【霧の別荘】 横溝正史    紅葉照子  金田一耕助は文字どおり途方にくれてしまった。  そこは林のなかにうずまっている別荘地帯である。金田一耕助の右も左も、ゆうに十メートルは越えるだろうとおもわれる樹木が密生していて、そのなかを小型自動車がやっと通れるか、通れないかくらいの路《みち》が拓《き》りひらいてある。  この別荘地帯の地理にあかるい人間ならば、このまがりくねった小径《こみち》にもなんらかの標識が見出せるのだろうけれど、こんやはじめてここへ迷いこんだ金田一耕助にとっては、それはまるでかれを当惑させるために設けておいた迷路も同様である。  さらにいっそうかれを困らせたのは、こんやのこのひどい霧である。  霧はこの高原の名物ときいているが、いまかれが滞在しているPホテル附近では、これほどひどい霧ではなかった。  思うに、いま金田一耕助が途方にくれている向ガ原の別荘地帯は、Pホテルのある附近からくらべると、よほど峠《とうげ》にちかくなっている。だから、峠にぶつかった気流が霧となってまいおりるとき、峠にちかい地域ほど、こうむる影響が大きいのだろう。  そんな理窟はともかくとして、なにしろひどい霧である。視界がおよぶ範囲といったらやっと数メートル、それからさきは、たとえ街燈《がいとう》がついていても、ほのじろい夜霧の底にしずんでいる。  霧が樹木にひっかかって、水滴となって落ちるのだろう。パラパラと雨の降るような音がしきりである。金田一耕助のもじゃもじゃ頭も、ぐっしょり霧にぬれていた。  いずれにしても、未見の土地で、霧と迷路、責道具《せめどうぐ》は十分である。金田一耕助はまえへも進めずうしろへも退けず、文字どおり途方にくれてしまったのである。  むろん、別荘地帯だから別荘はある。  しかし、季節はもう九月の中旬に入っているので、ひと夏をこの別荘にすごしたひとびとも、あらかた引揚げてしまって、霧と林にうずまったどの別荘も、森閑《しんかん》として燈の色もみえない。  さらに困ったことには、このへんの別荘には、境界もなければ垣根もない。垣根がないくらいだから門もない。ただ林のなかに路が拓りひらいてあるだけだから、うっかり公道だとおもって歩いていると、ひとけのないバンガローに突きあたったりする。  もっとも、公道から別荘へはいる路の入口には、白ペンキのうえに姓だけ書いた立札が立っているが、この霧のなかではそんなものも、とかく見落されがちである。  ここにおいて金田一耕助は、進退きわまってしまったのだが、それにしても、どうしてかれが、こんなところへ迷いこんだか、まずその由来から説明しなければなるまい。  金田一耕助は、東京の残暑をさけて数日来、K高原にあるPホテルに滞在している。さいしょの予定では、五日くらいのつもりだったが、東京の残暑ますますきびしいときいて、一日のばしに滞在をのばしているうちに、東京から、等々力警部が週末を利用してあそびに来るという便りがあった。  そこで、警部とともに週末をすごして、月曜日の朝いっしょに東京へ引き揚げようと、予定を立てたその週末の土曜日というのが、きょうなのである。  警部は今夜の八時半ごろ、こちらへつく予定である。だから金田一耕助がそれを心待ちにして、きょうの午後をホテルでのらりくらりと過していると、三時ごろ思いがけない訪問客があった。  訪問客は、江馬容子とみずから名乗って、金田一先生がこちらにご滞在だということを、土地の新聞で拝見して知ったのであるが、それについてぜひ先生にお眼にかかって、お願い申上げたいことがあるという取次《とりつぎ》の口上《こうじょう》であった。  そこで金田一耕助がロビーの隅であってみると、江馬容子というのはなかなかの美人であった。  年頃は二十四、五というところだろう。色の浅黒い、均整のとれた体をしていて、身長は五尺三寸くらいもあろうか。紺地にダリヤの花の輪郭だけを、赤く、黄色く染めだしたスカートに、赤いセーターを着ているところは、ひとを訪問するすがたではないが、服装をとりつくろわぬところが、このK高原の別荘人種の特徴だということをしっている金田一耕助は、べつに無礼とも思わず、かえって気易《きやす》さがかんじられた。  それにだいいち金田一耕助の服装からしてが、洗いざらしの白絣《しろがすり》に、いささかひだのたるんだ夏袴、頭は例によって雀の巣のようにもじゃもじゃである。 「やあ、あなたが江馬容子さんですか。ぼく、金田一耕助です」  金田一耕助がペコリとひとつ、もじゃもじゃ頭をそこにさげると、 「まあ」  と、いうように容子はつぶらの眼を視張ったが、すぐ瞼をくれないに染めて、ロビーの隅の椅子から立ちあがると、 「たいへん失礼申上げました。わたくし江馬容子でございます」  と、ハンド・バッグをひらいて取り出した名刺をみると、容子は『あじさい』社というモード専門の出版社へ勤めているらしい。 「ああ、なるほど。それでぼくにご用とおっしゃるのは……?」  