[#表紙(表紙2.jpg)] 続・私の映画の部屋 淀川長治 目 次  鬼才フェデリコ・フェリーニ   八本と半分撮ったときの精神分析   無垢な魂のジェルソミーナ   フェリーニの世界の始まり「青春群像」   カンヌ映画祭グランプリ受賞の「甘い生活」   娼婦を通して人間の魂を描く   フェリーニが監督になるまで  映画興行のうらおもて   当たりに当たった「エマニエル夫人」   口コミしやすいパニック映画   「ゴッドファーザーPART㈼」対「チャイナタウン」   当然のヒット作と意外なヒット作   映画と格闘しながら人生勉強  ヒッチコック劇場   その一─「鳥」と「裏窓」   その二─やっと封切られることになった「海外特派員」   その三─「知りすぎていた男」と「暗殺者の家」   その四─「ダイヤルMを廻《まわ》せ」と「疑惑の影」   ヒッチコックは話上手   鶏がきらい、卵がきらい  記 録 映 画   記録映画に出る実力   残酷物語の教祖グアルティエロ・ヤコペッティ   活動写真はすべて実写   イタリアとフランスとアメリカの違い   記録とドラマの結びつき   「ねむの木の詩《うた》」の清らかな感動  映画の祭典アカデミー賞   「キャバレー」のライザ・ミネリ   アカデミー賞の最多受賞   チャップリンとロビンソンの特別賞   アカデミー賞の歴史とオスカー   作品賞に輝く映画の歴史   監督賞に名を連ねている人々   アカデミー賞の授賞式の実況  ギャング映画   「ゴッドファーザー」のファミリー   暗黒世界の支配者マフィア   アメリカのギャング映画   ギャング映画のなかに見るアメリカの足跡  ハロー!バスター・キートン   キートンの「恋愛三代記」   やったぞ! バスター   話せばきりのないおもしろさ   キートンの結婚と幸せな晩年  映画のなかの食べ物   パイ投げはドタバタ喜劇から   イタリア映画はいつも食べ物がいっぱい   食べ物を粋に使うフランス映画   生活を感じさせる食べ物   幼時の記憶につながるチャップリンの食べ物   食べ物のおもしろい使い方   飢えを哀しく描く  キャサリン・ヘプバーン   心理学博士から舞台女優へ   美人じゃないけど、たちまちトップスター   無二のボーイフレンドはスペンサー・トレーシー   いじらしい娘役がぴったり   どんな役でもこなす芸域の広さ  映画に出てくる動物たち   体長六フィートの大うさぎ   人間の悪知恵と動物   アメリカの鷲《わし》、日本の鷲   人間と動物との闘いと愛情   サラリーマンにもいる�ビスケット・イーター�   「猫と庄造と二人の女」  ビリー・ワイルダーはいたずら好き   ワイルダーのいたずらはみんなわけあり   マリリン・モンローの全身を舌なめずり   クラシック通《つう》、クラシック・ファン   出世作「失われた週末」   「サンセット大通り」  日本映画の今昔   私の好きな作品「砂の器」   「サンダカン八番娼館・望郷」の田中絹代   日本映画の歴史   日本の映画監督  あ と が き [#改ページ]   鬼才フェデリコ・フェリーニ  はい、みなさん今晩は。  今夜は、あのイタリアの有名な監督、フェリーニの映画作品やお話を、みなさんとごいっしょに楽しみましょうね。  あら、向こうにいらっしゃるお方、あのいつも眠るお方、あなた、今夜はもう早くもぐっすりですね。もうこんこんと寝てくださいよ。  どうせあなたはお聞きになっても、猫に小判ですからね。  フェリーニ。みなさんもうご存知ですね。「道」(一九五四)だとか、「カビリアの夜」(一九五七)だとか、あの「甘い生活」(一九六〇)、「81/2]」(一九六三)、それから「サテリコン」(一九六九)、「フェリーニのローマ」(一九七三)、「フェリーニのアマルコルド」(一九七四)、たくさんありますね。  フェリーニの映画はむずかしいですね。なにかわからない、そしてわからないなりに見ていて、ゾーッとしますね。  これがこの監督の、なにかひとつの精神ですねえ。そんなこというよりも、作品についてお話しましょうね。 ●八本と半分撮ったときの精神分析  はい、この人の作品のなかに、一本、変な題のがありましたね。「81/2]」です。ごらんになったでしょう。なに、ごらんになってないの。まあ、あんたよく空気吸うてますねえ。  なぜ、こんな題名をつけたか? といいますと、もう、みなさんご存知のように、このとき、フェリーニは四十三歳でした。そうして八本の映画を作っておりました。それにオムニバスの一編を担当しておりましたから、それを半分として八本と半分、それで81/2]、それを題名にした。非常に作家的なおもしろい題名ですね。  この題名で、この映画のもう、匂いがするんですねえ。一人の監督の日記だ、精神分析だということがわかりますね。  ここに一流の監督のグイド・アンセルミという人がいます。これにマルチェロ・マストロヤンニが扮しましたね。この男は最初に出てきて、自動車に乗っています。ラッシュアワー。いっぱいの人。この男は、スタジオに行くのか、脚本の打ち合わせに行くのか、イライラしてます。もう映画の製作は、セットが半分できあがっていますけれども、このグイドは、まだ頭のなかで映画の構想が十分まとまっていないんですね。いろいろ、いろいろあって、グイドという人間の煩悶《はんもん》、イライラが顔に出てますね。マストロヤンニ、とてもうまいですねえ。  車が動かない。この男は窓を開けようとします。ところがどうしても開かない。やっと開けました。開けると、このグイドという監督は、窓からはい出しました。はい出すと同時に屋根にあがりました。そうして屋根からすーっと風船のように飛んで行きました。青空のほうへ。けれどもグイドの足には一本のロープが、そのロープの端を持ってるのは西部のカウボーイでした。砂原を、海岸を走っているカウボーイでしたから、また引きもどされました。妙な感覚ですね。  けれども、こういう感じで、このグイドはどういうことになっていくのか。疲れて、神経衰弱になって、肝臓をわるくして温泉に行きました。さあ、その温泉で原稿を書いたり、シナリオを書いたり、構想をねろうとしてるんですね。──この人の過去、現在、いろんなものが交錯して出てきます。  少年時代が出てきました。窓から外を見ています。サーカスのポスターを見ました。サーカスの音がしてきました。この少年は、やがて神学校に入れられました。学校へ行ってもちっとも勉強したくないんですね。もう、いやでいやでしかたがない。けれども、学校の帰りには、ひとつの楽しみがあるんですね。海岸に行って、砂浜でひとりの女がダンスをするのを見ることです。サラギーナという、太った、オッパイのふくれあがった、お尻の大きい、あたまの少しいかれた女です。  そこで、現在に変わって、まあ、話は山ほどありますから、感覚的にお話しますと、奥さんがいます。けれども、関係した女がいっぱいいます。あれもこれも、これもあれも出てきます。けれども、その関係した女のなかで、いちばんのんきな女──カルラというちょっと甘ったれたような女──に電話をかけます。今自分が仕事をしているのに、そんな女が来たらじゃまになるんだけれども、その女がそばにいないと、原稿が書けないんですね。構想が練られないんですね。カルラから、喜んで参りますという電報がきました。グイドは駅へ迎えに行きました。そうして、駅のベンチで考えたら、あんな女を迎えにきた自分がばかばかしくなって、手にしていた電報を捨てました。けれども、汽車が着きました。  呼ぶんじゃなかったなあ。どんどんどんどん、乗客が降りてきましたが、カルラはいなかったので、ホッとしました。自分で呼んでおいて、ホッとしたんですねえ。  キャメラは、その汽車の横から前を通って向こう側へ移動しました。すると、向こう側の出口から、カルラが三つのトランクをボーイに持たせて、すごいファーコートで、厚化粧で、「まあ、あなた」といいました。  