TITLE : 世界の「空港」物語 本作品の全部または一部を無断で複製、転載、配信、送信したり、 ホームページ上に転載したりすることを禁止します。また、本作品の内容 を無断で改変したり、改ざんしたりすることも禁止します。 本作品購入時にご承諾いただいた規約により、有償・無償にかかわ らず本作品を第三者に譲渡することはできません。 世界の「空港」物語 ◆ 谷川一巳 目次  1 アジアの空港 次期アジアのハブ空港はどこだ? シンガポール・チャンギ空港 機能性、使い易さ、美しさ、どれをとってもナンバー1の空港 見所のない都市のほうがいい空港ができる? 風変わりな空港利用者 バンコク・ドンムアン空港 古くからアジアの空の十字路 凄まじかった交通渋滞 クアラルンプール・セパン空港 シンガポールとバンコクの狭間で 空港アクセス鉄道の開通が待ち遠しい ジャカルタ・チェンカレン空港 施設は立派だが「ハブ」ではない 到着したときからオリエンタルムード イスラム巡礼団専用ターミナルまである 雲助タクシーの行動パターンは 香港・チェクラプコク空港 アジアの「スーパーハブ」 エアポート・エクスプレスは高すぎ? ソウル・仁川空港 日本人にとっての海外へのゲートウェイ 日本人修学旅行生が多く、京都駅のよう 上海・浦東空港 上海・浦東空港は眠れる獅子 浦東空港では日本食しか食べられない!?  2 ヨーロッパの空港 EU経済統合で熾烈な「ハブ空港」争い 航空会社の「アライアンス」も 無関係ではない ロンドン・ヒースロー空港 意外に不便な大空港 毎日午後3時に滑走路をチェンジする 航空マニアのメッカでもある パリ・シャルルドゴール空港 世界の空港スタイルをリードした空港 ジェットエンジンで霧を吹き飛ばしていた アフリカへの便が多い フランクフルト・マイン空港 機能的なドイツらしさが冴える空港 乗客のチェックが厳しい大西洋便 航空マニアには嬉しい空港 アムステルダム・スキポール空港 シンガポール・チャンギ空港が手本にした空港 印象に残ったテレビコマーシャル ミラノ・マルペンサ空港 ハブに生まれ変わった「マルペンサ2000」 チューリヒ・クローテン空港 以前から環境にやさしい空港を目指す 航空と鉄道の連携も世界で最も進んでいる ヘルシンキ・ヴァンター空港 日本から一番近いヨーロッパ コペンハーゲン・カストラップ空港 北欧のゲートウェイはコペンに集約 ウィーン・シュベヒャート空港 最低接続時間25分はヨーロッパ最短 ブリュッセル空港 ブリュッセル乗り継ぎは「通」のルート?  3 アメリカの空港 アメリカの空港スタイルは ニューヨーク・ジョンFケネディ空港 旅客機がガス欠で墜落 スポットアウトから離陸まで1時間半! 国際空港の喧騒が漂う 以前は警官護衛のアクセス列車があった ロサンゼルス空港 アメリカらしさ満点の空港 恵まれた「風」の条件 ターミナル前の道路は4車線通行 マイアミ空港 中南米へのゲートウェイ 税関で引っ掛かった携帯用品とは? シカゴ・オヘア空港 ユナイテッドとアメリカンがハブにする世界一忙しい空港 入国は厳しくチェック、出国はチェックなし ダラス・フォートワース空港 最も「ハブ」と呼ぶにふさわしい空港 空港名は二つの都市から アトランタ・ハーツフィールド空港 「ハブ空港」は空港の造りも違う メンフィス空港 深夜は貨物便のハブとなるメンフィス  4 日本の空港 ちょっと変だぞ日本の空港 県に一つの空港が必要なのか ほとんどで飛行機見物ができる日本の空港 成田空港 問題山積の日本の玄関口 あまりに短い2本目の滑走路 運用時間制限は夜間に発着できないだけではない 世界一朝寝坊な空港 利用者あっての空港なのだが 成田を最も上手に使いこなしているのは米系航空会社2社 羽田空港 成田空港より発着量は多い 国際線が発着していた頃の思い出 伊丹空港 庶民の暮らしの間近にあった空港 関西空港 24時間稼働を活かして欲しい シンガポール人がイチ押しする空港 福岡空港 空港アクセスナンバー1の空港 名古屋空港 「瓢箪から駒」だった名古屋空港 新千歳空港 北海道の玄関にふさわしい設備を持つ 国内空港アラカルト 釧路・熊本・富山・小松・大分  5 印象に残った世界のその他の空港 香港・啓徳空港 スリルがあった「香港カーブ」 ネオンの街をジャンボ機がよぎる 台北・中正空港 国交のない国への飛び方 九州ほどの国土に6社が国内線で競合 マニラ空港 空飛ぶ出稼ぎ労働者 機内に転がるアルコールの瓶 ホノルル空港 ここは本当に海外? オークランド空港 国内線には手荷物検査なし! シドニー・キングフォードスミス空港 新天地オーストラリア マーレ空港 珊瑚礁に浮かぶ空港だけの島 デュバイ空港 中東交易の拠点 ヨハネスブルグ・ヤンスマッツ空港 複雑な航空事情だった人種隔離政策の頃 サンドニ・ジヨー空港 南インド洋にある「フランス」 モスクワ・シェレメチェボ空港 東西冷戦の頃 オリンピック選手村に泊まって乗り継ぎ イスタンブール・アタチュルク空港 今でも東西交流の接点 空港で出会った日本人青年 アテネ・ヘリニコン空港 民主主義発祥の地の誇り ベルリン・テーゲル空港、ベルリン・シェーネフェルド空港 ベルリンの壁が崩れる前 壁の向こうは何もない パリ・オルリー空港 パリらしさが味わえる空港 外見にも表れるお国柄 マドリード・バラハス空港 ラテンの香りする空港 ジブラルタル空港 滑走路を歩いて横断 ロンドン・ガトウィック空港 チャーター便でも賑わうロンドン第2の空港 「通の航空マニア」も集まる モントリオール・ミラベル空港 悲劇の空港 空港の敷地に入ってもターミナルビルすら見えてこない 理想を追いすぎた設計か ワシントン・ダレス空港 映画によく登場する空港 ラスベガス・マッカラン空港 テーマパークのゲートウェイ空港 アンカレッジ空港 北廻り便の頃 現在は貨物便の給油空港として賑わう メキシコシティ・ベニトファレス空港、サンタフェデボゴタ・エルドラード空港、キト・マリスカススークレ空港 高地空港での航空機の飛び方 機外に出ると「空気が薄い」 富士山の高さでの航空機の飛び方 サンパウロ・ヴィラコポス空港 世界で最も市内から遠かった空港 列車と路線バスを乗り継いで空港へ もめにもめたランチリ航空のバス あとがき 装丁・花村 広    カバー写真・ボンカラー   1 アジアの空港 次期アジアのハブ空港はどこだ?  経済発展著しいアジア諸国、ボーイング社、エアバス社の最新大型旅客機を多く購入しているのもアジアの国々の航空会社だ。各旅客機メーカーでも、大型旅客機需要は、今後とも人口の多い国が大半を占めるアジアに集中するとみている。日本は経済大国のわりに空港が貧弱といわれるが、そんな日本を尻目にアジアでは大空港の整備が着々と進んでいる。アジア諸国に大規模な空港が開港しても、日本ではあまり話題にならないせいか、アジアの空港の日本での認識度は低いようだが、各国で成田空港などより立派な空港がたくさん誕生している。  従来は極東の拠点空港は、第一に成田空港という位置付けがされていた。これには理由がある。戦後、日本はアメリカの航空会社に対して、日本からアジア地区への無制限の以遠権を与え、その権利を引き継いでいるノースウエスト航空やユナイテッド航空が成田をアジアの拠点にしていること。もうひとつは、旅客機の航続距離の関係で、アメリカ東海岸などからは、アジアでは最も東に位置する日本までしか直行できなかったという事情だ。  しかし現在は、旅客機の航続距離は伸び、ニューヨークから香港までを直行する便まで現れていて、太平洋線において日本の上空を通過するだけの便はいくらでもある。日本よりアジアの空港のほうが、はるかに滑走路などの容量に余裕があり、地上業務などの人件費も安い。空港に支払う使用料だって格段に安い。アジアの拠点としての器は整備されている。現在は徐々に日本からアジアの国々へと、拠点が移り行くといった状態で、今後はますます加速するだろう。  日本ではシンガポールのチャンギ空港が優秀な空港として知名度が高いが、1990年代後半になって、お隣のクアラルンプール、そして香港にも新空港が開港、続いて上海、2001年にはソウル近郊の仁川空港も開港した。いずれの空港も従来の空港をリメイクしたのではなく、まったく新しい空港として開港、クアラルンプール、上海、ソウルの空港は、最終計画では滑走路が4〜5本という規模で、土地もほとんど用意済みだ。  これらの空港、「日本と違い土地が豊富にあるから大きな空港が造れた」などと侮ってはいけない。どの空港もアジアのハブになるべく造られた空港で、利用者本位で、実に機能的に造られている。そんなアジア・パワーを感じる空港を探険してみよう。 シンガポール・チャンギ空港—— ●機能性、使い易さ、美しさ、どれをとってもナンバー1の空港  シンガポールの市内からチャンギ空港へ行くときは、タクシーかバスを利用するが(地下鉄は建設中)、バスなら前方の見える席がお薦めだ。市内を抜けてチャンギロードを東進、その道路が左にカーブを切って車がやや北へ方向を向けると、チャンギ空港がドラマティックに現れるからだ。南国風の木々に囲まれたハイウェイの先に管制塔が見え、そのバックに空港ターミナルが見える。おそらく設計者は、このように見えることを計算に入れて「見せ場」としてデザインしたに違いない。夜なら照明に浮かび上がる管制塔がひときわ美しい。到着する前からワクワクさせる空港だ。  チャンギ空港は世界の人気空港ランキングでいつも上位にランクされる。「空港に、ランク付けがあっても、所詮、空港は飛行機に乗り降りするところ、どこの空港でもそれほどの差はない」などと考えてはいけない。ツアーに参加して通り過ぎてしまったのではなかなか気が付かないかもしれないが、施設を利用すれば利用するほどこの空港がいかに優れた空港かが理解できる。  施設が充実しているのは主に出国審査を終えた後のエリアだ。もし日本から到着したなら入国する前のエリアということになり、一般には「保税エリア」などと呼ばれるスペース、普通の空港でいえば航空機への搭乗直前のエリアで、簡単な軽食の取れるスタンドや免税店などがあるエリアだ。  チャンギ空港のこのエリアは成田空港のそれなどとは比較にならないほど施設が充実していて、しかも美しい。高級ホテルのロビーを思わせる厚い絨毯の敷きつめられたスペースにソファーが並び、ピアノの生演奏までされている。広さも十分あり、航空機1機分の待合室に、成田空港第1ターミナルのサテライト一つと同じぐらいの数のベンチがある(成田ではサテライト一つに6機駐機する)。  このスペースは乗り継ぎ客も利用するが、搭乗時間までを過ごす施設の充実度もスゴイ。映画館、プール、カラオケボックス、シャワー、仮眠用のホテル、フィットネスクラブ、フードコートに加えて回転寿司屋まである。これらすべて乗り継ぎ時に利用できる施設だ。こまやかな配慮にも感心する。日本でも待合室にはテレビが置いてあるが、せいぜいNHKの放送を流しているぐらいだ。これでは海外からの利用者には役立たない。しかしチャンギでは同じエリアに3台のテレビを用意、1台はCNNでアメリカの一般ニュース、1台はBBCでヨーロッパ(イギリス)の一般ニュース、そしてもう1台はCNBCでアメリカの経済ニュースを流すなど、かゆいところに手の届く気遣いがある。  写真現像1時間仕上げのフォト・ショップなど、テナント各店も乗り継ぎ時間を有効に使ってもらうための工夫を凝らしている。長い乗り継ぎ時間がある乗客には、無料のシティツアーも1日8回実施されている。  利用者の表情からも、空港の施設に満足している様子は窺える。たとえばかなり本格的なゲームセンターがあるが、ハイテクのゲームマシンはいつも欧米の乗り継ぎ客が占領している。その目はやはりアジアのハイテク国のマシンに満足している様子だ。おそらくこの種のゲームは日本製がほとんどだが、日本よりシンガポールのほうが使い方は上手といっていいだろう。またシンガポールというお国柄なのか、空港の職員や従業員などは、この立派な施設を自慢するような態度はまったくなく、これら充実した設備は当たり前といった素振りだ。それどころか、フリーのパンフレットを1種類切らしていただけで、すぐに恐縮して補充してくれるなど、何かと「空港のサービスレベル」が高いといえる。  多民族国家だけあって利用者の人種もさまざまだ。日本人も多く見かけるが、主に日本からの発着便のある時間帯のみ。終日で目にするのはやはりヨーロッパからの客、そしてインド人と中国人だ。隣国マレーシアからは国内線感覚での利用者が多い。バングラデシュやインドネシアからの労働者もよく見かける。そのため空港内の主な表示は数カ国語で並記されている。 人気ナンバー1のシンガポール航空は、やはり人気ナンバーワンのチャンギが拠点だ ●見所のない都市のほうがいい空港ができる?  このようにチャンギ空港は1〜2時間の乗り継ぎ時間で通り過ぎてしまうのはもったいないほどに施設が充実、利用してみれば人気ナンバー1が納得の空港なのだ。しかし不可解なのは、シンガポールといえば、ガムは禁止、ゴミや煙草のポイ捨ては即罰金、横断歩道以外で道路を渡っても罰金と、意外なほどに堅いお国柄、その国の空港がここまで利用者に優しく便利な設計になっているのはなぜだろう。そのヒントともいえるのが前述の無料シティツアーにある。  シンガポールは日本でいえば淡路島ほどの島国、日本からのツアーは多いものの、国内にさほどの観光資源はなく、目立った産業があるわけでもない。しかしアジアの金融の中心とされるなど、中継地としての役割を果たしている。つまり航空路でも中継地として栄えていこうという方針なのだ。乗り継ぎ客に対する空港内施設が充実しているのは、シンガポールを中継地にヨーロッパ〜アジア、ヨーロッパ〜オセアニア、アメリカ〜アジアなどと移動すると、快適で便利だということをアピールしているのだ。そしてシティツアーが無料で行われているのは「今回は乗り継ぎだけでも、次回はぜひシンガポールにお立ち寄りください」という気持ちが表れているのだろう。  これは重要なことで、あまり見所のない国の空港のほうが、概して乗り継ぎ施設は充実している。ヨーロッパで人気ナンバー1のアムステルダムも、周囲のフランスやイギリスに比べるとオランダそのものを訪れる観光客は少なく、中継地としての役割を重視している。中東のデュバイの空港も免税店が充実していることで有名だが、ここも昔から東西交易の中継地として発達した都市だ。その都市そのものが有名な観光地だったりすると、どうしても「タカビー」になり、チャンギのような利用者本位の空港にはならないということを感じる。  またこの空港に親近感が持てる理由に、閉鎖的な空間がないということがある。普通、空港へ行くと一方通行の通路が多い。「到着旅客はこちらへ進みなさい」「乗り継ぎ旅客はこちらへ進みなさい」と。成田空港などがその典型で、途中立ち止まるのもはばかられるぐらいにそこは「通路」でしかない。これはこれで旅客の動線を考えた設計ではあるが、チャンギ空港は到着客と出発客のスペースを分けていない。シンガポールには国内線がないので、こういった単純明快なターミナル構成が可能だったともいえるが、旅客の動きを束縛していないのもこの空港の優れた点だ。ターミナルはターミナル1とターミナル2があるが、ターミナルの外のエリア、出国後のエリアともに「スカイトレイン」という無人運転の交通システムで結ばれていて、この間は自由に行き来できる。このためターミナル1から出発する旅客がターミナル2で出国手続きを済ませても何ら問題ないのだ。  煙草ポイ捨ては厳罰に処せられる国だけあって空港ターミナル内はすべて禁煙だ。ターミナル内には壁で囲まれた喫煙室と屋外の喫煙エリアがあるだけ。空港職員も空港ターミナルの外で煙草を吸っている。おもしろいのはトランジットエリア内の屋外喫煙エリア。ここは本来喫煙用に設けられたが、屋外のため囲いのガラスは簡単なもの。現在では航空マニアの格好の飛行機撮影ポイントとなっている。ところでなぜ屋内と屋外ではガラスの質が異なるかというと、屋内は冷房効果が下がらないようかなり色の入ったガラス、つまりサングラスをかけた状態で、写真撮影に不向きなのだ。反面、外の暑さとは裏腹に、ターミナル内は寒いほどに冷房が効いている。日本人から考えると、どうしてここまで寒くする必要があるのかと思ってしまうほどだ。  現在日本からチャンギ空港へは日系2社、シンガポール航空、米系2社の便が毎日運航するが、シンガポール航空で東南アジア諸国やインドなどへ向かう旅客以外は、残念ながら日本人でこの空港を乗り継ぎに利用している人は少ない。また旅行シーズンには、シンガポール航空でオセアニアやヨーロッパへ向かう、主に長めの滞在の個人旅行者もいるが、日本からの利用では遠回りなので最近は敬遠されがちだ。しかしシンガポールから日本へのフライトには夜行便が多いので、少し早めにチェックインを済ませ、空港内でシャワーを利用するなど、大いに施設を活用したい。またシンガポール航空を利用すれば「アーリー・チェックイン」なども可能なので、帰国日丸1日チャンギ空港でのんびりすることだってできる。世界でも稀な空港リゾートといっても過言ではなかろう。ではこの施設の恩恵を最も受けているのはというと、ヨーロッパからの利用者、ヨーロッパからアジアのリゾートへのゲートウェイ(その地域の玄関口になる空港)にしている人たちだ。  またチャンギ空港は、利用者だけでなく、旅客機にも機能的な構造だ。2本ある平行滑走路がまったく同じではなく、1本の滑走路先端がターミナルエリアの近くに、もう1本の滑走路は他端がターミナルエリアの近くになるよう配置されている。こうすることによって離陸機も着陸機も最小限のタキシングで済むという設計だ。 高級ホテルのロビーを思わせる出発ロビー ターミナル屋上には屋外プールもあり、無料で利用できる 空港ターミナル内には回転寿司屋まである 飲料水の表記は7カ国語あった ●風変わりな空港利用者  ところでチャンギ空港には風変わりな利用者がいる。この空港には当初からあったターミナル1と、1990年に完成したターミナル2があるが、ターミナルがひとつだった頃のターミナル3階にあるビューイング・ギャラリーは、大学受験を控えて受験勉強をする高校生が占領していた。シンガポールは受験競争が激しく、加えて住宅事情が良くない。市内から近く、冷房の効いたチャンギ空港は放課後を受験勉強で過ごす格好の場だ。そしてここで興味深いのが空港側の対応。日本の国際空港ならすぐに排除されてしまいそうだが、チャンギ空港では、新しく造ったターミナル2の3階に受験生用の勉強部屋を造ってしまった。まるで図書室のような部屋が空港の施設としてある。もちろん誰でも利用できて無料だ。およそ空港機能とはまるで関係のない施設さえもためらわずに造ってしまう、このような精神が、結果的に世界一の空港を支えているような気がする。 空港内に受験生の勉強部屋を設ける空港がほかにあるだろうか バンコク・ドンムアン空港—— ●古くからアジアの空の十字路  シンガポール・チャンギ空港とともに東南アジアの空の十字路として古くから君臨しているのがバンコク・ドンムアン空港だ。しかしシンガポールとバンコクの空港では、かなり雰囲気が異なる。とくに日本人の場合はこの両空港の使われ方はずいぶん違う。シンガポールは乗り継ぎ客への施設が整っている空港だが、残念ながらシンガポールは日本人にとっては最終目的地のことが多い。ところがバンコクは、日本人にとってもインドシナ半島へのゲートウェイ(その地域の玄関口になる空港)として使われる場合が多く、フライトも成田発バンコク経由どこどこ行きといったルートが少なくない。  現在でもエアインディアは成田発バンコク経由でインドへ、エジプト航空は成田発マニラ、バンコク経由でカイロへ、ビーマン・バングラデシュ航空は成田発バンコク経由ダッカへ、シンガポール航空も関西発バンコク経由シンガポール行きを運航する。このようにバンコクへは日本からタイへの便だけでなく、バンコクを経由する便が多いので、日系2社、米系2社、タイ国際航空を合わせると、日本〜タイ間は9社もの航空会社がひしめき合って飛んでいる。これは日本からではロサンゼルス行きと並んで最も多くの航空会社が競合する区間だ。ちなみに日本〜シンガポール間には、シンガポールを経由してさらに最終目的地を目指す便はない。  もっとも以前は日本からバンコク経由の便を運航する航空会社はさらに多かった。パキスタン航空、イラク航空、南アフリカ航空、そしてオリンピック航空、アリタリア航空、ルフトハンザドイツ航空、スカンジナビア航空ほか、ヨーロッパ便に南廻り便が多かった時代は、バンコクは必ずといっていいほど経由する空港だった。  このように日本からバンコクへは運航する航空会社が多いことから、以前から安い航空券が豊富な区間でもある。とくに週1便、2便といった航空会社の航空券が安く、長期格安旅行者などに愛用され、インドシナ地域やインド、西アジア方面への旅行者も、まずは航空券が安く入手できるバンコク便でバンコクへ行き、ここを拠点に旅行する人が多いのだ。また便が多いのは日本〜バンコク間だけではなく、ここへはあらゆる航空会社が乗り入れているので、どこへ行くにも全般的に航空券が安く、市内にはそうした航空券を売る旅行会社や格安のゲストハウスなどが集まる地域があり、バックパッカーの溜り場もある。  最近では現代風の需要も増えた。米系航空会社のマイレージ・プログラムが人気だが、その特典無料航空券で日本からバンコクを往復、ここをゲートウェイにしてインドシナを周遊する人たちだ。バンコクから先の航空券はあらかじめ日本からEメールなどで現地旅行会社に手配、クレジットカードで決済し、航空券は国際宅配便で送ってもらう。こういった人たちはバンコクで乗り継ぎのために1泊になるが、市内へは行かず空港周辺のホテルに泊まるため、空港周辺にもゲストハウスは多い。空港ターミナルビルと連絡橋でつながった高級ホテルもあるのだが、バックパッカーに人気なのはやはり格安ゲストハウスだ。日本からのみでなく、欧米やオーストラリアからもバンコクはインドシナへのゲートウェイなので、世界中のバックパッカーが集まる。  ではそれらの旅行者、バンコクでどういった便に乗り継ぐのだろう。ここからはベトナムのホーチミン、ハノイ、ダナン、カンボジアのプノンペン、シェムリアップ、ラオスのヴィエンチャン、ミャンマーのヤンゴン、また中国の雲南などへのフライトが豊富だ。もちろんタイ国内線でリゾートのプーケット島やサムイ島、北部の古都チェンマイを目指す旅行者も多い。ベトナムなどへは日本からも直行便は飛んでいるが、バンコクからはフライトが多く、その分値段も安いのが魅力だ。このほかインド、ネパール、遠いところでは西アジア、エチオピア、南アフリカ、東欧からのフライトもあり、日本からアフリカへの中継点にもなっている。変わったところでは朝鮮民主主義人民共和国やブータンからの乗り入れもある。まさに空の十字路だ。  空港内の雰囲気は、シンガポールと違ってどこかのんびりしたムードが漂う。なぜ?といわれても困るのだが、おそらくタイ語の「ポア〜ン」とした響きのせいではないだろうか。外は熱帯の暑さ、ターミナル内は冷房の効いた楽園、そこに何となく気だるい雰囲気が流れるといった感じだ。しかし空港ターミナルを一歩外に出ると、そこにはバンコクの喧騒が待っている。空港周辺も「街」が形成されているので、空港と人々の生活が隣りあわせだ。お寺の線香、車の排気ガス、日本よりずっと軽い気持ちでよく鳴らされる車のクラクション、紛れもない東南アジアの匂いが漂う。 各国の航空会社が乗り入れるドンムアン空港 空港を一歩外に出るとバンコクの喧騒が待っている ●凄まじかった交通渋滞  こんなバンコク・ドンムアン空港、以前は不名誉な名物?もあった。世界的に知られた交通渋滞で、空港〜市内間の所要時間が読めなかった。ラッシュ時には、市内は車は動けず、やっと飛行機やターミナルビルが見えてからもかなりの時間を要した。バンコクから発つ場合、出発の何時間前にホテルを出ればいいかの見当もつかなかった。現在は高速道路が充実してきたので、交通渋滞はかなり緩和されたが、市内の混雑はまだ続いている。  この渋滞、解消されない理由もある。バンコクでは車は渋滞に巻き込まれることが多いので、トゥクトゥクといわれる狭い道でも走れるオート三輪のタクシーや、ずばり「バイクタクシー」と呼ぶバイクの荷台に乗客を乗せる交通手段がある。こういった小回りのきく車両が、信号が青になると一斉に駆け抜け、車、ましてや車体の大きい空港バスなどはなかなか前へ進めない。それでもイライラしないタイの運転手の穏やかな性格とあいまって空港〜市内間は時間を要した。渋滞の最盛期は現在の高速道路や高架鉄道建設工事が行われていた頃で、渋滞の影響を最も受けていたチャオプラヤ川右岸に建つ有力ホテル数件などが出資し、渋滞のないチャオプラヤ川に高速艇を運行していた時期もあった。空港に近い川岸で高速艇を下りて連絡バスで乗客を輸送するのだ。  ちなみに空港ターミナルビルの正面にはタイ国鉄の駅があり、列車でバンコク市内中心にあるフォアランポン駅に行くことも可能だが、これといって空港アクセス列車は走らせていない。残念ながらここはチェンマイ方面への長距離列車やバンコク近郊への列車の通り道ながらディーゼル機関車がローカル列車を引いて走る路線で、いわゆる市内〜空港間を高頻度で運行するアクセス列車は走らせていないようだ。  ターミナル内はコテージ風の土産店があるなど、南国的な雰囲気が演出されている。最近、日本でも人気の高いタイ料理も、庶民的な値段で楽しめるが、本場のタイ料理はかなり辛い。が、この辛さで汗をかいてしまうとタイの暑さが和らぐから不思議だ。 一時はチャオプラヤ川の高速艇による空港アクセス交通があった クアラルンプール・セパン空港—— ●シンガポールとバンコクの狭間で  地理的にシンガポールとバンコクに挟まれていて、以前から目立たない存在なのがクアラルンプールの空港だが、1998年に、それまでのスバン空港に代わって、セパン空港という巨大な空港が開港している。規模ではシンガポールを凌ぐもので、空港敷地面積は最終計画では1万ヘクタール、成田空港の14倍という広さで、現在は4000メートル級滑走路2本だが、5本まで建設する計画で、とてつもなく広い。当然現在ではこの規模に見合う需要はないが、100年先の需要にも対応できる広さが確保されているというのは、日本からみると何とも羨ましい限りだ。バスで市内からセパン空港に向かうと、空港らしき建築物が見えてから実際に到着するまでにずいぶん時間を要する。バスは時速100キロほどで飛ばしているのにである。そのぐらい広い土地にこのセパン空港はある。  このほかさまざまな部分でもその広さが実感できる。管制塔は高さ118メートルで世界一、ターミナルビルと国際線のサテライトは離れていて、その間は無人運転の交通システムで結ばれている。このゴムタイヤ駆動の車両はスピードが速く、時速50キロほどで飛ばす。ちなみに成田空港にあるターミナル2の本館とサテライトを結ぶ車両が時速20キロ運転なので、いかにクアラルンプールのものが速いかがわかる。つまりそのぐらいの速さが要求されるほどに広々としている。  実際にこの空港を利用して感じる「広さ」もある。十分な長さの滑走路と、シンガポール・チャンギ空港同様の滑走路のレイアウトなので、着陸機が逆噴射することなくターミナルに向かう。通常、着陸機は着陸と同時に主翼上部に装備されたスポイラーと呼ばれる補助翼を立て、揚力を完全になくし、タイヤが滑走路を踏みしめて十分にブレーキの効果が得られるようにする。しかし逆噴射は必ず行うものではなく、機長が必要と判断した場合に使う。それでいくと、この空港ではほとんどの着陸機が逆噴射を必要とせず、着陸した余力でターミナルへ向かうといった操作がされている。とにかく広々としている。  ただし施設は整っているものの、バンコクとシンガポールの狭間で、まだまだ乗り入れ便数が少ないというのが現状だ。目にするのはここを拠点にするマレーシア航空の機体がほとんどというのが少し寂しく、大規模な施設をやや持て余し気味といったところか。しかし将来はシンガポール・チャンギ空港の最大のライバルになるはずで、インドシナ半島のハブ空港争いは過熱しそうだ。実際チャンギにはない施設もあり、空港サテライト内に本格的なホテルがある。チャンギにもホテルはあるが、ターミナル内にあるのは規模の小さい仮眠用ホテル、セパン空港には部屋数90室という本格的なホテルが、搭乗ゲートから歩いて数分のところにある。しかも市内の同等ホテルより安い料金設定だ。  ターミナルビルは日本人建築家、黒川紀章氏設計によるもので、メインターミナルビルを大成建設が、国際線の発着するサテライトを竹中組が担当し、インドネシアやバングラデシュからの出稼ぎ労働者を使って約4年という短い工期で完成させた。アセアンの優等生、2020年には先進国の仲間入りを目指すマレーシアを象徴する空港なのだ。デザインのコンセプトは「森の中の空港」で、ターミナル内には南国風の木々も配され、イスラム風のデザインと合わせて日本人の目にはエキゾチックにも映る。  ここを拠点にするマレーシア航空は航空券が安く、格安旅行者に人気のエアラインだ。シーズンでもヨーロッパやオセアニア方面への航空券が安く、また近年とみにフライトが充実してきている。まさに経済発展著しいマレーシアの国を象徴しているエアラインだ。サービスの評判もよく、人気の高いシンガポール航空に追い付け追い越せといった状態だ。  ところで、乗り継ぎ客を重要視した空港には、トランジットエリア内にも荷物用カートが用意されているのが普通だ。こういった空港ではチェックインカウンターなどがある出国前のエリアにはスーツケースなどが乗せられる大型カートが、出国後のエリアには小型カートが用意されている。ところが成田空港ではどうだろう。出国後のエリアにはカートはなく、大きな荷物はすべて受託手荷物とすることを前提に考えられているわけだ。「利用者にはさまざまなスタイルがある」ということを無視した考え方で、ハブ空港を名乗るには失格といえる。 「森の中の空港」のコンセプト通り南国的な雰囲気のターミナル 管制塔は世界一の高さを誇る ●空港アクセス鉄道の開通が待ち遠しい  いっぽうクアラルンプール・セパン空港のウィークポイントは市内から約75キロと遠く離れていること。それまでのスバン空港が市内から約22キロの距離だったので、日本でいえば羽田と成田の関係に近い。しかもクアラルンプールでは国内線もほとんどが新空港に引っ越してしまった。加えて当初は開港時に開通するはずだった鉄道アクセスが完成しておらず、現在はバスが唯一の空港アクセス手段だ。幸い高速道路は整備され、交通渋滞もないので快適ではあるが、市内からたっぷり1時間は要する。鉄道アクセスは2002年の開通を目指して建設中だ。  空港が遠いことから、高需要路線だったクアラルンプール〜シンガポール間などは陸上交通に乗客が流れるといった現象も出ている。この間の飛行時間は約1時間、空港までバスで1時間、出発の1時間半前までに着くように空港へ行き、シンガポール着後市内まで1時間かかるとすると、合計4時間半。この間は高速道路の整備が進んだので、所要時間は高速バスと僅差になっている。どこの都市でも新空港を建設すると市内から遠くなる。すると近距離航空路線は陸上交通との競争が激しくなる。大規模なハブ空港を建設するということが、いいことばかりをもたらすわけではないようだ。 ジャカルタ・チェンカレン空港—— ●施設は立派だが「ハブ」ではない  シンガポール、バンコク、クアラルンプールと、インドシナ半島地区には要となる空港が目白押し状態だが、実はもうひとつインドネシアのジャカルタ・チェンカレン空港も2本の平行滑走路、六つの立派なターミナルを持つ、規模の大きい空港だ。使い方によってはハブ空港になり得る立派な施設を有する。しかし一般にジャカルタの空港をハブ空港とは言わないし、インドネシアへ渡航する旅客以外がこの空港に降り立つことも少ない。  ではシンガポール・チャンギ空港などとジャカルタ・チェンカレン空港ではどこが違うのだろうか。そもそも「ハブ空港」と呼べるのは、それなりの広さや施設があり、その地域の要になる空港だが、具体的に利用者のことも考えると、そこを拠点にしている航空会社の運行方法や旅客へのセールスも大きく影響する。  たとえばシンガポール航空では、日本からシンガポール行きだけでなく、シンガポール乗り継ぎで東南アジア、オセアニア、西アジア、中東、ヨーロッパ行きなど、あらゆる方面への航空券が充実している。実際同社で成田〜シンガポール〜ロンドンなどのルートは格安旅行者などに人気ルートだ。つまりシンガポール航空は自国経由の第三国間輸送に積極的だ。これはタイ国際航空やマレーシア航空でも同じことが言える。  しかしジャカルタを拠点に飛ぶガルーダ・インドネシア航空は、第三国間の航空券の販売に積極的ではないし、乗り継ぎに便利なスケジュールにもなっていない。主にインドネシアを起終点にする旅客重視のスケジュールだ。日本でも同社の航空券は、ほとんどを占めるのがバリ島へのもの。オセアニア方面行きの航空券もあるが、ポピュラーなルートではない。便自体はあるが、日本からジャカルタ乗り継ぎでロンドンへ行くという航空券は、ノーマル航空券でも買わない限りない。このようにジャカルタ・チェンカレン空港は、アジアのハブ級の広さを持つ空港ではあるが、そのような使われ方をしていないので、主にインドネシアへの旅行者しか立ち寄らない空港になっているのだ。 ●到着したときからオリエンタルムード  こんなチェンカレン空港、ターミナルビルは、純インドネシア風東洋建築でまとめられ、飛行機を降りたときから赤道直下の神秘的な国へと観光客を誘ってくれる。インドネシアではバリ島にあるデンパサール・ウングラライ空港やスラバヤ空港でも同じで、空港そのものが南国のリゾートのような雰囲気に演出されている。とりわけヨーロッパ人には、長いフライトの末にこれらの空港に降り立つと、一挙にアジアの異文化に触れられるということで喜ばれるだろうし、エキゾチックなオリエンタルムードで、バカンス気分も盛り立てられるだろう。  そういった意味では、シンガポール・チャンギ空港やクアラルンプール・セパン空港は、機能的で便利だが、近代的という部分が先にきていて、アジアらしさは感じられない。逆にインドネシアの空港はきわめてインドネシアらしさが出ている空港だ。この辺にも「乗り継ぎ重視」か「観光客誘致に積極的」かの、空港の特徴が表れている。インドネシアの玄関口になる空港での、その辺の演出はかなり力が入っていて、日本で言えば、管制塔を「五重の塔」型にするぐらいのものといえるだろう。 「観光客誘致に積極的」というスタイルは、インドネシアのフラッグキャリアであるガルーダ・インドネシア航空の路線にも出ている。同社の路線でジャカルタが中心になっているのは国内線と、国際線では中東、成田、ソウル、台北路線のみだ。中東へは主にインドネシアからの出稼ぎ客、成田、ソウル、台北とは経済的な結びつきが深いからだ。他の国際線は観光地バリ島から飛ぶ。東南アジア、オセアニア、欧米路線はすべてバリ島が運航の中心だ。日本路線でも名古屋、関西、福岡への便はバリ島から飛ぶ。  もっとも成田からの乗客もほとんどはバリ島への観光客だ。ではなぜ成田からの便はバリ島へ飛ばないかというと、日本とインドネシアの首都同士を結ぶ便なのでビジネスクラスを利用する業務渡航客も多い。そこで成田からの便は成田発ジャカルタ経由バリ島行きになっている。高い料金を払っている乗客を直行させ、ツアー客は、数は多いものの経由便扱いになっているのだ。ちなみにこのガルーダ・インドネシア航空の成田発ジャカルタ経由バリ島行きのフライトは世界でも大変珍しい便だ。それは機内でインドネシアへの入国手続きを行うというものだ。入国審査官が乗務、乗客は座席に座ったまま入国手続きができる。同社は機内での入国審査だけのために、客室乗務員以外のスタッフを乗せているわけで、この辺にも「観光客誘致に積極的」というスタイルが見て取れる。 インドネシア風のデザインでまとめられたターミナルビル 機内で入国審査を済ませると「イミグレイション・クリアー」と記されたカードが配られる ●イスラム巡礼団専用ターミナルまである  チェンカレン空港のターミナルは六つ。国際線、国内線、また航空会社によって分けられているが、インドネシアならではのターミナルもある。それが「ハッジ」フライトのターミナルだ。「ハッジ」とはイスラム巡礼のこと。サウジアラビアにあるメッカ巡礼団専用のターミナルだ。インドネシアは中東に比べるとイスラムのイメージは小さいが、人口が多いので、イスラム教人口は世界で最も多い国だ。毎年巡礼シーズンには、世界各国で余剰になっているジャンボ機をチャーターしてまでサウジアラビアとの間を往復する。それらの乗客の専用ターミナルがあるというのはインドネシアならではのことといえる。  空港名はチェンカレン空港だが、別名「スカルノハッタ空港」とも呼び、「スカルノハッタ」とは初代大統領の名前にちなんだもの。空港を表す3レターコードはチェンカレン空港であることから「CGK」。ジャカルタの都市コード「JKT」と分けられているのは、以前の民間空港であるハリム空港も現存するためで、ハリム空港は現在、軍が使用している。東京や大阪もそうだが、同じ都市に複数の空港がある場合は、都市コードと空港コードは分けられている。東京で言えば東京の「TYO」、羽田の「HND」、成田の「NRT」、大阪で言えば大阪の「OSA」、伊丹の「ITM」、関西の「KIX」があるのと同じことだ。 ●雲助タクシーの行動パターンは  ところでジャカルタの空港から市内へは空港バスも運行されているが、外国人の多くはタクシーを利用する。そしてインドネシアはじめマレーシア、タイ、フィリピンでは「チケット・タクシー」、または「プリペイド・タクシー」というシステムで運行する。空港からタクシーを利用する場合は、乗車前にチケット・カウンターで行き先を告げて料金を払い、チケットを購入、下車時は現金ではなくそのチケットを運転手に渡すという仕組みだ。料金は行き先までの距離によって決まっている。メーターで走った場合より若干高めに設定されているが、このシステムの優れている点は、その土地に不慣れな外国人旅行客でも、雲助タクシーにボラれる心配がないということだ。そしてこの値段を覚えておけば、今度は市内から空港へ行くときの値段の目安になるはずだ。タクシーにメーターのない国では、外国人旅行客は、多かれ少なかれ現地の人より高い料金を吹っかけられるが、とくに旅行に出ると財布の紐がゆるむ日本人は狙われやすいので注意が必要だ。  バリ島のデンパサールの空港でおもしろい経験がある。ここは日本人旅行客も多く訪れるが、日本からの便はどの航空会社を利用しても、夕方から夜にかけて到着と、時間帯がはっきりしている。その時間の国際線到着ロビー前は、タクシー運転手が大勢たむろし、日本人が出てくると客引きが何人も集まってくる。そのしつこさにうんざりといったところだ。ところが日本からの便が到着する以外の時間帯に同じ場所に立つと、夕方の状況が嘘のように静かで、こちらからタクシーの運転手と目を合わせても何も言ってこないことすらある。空港はその時間帯によっても表情を大きく変えるのだ。  インドネシアでは、ジャカルタとデンパサールの空港では客層もかなり違う。ジャカルタは首都だけあってビジネス客が多く、とくにインドネシアでは人口比率は少ないものの経済では中国人が実権を握っているので、中国系の利用者が多い。対するデンパサールは観光客が大部分だ。日本でもバリ島人気なので日本人ばかりかと思うと、それは日本便が発着する時間帯のみ。コンスタントに見るのはオーストラリアとヨーロッパからのバカンス客だ。とくにヨーロッパからのバカンス客は到着前からバカンスに浸っている。ヨーロッパからのノンストップ便はなく、すべてバンコク経由など15時間あまりのフライト、機内ですでにリラックスし、草履にヨレヨレのパジャマのような格好で降りてくる。日本人旅行者の多くが4泊6日だが、彼らはこれから何週間という単位をバリ島で過ごす。 香港・チェクラプコク空港—— ●アジアの「スーパーハブ」  空港がハブ空港として機能するかどうかは、空港の規模などもさることながら、利用者から考えると、その空港を拠点にする航空会社の運航方法や航空券の販売体制に左右される。そして乗り継ぎの良さなどで定評があり、自社の拠点空港を「ハブ」として上手に活用しているのがキャセイパシフィック航空だ。同社のスケジュールでは、成田、名古屋、関西を午前に出発した便は、どれも香港に13時台に到着する。日本からだけではなくソウルや台北ほかアジア各都市からも同じ時間帯に香港に到着するようになっていて、さらにその1〜2時間後には出発便が集中する。香港に13時頃に到着便が集中、15時頃に出発便を集中させれば、名古屋〜香港〜ペナン、ソウル〜香港〜バンコク、ハノイ〜香港〜関西などと、どこからどこへ行くのもスムーズな乗り継ぎになる。  同社は発着便を、およそ1日3回、朝、午後、夜に集中させていて、日本を夕方出発した便は夜に香港に到着、ヨーロッパやオーストラリア便に接続する。ヨーロッパからの帰り便の多くは朝に香港に到着、そのまま乗り継ぐと日本へ午後到着するスケジュールが組まれている。1日3回、キャセイの集まる時間帯の駐機場はキャセイの尾翼一色になる。これでは特定の時間帯だけ空港が混雑するように思われるが、キャセイパシフィック航空が発着しない時間帯は主に海外からの航空会社が発着するのだ。  日本からヨーロッパへ行くのに、キャセイを使うと、南廻りルートにもかかわらず所要時間が短くて済むのにはこのような理由もあるのだ。このようなことからキャセイパシフィック航空は、香港・チェクラプコク空港を自ら「スーパーハブ」と呼び、アジアのハブ、また中国本土へのゲートウェイとしての役割も果たしている。同社は、以前の啓徳空港時代からこのような運航をしているので、運航方法が乗り継ぎに便利にできていれば、空港の規模は多少小さくても「ハブ」としては機能すると言えるだろう。  この香港・チェクラプコク空港が開港したのは1998年、本来は前年1997年の香港の中国返還に間に合わせるべく建設が進められたが、海上埋め立て工事の遅れなどから返還翌年の開港になった。それまでの啓徳空港は、ネオン街をかすめ、着陸直前に急カーブしての豪快な空港だ。空港そのものが香港名物で、惜しまれつつその役割を終えたが、現在の空港になって広さは約8倍、2本の平行滑走路を有し、24時間稼働できる立派な空港になった。場所は啓徳空港があった九龍側でも香港島でもなく、ランタオ島北部を埋め立てたもの。ランタオ島は香港で最も大きな島で、香港島よりずっと広い。ただし空港開港とともに九龍側とは青衣島を介して橋で結ばれ、香港中心部から陸続きになっている。  ターミナルビルは広く、チェックインカウンターなどがあるビルから、最も遠いゲートまでは1300メートルもあるが、これでも現在のターミナルは最終計画の半分で、西側にもうひとつのターミナルビルを建設できる土地はすでに用意されている。ターミナルビルの地下には、遠いゲートへの足としてゴムタイヤ駆動の無人の交通システムが行き来し、全体的には旅客の動線を重視した設計で、ターミナル内は出発階と到着階にきっぱり分かれている。とくに注目なのは、市内とを結ぶアクセス電車のホームだ。空港に到着したときは出発階へ、電車はそこで折り返すことなく回送電車になって、空港を出発するときは、到着階から出発するという徹底ぶりだ。さらにこの電車は、スムーズに乗降できるように空港駅には改札口がなく、市内側の駅だけで切符のチェックを行う。アクセス電車は、市内の駅間のみでの利用ができないのでこのようなことが可能なのだが、旅客の動線を重視、スムーズに移動するということにはかなり徹底した設計がなされている。  ただし、反面、シンガポール・チャンギ空港のような自由さはない。たとえばターミナル内を走る交通システムだ。