金田一耕助が容子にも椅子をすすめ、じぶんもそこに腰をおろすと、 「はあ、あの、それが……あたしじしんのお願いじゃございませんの。あたしはただ使いでまいっただけなんですけれど、金田一先生はもしや、戦前映画スターとして鳴らした、紅葉照子というひとをご存じじゃございませんか」 「そりゃあ、もちろん存じてますよ。紅葉照子さんといやあ、サイレント時代の大スターですからね」 「はあ、ところがあのひとがあたしの伯母になるんでございますの。もっと正確に申上げますと、あのひとの良人の西田稔といって医学博士でございますけれど、そのひとがあたしの母の兄になるわけでございますの」 「はあ、なるほど。そういえば紅葉照子さんはお医者さんと結婚なすって、その後も幸福にくらしていらっしゃるということは、なにかで読んだことがありますね。ふむふむ、それで……?」 「はあ、ところがその伯母はいま向ガ原の別荘へきておりますの。それがシーズンももうおわりですからそろそろ引き揚げたいが、それについて迎えにきてほしい……と、こういってまいりましたもんですから、あたしがこうして週末を利用して迎えにまいったわけですの。ところがその伯母が妙なことをいいだしたんですの」 「妙なことといいますと……?」 「はあ、それが……」  と容子はそわそわロビーのなかを見まわすと、急に声をひくくして、 「なんでも戦前起った事件でございますが、犯人が死んだことになっていて、そのまま未解決になっている事件がございますそうです。ところがその犯人とおぼしいひとに、伯母がさいきんこちらで会ったというんでございますの」 「迷宮入り事件の犯人に……?」  金田一耕助はギクッとして、高い声こそ出さなかったものの、おもわずつよく容子の顔を見なおした。    霧の中の男 「はあ」  容子も顔の線をかたくしていくらか眼をうわずらせている。 「迷宮入り事件ってどういう事件なんです」 「いいえ、それは伯母も申しませんでした。でも、伯母の口ぶりによりますと、あのひとがまだ映画界にいたじぶんの事件らしく、それだとあたしなどまだ産まれない前のことでございますわね」 「はあ、はあ、なるほど、それで……?」 「ところがその事件というのが、なんだか伯母の身辺に起った事件らしいんですの。それですから伯母も死んだことになっているその犯人というのを、よくしっていたらしいんですの。伯母も最近までそのひとを死んだものとばかり思っていたんですわね。ところがここではからずも邂逅《かいこう》して、すっかりびっくりしているらしいんですの」 「そりゃあ、まあ、そうでしょうねえ」 「はあ……それで伯母はいま二重の意味で先生を頼りにしているわけでございますわね。つまりそういう重大な事に気がついて、それをこのまま黙っていてよいものかどうかということ、つまり良心の問題でございますわね。それについて先生にご相談にのっていただきたいという意味と、もうひとつは、伯母のほうではかりそめにも、そのひとに気がついたような気振《きぶ》りはみせなかったつもりだそうですけれど、ひょっとすると、むこうが感づいていはしないか……もし、そうだとすると、伯母の身に危険がおよぶ可能性がございますね。それを先生に保護していただきたいという意味もあるらしいんですの」 「なるほど」 「はあ、それでございますからこんやぜひ金田一先生に、自分の別荘へきていただけるように取計《とりはか》らってほしいと、こう伯母にたのまれてまいったのでございますけれど……先生ぜひ伯母のたのみをきいてあげてください。そうでないと、あたしのお役目がたちませんから」 「こんや何時ですか」 「八時ではいかがでしょうか」  八時半には等々力警部がやって来る。しかし、これはホテルへたのんでおけばなんとかなるだろう。 「失礼ですが、伯母さんは今お名前は……?」 「西田照子でございます」 「おいくつでいらっしゃいます?」 「かぞえ年でちょうど五十ですけれど、とても五十にはみえませんわねえ。せいぜい四十というところでしょうか」 「ご主人はお亡くなりになったんですか」 「はあ、昭和二十三年|脳溢血《のういっけつ》でとつぜん……」 「なるほど、それで、お子さんは……?」 「それがひとりもございませんの」 「ああ、そう。それではさっきのお話ですがね。伯母さんがここで邂逅された人物ですが、それ男ですか、女ですか」 「いいえ、先生、それを伯母が申しませんの、つまり、あまり詳しいことをあたしにきかせて、累《るい》があたしにまでおよんでは可哀《かわい》そうだと思ってるらしいんですのね。ですからさっきあたしが先生に申上げただけのことでも、あたしに話したことを後悔しているようでございますの。それですからあたしとしてはいっそう先生に、お力になってあげていただきたいのでございますけれど……」  容子の涙ぐんだ眼で歎願《たんがん》されては、金田一耕助もいやとはいえなかった。それに事件そのものにも、興味がなくはなかったので、こんや八時の訪問を約束した金田一耕助だったが……。  容子の話によると向ガ原というところは、K高原でもちょっと別天地になっていて、林のなかに別荘が四十軒ほどある。  