グイドはしかたがないから、うれしそうな顔をして、自分のホテルへ連れてきました。まあ、カルラが来たんだからといって、いっしょにベッドに入りました。ベッドに入ったけれども、ちっともセクシーな気持が起こらないんですね。なんでこんなの呼んだのかと思ったんですね。それでもなんとかして自分の情欲を燃やしたいので 「ちょっと、おまえ、悪魔のメーキャップしてやろう」といいますと、その女がまた人がいいんですね。 「ああら、うれしいわ。私、映画に出られるの」  グイドは「うん」といいながら、口に紅をいっぱいつけて、眉をぎゅーっとつりあげました。すると、カルラは喜んで悪魔の格好をしました。そんな格好さして、やっと情欲が出たので、いっしょに寝ました。いっしょに寝て接吻してますと、枕元に、お母さんが立っていました。ガラス窓を拭いておりました。それが幻覚なんですね。  お母さんというと、いつでも部屋のガラスを拭いている感覚だったんですね。  グイドは、女から離れて立ちあがりました。すると、お母さんが呼びました。 「こっちいらっしゃい。こっちいらっしゃい」どこへ行くんだろう? ついて行きますと、墓場でした。そうして、そこはお父さんの墓の前でした。すると、お父さんが墓の中から 「もう、おまえ、仕事できたのか」といいました。ハッとしました。そこで、幻覚からさめました。  というわけで、この映画はそんな話していると、気が違いそうになりますから、このへんでやめますけれども、まだまだ、まだまだありまして、このグイドは、もう窒息しそうになります。  プロデューサーは、何月何日までに作りあげてもらわないと封切りが困るんだというし、ガックリしていると、その半分できあがったすごいセットから、スターから俳優から、道具方から助監督からプロデューサーまで、どんどんどんどん出てきて、みんなが消えてしまい、そこに立っているのは、グイドの少年時代の姿でした。  その|ぐるり《ヽヽヽ》を、サーカスのジンタ、笛、太鼓、ラッパが回っております。そこで指揮をしている少年。やがてその少年、そのサーカスの楽団が、真っ白な服になって消えていきます。 「81/2]」、ややっこしい映画でしょう。フェリーニという監督の自伝ですね。彼の感覚が、なんとなしにわかりますねえ。 ●無垢な魂のジェルソミーナ  さてあの「道」は、もう、みなさん何度もごらんになったでしょう。私も何度も見ました。といっても私は四回しか見ていませんが、三十四歳のこのフェリーニはみごとでしたね。これで一躍注目されましたねえ。  みなさんご存知の大道芸人のザンパーノがおりますね。アンソニー・クイーンが扮しています。この男が、少し頭のおかしいジェルソミーナを一万リラで買ったんですね。実はザンパーノはこのジェルソミーナの姉のローザを嫁にしてたんですが、死んじゃったんです。それで、ローザの母親、つまり貧乏村の海のそばの漁師のおかみさんに、代りをくれえなんていいますと、じゃこれ連れて行けといってジェルソミーナを渡されたんです。ジェルソミーナは金で買われました。  それから、二人の生活です。ザンパーノはまるで動物的です。ジェルソミーナは、もう子供のように無邪気です。ザンパーノは、自分の好きな女ができると、自分の家に連れて帰ってきます。家といっても、馬車ですね。その芸人の馬車ですね。ザンパーノは力持ちです。それが芸です。だから、馬車で次から次と回ってますね。その馬車に、いろんな女を連れてきます。そんなときはジェルソミーナに 「おまえ、外で待ってろ!」なんていいますね。ジェルソミーナは、まあ、自分の亭主が女と遊んでいる間、外でじーっと待っているんですねえ。  みなさん、ごらんになって、なんともしれん悲しい、あるいは寂しい、まあ、神のようなジェルソミーナを記憶なさってると思います。ところが、ジェルソミーナが「もうこんなザンパーノさんのところに、私いるの、いやだ」と表へ出たら、表はちょうど、カーニバルかなんかの祭で、町の真ん中で綱渡りをやっていました。それを見ていますと、綱渡りの男が降りてきて、そのジェルソミーナに、「ラッパ吹きたいの?」といいました。この男は、ちょっとキ印《じるし》なんです。ジェルソミーナは子供みたいに「うん、うん、うん」とうなずいて喜びました。 「まえからザンパーノさんに、ラッパの吹き方教えてもらおうと思ってたけど、ちっとも教えてくれなかったの。私、覚えたいわ」  すると、このキ印は、あのジェルソミーナのテーマソングになっているあのメロディーを吹いてくれました。そうして、ジェルソミーナに教えました。ジェルソミーナは、とっても喜んでラッパを吹きます。けれども、フッと気がついて泣き出しました。 「どうしたの?」 「私はばかなんです。なんにも役に立たないで、私の亭主にちっとも喜んでもらえないんです」といったときに、このキ印は 「そこの小石を拾いなさい。それ、その小石。その小石だって、あの石だって役に立ってるのよ。あんたは絶対に役に立ってるのよ」そういいました。ジェルソミーナは 「そうですかあ。私でも役に立つの」喜んで帰って行きましたね──このキ印は、リチャード・ベイスハートがやっています。ジェルソミーナは、みなさんご存知の、あのジュリエッタ・マシーナがみごとに演じています──まあ、思えばこのキ印は天使ですね、そうして、ジェルソミーナは神ですね。神が天使から、ラッパを教えてもらいました。  やがてまたザンパーノとジェルソミーナは、次から次へと回って行くんですけど、あるとき、ぐうぜん旅の道中で会ったんですね。あの綱渡りの男に。自分の女房に変なこと教えたので、腹を立てていたザンパーノは、その男を殴って殴って、殴り殺しましたね。ジェルソミーナは、あんまりだといって泣きました。  それから雪になりました。雪がやみました。ぬかるみです。馬車が行きます。そうして止まって、たき火をしました。ジェルソミーナは、「腹が痛い、腹が痛い」といいだしました。やがて、まるで死んだように眠ってしまいました。それを見たザンパーノは、「こんな女、連れておったらじゃまになるなあ! そうだ、ここに捨てていって|こませ《ヽヽヽ》」ジェルソミーナはかわいそうに、野原の雪のぬかるみの端っこに捨てられて、ザンパーノは行っちゃいましたねえ。  遠く、遠く、遠く、ジェルソミーナの、その寝てる姿が遠くになっていきますね。  それから、ザンパーノは力持ちの芸で、あっちこっちサーカスを回りましたが、やがて六年たち、七年たった。あの力持ちの腕の力もだんだん弱ってきて、芸が少なくなってきた。頭にも白髪がめだってきた。  そこで初めて、この男は孤独ということ、寂しいということ、だれかにしがみつきたいという気持になりました。あの、ジェルソミーナという女、どこにいるのかのう? あいつにいっぺん会いたいのう、と思ったときには、もう、どこの村に行ってもジェルソミーナの姿はありませんでした。  ところが、あるとき海岸に来ますと、海岸の近くの家で、洗たく物を干していた女中さんが、あのジェルソミーナの好きな好きなメロディーを口ずさんでおりました。ひょっとしたら、この村にいるぞ、ザンパーノは恥も外聞もなくよろめくようにして、その女中さんにききました。 「あんたが今、うたってたメロディー、だれからおききになった?」「これですか。これ、去年だったかなあ。女こじきがおりましてね、その女に教えてもらったんですよ」「その女こじき、どこへ行きましたか?」「ええ、もう、死んだんですよ」  それを聞いたザンパーノは、海辺の波うちぎわの砂に、ヘナヘナとすわって、両手を砂のなかにキューッと突っこんで、オイオイ泣きました。ザンパーノは、初めて、孤独、人間愛を、ジェルソミーナが死んで知りました。  ジェルソミーナは、神だったんですね。 ●フェリーニの世界の始まり「青春群像」  ここで、みなさんがごらんになってない映画についてお話しましょうね。「青春群像」(一九五三)というのです。  ごらんになってないというのは、まあ、失礼ですけれども、きっとごらんになってないと思うからですよ。