タツモリ家の食卓4 著者 古橋秀之/イラスト 前嶋重機 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)界面下機動《はやがけ》 |:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号 (例)界面下|潜航《せんこう》 [#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定 (例)あんこっぽい[#「あんこっぽい」に傍点] ------------------------------------------------------- CONTENTS 1  『チャンネル争奪・眼力勝負』 2  『猫と生活』 3  『ドッグファイト!』 4  『張さんのおみやげ』 5  『寝る子は育つ』 6  『夕暮れの刻』 7  『古橋秀之の挨拶』 [#改丁] [#挿絵(img/D-hp10_214.jpg)入る] [#改丁] 1  『チャンネル争奪・眼力勝負』  夕食のあと、龍守《たつもり》陽子《ようこ》は洗い物を軽く片づけると、いそいそと居間のちゃぶ台につき、テレビにむかった。  目当ては本日最終回の『東山田銀座ラヴストーリー』。地元商店街の若旦那《わかだんな》(演・ヤマアキトシタカ)と大手スーパーの支店長の娘(演・カゼマツキョウコ)による「現代のロミオとジュリエット」物語である。  今どきの人気俳優の扮《ふん》する男女が全一三話かけてくっついたりはなれたりくっついたりはなれたりしているうちに真実の愛を見出《みいだ》して最後にくっつくという、まあこの種の連ドラ一般が陽子は好きなのだが、中でもこの『東山田』は若いふたりを襲《おそ》う試練の連続が大きな話題になっており、最終回前の段階ですでに、ふたりして交通事故に遭《あ》うわ失明するわ記憶|喪失《そうしつ》になるわ不治の病になるわ片手片足失うわ破産はするわストーカーにつけまわされるわ殺人鬼につけまわされるわ無実の罪で訴《うった》えられるわ警察に捕《つか》まるわ新興宗教にはまるわ親友は死ぬわ昔の恋人は死ぬわ両親は死ぬわ兄弟は死ぬわ親戚《しんせき》のおじさんは死ぬわとなりのおじさんは死ぬわ飼ってた犬は死ぬわ飼ってた猫は死ぬわ飼ってたインコは死ぬわ飼ってたハムスターは死ぬわ、これでもかこれでもかこれでどうですかまだたりませんかという不幸の大バーゲン状態。ふたりはいったいどうなってしまうのか、これは見逃せません。  で、  ——リモコンよーし、お茶よーし、お茶菓子よーし、ティッシュ(泣くとき用)よーし。  陽子はちゃぶ台の上の物の位置をざっと確認すると、テレビに正対した。陽子がドラマを見るときの集中力というのはなかなか大したもので、CMのとき以外は一瞬たりとも画面から目をはなさない。大きな目をいっぱいに見開いて、なんというか、鬼気《きき》迫《せま》る感じすらただよわせる。 『「東山田銀座ラヴストーリー」最終回スペシャル、このあとすぐ。よろしく!』  直前CMのヤマアキトシタカの「よろしく!」にむかって無意識におじぎを返している陽子の尻《しり》に、いつからそこにいたのか、青い牡猫《おすねこ》が頭をこすりつけてきた。 『陽子、すまないが、私のトイレの始末をたのむ』  青猫——銀河連邦の代表者として地球の処遇《しょぐう》に関する全責任を負う、特務監察官カーツ大尉《たいい》——に対し、陽子は顔もむけずに、 「ごめん、おニイにたのんで」 『忠介《ただすけ》は入浴中だ』 「じゃあ殿下《でんか》」  カーツは耳をぱたぱたっとふり、しっぽをぱたりと畳《たたみ》に打ちつけた。 「殿下」ことバルシシア=ギルガガガントス15-03Eは、銀河連邦と敵対する星間帝国グロウダインの第三|皇女《おうじょ》である。わけあってともに龍守家に居候《いそうろう》する身だが、心情的には、ふたりはいまだ対立関係にある。そのバルシシアに頼《たの》んだところで、「ハ、くそ猫め、くそにまみれておるのが似合いじゃ」などといわれるのがオチだ。陽子もそれぐらいはわかっているはずだが……。  やがて、主題歌が始まった。  出会いは Ticket [#ここから1字下げ]  愛は Gift [#ここで字下げ終わり]  運命の Wheek が回り [#ここから1字下げ]  出会いを愛に変える [#ここで字下げ終わり]  そう愛はまるで(Fu Fu) [#ここから1字下げ]  福引の景品さ(Oh Atari〜)—— [#ここで字下げ終わり] 『陽子』  カーツの呼びかけに対し、陽子は手を「シッシッ」と動かすだけで、もはや返事もしない。 『……ふむ』  カーツがしっぽをひゅっとふり、居間を出ていこうとした、そのとき。  二階で、バーンとドアの開く音がした。  ドドドドドッ、と階段を下りる音がした。  ズパーン、とふすまを開けて、金属質の黒い肌をした少女——バルシシア皇女が居間に入ってきた。  カーツがバルシシアの超重量の足に踏《ふ》みつけられそうになり、ギャオッと飛び退《の》いた。  バルシシアはそのままドカドカと陽子の前を横切り、テレビの真ん前にドカンとあぐらをかいた。そして、ちゃぶ台に置かれたせんべいとリモコンをかかえこむと、せんべいをバリバリかじりながらピピピとテレビのチャンネルを変えた。  テレビの画面ではヤマアキトシタカに代わって三人のちょんまげ男が、 『余の顔見忘れたか!』 『余の顔も見忘れたか!』 『余の顔まで見忘れたか!』  バン! バン! バン! ボエエ〜ン。(効果音)  葵《あおい》の紋《もん》をバックに白|抜《ぬ》きで『またまた三匹の将軍』。 「おう、間に合ったわ」  バルシシアはとがった歯をむき出してにかりと笑うと、陽子の前に置かれた湯飲みを手にとってぐびぐびーっとお茶を飲み干した。それから、テレビのほうをむいたまま、湯飲みをターン! とちゃぶ台に置き、 「かわりをもて」 「……ちょっと」と、陽子はいった。  そのころ、龍守忠介はミュウミュウといっしょに風呂《ふろ》に入っていた。 「ミュウミュウ」こと超生命体〈リヴァイアサン〉の幼児形|擬態《ぎたい》は、銀河の覇権《はけん》を巡《めぐ》る闘争《とうそう》のかなめと目されている。カーツ大尉の代表する銀河連邦とバルシシア皇女の代表するグロウダイン帝国のうち、〈リヴァイアサン〉を手に入れた陣営《じんえい》が勝利をも手にするのだ。  が——  地球を、ひいては龍守家を焦点《しょうてん》として膠着《こうちゃく》状態におちいってしまった銀河戦争を尻目に、ミュウミュウの保護者である龍守忠介は、なんにも考えていない。  ミュウミュウがただの小さな女の子ではないということは、承知している。忠介は過去に何度か、ミュウミュウが巨大な航行形態に変態するところを見ている。あれはでかくてすごかった。  しかし、今、ミュウミュウは小さくてかわいい。 「ミュウ〜」  空気みたいに軽いミュウミュウの体は、水に沈《しず》まない。ビーチボールみたいに水面に浮かび、小さな手足をじたばたさせながらつるつると転がるミュウミュウを、 「ん…」  忠介がひょいと持ち上げ、はいはい[#「はいはい」に傍点]の形でそっと水面に下ろし、 「あめんぼ〜」といった。  すると、 「ミュウ」  ミュウミュウは先日忠介が教えたとおりに、両手両ひざをやや広めに突《つ》っぱって、きりっと顔を上げた。そのまま風呂場の気流に押されて、すい〜っとすべる。 「はっはっは」と忠介。  それから忠介は、ミュウミュウをあおむけにしてシャンプーの小瓶《こびん》を抱《だ》かせ、 「ラッコ〜」 「ミュウウ〜」  ミュウミュウは両手で持った小瓶を自分のへそのあたりにぺたぺたと打ちつけた。口をとがらせて、一所懸命《いっしょけんめい》。 「はっはっは」  昔、父が「子供に芸を仕込《しこ》むのは楽しいぞう」といっていたが、あれはこういうことか。なるほど、これは楽しい。はっはっはっは。  それから、しばしその状況《じょうきょう》を楽しんだのち、忠介はミュウミュウの両足首を持ってぐいーっと下に引っぱった。ミュウミュウをちゃんとお湯につけるには、このような作業が必要になる。  水面がミュウミュウのあごのあたりにきたところで手を止め、 「いぃ〜ち、にぃ〜い……」忠介はゆっくりと数を数え始めた。 「肩までつかって一〇〇まで数える」。  幼少のみぎりに授《さず》けられた父の教えを、高校生になってもいまだ馬鹿《ばか》正直に守っている忠介である。が、ミュウミュウの体の浮力に耐《た》えながら、ひじを中途半端《ちゅうとはんぱ》に曲げた姿勢を一〇〇秒間——実はこれがけっこうきつい。腕の筋肉つきそう。「かさばるばかりの大がかりなエクササイズマシーンはもう要《い》りません」という感じ。 「にぃ〜じゅさん、にぃ〜じゅし……」  ああ、これはなにかに似ていると思ったら「空気|椅子《いす》」だ。壁《かべ》に背をつけ、腿《もも》を床と平行に、ひざから下を垂直にした姿勢をひたすら維持《いじ》。まるで見えない椅子に座っているようなので「空気椅子」という。二〇秒もすると腿が電動アンマ機みたいにぶるぶると痙攣《けいれん》し始めるので、別名「電気椅子」ともいう。あれにすごく似ている。ほら、もう腕がぷるぷるしてきた。 「さんじゅろく、さんじゅしち……」  ちなみに、運動部のあんまり意味のないシゴキなどによく使われるこの空気椅子を、運動部に所属したことのない忠介がなぜわざわざ引き合いに出すかというと、それをわりと最近にやったからである。憲夫《のりお》や清志《きよし》やその他何人かと、放課後の教室で、空気椅子|耐久《たいきゅう》レース。二位以下に大きく差をつけて優勝した忠介は力|尽《つ》きてその場から動けなくなり、友人の協力の下、マルタンデパートから拝借した買い物用カートに乗って帰宅した。その際、家の前の道で反対方向から歩いてくる陽子を見つけ、カートの上から「おーい」と手をふったら、陽子はその場でくるりとむきを変えて、元きたほうへすたすたと歩いていってしまった。その夜には「バカみたいなことしないでよ!」と、忠介はえらく怒《おこ》られた。 「んんんー」忠介は口元をにゅにゅにゅとゆがめ、腕をぷるぷるさせながら考えた。  ——陽子はなんで怒ったのかなあ。カートはいい考えだと思ったんだけどなあ。あとでちゃんと返したし。いや、そもそも意味もなく空気椅子とかやるのがよくないということなのだろうか。でもそれをいったらスポーツ一般に、別に意味なんかないだろうし。  一応その辺を陽子に聞いてみたのだが、「空気椅子はスポーツじゃないでしょ」あ、いわれてみるとそんな気がする。「じゃあ腕立て伏《ふ》せとかは」「それもちがいます」「ラジオ体操」「それはギリギリ」ギリギリどっちなんだろう。だんだん陽子の機嫌《きげん》が悪くなってきたのでそれ以上聞けなかったけど、気になるなあ。  ともあれ、「ミュウミュウを肩まで沈める運動」はすごくちがう気がする。これで筋肉痛になったりするとまた怒られそうだ。ちょっと軽めにして切り上げたほうがいいだろうか。あっ、しまった。どこまで数えたか忘れてしまった。  困った困った。  と、忠介が困っているところに—— 「もお〜〜っ!」と、陽子の声が聞こえてきた。 「えっ?」  忠介が思わず手をはなすと、ミュウミュウが勢いよく浮上し、ぽこんと水面から飛び出した。 「なになに、どうしたの」  ミュウミュウを風呂場に残し、バスタオルを腰に巻いた忠介が居間に入ると、室内には険悪な空気がはりつめていた。  バルシシアと陽子が、ちゃぶ台をはさんでにらみ合っている。陽子は顔を真っ赤にしている。バルシシアの黒い顔には赤い攻撃紋《こうげきもん》が展開し、低いうなりを発している。  わけを聞いてみれば、じつに他愛《たわい》もない話であった。  本日放映の『東山田銀座ラヴストーリー』最終回スペシャルは二時間の特番枠、つまり、通常九時からのところが、今日に限って八時から始まった。これが、毎週八時からバルシシアが見ている『またまた三匹の将軍』とバッティングしたのだ。  まず、陽子が『東山田』を見ようとしているところに、あとから入ってきたバルシシアがチャンネルを『三匹』に変えた。陽子が文句を垂れながらリモコンをとり上げ、チャンネルを戻《もど》した。すると、バルシシアがリモコンを奪《うば》い返し、またチャンネルを変えた。そこで「もお〜〜っ!」である。 「だって、あたしのほうが先に見てたのに」と、陽子は主張する。 「わらわは前の週から見ておったのじゃ」と、バルシシア。 「あたしだって毎週見てたし、今日最終回だし」 「わらわはいつも、この時間に[#「この時間に」に傍点]見ておったのじゃ」  どちらが正しいとか間違っているとかいう問題ではない。  事前にわかっていれば忠介がビデオの留守録をセットしたのだが(陽子もバルシシアもビデオの操作ができない)、互いに相手の態度が癇《かん》にさわったらしく、こうなるともう、意地の張り合いである。  状況は再びにらみ合いになった。  やがて、陽子がちゃぶ台の上のリモコンを手にとった。  バルシシアは、む、と表情を険しくしながら陽子にむけて手をのばし、 「それを渡せ」  陽子はぷいと横をむいた。 「渡せ」と、もう一度、バルシシア。 「……」 「渡せというに」 「いや!」  陽子は突然《とつぜん》くわっと目を見開き、威嚇《いかく》した。バルシシアは思わず手を引っ込め、それから目をそらし、口をとがらせた。気迫《きはく》負けである。 「えーと」と、忠介がいった。「それじゃ、じゃんけんで負けたほうがビデオに録《と》ってあとで見る、ってのは?」 「……ふん、もうよい」  バルシシアは畳にごろりと転がり、テレビから顔をそむけながら、 「途中から見てもつまらんのじゃ」 「あっそう。よかった」と憎《にく》まれ口をたたきながら、陽子はチャンネルを『東山田』に変えた。  バルシシアはその背にむかって大きな声で、 「ああ、つまらんつまらん。ほれ見よ、ヤマなんとか[#「なんとか」に傍点]というたか、あのようなちゃらちゃらしたののどこがいいのやら。やはり男はちょんまげじゃ」 「殿下、邪魔《じゃま》しないで」と、テレビにむかったまま、陽子。 「なんじゃ、わらわは忠介と話しておるだけじゃ。のう忠介」 「んんー」  忠介は、しばしにゅにゅにゅと思考したのち、 「……殿下の部屋にも、テレビがあるといいかもね」といった。 「うむっ?」  バルシシアが、がばっと上体を起こした。が、 「そんなのお金の無駄《むだ》だから駄目」と陽子がいうと、再びばたっと倒《たお》れた。 「ええ〜、無駄かなあ」と忠介。 「無駄よ、無駄無駄。絶対駄目」  ときどき、陽子はひどく理不尽《りふじん》なことをいう。しかも、こうなるともう、なにをいっても聞く耳をもたない。 「んんんー」どうしたものか。  忠介がなおもにゅにゅにゅと悩んでいると、 『忠介、すまないが、私のトイレの始末を——』と、カーツ。 「あ、はいはい」  さらにそこに、 「ミュウ」全身びしょ濡れのミュウミュウが入ってきた。 「あっ、駄目駄目、風邪《かぜ》ひいちゃう風邪ひいちゃう、へっくし」と、自分が風邪をひきそうな忠介。  バルシシアは、 「……ふん」と鼻を鳴らし、うっそりと立ち上がると、居間を出ていった。  やがて、玄関でガロガロと音がした。バルシシアが散歩用の鉄|下駄《げた》を履《は》く音だ。 「あれ、殿下、どこいくんですか」と、ミュウミュウの頭をふきながら、忠介。  答えの代わりに、玄関のドアが、バタンと大きな音を立てて閉じた。 「……んんー」  忠介はそれから、ミュウミュウに服を着せ、自分も服を着て、カーツのトイレの掃除《そうじ》をした。  そのあと居間に戻ると、陽子はテレビを消して、畳に転がっていた。 「テレビ見ないの?」と、忠介。  陽子は転がったまま、 「……なんか、つまんなくなっちゃった」 「んー」  忠介は新聞で『東山田』のチャンネルを確認しながら重ね撮り用のテープをビデオデッキに入れ、録画ボタンを押した。陽子はあとできっと「やっぱり見たくなる」だろうから。  そうしながら忠介が、 「殿下、どこにいったのかなあ」というと、 「前のアパートでしょ」と、陽子はいった。  龍守家のむかいに位置する「前のアパート」こと「ハッピーハイツ郷田荘《ごうだそう》」には、現在、バルシシアの部下である〈突撃丸〉の面々、総勢九名が住んでいる。が—— 「まあ殿下、よくおいでくださいました」  と、郷田荘の一室でバルシシアをむかえたのは、航海師ゼララステラと、従軍女官のリルルメリスとメルルリリスのみであった。六畳一間の空間のほとんどを占《し》める豪奢《ごうしゃ》な寝台の上で、三人は体の位置をずらし、バルシシアの座るスペースを空けた。しかし、 「よい」  バルシシアはそれを立ったまま手で制し、 「……男衆はおらんのか」  ゼララステラはそれまでながめていた地球製の雑誌を閉じ、 「殿方はみな、先日からお出かけですわ。なんでも『合同訓練』だとか」といった。 「ああ、そうであった。……うむ、邪魔をしたな。帰るぞ」  バルシシアはくるりとふり返った。ゼララステラの顔を見ているうちに、なにやら不吉《ふきつ》な予感がして、立ち去りたくなってきたのだ。バルシシアは遠縁の親戚に当たるこの航海師が、少々苦手である。 「まあ、なんてせわしない」  ゼララステラが立ち上がり、バルシシアの背にひたりと貼《は》りついた。 「なにかお話があっていらしたのでございましょうに、このゼララステラでは殿下のお力になれぬと、そうおっしゃるのですね。ああ、そうでございましょう、そうでございましょうとも。殿下のお眼鏡《めがね》に異のあろうはずもありませぬ。ゼララステラはただただ我《わ》が身の非力をはじるばかりにございます」  よよよよよ、と芝居《しばい》がかった悲しみの表情を浮かべつつそのようにいわれると、つい、 「……いや、そういうわけでもないのじゃが」  といってしまうのが、バルシシアの人のよいところだ。  それに、  ——堅物《かたぶつ》のオルドドーンより、ゼララステラのほうが、話[#「話」に傍点]の通りがよいかもしれぬ。  そのようにも、思った。  で、その「話」というのは—— 「あー、うむ、ゼララステラよ、おぬしこういうものを知っておるか、汎用《はんよう》ディスプレイに似た感じで、形は四角うて、このくらいの大きさで」  なぞなぞのようなバルシシアの問いに、 「てれびじょん、とかいうものでございましょう?」と、ゼララステラは答えた。 「それじゃそれじゃ」とバルシシア。「なんというか……ああいうのがこの家《や》に一台あると、なにかと便利だと思うのじゃが、どうであろうの」 「まあ、それは龍守さまのお宅にはございませんの?」 「…む」  なにやら雲ゆきが怪《あや》しくなってきた。バルシシアはそわそわと視線を動かしながら、 「う、む……ないというわけではないのじゃが、その、こちらにもうひとつあるとなおよいと思ったのじゃ。いや、特に理由はないが、なにとはなしに」 「まあ……それはいったいどういうことでしょう? わたくし、事情がちっともわかりません」 「うむ、なんでもないのじゃ。邪魔をしたな。帰るぞ」  そそくさと帰ろうとするバルシシアを、ゼララステラの手ががしりと押さえた。 「ああ、もしや、もしや!」  戸口にむかおうとするバルシシアの体を、ゼララステラはぐぐぐい〜っと引き戻し、 「考えるだに恐《おそ》ろしく、また恐れ多いこと! しかし、不敬の咎《とが》を恐れずに、ここにあえて申しましょう! 殿下ともあろうおかたが、ああ、開闢帝《かいびゃくてい》の末裔《すえ》、グロウダイン皇家ギルガガガントスの第三皇女たるバルシシア=ギルガガガントス15-03E殿下ともあろうおかたが! 脆弱《ぜいじゃく》な軟体《なんたい》生物の巣の中にあって、気晴らしのひとつも思うに任せられぬと、まさかそのようにおっしゃるのではありませんこと!?」 「あ、いや、それほど大したことでもないのじゃ。その、たまに順番をゆずってやっておるのじゃ、たまに」 「まあ、なんてこと! 順番! 順番!! 『略奪《りゃくだつ》せよ、蹂躙《じゅうりん》せよ』、それこそが圧倒《あっとう》的な力をもってあまたの星々を統《す》べる皇家《ギルガガガントス》の家訓でありましょうに! 陛下がこのありさまをご覧になったら、いったいなんとおっしゃるやら。ああ、いったいなんとおっしゃるやら……!!」  バルシシアは「陛下」という言葉に、ぶるっと体をふるわせた。 「……わかっておる」  バルシシアはゼララステラから視線をそらし、口をとがらせながら、  ——いかん。  と、思った。  やはり、テレビの件をゼララステラに話したのは失敗だった。ギルガガガントスはその血脈の名誉《めいよ》を保つためには同族殺しも厭《いと》わない。このことが、母——すなわちグロウダイン帝国女帝——やふたりの姉のどちらかの耳に入ったが最後、自分はこの惑星ごと木端《こっぱ》微塵《みじん》にされかねない。しかも、このゼララステラは、その性格からして、面白《おもしろ》半分にそのような事態をまねき寄せるかもしれない。  ゼララステラは口元に手をそえ、バルシシアの表情を横目にうかがいながら、くすくすと笑っている。リルルメリスとメルルリリスは、ふたりの表情を交互に見ては、当惑《とうわく》の体《てい》で顔を見合わせている。  ——これは、いかん。  バルシシアは、あせった。  郷田荘にテレビを置こうという目論見《もくろみ》ははずれ、そればかりか、どうあっても実力で陽子からチャンネル権を奪取しなければならなくなった。  さて、その翌日。  一日|経《た》ってさすがに頭も冷え、陽子は少々反省していた。  元はといえば、ちゃんと確認をとらなかった自分も悪い、と思う。バルシシアのいい分にも、それなりに筋は通っているのだ。  そこで、陽子は新聞のテレビ欄《らん》を見ながら、 「殿下、今日八時からテレビ見るでしょ?」と、バルシシアに話しかけた。  しかし、バルシシアは答えない。テレビのリモコンを手に、じっと座っている。なにやら真剣な面持《おもも》ちでリモコンの発光部を見つめ、順番にボタンをいじっている。  ——やだ、いじけちゃってる……?  と思いつつ、陽子はもう一度、 「……殿下?」といった。  バルシシアはそこでようやく陽子に気づき、 「む、なんぞいうたか?」 「八時から『江戸を斬りまくる』、見るでしょ?」 「おう」  と答えかけたバルシシアは、あわててぷいと横をむき、 「……ふん、知らぬ」といった。 「……なによ、それ」  陽子はばさりと新聞を置いて、居間を出ていった。  バルシシアはそのまましばらくリモコンをいじっていたが、やがて、それをぱたりとちゃぶ台の上に置き、 「うむ、おぼえた[#「おぼえた」に傍点]」といった。  ところで、そのころ——  指揮車のモニターに、簡略化された市街地のマップが表示されている。マップの中には緑色のマーカーが六つ、00[#「00」は縦中横]式装甲戦闘服の位置を示して光っている。  モニターをのぞき込みながら、重歩小隊隊長、倉本《くらもと》三尉はヘッドセットに指示を出した。 「当区画内に潜伏《せんぷく》中のグロウダインは二名。発見しだい無力化せよ。各班、準備はよいか」 『第一班、準備よし』 『第二班、準備よし』 『第三班、準備よし』 「よろしい。では、状況開始」  アスファルトとコンクリートだけでできた、奇妙《きみょう》なほど空虚《くうきょ》な町並み——ビルの中は、文字通り空っぽだ——の中を、冷蔵庫に手足を生やしたような姿の00[#「00」は縦中横]式と、野戦服姿の随行員《ずいこういん》たちが、速足で歩いていく。  機敏《きびん》な運動の望めない00[#「00」は縦中横]式の運用は、通常の歩兵にもまして、緻密《ちみつ》なパズルの様相を呈《てい》する。二体の00[#「00」は縦中横]式と五名の随行員が一班を構成し、射線と安全を確保しながら、一歩一歩確実に歩を進め、そして—— 『目標発見!』  数十メートル先の高いビルの頂上に、小柄な人影が現れた。 『エリア4Eの二番ビル屋上、タイプCと思われ——』  00[#「00」は縦中横]式の照準動作より速く、人影はビルの陰《かげ》に消えた。 「三番機、移動急げ」と、倉本はいった。位置を確認されたのは上手《うま》くない。  しかし、ほとんど間を置かず——  横手のビルの上を通って落下してきた手榴弾《しゅりゅうだん》が、00[#「00」は縦中横]式三番機の上部装甲にガンと音を立てて跳《は》ね、路面に落ちた。破裂音《はれつおん》、そしてスモーク。 