富岡多恵子 白 光  広いベランダから傾斜する雑木林の下に、川とは呼べない水の流れがあった。それを、おおげさに「川」とことあるごとにいい、なんとその「川」に子供が流れてきて、それをひろって育てたのが、息子の山比古だとタマキは自慢するのだ。わたしも子供のころまわりの大人たちから「お前は四ツ辻からひろってきた子だ」とよくからかわれた。それは、一度四ツ辻にすててから、すぐにひろってくると丈夫になるというマジナイのためだったらしいのだが、子供にはそんなことがわからないので、「深く傷ついて」しまうのだった。  タマキがわたしを誘ったのは、山比古を見せたいためだとわかっていた。山比古が、ほんとの息子でないのを、わたしは知っている。かといって、山比古が、川に流れてきたなんていうタマキの冗談はさすがに信じていない。ただ、わたしがはじめてかれらの棲家を訪ねる気になったのは、タマキの息子がもうすでに二十二歳だと知ったからだった。そのうえ、もうひとり十七、八歳の男の子が手伝いにきているのだというのだ。わたしは子供のいる家を訪ねるのは好きではないのだが、子供が二十二といえば事情がちがう。子供が小さいとどうしてもかれらが話題の中心になり、大人同士で話がしにくい。  タマキの家は、紙きれに書かれた地図を見せるまでもなく、タクシーの運転手が知っていたのは、やはりタマキたちがヨソモノで、そこでは変わった暮らし方なのであろう。近くに目印になるものはなにもない国道の真ん中でタクシーがとまり、さてどうしようと思って、しばらくぼんやりとたたずんでいた。国道の片側は一面の畑で、片側は杉林である。タマキは杉林からあらわれたのだった。  杉林のとぎれたところから、狭い、けもの道のような、あやふやな坂をゆるゆると下っていくと、急に視界がひろがって、向こう側にゆるい丘がのびている。「川」は丘の手前にガラスのかけらのように、ところどころ光って見えた。家はその手前にあった。 「何年ぶりかしらねえ」とタマキはわたしの顔を正面から見つめて、テレもしないでいった。わたしはタマキの開けてくれた窓からずっと外を見ていたのである。 「もう忘れたわねえ、いつだったか——」というタマキの顔をわたしは改めて見る。わたしもタマキからそのように見えているのかもしれないが、すでに中年の顔ではなく、あきらかに老年にさしかかった弛緩《ゆるみ》がそこにある。小皺があるとか、白髪があるとか、そういうことではなくて、顔の全体がバラバラにゆがんでいるのだ。わたしも時々、自分のこめかみを両方の人指し指で上につりあげてみて、表情が若々しく見えて驚くことがある。だれかが、年をとると引力の法則で肉が下にたれさがるのだと笑っていたが、顔の肉もそれぞれの部分でたれさがってくるのだ。 「よく、こういう田舎に住むと、こんな花が咲くとか、こんな鳥がくるとかいって、自慢するひとがいるでしょう。雑草の名前なんて急に覚えたりして。ママコノシリヌグイなんていわれたって、おもしろい名前だとは思うけど、知らないからホーなんていうしかないんだもの。花や鳥の名前をやたらに知りたがるっていうの、なんでしょうね」 「わたしはそんなこと知らないから安心していいよ」とタマキは笑う。 「若い衆たちは?」 「仕事よ」とタマキはぶっきらぼうだ。  家の建て方も、家具も、家のまわりの景色も、とくになにも変わったところはないのだが、わたしにはここがいつもとはちがう場所に思えるのである。タクシーで降りた、あの国道の、あの場所から、いつもとはちがうのである。いったいなにがちがうのだろう。  タマキはあの時まだ二十代だった。二十五にはなっていたか。一年後には結婚して、夫の勤め先の都合で地方の都市に住むようになった。そのころから往き来はなくなった。一度、まだ幼い子をふたり乳母車に乗せた写真を送ってくれたことがあったが、あの子らはどうしたのか。だいたい、タマキが団地に住んで乳母車を押して歩いているなんておかしなことではないか。カタギさんの団地妻になるなんて聞いてあきれるよ、といいたいところだったのだ。 「相変わらず、おしゃれが下手くそねえ。髪をもう少しなんとかすれば、可愛いんじゃない?」 「変なこといわないで。ここへ来る時に見たでしょう。近くに美容院なんてなかったでしょう?」というタマキの髪は肩のあたりでぶつ切りのままだ。しかも自分で切ったのか、ギザギザになっている。 「好きなようにしているんだから、なにもかも」とタマキはいう。  好きなように、ああそうか、好きなようにか。ここはそういう場所だったのか。  タマキはあのころも好きなようにしていたのではなかったか。親元から離れてひとりで暮らして、ひとりで稼いで、好きなようにしていたではないか。そうだ、あの男もうまい具合にいつのまにか遠ざけて。あの男、外国へいって「西洋人」と結婚し、子供をつれて日本に帰ってきたというではないか。それにしてもタマキが、一度はあの男にいれあげたというのもおかしなことだ。あの男は狂気じみたふりをしてはいたが、それは頭が悪いせいだった。頭が悪いから、単純にも、天才は狂気じみるものだと信じて、ちょっと天才ぶっていただけだった。  鼻にかかったような声、焦点の合わない目つき、小さくて、ぽってりとした唇。なにも変わっていないじゃないか。あの頃は、タマキに逢いたくて、ドアを押してタマキが入ってくると、靴をぬぐのももどかしく、わたしはタマキを抱きしめた。 「『川』上の方に小さな村があってね、村といっても十二、三軒しか家はないんだけど、『川』に流れてくる赤ん坊はそこの子なのよ」とタマキはしらしらした顔でいう。 「せっかく遠いところからきたのに、お水一杯くれないんだからね」 「ああそうだ」 「水道はきてるんでしょ」 「ひどい、いくらなんでも」といって、タマキは部屋を出ていく。  わたしはベランダから、そこにあった男物らしいゴム長をはいて、雑木林から「川」の方へいく。途中にゴミを燃やすための、大きな穴があり、無造作に紙くずが投げこんであった。ベランダを振りかえると、タマキはわたしを見ていた。  傾斜する地面を降りきってしまうと、家の屋根は見えるけれど、もうタマキの姿は見えない。タマキのいう「川」は、沢水といった方がよく、膝を濡らすのをいとわなければ、向こう側へ簡単に渡れる。ここに流れてきた赤児が山比古だというのなら、山比古は「川」上の村の子だということなのか。タマキはそういうことをいいたかったのか。それにしても、いや、もしそうであったとしても、それはずいぶん昔のことであろう。山比古はすでに二十二だというのだから。といっても、二十二年前ということではないだろう。 「ここにね、黄金《きん》の瓜が流れてきたのよ」とうしろにタマキがいた。 「反対になったわね、昔はわたしの方がおかしなことをいうって、いつもあんたが怒ってたのに。川に子供が流れてくるなんてヘンなこというんだからね」 「子供じゃなくて、黄金《きん》の瓜だっていってるじゃないの」 「その方が、よけいにヘンじゃないの。きっと、その瓜から赤ん坊が出てきたっていうんでしょ」 「それなら瓜子姫になってしまう。山比古は男の子ですからね」 「なにが自慢の息子かねえ。よくいうよ、川に流れてきただの、黄金《きん》の瓜だのって。だいたいタマキが流れてきた子を育てるなんて、そんなことありえないじゃないのよ」 「育てたんだから、ほんとに。小学校の時からいるんだからね。あたしは山比古の母親ですからね」と気持よさそうにタマキは笑っている。 「『上《かみ》の村』から、手伝いを頼んでね、先月から」とタマキは家の横手をまわって、薪小屋の方へわたしをつれていく。 「それが黄金《きん》の瓜っていいたいんでしょ?」とわたしが笑うと、「その話はまたあとでする」とタマキはいかにもこの土地の者らしく、折れた枝をひろいながら歩いていくのである。冬のためだろう、ストーヴのそばには不揃いの柴が積んであったが、あれはこうしてひろい集めたものなのかも知れない。  薪小屋の方にのぼっていくと、家からとは反対の景色が見える。小高くなった向かい側は、「川」の向こう岸になるのだろう。しかし、そこは一面こちら側とまったく異なった色をしている。樹木はみどりではなく、明るいインキのようなブルーで、地面も紺色である。  下から男がふたりのぼってくる。タマキがふたりにわたしの名をいう。男はふたりとも黙ったままで顎をつきだすようにして会釈する。タマキがなにか命じていた方の、黒いTシャツを着ていたのが、山比古だろう。あとで山比古は、タマキはひとに山比古という名前をいうのをいやがるというのであった。まるで、山比古という名前を声に出して呼ぶと、なにか悪いことが起るとでもいうようだというのだ。しかしわたしには、わざとらしく、何度も山比古と聞かせたではないか。それに、こんなことまでいったのだ——あのね島子さん、あたしの母の田舎じゃ、ヤマビコのことをね、アマンジャクっていうのよ、おかしいと思わない? それであたし、あの子が流れてきた時すぐにそのこと思い出して、山比古ってつけたのよ。それで山比古さんはタマキのことをなんて呼ぶの? とわたしが山比古にたずねる。それはその時その時でいろいろですよ、というのだった。ママなんて呼ぶんじゃないでしょうね。それとも、なに、タマキっていうのかな。すると山比古は怒ったのかなにもいわなくなった。その山比古に、ヤマビコじゃなく、ヤマヒコだよねえ、とわたしはからむのだ。アマンジャクじゃないわよ、ヤマヒコは山の男の子ってことでしょ、あなたは山の子で海の子ではないのよね、そうじゃない? 山の子で、山の精だから、山から響いてくる声をそう呼ぶんじゃない? タマキはそういうつもりだったんじゃないの? ねえ山比古さん、とわたしはひとりで喋っているのだ。あんたは山の精なんだ、そうだよ、山比古さん、とわたしはひとり合点に酔っている。ここへくるまで、こんなことは考えもしなかったのだから、自分の思いがけない納得が、数学の問題があっさり解けたようにうれしい。しかしタマキがこんなことを考えていたかどうか。  山比古が、手伝いにきているという年少の男の背中を押しだしながら、「ヒロシ」とわたしに名を教えた。多分、教えたつもりだっただろう。とにかくわたしにはヒロシという音が聞えたのだった。ふたりはほぼ同じ背丈で、今の男の子ならフツーの一七五センチくらいに見える。 「ヒロシ、おれんとこに泊めてやるから」と山比古がおそらくタマキにいっている。しかしタマキは返事しない。 「ヤマ、おれ帰るからよう」とヒロシがいう。「泊れっていってるだろう」と山比古がふわふわした声を遠くに広げるようにあげる。 「ヒロは帰るところもないくせにさあ」とタマキは笑いだしそうな声でいうのだ。「それが毎日こうだから、おかしいったらないんだよ」とタマキは今度はわたしにいう。 「友達だからよ、おれたちは。ヒロのところにいけば、おれがヒロのうちに泊るしなあ」という山比古の声をはらいのけるように、「友達だからよ、おれたちは、だってさ。よくいってくれるよねえ。島子さん、どう思う? 男がよ、ぼくたちお友だち、なあんていうんだから。友だちと恋人をしっかり区分けしてるつもりなんだから。でもこのふたりはね——」とタマキは笑っているのだ。 「ビール買ってきましょうか」とヒロシがいうと、「手伝いの奴隷がなにをいうか」とタマキがまた笑う。  ベランダにいくつも放りだされている座蒲団やクッションを好きなだけひとりじめして、寝ころんで空をみる。 「島子さん、ここへきて遠慮しちゃあダメよ。好きなようにしてんだから、みんな」とタマキは景色をぶっこわすような大声をわざとあげる。その声に顔を向けると、タマキの足の裏をヒロシが指圧している。山比古は向こうに顔をむけて寝ころんでいるのだが、横たわった胴体が揺れうごく丘のように見える。「遠慮しないでよ」とまたタマキがわたしにいう。いったい、遠慮しないでなにをすればいいのか。  ベランダにテーブルはなく、大皿がじかにおかれている。屋根瓦よりも大きく、無造作な感じにこしらえた、やきしめの大皿二枚、こまかい模様の染めつけの大きな深鉢のそれぞれに、焼いた魚と刺身、それに青菜がもりつけてある。いつ、だれが、魚をさばいたのか。  タマキのかたわらには、山比古とヒロシがかならずいる。わたしはタマキをかれらからひきずりだしたい。わたしのそばにひきずってきたい。わたしはタマキを独占したいのだ。いつもわたしは、人間をひとりだけ独占しようとして、それができないことを知るたびに、ひとのいない方へと隠れていくのだった。子供の時から、いやもっともっと幼い時からずっとそうだった——。  タマキがふたりの男をつれている。それがわたしには、タマキが全宇宙を味方にし、自分がまったくのひとりで宇宙の果てに置き去りにされているように思えるのだ。わたしはひとりで、宇宙の果てのベランダの隅に坐っている。  かれらの目下の関心は、「下にできた」というペンションであるらしく、その建物、内装、オーナー等について勝手な批評をしては楽しんでいる。どうやら、オーナーというのが、定年退職したサラリーマンで、退職金を元手に開業したようである。そして、建物はカナダとかから輸入したログハウス式のしゃれたものらしい。 「なんていうの? そのペンションの名前は」とわたしはあまりかれらと離れてはならないと、気をとりなおして尋ねる。 「それがね、旭日荘っていうの。なにか思いださない? 昔さあ、ジョーン・バエズってフォークの歌手がいたでしょう。島子さん、レコードもってたじゃないの、出たばかりだとかいってたじゃない? あそこにでてきた売春宿の名前が日本語にすれば旭日荘だなっていったことあったでしょ?」とタマキがだるそうに、間のびした声で喋っている。  タマキとわたしには未来はないのだろうか。なにもかもが昔につながっていくのだ。たかだか二十年くらい前のことを、ムカシムカシといわねばならないなんて。そうだよ、たしかに、ジョーン・バエズがまだ日本で流行りだすひと足先にそのレコードを偶然にアメリカで買ってきたひとにもらって、聞いてびっくりの大感動だったんだ。それでタマキにレコードを貸してあげたんだったね。ああ、なんていう歌だっけ、あれは。節はおぼえているのに、タイトルがでてこないよ。おぼえているよ、旭日荘——。あたしがいったんじゃないか、これは、日本語でなら旭日荘ってところねって。フォークか。みながフォークフォークっていうから、なんだナイフじゃないのか、なんて笑ったよね。なんでも笑った、訳もなく。泣けるよ、なんていってながら笑えるんだもんね。 「なんてタイトルだったっけ、あの歌」「いいわよもう、めんどうだ、思い出すなんて」「思い出す努力をしないと、どんどん忘れちゃうよ」「どんどん忘れましょうよ」「相変わらずね、島子さん」いやだよ、思い出してばっかりいるなんて。 「昨日いたの、あれ奥さんかなあ」とヒロシが山比古と喋っている。また旭日荘の話らしい。「馬鹿、お前、あれはあのオーナーの娘にきまってるじゃないか」「もう三十か四十ぐらいだぜ」「三十か四十というのは、ちょっと幅がありすぎるよ、ヒロシ」「二十代じゃないとは思ったんだけどな」 「ヒロシ、島子さんに指圧してやんなよ」とタマキはぞんざいな口調でいう。「ヒロシはうまいのよ、指圧が。なかなか本格的だよ。どこで習ったんだか知らないけどさあ」とタマキがいうと、「ヤマの方がうまいよ」とヒロシがだるそうにいう。するとタマキが、「山比古は下手だ。ただ力をいれればいいと思ってるんだから」とさえぎる。「指圧の話なんだよ、これは」と山比古が笑い、わたしの足首をつかんだ。 「なんだか、老人扱いだわね、これじゃあ」とわたしはテレ笑いしているが、山比古がわたしに近づいたことがうれしい。わたしははじめて山比古の顔をはっきり見た。もちろん、タマキとは似ていない。目は少し細いが、道具だてのおおまかな顔だ。舞台ばえのする顔かもしれない。はにかむような目付きが、かえって「色悪」向きかもしれぬ。  思いがけないほど長い山比古の指がわたしの足首をつかんでいる。「まだ足はしっかりしてるわよ」とわたしが笑っても、だれも笑わない。そうだ、ここではなにも遠慮することはなかったのだ。世間並みの虚礼やお世辞にはだれも反応しなかったのだ。いってもしようのないことを、習慣的に口にすると、それはみなを鼻白ませることになる。     *  二十年くらい前になるが、わたしはタマキと「仲良し」であった。タマキには恋人(男)がいたが、ある時から、わたしとタマキは恋人になったのだった。それは、カツラギという老人が、わたしとタマキが恋人同士だといったからである。わたしはその時、タマキを恋人と意識した。すると、恋人としてタマキに逢いたくなり、タマキに逢うと恋人に逢った時の高揚を感じた。タマキに逢わないと、逢いたくてたまらなくなり、逢うと、抱きあって接吻しあったのだった。  なぜカツラギが、わたしとタマキのたんなる仲良しを「恋人」といったのか、わたしとタマキにどうして「恋人」同士を見ぬいたのか。カツラギは、七十歳くらいで、やはり七十歳くらいの妻と暮らしていた。かれらに子供はいなかった。そのことについて、ある時カツラギが「今はもう必要ないが、長い間、子供をもたぬための努力をしてきました」というのを聞いたことがある。  わたしがそのころタマキを恋人と思うようになったのは、カツラギの暗示にかかったということもできるが、それがすべてではない。  偶然、東京・新宿のイセタン百貨店前のひとごみのなかで会い、立ち話をして別れる時、「遊びにきて、きっとよ」というタマキにわたしは夢遊病者のようにただ「うんうん」とうなずいて、タマキがくれた紙きれを握りしめていた。掌から紙きれがでてきた時には、手品のような気がしたのだったが、そこに書かれてあった略図にしたがって、わたしは一週間のちにはタマキの家にきていた。  今もわからないのは、新宿で会った時のタマキが昔のままだったことで、それはタマキの髪型とか着るものの感じが変わらなかったからか、それとも、わたしが二十年前のタマキの幻を見ていたか、どちらにも感じられることである。  タマキの家へ「入った」時から、わたしはもう帰れないかもしれない、帰るとしても時間がかかるかもしれない、という考えがぼんやりと浮かんでは消え、また浮かんでくるのだった。 「わたしね、まわりくどいのいやだから、あの時のことを——」とわたしがいいかけると、「くっだらないこといいだす」とタマキは一笑した。 「遊びにきてとはいったけどね、質問にきてとはいった覚えはないよ」とタマキはいいながらヒロシの背中を掌をひろげて力いっぱいわたしの方に押しつけてくるのである。  ヒロシがわたしの手をとり、ひきずるようにしてバス・ルームにつれていく。まわりがガラスで、真ん中に円形の広い湯船があり、温泉旅館の大湯のようである。ただ温泉旅館のそれと異なるのは、湯船の周囲がタイル張でなく、クッションのいい上等の椅子みたいなマットだということだった。 「タマキの命令なの?」というわたしの声はガラスのドームにくぐもって消えてしまう。「命令じゃないけど、すすめられて研究はしたよ」というのは、わたしのたずねたことにトンチンカンな返答で、ゆきちがいがあとになってわかった。ヒロシによると、男が女のためにのみ性的に行為することを、タマキはつねに求めていて、そういう技能をもつ男がいてもいいというのだそうであった。「もっとはっきりいってよ」というわたしに、ヒロシは時折タマキの声色をまじえてふざけながら喋るのだった。 「タマキさんにいわせると、性的な要求だけ特別扱いするのいやだから、フツーのこととしてフツーにやりたい。たとえば、背中が痒いとだれかに頼んで手のとどかないところを掻いてもらうし、肩がこったらだれかにもんでもらう。肩をもんであげているひとは、肩をもんでもらっているひとが気持よくなるとうれしい。相手のために自分が一方的に奉仕しているとか、一方的に犠牲になっているなんて思わない。性的な要求もこれと同じように、何気なく済ませたいってタマキさんはいうんです。でも、そういうふうには簡単にいかないから、というのは、タマキさんひとりがそういうふうにできても、他の人間ができなきゃ意味がないでしょ。それで、とりあえず、ヒロシは何気なく按摩してあげても、ぴしっとツボをおさえているみたいに、女のための技能をもってよ、っていうんですよ。タマキさんのいうこと、よくわかるんだけどね、なかなかむずかしくって。そのうち、うまくなって、人間国宝に指定されたりしてね」と笑う。 「あたし、今はね、足がだるいからマッサージしてくれると助かるけど、性的な要求はないのよ。でも、タマキってちゃんとしてるんだなあ。ほんとだ、何気なくだわ。それで、タマキはいつも何気なくやってるの? そういうことを。もしそうならたいしたものだわね。いやいや、タマキだけじゃなく、その相手もたいしたもんだわね。でも、要求の発信はタマキからだけじゃないはずよね。すると、タマキも技能を備えていなくちゃならないわけでしょ。だって欲求もチャンスも平等よね」 「島子さんも、肩がこった時みたいな感じでセックスしたいと思うことがあるでしょう?」 「そういわれてみると、たしかにそういう感じの時あったわねえ。恋人がほしいんじゃなくて、たんに生理的に処理したいって感じの時が。それにしても、どうしてヒロシさんにこんな話してもらうことになったの?」 「ここに入ってきた時、島子さんヘンな顔してたから、説明しておいた方が誤解がなくていいと思って。ヒロシは理屈が好きだなあってタマキさんにいつも笑われるってより、叱られるんだけどね。タマキさんは説明したり理屈つけたりするの大嫌いだから」 「そうよ、タマキは説明してくれないからね。タマキはなんにも答えてくれないよ。タマキは、あっ、そうか、そうだったのか、タマキは——」とわたしは今しがたヒロシが喋っていたことを反芻していた。あの時のタマキは肩がこって苦しんでいるわたしの肩をもみほぐすのと同じ気持だったのか。はたしてそうか。 「どうしてこんなところへつれてきたの? タマキの命令?」とわたしはまた同じ質問をしてしまった。 「ここだと喋っていることが外に聞えないからね。それに、ここの家は畳の部屋がないから、ここしか寝転べるところがないんだよね。といって、こんなの全然理由にならないよね」とヒロシは軽い笑い声をたて、「ほら、さっきいったでしょう、タマキさんは説明が大嫌いだって。だから、代わりに——」 「タマキの代わりに説明してくれたってわけ?」  わたしをこんなところへ閉じこめて、タマキはなにをしようというのか。ヒロシはたしかに説明が好きなようだ。曖昧なままで物事を楽しむには、よくいえば几帳面で厳密で追求癖といえるが、悪くいえば泰然としたところがないだけのことで、わたしと同じじゃないか。あのカツラギ老人が、わたしとタマキのことをわざと猟奇的に「アナウンス」したあの時も、わたしはカツラギに説明を求めたくなる気持をとりおさえたのだった。説明しても説明してもわからないことがあるのを、あの時のわたしは知らぬわけではなかったのだが。  ヒロシがふいに、なにかに憑かれたように喋りだした。 「ここにきたのは一年前だけど、最初はタマキさんにずいぶん叱られたり、どなられたりしたんですよ。まずね、タマキさんは我慢しちゃあいけないっていうんです。そのころのぼくの顔はニキビだらけで、今にも顔のあちこちが噴火して溶岩が流れ出そうな感じだったんですよ。それを見てタマキさんは『なによそれは。そんなオバケみたいな顔になるの、頭が悪いからだよ』ってどなったんです。頭が悪いってのは自分でもわかっている、だから学校やめたんだもんね。でも、ニキビが頭の悪いせいだっていわれても困りますよね。ところが、ここにいてタマキさんとつきあううちに、わかってきました。  島子さん、ぼくが川を流れてきたって話、タマキさんから聞いたでしょ? 聞いてないんですか? あれ? タマキさんはあの話とても好きなんだから。流れてきたのが山比古になることもあるんだけど。それじゃあ島子さんは山比古の方で聞いたんですね。  山比古もぼくも『上《かみ》の村』の者ですけどね。いくら『上の村』だって子供を流すようなことはしません。山比古もぼくも、自分から勝手に流れてきたんです。山比古とぼくは親類なんですよ。『上の村』はみな親類ですから。ぼく、なにを喋ろうとしていたんだっけ、あっ、そうだ、山比古がどうしてここへきたかっていうと、『上の村』のひとはタマキさんにさらわれたっていうし、タマキさんにいわせると山比古が、その時の山比古は子供だったから、ついてきて離れなかったっていうんだけど。ぼくですか、ぼくは、山比古とは親類だし、それで、手伝いがいるっていうから。  でもね、最初のころは、いろいろ面食らったですよ。なににって、タマキさんのやり方にですよ。だって、ぼく、まあ今だってガキといえばガキだろうけど、なんにも知らないクソ田舎のガキだったんですよ。それが、タマキさんのいう通りのことをする、のならまだいいですよ、そうじゃなくて、最初からそうだったみたいに、何気なくタマキさんのそばにこいっていうんですけどね。ここは世間じゃないからってタマキさんはいつもいいましたが、そんなにすぐに、当たり前みたいな感じでタマキさんのそばへいけないですよね。すると、タマキさんはどなりつける——『何度いったらわかるのよ、規則を守れっていってるんじゃなくて、なにも守らなくていいっていってるのよ、それがそんなにむずかしいことかねえ』  山比古はどうだったんだろう、山比古に聞いてくださいよ。ぼくは山比古がここへきた時のことなんか知らないですよ。『上の村』では、今でも、タマキさんのことをヒトサライだっていってます。山比古がタマキさんのところから逃げ出さないで、『上の村』から山比古を連れもどしにきても帰らなかったのは、タマキさんがヒトサライの魔物だからだというわけなんです。でも、山比古の親はふたりともいなくて、山比古はお祖父さんといたんですよ、そのころは。だから、タマキさんのところにいっても当然って感じだと思うんだけど。山比古の親はふたりとも『上の村』から出ていったんだそうです。逃げたとか、追い出されたとか、みなでいってるけど——」  このあたりまでしかヒロシの声を聞いていない。あとで、ヒロシの「説明」によると、わたしはうつぶせになったままで眠ってしまったのだそうである。それは、うつぶせたわたしの足を、ヒロシがマッサージしていたからだというのだ。歩く時ひきずるほどではないが、わたしの右の足は数年前から故障している。足の痛み、といってもほとんどダルサの究極というような感覚であるが、それをずっとこらえている。  わたしは目を覚ますと、その場で着ているものを脱いで湯のなかへ滑りおりた。曇りどめがしてあるのか、バス・ルームをとりかこんでいる円筒形のガラスの「外界」がよく見える。樹木を間引いて庭をつくったにちがいない。薄暗い林ではなく、光を存分にかかえこむ明るく透明な空間がとりかこんでいる。ひとの声もせず、もの音もしない。夏鶯の声だけが、思い出したように響いて空間がゆがむ。 「眠っていたんだって?」  湯船のそばにタマキが立っていた。 「ここは洗い場がないのねえ」とわたしがいうと、「風呂屋じゃないからねえ」と笑い、「昼寝するのにいいと思ってつくったんだから」といいながらもってきた罐ビールをわたしにくれた。 「これから山比古と『下の町』までいくんだけど、あんたも行く?」とタマキがたずねるので、わたしは罐ビールも開けず、ばたばたと服を着て、山比古の運転するクルマに乗った。  クルマのなかでタマキの聞かせてくれた外出の目的は次のようなものだった。まず、若い女性をできればふたり、少なくともひとりを見つけて連れて帰ること。なぜ若い女性、なるべく二十歳くらいの女性を必要とするかというと、タマキと山比古、ヒロシ、そこへわたしが加わったとしても、年齢的に偏りがある。それを、少しずつメンバー(メンバーって、一体なんのメンバーだ)を増やすことによって自然な形に矯正していきたいというのだ。「下の町」には、安い給料に不満をもちながら働いている若い女の子がたくさんいると山比古がいうので、タマキは乗り気になっているのである。  タマキはいつものようにというべきか、わたしに質問の余地もあたえずに勝手に喋っている。「なにか規制とか規範とか、キリスト教徒のバイブルのようなものがあれば、その必要はないんだけど、そんなものがぜんぜんないからね、だからこうして女の子捜しってわけよ」  わたしはタマキの喋っている意味がよくわからないのだが、黙って聞いている。女の子を捜すというが、声をかけてすぐついてくるような女の子がいるだろうか。山比古は美容院にいる子と喫茶店にいる子がよさそうだと話している。山比古のいった美容院という言葉から、わたしは川口夫人の髪のことを思い出していた。川口夫人には、タマキの家にくる一ヵ月ほど前に会っている。その時はじめて会ったのである。そしてもう二度と会うことはないだろう。わたしは川口夫人を見た時、ひと並みに仰天した。川口夫人の髪の色は、あざやかなエメラルド・グリーンだった。川口夫人を見たひとはかならず、すごいですねえ、というのだったが、そのほかにどんな挨拶の仕方があるだろう。川口夫人は、すごいですねえ、といわれるたびに我が意をえたりという表情でありながら、わざと知らぬ顔をした。川口夫人の突飛な髪の色は、あきらかに、ひとの注意を惹くために染められたものだった。ひとが、すごいですねえ、といってくれないと、その髪は意味がない。しかし、ひとは一度、すごいですねえ、といえば、同じことを何度も繰り返してはくれない。ひとは他に話すことがある。もうわたしはたまらないのだ。なんとカワイソーなんだろう。わたしはもう川口夫人から目が離せない。川口夫人は、新しいひとを待っているのだ。ドアが開くたびに、川口夫人はそちらを向く。だれかが入ってくる。その新しいひとは、みながしたと同じように、すごいですねえ、と仰天し、似合いますよ、といい加減なお世辞をいうが、次の瞬間にはそんなことはすっかり忘れて、だれかと喋っているのである。もうだれも川口夫人を相手にするひとはいない。すると川口夫人は次の手を打たねばならないのだ。 「女が髪を切ったり、染めたりする時はだいたいなにかあったんだよ。奥さん、なにかあったの? あれだけ目立つ色は、相当に欲求不満だと思うなあ」と川口夫人の夫、川口氏に喋っている男がいたが、なんという通俗的な意見でなんという無礼な男であろう、とわたしはその男をにらみつけていたのだが、川口氏が「わかってるよ、そうなんだ、彼女、アル中なんだ、その方が困っているんだ」というではないか。 「山比古さん、エメラルド・グリーンの髪って見たことある?」 「なによ、突然——」と山比古でなくタマキが怒ったような声をあげる。 「今、ちょっとヘンなこと思い出したの」  別にヘンなことではない。もし川口夫人がヘンだとしたら、髪を染めたことではなく、初対面のわたしにからんだことだ。なぜ、よりによってわたしに。しかしあとになってわかった。わたしが隙を見せたからだ。エメラルド・グリーンの髪を見た時、わたしは川口夫人をカワイソーと思ったではないか。それを川口夫人は見逃さなかったのだ。わたしだけだった、カワイソーだなんて思ったのは。ほんとにカワイソーだった——。 「今はね、グリーンなんて別に珍しい色じゃないよ」とタマキは笑っている。でもあれは、ただのグリーンじゃなかった。 「蛍光染料っていうのかな、あざやかで、暗いところでは光っているんだからね。庭の方にみんな出ていったのね、すると彼女の髪だけが光って見えるのよ。なんとなくヘンな感じしない?」 「蛍ならお尻が光るけどね」とタマキがおかしそうにいう。 「でもね、わたし、そのひと、大嫌い」 「ほら、始まった」とタマキが山比古の肩をたたいた。 「なにが始まったんですか」と山比古は真面目な口調でいう。 