目次 二十歳の原点  解説(吉行理恵)  高野悦子略歴 二十歳の原点 独りであること、未熟であること、 これが私の二十歳の原点である。 ◎一九六九年一月二日  三十一日午後、西那須野を出発し三時間余りで飯坂温泉に着く。家族五人で正月を温泉とスキーで過そうという訳である。  一日はバスで三十分の栗《くり》子《こ》スキー場で初すべり。栗子スキー場は米沢《よねざわ》まで二十数キロと山形県に属しており、私の知っている所(那須、南小谷《みなみおたり》)では一番広いスキー場だ。昨日と今日、五時間ほど滑った。シュテムクリスチャニヤにあと一息である。今シーズン中には出来るようにしたいものだ。  日中はスキー、夜はテレビで過している。全く考えずに「楽しく」事が運んでいく。  今日は私の誕生日である。二十歳になった。酒も煙草も公然とのむことができるし、悪いことをすれば新聞に「A子さん」とでなく「高野悦子二十歳」と書かれる。こんな幼稚なままで「大人」にさせてしまった社会をうらむなあ。  未熟であること、孤独であることの認識はまだまだ浅い。何を書きたいのだろうか? 家族と共に生活していると、何も考えずにいても楽しく過せるのだ。けれども、母は、父は、昌之は、ヒロ子ちゃんは、どれだけ私を知っているのであろうか、どのような事で悩んでいるのか、何をやりたがっているのか知っているのであろうか。  特に父母には年代のズレを感じる。父母は若い私達を認めようとはしない。「若いからそうだが、やがて年をとれば年配者の言うことが正しいことがわかる」とこんな調子である。父は、東大問題にしろ自衛隊にしろ、元地主の反共主義と僅かのインテリぶりと県庁の管理職からくるものとが混じりあって、その思想が作られている。その思想と私のぶちあたっていくものとの考えの対立がある。「卒業までには花嫁修業をしろ、お茶、料理、車の免許」。二十歳という年齢にしては私は幼なすぎるのかもしれぬ。世間を知らぬバカなのかもしれぬ。  しかし「世間を知る」という言葉の中には、その体制に順応してヌクヌクと生きていくという意味が、一面だがある。「幼い、バカだ、世間知らずだ」私はよくこういう。しかし悦子よ、何も卑下することはないのだ。自分を大切にせよ。おまえは不器用だが、物ごとに真面目に真剣に取りくむ。他人を愛しいとおしむ気持は一番強いのではないか。けれども、おまえにも悪いところはある。自己主張が強い、というより我ままだ。他人の心情を察することをしない、己れを律することができない、自尊心が強すぎる、恥ずかしがりやだ。  私は慣らされる人間ではなく、創造する人間になりたい。「高野悦子」自身になりたい。テレビ、新聞、週刊誌、雑誌、あらゆるものが慣らされる人間にしようとする。私は、自分の意志で決定したことをやり、あらゆるものにぶつかって必死にもがき、歌をうたい、下手でも絵をかき、泣いたり笑ったり、悲しんだりすることの出来る人間になりたい。  未熟であること  人間は完全なる存在ではないのだ。不完全さをいつも背負っている。人間の存在価値は完全であることにあるのではなく、不完全でありその不完全さを克服しようとするところにあるのだ。人間は未熟なのである。個々の人間のもつ不完全さはいろいろあるにしても、人間がその不完全さを克服しようとする時点では、それぞれの人間は同じ価値をもつ。そこには生命の発露があるのだ。  人間は誰でも、独りで生きなければならないと同時に、みんなと生きなければならない。私は「みんなと生きる」ということが良くわからない。みんなが何を考えているのかを考えながら人と接しよう。  山《やま》小舎《ごや》のコンパのとき増田さんが言っていた「おまえは律することができないのが心配だ」と。忍耐である。私は小さい頃から長続きしないとよく言われていた。地道な長期的計画というものがないのだ。 「今一番すべきことは何か?」を常に考える。考えるべきことは沢山ある。  クラブのことについて  大学生活の設計について  将来の職業について  読書! 読書!  私の顔の造作はかわいらしくできているらしい。目はまあパッチリとしているし、鼻すじは通っていて、口もとはおちょぼ口で愛きょうがある。鏡をみては、いろいろな表情をして遊んだりする。けれども、この私の顔のつくりは「私」にあっているだろうが、あまりに整いすぎている。完全そうにみえる。友達のメガネをかけたとき、「ひょっこりひょうたん島の博士みたいだ」とか、「おっちょこちょいのいたずら娘だ」とかいわれた。メガネをかけた方が、より「私」らしいと思う。二十歳の記念にメガネをかけよう。 ◎一月五日(日) 「矛盾に対さない限り、結局のところ矛盾はなくなることはないし、未熟のままで終るしかない」小田実  あまりに理性とか合理性を中心にしすぎるのではないか。何かわからないモヤモヤした気持とか、ワーッと爆発しそうな気持とか、低く高くうねり狂ったりする感情のあるのが本当ではないか。生の燃焼は不合理なものではないのか。  学園はたとえ表面的には平穏であっても、常に一触即発の状況にあるということは、私の経験からわかった。総長公選をめぐって、カリキュラム問題をめぐって、佐藤訪米阻止闘争をめぐって、私はほんろうされるだろう。しかし、ただほんろうされてはいけない。自分のものとして、どれだけ掴《つか》みとるのかということである。あのような事態の中にいると、歴史の一時点にいるという緊張が否応なしに起る。それだからこそ自己をみつめることが絶対に必要となる。  上っ面にどっちが良い、その点ではこっちが正しいとか、難かしい漢字ばかりを並べてわかったようなポーズをとったり、単なるいい格好をしようとすることは危険なのだ。騒がしければ騒がしい程、自己を見つめ直すことがより必要なのだ。そして一見平穏無事にみえるキャンパスの中でこそ、危機感を感じるべきなのだ。  平穏に見える西那須野の我が家の中にも、それはしみこんできているという意識をもつことが必要である。みんな己れの意志でやっているように見えて何かにあやつられている。すべてがそうなのではないか。父、母、姉、弟、みんな自分の意志で生きているつもりが、操作されているのではないか。  親は常に指導的な優位な立場にたって、子である私達をみる。私達は未熟であり、物事にぶつかっていこうとする。親はこっちの方が近道だから良い道だから、こっちを行きなさいという。  人間は不合理な存在である。  いろいろな矛盾をもっている。  人間は肉体をもっている。  肉体は合理だけでは割りきることができない。  肉体を離れて人間は存在しないし、精神も存在しない。  肉体が生命をもつ。 ◎一月六日(月)  成人式を迎えるというので親が十数万円の着物を作った。着物をきて写真をとれと母がうるさく言う。子供をきれいにパカパカに着飾らせて喜んでいるんだから世話ない。人形の身になってみろ! といいたいね。もちろん、ああいうものに対する憧《あこが》れはもっているが、おしつけられては人形だ。  そんなこともあり、本当は上洛《じょうらく》が近づいているためかもしれぬ。一日中イライラしていた。京都での生活に自信がないためだろう。——己れを律せよ—— ◎一月七日(火)  京都の下宿にて  朝、父の運転する車で、姉と弟と宇都宮まできて汽車にのる。「ホンジャまあ……」とニギニギをして別れた程、サッパリコンであった。去年の夏、帰省した時とは大ちがい、あの時は母が涙を流したりしたので、ついしんみりという気持になった。  東京駅で食事をとる。そこに京都の写真があり、思わずなつかしく見入る。北山を背景にした国際会館、その北山のなつかしさ。京都駅につき、しみじみと懐かしさを感じた。懐かしさは裏腹に、これからの生活に対する「いきごみ」をもって私に入ってきた。現在、非常に楽しい気分である。  これから、ワンゲルの女の子の新年会に出かける。(五・四五PM)  一年間のこれからの生活を設計せよ。 ◎一月十日(金)  東大 機動隊の導入  語学の勉強はせず、「展望」や「現代の理論」などを読んですごす。読んでいても、自分が全く何も知らぬことに、自己を支える信条みたいなものが無いのにあせる。今は何の方向も持っていない、暗中模さくである。  苦しい、でも焦ることは危険だ。広範な問題意識を触発するために、活字を読むことだ。新聞、雑誌、本……人間づき合いも大切なんだっけ、忘れていた。ワンゲルの方も(ウソつけ、一番気がかりなくせに)。  一人一人の学生の間の断層は深い。私の中には、東大の機動隊要請を当然だと認める一面が存しているのだ。反面、教授は論外だが東大のあの様相をみていた学生が、何故それを止めるべく直接行動を起さずに、権力に売り渡したのかとも思う。機動隊の導入に反対であると叫ぶことは、私のある自己を否定することになるのだ。立命での行動を変えることを意味する。事態は目にみえぬ所で非常な速度で進展しているのだ。私は被害者であったのか、加害者であったのではないか。 ◎一月十五日 晴 北風の強い気持よい青空の日  今日は成人の日だなあと、どうでもいい感じで思う。  上洛してから帰省分のおくれ(一体、何のおくれだというのだろう?)を取り戻そうと必死になり、ジャーナルや、現代の眼、展望を読んだ。本当にその内容を理解できたかどうかは疑問だが、ただ何かを求め何かを漠然と感じたのだ。新聞は四四年度予算と東大がかざっていた。  東大は、この所、入試ができるか否かで機動隊の導入、七学部集会、封鎖解除、再封鎖など、目まぐるしく情勢が変っている。加藤代行は、機動隊を導入してまでも入試をやるという決定をした。  東大闘争では常に自己の主体性が問われた。立命にその危機が内在する以上(おそらく現在どこの大学にもそれは内在するにちがいない)、己れのものとして考えざるを得なかった。しかし、それも疲れてしまった。弱すぎる。  新聞を読むにも関心のあるところしか読まなくなってきた。ここ二、三日は「魅せられた魂」を読むのについやされた。読むといっても、二、三日で第一巻の半分程である。内容においてはどれだけ読んでいるのか心もとない。  久しぶりに現代史の講義に出席した。試験のためにである。試験は明治維新について羽仁、服部、奈良本のその所論について述べさせるらしい。でも、それについて私が全く学問的になんにもなっていないことを思い知らされた。学問——歴史学——私はそれが何であるかを知らない。私は勉強をしていない、遊びずきの大学生であったのだ。 「独りであること」、「未熟であること」、これが私の二十歳の原点である。  私の好きな言葉 「孤独にはなれている。内職する母に放ったらかしにされた幼時から、いつも自分で考え、自分で規制し、目標に向ってペースを狂わさずに歩いてきた」 「お前、お前自身どう思うんだ」 「矛盾に対さない限り、結局のところ矛盾はなくならない。未熟は未熟のままでしかない」 「すべてに期待をおっかぶせることは出来ないんだよ、おまえさん」 「そうか、よくわかんねえけど俺の信条は、“徹底してやれ!”っていうのだ。何事でも、どんな悪いことでも。そしたら必ず何かにぶちあたる。それをぶち破るんだ」 ◎一月十七日  立命全共闘が中川会館を封鎖した。正面に椅子や机でバリケードをきずき赤旗がなびいている。ヘルメットの学生がマイクを口にあててアジテーションをしている。彼らには歴史がある。彼らは明治維新を、太平洋戦争を、日比谷メーデー事件を、彼等の内部にもっている。バリケードになびく赤旗、怒るようなアジ、彼らは現実そのものに歴史がある。私は私の歴史をもっていない。  ノンセクトから無関心派への完全なる移行、激しい渦の前でとまどいを感じる。動け? 「東大紛争の記録」を読んでも何もわからない。何かがわかればよいのだが、何なのか。  私は昭和二十四年一月二日から、この世界に存在していた。と同時に私は存在していなかった。  家庭で幼年時代を過し、やがて学校という世界に仲間入りした。ここで言いたいのは学校における私の役割である。学校という集団に始めて入り、私はそこで「いい子」「すなおな子」「明るい子」「やさしい子」という役割を与えられた。ある役割は私にとり妥当なものであった。しかし、私は見知らぬ世界、人間に対しては恐れをもち、人一倍臆病であったので、私に期待される「成績のよい可愛こちゃん」の役割を演じ続けてきた。集団から要請されたその役割を演じることによってのみ私は存在していた。その役割を拒否するだけの「私」は存在しなかった。その集団からの要請(期待)を絶対なものとし、問題の解決をすべて演技者のやり方のまずさに起因するものとし、演技者である自分自身を変化させて順応してきた。中学、高校と、私は集団の要請を基調として自らを変化させながら過してきた。  この頃、私は演技者であったという意識が起った。集団からの要請は以前のように絶対なものではないと思い始めた。その役割が絶対なものでなくなり、演技者はとまどい始めた。演技者は恐ろしくなった。集団からの要請が絶対のものでないからには、演技者は自らの役割をしかも独りで決定しなければならないのだから。  人間というものは不思議な怪物だ。恐ろしい怪物だ。愛したかと思うと怒って私を圧迫したりして私を恐怖に追いこむ。何とも訳のわからぬ怪物の前で、私はちぢこまり恐れおののいている。何のなす術《すべ》も知らず、ビクビクしながら。彼等のもつ不平不満は、演技者としての私のまずさにあるのではなく、要請された役割の中にあるのだということを、大学生活の中で知った。  私にはあまりにも友達が少なすぎる。挨拶をかわす友達、それさえも少ない。  ぼんやりとした寂しさが今日を支配していた。この頃、そういう時は独りになり自分の心をじっとのぞくことが多くなった。安易にごまかすことは何の解決にもならないことに気付いたのだ。ベートーベンの「皇帝」を聞いて勇気づけられたけれど、その寂しさはいやされなかった。母からの手紙がきて懐かしさを感じたが、頼ることは許されない。独りぼっちで無力でわびしいのだ。  でも、おまえに向って書きたいままペンを走らせたら心が少し休まった。 ◎一月二十日(月)  十七日午後十一時、  十八日午前八時、東大の要請により八五〇〇名の機動隊が学内突入。ガス銃、放水等により実力排除。  十九日、三七五名の不退去罪による逮捕。公安委員長や政府の発言が前面にうち出されてきた。ブルジョア新聞は学生の暴力ぶり破壊ぶりを盛んに報道するが、医学部問題を発端とした問題の本質をつくものはほとんど無い。  警察という国家権力——暴力を使って「紛争」を収拾しようとした大学側は被害者でなく、明らかに加害者、運動の弾圧者である。私は、学生の破壊ぶりも知っているが、それを上まわる暴力の存在を感じて事態のぬきさしならぬものを感じる。逮捕者三七五名、かつてこれだけの逮捕者が出たことがあろうか。  仏語も休んで一日何をしていたのか、サンデーちゃんを読んでいたーんヨ、タバコをすってフラフラになってサー、それでヨー。 ◎一月二十三日(木)  京都にきて二週間しかたっていないのに、一カ月も二カ月もたったように感じる。  新聞のトップを飾っていた東大も機動隊の導入、政府の介入で一応平静になり、反対に京大、関大、立命大が新聞にあらわれている。寮連合は要求の貫徹のために封鎖をやり、クラス討論が数多くなされ、全学集会も開かれ、学生も教職員も活発に動いている。ヘルメットに角棒をもった民青行動隊と全共闘がぶつかったりしている。  師岡問題が起り、北山さんが二十二日に辞表を出し、今日からの試験も二十五日に延期になった。  民青を支持したとしても、反民を支持したとしても、どっちにしろ批判と非難はうける。絶対に正しく、絶対に誤っているということはないのだ。どっちかを支持しなくては行動できないのかもしれないが。  この言葉の中に、非難をうけないように、勢力のある方につこうという、ずるい態度があるのだ。私は小学校、中学、高校と、それぞれの生活環境に順応——非難をうけないよう——しながら生きてきた。立命という大学に入って学生運動に関心をもつのも、その環境に順応しようという一面があるのではないか。大事なことは、「私」がどう感じ、どう考えたかということではないのか。  北山さんが辞表を出したときいて、またクラス討論を通じて、私が立命の機構や教学の理論について、あまりにも無知であったことに気付いて、入学時の案内やパンフレットを読み返してみた。そして立命を固定したものとしてみていたことに気付いた。  門を入れば存心館があり、中川会館があり、大学院建物、学館がある。それを自明のものとしてみていたが、大学院校舎が建てられた時は、清心館や研心館は建てられていなかった。新制大の最初の頃は、存心館と中川会館ぐらいしかなくて、そこで講義やらが行われていたのだから学生数も推して知るべしである。「産社」は私が高二の一九六五年に講義開始である。  また立命の組織であるが、教授、学生という二つのストレートな関係でなく、財務部、総務部が各学部と並んで、さらに理事会やらがあり、何となく株式会社を感じさせるのである。文学部長の林屋辰三郎氏は、研究者であると同時に教育者で、また管理者のような位置にもある。立命にはイロイロな会議がある。研究室会議、五者会議、学振懇、全学協議会、補導会議……それらの会議で何が行われているのかもあまり知らない。部長だの課長に誰がなっているのかもわからない。北山氏の辞表提出がなぜ行われたのかもわからない。この事をきっかけとして、私は立命大の学生の一人として機構や教学体制がどうなっているのかを調べてみた。  そして考えたことは、五者会談や研究室会議などに出席して、自分の目と耳で確かめてみようということであった。まず行動してみよう。私は、何かを見て大したことがないと、どうでもいいやと思いこむ欠点がある。 ◎一月二十五日(土)  何度も話し合いが行われた。これが真実だといって幾つかの事実が出される。こう混乱してくると、幾多のデマが氾《はん》らんする。ビラや立看で知るのが唯一の情報、事務室の掲示にしろ、大学のどこの部分で決ったのかがわからぬ決定が出される。試験延期、五者会談。全共闘は全学協路線粉砕を叫び独自の大衆団交集会をもつ。教授会が実力排除のための角棒ヘルメットの費用の一部を出すなど、寮連合会が理事会と直接団交をするなど、また教授が相ついで辞表を提出するなど、立命は実質的に崩壊しつつある。教授会自治もいい加減なものであった。十三日に寮連合が大衆団交を行なってから急速に事態は変転している。封鎖が自治破壊か、実力排除が暴力か? 十 八 (土)研究室会議 二 十 (月)学友会の実力排除失敗 二十一 (火)夕刻北山氏辞職 二十二 (水)クラス討論、学外者立入り        (一〇〇〇名東京↓京都) 二十三 (木)専攻別集会、研究室会議、二        十三、二十四の試験延期 二十五 (土)試験延期(一月末)クラス討        論(日本史教授の辞表提出理        由を聞くことを決定、有志四        十八名)、拡大五者会談  クラス討論に出たもののシックリ参加できなかった自分、文学部大衆団交の騒々しい渦の中でそれを「つるしあげ」としか感じなかった自分、それを何とも表現できなかった自分。  大衆団交の場から抜け出して屋上へ行ったが誰もいなかった。喫茶店に行く気もせず、ウラ寂しい気持で電車に乗った。  竹山さんはこれから金鉱山の資料を調べるという。自分は甘いなあと思う。ワンゲルは山へ行くクラブだと思う。何とはなしに安息を得る。しかし、安息を得るだけで入会しているべきではない。クラブはそんな甘いもんじゃない。自分は一体何をやってるんだろう。生きているんだろうか。山の写真をはってムードに浸っているだけ、本を買ってきてそれで満ちたりた気分になっているだけ、机の上に本をただ並べているだけ、ツン読……夕食時に、やりきれなくなり「行く場所がないんだ!」と腹立たしくぶちまけた。言っても仕方のない相手に。私にとり今やる必要のあること、それは何をすべきか考えること、ただそれだけである。大学はどうなるのだろう。自分はどうすればよいのか。 ◎一月二十七日(月)  今日の午後は春のように暖かい日だった。太陽が光線をさし向けて暑さを感じさせた。久しぶりの青空だった。  おまえは生きている。人に頼ることなしに、己れの世界を築きあげるのだ。たとえ心房中隔欠損ぎみの心臓であっても、それが動き、血液を体内にくまなく流しこんでいる以上、おまえは、己れの世界をどのように築きあげるかということに立ち向っていくんだ。独りであることを忘れていた。独りなのだ、おまえ自身の世界をもつのだ。   私は弱い   自分が何をやりたいのかさえわからない   それでも朗らかに人と話し笑う   しかし ふっと気づく   なぜ笑い 話をするのだと不安になる   その時 目に見えぬ世界が知らぬまに   私の体を動かしているのに気づく   それは地主の世界なのか   サラリーマンの世界なのか   マルクスの世界なのか   資本の世界なのか 何もわからない   私の世界が私の知らぬまに存在している   なんだかわからぬものによって   私は動かされている   激しい感情に身をまかせもせず   生きる情熱も失せているまま   私は煙草をすう にがい煙草をすう   私のこの部屋の中で ここは私の世界だ   しかし一たびここを出ると 私は弱くな   る   クラス討論の場で煙草をすわせない何も   のかがある   煙草を買うのを恥ずかしめる何ものかが   存在する   私は弱い  私は私の世界を模索し始めた。人はそれぞれ、その人の世界をもっている。しかし、その人が本当に己れの世界をもっているとは限らない。今、エルンスト・フィッシャーの「若い世代」を読んでいる。ヴェルテルの何と自由であることか。涙を流すことができた。歓喜にふるえることができた。なのに私は、泣くことも吠えることも出来ないでいる。ただ、人におびえてうすら笑いを浮べて、エヘラエヘラとしている。  恐《こわ》がることはない。私を圧迫し支配するものに、怒りのまなざしをぶつけてやれ。すべては敵だ。 ◎一月三十日(木) 晴 (白い月があらゆるものを射通してしまうような明るい光線を投げかけている冬の不思議な夜)  二十八日 本多勝一「山を考える」を読む。彼のパイオニア精神を力強く感じる。  二十九日 総会。学校は大衆団交で教室はもちろんのこと、校庭まで学生があふれていた。総会ではなじめず全くみじめな時間。もの悲しくて本屋に入ったら太宰治の全集があったので希望をたくして買う。  三十日朝、目がさめて、たばこをすいながら太宰を読む。  喫茶店で五、六人で話す。四回生の長沼さんが中心でいろいろな話をした。全く楽しい。片岡さんが来た。久しぶりであのもの憂げな冷たい笑顔をみて懐かしくなる。本当に久方ぶり、もうお別れだ。  四条まで歩く途中、メガネ(名前忘れた)に会う。あのメガネめ! 会うなり、逃げなくたっていいでしょうといいやがる。多数の暴力にはかなわないかーだってサ。全くのぶ辱、紛争がみんなを分断している。腹もたったし、悲しくなった。  愛《あた》宕《ご》山に雪が降った。明日、その三角点と龍ヶ岳に行ってこようと思う。試験の勉強など全然していない。延び延びでもあるし、もうどうでもいいように思う。一夜づけでやればいいようなものなんだから、大学の教育なんて知れてますネエ。そのような試験はおとしてもよい。自分自身と対決し、自分自身の勉強をしてこそ試験にもイミがある。エヘヘ——  新聞に出ていたよ。「自分は独学で大学へはいけなかったが、大学へ行った方がよかったとは思わない。私は働いて本を買う金はあったし、自分で勉強したいことは本を使って勉強できたから……」と。大体、私は、東洋史や日本史、地学 etc なんていうものを勉強したいと本気で思っているのだろうか? ◎一月三十一日 雨  一一・三〇AM  きのう寝床に入って、冷やりとした感触にふるえ、二枚の毛布を体にぐるっとまきつけ、みの虫のようにちぢこまってじっとした。あまり眠くなかった。明日は八時と早い。愛宕山ゆきのことを考えた。計画をたてるときは勇んでいた。しかし、電話の呼び出しの大きな声をきいて、ビクッとするほど緊張していた。準備が終った後は、どうでもよく思った。それどころか行くのが面倒になった。それでも目覚ましをかけ忘れたのに気づいて、ネジをギリギリとまいて針を八時に合わせた。  いつのまにか眠ってしまった。夢をみた。たぶん明け方近く、あるいは目をさます直前に。今でははっきりと覚えていないが、愛宕山の東側の山なみに雪が白くふりつもっている。ところが肝心の愛宕山だけは青々としていた。屋上あたりから眺めたような遠景の山であった。  八時五分ぐらい前に目をさました。雨が降っていた。屋根がしっとりとぬれている。残念だなあと雨を恨んだ。  今日の愛宕山は低層雲がかかっていてピークが見えない。雪ん子チャンは今日の雨で消えちゃったかな。出発のときの雨は予測しなかったが、歩いているときの雨は覚悟してそれでも行くつもりだったのに。  太宰の本を三十ページあまり読む。“He is not what he was”が面白かった。芥川のように可成り精《せい》緻《ち》な作品だが、理知的な冷たさはなく、あたたかさとやりきれなさとユーモアがある。  人間は全く自分勝手に物事を解釈してしまう。きのうの片岡さんの笑顔にしろ、どうという意味のない単純なものだったのだ。それを久しぶりに会ったので……とか全く自分の都合のよいように解釈してしまったのだ。昨日が楽しかったからといって、今日また学校で同じようなことが起ると思ったら誤りである。幻想をいだくな!  八・一〇PM  雨が降るとあのいまわしい事を思い出す。桂《かつら》から下宿まで歩いて帰ったとき、橋の下の焚《たき》火《び》の火と黒い煙をみつめながら「未成年」の最初のシーンの彼の感情と同じような感じをもち、傘を焼いてしまったのだ。  新しいのを買おうと高島屋へ行った。私は白地に黄と黒の粗《あら》いチェックの、すがすがしさとスポーティさのまじったものが欲しかった。私のイメージに合うものがあったが二五〇〇円もした。私はせいぜい二〇〇〇円ぐらいのものと思っていたので敬遠した。四条から少し上がったところの傘屋さんに立ちよった。気にいった傘は二二〇〇円と高かったが買った。新しい傘をさして広小路まで歩いていくことにした。  封鎖支持と封鎖解除との二つの動きで事態が進展している以上、己れの立場をどちらかにして何かの行動を起さねばならぬ。でなければ、ただすべてを受身に、生きることもなく、死ぬこともなく、生きていくようになるのではないか。 「朝日ジャーナル」二月九日号より  「代々木ぎらいの体育部」  「代々木系と目される教学担当の天野和夫   理事」  「学部長も半数が代々木系だといわれ」  「ノンポリの名和献三、経営学部長と」  「北山茂夫教授(非代々木系)」  「代々木系といわれる岩井教授」 「非代々木系の奈良本辰也教授が『身をもって戦っている学生を暴徒としか呼び得ないような大学に絶望を感じる』この声明を出して……」  「非代々木系の梅原猛教授は……」 「民主化体制を作ったが、それは学生側に決定権も拒否権もない懇談会が……」  北山先生の辞職は非代々木系の辞職であり、名和教授はノンポリである。ジャーナルの真実の報道とはこんなものであったのかと大いなる怒りを感ずる。レッテルをはって、そこから何が生れるのか。レッテルをはることにより一切を奪ってしまう。残るのは権力主義、醜いエゴむき出しの党派論争、暴力のための暴力……。 ◎二月一日(土) 雨のち曇  十一時ごろ「シアンクレール」(注 喫茶店名)で  九時半ごろ学校についた。ひとたびキャンパスに入ると私は縮みこんだ。清心館前での文学部の群衆、ガナリたてる二つのマイク、入れずにウロウロしている入試受験者たち。しばらくして実力の排除が行われた。乱闘。柴田君が放り出され、渋谷君が眼鏡をとられていた。学部事務室から本日の入試中止が発表される。 「君は代々木系か反代々木系か」という問いを不信な敵意に満ちたまなざしで投げかけられる。しかも一年間、同じ机で学んだクラスの友達からその眼《まな》ざしを受けると私は寂しく悲しくなる。真剣に不信も無力感も感じてはいるが、何の態度も表明できずにいる無力な私、どっちもどっちだと考えることで辛うじて己れの立場を守っている私。  ああ——! そんなセンチメンタリズムは捨て去ってしまえ! 強くなるのだ! 強くなれ! 「もうこうなっては傍観者ではいられない」この言葉をまた今あらためて言わざるを得ない。そういえばいつもそう言って来たっけ。でも今度こそ! 傍観は許されない。何かを行動することだ。その何かとはなんなのだろう。  高橋のオバチャン(ワンゲル四回生)と話してホッとした。こういう事態に対しあいまいな態度しかとれぬ自分の腑甲斐《ふがい》なさを、ただ聞いてもらったというだけで安心した。