胡桃沢耕史 旅券のない旅 [#表紙(表紙.jpg)] 目 次 [#ここから1字下げ、折り返して5字下げ]  A (昭和十五年 ハルピン)  B (昭和五十七年 英国航空機内)  C (昭和十五年 日本—満洲)  ※[#「Bダッシュ」] (昭和五十七年 英国航空機内、英国国営鉄道車内、 グラスゴー・ ステーションホテル)  ※[#「Cダッシュ」] (昭和十五年 ハルピン)  D (昭和五十七年 グラスゴー市)  E (西暦千七百年代 グラスゴー市から黒竜江沿岸へ)  ※[#「Dダッシュ」] (昭和五十七年 グラスゴー市)  ※[#「Cダブルダッシュ」] (昭和十六年—二十年 満洲・黒竜江沿岸フートン)  ※[#「Dダブルダッシュ」] (昭和五十七年 グラスゴー市) [#ここで字下げ終わり] [#改ページ] [#小見出し] A (昭和十五年 ハルピン)  戦争が始まると、日本中が軍国主義に統一され、がさつで潤《うるお》いがなくなった。  そんな時代でも、一般日本人が旅券なしで行ける唯一の外国のハルピンの町では、背の高いすらりとしたロシヤ娘が、派手な洋服《ドレス》のスカートから長い肢を見せて、靴の音も高く歩いており、モンペとひっつめ髪ばかり見馴れてきた人々を|ほっ《ヽヽ》とさせたものである。  私もその|ほっ《ヽヽ》とした一人だが、仕事の性質上、自由に町の人々との接触もできなかった。それでも到着して一《ひと》月後、早目に仕事を終えて、町の図書館に一人で行ったことがある。どうしても読みたい本が一冊あった。  この町では、たくさんいる亡命ロシヤ人の人たちが、個人図書館というものを開いており、その数は四十もあったという。はっきりとは判らないのは、私はロシヤ語がまったく読めないので、一度も利用したことがないためである。その中には帝政時代の良い本が多く、トルストイの自筆原稿や、プーシキンの初版本なども揃えてあったらしい。亡命貴族が逃亡の際、捨てるに忍びず持ち出したものだが、今ではそれが彼らの飯のタネになっていた。  ロシヤ人用図書館と比べると、この市に住む人々の大部分を占める、満洲系漢人や日本人のためには、各一つずつ図書館があるきりであった。  日本人用の図書館は、この国の文化面と経済面の支配者である南満洲鉄道株式会社の名を上に冠して、満鉄ハルピン図書館といった。  当時の図書館長は、一代の碩学《せきがく》で、戦後間もなく帰国してから、日本図書館協会理事長も勤められた、江藤俊雄氏であった。といって私がそのとき、そのことを知っていたわけではない。  大学の学生の身分のまま、日本を飛出して、しばらくある特殊な筋の仕事の見習いのような仕事をしていた若い時代だ。  私の読む本を知って、すぐ奥から気軽に出てきてくれ親切に指導してくれた、白髪の温厚な紳士ということだけしか記憶にない。そのころはその人を、外国にも顔の広い停年大学教授で、本が好きなため、老後を嘱託の身分で蔵書の中で暮している爺さんだと、私は勝手に想像していた。  有名な江藤博士と判ったのは、戦後だいぶたってから、何かの雑誌の中で、その顔写真を見てからで、そのときはかなり驚いた。少し気安く話しすぎて、失礼なこともあったのではないかと気怯れした。お手渡しする約束の物もちゃんと持っていたのだが、かえって行きそびれているうちに亡くなられてしまった。今考えると、まことに残念である。  ところで、その図書館は、ハルピン駅からは、わりと近い所にあった。  駅を出ると正面に、旧ロシヤ名で、ワクザルヌイプロスペクト通り、日本人には、車站《しやたん》通りと呼ばれている大通りがあり、正面に見える中央大寺院のゴシック式の壮麗な殿堂までのゆるやかな登り坂になっている。  図書館はその右側に、鉄道関係の各種の建物に交って、古めかしいが、しかし堂々とした威容を示して建っていた。  私はこのハルピンの町に来る途中、満鉄の列車の中で会ったある老人にすすめられて、間宮林蔵が書いたという『東韃紀行《とうだつきこう》』という本をそのときぜひ読みたかった。その人は、ハルピン図書館に行けば、それを読むことができると教えてくれた。その人が今話した奥から出てきてくれた老人で、戦後になって有名な江藤博士と分った人である。  列車の中で、その人は本の中に記載されている奇妙な事実を教えてくれた。それを私はもう一度たしかめたかった。まさかハルピン図書館にその老人が待っているとは思わなかったのである。  勢いこんで図書館に入って行った私が、すぐ受付の係員に、伝票に『東韃紀行』と誌《しる》して、申しこむと、これが特別扱いの本で、一般貸出しはしないらしい。司書の係員に閲覧伝票をつっ返されてしまった。 「どうしてなんだね。ここにあると聞いてきたんだがね」 「江戸時代の初版本で、貴重な物なので、館長の特別許可が要ります。もっとも、その内容を現代文に直して編集し直した、満鉄と満洲日日新聞社の共同製作の『間宮林蔵の東韃紀行』という本ならありますが」  これだから役人というのはつき合いにくい。最初からそれを出してくれればいいのである。 「私にはどちらも同じだ。それに昔の木版本を借りたところで読めるもんでないしね」  そういって、まだ出版されたばかりのその本を借り出した。三階の閲覧室まで上り、さっそく借りた本を読んだ。  現代の活字に直すとそれほど長い物ではないが、私は付属の地図とひき合せて、一ヵ所、一ヵ所確認しながら読んでいったので、時間がかかった。  ところで本の内容は、私の予想とはかなり違っていた。  間宮林蔵は、晩年は徳川家の隠密《スパイ》を勤め、上司や同僚の洋学者を摘発し入牢させたことで、近年になって、急に評判が悪くなったが、私がその本を見た時代は、まだ国民的に人気がある探険家であった。ともかく、マゼラン海峡のように、個人の名を冠した地名を世界地図に残しているのは、日本人では、古代から現代まで、この間宮林蔵の間宮海峡ただ一つである。  彼は文化五年(一八〇八年)の七月から、翌年の九月まで、まったく他国の人間が入ったことのない、未開の土地を歩き回ってきた。そして当時は世界中の地理学者の殆どが、大陸と地続きだと信じていた樺太《からふと》を、陸地と切り離された島だということを、徒歩で一周することによって証明した。だから私は単純にこれは樺太の旅行記だと思っていたのだ。  ところがその本には海峡を発見した樺太でのことは、最初の方に、ほんのわずかしか触れておらず、全三巻の一巻目の中ほどから、二、三巻にかけては、海を渡っての、当時の清国領、現在のシベリヤ領内のことばかりが書かれてあった。そのうえ、出てくる地名を地図で参照すると、このハルピンの町から、汽車や馬で行こうと思えば行ける所が、三分の一ぐらいあり、他の三分の二も、もし間に、ソヴィエートとの国境がなければ、すべて陸続きで簡単に行って見てこれる所だったので、百三十年昔の旅行記とは思えない親近感がわいてきた。  今はソ満の国境に隔てられて覗《のぞ》くこともできない土地の状況が、生き生きと描かれている。  夢中で読んでいた私の後ろに人が立った。  そっと肩を指で触れられたので、私はすぐにその人に気がついた。列車の中で私に、この本のあることを教えてくれた人であった。 「あなたは、きっと来ると思いましたよ。あなたのために、ここでの秘蔵図書である、本物の『東韃紀行』を、上に出しておきましたよ」  と、温顔に微笑をたたえながら、その人はいった。年のころは六十ぐらいに見える。  服装は質素であったが、銀髪といってもいいような上品な白髪をしていた。 「さっき下の係が、若い人が来て東韃紀行を申し込まれたと報告してきたので、すぐ分りましたよ」 「どうしてもこの間のお話をたしかめたくて」 「私の方もお願いがありますので、ぜひその前に実物を見てください。古くて、もう傷《いた》みやすいので、ただお見せするだけで、お貸出しはもちろん、閲覧室に持ってきて、お一人で読むことも許されていませんが、それでよかったら少しつき合ってください。ああ、その満鉄の本は、一緒に持ってきた方がいいですよ。原文と引き合せて見ると、勉強になりますよ」  私は立ち上って、その老紳士の後ろについて廊下を歩き、階段を下りて、二階の奥にあった、特別閲覧室という部屋に入った。テーブルもずっと立派なものだったし、椅子もゆったりしたソファーであり、楽な気分で読書できるようになっていた。この老紳士と知り合いになったおかげで、私はその後、この町にいた半年近くの間、何回かその豪華な部屋でお茶などのサービスを受けながら、たくさんの本を読むことができたのであるが、そのときは初めて入った部屋の豪華さにただ目を見張って立ちすくんでいた。 「この建物が以前、ロシヤ人の物だったときは、北満洲鉄道の理事官の応接室だったそうです。いずれ帝政時代のことですから、何々伯爵とか公爵とかいう人が任命されたのでしょうが、帝政時代の家具というのは、どれもしっかり作られていて見事なものですな」  そう言いながら、かたわらのガラス戸の戸棚の中央の鍵を回して、扉をあけると、古い和とじの本を三冊とり出した。  なるほど……と私は思った。  これではとても貸出しはできない。和とじの本の背糸は殆《ほとん》ど切れかかっていたし、表紙はめくれ返り、ふちがすり切れ、紙はもう黄色を通りこして、茶褐色になっていた。単に百三十年の年代が経《た》っているだけでなく、江戸で発行されたこの木版刷りの書物が、多くの人の手を経て、遠いハルピンの図書館に納まるまでの、きっと平穏ではなかったであろう運命を物語っているようであった。 「そちらの本の前のページの図版を開いてごらんなさい」  老人はそういった。私は自分が持ってる方の本の前の部分に、二十ページばかりとじこみで挟《はさ》んである図版を開いた。東韃(東部|韃靼《だつたん》地区)と呼ばれる未開の森林地域に住む、二十以上もの種族の原住民たちの顔の特徴や、その住居、衣服、生活の実際、特殊の民具などが、鮮《あざ》やかな色彩で描かれている。さっき閲覧室で見たときは何気なくめくって見ただけであった。  きっと間宮林蔵の記述をもとに、満鉄の調査部の嘱託の画家か何かが描いてつけ加えたのだろうと思ったのだった。  だが、老人が上巻の前の部分を開いて、見せてくれたときは、声をのんだ。そこには、同じ絵が、殆ど色彩もあせずに残っていた。 「私たち編纂《へんさん》に当った者が一番苦労したのが、この図版の再生です。この原画は、すべて間宮林蔵が、旅行時のスケッチをもとに、江戸の藩邸で自分で彩色して書き上げたものだそうです。この新しい本にもそっくりの色で入れられて、私たちは大いに満足しているのです」 「すばらしいものですね」 「ところで、下巻まで、もう読んだことと思いますが、下巻も終りの方に林蔵が、満洲仮府《かふ》の交易所のあるデレンでの交易を終えて、再び黒竜江を戻るところがあります。その中ほどに、舟の中からはるかに、岡の上の、何やらもう誰のものか分らなくなっている石碑を、拝む部分がありますね。列車の中でお話しした。ああ、絵ではこの部分です」  図版の最終部分を、開いて見せた。老人はこの間の列車の中の話を、現物で示してくれた。そして再び私にその不思議な話を情熱をこめて語り出した。  地理的には、黒竜江もかなり下流の、現在はソ連領の、コムソモレスク・アモール州一帯を、流れにのって下って行く記述である。      東韃紀行 巻の下[#「東韃紀行 巻の下」はゴシック体]    『該当部分の抜き書き』 [#ここから1字下げ]  ……余(林蔵)は、清国政府の役人と、このあたり一帯の土民との交易所を訪ねた。役人の持ってくる、絹布や食料品、装飾品などを、自分らのとった狐や貂《てん》の毛皮と交換する。黒竜江沿岸唯一の交易所はデレンという町である。その土地で思いもかけず七日の日をすごしてしまった。  六月二十七日に樺太を発って、七月十一日にデレンに着き、七月十八日までいたことになる。  もう余裕がなかった。早く帰らないと、樺太との間の海が荒れて、土民たちが作った、この八人乗りの木の船では渡れなくなる。  冬まで待って氷の海を橇《そり》で渡るという方法があるそうだが、それは、土民の頭領《ハラタ》身分のラルノという男の説によると、余の如き矮小《わいしよう》の体格で非力な者では、突兀《とつこつ》とした、氷塊の海面は渡りきれないそうである。  それぐらいなら、この長さ五|尋《ひろ》、幅四尺ほどの山旦《さんたん》船で荒海を渡った方がもっと安全だといわれて、急遽、帰り道を急ぐことになった。山旦とはこのあたりの土地の総称である。  シヤレイー、キチー、カタカーと、土民たちの集落を通りすぎ、アタレーまでやって来た。行きと違って帰りは、何日も終日、雨にたたられた。  実は雨をさけるためには、魚皮をつづり合せて作った幅広の天幕用布地があり、それをかぶると一番良いのであるが、帰りは交易所で手に入れた大事な品物が多い。それを雨に濡らさないように魚皮の天幕地で全部しっかりとおおってしまったので、誰も雨を防ぐ物を持っていない。  仕方なくゴザや、編んでもいない葦《あし》、草などをかぶって、雨を防いだが、防ぎきれるものではない。この土地では最も温かい夏の盛りであるが、歯の根がぶつかって合わないほど震える寒い一日を送った。  夜は危くて下れないから岸に船を上げて仮寝するのだが、それも行きと違って、天幕がないから、終夜、体中濡れて、腹の底まで冷えきるような寒い思いをした。  夕方少し雨が止むときがあったので、さっそく火を焚《た》いて、粥《かゆ》を作ろうということになった。  鍋に粟《あわ》を入れて、粥が煮え出したころ、余は、世にも怖しい経験をした。  どこからやって来たのだろうか、この湿地に上った珍らしい炎の光りを見つけて、たちまち何万、何十万という、白い蝶が群《むらが》りよってきた。それが皆、鍋の中にとびこむ。  初めは黄色く煮えたっていた粥もみる間に蝶の死骸で真白になってしまった。追い払うこともできず、粥から取りのぞいても又、入ってくるばかりで、どうにもならない。  やっと炊き上ったとき、仕方なく蝶の死骸を除いてから喰べようとしたが、中身の殆どは交りあっているので捨ててしまった。やっと底にこびりついたおこげだけを八人で分けあって喰べた。  なぜこのことを書いたかというと、翌日、ひどく腹がすいて辛《つら》い思いをしながら、船を出したからである。  しかし数日ぶりで川面が晴れわたり、見通しはよかった。  北樺太では村長をやっていた頭領《ハラタ》身分のラルノは、もうこの大河を何度も上り下りして地形をよく知っている。  急に余に声をかけた。 「旦那《ニシバ》、ちょっとあの崖の上を見てみな」  このあたりは曲りくねって、高い崖が突き出している。対岸は平地を流れているときより、ずっと狭まっている。  風も少し吹いてきて、霧を吹きとばし、太陽も光りを吹きこぼし、見通しは黒竜江を上り下りするこの旅の間では、最高といえる状態になった。  彼の指さす断崖の上には、もう角は欠けて丸くなっているが、はっきりと石碑らしい形をしたものが三ツ並んで見えた。人の影はない。  土民たちは、持ってきた乏しい糧食の中から、細片にした干魚《ひもの》や、粟を手で把んで、水に投じ、はるかの石碑に向って、祈った。  余はラルノにきいた。 「あそこには、何が祀《まつ》ってあるのだね」 「わしらが子供の時分までは、遠い外国から来たという、神の教えを伝える人々がいて、夫婦で暮していましただね」 「なるほど、それであんたら、その神を信じていたのかね……」  余は日本の長崎へ来て、遊女や通詞に秘かに異国の教えを伝えるという、あの鼻の高い紅毛碧眼の人々のことを思い浮べた。彼らは十字架を持って、世界のどんな辺鄙《へんぴ》な所へも出かけるということを聞いたことがある。しかしこんな未開の僻地まで、教えを伝えに来るとはもう驚くだけであった。  ラルノの答えはしかしもっと意外であった。 「いえ、わしらは別に十字架にかけられている、裸の男を信じたわけではないです。わしらの父や母や、この河の畔《ほと》りのすべての人が信じて、拝んだのは、あそこに住んでいた、夫婦でした。特に女の人は、皆に、神様だと信じられていました。庭に紅い花がたくさん植えられて、花を知らない人々を驚かせました」  河の流れは早かったので、崖はみるみる遠ざかり、もう石碑も見えなくなったが、余の好奇心は募るばかりであった。 「あそこへ行くと、どんな病気でもすぐ治ったです。もちろん寿命が来て死ぬ人は駄目ですが、苦しみや、痛みなど、即座に治《おさ》まりました。不思議な薬をくれたのです。ところが、いつか、夫婦とも、死に絶えて、もうわしらには、苦しみを免れる道が無くなりました。だからわしらは、早くまたあの人のような生神様が又どこからかやって来るように祈るのです」  余はこの不思議な力について、しばらく考えたが、結局、それは、切支丹伴天連の魔術によるものとしか考えられなかった。…… [#地付き]以下略   [#ここで字下げ終わり]  初老の図書館員は、崖の上に石碑が三つ遠望できる絵を示して、言葉を続けた。 「この記述には、これまで、各国の学者からさまざまの疑問が寄せられました。まず土民のラルノも、それを聞いて書いた間宮林蔵の記述も、崖上にいた聖者は夫婦であるといってます。そうなると、石碑が三つというのが、数の上で合わなくなってくるのです」 「そう言われればそうですね」 「近代の探険家で、このあたりを何度も訪ねた、トーマス・ウィットラム・アトキンソン氏の、『アムール旅行記』にも、三基の石碑があったと書かれています。現在満洲建国大学の教授である、白鳥博士も、三十年ぐらい前のお若いとき皇帝政府の直接の許可を得てこの崖まで行きまして、石碑を調べたところ、やはり三基あったそうです。そこに現代ではもう解読できない古代|女真《じよしん》文字で何か書かれており、わきにラテン語の文字があり、それは聖書の中の文句であったそうです」  彼らのことを林蔵が切支丹伴天連だと想像したことはやはり当っていた。 「私は長いこと、その墓の文字を直接見たいと思っていて、誰か写真をとるか石摺りを作って持って来てくれないかと、八方手をつくして、探していますが、未だ手に入れることはできません。……だが、私は私なりに、その神の如き伝道者たちのことを調べました。しかし今、ここでは言いません。それはあまりにも危険な推断を含むからです。そこで貴君にお願いがあるのです」  突然老人に頼まれて、私は少し慌《あわ》てた。 「何でしょうか」 「もし将来、貴君が何かの機会にその場所に行く機会がありましたら、石碑の面の石摺りと、今一つ、付近にどんな植物があったか、調べてもらいたいのです」 「さあ、そんな機会があるかどうかは判りませんが、もしありましたら」  と私はただ話を合せるだけで、そう軽く答えた。その約束を私は、別に深く考えたわけではなかったが、後に偶然が作用して、石碑面の石摺りも、紅く咲き乱れる花も手に入れることができた。しかし私はそのどちらも、この老人には届けることができなかった。  私の上に苛酷な運命が展開した後、敗戦、抑留、復員のあわただしさの中で日がたち、そんな余裕はまったく無かった。やっと落着いたときは、もう老人は、亡くなられていたからであった。  だがこのハルピン図書館での午後のひとときの会話から、四十年後の私の今回の旅が、始まったのである。 [#改ページ] [#小見出し] B (昭和五十七年 英国航空機内)  若い人なら、ふと思いたっての気まぐれの旅もあり、友達に誘われての何の目的もない旅もあり得るだろう。私はそのときロンドンへ向う英国航空機に乗っていた。  いつも昭和の年より五年多い私は、今年はもう六十二歳になってしまった。  自分ではもっとずっと長く生きてきた気がする。体も年よりは老《ふ》けこんでいて、気力も失われて、とても一人で旅に出かける元気なんてない。  それは、戦後四年してやっと抑留先のシベリヤから帰ってきたときに、もう体力も気力も使い果した、抜けがらのような状態であったからだ。その後はもう、一日も早く死んでしまった方が、世の中のためになるんじゃないかと思うほど、無意味な惰性の人生を送ってきたから、よけい一日が長く考えられ、世間的にいえば大した年齢でもないのに、老けこみが早かったのだろう。これがせめて事業を拡張したり、手形のやりくりに追われて、毎日忙しかったりしたら、生きるのに夢中で、もういいかげん、こんな人生は終ってくれなんてもったいないことは考えもしなかったろう。  それでも別に自分で死んだりしなかったのは、その関所をくぐって向うへ行く、この世の生命がぶっちぎれる瞬間にきっと、かなり痛い目や、苦しい思いをしなければならないだろうという予想におびえていたのと、今一つ、できれば、自分が別の世界へ行く前に一つだけ納得しておきたいことがあったからである。  これもまた、私の生命の終るときと同様、納得してみたからといって、世のため、人のためになるものでもなく、私自身にとっても、どうなるというものでもないのだが、私のこのやや長い人生が持ったただ一つの疑問が、するりと解ければ、いざ死ぬ時に気持がさっぱりするかもしれないという、そんな小さな願いからだ。ただしこれは日本からはかなり遠くの国へ行って、今一度何人かの関係者を訪ね歩かなくては解決しないことだった。ずっと、ただ惰性で生きるくせがついてしまって、もう三十年以上もたっている、なまりになまった、気持も足の筋肉もたるんでしまった体では、なかなか重い腰が持ち上らなかった。  私は、立川と福生《ふつさ》の間のある国鉄の駅の真前で、不動産会社をやっている。  会社といっても、外の看板に、『※[#「○に株」、unicode3291]親切不動産』という字が書いてあるだけで、社長も社員もひっくるめてただ一人の、小さな会社だ。電話ボックスよりいくらか広く、ポリス・ボックスより、ほんの少し小さいぐらいの事務所で、二階があって、そこを住いにしている。  一階の奥に簡単な洗面所と湯沸かしのガス台があるので、たまにこの小さなマイホームで食事を作ることがあるが、それも、『マルちゃんの狸そば』か、『狐どん兵衛』が精一杯である。  三百六十五日の三食の殆《ほとん》どは、外食で、その点、この駅前にいるということはひどく便利で、正月一日の午前中以外は、朝から深夜まで食事に事欠いたことはない。  多少英語ができたので、一時少し景気がよかったことがある。朝鮮事変、ベトナム戦、この町に大勢の米兵が溢《あふ》れ、その相手になった女が、出征前や、休暇中の二人のセックス処理用の小さな住居を求めて、ひっきりなしにやって来た。  二階を貸してくれる人、庭の隅の物置きのような小屋を改造して貸す人、住民もけっこううるおい、私もかなりの稼ぎになり、女たちもうるおった。  日本の経済は、この二つの戦争によって、完全に立ち直ったという評論家がいるが、私にとってはこれは直接目にした正しい実感である。  私はそれでもただ惰性で生きて行くだけで、その金で、店を拡げたり、投資したりということはしなかった。  一人暮しで金はかからなかった。儲けた金はただ普通預金にほうりこんでおいた。そのままではどんどん通貨の価値が下って行く。利息がついて増えたぐらいでは、貯めても目減りして行く。額面を調べたこともない。ただ、まったく死蔵したままひき出さなかったので、それでも長い間にかなりの大金になっているはずであった。  だからもし重い腰さえ上げれば、そこがどんなに遠い外国だからといって、旅行費用の点で困ることはない。  店の方だって、社員は私一人だから、休業するのに、誰にも相談する必要はない。  物件を標示した紙がベタベタ張ってあるガラス戸をしめ、後ろのカーテンをひき、鍵をかける。表に、   『本日休業』 の木の札を下げてから出かけてしまえばいい。銀行の通帳とハンコを旅行鞄の中に入れておけば、もう後は泥棒が入っても、欠けた茶碗の二つ三つ、電話のコードひきちぎって受話器を持って行くか、今どき誰もほしがらぬ、白黒の小さなテレビを担《かつ》いで行く以外、取る物は何も無い。  私が重い腰をこの六十二歳になるまで上げなかったのも、六十二歳になってやっと上げたのも、一つの理由があった。  私には、年が二十近く離れた妹が一人いた。  私が一人で満洲の旅に出た後、ほどなく母が死に、一年もたたぬうちに親父は、後妻を迎えた。その娘のように年の若い後妻との間に、すぐ女の子が生れた。  私はこの腹違いの妹とは、戦後復員してから、妹がもう小学校へ入る年になって、初めて逢った。  赤ん坊のときを知らないから、しばらくはなじめなかったが、やがて父も、父の後妻も、この三十年の間に失った今となっては、唯一の身内になった。  この妹は大学に在学中に恋人ができ、その相手が大阪から上京して勉強していた学生であったので、結婚するとすぐ、関西へ行き、そのまま居ついてしまった。  妹には、三人ばかり次々に子供が生れた。  けっこう夫婦仲はうまく行っているようだが、三、四度しか会ったことがないので詳しいことは判らない。  私が妹の家族でよく知っているのは、長男の昌彦だけである。  どういうわけか、私によく馴れ、中学校へ入って、自分で新幹線に乗れるようになると一人で遊びに来た。二階は四畳半一間で、二人分の布団を敷けば一杯だが、他に私の家族は一人もいない。食事はすべて、腹がすいたとき、近所へ行って好きな物を適当に喰べてくればいいという暮しが、きっと少年には面白かったのに違いない。夏休みなんかは、かなり長く泊って行くことがあった。  この子は高校へ入ったころから、急にギターに凝りだした。自宅ではそうのべつ幕なしに、朝からひいているわけにはいかないらしい。勉強もしなければならないし、今どきの建売り住宅では、庭も敷地も広く取れない。一戸建てでも、夜になれば近くに楽器の音が洩れないように気をつける必要がある。  ところが私の家は狭くても、駅前の混雑地帯にあって、右隣りがスナック、左隣りがない角地で、前が駅前広場、二十四時間ギターをひきっ放しにひいたところで、どこからも文句が出ない。彼はどうやら、それに味をしめた。  私が金を出して買ってやった、滞在期間中の練習用のギターは、いつ来ても使えるように壁にぶら下っている。  高校の夏休み中は、東京の予備校の夏期実力養成講座に出ると称しては、ずっとこちらにいた。いちおう予備校には通うが、心ここにあらずだ。  早目に帰ってくると、ひきまくり、ときにはロックのコンサートや、ライヴと称する実演の集りがあると、何日も通い詰めで聞きに行っていた。  私のように、人生に対して、今では燃え上るような情熱をまったく失ってしまった人間にとっては、この昌彦の、親の目を盗みながら必死に音楽に入れこんでいる姿は、いつも羨やましい限りであった。その情熱を助けるためなら何でも、私でできることなら助けてやりたかった。  しかし、今一方、私は年寄りの常で、この子に対して、かなりシビヤーな目で見ていた部分があった。  どういうわけか、私の少年時代と性質が似ている。人物が軽薄で、落着きがない。おしゃべりで、男としての腹がなく、すべてに上っ調子だ。  好きなのは歌や音楽だけで、勉強、それも数学は極端に悪い。血はつながっているのだから、似ていてもおかしくはないが、あまりにもミニ・コピーで、気持悪いぐらいだった。  一口でいったら、とても社会有用の大物になれる人材ではない。これは私という手本がいるからもう間違いない。  私がもう一つこの子に見切っていることがあった。  それは近く迫った大学の入試には、まずこの子の両親が望むような学校へは、どこも受からないだろうということだ。親は子供に対して、過剰な期待を抱きがちだ。特に地方にいる親ほどその傾向が強い。  それで実はこの子の受験期が来て、こちらの狙い通り、大学を落ちたときが、私の旅だちの日と秘かに決め、この若い、心強い同行者と共に旅だつための秘策を、ずっと計画していたのだった。  とうとうこの私の狙った相手が高校三年になり、卒業前の受験期になった。  東大は無理にしても、ワセダ・ケイオーは何とかと、叱咤《しつた》激励されて、受験中は伯父さんの所が馴れているからいいだろうというので、教科書や参考書をたくさん担いでやってきた。  もちろん妹も、その主人の実直な地方公務員も、私の内心の意図などはまだまったく気がついていない。  私はかまいもせず、邪魔もせずという、いつもの態度を変えずに見ていた。もともと石にかじりついても志望校に入りたいなどという、根性のある子ではない。  ただ、受験料を出して受験票を貰ったから、受けるというだけで、試験が終るとさっさと私の事務所に帰ってきて、この一年家ではまったく禁止されてひけなかったギターに、まるで夢中で取り組んでいた。  これで大学に受かったら奇蹟だが、奇蹟はやはり起らなかった。  六十二歳の私の長い怠惰《たいだ》の人生も、まんざら捨てたものじゃない。見込みは適中した。試験後十日ばかりして発表の日が来る。予想通りに、どの大学のどの学部も軒《のき》並みに外《はず》れて、悲報相次ぐ。  その電話に出るたびに、大阪にいる妹の声が、悲壮になり、ヒステリックになる。かける昌彦の方もだんだん、かけにくそうにしているのが分る。私としては、作戦が自分の思うようになってくるので、内心秘かに笑いが押えきれない。  六日続いた悲報の最後の電話で、たっぷり母親に叱られた昌彦がいった。 「お母さんが伯父さんに代ってくれって」 「ああいいよ」  私は電話を代った。 「……お兄さん……聞いてよ」  とたちまち、喰いつくようにしゃべり出す。言われなくても、この惨敗は分っている。  ひとしきりしゃべるままにさせておいてから、やっと声がきれたところできいた。 「それでどうするつもりなんだね」 「あたしの考えでは大阪にいちゃ駄目だと思うのよ。東京の一流の予備校で、修行しなくちゃ、とても一流校には入れないんじゃないかしら。でも下宿やアパートへ入れて、監督の目が届かなくなったら、子供なんて、ついぐれてしまうでしょう」 「ああ、あまりいいことじゃないな。男の子一人を東京へおくなんてのは」 「それでね、お願いがあるの。これまでも、さんざんご迷惑をおかけしたままで、こんなこと言いにくいんだけれど、今度はお兄さんの所において、しっかり毎日見張って勉強させてくれない? いうこときかなかったら叱りつけてもいいわ。ともかく、もし希望の大学へ入れなかったら私たち、何のため、こうして子供を育ててきたか分らないわ」  言ってみれば、まさに半狂乱の状態であった。しかし私に言わせればこれはむしろ思う壺であった。  不動産屋をやっていれば、欠陥商品でも無理にすすめなければならないときが多く、嘘をつくのに、いささかの心のかげりも、ためらいも無くなる。私は急に雄弁になった。 「私には大学の同級生で、ワセダの教授をやっているのがいる」  私が若い時分通っていたあの大学のランクを考えれば、ひょっとすると総理大臣は出ることはあっても、間違ってもきびしい学閥の網をくぐり抜けて、一流大学の教授になるような人材は出っこない。しかし女にはそんなことは最初から判りっこない。 「じゃ……頼んでよ。お金はいくらでも都合するから、点数を内緒で上げて、補欠でも入れるようにしてくれない」 「いや、いくら友達でも、それはもうできない。決定したことだからな」 「でも何とかならないの」 「そこはいろいろと相談してみた。落第者の答案用紙の中から探し出してもらって、二人で欠陥がどこにあるか検討してもみた」 「まあ、それで何か分った」  妹を私は完全に自分のペースにひきずりこんだ。手ごたえは充分だ。リモートコントロールをしているのと同じだ。 「二人の間では、来年どうしても合格させるのには、今や、たった一つの方法しかないという結論に至った」 「それを教えて……」 「昌彦の答案の中で、異常に低いのは英語だ。これだけを根本的に鍛《きた》え直さなくてはいけない。とても予備校で勉強する程度のことでは駄目だ」 「どうすればいいの」  だんだんいらだってきている。 「なあに言ってみればコロンブスの卵だ。一《ひと》月でも二《ふた》月でもいい、英語だけをしゃべる世界、つまり、アメリカか、イギリスで、おっぽり出して暮させればいいんだ」 「でも……外国なんて……それに知り合いは一人もいないし」  まだ十八の子供だ。急に心配になってきたらしい。  長距離電話だからどんどん料金もかさむ。じらすのはこのへんにして、結論を急いだ。 「それで私は考えたんだがね。丁度、私の方も自分の仕事の都合でロンドンへ行かなくちゃならないことができた。それで二人で行って来ようと思うのだ。費用は私が出しておくよ。家族のいない一人身だったから、金は余っている。一《ひと》月もあれば帰って来れる。四月の予備校入学までには間に合うと思うし、一《ひと》月まるまる英語だけしゃべる境遇の中で暮していれば、英語力は飛躍的に上昇するよ。しかも私が行くところは、キングス・イングリッシュをしゃべる、バリバリのコックニー……つまりこれはロンドン子って意味だがね……ばかりいる町で、本場の歯切れのいい奴を勉強させてこようと思うのだよ」 「それはありがたいわ。ぜひ連れて行って。そして鍛えてきて」 「うん、そうしよう。来年の受験のためだ。ご主人と相談して、OKだったら、すぐこちらへ戸籍抄本と住民票を速達で送ってくれ。東京で旅券を作って出発するから」 「ええ、それじゃそうしますわ」  ここで妹との電話は無事すんだ。  それはつい先日、同じ商店街にある旅行社の主人から聞いたばかりの注意をつけ加えただけだ。以前も長い期間、大陸を旅し、時には居住していたこともあったが、この年になるまで私はパスポートなんて持ったことがない。昔はアジア全体が日本の支配下で、そんなものは不要だったのだ。  自分のまったく預り知らぬところで、ロンドン行きが決められてしまった昌彦は、まだよく事情が分らぬままに、不思議そうな顔をしている。 「どうだね、伯父さんと一緒にロンドンへ行くかい」 「なぜぼくがロンドンへ行くんです。一ヵ月ばかり行って、そんなに英語がうまくなるとは思えないけど」  子供の方がよく分っている。 「そうだな。大学の入試と日常会話の英語はまったく別物だからな。実はね、向うへ行く用があっても、これまでは一人では心細くて行けなかった」 「なーんだ用心棒か。伯父さんも年だなあ」 「ああ、いつ、ひっくり返って動けなくなるかもしれないからな。一人では心細くてね」 「用というのは難しいことですか」 「いや、三日もあればすんでしまう。その後は自由だ。ところで君はリバプールへ行きたくないかね」 「えっ、リバプールへも行けるの」  急に少年の目は輝やいてきた。 「ああ、用がすんだら、ずっとそこにいていいんだよ。何しろロンドンからは五、六時間もあれば行ける所だ。ビートルズはもうやってないが、次のビートルズを目ざして、たくさんの若者が腕を競っているらしいぞ」  孤独な老人の夜の友達は、深夜放送のディスクジョッキーの女アナウンサーぐらいしかいないが、逆にこういうことには、少しは詳しくなる。 「本当に、必ずリバプールに行けるんだね」 「ああ、最初の用がすめばな」 「じゃ行くよ」  こうして、昌彦との話も簡単に決ってしまった。  実は私がしなければならない用は、英本土のロンドンではなく、もっとずっと奥にあるスコットランド領のグラスゴーに行って、昔のことをたしかめることだ。危険なことは一つもない。それほどの大げさな用でもないのだ。だから私はごく気軽に身内の少年を連れて行く気になった。 「ギターは持って行けよ。向うで買うと、案外高いらしいからね」  この言葉が、昌彦の多少の迷いを吹っとばしてしまった。 「うん、向うの新しい曲をよくきいて、どんどん譜面に直して、お土産に持って帰るよ」  すっかりその気になってきた。  二日後には、昌彦の戸籍抄本と、住民票が大阪から届いた。駅前の商店街の中にある小さな旅行社にいっさい頼んで、一週間後には、もう成田空港発の英国航空機で、私たち二人はロンドンへ向っていた。  ロンドンへ行く北回り機は、八時間で太平洋の北部を横断して、アラスカ州の最大の都市アンカレジに着く。  初めての外国行きに、もともと軽薄で、おしゃべりのこの子は、すっかり昂奮して、成田を出て以来、ただ落着きなくしゃべり通しだ。男らしくどっしりとかまえなさいと、よっぽど注意したかったが、こちらが騙《だま》すようにして、旅の話し相手として連れてきたのだから、強いことは言えない。出発してからずっとの、彼のとりとめのないおしゃべりにつき合っていた。最初彼がしきりに気にしたのは、 「ギター大丈夫かな」  ということだった。いちおうはケースごと、機内には持ちこめたが、すぐスチュワーデスに預けさせられて、後方の機内収容室に納められてしまった。  もっともこの三人掛けの座席では、大きなギターのケースはとても置きようがない。  心配も無理はないが、心配してもどうにもならないことだから、もっと落着いたらいいのだ。そうかと思えばすぐ彼の話題は変る。何事も関心が一ヵ所に止《とど》まらず、絶えず考えることの対象が、ぐらぐら動いている。 「それで伯父さんはロンドンに何の用があるのですか」 「いや、ロンドンには何の用もないのだよ」 「あれ?」 「ああ、まだ説明してなくて悪かったが、それほど大事なことじゃないからね。ただ事情がこみ入って、一口には話せないんでね、向うへ行ってから、その場、その場で説明するよ。取りあえず言っておくが、伯父さんの行きたいところは、スコットランドといって、大英帝国の三つの連合州の一つで、ロンドンよりも、ずっと北にあるのだ。急行で九時間かかる。そこの州の最大の商業都市のグラスゴーという町だ」 「珍らしい所へ行くんだね。何だか聞いただけで、胸がわくわくするね。まあ、行くまでは事情は聞かないよ」  乗ってからいくらもたたないうちに、まずジュースのサービスがあって、それが片付けられると、機内食の配給が始まった。  旅行に出発する前に、外国の旅行に馴れている駅前の台湾行き農協旅行専門の小旅行社の親父が注意したことを思い出した。 『機内食というのは、始めは珍らしくて、誰でもパクパクと全部喰べるがね、何しろ機内に坐っているうちはまったく運動ができない。腹が全然すかないから、二食目、三食目になると、半分も入らなくなる』  しかし私たちのように、あの小さな不動産屋にいるときは、もっぱら吉野家の牛丼、元禄回転寿司、大王つけ麺、の業界でのブランド店を順ぐりに喰べて回り、雨が降って出られないときは、湯だけ沸かして、カップラーメン、マルちゃんの狸そばですませていた二人にとっては、これは目が回るほどの豪華なメニューだった。  すぐにおしゃべり息子は大げさな声を上げた。 「すごいなあ。こんなにご馳走を出して、飛行機会社が潰れないかな」  多少私もその言葉には共感するものがあった。どういうわけか、正規に買ったら五十万円以上もするという切符なのに、代理店の主人は十六万円で売ってくれた。それでも店は儲かっているという。  つまり欠員になって、空気で飛ばすより、誰かを乗せた方がいいというので、ダンピングがあるらしい。その代り出る日と帰りに乗る日の便が決っていた。ロンドンに着いたら解散、そして、一月後の指定の日に、ロンドン空港に集合するということが条件になっていた。  それでも安い値で乗っている身にとっては、他人はどうあれ、我々がこんな贅沢《ぜいたく》な食事を一緒にしていいのかと、多少、気がとがめるものがあったのだ。  ところで私には、この頼りない甥ッ子を連れての旅で、言葉の上の心配はまるで無かった。実は英語はかなりいける自信があった。大学では支那語科に籍があったが、駅前不動産屋で、アメリカ人の兵隊を相手にしているうちに、テキサス州や、ケンタッキー州|訛《なま》りのアメリカ語にすっかり慣れてしまった。  ロンドンでも、スコットランドでも、英語だ。訛りの強い京都弁を、東北弁しか知らない人間が聞くつもりでいればいいのだ。若い時代に、大陸で動き回った経験があるので、断言できるのだが、言葉なんてものは、その気持になって、ゆっくりと、はっきりといえば、究極のところは、何語でも通じてしまうのだ。  絶え間なくさまざまのことを話しかける昌彦の話を頭の上で聞き流しながら、航空会社支給の鞄の中にしっかりと納めてある一枚の書類を、今一度覗いて見て、そこにあるのを確認した。中型の書類入れ封筒の中に厚地のビニールでくるみ、厳封してある。  採集して四十年目、色もあせた花びらと、崩れかかった石碑から取った石摺りの文字、これが私の無為怠惰の人生の中で、かつての青春時代の仕事を証明する唯一の物だった。  アンカレジに着くと、給油のために、一時間の休憩があった。  空港の待合室へ出て少し歩いたり、買物したりする。坐りっぱなしの体には、足の運動になる。空港は町からかなり外れたところにあるらしい。待合室をぐるりと囲むガラス窓からは、雪一色のどこまでも続く平野しか見えない。こうした地平まで見える平らな土地を見るのは、もう何十年ぶりのことだから、私にはとても懐しかった。白と黄色と、色は違うが、無限の大地を見ると、私の心は久しぶりに豊かな開放された気分になる。  ここはヨーロッパへ往き帰りの飛行機が必ず寄るところらしいので、ひっきりなしに飛行機が到着し、出発して行った。そのどの飛行機にも、日本人がたくさん乗っている。  スタンド式の食堂には、平仮名で『うどん』『おでん』『おしるこ』などと書かれた紙の札が吊されていて、日本の女性が集っている。  食堂だけでなく、宝石売場も、毛皮売場も群るようにたかって、買物をしているのは、殆《ほとん》ど日本人の中年の女性であった。  アンカレジの休憩が終って、再び我々は機内に入った。東京から飛んで来た者は、先に機内に入り、もとの席に坐れる。  三人掛けの一番外の通路際に坐っていた外人は、戻って来なかった。おそらくここで降りるか乗り換えるかしたのだろう。 「誰か代りに若い女の子が乗ってくるといいな。旅も楽しくなるんだがね」  私は昌彦を元気づけるため、そう言ってやった。ところが冗談から駒が出た。  五分ほどたって、従来の乗客がすっかり席に落着いてしまったとき、すらりと背の高い足の長い娘が近よってきて、カードと座席番号を調べ出した。金髪だ。  大変な美人だった。秘かに座席の下で、昌彦はVサインを送ってきた。 「プリーズ」  といってナンバーを聞く。私にはその言葉はよく聞きとれた。すぐに、 「イエス、ディスシート、オーケー」  そう答える。 「エクスキューズ、ミー」  女が坐ると、そのままあたりに、強い香料の匂いがし、三席がいっぺんに明るくなった気分であった。  私がわりと気軽に答えたので、いったんシートベルトを締めてしまってから、女は話しかけてきた。  私は中央の席の昌彦に日本語でハッパをかけた。 「いいか、これこそ、天があたえた絶好のチャンスだ。分らなくても、分ってもかまわない。相手の反応も気にするなよ。知ってる英語をしゃべりまくれ。男は度胸、英語も度胸、君は日本人だから、英語が下手なのは、さして気にするな。ぜひともひっかけるつもりでアタックだ」 「判りました。やってみます」  昌彦はそう答えると、自分の覚えている単語を必死に並べてしゃべり出した。わきから聞いていると、かなりおかしいが、しかし、金髪娘はそんな会話が珍らしいのか、急にのってきた。  二十分もしないうちに、二人はたちまち話に熱中しだした。  ロンドンへ着くまでには、これからも、もう八時間かかる。その間、若いものは若いものどうし、私がその会話に口を出すこともない。  私はゆっくり、自分の回想にひたり出した。  私にも当然、青春はあった。  もっとみじめで、悲惨なものであったが、しかし考えようによっては、ダイナミックであった。生きるためには夢中になって闘わなければならなかったため、緊張とスリルがあったような気もする。  どちらがよかったかは、いまさら言っても仕方がないことだが、今の年代の青年の気の抜けたような生活よりは、その時代の明日の生命が判らないスリルに充ちた生活の方が、本当は楽しかったかもしれない。 [#改ページ] [#小見出し] C (昭和十五年 日本─満洲)  昭和十五年は、昔の、大日本帝国だけで通用していた年号では、紀元二千六百年丁度に当る縁起のいい年であった。  そのため中国全土に及ぶ大きな戦争を遂行中にかかわらず、日本中が浮きたつように騒ぎたてた、お祭り気分の年になった。  翌年始まる大戦争への予感はあっても、それは不安を伴うものでなく、むしろ、世界を八紘一宇と称する、何が何やらはっきりしない威勢のいい言葉の示す目的で統一するための、希望にあふれた景気のよいものであった。  一方、国民服の制定着用を法令で強制したり、政党を解党させ大政翼賛会を作らせたり、軍国色も日々きびしくなってきた年でもあった。女も半分以上モンペを着け、現在の人民中国のように町からスカートがみるみる消えていった。  大勢の若者たちが、その風潮の中で、軍国熱に浮かされた。学業半ばで軍を志願し、大陸や南方の職場を求めて、祖国を飛び出して行った。  私は、大学をあと二年残す、本科学部の一年になっていた。大学生には、まだ文科系にも徴兵猶予令が適用されていて、あと二年は別に兵役に取られる心配はなかったが、しかし二年後には、少々体が悪かろうと、手や足が不自由であろうと、必ず軍役に就かなければならないことは、決定していた。  外聞の悪い話だが、私はもう子供のときからその日の来ることを、ひどく怖れていた。  訓練のきびしさや、弾丸の飛び交う戦場での不慮の戦死を怖れたわけではない。  こんなものは日本人として生れたら当然の義務だ。腹は据っているつもりだった。  私が怖れたのは、毎日の訓練後に必ず、理由も示さずに行われる、上級兵たちの理不尽なリンチに、黙って耐えられるかということであった。わざわざ自分で進んで、元気な若者が集る殖民大学へ入ったぐらいであるから、体力には多少自信があった。殴打にも、その他の制裁にも、体力的には耐えられるだろう。  実は、自分で一番心配したのは、そのリンチが、もし理屈に合わない言いがかりであったとき、たとえそれが、明治三年の大村益次郎制定による帝国陸軍の、建制以来の、七十年間に渡る申し送りによるものといっても、果して無抵抗で殴られるままで我慢できるかということだった。  これまでもずいぶん荒っぽい喧嘩をしてきた。私は気性が荒いわけではない。一種の正義感かも知れないが、理屈に合わないことが、我慢できないたちなのだ。  だが、軍の内務班と称する、兵隊の日常生活の場所では、すべてが上級者絶対の矛盾に満ちた規則を押しつけられて、実行させられる。殴られたとき、もしそれを承服できないとして暴発したらどうなるか。上官反抗は最高の罪だ。全員に叩きのめされ、最終的には、陸軍刑務所の裏庭の処刑場の土山の前で、目隠しの上、跪《ひざまず》かされての銃殺にまで追い詰められるに決っている。  殖民大の学生は、一見体格が頑丈で、向う気が強く、軍務に向きそうだが、実は軍では歓迎していないという情報があった。整列や行進という、軍人に必要な団体生活が上手にできない上、細かい規律に服すことがまた不得意だ。四角四面の人間を作って、上官が扱う機械の一部として、戦陣に押し出す軍の機構では、始末におえない異分子がまぎれこんだようなもので、どこでもてこずってしまう。  特に軍艦内の狭い居住区で日常生活をし、諸事|敏捷《びんしよう》スマートネスの行動を要求される海軍では、厄介《やつかい》者として毛嫌いして、将校には殆ど任官させないとさえ言われている。  そのうえ、そのころはもう大学へ行っても授業は半分ぐらいで、あとは軍需工場などの勤労奉仕に馳《か》りたてられることもあって、日本での学生生活に希望を失っていた私は、大陸進出という言葉にひどく憧れた。  大陸進出とは、自由への憧れと同じ気持であった。  当時の日本内地は実に狭く、息苦しかった。  二千六百年というきりのいい年を、国民が熱気ともいうような執念で、一年の間、毎日馬鹿騒ぎしたのも、あまりにも日常の生活が窮屈であった反動だっただろう。  特に、私が困ったのは、女の子とのデイトであった。戦争にも行かないで軍人適齢の男子学生が女を連れて町を歩くなど、これは諜報関係の犯罪以上のきびしい国禁の犯罪扱いをされても仕方のないこととされていた。  町角ごとに細かく配置されていた交番に立って、国民に鋭く監視の目を注いでいる巡査や、駅の改札口に必ず私服でうろうろしている特高刑事、憲兵などに見つかったらただではすまない。  当時の交番にはどこも奥の方に宿直室があり、そこが同時にきびしい取調べ室になっていて、拷問ができるようになっていた。アベックや、窃盗など、町の中で捕まえられる罪人は、まずその宿直室でたっぷりとヤキを入れられた。  上半身を裸にされ、天井から吊された鉄の釘から下っている縄に両手をくくられる。これは、男と歩いていた娘たちも同じで、ブラジャーはあまり普及していない時代だったので、捕まった娘の半分以上が、双つのふくらみがむき出しにされたし、たまたまそんな形の布をつけている娘がいると、地方の貧しい農村の出身者が多い巡査たちは、ふだん見た事のない物だけに、かえって嫉妬でいきりたった。 「この国家の非常時に、女のくせに西洋式の乳バンドなどして、何たる非国民か」  と、荒々しくむしり取り、むき出しにしてしまう。それをつけていない娘に対するよりも、もっときびしい処罰が待っていた。  私は、一度これをやられたことがある。お互い二メートルぐらい離れて、まるで知り合いでないようなふりで、交番の前を歩いて通り抜けようとしたのだが、だいぶ前から私服がつけていたらしく、そのイカサマは通らなかった。  処罰はどこでもチョコレートという、甘い名のついた刑具で行われた。自転車の古タイヤを縦に細くさいた、ゴム製の鞭であり、色が黒かったので、そういう名がつけられた。それがやきもちを交えて、怒り狂った巡査の手で背中に振り下されると、本当に痛かった。 「おい、大学数え唄のトップにも、一つ、人は見かけによらぬ者、軟派するのは殖大生というが、そいつはまったく本当のことだな」  いや味たっぷりに振り下す。  男だから、ぐっと歯を喰い縛って耐えられるが、女の方は怯えて、打《ぶ》たれる前から泣き出す。その白い柔らかそうな背中に、一筋斜めに赤い筋が走り、悲鳴を上げてのけぞると、自分が打たれるより、もっと辛かった。  打っただけでは、警官の胸のむしゃくしゃは去らないらしい。 「この非常時に……」「この国家の重大時に」  と同じ言葉が何百回もくり返される。ひどく語彙《ごい》の少い、そのくせやたらにいかめしい、退屈な説教を二時間も畏《かしこ》まって聞かされて、やっと身柄の本署送りは許してもらったが、交番を出ると、前に立って巡査が見守っているので、そのまま右と左に別れなければならず、せっかくのセーラー服の娘との仲は終ってしまった。  学校へもすぐに、警察から『不良学生通知書』という書類が届いた。ただ私は大学の理事長と、遠い縁戚でもあった。しかも理事長は若いときアメリカで学び、こういう国家主義的傾向をにがにがしいと思っていた自由人であったので、通知書を受取っても、別にそれを問題にもしなかったので助かった。  その女学生がどうなったかは、まったく分らなかった。お互いに知らせる手段さえ途切れてしまったのだ。  