しかし、みんな自動車に踏みこまれるのをいやがって、路といえば小型自動車がやっと一台、通れるか、通れないかくらいであるから、向ガ原入口というところで車を降りてほしい。そうすればそこまで伯母がお迎えのものをさしむけるといっているから、ということであった。  だから、金田一耕助はきっちり八時十分まえに、向ガ原の入口で自動車をおりたのである。そして八時まで迎えのものを待ったのだが、どういうわけかそういう人物はあらわれなかった。人を待たせることの嫌いな金田一耕助は、ええ、ままよ、四十軒の別荘をしらみつぶしに訪ねていってもたかがしれていると、足を踏みこんだのが間違いのもとだった。  K高原の事情にあまり詳しくない金田一耕助は、自動車もろくに通らない別荘地帯というところから、東京の郊外住宅を想像していたのだが、なかへ踏みこんでみて別荘一軒あたりの敷地面積のひろいのにおどろいた。  暗いのと、かててくわえてあいにくの霧でよくわからないが、金田一耕助が懐中電灯の光で調べたところによると、一軒あたりの敷地面積は、ゆうに一千坪は越えているらしかった。なかには数千坪を占有《せんゆう》しているらしいのもあったが、それでいて、どの別荘も建坪《たてつぼ》は大してひろくない。三、四十坪というのがふつうらしい。  これはたいへんだ。……と、金田一耕助がいささか心細くなったとき、霧の底からボーッとあかりがみえて来た。  この別荘地帯にはところどころ街燈がついているのだが、今、金田一耕助がみつけた灯は街燈ではない。霧の中を揺れながら動いているところをみると誰かが歩いているようだ。 「おうい!」  と、金田一耕助が懐中電灯をふって叫んだのと、 「そちらもしや金田一耕助先生ではありませんか」  と、むこうから訊ねたのとほとんど同時だった。どうやら迎えのものらしい。 「ああ、こちら金田一耕助だが……」 「すみません、いま向ガ原の入口まで迎えにいったんですが、少しおくれちゃって……」 「ああ、それは失敬《しっけい》々々、それじゃもう少し待ってればよかったね」  そういう会話が霧のなかに反響して、極まりが悪いくらい大きくあたりに響きわたる。それほどあたりは寂《せき》として静かなのである。  やがて、さくさくと湿った土をける音がして、霧のなかからあらわれたのは、額に紫色のシェードをつけ、大きなサン・グラスをかけ、ギャバのズボンに派手なアロハ、素足にサンダルをはいて、年頃は三十前後だろうが、どこか凄味《すごみ》な人相が金田一耕助にとっては案外だった。 「やあ、どうも、いきちがいになって申訳ありません」  アロハの男はサン・グラスの奥から、ギロリとひとめで、金田一耕助の頭のてっぺんから足の爪先まで観察したのち、それでもわりに如才《じょさい》ない調子でいった。 「じゃ、ぼくについて来て下さい。ご案内しましょう」 「やあ、どうもご苦労さん」  金田一耕助はアロハのあとからついて歩きながら、 「君、西田照子さんとはどういう関係?」 「なあに、ご用聞きですよ、あの奥さんにお迎え役をたのまれたんです」 「ああ、そう」  と金田一耕助はかるく答えたものの、このへんのご用聞きはアロハにサン・グラスをかけているのかと、ちょっと妙な気がした。いや、妙な気持というよりもいささか薄気味悪かった。  それからあとは二人とも一切無言で、歩くことおよそ八分あまり、やっとむこうに灯のついた別荘が霧の中にぼんやりみえてきた。 「あれがそう?」 「ええ」 「この向ガ原というのは相当広いんだね」 「ええ、六万坪からありますからね」  六万坪の中に四十軒の別荘。……それじゃ一軒あたりの敷地は広いはずである。 「これが西田さんの入口です」  アロハの男が懐中電灯をむけたところをみると、路傍《ろぼう》に立った絵馬《えま》の形の立札に、横書きで西田と書いてある。  西田家の別荘は立札の立っているところから、赤松と落葉松《からまつ》の密生した林を拓りひらいてつくったまがりくねった路を十五、六間、さらに奥へ入ったところに立っていた。    霧の中の惨劇  この辺の別荘はどこでもそうのようだが、いたって開放的にできていて、戸締まりなどがあってなきがごときである。  西田別荘もそのひとつで正面に廂《ひさし》のひろいポーチふうなものがついており、ポーチをあがると右が自転車置場、正面に木製のドアがついているが、ドアのすぐ左が二枚のガラスの引戸《ひきど》になっているから、ドアに錠をかけておいたところで、ドライヴァー一本もっておれば、ガラス戸を破って忍びこむくらいなんの造作《ぞうさ》もない。そのガラス戸にはいちめんになかからカーテンがしまっている。 「奥さん、奥さん、お客さんをご案内してきましたよ」  アロハの男はポーチへあがってドアをガチャガチャいわせたが、なかから返事はなく別荘のなかはしいんとしている。ドアにも錠がかかっているらしい。 「奥さん、奥さあん、お客さんですよう」  アロハの男はカーテンのすきまからなかをのぞいていたが、そこからではなにもみえないらしい。  