「島子さんの大嫌い節だよ。カワイソーだっていうだろ、その舌の根も乾かないうちにダイキライだからねえ」  まだそのダイキライな理由も事情も話していないじゃあないか。話したところでうまく伝わらないだろう。 「そのひとね、なぜかしつこくわたしにからむのよ。それだけで足りなくてそのあと何度も電話かけてきて、愚痴とからみなのよ。だいたい、わたし、そのひとのこと知らないから、あたりさわりない返事しかできないでしょ、すると、ますますカラムんだから——」 「そりゃあ、あんたがそのエメラルド・グリーンに好かれているのよ。島子さんは女を惹きつけるのかな——」とタマキが笑うと、「タマキさんだって女じゃあないですか」と山比古がじゃれるようにいった。  今となれば〔川口夫人の髪〕を分析できる。また〔川口夫人のカラミ〕を解読することもできる。それはだれにでもできることである。川口夫人になにかひと知れぬ苦悩があり、それを抑圧せざるをえないために、なにかの方法でそれが現わされる。エメラルド・グリーンの髪としつこいカラミ=イヤガラセがそれである。ただしわたしの被ったものはそんなことではない。もっともっと得体の知れぬものである。なぜ、川口氏は川口夫人についての友人の解読「あの髪の色は欲求不満」といった、平凡ながらも当を得たことばに対して平気でいたのか。あの時、川口夫人はぐでんぐでんに酔いつぶれてしまったが、その夫人を残して先に帰っていった。そんなことはどうでもいい。そんなことは、他人がとやかくいうべきことではない。それにしても、川口夫人の髪と酔っぱらいぶりとカラミぶりをそばで見ておれというのはあまりにも残忍であった。少なくともわたしにとっては。わたし以外はだれも川口夫人を気にもとめていなかったのだから。わたしは、過剰反応してしまったのだ。いや、わたしが過剰反応したのではなく、みなが過剰に鈍感なのだ。 「とにかくさあ、島子さんは異常に敏感なんだから困るのよ」とタマキの声は幾分きつい。 「わかるのね、そのひとのこと。カワイソーなの、でも、あんなに無関係な他人のわたしを不愉快にさせて、ダイキライだよ」とわたしがいうと、「ほら」といってタマキと山比古は声をあげていつまでもいつまでも笑いつづけるのだった。 「だってほんとにカワイソーなんだから。五十歳をすぎた女が、髪をよ、エメラルド・グリーンにして、みんなの注意を惹こうと思って。でもみんなはアレッていってくれるだけで、すぐに忘れてしまうのよ。夫はそんな妻を放っておいて、帰ってしまう。どうしようもないから、そのひとはだれかれなしにカラムってわけね。ところが、からまれた方のひとは、うるさい蠅を払いのける程度の感覚であしらっているのに、そのひとにはそれがわからない。そのひとは、髪の時と同じくらいに他人の注意を惹きたいから、今度は服を着替える。なんと着替える服をもってきていたのよ。またひとはキバツな服に仰天してひと時声をあげてくれる。声がおさまると、またそのひとはひとりぼっち。今度は服を脱ぎだす。下着姿の女に、ひとは困惑と興味で注目する。すると、川口夫人はついに下着もとりはじめる。止めるひとはだれもいない。止めることのできる夫がいないのだから。エメラルド・グリーンの髪の、痩せた裸の女がひとりで立っている。しかも、蛍光を発するその髪は、かきむしられて、短い毛先があちこちに跳ねている。それでもだれも止めない。わたしは、自分のからだが震えるのをこらえるのが精一杯だったわ。カワイソーだから、どこかへつれていってあげたくて。それができないから、からだが震えるのよ」 「放っておきゃあいいんだよ、そんな馬鹿。なんだ、甘ったれやがって。裸になりゃあいいと思って。ハラキリでもやりゃあいいんだよ、そんなに見てほしいんならさあ——」とタマキが怒った時によく使う、男の子みたいな口調でいった。  その時「着いたよ」という山比古の声に、わたしとタマキはふいをつかれたように驚いてクルマからあわてて降りるのだった。  山比古がどんどん歩いていく。タマキとわたしは、小走りに追いかける。町だというのに、ひとがいない。ただし商店は道の両側にびっしりと並んでいる。「自転車を買うんなら、ここですよ」と山比古が「アカギ輪店」の前でいったが、その店にもだれもいない。二、三軒先の「ヘヤーサロン・サチコ」から山比古は女の子と喋りながらでてきた。山比古はそのひとをタマキにもわたしにも紹介しようともせずに、すたすた歩いていくのである。タマキとわたしは足の遅い老人が懸命につれのひとたちに追いつこうとする時のように、とにかく遅れまい、山比古の姿を見失うまいとついていく。山比古は歩くというより、空中を滑っているように早く移動していくのだ。  山比古がふりかえった。「だめだ、今日はひとりしかいないよ」とタマキにいった。「いいよ、いいよ」とタマキは息もたえだえにいい、「もう帰るよ、こんなところにいつまでもうろうろしていたら死ぬから」というのだ。 「あ、おいしそうなパン屋さんがある」とわたしがいうと、「だめだめ」とタマキがわたしの腕をつかんで急がせる。山比古を見ると、山比古も女の子の腕をつかんで、ひきずるように歩いているではないか。女の子がわたしをちらりと見て、かすかに表情をなごませた。 「ゴースト・タウンかと思ったら、ちゃんとひとがいるじゃないの」と女の子のことをタマキにいうと、いかにも不愉快な顔でそっぽむいた。  一週間もすると、山比古のつれてきた女の子、ルイ子は自然に台所で働くようになり、時にはタマキより料理のできばえのいいこともあった。といっても、特に料理が好きなわけではないらしく、気が向かなければ山比古の手伝いでペンキの下塗ばかりやっている。山比古がペンション「旭日荘」から戸外用の小さなテーブルやスツールの注文をまとめてとってきたとかで、ヒロシも手伝っているらしかった。     *  カッコウの声を聞いた。  わたしは、もう一週間以上ここにいるのに気がついていたが、帰る気にならない。ここにいると、喋りたくない時は喋らなくていい。だれかが話しかけても、黙っていたければ子供がふざけて合図する時にするように片手を肩のところまで上げればいいのだ。そのことで、だれも理由をたずねたりしないし、気を悪くしたりしない。なんと気の楽なことか。ただ、クルマの運転ができないので、買い出しにいけないのは不便だ。ルイ子をつれにいった時に、山比古が教えてくれた「アカギ輪店」で自転車を買えばいいのだろう。  わたしはいつも友だちがいなかったので、ひとりに慣れていて、そのせいか、他人とつきあうのに恐怖を感じすぎて失敗ばかりしてきた。いつも世界の果てにひとりで立っているような感じで、その果てが途切れると、そこからストンところげ落ちるようで不安だった。ストンと落ちる前に、うしろから抱きとめてくれるひとがいない。こういうことをタマキに一度ならず話したことがある。その度に、「抱きとめるどころか、うしろから突き落としてあげるよ、その世界の果てとやらへ」とタマキは笑ったのだったが、わたしはタマキのその冗談に救いを感じていた。  ここへきてからも、タマキのそういう冗談っぽさがなくなっていないのが、わたしを安心させていた。こんなところで、みんなでマジに「共同生活」しているなんて、キモチワリーじゃないか。 「ルイ子って子、ああ、子っていっちゃあいけないね、彼女、赤ん坊がいるんだってよ。その赤ん坊、赤ん坊の父親のところにおいてきたってよ。赤ん坊の父親が逃げるのを追っかけていって、赤ん坊をおいてきたっていうんだからえらいじゃないの」とタマキが話しているところへ、ルイ子がきた。「父親っていうの、やっぱり美容師?」とタマキがいうと、「ちがいますよ、美容師とは。農家の息子ですよ」とルイ子はほがらかにいう。そして、自分の方から「赤ん坊の物語」をわたしとタマキ相手にやりはじめたのだ。 「おかしかったですよ、その男と赤ん坊と、それから男の父親。みんな男なんですよ。その三人の男が呆然と並んで、といっても赤ん坊は泣きわめいていましたけど、とにかく、みなでウラメシソーにわたしを見ていましたね。だけど、結婚したわけじゃないから、引きとめようがないわけですよね。なんとかするでしょうよ、赤ん坊の親とその親なんだから」とルイ子が喋っている。 「欲しくないのに、どうして赤ん坊を生んだの?」とわたしが常識的な質問をすると、「冗談じゃないわよ、どうしてわたしが赤ん坊なんて欲しいのよ。向こうに頼まれたからに決まってるじゃないの。それでいてねえ、赤ん坊は必ず女が離さない、母親が育てるものだって思いこんでいるんだから、わたしが赤ん坊をかれらに渡して帰るのを、ただ呆然と見ているしかないのよね。なにがなんだか、さっぱりわからないわけなのよ。ほんとにキョトンとしてたもん」とルイ子はいい、「そのうち、母を尋ねて三千里でここへ押しかけてくるわよ——」と笑っているのだ。  そういうルイ子を、どう? おもしろいでしょう? というふうな顔つきでタマキがわたしを見る。あのスナップ写真に写っていた、タマキの幼いふたりの子供たちはどうしたのか。タマキもかれらをかれらの父親のところにおいてきたのか。 「まあ、そのうちに、母を尋ねる子と、逃げた女房をさがす男がやってくるから楽しみだよ」とタマキがいかにもおもしろそうにいう。  わたしはその日の午後、「アカギ輪店」へ自転車を買いにいくといってひとりで出かけた。山比古に教えられたバスに乗ったのだが、この前の山比古のクルマの時より随分時間がかかってしまった。 「アカギ輪店」はT字路の角にある。その向かいに喫茶店「みちる」がある。わたしは「みちる」の道路に面したところに坐り、窓ガラスに額をくっつけて「アカギ輪店」を見張っているのである。 「アカギ輪店」には、奥の方まで入っていって何度も声をかけたのだがだれもいないのだった。店にはところ狭しと小型バイクと自転車が置いてある。店の横の空き地には大型バイクと値引きした自転車が並べてある。「みちる」にもマスターというのか、中年の男がひとりしかいない。しかも、無愛想を通りこして、無表情のままで「郵便局へでもいったんだろう」と「アカギ輪店」のことを尋ねるわたしにいっただけで奥へ入ってしまったのだ。わたしは仕方ないので、なまぬるい、煎じ薬のようなコーヒーを一口すすっただけで、自転車屋へだれかが戻ってくるか、やってくるかするのを待っているのである。  山比古につれられてきた時と同じで、店の前をだれも通らない。クルマが走っているかというとそうでもない。わたしは、窓ガラス越しに「アカギ輪店」の方を見ているのだが、イライラしてこないのが不思議だ。以前なら店のひとを待つどころか、だれもいなければすぐに帰っただろう。多分、わたしがおかしなくらい悠然としているのは、たとえ、少々遅く帰ってもだれも気にとめないし、文句もいわないからであろう。なにによらず、自分の行動をいちいち説明したり言い訳したりしなくてもいいからだろう。タマキのところにきた当初はその流儀に慣れなかったが、今はむしろそれを享受している。あんなに「時間割」の好きだったわたしが。 「あの——」と店の奥に向かって声をかけてみるのだが、マスターの返事はない。コーヒーがあまり苦いのでジュースを注文しようと思うのだが、どうしようもない。窓の外は真昼の光が明るく、モノの影がくっきりと見える。このままで三十年くらいじっとしていると、ミイラになって坐っているだろうか。空き地のオートバイが光のなかで異常にかがやいてきれいだ。車体が光を反射しているのでなく、それ自体が発光体のように見える。 「あの——」とまたわたしは奥に声をかけるのだが、もうジュースの注文のためではなくマスターにバスの時間をたずねようとしているのである。いや、本当はだれかと喋りたいのだ。 「あのね、自転車じゃなくて、バイクにしようかなって、今ふっと思いついたんだけど、どうかなあ。ねえ、どう思います? 50の免許ならもってるんですよ。でも、自転車なら店にひとがいなくても乗っていけるけど、バイクはキーもらわなくちゃならないからね」とわたしがひとりで喋っているのだが、奥からマスターは出てこないのだ。わたしは、知らないひととちょっと喋るのが好きだ。それなのに、知らないひとが出てきてくれないのだ。「あのサー、このへんはひとが少ないんですねえ。みな都会へ出ていくんですか? この間きた時もそうだったけど、今日もなんだか森閑としてるわね。いつもこうですか? 外にもひとがいないし、家のなかにもいないんだから。それなのに、お店はたくさんあるのよね。なんとなく、夢の中で迷路に入りこんだみたいな感じ。ここのひとたちはどこにいるの? 田んぼとか畑とかへいってるんですか。あの、このへんは、だいたい開拓のひとだって聞いてますけどねえ。もう五十年くらいはたつんでしょうね——」とわたしがいくら喋っていてもだれも返事してくれない。二、三ヵ月前の、手垢で黒ずんだ週刊誌を手にとる気はしないから、コーヒー代をおいて外へ出るしかないのだ。  この時のことを、タマキも山比古も「あんなところでコーヒー飲むんだから」と笑うのだったが、わたしにはそれがどういうことだかわからない。わたしはあの日、山比古がクルマでさがしにきてくれなければ帰れなかっただろう。だれもいない同じところを何度も何度もひとりで歩いていたそうだ。  自転車は結局山比古に頼んで買ってきてもらった。自転車がくると、なぜか「解放」を感じた。いつでも脱出できるという意識がどこかで働いていたのかもしれない。しかし、自転車は実際にはあまり役にたたなかった。自転車で「下の町」までいくには遠すぎるし、近くをサイクリングするには起伏が多すぎるのだった。     *  雨で戸外の仕事ができない日がつづいた。  食事の時の他はみな自分の部屋にはいったままでてこない。同じ造りの部屋がいくつかあり、食堂兼リビングが普通の家より広いのは、小さなペンション向きにつくられたためらしかった。タマキは、嘘かまことか経営をまかされているというのだが、ペンションなんてうっちゃったままで、例のメンバーつくりに強い興味をもっているようだ。わたしが、イセタン百貨店前でタマキから誘われたのは、集められたということだったのか。 「『下の町』まで行きますけど、いいですか?」と山比古が声をかけている。雨がこやみになったようだ。「アカギ輪店」で小型バイクかスクーターをわたしは買いたいと思っている。  けれども、わたしは山比古にことわりをいい、部屋から出ていかなかった。  しばらくすると、タマキが呼びにきた。タマキがわざわざ呼びにくるなんて珍しいことだ。  わたしが編みかけのセーターをかかえたまま食堂にいくと、「編みものするのに、隠れてするんだからねえ」と笑った。  タマキの顔のソバカスが増えたような気がする。ソバカスでなくてシミなのかも知れない。紫外線の強い高原にいて、化粧もしないタマキはそういうことにまったく無関心だ。近くで、あらためて見ると、ソバカスもさることながら全体に肌が乾燥し、それでいて荒れているのではなくツルッとしているのだ。余分な水分がなく、皮膚の向こうに飴色になった乾燥肉が透けて見えるみたいだ。いつか見た即身仏と呼ばれるミイラの、骨に辛うじてくっついていた透明のうすい肉を連想させる。「下の町」へいく時に途中で出会う農家の女のひとの、太陽と風と雨にさらされた茶色の皮膚ではない。 「山比古が『下の町』に行ったのは、ルイ子の前の男に呼びだしかけられたんだよ。ルイ子がここへきたものだから誤解されてるわけよ。それなのに、ヒロシのおっちょこちょいが助っ人だってついていったんだから」 「若い女の子っていうのは悶着をもってくるからね」 「ルイ子はとにかくもうここにきたんだからいいの。ここにきた限りはもうどこへもいかない。山比古もそうだったし、ヒロシもそう」 「それに、わたしも?」 「こんなこというために島子さんを呼んだんじゃなかったんだ」 「お金のことじゃない?」 「それは二番目の問題」 「でも、金がなくては戦はできない」 「そんなことより、世間並みが問題なのよ。山比古もヒロシも世間からやっと離れたみたいだけどね。ルイ子がまだ無理なのはしようがない、きたばかりなんだから。でも、島子さんはちがうでしょ。島子さんはちがうと思っていたから。それに、元はといえば、わたしがここにきたのは島子さんの影響だからね。いつもいってたじゃないの、ユートピアも浄土もどこかにあるんじゃなくて、つくればできるものだって」 「そんなヘンなこといった覚えなんかないよ」 「よくいうよ、まったく。それなのに、その島子さんが一番世間並みを守っているんだから。どうしてなのよ、それこそヘンじゃないの」 「どこかおかしい?」 「島子さん、ここは修道院じゃあないんだからね」  わたしはタマキのいいたいことがよくわかっていた。わたしはまだ、世間の年齢の序列に従ってものを考え、行動しているのだ。ヒロシはまだ十代の男の子だときめてかかっている。もし、自分よりはるかに〔若い〕というより〔子供〕のヒロシが、いつかバス・ルームで話してきかせてくれたように〔肩がこった〕とわたしに訴えてきたらどうするか。わたしはそれをタマキのいうようにフツーのこととして、ヒロシと対面できるだろうか。おそらく、ヒロシより高みに立つだろう。なにゆえにか。たんにヒロシの二倍よりたくさん生きてきたという、つまらぬ理由によって。もしそうでないとしても、経験の浅い男を経験のある女としてあしらっていくだろう。いずれにしても、生き物の個体と個体としてヒロシと対面しない。おおげさにいえば、歴史的感情から自由にならないのだ。それどころか以前にはその不自由を拡大し劇化して楽しんだことさえあったのだ。 「元はといえば、島子さんのアイデアからここは出発してるんだから、しかと自覚してもらわないとね」とタマキはいつもの冗談めいた口調でいう。 「アイデア? もしわたしがそんなヘンなことを喋っていたとしたら、アイデアなんていわないでもらいたいわね。ユートピアだか浄土だかをつくろうなんて、それはやっぱり、アイデアじゃなくて思想って呼んでもらいたいよね。でもわたし、そんなこといった覚えないよ、タマキの妄想に決まってるじゃないの。だいたいあたしはね、他人といっしょになにかするっていうの苦手だもの。ひとりでゴロ寝しておれるところが浄土だよ。それに、たいていのひとはいい加減に生きてるんだもの、ユートピアだなんて考えないよ。まして、こんな不便なところで——」 「そんなことないよ」とタマキは断定的な声でいい、「あたしは、やろうと思ったことはやっていくんだから。せっかく生きているのに、一回しか生きられないのに、いやだよ、つまんない世間の約束のためにつぶされてしまうのは」といつもよりやや感情的にいう。  わたしはタマキがこんなに率直にものをいうとなんとなくテレてしまう。タマキとわたしはいつもふざけあっていたのではなかったのか。掛け合いの相手のはずじゃなかったのか。あれからずっと——。 「ユートピアだかなんだか知らないけど、生きていくにはお金がかかるわよねえ。わたしはその方が心配よ」 「アー、島子さんはいつもそれだ」とタマキはおおげさに嘆息してみせた。  ベランダに、雲がとぎれたのか光の縞が走った。タマキとわたしはそれを追うように外気のなかへ出て、空を見あげて大きく呼吸した。ベランダの下の、雑木林の内部に差しこんだ光が去年の朽葉の重なる地面に散らばっているのが見えた。     *  山比古の運転するクルマの助手席で、ルイ子はぼんやり前方を見ていた。変わりばえのしない水田と畑のくりかえしであるが、ルイ子はクルマの向かっているのがタマキの家の方ではないのがわかる。だからわざわざ山比古に行先をたずねる気にならない。暗いところから急に明るい場所へ出た時のようにくらくらする。なにもかもまぶしく感じられる。 「ヒロシさん、どうしたかなあ」とルイ子はつぶやいた。 「ヒロシは三郎と同類だからな、もとは——」と山比古もつぶやくようにいった。 「三郎は、気が弱すぎるからいやなのよ、今度のことだって、タマキさんのあの家にきて、わたしに尋ねたらわかることでしょ」 「尋ねても、女がホントのこといわねえの知ってるからだろ?」と山比古の口調がいつものように皮肉っぽくなってきている。 「なによー、それ。あんただってシラッとしてるくせに」 「だいたい三郎がどうのこうのっていうのがおかしいんだよ、今ごろになって。子供のいる女にいいがかりつけるなんて、おれ聞いたことないよ」 「だから、ちがうのよ、三郎は気は弱いけど勘はわりといいからね、あんたのことにいいがかりつけてきたんだって、何度いったらわかるのよ」 「そうなんだろうけども、三郎もわかっているだろうが。おれが、タマキさんといるのを、あいつ知っていて。タマキさんはおれがルイ子と仲よくしたって別になんともいわねえだろうけど。タマキさんはだれかがだれかの専属みたいなの嫌いだもんな」 「じゃあどうして、家に帰らずにモーテルにいくのよ」 「モーテルにいくなんてだれがいった」と山比古は冷静な声でいい、ルイ子のほうを見る。  山比古は三郎が自分のことでルイ子にいいがかりをつけ、さらに本人の自分にいいがかりをつけるために、わざわざ「下の町」まで呼び出したのはわかっている。しかしそれをルイ子と話題にすれば、ルイ子の〔三郎事件〕を自分の方へ一方的に引きよせてしまい、結果としてルイ子の関心が自分にくる。それを山比古は回避しようとしているのだ。 「さっき、ヒロシは三郎と同類だからっていったでしょ、あれどういう意味?」とルイ子がいうと、「そのうちわかるよ」と山比古はそっけなくいう。そんなことより、タマキを避けてルイ子とふたりでいることでいらいらしている。モーテルにいくなんてだれがいった、などとルイ子にいいはしたが、そんないい草がシラジラしい。 「とにかく、三郎とはこれきりだな」と山比古はいったが、自分にいったのかルイ子にいったのか、考えようとしなかった。 「タマキさんには説明した方がいいんじゃないの?」とルイ子は気がかりなようだ。 「説明なんてしてもしようがないよ。それより、帰ろう」となげやりにいう山比古には返事せず、「タマキさんて、どういうひと? わたし、よくわからないよ。どうしてひとをふやしたがっているのか、よくわからないよ」とルイ子はいった。  国道へ出たクルマはガソリン・スタンドに入ったが、きた道をひきかえしていく。山比古は喋らない。タマキさんがいつもいう通りだ、説明してもなにも伝わらない。あの三郎にしても、このルイ子にしても、どれだけ説明しても無駄だろう、そうだ、まだヒロシだって。 「ね、やっぱり帰るの?」というルイ子の声が山比古には耳ざわりだ。「ね、ドライヴ?」といちいちうるさいのだ。 「『上の村』へいくんだよ」といい加減に答えたのだが、山比古はクルマを川ぞいの道を走らせていた。道幅が狭くなり急カーブが多くなってゆく。川は道の下の谷川になり、水が大きな石と石のあいだをくぐりぬけ、あるいは石の上を滑り、石を跳びこえていく。ヘアピン・カーブでは、ルイ子はシートから跳ねあがるように揺れている。山比古の運転はこの日にかぎって荒っぽい。道の両側から樹木がかぶさってくる。カーブがこんなに多いところへきて樹木がこんなにかぶさってきてはなにも見えないじゃないか。樹木が上から上から重なってくる。なんという重さだ。隙間もなく重なってくる。道がさらにちぢんでしまうじゃないか。空も見えなくなり、樹木に押しつぶされて呼吸もしにくい。しかも、道はさほど強い勾配ではないがずっと上り坂だ。急カーブのたびに、ルイ子が跳ねあがっている。いい加減にしてくれよ。 「上の村」は遠い。こんなに遠かったのかと山比古はうんざりしているのだが、それを口にすればルイ子にわかられてしまう。やっぱりいやだったのね、なんて軽々しくルイ子にいわせたくない。ほら見ろ、クルマが樹木のなかをもぐっていく。樹木はもうここまでくるとネバネバした粘土のようだ。そのネバネバになった樹木の内部をすすんでいくんだから、クルマも疲れる。雪にも坂にも強い4WDでも、このネバネバ樹木空間をゆくのは無茶だ。  もう無理だと思う気持と、なぜ、こんなに邪魔するんだという敵意——まるで「上の村」を守るように粘りつく樹木への敵意で、山比古はいらだち、運転はいっそう荒っぽくなる。 「ね、ねえ、危ないよ——」と跳ねるルイ子が叫ぶ。  樹木は重なってくるだけでなく、まるで大風に竹がしなって横倒しになりながら揺れているように動いているではないか。そんなに「上の村」のやつはきてほしくないのか。  樹木の揺れのなかにかなり年をとった女が立ちはだかっているのが見えた。その女——多分女だろう——をよけて進もうとするのだが、ネバネバから揺れになっている樹木を越えてそれはできない。  女がなにか叫びながらクルマの正面に近づいてくる。急ブレーキにルイ子が人形のように跳ねあがる。家が見える。トタン屋根の白っぽくなった青が目にはいる。 「タカシかあー、よう戻ったなあー」と女がくりかえし、大きな盆に切った西瓜をのせてもってきたのだ。家の前にころがるゴロタ石に腰をやすめ、山比古もルイ子も西瓜をむさぼり食らう。 「タカシ、墓まいりかあー」といいながら家から男が出てきた。山比古は種を吐きだすのももどかしく、吸いこむように西瓜を食べている。家の裏の方から、ドウと風が倒れてきた。あたりの樹木がドワドワーと音をたて、家にかぶさってくる。「タカシ、下の町でなにしてるんだ」とだれかが風にまぎれて叫んでいる。「山比古さん、山比古さん、どうするのオ?」とルイ子の声も風とひとびとの声にまじっている。「タカシよー、なにしてるんだ、下の町でー」と集まってきたひとたちが口ぐちに叫んでいる。  西瓜の皮を地面に投げつけて山比古は立ちあがる。 「うるさい! 黙って、さっさと死ね!」といいながら、盆の西瓜を水を撒くようにしてまわりにぶちまける。 「そりゃあ、さっさと死にてえよ、ところがそうは簡単にいかんがな」と西瓜を出した女が笑い、「みなで毎日、死ぬ相談しとるよな」と老いた男がかすれた声をあげると、ほかの者たちもいっせいに笑うのだった。 「みな死ね、みな死ね、みな死ね!」と山比古が喉からしぼりだしたような声でどなると、またまわりから笑い声があがる。  帰りのクルマのなかで、「山比古さんタカシっていうの——」とルイ子がいった時、山比古は自分がいましがた「上の村」へいってきたのを思い出すような気分になっていたが、思わず「うるさい」と口走ってしまった。「タカシってどんな字?」とルイ子が無頓着にたずねると、「山比古だよ、おれは」といつもの口調にかえっていた。 「山比古だよ、おれは」と山比古はもう一度いった。     *  前日帰ってこなかったヒロシが夕方バスで帰ってきた。作業場へきたヒロシは「昨日いったんだって?」とからかうように山比古にいった。「『上の村』に」と山比古がききかえす前にヒロシはいい、休息用につくった木のベンチに坐る。「昨日、三郎がいやなこといったよね、あれは、『上の村』のひとがいうのをだれかが聞いて、それをまた三郎が聞いただけだ。三郎に説明してもわからんしね。だれもタマキさんのことはわからない。ぼくもわかっているわけではないけどね、ヤマをみて理解しようとはしてるから。『上の村』のやつらにわかるわけないよ。『上の村』には、いかないのが一番いいんじゃない?」  返事しない山比古にまたヒロシがいった。「もしも、ぼくがここにいないとますますいやなこといわれるよね、タマキさんは。タマキさんより、ヤマの方が。でもね、ほんとは、ぼくがここにいるのはヤマのそばにいたいから」  ヒロシの声は甘みをふくんで柔らかくひろがったが、そこに媚びはなかった。 「ねえヤマ、ぼくがここから出られないのは、ヤマから離れるのがいやだから。それにぼくは、タマキさんのいうことも、しようとすることもわかるし。『上の村』のやつらって動物と同じでなにもわからないんだから、あっちへはいかない方がいいよ。タマキさんとヤマのことを、あいつらが動物みたいだっていうの許せないよ、だから。親子じゃないのがわかっていて、親子がつるむっていうんだからね。親子じゃないのがわかっていて、なぜ親子だといいたいかというと、他人で女と男が母親と息子ほどの年が離れていては親子よりもっと許せないんだよ。ぼくのことは、なんといってると思う? タマキさんがぼくがもう少し大人になるのを待っているんだって。ぼくもヤマのようにタマキさんの餌食になるんだって。その程度なんだから。だからね、ヤマ、もう『上の村』にはいかないでよ、頼むから」といいながら、ヒロシは山比古の顔を横からのぞきこんだ。 「タマキさんに『上の村』のこというなよ」と山比古はいい、下地用のニスを塗っていた。ガレージのように一方が開放されている作業場から、「川」の向こうの丘が見えた。「別にいったからって、タマキさんは気にしないけど」と山比古は仕事に区切りがつくと立ちあがって外へ出た。 「ヤマ、島子さんのことどう思う?」とヒロシがいった。 「ずっといるつもりかなあ」という山比古に、「いるよ」と低い、断定的なヒロシの声が耳のそばでした。 「ここから出ると、ほかにはもうこんなふうにやっていけるところはないよね。タマキさんみたいなひとって、そんなにいないもの」というヒロシの声にはぬめりがあり、水蒸気のようなものを山比古は皮膚に感じた。  山比古はヒロシの手が自分の手を強く握りしめているのに気がついていた。五本の指がヒロシの五本の指でしっかり挟みこまれている。  ふたりの若い男が並んでゆらめいて歩いているのが、ベランダにいるタマキに見える。都会の若い男たちが、短い休暇に「焼いた」赤い色ではなく、薄い褐色が幾重にも重なったような色をした若い生き物が手をしっかり握って歩いている。終わりかける夕焼けの、かすかな鴇《とき》色を背景にして、ふたりの若い男の皮膚の色が見える。ヒロシが挟みこんでいた指を放し、山比古の前を歩く。タマキは放心したようにふたりの姿をみている。なにを話しているのだろう、かれらは。ヒロシがうしろ向きに歩きながら山比古に喋っている。ヒロシが立ちどまると、ふたりは向きあってしばらくじっと動かない。あのふたり、抱きあっているんだ、とタマキは漠然とかれらを見ながら感じている。またふたりの若い男は並んで歩き出した。タマキが食堂へ戻るとルイ子がテレビを見て笑っていた。 「タマキさんが見てたね」と山比古がいった。 「うん、知ってたよ。だから見せてあげたんじゃないか」とヒロシはいい、頭部をふいに山比古のミゾオチめがけてねじこむのだった。 「黙ってないで、いってよ、いってよ」と頭突きの姿勢のままでヒロシはいいながら、山比古のまわりをぐるぐる廻るのだった。 「山比古さん」というルイ子の声がベランダから響いた。山比古はヒロシの肩を両手で押しかえしながらベランダを見あげると三人の女が並んでいた。  家のなかに入ると、山比古は西洋人の従者が主人に軽く膝を折って挨拶するような感じでタマキのそばへ寄りそっていくのだった。山比古がそういう態度をみなの前でとるのははじめてだった。タマキも、うしろに立った山比古が肩に手をおくとすぐにそれをつかまえて握りしめた。 「お墓まいりにいったんだって?」と山比古の手を両方の掌でつつんで撫でながらタマキはいった。山比古は返事しない。 「下の町」で買ってきた女性雑誌のファッション・ページを熱心に見ているルイ子にはそばにいる人間の声も聞えない。 「ねえ、島子さん、あたしが『上の村』にこだわるのはね、ああいうところはこの世から無くなるべきだと思っているからなのよ。いまだに、子供を川に流してしまうようなところだからねえ。ずっと昔から子供を流してきたのに、人間が絶えないの。子供を流さないと食べ物がなくて飢えるっていうのなら、生れた子供はみな殺してしまえばいいじゃないのね。そこまではしなかった。この山比古だって、殺された子供だからね。あたしは助けたなんて思っていないよ。