現在の学園の事態について、フランクに話せる場所がクラブである。クラブだからこそ話せるのである。小林のことを考えるとクラブにいる必要性はないと感じるのだが、今日のあの友達から離れるのは寂しいしマイナスのように思う。クラブの問題は三月中に結論を出そう。  夜筆記 「シアンクレール」はバックにクラシックを流す。丁度入った時、ショパンの「別れの曲」をやっていた。情熱家ショパン! スケルツォ、タランテラなど、私の好きな「夜想曲」が流れないかと思いながら帰ろうとしたとき、そう、あの夜想曲の始めのメロデーがきこえてきたのだ。ショパンは若い女性好みの作曲家であるという。しかしショパンにあるのは単なる甘美だけであろうか、いや彼の作品には激しい情熱が渦まいている。豊かさが溢《あふ》れ、憂愁さがただよっている。私はあの時、あの曲をきいて、とても感銘をうけた。嬉しかった。励まされた。  太宰の作品を読む。  彼の作品は難かしい。よくわからない。けれども彼の世界が真実のように思える。前に私のもっている世界は己れのものでないと書いたが、私のもっている世界は——女の子は煙草を喫うものではありません。帰りが遅くなってはいけません。妻は夫が働きやすいように家庭を切りもりするのです……。しかし、うすうすその世界が誤りであることに気付き始めているのだ。私はその世界の正体を見破り、いつか闘いをいどむであろう。太宰に何か惹《ひ》かれるのである。太宰は何が本物で、本当なのかを知っているのではないか。     いつわりの季節  宮田 隆   冬の部屋に花が活けてある   てっぽう百合《ゆり》、カーネーション、グラジ   オラス   みんな夏の花々   あかあかとストーブが燃え   部屋はむんむんする程温かいのだが   ここにはアブも蜜蜂《みつばち》もとんではいない   今はいつわりの季節   自然から無情にひきはなされ   人工の熱と光にまどわされた   むなしい花のいのちは   おそらく実を結ぶこともないのだ   人間のおろかな知恵がつくりあげた   これは花の形骸《けいがい》  太陽が東から昇り西に沈むのは偽りの現実であり、地球が西から東に自転しているのが真の現実である。その認識をもつとき、始めて主体性あるものとなり生きる現実をもつ。  明日はメガネを買いにいくんだヨ。人に聞かれたら、こう答えるんだ。まず第一番目に 「近頃、本の読みすぎで目を悪くしてネー」そして次にいうの、「チョットこのメガネ似合うでしょう。だから掛けたの」  こんなこと誰も信じない。私がメガネかけたら小さなプチインテリでいやらしくなるんだから、誰も信用しないのがミソ。本当の私は、ユーモリストで小生意気で自分の顔を気にしているいやらしい女で、やっぱりメガネをかけている方が近い。そして誰にも言わずソット自分にだけ言う言葉 「私の目をガラスで防衛しているということ。相手はガラスを通してしか私のオメメを見られない。真実の私は、メガネをとったところにある」  私は二、三日前からおかしな考えに取りつかれている。カミソリで指を切り血を流そうという考えである。私は、カミソリをもちそれを一気に引くときの恐怖を考えるとゾッとする。体中の力が抜けてワナワナとなる。お前は自分を傷つける勇気がないのかと励ますがダメである。  今日、カミソリを買ってきた。スッパリと切り赤い血をタラタラと流し真白なほう帯をしようと考えた途端、ヘナヘナと力がぬけてしまった。おそるおそるやっていたら、チクリと痛みが走った。あわてて手を離したのだが、それでも血が出てきた。まっ赤な動脈血であった。なめてみたら鉄分の味がした。幼いころ怪我をして、その傷口をなめたときと同じであった。あまり血が出るので、何ということもなく「私」という血文字を書いてみた。いまその指先はちょっとだけ痛む。細い毛細血管が切れて、その血管と入りこんだ空気の不協和音のような痛みである。それを感ずると同時に指先から手の方へとだんだんに力がぬけて一種の緊張状態に入る。  この頃はよく煙草を喫う。マッチに火をつける。先からだんだんと指先へと炎が移ってくる。子供がやりそうなことである。「どれだけ長くがまんしていられるか、いちにのさん」。アチッと反射的に離すのでなく、熱いなあと意識してから離すようになれたらと思う。反射的にパッと離したのでは、その瞬間何が起ろうと全く関知しないのである。それよりも、これからどうなるか、どうすればよいかを考え、自らその痛みを痛みとして十分に感じとり、それからマッチ棒を捨てるようになりたい。 「教授のいない大学に一体誰が授業料を払おうとするのであろうか」という私の意識。 「人間が己れの人格を発展させようと生きない限り、友情も愛情もない」 「何が偽りで何が正しいのかを、自分の目で耳でつかみとれ!」 「新聞を読め、雑誌を読め、小説をよめ、詩をよめ」 ◎二月二日(日) 曇のち時々雨  一歩、自分の部屋から足を踏みだすや否や私はみじめになる。電車の中で、繁華街で、デパートの中で、センスのない安ものの洋服を着た不格好な弱々しい姿をしているのに耐えられなくなる。美しく着飾った婦人に対する嫉《しっ》妬《と》、若い男に対しての恥ずかしさ、それらが次から次へと果てしなく広がり、みじめさはドンドン拡大する。  眼鏡売場での鏡の中のその姿、顔はバサバサで不潔で眼鏡をかけた姿は滑稽そのものであった。同じ売場に隣り合せた中年女の舶来がどうのこうのという話を軽蔑《けいべつ》しながらも、その堂々とした風格を羨《うらや》ましく思う。店員の礼儀ある当りさわりのない応対、どうして率直に「眼鏡をかけない方がいいです。そのままの方が美しいです。滑稽になりますよ」と言わないのであろうか。眼鏡をかけた私の姿を笑ってほしかった。  眼鏡をかける。私の目に眼鏡の枠《わく》が見える。そして今までと全く変りないかのような眺めがみえる。ガラスを通してみる世界は一見以前の世界と同じようだ。だが私には、今まで見なかった茶色の世界がみえる。  私が眼鏡をかけようとかけまいと、他人にとってどうと言うこともない。スグに忘れる事なのだ。人はただ、「あら眼が悪かったの、コンタクトの方がいいわよ」という位であろう。そして「おもろい顔ね」と笑うだろう。ただそれだけなのである。そして私は、眼が悪いのだという役割を演じ続けるだけである。  私は、私をいつわり続けた世界に対する復しゅうの念をこめて、そして私は仮面をかぶっているという安《あん》堵《ど》をもって、顔がきれいで男にもてるんだという幻想を打ち砕く清涼剤として——。どうやらこの眼鏡は簡単に取りはずすことはむずかしいらしい。  他人は、私をガラスを通してみる。私はガラスを通して現実をみる。そのガラスを取りさったとき、一体どんな世界があるのか。  デパートの階段を屋上へあがる途中、母親の腕のなかで駄々をこねて泣きわめいている三歳ぐらいの男の子がいた。大きなタコの赤い風船を「こんなの」といいながらほっぽり投げた。私はそれをひろって、サーといってしまうのを追いかけて坊やに渡したが、またポイと投げすててしまった。それをひろって今度は「ボク、風船いらないの」とにこやかにあやすように渡したが、またもやステテしまった。いい役を演じようとしたのだが、あの男の子は私の気持をみやぶってしまった。私があの風船を欲しかったのだ。  五十センチ四方のおりのなかに、四五〇〇円なりのなんとかいう犬がいた。この前、いっしょに戯れていて係員に注意された犬だ。原産はスコットランドの北部の島。牧羊犬でおとなしく、機敏で、荒い自然に耐える力があるそうだ。彼の生れ故郷のきびしい美しい自然の中で牧場をはねまわる姿を思いうかべた。  やっとの思いで新聞を読む。  沖縄問題が議論を呼んでいるが、佐藤首相は何やら二刀流で世論工作をもくろんでいる。「安保は日本の安全のために必要であり、米国のもつ核抑止力が安全平和を保っている」という。一体首相は「いのちを守る県民共闘会議」という名が示すような状態を知っているのであろうか。沖縄の子供たちのおびやかされた生活を知っているのであろうか。「世界」二月号の作文を首相につきつけたい。  国立大学に対し国有財産を管理するということから巧妙に弾圧をしようとしている。そうなると私立はつぶれればよいというところか。一体、この世界を何が動かしているのだろうか。偽りにみちた虚像を作り出しているものは何なのか。  私はこのノートに向うとき活気づく。勉強の意欲がわく。  太宰のもつ世界にひかれ始めている。  明日パーマ屋にいきカットしてこよう。 ◎二月四日  家からテレがある。久しぶりの母の声、かぜが直ったばかりだというが相変らずの声、元気にやっている父。こちらは紛争中で試験が延期になっているだけの程度に話す。私の声はこれといって変っていないが、煙草をのんで葡萄酒を部屋においておくと言ったら、母は目を廻さんばかりに驚くだろう。私は変りつつある。  太宰はおそろしい毒をもっているに違いない。注意しろ!  私は「主体性」という言葉をあまり好まない。主体性などと馬鹿の一つおぼえみたいに叫んでいるのをあざ笑う。空虚さがプンプンしている。それと同じように「人民」人民としゃべりまくるのも嫌いだ。 “声明”——沖縄県民のいのちを守り生きようとする闘いを支援し、欺《ぎ》瞞《まん》的な佐藤自民党政府に対し抗議します。 (インテリぶって自己を権威づけようとする動きが私の中にありますねえ——)   松尾公園に散歩にいった   タバコをもっていった   吸いたいと思ったし 外で吸うことも恐   れた   吸わなかった   おまえは王様   何ものにも束縛されずに自由に生きる   あぐらをかいて瞑想《めいそう》に   ふけり   煙草を片手にペンを走らせる   思いはヨーロッパの白い山へ   秘境の国ネパールへ   フランスのカルチエラタンへ   おまえはこの部屋の王様   何ものにも束縛されずに自由に生きる   眼鏡をかけたとて強くなるわけでもなし   誰でもダテの眼鏡であることを見ぬい   ている   欺《だま》したと思って結局己れ   の滑稽な姿をあらわしているだけだ   眼鏡なんて取りたくなった   こうなったらもうあとへ引けないのだな   あ   きのう雪が降った   はちきれんばかりの白い粒片が   風に酔ってはしゃぎまわっていた   純白の幼き若き子供達よ   ぶつかりあい飛びちり一心に舞うおまえ   よ  めちゃくちゃ、無責任に、気のむくまま誰かと話してみたいのです。 ◎二月五日(水)  河原町通りを歩いて、ふとパチンコ屋に入ろうかと思い、一軒目は素通りし二軒目に入った。一〇〇円で玉五十個を買い、ジャラジャラという騒音の中を歩いていった。出そうな台をみつけて玉を入れてはじいた。台の中で玉は飛びはねては消えていく。十個位が三回出たきりで、三十分もしたら最後の玉もポツンと機械の向うに消えていった。パチンコ屋に入ることができた。からを打ち破った。勇気あることだと思った。  夕食時、大山さんがニヤニヤしながら私をみている。私の眼鏡がおかしいと言っては笑うのである。実際私が眼鏡をかけた姿は滑稽である。私は眼鏡をかけたときは、自分の存在の滑稽さを認識させようとしている。滑稽さはあるときは救いであり、またあるときは嫌悪である。だが、それを演じているのだという意識、本当の自分はもっと別のところにあるのだという意識は私の心を救う。  カミソリをあてて思いきり引っぱった。赤い血がみるまに滴《しずく》となっていった。チリ紙でそれを吸いとって左手の人さし指を眺めた。そして傷口の消毒としてマッチの火であぶった。炎の二センチぐらい上でも、徐々に我慢のならぬ程に熱くなる。耐えられるだけ耐えてユックリ手を離す。痛みもそれでいくらか薄らぐ。舌で指先をなめると、傷の切断面と舌の細かな突起が笹の葉をたてにこするような苦い痛みを感じる。巻いたほう帯からにじみ出ている赤い血、美しさ以上に生生しさを感じる。 「おれにだって血も涙もある」という言葉がある。私の肉体に真赤な生々しい血が流れているのである。巨大な怪物の前に自分が何をやりたいのかもわからず、自分を信じることができず「私はこの部屋の王様である」なんて言っている奴の中にも、真赤な血が流れているのである。ただ生きるために酸素と栄養分をもち体のすみずみまで血が流れているのである。まさに真赤な血の流れそのものが生命なのである。その血はほとばしる生命である。生々しくへんに美しい。  思いきり泣いて笑って話してみたかった。きのうは永井さんの所へ行って失敗をした。今日は一時間ばかり独り言をいい続けた。大学のこと、自分のこと、牧野さんのこと……。牧野、彼女こそ友というべき友である。しかし彼女はきびし過ぎる。強すぎる。私は弱すぎる。  私は詩が好きだ。詩は鋭く豊かで内省的で行動的……。詩は真実の世界をのぞかせる。詩は人間をうたう。私は詩人になりたいと思うときがある。 ◎二月六日  このようにノートに向って何を吐き出そうとしているのか。全くしらじらしい。煙草をのみ、北京《ペキン》放送をきき、酒をのみ、インターナショナルを歌う。  社学同が入試阻止をもちだす、機動隊が導入される、八日がやまだという。それもこれもどうでもいいやと思う。いっそ入試阻止に賛成しようかと思う。新聞をみていると、沖縄にしろ、安保にしろ、大学問題にしろ、政府はなしくずしにやっている。何もかもしらじらしい、どうでもよい。「自由のしるしよ! 煙草よ! 眼鏡よ!」だ。  何をしてよいのかわからなかった。ほおをピシャリと打った。胸を拳《こぶし》で思いきりなぐった。ここ二、三日、自分のものとして、夕刊を読み、雑誌をよみ、小説を読み、考えるのがよいと思ってきた。しかし、しても無駄のように思う。「絶望」というものをかい間みたような気がした。「独りである」ことは、何ときびしいことなのだろうか。自殺でもしようかなと思った。そのまま眠ってしまうのが一番よかったのかもしれない。  でも、その解決を酒に求めた。葡萄酒を二杯のみ酔えそうにもないので、八木さんからレッドの角びんを借り一杯半のんだ。酔いながら牧野さんのところへいく。あくまで自分の荷は自分で背負うべきであると思ったが弱かった。その後、はき気を催して、お手洗いにいった。気《き》儘《まま》にはき散らして、そこに坐りこんだ。しばらくたって気分が落ちついたら掃除をするつもりだった。彼女が塩水をもってきてくれた。そして私を部屋に連れ戻し掃除をしてくれた。感謝した。「シッカリしろ! 悦子」と叫んだ。私はそのまま寝ていた。彼女は強い、私は弱い。  最初から酒をのむことは何の解決にもならぬことは知っていた。自分はあまりにも小さく弱く、何をすべきかわからなかった、というよりは耐えることができなかったのだ。木下さんが遊びにきたとき、私の精神生活の優位さを感じたが、またつまらない卑小さも感じた。この頃の新聞を読んでいて、何もかもなしくずしに圧殺しようとする政府が憎かった。私にはアナーキーなところが多分にある。入試なんてどうでもいいやと思った。機動隊がきたら門から入るのを一人でも阻止してやるぞと、ヌクヌクしたこたつにあたりながら「この部屋の王様」はいった。組織(社学同)に入って活動しようかと、英雄的に考えたりもした。  勉強しなくちゃーと思い続けた。それにもまして行動しなくちゃと思った。  両手を出してワットとびこんでいける友(恋人)がほしい。橋本君? 酒井君? いつも電車でみかけるあの人?  アッハッハッと笑ってみたい。何もかも滑稽な気がする。 「いいのよ、いいのよ、ほっといて。どうせみんな政府が悪いのよ」 ◎二月七日  お人よし    /  気の弱さ    — 私の性質  せっかち、あせり\  きのうの夜のような時は、お酒に酔うことなど考えずに、嵐山にでもマラソンに行けばよかったんだ。走り疲れたら、桂川べりで水の流れる音をきき、夜空の星に歌う。どうしてこんなに、かっこうよく見せたがるのかねえ。とにかくマラソンにでも行けばよかったんだ。酔いで自分を見失った翌朝は、いつものように恥ずかしさと嫌悪を感じるだけ、もっと強くなれよ。  自分の世界を作りあげようとすれば、すぐに政府という怪物にぶち当る。それは笑顔のうちに非情さと残酷さをもち、いつのまにかしのびよる煙のような怪物だ。ブルジョア新聞を読んで、あせりを感じるようでは、そんな怪物に太刀打ちできない。新聞、雑誌、本をよんで考えよう。人と話をしよう。これぐらいで自暴自棄になるなんて甘すぎる。政府いや独占資本は巨大な怪物であることを銘記せよ。  父と母の面前で煙草を吸って、両親と対決することができるだろうか。かみそりで指先を切るよりも、自分のほおを思いきり叩くことよりも、それは幾十倍の勇気がいることだろう。 ◎二月八日(土) 晴  五・〇〇PM 喫茶店「さつき」にて   しっかりしろ 悦子   煙草と眼鏡は自由のしるしじゃないか   今日のコンパは一〇・三〇に帰ること   お酒を飲むのはやめにすること   独りになれ   さびしさは誰でももっているものだ   甘えるな   あせるなよ 疲れたら休めよ   自分に自信がないなあ   泣きたいなら泣けよ   寒くてふるえているんだな   耐えろよ   もう一回 火の熱さを感じたら   「ファイト」? がわくだろう   さあ やってみろ   私は夏がいいなあ 冬は寒すぎる   全身の力が抜けて   歩いていけるのかなあ   私は生きているんだろうなあ   カミソリで指を切ったら   生々しい赤い血が流れるんだろう   下宿へ帰っても どこへ行っても   これが生きているというなら   その意味は認めない   自殺でもしようかなあ   寒いなあ   こたつに入りこんで ぬくまりたいなあ   散まん! やめろよ   ホラ 前で話しているやつが   せせら笑っているよ  煙草を七、八本すってお手洗いに行ってもおちつかなかった。どこにも行くところはなかった。しかしコンパに行こうとサ店を出た。寒くてブルブルふるえながら歩いた。電車に乗ってもふるえがとまらなかった。窓に映る景色は見知らぬ町のようだった。四条でおり五条までかけていった。  酒は絶対飲むまいと思っていたが三杯のんでしまった。たわいないことを話して、酔ってもいないのに大声で歌をうたい、煙草を吸って男の子にとり囲まれて、チヤホヤされていい気になり愉快な気分になって、帰りの電車で太宰を読みながら帰ってきた——んヨ!  文自の学大に出席。そのときのメモ。 ・署名一割で要求成立 ・議場封鎖でおんもに出られないよお—— ・文闘委が学大を性急にデッチあげたと言う  ならば、彼ら(民青執行部)は策略的に時  期をおくらして自治会権力を使って「デッ  チあげた」といえるのじゃないか。 ・事実がこうだ、ああだと言ったところで、  そんなのはどうでもいいのじゃないですか、  本質に基づいた事実があるのだから。本質  をみよ。「一部暴力集団」「反動と一体と  なっている日共民青」どうもわからないね。 ・封鎖に心情的に賛成している連中、革命的  ロマンチシズムの酔っぱらい(?)どうで  もよい。何のために大学へきたのか。エヘ  ッ文闘委と執行部の泥試合をみに? ばれ  たか!  弟から手紙がきていた。文章に慣れぬコチコチした文を書いているのかと思ったら、結構まとまったことが書いてある。すぐに返事をよこしたところをみると、東大紛争にはかなりの関心(ブル新聞を通じて得た情報)をもっていた。  全共闘が医学部の改革をめざしていることを捉《とら》えている。しかし学生運動の内部の問題については全然つかまえておらず、紛争の見方が表面的である。  昌之は「京大のように“一般学生”が立ちあがり、実力の排除をすべきだった」と言っている。この文は私にとり痛烈であった。「一方、一般学生は、ノンポリが大部分目先の自分のことしか考えず『紛争なんてそのうち納まるだろう』などと安易な考えをしていた。時がたち紛争がドンドンとエスカレートしてくると改めて事の重大さに驚く。『何とかしなくちゃ——けど一人じゃどうにもならない』とここでも逃げる——」。昌之もなかなかやるなあと思った。もっとも彼のは机上で組みたてているだけなのだが。それにしても真理だ。  明日、北山先生と岩井先生にテレして試験がどうなるのかきいてみよう。教授が辞職しているのに試験がやれるなんて——試験をきめるのは教授会だかどこだか知らないが、全くどう思っているんだろう、この事態を。  今日の追コンは、四回生の追出しコンパだったのに、四回生に対しお礼の一言もいえなかった。「If you go away 行かないで」という歌は大好きだ。  私は自分が恐ろしい。何をしでかすかわからない、すごくアナーキー的だもの。お人好しと、気の弱さと、性急さ。非常に勉強の必要性を感じています。  眼鏡がダテであることを言っちゃダメだな、演技者失格。煙草とメガネは自由のしるしだなんていったのはキザだった。やたらに人に、本当の姿をみせちゃいけないヨ。人はすぐそれにつけあがるからネ。  反代々木デモに加わって機動隊とわたり合ってみたい。ポカポカとなぐりつけてやるんだ。気持がいいだろうなあ。もっとも、その前にむこうからなぐりかかって眼鏡でもつぶされるかな。 ◎二月十一日(火)  今日は紀元節、いやまちがえた建国記念日でした。この頃は、曜日の感覚がなくなっています。九日も朝起きたとき、日曜日であるにもかかわらず学校へ行こうと思いました。  九日の日は朝早くから井上がテレをしてきて、待ち合せ。二時間ぐらい「裏窓」で勝手気ままに話して、その後学校に行き、大衆団交を見学しました。これはそのとき書いたものです。 ・青春——斧《おの》で絶ち切った木肌にとびちる赤  い血しぶき、一見平穏なこの団交の場に、  妥協を許さぬ、自己を破壊することを恐れ  ぬ青春がある。 ・これだって何かにあやつられている大がか  りな芝居ではないのか。あやつり人形、上  を見上げると大きな口を開けてニヤニヤ笑  って鼻毛を伸ばした男がいるのではないか。 ・闘い? 闘いって何なのだろう。理事会と  の間に、自衛という名目で認めた京大方式  をとらないという確約を取るということが  闘いであるのか。私にとりそれが前進であ  るのか。 ・教授たちが次々と自己批判書を書きかえて  いく。この場では誰でもが自己批判を要求  されている。一秒一刻がきびしい自己変革  のときなのだ。故に傍観者であることは許  されない。 ・学校当局の弱さが次々と出てくる。当局と  しての統一したものにより決定がなされて  いるのではなく……。  十日  朝起きて洗濯、掃除をすませ、こたつに入って独り言をいっていた。機動隊とぶつかることだの、留置されることだの、入試のとき機動隊が入ったら身をもってそれに反対することだの……体重が四三・五キロでこのごろ全く体力が衰えている。食物をたべないせい、あるいはタバコのせいであるが。私は要するに「心情的全共闘派のインチキ学生」であるのだ。  山小舎に行くことや、金沢のジェット機墜落現場を見にいくことや、家に帰ることなど、どうしようもなさからの脱出として考えたが、どれも実行しようと思わなかった。  牧野さんと昼食をしながら、「帰ろうか?」「帰ろう」でパッときまって帰省することにした。  十一日  家に帰ってきてよかったと思っている。ここには矢張り憩いがある。今まで私はあまりに焦りすぎていた。それを距離をおいて眺められる。  私の敵が独占資本であることにうすうす気付き始めた。敵は強固な怪物である。焦りは禁物である。私はもっと人間というものを、自分というものを見つめていく必要がある。忍耐づよく己れをみがいていかなくてはならない。立命の事態は日に日に進展している。その日その日に、それらをまとめておくことが必要である。  お手伝いをすることで母が喜ぶなら、明日一日ではあるがシッカリやろう。 ◎二月十二日  下宿を変えることにしよう。留置場に入れられたら原田さんのような下宿では迷惑をかけるからである。原田さんは全く居心地よい下宿である。独りで生活してみようと思う。学生アパートよりは、普通のアパートの方がよい。それに友達のいない所がよい。だけど寂しいし、きびしいだろうなあ。  眼鏡をかけて一週間程たつ。眼鏡ほど邪魔で不便なものはない。眼も疲れるし、すぐ曇るし鼻の上に常に重量感がつきまとう。  私の顔は、目はパッチリと口もと愛らしく鼻すじの通った、いわゆる整った部類に属するが、その整った顔だちというやつが私には荷が重い。大体人は整った顔だちに対し、まるで勝手なイメージと敵意をもつ。眼鏡をかけると私の顔はこっけいでマンガである。眼鏡によって私は人のおもわくから脱《のが》れることができた。また私は眼鏡によって演技をしているのだという安心感がある。  姉は日大の紛争で、弟は受験体制の中で、独占資本というものの壁にぶちあたっている。現在の私を捉えている感情は不安という感情である。   人は誰でも独りで生きているんだなあ   お母さんも お父さんも   昌之も ヒロ子ちゃんも   牧野さんも   そして私も   それにしても独りであり未熟であるとい   うことは   恐ろしいことだなあ  牧野さんが言ったっけ、あなたはあまりに眼前のことに捉われすぎてほんろうされていると。  私は忍耐強くなるべきである。ブル新なんてのりこえろ。雑誌なんて便所の紙にしろ。  もっと詩を、太宰を……。  私はこの頃、自分は独りなんだなあって、つくづく感じる。 ◎二月十五日 雨あがりの清々《すがすが》しい朝  十三日  夜京都につく。立命に行く。明日の入試を控え騒然たる空気。その晩は学校に徹夜。  十四日  バリケード封鎖の行われている中川会館を眼前に、存心館横の薄暗がりに坐りこんで。  一・三〇AM  私にとって大学は存在していたか? 否。私は今それに気づいた。今までのものは、絶対のものでなく現にこうしてゆらいでいる。私が望めば違う形にすることができるのだ。入試をやるということはどういう意味をもつのかと、私は坐って考えた。「史学科」に対する、「現代史」に対する、山本先生の「仏語」に対する私のあいまいさ、いい加減さを私は自己批判する。煙草が反逆のしるしだって? ちっぽけだよ、みじめだなあ。  ここにいる私の決意——機動隊(国家権力)の導入には反対します。  下宿に戻る途中、一寸《ちょっと》立ちよるつもりが、どうしたわけか地べたに坐りこみの徹夜、そしてきびしく自己批判している次第であります。  十五日  十二時ごろ下宿に帰り部屋に入って、本来の自分に戻ったような気がした。  私は自分の全生活を背負って立命キャンパスにいたわけだが、みじめで、ちっぽけで、いい加減であることがわかった。さぞかし不信だらけな眼つきをしていたことだろう。民青のコチコチにはついていけない。全共闘はカッコヨイ、純粋だ。民青は政治のにおいがする。  恒心館の封鎖と解除をめぐる放水、投石、ヘルメット、ゲバ棒の中。ワイシャツ姿で全身に放水をあびながら、泣きながら必死に素手でバリケードの椅子や机を取り除こうとしていたN君。ヘルメットとゲバ棒で身を固めた全共闘に対し投石で必死に排除していたクラブのDさん。無関心な学生、ノンポリ、民青の多数に囲まれた正門の石にへばりつきマイクでアジりながらも疲労と敗北の色濃く、ついには正門から引きずり落されてしまったO君。入試実現放送局(民青系)は「全共闘暴力一派は大多数学生の前にみごと野望を砕かれています。……なげいています」といい、全共闘は「民青の闘争弾圧である」という。その中にO、N、Dがあるのだ。私は、己れのいい加減さ、あいまいさとキッパリ訣別《けつべつ》したい思いにかられている。中川会館の封鎖を前に何もしていないということは封鎖を支持することであり、恒心館の封鎖解除を前に何もしていないことは封鎖解除を支援することになる。矛盾しているではないか!  矛盾は常に内側にあって、内に貫流するものと同質のものが外に発見できたとき、人は外に向けて怒るものなのだから。  個我の意識が他者を物化する、もう一つの恐ろしい支配形態。 ◎二月十七日(月) 晴  毎日、立命には行っているものの、ただ見ているだけである。昨日と一昨日はノートを書く気がしなかった。一昨日は疲れすぎてであり、昨日は人と話して言いたいことを言ってサッパリして、それ以上の追求をノートで試みなかったからである。このノートは欲求不満の解消のためにあったのか。(ちっぽけだよ!)  大体私は正直で人を信頼しすぎている。外にあるときは、何らかの演技を常に行い続けなくてはいけない。従順なおとなしい娘と映るよう、おまえはまだまた演技が足りないぞ。  十五日に広小路に行くと、学生二名が私服警官に逮捕されたことに対する抗議デモをやっていた。河原町通や梨ノ木神社には機動隊が待機しているし、それこそ一触即発の気配であった。  