これは、「道」の前に作った映画なんです。この作品、原名は今ちょっと思い出せませんけれども、たしか「イ・ビテローニ」といったと思います。これは、なまくら者たちということですね。これなかなかよかったんです。音楽は、「道」と同じやっぱりニーノ・ロータでした。  小さな田舎町がありました。セレナという名の町です。そこに五人の男がいました。ファウスト、アルベルト、モラルド、レオポルド、リカルドなんていう名前でした。  この五人はのんきな奴らでね。いつも遊んでばっかりいるんですねえ。その町のカフェーのテラスで、美人コンテストがありました。この美人コンテスト、なかなかムードがありました。ところが、急に雨が降ってきて、えらいことになってくるんですね。こんなあたり、フェリーニはうまいですねえ。ところで、ミス・セレナに選ばれた女が失神したんですね。あら、どうしたの? と見ていたら、妊娠してたんです。それは、実は五人組の一人の男、ファウストの種を宿していたんですね。二人はそのために結婚して、新婚旅行に出かけました。ほかの四人は、またのらくら遊んでおりました。  ところが、そのなかのアルベルトは、ちょっと大男なんです。この男、とてもおもしろいんですね。アルベルト・ソルディが扮してますけど、大きいけど甘ったれで、どっこにも働きに行かないで、ときどき、姉さんが勤めている会社へ行って、小遣いくれんかあ、といいます。姉さんは、また来たの、といって小遣いをやってました。真昼から、みんなブラブラしてます。そこへ新婚旅行から帰って来たファウストがやってきて 「おれは、いいステップを覚えたんだよ」といってマンボのリズムで踊ってみせました。みんなが、おれもやろう教えてくれ、というわけで、この若者たちは、ファウストに教えられたマンボのリズムで、町の真ん中で踊っております。昼間っから、のんきな連中です。  そんな連中が、海岸へブラブラ行きました。「さあ、ここで泳いだら、一万円やるぞ」だれかがいいました。もう、冬です。だれも泳ぎゃしません。しかたがないから、みんなガルボに会いたいなあとか、インドに行きたいなあとか、まあ、勝手なこといってます。  そうして、みんなが海岸から帰りかけたときに、アルベルトが、道の向こうで姉さんが、黒いメガネの男とあいびきしているのを見てしまいます。あの黒いメガネの男、たしか女房も子供もある男だと思いました。ガッカリしました。それから、やがてカーニバルになってきました。さあ、みんな金もないのに、喜んで喜んでダンスホールに行きました。みんな踊って、踊ってたいへんです。  ところで、大男のアルベルトは、どんな格好したでしょう。すごい口紅つけて、姉さんのスカートはいて、ネックレス着けて、イヤリング着けてシャナリ、シャナリ。まったくゲイボーイみたいなえらい格好でダンスホールに行きました。  さあ、踊った、踊った。飲んだ、飲んだ。みんなといっしょに表に出てきたら、夜がそろそろ明けていました。アルベルトの口紅ははげ、カツラも半分はずれそうになっている。スカートは、まあ、メチャメチャ。その女装のアルベルトが、家の近くに来たときに、フッと見ると黒塗りの車がありました。そこに姉さんと、あの黒メガネの男が乗って駆け落ちするところを見てしまいました。姉さん! 姉さん! といったときに、車は行ってしまいました。  このときにこの大男のアルベルトが、泣いて泣いて、あんまり泣いたんで、あのマスカラというんですか、あれがとれて黒いシミになって、まあ、そのグロテスクな顔。そうして、泣きながら、家へ入って、お母さんのひざにもたれて、「姉さんがいないよ。姉さんがいないよ」と泣き続けました。 「青春群像」の、この若者たち、まだいろいろありますが、あるときなどは一軒の家の屋根裏に忍び込んで、大きなキリストの像を盗んで、車につんで、お寺に売りに行きましたが、ことわられてしまいました。  まあ、そういうわけで、この五人のなかの一人だけ、モラルドというのが、この町に見切りをつけて出て行きました。みんなは、ぼんやりと汽車で出て行く彼を見ていました。  残りの連中は、相変わらずブラブラ遊んで過ごすことでしょう。  これが「青春群像」ですね。いかにも、フェリーニの感じが、よく出ているでしょう。 ●カンヌ映画祭グランプリ受賞の「甘い生活」  これは、フェリーニの代表的作品ですね。作家志望に燃えた青年が、ローマにやってきました。これ、マルチェロというんですね。マルチェロ・マストロヤンニが扮していますね。けれども夢は破れました。それで、まあ、ゴシップ屋になっちゃったんですねえ。まあ、二流三流の記者になったんです。しかし、この男、ちょっと顔がいいので、ナイトクラブへ行っても、もてるんです。そうして、ローマの大金持の娘、といっても三十二、三歳でしょう。その女といっしょに、汚い汚い裏町の連れ込み旅館に行くんです。旅館というよりも、掘っ立て小屋ですね。どうしてそんなところへ行くのか? この大金持の娘は、一流ホテルではみんなに顔が知られているので、こんなボロボロの旅館であいびきしました。一晩泊まりました。  それから、ハリウッドのグラマー女優が、やってくるというので、マルチェロはあわててあわてて空港にとんで行きました。そのあとはランチキ・パーティ。というわけで、いろいろありますが、この男は同棲しています、エンマという女と。まあ、エンマという名前はこわいですけど、この女は、とっても亭主みたいにこのマルチェロをかわいがっているんです。けど、かわいがり方がしつっこいんですねえ。まあ、いっしょにいても、「ちょっとちょっと、あんた、この頃栄養不良ね」とかいって、卵ばっかり食べさすんです。バナナばっかり食べさして精をつけさすんです。だから、マルチェロは、家におるのがつらいんですね。サービスされるのが。  マルチェロは、スタイナーという学者の家へ、いっぺんインタビューに行きました。この学者にはアラン・キュニーが扮しています。この学者がとっても感じがいいので、そこへときどきたずねて行きました。この学者は、詩人であり、哲学者なんですね。レコードをかけてくれます。そのレコードというのは、雷の音、風の音、波の音などを録音して持っていて、それをマルチェロにきかしてくれるんです。  人間とはなにか。人生とはなにか。みごとな哲学者なので、マルチェロは、喜んで自分の魂の救いを求めてこの学者をたずねておりました。ところが、それから二週間たって、この哲学者は、嫁さんと子供を殺して死にました。なぜ、なぜ死んだんだろう。マルチェロはがっかりしました。そうして、またランチキ騒ぎが始まりました。さあ、そのパーティ。ゲイボーイも出てきます。ストリップもあります。派手な派手な遊び。マルチェロは、もうすっかり疲れて、表へ出て来ました。もう人間の屑ですね、みんな。けれども、屑とはいいきれないなにかがありますね、人間の魂が。そんななかから抜け出てきました。東の空が明るくなって、まあ、海岸の松に風がサーッと当たってます。波の音が静かにきこえます。いかにも朝のきれいな空気です。もうネクタイもなくて、ワイシャツはヨレヨレ。朝日が出ました。向こうのほうで、十三か十四のかわいいかわいい女の子が、手をふっていました。  清潔そのものの感じの、その女の子が手をふっているところへ、マルチェロは救いを求めるように歩きだしたら、砂と砂の間に、水の流れがありました。そこでマルチェロは、ベタッとすわったまま、少女のそばには行けないで、この映画は終ります。こわい映画ですねえ。 ●娼婦を通して人間の魂を描く 「カビリアの夜」、これは、フェリーニの三十七歳のときの作品です。ニーノ・ロータの音楽ですね。カビリアには、ジュリエッタ・マシーナが扮しています。  男と女が、川堤を駆けっこして遊んでいます。二人は仲良さそうです。女はむろんカビリアです。カビリアはハンドバッグを持っています。川のそばまで来ました。すると、男は、いきなりハンドバッグをむしり取って、女を川へ突き飛ばしました。ハンドバッグの中には二万円ぐらいの金が入っていました。