてすむ。つまり、世界の人々の意識が、麦からコメへ移りつつある。  にもかかわらず、日本人は、コメから麦への志向がつよい。  アメリカは日本は非常に閉鎖的であるとかいろんなことをいいます。アメリカが一番日本で邪魔になっているのは、食管制度だと思います。なぜ邪魔になっているかといいますと、ガットをお読みになればすぐにわかりますが、その国の政府が生産と流通に責任を持っている作物、品目については、他国は口出しできないという項目がある。コメの食管制度は、まさにそれに当たっているわけです。日本政府がコメの生産から流通まで一元的に責任を負っている、すなわちコメは国家貿易品目である、ですから、堂々と輸入を制限してよいのです。  アメリカにもそういうものがたくさんあります。たとえば、日本でいくらピーナツが安く穫れるからといって、アメリカに対して「ピーナツを輸入せよ」とはいえない。  だいたい、アメリカが何か言いますと、三カ月後ぐらいに経団連あたりが何か発表します。つづいて自民党内に小さな審議会だの研究会がたくさんできます。いつも同じパターン、日本の政治家は、はっきり言いますと財界の言いなりですから、財界が望むようになって行く。おコメもそうです。貿易黒字をかせぐのは、一九八五年でいえば、日本の大企業のうちの一〇社ぐらいですから、その人達が責任をもって何かすりゃいいわけですね。それなのに問題をコメで片付けようという、そういう根性が憎い。財界なり政府がわれわれに直にはかってくれればまだいいんです。こういう事情でこうなのでおコメをこうしたいというふうに、国民にちゃんと言えばいいんですけれども、必ずいったんアメリカから言わせる。アメリカがああ言ってるから大変だってあわててみせながら、実はキチッと手を打っていく、これはコメに関する限りずっと同じパターンです。  そのアホらしいくらい単純な仕組みに気が付かないで、国民が一緒になって「コメは高い」とか、「百姓は何だ、怠けてる」とか言う。これは国鉄の時もそうでした。老人医療とか老人福祉の時もそうでした。この頃のおじいさんは風邪ひくだけで病院に行って、病院を遊び場にしてるとか、必ずだれかがマスコミを使って悪口を言い出すわけですね。国鉄は親方日の丸で五時終業っていうのに四時四五分に風呂に入ってるなんていう。こんなことは普通の会社なら、みんなやってるわけですね、早く仕事を終わらせてまあ五時前に帰るわけにはいかないけれど、四時半ぐらいからお茶飲んでるとか、みんなやってるわけですが、そういうのをどんどん書き立てて、世論を盛り上げておいて、政府が出ていって改革をするというのがパターンなんです。一種の魔女狩りです。それに気が付かないで毎度引っ掛かっているわれわれは、本当にお人好しです。自分たちの算盤だけで大切なものをこわしてしまう。  日本のコメは高くて当たり前なんです。というのは、日本の農地とアメリカの農地を比べますと、農地代が五〇倍も違う。日本はアメリカより約五〇倍も高い農地でコメをつくっているんです。日本は水田ですからこれは覚悟の上ですが、水利費はアメリカの一二倍です。それから、なぜか肥料はアメリカの六倍高い。機械はアメリカの一〇倍、土地は五〇倍、他のものも一〇倍前後高い、それでできたものが三、四倍、これは日本の農業がいかに優秀かということなんですけれども、そういうことをあまり考えない。  今日、申し上げたことは常識的なことばかりです。この、コメに関する常識をもって、みなさんにコメについて考えていただきたいのです。国民ひとりひとりが、よく考えた結果が「それでもやはりコメは自由化した方がよい」というのであれば、それでいい、その結果に、自由化反対論者も従わざるを得ない。わたしがもっとも恐れるのは、一部の人たちの手前勝手な利益のために、ろくに議論もないままに、わたしたちの愛してやまない日本の、基本的な社会的装置である水田が潰《つぶ》されて行くことです。よく知らずに潰すのは、日本の二〇〇〇年来の歴史にたいする質の悪い反乱です。  ご静聴ありがとうございました。 (1989・7・4)      2 農業と工業  先月は急に休ませていただくことになってすみませんでした。大腸にポリープが出来たんです。お医者さんは日帰りでも取れると言うんですが、大事をとって一晩泊りで、七月二〇日に取りに行ったのです。  前日はご飯を食べません。お腹をカラッポにして行った。ポリープの切除はとても簡単で、お尻からファイバースコープを入れていく。お医者さんが「進んでください」というと、看護婦さんがずーっと入れてくれます。気持ち悪いんですけど、そんなにヒドイ気持ち悪さじゃない。ときどき「止まって下さい」というと看護婦さんは止めます。それから「引いて下さい」っていう。これが危険ですね。つまり四日ぐらい便秘しまして腸の中に糞便がたまってますね、それが出る時と同じなんですね、ものすごい快感です。気を付けた方がいい(笑)。患者も自分の腸をテレビで見ることができます。目の前の大きなブラウン管画面に自分の腸の中が映ります。とてもきれいです。誰の腸もきれいだと思います。人間の体はほんとうによくできているなあと感動します。  このファイバースコープというのは、六〇〇本ぐらいの繊維質の束で、その一本一本が情報量、一ビットということになって、それが黒かったり白かったりします。そしてその六〇〇本の組合せで像が映るわけです。実に不思議な仕掛けになっていまして、水も出ます。腸内を水で洗い流しながら進んだり引いたりしていくんですね。ポリープのところまできますと、こんどはワイヤーが出ます。そのワイヤーをポリープにひっかけて、電流を通しジーッと焼き切るわけですけども、その時に事故が起こったんです。  一〇〇パーセント医療ミスで、医師が電流を通したままワイヤーを抜いてしまった。そのせいで腸壁に火傷《やけど》ができてしまった。しかも、そのことを医療団が気づかなかった。まったくひどい病院ですが、私の方は前の日から何も食べてませんので、病院の食事のほかに売店からアンパンなどを買ってきまして、ガンガン食べた。翌朝、それらのたべものが、大腸の火傷した腸壁からバーンとお腹の中に飛び散ったのです。たちまち急性腹膜炎、正しくは穿孔性《せんこうせい》急性腹膜炎になりまして、後はもうただただびっくりの連続でした。その日に退院するはずが、即刻、開腹手術。気がつくと、お腹はへそから真下に一五センチも切られ、穴が三カ所も開いていて、管をさしこまれている。鼻にも管、手には点滴の管、俗にいう「スパゲッティ症候群」というやつになっていました。急性腹膜炎の痛さは特別です。痛みというよりは、巨大なショックでした。ビルを壊すときの鉄の玉が物凄《ものすご》い勢いで下っ腹にぶつかってきたような感じでした。たちまち失神してしまいました。失神の寸前、「看護婦さん、お願いします。この痛みから救ってください」と呟いていたのをおぼえています。もっとショックだったのは、ポリープ切除を担当した医師が、逃げ回っていたことです。少しよくなって、起きられるようになってからのことですが、廊下の喫煙所で煙草をすっていたら、向こうから、医療ミスをした医師がやってきた。挨拶をしようとしたら、わたしの顔を見て、いきなり回れ右をして、逃げて行ってしまった。あのときの医師の態度には、衝撃をうけました。  とにかく、痛い病気ですから、脊髄《せきずい》に麻酔用の小さなパイプを埋め込んでもらいました。痛くなると、そのパイプからモルヒネを注入してもらうんです。そうしますと、夏、運動をして汗かいて、それから、シャワーを浴びて、ビールをのんだときのような、じつに爽快で、心地よい気分になります。死ぬときは、ぜひモルヒネで麻酔をしてもらって死にたいとおもいました。あれなら、らくに死ねますね。  手術のときの麻酔も気分がよかったですよ。いまの病院の手術室には、名曲喫茶のように、クラシックの名曲が流れています。ドビュッシーの「月の光」なぞが流されているんですね。その名曲と麻酔とが一緒になって、じつに気分がいい。わたしの場合は、白樺の林の中を流れる小川のほとりを、馬車で揺られていく光景が浮かんでいました。「……いいなあ」とおもっているうちに、また、気を失ってしまいましたが、あんなに気分がいいなら、手術も大歓迎ですね。まあ、そういう次第で、先月は吉岡忍さんに代わっていただきました。  以上で病気の報告をおわりますが、聴衆のみなさん、吉岡忍さん、そして新潮社のみなさんにたいへんご迷惑をおかけしました。  立っていると、ふらふらしますので、やはり座らせていただきます。ほんとうは、ここで傷口の公開をすべきところでしょうが、それは割愛させていただきます(笑)。  さて、今夜は「農業と工業」というテーマでありますが、工業の特色はなにか。「同じ設備や技術を導入すれば、どこでもほぼ同等の効果を生む」、これが工業の一大特色です。それにひきかえ農業は「気象や地形や土質などの自然条件に制約される」のが特色です。  明治四〇年(一九〇七)に『田舎之日本』という本が出版されました。著者は木下義道といって、東京帝国大学農学部の一回生の、当時、有数の農学者です。この本によれば、 《西日本に牛が多く、東日本には馬を飼う農家が多い》  これらの牛馬の役目は、第一に動力の代わりであります。鋤《すき》を曳《ひ》いたり、荷車を牽《ひ》いたりする。第二に肥料製造機でもある。牛馬のひりだす糞に混ぜて堆肥をつくり、その堆肥を田んぼに返すのですね。そうやって、地力を維持していくのです。  ところで、この木下先生曰《いわ》く、 《農民は、常に牛、あるいは馬と生活を共にしているので、その性格が次第にその飼っているものに似てくる》  牛はどこまでもやさしいが、ときに陰険である。馬はどこまでも活発であるが、ときに狂暴である。この牛と馬の性格が農民に伝染すると、木下先生はいうのです。つまり、牛をたくさん飼っている西日本の農民の性格は牛的になり、馬をたくさん飼っている東日本の農民の性格は馬的になる。木下先生は、さらに犯罪記録を調べて、 《西日本では、文書偽造、お札の偽造、ハンコの偽造、詐欺といった牛的性格の犯罪が多く、東日本では、殺傷事件、強盗、放火などの馬的性格の犯罪が多い》  という結論を出しています(笑)。  飼っている家畜で人間の性格が決まっていくぐらいですから、気象条件や地形などでも人間の性格がきまるかもしれません。がしかし、それはとにかくとして、農業には自然条件が大いに影響します。そして、その農業の形態が人間に影響を与えます。たとえば、日本にはお稲荷《いなり》さんがたくさんあります。日本国中お稲荷さんといってもいいぐらいです。このお稲荷さんは稲の神様ですね。産土《うぶすな》とは、「土が産する」の意味ですが、これも「土に力がある」という信仰です。もっと言えば、「われわれもまた、その土から生まれ出たもの」である。天神さんも、菅原道真を祀ったものといわれていますが、じつは稲の神様である。このようにわたしたちの神々はたいてい稲から生まれている。  日本人の基本的な行動様式に、「我田引水を嫌《きら》う」ということがあります。自分の田に勝手に水を引いてはいけない、そんなことをしたら、それこそ村八分です。日本の水田は水系に忠実につくられています。里山の近くに大小さまざまの田んぼが並んでいる。よくみるとその一枚一枚の高さが微妙にちがいます。水は甲の田から乙の田へ流れ、乙の田から丙の田へ、そして丁の田へと流れていく。相手は水ですから、〈ただただ高きから低きへ流れる〉、そこに人間の浅知恵の入る余地がない。ですから、そこに自然の水系ができる。この水系を無視して、丁が、乙と丙とを抜かして、いきなり甲の田から水を引くことはできませんし、水路を改変して、いきなり甲の田から水を引いたりしますと、総スカンをくうことになる。つまり、その集合体のルールが全員をきびしくしばっている。もっといえば、自分の田は自分のものであると同時にその水系のもの、その水系の水路でもあるのです。アメリカなどの場合は、地下水を汲み上げて撒《ま》く「撒水農業」ですから、水系の問題はない。ですから自分の農場はあくまでも自分一人のものである。こういった農業の方法の違いが、農民の、そしてそこに生きる人びとの性格を形づくっていきます。  日本の会社なども、この「水系の論理」が働いているのではないでしょうか。社内で突出するものはかならず嫌われます。その水系に繋がるものは、きちんと順番をまたねばならない。順番を飛び越してはいけない。年功序列なども、この「水系の論理」です。こうして、会社はうって一丸となり、前進する。このように、超近代的なオフィスのなかにも水田の、水系の論理が生きているのです。  日本はアジア・モンスーン地帯にありますが、非常に急峻な地形です。山地・火山地六一パーセント、丘陵地帯一一パーセント、台地・段丘が一二パーセント、それで低地が一五パーセントでその他が一パーセントというのが日本の地形ですが、この地形も、もちろん日本農業の条件です。  明治一五年(一八八二)、明治政府はドイツからマックス・フェスカという学者を招きました。フェスカは当時、世界一流の農学者で、また地理学者でもありました。彼は一三年間、日本に住み、北海道から沖縄まで、日本全土を踏査し、政府に意見書を提出します。  その後、彼は駒場農学校(東大農学部の前身)や東京農林学校で農学を講じますが、彼の提出した意見書に、こんなことが書いてあります。 《日本の川は、ヨーロッパ人の感覚から言うと、まさに滝である》  つまり、日本は山国である。雨も多い。したがって、川の流れは急である。ヨーロッパの感覚で言うと、日本の川は滝である。にもかかわらず、日本ではそうむやみには洪水が起こらない。これはなぜか。フェスカは言います。 《それは水田が水を治めているからである》  さらに、日本の耕地は、地形の制約がありまして、「零細錯圃」を余儀なくされています。耕地の一筆一筆が分散して入り組んでいる上に、小さいのですね。すなわち、ここまでをまとめますと、日本の水田は、その一枚一枚が分散して入り組み、小さい。もちろん、例外はあります。利根川水系や八郎潟といった大きな田んぼが整然と並んでいるところもないではありませんが、これはあくまでも例外的存在です。ところが、日本の農政担当者や財界などは、口さえ開けば、「中核農家の育成を」「耕地を集積して規模の利益を」ととなえます。彼らはいったい、日本の標準的な農村を自分の目で確かめたことがあるのでしょうか。たぶんないでしょう。ないからこそ、日本の条件を無視した「耕地集積論」をとなえているのだとおもいます。零細錯圃の国日本では、耕地の集積は無理なのです。きっと彼らは、規模の利益の出る耕地は残して、出ない耕地は見殺しにする決心を固めているのだとおもいます。とまあこのように、農業は気象や地形や地質の制約を受ける仕事なのであります。  それとは逆に、工業は、設備や技術を輸入すると、同じ結果が得られます。利口ですから日本人は一所懸命に設備や技術をとりいれて、本家本元より、いいものをつくったりしますが、農業だけはだめです。その土地その土地に微妙な違いがあって、その土地に一番適したものを作るということ以外に方法がありません。これが農業と工業の一番の違いでしょう。  第二に、「農業は自然条件の変動を受けやすく、工業は受けにくい」ということがあります。つまり、工業には、 「今年の夏は、寒さの夏で、自動車の出来がいまひとつだった」 「今年は日照りつづきで、車の車輪が三個しかできなかった」 「今年の春は、雪解け水が少なくて、それでいびつなヘッドライトができてしまった」  などといったことは一切ない。工場は自然とは切り離された人工的な空間です。そこは暑さ寒さ日照り雨降りとは一切関係がない。  ところが農業は、とくに水田耕作のような土地利用型の農業は、いくら文明が進んだところで、結局は、大自然との合作です。このあたりが、工業とはまったくちがいます。  さらに、工場は、雇用とただ一つの製品をつくりだす。言い換えれば、世の中に二つの利益を送りだします。もっと強い言い方をしますと、工場は二つ三つの利益を送りだすために、同時にたくさんの不利益をも世の中に送りだします。大気を汚し、川を汚し、海を汚し、人間の力では処理不可能なさまざまな不都合を送りだします。言ってみれば、「自然にただ乗り」しています。  一方、農業は、少なくとも日本の水田稲作は、世の中の不利益を取り込み、さまざまな利益をうみだしながら、コメをつくりだす。  コメさえも、工業製品の一つと考えて、「高いコメはいらない」などと罰当りなことを言う人が多いので、さらにつけくわえますが、たとえば、ラジオが、テレビが、ワープロが安くなります。安くなると同時に性能もよくなる。そうしますと、一家に何台も入ってきますね。車にしてもそうです。地方では、車が二台、三台という家は珍しくありません。わたしの家には一時、テレビが五台もありました。ラジオなどは六、七台はあったでしょう。いま、わたしはワープロを三台も持っています。フジ・ゼロックスのワークステーションが主力、助太刀にNECの文豪ミニ5RD、外出するときはシャープの書院VW‐700と、この三台です。三台もいらないんですが、性能のいいものができれば買いたくなりますし、値段が安くなれば、また買いたくなる。ワイシャツなどもそうですね。気に入った生地があると、いっぺんに一二着もつくったりする。おかげで、いま、こうして一〇年前にどっとつくったときの流行おくれのシャツを着なければならなくなっています。「安ければ買う」「よければ買う」「気に入れば買う」、これが工業製品です。逆に、高くなれば買わない。いま持っているもので我慢してしまいます。  ところが、食糧はちがいます。いくら安くとも買い溜め、食い溜めはできない。コメの値段がこれまでの二分の一になった、それでは、いままで二杯たべていたのを、二倍の四杯にしようなどということは不可能です。コメが高くなって二倍になった、それでは、いままでの半分にして、一杯で我慢しようというわけにもいきません。つまり、食糧というものは、安くても食い溜めはできない、高くてもたべなければならないものなのです。そういう次第で、わたしは、工業の論理を農業に、とくに土地利用型の農業に当てはめようとする最近の風潮に疑問をもっております。  さて、ここで、農業の目的を考えてみる必要がありそうです。ケインズと並び称される代表的な近代経済学者、オーストリア生まれでアメリカ人、いわゆる「技術革新論」の創始者であるジョゼフ・アロイス・シュンペーター(一八八三—一九五〇)の農業論を、わたしの意見もまじえながら、紹介いたします。  まず、農業は人間を大自然と結びつける働きをしています。そして、いい農業は、その結びつきを保ちつづけます。次に農業は人間を取り巻いている生存環境に人間味を与えます。そして、その生活環境を気高いものにしあげる力があります。この二つは、農業にしかできない尊い働きなのです。第三に、農業は人間がまっとうな生活を営むのに必要な食糧や原料を作りだします。この第三は、工業とも共通します。食糧を「製品」や「商品」に言い換えれば、これは工業にも言えます。しかし、工業には、第一の仕事、第二の仕事はできません。  もっと掘り下げて考えてみますと、農業は「地域資源」です。これにひきかえ、たとえば石油は「一般資源」であります。石油を掘り出して容器に入れると、どこへでも運ぶことができます。こういう資源を一般資源といいますが、農地には、この一般性がありません。農地や耕地には転移性がない。土地はどこへも輸出することはできませんし、どこからも輸入できない。このへんを間違えている人がずいぶん多い。「土地」、あるいは「人間と大自然」といった窓口をとおしてみると、農業と工業の違いがよく見えてきます。  もう一つ、農業には「有機的な連鎖性」というものがある。一八世紀から一九世紀にかけて、東北の八戸地方に「猪《いのしし》飢饉《けがじ》」と呼ばれる悲劇がおこった。猪の大群が山から八戸の城下にどっと押し寄せてきたのです。八戸藩は、町の要所に武士団を配備して警戒に当たったけれども、猪の大群にはかなわず、たいへんな被害が出ました。そして猪は城下を突っ切って進み、ついに海まで猪突猛進、海で死んだと伝えられています。もちろん、猪のために田畑は全滅、人間様の方も飢饉で泣かされました。いったいなぜそんなことが起こったのでしょうか。  そのころ、関東の農作事情が大きく変わりはじめていたんですね。江戸の膨大な人口を支えるために、関東平野では、野菜や大豆をつくっていました。ところが、一部の農家で蚕を飼うのが流行《は や》りはじめたんです。野菜より蚕の方がはるかにお金になりますから、この動きは関東一円へ広まります。では、江戸が必要とするもの、たとえば、味噌や醤油の原料として欠かせない大豆はだれがつくることになったのか。じつは、その大豆つくりを八戸が一手に引き受けたのです。太平洋航路が整備されて、八戸から江戸へものを運ぶことがなんでもなくなっていたという事情もあって、江戸で使う大豆を八戸がつくるようになっていった。  八戸では、大豆を焼畑式でつくりはじめました。森や林が切り開かれ、そのため、それまでドングリの実などをたべていた猪たちが、焼かれて裸になった元の林や森にある木の根をたべるようになったんですね。しかも、木の根はふんだんにありましたから、猪の数が一気に増えました。ここまではいいのですが、やがて猪が増えるにつれて、当然のことながら、木の根が足りなくなります。こうして、猪たちは、たべものを求めて、田畑を荒らし、ついに城下へ突っ込んできた。つまり江戸の事情が八戸の猪を猪突猛進させたわけです。農業には、このように有機的な連鎖性があるのですね。エンゲルスも似たようなことを書いています。アルプスのイタリア側は、当時、世界有数の牧畜地帯であった。ところが、一九世紀になって、アルプスの樅《もみ》の木に目をつけた資本家がいた。上質の樅の木ですから、商売になる。いろんな資本が入ってきて、樅の大森林を伐りだして家や家具をつくった。気がつくと、もう樅の大森林は全滅、とたんに、泉は涸《か》れ、洪水がつづけざまに襲い、生態系が変わって、イタリア人たちが一番大切にしていたはずの牛飼いの仕事ができなくなってしまった。  このように、日本に、あるいは地球に、見えない有機的な連鎖の糸が張りめぐらされているはずです。わたしたちの祖先は、その連鎖の糸を大事にし、それをうまく利用しながら、作物をつくってきた。その連鎖の糸を切ったり、もつれさせたりせずに、うまく保ちつづけることが、わたしたちの重要な仕事であろうとおもいます。水田を大事にすることは、かならず、有機的な連鎖性を大事にすることに繋がるはずだと、わたしは信じております。  農業の非市場性ということばにも注目していただきたい。よい空気、これは市場に出てきません。水、医療、警察、消防、教育、土地、住宅など、公共性の高いものほど、市場性が乏しい。「日本の警察はどうも暴力団と癒着するのが好きであるし、このところ不祥事が目立っている。いっそ日本の治安は、あの、いかにも優秀そうなアメリカの警察に頼もう」といったって、そんなことはできない相談です。「日本の消防より、アメリカの消防のほうが格好がいい。それは映画をみてもよくわかる。アメリカの消防を輸入しよう」と言ったって、これも無理ですね。公共性の高いものは市場にそぐわないからです。水田は、地域資源であり、わたしの考えでは、とても公共性が高い。そこで二重の意味で市場性がない。いま、多くの人たちが、この水田に市場性を持てといっているようですが、そういった意見を持つ人たちは、たぶん経済学の初歩の教科書も読んでいないにちがいありません。どんな経済学の教科書にも、「公共性の高いものほど、市場性はない」と書いてあるんですが。  このごろ、「農民のみなさんに黙って一〇兆円さしあげよう。だから高いコメをつくらないでもよろしい。どうか一〇兆円で、遊んで暮らしてください」と言って、コメのことをなにもしらず、また、コメについてなにも考えたことのない人びとから喝采を浴びている評論家がいます。彼には、水田の持つ、地域経済を支える力、その治水機能、地下水の涵養力《かんようりよく》、また、農業の教育力などがわからない。彼にわかっているのは、国民総生産の中で農業総生産がどれだけか、ということだけです。  昭和四〇年、国民総生産を一〇〇とすると、農業総生産は六・八でした。ところが一九年後の昭和五九年、その割合は一〇〇対二・四に減っています。彼らはこの数字を見て、「農業はもはや大した仕事をしていない。だからもういらない」と思い、「お金を出すから、もうなにもつくらないでくれ」と、乱暴至極なことを言っているんですね。  しかし彼は大事なことを抜かしてます。農業を休むと関連産業がダメになります。関連産業は国民総生産の一〇・九パーセントを占めている。しかも就業人口は全産業の二四パーセント。日本人の四人に一人は農業に関係あることで生活している。  農業の稼ぎは、国民総生産のわずか二・四パーセントじゃないかと言いますけれど、じつは農業はもっとたくさんの仕事をしているのでして、そこまで考えないと、ほんとうに考えたことにはなりません。就業人口の四分の一が、農業で生きている。もしも、農業を休んでしまったら、この膨大な労働人口をどうするのか。耕作者には高齢者が多いですから、彼らには養老年金でも払えばいいさ、というのでしょうか。労働人口の大転換を図ったとしても、何百万という失業者が出るでしょう。そうなったら、コストがたいへんです。評論家の先生や財界のお偉方はそのあたりをどう考えているのでしょうか。  彼《か》の評論家の先生に、もし、だれかが、「あんたの書くものはちっともおもしろくない。あんたの言うこともまったく参考にならない。あんたには生活費をはらうから、なにも書かずに、なにもしゃべらずに、遊んでいてくれ」といったら、評論家先生はなんというか。目をつりあげて怒るにちがいない。自分がやられて腹の立つことを、他人にやってはいけないんです。  ここで世界の降雨量を調べてみましょう。地球全体の年平均降雨量はおおよそ九〇〇ミリです。ヨーロッパも北アメリカ大陸も年間降雨量は五〇〇ミリから六〇〇ミリといったところです。もちろん例外もありますが、五〇〇ミリ前後とご記憶ください。ところが、アジアは断然、雨が多い。アジア・モンスーン地帯ですから、雨が多いのは当然ですが、とにかく雨がよく降る。日本は年平均で二〇〇〇ミリも降ります。しかも険しい山国にどっさり雨が降る。この大量の雨を森林や水田が治めているのですが、ここで農水省の大臣官房企画室の試算をごらんください(次頁図3)。  これは昭和五五年の試算ですから、だいぶ古い数字ですが、それでも森林や田畑がたいへんな仕事をしていることがわかります。洪水調節を含めて、なんと三六・六兆円の仕事をしている。付け加えておきますが、森林保護の仕事をしているのも農民です。こういう仕事をしている農民に、よくも、「仕事をしなくてもいい。遊んでいてくれ」などと言えたものです。  東京に神田川という台風が来るたびに洪水をおこす川があります。昭和の初め、一時間に五〇ミリというすごい雨が降っても、その流出率が四〇パーセントだから安全ということになっていました。一〇〇雨が降りますと、すぐ神田川に流れる水は四〇で、あとの六〇は田んぼや畑が受け止めてくれるから大丈夫というわけです。  ところが、大きな台風が来るたびに氾濫《はんらん》をおこすようになり、いま、その流出率は九〇パーセントです。つまり一〇〇雨が降りますと、すぐに神田川に九〇の水が流れ出す。大地が引き受ける水の量はたった一〇パーセントです。つまり神田川流域はほとんど水を吸い込まないんです。昭和の初めに流出率四〇パーセントで計画された川が、なぜ流水率が九〇パーセントにもなってしまったか。舗道になり、下に水が行かないようになった。それからビルが建った。その上に、田んぼや畑がなくなってしまった。ですから、降った雨は一時に神田川へドーッと流れ出す。途中で俺が引き取ろう、暫く預かっとこうという田畑がなくなってしまったわけですね。これがつまりダム効果です。  それから千葉県の市川市にも昭和三〇年代には一三〇〇ヘクタールぐらいの田んぼがあったんですね。ところが二〇年ぐらいの間に、田んぼが四分の一に減ってしまった。四分の三が宅地になったわけです。あそこに真間川《ままがわ》という川があります。桜の堤防で有名な川ですが、これも台風が来るたびに氾濫して、洪水をおこす。以前は田んぼがあって、降った水を引き受けてくれていた。それでゆっくりと真間川へ水が流れていく。ところが、田んぼが潰《つぶ》されてそこに家が建って舗道が出来てしまうと、誰も引き受け手がいないので、降った水はすぐ真間川に流れ込む。そうすると洪水が起こる。  そこで、市川市は、大きな人工貯水池をつくる計画をたてましたが、その用地買収費だけで一二〇億円もかかりました。さらに市川市は、これ以上、田んぼが宅地になっては困るという理由で、いま、農家に助成金を出して田んぼをつづけてつくってもらっています。こういうふうに、都会の農地もダムの役割を引き受けてくれています。そういえば、都会の農地を宅地にすれば、住宅事情が好転すると唱えて人気を博している評論家先生もおります。がしかし、これはウソです。東京では、この三〇年間に、耕地面積が三分の一になりました。べつにいえば、耕地の三分の二が宅地になったのです。この評論家先生の言が正しければ、東京の地価や住宅は安くなっていなければなりませんが、じつはそうはなっていません。  いま、流行の発想は「利潤を極大化していく」ということだろうとおもいます。そのためには、「環境はタダだ」という考え方をしなければなりません。空気も水もなにもかも企業はタダで使ってよい、その費用は環境が払う。こう考える企業が大部分であろうとおもいます。この発想は、もう、使えないようになってきつつあるのではないでしょうか。  たとえば、アメリカ国務省は、メキシコシティに赴任する女性外交官に、「メキシコシティ在任中は妊娠しないこと」という通達を出しているそうですね。それだけ、メキシコシティの大気汚染はひどい、だから胎児に影響があるかもしれないから、妊娠するなというのです(笑)。わたしたちは笑いますが、しかし、メキシコシティがなにも特別なのではありません。日本の大都会もそれに近い状態かもしれません。環境の悪化はそこまで進んでいるのです。もう、環境へのタダ乗りはゆるされないところまできています。人間が生きていくためには、いい環境が必要です。その環境を整備するのが農業であり、けっして工業ではありません。工業をつづけていくためには、もっともっと農業に力を入れていくべきであろうと考えます。  今夜は雨、その雨の中を、わたしの話を聞きにきてくださいまして、ありがとうございました。 (1989・9・5)      3 土と農業  このままでは日本の農業は荒れてしまう、というようなことを言いますと、「心配ない。そのうち野菜工場なんてものができるんだから。やがて、工場で農作物をつくるようになるさ」と答える人が出てくるようになりました。たしかに、大きな工場をつくって、人工灯をつけて、水で野菜を栽培できるかもしれません。しかし、できるのは、せいぜい軟弱野菜ぐらいでしょうね。レタスやトマトやほうれん草はできるでしょうが、コメや麦やトウモロコシといった穀物、強い、カチッとした作物はできません。たとえできたとしても、施設費と電気代で、絶対に割りが合わないのです。  このあいだ、新聞の小さな記事に、こんなことが出ていました。モンサントという総合化学製品メーカーが、ある研究所を閉鎖したというんですね。その研究所は、バイオテクノロジーを利用して農作物をつくろうとしていた。ノーベル賞クラスの学者を世界中から集めていたのですが、どうやら、「バイオ技術で基礎的な食糧はつくれない」「たとえ可能であっても採算は絶対にとれない」という結論がでたらしいのです。そこで研究所は閉鎖、学者たちは解雇されました。  余談ですが、水栽培を日本で最初に始めたのは占領軍です。この会場は池袋の西武百貨店のなかにありますが、戦前から戦後にかけて、西武電車は「汚穢《おわい》電車」と呼ばれていました。この池袋の先、練馬や石神井にかけてはほとんど農家でした。農家ですから、肥料が必要です。そこで東京の中心部の汲取便所の人糞を、西武電車が運んだのです。深夜、正規の運行が終わってから、肥桶を積んだ電車が走っていた。運転手にはベテランの、運転の上手な人が選ばれました(笑)。下手に運転するとチャプチャプと波立って、外にこぼれてしまいますから、上手な人が選ばれたのです。さて、占領軍にしてみると、日本人の人糞のかかった野菜をたべるのは、なんとなくイヤだった。そこで野菜の水栽培をはじめました。この水栽培は一九三〇年代から開発されておりますが、いつも培養水が問題になっていた。培養水には栄養がありすぎるのですね。これを川や海に捨てますと、河水や海水に過栄養化がおこる。赤潮が発生したりするのです。つまり環境を汚してしまう。  一九八五年の筑波博覧会に、一万二〇〇〇個の実をつけたトマトが出品されて話題になったことがあります。しかし、一万二〇〇〇個の実でなにもそんなにびっくりすることはないのです。トマトはもともと際限なく実をならせる植物なのです。たくさんの栄養を与えれば、トマトはたくさんの実をつける。あれが農業の未来でもなんでもない。水栽培に未来の農業を視るのと同じように、あまり感心いたしません。  わたしたち二〇世紀人が選んだ経済運営の方法は、環境面から見ると、持続不可能なものです。土を荒らし、森林を伐り払い、さまざまな化石燃料を燃やして六〇億トンものカーボン(炭素)を排出させ(レスター・R・ブラウン)、気候システムに大きな打撃を与えてきました。こういう世界の経済活動の在り方は、あきらかに間違いでした。われわれの地球、この小さな水惑星には、そんな乱暴なやり方はむいておりません。「過去二〇年にわたって、人間は世界の動植物の五分の一を絶滅させてきた。これは果たして経済的進歩なのだろうか」とアメリカの食糧問題の権威であるレスター・R・ブラウンは言っております。  いま、世界全体で穀物は一六億トンから一八億トンほど採れています。一方、わたしたちは一人平均年間一五〇キロの穀物をたべています。一トンの穀物で六、七人暮らせるわけです。大雑把に言って、一六億トンでは一〇〇億人の人間がたべていける勘定になる。しかし、ご存じのように世界には餓死する人が少なくない。これまた大雑把に言って、おもう存分たべているのは先進工業国の一〇億人ぐらいでしょう。ほどよくたべているのは三〇億人、そして残る一〇億人は飢餓線上にある。穀物だけなら、いまの世界の人口の二倍は養えるのに、なぜ、餓死寸前の人びとが存在するのか。ご存じのように「肉食」が原因です。とくに先進工業国の人びとは、豊かになるにつれて、肉をたべるようになった。穀物を直接にはたべずに、家畜の体を迂回させてたべます。この方がずっと美味しいからです。ただし、一トンの精肉を得るためには、二四トンの穀物を家畜の体に仕込まなければならない。もちろん、肉をたべるなと言っているのではありません。世界の人がほどよく肉をたべ、穀物をたべるには、人間はまだまだ穀物を必要としているということを言いたかったのです。ちなみに、日本人の年間の肉消費量は二五キロ、アメリカ人は一〇〇キロです。  前置きが長くなりました。今日のテーマは土です。一九五〇年、昭和二五年の日本の自給肥料の割合は、五〇パーセントでした。当時の農家は堆厩肥《たいきゆうひ》を使っていました。前の回にも申し上げましたけれども、どこの家も家畜を飼っていた。家畜はモーターの代わりにもなります。家畜に鋤を引っ張らせて田んぼを耕す。そういう動力としても有効だったんですけれども、かれらの排出する糞が重要でした。肥料になるからです。  まず藁《わら》を積みまして、そこへ人糞とか家畜の敷藁を乗っける。さらにまた藁を重ねてやがてまた家畜たちが、あるいは人間たちが排泄するのを待つ。それがたまったらまたその上に撒くというふうにして、半年がかりで肥料をつくっていきます。その中の温度は八〇度ぐらいです。カッカカッカしてるんですね。あったかくて、卵をその中に置いておきますと、温泉卵みたいに美味しくなる。弁当をその中に置いておきますと(笑)、そうすると昼まであったかい。それはやりませんでしたけど(笑)。とにかく、肥料づくりが春先までつづけられます。  春のくる寸前にその堆肥をソリに積みまして、田んぼ中にそれを撒いて歩く。白い雪の上に、まっ黒の堆肥を撒きますと、太陽の熱を吸収して、早く田んぼの雪が溶ける。こうして田の作業が始まるわけですが、昭和二五年、田んぼに撒く肥料の半分はそういう自給肥料でした。いま申し上げたような農家自身がつくる堆肥が五〇、窒素、燐酸、カリという基本的な化学肥料を五〇混ぜまして、田んぼに撒いていました。作物の様子を見て、肥料がちょっと弱いというと足したり、肥料が強すぎるというと、水をひいてちょっと肥料を流すとか、そういう調節をしながらコメをつくっていました。その時の農業就業人口は全人口の四一パーセントです。働ける人の一〇人に四人は農民だったわけですね。それで、家畜を飼う、肥料をつくる、それを撒くという、そういう手のこんだ農業をやっていたわけです。  農民の土つくりも、大変なものです。これを土地磨きとか、土磨きとか言いますけれども、田んぼの土を徹底的に可愛がります。前の年がいけなかったら反省して、もうちょっと田んぼの底に土管で水を通そうとか、あるいは逆に湿気が多過ぎたから下から水を抜こうとか、いろんな仕掛けをしまして、そこへ沢山有機肥料を撒いて、土をフカフカにしまして、その中に微生物とか小さな動物がちゃんと住めるようにする。微生物というのは、ご存知のように、根っこと必ず最初は敵対するんですが、なれてきますと協力しあって、稲の方はしっかり根をはる。それから根っこから分泌してくる毒物を微生物が好くようになってくれるとか、そういう関係ができます。肥料でもなんでも、おかしなものは全部その微生物が分解してくれる。水も有害物を分解しますから、そういううまい関係が成り立っていくように、農民は土の手入れをします。僕らが小さい時お百姓さんが、「さあ今日は土磨きをするか」とか「土地磨きをする」とか「田んぼの土をよくする」とかよく言ってました。  紀伊国屋書店が一九六七年に出した本でちょっと古いんですけど、次頁に土地生産性と灌漑率《かんがいりつ》を一目でわかるようにした図が出てます。それによりますと日本の土地生産性は世界で一番高いんです。よく政界、財界の人、それに都会の人が、「日本の農業は生産性が低い」と言いますけど、これは真っ赤な嘘で、土地に関しての生産性は高いんです。それは、灌漑率と関係があります。下の横軸が灌漑率です。タイは世界でも指折りのコメの生産地ですが、灌漑率が悪い。したがって収穫率も悪い。もし灌漑率をよくしますと、生産性は必ずあがるはずです。あがりますけども、それは土地にお金を埋め込むことになるわけですから、コメの値段はあがります。そういう関係にあるわけです。  日本はこの時期でまだ一ヘクタールで四トンの収穫ですが、いまではもう五トンを越えています。これは灌漑率と、もう一つは、土そのもの、地力によるところが大きい。稲は言ってみれば毒性の強い植物で、それが毎年つくれるというのは、相当土が頑丈でないとダメです。僕らの子供のころまでは日本は二毛作の国でした。夏はコメをつくる。冬は麦をつくる。そうやって二毛作にして地力を確保してたんです。水も非常に重要です。少々の毒や農薬は水で溶けてしまいまして、稲自身が分解します。おまけに微生物もいますし、小動物もいますから、毎年コメをつくっても大丈夫だったんですが、皆さんご存じのように、アメリカの戦略によりまして、日本は麦を捨てました。いまのコメと同じです。日本の麦は高くてかなわん、高い麦なんかつくらないでアメリカから買えばよろしいということで、結局麦を捨ててしまった。  大豆だってそうです。みなさんも覚えていらっしゃるとおもいますが、一九七三年、アメリカは大豆が不作で輸出禁止という措置をとりました。それで大豆の値段がものすごくあがりまして、日本のお豆腐屋さんなんかも大騒ぎしましたけど、半年ぐらいでまたアメリカは大豆を輸出してくれるようになりました。これはいろいろ調べてみますと、陰謀説が有力です。といいますのは、アメリカは大豆の輸出を禁止し、それがもう大丈夫というので輸出してくれた時には、値段は前の三倍にあがり、その後多少の値動きはありましたが、高値で安定してしまいました。  世界の穀物の七〇パーセントはアメリカのシカゴにある五つの穀物メジャーが握っていますから、まず、足りなくなったもう輸出できない、と言って皆をあわてさせる。それから、じゃあ少し都合がついたから輸出してあげよう、と言った時に値段が上がってる。これ得意中の得意の手なんです。コメでもやるとおもいます。  日本の土地生産性はきわめて高いのですが、農地が高すぎます。アメリカの五〇倍です。それから肥料も高いです。同じ肥料が、アメリカやその他の国に輸出される時の値段と比べると、一・六倍から二倍です。それからトラクター、耕うん機、田んぼで使う機械などもベラボウに高い。これはカメラなんかもニューヨークで買った方が安いというのと同じメカニズムが働いているせいだとおもいます。コメの値段が高くなって当たり前なんですが、にもかかわらず政府標準米の御飯は茶碗一杯軽くよそって二五円です。ササ・コシ信仰ってのがありますけど、あれですと四五円ぐらいです。僕なんかはコメは安いような気がしますが、価値観が違うともうコメは高いということになります。  さきほど、昭和二五年の日本の自給肥料の割合が五〇パーセントだったとお話ししましたが、それから一〇年後の昭和三五年には、もうすでに三分の二は化学肥料で、三分の一が自給肥料に変わってきてます。