出発客はターミナル本館側から遠いゲートへ、到着客は遠いゲート側からターミナル本館側へしか乗車できない構造なので、時間があるから遠いゲート側へ交通システムで行ってみたりすると、帰りは延々歩いて戻ってこなければならない。旅客の流れをスムーズにした結果、シンガポールのような自由さというか「ゆとり」は感じられない空港になっている。  空港利用客で感じるのは、やはり中国返還前に比べると、日本人や欧米人が減り、現在は中国本土の人が増えたということだ。もっとも香港はすでに中国の一部なので不思議ではないが、現在でも中国の人にとって香港はいつでも自由に出入りできるわけではなく、特別の許可が必要だ。香港からの中国本土便は決して国内線ではない。国際線同様の扱いで発着し、乗客は全員入国審査を受ける。そんな中で今でも目立つのがフィリピンからの出稼ぎ女性だ。彼女たちは香港でメイドなどとして働いているが、距離的に近いせいか行き来が活発だ。フィリピン航空やキャセイパシフィック航空のフィリピン行きが発着するゲート付近は、タガログ語特有の声が響いている。フィリピンの方には失礼だが、養鶏場にでも迷いこんだかと思うほどの賑やかさだ。 旅客の流れを最優先に設計されたターミナル ●エアポート・エクスプレスは高すぎ?  中国返還前は、空前の香港ブームだった。日本からも航空便の予約が何カ月も前から満席などという時期があったが、そんな時期のグランドデザインのせいか、施設は立派なものの利用料金は高めのものが多い。乗り継ぎ時の有料ラウンジは250香港ドル、シャワーだけでも100香港ドル(約1600円)する。ちなみに成田空港のシャワールームは300円なので、100香港ドルはべらぼうに高い。概して空港内のファーストフードも味の割に高い。  そして何といっても高くて話題になったのは、都心と空港を結ぶアクセス鉄道の「エアポート・エクスプレス」だ。この電車は空港連絡専用で、この電車のために全線が新しく建設されたので、最高時速160キロと駿足、空港と香港島セントラルのターミナルの間を10分間隔で、たった23分で結ぶ。啓徳空港時代は都心から空港が近かったが、新空港になって遠くなった分を、この高速電車で補うという目的があった。ところが当初発表された運賃は片道100香港ドル(約1600円)だった。日本人にしてみれば上野〜成田空港間の京成電鉄「スカイライナー」が乗車券+特急券で1920円なので、あまり高いと思わないかもしれない。しかし「スカイライナー」は1920円ながら1時間の乗車距離、たった23分の乗車に1600円と考えると高く感じるだろう。ちなみにそれまでの啓徳空港ならタクシーでも500円相当前後だったので、内外から苦情が寄せられ、現在のところ70香港ドルで運行している。それでも平行する空港バス路線が安くて充実しているため苦戦を強いられていて、駅から各地域への無料シャトルバスサービスを実施して集客に努力している。  しかしこの鉄道の完成は、地元への置き土産をもたらした。この鉄道建設にあたって、都心と空港を結ぶだけでは施設がもったいないので、平行して空港近くにあるランタオ島北部の東涌への通勤路線が併設されたのだ。それまでランタオ島から香港中心部へは船しかなかったので、空港の完成で交通の便は良くなった。  市内〜空港間のバスは2階建てバス。お薦めは2階席の最前列で、このバスに乗るだけで香港観光が楽しめる。香港島側から乗車すると、「クロスハーバートンネル」を抜け九龍側に入り、左手にコンテナターミナル、やがて青衣島を越えると、天馬大橋を渡ってランタオ島へ。ノースランタオ・エクスプレスウェイを、右手に海を見ながら快走する。ここでは空港へのアクセス列車の線路と平行しているので、途中2回ぐらい「エアポート・エクスプレス」に抜かれるが、道路も渋滞なしで快適だ。ちなみに列車は、二重構造になった橋の下階を壁に囲まれて走るなど、景色はバスに比べてつまらない。 駿足ながら値段も高い「エアポート・エクスプレス」 ソウル・仁川空港—— ●日本人にとっての海外へのゲートウェイ  仁川(インチョン)空港は、2001年3月開港と、世界でも最も新しい空港だ。仁川はソウル近郊の、黄海に面する港町。中国方面へのフェリー航路が多く発着する都市でもある。そんな仁川沖に永宗(ヨンジョン)島と龍遊(ヨンユ)島という二つの島が浮かんでいたが、その島と島の間を埋め立てて建設され、その結果現在では二つの島は大きな一つの島になった。24時間稼働で、現在は滑走路2本ながら、最終計画では4本。ターミナルも大幅に増設可能なスペースを見越して建設されており、計画通りにすべてが完成すると、とてつもなく巨大な空港になる。現在使われている面積は1174ヘクタールだが、最終計画では広さは5600ヘクタール、成田空港の8倍の広さになる。  残念ながら現在のところは、これらのターミナルがすべて航空機で埋まるほどの需要はない。しかし航空会社が便を離着陸させるたびに空港に支払う着陸料などは日本に比べると半額以下と安く、空港側もこういった点を武器に今後新規航空会社の乗り入れや増便などを誘致していくだろう。地理的に近いので、成田、関西などにとって最大のライバル空港になることはまちがいなさそうである。  現在の北太平洋便などの航空路をみると、成田がこの地域で最も便が集まっているが、貨物船の世界で言うと極東の拠点は完全に韓国に奪われた状態で、極東のハブ港は横浜でも神戸でもなく韓国の釜山だ。日本から北米への貨物の多くは日本から一旦釜山に向かい、そこから北米などへ向かう。航空路だっていつ極東の拠点の座が成田から仁川に移るとも限らないであろう。そういった兆しはすでにあり、仁川空港開港の2001年春から、ユナイテッド航空はサンフランシスコ発ソウル経由の成田行きを運航している。今までの同社のアジア路線から考えると逆ルートである。また旅客より貨物はソウル経由が多くなりつつある。なぜかというと、旅客需要では、若干時間を要するソウル経由より日本から直行便でということになっても、急ぎでない貨物は運賃の安いソウル経由にどんどん流れるからだ。仁川空港の貨物取り扱い能力は成田の1・7倍もある。  ところで、アジアでシンガポールや香港の空港は、最も「ハブ」の名にふさわしい空港だと思うが、ソウルも、金浦空港時代から、日本人にとっては十分すぎるほど「ハブ空港」の機能を果たしている。これは国際線の多い東京や大阪より、福岡ほか西日本の空港や仙台、札幌で顕著になることだが、海外へ行くときに、地元空港からソウルで乗り継いで海外へアクセスしたほうが、成田や関西へ一旦出るより便利という状態になっているからだ。  韓国の航空会社2社は、日本の空港へは、北から千歳、青森、仙台、成田、新潟、富山、名古屋、関西、岡山、米子、広島、高松、松山、福岡、長崎、大分、宮崎、鹿児島、沖縄と、実に19空港へも乗り入れている。これらの便は日本と韓国を結ぶ役割とともに、千歳〜ソウル〜ニューヨークなどといった便利なルートを提供していて、航空券も安く手に入る。もし千歳から成田を経由してニューヨークへ行こうとすると、千歳〜成田間の便は1日2便しかなく、国際線との接続も良くない。成田では国内線で到着後、改めて国際線の搭乗手続きになる。これでも千歳の場合は成田への便があるから救われるが、羽田への国内線しかない都市では、羽田から成田への移動まで伴ってしまう。その点ソウル乗り継ぎなら、地元空港で搭乗手続きをすれば、受託手荷物は最終目的地までスルーで運ばれ、ソウルでの乗り継ぎも極めてスムーズに行える。福岡からなどは時間的にもソウル乗り継ぎのほうが速く、福岡の人にとってはソウルが海外への玄関口というのは常識だ。  韓国の航空会社側も、日本からの需要は重要視していて、たとえば大韓航空のヨーロッパ行きは全便が13時台に出発するが、韓国からだけの需要を考えるなら午前中に出発してもいいはず。しかし13時台にしたのは、成田、新潟、名古屋、関西、岡山、福岡、鹿児島を午前中に出た便からの接続を受けるためで、復路も日本の主要都市への最終便の出発に間に合うようにソウルに戻ってくるスケジュールが組まれている。 次期アジアのハブを目指して2001年に開港した仁川空港 ●日本人修学旅行生が多く、京都駅のよう  海外の空港では韓国でしか見られない光景もある。それは近年日本からの修学旅行生が増えていることだ。修学旅行シーズンのその多さときたらまるでJR京都駅にいるかのようだ。空港の出発ロビーなどに整列する制服の集団は、日本の空港ではなんでもないが、やはり海外の空港でこういった光景を頻繁に目にするとやや違和感を持ってしまう。それにしても日本からの修学旅行生は相当多いようだ。何しろ空港のお土産売店の売り子は、「お母さんにお土産」などと、日本人修学旅行生用の日本語を話している。「安い」「1000円」「何探してますか」「見るだけ」などという日本語は海外の空港でもよく耳にするが、修学旅行生対応の日本語を話す売り子がいるのは韓国だけなのでは?  ところで仁川空港の開港によって、それまでのソウルの玄関口だった金浦空港は国内線専用になった。韓国は国土が狭いので、日本ほどの国内線需要はなく、金浦空港の立派な設備では持て余してしまうであろう。しかし仁川空港はソウル市中心から50キロ以上も離れているため、国内線は仁川空港に移動するわけにはいかない。折しも韓国ではソウル〜釜山間にフランスの協力による新幹線を建設中で、この両都市間は国内線でも最も幹線にあたるので、陸と空の競争が激しくなるのは必至だ。遠い空港に移したのでは国内線の意味がなくなるのだ。  個人的にはソウルの国際線の空港が仁川空港になったことで、成田〜ソウル間は2時間半ほどの距離なのに、両都市の空港が、ともに都心から離れていることで、少し遠くなった印象があるのが残念だ。従来の金浦空港は地下鉄でアクセスでき、地下鉄の運賃は都心からたった600ウォン(約60円)という安さだ。発展途上国へ行くと乗物の運賃は概して安くなるが、韓国のように交通機関の整った国では破格の安さだと思う。  日本では空港へ行く乗物というのはなぜか割高なものが多い。たいした距離でなくても空港バスは通常の高速バスより割高、鉄道でも空港のひとつ手前の駅から空港駅までの一駅がべらぼうに高かったりする。日本では今だに航空機が特別な乗物扱いされていて、空港へ行くときは財布の紐がゆるくなるということだろうか。またどの路線も空港が終点というのがよくない。もし空港への路線が、空港駅が終点ではなく、その先にも住宅地などがあれば、空港へ行く部分だけ運賃を高くすることは難しくなるだろう。ちなみにソウルの金浦空港は地下鉄5号線の終点から二つ手前にあり、さらに先にも郊外の住宅地などがあり、空港から先も生活路線なのだ。 上海・浦東空港—— ●上海・浦東空港は眠れる獅子  世界的にみて近年航空需要がとみに伸びているのが中国の国内線だ。この国の国内移動は、広い大陸を列車で何十時間とかけ、満員の人民を乗せ、長い長い列車で移動するというのが普通だった。現在でもこういった光景がなくなったわけではなく、中国の代表的な国内移動の光景であることに違いはない。しかし改革解放政策が進み、国内旅客需要は右肩上がりで増え、富裕層も増えてきたため、国内航空路線が急速に増えつつある。中国ではまだまだ国内移動に航空機を利用できる層は僅かだ。しかし人口が多いので、僅かといっても絶対数はかなりの数になり、国内線は増便しても増便しても需要を賄いきれないといったところだ。多くの便が満席で飛ぶ。  中国の各航空会社は、多くの大型旅客機を発注しているが、その多くは国際線ではなく、増え続ける国内線に利用する。航空機メーカーも、今後の大型旅客機の需要では、中国という市場は最も重視している地域だ。思えば今から十数年前までは中国には中国民航という1社の航空会社しかなく、その1社が国際線から国内線まですべてを運航、当然運航の中心は首都北京だった。それが北京拠点の中国国際航空、上海拠点の中国東方航空、広州拠点の中国南方航空などと、地域に合った運航ができるように細かく分割され、現在ではおよそ省に2社ほどの航空会社が運航されるようになった。この間の変化のスピードには目を見張るものがある。国際線を運航する航空会社は8社、うち6社が日本にも乗り入れるまでになっている。  当然空港も整備された。1999年には北京・首都空港がリニューアル、上海には第2国際空港になる浦東(プードン)空港が開港した。香港にほど近い広州でも新広州空港が2005年開港を目指して建設中だ。とくに上海と、建設中の広州の新空港は、アジアのハブを目指す規模で、まさに極東のハブ空港争いはこれからますます熾烈になりそうだ。日本では「成田か羽田か」、関西の2期工事、中部国際空港建設などが、かなり狭い範囲での議論で平行して進められている。しかし「日本を代表するアジアの拠点になり得る空港」という観点で考えないと、広さや規模では、日本とは比較にならない空港がアジアに続々と誕生している。  とくに1999年開港の浦東空港の規模は凄い。上海東郊の浦東地区の湿地帯に建設された1252ヘクタール、成田空港の約2倍の広さを持つ空港、かなり大きなターミナルと4000メートル滑走路を1本持つが、現在完成しているのは全体計画の4分の1に過ぎない。2期工事でもうひとつのターミナルと2本目の滑走路、最終的には四つのターミナルと4本の滑走路が計画されていて、2期工事分の用地は確保済みだ。興味深いのは3本目、4本目の滑走路用地の造成方法。ここは東シナ海に面する湿地帯で、大河・揚子江の河口近く。そこで予定地の三方を堤防で囲み、川の堆積によって埋め立て地盤の基礎を造らせるというのだ。中国ならではの造成方法といえる。  バスで空港に向かうと広さも実感でき、空港が近付く頃にはバスは何もない釧路湿原の中にできたような高速道路を空港へと向かっている。2期、3期工事もいつでも取り掛かれると言わんばかりに、計画中のターミナルへ向かう道路は、模型の橋桁のように途中で止まっている。  しかしながら上海には従来からの虹橋(ホンチャオ)空港も健在で、しかもどちらかが国内線、どちらかが国際線というふうに分けているわけではなく、航空会社によって明確に分けられているわけでもない。日本からの便でいえば、日系と米系航空会社はいち早く新空港に乗り入れるようになったが、肝腎の上海を拠点にする中国東方航空の成田〜上海便や関西〜上海便などは従来の虹橋空港発着のままだ。というより、中国の航空会社にしてみれば、ほとんどの国内線が従来の空港から飛んでいるため、接続の関係で新空港発着にできないのだ。またアジア系航空会社も、国内線の接続の少ない新空港を敬遠して従来の空港に乗り入れている。  そのため現在の浦東空港は、日系、米系、ヨーロッパ系、そして僅かな国内線が乗り入れる程度。充実した設備や能力を持て余している状態だ。人口の多い中国では空港へ行っても人、人、人のはずなのだが、ここだけは違う。しかし空港の設備はすでに整っていて、いつでも多くの便を受け入れられる状態だ。上海の空港当局としては、当面は浦東空港と虹橋空港への便を5対5にするのが目標で、将来的には浦東空港と虹橋空港の発着割合を7対3ぐらいにしたい意向という。浦東空港は上海の都心から東に約45キロほど離れているが、現在鉄道アクセスも建設中なので、次第に発着量は伸びるだろう。規模が大きいだけに極東のハブ空港としては「眠れる獅子」といったところだ。米系航空会社も中国のマーケットは重視していて、従来、中国便はすべて日本経由だったが、現在はノースウエスト航空がアメリカ本土から北京と上海に直行便を運航するようになった。ユナイテッド航空もサンフランシスコ〜成田〜上海と飛んでいたルートをサンフランシスコ〜上海直行にシフト、同社の成田〜上海便はなくなってしまった。デルタ航空も中国南方航空との共同運航便ながらアメリカ本土〜広州間直行便で中国乗り入れへの足掛かりを築いている。10年、20年先を考えると、中国の空港がアジアの拠点空港になっている可能性だって大いにあるわけだ。 天井が高く、広々とした浦東空港のターミナル いつでもつながりそうな3期工事部分 浦東空港とは違って賑わっているのは従来からの虹橋空港 ●浦東空港では日本食しか食べられない!?  現在は空港利用者に占める日本人の割合が多いのか、日本食レストランが2軒もある。というか、空港のレストランはほぼ日本食のみといった風変わりな空港になっている。が、2軒とも日本同様の味が楽しめ、いつも日本人で賑わっている。新しい空港だけに空港税の支払い方法もユニークで、テレホンカードのようなカードを購入、出国時に駅の改札口のような機械に挿入する。関西国際空港と同じスタイルだ。人口の多い中国では、人の手でできる部分はなるべく人手で行うのが流儀。この空港は中国らしさがないとも言える。その点北京の空港などは、近代的な新しいターミナルになっても中国らしさがある。売店が数多く並び、たくさんの販売員が応対する。空港だというのに、商店街の果物店のようにりんごやバナナがバラ売りで並べられている。そうかと思ったら、同じ店の奥にはスーツケースが並んでいたりする。しかしこういった光景が浦東空港では体験できないのだ。  空港内の雰囲気も浦東空港と他の中国の空港ではどこか違う。中国といえば多くの人口を抱えるので、何事も人海戦術に頼ることが多いのだが、それがない。浦東空港は中国の中の海外といった雰囲気だ。現在は利用者も少ないので、香港よりさらに整然とした空気を感じる。上海は中国本土の中では最も経済的に豊かな都市、以前から首都北京などに比べてハイカラな都市とされてきたが、中でも浦東空港は従来の中国スタイルから脱却した空港になっているといえるだろう。北京・首都空港はリニューアルされて立派になったが、やはり従来のスタイルで新しくしたという雰囲気だ。しかし浦東空港は、まったく新しい世界基準の空港といっていいだろう。少なくとも以前の中国の空港を知る人には、この空港は中国の空港に見えないのだ。 中国の空港では、果物店のような売店が多いが、浦東空港にはない(広州空港にて)   2 ヨーロッパの空港 EU経済統合で熾烈な「ハブ空港」争い  アジアより熾烈な「ハブ空港」争いが繰り広げられているのが西ヨーロッパ各国だ。  EU経済統合以降、ヨーロッパの航空会社はアジアの航空会社よりずっと激しい過当競争にさらされてきた。西ヨーロッパは「各国」といっても、EU諸国に関しては、経済的には1カ国も同じだ。たとえ一国を代表するような航空会社でも、競争力を失えば倒産も現実問題だ。実際にイギリスの航空会社がドイツに現地法人を設立して、ドイツで国内線を運航したり、イギリスの航空会社がフランスの航空会社を買収したりするなどは日常茶飯事だ。さらにそのイギリスの航空会社の業績が悪くなったら、今度は買収されたフランスの航空会社を別のフランスの航空会社が買い戻すなど、アジアの航空会社とはずいぶん状況が違う。国境を越えて資本参加し、グループを組む航空会社集団も多い。  こうなると各国を代表する航空会社といえども生き残りに懸命だ。何しろ、EU経済統合後に生き残れるのは、ブリティッシュ・エアウェイズ、エールフランス航空、ルフトハンザドイツ航空の3社だけ、などと囁かれた時代もあったのだ。そこで各社は、国営だった企業を民営化し、経営の効率化を図った。折しもアメリカでは、アメリカ国内での航空戦国時代が終息しつつあった。そこでアメリカの大手航空会社は大西洋線で優位に立つべくヨーロッパ系航空会社に提携先を求めていたが、ヨーロッパ系航空会社にしてみても、EU経済統合後に有利に立つべくアメリカ系航空会社とは手を結びたかった。その結果が現在の、いわいる「スターアライアンス」「ワン・ワールド」といった航空会社のグループ化につながっていく。  一方でヨーロッパ系航空会社の中で自社が優位に立つためには、その会社が拠点にする空港のロケーションや機能も重要だ。EU経済統合などでヨーロッパ内がボーダーレスになればなるほど、ヨーロッパ内は「国内線」的なフライトになる。すると、アメリカやアジアから南仏のニースへ行く人が、ニースがフランスだからといってパリを経由地にするとは限らないということが加速、フランスに関係のない第三国経由でも、便利なら乗客は便利なほうに流れる。かくしてヨーロッパ内の「ハブ空港」争いは激しくなった。  パリでは、それまで国内線の拠点はオルリー空港だったが、国際線のドゴール空港からも国内線を大増便して乗り継ぎを改善した。ミラノのように、それまで長距離国際線しか発着しなかったマルペンサ空港を根本的にリニューアルしてヨーロッパのハブへと変身させた例もある。フライトの飛び方も変わった。たとえば以前のルフトハンザドイツ航空の日本からドイツへの便は、フランクフルト、ミュンヘン、ハンブルク、ベルリンへと、さまざまな空港へ飛んでいた時期があったが、現在は全便をドイツの要となるフランクフルトへ直行させ、フランクフルトで接続させるようにしている。アリタリア航空はローマ行きだったものをミラノに集中させ、スカンジナビア航空もコペンハーゲンとストックホルム行きを運航していたが、現在はコペンハーゲン1都市に絞って毎日運航としている。つまりどの航空会社も「ハブ機能」強化に力を入れている。 ●航空会社の「アライアンス」も無関係ではない  現在世界の各航空会社が「アライアンス」を組んでいるが、これも発端となったのは米欧の航空会社間の提携だ。「アライアンス」によって共同運航の拡大、地上業務の委託など数々のメリットがあるが、中でも大きいのが、アメリカの航空会社にしてみれば提携相手のヨーロッパの拠点空港を、自社のヨーロッパでのゲートウェイとして使えるということだ。  最初に提携したノースウエスト航空とKLMオランダ航空でいえば、ノースウエスト航空はアムステルダムをヨーロッパのゲートウェイに使えるので、北米からの便をアムステルダムに多く飛ばせば、そこから先はKLMオランダ航空の便に自社便の便名を載せてコードシェアし(共同運航すること。一つの便に複数の航空会社の便名を付けて運航する)、飛躍的に自社便のネットワークが広げられる。  こうしてユナイテッド航空はルフトハンザドイツ航空と提携してフランクフルトを、デルタ航空はエールフランス航空と提携してパリ・シャルルドゴール空港をヨーロッパのゲートウェイとしていく。ところがアメリカン航空はブリティッシュ・エアウェイズとの提携で、ロンドン・ヒースロー空港をヨーロッパのゲートウェイとするはずだったが、ともに米欧を代表する航空会社で、大物同士の提携だったために、反発を買った。結果、独占禁止法の観点からも2社の大西洋便での包括提携は実らなかった。そのぐらいにロンドンからのブリティッシュ・エアウェイズのヨーロッパ内路線は充実している。ということでアメリカン航空は、現在はスイスエアー、サベナ・ベルギー航空と提携、チューリヒ、ブリュッセルをヨーロッパのゲートウェイとして機能させている。しかし結局最も要になりそうなロンドンをゲートウェイにするアメリカの航空会社が存在しないこと、同様のことがアリタリア航空の拠点であるミラノにもいえるので、「アライアンス」勢力図はなお再編があるかもしれない。  ところで日本の一般的な利用者としてヨーロッパの空港を比べると、どこが最もゲートウェイとしてふさわしいだろう。たとえば日本から直行便のないニース、バルセロナ、リスボン、東欧各都市などへ行くとして、どこを中継地にするといいだろう。アメリカ側からみればロンドン、アムステルダム、パリといったところになりそうだが、日本からみると状況は異なる。便数ではロンドンやパリが最も多いが、日本から近い、たとえばコペンハーゲン、ヘルシンキなどをゲートウェイにしたほうが遠回りにならない。また空港がコンパクトなほうが乗り継ぎ時間は短くて済むが、それならウィーンやブリュッセルもお薦めだ。  それではヨーロッパ各空港の実力をみてみよう。 ロンドン・ヒースロー空港—— ●意外に不便な大空港 「すべての道はローマに通ずる」といわれるが、航空路では「すべての路線はロンドンに通ずる」といっていいだろう。深夜を除いて1日中旅客機の離発着が絶えないのがロンドン・ヒースロー空港だ。旅客機が着陸して来る方向を見ると、肉眼でも常に3機ぐらいが着陸体勢に入っているのが確認できる。さらに望遠鏡を覗くと、4機、5機と着陸の順番を待っている。これが終日続くのだから、さすがロンドンである。このような状態はかなり以前からで、ヒースロー空港はヨーロッパでも最も忙しい空港に数えられ、新規乗り入れ、増便は困難な状態だ。まるで成田空港のようでもあるが、そこは状況が違う。  東京の場合は成田空港しか国際空港がなく、成田に乗り入れられないこと=東京に乗り入れられないということになる。しかしロンドンにはヒースロー空港のほかに、ガトウィック空港、スタンステッド空港、ルートン空港とあり、ヨーロッパ内の便で、滑走路が短くても離着陸できる機材でなら、さらにシティ空港もある。東京とはかなり状況が異なる。  ヒースロー空港はターミナルが四つある大空港だ。ターミナル1は主に国内線とイギリスの航空会社のヨーロッパ内路線、ターミナル2はヨーロッパの航空会社が、ターミナル3はヨーロッパ以外の航空会社が、そしてターミナル4は主にブリティッシュ・エアウェイズの長距離便が発着する。ターミナル1、2、3は同じエリアにあり、徐々に別棟を増築したという雰囲気だ。さらにターミナル4はターミナル1、2、3とは離れた場所にある。全体的には、増え続ける発着便に対してそのつど増築を重ねたようなスタイルなので、すっきりまとまった雰囲気がなく、初めての人にはわかりにくいといった印象だ。  乗り継ぎも便利とはいえない事情がある。それはターミナルが国内線、ヨーロッパ内、長距離便と、基本的に方面別に分かれているが、これが実際の乗り継ぎ客の実情に合っていない。たとえば日本の旅客の場合、日本からロンドンへ飛んでここで乗り継いでヨーロッパやイギリス国内の都市へ飛ぶか、この逆パターンの人がほとんどだ。中でもブリティッシュ・エアウェイズ同士を乗り継ぐ人が多いが、この場合日本からの到着はターミナル4に、出発はターミナル1からで、遠く離れたターミナルへ乗り継がねばならない。これは日本からの利用者にとどまらず、アメリカからでもオセアニアからでも基本的に同じことがいえる。日本からのブリティッシュ・エアウェイズ便が到着したターミナルから出るのは同社のアメリカやアジア行きの便。日本航空、全日空、ヴァージンアトランティック航空便が到着したターミナルから出るのは、やはりアジアやアメリカなどの航空会社なのだ。日本からロンドンに到着してすぐにアメリカやアジア方面へ乗り継ぐ客はいないので、根本的に乗り継ぎ客重視の設計ではない。  またイギリスは島国のため、入国審査がヨーロッパの国としては厳しい。なぜ島国だと厳しいかというと、厳しくチェックすれば、労働目的などの入国者をチェックできるから。陸続きの大陸側では、いくら空港のチェックを厳しくしても、どこからでも入れてしまうという一種「諦め」のようなものがある。ということで入国審査にも結構時間を要し、なおかつターミナル間の移動に時間がかかるので、決してロンドン経由ヨーロッパ旅行は乗り継ぎが便利とはいえない。さらに付け加えれば、ヒースロー空港は発着する利用者に課せられる空港使用税も高い。たとえば日本から直行便のないヨーロッパの都市へアクセスするときにロンドンをゲートウェイにするという方法は、便数が多いというメリットはあるものの、意外に疲れて、空港税などもかさんでしまう乗り継ぎになるケースが多いのだ。  おそらくロンドンはヨーロッパでも端に位置し、以前から航空便の起終点で、経由地ではなかった。つまりロンドンを訪れるか、ロンドンを始発にする利用者が多かったため、方面別ターミナル構成になり、世界中の航空会社が乗り入れるゆえに整理する間もなく増築に追われて現在に至ったというところだろうか。昔からのやり方を重んじる英国流も作用したかもしれない。ある意味では極東の果てにある日本の空港と共通点があるかもしれない。 ヒースロー空港には各国から航空機が集まってくる ●毎日午後3時に滑走路をチェンジする  しかし乗り入れ航空会社、便数は大変多い。世界の主立った国の航空会社はほとんど乗り入れ、どの航空会社にとっても「ロンドン便」はメイン路線、ドル箱路線であることが多く、その航空会社の最新機材が使われる。他のヨーロッパ便が週2〜3便しかなくてもロンドン便は毎日運航だったり、他の都市へはビジネス、エコノミーの2クラス便でも、ロンドン便だけはファーストクラスもあったりする。アジアでは日本も多くの航空会社が集まり、便数も多いが、スケールが違う。たとえばロイヤル・ブルネイ航空は、同じアジアでも、日本へは乗り入れていないがロンドンへは毎日運航している。マレーシア航空は成田へは1日1便ほどだがロンドンへは2便、シンガポール航空の成田便は1日2便ほどだが、ロンドンへは3便と、距離的に遠いにもかかわらず多くの便を引き付けている。  乗り入れ航空会社が多いゆえの配慮もある。たとえばターミナル3は日系航空会社はじめ、アジア、オセアニア、中東、アフリカ、北米、南米の航空会社と、ヨーロッパ以外の航空会社のほとんどが乗り入れる。しかし本来ターミナル3に発着するはずの航空会社でも、エルアル・イスラエル航空、南アフリカ航空の2社はターミナル1に発着する。イスラエルはアラブ各国と敵対しているため、南アフリカは以前、他のブラック・アフリカ各国と敵対していたための処置で、人種隔離政策のなくなった現在でも、南アフリカ航空はターミナル1を発着する。乗り入れ航空会社が多岐にわたり、便数も多いことからの配慮だ。  便数が多いので滑走路は終日フル回転だ。2本の平行滑走路があり1本が離陸専用、他方を着陸専用に充てているが、使い方に工夫もある。地域への騒音に配慮、平等になるような工夫だ。航空機の騒音にはさまざまなものがあり、離陸時のエンジン音、着陸機が低空を通過するときの騒音、そして着陸機が接地してエンジンが逆噴射になったときの騒音などがあるが、これらが均等するようにされている。たとえば北側の滑走路を午前中に離陸に使ったとしたら、午後は同じ滑走路が着陸専用になる。これを毎日午後3時を境にチェンジしていて、以前から厳守されている。さらにこのままでは、主に午前中は毎日騒音があるところなどが生じるため、毎週、週の半ばで、午前中に離陸か着陸かをチェンジしている。つまり今週、北側の滑走路が午前中離陸なら、来週は午前中が着陸になる。 展望デッキはいつも航空マニアで賑わっている ●航空マニアのメッカでもある  こんなヒースロー空港、航空マニアの多い空港でもある。イギリスは世界で初めて鉄道が走った国でもあるため、古くから交通趣味が発達している。日本でも「鉄道マニア」「航空マニア」といった人は多いが、イギリスは日本の比ではない。男の子の最もポピュラーな趣味が交通趣味といっても過言でないぐらい。日本よりもずっと社会的に市民権を得ている趣味で、交通関係の雑誌もことのほか多い。さらに日本より、小さい頃から「趣味」の大切さが認識されている国で、スポッター、写真撮影、鉄道グッズ収集、模型など趣味活動も多岐にわたる。  空港にも展望デッキがあり、航空マニアで賑わっている。日本と違うのはマニアの年齢層の幅が広いことだ。お祖父ちゃん、お父さん、子供と親子3代で航空マニアなどというのはざら。また根本的に日本と違うこともある。日本では「マニア」という言葉に、若干変人扱いする傾向があるが、イギリスでは尊敬される存在だ。「お祖父ちゃんは僕の見たことのない古い飛行機のことも知っている。スゴイ」ということになるのだ。ちなみに展望デッキ内の売店にはさまざまな航空グッズや航空書籍などが売られているが、日本の航空雑誌まで扱われている。イギリスらしさが出るのは、航空マニアのおじさんたちの出で立ちだ。紳士の国だけあって、休みの日の飛行機ウォッチングにも革靴を履き、ロンドンらしく傘を携えている。いかにもロンドンといった風景だ。 市内へ向かう空港バスもロンドン名物の赤いダブルデッカー パリ・シャルルドゴール空港—— ●世界の空港スタイルをリードした空港  パリ・シャルルドゴール空港は1974年開港、ヨーロッパの大都市にある空港の中では歴史の新しい空港だ。パリにはもうひとつ、オルリー空港があるが、オルリー空港がそれまでのパリ唯一の、空の玄関口だった。  シャルルドゴール空港は故ドゴール大統領にちなんで命名され、とりわけ開港時は話題になった空港だ。1974年といえばボーイング747ジャンボ機が運航を始めて間もない頃で、世界の主要空港でも、旅客機への乗り降りはまだタラップが主流、現在のようにターミナルビルから旅客機に直接乗降できるボーディングブリッジは少なかった時代だ。そんな時代にシャルルドゴール空港はきわめて先進的かつ斬新なデザインで完成、世間をあっと言わせた。誰もが航空旅行を飛び越えて、宇宙旅行さえイメージするような奇抜なデザイン、施設だったのだ。この空港に発着する「コンコルド」は、まさに未来の「空の旅」の象徴だった。  ドーナツ型の円形ターミナルを中心に七つのサテライトが囲み、ターミナルとサテライトは地下道でつながれた。地下道にしたことで誘導路での航空機の動きがスムーズになったほか、ターミナルを囲む誘導路は、内側が時計回り、外側が反時計回りと進行方向を決めたことで、動きが整理された。ドーナツ型ターミナルの中心部分は、この空港の「見せ場」だ。吹き抜けにシースルーのエスカレーターが錯綜し、宇宙ステーションのような雰囲気。  フランスの空港全般に言えることだが、一目でどこの空港かが判る「見せ場」が用意されている。  一方1982年に完成したのがターミナル2(CDG2)で、このターミナルの完成で従来のターミナルはターミナル1(CDG1)になった。が、ターミナル2の形態はターミナル1とまったく異なり、サテライトを設けず、細長いターミナルに航空機が直接横付けされるスタイルだった。航空旅客の増加に対応するためにターミナル2は建設されたが、従来のターミナルはターミナルをサテライトが囲み、増築の余地がないスタイルだったため、ターミナル2では、同じターミナルを連続させることで需要増に対応できるスタイルになった。用地も当初からターミナル六つ分の敷地が準備された。  このように最初に建設されたターミナル1と、後に建設されたターミナル2では、まったく異なるスタイルになったが、これは、常に新しい空港のスタイルを模索していた表れだ。シャルルドゴール空港では、ターミナル1ではサテライト方式、ターミナル2ではターミナルビルに直接航空機が横付けできるスタイルが採用されたが、これらのスタイルが本格的に大きな空港で設計時から採用されたのはシャルルドゴール空港が最初で、後に建設される世界の空港に少なからず影響を与えた。何を隠そう成田空港のターミナル1はサテライト方式、これに対して関西国際空港は細長いターミナルビルに直接航空機を横付けさせるスタイルになっている。シャルルドゴール空港のターミナルビルは、世界の空港建築をリードしてきた。  しかし「パイオニア」ゆえ、そしてフランスらしく個性を重視した結果の使いにくさも残った。ターミナル1は、奇抜なデザインだが、世界の趨勢に反して下階が出発階、上階が到着階なので、その逆のスタイルに慣れている利用者は戸惑ってしまうことが多い。またターミナルが完成されたデザインながら、増築の余地がないほか、ターミナルビルの外周道路が、自動車が右側通行の国にもかかわらず反時計回りに固定されているため、バスなどのドアがターミナルとは反対側を向いてしまう。到着便のラッシュ時などは、ターミナル周辺はかなり混雑する。これは当のフランスの人たちも使いにくいと思っているようで、バスの乗り場などで、怪訝な顔をしているフランス人ビジネスマン、「何とかならないか」といった顔で交通整理にあたる警官や空港内循環バスの運転手をよく目にする。  このようにターミナル1はデザイン最優先で造られたという印象もある。ただしターミナル2以降はその反省を踏まえた設計で、現在のターミナル2は、2A、2B、2C、2D、2Fと五つのターミナルがあり、さらに2Eが建設中だ。このターミナル2には、パリ市内への近郊電車の駅、さらに「TGV」の駅や本格的なホテルまで併設されていて、新しいヨーロッパの要になるべく機能が充実している。  とくに空港に「TGV」の駅ができたことは、ヨーロッパの空の玄関としてだけでなく、近くのベルギーやドイツのケルン方面へは鉄道のほうが便利なので、航空機と鉄道が連携したというところが、やはり先進的だ。それまでもスイスのチューリヒやジュネーブ、ドイツのフランクフルトでは、空港駅から市内へのアクセス列車だけでなく、長距離列車が発着していたが、高速列車専用の駅が別に設けられたのはシャルルドゴール空港が初めてだった。 宇宙ステーションにいるようなイメージのターミナル1 ターミナル2はターミナル1とまったく異なるスタイルになった ターミナル内のデザインのセンスはさすがフランスだ ●ジェットエンジンで霧を吹き飛ばしていた  このように常に新しいものを取り入れてきたドゴール空港、数年前までは世界でも珍しい装置が稼働していた。それがFDS(フォグ・ディスパーサル・システム)だ。ドゴール空港では朝、濃霧の発生率が高く、ときには航空機の着陸ができないこともあった。そこで滑走路端に13個のジェットエンジンを100メートル間隔に埋め込み、着陸機がアプローチしているときに、そのジェットエンジンを噴射、その風と熱で一瞬でも霧を蒸発させ、視界を取り戻すという装置だった。何とも大胆な発想だが、フランス人が考案、世界で初めてドゴール空港で実際に稼働した。  フランスという国は古きを愛する国、それゆえパリの中心街などは今でも美しいたたずまいに保たれているが、一旦新しいものを造ったときにはとことん新しいものを躊躇なく取り入れるというのもフランスだ。この装置は設備が大がかりで、霧の発生率が高く、しかもこれを使ってでも着陸するだけの需要がある空港でしか採算が取れない装置で、他の空港に普及することはなかった。しかし、その当時は日本からの便もこのFDSの力を借りて着陸した便もあるという。何しろその頃の日本からパリへの便はアンカレッジ経由がメインルート、パリに朝到着していたのだ。  ちなみにその当時、FDSの1回の使用料は約100万円。その時に着陸した航空会社の負担になるので、各航空会社は、これを使って定時到着するか、他の空港にダイバート(代替空港に着陸すること)するかのそろばん勘定にも苦慮したという。ダイバートすると、ダイバートした空港に着陸料を支払わねばならず、そこでまた燃料を補給する。時間を要した場合は乗客に機内食なども用意せねばならない。さらに大変なのが、遅れた分、乗り継ぎ便のある乗客へのケアーなども必要だ。「濃霧」という自然現象での遅れなので、航空会社側の責任はないとはいうものの、いろいろと大変なのだ。ちなみにこのFDSを使っても霧が晴れず、結局着陸できなかったというケースもあるようだが、その場合は使用料は取られなかったそうだ。  現在はなぜこの装置が使われなくなったか。これはその間の、航空機の操縦技術におけるハイテクの進歩が関わっている。このFDSは、大がかりな装置を用いているものの、物理的に霧を吹き飛ばしてしまうという、いわば方法論としては原始的なものだ。目的はパイロットから滑走路が視認できるようにすることだ。しかし現在ではパイロットの目には見えなくても、着陸誘導装置の精度がきわめて高くなった。ちなみに日本国内でも、国内線なども含めて、濃霧のための欠航率は10年前などに比べて低くなっているのはご存じだろうか。成田、熊本、釧路、また旧広島空港などは霧の発生率が高かったが、現在は着陸誘導装置のレベルを高くしたり、新空港に移行したりしたことで、濃霧による欠航は激減している。台風などによる強風で着陸できないということはあっても、濃霧で着陸できないという事態は年々減っているのだ。 アフリカからの便が多い。写真の機体は「エール・アフリーク」と呼ぶ ●アフリカへの便が多い  パリの話に戻るが、発着するフライトの特徴としては、以前は国際線専用で、国内線はすべてオルリー空港を発着していたが、ヨーロッパ各国の航空会社間の競争が激しくなってからは、乗り継ぎをよくするために、国内線も発着するようになった。ちなみにシャルルドゴール空港とオルリー空港はパリ市内を挟んで反対側、シャルルドゴール空港が市の北、オルリー空港は市の南に位置するが、両空港間連絡バスは、市内の外環状の高速道路を経由するので、市内に入ることなく、快適に結んでいる。  国際線にも特徴があり、アフリカ路線が充実している。とくに旧フランス領だった西アフリカ各国との間では、ヨーロッパでは唯一パリと結ばれている国もあるほか、ロンドンやローマとは週1便程度の便しかない都市に、毎日、あるいは毎日複数便が飛んでいるなど、旧宗主国の貫禄を見せている。アフリカへの航空路には特徴があり、各国ともヨーロッパの旧宗主国とのフライトがメインになり、意外なほどアフリカ内の横の連絡は希薄だ。たとえば、アフリカにある旧フランス領の国から、旧イギリス領の国へ移動するときは、一旦パリへ出て、ロンドン経由で目的地へ向かったほうが便利、などといわれるぐらいだ。  しかしアフリカからの便が多いといっても、発着する便全体からすれば僅かだ。多数を占めるのはヨーロッパ内の便やアジア、アメリカへの便だ。客層は、同じパリのオルリー空港に比べるとビジネスライクな雰囲気だ。 フランクフルト・マイン空港—— ●機能的なドイツらしさが冴える空港  伝統や昔からのやり方を重んじるロンドン、デザイン優先のパリと、意外にもヨーロッパで最も多くの便が集中する2大空港は、乗り継ぎの使い勝手では1番、2番とはいえない。しかしこれは仕方がない。多くの便が乗り入れていると、それらを円滑に発着させるには空港は大きくならざるをえない。ましてロンドンもパリも複数の国際空港があるので、所詮はすべての乗り継ぎを同じ空港で処理することはできないのだから。  では一つの空港ですべての便を処理している都市で最も多くの便が集中しているヨーロッパの空港はというと、ドイツはフランクフルト・マイン空港だ。ここはドイツらしく、世界でも最も堅実な運航をするとも言われているルフトハンザドイツ航空の一大基地だ。実は同社の日本便は、以前は北部の港湾都市ハンブルク、新空港になった南部のミュンヘン、新首都ベルリンからと、さまざまなルートで飛んでいたが、現在はフランクフルトからに統一、フランクフルトのハブ機能を強化している。ドイツはイギリスのロンドンやフランスのパリのように、その国を代表する大都市がなく、中都市の連携から成り立っているが、空の玄関口としてはフランクフルトが大きな役割を果たしている。ヨーロッパの金融センターなどといわれるが、人口は65万人と、日本でいえば岡山市程度の規模だ。都市としては小さいがドイツの交通の要衝として栄えた街だ。  乗り入れ航空会社は100社を越えるが、これを巨大な二つのターミナルと2本の平行滑走路と横風用滑走路の計3本の滑走路で賄う。ターミナル1にはここを拠点にするルフトハンザドイツ航空などが、ターミナル2には日本航空やアメリカ系航空会社などが発着する。これだけ多くの便が同じターミナルに乗り入れると、複雑かつ煩雑になりそうだが、そこはドイツの堅実さと機能性、そして徹底した利用者優先の設計思想で、大変使い易い空港になっている。ターミナル1ではチェックインカウンターが菱形を描くように斜めに配置され、遠くからでもお目当ての航空会社のカウンターがわかりやすくなっている。「エクスプレスカウンター」という、受託手荷物のない乗客用のカウンターも以前から多く用意されていた。ターミナル1とターミナル2は「スカイライン」というゴムタイヤ駆動の交通システムで頻繁に結ばれている。2両連結中1両はイミグレーションの外の乗客、1両は中の乗客を運んでいて、両乗客が混ざらないよう、ホームの停車位置、開くドアなどで分け、ホームには透明なアクリル板の仕切りが立てられている。実に整理が上手というか、ドイツらしい機能性が感じられる。  この空港で乗り継ぎになるのはルフトハンザドイツ航空便同士が多くなるが、長距離便でも近距離便でも同じターミナル1を発着するので、便数が多い割にスムーズな乗り継ぎができる。