金田一耕助はアロハの男がしきりに奥さん奥さんと、連呼しているあいだに、ポーチに立ってそこにある柱をながめていた。その柱は自然木が使ってあるが、その表面に直径二三センチの摺鉢《すりばち》のような穴がいちめんにあいている。金田一耕助ははじめのうち、その穴の意味がわからなくて、しきりに小首をかしげていたが、そのうちにやっと謎《なぞ》がとけて微笑を禁じえなかった。  その自然木は、虫が食っているのである。この別荘地帯が無人になったとき、啄木鳥《きつつき》がその虫をついばみにくるのであろう。ポーチにはほかにも二、三本自然木の柱が使ってあるが、啄木鳥のつついた穴はないかわりに、柱の根元に木の屑だか虫糞だか、黄色い粉がうずたかくつもっている。おそらくそれらの柱は啄木鳥がつつきにくるには、すこし奥まりすぎているのであろう。金田一耕助がなにげなく啄木鳥のつっついた穴をかぞえてみると、大小しめて八つあった。  金田一耕助がこんなのんきな観察をしているあいだも、アロハの男はしきりにドアをガチャつかせ、奥さん、西田さんと連呼していたが、依然としてなかから返事はなかった。  カーテンをほんのりあたためている灯の色がしいんとしてしずまりかえっている。  アロハの男は、柵《さく》を排して自転車置場にふみこんだ。そこにもガラス戸のしまった窓があってカーテンがかかっている。男はそこのカーテンのすきまから、家のなかをのぞいていたが、とつぜんぎくっと体をふるわせると、 「わっ、こ、これは……」  のけぞるような男の声に金田一耕助もぎょっとふりかえって、 「君、どうかしましたか」 「先生、ちょ、ちょっとこちらへきてください。なんだかようすが……」  と、男の声はガタガタふるえている。  金田一耕助も自転車置場にふみこんで、カーテンのわれめから部屋のなかをのぞきこんだが、そのとたん、おもわずぎょっと大きく呼吸をうちへ吸いこんだ。  カーテンのわれ目があまりひろくないので部屋のごく一部分しかみえないのだが、そこは板の間のホールになっていて、そこに折畳み式の籐《とう》の寝椅子がひろげてある。その籐の寝椅子のうえに女がひとり、ぐったりとななめ仰向けによこたわっている。  ちょうど、女の顔がこちらをむいているので、金田一耕助にもすぐそれがサイレント映画時代の大スター、紅葉照子であることがわかった。姪《めい》の容子もいっていたが、ことしかぞえ年五十になる照子は、とてもその年とはみえない。せいぜい四十というところだろうと容子もいっていたが、いまこうしてみると四十にもみえない若さである。  かつて純情可憐《じゅんじょうかれん》を売物にしたスターだったが、その当時からみるとふっくらと肉がついて、昔の面影をとどめながらもあだたる色気がそなわって、年増《としま》のうつくしさがそこはかとなく匂うている。  だが、その照子はいったいどうしたというのだろう。派手な友禅浴衣《ゆうぜんゆかた》をきて籐の長椅子によこたわっているのだが、浴衣のまえがひどく乱れて、むっちりした乳房がひとつのぞいている。その乳房がなにやらべったりドスぐろいものに染まって、ちょうどその乳房の下にあたる床のうえに、これまたドスぐろい液体がまがまがしい溜《たま》りをつくっている。 「き、金田一先生、むこうにひっくりかえっている椅子のそばを……」  アロハの男のささやきに金田一耕助が瞳を転じて寝椅子の足下のほうをみると、そこにK高原特産の木製の椅子がひっくりかえって、葡萄《ぶどう》や梨《なし》が散乱しているが、そのそばにどっぷりと赤黒い液体にそまった鋭い刃物がころがっている。 「金田一先生、なかへ入ってみましょうか」  と、アロハの男はガラス戸をガタガタゆすぶったが、そこにもなかから挿込《さしこ》み錠がさしてあるらしい。 「君、よしたまえ。それよりどこかほかに入り口は……?」 「はあ、それじゃ、ぼく、探してきます。先生はここで待っていて下さい」  アロハの男は自転車置場をとびだすと、家の側面にまわっていった。そして、あちこちガタガタいわせていたが、やがて家をひとまわりして、反対側からかえってくると、 「先生、駄目です。どこもなかから締りがしてあります。雨戸もぴったりしまってます。犯人はきっと玄関から出ていって、外からこのドアに錠をかけていったにちがいありません、先生、どうしましょう」  と、アロハの男は早口にしゃべりながら、額の汗をふいている。 「とにかく警官を呼んできたまえ。この辺には電話のあるうちはありませんか」 「そりゃあ、ありますが、みんなもう引揚げちまったもんですから……じゃ、とにかく、ぼくいってきます」  アロハの男はポーチからとびおりたが、そのとたん、 「あっ!」  と、叫んでそこへひざまずいてしまった。 「ど、どうしました」 「すみません。このところにつまずいたひょうしに生ま爪をはがしてしまって……」  なるほど男がおさえた指のあいだから赤黒いものが吹きだしている。石ころの表面にも赤いものがとんでいた。 