その一〇年後の昭和四五年が二八パーセント、さらに一〇年後の昭和五五年が一七パーセント。昭和五九年にはもう一〇パーセントです。つまり肥料の一〇分の九は買った肥料で、一割が自分たちで作った肥料です。つまり、労働力がぐーんと減ってきて、自給肥料をつくる人間がもういなくなりました。  一九五五年、昭和三〇年の労働力を一〇〇としますと、その二〇年後にはもう半分以下になっています。働き手がどこへ行ったかと言いますと日本の高度経済産業、つまり大都市圏の製造業、第二次産業、第三次産業に行ってしまったのです。一時、お祖父さん、お祖母さん、お母さんを三チャン農業と、われわれもうっかり言っていましたけど、あれは別に好んでやっていたわけではなくて、日本の高度成長が人手を必要として農村から吸いあげていた、農村から出掛けて行った結果だと言っていい。一九八四年、昭和五九年の農業人口は一六パーセント、ことし(一九八九年)に至っては、わずか八パーセントに過ぎません。これは、人が減れば自給肥料も減るという当たり前のことです。堆厩肥も年々減ってます。その代わりに稲藁をどんどんいれますが、やっぱり稲藁だけでは弱いんです。家畜や人間の排泄物と一緒にしてこそ肥料としての効果がでるのです。  というわけで日本の農業がたどった道は、次頁の「水稲におけるエネルギー収支」をご覧になればよく分かります(資料作成・宇田川武俊《たけとし》氏(一九七七)。引用・岩田進午〈現代資本主義と農業技術革新〉新日本出版社発行「経済」一九八八年三月号)。一番下のエネルギー収入、支出を見ていただくと、エネルギー効率がどんどん悪くなってます。最初の頃はいろいろ労働力をかけて、機械も化学肥料も農薬も少なかった。労働力を沢山いれると、〇・一一だけ土地の地力が増える。ところが近年悪化してきまして、何かをつくり終えた後は、そこの地力がどんどん落ちてゆくということの繰り返しです。日本の田んぼの土は本当に悪くなってます。ただ水田がありますので、それをなんとかカバーしているのが実情です。  リゾート法というのができまして、それまで農地をゴルフ場にしてはいけなかったのが、そのゴルフ場に農地が二割未満だったらゴルフ場をつくっていいということになり、一昨年ぐらいからは、五割までならいいというふうに変わってきました。減反政策で田んぼをほったらかしにします。肥料もいれません。作物をつくるということは実は土地を良くすることでもあるのですが、それも放棄する。その土はもうカチンカチンで、すぐには作物はつくれません。つくっても、前みたいな高収穫はあげられない。リゾート法では、そういう田んぼを潰してゴルフ場にすればいいじゃないかと言わんばかりです。いま出ている計画で言いますと、日本の二〇パーセントをリゾートにしようと言うのですから、これは気が狂ったとしかおもえません。皆さんどうおもわれますか。この狭い島国の総面積の二〇パーセントがリゾートになっていいって言うんですから、ゾーットします。いまのシャレはダメだったですね(笑)。  たしかいまゴルフ場は一五〇〇箇所ぐらいあり、計画中のものをいれますと二二〇〇箇所ぐらいです。面積は東京都と同じぐらいになってきたといいます。一つのスポーツがこの狭い日本の東京都ぐらいを占領してしまうのは異常です。減反にも指導の仕方がありまして、まずゴルフ場になりそうな山の近くの田んぼとか、そういう劣等地を休ませ、そういう減反地を抱え込んでゴルフ場をつくるのです。農民変じてキャディという方針らしいです。  いま日本の土はほとんどダメになりかかってますが、水田は水のおかげでなんとか使えます。しかし、いったん減反で水路を切って水田をほったらかしにしてしまえば、そこにいた小動物や微生物はいなくなる。さあ困ったからと言って、またすぐ稲作をはじめるわけにはまいりません。もう一度やるというのは、大変金がかかります。減反地にしないでちゃんとコメをつくり、余った分は家畜の飼料に回せばいいのです。日本はすごい量の家畜用飼料を輸入してますが、牛はコメが大好きです。なぜ家畜の餌にしないのか不思議です。そういう普通の考え方が成り立たない仕掛けがあります。つまり大量の家畜用飼料の輸入がストップしたら、三井や三菱が困るでしょうし、そういうシステムが一度できるとなかなか止められません。  この日本ぐらい住民を敵視して産業界に奉仕するのが至上命令になってる国は珍しい。水俣病一つみれば明らかです。あれだけ世間からさんざん言われて、政府もやっとあれはたしかに公害だったかもしれないと公に認めようとした時でも、通産省は、絶対そんなことはありえないと頑張っていたのは、非常に象徴的な例です。  ここでよく、GNPがこんなに増えてみな豊かになったではないかと逆襲されると、僕なんか一言も言い返せません。ただ都留重人《つるしげと》さんという経済学者が、「蚊のいる国といない国」という話をなさったことがありまして、これがそれに対する答えだとおもいます。同じ規模の国が二つあり、片方には蚊がいますが、片方はいません。どっちに住んだ方が幸せかという問題です。蚊のいる国は、当然蚊取線香を誰かがつくります。その工場ができ、それを売る問屋とか小売店もできます。それをいろんな人が買います。そうするとGNPは、絶対その蚊のいる国の方が増える。蚊のいない国のGNPは段々引き離される。しかしどっちが夜安眠できるかと言いますと、GNPの増えない、蚊のいない国です。これが都留重人さんの有名な譬え話です。昔GNP世界第二位なんて言って日本中が浮かれている時に、そういうことを言われました。  同じ規模の国があって、片方ではいろんな不幸なことが起こる。病気になる。お葬式がある。病院も薬も葬儀屋さんも必要になる。そうすると不幸なことが起こっている方がGNPは増えていくわけです。GNPが増えればいい、豊かな国になったからいいと言うのは、ちょっと待ってほしい。つまり、どこまでも豊かになれるわけはないっていうことが、いまやっとわかってきました。地球という奇跡的な水惑星をメチャクチャにしてまで豊かになれるかと言うと、もうそのこと自身が豊かじゃない。GNP信仰への疑問は大分前から起きてきてますけれど、ここでもう一度はっきり考えなければいけません。  コメ、肉から始まって、消費の問題一つをとっても、われわれの毎日の動きの一つ一つが、大きな所につながっています。みなさんご存じでしょうけど、農村はもうほとんどピンチです。なおかつ地力はそれよりもピンチです。僕はときどき田舎へ行きますが、お百姓さんたちがボソボソ言っているのは、俺たちがやろうとおもっても土がダメだ、という感想しか聞こえてきません。  日本のコメはいま一〇〇〇万トンぐらい取れてますが、減反減反でそのうち三〇〇万トン、二五〇万トンまで落ちるんじゃないでしょうか。一人一年に主食で七〇キロ食べると考えても、一億人で七〇〇万トン必要なんです。その時日本のコメの争奪戦が始まるのは、これは分かりきってます。日本の残った美味しいコメをたべるのは、きっとお金のある人だとおもいます。これは既定の事実みたいなもので、ここで言ってもしょうがない気持が一方ではしてます。  一九八六年、中曾根首相の私的諮問機関の報告書である『前川レポート』によりますと、日本は農業にはむかないんだからもう止めた方がいい、だけどすぐに止めるわけにはいかないんで、一〇年ぐらいの間に少しずつ引導を渡してやめた方がよろしい、と。翌年、自民党の経済審議会から出た『新前川レポート』ではさらに具体的に書いています。あの頃からすでに運命はきまってるんだとおもいます。しかし、世界一の生産性をあげていた日本の水田をここで投げ出してしまうのは、何としても惜しいという気がいたします。 (1989・10・3)      4 コメと水  まず水というものを、中学校の理科の時間風にざっとまとめてみます。四五億年ぐらい前に原始地球というのがありましたが、何故地球に水があるかというと、説は二つあります。一つは、大変大きな彗星が原始地球にぶつかって、その彗星は氷の塊であったという、じつに都合のいい説をとなえている学者が大勢いらっしゃいます。もう一つは、わりと地味な説で、原始地球には空気も水もなかった。鉄と珪素がドロドロに溶けていて、その中の蒸発しやすい揮発性の物質、例えば、水素、水蒸気、メタン、一酸化炭素、塩化水素などが地表に噴き出してきた。やがて地球が冷えるにつれて、水蒸気が他の物質を溶かしながら海をつくった。その海は、塩化水素とか、いろんなものの影響で、酸味が非常に強かった。その酸性の海が、岩石に擦れあいながら炭酸ガスを吐き出して、中和されていき、やがて現在の海みたいになるのが三五億年前です。海ができるまでに一〇億年かかってます。その海の中から原始生命が生まれ、さらに微生物になる。太陽の光を受けて光合成をする微生物は、酸素を吐き出し、段々大気ができてきます。それで、海の水も中和されていく。その微生物が進化して人間に至るというわけです。ざっと申しあげて地球に大気と水ができた一番普通の学説です。  人間の体は小さな、小さな地球です。僕は六〇キログラムありますけども、その六〇パーセントは水です。ということは、三六キログラム、三六リットルが水です。水が服着て喋っている。水が水にお話ししている(笑)。人間にとっても、地球にとっても、水というものは大変重要なものです。僕が自分の三六キログラムの水の七パーセント、つまり水も飲まないで二・五リットルぐらいの汗をかきますと、脱水状態でひっくりかえってしまいます。もし一〇パーセント、三・六リットルの水分が出てしまいますと、もう死んでしまうくらい水は重要なのです。それに水にはいろんな役目があります。水はよくものを溶かしますから、水に溶けた養分が体中に送りこまれます。母親の内で胎児が漂っている水を羊水といいますが、海水と組織比が非常に似ているそうです。ですから、入水自殺する人を調べていきますと、男性の場合ですけど、母親との間に普通の子供とは違う体験があるようです。  母親の胎内の水の感じに憧れて自殺した人というと、最初に思い浮かぶのは、太宰治です。というのはいま、私は太宰治の芝居書いてる最中なんです。題名は『人間合格』というんですけど(笑)。太宰さん、あなたはよくやったと。太宰治の『人間失格』は「わたしは、その男の写真を三葉、見たことがある」という文章から始まります。太宰治の三歳か四歳の頃の写真を見ますと、太宰を真ん中に、左に母親が元気なさそうに椅子に腰掛け、うしろに女中、右に叔母が腰掛けています。ところが、よく見ますと太宰は叔母の膝に手をかけて、体重を全部叔母にかけているのです。私は非常に興味を持ちました。なぜ母の方に体を預けていないのだろうか。  それで段々調べてゆきますと、要するに太宰治の津島家は急速に成り上がった大地主です。父親は多額納税者で、貴族院議員になって四カ月で結核で死にます。父親は政治家ですからあんまり家にいないし、母親は子供を十人も生んで、体も弱い。それで乳母や叔母から世話されて育った。つまり、母親が育てなくていいんですけど、子供には全世界を代表する人が一人、どうしても必要なんです。それが母親であれば一番いい。そういう人と最初は共生関係を持つ。そのうちに段々自我が目覚めてきて、必ずしも母親は自分と同じでない、泣いたときにおっぱいくれなかったとか、ほったらかして変なおじさんに愛想使ったとか、これは父親ですけど(笑)、そういうことを経ながら、自我が生まれそれを確立してゆくというのが、まあ人間の一生なんです。  それが太宰の場合ちょっと違っていました。誰を相手にしていいかわからない。叔母、乳母、下男下女、皆すごく可愛がってくれます。人に愛されることに慣れていました。しかし、人と本当にいい関係を作るためには、我慢をしたり、犠牲になったりすることも必要です。そういうことが抜けたまま成人したみたいです。大地主の子ですから、自分は小作人、百姓の血と涙と汗のお蔭で東京に出て勉強もしているという思いがありました。いま社会主義は大変旗色が悪くて、おそらくその半分ぐらいは批判をうける要素はありますが、社会主義の一番大切な平等という考え方は、どんな時代になっても、絶対大事な生命力のある考え方だとおもいます。太宰は非合法活動にコミットしていきましたが、政治運動には非人間的なところがあり、太宰自身もひ弱なところがあって戦列からはなれる。太宰は『晩年』という最初の作品集で、復讐という言葉を使ってます。これは私だけの考えですけど、母親に対する復讐じゃないかとおもいます。それがいい時にはいいんですけど、兄弟が死んだり、雨が長く降ったりすると死にたくなるらしいんです。これで水の話につながってきました(笑)。  昭和三六年、いままで足りない足りない、増産増産と言ってきたコメがやっと、自給できるようになった年です。そして、石炭に替わって石油がエネルギー源のトップを担った最初の年です。  国家を経営している人というのは頭がいいということがわかります。つまり昭和三六年の段階で、もうコメは大丈夫、これからはエネルギーは石油だと考えたのです。それから、日本は資源小国だから原料は外国から入れて、工業国にしようと立案しました。その具体的な現れが農業基本法です。工業国になるためにはまず人がいります。人は農村から集めよう。農民は真面目です。真面目で働き者でなくては、あんな一本一本田植えなんかできません。工業立国にするための工場の工員は、農村の人材を取り込もう。用地は、農地を工業用地として使おう。それからあんまり知られていませんけど、それまで莫大な金を使って農業用水をつくってきたのですが、それをそっくり工業用水に使おうというのも、農業基本法の中の隠された戦略です。  つぎに水です。とくに化学工業とか鋼鉄業は、化石燃料を使って大量の熱処理をしますが、その熱処理を冷やすのが水なんです。よく地球のことを水惑星といいます。こんなに水の豊富な星は宇宙のどこを探してもありません。一四五京八〇〇〇兆トンという想像もつかない水量だそうです。その水惑星の中でもとくに日本は水が良質で豊富なのは指折りです。そこの人が働き者で頭が良いので、日本の工業化は成功したとおもいます。  工作機械をつくる時に、鉄鋼を切り抜くもっと硬いものが必要です。ご存知の方もいらっしゃるとおもいますが、水ジェットという、水道の蛇口いっぱいにひねったときの千倍の圧力の水を、細い一条の光みたいな形で噴き出して、鋼でも何でもずーっと切ったり、細工したりします。それから半導体は水で洗わねばなりません。この水を超純水と言いまして、全く混じり気のない水——じつはその水は死んでいるんですが——を高圧で吹きつけながら洗います。先端技術は、いままで農地でたっぷり蓄えた水、川上や地下にある良質の水をどんどん抜き出して、それを水メスとして使っています。地方に工場が分散している大きな理由は純度の高い水が要るからなんです。新幹線もその準備として引かれているのですから、政権担当者の方々、産業界の方々、官僚の方々っていうのは、本当に頭がよろしい。  しかもこの農業基本法には、まだまだ沢山の欠陥があります。コメ、麦、大根からナス、トマトまでつくり、鶏五、六羽に豚、牛もいるという農家はもうダメだと言っております。これからは、できるだけ耕地面積を均一に大きくして、キャベツならキャベツ、タマネギならタマネギだけつくりなさい、作業も画一化して非常に簡単になるし、能率もあがる。つまりアメリカ式の、もうちょっと厳密に言いますと、イギリス式の中農法を勧めている。少数の人数で農作物がつくれ、余った人は工場が引き受ける。そういう仕組みになっているわけです。ところが、それは見事に失敗しました。作物にはイヤ地現象というのがありまして、とくに畑では、同じ作物を毎年植えてますとどんどん収穫が落ちて来ますから、今年豆蒔《ま》いたら来年はナスとか、いろんな組合せで植えるのです。それをもう止めろというのです。  農業基本法では、農業を大規模にして余った人手を工業が引き受けると大見栄切ったのですが、日本では北海道、印旛沼《いんばぬま》、八郎潟など特別なところのほかは地勢の関係で大農場なんてできません。それで、政府のプランは崩れていきますが、それを補助金とかなんとかでつないできました。一方、工業化はどんどん進みますから、お父さんは出稼ぎをし、若者は都会に出ていって、農村から人がいなくなります。これは設計図通りだったわけです。ところが残った人たちは、祖先伝来そこで汗と涙を落としてきた農地を手放しません。三チャン農業と言われていた人たちが農業を止めなかったのです。機械と肥料と農薬がありましたから、それができてしまった。  ここに肥溜の図があります。みなさんはもうご存じないでしょうが、私なんか小さい時、何回ここに落ちたか知れません。農家の庭先や田んぼや畑に、一間四方ぐらいの穴がありまして、回りを板で囲い、底に砂を敷き、その上に糞尿を入れておきますと、たちまち臭いがなくなります。ですから、上の水はものすごくきれいです。私なんか金魚放したりしましたけど、スイスイ泳いでますね。蛙はいるやら。……結局、沼も湖も川も全部原理は同じです。土があればどんな汚い水でも、きれいにしてしまうんです。肥溜のきれいな上澄みの部分は小川に流します。小川自体も、実はこういう肥溜の流転版ですから、その水はきれいです。三チャン農業の一番の欠点は、機械、肥料、農薬を使ってなんとか作物をつくっていたんですけども、こういう肥溜をつくれなくなったことです。昭和四〇年代になってバタバタとなくなりました。  わたしが昔肥溜に落っこちて溺れそうになった所に行ってみましても、いまはもう全然ありません。昔は肥溜だらけで、雪が降りますと遠近感もなくなります。向こうまで肥溜に入らずに行けるかという、度胸試しと記憶力の競争がありました。それは学校の行事と農作業が一体化してましたから、校長先生がテントを張って見ている中を、クラスの代表選手が旗を持って、どのクラスが一番に向こう側に早く渡るか競うのです。肥溜があちこちにあって遠近感がわからなくなり、ドボッと落ちますが、学校では風呂を沸かしてくれていて、そこで洗う。でも全然臭くもなんともない。底の深いところにつきますと多少臭いは残りますけども、上澄みは飲んでも平気です。それは本当にきれいなものです。  このテーブルのコップの水は澄んでいるようですけど、水道の水ですからきっと塩素がいっぱい入っています。東京の水道の水というのはヒドイのです。これをもっときれいにしようと思ったら、肥溜がまだあるところへ行って、肥溜の中の泥っぽい所をちょっと貰って中に入れるんですね。もちろん、下は飲んではいけませんが、上はスーッときれいに澄んできます。 (1989・11・10)      5 コメと人と地球  いま日本の農地は一体どういうふうになっているのか考えてみたいとおもいます。東京の町中の一坪何百万という所にポッカリ農地があって、栗《くり》の木なんかが植えてあると、けしからんではないかと考える人がいます。これだけみんな土地で苦労しているのに、都市農民は町の一番いい辺りに農地を持って土地の値上がりを待っているのではないかというわけです。  都内の住宅地の価格は、一九八七年で言いますと、前年度と比べまして、変動率が九三パーセントでした。八七年の首都圏の土地の値段は前の年の倍近くあがっています。一平方メートル当たり九八万円ですから、五〇坪の敷地ですと一億五〇〇〇万円です。一方、都内で働いている方の年収の平均が五八八万円です。ですから都内で五〇坪の敷地を買うためには、飲まず食わずで二五年かかります。つまり裸で会社に行くわけですね(笑)。もちろん裸足です。メシも食わず、課長にたかったりなんかして、課長もそれをやっているという、もう皆裸の付き合いで、それに結婚なんかとてもできません。電車賃は会社から出るかもしれませんけど、本も読まず、新聞も読まず、全然何もせずに、敷地代だけで二五年かかります。都内で普通の人が土地を買うのは絶望的です。  世界の平均を調べてみますと、大体年収の二・五倍から三・五倍ぐらいで買えます。三〇年働くとして、そのうちの三年分ぐらいで家を買うというのが外国のいき方なんです。われわれはなんとか日本で生活しているのですが本当に不思議な現象で、外国から見ますとほとんどスキャンダルだと言う外国人が沢山います。  ご存知のように、おコメは値段が据え置きです。農民から高く買って、消費者に安く売る。政府の損は、税金でまかなって、農民が仕事をつづけられるようにする。これを逆鞘《ぎやくざや》と言いますが、ここ一〇年近く逆鞘はありません。一方、コメを非常に安く買って、多少の利益を取りながら、政府米として売り出す。これは純鞘と言います。ですからコメの値段を維持するために税金が使われているということは、いまはありません。そのせいで、専業農家ほどヒドイことになっています。政府の目論見では、土地を手放す農民が出てきて、その農地をやる気のある農家が買い集めたり、あるいは借りたりして、農地を段々大きくしていく。そこで機械化した農業をやれば、国際価格に充分対抗できる農産物ができるというのです。これが政府の描いた青写真ですが、そうはなりませんでした。  日本の大都市圏では土地が足りないのに、農村では土地が余っています。これは矛盾と言うより当たり前の話で、人が集まって来る土地の値段はメチャクチャに高くなり、農業をやっている所の土地はガタガタに下がる。つまり農村はいまとてもヒドイ状態にありますので、農地を買う人がいません。農協でさえそこは危なくて金を貸せなくなっています。農村では土地を売ろうとしても、周りで買う力が無いんです。そういうわけで、北海道、青森、高知、鹿児島などでは土地の値段がどんどん下がっています。宅地もです。  ここでまた数字を出して煩わしいのですが、都民一戸当たりの住宅延べ面積は、一七坪です。それから東京都の農民の一戸当たりの平均の敷地は三三四坪であり、農地は三七九坪です。ですから合わせて七〇〇坪です。ところが問題なのは、農産物は一〇アール(三〇〇坪)で一〇万円から二〇万円ぐらいの所得にしかなりません。これではとても食えませんので都市農民の方々は、アパートとかマンションとかを経営しながら畑を耕しています。一見、土地の値段が上がりますので、自分の財産が増えているような感じになりますけれど、そうでもないんです。いま、東京近郊の農家の相続税の平均額は五億円です。いろいろ税法上の優遇措置はありますが、とにかく農地を売らなくてはならないのです。そういうことで都市近郊の耕地はどんどんなくなっています。  そもそも、都市の農民が畑を耕しているために土地の値段があがるということはありえないことです。景気がよくなり、産業の構造が変わり、金融とか情報とかの仕事でも食べられるようになって、都会に事務所や住宅が必要になってくると、お百姓さんがいようがいまいが、限られた土地ですから、どんどん値上がりしたわけです。何か一つ犠牲の子羊を見つけて、あれさえ心を改めれば世の中解決するとおもうのは感心できません。  一番わかり易い例は、野菜の輸入量がすごく増えてきたことです。六年前の一九八三年、日本の野菜の消費量は一二〇〇万トンで、その一六分の一の七五万トンを輸入していました。ところが、四年後の一九八七年には一〇〇万トンになりました。今日、農林水産省に電話して聞きましたら、今年は二〇〇万トン近くになるらしいとのことでした。つまり野菜の輸入はこの五、六年の間に急激に、三倍ぐらいに増えつつある。そうした野菜はこれまで大都市周辺の農地が供給していました。もう都会の人々の食べる野菜の畑は遠くに行ってしまいました。韓国、台湾、中国といったところが東京の畑になりつつある。採算が合っていればしょうがないのですが、私のように昭和一桁《ひとけた》生まれになりますと、やっぱり違う。私の乗ったことがない飛行機で、まあ嘘ですね、乗ったことありますな(笑)、運ばれてくる野菜は、良し悪しは別にして、何か不思議ですなぁって感じがします。  農地の宅地化が進み、お百姓さんもやる気をなくしてきている責任の半分ぐらいは、いままで農政を預かってきた方々が感じなければいけないとおもいます。いま責任を感じてももうダメなんですけど。ですから問題は、そういうことがまた起こらないように、典型的な例としてわれわれが頭の中にしまっておいて、同じようなことが起こったらきちんとチェックすることです。  国鉄の場合もそうでした。国鉄さえ良くなれば、国の財政はちゃんとなるとか言ってましたが、何も解決してません。清算事業団に借金がどんどん行くだけです。いま、JR東海とかJR東日本とかが利益をあげているといいますけど、昔から国鉄は路線では利益をあげていました。ところが、例えば、ある政治家が勝手に「ここに線路を引け」と言って、成田新幹線をつくることになり、当時の金で五〇〇億近くかかったのですが、その政治家が死んだらもう中止です。酷いものです。  それから自動車会社です。工場から港まで何十キロメートルかの専用線路を敷いても、事情が変わって、自動車は陸送した方が早いってことになると、もうその線路は錆びたままです。そこにも国鉄は何百億のお金を使ったわけです。政治家が、自分の出た地域、あるいは自分が密かに献金を受けている大企業のために線路を敷く。こういうことをやっていては国鉄が赤字になるのは当たり前です。それを清算事業団が引き受けているのですから、いまのJRが黒字になるのもこれまた当たり前です。  日本の偉い人たちというのは、本当に労働組合が嫌いで、ずっと労働組合潰しをやってきました。労働組合もお人良しと言いますか、自分たちの仲間の権益を守ることに手を抜いてきました。次は日教組だと思います。  農民の組合も、戦前は大したものだったのです。ご存じのように、大地主がいて、そこに小作人たちがおりました。あえて言いますと、絶対主義的天皇陛下が上にいらっしゃって、それを地主と官僚が支えていくという国でした。そこで小作人たちがいろんな農民運動を必死になってやったのです。当時、就業人口の六〇パーセントは農業ですから、陸軍の青年将校の部下のほとんどが農村出身です。そういう部下の兵士の家がメチャクチャになっている。小作料は高いし、凶作でも小作料を取られている。そういうのを見かねて、昭和初期に青年将校のテロとか事件が起こりました。  政府も、土地が狭くて零細である農民たちの不満や不穏な動きを放っておくのはマズイというので、満洲(中国東北部)に農民を送り出してそこで農業をさせようとしました。これは満洲の人から見れば、非常に迷惑です。突然、日本のお百姓さんが来て、自分の畑を耕したりなんかするのですから。日本の国家は、農民の何とかしてほしいという声を放っておくわけにもいかない時期でした。それは戦争が終わった瞬間、壊滅しました。  地主制を解体させた戦後の農地改革が、占領軍の押しつけだとかいろいろ言われていますが、戦前から農民運動の中にそういう伝統があったのです。農地改革の根本は、不在地主を否定し、土地はそこを耕す農民のものでなくてはならない、ということです。例えば太宰治の兄さんの津島文治は、二五〇町歩(約二五〇ヘクタール)の大地主でしたが、この農地改革で三町歩だけはいいが、あとは全部政府が安く買い上げて農民に売りました。いまの言葉で言えばローンで農民は土地を手に入れたのです。戦前は農民の八〇パーセントが小作人でしたが、戦後は全部が自作農になったわけです。一人平均一・二町歩です。そこで一所懸命コメをつくりました。  当時の日本人の願いは、コメをキチンと食べたい、ということでした。農民としてはやりがいがあります。ただ、僕も農村の人間ですからよく見かけましたけど、都会の人が頭を下げてコメを買いに来ると、それまで苛められていたせいか、居丈高なお百姓さんがいました。全員が善玉ってことはないんですけれども、大多数の人は、自分の働きがいろんな人のためになっている、皆コメを食いたがっている、よしコメをつくろうではないかと思っている幸せな状態が、昭和三五年ぐらいまで続きました。  前から飛び飛びに言っておりますが、この昭和三五年は石炭の使用量を石油が上回った年です。安保反対の一七万人のデモが国会を包囲して、東京は大騒ぎだったのですが、岸首相が「これはごく一部の話であって、後楽園では野球をやっているじゃないか」と有名なことを言いました。それもそうだなと多少思ってましたけど、僕はデモの中にいました。新劇人何とかという会で変てこなシュプレヒコールをやってましたけど、全然誰も見てくれませんで……(笑)。  その時、長島茂雄さんの「社会主義の国になると野球ができないから……」という名発言がありますが、いまはキューバへ野球を教えに行ったりなんかして、そのへんもまた非常に面白いんです。つまり米ソ対立から米ソ首脳会談へと状況は大分変わりました。あまり固定観念でものを見るのはよくありません。この昭和三五年あたりから考えていきますと、面白いことがたくさんあります。  大都市では土地が足りない。値段があがっている。ところが地方では、特に山間部では、廃村が相次いでいる。あの頃日本の高度成長に合わせて、農村から大企業、大都市へ出てきた人は、一年に八〇万人ずついたのですから、これは凄《すご》いです。日本の高度成長を支えたのは、この安い労働力です。賃金水準がそうした新しい労働力によって抑えられて、企業の力が出てくる。これが奇跡の成長といわれ、現在に及んでいるわけです。  そういうことを考えますと、昔日の感がします。僕らの子供の時には、百姓というのが国の元で、百姓の作る物を皆が待っているんだという時代でした。それから、いやそうじゃない、コメはもういい、これからは工業だっていう時代が来た。そうして今度は、コメはアメリカから買えばいいのだという時代です。四〇年間に一つの産業がこんなに変わるものなのかと驚いています。  ご参考までに申し上げますと、学校を出て「よし俺は農業をやる」という人の数は、一つの町一つの村に一年で一人です。それくらい、新しい人が農業に就かない。特に昭和三〇年代四〇年代に働き手を都会に送り出したんで、山間ではお年寄りしかいなくなり、村が次々となくなっています。あと一〇年も経ちましたら、山間の村はほとんど存在しなくなるような気がします。そういう廃村に残っている江戸時代の家の立派な材木を東京に持ってきて日本風の家を建てるという動きがあるんですね。  かつては北海道はヨーロッパ並みの広いところですから、政府も道庁も、もちろん農民の一人一人も一所懸命励んで、ほぼ理想的な展開をしたんですが、減反減反でコメがつくれなくなる。水田の半分が休田になり、土地の値段が下がってきます。将来どうなるのでしょうか。企業がその土地を買って工場を建てる。それまでそこにいた農民は工場労働者になる。つまりこれでは、昔の地主と小作人の関係を新しくしただけで、その構造は変わらないということになります。  一方われわれ都会の消費者はいろいろ注文を出します。この間、新聞見ていましたら、もっと粒の大きいコメ食べたいって人がいました。つまり、おにぎりみたいな粒をかじってみたいとかですね(笑)。そんなのどうやって炊くのですかね。ナショナルなんかすぐ発明して、一粒コメの炊き方、自動炊粒器とか(笑)。  地球上の植物は確か三〇万種だったとおもいます。先史時代に人間がたべていた植物は一五〇〇種だと言われています。それが現代では三〇〇種であり、その内、稲と小麦とトウモロコシが全穀類の四分の三をしめています。  そういうわけでおコメは非常に優れた高等植物なのですが、その粒を大きくしてたべたいとか、薔薇《ば ら》の匂いのするご飯をたべたいとか、わりと都会の人って勝手なことを言います。水仙の匂いのするご飯なんてあんまり美味しくないとおもいます。それから紫のコメがあったり、赤いのがあったり、白いのがあったり、黒い……黒いご飯なんて旨いとおもわないんですけども、それにゴマ塩をかけたらよくわからなくなります(笑)。消費者の声を聞かなくちゃいけないというのでどこかの団体がやってたのを僕は客席で聞いてたんですが、もう本当に面白かったです。ひょっとしたらいまの二倍か三倍ぐらいのコメはできるかもしれません。しかし、やっぱりいまの粒でああいう色をしているのが美味しいのではないでしょうか。それから、コメを印刷のインクやフィルムに使うとか、いろんな使い方が開発されてきていますし、飼料としても使えるはずです。  現在、生協(生活協同組合)では組合員が一二〇〇万世帯いらっしゃるらしいんですが、この人たちの中から農村といろんな形でかかわり、農民も力を出そうとしている動きが出てきています。これは有名な例ですけれど、山形県新庄市にものすごい効果をあげているグループがあります。  具体的に言いますと、農家というのは、二世帯が一番理想的なんです。親がいてその息子夫婦がいて子供がいるという構成の時に実にうまくいきます。政府が唱えている、コメならコメをバーッと作れ、機械でドーッとやれというやり方ではなくて、皆さん、三ヘクタールとか四ヘクタールの耕地を持って、コメをつくりながら、牛を飼ったり、茸をつくったり、煙草を植えたり、いろんなことをしながら頑張っているわけです。出稼ぎには一切行かない。出稼ぎというのは農業から離れることです。百姓とは百の姓と書きますけど、これこの通りに、百の作物をつくろう。そういう発想から始まりまして、皆総出でいろんなものをつくって、結局、年間収入が一〇〇〇万ぐらいです。  このような複合農業で、いろんなものをいろんな人たちが、自分の好きなもの、得意なもの、その土地に合ったものを混ぜながらつくっていくというのが、じつは一番効果的です。このやり方で、生協と都会の消費者とを結びながら、非常にいい成果をあげている篤農家、よし農業でやろうじゃないかという人が各地に出てきています。政府が考えている、農地を統合して、脱落する人はどんどん脱落させて、耕す人のいなくなった土地を、やる気がある人たちがまとめていって、そこへ機械化でコストを安くあげるという方向は、僕が前から言っているように、絶対間違いだということがよくわかります。  それで、突然話が飛びますけど、全産業の従業員の平均収入を一〇〇としますと、製造業で従業員五〇〇人以上の所が一二五です。つまり、平均よりも二五パーセント収入がいい。その次にいいのが一〇〇人から四九九人まで。これが全産業平均のちょっと下、九〇パーセントです。ですから、日本の産業で平均より収入がいいのは五〇〇人以上の製造業だけです。三〇人から九九人までが、平均の七四パーセントです。農家のやる出稼ぎの仕事は、平均の六六パーセント、三分の二ぐらいです。五人から二九人は、その下で平均の六〇パーセントです。  そのつぎにやっと農業が来るんです。政府が目標としている、これからの日本の農業を支えていかなければいけない、三ヘクタール以上の中核農家の農業所得が五五パーセントです。つまり、専業農家は、全産業の平均の半分ちょっとしか収入がないのです。それから二ヘクタール以上、これが四七パーセントですから、半分以下です。全農家の平均は、全産業の平均の三分の一しかありません。では、農家はあんな車に乗ったり、農協の貯金もすごいのは、一体どうなっているのかということになります。いま、農家の人たちはわりといい生活をしています。それは何故かと言いますと、兼業なんです。農業では食えないから、近くの工場や会社へ勤めて、補っているわけです。  一軒の農家で仕事に出ている人は、二・五人です。都会の普通の勤労者世帯、その一軒の家で働きに出ている人は大体一・六人です。ですから、農家は家族の収入を全部合わせて、やっと普通並みというくらい、いま、農業所得は少ない。もちろん本気で農業をやっている方は沢山いますけど、農業だけでは、絶対わりが合わない。それで農業を止そうかという人が本当に多いんです。誰にも喜ばれないし、補助金漬けだと悪口は言われますし、そんな高いものつくるなら滅びた方がいいとか、土地なんか持ちやがってとか、いろんなこと言われて、もう嫌だ嫌だという感じは、僕があちこち行きましても、農家の皆さんから受けます。  ただ、政府の誤算でしたけど、農民はおもったほど土地を手放しませんでした。ご先祖さまに済まないという有名な言葉がありますけど、自分の代では農地を手放したくないということで、勤めながら農業をやっていく。日曜農業と言いますか、だいたい、国鉄の職員が農業をやっている。都会から見ますと、もうなんか二つ悪いことやっているような感じで(笑)、あんなに楽にやれるならドーノコーノと、知らない人がいろいろ批判するわけです。でも、やはりなかなか手放さないです。ですから、政府がおもった通りに農地は出てきません。  しかし、その出てこない農地がどうなっているかと言うと、やっぱりヒドイ状態なんです。減反があって、休んでいる田んぼがあります。それからお百姓さんにも問題があって、いい加減にやっている所もあります。いい加減な耕し方をされると、土地の方もいい加減な土になってしまいますから、農地の力は衰えていくという形にもなります。  一九七〇年代に、世界に食糧危機が起こり、世界の国々が食糧危機に備えて、少なくとも自分の国民の食べものは自分の所でつくろうと考えた時期がありました。本当に懐かしいんですけど。それで日本の場合は、五五〇万ヘクタールが目標になりました。これだけ農地があれば、一人当たり二〇〇〇カロリーが保証できます。これだけは手放すまいという国民的合意があったのです。つまり、その時にはそれよりもう少し農地はあったんですけど、五五〇万ヘクタールになったらストップしようという感じでした。ところがいま当時から比べますと、農地は六五万ヘクタール減っていて、現在五三八万ヘクタールになっています。この中には、減反で耕してない土地も含まれています。  それで、日本が一切穀物を輸入しないで日本だけでつくるとなると、どれだけの農地が必要になるかと計算してみますと、一一〇〇万ヘクタールです。つまり、五五〇万ヘクタールという、七〇年代の食糧危機に日本がこれだけは確保しようと考えたのは、ちょうどその半分なんです。逆に言うと、最低保証をしようとおもっていた農地の倍あれば、日本は完全に自給自足できるのです。  でも、実際はほとんど無理だとおもいます。例えば、ここ五年ぐらいの間の統計で言いますと、千葉県で農地がなくなったうちの八〇パーセント近くはゴルフ場です。いま、全国で五万ぐらいの集落が、村起こしとか集落起こしとかをやっています。一村一品運動とか、村で全国に通用するものをつくって、都会から人を呼び寄せようという運動です。当然、ゴルフ場が多いです。それからレジャーランド、キャンプ場。極端に言いますと、日本人は農業をダメにして都会の人が遊びに行く所をつくっているのです。  リゾート法というのができましたが、もう完全にそっちの方へ世の中は動いているようです。つまり企業が農地を買い集めて、ゴルフ場、スキー場、キャンプ場、リゾートマンションなどをつくり、地元もそれをありがたがる。さきほど、農村地帯の宅地の値段が下がっていると言いましたが、農業が振るわなくなると、相対的にその周りにあるいろんな店や会社も沈んできます。その地域が農業で成り立っていればいるほどそうなります。それで、農業に代わる別の人寄せ産業でもあれば、都会から人が来てくれて、お金を落としてくれる、これからそれで食べていこう。政府のふるさと創生基金の一億円も、その研究費みたいな感じではないでしょうか。  いま、農村の人はどうやってたべていくかというのが問題です。農業をやりながら勤めに行くといっても、その勤め先がなくなったり景気が悪くなると、どうにもならなくなります。これが、日本のコメをつくる農地とわれわれの関係じゃないでしょうか。都会では土地が不足して高くなっている。地方では土地が余って安くなっている。結局ここで動いているのは企業で、企業が安くなった土地を買いつつある。そこが農地として利用される可能性はあります。例えば、ある企業が北海道の水田地帯を買い占めて、そこにアメリカ風の企業的な農業をやって安いおコメをつくる場合があるかもしれません。しかし、半分ぐらいはリゾートとかレジャーとか、都会の人間の遊ぶ所として農地が転用されようとしているのが、大体の見取り図です。  世界的に地球から熱帯林がなくなり、湖や沼が埋め立てられて、大自然が失われつつあることは事実です。農業は、自然と人工の合間にあるものとして、そのあり方をキチッとさせておくことが大事です。世界の大自然がどんどん荒廃して、食糧危機が起こるのではないかと言うと、皆が反応した時代があったのですが、いまではもう時代遅れみたいに思われます。  食糧危機説は大きく分けると四つぐらいです。一つは、大自然が荒れ、なにかとんでもないことが起こって、食糧が採れなくなるのではないか。二つ目は、いまみたいな石油漬けの農業ですと、その石油が途絶えた時どうするか。三番目は、第三世界の人口の増加で、食糧が足りなくなるのじゃないか。四番目は、世界の穀物の動きを握っている五つの巨大商社が、食糧危機を演出するんじゃないか。大体この四つです。  僕は常々おもうのですけど、われわれは安全なものを安全に食べたい、というだけなんです。つまり、そんなに贅沢はしなくてもいい。人間の生活に基本的に大事なものは、キチッと供給してほしいという単純な願いなんです。それで美味しければそれに越したことはない。それ以上のことを望んでいる人は、そんなにいないとおもいます。このことを国がしっかり押さえているかどうかで、大分違ってきます。  例えば、ドイツ農業法の文章を読みますと感動します。農業には食糧自給ということだけでなく、周りの環境にいろんな効果や利益を生み出す働きがあるという観点から、ドイツの伝統を作っているのは農業であり、ドイツ人の伝統を守るために皆で農業を支えていこうと書いてあるのです。ここらへんが日本の農業基本法との違いだとおもいます。  