日本発着便では日本出発時間を午前の早めの時間にしているので、フランクフルトには午後に到着、ヨーロッパ内のほとんどの都市へ同じ日に乗り継げるほか、主要都市へは明るいうちに到着できる。  空港内には長い乗り継ぎ時間のある乗客を飽きさせない工夫もさり気なく見られる。シンガポール・チャンギ空港のように、プールやカラオケがあるわけではないが、街にある機能すべてがある。たとえば映画館、ディスコ、スーパーマーケットも街にある大型店と同じ規模、ドイツらしくポルノショップまである。  空港ターミナルビルの向かいには本格的なホテルやコンベンションセンターがあり、連絡通路でつながっている。地下には鉄道駅があり、Sバーンと呼ばれる近郊電車が乗り入れる。市内へのアクセスのよさもこの空港の自慢だ。フランクフルト中央駅までSバーンで約10分、都心から遠い空港を持つ東京からみると何とも羨ましい限りだが、成田空港でいえば、成田市内までの距離しか離れていない。このようにあまりに電車が便利なので、ここでは市内への空港バスはなく、空港からのバス路線はハイデルベルクやマンハイム行きなどがあるだけだ。また空港直下の鉄道駅だけでなく、空港ターミナルと連絡橋でつながった長距離列車専用の空港駅もある。パリ・シャルルドゴール空港にある「TGV」の駅に続くもので、ドイツ版新幹線ともいえる「ICE」やスイス、イタリア方面への長距離列車も発着する。ただし空港が始発駅ではなく、長距離列車の走る路線を「空港経由」にしたのだ。ますますヨーロッパの交通の要衝としての機能が充実したといえる。 整然と並んだチェックインカウンターがドイツらしい ●乗客のチェックが厳しい大西洋便  ところでこのマイン空港でこんな経験がある。アメリカ系航空会社でここからボストンへの搭乗手続きの時、パスポートチェックをする係官が、私のパスポートに不審を抱いた。中東の2カ国で乗り継いでの航空券だったが、何の目的でこれらの国を経由したかをしつこく聞くのである。乗り継ぎ以外の目的はなかったので「トランジット」であることを告げたが、係官は怪訝な顔だ。そしてその人から通報があったのか、搭乗ゲートへ行くと、別室というか階段の踊り場のようなところに連れていかれ、個別に荷物検査が始まった。まるでその係官は「絶対に何かを不法所持しているはず」と言わんばかりに写真のフィルムのケースまで開けられた。  しかし何も出てくるはずもなく、係官は「納得いかない」といった感じで荷物検査は終わった。その時の便はボーディングブリッジには付かず、タラップ利用だったのだが、すでに乗客を輸送するバスは出発しており、私はライトバンのような車に乗せられて搭乗機へ。私が乗ると同時にドアが閉まり出発した。  しかし私の経験は珍しい話ではないようで、アメリカ系航空会社の大西洋線に乗るアジア人のチェックは厳しいらしい。そしてフランクフルトに限ったことでもない。その後、パリ・シャルルドゴール空港からやはりアメリカ系航空会社でシカゴに向かったときも、パスポートにあったパナマ入出国スタンプについて、何をしに行ったのかしつこく聞かれたことがある。マドリードからアメリカ系航空会社でニューヨークに向かう日本人の友人をバラハス空港で見送ったときは、友人はスペイン内での行動を、こと細かく聞かれていた。聞かれていたというよりは尋問でも受けているみたいで、その係官は「ヒステリック」としか思えない状態だった。アメリカという国、世界の紛争にかかわっていることが多く、敵も多いと実感させられてしまう出来事だった。 2両連結の「スカイライン」にも工夫が 長距離列車用の空港駅には「ICE」も発着する ●航空マニアには嬉しい空港  フランクフルト・マイン空港、航空マニアにも人気の空港だ。ターミナル1、ターミナル2ともに見晴らしのいい展望デッキがあり、ターミナル1ではサテライトの屋上まで開放され、次々に発着する世界のカラフルなエアラインたちを間近で見ることができる。  各国の空港で、セキュリティの問題から展望デッキを閉鎖、縮小したり、あるいは窓越しにしたりと、年々航空マニアにとってはつまらなくなる昨今に、ここだけはフェンス、窓などはなく、新しくできたターミナル2にも展望デッキを設けるなど、航空マニアには人気の空港なのだ。以前、湾岸戦争勃発時、西ヨーロッパ各国の空港では、テロを恐れ、受託手荷物は航空機に積む前に乗客立ち合いの下で、持ち主のはっきりしたものだけを積み、機内持ち込み手荷物から一切の乾電池が預かり扱いにされたことがあった。当然各空港の展望デッキも一時的に閉鎖されたりもした。ところがフランクフルト・マイン空港の展望デッキは、入場時の検査を厳重にしたものの、閉鎖はしなかった。  現在でも展望デッキに入場する際は荷物検査と金属探知機を使った身体検査があり、入場料も5ドイツマルク(約300円)と、おそらく世界一高い展望デッキ入場料になっている。しかし施設は充実していて、売店や軽食の取れる施設があるほか、航空機の歩んできた歴史が簡単に解る展示などがあり、子供には航空機に親しんでもらい、また大人には航空機のことを正しく理解してもらおうという姿勢が感じられるのが好印象だ。展望デッキからは空港敷地内を観光バスで一周するツアーも出るなど、マイン空港ならではの体験アトラクションもある。  こんな施設充実の展望デッキを目指して、ドイツ中、いやヨーロッパ中から航空マニアがやってくる。昼間の時間の長い夏季などは、遠く香港などアジアからもマニアがくるほか、夏季なら1日中いれば一人ぐらいは日本人にも出会うぐらいの人気だ。マニアの中には遠く海外からこのフランクフルトを訪れ、1週間、毎日空港の展望デッキ通いをする強者もいる。世界中のマニアが集うので彼らの情報交換の場でもあり、マニアにとっては居心地がいいのだろう。展望デッキにはフィルムや乾電池の自動販売機があり、マニア用にポジフィルム(スライド用)まで売られている。何とも心憎い展望デッキなのだ。 展望デッキはいつもマニアで賑わう アムステルダム・スキポール空港—— ●シンガポール・チャンギ空港が手本にした空港  アムステルダム・スキポール空港はシンガポール・チャンギ空港とともに使いやすい空港として人気の高い空港だ。そして何を隠そう、シンガポール・チャンギ空港はこのスキポール空港を手本に造られたという。利用者に人気の空港の源はアムステルダムだったのだ。  施設云々は別にしても、この空港が乗り継ぎに便利だというはっきりした理由もある。ロンドン、パリ、フランクフルトと、ヨーロッパで最もフライトが集中する都市は、すべて空港が複数、また同じ空港でもターミナルが複数あり、乗り継ぎパターンによってはターミナル間の移動を伴う。その点スキポール空港はターミナルが一つ、つまりすべての乗り継ぎが同じターミナル内で行える。とはいっても、スキポール空港にはそれなりの便数しか発着便がないということでもあるが、便数が多ければ多いほど便利ということにはならない現実もある。  たとえば日本からの旅客がヨーロッパのゲートウェイで乗り継いで最終目的地に行く場合、ヨーロッパ、中東、アフリカの都市に限られるだろう。利用する航空券も現在は、ビジネスマンとて何らかの割引航空券がほとんどだ。どのような航空会社の乗り継ぎでもできる正規運賃を使って旅行する人は限られている。となれば、アムステルダムで乗り継ぎになるのはKLMオランダ航空同士、または同社傘下や提携する航空会社への乗り継ぎがほとんどということになる。つまり全体の発着便数は少なくても、多くの人が利用する乗り継ぎがスムーズに行えれば、充分ハブ、ゲートウェイとしての役割は果たせるわけだ。  ここを拠点にするKLMオランダ航空は、そのようなことを踏まえてスケジュールを組んでいる。日本からの便が到着した1〜2時間後にヨーロッパ各地へのフライトが集中していて乗り継ぎがスムーズにできる。そもそもヨーロッパへ渡航する日本人の中でオランダが目的という人は少ない。にもかかわらずKLMオランダ航空は成田、関西、名古屋、千歳からの便があり、とくに関西からは毎日のフライトがある。日本国内の4都市に乗り入れているヨーロッパ系航空会社も同社だけだ。これらの乗客の多くはアムステルダムで乗り継いで第三国の目的地に向かっている。アムステルダム・スキポール空港は日本でも人気の空港だが、同時にKLMオランダ航空も人気エアラインだ。空港と航空会社の合わせ業での人気と推測できそうだ。  空港側もこのようなメリットをアピールしていて、「シングル・ターミナル・コンセプト」がこの空港のキャッチフレーズだ。暗に大都市だとターミナルが複数になって乗り継ぎがスムーズでないことを強調しているようだ。空港ターミナルは、一つのターミナルでなるべく多くの便が発着できるように、扇を開いたような形をしている。乗り継ぎ客への施設は充実していて、その名も「スキポール・プラザ」は、ヨーロッパで最も品物が豊富で値段が安い免税店などが並ぶ。空港で自動車まで売られているというのは有名な話だが、シンガポール・チャンギ空港に負けず劣らずの施設の充実振りで、カジノ、日焼けサロン、ゴルフ練習場まである。 「アムステルダムへぜひ来てください」という姿勢ではなく、「アムステルダムを乗り継ぎ空港にすると便利ですよ」という姿勢なのは、シンガポール同様だ。そのため乗り継ぎ客への施設が充実しているが、シンガポールの空港と似ているのはそれだけではない。長い乗り継ぎ時間がある乗客には、アムステルダムの市内ツアーが用意されている。シンガポール同様の配慮といえるが、「今回は乗り継ぎだけでしたが、次回はぜひアムステルダムにもお立ち寄りください」という姿勢が窺える。  また空港当局も発着便の誘致に積極的だ。ロンドン、パリ、フランクフルトというヨーロッパ3大空港のちょうど真ん中に位置し、これらの都市よりもずっと発着便には余裕があり、しかも離着陸ごとに空港側に支払わなければならない着陸料も安いということをアピールしている。スキポール空港には滑走路が5本あり、旅客ばかりでなく、貨物の取り扱いにもまだ余裕がある。滑走路が5本もあるため、24時間稼働の空港ながら、空港敷地の外側にある滑走路は夜間使用禁止にして地域の騒音低下に配慮している。  興味深いのはKLMオランダ航空自身、ヨーロッパ内でアムステルダムにはあまり観光客が来ないということを意識していることだ。同社のマイレージ・プログラムでヨーロッパ内の往復無料航空券を得ようとすると、一風変わった必要マイル数が設定されている。たとえばアムステルダム〜ローマ間の無料航空券なら、普通はアムステルダムからローマ往復でも、ローマからアムステルダム往復でも必要マイル数は同じはずだ。ところが同社では、ローマからアムステルダム往復より、アムステルダムからローマ往復のほうが、必要マイル数が大きい。つまりアムステルダムに来てくれる人を優遇している。 扇を開いたようなスタイルのスキポール空港(写真提供:アムステルダム・スキポール空港) ヨーロッパでは最も乗り継ぎに適した空港といわれる ●印象に残ったテレビコマーシャル  スキポール空港は古くから空港アクセス優良空港でもある。現在ではヨーロッパの空港には、鉄道アクセスが完備しているのが当たり前となったが、ここでは以前から空港〜市内間のみならず、国内各地へのインター・シティも空港駅に発着していた。空港アクセス鉄道というより、ロッテルダムなどにも直通しているので、古くから航空と鉄道が連携していた空港だ。印象的なテレビコマーシャルもあった。その内容は言葉などまったく理解できなくても誰にでも100パーセント納得の映像だった。画面奥から電車が走ってこちらに向かってくるのだが、途中から車体に翼が生え、そのまま電車が離陸するというものだった。この、あまりにも「単刀直入」なコマーシャルは随分と印象に残ったものだ。 ミラノ・マルペンサ空港—— ●ハブに生まれ変わった「マルペンサ2000」  イタリアの空の玄関口は首都ローマ?とも思われるが、現在はイタリアのゲートウェイ機能は完全にミラノ・マルペンサ空港に移行した。実はそれまではどちらかというとローマが玄関口だった。ミラノはというと、主な空港だけでマルペンサ空港と市内から近いリナーテ空港があり、マルペンサ空港には長距離国際線が、リナーテ空港には国内線とヨーロッパ内の路線が発着していた。国内線やヨーロッパ内の路線が市内から近いリナーテ空港発着だったので、ミラノに住む人にとっては好都合だった。  しかし、たとえば日本からミラノで乗り継いでイタリアの地方都市へ行くとか、ヨーロッパの他の都市へ行く場合は、マルペンサ空港に到着後、リナーテ空港に移動しなければならず、不便極まりない状況だった。というより日本からの便がミラノに到着するのは夕方、それから入国手続きをしてリナーテ空港に移動したのでは、結局その日のうちには他の都市へ移動するのは無理だった。実際、ミラノを乗り継ぎ地に選んで旅行する人はなかったといえる。このため各ヨーロッパ系航空会社は、自国への渡航客のみでなく、たとえばルフトハンザドイツ航空を使ってスペインへ行くなどというのはごく普通に行われていたが、アリタリア航空はイタリアへの渡航客を運ぶしかなかった。そしてイタリアは人気の観光国だったので、それで構わなかったのかもしれない。  ところがEU経済統合でヨーロッパの各航空会社間の競争は激しくなり、各国の空港が整備される中、イタリアだけが旧態依然としていたのでは、とり残されてしまうという懸念から、ミラノ・マルペンサ空港をイタリアのゲートウェイ、ヨーロッパのハブとして整備することになったのだ。  滑走路など基本的な設備はそのまま使い、ターミナルビルなどは既存のターミナルビルとは違う場所に新調された。新ターミナルは1998年完成、「マルペンサ2000空港」と名付けられ、従来のターミナルビルはチャーター便専用ターミナルとなった。併せてアリタリア航空のフライトから徐々にマルペンサ空港へ移行、現在ではリナーテ空港を発着する便は約半分の国内線と僅かな国際線が残るのみとなった。アリタリア航空のフライトスケジュールも大幅に刷新された。長距離国際線の到着に合わせて同社のヨーロッパ内や国内線、北アフリカ路線を接続するようになり、日本からもイタリアのみでなく、ヨーロッパ各都市へ乗り継ぐのに便利な航空会社になったのだ。現在ではモロッコのカサブランカへも毎日接続するなど、ヨーロッパ南部のゲートウェイとして機能している。また市内から遠くなった分、市内中心の北駅から「マルペンサ2000空港」のターミナルへ鉄道アクセスも建設された。車両はイタリアらしい洒落たデザインの2階建て電車だ。  それまでは、イタリアの空港というとあまりいい印象がなかった。それは、観光国のくせに警備が厳しいのである。ローマでもそうだったが、空港内に飛行機を見る展望デッキなどはなく、ターミナル内でさえカメラを向けると係員からカメラをしまうよう注意された。結構徹底されていて、警備員のみならず、航空会社の職員でさえ、すぐに飛んできて注意する。空港警察の人ならすぐにパスポートの提示を求めるといった具合だ。銃を携えた警備員がいつもターミナル内を見回ってもいたので、緊張する空港だった。せっかくの旅行気分なのに、空港は出入りのときだけ、最小限の滞在にとどめたくなるような雰囲気だった。しかし「マルペンサ2000空港」はかなりそのような雰囲気が緩和されたと思う。それまでは壁に囲まれ、窓の少ない(ないといったほうがいいかもしれない)ターミナルで、閉鎖的なビルだったが、新ターミナルは、基本的にすべてガラス張りで空港が見渡せるようになり、室内も明るくなったのだ。カメラを向けてもとくに問題はなかった。 国際線のほとんどが乗り入れるようになったマルペンサ空港 市内へのアクセス電車は洒落たデザインの2階建て電車だ チューリヒ・クローテン空港—— ●以前から環境にやさしい空港を目指す  スイスの首都はベルンだが、ベルンの空港は小さい。プロペラ便の発着が主で、まして長距離国際線など発着していない。スイスの玄関口になる空港はチューリヒとジュネーブ、以前は日本とジュネーブを直行で結ぶ便もあったが、現在はチューリヒのハブ機能を強化、日本からの便はすべてチューリヒに直行する。ジュネーブはというと、国際機関が多くあるので、今でもスイスの乗り入れ都市としてジュネーブを選ぶ航空会社も多く、とくに中東の国々の航空会社はジュネーブに乗り入れる。日本からは日本航空とスイスエアーが成田、関西からチューリヒに直行便を運航、乗り継ぎも便利で、東欧などへも接続がいい。  スイスという国は西部のフランス語圏、南部のイタリア語圏、そして東部のドイツ語圏に分けられ、チューリヒはドイツ語圏に含まれる。だからというわけではないが、空港ターミナルはドイツの空港のような機能性があり、日本人にもわかりやすい構造だ。といっても日本からの便が到着しても入国審査ブースには審査官はおらず、出口には係員が一人立っているだけ、日本人はパスポートの表紙を見せるだけでフリーパスといった感じのことが多い。  ターミナルビルの機能性と並んで、この空港で印象的なのは、空港周辺の美しさも挙げられる。普通、空港というのはどの国でも無味乾燥なものだ。空港周辺は木々が配されていることも多いが、主に騒音対策のための防音林程度だ。ところがクローテン空港周辺は、牧歌的な風景が広がる。スイスの観光ポスターでは、緑の絨毯、澄んだ空気の中を登山電車が走るといった風景をよく目にするが、あの風景の中に空港があると思えばいい。  しかしスイスとて、美しく保つためのさまざまな努力をしている。スイスの街では、大型トラックやディーゼルエンジンのバスを見かけることが少ない。大型の貨物は貨物列車で運ぶことがこの国では基本だ。スイスの鉄道は電化率が高く、その理由として豊富な水力を使って発電された電力があるからだといわれるが、それよりもディーゼル機関車を使いたくないというのが本当のところだ。都市内交通も極力路面電車かトロリーバス、本来景観を守るならこれらの交通機関は不利。なぜなら街中に電線をぶら下げなければならない。しかしこの国では、それよりも有害な排気ガスを抑えることを優先させているのだ。  この考え方は空港でも同様で、スイスの空港では原則的にAPUの使用が禁止されている。APU(補助動力装置=Auxiliary Power Unit)とは、補助的なエンジンだ。旅客機はエアコンや照明など、機内で必要な電気は推進用エンジンで発電した電気で賄われているが、駐機スポットに到着し、エンジンを切ってしまうと、電源がなくなってしまう。そこで到着したら機体後部にある補助エンジンに切り替えて、駐機中に必要な電気などを発電している。しかし補助的なエンジンといっても、ジャンボ機などの大型機になると、小型プロペラ機のエンジンほどの馬力があり、騒音と排気ガスを撒き散らす。  そこでチューリヒ空港では、早くからこの問題を解決するため、APUに対して、地上から電源を供給するGPU(地上動力装置=Ground Power Unit)を各スポットに設置、駐機中は地上からの電源を使うよう義務付けている。そしてヨーロッパの各空港ではこのシステムを取り入れる空港が増えつつあり、成田空港でも一部実施されている。車でいうところの「アイドリングストップ」の飛行機版と考えてもいいだろう。たかが補助動力装置といえども、効果は我々利用者も肌で感じることができる。クローテン空港にはターミナル屋上に展望デッキがあるが、そこで飛行機を眺めていても心地よい風が吹いている。通常、空港の展望デッキというと、ジェットエンジンからの排気独特の匂いがするが、それが圧倒的に少ない。  環境への配慮はこれだけではない。離着陸するたびに航空会社が空港側に支払う着陸料の料金体系がユニークだ。通常は重さによって料金が定められているが、クローテン空港では、重さとともに、古い航空機(騒音のうるさい、排気ガスの多い)で乗り入れる場合はその料金が高くなる。新型機材購入がままならない、経済的に苦しい東欧や旧ソ連からの独立国にとっては厳しい規則とも思えるが、国を挙げて地球環境のことを考えているスイスだからできるともいえるわけだ。 空港周辺がたいへん美しいクローテン空港 展望デッキで見つけたユニークな販売機 ●航空と鉄道の連携も世界で最も進んでいる  クローテン空港はフランクフルト・マイン空港同様に、航空マニアにも人気の空港で、ターミナルビルの屋上が展望デッキとして開放されている。こんなデッキでユニークな販売機を見つけた。それは航空時刻表。時刻表そのものは珍しくないだろうが、ここの時刻表は、飛行機を利用するための時刻表ではなく、このデッキで主に撮影したりスポッティングしたりするための時刻表だ。時刻はまず出発、到着便に分け、それぞれを朝から時間順に並べ、機材や発着するターミナルなど、航空マニアに必要な情報だけが事細かに掲載され、簡単な撮影ガイドもある。またフランクフルト・マイン空港同様に、空港内見学のバスツアーもあり、クローテン空港のそれは、フランクフルトのものより、さらに飛行機マニア向けだ。フランクフルト・マイン空港のバスツアーは空港敷地内をバスの車窓から見学するだけで、バスからは降りない。ところがクローテン空港のツアーでは、滑走路のすぐ傍で下車、力強い航空機の離陸シーンを間近で見せてくれるのだ。おそらくこのようなバスツアーは世界でもここだけであろう。  ターミナル直下には鉄道駅があり、チューリヒ中央駅まで列車で15分という恵まれた空港アクセスを持つ。スイスではジュネーブ空港にもターミナル直下に鉄道が乗り入れていて、ともに空港〜市内間のみでなく、スイス国内のインター・シティなどが乗り入れているので、バーゼル、ベルンなどといった主要都市へは空港から直接アクセスできる。ヨーロッパ特有の、一歩進んだ鉄道と航空の連携が見られる空港だ。さらにスイスで特筆すべきは、駅でチェックインができたり、成田空港で預けた荷物を、スイスの地方都市の駅でピックアップできたりするなど、鉄道がうまく航空の末端のサービスを請け負っていることだ。  このようにスイスの空港は古くから空港に鉄道が乗り入れているが、現在はヨーロッパの主要空港に波及、ヨーロッパでは空港に駅があるのは当たり前となった。列挙してみると、チューリヒ、ジュネーブはじめ、ローマ、ミラノ、ピサ、ウィーン、フランクフルト、ミュンヘン、シュツットガルト、ベルリン、デュッセルドルフ、コペンハーゲン、ストックホルム、オスロ、パリ・シャルルドゴール、パリ・オルリー、リヨン、ブリュッセル、アムステルダム、バルセロナ、マラガ、ロンドン・ヒースロー、ロンドン・ガトウィック、ロンドン・スタンステッド、グラスゴーなどがある。さらにアテネ新空港やフィレンツェでもアクセス鉄道を建設中だ。 空港ターミナル内を走る観光ツアーバス ヘルシンキ・ヴァンター空港—— ●日本から一番近いヨーロッパ  日本からの便がある最も近いロシア以外のヨーロッパの空港はどこだろう。ローマ? ミラノ? それとも東欧に属するウィーン? しかし答はフィンランドのヘルシンキだ。日本はヨーロッパ主要都市に比べると緯度が低い位置にあり、札幌とローマがほぼ同じ緯度、パリやロンドンは日本よりずっと北にある。東京はというとアフリカのモロッコなどと同じ緯度だ。しかし飛行機のルートで行くとイタリアはスイス、ドイツ、北欧などに比べて日本から遠い。北に位置するいわゆるスカンジナビア各国は日本から遠いように思われるが、航空機のルートでは北欧が最も近いのだ。地球儀と糸を用意し、日本とヨーロッパを結んでみれば理解できるが、日本を発った便がヨーロッパへ向かうときは、西へ向かうというよりは、北へ向かう。シベリア上空を通過、たとえばロンドンやパリへ向かう便もモスクワ、サンクトペテルブルク、バルト海などを経て目的地に向かう。ヘルシンキは日本から最も近いヨーロッパなのだ。  そのためヘルシンキは、日本から直行便のない都市へどこかで乗り継いでアクセスする場合、乗り継いでも遠回りにならないので意外なほど便利な空港だ。たとえば東欧へ行くのにパリで乗り継ぐと、一旦通り過ぎてから戻るようなもの。逆にマドリードなど南欧へ行く場合も、ヘルシンキ乗り継ぎなら、日本とマドリードの航路上にヘルシンキがあるので遠回りにならない。とは言っても、日本〜ヘルシンキ間はフィンランド航空の便が週2便あるだけ、便数からは便利といえないが、所要時間で言えば、ヘルシンキ乗り継ぎは、空港もコンパクトにできているので、スムーズだ。日程とフライトスケジュールが合えば使う価値大と申し上げておこう。  ヴァンター空港のターミナルは、ガラスが多く使われ、外からの光がふんだんに入る構造だ。北欧は太陽が低い位置にある季節が長いので、いつも横からの光に照らされる。空港周辺は北欧らしい針葉樹に囲まれ、その景色が美しい。冬季は寒く、積雪も多い空港だが、雪によって空港が閉鎖されるということはない。成田ではたまに大雪でフライトが遅れることがあるが、遅れの原因のひとつに翼の上に積もった雪を落とす作業車が少ないということが挙げられる。当然作業車は日本の航空会社が保有しているので、大雪のときには自社便の作業で手いっぱい、海外の機体の作業まで手が回らないというのが現状だ。やはり普段から雪に慣れている空港なら、除雪作業に対する設備が万全ということか。 バックの森林が美しいヴァンター空港 コペンハーゲン・カストラップ空港—— ●北欧のゲートウェイはコペンに集約  ヘルシンキ同様にコペンハーゲン・カストラップ空港は古くから北欧の玄関口だ。ヘルシンキ同様に日本から近い位置になるので、ここで乗り継いでも最短距離になる場合が多い。コペンハーゲンへは成田からスカンジナビア航空が毎日便を飛ばす。  ところでEU経済統合に始まったヨーロッパの航空会社の体質改善は北欧にも例外なく波及している。たとえばスカンジナビア航空は、以前は成田からの便は曜日によってコペンハーゲン行きとストックホルム行きがあった。関西国際空港開港直後、同社は関西からもコペンハーゲン便を飛ばし、夏季は関西〜ストックホルム便も運航していた。しかし現在は成田からコペンハーゲンへの直行便を毎日運航することで、コペンハーゲンのハブ機能強化を図っている。長距離便の起終点を1カ所に集約し、接続便を充実させるという手法だ。これによって日本〜スウェーデン間の便はなくなってしまった。そもそも日本からの北欧観光客はコペンハーゲンのあるデンマークよりスウェーデンやノルウェーのほうが多いので、観光客の利便よりハブ機能強化が優先されたわけだ。  長距離便の起終点を1カ所に集約するという点では、ルフトハンザドイツ航空やアリタリア航空も、それまでバラけていたルートをフランクフルトやミラノに集中させたという経緯があるが、スカンジナビア航空の場合は条件が少し異なる。スカンジナビア航空はデンマーク、スウェーデン、ノルウェーの3カ国共同出資の会社で、それぞれの首都であるコペンハーゲン、ストックホルム、オスロが運航の拠点だったが、現在はかなりコペンハーゲンに重点がおかれた運航になったといえるのだ。他の2カ国に関しては長距離便が少なくなったわけで、それぞれの国の利害に比べてもハブ機能を優先させたことになる。  ちなみにスカンジナビア航空のように複数の国が共同出資するメジャーな航空会社はほかにもある。中東のガルフ航空は、オマーン、アラブ首長国連邦、カタール、バーレーンの4カ国共同出資、そして4カ国の首都の空港からほぼ平均的にフライトがある。またアフリカには11カ国共同出資の航空会社もある。エア・アフリカはベニン、ブルキナファソ、中央アフリカ、チャド、コンゴ、コートジボアール、マリ、モーリタニア、ニジェール、セネガル、トーゴの国々の航空会社だ。もっともフライトはこれらの国の中でリーダー格になるコートジボアールのアビジャンとセネガルのダカールに集中はしているが。 スカンジナビア航空の拠点になるコペンハーゲン・カストラップ空港 かつては日本とも直行便で結ばれていたストックホルム・アーランダ空港 ウィーン・シュベヒャート空港—— ●最低接続時間25分はヨーロッパ最短  ヘルシンキやコペンハーゲンの空港が日本からの乗り継ぎに便利だという地理的な理由があったが、ウィーン空港も乗り継ぎに便利な空港に数えられる。日本〜ウィーン便は唯一東欧への直行便ということで、ウィーンは東欧への玄関口とされているが、やはりロンドンやパリのように大空港ではないゆえの便利な理由もある。それは最低接続時間の短さだ。  最低接続時間とは、その空港で乗り継ぎをする場合に最低必要な乗り継ぎ時間のことだ。これは国際線同士、国内線から国際線、また大きな空港ではターミナル1からターミナル2、あるいは何々航空から何々航空は何分と事細かに決められている。概して大空港では長くなり、コンパクトな空港ほど短いほか、政治的に安定しない国の航空会社などは、セキュリティが厳しいために乗り継ぎ時間が長くなっていることもある。  その最低接続時間が、ウィーンでは、オーストリア航空同士の場合はたった25分で済む。つまり日本からオーストリア航空でウィーンへ、さらにオーストリア航空で別のヨーロッパの都市へ乗り継ぐ場合、25分後に出発する便以降なら乗り継げるということだ。これは日本から直行便のあるヨーロッパの都市では最短の接続時間。ちなみにロンドンではブリティッシュ・エアウェイズ同士でも1時間15分必要だ。  接続時間の短さは空港がコンパクトゆえに可能といえるが、こんなウィーンの空港ターミナル、音楽の都らしく、空港ターミナルビルを上空から見るとヴァイオリンの形になっているそうだ。しかしそれに気付く乗客はまずいない。 東欧のゲートウェイになるシュベヒャート空港 (写真提供:オーストリア航空) ブリュッセル空港—— ●ブリュッセル乗り継ぎは「通」のルート?  乗り継ぎに便利な空港は、その都市の立地条件やターミナルの立地だけではない。そこを拠点にする航空会社の路線の特徴にも左右される。たとえば日本からアフリカへアクセスするのにブリュッセルを乗り継ぎ地にすると便利な国が多い。ベルギーはアフリカとの関係が緊密で、ここを拠点にするサベナ・ベルギー航空はアフリカ路線が充実している。  またヨーロッパ内の便も豊富で、ベルギーはEUの中心の国でもあるので、ヨーロッパ内ビジネス路線が充実している。日本からの便は週5便と少ないが、ヨーロッパ各地への接続はよく、ブリュッセル乗り継ぎルートは「通」の旅人のルートとも言われる。しかしビジネス便中心のスケジュールならではの特徴もある。それは週末、極端にフライトが減ることだ。たとえば月曜から金曜までは1日4便飛んでいる区間が、土曜・日曜は1便ずつしか飛ばないというのが普通だ。それほどにヨーロッパでは週末を大切にする習慣がある。  これは航空券のルールにも表れている。割引運賃の条件にある「サンデイルール」は目的地で土曜の夜を過ごすことが条件の往復航空券だ。往路金曜、復路月曜などのスケジュールはOKだが、月曜発金曜帰着などは不可というもの。どういう意味があるかというと、あくまでレジャー用の割引で、ビジネス目的の渡航には使えないというものだ。それなら週末を挟んでの出張だって考えられそうだが、そこは家族などを大切にする地域柄、この条件で十分なのだ。つまり週末に仕事などというのは考えられないわけだ。  こんな話がある。日本からのヨーロッパツアーでは、本場のブランド品を買うことも参加者の大きな目的、ブランドメーカーの店のある都市の滞在が週末と重ならないように配慮しているという。確かにヨーロッパでは週末は営業している店が極端に減り、繁華街は寂しくなる。レストランなども閉まってしまうことが多い。日本のように、24時間年中無休のコンビニなども少ない。週末は働くべからずなのだ。 アフリカ路線も充実するブリュッセル空港   3 アメリカの空港 アメリカの空港スタイルは 「郷に入りては郷に従え」という言葉があるが、アメリカにはアメリカ流の空港スタイルがあり、アメリカでスムーズに空港を使いこなすには、アメリカ流に慣れることが大切だ。ではそのアメリカ流とは?  アジアやヨーロッパとアメリカでは空港の「造り」がちょっと違う。アジアやヨーロッパでは滑走路も空港ターミナルもいわば公共のもので、各航空会社はそこを仲良く使っている。ではアメリカではというと、滑走路は共有しているが、空港ターミナルは個別のことが多い。国内線ターミナルの多くは大手航空会社自前のものだ。中にはそれぞれのターミナルのデザインもまったく異なり、ターミナルとターミナルの間はバスを利用しなければならないほど離れていることもある。発着案内モニターには、そのターミナルを発着する航空会社の表示しかなかったりする。当然同じ航空会社同士の乗り継ぎは便利だが、異なる航空会社の乗り継ぎは不便になる。  また国際線ターミナルと国内線ターミナルがあっても、必ずしも国際線が国際線ターミナルを発着するとは限らず、カナダへの便のように、基本的に国内線扱いの国際線があるなど、日本人にはわかりにくいことも多い。  全体的に言えることは、アジアやヨーロッパの空港は機能性を重んじていて「わかりやすく、できるだけコンパクトに」という設計思想がある。それに対し、土地の豊富なアメリカでは、たとえば需要が増えたときは「広さで勝負」というふうに、ターミナルの数を増やすことなどで対応するので、やたらターミナルの数が多い空港などもある。駐車場の造りにも特徴があり、アジアやヨーロッパでは立体駐車場が多いが、アメリカでは広大な土地を武器に、だだっ広いカーパークが多い。  アジアやヨーロッパと異なるのは「造り」だけではない。雰囲気もかなり違う。アメリカでは空港が特別な場所ではない。鉄道が発達しておらず、広いアメリカでは航空機が最もポピュラーな移動手段だ。そのため日本での電車の駅程度のものでしかない。どこの空港のそばにも空港ホテルやモーテルがあるが、日本で言えば駅前ビジネスホテルの役割を果たす。  一方で、広い国にもかかわらず、各地域の郷土色は薄い。たとえばテキサス州は日本より広い。日本では各空港によってお土産として売られている名産も違えば、高松空港では「讃岐うどん」、福岡空港では「博多ラーメン」とその土地の味が楽しめる。ところがアメリカはあれほど広い土地を持つにもかかわらず、東海岸でも西海岸でもテキサスでも、お土産も同じなら食べられるものの種類や味まで同じだ。  しかし航空先進国だけあって、運航の機能性では世界をリードしてきた。たとえば世界各地で「ハブ空港」という表現が使われるが、「ハブ空港」発祥の地はアメリカで、本来の意味の「ハブ空港」はアメリカだけに存在するといってもいい。  以前アメリカの航空会社の戦国時代、各航空会社はいかに効率のいい運航をするかが課題だった。それまでは各航空会社にはテリトリーがあり、たとえば地域の航空会社は特定の州でしか自由な運賃設定ができなかった。ところが規制緩和で、アメリカ50州どこに飛んでもいいことになれば、各社ともアメリカ各都市間をくまなくネットしたいもの。しかし限られた機材と乗員数で、すべての都市と都市の間を直行便で結ぶことはできない。  そこで考えだされたのが「ハブ&スポーク」と呼ばれる運航方法だ。アメリカ中央部辺りに大きな空港を造り、そこと全米を結べば、全米どこからどこへ行くにも、その大きな空港で乗り継げばいいことになる。その大きな空港は、主に「乗り継ぎ」機能優先の設計で建設する。この方法なら、すべての都市間を結ぶよりはるかに効率がいい。この時、その大きな空港が「ハブ」「ハブ&スポーク」というのは、路線図が自転車のハブとスポークそっくりだからだ。ちなみにこの時、ハブ空港は必ずしも大都市ではなかった。むしろ田舎の土地の安い場所に広大な施設を持つ空港を造るほうが、徹底した「ハブ空港」ができた。また全米どこからどこへ行くときも遠回りにならないよう、アメリカ中央部よりやや東という立地が優位だった。このため、ニューヨーク、マイアミ、ロサンゼルス、サンフランシスコなど、東西の海岸沿いにある都市の空港をハブ空港と呼ぶことはない。「中央部よりやや東」なのは、どうしても主要都市の多くが東寄りに多いためだ。 ニューヨーク・ジョンFケネディ空港—— ●旅客機がガス欠で墜落  1990年、ケネディ空港で前代未聞の事故が起きた。乗客158人を乗せた民間定期便のジェット旅客機が、何と燃料切れで墜落したのだ。墜落したのはコロンビアのアビアンカ・コロンビア航空サンタフェデボゴタ発ニューヨーク行きボーイング707。強風と空港の混雑で、空港上空で1時間30分ほどホールドを強いられ、あと6分で着陸、空港までは約20キロのロングアイランドでの出来事だった。不幸中の幸いは、森の中に墜落したため、木がクッションになり、さらに燃料が既になかったので、墜落にもかかわらず爆発炎上という最悪の事態が避けられたため、85人が助かった。事故機の交信記録などから、アメリカ国家運輸安全委員会は「事故機の機長が燃料の残量が逼迫した状況であることを知らせるべきだった」と、事故機の機長の判断ミスとの結果を出した。確かに、機長は「まだもう少し大丈夫だろう」という甘い判断で操縦したのであろう。  しかしケネディ空港では、毎日のように着陸待ちの航空機から「燃料の残量が少ないので優先して着陸させてくれ」という機長からのリクエストがあるという。それほどに混雑する空港だ。混雑するのは午後3時を過ぎたあたりから夜まで。私自身ニューヨーク到着時に上空で1時間ほど着陸待ちの旋回をさせられたこともある。夜だったので、機窓からは、同じく着陸待ちで旋回している機体がたくさん見え、その混雑度が想像できるが、これが何とも美しい光景でもある。航空機がホールドしているときは、スピードなどは要求されていないので、エンジンを絞って、ゆっくり滑るように飛ぶ。ちょっと気だるいような飛び方をするが、そんな機体がフラッシュライトを瞬かせながらたくさん旋回している様子は、地上の夜景とは違った美しさがある。 誘導路上を離陸機が順番待ちの列を作る夕方のケネディ空港 ●スポットアウトから離陸まで1時間半!  ケネディ空港の1日を時間で追って見てみると、朝は国内線とカリブ方面への出発便が集中するが、それほどの混雑にはならない。午前からお昼を挟んで午後2時頃までは、夕方の混雑が信じられないほど閑散とした時間帯だ。この時間には成田から日系航空会社、ソウルから韓国の航空会社の便が到着するが、最も暇な時間といえる。午後3時頃からは大西洋便の到着便ラッシュが始まる。ここを発着する国際線の主体は大西洋便だ。ヨーロッパからの便が次々に到着してターミナルは各国の航空会社の尾翼で埋まる。ヨーロッパといっても、イギリスはじめ西ヨーロッパ各国、東欧、ロシア、中東、北アフリカと地域はかなり広範囲だ。この到着便のラッシュは夜7時頃まで続くが、夕方5時頃からは出発便のラッシュも重なり、誘導路上は到着便と出発便で身動きがとれないほどの混雑になる。中には着陸したものの、駐機場が満杯で、誘導路上で長時間スポットが空くのを待たされる機体もある。それどころか誘導路上で停止していると他の航空機の邪魔になるので、空港ターミナルエリアを何周もして待たされる機体すらある。ボーディングブリッジには付くことができず、オープンスポットと呼ばれる、タラップ利用の駐機場に止められる機体も多い。しかしタラップは使わず「モービルラウンジ」と呼ばれる、車体が上下するバスが使われる。  やっとの思いでスポットに入ると、乗客を降ろした後も大変だ。折り返し便は次の出発準備に追われるが、出発まで時間がある機体は、遠くの貨物エリアのほうへ移動させられる。貴重な駐機場を長時間占領させるわけにはいかないので、他の便に場所を明け渡すのだ。そしてこのようなことはどこの空港でも行われているが、方法がちょっと違う。このような場合、普通の空港ならトーイングカーという車に引っ張ってもらうが、ケネディ空港では、貨物エリアが遠いこと、またスピードアップを図るために、もう一度エンジンをかけて、自力で遠くのスポットへ向かう。  夕方から夜の出発便のラッシュも大変なものがある。離陸待ちの機体で誘導路上は、さながらゴールデンウイークの高速道路のようになる。ターミナルを離れて出発する機体は、滑走路とは逆の方向に動きだす。なぜなら、離陸待ちの順番の一番後に並ばなければならないからだ。風向きと時間帯によってはターミナルをスポットアウト(出発)してから実際に飛び立てるまでに1時間半ほどを要した経験もある。この間はシートベルト着用サインが出ていて、トイレにも行けないので、けっこう苦痛な時間だ。 ターミナル間は無料連絡バスが結ぶ ●国際空港の喧騒が漂う  これだけ離着陸機で混雑するのだから、これらの時間帯はターミナル内も到着客などで混雑する。しかし混雑はするものの、私としては不快感を感じない空港だ。逆にこの混雑した雰囲気がエキサイトな空港といえる。入国審査待ちの乗客の国籍は千差万別、さすがに人種の坩堝ニューヨークの表玄関だけのことはある。入国審査場では係官と利用者のコミュニケーションがとれなかったときのために、各国の言葉が喋れるインタープリターが配されているが、その国の種類の多さもびっくりする。インタープリターは自分の喋る言語の国の国旗を胸に付けているが、日本語、韓国語などはもちろん、タイ語やアラビア語などを喋る人まで用意されていて、その充実振りに驚かされてしまう。 「おのぼりさん」が多く、概して大荷物な人が多いのもこの空港の特徴だ。ここには主に航空会社ごとにターミナルが九つあり、その間は無料連絡バスで結ばれている。さらに地下鉄駅へも同様のバスが運行する。またマンハッタン中心部へのバスは、グランドセントラル駅を経由して、バスターミナルへ向かう。ある日のこと、私はターミナル間連絡バスに乗っていた。そこへ東欧からのファミリーなのか数人の乗客が乗ってきて、彼らは大荷物をせっせとバス中央部のドアから積み込んでいた。一人が何度も荷物を運ばなければならない量だった。一通り積み終わったところで、数人のうち一人が前方ドアから運転手に「このバスはグランドセントラル駅へ行くんだろ」と尋ねる始末。違うとわかってまた荷物をせっせと降ろす。大抵の人なら、一目見れば市内まで行きそうなバスか、空港内循環の無料バスかはわかりそうなのだが。  九つのターミナルはすべて異なる形で、空港内はくつろげるスペースも少ない。保安上の理由でコインロッカーもなく、ターミナル4に荷物預かり所があるだけ、この土地に不慣れな人が使いにくい構造であることは間違いないと思う。私のような東洋人であっても「何々航空のターミナルはどこ?」などと尋ねられてしまう。またアメリカでは50ドル、100ドルといった高額紙幣は売店やバスの切符売り場では受け取ってくれないことが多いが、バスに乗ろうとしたものの、高額紙幣しか持ち合わせがなく、途方に暮れる人など、決しておのぼりさんに優しくできていないのもこのニューヨークだ。そんなこんなでこの空港はさまざまな人種でごった返す。しかしこの喧騒も、自由の国アメリカの玄関口の風景として見ると、私には心地よくも感じられる。 ●以前は警官護衛のアクセス列車があった  現在、寛げるスペースがないと不評のターミナルを改装中だ。ターミナル1が新装オープンしたのを機会に、国際線が発着するターミナル4を利用している航空会社をターミナル1などに移し、ターミナル4を二つの部分に分けて改装中。併せてターミナル間を結ぶモノレールを建設し、そのモノレールは地下鉄駅と、ロングアイランド鉄道の最寄り駅までも伸ばされる。これらが完成すると、かなりこの空港の複雑さも解消されるのではないだろうか。  現在は空港〜市内間の交通アクセスは空港バスが主力だ。地下鉄も利用できるものの、空港ターミナルからは一旦バスに乗らねばならず、海外からの旅行客などの利用は少ない。しかし駅までのモノレールが完成すれば、定時制では地下鉄のほうが有利になるので、利用者も増えることだろう。  ところで、今から15年ほど前には、この地下鉄路線に空港アクセス専用列車が走っていた。その名も「JFKエクスプレス」。私も何度か乗車したが、当時のニューヨークを象徴するような列車だった。その頃のニューヨークの地下鉄は「汚い」「危険」で、犯罪の温床にもなっていた。落書きだらけの列車、薄暗い駅構内と、とても海外からこの地に到着した観光客がスーツケースを携えて乗れる列車ではなかった。そこでこの「JFKエクスプレス」は、値段を高く設定、空港への乗客しか利用しないようにし、車両も3両編成とコンパクトにした。