「歩けませんか」 「いえ、あの、むりをすれば……」  ハンカチを裂いて男は手ばやく繃帯《ほうたい》をすると、二、三歩いきかけたが、すぐまたそこへしゃがみこんでしまう。 「よし、それじゃ君はここにいたまえ。ぼくがかわりにいってこよう。どういけばいいのだね」 「ああ、そう、それじゃ先生、肩につかまらせてください。わかりいいところまでお送りしましょう」  ふたりが歩きだしたとき、霧のなかから汽笛がきこえてきたので、金田一耕助が腕時計に眼をおとすと、八時二十七分である。等々力警部のやってくるはずの八時三十分N駅着の下り列車が、いま向ガ原の入口を通過するところであった。    はて面妖《めんよう》な 「金田一先生、どうしたんです。なにをいったいそんなににやにやしてるんです」 「あっはっは、いや、どうもね。狐につままれたような気持というのはこのことですね。証拠の品はこれひとつか。あっはっは」  と、金田一耕助が指でまさぐっているのは、江馬容子の名刺である。  それはその夜の十時頃、金田一耕助はひと風呂浴びた等々力警部と、ホテルのロビーでくつろいでいる。もうシーズンもおわったので、ホテルもいたって閑散である。 「いやね、警部さん、聞いてください。こういう馬鹿馬鹿しい話なんですよ」  と、金田一耕助は江馬容子の来訪から、西田照子の惨殺死体らしきものをかいま見たいきさつを話して、 「そういうわけで、ぼくが警察を呼びにいくことになったんですね。アロハの男はぼくの肩につかまって、うねうねと迷路のようにまがりくねった路を途中まで送ってくれました。それから、ここをまっすぐいけば向ガ原の入口へ出られる。そこの踏切のところに藤原といううちがあって、そこの主人がこの別荘地帯を監理しているのだし、そこには電話もあるというんです。そこで、アロハの男とわかれて藤原のところへいったわけです。藤原の主人も話をきいてびっくりし、さっそく警察へその由《よし》を電話もし、若いものを三人あつめてさっそくぼくといっしょに西田別荘へひきかえしたと思ってください。そしたら、あっはっは」 「どうしたんです。ひきかえしてみたら照子が生きかえっていたとでもいうんですか」 「いや、そんならまだしも話はわかるんですがね」  藤原の主人と若者三人をひきつれて、金田一耕助が西田別荘へひきかえしたところ、霧はますます濃くなっていた。しかし、こんどは案内があるので路に迷うこともなく、まっすぐに西田別荘へやってくると、どの窓もカーテンがひらかれて、電燈が煌々《こうこう》とついている。それのみならずひとびとの足音をききつけたのだろう、別荘のなかからけたたましく犬の吠《ほ》える声がきこえた。  一同がポーチへあがってガラス戸越しになかをのぞくと、さっき照子が倒れていた折たたみ式の籐の寝椅子が起こしてあって、そこに真黒なワン・ピースを着た白髪の老婆が腰をおろして、毛糸の編物を膝においていた。そして、その足下でコリー種の犬が毛を逆立てて吠えているのである。 「それでねえ、警部さん、ぼく、すっかりひっこみがつかなくなっちまったんです。その老婆というのは照子の姉で、房子というんだそうです。そういえば照子が映画界に君臨していたころ、しっかりものの姉さんがマネジャー格でついてるってことを、なにかで読んだことがありますが、その姉さんが照子の結婚後も家政婦格で西田家の家計の采配いっさいをふるってきたらしいんです。クリスチャンとみえて、胸に十字架をかけていましたが。ところがその姉さんのいわくに、そんなばかな話はない。おまえは夢でもみたのであろう。自分はきょうどこへも出ずに、夕方からここにジュピター……ジュピターってのがコリーの名なんですね。ジュピターとここで編物をしているが、照子がここで殺されてたなんてそんなばかなことはない。照子はこんやSガ滝のほうへ別荘をもっている知人のところへ、お別れのご挨拶にいっている。……と、こうなんです。あっはっは、警部さん、この謎をなんとお解きになりますか」  金田一耕助はにこにこしているが、等々力警部は眼をまるくして、 「それで、先生、アロハの男というのは……?」 「そうそう、ところがその男が消えちゃったんです。いや、消えちまったのみならず、この辺にアロハをきたり、サン・グラスをかけたり、そんなよたものみたいな風態《ふうてい》をしたご用聞きなどひとりもいない。これは藤原の主人をはじめとして、いっしょにきてくれた青年たちの一致した意見なんです」 「それで、その名刺のぬしについては……?」 「ところがそれも駄目なんです。房子女史のおっしゃるのに、うちには婦人記者などしている親戚《しんせき》はひとりもないし、第一亡くなった稔さんには弟がふたりあるけれど、妹なんてひとりもなかった……」 「金田一先生」  と、等々力警部は立ちあがって、両手をうしろに組んだまま、ロビーのなかを歩きまわりながら、 「あなたはそれについてどうお考えになってるんです。ひょっとしたら先生とアロハの男がそこを離れている間に、房子という姉が大至急死体を片附けたのでは……?」 