「三番機|被弾《ひだん》」の報告とともに、指揮車のモニターに映るマーカーのひとつが、行動不能を示す赤に変わった。 「第二班の作戦を変更、四番機はポイントDへむかい、第三班と合流——」  だが、倉本の指示が終わらないうちに、 『四番機被弾!』 『目標発——六番機被弾!』 『五番機被弾——』  ほどなくして、マーカーは残らず赤に変わった。ビルの谷間から放《ほう》られたいくつもの模擬手榴弾が、それぞれに山高い放物線を描《えが》きながら、展開中の00[#「00」は縦中横]式を襲ったのだ。  倉本が状況終了を告げると、00[#「00」は縦中横]式の視界とリンクしたモニターに、背の高い人影が映った。長身の男——〈突撃丸〉砲術師《ほうじゅつし》ザカルデデルドは、四つの手榴弾をお手玉のようにもてあそびながら00[#「00」は縦中横]式に歩みより、黒い顔に人のよさそうな笑顔を浮かべて、 『やあやあ、みなさまがた、お怪我《けが》はござらんか』といった。  倉本は小さくため息をつき、部下の各班長とグロウダイン陣営に再配置を指示した。  ここ数日、倉本重歩小隊では、〈突撃丸〉乗員の協力の下、自衛隊の演習場内に設営された訓練用セットを用いた模擬戦が、くり返し行なわれている。その結果、丸腰のグロウダイン、それも近接戦闘技能に特化していない氏族が相手ならば、重歩一個小隊をもって制圧が可能、というところまではいったが—— 「相手がふたりになると、もう手に負えん、か」  せまい指揮車内には今、倉本のほかに〈アルゴス〉の鈴木《すずき》と島崎《しまざき》が入っている。 「ええ……」  と答えつつ、倉本はちらりと背後をふり返り、 「……車内、禁煙です」 「お、すまん」  鈴木は出しかけたタバコをふところにしまいながら、 「まあ、今はまだ、勝つことを考える段階じゃない。データがとれればいい」 「『そういう段階』になったとしても……」と、倉本はいった。「部下はみな、『あんな連中とは死んでも戦いたくない』といっています」 「ああ、俺もそう思う」  その会話を聞いているのかいないのか、 「……単純に、ふたりだから戦力が倍になった、というだけではありませんね。……あ、ちょっと失礼します」  島崎はそういうと、倉本のわきからコンソールに手をのばし、モニターに記録映像を呼び出した。倉本重歩小隊の指揮・通信システムには〈アルゴス〉の手がかなり加わっている。 「これは被弾直前の、三番機のカメラの映像です」  モニターの中で、やや粗い画像がぐらぐらとゆれながら視点を移動し、遠いビルの頂上に小さな人影をとらえた。 『目標発見! エリア4Eの二番ビル屋上、タイプCと思われ——』と、記録音声。 「そう、タイプC——ゼロロスタンです。彼は各種知覚能力に特化した氏族の出身だとのことですが——」  島崎の手がコンソールのキーボードの上でさらに動き、モニター内の映像をズームアップした。粗さとゆれをさらに増した画像が、一瞬の間を置いて、どうにか目鼻が判別できる程度にデジタル補正された。 「彼の視線に注目してください。まずまっすぐこちらを見て、それから、姿を消す直前に……ほら、一瞬視線をずらしてます。それから数秒後に——」  ガン、と手榴弾が機体に当たる音。そして、破裂音とともにスモークの煙《けむり》が視界をおおいつくした。 「着弾です」 「しかし、これを投げたのはもうひとりの、ザカルデデルドの方だろう」と、鈴木がいった。 「ええ、通りをふたつはさんだ向こうから」島崎は人差し指で顔の前に山高い放物線を描き、「視認は不可能だったはずです」といった。 「ゼロロスタンが位置を教えたということか」 「はい。しかし、ただ教えただけではありません」 「……どういうことですか」と、倉本がいった。 「つまり、間接照準[#「間接照準」に傍点]ですよ」  といって、島崎はにかりと笑った。欠けた前歯が見えた。 「えー、まず、つづく投擲《とうてき》にも見られるように、彼らの照準はきわめて正確です。これは彼らの両目と額の第三眼のコンビネーションによる空間|把握《はあく》能力に負うところが大きく……時々、彼らの目が光って見えるでしょう? ああして電磁波を出力し、反射波を第三眼で受け止めることによって、目標との距離を計測しているようです。コウモリの空間知覚というか、レーザー測距儀《そっきょぎ》に近い構造ですね(ごち)いてて」  解説に興が乗るにつれて島崎のジェスチャーは大きくなり、ときおり車内の機材に手をぶつける。島崎はぶつけた手をぷるぷるとふりながら、 「さらに、ゼロロスタンは自ら計測した00[#「00」は縦中横]式各機の位置を正確にザカルデデルドに伝達しています。これはおそらく、目から発する電磁波に情報を乗せて、タイトに絞《しぼ》り込みながら相手の第三眼にむけて発射しているんですね。いうなれば、レーザー通信をもちいたアイコンタクトです。これはつまり、われわれの〈アルゴス・システム〉や重歩小隊の指揮システムがそうであるように、彼らもまた、複数の個体の連携《れんけい》により、より効率的に力を発揮できるということです。今回は個人戦闘において素人《しろうと》同然のふたりが相手ですが、地上戦専門の部隊が地球を訪れたときには、いったいどんな戦術を見せてくれるのか、実に——」 「できれば見ずにすませたいもんだがな」と、鈴木がいった。 「あ…」  島崎は鈴木と倉本の視線に気づくと、口をつぐみ、きまり悪げに頭をかいた。  鈴木は軽く肩をすくめ、 「まあ、『すませたい』ですますわけにもいかん」  倉本はあいまいにうなずくと、モニターにむき直り、あらかじめ用意していあったいくつかの作戦プランを呼び出しながら、 「次はどれでいきます?」  島崎はその肩越しに身を乗り出しながら、 「あ、今度はスモークをたいてみていただけますか? 彼ら、多分赤外線を使ってると思うんですが——」  夕食のあと。  陽子は八時五分前からテレビの前に陣取った。 『あ〜ら〜! なんて大きなワンちゃん! え、ご主人? あら、犬みたいな顔してるからてっきり(スタジオ爆笑)』  と、見たくもないバラエティ番組を見ながら、ひざの上にリモコンを確保し、  ——もう殿下にテレビ見せてあげない。  などと、変な意地を張っている。  そして、八時ちょうど。  二階から下りてきたバルシシアが、居間に入ってきた。  ——きた。  陽子はリモコンをとられないように、両手でぎゅっとにぎり締《し》めた。  が——  バルシシアが陽子のうしろにどかりと座ると同時に、ピ、とチャンネルが変わった。 『善人悪人見境なしに、今夜も斬って斬りまくる! 人斬り判官《はんがん》桐原《きりはら》斬奸《ざんかん》、これがおいらのお裁きよ!(うぉらぁー! ズビュッ)』 「……え?」  陽子は思わず手にしたリモコンを見、ピ、とチャンネルを変えた。 『この豪邸《ごうてい》、なんと一〇億! ビックリマンチョコが一千万個分ですわ! (スタジオ爆笑)』  するとまた、ひとりでに、ピ。 『てェへんだてェへんだ! 斬兄ィ、聞いてくンな(ズビュッ)ぎゃあッ』  陽子はバルシシアをふり返った。  バルシシアは素知らぬ顔で、ぷいと横をむいた。  ——なんかやってる。  陽子はバルシシアの顔を肩ごしにちらちらと見ながら、ピ。 『「飲尿《いんにょう》は便秘に効く」マルかバツかー!(マルーっ、マルマルーっ!!)』  陽子が再びチャンネルを変えると、バルシシアはテレビのほうに視線を戻し、目を凝《こ》らすような表情をした。  すると——  ピ。 『よう斬の字、ずいぶんと景気がいいようじゃねえか(ズビュッ)ぐはあッ』  ……陽子にリモコンを押さえられることは予期していた。  そこで、バルシシアはさきほどから、眼球からリモコン信号に酷似《こくじ》したパターンの赤外線を発しているのだ。いうなれば、「眼力リモコン」。  陽子には、わけがわからない。  だが、わけはわからなくとも、すでに意地になっている。三たびリモコンをかまえ、ピ。『今日はスタジオに意外なゲストをおまねきしています(ええ〜っ!?)』  するとバルシシアも、ピ。 『へ組の居候、桐山《きりやま》斬之介《ざんのすけ》と申すはそちのことか(ズビュッ)がふッ』  陽子が、ピ。 『夫の衝撃《しょうげき》告白とはいったい!?(ジャカジャン!)』  バルシシアが、ピ。 『あァら斬さン、ちょいとお見限りじゃないのサ(ズビュッ)あれェッ』 「う〜っ」と、陽子がうなった。 「ぬぬぬ……」と、バルシシアがいった。ここまできてようやく、「眼コン」は事態の根本的解決に役立たないことに気がついたが、もはやこちらも意地になっている。  ピ。 『さてそこで次の問題』  ピ。 『お父っつぁん、おかゆが』  ピ。 『チャンスは二倍です!』  ピ。 『そいつはちいっとばかり』  ピ。 『答えはCMのあとで』  ピ。 『先生、お願えいたしやす』 「ううう〜っ」いつしか、陽子の顔は真っ赤になっていた。 「ぬぬぬぬぬ」バルシシアの全身に、攻撃紋が展開した。  ピ、とチャンネルを変えながら、陽子がふり返った。 「もう、殿下……!」  同時に、 「ぬあッ!!」バルシシアが思いきり力んだ。  すると、  バシュン!  低い破裂音が鳴り、空気のこげる匂《にお》いがした。鋭《するど》い熱波が陽子のほおをかすめた。 「きゃああッ!?」  陽子の悲鳴を聞きつけて、 「え、なになに?」 『なにごとかね!?』 「ミュウ?」  居間に駆《か》けつけた忠介(ミュウミュウつき)とカーツが見たのは、割れたブラウン管からもくもくと煙を吐《は》く、壊《こわ》れたテレビであった。  そして—— 「なんでテレビこわすのよ! 信じらんない!」 「わざとではないのじゃ! おぬしが意地を張るからいかんのじゃ!」  いい争うふたりを横目に、ほうきとちりとりでガラスの破片を片づけながら、 「明日、新しいテレビ買いにいこうか」と、忠介はいった。  ついでに、陽子の表情をうかがいながら、 「んー、できたら、二台」  バルシシアがぴくっと反応した。 「二台……」  陽子はしばらくむずかしい顔で考えたのち、 「……いいわ」といった。  そして、思わずうれし顔[#「うれし顔」に傍点]になるバルシシアをくわっとにらみつけ、 「その代わり、今後は目からビーム出すの禁止!!」  バルシシアは陽子の眼力にのけぞりながら、 「……うむ」といった。 [#改丁] [#挿絵(img/D-hp11_222.jpg)入る] [#改丁] 2  『猫と生活』 「む…」  二階の宇宙人部屋の「銀河連邦領」の片すみで、バルシシアは息を止め、構えたわり箸《ばし》に意識を集中した。忠介《ただすけ》(ミュウミュウつき)とカーツが、その背後から手元をのぞき込《こ》んでいる。  カーツの猫トイレの中にそろりと差し入れられた箸先が、親指ほどの大きさのできたて猫糞[#「できたて猫糞」に傍点]をつつき、そのホカホカの表面にトイレ砂をまぶすように、ころり、ころりと転がし、そっとつまみ上げた。  バルシシアの広げた左|掌《てのけら》の上には、何重にも畳《たた》んだトイレットペーパーが敷《し》かれている。この上に猫|糞《ふん》を乗せ、トイレまで運んで流す予定だ。  だが、バルシシアはまだ、箸を使うことに慣れていない——ふるえる箸先が、猫糞をぽろりと取り落とした。 「——ぬっ!?」  思わず伸ばした左手が、猫糞を弾《はじ》いた。 「ぬうっ!!」  エラーした野球のフライをグローブが追うように、バルシシアの左手はトイレットペーパーをふり落としながらさらに猫糞を追い、顔の前でそれを捕《とら》えた。  勢いあまったスピードと握力《あくりょく》が、猫糞をぐちゃりとつぶした。  トイレ砂とともに飛び散った柔《やわ》らかな破片が、生あたたかいしぶきとなって、ぴぴぴっ、と、バルシシアの顔と頭に当たった。 「くわあああっ!!」[#「「くわあああっ!!」」は本文より1段階大きな文字]  バルシシアの怒声《どせい》は一階の風呂場まで響《ひび》き、入浴中の陽子《ようこ》が、湯船から身を乗り出した。 「殿下《でんか》——?」  陽子がみなまで言わぬうちに、ドドドドドバーン、と、階段を駆《か》け下り脱衣場《だついば》を抜《ぬ》けたバルシシアが、風呂場に飛びこんできた。 「きゃっ、なに!?」  湯船に飛びこむ陽子を横目に、バルシシアはぽぽぽいと服を脱《ぬ》ぎ、シャンプー代わりに使っているクレンザーを頭にぶちまけると、 「ぬおおおお!」ガシュシュシュシュ!  と、頭を洗い始めた。  そもそも、ことの起こりをいえば——  昨夜、夕食のあと、 「おニイ、お皿洗うの手伝って」と、台所から居間へ声をかける陽子に、 「はいはい」と答え、忠介は立ち上がった。  そこに、 「忠介」と、バルシシア。 「はいはい、なんでしょう?」 「てれびが映らんのじゃ。なんとかせよ」 「あ、えーと、出力モードが『ビデオ』になってますね——はい、OKです」  リモコンを置いて台所にむかおうとする忠介に、 『忠介、すまないが、私のトイレの始末をたのむ』と、カーツ。 「あ、はいはい」  忠介が二階に上がってカーツの猫トイレを掃除《そうじ》し、 「すみましたー」  といって、とった猫糞を人間トイレにドジャーと流して出てきたところに、 「ミュウ」と、忠介のシャツのすそを引っぱりながら、ミュウミュウ。 「え、なに? お散歩?」  忠介はミュウミュウを小わきにかかえ上げながら台所をのぞきこみ、 「えーと……陽子?」 「いいわよ、いってきて」と、ちょっと不満げに、陽子。「ついでにジロちゃんにごはんあげて」 「はーい、いってきまーす」 「ミュウ〜」 『うむ、私も同行しよう』  忠介、ミュウミュウ、カーツの三人はぞろぞろと玄関にむかい、陽子は冷蔵庫に夕飯の残り物を入れる手を止めて、その背を見送った。無意識のうちに、む〜っと口をとがらせている。  やがて、三人が玄関から出ていくと、おもてからジロウマルのオンオンと鳴く声が聞こえてきた。そして居間からは、カカカカカ、と、バルシシアがテレビを見ながら笑う声。さらに手元の冷蔵庫の中からは、ペットボトルに入った液体宇宙人〈教授21MM〉が、 『まろの部屋を開けるときにはノックをするでおじゃる』 「そこはうちの冷蔵庫です!」  陽子はなにやら急に理不尽《りふじん》な怒《いか》りに駆られながら、冷蔵庫をバタンと乱暴に閉めた。  それから居間に入り、 「殿下」 「うむ、なんじゃ?」  ふり返るバルシシアに陽子は、 「お部屋にもテレビあるじゃない。なんで下で見てるのよ」  なんだかいいがかりっぽいその言葉に対し、バルシシアは、 「こちらのほうが、画面がでかいのじゃ」と、こちらはなんだかいいわけっぽい。  実のところをいえば——  バルシシアは、ひとりでいることを好まない。まわりの者がいそがしく立ち働いている中でふんぞりかえっている、といった状況《じょうきょう》が、彼女にとっては最も望ましいのだ。  一方陽子にとって、それははなはだ面白《おもしろ》くない。バルシシアが部屋にこもっているならともかく、「そこにいるのに働かない」のは、なんだか自分が損をしているというか、馬鹿《ばか》にされているような気がしてくる。かといって、バルシシアになにか仕事をさせるには、こちらから下手に出て頼《たの》まなければいけない。それもなんだか癪《しゃく》だ。  そこで、 「殿下、あたしテレビ見るからどいて」といって、陽子はちゃぶ台についた。  バルシシアの部屋にテレビを置くにあたって、「居間のテレビは陽子に優先権があるものとする」というルールが設定されている。  だが、 「うむ?」  バルシシアはきょとんとした顔で、 「皿を洗うのじゃろ? 苦しゅうない。存分に洗うがよいぞ」 「それはあとにしたの」と陽子。 「おかしな奴《やつ》じゃの」  バルシシアはテレビに目を戻《もど》し、ちゃぶ台にほおづえをつきながら、 「こまーしゃるになったら代わってつかわすによって、そこで待っておれ」  陽子は「うん」とも「いや」とも答えず、む〜っと無言。 「……なにを怒《おこ》っておるのじゃ?」と、再びふり返るバルシシアに対し、 「……別に」ぷいと横をむく。  で。  忠介たちが帰ってくるのを待って、陽子は家族会議を招集した。  議題は「殿下にも、家の中のことをやってもらいましょう」。 「なんでわらわだけが」と口をとがらせるバルシシアに、 「だって……」と陽子。 「ミュウちゃんはまだ小さいし、大尉《たいい》はニャンコだし、教授は」  陽子はちゃぶ台に出されたペットボトルをちらりと見た。  黄緑色に発光する粘性《ねんせい》の液体——「教授」こと銀河連邦の〈教授21MM〉は、ボトルの中で、たぷんたぷぅん、と波打ちながら、 『おほほほほ、まろがどうかしたでおじゃるか?』 「……教授は、なんだかよくわからないし」と陽子。  とにかく、陽子にしてみれば、相手がカーツ大尉や〈教授21MM〉くらい人間ばなれしていれば、はなから「労働力」とは認識《にんしき》しないのだが、バルシシアはなまじ外見が地球人に近いだけに、「ただのなまけ者」に見えてしまうのである。  しかし、そういわれたところで、バルシシアは納得《なっとく》しない。 「わらわより先に、このくそ猫に芸のひとつもしこむがよかろう」  と、カーツを指さし、 「なにしろ食って寝ておるだけなのじゃから」  自分のことは棚《たな》に上げている。 『いや、それはちがうな、バルシシア』  ちゃぶ台の上に座り、背中の毛をくしゃくしゃにするミュウミュウの手を「ちゃいっ、ちゃいっ」と前足で牽制《けんせい》していたカーツが、きりっと顔を上げた。 『私はこの家庭におけるペットとして、他の構成員に対して貢献《こうけん》している。愛らしいしぐさによってみる者の心をなごませるほか、このように(ちゃいっ)毛皮をなでたりノミをとったりといった、さまざまな娯楽《ごらく》を提供しているのだ』  ——「ノミをとる」のって、「娯楽」なのかしら。  と陽子は思ったが、 「ノミとるの楽しいですよね」と忠介が相づちを打つので、口に出しそこねる。  一方、不満顔のバルシシアは、 「……わらわにシラミでも飼えと申すか」といって、頭をバリバリとかいた。「いっておくが、わが故郷の掘削《くっさく》ジラミにつかれた日には、貴様らのヤワな頭蓋骨《ずがいこつ》など一撃《いちげき》で貫通《かんつう》するぞ」 「そういうことじゃなくて——」  陽子の言葉を継《つ》いで、 「せっかくの殿下の力を、遊ばせておくのはもったいない、ってことだよね」と、忠介がいった。 「え……うん、そうそう。そういうこと」陽子が調子を合わせると、 「うむ? ……ふむ、『せっかくの力』」  バルシシアは腕を組んで、 「わらわに何をせよと?」さっそく機嫌《きげん》が直ったようだ。単純である。  だが—— 「それじゃあ、『大尉の世話』を殿下の担当にしましょう」  という陽子の提案に、バルシシアは猛《もう》反対した。 「なぜわらわがくそ猫のくその始末をせねばならんのじゃ!? くそ毛玉などは、くそにまみれておるのが似合いじゃ!」  バルシシアにびしっと指さされたカーツは、不満げな様子で、しっぽを座布団《ざぶとん》の上にぽすんと打ちつけた。 「くそくそって大声でいわないで」と、陽子。 「くそをくそといってなにが悪い」  陽子の表情が、むむ〜っと渋《しぶ》くなった。「宇宙人のことは宇宙人同士で片づけてくれれば」程度の思いつきだったが、そんないわれかたをすると、こちらも意地である。 「とにかく、決まりだから」といって、陽子はバルシシアをじろりとにらみつけた。  バルシシアは口をぱくぱくさせながら、忠介の顔をちらりと見た。  しかし、たのみの忠介は、助け船を出す代わりに、 「んんー、それ、いい考えかも」  普段《ふだん》は口も利《き》かないカーツとバルシシアが、こういうきっかけで仲よくなってくれれば、という理屈《りくつ》である。  だが——現在。  忠介が飛び散った猫糞を掃除し終えるころ、風呂から上がったバルシシアは宇宙人部屋に戻ってきた。 「いやあ、大|惨事《さんじ》でしたね」と、うんこの飛んだタンスに雑巾《ぞうきん》をかけながら、忠介。 『ふむ。もう少し、訓練の必要がありそうだな』と、カーツ。  カーツは長いしっぽをミュウミュウの前で、ぱたり、ぱたりとふっている。忠介の作業を邪魔《じゃま》しないよう、ミュウミュウの気を引いているのである。 「ふん」  バルシシアは「グロウダイン帝国領」のベッドの上にどさりと転がりながら、 「馬鹿馬鹿しい。なぜわらわがくそケダモノのくその始末をせねばならんのじゃ」 『その件については、君もすでに了解したはずだ』と、カーツ。  バルシシアは顔もむけずに、 「うるさい。貴様がくそなどたれねばよいのじゃ。尻《しり》の穴に栓《せん》でもしておけ」 『無茶をいわんでくれたまえ』  ……なにやら、余計に仲が悪くなりそうな雲ゆきである。  翌日、午後。  バルシシアは縁側《えんがわ》でカーツにブラシをかけていた。  元来、力かげんのたぐいが苦手なバルシシアは、カーツの体に血が出そうないきおいでごりごりとブラシを当て、毛がもつれて引っかかったりすると、力まかせにぶつんと引き切ってしまう。  ギャオッと跳《と》びはねたカーツが、顔を上げながら、 『もっとていねいにしてくれたまえ!』というと、 「うるさいわッ」  その首根っこを押さえ、さらにごりごりとブラシを当てる。  そこに、 「殿下、終わったら大尉のお皿洗ってね」と、サッシを開けながら、陽子。  バルシシアはむむ〜っと不機嫌な顔をすると、さらにブラシをごりごりごりごり。ギャオオオオ、とカーツ。  さて、それから。  バルシシアがカーツの餌皿《えざら》を洗い終えたころ、陽子の同級生の美咲《みさき》が龍守《たつもり》家を訪れた。  宇宙人がらみのごたごたで(というのは秘密だが)学校を休んでいる陽子のために、美咲はたびたび、学校帰りに授業のノートを持ってきてくれているのだ。  当初、 「コピーしてこよっか?」  と美咲はいっていたのだが、陽子はその申し出を断り、毎度、ちゃぶ台の上に自分のノートを広げ、生真面目《きまじめ》に手書きで写しをとっている。 「そうしないと勉強にならないでしょ」というのが理由のひとつだが、いまひとつには、美咲のノートが、コピーを見ただけでは意味がわからない、というのもある。  たとえば、先日見せてもらった日本史のノート。 『645年、大化のカイシン。アニキ&カマカマVSエミー&イルカ』あだ名で書かれても困る。  しかもその横には、 『イルカの必殺技はドルフィンキック』  などと、うそっぽい豆知識(イラストつき)がコラムになっていて、ますますわけがわからない。  ちなみに、このようなノートをとっている美咲が授業内容を理解していないのかというと決してそんなことはなく、 「『エミー』って、なによ」と聞くと、 「ソガノエミシって人」と、ちゃんと答えるし、そら[#「そら」に傍点]で「蘇我蝦夷」と書くこともできる。たしか、テストの成績もそれほど悪くなかったはずだ。  ——ひょっとすると、美咲ってすごく頭がいいのかも。  と、陽子は思う。  ——授業の内容を覚えちゃってるから、まともなノートをとる必要がないのかも……。  ま、それはさておき。  陽子は美咲の古文のノートを広げ—— 『ちょけり(自ラ変)——ちょけら/ちょけり/ちょけり/ちょける/ちょけれ/ちょけれ』 「この、『ちょけり』って、なに」 「あたしの考えた動詞でちょけり」  陽子は「う〜っ」とうなりながら、教科書とノートを突《つ》き合わせて、暗号解読のノリで授業内容を要約していく。  その様子を見ていた美咲は、しかし三〇秒で飽《あ》きて、テレビを見ているバルシシアにちょっかいを出し始めた。 「殿下〜、かまってン」  背中にしなだれかかる美咲を、どーんと突き放しながら、 「断る」とバルシシア。  他種族の者とほいほいとなれ合うのは好まない——と本人は主張しているが、要はバルシシアには、少々人見知りの気があるのである。それにまた、美咲の行動パターンは、バルシシアの苦手とする航海師ゼララステラに似たところがあるかもしれない。なれなれしいところとか。  ともあれ、バルシシアに押しのけられた美咲は、よろりら〜、と部屋の中を横断し、ぱたりと倒《たお》れながら、 「じゃ、大尉と遊ぽっと」  といって、部屋の隅《すみ》に積まれた座布団の上で丸くなっていたカーツのしっぽを、はっしとつかんだ。  それから、座布団に爪を立てるカーツをベリリと引きはがし、その両前足を持って立ち上がらせて、 「は〜ァ猫じゃ猫じゃ、猫じゃ猫じゃ」  と、でたらめな節をつけて歌いながら、よいよいよい、とおどらせる。