それから二《ふた》月もしないで、私は別な女と待ち合せて、また同じような網にひっかかってしまった。今度はもっと、警察のやり方は悪辣《あくらつ》であった。  やはり相手は女子学生であったが、一緒に映画を見ることにして、銀座で待ち合せた。  地上の銀座通りは交番があって危いので、地下鉄の改札口の所に待ち合せ、お互いす早く行く先を話し合い、その劇場までは、少し離れて知らん顔して歩いて行くことにした。中に入れば何とか隣りに坐ることはできた。  二人は何度も手紙を交して、そのことを確認しあっていた。電話はよほどの家にしか無かったから、女の家には女名前の封書で、私の家には、男名前の封書で、親にあけられてもいいよう、文句に工夫しながらの、苦心してのデイトであった。  指定の時間の少し前に、階段を上って改札口を出た。有楽座や日比谷劇場のある方向の出口の下が、その待ち合せ場所である。現在の三愛ビルの真下だ。  そこの壁際に、二メートル四方ぐらいのベニヤ板の壁が張り出して、小屋になっていた。  何気なく、壁によりかかって、女の子を待っていた。時間になると、女子学生が、ひだの多いスカートを揺らせながら、馳け足で上ってきて、改札を通るとにっこりしながら、 「お待たせした?」  ときいた。やっと会えた。嬉しかった。胸がはずんだ。近よって話そうとした瞬間、 「こらーっ!」  と大声がして、どこから出た声か分らなかったが、たちまち全身に水をあびたような恐怖が走った。私がよりかかっていたベニヤ板の扉が後ろからひらかれ、私は中へ上半身から倒れかかった。板に覗き孔があけられて、そこから外を見張っていたのだ。  一人の私服刑事が、す早く逃げようとした女子学生の手もひっぱって、中へひきずりこんだ。  扉がしめられた瞬間、二人とも、中にいた刑事に思いきり両頬をひっぱたかれた。向うはそれが職業だ。スナップが効いて、ものすごく痛い。  女は悲鳴を上げる。その鼻から、血がたれている。いくら刑事でもやり方が汚ない。私は抵抗しようとした。す早く後ろ手にねじ上げられ、額にこぶが出来るほど、机の板に頭をぶつけられた。  そしてここでも二時間以上にわたる説教が続いて、やっと釈放されたときは、もうとても映画を見る気持ではなくなっていた。  私がどうしても大学を一時休学して大陸へ行きたいと考えたのは、その銀座でのことがあってすぐである。  正直にいえば、日本にいることがいいかげんいやになってきていた。新聞では丁度、戸塚署が張りきって、トラック一台を新宿の洋画館の前に乗りつけて、中の大学生と女子学生とを、全員荷台に乗せて、署のブタ箱に入れて、現在取調べの最中だということを、『学生狩り始まる』という見出しで、面白おかしく書いてあった。我々は狩りの対象の獣なのか。  もうどうにもたまらなかった。  大学の壁には、そのころ奇妙な求人広告の張紙があった。 [#ここから枠囲み]   支那語科学生に告ぐ。   大陸での特殊任務に従事する者を求む。   在任中徴用、及び、兵役免除。 [#ここで枠囲み終わり]  これまでも、何度かこれと同じ張紙を見たことがある。その度に、体力に自信があり、血の気の多い者が、一人、二人と大学から消えて行った。  それがかなりの危険で特殊な任務であることは、お互いに暗黙の中《うち》に分っていた。一時休学の形を取るのだが、その任務を終えて大学へ戻ってきたという人のことは、聞いたことがない。  だからそれまで興味は持ちながらも、できれば民間のもっとおだやかな会社に就職してから大陸へ行きたいと考え、わざと無視してきたが、二度も警察に捕まって、通知書を送りつけられると、そうも言ってはいられなくなった。  このままでは、理事長にも迷惑をかけるし、学校ごとに配属されている教練教官の配属将校も黙っていないだろう。退学させられることは、同時に規定の年より一年すぎている徴兵猶予の期間も即座に切れて、ただちに軍に入らなくてはならないことになる。  まだ学籍のあるうちに、手を打っておくべきだ。その張札を見ると、飛びこむように教務主任室へ行って申しこんだ。  教務主任は、私の申込を聞くと、少し渋い声でいった。 「これは国家の仕事なのだ。遊びごとで申しこまれては困るんだ」  私は必死だ。断わられては困る。教務主任に喰ってかかるような口調でいった。 「そんな不真面目な男に見えますか」  教務主任は薄笑いしていった。私の不行跡はとっくに判っている。 「見えるかっていったって、現に君は不真面目な男じゃないか。理事長も二回目は内聞にできなくて、ひどく苦慮しておられる」 「そこです。これまで学校にさんざん、ご迷惑をおかけ致してきました。ここで心を改めて、まじめな学生として、国家のために尽したいから、こうしてお願いに上ったのです」 「なるほど、物も言いようだな」  必死の勢いに教務主任は考え直したようであった。こんな学生を学内に置いておくよりは、むしろ外へ出してしまった方がいいと、す早く頭の中で計算したのかもしれなかった。 「そうか。もし君が、本当にまじめな気持で申しこんでいるのなら、この仕事に推薦してやろう。その代りなまやさしい仕事じゃないよ。いったん行ったら、一年や二年で戻るのは無理だ。生きて再び日本に帰れるかどうかさえ分らんよ」 「それは覚悟しております」  そのときの私にはそれ以外の道がなかった。 「ただし……」  と教務主任は少し慰めるようにいった。 「……これは学校が推薦する仕事だから、任務に従事している間は、在学して勉強していると同じ扱いにする。君は本科一年の半ばだから、あと二年半だけ、その仕事を勤めたら、自然に学部卒業の免状が交付されて、以後、卒業した者といっさいが同じになる。ただし、それまでに生命があったらだがね」 「その間に試験などは、ないのですか」 「外地に於ては試験なんぞ出来んだろう。論文の提出も要らない。行動そのものが論文だよ。これが殖民大学の精神でもあるさ」 「オッス!」  いつも何かにつけて学内で使われる間投詞を大声で叫び、頭を低く垂れて、感謝の意を表明した。  もう授業にも出ず、何の勉強もしないでいて、大学を卒業できるというのがひどく嬉しかった。  すぐに教務主任が、手続きを取ってくれた。どこでどういう書類が動いたのか、その点については、私はまったく知らされなかったし、自分も気にかけもしなかった。  一週間後には、再び教務主任の所へ呼び出された。 『特別要員』という朱印が押してある、奉天憲兵司令部発行の『占領・駐屯地区自由通行許可証』という白い表紙の手帖を渡された。  それとともに、袋に入った金を渡されたが、十円札で二百円、これはかなりの大金であった。  手帖を手渡しながら、教務主任はいった。 「ただしだね。これは軍人の出征と違って、あくまで秘密の任務だからね。君が、この仕事に応じたことは、家族にも、友人にも、話してはいけない」 「承知しております」 「自宅通学だったね」 「ええ」 「家族には、夏休みだから、先輩が大勢いる満蒙地区を見学してくる。旅費は大学の研究費から出たとだけ言っておくのだよ」 「はい」  それだけの注意があって、無事通行許可証と現金を手にした。  ちょうど夏休みに入るころで、旅行に出るのには都合がいいときでもあった。  七月の十日の朝、私は、ほんの下着類だけを小さなボストンバッグに詰めて、東京駅の八重洲口に行った。私は特別の仕事で行くので、身分証明書をもらったが、一般の人は、切符さえ買えば、あとは旅券も証明書もいらずに、大陸へ入れた。  八重洲口の広い構内一杯に、乗車券売場の窓口が一番から四十八番まで並んでいて、その四十八番は『朝鮮・満洲・支那方面』という札が下っていた。そこに並んだ人々は、まるで当り前のように、『京城二枚』『ハルピン子供一枚、大人一枚』『北京一枚』  などといって、切符を買っていた。  私も同じで、順番がくると、 「奉天まで二等一枚」  そう普通の口調でいって五十円出した。二円おつりがきた。  私が海を渡って最初に出頭を命ぜられたのは、奉天市の憲兵隊司令部であった。体面上も、防諜上も、ずっと二等で来るようにとの注意書が、現金を入れた封筒に入っていた。三等のあった時代の二等だが、それでも、四十八円しか、かからない。出頭日までには五日もある。時間的にもゆったりしていた。少し豪華な気分になり、私はいくらか得意で、ホームに入ってきた列車の、車体の横に青筋の入った二等車を見つけて乗りこもうとした。だが国民服を持っていないので、角帽に学生服のままで来た。  それで急にてれ臭くなり、三等車の方に乗りこんだ。  まだまだ学生服で二等へ乗りこむのには、遠慮がいる時代であった。  汽車は急行ではあったが、それでも下関へ着くのに、二十時間以上かかった。  汽車のホームの先に、連絡船の船着き場がある。切符の検札のための木の柵があるきりで、税関も出入国検査所もないのは、朝鮮半島は同じ日本国の領土だという立場を取っているからで、下関から釜山《ふざん》へ渡るのは、国内旅行の扱いであった。  しかしここで、日本軍隊特有の、タテ前と本音の使い分けを、改めて否応なしに、私は見せつけられた。  内地に戸籍を有する昔からの日本人にとっては、双つの国は同じ国であっても、朝鮮に戸籍のある人にとっては、ここは自由に気軽に通過できる場所ではなかった。  タラップの下には、数人の憲兵が、白い腕章もいかめしく立っており、並んで進んでくる乗船者を見張っている。  夏休みで帰省する学生もかなり交っていた。その中には、父母が満洲国や半島の役人として現地に住み、そこへ戻って行く内地人学生もかなりいたが、半島に籍を持ち、日本の内地の大学や女子専門学校に勉学に来ている留学生も、また交っていた。  もともと両方の国の民族は、古い時代には先祖を一つにしている。顔の区別がつきにくい。  それなのに、彼ら憲兵はさすがにベテランであって、職業的にとぎすまされている目を持っている。角帽をかぶり、制服を着て並んでいると、普通の人にはまったく区別がつかないのに、列の中から片っぱしから腕を掴んで朝鮮の人々をひきずり出す。別な場所に並べられた学生たちは、男女とも不安な表情で立っている。十人ぐらいたまると、憲兵たちは、彼らに命じて、自分のボストンバッグや、ハンドバッグ、トランクなどを各自にあけさせ、中身を、コンクリートの突堤の上にぶちまけさせる。憲兵は軍民すべての上に君臨する絶対的存在であった。誰も逆らうわけにはいかない。  その中に交っていた三人ばかりの女の学生の荷物から、下着が散り、口紅やクリームの瓶が転がり落ちても、憲兵たちは表情一つ変えない。全部何もかもぶちまけさせたうえ、中に何一つ残っていないように底をはたかせる。  そのうえで、憲兵はかがみこむと、本や手帖類だけ手に取ってめくり出す。私は検問の憲兵の前を何の差し障りもなく通過して、すでにタラップを上り、甲板で見下していたが、やっとそれが何の理由によるのか分った。  荷物の中にハングルという、この朝鮮の民族だけに使われている文字で印刷されている本が交っているといけないのだ。日本政府はこの民族の全員の名前を日本国風に改めさせると同時に、彼らの持っている文字も使用を禁止していた。手帖やノートも同じで、※[#ハングル文字]や※[#ハングル文字]や※[#ハングル文字]を組み合せて作った文字が入っていると、その持主の目の前に突きつけ、物も言わずにひっぱたく。ものすごい音がした。  全員が何らかの形で、ハングルで書かれた文書を持っていた。  男は殴られると、体こそよろけるが、じっと歯を喰い縛って泣くのを我慢している。女子学生たちは、大声で叫び、地面にひっくり返って泣き出す。  私は、この様子をそのまま見ていられなかった。といって抗議するだけの勇気なんて、憲兵を前にしてはとても出てこない。  すぐに船室に入ってしまった。  船からは二等にしようと思ったが、妙な正義感が昂ぶって、船底の三等船室に入った。おかげでまる一晩、船揺れと、この満員の船客の体臭で、死ぬほどの苦しい船旅になった。  だが、これから大陸というものを、少しでも理解するためには、これは必要な行動なのだと、自分を励ますようにして、胸までこみ上げてくる嘔吐を必死に耐えた。  玄海灘は一晩で越え、明け方早く、釜山港に着いた。  釜山港には、朝鮮と満洲の間を直行する南満洲鉄道自慢の急行列車、興亜号が待っていた。  奉天行きだった。  奉天で北京へ行く南行き列車と、新京・ハルピンへ向う北行き列車とに分れる。満鉄自慢の特急|亜細亜《アジア》号は、奉天から、北へ向う新京・ハルピン間の、殆《ほとん》どカーヴのない直線コースを走るための車輛で、釜山には来ていなかった。  ここでも、まだ、日本人の憲兵たちが取った処置に一人で怒っていた私は、何かやりきれない気持になって、黙って三等車に乗った。  首都京城を通り、満洲へと直行する、ただ一本の急行だったので、かなり混んでいたが、坐れたのでほっとした。固い木の椅子でも、車内の匂いも船室ほど強くない。  この旅で、私は一つの期待を持っていた。  もしかしたら、内地では手を触れることも禁止されているピストルを、現地で思いきり射てるかもしれないということだった。  中学校から大学を通じて、三八式歩兵銃で行われる、学校対抗の射撃大会では、いつもずっと優勝してきた。  だがそれより以前、まだ子供のときに、本物のピストルの弾丸を六発だけ射ったことがある。  それは九歳の年の夏休み、当時埼玉県の山間部の村で、健在であった祖父の所へ、泊りがけで遊びに行ったときのことだ。  その土地に十五代も続く、大地主の後継ぎであった祖父は、一生、金のために働くということをしたことがない人だった。  そのころ六十はとっくに過ぎていたが、ふっくらとした豊かな頬をしていた。気性の小さい実直な父に失望していたので、その分、孫の私を可愛がってくれた。  久しぶりにやってきた孫を見ると、 「おうよく来た。ちょっと山へ遊びに行こう」  と前から何か楽しみにしていたようにして、箪笥から布で包んだ物を出して懐《ふところ》に入れると、着物を尻端折《しりつぱしよ》りして、裏にある山に登って行った。何が起るのか判らないが山登りが嬉しくてならない。大きな山だったが、三十分ほどで頂上についた。山の頂上に立つと、祖父は石に腰かけ、懐から布に巻いたさっきのずっしりした物を出した。 「これはピストルだ」  布を開くと、銀色に光った筒先と、象牙の模様の握り柄が出てきた。 「おまえ射ってみい」  急に怖くなって逃げようとしたが、その前に片手で体を抱えられて、身動きできなかった。 「向うの木を射て。一つでも幹に弾丸が入っていたら、お祭りの日に、弾丸の数だけ五十銭玉をやる」  両手で握らされ、へっぴり腰で射った。口径の小さな物だったらしく、思ったほどのショックはなく、一回ひくごとに蓮根が次々と回って、六発は簡単に射ち終えた。  その音、匂いが、年がたつとともに強い印象として残った。  中学へ行って、二、三年したころ、また田舎へ行く機会があり、祖父に頼んだ。 「お爺さん、もう一度ピストルを射たせてくれませんか」  しかし今度はあっさり断わられた。 「駄目だ。このごろ主義者の取締りのためか警察が急にうるさくなった。真中の蓮根部分だけ外して持って行った。主義者が絶滅したら、返してくれる約束だが、そんな時代は絶対来んだろう」  だからあの九歳のとき以来、ピストルは射ったことがない。  今度はきっと思いきり射つことができるのではないかと、そんなことでも胸が躍っていた。大陸行きの志願の原因の一つでもあった。  釜山から、国境の町・新義州までは、十八時間かかった。  始めはほぼ満席だった三等の客席も、やはり私が何となく異分子に見えるのか、回りからだんだんすいてきた。  土地の人が坐ってこないのだ。  京城からずっとすいていたが、国境から二時間ぐらい前の宣州の町で停っていたとき、中国服を着た若い女が乗りこんできた。  服には大柄な牡丹の花が刺繍され、顔だちも派手で、いっぺんで水商売の女と分る感じであった。車内をずっと歩いて来たが、他の席をさけると、黙って、私の前の空席に坐った。  私は、日本でも、アベック姿を二度ほど警官に見つかって、不良学生通知書を受けて、それがため、大学にも居心地が悪くなって、特殊任務を志願したぐらいだ。つまり軟派の不良学生だった。  この若い中国娘には大いに関心は持ったが、考え直してみると、これから大事な任務につく第一歩だ。遊び半分の心でいてはいけないと自らを戒《いまし》めた。かなりこの女の存在が気になったが、自分からは話しかけず、窓の外の景色など見ては、知らん顔をしていた。  しかし時々、目が動くときは、どうも視線がちらりと女の下半身に走ってしまう。  両脇が大きく割れていて、そこから足がのぞく。白い絹地の靴下や、腿の上で止めてある、紅い靴下止めが悩ましく目に入る。  かなり気になる。  女もそれは充分に分っていながら、わざと無言のままでいる。ところが汽車が国境の駅に入るまぎわに、それまで黙っていた女が急に中国語で話しかけてきた。 「あなたは支那語を話せますか」  これは私にとっては待ち望んでいた質問であった。これからずっと使う言葉だ。なめらかに舌から出た。 「是《シ》・我的《ウオデ》話了《ハオラ》」  女の態度は急に私にすがりつくようなものに変った。それでも、私の語学力の程度が今の返事で分ったのか、ゆっくりめにしゃべりだした。 「新義州を出ると満洲との国境になります。私たち中国人と、朝鮮の人は、橋を渡る間に、満洲税関の検査があり、荷物の中身を調べられます。ただし、日本本土から来た、日本人の旅行者は調べられません。満洲も同じ日本の国だからです」  その矛盾した取扱いは、これまでずっと見てきたから、すぐ納得できた。 「……それで橋を渡りきって向うの国へ入るまでの間、膝の上に抱えておいてくれませんか。あとでお礼させていただきます」  礼のことはどうでもいいが、この何となく国の掟《おきて》に背《そむ》いて、危険を冒《おか》すスリルに心がひかれた。  女の小型のボストンバッグを預って、膝にのせた。  ずっしりとして重かった。  汽車が新義州駅を出ると、鴨緑江の長い鉄橋を渡り出した。動き出すと同時に数人の憲兵が、朝鮮側と、満洲側と、二つの国からの税関吏を連れて、やってきた。そして三等車の乗客の荷物を片っぱしから、開いてかき回しだした。こんなときのためにも、日本人は二等車以上に乗るようにとの注意があったのだ。  客たちが持っている荷物には、もともとこのことを予期してか、ろくな物は入っていない。しかし妙なことが起った。座席の下や、柱のかげ、網棚の奥から、枕状にきっちり梱包《こんぽう》された、持主不明の荷物が、次から次へと出てきた。馴れた税関吏は、片っぱしからナイフで破いていく。  表面の厚い木綿地が切られると、中から、絹布、薬品、装飾品、女の靴下など、値の張る物がぎっしりと詰めこまれた形で出てきた。  持主を聞かれてにが笑いしながら、所定の税金を払って引き取る者もおれば、おかみさん風の朝鮮服の女のように、泣き叫んで取り戻そうとして、憲兵に突きとばされ、鼻血を出して真中の通路にぶっ倒れる者もあった。  しかし大半の男たちは、そばにいても知らん顔で、そんな荷物は関係ないという態度を取っていた。中には自分の大事な荷物を没収された者もあったろうが、殆どが無表情であった。  憲兵が何か言いたげに私の前にやってきたが、明らかに日本人学生と知ると、少し不審そうな顔をした。私はすぐポケットから、『特別要員』と朱印のある、憲兵隊発行の手帖を取り出して見せた。効果はてきめんであった。  相手は突然、長靴の踵《かかと》を合せて直立不動の姿勢で敬礼した。 「お役目ごくろうさまであります」  私の荷は最初から調べようともしない。  それどころか、前に坐っていた女も、同じように用務のため私が連れている仲間と思ってか、女の荷物にも目をくれなかった。  長い鉄橋を渡りきったところが安東市で、満洲領の最初の駅であった。  憲兵たちは、何人か逮捕した密輸人を連れて下り、税関吏は大量の押収品を、扉口からホームに投げて、みるみる品物の山を作っていた。  上陸二日目の夜が、白々とした霧の中からあけかかっていた。一時間の停車の後で、再び列車は走り出した。  突然、あたりの景色はまったく変ってしまっていた。  今までの白い民族服が、いっせいに紺の服になり、家屋の形から、そこに書かれている看板の文字まで違った。  わずか、川一つで、国家が変ると、これほど人々の生活や風土が変るのかと、強い感動を持って私はしばらく外を眺めていた。  景色に目をとられている私に、女が、 「どうもありがとう。おかげで助かったわ」  と話しかけた。女は懐からかなり厚目の札束を取り出し、二つに折って私の手に握らそうとした。 「いや、それは困る」 「これからは満洲です。これは満洲国のお金です。持っていなくては不自由しますよ」  それを無理に押し返した。 「金なら不自由しておりません。心外です。ぼくはそんなことのために、荷物をお預りしたわけではありませんから」  どうしても受取りそうもないと知ると、女はそれ以上すすめず、あっさりひっこめた。  それから改めてきいた。 「どこまで行くのですか」  普通知り合いになったら、真先に交されるそのような会話を、私たちはまだお互いに何もしていなかった。 「奉天です」 「私も奉天で下ります。少しつき合ってください。時間はあるのでしょう」  話は、私が内心で望むような形になっていきそうな気がしてくる。  私は、奉天の旧市街瀋陽地区の、憲兵隊本部に出頭を命ぜられていた。ただしその期日までには、まだ三日ばかり余裕があった。  その前に、私自身の目論見《もくろみ》では、日本人専用のヤマトホテルに入って、一人で奉天の市内でも見物するつもりであった。  金はまだたっぷり残っている。二百円には赴任旅費とあったから、到着するまでに使いきっても何の問題もない金であった。  だがまだ、女の言葉に甘えて、到着後、彼女と行動を共にしようなどという考えはなかった。  何かしてやったからといって、それと引き換えに、相手の好意を期待するのは、少し露骨すぎる。まあそこが若者のてれで、無理をした。お昼近くに列車が奉天に着くと、 「失礼します」  とさっさと立ち上り、他人行儀な挨拶をして、一人で改札口を出た。そのつもりだったが、あの中国服の女が、いつのまにか、私の後ろにぴったりとついて来ていた。  町の通りを横切ろうとして、隣りに女がいるのを知って、私は中国語でいった。 「いいんです。別につき合ってくれなくても」  女は一緒に歩きながらいった。 「でもあなたは、奉天は初めてなんでしょう。この町で私、いい宿屋をたくさん知っています。私がご案内しますよ。もしどこへも予約がなかったら、私につき合いなさいね」  女はかなり積極的に誘ってきた。すでに決めたもののように女は先にたつと、満洲人の黒い便服がごったがえす、下町の雑踏の中に入って行った。そのあたりは、中国大陸の城内地区にあるどの町とも同じで、細い道が入り組んだような迷路になっていて、一度入ってしまうと、もう案内人なしでは出られない。仕方なく女にくっついて行くうちに、路の両側に、木造の三階、四階の、大きな建物が、ずらりと並ぶ一画に入りこんだ。  建物全体が朱塗りになっている。しかしもう年代がたっているのか、色もあせ、ところどころ剥《は》げて木肌が露出しているような感じであった。  表に客引きの番頭が声を嗄《か》らして呼びこんでいる。  その中の一つで、回りと比べるとややきれいな感じの、大きな店の前に立った。玄関に『富貴桟』という看板がかかっている。 「一休みしましょう。ずっと固い木の椅子で疲れたでしょう」  女が番頭に交渉した。それは早口すぎて、私の語学力では殆ど分らない。それでもここが宿屋で、女が宿泊の交渉をしたらしいということだけは、何とか分った。  部屋は二階の廊下の裏側で、表通りの喧噪は聞こえず、ひっそりとした良い部屋であった。  部屋には、箪笥、机、漆器製の洗面具、朱塗りの木製の寝台、中国の上流家庭の部屋にある調度いっさいが揃っていて、日本の宿屋とも、西洋式のホテルとも、また違う感じがあった。  女は部屋に入ると、まるでそれが当然のことのように派手な中国服を脱いだ。赤い箪笥をあけて、中国服をしまう。服の下は絹の下着をしていた。服と合せて、裾が切れこんでいて、腰から背中にかけて、竜の模様が色糸で縫いこまれていた。 「あなたも脱いで」  女は甘えるようにいう。その下着も脱いで、紅い絹の※[#「ころもへん+庫」、unicode8932]子《パンテイ》一枚で、寝台の中にもぐりこんできた。  こんなに何もかも順調にいくとは思わなかった。私は、出頭までの丸二日、この宿屋ですごし、三日目の朝、かなり頭も体もぼうっとした状態で、憲兵隊へ出頭した。  女が同行してくれたので、出頭時間の少し前に憲兵隊の門前に着いた。 「ここからは、私入れないからね。私の名は梅花《メイフア》というの。覚えていてね。いつかきっとまた逢うことがあると思うわ」  そういうと女は、人混の中に去っていった。  何となく憲兵隊というと、気味が悪かったが、もう金をもらっているし、ここまでやって来てしまって、今さら逃げるわけにはいかない。  度胸を決めた。それに丸三日近く、これまで予想もしなかった、この世ならぬいい思いをしてきた。今ならここで殺されても諦めがつく。そんな思いであった。  門で支給された旅行許可書と、出頭日時が書いてある命令書を見せると、当直の憲兵は急に丁重になった。 「はい、上官から伺っています。どうぞこちらへ」  憲兵自らが丁寧に中に案内してくれた。  本隊の兵舎の奥に、双房と呼ばれる、廊下の両側に小部屋がある中国式の小さな建物がある。その右側の一方が畳敷きの和室に改造されていて、中にいが栗頭の男が、紺のかすりの和服に兵児《へこ》帯《おび》姿で待っていた。 「やあ、そこへ坐れ。ここには渋茶しかないが飲んでくれ。昼間のうちは酒は禁止じゃ」  坐卓の上の土瓶から、大ぶりの飯茶碗にお茶をなみなみとついでくれた。  この中身は夜になれば、さっそく酒に代るのだろう。お茶に、酒の匂いが残っていた。  いかにも男一人だけのざっくばらんさであった。番茶で乾杯すると、いった。 「いやあ、これからでっかい仕事が待ってるでな。若い人を待ちかねていたんだ。家族を持つ年になると、いくら乱暴者でも分別が先になって、思いきった仕事は頼めんでなあ。もちろん君の生命は預けてもらえるんだろうな」  こりゃ、えらいことになったと思ったが、こうなったら逃げることはできない。別に自分の生命を売りに行ったわけではないが、こんな激越な言葉も時代の風潮だ。まさか軍隊に入るのがいやだから、やって来たとはいえない。 「はい、もちろんその積りで参りました」  表面は元気よく答えた。しかし、できればなるべく危険な業務に就くようなことがないようにとは考えていた。  いが栗頭の男はきいた。 「殖民大の支那語科だね。名前などどうでもいいが殖民大の配属将校の西沢中佐からの書類が届いている」  とたんにひやりとした。辛《かろ》うじて必要最低限度の出席だけしているが、もちろん成績などいいはずはない。首をすくめてうつむいて聞く形になってしまう。 「他のことはこの際聞かないが、射撃の成績だけは、この書類の通りなのだろうね」 「はい、三八式の三百メートル実射で、九二・三点です」 「それは軍でも狙撃手クラスだ。ただし実感を我々にいわせれば、当らんより、当った方がいいという程度だ。何しろこれからは動く物を狙うのだから、止った物に百発百中の腕でも、何の役にもたたん。君はこれから任務につく前に、広い原野で、毎日何十発と射ちこみの練習をしなくちゃならん。……ところでピストルを射ったことがあるかね」 「祖父が、ニューコルトという小型拳銃を持っていて、子供のときですが、山で射ったことがあります」 「そうか。しばらくして、また射ちたくなったろう」 「はい何年後かに、また射ちたくなりました」 「ピストルとか、銃とかは、そんな物だ。男の夢をかきたてる。ただしそれも、目の前で自分の銃で人を殺さない限りだ。それでもなお、射ちたくて仕方がなかったら、これは気違いだ。もっとも、おれが君ら若い人に要求するのは、この種の気違いだが、それは仕事をやっているうちに、自然になる。あわてて、自分を気違いにしてしまうことは無かろう」  そういうと、かたわらの机の抽出しをあけた。木のケースに、大型の拳銃が、入れ違いに二つ納まっていた。  その中の一つを取り出し、一度遊底を引いて、中のカラなのを確認してから、引鉄《ひきがね》のあたりを握って、射つかまえをしてみせた。 「ピストルという奴は、まあ、それを使う男にとっては、愛人と同じだ」 「愛人、女の愛人ですか」 「ああ、女だ。本妻と違う。いなくては困るというほどのものではないが、しょっちゅう気にかかる、可愛いくて仕方がないものだ。いつも新鮮で、時間があれば、二十四時間でもいじくりまわして、頬すりよせていたい」 「はあ」 「君はそういう風になるまで、この小さな愛人に入れこんでもらう。まず半年は仕事がない。ピストルの修行だけしてもらう。他に何の用もない。君の腕がある程度までいったら、それを実地に応用して腕前のほどを試してみる仕事がある。それに合格したら、次の仕事に入ってもらう」 「もしその試しの仕事に合格しなかったら、どうなりますか……」 「まあ、人間を無駄に殺しても相すまんことだ。皆、天皇陛下の大事な赤子《せきし》だからな。そのまま日本へ戻って、また殖大で、卒業まで勉学に励んで、立派な国民になってくれ。二年たったら兵隊にしてもらえる」  こちらが一番いやなことをごくさらりといったうえ、 「もし充分に使える腕になったら、面白いぞ。この広い大陸で、四億の民を相手に、思う存分、暴れまわることができるのだからな」  と私の心をかきたてるようなこともいう。銃身のあたりを、セーム皮で磨き出した。黒い銃身が鈍い鋼鉄の光りを見せる。 「女と同じで本当に可愛いい。だが本当をいうと、女よりずっと味がある。まず、しょっちゅうこうして磨いて、油をさして、面倒見てやりゃ、決して裏切りゃしない。物ねだりはしない。少しぐらい他のピストルを使うという浮気をしても、文句一ついうわけではない」  そのいが栗頭の男は、まるで女の肌をなぜるように軟らかく、柄や、挿弾子《クリツプ》のあたりを触《さわ》った。少しいやらしいぐらいであった。 「これは、モーゼルという拳銃だ。もとはドイツで作られた。プロシャ陸軍の制式拳銃に採用される予定だったのが、陸軍省の係官に渡す袖の下が少かったので、ルーガー社に負けた。それ以来、頭にきたモーゼル社の幹部は、頭の古い小役人の占領している陸軍に売りこむのは諦めて、民間に大量に売りこむことにしたんだ」 「そんなこと、かまわないんですか」  危険なものが民間に流れてかまわないのかと、私は心配したのだが、この威勢のいい壮漢は別の意味にとって、見当違いの返事をした。 「もちろん、作りあげるまでに、莫大な開発研究費を使った。大量使用の軍部に採用されなければ、流れシステムで作り上げるたくさんの製品のさばきようがない。国内の警官や、ギャングに全部売ってもたかが知れている。それで極東方面に販路を求めて、猛烈な売込みをしだした。やがて、各地でその性能のよさが分ってくると、今度は本社工場で作るだけでは逆に需要が間に合わなくなった」 「優秀だったのですね」 「実用一点張りの拳銃でね。ダテ男がポケットからさっと取り出して、鮮やかに射つというのには向かない。あちこちひっかかって、ポケットからするっと出てこない。ところが正面切って構えると、弾丸は遠くに届くし、命中精度は高いし、パワーがある。まず実戦用として、これだけ頼りがいのある物はないな」  そしてもう一度、突き出しながらいった。 「これは、ドイツ人の優秀な技師が、山西省の軍閥の統帥、閻錫山《えんしやくざん》元帥に招かれ、省都太原の造兵廠内に、ドイツにあるのとそっくり同じ設備の工場を作り上げて、大量生産で作り上げた『徳国|毛児槍《モールチヤン》』だ。このあたりの店にもたくさん出回っていて、消耗したらすぐ補充がつく」  木のケースを、銃把《じゆうは》に逆さにねじこんで止めた。 「こうすると、小銃の代りにもなる。二百メートル先まで狙える。片手で射つのには、少し重いが、君はあくまで片手だけで射てるようになれんといかん。なぜならこれを使うのは、大体走っている馬上からが多い。どちらかの手は、必ず馬の手綱をしっかり握っていないと、馬の奴どこへ行ってしまうか分らんからだ」  それを手渡されたので、私は掌に握った。ずっしりと重かった。 「これをこちらでは、モーゼルとはいわず、毛児槍《モールチヤン》という。これから何挺も使いつぶすつもりで、射ちこみの練習をしてくれ。当分の間は、それが君の仕事だ」  もう一つをいが栗頭の男は取って、一緒にいじりながら、分解や挿弾法などを教えてくれだした。その途中で、初めて私は気がついた。お互いにまだ正式の挨拶をしていない。相手の男の名も知らない。 「あのう上官殿のお名前は何というのですか」  彼は挿弾子のはめこみの具合をたしかめていたその途中の手を止めて、大きな目を向けて、私を睨みつけながら答えた。 「わしらには、お互いに名のりあう名などないのだ。国家の大きな政策の実行の途中で、その役にたつための捨て石だからな。おれが君の名を知っていればいい」  使い捨ての要員同志は名前も要らなかったのだ。 「さて君には、これからすぐ夜の汽車で新京経由、ハルピンへ行ってもらう。新京には明日の朝着く。そのまま乗り継いで、ハルピンに着くのは夕方もかなりおそくなってからだ。しかし何の心配も要らん。駅前には、ワシリー爺さんというロシヤ人の馭者の馬車が待っている。それに乗ればいっさいが分るようになっている。夜の出発までは、おれと町の茶館で一杯やろう。茶館といっても、茶ばかりじゃない。酒もあって女もいるところだ」  二つのモーゼルが入っている箱を、布で包み直すと、 「これをそのバッグにしまいなさい。もう荷物検査はないし、あっても通行許可証を見せれば、それが君の身分証明書になって、絶対、荷物には指一本触れないはずだ」  彼は立ち上った。何もかも簡単であった。もちろん改まって辞令が出る仕事とは思わなかったが、いきなりピストルの使い方を教えられて、任地での待ち合せ方法を示されただけで、仕事への指示も何もない。  その男は、紺がすりの着物に袴だけつけると、書生ッポのような朴歯《ほおば》の下駄をはいて、表へ先に出た。憲兵隊の構内を出て外の道を歩き出すと、急にその男の口調はくだけたものになった。 「まあ、夕方までは、町で一杯やろう。もっとも、ここへ着いてもう二日、貴公初めてと思えない見事な遊び方を見せてくれたそうで、憲兵諸君も心配してたぞ。いい女だったそうじゃないか」  並んで歩きながら、私は気味が悪くなった。すでにもう釜山に上ったときから、私の行動は監視されていたらしい。 「まあ、現地人の様子をよく知りたいというので三等に乗ったとしたら、見かけによらずに根性があるといわなくてはならないがね」  いが栗頭の男はそう言いながら、私を駅前のごみごみした一画にある茶館に連れて行ってくれた。  そこで夕方まで餃子や焼肉を肴に、二人は盃をさしつさされつ、白乾児酒《パイカル》という高粱《コーリヤン》で作った焼酎《しようちゆう》を、かなり飲んだ。  私も学生のわりに酒には自信があったが、いが栗頭の男の強さはまた格別であった。まるで水のようにあおりながら、いささかも乱れない。 「つまり、おれたちは、酒で正体を失っては仕事がつとまらん。これから酷寒地へ行く。せいぜいが腹の皮の上にあてる懐炉を、腹の皮の中に入れるぐらいのつもりで飲まないといかんな」  彼はそういった。それから、ハルピンへ着いてからのことを、説明しだした。 「ハルピンの駅を下りると、さっきも言ったように馬車の溜りがある。ワシリーはすぐ向うから話しかけてくる。万事その人の指示に従うようにな」  少し心配になってきき返した。 「自分はまだワシリー爺さんの顔を知りません。もしワシリーがニセ者だったり、同じ名前の人がいたら困りますが」  しばらくいが栗頭は考えてからいった。 「そうだな。それはもっともな疑問だ。爺さんなら、何も聞かずに、チューリン街にあるチューリン・ホテルに直接、君を連れていってくれるはずだ。もしそこが違う所だったり、淋しい郊外へ出たりするようだったら、遠慮なく背中から射殺してもかまわんよ。チューリン・ホテルだったら、爺さんは本物だ。君のハルピン生活の良き相談相手になってくれるはずだ」 「分りました」 「ところでホテルの四階に、おれたちの組織がずっと借りっ放しの部屋がある。四〇四号室だ。君は別にフロントで台帳を書いたり、通行許可証を提示したりする必要はない。自分の家へ帰ってきたつもりで、フロント係に、ただ部屋の番号さえいえばいい。黙って鍵を渡してくれるはずだ」 「そこが自分の住居になるのですね。どこかへ勤務したり、顔を出したりする必要はないのですね」 「何もない。仕事というのは、朝食をホテルですませたら、玄関に必ずワシリー爺さんの馬車が迎えにくるから、それに乗って郊外へ出る。一歩郊外へ出れば、人目につかない場所は幾らでもある。そこで一日、百発の弾丸を慎重に射つ。それでも月に三千発。六千発でピストルは中のライフルが摩耗《まもう》し、機関部がガタガタになる。それ以前、四千発ぐらいのところで交換しておくように。弾丸も銃も幾らでも、町で売っている。そしてもう一つ、守ってもらわなければならないことがある」  盃を持つ手を止めて、じっと見ている私にそのとき男はいった。 「練習が終った後は、どこへ遊びに行ってもかまわんが、毎日夜の八時から三十分間だけ、電話口にいてくれ。電話をかけるのはおれ以外にはない。名前は言わなくても、それはおれの声だ。何もかけないかもしれないが、いつまた急な連絡が行くかもしれない。必ず毎日その時間にはいてくれ」  そのとき私が受けた指示は、ただこれだけの簡単なものだった。  夕方から二時間ばかり飲んで、体中に快く酔いがまわったころ、二人で連れだって駅に向った。  夜九時、旧市街にある駅から、新京経由のハルピン行きが出る。  それは朝方、新京に着き、そこで一時間休んでから、その日の夕方までにハルピンに着く、平均時速九十キロという、当時では世界最高のスピードを持つ亜細亜《アジア》号であった。  ホームでその高い胴体を見上げたときは、私は少年のように昂奮した。 「さすがに亜細亜だ。すごい」  思わず、その褐色の鉄の胴体を撫でた。見送りに来た、いが栗頭が、 「まあ、二等に乗るのも、三等に乗るのも、おまえの自由だが、切符だけは二等にしてある。これは亜細亜自慢の食堂車を利用するためだ。三等客は、食堂車へ入れない。亜細亜に乗って、食堂車のうまい料理を喰わなくては、亜細亜に乗ったことにならんからな」  そういって、ハルピンまでの二等切符を手渡してくれた。  胸をわくわくさせてこの列車に乗りこんだ。日本最高の特急『つばめ』でも、時速六十キロだった。それでも弾丸列車と呼ばれていた。  国都の新京までが八時間、それからハルピンまでが更に八時間だった。計十六時間の乗りっ放しだ。  今度も私は無理なやせ我慢をして、三等に乗りこんだ。  座席の板は固い。切符売場でも、軟席、硬席という区別で売っているぐらいだ。まだ私は二十歳だったから、何にでも耐えられる若さだが、さすがに夜まで坐っていると背中が痛かった。  ほぼ満員の乗客が、窓をしめたままで眠りこむ。暫くは馴れることができない臭気《しゆうき》に悩まされる。体の痛さとは別に、朝になると、人々の寝息のこもる車内にいるのが辛《つら》くなった。  この列車は広野の中を、直線コースのレールに乗って走って行った。  車窓の外が明るくなり、地平線まで続いて切れない高粱畑の中を走り抜けているのが、よく判る。急に腹がすいてきた。  私は大学の角帽をかぶり直すと、後ろから三輛目の一等車輛と二等車輛との境い目についている、食堂車の方へ歩きだした。食堂車はこの南満洲鉄道の看板の特急亜細亜号でも、最も自慢の車輛であった。  日本の帝国ホテルのコックにも負けない腕利きが乗りこんでいて、世界の最高級クラスのレストランと同じ料理が出るといわれている。 『満洲へ来たら、一番の楽しみは、亜細亜号に乗って食堂車でフランス料理を喰べることだ』  奉天の駅のホームで、別れ際に、いが栗頭からもう一度そう念をおされていたので、ぜひ利用してみようと思って入ってみた。  入口のボーイに、ちゃんと二等の切符を見せてから、堂々と入って行った。  ここは外地だし、角帽でも少しも遠慮することはない。何しろこの満洲帝国の中級官僚から副知事クラスまでは、すべて私の大学の先輩が独占している。いわば自分の故郷へ帰ったような気やすさもあるのだ。  中はまだ空いていた。テーブルに坐りメニューを見てボーイに料理を注文すると、はす向いのテーブルで、若い外人の娘とどうも二人の共通語であるらしい英語で話している老人が、ちらと私の方を見た。  私もその老人の方を見た。老人は明らかに日本人だ。日本では憲兵や特高刑事がうるさく、人前で外人と英語で話をする人間などいないし、三年前の七月、北支事変と称する日中間の戦争が始まってから、急に外人が少くなった。だからこのような状景は珍らしかった。  他に客はいない。  老紳士は、私の方を見るときいた。 「殖民大の学生さんですか」 「はい」 「こちらで一緒に食事をしませんか」  そう誘ってくれた。誰も連れのいない一人旅で少し退屈していたので、その呼びかけはありがたかった。 「それではお邪魔します」  彼らの前に坐った。 「君たちなら支那語は大丈夫でしょう」 「たぶん通じるぐらいにはしゃべれます」 「それでは私たちも支那語に替えましょう。この娘さんも上手ですよ」  一般には私の大学は、相撲や空手、特に喧嘩が強くて、いわゆる蛮カラ学生の製造所のようにいわれるが、実は卒業後に行く予定の相手の国の言葉については、死ぬほど絞《しぼ》り上げられた。一年か二年学ぶうちには、どうやら皆がしゃべれるぐらいにはなる。  老人はもう一言だけ日本語で私に注意した。 「ここは外国なので、国際的な礼儀作法が要求されますよ。角帽を脱いで、テーブルの右はしに置いていただけるといいのですが」  私は、まだ帽子をかぶったままであった。 「これはどうも失礼しました」  二人に丁重に詫びてから、脱いだ帽子をテーブルにおいた。女はにっこり笑って、発音のきれいな北京語で話しだした。私よりずっと上手であった。 「私の行く黒竜江の沿岸地区には、ときどき一人で、あなたの大学の先輩の方が来るそうです。本願寺の布教僧、旅の即席写真師、その他いろいろな職業になって、平気でロシヤとの国境を越えてやって来ますが、大体はあなたの大学を出て、特別の任務を受けた人ばかりだと、いつか来た伯父の手紙にありました」  本当は私もその一人で、大学を一時休学して、これからその任務に入るところだった。見すかされているようで、少しぎくりとした。しかしまだどういうことをするのか知らされていない。わざととぼけていった。 「たしかにそういう先輩も多いようです。でも私はただ、ちょっとハルピンを見物に行くだけです」 「そうですか、ハルピンまでですか。これから長い旅になりますね」  老人がこのとき使った中国語も、当然、私のしゃべる言葉など比べ物にならないぐらいうまい。かたわらの少女を示して続けた。 「だがこの人の旅の方が、その三倍も長いのですよ。ハルピンから、浜北線、北黒線と乗りついで黒河へ行く。黒河から先はソ連領だ。夏なら船で、冬なら橇《そり》で、有効旅券があれば渡れるのです」 「そんな道があるのですか」  私がびっくりしてきくと、老人は残念そうに答えた。 「いや、日本人は駄目です。外務省の公用の旅券がある者だけ、年に二、三人、利用するだけで、一般の日本人には、日本帝国の方で旅券を出しません。思想上の問題がありますからね」  そこへボーイが、さっき前のテーブルで私が注文した料理を、もう持ってきた。老人と外人少女の二人は食事がすんでいて、コーヒーだけだった。テーブルがにわかに賑やかになった。一人分の朝食なのに、あまりに量が多い。少し恥しくなったが、老人はにこやかに眺めている。ボーイが去ってしまった後で、 「たくさん喰べられるうちがいいですよ。それに内地では、もうそろそろ、いくらお金を出しても、物が買えなくなっているのでしょう。若い人はお腹がすいてたまらないでしょうね」  といった。 「まだ、それほどでもありませんが、もうこういう贅沢《ぜいたく》な材料を使った料理はありませんね。失礼していただきます」  これが自分の最後の贅沢な日々になるかもしれないと思って、ナイフとフォークを使い出した。  老人はさっきの話を続けだした。 「この娘さんは黒河を越えて、向うの国へ入って行きますが、そこでまだ旅は終ったわけではありません。黒竜江の河口の港のニコライエフスク・アモーレ市までの、シベリヤ鉄道の長い一人旅が続きます。途中何やかやと手続きや、乗物の都合で、到着するのは、早くても半月はかかるでしょう」  私は驚いて聞き返した。 「そんなにかかるのですか」 「相手は大国ロシヤですからね」  そこで今度は少女が口を出した。 「わたし、国籍はイギリスなのです。スコットランドに、実家があるのです。伯父も伯母も、ニコライエフスク市の、正確にいうと、その近くの河の流れを見下す断崖の集落に行って働いていたのです。百年以上も昔から布教のために開設した小さな教会があるのです。まだシベリヤには、原住民しかいなかった時代に、一族の者が、その辺境の地でキリストの教えを説くために、派遣されました」  私にはその彼女の言っている言葉は明瞭に聞きとれても、内容が意外だったので、まだよく意味がのみこめなかった。 「スコットランドの人が、どうして、黒竜江の沿岸まで布教に行ったのですか」 「ええ。わたしたちの一族の神からあたえられた使命なのです」  少女はためらいもせずに答えた。  老人の言葉は日本語に戻った。 「まあ、信仰というものは、理屈や、損得では考えられない、ひたむきさが無くては、拡めていけませんね。まったく目に見えない実体のないものを、自分でも信じ、人にも信じろとすすめるものですからね」  老人は必ずしもこの少女の宗教を信じている人ではないということが、何となく感じられる言い方をした。老人とこの少女の関係は、たぶん少女の親に頼まれて迎えに行き、日本人の彼が送ることが許される地点まで同伴して行くだけなのだろうと、私は想像した。 「学生さんは間宮林蔵という名前を知っていますか」 「ええ、江戸時代の有名な探険家ということだけ知っています」 「なかなかの文章家でしてね、彼の書いた本の中に、『東韃紀行《とうだつきこう》』という上中下三巻の有名な本があります。機会があったらぜひ読んでみるといいですよ。なぜ私がそれをあなたにおすすめするかというと、何しろその断崖上の教会については、百三十年前の、間宮林蔵の樺太《からふと》とその対岸地方の探険記である『東韃紀行』の下巻にも出ているからです。崖上に石碑が立っており、黒竜江を下る原住民が、その下を船で通るとき、携行してきた粟や魚肉の細片を投じて、はるかに礼拝すると書いてあるが、崖下には水が逆巻き、その崖は舟からはとても登れなかったとも書いてあります」  そのときの私は、まだ『東韃紀行』という本があることさえ知らなかった。  老人は本の中のことを話した。話の中でも、単身樺太に渡った間宮林蔵が、樺太の北端まで来て、大陸との間が海峡となって完全に離れていることを確認した後、土地の山旦《さんたん》族と称する原住民と、小船に乗って、対岸のシベリヤ大陸へ渡る部分は、まったく初耳であり、そんなことをまるで知らなかったそのときの私を驚ろかせた。  しばらく日本語で話し続けていた老人は、少女の存在に気づいて中国語に戻した。 「あなたがもしその『東韃紀行』を読む機会があれば、よく分りますが、黒竜江沿岸のその地方は、間宮林蔵がいた当時は、清国の領土だったのです。沿岸に住む原住民、遠く離れた海の向うの島、つまり、現在の樺太に住む人々まで、毛皮や、高麗人参《こうらいにんじん》、干して固めた鮭《さけ》や鱈《たら》などを持って、収税所と物資交換所を兼ねた満洲|仮府《かふ》のあるデレンの町まで、荷物を持って旅したのです。崖の記事は、その旅の帰りのところで出てくるのです」 「ぜひ読んでみたいですね」 「まあ、土地の人々には、キリストという神様のことは、その当時も、現在でも、まだよく分らないんじゃないかな。ともかく、ありがたい神様の教えを説きに、どこか遠い国から肌の色の違う、ロシヤ人に似ているが、よく見るとロシヤ人ともかなり違う、おとなしい外人がやってきた。また旅の途中で、荷物を狙われて、原住民に殺されたり、不幸、病気で死んだ人がある。そこの崖の上の石碑は、そんな人たちのための物なんですよ」  老人は窓外を眺めた。そして走り去る畑を見送りながら、かなり大胆な発言をした。 「今、この満洲と呼ばれる地域は、日本の支配下にあります。関東軍と、満洲国政府に入りこんでいる日本人が、かなり思うがままのことをして支配しているが、こんなことは、そういつまでも続くはずはないのです。長い人間の歴史から見れば、ほんのマッチをする間のような、一瞬の時間ですよ。若い人は、戦うことを学ぶより先に、まずたくさんの本を読んで、歴史の真実を見通すことが必要ですよ」  幸い軍人や、うるさい大陸浪人風の人々の姿は見えないので、私もほっとした。  ハルピンで任務につく前に、ことさら事件を起したくなかった。老人はさらにいった。 「あなたが読みたかったら、ハルピンの満鉄図書館へ行けば、その本があるはずです。機会があったら、ぜひ読んでおくといいですよ」 「そうします。急にこの土地や、その先にある黒竜江に興味が湧いてきました」 「私たちは、きっとその本で悟ることがありますよ。十年や二十年住んだぐらいでこの土地のことを判ったつもりでいても、それは何の価値もないことだろうということです。満洲とはまったく縁のないような、遠いスコットランドの国の人が、百五十年以上も前に、何人もの宣教師を未開の土地に送って、地味な努力をしてきている。この娘さんだって、若い女の身で単身、蛮地に乗りこもうとしているんですよ」 「そこへは夫婦で行って、血筋を伝えていくようにはしていないんですか」 「実は計画してもそれができなかったのです。気候が酷烈のせいか、夫婦で行った宣教師の人には、子供ができなかったのです。血筋を伝えることができなかったのです。辺境の各地に宣教師がいる間は、毎年一度、たとえば黒竜江地区の宣教師なら、露都ペテルブルグか、革命後はモスコーを通じて、スコットランドのグラスゴー主教会に宣教報告書が届けられます。事故や、郵便事情によって、二年ぐらいは途切れることがありますが、それが五年目になると、赴任地の宣教師が亡くなったと認め、希望者が出て、また辺境各地区へ行くことになる。この娘さんもそんなケースですよ。私も先日、知人のグラスゴー主教会の司祭から手紙をもらって、大連港へこの娘さんを迎えに行って、初めて少し事情が分ったのです」 「そうですか」  私はあらためて、その少女を見た。  年は、私よりは二つか三つ若そうだ。いずれにしても、二十歳にはまだ少しある若さだ。  青い目をまたたかせながらにこっと笑った。  