人斬り弥介 峰隆一郎 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)白髭《しらひげ》の川べりに、 |:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号 (例)徳川四代将軍|家綱《いえつな》から ------------------------------------------------------- [#ここから3字下げ] 浮《ふ》  斬《ざん》 [#ここで字下げ終わり] [#ここから7字下げ] 1 [#ここで字下げ終わり]  大川上流の長命寺の先、白髭《しらひげ》の川べりに、釣り糸を垂れる浪人の姿があった。八月もなかばを過ぎ、川風も冷たくなっているが、浪人は石像のように動かず、といって、釣り竿《ざお》に熱中しているわけでもなさそうだ。鞘《さや》ごと抜いた刀を腰の左側の草むらに置き、双眸《そうぼう》を川面《かわも》に向け、流れ去る水を見ている様子。格子縞《こうしじま》の黒っぽい着物を着流しにし、色褪《いろあ》せた灰色の帯を締め、衿《えり》のあたりには垢《あか》が黒光りしていた。  この白髭は葦の原である。地名は隅田《すみだ》村、対岸は浅草・橋場町《はしばちょう》で、橋場町の端から、向島《むこうじま》へ向けて渡し舟があり、百姓渡しと称している。このあたりには橋がなく、下流に吾妻橋《あずまばし》、上流には千住大橋《せんじゅおおはし》があるだけだった。  白髭には、浪人の他には人影がない。近くには人家もなく、訪れる人といえば、釣り人くらいなものである。  浪人の顔には苦汁が貼《は》りつき、暗い翳《かげ》りがあった。もっとも喜色満面の陽気な浪人というのは少ない。たいていは、重い荷を背負っているような暗い顔をしているものである。明日口にする飯の心配をしなければならないほどの生計《たつき》で、明るい顔のできるはずはなかった。だが、この浪人の暗さは、飯の心配とは別のたぐいのもののようであった。  享保《きょうほう》四年の秋である。冬がすぐそこまでやって来ている。夏は単衣《ひとえ》一枚でもすむが、冬になれば袷《あわせ》を手に入れ、その上に火が要《い》る。浪人にとっては、心細い季節でもあったのだ。  享保になって、世の中は変わった。徳川四代将軍|家綱《いえつな》から七代|家継《いえつぐ》まで、公儀は文治政治を行なって来たが、財政が逼迫《ひっぱく》して来たこともあり、八代|吉宗《よしむね》は、武張《ぶば》ったことが好みだったとみえ、将軍職に就くやいなや、軟弱な文治政治を廃して、初代|家康《いえやす》から三代|家光《いえみつ》までの武断政治にもどしたのである。大名、旗本には尚武《しょうぶ》、勤倹を命じ、庶民にはきびしく倹約を課した。世にいう享保の改革である。  町には、これまで見られなかった武芸道場も建ちはじめ、その数を増しつつある。道場には江戸詰めの藩士、旗本、御家人が揃《そろ》って入門し、木刀のかち合う音が激しくなっていく。あるいは江戸市中の岡場所が廃され、害が多いとして目明しが十手《じって》を取りあげられていた。 「死に場所はないか」  浪人は、呟《つぶや》きを洩《も》らした。  この浪人、名を左柄《さがら》次郎左衛門という。齢《とし》は三十八、深川に住むようになって、十数年を経ていた。この男、十八年前までは、播州《ばんしゅう》・赤穂《あこう》、浅野家の家臣だった。その年に藩主浅野|内匠頭《たくみのかみ》長矩《ながのり》が江戸城で吉良《きら》上野介《こうずけのすけ》に刃傷《にんじょう》し、その日のうちに切腹。そのために浅野家は廃絶、家臣はみな浪士となった。そして翌年の十二月十四目、赤穂浪士、大石|内蔵助《くらのすけ》他四十七士が、松坂町に吉良上野介の首をとった。 「大石めが」  次郎左衛門は吐き出すように口走った。浅野家の家臣は、上野介を討つために、三段備えをしていた。その一陣が大石を頭にした五十人、二陣が五十人、三陣が五十人、と配されていたのである。一陣だけでは上野介を討つことはできまい、ということで、二陣に、腕の立つ者が揃えられていた。左柄次郎左衛門は、二陣に配されていたのである。  それがどういう間違いか、大石ら四十七人は、あっさりと吉良上野介の首をあげてしまったのである。それで、他の浪士は地に埋もれてしまった。  大石らは義士として腹を切り、名を末代まで残し、二陣、三陣の浪士たちは、それをただ羨望《せんぼう》し、切歯扼腕《せっしやくわん》するだけだった。  第一陣が成功する可能性はほとんどなかった。どうして上野介の首をあげられたのか、次郎左衛門にはわからず、納得できなかった。残った浪士の中には憤怒のあまり、腹をかき切った者もいた。もちろん、名も残らない。犬死である。次郎左衛門の胸にも焦燥だけが残った。それから十六年が経ち、かれも三十八歳になっていた。 「ちっ」  と舌打ちして、かれは草の上に寝転んだ。秋の空には、乳色の雲が拡がっていた。次郎左衛門には、いま何の目的もないのだ。遊んでいても飯が食えないとあって、深川の破落戸《ごろつき》の仲間に入り、強請集《ゆすりたか》りのあげくに、博徒の用心棒などをして、どうにか腹を充《みた》していたのだが、改革とやらで、深川の岡場所もなくなり、用心棒の職も減ってきた。飯のために、酒代欲しさに人を斬《き》った。  切腹して果てた四十七士に比べると、同じ赤穂浪士として、あまりにも差がつきすぎ、いまでは、赤穂浪士と名乗ることもできなかったのだ。かれが四十七士のうちに入れなかったのは運であろう。そのおのれの運を恨んで生きるしかなかったのである。  次郎左衛門は、起き上がると佩刀《はいとう》を手にし、鞘を払った。刀刃は赤錆《あかさび》が浮きかけ、鈍く光っている。光は刀刃の輝きではなく、刃に付いた脂のにじむような光だった。その刃を草で拭《ぬぐ》い、川水に浸して拭ったが、これくらいで脂はとれるものではない。この刀ですでに七人を斬っている。刀は士《さむらい》の魂ではなく、人を殺す道具でしかなくなっている。研《と》ぎに出したいが、研ぎ賃が惜しかった。いまは商売道具でもあるのに、赤く錆びるのを待つだけでしかないのだ。  刀を鞘に収めて、再び寝転んだ次郎左衛門は、ぼんやりと焦点もなく乳色の空を見ていたが、はっと息を止め、双眸を躍らせ、同時に刀を把《と》っていた。そして、ゆっくりと体を起こした。その首筋に棘《とげ》に似たものが剌さった。かすかに流れる風が棘を含んでいるのだ。殺気である。振りむかず、殺気の放たれる方向を探った。左後方に殺気を放つものがあった。足音は聞かなかった。うつけていたからだろう。  次郎左衛門は、坐《すわ》った尻のあたりの川砂を指で掘り起こし、左手に掴《つか》み、右手で刀の鯉口《こいぐち》を切り、抜いて立ち上がった。そして、気を鎮めながら振りむき、十間《じっけん》あまりのところに、うっそりと浪人が立っているのを見た。  三十二、三と見える浪人で、顔色が灰色をし、双眸を血ばしらせている。身形《みなり》はかれとさして違いはなかった。次郎左衛門のほうから歩み寄り、三間の間をとって、足を止めた。 「斬り合うのか」 「斬る!」  浪人が叫ぶように言った。 「遺恨か」 「遺恨はないが斬らねばならん」  遺恨がないにしては激しすぎる。 「何故《なぜ》だと聞いても、語るまいな」  浪人は黙った。何故かを考えている場合ではない。浪人は全身を殺気で包み込んでいた。 「おれを、左柄次郎左衛門と知ってのことだな」 「左様」 「ならば、あんたの名を聞いておこう。葬ってやるつもりはないが、名がなくては心もとない」 「田次《たつぎ》玄十郎」  聞かぬ名だ。顔も見たことがない。深川の浪人ではなさそうだ。次郎左衛門は、抜いた刀を体の後ろに隠していた。もちろん、田次玄十郎と名乗った浪人も、それは知っているはずである。 「あんたは人を斬ったことがあるのか」 「問答無用に願いたい」 「左様か」  田次玄十郎は、腰をひねって刀を抜いた。その刀刃には脂は浮いていない。  人を斬って、刀を研ぎに出すほどの余裕があるとは思えない。田次という浪人、妻帯者だと思った。衣服の衿に手垢の光がなかったのである。 「あんたには女房がいるのか」  田次玄十郎は応《こた》えず、刀を正眼《せいがん》に構え、体重を前足にかけ、すぐに斬り込んでくる様子である。その気迫を削《そ》ぐように、かれは一歩退いた。田次は足を摺《す》って、二歩分だけ間をつめた。  左柄次郎左衛門には、気持ちの余裕があった。技倆《ぎりょう》の違いではないが、相手を呑《の》んでいた。負ける気がしない。ここで死んでは犬死になる。 「ここは、おれの死に場所ではない」  かれは嗤《わら》いを浮かべた。喧嘩《けんか》には馴《な》れているし、修羅場もくぐって来た。馴れは余裕を生む。むきになることはなかった。  田次玄十郎は、足で地を摺りながら、正眼の剣をすーっと上げた。そして、一歩を踏み込み、刀刃を振り下ろす寸前、次郎左衛門は左手の砂を相手の顔めがけて放った。 「あっ」  と田次玄十郎が、目を閉じた刹那《せつな》、次郎左衛門は、体の後ろにある刀を引きつけ、相手の顔面に叩《たた》きつけていた。斬るとは思わなかった。すでに脂が浮いて斬れぬ刀である。斬れぬときは叩きつけるか殴りつけるしかない。肩や胴を裂こうと思ってはならない。本来、刀は斬るものである。斬るには顔面は狙わない。骨は硬すぎ刃こぼれする。 「おのれ!」  田次玄十郎は、わめいて刀刃を振りまわした。そのとき、次郎左衛門は五、六歩を退いていた。追ってくれば逃げるだけだった。田次は顔面を割られ、鮮血を流し、赤く染めていた。すでに目は見えなくなっている。見えない目を剥《む》いて、やたらに刀刃を振りまわし暴れまわり、力尽きたように膝《ひざ》をつき、うつぶせに倒れた。  次郎左衛門は、倒れた田次をしばらく眺め、その周りをぐるぐる回りはじめた。手足はまだ動いている。近づけば足を薙《な》ぎ払われる。額から血は流れつづけているが、まだ力は残しているはずだ。たしかに田次は、次郎左衛門の姿を探し、おめきながら、刀を振ったのである。  田次は動かなくなったが、それでも用心して近づかず、川辺の釣道具をまとめた。もどって来た次郎左衛門は、まず田次の手首を雪駄《せった》で踏みつけ、指をこじあけて刀をもぎとると、ほっと安堵《あんど》し、おのれの刀を投げ出し、田次の腰に残った鞘を抜きとり、刀を収め、それを腰に差した。更に、死骸《しがい》となった田次の腰を蹴《け》って仰向けにさせると、懐中を探ったのである。死人に金は要らぬはずだし、他人の懐中をさぐっても、かれの矜持《きょうじ》は痛むほどきれいではなかった。  財布をとり出し、逆さに振ると、小銭と共に一枚の小判が転がり落ちた。小判を拾い、袂《たもと》に入れると、小銭を一枚一枚、拾いはじめた。 「これで、酒が呑める」  尾羽《おは》打ち枯らした浪人に小判は似合わない。田次玄十郎が、なぜ一両の金を持っていたかは考えなかった。次郎左衛門は、死骸に背を向けて歩き出した。 [#ここから7字下げ] 2 [#ここで字下げ終わり]  薄暗い部屋の中に、ザクッ、ザクッと板を刻む音が、さきほどから絶え間なく、続いていた。  小田丸弥介は、版木を彫っていた。鑿《のみ》が版木に食い込み、木屑《きくず》を散らす。かれの周りは木屑だらけである。外を子供たちが喚声をあげ、足音をたてて走り抜け、女のけたたましい声がそれを追う。  神田・雉子町《きじちょう》の路地裏、浅右衛門長屋の一隅にある住まいである。弥介は版木を彫る手を休めて肩をしゃくった。すでに一時《いっとき》(約二時間)以上も彫りつづけているのだ。かれのそばには、五枚の版木が積まれてあった。  版木には文字を書いた薄紙が貼りつけてあり、薄紙ごと鑿で切り裂き、斜めに鑿を入れて木屑をとばすのだ。次第に文字が浮き出てくるが、逆さ文字である。それでなくても何が書かれているのか弥介は、読んでみる気はなかった。 「旦那さま、少しお休みなされませ」  と妻|与志《よし》が、茶を運んで来た。弥介は鑿を置き、背のびを一つして、左肩をゆすりしゃくりあげておいて、湯呑み茶碗を手にするとすすった。 「志津は」 「遊びに出ております」  うん、と頷《うなず》いておいて、茶碗を盆に置くと、背後の壁に立て掛けておいた刀を掴み、立ち上がった。与志が、そのあとを掃除するのだ。もちろん木屑はたきつけにする。  弥介は、雪駄をつっかけると、裏に出た。庭などあろうはずはないが、そこはだだっ広い空地になっていて、雑草が茂っている。芒《すすき》が穂を出しはじめている。 「夏もすでに終わりか」  と呟いておいて、刀の鞘を払った。その鞘を朽ちかけた濡《ぬ》れ縁《えん》に置き、両足を踏んばると、刀刃を振りかぶった。刃渡り二尺八寸の幅の広い刃である。  振りかぶった刀を気合いもなく振り下ろす。刃が空気を裂いて音を発する。振り下ろされた刃は、水平の位置でぴたりと止まる。再び振り上げ、振り下ろす。緩慢に振り上げ、迅速に空気を斬り裂く。その度に棒でも振り回しているような鈍い音を発する。  まだ肩の凝る年齢ではない。三十三歳になっていた。妻の与志は二十四歳である。夫婦になって五年余り、肩の凝る齢ではないが、版木彫りが性に合わないのか、左肩が重く張ってきて鈍痛がある。  その凝りをほぐすために素振りをする。むこうの野原を馳《か》けまわる長屋の子供たちの影が見えていた。子供たちは叫声をあげて走る。その子供たちの中に娘の志津がいるのであろうかと思い首を伸ばしてみたが、それとはわからなかった。志津は五歳になっている。  一呼吸ついて、刀を右手に下げると、一歩を踏み出して、水平に薙ぐ。刃が閃《ひらめ》く。刃は斬り下げるのと同じ刃鳴りを発した。数十回同じ動き方をし、次に連続技になる。つまり、右手に下げた刀を、一歩踏み出し、斜め上に走らせておき、天を突く鋒《きっさき》を返しておいて、左手を添え斬り下げるのだ。  刀を鞘に収めて、 「このまま安泰に暮らしていけるのか」  と呟いた。いつの世にも浪人は生きにくい。弥介は、まだ版工という職を手に持っているだけに楽なのかもしれないが、それでも生計《たつき》は楽ではないのだ。版工である限りは親子三人飢えることはあるまいが、かれは版木彫りが好きになれない、といって止《や》めるわけにはいかない。好き嫌いをいうのは贅沢《ぜいたく》なのだろう。  かれが彫る版木は版元でも評判はいい。他の版工が彫ったのに比べると彫りも深いし、刷り上がりも上々なのだ。仕事をすればするだけ金にはなるが、工賃は安い。  口入れ屋を通して用心棒の仕事でもあればそのほうが楽だが、いまは浪人がふえたためか、ほとんど用心棒の口もない。たとえ版工の仕事でも、毎月決まって仕事があるだけ、他人よりましと思わなければならないのだろう。むかしはごろつきの群れの中にあった身が、いまどうにか人並みに暮らしているのだから、それでよしとしなければならない。  翌日、弥介は彫りあげた六枚の版木を風呂敷に包み、長屋を出た。空は晴れていたが、風は冷ややかで、すでに秋の気配である。日本橋の版元に版木を届け、工賃を受け取った弥介は、目当てもなく歩きだした。  江戸の町は、武家屋敷と町家、それに寺の敷地と分かれている。そういう町並みを歩くのは好きだった。あてもなく歩き、ふと気がついてみると、思いがけない所にいたりする。  弥介は、湯島天神への石段をゆっくりと登っていた。天神は高い所にあり、見晴らしがいいのだ。天神の境内から、北側に不忍池《しのばずのいけ》が眼下に見える。  天神境内には、色鮮やかな茶屋が軒を並べている。色鮮やかなのは店先に並べられた床几《しょうぎ》に掛けられた緋毛氈《ひもうせん》の色なのだ。もちろんその床几に腰を据えるほど、金に余裕があるわけではない。  境内の北側、つまり、不忍池の見えるあたりの草むらに腰を降ろした。近ごろは、よく考え込むことがある。理由はないが漠然とした不安に包み込まれることがあるのだ。その不安の因《もと》は、浪人の数の多さだろう。街中を歩いていて、すれ違う人の三人に一人は浪人のように思えるのだ。  各地を流浪している浪人たちが、江戸なら食えると思い込んで、三々五々と集まってくる。だが、他所《よそ》で食えぬ者が江戸で食えるわけはないのだ。  そのために、辻《つじ》斬り、盗賊がふえはじめていると聞きもした。金を持っている者は、飢えた浪人に狙われる。現にこの境内にも腹を空かした浪人が、まるで獲物を探す狼のようにうろついているのだ。  それに比べて、不忍池は青々として美しい。蓮《はす》の葉が水面に浮いて、小舟が浮いているのを見ると蓮の実とりだろう。蓮が淋《さび》し気《げ》な白い花をつけていたのは、つい先ごろのように思い出していた。  もう少し、秋が深まると、この池で菱の実が採れるのだ。茹《ゆ》でた菱の実を池畔《ちはん》の店で売っているが、美味である。  弥介は、両肩をひくっと動かし、我に還《かえ》り、首を回した。蕀を含んだ殺気がただよっていたのだ。  天神本堂の裏手に二つの影が向かい合って立っていた。二人は刀を抜いて対峙《たいじ》しているように見えた。双方とも浪人だ。弥介は腰を上げ、二人のほうに歩いた。  浪人の一人は四十年配と脱え、粗衣をまとい、鬚《ひげ》をのばし、一方はまだ三十前と見える若い浪人だった。こちらは、髷《まげ》をきれいに結いあげ、着ているものもよく、髭も青々と剃《そ》りあげていた。  何のための斬り合いかは、弥介には関り合いのないことだし、関り合う気もなかった。二人は対峙して動かない。技倆は拮抗《きっこう》しているのだろう。弥介は、四十男のほうがいくらか上と見た。  関り合えば、恨みをかうことになる。人に恨みをかうようなことは、いまの弥介にはできないことだった。妻と娘を持つ限り、その報復が怖ろしいのだ。  四十浪人が一歩踏み込んで、一閃《いっせん》すると見せて一歩退いた。それに誘われて、若い浪人が一閃した。そこに隙《すき》が生じた。四十男が斬り立て、若いのが一歩二歩と退く。拮抗が破れたのだ。  刃と刃が打ち合って音を発し、若いのが木の根にでもつまずいたのか、よろめいたところを、四十男の鋒《きっさき》が、若いのの手首を裂いた。怯《ひる》むところを肩に斬りつけ、腹を裂いた。若いのが逃げようと背を向けたとき、一閃が肩を深々と裂いた。充分に腰は落ちていた。  そこで四十男は刀を引き刃を拭い鞘に収めて、若いのがくたばるのを待つ。すでに勝負はついている。若いのは膝をつき、しばらくそのままでいて、棒倒しになったときには、すでに身動きもしなかった。  四十男は、動かなくなった若い浪人に背を向けて歩き出し、弥介の姿を目にして、ぎくりと足を止めたが、鋭い一瞥《いちべつ》をくれて、歩み去った。  おのれとは関りのない斬り合いだった。斬り合った二人にはそれぞれ事情があるのだろう。いま、弥介には誰《だれ》かと斬り合わねばならない事情はない。だが対岸の火事ではないだろう。いつかはそういう事情を持つことになる。それがいまある漠然とした不安なのか。 [#ここから7字下げ] 3 [#ここで字下げ終わり]  左柄次郎左衛門の姿は、蛤町《はまぐりちょう》の居酒屋『甚兵衛』の片隅にあって、盃《さかずき》に銚子の酒を注いでいた。懐中を気にしないで酒を呑めるのは久しぶりのような気がした。刀も新しくなった。たいした刀とは思えないが、脂の浮かない刀であれば三人は斬れる。それが次郎左衛門の気持ちをいくらか豊かにしていたのである。  かれは、材木町の岡場所を縄張りとする博徒、嵐の勘兵衛の用心棒をしているが、岡場所が廃止され、実入りは少なくなっているし、その分、かれの懐中も淋しくなっていた。といっても、岡場所が全くなくなってしまったわけではない。表があれば裏がある道理で、分散して隠し岡場所があった。もっとも隠し岡場所では、収益が上がらない。給金を上げてくれなくても、どこかに行くあてはないし、目当てもあるわけではない。少ない給金で我慢する他はなかった。 「左柄の旦那」  と声をかけて、次郎左衛門の向かいに坐ったのは銀兵衛という三十男、以前は深川|界隈《かいわい》を根城にした目明しだったが、いまは十手をとり上げられて、しょぼくれている。 「旦那、なにかいいことでもあったようですね」  十手はないが、目つきは鋭い。目明しではなくなっているが、町奉行所の同心とどこかで繁《つなが》っているのだ。めったなことは喋《しゃべ》れない。この銀兵衛の目の色には、獲物を探している鈍い光があった。 「たいしたことではない」  と笑って、小娘を呼び、銀兵衛のために酒をとってやった。この男の名は、江戸中のごろつきや博徒の間では通っている。名が通っているから通り者ともいう。地獄耳でもあった。 「岩田の旦那がいなくなりやした」 「岩田重三郎か。いなくなったとはどういうことだ」  岩田重三郎は、次郎左衛門と同じ用心棒仲間である。柔術をよくやる男だった。手刀で相手の額を割るくらい容易だった。 「岩田の旦那が浪人者に斬られたのを見たというものがあって、その場所に行ってみたんですがね。死骸がねえんで、その場所は、水びたしだつた。水で血を洗ったんですかね」 「どこか医者のところに運ばれたのか、それとも番所か」 「そのどっちでもねえんで、あっしは暇なもんで、あちこち走りまわったんですがね、どこにも見当たらねえんで」  素手で剣に立ち向かえる男だ。そう簡単に殺されるとは思えない。 「小池の旦那、ご存知でしょう」 「小池新左衛門か」 「その小池さんが、住まいから行方《ゆくえ》知れずになっていなさるんで」 「ふん」  と額いて、次郎左衛門は、自髭の田次玄十郎といった浪人を思い出していた。岩田重三郎も小池新左衛門も、むかしはよく酒を呑んで悲憤慷慨《ひふんこうがい》したものである。近ごろは、深川に浪人者が更にふえ、お互いにふところも淋しいところから、顔を合わせることもなくなっていた。 「親分、何を言いたいのだ」 「いいえね、親分は止めて下さいな、いまはただの銀兵衛で、それはとにかく、何だかおかしいんで」 「何がおかしい?」 「それが、よくわからねえんですがな、岩田さんも小池さんも、この深川に十年以上住んでいなさる。それが、ふいに消えっちまうなんて、あっしには気に入らねえんで」  喋っているところに、九沢半兵衛が入って来た。誰かを探すように店内を眺めて、次郎左衛門と目が合った。 「次郎左、いたか」 「どうした、半兵衛」  いや、と口の中でもぐもぐと言うと、銀兵衛と並んで腰掛けに腰を降ろし、小娘に盃を持ってこさせると、次郎左衛門の銚子を手にして、続けざまに三杯の酒を口に流し込んだ。 「半兵衛、顔色が悪い、どうかしたのか」  九沢半兵衛は、一刀流をよく使い、仲間うちでは腕の立つほうだった。 「小池がいなくなった」 「それをいま銀兵衛から聞いたところだ」 「広瀬伝七郎もいなくなった」 「広瀬も」 「次郎左、誰かに狙われていないか」 「さて」  首を振った。自髭で田次玄十郎に挑まれ、斬っているが、銀兵衛の前では言いにくかった。金と刀を奪っているのだ。口にするのはためらわれた。 「伝七郎の姿を見たら、知らせてくれ」 「わかった」  半兵衛も、銀兵衛がいるので話しづらかったのだろう。腰をあげて店から出て行った。深川には数千人の浪人がたむろしている。そのうちの二、三人がいなくなっても、たかが知れている。 「旦那、どう思いやす」 「どうって、人はそれぞれ事情を持っているものだ」 「気がつきやせんでしたか、九沢の旦那の体から血が匂《にお》っていやした。人を斬りなすったんですね」  やはり目明しだと思い、次郎左衛門はどきっとなった。かれも白髭で浪人を斬っている。川風に吹かれて歩いて来たから、血が匂わなかったのか、それとも、返り血を浴びなかったためか。いや、銀兵衛は、血の匂いを嗅《か》いで、かれの席にやって来たのかもしれない。 「それで、半兵衛をお縄にしようってのか」  いくらか力んでみせると、銀兵衛はあわてて笑い、手を振った。 「旦那、あっしはもう目明しじゃねえんですぜ」 「だが、まだ目明しの目つきをしておる」 「こいつは参りやした。習い性というやつで、簡単にはもとにもどりやせん」  この銀兵衛という男、むかしはかなりの悪だったと聞いている。悪だから悪党仲間に顔が売れている。だからこそ同心もこの男を使っていたのだ。  次郎左衛門は、空になった銚子を小娘に振ってみせた。久しぶりに呑む酒は美味《うま》い。 「親分、じゃなかったな、銀兵衛ももう一本どうだ」 「あっしは、一本でたくさんで」  ちびりちびりと舐《な》めるように呑む。むかしからこんな呑み方をする男だった。 「ところで旦那、むかしといっても五、六年前のことだが、人斬り弥介って……」 「ああ、小田丸弥介か」 「その小田丸の旦那は、どうしていらっしゃいやすかね」 「弥介が、どうかしたのか」 「いいえね、小田丸の旦那がいらしたらと、ふと思い出しやしてね」 「なるほど、弥介なら、そう簡単には、やられることはないな」 「いいえね、あっしも一度、小田丸の旦那がとんでいる蝿《はえ》を切りなすったのを見たことがあるんで。刀を抜いて一呼吸、蝿がとぶのを見ていて、一振りでした。蝿が二つになって舞い落ちて来たんで、凄《すご》いお方だと思いやした」  小田丸弥介か、と呟いて、懐かしい名前だと思った。六尺近い男で、筋張った逞《たくま》しい体をしていた。当時、仲間うちでは、弥介にかなうものはいなかった。なにせ太刀の迅《はや》さが、尋常の二倍はあったし、稟性《ひんせい》なのか目がよく蝿が蝶の飛ぶように見えると言っていた。次郎左衛門にも蝶《ちょう》くらいは叩き落とせる。銀兵衛が蝿を斬ったのを見たというのは嘘《うそ》ではないだろう。 「弥介は、五年前にこの深川から足を洗って、いまは版工で食っていると聞いた。住まいは神田あたりではないかな」 「版工ですか」 「この稼業から足を洗ったのは、何か思うところがあって、と言っていたな、たしかいまは女房子供がいるはずだ。だが貧乏していよう。工賃だけでは楽じゃあるまい」 「いまの九沢の旦那も凄いと聞いていやすが」 「半兵衛も使うには使うが、人並みだな」 「するってえと、小田丸の旦那は」 「弥介の剣は、ありゃ化けものだ」  銀兵衛は、首を伸ばして、外の様子を見ていたが、もう暗くなりやがった、と口の中でもぐもぐ言って、腰をあげ、卓上に一分金《いちぶきん》を置いて、踊るように外に出ていった。銀兵衛にはおごってやるつもりだったが、置いていった金を返すことはない。一分といっても、浪人の身には大金である。酒代払って女が抱ける。  次郎左衛門は、このところ女の肌に触れていなかった。抱かれてくれる女がいないわけではないが、金がないと女もいい顔をしない。女がなくてすむはど老いてはいない。女を思い出したせいか、股間《こかん》がむず痒《がゆ》くなって来た。 [#ここから7字下げ] 4 [#ここで字下げ終わり] 「人斬り弥介か」  次郎左衛門は呟いた。  そばに女が眠っていた。けい[#「けい」に傍点]という茶屋女である。二十五、六で、三十女のような閨技《ねやわざ》を持つ女である。もっとも茶屋女は、相手と金次第では春をひさぐのだ。閨技は商売ものだった。次郎左衛門が姿を見せたときにはいやな顔をしたが、一分金を握らせると、顔色が一転して優しくなったのである。現金なものだと思うが、それで生きている女であれば仕方ないことだった。女に情を求めようと思うのがどだい無理な相談なのだ。  かれはけいの体に三度ほとばしらせて納得した。かれが納得するとけいはすぐ眠り込んだが、次郎左衛門はかえって頭が冴《さ》えた。行燈《あんどん》の灯《あか》りがけいの寝乱れた衿元を照らしている。  人斬り弥介、たしかに、人斬りの仇名《あだな》にふさわしい男だった。日頃《ひごろ》は温和な男だが、人を斬るときには、うむをいわさず斬る。その斬り方が凄《すさま》じかった。水平に剣を薙いで、首を刎《は》ねたこともあった。後ろからではなく前から斬る。剣と腕との角度を考えると、首を水平に斬り落とすのは、次郎左衛門の腕では不可能に思える。薙ぎ斬るのは、たいてい相手の腹である。腹を裂くにも、体を移動させなければならない。  弥介が腹を裂くと、一刀両断、腰と胴が離れてしまうほどに斬る。袈裟懸《けさが》けに斬れば腹のあたりまで裂けてしまうのだ。もちろん相手は一刀で即死である。刀を抜けば殺した。殺す必要のないときは、刀を抜かず、素手で相手をした。柔術を得意とする岩田重三郎が、素手の弥介に及ばなかった。弥介に言わせると重三郎の技が見えると言っていた。人斬りと呼ばれるに相応《ふさわ》しい男だった。  酔いが醒《さ》めていた。  岩田に小池、広瀬が姿を消した、ということに思い至ったのだ。銀兵衛は面白くない、と言った。この三人が深川から姿を消すには理由《わけ》がなければならない。深川より他に食っていける土地はないからだ。その点は次郎左衛門も同じである。どこかへ行くのであれば、一言|挨拶《あいさつ》があってしかるべきだし、また誰かが、その理由を知っていて当然だろう。三人はどこへ行った。殺されてどこかへ運ばれていったのか。銀兵衛の言い方はそのように聞こえた。  深川の浪人たちの間で、何が起ころうとしているのか。わずかだが、胸に不安が湧《わ》いた。九沢半兵衛は、次郎左、狙われていないか、と言った。  今日、白髭で田次玄十郎と名乗った浪人に挑まれた。この田次は殺気立っていた。田次は何のために白髭までやって来たのか。かれは、左柄次郎左衛門がいることを知っていた。なぜ知っていたのか、なぜ次郎左衛門を斬ろうとしたのか。田次は遺恨ではない、と言った。遺恨でなくて他にどのような理由があるのか。 「わからん」  わからんが無気味である。  九沢半兵衛は、なぜ広瀬伝七郎を、血まなこで、探していたのか。たしかに伝七郎と半兵衛は、衆道《しゅどう》ではないのかとからかうほど仲がよかった。  銀兵衛は、九沢半兵衛が誰かを斬ったばかりで血が匂ったと言った。半兵衛は誰を斬ったのか、この男はいつも冷徹な男だった。気軽に人を斬るような男ではない。斬ったのなら斬るだけの理由があったのだろう。次郎左、おまえは狙われていないか、と言った。ということは、半兵衛は誰かに狙われ、相手を斬ったことになる。かれも田次玄十郎に挑まれた。半兵衛の身にも、同じようなことが起こったのか。  田次玄十郎とは、一体何者だったのか。また一両の金を持っていたことも、合点がいかないのだ。 「おれは犬死するのか」  その思いがあった。死ぬのは怖ろしくない。名が残るのであれば、吉良の首をあげた四十七士の誰かに代わって腹を切りたかった。 「大石め!」  ここ十六年、次郎左衛門は、大石内蔵助をののしりつづけて来た。あいつらには、吉良の首はとれん、と赤穂の仲間は言っていた。大石ら四十七士は、失敗する。すると、次郎左衛門ら第二陣が働くことになる。みんな、そうなると思い込んでいた。藩中の剣に覚えのある士《さむらい》は、ほとんど二陣に組み込まれていたのだ。大石らが吉良上野介の首をあげたのは、何かの間違いではないか、といまでも思う。  公儀の手が動いていた。そうでなければ、吉良上野介を本所《ほんじょ》・松坂町に移すはずはないのだ。公儀は赤穂浪士に吉良上野介を討たせたかった。それには大老格の職にあった柳沢|吉保《よしやす》が動いたという噂《うわさ》がまことしやかに流れた。 「それはよい、もうよい」  と次郎左衛門は手を振り、頭の中から追い出そうとした。  第二の田次玄十郎が現われればどうなるか。勝てる自信はない。死ぬのはいい。だが、名もなくごろつき浪人として死んでいくのに、堪《た》えられないのだ。ここ十六年、常に死に場所を得たいと思って来た。 「死に場所を得たい」  十六年を無駄に生きて来たような気がする。いや、三十八年をだ。士として何一つ成し得なかったとの思いが強い。士として生まれて来たからには、後世に名を残すようなこともしたいと願って来たのだ。それがかなわなくなったような気がする。  わけがわからないが、妙におのれの命が短いことが予感されるのだ。明日にも第二の田次玄十郎が現われそうな気がする。 [#ここから7字下げ] 5 [#ここで字下げ終わり]  翌日、次郎左衛門は、けいに鶏卵を買わせ、それを二つに割って、実を吸い、殻に火鉢の灰をつめて紙で糊《のり》づけした。目潰《めつぶ》しである。目潰しが効く相手かどうかはわからないが、とにかく三個を作り、ふところに入れて、けいの家を出た。  朝飯を食うために、居酒屋『甚兵衛』に入った。居酒屋はたいていめし屋を兼ねている。そこに九沢半兵衛がいて、暗い顔で、朝からといってもすでに午《ひる》近いが、酒を呑んでいた。黙って半兵衛の前に坐った。 「次郎左、あんたも狙われたな」 「ああ、昨日、白髭で釣りをしているところを。だが、何故だ」 「何故だかわかれば、苦労はせん」 「半兵衛、何人斬った」 「ここ五日の間に三人斬った。相手はわけを言わん、わけがわからんというのは、無気味なものだ」 「広瀬伝七郎は」 「おらん、消されたようだ」  次郎左衛門は、飯を頼んだ。一汁一菜だ。汁を飯に掛けて、それを胃の腑《ふ》に流し込んだ。 「呑むか」  と半兵衛が盃をさし出したが、次郎左衛門は首を振った。 「相手はどこの者かもわからんのか」 「いや、一人が言った。住まいは浅草だと」 「浅草か」 「三人とも、深川では見ない顔だった」 「おれが白髭で斬った奴《やつ》も同じだ」  次郎左衛門は、両肘《りょうひじ》を卓について、色だけの茶をすすった。 「半兵衛」 「なんだ」 「おれの骨を拾うてくれぬか」 「次郎左、弱気になるな」 「いや、おれの命は短い、そういう気がする。半兵衛、あんたなら斬り抜けられようがな」 「おいおい、昨日の景気のいい面《つら》はどうした。死神に憑《つ》かれたか。たしかに何か得体の知れないものが動き出しているようだ。だが、それを乗りきるには気力だ。かなわぬと思えば逃げろ、それしかない」  次郎左衛門は気をとり直し、気を変えて、酒を頼んだ。店の亭主である甚兵衛が、銚子を一本運んで来た。つき出しは茄子《なす》の漬けものだった。  この深川に来て、昨日の田次玄十郎で八人を斬っている。腕に自負があったのではないか、とじぶんに言い聞かせた。剣は陰流を学んだ。赤穂藩では十指に入っていた。だからこそ、第二陣に組み込まれたのだ。 「かなわなければ逃げろか」 「そうだ。おれも逃げる。相手の技倆を見抜けばよい」  ごろつき浪人になり果てて、矜持もなにもなかった。盃を手にして口に運ぶ。だが酒の味は妙に水っぽかった。昨日は美味であったのにと思う。酒の味は気分によって変わるものだ。 「昨日、銀兵衛が、小田丸弥介のことを聞いておった」 「小田丸弥介か、なつかしいな、あいつの剣は狼の牙のようだった。容赦がなかったな、どうしているのかな」 「神田あたりに住んで版工で飯を食っているようだ」 「だが、弥介には奇妙なところがあったな、斬るまでは泰然としているが、斬ったあと急に走り出していた」 「そう言えば、そんなことがあった」  半兵衛が、銚子を音をたてて置いた。 「待て、銀兵衛がなんで弥介のことを聞いたのだ」 「ほんの世間話のつもりではないのか」 「銀兵衛は、このところ、妙に深川をうろつきまわっている。目明しでもないくせに、あいつ、何かあるな」 「だが」 「神田あたりに住んで、版工をしているとなれば……目明しだから、版元を調べるのは、わけなかろう」 「それがどうしたのだ」 「わからんが、気になる」 「気になるか」 「広瀬も岩田も、そして小池も、深川では浪人仲間のうちで腕の立つ者ばかりだ。そして次郎左、おまえとわしだ。もう一人行方知れずになっているのがいる。御家人崩れの寺沢勘三郎だ。おれたちとはつきあいはなかったが……」 「寺沢か、知っとる。かなりの達者だった」 「そして、弥介となると……」 「銀兵衛を唄《うた》わせてみるか、おれも気になって来た」 「あいつ、何かを知っていそうだ」  酒はまだ銚子に残っていたが、二人は銭を払って店を出た。二人一緒でははじまらない。落ち合う場所と時刻を決めて、左右に別れた。だが、銀兵衛はこの日深川にはいなかったとみえ、探し出すことはできなかった。深川は隅から隅まで知りつくしている。深川に住む人たちも、目明し銀兵衛の名も顔も知らぬものはいない。それでいて今日はみんな銀兵衛の姿を見なかったという。  永代寺《えいたいじ》門前町には、水茶屋がずらりと並び、茶屋女たちが客を呼んでいる。もちろん次郎左衛門には、茶を飲むほど金に余裕はない。それで、茶屋女たちに銀兵衛のことを聞いて、八幡宮《はちまんぐう》に入った。休むのなら、なにも水茶屋でなくてもいいのだ。境内に坐り心地のよさそうな石を探して腰を降ろした。  そのときになって、遠くに立っている浪人の影を見た。その浪人は、ぞろりと着流しの姿で、うっそりと立っていた。齢も顔も遠くてはっきりしないが、次郎左衛門は、その浪人にさきほどから跟《つ》けられていたことに気付いた。  次郎左衛門は、あわてて懐中をさぐり、目潰しの卵を手にして、改めて不安を覚えた。  浪人は、緩慢な足運びで歩み寄ってくる。齢《よわい》四十ばかりと見える月代《さかやき》の長い浪人だ。浪人の身形《みなり》は似ている。浪人は昨日の田次玄十郎のように激してはいない。殺気も見えず、落ちついた足運びで、静けさの中に無気味さがひそんでいる。それだけに剣には自負があるのだろう。  かなわぬと思ったら逃げろ、半兵衛はそう言った。だが、この八幡宮と永代寺は隣り合わせで、周りは堀に囲まれ、門は一カ所しかない。 「雪隠詰《せっちんづ》めか」  と呟いて、かれは薄く笑った。加えて、捨てたはずの士の矜持とやらが残っていて、それが疼《うず》きはじめるのだ。敵を前にして逃げることはできない、その思いが胸中に膨れ上がる。次郎左衛門は腰をあげなかった。  松坂町の吉良邸で討死するのなら名も残ったろうが、ここで浪人に斬られて死ぬのは犬死に等しい。  浪人は五間ほどのところで足を止めた。 「左柄次郎左衛門どのだな」 「あんたの名を聞いておこうか」 「おれには、名などない」 「よかろう、して遺恨か」 「遺恨などない」  田次玄十郎と同じ答えだった。 「おれと斬り合うわけを知りたい」 「わけなどない」 「何も語らぬつもりか」 「刀を抜くまで待ってやろう」 「おまえこそ、抜いたらどうだ」  なぜか浪人の体には殺気がなかった。殺気をおのれの体内に秘めて、一気にほとばしらせることのできるのは、かなりの使い手だ。こちらの技倆も見抜いてのことだろう。  次郎左衛門は、おのれが意外に平静なのに満足していた。怯《おび》えも不安もない。やはりおれも士だったか、と嗤いが洩れた。逃げまわるより斬られるほうが、かれにはまだましだった。 「抜かねば、そのまま斬る」  浪人は、左手の拇指《おやゆび》で鯉口を切った。とたんに、浪人の体からゆるやかに、殺気が洩れはじめた。それが陽炎《かげろう》のように見える。その殺気にかれは、むしろ安堵した。  次郎左衛門は、腰をあげた。だが右手は懐中に入ったままである。その手をゆっくり引き出した。手には卵が入っている。浪人が間を二間につめた。一歩踏み出して、一閃すれば刀刃が体に届く距離である。 「かなわんな、おれは人を斬るのが好みではない」 「なに」  浪人の手が、刀柄に伸びた。その剃那! かれは手の卵を叩きつけた。そして次の卵を手にしていた。一個は浪人の肩に当たって砕け、二個目は浪人の胸に当たった。灰が舞い上がる。浪人が刀を抜いた、と同時に、次郎左衛門は、浪人の右手首に刀刃を叩きつけた。田次玄十郎の刀と取り換えたのを忘れていた。それで叩きつけたのだが、意外に抵抗がなく、わずかに前に泳いだ。  刀を握った浪人の右手首が、音をたてて落ちていたのである。浪人は、よろめくように一歩退いていた。 「ま、待て!」  浪人は残った左手を突き出した。  勝負は、あまりにあっけなくついてしまった。浪人はかれの目潰しを予期しなかった。そのため、霧散した灰に視界をさえぎられ、一呼吸遅れてしまったのだ。浪人の右手からは鮮血が噴き出していた。  浪人は、そのまま膝をついた。 「血止めをしようか」 「いや、その必要はない。両手あっても生きにくい世の中だ。右手を失っては生きてはいけぬ。介錯《かいしゃく》をたのみたい」  境内に敷きつめられた砂が、浪人の血を吸っている。 「介錯たのむ」 「妻子はいないのか」 「余計な斟酌《しんしゃく》は無用に願いたい」  浪人は、さばさばしたような口調でいう。浪人暮らしが厳しかったのだろう。その厳しさはかれにもわかる。 「ならば、名を聞いておこう」 「名は、二十年前に捨てた」  浪人はそう言い切った。何も語らず、名もなく死のうとしている。これも士の死に方かもしれない。犬死するのに名は不要なのか。この浪人も、死に場所を求めていたのかもしれない。赤穂浪士四十七士は、納得できる死に場所を得た。それが羨《うらや》ましい、とこの名を告げぬ浪人も思うたことがあるに違いない。  次郎左衛門は、浪人の左側に立ち、刀刃を振り上げた。 「待て、わしのふところに二両の金がある。左柄どの、貴公に使ってもらいたい。死んでいくものに金は不要だ」 「参る」  声を放ったとき、次郎左衛門は一閃していた。腰は充分に入っていた。刃は浪人のうなじを裂き、首を断っていた。髷がぐらりと前に傾き、わずかの皮と肉を残して、胸に抱くようにぶら下がり、開いた傷口から、鮮血がほとばしった。 [#ここから7字下げ] 6 [#ここで字下げ終わり]  小田丸弥介は、夕餉《ゆうげ》を終えて、与志がいれてくれた茶をすすった。家の中は薄暗いが、まだ行燈に火を入れるほどではない。 「父上、ゆや、ゆや」  と声をあげて、娘志津が、弥介の手を引いた。それをたぐり寄せて膝の上に抱き上げた。嫋《しな》やかな体である。走りまわったせいか汗が匂っていた。女の子にしては長屋の男の子とよく走りまわる。 「いま少し待て」 「いやです、湯屋に、湯屋に」  と声をあげ、かれの膝の上から逃れようとする。子供は可愛《かわい》いものだ。 「母といきましょう」 「いや、父上とがいい」  とすねる。手を引っぱられて、弥介は仕方なく立った。湯屋は、路地を出たところにある。遊び疲れたのか帰りには、弥介の腕の中で眠っていた。  住まいにもどると、与志が志津を寝かせ、そのあとに、燗《かん》をつけた酒を運んで来た。親子三人、飯を食って、酒を呑むだけの金はあるのだ。盃を手にすると、与志が酌をする。 「先に、湯に入って来たらどうだ」 「それでは、そうさせていただきます」  すでに行燈に灯りが入っている。与志は湯桶《ゆおけ》を抱いて出て行った。盃を口に運んで、家の中を見まわした。四畳半と六畳の二間、三人が住むには狭いというほどではなかった。 「これが、安泰な暮らしか」  上を見て生きよ、下を見て暮らせという。おのれの身を眺め、まだおのれより下で生きる者がいることを知って、人はおのれの立場を納得するのだ。  だが、弥介はしばらく前から、何か不安がつきまとうのを覚えていた。得体の知れない不安である。先日、湯島天神で二人の浪人が斬り合うのを見た。  昨日、居酒屋で酒を呑んだとき、三人の浪人がそばの卓で、談合するのを聞いた。顔は知らないが一人は深川に住んでいるという。一人は外神田、一人は向島に住んでいるという話で、三人は、これから江戸を出るのらしい。この三人の周りで、浪人が一人、二人と櫛《くし》の歯が抜けるように消えている。殺されるより逃げたほうがましだ、と言っている。  江戸のあちこちで何かが起こりかけているようだ。わしはすでにごろつきではなく版工だ。わしの身は避けて通ってくれ、と願う。  不安が怯えになろうとしている。盃を口に運ぶにつれ、わけのわからない不安に、よく眠っている志津の顔を見た。妻と子は何があっても守らねばならない。だが、守りの難しさは、よく知っている。  まさか、四六時中妻と子にくっついているわけにもいかない。狙われているとわかれば、離れないでいられるが、それとわからないのに、志津を遊びに出さないというわけにはいかない。  志津を人質にとられたときどうするのかとじぶんに問うてみた。娘を殺すと言われれば、刀を投げ出すより仕方ない。体に叩き込んだ刀法も何の役にも立たないのだ。  与志が湯からもどって来た。 「旦那さま、どうなされました」 「いや、何でもない」  銚子が空《から》になった。あとは寝るしかない。布団に仰臥《ぎょうが》して暗い天井を見る。  ——杞憂だ。  とじぶんに言い聞かせるが、いつになく脳が冴えていた。  ふと頭に、深川のころのじぶんが浮いた。深川では刀を把って弥介に及ぶものはなかった。浪人五人を斬ったのは憶《おぼ》えている。弥介の一閃で、一人の浪人が血飛沫《ちしぶき》をあげて倒れた。その浪人の形相を思い出す。その報いがやってくるのか、と怯える。 [#ここから7字下げ] 7 [#ここで字下げ終わり]  幕府は代々、徳川家を守るために、全国の大名に対して廃絶策をとり、改易、減封をくり返して来た。五代将軍綱吉は、歴代将軍中、最も多くの大名を処分している。  外様《とざま》大名十七家、真田《さなだ》家、桑山家、土方《ひじかた》家、有馬家など、その中にはもちろん赤穂の浅野家も入っている。これらはいずれも十万石以下の小大名である。  綱吉は、外様だけでなく、譜代大名にも手をつけている。容赦のないやり方で。内藤家、永井家、加々爪《かがつめ》家、酒井家など、二十八家が廃絶になっている。  綱吉が激しかったとはいうものの、家康の関ヶ原以後の廃絶は別にして、秀忠《ひでただ》、家光、家綱の三将軍も、それぞれに大名を廃絶に追い込み、多量の浪人を排出しているのである。各地の浪人の中には、父の代から、祖父の代からの浪人というのも多い。  綱吉だけでも、外様・譜代合わせて四十五の大名を改易し、大量の浪人を作り出していることになる。浪人がどう生きようと、幕府は関与しないとはいうものの、それだけ社会不安を生じているのである。  だが、幕府は浪人に対して無関心ではなかった。慶安四年の由比《ゆい》正雪《しょうせつ》の乱を決して忘れてはいなかったのだ。浪人が三々五々と群れているうちはいいが、それが百、二百と集まると、不満が渦を巻いて乱となる。浪人が群集となったとき、かれらの怒りは当然、公儀に向けられ、倒幕の思想を生む——。  四邑《しむら》源三郎は、父親の代からの浪人である。父源右衛門は、下総《しもうさ》・多古藩一万五千石、土方|掃部頭《かもんのかみ》雄隆の臣で武器奉行配下で百石を禄していたが、源三郎が十四歳のときに、土方家が改易になり、浪人となった。時に元禄八年だった。いま源三郎は三十八歳だから、二十四年前になる。  源三郎は、浅草の新鳥越町《しんとりごえちょう》にある富久《とみひさ》長屋に住み、住み馴れていた。刀の鑑定を業《なりわい》としていたが、名もない鑑定師のもとに、鑑定を頼みにくる者も少なく、もっぱら博徒の群れの中にあって、相談役のような仕事をしていた。頼まれて文を書き、喧嘩の仲裁をし、用心棒をも兼ねていた。  住めば都という。馴れてみれば浪人暮らしも気楽で悪くはなかった。ただ懐中が常に淋しいだけで、何かに縛られることもなかった。源三郎は、いまだ独り身である。夫婦《みょうと》になる女がいなかったわけではなく、女に不自由しないところから、女房を持つことが億劫《おっくう》だっただけである。  その日、享保四年十二月三日だった。北馬道町《きたうまみちちょう》に住み界隈を縄張りとする貸元の寅五郎に呼ばれた。寅五郎の居間に行くと、人払いがしてあった。 「先生、五両になる仕事がある」  といきなり言われ、源三郎は膝をのり出した。年の瀬でもあり、かれも金が欲しかった。五両あれば、楽に年が越せて残る。ときおり床の世話になっている女たちにも、櫛|簪《かんざし》の一つも買ってやれる。源三郎の頭にひらめいたのはそんなことだった。 「なあに先生の腕なら、わけのないことだと思うが、浪人を一人片付けてくれねえかい」 「まことか親分」 「あっしは嘘はつかねえ、そいつは、深川に住んでいる九沢半兵衛という浪人だ。ごろつきの仲間に入っているというから、深川に行けばすぐわかるはずだ。案内を一人付ける」 「承知した」  金の力は強い。五両と聞いて、余計なことは考えもしなかった。なぜ、ごろつき浪人を斬らなければならないのかは、さして問題ではなく、五両という金が大事だったのだ。  翌朝、新鳥越町の浪宅《ろうたく》に、案内役と称する三十年配の見たこともない男が現われた。無表情な、どこか冷酷な顔をした男であった。  源三郎は、男に従《つ》いて住まいを出た。深川に着いたのは、午《ひる》前だった。深川は堀の多い町である。一色町《いしきちょう》と富久町の間の堀に架かる閻魔堂橋《えんまどうばし》の一色町側にある蕎麦《そば》屋に入って昼食をとった。かれを残して男だけが出て行った。  閣魔堂橋は、もともとは富岡橋というが、地元の者には閣魔堂橋のほうが通りやすかった。橋のむこうに法乗院という寺があり、そこに閣魔堂があるところからそう呼ばれていた。長さ十間半、幅一丈二尺の木橋である。  蕎麦屋の暖簾《のれん》を通して、源三郎はその橋にぼんやりと目を向けていた。茶代わりに蕎麦湯を口にしていた。  源三郎は、人斬りが稼業ではないが、頼まれると人を斬った。そのほうが実入りがいいからでもあった。剣の使い方には自負があった。父・源右衛門は多古藩では屈指の使い手だった。香取神道流を能《よ》く使ったと聞いている。多古藩が改易になり、浪人となってから源三郎は父に剣を叩き込まれた。斬り取り強盗武士の倣《なら》いと教えた。斬り取り強盗も剣を使う技がなくては逆に斬り死にすることになる。浪人が生きていくためには、剣の技倆が必要だったのだ。浅草に住んで、博徒に先生と呼ばれて生きてこられたのも、技倆があったからなのだ。  目釘《めくぎ》は昨夜のうちに確かめてあったし、刀刃の手入れは充分してあった。男はなかなかもどらなかった。 「近ごろ、浅草の浪人も減っている」  源三郎は、何気なく呟いた。浅草が住みにくいわけではないのに、一人減り二人減りして、櫛の歯が抜けるように、姿を消していることは、源三郎の耳にも入っていたが、それほど気にはしていなかった。町には浪人が多すぎる。少しは減ってくれたほうがいいのだ。江戸で食えなくなって、旅にでも出たのだろうくらいにしか源三郎は思っていない。それというのも、他人のことを考えるほどの余裕はなかったからだ。  かれは、遊び人、ごろつき、博徒とはつきあいがあるが、浪人とはあまりつきあいがなかったのだ。  男が走りもどって来て、手まねいた。源三郎は店を出ると編笠を頭に載《の》せ、頤《おとがい》の下で紐《ひも》を結んだ。  西へ往けば大川に出る。男は閻魔堂橋を渡って東へ行く。掘沿いの道を行くと、右手の堀のむこうに大きな寺が見え、それを聞くと、永代寺だと教えてくれた。永代寺の裏側なのだ。左手には高い土塀を巡らしてある。大名の下屋敷ででもあるのだろう。  しばらく歩いて、左手の路地に入ると、そこで四半時《しはんとき》(約三十分)を待たされた。黒い影が堀沿いの道に現われると、男が指さした。 「あれが九沢半兵衛か」 「へい、お願いします」  と言って、男は走り去った。それを見送っておいて、源三郎は歩み寄ってくる黒い影に目をやった。たしかに浪人の形《なり》である。浪人は、源三郎が潜むのに気付いて、十間あまりのところで足を止めた。脇《わき》へ外《そ》れる道はない。歩いてくるか、それとも、いま来た道をもどるかである。逃げれば追うしかない。  浪人は、ただ足を止めて動かなかった。源三郎のほうから歩み寄るよりなかった。浪人は、源三郎と同年配で、背丈五尺三、四寸、かれよりいくらか低く、そこいら、どこにでもいるたぐいの浪人で、飢えているのか、頬《ほお》が削げ落ち顴骨《かんこつ》が高く、双眸は潤《うる》んでいるように炯《ひか》っていた。 「九沢半兵衛か」 「左様、おまえの名を聞いておこう」 「下総・多古の浪人、四邑源三郎」 「遺恨ではあるまいな」 「もとより」 「ならば理由《わけ》は聞くまい」  まず、九沢半兵衛が刀を抜き、それに合わせるように源三郎は、腰をひねって鞘ばしらせると刀を正眼に構えた。間は三間、足で地を摺って間を二間につめた。そのとき源三郎は、おや、と思った。九沢半兵衛は刀を水平に構え、柄頭《つかがしら》を臍《へそ》のあたりに当てていたのである。妙な構えもあるものだ、と源三郎は感心した。  剣の使い方は、それぞれに異なるが、構えは、たいてい上、中、下段に決まっている。中段が正眼である。剣の流派は三千からあるが基《もと》は、陰流、一刀流をはじめ三、四流しかない。だが、剣術は個人のものである。変わった構えがあって当然だろう。  相手の上半身は隙だらけに見えるが、源三郎は、眼下にある相手の鋒《きっさき》が無気味に見えて動けなかった。水平の剣が、どう変化するのかわからないのだ。鋒がそのまま伸びてくれば、源三郎の臍あたりを刺すことになる。 「技は突きか」  上段から斬り下げる、あるいは横に薙ぐ剣は受けやすいし払いやすいが、水平に突き出される剣はあつかいにくい。払うにも躱《かわ》すにもである。  鋭い鋒はびくとも動かない。  そのときになって源三郎は、寅五郎の罠《わな》に嵌《は》められたような気がして来た。侮《あなど》っていたわけではないが、源三郎の刀刃は気迫に欠けていた。ただ単に五両の金のために浪人を斬る。年を越すには金が欲しい。だが、それはおのれの生命にかかわることではなかった。それに比べ、相手の水平に構えられた刀刃の鋒には、火を噴きそうな気迫があった。  浪人が足を摺って間を縮め、水平の剣がすーっと伸びてくる。源三郎はあわてて、その鋒を叩いて一歩退いた。そして、背筋を凍りつかせた。叩いた鋒が微動だにしなかったのである。鋒が触れ合って音を発しただけだった。  全身に戦慄《せんりつ》が湧いた。気迫の点において、すでにおくれをとっているのに気付いた。敵の鋒に小さな炎が上がるのを源三郎は見た。かれは、後ろ足に重心をかけ、刀を振ってみたが、相手に届くわけはない。 「ま、待て」  声をかけてみたが、ここまで来て相手に通ずるわけがなかった。背を向けるわけにもいかない。一歩退くと相手はそれだけ間をつめてくる。ここにおいてはすでに技は通じないのだ。  源三郎は、おのれの体から力が抜けていくのを覚えて狼狽《ろうばい》し、力をとりもどそうとした。脳が朦朧《もうろう》となってくる。 「これで、おれも終わりか」  と呟き、苦笑した。怯えはなかった。  敵の刀刃が鈍く閃くのを見て、一歩退いたが、頬に熱を覚えた。頬を裂かれたのだ。次の瞬間、刀刃を払われ、手が痺《しび》れた、と思ったとき、白刃が降って来た。受けたつもりが、敵の刃が首根に食い込んできていた。  首根から噴き出す血の音を聞いていた。そこまでだった。勝負はついたのだ。九沢半兵衛は一歩下がって、剣を水平に構えて動かない。こんなにあっさりと敗れるとは思ってもいなかった。  倒れようとする体を支えるためによろめいたが、踏んばる力は足にもなかった。そのまま膝をつくと、刀を杖《つえ》にして体を支えた。だが、すでに視力は薄れ、脳が白濁していく。おのれの血の匂いを嗅ぎ、そして、体が妙に軽くなったのを覚えたが、体のどこにも力がなく、そのまま、前につんのめる自分を知ったのが最後だった。 [#ここから7字下げ] 8 [#ここで字下げ終わり]  左柄次郎左衛門は、九沢半兵衛が、浪人と対峙しているところを、永代寺門前山本町の角から見ていた。堀を挟んで十間余、だがあたりには橋はない。大きく迂回《うかい》しないと、半兵衛のところまでたどり着けない。  半兵衛の激しい殺気が、次郎左衛門の肌にも伝わった。