車掌の他に拳銃を携えた警官が同乗、治安の悪いブルックリン地区はすべて通過、マンハッタン主要駅のみ停車というものだった。主要駅でも3両編成中ドアは1カ所のみ開閉し、警官が見張っているというもの。あれでは乗車している乗客は護送されているみたいなものだった。現在はニューヨークの地下鉄はずいぶん安全な乗物になり、きれいになったが、そんな時代もあったのだ。今思うと、あれはあれでニューヨークらしかったと懐かしんでしまうが。 ロサンゼルス空港—— ●アメリカらしさ満点の空港  ラックスの愛称で親しまれる空港。なぜ「ラックス」かというと、3レターがLAXだからで、おそらく最初は航空業界か旅行業界での業界用語的に使われていたのではないだろうか。同じような例に、関西空港の「キックス」(KIX)、アンカレッジの「アンク」(ANC)などがあり、たまたま語呂のいい3レターだと愛称で呼ばれるようだ。ちなみに3レターは各空港が希望のアルファベット3文字でIATA(国際航空運送協会)へリクエストし、すでに使われていなければその希望が通るそうだ。関西空港は1994年開港、希望ではKIA(関西・インターナショナル・エアポート)だったようだが、すでにこの組み合わせが使われていたため、「KIX」に落ち着いた。しかし、かえって「KIX」で良かったのではないかと思う。  ロサンゼルスの話に戻るが、この空港はいかにもアメリカらしさの詰まった空港。4本の滑走路と九つのターミナルがあり、日本人には「広くて複雑」と映りそうな空港だ。たとえば日本から米系以外の国際線で到着、ここから国内線に乗り継ぐとしよう。すると国際線ターミナルで入国審査を済ませ、受託荷物をピックアップし、ターミナル間連絡バスを使って利用する航空会社のターミナルへ移動、改めて国内線への搭乗手続きを行うという手順になる。アメリカが初めての日本人は迷ってしまうことは必至だ。そのぐらいに広く、しかも日本とは流儀が違う。  ターミナル構成は、米系大手が航空会社ごとに使うターミナル1から8までと、「トムブラッドレーターミナル」という国際線ターミナルで、日系やアジア系など海外からの国際線は主に国際線ターミナルに発着する。しかし国際線でも自社ターミナルを持つ米系航空会社は国内線と同じターミナルを発着するほか、海外の航空会社でも、提携する米系航空会社のターミナルを発着する便もあるので、例外が多く、これがよりこの空港を複雑にしている。  乗り入れる航空会社も多く、アメリカ西海岸のゲートウェイ的存在だ。アジア、ヨーロッパ、中南米から多くの航空会社が乗り入れ、とくにアジア、オセアニアの航空会社は、アメリカへ乗り入れる場合は、必ずロサンゼルスへは乗り入れている。アメリカ内に1都市しか乗り入れてない航空会社もロサンゼルス便だけは運航していることが多い。午前から昼にかけてはアジア系、夜は中南米からの便で混み合う。  日本からもロサンゼルス便は空の銀座通りといわれる路線だ。たとえば成田〜ロサンゼルス間は、日系2社、米系3社、加えてアジアの航空会社で本国から成田経由でロサンゼルスへ向かうのが4社、さらにブラジルからのヴァリグ・ブラジル航空もこの間を運航するので、実に10社もがひしめき合って飛ぶ。そのため以前から競争が激しく、航空券が安く入手できる路線でもあり、これは日本からに限らず、アジアや中南米からも同じことがいえるので、最終目的地がロサンゼルスでなくても、まずはこの空港に降り立つ海外からの渡航客は多い。  もちろん国内線も多く、アメリカン航空、ユナイテッド航空、デルタ航空のアメリカエアラインのビッグ3はじめ、コンチネンタル航空、USエアウェイズ、アラスカ航空、サウスウエスト航空なども西海岸の拠点として機能させている。ロサンゼルス〜サンフランシスコ間は、日本の羽田〜千歳間などとともに世界でも最も航空需要の高い路線だ。しかもアメリカでは130人乗りほどの小さめの機材であるボーイング737クラスでこの高需要路線を飛ばしているので、およそ10〜15分間隔で便がある。また定員50人以下のプロペラ便も多く飛んでいるので、なおさら空港内が煩雑な感じに見える。ジャンボ機の下をくぐり抜けてしまいそうなプロペラ機までが右往左往しているのだ。  こんな事故があった。滑走路先端で離陸許可を待っていたスカイウエスト航空のプロペラ機に、同じ滑走路に着陸してきたUSエアー(現在のUSエアウェイズ)のボーイング737が突っ込み、双方の乗客など34人が死亡する事故があった。原因は管制官がスカイウエスト機に滑走路に入る許可を出し、まだこの機体に離陸許可をしていないことに気付かず、USエアー機に着陸許可を与えてしまったためだった。当時この管制官は離陸、着陸の6〜7機を一人でコントロールしていて、しかも管制塔からはちょうど死角の位置に19人乗りの小さなスカイウエスト機があり、見逃してしまったのだ。ロサンゼルス空港は増築に増築を重ねていたため、以前は見晴らしの良かった管制塔ながら、ターミナルビルが高くなって死角ができてしまっていた。この教訓をもとに事故後管制塔は新しい高いものに建て替えられた。 太平洋便のゲートウェイ、日本からの便も次々に到着する さまざまな車で混雑する国際線ターミナル前 ●恵まれた「風」の条件  これだけトラフィックが多いと、ニューヨークのケネディ空港同様に、離着陸も混み合いそうに思われるが、ニューヨークほどの混雑はない。ロサンゼルスのほうが滑走路に恵まれていて、平行な4本の滑走路のうち2本を離陸に、2本を着陸に使用、引っきりなしに離着陸機があるものの、滑走路はうまく機能している。ではニューヨーク・ケネディ空港の滑走路はというと、やはりロサンゼルスと同じく4本あるが、配置は2本ずつの平行滑走路で、いわば2本の滑走路と横風用にもう2本滑走路があると思えばいい。つまりケネディ空港では4本の滑走路があっても4本同時に使うことはなく、通常は2本を着陸に、1本を離陸に使う程度なのだ。ロサンゼルスにはなぜ横風用滑走路がないかというと、地形的に風向きが安定しているからで、太平洋近くにあり、ほぼ海からの風と決まっているからだ。そういう意味ではロサンゼルスは恵まれた環境だ。よく空港の規模を表すときに、滑走路の本数が問題視されるが、単に本数だけ比較しても意味がないともいえるわけだ。 ●ターミナル前の道路は4車線通行  空港ターミナルはすべて1階が到着階、2階が出発階、そこへ横付けされる道路も2層構造で、道路は4車線、自動車社会のアメリカの中でも車がないと生活できないというロサンゼルスだけあって、道路は広く4車線もある。そしてあらゆる種類の車が行き交う。いわゆる乗用車ではない公共的な乗物だけでも、各ターミナルでは乗り場が四つに分けられている。一つは日本と同じスタイルの大型バスによる空港バス。ほかに、空港内循環、カーパーク行き、市バスターミナル行きの連絡無料バス、シャトルバンサービス、そしてホテルやレンタカー会社のピックアップバスの乗り場だ。このうち「シャトルバンサービス」とは何か? これはおよその行き先が決まっていて、定員10人ほど。バスよりは高いが、ドア・トゥ・ドアでのサービス、相乗りのようなスタイルなのでタクシーよりは安いというもので、運賃は方面ごとに決まっている。アメリカではどの都市ででも目にする公共交通機関で、早朝、深夜便が増えているのだから、羽田空港などでもあればいいのにと思う。  またこれらのあらゆる種類の車で終日混んでいるため、ロサンゼルス空港では、市バスは空港ターミナルまでは乗り入れていない。ターミナルエリアからの連絡無料バスで市バスターミナルへ行き、そこで乗り換えになる。広大なカーパークもロサンゼルスならではだ。ターミナルに囲まれたエリアには立体駐車場があり、さらに少し離れたカーパークは地上の駐車場。こちらは主に何日間も駐車する人のためのカーパークで、ここへもやはり連絡無料バスでアクセスする。  空港ターミナルの構造もアメリカならではのスタイルが多い。ターミナル内の主な施設が手荷物検査を済ませたあとにある。というより手荷物検査場より手前にあるのはチェックインカウンターぐらい。たとえばコインロッカーなどはすべて手荷物検査場の中にあり、これはロッカーに時限爆弾などが仕掛けられるのを防ぐためだ。荷物検査を受けてない荷物はロッカーに預けることができないわけだ。こんなことからアメリカの空港では、搭乗客以外でも荷物検査を受ければ、搭乗待合室などのあるエリアに出入りできる空港が多いのだ。  空港周辺の雰囲気も日本とは違う。通常、空港周辺は郊外の何もないところが多いが、ロサンゼルス空港周辺はビルが林立するエリアだ。鉄道の発達していないアメリカでは、空港がいわば日本でいうところの駅代わりだ。そのため空港周辺は交通の拠点ということになり、さまざまなホテル、モーテルが並ぶ。ホテルがあれば周辺にはレストラン、ファーストフードの店、スーパーマーケットなどがあり、空港周辺はレンタカー事務所が多いので、当然ガソリンスタンドも多くなる。ロサンゼルスの場合はオフィスビルも立ち並んでいて、その名も「エアポート・ブルーバード」は街を形成している。市街地に近い空港というのはあるが、ここの場合、空港を中心に街が形成されたというふうに、空港が先だったところが特徴だ。 空港周辺には広大なカーパークがある マイアミ空港—— ●中南米へのゲートウェイ  フロリダ半島の先に位置するマイアミ空港はアメリカの空港の中では異色の存在だ。ターミナル内では英語よりスペイン語の看板が目立ち、案内放送もスペイン語優先。言うまでもなく、ここは中南米へのゲートウェイ空港だからにほかならない。どことなくラテン系の雰囲気が空港内を支配しているが、ここはフロリダの観光地でもあるので、ラテン系の利用者と全米からのバカンス客が交錯し、一種独特の雰囲気だ。  中南米への便はニューヨークやロサンゼルスからも飛んでいるが、圧倒的に多いのはこのマイアミから。ヨーロッパへはニューヨークから、アジアへはロサンゼルスからの便が多いが、中南米への便のマイアミへの集中度はかなりはっきりしていて、アメリカの航空会社、中南米の航空会社問わずマイアミからの便が圧倒的に多い。日本から中南米へ行くときは、アメリカン航空やユナイテッド航空を利用することが多いが、マイアミで乗り継ぐことが多く、ここマイアミを中継地にすれば中南米のあらゆる都市にアクセスできる。  中南米の航空会社も、アメリカへ乗り入れる場合は、まずここマイアミに乗り入れ、どの航空会社にとってもマイアミ便は最もメインの路線だ。2都市目、3都市目に乗り入れるときに、ロサンゼルスやニューヨークへ乗り入れるといった具合だ。  中南米などからの貨物便が多いことも特徴で、貨物取扱量はアメリカではニューヨーク・ケネディ空港に次いで現在2位、なおも貨物量は増えている。これには理由があり、マイアミには「フリーゾーン」と呼ばれる商工業地域があり、ここに出入りする貨物には関税がかからないのだ。「フリーゾーン」があることで、コンテナ船のターミナルも賑わっていて、「フリーゾーン」では加工もできるので、船で貨物がマイアミに入り、加工品が航空貨物として出ていくというパターンが非常に多くなっている。貨物の中継基地なのだ。  中南米の便や中南米からの貨物便が多いのには、ほかにも理由がある。アメリカ各地の空港には、騒音問題などの関係で、旧型の騒音の大きい機材での発着を制限している空港が多いが、マイアミに限っては制限が緩やかになっている。なぜかというと、アメリカの各航空会社は、新機材を航空機メーカーから大量に購入するが、一方で中古機を中南米の航空会社などに払い下げることで、保有機材を新しいものに保てているとも言える。そんなことから、古い機材を売っておきながら「アメリカへは古い機材での乗り入れ禁止」などとはできないわけだ。どうしても中南米の航空会社には、アメリカ系航空会社からの中古機材が多く、まして貨物機となると、新品機材はほとんどないといっていいのだ。  このようなことから「中南米へのアクセスは旅客、貨物問わずマイアミで決まり」といったところ。便数が多く運航する航空会社も多いので、マイアミ〜中南米間は航空券価格も安くて豊富ということができる。私もコスタリカ、エクアドル、ブラジルなどへ行くときは、いずれもここマイアミを中継地にし、ここで1〜2泊して中南米へアクセスしている。 フロリダの強烈な太陽が照りつけるマイアミ空港 中南米からの乗り入れが多い。手前はコロンビア、奥はエクアドルからの便 ●税関で引っ掛かった携帯用品とは?  そんな中で十数年前こんな経験があった。それはベネズエラから、ベネズエラの航空会社でマイアミに戻ってきたときのことである。実はマイアミの空港は入国審査が厳しく、とくに中南米からの便では、麻薬類の密輸が絶えないためチェックは入念に行われる。普段はアメリカの入国に荷物を開けられることなどないのだが、この時だけは洗面道具の中まで開けられた。やましいものが何もない私は「どうぞ気が済むまで見てください」という態度で臨んだのだが、係官はあるひとつのものに、目がとまってしまった。  そのものとは、ゴキブリ撃退用の、人間には聞こえない周波数の音を出す装置で、虫嫌いの私が、そのようなところに泊まらなければならなくなったときのために携帯していたものだ。ところが改めて考えてみると、これが怪しい代物だ。何しろ石鹸箱のような大きさにあるのは乾電池を入れるところとスイッチ、それにスイッチを入れたときに点灯するパイロットランプだけなのだ。私のたどたどしい英語では、この装置が決して怪しいものではないということが伝わらず、別室で取り調べになった。その装置を何度も何度もX線装置にかけ、どうやら怪しいものではないとわかったのか、無事入国できた。しかしこれに時間を費やしてしまい、予約しておいた空港近くのホテルに電話をすると、無料送迎は23時までとピックアップを断られてしまい、タクシーでホテルへ向かうはめになった。時計を見ると23時を10分ほど過ぎていた。見かけだけでも怪しいものは旅行に持ち歩かないほうがよさそうだ。ちなみに、この装置が旅行で活躍することはなかった。 シカゴ・オヘア空港—— ●ユナイテッドとアメリカンがハブにする世界一忙しい空港  冒頭で述べた通り米系航空会社には運航の拠点があり、そこを中心に放射状にネットワークを広げている。いわいる「ハブ&スポーク」と呼ばれる運航形式だ。ハブになる空港はアメリカ中部からやや東寄りの都市に多く、ユナイテッド航空はシカゴ、アメリカン航空はダラス、デルタ航空はアトランタが一大拠点になる。またハブ空港は1社1空港とは限らず、大きな航空会社なら2〜3都市に分散している。ユナイテッド航空ならシカゴに加えてデンバー、アメリカン航空ならダラスに加えてシカゴ、デルタ航空ならアトランタに加えてソルトレイクシティ、シンシナチ、ダラスがある。  1社が複数のハブ空港を持つ理由としては、アメリカの大きな航空会社は多かれ少なかれ、航空会社同士の合併や吸収などを経ているため、たとえばデルタ航空のソルトレイクシティは、以前吸収合併したウエスタン航空が拠点にしていた空港だ。ノースウエスト航空も同様にミネアポリス、デトロイト、メンフィスと三つのハブを持つが、デトロイトとメンフィスはリパブリック航空を買収したときに得たもの。さらに遡れば、リパブリック航空はノースセントラル航空とサザーン航空が合併してできたが、デトロイトとメンフィスはその前身になる航空会社が拠点にしていた空港だ。  このような感じで、コンチネンタル航空にはヒューストン、クリーブランド、ニューアーク、USエアウェイズにはピッツバーグ、シャーロット、トランス・ワールド航空にはセントルイス、アメリカウエスト航空にはフェニックスというように本拠地になるハブ空港がある。  そして米系航空会社は、国際線もメジャーな都市よりハブ空港への便に力を入れている。たとえばノースウエスト航空の成田からニューヨークやロサンゼルス行きは1日1便の運航だが、ミネアポリス便は1日2便ある。関西からはニューヨーク便はないがデトロイト便は毎日運航、名古屋からは唯一の北米便がデトロイトに飛んでいる。これらは日本とミネアポリスやデトロイトを結ぶためというより、そこから全米に接続させるための便だ。  同様にユナイテッド航空も成田からニューヨークやロサンゼルス便は1日1便だが、シカゴへは1日2便が運航されている。これはシカゴが同社の一大ハブだからにほかならない。  このシカゴ・オヘア空港は世界一忙しい空港といわれる。なぜ忙しいかというと、離発着回数が多いのだ。滑走路は7本、ターミナルは四つある。ターミナルは四つといってもその一つがかなり大きく、一つのターミナルでも主要国際空港以上の規模がある。しかし国際線はというとニューヨーク、ロサンゼルス、マイアミなどに比べて決して多いとはいえない。大都市ではあるが、ここシカゴを目的地にする人がものすごく多いわけでもない。離発着回数が多いのは、アメリカのナンバー1航空会社とナンバー2航空会社が、ここをハブにしているからで、ユナイテッド航空とアメリカン航空の便がとにかく多く発着する空港なのだ。そしてシカゴを目的地にする人よりもシカゴで乗り継ぐ乗客が多い。四つあるターミナルのうち一つが国際線、一つがユナイテッド航空専用、一つがアメリカン航空専用、そして残り一つにこの2社以外の国内線が発着する。  ターミナル内は、国際線ターミナルこそごく一般的な造りだが、国内線ターミナルは空港というより「街そのもの」といった造りだ。ちょうど日本の都会のターミナル駅が、駅という機能のほかに、ショッピングプラザといった造りになっているのと同じだ。空港ゆえに、ターミナルビルが高層デパートというわけにはいかないが、搭乗口のあるコンコースが、アーケード型のショッピング街のようになっている。ガラスを多用し、自然光がふんだんに入る設計で、外を歩いている雰囲気だ。日本のように土産屋ばかりが軒を連ねるといったことはなく、ごく普通に街にあるような店が並ぶ。逆にアメリカにはその土地の名産品のようなものを扱う店はごくごく少ない。以前からこの国では、航空機が最もポピュラーな乗物だったことを感じさせる光景に思える。  自社のハブ空港に到着する便に乗っていると、日本では体験できない機内放送もある。到着時に乗り継ぎ便の案内があるのだ。たとえば「マイアミ行きは何時何分発、何番ゲートへ、オーランド行きは何時何分、何番ゲートへ、ニューオリンズ行きは……」といった具合に。これはちょうど日本のJRなどで、到着前に「どこどこ行き列車は何時発、何番線へおまわりください」などというアナウンスと同じだ。アメリカでは航空機が列車代わり。シートポケットにある機内誌には、各ハブ空港の見取り図があり、そこで次の便のゲート位置などが確認できるようになっている。 空港というよりショッピングアーケードの雰囲気のコンコース内 各ターミナル間は無人運転の交通システムで結ばれている ●入国は厳しくチェック、出国はチェックなし  しかしこんなオヘア空港、日本人にはわかりにくい部分もある。たとえば日本からユナイテッド航空やアメリカン航空でここに到着すると、国際線ということで、当然国際線ターミナルに到着する。ところがシカゴから日本へ向かうときは、それぞれ自社ターミナルから出発する。つまり到着したときと出発するときのターミナルが異なるのだ。ちなみに国際線ターミナルと他のターミナルはかなり離れていて、無人運転の交通システムで移動する。なぜこのようなことになるかというと、アメリカの出入国の扱いに原因がある。普通アジアの国などでは、入国審査とともに、出国のときも出国審査があるが、アメリカのシステムは、入国時にチェックし、出国時はパスポートの所持などを航空会社の職員が搭乗手続き時にチェックするぐらいで、ほとんど審査らしきものがない。「来る人をよくチェックし、出ていく者はチェックしない」というやり方だ。このためアメリカでは国際線に乗るときも国内線に乗るときも、手続きとしてはほとんど同じなので、出発便もあえて国際線ターミナルから発着する必要がないことになるわけだ。  ならばニューヨークやロサンゼルスでも同じことが起こりそうだが、実際は違う。これらの都市は国際線の便が多いので、自社ターミナルにも入国審査の設備を持っている。このように空港や航空会社によって扱いが変わるのも、アメリカの紛らわしいところだ。 ダラス・フォートワース空港—— ●最も「ハブ」と呼ぶにふさわしい空港  アメリカン航空とデルタ航空がハブにするダラス・フォートワース空港は、シカゴよりさらに「ハブ空港」の色合いが濃くなる。海外からの乗り入れ航空会社も少ないので、発着便の中に占めるアメリカン航空とデルタ航空の割合が増え、利用者に占める乗り継ぎだけの、いわいる通過客の割合も大きくなるからだ。まさに乗り継ぐための空港だ。  しかし乗り継ぐだけの空港、「経由空港」などと侮ってはいけない。デンバー空港とともにアメリカ最大級の空港で、6本の滑走路と半円形の大きなターミナルを四つ持ち、アメリカでは珍しくターミナルのスタイルがすべて統一されている。そこにアメリカン航空の銀色の機体がずらりと並ぶ様はまさに圧巻、よくもこれだけ同じ機体をたくさん揃えたものだと感心してしまう。乗り継ぎが終わるとそれらの便が一斉に出発するが、その光景は、蟻の巣を掘り返したときの蟻のようだ。航空機は鉄道のように「決められた線路の上を規則性に従って動く」というものではない。各々の機体が右へ左へと出発する様は、「おびただしい」という言葉がぴったりだ。  滑走路へ向かうのも速く感じる。何しろハブ空港では、乗り継ぎを短時間に一斉に行うシステムなので、到着便も出発便も同じ時間帯に集中する。そのため出発便が集中する時間は、航空機同士の競争になるのだ。早く出発準備を整え、滑走路の端にたどり着かないと、長い長い順番待ちを強いられるというわけだ。そのため出発準備が整うと、われ先に滑走路先端へと急いでいるように私の目には映る。  日本ではよく「アジアのハブ空港を目指して」などという言葉を耳にするが、そう簡単に「ハブ空港」という言葉を使ってもらっては困る。やはり本場の「ハブ」はスケールが違う。着陸の時間帯は怒濤のごとく同じ航空会社の機体が押し寄せ、出発の時間帯には離陸の順番を待つ長い長い列ができる。  ターミナル間は無人運転の交通システムで結ばれ、さらに一つのターミナルも大きいので、ターミナル内を電気自動車が行き来していて、主にお年寄りや急ぎの乗客を運んでいる。アメリカン航空は便数が多いので、ターミナルの端から端まで歩くと、全米のほぼすべての都市行きの便を同時刻に見ることができる。羽田空港で見る国内線と違うのは、すべての都市行きの便がほぼ同じ時間帯の出発になっていることだ。日本のように秋田行きが出た後に鳥取行き、その後に大分行きといった具合ではないところが凄い。  ちなみにこのダラスという街、現在はアメリカン航空のお膝元といった印象が強いが、アメリカの航空戦国時代では、最も熾烈な戦いが繰り広げられたところでもある。アメリカン航空ほか、安売りと奇抜な機体、そして国際線にまで進出したブラニフ・インターナショナルもここダラスが拠点だった。またアメリカで最も堅実な経営を続けるサウスウエスト航空も元はといえばダラス出身の航空会社だ。さらにダラスと同じテキサス州には、ヒューストンを拠点にするコンチネンタル航空、またテキサス・インターナショナルと、ライバルが多く、常に航空戦国時代の台風の目は、このテキサス周辺にあったともいえる。  そんな中、アメリカン航空は、徹底した「ハブ&スポーク」運航の確立、高度なコンピュータ予約システムの開発、マイレージ・プログラムの顧客確保など、今となっては当たり前になったシステムを早くから導入して勝ち抜いてきた。が、まったく違う道で現在まで勝ち抜いている航空会社が同じダラス出身というのも興味深い。  それはサウスウエスト航空。実はアメリカの航空会社はほとんどが「ハブ&スポーク」の運航をするが、唯一、正反対のことを行っているのが同社だ。同社には路線が一点に集まる都市はなく、全米を網の目のような路線網で覆っている。長距離客にはターゲットをおかず、ひたすら地域内を結んでいて、全路線が所要時間1〜2時間の短い距離。機材もボーイング737に統一している。ターゲットが地元客なので、海外での航空券の販売などは行っておらず、日本人観光客などが利用することは極めて少ない。そして地域間の足なので、発着する空港も国際空港より地元の、都心に近い規模の小さな空港を発着することが多い。ダラスでも、ダラス・フォートワース空港には乗り入れておらず、ダラス市内から近いラヴ・フィールド空港を発着している。 ターミナルはアメリカン航空の銀色の機体で埋め尽くされる ターミナル間は無人運転の交通システムで結ばれる ダラス市へはセダンによるバンサービスがメインの空港アクセス ●空港名は二つの都市から  空港名の「ダラス・フォートワース」は、ダラスにあるフォートワース空港と思ってしまうが、違う。ダラス市とフォートワース市の中間にあるため、二つの都市名を空港名にしているわけだ。日本でいえば東京と横浜の間に空港があったとして「東京・横浜空港」と呼んでいるようなもの。日本で似たような例はと探してみると、「大館能代空港」がある。実はアメリカにはこのような名前の付け方の空港は多く、「シアトル・タコマ空港」「ミネアポリス・セントポール空港」「タンパ・セントピーターズバーグ空港」「ローリー・ダーハム空港」「ハートフォード・スプリングフィールド空港」「サンノゼ・シリコンヴァレー空港」などはいずれも二つの都市名だ。  二つの都市の中間にあるので、ダラス・フォートワース空港からの空港アクセスはダラス市とフォートワース市双方に向かう路線がメインになる。ところがダラス市に向かう最もポピュラーな空港アクセスは、10人乗りほどのセダンを利用したバンサービスで、大型バスによる空港アクセスはない。かといってシカゴのように空港直下まで地下鉄が乗り入れている空港でもない。「アメリカは車社会」という理由はあるにしても、滑走路を6本も持ち、世界一の忙しさを誇る空港のアクセス交通が、乗り合いタクシーのような交通機関しかないというのは驚きだ。いかに乗り継ぎ客が多く、この空港を起終点にする人が少ないかがわかるだろう。  しかしダラスには現在「フリーゾーン」と呼ばれる関税のかからない貨物の経由基地ができるなど、交通の要衝だったがために街が発展してもいる。日本にも元々街があって、そこに交通が通った街と、これといった街はなかったものの、交通の要衝となった結果発展した街があるが、ハブ空港のある都市では、ハブ空港ができたことで発展した街も多いのだ。 アトランタ・ハーツフィールド空港—— ●「ハブ空港」は空港の造りも違う  ユナイテッド航空のシカゴ、アメリカン航空のダラスとくれば、残るはデルタ航空のアトランタだ。これがアメリカのビッグ3エアラインの本拠地空港ということになる。アトランタ・ハーツフィールド空港もダラス・フォートワース空港とともにハブに徹した空港といえ、以前はイースタン航空も拠点にしていたが、同社が倒産してからは、発着便に対するデルタ航空の割合が極めて高くなった。  ターミナルビルは、チェックインカウンターなどのある建物と、その沖にコンコースA、B、C、D、Eと五つの棒状の建物があり、そこに航空機が横付けされる。その配分は、A、Bがデルタ航空、Cがデルタ航空のコミューター部門であるデルタ・コネクション、そしてDがデルタ航空以外の国内線、Eが国際線という内容だ。Eコンコースに発着する便もデルタ航空が多いので、この空港におけるデルタ航空の比率がいかに高いかがわかるだろう。まさに空港内はデルタ航空だらけだ。スケールも大きく、一つのコンコースにはワイドボディ機28機が駐機できるだけのスペースがあり、サテライト間は地下を走る無人運転の交通システムで結ばれている。  このようにアメリカの空港を旅行していておもしろいのは、その空港の「主」的存在の航空会社があることだ。ある空港ではその空港の主といった航空会社だが、別の空港では、隅のほうで小さくなっていることだ。たとえばこのアトランタではデルタ航空は専用ターミナルで、まさに我がもの顔でいられるが、シカゴへ行くと「その他の航空会社」扱いで、同業他社とともに「大部屋」(ターミナル)に入れられている。逆にユナイテッド航空やアメリカン航空はシカゴでは、専用ターミナルで、我がもの顔でいられるが、ここアトランタではやはり「その他」組になる。これが見ていておもしろい。ニューヨーク、ロサンゼルス、サンフランシスコなどは、どこか1社のハブにはなっていないので、大手3社の機体はほぼ同じ数で均等しているが、内陸の空港では勢力がはっきりしている。  さらに私にとって愉快なのは、メジャーな空港で、どちらかというと大手に押されて小さくなりがちの4位以下の航空会社も、その航空会社の本拠地に行くと、生き生きとして見えることだ。デトロイトやミネアポリスはまさにノースウエスト天国、これらの都市は海外からの乗り入れもほとんどなくなるので、ダラスやアトランタよりさらに1社の独占度が高く、同じデザインの機体ばかりでターミナルが埋まる。セントルイスはトランス・ワールド航空の本拠地だが、同社は経営が危ぶまれているだけに、ここへ行くと「まだまだ捨てたもんじゃない」などと思うし、「こんなにまだたくさんの機体が飛んでいるんだ」と嬉しくもなってしまう。  ちなみにヨーロッパには「スポッター」と呼ばれる航空機マニアが大勢いる。これらマニアは、なるべく多くの機体を見ることを目標にしていて、機体番号ごとにそれを見たらチェックしていくが、アメリカ国内線の機体を中心に見たいときは、ニューヨークやロサンゼルスへは行かず、ハブ空港を訪ねるという。「この日はデルタ航空」などとターゲットを絞ってハブ空港で効率よく多くの機体をチェックしていくわけだ。  ところでこのような「ハブ」に徹した空港には、空港の設計自体にハブ空港ならではの特徴がある。ハーツフィールド空港の全体像を見ると、コンコース、つまり航空機の発着する部分が中心で、空港の玄関になるはずの、チェックインカウンターなどのある建物は少し離れた位置にある。これは空港の設計自体が、ここを起終点にする旅客より、ここで乗り継ぐ旅客の動線を考えた造りだ。日本でも鉄道駅などにはよくあると思うが、「そこでいつも電車の乗り換えをしているが、駅の外には出たことがない」というパターンだ。そんな駅は、改札を出てみると意外に小さな駅で、駅前には何もなかったりする。  こんなハーツフィールド空港、シカゴとともに、アメリカでは珍しく空港に地下鉄が乗り入れる便利な空港だ。アメリカでは、ニューヨークのケネディ空港、ボストン空港のように、連絡バスを介して地下鉄に接続する空港はあるが、空港に直接地下鉄が乗り入れるのはシカゴ、ワシントンとアトランタだけだ。「ハブ空港」というアメリカ流の空港ながら、空港アクセスはアメリカらしからぬスタイルともいえる。とくにシカゴでは、オヘア空港、ミッドウェイ空港ともに地下鉄が乗り入れ、24時間運行をする。もっとも最近ではアメリカでもずいぶん都市内の鉄道が見直されているため、フィラデルフィアやクリーブランドでも鉄道アクセスがあるほか、サンフランシスコでも「バート」という都市内高速鉄道が空港へ向けて延伸工事中だ。 デルタ航空が並ぶアトランタ・ハーツフィールド空港 空港ターミナルには地下鉄が乗り入れる アメリカではハブ空港に行くと主役ががらりと変わる。ノースウエスト航空の拠点デトロイト空港 メンフィス空港—— ●深夜は貨物便のハブとなるメンフィス  エルビス・プレスリーの故郷、テネシー州メンフィスの空港は、ミネアポリス、デトロイトとともにノースウエスト航空のハブだ。ノースウエスト航空は日本への便は多く、太平洋便では「老舗エアライン」だが、アメリカ国内線ではアメリカン航空やユナイテッド航空に大きく水をあけられている。たとえばノースウエスト航空にはニューヨーク〜サンフランシスコ、ニューヨーク〜ロサンゼルス、サンフランシスコ〜マイアミ間といった、主要都市同士をダイレクトに結ぶ直行便はない。すべて三つのハブ空港のいずれかで乗り継ぎになる。  もともとノースウエスト航空は、ミネアポリスを拠点に、その名の通りアメリカ東海岸からみて西北地域の航空会社で、アジア太平洋路線が多かったので「ノースウエスト・オリエント航空」と呼ばれていた。しかし国内線を強化するためにリパブリック航空を吸収合併、そのリパブリック航空は、デトロイトを拠点にするノースセントラル航空とメンフィスを拠点にするサザーン航空が合併してできた航空会社だったために、現在のような姿がある。そのためメンフィスは、たとえばノースウエスト航空で西海岸からフロリダなどへ飛ぶ場合は必ず乗り継ぎになる空港なのだ。  そしてほかのハブ空港同様に1日に3回ほど、朝、午後、夜にノースウエスト航空のフライトが集結、乗客が乗り継いでは、1時間から1時間30分後に再び全米へと飛んでいくのだ。発着する便のほとんどがノースウエスト航空のため、朝のラッシュが終わって午後のラッシュになるまでは、ターミナル内の売店も半分近くがシャッターを降ろしてしまうほどに、乗客に波がある。ハブ空港特有の現象だ。離発着に波があり、閑散とした時間もあるものの、滑走路は平行なもの3本と横風用1本の合計4本がある。  こんなメンフィスの空港、夜は夜で昼と違った顔を持っている。昼はノースウエスト航空のハブとして機能するが、夜になるとアメリカ最大手の宅配貨物航空会社フェデックスの一大拠点という顔に表情を変える。アメリカでは旅客便だけでなく、貨物航空会社も「ハブ&スポーク」の運航を行っている。同社は全米で、夕方までの集配で翌日午前中に配達というサービスを行っているが、それらはすべてメンフィスを経由して運ばれているのだ。  深夜に全米から同社の貨物便がメンフィスに集結、ここで行き先別に仕分けされ、翌朝までに再び全米へと散っていく。昼間にこの空港を探険すると、旅客ターミナルとは離れたところにフェデックスのターミナルがうかがえる。そこには貨物機は数機が駐機しているにすぎず、ガランとしているが、深夜には全米から100機あまりの貨物便が次々に到着し活気がみなぎる。ちなみにこのメンフィスは大学の街。大学生の深夜アルバイトでの労働力が、深夜の仕分け作業を支えているのだ。 深夜には貨物便が集結するメンフィス空港   4 日本の空港 ちょっと変だぞ日本の空港  世界の空港を回り、改めて日本の空港を眺めると、世界と日本の違いもはっきりしてくる。日本の空港は、規模では発展途上国以下、何しろ国の玄関になるはずの成田空港や関西空港でも滑走路が1本しかない。成田空港では間もなく2本目の滑走路が完成するが、2180メートルでは国際空港の滑走路としては失格だ。それではと日本の空港で滑走路が複数ある空港を探してみると、羽田空港、新千歳空港しかない。伊丹空港にも2本の滑走路があるが、1本は長さ2000メートル以下で、主にプロペラ機用だ。大型ジェット機の発着はできない。正確には仙台、新潟空港にも複数の滑走路があるが、1本は1500メートルにも満たないもので、小型機の発着しかできない。これでは「日本の空港は貧弱」といわれても仕方あるまい。  また最近では、羽田空港から深夜に限って国際チャーター便が発着できるようになったことから、羽田空港と成田空港の棲み分けが再び論議になっている。しかし国際線・国内線といった分け方での議論がほとんどで、もし羽田にも国際線を発着させたら、すべてが羽田発着になって、成田がなくなってしまうほどの極端な話になっている。もっと二つの空港の有効利用を考えてほしいものだ。  たとえば世界で空港が複数ある都市では、複数の空港をどのように使い分けているだろう。東京に最も似ているのはソウル、台北で、一方が国際線と国際線接続の国内線、他方が国内線専用という分け方だ。次に国内線空港と国際線空港だが、国際線空港にも多くの国内線も乗り入れるというのは、ニューヨーク、ワシントン、ダラス、リオデジャネイロ、サンパウロなどがある。とは言ってもダラス、リオデジャネイロ、サンパウロの国内線専用空港は、市内から近いことを活かした一部の国内線の発着に限られている。そして最も多いのは、複数あっても、どこが国際線、国内線と分けず、双方に国際線、国内線両方が乗り入れるというタイプだ。上海、ミラノ、ベルリン、パリ、ロンドン、そしてニューヨークも三つある空港のうちの二つはこのタイプに入る。またミラノは、以前は長距離国際線専用のマルペンサ空港と、それ以外の便のリナーテ空港で、パリもドゴール空港は以前国際線専用だった。しかし国際線と国内線の接続ができないなど、現在の東京と同じ不便さから、再編成したという経緯がある。  理想をいえば1都市に1空港で、そこに国際線・国内線すべてが発着しているのが、接続の面などから最も便利であろう。しかし都市がある一定規模を越えたらそうもいかない。となれば、複数の空港のどれもに国際線と国内線両方が発着するというのが時代の趨勢だろう。その場合も近距離・長距離などで分けず、大変な作業だとは思われるが航空会社で分けるしかないのだ。現在の航空券のシステムでは、乗り継ぎの多くは同じ航空会社、または同じグループの航空会社となるからだ。国内ではさまざまな論議がされているが、国土交通省、東京都、千葉県などの面子を立てるといった視野でのやり取りしか出てこないのが、何とも利用者不在の話で、よくこんな議論がまかり通っていると思う。海外の空港を少し見てみれば、どういった形態があるべき姿かは、小学生でもわかりそうなものだと思うのだが。  現実的に考えれば、現在の成田と羽田は、成田空港の2本目の滑走路を長距離便でも発着できるものにし、加えて国内線も増やす。羽田空港からの国際線の要望も強いので、国内線感覚で利用できる近距離国際便や、接続のあまりなさそうな、低価格などを売り物にした新参航空会社などに開放するといった感じが、世界的に見れば妥当なところだろう。「羽田と成田どっちがいいか」という問題ではなく、関西や、現在建設中の中部空港などの位置付けを考えながら、総合的な視野に立って空港整備を進めてもらいたいものだ。どの空港も「アジアのハブ」を名乗り出ているが、日本国内に三つの「ハブ」はどう考えても不可能だ。三つを追っていたのでは、一つもできないような気もする。  次に関西空港は世界でも最も大がかりな海上埋め立て空港として注目されたが、埋め立てが当初見込みより困難を極め、埋め立てても埋め立てても地盤沈下し、これが全体の工期にも大きく影響した。さらに現在でも地盤沈下が止まらず、海上空港であるがための維持費も膨大なものになっている。一方で空港は、そこに乗り入れてくる航空会社の空港使用料が唯一の収入になるが、乗り入れは当初見込みを下回っていて、空港経営は厳しい状況にさらされている。  こんな中、中部空港、神戸空港とも海上空港として建設中で、福岡すらも海上空港の計画を持っている。成田空港での反対闘争の長期化、伊丹空港での騒音問題などを経験しているため、用地買収、騒音問題のない海上に空港の立地場所を求める方向になったと思われるが、年々航空運賃は安くなっており、空港の採算性がもっと考えられていいのではないだろうか。ずっと以前の国鉄赤字ローカル線を見ているようで、大変心配な流れだと思う。国土交通省、空港公団、地方自治体などではなく、空港も民営化を急ぐべきであろう。 ●県に一つの空港が必要なのか 「おらが県にも空港を」といった風潮も困ったものである。1998年、それまで空港のなかった佐賀県に佐賀空港が完成した。他の九州各県にはすべてジェット化された立派な空港があっただけに、佐賀県にとっては待望の「おらが県の空港」である。しかしこの佐賀空港、どれだけの必要性があったのだろう。現在のところ佐賀空港を発着するのは羽田、伊丹、名古屋行きの1日計5便だけだ。ちなみに佐賀空港へのアクセスはJR佐賀駅前からの空港バスで所要35分、運賃600円、1日6便運行する。それに対してJR佐賀駅前から福岡空港行きの空港バスは所要70分、運賃1000円、1日30便運行だ。  このように佐賀は福岡空港の守備範囲、福岡空港へ行けば、行き先、便数ともに多く、国際線も充実している。加えて福岡〜羽田間などは低運賃のスカイマークエアラインズなど、数多くの航空会社が競争しているので、割引運賃も豊富だ。どう考えても新たに空港を持つより、より福岡空港とのパイプを充実させたほうが得策ではなかったかと思う。いずれにしても佐賀県民は空港を持ったことで、今後かなりの税金を空港維持に使わざるを得ないだろう。県単位ではなく、交通体系全体を考えての空港整備が必要だ。  こうまでして地元に欲しい空港、日本では「空港」というものに特別な思いがあるようにも思う。島で構成される沖縄県以外には鉄道が通っているので、日本人にとっての身近な乗物はやはり鉄道で、飛行機は特別な乗物という意識がある。空港の物価は駅などに比べて高く、飛行機に乗って旅行をするときは財布の紐が緩くなるという考え方が根強くある。空港バスの運賃が距離の割に高いのもそこに原因があるだろう。「空港バスは荷物置き場などを備えているので、路線バスより高いのは当たり前」と考えるだろうが、成田空港を例にすると、同じ高速道路を走る高速バスに比べてかなり高い。たとえば東京駅から成田空港までは3000円、それに対し同じ東京駅から出発、東関東自動車道を成田のずっと先、銚子まで向かうトイレ付き高速バスの運賃は2500円だ。このようなことは日本中でまかり通っている。が、これといった苦情は聞いたことがない。やはり日本人にとって空港はまだ特別なところという感覚があるに違いない。  セコイ話になるが、電車の運賃も空港のひとつ手前の駅と空港駅まででは、ぐんと開きがある。たとえば京浜急行で品川から羽田空港は400円だが、ひとつ手前の天空橋は230円、そして天空橋〜羽田空港間は150円だ。品川から羽田空港へ行く場合、一度天空橋で下車したほうが安くなるという摩訶不思議な現象が起こっている。同様に横浜〜羽田空港間は通しで買うより一旦天空橋で下車したほうが50円安くなる。 ●ほとんどで飛行機見物ができる日本の空港  とまあ、日本の空港に対する不満をずいぶん述べたが、やはり自分の住む国の空港は、ぜひ利用者本位の便利な空港であってほしいと願うのは当たり前だろう。そんな日本の空港、海外の空港に比べて優れているのは、ほとんどの空港に送迎デッキがあることだ。これは撮影目的の航空マニアでなくても嬉しいことだ。海外にも送迎デッキが充実している国にドイツがあるが、日本も普及度ではドイツと肩を並べるだろう。地方の空港では、送迎デッキ入場が有料であるにもかかわらず、休日などは見送り客や見物客で賑わう。どんなに航空機を利用することが日常化しても、実際に外でエンジン音を聞いて、旅立つ人を見送るという風情はいいものだ。  興味深いのは空港によって送迎デッキの雰囲気が異なることだ。羽田、成田、伊丹、福岡、新千歳など都会の空港では無料で、羽田空港はデートスポットなどとして、伊丹空港の夏はビアガーデンになるなど、土地柄もある。地方へ行けば行くほど便数は少なくなるが、たった1機の離発着に100人ほどのギャラリーがつめかけるなど、地方空港での飛行機見物は絶大な人気がある。一方で私の記憶では、展望デッキが閑散としているのは沖縄県の空港だ。鉄道のない沖縄県では、以前から航空機は日常的な乗物だったのか、わざわざお金を払って飛行機を見るという感覚がないようだ。ひょっとしたら、沖縄には嘉手納、普天間といった米軍基地が市街地にあり、飛行機はもううんざりなのだろうか。確かに那覇空港の展望デッキでは、青い海をバックに離陸していく民間機も見られるが、爆音をたてて編隊で離発着する自衛隊機は、騒音以外の何ものでもないといった感じだ。 成田空港—— ●問題山積の日本の玄関口  海外から帰国、成田空港の滑走路に着陸すると、成田の駐機場は整然として見えるが、なぜだろう。おそらく、成田では大小の航空機が入り混じって動く光景が見られないからではないだろうか。成田に乗り入れる機材は、世界最大の旅客機であるB747ジャンボ機はじめ、B777、A330、A340といった大型機がほとんどだ。世界で最も数多く使われているはずのB737などの小さな機材がほとんど乗り入れていない。