赤ん坊のときに死んだ方がいいに決まってる。その方が幸福に決まってる。山比古は、あんまり奇麗な赤ん坊でね、それで思わず抱きあげてしまった。それだけのことなんだけどね」 「ヒロシさんはどうだったんですか、タマキさん」と唐突にルイ子が口をはさんだ。 「ぼくはね、とっても大事にされたお坊ちゃまだったんだけどね、自分から川に滑りおりて、死のうとしたの。赤ん坊だって自殺するんだよ、ほんと。それでね、目の前が真っ白になって真っ白な花が咲いて、もうすぐ死ぬんだ、と思った時に山比古さんの姿が見えた。んでね、死ぬのやめたの」とヒロシは笑った。 「そうだったの」というルイ子の無感動な声はヒロシの軽々しい喋り方と対照的だった。 「ヒロシは若いのに冗談がわかるので助かるよ」とタマキは笑った。たしかにタマキのいうとおりだ。もし「上の村」がみなのいうような田舎なんだとしたら、そういうところに生れ育ったヒロシがだれよりも理詰めで喋り、だれよりも冗談がわかるというのは不思議だ。しかも、ヒロシはいちばん若いのだ。それとも、ヒロシは「努力」しているのであろうか。もし「努力」しているとしたら、なんのために、なににたいして「努力」しているのか。ヒロシは山比古の方を見ない。 「あのね、ヒロシ、これ冗談じゃなく聞いてよ。ヒロシが山比古を好きなのは知ってるんだからね、なにも隠すことはないんだよ。あたしは、好きになるのは、男と女の間にかぎるなんて思っていないもの。ここにきた時から何度もいったでしょ、ここは世の中じゃあないんだって」とタマキはいいながらも山比古の掌を撫でていた。  ここは「世の中」じゃない、というタマキのいい方をもう何度聞いたことか。タマキのいう「世の中」とは世間ということなのであろう。そうだとすれば、「世の中」じゃないというのは世間の外側であり、世間の常識の不要なところだということだろう。 「それにしても、山比古は好かれるねえ、男にも女にも。ヒロシもルイ子も山比古が好きだし、島子さんだって山比古が好きなんだよ。どうしてなんだろう」というタマキのうしろで、山比古はだれとも視線の交わらない空間にぼんやりとまぶしそうに目を遊ばせている。  ヒロシとルイ子がいい合わせたように立ちあがり、山比古に近づいた。  ヒロシが山比古の右腕、ルイ子が左腕をそれぞれつかまえて、ベランダの方へ引きずってゆく。山比古は逮捕された犯人みたいにあきらめきった表情でよろめいて、ふたりのなすがままに連れられていった。ベランダから下へおりていったようだ。 「久しぶりにふたりで飲もうか」とタマキはブランデーをだしてきた。ベランダから下へおりて、薪小屋の方へまわったのか、とぎれとぎれに三人の声が響いてくる。 「なんにもしないっていいでしょう——」とタマキがいう。 「山比古さん、大丈夫?」 「大丈夫って、どうして?」  薄闇のなかで、三人はなにをしているのだろうか。 「あの三人、けっこう芝居っ気あるじゃないの」とタマキは楽しそうにいう。芝居っ気、なるほどそうか。緊張をはずすにはもっともいい方法だ。 「ヒロシって、いい子でしょ。かわいそうなくらい気がきく——」とタマキがひとりごちる。  芝居っ気、気をきかせる、というが、おかしいじゃないか。ここは世の中じゃないといったのはどうなったのだろうか。「世の外」なのだったら、かわいそうなくらいにまで気をきかせることなんて必要ないではないか。 「このブランデー、山比古が仕入れてきたんだけど、なかなかいいわねえ」とタマキは満足そうにブランデー・グラスを揺らせている。 「山比古さん、大丈夫かしら」 「なにを心配してるのよ、山比古がヒロシとルイ子に殺されでもするっていうの? 山比古はそんなヤサ男じゃないわよ」とタマキは笑った。     *  雪のくる前にと、冬の衣料をとりに東京へいき、一週間もせぬうちに、またここに戻ってきた。「もうこんなところには、二度とこないからね」などと憎まれ口をたたくと、「行かないで、行かないで」とヒロシがまた例の芝居でみなを笑わせたのだった。  わたしはここに戻ったその日に、山比古とふたりきりになるために、夕食のあとおみやげがあるからと、部屋に呼んだ。それまでにも、山比古を誘いたいと思ったことは何度もあったが、どれほどタマキに「ここは『世の中』じゃない『世の外』だ」といわれてもできなかった。  昼間はまだセーターを着るほどでもなかったのに、夜になると空気はつめたく、はりつめたような感じだ。山比古といっしょにヒロシもきたのは、おみやげだといったからだろう。なんといっても、ヒロシはまだ子供なのだ。山比古には赤の、ヒロシにはグリーンのマフラーをそれぞれ渡すと、ヒロシはそれを首にまきつけて部屋から出ていった。山比古はマフラーを手にとってさわりはしたが、すぐに紙袋にもどして、テーブルの上にのせた。  わたしは、指圧のせんせいのところへ治療にいった時のように、ベッドに下着のままでうつぶせた。山比古はすぐにわたしのそばにきて、ちょうど手近にあるから、というように気軽に、お尻をふわふわと撫でるのである。かなり同じ動作をくりかえしたあと、わたしの胴体を横抱きするようにかかえて、上を向かせる。わたしはずっと目をつむったままだ。それから、山比古の掌が、下着の上から恥骨を軽くおさえ、ゆっくりと円を描いて何度も何度も撫でていくのである。だんだんに恥毛がうねり、熱を発してくるように感ぜられる。撫でている掌自体が熱源のごとくに思えてくる。  その熱源がゆるやかに分裂してゆき、それぞれが、まさに「思うつぼ」にはまっていくがごとくに、わたしに触れていくのである。わたしは、こういういきとどいた、自分自身でなければわからぬような場所に的確に移動してゆく手の動きを今まで体験したことがない。山比古が着ているものを脱いで、わたしのそばに横たわった。わたしは思わず山比古の胴体にもぐりこむようにして密着していった。 「ありがとう」ということばが自然にわたしの口からもれていた。山比古は、そんなこというのおかしいよ、といいたそうな表情でわたしを見た。 「タマキさんがいうと思うけど、島子さんが留守の間に、タマキさんの親戚のひとが訪ねてきましたよ」と部屋から出ていく時に山比古はいった。その山比古をわたしはベッドに腰かけたまま見ていた。ここでの力仕事をほとんどひとりでしているにしては、肩も腕もとくにゴツゴツしてはいない。まだ腰まわりに肉がつくには間がある年齢だ。  悪びれた風とてない、普段の目の色で、食堂へ出ていったわたしを山比古は見て、「さっきはマフラーをありがとう」といった。  台所からヒロシが半身出して、「ねえ、島子さん、どうしてぼくには赤じゃなくてグリーンなの?」とわざと口をとがらせてからかう。 「あらヒロシさん、洗いものしてるの、いい子だなあ」というと、「わかった、やっぱり都合の悪いことはそらすのね。ぼく、生れてはじめてヤキモチやいてしまった。赤い方がぼくかと一瞬思ったんだもの」といつものヒロシよりくどい。「明日早いから」といって山比古が出ていくと、「わかった、みんなぼくを馬鹿にして楽しんでいるんだ。ヤマはタマキさんの子だけど、ぼくはみなし児だもんね、島子さん、ぼくを子供にしてよ」とヒロシはいうのである。 「ヒロシ、つまらないこというんだねえ」といいながらタマキはパジャマのままで台所へ水を飲みにきた。 「ヒロシ、あんたは理屈が好きだから教えてあげるけどね、島子さんはあんたみたいなオッチョコチョイを子供になんかしないよ。島子さんはね、ちゃんと自分の子供をもつんだから、あと何年かしたら——」とタマキはいった。  ヒロシは「嘘——、だってえ——」といいかけたのであるが、それ以上は声がでない。その驚きぶりがいつもとちがって子供っぽく可愛らしい。ヒロシが「だってえ——」といったのは、わたしの年齢を指しているのである。「明日からは大忙しだから、早く寝るんだよ」とタマキはヒロシの肩をふざけたようにつついて出ていった。  わたしは電灯《あかり》を消してからもしばらく眠れなかった。先程タマキのいったことが気にかかるのである。何年かしたら自分の子供をもつ、というのはタマキ本人のことなのではないか。六十、いや七十歳になって子供をもつ。七十どころか、八十、八十五歳になって女が自分の子供をもつことができる。それを実行するひとがいないだけだ。タマキはそのことをいったのではないか。  寝つかれないので、東京で買ってきた雑誌をだしてきて、読むともなくめくっていると、いつの間にかタマキがベッドのそばの椅子にぐったりと坐っているではないか。ガウン姿が、タマキを大きな人形のように思わせる。ガウンが大きくて手も足も見えないからである。 「さっきヒロシにいったことは、嘘じゃないのよ。わたしこれでも、いろいろ勉強してるんだから。あと五年しないうちに、実行可能なんだから。今だって可能なんだけど、世の中に承認されていないだけでね。でも、ここまできたらすぐですよ」とタマキはいった。  思いなしかタマキの声がいつもよりかすれて、しかもおかしな甲高さが感じられる。腹話術でつかわれる人形の声のようだ。ふと見ると、大きいガウンが椅子にかかり、その背にタマキの首《かしら》がひっかかってのせられているように思えてくる。 「島子さん、ここへきて何年たつか忘れたけれど、それにいつもこれからだと思うのだけれど、ときどき、もうどうしようもなくぐったり疲れてね、どうにでもなれって思ってね、死ねば楽だろうなと思ったりしてね——」とタマキの声はますます聞きとりにくくなっていく。 「あなたがきてくれた時うれしかった。きてくれたかぎりは、ここにいてくれると思ったから。やはり、ひとりだとつらいこともあれば、つらい時もあるわよ」というタマキの声をつぶしてしまうように「やめなさい、やめてよ、タマキ。わたしがきたのをなんだと思っているの。ここにいるんだから、わたしは。ここにいるでしょう、こうして。わたしは、いちいち説明されて、それでやっと解って、それじゃっていうんでここへきたのとはちがう。それに、ひとりだとつらい時があるって、よくいうわね。ひとりだって? 山比古はなに? ヒロシはなに? わたしだけどうしてかれらとはちがうの? 山比古には、つらいなんていわないってわけ? なんのつもりで、世間の外なの? 世間の外に世間をこしらえるの? タマキがつらい時は山比古もヒロシもつらかったはずじゃないの? いったん外へ出たらね、どんな文句も愚痴も役に立たない——」とわたしはベッドにいつの間にか正座していた。 「寒くなってきた、おやすみ」といういつものタマキの声がして、ガウンが風にめくれあがるように立ちあがり、二、三歩わたしの方に近づいて、わたしの手を握りしめ、すぐにドアの向こうの暗闇に入っていった。     *  薪小屋のうしろは平坦で畑に向いているが、タマキはそこで野菜なんぞつくろうとしない方がいいという意見である。タマキのいい分は、素人が農家の真似をしてはいけないというのだ。たしかにその通りではあるが、もしこれからメンバーをふやしていくのなら、畑はあった方がいいだろう。野菜を買うお金の節約というようなことではなく、メンバーに対して一種の教育的効果が期待できるのではないか。ルイ子にしても、ヒロシにしても、農家の子なのだから、いくら畑仕事が嫌いだといっても、タマキやわたしとちがって、それなりにやるだろう。ところがタマキはいくら勧めても畑はしない方がいいというのだ。  ルイ子が「旭日荘」に頼まれて手伝いにいっている。ルイ子がいないと、たちまち人手が足りないとタマキは怒りだし、また例によってメンバーをふやさねばならないといい出す。しかし、ルイ子がいつも家のなかにいないことにタマキはホッとしているのだ。「『旭日荘』にルイ子をとられた」といいながら、とりかえしにいかないじゃないか。  メンバーをふやす、といいつづけているタマキではあるが、その目的をはっきりとはいわない。ルイ子のことにしても、それほど人手にこだわるのならば「旭日荘」にことわればよかったのだ。「旭日荘」に出入りしだしたルイ子のもたらすニュースを一番おもしろがっているのもタマキである。それをからかうと、「旭日荘」はメンバー供給に役立つという。  山比古はメンバーをふやす件をどのように思っているのだろう。畑のことも山比古はなにもいわなかった。タマキの意見に山比古が反対しているのを今まで聞いたことがない。山比古は反対どころかタマキのその種の意見にはいっさいなにもいわない。  なにかがあると、たいていはヒロシが喋る。ヒロシのお喋りは山比古の代理のような気のする時がある。山比古がタマキに対してイエスかノーかをはっきりさせないと、必ずヒロシがあれこれいう。そのヒロシに山比古は反応するという段取りだ。その図式がだんだんわかってきたのである。ヒロシはタマキにとっても、山比古にとっても、どうしても必要な人物なのである。山比古はいかなる理由があってもタマキと対決してはならない。おそらく、山比古がこのことをもっともよく承知しているのだろう。ヒロシは山比古のその部分を時折わざとつついて、いやがらせする。  タマキがメンバーをふやさねばというのは、ある程度、といっても、いったい何人が適当なのかわからないが、とにかくある程度の人数がタマキの幻想するグループ、或いは集団を構成し、それを維持するのに必要だということなのであろう。しかし、これから新しくメンバーが加わるとして、かれらにどのような役割が残されているというのだろう。タマキはいかなる役割も否定するというけれども、それは無理というものだ。ここは、まわりが海ではない。また、陸の孤島でもない。「下の町」まではクルマだと一時間でいけるのだし、「旭日荘」という二キロしか離れていないところに隣近所までできたのだ。「下の町」には、「るぱん」というパブまであり、それがどれほどチャチなところであっても、そこには女の子もいるらしい。山比古とヒロシが毎晩「るぱん」へいってもいいわけだ。  そういえば、午後から「下の町」へ買い出しにいった山比古とヒロシが夜十時になるのに帰ってこない。 「『るぱん』かな?」というわたしに「ちがう」とタマキは断定的にいう。「下の町」のパブに群がってくるのは、近在の村の若い男女である。ルイ子も美容院での仕事のあと「るぱん」へ立ちよることもあったというから、おそらく山比古とそこで知りあったのだ。山比古は黙っていても、ルイ子はとっくにそんなことまで喋っている。 「なんとかっていうカラオケ・バーがあったわね」とわたしがいうと、「そんなに、わからずやの母親みたいに、いちいち追跡しないで。ここは学生寮でも修道院でもないんだからね。山比古とヒロシがモーテルにいってたっていいじゃないの」とタマキはいう。 「ああそうか、男同士でモーテルにいってもいいわけだ」 「なにを今ごろになって感心してるのよ」 「でも、ここは世間の外なんだから、わざわざモーテルにいかなくてもいいのにね。タマキがいつもいってるのは、そういうことでしょ。ヒロシが山比古さんを好きなのはみな知っているんだしね」 「これじゃまるで山比古とヒロシがモーテルにいってるみたいだね」とタマキがいい、ふたりでしばらく声をあげて笑う。  生活の上での役割の固定化は避けていけるだろうが、性的にはタマキの理想は実現可能だろうか。山比古もヒロシも、「必要な時」にはタマキに遠慮なく要求できないとおかしい。もしタマキからの要求を山比古やヒロシが一方的に受け入れるだけならば、ふたりの男はたんに「飼われた」オスにすぎない。しかし、「タマキさんとは寝たいと思わない」というヒロシのいい草をわたしは聞いてしまっているのだ。ヒロシは山比古とふたりだけだと気を許してそんなことを口走ってしまったのだろう。それとも、山比古への媚びだったのか。それにしても山比古は用心深い。  その夜、女だけの食卓で、ルイ子はいつになくタマキにもわたしにもうちとけ、自分から喋りだしていた。 「『旭日荘』のひとも、ここのこと興味しんしんよ、山比古さんとヒロシさんは、ほら、仕事で知ってるでしょ、でも、島子さんは何者か知りたいらしくて、うまく聞きだすのね。島子さんのことは、わたしだってよく知らないものね、なんにもいえないわけよ。あそこ、娘がいるでしょ、あのひと、ケーキつくるのが趣味だって。バナナ・ケーキだとかいうの、この前ひと切れくれたわ。でも、ケーキじゃお客呼べないと思う。あそこまで、ケーキ食べにいくひとなんていないから。わたしを手伝いに頼んできた時、オーナーの平野さんが勤めていた会社の知り合いとかがグループで研修にきていたのよね、そういう関係のお客だけじゃだめだって、平野さんもクチコミやってくれる若い女の子がきてほしいっていうんだけど、無理だよ、あんなところ。どうしてあんなところに平野さんてひとペンション建てたんだろう」というルイ子に、「あの娘さん、なんて名前?」とタマキがたずねる。 「春に生れたから春子だっていってたわ。春ちゃんの下にふたり女の子いるんだけど、ふたりとも結婚して東京にいるんだって」 「その、バナナ・ケーキっていうの、おいしそうね、食べてみたいなあ」とタマキがルイ子の話の腰を折るようにいった時、「あ、やっぱり」とルイ子はいい、「なにがやっぱりなの」と問うタマキに「やっぱり、タマキさんてケーキが好きなんだなあって」というのだったが、もちろんルイ子のいいたいのは、ケーキのことではなかっただろう。ルイ子によると、春子のつくるケーキにはそれぞれ外国の童話にでてくる女の子や動物の名前がついているのだそうだ。 「春ちゃん、あんなにプロみたいにケーキつくれるんだから、『下の町』にお店出せばいいのにと思うよ。タマキさんがオーナーになればどうですか」とルイ子がタマキのご機嫌をうかがうようにいう。 「ルイ子、一度いっておいた方がいいと思っていたんだけどね、ここにわたしがいるのは、商売をするためでも、百姓をするためでもないの。食べていくのに必要なだけのお金があればいいんでね。なるべく、仕事なんかしない方がいいのよ。退屈でいやなら、忙しくて、にぎやかなところへいった方がいいね。山比古も、なんにもいわないから。はじめにちゃんといっとかなかったのが悪かったのよ」というタマキに、「いつも人手が足りないからメンバーをふやさなきゃ、といってるでしょう? あたしだって、山比古さんから人手がいるっていわれてきたんですよね。あたし、別に、美容院の給料があんまり安いからここにきたってわけじゃないのよね。でも、なにやっていいかわからないから」とルイ子はめずらしく神妙な顔つきだ。 「したいことがあればすればいいし、なにもしたくなければなにもしなくていいし——」 「そんなこといったって——」 「おしゃれがしたかったらしていいんだしね」 「いちいちタマキさんにいうの嫌だもん」 「あれ、山比古はそのこともいってないんだね、欲しいものがあれば、食堂の電話のそばのアケビの籠にお金があるから、そこからもっていって買ってくればいいんだよ。そのかわり、『旭日荘』でアルバイトしたのなんかは、籠にいれておけばいい」 「あー、どうしよう、あたし、そんなことできるの?」とルイ子は声をあげて、しばらくはしゃいでいた。  十一時過ぎて山比古とヒロシが帰ってきた。ヒロシがかかえてきた大きな箱は春子さんからもらったというケーキだった。ふたりがかわるがわるおもしろそうに喋るところによると、「下の町」の塗料店で偶然平野さんと出会い、平野さんにすすめられるまま「旭日荘」に寄り道したら、おみやげにケーキをくれたというのである。帰る時にクルマまで送ってきた平野さんが「ケーキがあり余って困っている」といったので、山比古とヒロシはここで笑ってはいけないと我慢したそうで、それを聞いてみなで大笑いになってしまうのだった。その笑いは、ヒロシの次のような実見談でさらにはずんだ——「トイレを借りた時ぼくは見てしまったのですよ、食堂のテーブルの上に、なんとなんと、クリスマスのケーキみたいな丸いケーキが四ツか五ツ、もらってきたのはそのうちのひとつだと思うけど、そのほかに細長いのや、ロール・ケーキもあった。なんだか、家中ケーキだらけって感じで、バターとクリームと甘っぽい匂いでみちみちてるの。あれだけあれば、とても消化しきれないよ、家族だけじゃあ。それで気がついたんだけど、春子さん自身にケーキの匂いがすることね、もう春子さんがケーキなんだと思いましたよ。さあ、せっかくだから、ひと切れずつ食べましょう。なんだかっていってたけど、名前忘れました。でも、この黄桃の並んだケーキこそは、だれあろう春子さん本人ですから、よく味わってください」  ヒロシのお喋りにひととき笑ったが、だれも直径二十センチほどの、黄桃の薄切りのならんだケーキを切り分けようとはしなかった。夜遅い、という理由ではないようだった。しかし、タマキがこのケーキとヒロシのお喋りから、春子さんに興味をもつのは目に見えていた。  ところが、タマキよりもわたしの方が先に春子さんに会うことになってしまった。  肌寒かったけれども、見とれてしまうような清涼な青い空に向かってバイクで走るのは爽快だったので、わたしは家からあまり離れない範囲で道のいいところを選んでぐるぐるまわっていた。ススキの開ききった穂が風のなかで泡だつように揺れている。コスモスの花がところどころにまだ咲いている。牧草地は麦藁の色になりかけている。池は青銅のようである。干し草をつめこんだ納屋、牛舎にかこまれた農家が近づくと動物と植物のにおいのまじりあった風が鼻を刺し、鼻がそれになじむ時には景色が変っている。快晴のときにはアスファルトの広い道の前方にはいつも撒かれた水がぬらぬらと光って、そこに到着した時には水なんぞ一滴もないのだ。砂漠に見える幻の水と同じ現象なのだろう。  白樺の木が門柱のように並んで、そのうしろに山比古のこしらえた見覚えのあるテーブルとスツールがあった。そこでぼんやり立っていると、ヒロシのいった「バターとクリームと甘っぽい匂い」がたしかに家のなかから漂ってくる感じがする。ベランダでペンキを塗っている平野さんが、入ってこいと手をあげた。平野さんの銀髪が光のなかで見ると思いがけなく美しい。 「慣れんことをすると、ロクなことありませんなあ」とペンキだらけのズボンに手をこすりつけながら笑い、「はじめはペンキで色つけるのんは嫌やったんですけどね、だんだんに汚れてくると色をつけた方がごまかしがききますんでね」と喋っている。「おあがりになって、ケーキでもあがってください」と平野さんがいった時、ヒロシの話を思い出しておかしくなったが、「旭日荘」のなかへはじめて入っていったのである。  家の中、といってもリビング・ルームと食堂だけしか見えないが、全体がどこかで見たようで、そのどこかというのは女性雑誌のカラー・ページによく出ているモデル・ルームなのである。窓にはフリルのついたカーテン、窓ぎわには小さないくつもの草花の鉢、あちこちの壺にはドライ・フラワー、パッチワーク・キルトのクッション、そのほかもどちらかといえば女の子趣味で統一されている。この雰囲気のなかに、さまざまなケーキをおくとよく似合うだろう。 「このへんのひとは、無口なのか、人見知りするのか、不親切なのか、さっぱりわかりませんなあ。不親切かというとそうでもない。ただね、ぶっきらぼうというのかねえ、わからんこと尋ねても、教えてはくれる。教えてはくれるけれども、もうひとつ念がとどかんというか——。この頃はもうだいぶ慣れましたけどね、それでもまだトンチンカンなことをようやって、いっぺんで済むことを二度手間させられたりね、どこまで信用してええのかね、迷うこともありましたよ。ただね、こういうことは、やっぱり土地土地のちがいというか、まあ文化のちがいというんでしょうなあ、それはわかるんやけれども、実際にいろいろ手ちがいに会うてみると、なんかもうゲンナリしてしもてね、勝手にせえと思うたこともありましたよ」と平野さんははじめて会ったわたしに平常の不満を晴らすように喋る。しかし喋り方がゆったりとしていて、それがどことなくユーモラスなので、聞いていていやな感じがしない。  ケーキをもって、春子さんが登場してきた。  大柄なところは平野さんに似ているが、顔はあまり似ていない。平野さんは若い時はさぞやと思わせる古風な美丈夫である。 「オレンジの色がきれいでしょ? こんなにおしゃれなケーキは東京でも売ってないわよオ——」と春子さんは大皿をわたしの前におく。  たしかにケーキの色は冴えて、店のガラス・ケースの中で客を待つ売りもののようにくたびれた様子はなくみずみずしい。けれどもわたしの視線はどうしても春子さんの方へいってしまうのである。おそらく三十歳は四、五年前に過ぎているだろうと思えるのだが、声と仕草、それに髪や着るものの感じが、どことなく不思議で、一口にいえば全体が「少女」趣味なのである。 「ここへくる前にいろいろ聞いたんですがね、その時には、冬はスキー客があるといわれてアテにしてたんですよ。ところが、このへんは雪が少ないそうですね。スキー客はこんなところに寄り道しないらしい。まあ今年はじめてのことでもあり、様子を見てみんことには——。なんせ、遠いところのことですからな、とにかく実際にきてみてわかることばっかりやでね。お宅のタマキさんはもうここへこられてだいぶになるいうて伺うたんですが、やっぱり最初は、都会からきた者にはやりにくいこともあったんやないかとね、うちでも時折、お噂しおりますのやが」と平野さんは春子さんには無頓着に喋っている。 「今ね、お茶がきますから、お好きなのとって——。この白い小さなオムレツ型のはね、中身はクリームと苺なんです。これを並べて少し離れたところから眺めると、白い象に見えるでしょ、それで、『白い象のような丘』という名前なのよ。あ、知ってる? そう、『白い象のような丘』ってヘミングウェイのとっても短い小説の題。これだけなぜだか大人の本から。毎日ケーキつくるでしょ、毎日新しいイメージでつくるから、新しい名前のケーキがどんどんできるわけね、それで困ってしまうのよ。新しい名前に困るんじゃなくて、イメージと名前にケーキが物理的に追いつかないの。食べるひとがいないんだから、つくるばっかりだとたまってしまうの。でもそんなこといってられない、どんどん湧いてくるんだから、イメージが——」  春子さんは、昔の幼稚園の生徒がしていたようなフリルのついたエプロンを着けている。肩の上のフリルが喋ると揺れる。 「ママ——、お茶はまだなの?」と春子さんは奥に向かってソプラノで叫ぶ。  平野さんはわたしの方に椅子をよせてきて、「タマキさんもあなたも東京のおひとやと思うんですが、どうですか、やっぱりここへきて住んでみると、聞くと見るとは大ちがいやと感じいるわけでしてね。別にわたしら、ここで金を稼ごうとか、儲けようとか、貯めこもうとか、そんなこと全然思うてないんですがね、ただ死ぬまで食うていかんならん、これがつらい。わたしら、百姓の真似事もできませんしね、まだわたしと家内は戦時中の家庭菜園の体験がありますけどね、子供らにはそれもない——」と喋っている。  やっとミセス・平野があらわれた。  またたくうちに、テーブルの上にはポットや茶碗、皿やフォークや紙ナプキンが並び、ケーキがわたしの前に押しだされた。ミセス・平野はほとんど強制のように、あの「白い象のような丘」と「オレンジ祭」とかいう名前のケーキをわたしの前の皿にのせ、大きな紅茶茶碗に溢れんばかりにお茶をついだ。 「あの、これね、お宅のみなさんに、おみやげに」とミセス・平野は「白い象のような丘」を十個ほど紙箱につめてわたしの胸におしつける。それを見ている春子さんは、自分の「作品」がそばから消えていくさみしさと、少しでもたくさんのひとに「作品」が賞味されるうれしさと、「作品」がなくなるおかげで次なる「作品」への、早くも湧いてくる意欲とで複雑な心情になるのか、なにかいおうとするのだがしばらく言葉が出ない。ところがふいに痩せぎすのミセス・平野をつきとばすように春子さんがわたしの前にきて、「ね、どちらが好きとか、どういうふうな甘さだとか、なんとかいったら?」と歌っているみたいにいいながら、何度も顔をのぞきこんでくるのである。  わたしはバイクでの寄り道を言い訳にして、紅茶いっぱいで退散したが、春子さんの「存在」がのしかかってくるように感じられる。思い出せば「エメラルド・グリーンの髪」の時の迷惑感(?)になんとなく似ているのである。  こういう思いつきの訪問をふくめ、「旭日荘」との交流は少しずつ深くなっていくのであるが、わたしは自分が平野さんにかなり関心をもっているのに気づくようになった。タマキはそれをさすがに敏感に察知して、「旭日荘」の話がでるとわたしをからかうのだ。わたしは、タマキがそういうからかいで、なにをいおうとしているか知っている。タマキはたんにわたしが惚れっぽいとか、男にすぐ関心をもつとか、男前に弱いとか、そんなことをからかっているのではないのだ。 「島子さんの絶望は底が浅いからねえ——」とタマキはわざと山比古に聞かせるように笑う。「ねえ山比古、どう思う? 島子さんはね、こうして見ていると、とくに馬鹿には見えないでしょ。ところがところが、相当の馬鹿でね、若い時から男に馬鹿にされては怒り、ナメられては怒り、裏切られたといっては歯ぎしり噛み、その上、男のずるさに、頭の悪さに、肝っ玉の小さいのに腹をたて、年中、ゼツボーだゼツボーだと騒いでいたひとなんだよ。ただ、いっとくけどね、山比古、島子さんが男にゼツボーだっていってたのは、色恋だけのことじゃないんだよ、戦友じゃない、同志というのでもない、あそうか、山比古にこんなこといったってだめか、とにかく、いっしょに闘うひととしてのゼツボーだったってことなんだから」というタマキに山比古は表情を変えずにいたが、「そういうの、男とか女とか関係ないでしょう」といった。  山比古のいうのが正論だ。もし女にそれほどゼツボーしなかったとしたら、それはゼツボーするほど女とつきあわなかったということになる。それなら男とは、色恋のあった分だけ女とよりも深くつきあったというのか。 「その通りよ、山比古さん。裏切る奴は男でも女でも裏切るわよね」とわたしがいうと、「さっきのタマキさんのいったこと、平野さんとはまったく関係ありませんよ。島子さんはただ、平野さんが感じのいいひとだ、わざとらしいところがなくって、感じがいいって、そういっただけでしょう」といつになく山比古はムキになっている。タマキがわたしをからかい、わたしがそれをいい加減にかわしているのは、山比古からは一種の痴話喧嘩に感じられるのではないか。たしかに、タマキとわたしの思い出はすでにそんなかたちでしかおたがいに表現できなくなっているのだろう。しかし、タマキは、そうだ少なくともタマキは、思い出を楽しみに生きてはいない。メンバーをふやしていって、「血のつながらない家族」をここでつくっていこうとしているんだから、人間と未来を信じて生きているわけだ。 「島子さんは、今は平野さんはいいひとだって褒めているけどね、そのうちまたダーイキライっていいだすかもしれないよ。だれも、なんにも信じないっていう割には、好き嫌いの波の荒いひとだからねえ」とタマキはまだつづけている。 「風が強くなってきましたよ。嵐がくるって、そういえばラジオでいってたですよ」と山比古が仕事場の方へ出ていった。強風には、窓の外側から桟をして釘でとめなければならない。ヒロシを呼ぶ山比古の声が風の音にまじって響いている。     *  一週間も「下の町」へ出たままだったルイ子が夕方帰ってきた。ルイ子がいない間、わたしはもうあの子は帰ってこないだろうと思っていたが、タマキはどう思っていたのだろう。山比古とルイ子では、ここでの生活、つまりタマキの考えに対しての感じ方も理解度もちがう。ヒロシはどうか。わたしは、ヒロシはひょっとしたら山比古よりタマキを直感的に知っているのではないかと思っている。ヒロシは「上の村」からきたといっても、そこにはふた親はいないらしい。