カーツは目いっぱい不満な顔をするが、おかまいなしである。  バルシシアはそのさまをちらりと見ると、 「ふん、くだらん」  とテレビに目を戻し、一方陽子は、 「制服、毛だらけになっちゃうわよ」と、顔も上げない。 「……」  ふたりに無視された美咲は、よいよいよい、とカーツをおどらせながら、つまらなそうな顔。  それからしばらくして、 「殿下、殿下?」  とんとん、と、バルシシアの肩が叩《たた》かれた。 「……なんじゃ」  うるさそうにふり返ったバルシシアのほおに、美咲のもったカーツの前足の肉球が、うにゅっと押しつけられた。 「ぱ〜んち」 「……」  バルシシアの表情が、む〜っと渋くなった。  その鋼鉄の指がすっ[#「すっ」に傍点]と伸び、デコピンの要領でカーツの鼻先を弾いた。  カーツはギャオッとひと声鳴くと、美咲の手から身をもぎ離し、部屋中を駆け回り始めた。 「うっしゃっしゃっしゃ」と美咲が笑い、 「ふん」とバルシシアが鼻を鳴らし、 「もう、静かにしてよ」と、陽子がいった。  しばらくすると、カーツはテレビのうしろのすき間に逃《に》げこみ、そこに腰《こし》を落ち着けた。そして、 「大尉〜、おいで〜、遊ぼ〜」  美咲の猫なで声には聞く耳もたず、ぺろぺろと毛づくろいを始める。  すると——  美咲はどこからもってきたのか一メートルほどのひもを取り出し、 「にンにきにきにき、にンにきにきにき——」  と鼻唄《はなうた》を歌いながら、自前のハンカチに結びつけた。それから美咲は、ひもの端《はし》をもつと、テレビの台座と壁《かべ》のすき間に近い位置にハンカチを下ろす。即製《そくせい》のねこじゃらしである。 「にンにきにきにきにンにンにン♪」  カーツがハンカチに気づくのを待ってから、ぴくっ、ぴくっ、とひもを引っぱると、無関心をよそおいつつ横目でそちらを見るカーツの体が、ぴくん、ぴくん、と反応する。  ただ動かすのではなく、しばらくじっと止めたのち、カーツが興味《きょうみ》を失いかけた瞬間《しゅんかん》にちょっとだけ「ぴくっ」とやるのがコツである。それに応じるカーツの「ぴくん」は次第《しだい》に大きくなり、やがて、カーツはハンカチの見え隠《かく》れするすき間にむかってじりじりと近づき始めた。ちなみに、その挙動の一部始終は、壁に顔をつけるようにしてテレビの裏をのぞきこむ美咲につつぬけである。  一方、その美咲の尻がテレビの画面の前にせり出してくるのをぐい〜っと押し戻しながら、  ——また、つまらんことをしておる。  と、バルシシアは苦い顔をする。  やがて、 「それっ!」  というかけ声とともに、美咲は思いきりひもを引いた。はねるように動くハンカチを追って、カーツがテレビの陰《かげ》から飛び出した。 「あはははは、釣《つ》れた釣れた」  美咲が右に左にハンカチをあやつりながら移動すると、カーツはそれを追って部屋中をドダダダと駆け回った。タンスを駆け上り、ちゃぶ台の上を走り抜け、花瓶《かびん》をけたおし—— 「静かにしてったら!」という陽子を尻目に、 「うっしゃっしゃっしゃ」  と笑いながらハンカチをひざの高さでぴんぴん動かし、カーツをうにゃにゃにゃっ、とじゃれつかせていた美咲が、ふと、バルシシアの表情に目を留《と》めた。  いつの間にか、バルシシアは美咲のほうをちらちらと見ていた。口を半開きにしながら、ハンカチの動きを追って、体をわずかに泳がせている。  美咲が「うしゃっ」と笑いながら、顔の横にハンカチを持ち上げ、 「殿下もやる?」  というと、バルシシアはあわててむっとした表情を作り、 「ふん」畳の上にごろりと転がった。  夕方、美咲が帰るのと入れ替《か》わる形で、買い物に出ていた忠介(ミュウミュウつき)が帰ってきた。 「ふうん、美咲ちゃん、きてたんだ」 「大尉と大さわぎしてたのよ」と、ちらかった部屋を片づけながら、陽子。  座布団の上で丸くなっていたカーツはしっぽをひゅっとふり、 『やれやれ、道化をつとめるのも楽ではないよ』といった。  それを聞いて、 「うそをつけ。思いきり楽しんでおったくせに」とバルシシアが毒づくが、 『HA、HA! たまには童心に帰るのもいいものだな』と、カーツは照れもしない。 「ぬかせ」  バルシシアがごろりと転がると、丸まったハンカチが手にふれた。見れば、美咲の忘れていった、手製のねこじゃらしである。  ねこじゃらしを手にしたバルシシアが、なにとはなしにカーツのほうを見ると、こちらを見るカーツと目が合った。 「……ふん、くだらん」  バルシシアはねこじゃらしをぽいと放ると、ごろりと寝返りを打った。 「殿下、ちらかさないでよ」と陽子。  台所では、 『早く閉めるでおじゃる。まろはぬるまってしまうでおじゃる』 「いやあ、すいません」  などといいながら、忠介が夕食の食材を冷蔵庫に詰《つ》めている  やがて、居間に戻ってきた忠介は、スーパーのビニール袋から『月刊 猫と生活』の今月号をとり出しながら 「今月、トイレのしつけの特集だそうなので、買ってきました」 『私の排泄《はいせつ》行為《こうい》に問題はないはずだが?」と、カーツ。 「ええ、でも、殿下の意見も聞いて、もうちょっと相談してみましょう」  といって忠介は、にゅい、と笑った。  で、それから。  陽子が夕食の支度《したく》を始めると、忠介とカーツ、バルシシアの三人は、頭を突き合わせるようにして『猫と生活』誌に見入った。 「トイレの設置場所は、えー、うちの場合は『部屋の中』ですね。『お掃除のしやすさで選ぶなら、人間用のトイレや洗面所などが便利』だそうですけど、どうですか?」  日本語が読めるのは忠介だけなので、忠介がふたりに解説するような形になる。 「ふむ、くそをもって歩かずにすむのなら、それがよいな」 『私としては自国領内が望ましいが……よろしい、そこは譲歩《じょうほ》しよう』 「じゃ、一応トイレが第一候補ということで」  忠介は赤ペンで雑誌に印をつけつつ、 「あ、容器もいろいろあるんですね。大きく分けて、『固まる砂用』と『普通の砂用』——じゃあ、砂を先に選んだほうがいいですね」  と——  べろりべろりとページをめくる忠介の手を、「む、待て」と、バルシシアが制した。 「はい?」  指示に従って忠介が戻したページの、一葉の写真をバルシシアは指さした。 「これはなにをしておるのじゃ?」  写真の中では、一匹の猫が、人間用の洋式便器の便座の上に足を突っぱって、力んでいる。 「はあ、ええと——『猫ちゃんの中には、人間用のおトイレの使い方をおぼえてくれる子もいます』」 「それじゃ!」と、バルシシアはひざを打った。  で。  忠介、バルシシア、陽子、ミュウミュウの立ち合いの下、カーツは人間用トイレの使用を試みた。  便座の上に飛び乗り、ふらふらとバランスをとりながら足を踏《ふ》み換《か》え——  ドボン、ギャオオオ![#「ドボン、ギャオオオ!」は本文より1段階大きな文字]  数分後、「はっはっは」と笑う忠介にタオルでふかれながら、 『まったくもって、ナンセンスだ』と、カーツはいった。 「殿下、『できないときには、無理《むり》強《じ》いはいけませんね』って書いてあるけど……」  と、『猫と生活』を広げながら、陽子はバルシシアの表情をうかがった。  だが——多少は残念そうな顔をするかと思ったバルシシアは、気にした風もない。むしろ楽しげに、にやにやと笑っている。 「どうするの?」 「知れたことよ」  バルシシアはにたりと笑い、 「特訓じゃ!」といった。 『特訓——特別訓練、ということかね?』 「うむ。なに者であれ、得手不得手というものはあろう。だが、不得手なることなればこそ、特訓をもってそれを乗り越えねばならぬ」  バルシシアは、遠い目をしながら天井《てんじょう》を見上げた。 「わらわもまた、幼きおりには、母上やふたりの姉上らによって、それはきびしいしこみを受けたものじゃ……」  そして、全身をぶるぶるっとふるわせて、 「……あのときは、死ぬかと思うた」  それからバルシシアは、カーツにむき直ると、 「そういうわけじゃから、特訓はよいものじゃ」 「なんでそうなるのよ」と、横から陽子。 「よいものはよいのじゃ」  この瞬間、バルシシアは決して悪意でいっているわけではない。この「昔、自分がひどい目にあったので、ほかの者もそうしたほうがよい」という発想は、グロウダインの体育会系的文化の表れだ。グロウダインに限らず、世の文化とか伝統とかいったものはおおむねこうして保たれるものであって、これをいちがいに「悪い慣習」と決めつけるべきではない。  が——往々にして、当事者にとってそれは単なる災難である。 『その必要はないだろう』カーツはぱたりとしっぽを鳴らし、『私は連邦宇宙軍特務監察官として、しかるべき技能はすでに習得している』 「む」  バルシシアが顔をしかめ、 「手前のくその始末もできぬのじゃから、特務なにやら[#「特務なにやら」に傍点]とやらも知れたものじゃな」と、毒づいた。 『そうではない。この惑星《わくせい》上に、適切な生活|環境《かんきょう》が用意されていないのだ』 「それ、そこじゃ」と、バルシシア。「貴様ら連邦のふぬけどもは『あれが足りぬ、これが足りぬ』とふたこと目にはいいわけをしよる。足りぬ足りぬは根性が足りぬのじゃ」 『君たちといっしょにしてもらっては困る。こうした問題に対しては、意志力のみならず、知性をもって解決に当たるべきだ』 「ほほう」バルシシアの目が、すっと細まった。 「わらわは致《いた》し方《かた》なしと思えばこそ、このような屈辱《くつじょく》に甘んじておるに。わが手をくそにまみれさせておるは、貴様の『知性』とやらによる裁量じゃとぬかすか」 『ふむ……そうはいわん』  カーツは長いしっぽをヘビのようにくねらせながら、 『なるほど、確かに私の訓練課程において、このような原始文明下における長期行動は想定されていなかった。それは認めよう。この状況には、柔軟《じゅうなん》に対応する必要があるかもしれん』 「そうじゃろうて」  バルシシアはとがった歯をむき出して、にかりと笑った。  その夜—— 「それそれ、どうした! バランスをとるのじゃバランスを! 頭をふらつかせるな! わきを締《し》めよ! ひざの力をぬけ! 腰が高ァい!!」  トイレから風呂場にまで響いてくるバルシシアの大声を聞きながら、忠介は、 「いぃ〜ち、にぃ〜い」と数を数えつつ、ミュウミュウを肩までお湯につけていた。  と。  バルシシアの声が、不意に聞こえなくなった。  忠介が思わず耳をすますと——  ドボン、ギャオオオ![#「ドボン、ギャオオオ!」は本文より1段階大きな文字]  数秒後、ずぶぬれのカーツを引っさげたバルシシアが、ドバーンと風呂場に入ってきた。  バルシシアは忠介にむかってずいとカーツを差し出し、 「カカ! くそ猫め、手前のくその上に転げ落ちよったわ!」  さも愉快《ゆかい》そうにそういうと、ジャージの腕をまくり、カーツに洗面器でお湯をぶっかけて(ギャオオ!)ガシュガシュと洗い始めた。  カーツの体に猫シャンプーをブチューとかけながら、 「猫よ、明日また続きをやるぞ。心しておけ!」と、バルシシア。  ギャオオオオ、と、カーツは答えた。  バルシシアはカカカと笑い、 「まっこと、特訓はよいものじゃのう!」  といって、さらにカカカカカ、と笑った。  ガシュガシュガシュガシュギャオオオ! というその光景を見ながら、 「うーん」と忠介はいい、 「ミュウ?」と、ミュウミュウがその顔を見上げた。  いや、「これでいいんだろうか」という気もしないではないが、  ——まあ、仲がよくなったのはなによりだなあ。  と、忠介は思った。 [#改丁] [#挿絵(img/D-hp12_112.jpg)入る] [#改丁] 3  『ドッグファイト!』  特務|監察《かんさつ》官カーツ大尉《たいい》の存在は、地球と呼ばれる辺境|惑星《わくせい》上で終わりを告げる。  その最後の戦いは、熾烈《しれつ》なドッグファイトだった。  一団の仔猫《こねこ》たちが、訓練場のトラックを駆《か》ける。  ゴムボールのかごを坂道にぶちまけたように、はずみ、転がり、ぶつかり合いながら、一六匹の仔猫たちは駆けていく。夢中になるあまりトラックを外れ、ぶつかり合った拍子《ひょうし》にとっくみ合いを始める仔猫たちを、教官の大きな手がやさしく持ち上げ、そっとコースに戻《もど》す。  カーツは仲間たち——同じ人工子宮群から生まれた、一五匹の兄弟たち——に目もくれず、青い閃光《せんこう》のように集団のトップにおどり出た。  ——いっとうになったら、ごほうびがもらえる。  それは合成マタタビのパックであるかもしれないし、カツオブシ・スティックであるかもしれない。あるいは、のどをなでる教官の手や、「えらいぞ」というただひとことであるかもしれない。  ——ごほうびはなんでもいい。ぼくはいっとうになる。  幼いカーツは、自分がただ名誉《めいよ》のために走っていることを意識してはいない。それは、ほこり高いク・ドランの遺伝子に刻みこまれた、本能的な行動だ。  カーツはさらにスピードを上げた。  同系統の遺伝子をもとに、同規格の子宮から同時に生まれたにもかかわらず、彼らの個性や能力には、いくぶんかのばらつきがあった。  カーツは誰《だれ》よりも小さかったが、誰よりもすばやかった。ハンティングにおいても格闘《かくとう》においても、自分の倍も体重のある兄弟たちと、互角《ごかく》以上に渡《わた》り合った。あいつらはみんなのろまだし、いくじなしだ。ぼくのてきじゃない。  例外は、ただひとり。  カーツの横から、真っ赤なつむじ風のように、一匹の仔猫が飛び出した。  赤毛のケイトだ。  ケイトはカーツをふり返ると、大人びたしぐさでしっぽをひゅっとふった。 『おさきにしつれい、おチビさん!』  ——なんだって!?  カーツはケイトを追って、さらにスピードを上げた。そして、コーナーの内側から強引《ごういん》につっこみ、ケイトの横腹に突《つ》き当たった。  ケイトは一瞬《いっしゅん》進路をふらつかせたが、すぐに復帰し、 『なにするのよ!』と叫《さけ》んだ。 『うるさい! さっきのをもういちどいってみろ!』  カーツはケイトに並んで走りながら、 『……ぼくよりしっぽが五ミリながいだけのくせに!』  そういって、再び体当たり。二匹はもつれ合いながら転倒《てんとう》した。  ケイトはすばやく受け身をとって起き上がり、立ちおくれたカーツを両前足で組みしいた。 『きこえないなら、なんどでもいってあげるわ! このチビ! チビチビチビのおおチビすけ——ギャウ!!』  カーツがケイトのしっぽにかじりついた。 『なまいきなおんなめ! ごじまんのしっぽをはんぶんにつめてやるぞ!!』 『やったわね、この——」  赤と青、二匹の仔猫は、紫色の毛玉のようにはげしくからまりながら、かみつき合い、引っかき合い、猫キックを応酬《おうしゅう》した——教官の大きな手が、彼らをやさしく引きはなすまで。  人工照明のやわらかな光。あたたかな、いいにおいのする空気。  ゆりかごの中の闘争は、ミルク色の思い出だ。  龍守《たつもり》家のむかいの郷田荘《ごうだそう》の玄関先に、一台の機械が停《と》められている。まるで、真っ赤な冷蔵庫に手足を生やしたような姿のそれは、陸上自衛隊の装備品、00[#「00」は縦中横]式|装甲《そうこう》戦闘服だ。  その00[#「00」は縦中横]式の、午前の陽の光にほどよくあたためられた装甲の上に横たわり、カーツ大尉はゆったりとまどろんでいた。  カーツに背をむける形で、ひとりの巨漢が体操をしている。赤い00[#「00」は縦中横]式の主《あるじ》、陸自の対エイリアン部隊・倉本《くらもと》小隊に所属する、手力《たぢから》曹長《そうちょう》だ。  数日前、グロウダインの一団が居留する郷田荘の一室に、手力は越《こ》してきた。倉本小隊の代表として、グロウダインの身の回りの便宜《べんぎ》を図《はか》る窓口の役目をはたすためである。  もちろん、グロウダインや龍守一家に対する警戒《けいかい》の意味もあるのだろうが、手力の屈託《くったく》のない人がらは、その種の任務について回る不穏《ふおん》な印象を感じさせない。 「イッチ、ニッ、サンッ、シッ、ゴオッ、ロック、シチッ、ハチッ」  タンクトップに短パンといういでたちの手力は、根が生真面目《きまじめ》なのか、ひとりでかけ声を出しながら、ぴしっぴしっと手足を動かしている。  手力の背を漫然《まんぜん》とながめながら、カーツは今しがた夢うつつに思い出していた光景を吟味《ぎんみ》した。あれは基礎《きそ》訓練課程の記憶《きおく》——おそらく、このやわらかな陽光と、風のにおいのせいで喚起《かんき》されたものだろう。  彼が幼年期をすごした保育設備。ク・ドランの体質に合わせて調整されたそれに、この惑星の風土は酷似《こくじ》している。凍《い》てつく宇宙のただ中に浮かぶ、天然のゆりかご。あまりにも、あまりにも快適だ。  同時にそれは、彼に兄弟たちのことを思い出させる。彼とともに〈リヴァイアサン〉捕獲《ほかく》作戦のために育成された、一五匹の仔猫たち。  パイロット適性をもつク・ドランに、高機動装備のマルチプル・タスク・システムと、銀河連邦領内のあらゆる自治宙域を横断できる監察官権限、すなわち、物理的かつ法的な最大限の機動力を与え、銀河最速にして最強の超存在〈リヴァイアサン〉を追跡・捕獲させる——その作戦における唯一《ゆいいつ》の成功例がカーツであり、この地球という惑星であり、ミュウミュウと呼ばれる〈リヴァイアサン〉の幼体だ。  いや、はたして成功といえるのかどうか——それはまだ、わからない。  いまだミュウミュウに対し「保留状態」の態度を保つ「人類の守護者」〈キーパー〉は、ミュウミュウを「非人類」と判断すれば、即座《そくざ》にこの星系もろともミュウミュウを焼却《しょうきゃく》しようとするだろう。  この近隣《きんりん》の星系の多くが、そのようにして破壊《はかい》された。〈リヴァイアサン〉の幼体と、おそらくは、それを追うク・ドランたちとともに。  彼ら兄弟は超新星爆発のエネルギーの奔流《ほんりゅう》に呑《の》まれ、今、自分ひとりがこの惑星の大気越しの、あたたかな光に包まれている。  まったく、なんという快適さだ。  カーツはころりと寝返りを打ち、それから目を細め、のどを鳴らした。だが、その音には若干《じゃっかん》の苦い響《ひび》きが混じっていた。  と——  カーツの耳が、ぴくりと動いた。  龍守家の玄関から、カロカロと鉄|下駄《げた》の音が聞こえてきた。  手力の体操をしっぽをふりながら見ていたジロウマルが、音のほうにむかって、 「オンッ」と吠《ほ》えた。 「イッチ、ニッ、サンッ——おっ、これは皇女《おうじょ》殿下《でんか》。おはようございます」  龍守家の玄関から出てきた、ジーパンに鉄下駄姿のバルシシアを認めると、手力はまるで、体操の動作の一部のように、ぴしっと敬礼した。 「苦しゅうない、続けよ」と、バルシシアはいった。 「はっ、それでは失礼して——ゴオッ、ロック、シチッ、ハチッ」  先日、マルタンデパートで互いに死闘を演じた手力に対し、バルシシアは悪感情をいだいてはいない。おのれの実力とともに敵に対する尊敬をもしめし、しかも恐《おそ》れや媚《こ》びを見せることがない。手力のそうした性格は、グロウダイン的見地からしても、好ましいものである。そもそも、この辺境惑星の上にあって、まがりなりにも星間帝国の帝位|継承《けいしょう》候補者《こうほしゃ》たるバルシシアに対しまともな敬意を払っている者は、この男だけではないか。 「ヘッハッハッハ」 「うむ、苦しゅうないぞ」あとジロウマルも。  手力は両手を大きく空に伸ばしながら、小さな頭だけを横にむけ、 「本日は、どちらにお出かけでありますか」と、バルシシアにいった。 「いや……」  バルシシアは周囲にちらりと目を走らせると、 「猫の奴《やつ》めを見なんだか?」 「はっ、大尉どのはあちらに」  と、00[#「00」は縦中横]式のほうをふり返った手力が、 「おや?」といった。  つい先ほどまで00[#「00」は縦中横]式の上にだらりと寝そべっていたカーツは、影も形もない。 「……逃《に》げおったか、くそ猫」  バルシシアの目が、刺すような光を宿して細められた。手力の動きを片手ををあげて制し、鋭敏《えいびん》な感覚をさらにとぎすませ、狩人《かりゅうど》の目を周囲にめぐらせる。  その視線が、ある一点で止まった。  バルシシアはノコギリのような歯をむき出してぎらりと笑うと、 「そこじゃあっ!」  郷田荘の前庭に飛びこみ、軒先《のきさき》に張り出した縁台《えんだい》を一足に踏《ふ》み抜《ぬ》いた。  ギャオッとひと声鳴いて縁台の下から飛び出したカーツが、ブロック塀《べい》を駆けのぼり、苔《こけ》むした上面に脚をすべらせ、反対側にどてっと落ちた。  すると、 「バウッ!」  郷田荘のとなりの中野《なかの》さんの家の庭には、体重が三〇キロもあるでかいブルドッグが放し飼いになっている。  とげとげの鋲《びょう》を打った首輪に、凶悪《きょうあく》な面構《つらがま》え。昔の漫画か外国のアニメに出てくる、泥棒《どろぼう》の尻《しり》に噛《か》みついてズボンを破ってしまったりする、ああいう感じの犬だ。  名前はブル。まんまである。  ちなみに、その外見から獰猛《どうもう》なイメージをもたれがちなブルドッグは、実際には、ここ百数十年の間に穏《おだ》やかな性格に改良されてきた犬種である。  ……が、中野家のブルは性格も見た目通りに獰猛で、一般に動物には好かれるたちの忠介《ただすけ》までが、 「いやあ、ブルは凶暴だよね」というくらいだから、相当なものである。  なんでも、なでようとして手を噛まれたことが、今までに五回あるとかいう話。  しかし、これはどちらかというと忠介の側の問題かもしれない。忠介はその話をした時、「少しは学習しろ」と清志《きよし》にいわれた。それから憲夫《のりお》には「バカかおまえは」といわれた。  それはさておき—— 「バウバウッ! バウバウッ!」 「ギャオオオッ!!」  カーツとブルは、まるで『トムとジェリー』みたいに庭中を駆け回った。うそか本当か、ブルはそのするどい牙《きば》で(それはもう、手のひらに穴が空くぐらいするどい)庭に迷いこんできた野良猫を噛み殺したことがあるという。これは洒落《しゃれ》にならない。  ブルに追われながら、植木|鉢《ばち》を蹴倒《けたお》し、庭木の周りををぐるぐる回って再び最初の落下地点に戻ったカーツは、塀にむかってジャンプした。だが、高度が足りない。カーツは両前足をかろうじて塀の上にかけ、後ろ足でがりがりとブロックをかいた。  その尻にブルの牙が食らいつこうとした時——  バルシシアの手がカーツの首根っこをつかみ、ひょいと持ち上げた。 「なにをしておるのじゃ、貴様は」  バルシシアは塀にもたれ「バウバウバウッ!」と躍《おど》り上がるブルの上で、ギャワワとあばれるカーツをぶらぶらとふった。 「特訓の時間じゃぞ」  カーツの態度いかんによっては、このまま落としてやろうという構えだ。  前門のバルシシア、後門のブル。カーツは観念してぷらりと力を抜いた。  バルシシアは満足げにふふんと息をもらし、手力にむかって、 「邪魔《じゃま》をしたの」  といって手をふると、カーツを片手で引っさげ、龍守家にむかってガロンガロンと歩いていった。  と、その時。  敬礼してバルシシアの姿を見送る手力の腰で、ぶるるるる、と携帯電話がふるえた。  同時に、赤い首輪につけられた金色の〈ベル〉がキンと音を立て、カーツがバルシシアを見上げた。 『……すまないが、自主トレーニングをしているひまはないようだ』 「なに?」 『〈アルゴス〉から連絡《れんらく》が入った。この星系に正体不明の界面下航行体がむかっている。様子を見てこなければならん』 「なんじゃ、またか」  といって、バルシシアは手力の方をちらりと見た。手力は携帯を相手にふた言三言言葉を交わしたのち、 「——はっ、了解《りょうかい》です」  といって携帯を腰のホルスターに戻し、 「こちらも同様の指示を受けました。他のみなさんには、龍守家で待機をねがいます」と、バルシシアにいった。 「ふん」  バルシシアの手が、カーツをつかんだまま、無造作にふり上げられた。  くるりと回転しながら屋根よりも高く放り上げられたカーツを見上げ、 「早うすませてくるがよい!」と、バルシシアはいった。 『了解だ——〈スピードスター〉!!』  龍守家のベランダから飛んできた銀色の流線型をした物体が、カーツの体を放物線の頂点でキャッチした。  