これほどの熱が半兵衛の体のどこに秘められているのかと思えるほどの殺気だった。その殺気のために、浪人は木偶《でく》のように斬られた。浪人の首根から血が噴き出すのを見ても、半兵衛の姿は動かなかった。次郎左衛門は走った。そして、半兵衛のもとにたどり着いたとき、かれは浪人を仰向けにし懐中を探っていたのである。  半兵衛は、顔をあげ次郎左衛門を見ると、掌を開いてみせた。そこには二枚の小判がのっていたのである。 「わからん、こやつらは必ず金を持っている。金があれば、なにも挑んで斬られることもあるまいに」  半兵衛は呟くように言って、立ち上がり、次郎左衛門と肩を並べた。その足で、居酒屋『甚兵衛』に向かった。  次郎左衛門は、半兵衛が人を斬るのをはじめて見た。並みの斬り方ではなかった。技ではなく気迫で斬っている。まるで不倶戴天《ふぐたいてん》の敵を斬るように、全精力を注ぎ込んでいるようだ。たしかに半兵衛は疲労を顔に浮かべ、『甚兵衛』に入ると、腰掛けに崩れるように腰を降ろした。そして、運ばれて来た酒を、銚子の口に口を押しつけ、咽《のど》を鳴らし、大きく息を吐《つ》いて生気をとりもどしたのである。 「なぜ浪人が二両もの金を持っている?」 「わからんな」  白髭の浪人も一枚の小判を持っていた、と次郎左衛門は思い出していた。 「何者かが、何かをしようとしている」 「うむ」 「あの浪人、浅草・新鳥越町に住む、と言っていた」  二人の席に、小男がにたにた笑いながら、寄って来た。 「猿ではないか」  次郎左衛門が、小男を見てそう言った。深川でうろついている佐吉という男である。賭場《とば》の使い走りなどをやって生きている男だ。が、誰も佐吉とはよばず、猿で通っている。猿が名かと思い、ましらと呼ぶ者もいた。むかしは小田丸弥介の腰巾着《こしぎんちゃく》のように、いつもくっついていた男だ。 「どうも、しばらくでございやす」 「猿、しばらく姿を見せなかったな」 「へい、ちと上州に行っておりやした。むこうが生まれ在所なもんで」  半兵衛と次郎左衛門は顔を見合わせ、頷き合った。 「猿、たのまれてくれんか」 「へい、なんなりと」 「浅草まで行ってもらいたい。新鳥越町に、四邑源三郎という浪人が、昨日まで住んでいた。その四邑源三郎がどんな男か調べて来てくれ」 「四邑源三郎でござんすね、へい、わかるだけ聞いてめえりやしょう」  半兵衛が袂から一朱銀を出して、猿の手に握らせると、よろこんですっとんでいった。身の軽い足の迅い男である。一時《いっとき》(約二時間)ほどすると、もどって来た。 「四邑源三郎という浪人は、馬道町の寅五郎てえ親分のとこの用心棒で、富久長屋で聞いてみると独り者で、相手の女は何人かいるようで。その一人が、料理茶屋の仲居をしているお千という女だそうで。なんでもやっとう[#「やっとう」に傍点]の強い浪人だそうで……。これくらいでようござんしたか」 「けっこうだ」 「そのお千という女に会ってみたいな」 「明日、ご案内いたしましょうか」 「ならば、明日の辰の五ツ半(午前九時)、両国橋のたもとで待ち合わせよう」  と半兵衛が言った。  次郎左衛門は酔って住まいにもどり、敷きっ放しの布団にもぐり込んだ。だが、寒さのためか、なかなか寝つけない。かれの頭には、半兵衛の刀刃の鋭い閃きがあった。赤穂藩ではかなりの使い手のつもりだったが、あの火のように殺気をほとばしらせた半兵衛を思うと、とても及ばない、と思う。その半兵衛が、小田丸弥介には及ばないという気がする。上には上があるものだと思う。  半兵衛が斬った浪人は浅草に住んでいると言った。明日は何かがわかるというのか。 「死に場所を得たい」  と切に思うが、はなばなしく名を残して死ねる場所は、ありそうもないのだ。白髭で田次玄十郎を斬り、次に名もない浪人を斬った。名を名乗らぬ浪人は、はじめから犬死するつもりだったのか。あたら武士と生まれて来て、名もなく死んでいくのは、次郎左衛門には堪えられなかった。だが胸中には、名もなく死んでいった浪人のように死んでいくであろうことは、一つの予感のようにあったのだ。それが妙に寂しい。 「おのれ、大石内蔵助!」  闇《やみ》の中に呟く。大石ら四十七士の名は、墓石に刻まれ、芝居や講談になり、後世にまで伝えられるに違いない。  深夜に、本所・松坂町の吉良邸にまで、大石ら四十七人が、どうして行けたのか、と次郎左衛門は、何度も考えたことである。各町内には木戸があり木戸番がいる。もちろんこの木戸は閉じていなければならない。その木戸を、武装した大石らがなぜ通れたのか。あるいは本所まで舟で乗りつけたのか。十六年間、何度も考えたことだが、かれにはわからなかった。誰かの命令によって、木戸のすべては開けられていたのだ。  何故だ? と考えて次郎左衛門は頭を振った。その何故がわかったとしても、いまのかれには何の関係もないことだった。  この十六年間を腹を立てて生きて来たような気がする。吉良邸に斬り込んだ浪士以外の浪人たちは、本懐を知り、それぞれに生計を求めて散っていった。二陣も三陣も用がなくなったのだ。  口惜《くや》し涙を流しながら、次郎左衛門はようやく眠ったが、夢の中でも歯ぎしりしていた。その歯ぎしりは表まで聞こえると、隣の糊売りの婆さんが言っていた。  翌朝、両国橋のたもとに行くと、九沢半兵衛と猿が先に来て待っていた。北風が凍えそうに寒く、三人は体を震わせながら、浅草に向かって歩いた。新鳥越町の富久長屋はすぐにわかった。長屋の女たちの話を佐吉は聞かせた。  四邑源三郎を三十年配の男が迎えに来て、連れ去ったという。女たちの話では、その男は、商人でも職人でもなく、もちろん百姓風でもなかったという。商人、職人、百姓はそれぞれに服装と匂いを持っているものだ。  得体の知れない男に誘い出された、ということだけで、他は何もわからなかった。佐吉は源三郎の情女《いろ》だったというお千を、住まいから連れ出した。源三郎が住まいを出る前日に会ったのはこのお千だったようだが、 「源さんは、大金が入る、と言っていた」  それだけだった。どこから誰から大金が入るのかは、源三郎も口にしなかったようだ。三人は、寅五郎までもたどりつけなかった。もし、寅五郎が五両で人斬りを頼んだことを知ったとしても、その先は追えなかったに違いない。寅五郎もただ得体の知れない三十男から、十両で深川の浪人九沢半兵衛殺しを頼まれただけで、三十男の正体は知りようもなかったのである。  三人は、浅草御門近くの芳町《よしちょう》までもどってくると飯屋に入った。居酒屋を兼ねている店である。徒労だった。その疲れで三人は黙し、運ばれて来た飯に味噌汁をぶっかけて流し込む。食い終わって酒を注文した。 「まだ、銀兵衛がいる」  半兵衛が口を切った。 「あの目明しの銀兵衛で」  佐吉には、ことのあらましを語って聞かせた。 「銀兵衛は十手を取りあげられ、ただの男だが、何かを嗅ぎまわっている。何かを知っている」 「しきりに、小田丸弥介のことを聞いておった」 「え、小田丸の旦那のことを」  佐吉は目を剥いた。この男は、小田丸弥介にくっついてまわり、かれのために走りまわっていたのだ。弥介が深川を抜けてから、佐吉は、しばらくぼんやりとしていたものだ。 「弥介にも難が及ぶかもしれない。佐吉、弥介の住まいを知っているか」 「へえ、神田・雉子町の浅右衛門長屋で」 「それはとにかく、銀兵衛に喋らせたい」 「まかせておくんなさい。あっしが必ず探しておめにかけやす。なあに三日もあればなんとか……」  佐吉はごろつきの仲間である。ごろつきには横のつながりがある。それを当たれば、銀兵衛の居所はすぐにわかる。  気の早い佐吉は、店をとび出していた。 「次郎左、おまえは江戸を捨てろ、江戸を離れれば、追ってはこまい」  次郎左衛門は、盃の酒をぐいと呑んで笑った。 「逃げる気はないな、おれは江戸が、深川が好きだ」 「士の矜持などと言っている場合ではない」 「矜持は捨てた、だが……」  何か言おうとして、次郎左衛門は、言葉を呑んだ。 [#改ページ] [#ここから3字下げ] 斬《ざん》  截《せつ》 [#ここで字下げ終わり] [#ここから7字下げ] 1 [#ここで字下げ終わり]  小田丸弥介は、日本橋北の通油町《とおりあぶらちょう》から左へ回った堀沿いの道を歩いていた。両手をふところにし、肩をしゃくりあげながら。むかしは肩をしゃくる癖などなかったが、いまはそれが癖のようになっている。まだ肩が痛む齢《とし》でもないのに、肩が凝るのだ。版木を彫るという仕事のせいでもあるのだろう。それに寒さが加わっている。  堀のむこうに、弥介を見ている人影があった。こちらは新大坂町、むこうは橘町《たちばなちょう》である。  厚い雲が空を覆い、氷雨《ひさめ》か雪でも降りそうな空模様で、暮れるには間がある時刻なのに、あたりはすでに薄暗く、心の底までかじかむように寒い。だが風がないだけまだましのようだ。堀端の柳の葉もそよとも動かず、凍りついているように見えた。  弥介は背丈が五尺八寸、なみはずれてというほどではないが、体重は十七貫ある。肩幅が広く逞《たくま》しい体つきである。粗衣だが、垢《あか》のにじまない袷《あわせ》に、肌着は紙であった。この紙がいかにも暖かいのだ。 「小田丸の旦那」  どこからともなく聞こえてくる声に、弥介は首を回して、道の前後を見たが、それらしい人影はない。聞いたような声だった。 「小田丸の旦那、こちらで」  いま一度声をかけられ、声の主が掘のむこうに立って手を振っているのを見た。小柄な紺縞《こんじま》の袷を着て、この寒空に据《すそ》をはしょってすねをさらしている。 「さるですよ、旦那、さる……」  と言われて思い出した。深川のごろつきで佐吉と言った。どこか猿に似ていて敏捷《びんしょう》な男で、みなから猿と呼ばれていた。 「旦那、ちょいと話が」  弥介は頷《うなず》いてみせたが、佐吉のように声をはりあげる気はなかった。堀の少し下流、富沢町の前に橋が架かっている。弥介はふところから手を出して橋を指さし、そのほうへ歩き出した。佐吉とは何年ぶりかである。懐かしさもあったが、また佐吉に聞きたいこともあった。居酒屋で一杯やろうと思った。  佐吉が頷いて橋に向かって歩き出したとき、弥介は息を呑《の》んだ。佐吉の背後から黒い影が疾走しているのを見たのだ。その黒い影は、おのれが発する殺気に身を包み、佐吉に向かっている。殺気は、佐吉に向けられたものだった。黒い影を止めようがない。 「佐吉!」  と叫び、佐吉がこちらを向いたとき、黒い影は白刃を抜き、それを佐吉の腹のあたりに閃《ひらめ》かせ、そのまま足を止めもせず、黒い風のように走り去った。  佐吉は、両手でおのれの腹を押さえ、弥介の方を向き、何か言いたげに片手をあげ、二、三歩、そこで足を止めたが、体は前に傾き、ゆっくりと堀に落ちていき、水しぶきをあげたのである。  弥介は、ただ目を剥《む》いて見ているだけだった。波立つ水が赤黒く染まり、それが次第に拡がり、まるで茜雲《あかねぐも》のように見えていた。堀の水が静まったとき、わずかに水泡がぶつぶつと湧《わ》きだしただけだった。  足掻《あが》けば水が騒ぐ。水に乱れがないところをみると、転落するときに、すでに息を引きとっていたのか。たしかに、黒い影の白刃の閃きは、佐吉の腹を存分に裂いていた。息もできなかったに違いない。  弥介には、ただ、水面を見ているだけしかできなかったのだ。何か言いたげに手をあげた佐吉の顔が瞼《まぶた》に残っている。  水は下流へ流れている。その流れに赤黒い血がのって流れはじめていた。弥介は、その流れに合わせて歩いた。水面に白い帯状のものが浮き上がり、そして沈んだ。その白いものは、佐吉の腸《はらわた》だったのだろうか。  赤黒いものは拡がり続け、やがて色を褪《さ》めたものにし、もとの堀の水にもどっていた。 「佐吉に身寄りはなかったろうか」  佐吉は、むかし弥介が深川で暮らしていたころ、なついた犬のように、いつもくっついて歩いた男である。身寄りの話は聞いたことがない。もとは上州の百姓の倅《せがれ》で、江戸に逃げて来て、深川のごろつきの仲間に入ったのである。取り柄はすばしっこさと足の迅《はや》さだった。  弥介は、肩をゆすって歩き出した。佐吉は何か言いたかったのに違いない。何を言いたかったのか、何のために斬《き》られたのか。黒い影は着流しの浪人の身形《みなり》だったが、顔を見る余裕はなかった。  居酒屋を探して入ると、卓を前に坐《すわ》り、盃《さかずき》を二つ運ばせ、その一つに酒を注いで、おのれの向かいに置いた。佐吉のための盃である。弥介がしてやれるのはこれくらいのものだろう。双眸《そうぼう》を閉じ、佐吉のために哀悼した。そして盃を口に運んだ。一人の生きている人間があまりにもあっけなく死ぬのを目にした弥介は、酒の苦さをこらえるように眉《まゆ》を寄せた。酒が美味であるはずはなかった。ただ酔うために胃の腑《ふ》に流し込んだ。  二合入りの銚子が空《から》になったが、酔いは回る様子はなく、次の銚子を頼んだ。このところ、めったに外で酒を呑むことのなくなっていた弥介ではあるが、いまは呑んで酔いたかった。酔って佐吉を忘れたかったのではない。なぜか、深川のころにもどって酔《よ》い痴《し》れたかった。  佐吉の死だけではなく、あるいは流れる血を見て、おのれの血が騒ぎだしたのか、とも思った。  熱燗《あつかん》の酒が胃の腑に滲《し》みる。その熱さに比べ、背筋に悪寒《おかん》があった。いかにも空々しく寒いのだ。銚子を手にして盃に酒を注ぐ、その手が顫《ふる》えて酒をこぼし、左手で右手を押さえ、酒が充《み》つと左手で盃を口に運ぶ。 「怯《おび》えか」  と呟《つぶや》いて嗤《わら》ってみた。  佐吉が斬られて死んだ。ごろつきの一人が死んだと思えば、それほど気にすることはない。弥介の怯えは、佐吉の死とは関りのないところにあった。胸中に怯えが生じたのは、二カ月ほど前からだったろうか、とじぶんに問いかけてみる。佐吉の死は怯えを一つの形として見せてくれたのだ。  弥介には妻子がある。その妻子を失う怯えである。深川のころは、何一つ失うものを持っていなかった。男は失うものを持ったときに、怯えを知るのだ。おのれ一人であれば怯えはあろうはずがなかった。おのれの死でさえ怯えではない。  もちろん、妻子を敵から守るには、足りる技倆《ぎりょう》がある。妻子を害するものがあれば叩《たた》っ斬る。そうおのれに言い聞かせても、怯えは去らないのだ。怯えとはもともと形のないものである。  二本目の銚子が軽くなったが、まだ酔いを覚えなかった。瞼には佐吉の血が貼《は》りついている。銚子を空にして立ち上がったとき、酔いが足に来ているのを知った。 [#ここから7字下げ] 2 [#ここで字下げ終わり]  享保五年二月九日は、初午《はつうま》であった。  毎年二月のはじめの午《うま》の日を初午と称し、稲荷《いなり》を祭る。初午祭りである。江戸には大小合わせて五千余の稲荷|社《やしろ》があった。町内に一つか二つの社があることになり、小さな社では町内で初午祭りを行なう。また、名の知れ銑鋼荷に詣《もう》でる庶民も多かった。  江戸及び近郊で有名なものは、王子、妻恋《つまごい》、日比谷、烏森《からすもり》、真崎、三囲《みめぐり》、豊川の稲荷である。稲荷にも、はやりすたりがあって、このところ評判を呼んでいるのは、王子稲荷と豊川稲荷で参詣者《さんけいしゃ》を多く集めていた。名の知れた稲荷であれば、それだけご利益《りやく》があるような気持ちになれるものらしい。  この日、江戸では朝から小雪がちらつき、積もるほどではないが、気温が低いため、地上に落ちた雪は、融《と》けようとせずに、しばらくは地面を転がっていた。  小田丸弥介は、内堀沿いの道を、肩をしゃくりあげながら歩いていた。左側には堀越しに江戸城が見え、右側には大名屋敷の塀が、長々と延びて見えていた。弥介の前後には、稲荷参りと見える町の人たちの姿があった。  堀沿いのこの道を行けば、やがて赤坂御門にたどり着く。左手の堀が広くなって一升徳利のような形をもつ溜池《ためいけ》の、徳利の口と見えるあたりが赤坂田町五丁目で、これよりは町家になっている。  歩きながら振りむいた弥介は、点々とつながってついてくる行列のような人の流れを見て、堀の中に二羽の白鶴が浮くのを見た。  弥介は、日本橋|馬喰町《ばくろうちょう》にある版元芳屋に、昨夜おそくまでかかって彫りあげた版木を納めて、懐中にはいくらかの工賃があった。  版木を納めたついでに、弥介は豊川稲荷への参詣を思いついたのだ。赤坂には豊川稲荷があり、ここ数年この稲荷は江戸でも評判で多くの参詣者を集めていた。 「なにをいまさら稲荷か」  という思いはあるが、かれには十日前の佐吉の死が脳裡《のうり》にこびりついていたのだ。佐吉の死だけではなく、ここ四、五カ月の間に、むかしの深川の用心棒仲間が死んだり行方《ゆくえ》をくらましているという噂《うわさ》が耳に入っていた。得体の知れない何かが弥介を怯えさせている。  その怯えが稲荷参詣を思いつかせた。苦しいときの神だのみという。人々は稲荷に招福除災を祈願するが、弥介は除災だけが望みだった。  弥介は、肩をしゃくって歩きながら、すでに鬼界の人となっている父弥兵衛の言葉を思い出していた。  ——神を恃《たの》むな、神は決して優しくはない。神に近づこうと思うな——  弥兵衛は口癖のように口にしていた。弥介もそれを忘れているわけではないのだが、苦しいときは人は弱くなり、何かに救いを求めたくなる。弥介も人である。怯えの前には何かに頼りたい。  触らぬ神に祟《たた》りなし、という。父弥兵衛は、神は祟るものであることを教えた。日頃《ひごろ》から信心のある者なら、神も優しかろうと思う。だが、苦しいときだけに頼る人々に対しては、神は決して優しくはない。だがと無信心者は考える。もしかしたら神の加護があるのではないかと。  いま弥介が神に頼みたいのは、おのれへの加護ではなく、妻と娘の安全だけだった。じぶんへの災難であれば甘んじて受ける。もっとも妻と娘への災難も、弥介がじぶんの腕で守りきれるものであればいい。だが、守りきれない災難は多い。  そこには、失うものを持った男の怯えがあった。五年前までは、弥介は失うものは何一つ持たなかった。だから、怯えというものを知らなかったのだ。死ぬるときはおのれ一人と思えば、心を残さずに死んでいける。  弥介は、今年になって思うことがあった。おのれの半生で、大きな悔みが二つあると。一つは、妻|与志《よし》と夫婦になったことであり、いま一つは、与志との間に娘志津をもうけたことだった。この二人のために怯えねばならないおのれに腹を立て、不機嫌だったのだ。  五年前に深川のごろつきの仲間から足を洗った。なぜ足を洗う気になったのかは理由《わけ》がある。だがごろつき暮らしから足を洗ったとしても、おのれの過去が払拭《ふっしょく》できるわけはない。過去を引きずっていることに気付いたのも今年に入ってからである。  弥介は首を振った。いまは神の加護が必要だった。祟るかもしれないという思いは払いのけるしかなかったのである。  赤坂|田町《たまち》五丁目から、堀沿いに町家が一丁目まで続き、その一丁目の向かいが赤坂御門である。角を左へ曲がると、そこは表伝馬町《おもててんまちょう》一丁目で、道は西へまっすぐに延びている。表伝馬町二丁目に、南町奉行大岡|越前守《えちぜんのかみ》忠相《ただすけ》の私邸がある。豊川稲荷は、この大岡忠相の敷地内にあった。  日頃は、屋敷の門は固く閉ざされているが、月に二、三度の午の日には、門は開かれ、庶民の参詣を許していた。ことに今日は初午の日とあって、門前には参詣の人々が渦を巻いていた。  弥介は、門前まで来て、雑沓《ざっとう》する人々の姿に眉をひそめたが、素通りして帰る気にはなれなかった。  紀州の徳川|吉宗《よしむね》が、八代将軍の座に就いて、年号が正徳《しょうとく》から享保と変わった。その翌年の享保二年に、大岡忠相は抜擢《ばってき》されて、南町奉行の職に就いた。時に忠相四十一歳だった。これまでの慣習では、六十歳前後の者が町奉行になっていた。公儀は大岡忠相に期待するものがあったのだろう。  豊川稲荷が江戸の人たちの間で評判になり参詣者が押しかけるようになったのは三年ほど前からというから、大岡忠相と関りがないとは言えない。ちなみに、北町奉行の中山|出雲守《いずものかみ》は、とうに六十を過ぎていた。  屋敷の中では、太鼓が打ち鳴らされていた。それがどろどろと人の胸に響き渡る。町中の稲荷祭りには笛と太鼓がつきものだが、武家は太鼓だけのようだ。  弥介は、人の流れに身をまかせた。怯えがここまで足を運ばせたが、胸中にはまだ躊躇《ためらい》があり、神に恃むのを潔《いさざよ》しとしないところがあったのだ。  門を入ると、広い敷地を人が埋め、わずかずつ動いている。前方に稲荷社が見えていた。社の扉が開かれ、中には神酒《みき》、餅《もち》、赤飯、油揚げ、菓子類が所せましと並べられ、燈明《とうみょう》が輝いている。社前には賽銭箱《さいせんばこ》が置かれ、左右には一対の石造りの狐が座し、その前に、正一位稲荷大明神と書かれた紅白の幟《のぼり》が立ち、社の羽目板には、数えきれないほどの絵馬が掛けられていた。  順番が来て、弥介は、賽銭を投げ、手を合わせて拍《う》った。人の流れは、左へ曲がっている。そこで、屋敷の者たちと思える人たちによって、甘酒と赤飯の接待がなされていた。かれはさし出された湯呑み茶碗を手にし、甘酒をすすった。  門の出口のそばに、稲荷銭が緋色《ひいろ》の布をかけた台の上に並べられているのを見た。この稲荷銭は、摂津国加島村で鋳造されたものであることが立て札に記してあった。絵銭である。表裏に、狐、火炎珠《かえんだま》、鍵、鳥居などが鋳出してある。  弥介は三個の稲荷銭を求めて、袂《たもと》に入れると門を出た。三個は、いうまでもなく、妻娘とおのれのものである。  小雪が相も変わらず降りつづいて、人々の頭や肩を転がり落ちていた。このような天候にもかかわらず、参詣者は次から次へとつめかけてくる。  雑沓から離れてから、弥介はいくらか、胸のつかえが下りたような気になっていた。 「杞憂《きゆう》にすぎまい」  吐き出すように、声に出していた。  再び、堀沿いの道をもどることになる。この道にも三々五々と、参詣の人たちの姿があった。弥介はその人の流れの中に見知った顔を見つけていた。九沢半兵衛である。弥介よりも、三つほど齢上だったはずである。二年ぶりか三年ぶりか、半兵衛は窶《やつ》れ果てて見えた。 「半兵衛」  声をかけたが、耳にとどかなかったとみえ、うつろな目を足もとに落としたままである。二度目の呼びかけに、顔をもたげ、視界に声の主を探し、やっと焦点が弥介に止まった。 「弥介か」  半兵衛は、わずかに顔をゆるめた。 [#ここから7字下げ] 3 [#ここで字下げ終わり]  九沢半兵衛の顔色は寒さのせいでもあるのだろうが、生気がなく、鬚《ひげ》が濃く灰色がかって見えた。 「半兵衛、詣でてくるがよい。わしはここで待っておる。ちと話がある」 「おれも、おまえに話がある」  半兵衛は、踵《きびす》を返した。 「稲荷は」 「いまさら稲荷でもあるまい。迷いながらここまで来たが、おまえに会《お》うたがご利益よ」  鬚面をゆがめて笑うと肩を並べた。肩の高さは四寸余、差があった。  二人は京橋あたりまでもどってくると、どちらからともなく居酒屋に入った。 「四年ぶりかな」  半兵衛が低い声で言った。改めて見ると、かれの顔はどす黒い。 「いや、三年前にどこかですれ違った」 「そうだったか」  五年前までは、仲間でよく酒を呑みよく談合した。深川の用心棒仲間は、それぞれに剣の特性を持っていた。左柄《さがら》次郎左衛門は目潰《めつぶ》しを使うのを得意とし、九沢半兵衛は剣を水平に構えてその突きには鋭いものがあった。 「少し痩《や》せたな」 「少しどころではない。見た通りだ」  痩せて目が鋭くなり、餓狼《がろう》の目のように熱い炯《ひか》りを宿している。 「病んでいるのではあるまいな」 「いや、至って丈夫なほうだ」  酒が運ばれて来て、二本の銚子をお互いが把《と》り、お互いの盃に注いだ。 「昨年、岩田重三郎が死んだ。広瀬と小池が行方知れず。おれに黙って深川から出るわけはない。岩田が斬られたのは見ている者がいたが、死骸《しがい》が消えてしまった。広瀬と小池も斬られたのに違いない。今年になって浅倉宗之助、角谷十蔵、赤右左源太がいなくなった」  半兵衛は、こらえていたものを吐き出すように喋《しゃべ》った。 「佐吉が十日前に、わしの目の前で斬られて堀に落ちた。さるだ、知っているだろう」 「知っている。さるには働いてもらった」 「働いた?」 「そのことは、ゆっくり話そう。まだまだ死んでいる。深川の浪人で、すでに三十人は死んでいると思う。もっとも死骸は一つも残さずにだ」 「何故《なぜ》だ」 「わからん」  浪人の名前はとにかく、深川に巣食う浪人たちが姿を消しているのは、弥介の耳にも入っていた。喋る間に二人は、忙しく盃を口に運び、酒を注ぐ。 「左柄次郎左衛門は」 「次郎左は生きておる。赤穂《あこう》浪士の生き残りだけあって、なかなかしぶとい」  半兵衛は、唇をゆがめて嗤った。 「怯えて深川を去った者も多い。怯えて当然だろう。おれさえ怯えてこのていたらくだ。去年の十月ころから、狙われ挑まれて、八人の浪人を斬った。面白いことに、この浪人ども、申し合わせたように、一両か二両かをふところにしている。それでむかしより懐中はあたたかい。奇妙なものだ」  弥介は、うむと唸《うな》った。半兵衛は軽く腹を叩いてみせた。かれは手を拍《たた》き、三十ばかりとみえる酌婦を呼ぶと、銚子を運ばせ、鯖《さば》の開きを焙《あぶ》ったのを手掴《てづか》みにして喰《くら》いつく。 「だが、眠りが浅い。猫が歩いても目がさめる。だから何を食っても身にならん。いつまで持ちこたえられるかな。弥介、おまえでもいてくれたら心強いのだが。そう、さっきのさるのことだ」  むかしは、これほど喋る男ではなく、むしろ寡黙《かもく》のほうだった。 「銀兵衛、憶《おぼ》えているか、目明し銀兵衛だ」 「銀兵衛がどうした」 「改革で十手は取りあげられているが、動きがおかしい。弥介、おまえのことを次郎左に聞いていた。それからぷっつり深川から姿を消した。おれは気になって、銀兵衛を責めてみようと思って、さるに探させた」 「それで佐吉は斬られたのか」 「そう考えていいだろう。銀兵衛が何かの企《たくら》みの一人として動いているのなら、弥介、おまえも安泰ではないぞ」 「おい、脅すな」  弥介は笑いかけ、顔が強張《こわば》るのを覚えた。 「脅しだけならいい。あとで思い出すと、銀兵衛は一年ほど前から、いろいろと深川を探りまわっていたようだ。もっとも元目明しだから、誰《だれ》も怪しまなかったが」  弥介は、おのれの怯えをただの杞憂だと思いたかったが、杞憂ですみそうにはなくなってきた。 「何かが裏で起こっておる」 「何が起こっているのだ」 「それがわかればどうにかなりそうだが、わからん。ただ言えることは、深川でかなり暴れ回った浪人が狙われているということだ。おれたちを恨んでいる者がいよう。いつ殺されても文句は言えん。だが、一つわかっていることがある。おれを狙っているのは、すべて浪人者ばかりということだ。深川の者でないことは確かだな。一人は浅草に住む浪人だった。こいつは博徒の用心棒で、おれたちと似た暮らしをしている。一人は内藤新宿に住む浪人だった。他も似たようなものだろう。こいつらに聞いてみると、金で雇われたものらしい。誰にも、それがわからん。雇われた浪人が、何も知ってはおらんのだ」 「おかしなことだ」 「何か大きなものが手を出しているような気がする。いまのところは皆目見当がつかんが、そのうち正体を見せるのではないかな」 「正体か、古沼に棲《す》む竜というところか」 「浪人どもは、それぞれに腕が立つ。おれを斬るために雇われた者たちだ。おれを討ち取りたければ、四、五人束になってかかればいいはずだが、おれを狙うのはいつも一人だ。これが合点がいかん。次郎左も、すでに五人は斬っているだろう。いまは次郎左と一緒に住んでいる。何かと便利だし、交代で眠れる。だが、次郎左の歯ぎしりはかなわんな。あいつの歯ぎしりは、義士四十七士に入りそこねて以来だそうだ」  半兵衛はそう言って、はじめて声をたてて笑った。 「弥介、今日はおまえに会えてよかった」 「半兵衛、むかしのおれたちの仲間で生き残っているのは、おれたちの他は、左柄次郎左衛門だけか」 「そういうことになるな、次郎左は、義士になりそこねた口惜《くや》しさだけで生きておる。あいつから、口惜しさと怒りがなくなったら、たちまち敵の餌《えさ》だな」  酒のせいか、半兵衛の顔に生気がもどって来た。 「だが、弥介。おまえは安心だ。この江戸に技倆の点で、おまえを斬れる者はいまい。おれが保証する。おまえの剣の迅さについていける者は、まず考えられんな」  だが、と言いかけて弥介は口を閉じた。だがおれには失うものがあると。妻娘を盾にとられたら、刀を捨てねばなるまい。その怯えがある。 「怯えに負けて、神を恃む気になった。おれが、怯えるとは考えてもみなかったことだ。この九沢半兵衛も人であったわけだ。そう、今日も、何者かは知らんが跟《つ》けている。外に出れば、いつも見張っている奴《やつ》の目を感じるのだ」 「今日もか」 「そうだ、得体の知れない奴だ。そのあとで浪人が姿を見せる」 「なんだ、その得体の知れない奴というのは」 「跟けてはいるが姿を見せない。そう、浅草の浪人、四邑《しむら》源三郎といった浪人を深川まで案内した男がいた。三十ばかりの男で長屋の女たちの話では、商人でも職人でもない男と言っていた。もちろん、士《さむらい》や百姓、遊び人でもない。そういう男が江戸にいるのか。身形は町人だそうだが」 「そいつを焙り出してみようではないか」 「なに」 「おれも、そいつが何者かは知っておきたい。焙り出せる」 「どうやって」 「その男はおまえを跟けている。この店からおまえを跟けさせるのさ。その男をわしが跟ける。そして路地に誘い込めばいい」 「なるほど、やってみるか」  半兵衛の目が炯った。 [#ここから7字下げ] 4 [#ここで字下げ終わり]  見張り跟けてくる男は、直接は手を出さず、浪人に連絡して待ち伏せさせるのらしい。これまで弥介は、見張られ跟けられている気配は覚えなかったが、半兵衛のように、いつ浪人に挑まれるかもしれないのだ。いつまでも蚊帳《かや》の外であればいうことはない。だが、元目明しの銀兵衛が、弥介のことを聞いていたという。銀兵衛が得体の知れない連中の仲間であるかどうかは、まだいまのところわからないが、半兵衛の勘が当たっていないとは言えない。正体がわからないということは怯えにつながる。弥介もその男の正体を知っておきたいと思ったのだ。  半兵衛はこのまま深川にもどる。あるいはその途中で浪人に襲われることにもなるかもしれない。それはとにかく、男はいまもこの店を見張っているのだろう。  まず、常盤橋《ときわばし》御門から両国広小路への表通りをまっすぐ東へ向かい両国橋を渡る。本所から深川への道は、弥介も知悉《ちしつ》していた。長年住んだ町である。大川沿いに水戸様の石置場から公儀の御舟蔵《おふなぐら》のそばの道を通って、新大橋の手前の御籾蔵《おもみぐら》を左折するあたりで男を挟みうちすることに決めた。  半兵衛も弥介も冷えた酒を呑み干した。そして呑み代を払って半兵衛が先に店を出た。そのころから弥介の耳に、笛と太鼓の音が聞こえはじめた。町内の初午祭りである。しばらく経って弥介は店を出た。  雪は小雪から綿雪に変わっていた。今夜は積もるものらしい。思い出したように肩をしゃくりあげた。  両国広小路への通りへ出た。雪の降る風景は暗かった。まだ日暮れには間があるはずなのに、あたりは薄暗い。もちろん、まだ人の往来は多い。半兵衛と弥介の間には多くの人がいて、判別はつかない。  半兵衛の姿は見えない。弥介は足を速めた。両国広小路に入って、むこうに半兵衛の姿を見た。両国橋にかかる。そこで往来する人影はぐんと減った。弥介がそれらしい男の影を見たのは、御舟蔵のあたりだった。五尺三寸あまり、半兵衛とあまり違わない背丈で職人の身形をしている。股引《ももひき》に法被《はっぴ》姿で草履《ぞうり》ばきである。その体つき、足の運び方からして四十近い男とみえた。男は半兵衛に気をとられているのか、振り向く様子はない。この者が半兵衛を跟けているのか、ただ同じ道を行く職人ではないのか、とさえ思った。だが、半兵衛と弥介の間にはこの男しかいないのだ。  新大橋が見えていた。その手前で半兵衛はついと右へ折れた。男も半兵衛を追うように右折して姿を消した。この路地は一方は塀の高い籾蔵で一方は武家屋敷になっている。弥介が路地を曲がると、むこうに男が立っているのが見えた。路地を通り抜けたところは堀で橋が架かっていて、そのあたりに半兵衛が足を止めて向き直っていたのだ。  男は、罠《わな》をかけられたことを知り、諦《あきら》めた様子で動かなかった。半兵衛がもどって来て弥介は男に歩み寄る。かれは刀の鯉口《こいぐち》を切った。斬る気はないが、相手にどのような技があるかわからない。手強《てごわ》ければ斬ることになる。 「半兵衛、この男か」 「そのようだな」  職人の身形はしているが、どこか違う。どこが違うとは言いきれないが、見馴《みな》れた職人とは違うのだ。 「おまえは、何者だ」  男は、半兵衛と弥介を見比べて、にやりと笑った。たしかに半兵衛が言ったように、武家、商人、職人、あるいは遊び人、ごろつき、江戸に住むさまざまな人間に当てはまらない何かを持っていた。それを匂《にお》いと言っていいかどうかはわからないが、匂いといえば、全く知らないたぐいの匂いを持つ男だった。目にまがまがしさもない。 「おまえの名を聞いておこうか」  男は黙っている。 「口がきけねえわけでもあるまい」 「半兵衛を跟けたのは何故だ。誰に頼まれた。言わねば斬る。わけがあろう」  逃げようとする様子もないし、顔には怯えも強張りもなく、ただ薄笑いを浮かべているだけだ。 「や!」  男が口走った。や[#「や」に傍点]はただのや[#「や」に傍点]で、気合いでも叫びでもなかった。 「や、とは何だ」 「や!」  と言った次の瞬間、男の表情が引《ひ》き攣《つ》った。そして唇の端に赤黒いものが滴った。 「舌を噛《か》んだ!」  叫んだのは半兵衛だった。  男は、膝《ひざ》をつき体を二つに折って蹲《うずくま》り、そしてしばらく体を震わせていた。そのさまを弥介と半兵衛は凝然と見ていた。男は体を二つに折ったまま横に倒れた。全身が痙攣《けいれん》を見せ、そして動かなくなっていた。  弥介と半兵衛は、顔を見合わせた。責めたわけでもないのに、男はあまりにもあっさり死んでしまったのだ。二人の浪人に挟まれて逃れられぬと知り、責められるのを待たずに自害した。そのさまに無気味さが残った。 「や、とは何だ」  半兵衛が言った。 「わからん」  弥介は怒ったように答えた。  半兵衛がかがみ込んで男の懐中を探った。かれが掴み出したのは、二枚の小判だった。男はその他には何一つ持っていなかったのだ。 「分けるか」  半兵衛が一両を突き出すのに、弥介は首を振っていた。 「ならば、おれが貰《もら》っておく、死人に金はいらん」  小判をふところにねじ込んだとき、半兵衛は、ぎょっと振り向いた。堀に架かる橋の上に浪人が一人立っていたのである。その浪人の体から、まがまがしい殺気が放射されていたのである。 「弥介、また出おった」  弥介は頷いていた。 「九沢半兵衛どのは、どちらかな」  浪人は、両手を懐中にしたまま、沈みそうな声で言った。三十五、六歳か。 「おれだ」  と答えて、半兵衛は浪人に向き直った。 「おれにまかせろ」  弥介は半兵衛を押しのけようとした。 「弥介、手出しするな、おれの獲物だ。おれが果てたらたのむ」  橋を渡ったところは南六間堀町《みなみろっけんぼりちょう》である。堀沿いに道がある。半兵衛が歩き出すと、浪人は、橋をもどって、道まで引いた。橋の上は斬り合うには足場が悪かったのだ。  弥介は、橋の欄干に手をついて、二人を見ていた。  二人の間に殺気が湧いた。降りしきる雪が風景を壮絶なものにしていた。二人同時に刀を抜いた。間はまだ四間ほどある。 「名を聞いておこうか」  半兵衛が言った。 「名か」  と言って、浪人は自嘲《じちょう》するように笑った。 「名は浪人したときに捨てた。強《し》いてというならば権兵衛とでもしておいてもらおうか」  浪人は、刀を正眼に構えると全身に気力を漲《みなぎ》らせて、足を摺《す》り間を二間につめた。それに対し半兵衛は刀刃を水平に構えた。半兵衛と互角に渡り合えれば、かなりの達者だ。  同じ浪人でありながら、二人はどうして斬り合わねばならないのか、怨恨《えんこん》があって斬り合うのでないことは、お互いに知っている。浪人は金のために半兵衛に挑んだか、その辺はわからないが、浪人に挑まれて半兵衛はただ受けて立っただけである。なぜ斬り合わねばならんのかを、浪人に聞いても答えないのだろうか。  半兵衛が、水平に構えた刀刃を突き出した。だが浪人は微動だにしない。鋒《きっさき》は浪人の体に触れなかった。次に浪人の一閃《いっせん》に、半兵衛が、一歩のいていた。半兵衛の鬢《びん》のあたりに血がにじんだ。削られたのだ。  だが半兵衛は笑った。 「おれを斬っても、おまえは逃れられん。おれの仲間を知っておるか、小田丸弥介、人斬り弥介だ」  浪人の顔色が動いた。次の刹那《せつな》、半兵衛の刃が一閃二閃していた。その刃は迅かった。斬りたてられて、一歩、二歩と退く。  刀刃が浪人の手首を削り、袖《そで》を裂いた。浪人は受け身に回り、じりじりと退く。半兵衛はここを先途とばかり、一気呵成《いっきかせい》に斬りつける。その刃には凄《すさま》じさがあった。かれの気迫だろ う。  浪人は、小田丸弥介の名を聞いて顔色を動かした。ということは弥介の名を知っていたものとみえる。その浪人のわずかの隙《すき》に、半兵衛はつけ込んだのだ。刀を鞘《さや》ばしらせたときは、命賭《いのちが》けである。勝つためには手段を選ばない、というのが半兵衛の戦い方なのだろう。  弥介は、半兵衛の鋒が、浪人の左首筋を裂いたのを見た。とたんに半兵衛は一歩、二歩と退いていた。勝負はついていた。首筋から血が音をたてて迸《ほとばし》るのを聞いたらしく、浪人は顔をゆがめ、 「おのれ!」  とおめき、二、三歩半兵衛を追い、そこで、片膝をついた。噴き出す血は止めようがない。浪人は死期を迎えて、 「拙者は、羽川《はねかわ》庄左衛門、憶えておいてくれ」  枯《か》れたとぎれとぎれの声で、それだけ言い終えると、力を失って、前につんのめり這《は》った。 [#ここから7字下げ] 5 [#ここで字下げ終わり]  小田丸弥介は、住まいのある神田・雉子町《きじちょう》に向かって、緩慢な足どりで歩き出していた。雪は牡丹雪《ぼたんゆき》となって、白く舞い落ちて、冷えきった地面に、しばらくはその形を保っている。弥介の胸中には、得体の知れない怯えが拡がっていた。  追いつめられた男は、や[#「や」に傍点]の一言を口にしてあまりにもあっさり舌を噛み切って死んだ。そして浪人は最後に羽川庄左衛門と名乗って死んでいった。二人の死に弥介は怯えているのだ。人の死がいかにも平然と日常茶飯事のように弥介の目の前に展開された。それがかれを慄《おのの》かせるのだ。  羽川庄左衛門は、はじめ名を名乗らなかったのは半兵衛を斬る自信があったのだろう。だが、おのれの死をみつめたとき、名もなく路傍に死んでいくのが怖ろしかったとみえ、憶えておいてくれと叫んだ。その心情や哀《かな》しい。  十日前、さるの佐吉が、堀の向こうで浪人に斬られ堀に落ちて死んだ。弥介はその日、知り合いの町同心を八丁堀《はっちょうぼり》に訪ねるつもりで、堀端の道を歩いていたが、佐吉の死を見て、その気を失い、引き返した。  死んだ佐吉は、弥介に何かを告げたかったのに違いない。半兵衛の話からして、佐吉は、あるいは目明し銀兵衛の何かを掴んで、弥介に知らせたかったのかもしれない。深川では、むかしの仲間が次々と姿を消していた。十数人いた仲間が、半兵衛と左柄次郎左衛門を残して消息を絶っている。深川を去ったのではなく、みんな殺されたのだという。  浅草の田原町に、内職に雪駄《せった》を作っている浪人、古谷野信左衛門がいるが、この男と正月に会ったとき、かれの知り合い顔見知りの浪人たちが、浅草から姿を消し、 「気味悪いことだな」  と言ったことをも思い出していた。信左衛門も、むかしは用心棒で糊口《ここう》をしのいでいた浪人の一人だった。 「わしも蚊帳の外ではあるまい」  という思いが胸に湧き、それが騒ぎ出すのを止めようがなかった。  浪人たちが姿を消す背後には、なにか巨大なものが動いているような気がする。何か轟《とどろ》きながら迫ってくるようだ。舌を噛んで死んだ男は、一言や[#「や」に傍点]と口にしたが、そのや[#「や」に傍点]が何を意味するのか、それを考える余裕は弥介にはなかった。  路地を曲がると、むこうに棟割長屋が見えていた。平常と変わらぬたたずまいに、弥介はほっと息をついた。浅右衛門長屋というが通称あばら長屋で通っている。荒《あば》ら長屋である。住まいは左側の棟の奥から三軒目である。夕餉《ゆうげ》が待っているし、版木の工賃も与志に渡さなければならない。  弥介の目には、表障子が明るく見えていた。長屋の者の姿は路地にはなかった。何か異常があるわけはないのだとおのれに言い聞かせ、波立つ気持ちをなだめ、表障子の前に立った。  戸に手をかけ、その手が止まった。戸のむこうに異常な気配を覚えたとたん、体の筋肉が凝縮し、顔面から血の気が引いていくのがわかった。あるはずのない異変が家の中に起こっているのは間違いなかった。  弥介は、まず左手で刀の鯉口を切り、鞘ばしらせて、刀を右手に下げ、左手で戸を開けた。 「志津!」  娘の名を呼んでいた。  かれが目にしたのは、縛られている与志と志津の姿だった。  二人の背後に影のように二人の男が立ち、それぞれに匕首《あいくち》に似た刃物を与志と志津の首筋に当てていたのである。 「旦那さま」 「父上」  同時に母娘が声をあげた。家の中には行燈《あんどん》と燭台《しょくだい》に火がともされ、母娘の姿を浮き上がらせていた。 「小田丸の旦那、ずいぶん遅うござんしたね」  三和土《たたき》に二人の男がいて、その一人が声をかけた。弥介は刀を下げて三和土に入った。男たちが、これだけの備えをしているところを見れば、弥介の技倆を心得ての上だろう。弥介は唸り、体をこきぎみに震わせた。妻と娘を質にとられては、いかに弥介といえども動きようがなかった。 「おのれ!」  低く口走った。その声には憤怒があった。男四人は、一目で、や[#「や」に傍点]と一言口にして舌を噛んで死んだ男と同じ種類の者たちだった。一様に紺染めの袷を着ているが、その目にはごろつきの凶々《まがまが》しさはない。 「おのれらは何者だ」  それには答えず、男の一人が表障子を閉めた。母娘の首筋に当てられた刃物はただの脅しではあるまい。弥介の動きようによっては二人の首筋は裂かれる。この四人も命を賭けていることは燃えるような目つきでわかる。 「おまえらの欲しいのは、わしの命だろうが、妻と娘を放してやってくれ」  刀の使い方には自信があった。だがいまはかれの得意とする刀法も何の役にも立たないのだ。  弥介は抜いた刀を鞘に収めると、それを鞘ごと腰から抜いて、上がり框《がまち》に擲《ほう》った。かれには何の策もなかった。そのことに自嘲さえ湧いたのである。 「妻と娘は助けてやってくれ」  手も足も出ないとなれば哀願しかないのだ。この男たちが何者かを問う気力もないし、問うても答えまい。  左側に立った三十二、三と思える男が擲った刀を手にし、 「小田丸の旦那、おれたちは、あんたの命が欲しいわけじゃない。奥方とお嬢さんの命を助けたければ、人一人を斬っていただきたいので」 「なにっ」  弥介の双眸は血走っていた。 「わけは聞かねえでおくんなさい」 「その一人を斬れば、妻と娘の命は助けるというのだな」 「その通りで」 「誰を斬るのだ」 「わたしがこれからご案内いたします」  と言ったのは右側にいた四十がらみのがっしりとした体つきの男だった。弥介の刀を受け取って、その男は先に外に出た。弥介は、与志と志津の顔をちらりと見て、 「わしは、必ずもどってくる」  それだけ言って外に出た。いまは、この男たちを信じ、言う通りにするしかなかったのだ。 「旦那、急いでおくんなさい。相手は待ちかねておいでです」  弥介は四十男の手から刀を受け取ると帯に差した。 「もし、妻と娘を殺したら、わしは執鬼となるぞ」 「わかっております」  男の声は、意外に柔らかく優しく聞こえた。その優しさに無気味さがある。 [#ここから7字下げ] 6 [#ここで字下げ終わり]  男は降りしきる雪の中を、弥介の三間先を歩いていた。たしかにごろつきでも職人でも商人でもなかった。職人は職人の、ごろつきはごろつきの匂いというものを持っているものだが、男にはそれがなかった。 「おまえの名を聞いておこうか、名を知らぬでは不便だ」  答えぬと思ったが、男はわずかに首を回して、 「百造《ひゃくぞう》と憶えおいていただきましょうか」 「相手は、浪人か」 「へえ」  喋っていないと膨れ上がった怯えが破裂しそうだった。 「や[#「や」に傍点]とは何だ」  男は応《こた》えない。 「妻と娘の命は保証するのだな」 「信用していただくしかございません」 「何故《なにゆえ》、浪人を斬らねばならんのかは、話してくれるはずもないな。妻と娘を質にとってわしに人を斬らせるのは、むかしわしが深川におったからか」 「…………」  声が空虚《うつろ》に流れる。 「銀兵衛という目明しは、おまえの仲間か、やつは、わしらの仲間を探っておったのか」 「…………」 「深川の九沢半兵衛を知っているか、左柄次郎左衛門は……、今日、羽川庄左衛門なる浪人が半兵衛に斬られて果てた。それもおまえらの仕事か」  いかに喋っても糠《ぬか》に釘《くぎ》である。それを知りながら、弥介は喋らずにはいられなかった。  神田川の下流、浅草御門橋と新《あたら》シ橋《ばし》との間の南側、つまり柳原土堤《やなぎわらどて》のそばに郡代屋敷がある。その南側に馬場があった。馬喰町三丁目の北側に位置する。斬り合う場所は、その馬場だったのだ。  弥介は、橋本町の側から馬場に入る。広い馬場に黒い影が一つぽつんと立っていた。 「旦那に斬っていただくのは、あのご仁で」  百造が指さすのに弥介は頷いていた。両手は懐中にあった。手がかじかんでいては刀柄は握れない。  かなたの浪人のそばには焚火《たきび》が見えた。弥介が姿を見せるまで火にあたっていたのだろう。弥介は、火を見て、おのれの体が冷えきっているのに気付いた。  弥介は懐手のまま、浪人の五間てまえまで歩み寄っていた。いかにも膂力《りょりょく》がありそうな逞しい体つきの浪人で、肩に羽織を掛けていた。 「遅いぞ、待ちくたびれた」  浪人が陽気な声をあげた。まるで朋友《ほうゆう》でも待っていたように。 「おれは、大呂《おろ》重左衛門だ、おまえの名を聞いておこう」  名など言う気はない、とは言わなかった。名乗って惜しい名ではない。 「小田丸弥介」 「小田丸弥介だと」  浪人は鸚鵡《おうむ》返しに弥介の名を口にし、一呼吸、二呼吸あってから、 「あの人斬り弥介か」  意外な名を聞くように、浪人は言って、覗《のぞ》き込むように弥介を見た。人斬り弥介、弥介自身が忘れていた仇名《あだな》だが、半兵衛もそれを口にし、半兵衛に斬られた羽川庄左衛門も、弥介の名を知っていた。この大呂重左衛門も知っている。弥介はそれほどにおのれの名が通っていようとは思ってもみないことだった。  悠然と構えていた重左衛門が、肩をはね上げ、羽織を背後に舞わせていた。下に白い襷《たすき》を掛け、袴《はかま》の股立《ももだち》は取っている。足は草鞋《わらじ》ばきだった。雪を考え、足が滑らぬように、用意したとみえる。 「相手にとって不足はない、というところだな」  重左衛門は腰をひねって刀を抜くと、それを正眼に構えた。一呼吸遅れて弥介も鞘ばしらせその刀を右手に持ち、それを背後に引きつけた。弥介の刀法には構えの形などないのだ。双方から二歩、三歩と歩み寄って間を二間とした。一歩踏み込んで一閃させれば、刀刃が相手の肉を裂く距離である。  重左衛門の構えが硬い。相手が小田丸弥介と知ったためのようだ。重左衛門から見れば、弥介の体は隙だらけに見える。それがかえって無気味なのだろう。剣の構えにはさまざまあるが弥介のこのような構えを、重左衛門ははじめて見たのに違いない。剣の流派にはない構えだからである。  正眼の構えは、防備のためには理にかなっているが、正眼から、そのまま相手に傷を負わせるには突きしかない。斬り下げるにも胴を薙《な》ぐにも、振りかぶるか、横に引くかの動作が必要である。  だが、弥介の構えは、体を移動させることによって、膂力で刀刃を引きつけ、下から上へと斬り上げることができる。その次の瞬間には、刀刃は上段にある。返す刀で斬り下げる。  その辺は重左衛門も心得ているものと見えた。そのために正眼の構えを硬くしているのだ。 「人斬り弥介とは、お前だったか、名だけは聞いていた。だがその構えでは、剣を知らぬとみえるな、ただの喧嘩《けんか》剣法だったか」  怯えが重左衛門に喋らせていた。刀を抜いたとき弥介の体から怯えは去っていた。刀を抜いて対峙《たいじ》したときよく喋る者は、よく吠《ほ》える犬に似ていた。 「どうした斬り込まぬか、怯《ひる》んだか」  喋ればそれだけ体から気が抜ける。それを知っていて重左衛門は喋らずにはいられないようだ。全身が怯えに染まっている。  弥介は、無造作に一歩を大きく踏み出し、その足に体重を移しつつ、背後の刀刃を引きつけ、下から上へ振り上げた。空気が裂け刃鳴りがした。それは細い笛のような音ではなく、巨氷が割れる音に似ていた。バサッという、大鳥がとび立つ羽の音のようでもあった。その音に重左衛門は目を剥き一歩退いて全身を強張らせた。弥介は更に一歩を踏み込み、刀柄に右手を添え、引きずるように斬り下げた。  重左衛門の右肩から胸乳《むなち》の下あたりまで裂いていた。斬截《ざんせつ》というに相応《ふさわ》しい斬り方だった。弥介がはじめの一歩を踏み出して斬り下げるまで、ほんの一瞬だった。重左衛門にはその一閃を躱《かわ》すことも、受けることもできなかった。  半兵衛はむかしから言っていた。弥介の刀刃はおれの刀の早さの二倍迅いと。弥介の刀法には、剣術でいうさまざまの変化技はなかった。ただ斬るか薙ぐかである。  うむ、と唸って重左衛門が足をよろめかせたとき、弥介は返り血を避けて背を向けていた。 「お、の、れっ」  声を涸《か》らして、刀を振り上げようとしたが、左腕がわずかに動いただけで、そのまま前に傾き、鈍い音をたててうつぶし、手足をわずかに痙攣させただけだった。  凄じい刀法である。この斬り方を見た深川の仲間は、人斬り弥介と、誰言うとなく言いはじめ、それが江戸の浪人たちの間に伝説的に伝わったのだろう。  弥介は刀刃を拭《ぬぐ》いもせず鞘に収め、五、六歩を歩いて、足を止めると、左手でおのれの口を掴んだ。そして咽《のど》から音を発した。烈《はげ》しい嘔吐感《おうとかん》に、その場に片膝つき顎《あご》を突き出し吐いた。だが胃の腑には何もなく、ただ胃液だけがかれの唇から、垂れ流れ、胃袋がひっくり返るような思いに涙さえ流したのである。  唾《つば》を吐き、唇を手甲《てっこう》で拭った弥介は、はっ、と顔をもたげ、 「志津!」  と口走り、立ち上がると走り出していた。約束は果たした。与志も志津も住まいにいるはずだ、と思いながら、不安は拭えない。走って雪に滑り転んで立ち上がり、また走る。 「そんなはずはない」  とおのれに言い聞かせながらも、不吉な光景が頭に浮かび上がる。疾走というに相応しい馳《か》け方だった。一陣の黒い影が町の中を走り抜ける。走りながら息があがっていた。以前は、このようなことはなかった。版工として座して仕事をしていたために、足腰が弱ったのか、喘《あえ》ぎながら走った。白く積もった雪に弥介の足跡だけが印されていく。 [#ここから7字下げ] 7 [#ここで字下げ終わり]  弥介は、路地に走り込み、長屋を見て足をゆるめた。灯《あか》りがあるのは奥から三軒目の一軒だけ、弥介の住まいだった。  表障子の前に立って戸に手をかけたが、血の海の中に与志と志津の死骸が転がっているのではないか、不安がよぎる。戸の内には人の気配はなく灯りだけが点《つ》いている。  戸を開けたが、家の中に与志も志津もいない。 「志津、志津」  と叫びながら雪駄ばきのまま畳に上がると、押し入れを開け、雨戸を開け、土間に降りて、裏戸を開けた。再び表へとび出そうとして、どうにか踏みとどまり、息をついた。百造とかいう男に案内されて馳けもどるまで半時《はんとき》(約一時間)はかかっている。その間に運び出されたのなら、そのあたりをうろついているわけはなかった。  隣の戸が開いて、しばらくして女が顔を覗かせた。大工の女房でおかね[#「おかね」に傍点]という。 「奥さんとお嬢さんは、半時ほど前、駕籠《かご》に乗せられて連れていかれましたよ」  ねむたげな声だった。弥介は頷いて戸を閉め、体から力が抜け落ちたように、上がり框に腰を落とした。 「なぜ、与志と志津を攫《さら》っていったのか」  わけがわからない。土間を歩いて棚の上の酒徳利と湯呑み茶碗を手に提げてくると、酒を注いで呷《あお》った。酒が咽にしみて、思わず呻《うめ》いていた。  首を回して、行燈のそばに光るものを見て、腰を上げた。二つに折った白紙の上に二枚の小判が載っていた。紙を掴んで開いた。  ——妻子は預かる。探索無用——  黒々とした墨はまだ乾ききってはおらず、指に付着した。更に未練気に首を回して、隅に食膳《しょくぜん》があることに気づき、そばにかがみ、かぶせてある白布を剥《は》いでみると、夕餉の仕度がされてあった。汁椀を手にとってみると、まだ温《ぬく》い。 「まだ、遠くへは行くまい」  弥介は、そのまま外へ走り出た。路地から通りへ出て、左右に首を回した。北へ走れば、神田川に架かる筋違橋《すじかいばし》に出る。南は内堀で東は小川町、西はさっき来た道である。  内堀に行くはずはなく、東は小川町で武家屋敷、西は大川に出てしまう。両国橋を渡って本所、向島、深川となる。弥介は北へ走った。往来する人の影は少ないが、一人一人に声をかける。 「二挺の駕籠を見なかったか」  人々はただ首を傾《かし》げ、そして振った。筋違橋のたもとに担《にな》い饂飩《うどん》屋が店を出していた。白髪髷《しらがまげ》の老爺《ろうや》が、 「四半時(約三十分)もなるかな、一挺の駕籠が橋を渡っていったが」 「一挺か、二挺ではなかったか、四人の男たちがついていなかったか」  老爺は首を振った。雪の夜は駕籠も多い。町木戸が閉じるのは、亥《い》の四ツ(午後十時)である。弥介は四方走りまわったが二挺の駕籠はどこにも姿がなかった。よろめくように住まいにもどって来た弥介は、上がり框に坐り込んで、茶碗に酒を注いだ。  探そうにも木戸が閉まっていては動きようがないのだ。寒々とした家の中を見回し、妙に家の中が温いのに気付き、火鉢に手をかざしてみると、燠《おき》が赤々としていた。  何かがおかしい。  与志は、弥介のための夕餉の用意をして、火鉢に炭をつぎ足し灰をかけて、出ていっている。