女は泳ぎができません。近所にいた子供が三人してカビリアを助けてくれました。カビリアは家へ帰りました。ガッカリしました。男に金を盗まれたんですねえ。  野中の一軒家です。ワンダという仲間がいました。カビリアは、ワンダの前で、「男になんでも買ってやったのに……」と泣きました。すると、ワンダはいいました。「男って、そんなものよ」  カビリアは、実は、夜の女なんですね。道端に立って、歩いて客を呼ぶんですね。カビリアは、その晩、仲間の女の一人と大げんかしました。そのあとで、ほかの仲間の女にいい客がついて、きれいな自動車でやって来ました。それで、その車に乗せてもらい、すっかりきげんを直しました。カビリアは、まるで、子供みたいなんですね。  カビリアは、場所をかえました。その場所は、今までのところより、もうちょっと上等な衣装で、着こなしのいい夜の女たちがいるところでした。みんなが、カビリアをばかにしました。けど、カビリアは負けないで、まあ、|すかして《ヽヽヽヽ》おりました。  ところが、キッドキャット・ナイトクラブというところから、有名な映画スターのアルベルトが出て来ました。スターにはアメデオ・ナッツァーリが扮しております。この男が、きれいなきれいな女とけんかしながら出て来ました。女が、「いやよ」って別れて行きました。男はもう腹が立って腹が立って、むしゃくしゃしていましたが、フッと見ると女がいた。その女はカビリアでした。そこでカビリアに「おまえ、車に乗せてやろう」といいました。まあ、あの有名な、アルベルトなので彼女はびっくりしました。車に乗せてもらって、ナイトクラブに行きました。カビリアはびっくり仰天ですね。  そこで踊るところ、まあ、一生懸命|すかして《ヽヽヽヽ》踊ったけど、その格好のおかしいこと。  やがて、彼の家へ連れていってもらいました。その家のきれいなこと。すごいこと。大きなガラス張り。大きな大きな鳥かごがありました。そこには鳥がいっぱいいて、植木鉢には、花がいっぱいあって、まるでジャングルにいってるような気がしました。  アルベルトの部屋に入りました。きれいなベッドがありました。そこで、アルベルトは、レコードをかけました。ベートーベンの第五、「運命」ですね。まあ、カビリアは、夢みたいな気持がしました。そうして、カビリアは 「ねえ、サインしてちょうだい、サインして」と頼みました。  アルベルトは、引出しから三枚ほどスチールを取り出して、サインをしてくれました。そこへ、さっきのけんかした女、ジェッシーというきれいな女がやって来ました。ドリアン・グレーが扮しています。アルベルトは困りました。 「おまえがいたら困るから、ちょっと」といって風呂場へ押し込めました。けんかしていた二人は仲直りしたんですよ。さあ、二人は接吻、接吻、接吻です。カビリアは、どうなることかと風呂場の鍵穴からのぞいていました。ところが、二人はとっても仲良くなって、両方とも裸になってベッドに入りました。カビリアは、とても悲しくなって、泣いているうちに、カビリアも疲れて寝てしまいました。  夜明けになって、アルベルトは、ハッと気がつきました。「あっ、あの女がいるんだ。風呂場に」あわてて行って、戸を開けますと、タイルの上にまるくなって寝てました。 「おい、起きろ」といいました。お金を札束の中から二、三枚抜いて、にぎらせ 「帰れ、早く、帰れ」といいました。カビリアは、二、三枚の札をにぎって、夜明けの町へ出て行きました。  カビリアは、そんなわけでガッカリしましたけれど、またいつものとおり、町で客をひいておりました。あるとき、劇場にいって見てますと、催眠術師に舞台にあがれ、といわれました。舞台にあがりますと、その催眠術師に 「あんたは花嫁ですよ。今、あんたの家に花婿が来るんですよ。さあ、あんたは花の冠つけてるんですよ」といわれ、カビリアは、なんだかそんな気になりました。すっかり喜んで、その劇場から、なんだか、いい気持で外へ出て来ました。すると、一人の青年が呼びとめました。その青年は 「ここで、あんたと会ったのは、運命なんでしょう」なんていいました。そうして、とっても親切でした。カビリアはうれしくて、二回、三回、四回とデイトしました。カビリアは、デイトしているうちに、やっと私にも幸せがやってきたんだと思いました。そのときに、相手が結婚を申し込みました。  カビリアが 「私みたいなものと結婚してくれるの」といいますと、その青年は 「ぼくは、ほんとうの愛をあんたで知ったんだ」といいました。まあ、彼女は喜んで喜んで、自分の家のいろんな家財道具──といっても貧しいもんですけど──指輪まで売って、四〇万円つくりました。 「これ、私の持参金よ」男は黙っておりました。  夕方になって、二人は森へ行きました。カビリアは池のそばで、花を摘みました。夕陽が、その池に当たって、きれいでした。 「こんなに美しい景色を、私は初めて見たわ」といって泣きました。そのとき、黙っていた青年の顔の表情が変わりました。カビリアは、初めてわかりました。この男は、私をがけから突き落として、四〇万円を取ろうとしてるんだということに、初めて初めて気がつきました。  カビリアは、泣いて泣いて、そのハンドバッグを投げ出して 「このお金あげますよ。私を突き飛ばせ。突き飛ばせ。殺せ! 殺せ! 殺せ!」と叫びました。この青年は、殺そうと思っていたのが、こわくなってハンドバッグの中の四〇万円だけにぎって逃げていきました。  カビリアは、もう、ほんとうに疲れ切ってしまいました。月がないので、あたりは真っ暗でした。もう、この世のなかはおしまいだと思って、泣きながら森をさまよっていると、ギターやアコーデオンやハーモニカの音が聞こえてきました。見ると、子供が一〇人ほど、歌をうたいながら、どんどんどんどん、お寺のほうへ行くのを見て、自分もいつの間にか、その歌に合わせ、子供たちのステップに合わせて踊り出しました。  カビリアは、いつでも天使のような心を、この|いじましい《ヽヽヽヽヽ》残酷な人生のなかに、失わずに持っていたんですね。  そうして、子供たちといっしょに、もう一文なしになったくせに、顔にいっぱい笑いを浮かべて、右向いたり、左向いたりしながら、歩いて行きました。  フェリーニは、なにをいっているんでしょう。神に与えられた純真さというものを持ち続けたい、そういうことをいってるような気がしますね。 ●フェリーニが監督になるまで  フェリーニは、一九二〇年生まれの、イタリア人ですね。  北イタリアのアドリア海に面した、リミニという町で生まれました。お母さんは、早く亡くなりました。そして、貧しいお父さんは、仕事で、いつも外へ出歩いておりました。それで子供をカトリックの神学校にあずけたんですね。フェリーニは、厳しい神学校にあずけられました。  ところが、この少年は、学校がきらいできらいで、なにが好きかというと、サーカス。サーカスが大好きで、とうとう十五歳のとき、学校を飛び出しちゃったんですね。けれども、あっちこっち捜されて、サーカスなんかとんでもないというので、また神学校の寮です。だから、前よりもよけいに厳しい生活が始まりました。  けれども、とうとう十七歳のときに、また飛び出してしまいました。そんなことで、このフェリーニは、あんまり学歴がないんですね。今度は、飛び出してなにをしたか。  まず、あのフィレンツェに行きました。そうして、そこで漫画の絵かきになったんですね。漫画の勉強をしたんです。それでなんとか生活できたんですねえ。  だから、フェリーニは、教養もあんまりないし、正しい生活もしてないんです。ここにこの人の作品系列のなにかがわかりますね。  それから、十九歳になってローマに行きました。ローマではカフェやレストランで、似顔絵をかいたんです。それから旅回りの劇団の文芸部に入ったんですね。これが映画界に入るもとになりました。  それから、ラジオドラマの脚本も書けるようになったんですね。その放送のときに、そのドラマに出た女の人がいた。ローマ大学の文芸学部に在学中の女、ジュリエッタ・マシーナ。