銀色の物体——|MTS《マルチプル・タスク・システム》〈スピードスター〉のコアユニットは、〇・五秒ほど滞空《たいくう》してカーツの体を格納すると、東の空にむかって急加速。ギュン、と空気を切り裂《さ》く音を残し、一瞬にして視界から消えた。 〈スピードスター〉はまず地上に隠《かく》してあったハイパードライブの一基とドッキングしたのち、大気圏《たいきけん》を離脱《りだつ》。さらに、衛星|軌道《きどう》上に待機する九基のドライブを始めとする装備群を回収し、〈アルゴス〉からの情報|支援《しえん》を受けつつ未確認航行体との接触《せっしょく》コースに乗った。  航行体は約二〇光速の速度で地球にむかっている。先日の〈マッパー305〉と同等のスピードだが、そのサイズは明らかに小さい。  そして、航行体は識別信号を発していない。つまり、所属不明の宇宙艦か、あるいは〈リヴァイアサン〉や〈マッパー〉のような恒星《こうせい》間生命体か……いずれにせよ、地球への接近を許すのは危険だ。 『この宙域を航行中の航行体、応答せよ——』  セオリー通りに共用周波数帯で呼びかけつつ、カーツはハイパードライブの一基の切りはなしをコマンドした。  水銀の粒が分裂《ぶんれつ》するように、〈スピードスター〉の流線型の機体の一部が、液体装甲の鏡面をゆがめながら分離した。最悪の場合、このドライブを衝突《しょうとつ》させ、航行体を撃沈《げきちん》することも辞さないつもりだ。  無論、このパワーバランスをあやうく保つ星系にあっては、些細《ささい》な判断ミスが破局の引きがねとなる。ぎりぎりまで状況《じょうきょう》を見極《みきわ》めてからのことになるが——  しかし。  切りはなされたドライブが突如《とつじょ》として回転数を上げ、ミサイルのように飛び出した。  それだけではない。残る九基のドライブも、カーツの意志とは無関係に、一斉《いっせい》に切りはなされ、コアユニットを置いて飛び出していく。  外部からの割り込《こ》み——おそらくは例の航行体からのものだ。  通信のためチャンネルを開放していたカーツにも油断があった。だが、MTSの暗号化された遠隔《えんかく》操作コマンドを、どうやって偽装《ぎそう》したのか。  航行体が突如としてコースを変えた。地球への予測進路から、ほとんど直角に加速する。〈スピードスター〉のハイパードライブ群も、それを追う形でコースを変えていく。  カーツは即座にドライブの一基のコントロールを奪《うば》い返すと、再結合。航行体を追って加速しながら、その姿を電子的に凝視《ぎょうし》した。  その「視線」を意識してか、航行体はカーツを挑発するように——尻をふるように蛇行《だこう》したかと思うと、さらに加速した。  ——なるほど、そういうことか……!  のどの奥《おく》から狩人の唸《うな》りをもらしつつ、カーツは航行体にむけて、圧縮したコマンドを打ちこんだ。すると、〈スピードスター〉と同様に、航行体は水銀の粒のように弾《はじ》けた。航行体はMTS——〈スピードスター〉と同型の高|汎用《はんよう》機動システムなのだ。  カーツの介入《かいにゅう》によってハイパードライブを強制的に切りはなされ、一時的に推進力を失ったMTSに対し、〈スピードスター〉は急速に距離を詰《つ》めていった。二機のMTSは二十数基のハイパードライブをともない、界面下空間にいく重《え》もの螺旋《らせん》の航跡を描《えが》いて飛びながら、はげしい電子戦を展開した。通信波の周波数を刻々と変えながら、互いのコマンドを論理的にブロックし、あるいはそのブロックを迂回《うかい》し、併走《へいそう》するドライブの指揮《しき》権を奪い合う。  やがて、〈スピードスター〉がMTSに追いつくと、MTSの液体装甲の中から、Cプラス機関|砲《ほう》の六重砲身が突き出た。敵機からのロックオンを告げる警報が、身体感覚に翻訳《ほんやく》され、カーツの背筋を疾《はし》った。  だが—— 『HA、HA、HA!』  砲口の凝視を受け止めながら、カーツはさらにMTSに肉迫《にくはく》し、まぎれもない歓喜《かんき》の響きをともなった波長で呼びかけた。 『〈スピードスター〉から〈クイックシルバー〉へ——冗談《じょうだん》はそのくらいにしておきたまえ!……さもないと、ご自慢のしっぽを半分に詰めてやるぞ!!』  その日の午後—— 〈アルゴス〉の鈴木《すずき》が天井《てんじょう》にむけてぽわっとタバコの煙《けむり》を吐《は》き、 「……つまり、あんたのご同輩、ってことか」  といった。 『その通り』と、カーツは答えた。『彼女はケイト少佐、私と同じ、銀河連邦軍特務監察官だ』  そういってカーツが紹介したのは、一匹の牝猫《めすねこ》だ。カーツと同じくらいの大きさだが、ちゃぶ台の上に並ぶと、こちらはやや細身であることがわかる。体毛は鮮《あざ》やかな赤色。青い首輪に、カーツと同じ金色の〈ベル〉をつけている。  ちゃぶ台を囲む形で座る一同——龍守忠介、龍守|陽子《ようこ》、ミュウミュウ、バルシシア、鈴木、手力——それから、ペットボトルに入った〈教授21MM〉を見回し、 『よろしく、みなさん』といって、ケイトはしっぽをひゅっとふった。 「いやあ、どうもどうも」 「ミュウ」 「はっ」  忠介とミュウミュウが頭を下げ、手力が敬礼した。が、他のいく人かは、むっと不満げな顔をしている。 「この星にくるなとはいわんが——」と、一同を代表して、鈴木がいった。「事前に一報は欲しいところだな」  カーツだけではない。〈アルゴス〉の全システムが、未確認航行体——ケイトのMTS、〈クイックシルバー〉——への対応に力を割《さ》かれたのだ。彼らが相手にしなければならないのは、そうしたUFOだけではない。地球社会内部への各種働きかけや情報管理、〈青い地球〉を始めとする敵対勢力への牽制《けんせい》など、重要事項は山ほどある。警戒体制をとる間、それらへの対応が手薄《てうす》にならざるを得ない。  しかし—— 『報告の義務はありません』  ケイトはぱたりとしっぽを鳴らすと、あごをつんと突き上げた。 『私たち特務監察官は、連邦領内における最大限の行動の自由を保証されています』 「なによ、それ」と、陽子がいった。買い物の途中《とちゅう》で家に呼び戻されたので、機嫌《きげん》が悪い。しかもまた、例によって居候《いそうろう》が増えそうな雲ゆきである。 『ここは連邦領ではない』と、カーツがいった。 『この星系は、中立地帯であり、緩衝《かんしょう》地帯であり、臨界寸前のノヴァ爆弾を収めた火薬庫なのだ。われわれは互いの陣営《じんえい》の利害や文化的|禁忌《きんき》に抵触《ていしょく》しないよう、最大限の注意を払う必要がある。ケイト、君は——』 『あなたの命令を受けるいわれもないわ、大尉[#「大尉」に傍点]。それより、お部屋に案内してくださる? 長旅で疲《つか》れているの』  ケイトはちゃぶ台から飛び下り、しっぽをひゅっとふった。 『それでは失礼、みなさん』  カーツがケイトを追って居間を出ていくと、 「なんなのじゃ、あ奴は!」と、バルシシアが聞えよがしの大声でいった。  いつもなら、バルシシアのそうした態度をいさめる陽子も、今日はむっとした表情のまま黙《だま》っている。 「……まあ、カーツが増援を要請《ようせい》しているって話は、前からあったがな」と、鈴木がいった。 「えーと……じゃあ、教授はあの人のこと知ってたんじゃないですか?」  と、ペットボトルを見ながら、忠介。超知性をもつアメーバ状生物の〈教授21MM〉は、地球‐銀河連邦間のテレパシー通信機の役目をになっているのだ。  はたして、 『当然でおじゃる』と、〈教授21MM〉は答えた。 「では、なにゆえにさっさといわんのじゃ」 『べつに聞かれなかったでおじゃる』と、教授。 『そもそも、まろはそのような瑣末《さまつ》なことには興味がないのでおじゃる。しもじものことは、しもじもでよきにはからうがよいでおじゃる。おほほほほ』 「なんじゃとこの——」  バルシシアの言葉をさえぎって、陽子がペットボトルを持ち上げた。そして、むむ〜っとした表情のまま、両手でしゃぼしゃぼしゃぼしゃぼ。 『ああっ! ふってはいかんでおじゃる! ふってはいかんでおじゃる!』  ケイトを案内した二階の宇宙人部屋で、 『どうやら、少々いたずらがすぎたようだな』  と、カーツはいった。 『地球側の対応力をこの目で見ておこうと思ったのよ』と、悪びれた様子もなく、ケイトは答えた。『あなたが出てきたのは意外だったけれど。仲よくやってるようじゃない』 『ふむ……だが、いらぬ刺激はさけてもらいたい。先にもいったが、この星系はきわめて微妙《びみょう》な状況下にあるのだ』 『あら』と、ケイトはいった。『ハイパードライブをさらに一四基、対艦武装一式に、対地抑止力《ダモクレス》ユニット——私はあなたが申請した通りの追加装備を持ってきたわ。……これが「刺激」ではないというの?』 『リスクは最小限に留《とど》めるべきだといっている』 『あなたの命令は受けません。私たちはともに同等の監察官権限をもち、さらにいうなら、今の私はあなたの上官に当たるのよ』 『その通りだ、ケイト。だが現場の判断は——』 『ああ、それから』ケイトは長いしっぽをひゅっとふり、『私のことは「閣下」と呼んでくださる?』といった。  カーツはしっぽをぱたりと鳴らし、 『……了解しました、閣下』といった。  それから、段ボールにバスタオルを敷《し》いた寝床を鼻先でしめし、 『ベッドはこちらでございます、閣下。トイレは一階にございます、閣下。粗相《そそう》などなされませぬよう、閣下』  そういって、部屋を出た。  そして——  ——なぜ、こうなってしまうのか。  ひとり階段を降りながら、カーツは考えた。  ——再び会えたなら、他にいうべきこと、いわねばならないことが山ほどあったはずだ。つまらないことで意地を張ってどうする。  ケイトは決して無能でもわからず屋でもない。それはカーツ自身がよく知っている。そもそも、無能な者が特務監察官の黄金の〈ベル〉を身につけることはありえない。だが……自分に対して見せる、あの愚劣《ぐれつ》ぶりはどうだ!  それはまた、自分自身にもいえることだ。  昔からそうなのだ。自分たちは、顔をつき合わせれば必ず、生後一ヵ月の仔猫に退行してしまう。  ——まったく、なぜ、いつもこうなってしまうのか。  カーツはおのれの問いに対する答えを、すでに心の中にもっていた。  それは、彼らふたりが、あまりにもよく似ているからなのだ。  さて——  カーツらが二階にいる間に、鈴木と手力は帰ったようだ。  カーツが一階に下りると、台所から、陽子と忠介の話し声が聞こえてきた。  なにやら、買い置きの「猫缶のいい奴」こと「ネコスキー・スペシャルゴールド缶」を下ろすかどうかでもめているようである。 「いやあ、だってお客さんだし……」という忠介に、 「あの人もどうせ居候になるんでしょ。もったいないからダメ」という陽子。  加えて、 「貸せ! そんなものはわらわがひと口に片づけてくれるわ!」 「ギギッ!?」  という、居間からの声を聞きながら、カーツは台所に入っていき、 『彼女は同居人にはならない』といった。『できる限り、早急に帰ってもらう』 「あ、そうなんだ」  陽子の表情が、ぱっと明るくなった。 「おニイ、やっぱいちばんいいの出して」現金なものである。 「はあ」  忠介はカーツの気の浮かない様子がちょっと気になったのだが、  ——とりあえず、陽子の機嫌が直ったのはよかったなあ。  と思った。  もっとも、せっかく直った陽子の機嫌は、夕食の際の、 『まあ、代用食としては、我慢《がまん》できなくもないわね』  というケイトのコメントによって、再びぶち壊《こわ》しになるのだが。  翌日、カーツの案内のもと、ケイトは地球のいくつかの地域を視察した。 〈アルゴス〉の施設《しせつ》のいくつかと、倉本小隊の所属する駐屯地《ちゅうとんち》。自前のMTSを使用しているので、移動はすみやかだ。半日ほどで外回りを終えたふたりは、次いで龍守家を中心とするカーツのテリトリーを散策し、やがて、龍守家の前に戻ってきた。  むかいの郷田荘の前で、赤い00[#「00」は縦中横]式にホースで水をかけて洗っていた手力が、 「おっ、少佐どのに大尉どの、お帰りでありますか」といって、敬礼した。 『うむ』  カーツはしっぽをふって答礼し、郷田荘に歩み寄った。 「ヘッハッハッハ」  犬小屋から出てきたジロウマルが、大きな鼻づらを寄せてカーツの顔をなめた。それから、ケイトの体をふんふんと嗅《か》ぎ、「シャッ」と威嚇《いかく》されて、ぴゃっと跳《と》びすさった。  洗車用具を片づけ、00[#「00」は縦中横]式を定位置に戻した手力が、 「では、ごゆっくり」  といって奥に引っこむと、カーツは待機姿勢の00[#「00」は縦中横]式に飛び乗った。00[#「00」は縦中横]式の上部装甲は、カーツのお気に入りの休憩所《きゅうけいじょ》なのだ。  ケイトがカーツに続き、ふたりは並んで丸くなった。やわらかな熱をはらんだ装甲の上で、わずかに残った水滴が急速にかわいていく。  ぬれた地面から立ち上る土の匂《にお》いに鼻をひくつかせながら、ケイトはいった。 『ここはいいところね。まるで——』 『ああ』と、カーツは答えた。多くの言葉は必要なかった。  ケイトは軽く伸びをすると、空を見上げ、ほおひげを微風にそよがせた。 『私も、しばらくこの星で羽根を伸ばそうかしら』  しかし—— 『それはお薦《すす》めしかねますな、閣下[#「閣下」に傍点]』と、カーツはいった。『この惑星は、見た目よりもずっと多くの危険をはらんでいる。早急に立ち去るのが賢明《けんめい》だ』 『まあ!』と、ケイトはいった。『そういうあなたこそ、さぞかし賢明でいらっしゃるんでしょうね!』  ケイトは00[#「00」は縦中横]式から飛び下り、小走りに遠ざかった。 『待て、ケイト』と、カーツがいった。  ケイトは前庭の端のブロック塀に飛び乗りながら、 『お伴《とも》は結構! この周囲の地理は、もう把握《はあく》したわ』 『そうではない——その塀を越えるな!』 「バウッ!」  塀の真下から急に吠えかかられ、ケイトは思わずバランスをくずした。その足元で苔むしたブロックがすべり、ケイトは塀の内側に転落した。 『ケイト!』  地上では、巨大なブルドッグ——中野家のブルが、地獄の入口のような真っ赤な口を開けて待ちかまえていた。地上に落ちた彼女の後ろ足を、刃物のようなするどい牙がとらえた。 「ギャウッ!!」ケイトののどから、獣《けもの》の悲鳴がもれた。  ブルドッグは左右に首をふってケイトの体をふり回し、放り上げた。宙を飛び、地面に叩《たた》きつけられたケイトは、反射的に半身を起こした状態で硬直した。激痛が思考力を弾き飛ばし、恐怖が行動力を吹き飛ばしていた。  唇《くちびる》をめくり上げ、むき出した牙のすき間から腐臭《ふしゅう》のする呼気とよだれ混じりの歓喜の唸りをもらしながら、ブルは頭を低くし、後ろ足をばねのようにたわめた。獲物に跳びつき、ひと噛みで仕留めようという姿勢だ。ケイトの全身の体毛が、恐怖に逆立った。  その時、 「シャ——————————ッ!!」  塀の上から、はげしい威嚇の声が投げかけられた。  ブルの視線がケイトからそれた瞬間、声の主——カーツは、 『走れ、ケイト!』と叫んだ。  だが、ケイトは混乱し、行動に躊躇《ちゅうちょ》した。  ブルの意識は再びケイトにむけられた。塀の上の青猫は脅威《きょうい》ではない。まずは確実に仕留められる獲物から——  しかし、ブルはカーツを見くびっていた。 「ジャアッ!!」  カーツは四肢《しし》の爪《つめ》をいっぱいに伸ばしながら、ブルの背の上に飛び下りた。同朋《どうほう》を守るために自らの命を賭《と》すことに対し、〈|黄金のベルの男《マン・オブ・ザ・ゴールデンベル》〉はためらうことがない!  カーツはブルの背に爪を立て、首筋にかじりついた。ブルは体をひとふりして、カーツをふり飛ばし、再びケイトにむかった。だが、地面の上を一回転して立ち上がったカーツはブルの尾に跳びつき、思いきり牙を突き立てた。 「ガウッ!」  首を回して噛みつこうとするブルから飛びはなれながら、 『なにをしている! 走れ!』と、カーツが再び叫んだ。  ケイトはその声でわれに返り、びっこを引きながら距離を取り始めた。  カーツにむかって頭を低くしながら、 「ガルルルルルル!」と、ブルが唸った。  大きく弓なりにした背を高く突っ張り、 「フシャ——————————ッ!!」と、カーツが叫んだ。  体重差は一〇倍以上、だが、闘志において両者は互角だ。 『カーツ!』  ケイトがふり返ったちょうどその時、 「ガウッ!」ブルは顔を突き出してカーツを襲った。 「ジャッ!!」カーツの前足の爪が、その鼻づらを引っかいた。  ブルは顔をそむけながら、前足をふってカーツをはね飛ばした。カーツは地上を二回転したのち、その勢いを利用して横ざまに跳んだ。ブルのするどい牙が、カーツのいた空間にがちりと音を立てた。  カーツはブルの前足からぎりぎりの間合いをとり、フェイントを交えながら、じりじりと後退した。ケイトの脱出までの時間をかせぐ構えだ。  だが、ケイトの後ろ足のダメージは深かった。塀を越えて跳躍《ちょうやく》する力はない。  たとえそうでなくとも、ケイトもまたク・ドランであり、黄金の〈ベル〉をもつ特務監察官だ。仲間をおいて逃げることは考えられなかった。ケイトは自らのもてる能力の中から、ひとつの手段を選択《せんたく》した。  ケイトの〈ベル〉が作動し、衛星軌道上に待機する〈クイックシルバー〉にリンクした。 〈クイックシルバー〉はカーツに引き渡す予定の対地抑止力《ダモクレス》ユニット——すなわち対地攻撃兵器の集合体——を搭載《とうさい》している。対地|狙撃《そげき》用ハイパーウェーブ・レーザー砲が、ケイトのコマンドによって照準・射撃プロセスを開始した。対地レーザーの精度は、ブルドッグのみを地上から消滅《しょうめつ》させるに充分《じゅうぶん》だ。  ——いかん!  ケイトの意図を悟《さと》ったカーツが、そのコマンドに割りこみ、プロセスを凍結《とうけつ》した。  闘争の最中《さなか》に、一瞬のすきが生じた。  カーツの肩口にブルが食らいつき、その体を持ち上げ、地面に叩きつけた。 「ギャオッ!」とカーツは吠えた。 『カーツ!』  ケイトは対地レーザー射撃を再コマンドした。だが、 『やめろ、ケイト!』  強大な牙に毛皮を引き裂かれながら、カーツは再び射撃プロセスに介入した。 『�ユニット�は使用するな——たとえ、私が死んだとしてもだ!』  うかつな攻撃は、この惑星のパワーバランスにどんな余波をもたらすかわからない。それはあくまで「最後の手段」だ。その引き金が、自分の命程度[#「自分の命程度」に傍点]と引き換えに引かれてはならない!  一方ブルは、自分が痛めつけている小さな獲物が、間接的にとはいえ、自分の命を守ろうとしている——その事実を知らない。  巨大なブルドッグは、致命の一撃を加えるべく、小さな猫の体を一旦《いったん》口からはなした。カーツはボロ切れのように地上に転がった。  と、その時—— 「なにをしておるのじゃ、貴様らは」  いつの間にきていたのか、バルシシアが塀にひじを突いて、中野家の庭をのぞきこんでいた。背後では、ジロウマルがオンオンと吠えている。バルシシアはいつになくうるさく吠えるジロウマルの様子を見にきたところで、中野家の騒《さわ》ぎを聞きつけたのである。 「グルル……!」ブルは大きなうなり声を上げて、バルシシアを威嚇した。 「ハ」バルシシアは口の端に嘲笑《ちょうしょう》めいた笑みを浮かべながら、ブルをにらみつけた。その両目から高密度の光線が発し、チュン、と小さな音を立てて、猛犬のひたいを焼いた。 「キャンッ!?」  ブルは悲鳴とともに飛び上がり、しっぽを巻いて犬小屋に飛びこんだ。  ケイトが地球を去ったのは、翌日の夕方だ。  龍守家の屋根の上で、カーツとケイトは別れを惜《お》しんだ。大きなパラボラアンテナが、夕目に映えて赤く染まっている。カラスの鳴き声が、遠く聞こえてきた。  カーツの胴体とケイトの後ろ足には、忠介の手で包帯が巻かれている。ケイトに比べると、カーツはやや重傷だ。  MTS用の各種装備は、昼間のうちに滞《とどこお》りなく引きつがれた。あとは、ケイトが地球を去るばかりのはずだったが—— 『実は、あなたにまだ渡していないものがあるの』と、ケイトがいった。 『申請した装備は、すべて受領したが?』 『監察局本部からの辞令よ』 『辞令…?』  ケイトは背筋を正して座りなおすと、しっぽをひゅっとふり、 『特務監察官カーツ大尉に、本日づけで大佐への昇進と、地球総督への任官を申し渡します』といった。『三階級特進、大変な快挙だわ——おめでとうございます、閣下』 『それは……光栄の至りだな』と、カーツはいった。  だが、カーツは理解している。その急な昇進は、銀河連邦軍の人的資源の枯渇《こかつ》をしめしている。先の〈リヴァイアサン〉捕獲作戦は、あまりにも多くのものを犠牲《ぎせい》にしたのだ。あまりにも多くの、先達《せんだつ》や同朋の命を。 『……屍《しかばね》の山の上の栄光か』と、カーツは呟《つぶや》いた。 『その通りね……でも、あなたには[#「あなたには」に傍点]それを受けとる権利が十二分にあるわ』と、ケイトはいった。『あなたは銀河連邦を代表して戦っているんですもの。それに引きかえ、私が生き残り、昇進したのは〈リヴァイアサン〉を捕捉《ほそく》しそこねたから——自らの無能と悪運のためなのよ』 『そんなことはない』と、カーツはいった。 『ああ、こんなことをいうつもりじゃなかったのよ』と、ケイトはいった。『私はただ、あなたが生きていることが、とてもうれしい。……そういおうとしただけ』 『私もだ』と、カーツ。『私も君に、そういおうと思っていた』 『あら、あなた、お世辞もいえるようになったのね』と、ケイトが笑った。  カーツはその言葉に反論しようとしたが、やめた。言葉は意味を持たなかった。  ケイトがカーツの胸に頭をこすりつけた。  カーツはケイトの首筋を、そっとなめた。  やがて、 『……それじゃ、もういくわ』  といって、ケイトは〈クイックシルバー〉を呼び出し、そのコクピットに収まった。 『また会いましょう、カーツ。……必ず、また生きて会いましょう』 『心配はいらん。私は君よりずっと上手《うま》くやる』 『まあ!』と、ケイトはいった。『あなたってやっぱり、鼻もちならない自信家だわ!』 〈クイックシルバー〉はカーツの目の前で三度機体の尻をふると、  ドンッ——  夕焼けの空をつらぬいて、一瞬にして飛び去った。  カーツが宇宙人部屋に戻り、 『今帰った』  というと、ベッドの上にあぐらをかいたバルシシアが、顔も上げずに、 「おう」と答えた。  カーツは寝床の段ボールの中に入ると、のろりと丸くなった。 「ダッシュ五本を三セット、バランス三〇秒を五セット、と……」  バルシシアはぶつぶつと呟きながら、雑誌を下敷代わりにして、チラシの裏にボールペンでなにごとか書き記している。 『なにをしているのかね?』 「特訓の新メニューを考えておるのじゃ。休みの分は溜《た》めておくゆえ、早く体を治すがよいぞ。……うむ、そうじゃ、りはびり[#「りはびり」に傍点]の分も足してやろう。遠慮《えんりょ》はいらぬ」  と、さらにボールペンを動かしたバルシシアは、そこではじめて顔を上げ、 「赤猫めは帰りおったか」といった。「ハ、あの高慢ちきめ、いなくなってせいせいしたの」 『まったくだ』と、カーツは答えた。  カーツはケイトの匂いの残るバスタオルに顔をうずめながら、 『……まったくもって、あれは生意気な女だよ』といった。 [#改丁] [#挿絵(img/D-hp13_241.jpg)入る] [#挿絵(img/D-hp13_242.jpg)入る] [#改丁] 4  『張さんのおみやげ』  趣味《しゅみ》は盆栽《ぼんさい》。  ——というと、 「いきなり人生終わってんな、おい」  などとチビの憲夫《のりお》にいわれたりするのだが、ともあれ、盆栽は忠介《ただすけ》の趣味なのである。  龍守《たつもり》家のおむかい、郷田荘《ごうだそう》の庭先の日当たりのよいところに作られた棚に、マツ、ウメ、サンザシ、カイドウ、ヒメリンゴなどなど、全部で一〇個ほどの鉢《はち》がならんでいる。その前に、頭にミュウミュウを引っつけた忠介は立っている。  すでに、日当たりのバランスをとるためにひと鉢ひと鉢を少しずつ回転させ、いくつかの鉢は日陰に移した。