男たちが、与志にそれだけの余裕を与えたのだろうか。四人の男に襲われ縛られる前に夕餉の用意をしたのなら、汁はとうに冷えていなければならない。 「妙ではないか」  火鉢になぜ炭をつぎ足したのか。与志も四人の男たちも、弥介が斬り合いに勝ってもどってくることを知っていた。もちろん四人は、人斬り弥介の腕は知っていたと考えられる。だが、それにしても親切すぎるではないか。  弥介は、縛られていた与志と志津の顔を思い出してみた。妻子を質にとられて動転していたかれに妻娘の顔色まで読みとる気持ちの余裕はなかったが、いま考えてみると、二人の顔に怯えがなかったように思えてくる。 「どういうことだ!」  二人は、旦那さま、父上、と声をあげた。それは耳に残っている。だが、首筋に刃物を当てられ、裂かれるかもしれない、という切迫したものがなかったのではないか。顔も声も恐怖に慄いていなければならなかったのに。  百造とかいった男どもの妻娘に対するあつかいは優しかったのか、あるいは与志と志津が慄かない何かの理由があったのか。百造どもは、何故に二人を攫っていかなければならなかったのか。 「わからん」  と呟いて、弥介はその場に仰臥《ぎょうが》した。煤《すす》けた天井を睨《にら》んでみたが、そこには何も映りはしなかった。起きて二枚の小判を掴んだ。この二両は、大呂重左衛門といった浪人の斬り代のつもりか。  胸の動悸《どうき》がいくらか治まって来た。妻子を殺しはすまいという思いが脳裡に湧き、それが息をつかせていた。膳を引き寄せ汁椀を手にするとすでに冷えきっていた。  坐り直して火鉢を抱き寄せた。火鉢の五徳には鉄瓶が載っていて湯は沸き音をたてている。そのそばには茶器の用意さえしてある。急須の蓋《ふた》をとってみると新しい茶葉が入っていた。鉄瓶を手にして急須に湯を注ぐ。そのとき袂のあたりに何か騒いだ。袂に手をつっ込んで掴み出すと、それは三枚の稲荷銭だった。親子三人の除災を願って買い求めたものだ。 「稲荷め、祟りおったか」  神を恃もうと思ったおのれに腹が立ち、三枚の稲荷銭を擲った。それぞれに音をたて土に転がった。急須から湯呑み茶碗に注いだ茶をすすった。  ——四半時前に一挺の駕籠が筋違橋を渡っていった——  担い饂飩屋の老爺が口にした言葉を思い出していた。弥介は、駕籠二挺と思い込んでいた。そして時間も半時ではなく四半時前だったのに違いない。与志が志津を膝の上に乗せれば一挺で足りる。人を攫うのに辻《つじ》駕籠は使うまい。二人でかつぎ、二人は少し離れて歩けば、四人が駕籠に付いていなくてもいいわけである。  明け六ツ(午前六時)には町木戸が開く。  まんじりともせず夜明けを待った。空腹は覚えなかったが、味噌汁《みそしる》の鍋を火鉢に掛け、熱くなったところで、昨夜の飯に汁を掛けて、とにかく胃の腑に流し込んだ。  夜が白みはじめるころ、隣では起き出し、朝飯の用意をはじめる。職人が仕事に出るのは 六ツ半(午前七時)である。弥介は隣の女房おかねに駕籠が一挺であったと聞いて、頷いた。  弥介は長屋を出て筋違橋に向かったが、昨夜の饂飩屋がいるわけはない。橋を渡って御成《おなり》街道をまっすぐに往くと不忍池畔に出る。池の手前を右に折れ東へ向かうと、根岸を経て浅草へ出る。どこをどう歩いていいかわからない。妻子を乗せた駕籠がたどった道に印がついているわけではないのだ。  空は昨日の雪が嘘《うそ》のように青く晴れ渡り、陽ざしが背や肩に暖かく春を思わせた。思ったほどは降らなかったとみえ、雪が融けたあとの道もぬかるむほどではなかった。  かれは、妻と娘を探し出せるとは思っていないが、長屋にじっと坐っている気にはなれなかった。版木を彫る仕事はあるが、とても鑿《のみ》を持つ気にはなれなかった。浅草まで来て、田原町に古谷野信左衛門が住んでいるのを思い出し訪ねてみる気になった。古谷野とは、弥介が深川にいるころ同じ用心棒として知り合った。だから七年ほど前になる。古谷野はいまは雪駄作りで糊口《ここう》をしのいでいるが、四年前までは、やはりごろつきの群れの中にいたのだ。  弥介と同じ長屋住まいである。ごめん、と声をかけると、しばらくして藁屑《わらくず》だらけの信左衛門が姿を見せた。近くまで来たので寄らせてもらった、というと、とにかく上がってくれと手を泳がせた。この男も流派は知らぬが、かなり上手に剣を使う。弥介は、以前|仇持《かたきも》ちと聞いたのを思い出していた。あるいは古谷野信左衛門の名は偽名かもしれない。  信左衛門は茶をいれて坐った。小さな庭に椿の木があって、花はつけていないが、光沢のある葉の色を見せていた。 「古谷野さん、大呂重左衛門という浪人をご存知か」 「知っておる。強請集《ゆすりたか》りが業《なりわい》だったようだ。おれがこの雪駄作りをはじめるまでは、仲間の一人だった」 「なるほど」 「その重左衛門がどうかしたのかな、腕は一刀流を自慢しておったが、なかなか上手であった」 「大呂重左衛門は、昨夜死んだ」 「ほう」  と信左衛門は弥介の顔を見た。弥介はじぶんが斬ったとは言いたくなかったが、信左衛門にはわかったようだった。 「死んだとは、斬死か」 「左様」 「重左衛門を斬れるとは、かなりの達者とみえる」  昨夜の浪人の話をするつもりはなかったが、話の継ぎ穂がなかった。弥介は深川のことを語った。むかしの仲間が行方をくらましていることを。 「浅草も同じだ。どこへ行ったか、あるいは死んだかわからんが、二十数人は消えている。もっとも浪人者は多いからさして目立たぬが、まさか神隠しでもあるまい」  信左衛門は淋《さび》しく笑った。 「いずれは、拙者も引きずり出されそうな気がする。だが小田丸さん、あんたとだけは、刀を交えたくないな」  かれは、浅草の浪人の間に何かが起こっていることを感じとっているのだろう。 「古谷野さん、何かを見たのか」 「いや、耳にしただけのことだが、浪人の死骸を運び去るのを見たという者がおってな。それが妙な男たちだそうだ」  与志と志津を攫っていったのは、その者たちだ。誰の目にも得体の知れない男と見えるらしい。妻と娘がやつらに攫われたことを、信左衛門に話してもはじまらない。  弥介は、信左衛門の浪宅を辞したが、行くところがなかった。胸裡には走り出したい衝動があったが、走り出す方向がわからない。走っても徒労であることはわかっている。おのれの胸をなだめながら歩くしかなかった。  弥介には、妻と娘を凶悪なものから守り得るだけの刀法があったが、それが何の役にも立たなかったという自嘲があり、茫然《ぼうぜん》自失していた。逆に、刀法者であることが、かえって災いをまねいたのではないのか、と思えるふしさえあったのだ。  新年になってからの怯えが、いまは現実になってしまったのだ。妻娘を奪われて、弥介には何も残っていない。独り身の古谷野信左衛門が羨《うらや》ましくもあった。 [#改ページ] [#ここから3字下げ] 白研《しらと》ぎの刃《やいば》 [#ここで字下げ終わり] [#ここから7字下げ] 1 [#ここで字下げ終わり]  深川は、むかしは下総国《しもうさのくに》葛飾《かつしか》郡で、一面菅野《すげの》の海辺であった。それで掘り割りが多く、堀に架ける橋も多いことになる。加えて岡場所も多かった。仲町、入船町、向土橋、大新地、新石場、古石場など七カ所とも九カ所とも言われ、多くの娼婦《しょうふ》を集めていたが、改革とやらで、これらは地下に潜ってしまった。  それで一時は寂れたが、江戸の商人、武家の遊び場として金が落ちるところから、また盛り返し、華やかさをとりもどしていた。  永代寺門前町の裏手、蛤町《はまぐりちょう》に居酒屋『甚兵衛』がある。その店の片隅に小田丸弥介は腰を降ろし、ひとり酒を呑《の》んでいた。月代《さかやき》も切らず、鬚《ひげ》ものばしたまま、むさくるしい姿である。この深川に妻娘を探しに来たわけではない。妻娘を奪われて芯《しん》を失った弥介の足は、ふらふらと深川に向いたのである。  むかし、この店には用心棒仲間がよく屯《たむろ》していたものだ。十数人はいたが、いまは九沢半兵衛と左柄《さがら》次郎左衛門の二人しか残っていないと半兵衛に聞いた。  用心棒の仕事はわりに多かった。博徒、商人、そして小金を貯《たくわ》えた後家までが用心棒を雇ったものである。寺参りにまで用心棒を付けて歩く。強請集《ゆすりたか》りは日常茶飯事だった。用心棒同士の張り合いで刀を抜くこともあった。狎《な》れ合いで商人かその家族を脅し、それを助けてやって金にする。金になることなら、智恵を絞ったものである。  当時、流行したのが強飯組《おこわぐみ》というやつである。美しい女をかかえ込んで男を誘わせ、その男が女にのしかかろうとするとき乗り込んでいって、おれの女に何をする、と脅して金をまき上げる。美人局《つつもたせ》であるが、なぜか強飯組と言った。他人の女を盗み情女《いろ》にし、あるいは女房を寝取っておいて逆に脅しもした。禄を離れてなかば自棄《やけ》になっていた浪人たちである。公儀を罵《ののし》り、酒を呑み女を抱く、これが浪人の生き方だったのだ。  店の亭主甚兵衛がさきほどから弥介をむこうから見ていた。甚兵衛も白髪《しらが》がふえている。甚兵衛が銚子一本を提げて、弥介のそばに歩み寄って来た。 「間違っていたら、お許し下さい」 「爺さん、間違いではないよ」 「やっぱり、小田丸の旦那で、お久しぶりでございます」 「爺さんも達者でなによりだ」 「旦那、また深川にもどって来なさったので」 「いや、ちょいと足を延ばしてみただけだ。半兵衛と次郎左は姿を見せねえのかい」 「今日はまだで。お二人とも、このところ殺気だっておいでで」 「聞いている」  甚兵衛は、弥介の向かいに坐《すわ》って銚子をさし出し、酌をする。 「深川も、五年前とは変わりました。改革とやらで、旦那方がいなくなって、近ごろは小悪党がふえましてね」  改革によって目明しも廃されて、町奉行所でも手が回らない。睨《にら》みを利かせる者がいなくなって、博徒の下っ端が悪事を働く。 「古いご浪人はいなくなっても、新しいご浪人がふえてくる。ちっとも減りはしませんがね、新しいのは柄が悪い」 「わしらも柄が悪かった」 「いいえ、旦那方は、一本筋が通っておいででしたよ」  そこへ、浪人がぬっと入って来た。左柄次郎左衛門だった。 「おい、人|斬《き》りの旦那じゃないか」 「生きていたか、次郎左」 「とにかく、今日まではな、明日はわからん、まさか、旦那、おれを斬りに来たんじゃないのだろうな」  と冗談めかして言いながら、その目には一分《いちぶ》の疑惑が宿っていた。誰《だれ》一人信じられなくなっている目である。 「まあよい、旦那に斬られるのなら仕方がねえな。おれの目潰《めつぶ》しも通じない」  甚兵衛が盃《さかずき》を持って来て、次郎左衛門は手酌で呑む。顔が酒焼けして見えた。毎日呑んでいないと怯《おび》えが去らないのか。昨年の秋ごろから一人二人と消えていった。おのれの番を今日か明日かと待っている苦悩が面《おもて》に刻まれている。弥介よりも次郎左衛門の窶《やつ》れのほうが深い。 「半兵衛が旦那に会ったと言っていた。もう二十日ほどになるかな」  与志《よし》と志津が攫《さら》われて二十一日が経っていた。弥介には、何一つやることがなかった。 「何人斬った」 「八人斬ったな。一人は逃げた。かなわぬと思えば逃げろと半兵衛も言ったが、刀を抜いたからには背を向けるわけにはいかん」 「お互いに、斬り合う理由はないのだから、双方で刀を引けばよい」 「ごろつきか博徒なら逃げてもよい。だが、おれも相手も、捨てたはずの士《さむらい》の矜持《きょうじ》というやつを持っている。結局は相手を斬るしかない。士は禄を失えば憐《あわ》れだ。そう、一人の浪人は子供を人質に取られ、おまえを斬らなければ子供が殺されるというた」 「人質か」  百造《ひゃくぞう》と称した男たちは、質を取って浪人と浪人を斬り合わせるのか。その浪人は次郎左衛門に斬られ果てた。質に取られた子供はどうなるのか。その疑問は、そのまま弥介にも重なってくる。それをいま考えてもどうにもならないことだが。 「目明し銀兵衛はどうした」 「そうだったな、あれ以来銀兵衛は深川に姿を見せなくなった。おまえの消息を聞いていたが、異変はないか」 「それはいい」 「やはりあったのだな、すると銀兵衛がこの件に一枚|噛《か》んでいることが決まったようだな」 「次郎左、少し歩いてみないか」  腰をあげて、銭を払う。甚兵衛はいらぬと言ったが押しかえした。また来て下さいよ、と言う。甚兵衛も淋《さび》しいのか。  店を出て、永代寺門前町の通りへ出て、仲町のあたりへ向かう。堀沿いに黒江橋あたりまで来たとき、 「弥介、跟《つ》けられているぞ」  と次郎左衛門が言った。 「おまえではなく、わしが狙いだ。長屋を出たときから跟けている」  三十前後か、五尺そこそこの小男だが、肩幅がいやに広く、肌がいやに黒い。ただの日焼けした肌ではない。百造の仲間ではなく、職人のようだが、目の配り足の配りからしてただの職人ではなかった。剣術の心得があると見た。ふところには刃物を呑んでいる。もちろん弥介は油断しなかった。どのような技があるのかわからないのだ。 「大石のやつ」  と次郎左衛門が吐き出すように言った。弥介と知り合ったころから、この男は不意に声を発するのだ。事情は聞いている。吉良《きら》上野介《こうずけのすけ》の首級《しるし》をあげた大石|内蔵助《くらのすけ》が憎いのだ。名を揚げた四十七士を憎悪している。その憎悪で次郎左衛門は生きている、と半兵衛が言っていた。憎悪がある限り、この男は浪人と対峙《たいじ》しても敗れることはないだろう。  黒江橋を渡り、奥川橋を渡ったところで、次郎左衛門とは別れた。やたらに橋の多い場所である。 「半兵衛にもよろしくな」  別れて弥介は加賀町から堀川町への千鳥橋を渡った。そこで跟けてくる男を待った。 [#ここから7字下げ] 2 [#ここで字下げ終わり]  弥介は、七間ほど離れて立った男を見た。  黒い貌《かお》の中に二つの目玉だけが炯《ひか》っている。このような職人がどこで武芸を練ったか知らないが、かなりの膂力《りょりょく》を秘めているようだ。 「わしに何か用か」 「旦那は、小田丸弥介というのかね」 「その通りだ」  男の体が動いた。とたんに何かが弥介の顔を狙って飛来した。それが風を裂いて唸《うな》った。弥介は首を捻《ひね》って躱《かわ》した。それは鬢《びん》をかすめて飛び去った。首を捻らなければ、確実に目を潰されていた。見ると男は馳《か》け去っていた。 「礫《つぶて》か!」  礫術というのがある。男が投げた小石には術があった。礫術は三個の石を投げると聞いている。一個の石を投げて躱せば躱したほうに石が飛来するのだ。常人には躱せない狙い方である。去った男には確かな技があった。男は一投だけでなぜ去ったのか。  顔には出さないが、胸|塞《ふさ》がる思いがあった。与志と志津が生きているという保証はないわけである。  家には版元の手代が仕事を持ち込むが、弥介はそれを断わった。  神田・雉子町《きじちょう》の長屋にもどった。家の中に入って、火鉢の中の燠《おき》を掻《か》き出し炭をつぎ足す。寝転んで煤《すす》けた天井を睨む。ふと何かを思いついたかのように、刀を手に起き上がっていた。土間に黒い男の影が立っていた。外が明るいので男は黒々と見えていた。 「百造とか言ったな」  二十一日前、馬場に弥介を案内した男であった。 「妻と娘をどこへやった」  弥介は立ち上がっていた。返事次第によっては斬る構えを見せた。思わず殺気が洩《も》れ、百造は体を震わせた。 「小田丸の旦那」 「与志と志津を返せ」 「奥さまとお嬢さまは、大事にお預かりしております」 「どこだ、場所を言え」 「…………」 「言わぬと斬る」  音をたてて刀の鯉口《こいぐち》を切っていた。容赦なく殺気を迸《ほとばし》らせていた。百造は立っていられずその場に膝《ひざ》をつき両手をついた。 「わたしを斬っても、お二人はもどりません。わたしが死ねば、次の百造が来るだけで」 「おのれ」  腸《はらわた》が煮えたぎったが、刀は抜けない。斬って妻と娘がもどるのであれば、とうに斬っている。 「奥さまとお嬢さまに害はいたしません。大事にお預かりいたしております」 「大事にだと」  弥介は脳裡《のうり》に、や[#「や」に傍点]と一言だけ口にして舌を噛み切った男の姿があった。かれはおのれの気をなだめ、そこに胡坐《あぐら》をかいた。責め方はあるが、責めにかかるとこの男は舌を噛んで死にそうな気がした。 「何のために現われた。ただわしの顔を見るために現われたわけではなかろう」 「旦那に、浪人をいま一人斬っていただきたいので」 「断わる、と言ったら」 「奥さまとお嬢さまを大事にお預かりしております」 「言うことは、それだけか」 「はい」  弥介の体から殺気が消えて、百造は裾《すそ》をはたいて立ち上がった。かれの殺気に震えはしたものの、この男は死を覚悟している。それでなければ弥介の前に姿を現わせるわけはなかった。断わると言っても、妻と娘を殺すとは言わない。 「もし、わしが斬られて果てれば、妻と娘はどうなる」 「いつまでも、大事にお預かり申します」 「浪人を斬れば、妻子をもどすとは言わないのだな」 「はい」 「それだけか」 「はい」 「おまえらは、一体何者なんだ」  と聞いても応《こた》えてくれるわけはなかった。 「おまえの仲間は何人いる」  それにも応えない。 「何のために、このようなことをやっておる」 「わたしら下っ端には、何もわかりません」 「ということは、おまえらの頭がいるということだな」  百造は薄く笑っただけだった。百造のいいなりに浪人を斬らなければならないのか、今日浪人を斬ってそれで終わるわけはない。すると、百造のいいなりに、次々に浪人を斬っていかなければならない。もちろん百造の仲間も命賭《いのちが》けだろう。この男たちを誰が動かしているというのか。何を聞いても、口が裂けても答えまい。斬ろうと思えば容易に斬れる男である。斬ろうとしても抵抗はすまい。それだけの腹はとうにできている面構《つらがま》えである。 「斬る浪人の名は」 「赤沢総八郎」 「齢《とし》は」 「四十一」 「その赤沢には親も子もいないのか」 「はい、独り者で」 「悪党か」 「はい、酔っては人を斬ります」 「ならば、町奉行所で捕らえればよい」  百造は口をつぐんだ。都合の悪いところへくると押し黙る。 「その赤沢を斬れば、妻と子をもどすとは言わないのだな」 「大事にお預かりしております」  聞くだけ無駄だったようだ。 [#ここから7字下げ] 3 [#ここで字下げ終わり]  弥介は、柳橋のたもとに立っていた。百造も弥介のそばに立っている。  神田川が大川に流れ込む最端に柳橋がある。この橋は柳原同朋町と平右衛門町の間に架かっている。  赤沢総八郎、と呟《つぶや》いてみたが聞かぬ名だった。悪党ならば斬った心は痛まないのか、善人であれば心が痛むのか、その辺は弥介にはわからなかった。その赤沢は両国広小路の方からやってくるという。もちろん、どれほど腕の立つ浪人かはわからない。浪人を斬って与志と志津の命を繋《つな》ぎ止めることができるのであれば、斬るより他はないのだ。  この百造が赤沢なる浪人の立ち回り先、歩く先を知っているとなれば、かなりの人数が動いていることになる。 「旦那」  と百造が声をかけた。黒衣を着流したいかつい浪人が歩いてくる。 「あの浪人で、いま後ろを振りむいた……」 「わかった」  その声と同時に、百造は弥介のそばから離れた。たしかに赤沢は悪党面で賤相であり獰猛《どうもう》な面構えをしている。弥介は赤沢が目の前を通りすぎるのを待った。そして五間ほどの間をもって跟けはじめた。そのときには赤沢は気付いたようだったが振りむこうとはしない。跟けられるのには馴《な》れているものとみえた。  顔は赤鬼に似ている。酒気を帯びているのだろう。相手の技倆《ぎりょう》を測るために故意に殺気を放ってみる。赤沢はそれに、わずかに首をひねり、左手で首筋を撫《な》でただけだった。  弥介に斬らせようというのだから、生半可な浪人ではあるまい。  ——おれは、浪人を斬るために、何者かに雇われたということか——  そう考えてみると、百造らが妻子を殺すわけがない、と思えてくる。もっとも用が足りたときには、与志と志津を殺してしまうかもしれない。  赤沢は、ついと脇道《わきみち》へ外《そ》れた。弥介を誘い込むつもりらしい。弥介にとっても、そのほうが助かる。曲がり角を次々に右へ左へと曲がり、ついには大川端へ出た。行きづまりである。川端に立って、体は大川に向けたままである。弥介はその背後、五間のところに立った。 「赤沢総八郎か」 「さよう」 「わしは小田丸弥介と覚えておいていただく」 「聞いたような名だな、深川か」  弥介は刀を抜いて右手に下げた。その気配に赤沢は振りむいた。 「遺恨でないことはわかっておる。何度それを聞いたかな、小田丸とか、おまえで十二度目だ……。小田丸? 小田丸弥介……」  赤沢の表情が崩れた。双眸《そうぼう》が光り窄《すぼ》んだ。 「あんた人斬り弥介か」 「五年前までは、そう呼ばれていたこともある」 「ま、まて、しばらく」  あわてて刀を抜き、一歩退いてなにかをさえぎるように左手を突き出した。さきほどまでの威勢は消え失《う》せ、その分だけ顔を強張《こわば》らせ、引《ひ》き攣《つ》らせていた。 「な、なんであんたがおれを斬る」 「それを聞かれても、わしには答えられん」 「たのむ、見逃してくれ、金ならあるだけやる。ここに三両ほどある。それで、ゆるしてくれ」 「金はいらん」 「人斬り弥介とは知らなかった。おれはまだ生きていたい」  赤沢総八郎は、抜いた刀を投げ出して、両手を合わせたのだ。弥介はおのれの名が、赤沢を怯えさせるまでに伝わっているとは思わなかった。人斬り弥介の名は、まるで死神のように、江戸の浪人たちの間で拡がっているのか。  両手を合わせられては斬るわけにはいかない。それをためらいもせず斬って捨てるほど、弥介は強くはなかった。怯えも怯《ひる》みも知っていた。 「わかった。せいぜい命を大事にするんだな」  それだけ言って背を向けた。五、六歩歩いたところで、弥介は足をとめ、振りむいた。そこに赤沢総八郎が、目を剥《む》いて、刀を上段に振りかぶっていた。  その一閃《いっせん》を躱すために体を左へひねるようにして、右手の刀刃を思いきり引きつけ、赤沢の腹にめり込ませていた。  刀刃は布を裂き、そして腹を裂いた。存分に引きつけた刃は、腹深く食い込み、背骨と薄皮を残して抜けたのである。  弥介には、赤沢が捨てた刀を拾い、殺気を迸らせ、背後に迫るのはわかっていて、呼吸を測ったのである。  そのまま、刃を鞘《さや》に収めて、五歩、六歩と歩をすすめて、咽《のど》を鳴らし口を押さえ、その場に蹲《うずくま》り、音をたてて嘔吐《おうと》した。胃袋がひっくり返るような思いに、涙を浮かべ滴らせると、口を拭《ぬぐ》って立っていた。 [#ここから7字下げ] 4 [#ここで字下げ終わり]  長屋にもどると、点《つ》けたはずのない行燈《あんどん》に灯がともり、行燈のそばには、二つに折った白紙に二枚の小判が載っていた。二両は人斬り料だろう。白紙に文字はなかった。  弥介は水でうがいをし、更に酒でゆすいだ。それで胃の腑《ふ》は落ちついた。酒徳利と湯呑み茶碗を手にすると、火鉢を引き寄せ坐り、燠《おき》を掘り出しておいて炭をつぎ足した。  人を斬って何故《なぜ》嘔吐するのかわからない。深川から足を洗うまでに五人を斬った。四人目までは斬ったあとに必ず嘔吐した。嘔吐するのを仲間に見られるのがいやで、その場から走り去ったものだ。人知れず吐いた。だが五人目を斬ったときには、吐こうとして吐かなかった。吐けなくなったじぶんに、弥介は怯えた。このまま人を斬りつづければ、何の痛みも覚えずに、人を斬るようになる。人を斬ることに狎れてしまう。そうなってしまうおのれを怖れたのである。  そんな折りに、浪人岡田太郎左衛門が、娘を嫁にもらってもらえないかと相談に来た。太郎左衛門はすでに四十五歳。版工で生計《たつき》を立てていた。その娘が与志だった。  太郎左衛門は、弥介に囲碁を教えた。すでに刀を捨て無腰でもあった。もっとも与志は好きでも嫌いでもなかったが、ごろつきの仲間から足を洗うにはいい機会でもあったのだ。  与志とは形ばかりの祝言《しゅうげん》をあげ、夫婦となり、深川を出て神田・雉子町のこの長屋に住むようになった。そして、太郎左衛門がやっていた版木彫りの仕事を受け継ぐようにして版工になり、その翌年、志津が生まれると、まるで死期を悟ってでもいたかのように、太郎左衛門は鬼界の人となった。  夫婦になったとき、弥介は二十八歳、与志は十八歳だった。志津が五歳になっているから、五年と七ヵ月ほどが経っていることになる。  親子三人、貧しくても倖《しあわ》せだった。何ものにも代えがたかったし、妻子を守るだけの技倆は持ち合わせていると自負していたのに、あっさりと攫われてしまった。 「おのれ!」  と何者とも知れぬものに、弥介は低く呟いていた。一ヵ月を過ぎてみても、独りになると焦燥が腹の中に湧《わ》いてくる。  弥介は、ふと思いついたように、三和土《たたき》に降りて探しはじめた。手にしたものは、一枚の稲荷銭《いなりせん》だった。二十一日前に、焦立《いらだ》って投げたことを、ふと思い出したのだ。手で土間をさぐり、二枚目を探し出したが、いま一枚が見つからない。  残った一枚を探すのに、弥介は専念した。稲荷銭がほしいのではなく、何かしていないと、いたたまれない寂寥感《せきりょうかん》に襲われるのだ。行燈を上がり框《がまち》に運び、土間に這《は》った。一時《いっとき》をかけて、やっと一枚を探し出した弥介は、空虚《うつろ》な目つきになった。  三枚の稲荷銭を手にすると、あとは何もすることがなく、暇をもて余す。じっとしていれば、与志と志津のあれこれを思い出す。それに焦《じ》れて、弥介は長屋をとび出した。町木戸が閉まるのは亥《い》の四ツ(午後十時)である。その四ツまでは間があった。  神田・多町《たちょう》の居酒屋の暖簾《のれん》をくぐった。町の者たちが、声高に喋《しゃべ》りながら酒を呑んでいる中に、空いた席を見つけて坐り、酒をたのむ。  卓の上に三枚の稲荷銭を並べて、肘《ひじ》をつき長く伸びた鬚を撫でまわす。妻子が攫われてからは一度も鬚を剃《そ》らず、髷《まげ》も結っていない。むさくるしい顔の中に双眸だけが炯《ひか》っていた。  酒を運んで来た酌女も、弥介の姿に顔をそむけた。衣服も着たままである。いかに冬とはいえ、汗がしみついて匂《にお》っていた。  盃を口に運びながら念頭に浮かぶのは、やはり、与志と志津の面影である。もともと弥介は子供が嫌いな質《たち》だったが、じぶんの子となると異なる。将来どのような男と夫婦になるのかなどを、ぼんやりと意《おも》い、苦笑したりする、そこいらの父親と何ら異なるところがなかったのである。その我が子のために怯え、怯えた通りになったのである。  弥介は妻と子を持って、はじめて怯えというものを知った。その怯えを目の前の三枚の稲荷銭で拭おうとしたじぶんの甘さに、いまは自嘲《じちょう》しかなかったのである。  銚子一本を空けたところで、それ以上は呑む気がせず銭を払って席を立った。外に出ると風が冷たい。長屋にもどって寝るしかない、そう思って、十歩ほど歩いたところで、 「小田丸弥介か」  と背後から声をかけられたとたん、背中に凄《すさま》じい殺気を浴びた。振りむけば、白刃を体に浴びなければならない。走り出そうにも、背後の敵は近すぎた。  咄嗟《とっさ》の判断で、前に転び、転びながら刀を抜いていた。咽から叫びが迸り出た。左右へ跳躍するだけの余裕もなかった。  一回転して片膝をつき、筋肉を絞って刀刃を一閃させていた。手に重い手ごたえがあり、目の前の黒い影が鵺《ぬえ》の叫びをあげて、まるで木の枝から落ちたように音をたてて転がった。弥介の目の前に膝から下の足が二本立っていた。かれの一閃は敵の両足を切断していたのである。  両足を失って転げ回っている黒い影は浪人のものだった。尾羽《おは》打ち枯らした姿だが、浪人の一閃は確かなものだった。血止めをすればまだ命は助かるかもしれないが、弥介にはその余裕がなかった。よろめき立つと、軒下に歩み寄って蹲るなり、たったいま呑んだばかりの酒を胃の腑をつき上げるように嘔吐していたのである。  胃袋を空にして立ち上がり、振りむいたときには、浪人は動かなくなっていた。手甲で唇を拭いながら、はじめて背中にうすら寒さとむず痒《がゆ》さを覚え、背中に腕を回してみると、肩から一尺あまりも衣服が裂かれ、にじみ出た血がべとついていた。  声をかけたときには、浪人は刀刃を振りかぶっていた。弥介の体が一瞬前に倒れるのが遅れていたら、肩から背中を裂かれていた。そのことにはさして怯えはなかったが、浪人に背後に忍び寄られるまで気付かなかったおのれを羞《は》じた。気が遠くに浮遊していたのだろうし、また、おのれが狙われるということに思い至らなかったのだ。  長屋に帰りついた弥介は、井戸から水を汲《く》んでくると、裸になり、肩から水を浴びて、徳利の酒を傷口に流し込んだ。ひりひりする程度に酒がしみた。水の冷たさが脳まで痺《しび》れさせ、それで気が引き締まった。  このときになって、ようやく妻子のことでくよくよしていても始まらないという気になったのである。  裂かれた着物を着換え、そして鋏《はさみ》を持ち出して、長くのびた鬢と月代を切った。この苦境を切り抜けるには、おのれの気を締めてかからなければならないことに思い至った。  敷きっ放しの布団にもぐり込み、 「三人目か」  と呟いた。 [#ここから7字下げ] 5 [#ここで字下げ終わり]  翌朝、おそく起き出して、一膳飯屋《いちぜんめしや》に昼飯を兼ねた朝飯を食いに行く。  長屋にもどり、表戸に手をかけて、戸のむこうに人の立つ気配を覚え、与志と志津がもどったか、と喜んで戸を開けると、土間に見知らぬ女が立っていた。 「小田丸弥介さまでございましょうか」  と女が言った。  二十六、七と見える姿のいい町女である。白い貌には暗い翳《かげ》りがあった。 「何者だ」 「泉《せん》と申します」 「その泉が何用だ」  泉と名乗った女は、しばらく弥介の顔を見ていたが、暗い目を外らした。 「小田丸さまのお世話をさせていただきます」 「世話だと?」 「そのように言いつけられました」 「誰に」 「わかりません」 「わからないだと。わしには妻もいる、余計なことだ」 「いまは、奥さまもお嬢さまもおいでにならないと聞きました」  百造の節介だろう。弥介のこの暮らしを憐《あわ》れと思ったのか。泉は百造の仲間ではなかった。泉の体には町女の匂いがしていた。弥介はこのたぐいの女を深川で多く知っていた。 「おまえは何者だ」 「だから、お泉と……」 「名ではない。素姓を聞いておる」 「掏摸《すり》でございます」 「女掏摸か」 「はい、病《やまい》のおとっつぁんが、かどわかされ、おとっつぁんが無事でいて欲しければ、小田丸さまの身の回りのお世話をしろと」  そういわれれば納得できる。泉も弥介と同じ身の上だったのだ。それで女の貌の暗さもいくらかはわかる。 「わしの世話など無用だ」 「それでは、わたしが困ります」 「困るか」 「はい、お願いいたします」  弥介は、それとなく女の姿を見ていた。泉は与志よりも三つほど上だろうが、体は細かった。 「よろしゅうございましたら、お住まいにご案内いたします」 「わしの住まいはここだ」 「ここでは、わたしが住み込むには狭かろうと、男が申しました」 「おまえと住むのか」 「そのように申しつかりました」  身の回りの世話をするというから、通ってくるのかと思ったのだ。女の口では住まいも別に用意されている様子である。百造一味は何を考えているのかわからない。 「この住まいはどうするのだ」 「このままに、しておくそうでございます」  浪人の弥介に、大事なものがあろうはずがない。与志と志津の衣類などはあるが、置いていったほうがよさそうだ。たしかに弥介も住まいを変えたかった。この家には与志と志津の匂いが沁《し》み込んでいて、ここにいる限りは思い出さないわけにはいかないのだ。百造がいつ妻子を返してくれるのかわからないが、それまでは住居を変えたほうがよさそうだ、と考えてはいた。 「案内願おうか」  と長屋を出て、大家に挨拶《あいさつ》に行くと、大家の浅右衛門は、すでにこのことを承知していたのである。  新しい住まいは、神田・平永町の路地裏にあった。ひっそりとしたたたずまいのしもた屋で、狭いながらも庭もついていた。以前は妾宅《しょうたく》にでも使われていたような間取りである。つづきの六畳間で廊下を挟んで、女中部屋とみえる三畳間があった。  家財道具一切は揃《そろ》っていて、庭に向いた六畳間には箱火鉢があり、火鉢には炭が澳となっていた。たったいままで誰かが住んででもいたように、調度品まで揃っていた。濡《ぬ》れ縁《えん》に立つと、狭い庭だが草も刈りとられていた。居間の中央には切《き》り炬燵《ごたつ》も用意されている。弥介はその炬燵に入って、 「魂胆がわからん」  と口走った。 「わたしが三日かかって用意をして、小田丸さまをお迎えにあがりました」  百造一味の魂胆がわからぬわけではない。弥介に英気を養わせておいて、多くの者を斬らせようというのだろう。  しばらくすると髪結いが来て、弥介の髪を結いあげ、鬚を剃った。鏡の中に見るおのれの顔は窶れ、頬《ほお》がこけ、険しく見えた。一カ月の消耗がその顔にあったのだ。  次に弥介は湯屋にやらされ、垢《あか》を擦《こす》り落とした。さっぱりしすぎて風邪でもひきそうな気分だった。  住まいにもどると、炬燵の上に手料理が並べられ、箱火鉢の銅壺《どうこ》には銚子が二本沈んでいた。炬燵の向かいに泉が入って酌をする。 「世話になる」  そういうと、泉は黙って頭を下げた。  その夜、夢を見た。与志と志津が明るい顔で遊んでいた。柔らかい布団に寝て、弥介は一時毎《いっときごと》に目を醒《さ》ました。なにか不安定なのだ。  弥介には、たとえ夢の中ではあっても、妻と子に、泣き叫び救いを求めて欲しいと思い、不満の中にいくらかの安堵《あんど》を覚えていた。  泉はじぶんの立場を心得ているものとみえ、三畳の間に寝ていた。  朝、目を醒ますとすでに朝餉《あさげ》の用意ができていた。  新居に住んで三日後、百造が姿を見せた。百造は玄関の上がり框に腰を降ろして、細長い風呂敷包みをさし出した。 「今日は、人斬りの用ではございませぬ。旦那はすでに三人をお斬りになりました。脂も浮いておりましょう。お腰のものを研ぎにお出しいたします」 「面倒見がよすぎはしないか」 「旦那には、もっとお働きを願います」  百造は、刀に二両を添えて、四日前の分、と言った。背後から襲いかかった浪人も数のうちに入っていたのだ。  弥介は、百造の持参した刀の鞘を払ってみた。刃は二尺八寸あまり、重さも反りも似ていた。弥介の佩刀《はいとう》に似合ったものを探したのだろう。ただ異なるのは、刀刃を白研《しらと》ぎにしてあることだった。本研ぎにしておいたほうが見映えもいいし、手入れもやりやすいし錆《さび》もきにくいが、人を斬れば脂が浮き滑る。そのために人を斬るときには自研ぎにする。白研ぎの刃は手入れをしにくいし、錆もきやすいが、本研ぎよりも二倍は斬れるといわれている。つまり人斬りのための研ぎ方である。白々と霞《かすみ》がかったように見える刃は、いかにも凶々《まがまが》しかった。  弥介は、その刃を鞘に収め、じぶんの刀を百造に渡した。あと何人斬れば女房子供を返してくれる、と問いかけても百造は答えまい。おそらく百造にもわからないことに違いないのだ。 [#ここから7字下げ] 6 [#ここで字下げ終わり]  弥介は、濡れ縁に腰をおろして、三十坪ほどの庭を眺めていた。庭の隅には青木があり、緑が濃く葉が大きく、よく見ると枝の先のほうにえび茶色の小さな花を咲かせていた。夏をすぎるころには、赤い実をびっしりとつけるのだ。可憐《かれん》というほど美しい花ではないが、ひっそりと咲いていた。  もちろん、弥介に花を愛《め》でる気持ちはないが、ぼんやりと小さな花に焦点を合わせていた。与志と志津がいなければ、ぶらりと旅に出たいと思った。妻娘は男にとって足枷《あしかせ》になるのだ。妻子を持つが故《ゆえ》に怯えを抱く。  わしのような男は妻を持つべきではなかった、と悔いる。深川のごろつき仲間にいるほうが似合っていた。深川がいやになれば、ふらりと旅にも出られる。悔いてはじまることではないが、胸裡には常にそれが去来している。  青木の右側に古い梅の木があった。梅の枝から一匹の蜘蛛《くも》が糸を引いて下がっているのに目が止まり、父弥兵衛を思い出していた。小田丸弥兵衛は浪人だった。弥介は父から、どこかの大名の臣であったかなど、一度も聞いたことがなかったし、母の顔も知らなかった。弥介は父弥兵衛には似ていなかった。かれは五尺八寸あるが、弥兵衛はせいぜい五尺一寸ほどしかなかったが、刀法には秀でていた。いま弥兵衛が生きていて、刀を持って対峙したとしても、とうてい及ぶまいと思う。  十二年前、弥介が二十一歳のとき、弥兵衛は病の床に就き一カ月ほど寝て他界した。死にのぞんでも、弥介の身の上について、一切語らなかった。だから、かれは母なる女のことは何一つ知らないのだ。  弥兵衛は、寺に頼むな、葬式も墓も供養もいらぬと言いおいて死んだ。父には仏は不要だったのだ。ただ、弥介が子供のころ、弥兵衛に連れられて、四、五度、相州の大山に登ったことがあった。大山石尊寺と称し、阿夫利《あふり》神社であり、本尊は不動明王と聞かされていた。  ——神を恃《たの》むな——  と口癖のように言っていた弥兵衛が、大山にだけは登っていた。  弥介は、十八歳のころまで、相州|高座《たかくら》郡|淵野辺《ふちのべ》村というところに住んでいた。そのむかし、野原だった所を開拓したもので、水の便が悪く、水田はなくほとんどが畑で、桑畑が多かった。米がとれないので、養蚕が盛んな土地で、そのために現金《かね》が落ちる。金の動くところには博徒が集まる。この淵野辺村にも、猪山一家と称する博徒がいて、勇次郎という貸元の屋敷の裏手に住んでいた。といっても、父弥兵衛は、一年のうち二、三カ月しか家にはいなかった。三カ月ごとに帰って来て、一カ月ほど弥介と暮らし、そしてまた姿を消してしまうのだ。だから、弥介の面倒を見たのは、貸元の勇次郎だった。土地では貸元として肩を張っていた勇次郎も、弥兵衛には一目おいている様子だった。  弥介が十八歳になったとき、弥兵衛は江戸へ出て、深川に住んだ。それから死ぬまでの三年間は、弥介のそばを離れなかった。  淵野辺村に住んでいた弥介が十二歳になっていたころである。木の枝に鮮やかな縞《しま》模様の女郎蜘蛛が二尺あまりの糸を引いてぶら下がっているのを見た弥兵衛は、 「弥介、見ておれ」  と言い放っておいて、刀を抜き一閃させて蜘蛛の糸を切ったのである。まっすぐに下に落ちた蜘蛛は、あわてて草むらに逃げ込んだ。弥兵衛は、弥介に刀刃を見せた。刃には蜘蛛の糸は付いていなかった。つまり弥兵衛は、蜘蛛の糸を刀で引きちぎったのではなく、切断したのである。  そのときには、何のことだかわからなかったが、二十歳になって、じぶんが蜘蛛の糸を切れないことを知った。そして、いまだ切れないのだ。  弥介は、六歳のときから脇差を与えられ、それを腰に差し、畑や森の中で振りまわして遊んだ。素振りもはじめから真剣だった。じぶんの脇差でじぶんを傷つけもした。振りそこなったり、刃が滑ったりすると、敵に向ける刃がじぶんをも傷つけることを、体で知ったのである。刀は切れるものであることを体で憶《おぼ》えさせられた。 「弥介、浪人の子が生きていくには、刀法を心得ていなければならん、まず膂力をつけ、刀刃をおのれの腕とすることだ。おまえが生きていくためにはこれしかない」  弥介は、十数本の脇差を廃物にした。木や竹を切ろうとすると刃こぼれする。たちまち鋸《のこぎり》のようになる。弥兵衛は惜しまず脇差を与えた。背が伸びるにつれて、脇差の寸法ものびていくのだ。  腕に膂力がつくと、弥兵衛は弥介に二つの課題を与えた。一つは、一尺ほどの台の上に、飯茶碗か木椀を伏せておき、底の糸切りのくぼみに季節の果実を載《の》せ、果実がないときには雪を玉にし、泥団子を作って載せ、それを切るのである。もちろん、茶碗も木椀も割れる。割れないように果実だけを切るのに五年を要した。  もう一つは、木の枝に糸を吊るして錘《おもり》を結びつけ、薙《な》ぎ切るのである。はじめは柿の実や蜜柑《みかん》を吊るし、果てには木の葉になる。次には木綿糸から絹糸にし、更には絹糸をほぐして、細い糸にする。錘が重ければ容易に切れるが、錘が軽くなるにつれて、糸は刀刃に巻きつくようになる。  錘なしで蚕の糸を切れるようになるまで、十年を要した。素振りで膂力をつけた。果実を切るのは腰の坐りをよくし、垂れた糸を切るのは刀刃の迅《はや》さを倍増させた。  弥兵衛は刀の構えも形も教えなかった。気は丹田《たんでん》にためて発するものではないと教えた。気合いを発すれば、気が洩れると教えた。父が弥介に教えた刀法は、人を斬るためのものであった。あとはおのれで体得するだけである。  瀬戸物や木椀を何百個、村や町から集めて来たことか。それを叩《たた》き割ることからはじめたのである。  浪人暮らしの割りには貧しくはなかったし、弥兵衛は、年に四、五回は旅に出た。旅に出るときには博徒の猪山勇次郎に、弥介のための金を渡していった。猪山一家が弥介を大事にしてくれたのは、その金のためであったろうし、弥兵衛の刀法が怖ろしかったのかもしれない。  十五歳になったとき、武士の子なら元服であるが弥介は、弥兵衛に二尺三寸の刀を与えられた。そのとき弥介の背丈は弥兵衛をしのいでいた。五尺一寸の弥兵衛は常に三尺の刀を差していた。その三尺の刀で蜘蛛の糸をあっさり切ってみせた父の膂力をいまだ忘れていない。三十三歳になったいまでも、弥介は蜘蛛の糸を切り得ないでいる。  いま、弥介の目の前で、蜘蛛が糸を張りはじめている。糸を長く引いて下がると、わずかな風を利用して、他の枝に移るのだ。  弥介は、庭下駄をつっかけ、百造が持参した刀を抜き鞘を縁に置き、体内に気をためて、腰を据えた。刀を水平に薙いだ。刃が風を裂いて唸った。蜘蛛は地に落ちどこかに逃げ込んだ。刀刃を陽に透かしてみると、蜘蛛の糸が二重、三重に巻きついていた。 [#ここから7字下げ] 7 [#ここで字下げ終わり]  霧のような雨が降っていた。小糠雨《こぬかあめ》というのか。春とはいえ、冷え冷えとして湿っぽく肌に染みてくるような雨である。堀の水面には江戸小紋に似た模様が描き出されている。  弥介は、堀に面した町家の庇《ひさし》に雨をよけて立っていた。そばに百造が立っている。また一人斬ることになった。百造は、旦那には容易な相手ですよ、と言った。容易であってもなくても、人を斬るのには変わりはない。  雨は人の心を滅入らせる。弥介が滅入っているのは雨だけではなかった。 「斬る奴《やつ》の名を聞いておこうか」 「安蔵という小悪党で」 「町人か」 「いまは町人の身形《みなり》ですが、もとは浪人で」 「浪人崩れか」  藩士も旗本も崩れて浪人になる。更に浪人が崩れてごろつきになる。刀を捨てて代わりに匕首《あいくち》をふところに呑む。崩れた果てには死を待つばかり、人は一度崩れはじめると、どこまでも崩れていく。  二人は立ったまま黙した。  堀には猪牙《ちょき》に似た舟が浮いていた。猪牙よりもいくらか胴太のようだ。その舟が小糠雨に煙って見えていた。 「安蔵という男は、この道を通るのか」 「へえ、女の所に行くときは」 「今日が、女の所に行く日なのか」 「へえ」  調べはついているようだ。それだけの人数が百造一味にはいるのだろう。 「旦那、お泉さんはいかがで」 「よく働いてくれる」 「それだけですか」 「それだけとはどういうことだ」 「お泉さんも女ですよ」  百造の言わんとすることはわかったが、それには答えなかった。  弥介は昼食をとったばかりであった。いまは未《ひつじ》の八ツ半(午後三時)ころである。安蔵なる男を斬れば当然嘔吐する。どうせ吐くものであれば、胃の腑に吐瀉《としゃ》するものがあったほうが楽である。胃が空だと吐くのに苦しみがともなう。  まだ吐けるだろうと思う。何人目を斬ったときに吐かなくなるのかはわからないが、五年前の深川では五人目を斬ったときに吐かなくなっていた。人を斬って何故吐くのかは弥介にもわからなかったが、吐くほうが気が楽であることは知っていた。 「旦那」  百造が弥介の袖《そで》を引いた。  右手のほうから、番傘をさした男が小走りにやってくる。碁盤縞の着物の裾を端折《はしょ》って、毛むくじゃらの脛《すね》をむき出しに、雪駄《せった》の踵《かかと》で水をはね上げていた。  弥介は、ゆっくりと庇を出て、小走りに走ってくる安蔵の前に歩み寄った。四十を過ぎたほどの年配か、凶々しい目付きが、いかにも悪党面に見える。 「安蔵か」  声をかけると、つんのめりそうに足を止めて傘をもたげた。 「な、なんでえ」  安蔵は傘を投げ出すと、素迅くふところの匕首を抜いた。弥介の殺気を浴びて、安蔵の体がぶるると震えた。逃げようにも足が釘《くぎ》付けになって動かないのだ。 「お、おれは浪人じゃねえ」  安蔵もこのところ浪人が狙われていることは知っているとみえた。弥介が刀を抜くと、安蔵が目を剥いた。どうせ斬らなければならないのなら、一閃で死なせてやりたかった。悪党ではあっても、悪意もなければ怨恨《えんこん》もないのだ。  弥介は刀を八双に構え、肩のあたりに水平に一閃させた。刀刃が安蔵の首のあたりを掠《かす》めたと見えたとき、髷がぐらりと揺れ、そのまま肩から血を噴いて転がり落ち、一間半あまりを転がって止まった。  刀を下げたまま、弥介は安蔵の背後に立っていた。そこは堀端だった。柳の木に手をついて嘔吐を待った。背後に首を失った安蔵の胴体が鈍くて重い音をたてて倒れる音を聞いていた。  白研ぎにした刀刃は斬れすぎるほどに斬れた。手に腕に、ほとんど衝撃を覚えなかったほどだった。  いきなり胃袋が押し上げられ、ぐえっと咽を鳴らして首を堀に伸ばしていた。胃袋にあったものが、吐瀉され、二度、三度にわたって、嘔吐した。嘔吐しながら、弥介は目端に黒い人影が動くのを見ていた。四人の男たちは、舟を漕《こ》ぎ寄せ、安蔵の死骸《しがい》を運んで舟に乗せ、一人が流された血を、堀の水を汲んで洗い流していた。舟に積まれた死骸には、すぐに筵《むしろ》がかぶせられ、舟は何事もなかったように、堀を下っていく。  百造らは、このようにして死骸の始末をするのかと、はじめて知った思いがした。これでは行方《ゆくえ》知れずになった、と仲間や身内が思うのも当然だろう。死骸がなければ、町奉行所も動きようがなかろう。  弥介の目は、堀を漕ぎ去る舟を追っていた。舟で石川島あたりに運んで始末すれば、死骸は永久に出てこないのだ。かれは、手甲で唇を拭い、刀を鞘に収め、歩き出していた。近くに百造がいるわけはなかった。  路上には安蔵がさしていた傘だけが転がっていた。それを手にしてさしていた。角を曲がったところで、一つの影が素迅く動くのを見逃さなかった。いつか深川で石を投げた男だった。弥介の目は、物の動きを人の二倍の迅さで見ることができるのだ。  小伝馬町《こでんまちょう》から亀井町に入ると、居酒屋の縄暖簾を分けた。隅の席に坐って酒を頼む。やがて小娘が酒を運んで来た。肴《さかな》には鯖《さば》の開きを焙《あぶ》ったもので、それを箸《はし》でほぐして口に運ぶ。吐いたあとの胃袋は空になっていた。  盃を三度口に運んだとき、表に人影がさして、男が入ってくると、はじめから弥介が坐っている場所を知っていたかのように、まっすぐに歩いて来て、卓を挟んで向かいに坐った。異様に肌の黒い男である。 「あっしは船大工の仁助《にすけ》と申します。どうぞお見知りおきを」 「ただの船大工ではないな」 「へえ、島帰り者で」  肌が黒いのはそれでわかった。男は袖を捲《まく》って、ちらりと刺青《いれずみ》を見せた。仁助に害意はなかった。 「小田丸の旦那、いま見せてもらいました。凄《すご》いもんだ。あんな斬り方にはじめてお目にかかりました」  小娘が仁助のそばに立ったが、かれは手を振った。 「おまえは、島で刀法を鍛練したか」 「やはり、お見通しでしたか、八年江戸を空けていましたが、その間に小太刀と礫術をおそわりました」 「それで、何か用か」  弥介は冷たく言った。 「へえ、旦那にあっしの話を聞いていただきたいと思いやして」 「わしに挑むのではなかったのか」 「一度はそう思いましたが、旦那には近づけねえんで、それにわたしの礫も通じねえことを知りました」 「通じない相手とは仲よくしたほうが得か」 「お願えいたします」  仁助は、ぴょこりと頭を下げた。  場所を小座敷に移した。他人に聞かれたくない話であろうことは推察できていた。そこではじめて仁助は盃を手にした。弥介が男の話を聞く気になったのは座興である。 「旦那、あっしの女房、お俊と申しますが、一カ月ほど前に行方知れずになってしまったんで」  弥介は、手酌で酒を呑みながら、耳を傾けた。  仁助は、八年前、二十歳のとき、酒の上の喧嘩《けんか》で錺《かざり》職人の宗七という男の右腕を折り、稼業を成り難くしたという事で、八丈島送りになったのである。  船大工の倅《せがれ》であり、仕事は一人前にできる齢にもなっていたし、島での暮らしには不自由はなかった。島に上がればじぶんで仕事をして食っていくことになっている。だから、職人は最も生きていきやすい。島民の漁舟《ぎょしゅう》を修理したり造ったり、公儀の船のこわれも修理できる。食えずに苦労するのは、士《さむらい》、商人のたぐいである。  島に上がった仁助に、浪人の一人が声を掛けて来た。武芸を教えるから、飯を食わせろということだった。仁助はその浪人と組んだ。人の腕を折っただけの軽い罪だから、いずれは江戸に還《かえ》れる。江戸にもどっても刺青者がまともに生きられるわけはない。世間は冷たいものだ。生きていくためには、武芸を身につけておくべきだ、と浪人は説いた。浪人に説かれなくても仁助は、島帰り者の生きる厳しさは知っていた。  浪人に、小太刀と礫術の基《もと》を教わり、海辺でひとり鍛練した。岩場を走りまわり、石を投げた。体力には自信もあったし、七年間も一つことを練れば、なんとか身につくものである。もちろん船大工の仕事は浪人も手伝う。浪人もまた、仁助の船大工の技を習ったのだ。  仁助は、昨年の春、南風に乗って江戸にもどって来た。母親はかれが十六のときに労咳《ろうがい》で死に、父親は二年前に死んでいて、兄弟もなく独りぼっちだったが、死んだ親父のつて[#「つて」に傍点]で、船大工の棟梁《とうりょう》に拾われ仕事を与えられ、棟梁の世話で、三つ年下のお俊と夫婦になったのである。 「旦那、こういっちゃなんですが、お俊はあっしのような男には、もったいないようないい女でして。のろけるわけじゃありませんが、顔も十人並み以上で、よく働いてくれるし、不満も口にしない女でした。そのお俊が急にいなくなったんで、あっしは、もう無茶苦茶に走り回りましたよ。だけど、どこにもいねえんで、刺青者のあっしじゃ気に入らなかったのかと思い諦《あきら》めようと思ったんですがね、一言お俊の言葉を聞きてえと思いまして」  お俊は二十五歳、深川の料理茶屋で仲居をして働いていたのだ。男の一人や二人はいたかもしれないと思い、その料理茶屋を尋ねたら、お俊は堅い女で、そんな男はいないはずだと聞かされ、仁助は、八年前の錺職人宗七を思い出した。宗七の仕返しかとも思ったが、その宗七は二年前に喧嘩で死んでいた。 「お俊がかどわかされて六日経ったその日、おかしな男がやって来ましてね、お俊の命を助けたければ、人を殺《あや》めろと言うじゃありませんか。あっしはカッとなって、その男を責めたんですよ。そしたらそいつは、舌を噛んで死んじまったんで。そのあとに仲間らしいのが二人やって来て、男の死骸を運んでいきやがった。その翌日、別の男がやって来て、同じことを言うんですよ。おめえたちは何者だ、って言ったら、その男、シロだって言いました」 「まて、シロと言ったか」 「へえ、シロで」  シロは、人並みに考えれば白だろう。城ではないだろう。弥介は、半兵衛と捕らえた男が�や�と一言口にして舌を噛んだのを思い出した。 「白とや[#「や」に傍点]か、それでどうした」 「言われる通りするしかお俊を助けることはできねえ、と思いましてね、これまで六人の浪人を殺しました。旦那には手が出ませんでしたがね」 「…………」 「旦那、あっしも七年間はみっちり仕込まれましたからね。浪人の腕のよし悪しぐらいはわかるんですよ。浪人を殺したあと家に帰ると白紙の上に小判が一枚のっていました」 「それで、女房を返してくれたわけではあるまい」 「へえ、旦那、これは一体どういうことでございますかね」 「わからん、途方もない大きなものが動いているとしか考えようがない」  わしは妻と子を攫われた、とは言わなかった。すでに仁助は承知しているのかもしれない。 「わしの家に泉という女がいる。病んだ父親を攫われたと言っていた。おまえのお俊ではあるまいな」 「いいえ、違います」 「会ったのか」 「ちょいと、遠くから見ただけで。お俊には双親《ふたおや》ともおりません」  二本の銚子が空になり、追加しようとすると仁助が首を振った。 「酔ったところを狙われたんでは、ひとたまりもありません」  島帰りだけに用心深いのか、もともと慎重な男なのか。 「お俊に会わねえで死ぬわけにはいきませんので」  と言って仁助は笑った。 [#ここから7字下げ] 8 [#ここで字下げ終わり]  居酒屋の前で仁助と別れた弥介は、平永町の住まいにもどった。玄関の格子戸を開ける気配に、奥から泉が走り出て来た。弥介の身を案じていたのだろう。泉の貌が白かった。  雪駄を脱いで上がると、箱火鉢の猫板の上に、白紙の上に二枚の小判が置かれていた。安蔵という男の斬り料だろう。  四月に入っても、まだ朝晩は冷えるし、今日のように雨の降る日は、肌寒いほどだった。だから炬燵はそのままだし、炬燵の中には炭火が入っていた。  弥介は炬燵に入って仰臥《ぎょうが》した。 「お酒は」  と泉が小さな声で言うのに、いらん、と答えていた。少し冷たいような気がして、 「泉」  と声をかけた。 「はい」  と小さく返事した。この女と棲《す》むようになって三十日余りが経っているのに、まだ話らしい話はしたことがなかった。泉は炊事洗濯をし、ひとり女中部屋で寝起きしていた。声も小さく、寡黙《かもく》な女だった。 「そこにある二両とっておいてくれ、暮らすには金がいる」 「いいえ、暮らしのお金は、百造が届けてくれます」 「そうか、それは知らなかった」  百造一味は、弥介と泉を飼っておくつもりか。 「旦那さま」 「なんだ」  泉はいつのころからか弥介を旦那さまと呼ぶようになっていた。 「奥さまとお嬢さまのことがご心配でございましょうね」 「おまえも父親を人質にとられている」 「いいえ、わたしは……、おとっつぁんはやくざな人でしたから」 「そうはいくまい。親は親だ。ところで泉、おまえにも亭主がいように」 「はい、おりました。十六のときに夫婦になった半吉というのがおりましたが、名前の通り、掏摸としては半人前で、お旗本のふところを狙って、掏摸そこね、斬られて死にました。夫婦でいたのは一年と少し」  そのあと男なしで済んだわけではあるまい、と思ったが、そのことは問わなかった。