「それじゃあねえ、警部さん」  と、金田一耕助はあいかわらずにこにこしながら、 「死骸を取りかたづけることはできるでしょう。ひっくりかえった椅子や果実もなんとかしまつできましょう。ぼくが西田別荘をはなれてから、また引返してくるまで、ちょうど二十五分かかってましたからね。しかし、床の血だまりはどう始末します。拭いたとしても、そこに湿った跡がのこるはずですね。なにしろこん夜のこの陽気ですからね。ところが房子女史が泰然《たいぜん》として編物をしていた部屋には、床をふいたような跡はみじんもなかったんです」  等々力警部はなんだか不安が去りやらぬ面持ちで、 「金田一先生、それ、ひょっとすると、別荘がちがってたんじゃありませんか。アロハの男が、ちがう別荘へあなたを案内したんじゃ……?」 「もちろん、ぼくもそれをかんがえましたよ。だけど、少なくとも表構えはすっかりおんなじでしたし、啄木鳥のつついた穴もちゃんと八つあいておりましたよ。それからこの石もポーチの上にころがってましたしね」  金田一耕助が床のうえからとりあげたのは、この辺特有のくろぐろとした焼石で、大きさは沢庵石《たくあんいし》くらいである。 「なんです、それは……?」 「なあに、アロハの男がつまずいて生爪をはがした石でさあ。ぼくもあんまりいまいましいから、やっこらさと持ちかえったというわけです。ほら、ここに生爪をはがしたときの血の跡がついてるでしょう」  等々力警部はまじまじと、さぐるように金田一耕助の顔を視まもりながら、 「金田一先生、あなたはこの話をいったいどういうふうに思っていらっしゃるんです?」 「いや、それよりも、もう少しぼくの話をきいてください。そうこうしているところへおまわりさんがやってくる。そこへまた、あなたと同じ汽車でやって来たんでしょう。東京から西田武彦という故博士の甥《おい》にあたる青年がやってきましてね。その武彦青年にも全然江馬容子と名乗ってここへやって来た女性や、アロハの兄ちゃんなる人物について心当りがないというんです。それで、ぼく、いよいよひっこみがつかなくなりましてねえ、挨拶もそこそこに逃げだしてきたんですけれど、それでも念のため頼んで来ました。照子女史が知人の別荘からかえってきたら、すぐこちらへ電話をしてくれるようにってね」  金田一耕助はその電話を心待ちにしているようだったが、とうとうその夜はなんの音沙汰《おとさた》もなく、K署の捜査主任から、あわただしく電話がかかってきたのは、その翌日の正午まえのことである。 「金田一先生でいらっしゃいますか。昨夜はうちの若いもんがたいへんご無礼を申上げたそうですが、なにとぞご勘弁願いとうございます。それについて先生に至急向ガ原までご出張ねがいたいのでございますが……」 「向ガ原へ……? 向ガ原になにかあったんですか」 「はあ、昨夜先生が目撃なさった西田照子さんの死体がけさがた発見されたんでございますが……」 「な、な、なんですって? 西田照子さんの死体が発見されたんですって?」 「はあ、それですから至急先生におはこびを願いたいのですが……なんでしたらこちらから自動車をさしあげても結構ですが……」 「ああ、いや、自動車は結構です。そ、それじゃさっそく出向いていきますが……」  卓上電話の受話器をおいたとき、金田一耕助のおもてに、ありありと困惑の色が動揺しているのを、そばで話をきいていた等々力警部は怪しむように視まもっている。   第二の死体  K高原はきのうとうってかわって上天気で、しずかに噴煙《ふんえん》をあげているA山が高原の秋を思わせる紺碧《こんぺき》の空に、くっきりとその山脈をあらわしている。  金田一耕助と等々力警部を乗っけた自動車が、向ガ原の別荘地帯へと乗りこんでいったとき、金田一耕助は思わず畜生ッと心のなかで叫ばずにはいられなかった。  なるほど公道から西田別荘へ入る跡こそ、小型自動車がやっと通るか通らないかの小径だったが、公道そのものは大型自動車でもゆうゆう通す幅員《ふくいん》をもっていた。ゆうべ金田一耕助がそれに気がつかなかったのは、ひとつには霧のせいもあったが、たいていの別荘が垣根がわりに樅《もみ》の木をうえており、その樅の木が両側から路のほうへ枝をひろげているせいもあった。  さて、西田別荘は総面積六千坪という敷地をもっており、別荘の背後は赤松と落葉松の密生したあいだに、いちめんに灌木《かんぼく》の生《お》いしげった自然林のままの小高い丘になっていて、その丘の一部にちょっとした洞穴のようなものがある。  西田照子は毎年向ガ原へ暑を避けるまえに、監理人の藤原に命じて、別荘の前面と周辺だけは下草を刈らすのだけれど、背後の丘はしぜんのままに放置しておくことにした。そして問題の洞穴は刈りとられた下草を放りこむのに用いられていたが、西田照子の死体はその洞穴のなかから発見されたのである。そして、それを発見した殊勲者《しゅくんしゃ》はコリー種のジュピターであった。西田別荘ではゆうべ金田一耕助が、へんな話をもってきたうえに、照子がいつまで待ってもかえってこないので、房子もちょっと不安なおもいにとざされていた。