私は男だ、それでも、ハルピンという人々が平和に暮している大都会に行くのでさえかなり緊張しているのに、この娘は少女ともいえる身で、女一人でそんな蛮地へ入って行くのだ。その気持が理解できない。 「怖くはないのですか」  やはりそう聞いた。彼女はまるで小鳥のさえずるような、抑揚のはっきりした美しい言葉で答えた。 「わたしは、幼ないときから、伯父や、それ以前の、その方の五代前の叔母に当るスワン夫人の例に従って、黒竜江の河口の布教地で一生を捧げるための勉学をしてきました。今までいた伯父や伯母の消息が切れて五年になります。ロシヤ政府からの何の連絡もありませんが、その代り、わたしの入国申請を黒河経由で、恒例通り許可してくれました。帝政政府から革命政府へ、この辺境地区への布教活動は先例により黙認されていますし、途中の旅行の安全も保障されていますから、わたしは別に心配も何もしていません」  聞き終ったときも、まるでまだ耳のそばに鶯の鳴き声を聞いたときのような余韻が残っていた。それほど美しい声であった。  しきりに窓の外を気にしていた老人が、小さな無人駅の駅名標の『蒙家屯』の字を一瞬認めて、それがみるまに後ろに飛んで行ったのを知ると、すぐ立ち上った。 「ああ、もうすぐ新京です。私たちは一度、新京の政府に出頭して、役人さんをお相手に、入ソの書類をこしらえなくてはなりませんので、ここで下車をします。今朝はつまらないおしゃべりをきかせてしまって申しわけありませんでしたな」 「いえ、本当に貴重なお話を聞かせていただきました。たいへんに参考になりました」  二人は立ち上った。 「また機会があったらお目にかかりましょう。それまでお元気で。今はいいけど、こちらは寒いですから、どうかお気をつけください。ハルピンの図書館にはぜひ行ってください」  二人は自分の車輛へ戻っていった。  やがて新京の町へ、列車は入って行く。  一時間の長い停車があり、固い木の三等の座席に戻った私は、先ほどのスコットランド国籍の娘の金色のうぶ毛が、ガラス窓から射しこむ陽光にまばゆく光る白いふっくらとした頬を、胸を甘くときめかせながら思い浮べていた。  夜はすっかり明けた。  機関車の整備もすみ、亜細亜号は再び走り出した。  日本ではまったく見ることのできない大平野を横切って、汽車はひたすら走って行く。どこまで行っても、真っ平らな黄土が続く。こんなにも広い大地があるなんて、いまさらながらの驚きであった。しかもこの大地は、遠くシベリヤを越して、ヨーロッパまで続いている。  これこそかつてジンギス汗《カン》や、チムール、もっと昔、アレキサンダー大王たちの遠征軍が走りまわった、ユーラシアの大地なのだ。  ただ平らなだけの大地の真中を走り抜ける、何の起伏も変化もない景色が、かえって少しも退屈などしない新鮮な感激であった。  北国の夏はなかなか昏《く》れにくい。汽車がハルピンに着いたときは、もう夕方もだいぶすぎた時間になっていたけれど、あたりはまだ明るかった。  私が、この北方の、ロシヤ帝国時代風の面影を残した駅を、簡単な荷物を一つ抱えて下りて行くと、赤髯の老人が、向うから馬車を近づけてきた。扉をあけて乗せると、別に行く先も聞かずに走り出した。  馬車は無事にチューリン・ホテルに着いた。  この爺さんを殺さずにすんだと、ほっとしたとき、爺さんが、訛《なま》りは強いが意味のかなりはっきり分る日本語でいった。 「明日は、観光バス乗るといいね。一日で市内見物できて、この町のことよく分るね。きれいな娘、案内ガイドしてくれるよ。朝、迎えにくるよ」  最初の日、観光バスで市内見物をしただけで、二日目からはさっそく仕事であった。それはピストルの練習であった。  朝、かなり早い時間に、ワシリーが馬車でホテルへ迎えに来る。馬力の強い三頭だてだ。  弾丸を積んで、郊外へ向う。毎日違う地形の所へ連れて行ってくれる。黙って一頭を外し、鞍をつけて乗り方を教え、馳けながら射つ練習をさせた。最初のうちはワシリーがすべての師匠であった。  ピストルも、モーゼルというのは、銃身の下に弾倉がぶら下って、重心が取りにくい。弾丸の威力《パワー》も強く、反動で銃口がはね上って、目標に当るどころか、一体どこへ飛んでいってしまうか、まるで見当がつかない。  しかしワシリーは別に笑いもせず、といって射ち方を直接指導するわけでもなく、草むらや木の切株にしゃがんで見ながら、ちょっと要領を口で注意するだけだ。二、三日は与えられた百発の弾丸を射ちつくすのさえ大変であった。射とうと思って、片手を手綱から放したとたん、馬がはねて、地面に転げ落ちたこともある。もし見物人でもいたら、腹を抱えて笑うようなみっともない光景が何日も続いた。疾走しながら銃をまっすぐ前にのばして、引鉄《ひきがね》をひくだけで大変な仕事であった。  ワシリーは毎日違う場所へ連れて行く。馬車もどこかで毎日、金を払って賃借りしてくるものらしい。それが分ったのは、何日かして馬に馴れ、その馬が毎日違うとやっと気がついたからだ。最初の半月ぐらいは、ただ夢中で一日中鞍にしがみついているきりの日々であった。  直接教えてくれない。これがかえって私の上達を早めた。  ワシリーはときどき注意するだけだが、そのうちには口を出すのもやめた。教え方は、かなり手馴れていた。私の腕の進行に従って、地形、目標を選定する。すでに何度も同じような教育過程を指導してきた感じであった。もしかしたら、先任者がここで鍛えられ、任務に旅だった後、交替に私がやって来たのかもしれなかった。  ただ私は、そんな先任者のことや、これから自分の運命がどう変るなんてことは、まったく気にしないことにした。弾丸が当り出してから一週間もすると、毎日の練習は午後の二時か三時に終るようになった。私が時間があるので百発以上射とうと思っても、ワシリーは止めた。 「それ以上は無駄ですよ。やっても何もなりゃあしねえです。また明朝、頭のすっきりしたところで、今日の弾着の欠点を考えてやり直す方がいいです」  といってやらせなかった。  それでそのころになって、やっと私はハルピンの満鉄図書館へ行くことを思いだした。他に話相手もいないし、仕事もなかったので、すぐ行くことにした。それでも図書館の門をくぐったのは、ハルピンに到着してから一《ひと》月ばかりたったころだった。そこであの老人にまた逢って、妙なことを頼まれたのであった。 [#改ページ] [#小見出し] ※[#「Bダッシュ」] (昭和五十七年 英国航空機内、 [#小見出し]    英国国営鉄道車内、グラスゴー・ [#小見出し]    ステーションホテル)  私と、私に負けないぐらいの暢気《のんき》者の甥の昌彦との二人旅は、かなりツイているようだ。  その証拠に、アンカレジから乗りこんできた金髪の娘は、私たちが秘かに望んだ通り、私たちのすぐ隣りに坐った。  二人はさっそく話しだした。  昌彦の英語は、日本の学校英語の一番の弱点をさらけだした、片仮名で書ける形の発音の英語で、しばしばイギリス娘は聞き返したり、間違った意味にとって、トンチンカンな答え方をした。彼女のその間違え方が、駐留軍のテキサスやミネソタの兵士と、同じ部分で間違えるので、いくら国によって、殆《ほとん》どお互いに通じないほどのひどい訛《なま》りがあっても、やはり英語は英語なのだなと、私は妙なところに感心した。  イギリス娘は、それでも昌彦が、必死に英語で何か語りかけようとする態度に好感を持ったようで、真剣に耳を傾けている。  二人の会話は大体、曲りくねりながらも、相互の思っている方向へ進んでいくようであった。  それはいいのだが、昌彦は、相手が外国人なのをいいことに、かなりハッタリを噛ませていた。  彼はまず最初に、自分は日本ではかなり有名な新進ギタリストだと紹介した。 「まあ、音楽家なの」  彼女は素直に驚きを表明し、急に態度が変った。 「それでイギリスには何で行くの」 「リバプールへ行って、実際にどこかの劇場か、若いグループに入って、腕を磨きたいのです」 「それはすばらしいことだわ。リバプールには、私の知っている人もいるから、もし向うで逢う機会があったら、私はいくらでも紹介するわ。私も少し歌を唱っていたことがあるのよ」  お互いにギターひきと歌手と判ると、急に二人の話のピッチが上った。楽団の人名、曲名など、共通した言葉が多い。深夜放送を私はいつも寝る前にかなり熱心に聞く方だが、歌謡曲の歌手の人名や曲名と違うので、そのうちのただの一つとして、私が理解できる名前はなかった。  私はそれでも、もうこの甥のおしゃべりの相手をする必要がないので、ゆっくりと自分の考えをまとめることができた。  グラスゴーに着いたら、まずある人物に逢って、そこで見せるものがある。それは航空会社からサービスに貰った、機内持ちこみ荷物用の鞄の中に入っているのがちゃんと分っていながら、それでも何度ものぞいたり確めたりしないではいられなかった。もう紙の色もあせてしまった古い石摺りと、今一つは、やはり紅い色が変ってしまっているが、辛うじて原形だけは止めている、一枚の花びらだった。  二人の若者の会話を耳に聞いているうちに、私はこの連日の出発の準備で疲れたのか、少し眠ったようであった。  二人の言葉は、ややかすんできた意識の中で、耳もとに唄のように聞こえてくる。グラスゴー主教会の主任司祭には、航空便で、突然伺う気になったという旨の手紙を出してある。  私にとって、後半の人生の最後のただ一度の旅に関しての手配は、現在のところ、どこを調べ直しても、一つの遺漏《いろう》もなくすんでいた。まったく安心してよかった。  それでいてまだ心のどこかに、かすかな不安があった。しかしそんなことを気にしていては何もできない。強いて忘れようとして、目を閉じた。  次に目をさましたときは、また食事であった。成田を出てから四度目で、その度に外人向きのボリュウムある食事で、機内ではまったく動くことがなかった人々は、さすがに皆、ゲンナリしていた。  中でも八割ぐらいもしめている日本人乗客は、誰も皆、果物やデザートにちょっと箸をつけるぐらいだ。特に大量につけられる、お新香代りのチーズは、もう誰も喰べる者がいなかった。  食事が片付けられて、紅茶とビスケットが配られ、それも片付けられると、機は下降態勢に入った。時差が北回りではどういうようになっているのか、殆ど誰も判らなかったろう。ともかく、今ヨーロッパ大陸も飛び越えて、機はイギリスのブリテン島の上空に入ったのだ。  とうとうやって来た。後はスコットランドのグラスゴーまでは地続きだ。私の胸には、今にも嗚咽《おえつ》がこみ上げてくるような感動が湧き上っていた。  ヒースロー空港はまだ暗かった。  時計は午前四時を示していた。旅券検査と税関を終えた人々を、市中のターミナルまで運ぶバスが待っていた。  まだ人々が深く眠っている暁方前の市中を、バスは他の車に邪魔されずにひたすら走り続ける。多くの人々は合せて十八時間に近い、機内の窮屈な旅にすっかり疲れて、うとうとと眠ったり、不機嫌そうに押し黙っていたりした。元気なのは若い二人だけで、これからの連絡先をメモして交換しあったり楽しそうであった。  バスは一時間近く走り続けて、やっと市中ターミナルに着いた。ホテルからの出迎えや知人の出迎えも待っており、あっという間に人々は散ってしまった。  金髪娘も、自分でタクシーを見つけ、 「それじゃ、またね」  と手を上げて去ってしまった。  残されたのは私たちだけになった。今まで機嫌よかった甥の昌彦は、急に心細そうな顔になった。 「伯父さん、大丈夫なのかね」 「大丈夫って、何が」 「このロンドンで迷子になってしまったら、どうにもならないよ」 「心配するな。もう四十年間ずっと研究しているんだ。ここから、チャーリング・クロスの駅へ行く。タクシーで一区間だ。二時間後に、スコットランド方面行きの急行が出る。ちゃんと、トーマス・クック旅行社発行の時刻表で調べてある。この旅行に関しては、君はただ、私のそばにいてくれるだけでいいよ。いっさい私が自分でやるから」  私はようやく明けかけたロンドンの町の、流れて行く霧の中からやって来たタクシーを止めて乗りこんだ。  八時間の列車の旅は、十八時間の機上の旅にぶっ続けだから、相当にきついことはきつい。  ロンドンで一休みすることも考えないではなかったが、ここまで来たら、もう、ひとときでも早く用をすませて、精神的に身軽になりたかったので、私はこのスケジュールを強行した。遊ぶのは後でいくらでも遊べる。  それでも、早朝出発して夕方着く旅は、窓外の景色が見られるので、気分的に楽であった。  始めのうちは、列車の窓にくっつくほどの近さで、煉瓦建ての倉庫のような無愛想な建物の列が続いた。いかにも、百年前には世界の産業をリードした大国という感じだが、それは同時に、近代の科学工業には追いついていけない古さもまた露呈していた。  ほどなくその倉庫群も、同じような無愛想な形の煉瓦建ての住宅も消えると、急に展望が開けてきた。私はすぐ考えた。 『きっと、これがヒースの咲く草原なのだろう』  エミリー・ブロンテの『嵐ケ丘』に書かれているような、なだらかな丘陵地帯が続いている。たぶんそこに生えているのがヒースだろう。羊が、何千という集団で動いて行く。  それは、夏の、おだやかな満洲の平野を思い出させる。私にはいつまでも見飽きの来ない風景であった。  バーミンガム駅をすぎると、あたりの空気の澄明さが増してきたようであった。  スコットランド地区の、いわゆるハイランドという地帯に入ったのだ。 「もうスコットランドに入ったよ」  私は甥にいった。  金髪娘と離れて、にわかに気落ちして、ぼんやりと窓外を眺めているきりで、心ここになかった昌彦は、はっと気づいたようにあたりを眺めまわしていった。 「それじゃ、男がスカートをはいてるでしょう」 「いや、あれは儀式のときだけだ。まさかスカートをはいて、畑を耕やしたり、羊を追ったりできないだろう」 「まあ、そうだな。いくら男でも、風に吹かれてスカートがまくれ上ったりしたら、パンツが見えちまって恰好よくないからな」  途中の町や村は皆小さく、ほんの数分も走れば通りすぎてしまって、すぐ畑や牧草地になった。日本と同じで、イギリスも本国が狭いので、海外に殖民の土地を求めて、発展したと聞いたことがあるが、現実にその土地を見てみれば、日本の農村とは比べものにならない余裕があった。  人々は広い土地でゆったりと暮している感じがしている。それならば、二百年も前から、東洋の各地へ、大勢の探険者、伝道を看板にした地質学者、植物学者を送り続けてきた情熱は、一体何によるものなのだろうか。  私はこの平和のたたずまいの中に、かつてこの国にあった世界制覇の野望について、慄然とする思いで考えていた。  夏だが、列車の窓から入ってくる空気は、ひんやりと頬に快よかった。  ハルピンから北へかけての広々とした大地で感じられたように、このハイランドの空気は、人間の精神をさますような、ひきしまったものを持っていた。  カーライル駅で、首都のエディンバラへ行く列車と、商都のグラスゴーへ行く列車とに別れた。両都市は、ちょうどY字形の頭のような関係になっていた。  車掌がわざわざ私たち二人の所に来て、 「この箱はグラスゴー行きですが、あんたたちはこのまま乗って行きますか」  とたしかめに来た。  他に東洋人がいないので、珍らしかったのだろう。他に何か聞きたそうであった。 「イエス」  私はすぐ返事してから、続いてアメリカ兵式の発音で、自分らの行く先は、ちゃんと判っている旨を答えた。すると車掌は、 「あと二時間です。ホテルは予約してありますか」  とえらく親切になった。スコットランドまでわざわざのろい列車で入ってくる外人は殆どないので、多少の警戒をしていたのかもしれなかった。 「ええ、駅前ホテルに予約が入っています。グラスゴー主聖堂の主任司祭に頼んだから……」  急に向うの態度が変った。 「リチャード神父を御存知なのですか。私もよく知っています。あの人はグラスゴーにたくさんいる神父さんの中でも、特に名を知られた人です。あの人の予約なら、どんなに満員でも、必ず部屋がとれます。どうぞいいお旅を」  帽子を脱いで一礼して、次の車輛に移って行った。  少し暗くなりかけたころ、このイギリス式の重厚な列車は、グラスゴー駅にすべりこんだ。駅舎は、イギリスの百年前の繁栄を思い出させるような、どっしりとした、しかし今では古びて、古色蒼然という言葉がそのままの建物であった。大正時代の東京駅がきっとこんなでなかったろうか。  駅前のホテルなどは、日本の東京駅のステーション・ホテルとそっくりであって、入ってみて私は、日本がそのまままねをしたのがすぐ分った。  ホテルのフロントは、こちらの名前を言っただけですぐ、部屋の鍵を背後から取り出した。形式的にパスポートの番号を調べただけで、中を見もせずに返してくれた。 「どうぞ」  もう六十歳をすぎたと思われるような老人のポーターが、三階の部屋まで案内してくれた。丸二日ぶりのベッドだ。二人とももうへとへとに疲れた。  部屋はだだっ広い。飾りも何もないし、全体に古びて薄暗い感じであったが、木造ベッドの作りは時代物らしくしっかりしていたし、シーツや毛布は清潔であった。ただ、アメリカ式の新しいホテルを期待していた若者には、少し陰気すぎるようで、回りを見まわして、 「何だか、お化けでも出そうだね」  と文句をいった。 「五日もすりゃあ、君はロンドンへ戻れる。そこで彼女と一緒に、ヒルトンでも、ファイヤットでも新しい明るいホテルがあるから泊ればいいよ。スコットランドの田舎町だ。しばらく、古めかしいのは我慢しなさい」 「ああ……別に不平じゃないんだ。ただ今どきこんな古めかしい部屋があるのかと、びっくりしただけだよ」  ルームサービスで夕食をとり、そのまま昌彦は眠りこんでしまった。  私は急に気持が昂ぶってきて眠れなくなってきた。  四十年前の事件と、それに続く悲惨な旅行、そしてまだ本当には判っていないその真相をこの二、三日で追い詰めていけるのだ。懐しい人にも逢えるかもしれない。  それにしても、スコットランドとは、はるばる来たものだ。もしあの事件がなかったら、グラスゴーなんて土地は、私には一生、縁のない場所であったろう。  事件解決がいよいよ迫ってきたという緊張とともに、やはりこの奇妙な縁を、一つの人間の宿命として考えざるを得なかった。 [#改ページ] [#小見出し] ※[#「Cダッシュ」] (昭和十五年 ハルピン)  四十年前の私の満洲生活は、ハルピンへ着くとともにすぐ順調にすべり出していた。  それは結局は、背後にしっかりと私を管理している組織があったからであるが、当時の私は、そんなことにはまったく気がつきもしなかった。任務はきびしいが辛くはなかった。  日本内地とは違う大陸の持つ自由の雰囲気と、図書館での静かな雰囲気を楽しんでいた。  射撃練習の他に、月に一回だけ、市内にある正金銀行に、ワシリーは連れて行ってくれた。  窓口に行き、出された書類に署名すると、その場で三百円の金が貰えた。日本とは、紙幣のデザインは違うが、同じ円だてで、等価値で交換できることになっていた。ただし物資が豊富で、物価が安いので、馬車の代金や弾丸代を払っても、手もとにはかなり余裕があった。夜は八時の連絡を三十分待ってから、何もないと分ると、町へ出て、レストランで贅沢《ぜいたく》な食事をしたり、盛り場で飲み屋を探して飲み歩いても、金は殆《ほとん》どへらなかった。  こうして短い北国の夏も終ろうとするころには、すでに持ってきた一挺の拳銃を潰《つぶ》してしまい、走る馬上から射った弾丸が、どうにか林の中の狙った木の幹ぐらいには当るようになっていた。  夕方が少し寒くなりコートがほしいと思うころ、ロシヤ料理のレストランで、一人の娘と会った。  ボルシチュというロシヤスープをすすりながら、私は何となく娘の顔や体つきを見ていた。ところが向うから、にっこりと笑いかけてきて、コーヒーのカップを持ちながら近づいてきたので、びっくりした。 「今晩は」  彼女の日本語も、ワシリー爺さんと同じような訛《なま》りというか、妙なアクセントがあった。 「コバンワー」  と聞こえる。ロシヤ人特有のものだろう。  何か、私のことを、よく知っている感じだ。  町のロシヤ娘たちは、誰も少女のときは、まるで天使のように美しい。ほっそりとして、そのくせ胸は前に突き出し、足がうんと長くて、腰が上についている。しかしどの娘もやがて年を取る。三十をすぎると急に肥ってきて、腰回りが二メートルもあるようになる。歩くときは体中の肉をゆすぶって歩く。そういう見本があるので、これまで町で娘たちに声をかける勇気が出なかった。  しかしこの少女の美しさは格別だ。 「今晩は」  私もグラスを上げた。 「あたしを覚えてる?」  と娘が聞いてくる。 「さあ」  と考えこんだ。  私の知ってる範囲では、ホテルのカウンターで働く娘、町のレストランや、新聞売場に立っている娘しか顔を知ってる娘はいない。 「もう忘れたの」  少女は少しがっかりした声でいった。 「……ほら、あたし、バスで……」 「あっ!」  と声を上げた。 「……じゃ、あのときのガイドさん」  この町へ来た翌日、ハルピンでの最初の日、町の概観を知るため、ワシリーにすすめられて観光バスに乗った。  そのときのガイド嬢であった。  訛りはあるが、青い目の娘が鮮やかな日本語を話すので、ひどく感心した。  郊外の名所、六烈士の碑の所で、記念写真を撮るので並んだとき、私はそのガイドに、 「この六人中の二人は、ぼくの大学の先輩です」  といった。すると、青い目をくるくるさせて、まるで私がその烈士の一員ででもあるかのように、讃仰するような目で見たものだった。そのときは私はハルピンへ来て何もかも珍らしく、気持もそぞろであったし、ロシヤ人の娘はどれも同じ顔に見えたので、はっきりと印象に残らなかったのかもしれない。向うはガイドが職業で、毎日たくさんの新しい顔と逢う。まさか一《ひと》月も前の一観光客のことなど、覚えているとは思わなかったので意外であった。 「ハルピン、お気に入りまして」  と聞いてきた。 「ええ、すばらしい町です」  二人は、いっぺんに親しくなった。そこは若い者どうしだから、親しくなるのにも、何の手間もいらなかった。私がその気になればいい。  私はいが栗頭の男のことを、すぐ考えた。  いろいろと彼のいった言葉を思い出しても、外人娘との交際については、禁止はもちろん、何の指示もなかった。  もうこちらへ来て、二《ふた》月はたっており、親しくできるガールフレンドがほしいころであった。もしこのロシヤ娘が敵のスパイだったら、それはそれで面白い。今、ここで負けてしまうようだったら、これから先の仕事はどうせ勤まらない。私は度胸を決めた。  毎夜、決って、そのレストランへ行って、同じテーブルで食事をするようになり、その内には食事後の夜の町を散歩して、ロシヤ人しかやって来ない店で、ウオッカを飲んだりするようになった。ハルピン生活が急に楽しいものになった。  彼女の名はソニヤといった。  ただ二人は、昼はお互いに仕事がある。  ソニヤは観光バスで一日中市内を回らなくてはならないし、私の方は一日百発の弾丸を馬上で消化しなくてはならない。ハードな練習があるから、お互いに昼間は会うことはできない。  ソニヤは一週に一回の休日があるらしいが、私には休日はない。雨の日も、風が強い日も、それは戦いのための一つの状況であるから、休むことは許されない。誰のためでもない。自分の生命を自分が守るため、黙々としてモーゼルを射ちこんでいかなくてはならなかった。  逢って一《ひと》月もしないうちに、ソニヤもすっかり馴れて、私のホテルにやって来て、自炊設備を使って、コーヒーを沸かしたり、スープを作ったりしてくれた。  季節の変りは慌《あわ》ただしい。特に冬の来るのが早い。十月も終りかけると、外を歩くのが寒くて億劫《おつくう》になる。  二人で室内にいると、どうしても気分的におかしくなる。  それにロシヤ娘は外に出るときは、必ず厚い外套をきる代りに、室内ではまるで夏のときのように、薄いドレス一枚でいることが多い。歩くたびに突き出した乳房が揺れ、薄いドレスの腰に下着のゴムの線がくっきりと浮び出す。  もとから、女体の誘惑にはひどく弱い。そのうえ、相手は外人娘だ。キッチンで野菜を刻んでいた体を、後ろから強く抱きしめた。大きい乳房をしっかり両手で押えて、すかさず揉んだ。  これで、これまで私の知っていた日本娘は、大体ものになった。ぐったりして抵抗力を失い、中には、膝をついてしまう者、そのまま半分失神したように目をつぶって倒れかかる娘、くるりと向き直って、唇を積極的に押しつけてくる娘もいた。  だがソニヤは、 「ニエット!(だめ)」  と力一杯腕を振りほどいて怒りながら、コートを取って、表へ飛び出して行こうとした。  あわてて追いすがり、 「悪かった。ごめん、もうしないから」  と、何度も何度も謝って、やっと残ってもらった。しばらく黙って坐りこんでいたソニヤは、やがて機嫌を直して、またさっきの続きの仕事を始めだした。 「あたし、今のあなたの気持もよく分ります。男の人、仲好くした女の人をほしがる、それ当り前のことです……でも、もう少し待ってください。あたしキタイスカヤの裸のキャバレエで働く女ではありません」 「悪かった」 「いえ、悪くないです。いつか神様のお許しを得てから抱かれます。クリスマスがもう少ししたら来ます。三日前の日は、冬のお祭りです。あたしも参加します。それを見に来てください。お昼ちょうどに始まります」 「お祭りはどこでするのかね」 「松花江《スンガリー》の上です。ハルピン公園のある所の河原です」 「そのころは松花江は凍っているだろう」 「ええ、その氷の上でするのです。そのお祭りで、神に誓いをした娘だけが、男に抱かれることを許されるのです。その日の夜、あたしは、あなたのものになります。それまであたしを、大切にそっとしていてください」 「分った。その日は、その近くで仕事をしよう。そして正午には祭りを見に行けるようにしよう」  まだ一月半もあったが、私はその約束を守ることを誓った。そうなると、いっそう安心できるのか、ソニヤは、夕方は毎日のようにやってきて、食事を作って、二人で喰べた。ときには入浴して行き、さっぱりした顔でどこかロシヤ人街の中にある自分の住居に帰っていった。  どんな所に住み、家族がどうなっているか、いろいろ聞きたかったが、ソニヤが語りたがらなかったので、私も聞くのをやめた。  単に別れ際に握手するだけで、キス一つしない関係が続いた。十一月に入ると、もう連日雪がちらつき、すっかり冬の気分で、夜更けてから、自分の家へ戻って行くソニヤを送り出すのは辛かったが、彼女に、 「一人で帰ります。どうか送らないで」  と、むしろ哀願するような目でいわれると、そのまま玄関で別れるよりほかなかった。ソニヤは暗い道を、肩をせばめて淋し気に帰って行った。  練習は日ごとにきびしくなった。冬の風はまともに顔に吹きつける。手はかじかんで自由がきかない。それで掌を厚い手套でおおっても、引鉄《ひきがね》をひく指だけは、いつもむき出しにしておかなくては、正確な弾着は得られない。一本だけ手套の先を切って突き出しておく。これがとてもこたえた。  だがその練習のかいがあって、十二月に入るころは、どんなにこちらが激しく動いていても、また向うが動いていても、狙った物には必ず当るようになった。  そのころには、一種の射撃の中毒になっていた。朝起きた瞬間、袖口にしみている煙硝の匂いに、もう心が騒いだ。  朝食もそこそこにホテルを出ると、判で押したようにワシリー爺さんが玄関の前で待っていた。  根雪が積った日から馬車が馬橇《そり》に代った以外、夏からの習慣は何の変りもなかった。  クリスマスの三日前の日も、爺さんは、いつもと同じで、朝早く迎えに来てくれた。  私は馬橇が走り出すと、爺さんに言った。 「今日は松花江《スンガリー》公園に、昼頃行きたい。その近くで練習できないかな」 「ええ、承知しました」  ワシリーはそのまま雪の路を走り出した。  松花江の近くにも、まるで人のいない荒野はいくらでもあった。いつもなら夕方までかかって、ゆっくり百発の弾丸を射ちこむのに、その日は、特に早射ちの練習の意味もこめて、たてつづけに射ち尽し、正午よりかなり前に終った。その分肉体や神経の疲労は甚だしかったし、銃身も休む間のない連続発射に赤く灼けていた。雪の中に突っこんで冷やしてから、皮のケースに納めた。  焚火をして待っていたワシリー爺さんは、火を踏み消し、雪をかけてからいった。 「だいぶ上達しましたね。もうそれぐらいの腕があれば、実際の仕事で使えますよ。要は相手が抜く前に射殺してしまう、その度胸を身につけることです」  そして私を乗せると、 「正午に、松花江公園ですね」  とたしかめてから、橇を走らせだした。  ここで初めて、私は今日の予定を話した。 「何か正午に公園の近くの河原で、お祭りがあるということだが、どんなお祭りか、ワシリー爺さんは知っているかね」 「ええ、娘たちが中心の集りですよ。結婚したかったり、恋人ができた娘が、純潔を男に捧げる前に、神にその男と一生倖せにやっていけるようにという祈りを捧げるのです」 「そうか、ソニヤもその積りだったんだな。これで少し判ってきたよ。爺さん、ソニヤという娘を知っているかい。いきなりソニヤといっても判らないかもしれないが、観光バスのガイドをしている可愛い娘だ」 「おう、その娘なら、私、よく知ってますよ。同じアパートに住んでいます」 「そうか偶然だな。ワシリーが知っているなら話がしやすい。その娘に今日ぜひ祭りを見に来てくれといわれた」 「そうですか。彼女は信心深い娘です。神様にお願いすることが何かできたのでしょう。急いで行きましょう。ぜひ立合ってあげるといいですよ。娘さんは喜びますよ」  老人は馬に鞭をあてて、急がせた。赤い髯は白く凍って針金のように尖り、左右に突き出していた。  自分では言わないが、革命で祖国を追われる前には、どうも軍人であったらしい。  背筋がぴんと張って形がいい。風が冷たく吹き向ってくるが、顔をまっすぐ前にして、そむけたりしない。コザックの大軍を指揮する将軍を思わせるものがあった。  老人は前を向いたまま、大きい声でいった。 「太陽が一番少く出る日、日本語で何というかね」 「トウジというよ」 「トウジね。ロシヤ娘にとっては一番大事な日だね。この国の若い娘、信仰大事にする。いったん嫁に行ったら、決して夫と別れないね。その代り、夫をとても大事にするね。結婚に、一生一度の運をかけるからね」  やがて川沿いの高い土堤になった。一人でも客が乗っていると、馬はすべって上りにくい。  馬も可哀そうだったし、時間も気になったので、飛び下りて、雪を踏みこみながら、這うようにして土堤の上に登った。  急に河面《かわも》からの冷たい風がまともに吹きつけて、頬が硬張りそうになった。広々とした河原の景色が一目で見えた。  河幅は広い。やがてロシヤ領のハバロフスク近くまで流れて、その少し手前で黒竜江と合わさり、北樺太《からふと》の対岸の河口、ニコライエフスク・アモール市まで流れる、四千キロ以上もの大河だ。  このあたりでは、河幅だけでも五百メートルぐらいあるが、河原と同じ白一色に凍りついているので、対岸まで二キロや三キロはある広い河川敷一帯、どこから河かまったく分らない。対岸がロシヤだといわれても、そのまま信じてしまいそうな広さであった。  その広い雪原に、一列の黒いゴマ粒の列のように、人々が歩いて行く。  やっと馬とともに河原の上に登ってきたワシリーにいった。 「ここで待っていてくれ。馬橇を河原まで下してしまうと、今度は帰りに登るのが大変だからな」  私は一人で、転げるように土堤を下りて行き、列に追いつこうとした。  行列の先頭には四人の青年が、三メートルもある木の十字架を担《かつ》いでいた。すぐ後ろを、外套の上に白い法衣をかけた司祭が、煙のたつ香炉を持ってついて行く。  雪を蹴散らして駆けて行ったせいで、十分間ぐらいで、すぐに行列に追いついた。  行列の方も、厳粛な宗教的行事にふさわしく、重々しく、極度にゆっくり歩いていた。  見習い僧の子供が鳴らす鐘の音が淋しい。  追いついた私は、列の中を覗《のぞ》きながら最前列まで行き、また後尾まで戻った。同じような毛皮の外套をまとい、同じような毛皮の帽子を目深にかぶった三十人以上もいる娘たちの間から、ソニヤの顔を見つけ出そうとしたが、どの娘も、これからの儀式の神聖さを思ってか、頭を垂れて祈りながら歩いているので、区別がつかなかった。  ソニヤの方は、私が列の横を行ったり来たりして、自分のことを探しているのを、ちゃんと知っていたのに違いないが、信心深いこの娘は、自分から手を上げたり、声を出したりするようなまねはしなかった。  雪の路から氷の滑面に出た。土堤から見てはよく分らなかったが、足で踏んでみるとその地面の変化で、河原から大河の水面上に出たことが判った。  すでに四人ほどの中年の男の信者が、その河面の中心にいて、つるはしで氷を砕いて丸い穴を掘っていた。  外套を脱ぎ、中には上衣まで脱いで、つるはしをふるっている男もいた。どの男たちの額にも汗が噴き出ているが、うっかりそのままにしておくと、凍って凍傷の原因になる。男たちはタオルで、こまめに額や首筋の汗を拭きながら、厚い氷に穴をあけていた。  河の表面の氷は、厚さが五十センチぐらいある。人間が乗っても、車が乗ってもまったく平気だが、その代り、水面が見えるまでの穴を掘るのは、大変なことらしかった。  穴を作るときに氷上に掘り上げられた砕けた氷は、一ヵ所に集められ、小山のように積まれると、その中央にねじこめるように、三メートルの十字架が立てられた。穴の底の青く覗いて見える河から、綱につけたバケツで水が汲まれて、砕け氷の山にかけられると、たちまち氷片どうしが固められて、十字架はしっかり固定した。  ようやく穴は一メートルぐらいの円型になり、そこに覗く青い水面に、空に流れる白い雲や、冬の太陽を写していた。  司祭が十字架の前に香炉を置き、立ったまま祈り出した。行列に参加していた娘たちも、先に来て穴を掘っていた男たちも、いっせいにその後ろで祈りの声を上げだした。  ギリシャ正教の中でも、最も信仰心の強い人々の一派の集会であるとのことだ。十分ぐらいでようやく祈りを終えると、今日の集りの主役である十五人ぐらいの若い娘たちだけが、穴の回りを囲んだ。他の女たちは介添人らしい。娘たちの姉妹、あるいは母とか叔母とかいう人々が多いとのことだ。  まず一人が外套を脱いで後ろの女に渡した。  その下は、意外に薄いドレス一枚だ。ロシヤ娘だから、この寒さに耐えられるのだろうと感心していると、もっと驚くようなことが起った。  その薄いドレスを脱ぎ、寒風の吹きすさぶ中で、その娘は、そう何枚もつけていない薄いメリヤス編みや、木綿の下着まで脱ぎ出した。とうとう全裸になった。  穴の回りの娘たちも、外套の下に手を入れて、すぐに脱げるように、それぞれの準備をしだした。やっとソニヤの姿が、裸になった娘の対面にいることに気がついたが、厳粛な表情で祈っているので、とても声はかけられなかった。  全裸の娘は、両手を横に拡げる。青年が両側から一人ずつその手を持つ。  そのまま、女を穴の中に入れ、水の中に足からひたしていった。  正午だから、一日の中では一番気温が温い時間かもしれないが、それでも氷点下二十度は越しているだろう。河面に吹いてくる風は冷たくて、見ているだけでも下腹が痛くなってきた。  回りを囲んでいる老若男女の信者たちの口から、いっせいに祈りの声が湧き上った。  両手を男に預けたまま、全裸の娘の体は水にもぐり、一度、頭まで水中にすっかりかくれるまで沈んだ。  水につかる娘は青年の手にすべてを預け、宗教的法悦の中にいるが、青年たちの表情はこの大役に緊張で硬張っている。  もし手がすべって放したりしてしまったら、娘の体は、下を流れている急流にさらわれ、厚い氷の下で二度と上って来ない。飛びこんで助けるわけにはいかないのだ。いったん頭まで水につかるとすぐに娘の体はひき上げられる。神への誓いはこれですんだらしい。  水に濡れた体が冷たい風に当ると、たちまち凍りつく。後ろに控えていた中年婦人が、大きなタオルで、まず髪の毛の水気から拭い、全身を熱くなるまで、マサツするようにして拭き上げる。同時に他の娘が、近くの氷の上においてあったサモワールから、熱い紅茶をカップに入れて、そこに火酒《ウオツカ》をたっぷり注ぎ入れて飲ませる。一杯ぐっと飲み干すと、腹の中から温まってくるのが、外からも見て判る。外套を肩にかけ、取りあえず冷たい風をよけてから、靴をはき、ついでブルーマ、ブラジャー、シュミーズと、当時のロシヤ娘たちがつけていた下着をつけていき、ドレスを着る。  一方その娘が引き上げられるころには、次の娘がもう全裸になって、両腕を横に拡げて待っている。  こうして、一人一人、まるでよく調整された流れ作業のように、娘たちの信仰の儀式が進んでいく。私はただ呆然とそれを見つめていた。  八番目がソニヤの番だった。早目にいっさいの物を脱ぎ捨てており、全裸の体に外套だけを羽織って待機していた。  女たちの祈りの声は、ますます高くなる。  前の娘が氷の穴からひき上げられると、ソニヤは肩の外套をさっと外した。  さすがに気になるのか、私のいる方をチラと見たが、すぐに目をつぶり、あるがままの姿をすべてむき出しにして、両手を拡げ、たくましい男たちに預けた。  背が高いので、私はこれまでドレスの下は骨と皮の未熟な女体を想像していたが、実際にすべてを何一つ隠すもののない姿で見ると、胸も大きく突き出して豊かに実っており、腰のくびれの下からは大きな尻の丘が張り出していた。  私のひいき目だけでなく、その裸身は、今までのどの娘のものよりもすばらしく見えた。金色の秘毛はかなり密生していたが、肌の色と似ているのでさして目だたない。  他の娘が氷の中にもぐるときは、冷たいだろうにとか、可哀想だなあと思っただけだったが、さすがにソニヤが入るときは、恐怖に全身がそそけだった。  心臓マヒでも起して、生きた顔は再び見られないのではないか……ほんの二十秒ぐらいが何時間かに思われて、かえって自分の方が心臓マヒを起しそうで、早鐘のような音をたてて鳴り出した。  やっとソニヤの顔が水の流れの中から出てきた。唇が少し青く、歯の根のあたりが震えている以外に、体のどこにも異常がなく、長いまつ毛の先の半分凍りかけた水の玉をはじくようにして、私に向って微笑んでみせた。  これで、『あなたに抱かれる準備が整いました』と、その美しい肉体は、誇らかに、語りかけてくるようであった。  その夜だった。  人の体温で熱くなっているベッドの中で、ソニヤは裸身をすりつけてくる。初めての行為が今終って、二人とも気だるい甘さの中に、どっぷりひたっていた。  毛布の中でソニヤが動くと、乳の匂いが部屋中にこもる。  先ほど苦痛を訴えて悲鳴を上げ、少し泣いたのが今では嘘のようだ。  私は、枕の後ろに流れる見事な金髪を、静かに撫でながら、愛しさをこめた口調できいた。 「君の家族のことを教えてくれないか。両親とか、兄弟のことなど……君のことを皆、知りたい」  これまで、日本にいたときも女の子とはいいかげんの遊びごとのつきあいしかしたことがなかった私が、初めてこの女とは結婚を考えた。一生ずっと一緒に暮したくなった。  私の体にその裸身をぴったりすりつけて、まつわりつくようにしながら、ソニヤは、まだ夢見るような声で答えた。 「父と二人きりです。とても貧乏です。これまでこんな温い暖房が効いた部屋で、こんな上等な柔らかい毛布にくるまって眠ったことはありません。あたしと父が二人だけで住んでいるアパートは、キタイスカヤの通りの裏の二間きりの部屋です。玄関の横の、台所がついている板の間で、軍事病院から払い下げてもらった鉄パイプの組立てベッドを使って、あたしは一人で寝ています。奥の部屋のベッドは広いダブルですが、いくら父といっても、男ですから、大人になってからは、一緒に眠るわけにもいきませんし」 「そうだね。お父さんはどんな人かね」 「この松花江を下った、黒竜江との合流地点の向う側の極東地区第七軍団で、昔、軍団長をしていました。精悍なコザック騎兵をひきい、最後までロマノフの帝政を守るため、赤軍と戦った勇敢な将軍でした」  それから、そっと顔を見てきいた。 「シベリヤ出兵とか、ニコライエフスク事件とか知ってます?」 「何か聞いたような気がするが、詳しいことは分らない」 「何でも革命後の騒動で、日本人の民間人と軍人が百二十人も殺されたらしいのです。父がそのとき、どんな役目をしたか分りませんが、セミヨノフという帝政派の大物の軍人とかなり仲がよかったらしく、今でも酔うと、ときどき、そのセミヨノフの名前が出ます。でも、あたしはそれ以上のことは判りません。セミヨノフがどんなことをした人かも知らないのです」 「ぼくも一度、帝政の末期のこのあたりの状勢について、詳しく知りたいと思っていたんだ。この次、図書館へ行ったら調べるつもりだが、その前に一度、君のお父さんという人に会わせてもらえるかね」 「あらっ……」  という顔をした。それからすぐ、 「ええ、きっと喜んで会ってくれるわ。今でも自分で喰べる分だけは、ちゃんと働いているの。あたしがいつお嫁に行ってもいいようにね。お酒がとても好きな人だから、お酒でも一緒に飲んで話そうといったら、喜んでお相手するわよ」 「立派な人だったんだね」  門番、人夫、墓掘り、キャバレエの玄関番、この町では、革命時に高い身分だった貴族や軍人が、今ではその日の糧のため、あらゆる仕事に従事していた。 「ええ、あたし、父を尊敬しています。今でも、とても自慢に思っています」  外では風の音が吹きつのってきた。  だが毛布の中にくるまっている二人は、ときどき毛布をはねのけて空気を入れなくては汗ばんでくるほど熱かった。それなのに、しっかりと抱きしめられていたソニヤが、急にぶるっと体を震わせた。 「どうしたんだね。寒いのかね」 「ううん」  と顔をふると、真赤になって私の首の所に唇を押しつけてきた。 「困ったわ。とても恥しくていえないわ」 「今では二人は一つに結ばれたんだ。かまわないじゃないか。言ってみなさい」 「笑わない」 「笑うもんか」 「……もう一度、さっきのあれを、したいの。でもこんな淫《みだ》らなお願い、神様がお許しくださるかしら」 「神様がお許しにならなくても、いまならかまわないさ。昼間の儀式で、君は神様にいちいち断わらなくてもいいことになっているはずだ。今ではソニヤのすべてはぼくのものだ」  私は自分の体を今一度深く侵入させようとした。そのとき、八月にここへ来て以来、一度も鳴ったことがない電話のベルが、初めて響いた。  時計を見ると、ちょうど八時だった。これはこの仕事に任命されたときからの約束であった。何をおいても、すぐ受話器を取らなくてはならない。 「ちょっと待ってくれ」  深々と相手にあたえた物を、ひき放す。私はベッドからはじかれたように、裸のまま立ち上った。  忘れられない、あのいが栗頭の男の声がした。 「ああ、おれだ」 「ずっと毎日、連絡をお待ちしていました」 「そろそろ仕事に入ってもらいたい。拳銃の方の腕はだいぶ上ったろう。今度のは、ほんの小手調べの軽いものだ。君の役目は、見学兼見張役ぐらいの遊び半分で勤まるものだ。ただ、これによって、自分が今後やる仕事がどんなものか、大体の要領を掴んでくれ」 「承知しました。早く何か仕事をしたくて、うずうずしていたところです。ところでどうしたらいいのですか」 「今晩は、しっぽりと、彼女との初めての夜を楽しむんだな」  びっくりしてあわててきいた。 「どこかで見ているんですか」 「見ていなくても、そのくらいのことは分る。心配するな。仕事は明日からだ。明日の正午|傅家甸《フジヤデン》地区へ入ってくれ。君はもう行ったことがあるか」 「ええ、入口までは二、三度行きましたが、中はまだ怖しくて見ていません」 「それは賢明だった。外部の人間が、遊び半分に入る所じゃない。中との話が通じていないと、生命の保障がない。それに案内人なしに入ったら、迷子になって出てこられない。ただし明日は話がついている。君はワシリー爺さんの馬橇で、富錦街から入って行く。その危険な地区の境界は、義生堂という生薬屋だ。そこでショウウインドを見て一人で待っていると、迎えの者が来るはずだ」 「その人の目印か、様子を教えてください」 「いや、それは心配せんでも自然に分る。向うは日本語がよく分る。おまえさんの名も知っていて話しかけてくる。そのまま言われる通りついて行けばいい。おれの連絡事項はそれだけだ。……ああ、そうだ。モーゼルと弾丸も忘れるな。五十発の箱を、一つ持って行けばいいだろう」  一方的に指示だけすると、その命令の電話は切れた。  恥しさを我慢して自分から言い出した二度目の行為の途中でベッドにほうり出されたままのソニヤは、私を再び嬉しそうに抱きしめた。一度|なえ《ヽヽ》た欲情が、再び内部から激しく湧き上ってくる。ソニヤは、私を受け入れやすいように、今度は体の力をぬき、両肢を開いたまま私の攻撃を静かに待っている。再び結ばれた。やっと二度目の行為が、前より馴れた感じで満足の中に終った。静かな安らぎの中で、抱かれながら彼女はふと、 「どういう用だったの、今の電話」  ときいた。私は激しい愛情がまた湧き上ってきて強く抱きしめながらいった。 「明日、一人で傅家甸《フジヤデン》地区へ入る」  とたんに彼女は顔色を変え、私の体を突き放すようにして半身を起していった。 「やめて……傅家甸に入るのは。他国の人で、あそこへ入って無事に帰った人はいないというわ」 「私の場合は安全だ。ちゃんと先方から迎えが来る。その諒解のもとで入って行く。それに明日の正午だ。いまさら変更はきかない」  今度は上からのしかかるようにして私の体を抱きしめ、体をゆすっていやいやすると、半分泣き声でいった。 「明日はあたし、仕事に行かないで、ここに待っています。無事にあなたが戻ってくるまで、心配でどこへも行けない」  もう絶対放すまいとするかのように、しがみついてきた。  父と二人だけで暮してきた彼女のこれまでの青春は、孤独な淋しいものであったのだろう。そしてこの私との、結婚とはまだとてもいうことができないような頼りない結びつきも、今の彼女にとっては、生命がけで守らなくてはならない大事なものであったようだ。  ……朝はソニヤに起された。  女はもう、一日で新妻気取りになっていた。  サモワールで紅茶を沸かし、パンと炒《い》り卵を用意していた。  向い合って食事が終ると、私はいつもの日課で、まずピストルの分解掃除を始めた。テーブルの上にボロ布《きれ》を拡げ、銃身、弾倉、銃把《じゆうは》と分解し、スプリングからねじ一つまで、丁寧に磨いた。弾倉に十発の弾丸を入れてしっかり取りつけ、安全装置をたしかめてから、腋の下に吊した。 「じゃ行ってくるからね」  まだ泣きそうな顔をしているソニヤの額に唇をつけてから外に出た。  ホテルの前には、いつもと同じようにワシリー爺さんの馬橇が待っていた。  私は箱の中に乗りこむとすぐにいった。 「今日は練習に行かないんだ」 「どちらに行くんです」 「フジャデン地区だ」  走らせかけた馬を急に止め、へえーっと驚きの声を上げると、振り向いていった。 「わしは中へ入りませんよ。ごらんの通りの赤髯です。生きては出てこられません」 「うん、入口まででいい。富錦街の方角から入ってくれ。出てくる時間が分らないから、今日はあんたは入口からそのまま引き返して、家で休んでいてくれ。この五ヵ月、爺さんには一日の休みもなかったからね……」  そう約束した。十五分もしないうちに、富錦街から傅家甸地区へ入る道に来た。入口が義生堂生薬舗である。予定の時間の正午より三十分ぐらい早い。馬橇を返して、ゆっくりと歩いた。まだ迎えが来ていない。だから、うっかりすると危い。特に日本人と分ると、いつ背中からブスリとやられるかもしれない。この地域の人は、満洲人か漢民族以外の人が、物好きで中を覗くのをひどく嫌う。  薬屋の先に、靴屋と床屋があって、魚市場の入口が見える。さすがにその中の雑踏に入って行く気がしない。ちょっと曲ると、日本ではまだ見られないコンクリート五階建てのアパートが、真中に広場を作って、四角く囲んでいる場所があった。しかしそれはどうやら、貧困者だけが占領している、値の安い住宅であったらしい。アパートのガラス窓は破れ、板がはりつけてあり、破れたつぎはぎだらけの洗濯物が吊されていた。おかみさんが声高に話し合い、団子のように着ぶくれた子供たちが、中庭を走りまわっていた。  中庭の一部には、住民とまるで同じ貧しくて汚ない露店が並んでいた。  蠅が真黒にたかった肉。なつめの入った黄色い餅。ふかし藷《いも》。  その先に人の輪ができていた。ちらと時計を見る。まだ二十分ある。それで輪に近づいて中を覗いてみることにした。  人の輪の真中に、八、九歳ぐらいと思われる少女が立っている。色だけは赤くて派手だが、全体が薄汚れて、よけい汚ならしく見える綿服を着ていた。その横に、いかにも悪党丸出しの兇悪な面をした男が、山東省訛りの中国語で口上を述べたてている。 「これから不思議な芸をお見せするだでね、もし感心したら、一銭でも二銭でもほうってくだせえよ。只見はいけねえだよ。ゼニのねえ人は、見ねえで帰《けえ》ってくんな」  そう乱暴な口調でしゃべりながら、片方の手で女の子の上衣を脱がした。体が小さいので子供に見えるのだが、胸などけっこう形よく、たんこぶぐらいには丸く突き出していた。  たとえまだ子供でも、女の子だ。裸にされるということに、憐憫の交ったエロチシズムが感じられるらしい。輪の人々は一人も散らない。その期待に答えるように、女の子のズボンも脱がされた。下着は何もつけていない。垢じみた小さな体が、素っ裸でそこに立っている。人々の眼が集中する下腹には、まだ女の兆候は何も見えない。ただ一本の線だけが、足のつけ根に深く切れこんでいる。  日だまりの風の来ない場所で、一日の中で一番温い正午とはいえ、気温そのものが零下二十度を割っている。少女の垢のこびりついた肌に粟粒がたち、歯がぶつかって音をたてている。  前の方にしゃがんで見ている主婦やその連れの子供たちの間に、大げさな同情の声が上った。悪党面の男は少女の手を万歳の形に上げ、両手にしっかり竹棒を持たせて、掌と竹とを荒縄でくくりつけた。 「アイヤ!」  と気合いをかけると、その両手を前に下させ、両足で踏み越えさせ、そのまま背中に向って引き上げて、また元と同じ万歳の形にさせた。今にも骨が折れる音がしそうで、耳をふさいでいる女もいた。皮が肩の所で一回りしてねじくれているだけで、骨は折れていなかった。肩の所で脱臼して自由に曲るのか。それでも一回転したことが分ると、悲鳴、泣き声など子供たちから上り、同時に投げ銭が殺到した。  今度は足に竹をしばりつけた。同じことを太腿でやるらしい。それも見たかったが、だいぶたっているので時間が気になって時計を見た。あと五分しかない。あわてて戻ろうとすると、 「いいのよ。急がなくても」  と日本語でささやく女の声がした。耳もとに熱い息がかかった。  はっと振り向いた。 「やっとまたお会いできたわね」  女はにこりとしながら話しかけた。