いまでは農業というのは絶対に引き合わないんです。とくに日本の場合は、工場の生産物と比べたらとても引き合うものではありません。よく国際価格がどうの為替レートがこうのと言いますけども、それが急浮上してきたのは、円高あたりからです。たしかに日本のコメは安くありませんけど、最初に申し上げたように、われわれは一日一家族でコメ代をいくら出しているかと言うと、そんなベラボウに出しているわけじゃなくて、むしろ住宅費がベラボウに高いのです。ですから、僕はキチッとした食糧をキチッと届けてくれることに対してお金を払いたいとおもっているのです。  われわれ都会の人間が、安全なものをキチッとたべたい、贅沢なものはいりませんから、それを頼みますよ、と農民に言えたら、農民は皆夢中になるとおもいます。やっぱり人は、人の役に立って喜ばれたいのです。それは僕も皆さんも同じではないでしょうか。自分の一生かけた仕事を誰かが喜んでくれている、自分が食べるだけじゃなくて人も喜んで食べてくれる。これに尽きます。僕の場合のことを思い切って言いますと、自分が面白がって一所懸命やっていることが、他の人に笑ってもらえるとか、一晩ぐらい元気がでるとか、そういうものをつくりたい。それができなかった時は、すごく残念ですし、井上某はもう何も書かなくていい、書くだけみんな迷惑! (笑)というふうになったら、これはもう……。皆さんだって、君はもう会社に出てこなくていい、君が会社に出てくるだけで会社はすごく迷惑してるんだ、でも給料だけは少ないけどあげるから、なんとかやってよ、と言われたら、やっぱり生きていく気がしないとおもいます。それと同じで、いま農村の人たちに必要なのは、自分たちの作るものが誰かに喜ばれている、ということなんです。  もちろん、農民が自分の立場から考えなければいけないことも一杯あります。前に話しましたけど、水田というのは特殊なもので、農薬を撒いても、水がその害毒をある程度溶かしてしまい、その上、稲が生育する間にも分解して、実には及ばないという働きがあります。それでもその農薬の分量を少し減らしてみようとか、それから、都会の消費者とよく話し合いながら工夫して、あっ、都会の人たちが自分たちのコメを待っているんだ、とおもうようになった時、日本の農村の人たちは、違う動きを見せてくれるとおもいます。  水田というものは、陸稲とかカリフォルニア米の栽培とは違いまして、水を廻さなきゃいけませんので、大変にお金と手間がかかります。ですから、いま、山間では、せっかく開いた田んぼに何か木を植えて、都会に働きに出てくるというのが流行ってます。東京で旦那さんがずっと働いて、地方にお金を送る。東京と地方の賃金格差で、田舎では物凄い値打ちになります。つまり、東南アジアからいっぱい人が来るみたいなものです。  農地というのは、使ってないと金属と同じで錆びてきます。農家にも問題があります。お上が蜜柑つくれというときつくると補助金が出る。ところが、オレンジの自由化で蜜柑がダメになり、蜜柑をつくらないというふうに農家が決めますと、そこへご褒美として政府が三〇万くれます。その補助金というものも、結局は八〇パーセントは周りの企業に返っていくんで、お百姓さんの所にはそんなに入ってこないんですが、そういう条件付けがずっとできてきたんです。日本の農政あるいは指導者たちには、農業に対する哲学と言いますか、哲学と言うと大袈裟《げさ》ですね、普通の考え方がありません。農家はそういうお金の出るものをつくるのを止めて、都会の消費者といろんなネットワークをはり、自分たちのつくりたいもの、その土地に合うものをつくって行くということをやりながら、様子を見るしかないんじゃないかとおもいます。  くどいほど言いますけど、日本の農政はこの百何十年、間違い続けでした。いまもう最大の間違いに来ています。農地、耕地、国土というのは皆のものであり、皆がそこで生きていかなければならない場所です。それを国鉄の時と同じように、力のある者や大企業に都合のいい仕組みになってきているのではないかということが、僕の一番の心配です。  次頁の図はどこにでもある日銀の国際比較統計の調査です。日本を一〇〇とした場合に、外国はいくつかという数字なんです。日本が非常にうまくいっているのは、例えば失業率です。一九八七年、日本の失業率は二・八パーセントです。ところが、アメリカは日本を一〇〇とすると二二一・四ですから、失業率は二・二倍ぐらいアメリカが多い。面白いのはテレビの普及率で、日本は一〇〇〇人当たり五六三台ですから二人に一台ちょっとぐらいですが、アメリカは日本の数を一〇〇としますと、一四〇・三です。ドイツ、フランス、イタリアとかは全部日本よりテレビが少ない。  それから、労働争議損失日数というのがありまして、ストライキで何日労働が損なわれたかという数字です。日本は一九八三年から一九八七年までで三二四日です。日本の一〇〇に対してアメリカが三〇五六日。これは、失業率が多いとかいろんな相関関係があるとおもいますが、アメリカは日本の三〇倍以上ストライキをしている。  統計の数字を見ましても、日本の企業は、大変な利益を挙げています。社員の方が一所懸命に頑張って良い製品を出したのですから当然です。しかし、その利益を社員にちゃんと分けているのか。それから、その会社が世の中に迷惑をかけた、と言うと変ですが、社会公害費用、社会費用、つまり、図書館をたてるとか、病院をたてるとか、林をつくるとか、公園をつくるとか、売れない作家をかかえていい作品を書かせるとか(笑)、それを向こうはやっているんですね、企業、大学が。そういうことを日本の企業はやりません。やらなくても構わないって言えば構わないですけれども、企業としての社会的責任というのを、あまり考えておりません。まあ、それもいいとしましょう。でも、自分の会社で働いている社員に対して、会社の利益分配が、正直に行われているかというと、僕は行われていないとおもいます。  なおかつ、日本の社会資本の乏しさというのは有名で、下水にしてもそうですし、公園なんか東京都民の場合二・二平方メートルですか、一人当たり一坪もありません。これがニューヨークですと東京の一〇〇に対して一〇八六、ロンドンでは一三八一ですから、これはもうメチャクチャです。  日本は豊かになったとは言いましても、それは大都会のある一面だけで、農村地帯は、みな、不景気です。おそらく戦後最大の不景気でしょう。戦後二番目の好景気と言っても、都会だけのことです。しかも、都会の豊かさもよく見ますと、労働時間は結構長くて、一九八七年の統計では、日本人は週当たり四三・二時間ですけれど、これを一〇〇として、アメリカが八九、他の国も大体八〇台です。日本人よりも二〇パーセント近く労働時間が短いわけです。  公共の場所にどれだけ資本がはいっているか、道はどうか、下水はどうか。そういうのを全部見ていきますと、日本はそんなに豊かな国ではありません。企業の利益はちゃんと税金で納めていただいて、行政の方も、その税金を社会資本の蓄積のために使うという、そういう方向が大事だとおもいます。  芝居なんてどうでもいいようなものですけども、コメディ・フランセーズの年間の補助金が、日本の文化予算の全部と匹敵するのです。日本に国立劇団はありませんが、外国では人口三〇万ぐらいになりますと市立劇団がありますし、七〇万になると、ヨーロッパでしたらオペラ歌劇団があります。別に演劇に金出したからいい国というわけじゃなく、一つの例として申し上げているんですが、まだまだわれわれの豊かさというのは、本物ではないというのが私の実感です。だいたい、われわれはキチッとしたものをキチッと食べているだろうかと考えただけでも、あんまり僕は自信がないのです。皆さんはどうでしょうか。安全なものをちゃんと食べられることに、お金が多少必要だとしたら、それを負担なさるでしょうか、どうでしょう。ここなんですね、問題は。  外国では人々の意見で世の中が動くというふうに多少なってきました。われわれ一人一人が、一所懸命コメの問題を考え、自分の意見を言って、ある答えが出ればそれでいいんです。その結果、自由化OK、コメは輸入しようということになっても、皆が本気で考えた結果だったら、僕はそれに従います。でも、うっかりしたままで、世の中がのっぴきならない所へ行くのは、とても怖いんです。  長い間どうもありがとうございました。(拍手) (1989・12・5)   コメ一粒から見えてくるもの 主食にしている日本と付け合わせ野菜程度のアメリカ  アメリカ人はそうはコメをたべません。一人一年当たりの直接消費量五・三キロです。日本人はその一三倍以上、一人が一年で七〇キロもたべる。そのアメリカが、いくら自国で過剰生産になったからといって、コメを主食にしている日本に、コメを買えというのは、根本的におかしいと思います。ここを納得させてもらわない限り、コメの自由化をみとめるわけにいきませんね。  もっといえば、アメリカにとってはコメは付け合わせ野菜程度の作物です。ところが日本にとっては大事な主食です。日本人の場合、コメは生産から消費まで、いたるところで社会の構造そのものまでしみこんでいる。しかも同朋《どうぼう》である農民が減反をしてつらい思いを味わっている。その大事なコメを、付け合わせ野菜程度にしか考えていない国のコメで潰《つぶ》されていいのか。政府にも財界にも、そして国民にも、そこのところをよく考えていただきたい。  しかし、僕みたいな素人《しろうと》にわかることが、政治家とか、頭のいい官僚とか大新聞とかになぜわからないのか。わかっていないということは絶対ないと思うんです。アメリカの言い分のおかしなことになぜ触れたがらないのか、何かのために、そこに触れたくないにちがいない。そう見当をつけています。  アメリカが非常に強くコメの輸入自由化を日本にいってきているので、まずアメリカのコメ、米作からお話ししたい。 「自由市場で、できるだけ安いコメを買えばいいではないか」と、よくいわれていますね。本当に安ければいい、というのであれば、長粒種ですが、タイ米でしょう。タイのおコメの値段を一としますとアメリカのコメは、カリフォルニア米で一・五倍、テキサス米で一・九倍と高い。ですから、国際価格の安いコメを買え、というのであれば、順序としてはタイ米を買えということになる。なのに、「アメリカから買え」という。これはおかしな話ですね。  それから、コメはアジア人の主食ですが、アメリカ人の主食ではないんです。世界のコメの八七〜八九パーセントぐらいはアジアでとれます。残りの一〇パーセントちょっとがヨーロッパとか中南米とかアメリカでとれる。アメリカは大農業国ですが、コメ農家というのは、総農家数の〇・六パーセントなんです。ところがアメリカは工業的なコメのつくり方をしていまして、国内消費量の二倍以上もつくっている。そうして、その余った分を外国へ、日本へ売り出そう、といっているわけです。  一方、日本もコメが「過剰生産だ、過剰生産だ」というので、農地の三〇パーセントも減反をおこなっている。こういう構図のとき、常識としては、主食としてコメをつくっている国の方がコメは大事だと主張していい権利がある。ところが、付け合わせ野菜みたいに作っている方が、大声で、「コメを買え、コメを買え」という。これはもう、普通の感覚ではどこでも通用しないことなんですね。コメの輸入自由化を考える場合、このあたりをきちっと押さえておく必要があると思うんですが……。 本当だろうか、アメリカのコメは安いというのは……  アメリカの米作について、もう少し踏み込んでいうと、いまから一〇年以上も前ですが、アメリカはいろんな農作物が豊作で、ドンドン売れた時期がありました。当時アジアでは食糧が足りず、あの水田が多く一年で二回も三回も収穫できるインドネシアでさえコメが足りず、外国から買い込んでいた。アジアの国のほとんどがそうで、自給していたのは日本、韓国、北朝鮮ぐらいです。しかし、その後、農業技術が非常に進歩したこともあって、ここ一〇年でアジアの国のほとんどが食糧自給国になった。ですからアメリカのコメはその分だけ売れなくなってしまった。  しかし、アメリカはコメがもうかるというので、穀物メジャーが企業的な農業をはじめていました。肥料や機械、お金を注ぎ込み、大規模生産をして単価を安くしようとした。それで四、五年前くらいからコメが余りだした。精米で二五〇万トン、史上最大の過剰米が累積してしまった。これを売りさばこうとして、日本に「コメを買え」といいはじめたわけです。  さらに、アメリカ政府は例のマーケッティング・ローンという輸出補助金の制度と、もう一つ不足払いという制度でコメのダンピング輸出を始めた。これは一九八六年の数字ですが、アメリカの精米の生産価格は一トン当たり三六五ドルなんです。ところがアメリカは先の二つの制度で一トン一一〇ドルに引き下げて輸出した。アメリカ政府の補助金は生産価格の三分の二です。手厚い補助金でコメの国際価格を安くしているわけです。  そこで、いえることは、アメリカのコメは決して安くないということ。アメリカ政府がコメを売りたがっているのは、日本あたりにコメをドンと買わせ、そういうルートができれば補助金を払わなくてすむと計算しているからです。つまりアメリカはコメを買おうという国に、いま出している補助金を肩代わりさせようとしているんです。そうすると、アメリカのコメは早晩国際価格の三倍にハネ上がると思います。円安の動きもあります。なんのことはない、結局日本人が買うのは、日本の国内でとれるコメと同じ値段でアメリカのコメを買うということになりそうです。 土つくりの傑作——一枚の水田はダビンチの絵に相当  さて——。アメリカがいつも持ち出す議論に「日本にとってコメがそんなに大事なら、オレたちには自動車が大事だ。お前たちの自動車をオレたちが大量に買い込んで、お前たちのコメにあたる自動車の産業がいま、こんなに落ち込んでしまったじゃないか」というのがある。しかし、自動車とコメは違うんです。自動車がなくても生きられますけれども、コメがないとこまる。主食ですから生きていけない……。自動車は腐らないがコメは腐ります。自動車は天候に左右されないけれど、コメは左右される。自動車は工場をふやせばいくらでも生産をふやすことができるが、コメは基本的に一年に一回しかとれない。工業製品と農業生産品とをごっちゃにしてはいけないのです。  都会の人は土さえあれば農作物は育つと簡単に考えますが、普通の土ではダメなんです。七〇センチぐらい表土があって、微生物がたくさん住んでいて、そこにいろんな養分がある。そういう土で作物は生きている。土の養分を作物が吸い上げる。農民は何百年もかかってそういうりっぱな土をつくってきた。そして水田は土つくりの傑作の一つなのです。一枚の水田はおそらくダビンチの絵一枚に相当する。どちらも大事なものなんです。  ところで、アメリカでは、森や林を切り倒し大規模な農場にしています。一時期、農業はもうかるというので大商社が企業的農業に手をつけた。つまり企業的農業が、それまでの農民的農業を押しのけてしまった。代々つくってきた表土、微生物やミミズなどが生きている表土が風や雨によってどんどん流れ出している。風が吹けば表土が飛ぶ、寒さでも、土が凍って盛り上がって生きている土を壊します。アメリカの農業は土との関係で危ないことになっているんです。  またアメリカは、撒水《さんすい》農業で、地下水をくみあげてそれを撒《ま》いて農業しているわけですが、この地下水が目に見えて不足してきている。アメリカは自国のことを「世界のパン籠《かご》」と自賛していますけれど、これがいつまで続くのか。専門家は首をかしげています。こういうことを考えると、アメリカのコメに日本が少しでも依存するのはあぶなっかしい。常識的にいえば答えははっきりしていると思うんです。  世界のコメ市場というのは基本的に非常に不安定で品が薄いんです。世界のコメの生産高は四億五〇〇〇万トン。日本はたくさん作っているように見えますがじつは、その二パーセントちょっと、一〇〇〇万トンです。で、世界のコメの八七〜八九パーセントがアジア地域でとれていますが、中国がその三分の一をつくっており、次がインド。コメはアジアの主食であってあんまり国際市場には出てこない。市場に出てくるのは総生産高の三、四パーセントですね。品が薄いのでちょっとした動きで価格に変動がおきる。一九七二年、それから七九年、八七年と、七、八年おきにコメが暴騰しているんです。生産量がほんの二、三パーセントの減少なのに七二年は三七〇パーセントも上がっている。五倍近い値上がりです。七九年から八一年は一・五倍に上がった。五〇パーセントですね。八七年も五〇パーセントぐらいあがっています。  しかも、いままでの経験則でいいますと七年周期で、アジアは旱魃《かんばつ》に襲われているんです。七年ごとに国際価格が四倍ぐらいポーンとあがる、そういう危ないものを輸入にまかせていていいのかどうか。代表的な投機商品であるコメだからこそ、輸入に依存するのは危険なんです。ちなみに小麦その他の穀物は、生産高の一〇〜二五パーセントが市場に出てきます。つまり品が厚いので値動きの幅がせまいのです。  農業には、工業とは違う面があるんですね。農作物をつくることで、その国にさまざまな利益を発生させます。日本の場合でいいますと水田のもっているダム効果。日本は山国で急傾斜地が多いから、水田とか森、林などがなかったら洪水で大変なことになります。こういう洪水を起こさないため、改めてダムなどの装置をつくるとしたら、三、四〇兆円もの金が必要でしょう。日本の農家というのはコメをつくりながら、実は国土保全という大変大事な仕事をタダでやっているんです。  農業は結局緑をつくる仕事ですから、人びとの心をなごませる風景をつくり、きれいな空気をうみだす。ところが外国から農産物を輸入しますと、そういうダム効果、その他の効果は期待できなくなる。これが困るんですね。 「一粒のコメも輸入しないのは世界に通用しない……」などという発言が選挙前、物議をかもしたようですが、じつは日本はもうコメを五万三〇〇〇トンくらい輸入しています。一粒も入っていないどころか、外航船の船員が寄港先で買うコメとか、ピラフやいか飯などコメ調整品という形で、水田面積にして一万ヘクタール分、日本の総生産量の〇・五パーセントぐらいはもう入っている。この〇・五パーセントという数字、ガットでも認められている各国の輸入制限品目のパーセントと比べると興味深いですね。 ビクビクすることはない。彼らは押し売り同然なのだ  アメリカですとバターは自分のところで作っていますから、これは〇・六パーセントしか輸入品を認めていない。脱脂粉乳は〇・三パーセントしか輸入を認めていない。牛肉、これは、やいのやいのといわれて九・四パーセントですね。落花生などは〇・〇七パーセントしか輸入を認めていないわけです。小麦は二・三パーセントです。  それからECはバターが五・一パーセント。しかし脱脂粉乳は認めていない。牛肉は五・三パーセントですね。小麦は四・七パーセント、大麦は〇・二パーセントで、豚肉が〇・九パーセント……。アメリカもECもこれ以上輸入できない、というものを持っていますし、ガットはそれを認めています。  ガットの基本精神は、その国の大事な農産物で、しかも政府が行政的に指導し、流通も政府がかんでいる、そういう基本的なものについては、ほかの国はそれを押しのけてその国に同じものを輸入させてはいけない、ということなのです。だから、日本はなにもビクビクすることはない。ガットの精神を生かして、大事な食糧でその国で十分とれる場合は無理強いしちゃいけないこと、日本の場合コメがとれすぎて減反していること、そこへ売りこむのは押し売り同然だということをきちんというべきです。  ぼくは、ちゃんとしたコメを安定した値段で食べたいですね。ぜいたくはしたくない。しかし食べ物だけは、自分のまわりでとれた素性のよいものを、きちっとたべたいという人はいっぱいいます。日本人に適《あ》った質のよい食生活。それを手に入れるには日本の農業を潰してはいけないと思います。そして同じことを世界各国がそれぞれ実行しています。それなのに日本は……。ときどき絶望的になりますね。  工業国家としての日本は不透明感が出てきています。『日はまた沈む』という本が売れているというのも、みんな何かを感じているからだと思うんです。このままいけるのかという不安、こんな国づくりをして、いつまでもつのか、という不安がある。日本全体が工場のようになってしまった。日本の風景は荒れ果てています。企業は富み栄えているが、国民の多数は、そんなには豊かでもない。そこへいま、日本でものをつくるより外国から買った方がいいと称して、国土保全の最後の安全弁を外そうとしている。また外国でつくった方がいいといって出ていく会社があとをたたない……。経団連なんぞに愛国心なんていってもらいたくない。郷土を愛せとか、国を愛せとか、人を愛せなんかいってもらいたくない。あの人たちは、もうけるためなら日本がどうなろうと構わないという人たちですから。  仮に貿易摩擦があったとします。コメを全部アメリカから輸入することにします。それでも、トヨタの対米輸出額の五分の二か、その程度の額にしかなりませんよ。しかも日本の貿易の黒字をだしているのは、上位三〇社くらいでしょう。三〇の大企業のためになぜわれわれはこの水田を、農村を失わなければいけないのか。これはじつにバカバカしい話です。 工業国はどこもしっかりした農業国だという大鉄則が  日本人というのは、コメとともにいっしょに歩いてきた民族です。日本人が一年にたべるコメは一石といわれていて、鎌倉時代は一二〇〇万石くらいしかとれなかった。だからだいたい一二〇〇万人くらいしかいなかったんです。江戸時代に、必死で荒地を開墾して新田をふやして三〇〇〇万石くらいになり、人口も三〇〇〇万人にふえていった。日本では、コメがとれればそれだけ多くの人が生きられる、コメのとれ高がふえれば人口がふえ、コメがとれなくなると人口が減る、こういうことをくりかえしてきたんです。ぼくらの遺伝子のなかに、祖先の血とか汗とか涙が全部刷りこまれているんです。だから財界人のように「ハイ、コメ輸入結構です」とはいかない。  農家のおじいさんに聞いたんですが、日の当たらない谷間でもコメつくらなきゃあと、つくったところ、妙に強い稲がある。冷たい水の落ち口に五、六本、しっかり立っている稲がある。「これだ」と思って、それをそっくりとっておいて、次の年もその冷たいところに植えておくと、それが六〇本くらいになる。次の年はそれが一枚の田んぼになっていく……。そうやって、寒さに強い品種をみつけ、北へ北へ稲がのぼっていった。何千年も前から祖先たちは、ずうっとそうやって、考えて、苦労して日本のコメと土と緑をつくってきた。ぼくらの祖先はすごい力を持っていたんです。そしてそれはすごいドラマだった。それを、われわれの年代で、ポイと捨てていいか……。  いずれにせよ、工業国はどこもちゃんとした農業国であるという大鉄則があります。アメリカもEC諸国もこれをちゃんと承知して国づくりをしている。この鉄則をしっかり頭に叩《たた》き込む秋《とき》がきたようですね。 (「赤旗」一九九〇年四月八日)   コメの話    1 コメの話  これから何回かにわたってコメの話をするにあたり読者のみなさんにどうしても気づいていただきたいことがあるのです。読者のみなさんの聡明な心に訴えたいことがあるのです。それはこの国を自分の思うがままに操って、自分たちだけで甘い汁を吸おうと企んでいる人たちが、小説やテレビドラマの中にだけではなく、現実にもちゃんといるということ、そしてその人たちはマスコミをじつにうまく使うということ、このことにしっかり気づいていただきたいのです。そうでないとコメの問題はなにひとつ解けやしません。  その人たちは「困ったなあ」ということがおきると、もっとくわしくは、自分たちがやりすぎ儲《もう》けすぎてほかから苦情をいわれて困り果てると責任逃れのために、国内のある問題に目をつけます。またその人たちは「もっと儲けたいなあ」と思うと、やはり国内のある問題に目をつけます。さてその次はマスコミを焚きつけて、その問題のマイナス面ばかりを問題にして世論をもりあげます。マスコミは半分無知で半分純情、国民も半分無責任で半分純真、間もなく「そんなものはなくなってもいいじゃないか」という世論ができあがってしまいます。そこでその人たちは悠々と責任逃れに成功します。あるいは仲間で儲け口のまわりにむらがってたっぷりと甘い汁を吸うのです。まったく単純な図式です。でも、この仕掛けは何度やってもうまく行くのですから、その人たちにとってはこたえられないでしょう。逆にそんなことにいつもまんまと引っかけられているわたしどもは、純情だの純真だのを通りこしてほとんど馬鹿といっていいでしょう。  その人たちの愛用する図式を、ここ二〇年間の出来事にあてはめてみると、わたしがなにを言っているかが、おわかりいただけるでしょう。たとえば「赤字国鉄」というキャンペーンがそうでした。りっぱな国営鉄道をもっているところはどこでも赤字です。警察や消防や公立の小・中学校の黒字経営があり得ないのと同じように国営鉄道が黒字になることもあり得ない。それなのに、やれ赤字だ、やれ親方日の丸だ、やれ国鉄労働者はサボっているといった話題づくりが行われ、幇間《たいこもち》学者も重箱の隅を楊枝でほじくり出すような揚げ足とり。その人たちの計略は図に当たって世論はすっかり、「国鉄はいらないもの」と思いこみました。その結果、国鉄は分割され、民営となった。でも、東京二三区の広さをもつ旧国鉄用地が最後にだれのものになるのか、よく見ていてください。かならずその人たちのものになりますから。現にその人たちの私有物になっているところがたくさんあるのです。  老人医療費の切り下げも同じ図式にそって展開されました。まずはじめにどこからか、「病院の待合室で老人が暇つぶししている」「老人連中は風邪を引いたぐらいでも病院にかかる」という噂《うわさ》が流されてきました。住宅事情がひどくて家にいても気が晴れない、またたとえばオーストラリアのように町中のあちこちに芝生《ローン》ボウリング場があってそこへ行けば仲間とたのしく時間のすごせる施設があるわけでもない、それどころかましな公園ひとつないこの国で仲間と会うには病院の待合室ぐらいしかないのにこの中傷やかげ口。しかしマスコミが書き立てるとやはりそれなりの世論は形成され、そのあとおしでその人たちは老人医療費を削ることに成功する。いま話題の遷都論《せんとろん》にしても図式は同じじゃないでしょうか。「東京はもうどうにもならない」「金融機能や経済機能は残して政治機関や学術機関は地方に分散した方がいい」とマスコミに騒がせておいて、世論がそう言っているのだから仕方がないといった表情で、たとえば霞が関官庁街をそっくり他へ移す。さあ、都内の超一級地が空《あ》きました。都民のために跡地は公園にしましょう——なんてことは決しておこらない。この場合もその人たちが格安の値段で払い下げをうけ、そこを儲け口にして甘い汁を吸うということになるでしょう。——このように近ごろおこっていることはほとんど、国有の(ということは、国民の)財産の、その人たちによる山分け作業なのです。あるいは、その人たちが厄介だなと思っていることの切り捨てなのです。  コメの、農業の切り捨てもやはり同じ図式で展開しています。「外国米はうまい」「食料は世界的に余っている」「ひきかえ日本の農産物やコメは高い」「農業を保護しすぎている」「日本のコメにも市場原理をあてはめないといけない」「やる気のある専業農家に、やる気のない兼業農家の農地を耕作させよ。そうすれば生産性があがって日本のコメにも国際競争力がつく」「これからの世界は国際自由貿易を営むことで維持されるべきだ。日本は工業に専心し、安い食料を輸入すればよい」……。こういった話題でマスコミがにぎわっていますが、これらはすべて間違いです。どこがどう間違っているかは、今後、この欄でひとつひとつ指摘してゆくつもりです。そこで前もってお願いしておきますが、この「コメの話」が完結するまではどうかマスコミの論調を眉《まゆ》に唾《つば》つけて聞くようにしていただきたい。その人たちお抱えの御用学者や幇間評論家の御託宣を信じ込まないでいただきたい。  ところで「日本のコメは高くてどうにもならない」と言われ出したのはいつごろからでしょうか。この噂が本格化したのは二年前昭和六一年(一九八六)の春でした。もっと具体的には、東京サミットの前、例の『前川レポート』がつくられたころ。ごぞんじのように『前川レポート』とは中曾根前首相の私的研究会「国際協調のための経済構造調整研究会」が出した報告書のことで、座長の前川春雄前日銀総裁の名前をとってそう呼ばれているのですが、「東京サミットでは必ず日本の膨大な貿易黒字が各国からの攻撃にさらされる、それにどう対処するか、これからの日本の経済運営の基本を体系化しなければならない」という切羽詰まった動機からつくられたもの、いわば日本の経済政策の基本設計文書です。この文書がおどろくべきことに国会で審議されず、それどころか自民党内でさえ討議されず、東京サミットに持ち出されました。しかしほかの国からみれば、これはもう堂々たる国際公約。そこでアメリカあたりがこの『前川レポート』を盾に取って現在コメの自由化をしつっこく迫っているわけです。なにしろこの文書には、これからの日本は大幅な経常収支黒字の「危機的状況」から大転換して輸入大国化しなければならないが、そのために日本は貯蓄優遇税制の見直しや農産物の輸入増大を推進するなどと書いてあり、それを中曾根氏は勝手に世界に公約してしまったのです。ここまで国会=民意を無視するとはいい度胸ですが、その二カ月後の衆参両院同時選挙でわたしたちは、そういうC調な人物を党首にいただく自民党を圧勝させてしまいました。ほんとうにわたしたちときたら、どこまで人がいいのかわかりません。とまあそういう次第で、「その人たち」とは、自分たちの出した「危機的状況」を、農業切り捨てで言い逃れようとしているこの国の産業界や大企業のトップたちのことです。そして政治家はその三下奴《さんしたやつこ》、その手先。このことを頭に入れておくとコメの問題を解くのは何の造作もありません。    2 アメリカのコメ〓  日本人は外圧に滅法ヨワイという噂があります。外国からブラッフィング(脅し)をかけられると、ぼやきながらもアチラの言うことをきいてしまうという気の弱いところがあるらしい。たしかにそういう哀しい癖があるのかもしれませんね。一〇〇要求したければまず二〇〇吹っかけるというブラッフィングが欧米流外交の基本テクニックだと知っていながら、そのときになるともうどうにもならない。とくに相手が自分より強いとみると、反論すべきは反論するという外交術のABCを忘れて、必要以上にへりくだり、相手の無理な註文にずるずると嵌《はま》ってしまうところがある。長いものには巻かれろだの、泣く子と地頭には勝てぬだのという諺《ことわざ》を重宝してきたせいで、そんな癖がついたのでしょうか。この先、何十年かかろうとも、自分の意見をちゃんと持ち、それをおごらず、またへりくだらず、静かに微笑しながら主張し、相手の主張にもよく耳を貸して、自分の意見に改めるべきところがあれば改め、同じことを相手にも要求する、そういう温和だが勁《つよ》い国民になるよう修業せねばならないでしょうが、それはとにかくとして、いまとても口惜しいのは、「日本人は外圧に滅法ヨワイ」というのを巧妙に使ってコメの自由化を目論《もくろ》んでいるのが、同じ日本人だという事実で、味方から背中にズドンと一発、鉄砲玉をうたれたぐらい口惜しい。  コメは日本農業の根幹です。国内で丁寧に議論を積み重ねて、必要とあれば総選挙なり国民投票なりで民意を問い、その上で「自分の意見」をちゃんと持って相手と交渉するのが作法でしょう。ところがどうです、私どものおエラ方のやり口は。前回でもふれたように、総理大臣の私的な研究会の報告にすぎない『前川レポート』を、この国の基本政策に仕立てあげ、日本農業を、自動車や家電機器や半導体などの集中豪雨的な輸出が引き起こした貿易摩擦を解消するための犠牲の小羊に祭りあげてしまった。『前川レポート』を国際公約と信じて、諸外国は「約束を守れ」と外圧をかけてくる。私どものおエラ方は、口では「困った、困った」とぼやきながら、肚《はら》の底では「アメリカさんがもっと強く出てくれれば、日本人なんてひとたまりもないんだが」と考えているようなのです。  外国《ひ と》を使って、自分たちの利益のために民意もきかず自国の根幹を切り捨ててしまおうというその狡《ずる》さには反吐《へど》が出る。卑劣なんです、あの方々は。  あの方々の目論見どおりコメをアメリカから買い入れるとして、筆者などに気にかかるのは例の『輸出管理法』(The Export Administration Act of 1969)です。というのもこの法律の中に次のような規定があるからで、それに曰《いわ》く、《……外交目的の遂行と国際責任の充足のため、農産物の輸出制限が必要であると大統領が決定したとき、また輸出制限が国の安全保障のために緊要であるときは、輸出制限措置がとられ得る》。  あれは今から一五年前の昭和四八年(一九七三)六月、ニクソン大統領が日本に対する大豆の輸出を禁止、そのために輸入大豆の九八パーセントまでをアメリカから買っていた日本は大騒ぎになりました。輸出禁止の理由はこうでした。「世界的規模の食糧危機下にあるいま、輸出より大切なのはアメリカ国民の食生活の安定とインフレの防止である。よってしばらくのあいだ、大豆の輸出禁止措置をとる」  現在、わが国は農産物の全輸入量の四〇パーセントをアメリカに仰いでいます(ちなみに第二位はオーストラリアで、そのシェアはぐんとさがって一〇パーセント)。これ以上、食料をアメリカにたよっていいものかしらん。これ以上たよると、それは物量的依存をはるかに超えて制度的依存になってしまうのではないか。制度的依存とは、つまり日本国がアメリカ合州国の準州になってしまうことです。もとより筆者はアメリカが好きです。がしかしアメリカ人になるのは真ッ平。国家を飛び越して地球人になれというのならまた話は別ですが。 「すこしぐらいならアメリカからコメを買い入れてもいいじゃないか」という大人の意見があることも知らないじゃありません。たとえばアメリカ大使館のワーズワース農務参事官は、「よその国が、日本のコメ需要を一〇〇パーセント満足させるのは不可能です。アメリカだって、一番いい状態でも一〇〇万トン以上は供給できません。今すぐなら、せいぜい三〇万トンぐらいでしょう。これは、日本の消費量の三パーセントにすぎません」('88・3・15「朝日新聞」)とおっしゃる。がしかしわたしたちはすでに「ニクソン戦略」を知ってしまっていますから、「三〇万トンぐらいなら買いましょうか」とはとてもいえません。ニクソン戦略というのは当時、食糧を戦略物資として使おうという政策を打ち出した委員会が考えた作戦で、  ㈰安い価格や好条件の融資などをエサにアメリカの農産物に海外諸国の目を引きつける。 ㈪エサに喰いついてきたら「自由貿易」の名のもとに、相手国の関税をやめさせるなどして輸出しやすくする。 ㈫海外諸国がアメリカにすっかり依存したところを見計らって、作付制限を行い、不足状況をつくり出し、価格を引き上げる。  という具合に三つの段階から成り立っています。この委員会の長は世界一の穀物メジャーであるカーギル社の副社長でした。ニクソンはいなくなりましたが、カーギル社は健在です。したがって右のシナリオもまた健在でしょう。そんなところへ主食までまかせるなんて、とてもできるものじゃありません。  だいたいがアメリカの農業はボロボロなのです。アチラのはビジネス優先の農業、規模拡大で防風林をつぶすやら、土止めはこわすやらで表土の流失がいちじるしい。アメリカの土壌保全局の調べでは、たとえばトウモロコシを一トン収穫すると六トンの表土が雨だの風だので流れてしまうとのこと、これはずいぶん重症です。水についても同じことでもうすでに地下水の四分の一が失われてしまいました。アメリカの農業は、何千年もかけて徐々に貯った地下水を汲み上げて撒《ま》く撒水《さんすい》農業なので、地下水の水位が下がればその分だけお金がかかる。先行きが案じられます。——とはお愛想で言ってみただけ、じつは身から出た錆、七〇年代に「世界のパン籠《かご》になってやろう」などと、食糧による覇権を夢みて大農法を大々農法に切換えビジネス農業に狂ったツケがいま届いただけの話、きっといつかふれる機会があると思いますが、工業とちがって農業はビジネスには成り得ません。そもそも農業を工業と同じレベルで論じようとするのがまちがい。あえて言えば、バカだけがそんなアホなことを考える。もちろんこんなことを言い放しにしておくと名誉毀損で訴えられるでしょうから、このことについては後日しっかりと論ずるつもりです。ときにアメリカの農業が一九二〇年〜三〇年代の大恐慌以来の大不況の真ッ只中にあることはいまや周知の事実ですが、それは補助金にもあらわれています。アメリカ政府は八六年度のコメの生産額にたいしてなんと七六・五パーセントの補助金を出しています(八七年五月一二日参議院予算委での後藤食糧庁長官の答弁)。ちなみに同年度の日本の補助金は一八パーセントです。「アメリカのコメは安い。日本の五分の一も安価」と言い立てる訳知りがいますが、じつはその安さはこの途方もない補助金のおかげ。アメリカのコメは補助金という下駄をはいていたのです。こういう初歩的な数字も知らず、単に現行のコメの値段だけを比較して、「日本のコメも、アメリカのコメのように国際競争力をもたないといけない」などと御託宣をのたまう識者がいるのですから不思議を通りこして笑止千万です。アメリカのコメにも国際競争力はないのです。いわば補助金漬けのコメづくり。もしもわたしたちがコメづくりをやめて、アメリカにたよるということになれば、七六・五パーセントの補助金がそのまま値段に組み込まれるのは確実です。つまり買い手の日本人がアメリカ政府の肩代りをするわけ、そこへやがてニクソン戦略が加わって、結局のところ、コメの値段はいまとそう変らないということになるでしょう。これでは「美田」を手放しただけこっちの損。    3 アメリカのコメ〓  相模女子大学の古沢広祐《こうゆう》さんのリポートによれば、アメリカの農業不況はすこぶる深刻、一日に一〇〇戸から二〇〇戸の農家が潰れています。「なーんだ、それっぽっち」などといってはいけないので、アメリカの農家の規模は平均で日本の一五〇倍もある。近隣で四、五戸も農家が潰れるとたちまち破産の連鎖反応、農機具店、金物店、ガソリンスタンド、そして地方銀行が軒なみバタバタ将棋倒し。自殺がふえ、離婚は日常茶飯事、借金が返せず困り果て督促にきた銀行員を射殺し、自分も銃口をくわえて死ぬという事件がおこったりもしています。アメリカの農業は、農産物の加工——輸送——輸出という形で全米労働人口の二二パーセントに職場を提供してきました。ですからこんな格言風のことばがあるぐらいです。すなわち「農民が金持ちになれば実業家も金持ちになり、農民が飢えれば実業家も飢える」。この不況で各地で地域社会が崩壊、中西部などではあちこちの町に農村貧民窟《ルーラル・ゲツトー》が出現しはじめました。実業家が飢えることはアメリカが飢えることでもあります。日本に自由化を迫るアメリカ政府のあのドの字つきの迫力も、右のような事情を知れば「なるほど」と納得が行きます。  しかしそれにしてもなぜ世界の優等生にして日本の農業近代化のお手本とされてきたアメリカ農業がそこまで追い込まれてしまったのでしょうか。発端は七〇年代はじめの食糧危機でした。ソ連が穀物を大量に買い付けるなどしてその価格がぐんとはねあがりました。たとえば七二年八月、米国各地の小麦価格は一ブッシェル(穀物の単位、小麦では六〇ポンド)、一・六八ドルでした。それが七三年には二倍以上の三・七五ドルに急上昇、ソ連の買付が終るころには四ドル台に突入、アッという間に三倍近くも値上がりしてしまったのです(「カンザス州農業資料集」八六年刊による)。「食用穀物は儲かる」というのでアメリカ政府は農産物を〈輸出戦略品目〉に据え、生産制限を撤廃しました。例の「ニクソン戦略」ができたのもこのころのことです。農民も規模拡大に血眼《ちまなこ》になりました。高騰《こうとう》する農地を担保に巨額の金を借りて、さらに耕地をひろげ新しい機械を導入しました。そこへ穀物メジャーが参加してきます。儲かるところにきっと姿を現わすのが「現代の禿鷹《はげたか》」と異名をとるこの穀物メジャー、野放図に地下水を汲み上げ、盛大に農薬を撒き散らした。その結果はどうなったか。アメリカ農務省資料(Economic Indicators of the Farm Sector 1981)をみてみると、八〇年から八一年にかけて、アメリカの全農家数の一パーセントにしかならない巨大農場(年間販売額五〇万ドル以上をいう)が、全農業所得の六六パーセントを占めてしまいました。中農場や小農場も利益をあげたけれど、巨大農場はそれ以上の利益を出した。たとえば、中小農場が七〇年代中期の三年間に所得を二〇パーセントのばしたのに対し、巨大農場は二三〇パーセントの高成長。だがしかし望月《もちづき》はいつかは欠けるのが世のならい、供給がふえれば価格はさがり、収入は伸び悩む。高い金利と機械の月賦がじわじわと首をしめはじめた。しかもそこへ泣きッ面に蜂、途上国の追い上げがあります。コメを例にとればインドネシア、一億七〇〇〇万もの人口を抱えた、この世界最大のコメ輸入国が八四年に自給を達成、国連食糧農業機関(FAO)から「食糧自給の模範国」として表彰されたりする。