しかし、あいにくSガ滝の知人のうちには電話もないので、連絡のとりようもなく不安のうちに一夜をあかした。そこで、けさ夜が明けるのを待って武彦が自動車をかってSガ滝へいってみると、照子さんとはもう一週間もあわないという返事である。  しかし、房子も武彦もまさかこんなこととは思わなかった。かつて映画スターだった照子にはときどきとっぴな行動で、まわりのものをあっとおどろかしてよろこぶという趣味があるので、武彦など、なに、いまにどこからかかえってくるさ、とそれほど気にもとめていなかったところが、十時頃になってジュピターが、裏の丘でへんな声を立てはじめた。  そこで房子とけさはやく東京からかえってきた女中の澄子がいってみると、ジュピターがしきりに下草をかきだしている。そこで女中の澄子がなかへもぐりこんでみると、そこに房子の死体がよこたわっていたというわけである。  金田一耕助と等々力警部がかけつけたとき、照子の死体はまだ下草のうえによこたえられていたが、その死体はゆうべ金田一耕助が窓の外から目撃したとおり、水色地に紺と紫で大きく花を染めだしたちりめん浴衣を着ていて左の乳房の下を鋭利な刃物でえぐられているのである。 「金田一先生、昨夜はうちの若いもんが先生になにかご無礼を申上げたそうで……」  と、恐縮そうにそばへよってきたのは捜査主任の千代呂木警部補である。金田一耕助はまえにもいちど、このK高原で起った事件の捜査に協力したことがあるので、千代呂木警部補はよくしっていた。そのさい、等々力警部もいっしょだったので、 「警部さんもよくいらっしゃいました。ひとつまたご協力をお願いします」  と、如才なく愛嬌をふりまいたのち、 「ところで、どうでしょう。うちのわかいもんの話では、先生はゆうべこの別荘で、この婦人が殺されているところを目撃なすったというお話ですが、そうすると、先生が立去られたあと、あちらにいるばあさん、被害者の姉だそうですが、あいつがここへ死体をかくしたということになるんでしょうか」 「いや、いや、それよりひとつあなたにお願いがあるんです」 「はあ、どういうことでしょうか」 「この向ガ原にここの別荘とすっかり同じ表構えの別荘が、もう一軒あるはずなんですが、至急部下のひとを走らせてそれを探させてくださいませんか。但しそっくりおなじなのは表だけで裏のほうはちがっていると思うんですが、それは構いませんから」 「金田一先生、それはどういう……?」 「いえね、警部さん、ここからみえる西田別荘は、完全に洋風になっていて、したがって雨戸というものは一枚もないでしょう。ところがゆうべわたしを表に待たせて別荘をひとまわりしてきたアロハの男が、つい口をすべらせたのに、戸締りは全部なかからしてあるし雨戸もみんなしまっているといったのをおぼえているんです。ですから表構えはふたごのようにおんなじだが、裏はいささかちがっている別荘が、もう一軒この向ガ原にあると思うんです」 「あっ、なるほど、承知しました」  さっそく部下の数名が召集されて、千代呂木警部補の命令で別荘さがしに八方へとんだが、その結果はさらに恐ろしい事件の発見へと発展していったのである。即ちふたご別荘の日本座敷の押入れから、これまた刺し殺されたアロハの男の死体が発見されたのだ。   照子の調伏《ちょうぶく》 「金田一先生、これはどういう事件なんです。房子の話によるとアロハの男はかつて映画などに関係していた杉山平蔵という男で、照子のところへちょくちょく金の無心《むしん》などにきていた人物だというんですが……」  と、千代呂木警部補の質問につづいて、 「先生、これはやっぱり江馬容子が先生のところへもってきた話の、昔の迷宮入りをした事件の犯人がやったことなんでしょうか」  と、デスクのうえに体をのりだしたのは、K署の署長の長井良助氏である。 「いや、わたしが意見を申上げるのはもう少しお待ちください。いま鑑識のほうへ依頼してあることがございますから」  そこはK署の会議室である。あいついで起ったふたつの殺人事件に署は極度に緊張して、日曜日にもかかわらず全員非常召集をうけている。署長の長井氏などもN市へ出向いていたのが、急遽《きゅうきょ》呼び戻されて、この捜査会議に出席しているのである。 「ああ、そう、それじゃそのまえに被害者のひとり、西田照子についてちょっとご報告申し上げます」  と、千代呂木警部補が手帳をひらいて、 「被害者はかつて紅葉照子と名乗って銀幕のスターでしたが、昭和十一年映画界を引退すると同時に、故西田稔博士と結婚しました。夫婦の年齢は十六ちがっていましたが、その仲は、いたって円満だったそうです。さて、西田博士は昭和二十三年|物故《ぶっこ》しましたが、生前渋谷に病室が六十もあるという病院を経営し、その経営に成功していたそうです。ところが昭和二十三年脳溢血で急逝《きゅうせい》するまえ、虫がしらせたというか、病院の経営権をはじめとして、全財産を照子夫人の名義に書きかえてあったそうです」 「ほほう」  と、いうように金田一耕助は目を視張っておもわず体をのりだした。 