十六日三・〇〇PM、立命に行くと、十数人の中核が雨にぬれ意気消沈した様子でデモッており、民主化放送局のデッカイ声が挑発してガナリたてている。カメラでデモやバリケードをうつす。全共闘からフロントが脱退した、これからの動きが注目される。 ◎二月十八日(火) 曇 夜半雨  五時頃、ふっと自転車で嵐山に行く。ボートに乗るつもりだったが、時間が遅いせいか、季節外れのせいか、それとも増水のためか、ボート屋は店じまいであった。山陰線のトンネル付近の岩に腰をおろしラジオのスイッチを入れた。ジャズ、エレキが流れて丁度合った感じであった。川の水は黄土色に濁ってドクドクと流れていた。  十時のニュースで立命の存心館の封鎖を知る。火えんびん、放水等で衝突があり数十人が怪我をした。  大山さんと牧野さんと三人であれやこれや話をする。  結果と過程をめぐって、大学紛争、小学校の試験、サラリーマンなどいろいろ話した。大山さんは社会の機構、制度、仕組みに関心がない。理論がなくて「そういう事は知らないで……社会がそうなんだから……」という。もちろん大山さんには生活体験からの論理がある。しかしその論理からはみ出すものを前にあげた言葉で抹殺《まっさつ》する。牧野さんは彼女の生活体験から得た論理で話す。大衆団交の自己批判を思い出させるきびしさである。存在と存在との衝突である。北山先生が辞表を出した理由として一番の原因だったのではないかと思われるものに十八日の研究室会議がある。あの場において集まった学生達は、北山先生の権威を否定し自分達の論理をつきさしたのではないか。それに対し北山先生は明確な論理を示すことができなかったのではないか。古代史研究者としての名声、教授としての地位にも拘《かかわ》らず、北山先生は他の先生よりも人間的魅力を感じさせてくれた先生である。これは仮説に過ぎないが、人間関係を否定したのはむしろ、何ら明確な論理を示さなかった北山先生自身ではなかったのだろうか。  三人で話していて大山さんには短大生という意識は全くなかった。きのう市電の中で言葉の荒荒しい部落の人らしいおばさんに向けた私の眼《まな》ざしは一体どうであったのか。私自身軽蔑《けいべつ》すべきまなざしを放っていた。また私は京大生、東大生に対して劣等意識をもっている。それに気付いたとき自分は全くいやな駄目なやつだと思った。優越意識をもちながら片方では劣等意識をもっている。被害者でありながら加害者であるのだ。全共闘の闘争の中に入っていくか、自ら掃除婦や失対に出なくてはこの意識をなくしていけないのではないか。  話し合いは真剣だった。私の場合、言葉が一つ一つ話した直後に己れ自身に刃をつきつけてきた。相手をつきさすと同時に自分にはね返ってくるのである。このような場において、自分の論理をもたずして、微笑で相手に対応してごまかそうとすることは、人間関係の否定である。  お前は、何くそ! というやる気が足りない。毎日、新書を一冊よむぐらいに頑張れ。  今日読んだ本、堀田善衞「キューバ紀行」 ◎二月二十日(木)  立命大に機動隊導入  十八日夜、存心館が法学部学大に基づいて再封鎖された。しかしそれを認めぬ民青が実力排除にのり出した。攻防をめぐって火えんびん、投石、放水の混乱があり、負傷者二百余名、危篤一名が出た。今回の機動隊導入は、その乱闘による暴行罪、傷害罪、凶器準備集合罪適用のための学内捜査が名目である。捜査令状による機動隊の学内立入りである。  十九日、学内は一両日中に機動隊が導入されるという緊張の中にあって騒然としていた。私は実際のところ、下宿で本を読むべきか、学内で機動隊の立入りに対し反対の行動を起すべきか迷っていた。しかし機動隊の学内立入りにハッキリした立場をとらないと、これからもズットこのまま駄目な状態になっていくような気がして学校に徹夜した。  中川会館の封鎖バリケードは私にいろいろな問題を提起してきた。私は大学について、学生であることについて、自分について考え始めた。入試前日、存心館横の地べたに坐りこみ闇の中にそびえる封鎖された中川会館は、大学とは、学生とは、自分とは? と問いかけていた。  国家権力——私は私の生活がそれに支配されているのに、どうしようもないものを感じていた。「極東の安全と平和」を掲げて沖縄県民の命を圧殺し闘いを弾圧する。沖縄県は出生児にハシカによる身障児の発生率が最も高いという。女が子供を産むのに、その生命の安全がおびやかされている。「極東の平和と安全」のため一機数十億もするジェット戦闘機はいともたやすく買うくせに、東北や離島などの僻《へき》地《ち》では病気になっても治療する医者がいない。真実を教えぬ学校教育、学生の大学闘争をソ連中共にそそのかされてやっている暴力学生と呼ぶ政府、朝日訴訟にみられる政府のいう健康で文化的な生活とやらの欺《ぎ》瞞《まん》性、常識や一般的風潮で正しいものを見失わせごまかしている政府、進学で考えることをさせずに人間を記憶暗誦《あんしょう》する機械にしてしまう現在の高校教育、私が受けてきた教育が何が真実かを見失わせていたことに対する怒り、そういうもろもろの怒りをこめて、私は「機動隊帰れ!」のシュプレヒコールを青ヘルにジュラルミン盾の機動隊にブチまけ、政府に、国家権力に、また自らのブルジョア性にむけて叫んだのである。  朝五時頃から全共闘の集会が行われた。その時までは心情的には全共闘を支持しながらも傍観者であったのだが、学内デモの隊列に加わり坐りこみアジをきいた。  デモのとき「民青粉砕! 闘争勝利!」のシュプレヒコールが行われたが、私はこの叫びをあげることができなかった。「弾圧粉砕!」であるべきではないか、私には闘争なぞ存在しない。素手の学生に放水をあびせかける「全共闘」を非難し、素手の学生に「民青」が武装しておそいかかったことについて、それはおかしいと思い火えんびん、投石をする学生に、人間を傷つけることが彼らの革命なのか、何のための革命なのか! と主張していたのである。傍観者であった私にとって闘争は存在しなかったから「闘争勝利」というシュプレヒコールはあげられなかったし、あげなくて当然である。闘争がなく民青粉砕があり得ないのは当然である。  正門のバリケードで二時間の坐りこみの間、何故《なぜ》自分はここに坐っているのか、こんなことどうでもいいことではないかという考えにおそわれた。中川会館のバリケードが解除されることに反対して、国家権力に反対して、闘争の弾圧に反対して、そして機動隊の導入に反対して坐りこんだのであるが、眼前のバリケードをみながら「内なるバリケードを築き、常にイメージを積み上げていかなければならない」という言葉を考えていた。内なるバリケードとは一体何であろうか? 私は体制の中で生きている。人間が自由であろうとすればする程、体制の矛盾(それは自己矛盾として現われる)とぶつかり体制をはみ出さざるを得なくなる。体制の矛盾は自己矛盾として現われ、自己矛盾をつきつめあるものを否定し自己を発展させるという過程が、「内なるバリケードを積みあげていく」ということなのだ。二、三日前、友達と話をしていて、大学卒と中学卒、短大と四年制大との差別意識をあらためてつきつめられたが、私は女として、私大生として差別されながら、自らも差別意識をもって差別しているのである。この自己矛盾……。差別は精神だけの問題ではなく、それをなさしめている経済構造、社会体制にまで及ぶ。国家権力との対決である。国家権力との対決は、自己否定を伴わなければ何の意味もなさない。  私は眼前のバリケードを見ながら、「闘うぞ」と思った。あのバリケードは国家権力の否定、自己のもつブルジョア性の否定のバリケードなのである。  八時頃、機動隊が西門から入ってきた。一メートルほどの距離にジュラの盾をもった機動隊に対して、私はスクラムを組んで「カエレ!」のシュプレヒコールを叫んだ。声を限りに私は帰れのシュプレヒコールをあげた。しかし次第に私達はおされて後退した。後ろでノホホンと叫んでいるわけにはいかない。私は先頭へ出て力一杯に帰れ! と叫んだのだ。私を取巻く常識や風潮や政府の欺瞞性を「帰れ!」の一語にこめて叫んだ。しかし次第におしこめられてしまう。私は口惜《くや》しかった。涙がポロポロでた。しゃくだった。機動隊の腕のあたりをポカンとやったら、たちまち足げりがきて腰のあたりをやられてしまった。結局、私達は学外に追い出され柵《さく》を境に、学内には制服と特製ヘル、盾の機動隊が、学外にはヘルもゲバ棒も持たぬ学生がいるのであった。西門から入ろうとしたが、機動隊によって守られ(一体何が!)入ることができず、私達は寺町通りと広小路で「機動隊帰れ!」のシュプレヒコールをあげた。  あの時私達があく迄も学内に留《とど》まろうとすれば、殴られ、蹴《け》られ、あげくのはてに公務執行妨害現行犯で逮捕されるだろうし、現に私達の隊列で鼻血を出しながら指揮をしていた学生が逮捕されてしまった。機動隊もさるもの、巧妙に、機能的に、組織的に、いかにも市民の治安を維持する如き装いをもって徹底的に弾圧してくる。敵は強大である。私の武器は真理であり、真実だ。私には精一杯やるという気はあるが、それにビクともせず圧殺されてしまったことが口惜しくてみじめであった。また私は極く自然な気持で機動隊に投石しようという気になった。現に壁ごしにメクラ滅法に石を投げてやった。  機動隊帰れ! とシュプレヒコールをあげて私達は学内から押出されてしまった。「皆さん機動隊の導入には反対しましょう。学園を私達の手で守りましょう」と学内でアジっている民主化放送局とやらの大方は民青であったのではないでしょうか。東大安田講堂が機動隊の実力で排除されたあと、にこやかに「皆さん」と呼びかけたのは民青でした。 「入試を守れ!」と大多数の学生、教職員が守ったものは一体何だったのだろうか。入試を境にして大学側は硬化している。全共闘の十項目要求に対して大学当局は何ら答えていない。あの流血の惨事は避けられなかった。だから機動隊導入も止《や》むをえないという。しかし当局は、あの要求に対し何らの回答を示していない。  存心館の破壊ぶりはものすごい。放水によって部屋は水浸しで、女子トイレもドアは無くなり便器と手洗いも投石用にすべてこわされ、教室という教室すべて、机、椅子が全くなくガランとしたコンクリートの壁には落書きがしてある。しかし私にとって、学生にとって、机が椅子が、黒板が何であったのか、すべて擬制に過ぎなかったのではないか。私は自らその行動を起そうとは思わないが、あれを見て全共闘を暴力集団呼ばわりすることはできない。私は自分でバリケードを築くことはしない。ただ築かれたバリケードの中に、自らの内なるバリケードをみるのである。   怒りをこめて 官憲帰れ! のシュプレ   ヒコール   やむなく学外に追い出され   抗議のデモを死にものぐるいで行い   くやしさと無念さと怒りに満ちて   府立医大の正門前から立命をながめた   交《こう》叉《さ》点《てん》にズラリとならんだジュラルミン   の群れ   中川会館の屋上の機動隊や報道者の人影   研心館屋上から見下ろす二、三の民青   高性能マイクで機動隊侵入反対、全共闘   粉砕の高らかなるアジ   平然と行われる学内のアジ   絶対忘れることのない光景である ◎二月二十二日(土) 曇のち雨  一・三〇PM、広小路に行く。  正門のバリケードが取払われ中川会館のバリも跡形もなく、会館は立入禁止の掲示がはられ、全共闘もどこへ行ったのか人影もなく、マイクの音もなく静かなキャンパスであった。清心館には後期試験の時間割がはられてあったが、今さら時間割をノートに写す気にもならず、試験の掲示とは学校側は何をしようとしているのかと当局の白々しさを感じ図書館に向った。勉強の必要性を痛切に感じていたが金欠で本も買えないので図書館へ来たのである。本の背表紙をながめながら感じたのだが、私の読みたいと思うような本(現代史、音楽関係のもの、現代作家のもの、高橋和巳とかその類い)がない。  後期試験をどうするか自分の態度をはっきりさせることが必要だと感じていた。入試が実施されたことにより何がもたらされたのか。私は傍観者であったが、入試を守れの合言葉で何を守ったのか。総長は言った。「立命館大学は多くの欠点をもっている。欠陥があったことを認める。しかし若いエネルギーを入れようではないか」と。入試後に現われた大学側の硬化は一体何なのか、そして二十日の機動隊の学内立入りは? 全共闘アジビラは、入試を闘争の収拾策動であるといった。しかり、そう考えざるを得ないのではないか。後期試験を行うという大学側は、立命の一連の事態を何と思っているのか。全共闘の大衆団交にも応ぜず、自らが行なった自己批判書も次々と破り、解体宣言も反古《ほご》にしようとしている。そういう中で大学側は試験を実施しようとしているのだ。  私にとって闘争とは何であったか、また何であるのか。十九日まで私は傍観者であった。二十日の正門バリケードに坐りこみをした時点で、私は闘争を始めた。内なるバリケード——ブルジョア性の否定——を築いた。  あの図書館から静かなキャンパスを見下ろし、全共闘の姿のない平穏なキャンパスを見て私は、私一人でも試験をボイコットしようと思ったのである。独りになったのである。独りであることを忘れていた。私はガラーンとした存心館の四四号教室をみて、そこは一年前には哲学の講義が行われたところだが、それは擬制に過ぎなかったと思った。私にとってその擬制は何であったのか、また何であるのか。全共闘にとってでなく、私にとって、それは何であったのか。  自分に自信をもたぬという生来の弱さの隙間に、アットいう間に何かが入りこんで、どうしようもなくガンジがらめにしてしまう。自分を信ずることなくして一体何ができるのか。  今「反逆のバリケード」を読んでいる。日大では一九五八年の改善案の頃からマスプロ化が進んだ。立命においては、このマスプロ教育はどのように進行したであろうか。 ◎二月二十三日(日) 晴  二月十七日頃を境に、このノートを書くときの私の態度が変化している。以前はこのノートに、胸につまった言葉を吐き出す、ぶっつけることに意義があったのだが、クラブの人や友人達と話すことにより、その対話の中に自分を正面からぶっつけることにより、このノートにはその意義がなくなってきた。以後、二、三日書かずにいたのは、そのためである。その後の文章は意識化されたものとなって文面に現われている。  注意しなくてはならないことは、吐き出しぶっつけるのは常に己れ自身に対して行うものであるということである。他の人間に対しては、いくばくかの演技を伴った方が安全である。  それからノートには、その日の主な行動、事象、読書の内容を記録しておくと、後の理解の補助となる。ノートを読んで感じたのだが、イメージが狭小である。詩の勉強の必要性を感じる。  二十日の機動隊とのぶつかり合いの後、いろいろ考えた。あのとき私は、内なるバリケード——ブルジョア性の否定——を築いた。全共闘によって築かれた正門のバリケードは、闘争弾圧の機動隊——国家権力の否定であった。私は抗議デモの中で、声を限りに、闘争勝利! 弾圧粉砕! と叫んだ。 ◎二月二十四日(月)  私には「生きよう」とする衝動、意識化された心の高まりというものがない。これは二十歳となった今までズットもっている感情である。生命の充実感というものを、未《いま》だかつてもったことがない。  私の体内には血が流れている。指を切ればドクドクと血が流れだす。本当にそれは私の血なのだろうか。 ◎三月八日 曇天の寒い日  お久しぶりです。ごぶさたしました。  二月の最後の一週間は、それこそ何もせずコタツに入ったきりの自慰的生活でした。そしてこの一週間、三月一日から夜のアルバイトや本を読む気が起りまして、ただ今、小田実「現代史I」を読んでいます。高橋和巳にひかれましたので「堕落——内なる荒野」を読みました。  下宿の人たちも帰省して数少なくなってまいりました。牧野さんも、二月下旬に東京に帰り、時々思いだして寂しく感じております。人間はしょせん独りであると、こんな状況だから(あるいはそれとも無関係に?)身にしみて感じております。  二、三日前、太宰を二、三頁読んだ後でポットのコードを首に巻いて左右に引張ったりしましたが、別に死のうと思ったわけでなく、ノドを圧迫したときの感触を楽しんだだけでして、しめあげられたノドは息をするにもゼイゼイと音をたてまして、妙に動物的に感じました。  私はアフリカ的なジャズとか土人の叫び声が好きです。ミリアムマケバ(注 黒人歌手)とかゴリラ、そしてコヨーテなどが好きです。彼らには強烈な「生」がある。私は今生きているらしいのです。刃物で肉をえぐれば血がでるらしいのです。「生きてる 生きてる 生きてるよ バリケードという腹の中で」という詩がありましたが、悲しいかな私には、その「生きてる」実感がない。そしてまた「死」の実感もない。もっとも「死」が実感となれば生も死も存在しなくなるのですが。  アルバイトをして、ウェイトレスに投げかけられた優雅な微笑に、恥ずかしげに嬉しげに微《ほほ》笑《え》んで、生きる勇気が得られたと思っているチッポケな私であるのですが。  きのう久しぶりで立命(広小路)へいってきた。恒心館、研心館は全共闘に封鎖され人影もまばらな静かなキャンパスであった。中川会館の落書きにいわく。 ・新しい日本の革命の為に  中川会館を死守している同志  今こそ自己を再生するマルクス的視点から問いつめ、否定し、新しく誕生しよう  腐敗したエセ革命家と無思想と  ブンド 中核 ML 社青同 民青へ=フロント 革マル 民学同など ・気《き》狂《ちが》いピエロはあまりに悲しかったので泣くことすらできなかったのです。だから顔をペンキで真青に染めて泣くまねをしたのです。僕たちも、あまりの大学の腐敗に憤ることすらできなかったので、壊すことにしたのです。  俺が死んでも誰も泣いてくれなくていい 気ちがいぴえろ  全くの独りである。もう四時。アルバイトに出かけなくては。アルバイトなんて止めてしまいたいよ。一八〇〇〇円を得るということは大変なことですなあ——。   誰もいない   誰もいない 長い長い孤独の夜よ   寒い心に ひざかけ巻いて   宛名のない 手紙を書くの   目かくし鬼さん 手のなる方へ   うつろな目の色 とかしたミルク   小さい秋   小さい秋 見つけた   黙して笑う時は   悲しさが全てを支配している時   深淵の闇《くら》さが 孤独の味気なさが   光なき世界の道標   全ての虚偽を微笑んで拒絶しよう   耐えて孤独者の長い道を   光を絶って歩みゆかん   恋人が欲しいと思う   彼は山や海が好きで   気がむくとザックをかついでヒョット出   かける   そして彼は詩が好き   臆病なくせに大胆で 繊細で横暴   子供のように純真で可愛らしいと思うと   大方の男がそうなように タイラントの   ようで   そして彼は革命を夢みるロマンチスト   行動力 戦闘性は抜群   彼はそして自分のことを気ちがいピエロ   という   気ちがいピエロはいつも笑っている   世界を笑い 己れを笑い 笑い殺してい   る   恋人がほしい ◎三月十一日(火)  とうとう十日目でアルバイトもダウン。自主休業。  午前中はFMでベートーベンをきいた。「英雄」はよかったが第四交響曲はぴったりしなかった。  午後買物と用たしに出かけ、あと「シアンクレール」に落着いてしまった。  ジャズには何故ひかれるのだろうか。ビートは心臓から送られるビート、指の先から関節の間を流れる血のリズム。私は聞いていてふと思った。私の体の中心はどこにあるのかと。頭かしら心臓かしら、それとも下腹部かしらと。中心がわかればテンデンバラバラな私の体は調子よくビートにのるのにと思う。  二、三日前のバイトの帰り、星の下ネオンのまたたく街を救急車がけたたましくサイレンを鳴らして南の方へ消えていった。サイレンの音はもの悲しくか細く、それでいて夜の街にひびきわたる音色であった。女性ボーカルの The Sound of Feeling などはあのときのサイレンの音に自由奔放な野生味を加えた好もしげな音楽であった。ALBERT AYLER のリズムとビートのきいたのもよかった。  シアンクレールでは渡辺のことをボンヤリと思いうかべていた。この曲をきいてどう思うだろうか。渡辺の声はテノールか、バスか。渡辺に関しては巨大な妄想《もうそう》を描いている。  九時、店を出て恒心館に行った。渡辺がもしやいたらというか細い幻想をいだいて。全共闘の門番が焚《たき》火《び》をしていた。あの人たちは疲れているようであった。寒い吹きさらしのなかでジャムパンをかじっていた。  しかし彼らには仲間が、同志がいる。血みどろな自己との闘争を行なって得た連帯感で結ばれている。友がいるということは羨《うらや》ましい。でも私は自己を曲げてまで友を求めようとは思わない。しょせん人間は独りなのである。今の私は行きずりに話を交わして過ぎて行く人が唯一の友である。そういえば先月機動隊に向って必死に行なったシュプレヒコール、デモのとき見ず知らずの人と腕を組んでのあの行動には不思議な連帯感があった。しかし、それは四、五日後にははかなくも消えてしまった。  帰りぎわに「レポート、頑張ってボイコットしてネ」と、いわれたが、一体オラァドウスリャイインダ——   可愛いピアノさん   あなたは妖精   高度四二〇〇メートルのお花畑   スローモーションで跳ね回るあなた   雲の中に消えていく            シアンクレールで ◎三月十五日  渡辺にあてた「どこからともなくやってくる一枚の葉書」は、おとといの夜灰皿でもやした。それは全ての期待をかけて勝手に造りあげた、(寂しさをいやすための)渡辺像であったからだ。赤い炎をだして燃えて灰になった。 「現代詩手帖」の石原吉郎の文にひかれた。生と死、私はこの事についてもっと考えこみたい。石原吉郎の詩集を早く手にとりたい。 「アナーキズムI」を買ってきた。アナーキズム、それは恐ろしさを感じるとともに、また逆に惹《ひ》きつけられる。大体おまえは本当に自由であることを欲しているのか。フロムの「自由からの逃走」ではないが、自由であることを恐れているのではないか。「アナーキズムI」は読みにくい。人物を描いているところは読めるが、学問的なことになると知識の貧しさで読み進んでいけない。  独りでいるのはさびしい。恋人が欲しい。メイン・ダイニング・ルームに仏人のベルレー(注 映画俳優)に似た人がいた。白のワイシャツに紺の背広、グレーのだぶつきかげんのずぼん。カメラのシャッターをおしていた。淡泊な、ものうげな落ち着かなさをのぞかせる顔。きまじめでどことなくぎごちなさを感じさせる動き。やさしさ、人間を愛さずにはいられないというやさしい心。彼の深部に何があるのかわからぬが、あのやさしさを心いっぱいうけたいなあと思う。  アルバイト中、私はいつも夢をみている。私の恋人になる人はあんな人かしら、こんな人かしらと。うえてるんだな、要するに。  空想せよ。 ◎三月十六日(日)  きのう、お目ざめの時、空は青空だった。春に近いことを思わせる。ブルーの空と純白の雲、あの雲の中を鳥のようにフワフワ飛んでみたらなんて夢想にふける。「松尾」で食事した。お金もないのに、計二七○円。「松尾」で知床《しれとこ》半島の写真をみて海と原始的な自然にひかれる。それから網走《あばしり》の流氷。青年よ。野に街に出でよ!  大体、私の恋人像ははっきりしてきた。ベルレーのような人。まじめ、誠実、やさしさあふれる愛情のある人。全然ハッキリシナイノオー。  ホテルの宴会場にピアノがあった。うれしくなって飛びついた。「白い恋人達」「エリーゼのために」第一楽章をひいて、久しぶりのピアノさん。とても嬉しくて楽しくて下宿に帰るまで興奮しつづけた。「私」の意外なところでの発見。私は一つのことに熱中すると他のことは何も頭に入らず、馬鹿みたいにそのことを思いつづける。さめるとサッパリと忘れる。単細胞なんだなあ。  京都国際ホテルにウェイトレスとしてアルバイトに行き一つの働く世界を知った。  彼ら彼女らは全く明るい。大声で笑い、話し、楽しさが溢《あふ》れている。私の知っていた人たちはほとんどが学生で、インテリゲンチャの予備軍のような存在(私もまた)であることを知らされる。彼女たちはあまり本は読んでいないだろう。タクシーの運ちゃんがいっていた。小学校を出て曲折を経ながら運転手をやっている。十九歳の娘と、妻がおり、あと三、四年たてば孫からおじいちゃんと呼ばれるだろうと嬉しげであった。  人間って一体何なのか。生きるってどういうことなのか。生きること生活すること、私はどのように生きていくのか、あるいは死ぬのか。今、私は毎日毎日広小路で講義を受けるがごとくアルバイトに通い働いているのだが。 「悲愴」をウィルヘルム・ケムプで聞きたい。  そうそう、昨日眠れそうにないからウィスキーをのんでいい気持になっちゃった。角びんで三センチの高さぐらい。やっぱり今日は胃の調子がおかしい。 「ね、おはなしよんで」を朗読し、石原吉郎の「確認されない死の中で」を読んだ。二時ごろいつのまにか眠ってしまった。  このノートも終りである。いつまで続くか私はまだまだ果てしなく続いていく。私の生活が混沌《こんとん》としたものである以上、整理する必要はない。それどころか、私には混沌さが、まだ足りないのではないか。 ◎三月十七日(月)  横なぐりの雨がふるかと思えば、青空の見える、へんな日。  一昨日、昨日とウィスキーをすきっ腹にグイ飲みし、胃の調子がおかしい。  牧野から手紙。かなり買い被《かぶ》って受けとっているんじゃないかと思われるが、よく考えるとズレはあるにしろ、感じているものは似かよったものがある。オンザロックを片手にドストエフスキーとは彼女もニクいね。 「生活に埋没したくない」と彼女はいっていた。「考えること」ができるのだ、私達は。  私は職場の同僚の彼女たちを、生活にまみれているとは思わない。とにかく生活しており、明るく、くったくがない。  ホテルは九時頃に客が入り、こんでいて、鈴木氏にしろ体のよわい天野さんにしろ客へのサービス精神旺盛に接待していた。何くそ! アルバイトだからって甘えてなんかいないぞ! と努めて頑張った(客観的に見てどうであったかは知らない)。最後にモップで掃除した後で、今日は仕事のやり甲斐《がい》があったと思った。与えられたものでなく、自分で見つけて仕事をやること、これが充実感をもたらす。  四月中もこのバイトをやることにした。できたらズッとやっていこうと思う。サア下宿探しだ。昼学校で夜バイトはしんどいぞ。体を大事にしなくちゃ。 ◎三月二十五日(火) 晴 春の近さを感じさせる日  家からテレ。今の下宿に落ちつけという母。病気がちの母。下宿を変えるなという母にはいくらでも反抗できるが、体の弱い病気がちの母には反抗できない。父母を哀れに思うし、私自身も悲しくなる。  喫茶店「松尾」で一時間ほど過す。「日本の美」の北海道編と中部編をみる。原始への郷愁、荒野への憧憬《どうけい》。山へのあこがれ、穂高のジャンダルム。新雪の穂高連峰。枯木を映す大正池、おお、北アルプスの山々よ。  いつか或る日、山で死んだらあ——  のどの奥に何かブツブツとできている。喉《こう》頭《とう》ガンかな。酒は心臓に悪いし、まあケセラセラ。「僕らに未来はない」二、三年で死ぬとしたら、学生運動に大暴れに暴れてやろおうッと。  バイト後ピアノを弾く。ソナチネだの愛の讃歌だの、ショパン、夜想曲。笛がほしい。やわらかいあの響き。エディプスの吹いたあの笛の音。 「恐ろしい神託をうけたエディプスは荒野をさまよう  青春は何処に  人生は何処に——」  FMの朗読で「野火」をやっている。毎日きいている。生と死——  バイト先でアメリカ人に年を尋ねられた。二十歳と答えると十五歳かと思ったといった。日本人はプリティでチャーミングだからと付け加えて。ヘッドウェイターの天野は私をガキだとからかう。「え、どうせ十五歳のガキですよ。尻の青いガキですよ」と答える。  新しい下宿の契約でお金がなくなった。授業料が払えなくなり除名処分?  今読んでる本。 「現代史」 「地下生活者の手記」 「抗議としてのジャズ」 「新視角」 ◎三月二十六日 ポカポカした春近き日  鈴木がなんだ、早川がなんだ、他人だ。私の中に存在する他人、それを考えると恐ろしい。  夜空に星と月が輝いているのは不思議だ。  惰性で毎日を生きているのじゃないかな。  バイト先での新しい仕事における探求。バイト先での新しい人間関係における探求。歴史学の探求。自己の探求。  どうしたって惰性だなあ生きていくことは。そんな気がする。 「知ろうとすることは存在し、知ろうとしないことは存在しない。