あのときと同じ派手な中国服をつけている。朝鮮と満洲との国境を越える橋で知り合い、そのまま奉天でまる二日間、若さに任せて昼も夜もなく情事にふけった相手であった。 「ああ、あのときの」  きゅっとひきしまった腰のあたりから、中国服の裾《すそ》は切れこんで、しなやかな肢を包む白繻子の靴下が見える。この漢人や満洲人たちだけがいる区域では、民族としての違和感はないが、貧しい身なりの人ばかりの町に、一人だけ華やかに着飾っているので、ひどく目だった。ここの女たちはどれもこの寒さに着ぶくれするほど着ていて、特にその下半身に至っては、綿入りの刺子《さしこ》のズボンで丸くふくらんでいる。長袗の裾の両脇をすっかりあけ、白繻子の靴下一枚のむき出しの足は、それだけでも異質である。 「奉天ではとても楽しかったわ」  その日本語をきいて、私は妙なことに気がついた。あの鴨緑江から奉天の日の三日間、彼女はただの一言も日本語をしゃべらず、日本語が分るという気振りも見せなかった。 「君は日本語が分るのかね」 「あのとき、あなたが聞かなかったから、無理にお話ししなかっただけで、わざと隠していたわけじゃないわ。さあ、おくれるわ。行きましょう」  何だか私は気味が悪かった。どうもこの女も仲間の女だとすると、鴨緑江のことは、まったく向うが仕組んだことなのだろうか。  つまり募集に応じて、進んで満洲にやってきた男に対しての、ボーナスという意味合いも含んでいるのかもしれない。ふとそう思うと、急に自分は何もかもこの正体の分らぬ組織の上であやつられているような気がして、ぞっとしてきた。私たちはそのまま歩き出した。  いずれそれは、この女としばらくつきあっているうちに、自然に分ってくるだろう。今は触れないことにして、私は聞いた。 「あの女の子は腕の骨は外してあるとして、ああ何度もぐるぐる回されては、皮がねじくれて痛くないだろうか」 「ああ、あれね。女の子には阿片を吸わせているので、寒くも痛くもないの。子供の体にはよく効くからね」 「阿片を?」 「こんなことに驚いては、ここでの仕事はできないわよ。ハルピンへせっかくいらしたんだから、もっとお傍にいていろいろと教えてやればよかったわ。つい油断しているうちに、すっかりあんなロシヤ娘に先を越されてしまって……」  びっくりして向き直った。 「そんなことまでそちらに判っているのですか」 「気にしないでいいわ。都合の悪いことは報告しないでおくぐらいの親切心はあるわよ」  彼女はもう私の行動をすっかり握っているという感じであったが、それ以上に私が本当に驚いたのは、彼女の東京風の歯切れのいい言葉であった。生きのいい下町娘の啖呵《たんか》を聞いているようであった。  道は何度も折れ曲り、だんだん人々と肩が触れるぐらいの混雑になり、飲食店、一杯飲み屋、寄席《よせ》、阿片販売所など、やや歓楽的色彩が強くなってきた。 「タークワンエンで、あなたのことをスー・リンチエンがお待ちしていますよ」  やがて遊郭らしい地域に近づくと、そう彼女はいった。それから字を説明しだした。  大観園と書く。スー・リンチエンは、鄒琳昌だ。  このときは何気なく聞き逃したが、やがてこの二つの名は、ハルピンに於ては、大変な名であることが自然に分ってきた。二つともハルピンの悪徳を象徴するものであった。  商店街が突然切れて、池を囲む広場に出た。池といっても凍っているから、ややきれいに見えるだけで、平たい氷に、さまざまの異物が交って、砂糖菓子の豆板のように点々と突き出していたから、夏は、どぶ泥のごみ捨て場かもしれなかった。  池を囲んで周囲には、これまでの商家とは大きさの違う、三階建ての堂々とした建物が、何棟も建っていた。  いずれも建物全体を朱塗りにし、金や銀の、派手な看板が掛けられてあった。どの窓からも、女たちが顔を見せたり、化粧をしたり、走りまわっている姿がのぞけた。明らかに娼家であった。鄒というのはこの遊郭一帯のボスでもあり、大観園というのは、その中の娼家の一つなのだろうかと考えた。  その池を半周した所に、建物の大きさは他の娼家と比べて一段と大きいが、全体の朱塗りの色がもうすっかり剥《は》げ、窓や戸はこわれ、今にも崩れかかりそうな、荒れ果てた建物があった。  女たちのいる建物の間に挟《はさ》まれながら、そこには、女ッ気も、艶《なま》めかしい色気もなく、幽霊でも住んでいそうな無気味さが漂っていた。  入口には、ぼろを着た乞食のような男たちばかりが群り、暗い洞穴のような邸内に出入りしていた。だが、私がもっと驚いたことがあった。  建物の正面の、池のふちになる所に、柳の木があった。その根元に、真っ裸にされた男の死体が、ごく無造作に転がされていたのである。凍って硬直している。  しかも通り過ぎる男も女も、まるでそれを見向きもしないことであった。  女は説明してくれた。 「今日は少い方よ。多い日には、七つを越すこともあるわ。朝の六時と、昼の三時に、市公署のトラックが来て、荷台に積み上げ、万人坑という大きな穴に、ほうり投げてきてくれるのよ」  その女は、乞食のような男が群れている汚ならしい建物に平気で近づいて行く。  正面に『大観園』という看板がかけられていたが、もう字の墨も剥げ、木の盛り上りでやっと分る程度だ。  女は汚ならしい男の群を大声で叱りつけて道をあけさせると、建物の中に入って行った。  入るとすぐ、ここが遊郭ではなく、もとは劇場であったことが判った。天井の高い部屋には、何段も棚が組んであり、棚に登る細い梯子《はしご》がかかっていた。一つの棚は、人が背をかがめてやっと歩けるぐらいの高さだ。中には男たちばかりが寝転んでいた。皆不潔な老人ばかりであった。だがよく見てみると、奥の方に何人か、男と変らぬ黒い便服を着た女たちも交って、暗闇に寝そべっているのが見えた。  もっとも女たちの中には、若い女はまったくいなかった。若かったら、隣りの朱塗りのきれいな店で働き、もっと楽しい生活が送れるからであろう。建物全体はかなり天井が高く、奥行きも広く、その分、空気の流通もいいはずなのに、垢《あか》と膿《うみ》と、異様な煙膏の匂いで、鼻が曲りそうだった。  この建物の目的がさっぱり見当がつかない。 「何ですか……これは……」 「そうね……まあ一口で言えば、この土地へやって来た人の終着駅ね。木賃宿と快楽の施設が一緒になって、そしてここで、すべてをなるがままに任せながら、人生の最後の時間をすごし、持金が尽きるとき、人々は静かに死んでいくのよ」  真中の廊下を歩きながら、ちょうど目の高さにあるので覗きやすい二段目の棚を見た。薄暗い棚に、何人もの人々が、肩と肩とがくっつくように横たわり、暗い中で火種の火だけが、明るさが強くなったり弱くなったりして光っていた。  煙管《きせる》を吸っているのだ。  ジジッと薬品が燃える匂いがして、特にそのあたりから濃い匂いがたち昇る。  これが阿片の匂いかと、初めて知った。 「阿片窟ですか。これが……」  と、私は初めて見るこの光景に、目を丸くしてきいた。 「そうね。でも町にある阿片吸飲所は、こことは少し違うわ。柔らかいベッドに、花模様の枕があり、若い女が阿片を煙草に詰めかえてくれるし、ときどきお茶など注いでくれて、まるで贅沢な貴賓室にいるような気分だわ。それに比べると、ここは墓場の一つ手前の、死出の旅の列車の駅の待合室のような所よ」  この女は更に奥に向って歩きながら、私に説明を続ける。そういえば梅花《メイフア》といったなと、私はこのときやっと名前を思い出した。 「ここでは金のある間は、誰にも邪魔されずに、ただじっと寝て、阿片を吸っているだけでいいのです。飯を喰いに行くことも、いやならしなくてもいいし、面倒くさかったら二度と太陽を見なくてもいいのです。金がある内は、ここで自堕落に寝て吸い続け、やがて金が切れても、何か物を持っていたら、奥に何でも換金してくれる質屋があります」 「それも無くなると、どうします」 「大体二、三日で死にます。体が衰弱しきっているので、阿片が切れた禁断症状に耐えられません。それに中毒患者は、体から水分が抜けてしまうので、絶えず水を飲まなくては生きていられません。自分で元気なうちは、薬缶や水筒に湯を貰《もら》ってきて、枕もとに置き、チビリ、チビリと飲んで、常時、水分を補給するのです。ここでは他人のためには誰も何もしませんので、いったん禁断症状が起ると、水分がとれなくて、早く死んでしまいます。殆ど夜明けから朝にかけての時間に死んで行くのですが、そのときここの住民の間にちょっとした争いが起きるのです。最初に死者を見つけた二人が、死体を外に運び出す権利を持ちます。外へ運び出し柳の根元にほうり投げるとき、着ていた衣服や、わずかの持物は、運んでる二人がもらえます。その他に宿屋の主人から、死体処理料として、一回十銭の褒美《ほうび》が出るのです」  彼女は小指の先を、他の指でつまんで見せた。 「十銭でも、ここでは、これぐらいの阿片を分けてもらえます。二日間ぐらいは、王様のハレムで若い美女たちと戯れるような楽しい思いの中に、自分を没入させられます。だから、一生を休みない労働の中で生きてきて老人になり、自分の仕事や生命に見切りをつけた人が、最後のひとときを楽しく過すために全財産をまとめてここへやって来ます。金のあるうち、思う存分、阿片を楽しんで、無くなったとき死んでいくのです。人間にはそのぐらいの自由は許されていいのでしょう。この店では、いくら毎日、人が死んでいっても、それ以上の人が入ってくるので、中の棚があくことはありません。満洲中から最後の楽しみを求めて毎日やってくるのです」  聞くだけでうすら寒くなってきた。  廊下の突き当りの所に扉があった。扉は厚い木でできており、入口にはちゃんと番人が二人立っていたが、女と私の姿を見ると、すぐあけてくれた。  扉の奥は、これまでの荒廃した薄暗い棚の世界とは、まったく別世界であった。  広々とした、清潔な部屋であった。  赤いじゅうたんに、華麗な鳳凰《ほうおう》が描いてある壁、天井からは飾り提灯が吊され、煖炉では、大きい薪《まき》が炎を上げ、木をはぜて燃え盛っていた。  奥に少し高い床の座敷があり、厚い布団の上に肥満した初老の男がうつ伏せで横たわり、若い娘がその背中と腰を揉《も》んでいた。  ハルピンへ来て五ヵ月、初めて私は仕事の相手にぶつかったのだ。  壁の奥は祭壇になっており、線香や幣帛《へいはく》が供えられ、中央の孔子の肖像の両脇には、何か道徳の教えらしい、難しい文句を書いた赤い布が下っていた。 「やあ、よくきてくれましたね」  その初老の大ボスは愛想よかった。寝たままそういうと、手をのばして小机の抽出《ひきだ》しをあけ、日本の名刺と比べると倍はありそうな大型の名刺を取り出した。 [#ここから枠囲み]   浜江省人倫道徳協会会長   吸煙撲滅運動協会会長        鄒琳昌 [#ここで枠囲み終わり] と書かれてある。  私はさすがに呆れて、その名刺を見たが、相手はまるで平気であった。 「こいつも……」  と、煙管を手にするまねをして、 「黒竜江の向うで、ほんの少しできる特別極上の品質のをやっていれば、体を悪くする怖れはないのです。殆ど禁断症状も出ません。それでいて、李白のいう羽化登仙の気持です。値は高いですが、せっかくのお客様ですからサービスしますよ」  私はあわてて断わった。こんな所で中毒患者にされてしまっては大変だ。 「いえ、煙草も吸えませんもので」 「では女にしますか。ここには私の若い妾がまだ四人ほどいます。それにもし、この梅花と奉天の思い出をくり返したかったら、それでもけっこうです。別室があります。どうせ仕事にかかるのは夕方からです。それまで、少し楽しんでください」  この押し付けの好意には参った。特にこういう暗黒街の親分とは、中国風のしきたりに従って、腹をわって話し合う必要がある。無駄な断わりはかえって、彼の友情を拒否したような感じをあたえるかもしれない。それにあの奉天の思い出があるだけに、かたくなな拒否も理由がたたない。  だが、もうロシヤ娘とのことは判っているらしい。女体のすすめには、これが断わる理由になる。 「いや、女のおもてなしの方も、今日はご遠慮させていただきます。町に愛人がおります。もしおもてなしをいただけるなら、パイカル(白乾児酒)をいただきたい」  パイカルというのは高粱《コーリヤン》で作った焼酎だ。奉天駅前であのいが栗頭の男とたくさん飲んで味を知っている。 「そうですか。それじゃすぐ運ばせましょう」  私をここへ案内してきた、日本語の上手な梅花が、奥へ行き、酒瓶とコップを持って戻ってきた。 「ありがとう」  コップに七分目に注がれた酒を、軽く一気に流しこんだ。四十五度の焼酎だ。喉が灼けつくほど熱かったが、ここで負けてはいけないという虚勢もあった。  鄒は感心していった。 「これはお強い。東京の学校を出て、すぐ来られたと聞いて、そのへんの領事館にいる青二才の書記生と同じだと思っていましたがね、これなら私らはお互いに仲間になれそうですね」  その夜、凍《い》てついた大地を、十五頭の馬が北へ向って走っていた。  厚い綿入れの便服と、ひさしが深く、わずかに目だけ出した防寒頭巾に顔をすっぽりくるんで、寒風の中を走り続けている人々は、皆、外からは区別がつかないほどよく似ていた。  背中には、斜めに銃をかけ、腰や肩には木綿布製の弾帯が巻きつけられ、そこに弾丸が、ぴっしりと挿しこまれていた。  よく見ると先頭の二人だけが違う。小銃は担いでおらず、腰に大きいモーゼルを吊り下げ、その板製のケースの先につけられた紐を、ズボンの上から太腿の中ほどで一巻きさせて、ケースの跳ねるのを固定している。  一人はひどく小柄でほっそりとしていたが、それでも女と気がつく者はいない。  あの鄒老人のところの梅花だった。  彼女と並んでいるのが、将来の仕事の実習のために臨時に参加を命ぜられた私であった。 「これはあんたの機関の仕事です。次からは、あんたがすべての作戦を指揮しなくてはいけません」  と鄒にいわれた。  自分の所属する機関が一体どんなことをその主な仕事としているか、これまでほんの少しでも聞かされたことがなかった。  それでも初めての出動に、私の心は躍っていた。それは同時に、相手から弾丸が飛んでくる実戦場を私が初めて知る日でもあったが、怯《おび》えはまったくなかった。  国境の町、満洲里《マンチユーリ》に向って真っすぐ走っている鉄道線路に沿って、廟台子、対青山と続く小さな駅のそばを、十五人の武装集団が通り抜けて行っても、この広い大地の中では闇にとけてしまって、誰にも気がつかれない。風が吹き抜けていくよりも、もっと人目につかない。  途中、満洲国軍の小さな駐屯地や、南満洲鉄道の権益を守る日本軍の小隊単位の分遣所が幾つかあったが、監視の目は線路や集落の方を向いているだけでその後ろを巧みに夜陰にまぎれて走り続けるこの集団は、どこでも警戒線にひっかからなかった。  すでにこのような作戦行動は何度か行われていて、皆が習熟しているらしいのだ。  三時間ばかり走った。  深夜、あたりに何の目標もないのに、荒野の一画で、ぴたりと馬が止った。月がないせいで地形の変化さえ殆ど見分けられない。  それでも、この集団にとっては、ここがどこかよく分るらしい。  馬を一ヵ所にまとめると、近くの雪原に頭を出している高粱桿の束を引きずり出して、焚火を始めた。  梅花は頭巾をとり、十三人の荒くれ男に、かん高い中国語で、さまざまの指示をした。こんな戦闘は何度も経験しているような、落着いた適確な指揮ぶりであった。  ただ呆然と見つめている私の顔に、女の吐く息が白い湯気となってかかり、貧しく暮しているソニヤのものとは違う高価な香料の匂いさえ感じられた。  五ヵ月の間、機関の金で、莫大な量の弾丸を費消して、ひたすら射ちこんできた射撃の腕が、実戦でどこまで通用するものか、私自身もぜひ試してみたい思いだった。  十三人の男たちも、そのままでは息苦しいのか、頭巾を取った。汗がこもっていて、頭から湯気がたつ。焚火を囲むと、火の光で男たちの顔が初めて見えた。  いずれも獰猛《どうもう》な顔をしている。一人顔見知りがいた。全裸の少女の腕をぐるぐる回していた曲芸師であった。あの一画で働らく物売りや芸人は、すべて鄒老人の配下の者らしい。今ここにいる他の男たちも、ふだんあのあたりで、何かの仕事をしているのだろう。  梅花は各人の役割を説明した。 「向うはあらかじめ、日本の仲介の機関を通じて、安全通行の保障を受けているから、まったく警戒していない。だからこちらも、少しでも怪しいそぶりを見せないことだよ。向うを信用してあけっ広げで受け入れることこそ、相手を信用させる唯一の方法だ。手早く一瞬の中《うち》に片付けなくてはならないからね」  私も、出発前に大体の仕事の内容は聞いていた。しかし今日はただの見学ということで、実際はどういうやり方でするのかは、見当もついていなかった。仕事の要領は直接やって見せる以外には説明しようがなかったのかもしれない。  ともかくこれだけの人数をくり出すのだから、これは相当な取引きらしい。冷たい大地に伏せると、梅花は胸の所にぶら下げていた双眼鏡で、じっと夜の闇を眺めた。七倍の望遠鏡だと、レンズの構成上、五十倍の明視度が出る。まったくの暗闇でも、かすかに物が近づいてくる気配が判るのだ。十分ぐらいじっと見ていた。  地平の線で星空を背景にして見るのがコツらしい。  やがて梅花が片手を上げた。  五人ずつ二組が、馬の手綱を曳いて左右に広がり、かなり離れた所で、馬を横に倒し、自分たちもぴったり雪上に伏せた。  地面の上には、梅花と私、そしてその周囲を守るように、屈強な部下が三人並んだ。  初めかすかに黒く見えた行列が、だんだん近づいて来た。  荷を満載した屋根なしの大橇が二台、それぞれ四頭の馬に曳かせている。よほど重い物らしい。それを十人ぐらいの護衛が回りを囲んでいる。彼らは小銃を肩にかけているが、中に二人だけは、いちおう用心に銃口をこちらに向けている。  橇の馭者は、一台に二人ずつ乗っていたが、これはまったくの農民らしい。ピストル一つ持っていない。  こちらは五人、向うは十人、すっかり安心したのか、警護の一人が親しそうに寄ってきた。 「やあ、お迎えごくろうさんです。安心しました。鄒大人はお元気ですか」  こちらの方も、 「やあ、お待ちしてましたよ」  男の一人だけが、声をかけながら近寄っていく。双方が歩みよって、馬上の者どうしで挨拶するのかと私は考えた。  だが双方の馬が十メートルぐらいに近づいたとき、こちらの男は、肩に掛けていた小銃を一動作で腋の下から回して、相手に向けて引鉄《ひきがね》をひいた。片手で手綱をとって走りながらの三発連射で、射たれた男は、馬からのけぞって落ちた。  かすかな焚火の灯りが、橇や人々を、くっきりと雪上に浮き出させていた。向う側の警護団の残りの九人は、さっと銃をかまえた。しかしそれより一瞬早く、雪上に伏せて姿を隠していた左右五人ずつの十人が、一人ずつずっと狙いをつけていて射ちこんだ。一人一殺、一瞬早く、皆に命中し、全員が同時に胸や腹に射ちこまれ、馬の鞍からのけぞり落ちた。それまで伏せていたこちら側の男たちは馬に飛び乗った。橇の近くまで疾走して囲むと、まだ死ねないで苦しんでいる者たちの首筋に向って、一発、一発、止《とど》めを射ちこんでいった。  その間、わずか一分とかからなかったろう。  固い根雪の大地に、流れる血がしみこみ、赤いまま凍りついていく。  橇の馭者の四人だけは、箱の上で身をすくめて、逃げることもできないでいた。  私は見ていて恥しくなってきた。  このわずかな時間に決った勝負に、ただ呆然としているだけで、一発の弾丸も手助けすることができなかった。せっかく物々しく腰に吊していながら、射つどころか、ケースから抜き出すことさえできなかった。何のためこれまで五ヵ月も一人で練習してきたのか分らない。  梅花はこの短い戦闘に彼女なりに全力を尽し、私と同じモーゼルの拳銃の弾倉一つに入っている十発を射ち尽してしまったらしい。挿弾子《クリツプ》をしまい、新しい挿弾子をはめこんでいた。  それから、挿弾子を取り換えようともしない私に向って訊ねた。 「あんた残弾ある」  まだ一発も射っていないとは、とても恥しくて言えない。すでに必要なだけ射って、またケースに納めてしまったというポーズだけは、いちおうはとってみた。たとえ、梅花以下三人には、そのハッタリがばれていても、他の十人の者には、少しは鮮やかにふるまったと思わせなくては、この集団のリーダー格でついて来た私の立場がない。 「まだ半分ぐらいはケースに残っている」  梅花は馭者台の上で震えている四人の農夫の方を顎で示しながら、日本語になって、 「それじゃ、私たち二人で、二人ずつ分けて片付けましょう。みんなにはいいところ見せてね。今後のために……」  と小声でささやいた。 『これまではごまかせても、これから先は皆の前だからごまかせませんよ』と、暗に示されているようであった。  それから、農夫に向って、彼らによく分るような山東訛りで命じた。 「さあ、橇から下りて、どちらへ逃げてもいいよ。好きな方に走って、自分の家にすぐ帰るんだよ」 「シェ、シェ!(謝、謝)」  農夫たちは、大声で感謝の言葉をのべて、橇から飛び下り、首を下げ背を丸めて、雪原の上を逃げ出した。彼らにとって具合悪いことは、ちょうどそのとき細い月が登って、少しあたりが明るくなってきたことであった。  十三人の仲間が、四方に散る農民と私の手もととを、お手並拝見とばかり薄笑いを浮べて見ている。  梅花の手が再び腰に行き、ケースに納めてあった拳銃を掴んだ。殆ど同時に、私の首の横から閃光が走って弾丸が飛び出し、二人の農民が転がった。いずれも一度大きく頭だけが後ろに折れ、それから全身で前につんのめったのは、首筋の中心に当ったからであろう。射ち終った梅花が、 「どうしたの」  と、私の方を向いて、不審そうな目を向けた。こうなっては、無抵抗の人間を殺すのが可哀想とか、卑怯だとか言っていられなくなった。五十メートル近くも離れてしまっていたが、私は腰のモーゼルを抜くと、かまえも狙いもせず、抜いた腰の位置のままで射った。二人はもう右左に、かなり離れていたが、二人ともほぼ同時に前に転がって倒れた。いずれも背中から左胸の中心を射抜かれての即死だったと、こちらから見てもよく分った。  これまで何となく、この新入りのリーダーを甘く見ていた十三人の荒くれ男たちが、 「おう!」  といっせいに感嘆の声を上げたくらいだ。弾着の不安定なピストルを、腰の位置で狙いもつけずに射って、これだけあてられるのは、彼らの仲間でもそうはいないのだろう。五ヵ月の練習の効果はあった。どうにかこれで同行の仲間に面目を保ったが、無抵抗の人間を背中から射って殺してしまったことが、しばらくはやりきれない悔恨となって残った。  特に、この組織に入って最初にやった仕事がこんなことだということが辛い。  死体は、雪の上に捨てられたままになった。 「この方が、犬や烏《からす》が喰べに来て、早く痕跡が消えてしまっていいのよ。なまじ雪の下に入ってしまうと、春になって出て来たりして、人の噂になるとつまらないからね」  ほうっておけば、十日もしないで、跡形もなく消滅してしまうそうだ。  橇を扱い馴れた男が二人、一人ずつ箱橇の後ろに自分の乗ってきた馬をつなぎ、代りに馭者台に飛び乗った。  皆はまた、元の道を戻り出した。 「このままハルピンへ戻るのですか」 「いいえ、ハルピンで夜があけると、警察や日本軍の歩哨に、中を調べられるわ。上の方では話が通じていても、下部までは指令が届いていないから、まずいことになる怖れがあるからね」  大体見当はついていたが、少し気になるのでわざと知らぬふりできいた。 「この荷は何なのですか」 「精製阿片よ。あと一工程でモルヒネになるところで止めてあるの。持運びに便利だし、薬品としての安定度が高いから……」 「そうですか」  やはり私の想像した通りだった。 「それでこの荷を一体これからどうするのですか」 「一時預けをするところがあるのよ。そのため、鄒大人は、あなたの組織と協同しているのよ」 「それで見張り役に私がついて来たというわけですね」 「まあ、そうね……この次の尚家《チヨオジヤン》という小駅に、あんたの組織が買収している満洲国軍の警備小隊がいるのよ。そこへ一時、この荷と私たちの小銃を預け、明け方、丸腰で知らん顔でハルピンの町へ戻るの。それだったら、警察に見つかっても、列を組んで商売に行った帰りということで町の入口は通れるわ。何の調べもなくて全員がゆっくり市内へ入れるの。荷や武器は、その満洲軍が勤務交替でハルピンの本営に戻るとき、武装した兵と彼らの荷物の中に巧みにまぜこんで、運んできてくれるわ」  列は大きな荷物をひきながら戻り出した。  一時間も戻ったころ、無人駅のシグナルの向うに、兵舎が見えてきた。満軍の駐屯所なのだろう。  私たちの列は、あらかじめちゃんと連絡がついていたらしく、望楼の兵士に見える所まで、平気で近づいて行った。  兵舎の中では私たちの来るのを待っていたらしく、深夜にもかかわらず、衛兵の何か大声での合図があると、門の前の電柱の灯りがともり、中から大きくあけられた。  満軍の曹長の服を着た男が出てきた。どうも以前は日本軍の古兵だったらしい。  当時、満洲在住の日本の召集兵が、現地で除隊した後、満洲国軍に入ると、兵は下士に、下士は少尉に、将校は一階級無条件で上の位に任命されることになっていた。  日本の陸軍士官学校を受けて落ちた中学生でも、もし満洲国軍に一生勤務する意志があったら、大体は満洲軍官学校に入学できた。  世の中には軍隊が何より好きで、そこでしか生きられないというタイプの男がいる。たぶんその曹長はそんなタイプの男だったのだろう。明らかに日本人と分る下手な中国語で、梅花や他の馬賊たちと応対している。彼の話しぶりには、一小隊を預る隊長になっていることが嬉しくて仕方がないという感じが露骨に見えるが、元は兵隊か、横柄な態度がとってつけたようで身にそぐわない。  私は終始黙っていた。それで、この仲間に日本人が一人いるということは、彼には気がつかれなかった。私は仲間の一員としてはできるだけ目だたないようにしていながら、この屯営の受持つ役目は一体何であろうかと、しきりに考えていた。  当時、満洲国政府の最大の国家目標は、阿片吸飲撲滅運動であった。それはハルピンの阿片窟の大観園の主人が、名刺には堂々と『吸煙撲滅運動協会会長』という肩書を刷りこんでいることでもよく分った。満洲国政府のやり方もこれと同じようなものである。これまで半年近くハルピンにいるうち、どこへも出かけないでも、折に触れて町で聞く人々の噂や、ホテルのロビーに備えつけられている新聞などから、かなりのダーティな実情を掴んでいた。植民地の世界では、これが当然のことと受けとられているようであったが、このタテマエとホンネの使い分けには、まだ正義感に燃えていた私は、内心かなりにがにがしい思いをしていた。  満洲国政府の重要な機関として、阿片局というのがあった。住民の阿片吸飲を撲滅し、農民が勝手に自分の畑に芥子《けし》を栽培するのを禁止するための見回りをするのを、役目としていた。しかしたかがそんなことのために、これほど大きな組織と人員が要るはずはない。ここにもタテマエとまったく逆なホンネがあって、都市を離れた広大な地域を、何ヵ所か出入禁止区域にして、国営の芥子畑を作り、そこの監視、阿片の製作、市場への出荷のいっさいを、この局が担当していたのだ。それがもう分っていただけに、今夜、阿片の密売人を全員射殺して取り上げたこの二つの橇の荷を、満軍の駐屯所に預けて、一体これからどうするのかには、強い関心を抱いた。  あのいが栗頭の属する背後の大きな組織が計画し、大観園の鄒が協力したこの仕事が、阿片の撲滅にあったのか、阿片の獲得にあったのか、そのへんがまだよく判らなかった。もし撲滅にあるのなら、昨日大観園のものすごい現実を見せつけられているだけに、私は自分の青春を賭けて、これから全力を挙げて働いてもいいと思った。何の罪もない農民を二人射殺したことも、別に悔いのないことであった。  だがタテマエとまったく反対の、阿片をただで取り上げてしまおうという卑怯な手段の片棒を担ぐ仕事であったら、何ともやりきれなかった。これが国家のすることだろうか。泥棒と同じだ。  曹長は馬橇の先にたち、兵舎のある中庭に案内して行く。  私たちは正門の右の馬房の入口の柵に各自の馬をつなぎ、馬の汗を拭き、鼻面や鬣《たてがみ》の回りの氷をかき落した。  三、四人の満軍の兵隊が、帯剣もつけない営内靴の姿で出てきて、倉庫をあけ、橇ごと荷を中に納めた。その倉庫は、木銃や防具を入れる、いわゆる陣営具倉庫であった。橇の前後には、銃剣術の防具が積まれ、扉をあけただけでは、荷物の載った箱橇が入っていることは、外からはまったく判らないように隠蔽《いんぺい》された。  小隊の炊事班はすぐ私たちのために食事の仕度をし、食堂にあてている小屋のテーブルにアルミの食器を並べた。漬物と高粱の粥だけであったが、寒風の氷原から戻ってきたばかりの私たちには、温かい粥はたいへんなご馳走であった。  たっぷりと喰べた後、小銃や弾帯など目だつ武器を外して、この屯所に預け、拳銃とか短刀などの小さな武器だけを持った一行は、再び馬に乗った。全員が揃ったところで、梅花は号令をかけた。  私たちは、雪の中を馬で帰路についた。  武器を預けて、ずっと身軽になったし、仕事も無事終って、気分も軽くなっていた。  私は梅花の馬に、自分の馬を並べると、お互いにゆっくり歩ませながら話し合った。 「あの阿片は、満軍の方で廃棄か焼却処分でもするんですか」 「えっ……」  まったく意外なことを聞いたというような目で、彼女はこちらを見た。始めは私が冗談をいったのかと思ったようであった。やがて正気と知ると、まったく呆れたという表情で答えた。 「まさか、あんな高価なものを。今年は国内物が不作で、黒竜江の向うから大変な値段で買いつけたものも入っているのよ。秘かに買ったので、仲介人にかなりふっかけられたの。それでやっちまったの。ばかばかしいから。ちょうど今、ハルピンでは、端境期《はざかいき》で品物がなくなり、値がどんどん上るので、大観園の人々が死ぬ日までに用意していた予算が超過して、皆予定日より早く所持金がつきて、毎日たくさん寒空の中で死んでいくのよ」 「それじゃ、すぐあそこへ運ばれるのですか」 「それも正解じゃないわ。商人にとっては、これ以上の儲けのチャンスはないのよ。ここで一手に入荷を押えてしまう。そして品物を二月ぐらいしまっておくと、いよいよ尽きてしまって、値は二、三倍どころか、五、六倍には軽くはね上るわ。そのうえでちょびりちょびりとハルピンへ運んできて、売りに出すのよ」 「そいつはひどいな。人々が阿片を飲むことがいいか悪いかはこの場合論外としても、飲む人々にとっては、生命に換えるぐらいの大事な物だろう。特にあそこの人にとっては、最後の必需品といってよい。それを、わざと供給をストップして、値を吊り上げるなんて……」  一生かけて働いて貯めた金を持って、人生の最後のときのわずかな平安を求めて、全満の各地からやってくる貧しい農民たちの姿と、その悲惨な死を私は胸が痛む思いで考えていた。値段が五倍から上ることは、彼らにとっては予定していた残りの平安の日が五分の一に短縮されてしまうことだ。  彼女は皮肉な笑みを浮べた。 「そんな甘ったるいことを言ってちゃ、ここでの仕事はとてもできないわよ坊や。月の二十五日に、あんたがワシリー爺さんに連れて行かれて正金銀行のカウンターで受取る三百円の金が、一体どこから出ているか考えたことがある。それにもう一つ言ってあげるわよ。あのかわいいソニヤだって、何もあんたが好きで一緒にいるのではないのよ。あんたの給料が三百円という高給と知って、自分で接近してきたのよ。ロシヤ娘って、ひどく現実的でね、あんたがもし月給五十円か、六十円の新入り社員だったら、たとえ満鉄の正社員でも、近づいても来なかったわよ」  彼女としては、かなり思いきった発言をした。月々ちゃんと大金を受取っていながら、正義漢面をしている私に我慢できなかったのだろう。  こんな強い調子の抗議を受けるとは思っていなかったから、私は少したじろいだ。よく見ると、馬の手綱を取りながら、彼女の目には涙が浮び、それをあわてて手套をはめたままの手で、拭いとったようであった。 「私だって、最初にもっと利口に立ち回っていれば、この土地へ来てから体ごと売られて、今ではあんないやらしい親父の第五夫人だなんて、みじめな境遇にいなくてすんだわ」  よほどソニヤに対して強い反感を持っているようだ。私はどう返事したらいいか判らなくなった。ともかく話題をもとに返して、ソニヤの問題から離れさせることが先だ。 「しかしそれなら、せっかく運んで来てくれた人々まで殺すことはなかったろう。特に、橇の馭者をやっていた人々は、単に運搬だけ頼まれた農民なんだろう」 「農民だって、何を運んだかぐらいは分っているのよ。ふだんより余計賃銀をもらうはずだからね。それよりハルピンの人々に、もし北の方から荷が届けられて、着いたらしいという情報が洩れたら、それを待っている人々が買い控えるので、鄒大人が思ったほどには値が上らないのよ。入荷したことは絶対に秘密にしておかなくてはならないの。殺したのは、仕方なかったのよ」  私はいつのまにか自分ではどうにもならない巨大な組織の一員に編入されて、身動きできないようにされているのを知った。  まさか殖民大の教務主任も、こんなことになるのを知って大事な学生を推薦したわけではないだろう。今ごろは、私が何か日本の国に役だつ重要な仕事をやっていると思ってるに違いない。もっとも、こうして阿片を操作することが、今のところ日本の軍や政府にとっての大事な仕事だというのなら、これはまた仕方のないことだ。一組織の中の最も末端の一つのネジにしかすぎない身分の者が、いまさらいろいろと考えたところで意味がない。  私は黙りこんだ。  これ以上、今夜の仕事について、梅花と言い争ったところで、これも無駄なことであった。やりきれない思いだけが湧いてきた。不快さを胸に一杯に詰まらせて、私は夜が明けてくる中を、ハルピンの町へ向って馬を急がせていた。  一度大観園に戻り、鄒大人に今日の仕事の結果を報告してから、元の服に替えて、傅家甸《フジヤデン》地区を出た。また派手な長袗に着換えた梅花が、道案内兼用心棒として、義生堂生薬舗のある出口まで一緒について来た。  しかしもうお互いに何も話すこともなかったし疲れてもいた。  無言で別れた。  町を流している馬橇がちょうどやって来たので乗りこんだ。 「チューリン・ホテル」  馭者は心得て走らせた。  ホテルへ戻ったときも、初めての仕事が成功したという喜びなどは当然無かった。部屋の扉をあけたときは、気分はひどく重かった。  それを少しでも慰めてくれるのは、ソニヤの温かい肌しかない。無性に抱き合いたかった。  部屋の戸をあけたとたん、ソニヤが、 「わあ、帰ってきたのね。無事戻れたのね! 嬉しいわ」  と飛びついてきた。ソニヤはロシヤ人式に、私の頬や首筋にやたらにキスを浴びせかけた。一夜でも結ばれてしまえば彼女は妻になった気分でいる。一昨日までは、軽い抱擁さえ用心して敏感に避けていたあの潔癖な女と同一人のすることとはとても思えなかった。  こうした熱烈な抱擁が、今の私には一番嬉しかった。 「一晩中動きまわって疲れてるんだ。お茶も喰べ物も今は要らない。すぐ寝たい」  私がいうと彼女は素直に答えた。 「分りました。それじゃ……」  と、まるで物馴れた人妻のように私の衣服を脱がせ、ベッドへ入れると、自分も下着だけになって、隣りに並んで横になった。自分から私の体のあちこちに触ったり、大胆にむき出しの腿や、固く張った乳房を押しつけてきて、はっきり抱かれたい意志を示し、私もまたそれを待ちかねて狂ったように求めていった。ひとときの激しい燃焼の後、疲労でもうこらえ性もなく私はそのまま寝入ってしまったらしい。  眼をさますまで、当然、記憶は何もない。  起きてすぐ考えたのは、今、何時だろうかということであった。  冬至の翌々日だから日が短かい。窓の外を見ると、すでに夕焼けが赤かった。隣りにソニヤはいない。台所の方から小さなハミングが聞こえてくる。振り返って見ると、一人で、楽しそうに夕食の仕度をしていた。  私は半身を起し、彼女に聞いた。 「家をほうりっ放しでいいのかい。そろそろ帰らなくても」  エプロンで手を拭きながら、彼女はやってくると、ホテルの作りつけの洋服ダンスをあけて見せた。  そこには、彼女の全財産である何着かのドレスが並んで吊してあった。 「昼のうち、あなたがあまりよく寝ているので、一人でアパートまで帰って、あたしの荷物を全部持ってきてしまったわ。これで全部よ。もうあそこへは帰らないつもりです」 「そんなことしてかまわないのかい。お父さん淋しがっているんじゃないかい」 「いいの。うちのウラジミール少将は、革命以来、一人だけの孤独な生活には馴れているわ。あたしがいなかったら、うるさく言う人がいないから、一人で居酒屋で気楽に飲んでいるわ」  私は急にあることを決意した。もと軍団長の、この見知らぬ老軍人の協力が要る計画だった。もしその返事が否なら、その無謀な計画はやめようと、そのときは彼女の何気ない返事に、自分の運命を賭けるつもりで聞いた。 「老少将はまだ戦争はできるだろうか」 「ええ、その点なら大丈夫だわ。力自慢で、今でも馬を走らせながら片手で機関銃を射てるといっているわ。三十年も、実戦の弾丸の中をくぐり抜けてきた人ですから」  それで私の覚悟は決った。ふだんの理性のあるときだったら、とてもやろうなどとは考えもしない無謀な計画だった。私が意識して軍隊生活をさけてきた原因の、妙な正義感が出てきてしまったのだ。 「一度、老少将にお会いしたいな」 「あら?」  ソニヤはむしろ不思議そうな表情をした。 「本当に知らないの」 「ああ、まだ会ったことがない。どんなお方かね」  急にソニヤは、おかしそうに笑い出した。 「こんなことってあるかしら。あなた、毎日会っていたのよ。ワシリー・ウラジミール少将よ」  私は本当にびっくりした。それから、今までまるで気がつかなかった自分の迂闊さがたまらなくおかしくなって、一人で大声で笑い出した。 「そうか、そうだったのか。ワシリー爺さんがウラジミール少将で、君のお父さんだったのか」 「だから父も安心して、あたしをここに来させたのよ。あなたをよく知ってるから」 「なるほどね。そう考えれば、すべてが納得できる。ところでワシリー爺さんがいつも行く飲屋はどこにあるのかね」 「キタイスカヤの裏通りに、白樺亭という飲屋があるわ。ごちゃごちゃした所で、一人で行っても見つけにくいかもしれないから、あたしがついていってあげるわ。少将は今日は仕事がなかったので、もう早くから行って飲んでいるわ」 「いや、地図を書いてくれれば、何とか一人で行くよ。飲むのは、男どうしがいい。女が交っていると、すぐ帰りたがってゆっくりできない」 「まあ、もうあたしのことを邪魔にして……」  少し睨んだ。それは幸せな若妻の示す媚態であった。すぐ台所に戻って夕食の仕度を始めた。  決行の肚が決れば、そう急ぐことはない。  ゆっくりと二人で夕食を喰べてから私はいった。 「行く前にもう一度寝よう」  さすがに恥しそうに真赤になった。 「帰りはおそくなる。待ちくたびれて、いらいらしているよりは、先にすませておいた方がゆっくりした気持で待っていられるだろう」  そうはっきり言われると、急にまた体に火がついたのか、ベッドのふちでドレスを脱ぎだした。 「でも帰ってきてからも、またゆっくり抱いてくれるのでしょうね」  念を押した。  すっかり体が馴れていた。完全な愛人どうしの交り合いだった。ほんの一時間ぐらいだったが、彼女は何度も激しく欲情の頂点をみせ、私もすっかり満足した。  すがりつく体を放して起き上ったときは、心の底にあった今夜の計画に対しての不安も消え、口笛でも吹きたいぐらいの軽やかな気分になっていた。  私はセックスというものに対して、それほど過剰な期待をかけているものではないが、しかしこうして、一人の女性を自分の体の下に押えつけ、何時間か自分の思い通りにすることで、男としての自信が湧き出て、死地にも敢然と飛びこんで行ける勇気が出てくるのを知った。これは悪いことではない。いつものようにいが栗頭の、八時から八時半までの定時の電話連絡を待ったが何もなかったので、三十五分には町に出た。前夜の仕事の成功についてはもう連絡が行ってるのだろう。  町は凍てつくような寒気の中にあったが、私の体にはまだ先ほどのベッドの温《ぬく》もりの余韻《よいん》が残っていて、歩くのは辛くなかった。キタイスカヤ街へ入って、私はすぐ気がついた。今夜はクリスマス前夜《イヴ》だった。町の通りには、色電球をぶら下げた飾りが、たくさん吊されていた。  まだほんの宵の口だったので、通りには、クリスマスを祝う人々がたくさん歩いており、酒場やレストランはどこも満員であった。  ソニヤの書いてくれた略図が、なかなか要領よくできていたので、小さな地下の酒場の白樺亭もすぐ見つかった。  階段を下りて扉をあけると、中には肉を焼く煙が一杯にこもっており、大勢の亡命のロシヤ人が、酔って騒いでいた。狭い店なので、ワシリーの姿はすぐ見つかった。  同じような年寄り連中と肩を組んで、大声で唱《うた》っていた。威勢の良いメロディだった。  たぶんそれは、爺さんがひきいていたコザック軍団の軍歌であったのだろう。コザックの連中の合唱のうまさは世界中に知られている。誰も皆老人だったが、素人とは思えない見事なハーモニーで唱っていた。  私はワシリーのそばに行って、 「爺さん、急な仕事があるんだが、手伝ってくれないかね」  といった。  ワシリーはすぐ歌をやめて立ち上り、部屋の隅まで私を引張って行ってから、小声できいた。 「旦那、こんなクリスマスの夜に、何をするつもりなのかね」  爺さんの目はもう酔ってはいなかった。むしろ私の方が半ば狂ったようになっていた。熱っぽく語った。 「私は昨晩、仕事をやらされた。それがどうも面白くない仕事だった。今では……私にそんな卑怯な仕事を命じた奴らに、復讐してやりたいと思っている。このままでは、腹が納まらないんだ。その相手が私に月給をくれて半年ただの飯を喰わせてくれた恩人で、しかもあんたの大事な雇い主であっても、私の気持はもう止らない。しかし今この場でそれがとても無駄なことだとあんたが一言いってくれるなら、一杯飲んで胸をさすって、私はソニヤの所へ、このまま帰る。ワシリーの協力がなければできない仕事だからな」  私はこの計画の実行を、今度はワシリーの返事に賭けた。いくら自分で狂ったようになっていても、心のどこかに、あまりにも無謀で大胆な行動に、潜在的な迷いはあったようだ。どんなに血が昇っても、まったくばかになりきれない人間的弱さが私にはある。これが私の生涯を結局、中途半端のまとまりのないものにしてしまった。  相手の判断に決行の可否を委ねる態度は、男らしくないことだが、その代り、私の望むような返事があったら、後はもう火の玉のようになってやってしまうつもりだった。  どこまで私の考えを察したかは知らないが、ワシリーは何のためらいも見せなかった。突然いつもと違う鷲のような鋭い目付をみせたが、それもほんの数秒で、また人の好い馬橇の馭者の顔に戻り、私の肩を抱くようにしてすぐ答えてくれた。 「いや、計画は聞かない。あんたはわしの親戚だ。今ではわしのたった一人の息子だからな。わしは年取って、頭が怪しくなっているから、自分でもう戦争の計画をたてることはできないが、参謀のたてた作戦に従って働くことはできるよ。何でもこのわしに命じてくれ」 「これから二時間ばかり走り続けて、三十分ぐらい戦って、またここへ戻ってこようと思う。走り続けに走っても、へたばらない、力の強いトロイカがほしい」 「分った。それでは、二人で親方の所へ行って借り出してこよう。貸馬は三十頭ぐらいいるが、その中でも最も強いのを、わしが三頭選ぶ。代金を百円用意してくれますかね」  私はこれまで使いきれずに自然に貯ってしまった金の中から、七百円ばかりをまとめて持ち出していた。  残りも五百円以上あったが、もし私が帰ってこれないときがあったら、ソニヤが自由に使えるようにと、ベッドの枕の下にすぐ判るように突っこんでおいた。  ワシリーに百円渡し、二人でキタイスカヤの通りに出た。町の外れまで、群衆をかき分けるようにして歩いて行くと、貸馬車屋の親方の店があった。  二階建てのビルが店で、裏が倉庫と馬小屋になっていた。社長はワシリーと同じ軍団で、将校をやっていたらしい。元軍団長の少将に対しては丁重であった。もう営業の時間はすぎているし、クリスマスの夜にもかかわらず、快よく裏の馬房と、橇や車がおいてある倉庫とをあけてくれた。  ワシリーは顔なじみの馬の中から、最も強そうなのを三頭選び出した。すぐに物馴れた手付きで、大きな箱橇に三頭の馬を縛りつけた。  そばに付添っていた社長は、ワシリーに何かロシヤ語で話しかけながら、ついでに毛布をたくさん貸してくれた。 「夜走るのは寒いのでね。たくさん体に巻きつけておいた方がいいですと、親方がいってる」  私は箱に坐り、膝に毛布を巻きつけた。ワシリーも、腰のあたりに何枚も巻きつけてから、凍てついた夜の通りに出た。 「さてこれから、どこへ行くつもりかね」 「まず武器を買いたい。いつも弾丸を買う店に行ってくれないか」 「ダー」  ワシリーはそう答えて、川っ縁の方にあるその商店の方に走らせだした。これまでも、消耗した拳銃の補充や、毎日大量に消費する弾薬の補充のため、何度かその店に行ったことがある。そこの店主とは私も顔見知りだ。  しかしクリスマスの夜だ。こんな時間に行ってあけてくれるかどうかと少し心配になったが、中国系の商人だからたぶん大丈夫だろうと、ワシリーは答えた。そこで私は打明けた。 「この前行ったとき、店の主人が、新しい性能のいい軽機関銃が入ったと言っていた。北京から流れてきたもので、軍閥の将校が飲み代に困って横流ししたらしい。弾丸つきで三百円だそうだ」  ワシリーは寒風の中で答えた。 「ボリますね。きっと五十円ぐらいで仕入れたんだろうな。あいつらは禁制品を扱っている関係で、五倍や十倍にふっかけるのは、何とも思ってませんですからね」 「あんた射ち方は分るかね」 「まあ小銃や機関銃で、わしの扱えないのは一つもない。日露戦争のときから革命のときまで、つねに第一線で弾丸の下をくぐってきたからね」  彼は自信あり気に答えた。  私たちの馬車は、かなり川に近い、冷気が直接吹きつける場所にある、場末の商店街の、店の前に着いた。予想通り店の戸はしまっていたが、そこは儲けには敏感な中国系商人のやっている店だ。予言した通り、ワシリー老少将が鉄の鎧戸《よろいど》のはじの小さな覗き戸をあけて何かいうと、すぐに中から主人が出てきて、くぐり戸をあけて入れてくれた。  私は、そこで軽機関銃と、五百発の弾丸、さらに手榴弾三つと、石油缶一杯のガソリンを買った。  支払いを終え、荷物をしっかり馬橇の中へ積みこみ、外へ出るとすぐワシリーに、 「満洲里《マンチユーリ》の方へ向って走ってくれないか」  といった。これはちょうど、東京の町の中で、下関の方へ向って走ってくれという言葉にひとしい漠然とした指示だ。さすがにワシリーもびっくりして聞き返した。 「満洲里まで行くんですか」 「いやそこまでは行かないよ。行きだけで、一週間かかってしまう。今晩中に行って帰れる所だよ。そちらに向う鉄道線路沿いに走ったらいい。尚家《チヨオジヤン》の駅のそばだ」 「ああ分りました。満軍の分遣小隊のある所だね」  さすがに詳しい。走らせながら、私は計画を語りだした。 「そこに十五人ぐらいの兵隊がいる。炊事をまぜてだがね。実はその連中相手に戦いたい」 「十五人全員をやっつけるんですか」 「いや別に奴らを殺したいわけじゃない。できれば、一人も殺したくない。相手が驚いて、ウロウロしている間に、一ヵ所だけ倉庫を焼き払いたい」 「なるほどね。……まあ、任してください。奇襲攻撃は、コザック軍団の最も得意としたところだった。わしは弾丸の音や硝煙の匂いが好きなのでね。血が煮えたぎってくるよ。できるだけのことはしましょう。その代りあんたも思いきり頑張ってくださいよ」  ポケットにいつも入れているウオッカの小瓶を半分ぐらい一気に飲むと、いきなり鞭をあてて、走り出した。  さすがに三頭曳《トロイカ》きだ。雪を蹴散らし、ぐんぐんスピードを上げた。この分では、一時間半もあれば、尚家の駅に着くだろう。私は馬橇の中で、四角い木のケースから、買ったばかりの軽機関銃を取り出して組みたて始めた。メーカー名のヘッケラーという焼印が、木に刻まれてあった。ワルサーやルーガーと並び称される小火器専門メーカーで、クルップの資本や技術も入っている一流会社の製品だった。  別にワシリーに聞くこともなく、すぐ組み立てられた。基本的なところでは、ピストルも機関銃もまったく同じであった。三本足の脚台に固定すると、台上で三百六十度の回転ができるようになっていた。  私はこれをひっきりなしに射てば、敵側の全員がその弾丸の音に怖れて、首を出したり、向ってきたりすることもなく、かえって一人の殺傷もなく、目的を達成できるのではないかと考えたのだ。  もし兵を一人でも殺せば、これは明らかに戦争だ。いくら何でもこれまで個人で国を相手に戦争を挑んだ例はないだろう。その最初の無謀な人間として、国中で追い詰められて自滅しなくてはならない。  どうせ一つしかない生命、死んでしまえばそれで終りで、後はそれ以上は何も私に対してできないのだから、肚を決めてしまえばそれまでだが、ただ大して意味のある行動ではないことは、私自身もよく分っていた。  だから一人も人間を殺したくなかった。  馬は雪原の中を、一筋のびている鉄路に沿って走り続ける。ワシリーはこの北へ向う道をよく知っていて、日本軍の守備隊や満軍の分遣隊がいる所は実に巧みに除《よ》けて、一キロでも二キロでも安全な範囲を最短距離を選んで回り道して行く。  その走る道を考えてみると、昨夜馬賊たちが走った道とまったく同じであった。  非合法の仕事をする連中が必ず通る決った道があるのかもしれない。広い荒野だから、点と点とを結ぶ道は無限だ。いったん主要な街道から外れてしまえば、もう追う方も警戒する方も、手も足も出ないのではないか。  私は機関銃をしっかり取りつけると、弾帯の取り換えや引鉄《ひきがね》のテストをしながら、また、なぜこんなことをするのか、何度も考え直した。こうなったら、やることはきっとやるだろう。だがこのカーッとしている熱がさめれば、その後は激しく後悔するに違いない。これは反乱罪にひとしい行動だ。それも、これによって、もし多くの人を助けられるなら、佐倉宗吾や大塩平八郎のように、行動そのものが意味あるものとして、たとえ失敗しても後世に評価されるかもしれないが、今私のしようとしていることは、まるで滅茶苦茶だ。誰一人救えるという行動ではない。むしろ入荷予定の大量の阿片が失われて、町の売値は暴騰する。  直接の被害者は、人生の最後のひとときを、これまでの一生の休みのなかったきびしい労働から解放されて、死に至るまでのわずかな日々を楽しみたいと思ってやって来た人々である。