ちなみに通路がひとつしかない、いわいるナローボディ機で成田に乗り入れているのは、コンチネンタル航空グアム行きの一部の便と、全日空国内線の一部の便だけだ。ましてプロペラ機による定期便もない。こんな空港は世界でも成田空港しかないのだ。  しかし成田空港では小型機材の乗り入れを制限しているわけではない。自然にこういう結果になった。成田空港は滑走路が1本、ずいぶん以前から発着枠が満杯、各航空会社は旅客量を増やすためには、一度にたくさんの乗客が運べる大きい機体にするしか方法がない。つまり成田空港の発着1回分は貴重、その1回を100人足らずの乗客を運ぶのに使うのはもったいないというわけだ。ジャンボ機を使えば300〜400人は運べる。  成田空港には、長い間、新たな国からの乗り入れはない。発着枠がないので、断るか、関西など他の空港に来てもらっている状態。しかし成田空港への乗り入れを希望しているにもかかわらず、乗り入れできないでいる国が約30カ国もあるそうだ。現実的にそれらの国の航空会社に本当に乗り入れ意志があるかどうかは別にしても、空港整備の遅れで長年断り続けているとは何とも情けない話だ。  しかし乗り入れている航空会社とてさまざまな苦労がある。1社に割り当てられた発着枠は決まっているので、たとえばデルタ航空は2001年4月からニューヨーク便の運航を始めたが、引き換えにポートランド便はなくなった。新路線を運航するためには身を削って発着枠を捻出せねばならない。コンチネンタル航空がアメリカ本土便を充実させた陰ではハワイ便はなくなっている。  日系とて例外ではなく、全日空は当初ソウル、グアム、サイパンといった近距離国際線が主流だったが、現在はその多くの便がない。グアム便でもニューヨーク便でも、1往復したときに使う成田の発着枠は同じだ。ならば収益性の高い長距離便へと路線をシフトさせたのだ。いわば長距離便開設の陰で近距離便が犠牲になっている。繁忙期にも、おいそれと臨時便の許可は下りない。そこで年末年始などは、その時期需要が少なくなる自社の貨物便を運休させ、その浮いた発着枠で旅客臨時便を運航するなど、各社とも知恵をしぼっている。  ちなみに日本は航空運賃が高い国のひとつであるにもかかわらず、格安航空券は豊富で、その価格も世界水準、あるいはそれ以下といわれるが、成田の発着枠がタイトなことが影響していると思う。航空旅客需要は1年を通じて同じということはなく、季節によって波があるのが普通だ。通常、航空会社はその需要に合わせて便を増減する。これは季節的なものだけではなく、需要があれば増便、なくなれば減便というのは誰でもわかる道理だ。ところが成田では需要があっても増便はできず、逆に需要がなくても簡単には減便できない。減便、あるいは運休にすると、二度と発着枠を取り戻すことはできず、各航空会社は需要が落ち込む時期でも同じ便数を飛ばしている。これが格安航空券価格にも影響するのであろう。  成田空港が最も暇になる時間帯、お昼前に風変わりな飛行機を見ることができる。貨物航空会社フェデックスの小型機で、仙台からやってくる。といっても重い貨物を運ぶにはあまりに小さい機体で、荷物の積み降ろしを行っている様子もない。ある成田空港関係者に話を聞くと「本当のところ、あの便は発着枠確保のための便では?」という。フェデックスは以前、羽田空港時代から多くの便で乗り入れていたフライングタイガー航空を吸収合併し、成田で数多くの発着枠を持っている。ところが地上人件費の高い成田から、ちょうどアメリカ軍が撤退して空いていたフィリピンのスービックにアジアの拠点を移したため、成田への発着が減ったのだ。そこでその浮いた発着枠を守るために、軽飛行機を飛ばして発着枠を確保しているのでは、ということだ。現在の成田空港を象徴する現象だろう。 2本目の滑走路が完成してもなお問題山積の成田空港 ●あまりに短い2本目の滑走路  滑走路に関しては開港から20年以上経て、ようやく2本目の滑走路が完成しようとしているが、当初予定よりかなり短い2180メートルという長さでの供用開始になった。しかしこの長さでは、成田空港発着便で最も多いB747ジャンボ機の離発着は現実的には難しく、B747より小さな機体でも、燃料満タンで遠くへ飛ぶ便は離陸できない。せいぜい韓国、中国、グアム、サイパン、台湾辺りまでしか飛ぶことができないというお粗末な滑走路だ。ちなみに現在の滑走路は4000メートル、地方空港でも2500メートルが主流なので、成田の新しい滑走路は、地方空港の中でも小規模な、花巻、山形、松本、鳥取空港などと同レベルということになる。  しかしこの2本目の滑走路、予定通り2500メートルあったとしても問題がないわけではない。そもそも成田空港は二つのターミナルと3本の滑走路というのがあるべき姿だ。そして二つのターミナルはおそらくターミナル1に遠距離国際線、ターミナル2に近距離国際線が発着することを想定。それゆえにターミナル1に近い現在の滑走路は4000メートル、ターミナル2に近い滑走路は2500メートル、そして3本目の滑走路は横風用に充てられるはずだったのであろう。ところが実際にはターミナルの1と2は航空会社で分けられていて、ターミナルがどちらかということと、近距離便か遠距離便かということは連動していない。  たとえ2本目の滑走路が予定通り2500メートルで完成しても、ターミナル2から出発する日本航空や全日空のニューヨークやロンドン便などは、ターミナル1側の長い滑走路を利用することになるだろう。成田空港は開港20年以上経つが、プランそのものは30年ほど前のものだ。このような不具合は、その後の情勢変化に臨機応変に対応してこなかった証といえるだろう。  現在ターミナル1と2は航空会社別に使われているが、これとて時代に合っているわけではない。新しいターミナル2に日系航空会社が集中しているが、これによる混乱もある。現在は世界の主要航空会社はグループを組んでいて、共同運航などが活発に行われているが、現在の分け方は、その枠組みに合致していない。たとえば日系航空会社はターミナル2の発着、なのに日系航空会社の航空券を持っているのにターミナル1を発着、あるいは逆にターミナル1を発着するはずの航空会社の航空券を持っているのにターミナル2を発着するなど、わかりにくい分け方だ。この問題に関しては、2005年を目処に発着するターミナルの入れ換えを行うことになっているが、どうも成田空港の構造は時流の変化に対して後手後手の対応になっているような気がする。  ターミナル2には本館と沖のサテライトを結ぶ「シャトル」なる無人運転の交通システムがあるが、あれも首をかしげてしまう配置だ。世界の空港常識からすれば、あの交通システムは地下にあるべきで、そうすれば地上の航空機の動きが現在よりはるかにスムーズになったはずだ。ただでさえ、空港北側を東西に結ぶ誘導路がなく、ターミナル2北側から出発した機体が、現在の滑走路の北側にたどり着くまでにはかなりの時間を要している。 ●運用時間制限は夜間に発着できないだけではない  24時間空港でないというのも、航空機の円滑な運航の妨げになっている。成田発パリ行きエールフランス航空には、成田発21時55分、パリ着翌4時25分という便があるが、本来ならもう少し成田発、パリ着ともに遅い時間のほうが便利だ。しかし成田空港には23時から翌6時までは離発着ができず、このような時間設定になっている。成田の出発時間はもう少し遅くできそうだが、実際はターミナルから滑走路先端までの移動時間なども計算に入れなければならず、23時までといっても22時出発ぐらいまでが旅客便では限界なのだ。何しろ制限時間は厳守されていて、23時を1分でも過ぎたら、いかなる理由があっても出発は翌朝になってしまう。  さらに時間設定が難しいのは到着便で、現在は時刻表上の旅客便では21時25分着の香港からのキャセイパシフィック航空が最終便だ。到着便は、定時運航していてもその日の風向きなどによって到着時間が前後するが、それでも成田空港は6時から23時までは、緊急着陸を除いて到着はさせてもらえない。大幅に遅れている便は、最終寄港地を出発する段階で、23時の門限までに成田空港に到着できないことがわかっている場合は、その空港にとどまるしかない。逆に朝6時台に成田空港に到着する便が、風向きの関係などで6時前に到着してしまった場合は、燃料の許す限り上空で6時になるのを待たねばならない。成田空港が24時間空港でないということが、航空会社のスケジュールや、周辺の空港に不便を強いていることは事実なのだ。利用できない時間は1日7時間ではあるが、実際の時刻表上の時間ではもっと長くなってしまうのだ。 午前の閑散とした時間帯にやってくるフェデックスの小型機、発着枠確保のためという噂がある ●世界一朝寝坊な空港  成田空港が都心から遠いということも、様々な面でネックだ。たとえば成田を朝、出発する旅客便の初便は9時発のユナイテッド航空ソウル行きだ。この便は2001年から始まった便で、それまでは9時30分発の大韓航空ソウル行きとフィリピン航空マニラ行きが初便だった。さらに本格的に出発便が動きだすのは午前10時を過ぎてからだ。こんな朝寝坊の空港は世界中どこを探しても見当らない。普通、世界の主要空港なら朝7時、8時台出発の便があるのは当たり前だ。ところがそんな時間に出発時間を設定したのでは、利用者の多くが空港への足がないことから利用できないのだ。夜に関しても同じことがいえ、あまり遅く空港に着いたのでは、空港からの足がなくなってしまうため、旅客最終便の到着は21時25分だ。何しろ都心から70キロもあるので、そう簡単にタクシーなど利用できない。  ちなみに国際線航空会社のタイムテーブルには、就航する各都市の空港〜市内間の交通機関が載っていることが多い。日本航空のものを例にすると、成田空港〜都心間はタクシーで1万9000円とある。当然世界各国の情報も載っているが、こんなに値段の高い都市はない。おそらく事情を知らない外国人がこれを見たら「ゼロを一桁間違ったミスプリントでは?」と思うに違いない。日本人としてはちょっと恥ずかしい思いである。  都心と空港が離れているので、空港アクセスバスなどの交通機関も、世界各国に比べてかなり高く感じる。JR「成田エクスプレス」などは、せいぜい1時間から、長くても2時間以内の乗車にもかかわらず、グリーン車やグリーン個室などの設備があり、世界的な常識から考えると「何か勘違いしているのでは?」と思ってしまう。快速電車の増発、シートの改善、荷物置き場の設置などに努力してもらいたいものだ。  また現在都心と成田空港を結ぶ第3の鉄道ルートが計画されている。京成電鉄高砂駅から北総開発鉄道が印旛日本医大まで運行していて、京成電鉄、都営地下鉄浅草線などと相互直通運転を行っているが、これを成田空港へ延長しようというものだ。完成すると都心と成田空港をほぼ一直線に結べる。また都営地下鉄浅草線は日本橋を通っているが、これに東京駅への路線を追加、こうして東京駅〜成田空港間の直通列車を走らせれば、現在約1時間を要しているこの間が40分以下に短縮できるらしい。こうして成田空港が時間的に近くなってくれるのは嬉しいが、途中経由する北総開発鉄道は運賃が高いことで有名な電車だ。このルートでは東京駅から成田空港にたどり着くまでに、この北総開発鉄道を含めて4社の鉄道会社を通らねばならず、いったい運賃がいくらになってしまうのか心配なところだ。 ●利用者あっての空港なのだが 「勘違い」はまだある。いつも気になっていることに、ターミナル2のエレベーターがある。ターミナル2には、鉄道駅がある地下1階から、出発階の3階まで直通するエレベーターがたったの2台しかない。しかもその大きさといったら、我が家のマンションのエレベーターとさして変わらないサイズだ。カートを携えていたら1台で一杯になる。そのためエレベーターは実質的には使いものにならないのか、出発階にはエレベーターがあるというサインすら出ていない。おそらくターミナル2には、カートのまま利用できるエスカレーターがあるので、それを使えということなのであろう。しかしカートのまま使えるエスカレーターは角度が緩やかなので、地下1階から地上3階まではかなりの時間を要する。しかしここまでのことが「勘違い」だと言っているわけではない。問題はそのあと。このようなことから、利用者の多くはエレベーターを使いたいが諦めている状態なのに、最も我がもの顔でこのエレベーターを使っているのは空港職員なのだ。彼らは、このエレベーターは業務用とでも言わんばかりに、一般利用者がいることなど気遣わずにドアを閉めてしまっている光景を私は何度も目撃している。  ターミナル1とターミナル2を結ぶ無料連絡バスでも同じことが言え、最も大きな顔をして利用しているのは空港で働く人たち、座れない乗客がいても平気で4人のボックスシートを占領してお喋りに興じている。 「空港はあなたたちのためにあるのではない」と思ってしまうことがよくあるのが残念だ。海外の空港では、空港職員はもっとフレンドリーに利用者に接してくれることが多いので、ついついそう思ってしまう。もっと立場をわきまえてほしいものだ。 第2ターミナル本館とサテライトの間を走る交通システムは地下を走るべきだ ●成田を最も上手に使いこなしているのは米系航空会社2社  何かと欠点の目立つ成田空港だが、アメリカ系航空会社にとってはアジアの重要な拠点空港になっている。古くから太平洋線を運航している老舗航空会社ノースウエスト航空と、やはり国際線の老舗だったパンアメリカン航空から路線を引き継いだユナイテッド航空は、戦後日本の航空会社育成に寄与したことと引き替えに、日本からアジア地域への無制限の以遠権という、極めて特別なものを持っている。そのため両社とも北米から成田へ飛び、成田で乗客を振り分け、アジアへのルートを築いている。たとえばノースウエスト航空は、北米からの路線として、ニューヨーク、デトロイト、ミネアポリス、シアトル、サンフランシスコ、ロサンゼルス、ホノルルからの便があるが、これらはすべて同時間帯に成田へ到着する。さらにこの2時間ほど後に、ソウル、北京、上海、香港、台北、マニラ、バンコク、シンガポールへの便が出発する。北米からアジア諸国へは成田で乗り継ぐことで、どこからどこへでも乗り継げるような運航ダイヤが組まれているのだ。もちろんアジアから北米へ向かうときも同じだ。  夕方の成田空港第1ターミナルサテライトでは、よく係官にエスコートされて乗り継ぎ便へと急ぐ外国人旅客を目にする。ノースウエスト航空は実に北米からの七つの便から、アジア各都市への便へと成田で乗り継ぐが、ひとつの便が遅れると、すべての便に影響してしまう。遅れた便の乗客をいかにスムーズに次の便へ乗り換えさせるかは、成田空港の地上係員のスピーディな誘導にかかっているのだ。こういう意味では、成田空港はアジア一のハブ機能を発揮している空港といえるのだが、悲しいかなハブとして機能させているのは、日本の航空会社ではなくアメリカの航空会社だということか。他の国の空港をこれほど拠点として利用している例はほかにはなく、奇しくも、閉鎖的であるはずの日本の空港が、世界でも例を見ない、他の国の航空会社が拠点にする空港になっているのだ。 羽田空港—— ●成田空港より発着量は多い  2001年から日本の国内線航空事業も、運航、運賃設定などに関する規制が撤廃されている。各航空会社は国内線を運航するのも休止するのも、そしてその路線の運賃をいくらにするかも、航空会社の判断でできるようになった。しかしその後も運輸省改め国土交通省の裁量が関わっているのが、羽田空港の発着枠配分だ。これがある限り、航空会社は、いくら自由だからといっても、ローカル線を簡単に休止するわけにもいかない。現在日本国内を運航する航空会社は、羽田空港での発着枠をどれだけ確保できるか、これが経営を大きく左右する状態だからだ。それほどに羽田空港は過密していて、利用者も多い。国内の空港では唯一、3本の滑走路を有するが、すでに夜間以外の離発着は満杯、成田空港より発着便はずっと多い。  最近は羽田空港の朝が早くなっている。沖合いを埋め立てて滑走路が徐々に市街地から離れたのに伴い、早朝、深夜の発着が可能になったが、当初早朝・深夜発着便には人気がなかった。そこで各航空会社は早朝・深夜発着便に対する割引を行った。やがて時代は運賃自由化、空の競争時代へと入ったが、当然早朝・深夜発着便は真っ先に大幅な割引対象になった。次第に「空の旅は早起きが得」という風潮が定着、今では朝6時台の羽田空港は昼間と変わらぬ混雑になっている。  羽田空港が混雑するのには、何もかもが東京中心という日本の構造にも原因がありそうだ。日系大手3社日本航空、全日空、日本エアシステムは、いずれも運航の拠点は羽田空港で、3社ともドル箱路線なのは羽田を発着する路線だ。拠点がシカゴ、ダラス、アトランタなどと分散していて、大都市のニューヨークやロサンゼルスを運航拠点にする航空会社がないアメリカとは構造がまったく異なる。  アメリカのハブ&スポークの運航を、もし日本に置き換えるとどうなるだろう。A社は名古屋空港を、B社は岐阜辺りにある空港を、C社は小松空港をと、地理的に日本の中心に位置する空港をハブにし、そこから日本全国に路線網を築くというやり方だ。たとえば青森から鹿児島へ行くのに、A社なら名古屋乗り継ぎ、B社なら岐阜乗り継ぎ、このようにして競争するわけだ。もちろん東京〜福岡間などの幹線は直行便を飛ばすが、それ以外のローカル線でも、この方法なら毎日多くの便を飛ばすことができる。A社の青森から名古屋へ行く便には、名古屋で乗り継いで、大分へ行く人、熊本へ行く人、鹿児島へ行く人と、あらゆる乗客が乗っているのだから。  2001年2月からは、チャーター便に限って国際線の発着が新たに認められるようになっている。それはそれで結構なことだが、便数に制限があるほか、成田空港の利用できない午後11時から翌朝5時までという時間制限付きというものだ。この時間制限は成田空港に配慮しての処置に思われるが、何とも利用者不在の条件といえる。成田空港が使える時間なら成田空港からでもチャーター便が運航できるというなら、成田空港への配慮とも思えるが、成田空港には発着枠がなく、一切の包括旅行チャーター運航が認められていないにもかかわらずのこの処置、滑稽でもある。年末年始などは予約が取れなくて海外行きを諦めるという人は多いはずで、「そのような時期に羽田がチャーター便ででも使えれば」と思っている利用者や旅行業関係者は多いのではないだろうか。空港整備の遅れで、本来あるはずの需要を失ってもいるのだ。  そういう意味では、海外のさまざまな空港を見てきたが、どこも日本より真面目に利用者のことを考えているように思われる。日本のように、関係省庁や千葉県などの自治体の面子を守るといった次元の話が、空港運用に深く関わる国は珍しいであろう。  この時間制限はチャーター便を運航する航空会社にとって、大きな妨げになっている。通常チャーター便運航は、チャーターと言ってもある程度規則性を持って運航するのが普通だ。たとえばある便が出発したら、現地ではその何日か前に出発した乗客を乗せて帰ってくる。帰ってきたら折り返し次の乗客を乗せて出発するといった具合だ。ところが午後11時から翌朝5時まででは、6時間しかなく、その間に目的地に飛んで同じ機体が折り返してくるのは無理。ということは、必ず片道は空気を運ぶような運航をしなくてはならない。これではツアー代金だってそう安くはできないだろうし、第一燃料の無駄である。 ●国際線が発着していた頃の思い出  この羽田空港、私にとっては、初めて利用した空港で、一番付き合いの長い空港である。まだ成田空港が開港する前、当然東京への国際線はすべて羽田空港を発着していた。言うまでもなく現在の「ビッグバード」などのできるずっと以前、L字型の建物で、増築を重ねた迷路のようだった国内線ターミナルと少し離れて国際線ターミナルがあった。今考えてみると、日本の首都、東京の空の玄関が、あんな小さなターミナルでよく機能していたものだと感じるが、古き良き時代でもあった。  中でも印象的だったのは、夕方にやってくるパンアメリカン航空の001便と002便、世界一周便だった。001便は西廻り、002便は東廻りで、3日ぐらいをかけて地球を一周、毎日東京に発着していた。そして東京ではうまい具合に西廻りと東廻りが同じような時間帯の発着で、パンナムのジャンボ機が2機並んでいたように記憶している。ターミナルの行き先案内表示にも、他の便は目的地が記されているだけだったが、パンナムの世界一周便には「RTW」(ラウンド・ザ・ワールド)、そして数多くの経由地が記されていて、いかにも国際線の王者の貫禄を持っていた。子供心にも「国際旅情」のようなものを感じたものだ。  また羽田空港は唯一の首都の玄関口だったため、海外からの国賓、公賓を乗せた特別機も数多くやってきた。現在の羽田空港では、VIPスポットという専用の駐機場があり、警備などの関係から、旅客ターミナルからは離れた場所に位置しているが、以前はそうではなかった。旧羽田空港では、当時の22番スポットという、最もいいロケーションの駐機場が、特別機の駐機場所に充てられた。ここなら航空機をタラップで降り、すぐ前から黒塗りの車に乗って都心方面へ出られたのだ。この22番スポットは送迎デッキから最も見晴らしのいいロケーションでもあった。  特別機の到着時は、一種独特の威厳のようなものを感じさせた。機が到着すると、機首部分には日本とその国の国旗が立てられ、22番スポットに向かう。もちろん22番スポットの屋上部分にも国旗が掲げられ、ここにはそのための国旗掲揚ポールもあった。特別機が駐機し、前方ドアが開き、中から主賓が現れると、大砲による空砲が轟いた。「東京サミット」やアメリカ大統領来日など、よほどのことがない限り送迎デッキは閉鎖されなかったので、週末などはたまたま来ていた家族連れなども、この一種のセレモニーは、誰でも間近で見物できたのだ。しかしこれも古き良き時代の風物詩になったといえるだろう。 羽田空港時代、海外の首脳来日時も間近でそのセレモニーを見物できた。写真は1991年カナダのマルルーニ首相来日時のもの。両国旗が掲げられ、そこにタラップが横付けされる 伊丹空港—— ●庶民の暮らしの間近にあった空港  航空マニアは西高東低といわれる。日本にいる飛行機ファン、航空マニアは、関東より関西に多いというのだ。これには裏付けもあり、航空機を扱った書籍や雑誌は関西のほうが売れるという話を聞いたことがある。そしてこのことに大きく影響を与えたのがどうやら伊丹空港らしい。市街地にある空港として、騒音訴訟まで行われた空港で、沿線住民の騒音被害というのは計り知れないものがあるが、そんな中で航空マニアもたくさん育んだ。小さい頃から空を見上げれば飛行機が飛んでいた、という環境が多くの愛好者も生んだわけだ。これは確かに言えることで、鉄道のない国にはまず鉄道ファンはいないだろう。沖縄に鉄道ファンが多くいるとも思えない。東急電車ファンは東京に多く、阪急電車ファンの多くは京阪神地区の人だろう。交通趣味は成人になってから始める人は少なく、幼少時の影響が大きいものだろう。小さい頃、普段から航空機に接する機会が多かった地域に航空マニアが多いというのはうなずける話である。  こういう観点から考えると、伊丹空港はまさに絶好のロケーションだったのかもしれない。大阪府豊中市と兵庫県伊丹市に囲まれ、大阪府吹田市、兵庫県尼崎市に挟まれた地域が着陸のコースになっている。まさに市街地の中を航空機が着陸してくるので、部屋の2階、あるいはマンションの窓から航空機が眺められる環境で育った人は多いのではないだろうか。しかも関西空港が開港するまでは、ここに国際線も多く乗り入れていたのだ。  空港ターミナルも当時の羽田空港とはかなり雰囲気が違っていた。羽田などよりもずっと庶民の生活の場に近かったので、送迎デッキには毎夏ビアガーデンが店開き。送迎デッキからは夕陽もきれいに見えたので、デートスポットとしても活用されていた。  また空港の外にもデートスポットとして、とっておきの場所があった。実は伊丹空港は地形の関係で、よほど強い南風にならない限り、離着陸は南から北へ向かってのコースに限定されている。そこで空港南側の土手は着陸機を眺める絶好のスポットで、昼間は写真撮影の航空マニアで、夕方から夜は、空港の夜景を見るカップルなどで賑わっている。土手になっている関係で滑走路より高い位置から眺められるため、夕方、箕面の山をバックに、着陸誘導灯の並ぶ中を着陸していく様子は、よくポスターなどにも利用された。着陸してくる機体の車輪に手が届くのではないかと思われるぐらい、人とすれすれのところを飛行機が飛んでくる。ジャンボ機などが着陸してくるときの迫力は他の空港では体験できないもので、世界でも、飛んでいるジャンボ機にこれほど近付けるところは少ないであろう。  現在は国内線のみの空港で、かつての賑やかさこそなくなったが、京阪神地区の人にとって、より親しみのあるのは、やはり関西空港ではなく伊丹空港のようだ。国内線の時刻表をよく読むとわかるが、羽田〜大阪間などの便、伊丹行きと関西行きがあるが、関西行きより伊丹行きのほうが大きい機体が使われている。特定便割引などの割引運賃も、同じ時間帯でも伊丹空港行きのほうが高い値段設定だ。伊丹空港の人気がうかがえるというものだ。 市街地の中からジャンボ機が離陸する 箕面の山をバックにジャンボ機が着陸する夕景はポスターでもよく使われている 飛んでくるジャンボ機にこれほど近付けるところは珍しい 関西空港—— ●24時間稼働を活かして欲しい  1994年に開港した海上空港。日本の景気がよかった頃の計画で、民間活力を導入するという施策から、関西国際空港会社が経営するという民間の空港だ。大阪では伊丹空港での教訓から、騒音問題の起こらない、そして成田空港のように用地買収問題もない海上を選んだわけだが、当初見込み以上に地盤沈下が激しく、その維持費が空港会社を圧迫している。また海上空港ゆえに建設費も高くつき、それが航空会社に課せられる空港使用料などに跳ね返り、乗り入れ便数が伸び悩んでいるほか、ここから出国する旅客に課せられる空港施設使用料も、2650円と、成田空港の2040円よりかなり割高だ。  成田空港との大きな違いは、国際線と国内線双方が発着し、同じターミナルで乗り継げるという部分だ。成田空港の場合は関東一円の利用者のことしか考えられておらず、地方空港から成田空港を利用しようとすると、羽田空港〜成田空港間を移動しなくてはならない。そのことを考えると、関西空港は国内線と国際線が同じターミナルで乗り継げるというのは大きな進歩だった。  しかし実際には航空会社がそのことを意識した運航スケジュールで組まないと、その機能は活かせない。残念なことに、およそ国内線は国内線、国際線は国際線で運航しているので、国際線に乗り継ぐことを前提に時間帯設定をした国内線はほとんど見当らないのが現状だ。そもそも大阪には伊丹空港と関西空港があるが、国内線の使い分けは、羽田行きなど便数の多い区間では双方の空港から、大阪から距離的に近い都市へは伊丹空港発着が多く、遠い都市へは関西発着が多くなる。近い都市では、関西空港発着にしたのでは、他の交通機関との競争に勝てないのだ。また伊丹空港には早朝・夜間は騒音の関係で発着できないので、その時間帯は関西発着が基本になる。  つまり航空会社は、数の多い国内旅客獲得のためのスケジュールに専念していて、数の少ない国際線との接続旅客の便宜が図られる余地がないのが現状だ。日系航空会社で、関西からしか便のない都市行きに接続する羽田からの便があるぐらいで、肝腎の地方空港〜関西〜海外といった便宜はないに等しい。これでは地方都市からの海外渡航客が、スケジュールのいいソウル経由に流れるのは当たり前といえば当たり前だ。このように日系航空会社の国際線と国内線でも、接続を考えた時間帯設定になっているのはほんの僅かなので、海外の航空会社の便に接続させることを考えた時間設定になっている国内線などは皆無だ。せっかく国際線と国内線の接続のよさも考えられて造られたターミナルだが、実際の国内線の運航は「この時間帯なら新幹線の最終の後だから、新幹線に勝てる」といった発想でしか飛んでいないのがちょっと悲しく思われる。  こんな関西空港の特徴を活かした運航を行っているのがタイの航空会社2社だ。タイ国際航空、また2001年から乗り入れのエンジェルエアは、ともに関西空港が24時間稼働の空港であることを活かし、深夜出発の便を運航している。これらの便を利用すれば、深夜に関西発、早朝にバンコクに到着することができるが、東京発にはこういった時間帯の便がないので、羽田から国内線を利用してでも使う価値はあるだろう。しかし早朝に出発する便、深夜に到着する便などはない。空港が24時間営業していても、空港アクセスがないからだ。24時間空港の機能を100パーセント発揮させるには、空港アクセスもそれに対応させる必要があるだろう。 流れるようなフォルムの屋根のため、ターミナルに送迎デッキはない ●シンガポール人がイチ押しする空港  話は変わって、関西空港には自慢できる話がある。私が北京空港を訪れた際、空港周辺で航空機の写真を撮っていたら、やはり航空マニアを自称するシンガポール人と一緒になった。当然マニア談議になったが、彼は主にアジアの空港で航空機の撮影をすることが多いようだったので、飛行機の写真を撮影する上で、どの空港がお薦めか、どこがよかったかを尋ねたら、私にとっては意外な答えが帰ってきた。彼は迷わず「関西エアポート」と答えたのだ。  実は関西空港は、他の日本の空港と違い、ターミナルに送迎デッキがない。モダンな流れるようなフォルムの旅客ターミナルはそれなりに美しいが、それゆえに屋上というものがなく、送迎デッキがない。デザイン優先というわけだ。そこで滑走路北端側に見学用の展望ホールが設けられたが、ターミナルから階段を上がって気軽に行けるわけではなく、入場料もそこまでのバス代込みで800円以上というものだった。加えて滑走路の端にあるので、風向きによっては間近で航空機が見られるわけではない。そんなことから、「伊丹空港はよかった」などとマニアの間では不満も多かったのだ。そういうことがあったためシンガポール人の答えは意外に聞こえてしまった。  シンガポール人にその理由を尋ねてみると、「航空機を見物するためにあれだけの施設を造ったというのはスゴイ」というのだ。なるほどそうかもしれない。ターミナルの屋上に展望デッキがあったのでは、ありきたりの風景だが、この滑走路北端の展望ホールからは、泉佐野市との間につながった空港連絡橋をバックに着陸する航空機の風景が撮影できる。ターミナルビルにあったのでは絶対に見えないターミナルビルそのものも眺められる。確かにそう考えればお薦めで、そう考えるのが自然であることに気が付いた。  ちなみに、800円以上した入場料は、現在は無料(バス代は別)になっている。ただし北側から着陸していれば、着陸機、離陸機ともに間近で眺められるが、逆だった場合は双方ともあまりよく眺められないのが最大の欠点だ。  空港と大阪中心街は2社の鉄道ほか多くのバス路線で結ばれている。奇しくも2社の鉄道路線で結ばれているところは成田空港と同じ、しかも1社がJR、1社は下町を走る私鉄と、共通部分が多い。しかし電車の雰囲気は成田とはちょっと異なる。成田空港へのJR「成田エクスプレス」は、特急にもかかわらず4人ボックスシートと、設備に難あり。さらにグリーン車の比率も高く、グリーン個室まであるという内容で、ちょっとバブリーな感じだ。一方関西空港へのJR「はるか」は、グリーン車はあるもののグリーン個室などはなく、普通車も通常の特急車両と同じ二人掛けシート、気軽に乗れる自由席車両もあるなど、好感が持てる内容。やはり庶民感覚の強い大阪といえる。  しかし両都市とも、私鉄はもっと庶民的な空港特急が走り、運賃もJRに比べてかなり安い。成田空港への京成電鉄「スカイライナー」は1等車に相当する車両はなく、全車両が普通車、しかし二人掛けシートなのでJR「成田エクスプレス」より乗り心地はいい。一方関西空港への南海電鉄「ラピート」は、「鉄人28号」のニックネームを持つ変わった風貌の車両が大阪の南の繁華街難波と関西空港を結ぶ。1等車に相当する特別車両はあるものの、追加料金は200円とかなり庶民的だ。大阪らしいのは南海電鉄の「ラピート」の宣伝文句。JR「はるか」などが走る天王寺駅前のビルの壁面に「ラピート、はるかにお得」と「ラピート」の安さを宣伝している。おもしろいのはJRの電車からよく見えるように宣伝しているところで、さすが大阪である。 展望ホールでは、空港連絡橋をバックに着陸する航空機が眺められる 福岡空港—— ●空港アクセスナンバー1の空港  福岡空港は日本で最も交通の便のいい空港だろう。市街地にあるので福岡市内から近いということもあるが、便利に利用できる理由はそれだけではない。何かと空港を取り巻く交通が整っているのだ。まず市内へは地下鉄が通っていて、博多駅へは10分ほど、市内中心の天神へも20分ほどと極めて便利。加えて空港行きだからといって最後の一駅がべらぼうに運賃が高くなったりしないのも好感が持てる。  また福岡空港は福岡市だけでなく、九州全般へ使いやすくできている点がポイントだ。この空港からはさまざまなバスがある。それは福岡県内のみでなく、佐賀行き空港バス、また長崎、熊本、大分方面行きの高速バスが、ここ福岡空港を経由するので、福岡空港は福岡県の空港ではなく、九州の表玄関として機能している。たとえば以前は熊本から日本航空と大韓航空が唯一の国際線としてソウル便を運航していた時期もあったが、現在はない。熊本空港から少ない便数でソウル直行便を運航するより、熊本から福岡空港への交通の便をよくして、便数の多い福岡空港を利用したほうが便利なのだ。こういった意味で福岡空港は九州全般に求心力が及ぶ空港として機能しているといっていいだろう。一般に日本の地方空港は県単位で利用されていることが多く、県境を越えての空港アクセスバスは少ない。が、福岡空港はその点上手に利用されている空港といえるだろう。福岡では、現在の空港に代わる新空港を海上に計画しているが、利用者としては現空港の使いやすさを伸ばしていってもらいたいものだと思う。 空港直下に地下鉄が乗り入れる福岡空港 名古屋空港—— ●「瓢箪から駒」だった名古屋空港  名古屋空港は、日本で3番目に国際線が多く発着する空港だが、関東・関西在住の人にはほとんど縁がない空港ではないだろうか。なぜなら、新幹線が通っている関係で、羽田からも伊丹や関西からもフライトがない。ちなみに国内線で「幹線」と呼ばれるのは、札幌、東京、大阪、福岡、沖縄各空港相互間の路線なので、名古屋空港には「幹線」が発着していないことになっている。確かに名古屋は大都市だが、発着する国内線に大型機の便はほとんどなく、B737やB767の便が中心だ。  そんな名古屋空港だが、国際線は意外な理由で増えた。実は現在名古屋空港に乗り入れる海外の航空会社の多くは、本来は名古屋空港への乗り入れを希望したわけではなかった。といっては名古屋の方々に失礼だが、複雑な経緯がある。  成田空港が満杯で発着枠がなく、伊丹空港も騒音問題の関係で新規乗り入れはできなかった。もちろん関西空港開港前の話だ。すると、日本へ新たに乗り入れようとすると、名古屋空港しか乗り入れられる空港がなかったのだ。しかし多くの航空会社は「名古屋では乗り入れても意味がない、成田空港の2本目の滑走路ができるか、あるいはせめて関西空港開港まで日本乗り入れを待とう」という態度だったのだ。  それが変わったのは、ひょんな噂が発端だ。「関西空港も滑走路は当面1本しかなく、発着枠はじき満杯になるだろう」という推測が出たものだから、各航空会社は、関西空港開港前に、日本乗り入れの実績を作っておきたいと、名古屋に乗り入れが殺到したのだ。その時期まだ日本へ乗り入れを確定していなかった航空会社も、名古屋にチャーター便などを積極的に運航、定期便運航への下調べとも思われる乗り入れが続いた。つまり一時期名古屋空港への国際線が増えたのは、関西空港開港までの「つなぎ」であったことは事実だ。  しかしこれまた意外な展開で、名古屋発着の国際線は定着していく。関西空港開港が当初より遅れた結果、名古屋へ乗り入れていた航空会社には、中京地区の利用者が根付き、名古屋乗り入れは充分採算が合うことが証明されたこと、そして海外旅行ブームに乗って、中京圏そのものの需要が増えていったのだ。関西空港開港後は、名古屋空港から撤退して、関西空港発着に乗り入れ都市をシフトするであろうと思われた航空会社も、結局は関西空港開港後も名古屋空港にとどまった。実際に乗り入れ都市をシフトしたのは、貨物航空会社のエアー・ホンコン1社だけだった。  現在も名古屋空港にはカンタスオーストラリア航空、デルタ航空、ヴァリグ・ブラジル航空が乗り入れるが、これらは関西空港への乗り入れはない。また名古屋へ乗り入れる中国西北航空、中国西南航空は関西へも、成田へも乗り入れていない。  ところで乗り入れ航空会社によってその空港の雰囲気が変わることがある。名古屋へは遠くブラジルのサンパウロからロサンゼルス経由でヴァリグ・ブラジル航空の定期便が週3便乗り入れている。日本へ乗り入れる海外の航空会社の乗客構成はというと、ほとんどの場合が日本人観光客主体。ところが唯一日本人ではなく、その航空会社本国の乗客が主体になっているのがヴァリグ・ブラジル航空だ。ブラジルには日系人が多く、職を求めて日本にやってくる人が多い。名古屋への便も日系人やその家族の利用が多く、毎週3回、この便がやってくる日、名古屋空港国際線ターミナルは、陽気な日系ブラジル人たちで賑わう。遠く離れた故郷からの同胞を迎えるため、送迎デッキや到着ロビーは一種独特の雰囲気になるのだ。日本人と違い、大きなアクションで再会を喜び合う。名古屋空港の午後が、一瞬ラテン的になるひとときである。 現在も国際線で賑わう名古屋空港 ヴァリグ・ブラジル航空が到着する日、到着ロビーは日系ブラジル人で賑わう 新千歳空港—— ●北海道の玄関にふさわしい設備を持つ  一般に「新千歳空港」と呼ばれるが、千歳に二つめの空港があるわけではない。従来の千歳空港は、防衛庁が管理する千歳飛行場を民間との共用空港として利用していたが、航空需要が増したことから民間専用空港を隣接する土地に建設し、それが「新千歳空港」となったのだ。それまでは航空自衛隊の航空機と滑走路が共用だったので、東西冷戦下、ソ連の航空機が領空侵犯しそうになるたびに、滑走路先端で民間のジャンボ機をホールドさせて、2機編隊の自衛隊F15がスクランブル発進していったものだ。その頃の空港ターミナルは、現在のJR千歳線南千歳駅(その頃はこの駅が千歳空港駅だった)に隣接していて、駅とは長い連絡通路でつながっていた。  現在のターミナルビルになったのは1992年。アメリカのダラス・フォートワース空港を模範にした半円形スタイルで、航空機が直接ターミナルビルにボーディング・ブリッジで横付けされ、同じターミナルに国際線も発着する設備が設けられた。北の玄関にふさわしい立派なターミナルビルになり、日本では初めて空港ターミナルそのものに空港ホテルが併設された。空港ターミナルのそばにホテルが隣接されている例は多いが、空港そのものにホテルが入ったのは新千歳が初めてなのだ。滑走路は2本あり、1本目はターミナルビルより早く1988年から使われていた。現在の滑走路は民間用2本、自衛隊用も2本あり、合わせると4本。しかも4本はほぼ平行に位置しているため、空港設備が一般に貧弱といわれる日本国内の空港において、設備は整っているといえる。しかも日本では数少ない24時間稼働可能な空港でもある。  このように設備が整っているので、国内線の便数は多く、最近では道内路線も充実してきている。広大な面積の北海道、陸路では時間を要する区間が多く、道内といえども航空需要が大きいのだ。一方で国際線は、一時期香港やオーストラリアへの直行便も開設されたが、現在は立派な施設を持て余しているというのが現状。立派な空港にはなったものの、北海道拓殖銀行の破綻以来北海道経済に元気がないのが残念なところだ。  しかし国内線ターミナルはいつも賑わっている。毎年お盆の時期になると、帰省する旅客で賑わうターミナルから、ニュースの中継があるのが恒例だが、本州と新千歳空港の間は需要がコンスタントにある区間だ。とくに羽田〜新千歳間は世界でも最も航空需要の大きい路線、ジャンボジェット機が1時間に1、2本飛ぶ。本州からの便が到着しては大勢の乗客がこのターミナルを利用する。  このようなことからターミナル内の土産店類は日本の空港の中で最も充実しているのではないだろうか。おそらく北海道中の名産が揃っているだろう。海産物が多く、空港の土産物店というより、その活気は、夕方、勤め帰りのOLなどで賑わうデパートの地下食料品売場のようだ。ちょっと空港離れした光景が展開されている。  北国ならではの光景もある。ターミナル前は広大な自動車駐車場になっているが、真ん中に1本、ガラスで覆われた通路がある。冬季、積雪時でも、車のそばまで暖かい室内を移動できるように造られた通路だ。ターミナル屋上にある展望デッキも、12月から翌年3月までの4カ月間は降雪のため閉鎖される。  アメリカの貨物航空会社が多く飛来した時期もあった。アメリカは香港などを経由して、中国の安い人件費での衣料品などを輸入しているが、重い貨物満載では香港からアンカレッジなどへ直行するのは難しく、かといって成田空港には発着枠に余裕がないので、長い滑走路など施設の整った新千歳空港で給油を行っていたのだ。しかし現在はこういった便も少なくなった。航空機の性能がよくなり、航続距離が伸びたこと、また東西冷戦終結後、新たに北太平洋航路にロシアの上空を通れるルートが開設されたほか、サハリンでも給油ができるようになったからだ。これではわざわざ燃料の高価な日本に立ち寄る理由はないだろう。  以前は同じような理由で、千歳空港に立ち寄る旅客便も多かった。冬の季節風の強い時期は、北米から日本への便は、アンカレッジから北海道に到達する辺りまでは強い向かい風になる。予報よりこの風が強いと、たとえばニューヨークなどからの便は、成田までたどりつけなくなり、給油のために千歳に一旦着陸することもあった。長らく千歳空港は北の「守り」としても重要な空港だったといえる。  ところでこんな話がある。現在函館にはロシアのサハリンからサハリン航空の定期便が飛んでいるが、本来は千歳への乗り入れを希望していた。確かに北海道に国際線が乗り入れるなら、函館より千歳に乗り入れるのが自然だ。ちなみに函館にはこのサハリン航空以外には国際便はない。なのになぜ函館に乗り入れているかというと、東西冷戦時代、ソ連の航空機を、自衛隊も使っている千歳には乗り入れさせなかったというのが、理由のようだ。東西冷戦終結後めっきり聞かなくなったが、昔は旧ソ連の戦闘機が日本の上空を侵犯しそうになると、ここから戦闘機がスクランブル発進を頻繁にしていた。しかしその頃のソ連の定期便が乗り入れたことで、自衛隊戦闘機の機密でも漏れると考えたのだろうか。ちなみにそのサハリン航空は、2001年7月から、念願だった新千歳空港への乗り入れを開始した。同じく2001年8月からは中国西北航空も上海から新千歳へ乗り入れを開始、新千歳空港にとっては明るい話題だ。 ターミナルの展望デッキから見た景色はいかにも北海道の大地を思わせる ターミナル出発階の土産店街はまるでデパートの地下のよう ガラスで覆われた通路が駐車場へ続いている 国内空港アラカルト——  国内主要空港を一回りしたところで、地方空港にも目を向けてみよう。  さっそくだが、釧路空港と熊本空港には共通点がある。それは何か? この2空港は、地方空港では計器着陸システムのCAT(カテゴリー)㈽aという、国内では最も精度の高いシステムを採用している。要は航空機の着陸というのは、最終的にはパイロットが目視して操縦するが、計器飛行でどのぐらいの高度まで誘導できるかの精度だ。現在日本でこのCAT㈽aまでの運用が可能なのは成田、羽田、関西、そして釧路と熊本だ。