日照だけでなく、水やりや肥料のタイミングも樹種によって微妙《びみょう》にちがうが、忠介はそれぞれに気をつけて世話をしている。鉢土の表面がかわいたら水をやるもの、逆にかわかしてしまってはいけないもの。ヒメリンゴはそろそろ肥料の時期かなあ。  それらがひと通りすむと、忠介は剪定《せんてい》ばさみを片手に腕を組み、にゅにゅ〜、と悩んだ。いくつかの鉢に、どう見ても伸びすぎている枝がある。こういうのを放っておくと、見栄《みば》えがよくないだけでなく、ほかの枝が成長できなくなったりして、具合が悪いのである。  それはわかっているのだが—— 「んんー」  忠介はにょきっと伸びたウメの若枝の、外側にむいた芽のすこし上にはさみを当てた。くくくっ、と指に力を込めつつ、まるで自分の指を切り落とそうとでもいうように、手元から顔をそらした。普段、あまり表情らしい表情のないホトケ顔に、精いっぱいの痛そうな表情が浮かぶ。 「ミュウ〜」  忠介をまねて顔をそむけながら、ミュウミュウが忠介の髪をきゅーっと引っぱった。  やがて、ふう、と息をついて、忠介は力を抜いた。枝はまだ切れていない。はさみの刃は樹皮に小さな傷をつけただけだ。それから、軽く呼吸をととのえて、忠介はもう一度、 「んんんー」くくくくっ、と指先に力を込める。 「ミュウウ〜」ミュウミュウも、再び忠介の髪をきゅきゅーっ。  忠介は再び手をはなし、ふうー、と深呼吸して、さらに、 「んんんんんー」くくくくくくっ。 「ミュウウウウ〜」きゅきゅきゅきゅーっ。  ぷちぷちぷちっ、と、何本かの髪の毛が抜けた。 「——いたたたた、ミュウミュウ、痛い痛い」 「ミュウ?」 「……なにやってんだ、おまえは」  いつの間にか、忠介の横にチビの憲夫が立っていた。学生服に、鞄《かばん》を持っている。学校帰りに忠介の様子を見にきたのだ。 「あ、いやあ」  忠介は左手でミュウミュウの手を押さえながら、 「はさみ入れるの、苦手なんだよね」と答えた。 「『木が痛がるから』ってか」 「え、木はべつに痛くないと思うよ」  忠介は小首をかしげ、一秒間ほどにゅ〜っと考えてから、 「だって、木だし」  話を合わせたつもりが身もふたもない切り返しをされて、憲夫はちょっとむっとしながら、 「じゃあ、なんなんだよ」 「んー、なんとなく」  なんだそりゃ、といいながら、憲夫は盆栽の棚を見回した。 「盆栽のことはよくわかんねえけど……なんだか『生えてるだけ』って感じだよな」  憲夫のいうとおり、棚に並んだ盆栽は、どれも枝葉が伸びっぱなしになっていて、専門用語でいう「荒木」の状態になっている。憲夫はそんな言葉は知らないが、素人目《しろうとめ》に見ても、なんだかボケた印象だ。 「『盆栽』ってより、ただの『植木』だ、こりゃ」 「はっはっは、そうかも」  忠介は「盆栽」が「植木」であっても、ぜんぜんかまわないのである。 「いったいなにが楽しくてやってんだ、こんなの」 「んんー」  忠介は三秒間ほどにゅにゅ〜っと考えてから、 「なんでかなあ」 「もういい、おまえと話してると日が暮れる」  と憲夫。押さえ役の清志《きよし》が入らないと、なんだかきつい感じになる。  と、そこで、 「あれ、今日は清志は?」と、忠介は聞いた。 「いっしょだぜ」といって、憲夫は背後をふり返った。「おい、なにしてんだよ」  メガネノッポの清志は、郷田荘の門柱にすがりつくような格好で、あたりをきょろきょろと見回していた。青ざめた顔で、腰が引けている。 「この辺には、あああ、アレがいるだろうアレが」 「アレって——ああ、あの猫か」と、憲夫。  清志は先日龍守家を訪れた際に、猫型異星人であるカーツに遭遇《そうぐう》し、泣いてビビりまくったのだ。もっとも、清志は異星人|云々《うんぬん》についてはなにも知らない。単に猫が駄目《だめ》なのである。  憲夫も清志と同様、カーツのことはただの「龍守家の飼い猫」だと思っている。その名前は、 「たしか、『大尉《たいい》』だっけ?」 「あ、えーと」と、忠介。「彼は昇進して、現在は大佐です」 「……おまえんちは猫が出世するのか」  変な家だな、といって憲夫が変な顔をしたとき、道路のむこうからガコガコと重い音が聞こえてきた。  ガコガコと鉄下駄《てつげた》を鳴らしながら走ってきたのは、ジャージ姿のバルシシアである。手には犬の散歩用のひもを持っている。そして、そのひもにはうわさの主、カーツ大佐がつながれている。 「どうしたどうした、ぺーすが落ちておるぞ! もたもたしておるとふむぞふむぞ!」  それっ、と声をかけて、ガガガガガ、とバルシシアがスピードを上げた。まるで短距離走のようないきおいだ。鉄下駄の歯にしっぽを踏《ふ》まれそうになったカーツもまた、必死の形相《ぎょうそう》でペースを上げた。 「よしよし、その調子じゃ! 死ぬ気でいくのじゃ、死ぬ気でな!」  カカカカカ、と笑うバルシシアはやがて、郷田荘の門の前でガガッと立ち止まった。散歩ひもがピンと張り、いきおいあまって首つり状態になったカーツが、ギャワワワワ、とパニックを起こして、ひもの半径分の空間を駆け回った。 「おう、なんじゃ貴様らか」  バルシシアに声をかけられた憲夫が、 「なんだとはなんだよ」と、むっと眉《まゆ》をひそめた。  しかし、バルシシアは気にした風もなく、 「苦しゅうないぞ」  にかりと笑いつつ、あばれるカーツをとり押さえ、散歩ひものフックを首輪から外した。 「今日はここまで!」  バルシシアがバシッと尻《しり》を叩《たた》くと、いまだパニック状態のカーツはギャオッと叫《さけ》んで一直線に飛び出した。たまたまその進行方向にいた清志が、「ひゃああっ!?」と叫んで駆《か》け出した。ひとりと一匹は、道路を一直線に駆けていった。その様子を見たバルシシアは、カカカカカ、と愉快《ゆかい》そうに笑った。 「あ、おい……!」  憲夫は清志の姿を目で追うと、 「悪ィ、またそのうちくるわ」  忠介に手をふり、鞄を小わきに駆け出した。  憲夫の背を見送る忠介に、背後から声がかかった。 「おっ、今のは忠介君のご学友でありますか」 「あ、はい」と忠介。  声の主は、カーキ色のタンクトップに、軍パンにブーツ、小さな角刈り頭の巨漢——自衛隊の手力《たぢから》曹長《そうちょう》だ。先ほどバルシシアの駆けてきた方向から、こちらは郷田荘の犬、ジロウマルを連れて走ってきていた。 「おそかったの」と、バルシシア。 「はっ、もうしわけありません」手力は敬礼して答えた。  バルシシアと手力は、ジロウマルの散歩とカーツの特訓をかねて近所をひと回りしてきたのだが、手力・ジロウマル組はバルシシアのペースに引きはなされてしまったのだ。  手力は散歩用品を庭先の物置にしまうと、代わりに出してきたドッグフードを餌皿《えざら》に開けた。  今日の散歩は、ジロウマルには少々オーバーペースだったらしい。地面にへたり込んで息を荒げていたジロウマルだが、目の前に餌皿と水皿が置かれると、しっぽでぱたぱたと地面をはきながら、「オンッ」といった。 「ヨシッ」  手力の号令で餌を食べ始めるジロウマルの横で、「ふんっ、ふんっ」と屈伸《くっしん》をしたり腰を回したりしていたバルシシアは、 「まだ動きたりんのう」といった。「どれ、もうひと回りしてくるか」 「お供いたしましょう」  小さな顔に人好きのする笑みを浮かべながら、手力がバルシシアに、ついで忠介に敬礼した。 「では」 「あ、いってらっしゃい」 「ミュウ」  バルシシアと手力は、ガッガッガッ、と鉄下駄とブーツの足音を鳴らしながら走り出した。  余談ながら、このところよく近所に出歩くようになったバルシシアは、妙に子供受けがいい。ちょうど今も、下校中の小学生の集団を追い抜くと、 「あっ、ガングロのお姉ちゃんだ!」  と、甲高《かんだか》い声を上げながら、子供たちはバルシシアと手力の周りにわらわらとまとわりついていく。 「誰《だれ》がガングロじゃあっ!」  バルシシアが一喝《いっかつ》すると、きゃあ、と声を上げて、子供たちは蜘蛛《くも》の子を散らすように逃げ出した。が、バルシシアらが再び走り出すと、くすくすと笑いながら、ふたりのあとをついていく。きゃあきゃあ、くすくす、という声は、やがて、角を曲がって遠のいていった。  静けさを取りもどした庭先で、忠介は再び盆栽を前に腕を組み、にゅにゅ〜となやんだ。  ぽっぽー、と、電線にとまったハトが鳴いた。  忠介は伸びすぎたウメの枝にはさみを伸ばしながら、 「んんんんー」くくくくくっ。 「ミュウウウ〜」きゅきゅきゅーっ。  と、そこに、 「ずいぶん、にぎやかだったでした[#「だったでした」に傍点]ねえ」と、男の人の声がした。  ジロウマルがぱたぱたっとしっぽをふり、「オンッ」と吠《ほ》えた。 「ジロウマルも、お元気だったでしたか」  ふり返った忠介が、 「あ……張《ちょう》さん」といった。 「えっ、張さん!?」と、龍守家の玄関先で、陽子《ようこ》が声を上げた。 「ええ、こんにちは、張さんですよ」と、張さんは答えた。  中国出身の張さんは、郷田荘の元住人だ。以前留学生として郷田荘に住んでいて、それから故郷に帰って就職したけど、何年か前に単身出向で再び日本にきて、ついこの間まで郷田荘に住んでいた。歳《とし》はまだ三〇そこそこで、日本語はちょっと下手だけど、英語がペラペラで頭が良くて、国際派のエリートの人である。今もスーツをぴしっと決めて、手には鞄と小さな紙袋を持っている。 「どうぞ、上がってください。おニイとミュウちゃんは先に手洗って——やだ、どうしよ、なんにも出すものないわ」  陽子は居間に通した張さんにお茶を出すと、 「張さん、ちょっと待っててくださいね」 「あ、おかまいなく——」  張さんにみなまでいわせずに、財布を片手にぱたぱたと表に出ていった。  そして—— 「……陽子ちゃん、ずいぶんしっかりなさったですねえ」と張さんがいうと、 「はいー」と、ミュウミュウをかかえて居間に入ってきた忠介が答えた。  張さんと龍守家のつきあいは長い。郷田のおじいさんとともに、龍守兄妹はずいぶん可愛《かわい》がってもらったものである。  学生時代はともかく、会社員になってからもわざわざ安アパートである郷田荘に越してきたのは、張さんもこの土地に愛着があったからだろう。  もっとも、理由はそれだけではなくて、 「なにより、お家賃がお安いですから。お家賃がお安いと、飛行機のお金ができて、たくさんご家族に会えますね」  学生のときにすでに故郷に奥さんがいたという張さんは、二、三ヵ月に一度は奥さんと娘さんに会いに帰っていた。娘さんは陽子よりいくつか年下で、ということは今一〇歳かそこらだ。忠介が昔写真を見せてもらったとき、 「もっともっと、たくさんお会いしたいですね」  と、張さんはちょっとさびしそうな顔をしたものである。  まあ、それはさておき。  郷田のおじいさんが亡くなってから、郷田荘と龍守家は少しだけ距離が離れてしまったので、張さんにとっては何年か前の陽子の印象が強いのだろう。まだ幼かった陽子はたいへんなお兄ちゃん子で、 「今のその子——ミュウちゃんみたいに、ずっと忠介君にくっついてましたですね。ほんと、そっくりです」  張さんはそういうと、目を細めて、ふふふ、と笑った。 「おぼえてるですか? ちょっとでもはぐれると陽子ちゃんが泣いてしまうものだから、忠介君、ズボンのお尻にひもをつけて持たせてあげて。ジロウマルのお散歩の時は、三人でつながって歩いていたでしたね」 「あー、そうでしたねえ」と忠介。  あれ、けっこう楽しかったんだけど、陽子はもうやらないだろうなあ。  ふふふふふ、ともう一度笑ってから、張さんは、 「そうそう、お母さんにごあいさつ、よろしいですか」といった。 「あ、はいはい」  ここでいう「お母さん」とは、龍守家の「お仏壇のお母さん」のことだ。張さんはとなりの部屋の仏壇の前に正座すると、持ってきた紙袋から小さな包みを出し、経机《きょうづくえ》に置いた。それから、線香を二本立てて、チーン、と鈴《りん》を鳴らした。 「張さんがまだ学生さんだったとき、郷田さんとお母さんに、よくお茶にお呼ばれしましたですよ」  ちょうど、このお部屋だったですよ、と、居間にもどった張さんはいった。 「おふたりとも、甘いものが大好きだから、こおんな(と、ちょっと大げさな仕種《しぐさ》で)大きな羊羹《ようかん》を全部切って。張さん、見てるだけでおなかいっぱいだったでしたよ」  忠介君、おぼえてるですか、と聞かれ、忠介は、 「いやあ……」と答えた。  なにぶん、お仏壇のお母さんはもう一〇年も前に亡くなった人なので、忠介にはあまり記憶がない。むしろ張さんの方がよく覚えているくらいだ。 「おじいさんもお母さんも、いなくなってさびしいことですけど、思い出が楽しいは、よいことですね」と、張さんはいった。 「そうですねえ」と、忠介は答えた。 「それに、いなくなってしまう人の代わりに、新しくお会いになる人もいますですからね。陽子ちゃんや、ミュウちゃんみたいに」  とてもよいことですね、と、張さんはいった。 「そうですねえ」と、忠介は答えた。  やがて、一五分もしないうちに、張さんは「もう行かなくては」といい出した。 「陽子ちゃんには悪いけど、張さん、お仕事の途中《とちゅう》だったですよ」と張さんはいい、続けて「でも、今日はちょっと安心したですよ」といった。 「え……安心って?」と、忠介。 「ほら、張さんたち、この間、急にお引っ越しが決まりましたでしょう。張さんたちはいいお部屋、見つけていただいたですけど、もしかしたら、あとには怖《こわ》い人がお引っ越しされてるんじゃないか、そう思ったですよ」 「あ……」と、忠介はいった。  ついこの間まで郷田荘に住んでいた張さんたちは、郷田荘にグロウダインの人たちが越してくるのと入れ替わりに、〈アルゴス〉の要請《ようせい》で立ち退《の》いていったのだ。やむなしとはいえ、張さんたちは急に追い出された形になる。地上げかなにかだと思ったとしても、無理はない。 「いやあ、みんないい人ですよ」 「そうみたいですね。だから、張さん安心したですよ」  張さん、仕事が忙しいのに、わざわざ様子を見にきてくれたのだ。いい人だなあ。  玄関で靴をはく張さんに、 「またきてくださいね」  と忠介がいうと、張さんは少し困った顔をして、 「実は張さん、会社で異動があって、中国に帰るのですよ。また日本にこれるかは、わかりませんのですよ」 「えー、そうなんですかあ」 「でも、中国に帰ったら、手紙を書くですよ」  陽子ちゃんによろしく、といって、張さんは帰っていった。  張さんが出ていくと、入れ替わりに〈アルゴス〉の鈴木《すずき》が龍守家を訪れた。  陽子はまだ帰ってきていない。  相変わらずの黒ずくめにサングラス姿で、 「よう、邪魔《じゃま》するぞ」といって躊躇《ちゅうちょ》なく上がりこむ鈴木に、 「あ、どうも、こんにちは」とあいさつしつつ、  ——いわれてみると、この人すごく悪そうだよなあ。  と、忠介は思った。  その悪そうな鈴木は、ポケットからライターくらいの大きさの機械をとり出し、それを持った手を居間の壁にむけて、さっ、さっと移動させた。まるで、小さな懐中電灯で壁全体をくまなく照らそうとしているような格好だ。  やがて、手にした機械が「ピピピッ」と音を立てると、鈴木はふすまの上の桟《さん》に手を伸ばし、指先ほどの塊《かたまり》をとり出した。 「あれ、なんですか、それ」と忠介が聞くと、 「盗聴器だ。今の客のみやげだな」と、鈴木。 「え、張さんの?」 「奴《やつ》から目をはなしたろう?」 「あ、手を洗ってるときかなあ」  鈴木は同様の作業を続行しながら、 「奴はこの部屋のほかに、どこか入ったか?」 「あ、えーと、あととなりの部屋に……なんで張さん、そんなの持ってきたんですかねえ」 「張|平文《へいぶん》は〈青い地球〉の協力者だ。何年も前からな」 「ええー、そうなんですか?」と、忠介はいった。「張さん、いい人なのに」 「ああ。金銭、女がらみ、暴力ざた、その他トラブル一切なし。職場や取引先での評判も上々だ。身元もしっかりしてる。どこをとっても『善良な市民』だな。〈青い地球〉の末端《まったん》には、そんな奴が多いんだ」 「……鈴木さん、張さんを捕まえたりするんですか?」と忠介が聞くと、 「そこまでひまじゃない」と、鈴木は答えた。「このやり口を見ればわかるだろう。奴は素人だ。これまでしてきたのも、〈青い地球〉への情報提供——せいぜいうわさ話程度だ。そんな連中をいちいち捕まえてたら、豚箱がいくつあっても足りん。本気で相手をするのは、この間の自衛隊の件みたいな、相当やばい奴だけさ」 「よかったあ」忠介は表情をゆるめ、「でも張さん、なんでこんなことするんですかねえ」 「さあな。犯罪に手を出すタイプじゃなかったはずだが……おまえたちのためを思ってのことかもしれんな」  鈴木はいったん言葉を切って、にやりと笑った。 「なにしろ、最近この家には『怖い人』が出入りしてる」  結局、居間と仏壇の部屋をくまなく走査し、鈴木は全部で三つの盗聴器を見つけ出した。桟の上にふたつ、タンスの裏にひとつ。 「——ま、こんなとこだろう」という鈴木に、 「うーん、それとっちゃったら、張さん困りませんかねえ」と忠介。 「置いておくと、俺が困るんだがな」と鈴木。「それに、陽子もいやがるだろう、こういうのは」 「んんー、そうですねえ」  忠介がにゅにゅにゅとなやんでいると、 「……おい」  と、鈴木がいった。 「これは奴が置いていったものか?」  鈴木が指しているのは、仏壇の前の経机の上に張さんが置いていった、小さな包みだ。 「あっ、そうですね。おみやげかなあ」 「いや、まさかとは思うが……忠介、いったん外に出ろ」と、鈴木はいった。  忠介と鈴木がミュウミュウを連れて表に出ると、ガッガッガッ、と音を立てて、ちょうどバルシシアと手力が帰ってきた。  それから—— 「よし、包みを開けてくれ。なるべくそっとだ」と、鈴木は黒い携帯にいった。  龍守家の外には鈴木や忠介らとならんで、手力の赤い00[#「00」は縦中横]式が待機している。 『ふむ』  携帯のむこうから、バルシシアの声と、がさがさという物音が聞こえてきた。  毒ガスの類《たぐい》ならビニール袋に放り込め。爆発物なら食っちまえ[#「食っちまえ」に傍点]——仏壇の前のバルシシアは、そのような指示を鈴木から受けている。万一、ふいに爆発しても、バルシシアなら死ぬようなことはない。 『包みの中は紙箱じゃ。実が詰まっておる感じじゃな』 「開けてくれ。スイッチの類に気をつけろ」 『開けたぞ』 「中身はなんだ」 『にぶい緑色の、四角い、細長いぱっくが二本入っておる……これはアレかの、ぷらすちっく爆弾とかいう』  鈴木の表情に、緊張《きんちょう》が走った。 「起爆装置はあるか」 『はて、そのようなものは見当たらんが……紙の注意書きが貼《は》ってあるぞ』 「読めるか」 『地球の文字は読めぬ』 「……しばらく様子を見てくれ」  一分ほど間を置いてから、鈴木は自ら家の中に入っていき、そして、緑色の塊を持って出てきた。  忠介は思わずミュウミュウを背後にかばいながら、近づいてくる鈴木にむかって、 「それ、爆弾ですか?」 「いや」  鈴木は忠介に塊を見せた。緑色のビニール面の中央に、印刷された紙のラベルが貼ってあった。いわく「創業参百年 神田|鵬屋《おおとりや》本舗《ほんぽ》 本格|抹茶《まっちゃ》羊羹『利休』」。 「えーと、これって……」と忠介。  鈴木はうなずき、 「羊羹だ」といった。  陽子は不機嫌《ふきげん》だった。 「張さん、たしかあんこっぽい[#「あんこっぽい」に傍点]のが好きだったから——」  と、わざわざ駅のむこうの「風月堂」までいってきたのに、帰ってくると張さんはもう帰っていて、おまけに、 「なんで張さんのおみやげ、鈴木さんが開けちゃってるんですか!」  今にも羊嚢の箱のふたで鈴木の頭をぱこぱこと叩き始めそうないきおいの陽子に対し、 「すまんな」と、さして悪びれもせず、鈴木。  盗聴器云々のことは話さなかったが、「爆弾かなにかかと思った」とはいった。「そんなわけないじゃない。バカみたい」と陽子。  状況的には、まぎらわしい荷物を置いてさっさと帰っちゃった張さんや、張さんの都合も聞かずに出かけてしまった自分自身の方が悪いのだが、陽子はそのへんの判断はすべてフィーリングでおこなう。概《がい》して、あんまり筋は通っていない。  ちなみに「張さんのおみやげ開けちゃった事件」の実行犯であるところのバルシシアは、難をさけるため、宇宙人部屋に引っこんでテレビを見ている。 「もおー!」  と、ほおをふくらませる陽子を見上げながら、 「あのー」  忠介は陽子の持ってきた風月堂の包みを手元に引き寄せ、 「これ、食べていいの?」 「あんこっぽいの」は忠介も好きだ。余談ながら、和菓子屋の包装紙とあんこの混じった匂《にお》いも大好き。ちゃぶ台に顔を寄せて、ふすー、と匂いをかぐ。  しかし陽子は、 「駄目」  忠介の鼻先から包みをとり上げると、 「あたしが全部食べる」といって、二階に上がってしまった。 「えー?」  なんでそういうことになるのか、忠介にはよくわからない。  その日の夕方、忠介は夢を見た。  急速に暮れていく砂利道《じゃりみち》を、父の背中を追って、幼い忠介は走っている。  父は小わきに段ボール箱をかかえている。箱の中から、キュンキュンと仔犬《こいぬ》の鳴き声が聞こえてくる。  ——父さんに追いつかないと、仔犬が捨てられてしまう。  忠介は足を速めた。何度も転びそうになりながら、必死で父のあとを追った。  いつまでたっても追いつけなくて、どんどん引きはなされていって、しまいに忠介は、ひとりで闇《やみ》の中に取り残される——それが、いつもの夢だ。  しかし、今日は。  忠介は父に追いついた。そして、段ボールを引ったくって、その場でふたを開けた。すると——  段ボールに入っていたのは、仔犬ではなかった。  小さな箱の中は、龍守家の居間になっていた。ミニチュアみたいな家具がならんだ真ん中に、小さなちゃぶ台が置かれ、ふたりの小さな人が向かいあっている。  郷田のおじいさんと、お仏壇のお母さんだ。  ちゃぶ台の上には、大量の羊羹がのっている。郷田のおじいさんとお仏壇のお母さんは、ちゃぶ台をはさんでにこにこ笑いながら、その羊羹をぱくぱくと食べている。大皿の上に山盛りになった羊羹が、ふたりの間で、漫画みたいにみるみるへっていく。  お仏壇のお母さんがふと顔を上げ、忠介と目を合わせ、にこりと笑った。その間も手と口は休まず、にこにこ、ぱくぱくと羊羹を食べている。  郷田のおじいさんが手をふって、 「忠坊《ただぼう》、早くこないとなくなっちゃうぞう」といった。  いつの間にか、父の姿は消え、忠介は箱をかかえ、暗い砂利道にひとり立っている。  見知らぬ夜道のただ中で、明るく楽しげな箱の中をのぞきこみながら、  ——ああ、早くいかなくちゃ。  と、忠介は思った。  自分がかかえている小さな箱に入ろう、という考えを、なぜか不自然とは思わなかった。  そして、忠介が頭から箱の中に入ってしまおうとしたとき——  くいっ、と、腰のあたりがなにかに引っぱられた。  体をひねって見てみると、ズボンの後ろのベルト通しに、小さなフックが引っかけられていた。フックは細い革ひもにつながっていて、革ひものもう一方のはしは、小さな女の子の手ににぎられていた。  女の子は忠介から一メートルほどのところに立っている。手には革ひものあまった部分を、何重にも巻きつけている。  ——ミュウミュウ?  忠介は一瞬そう思った。が——  その女の子はミュウミュウではない。  陽子だ。  歳は三つくらいだろうか。忠介と初めて会ったころの陽子だ。 「おーい、忠坊ー」  箱の中から、おじいさんが再び忠介を呼んだ。  忠介が思わず箱をのぞきこむと、今度は陽子が、革ひもをもう一度、くいっ、と引っぱった。口をとがらせ、怒《おこ》ったような顔をしている。 「あ、えーと」  忠介は手元の箱と背後の陽子を交互に見比べた。幼い顔ににゅにゅにゅとなやんだ表情を浮かべながら、何度も何度も、おろおろと顔を動かした。 「忠坊ー、忠坊ー」と、おじいさんが忠介を呼び、  くいっ、くいっ、と、陽子が革ひもを引っぱる。  どっちにいったらいいのかわからなくなって、忠介は、途方に暮れた。 『——忠介……忠介』  ほおに当たる柔らかい感触《かんしょく》で、忠介は目が覚めた。  カーツが両の前足を交互に押し当て、体重をかけて、忠介のほおをこねこねしていた。 「んあー?」目をこすりながら、忠介は起き上がった。 