おまえはおまえ自身を知らない」(パゾリーニ)  パゾリーニは徹底したリアリズムで人間の存在を映画で描いた。  日本語は階級性の強い言葉。バイト先では常に演技者であります。演技だよ、演技。バイト先での演技を忘れるな。 ◎三月二十七日  生活に占めるバイトの比重がありすぎる。  エセ——エセ——エセ——ではなく、本当にしっかりしたものを掴《つか》みたい。  独りで生きてゆく。そしてみんなと一緒に生きていきたい。「お早う」と笑顔で一人一人の人間にあいさつできる人間になりたい。  大学側で卒業を認めてくれなくともよい。あと二年間自分にとってしっかりした何かを掴みたい。それがパゾリーニのいったように「真実と人間」かもしれない。そういう意味で大学(現在の)は私にとって最適の体系をとっているとは思わない。私は日本史専攻だが、文学も法律も歴史も経済もやりたいのだから。マスプロ、それが最大の弊害だ。私は勉強しなくてはならない。「すべては階級闘争である」然り。しかし、本当にそうであろうか? 私はこの意味においてアナーキストにひかれる。  私は臆病者だ。与えられた環境の中で生きていく人間である。私は自分に自信をもてない人間である。臆病者であることが、いいのかどうかわからない。ただ臆病であることを意識すると、自分が卑小でつまらない人間に思えてくるのだ。そういうときはたまらなくなる。  男に生れた方がよかったのか、女でよかったのか。ただ女は寂しすぎる。独りであることがズシリと寂しさを感じさせるのだ。ワーッと大声あげて誰かの胸にとびついていけたらどんなにいいことだろう。  人生は演技なのだっけ。  家から自転車が届いた。早速サイクリング。大沢、広沢の池まで。生暖かい春の風。桜もかたい蕾《つぼみ》をはらんでいた。 ◎三月二十九日(土) 肌寒い小雨の日  きのうのこと。パーマ屋に行ってさらに Pretty になり、喫茶店で池田君と話す。彼は人間は独りであることを感じていない。フェミニストなら、それを感じさせないフェミニストがよい。気取ったかざり屋はきらいだ。  バイト。忙しかった。あそこも賃金一万円ベースアップせよと春闘をやっている。驚いたことに初任給一八〇〇〇円と安い。メイン・ダイニングとしては施設も貧弱だし昼番が帰ると和食はたった三人になる。組合としては人員不足による現在の労働強化に対し、ベアでそれと闘っている。闘争はスケジュール的にこなしているように見えるが、スト権確立のための投票に際し、本当にストを覚悟で処分を覚悟で投票をしている人が一体どれだけいるのか。会社側は系列会社に響くのを恐れており、この賃金で不満の人は会社を出ていけという。ミーティングでこの話をきいて、ムラムラと怒りがわいた。  名票をなくして人事課に行ったとき尋ねられて、これからもバイトを続けるというと、「体が資本ですから大事にしてくださいよ」といった。体が資本だなんて頼りなげに風に吹かれている芦《あし》のようだけど、私も労働者だというわけ。  主任の鈴木があまりに私と似ているのに驚いた。小柄な骨ばった肩を左右にかすかに動かしながら歩いて行ったあの後ろ姿が何とわびしかったことか。機知とウィットに富んだやさしさと細やかさ溢れる鈴木は、孤独であることを知っているのではないだろうか。  帰路ビールを失敬してホンワカした気分でいると、杉野君がきて何故大学にいったとかこの職場はどうだときかれた。杉野君は詩が好きだという。へッセときいて「雲」を思いうかべ、   おお見よ 白い雲はまた   忘れられた美しい歌の   かすかなメロディのように   青い空を かなたへ漂って行く!   長い旅路にあって   さすらいの悲しみと喜びを   味わいつくしたものでなければ   あの雲の心はわからない   私は太陽や海や風のように   白いもの 定めないものが好きだ   ……………………  と、声をはりあげる。それから吉村君も詩をよむという。谷川俊太郎がいいという。彼の恋人はリルケが好きなのだそうだ。そこへ鈴木がきた。そこで好き勝手なことをしゃべった。私は酔うとペラペラと話しだす。私の真実は酔ったとき言葉として発露する。そして四条大宮からタクシーをフンパツして帰った。  ランボーはいった。「私の中に一人の他人がいる」と。私としては私の中に他人がいるというよりも私というものが統一体でなく、いろいろ分裂した私が無数に存在しているように思う。これが私だと思っている私は私でないかもしれない。人間はとかく都合のいいように合理化して解釈する。とにかく真の自分だなんて相手はこうなんだなんて思いこんでいるものは、合理化によって作られた虚像に過ぎぬものかもしれない。   私は臆病者であり 気が弱い   私はおひとよしである   私は一風変った常識はずれのところがあ   る  ほとんど静止しているかに見える氷河が、一年前に比べると数メートルも移動し、そしていつかは谷底に向って激しい響きとともに粉々に身を砕く。氷河のようになるかもしれぬ。氷河はその流れをとめることを知っているのだろうか。止めようと思っているのだろうか。  牧野から手紙がきていた。手紙は新しい下宿でしか受けとれぬものと思っていただけに嬉しかった。「ピエロになんかなりたくない。私は私自身になりたい」と彼女はいう。私自身がピエロなんだからしかたがないじゃないか。これが私と彼女とのちがい。しかし彼女は私の唯一の友である。それは確信していえる私(孤独な)の友である。そして、彼女も独りの不思議な人間なのである。  深夜、どしゃぶりの雨音をききながら、バイト先でワインを飲んだ後、下宿でウィスキーを三杯飲む。 ◎三月三十日  朝、目がさめたら毛布一枚の布団の中にいた。夢だった。赤も白も黒もない世界だった。真暗闇ではなかった。何もないけど、そこはやはり明るかった。Father コンプレックスを抱えた女の子、少女、人間がいた。ピエロの存在、いやピエロの存在でなく何でもない自分がいた。闇の中にカランカラン笑い声をたてて去ってゆく鈴木の姿。プリーズ・ドント・ゴー・アウェイー。どうしてみんな独りぼっちなの。毛布のように私を掩《おお》ってくれるものが欲しいのさ。  夢の世界で、後ろ姿で去っていった鈴木の姿を考えるとたまらない。寂しがりやで可愛い鈴木少年よ。あなたが愛《いと》しい。  幻想を描ききれ。幻想は実践によって破られ、さらに新しい幻想を生むであろう。バイトで今日はほんとうに疲れた。資本家は儲《もう》けているくせに。憎い。  家からの仕送りが二五〇〇〇円。彼女らの賃金より多い。この矛盾! 私だって家からの仕送りで生きていく方がよいのかもしれぬ。  僕たちに未来はない。  下宿に帰って歌を唄う。「黒いオルフェの唄」「太陽がいっぱい」「愛の讃歌」これらの歌はよい。  勉強は? 勉強はどうしたのだ、悦子。 ◎三月三十一日  何だかつまらない。何も勉強していない(外に向っているだけで内をみつめ自己を発展させていない)からかもしれない。バイト先が生活の中心になり、それにすべてを求めすぎたのだ。「高野君はアルコールがそうとういける」ということで、かなりセンセーショナルになり(主観的にそうみえただけ?)自分を認めてくれたといい気になっていた。そんなことがあって、昨日はじめて同僚の女の子に敵意(?)を感じた。  アルコールは舌にのせると水のようにおいしく、のどを通るときはジリジリと熱く、次に熱さが下におりていってぐっと腹にしみることになる。この一週間毎夜お酒類を飲んでいるが、なぜのむようになったのか。夜、疲れた体をひとり横たえて、なぜのむのか。寂しいから飲むんだろうなあ。酔うとうっ積した感情が洗われて抑圧感がなくなり、とてもいい気分だからであろうか。私は弱い、独りではとても寂しい。だから飲むのだ。  決意(ホント?)  バイト先ではお酒類は飲まぬこと。煙草を喫うことがみじめでちっぽけであるように、お酒をのむことも、みじめでちっぽけな、わびしい、卑俗なものなんだなあ。  このショートカットの頭ボサボサの、身長一五二センチの童顔のガキが、煙草や酒をのんで、山本太郎の詩がどうだこうだといったり、すべては階級闘争だといったりするのがこっけいなのだ。ピエロでもない。ピエロは大人であるから。子供のようにスプーンで離乳食を食べさせてもらったり、あたたかい父親の胸で眠ってみたり、ウェーンと大きな声で泣きたがっているガキ。  パゾリーニは「エディプス王の物語」を彼のエディプス・コンプレックスを克服して作ったという。どのようにして?  真実と人間を求めるって? 私の求めているものは愛なのだ。 ◎四月四日  一日に昌之がきて、いい気になってしゃべりすぎた。姉の権威を発揮しようと奮闘。しかし彼とて一個の人間なのである。彼が何の矛盾も感じていなくては話しても一方通行である。人は思いを胸一杯にもっているときは沈黙するものであることを忘れていた。  鈴木は自分が独りであることを知っている。だから、あのわびしげな後ろ姿にひかれたのだ。ちっちゃな坊主の鈴木。甘えん坊で意地っぱりな鈴木よ。あなたにとって私は単なる職場のアルバイト生にしか過ぎぬことを知っている。私はあまりに性急にあなたを求めすぎたのだ。  独りであることは、こんなに無味乾燥なものなのか。涙も出なけりゃ、怒りの大声も出ない。引越の後片づけも終らぬ乱雑な部屋の中、深夜放送のムードミュージックと螢光燈《けいこうとう》の光の中、机にむかってペンを走らせる音が「独りである」のか。  煙草もきれてなし、酒も金がなくて買えず、酔うこともできずにいる。この近くには菓子屋は沢山あるが、八百屋は全くない。不便!質屋が二軒もあるので、これから何やらお世話になるだろう。明日は給料日。煙草とウィスキーを買ってゆっくりと楽しもう。 ◎四月五日  独り——独りであることに慣れてしまったのかな。  死——一週間ほど前、死は恐ろしいものだった。全く未来のない暗黒の世界。その頃は鈴木への恋愛の幻想を描いていたから(今ではその幻想は崩れてしまっている)自分が、つまらない卑しい人間であると思っているのはよい。その半面、立派な人間であると思っているそのことが本当はつまらないのではないか。 「孤独の闘い」を読んでいる。私にとっては大層な題名であるが、ひかれる作品である。  自分を支えるものは勉強しかない。「知ろうとするものは存在し、知ろうとしないものは存在しない。おまえはおまえ自身を知らない」きのう鈴木の幻想がつきくずされ、独りであり、自分を支えるものは自分であると思った。 「野火」の朗読をきいてから戦争における人間の体験に関心をもった。今この時間にも世界のどこかで戦争が行われ、人が傷つき死んでいるという事実。これをどう考えるのか、戦場において敵を殺さなければ自分が死ぬという状況、その中における人間、彼もまた人間——!  臆病である自分が本当にいやだ  びくびくしていて、もっともらしく、やさ  しくていねいにしている私  本当の私とは一体何なのか ◎四月六日  何ごともなく一日が過ぎてゆく。本だけが私のたより。  今日もバイト。仕事が忙しく非常に疲れた。帰りに思いきりソナチネをひいて大声で歌をうたって着換え、いつものように歩く。歩道の靴音をきき、車のライトをみながら鼻歌をうたって帰る。どこかでウィスキーをのみたかったが帰りが遅くなるのでやめる。  なぜ生きているのかって?  そりゃおめえ、働いてメシをくって、くそを放って、生活してるんじゃねえか。働いてりゃよオ、おまんまには困らねエし、仕事の帰りにしょうちゅうでもあおりゃ、それで最高よ。それが生活よ。  自殺をしたら、バイト先では、へエあの娘がねエと、ちょっぴり驚かれ、それで二、三日たてば終りさ。かあちゃんやとうちゃんは悲しむ(悲しむ?)かもしれねエな。牧野、彼女はどうだろうな。哲学的にいろいろ考えるかな。  ヒトリデ サビシインダヨ  コノハタチノ タバコヲスイ オサケヲ  ノム ミエッパリノ アマエンボーノ オ  ンナノコハ ◎四月七日  一六〇〇〇円で生活を建て直せ。 “とびかう鳥よ おまえは自由”——「坊や大きくならないで」より——  この二、三日。非常に山に行きたくなった。思いきり歩き、走り、初春の野にぶったおれ太陽を仰ぎみる。いいだろうなあ。そこから何かが生れてくるのだろう。  バイト先では楽しめるだけ楽しめ。 ◎四月九日  空っぽだなあ。人からみると変った生活していて彼らをせせら笑っているのに、せせら笑っている自分と自分との距離があるのを感じる。その自分は何にもない空っぽの自分である。独り、独りだと思っているのは錯覚なんだろうか。そのことで自己を防衛する殻に閉じこもっているのかもしれない。 「第二の性」を読んだら、どうしたって(性交で一体になったとて)人間は独りなんだと思った。恐ろしい。  青春を失うと人間は死ぬ。だらだらと惰性で生きていることはない。三十歳になったら自殺を考えてみよう。だが、あと十年生きたとて何になるのか。今の、何の激しさも、情熱ももっていない状態で生きたとてそれが何なのか。とにかく動くことが必要なのだろうが、けれどもどのように動けばよいのか。独りであることが逃れることのできない宿命ならば、己れという個体の完成にむかって、ただ歩まなければならぬ。「己れという個体の完成」とは何と抽象的な言葉であることか。悦子よ。おまえには詩も、小説も、自然も山もあるではないか。  仕事から帰って部屋におちつくと足のけだるさ、体の重さを感じる。働くってことは重荷なんだ。一日中ねころがって本を読みラジオをきく“優雅な生活”——仕事先の同僚の言葉。アルバイトといったってそれは学生の言葉であるに過ぎない。実質は会社の経営を支える最底辺の不安定な日雇い労働者なのだ。ちくしょう!  鈴木は十年勤務の社員(藤田観光では、社員、従業員、アルバイト、パートなど身分制をとっている)。明日の時限ストでは御説得係でさあ。鈴木なんていうのは大体つまんねえ人間だよ。一応現場の働く人間のことをわかっているようなポーズをとりながら、出世の道を踏んでいっているんだから。組合の執行部をやっている星野の方がまだいい。彼は単純、馬鹿だけれど(それに気付いていない)彼の方が価値がある。 ◎四月十日  一一・〇〇AM  きのうの夜、ウィスキーを三杯ぐっとあおってねむる。八時半ごろ目がさめ、FMのシフラのピアノをききながら起きる。何かどうしようもない気持になり、手紙がきているかと下に新聞をとりにいく。手紙はなく物干し台にのぼり雨にさらされたすべり台に横になる。見えるものは隣家の屋根と、くすびた壁と軒にせせこましくかけられた洗濯もの。ここには青々とした緑の草原も体をほてらす太陽もない。みすぼらしい、それでいて勝ち誇っているような家と優越顔に通りすぎる車と、金を出せば笑顔で迎えてくれる喫茶店とがあるだけだ。腕を伸ばしたくて、足をふりまわしたくてむずむずしている。  今、牧野からテレ。京都に帰ってきているとのこと。早速会いにいこうっと。  一二・〇〇PM  仕事先の小沢さんという人に、何で大学に、しかも立命みたいな三流大学にきたのかといわれた。また将来何になるのかも。私は例のとおり、ただ漠然ときたのだと答えた。何にもない空っぽと感じていること自体一つの大切な私の感情であるが、それに浸りこまずに空っぽゆえに行動して己れを高めていかなくてはならぬのだ。  私は以前詩人になりたいと思った。詩こそ真実であると思った。自己の創造の完成をめざして、詩をつくっていこうと思った。人間はパンなしでは生きていけぬ。だから生活費を得るための二重生活をしていこうかと最近思うようになってきた。仕事そのものに生きがいを見いだすのではなく、仕事は生活費を得るためのものとわりきって、看護婦にでもなろうかと思った。  しかし小沢さんの話を聞いて、自分が勉強もせずに受動的に緩慢な生活をしていることに気づいた。詩人になりたいなら詩を読め、街に出かけよ、山に出かけよ——私は何もしていなかったのだ。独りである自分を支えるのは自分なのだ。私は自己を知るため、自己を完成させるため、本を読んだり、街に出たり、自然に飛びこんでいくことを、いま要求されているのだ。  京大や立命の学生運動にアナーキストたちが刃物を使用し出した、と京都新聞が一面にセンセーショナルに書いている。刃物をもつということは、もっている人間が刃物で切られるということ、自分が血を流すことを承知の上で行うのだ。彼らに刃物をもたせるある価値感とは、一体何なのだろうか。  私は一カ月間彼女(牧野)のいない世界で暮した。仕事先が唯一の外界であった。このノートのことばでもわかるように、まさしく仕事先のあのブルジョアぶりに反抗していた。彼女が再び京都にき、私自身の姿がはっきりしてきた。彼女は、人間は独りであることを知っている人間だからである。彼女は最も私を理解している人間である。  彼女は井伏鱒二の「山椒魚《さんしょううお》」の話をした。穴に入ってのろのろと暮しているうちに穴から出られなくなり、毎日毎日穴の中で上を通りすぎるカエルや魚を見てくらしている。そこに一匹のエビかなんかが入ってきてまたまた出られなくなり同じ穴のムジナとしてふたりで過すのである。彼らは楽しいのか、悲しいのか。  私はこれから長い旅路に出かけるのだ。ウィスキーグラスに四杯飲んだからこんなことを言うのではない。読書(詩、小説、歴史)の中に音楽(クラシック、ポピュラー)の中に、ワンダーフォーゲルの中に、サーカスの中に、八百屋のおかみさんの中に、動物園の中に、学生運動の中に……長い旅路に出かけるのだ。そうそう、忘れていた。京都国際ホテルの中にも。  お酒は素質と環境と学習により飲めるようになると彼女はいったが、素質はどうか知らぬが私も環境と学習により相当のめるようになったものだ。今日は最初の一杯は水のようで二杯目までは全然酔わず、三杯めでいい気持になってきた。  人は生れたときから、男は女を、女は男を求める。エディプス・コンプレックスをもちながら男は女を求め、女は男を求めてさまよう。 ◎四月十一日  牧野とデイト。  朝おきて、すべてがつまらなく感じていたとき彼女からテレ。一時清心館前で待ち合せ。立命の広小路キャンパスは、いかにも新学期といったムード。サークルの新入生勧誘の出店が並ぶ。書道部、「若者」フォークソング愛好会、ワンゲル、部落研、応援団等々。どこからか歌声が流れ、ギターのフォークが若さを流す。存心館の横のサクラは開花した花と初々しい若葉のコントラストがはなやか。ああ自由なる、はかなき大学よ。青春よ。  彼女とぶらぶらする。お好み焼きを食べ、四条にむかって歩いたがセーターにさす太陽が暑い。ちょっと冒険のつもりで京都ホテルのコーヒーパーラーにいく。グレーのセーターに紺のスカートの例の姿である。赤と白で統一したしゃれた感じだったが、コーヒーがぬるかったのはまずい。コーヒー一杯でしめて三三〇円。ロビーでゆっくりして外に出る。  高石友也の「坊や大きくならないで」を買う。仕事にいく途中、梅沢さんと会ったら、木村さんが盲腸手術、内山さんがスキーで複雑骨折、クラブでは新入生歓迎準備で一生懸命とのこと。急にいろいろな世界がおしよせてきた。とまどった。しかし私はワンゲル、大学という世界を離れずに私なりにやっていく。ワンダーフォーゲルは私の生活とは切っても切れない縁であるから。大学は……?  バイト先がまた忙しくててんてこまい。鈴木も休みだったし、ピアノもひかずに帰る。歩きながら煙草をすったら足もとがふらついてグロッキー、車のライトもホテルの明りもゆらいでいた。これはいけないとタクシーをひろおうと思ったがなかなかこない。水銀燈にもたれながら、これこそ独りだなあと思う。  ようやくの思いで部屋に帰る。独りごとをブツブツと三十分ばかり。 「私は疲れている」から始まり、疎外——さく取——結論は……ウィスキーを四杯飲んで眠る。 ◎四月十二日(土)  乱雑な部屋でパンを食べていた。十二時のニュースで国鉄の運賃値上げ反対の労組ストで処分をしたというのをきいて、どうしようもない怒り、自分の足をこぶしで打つ。  こういう何もやる気のないときは洗濯と掃除に限ると思ってやり出す。  三時頃に自転車で大学へ行く。昨日のキャンパスのムードがよかったためとワンゲルの連中にあいに行くため。キャンパスでは中核がデモっていた。四・一二の何からしかった。 「シアンクレール」に五時半までいた。なんであんなにいいんだろう。あれを全身できいていると体が生気あふれるのだ。最後に The Sound of Feeling をきいてバイト先に急ぐ。  仕事は今日もまた、しんどかった。しんどさをまぎらすにはお客とあるいは人と話すにかぎる。鈴木がいた。彼は私を単なるアルバイトの一人としか見ていないのだろうか。私にはわからない。あらゆる彼の姿から、私は幻想を描き夢想を広げるだけだ。彼は三十歳位。私は二十歳。彼には仕事がある。一生とする仕事がある。私は中学生みたいな、少年みたいな女の子にみえる。  ゆきずりを拒むものは、すべてを拒まれる。 ◎四月十三日  仕事は今日もしんどかった。遅番の彼女らが翌朝六時に起きて働くなんて全く信じられない。あんなに忙しいとバイトを続けるべきか否かと考えてしまう。  バカヤロウ、ちくしょう、やめるもんか! ここから逃げ出すことは負けることなんだ。私はあの職場では日雇い労働者である。そして忘れてならぬことは、私は学生なのである。  独りである自分を支えるものは自分である。  人間は他者を通じてしか自分を知ることができない。悲劇ではないか。  新聞、このごろ新聞をよんでいないんじゃないか。「第二の性」もストップしているな。  私は全く自分というものがわからない。この肉体は何をし出かすかわからない。  他者によって写しだされる己れ、自分は何もないのではないか。  一九六九・四・一一のある喜劇。  京大の入学式。  総長の「これから入学式を始めます。新入生の皆さん、入学おめでとう」——「これで入学式を終ります」といわなかったのが、せめても、か。  私は自己の演技は常に行なっているが、他者への演技はしていない。常に全力投球であり、まじめであり、正直である。おかしいかな——エヘッ。早く他者への演技ができるようになりたい。  家からの手紙。十五万円送ったとのこと。嬉しかったぜ、おとっつぁん、おっかさん。  後ろをふりかえるな  そこには ただ闇があるだけだ ◎四月十四日   私を私自身として認めること   醜い 鼻くそをたらして アッハッハッ   夢をみよ 夢をうちやぶれ   そして夢をみよ   彼女はきびしい世界に生きている   甘えるな!   おまえは おまえ自身だ!   彼は彼 彼女は彼女だ   私は吐きたい すべてを すべてを   去りゆくもの アッハッ さすらいだ   アウトサイダーだって?   鈴木!   私は機動隊とぶつかりたい!   それが一体何だというんだ!   私は今 私の Room にいる   彼は今 彼の Room にいる か   吐きたい 気持が悪い   アルコールが生物学的に人間に与える影   響か?   酒酔いの哲学 私はそれを追求してみた   い   Bon nuit ! ◎四月十五日(火) 小雨降る日  八・〇〇AM  Silence is Golden.(沈黙は金)  前のノートをよんで、本当に嫌悪感を感じる。肉体とともに私はつまらない、醜い女だと思い知るほかない。  きのう夢を見た。親戚《しんせき》の人が集まって、こたつを囲んでいる。こたつに足をつっこんでみんなねている。私の隣りには鈴木がいる。私はいう。「恋をしたことがありますか」「ある」という。「結婚しようとしたことがありますか」「ある」という。私は彼の顔をなでようとするが彼は人形に変って、カタカタといい、グニャリとなる。  全力投球で生きていくなんて止《や》めた方がよい。人間の寿命は決っている。煮つめて生きれば、生きる年数は短くなる。  きのうは彼女とデイト。彼女は、吉村さんとあんな話をするのはごう慢だといった。また、この頃本を読むのが恐ろしいといっていた。本を読むには、きびしくそれと対決しなくてはならない。高石友也の「坊や大きくならないで」をステレオできく。ベトナムであの歌をうたっている数多くの女達がいるということを、一体どう考えたらよいのか。       \ブランデージンジャー ニューコンパ—オンザロック 少々きつかっ        た(八六○円)       /ジンライム 白夜(二階喫茶) ジンライム(二〇〇円) リンデン コーヒー(とてもおいしかった)     \オンザロック ろくよう—ジンライム(九〇〇円)     /アスパラ 「ろくよう」には、もう恥ずかしくていけない。私のすべてをひっかけちゃったもの。見ず知らずの隣りの学生風な男に、「自然をどう思いますか、青い空、広い海」なんて話しかけちゃったんだから。全力投球なんてかっこいいこといってるけど醜い。  酔っているうち常に私は他者を他者として認めようとした。自己を自己として認めるといっても、肉体的には確かに存在しているが一体何なのかよくわからない。私は地道に追求していかなくてはならないと思っている。  後ろをふりかえるな。そこの暗闇には汚物が臭気をはなっているだけだ。 「ろくよう」に独りで呑みだしてから私はよく笑った。そして泣いた。泣き笑いのふしぎな感情ですごした。  あのウェイターのおじさんに Do you know yourself? と、いったら、Yes, perhaps, I know myself.——といった。私は I don't know myself. と、いって笑った。  一二・〇〇PM 部屋にて  今朝は久しぶりで部屋を片づけた。コーヒーをのんでパンを食べた。オイストラフのヴァイオリンをきき、それから、こわごわと「アウトサイダー」を読んだ。ぴったりくるところもあった。どうしてよいかわからないと進むのをためらったところもあった。一時間ほどいつのまにか眠った。お金を計算したら、半月で酒代とタバコに五千円ぐらい使っていた。  バイトに行って、お盆を落して茶わんを割った。奥のテーブルに水をついで、ふとあたりを見回したら鈴木と目があった。私は腹立たしく憎らしくなって、乱暴に水を注いだりした。また私は鈴木とすれ違いざまにぶつかった。鈴木は私を意識しているようでしていない。私はしていないようで、していると思っていた。何か私は、彼が私を意識しているのではないかと思い始めた。(うぬぼれかもしれない)仕事が終り鈴木にあった。黒のスーツの仕事着である。鈴木は「どうしたんだ」と彼の手を私の頭にのせた。ただ笑いながら「疲れちゃったんです」といった。彼ののせた手の感覚はお風呂に入るまでつづいた。髪を洗うのがもったいない気持だった。どうしてあの時もっと話さなかったのかと悔まれる。鈴木は一体あの時どんな感情をもって、私の頭に手をやったのか。明日鈴木は遅番である。鈴木と飲みに行きたい。電話番号もききたい。おそろしい気持がする。  酒を飲んで酔うことは醜悪だと思った。二度と飲むまいと思った。しかしまた今日、ホワイトを四、五杯のんで眠ろう。  星は暗闇に輝いている。太陽も緑も海もある。  恋愛によってすべてが解決すると思ったら大まちがいだぞ 悦子  お前自身は一体何なのだ 「アウトサイダー」、あの本を私は最後までよむことができるのであろうか。  後ろを ふりかえるな  暗闇と断崖《だんがい》があるだけだ  現実と非現実  He has his business.  I have my life.  鈴木は他者である ◎四月十六日  一一・〇〇AM  朝九時ごろ目がさめてFMのスイッチを入れる。ヴァイオリンが流れ、メルビルの「白鯨」の朗読をきき、レモン汁をのむ。きのうは「かるちえ・じゃぽね」を読み、混沌《こんとん》の中に再び共鳴を感じた。 「日大闘争」と「壁は語る」を読む。  居酒屋「ろくよう」で隣りに坐った学生風のあんちゃんに、デモ、留置場についてどう思うかときいたとき「デモなんて(と軽蔑《けいべつ》した調子で)留置場とバリケードの中でこそいい」といった。私はそのとき彼との違和を感じた。デモって留置場に行って、というのは私にとって願望であり夢であり恐ろしい夢なのだ。「バリケードの中の青春」、闘いの中に生がある。しかし私にとって闘いとは?  朝、鏡をみたとき、少しむくんでいるみたいだ。いよいよ心臓にきたかな。あるいは肝臓障害、それともアル中になって精神病?  私は鈴木について、いつどこでどんな環境で生れ育ち、そして何をどのように考えてやっているのか、ほとんど知らない。しかしいいんだ。バイトに行けば彼はいる。私が死んだら彼はどう思うかな。彼が死んだら私は大声で泣いて「わが恋人よ」って悲しむかな? いや意外に何でもないんじゃないかな。ムルソーのように「きのう鈴木が死んだ」そしてジャズをききにいき、本を読み、映画に行く。  本当にこれからどうなるかわからない。ふと真剣に(これは大うそ)自殺を考える。牧野氏と会いたいでござる。  