夕餉の膳が出た。それをすまして弥介は横になった。  弥介は、白とや[#「や」に傍点]が何を意味するのか考えていた。シロは白に違いないだろうが、や[#「や」に傍点]がわからない。矢、谷、屋、家、弥介の弥もある。あるいはただのや[#「や」に傍点]なのか。や[#「や」に傍点]が矢であれば白矢となる。白羽の矢を立てるという。弥介は百造一味に白矢を立てられたのだろうが、それだけでは意味をなさない。白もや[#「や」に傍点]も百造一味に何もつながらないのだ。もちろん、百造一味が簡単に正体を現わすとは思えなかった。  弥介は、起き上がって、酒をもらおうか、と言った。泉は二本の銚子に酒を入れて来て、火鉢の猫板を外し、銅壺の湯の中に銚子を沈めた。泉は炬燵のむこう側に坐っていた。 「旦那さまのお噂《うわさ》は、以前から聞いておりました」 「人斬り弥介の名か」  弥介は片頬をゆがませて嗤《わら》った。泉のような稼業のものには、知れていたのかもしれない。裏の稼業である。噂は伝わりやすい。たしかに弥介の斬りざまは凄じいが、一閃で相手を殺すのは、逆に言えば、相手への思いやりでもあるのだ。どうせ斬らなければならないのなら、ひと思いに殺してやったほうがその男も成仏できるというものだ。三日も四日も痛みに苦しんで死ぬよりはましだろう。だが生きている人間には、凄じさだけが記憶に残る。それが噂となって意外に拡がるのだろう。  その人斬りの噂が災いとなったことは、納得しないわけにはいかないようだ。  酒に燗《かん》がつき、肴は鹿尾菜《ひじき》と油揚げの刻んだのを煮つけたものだった。泉が酌をする。こうして差し向かいでいると、ずいぶんむかしから夫婦であったような気もしてくる。 「旦那さまは、奥さまとお嬢さまのことがご心配でしょうね」  泉はさきほど口にした言葉を再びそのまま口にした。 「妻は他人だが娘はわしの血を受けている」  そう言ってみて、その通りだと思った。だからといって志津だけを返してくれれば与志はいらないというのではない。与志と志津は弥介にとっては一対なのだ。  それがどうかしたのか、というように泉を見ると、かの女は顔を伏せた。泉の目は暗すぎた。  部屋の中は、薄暗くなっていたが、泉は行燈に灯《あか》りを入れようとしないし、かれもまた灯りをつけてくれ、とは言わなかった。  空気が淀《よど》み重い。  弥介は炬燵を出ると、庭に向いた障子をあけて、下駄をつっかけ、庭に降りた。空はまだ明るく、西空が茜色《あかねいろ》に染まって見えた。  梅の木に、蜘蛛が巣を張っている。その蜘蛛を見ていて、再び父弥兵衛を思い出していた。  二、三カ月の旅から帰って来た弥兵衛に弥介はなにか馴染《なじ》まぬものを覚えていた。なにか父の体に張りめぐらされていたものがあった。弥介を寄せつけない何か。それはいま思えば、父の体に染みついた血の匂いではなかったのか。もちろん、弥介は弥兵衛が人を斬ったところを見たことは一度もなかった。 「父もまた、人斬り弥兵衛ではなかったのか」  帰って来たとき、父はまとまった金をふところにしていた。父が何をしていたかは、聞いたこともないし、話してくれたこともない。もしかしたら、斬り取り強盗か、盗賊の仲間だったのではあるまいか、と思った。 「父子二代の人斬りか」  弥介に自嘲があった。 [#改ページ] [#ここから3字下げ] 吐《と》  瀉《しゃ》 [#ここで字下げ終わり] [#ここから7字下げ] 1 [#ここで字下げ終わり]  小田丸弥介は、数寄屋橋《すきやばし》御門内にある南町奉行所の門前に立っていた。かれは奉行所同心、朝印奈《あさいな》兵三郎《へいざぶろう》を尋ねて来たのである。  この一月に、弥介は堀のむこうで佐吉が浪人に斬《き》られて堀に落ちたのを見た。このときかれは八丁堀に朝印奈兵三郎を尋ねるつもりで堀端の道を歩いていたのだった。それから三カ月ほど経っていた。  兵三郎はただの同心ではなかった。町同心は、奉行が交代しても代わらず、新しい奉行に仕えることになる。だから新任の奉行は、じぶんの家臣を何人か連れてくることになる。それを内与力、内同心という。かれは、南町奉行大岡|越前守《えちぜんのかみ》忠相《ただすけ》の内同心であった。  この兵三郎と弥介が知り合ったのは二年ほど前になる。両国広小路の雑沓《ざっとう》の中を歩いていた弥介は、すれ違いざまに鞘《さや》を当てられた。お互いに睨《にら》み合い、一呼吸、二呼吸して、どちらからともなく笑い合った。なにも斬り合うことはなかったのである。そのことがあってから、兵三郎とは酒を呑《の》み、碁を打つようになっていた。  かれが、南町奉行の内同心であり隠密《おんみつ》同心と知ったのは、かなり経ってからだった。私服の着流しで総髪に髷《まげ》を結っていて、その髷は医者風でもあった。かれは疋田陰流《ひったかげりゅう》の剣をよく使った。三十四歳、磊落《らいらく》で話術が巧みで、弥介も共に酒を呑むとき、かれの話術に曳き込まれた。  奉行所の小者が、 「朝印奈さまは、他出中でございます」  と言った。  弥介は、礼を言って歩き出した。会えないほうがよかったのかもしれない、という思いが胸中にあった。兵三郎は町奉行所の同心である。弥介がすでに四人を斬ったと知れば、いかに朋友《ほうゆう》であっても、かれは弥介を捕らえなければなるまい。  奉行所が百造《ひゃくぞう》一味のことを知らないはずがないのだ。隠密同心の何人かは常に市中を回って、庶民の噂《うわさ》を掻《か》き集めて奉行に報告している。知っていて、死骸《しがい》が出ないために、探索中なのか。兵三郎を奉行所に尋ねたのは無謀だったのかもしれない。  平永町の住まいにもどってみると、玄関の上がり框《がまち》に百造が腰を降ろしていて、弥介の姿を見ると、立ち上がった。 「旦那」  という百造の声に、泉《せん》が姿を現わした。不安気な面持ちである。 「また、一人お願いします」 「何者だ」 「へい、ご浪人で古谷野信左衛門」 「なに、古谷野」 「酉《とり》の六ツ半(午後七時)、筋違《すじかい》御門と和泉橋《いずみばし》の間の柳原土堤《やなぎわらどて》でございます」 「まだ夜鷹《よたか》が出ぬ時刻だな」 「お願いいたしました」  百造はそれだけ言って、帰っていった。  浅草・田原町に住む古谷野信左衛門、この間会ったときにかれは、あんたとだけは斬り合いたくはない、と言った。弥介はいずれは刀を持って対峙《たいじ》するときがくるかもしれない、とは思っていたが、これほど早いとは思っていなかった。  弥介は炬燵《こたつ》に入って仰臥《ぎょうが》した。泉が座布団を二つに折って頭の下に敷いてくれた。泉はもの哀《かな》しげな暗い目で弥介を見る。  かれが倍速の技倆《ぎりょう》を持っていたとしても、常に勝つとは限らないのだ。いつかは負けて土と化す。それはいい。刀を持って対峙するということはお互いに命を賭《か》けることだ。斬らねば斬られる。小石に躓《つまず》いただけで命を奪われることもある。  いま弥介が思索を巡らしているのは嘔吐《おうと》だった。深川にいるときは、五人目に吐かなくなった。今回は、五人目に古谷野信左衛門が当たることになる。信左衛門を斬って、吐けるかどうか、そのことを考えていた。吐かなくなったときのおのれがどうなるか。  深川では、肉を裂き骨を切断した感触が、手から腕へ、肩へ、そして全身に残るのだ。それは、じっとしていられない焦燥に似ていた。竹に歯を滑らせて音を発する。あの感覚に似ていた。それをどう口で説明するかはわからない。  嘔吐がどのような意味を持つかは、おぼろげながらわかっているつもりだった。つまり嘔吐は人を斬った浄化作用だったのだ。嘔吐したあとには、人を斬った感触が残らないのだ。その浄化がなくなったとき、弥介はおのれの焦燥を処理する方法を知らなかった。  早めに住まいを出た弥介は、饂飩《うどん》屋に入って、二杯の饂飩を掻き込み、そして酒を頼んだ。饂飩のほうが吐きやすいと思ったからだ。それに酒が入れば、よけいに吐きやすいだろう。  時刻より早めに柳原土堤に立った。昼間は土堤に出店が並ぶが、その出店もすべて取り払われ、あたりには人影がない。陽は落ちたあとだが、まだ薄明かりが残っている。この柳原土堤は夜鷹で知られているが、夜鷹が出没するのは、もっとあとである。  土堤の最も静かな時かもしれない。  弥介は、和泉橋から筋違橋までの間を行ったり来たりした。どこから斬りつけられようと油断はなかった。それに応《こた》えられるだけの用意はできている。  いまは、相手が古谷野信左衛門であろうとかまわなかった。ただ斬るしかない。信左衛門の技倆はわかっているつもりだ。油断さえしなければ敗れるはずはなかった。  時が移ったが、信左衛門は現われなかった。弥介と対峙する愚かさを知って、あるいは江戸を離れたのかもしれない。信左衛門は弥介とは違って、失うものは何一つ持っていなかったはずである。となれば、江戸を捨てる気になっても不思議ではないのだ。たしかに、このところ江戸を離れる浪人がふえていると聞いた。  信左衛門が現われない、と知ったとき、安堵《あんど》と共に疲労を覚えていた。半時《はんとき》(約一時間)余りは緊張しつづけていた。人を斬るよりも疲れを覚えていた。 [#ここから7字下げ] 2 [#ここで字下げ終わり]  三日後、百造が姿を現わした。先日の古谷野信左衛門のことはなにも言わない。江戸から去ってしまえば、それで目的が達せられるのだろう。 「今度は何者だ」 「真崎彦四郎というお方で」  聞いたことのない名だった。斬らねばならぬ相手なら見知らぬ者のほうが気楽である。知っている者だと、そこに情が流れる。躊躇《ちゅうちょ》すればこちらの身が危ないのだ。  場所と時刻は三日前と同じだった。斬り合いはたいてい堀か川のそばである。死骸を運び去るのに一味は舟を使っている。そのほうが人目に立たず都合がいいのだろう。 「断わる、とは言えまい、だが、妻と娘は達者でいるであろうな」 「それはもう、明るくお暮らしでございます」 「泉の親父どのもか」 「はい、養生がよくて、病《やまい》も治りました」 「それがどうしてわかる。口先だけではないのか」 「旦那」 「おまえの話だけではわからんぞ、あるいはおまえに欺《だま》されているのかもしれん。妻と娘が生きているという保証《あかし》はどこにもない」 「それは、旦那」 「嘘《うそ》でないところを見せてくれ、遠目でもよい。姿を見ればわしも泉も納得できる。ただ信じてくれ、だけでは済まないぞ」 「旦那のおっしゃる通りで、わかりました。何とか考えてみましょう」  百造は頷《うなず》いていた。振りむいて泉を見たが、顔には変わりはない。相変わらず暗く、双眸《そうぼう》も沈んでいた。  弥介は早めに家を出た。そして雉子町《きじちょう》の浅右衛門長屋に回ってみた。平永町に住むようになってから、二、三度訪れている。住まいの中はさっぱりとしていて埃《ほこり》もなかった。隣の大工の女房おかねに聞いてみると、このおかねが、一味から金をもらって、三日に一度は掃除をしているのだという。百造一味も親切なことである。  饂飩屋に入って二杯の饂飩を胃袋にためた。真崎彦四郎が五人目になる。敗れて死ねばそれでよし、だが、相手を斬ったとき、嘔吐するかどうかに思いがあった。いずれは嘔吐できなくなる。そのとき、何をすれば、人を斬った感触から逃れられるかを知らないのだ。  暮れ六ツ半を聞いて、弥介は饂飩屋を出た。柳原土堤はすぐそこである。土堤に立つと、黒い影が薄明かりの中に立っていた。その影が歩み寄ってくるのを待った。堂々たる体躯《たいく》で弥介と変わらない。その歩調にも自信があるようだ。  薄く浪人の体の周りを囲んでいる光のようなものがある。それは浪人が発する精力だろう。気迫というべきかもしれない。 「真崎彦四郎どのか」 「左様」 「わしは……」 「名は聞かぬ。おれは斬る相手の名は聞かぬことにしている。名が戒名のように、おれの脳に残ってはかなわん」 「これまで、何人ほど斬った」 「貴公が十四人目ということになる。用意がよければ参る」  彦四郎は、四間の間をとって刀を水平に抜いた。眼光は弥介を貫くほどに煌《ひか》っていた。その目はどこか猫の目に似ていた。  一呼吸遅れて、弥介も水平に刀を抜いた。抜いた刀を右手に下げ持つ。相手は剣を八双に構えた。正眼よりも八双のほうが攻撃的である。体を移動させることによって、そのまま敵を斬れる。  弥介にも侮《あなど》りはなかった。江戸におのれに勝る剣術者がいないと思っているわけではなかった。それぞれに異なった流派を持っている。太刀がどのように変化するのかわからないのだ。  双方、対峙して動かない。  十三人を斬ったと称するだけあって、敵の構えは充実していた。相手の名を聞かないのは剣に自信があるからだろう。二尺八寸ばかりの剣はびくとも動かない。  動かなければ相手の技倆もわからない。真崎彦四郎も、弥介が動くのを待っているのだ。間は二間、お互いにつめたのである。  時が流れた。  真崎彦四郎は、目の前に立つ浪人が無気味だった。剣を持った右手がだらりと下がっている。構えというものがない。剣には必ず流派があると思っている。たいていの流派は知っているつもりだったが、このような構えには憶《おぼ》えがなかった。  遠い記憶の中に一つだけあった。彦四郎は肥後・人吉《ひとよし》藩二万五千石|相良《さがら》家の臣であったが、藩庁のやり方に不満があって自ら浪人となり江戸に出て来たのが五年前だった。一刀流を極めたつもりで真崎一刀流と称していた。熊本で一枚の絵を見たことがあったのを思い出していた。名人といわれた剣士の自画像ということだったが、絵の中には眼光の鋭い老人が剣を両手にぶらりと下げて立っていた。その剣をぶらりと下げて立つ老人の姿が、目の前の浪人の姿と重なった。  この江戸に、おのれより使う浪人がいるとは、彦四郎は思わなかった。いずれ江戸に土地を求めて、真崎一刀流の剣術道場を建てるつもりでいたのだ。  昨年の十月ころだった。一人の奇妙な男が浪宅に尋ねて来て、浪人を斬ってくれと言った。一人に三両出すという。彦四郎に魅力だったのは、浪人を斬っても町奉行所から追われることはない、保証するということだった。  人を斬る機会というのは、戦《いくさ》でもなければざらにあるわけではない。一人、二人と斬って、その男の仲間が死体を引きずって舟に乗せるのを見て、これならば浪人を斬っても、安全だということを知った。おのれの剣の技倆を試し、腕を磨くにいい機会だと思ったのだ。それに金も貯《たま》る。彦四郎には言うこともなかったのである。  三十両あまりの金が残り、道場を建てるべく土地も買ったのである。加えて、公儀は尚武《しょうぶ》を奨励しはじめたのだ。道場を建て、多くの門人を集めるのが、彦四郎の夢でもあった。だから相手となる浪人の姓名を耳にしたくなかった。名を知れば、その浪人の名がおのれを縛ることにもなりかねないのだ。  ——江戸は広い、このような浪人もいたのだ。  という思いはあったが、おのれが敗れるとは思いも寄らなかった。道場を建て、多くの門弟を集め、人吉藩の者たちを見返してやらなければならない。  彦四郎にはたしかに欲があった。江戸の多くの浪人たちのように、食うためだけに汲々《きゅうきゅう》とした生き方はしたくなかった。  かれは一歩を進めて、威嚇のために八双の構えから一閃《いっせん》してみた。だが、浪人はそれを黙って見過ごした。一歩退くか、全身を硬くするかの反応がなければならないのに、動じた様子がないのだ。彦四郎はあわてて一歩退いた。鋒《きっさき》は浪人の胸一寸のあたりを擦過しているのに、反応を見せないということは、恐怖がないのか。  一呼吸おいて、浪人が一歩を踏み出し、下げた刀を振り上げた。風を裂いて音を発した。その音に彦四郎は更に一歩を退いたが、浪人はつけ込むように、二歩を運んで、振り上げた刀刃を振り下ろす。  その一閃を受けてる撥《は》ねのけ、相手の肩を裂いたと思ったとき、目を剥《む》いていた。受けて撥ねたはずのおのれの刀刃が、柄元《つかもと》から折れ、首筋から裂かれていたのである。 「こんなはずは……」  そう思ったところで、意識が混濁した。浪人の姿は視界になかった。  …………。  弥介は、浪人の首根から一尺ほど斬り下げ、その背後に立っていた。かれには刃を交わすとき、受けたり撥ねたりする技はなかった。その必要はなかった。  振り下ろす刀刃の加速度を受けようとすれば大きな重みを支えなければならない。もし、浪人の刀刃が折れなかったとしても、弥介の刃は浪人の首板を裂いていたはずである。  浪人が音をたてて倒れるのを見もしないで、弥介は五、六歩を歩いて、ぐえっ、と咽《のど》を鳴らしてしゃがみ込んだ。そして首を伸ばし、心ゆくまで吐渇《としゃ》した。  唇を手甲《てっこう》で拭《ぬぐ》って立ち上がったとき、暗くなっていく土堤に三、四人の男たちが、真崎彦四郎の遺体をかかえ上げて運び去るのを見た。 [#ここから7字下げ] 3 [#ここで字下げ終わり]  五日後——。  百造が姿を見せた。  妻娘に会わせるという。もちろん泉の老父もである。弥介と泉は、大伝馬町にある旅籠《はたご》『越前屋』の二階に案内された。百造の他に二人の男がついていた。障子を開けると、眼下に通りが見えている。その通りを与志《よし》と志津が歩いて通るというのだ。  もちろん条件付きである。ただ妻娘の姿を見るだけで、声を掛けてはならない、体を乗り出してもいけない。与志と志津の左右には男がついていて、万一のことがあれば刺し殺す用意があるという。  一人が通りを見張り、宿の者が茶を出した。泉は弥介と並んで坐《すわ》っていた。茶に手を出そうともしないし、父親を見られるというのに、泉の顔には何の期待も浮かばないようだ。 「小田丸の旦那、お暴れにならないよう、お願いしますよ」 「わかっておる」  とは言ったが、与志と志津の姿を見たとき、じぶんがどう動くかは、弥介自身にもわかっていなかった。座敷にいる三人を斬って捨てるのは易い。だが、手すりを越え、屋根からとび降りるまで、二人の命があるかどうかである。弥介の体は倍速で動くことができる。あるいは妻子を救い出せるかもしれないのだ。 「救い出せば、もとの暮らしにもどれるのか」  とおのれに問いかけてみた。妻子を連れて旅に出てもよい。江戸にいるから災難に見舞われたのだ。  妻と娘が恋しくなくはなかったのだ。与志、志津、と声をあげるに違いない。 「見えました」  と若いのが言った。とたんに百造が弥介と泉の前に立った。 「旦那、お願いしますよ」 「わかっておる。そこをのけ」  百造を押しのけておいて、首を伸ばした。右側は本町四丁目で左側は大伝馬町二丁目になりその先が旅籠町である。  二人の姿が、本町四丁目に見えていた。与志と志津は手をつなぎ、二人の後先に合わせて六人の男がいた。その後ろに老人の姿があった。泉の父親だろう。  与志と志津は左右の店を眺めながら歩いて来る。志津が顔をあげて与志に何か話しかける。二人は明るい顔で笑った。その顔には父親の安否を気遣う翳《かげ》りはどこにも見えなかった。志津は見たこともない花柄の振袖《ふりそで》姿で、与志は江戸小紋のしっくりとした着物に体を包み、豊かな旗本の妻のようにさえ見えたのである。  弥介の体から力が抜けた。母娘は倖《しあわ》せに暮らしているようだ。二人は弥介と暮らしているときよりも豊かで倖せに暮らしている。何のためにこれまで妻と子の安否に心労して来たのかと思うと、怒りさえも失《う》せた。  なぜ、あのように明るい顔をしていられるのか、わけがわからない。二月の初午《はつうま》の日に、縛られて刃物を首筋に当てられながら、怖れも怯《おび》えもなかったことを、今更のように思い出していた。  弥介は瞼《まぶた》を閉じた。その瞼が熱かった。 「おのれたちは!」  と与志と志津に叫びたかった。どれほど案じ胸を痛めたことか。 「もうよい」  と弥介は窓に背中を向けていた。 「ご納得いただけましたか」 「わかった」  なぜだ、なぜだ、とじぶんの胸に問いかけていた。なぜ、あんな明るい顔をしていられるのか理解できないのだ。 「大事にお預かりしております」 「わかった。おまえの言葉に嘘はなかった」 「ありがとうございます」 「なぜ、あんな顔をしている」 「大事にお預かりしているからでございます」  冷えた茶をすすった。なぜか焦立《いらだ》ちがあった。父のいない志津にはもっと淋《さび》しい顔をしていてもらいたかった。父上、助けて、と叫んでもらいたかった。すれば弥介は命を賭けても、おのれの身を犠牲にしても助けようとしただろう。  そのときに、逆に弥介の双眸に陰翳《かげり》が生じた。二人には何の窶《やつ》れもなかったどころか、与志も志津も二ヵ月前と比べて、ふっくらと肉付きさえよくなっていた。 「百造」 「はい」 「対峙して勝つのは技倆だけではない。わしが不運にも斬られて果てたとき、妻と娘はどうなる」 「お変わりございません」 「誰《だれ》が面倒を見る」 「さるお方でございます」 「さるお方だと、それは何者だ」  百造は黙った。 「わしは、何の心配もなく死んでいけるというわけだな」 「そういうことになります」 「さるお方か」  と呟《つぶや》いて、おのれの腸《はらわた》に何かが生じた。それは怒りだろう。寂蓼感《せきりょうかん》もあった。妻にも娘にもわしはすでに不要になったのだと。  必要とされなければ、すでに父でもなければ夫でもないということになる。それでも人質であることには変わりはないのか。  三ヵ月前に、わしは二つの悔いを持ったと思った。一つは与志と夫婦になったことであり、いま一つは、与志との間に志津をもったことであると。その二つの悔みは消え失せたのか。 「生涯、二人の面倒を見るということか」 「左様でございます。心おきなく」 「心おきなくか」  弥介は嗤《わら》った。  泉と二人で平永町の住まいにもどった。 「さるお方」というのを考えていた。生涯面倒を見るのは、与志と志津の二人だけではない。泉の父親もいる。仁助といった島帰りの女房もいる。その他にも何十人といよう。それらを生涯面倒みるには金が要《い》る。  それだけの金を持っているとなると、大商人か大盗賊か。たとえば商人と考えてみよう。商人がなぜ江戸の浪人を斬らせるのか。  真崎彦四郎はすでに十三人を斬ったと言った。彦四郎が二十人いれば二百六十人の浪人が斬られたということになる。たしかに弥介のむかしの仲間だけでも、十人は斬られていることになる。  江戸の商人たちが、江戸に流れ込んで来た浪人たちの悪さで迷惑しているのはわかる。だが、その商人が百造ら一味をどうして集めたのかはわからない。百造らは、何の武芸も身につけてはいないが、命を捨ててかかっている。何者かは知らないが、商人にこのような男たちを集めてまで、浪人を始末しなければならない理由がない。ごろつきや浪人の始末は町奉行所にまかせればいいのだ。また商人には浪人を斬り殺す権限はない。それが公儀に知れれば、処刑されてしまう。  たとえ金はあっても商人がこのような危険を冒すとは考えられない。だが、当世、あり余る金を持っているのは商人か盗賊しかない。公儀にそのような金はないはずだし、公儀が人殺しを行なうはずはないのだ。  すべては謎である、が百造たちがいる限り、浪人の始末をしている者がいることになる。百造たちの首領《かしら》が、さるお方なのか。  弥介は、数寄屋橋御門内にある南町奉行所の門そばに立っていた。隠密同心朝印奈兵三郎に会いたいと告げてあった。兵三郎が、というより、町奉行所が、百造一味のことをどれだけ知っているかを聞き出したかったのだ。  待つ間もなく、兵三郎がやあと手を挙げて姿を見せた。ひょうひょうとしていて疋田陰流の使い手とは見えない。背丈はあるがいやに胴長で刀をひきずるように差している。 「小田丸さん、先日、尋ねて来てくれたそうだが、他出していて失礼した。そのあと雉子町の長屋に訪ねたのだが」  そう言って振りむくと、笑顔を見せ、 「ちょいとつきあってもらいますよ」  そう言って一町ほど歩いたところの小料理屋に入った。深川あたりで美味《うま》いものを食わせる大きな料理茶屋が流行《はや》っているようだが、江戸の町中には、粋《いき》でこぢんまりした小料理屋がぼつぼつと建ちはじめている。『わか』と軒提燈《のきぢょうちん》のある店に入った。  三畳ばかりの小座敷に入り、卓を挟んで坐った。馴染《なじ》みの店らしく、三十ばかりの色香の匂《にお》う女が入って来た。女将《おかみ》のお若と紹介した。小柄な女だが、色白で化粧が巧みな女だ。もちろん素顔も美しいのだろうが。 「小田丸さん、心配しないでくれ、女将はおれの情女《いろ》ではない。色香を匂わせながら意外に堅い女でな」 「こちらの方は」  とお若が弥介の顔を見た。 「碁仇《ごがたき》の小田丸弥介だ」  小田丸弥介と聞いて、お若の顔色がわずかに動いた。やはり人斬り弥介の名を知っているのか。 「小田丸さん、この店の酒は水っぽくない。毎日うまい酒を呑んでいるわけではないが」  卓は漆塗《うるしぬ》りである。その卓上に若い女が料理を運んでくる。白身の刺身である。何種かの貝類も載《の》っている。弥介がこれまで口にして来たのは海のものでは、鯖《さば》の開きを焙《あぶ》ったものか焼き魚、煮魚、それに鹿尾菜《ひじき》くらいなものである。浪人の口に刺身が入るわけがなかった。  銚子が運ばれて来た。 「ところで、朝印奈さん」 「まあまあ話はゆっくりしよう。とにかく酒を呑んでくれ」  お若は去っていたので、兵三郎が酌をする。口に盃《さかずき》を運ぶと、酒の香りが匂った。居酒屋で呑む酒は、三割ほど水で割ってある。ひどいところになると五割が水という。酒を口に含むと、とろりとこくがあった。上等の酒には違いないのだろうが、いまの弥介には酒の味などどうでもよかった。 「小田丸さん、どうだね、久しぶりに」  と碁を打つ指つきをした。兵三郎は弥介の返事を待たずに、手を拍《う》って女将を呼ぶと、碁盤を運ばせたのである。卓を奥に押しやって、弥介の前に五寸ほどの碁盤を置き、碁笥《ごけ》を引き寄せ、黒石をとった。  お若は碁に興味があるのか、そばに坐り込んでしまった。これでは兵三郎との話はできない。弥介も囲碁の相手をするしかなかった。兵三郎は弥介に一目置いているが、わりに強い碁を打つ。  さきほど兵三郎は雉子町の長屋を訪ねたと言った。すると平永町の住まいは知らぬものらしい。強《し》いて教える気はなかった。  布石は終わっていた。  中盤にさしかかっている。酒を呑みながら盤を覗《のぞ》き込むようにして打つ。兵三郎は左端に大きく地を囲おうとしている。弥介は無造作に、白石を打ち込んだ。黒の中で生きるか、手前の白石に繋《つな》ぐかである。黒はその白石を寸断にかかった。寸断し包み込んで殺そうという手である。弥介は敵陣の奥深くに入った。そこで生きるしかない。黒の手としては、白の一目を追い込んで繋げさせたほうが、黒の地を安定させることができるのだが、一気に勝負に出て来たようだ。もちろん、囲った白石が死んでしまえば黒の勝ちだが、目形《めがたち》はあちこちにあった。  若い女に呼ばれて、お若が立ち去った。それを待っていたように、兵三郎が顔を上げて微笑した。 「小田丸さん、女将は以前からあんたを知っているようだな」  鋭い。お若の顔の変化を読んでいたのだ。 「はじめてお目にかかる顔だな」 「むかし、あんたは深川で名を売っていたと聞いた。そのころのあんたを女将は知っているのかもしれん」 「女将は深川の者か」 「さあ、そこまでは知らんが、小田丸さん、隅におけんな」 「深川のことで思い出したが、むかしのわしの仲間が次々と姿を消していると聞いた」  話の継ぎ穂ができた。探りを入れるのはこのときである。 「わしの仲間だけでも、十人ほどが殺されている」 「まさか」 「江戸の浪人が、百数十人も斬られているんではないか、との噂を耳にした」 「百数十人か、それが真実なら大変なことだ」 「奉行所がそれを知らんわけはあるまい」 「うむ」  と兵三郎は、何か考える目つきになる。朋友と思ってはいるが、隠密同心である。油断はならない。 「朝印奈さん」 「まてまて、そうせっかちにならないでくれ。おれもいくらかは聞いている。たしかに奉行所にも訴えが二、三出ている。亭主や父親が行方《ゆくえ》知れずになったとな」 「それで」 「定回り同心が調べてみた。たしかに行方知れずになっている。だが不逞《ふてい》のやからだ。喧嘩《けんか》や仲間割れもあろう。あるいは江戸がいやになって旅に出た者もいよう」 「だが……」 「まあ、待て、奉行所でも放っているわけではない。探索はしている。だが、改革で目明しが使えなくなった。奉行所につめている同心は二十六人だ。これでは手が回らん、というつもりはないが、おれたちも死骸がないことには、下手人《げしゅにん》を探すことはできんのだ。たしかに百数十人も殺されているとなれば天下の一大事だ」 「お奉行は、このことをご存知か」 「悪党どもの仲間割れだろう、とお奉行はおっしゃっておいでだ。それとも小田丸さん、なにか手証でもおありか」  兵三郎は、掬《すく》いあげるように弥介を見て、かすかに笑みを浮かべたようだ。なにせ大岡越前守直属の同心である。ただの同心とはわけが違う。 「死骸でも出れば探索のしようもあるが、噂だけではどうにもならん。なにせ、江戸の庶民六十万を取り締まるに、同心二十数人では手が足りんのだ」  兵三郎の口調は何かを含んでいる、だが、弥介は、百造たちの行動を喋《しゃべ》るわけにはいかない。百造一味を口にすれば、妻子が攫《さら》われ、そのために、すでに五人の浪人を斬ったことをも喋らなければならなくなる。 「悪党も、数がふえれば勢力争いになる。これはお奉行のお言葉だ」  喋りの間にも、盤面は進行していた。  黒の陣中に打ち込んだ白石は、他の白との繁りを寸断されはしたが、黒を侵蝕して、その中で目を作っていた。打ち込んだ白石を追いつめて繋せていけば、自然に黒の地も残り、五、六目はよかったはずである。寸断したために黒地が減ってしまった。兵三郎は目数を数えていたが、 「二十目ほど足りんな」  と呟くように言って、投了した。 「いや、小田丸さんは強い。及ばなかった」  石を碁笥にもどすと、盤を押しやった。そこへ女将がやって来た。 「女将、負けたよ」  という兵三郎に、弥介はなにか痼《しこり》を残した。碁がいい加減のものだったというわけではないが、白石を寸断して取りに来たことだ。この場合、いつもの兵三郎であれば当然、白石を追って、地を確保する作戦にくるはずなのだ。もちろん搦《から》めて取れれば黒の勝ちだが、これは黒石を持つ者の攻め方ではなかった。  たしかに、兵三郎には狡猾《こうかつ》なところがあって、心を晒《さら》さない男だ。それでなければ隠密同心は勤められないのかもしれないが。  女将に送られて店を出た。弥介は女将の目がじぶんの横顔や背中に注がれているのを知っていた。熱い目である。  兵三郎が弥介をこの店に連れて来たのは、ただ馴染みの店というだけではなく、他に何か目的があったのではないか、そうも考えてみたが、兵三郎の意図するところがわからない。弥介は兵三郎から何かを探り出そうとして尋ねたのだったが、かえってわからなくなり、謎をふやしたような気になっていた。 [#ここから7字下げ] 4 [#ここで字下げ終わり] 「旦那さま、何かご心配でも」  泉がいきなり言った。弥介は湯屋から帰りいつものように夕餉《ゆうげ》の膳《ぜん》に坐っていた。考えごとをしながら箸《はし》を使っていたのだ。  公儀としては、また町奉行所としても、江戸に集まった浪人の数が減っていくことは、都合のいいことだった。江戸庶民が安眠するには悪党の数は少ないほうがいい。もっとも人の集まるところには必ず悪は生じる。その悪が多くては江戸の治安は守れない。  だから、百造らの動きを知っていて黙認しているのではないか。そして、あらかた片付いたところで、百造らを含めて一網打尽にする気ではないのか。それを朝印奈兵三郎が、弥介に喋るはずはなかったのである。もしかしたら、弥介がすでに五人の浪人を斬っていることさえ、兵三郎は知っていたと思われる節もあるのだ。  小料理屋『わか』の女将お若に一度会ってみたい、と思った。深川のころの弥介をお若が知っていれば、それを兵三郎に語ったと考えてもいいだろう。もっともお若は弥介の顔は知らなかった。小田丸弥介と聞いて、はっ、となったのだ。 「泉、おまえが気にすることではない」  そう言われて、泉はうつむいた。目が暗い。暗さの中に異様に光るものがあったのだ。泉のその暗さの意味を弥介はまだ知らない、というより、知ろうとしないだけかもしれない。いまの弥介には、おのれのことでいっぱいだった。泉の気持ちを察してやるほどの余裕はなかったのだ。  その夜、戌《いぬ》の五ツ半(午後九時)ころ、百造が、研《と》ぎに出した刀を持って現われた。その刀も白研ぎにしてあった。まだまだ浪人を斬らねばならないようだ。  百造は玄関の上がり框に腰を降ろしたままで、上がれとすすめても履物を脱ごうとはしない。いつも玄関先で用を足して帰っていく。その百造のあとを跟《つ》ければ、一味の正体がわかるかもしれない。そう考えて何度か跟けたこともあるが、たいてい途中で見失ってしまい、いまではその気もなくしていた。 「百造、また仕事か」 「へえ、今度は、ちと面倒な仕事をお願いすることになりました」 「面倒な仕事か」 「明日、千住《せんじゅ》まで行っていただきます」 「千住まで手を延ばすのか」 「千住に、三十人ほどの浪人が巣食っております」 「その三十人を相手にせよというのではあるまいな」 「へえ、その中の左近允《さこんのじょう》兵馬《へいま》という浪人をお願いしたいので」 「その左近允が頭格か」 「そのようでございます」 「一人を斬っても、どうにもなるまい」 「旦那には、左近允兵馬を斬っていただければよろしいんで」 「わかった、というしかないな」 「辰の五ツ半(午前九時)に、千住大橋のたもとに、旦那を助《すけ》る者が待っておりますので」  百造は、頭を下げて去っていった。  弥介は箱火鉢の前に坐って、手をかざした。炬燵は片づけられたが、火鉢にはまだ火が入っていた。 「お酒は」  と泉がひかえ目に言った。 「少しもらおうか」  泉とは異なるが、弥介の双眸にも翳りがあった。二ヵ月前と比べれば、体も細くなっている。肉が削《そ》げたのだ。浪人一人斬る毎《ごと》に肉を減らしているような気がする。  銅壺に銚子が入れられた。肴《さかな》は豆腐だった。それに小魚の甘煮があった。 「泉」 「はい」 「先に寝てくれ、明朝は六ツ半すぎに出る。たのむ」  泉は頷いて去った。三畳の部屋の戸が閉まる音を耳にした。 「左近允兵馬か」  もちろん聞かぬ名だ。左近允を斬るのはいい。敗れることはあるまい。ただ、左近允を斬ったあと、嘔吐しないであろう予感はあった。弥介は嘔吐することは人を斬ったあとの浄化だと思っている。浄化がなくなったとき、おのれがどうなるかがわからないのだ。  銅壺に沈んだ銚子を持ち上げて、銚子の底に指を当てた。人肌に燗《かん》がついている。それを盃に注いだ。酒を三杯、口に流し込んだとき、体がずしんと奈落《ならく》に沈んでいくような感覚を覚えた。  このまま江戸を捨てたら、与志と志津はどうなるのか、その思いは常にあった。弥介が斬死《きりじに》すれば、生涯母娘の面倒は見る、と百造が言った。逃げれば与志と志津は路頭に迷うことになるのか。  耳が鳴り出すような静かな夜である。遠くにときおり犬の吠《ほ》える声を聞くほどである。火鉢の端に肘《ひじ》をつき、火箸をとって灰を掻きまわす。  ふと、人の気配に頭を上げると、開いた襖《ふすま》のむこうに寝間着姿の泉が立っていた。 「何か用か」  その問いには応《こた》えず、泉は背を向けて去った。  左近允がどのような浪人かは知らないが、斬死するつもりはない。刀法には自信がある。左近允と対峙することに怯えはない。怯えは斬ったあとにある。  銚子一本を空にすると、もう一本に手をつける気にはなれず、火鉢の燠《おき》に灰をかぶせて行燈《あんどん》を寝間に運び、帯を解いた。夜具に入ってはみたが眠れそうにはない。  浅草の古谷野信左衛門は、弥介と斬り合うのを避けて江戸を捨てた。それができたのは身内が誰もいなかったからだ。失うものを持たなければ、好きに動ける。  五人目の真崎彦四郎を斬ったあとは望み通りに嘔吐した。明日は嘔吐できないという予感は当たっているようだ。もっともそれは明日になって左近允兵馬を斬ったあとでなければわからないことだが。  行燈の油がなくなったらしく、一瞬|灯《あか》りを大きくして消えた。灯りのなくなった寝間は漆を流したような闇《やみ》である。闇の中で瞼を開いていると、さまざまなことが思い出される。  父弥兵衛も人斬りであったろう、と弥介は思う。弥兵衛が何人の人を斬ったかは知らない。だが、人を斬ったあとの気持ちを、教えてもらいたい、と思った。  弥兵衛は弥介に人斬りの刀法を教えた。倍速の刀を使えるということは稟性《ひんせい》もあったのだろう。ただ鍛練するだけでは、倍速の膂力《りょりょく》を持つことはできない。もちろん倍速の刀を使えるということは、倍速の目を持ち、倍速の敏捷《びんしょう》さを持ち合わせなければならない。ただ倍速の膂力だけでは、飛んでいる蠅《はえ》を両断することはできないのだ。蠅の飛翔《ひしょう》を追う目を持っていなければならない。  だが、弥兵衛は人を斬る心は教えてはくれなかった。その心はおのれで掴《つか》むべきものなのも。  暗闇の中で、刀を鞘ばしらせているおのれを思った。刀刃を一閃二閃させた。 「眠れそうだな」  と呟いた。  妻子を攫われる以前から、何年もの間、白刃を振り回しているおのれを思い描くことが眠れる合図でもあったのだ。 [#ここから7字下げ] 5 [#ここで字下げ終わり]  千住|掃部宿《かもんじゅく》と称す。  江戸日本橋を発《た》って、奥州道の第一宿場である。宿場の手前に大川の上流である荒川が流れ、これが江戸町外と御府内を分けていて、この川に千住大橋が架かっている。橋を渡れば町奉行の支配を離れ、関東郡代・伊奈《いな》半左衛門の支配地となる。  千住宿から、日光道、水戸道が分かれていて、旅人は、奥州道を加えて三道に散り、そして三道から旅人が集まってくる。江戸を発つ者は千住宿は素通りするが、三道から江戸に入る者は、千住で足を止め、翌朝江戸に入る者が多かった。  四宿といわれる東海道の品川宿、中山道《なかせんどう》の板橋宿、甲州道の内藤新宿、そして、この千住宿のうち、享保三年、つまり二年前にいざこざがあって内藤新宿は廃された。  その新宿に住んでいた浪人たちが、他の三宿に散った。人の集まらない所には金が落ちないからである。そのために、品川、板橋、千住の三宿には、不逞の浪人がふえていた。人の集まる所には金が落ちる。その金の匂いを嗅《か》いで、蟻《あり》のように、ごろつき、浪人が集中する。集まった浪人中で上位を占めるのは、やはり、強い者だろう。  千住大橋の手前が小塚原町で、その左側に獄門首を晒す小塚っ原がある。まだ辰の五ツ半(午前九時)にいくらか間のある時刻だが、一人の職人風の男が大橋に向かって歩いていた。異様に肌の色の黒い男で、肩幅が広くがっちりした体つきをしていた。橋のたもとまで来ると、あたりを見回しておいて、川に面した土堤の草むらに坐り込んだ。  男は島帰りの仁助だった。黒い顔に目ばかりが強く光って見えた。仁助は懐中に手を入れ、そこにある刃物を探った。尺二寸の鎧通《よろいどお》しだった。九寸五分の匕首《あいくち》は、刃物としてはもの足りない。古道具屋で探し求めて来たのである。錆《さび》が浮いていたのを研ぎあげた。もとは船大工だから刃物の研ぎ方は心得ていた。  小田丸弥介が、攫われた妻子と会ったと聞いたのは十日ほど前だった。ならばおれも、と、百造に交渉した。そのあげくに女房のお俊の姿を見ることができた。堀のむこうを通るお俊の姿を簾《すだれ》越しに見ただけだった。お俊を取りもどしたくても、警戒は厳重だった。  お俊を抱きたいと思った。乳房を揉《も》みしだき、はざまのぬくもりを手で覚えたかった。  その夜、仁助は吉原に走り込んでいた。女郎を抱いて続けざまに精汁を注ぎ込んでいた。放出したあとのむなしさに、仁助はお俊の名を呼んだ。お俊がいとしかったし、他の女では充《みた》されないものがあった。  仁助はお俊の姿を見たことで、かえって荒れ、痩《や》せる思いをした。いまなら誰でも殺せそうな気がした。何か箍《たが》が外《はず》れてしまったような気になっていた。すでに八人の浪人を殺していた。殺すことに何のためらいもなくなっているじぶんを知った。  浪人を殺すことによって、そこに狂気が生まれるのを知った。何の憎しみも恨みもなく殺すのである。一人を殺せばそれだけ気迫が消耗される。その気迫を蓄えるために、女を抱き酒を呑む。もちろん、できるだけ多くを食うようにもしていた。  八年前には、すでに九年前になるのか、そのときは、錺《かざり》職人の右腕一本折って八丈島に八年流され、いまは八人の浪人を殺しても、町同心や町方に追われる気配すらないのだ。もちろん、父のころからの住まいがある。そこへも町方は一人も姿を見せない。いまは百造が顔を出すだけである。  仁助は、なぜ浪人を殺さねばならないのかは考えてみたこともなかったが、これだけ殺せばただで済むわけはない。その覚悟はできているつもりだった。  ただの船大工であれば、お俊を攫われることもなかったろう。八丈島で、七年間、刀術と礫《つぶて》術を体に叩《たた》き込んだのが、裏目に出たような気になっていた。もっとも技がなければ、とうに殺されていたのかもしれない。仁助はじぶんの後先を考えるのが苦手だった。考えてみても、その通りになるわけはなかったのだ。島帰りでは、こんな修羅の道しか生きてゆく道はなかったのかもしれない、とじぶんを納得させるよりなかったのだ。  今日、ここで小田丸弥介と会うことになっている。修羅と呟いてみて思い出した。小田丸弥介の斬り方を三度ほど見た。まさに阿修羅だった。もっとも斬る小田丸弥介は静かである。その斬り方の凄《すご》さを見ていて胆《きも》が冷えた。小田丸弥介の太刀の迅《はや》さが仁助には見えなかった。かれの体の形で、太刀がどのように動いたかがわかるだけだった。かれが動いたあと、浪人は存分に斬り裂かれていたのである。  小田丸弥介の一閃で首が転がり落ちるのを見た。胴が背骨だけを残して斬り裂かれるのを見た。一太刀で相手の命を奪うには、かなりの力量を要することは仁助も知っている。仁助が刀をもってしたら、一閃で袷《あわせ》を切り裂いて、どれほどの肉を裂けるかは自信がない。それで仁助は突く技を修得した。小田丸弥介は肩から一尺あまりも斬り裂くことができるのだ。浪人の刀にはおかまいなしに斬る。  その小田丸弥介の姿が小塚っ原あたりに見えた。仁助は、かれが痩せたことを知った。影が細く見えたのだ。 「仁助か」 「百造に旦那を助《すけ》ろと言われやして」 「助かる」 「旦那の手をわずらわせることも、ねえと思いますがね」 「まあ、急《せ》くな、相手には仲間がいる。三十人ほどの浪人がいると聞いた。三十人に囲まれてはかなわぬ」  二人は肩を並べて、千住大橋を渡った。そこはすでに千住宿である。宿場のめし屋、饂飩屋は朝早くから店を開けている。めし屋に入って一膳の飯を頼んだ。わざと朝は食ってこなかった。胃に入れた飯がこなれないうちに左近允兵馬を斬りたかった。こなれていなければ吐けるかもしれないと思ったのだ。 [#ここから7字下げ] 6 [#ここで字下げ終わり]  弥介と仁助が飯を食い終わって茶をすすっているところに、旅仕度の百造が入って来た。旅に出るわけではないが、宿場である限り、旅人を装ったほうが動きやすいのだろう。  弥介らが左近允兵馬の住まいを探すまでもなかった。住まいは宿場から少し離れた水戸道にあった。兵馬は女を連れ込み、他に三人の浪人が寄宿しているという。 「家の中で始末していただいたほうが、あとあと都合がいいのですがね」  と百造は言い、住まいの間取図を卓の上に開いた。その図面には、兵馬の居間と三人の浪人が寝起きしている部屋に印がつけてあった。四間のしもた家で、庭があり、その裏は畑になっていた。  兵馬と三人の浪人を殺す。その死骸を運び出すための人数は、すでにこの宿場に集まっているようだ。百造のやり方に不備はないようだ。 「三人の浪人は、わたしが引き受けましょう」  と仁助が言った。 「お二人でお願いします」  百造はそれだけ言って、店から出て行った。長びいて騒ぎになれば、宿場にいる三十余人の浪人に囲まれることになる。手っ取り早く片付けなければならない。  弥介と仁助はめし屋を出た。仁助は歩きながら手ごろな石を拾ってはふところに入れている。仁助の礫の威力は弥介もまだ知らない。狭い部屋の中で礫に効力があるかどうかもわからないが、とにかくやってみるしかなかった。  宿場の中ほどから右へ折れる。水戸道は東へ向かっていた。家並みがとぎれるあたりに、それらしいしもた家があった。  仁助が表戸をあけ、 「左近允さま、おいでになりますか」  と声をかけ、振りむき、弥介に頷いてみせた。仁助が入り、そして弥介が履物をはいたまま上がり、まず刀を抜いた。仁助は、廊下を足音を消して奥へ入っていく。  弥介は襖を開けた。そこに浪人と女が布団に寝そべっていたのである。二人が同時に弥介を見、右手に下げている刀刃を見た。 「なんだおまえは」  と叫び、左近允は刀に手を伸ばし、女を抱き寄せた。女は居酒屋の酌女と見えた。二十七、八か、開かれた胸もとから、たるんだ乳房が見えた。  女は自然に左近允の盾になっている。斬るのは左近允だけだ。女には用はなかった。弥介は故意に殺気を発した。女の垂れた乳房がゆらゆらと揺れる。女の顔は強張《こわば》り、裾《すそ》が乱れて、肉付きのいい腿《もも》までさらしていた。 「おのれ、誰に頼まれた!」  左近允は女を抱いたまま立ち上がった。すでに刀を抜いている。  そのとき、奥で騒ぎが起こった。叫び呻《うめ》き、何かが倒れる音がする。 「わけを言え、わけを」  左近允は、わめき、そして女を突きとばした。女が泳いで弥介に抱きつこうとするのを押し返し、左近允の横なぐりの一閃を体すれすれに躱《かわ》しておいて、弥介の刀刃は下から斜め上に空気を裂いてはね上がった。刃は、左近允の左|脇腹《わきばら》から一尺ほど斬り裂いていた。心の臓をも裂いていて、鮮血が布団に散った。  片膝《かたひざ》をつき、そして刀で体を支える。その刀が、ずぶずぶと布団を貫き、畳にめり込んでいく。 「おのれ!」  かすれた声で一言口にし、左近允がごろりと倒れるのを見て、弥介は、その後ろの襖を開けた。  そこには、三人の浪人が血を流しながら、のたうちまわっていた。三人とも、仁助の礫を顔に受けたらしく、片手で顔をおおい、片手で刺されたらしい腹を押さえていた。  仁助の姿はなかった。裏で水の音がする。仁助は返り血を裏の井戸で洗っていたらしく、やがて、裏から入って来た。着ていた着物を裏返しに着ていた。表裏使えるように作ってあるようだ。 「旦那、とどめは刺しますか」 「あとは百造にまかせておけ」  腹を刺されたら助からない。苦しみ悶《もだ》えながら死を迎えることになるのだ。他人の苦しみに気を向けるだけの余裕は弥介にはなかった。  仁助の技は見なかった。三人の浪人のうち、一人だけが刀を抜いていた。他の二人は刀を抜く暇もなかったようだ。女は左近允に肩を裂かれ血の海の中を転げまわっていた。  弥介は、何かを思いついたように棒立ちになっていた。嘔吐することを忘れていた。 「旦那」  仁助が顔を覗き込もうとするのに背を向けて玄関に向かっていた。外へ出ると、仁助が戸を閉めて追ってくる。  弥介は、歩きながら、酒に酔ったような揺曳感《ようえいかん》を覚えていた。予想していた通り、胃の腑《ふ》も騒がず、むかつきも覚えない。 「仁助、橋のたもとで待っていてくれ」  と言っておいて、弥介は畑の中に入り、そこに蹲《うずくま》って、咽に指を入れ、舌の根元を押さえたが、ついに吐けなかった。 「饂飩にすればよかった」  と思ったが、飯も饂飩も結果は同じだろう。吐きたいと思ったが、吐けないものはどうしようもないのだ。  弥介は街道にもどり、仁助のあとを追った。浪人がすれ違って振りむいた。それほど険しい目つきをしていたものと思われる。仁助は、弥介が浪人を斬るのを三度見ている。そのあとに嘔吐したのも見ているはずだが、何も言わずに肩を並べた。  道を三輪《みのわ》から金杉《かなすぎ》にとり、まっすぐ行くと上野に出る。 「旦那、酒でも」  と仁助が誘ったが、かれはその気にはなれなかった。鉛《なまり》でも呑んだように気分が重かったのだ。上野広小路で仁助と別れ、平永町の住まいにもどった。戸を開けて、 「もどった」  と声をかけたが、どこかに出かけているのか泉は姿を見せない。刀を鞘ごと抜き片手に下げて裾を払うと雪駄《せった》を脱いで上がった。いつものように火鉢の猫板の上には二枚の小判があった。ひと仕事果たしたという爽快感《そうかいかん》はどこにもない。  火鉢のそばに寝転んで、天井を睨んだ。双眸に険しさを孕《はら》んだことは、じぶんでもわかっていた。今後、何人斬ろうと、再び嘔吐することはないのだ、と思うと、おのれが噂通りの人斬りになってしまったような気持ちになってくるのをどうしようもなかった。 [#改ページ] [#ここから3字下げ] 要《よう》  斬《ざん》 [#ここで字下げ終わり] [#ここから7字下げ] 1 [#ここで字下げ終わり]  小田丸弥介は、刀を掴《つか》むと裸足《はだし》で庭にとび降り、鞘《さや》を払った。そして素振りでもするように刀を振った。風が裂かれて悲鳴をあげる。振り下ろされる刀刃を、地面より一尺ほどのあたりで、ぴたりと止める。止めた刀を膂力《りょりょく》で振りかぶる。それを振り下ろす。  振り下ろした刀を、腰をひねり手首を返して下から上へ斬《き》り上げる。その迅《はや》さは振り下ろすのと変わらない。更に斜めに斬り下げ、それを返して薙《な》いだ刀を回して大きく振りかぶるのだ。  梅の小枝が鋒《きっさき》に触れて舞い落ちる。  弥介の貌《かお》に額に薄《う》っすらと汗がにじんで来た。両足はしっかり地面を踏んで動かない。気合いもなく、ただ刃が裂く空気だけが吠《ほ》えていた。天秤棒《てんびんぼう》を振り回すときの音に似ていた。  弥介はじぶんの体に生じた重い鉛のようなものを絞り出したかったのだ。胸だけでなく体そのものが重い。何かの滓《かす》がたまっているように。この滓を取り除くにはどうすればよいのかがわからない。  深川のころ、五人目を斬ったときに一度だけ、このような気持ちになった。そのときには四、五日で滓は消え去った。嘔吐《おうと》しなくなったとき、このような気分になることはわかっていたはずなのに。あのときは、ただ気分がもとにもどるのを待っていたのだろうか。  わめきながら走り出したかった。  刀を振るのを止《や》めたとき、座敷の中に泉《せん》が立っているのを見た。 「雑巾《ぞうきん》をくれ、いや、いらぬ」  弥介は、庭から表に出ると、裏へ回った。そこに井戸があった。帯を解き着物を脱いで下帯一つになると、井戸水を汲《く》みあげ、肩から、ざぶ、とかぶった。四月とはいえ、まだ水は冷たかった。水を四、五杯もかぶって全身を震わせた。  その弥介の姿を、泉が下帯と手拭《てぬぐ》いを持ち、立って見ていた。体の肉は削《そ》げているが、筋肉は残っていた。鍛え抜いた体である。弥介は泉に背中を向けて下帯を解いた。そして手拭いを受け取る。  首筋から肩、そして胸、背中と拭いながら、じぶんの股間《こかん》を見た。意外にも勃然《ぼつぜん》としていたのである。屹立《きつりつ》し、息づいているのを見て、この三ヵ月あまりを思った。与志《よし》と志津が攫《さら》われてから、女の肌に触れていないのを思い出したのだ。  女の肌には全く興が湧《わ》かなかったし、それを不自由とは思いもしなかったのだ。まだ三十四歳になるには七、八ヵ月ある。女のいらない齢《とし》ではなかった。  足を拭《ふ》いて下駄をはくと、素っ裸のまま家の中に入った。下帯をさし出す泉の手首を掴んで上がると、そのまま寝間に曳《ひ》きずり込み、そこに押し倒した。 「旦那さま」  帯を解こうとすると泉は抗《あらが》い、弥介の手を払いのけようとする。帯を解かずに着物の裾《すそ》をはね、膝頭《ひざがしら》をさらして、膝の間にじぶんの膝を押し込んだ。そして、再び泉の手首を掴み、股間に屹立する一物を握らせようとした。すると、その一物が泉の手によって払われたのである。 「いやか」 「いやでございます」  泉の弥介を見る目は燃えていた。着物の上から胸の膨らみを掴んだ。充分な膨らみがあり弾力を手に覚えた。 「何故《なぜ》だ」 「いやでございます」  この女は、わしが求めるのを待っていると思ったのだが錯覚だったのか。体から力が抜けた。泉の上から体をのけると、そばに落ちた下帯を拾い締めた。そして井戸端に脱いだ着物を着た。泉を押しつけて思うがままにすることは易い。それだけの力の差もある。だが、女の意志に反して凌辱《りょうじょく》する気にはなれなかったのだ。 「すまん、悪かった」  詫《わ》びておいて、腰に刀を差すと表へ出た。近門の居酒屋に入って、酒を頼んだ。得体の知れない焦燥があった。運ばれて来た酒を、眉《まゆ》を顰《ひそ》めて口に運んだ。不味《まず》い酒だった。不味い酒で小料理屋『わか』を思い出した。数寄屋橋《すきやばし》御門を出た新肴町《しんさかなちょう》あたりだった。弥介は脳の中で女将《おかみ》のお若を裸にしていた。  背丈は泉のほうが高いが、お若の体はむっちりと肉付いて見えた。肌の色も抜けるように白いに違いない。といってもお若が抱かれてくれるわけはないのだ。  弥介は自嘲《じちょう》した。深川のころは何人か抱ける女もいたが、与志を妻にしてからは、一度も他の女には手を出さなかったし、出す金の余裕もなかったのだ。  盃《さかずき》を置いて、じぶんの手首を眺めた。手にも腕にも、浪人|左近允《さこんのじょう》兵馬《へいま》を斬った感触が残っていた。 「そう、たしか深川で五人目を斬って吐かなくなったとき、茶屋女を抱いていた」  これから深川に行こうと思った。その茶屋女はお藤《ふじ》と言った。永代寺門前町の水茶屋の女だったが、いまも働いているとは思えない。だが、深川には岡場所が多かった。もっとも岡場所は公儀によって廃されたことは知っている。だが隠れ売女《ばいた》はいくらもいる。岡場所も地下に潜っただけで、消えてしまったわけではない。  どうしても女を抱かなければならないというのではない。が下帯の中で一物は勃然としたままである。女を抱けば焦燥感も消滅するのではないか、という思いがあったのだ。女を買うだけの金はあった。深川へ行けば女を世話してくれる男もいる。  盃を口に運びながら、深川で生きていたころは、これほど弱くはなかった。与志との五年の人並みの暮らしで、わしは牙《きば》を抜かれたのかと思い、ひしと寂蓼感《せきりょうかん》を覚えた。わけもわからず淋《さび》しく哀《かな》しい。  銚子を空にすると、銭を払って店を出た。そこに泉が立っていたのである。 「そんなところで、何をしている」 「旦那さま」 「どうした、百造《ひゃくぞう》でも来たか」  泉は首を振って弥介を見た。その目は暗く、何かを訴えるかのように煌《ひか》っていた。