「ミュウ〜?」と、ミュウミュウ。 『忠介、すまないが、私の食事の用意をたのむ』  いつの間にか、部屋の中は真っ暗になっている。 「あ、はいはい……」  と忠介が答えた時、階段の灯《ひ》がぱちりとついて、陽子が下りてきた。 「ごめん大佐、今、ごはんにするね」  こちらも寝起きの頭をぽりぽりとかいてそういうと、げふう、と大きなげっぷをする。 「うー、気持ち悪ぅ〜い」  それから、陽子は台所からとってきたカーツの猫缶を開けると、 「あれ、おニイ、殿下は?」といった。 「あ、うん、なんかメモが」  忠介はちゃぶ台の上にのこされていたそれを、陽子に見せた。チラシの裏にマジックで、郷田荘の建物らしき絵と、そこにむかう矢印が描かれている。 「あ、前のアパートにいってるんだ。じゃあご飯も食べてくるわね」  バルシシアは基本的になんでも食べるので、普段は忠介たちといっしょに食事をしている。が、それだけでは足りないので、時々郷田荘にいって、ゼララステラたちとともに、爆発物を主とするグロウダイン用の食事をとるのだ。  陽子は大儀《たいぎ》そうに腹をさすると、 「……それじゃあ、おニイとミュウちゃん、今日はラーメン食べてくれる?」といった。 「えっ、いいの?」  なんでもおいしく食べる忠介はカップラーメンの類も好きなのだが、 「ああいうのはお菓子の仲間だから、ご飯の時に食べちゃ駄目」  と、普段は陽子に止められている。しかし、ああいうのは禁止されると余計に食べたくなるものである。今日はちょっとラッキー。 「やったあ」  うれしそうに買い置きの戸棚をごそごそする忠介に、 「ごめんねー」というと、陽子は座布団《ざぶとん》をまくらにして横になった。「うー、苦しぃ〜」 「……どれくらい食べたの?」 「大福と草もちとぼたもち……を、(うぷぅ)四つずつ」 『健啖《けんたん》は結構だが、今すこし自己管理を強化すべきだな』とカーツ。 「余計なお世話ですう〜」  そして—— 「あちちちち、はいミュウミュウ、ふーふーして、ふーふー」 「ミュウ」  ずぞぞぞぞ、とカップ麺《めん》をすする忠介とミュウミュウを、横になったままながめながら、 「張さん、またくるかなあ」と、陽子はいった。 「さあ」と忠介。「中国に帰るっていってたから……」 「そう」陽子は表情を曇らせ、「おニイ、張さんとどんな話したの?」 「ええと、郷田のおじいさんの話とか、お仏壇のお母さんの話とか、あとそれから——」  忠介は陽子の話を思い出した。ズボンにつけたひもをにぎって、忠介のあとをついて回っていた陽子。先ほど小さい陽子の夢を見たのは、昼間、張さんとその話をしたからだ。 「……あたし、バカみたい」  そういって口をとがらせている陽子と、夢の中で見た小さな陽子は、当たり前だけど、そっくりだ。  忠介の顔が、いつの間にか、にゅい〜、と笑っていた。  その表情に気づいた陽子が、 「なによう」といった。 「あ、いやあ」忠介はあわてて話をそらし、「そうだ、おみやげの羊羹、いつ食べようか」  すると、陽子は口元を押さえながら、 「ごめん、あんこの話しないで」  といって、もう一度、げふ、とげっぷをした。 「出ちゃいそう」  余談ながら、その後張さんが龍守家を訪れることはなかったし、手紙が届くこともなかった。  だから、張さんがどこでなにをしているのかはわからないのだけど——  故郷の奥さんや娘さんと仲良く暮らしているといいな、と、忠介は思う。 [#改丁] [#挿絵(img/D-hp14_219.jpg)入る] [#改丁] 5  『寝る子は育つ』  地球表面から三六〇〇〇キロの静止軌道上に、一隻の宇宙艦があった。  グロウダイン帝国の高速御座砲艦〈突撃丸〉。黒い装甲面にいくつものささくれた大穴を空けた武骨《ぶこつ》な船体は、漆黒《しっこく》の背景に半ば溶けこみ、屍《しかばね》のように沈黙《ちんもく》している。  その船体の表面に、巨大なレンチをかつぎ、くすんだ銅の色の肌を真空にさらしながら、小柄な老人があぐらをかいている。〈突撃丸〉機関師、アルルエンバー。他の乗員が地上に降りたのちも、彼はただひとり軌道上にのこり、艦を守っているのだ。  地球への到着当初、 「まがりなりにも軌道上に戦力を保有することによって、他方面への軋轢《あつれき》が生じはしまいか」  という参謀《さんぼう》オルドドーンの懸念《けねん》から、 「乗員はすべて地球上に降り、艦は軌道上に放棄《ほうき》する——」  そのような方針が唱えられたが、ただひとり、このアルルエンバーが強硬に反対した。 「たとえ機能停止寸前といえども、主のために艦を維持するは臣下の務めである」  そう主張し、床に根を生やしたようにすわりこむ老機関師に、一同は困惑《こんわく》した。アルルエンバーは、乗員の中にあってジェダダスターツ艦長と一二を争う偏屈《へんくつ》である。  だが、僥倖《ぎょうこう》というべきか、そのような、彼なりの「忠義」の在り方に連邦監察官カーツは理解を示した。  その結果、アルルエンバーはひとり軌道上に残り、〈突撃丸〉の整備に当たることになった。  心臓部ともいえるハイパードライブの全基全壊を始め、艦の受けた被害は甚大《じんだい》である。その上、補修用の設備も補給物資もなく、彼になしうることはごくわずか、正式な回収時のための状況|把握《はあく》や下準備等に限られていた。  それらもすでにおわり、今の状況でなしうることは、なにもない。  主君や同朋たちが眼下の惑星上に囚《とら》われているのと同様、彼もまた、軌道上にあって虜囚《りょしゅう》の身であるといってよい。老機関師は今、地球を見下ろしながらただ静かに座し、体力を温存している。  船を生かすことを第一の存在意義とする機関師が、生命の火の消えた船にひとり座す——この状況は、先の戦闘において己が任をはたしきれなかったアルルエンバーが自らの身に課した、罰《ばつ》であるかもしれない。  あるいは、知覚力にたけた観測師ゼロロスタンならば、この身を包む静寂《せいじゃく》の中に、恒星風のうなりを聞き、地球からもれる各種電磁的信号を読みとることもできるだろう。だが、エンジンのうなりに長年慣らされた身には、それはやはり死の静寂としてしかとらえられない。  が——  ゴオン……!  船体を震わせる衝撃に、アルルエンバーは目を見開いた。  なにか、大きなエネルギーを持った物体が、船体に衝突したのだ。  ——軌道ゴミの類《たぐい》か、あるいはなんらかの「攻撃」か。  アルルエンバーはレンチを手に立ち上がり、衝撃の発生地点にむかった。  ほどなくして、その発生源[#「発生源」に傍点]は、船体のアールのむこうからひょっこりと頭を出した。 『アルルエンバー!』  老機関師の第三眼に飛びこんできたのは、グロウダインが真空中のコミュニケーションに用いる、光言語である。 『これは……殿下』  アルルエンバーはその場に腰を下ろし、両手をつくと深々と頭をたれた。 「殿下」と呼ばれたのは、〈突撃丸〉の主、バルシシア皇女である。真っ赤な軍服にマントをはおり、両手にはCプラスガントレットを装備している。  バルシシアは平伏するアルルエンバーに大股《おおまた》に歩み寄ると、ガンガン、と足を踏《ふ》み鳴らした。「おもてを上げよ」のサインだ。  両目を閉じ、顔を上げるアルルエンバーに、バルシシアはさらに、 『苦しゅうない、刮目《かつもく》せよ』  といって、その目の前にどかりとあぐらをかいた。 『久しいの。大事ないか』 『は』アルルエンバーは答えた。『殿下こそ、なにゆえのお越しにござるか』  場合によっては不敬ともとれるいいようだが、こうした率直なものいいは、彼の美点でもある。バルシシアは気にした風もなく、 『なんでもない。散歩の途中《とちゅう》に寄ったのじゃ。おぬしのようなしわくちゃ顔も、しばらく見んと物足りなくなるから不思議じゃの』 『散歩、とは…?』 『散歩ではない』と、今度は銀河共用の無線言語がふたりに呼びかけた。  バルシシアの頭上に、〈突撃丸〉に匹敵するサイズの、巨大な銀色の流線形の物体がせまった。 『今回のフライトの目的は〈スピードスター〉の追加装備の運転試験および、龍守《たつもり》忠介《ただすけ》の飛行試験だ』 〈スピードスター〉の機首に貼《は》りついている忠介が、 『あ、どうもどうも。はじめまして』といって、ぺこぺこと頭を下げた。  忠介は今、NASAから借りてきたという宇宙服姿だ。背には大きなバックパックを背負い、胸の前には胴体くらいの半鏡面処理されたカプセルがくくりつけられている。バックパックには生命維持装置に加えて〈アルゴス〉製の次元振動ジェネレータが入っており、胸のカプセルには、 『ミュウ』ミュウミュウが入っている。  バルシシアはアルルエンバーにむかって、『どうじゃ、どうせ船も動かんのじゃし、そろそろ地上に降りてこぬか。ひとりで座っておるのもあきたろう』といった。 『君さえよければ、この帰りに地上まで護送しよう。再び軌道に上がることも、必要に応じて検討する』と、カーツ。 『は、なれど……』  いいよどむアルルエンバーにむかって、バルシシアはにたりと笑い、 『わかっておるわ。おぬし、わらわの身より、このボロ船のほうが心配なのじゃろ?』 『は、あいや』 『苦しゅうない!』  バルシシアはカカカと笑いながら立ち上がり、黒い船体をけり、〈スピードスター〉にむかって飛び上がった。 〈スピードスター〉が、高速機動にそなえ、ハイパードライブの回転を上げ始めた。  バルシシアはガントレットを使って機動し、忠介の横にズンと着地。銀色の機首からアルルエンバーを見下ろしながら、 『〈突撃丸〉はわらわの体も同然じゃ、しっかと守っておれ!』といった。  それから——  バルシシアは惑星間の空間を馳《は》せる〈スピードスター〉の機首に腕組みをして立ち、 『爽快《そうかい》、爽快!』  真空中に大口をあけて笑った。  忠介はバルシシアのよこに四つんばいになり、両手足を固定されている。 〈スピードスター〉の機内に入ることもできるのだが、今日は宇宙服のテストをかねているので、こんな格好だ。 『猫よ、もっと飛ばせ!』 『了解だ——これより界面下|潜航《せんこう》に移る』 〈スピードスター〉の機体がグンと加速した。  忠介は全身に風圧に似た——いや、深い水中のような圧迫感を感じ、思わず目を閉じた。界面下潜航にともなう、界面抵抗だ。  宇宙服の表面が、ブン……とうなりを上げて振動し、圧力に抵抗した。グロウダインの体表面や、バルシシアの〈祝福〉にあたる機能が、この宇宙服には仕込まれている。それがなければ、加速やエーテルの圧力をもろに喰らって死んでしまうそうだ。もっとも、安全装置は何重にもセットされているし、いざという時にはカーツやバルシシアに助けてもらうことになっている。  一瞬の急加圧ののち、圧力は急速に弱まり、安定した。忠介が目を開くと、一行は見渡すかぎりの虹色の光に包まれていた。地球人が初めて目にする界面下空間。加圧のため発光するエーテルが、スペクトルを目まぐるしく変えながら後方に流れ去っていく。 『わは〜』  忠介はヘルメットの中であほうみたいな表情《かお》をぐるりとめぐらせながら、 『きれいだなあ〜』といった。 『うむ、そうであろう』と、なぜか自慢げなバルシシア。 『陽子《ようこ》もくればよかったのに』 『ほんにのう』  陽子はこの手のイベントに対して妙に保守的なところがあって、今回も結局「家で待ってる」といって聞かなかったのである。  バルシシアは髪とマントをエーテル風になびかせ、両目を閉じ、第三眼のとらえるハイパーウェーブを満喫《まんきつ》した。 『界面下機動《はやがけ》の妙味、おいそれと味わえるものではないというに、おしいことじゃの!』 『同感だな』と、カーツ。  銀河連邦、グロウダインの両陣営を通じ、界面下航行を体感[#「体感」に傍点]する立場にある者は少ない。カーツもバルシシアも、それを自らの「特権」と認識し、享受《きょうじゅ》している。  そしてもうひとり、その「特権」を生得《しょうとく》的に持つ者がいた。 『ミュウ!』  忠介の胸のカプセルに収まっていたミュウミュウが、額の角——空間|衝角《しょうかく》をシャキンと伸ばした。青く光る角が、カプセルの半鏡面処理された窓をつらぬいて、にゅっと突き出た。 『あ——』  忠介の目の前で、青い角が、ドリルのようにぎゅるっと回転した。そして、  ヒュン——  回る角を中心にして、カプセルに穴が開き、大きく広がった。バシュ、と空気がもれ、ミュウミュウの体がぽこんと飛び出した。カプセルの穴は一瞬で空間ごと縮まり、元通りにふさがった。ミュウミュウはカプセルを開かず、また、傷ひとつつけることなく、その中から抜け出したことになる。  ミュウミュウの肌は今、忠介の宇宙服やバルシシアと同様、次元振動を帯びて発光している。光る素足が忠介の肩をとん[#「とん」に傍点]とけり、頭上に跳《と》んだ。 『ミュウミュウ——!?』  忠介は体をひねってミュウミュウを見上げた。ミュウミュウの体は強力なエーテル風にもまれながら後方に吹き飛ばされ、あっという間に見えなくなり、そして——  虹色の光の中、ちかっ、と、ひときわまばゆい光が生じた。  数瞬の間を置いて、もう一度、ちかっ。今度はもっと強い光だ。  ちかっ、ちかっ、ちかっ——  光っているのは、瞬間的に輝き、ふくれ上がっては消えていく光球。ミュウミュウが脱皮しているのだ。  やがて、  ドォン——  と、ごく近い距離で光球が爆発した。比較物がないので距離感はつかめないが、視界をおおいつくす大きさだ。忠介の体にエーテルを媒介《ばいかい》にして爆圧が伝わり、宇宙服の表面が、ブゥン、と音を立てた。  光球の中から、青く光る衝角が突き出し、周囲の空間を巻き込みながら回転した。エーテル渦動《かどう》生命体〈リヴァイアサン〉の航行形態。通常空間では虹色の光の塊《かたまり》と見えるその体は、界面下空間にあっては、周囲のエーテルとの明確な境界を持たない、紡錘形《ぼうすいけい》の光の渦《うず》だ。先端部の衝角のみが、確固とした存在感を持っている。  高速に流れる虹色のエーテルの中、〈リヴァイアサン〉=ミュウミュウの衝角の先が、〈スピードスター〉の機首に、グッとせまってきた。遠目には針状の形をしているはずのそれは、今は巨大な柱——いや、壁にしか見えない。ミュウミュウの衝角と〈スピードスター〉の表面をおおう液体外装、ふたつの壁に、忠介とバルシシアははさまれた形になった。虹色の周辺光が衝角の発する青い光に圧倒され、その光を照り返す銀色の液体外装が、衝角から発する静かな圧力を受けて、ゆったりとたわみ始めた。  忠介は周囲を見回した。上下の視界をおおうふたつの豊は、前方と左右では何十メートルか先で途切れ、虹色の開けた空間につながっている。しかし、後方は——  この位置からだと、頭上の衝角と足元の機体は、ともに、背後に無限に伸びているように見える。先日銀河連邦から送られてきた追加ドライブを装備した〈スピードスター〉の全長は、現在約一〇〇〇メートルだ。一方、ミュウミュウのサイズはどれほどになっているのか。多分、衝角だけでも〈スピードスター〉より大きいんだろう、と、忠介は思った。  どうやって忠介たちの位置をとらえているのか、ミュウミュウの衝角は頭上すれすれの位置をたもっている。忠介は両手のロックを外してそろりと立ち上がり、手を頭上に伸ばして衝角の壁面[#「壁面」に傍点]に触《ふ》れてみた。すると、指先の触れた位置から、ブブン、と音を立てて、きれいな緑色の光の波紋《はもん》が広がった。  なんだか楽しそうだな、と、忠介は思った。  と——  ミュウミュウが〈スピードスター〉からはなれた。低い天井《てんじょう》のように頭上を圧していたミュウミュウの巨体は、急速に上昇し、虹色の空間の中に小さく浮かんだ。 『基準界面に浮上するようだな——先回りする』 〈スピードスター〉はミュウミュウを追い、その衝角の前方に位置をとった。加えて、地球人には本質的に知覚できない、四次元方向への機動。一瞬、エーテルが急加圧され、宇宙服の表面が高いうなりを発した。先ほど潜航の際に感じたのと同様の、界面抵抗。いうなれば、「次元の壁」だ。 「壁」を抜けると、忠介の前に、見慣れた宇宙空間が広がった。暗黒の虚空《こくう》にぶちまけられた、細かな星々、そして流れるような銀河。  ただ、先ほどまですぐそこに大きく見えていた地球は跡形もなく、常に半身をあぶるように照りつけていた太陽も、だいぶ小さく、弱々しく見える。  ——なんだか、ずいぶん遠くまできてしまったみたいだ。  忠介がふと心細く思ったとき、 『ミュウミュウが出るぞ』と、バルシシアがいった。  その言葉通り、空間が大きく振動したかと思うと、星を散らした背景をぐにゃりとゆがめ、「次元の壁」を突き破って、青く光る衝角の先端があらわれた。ズズズ——と、衝角はなにもない空間に、立ち木が成長するように伸びていく。いや、大きさから見て「塔」と表現したほうがいいかもしれない。  やがて、衝角が伸びきると、それに続いてミュウミュウの本体、虹色に光る次元渦動があらわれた。まるで、糸の代わりに綿を通した針が、布をつらぬいてきた感じ。ちなみに、衝角が「光る塔」なら、こちらは「光の竜巻」だ。紡錘形の巨体が、太陽のように光を放ち、はげしく回転しながらふくれあがっていく。圧倒的な存在感だ。  完全に基準界面に姿をあらわすと、ミュウミュウは〈スピードスター〉の横をすり抜けた。けっこうな距離と速度差があるはずだが、ミュウミュウの体があまりにも巨大なため、通過には十数秒かかった。 『さて、ミュウミュウを回収しなければ』と、カーツ。『忠介、幼児の形態に戻るようにいってくれないか』  すると、ミュウミュウの体に複雑な光のパターンが浮かび、巨大なネオンサインのように、ちかちか、と発光した。 『なんじゃ?』とバルシシア。  ミュウミュウを見上げながら、 『え、なになに?……駆《か》けっこ?』と、忠介。 『ミュウミュウがそういったのかね?』とカーツが問うた。 『えー……多分、なんとなく』  忠介の言葉を肯定《こうてい》するように、ミュウミュウの体が二度、三度とうねり、そして急加速した。 『ふむ、望むところじゃ!』  バルシシアは腕を組み、ミュウミュウの飛び去る方角をあごでしめし、 『追えい!』 『やれやれ、仕事をふやさないでくれたまえ』  カーツのコマンドによって、〈スピードスター〉の二四基のハイパードライブが、エーテルを震わせて咆哮《ほうこう》。白銀の機体はミュウミュウを追って加速した。  ミュウミュウは〈スピードスター〉が追いつくのを待つように、速度をゆるめながらぐるぐると螺旋《らせん》を描いて機動した。さらに、紡錘形の体をほとんど球に近い形にまで縮めたかと思うと、急激に伸び上がりながら加速。輝く巨体は一瞬で星の狭間《はざま》に遠ざかり、光の点となった。  そして、  ドォン、ドォン——ドォン![#「ドォン、ドォン——ドォン!」は太字]  エーテルの爆圧をともなう光球が、小、中、大——いや、小、大、極大と、連続的に発生し、破裂《はれつ》した。光球の爆発——ミュウミュウの脱皮にともなって、強力な超電磁ノイズが太陽系全域にまき散らされた。 『うおっ!?」  バルシシアは手を上げて第三眼をかばい、  ヴオオオオン……![#「ヴオオオオン……!」は太字]  空間を震わせて、ミュウミュウが吠《ほ》えた。 『まさに怪物だな……!』 〈スピードスター〉の外装を波立たせながら、カーツがいった。 『はっはっは』と忠介。  ミュウミュウ楽しそうだなあ。  と——  羽虫《はむし》のように不規則な軌道を描いていたミュウミュウの姿が、ふとかき消えた。 『うむ?』 『また潜航したな』  次の瞬間、  ゴォン——! 〈スピードスター〉の機体を、はげしい衝撃が襲った。  そして、機体の軸と直交する、急激な加速。 『わあ!?』 『ぬおお!?』  ヴオオオオ——![#「ヴオオオオ——!」は本文より1段階大きな文字]  機体の下方から、ミュウミュウの咆哮が響いてきた。  衝角の先端が、機体を突き上げているのだ。 『やめたまえ——やめたまえ、ミュウミュウ!』  カーツの叫びをかき消すように、加速はさらに増し、空間が轟《とどろ》いた。  その頃《ころ》、龍守家の居間では、鈴木《すずき》と島崎《しまざき》が、忠介一行の行動をモニターしていた。  ちゃぶ台の上に広げられたノートパソコンから出た何本かのケーブルが、テレビの上のチューナー——〈アルゴス・システム〉の端末につながっている。パソコンの液晶画面を見ていた島崎は、鈴木にむかって、 「ミュウミュウの九齢への脱皮を確認しました。これまで確認された形態の中では最大のサイズですね。体長は約一〇万キロ」といった。 「地球よりでかいってことか」 「ガス巨星なみです。木星よりは小さいですが」と島崎。「正確には、天王星よりは大きくて、土星よりは小さいです」 「そいつはよかった」  ぷかりとタバコをふかす鈴木に、島崎は続けて、 「まだまだ、こんなものじゃありませんよ。〈キーパー〉の話では、完全に成長した〈リヴァイアサン〉は全長一〇〇〇億キロにおよぶそうです」 「一〇〇〇億……てのは、どれだけでかいんだ」 「そうですね、えー、身近な例でいうと……」  島崎は周囲を見回し、となりの部屋に目を留めた。仏壇の前に、くだものかごが置かれている。島崎はいったん席を立って、仏壇にむかって、 「ちょっとおかりしますね」  と頭を下げ、かごからリンゴをとって戻ると、それを鈴木の目の前に置いた。 「このリンゴを太陽とします」  無言でうなずく鈴木に、島崎は続けて、 「このリンゴから一〇メートル先に米粒が落ちていると思ってください。それが、われわれのいる地球です。また、ここから五〇メートル先にはビー玉が落ちています。それが木星です。ちなみに、現在のミュウミュウの大きさは、え——……ソラマメの粒程度ですね」  島崎は、架空《かくう》の「米粒」や「ビー玉」を指した指先をさらに高く上げ、 「先日まで〈突撃丸〉がいたのは海王星軌道付近、約三〇〇メートルの位置です。ハイパードライブなしでは、地球まで半年かかるといっていましたね。単純に比較はできませんが、参考までに……地球人の手になる、パイオニアやボイジャーなどいくつかの無人探査機は、地球から打ち出されたのち一〇年あまりの時間をかけて海王星軌道を通過しています。そして、この尺度でいうと〈リヴァイアサン〉の成体は——」  お手上げ、というように両手を広げ、 「全長六・七キロメートル、まさに天文学的です」  鈴木は無表情のまま、 「そいつは、大したもんだな」といって、ぷかりとタバコをふかした。 「あぁ〜っ」  台所のほうから、低い、不満げな声が聞こえてきた。  お茶の盆を持って入ってきた陽子は、ちゃぶ台に盆を置くと、鈴木の前からさっ[#「さっ」に傍点]とリンゴをとり上げた。 「また勝手にとってる」  先日の羊羹《ようかん》の一件を、陽子はまだ根に持っているのだ。 「あ、それは……」と島崎がいいかけたところに、 「うまそうだったもんでな」と、鈴木。 「……もう、いやしいんだから」  ぶつぶついいながら、陽子はリンゴを持って出ていった。  島崎が頭をかきながら、 「すいません」  というと、鈴木は無言で肩をすくめた。そして、陽子のおいていった盆から湯飲みをとりながら、 「連中は、今どの辺だ?」 「あ、ええと……」  島崎はパソコンのモニターをチェックし、 「太陽からだいたい一二億キロ。黄道面からだいぶ外れてますが、距離的には木星軌道の外側くらいです。まあ、〈リヴァイアサン〉にとっては、庭先で遊んでいるようなものですね。  ……お、またダイブしたようです」  衝角の先に〈スピードスター〉を引っかけたまま、ミュウミュウはたわむれに潜航と浮上を繰り返し、一〇〇万キロ単位の距離を跳躍した。  機体にかかる強大な界面抵抗とその結果生じるフレームのきしみを、自らの背骨の痛みとして認識しながら、 『——このままでは機体がもたん!』と、カーツが叫んだ。 『根性じゃ、根性で耐えるのじゃ!』 『ミュウミュウ、ちょっとタンマタンマ……!』  ヴオオオオン……![#「ヴオオオオン……!」は太字]  ミュウミュウは忠介たちの言葉に聞く耳を持たず、さらに加速。 『防御形態をとる! バルシシア、次元振動を!』 『……心得た!』 〈スピードスター〉のハイパードライブが咆哮し、バルシシアの体にエネルギーを送り込んだ。同時に、なめらかな鏡面を成す液体外装の中でフレームが組み代わり、白銀の矢を思わせる機体はバルシシアと忠介を内部にとり込みながら変形し、直径三〇〇メートルの球体を成した。  