彼らの生涯では実現不可能だった、女と酒とに囲まれた豪華な宮殿での生活(たとえ幻覚の中であっても)を夢みてやってきた何千人もの人の、最後の楽しみの日々を、可哀想に、私は一気に縮めてしまうのだ。あの大観園の中で、わずかな金で一日ずつ零細な夢を買っている人々のことを思うと辛かった。  私は誰にも痛めつけられたわけでもなく、裏切られたわけでもない。まったく理由のない怒りであった。  自分でもどうにも押えきれなくなるこの衝動をあらかじめ知っていたから、私は軍隊へ入らないためこの仕事についた。しかしやはりここで出てしまった。  深夜の零時ごろには、遠くに分哨が見える地点まで近づいた。私は機関銃を毛布でおおい、腰からモーゼルを取り出し、銃身より長い消音器をつけた。  分哨からも、こちらからも、双方の姿が雪明りで見えた。昨日より月が早く大きかった。  分哨の望楼はこちらの橇を見つけて、明らかに銃をかまえたのが判った。バックに月があったので、橇の中からは、黒い影が浮き出していっそうくっきりとよく見えた。相手を無視して三十メートルぐらいまで近づいた。 「止れ、誰か! それ以上近づくと射つぞ!」  歩哨が低いが威圧するような声で警告した。  これを三度くり返して、返事がないときは発砲する。ワシリーはここで親しそうに手を振ったので、一瞬、歩哨にもためらいが走った。  それでも十秒待って、二度目の同じくり返しがあった。その声が終らないうちに、私はワシリーの背中の陰から銃口を出して、兵士の右腕の先を射った。長い消音器をつけたピストルからは息が洩れるような小さな音がして、歩哨は望楼からのけぞり落ちた。  右の腕首が砕けて、もう使えなくなっているはずだ。歩哨が日本軍の兵士なら、このぐらいの負傷にもめげないで、残った左腕で銃を握って反抗することだろうが、満軍相手だとそこまで考える必要はまったくなかった。軍隊は、仕事のない若者たちの手ごろな就職先であって、誰も生命を捨ててまで働こうという気持は持っていない。  私は馬橇からす早く飛び下りると、低い門扉《もんぴ》をとび越え、中から開いて、馬橇を導き入れてから、飛び乗ると同時に中へ馳けこませた。  兵士たちはまだ、眠りこんでいる。いきなり、人間の位置よりやや高目に、機関銃の弾丸がばらまかれ、兵舎の壁やブリキ板を射ち抜き出した。まっすぐ陣営具倉庫まで行くと、そこの扉の前に手榴弾を投げた。発火まで五秒ある。  すぐに馬を大きく回転させて戻り出した。殆ど同時に陣営具倉庫は爆発し、燃え上った。  最初のうち二、三発の応射があったが、それも頭の上に何十発もの機関銃の弾丸が飛んでくると、ぴたりと静まった。私たちはもうこれで目的を達したので、門の外に飛び出し、橇を走らせながら、片手で缶からガソリンをまいた。三百六十度の回転する銃座は、ワシリーの背中さえ避ければ、どちらへ橇が向いても射ちまくることができた。しかし逃げるときの方が、銃口を妨げるものがないので、当然に射ちやすい。  ここまでやってしまえば、もうためらいは無かった。外に向って、馬橇は馳けて出て行く。片手では機関銃は射ちっ放しだ。  百メートルぐらい出たところでガソリンはつきた。最後の手榴弾をそこに点火したままおいた。五秒の間がある。さらに三十メートルぐらい逃げて離れた所で、その手榴弾が爆発し、火は、ガソリンを伝わって兵舎まで、予想していたよりずっと早い速度で燃え上っていく。しかも、その間も、兵舎と離れて行きながら機関銃の弾丸は正確に中に射ちこまれていく。兵士たちは首も出さない。  一発の応戦もないうちに、私たちの橇はお互いに掌ぐらいの大きさにしか見えない所まで離れてしまった。  私は五百発の弾丸を使いきっていた。さらに二十分も走りつづけると、すっかり兵舎が見えなくなった。追ってくる気配はまったくない。それでもまだかなり走ってから、四方が暗い真っ平な荒野の真中で、橇を止めた。これまで使った武器や、空になった弾薬箱、空薬莢などを、雪の中に埋めて、いっさいの証拠を消した。武器は私のいつも使っているモーゼルだけだが、こんなものは夜間の散歩には当然の持物で、怪しまれもしない。それでも電話や無電で手配があって、警戒線を張っていたら、面倒なことになる。闇の中の急襲で、兵舎の中のどの兵も、私たちの姿をゆっくり見た者はいないはずだとは思っても、途中で見つからない方がいい。  できればこの襲撃は、阿片を送り出しても金が貰えず、部下も殺されてしまった、売り手側の組織の復讐ということにしたかった。  たぶん、私の属している、私にもよく素姓《すじよう》の分らぬ組織も、そう思うのじゃないかと、私は身勝手に考えていた。やってしまった後でも、ちっとも気持がすっきりせず、かえってこのことが発覚するのが急に怖ろしくなってきた。  再びハルピンの町へ戻ってきたのは、午前の三時すぎで、まだ町全体が深い眠りの中にあった。ワシリーの馬橇をホテルの横に待機させたまま、私は頼んだ。 「もし何かあったら、窓から手を上げる。何も無かったら帰るように合図するから、そこで待っていてくれ」  本当はもう帰していいのだったが、どうも何か胸騒ぎがした。ワシリーのアパートを私は知らない。いったん離れてしまえば、深夜の町をこの爺さんを探すのはえらく難しいことになる。さすがにやったことの大きさを思うと、用心深くなっていた。ホテルの横の非常階段から四階の自分の部屋に馳け足で上った。扉をノックした。返事がない。ここでずっと待っているはずだった。  押すと扉があいた。中へ踏みこむと、部屋はまだ温かかった。ついさっきまで人のいた感じがする。 「ソニヤ、いるかい。帰ってきたよ」  だが、返事はなかった。電気のスイッチをつけてみた。ソニヤはぐっすり眠りこんでいた。枕の上に長い金髪が流れていて、人形のようにきれいであった。 「ソニヤ、起きろよ。帰ってきたよ」  そばに行ってゆすぶった。熱いコーヒーを飲ませてもらいたかった。首ががくがくして物もいわない。私は急に不安になって、あわてて毛布をまくった。  血の匂いがいきなり部屋にこもった。  白い薄い寝衣の胸が真赤に染まっていて、その中心は拳大の大きさに焦げている。寝衣の下には何一つまとっていない。他には何の傷もなく、のびのびした豊かな裸身があった。  眠っていたところを一発でやられたのだろう。苦しむ間もなかったようだ。これだけ大きい傷を胸に受けながら、その表情は寝顔そのまま、少しも苦痛を見せていない。  しかももう体は冷たくなっていた。 「ソニヤ、誰がやったんだ」  いくらゆすぶっても答えはまったくない。その返事のように電話が鳴った。  全身の血が凍りつくような恐怖を感じた。この電話は八時から八時半の定時の連絡以外に鳴ることはないはずだった。それも、私がこの任務についてから、実際に鳴ったのはたったの一回きりである。実は私自身だって、この電話が何局の何番なのか、番号も知らないのだ。かけることのできるのは、奉天の憲兵隊で会ったあのいが栗頭しかいない。  急に全身が細かく震えてきた。もう駄目だと思いながら、受話器を取った。 「やあ」  声は間違いなく、あの男だったが、意外に気軽な言い方に少しほっとした。だがそれは瞬間の早合点であった。 「……今日は派手にやってくれたな。もっともおれの方は、おまえさんがハルピンを出たときからすぐ見当つけて、荷物も兵隊も、よそに移しておいた。気の毒な歩哨が腕をけがしたのと、からの小屋を二つ三つ焼いただけですんだ」  相手のしたたかさに声も出ない。 「しかし、これは組織の秩序を乱す重罪だ。可哀想だったが、償いはさせてもらった。この方がおまえをあの世に送るより、ずっとよくこの罪の重さが分るだろうからな」  私はいやというほど自分の甘さを知った。 「もしおまえが今後も反抗的な行動をとるなら、いつでも背中から誰かが、一発でしとめる。ゆっくり眠ることもできない恐怖に陥れてやる。しかしおまえには、わしらの組織は大変な金をかけてきた。おまえの生命などは、こちらにとってどうでもいいが、また新しい奴を選んで使えるようにするのが大変だ。だから今回はこの身代り処刑をもって、いっさいが終ったことにしよう」 「は、はい」  自分でも意気地ないことが分るほど、電話を持つ手が自然に震えてくる。もちろん声も震えて上ずってきている。熱がさめてみれば肚など全然据っていないのだ。 「今後は我々の組織に反抗しようなんてことは二度と考えるな。おまえの生命のいっさいを賭けて、私らの組織に尽すのだ。ところで、その女の死体のことだ。片づけなくちゃいかん」  いが栗頭の口調は、まるでごみでも処理するかのような、冷静な口調であった。 「いくら美人でも、室内においておくわけにはいかん。匂いもするし、そのうちに腐ってとけてくる。虫もわく。早く外に埋めろ。いいか、そこから表に待っている爺さんを呼べ。二人でその死体を敷布で強く巻き、上を三枚ぐらいの毛布で包み、縄をしっかりかける。それで棺桶の代りぐらいにはなる。橇に積んで、あまり明るくならないうちに、ロシヤ人墓地に行って、隅のあいている所へ埋めてしまえば、このことは誰にも気づかれずに済む。ロシヤ娘が一人いなくなったぐらいでは、ここの警察は調べもせんよ。まあ、おまえさんは、これにこりて、これからは一生懸命働いてくれればいい」  電話は、いうことだけいうと切れた。  しばらくは受話器を置かず、ただ呆然と立ったままであったが、やっと気がついて、受話器はそのままで私は窓の所へ行って、大急ぎで手を振った。  爺さんのたった一人の身内だ。かわいがっていた大事な娘を、私のつまらない暴走のため殺してしまった。私は何と詫びようかと、そればかり考えていた。  部屋へ入ってきたワシリーは、一目で、事態を悟った。ベッドのそばまで行って跪《ひざまず》いた。  手を握り、顔を覗きこみ、胸の傷をたしかめた。しかし終始無言であった。目だけが張り裂けんばかりに開かれていたが、私が予測していたのと違って、涙も、泣き声も、呻きも洩らしはしなかった。長い生涯きっとたくさんの死者を見てきたろう。その中でもこれは、ワシリーにとっては、一番悲しい別れであったのに違いない。それでも彼は軍人だった。  しばらく両手を合せて、無言で祈っていた。  それから投げ出されたままの受話器を見て、私の方を向いてきいた。 「本部からわしらに何かいってきたかね」 「毛布でくるんで、ロシヤ人墓地へ運んで埋めろといってきた……」  心苦しいが、私は先方の言い分をそのまま伝えるより他なかった。 「代りにそれで、今日の行動を無かったことにするといってきた」  この赤髯の老人は、初めて心の底から絞り出すような呻き声をもらした。老人はいった。 「あんた、今、自分の生命惜しいか。もっとこの町で生きていたいか」 「いや……もうどうなってもいいよ。私の生命なんて」 「わしは、この子をこの町で眠らせず、母親の眠っているところに連れて行って、並べて眠らせたい。そのぐらいしか、わしのできることはない。幸せの少い子だった」 「私も手伝わせてくれ。ワシリー」 「あんた、ソニヤのために一緒に行ってくれるか」 「うん……どんなことでもする。ソニヤが喜ぶことなら」 「それではあんた、日本人であることと、日本の国のこと忘れて、わしと一緒に働いてくれ」  ワシリーはそういうと、今度はすぐに敷布を集めて、死体をしっかり包みだした。  枕もとに出がけに突っこんでおいた札束がそのまま出てきた。ワシリーはいった。 「これからの旅は長い。お金たくさんいる。全部持って出よう。とても苦しい日が続くがいいのかね」 「かまわない。どうか連れて行ってくれ」  私たち二人は、毛布でしっかりくるんだ死体を担いで、裏の非常階段から下りた。橇に積むと、ワシリーはすぐ走らせ出した。  私は今では、悲しみも見せずにどんどんと事をすすめていくワシリーの背中に、少し圧倒されるような気持であった。 「ワシリー、どこへ行くんだね」 「まずキタイスカヤに行って、大きな黒い木の棺を買おう。そこに納めたら雪を中に一杯詰める。そして橇の中に入れておけば、凍って冬の間は保つ。まだ冬はこれから三ヵ月以上あるが、この子の母親のいる所までは、一月もあれば行ける。一緒に行って、一緒に葬ってくれるね」 「ああ行くよ。どこまでも」 「わしと一緒にいるなら、二度と見つからないで逃げきれる。何しろ満洲は広いからな」  もうハルピンの町は明るくなりかけていた。  私がワシリーの馬橇で一緒に外に出たことは、当然、誰かに見張られているだろう。しかし、私とワシリーとの間に交された契約までは、気がつかれていないはずだった。  馬橇は墓地へ行くと見せかけて少し走り、突然方角を変えてロシヤ人街の中へ入って行った。  四千五百キロという長さの河は、日本の国土では、国の長さ一杯使っても納まりきれないほどだ。黒竜江は世界でも有数の大河である。  当然その河口は、何キロもの幅があるが、冬のうちは全面的に凍りついていて、ソ満国境の警備兵さえいなければ、橇や、徒歩で、自由に行ったり来たりできる。  江戸時代には沿岸は全部、清国の領土内であったので、支配者の中国人も、山旦《さんたん》人と一括して呼ばれていたギリヤーク族、オロッコ族、オロチョン族、その他二十種類以上も数えられる原住民たちも、この河口まで自由に船を使って昇り下りし、交易していた。国境や警備兵とのいざこざはまるでなかった。  しかし昭和十六年の一月は、この河口一帯の両岸はすべてソヴィエートロシヤ領であった。かなり上流から黒竜江全体はソヴィエートに取りこまれて、河口のニコライエフスク・アモーレ市は、極東第一の要塞になっている。河口のあたりでは、船でも結氷のときでも、河を渡渉《としよう》することは厳禁されていた。  それに今では原住民たちも、ちゃんと登録されたソヴィエート政府の労働組織の一員であった。昔のような、野獣狩りや人参《にんじん》取りで、一定の住所を持たず、山野を歩きまわる原住民というのは殆どいない。そのうえこの国は、ドイツと一触即発の状態で、すべての兵力をヨーロッパへ送っている。ここらあたりの原住民でも、若い男は根こそぎ兵士として動員され、ヨーロッパの戦線に投入されていた。  男の数が極度に少くなっている。それが私とワシリーの、旅券も身分証明書もなしに世界でも最も警戒のきびしいといわれる満・ソの国境を超える、九十九パーセントはまず生命が無いと思われる危険な賭を、成功させた原因の一つになった。  それにしても、この広い国境の全線にわたっての両軍の配置の状況をよく知らなくては、とてもこれはできないことであった。昼は雪の中にもぐり、夜中だけ選んで橇《そり》を走らせる。ワシリーは、これまで国境線をすでに何度も往来し、亡命者や潜入者の道案内をしていたのではないかと疑われるぐらい、広野のすみずみまで知りつくしていた。それに私たちにはともに、燃え上るような怒りと、ソニヤに対する限りない愛惜《あいせき》の思いがあった。それが原動力となって、苦しい旅を休まずに続けた。  私とワシリーの馬橇は、一《ひと》月後には国境を越え、やっとこの大河の河口近くの河原まで辿《たど》り着いたのである。下の広い河岸へ出る少し前の白樺林にいったん馬橇を止めて下りた。  老人も私も、とっくに体力の限界を越えていた。  もう二十日以上も、ただ雪の中の無人の野を走り続けてきていた。顔は雪焼けして二人とも真黒であった。極度に少い食物と、休む間もないきびしい旅行で、どちらの体も、肩や首の骨が浮き出すほど、やせていた。  私たちの橇の後ろには、二本のスキー板を橇の代りにうちつけて、周囲をロープで何重にも巻きつけてある黒い棺をひきずっていた。危険な毎日の連続で、雪焼けしたお互いの顔に光る目つきは狼のように変っていたし、身体中に野獣のような神経が張りつめていた。  人間の常識では考えられない苦しい旅であった。それも明日には終る。  私は河岸に立つと、黒竜江河口の広さと荒涼たる光景に、今は呆然として見つめているきりだった。  私らは馬橇を、河岸の白樺が主となっている林の中に置いたまま、河面に向って斜面をそっと下りた。目標を把むためである。  黄昏《たそがれ》が近い。といっても、このあたりまで北になると、冬の日はひどく短かく、まだ三時になったかならないかの時間である。風が急に冷たくなってきて、あたりは薄暗い。静寂の世界の物淋しさが、いっそう加わってくるようであった。  黒竜江の流れが、満洲との国境となっているのは、この河のかなり上流の、ソ連側がハバロフスク市、満洲側がその対岸の撫遠市のあたりまでで、それから北の川下は、百年ぐらい前から両岸ともすっぽりソ連領になっていて、国境はずっと手前の満洲側の陸地であった。私たちの馬橇は、松花江と黒竜江の合流点の少し先の、いよいよソ連の国の中に一本になった河が入る地点で、国境を越えてソ連領に潜入した。以後、ソ連の領域を走り抜けてきていた。  河岸の傾斜地を河面の氷の地帯へ滑りながら下りて行く。  満洲国領にいたときも、ソ連領に入った後も、周囲に怯《おび》えることは同じである。どちらにしても軍に捕まれば、罪名こそ違え、国禁を犯している重罪人にされるのに違いなかった。人間のいる村落に出たり、物を買ったりすることが許されないので、途中の物資の補給は殆《ほとん》どできなかった。だがこうした苦しみの一月に近い長い旅も、今夜、この大河の氷上を走り抜ければ終るのである。このあたりは国境ではないので、それほどきびしい警戒はないはずだが、しかし河面《かわも》の白い氷の上では、かなり遠くからでも、黒い棺や、それをひきずっている馬橇は見つかってしまう。  まだ少しでも明るい中に目標をしっかり決めてから、私たちは暗い闇夜の中を、一気に河の上を走り抜けてしまうつもりであった。  河原まで下りると、雪の山の間にうずくまり、老人は旧帝政軍のときに使っていたらしい、プリズム部分の屈曲がない、かなり長目の双眼鏡を取り出して、対岸を眺めた。  対岸の右側のはしには、はっきり、海軍の要塞のニコライエフスク・アモーレ市が見える。  いったんそこを視界に入れてから、中の目盛りで、九十度近く左に振った、上流を見た。 「距離で約百二十キロ、昔の人は河口へ下るまで丸四日かかった」  このとき始めて、私は妙なことを思い出した。まさかそんな偶然はと自分でも怪しみながら聞いた。 「そこは、崖っぷちに石碑が三つ立っているところですか。百五十年前から土地の人の尊敬を集めていたという伝説を聞いたことがありますが」 「そうだ。何かたくさんの旅行記に出ているらしいな。帝政時代以前は、私の一家は、その地方の総督をしていた。領内の一部であったが、あまりに辺境のため、調査や行政の手が及ばなかった。一番最初に豊かな地味に目をつけて入りこんできたのは、宣教師の一行であった。それも、激烈な海外布教で知られている、スコットランドのグラスゴーに本拠を置く、グラスゴー主聖堂の、海外伝道協会の一団だ。三人の男女があの地へ来て、そして死んでいった。それから百年あまりたっても、住民の信仰は消えず、いつかまたその万能の神がやってくると信じて待っていた。すると二十年前に同じような顔だちをした神父と、天使のようなその妹とがやって来た。それで今でもそこは聖域となっており、伝道師と住民だけが、平和に暮している」  心のどこかでひっかかっていた疑問の一部が、こんなことで突然、自分の目の前で明らかになってくるとは思いもしなかった。  旅はあと一日で終る。それはもしかすると、図書館の老人に頼まれた二つのことを果せる結果になることかもしれなかった。  急にあたりの日が落ちた。  ここ何日か、一日三個の小さな乾パンしか喰べていない。ただ、雪と氷があるので、水分には不自由することがなかったのが、私たちの生命をもたせていた。  その乾パンももう尽きた。二個残っていたのを、一個ずつ二人で分けて、雪とまぜて、口の中でふやかしながら大事に喰べた。マッチ箱の半分ほどしかない。とても飢えをみたすわけにはいかないが、それでも生きるエネルギーにはなっている。  大事な夕食がすんだ。一月の旅でもう喰べられる物は葉っぱ一枚、粟《あわ》粒一つない。人のいる所をずっと避けてきたし、このあたりは野兎一匹見えない雪原だった。鳥も飛んでいないのだ。  仮にこのあたりで人に逢ったとしても、彼らはソヴィエートのきびしい人民指導体制を嫌って逃げ歩いている、はぐれ者の群に違いない。暴力で食料を奪われることはあっても、分けてくれることは絶対あり得ない。どちらもじっと狙い合って、お互いに発砲の機会がないと、声もかけずに右と左に分れて行く。  土地も不毛だが、めったに逢うこともできない人間どうしも、怖るべき不毛の精神で暮していた。  馬も飢えきっていた。  最後のわずかな藁をあたえた。こんな物では本当は動くのは無理だ。人参が無理でも燕麦ぐらいはあたえたかった。  老少将はそのやせた馬の首を叩いていった。 「明日の朝はたっぷり喰えるぞ。おまえたちも、わしらもな」  私はピストルをもう一度点検した。平和裡にそこにつけるとは限らない。 「ワシリー。どうしてソニヤの母さんが、あそこに眠っているのですか」 「そのことは今、聞かないでくれるか。明日、無事に、母の柩の横に、その柩を並べて埋めることができたら話をしよう。もし今、話してもかまわないことだったら、二人でここへ来るまでの間にもう、あんたには話しておいたはずだ。今は、わしと娘のために聞かんでおいてくれ」  ワシリーの苦しそうな声に、私は黙った。  ワシリーは最後の元気を振り絞るようにいった。棺のまわりを縛っているロープの結び目をもう一度たしかめてからいった。 「さあ、行こう。私の息子。第七コザック軍団の最後の突撃だ!」  馬橇は暗い闇夜の中を、固く凍結した河面に向って走り出した。 [#改ページ] [#小見出し] D (昭和五十七年 グラスゴー市)  長い旅だった。  十八時間の窮屈な飛行機の旅に続いて、休みなしで九時間近くの列車の旅であった。  もう六十二歳になっていた私には、これはかなりこたえた。  何しろこの三十年以上、小さな事務所に坐りっ放しで、歩くといえば、自分の勢力範囲の近くのアパートへ客を案内するのと、周辺の安食堂へ飯を喰いに行くのだけだ。信じられないことかもしれないが、私の町から三十分の盛り場、新宿へ行ったことさえ、二度しかないのだ。電車に乗って他の町へ行ったことでさえ、合せて十回あるかどうか、極度に出不精の閉鎖的生活をしていた。  若い甥も初めてのこの大旅行は、やはり体力的には、かなり大変だったらしい。昌彦の場合は、自由に動きまわれないことで、かえって体中が疲れてしまったのだろう。  ただし二人のために、一つ良いことがあった。乗り詰めに乗って目的地に着いたときが、ちょうど人間が寝るための時間である夜だったことである。それまで旅の途中でよく眠れなかったとしても、そこでベッドへ入れば、すぐ、ぐっすり眠れてしまう。これが朝になってやっとホテルへ着いたとすると、そのままホテルで昼の間寝てしまう。自然、夕方、目がさめる。しばらくの間、仕事をするのがかなりやりにくく、時差の感覚を調整するのが難しい。  私たち二人は、まるで日本にいたときの延長のようにして、スコットランドのホテルの夜をぐっすりと眠った。  朝の九時に電話のベルで起されたときも、目ざめは二人とも爽やかであった。  私は先方からの連絡があることを予期していたので、すぐに電話をとった。 「司祭のリチャードです。もうお目覚めですか」  できるだけスコットランドの高地英語の訛《なま》りを押えて、こちらに分りやすい英語でしゃべってくれている。彼は私の思いがけない時期の訪問に対して、警戒や反感は持っていないようであった。 「ええ、とてもよく眠れました。落着いたいいホテルをお世話いただいて、ありがとう」 「それでは、ゆっくりお食事をすませてから、お出かけください。グラスゴー主聖堂と、タクシーに言ってくだされば、この町でも最も古い建物の一つですから、間違いなく連れてきてくれます。そのときにあらためて、お話ししましょう」 「ええ承知しました」 「私は正午に、聖堂の正面の階段の上に立っています。司祭用の白いガウンを着ていますし、もし判らなかったら、誰でもいいから近くにいる人に、主任司祭のリチャードはどこかと聞いてください。それでは」 「どうかよろしく」  旅は目的に向って、たいへん順調に進んでいけそうであった。四十年という、人間の一生の大半を使ってしまう長い月日を離したことが、かえってよかったのかもしれない。秘密があったとしても、大体消えてしまう年月だ。  すぐ洗面をすませ、一階の食堂で二人で食事をしながら、私はこの若い甥にいった。 「四、五日、私とつきあってくれ。もちろん危険なことなどはない。長い話や、古い文献の調査などが続くだけだ。君には退屈かもしれないが、伯父さんには大事なことなのだ。手伝ってもらうこともあるかもしれない」 「うん、まあ、せっかく連れてきてもらったんだから、伯父さんがなぜ、こんなスコットランドなんて、およそ見当もつかない遠い国へ来たのか、その辺のことをよく知りたいな」 「君が好奇心を持つほど面白いことじゃないかもしれないがね」  十一時少しすぎたころ、私たち二人はホテルを出た。  スコットランド一番の賑やかな商都ということで、電車や自動車の行き交う町を想像していたが、木の緑が多く、むしろ京都か奈良のような落着いた町であった。  地下鉄があって、通勤や用務の人々の足は大部分、そちらで吸収してしまうらしい。  駅前のタクシーには余裕があり、すぐに乗りこむことができた。天井が高い、今の日本では見かけることがまったく無い車である。ただし私はまだ子供のときに、浅草から、世田谷にあった自宅まで、父母とともに乗った記憶がある、懐しい車体だ。昌彦に教えた。 「車のことは若い君の方が当然詳しいだろうがね、この車については伯父さんに説明させてくれ。ほらここをひきずり出すとね……」  と前の席に埋めこまれている折りたたみ式のシートをひっぱり出した。 「ひゃーっ! こいつは|イマイ《ヽヽヽ》な」  昌彦はびっくりしていた。 「私たちは子供のときに、ここで父さんや母さんの方を向いて坐るのが面白くてね。そのころは、タクシーのことを円タクといったね。東京の旧市内の中ならたいがい一円で行ってくれた」  商店街にも並木がしっとりと濃い影を落していたし、少し商店街を離れれば、深い木立の中に住宅が埋もっているような町であった。  いくらも走らないうちに、グラスゴー主聖堂の白い伽藍《がらん》が見えてきた。  私たちは車を降りて、正面の階段を上った。見上げると、首が痛くなるほどの高い塔が立っていた。十九メートルあるという。  ここは町の信仰の中心でもあるのだろう。今日も大勢の人が参詣している。  もちろんここまで来ても、昌彦待望の男たちのスカート姿は見られなかったが、代りに、参詣のために昇ってくる娘たちの殆《ほとん》どが、この国の特有の赤と黒が交叉したチェック縞のスカートをはいていた。  アメリカ人の観光客らしい女たちの中には、スラックスの人や、中には大胆なショートパンツの女、ハーレムパンツの娘などがいたが、きちんとしたスカートをつけている女以外は、正面に立っている何人かの見習い僧が、やんわりと、聖堂への立入りを禁止していた。  断わられた客の中には、 「男のスカートは中に入れて、女のスラックスを入れないのは変じゃないの」  と抗議している一団がいたので、面白いのでそばへ寄って行って聞いてみた。入口の見習い僧は、これもいつもある質問らしく、ためらいもせずに答えていた。 「はい。ここでは男のスカートは、大学の卒業式のガウンと同じ、儀式用の正装ですから……許されているのです」  なるほどと思った。  きっと何かの祭日のときには、スカート姿の男が、威儀を正して、この聖堂へ入って行くのであろう。いつか機会があったらぜひ見たいと思う。ついでにそのスカートの中には、男はどんなものをはいているのかという、小さな疑問もさっぱりさせたい。私の精神状態は、この年になっても昌彦とはいくらも違っていないのだ。  時計を見たら、まだ約束よりは少し早かった。それで会堂の周りでも、外側からじっくり見てやろうと考えていると、中央の鉄扉《てつぴ》の前に立っていた白い法衣のもう五十に近いような男が寄ってきた。 「日本から来たお方ですね……、ミスタ……」  私の名前は外人には舌がまわらず発音しにくいらしい。私が代りに自分の名を答えてやると、司祭は大きくうなずいて答えた。 「お待ちしてました。連絡をさしあげたリチャード主任司祭です」 「ずいぶん立派な建物ですね」 「スコットランド地区では、ここは一番の聖堂です。十二世紀には、この建物の基本部分はもう出来上っていたので、古さでは、ヨーロッパ中でも、他に比べられる物は、そうたくさんありません」  それはこのリチャード司祭の最大の誇りでもあったのだろう。日本でいえば、源平の戦いがたけなわのころにできた建物だ。  司祭は続けて説明した。 「スコットランドは、まだ独立帝国だったのですが、ここウイリヤム王と、イングランド王のヘンリー二世との間に戦争が起り、ついに負けてイングランドの配下になることになりました。それ以来、スコットランドは、現世に於ける王権の回復を諦め、その代り、ここにカトリック系の大聖堂を作って信仰の中心としてきました。幾度か、英国国教会派の弾圧が続き、改教を迫られましたが、こうしていまだに、イングランドの横暴な言い分に屈せずに、全員が固く信仰を守っています」  司祭はひとしきり、この主聖堂の宗教的意味を説明した後で、私たちを正面の入口から堂内へ案内した。  人々はなかへ入るとき、少し頭を垂れ、胸に十字を切って入って行く。急に私のこの老いてもう二度と燃え上ることのないと思っていた胸の中が、熱くなった。青春の日の甘いやるせなさが、よみがえってきた。  ソニヤはいつでも信心深い娘だった。ここへ入って行く娘たちと同じで、教会の前を通るときは必ず胸の前で十字を切った。うなだれたときにのぞく白いうなじ、顔の前に振りかかる乱れた黄金色の毛、すべてが昔と同じだった。  私はだらしなく涙ぐみそうになるのを、必死で耐えた。年よりの涙なぞ、醜悪以外の何ものでもない。  正面の円陣奥の両側のステンドグラスから柔らかい光りが入ってきて、いかにも神の温かい意志を伝える場所らしい雰囲気を盛り上げていた。  何人かの修行僧が、先輩司祭に引率されて一列に並んで行く。彼らはリチャード主任司祭と私たちの一行を見ると、一人一人、丁寧に頭を下げて通りすぎた。  正面の説教壇の前に、椅子のないやや広いフロアーがあり、たくさんの人々がそこに膝をついて、敬虔《けいけん》な祈りを捧げていた。説教壇の横に、内局へ入る小さな扉があった。  扉口をくぐると、すぐに細い木の階段があった。  少し暗いが、階段の曲り角ごとにランプ型の電灯が取りつけられており、足もとは分るようになっていた。主任司祭は、 「ここの三階に大きな書庫があります。当聖堂が建立《こんりゆう》されてから、最も力を入れたのは、海外への伝道でした。まだ教えのありがたさを知らない人々を一人でも救うために、五百年も前から、ヨーロッパや、バルカン、トルコまで、伝道の宣教師たちが、当聖堂から派遣され、年間の予算の何割かは、この海外伝道のために歴代支出されてきました。そしてその宣教師たちは、遠い外国から、あらゆる機会を通じて、自分たちが行った土地の風俗や人情、自分らの伝道の記録を送ってきました。それが三階と四階との二つの書庫の棚に、当聖堂の最高の宝物として保管されているのです」  そう言いながら、三階の書庫に入って行った。  広い書庫の中央に電気スタンドをおいた机が幾つかあり、昇任試験でも受けるのか、若い神父たちや修道僧たちが、熱心に読んでいた。  書庫の係を命ぜられているらしい修道僧が、私たちの到着を知ると近よってきた。リチャードはその係に、小声で何か命じた。係は奥の方へすぐ去って行く。 「これから、あなたが求める文献を探し始めるなら、それだけで二、三日かかってしまいます。中国全土には、もう二、三百年にわたって三百名を越える宣教師が出かけています。その中から、旧清国領に当る、黒竜江沿岸地方まで足をのばした人々の記録でも、三十冊や五十冊は出てきます。さらにその中から十八世紀末のスワン神父関係の文書を選び出すだけでも大変なのです。文書はすべて神の恩寵《おんちよう》を伝えるラテン語ですから、若い学僧では歯がたたないのです。お手紙をいただいたときからすべて私が選んでおきました」  司祭の説明が終るころには、係の修道僧が、古い書籍や文書の束を両手で抱えて持ってきた。  それは一見して、私にも歯が立たない文書だと分った。何しろ殆どが筆記体で書かれたペン書の文書であり、私にはMとTの区別もつかない、みみずのような文字が並んでいた。  何冊かの、背を糸で綴じた本もあったが、その活字も殆ど単語が分らない。当り前だ。ラテン語なのだ。  私はここへもぶら下げてきた航空会社のサービス品の青いバッグの中から、厳封した書類封筒を取り出した。両側にはボール紙があてられている。封を破いてそのボール紙の板で挟んだ紙を出して、机の上に展《ひろ》げた。  実はその書類が作られてから四十年間、殆ど開いたことはない。紙の折れ目は、切れているところもあり、しみになったり、墨が他の部分ににじんでいる所もあった。四十年間の年月を感じさせる紙であった。  私の動作を見て、リチャード主任司祭は、何冊かの本の中から、すぐに一冊の本を取り上げ、その終りの方に近いページを開いてみせた。  そこには、三枚の銅版のスケッチがあった。  黒竜江の流れを見下す崖の上に立つ三つの石碑の形を、河面《かわも》から見上げた絵が一つ、もう一枚は石碑の表面の文字の複写。最後の一枚は、石碑のある場所から少しひっこんだ地域に建つ、粗末な石造りの小聖堂や、周辺の住人の傘型の掘立小屋であった。  司祭はその二枚目の石碑の面のスケッチを手に持って、私が机に拡げた石摺りの紙と比べてみた。 「たしかに同じものですな」  私も仔細《しさい》に比べてみた。私の石摺りよりは百三十年以上も古い年代に書かれたスケッチで、石碑に彫られたばかりのときの文字だから、当然、字の形ははっきり残っている。何も知らぬ甥は、それが同一のものと分り、驚いて見ている。 「これであなたが確実にあの黒竜江沿岸の集落へ行かれたことも、一時期、私らの派遣した伝道の聖者たちと行動を共にした人々であることも、証明されました……」  急に司祭の態度が好意的になった。突然訪ねてきた異国の旅人の、身分確認がすんだのだ。テーブルに向い合って坐った。  私はあらかじめいろいろとお訊ねしたいことがあるので……と手紙で伝えてあった。主任司祭は、さて私からどんな質問が出るのかと、少し緊張しているようであった。  係員の修道僧が物静かな態度で、お茶を持ってきた。この地方特有の匂いの強い紅茶であった。  一口ゆっくりいただいてから私は最初の質問をした。 「私がこの土地へ行ったとき、たいへんにお世話になった司教様が、この石摺りを持っているようにといわれました。これは私と司教様と二人で力を合せて作ったのです。何しろお互い、そこに四年も一緒にいたのです。狭い小さな区域の中でした」 「そうだそうですね。よく存じております。そのときの司教様の伝道報告書にも、あなたのことが記載されており、辺境の土地での、非常に気強い味方だったと書かれておりますよ。私は何度も伝道記録を読んでよく覚えているのです」 「ところで、あのときの司教様は石摺り文面について、私が聞いても、決して教えてくれませんでした。もし君が機会があって、スコットランドまで来ることがあったら、あらためて教えてあげよう。そういうだけでした。それで私はその約束をずっと忘れずにいて、やっとこの町に来たのです。日本とスコットランドは遠い。私には三十七年間もかかる長い旅になってしまいました」 「なぜその司教様が教えなかったのか、その意味が私には分ります。きっとここにいる間に、あなたもそのときの司教様の気持が分るでしょう」 「でも司教様が亡くなられた今となっては、もうその気持を推し計っても仕方がないことですな」  私がそういうと、びっくりしたように聞き返した。 「えっ、誰が司教様が亡くなったといいましたか」  私の方も、びっくりして聞き返した。 「それではあのときの司教様はまだ生きておられるのですか」 「はい……」  とうなずく。私には信じられなかった。 「そんな、……あのときでももう五十を越しておられた方です」 「今、九十三歳で、元気に聖務を監督しておられます。この主聖堂の最高の地位におられるウイリヤムス大司教|猊下《げいか》がその人です」 「おう、何て奇蹟だ」  私は思わずそう唸った。ここへ来るまでは、考えられもしなかったことであった。 「それでは、今一人のお方もいらっしゃるのですか」  私の胸の中で、三十七年間、無理に眠らせていた炎が、一瞬、残り火をかきたてられたように燃え上った。 「ええ、もちろんです。お元気で、大司教猊下のおそばに仕えて、宗務のお手伝いをしておられます」 「そうですか」  私は人間の持つ縁《えにし》の深さに、強い感動を覚えていた。司祭はいった。 「ここでの記録の調査や解読のお手伝いは、これから私がします。しかし、そのすべてが終ったら、お帰りになる前に大司教猊下があなたとお会いしたいそうです。今から楽しみにされておられます。できるだけあなたの調査が早く楽にできるよう、私は猊下からしっかりとお手伝いするように命じられています」 「そうですか。ありがたいことです。それでは、さっそく今から始めます。私の最初の疑問にかかります。リチャード司祭は、この碑面の文字については、もうよくお解りなのでしょうか」 「ええ、そのことについては、あなたが来られる前に、すべて調べておきました。猊下からのご命令もあったので……」  うやうやしく石摺りを目の前に捧げた。三行の文字がある。 「……この上の二行は、聖書に書かれた言葉をラテン語で彫りつけたものです。まあ意味は、次のようなことです」  彼は最初は目をつぶって、ラテン語で朗誦してから、次に英語で分りやすく説明した。分りやすくといっても、それは文句が分っただけで、その意味となると、この宗教の教義をかなりしっかり学んだものでなくては、とても分らない、妙な言葉であった。  無理に日本語に訳してみると、   『死よ 汝の刑苦 何処に在りや    墓よ 汝の勝利 何処に在りや』 というのであった。  甥に説明してやりながら、 「実は伯父さんもよく分らないんだよ」  というと、それでやっと昌彦も納得していた。  ともかく、二人ともキリスト教はもちろん、あらゆる宗教に無縁の生き方をしているのだから、いきなりこんな言葉が出てきても、どうにもならない。  リチャード神父は、虫眼鏡をとり出して、私に渡してからいった。 「昔の碑面には、中央の墓の右の方に、もっと不思議な文字が彫られていますよ」  そういわれて、私はその小さなスケッチの碑面を見た。たしかに、これまで見たことのない奇妙な文字が縦に彫りこまれていた。私が石摺りをとったときには、すでに消滅してなかった。 「これは何なのですか」 「古代|女真《じよしん》文字であるということです。以前、この文字の専門家の所へ送って解読してもらったところ、次のような文句であったそうです。たぶん、その文字は、当時の信者の中でたまたま女真文字を書ける人がいて、記憶の薄れないうちに、そこに自分たちの思い出を残す意味で書き止めたのだと思います」  それからリチャード主任司祭は、手帳にメモした文句を読み出した。 『スコットランド国のグラスゴー主聖堂の伝道協会から、この僻遠の土地に、神の教えを伝えるために派遣された神父、パウロ・マキシム・スワン氏の夫人、ユール・スワン様は、一七八三年の二月十四日、この土地で四十三歳の生涯を閉じた』  そう読んでから、さらに説明しだした。 「ところが夫人の墓の上にラテン語で書かれた横文字の三行目には、まるで違う人の名前が刻んであるのです」 「私がその土地へ行って、このように石摺りをこしらえたときは、そんな文字の跡形もありませんでしたよ。どうもあのあたりの石は風や雪で痛みやすいらしい。私が見たときの中央の墓の表面は、私が持ってきた石摺りでも解るとおり、やっと三行のラテン文字が残っているきりでした」  リチャード神父はいった。 「その上の二行がさっき私が説明した今の聖句で、下の一行には、チャールズ・ビーナルド教授の妻、ユールの墓と書いてあるのです。ほら分りますか」  石摺りの文字の上を指で一字一字なぞった。 「私たちは当時のスケッチや記録で、やっと分りましたが、河から向って右が、先ほどの女真文字で紹介された神父、パウロ・マキシム・スワン氏の墓です。左側は、チャールズ・ビーナルド氏の墓です。この人は神父ではありません。当時のエディンバラ大学で、生物や植物の講義をしていた若い学者でした」  そして私が何か言いたそうな顔をしているのを押えていった。 「私が今ここで説明できるのはそこまでです。この二人については、ここに書類棚から取り出しておいた伝道報告書が、ちゃんと説明してくれます。ゆっくり読んでください」 「ええ、そのつもりで来ました」 「その古代女真文字が伝える夫人の名とラテン文字の伝える夫人の名が違っているという事実には、伝道協会も長いこと気がつかず、それに対しての考究もなされませんでした。実は私も、大体の類推はできますが、本当のことは分っていません。分っているのは、直接その土地でお暮しになっていた大司教猊下だけです。さっき電話でお言葉がありまして、『伝道の記録をすべて読んでから、特にあなたに逢いたいのは、そのことをお話しするためだ。そしてなぜ、四年間も一緒に暮していたときに教えなかったかという理由も、そのとき一緒に話そう』ということでした」 「よく分りました。それではさっそく参考文献を見せてください」 「ここに揃っています。しかしその前に、もう一つ私は、あなたにお訊ねするように言われたことがあります」  それはちょっと今までのリチャードの態度とは違うきびしい表情であった。  しばらく私たち三人は黙って睨み合っていた。やっとリチャードが切りだした。 「たぶん……」  とリチャード主任司祭はいった。 「……あなたは、紅い花びらを持参しておられると思います。あの土地の伝道の一つの、あまり好ましからざる思い出の証拠として」  リチャード主任司祭が、あまりにもはっきりと、この国家の秘密にも関することに、ためらいも見せずに切りこんできたので、私は一瞬ぎくりとした。予期していたとはいえ、少しショックであった。 「これまでそのことで、当宗団の伝道協会を非難した人はありません。それは近代になってからは、教団内の最高の秘密として処理され、外部の人に洩れたことはありませんし、教団の歴史を専門に学ぶ少数の人間だけが知らされるだけで、主聖堂の高官でもまったく知らない方が殆どなのです。もちろん、あなたも、その秘密の重さはご存じのはずです」 「はい。よく知っていました。純粋な宗教的情熱の中にいなくてはできない仕事でした」  やっと私は答えながら、同じように航空鞄の中から、パラフィン紙に包んで、この四十年間保存してあった、紅い花びらを取り出した。司祭はそれを見てから私に戻した。 「このことについては、あなたがこの書庫の書類を納得のいくまで調査した後で、この聖堂の僧侶団の最高の地位におられるグラスゴー一一二九地区、この番号は、一一二九年にここに教区が設けられたことでつけられた栄光ある呼称ですが、……一一二九地区教区長の、大司教猊下が、四十年目の約束を果す意味で、直接あなたを昼食にお招きしてお話になるそうです。だから私は今、何も申し上げませんが、最初の伝道師が派遣された当時は、それは人を亡ぼす薬ということは分っていても、同時に唯一つの万病を治す、今日のクロロマイシンのような特効薬と考えられていたことを、どうか信じてください」  それは私にも納得できた。実は私の子供のときは、薬局でちゃんと、痛み止めとして、『アヘン丁幾《チンキ》』という塗り薬が売られており、一つ一円五十銭という値はずいぶん高かったが、歯痛、頭痛、腹痛、あらゆる苦痛に効く特効薬とされていた。ただしその薬の紙箱の横には、『習慣性強き薬品のため、連続使用すべからず』という注意書きが書かれてあったことも覚えている。  いつのまにか禁止されたのであろう。小学校へ入ってからは、もう町の薬局では売ってなかったが、子供のとき本を読みすぎて、すぐ頭痛を起した私は、赤い色の箱から出した塗薬をちょっと額につけてもらうと、すぐ痛みが治ったものだ。  リチャードはいった。 「ここに、近代の分りやすい英語で書かれた、一冊の本があります。題は『蛮地の神』という本です。この教団が先年、開教八百年記念に、何人かの先輩たちの業績を、学者たちに分りやすい物語風にまとめさせて、出版したものの一つです。それでも出版されてから、もう六十年近くたっていますが、しかし、あなたぐらいの英語力があれば、読むことには不自由しないでしょう」  私は自分の鞄の中から英和辞書を出した。 「このようなこともあるかと思いまして、辞書も持ってきました」 「それでは、この文書は、あなたがここへ通《かよ》ってくる間、ずっといつもテーブルに出しておきますから、何日かかけて読んでください。たぶんそれで、あなたがこの土地へやって来た疑問の大部分が解決するでしょう。もしお読みになって、どうしても分らないことがあったら、係の修道僧に、私を呼んでくるように命じてください。私はいつでも、できるだけ早くここへ参りますから」  私は、その日から、まずその本を文書室に通って読むことにした。幾つかある私の疑問の中でも最も大事な疑問であった、あの墓は一体、誰のものであるかということと、後には満洲国全体の人の体や、人の心にまで、多くの罪悪をもたらした、あの悪魔の血にもひとしい紅い花が一体どういう目的で、最初にあの黒竜江の一帯に根を下したのか、その本を読むことできっと知ることができるだろうと思った。  たぶん、それは神の愛を説く、大いなる善意からされたことであろうが、その結果に対して、この宗団はどう考えていただろうか、そこもできたらさぐり出したかった。  どこまで真実に迫れるか、まったく自信が無かったが、これが、私の酔生夢死《すいせいむし》にもひとしい六十年の人生の中の、後半生でのたった一つの仕事であった。いくらかでも迫れれば、次に来る永久の眠りに対して、この体を惜しみなく委ねて、安らかに目をつぶることができる気がする。  何日でその本を読み終るか分らないが、その間は、字引きをひいたり、訳し終えた文章を清書してもらうため、甥の昌彦には、そばに付添ってもらうことにした。 「終ったら、すぐロンドンへ一人で行って、あの金髪の娘と会いなさい。それまでは、ここで伯父さんの仕事を手伝ってくれ」  というと、案外すなおに承知してくれた。  私がもう人生の終末の期《とき》に、一大決心して、このグラスゴーという、まったく僻遠の地までやって来た、その情熱を、彼は彼なりに少しは理解してくれたらしい。  それから、まるまる五日、私は聖堂に通いつめた。  サンドイッチを持ちこむことが許されたので、昼と三時に、サービスに出してくれる匂いの強い紅茶で流しこむ。そのほかは何一つ飲み喰いもせず、貧弱な英語力で必死に読んだ。  昌彦もその間は、遊びたい心を押えてよく付合ってくれたし、途中、主任司祭のリチャード氏も、何度も私の呼び出しに応じて来てくれ、一つもうるさがらずに、丁寧に質問に答えてくれた。  私は別に、それが私の予想よりも悪い結果に出ても、ただ私が納得できればいいのであって、別にこの聖堂の悪口をいったり、もしかすると罪悪の原因になったかもしれない行為をあばきたてようという気持など毛頭なかった。  それでも、会堂全体が私に対して好意ある態度をとってくれたので、私は彼ら宗教を信じる人々の善意を、本当の意味で信ずることができた。  これまで宗教に対して、神道であれ、バチカンであれ、どうにもうさん臭さを感じて、なじめなかったのに、ただ一つこの聖堂の教えを伝えようとする人たちの、底抜けの善意だけは信じることができると思った。これが私のこの旅の最大の収穫であったかもしれない。 [#改ページ] [#小見出し] E (西暦千七百年代 グラスゴー市から黒竜江沿岸へ) [#ここから5字下げ] 一九二九年、開教八百年記念出版、[#「一九二九年、開教八百年記念出版、」はゴシック体] グラスゴー主聖堂伝道協会、先覚伝道師双書の中から、[#「グラスゴー主聖堂伝道協会、先覚伝道師双書の中から、」はゴシック体] ユール・スワン夫人伝。[#「ユール・スワン夫人伝。」はゴシック体] [#ここで字下げ終わり] [#小見出し]      蛮地の神[#「蛮地の神」はゴシック体]  そこは、我らの美しい祖国、スコットランドの、ヒースの草が一面に群れ咲く高地であった。 「もっとゆっくり走らせておくれ、少し気分が悪くなったから」  馬車の中の貴婦人がいった。  スワン家の正嫡の主人の弟で、今、神の御意志によって、遠く、異郷の蛮地に行き、尊き伝道の仕事に従事している、神父パウロ・マキシム・スワン氏の夫人である。  後に蛮地の人々に神と仰がれ、四十三歳の若さで、人々に惜しまれながら、異郷の地に没した夫人は、そのときはまだ二十五歳の若さであった。  夫人が、スワン氏と結婚して、この由緒ある家系の一員に加わったのが二十歳ちょうどの年である。だが甘き蜜の如き結婚生活もわずか二年で、夫は突然神の啓示を強く感じた。蛮地の民に、この何物にもましてありがたい神の意志を伝えなければならない……と。  家には、花の如き二十二歳の美しい妻がいるのにもかかわらず、彼はわずか三ヵ月を出発準備に費しただけで、美しき祖国を後にして、未開瘴癘《しようれい》の蛮地に単身出発した。  スワン氏の精神を奮起せしめ、肉体をその聖なる行動に馳《か》りたてた、神の意志を讃うべきかな。  今、夫人は夫に別れて三年たつ。ロンドンへ出仕して、公務や、上流階級との社交生活に多忙な兄夫婦に代って、スワン伯爵領の荘園の管理をすべて一手で引き受けている。本来は、これはスワン家の次男である夫のマキシム・スワンの仕事であったが、夫が神父となって伝道に出てしまってから、所領の見まわりは、すべて若い夫人一人の肩にかかってきた。  夫人が馬車で荘園をまわるのは月一回だが、グラスゴーにある邸から出発して、見渡す限りの野菜や穀物の畑をまわって、また邸に戻ってくるのには、正味三日かかる。  もう少しで邸へ戻る馬車の中で、夫人は馭者に、本書冒頭の言葉を述べたのである。馭者はスワン家に代々仕える忠実な従僕であった。  本来は家を継ぐべき長兄夫妻が、いっさいの管理を次男の若い嫁に任せ、自分らは華やかなロンドンで遊び暮しているのを、内心ではにがにがしく思っている従僕は、この若い夫人には同情的であった。 「承知しました。でもばかに元気がございませんね。何かご病気でないとよいですが」 「それは大丈夫よ。ただなぜか急に主人のことが心配になってきてね。今ごろ、どうしているだろうか。寒い思いや苦しい思いをしているんじゃないかと思うと、やはり気持が移るのかしら。私、今、急に胸苦しくなってきたの。何か悪いことが起きていなかったらいいんだけど」  彼女は無理に笑って見せた。  ああ貞節の妻の心を褒め讃うべきかな。  