成田、羽田、関西に関しては、その重要度から納得だが、釧路と熊本はなぜかというと、霧が多いため。たとえば釧路などは、このシステム導入前は、視界不良による欠航率が50パーセントにも達していた。熊本空港も、熊本市内は霧がなくても、空港のある阿蘇寄りは霧の発生が多い。  花巻、仙台、新潟の3空港は東京人にはあまり縁のない空港といえる。なぜなら3空港とも東京からの便がない。言うまでもなく新幹線があるためで、以前は羽田からの定期便があったが、新幹線の開通とともに廃止されてしまった。現在は羽田空港の発着枠がタイトなので、物理的にもこういった路線を飛ばす余地はないだろうが、それ以外の条件では、羽田〜花巻路線などは飛んでいてもいいのでは、とも思える。これらの路線が新幹線開通で廃止になった頃は、航空運賃が現在に比べて相対的に高かった時代だ。新幹線のほうが安くて早いなら、新幹線にこしたことはないだろう。しかし現在では、割引運賃を使えば航空機のほうが安いのが当たり前になっている。するとこれからは、新幹線がスピードで勝負、航空機は安さで勝負をしても、あながちおかしな発想でもないような気がする。  変わった立地なのが富山空港だ。富山市内を流れる神通川の川原を利用している。ターミナル屋上にある展望デッキに昇るとよくわかるが、空港のバックには川が流れている。ちなみに富山空港の展望デッキは飛行機の見えるランプ側とは逆の方向にも向いていて、そこからは北アルプス立山連峰を望むことができる。 「小松空港からはヨーロッパ直行便が週4便もジャンボ機で運航されている」と言ったら驚くだろうか。しかしこれは紛れもない事実である。とは言っても貨物便の話だ。小松空港からはルクセンブルクの貨物専門航空会社、カーゴルクスのボーイング747‐400型貨物専用便が、週4便もルクセンブルクへ直行している。ちなみにルクセンブルクはヨーロッパの貨物センターの役割を果たしている。しかしこの小松空港、旅客国際便はというと、日本航空のソウル便があるだけと、北陸を代表する空港としてはいささか寂しい。  世界でも珍しい空港アクセス交通があるのは大分空港だ。大分市内から大分空港へは、バスで別府を経て国東半島に沿って空港へ向かう。地図を見れば一目瞭然だが、半島に沿って走るのでかなりの距離がある。そこで海上に突き出た空港である点を活かし、大分市内から空港までを一直線に結ぶホーバークラフトによる空港アクセス交通が以前から運航されている。空港にはホーバークラフトが接岸できる水路が設けられており、空港ターミナル横に接岸される。しかし現在は大分空港への自動車専用道路が開通しているため、以前ほどの利用価値はなくなってしまった。またこのホーバークラフト、特殊な乗物ゆえに運賃が高いのがウィークポイントで、大分〜大分空港間が2750円もする。ちなみに大分からの高速バスで福岡までは3100円なのだ。 東京への便はない新潟空港は日本海に沿う。沖を小行きのフェリーが出航する 川原に空港がある富山空港 空港アクセスにホーバークラフトが活躍する大分空港   5 印象に残った世界のその他の空港 香港・啓徳空港—— ●スリルがあった「香港カーブ」  世界の空港で、ひときわ印象深い空港といえば、最初に頭に思い浮かぶのは、香港・啓徳空港だ。1998年、香港の中国返還の1年後に、惜しまれつつその役割を終えてしまったが、あんなエキサイティングな国際空港は啓徳空港が最初で最後の存在だろう。香港の市街地に位置し、通称「香港カーブ」を切った航空機は、ネオン街をかすめて着陸する。パイロットにとっては極めて難しい着陸を強いられる空港だが、そこに世界のジャンボ機が次々に着陸してくる迫力はいまでも鮮明に頭に浮かぶ。機内からこの香港カーブを味わうには、右の窓側からの景色が良かった。着陸直前に右旋回するので、右側の席からは、九龍の繁華街が、窓から手の届きそうなスリルで眼下に展開した。  しかしなぜ着陸寸前に旋回しなければならないような空港になったのだろう。これはすべて香港の狭さに起因している。現在のように海を埋め立てて空港を建設できる以前は、陸地に建設用地を求めるしかないが、香港の地形は、海に山が迫り、広い平地はなかった。航空機は、離陸時は急角度で上昇できるが、着陸時は浅い角度でゆっくり降下しなければならない。ところが滑走路用の土地は確保できても、そこから一直線上の長い平地は確保できなかった。そこで苦肉の策として、滑走路からの一直線上ではない海上を浅い角度でゆっくり降下し、滑走路直前で滑走路と平行な角度まで右旋回させて着陸するというスタイルになった。実はこのようなスタイルは珍しいことではないが、あまりに急旋回で、しかも着陸直前だということ、そして市街地の真ん中だということで、世界的に「香港カーブ」は知られることになったのだ。  啓徳空港は狭い土地を活用しての空港だったので、「香港カーブ」以外にも、さまざまな狭さゆえの特徴もあった。ターミナルビルが混雑しないよう、出発客と到着客を階で分け、ボーディングブリッジは古くから可動式、航空機が到着して乗客を降ろしたら、今度は出発階につながる構造だった。タラップを使う機体へはバスで乗客を運ぶが、古くから「デュアルオートバス」と呼ばれる、前後どちらにも運転台があるバスが使われていた。空港が狭いので、バスが方向を変えるスペースさえ満足に確保できなかったためだ。  しかしこの空港で飛行機を見るなら、空港ターミナルで見るのもさることながら、着陸してくるコースは市街地なので、街中から空を見上げるのが香港気分をより味わうことができた。空港にほど近い山にはチェックの看板が掲げられているが、これは、着陸コースに乗って徐々に降下してくる航空機が、最初に滑走路と仮定して目印にするものだ。つまり最初はその目印を滑走路だと思って降下し、直前で本当の滑走路のほうへ機体を旋回させるわけだ。 狭いゆえの工夫、ランプバスはすべて前後に進めるデュアルオートバス ●ネオンの街をジャンボ機がよぎる  奇妙なビルもある。ビルの屋上に強力なライトをたくさん並べている。実は航空機が着陸進入の印にする着陸進入灯が、ビルの上に設置されているのだ。普通ならだだっ広い芝生の上にでも並んでいる設備だ。さぞかし住民は騒音で迷惑を被っているだろうと思うが、意外にも騒音に関係のない倉庫や工場になっているわけではない。商業地区で、小さな店や飲食店がたくさん並ぶ地域、住民はもう慣れっこなのか、頭上をかすめる航空機を気にすることなく普通に生活を営んでいる。とはいうものの、ここの騒音は大阪・伊丹空港周辺の住宅地などの比ではなかった。民間機とはいえ、あの近さでは騒音というより爆音だ。意外な事実も体験した。あれだけ航空機に近ければ、着陸してくるとき、頭上をかすめるかなり前から爆音が聞こえるのかと思うと違っていた。その爆音は突然やってきて、次の瞬間には通り過ぎていくのだ。周囲の雑踏とビルが壁になっているのか、頭上をかすめる一瞬に音も集中する。何か急に驚かされた気持ちだ。  香港といえばネオン瞬く街を思い出すが、この空港界隈もさまざまな原色に彩られたネオンが林立する。しかし日本のネオンとは異なる部分がある。それは、航空機の着陸に支障がないように、点滅させてはいけないことになっているのだ。香港ならではの決まりといえる。  少し空港から離れたところにも「香港カーブ」を眺められる場所があった。何文田(ホーマンティン)の丘は九龍の街と、啓徳空港に着陸する航空機を眺める絶好のポイントだった。どのような地形のために「香港カーブ」になるのかが一目瞭然の眺めだ。香港には高層ビルが多いが、航空機が着陸してくるコース周辺だけは、すり鉢状に高層ビルが建っていない様子がここからはよくわかった。  空港周辺には変わった撮影ポイントが存在した。何しろ市街地の中の空港である。ビルに登れば、さまざまなアングルが得られた。高層アパートの非常階段の踊り場や、オフィスビルの屋上などに各国からの航空マニアが群がっていた。オフィスビルの屋上といっても、そこにはペントハウスに住んでいる人もおり、人の家の庭先に航空マニアが群がっているようなものだった。皆、右に急旋回しながら着陸してくる航空機の迫力あるショットを狙っていたのだ。何しろ飛んでいる航空機の翼の上面を見せながらの写真が撮れる空港など、世界中探してもそうはない。  右急旋回には航空会社による特徴もあった。ほとんどの航空会社は右に弧を描くようなダイナミックなカーブで着陸するが、香港をベースにするキャセイパシフィック航空は違っていた。カーブを描くというよりは、真っすぐ降下して、ギリギリの地点で一挙に機種を滑走路方向に向け、そのまま真っすぐ着陸するのだ。これでいくとキャセイの機体は大きなカーブを描かないので、写真に撮ったときのダイナミックさはないが、早い時点で滑走路と平行に機体を向けていたわけなので、つまりは香港の空港に慣れていたため上手だったといえるわけだ。  香港は、中国返還以降、観光客が減少気味だといわれるが、啓徳空港がなくなってしまったことは、私にとっては香港の魅力を大きく減らしてしまった要因であることは間違いない。私の頭の中にある香港の風景には、漢字のきらびやかなネオン街とともに、常にそのビル群をかすめて着陸体勢に入るジャンボ機がある。「香港カーブ」を描くジャンボ機が、私の中では香港の風景の一部だったような気がする。 ビルの谷間を抜けて着陸する 着陸進入灯はビルの屋上にあった 「香港カーブ」を描いて着陸してくる機体は迫力満点だった 台北・中正空港—— ●国交のない国への飛び方  日本と台湾の間は、経済的な交流は盛んだが、正式な国交はなく、お互いの大使館といったものはない。これは日本と台湾の間だけでなく、台湾は多くの国と同じような関係にある。こんな台湾の空の玄関口が台北・中正空港だが、ここでは、ちょっと変わった航空会社を多く見ることができる。日本航空ではなく「日本アジア航空」、KLMオランダ航空ではなく「KLMアジア航空」、ブリティッシュ・エアウェイズこと英国航空ではなく「英亜航空」などだ。これら航空会社の共通点はひとつ、台湾へ乗り入れるための航空会社だ。日本アジア航空は、日本航空100パーセント出資の子会社。日中国交正常化前、日本航空は台北に飛んでいたが、中国との国交正常化以降は日本航空が北京に乗り入れたため、台湾路線はすべて別会社に移管された。中国、台湾双方に気を使っての配慮だ。  成田空港開港後も台湾のチャイナエアラインズが羽田発着で残ったのも、同じ理由からだ。といっても中国と台湾の航空会社で、乗り入れ空港まで違えていたのは世界でも東京だけだが、日本の場合、歴史上も中国、台湾双方に大きくかかわっているための配慮だろう。ただしこの処置も成田空港の2本目の滑走路が完成するまでで、2002年からはチャイナエアラインズ、エバー航空ともに成田発着になる。  当のチャイナエアラインズも大変だった。チャイナエアラインズこと中華航空は香港へ数多くの便で乗り入れていたが、その香港が1997年に中国に返還、もちろんチャイナエアラインズは中国本土へは乗り入れていないが、香港も中国の一部となれば、難しい立場になる。チャイナエアラインズは中国返還を前に機体デザインを変更したが、これは単にイメージチェンジだけではなく、機体から台湾の中華民国国旗を取り払い、スムーズに返還後の香港へ乗り入れられるようにとの配慮が重要だったといえる。このように国交のない国への定期航空便の乗り入れには、さまざまな障害があるわけだ。とくに国を代表する航空会社「ナショナル・フラッグ・キャリア」ともなると微妙な問題がある。  日本では日本アジア航空に続いてエアーニッポンも台湾へ乗り入れているが、親会社の全日空ではなく「エアーニッポン」が乗り入れているのは、全日空が中国へ乗り入れているためだ。ヨーロッパからも多くの航空会社が台湾へ乗り入れるが、台湾便用の機体は別会社に見えるよう心がけられている。英国航空(ブリティッシュ・エアウェイズ)の台湾便を運航する「英亜航空」は、尾翼の英国王室のマークがなく、「英亜」と書かれている。KLMオランダ航空に対する「KLMアジア航空」は、尾翼のオランダ王室の王冠がアジアの文字に、スイスエアーに対する「スイスエアーアジア」は、尾翼のスイスの国旗「白十字」が「瑞」の一字になっている。最も簡単に済ませてしまったのはエールフランス航空で、台湾便を運航する「エールフランスアジア」の機体は、尾翼のフランス国旗をモチーフにしたデザインは同じで色が若干違うだけだ。本来は国旗の青、白、赤のラインが入っているが、「エールフランスアジア」の機体は赤の部分が青になっている。モノクロ写真にすれば同じである。要するにどこか1カ所でも変えておけばいいわけか。  しかしこれらの配慮は、厳格に守られている。たとえば航空機はメンテナンスなどで利用できなくなる期間があるが、そうした場合に備えて、台湾便用の機体は多めに用意され、普段は日本など他の国に飛ぶことも多い。つまり台湾用でない機材が台湾に飛ぶのはまずいが、台湾用機材が別の国に飛ぶのは問題ないというわけだ。  そのことを最も顕著に表していたのが、以前の日本アジア航空の貨物専用機だ。日本〜台湾間は、専用機材を持つほどの需要がないので、機体は日本航空と共用。そのため尾翼は真っ白いままでロゴマークなどは入っていなかった。しかしさすがに社名まで省略するわけにはいかない。そこで苦肉の策が講じられた。機体に「JAA」(日本アジア航空の略)と書いて台湾へ飛び、日本航空の便で他の国へ飛ぶときは、3文字目の「A」の上に「L」のシールを貼って「JAL」(日本航空)で飛んでいた。ペイントが「JAL」ではなく「JAA」だったのにも理由があった。台湾で、「A」が剥がれて「JAL」になるのはまずいが、他の国で「L」が剥がれて「A」になってもさほど問題にならないからという配慮だ。  ここまで細かな配慮をしていたが、現在の日本アジア航空と日本航空共用の貨物専用機材はもっと簡単な処置がとられている。尾翼には日本航空の鶴丸も日本アジア航空のロゴマークも描かず、機体にはJAカーゴとだけ記されている。「JA」なら「ジャパン・アジア」にも「ジャパン・エア」にもとれるので、曖昧な表示で、当たり障りなく飛んでいるのだ。ちょっと手を抜きすぎでは? 今と昔のチャイナエアラインズのデザインの違いのポイントは中華民国国旗があるかどうかだ KLMオランダ航空とKLMアジア航空、言われてみないと違いはわからない? ●九州ほどの国土に6社が国内線で競合  こんな台湾の航空事情、国内線も賑やかだ。「台湾に国内線なんかあるのか」などと考える人もいるのでは? 確かに日本の九州を少し小さくしたぐらいの国土、あまり国内線航空網が必要とも思えない。しかし実際には台北・松山空港を中心に、国内ジェット便を運航する会社だけで6社がしのぎを削るという航空過密国だ。鉄道や道路が発達していないわけではないが、台湾の国土は意外に中央部は山が険しく、鉄道が通っているのは島を一周する海岸線のみ。そして最も国内線が発達している理由は、国内主要都市いずれもで、市内から空港が近いということがある。日本では新幹線があったり、市内〜空港間が遠かったりで、東京〜仙台間でも国内線は飛んでいない。しかし台湾では東京〜福島間ぐらいの距離でも、充分国内線航空機が活躍できるのだ。  台湾の国内線の特徴は、ワイドボディ機は1機も使わず、ナローボディ機のみだ。しかし、便数は多い。つまり小さめの機体で頻繁に飛ぶ。国内線空港の雰囲気も、空港というよりバスターミナルのような感じで、庶民の気軽な足になっている。小さな島国なので、それほど多くの路線がないのに、6社もが運航しているため競争は激しく、各社のカウンターには、次の便の出発時間、空席在りの表示、そして機材(最新のものであること)などが掲げられ、乗客の奪い合いだ。待合室では、カウンターで食べられる麺類などのコーナーがあるが、気取った雰囲気はなく、まさに駅のスタンドという造り。日本よりずっと進んだ国内線事情かもしれない。 日本航空と日本アジア航空の共同使用機材は「JAカーゴ」とだけ記されている 台北・松山空港の出発案内表示。狭い国土におびただしいフライトが飛ぶ マニラ空港—— ●空飛ぶ出稼ぎ労働者  日本の空港と海外の空港、大きな違いに「客層」というものがある。日本の空港には「混沌」といった雰囲気がない。成田空港でも関西空港でも、利用客の客層が決まっている。大半を占めるのが日本人観光客と出張渡航のビジネスマンだ。そこには生活感もなければ、泥臭い感じもない。小綺麗なスーツケースを携えた集団かアタッシュケースのビジネスマンがほとんどで、それにバックパッカーがいるぐらいだ。  日本人は海外旅行好きな人種だが、国が閉鎖的なためか、海外から日本へ来る観光客は少ない。無論、就労目的の入国もできないので、労働者もいない。そのため日本の国際空港は、「国と国の接点」という雰囲気を感じない空港だ。唯一日本でそういう雰囲気があるのは、前章で述べた、名古屋空港のブラジル人たちであろうか。その点海外の空港は、人々の出会いと別れのドラマに満ちている。日本で言えばドラマか映画の一シーンと思われるような場面によく出くわす。これも「空港巡り」でしか味わえない醍醐味のひとつだ。  フィリピンのマニラ空港では、日本では味わえないドラマが毎日展開されている。この国では、男性、女性問わず海外に出稼ぎに渡航する人が多く、そういった人たちの別れ、再会のドラマが繰り広げられている。  こうした事情は乗り入れ航空会社や路線にも顕著に表れている。マニラには、日本へは乗り入れていない中東湾岸諸国の航空会社が多数乗り入れる。サウジアラビア航空、クウェート航空、カタール航空、アラブ首長国連邦デュバイ首長国のエミレーツ航空、アラブ首長国連邦、オマーン、カタール、バーレーン4カ国共同のガルフ航空と、中東の主要航空会社すべてが乗り入れる。これらはいずれも日本へは乗り入れておらず、東南アジア諸国を眺めてみても、マニラへの便数はことに多い。サウジアラビア航空などは毎日ジャンボ機による運航だ。もちろんフィリピン航空もこれら地域へは便が多い。そしてもうひとつ目立って便が多いのがマニラ〜香港間、セブ〜香港間だ。つまりフィリピンから香港への便が多い。  これらはすべてフィリピン人労働者需要に支えられているフライトで、男性は中東湾岸諸国へ、女性は香港で主にメイドなどとして働いている。なぜフィリピンに出稼ぎ労働者が多いかというと、国内が貧しいということもあるが、フィリピン人は英語を話すことができるためで、以前からお金を稼ぐには海外で、という習慣が根付いている。フィリピン政府も以前から出稼ぎを奨励している。  毎日、マニラ空港ターミナルでは、こういった出稼ぎ労働者が行き交っているわけだが、これが結構大変だ。貧しいフィリピンでは、一人が出稼ぎに行くと、家族はもちろん、親戚を含めて10人以上がその恩恵を受ける場合もある。一人が出稼ぎに行ったり、帰ってきたりすると、およそ10人以上の見送り、出迎えがある。仮にサウジアラビア航空のジャンボ機が到着すれば、400人ほどが到着、折り返し便としてまた400人ほどが出発するわけだから、その時間帯の空港は異様なまでの雰囲気になる。  そのような送迎客までが空港ターミナルに入っていたのでは収拾がつかなくなるので、空港ターミナルにはその日の航空券を持っていないと入れない。入口で入場整理を行っている。そのため空港ターミナル前はいつも送迎客でごった返している。 マニラ空港国際線ターミナル周辺はいつも送迎客で賑わう 到着ロビー前の道路は終日出迎え客でご覧の通り ●機内に転がるアルコールの瓶  中東への労働者は苦労もある。中東湾岸諸国はイスラム教の国ばかりでアルコールはご法度、出稼ぎ労働者は出稼ぎの間アルコールを断って働くわけだ。そのためか往復の利用航空会社はフィリピン航空に人気がある。フィリピン航空ならアルコールがサービスされるが、中東系の航空会社を利用したのでは、機内からすでにアルコールがご法度になってしまうからだ。そのためフィリピン航空の中東からの帰り便は、仕事から解放された人たちで酒盛りになる。中東の空港出発時、ドアが閉まった時点でアルコールが解禁され、マニラに到着する頃には空の酒瓶が機内のあちこちに転がっている。  ターミナルは海外の航空会社が乗り入れる従来からのターミナル1と、フィリピン航空専用のターミナル2があり、ターミナル1は、空港周辺の低所得者層の街にも近い位置にあり、ターミナル周辺は、送迎客目当ての物売りも多く見られる。ほとんどが小学校低学年程度の子供で、あまり冷えてないジュースやコーラなどを売り歩いている。瓶のジュースが多いが、彼らは栓抜きを持っておらず、器用にナイフを使って栓を抜いてくれるが、子供とはいえナイフを持ってお金を要求するのでちょっと危険な感じだ。  日本では原則的に外国人の就労目的の入国を認めてないので、目に触れることは少ないが、アジアではこういった出稼ぎによる航空需要はあちこちで見ることができる。たとえばマレーシアやシンガポールにはインドネシアやバングラデシュからの労働者が多い。中東へはバングラデシュ、インド、パキスタンから多くの労働者が流れている。かつては韓国からも中東へは多くの労働者が渡航していた時期がある。以前ソウル発サウジアラビアのジェッダ経由の便でヨーロッパへ向かったことがあるが、韓国人の多くはヨーロッパまで行かずジェッダで降りていった。そして給油中、機内を清掃するのも現地で働く韓国人だった。遠くサウジアラビアで、機内を清掃する人と乗員が、母国の韓国語で話していたのが印象的だった。 ホノルル空港—— ●ここは本当に海外?  ハワイは日本人にとっては最もポピュラーな海外旅行先のひとつだ。ホノルル空港へは毎日日本各地からたくさんの便が到着する。到着するというより押し寄せるという表現がピッタリかもしれない。とにかくその量はスゴイ。仮に土曜日の朝として、日本からの便を数えてみよう。成田から日本航空が4便、ノースウエスト航空が2便、ユナイテッド航空が1便、羽田からチャイナエアラインズが1便、関西から日本航空が2便、全日空が1便、ノースウエスト航空が1便、名古屋からJALウェイズが1便、全日空が1便、福岡、千歳、仙台、広島からJALウェイズがそれぞれ1便、合計18便が、すべて同じような時間帯に続々と到着する。全便がワイドボディ機だ。  乗客の多くは日本からハワイへのツアー客、入国審査のブースはたちまち日本人でごった返す。日系人係員であろうか、長い列を作っている日本人に、日本語で「旅券と入国カード、税関申告書を用意して、2列になってお並びくださ〜い」などと交通整理にあたる。係員は気をきかせて「パスポート」を日本語で「旅券」と言ったのだろうが、日本でも「パスポート」は「パスポート」、めったに「旅券」などとは言わない。「旅券」などと言われて戸惑う乗客が多く、中には航空券のことかしらと慌てて航空券をバッグから出す人もいる。何しろツアー客が主体、海外旅行が初めてという人も少なくないのだ。しかしこれが年末やゴールデンウィークなど、より日本人観光客が多くなる時期は、もっと大変な状況になることは想像にかたくないところだ。とても海外の空港とは思えないぐらいに日本人に占領される。  しかしこのホノルル空港、午後2時を過ぎると、それまでの雰囲気が嘘のようにガラリと表情を変える。日本からの便はすべて早朝から午前に到着、そして午前から、遅い便でも午後2時には折り返し日本へと帰ってしまい、それ以降は日本人の姿はパッタリと途絶える。時折アメリカ本土からの便が到着するが、午前中の大騒ぎが嘘のように静かになる。  アメリカ本土の空港とは異なり、ターミナルビルの航空機の着く側は開放的なバルコニーのような造りだ。南国らしい木々が植えられ、館内にはトロピカルな音楽が流れている。ちなみに日本人にとっては「ハワイへ行く」という感覚は、昔で言う箱根か房総にでも行くぐらいの気軽さになっているだろう。その感覚からは、気軽さは連想されても、地の果てといったイメージはない。しかし意外にもアメリカ本土では「ハワイへ行く」というと、ものすごく遠くへ行くイメージがあり「南海の孤島」ということになるらしい。「カリブはいつでも行ける手軽なリゾート」「ハワイは一生に一度は行きたい南海の秘境」といったところか。確かに地図で見るとカリブの島々は陸地にも近く、湾内の島、ハワイはどの大陸からも離れた孤島である。  ひょっとしたら多くの日本人は、ハワイを誤解しているかもしれない。 日本人はハワイを誤解している!? オークランド空港—— ●国内線には手荷物検査なし!  ニュージーランドは、美しい自然、治安の良さなどから日本人旅行客にも人気の国だ。ニュージーランドには北島と南島があるが、北島にあるオークランドはニュージーランドの空の玄関口、お昼頃を中心に東南アジアからの便が次々に到着する。日本からもここニュージーランドへは、ニュージーランド航空の直行便が成田、関西、名古屋から週14便ほどが飛んでいて、ニュージーランドを訪れる観光客に占める日本人観光客の割合は決して少なくない。しかし日本からの直行便はここオークランドではなく、南島のクライストチャーチに到着する便が多い。そして日本へはというと、ここオークランドから出発する。つまり日本からの観光客はクライストチャーチでニュージーランドへ入国、オークランドから帰国する人が多いということだ。  この理由は、日本人の多くはパッケージツアー利用、そのツアーのコースが、日程前半に南島を観光、北島に移動してオークランドから帰国するコースが多いからで、日本人の旅行パターンが定期便のルートに影響を与えているわけだ。日本〜ニュージーランド間の便は、利用客のほとんどは日本からのツアー客なので、こういったことが起こるのであろう。ちなみに他の国からの便では、このような変速的なルートでは運航されておらず、国際線はオークランドに集中している。他の国からの利用客は、もっとルートが千差万別、そこで最も基本となるオークランドに発着しているのであろう。  確かにニュージーランドの要所要所を短期間に周遊して廻るなら南島に入って北島から出たほうが効率的だ。日本人は効率的に観光地を摘み食いするような旅行が好きなのと、大勢が同じ行動をとるという証のような気がする。実はマレーシア便やオーストラリア便、日本航空のラスベガス便でもこのようなことが行われていて、日本発着便が、行きと帰りでは異なる空港から発着している。このような便を見ていると、観光バスを思い出す。観光バスで観光地に到着、ガイドさんに連れられて見所を見て廻り、違う出口から出てくると、そこにはさっき降りたバスが先回りしてちゃんと待っている。スケールは違うが、これと同じことだ。  こんなオークランド空港、ヨットで有名な街なので、空港正面はヨットの帆をあしらったデザインに「シティ・オブ・セイルズ」と書かれている。観光の国だけあってツーリスト・インフォメーションは充実していて、そこで国内の列車やバスの手配などを無料でしてくれる。びっくりするのは、そこに日本人係員までいること。日本語でさまざまな相談にのってくれる。  国際線ターミナルと国内線ターミナルは少し離れていて、その間は無料連絡バスで移動。国内線ターミナルに移動するとさらに驚くことがある。国内線搭乗時は、荷物検査も金属探知機のゲートをくぐることもないのだ。これはオークランドに限らず、他の国内線空港も同じだった。いくら治安がよくて平和、とくに政治的な問題もないとはいえ、大胆だ。おそらく今までにハイジャックなどの問題が一度も起こっていないのだろう。  ちなみにニュージーランドの国内線で使われている機材は、最も長く飛べる機体でB737。これではハイジャックしたところで、改めて給油してもオーストラリア東海岸まで飛ぶのがせいぜいだ。つまり、飛べる範囲にハイジャックの起こるような政治的な問題を抱えている国もないということだろう。何とも羨ましいお国柄に思える。 「シティ・オブ・セイルズ」が誇らしげなオークランド空港 ニュージーランドの国内線はボーイング737が主力だが、この機体ならハイジャックの心配がないのか? シドニー・キングフォードスミス空港—— ●新天地オーストラリア  ヨーロッパ人にとってのオーストラリアは、東京の人にとっての北海道のようなものだろう。遠く離れた自然の豊富な大地、人間の手の入っていない大地がそこにはある。たまにはそんなところに行って「命の洗濯」をしたいと思うものだろう。  このオーストラリアにヨーロッパからの直行便はない。距離が遠いので、必ず最低1カ所を経由しないと来られない。しかも機中2泊の長い行程になる。代表的なスケジュールでみると、ロンドンを夜出発、翌日の夕方にバンコクに到着、バンコクを夜出発し、シドニーには翌々日の朝に到着といった具合だ。こんな長い行程だからさぞかし乗客は大変と思うが、リラックスしきって、意外にこの長い空の旅を楽しんでいる。機内で寛げるよう、搭乗時からジャージやパジャマのようなヨレヨレの服をまとい、ずいぶんラフな格好だ。ひたすら眠る人、トランプに夢中になるグループ、読書にふける人など思い思いに過ごしている。こんな長い行程なのに幼児を連れての旅行客が多いのにも驚かされる。こんなことからシドニーへ到着したヨーロッパからの人たちは大荷物だ。重くかさばる本などは、日本人はあまり持たないが、ヨーロッパの人は一人で何冊も持っている。着ているものの雰囲気も、小綺麗な日本人とはかなり違う。  そもそもヨーロッパ人のバカンスと日本人の旅行は期間が異なるので、同一視できない部分がある。日本人は到着した日から、観光、移動とスケジュールが詰まっているが、欧米人のバカンスは何週間単位だ。北半球の冬、ロンドンからオーストラリアにやってくる熟年夫妻などは、言いかえれば「渡り鳥」のようなもの、寒いイギリスを離れて暖かいオーストラリアへやってくる。日本ではタレントの大橋巨泉氏が、夏はカナダ、冬はオーストラリアで過ごすというが、欧米にはそんな生活をしている人は多い。  大橋巨泉氏の例は極端としても、ヨーロッパでは夏休みは3週間ぐらい取るのはごく一般的だ。1週間の休みがなかなか取れないという人が当たり前の日本は、決して豊かな国などとは言ってはいけないのだ。ヨーロッパの知人からこんな話を聞かされたことがある。その知人は3週間のバカンスを控えているのに、その前の週にも休暇を取るという。なぜかと理由を聞くと、「来週から楽しみにしていたバカンス、旅行を前に風邪でもひいたら大変だから会社を休むんだ」。日本人から見ると何とも羨ましい話だが、これはヨーロッパでは当たり前の話だ。  変わらなければならないのは日本人のほうだと思う。というのも、日本で2週間の休暇というと羨ましがられるが、逆に海外の旅先で出会った人に、旅行目的や滞在日数を聞かれたとき、観光で3日とか4日と答えると、相手の人はこちらの言っていることを理解してくれない。ビジネスと言ってしまえば3日でも4日でもいいが、彼らにとって3〜4日のバカンスというのは理解できないのだ。「ビジネス」と答えてしまってもいいが、バックパックでビジネスという雰囲気でもないので、こんな時、私は「トランジット」と答えておく。つまり他の場所に目的地があり、ここに3日ほど滞在しているのは、単に経由地、としてしまったほうが、話が複雑にならないからだ。それほどに日本人の旅行は期間が短い。このことは、日本人はもっと「恥ずかしいこと」と認識したほうがいいだろう。  話はずいぶん脱線してしまったが、シドニー空港にいると、欧米人と日本人ではリズムが違うということをひしひしと感じてしまうのだ。  空港ターミナルは国際線と国内線とでは滑走路を挟んで別の場所にあり、この間は連絡バスで移動する。国内線ターミナルはさらに二つに分かれていて、ひとつはカンタスオーストラリア航空、もうひとつはアンセット・オーストラリア航空だ。この2社がオーストラリア国内航空路線を2分する航空会社で、以前からライバル航空会社としてシェアを分け合っている。両ターミナルは、内装や絨毯の色に至るまでそれぞれのカラーにまとめていて、対抗意識は強く、カンタスのターミナルの発着案内にはカンタス便しか表示されないといった具合だ。両社とも各地域に傘下の地域内航空会社を持つが、アメリカなどと違って、多くの航空会社があるわけではなく、ほぼこの2社で独占しているので、2社の競合がより鮮明といえる。そんなオーストラリアに、2000年から新参航空会社が運航をはじめている。その名もヴァージンブルー航空で、御存じイギリスのヴァージンアトランティック航空などの「ヴァージングループ」の航空会社、イギリスの会社の現地法人というわけだ。イギリスの人がはるばる新天地を求めてやってきたオーストラリア、ヴァージンブルー航空もそんな気持ちでここオーストラリアにやってきたのだろうか。 ヨーロッパからはるばる着いた人たちはどんな気持ちでここに立つのだろう マーレ空港—— ●珊瑚礁に浮かぶ空港だけの島  モルディブ共和国はインド洋に浮かぶ1000以上の小島からなる国で、うち約200の島に人が住んでいる。首都はマーレ島だが、首都といっても周囲約2キロという小さな島だ。日本人に人気のリゾートも島単位で、一つの島に一つのリゾートホテルといった感じ。首都には首都機能と、ちょっとした街があるぐらいでリゾートホテルはなく、普通のホテルが2軒あるだけといった規模だ。  こんな地理的環境なので、空港も、空港機能だけの島がそのまま空港になっている。数多い島の中で最も細長かった島をそのまま滑走路にしたような空港で、上空からは埋め立てた海上空港のように見える。珊瑚礁に細長いアスファルトがあり、そこへ航空機が着陸する。まるで空母に着陸する戦闘機に乗っている気分だ。  この島にあるのは空港ターミナルビルと、レストランが1軒だけ。宿泊施設や普通の街の集落らしきものはない。到着した乗客は「ドーニ」と呼ばれる小舟でそれぞれの目的地へ向かう。この小舟が空港アクセス兼、国内主要交通機関ということになるが、たとえば空港島〜首都マーレ間でも、決まった時刻表があるわけではなく、ある程度人が集まったら出発といった具合だ。それでは、人が来なかったらいつまで経っても船が出ないことになるが、その場合は人数が少なくても船は出るが、一人当たりの値段が高くなる。しかしここを訪れる観光客のほとんどは、リゾートホテルのパックを使っているので、ホテルの送迎付きだ。高級リゾートの場合は、空港からリゾート島へ直接ヘリコプターが運航されている場合もある。  そこで私は空港からこの小舟を一艘借り切って海上から離陸する航空機を撮影することにしてみた。といっても、そんなに頻繁に便があるわけではないので、出発便の時刻を調べ、さらにその折り返しになる便が到着したことを確認して船を1〜2時間の予定で借り切った。船には二人の男が乗っていて、一人がエンジンと舵を操作、もう一人はというと船の前で見張りをする。何の見張りかというと珊瑚礁が浅い位置にあり、潮の干満によっても浅さが変わるので、船が座礁するのを防ぐためだ。せっかく船を借り切って航空機撮影だけでは何なので、周辺の島巡りもしてもらったが、滑走路横でエンジンを切って離陸する飛行機を見るだけとは、変わった客だと思われたに違いない。しかし飛行機好きには結構贅沢な気分が味わえる空港であった。 上空から見ると滑走路だけが空母のように浮かぶ(ポストカードより) 空港と他の島の間は「ドーニ」と呼ぶ小舟で 高級リゾートへはヘリコプターによる送迎がある 借り切った船上から離陸機を眺める デュバイ空港—— ●中東交易の拠点  デュバイは最近では中東のリゾートとして人気が出ているが、私はもっと以前のアラブ交易の中継地、アラブ商人の拠点としての、ちょっと危ないイメージのデュバイが好きだ。ここへ行こうと思ったきっかけはいくつかある。昔、南廻り便でヨーロッパへ行くときに、給油のため夜中にデュバイに立ち寄った。給油以外に用はないと思っていたら、ヨーロッパ人がずいぶん乗り込んできた。デュバイで何をしたのか聞くと、「観光」だという。私の頭の中には、中東湾岸諸国に観光に行くという知識がなかったので、びっくりした。一人が「これはスークで買ったの」といって金のブレスレットを見せてくれた。私はヨーロッパへ行くとき、航空券の安い南廻り便を何回か利用していたので、行けるものなら中東湾岸諸国も訪ねてみたいと思っていた。いつも夜中のトランジットだが、砂漠の中に忽然と近代的な空港が現れ、オレンジ色のナトリュウムライトが煌々と輝く光景は、なかなかエキゾチックに感じていた。  ずっと以前、成田空港にイラン航空貨物専用ジャンボ機の臨時便がやってきた。普段は見られない機体なので、私も成田空港へ写真を撮りに出かけた。友人の空港関係者に聞くと、運ぶ貨物はすべて「YAMAHA」のスピードボートだという。イランとイラクが戦争をやっていた時期で(イラクがクウェートに侵攻するもっと以前)、多くのアラブ諸国はイラク寄りだったのでイランが孤立していた時期だ。なぜジャンボ機に満杯のスピードボートがイランに行くのか謎だった。  ほどなくテレビでこんな番組を見た。デュバイとイランのバンダルアッバスの間はホルムズ海峡を隔てて目と鼻の先、戦争で孤立、物資の不足するイランから夜中にスピードボートでレーダー網を掻い潜ってデュバイへ買い出しに出る人の様子を描いていた。本当ならイランは戦争当事国ということで、医療品などしか手にできないはずだが、ここデュバイでは物資が手に入れられるというものだった。その時期、海外でイランの通貨が使えたのはデュバイだけ。国としてはイラク支持、しかしイラン人とも商売をするという商魂のたくましさが興味深かった。何よりも貨物便で運ばれたスピードボートの使い道が判明したことで、急にデュバイに行きたくなった。  実際デュバイの街の中心は日本でいうと秋葉原かアメ横のような地域が続き、商売で成り立っているというのがよくわかる。このように古くから海路を使ったアラブ商人の交易の拠点で、ダウ船と呼ばれる船による「海のシルクロード」の中継地として栄えたが、空の時代となった現在もデュバイ空港は中東の拠点、ヨーロッパとアジアの中継地として栄えている。古くはアジアとヨーロッパを結ぶ便が、給油で必ず立ち寄ったが、現在はここデュバイを目的地にする便が主流だ。デュバイはアラブ首長国連邦(UAE)の七つの首長国の一つだが、エミレーツ航空はそのデュバイの航空会社。実はUAEには湾岸諸国4カ国共同出資のガルフ航空があるが、今ではもっとローカルだったデュバイのエミレーツ航空のほうが大きなネットワークを持っている。以前は交易で栄えていたが、現在はさらにオイルマネーで一段と潤っているのだ。  空港は免税店が充実、とくに金製品の安さが有名だ。免税店の充実振りではアムステルダム・スキポール空港もあるが、ここデュバイも中継地として栄えたという点でアムステルダムと共通部分もある。  フィリピンのマニラ空港の項で紹介した外国人労働者の受け入れ側空港であることもこの空港の大きな特徴だ。毎日インド、パキスタン、エジプト、スーダン、バングラデシュ、フィリピンなどから多くの出稼ぎ労働者がここへやってくる。入国審査場は国籍、ビザ別にずらりとブースが分かれていて、順番の列が乱れないように手りが長く続いている。オイルマネーで潤うデュバイは、人口の85パーセントは外国人労働者、現地の人は2割にも満たない。そのため外国人労働者といっても単純労働ばかりではない。ホテルで現地ツアーに申し込んだが、その時、車の運転手はフィリピン人、ガイドはパキスタン人であった。  今では、これら外国人労働者の他に、物資の少ない旧ソ連からの独立国などからの買い出し客、ヨーロッパからのリゾート客、そしてデュバイは中東の金融センターでもあるので、アラブの衣装をまとったビジネスマンと、あらゆる利用客で渾然一体となって独特の雰囲気になっている。 アラブ風のデザインの空港ターミナル 世界でも1、2を争う規模の「デュバイ・デューティフリーショップ」 ヨハネスブルグ・ヤンスマッツ空港—— ●複雑な航空事情だった人種隔離政策の頃  南アフリカ共和国の人種隔離政策がなくなって10年の歳月が流れたが、ここ10年で南アフリカを取り巻く航空事情はずいぶん変わった。人種隔離政策時代、南アフリカへは、同じアフリカの航空会社の乗り入れはほとんどなかった。ブラックアフリカ諸国とは国交すらなかったのだ。アジア系航空会社もほとんど乗り入れておらず、アジアからは唯一チャイナエアラインズ(当時中華航空)が乗り入れているに過ぎなかった。乗り入れの中心はヨーロッパ系航空会社で、とくにイギリスとの結びつきが深かった。  しかし現在は他のアフリカからも、主だった航空会社はすべて乗り入れるようになり、アジアからの乗り入れも増えた。以前日本からヨハネスブルグへ行こうとすると、ヨーロッパ経由、格安航空券でも30万円を割ることはなかったが、現在ではアジア系航空会社を使えば10万円そこそこで航空券が入手できるまでになった。ヨハネスブルグへのアフリカ内国際線も大幅に増えたので、ここを南部アフリカの観光の拠点にすると大変便利だ。まさに政策変更が、航空地図を大きく変えた例といえる。以前は日本からアフリカへ行く場合は、ケニアのナイロビがゲートウェイだったが、現在はヨハネスブルグに降り立つ人が多い。ヴィクトリアフォールズのあるジンバブエやナミブ砂漠のあるナミビアなどにも便利なロケーションだ。  それにしても、それまでの南アフリカを取り巻く航空事情は複雑だった。南アフリカ航空のヨハネスブルグ〜ロンドン直行便と、同じ区間を飛ぶブリティッシュ・エアウェイズの便では、所要時間が3時間以上違っていた。南アフリカ航空の便は3時間以上も余計に時間を要したのだ。しかし南アフリカ航空も直行で、どこかを経由しているわけではなかった。この謎を解くために地図を見てもらいたい。ヨハネスブルグとロンドンを真っすぐ結ぶと、アフリカ各国の上空を飛んでヨーロッパに至ることになるが、人種隔離政策を行っていた時代、南アフリカ航空は、他のアフリカ諸国の上空を飛ぶことが許されなかったのだ。そのため南アフリカ航空のロンドン便は、南アフリカから大西洋上に出て、公海上だけを飛んでイギリスに到達していたのだ。  最も遠回りを強いられていたのはヨハネスブルグ発イスラエルのテルアビブ行きだ。ヨハネスブルグから真っすぐテルアビブへはアフリカ上空を通過するので飛べない。ならばインド洋に出ればよさそうだが、アラブ諸国からも上空通過を拒否されて飛べなかった。そこでテルアビブ行きはポルトガルのリスボン経由だった。ヨハネスブルグから大西洋上を飛んでリスボンへ、そこから東へ向かってテルアビブに達していた。  ところで、そんな以前に南アフリカとイスラエルや台北との間に定期便があったというのを、不思議に思う人もいるのではないだろうか。いったいどんな需要があったのか? しかしこれは確かな需要があったという路線ではない。ここに出てきた3カ国、ある共通点があった。それは南アフリカ共和国、イスラエル、台湾ともに国際的に孤立した国だったということ。南アフリカは人種隔離政策から、イスラエルは対アラブ問題、台湾は中国との関係。それぞれの問題点に共通した点があったわけではないが、孤立した国同士で仲が良かったのだ。  ちなみにその頃の南アフリカ航空の主力航空機はB747ジャンボ機の超長距離バージョンB747SPだった。この機体の特色は、それまでのB747の性能をそのままにして、機体を短くし、性能が同じなので余った重量分だけ多く燃料が積める構造だった。つまり乗客や貨物の量を減らしてその分を燃料に充て、長距離を飛べるというものだ。当然乗客1人当たりの輸送コストは高くなるが、国交の少ない国の航空会社は、向かい風などの条件でも、なかなか代替空港に降りることはできない。いざという時は民間機ゆえに着陸はさせてもらえるが、国交がなければ事後処理が大変だ。それゆえ長距離を飛べるという性能は必要不可欠だった。このB747SP型機は、当時の中華航空も使っていたほか、中国民航、イラン航空、シリア航空なども運航していた。  その南アフリカ航空も政権が交替してからは、かなりイメージが変わった。以前は英連邦の国旗を掲げたデザインだったが、現在は、ずばり「アフリカ」を感じさせるデザインへと変わった。 政策が変わったことで、アフリカのなかでの位置付けが変わったヤンスマッツ空港 サンドニ・ジヨー空港—— ●南インド洋にある「フランス」  各国民による旅行先の傾向というのはおもしろいものがある。