女優というより、まだ学生だったんですね。そこで、この二人はお互いに好きになって結婚しました。一九四三年、ドイツ軍占領下のローマで結婚式をあげました。この二人の結婚は、今日までずーっと続いております。途中で一度、二人は仲がわるいという評判が立ちました。そのとき、フェリーニは、「魂のジュリエッタ」(一九六五)という映画を、この妻のために作りました。  亭主に捨てられかけた女の恐怖、それが幻覚的なすごい映画になって、この映画で、初めてフェリーニは、カラーを使いました。みごとな色彩でした。ジュリエッタの演技もみごとでした。  フェリーニは、結婚して映画界に入り、ロベルト・ロッセリーニという、あのイタリアのもっとも厳しい監督の助手になりました。「無防備都市」(一九四五)というロッセリーニの名作は、フェリーニがシナリオ書いたんですよ。  ロッセリーニに出会ってから、フェリーニは大きく成長しました。そしてそのあと、どんどんといい作品を作る監督になりました。  私は、一九七三年、アメリカで、まだ日本にもフィルムのこない、フェリーニの映画を見ました。テレビの映画なんですが、すごかったですね。あんまり立派なので、これはテレビではもったいないといって、まあ、立派な映画館、カーネギーホールみたいな映画館で上映しました。  それは「クラウン」というのです。これは実写ですね。フェリーニが、かつて有名な有名な道化師だった人気者のクラウンを捜し回るんですね。今はヨボヨボになってるおじいさん、そのクラウンに会いに行くところ。そうして、キャメラを向けるところ。おもしろいでしたねえ。  そのクラウンが、もうぼけてしまって、ものも、ろくにいえない、女房の名前も忘れてしまっている。けれども、道化師のときの歌だけは覚えてるなんていうところがすごかったですね。クラウンのサーカスのところも出ましたし、みごとなみごとな記録映画でした。そうして、この記録映画のなかに、ちょっとドラマを入れています。  そのところ、簡単にお話しましょうね。  かつて有名だった道化師が、もう、すっかり人気がなくなってしまいました。そして、ヨボヨボになりました。けれども、サーカスが忘れられない。とうとう入場料払って、いちばん安いところ、スタンドのいちばん上で見ております。クラウンが出てきました。まるで自分が出てるように喜んで見ております。  やがて全部サーカスが終りました。みんなが帰ってしまう頃、コロンとそのじいさん横になっています。まあ、疲れて、寝ちゃってるのかな。  やがて、ホースで水をまきました。あたりいちめんに。そのときに、そのサーカス場にサーッとライト。そのじいさんの若いときのクラウンの姿で、みごとな道化師の姿で、おもしろいおもしろい道化師の歌をうたい出しました。そして、キャメラは、ずーっともとへもどって、横になっているじいさんの顔を写しました。  じいさんは、もう死んでおりました。「クラウン」という、まあ、テレビのドラマ。テレビの記録映画を見ました。  フェリーニは、みごとな映画作家ですね。  さあ、もう時間がきました。おや、あなた眠りませんでしたね。おもしろかったでしょう。眠れなかったでしょう。今度は、もっともっとおもしろいお話をしましょうね。  サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ。 [#改ページ]   映画興行のうらおもて  はい、みなさん今晩は。  さあ、今夜は映画興行のうらおもてについて、お話しましょうね。  映画興行のうらおもてなんて、私へんな題名をつけましたけれども、どんな映画がお客さんに喜ばれ、どんな映画が興行的にだめなのか、そんなこといっしょに勉強してみましょうね。  なに、そんなこと聞かなくてもわかってる?  まあ、あんた枕もってきたの。あ、今日はぐっすりおやすみなさい。それでは起きているみなさん、聞いてくださいね。 ●当たりに当たった「エマニエル夫人」  さあ、ここで興行のうらおもてといったのは、私最近おもしろいことを感じたので、こういうお話をしたくなったんです。  というのは「エマニエル夫人」(一九七四)ですね。これがこんなに当たるとは思わなかった。これを日本に輸入した会社でも、まさかこれほど当たるとは予想していませんでした。  なぜ、こんなに当たったか。考えてみますと、この映画を輸入した会社の宣伝がうまかったんですね。ポスターにしても、性映画だというのに、主演女優のポーズを、いやらしくなく、オッパイが見えているのだけれども、なんともしれん美術的でしたね。題名もただ「エマニエル夫人」でしたね。これを、もし「ぬれたエマニエル夫人」だとか、もっといやらしく、「淫欲《いんよく》のエマニエル夫人」としたら、あれほど当たらなかったでしょうね。  大衆って、おもしろいんですよ。そういう映画見たいけれども、あんまり淫欲なんて書かれたらね、足を止めちゃうんですよ。まあ、ひそかに、そういう題名で見にいく人もありますけれども。「エマニエル夫人」が、サパーッと「エマニエル夫人」で上映されたところがよかったんですね。  ところが「ラスト・タンゴ・イン・パリ」(一九七二)が当たらなかったですね。案外でしたね。はっきり当たらなかったとはいいませんよ。ずいぶん話題にはなりましたが、もっともっとロングランするかと思いましたが、それほどではなかったですね。  なぜかといいますと、こっちのほうは、�ぼかしました�とか�消しました�とか、あるいは�消してありません�とか�全裸です�とか、マーロン・ブランドのきわどいところを、どんどんどんどん売ったんですね。ところが、その汚さのほうが印象に残っちゃったんです。だから、その汚いところを見にいった人もいますけれども、女の人はあんまり見にいかなかった。見にいきたいけれども、ちょっと気恥ずかしくなったんですねえ。  そういうわけで、まあ、あんまり汚く売ると、やっぱりだめですね。そういういやらしいもの見たいけれども、汚い看板、汚い題名だったら、一般の人はやめておこうかということになります。「エマニエル夫人」は、いいとこつきましたねえ。  このあいだ、テレビでアメリカ映画の「激突」(一九七三)を放送して、その解説をやりましたの。そのとき、同じ作品なのに、映画の興行とテレビとは、ちょっとかたちが違うということがわかりましたね。 「激突」というのは、一人のサラリーマンがのんきに車で走っていると、臭い排気ガスを煙のように吐いているトラックを、「ちぇっ、うるさいなあ」といって追い抜いたんですね。この追い抜いたのが、えらいことになってきたんですね。サラリーマンの車を、このトラックが、どんどんどんどん、追ってくるんです。いやがらせしていやがらせして、とっちめて、いじめていじめて、最後には、もう殺意をもって追ってくるんですね。  この映画、これがまあ、テレビで当たりましたね。どうしてこの映画がテレビでこんなに視聴率がよかったのかといいますと、まあ、日本中のどの家庭だって、お父さんたち、お兄ちゃんたち、息子さんたち、ハンドルをもたない人は、いないぐらいですね。  そういうわけで、みんな自動車となんとはなしに関係があります。だから、見ていてこわいんですね。  ところが、この映画は、映画館で封切られたときは、さっぱり当たらなかったんです。俳優といっても、なじみの人はいないし、車が主役のような映画ですから、だれが出てるの? そんなの知らんな、おまけに激突ってなんだろうというんでね。映画館では見向きもされなかったんですね。この主役のデニス・ウィーバーは、その後NHKで「警部マクロード」のシリーズを放送して、そのマクロード役で名前が知られるようになりましたが、この映画の封切りのときはだれも知らないぐらいの俳優でした。  ところが、映画館へお客さんを呼ぶのと違って、テレビというのは勝手に家の中に入ってきますね。家の中に入ったら、見てやろうということになりますね。さあ、テレビが始まって、どんな映画かな、つまらなければチャンネルを回そう、なんて思っていた人も、びっくり仰天して「激突」にくらいついたんですね。