馭者はその彼女の心配が、彼女の荘園見まわりの出発の数日前に、夫からの出発以来三年振りの、しかも初めて届いた便りによることをよく知っていた。 「何も心配は要りませんよ。あんなにお元気な便りが来たのですから」  馬車をゆっくり走らせると、夫人の胸苦しさもいくらか治《おさ》まったようであった。  それから一時間もしないで、馬車はグラスゴーの町へ入り、スワン家の大きな邸の中に入って行った。  このスコットランド領随一の名門の趣きを伝える邸も、今は主人側の人間は次男の嫁のユール夫人しか居住していない。荘園の管理、イングランド王国より派遣されてきた代官に対する租税の納入など、難しい仕事のいっさいが夫人の肩にかかっている。  見まわりを終えて、邸に戻っても、しばらくは忙しい仕事が待っていて、ゆっくりできないのであるが、それでも気分的にはかなりほっとした。仕事が終ったら、まず女中に湯を沸かさせ、ゆったり入浴しよう。裸の体にゆるやかなガウン一枚で、煖炉のそばで、くつろぐことにしよう。  そう思うだけで楽しかった。  見まわりの日々の宿屋泊りでは、いつ部屋を覗《のぞ》きこまれるか分らない。泊り部屋の内鍵をしっかり掛け、スカートの下に、夫の物のズボンをはいて、いつ覗かれても、みっともないことが起らないようにして、それでも、ぐっすり眠ることは、なかなかできなかった。  広い邸の中では、そんなことはない。大勢の召使いや女中が、邸の周辺をきびしく守っていてくれる。  帰って何時間かがすぎ、やっとたまっていた仕事を片づけて、待望の入浴をしてから、ゆったりくつろぎながら、ユール夫人は、書物机の抽出《ひきだ》しの中に鍵をかけてしまっておいた手紙を取り出した。  今は二月、先年の六月に出した手紙だから、到着するまでに、半年以上たっている。これは三年振りに来た出発以来初めての便りであり、しかも唯一つの夫の消息を知る手がかりであった。  なつかしくて何度も、何度も読み返した。  文句はもう空《そら》でいえる。それでも、直接にペンで書かれた字は、読むたびに思いが迫ってきて、自然に涙が出るのであった。  夫婦の情愛のああ何という美しきことか。     一七六四年六月    大清帝国領土・東|韃靼《だつたん》地区    黒竜江畔の宿泊地にて [#5字下げ]たまたま巡回に来た大露西亜皇帝エカテリーナ女帝の、シベリヤ軍士官に託し、ペテルブルグの、ギリシャ正教派支部経由で、本国への転送を委託した書簡及び、報告書。 [#地付き]パウロ・マキシム・スワン     [#ここから1字下げ] 五月の初めのころ、私は、いよいよ本当の未開の地へ向う旅に出た。 前回二つ便りを出したが、あなたの所へ無事届いたことだろうか。 一つは、辺境地区を薬や小間物を売ってまわる商人に頼み、今一つは三姓《さんせい》の町の清国の役人に頼んだ。だいぶお礼を出したが、土民たちを騙して効果のない薬を売って回る商人や、すべて賄賂で動く役人が相手だから、駄目だったかもしれないね。(双書の編集者註。二つともついに届かなかった。二つとも清国官憲に没収されたと思惟される) 私は今度は、道に迷ったりしないよう、黒竜江沿岸地方の地形や状勢に詳しい現地の原住民族の案内人を、二人見つけることができた。 彼らは未だに入信せざる者たちであるが、他の異教の神も知らず、太陽と草木とを同じように神として拝む蛮族に、ただちに、主キリストのあることを説いても、とても素直に頭に入っていかないと思うから、まだ主の恩寵は説いていない。 五月の十日、私ら三人は、清国語で三姓、ロシヤ人が作成した地図上の名前ではイランハラ、という名の土地にある根拠地を出発することにした。なおこの土地は、今の清国政府発生の土地、満洲族の古都吉林から北へ四百里、牡丹江と松花江《スンがリー》という二つの大河の合流点にある、移住民の最後の集落である。 これから先はもう集落はない。原住民がたまに仮小屋をたてて、三人か四人で、ぽつりぽつりと住んでいるきりだ。 道も、地図もない。だから清国の官憲は、ここより北への旅行者を厳重に取締っており、それはイングランド帝国のジョージ三世から、清国|乾隆《けんりゆう》帝への、勅許の宣教依頼状を持っている私にとっても、事情はまったく同じであった。 三姓の督弁のいう旅行禁止の理由は、次のようなものであった。 『異国人の体からは特別の匂いがする。荒野に住む虎や狼は、この匂いを特別に好み、どこからかやって来て、いきなり襲いかかるので、一緒に旅行している者が皆、迷惑する。だから絶対に、これから先へ入ってもらっては困る』 しかし私は、二人の案内人が得られたことに気をよくし、役人たちが二、三日留守した隙を見計らって、あえて出発した。 一歩町を出ると、もうあたりはまったく人跡絶えた野原であった。役人のいうような虎や狼は出て来なかったが、最も困ったのは、蛾や蚊や地蜂の襲撃であった。 最初のうちは、三人とも、木の先に馬の尾をつけた手製の虫払い棒を振りながら歩いたが、しかしこんな方法では、かえって向うの旺盛な攻撃力を刺激するだけで、まもなく私たちは完全に、蚊軍や蛾軍、地蜂軍に敗北して、血塗みれになって倒れてしまった。 二人の案内人は、冬の最中一度だけ旅行したことがあるだけで、春から秋へのこの地帯の旅には、まったく未経験であったのである。私は彼らの巧みな売込みにのせられて信用して来たために、旅の最初から、この手痛い失敗を味わったのである。 春や夏のこの土地のことをよく知っている者は、二重の厚い布で顔をおおい、目の所に糸のような細い切れ目だけをあけて、そこからやっと外を見ながら、のろのろと進むのである。こちらにはまったくそんな用意がないので、仕方なく、それからは旅行の順序を変えて、昼と夜とを転倒し、昼間は草の陰にありったけの寝具をひきかぶって、汗だらけになるのもかまわず眠り、夜、虫のいなくなるのを待って、夜明けまでの暗い道を、月や星のわずかな明りを頼りに歩くことにした。 昼間は汗だくになるほど暑いのに、夜は寒く、しかも昼にたち昇った蒸気がすべて、湿気になって、体にまつわりつき、獣皮を着こんで歩いていても、体にしみこんできて、中を濡らし、朝になって衣服を絞ると、水がどっとこぼれ落ちるほどだった。 夕方起きて粥を喰べるため、鍋に火をつけると、その火や鍋に向って、怖しいほどの蛾が飛びこんできて、もう防ぐことができない。 それでこのごろは、粟《あわ》や稗《ひえ》という穀物は、水で焚かず、そのまま口の中に入れて、ゆっくり舌の上で唾でうるおして柔らかくしてから飲み干すほどだ。五日目の夕方に、目をさましてみると、二人の道案内はいなくなっていた。私の羅針計と、銀の食器を持っていなくなったので、彼らが最初から、それが目的でやって来たことを悟った次第だ。 しかし十字架や聖書、食料などは、私が厳重に体に縛りつけて眠っていたので、さすがの彼らも、盗んでいくことができず、全部無事だった。これから旅を続けていくのには差しつかえない。どうか安心してくれ。こうなったら私は、冬の氷の海を渡って、人類の住む最後の土地と思われているサガレンという地方までも行って、偉大なる主の御徳を、現地の民に説き、神の福音を頒ち合いたい。 幸い今日、もう黒竜江の見える平地で、騎馬巡察中の、エカテリーナ女帝陛下の軍の将校に会った。ともにミサを上げて、祈りを捧げてやり、代りに、この手紙を、ペテルブルグ経由であなたの所へ送ってもらうことにした。 主を信ずる者どうしの約束は、たぶん信頼できるであろう。きっとこの手紙は、万里の波濤を越えて、グラスゴーの主聖堂にいられる大司教|猊下《げいか》と、あなたの所へ届くであろう。最後に愛する妻ユールよ。私はいつも元気で神と共に生きていることを知られよ。 そなたの上に祝福あらんことを……。 [#ここで字下げ終わり]  読み終るころは、夫人の眼には涙が溢れてきて、字が見えなくなってしまう。手紙の日付の日から、もう今日まで半年以上たっている。その間一体、夫がどこでどのような暮しをしているかと思うと、胸が哀しみで一杯になってくる。できたら今すぐにでも夫の所へ飛んで行きたい。しかし女一人ではとても無理だ。  女一人だけでは、国外へ出ることでさえ、国法で許されていない。  夫が伝道を終えて帰ってくる日があるだろうか。無いかもしれないが、しかし夫人としては、それが十年後でも二十年後でもいい。その日が来るまで、じっと神の御恵みを信じて待っているより他はない。  自分の邸へ帰って、しばらく落着いた暮しの中にいた夫人の所へ、かつてのスコットランド領の首都であり、今は王に代って代官が赴任しているエディンバラの町から、朝早く一人の男が訪ねて来た。神の意志を讃えよ。  初めは例の忠実な従僕が、少し困ったような顔をして入ってきた。前夜もまた夫のことを考えて、いつまでも眠れなかったユール夫人は、鏡に向って髪をとかしていた。  目がまだ腫れぼったかったのは、前夜夢の中で泣いたからであろうか。  入ってきた従僕に、ガウン姿のまま振り向いていった。 「何なの、何か手紙が来たのなら、女中に言いつけて持って来させなさい」  いくらもう老人でも、男が自分の私室に入ってきたのを少しとがめる言い方であった。 「はい、よほどそうしようと思いましたが、グラスゴー主聖堂のワント大司教猊下のお手紙を持って参りましたので、これは女中には任せられないと思いまして……」  この町では、ワント大司教は、神様以上に偉い方であった。  彼女はその封書を取って、うやうやしく捧げてから、中をあけて見た。  手紙持参のエディンバラ大学の教授の身分を、猊下自身が保証するから、会って話をきいてやってくれという紹介状であった。夫のいない人妻が、男性と一室で話し合うのは、人目をはばかることであり、もし猊下の紹介状がなかったら、とても承知できることではなかった。この会見が、夫の留守を守る一人住まいの妻にかかるいっさいの罪障に関係ないことを、大司教猊下が手紙の最後に一筆書いて保証してくれたので、スワン夫人は、ようやく会ってみる気になった。 「三十分ほど、広間で待たせておいてください。ちゃんとお茶を差し上げて。私はきちんとドレスをつけますからね」  そう命じてから、ユールは仕度をした。夫がいなくなってからは、長いこと身を装うことも忘れていた。鏡に向って身仕度を整える間も、こんなことは本当に久しぶりなのだなと、いまさらながらに思った。  神の御恵みを讃うべきかな。  ユールが装いを整えて応接室に出て行くと、そこにはエディンバラ大学の教授用の黒いガウンをつけた青年が待っていた。教授というから、もっと年寄りを想像していた夫人は、少したじろいだ。自分と同じ年か、あるいは若いかもしれない。これでは従僕が心配して、自分で紹介状を持って、中に相談に来たのも無理はなかった。  教授の方も夫人のあまりにも若く美しい姿にびっくりして、しばらく物も言えないでいた。うやうやしく一礼してからやっといった。 「奥様、私はエディンバラ大学で生物と植物を専攻し、去年ようやく教授陣の末席に加えていただいたチャールズ・ビーナルドと申す者です。突然お伺いしてすみませんが、ぜひ奥様にお話ししたいことがございましたので、失礼をも省みず参上しました」  真面目そうな態度や物の言い方に、夫人は好感を持った。決して夫の留守を狙って何か言いよるための手段にしているよこしまの人物ではなさそうであった。 「まあ、おかけください。それで御用件をまずおうかがいしますわ」 「実は以前、私は大学の先輩・後輩の関係で、ご主人とは親しくさせていただきました。ところで私は、家系があまり上等でなく、貧しい境遇に育ちまして、本来は大学へ進むことなど、とても難しかったのですが、ご主人の推薦で、やっと大学の奨学資金を得て、進学することができたのです。それには自分の学問を国家のために役だてるということが条件になっておりました」  まだこの若い教授の話の真意は分らない。夫人は、ただ頷いて聞いている。 「私は植物の研究を政府から命ぜられました。戦場で働いて、弾丸や刀で傷ついた部分を応急に手術するとき、筋肉を一度開いてから針や糸を通して縫い合せます。そのとき傷口の痛みをまったく止めてしまう薬があります。これは戦場医薬の部面だけでなく、近代医学のあらゆる部門で絶対必要な薬なのです。実はご主人が今度の伝道に出発する前、私はその薬草を栽培するのに適当な土地を探すようお頼みしたのであります」  それはユール夫人にとっては、初めて聞く話であった。彼女はいぶかし気に聞き返した。 「主人は文明人がまだ入ったことのないような土地へ行って、神の福音を説くといっておりました。植物のことなど何も言っておりませんでしたし、交通も不便なそんな奥地では、いくら栽培してもしようがないでしょう。このスコットランドの高地で、その薬草を作ることはできないのですか」 「それは簡単なことで、ここで植えた花からも採れます。しかしそれだけの力を持っている草ですので、連用すると大変な害毒を世間にもたらしますので、人々の住んでいる所で栽培してはならないのです」 「人跡まれな土地で栽培してどうするのですか」 「我々はその植物から取れる、ごく微量の花の蜜さえ手に入れればいいのです。人間の手術に使う量だけ確保できればいいので、それが地球上のどんなに遠くの地点でも、わずかの量で何千人、何万人の生命が救えるのですから、充分採算がとれます。一番大事なのは、一般の人々が、たやすく近寄れる所では栽培しないということなのです。そしてそれを栽培している所を他のいかなる人にも知られないことです。これは、ジョージ三世陛下と、エカテリーナ女帝陛下との間に交された密約でありまして、人々を傷や病いの苦しみから救おうという、陛下の大いなる徳の至りであります」  神よ偉大なる君主の英知を讃えたまえ。  ユールは夫が突然、未開の土地へ向うことになった激しい情熱の一つをここでやっと悟った。それは神の言葉を伝えるだけでなく、人類救済の別な目的を持った献身的な行動でもあった。国王の周辺にいて、人民を導く役目を持つ貴族団の一員として、その責任の一部を分担しなければならなかったのだ。 「そうですか。それで主人は、未開の蛮地に」 「いえ、それは私が個人的にお頼みしたことなので、どうかもうお心にかけないでください。それに他の人に洩れると、私たちのこの純粋な悲願も、悪意を持つ人の間で——人間を堕落させる悪魔の手先の仕業と思われかねません」  そう口止めしてから、若い教授は坐り直して、 「さて……私が……本日……」  といった。 「……参りましたのは、私は近くスワン神父の後を追って、その消息を訪ねる旅に出るからです。国家有用の材を蛮地で朽ちさせてはなりませんし、陛下もひどく心配なされております。幸い私に偉大なる神の御加護があれば、現地でご主人に会えるかもしれませんし、あるいは何の手がかりのないままに、何年かして一人で戻ってくるかもしれません。ただ、あなた様には、これからチャールズ・ビーナルドという一人の青年が、はるかな東韃《とうだつ》の地へ行って御主人の消息を調べる、ということをぜひご報告したかったのです。それに最近、あなた様に来た私信があるということを司教区から聞きましたので、もしお許しいただけるなら、それも見せていただけたらと思いまして、やって参りました」 「それはお見せします。きっと今度の旅行のお役にたつと思います。ところでその東韃の土地は、ここからどのくらいで行けるのでしょうか」 「そうですね。海路でアフリカのとっ先の喜望峰をまわり、印度へ出て、そこから支那大陸へ入り、北へ向って縦断するのですから、最もうまくいっても、五ヵ月かかるでしょう」 「五ヵ月……五ヵ月で行けるのですか」  にわかに夫人の顔に赤味がさしてきた。何かじっと考えこんでいる目付であったが、やがて覚悟を決めたように眼尻《まなじり》をあげて、若い青年教授を見つめた。 「私は二十二歳の年、夫を送り出して、もう三年、この邸でただ一人でじっと待つだけの日に耐えていました。その長い苦しみを思えば、五ヵ月ぐらいの旅は何でもありません。私を連れていっていただけませんでしょうか」  チャールズ教授は、びっくりして、しばらくは黙って夫人の顔をみつめていたが、やがて、どもるようにして答えた。 「そ、そんなことはできません。丈夫な男が行っても、なかなか生きて帰れない土地です。猛獣、毒虫、善悪の理非や神の恩寵を知らぬ兇暴な野蛮人。とても御婦人が旅を続けられるような土地ではありません。それに住民たちがただ傷つけたり殺すだけならよいのですが、奥さまの美しいお姿を見て、邪《よこ》しまの心を抱いたらどうなさりますか。そこはスコットランドではありません。スワン家の権威など、何の役にたちましょう。口に出すのさえはばかる怖ろしいことが持ち上ります。もしそうなってしまったら、この世でもあの世でもご主人にお目通りかなわぬ罪深い体になってしまいますぞ」  それはたしかに起り得ることだ。無理もない忠告だ。だが、何でもかんでも夫に一目と思っているこの若い妻には、それがどんなに理由ある説得でも、まったくもう耳に入らなかった。 「ミスター・ビーナルド、あなたが連れて行ってくださらなければ、もう何の役にもたたないことですから、私あての主人の手紙はお見せしません。大したことは書いてないのです。私が一人、その手紙を持って、旅に出ます。王のお許しも、代官閣下への報告もせずに黙って出かけます。幸い、忠実でしっかりした支配人がおりますし、私がいなければ、本来は自身でここの邸を管理する責任のある義兄の伯爵夫妻が、ロンドンでの怠惰な生活をやめて、こちらへ戻ってきて、さっそくご自身で管理を始めますわ。強く正しいスコットランド貴族になるためには、お二人にはかえってこういう事態が起った方がいいのです」  激しい言葉が、夫人の口から押えようもないほどの勢いでほとばしり出た。 「ミスター・ビーナルド。私は讃美歌が唱《うた》えますし、お祈りを人に教えることもできます。けが人や病人を見るお手伝いもできます。土地の婦人や子供は、あなたよりきっと私の方に馴れるでしょう。どうか思い直して私を連れて行ってください」  ビーナルドは承知しなかった。  実は絶対承知できない事情があったのだ。  彼が政府から、今度の旅に出るように内々での命令があったのは、夫人には言うことのできない怖ろしい事情が介在している。清国官憲から、広東にいるイギリス商人を通じて、『スワン氏が殺害されたらしい』という通知が入ってきていた。やがてそれが疑いもない証拠として、スワン氏の持物である銀の十字架が船便で届けられてきた。  だからビーナルドは、その死を確める使者として赴《おもむ》くことと同時に、スワン神父がやり残した、人跡|稀《まれ》な土地で、世界列強の目を免れて、人間救済の神の薬草を、厳重に管理して作るという仕事を始める任務も持っていたのだ。  とてもわがままな有閑夫人を連れて行く余裕などない。政府も許さないだろうし、大司教も若い夫人が他の独身男と二人だけで旅することなど、神を怖れざる不倫な行動として、絶対許すことはないだろう。 [#ここから1字下げ] 神よ、その英知を輝やかしめよ。 しかし、夫人の熱意はあらゆる物に打ち克った。 夫に一目会いたいという、夫人の切望を止め得る力のある者はいなかった。 神よ夫人の操を嘉したまえ! [#ここで字下げ終わり]  その年の年末、もうじき新しい年が来るという日、満洲国原住民の仕立てた犬|橇《ぞり》は、黒竜江畔の三姓の町に到達した。イランハラだ。  ついに夫人は、約半年で、この満洲国の奥地の最後の基地までやって来たのである。ここより先は、町も、まともな集落もない。  ビーナルド青年教授は、町へ入ると、本来なら出頭すべき地方役所に全然顔を出さなかった。  町へ着いたのも深い雪の中で、殆《ほとん》ど人目につかない時間であった。  橇のおおいをすっぽりかぶせ、まったく誰にも見られないように気をつけた。これは夫人の指示によるものであった。  旅を始めるため、リバプールの町からインドへの貿易船に乗ったときには、すでにもう、教授より夫人の方が一つ年上だということが、乗船客名簿の照合で判明してしまった。そしてもう一つ、この旅行の準備をしている途中で、夫のスワン神父がすでに殺されてこの世にいないらしいという情報が、夫人の耳に届いてしまった。それだからこそ、夫人の決意はいっそう固くなってきていた。そこから諦めて戻るどころか、今では生命を捨てて行動する殉教者の姿であった。澄んだ目。固く結ばれた唇。夫人には何者も口出しできない強さが備わってきた。  途中から旅の行動のいっさいの指示は、夫人の口から出るようになり、チャールズ教授は、ただそれに従うだけであった。いつのまにか夫人は、青年の旅に付添う母親のような立場になっていた。三姓の町では、暗闇を利用して犬橇を馭している原住民に金をあたえて、町の外れで積みこめるだけの食糧を買わせた。原住民が買いに来たので、土地の商人は疑いもせず、値段もボリもせずに、大量の商品を売ってくれた。  それが終ると、今食糧を買い出してくれた原住民に、犬橇全体を売るように交渉した。その原住民は、町を出ないうちに、犬橇が三つも買えるだけの現金が入ったうえに、これから先の困難な旅につき合わなくてもよくなったので、大喜びで橇ごと一式を彼らに譲った。  最初は教授を橇の馭者台に坐らせた夫人は、 「疲れたら私もそこに坐って走らせるわ。だから、二人だけで、これから旅を続けていきましょう。今は少し体を休めておくわ」  と中から指示した。  教授の考えでは、この人間の世界の最後の町でしばらく滞在し、土地の役所と連絡をとりあったうえで、情報などをたしかめてから出発したかった。  その方が、二人の消息が不明になっても、必ずその最期はいつかは故郷に伝えられる。ここで連絡を切ってしまうと、永久に行方不明になることさえ考えられる。死を目前にしても、まったくの行方不明は人間として怖ろしいのだった。 「どうして三姓の町で、官憲と連絡を取らずに出発するのですか。我々の旅行は乾隆帝の勅許状もあるのです。役人は決して止めはしませんし、ここで確実な情報を掴んで出発した方が、結果としては近道かもしれませんよ」  犬に鞭を振り、向い風に唇を硬張らせながら、やっとビーナルド教授はそれだけいった。夫人は彼の後ろで叱咤するように答えた。 「夫が殺されたのはもうはっきりした事実です。私たちは、先だって泊った阿什河《アシホ》の町で、そのことを確かな情報として知りました。土地の役人は、相手の種族の名さえ知らせてくれました。情報はそれで充分です。もしこの町に私たちが入ったということが分れば、逆に彼らに情報が伝えられます。証拠を湮滅《いんめつ》されたり、彼らをいっそう森林や荒野の奥に追いやってしまうことになります。それより、あと十二、三日の行程でその地点に行きつけるそうですから、このまま橇をしゃにむに走らせて、彼ら長毛族《ツングース》のいる地域へいきなり入ってしまいましょう」  若い教授は、この婦人の思いきった計画に、いまさらながら感心した。もしユール夫人が男に生まれていて軍人になったら、野戦の名将といわれるようになるのではないかと思った。見事なほどの行動力であった。  二人の橇はそれからは、無人の雪原を走り続けた。一日に二時間から三時間しか太陽が昇らぬ北国の領域に入った。  極北地帯では、冬の方が旅行そのものはずっと楽であった。雪は自然のゆるやかな道を作り、暗夜でも星明りさえあれば、橇の通行には差しつかえなかった。草、灌木、虫その他、旅行を妨げるものはいっさい、雪の下で静かに眠っていた。  三日目の真夜中近くに、雪原の真中に小さな家があるのが見つかった。人参《にんじん》取りの仲間がお互いに協力して作り、いつでも自由にそこへ行って泊れるようにしてある小屋であった。  人参取りの仲間に入っていなくても、次に来る人のための食糧を二、三日分、軒下にぶら下げておくことによって、誰でも利用することができるしきたりになっていた。  まる三日、ときどき犬たちを休ませるための仮眠をするだけで、ずっと薄暗い雪原を走り続けだったので、中からぼんやり灯が見えると、さすがに二人はそこで一休みしたくなった。  戸を叩くと老人が出てきた。  目の前に自分たちとは顔付きがまるで違う二人の男女が立っているのを見ると、ひたすら怖れ入って中に案内した。どうもこの付近をときどき武器を持って通りすぎ、抵抗する人々は片っ端から虐殺して歩く、ロシヤ人密猟者の仲間とでも思ったらしい。 「どうかここで休んでください」  今まで自分が寝ていた寝具をあけてくれた。  老人の言葉は、清国政府の役人が話す公用語をまねしたもので、よそゆきの改まった場合だけに使う官話という言葉であった。このあたりの人々は、この官話は世界中のすべての人々に通用すると信じている。二人とも清国本土を縦断してやって来たこの二《ふた》月以上の旅で、官話なら大体分るようになっている。老人の言葉はぎごちないだけにかえってよく分った。  一《ひと》間きりの狭い小屋では、他に寝る所もない。スワン夫人を老人の代りにその寝具の中に入れると、チャールズ青年は、老人とともに、土間に旅人用に敷き詰められている藁の間にもぐりこむことにした。 [#ここから1字下げ] そのとき、……一瞬、青年の視線が、夫人の胸元に釘付けになった。 それは灼けつくような視線であった。 ああ神よ、このわずかな過失を咎《とが》めたまうな。 [#ここで字下げ終わり]  ユール夫人は、そのままでは寝苦しいので、何気なく上衣の胸をゆるめたのである。白い胸があけられ、乳房の隆起が横から瞬間のぞいた。彼女はまったく青年の視線に気がつかず、久しぶりの寝台にゆったりと横になった。  夫人は青年の動揺にはまったく気がついてもいなかった。  長い旅の間に親子のような馴れ合い方になり、ついついと油断が生れていた。それは実はこの何ヵ月かの間、青年の心を苦しめ抜いてきた行動でもあった。  人間は弱いものである。神がそのように作られた。チャールズ教授も、その弱い者の一人であった。  若い教授は土間に横になり、寝藁《ねわら》にくるまったが、急に気持が昂《たか》ぶってきて、いつまでも寝つけなかった。一人|悶々《もんもん》と寝返りを打って、その苦しみを押えつけようとした。すると、隣りに寝ている老人が小声でささやいた。 「お前様方は夫婦ではないのかね。夜寝る前に、なぜ番《つが》わないのかね。わしのことだったら遠慮することはないね。わしはもう老人だ。あんなことに興味はねえ。すぐ寝ちまうからね」  青年はあわてて老人にいった。 「いや、とんでもないことだ。あのお方は私の大切なご主人の奥様です。私はあのお方をご主人の所にお届けする、単なる下僕にすぎません」  必死に言葉を選びながらそう答えたが、しかしそれは狼狽《ろうばい》ぶりの明らかな、しどろもどろの答弁であった。  二人の小声でのやりとりは、そのとき寝台にいた夫人の耳にすべて届いてしまった。もちろん二人のやりとりの意味するところは、夫人にははっきり分る。  黙って寝たふりを続けていたが、今の教授の狼狽ぶりに、彼の苦しみを初めて彼女は覚ったのだった。  男と女という二つのセックスの違いを、旅に出てから初めて強く意識した。 (これからは、もっと慎重に行動して、あの若い人を苦しめないようにしなくては、私たちの旅はかえって世間から批難されるようなものになってしまうわ)  口の中で呟やき、ややはだけていた胸元をきっちりと合せた。  故郷のスコットランドにいたときは、いつも人妻であるという自覚が去ったことがなく、間違っても人につけこまれるようなことをしたことはない。青年を苦しめたのはすべて自分のせいである、という悔悟の思いが強く湧き上ってきた。  翌日からは橇の中に眠って夜明かしするときも、原住民の小屋に泊めてもらったりするときも、彼女は行動に慎重になった。止むを得ず着換えするときなどは、まったく青年に気づかれないようにした。  目的地が近づくと、地勢はにわかに峻険になった。  特に凍った大河を越して対岸に入ったときからは、断崖の道が多く、登りも下りも橇の運行は二人には難しかった。それでも二人が聞いてきた目標の集落には、橇であと一日行程に迫ったことが分った。  途中の集落で、犬と橇とを、そこに住む住民の長老にやってしまった。道が険しくてもう橇では行けないからだ。代りに二日だけ、五人ばかり男の労力を提供してもらって、荷物を担《かつ》がせた。  清国の係官の情報で知った、夫が殺されたと伝えられるフートンという住民の集落へ向った。朝から晩まで山道を歩き続けたが、その日の夜には着かなかった。夜道をそのまま歩き続けて、やっと住民の集落に着いたのは、明方に近いころであった。  集落といっても、柳の枝を丸い芯にして、まわりを鮭《さけ》の皮を縫い合せて作った天幕が、二十戸ばかり立っているだけの粗末な集落である。事前に、この二人がやって来ることが伝わったら、たぶん一夜で跡形もなく消滅してしまっていたろう。  彼らが森の中から湧いてくるようにして近寄ってくるのを一番先に発見したのは、小屋の前で食事の仕度をしていた早起きの女たちであった。彼女らは突然目の前に現われた外国人二人を交ぜた隣りの集落の男たちの一団に仰天して、金切声を上げて、小屋の中に逃げこんだ。  たちまち狭い集落は大騒ぎになった。女たちは小屋の中で幼ない子を背中にくくりつけ、歩ける子供は袖の下に抱えて、裏口をこじあけて逃げ出した。集落の男たちは、手槍や斧を持って飛び出してきた。  ユール夫人は、このとき何者も真似することのできないような絶大な勇気を示した。毛皮の外套を脱ぎ、フードも取り、豊かな金髪をゆるがせて肩に流した。胸も腰のあたりも、その曲線がくっきりと見えて、女性らしい姿が誰の目にも明らかな薄いドレス姿になった。  官話であったが、もし集落の中にそれを知っている人がいたら、はっきり分るように、ゆっくりとしゃべった。 「私は女です。あなた方と戦うために来たのではありません」  ドレスを持ち上げている胸のふくらみや、鹿皮の長靴をはいたスカートの下の長い肢を見ると、住民たちは急に戦意を失って黙りこんだ。  異国の女がかつてこの土地にやって来たことは一回もなかったので、かえって彼らの目には神秘的なものに写った。 「私は神の召使いです。あなたがたに神の教えを伝えに来たのです」  その神の召使いという言葉を、住民たちは文字通りにとった。まず長老が武器を投げ捨て平伏すると、残りも皆、無条件に平伏して、彼女の次の言葉を待った。  彼女の毅然とした態度が、住民たちを慴伏させた。まさに神がこの世に現われた姿であった。  怖れおののいている皆の前で、夫人の厳《おごそ》かな声が続く。一族の中に官話を少し分る者がおり、また案内人の隣り村の者の中にも、かなり官話が分る者がいる。二人の男が、まるで神の怒りを伝えるかのように、それを訳してしゃべる。 「私は神の命により、先年この集落へ来た同じ神の使いの一人の、神父のことを調べに参りました。もし貴方がたの中で、その男の消息を知っている人がいたら、何でも隠さず申し述べてください。たとえ貴方がたの中に、仮に神父殺害の犯人がいたところで、自分からここで申し述べさえしたら、神は決して罰したりはしないでしょう」  そう言われると、まず真先に集落の長老格の男が、怖れて震え出した。  神の目を何人も逃るることはでき得ない。神を讃うべきかな。  もはや、二年前、集落の中で秘かに始末してしまって、誰一人外部の人間に知られていないはずの事件を、この女の神は直接皆の前でここで行われたのだとはっきり示した。これこそ本当の神に違いないと、全員が思った。  長老は地面に何度も頭をこすりつけながら、述べはじめた。 「どうか……お許しください。たしかにあの人を殺したのは、ここにいる者たち皆でございます」  地についた手が押えきれないほどに、細かく震えだす。大粒の涙が手をついた雪面に次から次にこぼれて、表面が丸くとけるほどだった。彼らが今にも体中が粉々に砕けるのではないかと、畏怖しているのは明らかであった。  夫人もあらかじめ覚悟していたとはいえ、やはり大きなショックを受けていた。たとえ九十九パーセントは駄目と分っていても、最後の一パーセントに、彼女は賭けていた。全身が動かない身でもいい、盲目の捕われ人でもいい、ぜひ生きていてもらいたい……という願いも、ここではっきり無になった。 「すべてを言いなさい。いつわりのない申し述べがあれば、誰もおまえたちを罰する者はおりませんよ」  やっとまた住民たちは口を開き出した。 「……私たちは、毎年、お役人に差し出すため、大変な苦労をして、赤|貂《てん》と黒貂の毛皮を集めるのですが、その納入の時期が来ますと、さっと、どこからか赤髪のロシヤ人の一隊が鉄砲を持ってやって来て、むりやり取り上げていってしまいます。それでお役人からはきびしく叱られるし、その皮の代りに貰えるはずの衣料や食物がいただけないので、私たちは一年の間、喰うや喰わずの生活をしなければなりません。この二、三年、あちこちで続けて同じような被害にあったので、今年こそは先に待っていて、油断を見すましてやっつけてやろうと思っていると、ロシヤ人とまったく同じような顔をした人間が、一人で舟に乗って河を下って来たという報告がありました。そこで私たちが見に行きますと、その男が岸辺でちょうど、小枝を拾って火をつけ、食事の仕度をしていたので、もう事情は何もきかず、いきなり『このロシヤ人め! 今までよくも、おれたちの物を奪いとって苦しめたな!』といって、手槍を体中に投げつけたのです」  覚悟はしていたとはいえ、初めて聞く夫の最期《さいご》は、あまりにも惨《みじ》めであった。……だが今の彼女は神の化身であり、皆の前で涙を一滴でもこぼすわけにはいかない。蒼白の表情をひきつらせ、胸の中での慟哭《どうこく》を必死に押えている。気丈に問いつめていく。 「それでその人は、どうしました」 「体中に手槍がささり、最後の一つが頭にあたって頭の鉢が割れ、それが生命とりになりました。しかし私たちは、そのときもっと怖ろしいものを見たのです」  長老は今でも怖ろしいものが目の前に迫ってくるかのように、体を震わせていった。 「そのときのことでした。私たちはこれまでそのお方が、どのように傷つかれようと、呻《うめ》き声一つあげず、じっと私たちのことを見つめていられるのに気がついたのでした。その人はいよいよ生命が尽きるまぎわになっても、一語も口から出されず、むしろ微笑さえ見せています。私たちは全員、冷たい氷につけられたように、ゾーッとしてこのようすを眺めておりました」  この打明け話は、夫人にもチャールズ青年にも、激しい感銘をあたえた。夫人は今にも声を上げて地面に打ち伏して、大声で泣き出しそうになるのを、必死に耐えていた。 「あのお方は、あなた方の罪を代りに引き受けて、神にお許しを願っていたのです。そしてご自身の体を、神への|いけにえ《ヽヽヽヽ》に自ら捧げたのです」  このあたりの原住民にも、神に|いけにえ《ヽヽヽヽ》を捧げるという習慣があるらしい。このユール夫人の言葉は、よく理解できただけでなく、人々の胸にやはり同じ感動をあたえたようであった。遠くで聞いていた女たちの中には、地面に突っ伏して泣き出す者が次から次へと出てきた。  長老は最後に声を震わせて、彼ら二人の旅行者が思いもしなかったことを言い出した。 「私たちも、この方はただのお方ではない。このままほうっておいて、祟《たた》りがあるといけないと思って、この土地でも一番見晴しのいい、河を見下す崖の頂上に丁重に葬り、お祀りしております。年に何度か全員でお墓にお許しを願い、災いが起らないよう、皆で一緒にお祈りするのです」  それは二人に、この長い旅に来てやはりよかったと思わせる、感動的なできごとであった。  さらにもう一つ感動的なことが起った。自分らの小屋へ入った住民が小さな袋を抱えて、戻ってきた。その部下の住民が差し出す袋を、長老は受けとってから、黙ってユール夫人の手に捧げた。夫人がいぶかりながら袋をあけると、中には宝石のついた指環、ミサに使う銀盃一個、寒暖計と磁石、手帳、ペンなど、スワン神父の遺《のこ》した品が詰まっていた。  中国の商人から官憲、そして広東商館の船便の中に入れられて届けられた銀の十字架を除けば、そこにはすべてが揃っていた。  彼ら住民たちは、神を怖れてか、何一つ私《わたくし》しないで、大事に遺品を取ってあったのである。それを受取った夫人は、気丈な声で命じた。 「お墓へ案内してください」  長老を先頭に、住民たちは、夫人と青年を取り囲むようにして、ぞろぞろと崖の上に登って行った。一番高い崖のとっ先の、氷のとけた時期なら岩を噛む黒竜江の流れが見下せる位置に、粗末な土作りの墓が、雪をかぶって丸く盛り上っていた。  崖の上のその墓はただ一つで、孤独の中に悲惨な最期を遂げた神の使いの、毅然とした生涯を示すかのように、静かに黒竜江の流れを見下していた。  夫人は丸い雪の山の前に跪《ひざまず》いて、祈りだした。うつ向いて祈る夫人の目からは、さすがに、ひっきりなしに大粒の涙がこぼれ落ちたが、それは幸い住民たちには見えなかった。ただ、若い教授だけは、横にいてそれを知った。夫人の体中から、これまで必死に張り詰めていた気力が抜けて、女らしい悲しみを漂わせた祈りの姿になっているのを知った。このまま力一杯彼女を抱きしめてやりたいような哀しさであった。  二人はこの集落の大切な客人として、滞在していた。もう一週間近くになる。  長老は自分の小屋をあけて提供してくれた。  もっとも長老には、あちこちに子持ちの女が何人も待っているので、彼は寝る所には困らない。女たちは長老が、自分一人で小屋にひきこもることがないのを、むしろ歓迎しているようでもあった。  神よ、未開の民の淫行を今しばらくお許しください。  教授はその間、この近辺の地形を調べたり、夏冬の気温の条件を聞いたりした。  彼がスワン神父を訪ねることを理由にこの辺境へやって来た真の目的は、ここで充分に達成できそうであった。夫人の勇気ある行動によって、住民の信頼は完全に得られた。  神の紅い花が実ったら、彼らの生活の上にさらに呪術的な力を発揮するであろう。その薬効を知らされれば、紅い花を崇《あが》め尊ぶことはあっても、それを勝手に持ち出したり、粗略に扱うことはあり得ないであろう。  このあたり手の届く限りの斜面一帯を神の畑として、全員に手伝ってもらう。何年かして、全員が協力して作り出した薬品は、ペテルブルグの政府か、広東の貿易商を通じて、本国の薬事監に送る。これだけの畑があれば、戦傷病者の手術には充分に間に合う。同時にこの近辺の病人、けが人に、あたえて治療に使えば、聖書の福音以上に確実に神の言葉を伝えることになり、原住民にはいっそう信頼されることだろう。  教授はこの人跡まれな荒野こそ、悪魔にして天使のこの花を咲かせるための、最も適当な土地と知った。  ただこの仕事に、何も知らぬユール夫人を巻きこみたくなかった。彼女の夫の行動さえ誤解される怖れがある。  聖なる意志で、純一無垢の願いをこめてするつもりであっても、陰にかくれている危険な部面を無視しているわけではなかった。  エカテリーナ女帝とは完全に連絡と確認をとって保護を要請したところで、どこからかこの大きな収穫を狙っての、掠奪隊がやってくる怖れは消えない。黄金の何倍もの値がつく品物だ。  ここで夫人を祖国に送り返し、代りに少数の学生を派遣して作業を手伝ってもらうのが理想的だ。学生は二、三年で交替させる。その方が帝室の薬事監と小まめに連絡がとれて、自分がここで、地味だが重要な仕事に従事していることが、つねに中央に伝えられる。将来の栄進にも有利である。  結局チャールズの結論はそこに達した。すべて命じられた調査はすませたのだから、一度、夫人を送って報告と計画説明のため文明世界に戻ろうとも考えた。  一週間目が終り、夫人の精神が落着いたころを見計らって、二人は一緒に断崖の墓にお参りした。はるか目の下に白く凍る黒竜江の氷面を見下しながら、夫人に訊ねた。 「これからどうなされます。ご主人のこともすっかり分りましたし、後始末もつきました。このうえ、こんな蛮地に長居は無用だと思いますが」 「ええ、危険なことはよく分っています。でも……」  ユール夫人は、大きい瞳をチャールズ教授に向けていった。 「……いまさら夫のいないスコットランドの邸に戻ってどうなりましょう。私は一生、夫の墓を守って、この土地に住みます」  これは若い教授にとっては、考えてもいなかった返事であった。 「何をおっしゃられます。私には王室から命ぜられた仕事がありますから、それが軌道にのるまで、何年かここに残る義務があります。しかしあなたはご主人の最期を知るという目的は達せられたのです。すぐグラスゴーへ帰らなければなりません。スワン家のお兄さま夫婦も、館の雇い人の方も、皆、貴女がお帰りになるのを待っています。ともかく、明日か、明後日には出発しましょう。私も三姓か吉林までは送ります。そこでは清国官憲が、あなたを安全に、英国の商館がある広東まで送り届けてくれることでしょう」 「いいえ、私はやはりここに残ります」  彼女は強く言い、あの言い出しては絶対に後へはひかない決意を見せ、神の福音を未開の民にあたえる仕事につくことを、若い教授に厳然と宣言したのであった。  ああ、神の意志をほめ讃えるべきかな。  彼女は生命を終える日まで、以後この未開の蛮地で聖なる仕事に従事し、神と崇《あが》められたのである。  ただし、グラスゴーの信仰深き市民よ。  以後二人の消息は、英国本土へ送られることはもう無かった。当グラスゴー主聖堂伝道協会の独自の調査によると、二人はなお、約十五年ぐらいはその土地に住み、原住民に神の使者として尊崇《そんすう》されたことが伝えられているのみである。しかしその最期の様子については、住民たちに伝承されたものは何もないし、彼らは二人ともほぼ同時に死んだという以外は、住民は何も知らない。今日でもまったく何も分らないのは、はなはだ遺憾であるが事実である。 [#改ページ] [#小見出し] ※[#「Dダッシュ」] (昭和五十七年 グラスゴー市)  グラスゴー主聖堂伝道協会が編集した『先覚伝道師双書』の中の『蛮地の神』という一篇を、私は甥に手伝わせながら、五日間で読み終った。  五日目には、昌彦はさすがに辛そうであった。一日中、暗い書庫の中だ。無駄話もできず、体を動かすこともはばかるぐらいのひっそりした雰囲気の中で、ただ本を読み続けるだけである。  もし日本にいて、これだけの本を読みきる根気が昌彦にあったら、きっともっとまともな大学へ堂々と入っていたろう。  もう一つ彼の図書館通いを辛いものにしていたのは、このところ夜になるとホテルへ連日、ロンドンから電話がかかってくることであった。  相手はあの、飛行機で逢った金髪の娘であった。別に聞き耳をたてるわけではないが、電話口に向って大声で話すので、話の内容は自然に耳に入ってくる。  お互いにまた会いたくてたまらなくなってきたらしい。  私から見たら、昌彦は頭の方や態度の方も、大して冴えた男の子ではないが、スタイルや顔は、もっといかさないボーイだった。典型的な胴長、短足だし、顔は平べったくて、鼻が低く目が小さい。私はテレビしか見ないので、知っているスターはテレビのブラウン管の中にしかいないが、強いて言えば、体型的には武田鉄矢、顔では、なべ・おさみが、一番よく似ていて、この甥の雰囲気を伝えるに適している。  とうてい、あの足のすらりとした金髪美人が、向うから惚れこんで迫ってくるような男の子ではないと思っている。  しかしこれは、きっと私が古い人間だからではないだろうか。大正生れは太平洋戦争の戦力の殆《ほとん》どを供給した、戦死者の最も多い、哀れな世代だ。たとえ運強く生き残っても、徹底的に痛めつけられた敗戦時の劣性コンプレックスは抜けず、それが、日本の男など外人娘にもてるはずがない、という諦めになっている。  しかし本当はそうではないのかもしれない。何しろ日本の国力、特に経済力は、この二、三年、世界の経済を脅やかすほどの成長を見せた。それとともに、短足も、小さい目も、彼ら白色人の男性にはない特長として、評価されているのかもしれない。  五日目、私は本を読み終えてほっとしていた。ホテルでの夕方の食事もうまかった。それとともに、着いたときはそれほどにも感じなかった旅の疲れが、体の奥底からどっと出てきた。  ベッドに寝転がりながら、甥の昌彦のロンドンとの長い無駄話が終るのを待っていた。終るとすぐ聞いた。 「向うは、ロンドンから何ていってきてるんだね」 「リバプールの劇場に出ている楽団の一つで、土地ではなかなか人気のあるランスロットという楽団があるんだがね……そこでギター奏者のポストが一人あいているらしい。少し手伝ってみたらといってきたんだ」 「行っても一緒にやれる自信があるのかね」 「まあ、だてに大学は落第したわけじゃないよ」  妙なことで胸をそらした。 「ほう、大きく出たな」 「これは誰にも内緒だよ」  誰もいないのに、あたりを見まわして声を細めた。 「学校が終ってから、進学用のきびしい塾に通うということにして、実はジャズ喫茶でアルバイトしていたんだ。かなり夜おそくなったんだが、特別にしごかれていると思っている両親からは何もいわれなかった」 「君も相当な悪|がき《ヽヽ》なんだな」 「実はギターで身をたてたかった。人間にはそれぞれ分に応じた才能というもんがある。大学へ行きたくもないし、入れもしないものが、いやいやながら勉強しても仕方がないだろう」 「そりゃそうだ。いいとこに気がついた。私もそれには賛成だ。しかしギターで喰うのもまた大変だぞ」 「喰えるかどうかは分らない。それでもせっかくチャンスがまわってきたんだから、オーディションだけでも受けてみようと思っているんだ」 「いつオーディションがあるんだね」 「明日だ。二十人ぐらい受けるらしい。イギリスも今は、失業難で大変らしい。だが人気商売だ。少し新機軸の出る変ったタレントがほしいんじゃないかな」 「なるほど。ここで短足にちっこい目が生きてくるというわけかね」 「まるでゲテ物扱いだね。でもまあ、向うの本音もそんなものかもしれない」  いちおう、分を心得ている。 「私の仕事はもう終った。しかしここでまだ四、五日はゆっくりしたい。これは仕事じゃないが、もしかしたら逢えるかもしれないと期待している人が二人ばかりいるんだ。しかし君はもう私にこれ以上つき合う必要はない」 「それじゃ、ロンドンへ行ってもいいかい」 「ああ、明日の朝の列車で行きなさい。向うへ着いたら、そこのホテルの場所をすぐこちらへ連絡してくれればいいよ。それからは自由だよ。日本へ帰るときに一緒に帰れればいい。あとはもう二人は別々にこの旅を楽しもう」 「ぼくはホテルには泊らないよ」 「えっ」 「彼女のアパートに泊るのさ」 「そいつは豪勢なものだ。でも二人で仲好くやっているときに、変な大男が入ってきてピストルかナイフを突きつけるというようなことがないといいな」 「その大男は、彼女がロンドンへ帰りついたときはいたそうだよ。彼女はヘレンというんだがね、あちこちの楽団と、そのときどきに契約して唱《うた》って歩く、フリーの歌手だそうだ。相手もギター弾きだったんだそうだ」 「ほう。よっぽどギター弾きが好きなんだな」 「体の上を指が這いまわる。それがギター弾きは皆デリケートで上手で、たまらないそうだよ」 「えらく突っこんだところまで電話で話しこんだものだな」 「まあ、聞いてくれよ。彼女の相手がアル中とマリファナでいかれて、腕がふるえ出した。ギターの仕事も無くなったうえに、指先のテクニックも急速に駄目になった。それで二人は話し合いのうえ、先日、きれいに別れたそうだ」 「なるほど、そこで急遽、君が後釜に選ばれたというわけかね。彼女の求めているのが柔肌を這いまわる指先のテクニックだけなら、短足も小っこい目も関係ないわけだな」 「しかしまだ後釜と決ったわけじゃない。アパートに泊って、仕事の方のオーディションも受けるが、夜の技能に関してもオーディションを受けてから、すべてが決定だそうだ」 「なるほど、そいつは現代的だな」 「うまくいけば、ひと月の間彼女のアパートで同棲して、リバプール劇場で働く。リバプールに、小さいアパートを借りてあるそうだよ」 「かなり売れてる子なのかね」 「けっこう人気のある歌手らしいよ」 「きれいな子だったからね。オーディションがもしうまくいかなかったら」 「すぐ戻ってくるかロンドンで待ってるよ。伯父さんと一緒にフェリーでドーバーを渡って、パリを二人でお上りさんで見物して歩こうよ」 「まあ、そうならないように君のためにも祈るよ。どうせ大司教には、二、三日後には呼び出されてお話しすることになっている。大司教から神様にお祈りしてもらえば、私が手を合せるよりは、ちっとは効目が多いのじゃないかな」 「そこまで入れこんでくれなくてもいいよ。今んところ、ヘレンの方がすっかりぼくの魅力に参ってのぼせ上っている。女なんてのは、心が参ってるときは、テクニックなんて本当はどうでもいいんだよ」  かなりよく分ったことをいう。私が思っていたほど軽薄な男ではなかったようだ。 「それだけ女の心がよく分っていたら、あの娘は絶対手に入るよ。だがね、冗談から駒が出るという古い例えの言葉がある。二人とも燃え狂って、結婚したいなんて言い出さないでくれ。大阪の母さんが卒倒しちゃうからな」 「まあ、そんなことにはならないだろうな。結局のところ、こちらの男の方がカッコいいからな」  さめている部分もちゃんとあるのだった。 「それじゃ、荷物を整理して、明日は出られるようにしなさい。駅まで送ってやろう」  私たちの話はそれで決った。しばらくして話しかけようとしたら、もう甥は軽いいびきをかいて眠りこんでいた。  翌朝、私はホームで、グラスゴー駅を八時三十分に出る列車を、ずっと立ったまま見送っていた。  列車は、カーライル駅を昼前に通過し、同じ道を戻り、まだ明るいうちにロンドンへ着く。甥には今夜からわくわくするような青春のハプニングが起る。  残された私は、一人になって、急に心細くなった。昔は一人で満洲まで渡ったのに、今ではこんな文明の世界にいて、何か不安なのだ。年をとったのだ。だらしがないと、我ながら情なかった。  本当は私はこの町へ入るときには、……それはほんの六日前のことであるが……もっと心昂《たか》ぶるものがあった。昔ほどではないが、多少の正義感のようなものの、爆発といえないまでも、沸騰か、もう少しおだやかな言い方で、醗酵状態のぶつぶつ泡だちぐらいはあったのだ。  司教と四年間暮していたときには、敢《あえ》て語ったことのない、ハルピン傅家甸《フジヤデン》地区の大観園の人々のことを、あらためてこの主聖堂の責任者と話し合ってみるつもりであった。  そんなことをしても、いまさらどうしようもないことは判っていても、あの土地で、百五十年前に植えられた最初の紅い花が、やがて北満洲一帯にばらまかれて、あの民族的な大きな腐敗と堕落を招いたことは、もう確実であったからだ。  だがこの町へ来て知ったことは、誰もそんなことは考えてもいないということだった。当の関係者にしてもそんな現実を知らない。皆すべての宗教関係者に共通する、自分の行なったことは神の意志に沿う正しいことだったという信念をゆるぎなく持って行動している。  私はこの町で一体、何をするつもりできたのだろう。すべてが私一人の無駄なあがきではなかったかと、痛烈な自己嫌悪に陥っていた。  