同じくコメ輸入国だった韓国も自給をほぼ成しとげる。さらにタイが信じられないほどの低価格でコメを市場に提供しはじめた。なにしろタイの農民の年間平均所得は邦貨に換算して五万円前後というのですから、どこのコメだって太刀打ちできません。  このような次第で、八〇年代はじめまでは「世界のパン籠《かご》」とたたえられ、世界の主要穀物貿易量の半分を占有していたアメリカのシェアも今では三五・五パーセントにまで落ちてしまいました。——以上が一筆描きのアメリカ農業転落史です。こうしてみてくると、アメリカに農業不況を招き寄せた元凶の一つが当のアメリカの農業政策であることは判然としています。これに加えて、アメリカの輸出不振の一因となった高金利・ドル高政策、あるいは上得意客に肘鉄を喰わせた対ソ穀物禁輸政策などを勘定に入れれば、真犯人がアメリカ政府だということは明らか。ですからヤイター米通商代表などが「牛肉・オレンジの輸入制限はガット違反。三月以降は完全自由化あるのみ。日本との交渉の余地はない」('87・12・19)などと声高に言い放つのを聞いたりすると、筆者はつい「べらぼうめ」と呟いてしまいます。「アメリカ政府の失政の尻ぬぐいをなぜ日本がせにゃならんのだ。自分の尻の始末ぐらい自分でつけたらどうなんだ」と。  まったくもってアメリカ政府の身勝手さ加減は話になりません。どなたもごぞんじのように、アメリカはガットのウェーバー条項(自由化義務の免除)で、一四品目の農産物を輸入制限していますが、その中には日本に自由化を迫った一二品目のうち六品目が含まれているのです。ここのところは話があんまりバカバカしいのでよくおわかりにならないと思うから、ちょっとくわしく申し上げると、たとえば落花生。アメリカの輸入制限はきわめて厳格で日本なぞ問題になりません。アメリカの落花生の輸入量はその消費量のわずか〇・一パーセントなのです。これじゃ輸入禁止と同じことです。一方、アメリカは生産量の二三パーセントを輸出に回している。これに較べると日本は、たしかに「輸入制限」をしているとはいえ、落花生需要の六八パーセントを輸入しております。自分たちのほうは輸入禁止と同じことをしていながら、需要量の三分の二まで輸入している日本に向って、「閉鎖的」だの「世界から孤立している」だのと言い立てるのですから、これはもう泥棒に「ひとのものを盗《と》ってはいけない」と説教されているようなもの。アメリカ政府の要人たちはいったいどういう神経をしているのでしょうか。しかもこの落花生の図式はバターや牛乳にも当てはまる。これまた周知のように日本は世界一の農産物輸入国です。そればかりかその三分の一以上をアメリカから買っています。かつて一〇三もあった非自由化品目をここまで減らし、食糧自給率を三一パーセント(穀物)まで下げて、世界に門戸を広く開いてきました。にもかかわらずまたも無理をいうアメリカ。そしてこういうアメリカ政府の食糧戦略にわれわれの胃袋をそっくりまかせてしまおうという日本国のお偉方とそのタイコ持ち連中。まったく没義道《もぎどう》な人たちに国の舵取りを頼んでしまったものです。そうそう筆者はいま「日米諮問委員会最終報告書」(八四年九月)のことを思い出しました。レーガン氏とナカソネ氏がつくったこの委員会は最終報告書の中でこう提言しています。 《日本は将来、コメや麦、牛肉や酪農などの生産をアメリカにまかせて、国内では果樹、野菜、草花、鶏や豚などの小家畜をやればよい》  ナカソネ氏はこの提言の実行を閣議で指示し、以後はすべてがこのシナリオにのっとって展開しています。最終報告書のまとめられた時期にご注目いただきたい。八四年はアメリカの農業不況がはっきり現われだした時期に当たります。つまりナカソネ氏と自民党政府、そして財界のお偉方たちはそのとき、「アメリカの農業を救うために日本のコメを、農業を潰そう」と決めたのでした。むろん彼等にも「日本の工業を立ち行かせるために」という大義名分はあった。あったけれどもそれは免罪符にはならない。なぜ免罪符にならないかは追って述べますが、とにかく彼等はそのとき、この国の緑なす田園を売ったのです。その罪はこの国のつづくかぎり年表に記載されることになるでしょう。  ところで彼等のシナリオ通りことが進んだとして、アメリカの農業不況は克服されるでしょうか。別にいえばアメリカの農産物に国際競争力があるのか。次回はこのことを中心に考えてみることにします。    4 アメリカのコメ〓  この六月の初め、朝日新聞山形支局の加藤明記者が、「このところの農村は、ものすごい勢いで変わりつつあるようですよ」と前置きして、こんなことを教えてくれました。 「昨年につづいて生産者米価の引下げが当然のことのように言われているでしょう。そこで田んぼを売る農民が続出しています。一億円前後の負債を出して潰れてゆく農家もあります。一方では、こうやって売りに出された田んぼを買い集めて回る動きもあります」  これ以上、生産者米価が下ると経営が成り立たなくなる、労賃が出ないどころか持ち出しである、口惜しいがコメづくりを諦めるしかない、そこで命の次に大事にしていた田んぼを手放す決心をつける、そういう農家がふえてきたのでしょうか。  こんな動きがある一方、大都会では、一〇キロで一万円の新潟産、自然乾燥、有機質、無農薬のコシヒカリが、それこそ羽根でも生えたようによく売れています。この超銘柄米を農家は五五〇〇円で売り渡していますから、流通ルートの取り分は四五パーセント、四五〇〇円。政府米を原料にした標準米の流通マージン一三パーセントの、じつに三・四倍ということになります。  この二つの動きを睨んであれこれ思案すれば、なにか興味深いことが発見できそうですが、悪いことには「アメリカのコメ」の話がまだ片付いておりません。日本のコメの話は次回からとお約束して、話題をアメリカに戻すことにしましょう。  ところでここで日米のコメの生産費を較べてみたいと思います。資料(農水省米生産費調査)は一九八五年度のもの、三年前のものでちょっと古いかもしれませんが、これでも大事な親骨《おやぼね》は分るはずです。なお、金額は一〇アール当たりの円、円は一ドル=一六〇円で計算してあります。  まず種苗費《しゆびようひ》は、日本二八〇三円、アメリカ一四二一円で、日本はアメリカの二倍も高い。肥料代は一〇九六〇円対一九八六円で、日本が五倍以上も高い。農薬代も七五八〇円対一四六〇円で、日本が五倍。光熱動力費は四〇〇四円対二〇三一円で日本が二倍。水利費となると五八五〇円対四四八円で、なんと日本が一三倍も高いのです。——もう比較するのがいやになってきた。がしかし仕方がない、農機具代と地代だけでもくらべておくことにします。農機具代は一〇倍、地代は八倍も日本が高い。この結果が、コメ六〇キロ当たり二〇一〇三円対二二九九円という数字になってあらわれる。そこで日本のコメはアメリカの九倍近くも高くなってしまうのですが、さて、地形もちがえば気象条件もちがう日本とアメリカのコメづくりを単純に比較して、やれ、日本のコメは高いの、やれ、国際競争力がないのと騒ぎ立てるのは、もともとほとんど無意味な茶番です。このへんの事情がなかなか政財界のゴリッパな方々にわかってもらえないので往生しますが、たとえば自動車の生産台数が天候に左右されるでしょうか。テレビの生産台数が地形に左右されるでしょうか。左右されないからこそ国際比較も可能、国際競争力というコトバも意味をもつ。ところがコメづくりをはじめとする農業はその土地その土地の地形や天候に合せて行われる営みですから、国際競争力なんてまったく意味がありません。ただせっかくコメの生産費の比較をしたのですから、あえて先へ進むと、もしもコメづくり農業に国際競争力というコトバを持ち込みたいのであれば、種苗費も肥料代も農薬代も光熱動力費も水利費も農機具代も地代もすべて国際水準まで引き下げてもらいたい。ぶっ高い水利費まで農家のせいにされては、いくらなんでもお百姓さんが気の毒です。肥料や農機具にしても、国内価格よりはるかに安く海外へ輸出されています。  店子《たなこ》にべらぼうな家賃を押しつけている家主が、その店子をつかまえて、「おまえさんとこは生活費がかかりすぎるよ。よそをごらん、みんな節約して暮しているから」と説教しているようなもので、よそを引き合いに出したければ、まず自分の家作の家賃を世間の水準まで下げないと話のしようがありません。  ここへきてシカゴの先物取引所が大活況を呈しているようです。大豆をはじめ、トウモロコシ、小麦がほぼ棒上げの状態をつづけているせいです。穀物相場が一本調子にあげている最大の原因はアメリカの穀倉地帯の異常乾燥。なにしろ今年(一九八八年)になってからの降雨量はたったの二・五センチ、アメリカの穀倉はカラカラに干上がっています。雨がこのまま降らなければ、穀物に被害が出ます。もしそうなれば、たとえば大豆はこれまでの最高値だった一二ドル六〇セント(一ブッシェル当たり)を上回ることはたしか。最悪の場合は例の『輸出管理法』が発動され、アメリカ政府は「アメリカ国民の食生活の安定とインフレ防止のため、しばらくのあいだ、大豆は輸出禁止」という措置をとるかもしれない。対日オファー価格も去年の八月と較べると六〇パーセント以上も上昇しています('88・6・22「日経新聞」)。また、豆腐、納豆などに使う食品用IOM(インジアナ・オハイオ・ミシガン)大豆相場も、シカゴ相場に釣られて急騰し、東京・問屋仲間相場は一トン七万四〇〇〇円('88・6・21)と三年ぶりの高値水準になりました。もっというと、食品用IOM大豆相場は、この三カ月間に六〇パーセント前後も上げているのです。豆腐メーカーは、いま、懸命になって買付に走り回っています。アメリカの穀倉地帯にこのまま雨が降らないと、この夏の冷やっこはちょっと高くつくものになりそうな気配です。相手が大豆だからまだ澄ましていられますが、もしこれがコメだったら……。考えるだけでゾッとする。ところが、このコメがまたいささか不穏な雲行き。というのはほかでもない、昨年は世界各国でコメがあまりよくは稔らなかったのです。とりわけ東南アジアとインドとは大不作でした。たとえば一億七〇〇〇万の人口をかかえるインドネシアは、八四年に画期的なコメ自給を達成して国連食糧農業機関(FAO)から表彰されたばかりなのに、昨年の大旱魃《かんばつ》の影響で、今年はふたたびコメの輸入国になってしまうだろうといわれています。そしてこの東南アジアやインドの大不作のせいで、コメの国際価格は倍にはねあがってしまいました。  こうして見てくると、工業製品にしか通用しない「国際」という言葉を農作物に当てはめたりすると、世界各国の空模様に一喜一憂しなければならなくなるだろうことがよくわかります。——アメリカのコメのことを書くつもりが、つい筆が横に滑ってしまいました。そこで最後に、「日本とくらべて国際競争力は何倍も強い」と評判の、アメリカの真の実力を推理してみましょう。アメリカにはいくつもの農業団体がありますが、そのうちの五団体(アメリカ農民組合、アメリカ農民運動、農村有権者同盟、全国家族農場救済同盟、アメリカ農家機構)が連名で、「われわれは、アメリカ通商代表部の対決型のやり方に反対する」という決議を採択しました('88・2・24「朝日新聞」)。この五団体に全米の家族経営農家の約三分の二が含まれているといいますから、その決議はアメリカのごくフツーの農家の声と受けとってよいと思いますが、彼等は、「日本はアメリカ農産物輸出の最大のお客様。だからいまのままでいい。いまの市場占有率で、われわれ家族農家は大きな利益をうけている。これ以上、日本の自由化が進むと、われわれは不利になる」と言っています。つまり、日本が完全に自由化されると、コメと鶏肉はタイ国に、牛肉はオーストラリア、トウモロコシは中国に負けてしまうと叫んでいるのです。どうやらアメリカの農民も「国際競争力」という面妖な言葉を押しつけられて困り果てているようですね。日本とくらべ段ちがいに生産コストが安く、さらに日本の三・七倍も多く補助金をもらっているアメリカの農業でさえ、こんな様子なのですから、「国際競争力」という言葉ぐらいあてにならないものはありません。すくなくとも農業をこの角度から切ると、あとでくやむことになるはずです。    5 アメリカのコメ〓  アメリカの経済学者ジョン・K・ガルブレイス(一九〇八— )に『回想録』(TBSブリタニカ)というむやみやたらにおもしろい書物があります。松田銑《せん》さんの訳文もすばらしく、部厚い本なのにアッという間に読み終えてしまいました。ガルブレイスが最初に学んだ大学はカナダのオンタリオ農業大学ですが、一九三〇年の夏、彼は大学から、オンタリオ州の小作農の実態を調査せよという命令を受け、自動車をあてがわれて田園地帯を旅して回ることになります。オンタリオ州は、ガルブレイスによると、《カナダを母とすれば、(アメリカの)ミシガンは情婦》のようなところ、ほとんどアメリカであるといっていいと思いますが、さてガルブレイスはそのオンタリオの田園地帯で、こんな体験をすることになります。 《(私は)田園地帯を旅し、小作農を探して、小作契約の取決め、地代額その他彼らの困っている問題を聞いて回った。しかし小作人はなかなか見つからなかった。どこでも地価が非常に低いので、どんな貧乏人でも土地を買えたからである》  今度は、今年(一九八八年)の七月のアメリカはミシシッピ州の地方新聞を見て仰天した話。その新聞は友人がお土産がわりに持ってきてくれたのですが、飛行場つきの分譲住宅の広告に胆を潰しました。自家用小型機のための飛行場がついて九万ドルというのですから、日本人としてはその地価の安さにただ溜息が出るばかり。九万ドルを日本円に換算するといくらになるか、簡単な掛け算ですぐ答えが出ますが、そんなことをすればもっと溜息が出るにちがいないので、計算はやめておきましょう。  もう一つ、かつて筆者が一年ばかり住んでいたオーストラリアの例ですが、シドニー市郊外の敷地二〇〇坪の分譲住宅の値段が邦貨にして一二〇〇万円。購入資金は全額、政府が貸してくれます。購入者は三〇年かかってコツコツと政府に返済してゆけばよろしい。  がしかしいくら羨しがったところで、オンタリオの農地も飛行場つきの分譲住宅もシドニー郊外の煉瓦造りの美しい家も高嶺《たかね》の花です。土地空間は輸入できないのだから仕方がない。土地空間の価格は、そこに生れ育ち、そしてそこで生き、老いて死ぬ人びとが智恵をしぼって解決するしか方法がありません。  土地空間と同じように他国から輸入できないものは、日本ではみな高いようで、その価格をアメリカのそれと較べてみると、 ●サービス料金は約二倍 ●電力料金も約二倍 ●住居費は三倍から四倍 ●食料費は約三倍 ●平均地価は一〇〇倍 ●農地は五〇倍  くどいようですが、いずれも日本が高い。そして前回で詳説したように、農家が使う生産財の高さは世界一です。こういったことが団子になってコメの値段を押し上げているのです。  ところで冷静になって考えてみるに、日本のコメは、たとえアメリカの何倍したところで、本当に高いものなのでしょうか。これは昭和六〇年の数字ですが、勤労者世帯(平均三・八人)が払う一日のコメ代はわずかの二〇四円! そのコメを「高い」、「水田をつぶしてもいいからよそから買おう」という神経はどこか狂っているのではないか。  アメリカのコメは日本の国土の治水に役立ちませんが、日本のコメは米作地帯のダムの役を果しています。岩手大学農学部の試算によれば、東北地方の水田のダム効果は二〇兆円とのことです。コメは東北地方だけで二〇兆円もこっそり稼いでくれているのですね。また、アメリカのコメは日本の大小の企業から機械や肥料を買い入れてくれるでしょうか。世界でもっとも高い機械や肥料など、アメリカといわずどこのどんな国でもおことわりでしょうが、日本のコメは——仕方なしにではあるけれど——ちゃんと買ってくれます。すなわち日本のコメは、日本の数多くの企業を、そしてそこで働く人たちを潤してくれているのです。ついでに言えば日本のコメのおかげで地方の土建業をはじめ関連産業がどれほど助かっているかしれません。こうしてここでも日本のコメはこっそりと大きな仕事をしているのです。御用学者や幇間《たいこもち》評論家は「それにしても過保護だ!」と主人への忠義《ごますり》がよほど大切らしく臆病犬のように声高に吠え立てていますが、公平な読者よ、次の数字をよくごらんになってください。今村奈良臣《ならおみ》東大教授の『国際化時代の日本農業』(農山漁村文化協会刊)によれば、 《農家一戸当たりの農業予算額をみると、この年(一九八五年)の為替レートで日本円になおして、アメリカは実に五五六万円、イギリスが三一〇万円、フランスが二七一万円、西ドイツが一六三万円になっています。アメリカやイギリスは一経営の規模が大きいということもありますが、日本の六一万円に比べると六倍から一〇倍にも達しています。アメリカでも二二〇余万戸の農家のうち三分の二は兼業農家ですから、農家らしい農家をとりだせば一戸当たり予算額はさらに増え、一〇〇〇万円を超えるでしょうし、農業生産額の四分の三近くを占める上位一割強の大規模農家だけをとりだせば一戸当たり数千万円ということになります》(傍点井上)  農業予算はそっくり農家のフトコロに入るわけではないのです。農家のために使われる金は先進国(?)では最も少なく、ほとんどが関連の大小企業へと流れ、結局は日本全土を潤している。正確を期しますと、農家へは農業予算の二割しか渡りません。農地がアメリカの五〇倍も高いのに、補助の方はアメリカの九分の一でやっている日本のコメ。過保護どころじゃない、よくやっているとほめたたえてしかるべきでしょう。  さらにまた、アメリカのコメは、日本の田園をあのしたたるような緑でみごとに染め上げてくれるでしょうか。アメリカのコメは日本の空気を新鮮にしてくれますか、日本の生態系を守ってくれますか。ことわるまでもなく、アメリカのコメがそんなことをしてくれるはずはありません。こういった、目にはつかないがとても大きな仕事をしてくれるのは、それぞれの国の農業です。日本の事情にそくして言えばコメなのです。ヨーロッパの国々では農産物のことを「緑の石油」というのだと重富健一東洋大教授から教わりましたが、たしかに日本以外の先進諸国はそのことをよく知っているようです。  とにかくこれだけの黒子役をつとめてくれているのに、その費用は一世帯で一日二〇四円。それでも高いというなら、もう勝手にしろ、であります。  本誌(「バッカス」)前号の特集「日本人はこんなに危険なモノを食べている!」を読んでゾーッとした拍子に、こんな話を思い出しました。アメリカでは亡くなった人に防腐剤を注入し、美しく死化粧をする習慣がありますが、最近は防腐剤の量が少なくてすむようになったそうです。つまり人びとが食べ物によって防腐剤を摂《と》ることが多くなってきたわけですね。古沢広祐さんによれば、 《野菜、果物、ナッツ(堅果類)の全生産量の三分の一をつくる米国第一の農業州カリフォルニアで(略)飲料水に使われている井戸二五五八カ所を調査した結果、その一七パーセントで農薬とくに殺虫剤の汚染が確認され、そのうち一〇九カ所は汚染がひどくて閉鎖もしくは浄化設備を必要とするレベルに達していたというのです(一九八五秋)。/その背景には、農薬の使用量が第二次大戦後一貫してふえつづけているという問題があります。一九四五年当時からくらべると殺虫剤の使用量は単位面積あたり一〇倍へとふえているにもかかわらず、農産物の病虫害被害はかえって二倍にもふえ病虫害と殺虫剤とのいたちごっこがすすんでいることが判明しました。そしてその悪循環がついに飲料水(井戸水)を汚染するところまで達してしまったのです》(「都市貧民窟と農村貧民窟から世界の米情勢が視えてくる」・「現代農業」号外『コメの逆襲』所収)  日本の田畑も右と似たような状況にあるかもしれませんが、しかし田畑が手許にあるかぎり智恵を出し合って、このような悲しい事態から抜け出すこともできなくはない。わたしたちはコメを農業を手許においておかなくてはなりません。  なお、この「アメリカのコメ」を書くにあたって、古沢広祐さんの右掲論文を何度も使わせていただきました。心から感謝いたします。    6 農薬について〓  一九八八年七月から一〇月までの四カ月間に切り抜いた新聞記事を机の上に積みあげて整理しているうちに、おもしろいことに気がつきましたので、まずそのことから報告いたします。  最初の切り抜きは日本経済新聞の七月八日付朝刊に載ったもので、見出しは大きく、 《コメ過剰時代到来?》  記事の中にこうありました。 《稲の品質強化でよほどのことがない限り五年連続の豊作は間違いない。四十三—四十六年度、五十一—五十四年度に次ぐ「第三次コメ過剰」に突入するとの危機感も現実味を帯びてきた》  二枚目の切り抜きは朝日新聞の八月三〇日付朝刊で、こうです。 《……全国平均の作況指数は九九の「平年並み」。五十九年以降は「一〇八—一〇二」の四年続きの豊作だったので、今年は久しぶりの「平年並み」となる。(農林水産省の八月十五日現在の)作柄概況によると、今年は東日本の長梅雨・冷夏や日本近くでの台風多発など異常気象が続いたことなどで、作況が地方によってばらついている》  さて各地方別の作柄概況は以下の如し。  北海道 一〇五の「やや良」  東北 秋田の九九の「平年並み」を除いて各県九七—九五の「やや不良」  関東 九七の「やや不良」  北陸 「平年並み」  近畿 「平年並み」  九州 「やや良」  沖縄 九二の「不良」  ……ということで日経の予想「五年連続の豊作は間違いない」はみごとに外れてしまいました。異常気象という「よほどのこと」が起ってしまったのです。  三枚目の切り抜きは九月三〇日付の朝日の朝刊、《コメ、5年ぶり不作か》と四段抜きの見出しで、かなり大きな記事です。 《……東北が冷害となったことなどで、全国平均は九八の「やや不良」、このままなら五年ぶりの不作となる。昨年産まで、四年連続で豊作が続き「第三次コメ過剰」が心配されていたが、秋に入っても天候不順が続いている地域が多く、さらに作況指数が下がる可能性もあり、今年はとりあえず心配されているコメ過剰が避けられそう。……悪天候がさらにずれ込めば、これ以上在庫が減るわけで、今後のコメの売れ行きや、天候によっては一挙に適正在庫(一五〇万トン、井上註)の水準に戻るという見方も一部に出ている。今後の減反政策とも微妙にかかわるが、農水省は「減反計画については、今後検討するが、今のところ変更するつもりはない」としている》  四枚目の切り抜きは朝日の一〇月六日付朝刊です。 《米どころの東北が冷害に見舞われている。農水省がまとめた九月十五日現在のコメの作況指数は、全国平均が九八の「やや不良」に対し、東北は九一の「不良」。中でも良質米ササニシキの主産地、宮城県は八四、福島県が八六の「著しい不良」だ。天候不順は、なお続き、収穫時では五十五年を上回る大凶作となりそうだ》  そして特筆すべきは、 《打撃が大きかったのは専業農家だった》  という指摘です。 《宮城県古川市の専業農家の男性(五九)は、「委託耕作で規模拡大を図ったものの、反収は五俵(三百キロ)程度で、十アール当たり九万八千円の委託代金を払えば赤字」という》  ちなみに江戸元禄期は、反当たり一石五斗が上田《じようでん》の基準とされていました。右の記事の反当たり五俵は、石に直しておよそ一石八斗から二石といったところ。つまり今年の宮城県では、元禄期にちょっと毛の生えた程度の収穫にとどまったわけ。これだから大自然相手の仕事はむずかしい。日本経済新聞には何の恨みもありませんが、工場の中でモノをつくる仕事と大自然を相手にコメをつくる仕事とを混同するから、七月八日の時点でもまだ(この頃、異常気象の兆しはすでに見えていました)、「五年連続の豊作は間違いない」などという能天気な見方をしてしまうのです。  また財界お気に入りの「規模拡大して中核農家づくり」というスローガンも、日本の自然にそぐわないことが少しはっきりしてきました。結局は小農集約が日本には適《あ》うのです。もっともこのへんの議論に深入りしますと紙幅が足りなくなりそうなので、これについてはまた他日を期すことにして、今年は世界中が記録的な凶作に見舞われた年でした。とくにアメリカは今世紀最大の旱魃、そのために、  大豆は前年比二二・七パーセント減  トウモロコシは同三六・八パーセント減  小麦は同一四・〇パーセント減  が見込まれると米農務省が発表しました(九月一四日)。これを別の角度から見ると次のようになります。 「旱魃の被害はアメリカだけではなくカナダと中国にも発生している。このため、北米の穀物収穫高は例年の四分の一(八四〇〇万トン)減少し、アメリカに次ぐ第二の穀物生産国である中国でも例年の八分の一(三〇〇〇万トン)が失われようとしている。この結果、世界の穀物在庫高は今年末時点で、世界全体の消費量の五四日分となり、穀物価格が二倍以上に高騰した一九七三年の水準(五七日分)をも下回るだろう。これは今世紀最低の穀物在庫高である」  右は国連が資金の一部を出している民間調査機関ワールドウォッチ社の八月発行の機関誌に掲載されていた予測です。くどいようですが八月発表の予測です。一一月発行の機関誌にはどんな数字が載っていることやら。もっと悲劇的な数字になっていることはたしか、見るのが怖くて仕方がない。  ところで目先のことに気をとられてあくせくとその日暮しをしている私たちはついつい、世界の農産物は一五年周期で豊作から凶作へのめぐりを繰り返しているという大法則を忘れてしまっています。思うに、最近の食糧自由化論議は、「世界に食糧はあり余っている」ということを前提にたたかわされてきたのではないでしょうか。今年の世界的な異常気象が「世界的に食糧が不足しがちなときもある」ということを教えてくれるとしたら……。なんだか急にワールドウォッチ社の最新予測が読みたくなってきました。  さてこの秋、筆者は五回ほど、東北や北海道や北陸の農村に足をのばす機会に恵まれました。おそるべきことに、どこの農村でも「コメをつくっていては食えない。ひとつゴルフ場でもつくろうか」という声を聞きました。筆者はお節介なことながらすこし青くなりました。というのはゴルフ場の農薬汚染がすごいからで、ゴルファーが農薬漬けになるのは、これは好きでやっていらっしゃるのだから構わぬとして、全国一五〇〇のゴルフ場(総面積はなんと奈良県に匹敵〓)の芝生の維持管理のために撒布される除草剤、殺菌剤、殺虫剤の量がべらぼう。そしてこれらの農薬は流れ流れて水を台なしにしてしまうのです。——というわけでこれからしばらくのあいだ農薬について考えてみることにしましょう。    7 農薬について〓  曰く「農業を守ろう」、曰く「田園まさに荒れなんとす、農村をあの荒廃から救い出そう」、曰く「世界の農産物輸出市場を支配しているのはアメリカの穀物メジャーだ。食糧を戦略的武器として使われたら日本は飢えるぞ。そうならないためにも食糧の自給率を高めよう」、曰く「世界にはまだたくさんの飢餓が存在する。現に飢えている子どもたちがいる。札束をばらまいて世界中から食糧を買い漁《あさ》っている私たちは、そうすることで価格をつりあげ、飢餓をつくり出す片棒をかついでいるのではないか」、曰く「世界人口が爆発的に膨張しつつある。近い将来に必ず世界的な食糧危機が襲ってくる。いまからそれに備えておかないと……」、曰く「今の日本人の食生活は何であるか。美食と外食があるだけで、これが日本人の基本的な食卓であるという勁《つよ》いものが何もないではないか。コメのめし+味噌汁+漬物+塩魚という基本に戻るべきである。そうなれば自然に国内のコメや野菜や近海の魚を大切に思うようになる」、曰く「いまに天罰がくだるぞ」……。  これまで筆者は、その道の専門家や研究者の知恵や知見に導かれながら、右に並べ立てたようなことを書きもし、喋りもしてきました。とりわけコメについては、  ——水田にはダム効果があって、洪水を未然に防いでくれている。  ——水田はきれいな水をつくる。その水は先端産業に不可欠のものである。  ——水田は緑を保持し、きれいな空気をつくる。  ——農村は巨大な人口調節装置である。都市が人手(兵士、女工、女郎、労働者)を必要とすればすなおに供給し、都市が破産すれば大人しく人びと(疎開者、外地からの引揚者)を迎え入れてきた。都市と農村は一対のもの、都市が栄えるためにも農村をよく機能させよう。  ——このように目には見えないがとても大きな働きをしてくれているコメを、国際競争力がないという一言で切り捨ててしまうのはいかにも無残ではないか。  といったようなことを飽きもせずに言い立ててきました。筆者が言わなかったことは、「日本のコメの象徴的な祭司は天皇である。コメを軽んずるものは、天皇を軽んじることになる」ということぐらいでしょうか。正直のところ、これを「正しい」右翼から言い出されたらどうしようかと思っていました。なにしろ右翼との共闘には慣れておりませんので。  さて、こういったことを言うたびになにか空しさを感じてきたのはたしかです。この空しさに名を与えれば、「狼オジサンの哀しみ」とでもなるでしょうか。もとより筆者のごとき三文文士がどんなに金切声を上げようが、戦車に戦さを仕掛けるカマキリのようなもの、天下の情勢にいささかの変化もありません。だがしかし思いを同じくする人たちがどこかにいて、その人たちと手を結び合うことができれば、戦車の前に漬物石程度の障害物は置くことが可能だろう、戦車の方も気がついて進路を少し変えてくれるかもしれぬ、というぐらいのことは夢想していました。ところが戦車のほうは轟々と、 「世界的に食糧は過剰気味、どこの倉庫も過腹気味」 「食糧危機がありとても、強い円にはかなうまじ。常に日本は最強の食糧の買手なり」 「買えなくなったら、そのときは食生活を変えるまで」 「当分、いまのままでいいじゃないか」  軍歌のようなものをカラオケ伴奏つきでがなりながら、カマキリの上を通り過ぎて行ってしまいました。狼オジサンの哀しみはここに極まって、それで取り出したのが、最後の切札、農薬なのでした。では、なぜ農薬か。食糧危機は「明日」のことに属します。筆者は、「十中八九はその可能性あり。経済大国で長く栄えた国はなく、またはしゃぎ回って長く栄えた国もないというのが歴史の真実、だからわが国のこの繁栄もあと二〇年ぐらいなものか。落ち目になった頃、世界の人口爆発とぶつかって、ウーム……」と思っていますが、しかし十中一二は、「日本はここのところ奇跡的演技を連発して来ているし、案外、へたばりもせずに難局を切り抜けるかもしれない」と淡い希望を抱いたりもする。つまり「明日」に関しては、日本の経済的優位はこのまま続く派も狼オジサン派も予想しか言えません。ところが農薬は「今日」の問題です。事実をもとに、コメ、広くは食糧について議論ができる。最後の切札といったのはそういう意味です。さらに当分このままでいいじゃないか派の方々も農薬問題にだけは高い関心を持っておいでのようですから話が噛み合うかもしれません。  たとえばここに東京都消費者センターの「消費者相談概要」という報告書があります。そこから消費者相談の受付件数を拾い出してみると、 ㈰昭和四五年の相談件数は六七五九件、うち食料品についての相談が三四三四件、すなわち、持ち込まれた相談の半分(五〇・八パーセント)までが食料品についてであった。 ㈪ところが、一六年後の昭和六一年になると、二万八五八三件の相談があったが、食料品に関するものはたったの一七七六件、比率で六・二パーセント。  一六年間で、食料品相談は比率で八分の一、絶対数で二分の一、減っている。劇的な減り方だとは思いませんか。そして食料品相談の過半(五四・七パーセント)が今や安全や品質のことで占められています。要約すれば、人びと(ここでは都民)の持ち込んでくる食料品相談の半分が安全や品質についてであり、かつてのようにお店の接客態度や値段や量目のことであれこれ言うようなことはなくなったのです。昭和六三年夏、筆者たちが開いた農業講座でも、マイクがフロアの受講者のみなさんの中へおりて行くと、話題は自然に農薬問題へ集まってしまい、それを見て、 「これからの生産者(=農村)は、農薬を通して消費者(=都市)と対話して行くしかないな」  と痛感したものです。  ちなみに例の「消費者相談概要」によれば、相談ごとで急にふえているのは金融、保険、医療についてだそうです。このへんの事情をやや強引にまとめれば、「ひとびとの関心はカネ、先行き、病気、安全なたべもの、この四点に集中している」といっていいのではないか。どれをとっても切実な問題ですから、関心が集まって当然ですね。  さて、ここで農村にひいきしている筆者にはちょっとつらい数字を持ち出さなくてはなりません。一九八六年のコメの収穫量に対する農薬使用金額をごらんください。 日本 一四五〇万トン 一八一三億五〇〇〇万円 アメリカ 六〇〇万トン 一二三億円 タイ 一八四〇万トン 八一億円 インド 九〇〇〇万トン 二二三億五〇〇〇万円 韓国 七九〇万トン 一七二億五〇〇〇万円 中国 一億七二〇〇万トン 二七六億円 (三省堂『農薬毒性の事典』より)   一目でおわかりのように日本の水田には大変な量の農薬が撒《ま》かれているのです。もっともそう早々と悲観するのは禁物、この話にはつづきがあります。    8 農薬について〓  前回は、日本ほど水田に農薬にお金を注ぎ込んでいる国はない、と書きました。それをもう一度記しますと、一九八六年に世界全体で稲作に使った農薬代は三三二二・五億円でした。ところが驚くなかれ、そのうちの五〇パーセントをこえる一八一三・五億円が日本の水田に撒かれているのです。たとえていえば、日本の水田は「世界一の農薬の池」になってしまった。——こう申し上げるとたいていの都会人が農民批判を始めるのが常で、その批判もおよそ次の二種類に限られます。 「そんな危ないコメを高い金を払ってたべさせられているとは思わなかった。やはりコメは輸入すべきである」 「そんなに農民が愚かだとは知らなかった。そういう連中のつくるコメはやばい。これからは外国のコメをたべるようにしよう」  右の批判には当たっているところもありますが、全体としてはまちがっています。  まずなによりも農薬の最大の被害者が農民であるということを勘定に入れていない。いつかもいいましたが、農村は病気の巣でした。その中にはおくれた衛生思想や貧しさからくる病いも多少はありますが、最大の原因は、農作業そのものの過酷なきびしさに求められなければなりません。あの高名な経済学者ガルブレイスもこう告白したではありませんか。「私は農民の子だったが、こんな辛い仕事を一生つづけるのはたまらない、この肉体酷使の地獄から抜け出すためならなんでもしようと思った。私は学問をその脱出口にしようと決心した」(『回想録』)と。  特別にきまった症状があらわれないので病気とは思われていませんが、筆者は農民の病気の筆頭に「早老現象」をあげたいと思います。農村に一週間も滞在すればどなたの目にもはっきりしてきますが、「背のすらりとして高い人」は少ない。たまにいるとすれば、それは役場の人か教師か、さもなくば町屋《まちや》の人たちです。農民は体重ほどもあるものを荷《にな》い、田や畑で腰をかがめる毎日を送っているので例外なく短躯です。筆者も国民学校(いまの小学校)時代、学校からの割当てで、ある出征兵士の家に住み込んで農作業を手伝わされました。恨みごとにはなりますが、当時大元帥陛下を統帥としていただく大日本帝国陸海軍は、農山漁村や庶民の家庭から鉄砲玉がわりの兵隊を一銭五厘でかき集めており、とくに農村は根こそぎ男手を抜き取られていました。そこで町屋の小学生も労働力として重宝されたのです。たしかにガルブレイスの言葉ではないが、あれは地獄でした。田の土をこまかくこわす、田に苗を植える、田の草を掻く、稲を刈る、いつも腰をかがめていなくてはなりません。苗代《なわしろ》から田へ苗を背負って運ぶ、肥料を運ぶ、稲束を背負《しよい》子《こ》に山と積んで運ぶなど、いつも重いもので上から押しつけられている。農民が手になにも持たずにのんびり歩いているのを見た記憶がない。背負っていなければ、なにか重いものをぶらさげている。筆者たちはその真似事をさせられたわけで、あのときは「このまま体がぺしゃんこになるのではないか」と思いました。筆者たちは二年か三年でその過酷な労働から解き放たれましたが、そのまま農作業をつづけた農家の子どもたちは、いまや見る影もなく衰えております。同窓会などで会うと六十翁や七十翁のように見える。すなわち慢性疲労症状、これが農民の早老現象の原因になっている。この早老現象のほかにも、農村にはたくさんの病気があります。腰曲がり病や腰痛症。過労性の手指の腱鞘炎《けんしようえん》。夏の畑の朝露から農民の足の指に侵入してくる十二指腸虫の幼虫、そのために起こるひどい貧血症。農業の機械化とともにその手の農夫症はなくなったのではないかとお考えの方もおいででしょうが、話はそれほど簡単ではない。いくら機械が入ったところでやはり農業は辛い仕事、早老現象は依然として全農村を席捲《せつけん》していますし、主婦たちの農村貧血症もなくなっていません。筆者が、現代の偉人を一〇人あげよといわれたらまっさきに指を屈するはずの若月俊一先生によればこうです。 「(この農村貧血は)高度経済成長に伴う農家の〈出稼ぎ〉や〈兼業〉の一般化とともに、営農と家事労働を背負った、いわゆる〈主婦農業〉における婦人の健康水準の低さを示すものとして注目される(略)。従来からいわれているように、低所得と貧血は相関することが多いが、この場合もはげしい農業労働と不良な栄養状態がその原因をなしていると考えられている」(『医科学大事典』講談社刊に若月俊一先生が寄せた解説)。  余談ですが、若月俊一先生の仕事について若干の紙幅をさくと、一九四五年(昭和二〇)三月、彼が着任したとき、農業会病院・佐久病院は木造二階建て、ベッド数二〇床の小さなものでした。そして四三年後のいま、佐久病院は一〇〇〇床の大病院に成長しています。病院のある長野県臼田町の人口が一万六三〇〇名ですから、途方もない規模です。もちろん病院を大きくしたから偉いといっているわけではありません。その内容がすばらしい。一般病棟、救命救急センター、ガン診療センター、成人病センター、リハビリテイション施設、難病センター、精神病棟、健康管理センター、小児病棟、伝染病棟、結核病棟、老人保健施設などなど、現代医療の粋を有機的に組み合せた大病院になっているところが凄《すご》い。さらに農村医学研究所や看護専門学校、農村保健研修センターなどもあって研究、研修施設も充実しています。衆智の中心に立って、農村地帯にこれほどの医療施設を築きあげた人を「偉人」と呼ばずして何と呼べばいいのか。臨床機能がすぐれているばかりではなく、ここは、《農村医学研究のメッカとしても、佐久病院は世界的に有名な存在である。農村医学の研究センターとして、公的にも私的にも、注目を集めているのは、研究の方法論やレベルの高さに負うところが大きい》(『農村医学からメディコ・ポリス構想』川上武・小坂富美子共著、勁草書房)。  図体がでかいだけの病院ではないのです。この若月先生が『医科学大事典』に、こうも書いている。 「一九五五年を過ぎるころから、わが国では、いわゆる高度経済成長の政策がとられた。そして重工業を中心とする経済的発展が行われると、農村の若い労働力が大きく都市に流出するようになった。その人手不足の中で機械化が行われ、農業労働は近代化のかたちをとったが、また新しい問題が出てきた」(「農村医学」の項)。  その「新しい問題」は三つに大別されます。すなわち「機械化による災害と疾病《しつぺい》」、「新農夫症」、そして「農薬中毒」です。「農業とは雑草との闘いである」という言葉もあるほど、雑草の力は強い。そこで田の草取りはもっとも大切な農作業の一つです。一番除草、二番除草、三番除草と、炎天下で腰をかがめ、水田を這いずり回って草をとります。昭和二〇年代、まだ除草剤の使用が本格化しなかった頃、一ヘクタール(約三〇〇〇坪強)の除草に、農民は五〇六時間ついやしていました。これは全労働の二五パーセントに相当します。いかに除草が大変な仕事だったかがわかります。そこへ若い労働力の大流出が始まります。だれが雑草と闘うかが焦眉《しようび》の急になりました。そのとき、労働力と引きかえに都市が送り込んできたのが、除草剤でした。皆がこれに飛びついたのは当然です。さて、現在ではパラコートなどの除草剤が全国水田の九九パーセント以上で田の草を退治しています。これを撒布する時間は一ヘクタール当たりわずかの五九時間。つまり往時の八分の一から九分の一にも仕事の量がへったわけです。がしかし、煎《せん》じ詰めれば、農薬は毒なのです。農の下に「薬」という字がくっついているために、字面《じづら》で、ついだまされてしまいますが、生きているものの毒が農薬、ヒトも生きているもののうちの一つ、その毒から影響をうけるのは当然でしょう。雑草退治の妙薬パラコート剤は、植物のからだに入って活性酸素を発生させます。活性酸素は細胞膜をめちゃめちゃにぶちこわし、植物(この場合は雑草ですが)を枯死させてしまいます。ではこのパラコート剤を撒布中に吸い込んだらどうなるでしょうか。「ヒトがパラコートを摂取すると体内に活性酸素が生じ、炭酸ガスと酸素とのガス交換が行われて、酸素供給がとくに多い肺胞が破壊され、呼吸困難で死にいたる」(『農薬毒性の事典』三省堂)のです。マスクをかけて撒布してもダメ、パラコート剤は忍者よろしく皮膚の毛穴からも入ってきますから。マスクした上でゴム手袋で武装したら? しかしパラコート剤をバケツで調合中、よろけてそのバケツに尻もちをついただけで経皮中毒、まもなく死亡という事件もおこっています('83日本農村医学会で報告された例)。