世界中どこへ行ってもいるのはドイツ人やアメリカ人だ。日本人もあらゆるところに進出しているようだが、やはりパッケージツアーでの旅行が中心なので、定番の観光地ではよく目にするが、それ以外ではぱったりと見なくなるという特徴がある。言葉の問題も大きく影響するのか、イギリス人はオーストラリア、香港、インドなど旧英連邦で圧倒的な多さを見せる。スペイン人はスペイン語圏の中南米などでやはり多い。その点、日本人などは、どこへ行っても言葉は通じないので、旅行先の偏りはない。では、フランス人はというと、海外に散らばるフランスの海外県への渡航者がことのほか多い。  南インド洋にレユニオン島という島がある。日本でもモーリシャス島は南インド洋のリゾートとして知られるが、レユニオン島は、そのモーリシャス島と双子の島という関係だ。日本からシンガポールかクアラルンプール、または香港乗り継ぎでモーリシャスへ、そこからモーリシャス航空のプロペラ便で1時間ほどの位置にある。現在はシンガポールに乗り入れたマダガスカル航空が、シンガポールからこのレユニオン島経由でマダガスカルへ飛ぶので、以前より簡単に行けるようにもなっている。しかし日本からこの島を訪れる観光客はまずいない。  この島のおもしろさは、地勢的にはモーリシャスと同じなのに、モーリシャスとはまったく雰囲気の異なる島だということだ。モーリシャスは独立国。平坦な島の所々にゴツゴツとした山があり、海岸沿いにはリゾートホテルも建ち、観光誘致に積極的だ。島民はインド人やアラブ人などと、多民族国家を成す。日本からもツアーがあるなど、外国人旅行者も多い島だ。  一方レユニオン島も世界地図で見ればモーリシャス島とほぼ同じ場所に位置するものの、モーリシャスとはまったく雰囲気が異なる。フランスの海外県で、フランス人ばかり、フランス語が公用語、通貨もフランスフランと、フランス本国とまったく同じ暮らしがある。ちなみに南太平洋にも、ニューカレドニアやタヒチといったフランス領の島があり、これらの島ではパシフィックフランという通貨が使われているが、レユニオン島ではずばりフランスフラン、フランス本国とまったく同じ紙幣・硬貨が使われている。島はリゾートアイランドというより、火山島として有名。その名も「ボルケイノ」は改めて大自然の雄大さを感じさせる景観だ。しかしさまざまな国に向けての観光誘致などは行われていない。フランス本国からの観光客で充分といった雰囲気だ。空港を出るとパリと同じバスが走り、タクシーはシトローエン、人たちはフランスパンを小脇に抱え、フランス製の煙草を吸いながら、犬を連れて歩いている。とても南インド洋には見えぬ光景だ。  こんなレユニオン島のサンドニ・ジヨー空港は、フランスの空港そっくりの造り、南仏の空港を思わせるデザインだ。何もかもがフランス流。「サンドニ」は「St Denis」、「ジヨー」は「Gillot」と綴る。lは二つ続くと発音しない、tも発音しないで、結局この綴りで「ジヨー」と呼ぶらしい。フランス語はその基本を知らないと、思いもよらぬ発音であることが多い。  さて「レユニオン島」自体の紹介が長くなってしまったが、この空港を取り上げたのには理由がある。それなりの特徴があるのだ。実はここは、南インド洋にありながら、れっきとしたフランスなので、パリ〜サンドニ間は扱いとしては国内線なのだ。極端な話、フランス人ならパスポートを所持してなくても、IDを持っていれば飛べるはずだ。そのためパリ〜サンドニ間を飛ぶ航空会社は、たとえば2国間交渉などしなくても自由に飛べ、この間にはエールフランス航空ほか、エール・リベルテ、クロス・エアなども多くの便を運航、パリからだけでなくリヨンやマルセイユからの便もある。  そもそもフランスには主にフランスの海外県に飛ぶための航空会社が何社かある。フランスにはこのレユニオン島以外にも、南太平洋やカリブ海にもフランス領の島があるが、それらの島へも多くの便が飛んでいて、フランス人バカンス客が年中往復している。国内線扱いなので、以前から運賃設定も自由、長距離の割に運賃は低く設定されている。冒頭に述べたようにフランス人はフランスの海外県に行くのが好きだ。ある面でフランス人の「フランスが一番」という性格の表れでもあろう。モーリシャスとは目と鼻の先にありながら、日本ではまったく知名度がないのにはこういう理由があったのだ。 南仏を思わせる空港ターミナル インド洋をバックにエールフランスがパリへ向かう モスクワ・シェレメチェボ空港—— ●東西冷戦の頃  昔ロシアがまだソ連と呼ばれていた頃、現在のアエロフロート・ロシア航空はアエロフロート・ソ連航空だった。ヨーロッパへの格安旅行者はこのアエロフロート航空を利用するか、南廻りの航空会社で時間をかけて行くか、この二つの選択が安くヨーロッパへ行く定番ルートだった。現在でもこの傾向はあるが、以前のヨーロッパ系航空会社は、現在よりずっと「高値の花」的存在だった。アエロフロート航空を利用すれば、都市によっては成田を出発したその日のうちにヨーロッパ着になる。南廻りフライトの場合はトータルで30時間ぐらいの所要時間に耐えなければならなかった。速さだけで比較するとアエロフロート航空が断然条件は良かったが、その頃のアエロフロート航空は旧ソ連製機材だ。機体は小さく、機内映画、音楽などはなく、食事などのサービスもいまいちだった。その頃の南廻り便航空会社は、東南アジア系航空会社が多く、これらは機内サービスの優秀な会社が揃っていた。速さを取るか、サービスを取るか、ずいぶん迷ったものだ。  その頃のアエロフロート航空の成田〜モスクワ便は、イリューシン62という機材が使われていた。ジャンボ機全盛の時代に成田空港のスポットに駐機したイリューシン62は、大人の中に混じった子供のように小さく、少し頼りなく見えた。内部は中央に通路が1列のナローボディ機、断面が小さく、窓側に座ると壁が横上部に迫っていた。何よりも驚くのは前の座席の背に付いている機内食などを置くテーブルで、厚い鉄板のような頑丈な素材でできている。1グラムでも軽く造らなければならない航空機において、このような重い素材を使っているというのは驚きだ。機体は小さい割にエンジン音は大きく、滑走路先端ではしばらくエンジンを吹かさないと出力が上がらなかった。滑走路も長く必要で、西側の航空機と比べると、性能が10年も20年も劣っていたのは事実だ。甲高い耳をつんざくようなエンジン音は、航空機マニアなら、見なくても音だけで「イリューシン」だとわかったものだ。  機内食も、航空会社のサービスレベルの問題ではなかった。成田からモスクワへ飛ぶときは、他社と比べてそれほど遜色のあるものではない。なぜならアエロフロート航空といえども、成田調整の料理を成田で積み込んでいるからだ。しかしモスクワで積んだ機内食は、お世辞にも美味しいものではなかった。パンはパサパサ。たまに主要国際線ではデザートにバナナが配られたが、ロシア人たちはそのバナナに興奮していたのを覚えている。冷戦時代は社会主義圏ではバナナは貴重品だったらしい。しかしモスクワから成田へ戻ってくる機内で、隣り合わせた日本人と機内食の話になったとき、彼は「この機内食はソ連国内ではめったに食べられない御馳走ですよ」と言った。聞くと彼は2週間ほど仕事でモスクワ郊外に滞在したという。ロシア人はこんな美味しいものは食べていないというのだ……。 ●オリンピック選手村に泊まって乗り継ぎ  このアエロフロート航空を使ってヨーロッパへ行く場合は、行き先によって、モスクワでの乗り継ぎ方法が3種類あった。一つは同じ飛行機でそのままロンドンやパリへ行くパターン、二つめは異なる便に乗り継ぐパターン、三つめは1泊して乗り継ぐというパターンだ。  第1のパターンでも、モスクワでは乗客は一旦機外に出る。フライトは成田発モスクワ経由ロンドン行き、成田発モスクワ経由パリ行きなどとなっていた。ところがアエロフロート航空の搭乗券には座席番号はなく、つまり自由席だった。モスクワではモスクワで降りる人、モスクワから乗る人もいて、成田から通しでロンドンなどへ行く人が、モスクワで一旦降りるので、同じ席に戻れるかどうかわからない。そこでこのような便は、出発時にまず成田から乗っていた人を先に乗せ、同じ席に戻ってもらい、モスクワからの乗客を残った席に座らせていた。長距離便とは思えない、何とも原始的な方法だった。  第2のパターンは他の便に乗り継ぐだけ。結構おもしろかったのは1泊乗り継ぎの場合だ。滞在する場合は本来ビザが必要ながら、1泊乗り継ぎはビザ無しで大丈夫だった。その日の1泊乗り継ぎの乗客が1カ所に集合、パスポートは預かられ、バスに乗って宿舎に向かう。この乗客というのは、日本からの乗客だけでなく、その日モスクワで乗り継ぎのために1泊になる乗客全員のことだ。中にはお土産をいっぱい持った、パリに出稼ぎにきたアフリカ人や、もっと驚くのはパリからカナダへ旅行するという人がいたこと。二人ともずいぶん遠回りに思えるが、要するに航空券が安いのだ。  宿舎になるホテルは、空港近くのエアポートホテルだったり、市内のホテルだったり。しかしその当時よく利用されたのは、モスクワオリンピック時に選手村として使用された宿舎だ。その日、どこに泊まることになるかは事前にはわからない。選手村はベッドが二つあるツインルームのような部屋が三つあり、その三つの部屋に対してシャワー、バスが1セットあるという造りだ。宿舎に着くと夕食が出て、夏季はその後に、希望者のみ有料で市内ツアーが催された。翌日は朝早い出発便の人は朝食も取らず空港へ。空港での朝食券が配られた。遅い出発便の人は宿舎で朝食が出る。決して高級ホテルを利用するわけではないが、当時のソ連としては、精一杯のもてなしだったように思う。  ではその当時、なぜ各国で航空券を安く売り、モスクワでの1泊の世話までしてアエロフロート航空は飛んでいたのだろうか。それには現在とは違った理由があった。当時、ソ連では国営のアエロフロート航空がすべての航空事業を行っていたが、同時に海外のあらゆる都市に乗り入れ、社会主義圏の力を誇示しなければならなかったのだ。そのため、少ない便数があらゆる都市に飛ぶというネットワークだった。中には、需要などないのに飛ぶ路線もあった。そのため外貨稼ぎも兼ねて航空券は各国で安く売られていたのだ。  シェレメチェボ空港内も独特の雰囲気があった。ターミナル1と2があり、国際線はターミナル2を発着。しかし空港内は暗く、通路によっては、真っ暗で、床がはっきり見えない状態だった。外貨しか使えないデューティフリーショップもあったが、これといって欲しいもののない店だった。東南アジアなどの発展途上国とはまた違った貧しさを感じたものだ。  新生アエロフロート・ロシア航空になってからも利用してみたが、成田〜モスクワ間の機材はエアバス社製ワイドボディ機に変わり、サービスも西側と変わらぬものになり、ずいぶん変わったものだと感じた。しかし一方で、社会主義圏の力を誇示するためだけに飛んでいたような路線はどんどん廃止されたので、現実的な路線しか残っていないのが現状だ。  アエロフロート・ソ連航空時代、日本へ飛んできていたイリューシン62型機は、その当時は東欧や中国、キューバなどで幅広く使われていたが、現在はロシアの国内線や北朝鮮で僅かに残るのみとなった。この機体は、その時代、ヨーロッパへ安く速く行く格安旅行者にはなくてはならない機体だったが、ソ連崩壊後は、急速にその活躍舞台をなくしてしまったといえるだろう。 1泊乗り継ぎの乗客はオリンピックの選手村に宿泊した およそ欲しいものはなかったモスクワの免税店 イスタンブール・アタチュルク空港—— ●今でも東西交流の接点  トルコのイスタンブールは古くからアジアとヨーロッパの接点として繁栄してきた街だ。さまざまな宗教下に置かれるなど数奇な運命もたどっていて、文化の接点でもあった。現在はというと、観光でこの国を訪れる外国人が多く、日本からもトルコ航空の直行便が成田、関西からそれぞれ飛ぶ。  空港ターミナルはヨーロッパの空港によくある雰囲気に造られているが、どことなくエキゾチックな香りも。カフェテラスからはシシケバブの匂いが漂い、ターミナル内にはモスクもあるなど、さすが西洋と東洋の接点だ。土産店に並ぶ品物も、どこかきらびやかなものが多い。CDショップからは、いかにもイスラム的なメロディーが流れている。  ところで東西の接点だったイスタンブール、現在でもこのイスタンブール・アタチュルク空港は、さまざまなフライトの接点であることに変わりはない。ヨーロッパとも中東ともいえない位置にあり、さまざまなフライトが集まってくる。国民の多くがイスラム教徒ながら、厳しい戒律などは義務付けられておらず、言葉も、トルコ語はアルファベットを使っている。そんなためヨーロッパから、中東から、北アフリカからと、まんべんなくフライトがあり、アラブ諸国との便が多い一方でイスラエルからの便もある。加えて旧ソ連からの独立国との間の便も多い。この地域は現在でも航空の便のいいところではないが、トルコ航空はこれら地域に多くの便を運航しているので、最近のイスタンブールは、旧ソ連だった地域へのゲートウェイの役割も果たしている。  チャーター便も多く発着する。どんなチャーター便かというと、大きく三つの種類がある。一つ目は、ヨーロッパからの観光客を乗せたチャーター便だ。ドイツ、イギリス、フランスなどから頻繁に飛び、イスタンブールほか東地中海沿いの都市へ直接飛ぶ便も多い。二つ目は、トルコ〜ドイツ間のチャーター便。トルコ人はドイツに出稼ぎに行く人が以前から多く、ドイツに住むトルコ人も多い。トルコとドイツの間はトルコ人の往来が多く、数多くのチャーター便が飛んでいる。トルコにはドイツへのチャーター便を飛ばすために設立された航空会社が数多くあるぐらいだ。三つ目は、旧ソ連からの独立国などからのチャーター便で、主にイスタンブールへ物資の買い出しなどにやってく乗客を乗せている。これらの地域に比べるとイスタンブールははるかに生活物資などが豊富だということだろう。イスタンブールのバザールなどでは、言葉は通じないものの、電卓の画面を使って値引き交渉をする、旧ソ連地域からと思われる買い出し客をよく目にする。現在には、この時代を反映した東西の接点が、ここイスタンブール・アタチュルク空港にはあった。空港内はさまざまな人種の利用客で混沌とした雰囲気だ。 ●空港で出会った日本人青年  イスタンブールは現在のシルクロードを旅行する人の、実質的な起終点でもある。私が初めてこの地を訪れた際の帰国時、この空港である日本人青年と出会った。何でもないことなのだが印象に残っているので、この時の話をしよう。  私は深夜のシンガポール航空シンガポール行きに乗るためチェックイン開始をターミナルのベンチで待っていた。そこへ、かなり長期旅行をしていると思われる日本人青年が「日本の方ですか? 私はこれから国際線に乗るのですが、どこで出国手続きをするのでしょう?」と話し掛けてきた。聞くと、中国からネパール、インド、パキスタン、イランなどと半年かけて旅行し、イスタンブールにたどり着いたという。何よりも彼の顔に貯えられた髭がその旅を物語っていた。旅に関してはかなりの強者と見え、「イランは物価が安くてよかった」などと話している。これは、現在のようにイランへの旅行が簡単にできるようになる以前の話である。そんなこんなで旅の話に花が咲いた。  ところが彼は時計を気にしては、「出国はどこでするんでしょうね」などと言うので、彼の乗る便を聞いてみたら、私の乗る便より後の便だったので、私は「まだチェックイン始まってないですね」と言って、また旅の話を続けた。しかし、今度は彼が「ここで待ってれば出国の係官が来るんでしょうかね」などと訳のわからないことを言うので、私は少し変だと思い、まずはチェックイン、その後出国審査であることを言うと、彼はずいぶん安心した顔で話を続け、「実は僕は飛行機に乗るのが初めてなんです」と言いだした。  今回が初めての海外旅行で、大阪から船で中国へ、その後、陸路だけでイスタンブールへ来ているのだ。それまで日本国内ででも飛行機に乗ったことがないという。今まで何度となく陸路で国境を越えているが、国境越えは緊張の連続だったらしく、ここでも出国審査がうまくいくかを気にしていたらしい。  世の中にはさまざまな人がいるものだと感心したが、ここは、シルクロードを陸路で旅する人の起終点になっているのだとも実感した。彼の航空券がまた愉快だった。目的地はロンドン。イスタンブールの旅行会社で「一番安いの」と言って買ったのは、ルーマニアのブカレスト乗り継ぎ、タロム・ルーマニア航空のものだった。私がこれからシンガポール航空に乗ると聞いて、彼はずいぶん羨んでいた。なぜなら、シンガポール航空の食事は旨いと聞いているが、ルーマニア航空では機内食は出ないだろうと言うのだ。「そんなことはない」と言ったが、彼は機内で食べる食料や水を買い込んでいた。私は彼のこれからの旅行の無事を祈りながらイスタンブールを後にした。 イスタンブールには旧ソ連から独立した国の航空会社も多数乗り入れる。アゼルバイジャン、モルドバ、トルクメニスタン各国からの便 アテネ・ヘリニコン空港—— ●民主主義発祥の地の誇り  アテネの空港は2004年のオリンピックを控えて、2001年に新空港が開港している。アテネの市街地から東へ27キロほどに建設された「エレフテリオス・ヴェニゼロス空港」だ。以前はギリシャのオリンピック航空が日本へも乗り入れていたが、現在日本とギリシャの間に直行便はなく、新空港になったものの日本からのヨーロッパのゲートウェイにはなっていない。しかし南ヨーロッパの拠点空港を目指して整備が進められているといったところだ。新空港開港と同時にすべての国際線・国内線が新空港発着になったので、従来のヘリニコン空港は閉鎖された。が、ここでは以前のヘリニコン空港の思い出話をしよう。  ヘリニコン空港には一種独特の雰囲気があった。明らかに西ヨーロッパの空港で感じるビジネスライクなリズムとは違う、南ヨーロッパ特有のものだ。たとえば夏の国際線ターミナルの早朝は、ターミナル前で寝袋にうずくまっているバックパッカーを起こして回る、空港警備員の巡回で始まっていた。  アテネは世界中のバックパッカーが集う街だった。ヨーロッパ、中東、アフリカにまたがる空の十字路になるため、航空券が安く、ここをヨーロッパ周遊の拠点にするバックパッカーが多かったのだ。物価も安く気候が温暖、自由な雰囲気のこの街は居心地がよかったのだろう。日本人から見ると、アテネの夏は温暖ではなく「酷暑」と思えるが、欧米の太陽の少ない地域からの若者は、太陽降り注ぐアテネは、そこにいるだけでバカンス気分なのだろう。またギリシャの人たちは、過去の文明があるせいか、誇り高い部分があるが、逆に「ここは民主主義発祥の地」という自負があるせいか、空港に寝泊りするバックパッカーにも理解を寄せているようだ。つまり夜は追い出さないが、昼間は旅客の邪魔になるということで起こして回っているのだ。バックパッカーはまだ眠い目をこすりながらも荷物を片付けて次の目的地へ向かう。言葉は通じなくても暗黙のルールがあったようだ。  愉快なホテルもあった。このヘリニコン空港はアテネ近郊のエーゲ海沿いにあったので、空港周辺には、海沿いのリゾートホテル、そして乗り継ぎのために利用する空港ホテルとして利用できるホテルが何件も軒を並べていた。現在はヘリニコン空港が閉鎖されたことで、リゾートホテルとしてしか利用できなくなったので、おそらく少し寂れてしまったに違いない。リゾートといっても大型の高級リゾートなどはなく、海沿いの、日本円にして1泊最高でも1万円以内のホテルしかなかったと思う。  そんな中に変わったホテルがあった。海沿いからは500メートルほど内陸側というロケーションながら、空港へ着陸してくる航空機のすぐ横に建っている「エマンティナ・ホテル」というホテルがあった。なぜこのホテルの存在を知ったかというと、イギリスで出ていた航空雑誌に「ルーフ・ガーデンあり、そこから着陸する航空機の写真が撮れます」という広告が載っていたのだ。「写真が撮れる」ということより、こんなことを宣伝文句に、しかも海外の航空雑誌に広告を載せるというところに惹かれ、アテネ滞在中に1泊だけここに泊まってみた。部屋に入った後、早速エレベーターで最上階のルーフ・ガーデンに。するとそこにはプール、バーなどがあり、一見するとリゾートホテルの雰囲気だ。ところが空港側のテラスを見ると何か様子が違っていた。カメラ、双眼鏡、航空機リストを片手に航空機マニアがたくさんいるではないか。リゾートホテルらしくルーフ・ガーデン全体にトロピカルな音楽が流れているが、同時に他のスピーカーからはエアバンドと呼ばれる管制塔と航空機の無線のやりとりが流されている。無線機で傍受したものをそのままBGMとして流しているのだ。傍らには「御自由にご覧ください」と、イギリスやドイツで発行されている航空雑誌も用意されていた。  マニアの人たちはドイツやイギリスから来たという。驚いたのは皆、家族連れや夫婦で来ていること。といっても夫婦で航空機マニアというわけではないようだ。旦那は写真に、機体番号確認に、と忙しく過ごし、妻は傍らで日光浴をしながら読書にふけっている。海も近いので、のんびりしながら趣味も楽しめるといった環境だった。こんなホテル、「人生の垢を落とすには最適」かも知れない? エマンティナ・ホテルのルーフ・ガーデンにて、ドイツから来た航空機マニアたち。イギリス人夫婦は、旦那は航空機観察、妻は読書で過ごす ベルリン・テーゲル空港、ベルリン・シェーネフェルド空港—— ●ベルリンの壁が崩れる前  東西ドイツが統合されて10年以上が経つが、ここでは東西冷戦時代の二つの空港を訪ねたときの話をしよう。たった10年ほど前、まだこんな状況だったことを思い出すと、世の中の動きは速いものだと思ってしまう。 「ベルリンの壁」崩壊前、ベルリンには、西ベルリンにあるテーゲル空港と、東ベルリンにあるシェーネフェルド空港の二つの空港がメインの空港として稼働していた。ベルリンはドイツ帝国の首都だったが、第二次世界大戦後、連合軍による「ドイツ分割」政策で、首都ベルリンはアメリカ、イギリス、フランス、ソ連の4カ国に占領されていた。が、1960年代からの東西冷戦により、ソ連の占領地域と、他3国が占領する地域の間に壁が築かれた。これが「ベルリンの壁」だ。壁で囲まれ「陸の孤島」となった西ベルリンは、陸路では他の世界とのつながりを断たれ、突貫工事で造り上げたのがテーゲル空港だ。  私はフランクフルトからベルリン・テーゲル空港へ飛んだ。テーゲル空港は西ベルリンにあるので、この間は西ドイツの国内線ということになるが、ドイツの航空会社が1便も飛んでいないという変な路線だった。西ベルリンはアメリカ、イギリス、フランス3カ国の管理下にあったので、西ベルリンに飛ぶ航空会社はこの3カ国の航空会社に限定されていた。私が乗ったのはパンアメリカン航空。ほかにアメリカのトランス・ワールド航空、イギリスのダン・エア・ロンドン、そしてエールフランス航空出資の西ベルリンへ飛ぶための航空会社だったユーロベルリン航空の4社が飛んでいた。この中ではユーロベルリン航空は最も後になって飛びはじめた航空会社で、エールフランス航空系列ながらルフトハンザドイツ航空も資本参加していた。資本参加ながらドイツの企業が西ベルリンへの運航に関われるようになったのはずいぶん後のことだったのだ。  それにしても西ベルリンへ運航していた4社、そのままの形で残っている航空会社が現在はないというのも時代の流れを感じる。パンアメリカン航空、ダン・エア・ロンドンは倒産、トランス・ワールド航空はアメリカン航空が買収手続き中、ユーロベルリン航空はその役目を終えたので現在はない。テーゲル空港は、ドイツにありながらドイツの航空会社を1社も見ないという違和感はあったが、ターミナル内は、いかにもドイツを感じさせる造りで、フランクフルトやミュンヘンの空港などと何ら変わらない風景だった。 ソ連製機材の宝庫だったシェーネフェルド空港 ●壁の向こうは何もない  私は西ベルリン滞在中に、東ベルリンのシェーネフェルド空港も訪ねてみることにした。西ベルリンから東ベルリンへは、地下鉄でアクセスでき、かなり並ばなければならないのと、強制両替をさせられたが、日本人は割と簡単に1日ビザを取得することができた。晴れて東ベルリンへ入国してみると、従来同じ国だったとは思えぬぐらいに景色が違っていた。道路は広いが車が走っていない。タクシーに乗るのも並ばなければならず、並んだ末に相乗り。相乗りの客はテレビを買ったのか、大事そうに抱えているが、日本では粗大ゴミででも見られなくなった旧式タイプだった。街の中心にも売店や店が少なく、数少ないカフェなどは順番待ちの列ができている状態だ。私はいずれにしても1日ビザでの滞在なので、夜には西ベルリンに戻るわけだが、東ドイツに住んでいる人はさぞかし大変だろうと思った。  木にニスを塗った座席の地下鉄でシェーネフェルド空港に到着すると、そこはソ連製航空機ばかりが行き交う、まさに社会主義圏の空港だった。イリューシンやツポレフといった機体ばかり、西側の空港とはまるで違う光景だ。ソ連製機材ばかりなので、エンジンの騒音は大変なものだ。その頃成田などでも、アエロフロート航空のイリューシンがやってくると空港ランプ内が騒々しかったが、ここではその騒々しい機体ばかり。あちこちで金属音がうなりを上げている。  空港内も西にあるテーゲル空港とはまったく違う。エスカレーターから始まって、チェックインカウンターにある予約システムに至るまで、すべて20年前といったもので、「よくこんな旧式なものを今でも使っている」という代物ばかりだった。なぜか売店にはショーケースの中に化粧品や洗剤、石鹸などが大事そうに陳列されている。私はその頃の中国なども旅していたが、「物がない」という点では中国の比ではなかったと思う。  空港の屋上には展望デッキがあり、そこにはカフェテラスがあった。もちろんここも並ばなければならない。私は並んだあげく、ジュースは売り切れ、ほかに冷たい飲み物はなく(コーラ類は最初からない)、あるのはコーヒー、ビール、そして皆が昼食代わりに食べているケーキだけであった。私はコーヒーとケーキを注文してみたが、夏の暑い日だったので、汗をかきながら熱いコーヒーをすすったことを今も覚えている。  現在のこれらの空港はというと、ドイツの首都の空港として活躍している。主にテーゲル空港は国内線やヨーロッパ内国際線が、シェーネフェルド空港には、元東欧圏からや長距離国際線が発着、もちろんルフトハンザドイツ航空は国内線・国際線問わず多くが乗り入れている。 パリ・オルリー空港—— ●パリらしさが味わえる空港  パリにはパリの表玄関になるシャルルドゴール空港があるが、よりパリらしさが味わえるのはオルリー空港だ。オルリー空港には、フランスの国内線の多くと、シャルルドゴール空港発着以外の国際線が発着する。利用者層で見ると、全般的にはシャルルドゴール空港はビジネスライクな乗客が多いのに対し、オルリー空港は客層がバラエティに富む。  国際線ターミナルには屋上に送迎デッキがあるが、パリという雰囲気ではない一団がいる。男は全員髭を生やし、女性はチャドルをまとい、一見してアラブ人一家だ。どうやら着陸機に目を凝らしている。そこへチュニジアのチュニス航空が着陸、彼らは着陸を見届けると、すぐに下階の到着ロビーへと移動した。到着ロビーは同じようなアラブ人たちで一杯だ。まもなくチュニス航空からの乗客がパラパラと、税関手続きを終えて到着ロビーへ出てくる。あちこちで抱えきれない荷物を携えた同胞との再会に喜びあうシーンが見られた。何か空港全体が興奮しているような瞬間だ。フランスは北アフリカに旧植民地だった国が多く、彼らはフランスに根付いているアラブ人だ。パリには、北アフリカ系の人が多く住む地区、西アフリカ系の人が多く住む地区、またインド系の人が多く住む地区など、人種の坩堝といえるが、オルリー空港は、そういったさまざまな民族が凝縮された空港だ。  そうかと思えば夏季はアメリカ、カナダからのチャーター便も多くやってくる。チャーター便といっても毎日決まった時間に飛んでくるもので、「スケジュールド・チャーター」などと呼ぶ。これでは定期便と変わらないような気がするが、運航自体は確かに定期便と変わらない。しかし扱いとしては旅行会社が席を買い取り、座席は旅行会社でのみ販売される。日本からのチャーター便のようにパッケージツアーになっていないところが特徴で、主な利用者は北米からヨーロッパを訪れるバックパッカーだ。大きなバックパックを背負った若者がオルリー空港の到着ロビーを占領する。  オルリー空港からは、イギリス、ドイツなどへの便は少なく、イベリア・スペイン航空、ポルトガル航空、ロイヤル・エア・モロッコなどがここへ乗り入れるので、フランス人バカンス客が多いのも特徴だ。カリブ海のフランス領の島々、南インド洋レユニオン島への便も多くはここから出発する。  オルリー空港に異国情緒を感じるのにはそれなりの理由もある。日本には乗り入れていない航空会社の占める割合が高いのだ。日本に乗り入れているような世界のメジャーな航空会社はすべてシャルルドゴール空港に乗り入れているため、それ以外の、つまり日本には乗り入れていないような地域の航空会社ばかりがオルリー空港に集結している。さまざまな人種が生き生きと交錯しているのもフランスならではの理由があるかもしれない。フランスの人たちは徹底した個人主義なので、よそ者を遠ざけることもなければ寄せ付けることもない。この一定の距離感が異国の人にとっても心地よいのであろうか。 チュニジアのチュニスからチュニス・エアが到着 オルリー空港到着ロビーで北アフリカからの同胞を待ちわびる人たち ●外見にも表れるお国柄  ところで、バカンスへ出かけるフランス人、他のヨーロッパの人たちとはちょっと雰囲気が異なる。さすがにフランスだけあってお洒落のセンスが違う。決して大層なものはまとっておらず、カジュアルなのだが、どこかエレガンスに見える。いつものバッグをさげ、昨日まで読んでいた本の続きを読みながら搭乗を待つ。旅行に出るのだから、もっとソワソワしていてもいいはずなのに、落ち着き払っている。カップルで旅行する人が多いのもフランス人の特徴だ。そういえば旅先で見かけるフランス人で、景色などに夢中になっているフランス人は少ない。どちらかというとカップルで旅行、「恋愛こそ人生」という旅行者が多いように感じる。従って、いつもカメラをぶら下げている人などはあまりいない。  よく日本人旅行者の典型として、団体で眼鏡をかけてカメラをぶら下げている、という表現があるが、ヨーロッパの人たちにもいくつかの特徴がある。ドイツ人旅行者は着ているものに機能性を感じ、日本人同様にカメラが最新式のことが多い。一方でイギリス人は、どちらかというとファションには無頓着といった感じだ。カメラは、古いものを大切にする国民性からか、骨董品的カメラを平気で使っている。アメリカ人はというと、広いアメリカなので地域によってずいぶん異なるらしい。しかしカメラよりビデオのほうが愛用されていて、カメラとしてはインスタントカメラを使う人が多くなるようだ。  このようにさまざまな国民性があるが、オルリー空港国際線ターミナルの最上階の送迎デッキにもそういった国民性が出ている。前述したようにフランス人は「恋愛こそ人生」的な人が多いので、航空マニアはドイツやイギリスに比べるとぐんと少なくなる。この送迎デッキで写真を撮っている航空マニアは、多くがドイツ、スイス、オランダ、イギリスなどからやってきた人たちなのだ。 マドリード・バラハス空港—— ●ラテンの香りする空港  マドリード・バラハス空港は他の西ヨーロッパの主要空港とはちょっと違った雰囲気だ。EU加盟の、首都の空港だけあって、ビジネスライクな渡航客も多いが、やはり観光客の数が多い。ヨーロッパからの観光客は地中海沿いのリゾート地やマヨルカ島など地中海のリゾート島に直接降り立つが、それでもスペインは世界一の観光国だけあって、ここマドリードに降り立つ観光客も、北米などを中心に大勢いる。北米からの到着便が集中する早朝から午前にかけては、バラハス空港の駐車場はそれら観光客を迎える派手なデザインの観光バスで混雑する。バカンス客が多いせいか空港内は華やいだ雰囲気だ。  バラハス空港が他のヨーロッパの空港と違う理由はまだある。乗り入れ航空会社に中南米からの便が多いという特徴だ。メキシコ、キューバ、ベネズエラ、コロンビア、ブラジル、ウルグアイ、アルゼンチン、チリ、これらの国との間に多くの便があるが、他のヨーロッパの空港では、中南米からの便はぐんと少なくなる。そのせいかヨーロッパの空港で最もラテン的な香りもする。  ところで朝、駐車場で待機していた観光バスも、昼過ぎにはほとんどが出発、さらに午後1時を過ぎると空港は気だるいムードになってくる。それは観光客が出発していったからだけではない。さっきまで開いていたカウンターが閉まり、売店もシャッターを降ろしはじめる。客待ちのタクシーも数が減り、どこか時が止まったような雰囲気になる。そしてスペインの強烈な太陽だけがジリジリと照りつける。そう、スペイン名物の、長〜い昼休み「シエスタ」に入るのだ。この「シエスタ」、空港とて例外ではないというわけだ。この時間は、開いているレストランも、働いている従業員が減る。銀行も開いている窓口が減り、到着客は開いている窓口に列を作っている。さらに「シエスタ」は従業員だけでなく、乗客にも及ぶ。アタッシュケースを携えたビジネスマンまでが空港のベンチで夢見心地、実に気持ちよさそうに休んでいる。  ターミナル内は「芸術の国」も感じさせる。国内線ターミナルのショッピング街の屋根がプラネタリュウムのようになっていたり、ターミナル内のベンチには、何気なく彫刻の人間が座っていてびっくりしたりと、芸術が違和感なく空港施設にも溶け込んでいる。  古くから予約不要の「シャトル便」が飛んでもいた。マドリードとスペイン第2の都市バルセロナの間は、険しい地形から陸路は不便で、以前から航空需要が高かったが、イベリア・スペイン航空はこの間に高頻度の「シャトル便」を飛ばす。予約なしで空港へ。クレジットカードで券売機でも航空券は購入でき、待合室に入る。その時に人数をカウントしていて、定員になったら次の待合室に通される。30分から1時間間隔で飛んでいて、需要によって機材の大きさも臨機応変に運用されていた。  他のヨーロッパの空港と異なることがもうひとつある。西ヨーロッパの首都の空港では、数少ない鉄道アクセスのない空港でもある。同じスペインでもバルセロナやマラガの空港には鉄道が通っているが、マドリードは今だにバスかタクシーだけが空港アクセス交通だ。地下鉄が空港の近くまで来ていて、その地下鉄駅に行くバスも運行されているが、そのルートを空港アクセスに使う人はほとんどいなかった。 午後2時頃には利用者も「シエスタ」に入る 「芸術の国」を感じさせるところも多い。ショッピング街のプラネタリュウムとベンチに座った彫刻の人 ジブラルタル空港—— ●滑走路を歩いて横断  スペインとモロッコがジブラルタル海峡を挟んで向かい合っているが、そのスペイン側の街はアルヘシラスというところだ。鉄道も通っていて、モロッコへ渡る観光客はここからフェリーでタンジールへと向かう。が、このアルヘシラスからバスで東へ1時間弱走るとリネアという街がある。ここから海に突き出した半島がイギリス領ジブラルタルだ。といっても陸地の国境はスペインとしか接しておらず、実質的にはスペインの一部のようなスタイル。イギリス領ゆえにポンドも使えるが、スペインの通貨ペセタも流通している。  面積は5・5平方キロだから、本当に半島の先だけということになるが、地形がおもしろい。半島の大部分が山で、平地はほとんどない。日本でたとえるなら、函館の地形をご存じの方は思い出していただきたい。あの函館で、函館山のある部分だけが領土だと思えばわかりやすいと思う。しかしそれだけなら何の問題もないが、そこに空港があるからおもしろい。空港はスペインとの国境近くの僅かな平地に、半島を分断するように滑走路が横たわっている。そのためスペイン側から国境を越えるとすぐに滑走路にぶつかってしまう。この滑走路を越えなければジブラルタルの中心地へは行くことができない。そこで車も人も滑走路のちょうど中間付近を踏切のようなスタイルで横切る構造になっている。  幸い空港といっても便は少ない。ここジブラルタルの空港を発着するのは本国イギリスとの便のみだ。ブリティッシュ・エアウェイズがロンドン・ヒースロー空港から毎日1便、ロンドン・ガトウィック空港から毎日1便、そしてやはりイギリスのモナーク航空がロンドン・ルートン空港から週9便が飛んでいる。そのため1日のほとんどは、踏切は上がっている。  ジブラルタル半島の山に登ると、この空港を道が横切っている様子を見下ろすことができる。1日の発着便数3〜4便のために、こうまでして空港を建設したところが興味深い。ここはイギリス領ながらスペインも領有を主張しており、イギリスは自国の領土であることを印象付けるためにも空港が必要だったのだろうか。 踏切で滑走路を越える 山から見下ろすと滑走路のど真ん中を道路が横切っているのがわかる ロンドン・ガトウィック空港—— ●チャーター便でも賑わうロンドン第2の空港  ロンドンには国際線の発着する空港が四つもある。ロンドンを代表するヒースロー空港、広い設備を持ち、最近国際線も増えたスタンステッド空港、チャーター便や格安航空会社の発着が多いルートン空港、大型機は発着できないものの市内に最も近いシティ空港、そして古くからロンドンといえば「ヒースローとガトウィック」といわれたうちのひとつ、ガトウィック空港だ。  ガトウィック空港には、以前は成田からの直行便があった。全日空がロンドン便を就航させた当初はヒースローではなくガトウィック空港発着だった。また一時成田に乗り入れていたブリティッシュカレドニアン航空もガトウィック空港発着だった。同社は後にブリティッシュ・エアウェイズに吸収合併されるが、それで空いた1社の枠を使って新規に乗り入れたヴァージンアトランティック航空も、当初はガトウィック空港発着だった。このほかアジア系航空会社はガトウィック空港発着が多かった。たとえばキャセイパシフィック航空、大韓航空など、日本からロンドンへの渡航者の3割ぐらいがガトウィック空港を発着していた時代もあったのだ。  ではなぜそれらの便がヒースロー空港発着になったかというと、ヒースロー空港にターミナル4が完成したこと、そしてパンアメリカン航空が大西洋線から撤退したことで、ヒースロー空港で多くのゲートや発着枠に空きができ、それをヒースロー空港への乗り入れ希望の航空会社で分け合ったのだ。それほどにパンナムの便は多かった。  ロンドン発着主要航空会社がヒースロー空港発着になった現在、それではガトウィック空港は寂れてしまったかというと、そうではない。滑走路が1本しかなく、パンク寸前といった状況だ。ヨーロッパでは航空便自体が増えていて、ヒースロー空港へ乗り入れているヨーロッパ内の航空会社も、ヒースロー空港では増便できないので、増便したい場合はガトウィック空港やスタンステッド空港など、第2、第3の空港に乗り入れるようになっている。航空自由化で新規航空会社も多い上、近年では、旧ソ連からの独立国からの乗り入れも増えている。さらに元々ガトウィック空港からはチャーター便が多いので、1日中離発着が途切れることがない。  とくにヨーロッパ内のメジャーな航空会社が、ヒースロー空港に乗り入れながらもガトウィック空港にも乗り入れていることなどは、日本でも大いに参考にして欲しいものだ。成田空港が満杯になっているが、成田に乗り入れている大韓航空が増便したいというときに、増便分を羽田発着にしても何ら差し支えないはずだ。東京を起終点にする、あるいはそこから国内線に乗り継ぐ乗客は羽田便を、国際線に乗り継ぐ乗客は成田便を選択すればいいことだ。世界にはこのような例はいくらでもある。短距離便に限らず、ロンドンからの米系航空会社のニューヨーク便はケネディ、ニューアーク双方へ運航している。なぜ日本では「国際」「国内」と分けなければならないのか、私にはさっぱり理解できない。  またガトウィック空港発着にはチャーター便が多いと記したが、一つの団体が何泊かの旅行に行って帰るという日本で行われているチャーター便とは異なり、同じ航空会社が決まった路線を毎日のように定期的に飛んでいる。それでは定期便と変わらなく感じるが、定期便は航空会社が直接、予約を受け、航空券を販売もするが、チャーター便は旅行会社で販売される。フライトにも特徴があり、ヨーロッパ内の便はほとんどがリゾート地へ飛ぶ。たとえばスペイン行きなら、定期便は首都マドリードやバルセロナへの便が主体だが、チャーター便は地中海沿いのマラガ、マヨルカ島、カナリヤ諸島などへ、ギリシャなら定期便はアテネへ、チャーター便はエーゲ海の島々へ飛ぶといった具合だ。また一般的に、これらの便はオールエコノミークラスが多く、運賃も安めの設定なので、チャーター便を主に運航する航空会社の機材は、座席間隔が詰められていることが多い。つまりたくさんの乗客を運ぶことで採算制を維持しているわけだ。しかしこのようなことから、チャーター便は庶民のバカンス旅行に貢献しているといえ、ヨーロッパには無数のチャーター航空会社が存在する。 展望デッキにはチャーター便目当てにマニアが集まる ●「通の航空マニア」も集まる  こんなチャーター便の多いガトウィック空港。主にこのチャーター便を目当てにこの空港に集まってくる人たちもいる。それは世界中の航空マニアたちだ。ロンドンではヒースロー空港も世界中の航空マニアの集う空港として有名だが、ガトウィックは一味違って、「通のマニア」が集まる空港とでもいうのだろうか。確かにヒースロー空港には世界中のメジャーな航空会社が集まっているという凄みはある。しかし決まった曜日に決まった便がやってくるだけで、それ以上のプラスアルファはない。何しろ空港が満杯なので、定期便以外には発着できる余地がない。ところがガトウィック空港は、不定期便が多いため、地元ロンドンのマニアでさえ知らないような航空会社が頻繁にやってくる。そんなおもしろさがあるのだ。  空港ターミナル屋上には展望デッキがあり、双眼鏡やカメラを携えたマニアたちでいつも賑わう。とくにチャーター便が多くなる夏季は、朝早くから日が暮れるまでマニアが絶えることがない。そしてマニアの人たちが快適に過ごせる環境作りが配慮されているのも興味深い。売店には航空関係図書や関係グッズを揃え、日本の航空雑誌まで揃えられている充実振りだ。カフェの座席は外に向かって航空機が見えるように配置され、発着案内のテレビモニターも完備している。さすがはロンドンと思わせたのは、カフェと屋外の中間的な部分があったことだ。展望デッキは屋根がなく、かといって室内はドアで仕切られている。ロンドンは雨が多いことで知られるが、マニアにとってはそれでもお目当ての飛行機を見逃すことはできない。そこで室内と屋外の間に、ガラスで仕切られて、雨がしのげる屋外のスペースが用意されているのである。私は思わず苦笑してしまった。  展望デッキにあるカフェで働くおばさんが航空マニアたちの行動をよく理解しているのも、交通趣味の発達しているイギリスならでは。こんな光景に出くわした。あるイギリス紳士が航空機の撮影の合間を縫ってカフェで食事を注文。そこはセルフサービス形式だが、ちょうど注文している最中に珍しい航空会社が着陸した。イギリス紳士はあわてて展望デッキに出てその航空機にカメラを向けていたが、注文を受けたおばさんは、ちゃんと事情を察してその食事をトレイに入れて取っておいてくれた。ここ、つまり空港の展望デッキが、彼らにとってどういうところかをよくわきまえているところが、ロンドンらしく印象に残ったものだ。 雨の日でも航空機ウォッチングができるように、売店と外の間にガラス張りのエリアがある モントリオール・ミラベル空港—— ●悲劇の空港  カナダの首都オタワにも近いモントリオールはカナダ最大の都市だ。しかし最大の都市といっても人口は100万人を少し越える程度。カナダには日本のような大都市はない。