山比古も同じではあるが、タマキのいうところを信用すれば、村を出奔したふた親にとりのこされ、祖父とふたりきりであったところをタマキにひきとられ、まもなく祖父が死んでしまったとのことであるから、子供の時からタマキにはなじんでいる。親もいない、帰る家もない、という点では同じであっても、ヒロシの方が不自然で、その分、意識的或いは意志的にタマキとかかわろうとしたし、またすると思う。そのためかどうか、ヒロシの、あの一種の幇間《たいこもち》的な、道化的な卑猥さはたしかに意識的な護身だ。このふたりに比べて、ルイ子にはタマキを深く理解し、深くかかわっていかねばならぬ理由はない。げんに、ルイ子がしばらくここにいなかったのは、「下の町」のはずれにいる親がつれもどしにきたからだった。  タマキはなぜか、ルイ子をつれにくるとしたら、赤ん坊の父親だときめこんでいたので、ルイ子の父親があらわれた時には、ふいをつかれたような顔をして、それがルイ子の父親の不信をつのらせたのだった。ルイ子の父親は、まず山比古とヒロシという若い男がふたりもいることに驚き、次にタマキとわたしという、かれらの母親の世代の女がふたりいるのが不可解らしかった。  帰ってきたルイ子にだれもその事情をたずねなかった。しばらく拗ねたような様子をしていたが、二、三日もすると、またなにごとにも無頓着な、いつものルイ子になっていた。 「あのねえ、島子さん、あたし、どんなところにいても、おしゃれだけはしたいのね。だけど、タマキさんて、おしゃれにわりあい無関心でしょ、だからなんとなくやりにくくって。そこだけが、まあ、あたしの不安なのよね。タマキさんが、あいつ無駄遣いばっかりする、なんて思っていたりしたらいやだから、同じ家のなかにいて。だから、あたしが島子さんに頼みたいのは、タマキさんにそういうあたしの趣味みたいなものは仕方がないって、いってほしいんです」とルイ子はタマキのいない時わたしにいいにきた。  ルイ子はそんなことをわたしに頼むだけあって、髪、化粧、着るものには気をくばっているのがわかる。手だけでなく、足の爪にもエナメルを塗っていることがある。わたしはタマキほどには無頓着ではないが、ルイ子ほどにはおしゃれに情熱をもっていない。 「タマキは他人の趣味をとやかくいうようなひとじゃないからね。ただ、もし問題になるとしたら、やはりその程度《ヽヽ》でしょうね。それより、ルイ子さん、ここでこの前やっていたみたいに山比古さんの手伝いするつもり? それとも、なにか別の仕事をするの?」 「今、それを考えてるんです」とルイ子はいったのだが、わたしも考えなければならないのだ。わたしにはタマキの経済状態はわからない。しかし、たとえどういう状態であれ、みながそれぞれになんらかの仕事で稼ぐことは必要だろう。そうでなければ、他人同士が対等に「家族」にはなれないはずだ。それなのに、タマキがいつもその話題を避けるのはなぜなのだろう。  ルイ子は冬ごもりの支度だといって厚手のセーターを編むわたしを真似て、夕食後はよく仲間に加わっていたが、赤ん坊の出現でそんな余裕を失ってしまった。  タマキもルイ子の親が現れた時には、ルイ子はもうオトナなんだから他人がとやかくいうことはないと、いわば高見の見物でもすんだのだったが、今度はまだ半年もたたない赤ん坊ではそうはいかない。といって親であるルイ子に赤ん坊をどうしろこうしろと他人がいえないのだ。ルイ子にいわせれば、赤ん坊をかかえた「未婚の父」は、その父親とふたりで困りはてていたのだそうで、ついにその困惑はルイ子への怨みになり、「未婚の父」の父が赤ん坊を抱いてルイ子のところにやってきたのだった。  赤ん坊を遠まきに見つめているタマキとわたしを意識してか、赤ん坊の若い祖父は、やや大きい声で、共通語で喋る努力をしているように見えた。しかしすぐに声は喉にくぐもり、わたしには彼のいっていることがほとんどわからなかった。ルイ子の父親の時とでは、声の勢いからしてちがう。それは、ルイ子の父親は娘が得体の知れない連中に誘惑されたと思っていたから、なんとしても娘をとりかえさねばと張り切っていた。ところが赤ん坊の祖父は、赤ん坊を楯に受け身でかまえながら、じわじわとルイ子につめよっていって、なんとしても赤ん坊を押しつけなければならないのだが、弱みである息子のことに話が及ばないようにする必要がある。いってみれば、たんなるドナリコミのように単純でなく、見かけとはちがい戦略的に若い女とかけひきしなくてはならないので、態度が屈折してくるのだ。ルイ子と赤ん坊の若い祖父とは水かけ論で同じいい草をお互いにくりかえしていたが、赤ん坊の祖父はついにもっとも効果的な質問をした——「ここはいったいなんの家ですか」  この問はルイ子がタマキにしなければならない問だったのに、それをしないうちに答えなくてはならないのは理不尽なことだった。さらに、赤ん坊の祖父はもっと理屈にあわぬことをいったのだ——「この子はうちの倅の子ではない。三郎か山比古の子だと倅はいっている」  ルイ子は赤ん坊の祖父の前に立ちはだかって、「ここの家のひとは、うちの息子の赤ん坊ではないから棄てよう、なんていわないよ。ここのひとはみな家族だからね。いいよ、そんなにいやなら、赤ん坊をおいていって。そのかわりね、この子はもうあんたの家の子だなんて、どんなことがあってもいわせないからね」とルイ子はいった。「なぜもう少しねばらないのよ」とタマキはあとでルイ子をからかったが、赤ん坊という結果はルイ子がいいまかされたためでも、敗北したわけでもないのをタマキはもちろん承知していた。その時の話が笑いの種にむしかえされると、タマキはルイ子の決断の早さを必ずほめるのだった。  赤ん坊の登場で、タマキはわたしのいつもの心配である「経済」問題を避けるわけにはいかなくなったはずだが、それでも、「赤ん坊がメンバーになるなんて思ってもみなかったねえ」と機嫌よくはしゃいでいるのを見ると、安心はできないという気もする。  わたしが、タマキに比べるとおかしなくらいに「経済」を問題にし、またそのことを心配するのは、「志」が途中でうまくいかなくなるのはたいてい「金」だった体験からである。タマキが「血のつながらない家族」をつくって暮らそうとしているのなら、それはタマキの「志」にほかならない。  タマキがどういう動機で「血のつながらない家族」つくりを志したかは、もはやわたしにはどうでもいいことになっている。それよりも、実現にはなにが必要なのか。タマキはメンバーをふやすことばかりいうが、布教ではないのだから、メンバーの数を強調しすぎるのもなんだかおかしい。それでいてタマキは、わたしがこういうことを話すと、「島子さんは、なんでも理詰めですすめようとしすぎる。なにごとも、自然にかたまっていくんだから——」などと矛盾したことをいうのだ。メンバーをふやそうとするのは、自然ではないと思うのだが。  数日後、赤ん坊——名前は夏実というのだそうである——が高熱を出して、山比古のクルマでルイ子は「下の町」の医者へ赤ん坊をつれていった。赤ん坊をかかえたルイ子とクルマの方へ出ていく山比古を見て、医者はかれらを夫婦と思うだろうと感じ、それを自分がねたましく思っているのに気づいておかしかった。クルマのところまでついてきたタマキが、本当に心配そうに赤ん坊の顔をのぞきこみ、ルイ子に念のためにともう一枚ウールのストールを手渡しているのを見て、わたしはタマキの「志」を見直すのだった。と同時に、昔の社会主義国の映画に出てくるみたいな、その光景にテレくさくもなって、薪小屋の方へ走っていった。クルマのエンジンをふかす音がしばらくつづいていたが、ぼんやりと昆布の色をした「川」を眺めていた。落葉樹の多い林を透かして、薄青の空が雲の流れの具合であらわれてはまた見えなくなる。  タマキになにか無性に喋りたい。昔のことも今のことも。これからのことも。今のように、ひとりでいる時ふいに都会に戻りたくなるなんてことも、タマキに喋りたい。タマキと同じ屋根の下にいて、なぜ思いきり喋れないのか。なぜ、「志」についてタマキはくわしく語ってくれないのか。  山比古とルイ子の帰りを待つ間、タマキは心配なのか黙って酢漬けにする野菜を洗ったり切ったりしていたが、予想していた時間がすぎてしまうと、急にいやになったというように、あぐらをかいて煙草を喫いだす。 「赤ん坊は、お医者もないここでは無理じゃない?」とタマキにいうと「無理ってどういうことよ」不機嫌にいい、「わかってるわよ、島子さんが赤ん坊嫌いだってことは。赤ん坊の泣き声って、慣れてないとイライラするからね。だからといって、大人ばかりの世界は不気味だよ。わたしも、死ぬまでには赤ん坊を生むつもりだけど。ほら、いつかいったことあるでしょう、これからは、六十になっても赤ん坊がもてるんだから。まだ島子さんは信じていないでしょうけどね。本当なんだよ。本当のことをみなに知らせるとパニックになるもの。今、赤ん坊を生むつもりっていったけど、正確にいえば、生むというのおかしいわね、なんていえばいいんだろ、出現させるとでもいえばいいのかな。昔はね、子供を生むか生まないかなんて選択権は女になかったでしょ、女イコール子供生む者だったわけでしょ、それが選択できるようになったでしょ、今度はその選択肢がいくつもになるのよ、生むといっても、方法も体内受精にするか、体外受精にするか、自分が生むか、だれかに生んでもらうか、といろいろ出てくるでしょ。すると二十代で生むか、四十代で生むか、六十代で生むかも選べる。選択肢がひろがっていくと、おもしろくなっていくわね、そう思わない?」とめずらしくタマキは能弁になっている。どうやら、ルイ子の赤ん坊登場が、タマキの「志」を刺激したようだ。 「山比古の便利大工ぐらいじゃだめだ。島子さんのいうように、盛大にお金を稼がなくちゃあ」とまた冗談になるのを、「山比古さんを便利大工とはひどい」と受けるわたしはだるいような悦楽を感じている。 「ね、島子さん、冗談じゃないんだよ、さっきのことは。科学的にはとっくに可能なんだから。実用化しないのは、実用化させないからだよ。だって、もしそれが当たり前のことになれば、これまでの世界はひっくりかえるもの」 「そうじゃないのよ、これまで何千年ものあいだ人間を支えてきた世界観が役に立たなくなるだけよ。だから人間はそうなるのが怖いのよ——」などと、タマキと喋っていると、ぼんやり感じていたことが立体となって身体の内部に立ち並んでいくように思えてくる。  あたりは薄暗くなってきているが、タマキもわたしも坐りこんだままでいる。仕事場からときどき響いていた電動ノコギリの音もしなくなった。ヒロシがひとりで仕事をしていたようだ。 「大昔のことみたいに思えない? あのころ——」とわたしが薄闇のなかでやっと電気のスイッチをいれると、タマキは光で仕掛けられたバネ人形みたいに立ちあがり、包丁をもってこちらを向いている。 「菜切り包丁だからいいけど、それが出刃包丁なら、恐しい姿ねえ」とタマキを見上げて笑うわたしに、「島子さん、ほんとに、ここにずっといるつもりなの?」という。 「じつは、まだ迷ってるの。最初は、タマキに会いたいからきただけだもの。ところがきてみたら、聞くと見るでは大違いだった。ずっと昔からここにいたみたいな感じがしてね。でも今度は、いつまでもいてはいけないんじゃないかと思ったりね。ここにずっといるのなら、東京のあのウサギ小屋も、なにもかもたたき売って、ここにつぎこまなくちゃあね」 「それじゃ先払いの老人ホームだよ。いっとくけど、ここは決して老人ホームじゃありませんからね」 「わかってるわよ。ただわたしにも都合というものがあるでしょう」  タマキはわたしが「あのときのこと」をいいかけると必ず話をそらす。わたしは「あのときのこと」でセンチメンタルな気分に浸ろうとしているのではない。むしろ、感傷や情緒をとりのぞいて考えることのできる歳月を過ごしてきたために、正確に現像して眺めることができるのではないかと思っているのだ。それに、幸いなことには、「あのとき」のわたしとタマキは仲たがいして離ればなれになったのではない。タマキが結婚し、しばらくしてわたしも結婚した。  タマキは包丁を調理台におき、台所の窓ごしに、仕事場にいるヒロシに向かって大声で呼びつける。その声はまさに生活者の声というべきか、建物を突きぬけ、大気をおしのけるように野太く響く。いつもの、ちょっと鼻にかかったタマキの声ではない。タマキはわたしの姿を映す鏡のようだ。わたしもなにかあると、先ほどのタマキと同じように、他人にむかってドスのきいた声でどなったり叫んだりしているのだろう。鼻にかかった声で、「なによオー、島子さん」などと冗談まじりにわたしをからかっていたタマキはいないのである。  台所のドアからタマキはヒロシに命令している。「オートバイで平野さんのところへいって、平野さんにクルマを借りて、ルイ子の赤ん坊を見てきてよ。病院は知っているだろ? あ、そうか、オートバイでいってもいいんだ。いいね、頼んだよ」  わたしはここでまったくの役立たずだ。  機転のきくヒロシなら、たとえどんなことが起っていようとも大丈夫だ。オートバイの音が消えてしまうと、またタマキとふたりきりになった。 「やっぱり男の子がいてくれると頼りになるわね」とわたしが溜息まじりにいうと、「ヒロシが男の子だから頼りになるんじゃないよ。たまたまヒロシがオートバイに乗れるから頼んだだけでね。島子さんが大型のオートバイに乗れたら島子さんに頼んだかもしれないし。それより、わたしが乗れたら自分でいってたよ。なにごとも、男と女にもっていかないで。島子さんはまだ、性別主義だなあ」と笑うのである。  そうかも知れない。「あのとき」のタマキが女だったからこんなにこだわっているのだ。どうして、男とで実現できなかった交流がタマキという女とではできたのか。 「思い出したくないことって、たくさんあるよね」 「なにをいってるの、突然——」  わたしは、タマキにいったのと逆に、たくさんの「思い出したくないこと」を正確に思いだそうとして努力している。いやなことを忘れて過ごすのも知恵であろうが、たとえ益のないことであっても、忘れることで逃げたくない。タマキはそれも一種の執念だとからかうけれども、ふわふわとその時その時で楽しく過ごしていって、ふわふわの痴呆で食い物をあさり、口から食いちぎった動物の肉片や血をしたたらせながら、そばにいる者にゲップをふきかけるなんていやだ。そういえば、遁走した男たちはみな深海魚のような、海の底でふくらんでしまったような顔になっている。かれらはみなオリタのだ。現実から下りてしまったのだ。タマキ、ほんとなんだ、聞かせてあげようか。 「下手すると、赤ん坊は肺炎かも知れない」とタマキはひとりごちている。赤ん坊なんかどうでもいいよ、邪魔しないで。  ああ昔むかしのことになってしまった。やっぱり話せない、ばかばかしくって。だいたい、筋道たてて喋るようなことじゃあないでしょ。筋道たてて、順番になんて喋れない。そうか、それをあえてやってみないとダメだと思ったんだったね。でも、筋道たてていこうとするからダメになっていく、ダメになるって、つまり、ホントが消えていく。覚えていることはたいてい場面の断片、でしょ、何十年かたってだれかに語るために一瞬一瞬を過ごしているわけじゃないから。「あのとき」だってタマキにただ好き好きをくりかえすしかなかったものね。タマキはなんだか先輩の娼婦みたいだった。わたしよりあとでこの世に出てきて、どうしてこんなにしっかりしてるんだろうって、ねたましかった。わたしは、商売なのにいつまでもウジウジ恥ずかしがっている娼婦みたいだった。「アッ」と思った、タマキの指がわたしの性器に触れたとき。生れてはじめて(といっても大人になってからはじめて)他人が性器に触れたときの「アッ」と、驚き加減は似ていた。その、生れてはじめての他人はたまたま男だったわけだけど。でも、タマキはちがっていた。そうだよね、タマキとの交流にはまったく政治がはいりこまなかった、ほんとに一度も。男とでは、かならず性に政治がぶらさがっていた。男たちはそれに気がつかないままどこかへ行ってしまったのだけれど。 「政治だなんて、相変わらず島子さんはおおげさだ」とタマキはいうに決まっている。でも、男と女で政治のない性ってあっただろうか。政治のない関係なんてあっただろうか。それに、性交はいつも快楽の先陣争い。いっしょによくなるっていっても、いい思いはバラバラにしている。自分のために相手が必要なだけで、ふたりでしか獲得できないもののために自分が必要なのではない。わたしはこの矛盾にうんざりしていたのだった。それなのに、なぜ必要とする相手を恋情と納得することでしか性交しえなかったのか。恋情だと思わねばなぜ性交できないのか。性交したいこと、それが恋情なのか。わたしは恋人に会うと、今度はいつ性交できるか、だけを考えていて、恋人がいなくなることは、この次に性交する機会がいつくるかわからない、ということだったのだ。いつも、恋人は性交を約束できる人間にすぎなかった。わたしは「恋人」を「愛した」ことなんてない。いや、「愛する」とか「愛した」という記号を使うべきではない。たしかに、昔はその記号にまどわされていたけれど。記号だなんて思わずに。  たとえば青年Aのアパートメントにわたしはただ性交するために何度も何度も通った。そのたびに「愛してる」なんていって。それでいて性交したあと帰る時には、なんてつまんない男だろうといつも思うのだった。その評価はもちろん男の性的能力や技巧に対してではなく、人柄や生き方に対しての感覚的な即断であった。その男のつまらなさを憎みさえしながら、この次に会う約束の日が排卵の時期にあたっているかどうかを指折りかぞえていたのである。そして青年Aも、わたしをドアか駅の改札口で見送ると、次なる約束の女の子の欲望を鎮めてやらねばならない。青白い、広い額はつるりとして、そこに降りかかる髪をはらいながら、コンドームを買うために薬屋に立ちよるのだった。「女のひとはスカートをはくべきだよ、ズボンだと色気がない」なんて服を着るわたしを見ていったけど、よくいうよ、色気のなんたるかわかっておるのかね。女はスカートをはくべきだって? 階級意識がミエミエ、それなのに、階級闘争とやらの暗号や記号の意味をたずねて、わたしが答えられないとセセラ笑うんだから。「この間、仲間のおくさんが、といっても正式には結婚してないんだけどね、その彼女が中絶したんだ、おくさんを大事にしろよって、いつもいってるのに」だって。胸の悪くなるような、わかったふうなセリフ。 「なんだよオ、聞いただけでもケチくさい奴じゃあないのよ」とタマキはいいたそうだ。いや、きっとタマキならそういうに決まっている。マッタクモー、ひとが黙って聞いていると思って、よくもそんな「青年の主張」みたいなセリフを口にするよ。「きみのこと、カーさんにいったんだ」だって。「結婚はもう少しあとにしろって」え? だれが結婚するっていった? 「カーさん」って、おっかさんのことか。ああ気色わるい。「島子さん、なにブツブツいってるのよ。気持悪いじゃないの」というタマキの声は聞えている。タマキ、大丈夫、気はたしかだよ。 「結局どうなったのよオ——、その青年Aの運命は」とタマキは笑っている。青年Aはね、青い背広に心も軽く蝶ネクタイをして就職しましたですよ。「カーさんが就職祝だといって背広を二着送ってきたんだ、ネクタイもいっしょに」だって。「なにがいいたいのよ、その青年Aについては」タマキって意外とせっかちだねえ。とにかく、いちいちもっともらしいの、青年Aは。性的知識にも、階級闘争用語にも、つまり当時の一種の流行語よね、それに無知なわたしをNHK「青年の主張」的セリフで軽蔑しつづけていたわけです。そしてわたしも、「青年の主張」を軽蔑しつつ発情の処理を青年Aにお願いするために、屈辱に耐えていたわけです、青年Aの替わりが見つかるまで。「替わり見つかった?」本気で聞いているのか、タマキは。それならもっと上手にハナシをつくるんだった。 「じっと待っているの苦痛だから、懐中電灯もって『川』の方へでも散歩しよう」とタマキが外へ出る用意をしている。「帽子かむるか、ショールでも頭からかけなさいよ」 「ああコワイ、これぞまさに漆黒の闇ねえ」「すぐに慣れるよ。ほら、木の枝が空より黒く見えるでしょう、『川』はこっちよ。かすかに水の音が聞えない? 夜になってから、こうしてうろうろするの好きなのよ。足元に気をつけて。枯れ葉がもう腐りかけて、ぐじぐじして滑る。だんだん見えるようになってきたでしょう。星があまりないわね、今日は。赤ん坊ね、死んだような気がしない? 島子さん、赤ん坊が死ねばいいって祈ってたんじゃない? わたしもじつは祈ってたの。赤ん坊の時に死ぬくらいいいことってないから。それに、わたしの計画、赤ん坊まで入ってなかった。島子さん、祈りましょう、『川』のところで。なにか祈る時はいつも『川』のそばへいくの」とタマキはわたしの手をとる。 「あたしサー、慈善事業やってんじゃないんだから、途中で邪魔がはいると困るんだよネー」とタマキは歌うようにいいながら、濡れた枯れ葉の上を滑っていく。わたしはタマキの手を放すと闇のなかに溶かされる気がして、足元も見ないで滑りながらすすんでゆく。 「『川』の向こうへいっちゃあだめよ」 「国有地なの?」 「そんなこと関係ないわよ。あの『川』からこちら、家の向こう側の斜面の途中に大きな栗の木があったでしょう、あそこからこっち、その間にいないといくら『川』のそばで祈っても効かない。そんなヘンなことと思うでしょ、でもホントなんだよ」とタマキは「川」のそばの平たい石の上にしゃがみこみ、「川」の水に左手で懐中電灯の光をあてながら、右手を水に垂直にさしこんでいく。水のなかの手は光の屈折の加減で寸づまりなので、人間の手には見えない。「赤ん坊はこの水に流れてどこかへいくわね」とタマキは低い声でいった。「島子さんも、青年A、青年B、青年C、D、E、F、G、みんな流しておぼれさせてやったら?」と、思い直したように明るい声でタマキはいった。「Aは青年かもしれないけど、BもCもDも、N番目まで全部が全部青年とは限らないでしょう。中年もおれば、老年もいたかもしれないよ」「ああそうか、そうだよね、そうだよね、いろいろよね」といった時タマキの声はかすれて、泣くのを我慢しているか、冷たい風で喉がつまったかわからなかった。「それに、いやだったことは『水に流す』っていうの、わたしはイヤだ。流れたいっていっても、流さない。タマキのところにきたのも、そのためなんだから。水に流さない奴らが、ここに集まってくる。タマキと逆ね、祈りの方向が」タマキの照らす懐中電灯の光の直線だけが闇を橙色にし、そのなかに、「川」が横切り、また光が「川」を横切り、タマキの水のなかの手が白蝋のように見えたりする。「山比古が男になるのをジリジリしながら待ってね、赤ん坊でも子供でもだめ、わたしはね、大人だけの家族を待っていたの。子供は対等じゃないから。子供とか赤ん坊はオトナが庇護しなくちゃならない。それじゃ、やさしくなる、おたがいの関係が。大人だけだとそうはいかない。とても苦しいね、多分。他人ばっかりだから、おたがい、いっしょにいる義務もないんだしね、それに、みなで力をあわせて働かないと食べられないというのでもない、そんな条件がほしかった。そう、マイナスの条件がひとつでもあると、うまくいかない時そのせいにしたくなるし、またするでしょ、それが一番いやだ。前からいってたでしょ、あたしって、意外や意外、完璧愛好癖だね。ほら、お祈りしましょう、ルイ子の赤ん坊が死にますように——」 「タマキは山比古さんとふたりきりで暮らせばいいのに」 「だめだめ、それじゃ証人がいない。それより、お祈りして」 「赤ん坊だけじゃなく、だれもかも死にますように。人間のいない土地があらわれますように。これでいい?」とわたしはまたもふざけているのだ。 「ああ、昔の時代劇映画のシーンみたいだ、ほら、島子さん、雲の横から月があらわれ出てきたわ、しかも半月」とタマキは立ちあがり、空を見上げる。あたりが思いなしか少し明るくなり、タマキの姿の動くのがわかる。樹木の幹に触れても濡れている。夜はどれほど天気が良くても、ものみな濡れている。タマキが先にたち、わたしの手をひいて光の線を前に延ばすようにしてすすんでいく。わたしはタマキの手を命綱のように懸命に握りしめている。この、びたびたした夜のうちに、みなが死ねますように。 「ああ、また隠れる」とタマキは立ちどまり、空を見る。雲が風で走っているのだ。「わたしは、タマキとちがって復讐のためにここにきたんだから。タマキは建設のためだものね」とわたしがからかうと、「ハハ、復讐か」とあざけるようにタマキはいう。「悪かったね、復讐のために、あたしは出家したんだよ」「出家? おおげさよね、いうことが」「あたしはね、あんたみたいな俗物とちがってね、もの心ついたときに出家したんでね」「それで出家してんなら、だれだってしてるわよ」「外側しか見ないひとねえ。当たり前よ、出家なんてしてないわよ、でも、それに近いところにいるでしょ」「ああ、それでねえ——」とタマキはわざと嘆息し、家への傾斜に光を突きたてて、大股でかけあがってゆく。  食堂では山比古とヒロシがビールを飲んでいた。お祈りに夢中でクルマの音が聞えなかったのか。山比古もヒロシも疲れきった様子でぼんやりしている。それでも、山比古はタマキにことの成りゆきのあらましを、半ば放心状態で喋っている。ルイ子の赤ん坊は助かったそうだ。しかしルイ子はもうここには戻らないそうだ。ルイ子と赤ん坊はルイ子の親の家に帰っていったそうだ。たまたま、病院がルイ子の家に近かったこともあるが。 「お祈りの効き目があった」とタマキは笑い、山比古らといっしょにビールを飲むのだった。     *  平野さんは、悪びれる様子もなく、ミセス・平野がもうここには帰ってこないだろうといい、「東京の娘のところが、なにもここよりずっといいと思っていったのではないと思いますけどね。ただ、ここにいるより退屈はしないと思ったんでしょうな。いくら長い間いっしょに暮らしてきても、結局のところはわかりません。雪も少ないしね、越後の『北越雪譜』みたいなこともないし、その点はホッとしてますんですわ」  平野さんがわざわざ訪ねてきたのは、ミセス・平野の家出を知らせるためではなく、「旭日荘」から一キロほど北に知り合いの息子がきて住み着いていたのを知って、そのことできたというのだ。知り合いの息子といっても、すでに三十代の半ばをこえているそうで、彼はそこに解体される古い藁葺きの農家のあることを知り、それを買取って住んでいるというのだ。それを聞いてタマキはけげんな顔をしている。この近辺に藁葺き農家なんて、十年前に一軒もないと聞いているのである。「滝の沢とかいうあたりですか?」とタマキは思いついたように、素頓狂な声をあげた。平野さんがあいまいにうなずくと、「『上の村』へいく途中」とさらに奇異な声でタマキは叫ぶ。「その青年、なんていう名前です?」「森田くんというんですがね」「そのひと、なにしてらっしゃるの?」「ウサギ捕ったりしてるんじゃないですか」「ウサギはこのへんにだっていますから、そりゃ捕ろうと思えば捕れるでしょうよ。でもそれだけで暮らしていけないでしょう」というタマキに平野さんは答えず、「じつは、その森田くんがここへお邪魔したいのでいいかといってるんですよ」という。  タマキからこの話を聞いた山比古もヒロシも興味しんしんで、彼の藁葺きの家を見にいきたいとしきりにいうのだった。ヒロシは山比古よりなにに対してもヤジ馬で、それはここの平穏に彼がまだ若すぎるのだ。  平野さんが帰ったあとで、タマキは滝の沢と呼ばれているあたりに藁葺きの家などないと繰り返す。それになぜ、わざわざ平野さんが訪ねてきたかというと、やはりミセス・平野がいなくなったのを知らせにきたのだというのだ。それも、わたしに知らせたかったからだというのだ。タマキの、短絡的で通俗的な想像にわたしは慣れてはいるが、またかという気もしている。「血のつながらない家族」の建設というようなラジカルな考えとこの手の通俗性がタマキのなかで離れてはいないようだ。わたしには、ミセス・平野のいない「旭日荘」は不気味である。理屈ではなく、あの春子さんは苦手だ。近づく入り口がすべて閉ざされている感じがするのだ。彼女にはケーキ以外のことで話しかけようがない。これはひょっとすると、彼女の意図的な警戒作戦かもしれない。ケーキ以外のことは彼女にとってタブーなのではないか。父親の平野さんが春子さんのことに関していっさい喋らないのもなにやら不自然な気もする。ふくらんだパンケーキみたいな春子さんと、乾燥芋のようだったミセス・平野とはなんだか不思議なとりあわせだった。 「乾燥芋だなんて、島子さんも昔のひとだなあ、山比古やヒロシにはわからないよ」とタマキはからかっている。 「今だって売ってるわよ、飴色で、半ナマの感じのもあるけど、見たところ白い粉ふいた、さつま芋のミイラみたいな」 「ミセス・平野がさつま芋のミイラ?」とヒロシが台所の方から声高にいう。  なにをいおうとしていたんだっけ、わたしは。平野さんのいった森田とかいう男と彼の住んでいるという藁葺きの家よりも、わたしはミセス・平野の消えた「旭日荘」の方に興味があるとみなにいおうとしていたのだ。しかし、タマキも山比古もヒロシも藁葺きの家を見にいくというのだ。  それにしても、三人の行動は少しおかしいのではないか。平野さんは、森田というひとがここに訪ねてきたいと伝えたのであって、彼の家を訪ねてやってくれとはいっていない。 「ひねくれてないで、島子さんも、ほら、乗った乗った」とタマキはクルマのドアを開けたままで待っている。かれらは、お祭にでもいくようにはしゃいでおり、ヒロシはカメラまでもっているではないか。藁葺きの家なんてない、といい切ったのはタマキなのに、そのタマキがいそいそと、ヒロシからカメラを横どりして、フィルムを調べたりしているのだ。山比古はエンジンが暖まるのを待つあいだ、フロント・ガラスをたたくように拭いている。 「下の町」への国道の途中から折れると、急に上りの坂道になった。はじめは道幅も広く坂もゆるやかだったが、だんだんにカーブが強くなり、ヘアピン・カーブもたびたびある。山比古はどんなカーブにも表情をまったく変えず、ヒロシの冗談にも知らぬ顔で反応しない。 「さっきの、石の小さな橋からこちらには入らない方がいいんだけど」と山比古はだれにともなくいう。 「え? どうして?」とタマキは山比古の声を聞きもらさない。 「石にそう書いてあったから」 「どこに? 今さっき見えた?」 「いくらなんでも、走りながら見えないよ。ずっと前に読んだ——」 「いつ?」というタマキの声はとがっている。 「いつって、忘れたよ、ずっと前だから」 「ぼくも知ってるよ、ヤマ。このへんの子供ならみな知ってるよね」というのはヒロシの山比古への助太刀だ。 「そんなこといっても、もう入ってしまっているじゃないの」とタマキはいっている。タマキは思いのほか縁起かつぎなのだ。 「どうして入ってはいけないの?」とまだタマキはこだわっている。 「そんなこと知らないよね、ヤマ」とヒロシはあくまで山比古と連帯している。 「滝の沢はもう過ぎたんじゃないの?」とタマキがいうと、「さっきの石の橋からはどこも『滝の沢』ですよ」と山比古はぶっきらぼうに答える。  三人はこうして「遠足」をしては楽しく暮らしていたのか。ヒロシがくるまでは、タマキと山比古はふたりで「遠足」だったのか。前ぶれもなく、山比古がクルマをとめ、ヒロシが前のドアから躍り出る。タマキとわたしがあとにつづき、崖づたいにいく。少し先にいく山比古が振りかえり、両手を頭の上で交差させてダメの合図をしている。しかし、山比古の向こうに小屋が見える。