機体の内部で、バルシシアは全身に攻撃紋を展開し、 『ぬうん!』  ハイパードライブから供給されたエネルギーを次元振動に変換し、両手のガントレットから放出。球体化した〈スピードスター〉の表面が、うなりを上げながら、金色の光を帯びた。バルシシアの体を次元振動ジェネレータに使った、防御態勢だ。  輝く金色の鞠《まり》と化した〈スピードスター〉を、巨大な衝角の先端——全体のサイズからすれば、それは恐ろしくするどい——が突いた。見事に重心をとらえられ、ビリヤードの玉のように弾《はじ》かれる〈スピードスター〉を追って、ミュウミュウは再びダイブ。界面下から衝角を伸ばし、再び玉を突き上げた。 『バルシシア、振動数が不十分だ!』 『もっとパワーを回せ!』 『あ〜、ゆれが……なんか吐《は》きそう……』  衝撃、さらに衝撃。  小猫が毛糸玉にじゃれつくように、イルカがビーチボールで遊ぶように、一〇万キロの海魔は、三〇〇メートルの金の鞠を相手にたわむれる。 「……もうちょっとしたら、お散歩[#「散歩」に傍点]はなるべく太陽系の外でしてもらいましょう。万一地球や太陽が巻き込まれたら大惨事ですからね」と、島崎がいった。 「その前に、〈キーパー〉のお墨つき[#「お墨つき」に傍点]をもらわなけりゃならんな」と、鈴木。 「そうですね。惑星間レベルにとどまっていればこその『保留期間』ですから——」 「そこからはみ出しつつある現在の状況を〈キーパー〉がどうとらえているか、が問題だな」  鈴木がそういったとき、居間のテレビのスイッチがひとりでに入り、黒地に赤線でできた「顔」が表示された。〈キーパー〉のインターフェースだ。 『みなさんこんにちは。私は〈キーパー〉です』 〈キーパー〉の顔が、にこりと笑った。 『私は回答します。〈リヴァイアサン〉=ミュウミュウは、私の定義する〈人類〉の条件、「恒星間航行の実際的手段をもつこと」を順調に満たしつつあります。じつによろこばしい状況です』  鈴木は肩をすくめ、 「もうひとつの条件はどうだ?」といった。 『私は回答します。〈リヴァイアサン〉=ミュウミュウは、私の定義するもうひとつの条件、「私との意志|疎通《そつう》が可能な論理的基盤を有すること」に関して、なんら変化を見せていません。この件について、私はいまだ判断を保留しています』 「現状維持、といったところですね」 「時間だけがすぎている、ともいえるぞ」と鈴木。「——〈キーパー〉、あんたが決定を下すのはいつだ?」 『私は回答します。それはミュウミュウと私の間に意志疎通が確認されたとき、またはミュウミュウの成長にともない、確実な駆除《くじょ》処理が不可能になる直前です』 「後者は時期的にいつごろになりますか?」と島崎。 『私は回答します。〈リヴァイアサン〉の生態については不明な点が多いため、正確な判断は下せませんが、私の最も有効とする予測は、現時点から四八五時間二三分五二秒後です』 「四八〇……あと二〇日、ですか。その日限がきたら——」 『私は駆除処理を実行します』と、〈キーパー〉。 「駆除処理」とは太陽の超新星化による〈リヴァイアサン〉の焼却。当然、その過程で太陽系も消えてなくなることになる。 〈キーパー〉がテレビから消えるのを確認したのち、 「……そろそろ、本気でミュウミュウの教育について考えなければいけませんね」と、島崎はいった。 「二〇日で、どうにか仕込めるか?」  と問う鈴木に対して島崎は、ふう、と息をつき、微妙な表情をした。 「そう悲観したものでもないとは思います。なにも日本語や、その他の言語を完全に習得する必要はありませんから。要は、普段忠介君と接しているように、〈キーパー〉とも基礎的な意志の交換ができるようになればいいわけです。ただ、少々心配なのが——」  島崎はやや表情をくもらせ、 「ミュウミュウは地球を訪れた初日に、地球人の幼児の形態を獲得し、忠介君との意志疎通(と思われる行動)を実現していますが、その後は現在まで、外見的にも反応的にもほとんど変化していません」 「ああ、その辺については仮説が出てたな」と、鈴木。「〈リヴァイアサン〉=ミュウミュウは、『忠介に会ったときの陽子』の外見——つまり『龍守忠介が身内として受け入れやすい形態』に擬態している、と」  島崎はうなずき、 「当初の�変態�が、忠介君に受け入れられ、保護されるためのものだとすれば、ミュウミュウはすでに目的をはたし、これ以上変化する必要を感じていない。とも考えられます。むしろ、われわれがそうしているように、意図的に現在の状況——『安全な環境』を維持しようとしているのかもしれません。とすると——」 「これ以上。�人間として�成長することはなく、時間切れ……ってわけか」 「ええ……こうなっては、『刺激しないように』とばかりもいっていられません。なんらかの方法で、ミュウミュウのコミュニケーション能力の発達をうながす必要があります」 「やっかいだな。まるで爆弾の解体だ。まちがった線を切ればドカン、切らなくてもドカン、だ」 「まあ、そう悲観したものでもないと思いますよ」と、島崎はもう一度いった。「いまや地球に収まらない存在にまで成長したミュウミュウは、それでも忠介君を保護者として認めています」 「『まだ』認めている、というだけかもしれん」 「それはそうですが……ともあれ、真に憂慮《ゆうりょ》すべきは、ミュウミュウの人格(というものがあると仮定します)が、われわれとの、特に忠介君との接点を失うことです。まずはわれわれのほうから、ミュウミュウが『人格を持ち、コミュニケーションが可能な存在』であると信じるべきでしょう」 「信ずるものは救われる、ってか」 「ええ……鈴木さん、『パスカルの賭《か》け』って、知ってますか?」 「なんだ、それは」 「人は神の存在を信じるべきか否《いな》か、という話です」と島崎。「もし神がいるならば、神は最後の審判のとき、その存在を信じる者を天国に、信じない者を地獄に送るでしょう。もし神がいないならば、信じるも信じないも関係ありません。人は死とともに、ただ平等に消えさるのみです。つまり——」  島崎はメモ用紙をとり出し、ボールペンで何行かの短い文を書きつけた。 [#ここから1字下げ]  A‐1・神を信じる/神は存在する [#地付き] → 天国行き  A‐2・神を信じる/神は存在しない [#地付き] → なにも起こらない  B‐1・神を信じない/神は存在する [#地付き] → 地獄行き  B‐2・神を信じない/神は存在しない [#地付き] → なにも起こらない [#ここで字下げ終わり] 「神を信じた場合(A)と信じなかった場合(B)の報酬《ほうしゅう》とリスクを比較すれば、われわれは神を信じたほうがいいに決まっている、ということになります」 「詭弁《きべん》だな」といって、鈴木は片ほおで笑った。 「問題は『神はいるかいないか』じゃなく、『そこにいるのは神か悪魔か』ってことじゃないのか? 悪魔だったら『どのみちアウト』だ」  鈴木は島崎の置いたボールペンを手にとって、新しいメモ用紙に、似た文を書いた。 [#ここから1字下げ]  A‐1・神だと信じる/神だった [#地付き] → 天国行き  A‐2・神だと信じる/悪魔だった [#地付き] → 地獄行き  B‐1・悪魔かと疑う/神だった [#地付き] → 地獄行き  B‐2・悪魔かと疑う/悪魔だった [#地付き] → 地獄行き [#ここで字下げ終わり]  島崎は肩をすくめ、 「それでも、僕たちのすべきことは変わりませんよ」  鈴木は続けて、 「それと、もうひとつ。『信じるべきか否か』ってことは——」  といいながら、ふたつの文の上に線を引いた。 「『信じていない』ってことだな」 [#ここから1字下げ]  A‐1・神だと信じる/神だった[#「A‐1・神だと信じる/神だった」に取消線] [#地付き] → 天国行き[#「天国行き」に取消線]  A‐2・神だと信じる/悪魔だった[#「A‐2・神だと信じる/悪魔だった」に取消線] [#地付き] → 地獄行き[#「地獄行き」に取消線]  B‐1・悪魔かと疑う/神だった [#地付き] → 地獄行き  B‐2・悪魔かと疑う/悪魔だった [#地付き] → 地獄行き [#ここで字下げ終わり]  島崎は苦笑いしながら、頭をかいた。 「たしかに、僕たちには天国行きの切符を受けとる資格はないのかもしれませんね」 「まあ、忠介たちに期待しよう。うまくいったら、俺たちは便乗すればいい」と、鈴木はいった。  そこに、 「……今〈キーパー〉がいませんでした?」  そういいながら、陽子が再び入ってきた。 「あ、もういっちゃいましたよ」と島崎。 「まあ、奴《やつ》もなにかと忙しいんだろう。地球の相手だけしてるわけじゃあないだろうからな」  そういう鈴木の前に、皮をむいたリンゴの皿がおかれた。  陽子はとがめるような目を鈴木にむけ、楊枝《ようじ》さしをさし出しながら、 「いってくれたら、ちゃんと冷やしたのがあるんです」といった。 「すまんな」といって、鈴木は灰皿でタバコをもみ消した。  その手元のメモに、陽子が目を留めた。神とか悪魔とか、変なことが書いてある。 「……なんですか、それ」 「宗教論争さ」といって、鈴木は楊枝をとった。 「あ、どうも」  島崎は鈴木から楊枝さしを受けとりながら、 「陽子ちゃん、陽子ちゃんは、神さまっていると思いますか?」 「え……?」  陽子は少しむずかしい顔をして、 「さあ……いるんじゃないですか? だって、教会とかクリスマスとかあるんだし」  鈴木と島崎は、ちらりと顔を見合わせた。 「たのもしいですね」 「そうだな」 「……ふたりとも、なに笑ってるんですか」  といって、陽子は口をとがらせた。 「なんだか、やな感じ」  忠介たちは夕方近くに帰ってきた。 「ただいまー」  という縁側の声に陽子たちが出てみると、庭先に着陸した〈スピードスター〉のコアユニットから、妙によれよれになった一行が降りてきた。  カーツの毛並みはぼさぼさに乱れ、バルシシアの軍服はあちこちがぶすぶすとこげている。宇宙服姿の忠介は、顔のまわりになにかこびりつかせている。  そして、三人に共通する、憔悴《しょうすい》しきった表情。 「どうでした?」という島崎に、 『……報告の前に、少し休憩をとりたい』 「うむ」  カーツとバルシシアはよろよろと縁台にむかった。  一方、 「……おニイ? なんかくさい」 「あー、うん、ちょっとゲロ」と、忠介。 「いったいどうしたの?」 「いやあ、ミュウミュウがずいぶんよろこんじゃって」 「なにそれ」  なんだかよくわからないが、いわれてみるとミュウミュウだけが、忠介の頭に引っついた形で、すうすうと満足げに寝息を立てている。  忠介の宇宙服を脱がすために、鈴木と島崎が両脇に立った。  陽子は忠介の頭からミュウミュウをそっと引きはがした。 「……ミュウ」  ミュウミュウは目を閉じたまま、二、三度手足をばたつかせると、陽子の首にしがみついて、くるるるる……と、のどを鳴らした。 「よく寝てるみたい」  宇宙服のバックパックのロックを外しながら、「まさに『寝る子は育つ』ですね」と、島崎がいった。  すると——  縁台に上がりかけていたカーツとバルシシアが、同時にふりむきながら、 「うげえ」という顔をした。 [#改丁] [#挿絵(img/D-hp15_219.jpg)入る] [#改丁] 6  『夕暮れの刻』  陸上自衛隊、町玉|駐屯地《ちゅうとんち》、夕刻。  一日の合同訓練を終えたグロウダイン一座は、休憩所代わりにあてがわれた倉庫で食事をとっていた。四角いパッケージの盛られた皿を中心に、黒い金属質の肌をした、ノッポ、チビ、デブの三人の男たちが、車座になって座っている。  今日の夕食は、軍用のプラスティック爆薬である。金属人間であるグロウダインたちは、おのおの四角いパッケージをやぶり、白い塊《かたまり》をナイフで切っては口に運んでいる。  通常、この種の爆薬の起爆には導爆薬や電気信管が用いられるが、グロウダインは自前の胃袋に同様の機能を持っている。いくらかの塊を飲み込んでは、胃の中で加熱し爆発させ、熱と運動エネルギーを体内に吸収しているのだ。 「……気に入らぬな」  チビのグロウダイン——ゼロロスタンは、爆薬の塊を飲み下しながら、そうつぶやいた。  ドッ——と体内で爆発音が生じ、全身の攻撃紋《こうげきもん》に赤い光が走った。 「どれ、気に入らぬならそれがしが片づけてくれよう」  そういって、デブのボラランダルが、ゼロロスタンの手もとから、食べかけの爆薬をかすめ取った。この男、食い物にかけては手が早い。 「そうではないわ!」  ゼロロスタンが引ったくるようにして爆薬を取り返すと、むかいに座るノッポのザカルデデルドがいった。 「では、なにが気に入らぬと?」 「ふん」  ゼロロスタンは、倉庫内にちらりと目を走らせ、次いで、アイコンタクトによる光言語で、ふたりの同胞に告げた。 (そこに、そこに、そこ……ほれ、そこにもカメラが回っておる)  一座の中でも特に鋭敏な感覚を誇《ほこ》るゼロロスタンは、わずかな作動音や赤外線によって、そこここに仕掛けられた隠《かく》しカメラの位置を、造作もなく特定した。 (それに、見よ。あのようにこそこそと。胸くその悪いことだ)  倉庫の開け放たれた入り口からやや離れた位置に土嚢《どのう》が積まれ、半ばその陰に隠れながら、野戦服にヘルメット姿の自衛隊員が二名、こちらをうかがっている。彼らはグロウダインの護衛兼監視の係だが、「食事」中は万一の暴発事故を案じて、こうして距離を取っているのだ。 「まあ、そういうな」  ザカルデデルドは、あえて声に出していった。密談のそぶりを見せるのは上手《うま》くないと判断したのだ。 「より多くの情報を欲するのは、いずこの軍も同じこと。まして地球人は肉体的に脆弱《ぜいじゃく》きわまる種族なれば、慎重《しんちょう》にもなろうというものだ」 「脆弱をいいわけにするなら、相応に小さくなっておればよいのだ」  ゼロロスタンの顔の攻撃紋に、赤い光がちりちりと走った。 「ふむ……」  ザカルデデルドはあいまいにうなずいた。ゼロロスタンのいうことも、わからぬではない。グロウダインの価値観からすれば、戦力的に優位に立つ彼らに対し、地球人は恭順《きょうじゅん》の意を示すか、少なくとも賓客《ひんかく》に対する礼を取るべきだろう。このように、つかず離れず、事実上の監視体制を敷くというのは、筋の通らぬことだ。  ゼロロスタンは地球人のそうした態度を無礼《ぶれい》のふるまいとし、いらついている。  一方ザカルデデルドは、それを地球人特有の、不可思議な性質と考えている。  ザカルデデルドはふと、倉庫の壁に高く掲《かか》げられた、一枚の分厚い鉄板を見上げた。倉本《くらもと》小隊の00[#「00」は縦中横]式装甲戦闘服から取り外された前面装甲だ。暗緑色のその表面には、少女の肖像がペンキで描かれ、その周囲には、削り取られたような銀色の手形がいくつもついている。その中には、ゼロロスタンやザカルデデルド自身の手形もある。  その視線を追って装甲板を見上げたゼロロスタンが、 「……ふん」と鼻を鳴らし、顔面の光を収めた。  この装甲板は、地球‐グロウダイン間の友好の印として、皇女《おうじょ》バルシシアを始めとするグロウダインの面々が手形を刻んだものだ。この品をグロウダインが送り、地球人側はそれを受け取り、これによって、停戦は成った。  グロウダインは銀河有数の好戦的種族だが、自ら結んだ講和を一方的に破棄《はき》したりはしない。彼らは自らの名誉《めいよ》に賭《か》けて、約定を守る。その、ある種の誠実さは、宿敵たる銀河連邦さえも認めるところだ。  ——だが、地球人はいまだ、われわれを仮想敵とみなしている……?  そこが、腑《ふ》に落ちぬ。地球人には、グロウダインが名誉に賭けて発した言葉が信じられぬというのか。その是非《ぜひ》は置くとして……それならば、いったい地球人はなにを信じて生きているというのか。  こうなると、ことは異種族間|折衝《せっしょう》の様相を帯びてくる。外交技能を持つオルドドーン参謀《さんぼう》ならばいざ知らず、異星の流儀《りゅうぎ》は一介の砲術師たるザカルデデルドの考えの及《およ》ぶところではない。  思案顔のザカルデデルドを捨て置いて、ゼロロスタンとボラランダルは、顔を突き合わせて話し合っている。 「まあ、そうくさるな、ゼロロスタンよ。これも本国《おくに》からの援軍がくるまでのことだ」ボラランダルの言葉に対し、 「うむ、たしかに……ところでおぬし、増援にはいずこの軍が当たると思う?」と、ゼロロスタンがいった。 「そうさな……もぐもぐ……うむ」  ボラランダルは爆薬の塊を飲み込み、体内で着火した。ドムン、とにぶい爆発音が響《ひび》き、肥満した腹の肉が、ぶるんとふるえた。 「われら〈吶喊遊撃艦隊〉の本隊に加え、地上兵力として〈疾風突入旅団〉か〈轟雷覇道師団〉……いや、〈リヴァイアサン〉獲得の任の重要性から見て、おそらくは、第二皇女ゾルルミナス殿下が直々《じきじき》に〈爆熱降下兵団〉を率いておいでになるだろう。大兵力をもって銀河連邦と地球に圧力をかけ、ミュウミュウ殿と忠介《ただすけ》殿をわれらが帝国にお迎えするのではないか」 「うむ、俺もそのように見た」と、ゼロロスタン。 「しかし、もし二の姫さま[#「二の姫さま」に傍点]がおいでになるとすると、バルシシア殿下の進退が、ちと心配だの」 「うむ——」  ゼロロスタンは同意した。〈リヴァイアサン〉捕獲のためにこの辺境星系に派遣されたバルシシアと〈突撃丸〉は、その任を果たせなかったばかりでなく、銀河連邦のカーツ監察官との戦闘によって自力での帰還が不可能となり、結果として、地球や銀河連邦に対し大きな借りをつくることになった。この無様《ぶざま》ともいうべき事態をまねいたバルシシアを、第二皇女が戦地における裁量権を利用して処断しようとする可能性は十二分にある。 「——されど」と、ゼロロスタン。「二の姫さまは義を知るおかたじゃ、この腹切ってお願いたてまつれば、悪いようにはなさるまい」 「おう、その時はそれがしも道連れじゃ」といって、ボラランダルが突き出た腹をぽんとたたいた。「のう、ザカルデデルド」  自分たちの死について意気揚々と語る同胞に対し、 「ああ、うむ……」と、ザカルデデルドは生返事を返した。  おのれの命を惜《お》しむつもりは毛頭ないが、さて——第二皇女ゾルルミナスの前に命を投げ出すことが、主君たるバルシシアのために自分たちがとるべき、最適な行動といえるのか……。  ザカルデデルドの頭はふたりの同胞より、やや複雑にできていた。だが、〈リヴァイアサン〉をめぐる状況はさらに複雑怪奇に絡《から》み合い、ザカルデデルドの分を超えて、高度な戦略性を帯びている。  やがて、  ——やれやれ、へたの考え休むに似たり、か。  ザカルデデルドは肩の力を抜き、そして、ふたりの同胞のやり取りをながめた。 「——それ、このようにナイフを逆手に持ち、一心に絞り[#「絞り」に傍点]つつ……ここだ、この一点に突き立てるのだ。絞りが足りねば、腹の気が刃を弾《はじ》く。怯懦《きょうだ》が忠義にまさるは一生の恥《はじ》ぞ」と、ゼロロスタン。 「うむ、こうか」とボラランダル。 「馬鹿者、位置がちがう! それではエネルギー袋を貫いて自爆してしまうぞ。貴様、二の姫さまにはらわたを浴びせるつもりか!」 「そう怒鳴《どな》るな。それがしは手もとがよく見えぬのだ」 「このでぶがッ! その腹、切る前にまず引っ込めよ!!」  ——腹切りの作法についてやいやいと話し合う同胞のほうが、ただ迷っている自分より、よほど前向きに動いている。  さらに、ザカルデデルドが倉庫の壁ぎわに目をやると、そこにはひとりの男がいた。 〈突撃丸〉艦長、ジェダダスターツ。彼は食事を早々にすませると、あの場にひとり座している。長大な太刀《たち》を手もとに置き、物もいわず、身動きひとつせず——思考すらしていないのではないかと思える。  だが、それが正しい[#「それが正しい」に傍点]、と、ザカルデデルドは思う。  ジェダダスターツは主のために必要とあらば、今この瞬間にでも、全霊を込めた斬撃《ざんげき》を繰り出し、あらゆるものを断ち切るだろう。そのための緊張《きんちょう》を、この男は超人的な意志力によって四六時中《しろくじちゅう》保っている。その精神がゆらぐことは決してない。装填《そうてん》された弾丸、居合《いあい》にかまえられた刃に、迷いは不要なのだ。 「……ふむ」  ザカルデデルドは息をつくと、大きく切った爆薬の塊をぱくつき始めた。そして、 「どうした、いきなり」と怪訝《けげん》な顔をするゼロロスタンに、 「死ぬべきときには死ぬ、食うべきときには食う。そういうことだな」と、答えた。 「なんじゃ、当たり前のことをもったいつけて」 「死んだあとでは、食うものも食えんからのう」  ボラランダルが身を乗り出し、爆薬のパッケージを一度にふたつ、わしづかみにした。  すると、ゼロロスタンがその手を払い、 「貴様は絶食じゃ!!」  その怒声に反応し、入り口の向こうにいた自衛隊員が、びくりと身をふるわせた。  ザカルデデルドが苦笑しながら片手を上げ、「問題ない」というしぐさをすると、ふたりの自衛隊員のうち、小柄なほうが、小さく手をふり返してきた。  ——彼らとも、近いうちに戦うべき運命《さだめ》にあるかもしれぬ。  と、ザカルデデルドは思った。  ——だが、そのときは、そのときだ。 「おいオタ、なに手ェふってんだよ」  土嚢の陰に隠れながら、自衛隊員のひとり、寺山三曹が、小柄な小田切一士をこづいた。宇宙人を見てみたい、という小田切をこっそり連れてきたのは寺山だ。下手《へた》なトラブルが起きれば、責任を問われることになる。 「だって、むこうもほら、手を上げてます」 「『ぶっ殺すぞ』って意味かもしんねえだろ。相手にすんな」 「でも、笑ってるみたいですよ」 「わかるもんかよ。あいつらバケモンだぞ」 「だれが化け物じゃと?」  頭上からの声にふたりがふり返ると、ひとりの少女が腕組みをして立っていた。黒い金属質の肌に、赤銅色の髪。赤いマントを夕風になびかせている。グロウダイン帝国第三皇女、バルシシアだ。一歩後ろには、つきそいの手力《たぢから》曹長が立っている。 「うわあ、出た!」寺山が尻餅《しりもち》をつき、 「は、どっ、どうも——!」小田切が飛び上がって敬礼した。  そのさまを見たグロウダインが、 「殿下!」 「おお、殿下ッ!」 「よくぞおいでくださったァ!」  倉庫から飛び出し、一直線に駆《か》け寄ってきた。 「ひゃあ!」  頭をかかえて伏せた寺山の周囲に、グロウダインにけちらされた土嚢がどさどさと落ちてきた。 「お——これは失礼いたした」と、寺山を踏《ふ》みつけそうになったボラランダル。  そのさまを指さして、バルシシアがカカカと笑った。 「それ、しゃん[#「しゃん」に傍点]としろ、寺山」  手力が笑いながら寺山の首根っこをつかんで引き立て、そして、 「では殿下、ごゆっくり」といって、バルシシアに敬礼した。 「うむ」  バルシシアはグロウダインの面々を引き連れ、倉庫に向けて大股《おおまた》に歩いていった。  その背を見送ると、手力は土嚢のひとつに腰掛けた。 「ど、どうもタヂさん、お久しぶりです」と、小田切がいった。 「おう」 「……班長、よくあんな連中とつきあってられますね」と、寺山がいった。  手力は先日からただひとり、事態の中心地である龍守《たつもり》家の監視任務に当たっている。グロウダインのみならず、銀河連邦の代表者や超生命体〈リヴァイアサン〉などが集う、一触即発《いっしょくそくはつ》の火薬庫のような場に寝起きしているのだ。  しかし、 「うむ。話してみれば、気心も知れてくるものだ」と、こともなげに、手力はいった。 「なにか新しいことはわかったんですか? 彼らの弱点とか」と、小田切。 「弱点? そうだな……」  手力は小さな頭をかしげた。 「彼らは目上の者に弱いらしい」 「なんスか、そりゃ」 「決してならず者の集団ではないということだ。指揮官との交渉さえ上手く運べば、われわれの生き残る道もあるだろう」 「ははあ……」  そんなやり取りをしているところに—— 「おおい、小田切、パーツがきたぞう!」  と、遠くから声がかかった。整備班の同僚だ。 「あ、はい! 今いきまーす!」小田切が手をふって答えた。 「なんだ、パーツとは」手力の問いに、 「00[#「00」は縦中横]式の追加装備っスよ。その……対グロウダイン用だとか」と、寺山が答えた。 「ほう。使えそうか?」 「さあ、どうだか」寺山は肩をすくめた。 