この除草剤には解毒剤《げどくざい》がありません。  というわけで日本の田んぼはいまや交通量の多い道路のように危険な場所、田んぼには死がざらにころがっているのです。筑波大学の調査('85)によると、とくに農薬中毒事件の多発する栃木、群馬、茨城の北関東三県では、同地方の自動車事故死の三割に相当する中毒死事件が発生しているそうです。つまり道路で三人事故死がおこると、田んぼで一件、中毒死が発生するというわけ。どうやら農業するのも命がけというのが実情のようです。しかし急性の農薬中毒ならまだ対策の立てようがある、厄介なのはゆっくりと進む毒性。ずいぶん経ってから、臓器の異常や腫瘍やガンとしてその毒性が発現するかもしれませんし、子孫に至ってはじめて毒性のあることが判明するということも考えられます。もとより作物にしみこんだ農薬に毒性があれば、都会の市民にも毒が回るわけですが、しかしなんといっても「現場」が一番危険にちがいない。そんなわけで農薬の最大の被害者は、じつに農民なのです。  ここで突然、空間と時間の枠を取り払って、高いところから地球を眺めてみることにします。いま世界の人口はおよそ五〇億人。イギリスの経済学者マルサスが「人間の本能である性欲は幾何級数的な人口増加をもたらす傾向があるのに、人間の生存に不可欠な食物は算術級数的にしかふえない。だから過剰人口による食物不足は避けられないだろう」という主題で『人口論』(一七九八年初版)を書いたころ、世界の人口はまだ一〇億人に達していませんでした。つまりこの二〇〇年で人口は五倍になりました。この人口増加はどこまでつづくのでしょうか。国際連合の専門機関である国際復興開発銀行(通称「世界銀行」)の予想では、世界の人口は、西暦二一〇〇年前後に静止人口になるといいます。人口増加がゼロになる平衡状態の人口、これが静止人口です。その予想によると、二一〇〇年、世界の人口は一〇四億人でストップする。さて、問題は、そのときその人口に食料が行きわたるだろうかということ。これとは別に国連が二〇二〇年の将来人口予測を行っており、それによれば、同年の世界の人口は七八億人です。あと三〇年もすれば人口はいまの一・五倍にふえるというわけです。さあ、三〇年後のこの人口を支えるに足る食料をどうすれば確保できるでしょうか。このことを世界中の学者が一所懸命に考えておりますが、東京大学医学部保健学科人類生態学教室(この肩書を一口で言えたらエライ)の柏崎浩さんが「メディカル・トピックス」誌で、B・ジランドという学者の説を紹介していたので、それを孫引きさせていただくと、ジランド説はまず三つの仮定を立てます。 一 人口がふえたら耕地をふやせ、ということは不可能である。耕地化が可能な土地は限られているからだ。耕地をふやしても現在の七・七パーセント増が限界である。 二 一ヘクタール当たりの穀類収量は五トンが限界である。 三 年間一人当たり必要な食料は穀類に換算して一トンである。  さて、現在の耕地を七・七パーセントもふやして、一ヘクタール当たり穀類五トンの収穫をあげても、穫れる穀類は七五億トンがせいぜいだそうです。つまり三〇年後、七五億人は食べ物にありつくことができるが、三億人はあぶれる計算になります。 「三億人も餓死してしまうのだぞ。そういう時代が三〇年後にはやってくるのだぞ。さあ、どうする?」とジランド氏は言いたそうであります。彼もまた筆者と同じようなオオカミおじさんかもしれません。でも、どうにかなるのではないでしょうか。というのは、ジランド氏の仮定の第二、「一ヘクタール当たりの穀類収量は五トンが限界」を、日本のコメが一九八四年(昭和五九)に超えているからです。一八八五年(明治一八)では一・九トンしか穫れなかったのが、一〇〇年後の一九八四年には五・一七トンになりました。二・七倍も収量がふえたのです。日本のコメづくり技術は世界でもトップランク、日本の上を行くのは北朝鮮と韓国の二カ国だけです。ふたつとも一ヘクタール当たりの収量は軽く六トンを超えています。大切なのは三カ国とも水田でつくっているということ。収量が多く、かつ安定していて、味もよく、さらに水稲は連作がきく。表土流出も少ない。一方、小麦は、一ヘクタール当たりの収量がこの三〇年間で二倍近くも伸びていますが、それでもまだ二・二五トン(一九八四年の世界平均)です。小麦の本場の一つ、アメリカの中西部でも三・五トンどまりだろうといわれています。コメの収量の多さに目をつけたのかどうか、このところコメをつくる国がふえてきました。水稲栽培が可能なところでは米作に転向し、コメを食べるようになる例も多く、日本のように「米作に適し、従来コメを主食としてきたのに、コムギのほうへ嗜好《しこう》が移ったという例はきわめてまれな例外」(不破英次氏)らしい。ほんとうに私たちは不思議な人たちなんですね。——というわけで、これからの三〇年間に、水稲栽培の可能なところが競ってコメをつくるようになれば、三億人分の穀類、なんとか都合がつくかもしれません。問題は西暦二一〇〇年の一〇四億人です、とつづけると、読者諸賢から、「待て!」と声のかかることは必定です。そして、「日本のコメの収量の多さは、農薬のおかげではないのか?」とおっしゃるはずです。「農薬なしでは収量が小麦並みに落ちてしまうんじゃないのか?」と突っ込んでこられる方もおいでになるかもしれない。  有機農法ということばが都会の茶の間でも聞かれるようになりました。ですから改めて説明することもないと思いますが、念のためにこれを一口でいえば、いま行われているのが、大量の化学肥料や農薬に頼った工業のような農業であるのに対し、有機農法はその逆、化学肥料や農薬をできるだけ遠ざけながら、古風な肥料群(緑肥など)を組み合わせ、輪作の可能性なども勘定に入れつつ、土を大切にしていこうという農業です。これまでのが「土殺し」なら、これは「土生かし」あるいは、「土づくり」の農業といっていい。田んぼは工場ではない、とおだやかに主張する農業です。そしてこれがなかなか強い。収量が落ちることもない。    9 農薬について〓  現行の農薬使用農法と較べると、有機農法のほうが安全にきまっているが、収量では現行農法のほうが有利なのではないか。  このような疑問を抱く方のために、アメリカの農学者ロカレッツが一〇年ほど前に行った観察報告を紹介しましょう。  まず、ロカレッツは、ワシントン州東部の冬小麦の産地に合計八〇〇ヘクタールの畑地を入手しました。この畑地は五〇〇ヘクタールと三〇〇ヘクタールとに分かれていました。二つの畑地とも今世紀初頭に拓《ひら》かれたのですが、一九四九年を境にそれぞれ異なる農法で冬小麦がつくられてきました。すなわち、五〇〇ヘクタールのほうは四九年からそれまでの有機農法にかわって農薬使用の畑になり、他方、三〇〇ヘクタールのほうは四九年以降も、有機農法をほどこされてきていた。読みやすくするために、これからは五〇〇ヘクタールの畑を現行農法畑、三〇〇ヘクタールの畑を有機農法畑と呼ぶことにいたしますが、ロカレッツはこの二つの畑を入手するとき、綿密な土壌検査を行いました。二つの畑の土の成分がなるべく同じであることがどうしても必要だったからです。双方の畑ともシルト質の土でした。シルト質土壌とは、簡単にいいますと、微砂のこと。砂粒というには石英片にとぼしく、しかしまだ粘土にはなっていない土がシルト質土壌です。もっと具体的には、中国の黄土に毛の生えた土を思い浮かべてください。  さて、ロカレッツはこの現行農法畑と有機農法畑に冬小麦をつくりながら、五年間、綿密な観察を行いました。その結果、 「収量はたしかに有機農法畑のほうが劣る」  ということが判明しました。では、どれだけ劣るのか。答えは、 「平均八パーセント」  でした。しかし土壌の変質は現行農法畑においていちじるしい。作物にとってなにより大切な表土が一年間に平均三センチずつ失われ、土壌中の多糖類や水分の含量が低い。ロカレッツは、 「このまま現行農法をつづけると五〇年後には表土のすべてが失われるだろう。表土が失われてしまうと、いまの収量は五〇パーセント以下に低下することはたしかだ」  といっています。 「一方、有機農法畑の土には、基本的な変化はみられない。保水性も、栄養素の供給も、また微生物の活性も、ともに保たれ、土が生きている」  もう答えは明々白々といったところじゃありませんか。いま、八パーセント余計にとれたからといって、五〇年後に土が死んでしまったのでは元も子もない。こうして有機農法が見直されてきたのです。このロカレッツの観察については、「メディカル・トピックス」誌の柏崎浩さんの紹介文をもとにさせていただきましたが、土壌保全には有機農法が一番いいという報告はロカレッツ以外にも世界の各地でなされています。そして「土壌保全の王様は水田である」ということもはっきりしてきました。この「美田」をいま失ってしまうと、悔いを千載にのこすことになるでしょう。言い古されたことですが、現行農法による農業は、正確にはもう農業ではありません。大量の石油エネルギーによる工業です。水田のほとんど完璧《かんぺき》に近い土壌保全性が、大量の農薬投下にもどうやらこうやら耐えて、農業らしく見せているだけなのです。前回くわしく見たように、世界の人口は、三〇年後にはいまの五割以上ふえて八〇億近くになるのはたしかです。これはもう止めようがない。そのとき、表土を失った農業になにができるでしょうか。なにもできません。それでも田畑に石油をまき散らして増産にはげむことになるでしょうが、石油にそんなに頼っていいものなのか。柏崎浩さんの試算によれば、西暦二一〇〇年前後に(それまで国連その他の機関の人口抑止キャンペーンがうまく行って)一〇四億の人口で静止人口に到達したとして、 《一人当たりの食糧供給の現状を崩さずにそれを維持し続けるには、食糧生産量は(現状の)三倍に増えなければならない。森林資源の確保の必要性を考慮すると、耕地は現状の一五パーセント増しか見込めないので、収量を二・五倍に上げる必要がある。(略)それを維持するためには窒素肥料が四・六倍必要であり、それは石油に換算して年間五億トンに相当する》  こんどは筆者の試算で、窒素肥料のほかにも農薬を使い、機械を使いますから、それらにも年間五億トンの石油が必要だとして(詳細は記しませんが、これはごく内輪の、ぎりぎり最小限の数字です)、合せて一〇億トン! ちなみに一九八五年の世界の原油生産高は、二七億トンでした。世界で採れる石油の三分の一強を消費してしまう農業なぞ存在できるでしょうか。  話の筋を現在の日本に戻して、農薬漬けのコメづくりに疑問を抱く農民がふえはじめています。筆者は「現代農業」(農山漁村文化協会発行)という月刊誌を愛読していますが、ここ数年、記事の中に「虫見板」というふしぎなことばが目立つようになりました。ある篤農家にお願いして一枚いただいたところ、それは大き目の下敷きのようなものでした。色は黒。田んぼに入ってイネの根もとや葉の向うにこれを立てて見る。そうすると、黒地の板の上に虫の姿がはっきりと浮び上がる。つまり、これまでのような、農協や役場や農業改良普及所の指導、また、そういう「お上《かみ》」のつくった「防除暦」にただしたがって、農薬をどかっと撒いてあとはおしまいという農法を頭から信用せずに、減農薬から低農薬、低農薬から無農薬を目ざす農民たちが、この虫見板を復活させたらしい。農薬を減らせば虫がわく。同時に虫どもの天敵も姿をあらわす。そこでお百姓さんはこの虫見板を手に田んぼへ入り、虫の出方、病気の出方、そして天敵の様子などを観察して、次に打つ手を思案する。ひとりひとりのお百姓さんが田んぼに入りはじめたのです。別の角度から見れば、お百姓さんたちが、田んぼは一枚一枚性格がちがうということを大事にしはじめた。土が生きていること、その土とともに自分も生きて行こうと覚悟をきめた農民がふえ、それが虫見板を流行させているのです。  お役所には財界の走り使いみたいなところがありますから、あいかわらず、 「そうしないといつまでも国際競争力がつかない。そういう時代に虫見板でもあるまい」  というでしょう。お上の「防除暦」に虫見板がどう立ち向うのか、虫見板に声援をおくりつつ、その決着をよく見ていようと思っています。  おしまいにひとこと。  一九八七年から八八年にかけてコメの国際価格が暴騰しました。八七年の世界のコメ生産高は前年より一三〇〇万トン、二・八パーセントの減収でした。  ところがアメリカ米の輸出価格は前年の二・三倍もあがったのです。世界のコメが二・八パーセント減収しただけで、アメリカ米が二・三倍も値上がりしたこと、このことを、わたしたちはよほどしっかり頭に叩き込んでおかねばなりません。国際市場におけるコメは、ニッケルなどと並ぶ投機的商品なのです。いったい投機的商品が主食になり得るでしょうか。    10 農薬について  この数カ月間の、農業関係の書物の発行点数は、かつてないほど多く、すぐれた内容をもつものも少なくありませんでした。このことは逆にコメをはじめとする日本の農業の危機を象徴しているように思われます。日本の農業を真剣に考えている人たちが最後の土壇場で言うべきことは言っておこうと決意しているさま、それがこちらへもひしひしと伝わってきて感動をおぼえました。たとえば、石田紀郎《のりお》さんの『ミカン山から省農薬だより』(北斗出版)の、 《きらびやかなネオン照明で飾られた新宿。この世のなかに農業があり、水田に雑草が生え、農民が除草に苦労していることなど想像さえできない高層ビルのレストランのテーブルに運ばれたグラスの水にも一〇〇pptを越す濃度のCNPが含まれ、都会に農村問題をはこんできます》  という文章ではじまる二〇数ページを、世界の心ある人びとにぜひ読ませてさしあげたいと思いました。ここでは片田舎の小さな田んぼに撒布される農薬が大都会を犯し、さらに国境を越えて地球そのものへも関係して行く有様がわかりやすく説かれています。農薬については、「中央と地方」などと呑気なことをいっていられる時代ではない、「中央も地方も、そして地球も」と考える以外に本質的な解決はないということが身にしみてよくわかります。ちなみにpptとは重量比率をあらわす単位です。 一%(百分の一) 一ppm(百万分の一) 一ppb(十億分の一) 一ppt(一兆分の一)  こう書けば少しは判りやすくなるでしょうか。 「なんだ、それなら一〇〇pptは百億分の一じゃないか。その程度のCNP(発ガン性や生殖系障害性のあるダイオキシンが含まれている除草剤)を摂《と》ったところでどうということはない」と考えたくなりますが、しかしこういう水道水を一日に一リットル(一〇〇〇グラム)飲むと、農薬を一〇〇〇万分の一グラム、体内にとりいれることになります。一〇〇〇万分の一グラムには農薬の分子の数が数百兆個もある(『農薬毒性の事典』三省堂)そうですから、「なんだ」などとはいっていられません。まったくむずかしい世の中になったものですが、いずれにしてもこれからは、 「自分一人がなにをやったところで地球の運命には関係ないや」  という考え方が通用しなくなりそうなのは、どうもたしからしい。 「世界の人口約五〇億。自分のやることは五〇億分の一ぐらいではあるが、地球の運命になんらかの影響をおよぼすことになるかもしれない」  と考えなければならない時代になってきたようです。これをさらに一歩進めて、 「五〇億分の一程度かもしれないが、自分の努力が地球をよりよい方向へ持って行けるのだ」  と肚《はら》をきめて生きて行きたい。石田さんの本はこんな誇大妄想的な大風呂敷をひろげていませんが、しかし、読む者をそこまで導いて行く力があります。  せっかくですからもう一冊だけ、おもしろくてためになる本を紹介しておきましょう。コメの自由化、その安全性、農村社会の激変、食管制度の是非、コメをめぐる国際情勢、コメからみた文明史などなど、コメ一粒の中にいくつも重要な問題が同居していて、なにがなんだかよくわからなくなってしまいますが、そんなときには祖田修《そだおさむ》さんの『コメを考える』(岩波新書)をぜひお読みいただきたい。これは、!マークを一〇〇個並べてもまだ褒め足りないぐらい「凄い」本です。筆者は年来、「むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをおもしろく、おもしろいことをまじめに……(あと三〇行もつづくのですが、以下は省略)」と念じつつ机にしがみついている者でありますが、この本は右の座右銘をみごとに実現しており、仰天しつつ感動しました。たとえば、 《(ある書物を引用しながら)人間は食生活が向上し食糧の摂取量が上昇するとともに、まず肉や酒を好んで増やし(年間三五〇�)、次にアル中が出始め(四〇〇�)、痩身産業が成立し、最後に穀物が副食となり、肥満体が当たりまえの状態になるという(四五〇�)。日本はいまその最終段階に達しつつあるというのである》  といったようなおもしろい話が目白押し、そしておもしろがっているうちに、文明論のかなり深いところまで導かれて行く仕掛けになっています。  そういえばこの間、さる病院に三泊してからだを点検してもらったときの見聞ですが、肥満外科手術なるものが繁昌の兆しを見せつつあるらしい。肥満人は糖尿病、高血圧、動脈硬化症、脂肪肝、心血管疾患、腰痛などの成人病にかかりやすく、なによりも短命である。そこでまず絶食療法なるものが流行《は や》った。入院すると、いきなり一週間から二週間ぐらい食事を断たれる。それから一日か二日の絶食を適宜、くり返して、二カ月後には二〇キログラムぐらい減量してしまうのだそうです。荒っぽい療治もあるもので、事実、心筋は切れるやら裂けるやら、ビタミン不足で脳炎になるやら、中には心不全でなくなるやら、たいへん危ない療法である。いちばん困るのは、二人に一人はもとの肥満人に戻ってしまう。入院中の絶食の苦しみが、かえって退院後の美食や過食を誘うのでしょうね。次に流行したのが超低カロリー食(二四〇〜四二〇キロカロリー、三〇〜七〇グラム、良質の蛋白質と糖質で出来たもの)による半飢餓療法。これはまずまずの効果をあげたらしいが、毛は抜けるわ、爪の形は変るわ、耳鳴りはするわ、めまいはするわ、月経は止まるわ、なかなか大変である。どういうわけだか、この療法をうけると寒がり屋になってしまうことが少なくないという。こうしてついに、胃に縮小手術をほどこす(四分の三から五分の四を切ってしまう)、胃袋にメッシュのバンドを巻きつけて拡大を防ぐ、といった外科手術が登場することになりました。もちろん「病気として肥ってしまう」方もいらっしゃるでしょうが、大半は過食や美食のせいです。  それともうひとつ、日常生活のゆがみやねじれに原因があるといわれる。九州大学の坂田利家《としいえ》先生によれば(「週刊医学のあゆみ」'87・5・2号)、「気晴らし食い」というのがあって、これは嫌なことを忘れようとしてたべる。その他、いらいらする気持ちをおさえようとする「いらいら食い」、恩ある人からのいただきものを断わりきれずにたべる「気がね食い」、忙しさにかまけて一、二食抜いて、その欠食を埋めるためにドカッとたべる「かため食い」などもあるそうです。つまりたべることが日常生活におけるほかの行動の代理をつとめるようになってきた。そうかと思えば、始中終《しよつちゆう》、飲み食いをやさしく強制する装置(球場、遊園地、乗物など)も多くなりました。そしてどこかには飢餓人口を抱えた国が多くあります。たべすぎて病気になる人の隣にたべられずに病気になる人がいる。まったくとんだ茶番であります。農薬と同じようにここにも、「中央も、地方も、そして地球も」という考え方の必要な秋《とき》が来つつあるのではないでしょうか。    11 農薬について  三年前に発生したチェルノブイリ原発四号炉の爆発事故で、わたしたちはさまざまな迷惑をこうむり、また同時にいくつもの教訓を得ました。その教訓の中に、たとえば次のようなことがありました。 「西ドイツが汚染したミルクを、飼料用としてエジプトやアンゴラに輸出しようとして、その寸前に露見、大きな問題になった」  なぜ、こんな人を馬鹿にした事件が起ったのか。第一に、放射能で汚染されたミルクが国内で大量に売れ残った。ほんとうならミルクを処理し、ソ連政府に抗議すべきだが、商人《あきんど》の思想としては捨てるなんてことは考えられなかった。そこで第二、国外に売ればいいと思いついた。「国内で不幸が起ってはまずい。ちょっと気が咎《とが》める。でも国外で少々のことが起ろうと、これはしようがない。だいたい少し安く売るんだし、この程度の放射能ならどうということもないかもしれないし……」というわけ。第三、ではどこに売ろうか。ばれるおそれのない国に売るのがいい。検査能力の落ちる国がいい。第三世界の国々の検査能力は「ノミの小便、蚊の涙」あるのかないのか分りゃせぬ。ひとつ第三世界に売りつけてやろう……。なんという悪智恵! もっともこの没義道《もぎどう》は内部からの告発によってばれました。皮肉ではなく、それでこそ「先進国」です。自分の属する国、あるいは企業、そして団体が間違いをしでかしたり、しでかそうとしつつあるとき、「おかしい!」「それはまちがっている」「わたしはわたしの所属する国(企業、団体)をいつまでも愛し、いつまでも誇りにしたい。だからあえて非をあばく。わたしの愛するものよ、わたしの誇りよ、立ち直ってほしい」と言うことのできる人を尊敬するなあ。筆者は物書きとしては一匹狼ですが、演劇では「こまつ座」という劇団に所属している。こまつ座がもし内部に悪を孕《はら》むようなとき、その悪を告発できるかしらん。勇気がいるだろうなあ……。まっ、筆者をはじめ悪事を企むことのできるような図太いのがいないから、その心配はないでしょうが、とにかく西ドイツが引き起しかけたこの事件は、 「他人から食べ物を仕入れるときは、目を皿のように光らせていなければならない」  ということを教えてくれました。  この事件には内部告発者がいた。だから未然に防ぐことができた。しかし内部からの告発があるのはごく稀です。たいていは水面下に没したままです。——と書くと、「わが国は先進国である。したがって検査能力は高いはずだ。あんたのは杞憂だよ」とおっしゃる方もおいででしょう。残念ですが、ハズレです。わが国の検査能力もまたすこぶるつきの低さ、たとえば、検査人員の少ないことは絶望的です。検疫所の食品衛生検査員は、全国(五空港、一五港)で、わずかの七五人(八七年)。食品輸入大国ニッポンの検査員はたったこれだけ。さすがの政府も、これではあんまりだと思ったのでしょうか、民間に検査機関(約四〇)を指定して、検査業務の応援を求めていますが、輸入食品の行政検査の検査率はわずかの四・六パーセントです。だいたい輸入食品の検査関係の予算は、 輸入食品衛生費      六三七二万円 食品添加物規制対策費 一億三七八二万円 食品残留農薬対策費    一一一七万円 飼料等衛生対策費      三二七万円 (昭和六〇年)   合計で約二億二〇〇〇万円。ナカソネ氏がリクルートからもらった金額とどっこいどっこいではないか。なぜここでナカソネ氏が登場するかといえば、こういった輸入食品に関する安全対策費を片っ端から削減していったのが同氏であったからです。氏が行った行革の正体はこういうところにもあらわれている。農薬について、もっとバカバカしい話があります。 《……人間に被害が出ないように食品の残留農薬を担当している厚生省の担当者は一人、つまり、行政機関の中で残留農薬から国民の命を守るために食品の基準値を設定する仕事をしているのは一人だけなのである。(略)役人には転勤がある。農薬は複雑怪奇で特殊な面があるから、担当者が一人前になるまでに他より時間がかかる。仕事ができるようになったと思ったら、他に行ってしまう。これが現実である。きちんと対応できる状態にはないのだ。厚生省はいまのところポスト・ハーベスト(収穫以後の農薬使用。井上)に関してはほとんど資料をもっていないし、整理もしていない》(小若順一『気をつけよう輸入食品』学陽書房・一九八八年)  これがニッポンのありのままの姿です。政府と政権党とは、国民のたべる食品の安全などどうでもいいのです。連中はわたしたちが預けている税金をいったいどこに使っているのだ。  もうひとつ次元のちがう大問題があります。コメはその勢い、やや落ち目だとはいえ、依然として日本人の主食です。大量に消費します。そこでコメについての農薬規制はとてもきびしい。少しの農薬が含まれていても、これをたくさんたべれば、総量としては大量の農薬を摂取するわけですから、きびしくて当然です。ところが、二、三の例外を除く諸外国ではコメをそれほどたくさんはたべない。そこで農薬規制はゆるやかです。国によっては、規制が日本の一〇〇倍もゆるい。つまり、その国のコメの消費量とその国のコメについての農薬規制値は正比例の関係にあります。  さらにもうひとつ、ポスト・ハーベストの問題があって、日本では原則としてコメの収穫後に農薬を使用することは禁じられています。農薬は毒性が強い。収穫前に撒くのであれば、太陽の光や熱、それから微生物などの働きによって分解され、毒性が弱くなるからやむをえないが、収穫後だと農薬がそのまま体内に吸収されてしまうだろうから危険である。そこで禁止されている。例外は貯蔵倉庫で使用される燻蒸剤《くんじようざい》の臭化メチルぐらいなものです。もっとも低温倉庫の普及でこれも使用されることが少なくなりましたが。  ところが、たびたび申し上げたように、アメリカは収穫後でもゴマンと農薬を撒きます。しかも、《食品添加物の場合は、日本で許可されていないものが見つかると、その食品の輸入は認められない。ところが農薬は、日本で許可されていないものが見つかっても原則としては違反にならず、輸入が認められるのである》(前掲書)  どうしてそんなアホなことになっているのか。これについては今回は触れませんが、商人《あきんど》の思想はいまひとつ信用できないこと、農薬規制値のひどくルーズなコメを、ほとんどゼロに等しい検査機関を通して輸入しなければならないこと、そしてアメリカのコメにはとくに農薬がたくさんこびりついていることなどの理由から、自然と次の結論に達します。 「コメは近くでつくってもらうこと。そうすれば農薬をこれ以上使ってくれるなという注文もつけられる」と。病害虫には効果的だが、作物や人間や自然環境には無害な、理想の農薬が生み出されるまでは、これが正解です。    12 食管制度〓  食管法だの、食管制度だのと言うと、途端に渋いお顔をなさる方がほとんどです。そしてそのお顔には、 「複雑怪奇な制度」 「考えるだけで頭が痛くなる」 「いまや前世紀の遺物的制度」 「盲腸的存在。なくなってもかまわない」  などと書いてある。お気持ちはよくわかります。がしかしちょっと勉強いたしますと、食管制度が、 「単純この上ない制度」 「考えれば考えるほどおもしろい」 「これからも必須不可欠の制度」 「人体における心臓のような存在。なくなったら大事《おおごと》だ」  ということが判ってきます。がしかし、これは大変に重大な問題ですので、先を急ぐのは禁物です。まず基礎も基礎、いろはから始めましょう。これは意外に知られていない事実ですが、 「コメがこんなに余っている時代に、食管制度など無用の長物」  という「正論」はまちがいで、じつはコメは供給不足の傾向にあるのです。嘘とお思いなら、以下に掲げる数字をとくとごらんください。 六〇年 二四万トンとれすぎ 六一年 六四・四万トン不足 六二年 二四・九万トン不足 六三年 五九・九万トン不足 六四年 七七・七万トン不足(冷害) 六五年 五八・四万トン不足(冷害) 六六年 二四・二万トンとれすぎ 六七年 一九七万トンとれすぎ 六八年 一八九・八万トンとれすぎ 六九年 二〇三・八万トンとれすぎ(減反開始) 七〇年 七四・一万トンとれすぎ 七一年 九七・二万トン不足(冷害) 七二年 三万トンとれすぎ 七三年 二〇・一万トンとれすぎ 七四年 二一・四万トンとれすぎ 七五年 一二〇・一万トンとれすぎ 七六年 四・七万トン不足(冷害) 七七年 一六一・二万トンとれすぎ 七八年 一二二・五万トンとれすぎ 七九年 七四万トンとれすぎ 八〇年 一四五・八万トン不足(冷害) 八一年 八七・一万トン不足(冷害) 八二年 七一・八万トン不足(冷害) 八三年 六一・三万トン不足(冷害) 八四年 九四万トンとれすぎ 八五年 八一・三万トンとれすぎ 八六年 八五・一万トンとれすぎ (農水省「食料需給表」から算出)   右の数字がどのようにして得られたかを説明しますと、生産量と総需要量とを較べてみたものです。総需要量とは、主食用、加工用(清酒やコメ菓子)、飼料用、種子用、それから減耗《げんもう》分などをすべてまとめたものです。  右の数字でなにがわかるか。一九六〇年以降の二七年間で、生産が需要を「かなり」上まわった年が六回しかなかった。「かなり」というのは一種の業界用語で「一〇パーセント以上」を意味します。生産が需要を一〇パーセント以上も上まわる年が毎年のように続くのであれば、 「コメは余っている」  と言ってもよいでしょう。しかし実情はそうではない。繰り返しますが、コメ余りの年(六七、六八、六九、七五、七七、七八)は六回だけ、あとの二一回は、コメ不足か、辛うじて生産が需要をぎりぎりの線で上まわっているか、そのどちらか。とくに八〇年〜八三年の四年間のコメ不足はひどいものでした。政府は農家保有米まで供出させようとしたり、政府米の売却量を減らしたり、コメの早食いをしたりして、コメ不足を隠そうとしました。がしかし政府の小手先の術策は八四年の韓国米輸入ですっかりばれてしまいます。しかもその輸入韓国米の五〇パーセント以上から害虫が発見されました。これがわずか五年前の出来事、したがって世間に流布している「日本は慢性的なコメ余り状態にある」という常識は、すこぶる非常識。一回か二回の気候不順でたちまちコメが不足する国に、わたしたちは住んでいるのです。  食管制度を考えるときに大切な視点がもう一つあります。ここ数年間、経済同友会や経団連などの財界団体が唱えてきた「食管を解体して部分管理に移行せよ」論には眉に唾をつけて耳をかす必要があります。財界人が農業に対してどんな意見を言おうと、それは自由です。がしかし財界の利益のために他産業にああしろこうしろと指図するのは無礼、傲慢もはなはだしい、バカも大バカ、大バカのコンコンチキであります。公的資産の配分に発言権を持つ胴欲な政治家を金で釣るのをどうしたらやめられるか、会社の利益を社会や社員にどうしたら公平に還元できるか、自社製品が食う社会的費用をどう分担するかなどなど、他産業に偉そうに指図する前に、山のようにやるべきことがあるはずでしょうが。ま、このことは他日の議論に譲るとして、アメリカと財界が提唱し、政府が追従しようとしている食管解体論がなぜ危険かを考えてみましょう。 「自由貿易」の旗を高々と掲げるガットは、いくつかの例外を設けて輸入制限を認めております。たとえばその第一一条二項にこうある。その国の政府が、ある産品の販売や生産の数量制限を行なっている場合は輸入を制限できる、と。アメリカがたくさんの自由化義務免除品目を勝ちとっているのは、農業調整法などによって農業保護のための国内措置に力を注いでいるからです。政府が責任をもって、政府措置によって需給関係を調整したり生産制限を行ったりして価格の保持を計っている産品については、その産品の輸入を制限することができるのです。わが国では、コメの国内生産と流通とが政府に管理されており、したがって、この食管制度があるかぎり、コメは自由化の対象にはならない。アメリカの狙いはじつにここにあります。日本の財界を焚きつけて食管制度を解体させれば、日本にコメを買わせることができると踏んでいるのです。  ここで経団連の「米問題に関する提言」(一九八七年一月)なるものを読んでみましょう。 《日本は各国との協調の下で自由貿易体制をリードする立場に置かれている以上、米の輸入自由化はあり得ないという前提で国内の稲作を維持し続けることは次第に難しい状況になりつつある》  たとえ自由貿易体制の下であろうと、その国にとって重要な産品で、政府措置によって価格の保持を計っているものについては輸入制限が認められるというガット第一一条二項を、財界は隠そうとしています。正直に「おれたちがもっと儲けるにはコメが邪魔なのだ」と言えばまだカワイイのに、この汚い態度、これではコメが救われません。    13 食管制度〓 「病院の給食はまずい」とよくいわれますが、それがとてもおいしかった——というところから、今回の話をはじめましょう。このあいだ、大腸ポリープ切除のため、一泊の予定で、さる病院へ入りました。「五〇をすぎると、ポリープの二つや三つ、だれにだってできますよ」と看護婦さんは明るい声でいうし、「お尻からファイバースコープを入れるだけです。痛くもなんともありませんよ」と先生は請け合ってくださるし、気らくな気分で処置台に横になりました。たしかに切除術は痛くも痒《かゆ》くもなかった。痛かったのは翌日です。なんとなく気分が悪くなっていたのですが、ちょっと動いた拍子に、とんでもない痛みが下腹部へドカーンと襲ってきた。ビルを壊すときに使う巨《おお》きな鉄の玉、あれがいきなりぶつかってきた感じ、たちまち失神してしまいました。看護婦さんに、 「痛いです。助けてください」  と訴えたような記憶があるが、それも定かでない。気がつくと、ベッドの上でスパゲッティ症状になっていました。腹に九本、左腕に一本、そして鼻に一本、全部で一一本の管が通っている。おいおい様子がわかってきました。どうやら切除の際に事故があって腸管の壁に火傷《やけど》ができていたらしい。ポリープにワイヤーを引っかけて、そこへ電流をとおして焼き切るわけですが、そのときトラブルが発生したんですね。火傷で弱っていた壁が動いたとたんに破れ、そこから汚物が飛び出し、医原性穿孔《せんこう》急性腹膜炎という字面《じづら》の怖い病気になっていた。開腹して腸を洗って修繕し、ついでにお腹の中も洗ったとか。なんだか空き巣にでも入られたような気がしました。罰が当たったんでしょうか。なにしろこの欄でナカソネ臨調や財界のおえら方の悪口ばかりいってましたからな。という次第で休載がつづきました。お許しください。さて腸に穴が明いたとなると食事がとれません。七日ぐらいしてから、やっとコメ粒が五つ六つ入った薄粥を許されたときは感動しました。たべもののおいしさまずさのわからない朴念仁《ぼくねんじん》ですが、あのときはおいしいと思った。コメの食味の官能検査というのを見学したことがあります。二〇人の評価員が日本全国から集められた約三〇〇の品種を試食して、食味ランキングをきめる。どうやって評価するかといいますと、滋賀県湖南地区の江州《ごうしゆう》米「日本晴」を基準にして、外観、香り、味、粘り、硬さなどをくらべ、日本晴より食味のよいものをA、同じぐらいならA'、劣るものにはB、以下B'、Cとランクをつけていく。コメはもともと無味無臭、味覚に働きかけてくるところはほとんどなく、あるのは粘りと硬さの触覚だけ、その粘りと硬さも各家庭における水加減や炊き方で左右されるだろうから、官能検査などは少しマユツバ。評価員の真剣な顔つきを眺めながら胸の内ではそんな失敬なことを考えていたのですが、ゴハン粒は甘かった。さっぱりとした、それでいてやさしくて胸に迫ってくるような甘み。母乳のような懐しい匂い。コメには味も匂いもあったのです。後日、調理場へ行き、「こちらではコシヒカリをお使いですか。それともササニシキですか。ゴハンがたいへんおいしいのでうかがうのですが」とたずねたところ、「標準米しか使ってませんよ」という答えが返ってきた。わたしもササ・コシ信仰につかっている一人だったんですね。味もなにもわからずにただただササ・コシの銘柄をありがたがるおろか者だったわけです。食糧庁のモニター調査(八六年一二月)によると、消費者がコメを買うときの目安は、一に上米か中米か並米かの品質区分(二八パーセント)、二に価格(二四パーセント)で、これは「高いコメはおいしいはずだから、値の張るおコメを買う」ということ、「安いのを目安にする」という意味ではない。そして三位が「品種《ブランド》」(二二パーセント)だったそうです。わたしのお仲間がけっこう大勢いらっしゃるようだ。こうして改めてコメを見直し、さっそく農業書を取り寄せてイロハから勉強をしなおしたのですが、「現代農業七月増刊・世界の農政は今……」の大内力《つとむ》さんの文章をもとに、これまでのこの欄で書いたこと全部をつきまぜて次のような質問集をつくってみました。どうか○×をつけてみてください。一つでも○がついたら、あなたは立派な食管制度の支持者です。 〓 食糧輸入はいいが、それでも大凶作や相手の輸出国の政情や外交政策などによって輸入量が大きく落ち込むこともあるかもしれない。国民が最低限必要とする食糧は自給したい。 〓 食糧輸入はいいが、なにもかも買い入れるとなると、大きな外貨負担が生じそうな気がする。 〓 食糧輸入はいいが、安全性や残留農薬などをどうチェックすべきか。目のとどきやすい国内産のほうが安心である。 〓 とくにコメは投機の対象となりやすい。国際市場での乱高下のたびにコメの値が上下するようでは不安だ。  農村がこれ以上、荒れてしまうと、農村に失業者がふえる。しかも中高年齢層が多い。そういう人たちの生きて働く場所をうばってはいけない。  田園は、水の保全をおこなう。水なしでは工業が成立しない。  田園は大気の浄化をおこなう。日本の肺の一部なのである。  田園は日本人の原風景である。  お盆に田舎に帰るのがたのしみである。子どももたのしみにしている。  工業と農業の論理はちがうと思う。  いまは、モノをつくる工業とモノを売る商業とモノの往来の仲立ち役のカネを扱う金融業とカネにカネを生ませる証券業など、ひっくるめて財界の天下ですから、どんなことにも財界の物指しをあてはめてしまいます、すぐ競争原理を持ち出したり、市場開放を叫んだりする。日本の警察は不祥事つづきでたるんでいるし、創設以来ずっと赤字つづきである、競争原理を持ち込んで警察自由化に踏み切ろう。カリフォルニアの警官を輸入して……、という者がいたら、大笑いされるでしょう。また、日本の消防は、大都市の高層ビル消火が得意ではないようだから、ニューヨークの消防署に消火市場を開放しよう……、といい出す人がいたら、確実に白い眼で見られる。義務教育にしても同じこと、スイス、スウェーデン、イギリスあたりの教育はよさそうだから、公立小学校をそれらの国々の教育者に開放しようと、いくら力説しても相手にされない。それから防衛もそうです。維持するのがたいへんな金喰い虫、中国の軍隊なら国際価格(?)も安そうだから、あの人たちに日本を守ってもらおうとは、だれもいわない。こうした仕事に工業や商業の論理を持ち出すのはマチガイだということをだれもが知っているからです。それらは国民の基本的生活に欠かせないもの(防衛については別に個人的見解あり)、したがってその損失は国の財政(=われわれの税金)が負担しようということになっている。コメも国民の基本食糧です。基本食糧を守るという政策目的もいまのところ一応はある。食管制度あるかぎり、「基本食糧を守る」という政策目的はある。ならばその政策を実行するために要した費用、損失は(その額が妥当なものであれば)、容認された損失であり、簡単に「赤字だ」といったりしてはいけないのではないか。ひところ、食管は赤字だ! とふれ回るのが財界人のたしなみとされた時期がありましたが、あれは誤りです。「食管も赤字、警察も消防も自衛隊も保健所も国会議事堂もみな赤字だ!」というのであればまだしも筋は通るのですが。  さて、これら国民の基本的生活に欠かせないものはすべて、原理的には二重価格制度をとっているといってもいいでしょう。交番のおまわりさんに空き巣を捕えてもらった。逮捕料金は払わない。すなわち消費者価格0円である。そのかわりおまわりさんへは財政から給料が支払われる。食管制度の根幹である二重価格制度も理屈はこれと同じです。 (「DAYS JAPAN」一九八八年五月号〜一九八九年一〇月号) 好きで嫌《きら》いで好きなアメリカ    1  モーツァルトはめったに聴かないが、ガーシュインなら一週間ぶっ続けに聴いても平気である。カール・マルクスは数ページしか読んでいないが、マルクス兄弟の映画は、それぞれ十数回は、繰り返し観《み》ている。パリには一度行って、それで充分だが、ニューヨークには、何回でも行きたい、というぐらいアメリカが好きである。そのアメリカ狂いにも、たまには、「アメリカ、このヤロー」と怒鳴りたくなるときがある。一九九一年の三月から四月にかけてが、そうだった。  三月一二日から一六日までの五日間、千葉市の幕張メッセで、「第一六回・国際食品飲料展」(FOODEX JAPAN'91)が開かれた。この見本市の米国ブース、米国コメ協議会(USRC)のコーナーに、小袋に詰められた米国産のコメが二〇キロ、展示された。日本人一人が年間に消費するコメの量は七〇キロ前後だから、二〇キロはたいした量ではない。がしかし、このコメがどうも現在の日米関係を象徴しているようなのである。  まず、米国側の出展責任者が、米国農産物貿易事務所(ATO)であるというところにご注目いただきたい。貿易事務所が責任者というぐらいだから、これは啓蒙や教育のための見本市ではない。あきらかに商取引が目的の催しである。商取引、販売のためにコメを展示するのは食管法違反である。悪法だろうがなんだろうが、とにかく法がそう決めている。そこで、食糧庁は三回にわたって、アメリカ大使館に、「展示しないように」と注意した。