泉は弥介の手を引いた。 「おもどり下さい」  なぜだ、とは言わなかった。泉は手を把《と》ったまま歩き出した。 「逃げはせぬ、手を放してくれ」  と言ったが、住まいへの路地を入るまでは手を放さなかった。まるで、弥介が逃げるのを怖れるかのように。その泉の目には、なにかひたすらなものがあった。家に入った泉はそのまま寝間に入って襖《ふすま》を閉めたのである。やがて、 「旦那さま」  と呼ぶ声に襖を開けると、夜具の上に長襦袢《ながじゅばん》姿の泉が仰臥《ぎょうが》し、夜具のかたわらに置かれた行燈《あんどん》の灯《あか》りが、泉のなまめかしい姿を映しだしていたのである。 [#ここから7字下げ] 2 [#ここで字下げ終わり]  弥介にとって女の体は温かくて柔らかいものだった。かれは母親というものを知らない。母の大きくて柔らかい乳房を吸った記憶もなかった。男にとって、はじめての女は母親である。母親によって温かさと優しさと、そして柔らかな感触を知るものである。母親の肌に触れた覚えのない弥介は、若いころには女に母を求めたものである。だが女たちは、かれに母を与えはしなかったのだ。ただ交媾《まぐわい》だけを求め歓喜するだけだった。  弥介がそばに横たわると、泉はかれにしがみついて来た。頬《ほお》をすり寄せ、首筋に唇を這《は》わせ、そして、肌着の衿《えり》を開くと、厚い胸に唇を押しつけて来た。かれはそんな泉の背中を撫《な》でまわした。  泉は、かれの小さな乳首をついばみ、その周りを唾液《だえき》だらけにし、かれの体にしがみついて、じぶんで唸《うな》った。いつもの冷ややかな泉とはどこか違っていて、狂気じみたものがあった。  更に泉は、じぶんの襦袢の衿を押し拡げると、乳房をあらわにし、それを男の胸に押しつけ、乳首と乳首を触れ合わせ、押しつけると身を揉《も》んだりした。 「旦那さま」  と呻《うめ》くように言うと、かれの手を乳房に誘い、揉んで下さい、と囁《ささや》いた。弥介は泉の体を仰臥させると、乳房を下から掬《すく》いあげるように揉みしだき、すでに勃《そび》え立っている乳首を口に咥《くわ》え吸った。赤ん坊が母の乳を吸うように。泉は呻き、かれの口に乳房を押しつけるために背中を反らしたのである。乳房は大きいというほどではないが、体に似合った大きさで、ややかれの掌《て》に余った。  乳首を吸い、あるいは舌ではじくように転がし、甘く歯を当てながら、手は腰紐《こしひも》を解いて褄《つま》を開き、更に二布《ふたの》の結びを外し、手を素肌に触れ、肌を撫でまわした。  肌は白いが、その白さにもさまざまある。肌理《きめ》はこまかくなめらかで象牙《ぞうげ》の白さだった。なめらかなため、肌には光沢があった。薄い肉である。肋骨《あばらぼね》や腰骨の硬さが手に触れた。  同じ屋根の下に棲《す》みながら、弥介は泉を寄せつけなかった、というよりこの二ヵ月半あまり、拒んでいたのだ。泉は弥介に抱かれるのを待っていたはずである。半吉が斬られて死ぬまでの一年間を夫婦でいたというし、そのあとも、さまざまな男に抱かれて来た女である。男なしではすまない体になっているに違いない。その泉の体を二ヵ月半、弥介は拒んで来た。泉の体に興味がなかったのでも、泉がいやだったからでもない。  気分的にそれどころではないという思いがあったのだ。妻と子の身を案じた。浪人を斬るのに精力を費やした。もちろん、それだけで泉を拒んだのではない。禁欲はじぶんに課してもいたのだ。だから、怨《えん》ずるような目つきを度々《たびたび》感じながら、それを無視して来た。  それが、浪人を斬って嘔吐しなかったことから焦燥に苦しみ、あっさりとじぶんの意志を崩壊させてしまった。  泉がはじめ、それを拒んでみせたのは、ささやかな抵抗だったのだろう。あるいは無理矢理にでも体をこじ開けられたかったのか。 「旦那さま」  と呻き、泉の手はかれの股間に伸びて、下帯の上から膨らみを撫でまわし、手で包み込んでおいて、指でなぞりはじめた。  弥介が泉を拒んだ理由《わけ》はもう一つあった。深川のころ、弥介はたしかに、水茶屋の女、芸者、酌婦など多くの女を抱いた。欲情のおもむくまま抱いたが、一人の女を愛《め》でることはなかった。次から次へと女を換えた。それは情が搦《から》むのを嫌ったからである。情が搦めば、それが男にとって失うものとなる。失うものを持っていれば、それを盾にされたとき、いかに刀法に秀れていても手も足も出なくなる。それを怖れたのだ。  泉を抱けば、情を搦めることになることがわかっていた。同じ屋根の下に住んでいる。泉がいれば暮らしには便利だし、それに馴《な》れると別れる気にはなれない。与志と志津を攫われて、手も足も出なくなっている弥介は、また一つ、泉という失うものを持つことになるのだ。それを怖れて泉の体に手を出さなかった。  だが、焦燥はそれをも打ち砕いたのだ。泉を抱くよりも、深川で金で処理できる女を抱くべきだった、という思いが、泉の肌を撫でまわしながらもあったのだ。  弥介は、じぶんを強い男とは思っていない。剛胆《ごうたん》ではなく、心には繊細な襞《ひだ》を持っていた。浪人を斬って嘔吐したのもその一つだろう。そして、嘔吐しなくなったとき、焦燥に身の置きどころがなくなったのも、それだった。  泉はかれを仰臥させると体を起こし、かれの下帯を外した。そして、そこに屹立しているものを手にとり、指を這わせた。一物を握った手をかすかに上下させ、もう一方の手で、ふぐりを包み込んだのである。かの女は、そこに勃え立っているものを凝視し、軽くしごいておいて、そこに顔を近づけ、舌を伸ばして来た。  弥介は、泉の舌をそこに感じながら、手をかの女の長襦袢の中に入れ、なめらかな臀《しり》を撫でまわし、その臀を引き寄せながら、また一つ失うものを持つことになる、と思った。  一物は泉の口に咥えられ、唇はその根元にあり、尖端《せんたん》は咽《のど》に押しつけられていた。そのままで、かの女は頭を左右に振りはじめた。次には浅く咥えておいて、雁首のあたりに舌を躍らせ、磨きあげるように這わせ、あるいは、唇で胴と首を挟みつけておいて、首を左右に振るのだ。  多くの男たちに教えられた技だろう。男を歓ばせるにはどうすればよいかを知っているし、泉が弥介をたのしませようとひたすらになっているのがよくわかった。 「泉」  と声をかけると、顔をもたげた。その目は潤んで煌り、唇もまたぬれて光沢を発していた。 「もうよい」  と言っておいて、弥介は泉を仰臥させると腿《もも》を割り、膝を折り立たせ、その隙間《すきま》に体を割り込ませた。開かれたはざまは、手を触れるまでもなく、あふれるほどに露を湧かせていたのである。そこに女の哀しみが宿っているのだ。  弥介はおのれの一物を手で支え、切れ込みをその尖端でなぞっておいて、熱く深い沼の淵《ふち》に当て、ゆっくりと腰に力を加えたのである。 「旦那さま」  泉は潤んだ声をあげ、両手両足をからみつかせると、身を揉み、ひときわ高い声をあげると全身を硬直させ震わせた。愛撫もせず、抜き差しもせず、泉は気をやっていたのである。  硬直のあとに弛緩《しかん》がやってくる。そのとき弥介はおのれの一物を包み込んだ襞が律動するのを覚えた。その律動がやや強くなったところで、泉の両手両足に再び力が充《み》ちてくる。旦那さま、と声を発し、体が震え硬直するのだ。それが三度くり返されて、泉は大きく息を吐いた。 「旦那さまは」  と泉は、まぶしそうに薄目をあけた。  弥介がしたたかに噴水させて、体をのけようとすると、 「いやです」  と叫んでしがみついて来た。このままでいたい、と小さなためらうような声で言った。淋《さび》しかったとも言った。わたしの体が汚れていていやだったのですか、とも言った。少なくとも泉にとっては、人斬り弥介は強い男だった。弥介の名は以前から聞いていたのだ。憧《あこが》れてもいたという。 「源三は、おとっつぁんではありません」  と泉はいきなり言った。  泉の父親も母親も早くに死んだ。母親は流行病《はやりやまい》で死に、父親は誰《だれ》にとも知れず殺され、父の仲間であった源三に引きとられ、八歳のころから掏摸《すり》の技を教え込まれた。失敗すると飯も食わせてもらえなかった。技を体に叩《たた》き込まれて、十五、六のころには一人前の女掏摸になっていた。十六のときに源三によって手込めにされ、源三の手下の半吉と夫婦になったが、腕の悪い半吉が、旗本のふところを狙って斬られ死んだあとは、ずっと源三の女であったと語った。 「源三がどうなろうと、わたしにはどうだっていいんです」  源三が百造一味に人質にとられたので、泉は弥介の身の回りの世話をしたのではなかった。泉は源三によって女にさせられた。悲惨な身上話ではなく、世間にはよくあることだった。  そう聞いて、旅籠《はたご》の二階から通りを歩く源三の姿に泉があまり興味を示さなかった理由もわかった。 「旦那さま、わたしは人を殺しました」 「まことか」  泉には、源三を頭とする掏摸仲間が七人いた。百造一味は源三を攫い、父親の命が惜しくば、七人の仲間を殺せと迫った。七人のうち三人は浪人だった。 「わたしは、源三を助けたくて、仲間を殺したのではありません」  と涙を流す。  源三には情女《おんな》がいた。その情女を泉が妬《や》いたことから、源三は泉の体を七人の仲間に餌《えさ》として与えたのである。七人の狼は泉をむさぼり食った。だから、泉は七人を殺すことにためらいもなく、かれらが呑《の》む酒に石見《いわみ》銀山猫いらずを入れたのである。  七人は血反吐《ちへど》を吐いてのたうち回った。その凄惨《せいさん》なさまを泉はじっと見ていたのだという。もちろん、七人の死骸《しがい》は百造一味が運んでいった。そのときから泉の顔に暗さが刻み込まれたのだ。七人もの男を殺したという自責は、泉には重すぎたのだろう。 「旦那さま、わたしを離さないで」  としがみつき、体を震わせて慟哭《どうこく》するのだ。むごいことをさせる、と弥介は思った。  身を揉んだために、凋《しぼ》んだ弥介の一物がそこから抜けはずれた。泉はあわててそれを握り二、三度手を前後させて、そこに押し込む。  人には事情がある。事情をもってそれぞれに生きている。聞かねば知らないですむが、聞いてしまえばそれが負担になる。泉はそんな自分の身上を弥介に聞いてもらいたかったのだ。  人に喋《しゃべ》ることによって胸の痞《つかえ》も少しは楽になるだろう。  泉は一物が膨らまないのを知って、かれの体を起こし、仰臥させると、そこに力なく萎《な》えているものを口に吸いとったのである。弥介は好きにさせた。すでにもう泉を拒む気は全くなかった。  また、泉も弥介にとっては、与志や志津と同じように失うものになってしまったようだ。ただ体を重ねるだけなら、心の中までのめり込まなくてすむのだが、泉のほうからのめり込んで来てはどうにもならない。弥介は泉の腸《はらわた》にあるものを、じぶんの胃の腑《ふ》に呑み込んでしまったと思った。  お互いの傷を舐《な》め合うけものなのか。泉はじぶんの傷を弥介に裂いて見せた。その傷が無惨でどす黒いものであればあるほど、弥介は舐めてやらなければならないのだ。  泉は、一物を指で支え持ち、ふぐりを口に頬張って、二個の玉を転がしてみせる。与志はこのような技は見せなかった。口を使うのはお互いの口を吸うときだけだった。泉はなんとかして弥介をたのしませようと、けんめいになっている。それがいじらしくもあるのだ。  ふぐりを頬張り、蟻《あり》の戸渡りに指を這わせ、それで一物が立ち上がると、 「上になっていい」  とかれの顔をのぞき込み、頷《うなず》くのを待ってうれしそうに跨《またが》ってくるのだ。そして、根元まで尽くすとくくっと笑って、胸を重ねて来た。臀をしゃくりあげ、回し、呻き声を上げるのだ。  その夜、泉は弥介に抱かれて眠った。胸に顔を押しつけ、やすらかな寝息をたてている。これまで、このような安堵《あんど》できる眠りがなかったように。そして、泉の手はしっかりとかれの一物を握っていた。その手をそっと離してやると、夢うつつに探り求めて握り、寝息をたてる。  弥介は、じぶんの焦燥感が払拭《ふっしょく》されていることに気付いた。浪人を斬ったあとのあのやりきれなく重い気分は、女を抱くことによって消滅できるのか、と思い至って、安堵感を覚えた。嘔吐するのとは意味は異なるのだろうが、とにかく解決策はわかったのだ。これで安心して浪人を斬れるという思いがあった。  朝、目を醒《つ》ますと、土間で朝餉《あさげ》の用意をしているらしい包丁の音が聞こえていた。その音に、弥介はふと浅右衛門長屋を思い出していた。与志がたてる包丁の音とは異なるが、なにか人並みの気持ちを持てた。  顔を洗って庭さきに立つ。泉が、旦那さまと声をかけ、まるでうぶな女のように顔を赤らめうつむくのだ。泉の暗い目つきも、半分ほどは明るくなったように思える。  三日目に百造がやって来た。百造は泉の顔つきから何かを感じたらしく、薄く笑った。人斬りの用ではなかった。ちょいと話があると言って、弥介を家から誘い出した。 「話とは何だ」  平永町から、神田川沿いの柳原土堤《やなぎわらどて》まではすぐである。土堤の上には、出店がずらりと並んでいる。古道具屋、古着屋、下駄雪駄《げたせった》屋、傘屋などがずらりと並び、客を呼んでいる。  弥介は斜面の草むらに腰をおろした。 「旦那、仁助さんは、どれくらいの腕ですかね」 「どういうことだ」 「旦那の目で見て」 「わしは仁助が人を殺すのを見ていない。刀はどれほど使うかはわからんが、礫《つぶて》はかなりのものだろう。仁助は石で相手の目を潰《つぶ》してから刺すようだ」 「仁助さんの技を一度見ていただけませんかね」  なぜだと聞くと、相手を選ぶのに、仁助に合った浪人と立ち合わせたいという。それは仁助への思いやりなのか。 「おかしなことではないか」  と弥介は言った。百造が何を考えているのかわからないのだ。仁助に倒せる相手を選んでやりたいと考えるのはけっこうだが、何のためにそれほど浪人を殺さねばならないのかは、何一つ語ろうとしないのだ。 「おまえは、いつかさるお方[#「さるお方」に傍点]と言ったな。そのお方の名前を聞こうというのではないが、さるお方は一体何を考えているのだ。わしらに人殺しをさせて、何か面白いことがあるのか」 「どうしてだかが、わたしなんぞにわかるはずがございません」 「浪人よりも、おまえとさるお方を叩っ斬りたいよ」 「旦那、それをおっしゃっちゃ」 「わしは木偶《でく》だ。女房と子供を人質にとられていたんじゃ、おまえの言いなりだ」 「とにかく」  と言って、百造は弥介の言葉をさえぎった。 「仁助さんが、浪人を斬るところを見てくれませんか」 「仁助の腕を確かめてどうなるというんだ。仁助がどこまで生き延びられるかは、仁助の運だ。あいつは死にはせん。礫が外《そ》れれば逃げ去る。かなわぬと思ったら、近づかんのがあの男のやり方だ」 「へえ、なるほど」  弥介にも、百造のやり方が、何となくわかって来たような気がした。人質を取ったからには、その人質の命も暮らしも責任を持つと言った。弥介や仁助のように、人質を取って浪人を殺させている者が何人いるか知らんが、人質をとった者は、できるだけ斬死《きりじに》してもらいたくはないのだろう。だからその者には殺せる相手を選んでやるのだろう。数多くの浪人を殺させなければ、間尺に合わんという考え方なのだ。  その点から考えると、弥介は最高の待遇なのかもしれない。女をつけて身の回りの世話をさせ、暮らしの金も出している。もっともそれは弥介の刀法者としての腕を買ったからだろう。 「わしのように人質を取った者が何人いる」  もちろん答えるわけはなかった。 「どうせ浪人を斬るのであれば、一度に十人、二十人斬って早くけりをつけたらどうだ」 「そうはまいりません」  時をかけて、少しずつ、浪人の数を減らしていこうというのか。 「旦那、とにかく、仁助さんが浪人を殺《や》るところを見て下さいな」  百造はそう言って、時刻と場所を告げて去った。 [#ここから7字下げ] 3 [#ここで字下げ終わり]  浪人が一人、人待ち顔に立っていた。三十なかばと見える浪人で、目つきが険しい。金を貰《もら》って人を斬ろうというほどの男だから、優しい目つきをしているわけはなかった。尾羽《おは》打ち枯らしたというほどではないが、黒染めの衿には垢《あか》がにじんで光り、布もすりきれていた。月代《さかやき》は鋏《はさみ》ででも切ったのか、邪魔にならぬほどに切り揃え《そろ》てあったが、髪はいつ結ったのかかなり乱れ、それが浅黒い顔にかかって凄味《すごみ》を増していた。  仁助が殺す相手である。弥介はこの浪人を遠くから見ていた。百造に頼まれたからだけではなく、弥介もまた仁助の腕がどれくらいのものかは知っておきたかった。もちろん仁助が投げる石くらいは躱《かわ》せる。石は投げれば唸る。背後から投げられても、石の唸りを聞いてからそれを躱すことはできるはずである。  仁助と対峙《たいじ》することになるかどうかはわからない。できれば斬りたくはないが、百造のさるお方[#「さるお方」に傍点]という者の考え方次第では、仁助はもちろん、むかしの仲間である九沢半兵衛、左柄《さがら》次郎左衛門とも対峙しなければならなくなるだろう。  浪人は、ぐるりと首を回した。  場所は百本|杭《ぐい》とよばれるところである。西側は大川になっていて、反対側は大名屋敷である。この百本杭は、両国橋を渡って本所に入り、北側の川沿いに、一丁ほど歩いたところで、水よけにたくさんの杭《くい》を打ち込んであるところから百本杭と呼ばれていた。ここでは、鮒《ふな》、鯉《こい》など川魚がよく釣れた。  時刻は、すでに暮れ六ツ(午後六時)を過ぎている。約束は六ツであった。焦立《いらだ》たしそうに浪人は足ぶみをした。仁助の姿はどこにもなかった。もちろん、弥介は大名屋敷の塀に身をひそめていた。  また一人浪人が死のうとしている。浪人の死骸を運ぶ舟は近くに用意され、その舟には何人かの百造の仲間が乗っているはずである。  ——あの浪人にも仁助は斬れまい!  たしかに仁助のやり方なら生き延びられる。刃物は鎧通《よろいどお》しだが、尺二寸の刃物をよく使うだろう。小太刀の技を七年間練っている。もちろん、はじめから鎧通しを使う気はない。礫を投げて及ばぬと知れば、走り去るのに違いない。八丈島の磯を走りまわった足には筋肉がっいているはずだ。走るのは誰にも負けまい。となれば弥介でさえ、仁助を斬ることはできないのだ。 「船大工の仁助とはおまえか」  浪人の声が響き渡った。むこう側に仁助が姿を見せたようだ。浪人が刀を抜いたのを見た。  石が唸るのを聞いた。浪人はそれを刀で受けた。弥介は歩を進めた。そして二人が見える位置に立った。  仁助が浪人に歩み寄ってくる。間は十間ほど。浪人は刀を下げて仁助に歩み寄る。その間だけ仁助は下がる。どうやら仁助は十間の間が要《い》るようだ。  下がりながら仁助の右手が動いた。二度三度動いた。浪人が悲鳴を放った。片手で顔をおおい、仁助が歩み寄る足音を耳にしてか、 「おのれ、おのれ」  と叫びながら、刀を振りはじめた。おのれに近づくものを斬ろうとしているのだが、どうやら両眼を失っている様子である。仁助は浪人とは三間の間を取って、立って見ていた。  浪人は突然、刀を投げ出して両膝をつき、ついでに両手もついた。 「たのむ、助けてくれ、殺さないでくれ、おれには、仇討《あだう》ちの大願がある。父の仇《かたき》を討たねばならん。おれは犬塚家を再興しなければならんのだ。たのむ、たのむ、お願いする」  仁助は、ふところの鎧通しを抜くと、座した浪人に近づき、無造作に首筋に一閃《いっせん》させた。 「お、おのれ!」  と叫び、首筋から血を迸《ほとばし》らせながら、浪人は這って投げた刀を探した。それを一瞥《いちべつ》しただけで、仁助は弥介の姿を目にし、歩み寄っていた。 「旦那、見ていたんですかい」  仁助は笑っていた。かれは確実に浪人の両眼を潰したようだ。それも一瞬のうちに。それでなければ、浪人は片目はかばっていたはずである。かばうひまを与えなかったのだ。適確な礫術だった。  弥介は、まだ浪人を見ていた。手さぐりで刀を手にした浪人は、立ち上がって左右前後に振りはじめた。首筋から噴き出す血の勢いはすでに弱くなり、それでも、ごぼっごぼっと音を発して、血を流しつづけている。体の血を失って倒れ、動かなくなるのを待って、百造一味が現われ、死骸を運び去るのだ。その百造一味は、まだどこかに潜んでいた。 「旦那、酒でも、いかがです。つきあって下さいよ」 「わかった。だが、もう少し待て」  弥介は浪人を見ていたが、仁助は浪人に背を向けて振りむこうとはしない。非情な男のようでも、じぶんが斬った浪人が死んでいくのを見たくないようだ。  浪人は、犬塚家を再興しなければ、と言った。犬塚なにがしという名だろう。二両か三両かを百造の仲間に貰って仁助を殺しに来たのだろう。士《さむらい》たるもの刀を抜いたからには泣きごとは言えぬ。仇討ちの大願があったのならば、おのれの命はもっと大事にすべきだった。弥介は、犬塚の仇討ち云々《うんぬん》は嘘《うそ》だろうと思った。両眼を潰されて命が惜しくなったのだろうし、慄《おのの》きが走り、つい口走らせてしまったのだ。仁助が浪人の首筋を抉《えぐ》ったのは、ごく当たり前の行為だった。  浪人は、泥酔したように足をよろめかせ、背骨の芯《しん》を抜かれたように膝をつき、うつぶせに這ったのである。それでもまだ手足を攣《ふる》わせていた。  百本杭のはずれに黒い舟が音もなく忍び寄ると、四人の男がそれぞれに水桶《みずおけ》を手にして岸へとび降り、浪人のそばまで馳《か》け寄ると、三人はそれぞれ水桶をそばに置き、浪人の体をかかえ上げ、舟に運ぶ。残った一人は、地面に流れた血を水を掛けて洗い流すのだ。四杯の水で血は薄められ土が吸っていく。その男が乗り込むと、舟はゆっくりと岸を離れる。素迅い処置だった。  さきほど、そこに立っていた浪人は、ほんのわずかの間に、この世から消え去ってしまったのである。浪人に仲間や身内がいれば、行方《ゆくえ》知れずになったと思うに違いない。  弥介と仁助は、竪川《たてかわ》のほとり相生町《あいおいちょう》にある居酒屋の片隅に卓を挟んで坐《すわ》っていた。手酌で、不味そうな顔で酒を呑む。 「旦那、あっしはもう長いことないような気がしますよ。これだけ人を殺《あや》めて、無事であるはずはありません」 「弱音を吐くな、おまえは生き延びてお俊さんをおのれの胸に抱かなければなるまい」 「でもね旦那、ここまでくると、もうお俊のことなど、どうでもいいって気持ちになるんで、何だか馴れで浪人を殺しているような気がするんですよ。それに、人を殺せば体に何か染みついてくるような気がするんで、殺す数がふえれば、それだけ染みが多くなるような気がして、そんな染みだらけのあっしが、お俊を再び抱けるかどうか」 「…………」 「それに、近ごろでは、お俊の夢も見なくなりました。あっしとは縁のなかった女なんですね。お俊の代わりにあっしが殺した浪人の夢を見るんですよ」  仁助が死んでいく浪人に背を向けていたのは、夢に見るのがいやだったからだ。 「あっしが、八丈島でやっとう[#「やっとう」に傍点]を習い、石を投げたのは、間違っていたのですかね」 「仁助、まだまだ浪人を殺さねばならん。生きていくためにな。おまえに斬られて死ぬ浪人は、それだけ未熟だからだ。それに欲もあった。刀を抜いて対峙したとき、相手がどのような技を持ち、どのような武器を使うかはわからん。それだけの心構えはなければならない。命を賭《か》けているのだからな。おまえに殺された浪人たちには、油断があった。あるいは未熟だった。いまは浪人でもむかしは士《さむらい》だ。士が刀を抜いて死んでいくのは、本望ではないとしても、致し方のないことだろう。おまえが自分を責めることはない」 「旦那、それはちと違うんですよ。あっしは船大工ですからね。よくは言えないんですがね、人の命を奪う怖ろしさみたいなものが体にべたべたと貼《は》りついてくるんです。あっしは旦那ほど強くはねえんで」  強いか、と呟《つぶや》いて、弥介は嗤《わら》った。 「仁助、わしもおまえとたいして違いはない」 「そんなことはありません。旦那は強い、人斬り弥介は強いんですよ」  わしは五人目を斬るまでは嘔吐していた、とは言わなかった。それは仁助も知っていることだからである。 「仁助、死ぬな」 「へい」  とあげた目には怯《おび》えがあった。仁助の怯えた目をはじめて見た。 「かなわぬ相手と見れば、逃げることだ」 「そうしています」  仁助は町人である。逃げることにためらいもないし、矜持《きょうじ》が疼《うず》くこともないわけだ。一目散に逃げる。逃げ足も速いはずだ。弥介は、この男はじぶんよりも長く生きるだろう、と思った。百造は、仁助に浪人を割り当てるのに仁助の腕に合った浪人を選びたいと言ったが、まずその必要はないだろう。もっとも、相手が仁助と同じように、投げ技の名手ならば別だが。また、狙われてすれ違いざまに斬られては、仁助の磯術も何の役にも立たないということになる。仁助の怯えはその辺にあるのだろう。 [#ここから7字下げ] 4 [#ここで字下げ終わり]  大川に架かる両国橋の少し下流から東へまっすぐに延びる川を竪川という。この竪川は、本所と深川を分けている。竪川に架かる橋は、大川に近いほうから一ノ橋、二ノ橋、三ノ橋とある。そしてその先の横川と交わる所には、北辻橋、南辻橋、新辻橋の三つの橋が架かっていた。  小田丸弥介は、竪川沿いに東へ向かって歩いていた。本所側は相生町一丁目、二丁目と五丁目まで続き、川の向こうは松井町、林町である。弥介は、深川の九沢半兵衛に会いたいと思ったのだ。二月の初午《はつうま》の日に会ってから、半兵衛には会っていなかった。会ってどうしようというのではない。妻娘と共に版工として生きているのであれば会う必要はなかったが、人斬りにもどった弥介に、半兵衛や左柄次郎左衛門は昔の仲間である。百造が殺しの仕事を持ってくる間は暇をもて余していた。それに天気もよかった。すでに春である。目当てもなしにぶらぶら歩くのは気分もよかった。  泉は弥介に抱かれるようになってから、半分ほどは明るさを取りもどしていた。はじめて抱いた夜は、しっかりと弥介の一物を握って眠ったが、毎夜というわけではなかった。泉はじぶんから弥介を求めはしなかった。弥介が求めればよろこんで抱きついてくる。そしてその夜はやはり一物を握って眠るのだ。ひとり女中部屋に眠ることはなくなり、弥介のそばに布団を敷いて寝た。可愛《かわい》い女だった。女は可愛くなければならないとも思う。たしかに泉に情を移した。情を搦めて抱き合い肌をさぐり合うのだ。そして、弥介の胸中に、また怯えを生んだのである。失いたくないと思えば、男の胸中に滓のような怯えはたまるものだろう。  弥介は、両国橋を渡ったあたりから尾行されていることを知っていた。それも一人や二人ではなさそうだ。それを知りながら、弥介は振りむきもせず、おだやかな歩調で歩いていた。  本来ならば、竪川に架かる一ノ橋を渡って深川に入るのだが、尾行してくる者たちをどこに誘い込んで斬るかを考えながら、竪川沿いの道を歩いていた。ひそやかに流れてくる殺気が、かれの首筋をちくちくと蕀《とげ》のように刺していた。  この二月から、すでに六人の浪人を斬っている。江戸に巣食う浪人たちの間に、人斬り弥介の名が昂《たか》まっていることは充分に察せられた。五年まえ住んだ深川での人斬りでさえ弥介の名を広めたのだから。  尾行してくる者たちは、弥介が斬った六人の浪人の誰かの仲間だろう。十日前に、千住《せんじゅ》宿で左近允兵馬を斬った。左近允は三十余人の仲間を持っていると聞いていた。その仲間が弥介を狙っても不思議ではないだろう。もちろん左近允と三人の浪人の死骸は百造一味が運び出した。千住宿を聞いて回れば、弥介の姿は浮かび上がってくるはずだ。それとも、百造の一味が浪人たちに告げたのかもしれない。  浪人たちを焚《た》きつけて弥介に挑ませれば、一度に何人かは始末がつく。弥介は、百造のやりそうなことだと嗤った。佩刀《はいとう》は白研《しらと》ぎにしてまだ一人しか斬っていない。まだ四、五人は斬れるだろう。その安堵感はあった。  浪人が何人なのかを知りたかった。数によって斬り方も異なってくるのだ。三、四人ならまともに斬って間に合う。それ以上となると、刀刃の部分を使い分けなければならない。鋒《きっさき》で三、四人を斬り、あとは刃の中ほどで斬ることになる。脂が乗って滑れば、思わぬ不覚をとることになるのだ。衣服は脂が乗っては斬れぬ。しかも袷《あわせ》である。斬れなければ刀刃を叩きつけても打撲だけに終わる。  背後の浪人は一定の距離をもって跟《つ》いてくる。三、四人か、と思った。心を空虚《うつろ》なものにした。  二ノ橋を素通りしたところで、弥介は足を止め、眉を顰めた。前方に人影が立ったのである。一人、二人、五人までを数えた。後ろを振りむくと四人いた。合わせて九人か、まだいるかもしれない。 「そう多くは斬れん」  斬れんと言ってはいられない。挑んでくる者は斬らねばならない。弥介は刀の鯉口を切り、抜いておいて二ノ橋までもどった。橋を背にして立つと、東側にいた五人のうち三人が、後ろへ走って三ノ橋を渡ろうとしている。包み込んで斬るつもりなのだろう。三ノ橋を渡って背後に回り込むには、かなりの距離があった。回り込むのを待つように、左右の浪人は、ゆっくり足を運んで間を縮めてくる。  挟まれては戦えない。前後左右に敵を迎えて斬り合うのは愚かなことである。いかに弥介の刀刃が倍速であっても、一度に斬りかかられれば防ぎようはなかった。弓を射かけられて矢を払う技がある。同時に三人の者に射かけられても、三本の矢を払い落とすことはできるが、四本の矢では無理だと言われている。斬り合いも同じことである。  弥介は、おのれの呼吸をととのえ、さっと踵《きびす》を旋《まわ》して、回り込む三人に向かって走った。同時に残った六人も走っていた。大勢を敵に回したときは走らねばならない。橋を渡って走った。回り込んだ三人が足を止めた。その中にとび込む勢いで馳けた。  三人が白刃を正眼に構えて待つ。弥介の勢いに一人が刀を振りあげた。振り下げる一瞬早くその腹を裂いて、向き直った。目の前の敵は二人である。一人が鋒を上げようとするのを待たず、右肩を一尺ほど斬り下げた。次の一人が、斬り込んでくるのを、一歩下がって空を斬らせ、刀刃を峰に返すと、前のめりになる頭を叩き割った。鈍いひしゃげるような音がして、浪人は撥《は》ねるようにとんで、そのまま倒れた。  弥介は、浪人の刀をもぎ取ろうとしたが、固く握りしめている。指を一本一本広げるだけの暇はなかった。六人が馳けて来ている。浪人の手首を斬り落として、それを投げた。先頭を走っていた浪人が目を剥《む》いた。浪人の走る勢いと、手首をつけた刀の重みで、浪人の胸を柄元《つかもと》まで貫いていた。それが倒れるのを見ないで、弥介は路地に走り込んだ。二つの路地を曲がったところで、塀に背中をぴたりと押しつけて、再び呼吸を整えた。  このあたりは、武家屋敷ばかりである。路地から走り出て来た浪人の首のあたりを薙いだ。首を失った胴が五、六歩も走って転がった。 「五人目だ」  残るは四人。その四人が路地から走り出て来た。当然息があがっている。刀を構えようとする浪人の左肩を心の臓のあたりまで斬り下げ、その刀を膂力で引き寄せながら、もう一人の腹のあたりを薙いだ。勢い余って、弥介は一歩泳いでいた。刃が浪人の背中から突き抜けていた。その浪人が倒れたとき、腰と胴を別にしていたのである。  要斬《ようざん》という。要は腰に通じ、腹を一刀両断することをいう。弥介もこれまでに敵の腹を深々と裂いたことはあるが、要斬したのははじめてだった。つい、腕に力が入りすぎたのだ。一刀で敵の命を絶つにしても、ここまで斬ることはなかったのだ。  残った浪人二人は、首が転がり、胴と腰が別々に横たわっているのを見て、目を剥き、息を呑んでいた。  人斬りといわれた弥介の凄《すさま》じい斬法を見て、二人の浪人は立ち竦《すく》み、呆気《あっけ》にとられたようにかれを見ていた。  弥介は、脂が乗って鈍く光る刀刃を下げて、照れたように笑っていた。 「一つしかない命だ、去れ」  弥介の言葉に浪人二人は釣られて頷き、気が抜けたように背を向けて歩き出し、十歩ほど歩いて、おのれの恐怖に気付いたように走り出していた。  そして待つまでもなく、百造一味と見える男たちが、戸板を運んでやって来た。予想は当たっていた。千住宿の左近允兵馬の仲間だったのだ。左近允が斬られたあと浪人の仲間に下手人《げしゅにん》が誰であるかを知らせた者がいる。それは百造一味より他にはないだろう。  弥介は深川に九沢半兵衛を尋ねるだけの気力は残していなかった。悄々《しょうしょう》と足を運んだ。全身に疲労を覚えていたのだ。七人目を要斬したときには、息も乱していなかった弥介だが、七人の命を奪ったという思いが、気を重くし、体を重くしていたのだ。 [#ここから7字下げ] 5 [#ここで字下げ終わり]  平永町の住まいにもどった弥介は、泉を寝間に誘い込んで、畳の上に引き倒していた。 「旦那さま」  と抗う泉を圧《おさ》えつけ、着物の据を捲《まく》りあげていた。そして、手を腿に当て、撫であげておいて、手をはざまに押し込んだ。 「汚れております」 「かまわん」 「なぜ、なぜ」  と身を揉む。 「いま、本所で浪人を斬って来た。気分の持っていき場がないのだ。やらせてくれ」  泉の体から力が抜けた。帯を解き、紐を解いて、肌をあらわにすると、両手で乳房を掴んだ。このぬくもりと柔らかさに救いを求めるかのように揉みしだき、乳首をしゃぶった。 「ああっ」  と泉が声をあげた。白い腿は膝で折れ立ち開かれた。その隙間に割り込んで、弥介は下帯を解いた。怒張した一物があらわになると、泉の手がそれを握った。そして尖端の丸くなめらかな部分を切れ込みに当てると、上下になぞり、そして深い淵に導いた。それが没入すると、泉は声をあげてしがみつき、嫋《しな》やかな体を反らせ、臀を浮かせて持ち上げた。 「旦那さま」 「すまん」  泉は首を左右に振った。弥介は腰を振り、抜き差しし、泉が体を攣《ふる》わせるのを待ってしたたかに放出していた。体を離して仰臥すると、泉は髪の乱れを直し、立った。そして湯桶《ゆおけ》にぬるま湯を運んでくると、手拭いを絞って、かれの股間を拭きはじめたのだ。 「すまんな、人を斬ったあとは、身の置きどころがなくなる。居ても立ってもいられない。それが、泉を抱くと治るのだ」 「旦那さまのお役に立てれば、泉はそれだけでうれしいのです」  と弥介の茂りをそよがせながら言い、拭ったあとの萎えたものを口に咥えるのだ。しばらくそれに舌を這わせ、しゃぶっておいて顔を離すと、微笑した。  ちょうど、そこに人の訪れる気配がした。立ってゆくと、そこに百造が立っていた。代わりの刀を持ち、上がり框《がまち》に白紙に包んだものを置いた。そして包みを開き、積んだ小判を崩した。五両あった。弥介の刀を受け取ると、 「ご苦労さまで」  百造は、会釈して去っていった。事前に知らせてもらいたい、と口にしようとしたが、止めた。七人の浪人を斬ってくれと言われれば気が重くなる。知らずに、その場になって斬るほうがいいのかもしれないと思ったからでもあった。  百造が持って来た刀は、抜いてみるまでもなく白研ぎにしてある。七人のうち一人は峰で頭蓋骨《ずがいこつ》を砕き、一人は浪人の刀を使った。五人を斬ったことになる。七人目は要斬にした。それだけ斬れたのだ。まだ一人や二人は斬れたかもしれない。 「旦那さま、お酒は」  泉は帯を締め直していた。目もとが紅《あか》い。 「あとでもらおう。湯にいってくる」  刀を差し雪駄をつっかけて外に出た。湯屋は同じ町内にあった。湯屋は空《す》いていた。二階に刀を置き、下着姿になって降り、風呂場に入る。三人の男が体を洗っていた。  柘榴口《ざくろぐち》をくぐって湯舟に浸り体を伸ばした。薄暗くて湯気がたち込めて、まるで乳色の霞《かすみ》の中にひたっているようだ。湯気を逃がさないために、柘榴口が床二尺あまりまで降りている。柘榴口の下から明かりがわずかに流れ込んでいる。  弥介は、湯の中で萎えた一物を摘《つま》んでみた。さきほどまで泉の舌で舐めまわされ、口に咥えられていた一物だ。女が男の一物を口に咥え口と舌で刺激する口取りという技があることは知っていた。知ってはいたが、女の口におのれの一物を咥えてくれたのは泉がはじめてだった。  はじめて泉に咥えられたときは驚きもした。男の一物は口にするものであったのかという思いがあった。舌さきで躍らされるのは望外の思いがあった。住まいにもどって泉を抱けば、また口に含んでくれよう。そう思うと勃え立って来た。  与志の面影がちらりと脳裡《のうり》を掠《かす》めた。与志は弥介が求めれば体は開くが、歓びもはしたないことと堪《こら》えるたぐいの女だった。息を殺して弥介が終わるのを待っていた。まだ武士の娘としてのつつしみを守っていたのだろう。  深川の女たちの中には口取りを得意とする者もいたが、そんな女を避けてさえいた。男の情欲は、ただ女の体の中に放出すればそれでいいと考えていた面もある。  ふと、おのれに還《かえ》った弥介は、七人の浪人を斬った焦燥が体から抜け落ちているのを知った。嘔吐したあとと同じような、胸の痞《つかえ》が降りていた。七人も斬ってこんなでいいのか、という思いさえあったのだ。  六人を斬るのに三ヵ月半かかり、そして七人をほんのわずかの時で斬ってしまった。斬らなければ斬られていた。そうじぶんに言い聞かせるしかない。  湯舟を出ると流し場に出て、ふやけた垢をこすり、糠袋《ぬかぶくろ》を使い、周りをうかがいながら、一物を洗った。泉の口に入るものである。きれいにしておきたかったのだ。  湯屋を出て住まいにもどると、すでに膳《ぜん》に燗《かん》のついた酒が出され、肴《さかな》もついていた。泉は、湯屋に行ってくる、と言って出て行った。かの女の目には艶《つや》が出ていた。  人の気分というものは、ほんのわずかのことで変わるものだ。泉を抱いただけで、あのどうしようもないほどの焦燥感が晴れてしまい、泉の深く暗かった目の色も明るさを増してきた。どうしてもっと早く泉を抱かなかったのかという悔みさえ出て来た。  いつになく酒が咽にしみる。 「すまぬ」  と誰にともなく詫びていた。七人の命を失った浪人にか、攫われたままの妻子にか。  下駄の音を聞いて、股間が勃えるのを覚えながら、この女を盾にとられたら、じぶんはどうなるだろうという不安が煮え立つような気がするのだ。  泉は、玄関を上がるとそのまま廊下を通って炊事場に行き、夕餉の用意をはじめる。弥介は酒を呑みながら、泉の後ろ姿を見ていた。細い体つきである。肩はなで肩で腰の張りも小さい。柳腰というのか、体と同じように腰も薄いのだ。 「泉」  と呼んでみた。はい、と応《こた》えただけで、炊事する手が忙しい。  もう何年もこうして共に暮らしている女のような気がする。泉がいとしい、そう思うじぶんに驚いてもいた。味噌汁《みそしる》の匂《にお》いがただよっている。  ——この女を失いたくない。  失いたくないと思うとき、すでに失うものを持ったことになる。この気持ちを惚《ほ》れたというのだろうか。このような気持ちになったのははじめてのような気がする。与志とのときには、このような感情はなかった。明日をも知れぬ日々を過ごしているから、このような気持ちになったのか。  弥介は盃を置いて立ち上がると、泉の背後に歩み寄って背中から抱きついた。そして衣服の上から乳房を掴んだ。泉はじっとして動かない。衿を押し開き、手をねじり込んで乳房を掴んだ。湯あがりのせいか、熱い乳房だった。肌は汗ばんだようにしっとりしていて、指がめり込みそうに柔らかだった。 「旦那さま、夕飯の仕度が」 「そんなものはよい」  うなじに唇を押しつけ、泉の手をたぐり寄せて、じぶんの股間に導いた。かれは下帯をつけていなかった。屹立したものに手を押しつけると、手は、そのまま握って来た。握らせておいて、泉の首をねじ向けると、口を吸った。  泉は体ごと弥介に向けると、片手で抱きついて来て呻いた。そして、そのまま体を沈ませたのである。床に膝をつき、手にしたものに唇を触れて来て、掬いあげるように舌を伸ばして、からめ取ったのである。  弥介はそれを望んではいた。だが、このような形で口にされるとは思ってもいなかった。泉はかれが下帯をしめていないのに気づき、かれが望んでいることを知ったのだろう。弥介はじぶんの一物を眺めていた。それに淡紅色の舌が這いまわっている。  脳が熱くなった。  泉が尖端を咥えると、かれは腰を突き出すようにした。するとかの女はそのまま根元まで呑み込んだのである。そして髷《まげ》を左右に振り、片手はふぐりを探っていた。  紅唇の間を一物が出入りし、その度に唇がめくれ返る。そして根元を手で支えると、尖端のつややかな部分を、まるで珠《たま》を磨きあげるかのように、舌を使った。 「泉」  名を呼ぶと、ちらりと目をあげ、頷いてみせた。 「もれる」  泉は再び頷き、中ほどまでを咥え、舌をからませはじめたのだ。泉が頷いたのは、出してよいということなのか、とためらい、女の体に放出するものを口中に出してよいものかどうかをためらいながらも、弥介はこらえきれなくなり、呻き声をあげ、腰を振って、したたかに迸らせていた。  一呼吸あって、それを咥えたまま泉は咽を鳴らしたのである。弥介は目を瞠《みは》った。精汁とは呑むものであったのかと。口の中で萎縮《いしゅく》していくものを、まるで清めるように舐めあげておいて、泉はそれを股間に隠し、褄を合わせて立ち上がった。  弥介の手が再び乳房に伸びようとするのを、泉は笑って軽く押しとどめ、背を向けた。  その夜、泉は夜具の中で鼻をならしながら、猫のように体をすり寄せて来た。そして弥介の寝巻きの衿を開くと、男の厚い胸に唇を押しつけ、小さな乳首をついばみはじめたのである。  むかし、男の乳首を求める女は、父親を恋しがっている、と聞いたことがある。泉もまた、死んだ父親を恋しがり、それを弥介に求めているのだろう。  弥介は折れそうな細い体を抱きしめた。泉は苦しそうに呻いて笑った。男の精汁は呑めるものかと聞くと、好きな男のものならばおいしいと答えた。かれは男と女の機微というものを知らない男だった。深川に十数年も住みながら、恋しいと思う女を持ったことがなかった。三十三歳になって、いとしいと思う女をはじめて知ったことになる。おのれの晩生《おくて》を嗤った。 [#改ページ] [#ここから3字下げ] 凌《りょう》  辱《じょく》 [#ここで字下げ終わり] [#ここから7字下げ] 1 [#ここで字下げ終わり]  小田丸弥介は、麻布《あざぶ》も渋谷村に近い長谷寺《ちょうこくじ》の境内に立っていた。このような遠くまで足を延ばしたのは、人|斬《き》り以外には用はない。寺の北側には田圃《たんぼ》を挟んで青山|大膳亮《だいぜんのすけ》の広い敷地がある。寺を囲むように流れている川を竜川《りゅうせん》といった。寺門の左右は門前町である。  季節は五月に入っていた。空は青く華やいだ気配が取り巻き、木々の葉も青々としていた。だが、人を斬らねばならぬ弥介の気分は華やいでいるわけはなかった。年を経た杉が三本、本堂のそばに立っている。山門を入って右手には夜叉神堂《やしゃじんどう》があり、腫物《はれもの》に効験があるとあって、ときおり参詣者《さんけいしゃ》が境内に姿を見せる。堂内には参詣者が奉納する夜叉面がうずたかく積まれていた。  弥介は境内を歩きまわりながら考えていた。三日前に斬りそこなった浪人のことである。まだ三十前の浪人にしては身形《みなり》がよかった。一閃《いっせん》して仕留めるつもりが足が滑って、浪人の手首だけを切断した。次の一閃の瞬間に、浪人が、母がおる、と叫んだ。かれの一閃は浪人の肩で、止まっていた。  老いた母がある。助けてくれ、と泣いた。嘘《うそ》か真《まこと》かは知らないが、母と言われて、弥介はその浪人が斬れなかった。刀の下げ緒を二つに切って、肘《ひじ》の上を縛って血止めをした。両手あっても生きにくい世の中なのに右手首を失って生きていけるかどうかは知らぬことだが、浪人はそのまま医師の所に走った。そのあと現われた百造《ひゃくぞう》一味には、助けてやれ、と言っておいた。  斬り捨てるべきだった。禍根を残すことになるのを知りながら、斬れなかったおのれの弱さをしきりに悔いていた。刀を抜けば斬らねばならない。父弥兵衛がそう教えた。これまでは必ず斬って釆た。それがなぜ斬れなかったのかを、じぶんに問うた。  母という言葉がかれの刃を中途で止めさせた。弥介は母を知らぬ。母の乳房をまさぐり、乳首を吸った憶《おぼ》えがない。母の記憶が全くないということはどういうことだろうと、しきりに考えたことがあった。弥兵衛は口をつぐんで答えなかった。死んだのか、生きているのかさえ。それを聞いたときの弥兵衛の顔は険しかった。病死したと言われれば、それですんだことかもしれないのに。あるいは母なる女は父を捨てて逃げたのかもしれない、と思ったりもしたのだ。若い男と逃げるような女だったのかもしれないし、男と逃げたために弥兵衛は母を斬ったのだ。そのために弥兵衛は弥介に母のことを聞かれれば、険しい顔をつくったのだろう。  その浪人が、父がおると言っておれば、斬り下げていたろう。母ではなぜ斬れなかったかをおのれに問うても答えは出ない。  人の気配に首を回してみて、本堂のむこうに黒い影の立つのを見た。お互いに姿を認めて、お互いに歩み寄り、五間の間をとって足を止めた。 「拙者は阿比古《あびこ》兵馬《ひょうま》、貴公が小田丸弥介どのか」 「左様」  五間の間をとって見て、阿比古兵馬の顔に鬼を見たと思った。双眸《そうぼう》の凶々《まがまが》しい炯《ひか》りも人のものとは思えなかった。顔の肉は削《そ》げ落ち、骸骨《がいこつ》に目、鼻、口をつけたような顔だった。どのようにしたら、これほど凄惨《せいさん》になれるのか。  阿比古は刀を抜いて正眼に構えた。その刃の鋒《きっさき》から炎を見るような思いがした。弥介が刀を抜きかけたとき、 「待て、待ってくれぬか」 「わしと斬り合うために来たのではないのか」 「そのために来た。だが貴公を見て気が変わった」 「何故《なぜ》に」 「人斬り弥介の名は聞いておる。もっと険しい風貌《ふうぼう》のご仁かと思うておった。貴公のそのおだやかな顔が羨《うらや》ましい」  阿比古兵馬は、じぶんの貌《かお》と同じようなものを弥介に期待していたのだろう。 「それで、このまま別れるのか」 「いや、斬り合いはあとにして、貴公と話してみたい」  阿比古は、じぶんの体にためた殺気を静かに放出し鎮めていた。 「よかろう」  阿比古は無造作に背を向けた。その背を隙《すき》だらけのものにした。たしかにこの阿比古兵馬を斬れば、百造が二両を運んでくるだろう。だが弥介としては、できることなら斬らずに済ませたかった。  かれは刀を鞘《さや》ごと抜いて右手に待った。害意がないことを示すためだろう。更にその刀の下げ緒を解いて肩にかついだのである。山門を出ると門前町の中にある蕎麦《そば》屋に入った。履物を脱いで奥座敷に通ると、そこにある卓の前に坐《すわ》った。坐ったとき、刀は膝《ひざ》の右に置いた。  四十すぎと見える女が運んで来たのは酒だった。その酒さえかれは毒見をしていた。 「おれは、ここ十年ほど人斬りを生業《なりわい》として来た。それでご覧の通りの顔になった」  そう言って、阿比古は淋《さび》し気《げ》に笑った。さきほどの狂気じみた目の炯りはやわらいでいたが、険しい面貌が変わるわけはなかった。 「野良犬さえも、おれを見ると尻尾《しっぽ》を巻いて逃げる」  笑うと頬《ほお》が引《ひ》き攣《つ》るのだ。  藩名はごかんべんいただく、とことわって手短に身上を語った。弥介はそれを黙って聞いていた。  些細《ささい》なことから同輩を斬って出奔した。つまり仇持《かたきも》ちである。十年前、江戸にたどりついて病んだ。病んで死にかけたところを、ある男に拾われ助かったという。そのとき死んでおるほうがよかったかもしれぬ、と呟《つぶや》くように言った。  その拾ってくれた男というのが、殺しを稼業とする者だった。金を貰《もら》って人を斬る。生きていくためには斬るしかなかった。また拾ってくれた男には恩義がある。忠義のためだけに人を殺したわけではないが、ものには馴《な》れというものがある。はじめのうちは、人を殺して痛みを覚えていたが、馴れてみると何の痛みも覚えずに人を殺せるようになる。 「十年の間に何人の命を奪ったと思われる」  弥介は応《こた》えなかった。 「数えて六十三人」  ぶっきらぼうに言った。 「気がついたらこのような面貌《めんぼう》になっておった」  一息つくと、阿比古は続けざまに盃《さかずき》五、六杯の酒を呑《の》んで、盃を置いた。 「いや、申しわけない。このような話をするつもりはなかった。愚痴でござる。聞き流していただきたい」  双眸はあくまでも暗い。犬も尻尾を巻いて逃げるというのも合点がいく。齢《よわい》四十に近いと見たが、年齢のわからない風貌である。 「人斬りと噂《うわさ》の高い貴公の顔は、さぞかし醜かろうと思うておったが、案に相違した。いや、気を悪くなさるな。立ち合っても貴公には及ぶまい。といって命が惜しくて貴公をここにお誘いしたのではない。貴公に斬られて果てようと未練はござらぬ。これ以上、生きながらえても、いいことはあるまい」 「齢《とし》を聞いてもよろしいか」 「三十一になった」  三十一かと弥介は呟いた。顔色はどす黒く灰褐色に見え、そのまま死相を映し、双眸ばかりが炯っている。 「ところで」  と阿比古は体を乗り出した。 「昨年の十一月、おれを救ってくれた男が、攫《さら》われた。その男の命が惜しければ、浪人を斬れというた。貴公もご存知の百造だ。男はおれたちの頭だった。頭が攫われては、殺しの請《う》け人がいない。仕事がなくては酒も呑めぬ。それで百造が言うがままに、浪人を斬って来た。六十三人のうちの二十一人は浪人であった。貴公を斬れと百造に言われたときには、斬れるつもりでいた。だが、対峙《たいじ》してみて遠く及ばぬことを知った。果てるのであれば、その前に貴公と話してみたいと思った」  口辺だけで笑った。目は笑うことを忘れてしまっているようだ。  饒舌《じょうぜつ》だった。この男がこれほど喋《しゃべ》るのは珍しいことのようだ。息もつがずに早口に喋る。死を悟った者はよく喋るのだろうか。 「小田丸どの、百造らを操っている者のことを考えてみたことがおありか」 「考えてみてもわからん」 「おれは三百人以上の百造が動いていると見ている」 「そのくらいはいよう」 「何か耳にしたことは」 「左様、一人の百造はや[#「や」に傍点]と言うた。いま一人は白と言うた」 「二十二、三年前に、白蛇|八右衛門《やえもん》という盗賊がいたことを聞いたことはござらぬか」 「白蛇八右衛門?」 「大盗賊で二百人の手下を持っていたという」 「白にや[#「や」に傍点]で白蛇八右衛門か」 「その白蛇八右衛門が、いま豪商になっているとすればどう思われる。生きておれば七十を過ぎていると聞いている」 「その白蛇八右衛門が、百造一味を操っていると」 「浪人を始末するには莫大《ばくだい》な金が要《い》る。商人ならばそれができる」 「百造らが、金で動いているとは思えんが」 「八右衛門の手下とその子供たちが百造一味と考えられないことはない」 「だが、その八右衛門が、なぜ浪人を始末せねばならん」 「それは少しおいて、日本橋|駿河町《するがちょう》に白木屋という絹物問屋がある。この白木屋の隠居が矢左衛門という。二十数年前に白蛇八右衛門の名をぷっつりと聞かなくなった、とある古老が話しておった」 「…………」 「この白蛇一味は、白と八を合い言葉にしておったという。佐渡金山の御用金を強奪したこともあるとか。公儀もこれを捕らえることはできなかったし、首領の八右衛門の素顔を見た者は誰《だれ》もいない。二十数年前に、白蛇一味が活動しなくなったというのは、八右衛門が死んだか、悪事を止《や》めて隠棲《いんせい》したかだ。この八右衛門は、改易になったさる大名の重臣であったという説もある。赤穂《あこう》の浅野の遺臣たちは……」  と言い、阿比古は口辺をゆがめた。公儀の大名改易の政策に反抗して、吉良《きら》上野介《こうずけのすけ》の首級《しるし》をあげてみせた。白蛇八右衛門は、倒幕を狙っていたという噂もあったという。倒幕はなし得なかったが、さまざまの形で公儀に反抗したのだと阿比古はいう。  七十年前の慶安四年、由比《ゆい》正雪《しょうせつ》が浪人を集め倒幕に立ち上がろうとして失敗した。だが、公儀の大名改易政策は衰えなかった。慶安四年はまだ三代|家光《いえみつ》の治世であった。四代の家綱《いえつな》は外様《とざま》大名十三家、譜代大名六家、合わせて十九家を廃絶にしているし、五代|綱吉《つなよし》は、外様・譜代合わせて四十五家を改易にしているのだ。それだけ浪人が不満と憤怒を宿して排出された。自蛇八右衛門がそれらの浪人を集め、公儀に反抗しても不思議ではない。もちろん公儀は八右衛門一味を盗賊と呼んだ。 「だが、阿比古さん、待ってくれ。そうだとすれば、白蛇八右衛門が、浪人を次々に始末しようとするのはおかしいではないか」 「そのことよ」  と阿比古兵馬は、口泡をとばした。 「八右衛門は耄碌《もうろく》したか、公儀の側についたか。八右衛門が白木屋矢左衛門であれば、おのれの店と身内を守るために、公儀の走狗《そうく》となってもおかしくはない」 「違うな」  と弥介は、一刀両断するような口調で言った。 「何が違う」 「百造らは、白蛇八右衛門の手下ではない。何者かはわからんが、やつらははじめから命を投げ出している。斬ろうとすれば何の抵抗もなく斬られる覚悟ができている。胆《きも》はすわってはいるが、武芸の心得は何一つない。ただ命を投げ出している。わしにはやつらが何者かわからんのだ。士《さむらい》の流れを汲《く》む者なら、少なくとも武芸のいくらかは身につけていよう。百造一味の頭が何者かはわからんが、その頭のために、一命で奉公しようとしている。わしはむしろそれが怖ろしい」  阿比古兵馬は頷《うなず》いた。 「おれは、百造の二人を斬った。声もあげずに死んでいきおった。その二人の死骸を他の百造が運んでいった。おれにはわからん」  やはり違うか、と呟いてかれは肩を落とした。得体の知れない者は怖ろしい。だから阿比古は百造の正体をさまざまに推測してみたのだろう。 [#ここから7字下げ] 2 [#ここで字下げ終わり]  弥介と阿比古は蕎麦屋を出た。 「小田丸どの、境内まで、おもどり願いたい。いや、ここでもけっこうだが」 「立ち合えと言うのか」 「左様、貴公と話して胸の痞《つかえ》も降りた」  と阿比古は、刀の鯉口《こいぐち》を切った。弥介はゆっくりと間を開いた。 「阿比古さん、あんたもわしも、いずれは誰かに討たれることになろう。死に急ぐことはない。わしはどこまで生きられるか、せいぜい頑張ってみようと思っている」 「おれを見逃してくれるのか」 「刀を抜いて対峙すれば、生き残るのはどちらかわからん、わしが勝つとは限らん。ただわしは、あんたとは太刀《たち》を合わせたくなくなっただけだ」 「恩に着る」  阿比古兵馬は、一礼して背を向けた。その後ろ姿には翳《かげ》りと同時に寂蓼《せきりょう》が貼《は》りついていた。とぼとぼと去る痩《や》せ犬に似ていた。  