山比古は小走りに小屋に近づいていって、なかをのぞいて、またダメの合図をしている。 「あの小屋、藁葺きじゃなかったでしょ」というと「『滝の沢』で家といえば、あれしかありませんよ」とクルマに戻った山比古はいった。このあたりの地理にいちばんくわしいのは山比古なんだから、だれも山比古には反論できない。変わりばえしない、山道の寒そうな景色から脱出するように山比古はクルマをとばし、「『旭日荘』へいって聞けばわかるよね」とそちらにいくようだ。四人で「旭日荘」へいくのは初めてである。 「旭日荘」に着いた時はもう薄闇で、家の明かりが暖かく見えた。だからといって、だれも夕方から明くる朝までそこにいることになろうとは思わなかった。ひとはやはり集まりたいのだろうか。森田という男性もそこにいた。  われわれ四人が、招待されたわけでもないのに、ごく自然にそこにあるものを食べていたのは、平野さんと森田さんがすでに飲み食いしながら喋っていたからだった。タマキがよくいう冗談、することがないと食べすぎる、というのが思い出される。森田さんという男性は、あの「滝の沢」あたりの崖地に住んでウサギを捕って暮らしているようには見えない。田舎に似合わないところがある。もちろん、恰好は田舎風で、このへんのひとなら当たり前の、ゴム長を履き、首には手拭いを巻いている。タマキの家は入り口で履物をぬぐが、「旭日荘」の食堂はスキー場のロッジと同じなので訪問客には便利だ。  山比古が「滝の沢」へみなで行ってきた話をした。平野さんは驚いて、「滝の沢」でなかった、なにしろまだ土地の名前にうといので、と何度もいいわけするのである。それに、この森田くんはウサギなんか捕ってはいないのでして、というのだ。ウサギを捕っているなんて、森田くんに悪いことをいってしまった、森田くんはウサギ狩りなんてとてもできないひとですからね、と平野さんの説明はなんだかおかしい。 「あの、わたしはウサギをもし捕ろうとしてもできないだけでね、動物は殺したくない、というのとはちがいますから。平野さん、美化してもらっては困るよ——」と森田さんはいったが、これもなんだかおかしい。 「こちらへはいつから?」とタマキが森田さんに尋ねる。 「いつからだったかなあ、ねえ、平野さん」と答えをそらしてしまう。  山比古はテーブルの上の地酒を勝手に湯飲みについで飲み、「ヤマが飲むんなら、おれ飲めないな」というヒロシには知らぬ顔をしている。ヒロシは年上の山比古をたてているのだ。「平野さん、なにか食いものを『下の町』で仕入れてくるんでしたね」と、ヒロシはやはりタマキの「いい子」である。 「ここは田舎ですからね、きたひとはお客で、あるものを食べてもらう。都会じゃアポイントメントなしで、めしどきにいって、ものを食いちらしたら村八分ですがね」と平野さんは笑う。「じゃあ、ここの流儀でね、このジャガイモもらおう、好きなんだ、あたし、ジャガイモの揚げたの」とタマキも上機嫌だ。  おそらくタマキも気がついているはずであるが、春子さんの顔が見えない。テーブルにある、揚げたジャガイモ、ロースト・ビーフのかたまり、黒パンやフランスパン、胡瓜のスティック等は平野さんが用意したのだろうか。それぞれが大皿にたっぷりあって、二、三人で食べられる量ではない。そういう大雑把な豊富さが男の仕業を思わせる。 「森田くん、訪ねていく前にみなさんがきてくれて、アッケにとられてるみたいだね。それに、焼いた肉を食べてくれるひとがきたのもよかった。森田くんはいい男なんだけど、料理を自慢するところがいやらしいんですよ。料理にかぎらず自慢する奴は嫌いでね、わたしは。うちの春子のケーキもそれでめったに食べないんですよ」と平野さんはいう。 「ぼくは自慢しているわけじゃないんだ、あまりにもここのひとたちが無知、無頓着、無関心なんでね、食い物に対して。ことにぼくのつくるものに対しては。それでやむをえず説明して注意を喚起すると自慢してると非難する。春子さんのケーキ、あれはあれでいいんですよ。ただし、あのケーキは電話の受話器にかけてある花模様のカバーみたいなものでね」という森田さんに、「今度うちでロースト・ビーフを焼いてくださいよ」とタマキはいやになれなれしい。  平野さんは、これまでに何度か会った時とはなんとなく感じがちがい、森田さんをからかうようでもあり、かばうようでもあって、気をつかっているのだ。森田さんも平野さんに甘えているようでもあり、警戒しているようでもある。かれらから見ると、わたしとタマキも同じように見えるかもしれない。いったい、森田さんはなにをして暮らしているのだろう。本当に藁葺きの家に住んでいるのだろうか。家族のことは話にでてこないから、ひとりなのだろうか。タマキはすすめられるままに、ビールを飲みジャガイモを食べる。遠慮しないところはすっかり田舎の流儀になっているというべきか。 「藁葺きなんてもうこの村にはないでしょう」と山比古が森田さんではなく平野さんにいう。「平野さんは正確にものをいわないので誤解を生むんだよ、藁葺きの屋根が半分も落ちた空き家があったというだけですよ。ぼくは、古い農家を一軒買いとって、それを住めるようにするほどの金はありません。その藁葺きの家は結局こわされたんですけどね、頼んで納屋をそのままにしてもらった。納屋は藁葺きではないけれど、頑丈なつくりだから、まだしっかりしていた。少し手をいれれば充分ひとが住めると思ったんですよ」という森田さんに「おひとりで?」とタマキは聞いた。「ええ? ええ、ひとりですよ」と森田さんはいう。「その納屋で、おひとりでなにをして——」「なんにもしていません」「冥想でもしていらっしゃる?」「いや、なにもしていないですね」「じゃあ、われわれとおんなじだ——」「それで、そちらに訪ねたいと平野さんにいってたんですよ」「平野さんだって、なにかしようとここへやってこられたわけじゃないんでしょ」とタマキが平野さんに矛先を向けると、「まあそういえばそうですな、隠居所というのも都合《グツ》悪いんでね、子供の手前ペンションだとかなんだとかいうておけばね」と平野さんは楽しそうに笑った。その笑顔は最初に会ったときの平野さんに戻っているように思えた。そのときヒロシが急に山比古の前の酒瓶をひきよせた。  ヒロシがコップに酒をついで飲みだしたが、だれもなんともいわない。ヒロシがそれまで我慢していたのは、山比古の代わりにクルマを運転しなければならないという使命感のためである。それなのに、だれもその我慢をねぎらってやらない。 「そちらに訪ねていきたいと平野さんにいってたのは、タマキさんのことを伺っておもしろい考えをされるひとだと思ったからですけどねえ。といっても、これまた平野さんの不正確な話し方で聞いたわけですよ、それでね、これはぜひジカに聞きたいと思って、それで平野さんに頼んでいたんです」と森田さんはうつむいたままで喋る。その森田さんを斜めから眺めているタマキの右手は山比古の左腕にまわっている。「いやだなあ、平野さん、おかしなこといってくれると困りますよ。それに、あたし、平野さんに今までゆっくり喋ったことなんてないじゃありませんか。あのね、森田さん、はじめは、この山比古とふたりでずっとあそこで暮らしていくつもりだったんですよ。山比古が大人になれば山比古とわたしが夫婦になればいいんでね。われわれは親子っていっても元は他人だから。その通りにはなったの。もちろん、世間でいってる夫婦という言葉はわれわれには当てはまらないですよ。でもまあ、ただの親子だけじゃないのね、わたしたちは」とタマキはいつもより舌の回転がいいようだ。森田さんはさらにうつむき加減になり、タマキの顔を見ないで聞いている。濃い髭が、剃ってから時間がたつためか、頬の半分を黒い影にしている。「タマキさん、そんなことは——」と平野さんはいささか狼狽気味だ。「山比古は、息子ですよ、こんなに小さい時から育てたんですからね。平野さん、山比古はうちの裏の『川』に赤ん坊のとき流れてきたんです。森田さん、うちにいらしたら、案内しますよ、『川』に」というタマキに山比古が酒をついでやる。 「いや、タマキさん、森田くんはあなたの、なにもしないで暮らす、というのに興味がありましてね」と平野さんはタマキを山比古からひきはなそうとするのだが、タマキはそれを無視している。タマキは平野さんが、「ややこしい」話を好まないのは知っているのだ。「平野さんはどういったか知らないけれどもね、あたしと山比古のような、他人と他人をふやしていってね、ふたりだけじゃない家族になればと——。ふたりだけじゃ、ドンヅマリですからね。そりゃ普通はね、アダムとイブだって、イザナギとイザナミだって、男と女のふたりがいりゃ世界が始まることになってはおりますよ、でも、あたしはそんなの嫌いなの、どうも嘘くさいところがある。男と女がいたって、なんにも始まらないよね、始まらないときはなんにも始まらないですよ。男と女がいたら、なにか始まると決めたのよ、人間が勝手に。そうじゃないですか、平野さん。なにか始まらないと困るのよ、人間が。でもねえ、そう簡単になにかが始まるわけがないじゃないの、それに、そう簡単になにかが始まっちゃあたまらないわよ、ねえ、森田さん、だからわたしは、そう簡単になにも始まらない家族というのがいいと思うの。それには、なにもしちゃだめなの、そう、なにかしてはだめなの。平野さん、わたし、自分の思っていることを他人にわかってもらおうともしないの。説明しない。わからないひとというのは、わかりたくないひとだからね、どれほどの言葉を使って説明しても、わからないひとにはわからないでしょ。ヒロシなんて、なんにもいわないけど、わかってるものね、わたしよりよくわかってるわよ。しかも、わたしより、説明の意欲もあるんだから。生活体験とか年齢とかも関係ないですよ、わかるとかわからないとかには。とにかく、ヒロシはわかってるわよ。わかってないのは、島子さんだけか——」とタマキはついにわたしを悪者にして、テレをごまかしている。  タマキはいつからこんなに雄弁になったのだろう。タマキのいいたいことがわたしにもよくわかる。よくわかるけれども、わかったことを説明してくれといわれたらできない。おそらく、ヒロシにだってできないだろう。森田さんはほとんどテーブルに顔がくっつきそうなほどにからだを倒し、額を支える手に目をこらしている。陰気ではないが、ひとの話をはずませる明るさもない。 「タマキさん、あなたは世界が終わればいいと思うわけですか」と森田さんはかすれた、小さな声でいう。「そんなこといってないですよ」「でも、男と女とでなにも始まらないんじゃ、世界は終わりますから」「だからあたし、説明は意味がないっていってるの」「世界が終わるのに、家族になってもしようがないでしょう。まあ、家族にならなくてもしようがないですけどね。なんのために、他人が集まって家族にならなければいけないのか、いまひとつピンとこないのですよ」「ああ、もういいの、あたしはなにも、森田さんをうちの家族になるように誘っているわけじゃないんだから」「いや、タマキさん、そんなに、短気になってもらってはいけません。ぼくの頭は回転が遅いのでイライラするかも知れない。しかし、タマキさん、あなたのいったことはなかなかの大問題ですよ。だから、あなたのいうことを、ぼくも逃げないで考えたいんですよ」「わたしはね、めんどうなのよ、いちいち説明したり、わかるように元のところからもう一度いうのが。わからなきゃわからないでいいしね。あたしは啓蒙しようなんて思ったことありませんよ。この山比古なんて、一度もあたしに質問なんてしないわよ。ねえ、山比古。それに、ヒロシだって、森田さんみたいにトンチンカンなこといわないわよね」  もう森田さんはタマキになにをいってもだめだ。しかし森田さんはひきさがらない。うつむいたまま、タマキの顔を見ないで喋る。 「タマキさん、ぼくには特殊な霊力なんてありませんから、あなたのいうことを、あなたの思っている通りにわかりっこないですよ。島子さんはわかるんですか。あっそうか、島子さんはわからないっていわれましたね、さっき。もちろん、ぼくだって、タマキさんのいうことが、百パーセントわからないっていうんじゃないですよ。でも、タマキさんは、なにもいわないがそれを理解しろ、といいたいんだから、それがよくないとぼくはいってるんです。といって、まったくなにもいわないかというと、自分の考えを、つまり結果だけをポンと出して、その結果に到るまでのすべてを理解せよという。さらに結果がもたらすものすべてを一瞬にして悟れという。わからない奴はどうしたってわからない、というのなら、なにもいわなきゃいいんです。そうだ、沈黙しかないはずです。言葉ではもうどうしようもない、というんなら、黙るしかない。禅坊主に質問してボカンとなぐられ、それが答えだといわれるのと同じです。でも、タマキさんは黙っていられない。殴るのを答えにするほどには徹底していない。沈黙を問にし答えにするほどに徹底しない。それでいてタマキさんの言葉を聞いたひとに腹をたてる。ちょっと無茶苦茶じゃないですか。ヒロシさんがいちばんわかってるというけれど、それはですね、ヒロシさんがタマキさんの奴隷だということですよ」という森田さんを平野さんが「それはいい過ぎだ、森田くん」とさえぎるが、「そうですか」とやりすごす。 「平野さん、なにかつくりましょうか。やっぱり、ちょっとおなかすいてきましたね」とヒロシがいい、「そうだ、ごはんをあげてなかったね」と平野さんは笑う。平野さんのうしろからついていくヒロシを、まぶしそうに森田さんは上目づかいに見ながら、「なかなかやりますね、彼は」という声にはやわらかみがあった。  タマキも山比古も森田さんも、台所にいったヒロシだって、みんなお酒を飲んでいるのに不思議にもだれも酔っていないのだ。タマキなどは、普段飲んだことのないほどの量のアルコールをここへきてからずっとからだに注ぎこんでいるのに、まったくいつもと同じだ。  台所から戻ってきた平野さんは新しい酒の瓶をさげ、「ヒロシくんがチャーハンをつくってくれるそうですよ。手つきを見ているとわたしよりうまそうだ。森田くん、今日はめずらしいな、ちっとも酔わない。島子さん、この森田くんはね、親が大酒飲みなのに弱くてね、それに酒癖が悪い。つまらんことにねちねちとからんで、あまり好かれないタイプでね。それが、今日はぜんぜん酔わないし、からみもしないから、雨でも降るんじゃないかと心配してるんですよ。ねえタマキさん、さっきのお話ですけどね、横あいから聞いていて、タマキさんはよほどなにかにコリタんだなあと思ったりね、つまり、タマキさんは信じてないんだね。不信のようですね、さっきのお話の土台は。ちがいますか。そらまあ、人間、四、五十年も生きると、アホでなけりゃあものごとの土台は不信にはなる。ただ、ひとつ、救いがありますが、みな平等に死ぬことやと、そう思うと気が楽でね」というのを、「それをいえば、どんなことでも、そこで終わりです。そんなことはだれだって知っています、だからどうだっていうんです、あたしは、この島子さんのように怨みを持続できないですからね、土台が不信だといわれるとちょっと困る。ふんわりとやっていきたいんですよ。獣《けもの》と人間の中間くらいっていうかね、われわれ、毛のはえてない獣だけれども、やっぱり獣そのものでもないと思うもの。ふんわりとね、いつの間にかいなくなっていればと思ってね。でもこういうことって、わからないひとにいってもしようがないのよ」とタマキはめずらしくしつこいのだ。  台所でなにかをきざむ音がしだした。  フリルのついたレースのカーテンを透かして、窓の向こうに薄桃色の服が動いているのが見えた。「だれ? 春子さん?」とわたしが思わずいうと、「そうです」と平野さんはぶっきらぼうにいっただけである。ベランダ側の窓に薄桃色が近づいてきて、こちらへこいと手まねきしているのだが、だれも気にとめていない。わたしだけが、その手まねきを見ているのだろうか。それともわたしだけにそれが見えるのだろうか。窓のそばにいくと、セロファンのようなつめたい光沢のある薄桃色のスキー服、それも流行のつなぎのスキー服を着た春子さんが立っており、わたしに外へ出ろと合図している。  外はすでに暗い。雪はないが、風が巨大な呼吸のように、まちがいなく一定の強さで家に向かってうちつけてくる。ドアを押したと思うと、わたしはうしろから抱きつかれるように、春子さんにウインド・ブレーカーを肩にかけられた。 「それほどの寒さじゃないけど、家の中から出てくるとゾクーとするでしょ」と春子さんがいった。 「今日はケーキはつくらないんですか」としか挨拶のしようのないわたしは春子さんにいった。 「つくらないの、今日は。嫌いなひとがきてる時はだめなの、不思議よ、それは。まったくインスピレーションがないの。それでね、ひとりでスキーをしようと、ほら、あの山の、ここから見てちょうど裏側になるところに、この辺ではいちばんいいゲレンデがあるのよ、それでね、そこへいってきたんだけど、雪がぜんぜんなくて、あきれたわ、ほんとに」と、オペラのアリアのごとき喋り方をしている春子さんは、ベランダを舞台にしてなにかを演じているように見える。 「嫌いなひとって、だれかわかるでしょ」と急に春子さんの歌はせりふになり、わたしの腕をつかんで、「森田くんていうの、どう思う? あの態度にだまされるひとが多いのよ。父はまあ、知っていてつきあっているんだけど。ねえ、聞いてくれる?」といいながら、暴力的といっていいくらいに春子さんはわたしの腕をひっぱって、非常階段のように外にとりつけられた、簡単なつくりの階段をのぼっていく。  わたしはほとんど拉致された恰好で春子さんの部屋にはいったのであるが、もちろんわたしの好奇心が春子さんの暴力(?)を許したのだった。部屋にはいってしまうと、春子さんの態度は急変して「外に階段をつけさせたのはわたしなのよ、だって、わかるでしょ、密通用の通路を確保しておかなきゃ——」と冗談だか本気だかいやになれなれしい。明るい電灯の下で見ると、光沢のある薄桃色のつなぎ姿が、部屋のあちこちにおいてある動物の縫いぐるみと見分けがつかなくなってくる。縫いぐるみといっても、そのひとつひとつがかなり大きく、幼児が坐ったときよりも大きな嵩のクマやウサギがころがっているのだ。 「ねえ、お願いだから聞いて。あたし知ってるんだから、森田くんのこと。森田くんて嘘のかたまりだから、注意してね。彼がここへきたのはね、きっと恰好のいいことをいうと思うけど、追い出されたのよ。でも、彼のいうことだけを聞いていると、まるで人間世界に見切りをつけてここへきたみたいにいうわよ。あたし、知ってるんだもの、彼を追い出したひとを。もちろん追い出したひとは女よ。というのはね、森田くんていうひとは、女のところに居着くのが得意なのね。だから、あなたを呼んだのは、わかるでしょ、タマキさんの家がねらわれているっていってあげたかったのよ。タマキさんはもう手遅れだった。あたしの合図が見えないんだもの」  喋りながら春子さんはスキー服のつなぎのジッパーを胸から下へ勢いよく開け、縫いぐるみのなかから出てきたみたいにあらわれた。 「森田くんの次なる標的は絶対にタマキさんだと思う。タマキさんの前に、ほんとはわたしのところも狙っていたと思うのよ、でも、こう見えても、わたしはあんな森田くんごときにだまされない。それに、わたし、あんな怠け者は見たことないもの。なんだか理屈はつけるわよ、でも結局のところは働くのが嫌いだということでしょ」と喋りながら春子さんは普段の服を着、普段のズボンをはき、またわたしの腕をつかんで部屋を出た。  わたしは、森田なる男がどういう人物かにはあまり興味がない。春子さんからはかなりの嘘つきの悪者と断定されているが、よくあるタイプの男だ。階段から、ベランダに山比古とヒロシのいるのが見えた。  タマキが何度も何度も「わからないひとにはわからないから、説明してもしようがない」とくりかえしていたが、説明してわからないものとはなんだろう。山比古もヒロシも説明なしにわかっているというが、かれらはなにがわかっているというのか。いつもタマキのする、「川」に流れてきた赤ん坊とはなになのか。なぜ、そんな「お話」に逃げこんでいくのか。山比古を息子から男にしたのがそんなに怖いのか。 「ヤマ、歩いて帰ろうよ、ねえ——」というヒロシの声が聞える。 「やめろよ、ヒロシ——」という山比古の声がする。  食堂では、森田さんはソファでねむっており、平野さんがタマキの相手をしていた。「いやな奴は眠っている」と春子さんはわたしの耳元でささやき、タマキにむかって、「タマキさん、山比古さんとヒロシさんは歩いて帰るっていってますが、歩いて帰る気なんてありませんよ、あのひとたち」という。  春子さんを見すえるタマキの目はアルコールをたっぷり含んだように膨脹して、思いなしか少し赤い。しかし平野さんと喋っている調子は素面のときとまったく同じなのはおかしい。 「あ、嫌なひとが眠っていると、ケーキのアイデアが雲のごとく湧いてくるわ、どうしよう、どうしよう——」と春子さんがわめきだした。  けれども平野さんは春子さんにはいっこうに無頓着にタマキの喋るのを聞いているのだ。わたしは春子さんのお守りはしたくない。春子さんのケーキが春子さんにとってのなにか、そんなことはあまり興味がないのだ。好意をもって解釈すれば、ケーキは春子さんの表現欲の発現なのだろう。また、その幼児的な行動とか趣味は、一種の成熟拒否のあらわれなのかもしれない。そしてそれらは父親の平野さんとなにか関係があるかもしれないし、まったくないかもしれない。ただしわたしはそんな原因当てゲームにはあきあきしている。そりゃなんだって原因はあるだろう。原因はたいてい錯綜しているだろう。それを、もつれた糸を根気よくほどいていくように究明したとしてそれがなにになるのか。うんざりだ、そんな科学は。それでわかったことがあっただろうか。そうだ、わたし自身、その手の科学ではなにもわからなかったではないか。どうしてわたしがここにいるって? タマキを訪ねてきたから? ちがうでしょ、それは。わたしの父親であった男と母親であった女が、数十年前のある日に発情したからここにいるんでしょ。父親であった男は発情した猫のように声をあげて母親だった女を追っかけたんだ、多分。いや、母親だった女が発情した猫のような声をあげて父親だった男を誘ったんだ、多分。それはかれらのせいじゃない。かれらも、その父親、母親が発情したためにそこにいたんだから。 「クリスマスにはタマキさんのところへ素敵なケーキをとどけるわ」と春子さんがいつもの歌うような調子に戻って喋りはじめた。 「タマキさん、森田くんにうんざりしなかった? タマキさんのお宅にいきたいっていうのを、わたしが止めていたのよ。だって、もしタマキさんのお宅に訪ねていったら最後、もう出ていかないもの。パパは男だからわからないの、森田くんのそういうところがね。今いる元農家の納屋だって、なんだかいつの間にか、ずるずると住みついたって感じでしょ、それを、脱都会みたいなこといってるでしょ、ひとには。都会に住めないひとにどうして田舎に住めるのよ、ねえ。うちだって、ここにくる計画にいちばん熱心なのはママだったのに、いちばんに逃げだしたのはママでしょ、そういうことなのですよ、タマキさん」 「ほんとです、春子さん、都会に住めない人間が田舎に住めるわけがない」 「わたしははじめからわかっていたわ、ここに住めるのはパパとわたしだけだろうって。ママはわたしのケーキにまで期待してたんだけど、わたしははじめから商売にしようなんて思ってないから。村中に配ってあるいてもいいし、だれもほしくないなら、捨てたっていいじゃないの」 「その通りですよ、春子さん。ここでなにかしようなんて、そんなことダメですよ。なにもしないひとだけがここに住める」 「じゃあ、森田くんはどうなるんですか」 「なにもしないから納屋に住んでいるじゃないですか」 「でも、油断するとタマキさんのお宅は侵略されるわよ」 「うちはね、だれがきたって平気なの。でも、追い出さなくても、ダメなひとは出ていくからね、ほら、あのルイ子だっていなくなった」 「そうね、ほんとにそうね、あのルイ子さんだっていなくなった。そうだ、あのルイ子だっていなくなった、そうだ、いなくなった、いなくなった——」  春子さんの「いなくなった」というリフレインがいつまでもいつまでも家の中にこだまする。ここはいったいなんだろう。平野さんがわたしを手まねきして呼んでいるではないか。平野さんはダルマ・ストーヴに薪を投げこんでいたのだが、薪がなくなったので呼んでいるのだろうか。  平野さんのそばにいくと、「山比古くんとヒロシくんはどこへいったんでしょうかね」とささやくようにわたしの耳元でいい、「タマキさんは、山比古くんのことをあんな風にいいますがね、あれはまあ、タマキさんの冗談というか露悪趣味とでもいうか——」と言葉をにごすのである。「ああいうことを聞いてしまいますとね、なんとなくタマキさんが不気味でね」と小声でいう。 「大丈夫ですよ」といいながら、いったいなにが大丈夫なのかとおかしさがこみあげてくる。「いうたらなんですがね、まあわたしらは、若いときから疑いももたずに、こつこつと働いてですね、あまり変わったこともせずにやってきたわけです。時期がきたら結婚して、子供ができて、定年まで無事つとめてね、それで、いろいろとこれでも考えてですよ、死ぬまでそれなりに楽しくと思ってこんなところへきたわけなんですがね。なんにもケッタイなことはせなんだですからね、今まで。ところがですよ、ここへきて、家内が出ていった。ここへくるのをいいだしたのは、他ならぬ家内ですよ。しようがないですよ、これは。見ると聞くとは大違いということもあるしね、家内を責めてもしようがない。いや、それより、意外だったのは、家内がいなくなってスッとしたというか、ホッとしたというかね、ひとりになって、こんなこというと、いい年してなんやといわれるかもしれませんが、ひとりで死ねる、ひとりで死ぬまで生きていける、と思うと幸福な気がするんです。自分でも意外ですよ、これは。思いがけないことですよ、これは」と平野さんはいうのだ。 「普通は、年とって女房がいなくなったり、先に死なれたりすると、男はみじめでね、たいていはそれから長持ちしない。ところがわたしはその逆ですよ。とくにいいのは、彼女の方からいい出して、しかも自分から出ていってくれたことで、おかげで、こっちはまったく罪の意識をもたなくていいことですよ。こういうのも、まあ一種の幸運といえるんでしょうなあ」と平野さんはひとりでうなずいている。 「おひとりだといっても、春子さんがいらっしゃるじゃないですか」とわたしは平野さんをちょっとからかった。 「ああ、あの子はたんなる娘ですよ、たまたま今はここにいますがね」と平野さんは素気なかった。  それからわたしはストーヴのそばで気持よくなって眠ってしまったようだ。     *  その日ヒロシとふたりだけだった。「いいもの見せてあげようか」とヒロシは大判の分厚いノートをもってきた。それには黄色い花の押し花がていねいに貼りつけてあった。黙って眺めるわたしがヒロシは不満なようだった。それでわたしは「これはなんていう花?」と尋ねた。黄色い花はオトギリ草だった。「オトギリ草って、弟切草のことでしょ」というと、ヒロシは「なんだ、知っているんですか」といった。「オトキリ草かと思ってたの、字は見たことがあったから」というと、ヒロシは「でも字を知ってると、犯人を知ってるのと同じだからね」というのだった。たしかにそうだった。文字をみれば弟を切る話にきまっている。ヒロシが残念がるのも無理はない。しかしわたしはなぜ弟が切られるかは知らないので、ヒロシのしてくれる「花物語」に耳をかたむけた。 「この黄色い花がオトギリ草だと教えてくれたのは外国人ですよ。去年の夏、山比古とふたりで『白猿温泉』へいったんです。ここから三十キロくらいかな、熱い湯が急流に沿ってあちこちに噴き出していて、露天風呂です、もちろん。温泉旅館は二軒あります。旅館の前にクルマをとめたとたんに、外国人、それも女の子じゃなくて、頑固そうなおじいさんのガイジンが近づいてきて、この花知っていますかって日本語でいって、知らないというと、オトギリ草がいかによく効く薬草かをしつこく説明するの。その説明だけでもうんざりしているのに、山比古もぼくもオトギリ草の薬効も知らないし、そのために弟を切ったという話も知らないといって、そのガイジンがぼくらを叱るんだ。山比古は黙っていたけど、ぼくはカッときてね、日本人だからってみんながみんな弟切草の伝説なんて知ってるわけないでしょ、とかなんとか文句いった。そしたら、その頑固じじいが、おまえもそこにおる兄貴に切られるぞっていうんですよ。それで、ぼくらは兄弟じゃないですよ、といってやったら、兄弟じゃなきゃ恋人同士かい、だって。そのじじい、それで宣教師だっていうんだから。でもそのじじいは、オトギリ草の葉をつぶして赤い汁を出して、これは神様の血だ、西洋では聖ヨハネ草というんだってまたお説教。ほらこれ、島子さん、葉っぱのつぶつぶがこわれて血がにじんでしまっているでしょ」と見せてくれたノートのところどころには、黒い汁がこぼれたようになっている。花弁の黄色も、もはや夏至の太陽の色ではなくなっている。 「ねえ、どうして兄さんが弟を切るの?」 「ほら、昔だから刀で戦争する、その刀で斬られた傷にオトギリ草がよく効いたんでしょ、だから兄さんは秘密にしていた、それなのに弟がそれをバラしてしまったので斬られたんだって宣教師は教えてくれたんだけど、そばにいた日本人は、鷹匠が負傷した鷹に草をもんですりつけて治していた、その草の名前をいくら尋ねられても仲間に教えなかった、それなのに弟が秘密をもらしてしまった、それで兄さんは怒り狂って弟を斬り殺したというんだけど。まあ要するにオトギリ草が傷によく効くといいたいわけですよね。宣教師のじじいは、背骨にすりこんで骨の病気を治してあげたことがあるなんていってた。気をつけていると、このへんにわりと咲いているんですよ、この草は」 「じゃあ、この血は?」 「押し花じゃよくわからないけれど、葉っぱに小さな点々があるでしょ、それは油だから光に透かすと穴があいてるように見える。その黒い点をつぶすと赤い汁が手につくのね、だから、血しぶきを連想するんじゃないですか」 「ヒロシさん、どうしてそんなことよく知ってるの、気持悪いわ」 「あれ? やっぱり島子さんもぼくを馬鹿にしてたんですね。ぼく、高校やめたのはなぜだかわかる? 山比古さんのせいじゃないんだよ。花をやってるところへいこうと思ってた。だいたい『上の村』に高校ないからね、都会のひとにはわからないですよ、高校から下宿だし。ぼく、ここで花やれないかと思って。でもタマキさん、なにもやってはいけないっていう」  蝶々の羽より薄くなったオトギリ草の押し花の花弁。それがいくつも白い紙にていねいに貼りつけてあるが、日付けも場所も書かれてはいない。ただ見つけた草をひそかに隠しておいた、そんな気配のノートだった。 「タマキさん、どうしてなにもしてはいけないっていうんだろう」というヒロシはわたしの意見をききたいのだ。わたしは、ヒロシがなにもかもわかっていて、しかもなにも知らぬという顔をしているのではないかと、最初からおそれているところがある。タマキの暗示にかかっているのかもしれない。それとも、わたしの買いかぶりだろうか。山比古とふたりで喋っているときなどは、いっぱしの青年であるが、こうしてひとりでオトギリ草の押し花をひろげて見せている態度にはまだあどけなさが残っている。 「タマキさんがなにもしないというのは、タマキさんがまだここのひとだと思っていないことですよね。ぼくはここの土地の者だから、なにもしないわけにはいきません。タマキさんはヨソ者意識が強いんです、多分。