ちょうどホームのはしに、鉄柵で囲まれたスタンド式の軽食堂が、営業を始めたところであった。  ホテルへ帰って一人で食事をしてもつまらない。そこへ入り、ハンバーガーにコーヒーを頼んだ。食事を終えたら、何もかも忘れて、二、三日ぐっすり眠り、それから、町や郊外を散歩してから、ロンドンへ戻ろう、そう思った。  コーヒーはすぐ出された。口をつけると、かなりいけた。  しゃべるのと違って、教科書のような英語の書物を、五日も続けて読んで、神経がすっかり疲れていた。  それに最初の勢いが挫《くじ》けたとたん、もうまったくだらしがない自分を感じるばかりになっていた。  もしここで私に若いときのがむしゃらさがあったら、まず二百年前の若きビーナルド教授の功罪を問うところから、聖堂のしかるべき責任者を呼んで対決したろう。  しかし今となっては、私も四十年前にその仕事を手伝った罪の意識が先にたってしまう。他人の非難などとんでもない気分である。  奉天から新京へ向う亜細亜《アジア》号で会った、美しい十六歳の娘も同じ仕事をしていた。私は彼女を指さして非難できるだろうか。とてもできはしない。それどころか、このグラスゴー市にいると知って、今は灼けつくように胸が熱くなり会いたいのだ。本当は彼女に会いたいという思いの方が、三十七年の間じっと胸の中で練っていた私の計画の真の理由だったのだろうかと、考えたほどであった。  ソニヤの母であり、ワシリー老少将の情婦でもあった女も、実はこのグラスゴーから、あの辺境の土地へ派遣された、神のような純一無雑の信仰厚い娘であった。  彼女らが宗教的な浄らかな情熱で、原住民たちや戦場で傷つく兵士のために、紅い花を栽培したことを、非難できる者など、誰一人いないのだ。  ここへ来たときは、私は少し頭がおかしかったのだ。三十七年間もの長い間、一般社会から無縁の無為徒食をしていたことが、すっかり私をぼけさせていたのだ。  この静かな町の大きな権威と対決などはもちろんであるが、私はここではこれから何もできないことも、もう分りかけてきていた。  ひどい無気力に陥った。神を信ずる善意で語られたら、私のいっさいの抗議や究明は何の力ももたなかった。 「ああ、お探ししましたよ」  突然、スタンドの表のガラス扉をあけて、男の声がした。  リチャード主任司祭が、白い法衣をつけた姿で、せかせかと入ってきた。スタンドの女の子も客も、皆、この司祭をよく知っているらしく、目礼する。ここへ来るときの列車の車掌が言ったように、この中年の主任司祭は、グラスゴーの町では大変な顔ききであるらしかった。  私はもうこれ以上の無駄な真相のほじり出しをやめて、もしできたら、昔の知り合いの二人の人にちょっと逢わせてもらってから、早々にロンドンへ去ろうと思った。ここで主任司祭に会えたことは好都合であった。彼も同じ用件で私を探していたのだった。 「大司教がぜひお会いしたいといっておられます。もう九十三ですが、お耳も達者で、気持もしっかりしておられます。ただいささか、お年のせいで気が短かくなっておられるようです。それで一昨日あたりから、お会いしたいとのご催促がしきりでした。そのたびに、あなた様が伝道師双書をお読み終りになるまでといって、お待たせしておりました」 「昨日の夕方でやっと読み終りましたよ」 「ええ、それを係の修道僧から聞きましたので、さっそく今朝、ホテルへお迎えに行ったのです。そしたら駅へ出かけたというので、びっくりしました。もうお帰りになってしまったのでしたら、猊下《げいか》はどんなに落胆なさるかと思いまして。幸い甥御さんだけが先に一人でロンドンへお戻りになられるのを送りに行ったのだときいて、ほっとしました。そうですよね。若い人がいつまでも、こんな田舎の町にぐずぐずしてるのは、辛いことでしょうからね」  彼が一人でしゃべっている間に、ハンバーガーを急いで喰べてしまい、コーヒーを半分残して、彼の方に向っていった。 「それで猊下はどこでお待ちですか」 「ホテルの前に車を待たせております。それで一緒に行ってください。このごろはもうお年で、儀式のとき以外は主聖堂の方には出て来ません。実家のスワン家へお戻りになって、直接のお孫さんではありませんが、お兄様や妹様のお身内のお孫さんや、ひい孫の方々に囲まれて、平和な毎日をすごしておられます」  私は少し胸が明るくなってきた。さっきのひどい無力感の後、今度は急に元気が出てきた。自分では今まで気づいたことがないが、どうも躁鬱の気配があり、交互に出てくるようだ。六十すぎになって、やっと自分の性癖に気づくなんて、私もずいぶん迂闊だが、なかなか人間は自分のことには気がつかないものだ。  私たち二人は、駅を出ると、正面にあるホテルの玄関前に止められている車の所に行った。小豆《あずき》色の上品なロールスロイスだ。日本では、天皇家の人とか、宮中に信任状捧呈のため参内《さんだい》するときの外国の大使しか乗れない車だ。時代物だが、磨きこまれたいい車だった。  二人が車に乗ると、まるで滑るように動きだした。発車のショックも、車の震動もなかった。エンジン音さえ殆ど聞こえなかった。さすがに世界の名車の風格充分だった。  スワン家の富と、この土地に於ける旧スコットランド帝国以来の家格の高さを、いまさらながら思わせるものがあった。  町の外れからは、緑のゆるやかな畑や森が続いた。昔、チョコレートの箱によく描かれてあった、典型的な西洋農村の、美しい風景だった。  リチャード司祭は私にあたりを指さしながらいった。 「このあたりの田園は、まだ殆どスワン家の領地です。ここは古い昔のままの社会制度が、ヨーロッパで残されている唯一の国です」  門は広々とあけられ、車はゆっくりとその間を入って行く。両側には頭が丸く刈りこまれた同じ背丈の木が、まるで護衛兵のように並んでいた。造園も見事である。  門から白い館《やかた》まででも、約五百メートルはあったろう。もう何百年も土地の名門であったスワン家の地位や富を、訪れてくる人々にこの館は無言のうちに示している。 「猊下は殆どここにおられるのですか」 「ええ大体は。しかし重要な儀式が主聖堂にはたくさんありますから、五日と続けてはいられませんよ。大司教猊下でなくては、参列した方々が承知しませんからね」 「そうでしょうね。神様の代りですからね」 「それに今でも人事や、運営の責任のいっさいを握って、修道の人々や、幹部の司教・司祭の人々を、きびしく監督なされております。教えの道に対しては、いささかの妥協もない聖者のようなお方ですからね。なぜ、こちらへわざわざお招きしたかというと、聖堂裏の司教館というのは、意外に個人の秘密が守られないのです。もう九十歳を越されて、なお現役の大司教でおられると、後に続く大司教適任の碩学《せきがく》の司教職の方でも、途中で寿命が尽きて昇天されてしまう方がたくさん出てきます。もう七十をすぎた司教方の中には、この何年もじっと心の中で、大司教のお亡くなりになる日を祈って待っている方が多いのです。それで一種の陰謀が司教公舎の中に渦巻いておりまして、それぞれ有資格者の司教たちの派閥ができています。誰がどんな人と会って、どんなことを話したのか、その日のうちに洩れてしまいます」 「そうですか。この世界も大変なのですね」 「何しろ我がグラスゴー主聖堂派の中では、大司教は、ローマ教皇に匹敵する地位でありまして、定員はただ一人、イングランド国教派のカンタベリー大僧正とは、公式の場合は対等にお話しなさいます。国王の戴冠式にこそ出ませんが、戴冠式直後、このグラスゴーにお出でになった国王に、あらためてスコットランド領の王たる冠を、ここの主聖堂でおかぶせする儀式は、大司教猊下が直接お勤めになります」 「なるほど大変な地位なのですね」  車は玄関に着いた。何人かの執事、下僕、女中などが、並んで出迎えていた。  私は身のひきしまるような緊張を覚えながら、車を下りた。米兵とその相手の女が群れている、東京都郊外の国電の駅の前の、小さな不動産屋の親父を迎えるにしては、大げさにすぎる。これは猊下と私との古い友情の現われなのだ。  リチャード主任司祭は、この召使いたちに軽く会釈しながら、私には自慢するようにいった。 「司教公舎では、大司教猊下との接見は、こう簡単にはいきません。先例のやかましい世界ですから。ここですから気軽に入って行けるんです」  どうも私はとんでもないことをしてしまったようだ。いくら三十七年間、ただじっと、この日のことを考えていたとしても、今の自分の立場と、相手の立場を考え合わせてみれば、これは本当は奇蹟のようなできごとだったのだ。もっとも、私はこの人がもう死んでしまったと思っていたし、呼んでくれたのは先方の意志だから、ここで遠慮することは何もなかったのかもしれない。  広い廊下が続く。よく磨きこまれたフロアーは、土足でそのまま通るのには気がとがめたが、しかしこれがヨーロッパ社会でのしきたりであるから、そのまま歩いて行く。  広間には、丸い大きなテーブルがおかれて、そのまわりには何人もの人々が待っていた。  三十代ぐらいの青年とその夫人が、たぶん、この今のスワン伯爵家の当主らしい。右側の上席にいた。  他に十五、六歳ぐらいの少女から、六十ぐらいの老婦人まで、約十人ぐらいの人々が席についていた。いずれも背広やワンピースの普通のドレスであったが、もしその衣裳を替えれば、十七、八世紀の上流貴族の社交生活がそのまま出現しそうな感じであった。  リチャード司祭と私は、ホールの入口で一礼してから中へ入った。私たちのためには、最上席の真向いになる席が二つ用意されていた。  私たちが席の後ろに立つと、すぐに六十ぐらいの執事が席の横で、一種の形式を持つ発声で、皆に宣言した。 「大司教猊下がお出ましになられます」  やはりスコットランド唯一の名門らしい、固苦しい凝った食事の儀式だった。  正面奥の扉があいた。  白衣の老人が、もう若くはないが、それでも美しさの残っている、六十近い婦人に支えられるようにして、歩いて入ってきた。皆はこの一門の最長老で、この家を出て宗門に入り、グラスゴー主聖堂の大司教の位まで昇りつめられた聖者を、頭を低くたれて迎えた。  私は一礼してから、顔を正面に上げて大司教を見た。大司教も立ったまま私を見つめた。その鋭い目が和み、微笑みが浮んだ。  そこには私がよく知っている、異郷の辺土で激しい気迫で伝道に従事していたころの、壮年時の神父の姿があった。  そして今一人、私は、あの青春の時代、ソ連の参戦という異常の事態にまきこまれて、ついにお互いに別れなければならなかった、美しい一人の少女の面影をそこに発見した。  私はしばらくは呆然として立ちすくんでいた。それは複雑な感情であった。立ったまま目は凍りついているように見つめていた。  感動が胸の中に沸騰しそうなのをやっと私は耐えた。  大司教は大きく頷くと、一番先に席に腰かけた。他の一門の人々もそれに続いて、いっせいに腰かけた。まだ立ったままの私は、リチャード主任司祭に袖をひっぱられ、最後に腰かけた。  宗団の世界では、司教と司祭とは、同じ神父でありながら、絶対に越えられない身分の差がある。軍隊の将校と下士官の差に似ている。曹長のリチャードが元帥の前で、物もいえないでいる状態だった。  やがてテーブルに、スープや前菜が運ばれてきた。  司祭が私に小声でいった。 「お話しは後でゆっくり、大司教猊下の私室で行われます。ここではお互いに何もお話ししないことが、しきたりになっています。もっとも、先方からのご質問があったら別ですが」  私は無言で、その注意を聞いた。そして人々と同じように、できるだけ音をたてないように気をつけながら、執事や召使いたちが次から次へと運んでくる料理を味わっていた。それは、おそらく最高の材料を、最高の腕の料理人が、精魂をこめて作り上げたものであろうが、緊張と感動のあまり、私にはその味は殆ど分らなかった。  時間がそのまま十八世紀の世界に戻ってしまったように、食事は、悠々としたテンポですすめられていった。  私は日本を出るまでは、この五、六年ずっと、元禄回転寿司に、吉野家の牛丼、大王つけ麺の、くり返しのワンパターンで、胃袋がひどく小さくなってしまっている。初めの三分の一ぐらいで、もう一杯になってしまい、次から次へ出てくる珍らしい料理も、どれも形式的に一口味わうだけで、大部分残してしまった。  一緒にテーブルに坐って食事をしている人々は皆、呆れるぐらいの健啖《けんたん》ぶりで、皿が何皿重なろうと、その大部分を余すところなく片づけていく。  約二時間近くかかって、食事が終った。  その間、コーヒーが出てから、執事がテーブルのまわりをゆっくり歩きながら、私に対して、一人一人、この家の人々の社会的な地位や大司教との間柄などを名前と一緒に紹介したのが、この会食のただ一つの発言であった。  食事が終ると、大司教と、彼の老体を支えていた初老の婦人が、先に立ち上り、奥の部屋に去り、続いて、この家の人々も、それぞれ私に一礼して去って行った。  こんなおかしな食事は初めてだが、これがスコットランドの上流貴族のしきたりなのであろう。広いホールに私たち二人はそのまま残された。誰もいなくなったので、安心してリチャード主任司祭に訊ねた。 「奇妙な昼食会ですね。これから一体どうなるのです」 「別室で、猊下がごゆっくりと、あなたとお話になります。今の食事はあれで一つの重大な意味があったのです」 「ほう、どんな意味がですか」 「大司教猊下は、スワン伯爵家にとっては、最も大事な方であり、同時にこのスコットランドに於ても、国を代表するような偉大なお方であります。遠い異国からいらっしゃってそのお方とお会いになるお方に、一族が皆で敬意を表したのです」 「そうですか。あれは私を歓迎してくれていたのですか」 「ええ」  そこへ執事がやってきた。 「談話室で猊下がお待ちしております」  私たち二人は執事に案内されて、またこの邸の広い廊下を歩いて行った。  奥まった所に、重い木の扉に閉された部屋があった。大司教が待っていた。  先ほどのあらたまった法衣は脱ぎ、ゆるやかなガウン姿になっていた。  そして九十三歳の大司教のかたわらには、先ほどと同じように、初老の、それでいてまだ若々しさと美しさを失わない婦人が控えていた。  入口で主任司祭は、私を一人中へ入れると、私の耳にささやいた。 「大司教猊下におかれましては、とても大事なお話があるそうです。それで、私は遠慮します。直接お二人でお話ししてください。今日の聖堂での仕事はすべて副主任司祭に任せてありますので、私の時間のことはお気になさらないでゆっくりとお話しください」  扉はしめられた。談話室の中は、私と大司教と、その付添いの女性とだけになった。 「こちらへ来なさい。君がいつかきっとやって来ると思って、待ちかねていましたよ」  私は猊下の前まで行き、うやうやしく一礼した。 「お久しぶりでございます」 「ああ、本当に長い間だったね」  猊下がさし出した手を、腰をかがめて、私は両手でしっかり握った。骨の上に皮がかぶさっているようで、殆ど肉というものが感じられない枯れきった掌であったが、それでも不思議なぬくもりがあった。  なつかしさで瞼が熱くなってきた。  大司教との挨拶が終ると、私は隣りの初老の婦人の前に行った。  しばらく二人は見つめ合ったままで、何も言えなかった。婦人は立ち上った。  どちらともなく、しっかりと抱き合った。  声もなく私たちは抱き合って、何分もそのまま泣いていた。 [#改ページ] [#小見出し] ※[#「Cダブルダッシュ」] (昭和十六年─二十年 [#小見出し]    満洲・黒竜江沿岸フートン)  二月に入っていたので、沿岸一帯の夜の気温は、もう零下三十度をはるかに越していた。  そのうえ私と老少将は、もう三、四日、満足な食事をしていない。それでも私たちに最後の勇気をあたえてくれたのは、これで私たちの旅が終るということであった。  鞭がひびき、突撃の声が低く強く発せられると、私たちの馬|橇《そり》は岸辺を転がるように下り、河原を走り出した。この最後の疾走を終えれば、長い苦しい旅が終るということは、橇をひいている馬にも分るのであろう。殆《ほとん》ど腹に何も入れていない馬たちでさえ、老少将の鞭に応えて、いつもよりもずっとスピードを上げて走り出した。  中に詰めた雪が凍りついて、ずっと氷詰めになっているソニヤが眠っている黒い棺は、雪の上を大きく跳ねながら、ひきずられていく。  あたりには何一つ妨げる物のない河川敷だから、もしほんの小さい灯りでも点けていたら、大河の両側に配置されているソヴィエート極東軍団の警備兵の誰かの目には必ず見つかる。  この河は、国防上の理由から、もう長いこと、民間人の勝手な渡渉《としよう》は許されていなかった。もし見つかったら、周辺の軍隊の中でも特に射撃に勝れた優秀な狙撃兵の的になる。  オロチョンやギリヤークの原住民で、最近、この川で生命を落した者が多い。彼らは殆ど世間との交渉のない原住民で、野獣が何も知らずに氷結した河を渡るように、何の罪の意識もなく河面《かわも》を渡っては射殺されている。渡河禁止令を知らないということは、つまり国から言わせれば、ソヴィエート連邦の社会組織の中に組みこまれてない民である。  人間でなく、野獣と同じ扱いをしてもかまわない人々である。死体は調べられもせずに放置される。冬はどこからか狼や烏《からす》がやって来て、見る間に喰い尽くし、跡形もなくなってしまう。夏は河の流れにまかせて、遠く樺太《からふと》まで押し出され、北極海の中に姿を没してしまう。  それは最初から承知で、私たちの馬橇は、昼間定めた目標に向って、暗がりの中を走っている。ずっと月は出ないはずだ。  しかしあれほどの静寂と緊張は、私の生涯に二度と味わうことはなかった。馬橇はすぐ氷上に出た。下が水の、河面の部分だ。その幅だけで三キロぐらいある。このあたりは、黒竜江でも最も広い部分だ。橇は跳ね、馬の蹄鉄が氷に当って、小さな火花を発した。そんな火花など、小さくて、か細く、瞬間的なものなので、とても遠い両岸からは見えないとは分っていても、私は一人で肝を冷していた。  ワシリー老少将は、決して馬を休めさせない。最愛の娘を失ったそのときから、彼の行動には、死を見つめたものだけにある、ひたむきな純一さがあった。  低く呟やいている。 「行け! 第七軍団! 誇りあるコザックの強者よ」  棺は氷面で、凹凸にぶつかり、跳ねると、今にも割れそうに飛び上る。しかし特別に丈夫に作られているし、周囲には何重にも太いロープを回してあった。蓋が外れて中のものが飛び出したりする心配はまったく無い。それでも、氷の角にぶつかって音をたてるたびに、中で静かに眠っているソニヤのことを思って、私の胸は痛んだ。  彼女の死に、私は責任がある。つまらない暴発さえ起さなければ、二人はまだハルピンのあのホテルで、新婚の楽しい夢をむさぼっていられたのだ。  そして老少将のワシリーは、可愛い一人娘に孫の生れる日を楽しみに、夜は近所の酒場で、昔の軍団の仲間の老人たちと肩を組んで、古い軍歌を唱《うた》って騒いでいられたのだ。  二人は体中の肉がそげて骨が浮き出すような苦労の末、いつ始まるか分らぬ一斉射撃におびえながら、国禁の渡河をする必要などまったくなかったのだ。  しかしそれは考えても仕方のないことだった。私たちはただ走った。寒さも、怖ろしさも、やがて意識の中から消えた。  射たれたときは……死のう。そばにソニヤの棺がある。それでいいではないか。二十歳の生命が少しも惜しくなかった。  三時間以上も走り続けた。大きく斜めに横切って上流に向ったので、全力疾走にかかわらず、予定よりずっと多くの時間がかかった。しかしその時間の経過も、私にはまったく念頭になかった。  正確には、河原に下りてから何時間たったのかは分らない。突然、馬橇は高い切りたった崖の下に、ぶつかるようにして止った。  老少将は飛び下りるといった。 「うまく着いた。私はこのあたりに長いこといたから、ここが間違いなく目的の場所だと分る」  そして棺をひきずっている縄を切った。 「ピストルは持っているね」 「ええ」 「それで、三頭の馬を射って殺してくれないか」  あまりの意外な言葉にびっくりして、ワシリーを見た。 「わしの息子よ」  ワシリーは悲しそうに首を振った。 「……辛いのはわしも同じだ。しかしこの崖を馬たちは上ることはできない。といってこの何一つ喰べ物がない河の上にそのまま放置して、徐々に迫る飢えの中で自然死させるのは、あまりにも残酷だ。額に銃口をあてたまま引鉄《ひきがね》をひけば、そのモーゼルの弾丸ならパワーがあるから、一発で死ねる。それが馬を愛するコザックたちの慈悲なのだ」 「分りました」  馬は激しい運動の後で急に止ったので、体中に汗が浮び出していた。いつもなら、凍結しないよう、すぐボロ布で体中の汗を拭いてやるのだが、そのままほうっておいたので、白い水蒸気が、夜目にもはっきり分るほど、まわりに立ち昇っている。  馬も空腹だろう。私が近づくと、これだけ働いたのだからきっと何かもらえると信じきっているかのように、口を動かし、頭をすりつけるようにしてくる。  私は涙をこぼしながら、一匹ずつ、その額に銃口をあてて処分した。信じられないというように、悲しい目を見せながら、馬は空腹と疲労をいやすこともなく倒れていった。  橇の中には、私らの寒さを防いだ毛布類の他は、何の荷ももう無くなっていた。 「ここへおいておけば、春になるまで雪がかくしてくれる。雪がとけるころは、氷もとけて、黒竜江がすべてを流してくれる。この崖下はどこからも死角になって、最も見つかりにくいところだ」  老少将はそういいながら、下にスキーをつけている棺の所へ行った。これまで橇の本体にくくりつけてあった二本のロープの端を切って、一つを持った。 「わしの息子よ。あんたもそちらの方を一つ持ってくれんかね」 「ええ、そうします」  私は肩にロープを担《かつ》ぐようにした。 「この崖を登ろう。ほぼ垂直だから、ここを警戒している者はいない。しかしここは登れる。小さい道が刻んである。わしはこれまで何度も自分で登り下りしたからよく分る」  二人は崖に取りつき出した。  いざ登り出してみると、小さな手がかりや木の根があり、垂直のため、かえって雪がかぶさっておらず、それを見つけ出すのは容易であった。  ときどき、真横に走る三十センチから五十センチぐらいの小さな棚が、ベランダのようにあり、そこに棺をひき上げて、一休みすることができた。  凍りつくような寒さだったが、体中には汗が吹き出していた。こまめに拭かないと、怖しい凍傷のもとになると分っていても、片手で棺のロープを握り、片手で崖にとりついているので、その余裕はまったくなかった。  それでも私は若いからいい。老少将の気力には感心した。棺はソニヤの体だけでなく、一《ひと》月余りの旅の間、死体を腐敗から防ぐため、雪を詰めてある。それが凍結している。何倍もの重さだ。そして私たち二人は、ここ何日も食事らしい食事はとっていない。それでも老少将は黙々として崖を這い登って行く。肩のあたりは巌《いわお》のようにガッチリとして、揺《ゆる》ぎがなかった。  これは人間の最後の気力であった。あるいは二人とも、その所持している体力の限界はとっくに越えて、あとは気力だけで動いていたのかもしれない。私はかつてただの一度も、神や仏を信じたことはないが、このときだけは、人力を越えた神の意志が、私たちの体に力を加えて応援してくれたのだと、思わないわけにはいかなかった。  殆ど、意識もなかった。ふと目の前が平らになった。三つの石碑が河面に向って立っていた。頂上についたのだ。二人は地面を這って進んだ。まだ背中に重いロープをしょっていた。油断はできない。しかし自分の体を持ち上げる必要がないので、そのぶん急に体は楽になった。  頭から雪面に顔をつっこむようにして、最後の気力を振り絞った。重さが急にずしりと応えたが、それがこの旅の苦しみの最後であった。棺が崖の上に登ったのであった。  そこからごくゆるやかな降りになっている。  崖の下から見たら分らないが、やや低い斜面に小さい墓が一つあった。その墓のかたわらに棺をおいた。 「ここが、ソニヤの母のローザの墓だ。明日ゆっくり、母の横に並べて眠らせてやろう。私たちの旅の目的はこれで達せられる」  雪の中に棺をおくと歩き出した。 「この先に、土民たちに教えを伝える神父の館がある。たぶん、まだいるはずだ。そこへ行こう。これで私たちも死なずにすんだ」  急に疲れが出てきた。汗もどんどん凍りついてくる。ほんの百メートル先の、小さなお堂風の家からは灯りが洩れていた。それは久しぶりに見る、人間の住居であった。  半分もうろうとして倒れかかりながら、小屋の前まで来た。  ノックした。なかなか開かなかったが、 「私だ。ワシリー・ウラジミールだ」  老人がいうと、やっと警戒を解いたらしく、扉が中からあけられた。そこはたしかに人間の住居だった。五十歳少し前ぐらいの男が、手に、ろうそくを持って立っていた。寝衣の上に白いガウンを着け、黒い聖帽をかぶっていた。 「ウイリヤムス司教、ワシリーです」  そう老人はいった。  宣教師らしい初老の男は、驚きながらも、もうろうとして立っているワシリーにいった。 「ワシリー、いまさらどうしてここへやってきたんだ」  奥からは、分厚いキルトのガウンをつけた少女が出てきた。  少女はワシリーの存在を知らないらしい。だがワシリーと一緒に中に入り、今にも倒れそうな私を見て、その宣教の神父にいった。 「わたし、この若い人を知ってるわ。ハルピンに行く列車の中で会ってお話ししたわ」  その声は私の耳にたしかに入った。しかし私にはそれを逆にたしかめる力は、もう残っていなかった。室内のぬくもりと、久しぶりに聞く人間の言葉、しかも耳に柔らかい女性の言葉に、はりつめていた気力が急に抜けて、そのままそこに倒れてしまった。恥しい話だが気を失ってしまったのである。  結局、まる二日は、私もワシリーも、前後も覚えずに、雪の中の小さな聖堂の中で、眠りこけてしまっていたらしい。  目をさましたときは三日目だった。  粥《かゆ》を持ってきた娘が、口に運んでくれた。 「今日あたり、ソニヤさんの棺を、お母さんのそばに葬ってあげましょう。起きる元気がある? 老少将は、もう大丈夫だといってるわ」  その娘にいわれて、私は試みに半身を起こしてみた。何とか起き上れる。黙って口をあけて喰べさせてもらうなんて男の恥だ。 「自分で喰べますよ。こうして坐っていられるんだから」  と、粥の椀を取って、喰べ出した。それは粟《あわ》だった。黄色い色と、温かさと、甘い味は、長く私の記憶となって残った。  外からワシリー少将が戻ってきた。もう起きていたのだ。  いくら年をとっていても、コザックの軍団長の体はまったく筋金入りだった。半年前まで都会の軟派学生だった私とは、鉄製と木製ぐらいの違いがある。頭の雪を振り払いながら、半身起している私に声をかけた。 「ああ起きていてよかった。今、土地の人々にも手伝ってもらって埋葬しようと思っていた。そういつまでも、地面の上に置いておくわけにはいかないからな。あんたを起しに帰ってきたんだ」 「起してくれれば、朝からお手伝いしましたのに」 「いや、今日は礼拝日で原住民たちが大勢集っている。仕事の手には事欠かないんだ」  私は立ち上った。その娘もいつも着ているキルトの上下の服に、毛皮の外套をつけて、私と一緒に外に出た。  寒気は相変らずきびしかったが、珍らしく陽が照っており、それにもかかわらず、眩しい陽光に反射しながら粉雪が舞って、顔や帽子に降りかかってくる。  崖の頂上の三つの墓よりやや下った斜面に、小さな墓があった。私は娘と並んでその方へ歩いて行きながら中国語の官話できいた。 「あなたの名前は? この前おうかがいするのを忘れてしまった」 「メアリヤよ。スワン・メアリヤ」  私はまだそのころ、スワン家がどんな家系か知らない。白鳥なんて珍らしい苗字だなと思ったが、そうだ満洲の建国大学には、有名な歴史学者で白鳥庫吉博士という方がいるから、これは別に珍らしくもないかと、そんなことをとっさに考えていた。  墓のまわりには、三十人ぐらいの男女がいた。  いかにもこのあたりの原野に住むらしい、皆|精悍《せいかん》で野性的な顔だちをしていた。男は弓と矢を背中にしょって、腰に刃幅の広い刀を吊っていた。  女は必ず一人か二人の子供を連れていた。  三、四人の原住民の男が、雪をはねのけ、凍った土をつるはしで砕いて、墓を掘っていた。  いかにも固そうな凍土を、平気で砕いては掘っていく。  これは原住民たちの原始的な体力が無くてはできないことであった。老少将も、壮年の神父も、さすがにこの凍土には手が出ないらしく、黙って見ている。掘りすすみ穴が大きくなるとともに、女たちはいっせいに跪《ひざまず》いて祈り出した。 「メアリヤ、この墓の中の人は誰なんですか」  と私はきいた。  メアリヤも近くで跪きながらいった。 「わたしの母の姉に当ります。神父様の妹です。ローザさんという方です」  中の棺が見えるまで掘るのには、まだ少し時間がかかりそうであった。その間にメアリヤは小声で、私にもよく分る単語を選んで、ゆっくりと官話で話してくれた。まだ私は英語が殆ど分らなかったときだった。  ウイリヤムス司教、つまり彼女の伯父に当る人が、すでに伝道の人の絶えた、この黒竜江畔の小さな聖蹟への旅を思いたったのは、私がそこに行ったときよりは二十五、六年も前のことになるらしい。  ちょうど第一次大戦の頃で、傷病兵が町に溢《あふ》れていた。そしてその身体障害の兵が、もし戦陣に、すぐれた麻酔薬が充分に供給されていたら、それほど傷を重くしないうちに手術ができて、半分以上は障害者とならないですんだときいたとき、司教の若い胸は騒いだ。  スワン家の一族で、若くして司教になり、エリート中のエリートとして、教団の中での、どのような栄達も思いのままの身であったのにもかかわらず、人類救済のため、ウイリヤムス司教はじっとしていられなくなった。  優れた先覚者の伝記である伝道師双書の愛読者でもあった司教は、百年以上も前の、パウロ・マキシム・スワンや、その夫人のことをよく知っていた。それで、自分がこの辺境の地に行き、原住民たちを教化しながら、悪魔の花といわれて忌《い》まれている芥子《けし》を、もう一度秘かに栽培しようと思った。決して一般の吸飲者に渡らぬようにして、傷病者の苦痛を救うためには、自分が直接、人類の文化から離れた僻遠の土地に行き、私欲を離れ原住民を教化しながら、純粋な気持で栽培し、精製を手伝わせなければならないと考えた。一歩誤まれば、人々を限りない悪魔の世界に追いこんでしまう。  もう現在では、かつて十八世紀にこの土地へやって来て、今、崖の上に眠っている、神父や教授のように、ただ純粋に人々を救う意志だけで、紅い花を栽培できる時代ではなくなっていた。ここで最初に根を下した紅い花の種子が、いつのまにか北満洲一帯に悪魔のようにばらまかれ、欲の深い人々の大事な財源になっていた。  イギリスが、広東を中心にして、阿片戦争を起した関係で、これが人間を堕落に陥れる薬であり、なおかつそれを承知で扱えば、たいへんな利益をもたらす物と皆に判ってしまい、もっぱらその堕落用に栽培する人ばかりになっていた。うっかり紅い花を咲かせていると分れば、付近の盗賊にも、官憲にも、たいへんな誤解をあたえる。  それでウイリヤムス司教は、黒竜江畔のこの人外《じんがい》の誰にも知られぬ秘境を先人と同じ考えで選び、再び自ら身一つで赴《おもむ》くことにしたのだった。  それを知った彼の妹は、兄に従って、その僻遠の土地に行き、ともに伝道を助け、薬草の栽培や、麻酔薬の精製を、手伝うことにした。聖者のようなその娘は、同時にスワン家の伝統の血をひく美しい人だったらしい。そのうえ人間の苦しみを助けようとする神の如き慈悲心の持主であった。  二人はたいへんな苦心をして、何代か前のスワン家の先祖が第一歩を印し、原住民たちに神と崇《あが》められた聖地に入ることができた。  最初の伝道師、パウロ・マキシム・スワン神父や、その後継者と思われているチャールズ・ビーナルド教授、そしてその妻で、原住民たちからは実際に神と思われていた、ユール夫人が死んだ年からも、もう百五十年近く経っていた。それでもウイリヤムス・スワンと、妹のローザ・スワンが、この土地へ辿りついた一九一八年の春先には、土地の人々は皆、紅い花でいっさいの病気を直し、苦痛から守ってくれた女神や、神の使いのことをまだよく覚えていた。彼女の話は、祖父母から父母へと代々語り伝えられてきていた。  これまでも、何か苦しいことがあると、集落の人々は、この三つ並んだ、もう碑文も明確でない墓にお参りして、再び神の使いと、彼に守られた女神の到来とを待っていた。  だからこの二人の到着は、待ち望んでいた奇蹟の再来として、受け入れられた。二人の生活は、原住民の協力の中で何の支障もなく始まった。  メアリヤはようやくそこまで語った。母方の伯父と伯母に当る兄妹の、身命を賭しての宣教の活動が、きっとこの現代娘を、まだ若い身空にかかわらず、文明世界から隔絶した辺境の地に馳《か》りたてた原動力になっているのであろう。この娘や伯父の姿を見ると、私は、まるで自分とは違った別種の人類を見るような思いがしていた。  穴を掘っていた原住民たちが、急に何か言い出した。舌がこすれるような発音の多い原住民たちの言葉が、ざわめくほどに聞こえだした。  私とメアリヤは、墓のまわりまで近づき、中を覗《のぞ》きこんだ。  一年を通じて気温の低い土地では、腐敗度が少いのか、原住民たちの手作りの木の棺が、その底に殆ど痛まずに横たわっていた。  老少将は跪き祈っている。  ウイリヤムス神父は、立って祈りの言葉を、低く、しかも荘重な声で誦していた。  原住民たちが、ここまで私たち二人が運んできた黒い木の棺を、縄でくくり、そっと下しだした。ソニヤの棺は、母親のローザの棺の横に、ぴったりくっつけるようにして並べられた。  ワシリーのあたりはばからぬ号泣が起った。これだけの涙、これだけの声が、まだこの老人に残っているかと思うほどだった。地にうち伏し、固く凍った雪の上に、顔が押しつけられた。チューリン・ホテルで娘の死体を見たとき、殆ど無言でいたのが、信じられないくらいだ。  原住民たちも、いずれも悲しそうにしていた。  メアリヤは言った。 「わたしはここへ来たばかりですから、詳しいことは何も分りませんが、ソニヤさんは、五つになるまでは、ここで母親と一緒に暮していたそうです」 「ワシリーさんはどうしていたのです」 「その間は行方不明だったそうです」 「なぜ」 「後でゆっくり、伯父かワシリーさんから聞いてくれませんか。わたしもよく知らないのですが、革命が起って、ロシヤの大部分が赤軍のものになったとき、ワシリーさんはこの土地で、セミヨノフ中佐という軍人と一緒に、帝政派のために、ゲリラ戦で抵抗していたらしいのです」 「そうか。前にそんなことを少し、ソニヤから聞いたことがある」  日本では尼港事件といわれている虐殺事件と結びついて、この話をきいたことを思い出した。しかし私には、まだ老人と、この下に眠っているローザという女性と、その娘で私とほんの一日だけの結婚生活を送ったまま、この世を去ったソニヤとの、さまざまの事情は、少しも分らなかった。  二つの棺が並べられると、しばらくの長い祈りが終った後、棺の上に土がかけられた。再び凍土の下に、その棺がかくれていく。ワシリー老少将の号泣とともに、原住民の女や子供たちの間に、いっせいにすすり泣きが起った。  メアリヤも跪いて祈った。 「わたしはお二人とも、直接には存じません。でも住民たちの殆どは、ローザ様を知っています。つい十五年ほど前まで生きていらして、皆に祈りや歌を教えたり、傷や病気を治してあげたりして、神様として慕われていたようです」 「そのときソニヤはどうしていたのです」 「五つのときまでここにいましたが、どこからかまた飄然と現われた、コザックの隊長のワシリーが、黙ってさらっていってしまったらしいのです。住民たちもワシリーとの間の子とは知っていましたが、可愛いソニヤは、ワシリーがこの土地の人に加えた悪い印象が消えていないのにもかかわらず、皆にとても可愛がられた人気者だったのです。それを一番可愛くなるころ、今そこで泣いているワシリーが、また連れていってしまったのです。あの男は、昔の帝政時代、このあたり一帯の原住民には鬼のように怖れられたコザックの軍団長でしたし、その後何度か、この集落には災いばかりもたらして、今でもひどく嫌われています」  そう言われれば、皆、怖ろしそうな目でワシリーを見ている。  そしてときどき、原住民どうしが、両方の手から指を五本と二本出した七本の指で合図しあっている。これはシベリヤ地方、黒竜江地区一帯を管轄して勇名を馳《は》せていた、第七コザック軍団を表わす合図のようなものであったらしい。  すっかり土がかぶせられ、小さな墓標がそこにのせられた。雪がまた降ってきた。  原住民たちは再び短い祈りを捧げると、一人去り、二人去りして、たちまちそこには誰もいなくなった。  冬の日は短い。  彼らも生きている限りは、働らかなくてはならない。まだ明るいうちに、やることが一杯残っているのだろう。  墓標の前で、呻《うめ》くようにして祈っているのは、ワシリーだけになった。  原住民たちが去ると、吹きさらしの崖の上は急に寒気が増してきた。火が燃えている聖堂の中の居間に、司教と娘と私とは、ワシリーを置いて、そのまま戻ることにした。ワシリーを残すのが少し気になったが、ウイリヤムス司教が彼を一人だけにしてやりなさいという合図を手ぶりでした。  私たち三人は、小さな聖堂で身をよせ合うようにした。火は何よりもありがたかった。  ようやく体から寒気による震えが去り、口のこわばりや、手のかじかみが無くなった。 「さっきは中途でしたから、もう一度喰べ直してね……。大丈夫よ、ここには食料はたくさんあります。赤軍が薬品と引換えに、いくらでも持ってきてくれるのです。手術用の麻酔薬では、世界中探しても、ここで出来る以上のいい薬はないのです」  私はやはりここで、今でも紅い花が栽培されていることを知った。しかし今、この人たちの、神のように清浄で慎ましい生活を見ると、それに対して何もいうことができなかった。そんな資格は飛びこんできた私にはないのだ。  少くとも、二人の宗教者は、病苦や、けがの痛みを救おうという、本当の純粋な気持だけで、この仕事をやっているのが、ここへ来て初めて分ったからだ。  芥子の花は本来は、人間を病苦から救い、けがの痛みから免れさせるために、神の遣わされた賜物《たまもの》かもしれない。それを、あまりにも効果が抜群のため、悪魔がねたんで、人間を堕落させるための力もまた、あたえてしまったのだ。  だからこそ、人々の目を怖れ、こうして全人間の世界と孤絶したところで、彼らは秘かに作業しなければならないのだ。  私はさっきの続きの二度目の温かい粥で、やっと満腹した。 「ワシリーを呼んできて休ませなくていいのですか」  私はウイリヤムス司教に聞いた。 「いいのです。あの人はもうここへは戻ってこないでしょう」 「え」  意外な言い方に聞き返した。 「ワシリーは、私がまだ彼のことを決して許していないことを知っているからです」  これはまるで考えてもいなかったことであった。 「しかし、二日か三日前、……はっきりは分りませんが……夜中に私たちがここへ転がりこんできたときは、あなた方は私たち二人を助けて、受け入れてくれたではありませんか」 「あのようなときは、お二人をお助けするのは、聖職に従事し神を信ずる者としては当然のことです。しかしそれでもって、あのワシリーのなした、悪虐ともいうべき罪を許したものではありません。あなたは気がつかれましたでしょうか。住民たちの、ワシリー少将に注がれた、怖れと怒りの眼差しを」 「怖れまでは感じていました。それはこのあたりに君臨していたコザックの軍団当時の、乱暴なふるまいに対する怯《おび》えからと思っていました。まさかそれが怒りとまでは……」 「住民たちの皺深い表情には、怒りと悲しみは、しばしば同じような形で現われてきます。それでお気がつかれなかったのでしょう。皆、本当は、殺してやりたいぐらいの憎しみを感じていたはずです」  メアリヤは食器を片づけながら無邪気にいった。 「あら、わたしも、住民たちが殺したいと思っていることまでは気がつかなかったわ」 「君の知らない事情が、この土地にはまだまだ、いろいろあるんだよ。まあ、墓に埋めるまでは、可哀想な母と、小さいときに皆が愛した、可愛い娘のためへの仕事だから、殆ど集落中の人々が集って奉仕したのだけどね。棺がきちんと納められると、もう誰もワシリーを見向きもせず、慰めの声さえ一つもかけずに、嫌悪感をあらわに浮べて立ち去っただろう。それが何よりもの証拠だ」  言われてみれば、思い当る。しかしこれまで、雪の荒野を、もう死んでしまった娘の体を氷詰めにして、何日も飲まず喰わずに走り抜けてきて、最後には人間の体力、気力の限界まで振り絞って、崖の上に運び上げた、この老人の超人的な振舞いに、ただ感動していたので、私は迂闊《うかつ》にも、集落の人々の怒りの感情にはまったく気がつかなかった。 「そうですか……でもワシリーは一体ここでどんなことをしたのですか」 「あれこそ、悪魔のなしたわざです」  思い出すのも苦しいというような口調で、吐き捨てるようにいった。 「私の妹を強姦したのです」 「えっ」  あまりの激しい言い方に、さすがに何かの言い違えかと思って、聞き直した。とても聖職者の口から出た言葉とは思えなかった。 「革命の帰趨がはっきりし、各地で帝政ロシヤ軍やコザック軍が敗走しているときでした。私がここへ来て三年目の、一九二〇年の始めのことだと思います。二十年以上も昔のことです。ワシリー団長以下、将校団二十人ぐらいが、この集落へ逃げこんで来たのです。それまで視察や巡検に何度もやってきて、ペテルブルグ市経由で、私たちからのイギリス本国へ送る手紙や、物資……これは主に精製された薬品で、国王からいただいた封印がしてあって、イギリス軍政当局に送られるものですが……などの仲介もしてくれ、ときどきは本国より送られてきたプレゼントなども直接届けてくれたので、妹は将軍とはたいへんに親しんでいました。年も二十以上離れていたので、私ら兄妹にとっては、親戚の伯父さんのような感じでした。ロンドンの劇場でも見たことのある、チェーホフの有名な戯曲、ワーニャ伯父さんをもじって、私ら二人はそれまで将軍をワシリー伯父さんと呼んでいました。二人ともまだ若いときでしたし、ここでの定住と、神への奉仕が、ごく順調にいっていたので、人間への甘えがあったのです」  メアリヤは熱いコーヒーを入れてくれた。この辺境の集落でそんなものを出されて、私はびっくりした。仕事を終えホテルへ戻ってコーヒーを飲ませてもらおうとソニヤの体をゆすぶってみたら、ソニヤはもう冷たくなっていた。あれ以来、私はコーヒーを飲んでいないし、再び飲める日がくるなんて考えてもいなかった。 「それにワシリーには、首都ペテルブルグに美しい奥さんもあり、妹のローザと同じ年になる娘さんもいると聞いていたので、私はそんな事態になるとは思いもしませんでした」  口を歪めた。目は怒りで張り裂けんばかりになった。 「ワシリーに誘われて二人で庭へ出て散歩していた妹が、だんだん激しい声で何か言い争っているのが聞こえました。やがてそれが大きい悲鳴と、必死に私を呼ぶ声に変りました。私は飛び出して、妹を救けようとしました。まだそのときには、正確な事態は何も分りませんでした。しかも私は外へ出ることができませんでした。いつのまにか着剣したコザックの兵が戸口をふさいで、私を外に出さなかったのです。もしその現場を見ていたら、私は決して生きていなかったでしょう。一時的にせよ、私にその悲惨な状態を見ることをさし止められた、神の叡智に感謝します」  司教はいったんそこで深い祈りを捧げた。  そしてまた話を続けた。 「しばらくして、コザックたちは、私たちがこれまで集落の人たちと力を合せて作った、三万人の人々の傷の痛みを充分に治せるぐらいの大事な精製された薬を全部、根こそぎ奪って、風のように去って行ってしまいました。これが正しく病人やけが人のために使われるのなら、私たちも神から預けられた土地での労力を、神に無償に捧げられたことで、怒りもなく納得できるのですが、もしこれが邪《よこ》しまな快楽のため、高価で取引きされるなら、どれほどの人々を悪魔の手に渡し、苦しみの淵へ沈みこませるかと思って、慄然としました。しかし、私自身には、もっと怖しいことが待っていたのです。……妹が……私の大事な協力者であり、異郷の辺土での唯一の心の慰めであった妹が、庭の外れの草むらの上に、失神して倒れていたのです」  司教は、もう怒りの涙をかくそうとしなかった。こぼれるままに任せて、それを拭おうともしなかった。  メアリヤはそれから先を聞くのが辛《つら》かったらしい。 「そうはいっても、この寒空の下でワシリーさんをほうっておくのは、気の毒ですわ。わたし見て来ます」  毛皮の外套を上から着て、外へ出て行った。  一瞬、寒風が室内に吹きこみ、それにはかなりの量の雪が交っていた。夕方になって、冷えこみが強く、雪が激しく降り出したらしい。  若い姪が外に出たので、これから先の話がしやすくなったらしい。司教は一気にしゃべった。 「妹は下半身をむき出しで、そこに倒れていました。下着はボロボロにひきさかれてほうり出されています。私はそこに近より、誰の目にも触れないように、あわててスカートでむき出しの部分をおおい、担いで戻りましたが、その間も、傷口からの出血が、スカートを赤く濡らしていたのです」  怖ろしい話であった。  司教の怒りはよく分った。 「幸い、妹は十日ぐらい寝ていただけで、元気を回復しました。心の傷はともかく、体力的には、こういうことは、さして大きい痛手ではなかったのでしょう。しかし、それは、やがてたくさんの不幸を、妹の身の上にもたらしました。もうお分りでしょう。妹は身ごもり、やがて女の子を生んだのです」  私はただうなずいて聞いていた。 「もちろん、集落の人は、当日のコザックの連中の乱暴ぶりを皆知っていましたので、一人もこのことを非難する者はいません。他にも集落の中で、若い娘や人妻は皆、狂ったような軍団の将校、兵士の餌食《えじき》にされて、操《みさお》を汚された者がいたのです。やがて何人か子供が生れました。妹に生れた子はその中でただ一人の女の子だったせいもあって、皆に大事にされました。五つぐらいになるまでは、ソニヤは何の疑いも持たず、この土地で、楽しく母と二人で暮していたのです。私のことを父のようになつきながら、それでも、本当の父はどこか違う所にいるのだとは分っていたようでした。ときどき、本当の父のことをきかれると、私は冗談に『神様だよ。この世にはおられない』と答えることにしていましたがね」  メアリヤが、毛皮の外套を真白にして、一人で戻ってきた。 「どうしたんでしょう……」  雪を振り落した外套を入口にかけると、いぶかしそうな口調でいった。 「……いないわ……どこへ行ったのでしょう。探さなくてもいいの」 「かまわないよ。あの人なら雪の中で一人で生きて行けるだろうし、死にたくなったら一人で死んでいく人だよ」  三人は再び火の前で向い合った。 「それからはときどき、セミヨノフ軍に交って帝政復権のため働くワシリーのことは、新たにここの管理にのりこんできた赤軍の人や、イギリスからやってきた使いの中に交っている新聞などで知りました。特にびっくりしたのは、妹が事件にあったのが六月の始めでしたが、そのほんのちょっと前、この黒竜江の河口ニコライエフスク・アモーレの町で、日本人が百二十人も虐殺された大事件が起っていたのです。どうもその主犯がワシリーらしく、血に狂ったように殺しまわり、それから、赤軍や、シベリヤ出征の日本軍、そして自分の仲間の白軍といわれたセミヨノフ軍からさえ追われて、どこへも行き場もなく、ここへ逃れて来たらしいのです。妹に同行を迫り、断わられると、そのまま血に飢えた狼のように暴行したのも、そのときの兇暴な振舞いの余波が去らなかったせいかららしいのです」  再び、司教は妹のことを思ってか、黙って祈り出した。それから、メアリヤと私の前でいった。 「やがてあの男は、もっと許せないふるまいをもう一度したのです。ソニヤが五つになりまして、母にも愛され、住民にも愛され、まったく人形のように可愛く、ここでの本当の神様と同じに、全員の宝物であったときに、突然あの悪魔の使者が戻って来たのです。それももう三人か四人の集団でした。銃や刀を持っていて、発砲し、刀を振りかざして入って来たので、誰も怖れて抵抗できませんでした。軍服は汚れてぼろぼろになり、顔は髯にまみれて、誰が誰やら区別のつかない悪魔のような姿でした。あれから山野にかくれ、掠奪だけで生きる山賊のような暮しをしていたのです。敗残の兵だということが一目で分る落ちぶれぶりでした。しかし今度は、私たちの作った薬品類や、村落の人々が大事に貯えていた食糧にもまったく手をつけませんでした。その代り、もっともっとひどいことをしたのです。私たちの一番大事にしていた宝物、可愛いソニヤを、母の手から奪いとって、抱えて逃げて行ったのです……。あなた……この悪魔のふるまいを、私たちがどうして許せましょうか。子供を腕からもぎとられた母は、まるで気が抜けたようになって、それから三ヵ月もしないで死にました。妹を失った私の長い孤独な生活が、先日この姪がやってくるまで、それから十五年以上も続いたのです」  火のはぜる音だけがしばらく聞こえた。 「十五年ぶりにソニヤを連れて帰ってきたからといって、どうして許せましょうか。まして氷詰めの死体を持ってきたからといって」  ようやく私にはすべての事情が分った。  三、四日、その聖堂の小さい居間で過ごすうちに、私の体力も回復した。もともと二十代になったばかりで、人間の一生の中では最も元気のあるときだ。  少しぐらいの疲労は、体には何も傷となって残らない。もと通りになると、さて自分の立場に困った。  日本へはもちろん、満洲領にも、もう戻れない。一度、ソニヤの生命と引換えに、反逆の罪を許され、その代りに組織に忠誠を誓わせられた身だ。それが一言の断わりもなく出奔したのでは、もはや国家的罪人である。  もし満洲領に戻ったら、即座に逮捕、銃殺であろう。といって、日本人の身で、このロシヤ領土内でウロウロしているわけにもいかない。  どうしたらいいのだろう。招かれざる客の私は、さっそくにもこの聖堂からは出て行かなければならないだろうし。  そんなことを考えていると、それを察したウイリヤムス司教は、私を崖の上の三つの墓のそばまで誘い出して、そこで河を見下しながらいった。 「ここは、黒竜江随一の聖地として、帝政以来一貫して保護されています。昔の清国の役人もあえて調査に踏みこんでこなかったし、帝政ロシヤも、赤軍当局も、暗黙のうちに、宗教団の飛び地として保護してくれています。良質の薬がほしいからです」  昼のひとときは、陽のぬくもりが崖の上を全体に行きわたり、やがて来る春の到来を思わせる和やかさを垣間見せる。 「左の墓を見てごらんなさい」  司教はいった。 「チャールズ・ビーナルドと書いてあるでしょう」 「ええ」 「その人は、ここへヨーロッパから夫人を連れてやってきた人でしてね。