二・〇〇AM 部屋で雨の音をききながら  仕事が終って船津さん、吉村君らと話しあった。私には仕事がある。私は学生として真理を自己を探求(この言葉でははみだす何ものかを感じる)すべき仕事と、アルバイトとしてウェイトレスの仕事との二つがある。前者は別として後者に関し、私はしょせんパート労働者で肝心のウェイトレスとしての仕事の内容そのものを見つめていなかったのではないか。運んでいるコーヒー、ティ、ビール、ステーキについて全く味を知ろうともせず、またそれに関する知識を持とうともしなかった。  学生は観念の世界でものをみすぎる。学生運動をやっている人間が、疎外を論じ労働者の連帯を叫んだところで、立ちんぼ達のつるはしが右手に与える感覚を知らなければ、それは虚偽でしかない。ウェイトレスの Smile Faceが彼女自身に何を与えているのか、お盆で二人前を運ぶにはどのように載せればよいのか、運んでいるポタージュの味がどんななのかを知らずして連帯を叫ぶことはできない。私はやはり学生であった。観念の世界でメンダイの労働者をみていただけだった。  明日一時からストをやるらしい。アルバイトも共闘すべきかと吉村君が船津さんにいったら船津さんに、学生には生活がないといわれたらしい。学生には生活がない。何となれば私も銀行預金という、よりかかりをもっている存在だ。その意味では私には生活がない。仕事もない。アルバイトパートだって底辺で国際ホテルを支える労働者だと、大声でふざけて言ったが、私は価する労働をやっていなかった。  叱られるより叱る方がむつかしい。ウェイター、ヘッドウェイター、主任となるにつれ叱る人はいなくなる。自分で叱り叱られねばならぬ。自分で自分を叱ることは難かしく必ずそこには甘さがつきまとう。と清水さんがいったとき、私は前に自分には仕事があるといったことを恥ずかしく思い、またきびしさ自分の甘さを痛切に感じた。  鈴木は主任である。会社と自己の出世欲との矛盾を強く感じているに違いない。明日は主任として従業員の説得にあたるのだろう。鈴木は非組合員である。  労働せずして社会の矛盾などということはいうな。悦子よ。お前は甘いぞ。言葉軽く他人に語るな。その言葉がおまえを束縛するようになるから。醜い私がこんなことをしゃべるなんて、不思議だ。  英語を仏語を学べ  料理を学べ  親からの金は住居関係費のみに使おう。今月はあと二〇〇〇円しかないが何とかやりぬこう。  学生として私は何をやるべきなのか。学校側が四四年度のプログラムを何にも示していない以上、今授業料を払いこむことはない。中核なり、社学同のデモの隊列に加わった以上、それはその組織とのかかわりを意味する。留置場に入るには独りでもできる。  やるぞお ぼかあ闘いますぞお ◎四月十七日(木)  四時三十分ごろ国際ホテルについた。入口には組合の人が三、四人すわっていた。従食に行くと、バナナと卵をそえた食事が出された。うわあバナナか、食べたいと思っていたんだ、と喜びながら食堂のおばさんにきくと、「今日は非組合員の人にがんばって働いてもらわんとあかんから」といった。来る直前パンを食べてきてよかったと思った。一たんテーブルについたけど、それを返してメンダイの方に行った。  廊下に吉村君らアルバイトの人たちがいた。鈴木もいて隣りの人と話していたが、チラリと目があった。異常なといってよいほどの眼の輝きであった。後、アルバイトの方にきて「裏切るなよ」といいながら去っていった。へッ裏切るだなんて、それはこっちのいいたいセリフだよ。今日は当然働く気持はなかったが、従業員入口のところで迷いに迷った。働かないことは自明のことながら「裏切るなよ」といった鈴木に対しての復讐《ふくしゅう》を行うかどうかあまりに腹が立ったので、ジャズをききにシアンクレールにいく。  今日は興奮していたといえばいえる。私はいきり立つと性急になりすぎる傾向がある。馬車馬のように後先もみず一目散に突進する。しかし、今日は向うみずであったとは思わない。するだけの価値があったのだ。鈴木に対する、政府に対する、私にできる唯一の反抗であったのだ。  お客のいなくなったダイニングで鈴木が笑いながら(たぶん苦しそうに)「おい君、ここで何をやっているんだ」という。私は you are working now? といってやる。鈴木は隣りの椅子にすわる。私は突然「今日どこかへ行きませんか」という。鈴木は何も答えない。そして、「おい坊や、何を考えているんだい」と、いいながらおさえにおさえた手の感覚で私の頭に手をのせた。そしてすぐ仕事に戻ってしまった。私はしばらくしてピアノをひきにいく。思いきり! そしたら少し落ちついたようだ。ソナチネ六、九、十二番、残念ながらとぎれとぎれにしかひけない。「エリーゼのために」をひく。そこにも鈴木がきて早く帰れという。私は意を決してまだ動き回っている鈴木に「帰ります。さようなら」をいい、鈴木は「気をつけて帰るんだよ」という。 ◎四月十八日(金)  昨日のストライキ中に働いていたものは、まさに犯罪的な役割をはたしたことを自己批判せねばならぬ。鈴木、まずおまえだ。次にはいかにも分ったふりをしている偽善者、あの「ろくよう」であったおまえだ。人間は偽善者だ、信じられぬ。動物的醜さもさることながら、保身の中に身をおいてぬくぬくとしている連中め。昨日は会社のわくぐみの中で、ちっぽけな私欲を追い求める人間——偽善者——と、真に生きようとする人間をはっきりと区別した。  四・〇〇スト解除指令が出される。会社側回答五〇〇〇余円である。帰り一緒になったファントリーのおにいちゃんは、二時間しか寝ていないと目をしょぼつかせていた。仕事、仕事であくせく働き疲れ、ストライキをやれば残るのは疲労と二分の一のベースアップ、そして明日から再び仕事、仕事。私は今学校は休みだといったら、「へえー。休み。なつかしい言葉だなあー」といった。  彼女(牧野)からテレ。ちょうど人間は信じられぬと思っていたところだ。人間、偽善家——彼女にあっても何も話すこともないし、話しあう気も起らなかった。 「独りである」とそう思いこんでいるだけなんだよ、と誰かがいった。しかし、昨日、四条大宮からホテルまで牧野と歩きながら必死になって話したとき、彼女は困惑、軽蔑、恐れ、敵意の表情をみせたではないか。私の全力をうちこんでいる行動に対し、彼女でさえも、そうであったのだ。私が力んで話せば話すほど、彼女と私との距離は離れていくばかりだった。 All or Nothing のつまらぬ、さびしがりやの Father コンプレックスの人間なのだ私は。  私は誰かのために生きているわけではない。私自身のためにである。ホテルのソファに坐りながら、自殺しようと思った。車のヘッドライトに向って飛びこめば、それでおわりである。家の父や母は悲しむかな、テレしようかなとか、今日はペンと手帳をもっていないから遺書はかけないなあとか、本気になって考えた。けれども、死ぬってことは結局負けだよなあと思った。こう言葉で書くと平板になってしまうが、もっと新たな泥沼(血とくそ)の中に入っていこうということなのだ。  アオキ書店で、スープの本とカクテルの本を立ち読みした。少し勉強したぞ。でも、始めてサーバーを使って料理を運んだが、料理の名も知らなかったことがウェイトレスとして恥ずかしい。  十五万円の預金通帳はあてにするな。(それだけの決意があったら燃やしてしまえ)残る十五日間をいかにしてお金をもたせていくかが私の闘いだ。今日は酒と煙草にお金を使いすぎた。 ◎四月十九日(土) 晴、風強し  仕事に対して張りがでてきた。いろいろ料理のことを覚えるのが楽しいし接客もおもしろい。シーズンの土曜で混んでおり、仕事がおわるとグッタリとなる。  鈴木、彼は All or Nothing だから徹底してやっている。しかし仕事、仕事で疲れはてている感じ。彼は私に「気楽でいいな」といった。私はしゃくだから「自分で勝手にそう思いこんでいるだけよ」といってやった。この言葉は鈴木に対すると同時に私に対する宣戦布告である。この闘いは敗れてはならぬ。金銭的に困らぬかぎり(住居費は親の金でまかない、後はバイトでまかなう)余暇をつくりだし勉強しようと思う。  だからこんなに遅くまで岩波歴史講座をひもといて頑張っているわけ。明日は「第二次大戦後の日本と世界」(井上清)をよみ、詩をよみ、新聞をよみ、料理の本をよみ、彼女に会い、仕事に出かけ、帰ってまた本を読もう。  人間を信じているんだろうか。今はわからない。  私は自分自身を知っているんだろうか。世間的にいって生物学的にいって、社会学的にいって、ある程度は知っているといえる。しかし、私にどんな力がひそんでいるのか、まだまた未知である。  私は独りである。私は未熟である。恐ろしい宿命だ。それは。  鈴木という見ず知らずの人間を、期待し、夢想し、信じていたということは何と不思議なこっけいなことだ。鈴木を偽善者! 裏切者! と呼ぶことも、不思議なおかしな気がしないでもない。 ◎四月二十二日(火) 暖かい晴天の日  何故にノートを中断したかというと、書き始めたらずっと止まることを知らずに書き続けそうな気がしたからだ。朝、目がさめたときの感情、意識から始まって起き出したときの感じ、考え、そして新聞をよんで、これまたその時の感情と意識、そして記事についての感想……書いていたらきりがない。そして余りに混沌としていて、まとまりがないので、このノートに向うのがおっくうになっていたからだ。  二十日  朝ふとんの中でぼやっとする。自分の手で首をしめてみる。手をのどに当ててしばらくすると、ヒイヒイと息をする音がきこえ、もう一寸《ちょっと》すると顔が充血する。思わず手をはなす。湯沸器のコードを首にまいて引っぱる。こんなことをして遊んでいる。  新聞をていねいに読んだ。アメリカ軍偵察機撃墜事件による日本海の緊張を「朝日」が一面にアメリカ空母の写真入りでスクープしていた。  五時から国際ホテル。メンダイの近石さんから四〇〇円借りてシアンクレールにいき、コーヒーとウィスキーをのむ。帰宅してから岩波歴史講座「第二次世界大戦後の日本」(井上清)をよみ、ねむる。  毎日鈴木のことばかり考えている。鈴木と唇をあわせたり力強くだきあったり、やさしく胸(このちっちゃな)をさわったり、私は鈴木のやせた体やくちびるを愛《あい》撫《ぶ》したり、シンボルであるオチンチンを子供の遊びのように手でさわってみたり、常に鈴木と肉体の関係をもちたいと願っている。鈴木が最初に私の頭に手をのせてくれたのはいつだったろうか。十七日のストの日、食べにいったときも軽く頭に手をのせた。そして私のうでをとり his business place にいるらしく「どうして高野君帰らないのか」といった。きのうは仕事中なので鼻をちょこんとつついた。今日は鈴木は休み。立命で闘う学生の姿をみてきたことと、鈴木がいなかったので、一所懸命楽しく仕事ができた。鈴木が現実に目の中にいないかぎり、私は鈴木の幻想をもち続けることができる。鈴木は私を愛しているに違いないという確信があるので(うぬぼれめ!)現実に鈴木を見、さらに深い泥沼に入っていくのがこわいのだ。  人間は醜い。ずっと前、横田君がいっていた。“I have my mother very much”翌晩、私は思った。“My mother is ugly, my father is ugly”  彼らは動物的な肉体関係をもっているのに、そんなものとは遠く離れた世界の中に生きているふりをしている。その父と母から、性交によって生れてきた私。キリストのいう原罪。そして私自身も醜い。鈴木との肉体関係をのぞむし、くさいくそもすれば、小便もする。メンスのときは血だらけになる。  二十一日  雨が降ってました。二条城のお堀を散歩しました。雨に洗われた若葉がとてもきれい。バイト先にいきました。鈴木は私の鼻をちょこんとつつきました。仕事中にかかわらず、私はふくれました。鈴木を好きな三谷さんこと「オソマツさん」がいるのに、どうして手放しで喜ぶことができましょか。  二十二日  目がさめたのは十時半ぐらいでした。きのうは帰るとすぐねたのに、ずいぶん長く眠ったものです。とてもよい天気です。暖かい春の陽が部屋に満ちており、前の小学校では真白い運動シャツと赤い帽子をかぶった小さな子供たちが走り回っています。家から手紙がきていました。  Received letters from my home, there are Mother, Father, Masayuki, Hiroko, except me.  私は自転車で出かけました。とても天気がよかったから。バックに「日本歴史」「山本太郎詩集」をいれて、チリンチリンと鈴をならしながら出かけました。堀川今出川の交差点まで。  青木書店にいって、お料理の本、ジャズの本、詩の本、写真の本を立ちよみし、「現代の理論」と「海」を買いました。喫茶店「マロン」に入ってコーヒーとトーストを食べました。そこに二時半までいて「海」の“現代の言葉とは何か”を読み共感するところ大いにあり、一服してから井上清の「第二次世界大戦後の日本」にとりかかりました。  ファイト十分になったところで「マロン」を引きあげ広小路にいきました。眠くなるような陽ざしをあびて、全共闘が集会を開いていました。相も変らず民青の高性能スピーカーが横っぱしから雑音を流していました。偶然、石井君や安田君、青柳君と会い、話をしました。そのあとバイトに行きました。  今日の仕事は楽でした。組合がスト体制をしいているのであまり客を入れることができないのでしょうね。あなたは(誰? 私かな)見ていてどう思いますか。吉村君は私を You are so young といった。そして自分のことを“早熟なベビィ”といった。きのう思ったのだが、吉村君は私の世界からみて、はみ出している彼自身の深い自己の世界をもっている。吉村君はひょっとしたら私を好きなのかもしれぬ。だからあんなに泣き出しそうな顔をしているんだ。仕事が終ったあと喫茶店にでもいってみようかな……なんていうのは全くのウヌボレ。アッハハハ  昨日あたりから太宰が読みたくなっている。  鈴木はどうして私みたいなすばらしい女(ゲエッ↑おう吐の音であります)をほっておくんだろう。 立命館大学の学生であるということ 京都国際ホテルで日雇い労働者として働いていること 鈴木にすべての幻想をつぎこんでいるということ 私のこれからの生活は、月六五〇〇円の親の金と、およそ一五〇〇〇円の賃金でまかなうこと Silence is Golden  沈黙とは話さないこと 歌わないこと  闘いは ここにあるのだ——二・二四——  国家権力と直接にぶつかっているときに、一番強く生の実感を感じるにちがいない  四・二六/  四・二八—をどのように闘うべきか。学校で 職場で 下宿で 街頭で  五・一 \  授業料を払うべきか、否か ◎四月二十三日(水)  きのうは徹夜するつもりが、素裸で窓をあけたまま、四時ごろ寝てしまった。十時半ごろ目がさめ、部屋を片づけ掃除をする。新聞をみる。  ——自民 裁判制度を検討 公安判決に不    満  ——文部次官通達 東大総長批判  ——事前協議いらぬ  ——荒される主漁場 日本海  ——学生スト広がる チェコ  闘ったところで何になる。微弱な風にとぶほこりに過ぎぬのではないか。いやあ ぼかあ こんなことでは負けませんぞ。ぼかあ 闘ってますぞ(泣きそうな顔してんじゃないの てめえは)  一体こんなことを書くことに何の意味があるのか。といいながらペンを走らせている。死にたい。しかし死ねない。未練があるのか、醜い恥ずかしい罪な世界に。何か私のすべてを知っている存在、たとえばそれを神というなら神といってもよい。その存在があると思っているのか。  もう五月である。じっとりと汗ばむ陽の光の中に、散りぎみの八重桜が重たく花を咲かせ、くまんばちが蜜《みつ》をすって花弁をのぞき回り、すっかり若草色になった地面には、黄色の可愛いタンポポが青空の中で太陽光線をうけている。時々鳥の声がする。しかし、それが何だというのだ。それぞれ醜さをもって勝ち誇っている存在なのだ。  美しく着飾り化粧した女たちをみて私は恥ずかしくなった。頭はクシャクシャで、似あいもしないのに粋《いき》がって黒のトックリをつけ、うすいカーキ色のしわくちゃのズボンをはいている私。恥ずかしかった。私は醜く罪な恥ずべき存在なのだ。人間は全存在を他人の前にさらけだして生きている。いくら着かざったところで、その存在は厳として醜い。男はオチンチンを下げて、女はそれを待つ空部屋をもって存在している。金子光晴の詩に「おつとせい」というのがある。   おいら。   おつとせいのきらひなおつとせい。   だが、やつぱりおつとせいはおつとせい   で   たゞ   「むかうむきになつてる    おつとせい」  詩といえばへッセと太郎しか知らなかった私。しかし「言語空間の探検」を読んで、どうしてこの詩人を今まで知らなかったのかと思うほど胸に入ってくる詩があった。  一体これからどうしようというのだ。やはり、すべては信じられぬのであろうか。もちろん私を含めて、というより私を筆頭としてである。 ◎四月二十四日(木)  四・二八を迎えるにあたって  現在の日本に生活する人間の生活を基本的に決定している佐藤自民党政府、そのうらに存在する独占資本家に対しての反逆を、ここに行うことを宣言する。  私は何よりも自由と平等を愛する人間である。自由平等であるべき人間を支配し、搾取し、収奪し、圧しつぶしている日本帝国主義国家に対し、ここに圧しつぶされぬ人間のいることを行動でもって提示し、人民の力強い闘志を示す。国家がいかに強大な権力をもっていても私は屈することはないだろう。  私には真理が、正義が、愛がある。私は世界の人民とともに日本帝国主義国家に闘いをいどむ。 一九六九・四・二四 九・〇〇AM  暗闇でもなく、明るい光線にみちあふれているのでもなく、ぼんやりとした何もない空間の私の世界。国家権力、そんなものは存在しているかさえ定かでない。私自身の存在が本当に確かなものなのかも疑わしくなる。他者を通じてしか自己を知ることができぬ。他者の中でしか存在できぬ、他者との関係においてしか自己は存在せぬ。自己とは? 自己とは? 自己とは?……  朝起きたとき肺のあたりがいがらっぽくむせた。煙草ののみ過ぎで肺ガン、あるいは肺結核かもしれない。結核菌よ。悪性腫《しゅ》ようよ。どんどん私をむしばむがよい。  甘えてはいけない。他者を通してのみ自己を知ることができるが、自己の存在は自分で負わなくてはならない。生きていくのは自己である。他者の実存を実存として認めよ。  すべては夢であり、幻想である。現実などありゃしない。誰かが私を、気がおかしいのじゃないかといったが、これからますます気がおかしくなっていくように思う。狂人になり、精神病院で暮せるようになれば幸い。そしたら私は全く自由になるだろう。  私は非常にうそつきである。言葉を放った瞬間に、うそだなあと感じ、あるいはしばらく経ったあと、あれはうそだったと思ったり。  沈黙は金。  私のファザーコンプレックスはますますひどくなった。いつでも男を求めている。  何故私は自殺をしないのだろうか。権力と闘ったところで、しょせん空《むな》しい抵抗にすぎないのではないか。何故生きていくのだろうか。生に対してどんな未練があるというのか。死ねないのだ。どうして! 生きることに何の価値があるというのだ。醜い、罪な恥ずべき動物たちが互いにうごめいているこの世界! 何の未練があるというのだ。愛? 愛なんて信じられぬ。男と女の肉体的結合の欲望をいかにもとりつくろった言葉にすぎぬ。しかし、私はやはり自殺をしないのだ。わからぬ。死ねぬのかもしれぬ。  あと五〇〇余円で十日間を暮さねばならぬ。今日も二三〇円使ってしまった。家からの預金は住居費のみに使うつもりだし、この調子でいくと煙草代だけでも五〇〇円ぐらいになってしまうし、あと十日間生活ができるのかしら。今月は酒代に三五〇〇円ほど使ってしまった。煙草代もいれると五〇〇〇円ぐらいになるだろう。浪費、浪費。  私は外側のものに対しては決して負けはしないだろう。しかし、自己を支えているものが動揺し、内部のもの自体に不確実さ、非現実を感じると、どうにもならなくなる。  きょう読んだ書物  金子光晴  全学連「四・二八沖縄奪還大闘争」討議資料 ◎四月二十五日(金)  一〇・三〇AM  甘えるのはよそうぜ、孤独か! 孤独って楽しいぜ。  これからデモにいこう。国家権力との対決なくしては 人間は機械になってしまうんだ。   北ア 滝谷よ   今私はやっとおまえに取りかかろうとし   ている   おまえは さらに私に近づくのか   それとも嘲笑《ちょうしょう》して遠のくのか   オィディプスよ   私はいく度かおまえをうらやんだ   自らの手で ひとみをとざしたおまえを   そして それさえできぬ私をくやんだ   しかし私は 私の目 耳 鼻 手 足   私の全身全力を使って   これから私は 暗闇と暴力の中へと   旅に出かけるのだ  一二・〇〇PM  いいじゃないか眠らせてくれよ(私はもう布団をしいてしまった)  全共闘大会はお流れ。よく事情は知らぬが中心のメンバーがどこかへ雲隠れしてしまったらしい。久しぶりで恒心館へ入ったが、小気味のいいほど破壊しつくされていた。机も椅子も黒板も、まあ、そんなものはおいらにゃ要らねえぜ。恒心館屋上で考えた。一人でもおいらは闘うぜ。仕事先でだって闘ったじゃないか。どうせおいらは独りもの。一人だって組織化の必要性を感じたらドシドシやっていくぜ。それでもやはり拍子抜けしたなあ—— 「言語空間の探検」を読む。石原吉郎、彼はなんとどしりと私にせまってきたことか。吉野弘なんていうのはオプティミズムのお人好しさ。  きのうの日本史集会のときの河上君の発言を思い出す。彼は彼自身の世界をどのように捉《とら》えているのか。一体彼の世界はあるのか。日共の情宣機関だ。彼はさらに岩井氏は人間、生きている人間には矛盾があって混沌《こんとん》さはないというのだろうか。彼は人間をきれいにしかみていない。きたないものが人間なのだ。  吉村君、彼の世界と私の世界とは共通しあう部分がある。しかし彼には彼自身の独自の世界があり、私には、私自身の世界があるのだ。今日、メンダイの四六テーブルに坐っていた二十五、六の男。まさしく私好みの男。憂いをおびていて気が弱そうで、ただ彼の鼻はあまりにも高くて異様だった。  鈴木? 仕事をやるだけの機械人間め! 彼とて現代の独占資本主義の中であえいでいる人間だったのだ。これで一つ彼への幻想がうち破られた。彼に何を求めているのか。それは国家権力と闘うことだ。労働者とともに会社側と闘うことだ。それ以外に何ものぞまぬ。ああ、おまえは嘘をついている。全くカッコいいことばかりいう。  山本太郎の「どこかに俺の存在を悲しんでいるもの——神——がいるはずだ」と、いうことがわかるような気がする。  さあさ、これから勉強、勉強!  三・三〇AM  もういい加減に眠らせてくれ。残り一本の煙草もすってしまったし、社青同の民青批判のパンフレットもよんだし、井上清もよんだ。本当に「オヤスミ」だ。 ◎四月二十六日  九時三十分に起きて、焼飯を作って食べ、掃除をした。雨模様なのでジャンパーかグレーのセーターかで迷う。おちつかない。もう十二時になるので、そろそろいこうかと思っている私、本当に行くのかいおまえさん。どこに? 何をしに? ああ、そんなことを言うのは止めてくれ。この世に一体確かなものがあるというのか。不確実なもの、非現実なものに対する、非現実かもしれぬ私の反逆を試みるのだ。 ◎四月二十八日  シュプレヒコールを行う。叫ぶことが唯一の武器。市役所の前につき、歩みをとめて一服喫った。足許《あしもと》のアスファルトは雨でぬれているし頭には小雨が降り注ぐ。寂しさと無力感と充実感とが、ごちゃごちゃに混じり合い、春雨のように、独りであることを、じっくりと感じた。私は大声で叫びたかった。  理論化の必要性  私は学生であるが、立命の学園闘争とはどのように行われ、どのような情勢のもとにあり、現実どのような方向をもっているのか。さし当り五日までの生活費をどうするのか。大体私は格好いいこといっているけど、いろんな人間を今日みて、まだまだ序の口、甘い甘い、勝負はこれからって、いう気がした。  闘う人間がいるのをみて、私は大変うれしかった。今恒心館にいるが、ここは闘う学生のいる場所だ。とってもうれしいんだよ、ぼくちゃんは。「生きてる 生きてる 生きてるよ バリケードという腹の中で……」この詩を思わず口ずさみたくなるような。  さしあたって日本史闘争委員会と行動を共にしよう。闘いはここにある! 闘争勝利! ◎四月二十九日 晴  一一・一〇AM   起て うえたるものよ   今ぞ 日は近し   さめよ わがはらから あかつきは来ぬ   暴虐の鎖断ちて   旗は血に燃えて   海をこえて われらかいな結びゆく   いざ闘わん いざ   ふるいたて いざ   ああ インターナショナル 我らがもの   いざ闘わん いざ   ふるいたて いざ   ああ インターナショナル 我らがもの  四・二六に参加 恒心館に泊りこみ  四・二八に参加 恒心館に泊りこみ  私は疲れています。これから眠ります。たぶん眠れないでしょう。  よく人は、私が変っているといいます。しかし私は、自分こそ正常な人間であると思っています。不正を憎み、何よりも正義を愛しているやさしい人間であります。今の社会が偏見と不正に充ちていて不正常なのです。  人と話しても、どうということもありません。くだらないことを話しているよりも、黙っている方がよいのです。言葉が一体何なのでしょうか。言葉に束縛されるのは嫌いです。不誠実なことばかりしゃべるのもいやです。ただ黙って行動するだけです。  どうしてみんな生きているのか不思議です。そんなにみんなは強いのでしょうか。私が弱いだけなのでしょうか。でも自殺することは結局負けなのです。死ねば何もなくなるのです。死んだあとで、煙草を一服喫ってみたいといったところで、それは不可能なことなのです。  国家権力というものを知ってしまったということは不幸なことなのでしょうか。幸福なことなのでしょうか。ただ、今ではさらに泥深く突き進むだけなのです。国家権力の徹底的なデモ規制、身動きとれぬそのデモの中にいる私のみじめさ。組織的行動の必要性をつくづくと感じます。  隣りの部屋の女のくだらないおしゃべり。ああ人間はくだらない、卑小だ。大ていの人間は、人間の人間たるを知らずして社会の中に埋没してただ生きているのだ。  自由! 私は何よりも自由を愛す。  西那須野の家では連休を伊豆で過すという。私も誘われたが今ではあまりに遠い世界となってしまった高野家のホーム。  文闘委の部屋のペットちゃんのニャロメ(猫)とペソ(犬)おまえもうねむっているかい。  メモ(一九六九・四・二九) 日本史専攻討論集会中に   日共、民青の諸君の世界は   まことに、きれいに整理された一枚岩の   世界。   人はみな 幻想をもって生きていく   現実によって 幻想は   破られ、作りかえられ、新たなる幻想を   生む。   民青の幻想は単純きわまる幻想。   幻想を描いて描ききれ   そして行動せよ 行動を   血と泥の中に さらに深く進むのだ。   サンドイッチ規制のデモのみじめさ。 ◎四月三十日  一一・四五AM  再びガランドウな空間があらわれた。疲労がとれたあとに明るくもない暗くもない空間がノソットはい出してきた。非現実感がふっとあらわれる。  明日はメーデー、どのように闘うべきか。闘うって? 何に対して、政府? 独占資本? ああ——。(ソノアト ポロリト ナミダヲナガストオモッタラ オオマチガイ)  要するに理論化と組織的行動なのだ。私の欲しているものは。思い起せ、あの四・二八の御《み》堂筋《どうすじ》デモ!  権力にはさまれての身動きとれぬデモ。あの屈辱感を忘れたのか。東京においては九七五名の逮捕者、自由とは闘いとるものなのだ。闘わぬものはますます圧しつぶされていくのだ。見よ、この部屋を、私は自由か。この社会は平和か。私のこの部屋に黒い帝国主義がおしよせ取りまいているのだ。権力は一枚の紙片で私のこの部屋を調べあげることもできるのだ。私のもっている自由とは、こんなものなのだ。自由とは闘いとるものである。  機動隊員を殺すにはどうしたらよいか、そのためには民青を殺す必要があるのかを考えてみよう。「ろくよう」にいるとき隣りの学生がいっていた。バリケード、留置場にいるときが一番生きがいを感じると。法政大に機動隊が入り、日ましに弾圧は強まっている。恒心館にもいつ機動隊が入るやもしれぬという。