放送後の調査ですと、視聴率が二二・一パーセント、えらい成績とりました。  あの「モロッコ」(一九三〇)でもね、三年前にテレビでやったんですけど「激突」と比べてみますと、ずーっと落ちて一二・三パーセント。あの名作がねえ。  で、あの「真夜中のカーボーイ」(一九六九)、なかなかよかったでしょう。あれなんかもっとひどいですよ。一一・三パーセント。 「真夜中のカーボーイ」、ああいうのだめなんですね。男と男が、もたもたもたもた、苦しんで苦しんで、そうしてなんだかホモみたいとこあったり、なんかややっこしいことしてくると、「もう、うるさいから、テレビのスイッチ切れ!」なんてことになるんですね。映画館だと「あの二人の役者うまいなあ」と見てくれるんですね。映画館とテレビではそういう違いがあるんですねえ。  というわけで、まあ、映画館の興行というのは、水商売といいますけれども、まあ考えてみますと、私は小さいときから、ずーっと映画見てきていますから、なんとなしに、当たる当たらないの卦《け》だけは、ちょっとだけわかりますね。 ●口コミしやすいパニック映画  このごろ、パニック映画、恐怖ものがはやってますね。「エクソシスト」(一九七三)というのがありましたね。あれ当たりましたね。もう、あれ、子供がいっぱいいきましたね。もうえらいことになりました。あんまり入るので、隣の映画館まで「エクソシスト」やったことあるんです。どうして、あんなに当たったかというと、ひと口でいえるからですね。 「悪魔が憑《つ》くんだ、女の子に」 「舌を出すんだ、長い長い舌を」 「十字架で、自分の股の真ん中を突きさすんだ」  いろんないい方ができますね。いっぺんに見にいきたくなるような、そういうものを、「エクソシスト」はもっているんですね。話題があるんです。そんな映画は当たるんですね。  また、「ポセイドン・アドベンチャー」(一九七二)も、ひと口でいえるんですね。「大きな大きな船がひっくりかえるんだよ」これでいいんですね。「ひっくりかえるの」それでいいんですね。「もっとくわしくいうと、こんなかたちで、ひっくりかえるんだよ」口でいえるんですね。  まあ、いよいよお正月が近づいてきました。もう、ニューイヤー・イブになりました。ところが、ギリシア沖で大地震があって、その津波が、このポセイドン号に、どんどんどんどん近づいてきました。まあ、甲板ではみんな真っ青になっています。船員たちがこわがっていますね。 「この船には積荷がないから、横波がブワーッと当たったら、ひっくりかえるぞ」  ところが、ホールのほうでは、そんなこと全然知りませんから、明日はいよいよお正月だというのでパーティが開かれていて、みんなシャンパン飲んで大騒ぎです。いよいよ最後に�蛍の光�が演奏されました。そのとき、一瞬にして船がひっくりかえりました。  ドカーン! さあ、その音響効果のすごかったこと。船の底が上にあがって、甲板が下になった。なにもかも逆さまです。こわかったですね。  こんなふうに口コミで伝えられますから、お客さんが映画を見にいきます。こういう映画は入るんです。 「日本沈没」(一九七四)、もう題名だけで入りますね。 「えっ、日本が沈没するの? 富士山まで見えなくなるの」  子供がそういいましたねえ。これで入るんです。大地震、もうこれで入りますね。 「タワーリング・インフェルノ」(一九七四)、大きな大きなビルディングに火事があるんだよ。それで入りますね。  まだまだあります。「エアポート75」(一九七四)もそうですね。パイロットがみんな死んじゃうんだよ。操縦士なしで飛行機が飛ぶんだよ。もうこれで入るんですね。 「二〇〇一年宇宙の旅」。これは、少年たちが「お父さん、連れてって」といいそうな題名ですね。ロケット発射や、宇宙船が大空を流されていって、いかにもおもしろそうだけれども、見ているうちにちっともわからなくなってくるんですね。みんないっぱいくわされたみたいな気がするんです。で、こういうふうな映画は、初日はよくっても、だんだんさがっていくんですね。ひと口でいえないんですね。  この「二〇〇一年宇宙の旅」は、なんともしれんこわい映画なんですね。  最初、地球がまだできたての頃から始まりまして、さあ、見渡すかぎり、草木もあんまりないような広い広い地上があって、やがて年月がたって、大きな大きな猿が、あっちに五匹、こっちに六匹と、うろうろうろうろしているところが映りますね。空は真っ青で、大自然の感じですね。  さあ、その猿と猿が、グループが混じってくると、けんかになるんですね。なぜけんかするのか、食べものですね。食べもののことで争うんですね。同じ顔した猿、同じ種類の猿が争うところを映して、そうしているうちに、ある所で、そのお猿さんが、大きな大きな恐竜の骨をみつけたんですね。アバラ骨の一部分ですね。そうして、それを手ににぎった。同じグループのお猿さんたちがみんな骨を持った。そこへほかのグループのお猿さんたちがやってきた。けんかになった。ところが、こっちは骨を持ってますね。そうして骨でパンパンパンパン相手を殴って、殺しちゃったんですね。そのお猿さんは、その白い白いアバラ骨を空に向けて、ポーンと投げたんです。これが武器ですね。戦争の第一号の武器ですね。  空に投げられたその白い骨は、すーっと青空に円を描いて、やがて、その骨が落ちようとするところで、その骨は、二〇〇一年の立派なロケットに変わりましたね。  あのアバラ骨が、二〇〇一年には立派なロケットになったというところがこわいですね。科学の進歩ですね。二〇〇一年のロケットというのか、宇宙船はコンピュータで飛んでいきます。「右に行きなさい」、「左に行きなさい」。ところが、若いパイロットの一人が神経衰弱、ノイローゼになって、なにもかもコンピュータの命令どおりにされるのがいやで、コンピュータのその緻密《ちみつ》な配線をこわしはじめます。こうして、この映画はいよいよこわくなっていきますね。  人間というものが、科学がどんどん発達すると、どうなるかということを、あの猿の頃から、じーっと見つめた作品ですけれども、ちょっとこういうふうなものは、むずかしいんですね。人間は、大衆は邪けんですね。あんまり考えるの好かんのですね。 「アマルコルド」(一九七四)も、すごいヒットを予想したけれども、だめでしたね。北イタリアの少年の話です。この映画のデリケートな感覚は、日本の映画ファンにはなじめなかったんですね。こんな美術品のような映画を、どうして、みんなが我も我もと見てくれないのかと、私はがっかりしましたね。 ●「ゴッドファーザーPART㈼」対「チャイナタウン」 「ゴッドファーザーPART㈼」は、一九七四年のアカデミー賞では、六つのオスカーをもらいましたね。作品賞、助演男優賞(ロバート・デ・ニーロ)、監督賞(フランシス・フォード・コッポラ)、脚本賞(フランシス・フォード・コッポラ、マリオ・プーツォ)、美術監督賞、音楽賞の六つです。  ちょうどこのとき、この「ゴッドファーザーPART㈼」と、まあ、競争したようなかたちになったのが「チャイナタウン」でした。「チャイナタウン」のほうが、たくさんオスカーをもらうかと思ったら、ほとんど「ゴッドファーザーPART㈼」がさらっちゃいましたね。「チャイナタウン」は脚本賞(ロバート・タウン)一つしかもらえませんでしたね。  この二本が日本で封切られて、どうだったかといいますと、オスカーと同様で「ゴッドファーザーPART㈼」は前売りもよく売れて人気もありましたが「チャイナタウン」は、こんな名作なのに、それほど当たりませんでした。こういうあたりに、大衆というのか、日本の映画のお客さんの、広い広い層がわかるような気がするんですね。 「チャイナタウン」は、粋すじなんです。「ゴッドファーザーPART㈼」は、本通りですね。やっぱり、本通りのほうがいいんですね。  さあ「チャイナタウン」が粋すじとは、なんでしょう? ここらあたりがむずかしいんですね。「チャイナタウン」といいますと、「なに、チャイナタウン? 