そのときはもうこの真中の女の人の主人のパウロ・マキシム・スワン神父、つまり右側に眠っている人で、私たちの数えて五代前の先祖に当る人は……亡くなっていたらしい。夫人はその亡き夫に殉じてずっとここで一生を送り、それから十七年間生きて、四十三歳の若さで亡くなったのです。住民たちから神様といわれたのは、そのユール夫人のことです。とても美しかったらしい」 「その夫人のことについて、私は本で読んだことがあります。日本の有名な探険家で、間宮海峡の名のもとになった、間宮林蔵が書いた探険記に書かれていました。ちょうど夫人が亡くなられて二十年後ぐらいに、この近くを船で通り、住民たちが船べりから、粟や魚肉の細片を投げて、神に祈るさまが記載されています」 「それは初耳だ。もし将来世界が戦争をやめて、どの国も自由に行き来できるようになったとき、スコットランドへ来ることがあったら、グラスゴー主聖堂を訪ねてくれませんか。そこに開教八百年記念出版・先覚伝道師双書というのがあり、それにこの二人の生涯を記したものが『蛮地の神』というタイトルで入っています。メアリヤもそれに大きな感動を受けてやって来た一人です。スワン家の家系は、次男以下は大体、僧籍に入り、グラスゴー主聖堂の役職に就くことになるのですが、しかしただ坐って神に祈るだけのことでは満足できない、勇猛の血が流れているのです。女もまた同じでね」  だんだんと事情が分ってくる。 「いつか機会があったらこの墓の石摺りを作って、持って帰りなさい。何十年たとうと、また君の子孫の代まで伝えて、何百年後でも、スコットランドのスワン家は、それを持ってきた人を君と君の子孫の身分証明書として、丁重に客人としてお迎えしますよ。ところで……」  と一息つくと彼は言った。 「……私はチャールズ・ビーナルド氏のことを話している途中でしたね。事態を説明するのに手間どって、話が横道にそれてしまったが、ここが赤軍政府からも一種の宗教上の聖地として保護されているのは、このチャールズ・ビーナルド氏が天才的な植物学者であったからです。慎重に選別された優秀な芥子の花を育てて、そこから非常に純度の高い医学用麻酔薬を作り出した。ほんの耳かき一杯分の粉があれば、大きな手術が楽にできるほどのものです。ツアーの政府にはその収穫量の三分の一を納入することで、ロンドンまでの無償の輸送を引き受けてもらっている。それは毎年の陸軍公報に、黒竜江医薬品・出荷搬送記録としてのせられています。もちろん薬の内容は両国の極秘機密でしたが、第一次大戦直後に私がやってきて、その仕事を再開したときも、ロマノフ皇帝政府の陸軍はすぐあらゆる便宜を計ってくれ、続いてケレンスキー中間政府も、革命労農政府も、保護方針だけは続いて踏襲して、ここを法令の除外地区としてくれました。麻酔薬というのは、個人の技術力がそのまま出てくる薬で、機械で量産できないのです。ビーナルドの技術を正しく伝える私の仕事を、自分たちのためにも無視し、放逐するわけにはいかなかったのですよ」  広い黒竜江の凍りついた河面には、まったく何一つ見えない。ただ一つ、この崖の下に、どこからやって来たのか、たくさんの烏が群れているのは、あのとき殺した哀れな三頭の馬の屍肉にでもたかっているのだろうか。しかしこの崖の先に首を出しても、下のその場所は見えない。 「つまりです……私は少しワシリーから君の事情も聞いたし、君の身柄については頼まれています。ソニヤの夫なら、スワン家の一族といってもいい。日本にも戻れず、ロシヤの中を歩くわけにもいかないのですから、しばらく君はここで暮しなさい。ただし、その服で聖堂で寝泊りしてはいけません。ときどき巡察にやってくる赤軍の兵士に感づかれると、ちょっとまずいことになります」 「私はどうすればいいのです」 「まず、この土地の人の着る皮の服に着換えるのです。それから村の人と同じ所に小屋をたてて住むのです。それだと、村の人がしゃべらない限り、君がこのフートンの村に新しく加わったことは、誰にも分らない。幸い、君ら東洋人の顔は、皆同じに見える。仲間に入ってしまえば、外からは区別がつかないはずです。二年でも三年でも、こうしてここにいなさい。いつか私たちが元のイギリスに戻る機会があったら、そのとき、ごく自然な形で、外へ連れ出してあげましょう。もっとも、私たちが一生ここにいて戻らなかったら、君もここで神のために働いてください。何もかも神の思召し次第です」  私はその司教の申し出を承知した。どうせ一歩外へ出たら、生命はない。ソヴィエート側でスパイに対する取調べにひっかかることも、日本軍の反逆者に対する軍刑法の処断を受けるのも、いずれも今の私には死を意味することがよく判っていた。  これは生きていくための唯一の手段であった。  現在の私はもう還暦を二年も越しているが、そのかなり長い生涯の中で、幸せなときが一体どのくらいあったのかときかれたら、躊躇なく、それからの四年間の断崖の上のフートン村での生活をあげるだろう。  私の祖国日本は太平洋戦争に突入し、南海の空で大学の同級生がたくさん死んだ。殆ど全員が軍隊生活を経験し、たまたま戦後まで生き残れた友人も皆、死に勝る苦しみをこの四年間に味わっている。  大正九年から十年にかけて生れた赤ん坊が、太平洋戦争の中心を背負って働き、一番多く死んだ。そういう暗い運命をになって、彼らはこの世に生れてきたのだろう。  だが私はその四年間、村の人々や司教に保護され、この秘境で、平和で単調な、安逸の生活をむさぼっていた。私たちを遠くから監視しながらも、この生活に踏みこまずに、ずっと保護してくれていたソヴィエート政府も、実は、シベリヤとは反対のヨーロッパ地区では、たいへんなきびしい戦争をしていた。一時はレニングラード周辺までナチス・ドイツ軍に蹂躙され、付近の住民が全滅するような悲惨な状況が何年も続いた。  しかし、広大な領土を持つソ連では、その異常な事態も、極東地区までには及ばなかった。特に地方政府の管轄外の地区である我々の集落は、何の影響も受けなかった。ただ彼ら赤軍が私たちの精製した麻酔薬を取りにくる度数が多くなり、どうもそれは、この二、三年はイギリスには届いていないらしく、便りも途絶えたのが気になったが、生活そのものは今までと同じように保護されていた。 「きっと、ものすごい戦争が行われているのに違いない。薬がいくらあっても足りないのだろう」  崖の北側に向いた長く広い斜面に一面に咲く紅い花畑を見ながら、よくウイリヤムス司教は私に語りかけた。  五月から六月にかけて、いっせいに紅い花が咲く。選び抜かれた品種の花で、これはこのあたりでなくては咲かぬ改良種の花であるとのことだった。 「しかし、たくさん作って品質を落しても何もならない。喉から手が出るほどたくさんほしいと思っていても、彼ら巡察の将校は、決して増産しろとは言わない。私一人の力ではそれ以上できないと分っているからです。どんなに大量に患者に投与して大きな手術を行ったところで、まったく習慣性、いわゆる中毒症状を残さない麻酔薬は、世界ではこれとあと一つ、北朝鮮で二、三人の日本人が、転々と居所を変えて野性の花を探して歩きながら作っていく銘柄品との二つしかないのです。ただ日本人のは、中毒症状の進行を怖れながら、それでも阿片吸飲の快楽から逃れられない少数の金持や貴族のために売られる、最も忌むべき悪魔のプレゼントになっています。純粋に、戦場の勇敢な将兵のために役だたされているのは、ここの畑から私が、チャールズ・ビーナルド氏が残した処方で作り出すものだけです」  花を見まわりながら、私たちは、その中で実り方の悪い花や、花びらの形の変形したのは、遠慮なくむしりとっていた。  それは毎年ちょうど五月に入りかけのひとときだけだった。このあたりでは雪もとけて草も萌え出し、いっせいに花も咲き、鳥も鳴き出し、一年の中で一番良いときであった。  六月に入り、花の下に丸い坊主が出てくると、夜も眠れないほど忙しい日が続く。  そうなると、この集落の、正確にいうとマルニヤグ族という長毛族《ツングース》の一員の住民は、ふだんののんびりぶりはどこへやら、夢中になって働く。それはその何日かの仕事さえ終れば、あとは一年中山野をぶらぶらしても、悠々と生きていけるほどの食糧や物資が、赤軍の司令部からウイリヤムス司教の所へ届けられるということを、知っているからである。  しかしそのときはまだ五月、忙しくなるのには少し早い。目の下見渡す限り続く断崖の斜面の紅い花の畑を、二人でゆっくり見まわっていればよかったのである。  今でもあの牧歌的な美しい風景は忘れられない。 「ウイリヤムス伯父さまー」  遠くから歌うような声が聞こえる。メアリヤが、司教と私と三人分の食事を、赤軍の使っている丸い飯盒《はんごう》に入れて持ってきてくれたのだ。ここに来てからの何年間、いつも私たちの楽しいおしゃべりは、真赤な花に囲まれた畑の中でくり拡げられた。  世界中が激しい戦いでせめぎ合っているなんて、とても信じられない。 「もし……」  と私は司教に聞いた。 「……こうして私たちが作り上げた、最も純粋な手術用の中毒症状の残らない麻酔薬が、ロンドンに届かず、全部ソヴィエート軍の傷病兵のために使われているとしたら、どうします」 「それでもいいのですよ」  司教は何のためらいも見せずに答えた。 「イギリスは別にソヴィエートと戦っているわけではないのですし、それに人類は皆同じです。赤十字の旗の下に建てられた野戦病院は、もともと敵も味方もともに公平に手当てするよう決められているのですからね」  司教のように、二十年以上も人間の世界を離れた所で、神と向い合いながらの生活をしていると、もう国と国との区別など、どうでもいい小さなことにしか思えなくなってくるのだろう。  秋にかかってくると、雪が降る前にとれた粘液を精製浄化する難しい作業にかかる。よく司教はいった。 「ビールも、ウイスキーも、そして煙草も、人間の嗜好物といわれる物はすべて、中世の僧院の中で作られたのですよ。こういう物を作り出すのは、聖職者が一番適任なのでしょうな。いくら作り出しても、その魔力に溺れることは絶対にないはずですからな」  と冗談ともいえないような冗談をいうこともあった。  その薬品化までの過程は、司教の指示で、私とメアリヤの二人がもっぱら手伝った。若い娘と二人きりの仕事は、久しぶりに私の心をほのぼのとさせた。とても楽しかった。それはメアリヤも同じであったらしい。いつも二人は、まるで肩を寄せ合うようにして働いた。  それでいて、キスしようとか、彼女を抱きしめようとかいう衝動は、四年間一度も起ってこなかった。司教の目をはばかったせいもあるが、この異郷の土地では女神であるメアリヤの尊厳を、わたくしごとの淫《みだ》らな心で汚したくないという思いがあった。いずれそれが何かの形で、人々の祝福を受けて認められることがあるかもしれない。それまでは、どうせお互いにどこへも行くことのできない狭い保護地域での生活で、お互いの姿を見失うことがないのだから、後で何か気まずいしこりが残るようなことは起さない方がいいと思った。そしてまだメアリヤは、子供のように無邪気で、そんな娘に大人のする愛の行動で驚きをあたえたくなかったのである。  十二月から二月にかけては、でき上った粘着性の半製品を、さらっとした粉に変える作業が続けられる。それには、この黒竜江畔を吹き抜けるシベリヤの冷たい風が、最も適していた。  チャールズ・ビーナルド教授は、この土地に根を下して、ついにユール夫人が死ぬまでここを動かず、自らの腕の中でユール夫人を看取ってから葬ると、故郷エディンバラ大学からの度々の帰還招請も断わって、一生を未開の蛮地に送って、数年後に一人で死んでいった。その気持もよく分った。  二年、三年と、メアリヤとの楽しい無邪気なつき合いの中で、私の平和な青春は続いた。  そのままだったら、もしそれが許されたら、今ごろもそこに、私たち二人はいたかもしれなかった。メアリヤは老い、私も老い、そして、彼女は処女のまま、私はあのソニヤと別れて以来、肉の触れ合いを知らず、紅い花に囲まれての生活を続けていただろう。まるで桃源の秘境にいる年月を忘れて遊び呆けている人間のように。  そんなことさえ想像されそうな月日だった。  四年後の花の取り入れが終った真夏の日、突然、私たちのその運命に終りの日が来た。  二、三日前から、このあたりの様子が急激に変ってきたのが、断崖の上のフートン村にいても、自然に分ってきた。  まず第一に私や村民の目に映じた徴候は、おびただしい人間が川を渡り出したことである。  今まで渡河が禁止されていて、時たま外輪船が溯江《そこう》してきたり、ソ連軍のモーターボートが往復したりすると、二、三ヵ月の間は、それが村の人の恰好の話題になった。ところがまるでどこから湧き出したかと思うほどの大勢の人が、断崖の左右に拡がる平野に満ちると、てんでに鉄の船を組みたて、それに武器、車、ときには戦車まで積みこみ、毎日続々と黒竜江を渡り出したのである。 「どうしたんでしょう」  三つの墓の間から、私たちは心配そうに黒竜江を眺め下した。  ウイリヤムス司教は、さすがに見事な洞察をしてきかせた。 「きっとヨーロッパの戦いが終ったのだよ。そうしたら、彼らソヴィエート軍にとって、残った敵は、満洲国を支配している日本しかないだろうな。全力を挙げて、日本を倒すための総攻撃を始めるのじゃないかな」 「そうかもしれませんね」  私はふいと、奉天の憲兵司令部にいた、いが栗頭の男のことを思い出した。今でもときどき、あの男のことは夢に見るぐらい怖ろしかった。私が満洲や日本に戻れないのは、いが栗頭の、あの名も知らぬ男が、いるからだ。このソ連軍の進攻で、どこかで戦って死んでくれれば、助かるんだがなあ……そうでなけりゃあ一生、日本へ戻れない……とそんなことを思ったりした。  その夜は周囲の平野は兵にみち、飛行機が飛び、機関銃の音がし、それに交って、どういうわけか、バイヨン(ロシヤ式アコーデオン)や、バラライカの音もしてきた。音楽に合せて、兵士や女兵士たちの唱う声さえも聞こえてきた。  ふだんは黒一色で灯り一つ見えない黒竜江畔の大平野に、断崖の上から見下すと、見渡すかぎりの野営の火が焚《た》かれて、兵士たちがそれを囲んでいる姿が見えた。  いなごの大群さえも、これほどの数で野にみちることはないだろうと思えた。歌や、バイヨンは、その兵士たちの焚火から聞こえてくるのであった。  私は住民のいる小屋の集落から一つ離れて、一人だけの仮小屋を作って眠っていたが、住民たちも落ちつかず、何度も起きては断崖の上に眺めに行ったりして眠らない。私も気になって眠れずに、しきりに寝返りを打っていた。  いつもよりずっと暑いせいもあった。地面の熱の上に、兵士たちの若い体から発散するエネルギーや、夜通し燃やし続ける焚火の炎から発する熱などが加わって、この広い大地の気温を異常に上昇させたのかと思えるほどである。  ふっと小屋の戸があいた。  戸といっても、中央に柱をたてて、傘状に丸く、柴と魚皮で囲んだだけの小屋で、一枚の板戸がたてかけてあるだけである。手で持って外せばそれでいい。  いきなり入ってきた人間が私にかぶさった。  ソヴィエート軍のゲリラかと、一瞬、私は思ったが、しかしすぐそうでないことも悟った。柔らかい体であった。押しつけてきたのが大きな乳房なので女なのだと知った。しかしこの集落のマルニヤグ族の娘や人妻でないことはたしかだ。肌の匂いが違った。それに彼女らは、男女関係にひどく潔癖で、両親が認めて許し、集落の長老が人々に宣言した相手とでなければ、手一つ握ろうとしない人々だった。  メアリヤであった。  私があわてて離れようとするのを、いつのまにかすっかり成熟した体でむりに押えつけるようにして唇をよせてきた。周辺の緊迫した異常な状景が、長い平穏な生活に馴れきったメアリヤの理性を狂わせたとしか考えようもない異常な態度であった。  唇が押しつけられた。呼吸も迫り、歯がぶつかり、舌がねじこまれた。  それは夢見るような一瞬であった。二人がここで例年のように、平和で静寂な生活の中でいたら、おそらく年老いて死ぬ日まで、この異常な情熱の燃焼が、メアリヤの体に昂《たか》まるような機会はなかったのではないだろうか。  ひとしきり舌と唇が合されたが、お互いはじっとしていた。  何を思ったのだろう。いきなりメアリヤは私を突きとばした。私がその手をとってひきよせると、したたかに振り払い、私の両頬を激しくぶった。こちらからしかけたわけではないのに……ひどいことをする奴だと、今のキスも忘れて彼女を恨んだ。しかし彼女は、ぱっと飛び起きると、両手で顔を押えて泣きながら、そのまま暗闇の中を馳け出した。すぐ追いかけて捕まえようとしたが、伯父のいる聖堂の方に馳け出して行くのを見ると、私は追うのをやめた。  女心は微妙で不可解とはいえ、その精神の軌跡は、誰も皆、同じ形を辿《たど》り、大筋に於ては一致するものだ。少くとも大学では軟派専門の学生であった私は、そのへんのことは、もう熟知していた。よく熟れた柿が、自然に木から落ちてくるように、もう十日もたたないうちに、彼女はきっと私の腕の中で、最近急に女っぽくふっくらとしてきたあの裸身をくねらすに違いない。四年間かかってゆっくり自然に熟成された恋が、一気に爆発した感じだ。今はこれ以上あわてて、彼女の気持を乱すことはない。一般の世界とは違い、ここには競争相手になるべき男は他に一人もいないのであるから……。  私は急に体中が淡い紅色の霧に包まれたような気分で、小屋に戻り横になった。これで私の一生は決った。もう文明世界に戻らなくてもいい。  わずらわしい人の世のつながりから隔絶して、ここでメアリヤと二人だけの暮しをするのも、またすばらしい価値のある人生ではないか。  そう考えてなかなか眠れなかった。  明け方やっと眠ったので、朝の目ざめはおそかった。  花の下に出てくる坊主型の萼《がく》から粘液を採取する一番忙しい時期は終っていたので、私は別に朝早く起きる必要は何もなかった。  しかしこの断崖の上の丘に陸地から上ってくる何十頭の馬の気配に、私は否応《いやおう》なしに目をさました。  銃剣をつけた兵士や、携帯型のマンドリンと呼ばれる小さな機関銃を胸の前に下げたソヴィエートの陸軍が、小屋の中をのぞきこんでは、一人一人叩き出すようにして、聖堂の広場に集めていた。  すでにメアリヤもウイリヤムス司教も、小さな聖堂から追い出されて、扉口の前に立たされ、ソヴィエート軍の赤褐色の軍服をつけた兵士が、身動き出来ないように二人に銃剣を突きつけていた。  聖堂を中心とする平地は、何百人もの兵士に囲まれていた。その中に住民が追いたてられて入ってくる。幼い子供でさえ見逃されない。私が知っている住民は一人もこの包囲から逃げられた者がおらず、全員が捕まってしまった。  女たちの中には、地にひれ伏して、生命だけはと哀願している者もいたし、子供は母親にまつわりついて、恐怖のあまり声をあげて泣いていた。男は皆、蒼白の顔をして、黙って立っていた。兵士の中には、威嚇《いかく》のためか、空中に向って面白半分に機関銃をぶっ放す者がいて、そのために子供たちの怯えて泣く声はいっそう高くなった。  突然、ラッパの音が聞こえ、兵士たちの間に号令や伝言が、ひとしきり、ざわめくようにまき上った。  それはどうも道を開け! 隊長のお通りだ! そんな風の言葉であることが気配で感じとれた。兵士たちの作っている垣根の一ヵ所が割れて、隊長旗を持った若い士官とそれに続く参謀と副官、そして隊長の一団の、十五人ばかりの将校の馬の群が小聖堂の前の広場に入って来た。  馬がぴたりと止り、コザック軍団特有のルパシカ風軍服に長剣を吊った老将軍が下りてきて、ウイリヤムス司教に近づき、抱擁し、ロシヤ式に頬を左右にくっつけあった。  そのとき私はあまりの意外な状景に、思わず、これは何かの幻覚ではないかと、あわてて周囲を見まわしたほどであった。  老将軍の顔ははっきり見覚えがある。ワシリー老少将であった。革命では帝政派に属し、しかも日本人百二十名を虐殺するという、出来上ったばかりの労農プロレタリヤ政府にも、また帝政派にも、ひどく具合の悪い事件をひき起して、全ロシヤ国から追われたはずの逆賊の親玉が、ソヴィエート軍団の司令官として、再び私たちの目の前に現われるとは……。  立ちすくんだままでいる私を原住民の列の中から見つけると、老少将は新品の革長靴を真夏の太陽に光らせながら、大股に近づいてきた。軍人らしい、背筋のしっかりのびた、堂々とした歩きぶりだった。  私の周囲にいた、母親の体にまつわりついた子供たちが、体躯のいかつい赤髯の将軍に脅えて、わあっとまた声をあげて泣き出した。  将軍は私を抱きしめ、ざらざらの髯だらけの頬をよせてきて、いかにも懐しそうに挨拶した。 「我が息子よ。君を無事に日本に帰してやるよ」  久しぶりの日本語らしくかなりアクセントがひどくなっていたが、それでも話していることは分った。私は答える言葉もみつからずに、まだ呆然としていた。 「君は三年か四年、どこかの収容所で働きなさい。これから私たちは、現在満洲にいる兵隊を捕まえて、全員をこのシベリヤの領土へ労役奴隷として連れてくる。その者たちを収容所に入れるから、その中に君も知らん顔で兵隊として交って入るのだ。少しシベリヤにいれば、君のやったことは誰にも分らなくなる。いつも君の行方はわしが見守っている。兵士たちが帰るときに、君も一緒に日本へ帰れるようにしてやるよ。今すぐ一人で日本に帰るのは、かえって君のためによくない」 「分りました。ワシリー少将。ご配慮感謝します。それで、司教とメアリヤさんは、どうなるのですか」 「ああ、あの人たちは、このままシベリヤ鉄道でモスコーに送られる。簡単な取調べがあるかもしれないが、もともと、皇帝政府も、スターリン閣下も認められた仕事だ。何のおとがめも無く、イギリス本国へ無事送還されるだろう」  私が何か返事する間もなく、広場の中央に一人で戻った老将軍は、中央で皆に聞こえるように命令した。  それはロシヤ語であったので、このあたりの言語の分る将校が同時に原住民たちに通訳し、私はそれで大体の意味を悟ることができた。 「本日限りでこの地区の管轄外特別地区の指定を解く。以後何人も、この場所に紅い花を植えてはならん。植えている者を見つけしだい、即時、裁判なしの銃殺に処す」  原住民たちの間に動揺が走った。 「女神と、その神への使者は、ただちにここから去り、彼らの生れた国へ戻る。残されたおまえたちは、この崖の大きな三つの墓と、小さな親娘の墓をいつまでも大事にするよう。そうすればおまえたち、マルニヤグ族の一村落に対しては、春秋二回にわたって、飢えることが無いだけの糧食が支給される」  将軍の宣言は命令であった。下からアメリカのフォード社のマークが大きくついている軍用トラックがすぐに上ってきて、司教とメアリヤを運転台の横にのせた。  無理に助手席の方から車の中に押しこめられたメアリヤが、私の方を向いて、 「…………」  と何か叫んだが、扉がパターンと、大きな音をたててしめられ、しかも急発進したので、その声は殆ど聞こえなかった。おそらく、私の名前を呼んだのかもしれなかったが、それは現在でも不明だ。  聖堂の荷物は外へほうり出されて、火をつけて焼かれ、土作りの建物は目の前でこわされ、もとの平地になってしまった。  将軍はもう一度私を手招きして、小高い丘を登っていった。  小さい墓の前まで来ると、跪いて祈り出した。兵士が人垣を作って、誰もそばへ寄ってこない。一緒に並んで祈っている私に、ワシリーはいった。 「わしのかわいい娘を直接殺したのは、大観園の主人の妾だった梅花《メイフア》という女だということが、その後分った。そして彼女に命じたのは、君がいが栗頭といつもいっていた、奉天の井上大尉だ」 「やはりあの人は軍人だったのですか」 「まあな。もしいつか日本に帰る機会があったら、そう何ていったかな、一九三六年の冬に起った、東京のクーデター」  すばやく年代を昭和に換算してみて、私は答えた。 「たぶんそれは、二・二六事件というクーデターでしょう」 「うんそうだ。そのクーデターで反乱軍の首謀を勤め、後に銃殺刑の判決を受けた軍人の中に、井上大尉という名の男がいるのを見つけることができるだろう。その人が、あのいが栗頭だ」 「じゃ、死刑にならなかったのですか」 「我が国の諜報部の調べでは、十人の死刑囚のうち、情状のよかった四人は満洲へ秘かに連れてこられて、釈放され、新しい仕事を与えられたらしい」 「そうですか。それであの目の怖さが分りましたよ。一度、死に直面した人の目なのですね」 「今度は私が二人とも、満洲中の草の根を分けても探し出し、必ずこの手で射殺してやる」  長い祈りを終えて、私たちは立ち上って、三つの墓のある断崖のはしに立った。  はるかの黒竜江は今、全ソヴィエート軍の主力が全員渡河しているのかと思うほど、船が満ち溢れ、人も、戦車も、大砲も、続々と川を越していた。 「満洲にいる日本人の若い男はすべて、シベリヤへ連れてくる。そして新しいソヴィエートの建設のために、ヘトヘトになって血|反吐《へど》をはくまで酷使してやろう。日本が再び極東の大地に侵略してこれないよう、若い牙を折ってしまう。これが、イ・エ・ベ・スターリン閣下の今度の命令なのだよ」  何万の軍勢の渡渉を見下しながら、ワシリー老少将は、そう憎しみをこめていった。 [#改ページ] [#小見出し] ※[#「Dダブルダッシュ」] (昭和五十七年 グラスゴー市)  スワン伯爵家の館の奥にある談話室で、私とメアリヤは、三十七年ぶりの再会に、もうお互いに話す言葉もなく抱き合っていた。  たった一度の、小屋の中での、いきなりの短かい抱擁は、明日に迫った別れを、女の持つ不思議な予知反応で悟ったせいだろうか。  大司教はしばらく私たちの方を見ていたが、やがて静かに諭すようにいった。 「メアリヤ、落着きなさい。いくらでもこれからゆっくり話ができる。私と少し話をさせてくれ」  二人は体を離して、それぞれの席に坐った。  大司教は慈愛に満ちた目で私を見ていった。 「君もすっかりお爺さんになったな。あのときの元気のいい青年がもう白髪交りの老人とはね。私が化物だと、司教連中に陰口を叩かれるのも無理はないな」  ひとときの昂奮が去ったらしく、メアリヤはハンカチで顔の涙を拭き、部屋の隅の小さな置鏡で、汚れたマスカラや白粉を直してから、用意されたお茶のセットから香り高い紅茶を入れた。どこでも自家特有の紅茶を持っており、聖堂のとはまた違う香気が漂った。 「君はここへ来るまでに、書庫にある先覚伝道師双書を読んできたそうだね」 「はい、あのフートンの断崖の墓の所で、まだお元気であった大司教|猊下《げいか》から、もしスコットランドへ来る機会があったら、ぜひ読むようにと言われたことは、その後、長く忘れませんでした。それでここへ来てから、最初の仕事として、真先に読みました」 「それでは、ユール夫人の墓の横に、最初はチャールズ・ビーナルド氏の夫人と書いてあったのに、それを削るようにして、パウロ・マキシム・スワン氏夫人と秘かに女真文字で書いてあった事情が分りましたかな」 「いえ、私はあの双書を字引きを片手に、五日間もかけて、ゆっくりと丁寧に読みましたが、そこまでは分りませんでした。一番最後にごくあっさりと、二人はあの土地でその後十五年ぐらいは生きて、伝道に従事し、ほぼ同時に死んだということが書いてあっただけです」 「まあ、一般的に分っていることはそこまでだ。私も実はその碑面のことについては、疑問を持っていてね。二十三、四年もあの場所にいて、どこへも出ず、集落の人々と接触していたのだから、殆《ほとん》ど君が来たときはその事情は判っていた。しかしあの場所では、それを話し合うべきでないと思って、何も言わなかった。表面は男女の浄らかな間だったが、実は肉の誘惑に負けた男女の不倫の物語だからな。まあ不倫といっても、夫が亡くなってから十五年も一緒に二人だけでいたのだ。それは許されてしかるべきで、教団でも充分認められることだったが、あの土地の原住民は許さなかったのだ。私はあのときのあの土地でのメアリヤと君との身の上に思いを馳《は》せると、とても二人の生涯の最期のことを語ることができなかったのだよ」  これはメアリヤも、伯父からは初めて聞くことだったらしく、やや驚いた顔で九十三歳の伯父の顔を見た。 「悲しい物語をしなくてはいけないな。大司教の私がこんなことをいうのは、何ともおかしいことだが、私の二十七年の極地生活も含めて、神に仕える人間は、自分の人間としての生活を犠牲にして捧げなくては、神の祝福をいただけないのだ。これが人間として価値あることだったかどうか、君と話し合いたかったのは、そのことだった。老人の話は繰《く》り言《ごと》が多く、テンポものろくなって、退屈するだろうが、まあ、聞いてくれるかね」 「はい、猊下、もちろんです。久しぶりに、あの小さな集落の断崖の上にいる気分で伺います」  私が坐り直して、耳をすまして聞く姿勢になると、ウイリヤムス大司教は、伝道師双書には記載していなかった、ユール夫人と若きビーナルド教授のその後の十五年の苦しい生活について、話しだした。住民たちは、それを百年以上も彼らの伝承として語りつぎ、新しくやって来たウイリヤムス司教に教えてくれたのだ。 「いいえ、私はやはり、ここに残ります」  ユール夫人が言い出したらあとにひかぬ決意で一週間後に宣言したとき、真先に反対したのは、彼女を守ってここまで一緒にやってきた若き教授、チャールズ・ビーナルドであった。 「ここではやがて、きびしい寒さの冬がやってきます。おだやかなスコットランドの気候に馴れた、あなたが住めるところではありません」  二人の言い争いに聞き耳たてている集落の人々に向って、ユール夫人は、官話を交えた言葉で話しかけるように言った。 「いいえ、ここにも現に人が住んでいる以上、私だって住めるはずです。何と言われても帰りません。この地で死に、私の体をここで、夫の傍に埋めてもらいます。今はただ、亡き夫に代って、夫のやろうとした仕事をここでやりとげたいと思う心で一杯です」  彼女はさらに教授にいった。 「私はここで長老に頼んで私の小屋を作ってもらいます。そしてここの土地の人々と力を合せて小さい教会を作り、七日に一度、ここでの日曜日の聖日を決めて、祈りを捧げ、神に感謝することを教えたいと思います」  彼女はすぐ長老に相談した。住民たちはこの突然やって来た白人の女を今では神として畏怖《いふ》しているから、すぐ承知して、木の枝を刈り、貯えてあった草や魚皮を提供して、またたく間に小屋を作ってしまった。  しかし夫人が言わなかったので、夫人用のを一つ作っただけで、教授用のは特に別に作らなかった。結局二人はそこの一つの小屋に住むことになった。  長老に命ぜられているのか、朝になると、女たちが代る代るやってきて、何か食物をおいていった。貧しい集落にとっては、これは大きな負担に違いなかったが、彼らはお互いに回り持ちで、きちんと、その義務を果した。その女たちに、ユール夫人は、神を讃える歌を教えたり、持ってきた小布をあたえたりしているうちに、ごく自然に感情が行き来するようになった。やがてこの集落の婦女子は自然に、夫人を中心にして集い話し合うようになった。  男たちの中にも、下の河からとれる鮭や、野兎《のうさぎ》などをぶら下げて、祈りの集会に顔を出す者が少しずつ増えてきた。ビーナルドは、この夫人の熱心な伝道ぶりにすっかり安心し、自分の目的である紅い花を植えるための研究にとりかかろうとした。ただ彼は男の常として、一つの小さな家で夫人の体とくっつき合うようにしてすごすのが耐えられなくなった。  それで、地質検査を口実に、四、五日、付近の荒野を一人でさまよい歩いてみることにした。しかし一人でいれば納まると思った夫人への思慕、その白い肉体への憧れは、歩いているうちに、もうどうにもならないほど強まってきた。三日目の朝、突然、雪の中を、あの崖の上の小さな小屋に向って馳《か》け出した。狂ったように思慕の念が湧き出してきた。  四日目の昼に、一睡もしないで馳け続けた彼が再び集落へ戻ってきた。  夫人の小屋の前に馳け戻った彼が見たものは、正面の十字架に向って祈っているユール夫人の姿であった。その十字架は、スワン氏の遺品として、一度ロンドンへ送られてきたものだった。  それに向って一心に祈っている夫人の姿を見ると、若い教授は、急に激しい嫉妬心に襲われた。わずか二、三年しか一緒に生活しなかった男が、夫という名があるために、いつまでもこの美しい夫人を拘束している。そして一年近く明け暮れをともにして旅行してきた自分が、美しい夫人を前にして指一本触れることができないでいる。……そんなことがたまらなく不合理に思えた。急に昂《たか》ぶった心が制しきれなくなった。無言で小屋に入ると、ずかずかと後ろから近より、肩から抱きしめた。 「奥様、逢いたかったのです。奥様のいない生活を、私はもう一日としてできません」  夫人は振り向くと別に狼狽もせずにいった。 「お帰りなさい。私もあなたの無事なお帰りをこうして祈っていたのです」  迫ってくる唇を、目をつぶって静かに受けた。夫人の体はそのまま狭い天幕の中で押し倒された。  こうして二人のここでの生活は、新しい形で始まった。別に原住民たちは、誰も咎《とが》めはしない。咎めるのは自分らの内心であったが、やがてそれにも二人は馴れた。  この丘にチャールズ教授の丹誠こめた紅い花が咲き、秋に白い粉の薬ができると、その薬が人間のすべての苦しみを救うという噂が、この黒竜江沿岸の集落から集落へと、野火のように広がっていった。  夫人は生き神様として、男はその神の使いとして、人々の間にたいへん信頼されるようになった。夜になれば二人は当然のように抱き合い、淋しい蛮地の中の生活の唯一の慰めとした。  こうして極北の蛮地での生活は、十五年間も続いてしまった。その間、二人が伝道報告を送ろうともせず、帰ろうともしなかったのは、不倫の愛の発覚を怖れたのと、ここの生活が二人にとって、結局、一番楽しかったからである。またそれを深く恥じていたせいでもある。  だが十五年目、急に夫人の病気が重くなり、わずか三日で亡くなったときに、住民は、はっきりその意志を示したのだ。  ビーナルド教授は、夫人のために、夫の墓に並べて崖上に石の墓を作り、そこに三行のラテン語の文句を刻んだ。  上の二行は、聖書の中から、 『死よ 汝の刑苦 何処に在りや  墓よ 汝の勝利 何処に在りや』 という章句を取って刻み、下の一行に、チャールズ・ビーナルド教授の妻、ユールの墓と刻んだ。  チャールズ教授の心の中には、たった二年間一緒に住んだ名のみの夫と、十五年も蛮地の中で苦楽をともにした自分では、たとえ神殿の前での誓いがなくても、どちらが本当の夫かという自信があった。  だが原住民たちの気持では、決してそれは許されることではなかった。それで近くの集落にいる古代|女真《じよしん》文字の書ける老人を連れてきて、彼らの信仰の対象として、祈りの文句を書き加えさせてくれと頼んだ。  そしてそこに、ビーナルドには分らぬ女真文字で『スコットランド国のグラスゴー主聖堂の伝道協会から、この僻遠の土地に、神の教えを伝えるために派遣された神父、パウロ・マキシム・スワン氏の夫人、ユール・スワン様は、一七八三年の二月十四日、この土地で四十三歳の生涯を閉じる』  と、正確に刻んだ。西暦や、彼らの身分については、途中で何度もビーナルドに確めたらしい。それでビーナルドは、その名前の字の部分については自分のことと思って、すっかり安心していたのだ。  見事なしっぺ返しを、原住民たちにされてしまったのだ。しかし自分が死ぬまで、ビーナルド教授はついに、自分の不倫の証拠になるべき文字が墓に刻まれていたことに気がつかなかった。  ただしそれは、当時の文明人が誰一人読めなかった古代女真文字だったので、後にスケッチに取られて、解読されることがなかったら、原住民たちの信仰の中でしか伝えられなかった秘密で終るところだった。  だが歴史はこの不倫の事実を、あくまで隠しておくことはしなかった。少くとも二十六、七年もの長きにわたるその土地での生活で、ウイリヤムス司教だけはその真相を探りあてたのだ。 「こうして話すのは、君が最初で、ただ一人で、そして最後だ。二度と私の口からこの話が出ることはないだろう」  いっさいを語り終えた大司教は、私に再び言った。 「自分の幸せを犠牲にして、最後まで神の歓心を買うか、それとも自分の悦びのため、思いきって神に楯つくか、どちらが人間としては尊いか、このごろは、私はしきりに考えるようになってね。ビーナルドに体を許したユール夫人の思いきった生き方が、今の私には羨やましいぐらいだ。私ももう九十三歳だからね、急に人間の生命の大事さが、はっきりと見えてきた。神の怒りなんて、それに比べれば問題にもならないと分ってきたんだよ」  私としては思いがけない言葉だったが、もう地位も、名誉欲も、金銭への欲望も、とっくに無くしてしまった人が、一生祈りつづけてきて得た結論はそんなものかもしれない。  話しおえてから、大司教猊下はまた熱い紅茶をつがせ、ここの土地の名産のスコッチ・ウイスキーを紅茶にしたたらせた。 「こんなものがひどく楽しみでね」  枯れた掌で茶碗の熱さを囲むようにしてゆっくり持ち上げた。 「君は若いのだから」 「いえ、若くもありませんが」 「私から見れば、ひどく若い」 「それはそうですが……」 「もっと人生を楽しまなくてはいかんね。おいしいものは喰べたいだけ喰べ、もし酒が好きだったら、ぶっ倒れるほど飲みなさい。かわいい娘がいたら恋をしなさい。それがまじめな恋だったら、神は祝福をいつも用意してくれているはずだ。神というのは、人間を苦しめる存在であってはならない。まして神との中間にあって、その言葉を取りつぐ職業の私たちだけを優遇する、片よった存在であってもならない。君たちへ神の恵みを精一杯仲介して、皆がこの世を充実して送り、いよいよ世を終るとき、ああいい人生だったなと、一人一人に思わせるために協力してやるのが、神と聖職者の仕事でなくてはならない」 「どうもありがとうございます」  グラスゴー主聖堂の頂点にいる大司教から、これほど親しく、その話をきいたということが、もしこの宗派の他の人に分れば、私はやきもちをやかれて、二度とこの町へ入れなくなるかもしれない。  それに大司教も、さすがに話し疲れたようであった。私は気をきかせていった。 「猊下、もうお疲れでしょう。私はこれで失礼します」 「これからどうするかね」 「ビザが一ヵ月滞在になっています。航空券の方も、一《ひと》月目に各自がヒースロー空港のロビーに集って、日本へ一緒に戻ろうという形式になっていますので、それまで自由です」 「君は夫人や子供は」 「いえ、おりません。あれからずっと一人身です。別にビーナルド教授のような純愛を持ち合せているわけではありません。面倒くさかったし、生活も楽でなかったもので」 「男の子を同行して来ているときいたが」 「妹の子です。少し英語の勉強をさせようと思って連れて来ました。ところがどうも飛行機の中で、この国の娘のガールフレンドができて、その子に逢いたさに、今朝ロンドンへ行ってしまいました」 「まあ、それじゃ、ここにいる間は、自由に楽しませてあげなさい。人間は誰にも遠慮せず気ままに生きることだよ。もしその女の子が好きになって、どうしてもロンドンに住みたくなったら、私の所へ相談に来なさい。ビザや市民権ぐらいの問題なら、いつでも政府と交渉して、どうにでもしてあげるよ」  ばかに手回しのいい話になってしまった。  あまりにも話が分りすぎるのが、気味悪いほどであった。 「それでは……お疲れでしょうが」  私は立ち上って一礼した。メアリヤが見送りに廊下へ出た。扉の外には、リチャード主任司祭がちゃんと待っていた。  彼に送られて出て行きながら、私はこのスワン家の邸をもう一度眺めた。おそらく二度と来ることはないだろうし、大司教猊下にももう会うことはないだろう。正面のポーチで、メアリヤが手を振っている。この人にも私は二度ともう会うことはないだろうと思った。あのときは向うがトラックに押しこめられたが、今度は私がロールスロイスに乗りこむ。別れの形は二度とも似ているが、ただし今度は私の方が彼女の方に手を振って別れを告げた。  ホテルへ戻ったときは、さすがにぐったり疲れてしまった。まだ明るかったが、列車を見送るため朝少し早く起されたし、連日の英語の読書で、頭の方が疲れきっていたので、そのまま布団をひっかぶって寝てしまったら、かなり深く眠りこんでしまったらしい。電話のベルで目をさまして、窓の外を見たときは、もうあたりは夜だった。 「ああ伯父さんか。いてよかった」  受話器を通して耳に飛びこんできたのは、甥の昌彦の声であった。 「何だね。えらく昂奮してるが、財布かパスポートでも無くしたのかね」 「そんなことじゃないよ。彼女が結婚しようというんだ」 「えっ、結婚」  さすがにびっくりした。いくら何でも急すぎる。 「どうして、そんな急に……」 「今日の夕方、こちらへ着くとすぐ、リバプールのポートシアターで、来月公演する予定のランスロットというグループ・サウンズのオーディションをロンドンで受けたんだよ」 「そうだ、何だか、そんなようなことを言っていたな」 「そしたら一発で合格だった」 「そりゃ、おめでとう。君のギターの腕前はやはりなかなかのものだったんだね」 「ところが、一つ急に難しい問題が出て、それにストップがかかったんだ」 「何だね」 「今、イギリスでは、失業問題がやかましくて、旅行者では舞台にたてないんだ。ただし帰化してイギリス人になればすぐ働ける」 「そりゃそうかもしれないな。イギリスに限らず、どこの国でも同じだよ」 「電話料がもったいないから、ぼくの言うことだけ聞いてくれ。初日は三日後だ。普通の形だと帰化申請を出しても、調査に手間どってとても時間に間に合わない。ところが、イギリス娘と結婚すると、その日のうちに帰化が認められて、働くことができるんだ。できれば明日の朝の列車で、立合人としてこちらへ来てくれないかな」 「彼女はOKなのかね」 「もちろんさ、ミュージシャンは、お互いの腕に惚れる。短足もちっこい目も問題じゃないそうだ」  昌彦の方が先にそういった。 「大阪のお母さんには」 「そんなこと忙しくてかまっていられないよ。いずれ、こちらからも手紙出して事後承諾、二、三年頑張って、名前を上げて、日本公演にでも出かければ、凱旋将軍だ。マスコミも騒ぐし、いくら頑固な両親でも、もう大学へ行けなんて言わないだろう。じゃあね」  と電話を切ろうとしたので、あわてていった。 「おい、どこへ泊ってるんだね。それ聞いておかなくては、明日行って、ロンドン中探しても分りゃしない」 「あっ、いけねえ。言うのを忘れた。こちらではホテルには泊らないって言ってあったろう。ウエスト・ケンジントンに彼女のロンドン生活用のアパートがあってね。駅前のヘンリー・ハウスというんだ。来ればすぐ分るよ。ヘレンの部屋といって受付を通ってくれ。三階だよ」 「分ったよ。明晩行くよ。それでもうすませてしまったのかい」 「何を」 「あれだよ」 「え、ああ、あのことかい。三回続けてね、きついのをぶっ放してやったよ。日本男子の実力にびっくりしていたよ。人間若いうちが花さ。ルンルンの真最中って気分」 「おまえも、相当なタマだな。負けたよ」  それで電話が切れた。  私はフロントへ電話をかけて、明朝の列車でロンドンへ帰るから、今晩中にいっさいの精算をすますように頼んだ。  私は翌朝八時半、昨日の昌彦が乗ったのと同じ列車に乗った。  昨日、フロントへは帰る意志を伝えておいたので、別に聖堂の事務局にも、スワン家にも、連絡をしなかった。日本のただの|しけ《ヽヽ》た駅前不動産屋の親父が、この町に来て、また去って行く。  別に、いちいち断わらなくてはいけないほどの大事件ではないはずだった。それに会いたかった人にも会った。どうせこれ以上いたって、メアリヤとどうなるというわけのものでもないのだ。  ホームに立って列車の到着を待っているときも、別に誰も見送りには来なかった。いつも来るリチャード神父の白いガウンさえもない。  ほっとしたが、同時に少し淋しい思いで乗りこんで坐った。  列車は静かにこのグラスゴーの駅を出た。わずかの滞在だったが、四十年の宿願を果して、私は大きな肩の荷を下した気持で、去って行く町を眺めた。  ウイリヤムス大司教猊下や、美しく老いてまだたっぷりと魅力を残しているメアリヤの姿が、いまさらに目に浮んできた。断崖の村で別れる前の日におおいかぶさってきた、二十歳の弾力のある体と、今、たぶん五十七、八歳になっているはずの彼女と昨日、談話室でなつかしさのあまりしっかり抱き合ったときのしっとりとした量感ある体の感じとが、どちらもまざまざと、かなりセクシャルに思い出された。  私は急にあることに気がついた。最初ここへ着いたときは、 『ここの教団と対決してやる。あの秘密の事実を、場合によっては、世界中にあばいてやる』  たしかにそんな気負いたったものがあるような気がしていた。しかしよく考えてみると、そんなことで私が、近くの新宿へも行ったことのない重い腰をあげて動くなんてことがあるだろうか。  若いときは、まだしも、くだらないながら正義感もあった。  しかし今の私は、そんな次元の高い男ではない。|本当の《ヽヽヽ》、|本当の《ヽヽヽ》ところは、三十七年前、突然、思いがけない邪魔が入って、地球の反対側に別れなければならなかったあの一人の娘への思慕が、まだ強く私の心に残っていたからではなかったか。  それを表面の理由にするのが恥しいので、石摺りとか、紅い花とか、ともかくどうでもいいことを大事な理由として、もっともらしい|かみしも《ヽヽヽ》をつけて、乗りこんできたのだ。そうでなければ、とても一人でグラスゴー主聖堂を訪れる勇気など、生れてこなかったに違いない。それが初めてここで分ったのだ。  私は急に立ち上って、後ろへ馳け出したくなった。このままグラスゴーに戻って、もう一度、あのメアリヤに無性に会いたくなった。  しかし後ろへ走ったところで、列車の中ではどうにもならない。次の急行停車駅で降りて、折り返しの列車で帰るのが一番早道だ。  私の来るのをロンドンで待ちかねている昌彦が少し可哀想だが、他人の恋より、私の恋の方が大事だ。ともかく、あのときのキスは、キスの途中で、いきなりひっぱたかれて終ってしまった。正式の意味では、二人のキスは、だからまだ終っていないのだ。  間に三十七年間の休憩はあったが、再びそれは、相撲の水入り後と同じで、二人が同じ形に戻って続けられてもいいのではないか。 「ここ、あいてますかしら」  ふと女の声がした。見上げると、夏の薄いワンピースを着た、若作りの婦人が立っていた。  今年になって、イギリスでは、急にミニが復活してきたという。黄色いドレスの裾《すそ》が思いきって短かく、パンツがのぞけそうなほど太腿が露出していた。  大きな飾りのついた麦稈帽《むぎわらぼう》をかぶっている。せいぜい三十代の女に見えた。 「どうぞ」  というと、真向いに坐った女は、ゆっくりと帽子をとった。 「あっ!」  と私は声を上げた。 「君は……」 「ロンドンまで行く用ができたの」  メアリヤだった。 「そうですか。それで、どこまで」 「外国人の結婚登録所よ」 「なぜ」  私はびっくりして聞いた。突然にしては妙な話だったからだ。 「甥御さんの登録に、一人、こちらの市民権のある人が、サインしなければいけないのよ」 「そうですか。それであなたが」 「ええ」  ここまで話ができあがっていると、いまさらどこでこの話が先方に洩れたのかは訊ねなかった。向うは好意でしてくれることだ。とがめても仕方がない。  彼女はじろじろと私を見ていった。 「あなた、ロンドンへ着いたら、二人でシビル街へすぐ行きましょう。甥御さんの所へは、その後でいいわ」 「えっ、なぜ、そこに何があるのですか」 「日本では、普通の紳士が着る服を『セビロ』と呼ぶでしょう」 「ええ」 「それ、背中が広いという意味ですって」 「そう言われればそうですね。日本にいて気がつかなかった」 「本当は違うのよ。あの服は別に背中が広くできているわけではないでしょう。シビル街がなまったのよ。そこには昔から洋服屋がたくさんあってね、日本の人はロンドンへ来ると、シビル街で洋服を作ったので、シビル、シビルといっているうちに『セビロ』になったのよ」 「なるほど、そうか。しかし日本のことを君に教えてもらうなんて何だか変な気分だな。それで私がセビロ作ってどうするんです」  前に彼女がいることが、私の心に急に明るい灯をともした。  私が戦後ずっと無気力で、特定の女もできず、ただ惰性で生きていたのも、どうもあのやりかけで中断してしまった、小屋の中のキスに原因があるのが、このときやっと分った。  キスを再開し、何とか決りをつけるまでは、次の私の人生は、始まりようがなかったのだ。私は人間として、ひどく長い間冬眠してしまっていたのだ。 「わたしたちも、若い人に負けずに、手を組んで、結婚登録所へ行くのよ。そして、ちゃんと手続きがすんだら、三十七年前、中途半端で終ったキスの続きを、今度はベッドでちゃんとするのよ」  彼女も同じことを考えていたのだ。 「そうか、ぼくはあれから、誰ともキスをしなかった」 「わたしもよ。三十七年間ずっと、この日が来ることを信じて待っていたのよ。トラックの席へ押しこめられたとき、わたしはあなたにどなったわ。『必ず、グラスゴーに来てね。誰ともキスしないで待ってるから』って。あなた聞こえたでしょう」  実は扉がぴしゃんとしまって、何も聞こえなかったが、私は、 「ああ、よく聞こえたよ。だから来たんだ」  と答えた。  そして、そのとき、その声が、今思うと本当に聞こえたような気がしてきた。しかも今まで、そのため自分が拘束されていたのだということがはっきり分った。 「思いきって派手なものを作りましょう。私の若さにひき合うようなものを。そして甥御さんとそのガールフレンドのアベックと並んで歩いても、見劣りしないようにね」  ふと私は、萩原朔太郎の有名な詩を思い出した。   フランスへ行きたしと思えど   金はなし   せめて新しき背広など作りて   五月の旅に出ん  うろ覚えでかなり怪しい。たぶん間違っているだろう。しかし気分的にはこの通りだ。私の行った所はフランスでなく、スコットランドだったが、私は外遊と背広と、二つ一緒に手に入れて、たぶんあの詩人の二倍以上倖せだった。  車窓からはスコットランドの美しい農村が、どこまでも続いて見える。  メアリヤは手をのばして、私の膝の上におかれている掌を握りしめた。温かく柔らかい手であった。私の、すでに少し老人斑の浮いた手をふっくらと包んだ。  決して再び離さないという思いをこめるように、握りしめてきた。  終りよければすべてよし。  六十二歳をすぎる年になって、ずっと心の奥底で愛してきた人が、三十七年ぶりに私の胸の中にやっと転がりこんできたのである。  ずいぶんおかしな人生だったが、これで最終コーナーだけは、人なみの幸福にひたりながら、ゴールへ向って、まっすぐ進んで行けそうだった。 この作品は、一九八五(昭和60)年八月に本社より刊行されたものです。 本作品講談社文庫版は、一九八七年九月に刊行されました。