通りへ出た弥介は、赤坂御門に向かって歩き出した。内堀沿いに神田へ向かう。歩きながら、白蛇八右衛門という盗賊のことを思った。白とや[#「や」に傍点]が一味の合い言葉だったという。百造らが、白とや[#「や」に傍点]と言った言葉は、これと関りないのだろうか。阿比古兵馬が、白とや[#「や」に傍点]を白蛇八右衛門にこじつけたのは無理もない。あるいは阿比古の説は当たっているのかもしれないと思った。  白蛇八右衛門がいまも生きていて、その手下が、八右衛門のために命を投げ出すということはあり得ないことではないし、八右衛門はむかしは公儀に反抗したとしても、老いて考えが変わることだってあり得るのだ。  たしかに江戸では、群れ集まる浪人をもて余しているし、その対策に公儀も手をつくしかねている。手に職を持たぬ浪人たちは、飢えて不満の持っていき場がなく、商人にたかろうとしていた。生きていくためには食わねばならないし、食うために帯刀を脅しの道具に使うし傷つけ殺しもする。  武士は食わねど高楊枝《たかようじ》と澄ましていられるのにも限度があり、餓死するくらいならと、辻《つじ》斬り強盗武士の倣《なら》いにならって、弱い者をいじめ脅して金にする。飢えれば見栄も外聞もなくなるのだ。 「背に腹は代えられぬか」  と弥介は呟いた。  商人は食足りて肥えすぎている。三井|高利《たかとし》が日本橋に呉服店越後屋を出したのが四十七年前の延宝元年、更に十年後に三井高利は両替屋を開いた。天和《てんな》元年には住友友信が備中吉岡に銅山を開き、その子友芳は十年後、別子《べっし》銅山を開発した。  能のある商人は財をなす。三井、住友の他に、鴻池《こうのいけ》新右衛門、河村|瑞賢《ずいけん》、紀国屋文左衛門、奈良屋|茂左衛門《もざえもん》など大商人たちが輩出した。これらの商人の裏には数千、数万の浪人が飢えていたのである。  大商人から使用人四、五人の小商人まで、町にあふれる浪人は、五月蠅《さつきばえ》か藪蚊《やぶか》のように目ざわり耳ざわりだったことだろう。商人にとって、浪人は客にはなり得なかった。かれらにとって浪人は、刀という凶器を持つ浮浪人でしかなかった。  百造一味の背後にいるのは、これらの大商人の誰かか? 違う、違うなと弥介は思う。かれらが手を汚すわけはない。浪人の始末を公儀に知られれば、たちまち潰《つぶ》され財を巻き上げられてしまう。金は出しても手は出すまい。あるいは金も出さないかもしれない。金持ちほど吝嗇《けち》だというし、自己防衛本能はきわだって強い。  さまざま考えて歩きながら、弥介は首を振った。じぶんなどにわかることではない、と思っているし、たとえわかったとしても、どうにかできるものではない。  住まいにもどると、蒼褪《あおざ》めた泉《せん》がとび出して来て、弥介を見つめ、抱きついて来た。弥介が浪人を斬ったのであれば、かれが帰る前に百造が金を届けにくる。百造が姿を見せないことに、泉は怯《おび》えていたのだ。人斬り弥介が斬死《きりじに》することはないと思う反面、万一を考え泉の胸は慄《おのの》くのだろう。 「旦那さま」  としがみついて顫《ふる》える泉の背中を撫《な》でていた。弥介は、阿比古兵馬を斬らずにすんだことに頭の隅で安堵《あんど》していた。人斬りが商売ではない。斬らずにすめば文句はないのだ。加えて金に不自由しているわけでもなかった。  泉の顔を頤《おとがい》に手を当てて仰向かせると口を吸い舌をからめた。泉の舌が夢中で躍る。薄いがよく動く舌だった。  三日後、弥介は九沢半兵衛に会いたくなって住まいを出た。百造が現われないからといって家にじっと寝転んでいるわけにもいかない。それに天気もよかった。五月晴れというのか、さわやかに晴れ渡り、数片の雲が綿に似て浮いていた。  九沢半兵衛とは、二月の初午《はつうま》の日以来会っていない。半兵衛がいなければ左柄《さがら》次郎左衛門でもよかった。朋友《ほうゆう》である。ときには会って酒でも酌み交わしたかった。  弥介は、両国広小路に出た。天気がいいとあって、広小路には人があふれていた。川べりには、見世物小屋が客を集めている。 「ご浪士」  と声をかけられ、じぶんのことかと、周りに首を回した。並んだ掛け茶屋の一軒の床几《しょうぎ》に白髪《しらが》頭の老爺が茶を飲んでいた。七十歳ほどだろうか、身形《みなり》は百姓の隠居風であるが、皺《しわ》だらけの顔の中に小さな二つの目だけが炯《ひか》っていた。その炯る目が弥介を見ていた。小柄な体の細い老爺《ろうや》で、手に五尺ばかりの杖《つえ》を持っていた。弥介は、その老爺に阿比古兵馬が言った白蛇八右衛門と白木屋矢左衛門を思い出していた。 「ご老人、わしに何かご用か」  そばに立つと、老人は坐ったまま弥介を仰ぎ見た。 「まあ、お坐り」  並んだ床几に緋毛氈《ひもうせん》が掛けてあるのは、どこの茶屋も同じだ。緋毛氈の上に小さな座布団が置いてある。どうにか尻が乗るほどの大きさである。急いで半兵衛に会わねばならないということではなかった。  弥介がその小さな座布団に尻を据える気になったのは、老爺の鋭い目つきが気になったからでもある。ただの百姓爺ではなかった。手にした五尺の杖が、風を裂いて唸《うな》りそうな気もした。  老爺は、女を呼んで弥介のために茶を運ばせた。 「わしは宗右衛門という。隠居の身じゃ、住まいは押上《おしあげ》村にある。法性寺という寺をご存知かな。江戸の者がいう妙見さまじゃ、その裏手にわしの住まいがある」 「それで、何かご用か」 「わしは八卦《はっけ》をやるわけではないが、あんたの顔には死相が出ておる」 「死相か」  弥介は嗤《わら》った。 「それで、気になって声をかけた」 「だが、わしはまだ死ぬわけにはいかん」  死相と聞いて、まず頭に浮かんだのは泉の顔だった。 「人は死ねば、すべて救われる。煩悩は生きているからある」 「わしはまだ死ぬわけにはいかん」 「押上村に尋ねて来なされ、小田丸弥介さん」 「なに、どうしてわしの名を」  老爺は歯のない口で笑った。歯がないために口の中が洞《ほら》のように見えた。 「それも、お尋ねのときに、話そう」  もう行きなされ、というように老爺は、笑って頷いていた。 [#ここから7字下げ] 3 [#ここで字下げ終わり]  死相とは、一体何だろうかと考えながら両国橋を渡りはじめた。死相といえば阿比古兵馬は死人そのもののような顔をしていた。無惨な貌だった。弥介も十三人の浪人を斬っている。死相が顔に出ても当たり前かもしれない。  そばを歩いていた野良犬が、足を止めて弥介の顔を見上げ、哀《かな》しげな目をした。憐《あわ》れんでいるような目に見えた。そして首をうなだれて、歩き去ったのである。犬にも人の死相がわかるのかと思い、苦笑が出た。  橋を渡って、竪川《たてかわ》のほうへ歩きかけたとき、 「弥介」  と声をかけられ振りむくと、そこに九沢半兵衛が立っていた。 「おう、半兵衛」  半兵衛の体には一面、蕀《とげ》が立っているように見えた。ささくれ立った肌をしていた。先日会ったときよりも窶《やつ》れがひどい。 「どこへ行く」 「おまえに会って、酒でも呑みたいと思ってな、また窶れたな」 「夜が眠れん、眠れんことに腹が立つ」  半兵衛は剛胆な男だった。その男がいまは目に怯えがある。 「また、狙われているのか」 「そのようだ」 「なにも江戸にいることはあるまい。旅に出ればよいではないか」 「次郎左は、江戸を捨てた」 「次郎左衛門は、斬られたのではないのか」 「いや、おれが板橋宿まで送った。あいつは犬死することを怖れていた」 「一度、会いたかったな。おまえも一緒に行けばよかったではないか。深川にそれほど未練もあるまい」 「未練はないが矜持《きょうじ》がある。矜持というのは始末に悪い。深川を逃げ出すことに後ろめたさがある」  半兵衛は薄く笑った。消耗が激しいらしく足をよろめかせた。 「その辺で酒でもどうだ」 「うん」  と頷いたのを見て、先に歩き出そうと背を向けたとき、弥介は凄《すさま》じい殺気を浴び、体を震わせた。予期しない殺気だった。 「半兵衛!」  と叫んで振りむいたとき、半兵衛は刀を抜いていた。上段から刀刃が襲いかかってくる。咄嗟《とっさ》のことで体が動かない。体をのけ反らせても刃は躱《かわ》せない。  弥介は逆に体を寄せて、半兵衛の体を押していた。だが、半兵衛は踏みとどまって、一閃した。左肩に刃を受けた。次の一閃が腹を狙って水平に疾《はし》る。弥介はそれを腰の佩刀《はいとう》で受けるために腰をひねっていた。帯が横に裂かれたようだ。 「半兵衛、何のつもりだ」  と叫んで刀を抜いたときには、半兵衛は五間ほども離れていた。痛みを覚える前に左腕が動かないのに気付き、体が傾《かし》いだ。  二太刀を浴びたのは、ほんの一瞬だった。朋友として気を許しきっていたのだ。倍速の刀刃と敏捷《びんしょう》さを持っていても、気を許していただけに躱せなかった。 「わけがわからん」  呟いた。朋友が何故に斬りつけたのか。肩から滴るおのれの血を見た。足の力が抜け、よろめき膝をつき、また立ち上がった。  弥次馬が囲んだ。  すでに半兵衛の姿は消えていた。狂ったとしか思えない半兵衛のやり方だった。半兵衛の体の蕀と思ったのは殺気だったのか、見知らぬ浪人ならば気を配っていた。百造に弥介を斬れ、と命じられたのか。だが半兵衛には弥介のような失うものはなかったはずである。なぜ、むかしの朋輩を斬らなければならなかったのかがわからない。  老爺の言った死相とは、このことだったのか、と思い至った。 「泉!」  と小さく叫んで、両国橋をもどりはじめた。平永町の住まいまではたどりつけまい。それでも、泉の体をいま一度抱きしめ、口を吸いたいと思った。  死に向かう慄きも、痛みも覚えなかった。帯の間からも血がにじみ出ていた。死は十三人の浪人を斬った報いとして受けよう。不思議に与志《よし》と志津の姿は遠くにしかなかった。泉が恋しかった。  人斬り弥介もあっけない最期か、と嗤った。取り囲む弥次馬の姿は見えない。滴る血を引きずるようにして歩く。平永町は遠い。橋の中ほどまで来て、膝の力が抜けた。膝を折り、抜いた刀を杖にして立とうとしたが、ついに立てず、そのまま前のめりに倒れた。  全身が輝きはじめたような気がし、このまま仏になるのだと思った。両腕で体を支え立とうとしたが、左腕がきかず、右腕だけの力では支えきれず、反動でごろりと仰向けになった。こうなってはもう起き上がれない。これで終わりか、と自嘲《じちょう》した。  青い空が目にまぶしい。 「泉」  といま一度呼んでいた。世話になった。おまえとはもう少し早く知り合いたかったと思った。いまとなっては詮《せん》ないことだ。  周りを弥次馬が取り囲んで、かれの顔を覗《のぞ》き込んでいる。その弥次馬が一カ所二つに割れて、そこから三人の男が入って来た。男たちは戸板を運んで来ていた。弥介の体はかかえ上げられ、その戸板に乗せられた。百造一味だった。  戸板が持ち上げられた。どこかに運ばれるらしい。アッ、と弥介は思った。運ばれて、死人|溜《だめ》に投げ込まれるのだ。この男たちは、弥介が斬った浪人を運んだ。どこに運ぶのかは知らないが、死骸を投げ込む深い穴があるのに違いない。 「わしは、わしはまだ生きておる」  叫んだが声はかすれていた。急に慄きを覚えた。かれが斬った浪人たちが穴の底で待っている。 「まだ、生きているぞ」  叫んでも、男たちは何の反応も見せない。黙々と運んでいく。生きたまま、穴に放り込まれるのか、もっとも、穴に投げ込まれるときには、すでに生きてはいまい。  戸板から転げ落ちるだけの力は残っていなかった。なぜか胸の奥が空《むな》しいのだ。ぽっかり穴があいたような気になっていた。  頭に走馬燈のように浮かんだのは、やはり泉の悲しげな顔だった。 「旦那さま」  と泉の声を聞いたような気がして、目を開いたが何も見えない。泉の口にいま一度、一物を含ませたい、そう思いながら、意識が混濁していくのを覚えた。 [#ここから7字下げ] 4 [#ここで字下げ終わり]  灰汁《あく》を一面に流したような荒涼とした風景の中に、弥介は立っていた。周りは岩と砂利だけで草木一本ない景色である。すでに冥府《めいふ》か、と思い川を目で探した。川があればそれは三途《さんず》の川である。  右手には抜いたままの刀を下げていた。背後に、 「旦那さま」  と泉の呼ぶ声を聞いたような気がして振りむいたが、ただ灰色の岩場があるだけだった。視界に、むくむくと動くものを見た。岩と見えたのは人だったのだ。十数人の人が起き上がった。浪人たちである。その顔には一つ一つ見覚えがあった。弥介が斬った浪人どもだった。肩や胴を裂かれた者、首を刎《は》ねられた者、胴と腰を両断された者。その者たちは、裂かれた肩や腹を合わせ、胴はつなぎ、首は肩の上に載せられていた。  ——やはり、成仏できずに、わしを待っていたのか。  納得するものがあった。  冥府に来てまでも斬り合わねばならないのか。浪人どもはそれぞれに刀を下げていた。十三人は弥介を囲んだ。幽鬼の目をして、じりじりと迫ってくる。  弥介は足を摺《す》って、平坦《へいたん》な場所へ移った。そこは河原のようだった。小石がごろごろしている。囲まれては斬り合えぬ。どちらか一方を斬り破らなければならない。冥府でさえ斬り合わねばならないおのれを嗤った。  ——これがわしの宿命だったのか。  弥介は、一方に向かって走った。走りながら斬った。何の手ごたえもない。だが斬らねばならない。斬っても斬っても十三人は減りはしないのだ。倒れた者は、またむっくり起き上がる。  死んでもまだ弥介はおのれの身を守ろうとしている。斬っても血が流れることはない。浪人どもはすでに体の血を失っているはずだから。  一時《いっとき》も二時《ふたとき》も斬り合っているような気がした。息があがっている。それでも浪人は次から次へと斬り込んでくるのだ。これではきりがない。冥府には時刻というものはない。このまま何十年も何百年も斬り合わなければならないのか。  川が見えていた。三途の川だろう。その川を渡ってしまえば、斬り合わなくてもよくなるような気がした。水の中に入った。早く渡ってしまったほうがましだと思った。 「旦那さま」  泉の叫びに振りむいた。とたんに左肩を裂かれ、いま一人の浪人が薙《な》ぐ刀に腹を裂かれ、同時に激痛を覚えていた。死んだものが痛みを覚えるはずはないのだ。痛みに唸った。肩と腹の痛みが全身を痺《しび》れさせる。 「旦那さま」  耳もとで、はっきり泉の声を聞いた。目が醒《さ》めたのだ。目の前に大写しになった泉の顔があった。その背後に白衣の男が立っていた。 「泉か」 「旦那さま」  泉は涙で顔を濡《ぬ》らしていた。 「ここは、どこだ」 「お医者の家です」  後ろに立っている男が医者であろう。その男の顔が泉と換わった。 「強いお方じゃ。ここに運ばれて来たときは駄目だと思った。傷が膿《う》みさえしなければ、危険はない。このご婦人が三日間も寝ずに看病された。礼を言いなさるがよい」  医者はそれだけ言って去っていった。  百造一味は、戸板でこの医者の家にかつぎ込んだのである。そのあとで泉を呼びに行ったのだという。 「旦那さま、よかった」  と泉は額に唇を押し当て、その舌でかれの乾いた唇を舐《な》めた。全治するまでに二十日かかるという。  あのまま両国橋の上に放り出されていたら、確実に死んでいたろう。死ななかったのは運かもしれない。だが生きもどったために、また浪人を斬らなければならなくなる。百造一味が弥介を墓穴にではなく、医者に運んだのは、まだまだ浪人を斬らせなければと考えたからに違いない。  弥介は熱を発した。縫われた傷口が疼《うず》く。熱に魘《うな》され、魘夢《えんむ》に枯野を走り回った。四日目に熱が引いた。半兵衛に斬られてから七日目である。  医師は井上|松元《しょうげん》と言った。百造から金を与えられているらしく、あつかいは丁重だった。松元が現われて傷口のくすりを換える。五十近い鬚《ひげ》を生やした男だった。 「小田丸さん、あなたは厚い筋肉を持っておられる。それがあなたを救った」  半兵衛の薙いだ一閃は、刀の鞘《さや》を削ったために肉を裂いただけで腸《はらわた》には達していなかったし、帯が切れなかったので血止めの役目を果たした。肩は肉を裂かれて骨で止まっていたと松元は説明した。  もっとも半兵衛の技は、相手の肉を裂くものではなく、首筋の血脈を狙うものである。一閃で斬り損じたと思った半兵衛は、あわてて腹を裂こうとした。弥介が腰をひねらなければ、存分に裂かれていたのに違いない。  半兵衛に気を許したのが不覚だった。だが、半兵衛や次郎左衛門くらいは、むかしの朋友として信じたかったのだ。 「何故《なにゆえ》に」  百造が命じたはずはない。失うものを持たない半兵衛には、百造に命令される何もないのだ。半兵衛も次郎左衛門も、挑まれて斬っていた。  眠れぬ、と言っていた。眠れぬために狂ったのかとも考えていたが合点がいかない。それとも、百造以外の誰かに頼まれたのか。  下肢のひんやりとした感じに、目を醒ますと、泉が手拭《てぬぐ》いで股間《こかん》を拭っていた。一物を摘《つま》んでふぐりを拭っている。指に挟まれた一物は勃《そび》えていた。その一物にぬるとした舌がまつわりついてくる。弥介はそれを黙って見ていた。口には含まないで、舌を這《は》わせているだけである。  弥介が腰をゆすると、泉は驚いて顔をもたげ、目が合うと、目元を染めて、 「いけません」  と言った。松元にまだとめられているのだと言って、目で笑った。  十日目に肩の糸が抜かれた。だが左腕はまだ動かせない。腹の糸はまだ抜けないという。起きて飯は食える。  十五日目に床上げして、平永町の住まいにもどった。だが気分はすぐれず、やはり五日ほどを寝ていた。松元が言った通り二十日かかったことになる。  ふと気がついてみると、以前の泉の目つきと面の暗さは消え失せていたのである。弥介を必死に看病することによって、七人の仲間を毒殺したことから抜け出られたのかもしれない。  弥介は泉を抱いて、乳房を揉《も》みしだいていた。白く柔らかい乳房だ。乳首が鮮紅色に色づき勃え立っている。それを指の股《また》に挟んでいた。 「旦那さまがお亡くなりになれば、わたしも死ぬつもりでした」 「そう思ってくれるのはうれしいが、そんなことはいかん」  と言いながら弥介は、この女は死ぬだろうと思った。少なくとも双親《ふたおや》を失ってからは、弥介と住んではじめて安らかな気持ちでいられるのであろうから。  泉はかれの乳首を舌でついばみながら、股間の一物をしっかりと握っていた。そして、体を起こすと、そのまま顔を埋め、根元まで口に頬張り、味わうようにゆっくりと頭を振りはじめたのである。 [#ここから7字下げ] 5 [#ここで字下げ終わり]  百造が姿を見せ、いつものように上がり框《がまち》に腰をおろした。仕事ではなく様子を見に来たのだ。 「旦那、よろしゅうございました」 「礼は言わん」 「心得ております」 「百造、おまえが九沢半兵衛にわしを斬れと命じたのではあるまいな」 「お仲間を合わせるようなことはございません、わたしどもの得になりませんので」 「得にならぬと」 「へい、得になりません」 「おまえらは、損得のために浪人を斬らせているのか」 「…………」  答えない。損になると思ったら、黙してしまうのだ。 「百造、九沢半兵衛の行方《ゆくえ》を探してくれ、遠くへは行っていないはずだ」 「そのようにいたしましょう。五日もあればわかるはずでございます」  半兵衛はもう深川にはいまい、が江戸を離れるわけはなかった。江戸を捨てるのであれば、すでに捨てていたはず。半兵衛は弥介にとどめを刺せなかった。弥介が死んだとは思っていない。あるいは治療を終えていることを知ってもいよう。斬り損じたと思っていれば、風をくらって深川を逃げ、どこかに潜んでいることだろう。  弥介は半兵衛を探し出して斬る。斬る前になぜ斬りつけたかを問わねばならない。朋友を裏切るには、それなりの理由《わけ》が必要なのだ。  百造が帰っていったあと、弥介は庭へおりると、刀を抜いて素振りをはじめた。バサッ、バサッ、と風を裂く音がする。左肩は以前と同じほどに動くようになってはいたが、刀刃を振り上げるとき、振り下ろすとき丹田《たんでん》に力が入る、と裂かれた傷痕《きずあと》がぱっくり口を開かぬかと気になるのだ。  肌を拭い着換えると、歩いてくる、と言って外に出た。二十日間は歩かなかった。歩いて体調を知りたくもあった。  神田川沿いに柳原土堤を歩き、昌平橋《しょうへいばし》を渡った。何となく歩いていると下谷《したや》車坂町に出た。不忍池《しのばずのいけ》の南側にある。通りがかりに剣術道場があるのを見た。  看板には、神道無念流鴨志田道場とある。道場の前を通りすぎて、木太刀の打ち合う音と掛け声を耳にした。門弟たちが稽古《けいこ》をしているのだろう。 「道場剣法は何の役にも立たぬ」  と言った父弥兵衛の言葉を思い出し、じぶんの腕がどれほど通用するものかを試してみる気になり、踵《きびす》を返して門をくぐった。  玄関に立って案内を乞《こ》うと、門弟らしい男が出て来た。 「こちらの先生に一手ご指南いただきたい」 「ご姓名は」  と言われ、ぐっとつまり、咄嗟に、 「左柄半兵衛と申す」  九沢半兵衛と左柄次郎左衛門の名を借りた。左柄は、相良《さがら》でもよかった。 「しばらく、お待ち下さい」  と言って門弟が奥に消え、かなり待たされ、再び門弟が現われ、道場にまねき入れた。  最近は公儀奨励とあって、雨後の筍《たけのこ》のように、江戸の街には剣術道場が建っていたが、この道場はかなり古い。  広い道場だった。二人の剣士が門弟に稽古をつけている。木刀が打ち合い、気合いが鋭い。道場の左右には門弟が稽古着姿でひかえていて、弥介はその末席に坐らされた。  半時ほども稽古を見せられ、無視されたかのように思えた。門弟は旗本、御家人の倅《せがれ》たちか、あるいは江戸詰めの藩士たちだろう。稽古が終わって、浪士、と呼ばれ、前に出ると、木刀を貸し与えられた。  師範代と見える大男が仁王立ちになり、 「貴公の流派は」  と聞いた。刀をあつかうには流派がなければならないという考え方のようだ。 「左柄一刀流」  と言った。 「さがら一刀流とは、あまり聞かんな」 「田舎剣法にござれば」 「けっこう、まず、門弟の者とお立ち合いいただく」 「よしなに」  門弟の中から名を呼ばれた者が立った。 「勝負がついたと見たときは、声をかける。そこで引いていただきたい」  木刀も当たれば怪我《けが》をする。もっとも弥介の膂力《りょりょく》では悶絶《もんぜつ》しよう。頭を打たれれば即死する。手首を打てば骨が折れる。  二十歳前後と見える若者が木刀を把《と》って正眼に構えたとき、弥介は困ったと思った。若者を怪我させたくはなかった。  弥介は木刀を右手に下げて立ち、、思い直して正眼に構えた。剣法はすべて申し合わせたように構えを正眼にとる。それが自然体の一つだからだろう。  隙ありと見て、若者が一歩踏み込み、木刀を振り上げた。弥介の目には、若者のどこでも斬れた。胴は隙だらけであるが、腹を打てば臓腑《ぞうふ》をいためることになる。  気合いを発して木刀を振り下ろしてくるのを弥介は撥《は》ね上げていた。若者の手から木刀が離れ、床に激しい音をたてた。打つとすれば木刀しかなかったのである。  五人の門弟はことごとく木刀を払われた。そのうちの二本が折れていた。弥介は立ったまま一歩も動かない。六人目は木刀を奪われて、組もう、と両手を拡げたが、師範代が止めた。  木刀とはもともと打つものである。刀の斬る目的とは違っていた。たしかに刀刃は触れれば斬れる。打っただけでは斬れぬ。斬り裂くためには、相手の体に当てた刀刃を押すか引くかしなければならない。  真剣で立ち合うときには、相手は着物を着ている。叩《たた》きつけただけではいかに膂力があっても斬れるわけはない。  父弥兵衛の言ったことがわかるような気がした。  剣法には形と技がある。その形と技が通用するのは、刀刃の速度が同じ場合のときだけだ。一方の刀刃が二倍|迅《はや》ければ、形も技も通用しないのだ。  六人目が退いたところで、道場は静まった。門弟の一人が師を呼びに行った。鴨志田無玄斎、初老の骨太の男だった。  無玄斎が正面に座し、師範代が弥介の前に立った。 「おれが相手になる」  師範代が木刀を正眼に構え、足を摺った。軽い足さばきである。弥介と同年輩だろう。膂力はありそうだ。  弥介は、木刀を八双に構え、一振りしてみせた。風が唸った。そのまま地摺り下段にとった。打つわけにはいかない。骨が砕ける。弥介は相手の木刀を払うつもりでいた。師範代にとって相手は浪人である。骨の一本も叩き砕く気迫である。  たしかに他の門弟たちとは違っていたが、弥介には同じことである。間を測って気合いを発した。木刀が鳴った。二人はその位置を異にしていた。  師範代は、はっとなっておのれの木刀の鋒《きっさき》を見た。鋒三寸が折れとんでいた。同時に手に痺れを覚えていた。 「参った」  低く言って木刀を引いたのである。おのれの負けを認めたのである。無玄斎はそのまま立って奥へ引っ込んでしまった。あるいは弥介の技倆《ぎりょう》を見抜いたのかもしれない。  門弟の一人が歩み寄って来て、 「左柄どの、師が奥で茶などさし上げたいと申しておられる」  頷くと、門弟が道場の裏にある住まいに案内した。廊下を渡っていくと、奥の居間と見える座敷に鴨志田無玄斎は座していた。 「まあ、こちらへ」  と無玄斎は座布団をすすめた。弥介は座布団をわきに置き端座した。この男、道場主としての技と力量は充分に備えているようだ。それだけの人物もできている。その点では、弥介にとっても先輩である。礼は尽くさねばならない。 「左柄半兵衛どの、と申されたか」 「はい」 「わしが十年若ければ、あなたと立ち合いたかった。いまは及ばぬ」 「そのようなことは」 「門弟を傷つけぬ配慮、礼をいう」  やはり、この男、見抜いていたのだ。 「又七郎は、両腕を失っていた」  師範代の名だろう。 「道場破りかな」 「いや、それほど不自由はしておりません。ただ、気まぐれに」 「左柄一刀流とか」 「いえ、わたしには流派はありません」 「どこで学ばれた」 「父に教えられました」 「ご尊父の名は、いや、せんさくにすぎるようだ。ただあなたの剣は重くて暗い。殺気が強すぎる」 「斬るための刀法でござる」 「なるほど、そう言われてみればわかるような気もする」  無玄斎は番茶を濃い目にいれて出した。剣術と刀法では、もとが異なる。弥介は、剣術は身を守るための技と心得ていた。抜いたからには必ず斬殺する刀法とは、目的からして違っていた。  剣術は、形と技があるから門弟に教えられるが、刀法は他人に教えるものではなく、じぶんで身につけるものである。弥介がこの無玄斎をしのいだとしても道場は持てないのだ。弥介は父に教えられたと言った。だが、手をとって教わったのではない。おのれの鍛練法を教えられただけである。  茶碗を伏せて、糸切りに果実を載せて斬る。糸を吊《つ》るして斬る。それを課せられただけで、父弥兵衛とは一度も対峙したことはなかったのである。 「いま江戸に、人斬り弥介という者がおることは耳にしている。わけもなく浪人を斬殺しておるという」  弥介は嗤った。 「左様か」  と無玄斎は納得したようだった。 「人を斬るにはそれだけの理由《わけ》がござる」  無玄斎は眉《まゆ》をひそめ、呟くように、惜しい、と一言口にした。 [#ここから7字下げ] 6 [#ここで字下げ終わり]  九沢半兵衛は、弥介の斬り方を無惨だと言ったことがある。半兵衛は相手の首筋を狙い削ぐように斬る。血を噴出させ、体から血がなくなるのを待つのだ。あるいは腹を裂き、手首を斬って、相手の体から力が失せるのを待つのだ。  首根を削られ血を噴きながら暴れ回るのに、半兵衛は逃げ回るのだ。それが優しい斬り方なのか。  腕のいい猟師は一発で猪《いのしし》を仕留める。それは手負いの猪《しし》の怖ろしさを知っているからでもあるが、一発で死なせてやるのが猟師の猪に対する思いやりであるのだ。どうせ殺さなければならない相手なら、一太刀で絶命させてやるのが、刀を使う者の思いやりではなかろうか、と弥介は考えている。  その斬り方が無惨というのは当たらない。斬り損じないようにと、常に思っている。斬り損じては、相手の苦痛をふやすことになるのだ。腸《はらわた》を裂かれると三日のたうち回って死ぬという。どうせ斬らねばならないのなら、苦痛は除いてやりたい。そのために深く斬る。そのために首を刎ね、要斬することになる。  弥介は、膳《ぜん》を引き寄せて酒を呑んでいた。肴《さかな》は冷や豆腐だった。泉は風呂に行っている。 「遅いな」  と呟いて盃を置いた。  体のどこかに不安が生まれた。だが、その不安をねじ伏せた。失うものを持った者の不安はいつも浮いたり沈んだりするものだ。泉の風呂からの帰りが、いくらか遅いように思われたのだ。  弥介は首を振って不安を追い払うと、半兵衛に斬られる少し前、奇妙な老人に会ったことを思い出していた。押上村の宗右衛門と言っていた。死相があると、弥介の顔を見て言った。死相はあったのだろう。それが運よく助かった。住まいは押上村の妙見さまの裏手だと言っていた。明日にでも会いに行こうかと思った。老人が白蛇八右衛門かもしれない。もっとも白蛇とは関りのない老人かもしれないが、弥介の名を知っていた。たずねて来いと言ったのは、何か話があるのだろう。ただの老人ではない。あの目の煌りは、ただ者ではなかった。手下二百人を持っていたという大盗賊の首領《かしら》にふさわしい目つきと言えた。  だが、その老人が百造一味を使って浪人を始末させているとは思えない。あるいはむかし名のある士《さむらい》ではなかったのかとも考えた。 「遅い」  と小さく言って座を立ち、玄関を覗いた。風呂帰りに買い物でもしているのか。それとも誰かと立ち話をしているのか。表へ出て道の左右を見たが、泉の姿はない。  不安は少しずつ膨らみを増していく。部屋にもどって、膳の前に坐ったが落ちつかない。とたんに酒の味もわからなくなった。時刻が経つと共に、不安に怯えがからみついて膨らんでいく。泉の身に何か起こったのか。  半時を過ぎて、泉の身に何か起こったのは確かなことのように思えて来た。立って家の中を歩きまわる。雪駄《せった》をつっかけると、湯屋まで走った。そして番台の男に聞いた。湯屋の者はたいていの客の名は知っている。泉はかなり前に出たという。  湯帰りに泉がどこかに回るわけはなかった。弥介が待っているのだ。とんで帰るはずである。帰らないということは、泉が帰れない状態にあることを物語っていた。  住まいにもどったが、もちろん泉の姿はなかった。 「おのれ」  咽《のど》の奥で唸った。一緒に風呂に行けばよかったのか。泉は身寄りのない女だった。黙ってついていくような親しい者はいない。百造一味が攫ったわけではないだろう。いまさら百造が泉をとりもどそうとするわけはない。自分に浪人を斬らせるために泉をあてがったのだから。もちろん百造の居所を知っていれば走って行きたかった。  二度も同じ思いをするとは、運のない男である。与志と志津が攫われたときには、志津が可愛《かわい》くてせつなかった。だがそのときには心のどこかに救いがあった。  だが、今回はなぜか最悪の状態を思わずにはいられないのだ。  表に人の気配がして、弥介は走り出ていた。玄関の格子戸を開けると、そこに浪人が一人立っていた。賤相の背の高い三十五、六と見える浪人だった。口辺がいかにも酷薄そうだ。 「小田丸弥介か」  と割れた声で言った。 「そうだ」 「あんたの女を預かっている」 「なんだと」  弥介の目の色が変わった。やはりという思いがあった。予期し怖れていたことである。 「それで、泉はどこにいる」  浪人は黄色い歯を剥《む》いて笑った。 「いき、生きているのだろうな」 「生きているよ」  いやしく笑った。 「どこだ」 「これからおれが案内してやる」  こいつらに捕らえられたのでは、泉はただではすむまい。脳裡《のうり》に凌辱《りょうじょく》されている泉の姿が浮かんだ。  弥介は、雪駄をつっかけて浪人のあとを追った。 「無事でいような」 「無事だ」  浪人は、くくっと笑った。その浪人の背に弥介は貯《た》めた殺気を迸《ほとばし》らせた。とたんに浪人は全身ががたがたと顫《ふる》え、剥いた目で振りむいた。浪人の顔からふてぶてしさは消えていた。 「泉が無事でいないときは、おまえを斬る。もし泉が死んだら、おまえを地獄までも追っていくぞ」 「わ、わかった」  浪人は、急に寒気に襲われたように、歯を鳴らしていた。  平永町から神田川に出て新《あたら》シ橋《ばし》を渡った。その道をまっすぐ北へ行くと三味線堀《しゃみせんぼり》に出る。この辺りは大名屋敷、武家屋敷ばかりで、それを抜けると根岸である。根岸は寺ばかりがやたらに多い土地で、寺地に商人の寮があったりする静かな所である。  三味線堀を過ぎて一丁ほど歩いたところに、もとは旗本の住まいとみえる空屋敷があった。 「ここだ」  と浪人が指をさしたとき、弥介は音もたてずに刀を抜いていた。 「おい」  と声をかけておいて、浪人が振りむくのに、弥介は首のあたりを一閃させていた。浪人は声もあげずに棒立ちになり、ぐらりと動いたのは首のほうだった。傾いたとき、音をたてて首が転がり落ちていた。そのあとで、胴が、まさに朽木を倒すように倒れたのである。白研《しらと》ぎにしてまだ一度も使っていない刃は、よく斬れた。  泉のいる場所さえわかれば、敵は一人でも少ないほうがよかった。浪人が一人や二人ではないことはわかっていた。  弥介は、玄関を入らないで庭へ回った。刀は下げたままである。庭には雑草が生い茂り狐狸《こり》でも棲《す》みそうに荒れ果てている。庭にむいた雨戸は開いていた。 「泉、せん」  と声をあげた。  浪人一人を斬って弥介の気は静まっていた。いつでも死ぬ覚悟はできている。 「せん、どこにおる」  声だけあげて、中にはとび込まなかった。障子が開いた。そこに展開された光景に、弥介は唇をへの字に曲げていた。かれの目にまずとび込んで来たのは、泉の白い肌だった。  泉は長襦袢《ながじゅばん》に両手を通しただけの姿で仰臥《ぎょうが》し、体の上に浪人をのせていた。目で浪人の数を数えると五人いた。その中の一人に見覚えがあった。右手首がなかった。  弥介が手首を斬ったとき、母がおる、と叫んだ浪人だった。悔いが残ると思いながら、母が、と言われて斬れなかった浪人。この浪人はもともと斬り損じた一人だった。 「小田丸弥介」  浪人は縁さきへ出て釆た。抜いた刀を左手に持っていて、その刃を泉の体に向けていた。 「しばらくは、おまえの女が悦《よろこ》びの声をあげるのを見ていてもらおうか。殺すには惜しい女だからな」  弥介は黙した。無惨な光景だった。泉の腿《もも》から臀《しり》へかけての白い肌が痛々しい。胸がふさがった。乳房が浪人に掴《つか》まれてゆがんでいる。その浪人が腰を浮き沈みさせるため、泉の体は前後にゆれていた。すでに一時《いっとき》(約二時間)は経っている。この場にいる浪人はみな泉の体を凌辱しているものと見えた。 「どうだ、小田丸、おまえの女が歓ぶさまは……、女はいま倖《しあわ》せな気分でいる。これまで何度気をやったことか、それを見せてやりたかったな」  突然、泉が浪人を突き放して起き上がった。その泉の髷《まげ》を浪人が掴んでいた。 「旦那さま」 「小田丸、刀を捨てろ、捨てぬと、この女の咽笛を掻《か》っ切る」 「旦那さま、せんは、せんは、この二カ月の間、倖せでございました」 「泉、死ぬな」  弥介は、目を剥いて泉の口辺に流れる赤いものを見ていた。舌を噛《か》んだのだ。 「おのれ」  と叫び、縁に馳《か》け上がった。そのときには右手首のない浪人は奥に逃げていた。近くにいた浪人の大腿を切断し、いま一人の左|脇腹《わきばら》を下から斬り上げ、一人の胸板を貫いていた。  座敷に入って、浪人が抜いた刀を振りかざしているのを目端に入れておいて、右手首のない浪人の姿を追った。刀を振りかざした浪人は刀を鴨居に叩きつけていた。さらした腹を存分に斬り裂き、残った一人を追った。  そいつは表から外にとび出した。弥介はそれを追った。浪人は足音に気付き、振りむき、足をからませ、ひっくり返った。  わめいて起き上がった。 「た、助けてくれ、おれには老いた母がいる」 「助けてやったのが仇《あだ》となったな」 「た、たのむ、おれは死にたくない」 「ならば生かしてやろう」  一閃した。刀を握った左腕がつけ根あたりから削げて転がった。 「これでも、まだ生きたいか」 「生きたい、血止めを、たのむ」  弥介は、おのれが残虐になっているのを知っていた。胸底に惨《むご》いものが宿っていた。 「立て、立って、屋敷にもどれ」  浪人は立ち上がった。 「屋敷にもどれたら血を止めてやろう」  浪人は、歩き出した。 「報復を考えなければ長生きできたものを」 「まことに、血止めをしてくれるのだろうな」 「してやるさ」  弥介は浪人の後から歩いた。一気に死なせてやる思いやりは、いまのかれにはなかった。庭に入って、そこで倒れた。 「たのむ」 「座敷まであがれ」  浪人は泣いていた。声をあげて涙をぽろぽろと流している。倒れた浪人は尻を高くあげた。両手を失って、体を支えるものがない。片腿を斬り断たれた浪人は、廊下から庭へ転げ落ちて転げまわっていた。  膝をついて、どうにか立った浪人は縁の近くに来て再び転がり、すでに立ち上がる力は失せていた。それでも、 「たのむ、血を止めてくれ」  と嗄《しゃが》れた声で叫んだ。肩から腕を斬り離したのだから、血の止めようはなかったのだ。  片脚を失った浪人は、のたうちまわりながら、 「たのむ、介錯《かいしゃく》たのむ」  と叫んだ。 「おまえらは、すでに士《さむらい》ではない。介錯などいらぬ。死ぬまで待て」  弥介は、泉を抱きあげ脱がされた着物で包み込んでやり、二つの瞼《まぶた》を合わせてやると、屋敷を出た。  まだ温《ぬく》みの残る泉を抱いて住まいにもどった。そして、裸にすると、ぬるま湯で絞った手拭いで肌を拭《ふ》いた。黙々と拭きあげ、汚された股間も丁寧に拭きあげると、じぶんも裸になり、肌と肌とを合わせ、命をとりもどすかのように抱きしめた。  乳房に顔を押しつけ、乳首を吸った。  浪人どもは、泉で弥介を誘い、刀を捨てさせて斬り刻むつもりだった。それを知って泉は舌を噛んで死んだ。泉が凌辱されながら生きていたのは、弥介に別れの言葉を言いたかったからだ。  弥介はおのれのものをふるいたたせると、泉のはざまに埋めた。泉の体を清めてやらなければならないと思ったのだ。穢《けが》されたままでは、あまりにも憐れだった。 「泉、成仏してくれよ、わしもそのうちにおまえのもとに行くことになろう」  弥介は、噴出させて体を離し、下着からつけてやった。  浪人を十三人斬っていた。泉が人質にされることはわかっていた。わかってはいたが、四六時中、泉と共にいることはできなかった。そして、おのれの刀法の無力さを嘆いた。泉一人さえ守ることができなかったのである。  もちろん、弥介は泉が舌を噛み切らなければ、刀を投げ出し斬死していただろう。泉は弥介の身の回りの世話をはじめてから、そのことは悟っていたものとみえる。  舌を噛み切るときの泉の目には哀しみはなかった。弥介のために死んでいけることに、満足していたようだった。  おそらく、このことも百造の策謀だったのだろう。あの右手首を失った浪人だけではない。その浪人が泉を攫わなくても、他の浪人が攫って、弥介を片付けようとしたに違いないのだ。  そうなれば弥介が狂う。狂って斬りまくれば、百造はそれだけ得をすることになる。弥介の憤怒を昂《たか》めるために、百造は泉をかれに与えたのだ。百造の企《たくら》みにまんまと嵌《はま》ったじぶんを弥介は知った。  表に人の声がした。百造である。弥介が出ると、百造は紙包みと研ぎあげた刀を、上がり框に置いた。 「おのれ!」  弥介は抜いた刀を一閃させた。だが、その刃は百造の肩に触れるか触れないかのところで止まっていた。百造は膝をつき、そのまま、三和土《たたき》に倒れていた。  刀を鞘にもどし、百造を抱き起こし活を入れた。うむと呻《うめ》いて目をさました百造は、あたりをきょろきょろと見回していた。 「百造、泉を手厚く葬ってやってくれ」  百造は頷いて外に出ると、仲間を四人連れて来て、戸板に泉の死骸をのせて運び去った。 [#改ページ] [#ここから3字下げ] 断《だん》  斬《ざん》 [#ここで字下げ終わり] [#ここから7字下げ] 1 [#ここで字下げ終わり]  小田丸弥介は、小料理屋『わか』の女将《おかみ》お若に会ってみようと思い、日本橋東の堀沿いの道を歩いていた。胸が塞《ふさ》がっていた。泉《せん》が死んでから初七日が過ぎていた。  季節はすでに六月に入っていた。梅雨時《つゆどき》である。雨は降っていなかったが、空には厚い雲が張りめぐらされていて、うっとうしかった。  堀沿いの道を南へ向かって歩く弥介は、さきほどから跟《つ》けてくるものを感じていた。またしても浪人である。眉《まゆ》を寄せて、もううんざりだというような表情をつくった。挑まれれば斬《き》らねばならない。  泉が死んだ三日目に、百造《ひゃくぞう》は別の女を連れて来た。泉と似たような身上の女だろう。泉より若くて肉付きもよかった。身の回りの世話をさせるだけだ、と言ったが弥介は断わった。身の回りの世話は男だってできる。もっとも深川では十数年間ひとりで暮らして来た。じぶんでじぶんのことはできる。 「それならば、仁助さんが旦那と住みたいと言っています」 「仁助ならば、かまわない」  と言っておいた。船大工の仁助は女房を攫《さら》われて一人で住んでいた。男同士のほうがうまくいくかもしれない。今日明日にも仁助はやってくるだろう。  白魚橋を渡った。堀の西の方に京橋がある。橋を渡ったところが白魚屋敷といわれる所である。東側に堀を挟んで南八丁堀がある。  浪人を斬るのに飽きた。八日前に三味線堀《しゃみせんぼり》の近くの空屋敷で六人の浪人を斬った。斬ったあとに、泉の死に対する悼《いた》みがあったせいか、あのじりじりするような焦燥感はなかった。浪人を斬って嘔吐《おうと》していたころが懐かしくもある。人を斬って、体にも心にも何の変調も見なくなったとき、弥介はほんとうの人斬りになるのかもしれない。弥介の目には哀しみが翳《かげ》りとなっていた。双眸《そうぼう》はすわっていた。  背後の浪人が足を速めて距離を縮めてくる。殺気が首筋にちくちくと刺さるようだ。かれは歩きながら刀を抜いていた。研《と》ぎあげたばかりの刃である。脂でぬめっている刃に比べると気分は悪くない。  浪人が五間ほどに近づいたとき、弥介は足を止めて振りむいた。三十ばかりの浪人が、目を手負い猪《じし》のように炯《ひか》らせて迫って来ていた。  声もかけずに、抜いた刀を上段に振りかざして間を縮めてくる。全身に狂気を孕《はら》んでいた。弥介は堀に小舟が浮いているのを目端に入れていた。浪人の死骸《しがい》を運び去るための舟である。 「無駄なことを」  浪人の胸から下は隙《すき》だらけである。刀刃が迅《はや》ければ、その隙も埋めることができるが、いかにも斬ってくれ、と言わんばかりである。名は聞かずとも百造らが知っている。葬るときにも手間はかかるまい。点鬼簿《てんきぼ》にまた新しくこの浪人の名が連ねられるのだ。 「死に急ぐことはあるまい」  浪人がわめいた。わめきながら、太刀を振り下ろしていた。弥介はその白刃の下をくぐって、浪人の左肩を斬り下げた。肩から一尺、心の臓を裂いたはずである。浪人は前のめりに倒れ、手足をわずかに攣《ふる》わせた。  古びた袴《はかま》の裾《すそ》で刀刃を拭《ぬぐ》って、鞘《さや》に収めると、弥介は何事もなかったように歩いていた。  半時《はんとき》後、弥介は、小料理屋『わか』の小座敷で酒を呑《の》んでいた。いつか南町奉行所の隠密《おんみつ》同心、朝印奈《あさいな》兵三郎《へいざぶろう》が、この店の酒は水っぽくない、と言っていた。たしかに居酒屋の酒と比べるとこく[#「こく」に傍点]があり濃いようだ。居酒屋では三割の水を混ぜると言われている。それだけ『わか』の酒は値もいいが、多く呑まなければ同じことだ。  この数寄屋橋《すきやばし》御門に近い新肴町《しんさかなちょう》は、そのむかし漁師が住んでいたところだという。何軒か小料理屋があるが、みな刺身を食わせてくれる。魚はいきのいいのが堀伝いに運ばれてくるという。  弥介は手酌で酒を呑んでいた。三畳ほどの小部屋に、四、五人は坐《すわ》れる卓が置いてあった。女将を呼んでくれ、と言ったがお若は外出しているという。お若に会ってどうしようというのではなかった。兵三郎と呑みに来たとき、お若が弥介を知っている風なのに、少し気にかかっただけである。  居酒屋の銚子は二合入りなのに、ここの銚子は小さい。一合入りだろう。舐《な》めるように呑みながら、たちまち一本の銚子は空になった。  浪人を斬った。だが白研ぎの刀刃がよく斬れたせいか、肩を一尺ほども裂いてほとんど手腕に衝撃を覚えなかった。もちろん嘔吐感もないし焦燥感もない。人を斬るにも馴れがあるのだ。馴れてしまえば何の感情もなく斬れるようになってくる。  今日の浪人で二十人目ということになる。 「二十人か」  と呟《つぶや》いて、弥介は片頬《かたほお》ゆがめて笑った。そのうち、このような笑い方が板についてくることだろう。  九沢半兵衛の行方《ゆくえ》はまだわかっていない。百造は五日ほどで探し出すと言ったが、すでに十日が経っている。あるいは半兵衛の居所は知れていても、百造が告げないということもある。泉を攫われて六人を斬った。だから百造は少し間をおきたいのかもしれない。  百造らの企《たくら》む浪人殺しは、昨年の十月ころから始まっている。とすればすでに九カ月が経っていることになる。なぜ浪人を始末しなければならないのかは、弥介の知ったことではないが、狙いは一気に片をつけるのではなく、少しずつ時をかけて処理するつもりのようだ。  江戸の街にあふれていた浪人は、一時に比べて半数ほどに減っているはずだ。街を歩く浪人の姿もめっきり少なくなっている。もちろん斬死《きりじに》した者だけでなく、仲間の斬死を知って、江戸を逃げ出した浪人も多い。それをよろこんでいるのは、町に住む人たちだろう。その中でも金のある商人が最も助かっている。浪人の数が減って得をするのは商人である。とすれば、百造ら数百人を雇っているのは商人、少なくとも、そのために商人が金を出していることは頷《うなず》ける。  弥介もそこまでは考える。その先がわからないのだ。わかってみても、どうすることもできまい。  板戸が開いて、お若が丸く美しい貌《かお》を出した。雪のようにという言い方がぴったりするような白い肌で、小ぶとりである。双眸が大きく鼻の形もいい。このような目を涼しいというのだろう、と思った。 「小田丸さま」  お若は部屋に入ってくると、弥介のそばに坐って酌をした。 「お酒が冷えています」  お若が手を拍《う》って、燗《かん》のついた酒を運ばせた。 「朝印奈さんは現われるのか」 「はい、月に二度か三度は。店の者を走らせましょうか、もっともおいでになるかどうかはわかりませんが」 「いや、よい」  朝印奈兵三郎とは会いたくなかった。以前会ったときに比べると弥介の顔はすさんでいる。その貌を見せたくなかったのだ。  町奉行所が、大岡越前ともあろう者が、百造らの動きを知らぬわけはない。いま思えばこの店で朝印奈と酒を呑んだとき、いやその以前から兵三郎も百造のことは知っていたと思える。それを口にもせず、探索もしないというのは、そのほうが、町奉行所にも都合がよかったからだ。  町奉行所としても、江戸の町々にあふれる浪人たちには困り果てていた。いま浮浪人でも、もとは武士である。武士を浪人にしたのは公儀である。だから、かれらは公儀に対して不満を抱いている。それらの浪人が集まって反逆すれば大事件になる。  由比《ゆい》正雪《しょうせつ》の乱は、蜂起《ほうき》する寸前になんとか食い止めた。公儀にとっては運がよかったと言えるだろう。いまでも由比正雪のような指導者がいれば、浪人たちは蜂起するだろう。公儀が最も怖れていることだ。  ——なるほど、町奉行所は百造らの動きを知って知らぬふりか。  ここまでくれば、そうとしか考えられない。浪人が浪人を斬って自然にその数を少なくしていく。  大岡越前はほくそ笑んでいるに違いない。浪人の同士討ちがほぼ片付いたところで、いっせいに百造らを捕縛する。奉行所はその時を待っているのではないのか。何一つ手証があるわけではないが、そう考えて無理はないようだ。  盗み、脅し、殺傷した浪人を奉行所が捕らえようとすれば、それだけ手間も人数も金もかかることになる。捕らえたあとでその浪人をどう処分するかがまた問題になってくる。伝馬町牢《てんまちょうろう》は浪人でいっぱいになるだろうし、島送りにするにも、舟が足りなくなる。片っ端から首を刎《は》ねては、残った浪人どもの反感を買うことになる。それが蜂起の曳《ひ》き金《がね》にならないとは言えないのだ。  公儀としては、浪人群をあまり刺激したくはない。もちろん、江戸の浪人が蜂起したとしても、公儀はそれを鎮める威力は持っているだろうが、それには員数を動かさなければならないし、金もかかる。また江戸は大混乱になるだろう。  そうなれば、地方の外様《とざま》大名に対して、徳川家は威厳を保てなくなる。  考えは果てしなく続く。どちらにしても、この百造一味の浪人の始末は、町奉行所にとっては高見の見物なのだ。よろこばしいことでもあった。弥介は町奉行所をよろこばせるために浪人を斬っていることになる。  ——町奉行所が、わしをお縄にしないはずだ。斬るだけ斬らせる気か。 「小田丸さま」  お若の声に、弥介は我に還《かえ》った。酒が体に回ったようだ。そばにいるお若の女が匂《にお》った。香料の匂いもあるが、女の汗の匂いも混じっていた。 「お若さん、あんたは深川の育ちか」 「はい、深川の冬木町です」 「そのころから、わしを知っていたのか」 「何度か、ゆきずりにお目にかかったことがございます」 「あんたは、朝印奈さんの女か」  お若は笑って首を振った。店をやっているからには、たとえ兵三郎の女であっても、そうだとは言うまい。 「愚かなことを聞いたな」  弥介は苦笑した。  かれはお若の手首を掴《つか》んで引き寄せた。拒むものと思ったが、意外にも弥介の膝《ひざ》に崩れて来たのである。衿《えり》を開いた。もっとも衿は並みの女に比べると広い。衿の間から手を入れて乳房を掴んだ。なめらかで豊かで、指がめり込むほど柔らかくもあった。いかにも女の乳房という気がする。二十六、七にしか見えないが、三十になっていると聞いた。女盛り熟れ盛りである。男のために生きているような女だ。この女に男がいないはずはない。  お若が弥介の手を押さえた。 「ここではいやです。今夜場所を改めて」  それでも弥介は乳房から手を離さなかった。これほど美しい女が、かれに体を与えようとしている。場所を改めてというのは嘘《うそ》ではあるまい。  弥介は、乳房から手を離した。お若は衿の乱れをつくろい、坐り直した。そして小座敷を出て行くと、しばらくしてもどって来た。そして二つに折った紙をかれの懐中に入れたのである。 「わたしの住まいです。戌《いぬ》の五ツ半(午後九時)にはもどっております」  住まいなら、この豊かな体を与えようというのだ。だが、弥介はその紙を懐中から取り出すと、二つに四つにと裂いた。お若が弥介の顔を見つめていた。  勘定をして店を出た。店の外までお若が追って来て、 「もう、来ていただけないのですか」  と袖《そで》を引いた。 「気がむけば、またくる」  そう言いおいて歩き出した。その弥介の背をお若はしばらく見ているようだった。お若ほどの美しい女に惚《ほ》れられるわけはない、と思い、微苦笑が浮かぶ。住まいを書いた紙を破いてしまったのは、惜しいような気もした。  乳房だけなぶらせておいて、ここではいやと言った。当然だろう。店で男のいいなりになっては、店の者たちにしめしがつくまい。だが、お若の様子にはどこか企みの匂いがした。男なしで過ごせる体ではあるまい。あるいは囲い者かもしれないと思った。囲った女に店をやらせるのはよくあることだ。お若を囲っている男が朝印奈兵三郎とすると、お若に弥介を誘わせて、何かを企もうとしているのか。  手には、お若の乳房の感触が鮮やかに残っていた。乳房の白さがそのまま手に貼《は》りついているような気にもなっていた。  平永町の住まいにもどると仁助が出迎えた。 「旦那、お世話になります」  と黒い顔の中に目が笑っていた。この男は、はじめて会ったときと変わらない。浪人を殺しても、目に翳りが宿ることはないようだ。 「及ばずながら、あっしが旦那のお世話をさせていただきます」 「止《や》めておけ、男に世話されては気色が悪い、手伝いの婆さんでも雇えばいい」  思いつきだった。口入れ屋にでも頼めば、すぐにでも来てくれる。一人斬って二両、使いきれる金ではなかった。もっとも六人、七人まとめて斬って、一人に二両あて出るわけではないが、百造が持ってくる金のほとんどは残っていた。  座敷に箱火鉢を挟んで坐った。開け放たれた庭は緑で青々としていた。 「あっしは淋《さび》しかったんですよ、旦那と住めれば言うことありません」  仁助は、ほんとうにうれしそうだった。 「わしの寝首を掻《か》くか」 「旦那、あっしにそんなことできるわけねえでしょう。旦那に斬られるのなら、あっしは黙って死んでいきますがね。旦那の寝首を掻くなんて……」  仁助はむきになった。 「ゆるせ、わしは朋友《ほうゆう》に裏切られた」 「そうでしたね」  仁助は、弥介が九沢半兵衛に斬られ、危うく助かったのも、泉が舌を噛《か》んで死んだことも知っていたのだ。 「半兵衛が、なぜわしを斬る気になったのかを、聞かねばならん」  弥介の痛みを知ったかのように、仁助はうなだれた。 [#ここから7字下げ] 2 [#ここで字下げ終わり]  季節は六月になって梅雨期を迎えていたが、まだ雨は降らない。梅雨空は重くのしかかるように厚い雲が広がっていた。  弥介は、押上《おしあげ》村に足を向けた。押上村は、本所、向島《むこうじま》の東側にある農地である。日本橋から一里と八丁あると記されている。人並みに歩いて半時《はんとき》(約一時間)と少しある。  妙見山法性寺というより妙見さんと聞いたほうがわかりやすい。妙見さんがあるのは押上村と柳島村が入りくんだあたりである。通すじにぽつんぽつんと番茶を飲ませる茶屋がある。ここいらの茶屋は、江戸市中の水茶屋と違って老人がやっている。華やかな茶屋女などはいない。足を休めるところである。  宗右衛門という老人に会ってみたいと思ったのだ。老人は小田丸弥介の名を知っていた。両国広小路で声をかけられたときには、そのわけを語らなかった。皺《しわ》だらけの宗右衛門にある種の懐かしさみたいなものも覚えていた。もっとも、それが何であるかはまだわかっていない。  押上村|界隈《かいわい》は萩の多い所である。道の左右に萩が茂っていた。萩の垣の間を歩くようにして道を歩く。  茶屋の老婆に宗右衛門と聞くと、指さしたあたりに藁葺《わらぶ》き屋根の百姓家が見えていた。その家も萩の青さに包まれていた。妙見さんに入る手前の家がそれだった。宗右衛門の家の裏が妙見さんになっていた。  