ヨソ者はその土地のひとの邪魔をしてはいけない、とタマキさんは思っているんじゃないですか」とヒロシは自分から喋りだしてしまっている。  そうだ、タマキはまだここのひとではない。たしかにヒロシのいう通りだ。都会に住むひとが田舎に移ってくる。それにはさまざまな理由があるだろう。都会で土地を買い家を建てることはほとんど不可能に近い。都会の近辺でも事情はあまり変わらない。何十年かの月賦で、わずかに三十坪ほどの土地をやっと買い家を建てても、都会まで働きに出るのに何時間もかかる。しかしそれでもたいていの出稼ぎ者は都会の近辺から動けない。ところがたまに、そんな事情に謀叛を起して、田舎でならひろい土地ひろい家に住めるんだと移住するひとがでてくる。といって、彼らはそこで働くわけでも稼ぐわけでもない。たいていは稼ぎ手、あるいは働き手が都会に仕事や仕事場をもっている。家族がひろい土地ひろい家に住むためにだれかが犠牲になるのだ。  だれも住むひとのいなかった土地にきて開拓していくのならともかく、タマキがいつもいうように、都会から気まぐれでやってきた者はみなヨソ者である。ここのひとが季節労働者となって都会へゆかざるをえないのと、都会の者がライフスタイルの変更とやらでここへやってきたのとは、事情がまったくちがうのだ。都会の者がここにきたのは、どうしてもここでなくてはならぬ、というわけではなかったはずだ。タマキはどうだったのか。「あのね、島子さん、タマキさんがここへきたのは、山比古のせいじゃないですよ。ヤマがいってたもんね、あちこち転校したって。あれ、島子さんは昔からタマキさんと友達じゃないんですか。この家だって、タマキさんのだれか知り合いが建てたんだけれど、ここにいるのがいやになったので、タマキさんが借りているんだって、ヤマから聞いたけど。だから、平野さんはタマキさんがここに十年以上もいると思ってるのはまちがいですよね」というヒロシに、「ヒロシさん、あなたはどうしてずっとここにいるの?」と、わたしは質問した。多分、ヒロシにはあまり気分のいい質問ではないはずだった。しかし、「ここにいると、なにもしなくてもいいからですよ」とヒロシは当然だというふうに答え、「ぼくはここの土地の者だから、なにもしないわけにはいきません」とつい今しがたいったのを忘れたような顔をしているではないか。「島子さんだって、東京へ帰らないのは、ここにいるとなにもしなくていいからでしょう? お金を稼がなくてもいいっていうのは楽でしょう? でも、今にタマキさんが、モウナーンニモナイヨっていうと思うとぞくぞくするね」といいながら、わたしの方ににじりよってくる。 「このへんじゃ、どんな花ができるの? ビニール・ハウス?」といっても、「マジなんだねえ、島子さん。いやだよ、汗流しながら働くなんて。考えただけでもいやだよ」と話をそらして、瞳は陰鬱に動かない。  思い直したようにヒロシはわたしの手をとったが、その仕草には、かすかにではあるが、あきらめに似た感じがあり、若いヒロシの老いを示した。わたしはそのことに嫌悪をおぼえ、ヒロシから顔をそむけた。手をとったまま、わたしの動きをうかがうようにじっとしていたヒロシは、急にずかずかと大股でわたしを風呂場へつれていった。まわりのガラスが光を受け、温室のようにムッとしていた。「いつからこんなになったの?」とわたしは湯船のないのにとまどってたずねた。「ここに円形のバス・タブなかった?」  たしかここへきてすぐに、円形のバス・タブのふちでねむってしまったのだった。ヒロシはいぶかしそうなわたしを無視し、背もたれの高い籐椅子にわたしを押しこむように坐らせた。まわりはガラス戸とガラス窓の連続のようだから、風呂場——といっても、円形のバス・タブはなくなっているから全体がガラスの円筒のようである。ヒロシはわたしの目の前で着ていたセーターやズボンを手早く脱ぎ、素裸でわたしの膝の上に向こうをむいて坐った。ヒロシの裸体はかなり重みがあった。「重いよ、ヒロシさん」とわたしは裸体を振り落とそうとして膝をゆらせた。「そう? 重い?」といいながらヒロシは離れ、正面をむいて立っていた。「ああ奇麗」と思わずわたしはつぶやいた。「奇麗とか、きたないとか、どこで分かれるの?」とヒロシはいった。「ねえ、奇麗って、なにが? 十代の女の子の裸が奇麗っていうわけ? 男だって、五十とか六十になったら、奇麗じゃないってこと? ぼくも今だけだっていいたいの? 島子さんもやっぱりそういうつまらないこというのか。鑑賞するんだね、ひとの身体を」「奇麗なものは奇麗でしょう」「タマキさんがそんなこというの聞いたことないよ」ヒロシの裸体は動かない。  ガラスの円筒は光にとりまかれて、温度があがっていく。林を山比古が歩いているのが見える。外の清涼な空気が想像されて、わたしは山比古に思い切り手を振った。ヒロシも手を振っているが山比古はわれわれに気がつかないのか、「川」の方へ下っていって見えなくなってしまった。見えなくなると、山比古に会いたい衝動がつきあげてきて、わたしは円筒のガラスに爪をたててすがりつこうとする動物のように接近して外を見る。しばらくは、ヒロシのいることはすっかり忘れていた。  円筒のガラスに水滴があたりだした。それがだんだん上から流れはじめる。水槽のなかにいるような感じだ。「島子さん、寒くない?」というヒロシの声がする。寒くはない。むしろ、なまあたたかい。  ウサギの穴に落ちた女の子のような気分だ。籐椅子にかけた裸体のヒロシが腕を肘かけにのせて、にこやかにわたしを見ている。外の水滴がとまり、また薄い光がひろがる。「山比古さんはどこへいったんだろう」とつぶやくわたしに「いいかげんにしてよ、もう。島子さん、レイプされたいの?」とヒロシがにこにこ顔で喋っている。  タマキはどうしたんだろう。タマキの裸体にも、わたしは奇麗だとあのとき口走ったのだった。ヒロシ流にいえば、わたしはタマキの身体をも鑑賞していたことになるのか。そんなことはない。これまでに、他人の身体、もっともらしくいえば他の個体に接近してあんなに快楽を得たことはないのだから、鑑賞だけが独立してはいなかったはずだ。いや、身体の接近が快楽をもたらしたのでもない。結果としては性交が目的で男性をもとめていったのとはちがい、タマキへの恋情にはいかなる目的もなかった。ものの本にあるような、猟奇的な性具による享楽とも無縁であった。 「山比古さん、ここにきたらいいのに——。山比古さんに会いたいなあ」というわたしに、「会いたいなんていうと、ヤマはどこか遠いところに住んでいるみたいじゃないですか」とヒロシは笑うのだが、山比古が遠いところにいるのではなくて、わたしが遠いところにいる感じがしている。ガラスの円筒のなかにいるなんて、タマキのいう世間から限りなく遠いではないか。ヒロシの皮膚が上等のなめし革のように手ざわりよく見える。光がまぶしいくらいに強くなり、澄んだ大気のなかに林の樹木がくっきりと見える。ものの輪郭がはっきり見え、どのような色彩も冴えて濃淡があざやかだ。「ヒロシさん、外へいかない?」「いやだ、寒いよ」「そりゃ裸じゃ寒いわよ」「まさかこのまま外へいかないですよ」「山比古さん、どこへいったんだろう」「知りませんよ、そんなこと。島子さんもいってきたら? その、いちばん右の細長いドアから外に出られますよ」「ヒロシさんもいって」「ぼくはここで日光浴するんだから」「なんだ、日光浴か——」わたしも服を脱ぎ、光線に背中をむけてうつぶせた。「ヒロシさん、日光浴なんてぜいたくだと思わない?」「別に」「だって、外で働いていたらわざわざ日光浴なんてすることないもの」「今ごろだれも外で働いてなんかいないよ」「そうかなあ」「そうですよ」時おり「川」のある窪地の方で風がぶつかるのか金属板を揺らめかせるような音がする。ひとの声はまったくしない。     *  春子さんの予想通りというべきか、森田さんがいりびたるようになった。その森田さんをつれ戻そうとするためなのだろうが、平野さんもよく顔をだすようになった。森田さんがいりびたるのは、タマキにいわせるとメンバーがふえたことになるのだろうか。  森田さんはロースト・ビーフを焼いてくれたし、自慢の料理もしてくれたが、それは最初の二、三日だけだった。またいつものように、ヒロシとわたしがたいてい料理番だった。平野さんがきたときにヒロシの森田さんへの鬱憤は、「ねえ、平野さん、森田さんってなにしてたひとなんですか?」という単刀直入な質問にあらわれていた。ところが、「サラリーマンですよ」と平野さんの答えは木で鼻くくったようないい方だったのである。  森田さんはたいていソファでごろりとしていたが、スケッチ・ブックをもって外をぶらぶらしていることもあった。「ぼくはね、高校の頃までは画家になるつもりだったんですが、親父の反対もさることながら、なにかで読んだセザンヌの言葉であきらめましたね。セザンヌはこんなことをいってたんですよ、売れてそれで生活できるような絵は本物じゃない、女房に働いてもらわないと本物の絵は描けないと。もっとも、今になってみれば、いろいろこの発言には問題がありますよ。文句をいおうと思えばいえますよ。でも、まだ高校生のぼくはジュンスイだったから、本物でありたいし、それでいて売れたいし、有名にもなりたいし、それがみんな無理ならヤーメタとなるわけですよ。だいたいね、偉くなったひとはあまりわかったふうな、恰好のいいことをいわないでほしいですよね、あとからくるジュンスイな若者がころっと信じてしまうんだから。ヒロシくん、このスケッチどう? 買わない? 買わないか、するとこれはセザンヌ先生いうところの本物の絵なんだ」と森田さんはふざけたりする。  わたしは平野さんがきた時ぐらいしか森田さんとはことばをかわさない。平野さんは森田さんが「居候している」といって恐縮しているのであるが、平野さんのそういう態度が普通であって、森田さんの態度は本来普通ではないのである。わたしが平野さんとは喋るが森田さんとはよほどのことがないと喋らないのは、そういう普通さ、つまり常識が基準になっているのだ。森田さんはもちろん「居候している」なんて思ってはいないだろう。平野さんの家で、いつかの夜タマキから聞いた「血のつながらない家族」に参加している気持にはなっているかもしれないけれども。タマキはルイ子のときもそうだったが、「新メンバー」になにも要求しないし、命令しないし、期待もしない。だから、もし森田さんが春子さんのいうように「この上もない怠け者」であるとしたら、タマキ・ハウス(平野さんがいいはじめてから、われわれもこう呼ぶようになった)は居心地のいいところにちがいない。  とはいっても、することのない森田さんは他人のしていることに手は出さないが口は出すので、嫌われ者になっていくのに時間はかからなかった。タマキだけには森田さんも出す口をさしひかえていたから、タマキとの衝突が最後になるのは当然であった。それまでの間は、機会あるごとにタマキの「血のつながらない家族」を理論的に補強することこそが自分の役割であるかのように、タマキに議論をふっかけ、例によって「わからないひとにはいってもはじまらない」という肩すかしにあっていた。わたしはそういう議論のそばにたいてい居合わせたが、タマキの議論拒否は森田さん相手のときこそ正当に思えるのだった。それくらいに森田さんのカラミはいつも平凡なくりかえしだった。森田さんが議論するのを聞いていると、わたしはいつも青年AやBやCたちのかわしていた、若い日の不毛の議論を思い出すのだった。  平野さんは森田さんとちがって、タマキにもわたしにも議論をふっかけるようなことはしない。ただ、いつかの夜タマキが山比古とのことを話すのを聞いてから、どことなくタマキを敬遠しているというか、タマキとふたりきりで喋るのを避けているように見える。そしてわたしに会うとどうしても気にかかるらしく、遠まわしにそのことを聞いてくる。森田さんがタマキ・ハウスにいりびたっているので、その分わたしが「旭日荘」に遊びにいく回数が多くなってきた。「旭日荘」へはケーキぜめにあうのを覚悟のうえでいかねばならない。春子さんは春子さんで、お客さん兼批評家の来訪はなによりも待ちどおしいからである。それでたいていは、平野さん親娘がわたしを奪いあいすることになってしまい、それに気をつかう分よけいにわたしは疲れることになる。それでもわたしが「旭日荘」へいくのは、森田さんがタマキ・ハウスのなかでごろごろしているのを見たくないからである。森田さんとわたしは居場所をいれ替えつつある。といって、わたしは平野さん親娘にいかにひきとめられても「旭日荘」で泊めてもらうようなことはしなかった。森田さんが「居候」なら、わたしも「居候」になってしまうからである。そうだ、わたしはタマキに誘われてタマキのところにきたのであって、タマキの「居候」になりにきたのではなかった。しかし、タマキとの「関係」は平野さんにするには最もむずかしい話である。平野さんは今でこそふらりと生きているように見えるが、なんといっても、定年までカタギさんでやってきたひとなのだ。タマキと山比古の「関係」にあれほど違和感を示したひとなのだ。わたしは平野さんに近づいても、彼の許容範囲を侵さないように注意している。わたしがタマキとちがうと思うのはそういうところだ。タマキは、半ば意識的に平野さんのようなひとを「非常識」で揺すぶるのだ。  その日は春子さんがおらず、平野さんひとりで碁の独習(?)をしていた。食堂に入っていったわたしを見あげた平野さんにはハニカミが走った。平野さんは、あやしげな本を見ているのを親に見つけられた小学生みたいに、あわてて碁の本のページを閉じ、碁盤をわきへよけた。春子さんがいると、無意識のうちに親の顔になっているのが、ひとりだとそうではないのだろう。いつものようにお茶をいれてくれ、ストーヴに薪をくべた。 「春子は仕事でね、今日は」と平野さんは尋ねないのに春子さんのことをいいだした。山のむこうの、いつか春子さんがいったというスキー場に来年新しいリゾート・ホテルがオープンするのだという。そこのコーヒー・ハウスに春子さんはケーキを売りこもうとしているらしい。 「人間、まあなんなとしてないと、間がもちません。はじめはわれわれもあの子のケーキをみなで笑うてましたんや。しかし、あの子はあれで間をもたしていくのかと思うと、笑うてられしません。下のふたりの娘は、それぞれに三人ずつ子供がいましてね、その子らにとっては子供を生んで育てることで人生の間をもたせているわけでしょうな。だからね、春子のケーキを笑えなくなってしもたんですわ」と平野さんは磊落に笑うのである。「その点、男はね、長い人生、ほんまに八十年やなんて長すぎますわな、間をもたせるのはなかなか難事業です。一番いいのは百姓でしょうなあ。というても、何十年も工場のなかで働いてきた人間には、いうても詮ないことでね。まあこれから百姓の真似事はできますが。いや、今度の春から、隣の空き地を借りて、その真似事をはじめようかと計画してはいるんですがね。島子さんは、土いじりはあんまりお好きやないでしょう」 「だめなんです」とあっさりいいすぎて、わたしは後悔した。 「今はね、昔とちがって農具も機械化されていますけど、それでも、農作業というのは小さいときから生活のなかで体験していないとだめだと思うんですよ。小さいときから、都会のアスファルトの上でしか遊んだことのない者には、あこがれたって無理ですから。ここへきて、『下の町』へいく途中で農家のひとが働いているのを見ると、ただただ溜息がもれる、というのが本音です。ここへきて、こうしてしばらくいると、自分がほんとになんにもできない人間なんだなあとよくわかって、やりきれませんけど。でも、それにどのくらい耐えられるかにも興味がでてきますね」  平野さんと喋るとき、わたしは不思議なほど率直、というより退屈なくらいマジメに対応している。それは平野さんの人柄がわたしにも反映しているのであろう。わたしは影響を受けやすい性質《たち》なのだ。 「タマキさんは——」と平野さんはタマキのこと、そこからわたしとタマキとの「関係」を聞いてみたいようだ。しかし、「このごろ、タマキは山比古さんと出かけてることが多いようです」とわたしがいったので、それ以上このことは喋りにくい。もちろん、タマキと山比古がふたりで行動することが多いといっても、それはなにも「怪しげなこと」であるはずはなく、生活をともにするメンバーとしては当然であるが、平野さんばかりでなく、おそらくたいていのひとが興味をもつのは、かれらがふたりでいるといえば、「怪しげなこと」の方ではないだろうか。タマキと山比古のふたりはタマキ・ハウスのメンバーのなかでは共同生活の時間がもっとも長い。 「あのね、平野さん、タマキとわたしはね、若いとき、ふたりとも二十代のころですけどね、それにほんの一時期ですけどね、とても仲がよかったんです。それもほとんど恋に近い感情で——。不思議でしたねえ、今思うと——」  平野さんはハッとしたようにわたしを見つめたが、タマキが山比古とのことを話した時のようには困った顔をしなかった。 「ああそれは、そういうことはね、男の場合には昔からよくあることですよ。昔の中学校でもありましたし、軍隊でもありましたしね、役者の世界でもね、まあいうたら、男だけの世界ではあります。むかしのお小姓もそうですな。稚児さんいうのもね」 「そういうのは女でも聞きますけどね。でも、タマキとわたしは、女だけの世界にいたんじゃないんですよ。それぞれ恋人やボーイ・フレンドがいましてね、それでいて恋情がね、ふいに熱病みたいに」とわたしはもう平野さんに気兼ねして嘘をいいはじめている。平野さんには、わたしがタマキ・ハウスにいるのが謎でなくなればいいのだ。若いときに仲よしだったから今も仲よしだ、とでも思ってもらえればいいのだ。 「山比古さんてひとは、われわれの年代の者から見ると不思議なひとですなあ。タマキさんに絶対服従でもなし、さりとて我儘放題というわけでもなし、なんていうのか、つかず離れずというんですかね、はたから見ていても自然で感じ悪くない。あの若い衆はなかなか頭がいいんじゃないんですか。あれはなかなかできんことですよ。幸か不幸か、わたしには息子がいませんが、もし息子がいても、ああは親のそばにはおりませんでしょうなあ」と平野さんはひとりでうなずいたり、感心したり、溜息をもらしたりしている。 「山比古さんは、ほんとにいい青年——」とわたしはいいかけて、自分のせりふのあまりの嘘らしさにへどもどし、平野さんをごまかすつもりでいても、六十年も生きてきた人間をみくびっていると、嘘はちゃんと見抜かれているにちがいないとゾッとするのだった。 「とにかく、タマキさんも山比古さんも不思議なひとだ。わたしのような平凡な人間にはもひとつようわかりませんわ」 「そういうかれらといっしょにいるわたしも不思議族ということになりますねえ」とわたしが笑うと、平野さんも無邪気に笑った。その平野さんの反応は、わたしだけはタマキたちとはちがって普通の人間だとしていることだった。多分、平野さんはわたしをタマキや山比古と同じ不思議族と認めたくなかったのであろう。だから、わたしとタマキに昔「恋」があったといわれても、それは昔の女学校によくあったというSみたいなものだと、まったく気にもとめていなかったのだ。わたしはタマキとちがって、平野さんと普通に普通のことが話せる普通の人間だと思いこまれ、だからそのように扱われている。そうなると、平野さんの前では山比古のことは話題にしてはならない。山比古のことになるとボロが出そうで不安だ。  平野さんには親しみを感じながらも、わたしもタマキと同じことをやっている。結局、話したところでわからないだろうと思っているから、上澄みを掬うようにしか話さないのだ。いつからこんなになってしまったんだろう。いかに言葉を弄しても、いかに言葉を惜しみなく消費しても、いかに言葉に心をこめても、ナーンモ伝わらない。もし真実伝えたいことがあれば、それはもう伝える技術を考え、またそれをアテにしなければならないのだろうか。タマキとの「恋」の物語を、もし平野さんに伝え、わかってもらうためには平野さんにだけ有効な技術があるのだろうか。しかしなんといっても、平野さんはその物語を今必要としていないのだから、有効な技術なんてあるはずがない。平野さんが、もしわたしに対してふいに特殊な感情がわき、わたしを意識のなかで独占したくなるような場合には、タマキとの物語も気にかかるかもしれないが、そのときだってまったく気にかからないかもしれないのだ。タマキとの物語は過ぎ去った物語である。わたしの方にも平野さんばかりでなくだれに対しても伝えたい気持はほとんどない。タマキとの物語を伝えたいのはタマキだけだ。だから二十年もたってノコノコやってきたんじゃなかったのか。ところが、そのタマキのかたわらには、山比古がいたのだった。山比古との物語は伝える相手がない、だれにも伝えてはいけない物語。言葉にしてはいけない。言葉にしなくても物語はいけない。自分に物語を勘づかせてもいけない。すべてを忍ぶことで、いや、これ以上いってはならぬ。 「島子さんに、土いじりは嫌いだとニベもなくことわられてしまっては、春になって陽気がよくなってもちょくちょく遊びにきてくださいという口実がなくなってしまいますなあ。それに、花もつくってみたいですからね、花のことは女のひとの方がくわしいかと思ってね。夏にここらあたりの農家でずいぶんグラジオラスをつくって、売りに出すのかまだ蕾のを切って束ねていたのを見ましたが、あれは簡単なんでしょうかね」と平野さんはこれからやろうとしている「土いじり」のことで頭がいっぱいらしい。ただ気になるのは、わたしをその「土いじり」にさかんに誘いこもうとすることなのである。ヒロシの花好きを話せば、平野さんはすぐにでもヒロシをここへひっぱってくるかもしれない。いやそれとも、わたしを誘いこみたいということなのであろうか。 「ヒロシくんは花をやりたいそうですよ」とわたしはお鉢をヒロシにまわすしかない。「ヒロシくんか——。あの子も、もひとつわからん子ですなあ。山比古さんとは親戚とか? 兄弟じゃあないんでしょう? 頼んだことはようやってくれるしね、気はきくし、いい子ですけどなあ——」という平野さんの困惑ぶりがなんとなくおかしい。 「ヒロシさんに声をかければよろこんでやってきて、いろいろ教えてくれますよ。それに、わたしは来年の春もここにいるかどうか」 「東京へ帰ってしまうんですか?」 「いつかわからないんですけどねえ、明日でもいいんだし、今日帰ってもいいし。確固たる信念が、なにに対してもないから困りますねえ」とわたしが笑うと、「いや、だれだってそんなものもちあわせていません」と平野さんも笑っている。「わたしもここへ確固たる信念があってやってきたのとはちがいますからね、今思えばどこでもよかったんでしょうな。まあいうたら、景色を変えたかったんでしょうなあ——」  わたしはこういうとりとめもない会話を平野さんとかわしているとき、タマキと喋っているときとは別のやすらぎを感じる。若いときには体験できなかった感覚だ。こういうとき、タマキならわざと「性欲から解放された関係のやすらぎ」などといって、平野さんを当惑させるかもしれない。  ところが、その日タマキ・ハウスに帰ったわたしは、放心したように空虚《うつろ》な目をして食堂の床にへたりこんでいる森田さんを、薄暗がりのなかに発見して驚かねばならなかった。わたしは森田さんを見たとき、どこにも怪我はなかったが、恐怖と屈辱のいりまじったようなおびえを森田さんがおしかくしているのを直感した。家のなかには、森田さんしかいなかった。仕事場にも薪小屋にもだれもいなかった。なにを尋ねても森田さんは黙っていた。 「平野さんを呼んできましょうか」というと、「いや、いいから」と森田さんは首を振るのである。 「平野さんのクルマで——」というと、「ひとりで帰るっていってるだろう」と低い声で森田さんは呻いた。  わたしは森田さんをそのままにして台所をかたづけはじめた。台所もそうだが、家中が全体としていつもより散らかっており、椅子やソファがあちこちに向いている。ヒロシはどこへいったのだろう。ヒロシならすぐにかたづけるはずだ。タマキの部屋もドアが開けっぱなしになっている。  掃除機の音でわからなかったのか、食堂へ戻るとダンボール箱をかかえたヒロシがいた。「下の町」のスーパー・マーケットヘいってきたのだという。それには驚かないのだが、森田さんがいなくなっているのは気味が悪い。しかもヒロシは森田さんがつい先程までそこにいたことはまったく知らない様子で、わたしが不審がるとキョトンとしているではないか。 「つい今さっきまでいたんだから」とくりかえすわたしを、「島子さんが森田さんを嫌っているから幻を見たんじゃあないんですか」とヒロシは笑い、「森田さんは朝からいませんよ」という。そしてまた「森田さんの興味はタマキさんでしょ、そのタマキさんがいないんだから、いても仕様がないのとちがいますか。タマキさんは気が向くと前からよく白猿温泉へいったりして、二、三日あちこちの温泉をまわったりするんですよ。白猿温泉は冬場は閉鎖でだめですけど。島子さんも、春になったらつれていってあげましょうか。昔、白い猿が見つけた温泉だから白猿温泉っていうんだそうです。ほかにも、龍が住んでいた池に湧いた温泉だからというので龍ヶ池温泉と呼ばれている温泉もありますよ。『上の村』の向こうには温泉がたくさんあって、村のひとはみなよくいくんです。タマキさんもすっかりこのあたりのひとみたいですよ、温泉にさいさいいくところは。このへんのひとにとって温泉が特別のものじゃないのを教えたのは、もちろん山比古ですけどね。ヤマはね、あれで、なんていうと怒るだろうけど、なかなか愛郷心があるんですよ」などと喋っている。  タマキのことなど尋ねてはいないのにヒロシはタマキが温泉にいったと「説明」している。わたしが不審に思っているのは、森田さんがいなくなったことであって、タマキがどこへいったかではない。しかしそれにヒロシは答えていないのだ。森田さんが例の納屋へ帰ったか、平野さんの家にいったかは、平野さんに電話をかければすぐにわかることである。  ヒロシが久しぶりにいったスーパーで買ってきた材料をふんだんに使って、いつもより豪華版の夕食の支度を終えた頃合を見はからったようにタマキと山比古が帰ってきた。夕食のテーブルが四人だけなのはしばらくぶりのことだった。 「森田さんがいなくなって、島子さんはスキッとしたんじゃない?」とヒロシから森田さんが消えた話を聞かされたタマキはいった。  わたしは森田さんのことは自分から話さなかった。 「森田さんの喋ったことで、いちばんおもしろかったのは、あのひとは若く見えるけどもう四十をすぎているそうよ、その森田さんが、自分は童貞だっていうの、もちろん普通の意味じゃないわよ、彼は結婚もしたらしいし、離婚もしたらしいし、同棲もしたそうだから。ただ森田さんはいついかなる場合も、ということは初体験のときから一度もコンドームなしでセックスしたことはないっていうの、それを彼は冗談っぽくコンドーテイだっていったのよ。それでも不徹底だとパイプ・カットしたんだって。この話だけはおもしろかった、理屈っぽくてうるさいひとだとうんざりしたけどね」とタマキはいうのである。  わたしは平野さんに電話をかけたが、森田さんは「旭日荘」にはあらわれていなかった。  次の日ヒロシに運転を頼んで「旭日荘」へゆき、そこに森田さんがいないとわかると、平野さんのいうあやふやな説明にしたがって森田さんの棲家を訪ねていったのである。ヒロシは平野さんの土地勘の悪さを非難しながらも、とにかくほとんど迷わずに森田さんの「納屋」を見つけたのだった。ところが、わたしがクルマを降りて「納屋」の方へのぼっていくのを見とどけると、「三十分したらきますから」と大声でいい、クルマをバックさせていってしまったのだ。 「納屋」といってもかなり大きな建物で、藁葺きの母屋のこわされた跡なのか、前庭のような恰好になっている広い空き地があって、その隅の方に井戸がある。大きな板戸を何度もたたいたが、返事がなかった。「納屋」のまわりをひとまわりしてみた。「納屋」には窓はない。三十分待てばヒロシがくるだろうから、「納屋」からあまり離れてはならない。  クルマの入ってきた道の方をぼんやり見ていると、板戸の動く音がして、森田さんが立っていた。寝ていたところを起されたというような姿である。髪が寝癖であちこちにはねている。 「どうしたんですか」と森田さんはいったが、わたしも同時におなじことをいってしまった。「大丈夫でしたか」とわたしはあわてていい直した。「普通なら、どうぞ、お入りください、というところですが、ここじゃそれがいえませんのでね」と森田さんはいい、「平野さんのところへいくしかないでしょう」といいながらクルマの入ってきた道へおりていくのだ。「歩きながら話しましょう。平野さんのところまで、せいぜい三十分ですよ、二キロもないんだから」というのだが、わたしとなにを歩きながら話そうというのか。わたしはいったい森田さんとなにを話しにきたのか。「昨日のことですが、あとで考えてみると、どうもあれは強姦しようとしたんだな」と森田さんはいった。 「なにがですか?」とわたしは思わず問いかえした。「いや、もういいですよ」という森田さんに「なにがですか?」と同じことをいった。黙っている森田さんに「もういいだなんて、よくないですよ」といった。「いや、こちらの思いすごしかもしれないし」という森田さんに「相手は男ですか、男なんじゃないんですか」とわたしはどなるような声を出していた。「おかしな想像を勝手にされては困りますよ」「いったい、なにがあったんです? なんだか、あのとき、殴られたみたいな感じだったから。それで心配だからきたんですよ」「殴られはしなかったですがね、どうもおかしいんですよ。でも、島子さん、心配だからって、わたしを嫌っていたようだったのに」「そういう姑息なことと別ですから、こういうことは。あのあとすぐに、ヒロシが戻ってきましたし、それからしばらくしてタマキと山比古さんも帰ってきたんですよ、それなのに、だれも森田さんのこといわない、わたしが、森田さんつい今しがたまでいたといっても、みな知らん顔で、なんだかヘンだと思ったんですよ。それでね、ご本人に聞けばわかるだろうと——」 「いたずらなんだろうけれどね、半分冗談なんだろうけれどね、遊びだとはわかっているんですがね、それに、退屈しのぎなのもね、ナイロンのストッキングを頭からかぶって、外国映画のギャングがやるように」「だれが?」「わかるでしょう、ふたりだから」「でも、ヒロシと山比古がそんな幼稚なことするかしら。あのふたりはそんなことしないわ。遊びにしてもそんな幼稚なことしないわ。なにかの思いちがいじゃないんですか。あのとき、森田さん、お酒飲んでなかったですか? 酔ってなかったですか? もし、ヒロシと山比古が森田さんをからかうとしても、そんな幼稚なことはしないと思いますよ」「あのふたりが幼稚じゃない? 幼児だと思いますけどねえ」  国道へ出たところでヒロシのクルマにひろわれて、森田さんを「旭日荘」まで送りとどけ、わたしはそのままタマキ・ハウスに帰ろうとしたが、森田さんがわたしをひきとめたのだった。 「さっきの、強姦なんていう言葉は忘れてください。いい過ぎました。ヒロシくんもいつもと同じだったですしね」  森田さんは平野さんからベランダのドアの鍵をわたされているらしく、そこから自分の家に帰ったようにはいりこみ、台所でお湯をわかしたりしている。 「タマキさんの家に、あれ以上男は住めないですよ。どうしてかっていうと、タマキさんが男を必要としていませんからね。あのふたりがいたら、それでいいんじゃないですか。