「はあ、もしこれをやっておかなかったら、かなり厄介《やっかい》な問題がもちあがったろうと、被害者の姉の房子はいってるんです。と、いうのは西田夫婦には子供がなく、そのかわり甥と姪とが八人あるそうですから、遺産分配などでいろいろ厄介な問題があったろうというんですね。それはともかく西田照子は寡婦《かふ》とはいえ、相当多くの収入にめぐまれていたわけです。さて、第二の被害者杉山平蔵ですが、これは照子が映画スターだったころ世話になった監督の倅《せがれ》だそうで、さきほど照子のところへちょくちょく金の無心にきていたと申上げましたが、決して悪質な人物ではなく、照子のことを小母《おば》さんと呼び、照子のほうでも平ちゃんといって可愛がっていたそうです。だいたい以上が、房子、西田武彦、それから女中の澄子、さらにSガ滝に別荘をもつ照子の友人、M夫人などからえた情報ですが……」 「それで、君、ふたごみたいにそっくりおなじ表構えの別荘が、ふたつあるというのはどういうわけだね」 「ああ、それ」  と、千代呂木警部補がにこにこしながら、 「あれはこうです。西田別荘ができたのは、昭和十二年だそうです。ところがその翌年西田博士の親友の清水博士の一家がひと夏、西田別荘を借りて住んだんですね。そしたらすっかりあの素朴な表構えが気にいって、翌年、おなじ向ガ原に別荘を建てるとき、表構えだけは、そっくりそのままうつしたんだそうです。はあ、啄木鳥のつついた穴までですね。但し、こちらのほうは奥さんが日本趣味で、畳の部屋もほしいというところから、表のホールから裏はすっかりちがってきたわけです」 「あっはっは、なるほど、それできのうの霧で、ぼくがすっかりだまされたというわけですね」  金田一耕助がわらっているところへ、鑑識課員が入ってきた。そして、その鑑識課員の発表こそ、一同を驚倒《きょうとう》させずにはおかなかった。 「金田一先生のご依頼によって、この石……これはアロハの男がつまずいて生爪をはがした石だそうで……ここに血痕らしきものがついております。ところがげんじゅうに調べてみたところ、これは人間の血でもなんでもなく、芝居などに使う糊紅であることをわたしは証言いたします。さらに……」  と、鑑識課員は被害者の着ていた浴衣をとりあげて、 「これには被害者とおなじ血液型の人間の血も多量に附着しておりますが、それと同時にやはり多量の糊紅がついております。また清水別荘の床から採集された血痕のなかにも、多量の糊紅がまじっていることを証言いたします。わたしの報告は以上のとおりです」 「金田一先生!」  鑑識課員の説明がおわると同時に、その場にいあわせたひとびとは、いっせいに金田一耕助のほうをふりかえった。金田一耕助はものうげに首を左右にふりながら、 「いいえ、ぼくは、その石についている血が、ほんものでなく糊紅だと気がついたとき、ぼくが目撃したときの照子の周囲のあった血も糊紅じゃなかったかと思ったんです。と、いうことはそのとき照子はまだ死んでいなかった。ただ殺されたまねをしていただけではないかと想像したんです」 「しかし照子はなんだってそんなまねを?」 「いえね、署長さん、世のなかには物好きな人間がいるものです。ひとをあっといわせて悦に入るというようなのがね。げんに舞台人のあいだには調伏という言葉さえあるというくらいですからね。照子はことにそういう趣味がつよかった。そこへもってきてこの金田一耕助なるメイ探偵がいま、おなじこのK高原にいる。しかも、ふたごみたいにそっくりおなじ表構えの別荘がここにふたつある。ひとつそれを利用してそのメイ探偵を調伏して面くらわせてやろうじゃないかと、杉山の平ちゃんを仲間にかたらった。そして、その平ちゃんが江馬容子なる怪女性を仲間にしたんじゃないかと思うんです」 「金田一先生」  と、そばから体を乗り出したのは等々力警部である。 「それじゃ、そこを犯人に乗じられたというんですか」 「そうです、そうです。西田照子は八時以前に殺害されていたと、金田一メイ探偵が証言すれば、八時半以後このK高原へ到着した人間はぜったいに安全ですからね」 「武彦だな!」 「武彦にしろだれにしろ、この場合、もっとも適切なる言葉は女を捜せですね。西田照子のこの悪戯をしっていたのは、おそらく本人と杉山の平ちゃん、それからぼくのところへきた女、それから犯人ですね。こういう調伏の計画がまえまえから練られていたとは思えませんから、こういう計画のあることをしった女が東京へ電話でしらせたのでしょう。そこで犯人がうまい時間にやってきたが、ぼくの目撃した西田照子殺人事件がお芝居であったとわかると、犯人のアリバイが破れるわけです。そのために罪もない杉山平蔵を殺してしまった。したがって江馬容子と名乗る怪女性が犯人のほんとの意味の共犯者ならともかくとして、もしそうでなかったら、杉山平蔵氏とおなじ運命におちいる危険性はたぶんにあると思うんです。とにかく至急女をさがしてください」 fin.