「なにをいうんですか」小田切がいった。「新パーツを取り付ければ、00[#「00」は縦中横]式の性能は数倍に跳《は》ね上がりますよ、たぶん!」 「�たぶん�ってなんだよ、おい」  小田切は寺山のぼやきを無視して、 「改良強化型00[#「00」は縦中横]式——�パワード・ゼロ�と呼びましょう。いや�ゼロ・カスタム�のほうがいいですかね」 「おう」と手力。「で、今度はなに色に塗るつもりだ」 「悩むところですねえ」  小田切はそういって笑うと、ふたりに敬礼して、格納庫へ向かって駆け出した。 「あんたら、なんでそんなにのんきなんスか」と、寺山が手力にいった。「00[#「00」は縦中横]式の性能が多少上がったところで、あんな連中とやりあえるわけがないでしょう」 「まあ、そなえあればなんとやら、だ」 「そなえたところで、どうにもなりゃしませんよ」 「もしそうだとしても、寺山、心配することはない」  手力は笑いながら、寺山の肩をたたいた。 「人間、死ぬのは一度きりだ」  バルシシアは倉庫の中に迎えられると、上座にすえられた。背後にはジェダダスターツが立ち、前方には三人組がかしこまって座った。 「ささ、殿下、たんとお召しくだされ」  目の前に、爆薬のパッケージが積み上げられた。 「うむ」  バルシシアはそのひとつをつかむと、口をあんぐりと開けて、開封もせぬそれを、ひと息に飲み込んだ。ズン、と腹の底でにぶい爆発音が響き、庫内の空気をふるわせた。続けて、ズン、ズン、ズン、と、またたく間に三本のパックをたいらげたところで、バルシシアはふと手を止め、 「苦しゅうない、おぬしらも食うがよい」といった。 「は、それでは失礼をば……」  ボラランダルがそろりと伸ばした手を、横にいたゼロロスタンがはたいた。 「もうしわけもござらん。殿下がおいでになるとは知らず、われらはすでに食事をすませてしまいもうした」 「ふむ……?」  バルシシアは周囲を見回した。開封されたパッケージに、切りかけの爆薬。食事を�すませた�というふうではない。バルシシアが好きなだけ食べ終わるまで、遠慮《えんりょ》しているのだ。  しかし、皇族たるバルシシアは、他の氏族の者とは桁《けた》違《ちが》いのエネルギー容量を誇る。この程度の爆薬であれば、目の前の一山はもちろん、たとえ一〇〇万トンでも腹に収まってしまうだろう。  そこで、 「……この惑星《ほし》の食い物は口に合わんのう」  といって、バルシシアは手にしたパッケージを山の上においた。 「はっ、されば、なにか代わりのものを——」  立ち上がりかけるザカルデデルドを、バルシシアは片手で制した。 「いや、わらわはもうよい」 「は……」 「かといって、地球人のせっかくのもてなし、まさか捨ててしまうわけにもいくまいて。おぬしら、あとで片づけておけ」  すると、 「は……ははあっ!」  ゴスゴスゴスッ、と、三人組は目の前の床に額を打ちつけて平服した。 「われらはよき主君《あるじ》にめぐまれもうした!」そういったゼロロスタンは、顔を上げると、同胞に向かって「のう!」 「おう!」 「いうまでもない!」  ボラランダルとザカルデデルドも同意した。 「なんじゃなんじゃ、たかが食い物のことで、大げさなことをもうすでない」  バルシシアは顔面にちかちかと赤い光をまたたかせながら、照れ隠しにぷいと顔をそむけつつ、 「……それにしても、オルドドーンの奴《やつ》めはどうしたのじゃ」といった。 「はっ、参謀閣下は昼から、本国《おくに》との連絡のため、〈アルゴス〉に出向いておりもうす」と、ザカルデデルドがいった。 「それは聞いておる。なにやら重大な報告があるというから、こうして出向いてきたのじゃ」  それだのに、呼んだ当人がおらぬとはけしからん、と、バルシシアはいった。 「重大な報告、ともうしますれば……やはり、重力ゲートの開通、でございましょうか」と、ザカルデデルドがいった。 「いよいよ援軍の到着、ということですかな」  とボラランダル。  恒星間における移動は、基本的に、大重力源の幾何学《きかがく》的配置によって開く重力ゲートに依存《いぞん》する。そして、天然のゲート開通には各種天体の運行をはじめとする膨大《ぼうだい》な変数が絡むため、直前まで正確な座標と時刻はわからない——が、ともあれ、辺境に位置するこの太陽系には、銀河中央部に広がる銀河連邦より、ほど近い星域に位置する帝国領からのゲートが開く確率のほうが、断然に高い。  と、そこに——  どすどすと足音を立てて、大柄なグロウダインが入ってきた。バルシシアの参謀、オルドドーンだ。 「おお、殿下! お待たせいたし、もうしわけもござりませぬ」 「あいさつはよい」  バルシシアが手をひとふりすると、三人組が一歩後ろに下がり、オルドドーンがバルシシアの正面に座った。そして—— 「ご報告もうしあげまする」オルドドーンは大きな顔面をぐいと突き出した。「〈アルゴス・システム〉の予測によれば、これより一週間後、この星系の主星より一〇光日の位置に、帝国領ザムダダダスタ星域からの重力ゲートが開通いたすとのこと」  おお……と、一同がどよめいた。 「いよいよでござるな」 「おうとも」 「それにそなえ、現在、本国では増援艦隊が編成されつつあり——」と、オルドドーン。 「おお、そこでござる」 「増援にはいずこの軍が?」  三人組がいいかわしていると、 「……まあ、おおかた下の姉上がおいでになるのじゃろうな」と、バルシシア。 「あ……」  一同の間に、重い空気がよどんだ。 「なんじゃ、その顔は」バルシシアは一同の顔を見回した。「案ずるな。こたびの失態はすべて、わらわの責任《せめ》になるものじゃ。おぬしらの首が飛ぶことはない」  バルシシアは無意識に、爆薬のパッケージを手に取って、もてあそびながらいった。その手が小刻みにふるえていた。ふるえは見る間に全身に広がり、ブゥーン……という電気あんま機のような振動となって、床面をガタガタとふるわせた。 「それにわらわは、姉上のせっかん[#「せっかん」に傍点]には、な、慣れておるゆえ、なな、なにほどのこともないのじゃ。下の姉上は、し、死なない程度に手加減してくれるじゃろうしの。おぬしらが気に病むことは、ななななにもないのじゃ。ふは、ふはは、あああ安心せよ安心せよ」ブゥーンガタガタガタ。 「おお、殿下……」 「われらがために、そこまで……」  三人組が感じ入っているところに、 「いや、そのことでござりまするが——」と、オルドドーンがいった。  バルシシアの体の振動が、ぴたりと止まった。 「なんじゃ、姉上はおいでにならぬのか」 「いえ、こたびの援軍の主力となりますのは、第二皇女殿下にあらず——」  オルドドーンの大顔面が、深刻な表情を浮かべていた。 「……第一皇女ブラムダダリア殿下率いる、〈殲滅蹂躙艦隊〉にございます」 「なにいッ!?」[#「「なにいッ!?」」は太字]  バルシシアがパッケージをにぎりしめた。瞬間的に加わった異常な圧力によって加熱され、プラスティック爆薬が爆発した。次いで、床の上の爆薬が誘爆し、倉庫の屋根を吹き飛ばした。 「うむッ!?」 「なんだァ!?」  地面に伏せながら、手力と寺山が叫《さけ》んだ。何人かの自衛隊員が駆け寄ってきた。 「なな、なんでもない! なんでもないぞ!」土煙の中から、バルシシアの声がした。「み、みなの者、うろ、うろ、うろろろろ」  うろたえるな、と言いたいらしい。  同時刻、龍守家の台所にて—— 『そう、〈彗星皇女〉ブラムダダリアの〈殲滅蹂躙艦隊〉——居住惑星への大規模直接攻撃、そして惑星環境の完全破壊を旨《むね》とする、最悪の根絶艦隊だ!』  と、赤い首輪をした青い猫——特務監察官カーツ大佐はいった。 『グロウダインめ、この惑星の住人すべてを人質代わりにして、〈リヴァイアサン〉を強奪《ごうだつ》する腹だな』 『こちらでも同様の情報は確認しています』  そういったのは、カーツと同じくらいの大きさの赤い猫——ケイト少佐だ。なぜか、床に置かれた洗面器の中に入っている。 『ただちに牽制《けんせい》のための高速艦隊の派遣を手配しました。しかし——』  カーツはうなずいた。 『おそらく、この星系への到着はグロウダインが先になるだろう。連邦政府としては、〈リヴァイアサン〉がグロウダインの手に入るくらいなら、いっそだれの手にも入らない[#「だれの手にも入らない」に傍点]ことを望むだろうな。よろしい。いざとなれば、私が対地攻撃《ダモクレス》ユニットをもって、状況を終了させる[#「状況を終了させる」に傍点]』  カーツがそういうと、ケイトは目を伏せた。 『……大佐』 『かまわんよ』カーツはいった。『私はこの〈ベル〉に誓って、あたうかぎりの手を尽《つ》くすのみだ。私や地球人たちを犠牲《ぎせい》とするのが銀河連邦にとって最善と判断したならば、私は無論そうする』 『でも……』 『おっと、任務に私情をはさむべきではないな、少佐』 『……了解しました。でも、気をつけて。大佐……カーツ』 『もちろんだよ、ケイト——では、交信を終了する』カーツはしっぽをひゅっとふった。  と——  カーツと向かい合っていたケイトの体の色があざやかな赤から発光する黄緑色に変わり、次いで、その輪郭《りんかく》がどろりと崩《くず》れた。首に着けていた〈ベル〉が、発光粘液の中に、ぽとりと落ちた。よく見ればそれは、特務監察官の〈黄金のベル〉ではなく、〈アカデミー〉の構成員の身分をしめす〈紫色のベル〉だ。  生体共時性通信機の機能を持つ〈アカデミー〉の〈教授21MM〉を利用して、カーツは銀河連邦本国に連絡をとっていたのだ。  そして、一旦《いったん》洗面器の底にとろりと溜《た》まった発光粘液——〈教授21MM〉が、今度は〈ベル〉を中核にしながら伸び上がり、 『そちはなにをいっているのでおじゃるか!』  といった。 『なんのことだ?』 『自殺作戦など許さぬでおじゃる! まろは死ぬのはいやでおじゃる! 〈リヴァイアサン〉など捨て置いて、今すぐ脱出するでおじゃる!』 『そうもいかん。われわれには、この地ではたすべき任務が——』 『つまらぬ任務とまろの命と、どちらが大事でおじゃるか!』  カーツは不満げに耳をばたつかせた。だが、トリ・ホシテ族に公共の利益を説いてもせんないことだ。知性アメーバである彼らには、「個人」や「集団」といった概念が希薄なのだ。  代わりにカーツは、しっぽをぱたりと床に打ちつけ、 『落ち着きたまえ。私とて犬死にするつもりはない——ひとつ、考えがある』といった。  そのころ忠介はジャングルジムのてっぺんで、ぼーっと阿呆《あほう》みたいな顔をしながら、暮れゆく空を見上げていた。  ジャングルジムの足もとにはリュックサックが置かれ、それから、ジロウマルがひもでつながれている。  そのジロウマルが突然、耳をぴんと立てて、 「オンッ」っと吠《ほ》えた。 「おニイ」と、忠介に声がかかった。  ジャングルジムの下に、エプロン姿の陽子《ようこ》が立っていた。「ヘッハッハッハ」としっぽをふりながら、ジロウマルが陽子の足もとにまとわりついている。 「あれ、どうしたの陽子?」と、足もとを見下ろしながら、忠介。 「やっぱり忘れてる」といって、陽子はむっとした。「今日は鈴木《すずき》さんたちがくるから、はやく帰るっていってたでしょ」 「あっ、そうだったっけ」 「もお〜」陽子はほおをふくらませ、「はやくミュウちゃん呼んで」 「はいはい」  忠介は尻ポケットから黒い携帯電話を取り出した。正確には、携帯電話型のハイパーウェーブ・コミュニケーターだ。 「ミュウミュウ? 帰るよー」  携帯電話に話しかけながら、忠介は頭上を見上げた。真っ赤に染まった空に大きな虹色の光の塊が現れ、そして、UFOか羽虫のような不規則な動きで、ぎゅぎゅぎゅっ、と動いたかと思うと、ふっと消えた。  同時に、地上一〇メートルあたりの空間に、青く光るドリルのようなものが、にゅっと突き出た。それから、ひと抱えほどの虹色の光の塊が、空気を巻き込みながらあとに続いた。光の塊は三歳ほどの裸の幼児の姿になると、忠介の頭に引っつき、 「ミュウ」といった。  忠介が幼児——ミュウミュウを頭に引っつけたままジャングルジムを降りると、陽子は忠介のリュックから着替えを出し、ふたりがかりでミュウミュウに着せた。  ふと、忠介が手を止め、顔を上げた。 「今日、カレー?」 「えっ」  陽子は思わず自分の腕を鼻に当て、 「……匂《にお》いかがないでよ、エッチ」 「あ、ごめん」  ミュウミュウが服を着終わると、忠介はリュックを背負い、ジロウマルの散歩ひもを持って歩き始めた。ミュウミュウは忠介の頭に引っつき、その後ろに、手ぶらの陽子が続く。  帰り道は西にむかって伸びていた。風呂屋の煙突の横に沈もうとする夕日が、やけに赤くてでかかった。 「すっごい夕焼け」と、陽子がいった。 「うん」と、忠介。「……まるで、この世の終わりみたいだ」 「……なにそれ」陽子が立ち止まった。  忠介はジロウマルに引かれながら、そのまま歩いていく。 「あのね、俺、今日みたいな夕焼けのとき——」  忠介は歩きながら、ぼーっと空を見上げていた。 「『このまま世界が終わってしまえばいい』って思ったことがある」  こんなふうに、忠介はときどき、よくわからないことをいう。  リュックをしょった忠介の背中が、急に遠くなっていくような気がして、陽子は少し不安になった。まるで、兄がこのままどこか知らないところに歩いて行って、消え失《う》せてしまいそうな感じ。 「変なこといわないでよ。日が暮れるくらいで」  陽子は口を尖《とが》らせた。  そして、再び足早に歩いて忠介に追いつくと、その背に手を伸ばし、少しためらってから、リュックからたれている肩ひもの端をにぎった。 「……だいたい、世界がどうとか、そんなのおニイが決めることじゃないでしょ」 「あっ、そうかあ」  忠介はぽんと手を打ち、うんうん、そうだなあ、とうなずいた。 「よかったあ」 「なによ、それ」  それから、一行は無言のまま、ひと塊になって家路を歩いた。  ジロウマルのひもを忠介が持ち、忠介のリュックを陽子がつかまえ、忠介の頭にはミュウミュウが引っついて、満足げに目を閉じている。  太陽は、もうほとんど沈んでいる。  まわりの家から、晩ごはんの匂いが漂ってきている。  街灯の明かりが、ちらほらとつき始めた。  そうして、家の前まできたとき—— 「あ」忠介が立ち止まった。  陽子は思わず、リュックのひもをぎゅっとにぎった。  忠介は陽子をふり返ると、 「やっぱりカレーでしょ」といって、にゅい、と笑った。  忠介たちが家に帰るのとほぼ同時に、〈アルゴス〉の鈴木から電話がかかってきた。  今日はミュウミュウの「教育方針」を決める、という予定だったのだが、なんでも、急な用事が入ったとかいう話。  みんな、ほんとにテキトウなんだから、とぷりぷり怒《おこ》りながら陽子は夕食の支度《したく》を始め、忠介はミュウミュウを背中に引っつけながら、ちゃぶ台をふいた。  と、そこに、 『帰ったのかね、忠介?』  そういいながら、カーツがふすまをかりかりと開けて入ってきた。 「あ、どうも、ただいま大佐」と、忠介。「あの……それは?」  カーツはその口に、小さな缶をくわえていた。 『うむ——忠介、私はミュウミュウと話がしたい』 「あ、はいはい」 「ミュウ?」  忠介がミュウミュウを床に下ろすと、カーツはくわえていた缶を畳の上にぽとりと落とし、前足でミュウミュウの前に押し出した。 『ミュウミュウ、これを受け取ってくれたまえ』  ネコスキー・ウルトラプレミアム。  先日発売された、「ネコ大好き、ネコスキー」シリーズの最高級ランク商品だ。忠介が試しにいくつか買ってきたもののひとつである。これまでの「ネコスキー」は、カーツにいわせれば「せいぜい家畜の飼料に毛が生えた程度」のものだったが、このウルトラプレミアム缶だけは、自信をもって「こたえられないうまさだニャア」といえる逸品《いっぴん》だ。 『銀河連邦政府を代表して、これを君に贈ろう。これは贈賄《ぞうわい》のたぐいではなく、公正なる贈与だ。友好の印と理解してもらいたい』 「……ミュウ?」と、ミュウミュウが首をかしげた。  現在地球と自分自身のおかれた危機に対し、いかなる手を打つべきか——カーツの出した結論、それは「〈リヴァイアサン〉ミュウミュウの懐柔《かいじゅう》」だ。  どういうわけか、グロウダインは〈リヴァイアサン〉に対し、いくぶんかの「同胞意識」を、そして、皇族たるギルガガガントスに対するような、「強者への敬意」をも持っているようだ。カーツには実に馬鹿馬鹿しく思えることだが、ここはひとつ、その認識を利用させてもらおう。  つまり——  たとえ、グロウダインの〈彗星皇女〉ブラムダダリアがミュウミュウをうばい去ろうとしたとても、ミュウミュウが銀河連邦への帰属を自らの意志で決定したならば、その意志を尊重しないわけにはいくまい——カーツは、そう見ている。  カーツはミュウミュウに背を向け、長い尾をぱたぱたとふった。 『ミュウミュウ、君は私のしっぽで遊ぶのが好きだったな。さあ、相手をしようじゃないか』  それから、その場でころりと転がり、 『それとも、私の腹部のやわらかい毛をなでてみるかね?』 「ミュウ」  カーツにうながされて、というよりは目の前に広げられた腹に機械的に反応して、ミュウミュウが手を伸ばし、わしゃわしゃわしゃ。 『うむ、む、ど、どうかね、実にいい手触《てざわ》りだろう! うほっ! そっ、そこはっ……いや、かまわん! 存分に楽しんでくれたまえ!! うほっ、ほほほっ!』  カーツがびくびくと四肢《しし》を痙攣《けいれん》させていると、バタン! と玄関のドアが大きな音を立てた。 「ギッ!?」ミュウミュウの手に力がこもり、カーツはギャワッと叫んで悶絶《もんぜつ》した。  玄関からどかどかと入ってきたのは、自衛隊に出向いていたバルシシアだ。 「あら、殿下、今日は晩ごはんいらないんじゃなかったの?」 「それどころではない!」と、バルシシアは怒鳴った。「ミュウミュウはあるか!?」 「あ、はいはい、ここに」と、忠介が答えた。 「うむっ!」  バルシシアはだだだだだっと階段をかけ登り、すぐさまどどどどどっと下りてきた。手には一冊の冊子を持っている。 「のけいッ!」  バルシシアは床に伸びてぴくぴくしているカーツをちゃいっと足でのけると、 「おお、ミュウミュウは今日も可愛《かわい》いのう。ほんに、可愛くてよいお子じゃ」  と、急に猫なで声を出し始めた。  バルシシア、内心は必死である。�上の姉上�ブラムダダリアの襲来の前に、できるかぎり失点を取り戻しておかねばならない。  この星系を訪れたそもそもの目的、「〈リヴァイアサン〉の獲得」には事実上失敗したバルシシアだが、ミュウミュウが自らグロウダイン帝国への帰順の意をしめしたならば、それはある意味彼女の功績となる。そうなれば、バルシシアとその部下は、ブラムダダリアの怒りを買わずにすむかもしれぬ。今はそこに賭けるしかない。  なにしろ、第一皇女ブラムダダリアは、惑星のひとつやふたつ、その日の気分で壊滅させてしまう、はげしい気性の持ち主なのだ。  そして—— 「それそれ、仲よくしようぞ。わらわの宝物を見せてつかわすによって。近う、近う」 「ミュウ?」  バルシシアはミュウミュウをひざにのせながら、秘蔵のお宝ファイルを開いた。  ファイルの中身は、忠介にいって雑誌から切り抜かせた俳優のグラビアだ。わりと貧乏くさい趣味である。 「そうれ、見よ。里見浩太朗はよい男じゃのう。なに、気に入らぬか? では高橋英樹はどうじゃ。ほれほれ、大きい顔じゃのう。欲しい写真があれば遠慮なくいうがよい。わけてつかわすぞ」 「ミュウ」 「ぬっ!?」  ミュウミュウが切り抜きのひとつに手を伸ばすと、バルシシアは絶句した。 「そ、その役所広司は……ぬぬぬ…………ええい、ギルガガガントスに二言はないぞ!」  バルシシアは身を切るような思いでファイルから切り抜きを抜き取り、ミュウミュウに手渡した。 「だ、大事にするのじゃぞ、大事に」  ミュウミュウはしばらくその切り抜きをぺらぺらさせながらながめていたが、くしゃくしゃっと丸めると、ぽいと投げ捨てた。 「ああっ……!?」  一瞬虚脱状態になったバルシシアの脇《わき》に、復活したカーツがすべりこんできた。 『ところでミュウミュウ、私の肉球をさわってみたくないかね?』 「失せよ、くそ猫」バルシシアはカーツからミュウミュウを引きはなした。「ミュウミュウはわらわと仲よくしておるのじゃ。のう?」 「ミュウ?」  と、そこに、 「ミュウミュウ、ごはんだよー」と、忠介が手招きした。  晩ごはんはカレーライス。 「ミュウ」バルシシアの腕をすり抜けたミュウミュウが、ふわりと跳躍し、ちゃぶ台の上を越えて、忠介のひざの上に収まった。 『「あ……」』  毒気を抜かれたカーツとバルシシアの前で、忠介はミュウミュウの両手を持って合わせ、 「いただきます」といった。 [#地付き]〈しばらくお休み〉 [#改丁] 古橋秀之の挨拶  みなさんこんにちは、作者の古橋秀之です。  昨日、担当ミネさんからお電話がありまして、『タツモリ』の掲載ページに余白ができるのでなにかいい穴埋めはないか、っていうかなんか書け。というお話。 「なんか適当に広告とかじゃ駄目なんですか」 『それじゃ芸がないから駄目だって、編集長が』  どうしましょう?  ——とまあ、このように、このシリーズに関しては、内輪ネタというか、書いてる側の舞台裏やらなにやらを積極的にオープンにしていこう、という裏コンセプトがありまして、それゆえ、文庫のあとがきなどで担当ミネさんの人となりについてあることないこと書いたりしてしまっているわけですが、 『いや、まあ、あれは�ミネさん�というキャラクターであって、別に私自身のことだとは思ってませんから』とは御本人の弁。  ちなみに、ミネさんが担当する他の作家さんには「いや、あれはそっくりだ。まさにああいう感じだ。ミネさんそのものだ」と、おほめいただいておりますが、まあ、御本人がおっしゃるように、あくまでネタであります。だって、「私ら、ホントは別に仲よくないですもんね」 『……』  ※編集部注[#「※編集部注」は太字] 「この挨拶はフィクションです。実在の人物・団体・担当編集者とは一切関係はありません」[#「「この挨拶はフィクションです。実在の人物・団体・担当編集者とは一切関係はありません」」は太字]  ちなみにこの原稿、前の行のカッコの中は空白にしてミネさんに回してあります。出来上がった本を見るまで、私自身もなにを言われるかわかりません。ふわー、ドキドキ。  ——と、このような感じで担当ミネさんが(あとがきで)活躍する『タツモリ家の食卓』シリーズ1〜3巻、電撃文庫より発売中です。  ではミネさん、最後にもうひとことどうぞ。  ※編集部注[#「 ※編集部注」は太字] 「古橋秀之、及び『タツモリ家の食卓』を今後ともよろしくお願いいたします。こんな嘘つきの作家ですが、嘘つきは作家の職業病であり、だから締切破るのもただの脳の病気です。と言うわけで今度破ったら手術しましょう。もちろん麻酔無しで、頭蓋骨を開いて、電極を差し込んで、百万ボルトぐらいの電圧でビリビリと……(以下略)。なおこの編集部注もフィクションです。実在の人物・団体……(以下略)」[#「「古橋秀之、及び『タツモリ家の食卓』を今後ともよろしくお願いいたします。こんな嘘つきの作家ですが、嘘つきは作家の職業病であり、だから締切破るのもただの脳の病気です。と言うわけで今度破ったら手術しましょう。もちろん麻酔無しで、頭蓋骨を開いて、電極を差し込んで、百万ボルトぐらいの電圧でビリビリと……(以下略)。なおこの編集部注もフィクションです。実在の人物・団体……(以下略)」」は太字] [#改ページ] 「チャンネル争奪・眼力勝負」 初出:「電撃hp Vol.10」メディアワークス    2001(平成13)年2月18日号 「猫と生活」 初出:「電撃hp Vol.11」メディアワークス    2001(平成13)年4月18日号 「ドッグファイト!」 初出:「電撃hp Vol.12」メディアワークス    2001(平成13)年6月18日号 「張さんのおみやげ」 初出:「電撃hp Vol.13」メディアワークス    2001(平成13)年8月18日号 「寝る子は育つ」 初出:「電撃hp Vol.14」メディアワークス    2001(平成13)年10月18日号 「夕暮れの刻」 初出:「電撃hp Vol.15」メディアワークス    2001(平成13)年12月18日号 入力: 校正: 2008年4月5日作成