主催者の日本能率協会も文書で注意を促した。だが、米国側は、「法律的に充分検討したが、米国産のコメの展示は、日本人に対する啓蒙と教育のためだから、違法ではない」という声明を発し、展示を強行した。  ここで参考にしたいのは、世界でも指折りのコメ輸出国であるタイとオーストラリアの態度である。タイは、「事前にコメ展示はダメとわかっていたので、コメは持ってこなかった」。そして、オーストラリアは、「コメはもってきているが、日本の法律を無視してまで展示するつもりはない」と言い、コメ加工品だけを展示した。  米国側は、すでに、二つの過ちを犯している。なによりも、食管法に違反しているかどうかの判断は日本の主権に属することがらである。タイやオーストラリアがしたように、たとえその法がどんなに気に入らなくても、やはり法は法、外国人も日本国内では日本の法を尊重しなければならない。ひとさまの法を自分の都合に合わせて勝手に解釈するのは無法である。  それにしても、「コメ展示は日本人の啓蒙と教育のため」とは、よくも言ったものだ。敗戦からしばらくのあいだ、「日本人はコメなどという劣悪な穀物を常食にしているから、戦争にも負けるのだ」と啓蒙したのはだれだ。「パン食に切り換えないと、一生、バカのままだぞ」と教育したのはだれだ。分からない人もいるかもしれないから、答えを言っておくと、米国人と日本人の栄養学者たちがそう言ったのである。ま、これには、多少、私憤が交じっているから忘れていただくとして、強行展示の方は、主権の侵害であるから、これは許されない。農民団体が抗議し、近藤農水相が、 「販売を目的にした展示は違法である。また、米国産のコメが検疫をうけているかどうかも確かめたい」  と釘をさしたのも、当然である。  筆者が見学に行ったときは、会場の入口に次のような看板が出ていた。 「本展示会においては外国産米の展示は認めておりません。現在、展示の撤去を申し入れております/国際食品飲料展事務局」  これもまた当然の看板である。  ところが、日本人もいろいろで、とくに大新聞に見られた論調だが、「わずかなコメの持ち込みすら認めないのは閉鎖的だ」と、いやに大人ぶった説が唱えられていたのには、驚いた。これは量の問題ではない。ちょっとだろうが、ごそっとだろうが、主権がからかわれているのだから、きちっと筋は通さなければなりません。相手がアメリカだと、突然卑屈になり、弱腰になるのは、みっともない。  コメは、最終日に撤去された。米国は昨年も同じことをやっている。つまり日本はいい加減なめられているのです。  このあとのことも、読者諸賢の記憶に新しいところで、マディガン農務長官が近藤農水相に、「日本市場は、なぜこれほど米国の農産物に対して規制を加えるのか」と書簡を送ってよこし、ブッシュ大統領は中山外相に、「展示の撤去は非常に不愉快である」とイヤな顔をした。不愉快なのはこっちじゃないですか。それにマディガン長官の「日本市場が米国の農産物に規制を加えている」というのは、とんでもない事実誤認である。日本は農産物の輸入大国である。もっと言えば、世界最大の穀物輸入大国である。穀物自給率三〇パーセント、これは世界でもドンジリからかぞえて何番目というほどの低さ、つまりそれぐらい外国から食糧を買い込んでいる国、これほど「開かれた市場」が他にあるなら教えてほしい。しかも、その農産物輸入額約三〇〇億ドルのうちの四割ちかくを米国から買っている。「アメリカ、このヤロー」と怒鳴りたくなっても当然だと思いませんか。  しかし、筆者は、やはり怒鳴ったりはできない。というのは、米国にもものの分かった人が大勢いるからで、たとえば、四月四日付の「ワシントン・ポスト」紙の投書欄を見よ。 「コメは日本人の基礎的な食糧である。そのコメを自らの手で確実なものにしようとすることは、決して不合理なことではない」(R・S・ブラウン/ワシントン) 「農村を守ろうとする日本の国策は、文化的にも経済的にも意味を持つ」(K・K・コンバース/メリーランド州)  こういう手紙を読むと、アメリカがまた好きになる。さらに、次のような談話を読むと、もっとアメリカが好きになる。 「米政府は日本の法律で禁止された展示はやるべきではなかった。米政府はこの問題で日本を困らせ譲歩させることで、ガット交渉でECを説き伏せる材料にしようとねらっていると思う。われわれは米政府のガット政策に反対だ。各国は自国の農業政策を決める権利がある。日本はいまでも飼料穀物や大豆など大量の米国農産物を輸入してくれている。米国にとって最良の市場だ。われわれはこれを大事にしたい」  これは、「赤旗」(四月三日付)に掲載されたデービッド・センター氏(米国農業運動全国理事)の談話である。好きなアメリカ人がまた一人ふえた。 (「Bacchus」一九九一年七月号)      2  今日は一九九一年六月九日、日曜日。テレビのニュースを眺めていたら、ワシントンで行なわれた湾岸戦争の勝利パレードの映像が流れた。そのときの観衆の談話がおもしろい。一人は、「こういうパレードはソ連に任せておけばいいんだよ。これではまるでメイ・デーのときの赤の広場と同じではないか」。そして、もう一人は、「今日一日で一五億ドルもかかったというじゃないか。これと同じパレードをニューヨークはじめ全米の主要都市でもやるらしいが、ブッシュの人気とりだね。税金の無駄遣いだと思うよ」と言ったのである。  湾岸戦争には勝ったかもしれないが、経済はメチャメチャ、そっちの再建はどうなっているんだいというアメリカ市民の不満が、画面からこぼれ落ちてきそうな談話だった。  たしかに、貿易赤字と財政赤字の、双子の赤字の改善はむずかしい。しかし、むずかしいからと言ってただ手をこまねいていたのでは、ブッシュ氏は来年の大統領選挙に負けてしまう。つらいところだ。ところで、赤字解消のためには、アメリカの製品を国外に売るのが一番だけれど、売れるものはあるだろうか。まず、競争力のあるのは武器であるが、湾岸戦争のすぐ後だけになんとなく憚《はばか》られる。しかも、武器の大事なところは日本のハイテク技術におんぶしなければならない。これはちょいと癪《しやく》、となると、アメリカの売物はおのずと決まってくる。農産物、これしかない。  工業国は、たいてい農業国でもある。アメリカは大工業国であるから、当然、大農業国である。しかも、企業的農業なので、規模の利益というやつで、農産物が安くできる。たとえば、一〇年ぐらい前まで、アメリカは農産物の輸出で年間に四〇〇億ドルも稼いでいた。その黒字で石油ショックから立ち直ったぐらいである。ところが、八〇年代に入ると、周囲の様子がすっかり変わってしまっていた。それまで、アメリカから農産物を買ってくれていた国が自給できるようになった。たとえば、インドネシアがそう。さらに、カナダ、オーストラリア、イギリスなどが、穀物の増産に精を出し、競争相手としてアメリカの前に立ちはだかるようになった。アメリカは自国の農産物に輸出補助金をつけて競争することにした。平べったく言うと、あるものの生産費が四〇円かかるとしようか。しかし、一〇円でないと国外には売れぬ。では、政府から三〇円の補助金をつけて、一〇円で売ろうというわけである。たとえば、アメリカ政府は、八六年度のコメに七六・五パーセントもの補助金を出している。ちなみに同年度の日本のコメの補助金は一八パーセント、よく、「アメリカのコメは安い。日本の四分の一も安価」などと訳知り顔に言う人がいるが、その安さは、じつは、この途方もない補助金のせいであって、ここのところを間違えてはいけない。  ところが、この補助金が重荷になってきた。べらぼうな補助金だから、重荷になるのは当たり前である。ここで、話はEC(欧州共同体)へ飛ぶが、ECもまた多額の輸出補助金をつけて競争している。アメリカもECも、この大出血的ダンピング輸出をなんとかしたい。このままでは、財政負担が大きくなりすぎる、お互いに自制し合おうではないか、これが、つまり、ガットの、今回のラウンド(多角的多国間貿易交渉)の農業交渉なのである。  ふたたび平べったく言うならば、アメリカもECも輸出補助金を下げたいのである。だが、お互いに世界市場は制覇したい。だから、うっかり輸出補助金は下げられない。じゃあ、いったい、どのへんで妥協しましょうか。その妥協点を探るのに手間取って、交渉がなかなかまとまらないのだ。  さらに、ECには、アメリカとちがって、「農産物はみどりの石油である」という考え方があり、「国土を守るのは農業である」という信仰がある。したがって、補助金だろうがなんだろうが、ある程度の税金を農業に注ぎ込むのは当然だと考えている。ある程度の負担は覚悟の上で農業を保護しようというECと、保護撤廃を唱えるアメリカ(とはいいながら、そのじつ輸出補助金は廃止できないのであるが)、この両者の壮絶な押し合い、綱引き、話し合いが、この間の農業交渉の最大の眼目なのである。したがって、このごろさかんに言われている説、すなわち、「日本がコメ市場を開放すれば、ガットの農業交渉がまとまり、さらに、ガット交渉の全体が妥結する」という説は、大いに疑問である。  読者諸賢のなかには、「日本のコメ市場開放問題はガットでは小さな問題だというが、それなら、アメリカがなぜあんなに日本のコメ市場開放にこだわるのかね」と、反論なさる方がおいでかもしれないが、アメリカが考えているのは、「日本のコメ市場を開放させれば、ECを説得する材料の一つぐらいにはなるかもしれないな」程度のことではないだろうか。むしろ、日本の財界の、「大和民族の聖なるたべものであるコメを貢物にすれば、それが免罪符となって、より自由に輸出産業が活動できる」という計算のほうが勝っているとおもう。 「あくまでも部分開放、そうこだわらなくてもいいんじゃないの」とおっしゃる方もあるだろう。そういう方に、逆に尋ねたい。「麦や大豆は、結局、どうなりましたか」と。ほとんど全滅したではないか。 「それにしても、ミニマム・アクセス(最低輸入量)を認めるぐらいいいじゃないか。消費量の三パーセントにあたる三〇万トンをアメリカから輸入してあげなさいよ。アメリカがよろこぶからさ」という人も多い。たとえば、「文藝春秋」七月号で、三菱商事常務(元通産審議官)の黒田眞氏が、こんなことを言っている。 《日本では、「水田がなくなれば環境破壊だ」とか、「コメ文化が失われる」といった極端な議論になってしまう。誰もそんなことを言っていないんですよ。すでに三割減反のところ、三パーセントの輸入枠が加わって三三パーセントになるという問題なんですから。そのあたり、日本は幼いというか、およそ議論の態をなしていないように、私には思えてしょうがない》  いま、危機にあるのは、山村の棚田《たなだ》である。部分開放でダメになるのは、この棚田なのだ。コメのつくりやすい大きな田んぼは、たいてい便利なところにあるから、ひょっとしたら、この「三パーセント」の影響は受けないですむかもしれない。がしかし、ぎりぎりのところで耕作が続けられている棚田、山からの水を堰止《せきと》めている棚田、良質の地下水を涵養《かんよう》している棚田が、かならず影響を受ける。良質の地下水はハイテク技術になくてはならぬものではないですか。また、棚田は治水の要《かなめ》ではないですか。その棚田を危うくするから、これ以上の休田は認められないと言っているのである。幼いのはどっちだろう。  ついでに言っておくと、三〇万トンを全部アメリカから輸入しても、その金額は一億ドルである。しかるに、アメリカの対日貿易赤字は約一〇〇〇億ドル、焼け石に水、山火事に水筒、噴火に消火器で、あんまりアメリカが喜びそうにない。 「牛肉の輸入自由化でも、国内生産にはあまり影響がなかったではないか。だから、コメも……」と言う人もあるが、これには、森島賢東大教授の見解を紹介して、答えにかえさせていただこう。 《たしかに和牛の価格はほとんど下落していない。しかし、乳雄子牛は昨年夏以後半値近くにまで下がった。先ゆきを悲観した四万戸の農家が自由化決定以後の三年間で牛飼いをやめた。七戸に一戸の割合になる。牛肉の国内自給率は五一パーセントにまで下がった。これでも国内生産は順調といえるだろうか。(やがて)牛肉の国内自給率は一五パーセントまで下がってしまう……》  たとえ、三パーセントでも棚田のメカニズムは狂う。そのことを頭のどこかにしっかりと刻みつけて、自民党の政治屋さんや財界のお偉方の、今後の動きを監視しようと思う。 (「Bacchus」一九九一年八月号)      3  口をひらけばコメの話ばかりで、まことに恐れ入るが、へんに居直って言えば、人の心はかならずや時間に敗れる、いまがコメの話をするときであり、いまを外せば、コメの話になぞ、だれも耳を藉《か》してはくださらぬだろうとおもい、それで、毎月、コメについて書いてしまうのである。  前回、筆者は、次のように書いた。「アメリカが日本のコメ市場の開放にこだわるのは、ECを説得する材料の一つぐらいにはなるかもしれないと考えているからではないか」と。すなわち、アメリカ政府は、ECに向かって、「とうとう日本もコメ市場を開放しましたぞ。あなたがたも日本にならって、輸出農産物につけている補助金を全廃なさいよ」と言いたいのではないか。だから、アメリカは日本に、コメ市場を開放せよと、うるさく迫ってきているのだ、と。  このくだりは、もっと詳しく説明されなければならないだろう。アメリカ側の事情は、もっと切迫している上に、複雑であるらしいからである。さて、筆者はここまで、「アメリカ」を連発してきたが、正確には、「アメリカ政府」と「アメリカ議会」とに分けなければならない。アメリカ政府は二〇〇〇億ドルを超す巨額の財政赤字を抱え込んでいる。この大赤字をつくった元凶の一つが農業保護のための財政支出である。なにしろ、年によっては、二六〇億ドルもの補助金が必要になるから、政府としては、一日でも早く、この支出を断ってしまいたい。ところが、アメリカ議会の方は「農業保護万万歳」、去年などは、九〇年農業法なるものを議決してしまった。この法案を一口で要約すれば、「これからの五年間に四一〇億ドルの農業保護をおこなう」というもの。つまり、ここで二つのことを確認しておくことが大切である。アメリカでは、議会と政府とは、まったく別のものであるということ、もう一つ、アメリカでは、議会の方が断然、力が強いということ。したがって、政府は、新ラウンドに「すべての国は、農業保護を全廃すべきである」という理想論を掲げて臨んでいるけれど、それはアメリカの国論ではない。政府がそう唱えているだけなのだ。もっといえば、農業保護全廃は、財政赤字をなんとかしてなくしたいという政府の夢なのである。そして、この夢にはまだつづきがある。世界の国ぐにが農業保護全廃ということにでもなれば、笑うのはカーギル社やコンチネンタル社などの巨大な穀物メジャーや農業商社《アグリビジネス》である。国土保全などの「農の力」を一切無視して工業的農業を展開すれば、例の「規模の利益」というやつで、安い農産物がつくれるし、世界の穀物市場を独占できる。そうなれば、価格の操作など、思いのままだ。これを俗に「ニクソン戦略」というが、この夢がかなうのである。ちなみに、アメリカ政府の農務省の長官や次官は、たいてい、右の穀物メジャーの社長や副社長がつとめることになっている。農務関係の高官をつとめおえると、彼らはまた穀物メジャーへ戻っていく。これをまたも俗に「回転ドア人事」というが、彼ら夢見る人びとは、次のようなシナリオをもっているらしい。 「まず、もっとも圧力をかけやすい日本に譲歩を求めて、日本にコメ市場開放の約束をさせる、これが第一段階。次に、ECにたいして、『あの日本さえ、命の次に大切にしているコメを開放しようと言っている。ECさんも日本にならって譲歩してくださいよ』と説得にかかる、これが第二段階。ECに譲歩させたところで、仕上げにかかる。すなわち、政府は、アメリカ国内に向けて、『日本もECも農業保護全廃に踏み切った。それが、世界の世論なのだ。われわれアメリカとしても、この世界の世論は無視することはできない』と説く」  こうして、アメリカ政府は、日本とECの譲歩を「外圧」にして、アメリカ議会と国内の農業団体に、農業保護の削減、そして、全廃を認めさせる。これがアメリカ政府の書いている筋書だろう。いってみれば、日本とECは、アメリカの国内問題の解決のために使われる道具なのである。ECが、「そんなバカな役割なんてあるものか。アメリカさんのお家の事情の都合で、われわれの牧場のみどりを犠牲にするわけにはいかないよ」と、アメリカの提案を拒否しつづけていることは、周知のとおりである。  ところで、海部首相のもとに、ヨーロッパやアメリカの農民団体や環境保護組織から、たくさんの書簡が届いていることは、あまり知られていない。コメ市場開放を決意している日本政府やそれを支持するマスコミが、それらの書簡を隠している、というとカドが立つが、ま、忘れているらしいと言いなおして、そのうちから、二、三、紹介することにしよう。アメリカで、多国籍企業主導の新ラウンドに反対している「公正な貿易のためのキャンペーン」(グレッグ・メリリース代表)は、海部首相あてに、こんなことを言ってよこしている。 「日本がホワイトハウス(アメリカ政府)の圧力に屈してコメ自給方針や農業政策をかえることがないように要請する。ホワイトハウスの圧力にたいしては、アメリカの家族農家のほとんどが反対している」(九一年五月二〇日付書簡・「日本農業新聞」より)  アメリカの家族農家というところにご注目いただきたい。これは正しくは、ファミリー・ファーム(家族経営農場)のことである。ファミリー・ファーム、すなわち、勤勉な自営農こそが「アメリカ社会の土台を支える基盤」(永田恵十郎)なのだ。「シティに住む人も、タウンに住む人もすべて、ファミリー・ファームを維持せよ。それは国民生活において失ってはならぬ諸価値を代表する」(金沢夏樹)、これが家族経営農場なのである。アメリカから日本へやってくる野球選手の大半が、契約金や俸給で本国に農場を買う。なぜか。アメリカ人にとって、農場主になることは「出世」であり、また、「誇り」でもあるからである。ところが、七〇年代、アメリカの農産物が世界を席捲していたころ、「農業は儲かる」というので、多数の大資本が農業に進出してきた。彼ら新参者は、金にものをいわせて、工業的農業を展開し、大地の力を根こそぎ収奪している。つまり、アメリカ国内に家族的農業と工業的農業との対立があって、そのうちの家族的農業をおこなう自営農たちが、日本のコメ自給を支持しているわけである。  海部首相への書簡をもう一つ引いておく。ドイツのルドルフ・ブンツェルン博士(ヨーロッパ強化協会協議会事務局長)は、こう書いてきている。 「もし、日本政府が食糧安保をあきらめれば、ドイツ政府は、アメリカやケアンズ・グループ(オーストラリアなど、補助金なし輸出国で構成)からの圧力を制止できなくなることはあきらかである。日本の決断はヨーロッパの農民と環境の将来に密接につながっている」(九一年五月二七日付書簡・「日本農業新聞」より)  こうして、コメ自由化に関する見取り図は、いまや明白となった。普通の人びとは、基礎的食糧の自給に賛成し、大企業や多国籍企業は、基礎的食糧の自給に反対するのである。 (「Bacchus」一九九一年九月号)   続・コメの話    1 コメ交渉で日本はECと共に食糧安保で戦え! 「奇跡の三四年間」という言い方がある。一九五〇年から八四年までの三四年間に、世界の穀物の生産量が記録的に伸びたのを「奇跡」と呼んでいるわけだ。どれぐらい伸びたか。六億トンから一六億トンに増えた。ざっと二・六倍の増収だ。たしかにこれは奇跡といっていい。では、なぜ、こんな奇跡が現われたのか。まず、耕地面積の拡大がある(二四パーセント増)。つづいて、農民の努力による土地の生産性の向上があり、農業技術の向上があり、高収量品種の導入があり、そして、化学肥料の投下量の増大(なんと九倍)があった。 「そんな調子で生産量が増えているなら食糧の心配はしないでもいいわけだ」  とおっしゃる方が出てきそうなので、慌《あわ》てて注釈をほどこせば、じつは、八五年からこっちは、生産量がこれまた記録的なペースで落ち始めている。八五年からの四年間で一四パーセントも落ちた。年平均にして三・七パーセントの減収。理由は、まず第一に、異常気象がある。それから、土壌浸食に表土流失、灌漑《かんがい》用水の使いすぎで地下水位も下がってきた。そして、主な農業技術が出尽くしてしまった。だからあまり安心はできない。奇跡なんぞそんなにたびたび起こるものじゃないらしい。という次第で、コメ問題の背景のそのまた背景に、穀物の生産量が減り始めているという事実のあることを、どうか心に留めておいていただきたい。  ところで、局地的には農産物は余っているかのように見える。たしかに西ヨーロッパも、またアメリカも、過剰生産に悩んでいる。だからこそ、新ラウンドで双方が角突き合わせているわけだが、しかし、そんな贅沢を言っているのは、一〇億の先進工業国の人たちだけ、残る四〇億人は、そうは満腹していない。ひどいところでは飢えている。筆者が言ったのではあまり重みがないので、レスター・R・ブラウンの『地球白書一九九〇—九一』(加藤三郎監訳・ダイヤモンド社)から引用しよう。 《生産可能な農地が限られ、水文学的サイクルによって与えられる淡水が限界に達し、地球物理学的プロセスによって生み出される土壌も頭打ちという状況の中で、世界の農業の産出高の伸びは次第に鈍化しはじめている。わずかばかりの農地拡大はあるが、別のところで農地が非農業用地に転換されたり、劣化した農地が放棄されたりして相殺されている》  ここまでを裏返しにして言い直すと、食糧はある国にはあり余るほどあり、ない国にはまるでない、ということになるだろうか。つまり、食糧は戦略物資なのである。食糧をできるだけ高く他国に売り付けたい、だが、あまり高く吹っかけては、得意先を競争国に奪われてしまう。では、補助金をつけ値を安くして売ってやろう。みすみす腐らせてしまうよりその方がましだ。西ヨーロッパ諸国(EC共同体と言い換えてもよい)もアメリカもそう考えた。こうして補助金競争が始まる。そして、双方とも、補助金が重荷になりだした。  さて、ここから二つの考え方が生まれる。一つは「補助金なしで、実力で競争しようじゃないか」という考え方、もう一つは「農産物は緑の石油であるから、農業のための多少の補助金はやむを得ない。実力でこいといわれても困る」という考え方。前者がアメリカやケアンズ・グループ(オーストラリア、カナダ、ニュージーランドなど、一四の農業輸出国)で、後者がEC諸国である。  一見、前者の意見の方が正しいように見える。なにしろ、ガットそのものが、自由貿易を推し進めるために締結された国際協定である。実力による自由競争こそ望ましい。なによりも、第二次世界大戦も世界経済のブロック化が原因で起こったのではないかという反省がある。だれだって前者に軍配をあげたくなる。  ところが、前者と後者とでは、農業の中身がちがう。まったく別のものといっていいぐらいちがう。そこで両者は劇的に対立しているのである。  いったい、どこが、どうちがうのだろうか。日本大学の高橋正郎教授の卓見をご紹介しよう。  アメリカとケアンズ・グループ諸国、すなわち、オーストラリア、カナダ、ニュージーランドなどの農業輸出国の特徴はなにか。いずれも「新大陸の諸国」である。これら新大陸の諸国は、《白地に新しい農業を築くことができた》。すなわちこれら新大陸の諸国は、筆者の乱暴な言い方を許していただければ、インディアンやアボリジニーやマオリ族といった先住民族にちょいと脇へどいてもらい、そこへ自由に、そして、大規模に農業を展開することができた。つまり大規模農業が可能な国なのだ。これにたいして、旧大陸の国ぐには、言い換えれば、EC諸国は、《有史以前から積み重なった数多くの仕組みが、その農業構造に蓄積していて、一朝一夕にその構造を根底から変えることはできない》。したがって以前からの中農法を守っていくより仕方がないのである。  大規模農業は土の力を収奪して規模の利益をあげる。だから生産費は安くなる。いわばこれは企業的農業である。これにひきかえ旧大陸のやり方は農民的農業なのである。自由競争になれば、企業的農業に負けてしまうのは必然だ。そこでECはアメリカと対立する。新ラウンドの農業交渉が難航しているのは、右のような事情があるからだ。  一九九〇年、筆者はアメリカ大使館のパーカー公使(農政担当)と話をする機会に恵まれたが、そのときに痛感したのは、「農業に対する考え方がかくもちがうものか」ということだった。公使は、農業は自然と対立するものであるとしきりに説いた。彼によれば、農業は大自然を害なう生産なのである。日本人は(もちろん旧大陸の人びとも、また東南アジアの人びとも)、農業は大自然と人間との合作だと考えている。どちらが正しいかと問うのは愚かである。それぞれが、それぞれの風土に適したやり方で農業を推し進めるしかない。日本に新大陸型農業をおしつけられても困るし、逆に、アメリカに向かって旧大陸型農業をおすすめするわけにも行かぬ。  本誌(「バッカス」)の先月号でも引用したが、ドイツのヨーロッパ強化協会協議会から、海部首相に宛てて、 「もし、日本政府が食糧安保をあきらめれば、ドイツ政府は、アメリカやケアンズ・グループからの圧力を制止できなくなることはあきらかである。日本の決断はヨーロッパの農民と環境の将来に密接につながっている」  という内容の書簡を送ってきている。旧大陸型農業国である日本がだれとともに戦うべきか、自ずとあきらかだろう。    2 部分自由化容認論者はバカ親父に似ている 「コメは一粒たりとも日本に入れないというのはおかしい。そんな手前勝手は国際社会では通用しない」という意見をしたり顔して打《ぶ》つ人があるが、これは程度の低い俗論である。  第一に、日本はすでに外国米を米粉調整品という形で年間五万トン輸入している。コメの国内生産量はざっと一〇〇〇万トン、したがって、その〇・五パーセントを開放していることになる。さらに、一〇〇キロまでなら個人の携帯品として国内に持ち込むことができる。そこでどうしても外国米が食べたいという人はこの制度を利用すればよい。現在の日本人一人の年間のコメ消費量は七〇キロだから、この制度がいかに度量の大きいものであるかは、だれにでもわかるはずだ。  第二に、日本は、これまでにただの一度も「コメは一粒たりとも輸入しない」などと言ったことはない。「国民生活安定のため、食糧自給力の強化を図り/米の需給安定を図る」(一九八八年九月二〇、二一日の衆参両院本会議で決議された『米の自由化に反対する国会決議』)と言っただけである。  第三に、食糧を輸入することが国際社会への貢献であるというのであれば、日本ぐらい感心至極な国は他にない。なにしろ、日本の農林水産物輸入額は年間五〇〇億ドル(約七兆円弱、一九八九年)、これは世界最高の数字である。しかもその四割をアメリカとカナダから買い入れている。くどいようだが、もう一度、念を押させていただく、日本は世界最大の食糧輸入国、農産物市場を十分すぎるほど開放している感心な国なのである。おかげで日本の穀物自給率はわずかの三〇パーセント、人口一〇〇〇万以上の国ぐにでは最低の自給率にまで落ちた。  幼稚な俗論がもう一つ世にはびこっている。「コメの完全自給にあまりこだわっていると、アメリカが黙ってはいまい」というのがその俗論である。それはもうアメリカとしては、日本がコメ市場まで開放してくれたら喜ぶことはたしかだ。だが、例のヒルズ通商代表が、一九九一年の四月二九日、ホワイトハウスで記者団にこんなことを言っている。 「日本のコメ問題が新ラウンドの農業交渉を進める上で障害になっているなどと考えたことは決してありません。新ラウンドの鍵はECの保護政策を除去することです」  もっとおもしろいのは、その四日後、ワシントンを訪れていたEC農業政策の最高責任者マクシャリー農業担当委員の記者会見での談話で、こうである。 「ヒルズ通商代表がどんなに脅かしても、ECは新たな譲歩をするつもりはない」  この応酬は、新ラウンド農業交渉の核心がどのへんにあるかをはっきり物語っている。したがって、「日本がコメ市場を開放しさえすればガットの農業交渉がまとまり、ガットの全体が妥協する」という論も当てにならないガセネタである。では、だれが自由化を望んでいるのか。これは後に譲ろう。いまは俗論打破の時だ。  部分自由化を、正確には「コメ市場部分開放容認論」と称するが、この言葉もマヤカシである。この論をもう少し詳しくみてみると、次のように要約されよう。 〈日米摩擦の象徴になっているコメで譲歩しなければ、日米関係がさらに悪化し、工業品の輸出などにも影響する。日本の年間のコメ消費量の三パーセント(三〇万トン)から五パーセント(五〇万トン)の市場開放に踏み切ってはどうか〉  なんとなく消費量の三パーセントから五パーセントを輸入すれば天下が丸く治まりそうな雰囲気があるが、じつはこれが曲者なのだ。  新ラウンドでアメリカが提案しているのは部分自由化ではなくて、「関税化」なのだ。ここを間違えると飛んだことになる。アメリカの提案はこうである。 「各国は、輸入制限などの貿易障害をすべて関税の形にし、その関税率を徐々に下げていくようにしよう。コメについては、当初は七〇〇パーセントの高率関税をかけてよいが、一〇年後はそれを一七五パーセントまで引き下げなければならない」  簡単に言えば、関税化とは一〇年間で完全自由化をいたしましょう、ということなのだ。まったくなにが「部分自由化」だ。部分、部分と言い立てて実体をごまかしている。これはほとんど言葉の詐欺である。たとえて言えば、「軒下にちょっと雨宿りをさせて下さいまし。お断わりになっては、人情にそむくってものですよ」と旅人が言っているから、軒下を貸してやろうよ、と家の者たちを言い包《くる》めているバカ親父に似ている。旅人が、「一〇年後にゃ、この家を乗ッ取りますよ」と言っているのに、どういうわけか、家の者たちにはそれを隠している。だからバカ親父なのだ。 「消費者にコメ選択の自由を与えよ。カリフォルニア米を食べたい人があれば食べさせよ。日本のコメがおいしければ、どこの国のコメにも勝てるはずだ」というのも、幼稚な俗論である。ここに二つの試算がある。じっくり読んでいただきたい。 《……内外の品質差の大きい牛肉でさえ、(輸入自由化後は)国内自給率は五一パーセントまで下がった。米の場合、国内自給率は三三パーセント以下になるだろう、というのがわれわれの研究会の結論である》(森島賢東大教授、'91・5・13「日本農業新聞」) 《……(コメの国内)生産量は二〇〇万トン以下になり/コメの輸入は一〇〇〇万トンにもなる》(大賀圭治編著『米の国際需給と輸入自由化問題』農林統計協会)  つまり、日本のコメは、貴重品になる。よほどの金持でもなければ食べられなくなる。むかし、「貧乏人は麦を食え」と言って世の顰蹙《ひんしゆく》を買った首相がいたが、こんどは「貧乏人は外国米を食え」ということになるだろう。そうなってなにが選択の自由か。    3 コメは完璧な食品、そして日本文化のささえ  コメ(稲)、小麦、トウモロコシを「三大穀物」という。この三種で、全穀物の四分の三を占める。  さて、コメの世界総生産量(四・六億トン)の九〇パーセントまでがアジアで作られている。コメはアジアの人びとの生命そのものなのである。  そのアジアの特徴はなにか。断然、雨である。夏、「世界の屋根」ヒマラヤ山脈と「世界の岩塊」チベット高原は、太陽の熱を受けて灼《や》け、付近の空気は熱せられて上昇する。その真空地帯めがけて、南の海から水をたっぷり含んだ季節風が吹き込んでくる。このモンスーンがアジアに大量の雨を恵む。  試みに世界各地の年平均降雨量を書き出してみよう。 ストックホルム      五五五ミリ モスクワ         五七五ミリ ロンドン         五九五ミリ パリ           五八五ミリ ローマ          六五三ミリ アスワン(エジプト)     二ミリ バグダッド        一五六ミリ シンガポール      二二八二ミリ バンコク        一四九二ミリ 上海          一一三五ミリ ポナペ         四八七五ミリ 鹿児島         二三七五ミリ 大阪          一四〇〇ミリ 尾鷲          四一一八ミリ 名古屋         一五七五ミリ 長野           九八七ミリ 東京          一四六〇ミリ 仙台          一二一九ミリ 札幌          一一五八ミリ アンカレッジ       三七五ミリ ロサンゼルス       三八七ミリ ニューヨーク      一一二三ミリ  ちなみに、地球全体での年平均降雨量は九〇〇ミリであるが、それはとにかくとして、右の数字の列は正直にアジアに雨の多いことを証明している。  そこで、この高温多湿のアジア・モンスーン地帯の住居にも、ある特色が出てくる。《高床式の住構造の、通気性のよい家》、これがその特色である。角田重三郎さん(東北大学名誉教授)のお説を引く。 《稲は通気性が抜群によい作物であるので、モンスーン・アジアの高温多湿で水が豊かな風土、そして洪水常習の地帯に適したものである。一方、小麦は、通気性を制限している作物であるから、比較的寒冷な風土に適している。/アメリカの大農耕地はミシシッピ川流域、東のアパラチア山脈と西のロッキー山脈のあいだに開かれたが、その中央部の地帯がトウモロコシにとってこのうえないような適地であり、それゆえに大産地となっている。この地帯は、北アメリカ大陸の内陸部であるためにいわゆる内陸性気候であり、夏は高日照、高温、そして雨量は少ない。この地帯に適する穀物は、水をできるだけ節約しながら、高日照・高温の利点を生かすものでなくてはならない》(『新みずほの国構想』農山漁村文化協会)  イネの通気性のよさはどこでわかるか。角田教授によれば、《葉にあけられている通気のための孔、専門語で「気孔」といわれ、建物での「窓」にあたるもの、この孔の数》でわかる。《稲では、一ミリメートル平方の葉面の表裏合計で気孔が一〇〇〇個内外もあけられている。一方、小麦では(同じ面積で)一〇〇あまりから二〇〇個未満の程度である》トウモロコシの気孔は小麦よりわずかに多く、一七三から二五六個。  つまり、穀物には、はっきりと戸籍がある。そして、人間は、その土地でよく育つ作物の構造を手本に住居をつくる生きものなのだ。別に言えば、その土地の自然と作物と人間の住まい方は三位一体、たがいに切り離せないものなのだ。《ヨーロッパでは「牧場」、アメリカでは「草原」、日本では「海」と「山」と「森」と「川」が、それぞれ小麦、トウモロコシ、稲の適地となって、それぞれの景観を構成している。みごとに展開された牧場と小麦畑、そして大草原と世界一多収のトウモロコシ畑。海と山と川に抱かれて成立している水田耕作、これらが、欧米そして日本で人びとのくらしをささえ、独自の景観、そして独自の文化を形成するうえで、かけがえのないものであった》  コメはなぜアジア・モンスーン地帯の人びとの、とくに日本人の主食になったのか。答えの半分は角田教授が出してくださっている。すなわち、イネは、日本の風土によくあう。だからつくりやすい。水に恵まれた水田耕作、麦類とちがって連作がきき、しかも肥料がなくともよく育つ。山や森から雨が、水が、落葉や虫や小動物の死骸を運んできてくれる。これが肥料になる。また、コメは精白が容易である。粉にしなくともたべられるし、そのままでも充分においしい。さらに、コメは穀物としては珍しく栄養的にバランスがよく、他の食品の助けがそれほど必要ではない。なにしろ、コメに含まれている蛋白質は、人間のからだに不可欠な八種類のアミノ酸をすべて備えている。引き合いに出して気の毒であるが、小麦の蛋白質は質がよくない。どうしても動物性食品に手助けしてもらわねばならぬ。  大部分の食文化は、重要なたべものをいくつか組み合わせて食事体系を作り上げている。そこからは、「これさえあれば絶対大丈夫」という食品、つまり「主食」は生まれてこない。だが、われわれにはコメという完璧に近いたべものがあった。そこで、主食と副食という食文化が成立したのである。  アジアには人口が多い。日本にしてもそう、ちいさな島国に大勢の人間が生きてきた。それが可能だったのも、コメにそれだけの力があったからである。コメは日本で、そしてアジア・モンスーン地帯でつくられるべきだ。ま、そう力むこともないか。    4 日本がコメを輸入したら世界のコメ相場は暴騰する  第三話をお読みになってハテと小首をお傾げになった方があるかもしれぬ。「明治以前の日本人は雑穀主義だったのではないか。だとすれば、主食も副食もないはずだ」と。もっともな疑問であるが、日本人はコメをたべつづけてきたのである。武士階級はコメで俸給を貰っていたし、日常では、コメ七分、麦三分のめしをたべていた。町人階級はもっとコメをたべた。 《一八五九年下半期の大丸江戸店の食費中の米代金は三七%であった。一八四八年の家族四、五人、奉公人四、五人、合せて八、九人の商店では、一人当年間精米消費量が一石六斗(二二八キロ)で、副食としては大根漬だけが計上されている》(持田恵三『日本の米』筑摩書房)  現代の日本人の年間消費量は七〇キロ、江戸期の人びとはわれわれの三倍以上もコメをたべていた勘定になる。もっとも、農民、とくに山村や畑作地帯の農民は、正月の三カ日さえコメをたべることができなかった。しかし、彼らにしても、「いま、自分たちは雑穀をたべているが、これはあくまでも主食コメの代用品である」という意識ははっきりともっていた。そういう次第で、コメを主食とする日本の食文化の歴史はずいぶん古いのである。  さて、コメは、国際市場に出て来にくい穀物である。これは重要なことがらなので、すこしうっとうしいが、数字をあげて説明しよう。一昨年、すなわち一九八九年の全世界のコメの総生産量は約五億トンであった。そのうち輸出されたのは日本の生産規模に近い約一三〇〇万トンだった。つまり、輸出に回されたのは、生産量のわずか三パーセント弱だった。では、小麦の場合はどうか。小麦は生産量の二〇パーセント前後が輸出に回されている。したがって小麦の場合、国際市場での品が厚い。豊作凶作のたびに値は動くが、しかしその値動きは穏やかである。ところがコメは、いつも品薄なので、値動きが烈しい。たとえば、一九七九年、生産量が例年の二パーセントほど落ちた。とたんにコメの値が暴騰した。それも驚くなかれ前年の三・七倍もはねあがったのである。三年後の八二年は世界的な豊作だった。コメの値段は前年の半分以下まで落ちた。ときにコメの国際価格の上げ下げの鍵をにぎっているのは、世界最大のコメ輸出国のタイである。年間約六〇〇万トン、これは世界のコメ貿易量の半分に近い。そこでタイの豊作凶作が国際価格の動向を支配することになる。一例をあげよう。八七年、アジア地域を旱魃《かんばつ》が見舞い、タイのコメ生産量が一・四パーセント減少した。国際価格はどれぐらい上がったか。なんと五三パーセントも上がった。このようにコメという商品には著しい投機性がある。ちなみに、コメの輸出国はタイ、アメリカ、そしてベトナムが三傑、この三傑で世界の貿易量の七割以上を制している。一方、コメの輸入を希望する国は一〇〇カ国以上もある。ついでに、輸入国の主なものは、中国(一三〇万トン)、イラク(七〇万トン)、インド(六〇万トン)、サウジアラビア(五〇万トン)といったところだ。忘れてならないのは、アフリカ諸国であって、彼らは毎年、三〇〇万トンのコメを買い入れている。さて、ここで日本がコメの自由化に踏み切ったとしよう。第二話で紹介した大賀圭治さんの試算によれば、「輸入自由化後はコメの輸入は一〇〇〇万トン」にもなる。コメの貿易量は前述したように一三〇〇万トンである。となると日本は世界の全貿易量の八割近くを買い占めることになる。もちろん、コメ輸出国は「それ、日本が高く買ってくれるぞ」というので大増産に励むだろう。がしかし、その大増産がなるまでは、コメの値段が上がるだろう。金満日本は少しぐらい値が上がっても応えないだろうが、これまでコメを買っていた途上国の人びとはどうなるのか。高くて手が出せなくなる。憎まれますよ、これは。それでも、日本にはコメが出来ないというのであれば仕方がないが、水田というすばらしい装置を備えた、世界でもっともコメがよく出来る、しかも秀でたコメづくりの技術を持っている日本が、世界市場に出回るコメの大半を買い占めたら、これはもう世界の嫌われ者になるのはたしかである。  輸入自由化論者のみなさんは、自由化に反対を表明している者をみると、決まって、「この国際化時代になんて狭量な……」と眉をひそめる。しかし、日本のコメの輸入自由化が国際社会からかえって顰蹙《ひんしゆく》を買うだろうことは、右に述べたとおりである。しかも彼らは同胞にたいしても不誠実である。仮にコメを自由化したとせよ。そのときそのときの気象状況その他によってコメの値がはなはだしく上下に動いたら、どう責任をとるおつもりか。下がったときはいいとして、もしも前年比が二倍だの三倍だのになったら、どうなさるおつもりか。その方策を伺わぬうちは、自由化に賛成するわけにはまいらぬ。  それはそうとタイ米は日本のコメの八分の一、なぜあんなに安いのだろうか。なによりもタイの水田率が低い。水田は三割、残る七割は川のそばの湿地である。雨期に川が氾濫する。川の水がたっぷりと滋養分を運んできてくれるから、そこが水田になるのである。つまり水利灌漑費《かんがいひ》がかからない。次に高価な肥料は使わない。