空手か」  なんていう人がいました。空手じゃないんですね。チャイナタウンというから、中華街の話? そうじゃないんです。また、実際にこの映画を見た人でも、最後まで、なんでチャイナタウンなのかわからないで映画館を出てくるんですね。  そういうわけで、こういう映画は、当たりにくいですね。やっぱり割り切れないといけないんですね。しかし、アメリカでならチャイナタウンといえば、いっぺんでわかるんですね。チャイナタウンというのは、まだロサンゼルスがそんなに開けなかった頃、こわいところだったんです。チャイナタウンに入って殺されたら、死体も出てこなかったような時代があったんですね。昔々のことで、今はそんなことはありませんよ。  この映画も、一九三〇年頃のロサンゼルスが背景になっていますが、そういうわけで、中国、チャイナ、中国は、なにか神秘のなかに、大きな青竜刀のきらめくこわさがあったんですね。それで、この映画は、探偵映画です。いかにも探偵のなぞ、なぞ、なぞを次から次に解いていく|かまえ《ヽヽヽ》がおもしろいんですけれども、それと同時に、チャイナタウン的ムードがあるんですね。  満月が真っ黒い雲の中へ入っていく、そうして竜の目が光るようなこわさがあるんです。それはなんでしょう? それはなんともしれんドロドロした人間関係ですね。父が自分の娘を犯したりするような、湿りきったこわさがあるんですね。  そういうものを、この監督のロマン・ポランスキーはもっているんです。ノスタルジーというのか、そういうものがあるんですねえ。トーキー初期の映画に、「チャイナタウンの夜」(一九二九)、監督ウィリアム・A・ウエルマンの立派な映画がありましたが、そういう匂いをこの映画はもっているんですね。で、ごらんになったら、だんだんだんだん、このフェイ・ダナウェイの哀れな運命がわかってくるんですね。  どうして自分の娘を隠してるのか、そうして、今の旦那さんに娘をどういう感じで紹介したか。フェイ・ダナウェイのお父さんにはジョン・ヒューストンが扮していますが、彼はどんなにこわいボスかというあたり、だんだんだんだん、ぞーっとする形でみえてきて、ここにチャイナタウンの雰囲気というのか、ショックというのか、そんなものを感じさせてくるんですね。ですから、チャイナタウンそのものは、ストーリーと深い関係はありません。しかも「チャイナタウン」という題名だから、お客さんのほうは、映画のなかからチャイナタウンを調べようとするんですね。それがわかりにくいときているから、そんなのやっぱり当たりにくいですね。というわけで、映画は、まあ、ストレートにサーッとわかるのが、やっぱりいいんですね。 ●当然のヒット作と意外なヒット作  当たった代表的なものに「風と共に去りぬ」(一九三九)がありますね。これなんかは、当たらなかったら困るみたいに、原作が作ってあるんですね。  メラニーというおとなしい女と、気の強いスカーレット・オハラ。闇商売をやってでもたくましく生きてゆく男レット・バトラー。そうして教養はあるけれども頼りない、詩人みたいにおとなしいアシュレー。こういう人物をパチーンと割って作ってるんですね。ほんとは、こんなに人間は単純じゃないですね。こんなに性格というのは割り切れませんねえ。それをパチーンとこんなにわけられて見ていると、お客さんは気持がいいんですね。これぐらいに性格がはっきりすると、お客さんは喜ぶんですね。  ところで「アメリカン・グラフィティ」(一九七四)が当たりましたね。まあ、ジャリといったらわるいですけど、少年から青年になるあたりの子供ばっかり出るので、アメリカでは評判がよかったけれども、この映画を輸入した日本の会社は、日本ではだめだなあと思ったんですね。それがヒットしました。  アメリカの一九六〇年頃の若い青年たちが主人公ですから、アメリカではうまくいったけれども、日本ではうまくいかんだろうと思ったんですね。それがヒットしたんですね。意外にヒットしたんですね。なぜでしょう? それは、やはりこの映画にあふれている音楽なんですね。この音楽、音楽、音楽。今日の若い映画ファンは、音楽ファンでもありますね。もう、音楽というものが、ミュージカルというものが身についていますね。  そういうわけで「アメリカン・グラフィティ」は、音楽から入っていったんですね。そうして見ているうちに、この映画の味がわかってきたんですね。これ意外なヒットでした。  もうひとつ、意外なヒット、今ならあたりまえですけれども、その当時、えっ! と思ったことがあるんです、映画館がですよ。それは「イージー・ライダー」(一九七〇)です。なんだか自転車みたいなオートバイで二人の男がバタバタ行く、それだけの話で、こんなのだめだと期待もしないで封切ったら、えらく入ったんですね。  音楽、乗り物、アメリカのローカルカラー、ヒッピー……若い人が欲しい|エサ《ヽヽ》が全部入ってるんですね。それを映画館が気づかなかったんですね。「イージー・ライダー」は、青年のほんとうに欲しいものをあふれさしていたんですね。当時ですよ。今ならあんまり珍しくないけど、当時はとっても珍しかったんですねえ。  この「イージー・ライダー」のプロデューサーというのは、ヘンリー・フォンダの息子で、ジェーン・フォンダの弟の、ピーター・フォンダなんですよ。おわかりですね。  恋愛、ことに悲恋ものが当たるんですね。「哀愁」(一九四九)なんか、もうベタベタですね。人がよく入りましたね。ロバート・テイラーとビビアン・リーが共演して、みごとでしたね。けれども、実はこの映画、原作がロバート・シャーウッドの戯曲で、一九三一年映画化されていますが、これはなんともしれんドライなものだったんですよ。  兵隊さんが休暇でロンドンへやってきまして、ウォータールー橋に近い安ホテルに泊まっていました。ちょっと散歩に出て、女に出会いました。夜の女が、昼間から歩いていたんですね。戦争中ですよ。そこで、ひとときの情事を楽しんだんですね。そうして、お金もらって女は出て行ったんです。男は窓から見ていました。女は、窓から男が見ていることを知らないから、橋のところまで来て、──ちょうどホテルの窓から、その橋が見えるんですね──ハンドバッグからお金を出して勘定するんですね。そこへ空襲です。バーンと爆弾が落ちてきて、その女が目の前で死んじゃったんですね。たったそれだけの一時間半ぐらいのお話です。「旅路の終り」(一九三一)というんです。それを、きめ細かに彩《いろど》って彩ってショートケーキみたいにしたのが「哀愁」ですね。ふとしたことから、バレエダンサーの女が、それこそほんとうの恋をしました。その相手は軍人で、二人の思い出の場所が、霧につつまれたウォータールー橋でした。テイラーが扮している軍人の、恋人のローイが出征している間に、ビビアン・リーの扮しているマイラは、病気になって、しかもローイが戦死したと聞いて失望のあまり街の女になりました。ところが、ローイは生きていたのです。ローイが生きて帰ってきました。マイラはうれしいのですが、もう自分が汚れてしまっていることを、秘密にすることも打ち明けることもできなくて、ローイに置き手紙して去っていきました。そうして、ローイがあとを追ってウォータールー橋へ行ったとき、マイラは自動車事故で死んでいましたね。  二人が出会って踊るところ「蛍の光」の音楽がきれいでしたね。思い出される方も多いでしょう。よかったですねえ。  というわけで、また「慕情」(一九五五)なんかも入りましたねえ。ウィリアム・ホールデンとジェニファー・ジョーンズ、ああいうものは入るんですねえ。  それから、悲恋ものではありませんが、絶対にお客を呼んで放さない作家が一人います。まあ、この作家にかかったら、だれでも参っちゃいますね。はい、それはだれでしょう?  チャールズ・チャップリンです。チャップリンはどんなときでも、必ずお客さんを満足させますね。どうしてでしょう? それは人間としてもっとも大切なものを見せるからですね。しかも、それを映画の精神で見せてくれます。