だから、タマキさんがいくら家族をふやしたいといっても、あれ以上は無理だと思いますよ」と森田さんは白湯を飲みながら喋っている。 「それでね、タマキさんに、ぼくが男としてはハンパ者だと説明したんですけどね。タマキさんが話しませんでしたか? なんだかとてもおもしろがっていたからね」 「ああ聞きましたよ」「自慢そうに話すようなことでもありませんけどね」「立場をはっきりさせようと」「いや、立場というような、そんなことじゃなくて」「そういう場合、勇気というんでしょうか」「いやいや、勇気じゃないですよ。タマキさんには理由はいいませんでした。あのですね、とにかくうんざりして。いちばん不愉快なのは、女が、あなたの子供を生みたい、というときですよ。なんていえばいいか、とにかく不愉快でね、そのセリフを封じるのにいちばん効果のある方法があれでしたね。もうこれははっきりしたもので、いろいろと思ってもみなかったことがわかりますから、女の。思いがけなく、楽しんだところもありますよ」と森田さんははじめて自然に笑顔を見せた。  森田さんはこの前とちがって、上衣をとるとコールテンの黒いズボンに海老茶色のセーターで、田舎のおじさんには見えない恰好をしている。あの窓のない「納屋」でいったいなにをしているんだろうか。 「しかしまあ普通は、こんなことを話すと、だいたい女のひとには嫌われますね。タマキさんとかあなたは、この程度のことでキャーキャーいわないと思いますが、たいていは怒ってしまいますからね。女のひとが、あなたの子供を生みたいというときの、媚びとエゴをこねて団子にしたような顔がいやでね。そういうことが二、三度あると、もうアカンと思うて。やることやって、孕んで生むのなら黙って生みゃいいものを、いかにもあんたの子じゃなきゃいや、という振りをする。そんなこと厳密に思うはずないよ。そりゃあ生物だから、よりよいタネを本能でもとめるかもしれないですがね、あの『あなたの子を』には政治《かけひき》と経済を愛という砂糖でまぶして股を開いてくるんだからね。あ、失礼、いい過ぎました」 「森田さん、あなたのようないい方をすれば、男のひとだって怒るんじゃないですか? 普通は、あなたの子供を生みたい、といわれた男は森田さんみたいには思わないですから。そういわれると、喜ぶんじゃないですか。少なくとも、あまりいやな気はしないんじゃないですか。森田さんのようなひとは少数派だと思いますよ。わたしは、森田さんのいうことよくわかりますけど。でも、まあ普通は、あなたの子供を生みたい、おれの子を生んでくれ、というので暮らしているわけでしょう? それを不愉快だとか、媚びとエゴをこねた団子だなんていってると、弾劾されますよ。そういうことは思っていても黙っていないとだめですよ。黙っていれば、なにを思っていても勝手ですからね。それに、そういうことは、無関心なひとにいっても仕様のないことでしょうしね。わたしはそんなヤバイことひとにいいませんよ」 「たしかにそうだ、こういうことは見境もなくいっちゃあいけないんだ、まったくそうですね。もちろん、今までこんなことは無闇に喋ったりしませんでしたがね。ところが、喋らなくてもわかるんです、こんなことは。ちゃんとこうして、おっぽり出されて、窓もない納屋に閉じこめられているじゃないですか。おれたちゃ町には住めないからに、という山男の歌があるでしょう、あの手の歌は嫌いで、馬鹿にしてましたけど、ひとのなかで住めなくなってしまったんだから、もう馬鹿にできなくなってしまいましたよ」  森田さんはタマキともこういうことを連日喋っていたのだろうか。平野さんからタマキの噂を聞き、また平野さんの家にやってきたタマキと山比古との関係を本人の口から聞いて、興味はふくれあがったのであろうか。タマキなら、無闇に喋っても仕様のない、媚びとエゴをこねた団子の話も通じると思ったのだろうか。タマキはなんといったのだろう。どのような反応をしたのだろうか。タマキはパイプ・カットの話しかしなかった。あれはタマキの癖だ。わたしはプロセスに興味があるのにタマキはいつも話の結果か結末しか聞かせてくれない。しかし今わたしは本人の森田さんからそのプロセスを聞いている。とはいっても、森田さんの話もかなり抽象的で、いっさい具体的な事件は話さないのだが、わたしにはその方がかえってよくわかる。Aという女がどういった、Bという女がどういったと、ごてごてと顛末を喋られるとうんざりする。あの、みながおおいに飲んだ夜のときとはちがって、森田さんの喋り方はとても明瞭でよくわかる。 「タマキさんは逃げていますね。きついところは逃げます。タマキさんにからんで嫌われましたよ」と森田さんは笑った。 「悪い癖で、興味をひかれるとトコトン知りたくなって、それで今までもたいてい嫌われては失敗してきたんです。タマキさんのことも、平野さんから聞いたとき興味が湧きましてね。それでまあ接近していって、じかに話をきいたりしようと。タマキさんというひとは、なかなかおもしろいひとですよ。島子さんにこんなこというのは釈迦に説法ですね。いつかの夜みなで喋ったとき、血のつながらない家族って聞いて、女のひとがそういうこといい出して、しかも実践しているっていうから、じっとしていられなくなって」森田さんはどうやらわたしにタマキ・ハウスにいたことを弁明しようとしているらしい。しかし、「こんなこといおうとしてたんじゃないんだ」と思いついたようにいった。 「平野さん遅いですね」とわたしは森田さんとのふたりきりが気づまりだった。「島子さんも別に仕事も用事もないんでしょう。おたがい急ぐことはないんですから、平野さんがいようがいまいがどうだっていいじゃないですか。そうだ、島子さんに話したかったのは、この平野さんの家と、あの『納屋』と、それからタマキさんのところとは、それぞれ二キロぐらいずつ離れていて、三点を結ぶとだいたい正三角形になるんです。これは聖なる三角形でなくて、魔の三角形ですね。このあたりは開拓地だから、農家といってもせいぜい三十年か四十年前にここへきたんですよ。古くたって五十年ですよ。だから土地に対してどこかクールなところがあって、平野さんのような都市生活者の侵入を許しているんです。タマキさんにも同じですが。まあわれわれのような、いい加減な者にはちょうど都合がいいところなんでしょう。ところで、島子さんは、タマキさんのところにずっといるんですか。春には東京に帰るんじゃないかって平野さんがいうから。あのオジサンは勝手に決めるからね」と森田さんは笑う。 「どうなるんでしょうねえ」とわたしはわざと他人事のようにいった。タマキにはいつ東京へ帰るかなどとだれも尋ねないのに、なぜわたしには尋ねるのだ。「平野さんは花をつくるらしいですね、わたしに手伝わないかというのであきれたんですよ、だって、わたしはこれでも、草花の鉢植えをダメにしなかったことはないんですから」とわたしは笑いでごまかして話をそらす。 「あのオジサンがあんたに惚れてるくらい見たらわかりますけど、もし島子さんが本気でここにいるつもりなら、タマキさんのところにいても仕様がないんじゃないかなあ。もっとも、タマキさんと同志というんなら話は別ですが」 「森田さんは案外おせっかいなんですね。わたしはタマキが好きですからね。それでここへきたんですから」 「そりゃあそうでしょう。まあ、わたしも女から逃げてきたといえばカッコいいんだろうけどね。ここへきて、タマキさんとかあなたに会ったのは、よかったですよ。例のパイプ・カットの話、女のひとになんかしたことなかったですよ、偏見もっているからね」 「男だって偏見もっているでしょう。偏見どころか、タブーですよ。とにかく、人類は永遠なり、を信じているひとのなかで、どうして人類が滅亡してはいけないのかなあ、なんて思っているのは犯罪なんです。だから、そんなことはオクビにも出してはいけないんです。滅亡を夢想しながら現実のなかに滅亡の兆候や景色を見て楽しむのはいわば愉快犯ですよね。たいていは発情の結果が繁栄だと思いこんでいますから、滅亡の愉快犯は見つけられたらなぶり殺しにされますよ。だから間違っても犯人は新聞社にワープロで手紙なんか出してはいけないんですね。女のひとは、たとえひとりでも子供を生むかぎり、人類は滅亡しないとタカをくくっていますよ。だから、あなたがうんざりした『あなたの子供が生みたい』という女たちは当然『人類が滅びてもいいの?』という次のセリフを用意しているんです。男のひとは女のその手のセリフにはゾオーとするみたいね。だから、森田さんは今や人類の敵なのよ。敵は隠れていないと。窓のない『納屋』はちょうど具合がいいんじゃない?」  森田さんと喋っている間に、ヒロシの運転でなぜ「納屋」を訪ねていったのだったか忘れてしまっていた。クルマの警笛が二、三度聞えた。ヒロシが迎えにきてくれたのだ。どうして家のなかまで入ってこないのだろうと思いながら、わたしは外へ出た。     *  森田さんのいった「魔の三角形」が気にいったタマキは三角形のちょうど中心のあたりに家を建てるといいはじめた。タマキ・ハウスはいつかヒロシが話していたようにタマキの所有ではないらしい。「家」を建てようと思うから、お金がどこにあるのかと心配になるのだ、「小屋」ならみなの手で建てられるではないか、というのがタマキのいい分だった。いったん「小屋」が頭に描かれてしまうと、タマキはほかのことが目にも耳にもはいらなかった。なにかあるごとに「魔の三角形」を口走り、それがおもしろくてしようがない、というふうだった。平野さんの「旭日荘」を建てたという大工さんがタマキに呼びだされてやってきても、土地の決まらぬ「小屋」が具体化するはずがなかった。それでもタマキは山比古かヒロシに運転させ、クルマで「魔の三角形」の内部を走りまわっているのだった。  ところが、タマキが「魔の三角形」の中心になる前に、三角形の一点だった森田さんが「納屋」から「旭日荘」へ移ったために三角形はくずれた。森田さんは「納屋」の所有者から立ちのいてくれるようにいわれたのだ。そこはだれかに売られることになったのだった。森田さんは契約違反だと文句をいっていたが、口約束では出ていくしかない。ただし、森田さんが突然同居することになったために、森田さんを嫌っている春子さんがはみ出すことになる。春子さんは独立家屋のようになった二階にいるとはいえ、三度の食事に森田さんと顔をあわせるのが不愉快で仕方がない。  少しからだを動かすと汗ばむくらいの陽気になってきた。あいかわらず山比古と土地さがしだといってタマキが出かけていったので、わたしはヒロシと「川」の向こうの林をぬけて散歩した。ここへきてからまだ一年もたたないのに、ヒロシがどことなく大人びた顔になったような気がする。少年特有の甘ったるさがなくなっている。「あ、ウサギ」とヒロシがいったが、よごれたような茶色のかたまりは一瞬で見えなくなってしまった。 「タマキは本気かなあ、小屋のこと」というわたしに、「本気でしょう、夏までに出る約束だっていってましたから。でも、あまり小さい小屋では、『家族』は無理ですよね」「そうなったら、ヒロシさんどこかへ出ていく?」「どこへもいきませんよ、ぼくは」といつもより、ヒロシは喋りたがらないようだ。  けもの道らしいところを少しのぼって、陽あたりのいい牧草地へ出た。トタン屋根の道具小屋があった。そのまわりに、ジュースの罐や菓子の空き袋が散らばっていた。よく晴れていて、下の方に点在する家が見えた。「島子さん、ぼく、やりたいんだ」とヒロシがうしろにまわり、肩を両腕で締めつけてきた。  わたしとヒロシの間には硬直したヒロシの性器がはさまれて、ふたりのどちらかがからだを動かすと、それは異物のようにゴロゴロした感触を与えた。それを感じながら、いつか見たイタリア映画の、まだ十歳そこそこの羊飼いが石を踏み台にして羊のうしろから性器を差しこんでいた姿を思い出していた。「早く」とヒロシはいった。それはわたしに自分でジーパンをおろせという命令だった。さほどきついジーパンではなかったが、どうもこのアメリカ発明品はまさか女がこれほどに愛好するとは思っていなかったらしく、女が簡単に尻や脚を出せるようにはつくってない。「あわてないでよ」というと、ヒロシは手さぐりでうしろからわたしのジーパンのジッパーをおろしていく。わたしはヒロシにいわれるまま、押せば倒れそうな道具小屋のトタンの壁を両手でおさえ、羊のように尻をうしろに突きだして、羊のような頼りない声をあげていた。  そのあとしばらく、まだ密生とまではいかないが、あたらしい緑の上で横たわり、また起きあがりして、ふたりはなにも喋らずじっとしていた。 「ねえ、あんたの子供にしてくれないの?」とヒロシはわたしの手をひっぱって歩きながらいった。「ことわるって前にもいったでしょ」というわたしに「どうしてよ」とヒロシは怒ったようにいう。 「子供だなんてやめてよ。せっかく子供と名のつくものはもたないで今まで生きてきたのに」「タマキさんとヤマみたいに——」「どうして他人の真似するの? いやだ、タマキの真似なんて。血のつながらない家族だなんていっときながら、タマキもいい加減よね。ヒロシとは気が合いそうだから、それでいいじゃないの」  ヒロシはふざけているときによくする真面目な顔で「あの、島子さん、ケッコンしましょうよ」といって、こらえられなくなったのか、笑いだした。 「親子になろうっていうより、まだ結婚しようの方がいいよね」とわたしも笑った。「逆だよ、結婚しようなんてありきたりすぎて」「でも、親子っていわれると、なんだかいかにも老人扱いで損するみたいだよ」「あれ、島子さん、親のつもり? ぼくが親かもしれないよ」「ああそうか——」「親の方が子供より若いといけないの? トランプの親と同じようなものだよ、ジャンケンで決めたっていいんだもん」「そうねえ、そこまで気がつかなかったわ。ダメだなあ、わたしも老化したなあ」「そういうの老化といわないで、風化というのです」などとふたりでたわむれながら歩きまわっている。ヒロシが冗談をいいはじめたのは、わたしの子供にしてくれなんていったのをテレているからだ。その後悔を早く消してしまいたくてふざけているのだ。しかし、ヒロシがいったように、トランプの親のようにヒロシが親になることだってある。親は決定されて不変になると危い。「ヒロシって頭いいんだなあ」とわたしはからかう振りをするが、自分の老化に呻いているのだ。親子に関するわたしの発想はアナログなんだろう。思想は風化するが風俗は風化しない、なーんていったオジサンが昔いたけれど、感覚が風化するんだよね。ヒロシの奴、老化じゃなくて風化だなんてウメーこというじゃないか。 「親を決めてはいけないよ、ほんと、ヒロシのいう通りよ」「まだいってるの?」「親だなんて決めるから、親のために死んでくれっていわれるのよ」  ヒロシはオトギリ草のような黄色のブルゾンを脱ぎ、Tシャツだけになっている。Tシャツが肩と胸の線をくっきり見せている。手にもったブルゾンをぶるんぶるん振りまわし、またあたりの樹木を両側になぎ倒すように振りながらいくヒロシのうしろ姿はそれ自体が凶器のようだ。 「川」のところにくると、向こうにタマキが立っていた。そこはみなで「橋」と呼んでいるところで、人間がひとり立てるくらいの石がうまくじぐざぐに並んでいた。タマキは「川」の向こう、つまりタマキ・ハウスの領地の方からふたりを見つめていた。わたしとヒロシは、タマキが見つめているなかで「川」を渡るのだった。石がぐらつき、わたしのからだが均衡を失って揺れてもタマキは手をさしのべようともせずじっとしていた。「とうとう向こうへいったんだねえ」とタマキはそばへきてささやくようにいった。それからすこし離れて、「ゆく先は決まったよ」といった。  次の日から移動の準備がはじまった。  タマキと「血のつながらない家族」のゆく先は、あの「魔の三角形」の中心点ではなかった。すでに三角形はくずれ、森田さんは「旭日荘」に移って冗談半分に「下男」とか「作男」とかと自称している。森田さんがきたために、春子さんは山の向こう側のスキー場にできるホテルの近くの、ホテルができたら多分廃業においこまれる昔風の民宿のひと部屋を借り、日曜日しか寄りつかない。春子さんは森田さんのおかげで「自立」したのだ。  借家のない土地で家をさがすのはタマキでなくてもむずかしいが、なにしろ「血のつながらない家族」であるから、ことにむずかしいのである。「上の村」にいけば山比古が事情に通じているが、そこへ移っていくことはできない。タマキが仕方なく移っていこうとしているのは、「下の町」に近い、街道ぞいの古いしもた屋である。軒が低く、二階も低い。家のなかは暗い。広いベランダのあった明るいタマキ・ハウスからくると、だれでもその陰気さに気がめいる。しかしタマキは黙っている。なにかいい出せば、なにもかもいってしまわねばならない。  わたしはタマキがその家を嫌っているのはよくわかっていた。そしてそれをこらえているのもよくわかるのだった。いくら田舎は土地が安いといっても、平野さんのように三十数年働いた結果やっと手にする退職金でもなければ、あのような広びろとした家は手にはいらないのだ。 「あそこで仕事は無理ですね」とヒロシが山比古にいった。ヒロシの丁寧なものいいは、タマキの不機嫌を意識してのことだった。ところが、せっかくのヒロシの機転も、そんなことをいってしまったという無頓着を隠しはしなかった。「仕事って、ヒロシ、立派なこというねえ」とタマキは怒りだした。「仕事って、あの子供の工作みたいなもののことかい。あれは暇つぶしだったんだろ? ありあまる精力を浪費させるためだったんだろ? ああでもさせておかないと、いつ鉈でぶっ殺されるかわからないからね——」というタマキを「タマキ、いい過ぎないで」とわたしはとめる。 「こういう日がくるのはわかっていたんだから、家のことを真面目に考えなかったのが悪いんだ。ねえ、山比古。ここに三年もいたのは奇跡みたいなものなんだからね。もうこんなことはないだろうね、山比古。この家をタダで貸してくれたような、あんな神様みたいなひとはもういないよ。ここへきたときは山比古とふたりだけで、広すぎるって文句いって。こんなところへ、だれが泊りにくるのかって、タダで貸してくれた神様をあざけり笑って。それでも、神様に返すまでにすこしでも使いやすいようにと、山比古とふたりで木株を掘ったり、薪小屋つくったり。台所のそばまでクルマがはいりやすいように道をつけたり。もういいね、山比古。どうする? 山比古。もうべランダで晩ごはんも食べられなくなるんだから。山比古と棲家をさがし求めてあちらへいったり、こちらへいったり。移動というより漂流みたいだった。山比古、大丈夫かな、今度は。山比古は名前の通りアマンジャクでねえ、大丈夫かな? というとダメだっていうし、ダメだっていうと大丈夫というし。今度はどうだろう、山比古。うまくいくだろうか。家は荒れ放題だったね。どこか他にないだろうか。もう無理だね。あれだけ捜したんだもの。都会からきた脱サラの家族で子供がふたり、というのなら貸すんだろうね。山比古とじゃあダメなんだ。みんな、われわれを畜生だっていってるんだからね。今度の家はやっぱりいやだよ。『下の町』に近すぎる。あそこじゃもう『下の町』といってもいいもの。同じ迫害にあうんなら、『下の町』より『上の村』に近い方がいいよ、『上の村』だっていいんだ。どうだろう、山比古。『上の村』じゃあ無理だろうか、山比古。『上の村』のはずれでいい、だれもいなくていいじゃないか、山比古。だれかに頼んでおくれよ、雨露さえしのげればいいからって、まわりにひとがいなけりゃ、それ以上結構なことはございませんと。どこか、昔使っていたけれど今は放ってある牛小屋とかありませんかと。山比古、ひとが石を投げたっていいじゃないか。もう山比古だって昔みたいに子供じゃないんだし。『上の村』相手に喧嘩しても負けるものか。でも頼むときは、そんなこといってはだめだよ、山比古。どうかどうか、お慈悲でお助けくださいっていうんだよ。おじいちゃんの知りあいがひとりくらい生き残っているだろう? 山比古、そのひとを捜して頼んでみてよ。とにかくあそこはダメだ——」とタマキのことばはなかなかとぎれない。タマキの頭には山比古と自分の姿しかないようだ。  わたしはこういうタマキを見るのははじめてだった。 「『上の村』はやめておこうよ」と山比古は断定的な口調でいった。山比古がこんなに強い口調でものをいうのも、わたしははじめて聞いたのだった。 「もうこんなところはイヤだよ、東京へいこう」と山比古はいった。 「それは、あの家とかこの家とかとは別の問題だよ、山比古。でも、ああそうか、山比古はひとりで東京へいきたいといってるんだ。そうだよね、山比古。そういうことなんだろ、山比古」というタマキはいつものように軽い喋り方ではない。山比古の憐憫《あわれみ》をすでにその声が乞うている。すぐに返事をしない山比古がタマキにはもはや遠ざかっていくように感じられるのではないか。しかし、今のタマキには、山比古がどのように答えようとも、山比古が遠ざかっていくのがわかるのではないか。ひとりでなんかいかないよ、と山比古がいい、タマキを抱きしめたとしても、タマキには山比古が遠ざかるのはわかってしまっている。山比古が「もうこんなところはイヤだよ、東京へいこう」といったこと、それですべては終わったのだ。 「東京だったら、いくらもアパートがある」と山比古はいった。「ここの男はたいてい出稼ぎだ、おれだって出稼ぎと思えばいい。土方仕事ならあるだろうから。『上の村』からもずいぶん出てる。しばらく土方仕事で様子を見て、それでだんだんに金のとれる仕事をすればいい。『上の村』のは年寄りばっかりなんだから、若いのがいくと大歓迎だよ」  ヒロシは台所からタマキと山比古のやりとりを聞いている。そしてときどき柱のかげからちらりと顔半分を出して、わたしを見る。出番を待っている役者のようだ。ヒロシは息をつめて出番を待っている。 「そうか——、山比古は、どこか線路ぎわの安アパートに住んで——、仕事の帰りに焼酎飲んで——」とタマキの息ぎれしそうな喋り方は、山比古の同情をひくためだ。「わたしひとりぐらいどうにでもなる。ひとりじゃないんだ、ヒロシと島子さんと——。そうだ、もっとメンバーをふやして。メンバーをふやさなきゃ。山比古はズラカルっていってるんだ」 「くだらないことはいわない方がいいよ」と山比古がタマキをたしなめるようにいう。山比古がその場かぎりのなぐさめをいわないのはいい。タマキもおそらく同じ思いでありながら、やはり山比古にあやしてもらいたいのだ。まるで、安物の芝居のせりふみたいに、あんたを放ってどこへいく、あんたをひとりになんかするものか、とでもいわれたいのだ。普段なら、吹きだしてしまいそうなクサイせりふにタマキは救われたいのだ。だからこそ山比古はそんなことをいわない。立場の逆転劇なのはタマキにも山比古にもわかっている。今回は山比古の決定で劇は次のシーンにすすんでゆく。場面を変えるのは今までは必ずタマキだったのだが——。 「あの家はことわるかどうか、はっきり決めないと。今日明日にも」と山比古はいう。 「山比古が東京で働くというのを、それはよくないことだ、とはだれもいえないね。そうよね、山比古が働くというんだから。働かないと、苦しいんだね、だれだって。人間て、なさけないじゃないか、無為に耐えられないんだよ。ああ、山比古はできると思ったけど。山比古だけは、家庭をつくったり、子供をつくったり、財産をつくったりせずに生きていくかと思ったんだけど。山比古はなんにもつくらずになんにももたずに生きていけると思ったのに」とタマキがいっても、山比古は黙っている。  山比古は、どのようにさげすまれようと、軽蔑されようと、攻撃されようと、黙ってさえいればいいのだ。黙っていても、自分の思惑通りになるのである。邪魔する者はだれもいない。タマキの声も次第に細くなって、やがて聞えなくなるだろう。タマキに反応すれば、おそらくタマキはすがりついてくる。それを避けるためにも、山比古は黙っていなければならないはずだ。  その夜、みなが寝しずまってからタマキとわたしは食堂で坐っていた。 「島子さんは東京へ帰るでしょう? わたしはいかない、東京へは。ここにいるから、わたしは。ヒロシはどうするだろう。平野さんに頼もうか。それがいいね。平野さん、野菜か花をやるっていってたね、ヒロシがそれなら片腕になるよ。あの森田さんよりは役に立ちそうだ。島子さん、わたしがここにいるといえば、山比古がいちばん困るのはわかっているのよ。山比古は悪者になって出ていかなきゃならない。仕方ないね、それも。都会からこんなところへきて、ここがいい、ここからどこへもいかない、なんていってるのは、役たたずの不良品ばかりなんだろうね。山比古には気持よく東京へいってもらいたいよね。でもそうなったら山比古ともお別れだ。山比古はそのうち家を買い、クルマを買い、結婚し、子供をもち、お金をためてやっていくでしょう。ここにわたしとおれば、なにかがふえていくことも、発展することも、繁殖することもなくて、見えるのは死に絶えていく風景だもの。そんなところにいつまでもいやしないよ。ねえ島子さん、でも山比古だけはそういうことがわかると思ったんだけど。思いすごしね。それとも、やっぱり親馬鹿なのかな。ヒロシの方がわかるかもしれないね。山比古は健康だから。ここにいるのは健康だってことが、なかなかみなにわからなくてね。隠遁じゃないんだから。もう山比古にはなにもいわない。山比古は土方仕事で筋肉がついて、かがやくような、まぶしいような身体になるかしら。多分そうはならない。ねえ島子さん、やっとできかけたと思ったところだったのに。わたしから山比古、ヒロシ、島子さん、そして島子さんからわたしへと、やっと輪がつながったと思ったのに。わからない? 島子さんとヒロシが——」とそこでタマキがやめたのは、ヒロシが居間を横切っていくのが見えたからだった。 「タマキ、平野さんにも頼んでみて、それから、春子さんのいる民宿にもきいてもらって」とわたしはタマキが少しでも気が楽になるようにと、家のことを繰りかえす。  タマキのいおうとしている、四人の輪というのは、タマキと山比古、山比古とヒロシ、ヒロシとわたし、わたしとタマキ、というように性によって重なった輪のことだろう。わたしは、こういう輪をいくら大きくしても「血のつながらない家族」にならないと思っていたし、今も思っている。わたしが夢想するのは、むしろ性のない小さな集団だ。血はつながらなくても性によってつながれてしまうじゃないか、タマキ流だと。わたしがタマキのところへきたのは、わたしとタマキの間にはすでに性が消費されてしまったあとだからではなかったのか。多分そうだ。 「ヒロシ、そんなところで立ち聞きしているのなら、こっちへくればいいじゃないの」とタマキは不機嫌にいう。 「平野さんにいえば、あのひとはいいひとだから、うちには空いている部屋がいくつもある、今日からでもいらっしゃいっていうに決まっている。春子さんにいっても同じよ、彼女のいる民宿へすぐにひっぱっていかれる。だから、あのひとたちには黙ってないとね。島子さん、わたしはどこでもいいっていってるんじゃないよ、楽しく暮らしているひとたちをひきずりこみたくはないから。いやだものね、そんなの」 「平野さんはちょっとちがうんじゃないの?」 「なにが? 平野さんだって、余生をおおいに楽しもうとしているわよ」 「どうしてそれが困るの?」 「そういう苦楽の起伏はいらない」  昼の興奮よりは落ち着いてはいるものの、タマキの混乱はまだつづいているようだ。「森田さんなら起伏がないんじゃない?」とわたしはわざとタマキの神経をひっかくようなことをいった。 「ああ、島子さんも同じだ、世間と同じだ、説明してもわからないくちだ」とタマキは嘆いてみせたが、そのおおげさぶりのなかに、わたしはすでにタマキのいつもの冗談の口調を感じてほっとした。  次の日ヒロシがひとりで「家は必ずみつけます」といって出かけていった。わたしは、タマキが「あまりにも常識的な安易さ」といったが、平野さんにも家さがしのツテを求めておこうと出かけていった。しかし、ものを頼むには運の悪い状況だった。「旭日荘」には先客があったのだ。先客は平野さんよりやや年配の男だった。似ているところはなかったが、その男は森田さんの父親とのことだった。  森田さんの父親、つまり森田シニアーは平野さんの紹介を聞きぞこねたのか、わざとなのかはわからないが、わたしをあたまからタマキと思いこみ、あからさまに不快をあらわした。それは、平野さんと彼とのやりとりから多少はわかったのであるが、「旭日荘」へやってきたのは、「四十にもなって寝言をいっている」息子へ怒りをぶつけるためだったので、出会った場面が悪いということもあった。しかも、かんじんの息子がそばにいないから、不快の発散はタマキと思いこまれているわたしになされるのである。それに、森田シニアーは「伝統的家族」を守ることに使命感をもっているらしいので、贋タマキのわたしとしても、「家さがし」依頼どころではなくなってくるのだった。わたしは、彼の「放蕩息子の帰還」をただひたすら待ちながら、その演説が世話狂言のくどきに変化していくのに耐えていた。  森田シニアーの演説及びクドキでわたしが感心したのは、息子への罵倒に終始して息子の相手であった女性には触れなかったことであった。彼によれば、息子つまり森田さんは女とのまともな生活をしようとはせず、こういうド田舎へきてごろごろしているなんて、人間の屑であるというのである。しかも、平野さんから聞くところでは、不思議なひとたちと近所づきあいをしているようだ。人間は——森田シニアーのいう人間とは男のことであるが——理屈や文句をいう前に働いて、家族を養っていかなければならない、というのが父親の生活哲学の基礎であるのに、息子は女から逃げてばかりいる。いったい、なにが不満でこんなド田舎——父親はド田舎といういい方が好きらしい——へきて寝言をいっておるのか。ここに好きな女でもいるのかと思ったら、そうでもないらしい。あれは、女から逃げたというても、女が嫌いなのやない。まさか、あいつがオカマとは思えんし。いや、ぜったいにオカマやない。むしろ、女が好きな方やろう、若いときはそれでもええ、しかしやね、もう四十をこえて、まともにやってれば、子供が高校へいく年頃です、それが、女房もいない、子供もいない。なにを考えて生きているのか。われわれはいつまでも生きてるわけやない。いつまでも、あると思うな親と金、とはよくいうたものです。平野さんはわたしの昔からのいちばん信用している友だちですから、息子によくいうてきかしてくれと頼みましたんやが、考えてみたら、四十にもなった男になにをいうてもアカンわけでしてね。そんなことは、とうに承知の助ではあるんですが、そこが親の阿呆なところで。わたしとて、たとえ自分の息子でも、それぞれの生き方があるんやから、どうせいこうせいと、いちいちいうても詮ないことはわかっています。ただ、ご近所におねがいしたいのは、妙に息子を煽るようなことだけはなさらないでいただきたいと。どうも、不思議なひとがいるようだともれ聞きますのでね、ここのご近所には。  わたしはついに、森田さんはどこかへお出かけですかと平野さんに尋ねた。平野さんは息子を思う父親に遠慮してか、これですといって釣竿をもつ恰好をしてみせた。ヒロシが話していた渓流釣りだろうか。とにかくわたしは、平野さんとふたりだけで喋ることができないので、タマキの家の話はもちだせないのである。それどころか、森田シニアーのクドキの話芸にいつのまにか聞きいってしまっているのである。わたしは森田シニアーの生活哲学、というよりイデオロギーに共感しているわけではない。むしろ、彼の息子がいった、エゴと媚びの団子たる女の話に納得したのだった。