カナダでは東部の都市というと、首都オタワ、このモントリオール、そしてトロントがある。トロントは東洋人も多く住む街、モントリオールは過去にオリンピックが開かれたこともある都市。トロントには成田、そして夏季には関西からの直行便もある。しかしこれらの都市、訪れてみるとずいぶん雰囲気が異なる。トロントは北米の街といった感じで、使われている言葉は英語が主。一方モントリオールは北米のパリといわれ、耳にするのはフランス語ばかり。街中の表示はフランス語、英語の併記だが、フランス語優先といったところだ。そういえばトロントの地下鉄はニューヨークを連想させる武骨な車両だが、モントリオールの地下鉄はパリ地下鉄そっくりのゴムタイヤ駆動のものだ。  こんなモントリオールには一時期は旅客空港が二つあった。国内線とアメリカ行き国際線が発着する「ドーバル空港」と、後に「悲劇の空港」ともいわれた長距離国際線の「ミラベル空港」だ。ドーバル空港は滑走路が3本ある立派なものだったが、1960年代に航空旅客が飛躍的に伸びたため、早晩ドーバル空港だけではパンクするとの予測から新空港が計画された。ほどなく1975年に、現在の成田空港の約50倍という、とてつもなく広い3万5200ヘクタールの敷地を有するミラベル空港が完成した。当時アメリカで、それまでのアメリカの空港より桁はずれに広かったダラス・フォートワース空港と比べても広さが5倍もあった。ちょっと想像がつかない広さだが、その敷地すべてが空港施設になるわけではなかった。空港周辺すべての土地を空港側が空港施設用地として確保し、その土地には住宅などを建てられないようにした。将来にわたって騒音問題などが起こらないようにとの配慮からだった。そのためこの空港を、純粋な空港敷地ということで7000ヘクタールとすることもあるが、それでもとてつもない広さには変わりない。もちろん3万5200ヘクタールならダントツの世界一の広さ、7000ヘクタールだとしてもデンバー、ダラスに次ぐ広さだ。  確保した空港周辺の土地には、空港ホテルや空港関連施設、そして空港がそばにあることによるメリットが得られる産業施設を誘致する予定だった。もちろんこれほどの広さの土地がすぐに確保できるというのは、広大な国土を持つカナダならではのことではあるが。  しかしこのミラベル空港、たったの20年ほどで国際線旅客空港としての役目を終えてしまうことになる。  国際線専用空港なので、国際線で到着しても国内線の接続はなく、アメリカへの便もない。ドーバル空港へは40キロも離れている。またモントリオールが目的地の旅客にも決して評判のいい空港ではなかった。ミラベル空港は市内中心地から約60キロも離れていて、従来のドーバル空港は市内中心地から25キロの距離だったので、倍以上の距離の開きがあったのだ。  一方カナダ東部にはトロントにも大きな空港があり、こちらは国際線と国内線が同じターミナルに発着する便利な空港だった。こんなことからカナダ東部に乗り入れていた航空会社は、モントリオールへの乗り入れを敬遠し、トロントへの便を増やし、中にはモントリオール乗り入れを廃めてしまう航空会社まで現れた。  このように、新空港ができたことで、本来なら乗り入れ航空会社が増えなければならないところを、逆に乗り入れ航空会社が減ってしまう状況に陥り、モントリオール空港側も「背に腹は替えられない」と、ミラベル空港を諦め、ドーバル空港に国際線を呼び戻す処置が取られたのだ。現在ミラベル空港は貨物専用空港として第二の人生を歩みはじめているという。しかし需要予測ということでは大誤算で、それは日本の「戦艦大和」の比ではないだろう。そもそも100万人ほどの都市に、なぜ二つも空港を持とうという発想が生まれたのだろう。従来からのドーバル空港を拡張して対応するなどの案は出なかったのだろうか。  世界でも極めて異例の、空港需要の予測を読み間違えた例といえるが、土地のふんだんにあるカナダならではということもできる。逼迫した発着枠不足になる前に、20年、30年先を見越した空港だったにもかかわらず、空港用敷地は容易に確保できたので、その後の需要変化に対応する間もなく、すぐに巨大な空港ができてしまったということも、誤算の大きな要因だ。この空港の開港は1975年だが、前後してオイルショックとなった。またケベック州の政治情勢も無視できない。冒頭にも述べたように、モントリオールはまるでパリにいるかと錯覚するほどの街だ。フランス語尊重政策で、外国企業、とくにアメリカ企業がこの地に定着しなかった。さらに「理想的な空港」を目指しすぎたことも、この空港が機能できなかった、大きな誤算に関係しているように感じる。 ●空港の敷地に入ってもターミナルビルすら見えてこない  以前、まだこの空港に国際線が乗り入れていた頃、この空港を訪ねたときの印象を綴ってみよう。  ミラベル空港へのアクセスは空港バスだ。北米でよく目にする長距離タイプのバスで、車体がステンレス、3軸タイヤを履いたパワフルなバスだ。バスターミナルを出るとすぐに高速道路に入るが、しばらくは地下を走る。モントリオールでは都心部を走る高速道路はほとんど地下にある。そういえばトロントでは地下鉄も都心部以外は地上を走るがモントリオールでは地下鉄は一切地上に顔を出さない。モントリオールは地下街も発達しているが、冬が寒いからであろうか、それとも景観に気を配っているのか。  バスが地上に出るとすでに郊外を走っていて、間もなく、車窓は何もない原野になってしまう。カナダ最大の都市の中心地から30分も走っていないのに人家ひとつない景色、改めてカナダの広さを実感する。高速道路は片側6車線、といっても車はまばらにしか走っていない。ちなみにこの高速道路、一方向につき両側に照明用の水銀灯が建てられている。つまり1本の照明灯で照らせる広さではないのだ。  バスはやがてミラベル空港入口で本線から離れて支線に入る。そろそろ空港の敷地のはず、空港施設が見えてもよさそうなのだが、道路の両サイドは林が続くばかりで何も見えてこない。そんな中をバスは時速100キロ以上で10分以上も走っている。そして目を凝らしてみると、前方の雑木林の中に何やら小屋のようなものが見えてくる。しかしバスが進むにつれ、その小屋がどうやら空港ターミナルだと思われるようになってくる。実際バスが到着してみると、小屋どころか長さ350メートルの空港ターミナルだった。何しろ何もない原野の中に空港が忽然と現れ、比較するものが何もないので、「小屋」にしか見えなかったのだ。ずいぶん「寂しい空港」という印象だったことを覚えている。 バスからは小屋にしか見えなかったターミナルビル ●理想を追いすぎた設計か  長さ350メートルの巨大なターミナルでも、この空港の最終計画からすれば六つ予定されているターミナルのひとつに過ぎないというから、いったいどんな需要予測を立てていたのかとも思われるが、ターミナル自体は理想を追求した造りだった。旅客動線重視の設計で、2階が出発、1階が到着などとせず、すべて平面で処理、しかも出発客・到着客双方とも、航空機から玄関までの移動距離を100メートル以内にした造りだ。これも土地がいくらでもあるからできることだった。  航空機への乗り降りも、モービルラウンジと呼ばれる乗物を使う。空港の出発ロビーから直接モービルラウンジに乗り、車内はロビーのような造りになっている。この乗物は双方向に進むことができ、そのまま航空機へ。航空機の高さに油圧で調節され、航空機のドアにそのまま横付けされる。航空機への乗降としては「タラップ」利用と「ボーディングブリッジ」利用の二つの方法があり、それぞれにメリットとデメリットがあるが、「モービルラウンジ」は二つのメリットを兼ねている特徴があった。「タラップ」では乗客はバスへの乗り降りが必要な上、外に出なければならない。寒い土地では乗降時に外気に触れるというのは避けたいことだ。ボーディングブリッジは世界の主流ではあるが、空港ターミナルが複雑な形になり、乗客の移動距離が長くなる。さらに旅客が増えたときは結局「タラップ」併用になる。その点「モービルラウンジ」利用なら、乗客は外にも出ず、またターミナルビルはシンプルな構造で済み、需要が増えた時は駐機場とモービルラウンジだけを増やせば対応できる。  このようにかなり先の需要増に対応できる設計になっているが、そのためには、これだけ土地が有り余っているかに見えるカナダにおいても、市内から60キロも離れなければ敷地が確保できなかったのであろうか。理想を追求するあまり、現実的でない空港になってしまったことは確かだったようだ。 ワシントン・ダレス空港—— ●映画によく登場する空港  アメリカの首都ワシントンには二つの空港がある。国内線のナショナル空港と、国際空港になるダレス空港だ。ナショナル空港はワシントンDCにあり、地下鉄でアクセスでき、ポトマック川に近いロケーション、空港から議事堂を望むこともできる。ダレス空港は市内中心から43キロほどに位置し、州ではバージニア州にある国際空港、いわばアメリカの首都の玄関ということになる。日本からは意外にも直行便を飛ばすのは全日空のみ。以前日本航空も乗り入れていた時期もあるが、アメリカ系の航空会社はこの間を一度も直行便を飛ばしたことがない。成田とワシントンの間は、首都同士の路線なので、全日空の直行便は政府要人の行き来などにも多く利用されている。  ダレス空港は国際線だけではなく、国内線も多数乗り入れていて、ユナイテッド航空が大西洋便のゲートウェイとして機能させている。同社の大西洋便の中ではダレス空港を発着する便が最も多いのだ。ちなみにユナイテッド航空は、日本からアメリカ経由のヨーロッパ行き航空券が割安な価格で販売されていて、しかも遠回りになる分、マイレージもたくさん貯まるということから、意外に同社を使ったヨーロッパ行きルートは日本人の利用者が多い。そうしたことからワシントンを目的地にする旅行者でなくても、この空港を利用している日本人は多いのではないだろうか。  またニューヨークでもそうだったが、アメリカでは成田と羽田のように国内線と国際線をきっぱり分ける空港の使い方はしていない。世の中に、「国内線だけが発着する空港」はたくさんあるが、「国際線しか発着しない空港」というのは結局使い勝手の悪い空港になってしまうのではないだろうか。成田空港の場合は「国内線を発着させない」というより、便自体がまったく増やせない状況にあるが、一つの都市にある複数の空港の使い方は、海外に学ぶべきところが多いように思う。  ターミナルビルは、メインのターミナルビルと棒状のサテライトから成り、その間はモービルラウンジで結ばれている。モービルラウンジは、モントリオール・ミラベル空港でも紹介した乗物だが、ここではターミナル間を結ぶ交通手段としても利用されているわけだ。もちろん航空機への搭乗時にも使われていて、主に長距離国際線などはこのモービルラウンジを利用して乗客は乗降する。  こんなワシントン・ダレス空港は、世界で最も美しい空港といわれている。ターミナルビルは優美な曲線で構成された大きな屋根を載せ、壁面はガラスを多様、ターミナル内には自然光が降り注ぎ、柱のない広い空間が気持ちいい。ターミナルビルの中心線上に管制塔があり、遠目にも優美なターミナルビルと管制塔の組み合わせが美しく、こういった「見せ場」を計算に入れての設計だったのであろう。夜もターミナルビルは間接照明で照らされ、ひときわ美しい。首都の玄関口ということで、デザインなどにはかなりの力が入れられたと思われ、設計を担当した建築家サーリネン氏が、ターミナル内の細部に至るまでのデザインを手懸けたといわれている。  こんなことからアメリカ映画にもこの空港はよく登場している。「エアポート75」「エアポート77」「ダイハード2」など。このほか空港や航空機が舞台でない映画でも、この空港が使われることが多い。これらの映画、とくにワシントンを舞台にする必要性があるわけではないので、やはりターミナルビルの美しさからロケ現場に選ばれているのであろう。 美しいターミナルビルを持つダレス空港 ラスベガス・マッカラン空港—— ●テーマパークのゲートウェイ空港  アメリカ西海岸のサンフランシスコやロサンゼルスからアメリカ東海岸方面への国内線で飛び立つと、離陸して間もなく砂漠に近い乾いた大地の上を飛ぶことになる。しばらくはカリフォルニア州上空を飛ぶので、緑溢れる太平洋岸地域のイメージがあるが、意外にもカリフォルニアらしいのは海沿いの狭い範囲だけなのだ。  航空機がラスベガスに近づき、降下体勢に入ると、その砂漠のような大地の中に忽然と高層ビル群が蜃気楼のように現れる。空港に近づくと、やがてその高層ビルは奇抜なスタイルのものが目立つようになり、タワーあり、ピラミッドありと異様な雰囲気の中、機は着陸していく。  このラスベガスという街、歴史のある街ではない。アメリカという国自体歴史がないといってしまえばそれまでだが、歴史の浅いアメリカの中でもラスベガスは歴史のない街だ。砂漠の何もないところに、人を集めるためにカジノの街を造り、ホテルは料金を安くし、数々のエンタテインメントを催すことで人を呼び寄せた。それは別に、どうしてもこの地でなければならないというものではなかった。つまり、ラスベガスは人工的に造られた街なのだ。  その後ラスベガスは「カジノの街」といった大人の街のイメージから脱却、カジノより「テーマパーク」としてのラスベガス造りに力を入れ、現在では、ホテル一軒一軒がファミリーで楽しめる一大テーマパークへと変身を遂げた。  そんなラスベガスのマッカラン空港もテーマパークの入口の空港としてふさわしい雰囲気に溢れている。まず他のアメリカの空港とは客層がかなり違う。この空港に降り立つのは観光客がほとんどでビジネスマンなどは少なく、空港内は華やいだ雰囲気に包まれている。おそらく観光地の空港ということで「着いたときからテーマパークへ誘う」という演出を空港側も心がけているのだろう。各ターミナル内にはエンタテインメントショーを映し出す巨大スクリーンがあったり、空港内至る所にスロットマシンがあったりと、ラスベガスらしさを強調している。とくにスロットマシンは、出発ロビー、到着時の荷物受け取りのバゲージクレームエリアにと、およそ乗客に待ち時間が発生するところには備えられている。  発着する航空会社は、アメリカ系各航空会社がまんべんなく乗り入れるが、アメリカウエスト航空はフェニックスとここラスベガスを拠点に運航するので、アメリカウエスト航空の便は終日多く発着するほか、サウスウエスト航空もフライトが多い。国際線は意外に少なく、遠くから乗り入れているのは成田からの日本航空と、ヨーロッパからの乗り入れはロンドンからのヴァージンアトランティック航空とフランクフルトからのコンドル航空だけだ。またアメリカの空港としては珍しくチャーター便が多く集まってくるのも特徴だ。アメリカではヨーロッパのようにチャーター航空会社が発達していないが、さすがに観光地の空港とあって全米、またカナダからのチャーター便が多く飛んでくる。  しかしアジアからの乗り入れは日本航空のみ。ちなみに日本航空は北米7空港に運航、それに対して大韓航空は9空港に乗り入れているがラスベガスへは乗り入れていない。ハワイ、グアム、サイパンなど主に観光客が多く利用する路線でも同じことがいえる。日本からの便は、主に観光ツアーによって支えられているといえ、日本人にとって北米は「遊びにいくところ」といったとらえられ方が強い。しかしアジアでは、北米は遊びにいくところというよりは、まだ「新天地」というとらえ方が強いのだ。最近はアメリカでも韓国人街が増えていて、韓国人経営のスーパーマーケットなどをよく目にするが、こういった傾向が航空便にも表れているといったところだろう。日本からはハワイへの便が非常に多いが、意外にもアジアからハワイへ飛ぶのは日本以外では韓国、台湾からだけなのだ。日本は旅行できる人が多く、「豊か」といってしまえばそれまでだが、逆に日本人は旅行でしか渡航しない国民であることも確かなのだ。  またラスベガスの空港、街から近いというのも大きな特徴だ。このラスベガスの街は前述のように人工的なリゾート都市、そのため計画時から空港とホテル街は隣接していた。何もないところに一から建設したので、空港と街が遠く離れなければならない理由がないのだ。言ってみればラスベガスの空港は、テーマパークに隣接したテーマパークの駐車場といったところだ。空港ターミナルからは、奇抜なスタイルのホテル群を望むことができる。 ターミナル内には至る所にスロットマシンが! ターミナルからはピラミッド型のホテルが望める アンカレッジ空港—— ●北廻り便の頃  以前の日本からのヨーロッパ便は、香港、バンコク、中東などを経由する南廻り便か、アンカレッジ経由の北廻り便だった。現在のようなヨーロッパ直行便が主流になったのは、ソ連の「ペレストロイカ」でシベリア上空が他国の航空機にも広く開放され、また航空機の航続距離が長くなってからの話だ。それまではヨーロッパへ行く場合は、夜成田空港を発って翌朝ヨーロッパに到着するというのが定番スケジュール、現在のように昼頃発ってその日のうちにヨーロッパへ到着するという便はごく僅かだった。それでも北廻り便は南廻り便に比べて所要時間は格段に短くて済んだ。南廻り便は成田を午後から夕方にかけて出発、ヨーロッパ着は翌午前から昼頃だったのだ。  そのため成田空港の夜は、これからヨーロッパへ旅立つ便で、華やかなムードと興奮に包まれていた。日本航空、英国航空(現ブリティッシュ・エアウェイズ)、エールフランス、ルフトハンザ、スイスエアー、KLM、スカンジナビア、サベナ、イベリア、ほとんどの便が同じような時間帯にアンカレッジに向けて離陸していったものだ。それどころか以前は日本航空のニューヨーク便も、ニューヨークまでは直行できずアンカレッジに給油のため立ち寄っていた。  アンカレッジを経由する便は圧倒的に日本発着便に多く、ヨーロッパ便などはすべての便が同じような時間帯に発着していたので、その時間帯はアンカレッジ空港のトランジットルームは日本人でごった返していた。売店では日系アメリカ人が流暢な日本語で対応、土産類も結構人気があったが、何しろ日本人がこの空港にいるのは1時間あまりの給油時間、つまりその時間が「書き入れ時」と、売り子さんたちはてきぱきと客をさばいていたのが印象的だった。  ここには名物の「うどん」もあった。といってもカップにお湯を注いだだけの、いわゆるカップのようなもので、とくにその汁は、日本の「うどん」からは遠くかけ離れた味のものだった。しかしヨーロッパからの帰国便の乗客などは、あと7〜8時間で帰国というにもかかわらず、うどんコーナーに群がっていた。そういえば以前のヨーロッパは、現在よりずっと日本食レストランは少なく、しかも日本食は高級品ととらえられていたので、そう簡単に軒をくぐれるような値段ではなかった。ヨーロッパを旅行してきた日本人は、皆、日本の味に飢えていたのだ。  しかしこれらの便はすべてなくなり、現在日本からアンカレッジへ行くには、アメリカ西海岸で国内線に乗り継ぐか、ソウルへ出て、ソウルからアンカレッジを経由するニューヨーク行きの大韓航空に乗るしか、アラスカへアクセスする方法はなくなってしまった。直行便があった頃は、日本からアラスカスキーツアーや、アラスカ鉄道に乗るツアーがあったことを考えると、アラスカはずいぶん不便な地になってしまった。  また日本からの便がほとんどだったアンカレッジ経由便がなくなった現在、かつての華やかさは旅客ターミナルにはない。現在従来のようにアンカレッジを経由地にしている便は、ソウル〜ニューヨーク間の大韓航空、台北〜ニューヨーク間のチャイナエアラインズ、香港〜トロント間のキャセイパシフィック航空の3便のみになってしまった。あとはアメリカ本土との国内線ばかりだ。さぞかしトランジットルームの売店は寂れてしまったに違いない。 通過客で賑わっていた頃のアンカレッジ空港 ●現在は貨物便の給油空港として賑わう  しかし空港自体寂れてしまったかというと、そんなことはない。以前、日本からのヨーロッパ便がここを経由していたとき以上に離発着量は増えている。確かにここを経由する旅客便は激減したが、貨物便に関しては現在でもほとんどの太平洋便、ヨーロッパ便がここアンカレッジで給油を行っている。ここのところアジアと北米を結ぶ貨物便が増えていることから、ここは1日中ジャンボフレイターが行き交う貨物便街道の中継地になっているのだ。  なぜこのようなことになるかというと、貨物便は、同じジャンボ機でも、旅客便よりずっと重いものを運んでいる。旅客便の客室を思い浮かべていただこう。いくら乗客が満席寿司詰め状態で乗っていたとしても、通路は空いているし、機内の上半分は何もない空間のまま残っている。しかし貨物専用機では、コンテナに載せられた貨物を満載にすれば、隙間なく重い荷物で埋められることになる。航空機は積める重さが決まっていて、乗客や貨物を多く積んだら、燃料があまり積めない、逆に燃料を多く積んだら、人や貨物はあまり積めないという状況があり、すべてそのバランスで飛んでいる。そんなことから、旅客便では北米もヨーロッパも直行が当たり前になったが、貨物便では北米便もヨーロッパ便も、ほとんどがこのアンカレッジで給油を行っている。北米行きなどはアメリカ西海岸行きでもここアンカレッジで給油を行うのが普通なのだ。加えて現在では、東南アジア〜北米間の貨物専用便が多くなり、アンカレッジは連日多くのジャンボフレイターで賑わっているのだ。 メキシコシティ・ベニトファレス空港、サンタフェデボゴタ・エルドラード空港、キト・マリスカススークレ空港—— ●高地空港での航空機の飛び方  自動車や鉄道のように陸地という固定したものを蹴って前へ進んでいる乗物と違って、いわば空気を蹴って前へ進んでいる航空機は、空気の希薄な土地での離着陸は、持っている性能一杯一杯の操縦が要求されるものだ。日本で最も高地の空港は松本空港で、標高658メートル。このぐらいでは高地の空港とはいえないが、厳密にはこれでも離着陸時の条件は海抜ゼロメートルの空港とでは変わってしまうという。  では、どのぐらいの高度で我々や航空機の運航に影響が出てくるだろう。一般に下界に住む人間が「空気の薄さ」を感じてくるのは標高2000メートルを越えた頃からといわれる。たとえばメキシコシティは標高2240メートル、気圧は下界に比べて20パーセント以上低くなる。巡行する旅客機は、機内を与圧しているが、下界同様の気圧にしているわけではない。およそジェット旅客機は長距離便では3万5000フィート(約1万670メートル)から4万フィート(1万2200メートル)の高度を飛行するが、その時、機内の気圧は、およそ標高1500〜2000メートルの気圧と同じに保たれている。つまりメキシコシティの気圧は、飛行している機内より空気が薄いということになる。メキシコシティの空気の薄さはどのぐらいかというと、たとえば水は摂氏92度で沸騰する。当然お酒などには酔いやすくなる。観光客なども、スーツケースを携えて空港内で走ったりすると、空気の薄さを感じるはずだ。しかしメキシコシティで高山病になるということはないだろう。メキシコシティ程度では空気の薄さを感じない人も多いはずで、観光客もほどなく空気の薄さに慣れるといったところだ。  しかし観光客はこの空気の薄さに慣れることができても、航空機の離着陸は、空気が薄い分、つまり約20パーセント分性能が発揮できなくなる。たとえば同じ重さの航空機が離陸するには、下界の約20パーセント多く滑走しなければ離陸できない。逆に同じ滑走距離で離陸するためには約20パーセント重量を軽くしなければならない計算になる。たとえば総重量200トンで離陸できる航空機でなら、40トンも積むものを少なくしなければならない。  離陸機だけでなく着陸機も大変だ。航空機は着陸時、フラップなどの補助翼を出し、エンジンを絞ってゆっくりしたスピードで着陸体勢に入る。ところが気圧が低いと、ゆっくりしたスピードでは機体を支えるだけの揚力が得られず、速いスピードでの着陸を強いられる。ベニトファレス空港の滑走路は2本、ともに4000メートル級の長い滑走路だが、航空機は目一杯滑走路を使って機体を止める。高地の空港では航空機も性能ギリギリの操縦が要求されるといったところだ。 メキシコシティの空港でも激しい運動は禁物 サンタフェデボゴタにアプローチ、通常なら雲海のような高度に陸地が現れる ●機外に出ると「空気が薄い」  これが標高2650メートル、コロンビアのサンタフェデボゴタでは、さらに空気の薄さが顕著になる。通常国際線の旅客機が巡航するのは3万〜4万フィートだ。すると目的地が近づき、降下体勢に入ってから着陸するまでには、20〜30分を要する。ところがサンタフェデボゴタに着陸するときは、機が降下体勢に入り、ベルト着用サインが灯ると、ほどなく陸地が見えて着陸する。  タラップが付き、ドアから機外に出ると、最初に感じるのは、空気が薄いということだ。メキシコシティとは違って、明らかに空気の希薄さを感じる。どうやら下界の人にとっては、標高2500メートルぐらいを越えると誰もが空気の薄さを感じるようだ。イミグレーションで並んでいる時も、すぐにリュックやショルダーバッグを降ろしたくなる。運動をしているわけではないのに、荷物を持っていること自体が運動していることに値するようだ。走るなどというのはとうてい無理で、歩くだけでも走るぐらいの運動に相当する。空港のレストランで一休みし、体調を整えようと思ったが、食べているときは大丈夫でも、荷物を持って再び歩き始めると、だるくなる。普通なら市内へ出るバスでも探すところなのだが、とても元気がなく、タクシーを利用する。そのタクシーもろくに料金交渉もせず、ほとんど言い値で利用してしまうのだ。これが航空機で高地に到着したときの症状で、サンタフェデボゴタぐらいの標高なら2〜3時間で慣れるようで、ホテルを決めて荷物を身軽にしてからは、市内を歩き回っても、空気の薄さは感じなくなった。  ではさらに標高2800メートル、エクアドルの首都キトではどうだろう。飛行機に乗り慣れてくると、窓から見える雲の形や雰囲気でおよその高度というか、その雲が上空のものか下界のものかの見分けぐらいはつくようになるものだ。しかしここキトでは、まだまだ上空だと思っていると、まもなく機窓に地上が見えてくる。高地空港独特のあっけないアプローチである。私は同じエクアドルのグアヤキルという海抜ゼロメートルの港町の空港から国内線でキトに入ったが、航空機は離陸して上昇し、下降するという普通のスタイルのフライトではなかった。離陸して上昇し、そのまま着陸したという感じ、いわば目的地に向かうというより、飛び上がって高地にのっかったという感じだ。  しかもキトは盆地にあり、四方をアンデスの山々に囲まれているので、急角度で降下、最も山がなだらかな部分に添い、町並みを舐めるように着陸する。そのルートしか浅い角度で滑走路に達することができないのであろう。これを空気の希薄な高地で行わなければならないので、操縦はかなり難しいはずだ。このぐらいの高地になると、タラップを降りた時に空気が薄いと感じると同時に、空の青さが下界とは違って澄み切った青になる。やはり、走るなどの運動は禁物で、個人差があるが、だるいという感覚に加えて、頭が重くなるといった症状が出てくる。  ちなみに、高地の空港では離着陸時に、空気が希薄なことから難しい操縦を強いられるが、本来の性能も発揮できないので、高地空港から、遠いところへの直行便は飛ぶことができない。遠いところへ飛ぶこと=燃料をたくさん積んでいることになるが、空気の希薄な高地からは重い機体では離陸できない。航空機は空気を蹴って主翼に揚力を発生させて浮き上がるが、その空気の密度が低いと、蹴っても蹴っても大きな効果が得られないわけだ。  また以前は南米では航空機事故の発生率が高かったが、このように高地空港が多いこととまったく無関係ではないと思う。四方を山に囲まれた盆地の高原都市の空港では、地形の関係で航空機の進入ルートは限られていて、追い風でも、代替ルートがない空港が多いだろう。現在では南米でも新しい機材が導入されているが、以前の主流航空機はアメリカ国内線航空会社のお古が多かった。現在の航空機と以前の航空機、大きな違いのひとつに、エンジンのパワーの違いや高揚力装置がある。近年の航空機はすべて高バイパス比の高出力のエンジンを装備している。昔なら4発のエンジンで飛んでいたような大きな機体でも、現在は双発で飛べるようになっている。高揚力装置とは主翼に装備されている補助翼の類で、低速で飛んでいるときでも大きな揚力が得られる。つまり新しい機材なら、希薄な空気でも、高い性能が厳しい条件を補完してくれるわけだ。 キト空港のタラップを降りて感じるのは空気の希薄さ ●富士山の高さでの航空機の飛び方  それでは世界で最も高地にある国際空港はどこかというと、やはり南米はアンデスのボリビアにある首都のラパス空港で、標高はなんと4000メートル近くある。富士山の山頂より高いところにあることになる。残念ながら私はこの地を訪れたことはない、というよりこの高さを聞くと高山病が恐くてなかなか飛行機でラパスに降り立とうという気にはならなくなる。ラパスに行った経験のある人は、口を揃えて、だるさと頭痛で、ホテルで寝ていただけだったというからだ。  航空機にとってこの標高がどんな高さなのだろう。もし航空機が上空を飛行中に、気密に関するトラブルが起きたとしよう。するとすぐに空気の濃い高度まで緊急降下、客室では天井から酸素マスクが下りてくるが、この酸素マスクが不要になる高度がおよそ3500メートルなのだ。つまり4000メートルというのはまだ酸素マスクが必要なレベル、下界に住んでいる人間には明らかに酸素が足りない気圧の低さなのだ。  そのためラパス空港では、その空気の希薄さゆえに、航空機の運航は下界とはずいぶん異なる。長距離便の運航はまったく無理なので、遠くへ飛ぶ便はすべて1時間分ほどの燃料を積んで同じボリビアのサンタクルスへ飛ぶ。サンタクルスはまったくの下界に等しい気圧なので、ここで燃料をたくさん積んで長距離便を飛ばしている。たとえばマイアミ〜ラパス間を毎日運航するアメリカン航空のスケジュールでは、マイアミからラパスへは直行し、復路はラパスからではマイアミまで飛べないので、一旦下界のサンタクルスへ、ここでマイアミまでの燃料を積み直してマイアミへ向かうのだ。 サンパウロ・ヴィラコポス空港—— ●世界で最も市内から遠かった空港  ブラジルを代表する2都市にはそれぞれ二つずつの空港がある。リオデジャネイロには国際線・国内線が発着する「ガレオ空港」と、市街地にありサンパウロへのシャトル便が飛ぶ気軽な空港「サントスデュモン空港」が、一方サンパウロにも国際線・国内線が発着する「ギョアルーリョス空港」と、市街地にあるリオデジャネイロへのシャトル便などが飛ぶ「コンゴニャス空港」がある。ともにメインの空港と市街地の空港で、このリオデジャネイロ〜サンパウロ間は、日本でいう東京〜大阪間のような関係なので、シャトル便は予約なしで乗れ、便も頻繁にある優れた交通機関だ。なんといっても市街地の空港のロケーションがよく、リオデジャネイロのサントスデュモン空港は、市内中心のリオブランコ通りから歩ける近さだ。銀座が都心なら築地に空港があるような関係だ。  しかしここではこのいずれでもない空港を訪ねた時の話をしよう。この4空港の中で最も新しい空港はサンパウロのギョアルーリョス空港で1985年の開港、それまでのヴィラコポス空港に代わってサンパウロの玄関口となった。ずっと以前日本航空がDC8ではるばるブラジル便を飛ばしていた頃は、このヴィラコポス空港発着であった。しかしギョアルーリョス空港は、ターミナル施設が段階的に完成したので、開港後もしばらくはヴィラコポス空港にも一部の便が発着していた。最後までヴィラコポス空港発着で残ったのはヨーロッパからやってくる航空会社だった。  ところがこのヴィラコポス空港はサンパウロ市内から100キロも離れている。あの悪名高き成田空港でさえ都心から70キロなので、世界一市内から遠い空港になるのは間違いない。訪れる前から興味津々という空港だった。 ●列車と路線バスを乗り継いで空港へ  私はリオデジャネイロからサンパウロへ夜行列車で向かった。といってもこの間は前述のシャトル便で飛ぶか、長距離バスで移動するのが普通で、列車を利用する人などほとんどいない。列車は1日2往復、昼行1本、夜行1本という本数。しかし個室寝台車を利用したせいか、疲れもなくサンパウロに入ることができた。夜行列車で到着したばかりなので、まだこの街の市内観光もまったくしておらず、これが私にとってのサンパウロ第一歩だったのだが、その日どうしてもヴィラコポス空港へ行きたかった。  その頃のヴィラコポス空港には、すでにヨーロッパからの航空会社ぐらいしか乗り入れていなかったが、乗り入れている航空機の中でめぼしいものはランチリ航空のB707という機体しかなく、その便が昼間にやってくるのは今日、日曜日だけだったのだ。ヨーロッパからの航空会社しか乗り入れていないといいながら、ランチリ航空というのはおかしな話と思うだろう。すでにランチリ航空もサンチャゴから来るだけの便はギョアルーリョス空港発着に変わっていて、同じランチリ航空でもサンチャゴからサンパウロ経由でマドリードへ飛ぶ週1便だけがヴィラコポス空港発着で残っていたのだ。それもマドリードから戻ってくるときは深夜の時間帯なので、毎週日曜日、サンチャゴからマドリードへ向かう便だけが撮影できる時間帯に発着していた。またすでにその頃B707の旅客便は数少ない存在だったのだ。  そこで夜行列車で到着後すぐにサンパウロ駅の案内所でヴィラコポス空港へのアクセス方法を尋ねてみた。その頃はまだ日本では南米のガイドブックなど充実しておらず、ヴィラコポス空港へのアクセス方法を日本で前もって調べる術がなかった。しかし空港バスぐらいはあるだろうと思っていた私は「ヴィラコポス空港へ行くバスはどこから出るか」と尋ねると、案内嬢は少し考えて「そんなものはない」という返事。案内嬢は他の人にも尋ねてみるが、みな「聞いたことがない」という素振りだ。そして一人が「でもヴィラコポス空港へ行くなら8時30分に列車があるので、カンピーナスへ行け」という。時計を見ると8時20分、10分しかない。切符売り場まで案内してもらい、私は列車に飛び乗った。  列車は郊外へ行くというより長距離列車の趣で、1等車や食堂車まで連結している。車内販売の売り子も蝶ネクタイをしてクロワッサンのような朝食を売り歩いている。小さな駅には全然停まらない。やがて車窓は赤茶けた起伏のある大地に変わり、どこまでも澄み切った空とともに、アンデス高原のような景色だ。朝サンパウロに到着した時は少し肌寒いぐらいだった気温も、太陽が上るにつれてぐんぐん上昇し、暑いぐらいだ。汽車旅としては最高だが、とても空港に行く雰囲気ではなく、私はだんだん不安になってきた。が、まもなく車掌が巡回してきて、ヴィラコポス空港への行き方がはっきりした。  ヴィラコポス空港というのはサンパウロではなくカンピーナスという町にあり、この列車でカンピーナスへ行くと、そこからバスで空港へ行けるというのだ。車掌はポルトガル語で説明するので、この会話だけでも筆談などを交えて一騒動。列車内は何やら日本人がいるというので大騒ぎだ。列車は約2時間かけてカンピーナスへ到着、さっきの車掌はこの駅で乗務を終えるようで、バス乗り場まで案内してくれた。空港行きのバスは、冷房もない普通の市内バスで、30分おきに運行していた。市街地を出ると乾いた大地をひたすら走るだけ、空港までは約10キロ、しかし航空旅客と思われる乗客は一人もいなかった。  そんなこんなでサンパウロから約3時間かけてやってきたヴィラコポス空港は、寂れた田舎の空港という風情で、何とものどかな片田舎に来てしまったなというのが第一印象だ。空港施設が暇なのか、ヴァリグ・ブラジル航空の航空機が1機、タッチ&ゴー(着陸しては離陸する訓練)をくり返している。おそらく離発着便がないので、パイロットの訓練に使われているのだ。空港で暇をつぶすことには慣れている私だが、この空港では本当にすることがない。お目当てのランチリ航空がやってくるまでにはまだ2時間ある。ゆっくり食事をしてから空港内をくまなく歩いたが、何しろ小さな空港なので、すぐに売店のお兄さんと顔馴染みになってしまうほどだ。 ●もめにもめたランチリ航空のバス  幸いなことにランチリ航空は定刻通りに到着、無事にマドリードに向けて飛び立っていった。その頃にはどこからやってきたのか展望デッキには送迎客やギャラリーがいっぱいになり、寂しかった空港にも活気がやってきた。ランチリ航空を見送ったあと、私はサンパウロに戻る予定だった。しかし今朝はここまで鉄道とバスを乗り継いでやってきたが、帰りは別の方法はないかと案内所で尋ねてみた。さっきまで閉まっていた案内所も、ランチリ航空が到着したので開いていたのだ。しかしサンパウロ市内への空港バスの類はないようで、今朝のサンパウロ駅の案内は正しかったのだ。ところがここの案内嬢は、「サンパウロへ行くなら、間もなくランチリのバスが出るから、それに乗ればいい」と言う。  この「ランチリのバス」とは、今到着したランチリ航空の乗客を、サンパウロ市内へ届けるためのバスで、ランチリ航空がバスをチャーターして運行している。これはランチリ航空に限らず、ここへ乗り入れている航空会社すべてが行っていた。おそらくこの空港はあまりに市内から遠いので、航空会社がバスをチャーター、乗客の便宜を図っていたのだろう。もちろんその航空会社の便に合わせて無料で運行していた。  そして、今到着したランチリ航空の乗客をサンパウロまで届けるバスに、私も乗せてもらえばいい、と彼女は言っているわけだ。私は「それはラッキー」と思い、ランチリのチャーターバスのところへ行くが、運転手は「あなたはランチリの乗客ではないので乗せられない」と、あっさり断られてしまった。私は、まあ本当だから仕方ないと思い、再び案内所に戻って、サンパウロへの行き方を教えてもらおうとしたら、案内嬢は「なに、乗せてもらえないの? そんなケチなことを言ってるのか!」といった表情で、私を連れてバスの運転手のところに行き、交渉をはじめてしまった。が、どちらも譲らず、運転手は「あくまでランチリ航空の乗客しか乗れない」、案内嬢は「わざわざ日本から来ているのに何をケチなことを言ってるの! バスはガラガラじゃないか!」とポルトガル語で話しているようだ。  何だかんだでそんなやりとりが10分ほど続き、バスの乗客も「どうしたんだろう」とこちらを眺めているので、私は今さら乗れても……と思い、バスと列車でサンパウロに戻ることにし、二人を止めるように断った。それでも案内嬢は「納得できない」という表情だったが……。要するにこの空港にわざわざ写真を撮りにだけ来る人がほとんどいなかったのであろう。一般の乗客を乗せるか、あくまで断るかといった対応がはっきりしていなかったのであろう。  結局私は、来たときと同じオンボロバスでカンピーナス駅に戻った。車内はエンジンからの熱気と外からの熱風で暑く、窓からは太陽と大地からの照り返しで、バスに乗っていても日焼けしてしまうぐらいだ。さっきのランチリのチャーターしたバスはもちろん冷房完備のデラックスバス、ちょっと恨めしくなる。が、駅に着いてみてまたガックリ、サンパウロ行きの列車は行ったばかりで、次は18時30分までないとのこと。現在の時刻はまだ午後4時、列車ではたっぷり2時間はかかるので、サンパウロに着くと夜9時近くになってしまう! 何ともタイミングが悪いなあと思っていたら、駅員はバスがあるという。  どうせ2時間半も列車はないのだから、駄目元で言われる通りにバスターミナルへ行ってみた。どうもバスターミナル周辺が町の中心で、駅は街のはずれにあったようだ。プラットホームが20ほどある立派なターミナルで、サンパウロ行きのデラックスなバスが20分間隔で走っていた。チケットを買うと程なく出発、高速道を時速100キロ以上で飛ばし、1時間もすると前方にサンパウロの高層ビル群が見えはじめ、1時間半ほどでサンパウロのバスターミナルに到着した。到着したバスターミナルは、プラットホームが100ほどある大きなものだった。  私は「何だこんなに簡単にアクセスできたのか!」と思ったのと同時に、往路の列車も風情があったものの、列車は2時間かかって2〜3時間に1本、バスは1時間半の所要で20分に1本、運賃はほぼ同じだったので、どこの国へ行ってもバスが台頭していることをつくづく思い知らされた。  また、その頃のブラジルは世界最大の債務国といわれていた。一方、日本は経済大国。しかし、日本において、たとえば成田空港が遠いからといって航空会社が空港バスをチャーターして乗客を乗せるなどという「いい話」は聞いたことがない。日本とブラジル、どちらが「まとも」か、ずいぶん考えさせられた1日であった。 乗れなかったランチリ航空のチャーターバス あとがき  空港はどこの国へ行っても無味乾燥に思うことが多いでしょう。空港からバスに乗って市内へ入ると、その国の持つ独特の街の顔が見えてきますが、空港ではそれを感じることは少ないものです。観光旅行で訪れた外国人も、空港はその国への出入りのために通り過ぎるもので、空港そのものをつぶさに観察する機会は少ないでしょう。乗り継ぎなどで海外の空港を利用しても、大多数の人は、その乗り換え時間は短いにこしたことはない、と思っているはずです。「空港」は、長い時間を過ごしたくない場所になるのでしょうか。  しかし世の中には変わり者がいるもので、「乗物」好きで、当然飛行機も好きだった私は、「空港」にいるのはまったく苦痛な時間ではありません。とてもエンジョイできるひとときです。大空港の場合は1日中空港散策を楽しむことも珍しいことではありません。今でも初めて降り立つ空港では胸がワクワクしますし、「空港めぐり」の旅行をすることだってあります。  行き交う世界各国の飛行機を眺めているのも楽しいですが、「無味乾燥」なはずの空港でも、出会いや別れ、さまざまな人間模様が繰り広げられているものです。そんな人々の人生の縮図を演出するのも空港です。  海外の大空港では、空港に街の機能が備わっていたり、リゾートを楽しめたりするものもあります。「訪ねてみるスポット」としての空港にも注目してみてはいかがでしょうか。  日本に目を向けると、日本航空はボーイング747ジャンボ機を、全日空はボーイング767を、最も多く保有する航空会社の一つです。よく「航空王国アメリカ」などといわれますが、日本は国土の狭さの割には多くの航空機を保有、日本の空は過密状態にあるといえます。一方で「空港」はというと、日本は諸外国に比べて狭く、滑走路などの設備も充分とはいえません。狭い住宅に数多くの最新家電製品がひしめき合っている日本の家庭とも共通したところがあるでしょう。  しかしここ2〜3年で日本国内の割引航空運賃が充実してきたので、空港を利用する人は着実に増えています。日本の「空港」施設のさらなる充実も望まれるところだと思います。 2001年7月 谷川一巳 谷川一巳(たにがわ ひとみ) 1958年横浜市生まれ。日本大学卒業、旅行会社勤務を経て現在フリーライター。雑誌や書籍で、世界の公共交通や旅行に関する執筆を行う。空港を探険する習性もあり、訪れた内外の空港は170あまり。著書に「バスマニアの常識」「マイレージ貯めてタダ旅行」「ホテルはもっと安くできる」(イカロス出版)、「地下鉄のフシギ!?」「旅客機雑学のススメ」「世界と日本の鉄道なるほど事情」(山海堂)などがある。 世《せ》界《かい》の「空《くう》港《こう》」物《もの》語《がたり》  谷《たに》川《がわ》 一《ひと》巳《み》 ------------------------------------------------------------------------------- 平成13年10月12日 発行 発行者  松村邦彦 発行所  株式会社 主婦の友社 〒101-8911 東京都千代田区神田駿河台2-9 Hitomi Tanigawa 2001 本電子書籍は下記にもとづいて制作しました 主婦の友社『世界の「空港」物語』平成13年10月10日初版刊行