さらに農薬もほとんど使わない。おまけに機械も使わない。機械のかわりをしているのは家畜である。そしてなによりも労賃が安い。農民の年間所得は約五万円だといわれる。むずかしく言うと、伝統的粗放技術で低単収だが、しかし元手がかからない。これがタイ米のおそるべき国際競争力の秘密である。  しかし、あえて繰り返して言おう。コメは出回る量が少ない。そこへ豊作凶作の凸凹《でこぼこ》が加わって国際価格は信じられないほどはげしく変動する。それがコメという貿易商品の特徴なのだ。タイ米がいつまでも安いとはかぎらない……。    5 肥満のアメリカ人が急にコメ好きになった理由《わ け》  USAライスカウンシルという団体が米国米の宣伝パンフレットを送ってきた。全一六頁、立派な紙にカラー写真がたくさんの豪華なパンフレットである。おしまいの頁に自己紹介が載っていた。それによると、《稲作農家、精米業者、その他のコメ産業従事者からなる非営利組織。加盟者の自発的な出資金に基づき、米国の内外においてアメリカ産のコメの消費を拡大するための活動を行なっています》とのことであった。ところで別の頁にこんなことが書いてある。 《米国のコメは健康増進に役立つ栄養食品であり、またダイエット食品としても理想的な特性をもっています。数千年にわたって世界の人々の大部分を支えてきた主要な作物であるコメは、万能の食物であり……》  昭和二〇年代の末、筆者の勤めていた国立療養所にアメリカ人の栄養学者が視察に訪れ、患者食を一目みるやこう叫んだのを思い出した。 「ごはんをたべさせていては結核はなおりません。コメはダメなたべものです。パンに切りかえるべきです」  コメの栄養価は低い。それに肥るし、頭も悪くなる。これは四〇年代までさかんに唱えられていたスローガンだった。とくにアチラ仕込みの栄養学者のみなさんはひときわ声高にコメ悪者論を叫んでいた。  ところが戦後流行《は や》った栄養学の総本山のアメリカの人たちが「コメは万能の食物である」と説く。なんだか悪い夢を見ているような気分である。いったい、アメリカでなにが起こったのだろうか。  一九七〇年代になって、アメリカでは「肥満」が社会問題になっていた。なにしろ、「成人の三分の一が肥満である」という統計が出たぐらいである。そのころアメリカでは、死因のトップが心臓病で、全死因の約四割を占めていた。ついでガン、脳血管疾患とつづき、この三つの病気で、死因の三分の二に達するという勢いだった。ガンはとにかくとして、あとの二つは肥満が原因しているのではあるまいか。肥れば肥るほど血圧や血糖や血液中のコレステロール値があがる。糖尿病や高血圧症や胆石症や心疾患なども肥満と関係があるかもしれない。いろんな説が飛び交った。なかには、交通事故も肥満が原因になることが多いという説をなす学者もあらわれた。「肥っていると動作がもたもたする。そこで適切な運転ができなくて、事故を起こすのだ」というわけだ。ある統計学者は「肥満の増加と医療費の増加とは正比例する」という研究を発表した。一九六〇年にGNPの六パーセントだった医療費が一五年後には一〇パーセントに達しているが、これは肥満の増加と密接な関係があるということをたくさんの数字を並べて立証してみせたのである。この研究はたいへん評判になった。  こういう次第で肥りたくないという人が増えた。そこで流行したのが「断食療法」である。病院に入る。その日から食事は停止。停止しっぱなしでは餓死してしまうから、一〇日目あたりに麦粥が与えられる。麦粥で体力をつけておいてまた断食、死にそうになったら麦粥。これを八週間ぐらい繰り返すと適正な体重になる。そこで退院。もっともこの断食療法は間もなく禁止された。あまり急激に痩せると、心臓を動かしている筋肉がぷつんと切れる危険があることが分かったからだ。それに断食療法で痩せた人の三分の二が、半年後にはまた元の肥満体に戻っているということも分かった。危険が大きいのに効果は少ないのだから禁止になって当然である。  次にはやったのは「肥満外科」である。栄養分の吸収面積を小さくするための小腸バイパス手術があり、食事量を減らすために胃を小さくする手術があり、皮下脂肪を剥ぎとる手術があった。  ちょうどそのころ、大統領命令でジョージ・マクガバン上院議員がアメリカ人の食生活を調査した。この上院の「栄養と人間ニーズに関する特別委員会」の報告書が、 『米国の食事目標』(一九七七年)  である。七〇〇万部も出たというから大評判をとったわけである。  この報告書をくわしく説明する紙幅はないが、はしょって言えば、肉とソフト・ドリンクとスナックが槍玉に挙げられている。たとえばソフト・ドリンクについては、こう書いてある。 《糖分をカットする対象としてもっともはっきりしている品目はソフト・ドリンクであろう。食事からソフト・ドリンクを全面的に駆逐したとすると、それだけで目的の半分は達成されたことになろう。ソフト・ドリンクの消費量は一九六〇年から七五年までの間に、一三・六ガロンから二七・六ガロンと倍増した。アメリカ人は年間に一六オンス入り缶で二二一本も飲むのである》  塩分の摂りすぎは、プレッツェルやポテトチップスのような塩分が肉眼で見えない食品をよくたべるからである、と報告書は言っている。そして、理想的な食品のなかに玄米や豆や魚肉や海草をあげた。 「……そういえば」  と多くのアメリカ人が日本人のことを思い浮かべた。 「彼らは世界一の長寿を誇っている。それに中年になっても肥らない。しかも、あのエネルギー。秘密がとけた。肥らないためには、彼らにならって、コメや豆や魚肉や海草をたべればいいのだ」  こうしてたちまち日本食ブームが巻き起こる。街のあちこちにすしバーができ、肥満で困っている人びとのために「ライス療法」がほどこされた。それまで「海の雑草(sea weed)」と呼ばれていた海草が「海の野菜(sea vegetable)」になったのもこのころのことだ(全国食糧振興会『世界各国の食生活指針』農山漁村文化協会)。こうしてアメリカ人もよくコメをたべるようになったが、その量はまだわずかである。一人当たりの消費量は年間六キロ(一九八七年)、日本の一二分の一である。    6 自然を収奪するアメリカ巨大農業にコメをまかせられるか  大胆に単純化すれば、アメリカには二種類の農場がある。一つは家族農場であり、もう一つは巨大な企業的農場である。  前者については前回に書いたからくどくは言わないが、《まずはじめに親の農場で無給の家族員労働者として働き、ついで農業賃労働者となり、さらに小作農を経て営農経験と資金を蓄積し、さいごに自作農として一本立ちする》(食糧・農業問題全集㈰『農業の活路を世界に見る』農山漁村文化協会)、そういう農民が経営する農場が、家族農場である。  アメリカに家族農場しかなければ話は簡単だが、一九七〇年代初めに大きく事情が変わる。七二年八月、アメリカ各地の小麦価格は一ブッシェル(穀物の単位、小麦では六〇ポンド)当たり一・六八ドルだったが、七三年までに二倍以上の三・七五ドル前後に跳ね上がり、ソ連の買い付けが終わるころには四ドルになった(カンザス農業資料集、八六年刊)。農業はとても有望なビジネスになるというので、巨大資本が乗り込んできた。政府も「アメリカは世界のパン籠《かご》になろう」と考えて、この動きを支援した。  コメにしても事情は同じだった。一九七〇年のコメの生産量は二六〇万トン、それが一一年後の八一年には二・三倍の六〇四万トンにふえている。ところが八〇年代前半になるとそれまでのコメ輸入国がつぎつぎに自給に成功し、さらにもっと安くコメをつくるタイが現われた。こうして構造的な不況が居座ることになった。コメ農家は減反を強いられ現在の減反率は二五パーセント、生産量は五〇〇万トン前後である。  不況の風をまともに受けたのは家族農場だった。古沢広祐さんのリポートを読んでみよう。 《アメリカでは一九三〇年代の大恐慌以来の悲惨な農業不況が進行しています。一九八〇年代に入り、年間数万戸、一日当たり一〇〇戸を超える農家がつぶれています。日本とちがい農家の規模は大きいですから、地域で五、六戸の農家が破産すると、連鎖して、農機具店、金物店、ガソリンスタンド、そして地方銀行へと将棋倒しのように破産の波が広がります。ひどいところでは、まさしく地域社会の崩壊状況が始まっており、家族農業のさかんな中西部の小さな街が農村貧民窟《ルーラル・ゲツトー》に変わろうとしています。農業州として有名なアイオア州では、一九八五年、食料切符をうける農民の数が約四倍増加したといいます。本来、食料を生産し、国民に食料を供給していたはずの農民が食料給付をうける立場に逆転してしまったのです。自殺、離婚、家庭内暴力事件もめずらしくありません》(「農業富民」八七年八月号)  巨大農場は水と土をも荒らした。降雨量が充分ではないので、深い井戸を掘りポンプで地下水を汲み上げ、長さ一キロものパイプに通す。この長いパイプがゆっくりと回転し、作物に水を与えるというのがアメリカの典型的な灌漑法であるが、汲み上げすぎて、地下水の水位がすっかり低くなってしまった。たとえばテキサス州ではわずか二〇年間に州内地下水の四分の一を使い果たしたという。地下水の水位が下がるとどうなるか。より深い井戸を掘らなければならない。深い井戸を掘るには金がいる。その金があるのは巨大農場だけである。こうして家族農場はつぎつぎに脱落していく。話は飛ぶが、インドでも同じことが起こっている。  規模をより大きく拡大するために、巨大農場は防風林をつぶし、土止めを壊し、傾斜地を開墾した。規模の利益をあげるために乱暴な開発を行なったのである。その結果、《いま、アメリカの農地は平均すると毎年一ヘクタール当たり一七トンもの表土を失っています。/保護林帯を設け、きめの細かい土壌保全策をとればいいのですが、ビジネス優先の世界では経済的に割の合わないことは無視されます。その点、家族農業の場合、親子代々その土地を長期的視野で管理しつづけることが可能ですが、営利優先のビジネス農業はどうしても収奪農業が行なわれがちとなります》(古沢広祐氏)  アメリカには二〇九万の農場があるが、八一年には、その一パーセントを占めるにすぎない二万の巨大農場が農業全所得の三分の二(六六パーセント)を確保してしまった。社会主義の計画経済には「無能」の烙印が捺されたようだが、資本主義の資本の論理というやつもおそろしい。金になりそうなところならどこへでもドッと押し入ってきて、たちまちすべてを食い荒らしてしまうからである。  ところでコメ農家の数は全米で一万二〇〇〇である(一九八七年農業センサス)。総農場数の〇・六パーセントだ。これらの農家は、カリフォルニア州と南部(ミシシッピ川デルタ地帯とメキシコ湾岸地帯)でコメをつくっているが、日本人好みの中・短粒米はカリフォルニアが本場だ。南部でも中・短粒米がつくられているが、そのほとんどが加工用(朝食用の粥、スープ、ベビーフードなど)に回されている。タイ米は値は安いが長粒米が主力だからいまのところは問題にならない(もっとも日本の市場が開放されたら、大急ぎで中・短粒米をつくることになるのはたしかであるが。さらに世界最大のコメ生産国である中国も参加してくるだろう)。こういう次第で、市場開放後はしばらくの間、カリフォルニアからコメが入ってくることになるが、そのカリフォルニアが水不足で大変なのである。  五年つづきの雨不足で、一九九一年二月、同州にある二〇〇〇の人工貯水池には、例年の三分の一しか水が貯まらない。そこで州政府の水資源局は米作農家に「今年は水を売ることができないかもしれない」と申し渡した。もっとも三月に入って恵みの雨があり、「例年の五割ぐらいなら水が回せるかもしれない」となったのは同慶の至りだが、いずれにしても、こうして見たように、アメリカの土と水は危機にある。そのアメリカにコメまで任せて大丈夫だろうか。    7 アメリカのコメはほんとうに安くて安全なのか  アメリカのコメ農家への補助は異常に突出している。すなわち、一農場平均で、八九年度が五万五〇〇〇ドル(一ドル一三五円で換算すると約七五〇万円)である。同じ年度の小麦(一九三〇ドル)の二八・五倍、トウモロコシ(四六〇〇ドル)の一二倍だ。これはあきらかに過保護だが、しかし逆にいえば、これぐらい手厚く保護しないと、コメ農家はやっていけないのだろうとおもう。  ちなみに日本の農家の場合はどうか。食料・農業政策研究センター編の『一九九〇年版食料白書』(農山漁村文化協会)には、こう書いてある。 《……国境保護のもとにおかれているから、アメリカとの単純な比較はできないが、日本の一農家当たり、平均財政支出(食管コスト、一九八八年)は九・三万円、これに農業基盤整備の総額を加えて算定しても、三六万円にとどまっている》(服部信司氏執筆)  世間が信じているほどは、日本の農家は保護されていない。  もう一つ、世間が頭から信じているものに、物価の国際比較がある。たとえば、「東京の卵はパリの卵より安い。卵は物価の優等生だ」と言う。たしかに東京の卵は頑張っている。それをきちんと認めた上で言うのだが、パリの卵は黄身が丸く盛り上がった有精卵なのだ。そのパリの卵と、黄身がすぐだらしなく平たくなってしまう無精卵を比べて安いだの高いだのと言ってもはじまるまい。コメも同じ、簡単に「アメリカのコメは日本のコメの四分の一だ」などと言う。東京から、からだを伸ばしてカリフォルニアのコメが買えるものか。カリフォルニアのコメは、まず籾《もみ》のまま精米所に運ばれる。精白され、船に積み込まれる。保険がかけられ、虫よけの農薬が撒かれる。三〇日間の船旅をする。日本の港に陸揚げされる。倉庫に入れられ、車で運ばれ、仕分けされ、そこでようやくわたしたちの前に並べられる。この間の運賃、精白代、保険料、農薬代、船賃、荷役料、倉庫代が入っていない。その間の業者の利益も入っていない。日本でたべるコメなのだ、「日本まで運んできていくら」という値段を示すべきである。むこうではいくら、こちらではいくら、と単純に比較するのはゾロッペイすぎる話ではあるまいか。  ところで、アメリカには「輸出管理法」(The Export Administration Act of 1969)という法律がある。そのなかに曰く、「……外交目的の遂行と国際責任の充足のため、農産物の輸出制限が必要であると大統領が決定したとき、また輸出制限が国の安全保障のために緊急であるときは、輸出制限措置がとられ得る」。昭和四八年(一九七三)六月、ニクソン大統領はこの法律を盾に日本にたいする大豆の輸出を禁止、そのために輸入大豆の九八パーセントまでをアメリカから買い入れていた日本は大騒ぎになった。輸出禁止の理由はこうだった。「世界的規模の食糧危機にあるいま、輸出より大切なのはアメリカ国民の食生活の安定とインフレの防止である。よってしばらくのあいだ、大豆の輸出禁止措置をとる」  これが「ニクソン戦略」である。当時、食糧を戦略物として使おうという政策を打ち出した委員会が考えた作戦で、 一 安い価格や好条件の融資などを餌にしてアメリカの農産物に海外諸国の目を惹きつける。 二 餌に食いついてきたら、「自由貿易」の名のもとに、相手国の関税をやめさせるなどして、輸出しやすくする。 三 海外諸国がアメリカにすっかり依存したところを見計らって、作付け制限を行ない、不足状況をつくりだし、価格を引き上げる。  というふうに三つの段階から成り立っている。この委員会の長は、世界一の穀物メジャー、カーギル社の副社長だった。  たしかに、アメリカは一九七三年の大豆輸出禁止措置を後悔している。一九九〇年、対談したアメリカ大使館のパーカー公使も、「あれはアメリカの間違いでした」とおっしゃっていた。しかし、カーギル社があるかぎり、そして、「輸出管理法」があるかぎり、心をゆるしてはならないと、筆者は考えている。  日本のコメが壊滅状態になったとき、アメリカ政府は、いま、自国のコメ農家に与えている手厚い補助金を、日本へのコメの値段のなかに織り込んだりしないだろうか。  こうしていろいろ考えていくと、「アメリカのコメが日本のコメより四倍も安い」まま、わたしたちの目の前に並ぶのは不可能だ。  さらに問題なのは、安全性である。  一九九一年、食品安全問題に取り組んでいる市民団体「日本子孫基金」(小若順一事務局長)が、横浜国大の環境科学研究センターと厚生省指定検査機関に分析を依頼して、殺虫剤残留調査を行なった。米国米二種類とタイ米と日本米各一種類、合計四種類のコメにコクゾウムシ(穀象虫)を五〇匹、一〇〇時間、放置したところ、タイ米と日本米では一匹も死なぬのに(コクゾウムシはコメが大好き、もともと死ぬわけはないのだが)、カリフォルニア米では一四匹、ニューオリンズ米では一〇匹、死んだ。小若事務局長は言う。「一連の試験はコメの輸入問題で、ポスト・ハーベスト(収穫後撒布)農薬の安全性について本格的な議論がおこるよう企画した。現在でも農薬に汚染された穀物や豆類がフリーパスで輸入されている危険な状況があり、コメの輸入を解禁して輸入量を増やし、こうした現状の解決をいっそう困難にすることは許されない」('91・2・20付「赤旗」)。  コクゾウムシを殺したのはマラチオン(薬剤名マラソン)という殺虫剤である。ラットに甲状腺ガンを起こす疑い(アメリカ国立ガン研究所八五年報告)を持たれ、神経系統障害のおそれもあると噂される有機リン系薬剤だが、この農薬残留基準が国によってちがう。マラチオンの場合、日本では〇・一ppmまでしか認められないが、アメリカは日本のじつに八〇倍の八ppmまで認められている。こういうことを曖昧にしたままで、コメの自由化を唱えたりしていいだろうか。    8 連作に耐え、肥料を自給し、表土の流出を防ぐ水田はえらい!  前話のつづきになるが、マラチオンのコメ残留基準が、日米のあいだでなぜあんなにも違うのだろうか。コメ消費量の彼我の差を思い出していただきたい。日本人の年間消費量は七〇キロ、彼《か》の国の場合は六キロ。つまりコメを主食にする日本人とコメを野菜の一種とみている米国人とでは、マラチオンの摂取量が格段に異なる。そこで残留基準に一対八〇の差があるわけだ。彼の国の人が性悪なのではない、コメにたいする考え方が違うのである。  ところで、日本は、じつは農薬大国である。その使用量は単位面積当たりでは世界最高といわれる。たとえば、中村修さんは言う。 《日本での農薬の生産量は最盛期は七五万トンちかくありましたが、最近は減反の影響で六〇万トンまで落ち込んでいます。それでも、一億二千万人の人口で六〇万トンといえば、一人あたり五キロという大きな数字です。単純に計算しても、今年生まれた子どもが二〇歳になるためには、百キログラムの農薬が必要である、ということです》(『やさしい減農薬の話』北斗出版)  それにしても、と筆者はおもう。コメが主食でよかった、と。太陽の光と水田の水がその濃厚な農薬を分解してくれたのだ。もっと言えば、日本で出来るものにはほとんどポスト・ハーベストがほどこされない。だから辛うじて助かっているのだ。  ほんとうに水田はえらい。何百年も連作に耐えてきたのだ。なかには二〇〇〇年以上も頑張ってきた田んぼもあるだろう。二〇〇〇年前に日本人がつくったもの、たとえばどこかの豪族の装飾品が出土したりすると国中が大騒ぎ、その出土品はビロードの座布団の上に置かれ、どこかの博物館のガラスのケースにうやうやしく収められる。ところが同じぐらい長い歳月を経ているのに田んぼの方はすっかり邪魔者扱いだ。しかし田んぼは黙っている。じつにえらいものだ。  連作がきくというのは大変なことなのである。いま一ヘクタール当たりの単収がもっとも高いのはカリフォルニアの田んぼである。あの州は、春から秋まで雨が降らず乾燥しているから病虫害が少なく、土の質も水の浸透を制限する重粘土質で水田にむいており、さらに高収量品種が開発導入され、それで一ヘクタール当たり五・七トン(精米)も穫れるのである。一方、日本の一ヘクタール当たりの単収は四・六トンである。日本の田んぼは、減反政策で攻められ、収穫量のやや劣る、しかし味のいい高級米をつくるのに専念してきたのでこんな差が出てしまった。農業技術そのものには差はない。さて、この、すばらしいカリフォルニアの水田にも泣き所がある。連作がきかないのだ。連作は三年から九年までが限度だといわれている。アメリカ南部の水田はもっと事情が悪い。大豆と輪作しないといけないからである。  ここで話をヨーロッパの中世に移すと、向こうでは、あの時代、耕地を三つに区分した「三圃式《さんぽしき》農業」なるものが行なわれていた。 《その一つには冬作物(小麦、ライ麦)、もう一つには夏作物(大麦)が栽培され、残りの一つは休閑とされる。この休閑は次には別の耕区へ移り、冬作→夏作→休閑が三年単位で繰り返される。この休閑は、二年の連作によって失われた地力を回復する意味もあるが、それよりも夏の雑草を駆除するためである。/二年間も無除草で麦作を続けると、三年目には麦作が不可能なほどに雑草が繁る。そこで耕地を休閑して夏季にすくなくとも二回は犂《すき》によって耕して、雑草を深く埋めて除去するのである》(持田恵三『日本の米』筑摩書房)  ところがアジア・日本の水田では、水が雑草の大半を退治してしまう。水を張った田がたいていの雑草を溺死させてしまうのだ。また、夏は水を湛え、冬には乾くという、湿から乾へ、乾から湿への転換が病害虫を駆逐する。さらに、作物がその根から分泌する毒も水が処理してしまう。加えて、第三話でも申し上げたように、田の水にはたくさん肥料が溶け込んでいる。いま仮に、窒素・リン酸・カリの三大肥料を投入した場合の収量を一〇〇とする。麦の場合、この三大肥料をまったく投入しなかったとすると、その収量は三九パーセントにまで低下する。ところがコメでは(つまり水田では)三大肥料なしでも七八パーセントの収量があるのである。この一事をもってしても水田の水がいかに滋養に富んでいるかわかるだろう。なにより水田がすばらしいのは、土をしっかり守るところにある。世界農業が直面している最大の課題は、表土の保守である。ところが水田だけは、《表土がたまって肥沃性が維持されさえする》(前掲書)のである。  フランスの歴史家フェルナン・ブローデルがこんなことを書いている。 《小麦の許しがたい欠点は、その収穫率の低さにある。小麦はそれを作る人たちを十分に養ってはくれなかった。十五世紀から十八世紀にかけて、調査が行なわれたところではどこでも、がっかりするような結果がでている。一粒の種にたいして、収穫はしばしば五粒か、ときにはそれよりずっと少ない。つぎに播種するための穀粒をとりのけておかねばならないから、一粒の種にたいして消費に回せるのは四粒しかなかった》(村上光彦訳『日常性の構造』みすず書房)  そして、ブローデルは、近代になってようやく一粒から一一粒とれるようになった、と書いている。水田でつくられるコメはどうであったか。持田恵三さんの調べでは、元禄期ですでに一粒が三六粒になっていた。第三話の繰り返しになるが、日本の、そしてアジアの密なる人口を支えたのは、水田だった。連作に耐え、肥料を自給し、表土の流失を防ぎ、大勢の人間を養うことのできる貴重な装置である水田を、余人はしらず日本人が邪魔者扱いする、この光景はほとんど信じがたい。    9 水田は貯水能力で年に一兆五〇〇〇億円の仕事をしている  明治一五年(一八八二)、明治政府はドイツからマックス・フェスカ(Max Fesca一八四六—一九一七)という学者を招聘《しようへい》した。フェスカは当時、世界一流の農学者で、また地理学者でもあった。彼は一三年間、日本に住み、北海道から沖縄まで日本全土を踏査し、政府に意見書を提出し、駒場農学校(東大農学部の前身)や東京農林学校で農学を講じた。その日本農業論はどれも貴重な資料として重んじられているが、彼は論文の書き出しを次のように始めるのを好んだ。 《日本の川は、ヨーロッパ人の感覚から言うと、まさに滝である》  日本は山国、川の流れはいかにも急で、滝のようだと彼は言うのである。  その上、すでに見たように(第三話)、雨が多い国柄でもある。当然、洪水が日常茶飯事のはずだが、それが非常に少ない。なぜだろう。その答えはもはや明らかだ。水田がダムの代わりをしてくれているのである。全国三〇〇万ヘクタールの水田の湛水量は七六億トン、日本の三〇〇以上もあるダムのじつに四倍(渡辺洋三東大名誉教授)、治水能力(洪水調節能力)は五六〇億トンにも達する。いま仮に水田を潰したとしよう。かわりにこれだけの治水能力を持つダムを建設するとすれば、その費用はどうなるか。  これは大事な勘《かん》どころ、細かい数字を挙げて考えてみよう。まず、わが国土の貯水能力は、こうである。 森林      四四四億トン 水田       八一億トン 畑        一四億トン 原野      〇・四億トン 採草放牧地   〇・二億トン  ざっと五四〇億トンである。これに相当するダム建設費は六五〇兆円。ダムの耐用年数は八〇年間であるから、一年当たり八兆一二五〇億円。これに建設費利子(年六パーセント)や維持管理費(建設費の二・五パーセント)を加えたら年に一〇兆円あってもおっつかないだろう。このうちの一五パーセントは水田が稼いでいるわけだから、水田は年に黙って一兆五〇〇〇億円ぐらいの仕事はしている勘定になる。筆者の計算では心許ないという読者もあろうから、農水省の資料を引いておく。ただしこれは一九八〇年の数字なので古い。そこで筆者が自分で計算しようとしたわけだが、それはとにかく、一九八〇年の農水省の計算では、 「水田分のダムを作ろうとすると、六兆一二〇〇億円。その他、農産物や地下水涵養能力や人口調節機能や関連産業への働きなどを合計すると、年に三七兆円、GNPの一五パーセント」  となっている。たしかに農業純総生産額は小さい。たとえば八八年度で五・七兆円で、GNPの二・一パーセントである。トヨタ一社で七兆円というのに比べてもその規模が分かろうというものだ。ただしトヨタには治水機能はない。むしろ水を消費する方の旗頭だ。小型車一台つくるのに水が一〇トンも必要である。さらにトヨタは地下水の涵養を行なわないし、トヨタの工場が光合成によって新鮮な酸素を作り出しているという話も聞かない。……もっともここはトヨタについて云々する場所ではないから、話を正道に戻して、なるほど農業の純生産額は小さいが、しかし、関連産業まで含めると事情はちがってくる。すなわち農業は、全産業人口の二四パーセントを養い、それらの人びとの稼ぎは四三・三兆円(GNPの一二・六パーセント)に達する。ま、これは農業全体の話だから、コメにはそのまま当てはまらないが、しかし半分に見積もっても大変なものだ。水田耕作を放棄した場合、コメをつくっていた農民とコメに関連して生活していた人たちの身の振り方をどうするのか。このコストは莫大ですぞ。  一時間に五〇ミリという大雨でも水は出ないとされていた神田川が、最近、よく出水する。昭和初期、神田川の流出率は四〇パーセントだった。直接流れ出るのは降水の四割、あとの六割は地面に吸い込まれ、畑や水田に貯まって徐々に流れ出すという仕掛けになっていたのである。ところが現在の流出率は九〇パーセントを越えている。降水の九割以上が神田川に一時にどっと流れ込むのである。畑や水田がなくなり、道路が舗装されたのが原因だ。  市川市の真間川もよく氾濫を起こした。とくに昭和四一年、四三年、六一年には大洪水になった。急激な宅地化で水田が一気に潰されたのが原因である。洪水防止のために市は一六ヘクタールの巨大な調整池をつくったが、このためにかかった費用は用地買収費だけでも一二〇億円、いま市川市は農民に助成金を出して水田や畑をつくってもらっている。  この二例は水田や畑の治水機能のすばらしさを雄弁に語っている。家が建ち、道が舗装されるのはいいことだ。しかし、この二例を大きく引き伸ばしてわれらが国土に当てはめてみる想像力が、いま、必要とされるのではないか。森林や水田をしっかり維持しておかぬと、日本全体が神田川流域や真間川沿いになってしまう。  ところで、全国各地の農業集落は「寄り合い」というものを行なっている。一般に「農家三〇戸で一集落」といわれているが、この寄り合いの開催回数は、全国平均で年一一回(『一九八〇年農業センサス集落調査』)である。では、寄り合いでどんなことが話し合われているか。農道や水路の維持と管理、減反や転作などの目標面積の配分や調整、そして祭や盆踊りなど集落行事の相談、この三つが話題の中心になる。最初の「農道や水路の維持と管理」にご注目いただきたい。農道が国有林との境を通っていることも多い。山村ではとくにそれが著しい。国道や県道や村道が農道と重なっている場合もある。そこで農道の維持や管理がそのまま公の財産の手入れになることがじつにしばしばである。そこで……、このつづきは第一〇話を待たれよ。    10 茶わん一杯二五円のコメがどうして高いといえるのか  ……そこで、次のようなことが言えるだろう。 「日本の水田は、約一〇〇〇万トンのコメとその他の農産物を生産するかたわら、毎年、一兆五〇〇〇億円の治水費用を節約し、地下水を養い、酸素をつくりだし、国土の手入れを行ない、それらのサービスを無償で日本の住民たちに提供している」  もしも水田を放り出してしまうと、これらのサービスはすべて消滅する。  このように、日本のコメは、わたしたちの口に入るまでに、これだけたくさんの仕事をしているのである。値段だけ見て、高いといってはいけない。そもそも、標準米で茶わんに一杯(コメ約七〇グラム)二五円、秋田小町で三五円、コシヒカリで四五円がどうして高いのか。あんパンを一個買っても一〇〇円の時代にご飯一杯が五〇円もしないとは、いかにも安い。  それでも、「安ければ安いに越したことはない」とおっしゃる方がいるかもしれない。そういう方に申し上げる。コメの値段をいまの四分の一にしろと叫ぶその情熱を、たとえば、住宅費を四分の一にしろという方向にむけられたらいかがか。日本人が一年間に消費するコメの量は平均七〇キロ、一カ月では六キロ弱。総理府統計では一勤労者世帯は三・八人、そうすると一勤労者世帯の月間コメ消費量は約二三キロである。一〇キロ六〇〇〇円のコシヒカリをたべても月一万三八〇〇円。ところが、住宅費は月支出の三〇パーセントを占め、金額にして一一万円である。コメと住宅費、どっちが四分の一になるほうが生活は楽か。答えを出すのもバカバカしいが、一応出しておく。住宅費が安くなってくれたほうがはるかに助かる。  しかし依然としてまだ、「それにしてもどうして日本のコメは高いのだろう」と首をひねっておいでの方もあるだろう。こっちの答えは、『一九九〇年版食料白書』を見ていただこう。 《(日米生産費格差は)地代一六対一、労働費一四対一、農機具・土地改良設備費一三対一である。アメリカの労働費がわが国のわずか一四分の一というのは、労賃水準にはたいした差はないから、わが国の平均一五〇倍近くにも及ぶ大面積を前提にして、作業の機械化・効率化→スケールメリットの追求が最大限に図られていることの結果といえる。農機具コストがわが国の一三分の一というのも、同様の理由による。また、地代がわが国の一六分の一にすぎないのは、農地価格が、わが国に比べて著しく低いからである。ちなみに、一九八九年の米生産五州(カリフォルニア、アーカンソー、ルイジアナ、ミシシッピ、テキサス)平均農地価格はヘクタール当たり二三二四ドル(約三六万円)、一九八六年の新潟、宮城、山形、秋田四県の中田自作地価格はヘクタール当たり一六五三万円で、アメリカはわが国の四六分の一にすぎない。このようにしてみてくると、日本の水田農業は、利用農地の規模と地価の両面から制約を受けているという姿が浮かび上がってくる》  日本のコメを安くするには、まず、農地価格をうんと下げなければならない。しかし、たぶん農地価格は下がらないだろう。では、せめて規模の拡大を図ることにしようか。じつはこれもきわめてむずかしい。  一九七〇年に農地法が改正され、わが国の農業政策は自作地主義から借地容認主義に変わった。「小規模農家は、やる気のある中核農家に農地を貸しなさい。中核農家はどしどし農地を借りて経営規模を大きくしなさい」  ということになったのである。  たしかに請負耕作や集団管理や共同経営などが試みられ、この動きは現在も進行中であるが、わずかな例外はあるものの、たいていは難問に突き当たる。日本の地形が原因しているのであるが、わが国の田んぼは、耕地の一筆一筆が小さく、それに分散し、おまけに入り組んでいるのだ。カリフォルニアにあるような一枚の田んぼが数十ヘクタールもあるものなどできやしない。とりわけ傾斜地の棚田《たなだ》(日本の水田の一五パーセントがこれ)は規模を大きくしようにもその方法がない。「そんな生産コストの高い田んぼなぞ潰してしまえ」という声もあるが、この棚田を潰したりしたら大変なことになる。これは保水能力抜群、日本の水田の治水機能の中心部なのだ。それに一ヘクタールの棚田が失われると三五トンの土砂が流失するという試算もある。  また、東北や北海道では「貸し手が少ない」のに、東海や近畿や中国や四国では「借り手がいない」という事情もある。東北のやる気のある農家が、いくら「農地を借りて規模を拡大しよう」と考えたところで、その借地を東海や近畿に求めるわけにはいくまい。耕作のために新幹線の定期を買ったりしていては、かえって生産コストがかさむ。  過去一年間以上作物を栽培せず、しかもここ数年の間にふたたび耕作しようというはっきりした意思のない農地のことを「耕作放棄地」というが、一九九〇年現在、この耕作放棄地が全国で一五万ヘクタールもある。これは全農地の三パーセントに当たる(農水省調査)。しかも困ったことに、耕作放棄地は山村に多い。棚田の危機が近い。「コメ市場を少しぐらい開放してもいいじゃないか。日本のコメはおいしい。最後は日本のコメが勝つさ」と呑気なことを言っているひともあるが、その「少しぐらい」が小規模農家の耕作放棄地をふやし、まず山村を壊滅させ、棚田を失わせるのである。ここまで辛うじて保持されてきた日本の森と水田と畑と川と海の巨大な装置をまるごと守る必要がある。その装置を少しでもマシなものに仕立て直して、次の世代にのこす義務がある。コメ自給には、そういう意味がこめられているのである。    11 この国を救うために水田装置にもっと金をかけよう  編集部からたっぷり紙幅を頂戴したのに、予定していた項目をすべて消化できずに終わってしまいそうである。もはや手遅れではあるが、これからは簡潔を心がけなければならぬ。  農家の所得は呆れ返るほど低い。その一日当たりの所得は、製造業で働いている人びとの一日当たり賃金の三四パーセント、三ヘクタール以上を耕作する専業農家でも六三パーセントにとどまる(一九八八年)。別の切り口から見ると、農地改革の終わった昭和二五年(一九五〇)、コメ六〇キロの政府買入価格は、都会の労働者の賃金〇・二五カ月分に相当した。三〇年後の一九八〇年、コメ六〇キロは都会労働者の賃金〇・一カ月分へと低下した。いまはもっと安くなっているだろう。世間は兼業農家を指して「日曜百姓」とさげすむ。だが、逆にいえば、兼業しなければたべていくことができないのだ。  おまけにもう一つ、一九九〇年の米作農家の全国平均家族労働報酬は、一日当たり五八二一円だった。時間給にすると七二八円、高校生のバイト代より安い。  世間はなんとなく「農家は過剰に保護されている」と信じ込んでいる。もし、過保護が本当だとしたら、そこには必ず甘い蜜があり、その蜜が若い人たちを引き付けているはずだ。しかし農業後継者は悲劇的に減っている。幸い後継者がいても、彼らはもはや「馬鹿にされているコメ」をつくろうとは考えていない。施設農業へ目を向ける。施設農業には「規模の利益」が生まれるチャンスがあるからだ。  ときに、これはとくに財界のお偉方に申し上げておくが、あなた方は、「農民は工夫が足りない」だの、「遊んでいる」だの、「農業はもういらない」だのと、言いたい放題を言い過ぎた。農民を、そして二〇〇〇年来の水田を侮辱しすぎた。世間の何分の一かの人たちもそれに同調し、洪水から国土を守り地下水を養い日本の風景を維持する仕事を、いかにもつまらない、くだらない、情けない仕事であるかのように思い込んだ。あなた方は日本のコメをおとしめた、それも専らあなたがた自身の利益のために。  ヨーロッパの国ぐににならって、もちろんアメリカにならってと言いなおしてもよいが、われわれの税金をもっと水田に注ぎ込むべきである。農民を救うためにではない。この国の水田を、この国そのものを救うために、山や田や川にもっと金をかけなければならない。  それこそ過保護……?  それならば、自動車道路を自動車工場が自分でつくっているだろうか。モノを輸入し、輸出する商社や船会社や航空会社は港や空港を自前でつくっているだろうか。自動車道路も港も空港も、たしか建設費の四分の三は国の出費、残る四分の一は公団の出費ということになっていたはずだ。つまりは一〇〇パーセント、公の金でつくられている。もちろんそういう出費がけしからんといっているのではない。みんなが道路や港や空港から利益を受けている。だから公金を使うのは正しい。そして産業界がそれらの社会的装置を上手に使ってお金をもうけるのもいい。それに異議を申し立てているのではない。自分たちがそういった社会的装置にもたれかかっていながら、もう一つの、この国の基本をなす社会的装置である水田を「もういらない」と平気で言ってのけるのは根性が悪い、少し自分勝手じゃありませんかと言っているだけである。  簡潔を心がけたら、どうも経団連ふうのお説教になってしまったが、最後にもう一つだけ言わせていただきたい。ある人びとは、「都会の農地を開放すれば、地価が安くなる」と主張している。だが、これはずいぶん疑わしい論である。東京では、この三〇年間に農地面積が三分の一に減った。三分の二が宅地になったのである。では、地価が、住宅が安くなっただろうか。  さて、これからの水田をどうするかだが、ヒントはないでもない。 《ヨーロッパでは、農業と農村は単に一つの産業や地域であることを越えて、人々の生活や地域経済の基本と位置づけられ、多少の経済効率を犠牲にしても保護すべき対象と考えられている。/一九九二年の市場統合を前に、EC農業はこの「緑のヨーロッパ」をさらに前進させようとしている。一九八五年に制定された新共通農業政策(New CAP)とその後の一連の改革では、/環境保全と食の安全性をより重視する方向へと転換しつつある》(『食糧・農業問題全集㈰農業の活路を世界に見る』農山漁村文化協会)  これはつまり、緑や風や風景や水や空気や医療や住宅や教育というような公共性の高いものは市場原理にそぐわないとする考え方である。おもしろいことに、アメリカの「九〇年農業法」(一九九〇年七月、米議会承認)も食の安定性や環境保護を唱えている。それから、農業補助金もたっぷり盛り込んである。新ラウンドでは、農業補助金の撤廃を叫び、国内では農業の補助を行なうのはヘンであるが、政府と議会とでは、まったく別のことを考えているときがある。そこがアメリカのおもしろいところである。  日本はECやアメリカのずっと先を進むのがいい。港や空港や自動車道路をつくったときの意気込みで、水田をしっかりした装置に育て上げ、コメをどっさりつくるのだ。たべきれなかったら飼料にする。アメリカのようにビールにする手もある。現在、日本はタイやアメリカからコメを買い入れて、アフガン難民、カンボジア難民、バングラディシュなど約三〇カ国に食糧援助を行なっている(一九八八年度は一四〇億円)。日本のコメも出してあげればいい。日本米は粘って外国人の口に合わないかもしれないが、それでも空腹はしのげよう。コメは籾《もみ》のままにしておけば小麦以上に保存がきく。一ヘクタール当たりの収穫率でもコメは小麦の一・六倍。世界の耕地は減りつづけ、人口はふえつづけている。これからがコメの力の見せどころのような気がする。なお、角田重三郎さん(第三話参照)によれば、コメは燃料としても有望だそうである。 (「Bacchus」一九九一年一〇月号)      「成熟途上国」ということについて  一九九一年八月、育種学の世界的権威である角田重三郎さん(東北大学名誉教授)のお話を聞く機会があった。角田さんには、『新みずほの国構想』(一九九一年、農山漁村文化協会刊)という御本《ごほん》があって、これは、平明な文章と明るい情熱とで、農業による国創りを語った「刊行と同時に古典」とでも言うべき名著である。思い切り質の高いことを語りながら、そのことごとくが読者にはよく理解できるという奇蹟に近いことが成就されている本である。この本の要旨を、非礼をもかえりみずに荒っぽくまとめれば、次のようになるだろう。 「コメはアジアの気候に、そして日本の地形にこの上なくよく適《あ》った作物である。さいわい水田という先祖の遺してくれたすばらしい装置もあるのだから、思う存分コメをつくりましょう。余ったら家畜の飼料にすればよいし、それでも余るようならアルコール燃料をつくればよい。それが日本が国家として成熟する唯一の方法です」  角田さんの御本を読み、親しくその謦咳《けいがい》に接しているうちに、筆者に閃いたことがある。それはこういうことである。 「先進工業国とか発展途上国とかいう言い方があるが、ここにもう一つ、先進成熟国、あるいは成熟途上国という分類法を用いて、現代世界を理解してはどんなものであろうか」  では、成熟、未成熟の区別をどこでつけるか。それは農業の在り方で決まる。  たとえばアメリカ合州国(以下、アメリカと略称)は、農業で四苦八苦している。アメリカ農業の主力はトウモロコシだ。トウモロコシは小麦、イネに次ぐ三大穀物の一つで、全世界で四億五〇〇〇万トンの収穫量がある(一九八四年)。