文闘委の部屋に寝泊りしていると、敵との緊張感がビシビシとあり、彼のいったことが同感できる。  一〇・五五PM バイトを終り部屋で  学生と労働者との区別を拒否する。私は明日の労働者の団結を示すメーデーに参加する。「実践」こそが批判的思想を導くことができる。なぜならば、それは欺《ぎ》瞞《まん》を検出するのだから。 ◎五月一日 快晴  七・一五AM  今日は八・三〇結集 キビシイゼー  占拠せよ!  解放区をつくれ!  人民よ立ちあがれ!  黒い怪物にむかって進撃せよ!  今日の闘争がどんな形をとるか知らないが、とにかく思いきり最後まで、円山公園デモまで参加したい。しかし、金銭的な問題があり、やはり今はバイトをしよう。あせるな。あせれば敵の思うつぼだぞ。  授業料六四〇〇円払うのやめた。  メモ  私の行なった「建造物破壊及び器物破損」に対して卑小なる怒りを感じている教授会の諸氏殿  私は教授会諸氏殿及び教授会が益々その無能ぶりを発揮しようとするならば、再び「建造物破損」を行うであろうことを言明し、その無能ぶりが暴露されることを恐れ絶えず学生との大衆団交を拒んでいることに対し、私は学生の大衆団交権が確立するまで授業料の支払いを拒否することをここに明らかにします。 立命館大学文学部日本史専攻三回生  高野悦子 ◎五月二日  きのうのこと。七時十五分に起き、おにぎりをつくって恒心館へ。ヘルメットをかぶりタオルを顔にまいて広小路集会。川口さん飯田さん岡本さんに会う。河原町通り、今出川、そして二条城広場へ。私服が最初からくっつき、烏丸あたりから機動隊がくっつき、広場では日共民青の「カエレ」のシュプレヒコールをあび、民青に棒でポカンとなぐられる。広場で集会後、御《お》池《いけ》をフランスデモ、ジグザグデモし、河原町通りで機動隊の規制をうけ、シュプレヒコールとインターしか許されぬ。円山公園前でジグザグデモ。公園で総括集会をやって立命に帰る。中核の宮原っていうやつと「グリーン」で三時間くらい話し、その後バイトへ。  私は今、生きている。私にはいろいろな矛盾と混沌がある。私は何故たたかったのか。そして何故たたかうのか。それを探るために祖父のことから父母、学校、戦後史をやってみたい。これから図書館(立命)に行って、「戦後史」を読もうと思う。  一時から文学部の文闘委の集会に出て三時ぐらいに彼女(牧野)と会い、バイトにゆき、夜は勉強しよう。今という瞬間を生きなければ人は死ぬのだ。  私は人を信じているのだろうか。ひどく皮肉っぽくなっている自分に、昨日気づいた。私の人を愛する心、やさしさなんていうのは、自分を保全しようとする上でしか成りたっていないんじゃないか。国家権力を憎むように他の人間を憎んでしまっているのだ。  沈黙は金  心の中でも、余計なおしゃべりはするな。  私は私の歴史をさぐっていこう。 ◎五月三日(土)  デモの緊張を瞬時も忘れぬこと。  バイト先の従食で隣りに坐った男の人が、京都国際ホテルに職場反戦があるのを告げた。  瞬間に生きないものは死ぬのだ。この一瞬一瞬が機動隊のふりおろす警棒の瞬間であり、日常をとりかこんだ空間に私は生きているのだ。休みなんていうことがあり得ようか。  きのうのこと。八時ごろ起きたのかなア。掃除をせずにバイト先でもらった海苔《のり》で朝飯一合を食って、新聞を読んだ。放送法電波法の改正とか、大学管理法の立法化準備だとか、地方自治体で合理化の一環として六五年ごろから民間委嘱がふえつつあるとか、公害のこととか……そのあと学校へ行って図書館で本を借り、恒心館にいき、牧野と会って開講の問題について話し、また私のいい加減さについて指摘され、バイト先へ、中核の宮原という男にオルグされるのを振り切って。  何故闘ったのか。そして何故闘うのか。中核は政治闘争一本槍の単純細胞だ。もちろん彼らの政治闘争の実践力はすばらしいが、それらの基底には、非現実という薄い一枚のベールがあるのだ。 ◎五月四日(日)  一一・一〇AM  恋愛の幻想からの訣別《けつべつ》!  階級闘争あるのみ(ウソだなあ、どうしたってこれはウソだよ)  三・〇五PM  二十七日、中村氏と呑みに出かける以前と以後では、私との繋《つな》がりにおける鈴木と中村氏との関係はお互いに逆転していたということが確認点の一つ。それはスナックで中村氏と一緒に話し、一夜を飲みあかすことにより生れてきた。それなら、何故鈴木でなく中村氏とスナックに行ったのか。単なる偶然か、鈴木に対する幻想を中村氏に投影しただけなのか。その前に、同時に二人を好きになるということはあり得ないのか。この言いかたは自己のエゴイズムを合理化し隠蔽《いんぺい》する卑劣ないいかただ。  問題をこうたてよう。私の恋愛に対する幻想はスナックにいく以前、鈴木に対する幻想としてあったのだ。が、以後逆転したのは、単なる火遊び的な関係をもったというところにあるのか、それとも中村氏自身のパーソナリティにあるのかということだ。あのとき、ジャズについて、クラシックについて話し、活動について、闘争について話し……。今ここに断言しよう。中村氏のパーソナリティにあることを(これは非常にごうまんな言い方。恋愛においてより強く相互のエゴイズムが働くのだから)いや、やはり違う。彼のパーソナリティを含めた関係にあったのだ。  それでは昨日、中村氏にデートする彼女がいることを感じ、鈴木に対して訣別したあと、中村氏との訣別を行なったのは何故か。まずすべての期待を中村氏の幻想に求めていた。ところが、中村氏にはデートをしている彼女がいた。といったところで私はそれによって私自身の二十七日における醜い姿を知らされただけだ。  中村氏と私への言葉として、恋愛においてさえ、いや恋愛におけるが故に、人間は決定的に独りであるということ。そして恋愛において、そのエゴイズムが激しく相剋《そうこく》するということ。いかなる美辞麗句を装っても。  これらの総括のあと「我々は更なる恋愛を目ざして闘っていこう」——あるアジテーション  ところが私は、疲れちゃったんだなあ。我に残るものは唯階級闘争のみ。それにしては reading してねえんじゃないのかい。  きのう平安の間でピアノをひいていたら、「高野君早く帰りなさい」だって。帰るってどこに? 私の家? Home? Where? そこで、昨日は恒心館に泊りこみ。 ◎五月五日(月) 晴、夜おそく雨  昼間とても暑かったせいか、体がだるかった。きのうの夜は「戦後日本の歴史」を少し読んだだけで眠った。今日午前中、井上清のそれをよむ。昼食後久しぶりにFMのジャズをきき、再び張りきってリーディングに向ったが、どうしても先を読むことができずほっぽってしまった。現代の歴史をみるのにプロレタリアートを中心とした人民の闘争の発展に主眼をおくわけだが、それがはっきりとつかめず、ヤキモキしてしまったのだろう。  いつのまにか眠ってしまい、暑い陽ざしの中を起き出す。煙草と「戦後学生運動」がほしいので本(ウェブスターの辞書と米語の世界地図と学生百科辞典)を売りに行った。三〇〇〇円位になるだろうと思ったが、たったの一〇〇〇円。最初一軒では、あんなに重いもの持っていったのに、ああ無残にも断わられてしまった。折から今日は祝日で京極通りは「繁栄」と「平和」に満ちあふれているのに、何と我が身のわびしかりしことよ。エーイ、我は闘争に生きるものよ。こんなちっぽけなことで負けてたまるものかは、と発奮した次第。  そのあと、御所で一服。   初夏の五月の空を風が流れゆく   空に小鳥の歌声が過ぎ   雲が風に流れる   空を風が流れゆき   陽の光も白い雲にかすみゆき   風の流れに木々の緑もゆれて通る   暗くも明るくもない五月の空間を   風が流れる  私の感じている孤独感、虚無感なんていうものは長調の中の短調の交った不安定な“明るい曲”でしかないのだ。まだまだ、おまえには余力があるのだ。  バイト先。従食を出たときポパイ氏に会う。始めソッポをむいていたが、後ろから笑い声がしたので仕方なく(エヘッ)私も笑い、後ろをむいて話す。休みのとき、どこかへ行こうという。 「恋愛の幻想からの訣別」だぞ! そうです。幻想なんて描くな。ただありのままのポパイ氏をみること。  バイト後。水島君と話す。彼は単細胞の楽観主義者。彼はこれからが大変ですといい気になってペラペラしゃべったが、論理的な民青批判ができず、その面における弱さを感じた。  帰宅後、「戦後日本の歴史」をよむ。安保闘争のところは息をのんでよみ通す。安保関係の本がよみたくなる。それにしても基礎的なマルクス主義の本、特に経済関係の本を読みたくなる。  私にはただ闘争あるのみ! 五月十日、日本史闘争委の結集までが私の学習の期間だ。さあて寝よう。明日が勝負だぞ。頑張れよ。  権力に対する防衛として「田川治子」という名を使うことを、ここに決定する。カッコイーッ! ◎五月七日 晴  深夜、部屋で。  スキー道具一式を売って「資本論」を買うか。それとも……  今日バイト先にポパイ氏はいなかった。休日なんだろう。彼女と一緒にドライブでも楽しんでんじゃないのかな。  どうしたって他者が気になる。「他者を通じてのみ自己を知る」か。どこかに、この広い宇宙のどこかに私をみつめている someone がいるにちがいない。会って話してみたいものだ。自分に対しての演技はできるが他者に対してはからっきしだめだ。  石原吉郎、彼は何よりも話すことの、書くことの、言葉の無意味さを知っている。彼は沈黙して語る詩人だ。(とうとう買っちゃったんだ。定価一〇〇〇円也の彼の詩集を)  鈴木。彼は今日も私に語りかけたそうにしていた(このウヌボレめ!)しかし私は何も彼に話さなかった。  給料もらって久しぶりに金ができたので、シアンクレールに行った。ジャズをききながら「賃金、価格、利潤」を読み通す。そのあと上きげんでバイト先に。五〇〇名とあまり混んでいなかったので、イライラもせずに結構楽しく「身売り」をする。全くバカバカしい。身売りをしなきゃ生きていけないなんて。誰がこんな世の中にしたんだ。あたしゃ頑張りますよ。ブルジョアを倒すまでは。とか何とか言って大丈夫かい。 ◎五月八日  朝起きてラジオのスイッチをひねり、モーツァルトの初期のピアノ曲をきく。そんなものきいたもんだから、階級闘争なんて止めて、楽しく小さく好きな本でも読んで生きていこうかなんて思っちゃって。  久しぶりに大掃除をして学校にいく。晴れやかな初夏の陽の中で広小路のキャンパスは擬似の平和と自由で一杯。「わかもの」の歌声が流れ、クラブ勧誘の出店がいくつか並び、本を小脇に抱えたセーター姿がカッ歩し、掲示板には新年度のカリキュラムが発表され、その平和なる人々は懸命にそれをのぞいていた。生協の食堂は相変らずの混みようで、のんびりした騒然さ。しかし、ひとたび恒心館にいくと、そのまやかしは、はっきりと打ち破られた。  畜生! やはりスキーをやめて「資本論」にすべきか。しかし……一体何が「しかし」なのだ! そこんとこを明確にせんとあかんよォ、——きみィ  あのね、今日ネ、バイトが終ったあとで屋上にいってね、星空を眺めながら煙草の煙を夜空にプウーッと吐き出しちゃった。それからネ、口から出まかせにいろいろとジャズッて足をカタカタバッタとならしてネ。楽しかったよ。そのとき思ったんだ。どこかに someone がいつでもいるってね。  あなたは、この日記にウソを書いてはいけないよ。おととい「私にはただ闘争あるのみ」なんて言ったじゃないの。  私の男性コンプレックスはいつになったらなくなるのだろう。男の子っていうものは、どうも苦手だなあ——。  五・一のとき「学生と労働者の区別を拒否する」なんて言ってたけど、本当に大丈夫かい。今からでも授業料を払いこむのは遅くないんだぜ。でも、本当にお先真暗だなあ。だけど自殺なんてする気は毛頭ないよ。死ぬなら機動隊に殺されたいね。いや、殺されたくないよ。殺してやりたいよ。今ここで誰かと唇をあわしたところで、それが一体何になるのだ。さらに泥の中へ、毒の中へ踏みこむだけなのだ。でもね。やっぱり、誰かと唇をなめ合いたいんだなあ。  掃除は何故するのか。きれいにするためか、否、きれいにして再び汚すためにである。きれいにするためなんて大体ナンセンスだよ。きたなくするために、きれいにするのだ。こんな好き勝手なことを言っていいのかい。大体八メートル下に飛び降りる勇気もないくせに。(四・二八のとき八メートルの高架線で機動隊に挾まれて、中核の立命のある女の子が飛びおりて怪我ひとつしなかった)まあ言いたいことは、言ってしまう方がよい。  若者よ。体をきたえよう。機動隊とわたり合うために、柔剣道の精鋭を集めて作られたお国の機動隊に勝つためには、彼らの何倍もの意志を結集して、我々自身の頭脳とこぶしと彼らの警棒に負けぬ強い筋肉を作らねばならぬ。さあ、若者よ、からだをきたえよう。若者よ、体をきたえる準備運動として各闘争委の部屋掃除をシヨウゼ——蛇足(イヤこれが本文)  決意。私はスキー道具一式を売却し、その金で、「資本論」およびその他の本を買うことを、ここに誓います。一九六九・五・八 高野悦子(田川治子)  もう二時だし、そろそろねようか。今日よんだもの。「賃金、価格、利潤」「石原吉郎詩集」 ◎五月十一日  現実をみつめること そして、それに対決すること  五・九  醜さをみつめて、美しさを愛すること  五・一〇  九日、中村氏は仕事の始まる前パントリーにいた。例のあの瞳《ひとみ》でじっとみていた。会えてうれしかったのに、私はそっけないそぶりをした。何故? 何故? そのあと吉村君から中村氏にはステディな関係にある女の子がいるときいた。相当なショック。  きのうは何もする気なく。  文闘委のニャロメ諸氏とあそんで、落書きをしてシアンクレールで涙を流したあと幾らか元気をとりもどしたが、ジャズのリズムになかなかのれなかった。のったなあと思ったとたん、ガタッとくずれたりして疲れてしまうのだ。  闘争というものが、どんなものだかよくわからないが、しかし闘わなければ人間は資本家にすべてを支配されるのだ(考えることも味わうことも知ることも、行動することも)闘いの軌跡がいかに微々たるものであろうと、そこには人間の軌跡が描かれていることに誇りをもつことができるのだ。  醜い人間は美を求めることができるのだ。 ◎五月十二日  一一・〇〇PM 仕事が終って部屋で  今日も二十四時間がたちました。昨日は国際ホテル労組のストライキでした。大体きのうは働く気持なんてなかったので七時にストに入り次第早々に仕事を切りあげました。パントリーのおにいちゃんや洗い場のおばちゃんに職場の放棄をすべきだと言いました。今日会ったら、その中のある人は私をみて変な顔をしました。そのあと、あそこの職場反戦の小山田君とサテンで「闘い」について話しました。洛西の地区反戦のこと、組合活動のことなど。そしてわからなければ余計なんらかの行動をしなければいけないのだと、あらためて思いました。そのあと下宿に帰る気がしないので恒心館に行きました。清心館封鎖をめぐっての主に畠山さんと前川さんのやりとりをききました。私は討論に入ることはまだできませんでした。が、そのぶつかり合いというものを久しぶりで、そしてバリケードの中で始めてもちました。  十時ごろ下宿に帰り朝食をとってから病院にいきました。診察が痛いので病院にいくのは嫌いです。でも仕方がないから治るまではまじめに通うでしょう。そのあと自転車を修理して何もする気のないまま「無人列島」という映画をみました。六十分もので淡々と描かれていたけど内実のあるものでした。人間における相互の関係は殺すか殺されるかという関係(愛においても闘争においても)ではないかと思いました。権力に反抗した日出国は最後に殺されてしまうのでした。次作品にどんなものが出るか楽しみです。 「ろくよう」でトーストを食べ、吉郎君の詩をペラペラ読んで、バイトの時間になったので自転車でホテルへ行きました。メンダイのパントリーには中村がいました。私は中村が私のことをどのように考えているのか全くわかりません。今日のあの短い間のうちに、あるときは私を有頂天にさせ、ある時は私を失意の底におとしました。中村に恋人がいるなら、その事実を確かめ、さっぱりと失恋することにします。  ああ、文章にすると、どうして、このように平板になってしまうのでしょうか。いいえ真実というものは、私が、あの時あの所で感じた意識の中にあるのでしょう。そう思わなければ、どうしようもありません。 ラジオをかければ恋のうたが 新聞映画をみれば恋のうたが 街を歩けば男女が手をつないで歩いているが “寂しかったから口づけしたの”じゅんちゃんはうたう 愛との訣別を決意したのかしら 私は 今日 恒心館屋上で I want to meet him ——といったのに 風もない空間にある塵《ちり》のような私の存在 こんなにしていると ますます 彼と一緒にいたくなる私 名も知らぬ彼と 男はどこにでも ころがっているのに 何故彼にだけ愛の幻想を試みようとするのか 一年先には死んでいるかもしれぬ私なのに 何故彼を欲しようと むなしい試みをしているのか ◎五月十三日  自己創造を完成させるまで私は死にません。  バリケードとは何か。学園においてバリケードはいかなる意味をもちえるか。授業料を払わないということは当然退学処分という結果を導くことを知っていたのだろうか、私は。退学ではなく退学処分なのだ。何故に学校当局は、処分する「権利」をもっているのか。  本を読む気なし。何でも入ってくるものはすらっと受け入れる純粋無垢《むく》の状態。封鎖でも何でもやってやる。しょせん死ぬ身。自殺? 敗北か。  大体、何でこんなことを書いているんだろう。サアネ、ワタシニモワカリマセンデスワ、オホホホ “学生であること”は、私にとり風のない空間に漂うちりのような存在でしかない“不確実なもの”である。その“学生であること”に固執する自分の不安定さ、不確実さ。  どこかに勤めようかと思ったりする。メイン・ダイニングにでもと思ったのだが仕事(水さし、片付け、デザートを運ぶ等々)が全然おもしろくない。責任ある仕事やってみたいのに、どうでもよいような補助的な仕事のみ。  社会から全く疎外されている私、しかし私は今この時間、この空間の中に存在している。  自殺は卑きょうな者のすることだ。  メモ(一九六九・五・一三午後) シアンクレールにて ○学生であるあなたへ! 私の Agitation より  立命館大学のキャンパスを通りすぎていく皆さん! あなたは文学部で日本史学を専攻している学生かもしれません。それから本を小脇にかかえているあなたは、希望と理想を胸一杯に燃やしている若き新入生かもしれません。ちょっとキャンパス内を見渡して下さい。全くいろいろなヤツがいると思いませんか。この初夏の陽をあびて彼らは物憂く、またそれでも明るい。あなたは思わず「平和よ! 自由よ!」と叫びたくなるのではないでしょうか。私も叫びたい「ああ、この平和よ! 自由よ!」と。  一歩、清心館なり存心館に足を踏みいれて下さい。九号の大教室ではマイクを片手にした教師が、彼の学問とやらをパクパクとしゃべっている。五月の頃になると大教室での学生は、あの広い空間にポツンポツンと、時には七、八人かたまって坐っている。ホラ、そこの一番前にいる奴は勇んでこの教室に来たのだろうが、広い空間にもれ出る教師のおしゃべりには、もうアキアキし始めている。おや、あなたの隣りの奴は何か熱心にやっていると思ったら、漫画の本を読んでいるんだな。あなたも、そろそろどうしようかと考えあぐんでいる。こんなに天気が好いのにこんな所でジットしていなくちゃならないなんて、こんな日にはあの娘とブラーッとするのが最適なのに……。とうとうあなたはいねむりを始めた、私がしたように。これがあなたの求めていた大学というものだ。  大学にとって、あなたという人間——学生とよばれているあなたという人間——が必要なのかと思ってみたことがありますか? ちょっと考えてほしい。あなたが大学側から受けとったものは、合格通知と入学金支払の為替用紙と、授業料催促の手紙だけだったろう。そしてあなたは、立命館大学の学生であるという学生証をもらった。そしてあなたは、四カ年の時間をかけて受講登録、試験……とやって一〇〇という単位をかち得て(?)晴れて卒業することだろう。そしてあなたはこの「自由なる」「平和なる」学園を去る。大学(側)にとって、あなたはそれだけのことに過ぎないのだ。卒業名簿の中にあるあなたの名前など、大学側にとっては授業料の領収書の意味しかないのだ。  ところでその授業料だが、あなたはそれを払うことによって、清心館に入り、教師の顔を見、このキャンパスを歩き、図書館に入ることができる。さらに女の子と話し、友達と語り合う。授業料を払うことによってあなたは、図書館の本を読み清心館の大教室でいねむりできるという、あなたの生活の免罪符を得ている。だが、もうちょっと考えてほしい。  口をパクパクとあけている教師に金をやっているのは誰なのか。彼の生活を保障しているのは誰なのか。事務室の窓口でウサンくさそうに応対している職員の給料を払っているのは誰なのかと。そして学問とやらをやっている研究者の研究とは、あなたにとって何なのか。教室でろうろうとしゃべる教師があなたにとっては何の意味もなさないように、彼らのやっている学問とは生きている人間——河原町で靴みがきをしているおじさん、朝早く道路を掃除しているおばさんたちにとって何の意味もなしていないものなのだ。かえって彼らを圧迫しているものだということを考えてみたことがありますか。  あなたは、授業料を払って学生証をもらい、講義を受けていることについて何とも思わないのだろうか。あなたが本当に生きようとする人間ならば Si とは断じていえない筈だと、私は思うのだが。  この“平和なる”“自由なる”キャンパスにおいて、あなたは何をしようとするのだろうか。 ◎五月十七日  十四日  四条の「フランセ」でトーストとコーヒー。一時間ほどヒロ子姉さんや母からの手紙、詩集などを読んだりする。歩いて恒心館へ。民青が来るというので緊張したが全然こず。一時間ほど寝こんだあと歩いて下宿へ帰る。  十五日  三共闘集会。広小路で集会デモのあと京大へ。京大から円山へデモ。広小路デモで全共闘は少数者であるとしみじみ感じた。バイトのため四時で切りあげたが、久しぶり(といっても三日間)で何かバイト中も落ちつかず、屋上で中村さんにテレし、府庁で待ち合せ、御所で十一時ごろまで話す。 ◎五月十九日  清心館封鎖貫徹!  学校当局との対決!  民青との対決!  秩序派との対決!  いかなる状況が出現しようとも、私には後退は許されていない。清心館にむかい前進すること。(私にとって清心館バリは私の思想性をかけた闘いである)。  授業料を払うことによって商品として己れを身売りすることの拒否。開講という形をもっての旧秩序維持粉砕。立命館広小路に私達の空間を作り出すこと。私にとって始めての実力闘争である。 ◎五月二十四日  五・一九 恒心館にて全学バリ闘争準備  五・二〇 六時ごろ恒心館着。七時機動隊乱入による国家権力の闘争圧殺。身一つで全学バリ。  五・二一 立命抗議集会。門で小ぜりあい。民青になぐられる。  五・二二 京大泊りこみ。京大全バリに向けて行動。  五・二三 労学総決起集会。機動隊乱入。投石してつかまるが帰される。  五・二四 京大にて文闘委の集会  大学臨時措置法案が「朝日」に出る。大学機能正常化のための紛争処理法と称するが、実は学生の運動圧殺、闘争弾圧の治安立法。  中村よ。  私はいますぐにでもあなたに会いたい。きのうも一昨日もテレしたがあなたはいなかった。私はあなたに話したいのだ。憎き機動隊のことを、卑劣な民青のことを、闘う学友のことを。  私はあなたの信念が、他人の誰からもゆるがせられぬものであることを知っている。そして、あなたは現在の仕事に生きがいをもってやっている。しかし、あなたは、その固い信念でもってよく考えてほしい。その仕事がいかに人間としてのあなたにとって矛盾に満ちたものであるかを。そして、その矛盾を止揚して闘ってほしい。会社側と国家権力、その壁にむかうとき人間は始めて真の人間となる。機械でない己れの手と足で創造活動を行う人間となる。人間が己れの手と足で立とうと決意したとき、今まで己れの存在を形づくってきたものが、いかに弱い基盤の上に立っていたかを知る。彼はおのれの足を作りながら歩かねばならないのだ。それは、まさに血みどろの闘いである。しかし、そのとき始めて彼は己れの足を、手を、己れ自身をもつことができるのだ。  人間が真に人間たりうるのは闘争の中においてのみである。闘争する人間は、大岩におちた一滴の雨粒に似ている。しかし闘争する人間は、その過程の中で自己実現を行い、自己の完成に向っているのである。中村よ、私はこの言葉をあなたにおくる。一九六九・五・二四 一〇・〇〇PM  学生証という薄っぺらな紙きれに己れの存在を託すほど薄っぺらな存在ではないのだ、私は。 ◎五月二十六日(月) 晴  きのうは一日中ぶらぶら。「ろくよう」「ダウンビート」その他で過した。きのうのいかにも深刻ぶった顔を考えると吹きだしたくなる。自己完成のために——といったって、人間は結局死ぬんじゃないか。土になって終《しま》いにくち果てるのだ。とかなんとかいいながら、めい想にふけったりしちゃって、漫画そのものでした。  常に演技を忘れぬこと!  中村にテレしたがおらず。小山田さんと飲みにゆく。「逆鉾《さかほこ》」でちゃんこなべを食べながら日本酒をのみ、「田園」でジンライムとオンザロック、「ろくよう」でおでんを食べて帰る。やっぱり体が疲れているし、特に五・二三で精神的なショックも大きいので三杯でも相当酔ったらしい。  中村がきて、歩いて下宿まで帰る。中村はいった。「戦争になったらどうするか」と。それに対する私の答えは今考えるときわめてあいまいな答えだったようだ。戦争反対、絶対反対ということは明白だったのに。それから、中村は「かっこ(注 悦子さんの愛称)は自分を見失っているのではないか」といった。それはひどい言葉であると思う。全く中村風の、人は人、己れは己れ、のつき放した言葉だ。  三、四月の頃は、本当に自分自身がわからなかった。しかし、四月下旬から学園闘争を政治闘争を始める中で、前よりは次第にわかるようになってきたと思う。今、私は強大な国家権力の前で、いかにしたらそれをぶっつぶすことができるのかと、もがいている状態だ。己れの闘争をどの位置に見出すべきかと(セクトのことをいっているのではない)そういう点、まだ己れ自身を発見していない。 ◎五月二十七日  傷の糸のぬける日だ。ウレシイナ。  きのうも自転車を乗りまわして四条河原町あたりをフラフラ。清水書院で西洋史の五回生に会って「裏窓」で話す。そのあと三条の「⇦⇦《みんみん》」でギョーザとジンギスカンを食べて下宿へ。独習をとはりきったが、アジビラをよんでいつのまにか電気をつけたまま眠る。  私のこの感性を論理化し、さらなる感性を創造せよ!  肉体的な衝撃は、私そのものにぶつかり入りこみ、私自身のものとなる。しかし、私はまだそれを己れ自身のものとしていない。民青の“カエレ”のシュプレヒコールの中の緊張から、五・一のメーデー会場で民主化棒でなぐられた衝撃、五・二一の弾劾集会のときに足でけられた衝撃、さらに五・二三機動隊の棍棒《こんぼう》で顔を殴られ、髪を引っぱられたときに私の肉体がうけた衝撃、署に連行される時のパトカーのうるさいサイレンの響き。  常に状況を監視せよ  主体性を求めてやむな  すべての空間を己れのものとせよ  自己満足をするなかれ   市民としての生活の独占による支配状況   学生としての学園における独占支配状況   労働者のおかれている端的な被支配状況 ◎五月二十八日 晴  私は何故に十九日全学バリ闘争をたたかったのか。学生を商品としかみず、それを管理し、またそれに対する闘いを抹殺《まっさつ》しようとしている大学当局へのたたかい。すなわち、十二月以降の闘争が提起した大学の理念に関する問題を抹殺し隠蔽《いんぺい》し、開講という旧来の秩序維持を行おうとすることに対する我々の大学解体への闘い。そこにおいて私は当局、民青、秩序派との対決を決意した。現代におけるブルジョア大学の解体の闘いとして私は私を位置づけた。そして二十日朝、私たちは機動隊の封鎖解除という洗礼をうけたのである。ブルジョア大学解体を掲げて闘おうとした我々に襲いかかった機動隊は我々の圧殺、全バリ闘争の予防的圧殺を行なった。第一にはっきりさせなければならないのは、私の闘いが、すなわちブルジョア大学解体の闘いが、政府ブルジョアジーや侵略を目ろむものに、七〇年の安保を控えて恐れを感じさせているのである。大学臨時措置法の本質が、二十日早朝の恒心館および正午の機動隊の学内乱入においてあらわれたのである。