広い敷地に入ると若い男が二人、田でも耕すつもりか牛を引っぱり出そうとしている。その男に声をかけると、不機嫌そうに屋敷の庭を指さした。庭に入ると、開け放たれた座敷に老人が座して書見していた。眼鏡をかけている。その姿にはある種の厳しさがあった。ただの隠居ではない。人の気配に首を回して眼鏡の間から弥介の姿を見た老人は、顔をほころばせて、 「おう、来たか」  と野太い声で言った。ぐるりと回るように指を回した。玄関のほうへ回ると、大きな家らしく広い三和土《たたき》があった。老人が板の間に姿を見せ、上がれ、と言った。そこには大きな囲炉裏《いろり》が切ってあり、天井から自在|鉤《かぎ》が下がり、それに鉄瓶が吊《つ》るされてあった。囲炉裏には炭火が入っているようだ。弥介は囲炉裏端に坐った。見上げると煤《すす》けて黒々とした天井に太い梁《はり》が渡されている。  老人は、わきの莨盆《たばこぼん》を引き寄せておいて、古びた煙管《きせる》に刻み莨をつめ、囲炉裏の中の燠《おき》を探った。長い鉄火箸《てつひばし》で燠の一片を挟んで、莨に火をつけた。 「よう来たな」  よく炯る小さな目を更に細めて弥介を見る。 「わたしの顔にまだ死相がござるか」 「あるな、だが死相があるからといって死ぬとは限らん。おまえはおのれの死相と戦いながら生きていかなければなるまい。もっとも人間は死ぬときがくれば死ぬ。あわててみても仕方あるまいて」 「ご老体は、なぜわたしの名をご存知か」 「弥兵衛が死んでからは、いつもおまえの所在は調べさせておった」 「父上を、ご存知か」 「弥兵衛は、わしの倅《せがれ》じゃ」 「なんと」  いきなり言われて弥介は目を瞠《みは》り、老人を見た。そうだったのか、と思い至った。老人は父弥兵衛にどこか似ていたのだ。ある種の懐かしさと思ったのは、このことだったのだ。 「だが弥介、これはくわしく語らねばわからんことじゃが、おまえはわしの孫ではない」  弥介は頷いていた。そのことにはさして驚きはなかった。弥介は弥兵衛の実子ではないということなのだ。弥介は五尺八寸の背丈があるが、弥兵衛は五尺そこそこの小男だったし、顔も似ていない。そのことは若いころから承知していたので、それほどの衝撃はなく、やはりそうだったか、という思いがあるだけである。 「ご老人は、白蛇の八右衛門《やえもん》か」  いきなり問いを発した。 「そうよばれていたむかしもある」  老人はためらいもなくそう答えた。それにはむしろ弥介のほうがどぎまぎした。大盗賊といわれた白蛇八右衛門が目の前に座している。それが信じられない思いなのだ。八右衛門と認めたからには、何もかも洗いざらい語ってくれるものとみえた。  弥介が相州|淵野辺《ふちのべ》村に住んでいたころ、父弥兵衛は、一年のうちに七、八カ月も旅をしていた。それがいまは納得できる。そう言えば、盗賊白蛇八右衛門の噂《うわさ》がなくなったころ、弥介は弥兵衛に連れられて江戸に来て深川に住むようになったのだ。 「いま、江戸で浪人が次々と始末されているが、それに関りがおありか」 「ないな、わしにはその力はない。いま人数を集めたとしても、せいぜい三十人ほどじゃのう。それにわしが浪人を始末するわけがない。わしもむかしは浪人であった」  この老人は耄碌《もうろく》はしていない。老人は莨に火をつけ吸った。雁首を囲炉裏の端にこつこつと叩《たた》きつけ火を落とすと、新しく莨をつめる。 「弥介、おまえが何者かを語る前に、わしの家系を話さねばならん。話しておきたい。聞いてくれるか」 「聞かせていただく」 「わしのもとの名は白土《しらと》刑部《ぎょうぶ》という。筑後国《ちくごのくに》松崎藩で千二百石を禄し、大目付を申しつかっておった。三十六年もむかしのことになるな」  松崎藩は、九州の雄藩久留米藩二十一万石の有馬家の分家で一万石を領していた。本家の有馬|忠頼《ただより》には実子がなく、そのために忠頼の妹の子|豊祐《とよすけ》を養子に迎えたが、皮肉なことにそのあとに男子が二人生まれたのだ。忠頼としては実子に有馬家を継がせたいが豊祐を返すこともできず、分家して松崎藩を作り、豊祐に一万石を与えた。  当時の大名の間では珍しい出来事ではなかったが、豊祐には不満が残る。二十一万石を継ぐはずだったのが、わずか一万石になってしまった。  白土刑部は、もともとは久留米藩の家臣だったが、豊祐に従って松崎に移った。だが、松崎藩は二年とは保《も》たなかった。忿懣《ふんまん》やる方ない豊祐は、酒色に溺《おぼ》れ藩政をおろそかにし、家老の勢力争いで百姓|一揆《いっき》が起こるなどして、その責を問われ、改易となったのである。藩士の半分は久留米藩にもどったが、白土刑部は浪人した。そこで白土一族と刑部を慕う者がついて来た。  白蛇一味二百といわれていたが、実際は九十余名だった。人が集まれば食いにくい。浪人は日本中にあふれている。白土刑部は仲間と共に関東にやって来て、譜代大名領を荒した。そこで白蛇一味を名乗ったのだ。斬り取り強盗武士の倣《なら》いである。公儀の御用金をも強奪したため、公儀は白蛇八右衛門に大盗賊の名をつけたのである。  白土刑部は棒術の達人であり弥兵衛は刀法の手練《てだ》れだったために、公儀もついに一味を捕らえられなかった。十八年前、一味の者たちもそれぞれに暮らしが立つようになり、解散したのである。 「そのころは、みなの者が死に場所を求めて公儀に反抗した。公儀は徳川家を守るために、大名改易策をとって来た。それで禄を失って流浪する浪人のことは、露ほども考えなかったのじゃ。由比正雪が乱を起こそうとしたのに仰天し、いくらか改易策をゆるめはしたが、年々浪人はふえるばかりじゃ。つまり徳川家を存続させるには手段を選ばぬという公儀のやり方に、浪人共はみな憤怒した」  老人は、わしは由比正雪にはなれなかった、と笑った。 「それにつけても思うことは、赤穂《あこう》の浅野家臣たちじゃ、かれらにはおのれの憤怒を向ける標的《まと》があった。吉良《きら》上野介《こうずけのすけ》じゃ。かれらは吉良の首をとって華々しく死に名を残した。世の浪人どもがどれほど羨《うらや》んだことか。浪人は死に場所さえ与えてくれれば、容易に死ねるもの、だが、死に場所を得られるのは、ほんのわずかな浪人たちだけである」  公儀が大名改易策を取るのであれば、浪人に死に場所を与えるべきだ、と老人は言いたいようだ。公儀は鎖国策をとっている。あたら武士を公儀は無駄に死なせている。老人は鎖国を解いて、浪人を海外へ向けるべきだという考え方である。 「惜しい」  と吐き出すように言った。  老人は一息ついて茶をいれた。 「弥介、外へ出てみないか、妙見さんへ行ってみよう」  と老人は腰をあげた。  庭の裏側はすぐに法性寺の境内だった。周りには大樹が鬱蒼《うっそう》と茂っていて、境内は広い。寺地七百五十四坪とある。その境内の片隅に小さな妙見堂が建っていた。古い堂である。その堂のそばに巨大な古松があった。老人はこの古松の中に白蛇が棲《す》んでいるという。松の木の中は空洞になっているとか、老人が五尺の杖《つえ》で幹を叩くと乾いた音がし、二股《ふたまた》に分かれた枝の間から、たしかに白蛇が頭を覗《のぞ》かせすぐに引っ込んだ。白蛇はむかしから神の使いとも神霊があるとも称され、礼拝する者も多いという。老人の白蛇八右衛門の名はこの白蛇から出たのか。 「三十三年前になるかのう、わしは弥兵衛と二人で大山石尊寺に登った。その石尊寺の鳥居の根元に捨てられていたのが弥介、おまえじゃった。弥兵衛はそのおまえを拾って育てた。おまえをくるんだ綿入れの中に紙が一枚入っておって、その紙に小田丸哉介と書かれてあった。おまえの名じゃろう。哉介が、かすけか、きすけか、としすけかはわからんが、弥兵衛は、哉介をやすけと読み、おのれの名を一字とって弥介とつけ、それ以後は、弥兵衛もおまえの小田丸姓を名乗るようになった。そして小田丸弥兵衛のまま死んでいった。弥兵衛はおまえを、おのれの子以上に大事に育てたはずだ」  小田丸哉介の他に、かれの身元を示すものは何一つなかったという。また老人は、かれを捨てた親も浪人であったろう、という。 「子を捨てねばならなかったおまえの親も憐《あわ》れじゃ。食えなかったのじゃろうな」  そういうことだったのか、と弥介は合点した。捨てた親を恨むつもりはない。白土姓を捨て小田丸を名乗った父弥兵衛に拾われ育てられた弥介は、運がよかったと言うべきだろう。かれに刀法の稟性《ひんせい》があったとしても、刀法を教えてくれたのは弥兵衛である。刀法以外のことは、優しい父だった。子供のころ飢えた憶《おぼ》えもなかったのだ。 「弥介、男が生きていくには、浮世のしがらみはないほうがいい。旅に出よ。おまえの名は江戸の浪人に知れすぎておる。隠栖《いんせい》するには、名を変えるしかあるまい、そのことは心得ておくがよい」  老人は、弥介が与志《よし》と夫婦になり娘志津をもうけ、その妻子を攫われたいきさつは、すでに知っているものとみえた。もちろん、百造一味の動きについても知らないわけはないのだ。 「ご老人、百造一味をあやつっているのは、何者であろう」 「百造というのか、あやつらは」 「何者ですか」 「知らん、知らんな」  と首を振った。その知らんという言い方には、何か隠していることがあるように受け取れた。知らんの裏は知っているということになる。それを口にするなら、わからん[#「わからん」に傍点]であろうと思ったが、それをせんさくしてもはじまらない。 「そろそろ、おいとまする」  というと、老人は引き止めもせず、 「達者でおれよ」  と一言言った。  弥介は法性寺の境内を出て、道を歩きはじめた。 「小田丸か」  と呟いた。小田丸なにがしという浪人がいた。父が浪人であることは推測できる。だが母なる人が何者であるかは全く不明なのだ。下級武士であったのだろうと思える。子を捨てねばならなかった事情は極貧であったのか。  大山石尊寺の霊は不動明王と聞いている。神を恃《たの》むな、神は祟《たた》ると教えた弥兵衛は、よく大山に神を詣《もう》でていたものとみえた。弥介も弥兵衛に連れられて、大山に三度登ったことを憶えていた。父なる人は、なぜおのれの子を大山まで登って捨てたのか。捨てる所はいくらもある。父は不動明王に子を頼みたかったのかもしれない。それで弥兵衛は、神を恃むなと教えた。その弥兵衛の気持ちが、いくらかはわかるような気になって来た。  弥介は茶屋に寄り、串団子を頬ばった。  ——老人は旅に出よと言った。  これ以上無益な殺生をするなということだろうが、老人は与志と志津のことを忘れているのか、いや忘れてはいまい。老人は百造一味をあやつっている元凶を知っている風だった。知っていて旅に出よと言ったのだ。すると、妻子を捨てよ、ということなのか。  ——捨てたほうが、与志の、志津のためだということか。 [#ここから7字下げ] 3 [#ここで字下げ終わり]  三日後、弥介は仁助を近くの居酒屋に誘い出していた。泉が死んで以来、弥介は飯は外で食うことにしている。共に棲むようになった仁助に飯を炊かせるわけにはいかない。  この日は朝から小雨が降り続いていて、気が滅入っていた。梅雨である。雨が降って当たり前だろう。水気を吸った衣服が重く気も重くなる。  九沢半兵衛の居所はまだわからないらしく、百造はそれを告げに来ない。半兵衛は弥介が生きていることは知っている、とすればすでに深川からは去っているはずだ。だが、かれは江戸に執着していた。江戸から逃げるのは矜持《きょうじ》が許さぬとも言っていた。江戸のどこかに潜んでいる。それを百造一味の手で探し出せないはずはない。あるいは探していないとも考えられる。  いずれ半兵衛とは決着をつけねばならない。だが、それほど急ぐことではなかった。反面、半兵衛が見つからないほうが、生きる張り合いも持てるというものである。 「旦那、旦那はよく女なしでいられますね」  と仁助が酒を呑みながら言った。二人とも飯の前に酒を呑んでいた。そう言えば、仁助は、女の所に泊まったとみえ、家に帰らないこともあった。三十になる男に、女がいて当たり前だろう。  仁助にそう言われて、弥介はお若を思い出していた。柔らかそうな肉付きのいい体をしていた。男をたのしませるために生きているような女だ。抱いてみたいとは思うが、抱けば情がからみそうな気がしてくる。お若の乳房を揉《も》んだだけでそれ以上進行させなかったのは、泉のような目にあわせたくないと思ったからでもあるが、もともとかれは情欲の強い体質ではなかった。 「仁助、お俊さんを抱きたいか」 「そりゃ、もう、情があっていい女でしたからね」 「旅に出る気はないか、旅に出れば浪人を斬らずにすむ」 「旦那がおいでになるんでしたら、お供いたします」 「お俊さんはどうする」 「お俊は、あっしと暮らしているより楽な暮らしをしているようですから、あっしが心配することはねえって、近ごろそんな気持ちになっているんですよ」  弥介も、じぶんの気持ちが仁助に似たようなもののように思えた。馴れというものなのか、その前に、かれはすでに二十人の浪人を斬り、四カ月前のじぶんとは変わっていることを知っていた。いま与志と志津をもどしてもらっても、以前と同じように暮らしていける自信がなかった。返してくれても迷惑のような気さえするのだ。  もともと孤独に生きるように生まれついているのかもしれない。大山の鳥居の根元に捨てられていたという。綿入れに包まれて置かれていたというから、おそらく寒い季節だったのに違いない。  仁助の腹のあたりで小さな硬い音がした。ふところに入れた何個かの小石が転がったのだろう。かれにとって石は武器だった。  酒のあとに、飯を掻き込んだ。住まいにもどれば、あとは寝るだけだ。仁助は以前泉が使っていた三畳の間で寝起きしている。手伝いの老婆をたのみ、その老婆が今日から来てくれる。洗濯と掃除くらいのものである。三日に一度来てくれれば、仁助と二人、たいした不自由もなく生活できるのだ。  相合傘で店を出る。弥介はちらりと思い出した。いつか泉が思いつめた顔でこの店の入口に立っていたことを。  住まいの前に、傘をさした姿のいい女が立っていた。仁助の女かと思ったが、二人の姿に気付いて歩み寄って来た女は、 「小田丸さま」  と声をかけた。お若だったのだ。お若の双眸が熱い。 「旦那、あっしは、ちょいと用を思い出しましたので」  と仁助が気を利かそうとする。 「仁助、出かけてくる。留守をたのむ」  と傘を渡した。 「そのほうがようございますね」  と仁助はぺこりと頭を下げると、家に入った。弥介はお若をうながして歩き出す。相合傘である。傘の中で女が匂った。 「店はどうした」 「今日は休みました」 「わしの住まいがどうしてわかった」 「朝印奈さまに聞きました」  朝印奈兵三郎がどうして平永町の家を知っていたのか、もっとも朝印奈が隠密同心であることを思えば、調べる気になればすぐわかる。  浅草御門近くの平右衛門町に船宿を求めた。五、六軒の船宿が神田川沿いに並んでいる。その一軒の前に立った。 「ここでよいか」  お若は頷いた。案内を乞《こ》うと三十年配の色年増《いろどしま》が姿を見せた。女将だろう。二階の神田川の見える座敷に案内された。酒を頼んだ。お若をここへ連れて来たのは、住まいに入れたくなかったからだ。仁助を追い出すことになるし、死んだ泉に気をつかったからでもあった。  神田川は雨に煙っていた。首を伸ばすと大川も見える。  お若は、坐ってうつむいたままである。朝印奈兵三郎に頼まれて来たのか、とも、何か用かとも聞けない。すんなりと船宿に入ったところからして、お若の気持ちは知れていると思った。 「わしは、あの住まいに女と共に住んでいた」 「はい」 「その女は、わしのために死んだ」 「はい」 「わしが人斬り弥介といわれる男であることはとうに知っているはずだったな、浪人がわしを狙っておる。二十人を斬ったのだから当たり前のことだが、おまえと情を交わせば、今度はおまえが人質として狙われることになる。それがわかっているのか」  小さく頷いた。  女将と見える女が酒肴《しゅこう》を運んで来た。女将か、と問うと、はいと応《こた》え、藤《ふじ》と名乗って、ご贔屓《ひいき》にと言い、一礼して去っていった。  お若が酌をするのを受けた。弥介が銚子を手にすると、素直に盃《さかずき》をとり、つづけて三杯を重ねて、きっと顔をあげ、強い目で弥介を見た。 「小田丸さまは、わたしがお嫌いですか」  挑戦的な目である。光の強い目だった。弥介はたじたじとなり、照れたように、 「お若ほどの女を嫌いな男はおるまい」 「わたしは、小田丸さまにお聞きしております」  泉に比べても美しい。肉付きがいいだけに貌もふっくらとしている。貌の中でも目が美しく、張りがあった。 「好きだ、だが……」 「その、だが、は止《や》めていただきます」 「なかなか、きついことをいう」 「わたしは、小田丸さまを深川のころから存じあげていると申しました」 「いまは事情が違う。お若までも死なせたくはない」 「…………」 「わしが斬った浪人の仲間が、わしの人質を求めておる。浪人どもにとってお若は格好の獲物となる」 「それが怖ろしければ、小田丸さまを尋ねたりはいたしません」  ここまで言われれば、弥介には返す言葉はなかった。女の思いは目に出る。その目は弥介の胸を貫こうと鋭く強い。朝印奈の手先ではないかという思いは除かねばならなかった。お若はこのわしに命を賭《か》けようというのか、かつて女にこれほど迫られたことはなかった。というよりも情がからむのを怖れ逃げ腰であったからとも言える。  盃に酒を注ごうとしたが空だった。手を拍って女将を呼び、酒の追加を頼んだ。居酒屋で呑んだ酒は、歩いてくる間に醒《さ》めていた。お若を抱くにはもう少し酔いたかったのだ。女将が燗のついた酒を運んで来た。お若がにじり寄って来て酌をする。 「亭主は、いないのか」 「おりません」 「一度も祝言《しゅうげん》をあげなかったのか」 「はい」  これほどの女が、三十になって一度も亭主を持たなかったというのには理由《わけ》があろう。 「わしのような破落戸《ごろつき》のどこがよい」  答えようとはしない。お若はかすかに笑った。 「わしは、女に惚れられたことがない」 「嘘です」  強い語調だった。 「嘘ではない。泉はわしの身の回りの世話をしてくれていて自然に男と女の仲になった」 「お泉さんという方が羨ましい」 「泉は淋しい身上だった」 「わたしも淋しい女です」 「違うな、おまえは男たちが放ってはおくまい」 「この齢《とし》で男を知らないとは申しません。でも、心底好きな男はいませんでした」 「わしは、みかけほど強い男ではない。根は弱い男だ」 「弱い男は、じぶんを弱いとは言いません」 「理屈だな、わしは、以前は人を斬って嘔吐していた。嘔吐がなくなったとき、居たたまれない焦立《いらだ》ちを覚えた。それを払いのけるために泉を抱いたのがきっかけだった」 「信じません、あなたは強いお方です」  弥介は自嘲《じちょう》した。  お若はじぶんから弥介の膝に崩れて来た。酔いが回ったらしく、お若の体から芳香が霧散して、かれの鼻孔をくすぐる。白粉《おしろい》の匂いも混じっているのだろうが、このような女の匂いをはじめて嗅《か》いだと思った。 [#ここから7字下げ] 4 [#ここで字下げ終わり]  弥介は、お若と一つ夜具の中にいた。隣室は襖《ふすま》一枚で寝間《ねま》になっていて、そこには夜具がのべられ、行燈《あんどん》に灯《あか》りがついていたのだ。  お若は浅葱《あさぎ》色の長襦袢《ながじゅばん》を着ていた。女の長襦袢は緋色《ひいろ》と決まっているのかと思っていたが、女も色年増になると青いものを着るようになるのか。男の弥介にはわからぬことだが、浅葱色が映《は》えて、白い肌を蒼《あお》白く見せていた。  弥介は、美しい蒼白い乳房を眺めていた。重たげな膨らみの大きい乳房で、勃《そび》え立った乳首がくすんだ色に見えていた。乳暈《にゅううん》がやや広く、蒼白い乳房を彩っている。その乳房を掬《すく》うように手にして、ごねるように揉みしだき、乳首を指の股に挟みつけた。  お若の両腕がかれの首に回され、引き寄せられて口を塞がれ、唇を舐めまわしておいて、口の中に入って来た。それを吸うと、まるで舌そのものが別の生きもののように躍り舌にからみつき、そして女の口の中にかれの舌が吸い込まれ、しゃぶられたのである。それと同時にお若は全身でしがみつくように、肌を擦り寄せてくる。  かれの手は、お若の背中を撫《な》でまわした。柔らかい肉付きで、吸いつくようななめらかな肌である。蝋《ろう》を刷《は》いたようなと思った。抱き寄せてみると、熱でもあるかのような熱い体なのだ。  お若が口を開いて熱い息を吐いたとき、弥介は体をずり下げ、頬を乳房に押しつけ、そして唇を這《は》わせた。乳房は男をたのしませる形をしており、指がめり込むほどに柔らかい。女の乳房がこれほど魅惑あるものであることをはじめて知った思いがした。  乳首を咥《くわ》え、舌で転がし、吸いしゃぶり、そして甘く歯を当てて咬《か》むと、お若は声をあげて体をよじり、足をからめてくる。女の手がかれのはざまをさぐり、そこに勃え立っているものを手にすると、うっと声をあげて握りしめた。 「弥介さま」  とはじめてかれの名を呼んだ。  乳首を吸いながら、手を肌に這わせ、背中、脇腹《わきばら》、そして臀《しり》から太腿《ふともも》を撫でまわしておいて、前に回すと柔らかい阜《おか》の上の茂りが指に触れて来た。それほど多毛ではないが縮れは強いようだ。そこからはざまへ指を滑り込ませると、そこは熱い沼になっていた。女の情がいまはここに集中している。指が切れ込みを掻き分けようとしたとき腿が閉じられ、かれの手を締めつけた。 「お情けを……」  と潤んだ声でいう。  体を繋《つな》ぐには早すぎた。焦って重なるほど若くはない。浅葱色の、長襦袢を左右にはねのけていたので、肌は行燈の灯りに白く浮き上がって見えていた。白さにもいろいろあるが、女の乳を流したような白さだった。白いねっとりとした光沢のある肌だった。  弥介が起き上がって、肌を撫で眺めるのにお若はじっと瞼《まぶた》を閉じていた。男に見せて恥ずかしくないものであることを知っているのだ。こうして白い肌を眺めた男も多いことだろう。 「きれいだ」  と口走っていた。三十女である。男の精を吸ってこれだけ磨かれたのだろう。それに閨技《ねやわざ》にも長《た》けていよう。男の精を受ける度に美しくなっていく女がいるというが、お若もその一人なのだろう。腿はぴたりと合わさっている。そのために阜は丸く膨らんでみえた。どこにも骨を感じさせない女体である。  弥介は、お若の手にしっかり握りしめられているじぶんの一物を見た。その指がかすかに這っていた。 「恥ずかしい」  と小さく言ったが、恥ずかしがっている様子はなく、むしろ誇らしげに晒《さら》しているようにさえ思えたのだ。  お若は薄目をあけて弥介を見て、かれの目が注がれている所を知り体を起こすと、胡坐《あぐら》をかいて坐ったかれの股間に顔を埋めて来たのである。  舌が躍るのを覚えながら、弥介はそこに仰臥《ぎょうが》した。かれはじぶんの一物がお若の紅唇に咥えられるのを見ていた。それは脳を灼《や》く淫《みだ》らな光景だった。飴玉《あめだま》でもしゃぶるようにしゃぶり、舌をからませておいて、髷《まげ》が上下しはじめた。弥介は紅唇に出入りするじぶんのものを眺めていた。茎が現われる度に紅唇がめくれ返るのだ。そして、ぬれ光るものが口から離れる。今度はなめらかで丸い部分を磨きあげるように薄い舌が這いまわる。  たしかに三十女でしかも小料理屋の女将である。舌技は巧みだった。もちろん技である。技であれば、金のためにでもできることである。だが、弥介はそうすることに夢中になっているお若に女の情を見たのだ。その情は蒼白く炎をあげているように見えた。  羞恥《しゅうち》もためらいも捨てていた。男がたのしむと知っていて、たのしんでもらうために、舌や唇を使っているのだ。手はふぐりを探り、揉みほぐしている。  弥介はお若の丸い尻を見ていた。すでに長襦袢は脱ぎ捨て裸になっていた。背中も臀もまろやかで美しかった。その臀に手を伸ばして引き寄せると、お若は顔をあげ、濡《ぬ》れた目でみつめ、 「あなたのをいただかせて」  と言った。猥《みだ》りがましい言葉ではなかった。お若は仰臥し、膝を折り立て開くと、弥介の体を腿の空間に迎え、一物を手にしていざなった。眼下のはざまは、切れ込みが開き加減でゆがみ、たっぷりと露を貯《た》めていたのである。  お若は手にしたものの尖端《せんたん》を切れ込みに何度か上下させておいて、深い沼の淵《ふち》に当て、男が腰に力を加えるのを待たず、臀を浮かして、じぶんから根元まで迎えておいて、声をあげ、男の臀を両手で引き寄せたのである。 「弥介さま、うれしい」  と声をあげ、男の腰を両内腿に強く挟みつけてのけ反った。そのままじっとしていて、あなたを感じていたいと言い、その声を顫《ふる》わせた。  弥介は両腕で体を支え、お若の貌を見ていた。貌がゆがみ、鼻孔が膨らみ、薄く開いた唇から熱い息が洩《も》れるが、女のその貌もまた美しいのだ。突然その貌がゆがみ、疳高《かんだか》い声が迸《ほとばし》ると同時に、お若の体もまた嫋《しな》やかに震えていた。体が強直しやがて弛緩《しかん》する。 「弥介さまは、弥介さまは、まだなの、あなたの精をいただかして」  体を震わすとき、兵三郎の名を呼ぶのではないのか、と思ってみたが、その様子はなかった。  弥介はじぶんを包み込んだ柔らかい襞《ひだ》が律動するのを覚えた。意識してそうしているらしくお岩は、かすかに笑ってみせた。 [#ここから7字下げ] 5 [#ここで字下げ終わり]  翌朝——。  お若と共に船宿を出た弥介は、住まいまで送っていった。お若がそれを求めたのだ。住まいは八丁堀の近く、松屋町の路地裏にあった。弥介は家には入らなかったが、若い女が顔を出してお若を迎えた。店で使っている女のようであった。  次に会う日を決めてくれとお若がせがんだ。それで五日後に店に行くと言っておいた。行けるかどうかはわからないが、女はその日を待つことで生きられるのだ。  お若は、お泉さんのようにわたしも舌を噛みますと言った。あなたを好きになったのはお泉さんよりわたしのほうが先です、とも言った。  弥介は平永町に向かいながら、妙に腰のあたりが軽いのに苦笑した。何となく再びお若に会うことがないような気になってくるのをいぶかった。お若を失うことになるのか、おのれが死ぬことになるのか、どちらかだろうが、お若の体は溺れたくなるほど素晴らしかった。どこがどう素晴らしいのかは体が知っている。  雨があがっていたが、空には厚い雲が張りめぐらされ、うっとうしい。  平永町の近くまで来たとき、すっと男の姿が浮いた。百造だった。そのあとから仁助が出て来た。 「旦那、家の中は血の海です」  と仁助が言った。  話を聞くと、昨夜、住まいは三人の浪人に襲われた。三畳間に寝ていた仁助は幸い、襲われる前に気付き、三人を殺したのだという。 「すまなかったな、仁助」 「いいえ、旦那のお手をわずらわすような連中ではありませんでした」  闇《やみ》の中で浪人を鎧通《よろいどお》しで刺す仁助の姿が思い描かれた。狭い家の中では、刀を振りまわせない。鎧通しのほうが有利だったのに違いない。もちろん三人の死体は百造たちが運び出していよう。 「次のお住まいは、今日中にでも見つけておきましょう。どうせあの住まいはそろそろ引っ越していただこうと思っていたところでした」  三人は馴染みの居酒屋に入って、小座敷を借りた。弥介と仁助はまず腹ごしらえをした。百造は茶だけを飲んでいる。 「旦那、九沢半兵衛の居処《いどころ》がわかりました」 「どこだ」 「内藤新宿で」 「内藤新宿か」 「近ごろ内藤新宿に浪人が四、五十人も集まっているそうで、九沢半兵衛はその群れの中にいると申しておりました」 「その浪人どもが半兵衛に味方するというのか」 「それはわかりませんが、ご用心なすって」  百造は卓の上に地図を拡げて、住まいを示した。それは大宗寺の裏手で、大宗寺横丁と書いてある。大宗寺は大きな寺と聞いている。四谷大木戸を通って間もなくの所だ。 「旦那、これからおいでになるので」 「行く」 「だったら、あっしもお供させて下さいな」 「仁助、浪人が半兵衛に味方すれば、斬死することになるかもしれんぞ」 「旦那と一緒なら三途《さんず》の川も渡りやすかろうと思いますよ」  仁助は笑った。  百造が脇差をさし出した。いざというとき役に立つだろうという。生まれてこの方、二本を差したことはない弥介であるが、たしかに刀が切れなくなったときには助かる。  腹ごしらえをすると居酒屋を出た。 「旦那、ご用心なすって」  と百造に見送られて、弥介は仁助と肩を並べた。内堀沿いに半蔵門に出て麹町《こうじまち》から四谷に向かうことになる。日本橋から内藤新宿まで二里といわれている。一時《いっとき》はかかる。  仁助は、小石を拾いながら歩いた。手ごろな石を見つけ、手に合わない石を捨てる。そして途中の荒物屋で笊《ざる》を買って、その笊に小石を入れて歩いた。  百造の手は内藤新宿までは届くまい。第一、千住と違って舟を浮かべる川がないし、堀もない。半兵衛一人ならなんとかなるだろうが、これに浪人が加われば死骸は多くなる。たとえ死なずに済んだとしても、素知らぬふりはできないだろう。四谷大木戸の者たちが黙っていまい。もっともそのまま甲州道か青梅《おうめ》道に去るつもりならいいが、弥介にはその気はなかった。 「仁助、大木戸を通ったら、わしから離れて歩け、わしの仲間と思われないほうが、おまえの礫《つぶて》術も効果があろう」 「そうですね」 「浪人が加勢しなければ、おまえは手を出すな、よいか」 「はい」 「もし浪人が加勢して、斬り合ったあと、おまえもわしも生き残っているとしたら、仁助おまえは甲州道か青梅道に逃げろ。そして事が治まってから、江戸にもどればよい」 「旦那は」 「逃げぬ」 「旦那、それはないよ、あっしはどこまでも旦那と一緒でさ」 「これは私怨《しえん》だ、たのむ、おまえは逃げてくれ」 「旦那、捕まれば死罪ですぜ」 「逃げ回っても仕方がない。それにこれ以上人を斬るのに飽きた」  飽きたというよりも、無造作に人を斬るじぶんが怖ろしくさえなっていたのだ。すでに嘔吐もなければ焦燥もない。人を斬殺して何も感じなくなっているじぶんに気付いていた。  昨夜、お若におれは弱い人間だと言った。これも人としての弱さだろう。嘔吐していたころはまだよかったと思う。仁助は弥介よりも多くの浪人を殺しているが、いくらかの荒《すさ》みはあるもののさして変わったとは思えない。それだけ弥介よりも強い人間だと言えるのだろう。 「旦那、考え直していただけませんか、昨日のきれいな女《ひと》、お若さんとか言いましたね。あのひとだって」 「仁助、おまえはここからもどってくれ、わし一人でやる」 「旦那、わかりました。何も言いますまい。だから、お供させて下さいまし」  弥介は応えなかった。  お若のことを忘れていたわけではない。五日後に会うことになっている。手放したくない女である。少なくともあと一カ月か二カ月はあの柔らかい体を抱きたかったと思う。  昨夜のお若は悶《もだ》え狂った。狂ったとしか言いようのないほど、声をあげ何度も体を震わせ歓喜した。お若の叫びが気になって、その口を押さえたほどだった。抱きしめた腕に胸に、そして、はざまに、いまもまだよく弾む感触が残っているような気がした。かの女はやたらに弥介の胸や腕に唇を押しつけ、吸い噛んだ。その跡は残っているはずである。  だが、未練を残しては何もできない。どこかでふっ切らなければならないのだ。弥介が捕らえられ、死罪になれば、お若が人質にとられることはないのだ。このあたりで幕を引いてもよかろう、と思うのだ。 [#ここから7字下げ] 6 [#ここで字下げ終わり]  内藤新宿は、むかしは萱野《かやの》であったのを、浅草の商人たちが家作を建て、元禄十一年ころから宿場らしくなったといわれているが、享保三年、つまり二年前に廃駅になっていた。だが、内藤新宿の名はそのままで、人は住んでいる。旅人たちのための茶店や居酒屋くらいはあるが、旅籠《はたご》は認められていない。  だから、日本橋を発《た》って甲州道の第一の宿場は新宿より一里半先の高井戸宿になっている。つまり日本橋から三里半になるわけだ。その内藤新宿に浪人が四、五十人も巣食っているという。江戸から流れた浪人たちか。  百造一味の手によって、どれほどの浪人が始末されたかは弥介の知らないところだが、弥介や仁助のような人斬りが十人いるとすれば、すでに二百人ほどが死んでいることになる。そのことを伝え聞いた浪人の中には江戸を去る者も多い。江戸を去りきれなくて、四宿といわれる千住、板橋、品川、そして新宿にとどまっている浪人も多いことだろう。  新宿の四、五十人の浪人が江戸から流れ来たものとすれば、人斬り弥介の名は聞いているはずだし、恨みも抱いていよう。あるいは九沢半兵衛が吹き込んでいることも考えられる。  大勢で押し包んで殺そうとするに違いない。走り回って斬ったとしても、力が続くのは十二、三人くらいまでだろう。第一、白研《しらと》ぎにしてあっても刃が続くまい。  弥介は、歩きながら薄く笑った。半兵衛一人を斬ればよいのだが、そんな僥倖《ぎょうこう》があるとは思えない。斬死すれば、与志と志津の面倒は一生見ると百造が言ってくれた。百造の言葉を信用すれば、そのことについては心残りはないわけである。 「弱い男か」  呟いて嗤《わら》った。  四谷見附大木戸にさしかかっていた。 「旦那、死なないでおくんなさいよ」  仁助が声をかけて、大木戸をくぐっていった。笊をかかえたままである。  大木戸には大名の足軽が六尺棒を持って二人立っている。交代で立つ。番所には常に五、六人の士分の者が詰めている。斬り合いがはじまれば、木戸は閉められ、警戒に当たる。  木戸を出れば関東郡代・伊奈《いな》半左衛門の支配になる。  弥介は木戸の外へ出ながら、再びもどることはあるまいと思った。木戸は暮れ六ツ(午後六時)には閉まってしまう。  大宗寺前までは、ほんの二、三丁である。弥介は道の中央を歩いた。どこにひそんだのか仁助の姿はない。道の左右は大宗寺門前町である。水茶屋が並んでいるが、宿場を廃されて客も少ないようだ。  前方に黒い影が立つのを見た。九沢半兵衛だった。住まいを探すまでもなく、半兵衛は弥介がやってくるのを知って待っていたようだ。 「半兵衛」  弥介は、十間あまりのところで声を放った。当然斬らねばならない。弥介は刀を抜いた。往来する人が逃げ散った。弥介は走り出そうとして足を止めた。大宗寺わきの道から、ぞろぞろと浪人たちが群れをなして出て来たのが見えたからである。出て来た浪人たちは半兵衛の後ろに並び立った。  こうなることは予想していた。浪人たちがなぜ待っていたかは考えるまでもなかった。百造が半兵衛に告げたのである。半兵衛は浪人を集めて待っていた。半兵衛は浪人たちに人斬り弥介の怖ろしさを説き、囲んで葬ろうと申し合わせていた。内藤新宿に棲む浪人のほとんどが集まったのに違いない。 「弥介、どうやら死に場所を得たようだな」  一人で相手にするには、あまりに敵が多すぎた。居並んだ浪人の群れを眺めて苦笑するほかなかった。 「半兵衛、一言聞く、何故《なにゆえ》におまえは、わしに斬りつけた。そのわけを知りたい」 「わけなどというほどのことではない。弥介、おまえの首に百両の賞金を賭《か》けた方がいてな、その金に目がくらんだだけだ」 「わかった」  百両の賞金などと納得できるものではないが、それならそれでよしとしなければならない。弥介が一歩すすめると、半兵衛は一歩退いた。その半兵衛を庇《かば》うように、三人の浪人が前へ出て来た。他の浪人は弥介の技倆《ぎりょう》を見るつもりか、動こうとはしない。四、五十人の浪人は弥介を討つというより、半分は見物のつもりのようだ。 「うぬが、人斬り弥介か」  三人の右手の浪人が言った。  弥介はそれには応えず、つかつかと歩み寄り、あわてて刀を抜こうとするのを、無造作に左首根から袈裟懸《けさが》けに斬り下げ、中央の浪人の胴を薙《な》いだ。その返す刀で三人目が抜いた刀を振りかぶったところを、両手首を斬り落としていた。これを出小手《でこて》という。  一瞬のことだった。  その手練に浪人たちがざわめいた。弥介の目は半兵衛を追っていた。 「半兵衛、逃げるな、おまえは、それほど卑怯《ひきょう》な男だったのか」  呼ばわったが、そのとき、半兵衛は浪人の群れの背後に立っていた。ぞろりと浪人が動きはじめたとき、叫びが上がった。浪人の数人が両手で顔を掩《おお》っていた。  仁助が石を投げているのだ。また一人また一人と叫びを上げる。狙いは適確のようだ。浪人群の背後に一人の浪人が抜刀して近づいて来た。  麻布《あざぶ》の長谷寺《ちょうこくじ》で酒を呑んだ阿比古《あびこ》兵馬《ひょうま》だった。この男も百造一味にこのことを告げられて、やって来たものとみえた。一閃《いっせん》、二閃、背後から浪人群に斬りつけていた。  弥介は大宗寺の境内に走り込んでいた。十数人が抜刀して追ってくる。かれははじめに斬り捨てた三人の返り血を浴びて、すでに鬼になっていた。はじめから返り血を避ける気はなかった。  走りながら、足を止め、振りむきざまに、薙ぎ、唐竹割りに斬る。その度に絶叫が起こる。血飛沫《ちしぶき》がとんだ。  大宗寺後園に逃げ込んだ。七千三百九十六坪の森である。巨木が鬱蒼《うっそう》と茂り、深山の趣きがあった。弥介はこのような森があることは知らなかった。森に入って、これなら戦えると思った。追って来たのが十数人である。他はどうなったのか、考える余裕はなかった。  右に左に走り、一人一人を斬った。深く斬る必要はない。戦闘力さえ奪えばいいのだ。斬り込んでくる浪人の脇腹を裂いておいて、おのれの刀を捨て、浪人の刀を奪った。  浪人たちは散り散りになる。そこが弥介のつけ目でもあった。今度はかれが追う番だ。一人を追って背中を割る。更にいま一人を追った。悲鳴をあげて逃げ惑う。そいつの顔面に刀刃を叩きつけておいて、再び刀を奪い、血脂の乗った刀を捨てた。  浪人の袖を引きちぎって、顔に浴びた血を拭う。すでに十人ほど斬っていた。背後に浪人が迫る。そいつに袖を投げつけておいて、肩を裂いた。  そこで一息ついて、後園を出た。通りには点々と浪人の死骸が転がっている。その一つ一つを覗いてまわった。半兵衛の死骸があるわけはない。仁助と阿比古兵馬を探した。五つの死骸が重なり合った中に、阿比古の姿があった。血にまみれて横たわっているのを抱き起こし、名を呼び頬を叩いた。 「阿比古さん、死ぬな」  かれは薄目を開いて、弥介を見た。 「小田丸さん、あんたの恩に報いただけだ、これでいい」  腹を裂かれ、右腕を切断されていた。すでに大量の血を流している。助かるわけがなかった。  阿比古を寝かせておいて、片手で拝んだ。通りに浪人の姿はない。弥介は大宗寺横丁から路地に走り込んだ。 「仁助、半兵衛!」  と呼んだ。  半兵衛一人を斬ればよかったのだが、半兵衛を逃がして、浪人を斬ることになった。路地の奥から浪人二人が出て来た。逃げようとするのを刀を投げて一人を貫き、脇差を抜いた。残った一人は、刀を構えて向き直った。  上段に振りかぶって斬りつけてくるのを、弥介はつつっと体を寄せて、浪人の心の臓を貫いた。ごぼごぼっと音をたてて血が噴き出す。脇差を引き抜いて鞘に収め、刀をもぎとった。  半兵衛の姿も仁助の姿もない。逃げ去ったのかそれともどこかに倒れているのか、勝手知らぬ土地である。これ以上走りまわっても無益である。百造に教えられた半兵衛の住まいを覗いたが、そこに半兵衛がいるわけではなかったのだ。 「討ち洩らした」  大きく溜息《ためいき》を吐《つ》いて、その場に坐り込んだ。息があがっていた。深く息を吸い、そしてゆっくり刻んで息を吐く。これを四、五回くり返すと、呼吸はどうにか整った。  路地の入口に浪人が立っていた。刀は抜いていない。 「弥介」  と声をかけた。歩み寄ってみると左柄《さがら》次郎左衛門だった。 「次郎左衛門、おまえもか」 「待て、弥介、おれは、あんたに刃を向けるつもりはない」  次郎左衛門は刀を鞘ごと抜いて弥介の前に投げた。弥介はそれを拾って腰に差した。 「弥介、去れ、大木戸には士《さむらい》がつめかけている」 「逃げるつもりはない。おまえは江戸を捨てたと聞いていたが」 「そう、この新宿に住んでいる」 「半兵衛と一緒か」 「半兵衛が転がり込んで来た。あんたを斬り損ねたと言っていた」 「百両の賞金が目当てだったのか」 「違うだろう、おれは聞いてはいない。おれにもわからんのだ、半兵衛がなぜあんたに斬りつけたのか」 「わしにもわからん」 「おれは、いまでもあんたの朋輩《ほうばい》のつもりだ」 「信じておこう、次郎左衛門、死ぬなよ」 「弥介、どこに行く」 「これだけ斬って、逃げるわけにもいくまい」 「捕らわれるのか」 「もう斬り飽きたのでな」 「弥介、死ぬな」  次郎左衛門の声を背中に聞いて、弥介は大木戸に向かって歩き出していた。心残りは半兵衛を斬れなかったことだけだった。  大木戸は当然閉められ、そこに十人あまりの大名の家臣とみえる士が並んでいた。 「神妙に縛《ばく》につけ」  士の声が心なしか震えていた。弥介は笑って刀と脇差を鞘ごと抜いて差し出した。一人がそれを受け取り、足軽らしい男が二人、弥介に縄を掛けた。 「姓名を聞いておく」 「浪人、小田丸弥介と申す。よしなに」  木戸が開けられ、そこに駕籠《かご》が待っていた。弥介がおのれから縛につくのを知っていたかのように。駕籠のわきには、町同心が一人立っていた。 [#改ページ] [#ここから3字下げ] 闇 の 影 [#ここで字下げ終わり] [#ここから7字下げ] 1 [#ここで字下げ終わり]  小田丸弥介は、薄鼠色《うすねずみいろ》の衣服を着て、牢《ろう》の中に端座していた。八丁堀にある大番屋である。江戸市中八カ所にある大番屋には仮牢があった。  まず罪人は、この仮牢に入れられ、入牢証文ができるまでは、仮牢に留め置かれる。入牢証文ができれば、伝馬町《てんまちょう》大牢に入れられることになる。  すでに三日が経っていたが、何の沙汰《さた》もなかった。時刻になれば飯が入れられる。弥介はそれを食った。三日前に四谷大木戸からこの八丁堀の大番屋に駕籠《かご》でまっすぐに運ばれて来て、そのままだった。入牢証文が何日もかかるわけはなかったのだ。  弥介は断罪を待っていた。浪人十五人を斬っている。いかに百造《ひゃくぞう》一味でも、この死骸《しがい》を運び去ることはできなかった。死骸が残れば、町奉行所は事件としてあつかわなければならない。  内藤新宿は、町奉行の支配ではなかったが、なぜか町同心に渡され、大番屋に運ばれた。その辺のいきさつがどうなっているのかは、弥介の知らぬことだった。  阿比古《あびこ》兵馬《ひょうま》が五人ほどを斬《き》って斬死《きりじに》した。仁助がどれほど殺したのか、五、六人としても、内藤新宿で二十数人の浪人が死んだことになる。大事件である。すぐに弥介の首を刎《は》ねないのが不思議なくらいである。罪状は調べるまでもなかったのだ。  牢の中には、畳一枚が入れられていた。その畳の上に坐《すわ》り寝るのだ。綿入れの丹前が一枚与えられた。  牢の外には、家主が一人、店番《たなばん》と呼ばれる男が二人、これが夜になると二倍にふえる。定回り同心が、ときどき顔を覗《のぞ》かせる。それに書役が一人いた。みな町の者たちである。浪人は士《さむらい》のあつかいは受けない。盗人や下手人《げしゅにん》と同じあつかいのはずである。  弥介は瞑目《めいもく》し胡坐《あぐら》をかいていた。  ——仁助は生きているのだろうか。  とそれから考えた。仁助は石を投げて相手の目を潰《つぶ》しておいて鎧通《よろいどお》しで刺す。五、六人が叫ぶのを見た。あとはどうなったかわからない。刺し傷で死んでいる浪人の死骸がいくつかあるのを見た。あるいは路地裏で死んでいたのかもしれない。すばしっこい男だった。小太刀の技も心得ていた。むざむざとは死ぬまいという思いはある。  半兵衛一人を斬るつもりで、肝腎《かんじん》の半兵衛を逃がして、浪人十五人を斬った。十五人の命を絶って、弥介の胸には何も残らなかった。いまは何の感情もなく斬れる。そのことが空怖ろしかった。まさに人斬りになっていた。浪人とて、悪人とて、おのれの命は惜しい。それを無惨に斬殺してしまってよいものではあるまい。もちろん相手が挑まなければ、弥介は斬らない。刀を抜いたからには、斬られても文句は言えない。手向かいもしない女、子供を斬ったわけではないのだと、弥介は、おのれの胸に言い聞かせてみるが、斬殺することには変わりはないのだ。  人質をとられ、百造に命じられて、浪人を斬っている者が、他に何人いるかは知らないが、それらの人斬りたちは、人斬り弥介の名が高いために、その名はほとんど噂《うわさ》にもならない。だから、江戸の浪人たちの憎悪|怨恨《えんこん》は、すべて弥介に向けられることになる。  だが、いまの弥介には、そのことはすでに過ぎたことだった。待つのは、ただ首を刎ねられることだけだろう。  百造一味の正体を知らずに死んでいくのは、いくらか心残りではあるが、たとえそれを知ってもどうなるものではない。  半兵衛が弥介に斬りつけたのは、百両の金のためではあるまい、と左柄《さがら》次郎左衛門が言った。ならば何のために半兵衛は斬りつけたのか、いまはどうでもいいような気がする。  五日が経ったが、奉行所からは何の沙汰もない。  ——そういえば、今日はお若の店に行くと約束した日だった。  弥介は自嘲《じちょう》した。瞼《まぶた》にお若の優しくて白い裸身があった。あの柔らかい体を抱きたいと思い、勃然《ぼつぜん》とするものがあった。なめらかな肌に触れ、豊かな乳房をこの手に掴《つか》みたいと思う。  与志《よし》と志津が攫《さら》われた二月から、弥介の運命はどこか狂いはじめたのだ。怨恨で人を斬るのはまだよい。そこに煮えたぎるものがある。人質をとられているために、仕方なく人を斬る。一人を斬るにも、何かを煮えたぎらさねばならない。すでに三十五人を斬っている。それだけの疲労は蓄積されている。ここらで命を閉じても未練はない。 「弥介さま」  女の声に、弥介は瞼を開いた。牢の外にお若が坐っていたのである。 「お若」  思わず声を発していた。三和土《たたき》には同心が立っていた。お若を連れて来たのであろう。肉付きのよいお若の体が牢の外にあるのを見て、弥介はおのれの一物に血が流れ込むのを覚えた。抱きたいと思った。 「わしがここにいるのを誰《だれ》に……朝印奈《あさいな》兵三郎《へいざぶろう》に聞いたのか」  牢格子の間からお若の白い手が泳いだ。まるで弥介の股間《こかん》を探るかのように。 「差し入れだ、食うがよい」  土間の同心がそう言った。牢内には箱包みが置かれていた。重箱なのだろう。お若の目が弥介に向けられている。弥介さま、と小さく言って、同心にうながされて、番屋を出ていった。  重箱を開けてみて鰻重《うなじゅう》であることを知った。それを半分ほど食って箸《はし》を置いた。疑惑が頭に浮かんだ。  ——朝印奈兵三郎!  知り合ったのは二年ほど前であった。雑沓《ざっとう》の中で互いの鞘《さや》が当たった。朝印奈は弥介と近づきになるために、故意に鞘を当てたのだ、と考えてみたのだ。南町奉行大岡越前の内同心が、なぜ弥介に近づいて来たのか。おぼろげながら頭に浮かんだものがあった。はっきりとはしないが、何かがわかりかけて来たような気がした。  翌々日、朝印奈兵三郎が姿を見せた。 「小田丸弥介、そのほうの容疑は晴れた」  と言った。牢を出ると、そこに衣服と大小が揃《そろ》えてあった。赤漆塗りの鞘だった。弥介は無言で着換え、大小を差した。頭に浮かんだものは膨れつつあった。黙ったまま大番屋を出た。いずれは朝印奈兵三郎とは決着をつけなければならない。いまは、お若は朝印奈がさし向けたものと思わないわけにはいかなくなっていた。  堀沿いの道を北へ向かっていく。途中で百造が声をかけてくると思った。なぜ、斬首しないで牢を出されたのかは、あとでゆっくり考えようと思った。足は松屋町に向かっていた。お若の住まいは八丁堀の近くにあったのだ。家の前にお若が立っていた。百造でなくてもよかったのだ。 「弥介さま、お待ちしておりました」  家の中に入ると、そこに髪結いが待っていた。髪を洗われ、結い直され、鬚《ひげ》もあたってくれた。この住まいには不思議なことに湯殿まであったのだ。町家には湯殿は許されていなかった。この家は特別なのだろう。弥介は湯に入って垢《あか》を落とした。七日間牢に入っていたことになる。  湯から上がると、座敷に酒肴《しゅこう》の用意ができていた。 「弥介さま、おめでとうございます」  とお若は両手をついた。何の真似《まね》だと怒鳴りたいおのれの胸を押さえた。命を長らえた安堵《あんど》はなかった。町奉行は、はじめから弥介の首を刎ねる気はなかったのだ。  お若の酌を受けた。水っぽくない酒である。咽《のど》に滲《し》みた。胃の腑《ふ》がかっと熱くなるのを覚えた。  酒膳《しゅぜん》をのけて、お若の手首を掴んで引き寄せた。崩れかかるのを抱き止めておいて、着物の裾《すそ》を割った。手は膝頭《ひざがしら》を掴み、腿《もも》を撫《な》であげた。 「弥介さま」  当然のことながら抗《あらが》った。 「ここではいやです。あちらに寝間が」  と抗うのにかまわず、手は臀《しり》に届いていた。柔らかくなめらかで冷ややかな尻だった。腿はぴたりと閉じられている。 「いやか」 「なぜでございます」  弥介は、ゆっくり腿と臀を撫で揉《も》み、感触をたのしんでおいて、腿の間に手をねじ込んだ。しっかりと合わさっていた腿は諦《あきら》めたように開いた。はざまの膨らみを掴みゆさぶっておいて、切れ込みに指を埋めた。そこは潤み、熱をもっていた。  弥介はお若の股間に体を割り込ませると、あっさり体を繋《つな》いだのである。湯上がりにこのことを予定して下帯は締めていなかった。かれがのしかかると、お若は顔をそむけた。 「おまえは、朝印奈の手下だったのだな」 「…………」  横顔も美しかった。 「わしに近づいたわけを聞きたい」」 「…………」 「十五人の浪人を斬ったわしを、町奉行はなぜ釈放した。それくらいは聞いていよう」 「むかしからお慕い申しておりました」 「嘘《うそ》だ。おまえは朝印奈に言われて、わしに近づいて来た、そうだな」  弥介が腰をひねってもお若はそれに応《こた》えようとはしない。 「でも、お慕いしていたのは嘘ではありません」 「朝印奈に頼まれたことは認めるのだな」 「…………」  弥介は噴出させぬままに体を離した。お若ははね起きると乱れを繕った。弥介は背を向けて上帯を締めると、そのまま、玄関に向かった。そこには新しい雪駄《せった》が置かれていた。 「弥介さま」  お若が呼びかけるのに応えず、雪駄をつっかけて表へ出た。そのまま北へ向かって歩く。神田は北側になる。神田・雉子町《きじちょう》の浅右衛門長屋に行ってみようと思った。住まいはもとのままにしてあるはずだった。  常盤橋《ときわばし》御門から両国広小路への通りを横ぎったところで百造が肩を並べて来た。 「旦那、お住まいにご案内いたします」 「百造、おまえたちを使っているのは、大岡越前か」  応えるわけはなかった。  百造が連れていった新しい住まいは、柳原土堤《やなぎわらどて》に沿ってある郡代屋敷の裏手、豊島町《としまちょう》二丁目の路地裏にあり、平永町の住まいと似た造りだった。  その住まいには仁助がいた。 「旦那、お帰りなさい」  と迎えた。 「百造、聞きたいことがある、上がれ」  しかし百造は首を振って拒んだ。もっとも、何か聞いても喋《しゃべ》るような男ではない。無理に喋らせようとすると、舌を噛《か》み切るに違いない。そのことはとうに心得ていた。百造は帰らせた。 「旦那、酒の用意をしておきました」 「誰が知らせた」 「百造ですよ」 「仁助、公儀と百造はぐるだ」 「え?」 「いや、百造たちの黒幕は、町奉行だというべきかな」 「旦那」 「大岡越前はただの町奉行ではない。将軍家の意を請《う》けている。そうでなければ、わしを釈放することはできないはずだ」 「旦那、とにかくようございました」 「町奉行の一存ではできぬ、と思うたが、大岡越前ならそれができる」 「あっしには、何のことかわかりませんが」 「百造らの正体がいま一つわからん」 「旦那」 「そうだったな、わしとおまえが、いかに考えようともどうにもならんことだな」 「へい」 「仁助、よく生きていた」 「いえ、旦那のあの凄《すご》い腕を見て、浪人の半分は逃げていきましたよ」 「おまえ、何人刺した」 「六人でしたかね、そう、忘れていました。これを預かっています」  と言って紙包みを出した。開いてみると十両の金があった。十五人の浪人の斬り代ということになる。 「仁助、遊びに出よう」 「旦那、ほんとですかい」  と目を輝かせた。金を懐中に入れて立った。何か妙に焦立《いらだ》ちがあった。仁助と住まいを出る。遊びに行くといっても、遊ぶところを知っているわけではない。与志と世帯を持ってから、遊びというものを知らなかった。 「旦那、深川で」  両国広小路に来ていた。そこで、お若と来た船宿を思い出した。二階の窓からの神田川の眺めは悪くなかった。こぎれいな女将《おかみ》がいたことも忘れてはいない。お藤《ふじ》といった。船宿で女を世話してくれることは知っていた。  店の名は忘れていたが、その店の前に立って、『ひさの』であることを知った。店に入ると若い女が出迎えた。少し休みたいというと二階へ案内してくれた。  座敷に入って若い女に一両を渡して、女を一人たのむと言った。 「あのお一人でよろしいのですか」 「わしは女将と話したい、暇だったら呼んでくれ」  その若い女中が酒膳を運んで来た。 「旦那、いい所をご存知ですね」  待つまでもなく、二十二、三と見える若い芸者風の女が姿を見せた。わりに姿のいい女である。もっとも一両出せば、吉原でもましな女が買える。 「お女中、この男をたのしませてやってくれ」 「いいんですかい、旦那」 「わしのことはかまうな」  仁助が女と共に去っていった。  弥介は、刀を抱いて窓辺に坐り、神田川を眺めた。日暮れが近い。深い谷のようになっている川が霞《かすみ》にけむっているように見えた。川のむこうは柳原土堤である。その土堤のそばに郡代屋敷が広々と見えていた。  お若を責めてみても仕方なかったのだ、と思った。大番屋から釈放されてみて、百造一味の黒幕は大岡越前だと思ったが、何の手証もあるわけではないのだ。  首を刎ねずに釈放したのは、まだ弥介にやらせる仕事があるのだろう。  大岡越前が百造一味を雇って、江戸の浪人の始末を考えた。そう考えて無理がないような気がした。もちろん、すんなりそう考えられるわけではない。  公儀は、代々大名改易策をとってきた。外様《とざま》大名だけではなく譜代大名も同じである。大名家が潰れることによって、多くの無宿《やどなし》浪人を排出した。もちろん、その中の一割か二割かは職を見つけた者もいようが、大半は、各地を浮浪する。当然、江戸にも多くの浪人が流れてくる。そのために江戸の治安が悪くなってくる。二、三人が群れている間はまだいいが、百人二百人と集まると、謀反《むほん》を企《くわだ》てる者も出てくる。  公儀が作り出した浪人を、町奉行が尻拭《しりぬぐ》いしなければならなくなる。浪人のほとんどは無宿である。