最大の生産国はもちろんアメリカ、その収穫量は二億トン。世界の収穫量のじつに四四パーセントをアメリカがつくっている。  このトウモロコシは主として家畜のエサ用につくられているのであるが、これがなかなか売れないで困っている。アメリカ国内では、肉のたべすぎへの反省から、その消費量が減っている。したがって家畜のエサであるトウモロコシの消費が伸びない。  輸出の方はどうか。EC向けの輸出は激減している。というのは外でもない、EC諸国が穀物の大増産に励み、飼料の自給に成功したからである。国内消費も伸びず、輸出もだめで、アメリカのトウモロコシの備蓄量は天文学的数字に達している。すなわち、一九八六年には一億二〇〇〇万トン!  日本のコメの年間生産量の約一二倍ものトウモロコシが売れ残ったのである。  この在庫をなんとか売ろうとして、アメリカはやきもきする、いらいらする、ときには策をめぐらし、ときには脅しをかける。このやきもき、いらいらのあるところに成熟はない。そこで、アメリカは農業のお荷物に足をとられて、いま、成熟途上にあるのである。  ソ連の農業もひどい状態にある。ここで手短にソ連の農業の歴史を振り返ってみると、革命直後の、〈一切の私的土地所有制度を廃して、すべての市民に平等に土地用益権を与える〉という「土地に関する布告」に基づいて、農地は農民に任せられた。さらに、一九二一年の第一〇回党大会で、〈割り当てられた食糧税を現物で完納すれば、種子を除くすべての収穫物について農民は自由に処分していい(ネップ)〉ということになり、ソ連の農業は一気に甦《よみがえ》ったのであるが、やがて、「できるだけ急速に重化学工業建設を達成する」という国是が掲げられる。しかし、重化学工業を建設するための資本はどこにもない。唯一の資本調達源は農業だった。農業が工業の建設資金を調達する、これはどこの国にでも見られることであるが、ソ連でも同じことがおこったのである。こうして、農業の集団化が強行される。農民のふところが豊かになる前に、党国家がその富を農民から巻き上げようという政策であった。これでは農民にやる気が失せる。  さらに、ソ連の耕地のおかれている気象条件はきびしい。まず、高緯度である。たとえば、アメリカの農地がすべて北緯四八度以南にあるのに、ソ連の場合は、北緯四八度以南にある(つまり農業に適した)農地は、全体の三三パーセントしかない。別に言えば、ソ連の農地の三分の二は農業にあまり向いていないところで行なわれているのである。作物に必要な雨の量も少ない。年間の降雨量が四〇〇ミリ以上ないと、農作にはつらいのだが、そういう「つらい土地」が、全体の四割も占めている(『食糧・農業問題全集㈪社会主義農業の変貌』農山漁村文化協会)。雨が少ないから、旱魃《かんばつ》は年中行事のようによく起こる。寒いところで作物をつくらねばならないから、「ウインター・キル」(冬の寒さで秋播き作物が枯れ死ぬ)の被害が出る。  ソ連の農業の問題点はまだ山ほどあるが、とにかく、農業が安定していないので、これまた絶えずやきもきし、いらいらし、ときには策をめぐらせて、農産物を輸入する。つまり、成熟していないのである。  日本はどうか。ここも成熟していない。金の力にまかせて、世界中から食糧を買い漁っている。自国がもっとも得意とする作物を自国でつくらないという国是をとろうとしているように見える。こういう神経は、外国をやきもき、いらいらさせるばかりでなく、自国民をもやきもき、いらいらさせる。  ……という次第で、世界の大国が三つとも、農業で四苦八苦しているわけで、これはよくない。三カ国とも、こと農業に関しては、すぐ「世界の問題児」になってしまうのだから、危ない話である。この三カ国は、国内の農業をしっかり立直して、もっと成熟すべきである。それが国際社会に対する責任だろう。 (「Bacchus」一九九一年十一月号)      コメにこだわり成熟をめざせ    1  国家を分類するのに、先進工業国とか、発展途上国とか、そういう分け方がありますけれども、これはいまや意味を持たなくなってきました。いや、意味はあるのですが、わたしたちがあまりその分類に馴《な》れすぎたため、磨滅《まめつ》した、感度の鈍い記号になってしまった。もはや有効な仕分け法じゃないんですね。新しい分類の枠組みが必要です。そこでわたしは、「先進成熟国」「成熟途上国」という枠組みが有効じゃないかと考えています。  いきなり結論を言ってしまいますと、その国の農業がしっかりしていないうちは、その国は成熟しない。これを地球規模に広げますと、それぞれの国が農業をしっかりさせないかぎり、地球そのものもしっかりしない。言い方をかえれば、二〇世紀は工業の世紀でしたが、二一世紀は農業の世紀だと思うのです。農業と工業がうまくかみあうようにならないと、人類の存亡にかかわることになります。  その意味で、いま世界で成熟していない代表的な「成熟途上国」が三つあります。この三つの国がじつは世界のトラブルメーカー、問題児なんですね。その三つの国というのが、アメリカ、ソ連、日本です。この三つの国は、農業について根本的に道を間違えているところがある。この三つの国が、自分の国の農業をしっかり立て直していけばいくほど、世界の安定度、成熟度は高まると思います。この三つの国の成熟に、二一世紀の世界の将来がかかっているといっても過言ではありません。  アメリカ農業が抱えている最大の難問は、トウモロコシだと思います。トウモロコシは小麦、コメとともに三大穀物のひとつですが、世界でだいたい年間四億五〇〇〇万トンから五億トン穫《と》れる。そして世界最大のトウモロコシの生産国はアメリカで、収穫量は年約二億トンです。世界のトウモロコシの収穫量のほとんど半分近くを、アメリカ一国で作っている勘定になります。生産額で見ると、一九八八年の数字で一三〇億ドル(約一兆七〇〇〇億円)ですから、文字どおりアメリカの主力穀物です。  アメリカで作られている代表的なトウモロコシをデントコーンといいまして、これは家畜のためには最高の飼料とされています。アメリカ人が肉をたくさん食べているうちは、肉を生み出す家畜がトウモロコシをどっさり食べていた。一方EC諸国もどんどん買い入れていたので、アメリカは一時期、増産につぐ増産で、トウモロコシを作ってきました。  ところが七〇年代の後半から事情が変わってきました。脂肪、糖分、塩分の摂り過ぎを抑えるというのが、アメリカ人の健康を回復することだということが指摘された。とくに大統領命令で行われたアメリカ人の食生活の実態調査『マクガバン報告』(七六年)が強い影響を与えました。「脂肪、糖分、塩分をうんと控えて、日本人のような食生活を送らなければならない」ということになり、肉の消費量が減ってきた。肉の消費量が停滞するから、アメリカ国内でのトウモロコシの消費量も停滞する。国内では前ほどは売れなくなった。余談ですが、和食ブームの引き金となったのも、この『マクガバン報告』です。  ECは、八〇年の農業共通政策で食糧自給論を打ち出した。それでたとえばイギリスは、六〇年代には小麦の自給率がわずか三〇パーセントだったのが、一〇〇パーセントを超すようになる。さらに飼料も自給するようになる。つまり内でも外でも、アメリカのトウモロコシが売れなくなってきたんです。  その結果、八六年のアメリカのトウモロコシの滞貨量は、一億二〇〇〇万トンに達しました。世界で穫れるトウモロコシの四分の一がアメリカの倉庫に眠るようになった。日本のコメの年間収穫量が一〇〇〇万トン弱ですから、その一二年分に相当する量です。こういうわけですから、アメリカは日本にトウモロコシを買えと言いだすわけです。  これがアメリカの農業問題に関するイライラの、基本的な部分です。ですから、コメ問題なんていうのはアメリカの農業にとっては、全売り上げの一パーセントぐらいですから大した額じゃないんですけれども、トウモロコシのイライラがこっちにも波及してくるわけです。滞貨を補うために何でも売っちゃおうということになる。内外の需要が減ったときに、アメリカは生産調節すべきだったんです。  しかし、作って売れなくても、アメリカ政府は農家に補助金は出さなければならない。財政支出が増えるばかりで、しかも貿易赤字は増える一方。ですから双子の赤字というのも、農産物がキーポイントだと思います。アメリカは、トウモロコシを中心に、根底から考え方を変えた、新しい農業政策を出していかないと、いつまでも「買え買え」というねだり根性は消えないでしょう。  二番目の成熟途上国はソ連です。ソ連は二一年に新経済体制(ネップ)をとった。具体的には、食糧税に関する布告というのが出て、割り当てられた食糧税を現物で完納すれば、種を除く——つまり来年用の種ですね——すべての収穫物について農民は自由に処分できるという内容です。それによって、ソ連の農業は、革命前は非常に荒れていたのが、急速に回復していく。  ところが、当時のソ連を囲む国際環境は非常にきびしかった。そこで農村がまだ完全に力をつけていないのに、大急ぎで強い軍隊をもつための、急速な重化学工業建設を新しい国是にします。ソ連が新経済体制をもっと続けていれば、当時、国民の六割をしめていた農民がどんどん豊かになって、消費が盛んになり、順調に工業化の時代が始まったでしょう。どんな国でも、まず農業で資本を蓄積し、その資本がやがて工業を準備するという順序を踏むのです。しかし新経済体制発足から八年後の二九年、急速に権力的な集団化運動というのが起こる。本来なら農民に行くはずの富を、党=国家が取りあげ、その富で大至急、重工業を興そうというわけです。集団化運動は四年間という短期間で完了するんですが、伝統的な村の滅亡その他、ソ連の農業がだめになるタネが一斉にここで蒔《ま》かれる。    2  もうひとつソ連が間違ったのは、フルシチョフの処女地開拓による耕地の拡大です。これによってソ連の耕地面積は、五三年から一〇年間に、実に四二〇〇万ヘクタールも広がった。これは旧西ドイツとフランスとイタリアとオランダ、この四カ国の農地の面積を足した分に等しい。これがなぜ失敗だったか。ソ連の自然的な環境を考えれば分かります。  ソ連という国は全体に降水量が少ないんです。地球全体での年平均降水量は九〇〇ミリ前後ですが、一般に、年間の降水量が七〇〇ミリあると、かなり理想的な農業が展開できます。ちなみに日本の年平均降水量は約二〇〇〇ミリです。ところがソ連は、多いところで年間五〇〇ミリ。農業を成立させるためには、ぎりぎりの降水量しかない。そこで処女地開拓の四二〇〇万ヘクタールですが、たいてい降水量が少ない。そんなところで農業をやれば、旱魃が年中行事ということになります。そこでソ連政府は大河の流れを逆流させて灌漑《かんがい》用水を得ようとしましたが、これには膨大な費用がかかるうえに、あまり効果的ではない。そのつけがいま、きています。  農業でものを言う数字に、有効積算気温というのもあります。農作物が育つために有効な気温を一年分積算していくんです。これが六〇〇〇度だと問題ないんですね。日本はこれまた軽く六〇〇〇度あります。ソ連の場合は、六〇〇〇度のところは一カ所もないんです。穀倉地帯のウクライナでさえ五〇〇〇度です。ですから新しく拓《ひら》かれた処女地では、一〇〇〇度なんていうところで耕作している。これは北米大陸だったらカナダの北のほうですよ。カナダの北のほうでは農業はやっていません。  アメリカと比べてみると、アメリカの農地はすべて北緯四八度以南にある。それに対してソ連の耕地で北緯四八度以南にあるのは、全体の三分の一ぐらいです。あとの三分の二は、北緯四八度以北にある。ですから雨が少なくて寒いところ、お天道様の照らないところ、もともと農民が耕作に適さないからと放っておいた土地を、処女地として拓いたんです。イギリスで一ヘクタール当たり三・五トン、アメリカで五トンぐらい小麦が穫れていた時期に、ソ連では平均が一・三トンぐらい。生産性が非常に低い。ソ連の農業環境がいかに恵まれていないか、それをもっと詳しく知りたい方は、農山漁村文化協会から出ている『社会主義農業の変貌』(今村奈良臣《ならおみ》ほか編)というおもしろい書物に当たられることをおすすめしますが、とにかく、右のような事情もあって、ソ連は世界最大の穀物の輸入国になってしまいました。だから穀物の輸入の仕方がじつに政治的で、トリッキイである。  ですから、ソ連とアメリカの組み合わせは、危険な組み合わせです。一方はあり余ったものを買わせたい。一方は、買い付けながら、常に相手の思惑をはずしてみたりする。それに対して、アメリカも別の思惑をからませてきますから、結局、政治問題になってくる。  そして、三番目の成熟途上国が日本です。日本ではいま、食糧が安く買える時期がずっと続いているので、国内で作るのをやめて、外国から買えばいいという考え方が出てきています。これがまた問題なんです。コメの場合は特に問題です。  コメはだいたい自給作物ですから、アジアの人がだいたい作って、ほとんど食べてしまう。だから国際市場に、そうたくさん出てこない。世界中の生産高が年間約五億トンですが、その三、四パーセントくらいしか国際市場に現れない。しかもそのわずかなコメを、一〇〇カ国以上が買いたいと言っている。コメというのは、八つの必須アミノ酸を奇跡的に全部持ってます。蛋白質として、とても良質なんですね。だから中東諸国やアフリカ諸国は、本当にコメが欲しい。コメを買い付けている国は、本当に食糧に困っている国ばかりです。  日本のコメの生産高は、一年間にざっと一〇〇〇万トンです。世界の国際市場に出てくるおコメの量は、だいたい年間一三〇〇万トンです。いろんな研究者の予測では、日本がアメリカの言うように一〇年間かけて全面自由化していくと、いま一〇〇パーセントの日本のコメの自給率は、一〇年後には三〇パーセントに下がるそうです。残りの七〇〇万トンは、外国米になるわけです。  そうすると、世界に流通するコメの量は一三〇〇万トンで、日本が買い入れるコメの量が七〇〇万トンですから、半分以上を日本が一国で買い占めてしまう計算になる。もちろん日本が全面自由化に踏み切ったとなると、国際市場に出てくるコメの量は、少しは増えるでしょうが、同時に国際価格が上がります。  日本は二四〇〇年間、営々と稲作技術を高めてきた。しかも水田というすごい装置を全土に築き上げてきた。稲作に不可欠な水もたっぷりある。つまり、世界で一番いいコメをたくさん作れる国になったのです。それが、いまちょっと小金をためて、ウチで作ると高くつくという理由で、コメを本気で作るのをやめて、外から買おうとしている。  そうすると、いまやっとの思いでコメを買っている一〇〇あまりの国ぐには、コメが買えなくなってしまう。そうなったら国際社会の一員もへったくれもない。アメリカ政府や穀物メジャーには喜んでもらえるだろうけれど、その代わり、一〇〇の国に迷惑をかけていく。日本人がカネの力で、おれたちがコメを買えないようにしたという怨嗟《えんさ》の声が上がるでしょう。    3  アメリカは穫れ過ぎて困っている。ソ連はどう頑張っても穫れなくて困っている。日本は穫れるくせに、カネが余っているから作らなくて外国に迷惑をかけそうだ——。この三者三様の農業に関する問題が込み入ってくると、次から次へと新しい問題が出てくると思うんです。そのたびに世界が動揺する。  だからアメリカは、トウモロコシを中心に、農産物の生産を調節する。ソ連は巨大なトラクターに象徴されるようなアメリカ型農業をやめて、ソ連に合った、ヨーロッパの中農ふうの農業に転換する。日本は、自分が食べるものは自分で作る。それぞれに問題を解決したときに、もたもた、やきもき、イライラせずに、落ちついて、自分たちのペースで話し合えるようになる。世界の三大問題児は落ちつくと思うんです。つまり、成熟先進国になれるかもしれません。なんといっても三大大国だから、影響は大きい。さらに第二、第三の問題児が出てきても、手本にもなります。  これまた余談ですが、二一世紀には、化石燃料に伍《ご》して、穀物からとったクリーンなアルコール燃料が活躍すると思いますよ。現にアメリカはトウモロコシからアルコールを抽出する研究を進めています。成果も上がっています。石油よりすこしコストが高いようですが、しかし「地球を大切に」という観点から、そのうち、主役になるはずです。また八〇年代にはっきりしてきた異常気象と農産物の不作、さらに人口増加の問題もあり、二一世紀の主役は、まちがいなく穀物です。そのときのために、日本も水田をこわさないほうがいい。  三大問題児たちの手本になる成熟先進国は、ECでしょうね。ヨーロッパはいま、かなり成熟してきている。普通できないはずのEC統合なんてやれるのは、その証拠です。そのECの予算の三分の二というのは、農業予算です。  農業を重視するというのは、農業の考え方で生きてゆくことに結びつくわけです。つまり工業のように、大自然から一方的な搾取はすまいという決心。お互いに質のよい生活を細く長く維持していこう。自然との共生を目指そう——それが農業というものの考え方の大事なところです。持続可能な形でないと、これからは駄目です。それが今の世代の人間の責任だと自覚するのが、成熟した考え方です。工業のものの考え方でこのまま行くと、地球も人間も、めちゃくちゃになってしまいます。このへんを解決する鍵が「成熟度」です。そしてくどいようですが、高い成熟度を保持するための原動力が、それぞれの農業なのです。カネの力で主食を買い漁るという未成熟さから、早く抜け出したいものです。 (談、「月刊Asahi」一九九二年一月号)   コーデックス・アリメンタリウス    1  先ごろ買い求めた寝袋にこんなラベルがついていた。 「米国国防省のテストデータをもとに、外気温と睡眠時間の関係から必要な暖かさをクロー値により分類しました。この極めて理論的な数値からタフバックシリーズは、クロー値を7つのグレードに設定し、あなたが必要とする快適な睡眠を使用する外気温別、目的別に選び出す事を可能にしています。  インシュレーションには、他の追従を許さない卓越した保温性と回復性を持つ、84年度より4ツ穴タイプになったダクロンホロフィル、そしてさらにグレードアップしダウンを超えたとまで言われるダクロンクオロフィルを使い分けています」(原文横書)  カタカナが連発してあって、半分も意味がとれない。それにいくら横書だからって数字を洋数字で書く感覚にはついていけない。もっとも、最近では一橋を1橋、二本榎を2本榎、三河島を3河島、四谷を4谷、五反田を5反田、六本木を6本木、七生を7生、八王子を8王子、九段を9段、十条を10条と書く人がふえているそうだから、ぐずぐず言っているほうが古いのかもしれないが、小沢一郎を小沢1郎と書いたのにはまだお目にかかったことがないから、たぶん地名を馬鹿にしているのだ。  パソコン雑誌などでもカタカナが全盛で、自分の読んでいるのが日本語か英語かよく解らなくなるほどである。たとえば、こんな調子だ。 「MS‐DOSはユーザー・シングルタスクですが、UNIXはマルチユーザー・マルチタスクなんです」(「ASAHIパソコン」一九九二年一月一・一五日合併号)  筆者もパソコンをいじるので意味はわかるが、固有名詞は仕方がないとしても、助詞と助動詞以外は、なにからなにまでカタカナにしてしまう気持がわからない。ひょっとしたら、「他人はいざ知らず、このわたしはパソコンができます」という選民意識なのだろうか。だとすれば、冗談じゃないとこちらも尻をまくりたくなってくる。筆者の経験では、たとえ機械が苦手の文科人間でも、学校に通って必死になれば、ワープロは四日で、パソコンは七日で一人前に使えるようになる。あんなものがちょっと使えるぐらいで、得意そうにカタカナを振り回してはいけない。  とは言うもののカタカナなしでは、世の中が見えにくくなったこともたしかであり、それは否定できない。たとえば、コーデックス・アリメンタリウス(Codex Alimentarius)というカタカナ語がある。ひょっとしたらワープロやパソコンというカタカナよりも、私たちの生活に深く係わってくるかもしれないとおもわれるのだが、しかしこの言葉の意味するところをだれも知らない。筆者にしても知ったのはごく最近のことである。こういうカタカナ語を知らずにすまして、どうでもいいようなカタカナ語とばかり付き合いがふえるのは、あまり好ましいことではない。ほっといていいものと脳裏に留めておくべきものとの区別が必要だ。  コーデックス・アリメンタリウスの訳語は「食品規格」であるが、ここでは国際食品規格委員会をさす。この委員会は国連食糧農業機関(FAO)と世界保健機関(WHO)とによって、一九六三年に設立された。なにをする委員会かというと、一つは食品の国際貿易の円滑化であり、もう一つは消費者の保護である。長い間、知る人の少ない委員会だったが、ウルグアイ・ラウンドが始まり、ブッシュ大統領がここへ、「ハーモニーゼーション」なるものを提案してから、にわかに脚光を浴びるようになった。ハーモニーゼーション。これに訳語を当てはめれば「国際標準化」、もっと詳しくは、「貿易に影響する食品安全の国際標準化を求める提案」となる。いったいどういう提案か。簡単に言うとこうである。 「食品の安全基準をつくることのできるのは、今後は、この国際食品規格委員会だけである。ガット加盟国がこの委員会が定めた安全基準より厳しい基準を実施しようとした場合、それは貿易上の『非関税障壁』となる」  いま、ガットの検疫・衛生措置分野で、残留農薬基準や食品添加物の安全基準を国際的に一律に標準化しようという交渉が行われているが、その正体がじつはこれなのだ。ガット加盟国は、ブッシュ大統領のこの提案を呑むように迫られているのである。  とくに、世界最大の食糧輸入国である我が国にとっては、これは恐ろしい提案だ。たとえば、カリフォルニアからコメが運ばれてくる。そのコメにはマラソンという殺虫剤が撒かれている。輸送に時間がかかるし、高温地域を通らねばならないから、船倉で害虫やカビを発生させないよう、殺虫剤や防カビ剤がほどこされるわけである。収穫後の農薬撒布は、日本国内では認められていないが、アメリカには、特に基準は定められていない。つまり、好きなだけ撒いていい。普通は、日本の農薬残留基準の八倍は撒かれるという。  アメリカ側は、それでも害はないと主張するが、このへんの論理は粗にして雑である。日本人の一人平均年間のコメ消費量は、少なくなったとはいえ、七〇キロである。ひきかえ、アメリカ人は、たくさん食べるようになったとはいえ、五キロである。日本人はアメリカ人の一四倍も多く食べるのだ。つまり、アメリカからの輸入米に関していえば、日本はアメリカの一四倍も厳しい基準を定める必要がある。ところが、このハーモニーゼーションは、「その四二パーセントの品目がアメリカ環境保護局や食品医薬品局の基準より低く、DDTの残留基準は五〇倍も緩やかだ」(海外市民活動情報センター・野村かつ子代表)から困ってしまうのである。これを別に言えば、「農薬をどれぐらい使うかは輸出国の勝手だ。輸入国は黙ってありがたくおれたちが売ってやるものを食え。もし、がたがた言うようなら、それは貿易上の非関税障壁とみなすぞ」とでもなるか。  穀物メジャーというのが五社ある。この五社に「ミツイ・クック」(三井物産の子会社)を加えた六社が、アメリカ国内市場と輸出市場の九五パーセントを独占しているが、上位五社は、わずか七家族によって動かされている。いずれも同族会社で、株を公開していないから、その詳細は謎に包まれているが、ブッシュ大統領のハーモニーゼーション提案を書き上げたのが最上位のカーギル社の前筆頭副会長だったダニエル・アムスタッツ氏であることははっきりしている。俗に「回転ドア人事」といって、農務次官がコンチネンタル社(もちろん五社のなかの一つ)の副社長になったり(七二年のC・バームビー氏)、特別通商代表次官がカーギル社の副社長になったり(七四年のW・ピアス氏)は珍しくないのであるが、今回はカーギル社の偉い人がアメリカの農産物貿易政策を推進しているわけだ。穀物メジャーが自分たちの利益のために、「農薬まみれの食糧をたんと売りつけてやるぜ」と悪迫りしているのを、「国際社会の孤児になるから、ドンケル案を呑まなきゃいけない」などとうろたえている私たちは、ハーモニーゼーションという耳ざわりのいいカタカナ語に籠絡《ろうらく》されているだけなのである。 (「週刊文春」一九九二年一月一六日号)      2  またしてもコメの話で恐縮ですが、御勘弁いただきます。この数年、頭の中をコメという字が駆け回り、なにを書いても、最後はコメの話になってしまうのです。いろいろと多彩な話題を取り揃えなければやっていけない文筆業者としては、これは自殺的というか、末期的な症状ですが、気がつくと、やっぱりコメについて書いてしまっているのです。お許しください。  ウルグアイ・ラウンドは、ラウンドというからには円卓会議にちがいありません。二国間交渉では力の強い者が有利、それではまことに不公平です。そこで当事者たちが同じ資格で集い合い、同じテーブルを囲んで論議の限りを尽くし、さまざまな困難をともに乗り越える。これが円卓会議、多国間交渉というものでしょうが、こんどの新ラウンドでは必ずしもそうはならなかったようです。  世界の二大農産物輸出国といえば、アメリカとECのことですが、この両国が二カ月近くも秘密の話し合いをしておりました。しかもドンケル・ガット事務局長はその二カ月間、両国の秘密交渉を黙認していたのです。そしてその秘密交渉が終わったところでドンケル氏が例の包括合意案を各国に提示いたしました。これでは円卓会議の名が泣くのではないか。力の強い者同士が談合を打《ぶ》って、自分たちの得になるように立ち回ったとしか思えません。事実、出てきた合意案は、アメリカやECに有利なものでした。  そもそも新ラウンド農業交渉はこの両国がお互いに自分たちの出している輸出補助金が膨れ上がるのに音を上げ、それが原因で始まったようなものなのですが、そのあたりについて少し筆を割くと、ECには、輸入課徴金という制度があります。ECの外から農産物が入ってくる場合、その価格が、ECの中での価格より安ければ、課徴金を徴収するのです。もっと分かりやすく言うと、たとえば穀物について、ECは境界価格というものを決めていて、もしもその境界価格よりも国際価格の方が安ければ、差額を輸入課徴金として徴収するという制度です。ですから、ここでは市場競争や価格競争が成り立ちません。EC以外の国々がどんなに安く穀物を生産しても、それをECに持ち込もうとすれば、ECより安くつくった分だけ、課徴金を払わねばならないからです。頭がいいというべきか、狡猾《こうかつ》きわまりないというべきか、こうやって貯め込んだ課徴金を、ECは、こんどは農産物の輸出補助金に回しました。一〇円のものを補助金で八円、七円に値下げして、輸出するわけです。  アメリカも負けられません。ECに対抗して、農産物に輸出補助金をつけ、値段を下げて競争する。八一年に四〇億ドルだった補助金が、五年後の八六年には六・五倍の二六〇億ドルになってしまいました。  ECの方も、アメリカに負けるものかと、もっとたくさんの補助金をつけます。そのうちに例の課徴金だけでは足りなくなってきました。このままではお互いに補助金によるダンピング競争で自滅してしまう、一つ胸襟《きようきん》を開いて話し合おうではないか。これがつまり新ラウンドの農業交渉でした。  余談ながら、アメリカの心中を思い量《はか》ると、「口惜しい!」のひと言に尽きるのではないでしょうか。というのは、六〇年代から七〇年代のECは世界最大の農産物輸入地域で、アメリカからたくさん買い入れていたからです。そのうちに「食糧だけは他国に任せておいてはいけない」と考えて、ECはじりじりと自給率を高めていき、八二年についに輸出国になりました。別に言いますと、アメリカは最大の顧客を失ったのです。そして、八七年になると、アメリカはそのECに抜かれてしまいます。言ってみれば、この十数年間に、大事な得意客を失ったばかりか、その客がいまや恐怖の競争相手になってしまったのですから、「口惜しい!」をひと言どころか百言も二百言も言ってやりたいというのがアメリカの本心だろうと思います。  そのアメリカが新ラウンドでECと秘密交渉を持った。そして出てきたのが、いまやどなたもご存じの、輸入国にすべての品目の自由化(関税化)を迫る「例外なき関税化」というやつです。  では、肝心の輸出補助金の方はどうなったのでしょうか。農業貿易摩擦の元凶とも言うべきあの輸出補助金は撤廃されたのでしょうか。撤廃はされませんでした。撤廃ではなく削減、しかもその幅は狭く、アメリカとECの言い分を足して二で割ったような都合のいいもの。うんと意地悪を言うと、二大輸出国による富の再配分計画のようなものでした。  一九九二年一月七日のワシントン発時事電によりますと、ECのアンドリーセン副委員長(対外関係・通商担当)とアメリカのヒルズ通商代表が会談して、たがいに、「新ラウンド合意案は完全に満足できるものではない」と言っていますから、今後も手直しがあると考えられますが、それはとにかくとして、輸出国には大甘で、輸入国にはきびしい、言いかえれば、売る側には都合がよくできていて、買う側には困りもの、これが今回の包括合意案の正体です。もっと言えば、「世界はアメリカとECを中心に回っているんだもんね」という大国主義の産物です。  こんどの新ラウンドのもう一つの困りものは、ブッシュ大統領の提唱する「ハーモニーゼーション/貿易に影響する食品安全の国際標準化を求める提案」というシロモノです。これについては他でも書きましたので、詳しくは言いませんが、これは、「今後、食品の安全基準は、国際食品規格委員会が決めようではないか」という提案です。国際食品規格委員会とはなにか。国連食糧農業機関(FAO)と世界保健機関(WHO)とによって一九六三年に設立された委員会、と言うといかにも由緒正しい立派な委員会のようですが、委員の顔ぶれを見ると、そうのんきに構えてもいられません。シカゴの穀物メジャーのお偉方がずらり、国際的な食品加工企業のお偉方がわんさ。この委員会の仕事には二つあって、一つは食品の国際貿易の円滑化であり、もう一つは消費者の保護ですが、委員に消費者代表はいません。生産者代表も入っておりません。食品の安全基準の世界的な統一をはかるのは悪いことではないと思いますが、こういう業者代表が揃った委員会で決まるのは少しばかり恐ろしい。たとえば農薬の残留基準ですが、一般にアメリカのは緩い。ところがハーモニーゼーションが決める基準はそのアメリカよりもさらに緩いというのですから、いわば農薬の野放しであります。しかもその緩い基準に異議を申し立てると、それはガットに違反する行為になる。ここにも新ラウンドの正体が現れているのじゃないでしょうか。  すなわち、「買う側は黙って買いなさい」という売る側の横暴、とくにアメリカとECが勝手気ままに振舞っている印象が強いのですが、読者諸賢はいかがお考えでしょうか。  よく知られているように、日本は世界最大の食糧輸入国です。とりわけアメリカの上得意で、彼《か》の国からの農産物輸入額は一〇八億ドルにもなります。これを別の角度から見ますと、我が国の農産物輸入額のじつに三七・五パーセントがアメリカからのもの、居直って言いますと、日本が農産物貿易でアメリカに、そして世界に迷惑をかけたことは一度もないのです。もっともこの言い方は誤解を招くかもしれません。金にものを言わせて食糧を買いあさっているのですから、どこかに迷惑をかけているかもしれませんが、とにかくこれ以上、食糧を買い込む必要はないように思います。  とくにコメ、これを輸入することになったら、日本は恨まれるはずです。例外なき関税化によって、日本の水田の三分の二が潰れてしまいます(森島賢東京大学教授の試算)。となると現在のコメ生産量は年間一〇〇〇万トンですから、七〇〇万トン近くのコメを輸入することになります。ところが国際市場に出てくるコメの量は一四〇〇万トン前後ですから、日本がその半分を買い込むことになります。世界のコメ輸入国はざっと一〇〇カ国、それらの国がこれまでのようにコメを買うことができなくなります。日本が買いあされば値段もつり上がるでしょうし、まったくコメを手に入れることができなくなる国も出てくることでしょう。日本でコメがとれないならとにかく、これほどコメづくりの条件が揃っている国もめずらしいのに、そこがまたぞろ札びらを切ってコメを買いあさる。これは恨まれます。  この間、友だちにそう話したら、彼はこう逆襲してきました。 「日本車でデトロイトが壊滅した。コメで水田が壊滅しても仕方がないじゃないか」  同じ意見をお持ちの方が案外多いようですが、日本もアメリカの農産物でたくさんの大事なものを壊滅させられています。たとえば麦(自給率一五パーセント)、またたとえば大豆(自給率五パーセント)、わたしたちもまたなにかを失っているのです。ですからおあいこ。アメリカは綿花や落花生を守ります。ドイツは馬鈴薯《ばれいしよ》を、フランスは葡萄《ぶどう》を、スイスは乳製品を守ります。日本がコメを守って悪いわけがない。だいぶ大事なものを無くしてしまったのですから、水田ぐらいは守り通さないといけないのではないか。今回の包括合意案には、背筋をしゃんと伸ばしてきっぱりと否を言うべきではないでしょうか。買う側のことを考慮に入れていないものを、買う側がハイハイと受け入れることはないと思うのです。 (「小説新潮」一九九二年二月号)   こだわる理由 「そんなに農業問題に深入りなさっては、忙しくてたいへんでしょう」「なぜコメにそんなにこだわるんですか」「ひょっとして農家のご出身ですか」、テレビに出たり講演会に行ったりするたびにこう聞かれるが、自分にもこだわる理由がわからない。気がついたらコメ問題についての一論客(?)になっていたというのが嘘のないところである。なかには「いいテーマをみつけましたね、お金になるでしょう」と意地悪な質問を呈してくる人もないではないが、この点についてはハッキリしている。ちっともお金にはならない。わたしはコメの自由化反対の立場に立っているが、この立場は「トレンディ」ではない。流行に逆らっている。世の中の流れに逆らいながらわたしを呼んでくれる人びとに金がないのは当たり前、ほとんどが謝礼なしの講演会である。この国で講演でお金を稼ごうというなら、財界のお気に召すような立場に立たねばだめである。もとより無料で講演をしていることを誇るつもりはない。やはり気がついたら、謝礼なしの講演会に呼ばれることが多くなっていたというにすぎぬ。  おそらくこれは『吉里吉里人』後遺症だろう。その小説は、東北地方のある村が日本政府の農業政策にたいする不満からついに日本国から分離独立するという物語を主軸に展開するのであるが、わたしの作品のなかでは三番目によく売れた。毎週月曜日の午後おそく決まったように担当編集者のMさんから「今週は、二万部増刷です」「今週は、五万部刷り増すことになりました」といった連絡を受けた。そこでMさんとわたしはこの小説のことを『週刊吉里吉里人』とひそかに呼んでいたぐらいであるが、そのうちにどうやら「自分は農業問題で大儲けしている」という引け目が生まれ、「その自分が、いま、コメ農村の苦境を傍観していてよいか。いや、それはよくない。いつかのご恩返しに、いまこそ及ばずながら援護射撃を……」となったらしいのである。  翌年の春、たっぷり税金を取られたから、じつのところちっとも潤っていなかったのだが、とにかくよく売れたので、コメ農村に足を向けて寝ては罰が当たるという気持が自然に養われたのではないか。ちなみに、そのときの税率は八五パーセントだった。印税が一〇〇円入ってくると、そのうちの八五円が税金で召し捕られてしまうわけで、翌春、銀行から借金して税金を払った記憶がある。潤うどころの話ではないのである。  もっとも少しばかり威張って言わせていただくならば、この小説を書いていた時分から、今日の状況が見えていたのかもしれない。「このままでは、日本の農村は壊滅してしまう」と考え、現代版の農民一揆《いつき》を書いたのである。自分のその予見に忠実であろうとすれば、どうしてもいまこそモノをいわなければならぬ、いま口を閉ざすのは無責任というものだ。そう思いながらテレビ局や講演会場へとぼとぼ出かけて行くのである。  もう一つ、自己鍛錬の意味もあるかもしれぬ。ご存知のように「日本人は外圧に弱い」という風評が世界を駆け回っている。これを七面倒に言えば「日本人は変革のエネルギーをいつも外圧に頼っている」となるだろうか。この風評は当たっていないこともないのであって、とりわけコメについてはまったくその通りである。「コメ自給という生き方は手放したくはない。しかし国際社会がその生き方をよくないと言うのであれば仕方がない。生き方を変えることにしよう」という塩梅《あんばい》に、それまでの原則をあっさりお払い箱にしてしまう。これではあまりにも情けない話であるし、世の中の変化をいつも他人様のせいにしていては、わたしたち自身の政治的進歩は阻害される。いつまでも政治的には未成熟のままである。だいたい「外圧で生き方を変える」のは奴隷の生き方というものではないか。なによりもまず、こういう生き方をしていてはエネルギーが生まれない。日本人が徹底して議論を尽くし、われわれはこう生きる、こう生きて行きたいということを国際社会にぶっつけてみる。ぼつぼつそういう生き方をしてもいいころではないか。そう思って喋り散らしているらしい。もっと言えば、わたしは世の人に「おれの意見を取り入れろ」と喚《わめ》いているのではなくて、「こういう意見はどうでしょう。参考にはなりませんか」とお伺いを立てているにすぎない。わたしの意見をなにかの参考に、敬愛する同胞のみなさんが議論を尽くしてくださることを願っているだけなのである。議論によって自身を鍛え上げること、コメ問題はそのための格好の機会なのだ。  もうその時期はすぎたと言う向きもあるかもしれない。しかし果たしてそうか。ウルグアイ・ラウンドはそう簡単に合意には達すまいというのが、わたしの観測だ。なによりも例のコワイおばさんのヒルズ米通商代表が「年内妥結はむずかしいかもしれない。来年の二月か三月に妥結できれば上の部だ」(一九九一年一一月二八日の記者会見での談話)と言い、さらに一二月に入って「いま、アメリカの経済情勢が低迷している。こんな時期に議会が貿易の自由化に前向きになるとは思われない。我が国がラウンド合意を実行できるかどうかは、国内の景気動向に左右されるだろう」(三日の農務省での講演)という見解を示していることからも、この観測が少しは当てになることがおわかりいただけよう。はっきり言えば、アメリカは世界貿易の公正を目指して「例外なき関税化」を唱えているわけではなく、あくまでも「自国のために」他国に血を流すよう求めているのである。さらに、EC首脳部がアメリカ案を容れて農業切捨て政策を採ろうとした途端、ヨーロッパ各地に農民のデモの波がわき起こった。たとえば一一月二三日にローマで四〇万人の農民デモが行われている。同じころパリでは二〇万人のデモ。ドイツで一万人、またお隣りの韓国でも一万人の激しい抗議行動が起こった。加えて、彼《か》の「例外なき関税化」に反対する国も一四カ国に増えてきている。こういった情報がどうして日本の新聞に載らないのか本当に不思議であるが、それはとにかくとして、日本はべつにどこからも関税化を迫られているわけではない。落ち着いて考えていてもいいのである。  日本が首を縦に「ウン」と振らないとウルグアイ・ラウンドそのものが暗礁《あんしよう》に乗り上げてしまう。そうなると、日本にたいする批判がいっそう烈しさをます、そうなったらコトだぞと脅かす論者が多いが、これも大嘘である。これこそ外圧をいい小道具に日本人に考えさせる暇を与えず物事を勝手にさっさと取り運んでしまおうといういつもの手である。  すでに述べたように、一律関税化に反対しているのは日本だけではない。反対する国が日本の他に一三カ国もあり、その上、大本のアメリカにおいてさえ、上院の六割に当たる議員が「一四品目のウエーバー条項(自由化義務の免除)適用農産物の市場開放を拒絶せよ」とブッシュ大統領に要求している。もう一つ、付け加えておくと、アメリカは海運や電気通信の分野では、自由化反対を唱えて孤立している。このように、ウルグアイ・ラウンドというのは、あくまでも「交渉の場」なのであって、そこでは何を要求しようと、またその要求をどう拒絶しようと自由なのである。落ち着いてゆっくりと自分の意見を開陳し、相手の意見には思うところをきっぱりと言う、それが正しい態度なのだ。ラウンドにアメリカからなにか案が提出されるとその途端、それをあたかも「大旦那アメリカからのご命令」のように受け止めてしまう日本人。わたしたちは本当に自立しているのであろうか。それとも自分で考えることのできない奴隷なのだろうか。そう考えながら自分を鍛えるのにコメ問題は好適である。わたしがこれにこだわる理由はどうもこのへんにあるらしい。 (「小説新潮」一九九二年新年号)   この作品は平成四年二月新潮文庫版が刊行された。 Shincho Online Books for T-Time    コメの話 発行  2002年7月5日 著者  井上 ひさし 発行者 佐藤隆信 発行所 株式会社新潮社     〒162-8711 東京都新宿区矢来町71     e-mail: old-info@shinchosha.co.jp     URL: http://www.webshincho.com ISBN4-10-861202-7 C0895 (C)Hisashi Inoue 1992, Coded in Japan