七〇年安保をむかえる政府の闘争圧殺であった。  五月二十日。我々の闘いが全学バリにむかって進撃しようとしたとき、早朝の冷気を破ってバリケード内に国家権力が入りこんだ。令状ひとつみせず、我々をこづき、けり、なぐり、身体検査を行い、ヘルメットをもぎとり、アジビラをうばい、武器を取りあげた。我々のつくったバリケードをハンマーと電気ドリルの激しい火花でこわした。我々は、バリケードから追われた、国家権力により。我々は体ひとつでスクラムを組み、ワルシャワ労働歌を怒りをこめて歌った。そして我々は広小路へ全学バリに向ったのである。我々は、あの恒心館入口のバリケードをこわした電気ドリルの火花を我が物とせねばならぬ。しかも、二十日に学校当局は、民青は何を行なったか。一片の退去命令でもって口実を作り、そして機動隊の去ったあと武装した民青が我々に、そして学生大衆に襲いかかってきたのである。日共は権力と同盟関係を結ぶほど卑劣なのである。日共は日《ひ》和《より》見《み》でなく「反革命」なのである。     \闘争主体および闘争主体集団 闘争とは—国家権力 反革命分子(日共民青)     /群衆  にどのような変化を与えるかということ、主体としての己れをどれだけ変革できるかということ。これらを通して三者の関係をいかに闘争の勝利に向けて変えることができるかということである。  私の視点は何よりも七〇年安保にむけなければならない。  きのう中村にテレした。かぜをひいているらしい。二回もこのところ遅刻したといっていた。参っているんだ中村は。二回の遅刻をとり戻すために残業のタイムコーダをおさずに残業している中村。仕事を大事にし、己れの労働をやろうとすれば、そうしなくてはできないという中村の職場。中村にはその矛盾がよくわかっているのだ。だが、そうしなくてはならないという状況? かぜなんかひきやがって、もっと自分の体を大切にしろ。  大学に入りたての頃よくきかれたものだ。「あなたは何故大学にきたの」と。私は答えた。「なんとなく」と。勉強もできない方ではなかったし、家庭の状況もよかったから、日本史専攻に籍をおいているけれど、英語でも体育でも何でもよかった。就職するのはいやだし、大学にでも行こうかって気になり、なんとなくきた。なんとなく大学に入ったのである。まさしく長沼がいうように、ある人間が中卒で就職するように、あるいは高卒で家事見習いをするように、私もたまたま大学にきただけなのである。私にとって大学にくる必然性はなかった。そして私は危うくなんとなく四年間を過して、なんとなく卒業し、なんとなく就職するところだった。大教室での教授にしろ、やはりなんとなく学問をし学生の前でなんとなくしゃべっているのである。まさしく教師はなんとなく労働力商品の再生産を行なっているのである。  現在の資本が労働力を欲しているが故に、私は、そして私たちは学力という名の選別機にのせられ、なんとなく大学に入り、商品となってゆく。すべては資本の論理によって動かされ、資本を強大にしているだけである。  なんとなく学生となった自己を直視するとき資本主義社会、帝国主義社会における主体としての自己を直視せざるをえない。それを否定する中にしか主体としての自己は存在しない。外界を否定するのではない。自己をバラバラに打ちこわすことだ。なんとなく学生になった自己を粉砕し、現存の大学を解体する闘いが生れる。  大学の存在、大学における学問の存在は、資本の論理に貫かれている。その大学を、学問を、教育を、また「なんとなく学生になったこと」を否定し、私は真の学生を、それこそ血みどろの闘いの中で永続的にさがし求めていく。大学の存在は反体制の存在でなければならない。 ◎五月二十九日  愛知訪米阻止  七〇年安保粉砕  学園闘争勝利 大学解体 全学バリ貫徹 清バリ貫徹  日共民青粉砕  沖縄闘争勝利  独習せよ そして論理を!  四・二六、四・二八を私は何故闘ったのか。私の、そして私を含めた日常性に埋没している人間たちの存在を圧殺しているものに対する闘い。あのデモのシュプレヒコール「闘争勝利!」の中には立命館学園紛争の勝利は意識として含まれていなかった。 ◎五月三十日  朝「怒りを日々の糧に」の中島の文をよむ。  十二時頃京大着。一時になっても十五、六人しかおらず。二時ぐらいから広小路にて愛知訪米阻止の立命集会を行う。二十名ほどの隊列で学内デモ(安保粉砕、闘争勝利)と集会。群集は五、六十名位。京大に帰って文闘委の集会。その後、京大、同志社、立命全共闘の集会。ムードとして全然活気なし。届け出の不注意で、円山まで五月雨《さみだれ》デモ。  円山で愛知訪米阻止労学総決起集会。すわっての参加二〇〇名ほど。全金の畑鉄、文英堂の反戦、反帝全学連、全学連(中核)、プロ学同、そして現地派遣団を代表して京大全共闘が決意表明。そののち京都駅までデモ(四条—河原町七条—本願寺前)。労働者の闘いのアジをきくと私自身甘いといつも感じる。プチブルとしての学生をいかに徹底して革命へ志向させるか。  昼休み、広小路のキャンパスにぼんやりと坐っていた。セーターにスラックス、運動靴という姿である。軽音楽部がチケットを売っていたので、その平穏なキャンパス内のムードにかかわりたくなって(ナンセンス!)秋山さんいますかと尋ねたら、見事な一べつでもってギョロリとにらまれた。冷たい軽べつした、異分子——そう、まさに暴力学生を見る目であった。五月雨デモのとき東大路通りを下りながらヘルメットにふくめんという私達学生を見るオジサンオバチャン。ふとすれ違うときに、避ける人たち。暴力学生としか見ぬアワレなやつ達よ。私たちのデモンストレーションが、アジが、シュプレヒコールが、どれほどの変化を市民民衆に与えることができるのか。  訪米阻止! のシュプレヒコールを私が叫んだとて、それに何ができるのか。厳として機動隊の壁はあつい。私自身のうけるもの、あせり、いらだち、虚無感(デモの最中の)、ますます広がる混沌《こんとん》さ。論理化を! 論理化を!  一二・〇〇AM  授業料を支払うことによって得られる学生の権利とは何か。学生であるということは一体どういうことなのか。授業料を払って大教室の眠たい授業に出ていれば人は彼を学生であるという。しかるに真に大学を、学問を、教育のあり方を考えるものに対しては、人はあれは学生でないという。行なっていることをみて学生のやることではないという。学生である私の存在、学生としての個の存在、まさしく現在においては大学は破壊されるものしかもたない。そのことは、自らの内なる大学を破壊することだ。そして現に破壊し始めている。何らかの新しい創造の息吹が芽を出そうとしている。それは一体何なのか。それの存在の軸を何に求め、どのような方向に進もうとしているのか。今はただ、破壊すべきもののあまりの大きさと自らの力の弱さにぼう然としている。  はっきりしていることは、己れが存在し、矛盾と混沌に満ちておることだ。それは、己れがまた現代に生きる人間、もの、動物、すべてが商品となって非人間化、物化、機械化され、資本という怪物により支配されているという矛盾であり混沌である。考えることも感じることも、行動することも、支配されている現代の人間。いかにして現代社会から人間をとり戻すのか。いかにして己れの人間としての存在を、自らのものとして発展させるのか。方向は支配者との闘い、独占との闘いの方向にしかないことは明らかなのだが。私の存在の軸は何なのか。  今日、東京へ行ってくる。姉と話しあい、家族との訣別をつけるために。 ◎五月三十一日  きのう東京にて。姉と話す。父母と話す。決裂して飛び出す。八・〇〇PM京都につく。非常に疲れている。次第に自分に自信をなくしている。 「家族との訣別」経済的自立を目ざせ。 「論理化」大学について論理化せよ。  大学治安法/        を中心にして闘いの方向を明        らかにすること  大学改革案\  授業料を学校に支払わぬという己れの行動を、早急に論理化しなくてはならない。中村に一体何を求めて会うことを欲しているかをも、私は論理化せねばならない。 ◎六月一日  学問の私的所有——大学にありながら学問から疎外され、単位の取得にいそしんで「市民的欲望」を満足させていた私。学問、日本史について何ら自らのものとすることのできなかった現大学の学問。教育の状況。日本史学を岩井の学問とやらをコテンパアにやっつけて自らのものとせねばならない。そのときに大学における学生の主体が発露される。  日常化されたバリケード——ペソと遊び談笑する慰安の場としての存在でしかなかった。少なくとも私にとってはそうであった。大学解体を叫ぶ私達にとって、あの場は現在の大学の学問批判の場でなければならない。  中村に対して「学問の私的所有」の状況を話そうと思った。私は今まで中村を、私の存在を認めてくれる存在としかみなかった。しかし私が中村にのぞまねばならぬこと、中村が私に望むことは、相互の徹底したぶつかり合いである。そのようなことなしには、独りである男と女の関係は無意味なものになる。  姉の家を一銭も持たずにとび出し、東京のどまん中を二時間半も歩いた。お金がないということ、それは決定的だ。テレする十円さえもなくて、落ちていないかと路面ばかり見て歩いた。まさに乞食だ、ルンペンだ。  生きることは苦しい。ほんの一瞬でも立ちどまり、自らの思考を怠惰の中へおしやれば、たちまちあらゆる混沌がどっと押しよせてくる。思考を停止させぬこと。つねに自己の矛盾を論理化しながら進まねばならない。私のあらゆる感覚、感性、情念が一瞬の停止休憩をのぞめば、それは退歩になる。  怒りと憎しみをぶつけて抗議の自殺をしようということほど没主体的な思いあがりはない。自殺は敗北であるという一片の言葉で語られるだけのものになる。 ◎六月二日  中村とのリレーション。四・二七、五・一三、五・一九、御所で二回あい、テレを数回。一体、彼との結びつきはどんな関係であったのか。彼との結びつきは単に肉体のみであったのかもしれない。とにかく訣別だ。中村についても、中村を含めた己れ自身についても考えるな。  けっきょく中村にあいたいという願いは、彼を愛するからでなく、私自身を愛する醜いエゴイズムに過ぎないのではないか。私は今そのエゴイズムの復讐《ふくしゅう》をうけているのだ。あまりにも辛く苦しい復讐だ。弱く、そして、甘い私には。 「中村との訣別」とは愛におけるエゴイズムとの訣別でなければならない。中村自身を発展させ完成させる愛を私はもたなければならない。しかし、この言葉の中にはカッコヨイヒロイズムに酔った姿があり、純化されない矛盾と混沌、醜さがあることも私は知っている。今はただ中村からのテレを待つだけである。 ◎六月三日 雨、そろそろ梅雨か  九・四〇AM  机の中をひっかきまわしてみつけた五〇円で煙草を買い、雨にぬれて(傘がない)喫っている。五月三十一日、着のみ着のままで東京の大都会に飛び出し、ゴミゴミした街並をジリジリとさす太陽にてらされ、靴ずれの痛む足を大またにどこともなく歩いた二時間半。京都に帰るには金はなし、身売りでもしなきゃいけないかなと思いながら歩いた数時間。「金がない」というこの決定的な事実。父や母と衝突して飛び出した手前、そこへ行くのは屈辱でしかなかった。今、銀行へ行って預金を引き出すのも屈辱のみ。今の自分であてにできるのは五日に入るバイト料である。現在の所持金一円。  労働して疎外を拡大してゆくのは、自分にとりますますきびしい現実をつきつけることである。しかし、もうそんなことを言ってはいられない。今日の飯に困るからだ。なけなしの金で買ったショートピースの味はうまいのか、にがいのか。  一一・三〇PM  中村にテレをしたがいなかった。部屋にもどった。電気のつけてない暗い部屋。当然るすのことも予想してかけた筈なのに——。雨あがりの夜空をしばらく眺めた。毎日テレしてもいないということ。どこか出歩いているということ。テレを一回もかけてこないということ。誰が考えてもハッキリしている。彼は会いたくないのだ。  一抹《いちまつ》の期待も抱いてはならないのだ。きっぱり訣別しよう。中村の好きなシャンソンの一曲「アデュー」を暗い夜空に向って歌った。私はあの若人のもつ明るい笑い声をとうとう失ってしまった。そして、再び「結局は独りであるという最後の帰着点」に私はいる。  西那須野の渡辺さんから電話があった。三十一日のことで母はかなりショックを受けたらしい。詳細を書くのがめんどうだ。つまり闘争学生とその親との断絶の大きさだ。親は子を理解しようとするが、彼らの立場に立った理解しかできずにいる。それは親自身が自己変革を行わないかぎり当然のことだ。  母は渡辺さんにいったという。「悦子が自分で幸せだと思うことをやりなさい。お母さんは、立派なお嬢さんになりいい所へお嫁にいくという、母の考えをおまえにはもう押しつけない。それでは押えつけ、しばられたものと、うけとるだろうから。悦子は、悦子の好きなようにやりなさい」  うれしかった。そして、この喜びを真先に伝えたかった。(誰に?)独りでしか喜びを味わえないのは寂しいから。 ◎六月五日(木) 晴  現在、全共闘運動は曲り角にきていると言われる。東大、日大など権力との鮮烈な闘争を始めとする全国の学園における闘いは、現在のブルジョア秩序に鋭いくさびを打ちこんだ。立命においても十二月の新聞社事件以来、「平和と民主主義」という欺《ぎ》瞞《まん》的ベールをかぶった立命館民主主義体制に決定的な告発を行なった。寮闘争、試験闘争、入試闘争、レポートボイコット闘争を経る中で、立命館民主主義とは安価な労働力商品を生産しているのに過ぎず、大学の決定権は理事会および教授会にあるにすぎず、学生は管理される存在に過ぎないことが、ますます明らかになった。  私は我(が)の強くない人間である。私は他者を通じてしか自己を知ることができない。自己がなければ他者は存在しないのに、他者との関係の中にのみ自己を見出している。他者との関係において自己を支えているものは何なのか。私はよく「どうでもいい」という言葉を使う。ときとしてぼんやりと空でもみているとき、あるいは激しい行動のさ中、現実放れした真空の中にいるように感じることがある。“Swimming in the cloud”そんな気持である。他者の存在が矛盾なく自己と同居している。そうした真空から脱したとき始めて、その矛盾に気がつくのである。結論——私の自我はあまりに弱い。 ◎六月七日(土)  生きていること、闘争していること、それらを論理化せねばならぬのに、僅か六十頁の本を読んで投げだしたく思っている。中村さんとは、とうに訣別したはずなのに、その幻影につきまとわれている。買ってきた八四〇円ナリのホワイトを飲んで酔っぱらって、そのまま寝てしまいたい。  弱い人間。女なんかに生れなければよかったと悔む。私が生物学的に女であることは確かなのだが、化粧もせず、身なりもかまわず、言葉使いもあらいということで一般の女のイメージからかけ離れているがゆえに、他者は私を女とは見ない。私自身女なのかしらと自分でいぶかしがる。また、前のように髪を肩のへんまで伸ばし、洋服も靴もパリッとかため、化粧に身をついやせば私は女になるかもしれない。しかし、何に対してそうするのか。中村さんも私がそのようにすれば少しは注目するだろうか。女は身ぎれいにしていないと、社会から端的にその人格を否定される。あ——あ。そんな社会はこっちからお断わりする。ただ、それだけのことさ。そんなことはわかっているのですね。あなたは。さあて、また六〇年安保闘争のところでも読みはじめるか。どうでもいいけれど眠くなってきたぞ。ドウショウ………… ◎六月九日  生きるということは妥協の連続なのか。大事なことはどこに妥協の接点を見つけるかということである。  イエス様は六日で地球をお作りになり、七日目にお疲れなさって休養をとられた。それが日曜日。私は一週間の総括と展望とを切り開く日を日曜日にしたい。日曜日は私にとって休息の日ではない。リプロダクトの日である。  家族との訣別(五月三十一日)  主体としての学問回復の試み(六月一日)  中村との訣別(六月三日)  九日 アスパック粉砕京都統一行動  十三日 立命大闘争報告集会  十五日 六・一五御堂筋占拠  八月の日米経済合同委員会にむけて「マル経」の学習。  これからの学習の方向について。——状況を把《は》握《あく》し方向を見出すこと。アナーキズム、弁証法……全く方向が定かでない。とにかく本を読み、ピタリとくるものを見出すこと。(マルクス主義から漫画に至るまで)  未熟である己れを他者の前に出すことを恐れてはならない。  マルクシズムのマの字を知らないからといって、帝国主義の経済構造を知らないからといって、現在の支配階級に対する闘いができないという理屈にはならない。私の闘争は人間であること、人間をとりもどすというたたかいである。自由をかちとるという闘争なのである。人間を機械の部品にしている資本の論理に私はたたかいをいどむ。  その一方で私は私のブルジョア性を否定して行かなければならない。  その長い過程で真の己れを形成し発展させていく。それは苦しいたたかいである。が、それをやめれば私は機械になる。己れが己れ自身となるために、そして未熟であるが故に、私はその全存在をさらけ出さなければならない。 ◎六月十二日 雨  久しぶりの雨。  集会とデモにやじ馬的に参加し、バリケードに行っても討論に加わらず。近頃バリケード(京大)にも行く回数が少なくなり(二日に一回)部屋で本をよんでいる時間が多い。  立命闘争の総括     /               早急な課題  安保闘争(六〇年)の概括\  アルバイトの位置づけも急がねば。  しかし、あらためて本の背表紙をズラッとながめてみると、よみたい本がたくさんあるなあ。しかしもう二時、総括どうしよう?  今日お風呂に入っていたときのこと。他にもひとりいて、その人は水道の蛇口をひねり湯をぬるめた。湯はぬるかった。四一度くらいだったなあ。私はその人に「もう水道を止めてもいいですか」と、恐る恐るというさまでたずねた。他人を気にする弱々しい市民生活者の私。  四・二八闘争のとき、私は何よりも自由を大切にする人間として、現在の政治を動かしている支配階級への反逆としてたたかった。(沖縄県の人民と連帯して)  現代社会に自由は存在するか。集会、結社、信仰、表現の自由を日本国憲法で認めているではないかと人はいうかもしれない。しかし、大多数の人は自己の労働力を商品として売渡すことによってのみ辛うじて生活を維持しているという現実をどう理解しているのだろうか。彼らは労働によって、生命の充実感を感じるどころか疎外されているのにすぎない。現代の大多数にとって労働は疎外であり、生きてゆくために受ける疎外である。彼らが生きてゆくことができるか否かは、資本家が彼らの労働力を必要とするか否かできまる。では彼らにとって自由とは何であるか。 ◎六月十四日 晴  バイトを終えて部屋で  十三日 立命館闘争勝利報告集会。後、亀井さんらと話す。京大Cバリに泊る。  十四日 八時ごろ帰り十時半ごろ起床。銀行へ行ったり、本屋へ行ったり昼寝をしたり。      四・三〇—一〇・三〇バイト  今日、中村はビヤガーデンにきていた。調理場でキュウリを切ったりカツをあげたりしている彼に、私はつまらないチッポケさを感じた。と同時に、いらっしゃいませとお客にほほえんでいる私も、全くつまらない人間であると感じた。  機動隊に現わされている国家権力は私の明確な敵である。私はその物理的な力に対し物理的な肉体をもって闘ってゆく。留置場にぶちこまれ自由を剥奪されようとも、とことんまで対決を行うつもりである。だが、私は感覚や思惟という非物理的な存在でもある。物理的な対決の中で、この非物理的な自己をどれだけ確立できるか。このことを闘争の視点としなければならない。 ◎六月十五日 快晴  一九六〇・六・一五。樺《かんば》美智子は国家権力によって虐殺された。「安保条約反対」のシュプレヒコールを叫んで殺された樺美智子。現在生きるものにとって今日は何をなすべきか。  安保条約は日米軍事同盟であり、反共を旗印にした米帝のアジア侵略支配政策の凝集したものである。そして日帝は、米帝が国内、国外両面の矛盾の激化によりアジアから後退せざるをえない状況の中で、アスパックに現われたようにアジアのヘゲモニーを経済的軍事的に握ろうとしているし、そのような状況の中で、現在の安保体制の強化をはかろうとしている。そして、学園闘争によって生じた混乱を取締り、闘争を圧殺しようと大学治安立法を国会に出している。  いま、集会に行かずに本を読んで自己の内部と対決するのと、今日の安保粉砕の集会に参加し行動するのとでは、どちらが私にとってよいことなのか、どちらが自己の質を高めるのか。  集会には何人ぐらい集まるだろうか。(学生、労働者、市民)。立命で何人くらいだろう。二〇〇人くらいかな。文闘委では、日本史では、日史闘三回生では。  四・二八のときと同じコースである。あのときと今では客観状勢は違っているが、私自身もちがっている。現在では、はっきりと学園闘争を担っているし、職場反戦との連帯ももっている。  愛に関しては大きな変化があった。肉体関係がすべてを解決するという甘い幻想をいだいていたが、それは単なる物理的な結合であった。その中にどれだけ非物理的な結合をもっているのかということが、もっとも大切なのだ。孤独について、愛について、今日の闘争はどのような変化を与えるのだろうか。  国家権力——機動隊とはっきり対決する以上、逮捕されることも覚悟の上の行動である。御堂筋占拠をかちとれ! ◎六月十六日  九・五〇AM  私はいつもまじめであり真剣である。そして純粋さももっている。が、私は「歌を忘れたカナリヤ」であり、言葉をなくした人間だ。自分を表現するものをもたない悲しい存在だ。唇をついて出てくるものは深夜放送がよくかなでる歌ばかり。アジをやれば四角い文字ばかり使った、そしてセンテンスさえもおかしな言葉が出てくる。人を行動に促してゆくものはあのような客観的情勢とやらではないのだ。  連帯とは、同じデモの隊列の前方で機動隊との衝突が起ったとき、己れはそこへぶつかってゆくのか、それとも逃げ出すのかという状況によって始めて問われるものなのである。  六・一五 立命全共闘カンパニア闘争(?)で得たもの——立命全共闘の停滞。集会の混乱。セクトのひき回しとしか感じられぬ全共闘運動。べ平連など市民運動の多様性に対する共感及び学生運動の到達している質的な高さ——それらと、その運動に「参加」という形で加わっている私との違和感。  これで言いたいことをすべて言ったのだろうか? わからないが、とにかくひとまずペンをおく。一時から六・一五闘争報告集会がある。私はいかない。なぜ? すべてに失望しているから。アッハハハハハ。  きのう鼻を機動隊に殴られて赤くはれている。人はまたどうしたのときくだろう。うるさい人たち。それにしても右ほおのアザと、赤い鼻と。まるでピエロのようで恥ずかしい。  一一・〇〇PM バイトを終えて部屋で  生きているということの中には必ず自己の内部状況の変化がある。内部状況の絶ゆることない変化が、生きているということの中身なのである。どのような方向で、また内容で、内部状況の変化がおこっているのか。  学生運動のもつ質的な高さ——私自身はその質的な高さをもっていない。それを自らのものとし、自らの創造的な闘争を行いたい。戦後の学生運動について勉強してみよう。学生の闘争は行動においても、その思想においても階級闘争の先端を担っている。  デモが、ストが、逮捕が日常性にまでなっている現在の学生運動の状況。だが、日常性に埋没することなく非日常的なものを追求してゆく方向をもつ必要がある。日常ということばの中には体制の臭いがあるし、むしろ低迷の状態である。  学習の方向——戦後史、戦後詩、アナーキズム。  全くの独りである。そこから逃れることができない。  自分を強烈に愛するということ、それが私には欠けていないか。 ◎六月十七日 雨  バイトの帰り道、自転車のペダルの鈍い感覚を追っているうち、いつのまにか部屋にきていた。  中村の目の前で働きながら私は何もできなかった。中村にとり私がやっかいものの存在であるのは、私が中村に重苦しいものを求めているからであろう。今度会ったときは、楽しいおしゃべりで時をすごす方がよいかもしれぬ。友達のように、からかったり、だじゃれをいってみたり……。ふと思ったのだが、交通事故で怪我をしたら、新聞の紙面に一段ぐらいででるだろうか。それによって中村は私の怪我を知り、病院にくるだろうか。こないにちがいない。とにかく一人の人間の存在が、ちっぽけなものであるということを言いたかったのだ。ちっぽけなものに大きさを与えようと必死にもがいているわけなのだが。  ああ、人は何故こんなにしてまで生きているのだろうか。そのちっぽけさに触れることを恐れながら、それを遠まきにして楽しさを装って生きている。ちっぽけさに気付かず、弱さに気付かず、人生は楽しいものだといっている。  屋上から町並を眺めると四方を山に囲まれた箱庭のような京都の町がある。せせこましく立ち並んだ小さな家々、ばからしいほど密集している小さな存在。 ◎六月十八日  なぐられたら殴りかえすほどの自己愛をもつこと。  ちっとも眠くない。永遠に夜が続くような静かさだ。水道の蛇口がゆるんでいるのか、ポタリポタリという音が、カチカチいう時計の音にまじってきこえている。  人は何故生きていくのかって考えてみました。弱くて醜い人間が、どうして生きているのかって思いました。私はこの頃しみじみと人間は永遠に独りであり、弱い——そう、未熟という言葉があります——その未熟なのに、いやらしいエゴを背負って生きていくのかって思いました。私もどうして生きているのかと思いました。つまらない醜い独りの弱い人間が、おたがいに何かを創造しようと生きているのだと、今思いました。いろいろな醜さがあるけれども、とにかくみんなで何かを生み出そうとしているのです。何かを創造しようとして人間は生きているのです。  人間の歴史がはじまって以来、多くの人間は何かの力に支配されながら、何かを生み出そうとし、創造してきたのでした。民衆とは私であり、彼であり、ビヤガーデンで働く人々であり、闘争している学生であり、屋上から眺めるマッチ箱のような家々に生活している人々なのです。  何を私はいままで焦っていたのでしょうか。考えるとふしぎです。だからといって民衆の市民的、日常的意識の中に埋没してしまうことにはならないと思います。それでは、私は何を創造しようとしているのでしょうか。それを考える必要があります。  民衆に依拠するといっても、民衆とは不特定多数であり、結局は依拠するものが己れなのだから、独りである己れがやはり、それらのことを自らの背中にしょっていくのだ。階級闘争、学園闘争について、私はどのように考えているのだろうか。何か民衆というものについての考え方が楽観的すぎるのではないか。彼らは、私を暴力学生という。   何かわからなくなってきました   彼に対して一体何をのぞんでいたのでし   ょうか   彼なんてどうでもいいのでしょうか   男なんてどうでもいいのでしょうか   永遠にこの時間が続けばよい   人々の中に入れば また   自分の卑小さと醜さと寂しさを感じるの   だから   雲にのりたい   雲にのって遠くのしらない街にゆきたい   名も知らぬどこか遠くの小さな街に。   雲にのろう   雲にのって ゆれ動く青空をながめよう   そこには小鳥のさえずりも深緑の木々の   さざめきもないけれど   はてしない空虚な広がりがある。   雲にのろう   雲にのって ゆれ動く青空を ながめよ   う。 メモ(一九六九・六・一八)  さようなら  まずこの言葉をあなたに言います。(私がこの言葉をいうのに大きな勇気を必要とするのに対し、あなたがこの言葉をきいて何の驚きも感じないこと、それどころか重荷を下ろした気持を抱くことを、私とあなたの関係がそれだけの事であるというくらいは、私はわかっているつもりです)  この一カ月半は私にとって非常に苦しい期間だった。あなたに会った回数は数えるほどしかなかったが、いつもあなたを中心に毎日が過ぎていた。ここ数日、ビヤガーデンであれほど会いたかったあなたの顔を目の前にみながら、私はむなしさばかり感じ続けた。(こんなことを書いたところでどうにもならないのだ。ただ、私は前より一層さびしい独りぼっちの甘えん坊の、バカなそしてつまらぬ女の子であることを今では感じているだけだ)  今、最後に私がしようとしていることは、あなたについて私が書いた言葉をあなたへおくることです。 ◎六月十九日 雨 「ティファニー」にて   一切の人間はもういらない   人間関係はいらない   この言葉は 私のものだ   すべてのやつを忘却せよ   どんな人間にも 私の深部に立入らせて   はならない   うすく表面だけの 付きあいをせよ   一本の煙草と このコーヒーの熱い湯気   だけが   今の唯一の私の友   人間を信じてはならぬ   己れ自身を唯一の信じるものとせよ   人間に対しては 沈黙あるのみ 「シアンクレール」にて。ホワイトのオンザロックを飲みながら、ステーヴ・マーカスの Tomorrow never knows をリクエストして、リクエスト曲とも知らずにあまりにもピッタリくるので、その曲のジャケットを見にいったバカな私。ずっと前、すごいニヒリズムだと思いながら一回きいただけだったが、その時と全然違った感じで本当にピッタリと私の中に入ってくる。この曲を一心同体となって聞いているものは、私のものだ。誰にもこの私のものは渡さないぞ。  この力強い黒人女(マハリァ・ジャクソン)の歌をききながら目をつぶると、暗やみに小さな体を恥ずかしげに独りで立っている愛《いと》しい女の子の姿が浮ぶ。限りなく愛しい一人の女だ。さびしがりやで甘えん坊の愛しい姿よ。私はおまえを、おまえ一人をこの世で愛す。  階級闘争において、学園闘争において学問をわが物にしなければならないということは重荷なことだが、私がまずやらねばならぬことだ。一切の人間を信用しない私が唯ひとつ信じているものなのだ。それは。  サビシイデスネ——  二・三〇・深夜。  みごとに失恋——?  アッハッハッハッ。君。失恋とは恋を失うと書くのだぜ。失うべき恋を君は、そのなんとかいう奴との間にもっていたとでもいうのか。共有するものがなんにもないのに恋だって? 全くこっけいさ。君は昨日もいっていたじゃないか。「何もない空間で、車輪を急回転に空回りさせただけだ」ってね。君はそのなんとかいうやつを愛していたって? 君、そんなふうに愛という言葉を使ってもらっては困るネエ。君はそのなんとかいうやつを愛そうとしていただけなのだ。君のエゴは、たえず、そのなんとかいうやつを私有しようとしていた。君はそのエゴをかくそうとして愛していたなんて言葉を並べただけなのだ。そうさ。君にいま残っているものは憎しみさ。アッハッハッハッ。こっけいだねえ。君という人間は全く楽しい人物だ。そんなことを書いて、ひそかに喜びさえ感じているんだから。   暗やみの中で 静かに立っている私   今日はじめて夜の暗さをいとしく感じる   暗い夜は 私のただひとりの友になりま   した   あたたかく私を つつんでくれます   夜は   己れのエゴを熾《し》烈《れつ》に燃やすこと!   己れのエゴの岩漿《がんしょう》を人間どもにたたきつ   け   彼らを焼き殺せ!   彼らに嘲笑《ちょうしょう》の沈黙を与えよ!  ちっぽけな つまらぬ人間が たった独り  でいる。 ◎六月二十日 快晴  きのう床についたのが朝の四時。九時ぐらいに目がさめたが、ラジオをきいたり、「時には母のない子のように」や「愛の讃歌」……を口ずさみながら、ぼんやりと三時ごろまで過し、バイトに行く。バイト先や「ティファニー」で人間はだれでも疲れているんだなあって、しみじみと思う。  このノートを書くことの意味——  これまでは、このノートこそ唯一の私であると思っていたから、誰かにこれをみせ、すべてをみてもらって安楽を得ようかと、何度か思った。しかし、今日ぼんやりとしていたとき、このノートを燃やそうという考えが浮んだ。すべてを忘却の彼方《かなた》へ追いやろうとした。以前には、燃してしまったら私の存在が一切なくなってしまうようで恐ろしくて、こんな考えは思いつかなかった。  現在を生きているものにとって、過去は現在に関《かか》わっているという点で、はじめて意味をもつものである。燃やしたところで私が無くなるのではない。記述という過去がなくなるだけだ。燃やしてしまってなくなるような言葉はあっても何の意味もなさない。  このノートが私であるということは一面真実である。このノートがもつ真実は、真白な横線の上に私のなげかけたことばが集約的に私を語っているからである。それは真の自己に近いものとなっているにちがいない。言葉は書いた瞬間に過去のものとなっている。それがそれとして意味をもつのは、現在に連なっているからであるが、「現在の私」は絶えず変化しつつ現在の中、未来の中にあるのだ。  私は人間どもをだましながら、己れを生き  させているのだ  だまされているバカなヤツラヨ  バカも愛を知っているものに対しては  お互いに だましあいつつ生きてゆくのだ。 「独りである」とあらためて書くまでもなく、私は独りである。 ◎六月二十一日  何だか惰性でこのノートにむかうようで書くのがいやだが、まあ一応書いておくことにする。  今日は何時頃おきたのかな。十八日以来寝るのは朝うす明るくなったころで、起きるのは昼近くだったりしている。今日も九時半ごろ目があいたのだが、起きたのは十時半。その何とかいうやつに「アナーキズム思想史」をおくるのに買いに行こうか行くまいかと迷い、ボンヤリする。どちらでもいいのだがおくることにし、買いに行く。  一時ごろ「シアンクレール」にいき、のびにのびて八時までいる。マハリァ・ジャクソンのゴスペルソングをきき、ステーヴ・マーカスの何とかいうのをリクエストしたのだが、それがなかなか掛らなくて。その曲が掛ったときがまた傑作、リクエスト曲だとわからなかった。ステーヴ・マーカスのトモロウ・ネバ・ノウズのニヒリズムに十九日は感銘——全くの同一感ないし近似感——を受けた。だが、今日かけたあの曲はそれほど強烈ではなかった。レコードによるのですね。ステーヴがどのようにスカボローフェアを演じるのかみものだったが、今日私がリクエストしたステーヴの曲は、十四日の夜もかかっていたっけ。  その日は、夜のアスファルト道路をスカボローフェアを口ずさみながら歩いて下宿に帰ったのを覚えている。以上、私自身が確実なものと感じているのは錯覚のようなものだという教訓めいた悲しいお話をしたわけであります。  雨チャンにびしゃびしゃと濡れながら自転車で帰って何もする気なし。  その何とかいうやつにやる本と手紙をもって、雨の中をどこともなく歩き、途中「リザ」でジャズをきく。何にもやる気がしなかったのが、ジャズの雑誌を読んでいるうちに楽しくなる。ステレオを買って毎日レコードばかりきいて過したいと思う。  その何とかいうやつにテレしたが、明日屋上に本をとりにくるということです。私は「本を渡したい」という、ただひとこと、それがいいたいことのすべてであった。相手に話をするひまも与えずに切った。その何とかいうやつへの伝言文に「これは私が信条としたいと思っているアナーキズムについて書いてある本です」と書いたが、この文自体にうそいつわりはない。アナーキズムに人間本来のあるべき姿があると思うのだが、しかし、一切の人間を信じない独りの人間が一体闘争などやれるのだろうか。やれる筈がない。  だだっ広い空間にポツンと独りでいる姿を思いうかべている。とにかく今は空っぽなのである。  詩よ どうか私をなんとかしてくれ� アハハ   とにかく私は いつも笑っている   悲しいときでも笑っている   恥ずかしいから ごまかして笑うのか   怒るのが てれくさいから笑うのか   いつでも私は おかしくて笑っている   ほんとうに何でもおかしい  昨日と今日とお酒は一滴も飲んでいない。飲んだらどんなになるかわからないという恐ろしさと、飲んだとて一層のむなしさを後に感じるだけだということから飲まなかったのだ。エライゾ——スコシハオトナニナッタカ——ベービーチャン。  睡眠薬をのんでみたい。そして、ただ静かに眠りたい。明日買ってこようっと。  今日は煙草をよく喫いました。暇だったからでしょう。二十五、六本、左手の中指と人さし指の内側はおかげで真黄色です。  その何とかいうやつに「アナーキズム思想史」を「これは私が信条としたいと思っている……」と書いたのは史上まれにみる嘘である。  明日もふたたびぼんやりと一日を過すことでしょう。 ◎六月二十二日  また朝がやってきた。十九日以来の、このどうしようもない感情、うさ晴らしに酔うだけ酔って、すべてを嘔《おう》吐《と》し忘れた方がよかったのかもしれない。  一一・三〇AM  好きなレコードをききながら、毎日を独りで過すのもいいですが、生活費だけはアルバイトで稼《かせ》ぎ、自分の時間は好きな詩を読んだりレコードを聞いたり、そして時には旅に出たりするという生活もよい。  けれども闘争のない生活は、空気の入っていない風船、タマの入っていない銃、豆腐の上にのせたコンニャク、からっぽの膣《ちつ》、空中に向って出された陰茎……ではないでしょうか。「闘争か、血みどろの闘争か、それとも死か」という言葉があります。どこかでそんな言葉をよんだことがあります。  あなたと二日の休日をすごしたい。  一日目——夜の暗さをネオンが寂しくつつむ酒場の狭い路地で、あなたを待つ。私の体をアルコールでずぶ濡れに洗い流し、私の醜さと美しさ、あらゆるものをアルコールで溶かし去り、ただあなたの安らかな寝息のそばで眠る。  二日目——疲れた体をおこして、すっかり陽の高くなった街に出て喫茶店に入る。煙草のかぼそい、むなしい煙のゆらめきを眺めながら、ベートーベンの「悲愴」とあなたの好きなブラームスのピアノ協奏曲第一番、それに私の好きなジャズをきく。ステーヴ・マーカスの「明日は知らない」とアートブレーキーの「チュニジアの夜」、そして最後の別れとして、マハリァ・ジャクソンの力強いゴスペルソングをきく。  その夜、再びあなたと安宿におちつこう。そして静かに狂おしく、あなたの突起物から流れ出るどろどろの粘液を、私のあらゆる部分になすりつけよう。血とくその混沌の中を裸《はだ》足《し》で歩いていくように、あなたの黒い粘液を私になすりつけよう。そして次の朝、静かに言葉をかわすこともなく別れよう。それから私は、原始の森にある湖をさがしに出かけよう。そこに小舟をうかべて静かに眠るため。  十二時のニュース 名古屋郵便局に機動隊を使って郵便自動読取機を備え付ける。新宿で貨車が脱線、反対側に倒れたら去年八月の米タンク車の大惨事になるところでしたという。六・一五の違法デモのかどで(公安条例違反)全逓の労働者二名逮捕。安保条約の期限を一年後にひかえ、同条約をめぐるさまざまな動きを機械的な口調でアナウンサーはつづける。  一・〇〇PM   生きてる 生きてる 生きている   バリケードという腹の中で 友と語ると   いう清涼飲料をのみ   デモとアジ アジビラ 路上に散乱する   アジビラの中で   風に吹きとび 舞っているアジビラの中   で   独り 冷たいアスファルトにすわり   煙草の煙をながめ   生きている イキテイル   機動隊になぐられ 黒い血が衣服を染め   よごしても   それは非現実なのか!   おまえは それを非現実というのか!   しかし何といわれようと 私は人を信じ   てはいないのだ!   警察官総数八万四千人   十万の人をもってすれば警察官は打ち破   れる   自衛隊員の総数二十五万人   三十万人の人をもってすれば自衛隊はう   ち破れる   しかし その十万人の人 三十万人の人   とは一体何なのだ  一一・一五PM バイトを終えて独り部屋で  ジャズをきくと楽しくなる。それが唯一の楽しみだ。  バイト先で私は皮肉と悪口ばかりいっていた。これじゃ誰からも嫌われるのは当然です。  このノートに書いているということ自体、生への未練がまだあるのです。ところが、では生きていくことにして何を期待しているのかといえば、何もないらしいということだけいえる。  私が死ぬとしたら、ほんの一寸《ちょっと》した偶然によって全くこのままの状態(ノートもアジビラも)で死ぬか、ノート類および権力に利用されるおそれのある一切のものを焼きすて、遺書は残さずに死んでいくかのどちらかであろう。  買ってきた睡眠薬は不眠症には二錠が適量だという。それでは「不信症」には何錠がよいのだろうか。長期的治療には毎日三錠一カ月服用のこと、短期的治療には一時に三十錠、そうすればあなたの「不信症」は治ります。副作用のない安全な睡眠薬、赤ちゃんでも老人でも安心して飲める新しいタイプの睡眠薬、あなたも飲んでみませんか。九錠で一四〇円、二十錠入った御徳用もございます。  何のことはない五ミリ位の小さな粒である。こんなものはいくらでも飲めると、内心ではコワゴワ、一錠一錠と口に入れた。十一時四十五分であります。ぼんやりしているのももったいないから本でも読もうか。十一時四十六分であります。  なんとなく落ちつかない。十一時五十分であります。目覚まし時計をかけるべきか否かと考えて時計をみたら、九時三十五分でストップそのまま。十一時五十二分であります。  人間に対しては沈黙あるのみなのに、今日バイト先で悪態ばかり言っていた。まじめな受け答えじゃなかったのがせめてもの救い。  沈黙は金!  睡眠薬にうちかって眠らずにいることができるかどうか、いっちょ試してみっか。  机の上に重ねられた「黒の手帖」が淋しげにこちらをみている。「アウトサイダー」は不敵に超然としてこちらをみている。「アジア・アフリカ現代詩集」「中国現代詩集」はカッキリと本立てに背すじを伸ばしてこちらを見ている。「山本太郎詩集」は前のめりになって私を招いている。「第二の性」は奥深く並んでいるけれど、無表情でチラッとみるだけで、あとはこっちでお断わりしている。  二十分たったというのにまだ眠くならないのだ。十二時五分であります。  きのう「シアンクレール」にいたら女の子が話しかけてきた。話がはずんでサイクリングに行こうということになった。琵琶《びわ》湖にいくことになった。しばらくジャズを聞いたあと私は言った。「私やめるわ。一週間も先のことどうなるかわからないし」あの女の子とつきあっていたら、いつしか裏切るようなことをするのがわかっていた。人間のつきあいには必ずウソがある。すべて流れゆく旅人の気持でこよなく彼を彼女を愛して通り過ぎてゆくのがよいのだ。「一週間も先のことはわからない」。全くもって正しいことであった。  今や何ものも信じない。己れ自身もだ。この気持は、何ということはない。空っぽの満足の空間とでも、何とでも名付けてよい、そのものなのだ。ものなのかどうかもわからぬ。  二十錠のんでも幻覚的症状も何もおこらぬ。しいて言えば口と胃が重たくなった程度。こんな睡眠薬ってあるだろうか。といって恐れる気持などサラサラない。本当に何もないのだ。雨の中につっ立って、セーターを濡らし髪を濡らし、その髪の滴《しずく》が顔に流れおちたところで、どうということはない。  何もないのだ。何も起らないのだ。独りである心強さも寂しさも感じないのだ。彼が部屋で静かな寝息をたてて眠っているだろうと思ったところで、一体それが何なのか。あるいは彼女といっしょに肉体を結び合っていたところで。もし私が彼といっしょに「燃える狐」の情感をたぎらかせていたとしたら。  雨が強く降りだした。どうしてこの睡眠薬はちっともきかないのだろう。アルコールの方がよっぽどましだ。早く眠りたい。二時三十分、深夜。   旅に出よう   テントとシュラフの入ったザックをしょ   い   ポケットには一箱の煙草と笛をもち   旅に出よう   出発の日は雨がよい   霧のようにやわらかい春の雨の日がよい   萌《も》え出でた若芽がしっとりとぬれながら   そして富士の山にあるという   原始林の中にゆこう   ゆっくりとあせることなく   大きな杉の古木にきたら   一層暗いその根本に腰をおろして休もう   そして独占の機械工場で作られた一箱の   煙草を取り出して   暗い古樹の下で一本の煙草を喫おう   近代社会の臭いのする その煙を   古木よ おまえは何と感じるか   原始林の中にあるという湖をさがそう   そしてその岸辺にたたずんで   一本の煙草を喫おう   煙をすべて吐き出して   ザックのかたわらで静かに休もう   原始林を暗やみが包みこむ頃になったら   湖に小舟をうかべよう   衣服を脱ぎすて   すべらかな肌をやみにつつみ   左手に笛をもって   湖の水面を暗やみの中に漂いながら   笛をふこう   小舟の幽かなるうつろいのさざめきの中   中天より涼風を肌に流させながら   静かに眠ろう   そしてただ笛を深い湖底に沈ませよう 解説 吉行理恵  『二十歳の原点』を読めば読むほど、高野悦子さんは、ランボーみたいで、天才だ、という思いが強まり、天才でない私に語れるだろうかという不安が増し、締切日が迫るにつれ、洋服のまま、電気も消さず寝る夜が続き、ここだけ高野さんと同じだと苦笑した。  私は十代の頃、展覧会場の片隅にひっそりとかかったルドンの赤い舟の絵を観たとき、戦慄《せんりつ》のため、動けなくなってしまった。今になってみると、はっきりしないのだが、鮮血の色をした小さな舟で、波間を急いでいた……。手《て》許《もと》にあるルドンの画集の、緑を含んだ淡いブルーの帆かけ舟の絵を眺めていると、この舟が、あの赤い舟に変身したのではないかという奇妙な思いにとらえられることがある。『二十歳の原点』は、あのときに匹敵する驚きと、余韻を残した。  本に掲載された写真をみると、明るい感じの、キュートな美人だった高野さんは、勉強がよく出来て、運動が好き、ちゃめで、クラスの人気者だった。しかし、いつも本物に近づこうとしていたけれど、その目的が果せなくて悩んでいた。そのたびごとに劣等感に陥った。中学三年のときの日記に、 「私は倉橋さんを誠の親友として三年生という期間を過ごしていきたい。 『走れメロス』のように一心同体となって親切なども親切とかんじさせないような、そして口ではいい表わさなくても奥深い心をよみとる、とってくれる人になろう。なってもらいたいと思う」(『二十歳の原点ノート』より)と書き、早速、「倉橋さん」という詩をつくった。しかし、三日後にはもう失望している。そのとき作った詩「精神分れつ症」を宿題に提出したのだが、それを読んだ教師は感心しなかったのだろうか。もし認められたら、日記に記しておきたかっただろう。……中学の頃の日記を読みながら、私はクレーの「早熟な苦しみ」という絵を思い出したりもした。不思議な表情をした子供の、眼の縁の赤い点は、血がにじんでいるみたいにみえる。高校の頃の日記は、赤い舟とは別の展覧会で観たルドンの白と黒の入り混じった絵をおもわせる。その絵には閉った扉が描いてあり、隙間から光が漏れていたように記憶している。  中学二年のとき、ノートに「小百合」と名前をつけ、永遠の友とすることを誓い、「ジュディー」という名前に変えたりするけれど、死の前日まで溢《あふ》れ出るように書き続けた。 「人間は未熟なのである。個々の人間のもつ不完全さはいろいろあるにしても、人間がその不完全さを克服しようとする時点では、それぞれの人間は同じ価値をもつ。そこに生命の発露があるのだ」と、一九六九年一月二日、二十歳の誕生日に書いている。高野さんの文章を読みはじめると、眼の前がすーと明るくなる。一行一行、いや、一字たりとも省くことのできないほど、ずっしりした手ごたえがある。高野さんは言葉に生命を吹き込んで、二十年で燃焼しつくしてしまったのかもしれない。 「人間は誰でも、独りで生きなければならないと同時に、みんなと生きなければならない。私は『みんなと生きる』ということが良くわからない。みんなが何を考えているのかを考えながら人と接しよう」こういう素直さは、あたたかい家庭に育ったんだな、と感じさせられた。  高野さんは動物が好きで、野良猫の詩を書いている。デパートで売っているセントバーナードと戯れていて注意されたエピソードも楽しい。 キュッキュッ すずめが鳴いている つゆのおりたった草の上で 新しい皮のくつを キュッキュッとならしている。  と始まる詩がある。 「前に私のもっている世界は己れのものでないと書いたが、私のもっている世界は——女の子は煙草を喫うものではありません。帰りが遅くなってはいけません。妻は夫が働きやすいように家庭を切りもりするのです……。しかし、うすうすその世界が誤りであることに気付き始めているのだ。私はその世界の正体を見破り、いつか闘いをいどむであろう」高野さんはこう言っている。近頃では、女が独りでいても、珍しがられなくなったけれど、当時は今より障害が多かった。 「自由のしるしよ! 煙草よ! 眼鏡よ!」と言っていても、一歩外に出ると、「ただ、人におびえてうすら笑いを浮べて、エヘラエヘラとしている」くたくたになって下宿に戻り、一時間ばかり独り言を言い続ける。カミソリで指を傷つけて、「巨大な怪物の前に自分が何をやりたいのかもわからず、自分を信じることができず『私はこの部屋の王様である』なんて言っている奴の中にも、真赤な血が流れているのである」と書いている。「私のファザーコンプレックスはますますひどくなった。いつでも男を求めている」「電話の呼び出しの大きな声をきいて、ビクッとするほど緊張していた」「煙草を七、八本すってお手洗いに行ってもおちつかなかった。どこにも行くところはなかった」 「『独りである』ことは、何ときびしいことなのだろうか。自殺でもしようかなと思った。そのまま眠ってしまうのが一番よかったのかもしれない。  でも、その解決を酒に求めた」  こんなやけっぱちで、うじうじした、灰色のトーンの精神状態のなかで、高野さんは、透明な心を失わずにいる。 はちきれんばかりの白い粒片が 風に酔ってはしゃぎまわっていた 純白の幼き子供達よ ぶつかりあい飛びちり一心に舞うおまえよ  この詩句を読んで、——あ、と私は胸の中で叫んだ。何度か雪の詩を書いて失敗しているが、純粋無垢《むく》の心でなければこうは書けないのだと分った……。もっと沢山高野さんの詩を読みたかった。  高野さんが一番生き生きとするのは自然の中にいるときだ。ところどころにぽつんぽつんと出てくる自然描写が素晴らしい。ランボーの詩のなかに、 「もう何もしゃべらない、もう何も考えない、 ただ限りない愛だけが、魂に湧《わ》いてくるんだ」  とあるが、こういう状態だったのだろうか。月や睡蓮について語った箇所をはじめ、全部書き写したいほどだ。雲をみていると、またやるぞという気になったり、ヘッセの詩「雲」を思い出し、落ち着いたしずかな気持を取り戻したりしている。  他人からみれば、頭も良く美しくて、なんの不満があるのだろうと思うだろうに、彼女の心は自足しない。ちっぽけだ、みじめだなどと始終自省している。彼女が心臓弁膜症と診断されたことにも原因がありそうだ。自分はあぶら虫の存在だということを忘れないようにしよう、弱音を吐くと人の負担になるからと思う。朝、バスケットクラブの合宿所に集合時間にちゃんと行ったのは高野さんとあと二人で、三人だけで掃除をして皆を待った。学園闘争に加わり、逮捕されるようなことになっては迷惑がかかるからと家庭的な雰《ふん》囲気《いき》の下宿を変えた。生活費を自分でつくろうとウェイトレスとして働いた。……理想を抱いて、親の反対を押し切って入った大学の腐敗ぶりに失望し、腹を立てた彼女は、授業料を払わなかった。「情熱家ショパン!」と言うのも、激しさのある彼女にふさわしい。  この本を読みながら、ランボーの「追いやられた教訓の声……きびしく抑えつけられた肉体の純潔……アダージオ。ああ若い日々の限りないエゴイズム、勤勉なオプチミズム」を思い出したりもした。ランボーは十六歳のとき、異常な才能を愛し、話し相手になってくれた年上の詩人がいたが、高野さんのことは、気がへんになったんじゃないか、とか、自分を見失っているのではないかなどと言う人はいても、まわりにはそれほど深く優しく彼女をみてくれる人はいなかったようだ。皆、底の浅いものをみるのに慣れているから、彼女のように曲折していると、感覚がついていかないのだと思う。……高野さんは色付きの夢をみたが、だんだん衰弱し、夢に恐怖と苦悩が現われはじめる。映画「嵐が丘」を観ている間中泣き続けたような彼女が泣かなくなり、自分は醜くて恥ずべき存在だと言い、人間、動物、鳥や花でさえ醜いと言いはじめる。なんどもお酒はもう飲まないと言っていたが、本当にやめたとき、睡眠薬を沢山のんだ。死に近くなる頃の文章は叫びみたいだ。  私はこの本を読む以前にみた夢を思い出すことがあった。〈叫び声がしたので、戸を開けると、鴨《かも》居《い》に子供が首を吊《つ》っていた。首つりは鼻汁が出て醜いと聞いていたが、その子は、ほっとしたような美しい顔をしていた〉  高野さんの文章は死を目前にして不思議な変化を示している。この日記は、完成された静謐《せいひつ》な一篇で終っている。  先日、書店に入ると、高野さんが心の友とした奥浩平著『青春の墓標』と、『二十歳の原点』が並んでいた。  御《ご》冥福《めいふく》を心から祈りたいと思う。 (昭和五十四年四月) 高野悦子略歴  昭和二十四年一月二日、栃木県那須郡西那須野町扇町一の三に父高野三郎、母アイの次女として生れる。祖父母、姉、弟の七人家族。愛称「カッコ」、食欲は盛んでカンの強い神経過敏な児であった。四歳の頃、心臓弁膜症との診断で過激な運動を制限される。このことは彼女の生いたちにおいて肉体的のみならず精神的な面にも大きな影響を与えることとなる。  昭和三十年四月、町立東小学校入学。以来、極めて明朗快活となりクラスの人気者となる。動物が好きで野良猫にミルクを与えたり、愛犬“シロ”、二代目“次郎”を伴に朝晩の散歩、マラソンが彼女の日課であった。詩や音楽を好み、昭和三十二年ピアノの稽古を始める。  昭和三十六年四月、町立西那須野中学校入学。体格は小柄で背も低く席はいつも最前列、水泳が得意で新聞部、卓球部、生徒会で活躍。幼時は喜怒哀楽がハッキリしており、思ったままをパッと発言し行動するタイプであったが、この頃から内省的に変りつつあったようで、昭和三十八年一月から日記を書き始める。この日記を「小百合」と名づけ心の友として毎日語りかけている。  昭和三十九年四月、栃木県立宇都宮女子高等学校入学、一年上級の姉と約一時間半を国鉄で通学。同年七月バスケットクラブに入り、猛練習にファイトをもやす。この頃、西那須野町史を詩で綴るべく構想をねるが、これは未完成。昭和四十年六月、クラブ活動と進学勉強の板ばさみで宇都宮の大島宅に下宿。同年八月、宇都宮国立病院で検査の結果、軽症ながら心房中隔欠損ということで親が退部を申出たが本人が承服せず、選手からマネージャーに転向することで妥協。その後十月、東京女子医大榊原教授の診察を受けて心臓に欠陥なしと判定されたが、時既に遅く、これまでの犠牲が余りにも大き過ぎたのか、格別喜んだ様子もない。同年十一月、修学旅行で京都・奈良を訪れ、古都のたたずまいに憧《あこが》れをいだき、これが京都遊学のキッカケとなる。同じ頃、プレーなしのマネージャーに幻滅しバスケットクラブを退部。  昭和四十一年一月、奥浩平「青春の墓標」を読み、彼の理論でなく“社会に対する働きかけ”に感動、以来心の友とする。同年三月、卒業した姉のあと、大場宅に下宿を移る。この頃から歴史に興味をもち大町先生に私淑。同年九月、進学先を立命館大学史学科と定める。この間、山岳部の姉の影響で蔵王スキー合宿、尾瀬沼登山などに参加し、山への憧れを深める。  昭和四十二年四月、立命館大学文学部史学科(日本史専攻)に入学、京都山科の青雲寮に下宿。五月、初めてメーデーに参加し、社会問題、政治問題、学生運動に戸惑いを感じ、増田四郎「大学でいかに学ぶべきか」を読返してみる。部落問題研究会に入部、以来八カ月、毎夜、地域の子供会活動に参加。この間、林屋健三「京都」に従って洛内外の旧蹟を意欲的に探訪しまわる。  昭和四十三年一月、部落研=民青に煩悶《はんもん》、同時に意志の弱さを反省、一カ月間家に毎日手紙を書くことを決意しこれを遂行。同年四月、部落研を退部。学友牧野氏の嵐山の原田方に下宿を移す。同年五月、ワンダーフォーゲル部に入部、以来十二月まで十数回のワンゲル行事に参加し、男子に伍して山登りにファイトをもやす。  同年十二月、学園新聞社問題をめぐって学内ゲバ発生、自らの手で立命を守るべく問題点を探求し「現代の眼」「朝日ジャーナル」等をむさぼり読む。昭和四十四年一月、学寮問題が紛糾して大学本部「中川会館」が封鎖され、さらに学園紛争がエスカレートするに及んで自ら行動すべくバリケードに入る。同年三月、下宿の友人の紹介で京都国際観光ホテルにウェイトレスとして働く。そしてこれまでの、家庭的な下宿を離れ友人と別れて、孤独に身をおくべく下宿を丸太町御前通りの川越宅に移す。  昭和四十四年六月二十四日未明、鉄道自殺。 (高野三郎編)