職も持たない。食っていくには悪事を働くしかない。  無宿人狩りはできる。公儀では慶安四年の由比《ゆい》正雪《しょうせつ》の乱のあとに浪人狩りをしているが、狩り集めた浪人の始末に困った。それらを佐渡の金山に送り込むにも人数が多すぎるし、費用もかかりすぎる。そこで大岡越前が考えたのは、浪人に浪人を始末させることではなかったのか。  浪人と浪人が斬り合えば私闘である。それで江戸の浪人が半減すれば、町奉行の大岡越前とすれば、言うことはないはずだ。それで大岡越前は百造一味を雇い、腕の立つ浪人を調べあげて、それらの親、妻、子を攫って人質とし、浪人どもを斬らせた。  そう考えてみれば、どこか納得いく。百造らが攫った者たちに親切で大事にあつかっているのも頷《うなず》けるのだ。弥介は大岡越前の一つの道具に過ぎなかったことになる。  百造らが浪人の死骸を手速く始末したのは、町奉行所に手証を与えないためではなく、庶民の目に晒《さら》さないためだった、と考えては無理だろうか。  百造がさるお方[#「さるお方」に傍点]と言った。そのさるお方は大岡越前ではなかったのか。押上《おしあげ》村の宗右衛門もそれを知っている様子だった。元凶が大岡越前だと考えると、筋道が通ってくる。  このことにはかなりの金がかかっているものとみえる。攫った者たちの暮らし、弥介のように斬る浪人たちの暮らし、そして一人一人の人斬り代数千両、いや一万数千両かもしれない。公儀にそれだけの余裕はあるまい、となれば、大岡越前ならば大商人を説得して、金を出させることはできる。江戸の治安を守るためという大義名分がある。一人千両出しても、二十人の商人がいれば足りることになる。  弥介はそこまで考えて首を振った。考えはいくらでも拡がるが、その手証は一つもない。片頬《かたほお》ゆがめて嗤《わら》うしかなかった。 「ごめん下さい」  と声をかけて、女将が入って来た。 「この間のお武家さま」 「手が空《す》いていれば、少し酌をしてくれぬか」  女将は、笑顔で、膝をすすめてくると、酌をした、が銚子はほとんど空だった。 「お酒を」 「たのむ」  女将は立っていって、しばらくすると銚子を運んで来た。 「お藤さんといったな」 「はい、憶《おぼ》えておいででしたか」  じぶんも呑《の》むつもりで盃《さかずき》も用意してあった。弥介が酌をすると素直に受けた。 「女将に一つ聞きたいことがある」 「なんでしょう」 「わしは、女に好かれる男か」  女将は笑った。 「先日は、おきれいな方をお連れになって、おのろけですか」 「わしは色事には、とんと疎《うと》いほうでな」 「ご冗談でしょう」 「いや、冗談ではない」  女に惚《ほ》れられた、と思ったのは泉《せん》がはじめてだった。お若はお泉さんより先に好きでしたとは言ったが、女の心の裡《うち》はわからない。平永町の住まいにたずねて来たのは、朝印奈兵三郎に頼まれたからだろう。 「あの女には、別に目当てがあった」 「そんな風には見えませんでしたよ」 「人に頼まれて、わしに近づいて来た」  女将は、困ったような顔をした。 「いや、すまん、女将にこんな話をしても仕方なかったな」 「いいえ、わたしでよろしければ、どんなお話でもお聞きします」 「女将に亭主がいなければ口説《くど》いてみたい」 「亭主がいても、かまいませんよ、といっても、いまのわたしは独り者ですけど」 「いや、止《や》めておこう。女将はわしの手に負えるような女ではない」 「あら、そんなにしたたかな女に見えますか、口説くと言っておいて、その舌の乾かぬうちに、手をお引きになりますの、それじゃ卑怯ではありませんか」 「かなわんな」 「お名をお聞かせいただけますか」 「小田丸弥介」 「小田丸弥介さま」  女将は、わずかに首をかしげた。聞いたような名だと思ったのか。 「小田丸さま、知り合いの店があります。そこへおつきあい下さいますか」 「いいだろう」  席料と酒代を払って、店の前で待っていると、女将が出て来た。神田川沿いに少し歩いた八名川町《やながわちょう》にその店はあった。川魚料亭とある。女将の知り合いがやっている店だという。  庭に向いた座敷に通された。四畳半ほどの粋《いき》な造りの座敷だった。お藤はじぶんの店で落ちつかなかったのだと言った。 [#ここから7字下げ] 2 [#ここで字下げ終わり]  船宿『ひさの』は、お藤の父親の代からの店で、そのあとを継いだのだという。二十八歳、亭主は持たなかった。もちろん男には不自由しなかったのだろう。 「旦那のその翳《かげ》りのある深い目に、女は惑わされるのですよ」  とお藤は言った。お若と訪れたときお藤の弥介を見る目は尋常ではなかった。それが記憶の中にあって、仁助を連れて再び訪れる気になったことを、いま弥介は思い知った。 「この目か」 「はい、女が一度は抱かれてみたい目なんです」 「お藤もか」  あら、と言ってお藤は顔をぱっと赤らめ、体をくねらせた。酔いがそうさせるのだろうが、そこに女の色香が滲《にじ》んでいた。  じぶんではじぶんのことはわからない。お藤にそう言われてみて、何かわかるような気もするのだ。女を惑わす目だとは思わないが、そうだとすれば、百造一味に人質をとられ浪人を斬るようになってからだろう。そうだとすれば、頷けるものがあった。  お若は、以前からたしかに小田丸弥介の名は知っていたろう。深川で何度か遠くから見ていたのだろうが、その気があれば弥介の前に顔を見せたに違いない。まともに会ったのは、朝印奈兵三郎に連れられて『わか』に行ったときである。だが、お若の顔に変化が見られたのは、朝印奈が弥介の名を告げたときだった。小田丸弥介の名だけがお若の脳裡《のうり》に刻まれていたのだ。改めて弥介を見て、それから魅《ひ》かれたのだと考えれば納得できないことはない。だが、お若が弥介に抱かれたいと思いはじめたのは、店でかれに乳房をなぶられてからだろう。  そこでお若は、朝印奈に弥介の住まいを聞いたのだ。お若が平永町の弥介の住まいを訪れるまでには、いくらかの間があった。やはりためらいと迷いが渦を巻いていたのに違いない。朝印奈に頼まれて弥介を訪ねたのではなかったのだ。とすれば、今日のお若に対するやり方は、少々|酷《ひど》かったことになる。 「女の気持ちはわからん」 「この間のお方の目は、旦那にひたすらでしたよ」 「そうだったか」 「女の思いは、そのまま目に出ます」 「わしには、女はわからんな」  お若に詫《わ》びねばなるまい、と思いながら、これでいいのだ、という気もしてくる。このままお若と別れてしまえば、浪人に攫われ人質になって舌を噛み切ることもないわけだ。 「旦那、奥さまはおいでになるんでしょう」 「いる。五つになる児もな」  いるといっても、いまはいないのも同じだが、妻子を持っていることに変わりはない。  人斬りの目が、女を惑わすとは知らなかった。泉は弥介のために舌を噛んで死んだ。たしかにあのとき泉が舌を噛まなければ、弥介は刀を投げ出し、浪人たちに斬り刻まれていたのだ。泉が死んだのも弥介の翳りのある目のせいだったとすれば、罪なことである。 「旦那には、目だけでなく、全体に女の心に滲み込むような暗さがあるんですよ。それに後ろ姿なんか、男の淋《さび》しさみたいなものが貼《は》りついていて、女を痺《しび》れさせるんですよ」 「お藤には、よくわかるんだな」 「わたしも男で苦労してきましたからね」  与志と志津が攫われる今年の二月までは、人斬りの牙《きば》を折ってただの版工だった。そのころは、おそらく女を惑わせる何もなかったのに違いない。浪人を斬るようになって、女を惑わせ、酔わせる何かが、おのれの目や体に生じたということか。 「旦那は、女を不幸にするお方です」 「そのようだな」 「でも、女というものは、旦那のようなお方と十日でも二十日でも馴染《なじ》むことができれば、それだけで納得できるんですよ」 「そんなものか」  泉は、倖《しあわ》せだったと言って舌を噛んだ。お藤の言い方からすれば、泉は倖せに死んでいった、ということになる。お若も舌を噛んで死ねると言った。 「旦那は、きっといい処《ところ》の生まれなんでしょうね」 「貧乏浪人の倅《せがれ》だ」 「いいえ、品のよさが、目や鼻に出ています」 「お藤は人相も見るのか」 「人にはおのずから賤相と貴相があるものです。旦那のお顔は貴相です」 「おだてるな」 「いいえ、わたしは多くの男の顔を見て来ています。船宿の女将としても。だから、わかるんです」 「貴相か」  と呟《つぶや》いて自嘲した。なにが貴相なものか、親に大山に捨てられた子である。弥兵衛に拾われなければ、いまごろは生きていないだろう。  弥介は泥酔して、その場に眠った。目を醒《さ》ますと体に薄い布団が掛けられていた。さまざまな夢を見たようだが、何一つ憶えてはいなかった。もちろん、お藤の姿はなかった。 「世話になった、これをとっておいてくれ」  と一両をさし出すと、店の女将は、お藤さんが払ってお帰りになりました。いただけません、という。小粒を置いて豊島町の住まいにもどると、仁助が笑いながら出迎えた。仁助が茶をいれた。濃い茶がうまい。 「旦那、いい女でした。あっしはあんな女ははじめてですよ。世の中にはあんな女もいたんですね」  仁助は、これまで安い女しか知らないのだろう。かれが女を買うと言っても、もと岡場所で春をひさいでいた女たちだったに違いない。もっとも一両も出せば、いい女に決まっている、といっても弥介は一両の女を買ったことはなかったのだ。 「仁助、おまえも金は持っていよう。いつ死ぬかわからぬ身だ、せいぜいいい女を求めることだな」 「そうします」 「ところで仁助、わしは女に好かれる顔か」 「旦那、それをあっしに聞こうてんですかい。そいつは罪だ」 「どうして罪なのだ」 「いえね、真面目《まじめ》に言いますと、旦那のお姿はちょいとこわいんですよ。その目つきもね。そのこわいところが、女にはたまらないんじゃないんですかね」 「こわいか」  男の見方と女の見方は異なるものらしい。 「旦那、あの船宿の女将とはわけありなんですか」 「いや、前に一度会っただけだ」 「あの女将、男で苦労していますね、いい女だ。色っぽいし」 「いつ会った」 「今朝、帰るときに、小田丸の旦那によろしく、と言っていました」  貴相かと口の中で呟いて、嗤った。弥介はおのれの容姿については考えたこともなかったのだ。  手伝いの婆さんが、飯を炊き、味噌汁《みそしる》を作っておいてくれた。それを胃の腑に流し込んだころ、百造が姿を見せた。また人斬りである。  以前は人斬りを百造に命じられると気が重くなった。いまは、人斬りがいやでなくなっている。そんなじぶんを怖ろしいと思う。 [#ここから7字下げ] 3 [#ここで字下げ終わり]  暮れ六ツ(午後六時)、柳原土堤だった。豊島町の住まいからは、ほんの近くだった。弥介は土堤の道に一人立っていた。あたりはまだ薄明るく、首を回すと、川の向こう岸に船宿『ひさの』が見えていた。  お若には詫びを言わなければならん。お藤には礼を言わなければならなかった。ここで浪人と斬り合うのに、さし迫った気持ちはない。人を斬るのには飽きたと言った。飽きたということは日常茶飯事になったという意味でもある。もちろん刀を抜けば命賭《いのちが》けである。常に相手を斬るとは限らない。斬られて果てることも考えている。果てればそれは仕方がない。命を賭けるということに緊迫感がある。緊張感もある。その上で相手を斬り倒すことに妙な楽しみみたいなものを覚えるときがあるのを、弥介は気付いていた。  それを覚えたのは、泉が舌を噛み切って死んだときだった。おのれと叫んで、五人の浪人を斬った。斬ったあとに、痺れに似た快感を覚えていたのだ。たしかに、そのときには泉が死んだ哀しみがあったし、泉を攫った浪人たちに憤怒があった。その哀しみと憤怒の裏に快楽を覚えていた部分があった。  内藤新宿で十五人を斬ったときには、更にその感覚が強くなっていた。もちろん、弥介はその思いを押さえつけてはいたのだが。  人を斬ることが楽しいことだとは思いたくない。だから、それを意識の裏側に隠しておいた。  嘔吐《おうと》がなくなったあとは、浪人を斬ったあと刃が人の体を裂くあの感触に、いたたまれない焦燥感があった。そのために泉を求めた。だがいまは逆に、人の肉を刃が裂く手ごたえが快感となっているような気がする。白研《しらと》ぎにした刃はよく切れる。よく切れればほとんど手ごたえがない。そのわずかな手ごたえに、痺れに似た快さがあるのだ。その快さは女の柔らかい乳房に触れたときの快さに似ていなくもないのだ。  たしかに新宿で十五人を斬ったときには、ほとんど酩酊《めいてい》したような気持ちだったことを思い出す。四谷大木戸を歩きながら、わずかだが、足はよろめいていた。 「すでに人斬りか」  さる大名が夜な夜な、城下町に出て辻《つじ》斬りをしたという話を聞いたことがあるが、おそらくその大名も人を斬ることによって酩酊していたのではなかったのか。  弥介は佩刀《はいとう》を抜いてみた。朝印奈兵三郎が、仮牢を出るときに渡した大小である。赤鞘だった。やはり白研ぎにしてあった。おのれの刀は新宿で捨てた。刀は斬れればそれでよいというわけではないが、刀身の長さも刃の幅も、そして重さも手ごろだった。  その刀を鞘に収めたとき、むこうに二つの影が浮いた。浪人は一人であったはずなのに二人連れということは、斬る相手ではないのかと思った。だが影は士《さむらい》であり浪人だった。士は、刀を左腰に差している。その重さを支えるために、左腰が上がり、上半身が右に傾いて見え、左足は引きずるように歩く。遠目にも、刀を差さぬ者とは、それだけの差があったのだ。  影は二つとも、細身に見えた。手練《てだ》れの浪人にしては骨が細い。いま弥介に合わされる浪人が、ただの浪人であるわけはなかった。弥介と同じように浪人を三十人あまりは斬っている浪人でなければならないのだ。弥介がこれまで一対一で対峙《たいじ》した浪人はほとんどが手練れだった。新宿で斬死した阿比古兵馬も、かなりの達人だったのだ。  二人の浪人は七間ほどの間で足を止めると、 「小田丸弥介か」  と細い体に似合わない野太い声で言った。 「いかにも」 「拙者は城部《きべ》新十郎、仇討《あだう》ちの助太刀をいたす」 「なに」 「大呂《おろ》重左衛門の一子、重之助、父の仇《かたき》、小田丸弥介、尋常に勝負」  と叫んだ。背丈も体の細さも城部新十郎とほぼ同じだが、骨は女のように細かった。  大呂重左衛門、忘れてはいなかった。与志と志津を人質にとられた夜に斬った浪人が大呂重左衛門と言った。かなりの使い手だったのを覚えている。 「仇討ち呼ばわりされる覚えはない。あれは尋常な果たし合いだった、といっても詮《せん》ないこと、相手になる」  弥介は、まず刀を鞘ばしらせていた。城部新十郎は、四間の間までつめて刀を抜いた。 「城部どのとやら、あんたも人斬りであろう。何人斬った」 「そのようなことはどうでもよい、参る」  と足を摺《す》って二間までつめた。構えは正眼である。その後ろに重之助が刀を抜いてひかえていた。かれは新十郎が一太刀浴びせたあと、とどめだけを刺すつもりのようだ。  新十郎の構えは確かなものだった。腕には自信があるのだろう。ゆったりと構えて隙《すき》がない。弥介はいつものように刀刃を右手に下げて、わきに引きつけていた。 「それで、人斬り弥介か」  かれには隙だらけに見えるのだ。もちろん倍速の膂力《りょりょく》がなければできない構えである。隙だらけのために、かえって斬り込めない。もっとも刃を後ろに構えるのも利点がないわけではない。正眼に構えれば、お互いに刀身の長さがわかるが、後ろに引かれては長さがわからない。刀身の長さはそれぞれに違う。一寸長ければ、それだけ深く肉を裂くことになるのだ。弥介は二尺八寸の刀を使っている。  城部新十郎の刀刃は細い。長さは同じほどだが軽く作ってある。つまりそれだけ膂力がないのだ。細身の刃は、かれの体によく似合っていた。だが細身の刃は打ち合うとき折れやすい。だから刃を打ち合わない剣術を心得ていることになる。刀を把《と》って斬り合うときは、丁丁発止《ちょうちょうはっし》と打ち合うものではない。受けたり撥《は》ねたりしては、刃がこぼれ曲がり折れる。もっとも剣術の各流派では、受け撥ねからの変化技が多いが、これは木刀打ちの場合だけである。父弥兵衛が、道場剣法は実戦の役に立たない、と言ったのは、このことだったのだ。  相手の一閃《いっせん》を避けるために見切りの術というのがある。体すれすれに避けるには、相手の刀刃の長さを頭に入れておかなければならない。  弥介には、倍速の目がある。見切りの術を知らなくても、肌すれすれに刃を躱《かわ》すことはできる。一閃を躱せば、敵の体は目の前にあるのだ。  弥介も新十郎も、相手の動きを待っていた。正眼の構えは守りの技である。手練れになると隙がない。動くことによって隙が生ずる。技倆《ぎりょう》の差がなければ互いに動けず、あとは構えを持ちこたえる体力の勝負になる。  弥介は相手が動かなければ、おのれから動く。かれの動きに呼応して相手も動く。そのために弥介は後ろに引きつけた刀刃を斜め上に撥ね上げる。刃が気を裂いて唸《うな》る。  新十郎の鋒《きっさき》が一尺ほど上がった。上段に振り上げずに斬るつもりだ。振りが小さいとそれだけ迅《はや》いが、刃に力がない。相手をわずかに傷つけるだけで肉を裂くことはできない。だから灸所《きゅうしょ》を狙う。九沢半兵衛の太刀筋に似ていた。  新十郎が一歩を踏みこんだ。だが一尺ほど上げたかれの鋒が振り下ろされるより、弥介の一閃のほうが迅速だった。 「わっ」  と叫んで目を剥《む》いた。  新十郎の左肩を一尺ほど裂いていた。当然心の臓をも裂いていた。そのとき弥介は新十郎の左わきに立っていた。刀刃は重之助に向けられていた。新十郎は、そのまますとんと腰を落とし、倒れてから肩の傷がぱっくりと開き、音をたてて血を噴出させた。  大呂重之助は、膝をがたがた震わせていた。当然、構えた刀刃も顫《ふる》えている。 「わしを父の仇と狙ってもよい、だが今日は去れ。今度わしを仇と狙うときには命を賭けよ。人をあてにするな」  弥介が一歩退くと、重之助は、くたくたとその場に膝をつき、尻もちをついた。 「大呂重左衛門どのは、わしと対等に勝負した。この城部新十郎も、大呂どのには及ぶまい」  弥介は、刀を鞘に収めて背を向けた。拭うほどに刀刃に血が付いているわけはない。ただ血の脂が白研ぎの刃を曇らせているだけなのだ。拭って脂がとれるわけではなかった。 [#ここから7字下げ] 4 [#ここで字下げ終わり]  人を斬ったあと女を抱きたいと思うのは、焦燥があるからで、いまの弥介にはそれがなかった。嘔吐し焦燥し、そのあとには何もなかった。他人の命を絶つことに何の感情もなくなったのだ。それが妙に淋しくもあった。  弥介は、堀沿いの道を歩いていた。元浜町、新大坂町、弥兵衛町、富沢町と町家が並んでいる。この道を南へ向かって歩く。今年の一月、深川に住むさるの佐吉が浪人に斬られて堀に嵌《はま》ったあたりである。  空は鉛のように重く垂れていた。  城部新十郎という浪人を斬って四日が経っていた。松屋町のお若の住まいに行くつもりで豊島町を出たが、弥介には迷いがあった。詫びねばならんと思いながら、お若には近づかないほうが無難だという気持ちもあった。  背後二丁ばかりのところに、浪人の姿がちらちらしていた。狙われているのだ。四、五人だろう。すでに三十六人の浪人を斬っている。狙われて当然だろう。江戸の浪人たちは弥介に憎悪をむき出しにしている。仲間を斬った男であり、これからいつ弥介に命を狙われるかしれない浪人たちである。弥介を斃《たお》さない限り、かれらは安心して眠ることもできない。かれら浪人にできることは、弥介を斃すか江戸を去るかの二つしかないのだ。  もっとも、四日前に斬った城部新十郎のような人斬り浪人も七、八人は残っているはずだが、かれらが斬った人数も弥介の斬った数に加えられているようだ。人斬り弥介の名が高いばかりに浪人たちの憎悪は弥介に集中されている。  現に、数から言えば仁助のほうがこなしているはずだ。それなのに仁助の名は、隠れたまま知られていない。そのように百造一味の黒幕はしむけているのであろう。  この浪人たちにお若の住まいをつき止められてはならない。お若を人質にされたくはなかった。  弥介は富沢町の角を右へ曲がった。足を速めて、左の路地に曲がって塀にぴたりと背を押しつけて待った。刀は抜いていた。抜き打ちに斬るのは、得意ではなかった。  やがて、乱れた足音がした。 「逃げ足の速い奴だ」 「ちくしょう、逃げられたか」 「だから、早く包み込んで斬ればよかったのだ」  口々に強がりを言っている。五人いた。弥介は、ぬっと塀を離れて、浪人の前に立った。 「わしに用か」 「わっ」  と叫んで一人がとびのいた。五人がそれぞれに刀を抜いた。もちろん、この浪人たちは弥介の手練を知らない。弥介は五人が刀を抜くのを待った。  後ろに回り込もうとする一人の首のあたりを一閃した。鋒《きっさき》が届かなかったように見えた。その浪人は目をぱちくりさせた。その次の瞬間、その首がぐらりと傾き、浪人たちの足もとに、血を噴きながら転がったのである。  それを目端に入れて弥介は背を向けた。残った四人の足は釘付《くぎづ》けにされたように動かないと考えた。背後に足音がないのを確かめて、刀を鞘に収めた。追ってくるだけの気迫はないはずだった。無造作に一閃して人の命を奪いながら、弥介は何の痛みも覚えていなかった。  松屋町の住まいにお若はいなかった。若い女が、店に出ています、と言った。足は新肴町《しんさかなちょう》に向いていたが、会うべきかどうかにまだ迷いがあった。  会って詫びるのであれば、迷わずにお若に会えばいい、会いたくなければはっきり忘れてしまうことだ、とおのれにいい聞かせる。その迷いが弥介の弱さなのだ。どちらにもふんぎりがつかない。  新肴町の路地の中にある小料理屋『わか』の店さきには暖簾《のれん》が風にたなびいていた。その前を三度往復して、格子戸を開けた。そこに若い娘が箒《ほうき》を手にして、三和土を掃いていた。 「あ」  と娘が声をあげた。 「女将はいるか」 「どうぞお入り下さい」 「いや、ここでいい」  娘は振りむきながら奥へ走り込んだ。下駄の音が軽い。待つまでもなく、お若が姿を見せた。 「先日は、わしの思い違いだったようだ。ゆるせ」  それだけ言って格子戸を閉めた。 「弥介さま」  叫ぶような疳高《かんだか》い声だった。戸が開き歩き去ろうとする弥介の腕を掴んでいた。 「お話しいたします。だから……」  お若は必死の思いで腕を掴み引いていた。案内された部屋は帳場と見えた。まだ客は入っていないようだ。長火鉢があり、その背後には神棚があった。障子を閉めても、外には三人の娘と板前がいる。ここでは落ちついて話はできないと思ったのか、お若は娘に何か言いつけて弥介を二階へ案内した。  そこには炬燵《こたつ》のやぐらに似た卓があった。四畳半ほどの部屋である。 「お酒は」 「止《や》めておこう」  すぐに十七、八と見える娘が茶を運んで来た。湯呑み茶碗を卓上に置くと、お若は改まった。 「お詫びしなければならないのはわたしのほうです」 「聞かせてもらおうか」 「でも、弥介さまとの一夜はわたしの本心でした。それだけはわかって下さい」 「わかっている」  とは言ったものの、女には本心と裏心があるのかと思った。船宿『ひさの』のときだけが本心で他は虚心だったのか。 「わたしは朝印奈兵三郎の女です。この店も」  弥介は頷いていた。この店にはじめて来て、お若に会ったとき、そう思った。勘は当たっていたことになる。 「朝印奈に、わしと寝ろと言われたか」  お若は小さく頷いていた。 「でも、わたしは深川のころから、小田丸さまを知っていました」 「だが、そのころから、わしを好きだったわけではあるまい。わしを好きになったのは、わしに乳房をなぶられてからか」  頷いていた。  さすがに船宿の女将だ。お藤の言った通りだった。 「朝印奈は、天下の大事だと申しました」 「公儀の政事《まつりごと》か」 「はい。朝印奈は、小田丸さまを……」 「待て、それを喋っては、おまえの命があるまい」 「わたしは命を捨てております」 「死ぬなとは言わん、だが、命を粗末にしてはいかん」  お若の双眸《そうぼう》は青い炎が立つほどに燃えていた。 「わしのために命を捨てるのは止めてくれ、迷惑だ」 「ご迷惑ですか。でも、わたしはあなたにお詫びしなければなりません」 「詫びは聞いた。それだけでよい」 「いいえ、わたしの話を聞いて下さい」 「朝印奈を裏切ることになる」 「とうにわたしは裏切っております」 「そのようだな、ならば聞かせてもらおう」 「朝印奈は、人斬りの道具にあなたさまを使うのだと申しました。この仕事が終わったら、二百石の加増になるのだそうでございます」  朝印奈兵三郎は、他の町同心とは異なる。代々町同心を勤めた者は、家禄の加増もなければ出世もない。いかに働こうと同心のままである。だが朝印奈は、大岡越前の直参であり内同心である。働きによっては、家禄を加増され出世もできるのだ。  大岡越前そのものが、後年大名の列に並ぶことになるのだ。その家臣が出世できないわけはないのだ。  お若は大変なことを語ろうとしているのだ。この仕事が終わったら、というこの仕事[#「この仕事」に傍点]とは、弥介らに浪人を始末させることだろう。弥介は人斬りの道具と言った。すると百造一味の黒幕はやはり大岡越前だったのか。  公儀が、江戸にあふれた浪人の始末をする。考えられないことだ。大名を改易にして浪人をふやしたのは公儀である。その公儀が浪人の数を減らす手段として、浪人に浪人を斬らせる方法をとった。  百造一味の動きからして、弥介もそれを考えないではなかったが、まさかと思った。百造が、さるお方[#「さるお方」に傍点]と言ったのは大岡越前のことだったのか。一町奉行が、これだけの大事をやれるわけはない。一奉行の一存でできることではない、とすれば、公儀の上部にも通じていることだろう。あるいは吉宗《よしむね》公|直々《じきじき》の命令なのか。 「江戸の人びとは浪人のために難儀しております。その町の人たちを救うためのご政道と申しました」  弥介は眉《まゆ》を顰《ひそ》めた。 「このことを、はじめに考えたのは、朝印奈がじぶんだと申しておりました。それを上様《うえさま》に申し上げたのはお奉行さまで、疳の強い上様は、すぐに、浪人どもを始末せよと申されたげにございます」  朝印奈は、お若との寝物語に得々と語ったのだろう。 「だが、このことにはかなりの大金が動いている」 「江戸の大商人三十人に千両ずつ出させれば、たちまち三万両とも言っていました」  やはり、商人がつるんでいた。たしかに千両ずつであれば商人にはわずかの金だろう。  だが、と思った。お若に聞いてそういうことであったかと納得はしたものの、その手証は何一つないのだ。弥介がまさか、と思ったことだ。他の人がこれを聞いても、まさかで笑いとばすだけだろう。三十七人を斬ってはじめて、納得できるもので、たとえ浪人たちであっても信じはすまい。  弥介が朝印奈にこれを確かめても、笑いとばすだけかもしれない。あるいは朝印奈はお若が弥介に喋るのを予期しているのではあるまいか。 「朝印奈は、小田丸は公儀のために働いている。慰めてやれ、と申しました」  お若は、そう言って、ぽとりと涙を落とした。 「お若、死ぬな、おまえがわしに喋るであろうことは、朝印奈も知っているはずだ。おまえを責めはしない。殺しもすまい」 「殺されても本望でございます」 「わしのために、死なんでくれ」 「弥介さま」  お若は膝をにじらせ、かれの膝に崩れて来た。枯葉に似た匂《にお》いが、衿《えり》もとから陽炎《かげろう》のように立ちのぼっていた。 「わしは、朝印奈を斬る」 「お止め下さいまし、あの男は手練れでございます」  元凶は朝印奈兵三郎なのだ。手練れであろうとなかろうと斬らねばならない。  お若を抱いてやりたかったが淫情はどこかに霧散していた。 [#ここから7字下げ] 5 [#ここで字下げ終わり]  数寄屋橋《すきやばし》御門内の南町奉行所に、朝印奈兵三郎を訪ねたが、かれは他出していた。大岡越前と手下の間を走り回っていたのは朝印奈だったのだろう。  朝印奈一人を斬ってもどうなるものではない。命を絶った数百の浪人の恨みを、かれに背負ってもらおうと思った。もっとも、手下を使って人質をとり、腕の立つ浪人に浪人を斬らせ、江戸の浪人を半減させようと画策したのは大岡越前だろう。だが、越前では手が届かぬ。  ——朝印奈を斬るのは、せめてもの憂さ晴らしか。  陽は落ちていた。灯《あか》りのついている町を縫うようにして、平右衛門町の船宿『ひさの』にお藤を訪ねた。お藤はいた。かの女は弥介を店には入れず、外に待たしておいて、出てくると、別の店に案内した。そこは『喜平』という船宿で、造りも『ひさの』と似ていた。二階の座敷に通され、お藤は女中に酒を頼んだ。  障子を開けると、眼下に神田川があった。水面に対岸の家の灯りを映している。 「先日の礼と詫びを言わねばならん、と思うてな」 「お礼とお詫びだけですか」  とお藤は媚《こ》びたように笑った。お若の色香とは異なる。女の色香とはさまざまなものだ、と思う。  朝印奈兵三郎を斬るのは、浪人を斬るのとはわけが違う。斬るのは違わない。身分が違うだけのことだ。町奉行所が黙ってはいまい。今度こそは首を刎《は》ねられよう。その覚悟はできているが、その前にやっておかなければならない事があるような気がし、考えてみたくてお藤を訪れた。  考えてみれば、どれもこれもたいしたことではなかった。与志と志津には、いまさら会っても仕方がない。強《し》いて会いたいとは思わない。泉の四十九日がやがてくるが、それは百造にまかせておけばいい。押上村の宗右衛門にいま一度会いたいと思ったが、ただそれだけのこと。おのれが捨てられていたという大山石尊寺にも詣《もう》でてみたかったし、九沢半兵衛とのけりもまだついていない。どうしても斬らなければならないという執念もない。人は、すべてのものを片付けて死ねるわけではあるまい。それくらいのものは残しておいていいだろう。  ——お若は、朝印奈の女だったか。  その思いがあった。考えてみればもっともなことだった。お若がじぶん一人であの店を持てるわけはなかったのだ。 「旦那」  と、お藤がかれの袖《そで》を引いた。 「旦那の前にはわたしがいるんですよ」 「すまん、男には男の事情がある」 「その事情とやらは、引っ込めて下さいな。でも、旦那のそんなところが憎いとこなんでしょうね」  酒肴が運ばれて来て、お藤が酌をする。弥介が酌をしてやるとお藤も呑んだ。お若ほど色白でもないし美しくもないが、男をたのしませる何かを持っている。男好きのする女とはお藤のような女を言うのだろう。姿も男を魅了するものを持っていた。 「旦那と一年ほど暮らしてみたい」 「一年か」 「いいえ、今夜だけでいい」 「一年と一夜ではずいぶん違うな」 「女にとっては同じなんですよ」 「一年も一夜も同じか」 「一夜だけのほうがいいのかもしれない。他の男に抱かれながら、旦那との一夜を思い出す、きっといい気分でしょうね」  そうかもしれんと思う。泉と共に暮らした二カ月余、いま思い出せば、その二カ月が一夜であってもこと足りた。  逆に考えると、与志と志津が攫われて五カ月余だが、さまざまなことがあった。弥介には、十年にも二十年にも相当するように思えるのだ。 「わしの顔に死相はないか」 「死相ですか」  と言って、お藤は弥介の顔をみつめた。その目は潤み、強く煌《ひか》っていた。硬い表情を崩して笑った。 「しそうでしないのが、旦那じゃないんですか」 「しそうでしない?」 「ほら、この間、旦那はわたしの手も握らないで、眠ってしまったじゃありませんか」 「したほうがよかったのかな」 「女はいつもそれを待っているんですよ」  お藤はあの夜、弥介が泥酔すると、金を払って黙って帰ってしまった。女の思いやりであろうか。もちろんそれがあったから、今日訪ねる気になったのだ。男と女の遊びをよく心得ているのだろう。 「お藤のような女がいては、死ぬのに未練が残るな」 「死ぬ予定でもおありなんですか」 「あるような、ないような、人が生きているということは、そんなものだろう」  内藤新宿で十五人の浪人を斬ったとき、当然、首を刎ねられているはずだったが、大岡越前の目当てはまだ先だったとみえ、仮牢から出された。いまこうしてお藤と酒を呑んでいるのは余禄か。 「お藤には相手になってくれる男は、いくらもいよう」 「わたしを相手にしたい男はたくさんいます。でも、わたしが相手にしたい男には、あまりお目にかかれません」  押上村の宗右衛門は、弥介に死相が出ていると言った。お藤にも弥介の死相が見えて、巧みにはぐらかした。  朝印奈兵三郎は疋田陰流《ひったかげりゅう》皆伝の腕だという。あるいは及ばぬかもしれないという思いがあるが怯えはなかった。  お藤は隣室に入り、しばらく経ってから、弥介を呼んだ。立って襖《ふすま》を開けると、お藤は夜具に入っていた。弥介も帯を解いてお藤のそばに滑り込み、熱い体を抱き寄せた。行燈《あんどん》の灯りが、女の横顔を白く浮き上がらせていた。  衿を開いて乳房を探った。お若のほどには大きくはなかったが、手ごろで弾力があった。乳首ははじめから尖《とが》っていて、かれの掌を刺す。膨らみを揉みほぐしながら、乳首を指の股《また》に挟み締めつける。 「はじめてうちの店にみえたとき、旦那とはこうなると思っていました」 「それが女の勘か」 「そうでしょうね」  女がすべて情にからんでくるわけではない、と弥介は思う。このお藤とは情をからませないでたのしめそうだ。情がからまなければ、怯えは孕《はら》まないのか、とじぶんに問うてみたが、わからない。泉のように攫われたとき、刀を投げ捨てないで浪人を斬れるか、となると自信はない。刀を捨てなければこの女を殺すと言われれば、やはり刀を捨てなければならないだろう。  弥介が、体をずり下げ、乳房に唇を這《は》わせ、手をはざまに滑り込ませると、お藤の体が腰をよじるように動き、肌を擦《す》りつけようとする。弥介の手が動きやすいように腿は開かれていた。切れ込みは熱い沼になっていた。指が動くのに合わせるように腰は揺れ、その度に潤んだ声をあげる。露にまみれた二指が沼の深みに滑り込む。多くの襞《ひだ》が指にからみつき、筒そのものが指を締めつけて来た。そこにうねりが生じていた。  お藤の手がかれの股間をさぐり、勃《そび》え立ったものを手にし、それに指を這わせる。その指は男のあつかいに馴れていた。お藤はかれを仰臥《ぎょうが》させると体を起こした。かの女が何をしようとするのかは、弥介にもわかっていた。予期した通り、かの女は、あっさりとそれを口に咥《くわ》えたのである。  唇と舌が這いまわるのを覚えながら、弥介は天井を見ていた。古い家らしく天井は煤《すす》けている。その天井に走馬燈のようにさまざまな光景が映し出されていく。  与志と志津の顔から、深川のころの仲間の顔。それらの浪人は左柄次郎左衛門と九沢半兵衛を残して斬死している。そして、弥介が斬った浪人の顔、姿、弥介の一閃を浴びて、かれらは一人二人と斃れていく。何故《なぜ》斬らねばならないのかは考えなかった。妻と子を救うため、と考えたのはほんの二、三人だった。あとはただ狂気だけだったような気がする。  泉とお若、そして最後に残ったのはお藤の顔だった。お藤の顔がそこにあった。弥介に跨《またが》って来た。お藤はまぶしそうな目でかれを見ていた。おのれの一物はかの女の体の中にあり、かの女が臀《しり》を振る度に躍っている。かれは両手を伸ばし、柔らかい肉付きのいい尻をかかえ、その肉を掴んでいた。 「旦那、死んじゃいやですよ」  濡《ぬ》れた声で言った。  目の上に二つの乳房が揺れている。さほど大きいとは思わなかったが、こうしてみると膨らみはかなり大きく見える。  お藤は弥介がどのような男かは全く聞こうとはしなかった。こうして体を重ねるのに、男の過去は必要ないのだ。もちろん弥介が人斬りであることも知らないのだ。だが、近いうちに弥介が死を賭けるであろうことは、女の勘で知っている。  お藤は乳房をかれの厚い胸板に押しつけ、身を揉んだ。かの女は男の腰をしっかり挟みつけていた両腿を閉じると、そのまま仰臥し、弥介を上にのせ、再び腿を開き、膝で折り立てた踵《かかと》で下から持ち上げ、浮き上がった臀を振って、けたたましい声をあげ、身を震わせ強直させた。そして体から力を抜き弛緩《しかん》させると、大きく溜息《ためいき》を吐《つ》き、再びしがみついて来たのである。 「旦那、わたしの体は旦那を忘れませんよ」  女は、男を体で憶えているもののようだ。男は、頭でしか女を思い出すことはできない。すでに泉も、お若も、記憶でしか弥介の中にはなかった。  再びお藤の体がうねり、攣《ふる》えた。ひときわ高い嬌声《きょうせい》が迸《ほとばし》った。 [#ここから7字下げ] 6 [#ここで字下げ終わり]  梅雨《つゆ》はまだ明けているわけではなかったが、梅雨も休むことはある。空は晴れていた。その蒼《あお》い空には、夏の気配が感じられた。  弥介は、南町奉行所の門わきに立ち、高い塀にもたれていた。朝印奈兵三郎を訪ねて三日目だった。一昨日も昨日も、かれは他出しているようである。多忙なのだろう。  昨日、百造が豊島町の住まいにやって来て、太刀を換え、浪人との果たし合いを頼み、時刻と場所を告げていった。一対一の斬り合いはすべて果たし合いだったのだ。だが、お若からすべてを聞いたいま、浪人を斬る気はなかった。もちろん、百造にも仁助にも、お若に聞いたことは伏せておいた。百造が置いていった刀の鞘は朱塗りだった。朱塗りの鞘が何を意味するのかは知らないが、八丁堀の大番屋を出てからは、朱塗りに変わっていた。  弥介がおのれから挑んで斬ろうとするのは朝印奈だけだろう。三十七人の浪人は、かれが好んで斬ったわけではない。腕がむず痒《がゆ》い。朝印奈を斬りたがっているのだ。  呼び出しを頼んだ小者が出て来て、 「朝印奈さまは他出でございます」  と言った。 「ならば、また明日こよう」  と言って、踵《きびす》を返しかけたとき、門に入ろうとする朝印奈の姿が見えた。小者が走っていって告げる、とかれは弥介を見て手を挙げて、そのまま門に入っていき、小者が走りもどって来て、 「しばらく、お待ち下さいとのことでございます」  と言った。待てといえばいつまでも待つつもりである。四半時《しはんとき》(約三十分)を待つと、朝印奈兵三郎が、屈託のないいつもの顔で姿を見せた。 「小田丸さん、しばらくですな」  と磊落《らいらく》そうに言った。  数寄屋橋を渡らず、内堀沿いに鍛冶橋《かじばし》へ向かって歩く。右側が堀で左側は大名屋敷が並んでいる。人通りはなかった。  磊落そうに見せて狡猾《こうかつ》な男のようだ。両国広小路でわざと鞘を当て、近づきになり、いかにも朋輩《ほうばい》のような顔をして、弥介の人斬りを、遠くから眺めていた男である。知り合ったのが二年前、そのころから浪人処理の計画は練られていたのだろう。  弥介は、朝印奈の斜め後ろを歩きながら、体に貯《たくわ》えた気迫の一部を放出した。その瞬間に朝印奈は、一間あまりも跳躍していた。たしかにかなりの手練れのようだ。  朝印奈は、弥介に向き直ると笑った。 「お若に聞いたか」 「…………」 「いずれ、お若がおまえに喋るとは、思うておった」 「わしに喋ると知って、お若に語ったのか」 「寝物語とはそんなものだろうよ」 「そのお若を、なぜわしに近づけた」 「あんたは公儀のために、いや、お奉行のために働いておる。少しは慰労しなければなるまいと思うてな」 「そうではあるまい。わしが何を考えているか知りたかったのだ」 「それもある。おれがはじめてお若の店に連れていったとき、あんたの口振りはお奉行を疑っていた」 「だから、お若を近づけたのか」 「お若は、あんたに惚れていた。あんたのような、剣を使うだけしか能のない浪人に、お若がなぜ惚れたのか、おれにはわからん、女とは奇妙な生きものよ」 「お若のことはよい。公儀の手で作り出した浪人を、なぜ公儀が始末する」 「浪人どもは、公儀にとっては毒にすぎない。害毒である」 「ならば、わしら浪人の手を借りることもあるまい」  朝印奈は、唇をゆがめて薄く笑った。 「毒を制するに毒をもってする。毒を制するに薬をもってしてはもったいない。毒どもが毒を消してくれれば、われわれ町奉行所としても手間がはぶける」 「それは大岡越前の考えか」 「おれが進言した」 「わしは毒か」 「猛毒だろうな。雑魚《ざこ》は別にして、おまえが斬った者たちは、それぞれに毒を持っていた。それらの毒が集まって由比正雪になっては、公儀も手を焼くことになる。毒はまとまらないうちに始末すべきだ。これがご政道でもある」 「…………」 「上様のご賛意を受けてもおる」 「それで、目当ては成ったのか」 「江戸の浪人は半数になった。お奉行も満足しておられる」 「ならば、わしの仕事は済んだわけだな」 「まだまだ働いてもらいたいが、毒はまだ何人もいる」 「わしが、このことを江戸の者たちに触れ回ったらどうする」 「愚かなことだ。何の手証もあるわけではない。そのことよりも、江戸の商人や町人たちは、町が平穏になってよろこんでおる。町奉行所には、そのことが大事なのだ」 「奉行所は、商人や町人たちのために働くというのか」 「そのために、町奉行所があり、与力、同心がいる」 「笑わすな、町奉行所は、町の者たちが悪さをするのを見張り、捕らえて罰するためのみにある」 「まあ、よいわ、あんたと談合してもはじまらん。小田丸さん、そろそろはじめようではないか、あんたを斬る!」  朝印奈兵三郎は、一歩下がって腰をひねって刀を抜くと、腰を据えて正眼に構えた。それに合わせるように弥介も刀を抜き下げて後ろに引きつけた。  間を二間につめて来たのは朝印奈だった。弥介はかれの後方に目を向けていた。焦点をもたぬほうがよく見えるということもある。弥介の刀法が、疋田陰流に通用するかどうかは結果である。  人通りがないといっても昼下がりである。対峙した二人の姿を目にして、歩み寄ってくる者も何人かいた。すべて武士である。 「あんたのその構えは、何度となく見て来た。すでにその技は見通しておる」  弥介は、それには応えず、空虚《うつろ》な目になった。雑念を払い、朝印奈を斬ることさえ忘れているような目つきだった。  殺気が沈み、時が流れる。  対峙して朝印奈は動けなかった。かれは空虚にはなれなかった。大岡越前の内同心で終わるつもりはない。二百石を加増されるとお若に言ったのは嘘ではなかった。加増される石高は決まっているわけではないが、この度の働きによってそれくらいは加増されてよいというかれの計算である。内同心でも、いまは五十石ほどの軽輩である。二百石を加増されれば与力か。  かれには将来の出世がある。虚心になれるわけはなかった。隙だらけの弥介の構えを見ていた。隙だらけの構えに隙をみつけることはできない。  弥介の一閃がどう動くかは知っている。刀を引きつけて下から上に斬り上げる。だが、この一閃はただの威嚇である。鋒《きっさき》が空を向いた次の一閃が、敵の肉を裂くのだ。それがわかっていて、かれは動けなかった。端《はた》から見るのと対峙するのとでは異なる。対峙すれば相手の気迫を全身に受けることになる。 「どうした、怯《ひる》んだか」  声をかけてみて、朝印奈はおのれの声が乾いていることを知った。唇を舐《な》め、唾《つば》を呑み込んだ。  朝印奈は、たしかに疋田陰流の皆伝の腕ではあるが、かつて人を斬ったことがなかった。所詮《しょせん》道場剣法である。相手が斬り込んでくれば、それを躱し、あるいは受け、撥ね返し、斬る技は知っている。かれは技だけで人を斬れると信じていた。技が通じない相手がいることは考えてもみなかった。  技が通用するのは、同じ流派の裡《うち》だけである。もちろん技倆の差があれば他流派の者でも容易に斬れる。  朝印奈は焦《あせ》った。対峙しているのにこらえきれなくなったのだ。正眼から鋒を上げ、腰を伸ばして、一歩を踏み込んで、一閃させた。刃は空を斬り、あわてて構えを直した。たしかに刃が相手に届いた距離だった。動いたと見えず、弥介はかれが踏み込んだ距離だけ退いていたのだ。  弥介には、道場剣法は何の役にも立たん、と言った父弥兵衛の言葉が、浪人三十七人を斬ってわかって来たような気がした。  たしかに、剣術でも巧遅より拙速をよしとするという言葉はある。が、あまりにも形や技にとらわれすぎるのだ。  道場剣法では、互いに正眼に構えて対峙したとき、目は相手の刀の先と拳を見よと教える。鋒と拳のどちらかが動かなければ相手を斬れぬ道理である。つまり相手が正眼に構えるものと決めてかかっている。  この教えからすると、弥介の刀刃には鋒も拳もないことになる。刀を後ろに引きつけているからだ。当然、朝印奈は見えない弥介の右手のあたりを見ていた。相手の刃が見えないというのは不安なものである。どこから刀刃が出てくるかわからないのだ。  隙のない構えという。隙のない構えは動くことによって隙が生じる。そのわずかの隙を見つけて勇躍し斬り込むのだ。隙だらけの構えに隙を見つけようとすることは、呪術《じゅじゅつ》に嵌ったようなものである。  弥介は、朝印奈の額に汗が滲むのを見た。肩が喘《あえ》いでいた。呼吸も乱れている。鼓動が激しいのだ。  対峙してもちこたえるには、体力はもちろんだが、気力も要《い》る。朝印奈はその気力に限界が来た。 「おのれ!」  と叫んで、袈裟懸《けさが》けに一閃させ、更に踏み込み、返す刀で胴を薙《な》いだ。薙いだ刀刃を振りかぶった。踏み込んで唐竹割りに斬った。斬ったと思ったとたん、前に泳いで、鋒は足もとの土を削っていた。  かれの刃はことごとく軽く躱されたのだ。こんなはずはない。確かな一閃だった。その一閃を弥介は一寸あまりの距離で躱し退いていた。刀は右手に下げたままだった。  弥介は、後ろに回した刀をゆっくり引き寄せると、それを相手に向かって伸ばし、引きつけて八双に構えた。鋒は天を突いている。  朝印奈が、刀を上段に振りかぶり、そのまま斬りかかろうとしたとき、弥介の刀刃がわずかに動いた。 「わっ」  と声をあげたとき、朝印奈の左手首が切断されて、刀柄にぶらりと下がった。かれには、弥介の刃の動きが見えなかった。刀刃を振り上げたとき、おのれの手首によって、ほんの一瞬、視界がさえぎられた。そのとき弥介の刃が動いたのだ。  朝印奈は、あわてて二歩退いた。切り離されたおのれの手首を目を剥いて見た。刀柄には左手首がくっついている。それを振り落とそうとしたが、指は柄をしっかり握っていて落ちない。  弥介は、右手首ではなく故意に左手首を斬ったのだ。そこで朝印奈がどうするかを見ていた。手首を失った左腕からは血を流している。放っておけば、体の血を失ってしまう。  朝印奈は、おのれの手首に噛みついた。肉を咥えて刀柄から引き離そうとしている。次に、指を噛んだ。一本一本の指を噛んで、ようやく手首は柄から離れて、足もとに落ちた。これを足で蹴《け》とばしておいて、 「おのれッ」  と叫び、刀刃を振りまわしながら、弥介に斬りつけて来た。  立つ位置が入れ代わった。 「おのれ、弥介!」  朝印奈が右手で刀を振りかぶったとき、弥介はつつつと間をつめ、短く一閃させた。と同時に、刀を握ったまま、右手首がとんだ。  かれの顔色はなく、白粉《おしろい》を刷《は》いたように白っぽくなり、双眸だけが血走っていた。 「兵三郎、血止めをしようか」  両手首を失っては戦いようがない。 「斬れ、斬れ」  と叫んだ。棒立ちになったまま、両手首から血を流している。それが地面に音を立てていた。  七、八人の士《さむらい》が、遠くを囲んでいた。 「血止めをすれば、まだ助かる。死んでは、二百石の加増も受けられまい」 「おのれ、殺せ、首を刎ねろ」 「わしは、おまえのおかげで、人を斬るたのしみを知った。わかるか、わしは、人を斬った手首の感触に、ぞくぞくっと悦《よろこ》びすら覚える。この気分は、おまえにはわかるまい」  朝印奈はよろめいたが、どうにか両足を踏ん張って体を支えた。あたりに血腥《ちなまぐさ》い匂いが散った。 「わしを人斬りにしたのはおまえだ。地獄に行っても忘れるなよ」  膝がガクガクと震え、二、三歩よろめくと、そのまま、音をたてて倒れた。足がわずかに攣《ふる》えている。  弥介は、顔をあげて、十人ほどになった弥次馬を見た。 「どなたか頼まれてくれぬか。わしは小田丸弥介、このご仁は、南町奉行所同心、朝印奈兵三郎だ。南町奉行所に告げてくれ」  二、三人がバラバラと走り出していた。それを見ながら、弥介は刀を鞘に収めた。 [#ここから7字下げ] 7 [#ここで字下げ終わり]  小田丸弥介は、座敷牢に入っていた。六畳の部屋で、もちろん畳敷きである。一方が壁で、三方を太い木格子で囲われている。  大番屋の仮牢でも、大伝馬町の牢でもなかった。なぜか、縄を打たれ、駕籠《かご》で運ばれ、赤坂御門近くにある大岡越前の屋敷に入り、そのまま座敷牢に押し込められたのである。  すでに三日が経っていた。  戸を開けると一方は庭になっている。太い格子の間から庭を眺めていた。そこに池があり、池には蓮《はす》の葉が浮いていた。夜中に蓮の実がはじける音を何度か耳にした。  湯島天神から眺めた不忍池の蓮を思い出していた。あたりは静かである。人の声もほとんど耳にしない。  豊川稲荷は、この庭の反対側にあるのだ。思えば、六カ月ほど前の二月、弥介はこの屋敷の敷地にある豊川稲荷に参詣《さんけい》した。そこからすべてがはじまったようだ。  なぜ、大岡の屋敷に運び込まれたかはわからない。浪人を斬ったのではなかった。大岡越前の家来、朝印奈兵三郎を斬ったのだ。首を刎ねられて当然であった。  朝印奈兵三郎の両手首を斬り落としたとき、逃げて逃げられないことはなかった。だが弥介は逃げ回るのは好きではない。妻と子を生かすために、三十七人の浪人を斬った。妻と子の命にそれだけの価値があるとは思えないのだ。 「大岡越前か」  と呟いてみる。どのような男かは、まだ会ったこともないので知らない。四十四歳ほどか、四十そこそこで町奉行に抜擢《ばってき》されたのだから切れ者ではあるのだろう。  この日の夕食を終えたあと、牢の前にこの屋敷の家来とみえる士が座した。 「落ちつかれたか」 「すでに覚悟はできている。斟酌《しんしゃく》は無用に願いたい」  士は、牢の錠前を外し、戸を開け、燭台を三本持ち込み、灯りをつけた。 「何事だ」 「奉行がお会いなされる」 「何のために」  士は応えずに牢を出ると、そこに片膝をついた。やがて、四十年配のよく肉のついた士が姿を見せた。大岡忠相であろう。牢の口をくぐって、一間ほどの間をおいて座した。牢の外には三人の家来が見守っている。  弥介は、目の前の大岡越前を見据えた。肉付きのいい貌《かお》で、額のあたりが燭台の灯りで光っていた。 「越前である」  双眸は細いが、その目は煌っていた。声はいくらか疳高い。 「小田丸弥介、余のためによう働いてくれた」  どこか様子がおかしい。弥介は罪人のはずである。それにしては対し方が丁重である。 「わしはお奉行のために働いたわけではござらぬ」 「小田丸、余のために、これからも働いてくれぬか」 「わけが、わかり申さぬ」 「そのほうが、今日まで生き延びて来たのは、剣の技倆ばかりではあるまい。そのほうが持っている運もあろう。気迫もあろう。その力を余に貸してはくれぬか」 「断わり申す」 「何故に」 「わしは、三十七人の浪人を斬り、朝印奈兵三郎を斬った。わしの首を刎ねるのが、お奉行の務めでもあるはず」  越前は、かすかに微笑を浮かべた。白い歯がちらりと見えた。 「公儀のやり方には矛《ほこ》もあれば盾もある。政事とはそのようなものと考えている。公儀が多くの大名を潰し、浪人を排出した。その浪人を余が始末せねばならぬ。それが町奉行の仕事でもある」 「わしは、助命を願った覚えはござらぬ」 「余は、助けてやろうと言っておらぬ。余を助けてくれと頼んでいる」 「…………」 「九沢半兵衛なる浪人者、そのほうに斬りつけたは、小田丸弥介が怖ろしかったからだと言っておるそうな。いずれはそのほうと斬り合わねばならんと思い込んでおったようだな」 「お奉行」 「左様、浪人の群れの中にも、余の密偵《いぬ》はおる」 「密偵がいると」 「役に立つ者は使う、これが余のやり方である。九沢半兵衛だけではない、そのほうの名を知る浪人者の中で、小田丸弥介を怖れている者は多い」  浪人が怖れている小田丸弥介の首を刎ねては惜しいという考えか。 「そのほうの妻と子は返そう」 「迷惑千万」 「迷惑とは」 「いまのわしは、六カ月前のわしではなくなっている。人斬りとなったわしが、妻や子と共に暮らせるとお考えか、わしはすでに餓狼《がろう》である」 「なるほど、余には人斬りの心まではわからなんだ。餓狼か、ならば、余はその飢えた狼を野に放ちたい」 「野にとは」 「関八州は荒れ果てておる。野盗、暴徒が横行しており、民百姓は難儀しておる」 「主家を失って、士が流浪しているのは、公儀の大名廃絶策によるもの」 「だから、申しておる。政事には矛も盾もあると」 「断わる!」 「小田丸弥介、妻と娘を預かっているのを忘れたわけではあるまいな」  越前は、疳高い声で一喝した。 「まだ、妻と娘を盾にとるのか」 「そのほうの首を刎ねるときには、妻も娘も同じ首の座に坐ることになる」 「うぬっ」 「余は、使えるものは狼であろうと犬であろうと、人斬りであろうと使う。役に立たぬものは捨てる!」 「わしに密偵になれとか」 「密偵になれとは言わん、関八州を回ってみれば、わしがおまえに何を求めているのかわかる」  弥介は萎《な》えた。それがおのれの弱さだと知りながら、妻と娘を盾にされては、どうにもならなかった。死ぬに死ねないとは、このことだろう。いま死ねば妻や娘は捨てられる。共に首の座に並ばせるというのは嘘ではなかろう。役に立つ者は登用し、役に立たないものは切り捨てる。越前にとっては、朝印奈兵三郎の死は、全く痛痒《つうよう》がなかったようだ。  弥介は二つの悔みを実感として覚えた。与志を妻にし、そして二人の間に志津をつくったこと。野に放たれた狼は、常に首に鎖をつけていることになるのだ。 [#ここから7字下げ] 8 [#ここで字下げ終わり]  翌日——。  小田丸弥介は、着流し姿で、大岡越前の屋敷を出た。腰には朱塗りの大小があり、懐中には路銀があった。二人の侍が、中山道《なかせんどう》の入口である板橋宿まで同行するという。いまは弥介も拒まなかった。 「お若どのには会っていかれぬのか」  二十五、六の侍が言った。 「お藤どのにも会われぬか」  それより若いいま一人の侍が言った。弥介は二人に首を振ってみせた。双眸は暗い。この暗さが、女を痺れさせるのだとお藤が言った。 「できれば、小田丸どのに剣を教えていただきたかった」  若い侍が言った。二人の侍は人斬り弥介を憧《あこが》れの目で見ていた。他に教えられる刀法ではない。  板橋宿に入ったところで、旋姿の町人が立って、ぺこりと頭を下げた。 「旦那、お供することになりました」  仁助だった。  これも越前のさしがねだろう。侍二人は足を止め、弥介は仁助と肩を並べて歩き出した。袂《たもと》に何か騒ぐのに気付き、手で掴み出してみると、それは三枚の稲荷銭であった。 [#改ページ] 新書 一九八三年一月 青樹社刊 底本 集英社文庫 一九九二年一二月二〇日 第一刷