彼の息子は、女を病的に嫌悪しているのでも、憎悪しているのでもなさそうだった。「エゴと媚びの団子」は女だけの特殊な症状ではない。しかし彼の話で、女に出たその症状のおそろしさが充分に想像され、それに感応してしまうことのおそろしさも想像できるのだった。だれだって、その種の症状を知ってはいるのだが、鈍感になっていた方が楽だから、いちいち感応しない。それどころか、その症状のヴァリエイションを恋とか愛といって楽しんでいるくらいだ。そして恋と愛あるかぎり人類は永遠だとかれらは祝杯をあげている。  また出直してきます、というわたしを、やっとタマキではない別人だと納得したらしい森田シニアーはひきとめる。息子の愚痴をいうには、事情をよく知る平野さんより、相手とすればわたしの方が新鮮味があっていいのかもしれない。 「あんたね、息子が四十にもなるというのに、まだ孫の顔も見られんとは。ひとりしかない息子があれでは、愚痴のひとつもいいたくなります。この平野さんはケッタイなひとでね、こんなド田舎へきて、女房子供が逃げてせいせいしたといいますが、わたしはそういうことはイカンと思いますよ。当り前やないですか、家族というのはいっしょに暮らしてこそ家族です。平野さんもここへきて不思議なご近所の悪い風邪がうつったんやないですか」という森田シニアーに、若いときのわたしなら「子供というのは、親に孫の顔とやらを見せるために生むものなんですか」などとちゃかしたにちがいない。しかしもうそんな率直さを失っている。タマキではないが、どのように説明を重ねても通じあわない考えがある。おそらく、森田さんがいかに根気よく、また上手に、あの「エゴと媚びの団子」の話をしても、父親には通じないだろう。 「平野さんにしゃんとしてもらわないと、この『旭日荘』は今にロクデナシのたまり場になりますよ。まともに暮らせない連中がなにやら理屈をつけて、こういうところへきてですね、悪性のバイキンを撒きちらすから、困ったもんです。そんな連中にかぎって、自然を守れとかね、自然をこわすなとかいうてね、ご本人たちはここの純朴なひとに悪い菌をうつして、いい気なものです」ああ、ここのひとが純朴だなんて、そりゃ聞えません、お父上のデンベーさん、それこそ純朴すぎるのコトヨです。ねえ平野さん、平野さんだって、さすがにここのひとがみんな純朴だなんて思わなくなりましたよね。相当こりたみたいでしたものね。 「ところで、あなたはここでなにをしておられるんです?」と森田さんの父上がわたしに質問した。尋ねてみたくなるでしょうね。「ご家族は?」初対面のひとにそんな立ち入ったことを聞くものじゃないですよ。だから、マトモなひとって困るんだよ。なにをしようと、なにをしないでいようと、てめえの勝手だろうが。家族? トーゼンそんなものいるはずないじゃないか。「お子さんは?」だって。マトモなひとって戸籍調べが好きだ。戸籍が汚れたり乱れたりしていると、他人事であるからこそ心配でたまらない。マトモな家族のピラミッドが、マトモな国家をつくるから? 「あの、あたし、身寄りがなくて、それでタマキさんのところにしばらくお世話になってましてね、ええ、結婚は、その、婚約者が学生のままで戦争に、それでその」「学徒動員ですか。お気の毒だ、それは。しかし、待てよ、あなたはそんなお年ですか?」だから、いわないこっちゃないだろう。  ロクデナシの息子がやっと帰ってきた。  平野さんが「つくりかけの畑を見てくれますか」とわたしを外へつれ出してくれた。平野さんも親子のやりとりを見たくないのだろう。  平野さんとわたしは、掘りかえされた黒い土を見ながら、とぎれとぎれに喋っていた。タマキ・ハウスについて話し、タマキの志がいったん停止することを話し、山比古の東京ゆきについて話した。わたしは率直に話した。タマキの志の真意はわからない。山比古なしでそれが成り立つものか知らない。ただ、こんな感じがする——彼女のユートピア、それとも逆ユートピアかでは母と息子がくりかえす交接のなかで死滅する——。平野さんに、はじめてこんなふうにも話した。「島子さんは、ユートピアなんて信じているんですか、驚きましたなあ」と平野さんはいった。「信じるとか信じないとかというシロモノじゃないですよ、それは。わたしはタマキとちがって、娘と父親の組み合わせの方がぞくぞくしますけどね」前のように、平野さんはこういう話を不思議扱いしなくなっている。「タマキさんは、金はあるんですか」と平野さんは突然現実に話題を移した。わからない、とわたしはいった。「多分ないんでしょうな」と平野さんはいった。「金があれば、山比古くんもまだ当分はいるでしょうがね」平野さんは、黒い土を手で掬っては眺めながらつぶやいた。  平野さんの現実をふまえた推論に感心しつつも、わたしは山比古がそんなことでタマキから離れるとは思えないのだった。山比古はマトモなひとなのだ。ただそれだけのことではないか。マトモなひとは此岸で生きているひとである。タマキは山比古を道づれに生きているうちに彼岸に渡ろうともくろんで失敗したのである。わたしは、タマキが不憫に思える。彼女は今、満身キズだらけで、その身を横たえる場所を求めて歩いているだろう。 「ここら辺も、若いひとがみな都会へ出ていって、田んぼや畑で働いているのは年寄りばっかりですからなあ。若いひとを見かけたのは、お盆のときぐらいでしたよ。Uターンとかいっても、そんなのはごく一部やないですか。まあ、山比古くんも都会へ出ていきたいんでしょう。タマキさんも東京へ帰れば、問題は一挙に解決するのとちがいますか」という平野さんに、ちがいます、とはいわないが、それはちがうのだ。しかしそれを平野さんに説明してなにになるだろう。若い男が離れようとするのを、年上の女がすがりついてゆく、という図ではない。「実の子でも離れていくんですから、ましてや——」と平野さん。タマキのいう通りだ、やっぱり黙っているしかないね。「山比古くんも家庭をもって、余裕ができたらタマキさんを大事にしますよ」ああ、平野さん、どんどん平野さんは遠ざかっていくんですね。タマキはそんなんじゃないんだ、といってもなんにもなりません。タマキは、山比古をもっとズタズタにしておくべきだった。ズタズタが足りないんだよ。もっともっと無数のキズをつけておくんだった。手加減したから、山比古は立ちあがって出かけていくんだ。立ちあがれないくらいにズタズタにしておくんだった。タマキは手加減したんだ。つまり、タマキには覚悟が足りなかった。人間のマトモ性をなめてかかっていた。だからやられたんだ。タマキ、立ちどまって休むと凍死するよ、氷河を渡ろうとする者は。  タマキ・ハウスに帰るとヒロシがひとりで食事していた。ヒロシは「適当な場所が見つかった」といったが、「適当な家」とはいわなかったのが気になった。食事がおわると休む間も惜しむようにヒロシはダンボール箱にものをつめはじめた。まだタマキは帰っていないのである。タマキはまだヒロシの見つけたという「適当な場所」が自分に適当かどうかを決めていないはずである。  ヒロシはタマキもそばにいるわたしも無視したかのごとく、家のなかを片づけ出しているのである。ヒロシはわたしがこの土地にはいなくなるとの判断で「適当な場所」への移動を計画し実行にうつしているのだろうか。わたしもそれなら、「適当な場所」を見てから決定しよう。わたしはどこにいてもいい。いつもぼんやりと、暖かい土地に住みたいと思ってきたが、なにがなんでもそうしたいというわけでもないのだ。  タマキと山比古が帰ってきた。ふたりともほとんど喋らないのは、この上なく疲労しているからであろう。 「大丈夫だよ、タマキさん、あそこなら陽あたりがいいから、なんでもできますよ。明日いけばわかりますが、タマキさんの好きな『川』もありますしね、ここと感じが似ているんですよ。ベランダは、いってからつくればいいでしょう。少し木を買えば、道具はあるんですから」とヒロシはひとりで喋っているのである。タマキの顔が黒ずんで見える。それは、最近急に目だつようになったソバカスとシミのせいである。山比古は、疲れたといっても、若いからだろうが、すぐに立ちあがり、顔や手を洗って冷蔵庫から罐ビールを出して飲むくらいの元気はあった。わたしはタマキに話しかけない。多分、タマキにとって長い一日だっただろう。タマキはベランダへ出ていった。もう寒いというほどでないから、またベランダでの食事やお喋りができるだろう。  ビールの罐をもったまま、山比古はヒロシの方を見ようともしない。ヒロシもいつものように山比古に話しかけない。みな沈黙して、それぞれ自分と話しているのだ。  わたしはどうするのだろう。ヒロシのいう「適当な場所」を見てから考えよう、とわたしは決定を明日にまかせている。タマキは「血がつながらない家族」であっても、とにかく家族に希望をもっていたし、おそらく今ももっている。しかしわたしは、たとえ「血がつながらない」としても「家族」には疑いをもっている。「家族」というのは美辞麗句のひとつではないのか。「合宿」とでも思っていた方がいいんじゃないか。 「コーヒーどう?」とわたしはタマキについに声をかける。「ちょうだい」と、甘えたようにいう。 「山比古はあの『川』を流れてきたんだけど、やっぱり川を下っていくのよ。今日、山比古に頼んで『上の村』までいったんだけどダメだった」 「明日ヒロシのいう家を見てから——」 「ヒロシはどうするんだろうね」 「家をさがしてきたんだから、タマキのそばにいるでしょう。ベランダまでつくろうって、はりきっていたじゃないの」 「ヒロシはどうしてここにいるんだろう、東京へ出たくないのかしら、山比古といっしょに」 「ヒロシさんは花が好きだから——」 「へっ、ヒロシさん、だって」とタマキは舌打ちして、それから笑いだした。そうこなくちゃあ。「ヒロシがどうして急にヒロシさんになるんだよう」と今度はわざとマジメな顔で口をとがらしている。 「タマキさん、こんな半端な食器はいさぎよく捨てましょうね——」と台所の方からヒロシがベランダに向かって叫んでいるのが聞えている。 「ヒロシさん、はりきっていますよオ」とタマキがわたしの口真似をしておかしがる。「ヒロシの見つけたところが化け物屋敷でも、もう文句はいえないみたいだね、これじゃあ」  山比古はなにをしているのだろう。タマキは山比古となにを話しあっていたのだろう、長かった一日を。山比古が罐ビールを片手にベランダへ出てきた。空いている椅子にはかけず、タマキのうしろにまわり、タマキの首を両手でかかえこむようにして、罐ビールをタマキの口にもっていった。タマキは罐の動きに従って口のなかにそそぎこまれるビールを飲みこんだ。 「飲む?」と山比古はわたしに向かって罐ビールを上にかかげて見せた。わたしはいらないといった。わたしにもああして、うしろ側から頬すりよせるようにして飲ませてくれるのだろうか。そうであってもいやだし、そうでなかったとしてもいやだからだ。タマキがいなければ「飲む」といったであろう。タマキにあんなふうにして飲ませたのでなければ、「飲む」といっただろう。タマキのそばにいる山比古を見て、わたしはふいに山比古に触れたくなっていた。山比古の腕をちょっと触るだけでもいい。もちろんわたしは自分の「うねり」を抑えていた。しかも過剰に抑えていた。そのために、つい先ほどまでの陽気にかけあがった気分は逆転し、急降下しはじめた。急性のウツになり、急性の失語症になってしまった。わたしは下を向いたまま、テーブルの木目を眺め、その下のベランダの木目をただじっと眺めつづけているのだった。すねていると誤解されてはいけないと、顔をあげようとするのだができない。タマキに話しかけようとするのだが、それもできない。喉がからからで声が出てこないのだ。立ちあがることもできない。こういうとき、わたしがしなければいけないことは過剰な抑制をゆるめるキッカケの獲得であるが、それが簡単にいかない。  山比古がタマキのそばの椅子に坐った。ふたりは放心したようにそれぞれに空を見ている。共有した時間が溶けて蜜の河となってふたりのそれぞれには流れているのかもしれない。山比古はその河から這いあがり、獣が水からあがったときのようにブルンとからだを振り、集落めざして出かけようとしている。肩、胸、背、腕などについた必要にして充分な、しなうような筋肉は飴色の皮で覆われている。それらはまたたく間に腐蝕していくだろう。硝酸に浸けられた銅板みたいに。 「山比古さん、いつ東京へいくの?」といったとき、自分の質問をすでにとり消していた。おせっかいなルール違反だ。ルール違反をやってしまうくらいの山比古への憎悪の登場というべきか。しかし山比古は答えない。タマキも黙っている。 「明日、家を見てからじゃないと、なんにも決まらないわよね」とわたしは自分の愚問に答えている。「ヒロシさんはよく見つけてくれたわ」山比古の沈黙をわたしは憎んでいる。やはりわたしは駄目人間だ。タマキのようにはいかない。「合宿」でさえも無理だろう。だからこそ理屈でヒトリを守らねばならない。どんな「思想」だってたいてい姑息な必要からはじまっているんだからね。タマキのようにロマンチックじゃないから、わたしは。そういえば、タマキの晩年に子供を生みたいといってた話はどうなったのかしらね。ロマンチックだなあ。赤ん坊は山比古そっくりなのかい。それともやはり、スター・ウォーズの戦士かな。つるんつるんの顔なのだろうか、それともシワシワなのだろうか。タマキは思い出したように、ビールの罐に手をのばす。  ダンボール箱をかかえたヒロシがベランダに出てきた。青味のあった空にいつの間にか雲が押しあって並び、雲の層のうすいところから光が長い線となっているのが見え、空いっぱいの、大きな大きな人間の胸像があらわれてくるのではないかと思えるような、雄大な空がベランダに立つと見わたせる。ヒロシは、重そうなダンボール箱をおろしてその上に立ち、手をひろげ、わざとらしく叫び声をあげた。それはヒロシのいつものお芝居にちがいなかったが、それには背景が雄大すぎるのだった。     *  わたしは東京へ帰った。ヒロシの見つけた「適当な場所」に移ることをタマキが承知し、そこにひとりで住むと決めたからである。タマキは、ヒロシがしばらくの間手伝ってあげるといってもことわった。それでも、ベランダだけはつくってもらうことにした。「適当な場所」というのは、ひとりの人間が寝起きするのに間にあう程度という意味だったのを、タマキはそれを見てから納得した。ヒロシは複数の人間、ましてメンバーをふやしたいなどという、タマキの「家族」のイレモノを見つけてきたのではなかった。はじめから、タマキひとり用のイレモノをさがしたのだ。タマキはそのように思ったのである。場所はひとりで住む人間にはこの上なく「適当」というべきであろう。墓地を見下すお椀のふちのようになった小高いところにあった。そのイレモノがもうひとり分の空間をもっていたら、わたしもここにいるといったかもしれない。動物の個体と個体の間には攻撃を制御しうる距離が要る。それが保てなくなると攻撃がはじまる。タマキはそれを知っている。ここはひとり用だと最初にいったのだった。 「適当な場所」を見たとき、わたしはヒロシの悪意を感じた。ヒロシはいかにこの近辺で家をさがすのが困難かなどといわなかった。しかしタマキにはそれがよくわかっていた。だからヒロシの努力もよくわかったし、運がよかったとも感じていた。わたしが感じたようなヒロシの悪意を感じたかどうかわからない。しかし、おそらく、それを知っていただろうとは思う。  タマキ・ハウスを整理し、「適当な場所」に移るのを手伝ったのはヒロシだけだった。山比古は、ベランダでタマキに罐ビールを飲ませてやった明くる日に出ていった。山比古はわたしより先に出ていったのだ。山比古は小さなボストン・バッグひとつしかもっていなかった。いつもの白っぽくなったジーンズに、平凡なかたちの黒いブルゾンを着ていた。タマキとわたしは山比古を乗せてヒロシが運転していくクルマを見送った。わたしはそのときも、ヒロシの悪意を感じた。「下の町」からさらに小一時間かかる駅までの往復であるから、たっぷり三時間はかかるのだったが、ヒロシが帰ってきたのは次の日の朝だった。 「島子さんも明日帰ってよ」とあのときタマキはいったのだった。ひとりになった自分を見られたくないということらしかった。「『旭日荘』のお客になってしばらく滞在しようかな」と笑うわたしをタマキは問題にせず、「あんたは信じないと思うけど、山比古はそのうち『上の村』に帰ってくる。ここから『上の村』へのぼっていくひとが見えるからね。ヒロシは見張り小屋のつもりでここを見つけたんだと思うよ。もし山比古が死んで戻ってきても、ここにいたらわかるから。山比古は山からきた子で、木の精なんだから山へ戻ってくる。『上の村』の向こうの山に。ここにいて、それをまたわたしが引きとめることになるとしたら、それまでは死ねないわねえ」というのだった。  わたしはタマキのよくするこういうお伽噺めいた逃げ方が以前からあまり好きではない。タマキは息子が独り立ちして出ていったためにとり残された母にすぎない。或いは、息子という偽名で関係を約束させた男に、ついに見すてられた女にすぎない。勿論タマキは、そんなに簡単にいわないでくれ、割り切れないところがうまく他人にはいえない部分だというだろう。わたしだって、そんなに簡単に割り切っていない。ただ、お伽噺が出てくると、イヤミのひとつもいいたくなるというものだ。  タマキ・ハウスにくるまで、タマキが「血のつながらない家族」をつくりたいと思っているなんてわたしは知らなかった。わたしがタマキ・ハウスにきたのはタマキとの気恥ずかしいような甘美な「思い出」をふたりで撫でまわしたかったのだ。しかし、居続けたのはタマキのせいではなかった。  東京へ帰ってまた夏がきたが、平野さんから連絡があった。タマキと別れてからまだ三ヵ月もたっていない。ひとりではよく旅に出るが、タマキ・ハウスにいたように何ヵ月も他人のところにいたようなことは今までにない。むしろ他人との交渉を避けるために旅行している。東京にいても、何日もひとと喋らないことが多い。しかし、平野さんがタマキのからだの具合がよくないといったのは、きてくれという命令と同じである。  タマキと別れるとき、わたしはタマキがここで死ぬつもりなんだろうと思ったのだった。タマキはあのとき、たしか四十五か六だったはずである。早すぎるとわたしは思った。けれども、子供が一人前になったこれからこそ恋がしたいワと、たるんだ顎や下腹をゆらせながら、それこそが長い人生を生きる知恵だといわんばかりの、したり顔した女よりも、タマキは見苦しくはない。  山比古が出ていくとき、わたしは自分の住所を教えなかった。わたしはタマキのように山比古が「上の村」へ帰ってくるとは思わない。木精《こだま》——ヤマビコ——ヤマヒコ(山比古)——これはタマキのお伽噺なのである。 「旭日荘」へいこうかいくまいかと迷っているうちに一週間が過ぎてしまった。「旭日荘」へいけば、ヒロシに会えるかもしれない、きっと会える、もし会えなくてもヒロシがどこにいるかはわかる、と何度も思っていた。オトギリ草はもう咲いていることだろう。押し花ではなく、咲いているオトギリ草をヒロシは教えてくれるだろう。  タマキは「旭日荘」にいた。タマキが煮炊きできなくなっているのを知った平野さんは有無をいわさず「旭日荘」へつれてきたらしかった。わたしが見たタマキはかなり回復していた。「どこが悪いというような病気じゃなくて、やはりこれは山比古がいなくなったショックだよ。悪い奴だ、あいつは。あれから一度の連絡もないんだからね。平野さんの親切には申しわけないけれど、ここにいたら山比古が帰ったかどうかわからない。もう大丈夫、明日にでも帰るつもりよ」とタマキはわたしの顔を見るとせきこむようにいった。そして、しばらくはしゃいでいたが、疲れたといってベッドへひきさがった。 「旭日荘」に森田さんの姿は見えなかった。ヒロシもいなかった。春子さんもいない。みんなどこへいったのか。入り口の前のテラスにあった白いテーブルもスツールも真っ白ではなくなって傷だらけだ。たった一年前に山比古とヒロシがつくっていたのに。森田さんは父親につれられて、ではなくて、父親をつれて大阪へ帰ったそうだ。お前がここにいるかぎりわしは動かん、といっていた父親が、すぐにおさまったが心臓の発作を起したのだそうである。父母のあるうちは、子はズラカルことかなわないのか。わたしは森田さんのようにはしなかった。死んでゆく父親に「おとっつぁん、なんで、なんでわたしをこしらえたのか」といい、死んでゆく母親に「おっかさん、なんで、なんでわたしを生んだのか」といい、ふたりとも苦虫を噛みつぶしたような顔をして死んでいったのだ。わたしはもの心ついてからずっとふたりに同じことを問いつづけてきたのだった。かれらは、或るときは怒り、或るときは子の機嫌をとり、あるときはぶん殴った。わたしはそれでもかれらにその問をもちだすのを諦めなかった。口に出さないときも、その問をしっかり抱きしめていた。その問で父母を死の入り口まで追いあげていった。生れてきたのは、本人のあずかり知らぬことである。そのことによって、生れてしまったものはみんなカワイソーだと思うにいたるのは、父母のいなくなったあとであった。父母も生れてきてしまったのであるから、カワイソーであったし、次々生れる猫の子も同じようにカワイソーであることに変わりなかった。生れてしまったものは、死ぬまで生きていかねばならない。 「タマキさんは東京へ帰った方がいいのとちがいますか」と平野さんはタマキのいないところでわたしにいうのだった。平野さんによると、タマキの病気は一種のホームシックではないかというのだ。なんといってもタマキは都会人である。だからこんなところにいるのは無理をしているのだ、と平野さんはいうのである。それじゃあ、森田さんと同じでわたしがタマキをつれて帰らねばならないというのか。いったいどこへ帰っていこうというのか。タマキははたして東京からここへきたのだろうか。どこかとんでもないところからきたかも知れないではないか。わたしは前の年にここへくるまで、始終タマキと往き来していたわけではない。親しかったのは二十年前である。タマキをどこへつれて帰れというのか。つれて帰るなんていうと、タマキは怒るにきまっている。平野さんはわかっていない。わたしは、タマキがたとえ病気で寝ていても、つれて帰るようなことはしないだろう。タマキはあの小屋から、「上の村」にのぼっていくにちがいない山比古を見張っていなければならないのである。 「ヒロシくんでもそばにおれば心配ないんですがね、いくらまだお若いとはいっても、すぐ近くに家もないのでは、いざというときにどうするんですか」と平野さんはいうが、もっともなことである。そのヒロシくんは、どこへいったんですか。「ヒロシくんは、ここへおいてくれといったんです。畑を手伝うというんですが、断ったんです」平野さんは断った理由はいわない。ヒロシはどこにいるんですか。「このあたりでは見かけないから、東京へ出稼ぎにいったのとちがいますか」  墓場を見おろす新タマキ・ハウスに次の日タマキをつれて帰った。六畳二間と流しだけの、ひとりには「適当な空間」である。若い男たちの胃袋をみたす食糧をつめこんでいた冷蔵庫が異様に大きく見える。 「もう大丈夫、島子さん帰っていいよ。平野さんが連絡してもね、もうこれからはいちいち心配しなくていいからね。平野さんにも、連絡するなっていっておいたから。ヒロシは山比古のところへいったんだろうね。このへんでうろうろされるよりいいわね。ヒロシともう一度山比古とやったようなことを繰りかえすかと思ったんじゃない? まさか、いくらなんでもそこまでやらないよ。山比古みたいな子が四、五人いたらおもしろかったのにね。山比古と暮らしてみて、男は女が要らないのがわかったね。そりゃ、東京でいずれ山比古だって人並みに結婚したり子供もったりするかもしれない。でもそんなこと、たんに習慣を真似しているだけで、山比古は、といっても、山比古になったモトの男の子は、ちょっとヘンないい方だけどね、とにかくモトの子はそんなことしたいとは思ってないよ。女なんてうるさいんだと思うよ。女好きだと思いこんでいる男はいるだろうけど、女好きの男はいないと思うよ。山比古はそのことを知っていたわね。だから好きだった。それだけのことよね。これからここでどうするんだと、みんな思うらしいわねえ。おせっかいにも、平野さんはなにか仕事をしたらとさかんに勧める。仕事で時間を忘れようとするのね。家を買うお金はないけれど、ひとり食べるくらいできるもの、じっとしていたいよ、なにもしないで。といっても、50�のバイクくらい乗れないと困るから練習しなくちゃ。せっかくの島子さんの置き土産を腐らせては悪いでしょ」  タマキはだんだん元気になってきたようだ。わたしは平野さんのように、タマキにこれからなにをするつもりか、なんて質問はしない。なにもしないといっても、まさか一日中坐って空を眺めているわけではないだろう。タマキがなにをして毎日を過ごしていくのかは、わたしのかかわれないことである。その日、わたしは病院の付き添いのように、タマキのベッドの下で毛布にくるまって眠った。もうこういうことはないだろう。  裏側のガラス戸を開けたが、ヒロシがつくると約束していたべランダはまだなかった。もしベランダができたら、そこからタマキの望み通りに「上の村」への道が見える。 「ヒロシくんがベランダつくりにくるわよ」とわたしはタマキをなだめるような気分になっていた。  東京へ帰る前に「旭日荘」へ立ち寄った。第二タマキ・ハウスからは一キロほどの距離であった。あとでヒロシが気がついたといって教えてくれたのだったが、新タマキ・ハウスは森田さんがいつかいった魔の三角形のだいたい真ん中にある。平野さんはせめて一晩くらい泊っていけとしきりにすすめてくれた。それでわたしは次の日にそこを出たのである。  タマキを訪ねてヒロシに会えなかったのは心残りだった。ヒロシのことだけが気がかりである。  炎天の雑踏のなかを歩いていると、またふいにタマキに会い、またタマキに誘われて彼女を訪ねていくような錯覚がおこる。タマキに偶然出会ったのは一年前である。何年かしてまたばったり出会い、書いてくれる地図をにぎりしめて、また訪ねていくことになるかもしれない。タマキは一年前のような規模の小さい「血のつながらない家族」ではなく、血のつながらない「大家族」を組織しているかもしれないではないか。ただしそれが五十年後では、偶然出会うといっても、イセタン百貨店の前ではなくて三途の川のほとりになるだろうが。  その後タマキからわたしは二度手紙をもらっている。最初のは第二タマキ・ハウスから帰ってひと月ほどたったときである。ヒロシが約束通りベランダをつくるために忽然とあらわれ、おかげで小さいけれどもベランダができたとのことだった。ヒロシのことはそれ以上なにも書かれていなかった。ただし、そのあとの二度目の手紙は長さ、内容ともにアキレルものだった。概略は次のようになる——  タマキには弟がひとりいるのだそうである。その弟が三度目の結婚をした。三度目の結婚のために離婚した女性、つまりこの間までオクサンだった女性がタマキの居所をさがしあててやってきた。その女性とタマキは「血」もつながらないし、すでに法的にも赤の他人である。以下その女性の訴えである—— 「別れた夫(タマキの弟)が結婚した女性は職業(歯科医)をもっている。年齢は四十歳である。そのひとが子供を生んだ。夫がわたしに離婚してほしいといったとき、わたしは二番目の子供を生んだばかりだった。そのとき歯科医には子供はいなかった。わたしは職業をもっていない。子供を生み育てることしか考えていなかった。夫も女はその方が自然だという考えだった。ところが歯科医と親しくなってから、その考えを変えはじめた。夫はわたしに、お前は『動物のメス』と同じだというようになった。それでも夫は、わたしとの子供がふたりもいることであるから、今度の結婚では子供はもたないといった。夫は夫なりにわたしと子供に義理をたててくれたんだと思う。しかし、結果はその逆になった。歯科医は結婚すると子供を生むといってきかず、夫は妻(歯科医)のそういう権利(?)を否認する権利はなかった。  わたしは夫が歯科医と結婚するためにわたしと離婚したことを、『動物のメス』よりも『人間の女性』と結婚しようとするのだと思ってあきらめたのである。わたしは職業をもっていないことで幼児ふたりとの生活は想像以上に困難だった。もちろんモト夫、つまり子供らの父親が送ってくる子供の養育費だけで養育できるはずはない。しかし、わたしはそんなことは怨んではいないのである。生きていくエネルギーはある。三人で飢えることはあるまい。ただし、職業をもって生きてきた女性が、仕事への熱中が一段落してホッとしたとき、手にいれていないものは子供だけだったことに気がつく。それで、歯科医のようによその子供たちの父親を奪ってでも子供を生む。わたしはふたりの子供の父親を奪われたことを怨んでいる。わたしは、夫から『動物のメス』といわれても、そうだと思って反論しなかった。わたしが職業をもたずに生きていたのは、夫の子供を生み育てていることによって養われていたからである。だから、職業をもって自分を養っている女性がわたしを『動物のメス』といっても、その通りだと思っていたのだ。ところが、職業をもつ『人間の女性』が、仕事への興味、男への興味、社会への興味、出世への興味、その他、もろもろの知的、経済的、性的、権勢的な興味を満足させ、最後に残ったのが子供だったとなると、子供を生むしか、さしずめすることのなかった女(メス)のツガイの相手を奪い、その子供らの父親を奪っていく。そして彼女らはそれをうまい理屈できりぬけていく。彼女らの夫となった男たちは黙して語らずである。わたしは、そういうかれらを怨んでいる。『動物時代』を生きてしまっているわたしは、『人間幻想』のかれらを怨んでいるのだ。昔から女の生霊というものがあって、怨むひとにたたる話がよくある。わたしのような怨みをもつ女は、『動物時代』を生きるメスがいなくなるまで存続するはずだ。『人間幻想』がつくる文明の船は、わたしのもつような怨みが屍のように積み重なって、その重みで傾いている。男は、女同士のとるにたりない戦争だと馬鹿にしているけれど、馬鹿にしている間に自分の乗っている船は沈む——」  わたしは手紙を読んでいて、これにはタマキの例のお伽噺ではなく、物語がまじっているのではないかと思うのだった。タマキの弟の前夫人が手紙にあるような複雑な状況に対する意見を「わかりやすく」述べたとは思えなかった。それに、いったいどういう目的でタマキにそんなことを訴えにいったのであろう。モト義姉になんらかの助けを求めにいったのであろうか。それとも、「怨み」をだれかに直接あびせたくなったのであろうか。わたしはタマキにはほんとに弟がいるのだろうかと思うのだった。  時間がたつにつれて、タマキの第二の手紙はタマキの元気の証明だと思うようになった。タマキは、あの墓地を見おろす、お椀のふちのようなところにある小屋——家というより小屋だ——で息をひそめて世間の外へ消えていこうとしているのではない。なにかおもしろそうで、できそうなことをさがしているのではないだろうか。  タマキは理屈や説明を嫌い、その効用をほとんど認めていなかったが、彼女流にはなかなか戦略的なのではないだろうか。タマキは隠遁したのではない。きっとなにかやっていくはずだ。  タマキからの第三の手紙はこない。もしくるとしたら、それはおそらくタマキのはじめる物語だ。そしてもしわたしがタマキとかかわるとしても、タマキ本人にではなくタマキの物語にかかわるのである。 この作品は昭和六十三年一月新潮社より刊行された。