だから、お客さんは参っちゃうんですね。目で見せるんですね。目でわからせるんですね。これほどはっきりと映画、活動写真の精神をもってる作家はほかにいないんです。だから、チャップリンの映画は、いつまでたっても、永遠に当たるんです。 ●映画と格闘しながら人生勉強  まあ、大衆は「エマニエル夫人」みたいなものも好きですけれど、やっぱりきれいなものが欲しいですね。「メリー・ポピンズ」(一九六三)絶対ですね。きれいなストーリーと音楽がよかったですね。それから「サウンド・オブ・ミュージック」(一九六四)もそうですね。これは、ジュリー・アンドリュースの感覚をいかして、楽しい映画になっています。  けれども、これが「モダン・ミリー」(一九六七)とか「スター」(一九六八)になると、ちょっとそうはいかないんですよ。 「モダン・ミリー」はチャールストン時代の話ですが、あんまり早く映画化されたので、お客のほうがピンとこなかったんです。そうして「スター」は、ガートルード・ローレンスというミュージカルの女王の映画化で、彼女の粋なところを見せよう、その時代色を見せようと、そっちのほうに凝《こ》った作品になってしまって、渋い作品になりすぎて、こうなると、もうお客さんはこないんですね。  というわけで、まあお客さんのほうが、なぜ、もっと映画と格闘してくれないのかと思いますねえ。  ルキノ・ビスコンティ監督の「地獄に堕ちた勇者ども」(一九六九)という映画がありました。ドイツの文化がナチスのために腐っていく、リンゴに虫がついて腐っていくようなものを描いた、みごとな映画でありましたが、こういったこわい映画は当たらないですね。けれども「地獄に堕ちた勇者ども」は当たらないのに、これと同じ内容を描いたライザ・ミネリの「キャバレー」(一九七一)は当たっているんです。それは音楽の使い方がみごとだったからですね。それでヒットしたんですね。音楽がどんなに映画ファンのなかに入り込んでいるかがわかりますねえ。  それから、スペクタクル。いかにも映画でなければできない壮大さ、豪華さ、アクション、サスペンス。たとえば「十戒」(一九五七)、「ベン・ハー」(一九五九)などがそうですね。それから「007」ものなんかも、次から次へとたくさんの見せ場をつくっています。  というわけで、やっぱりおもしろい映画には、お客が入るんですよ。「駅馬車」(一九三九)も、おもしろいからくるんですよ。「パピヨン」(一九七三)も、やはりおもしろい。なぜ当たったか? やっぱりあの映画のなかには、ほんとうの映画のエネルギーがあふれていたからですね。「シェーン」(一九五三)も、「スティング」(一九七三)も当たりましたねえ。  当たった映画には、どんなかたちにしろ映画のエネルギーがあふれていますねえ。 「時計じかけのオレンジ」(一九七一)は私、大好きでした。「時計じかけのオレンジ」この題名に私は参っちゃったんです。しかし、こういう映画は当たらないんですね。なんとなく、わけがわからないので、当たらないんです。ストレートでないと。複雑なところがあるとだめなんですねえ。  ルキノ・ビスコンティ監督の名作「ベニスに死す」(一九七一)もむずかしいので、映画の配給会社がこわがりました。困ったことに、この映画に出てくる少年を売ろうとして、チョコレート会社とタイアップしたんですね。児童映画じゃあるまいし、こんなことされたら「ベニスに死す」もたまったもんじゃないですね。  惜しいことにこの名監督も、一九七六年の三月に亡くなりましたね。  それから、邪けんといえば邪けんな話ですが、ひどい目にあったのは「かもめのジョナサン」(一九七三)でした。あれだけ本が売れたから、もう映画も大ヒットと思ったら、それほどではなかった。俳優が一人も出てこなかったから? あれ、かもめだけだったからでしょうか? そうとはいえませんね。「愉快な仲間」(一九七四)は、動物だけの映画ですけれども当たりました。ヒットしてるんです。明るくて、笑いがいっぱいあって、動物愛に燃えていますね。けれども「かもめのジョナサン」のほうは、本のほうはよかったけれども、映画のほうはあのジョナサンの哲学がじゃましてきたんですね。ジョナサンが、ちょっと悟りを開いたり、あれがなんとはなしにじゃましたんですね。  それから「華麗なるギャツビー」(一九七四)などは、男がいかにもロマンチックすぎて、相手の女が、もう結婚しているのにあきらめきれない、おもいこがれているというのでしたね。女のお客は入ったけれども、男のお客がさっぱりでした。ことに「ブラザーサン・シスタームーン」(一九七三)というのは、フランチェスカという神父さんの伝記映画でした。きれいな映画で、あれ見ているとほんとうに教会に入ったような気がしますね。しかし、そんなことどうでもいいんです。お客さんは「十戒」のほうが、「ベン・ハー」のほうがいいんですねえ。  バート・ランカスター主演の「泳ぐひと」(一九六八)も、やはり当たりませんでした。もう成功した中年の男が、少年のような夢を抱いて、立派に立ち並ぶ邸宅の、プールからプールへと泳いでどこまで行けるだろうと考える。それをみんながばかにする話ですね。けれども、このバート・ランカスターの扮する中年男は、どこまで行けるか、おれやってみるぞ! というみずみずしさをもっているんですが、こんな映画は一般のお客さんにとっては興味がないんですね。  バートンとリズが出ていた「バージニア・ウルフなんかこわくない」(一九六六)は、けんかしながらの命がけの夫婦愛を描いて、すごいそしておもしろい映画でしたが、いけませんでしたね。 「シネ・ブラボー」(一九七四)は、映画ファンにぜひ見てもらいたいと思った映画でしたがだめでした。これは活動写真の誕生の頃から始まって、珍しい写真がいっぱい収めてあって、ちょっとこんなのは容易に見られませんよという活動写真博物館、映画美術館だったんですねえ。そんなもの、おれ関係ないよというわけですね。あれ、ダイヤモンドなんですよ。けれども一般の人は、そんなもの欲しがりませんね。  というわけで、当たった映画、当たらなかった映画についていろいろお話しましたが、当たる当たらないにかかわらず作家たちは、いろんな映画を作っている。やっぱりこんな作家たちがいてくれてこそ、映画は次々に新しいものを生み出して、私たちにいろんな人生勉強をさせてくれるんでしょうね。  入るか入らないかわからないと思っても、それでも作らずにはいられないところに作家の悲しさと立派さがあると思いますね。  映画には、喜びも悲しみも苦しみも、そうして笑いも楽しい歌も、あらゆる人生の縮図がありますね。作家たちも映画を作ることに格闘しています。  みなさんもどうぞ、映画と格闘してくださいと、私はいいたいですねえ。  はい、今日はこれで終りです。  なに、おまえの話がうるさいからおれは枕と格闘してる! もうあきらめなさいよ。  サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ。 [#改ページ]   ヒッチコック劇場  はい、みなさん今晩は。  今夜はヒッチコックの映画についてお話しましょうね。さあ、こわいですよ。  どうか目をパッチリあけて、耳を澄まして聞いてくださいよ。  あのムードを出したい人、こわいムードを出したいお方は、どうぞ今、あなたのお部屋の電気をパチッと消して、真っ暗ななかで聞いてくださいね。  ヒッチコックの映画というのは、音楽というよりも、画面で、目で見るところがこわいんですね。 ●その一─「鳥」と「裏窓」  リバイバルした映画で「鳥」(一九六三)というのがありましたね。この「鳥」というのも、なかなかヒッチコックタッチが出てますね。第一この題名ですね。  バード、鳥ですね。バードといいますと、どちらかといえば、小鳥ですね。これがイーグル、鷲《わし》だったらこわい感じがします。ホーク、鷹《たか》、あるいは、タイガー、ライオンとなるとこわいですけど、バードなんていうから、まあ、かわいいのかな、と思いますねえ。そのかわいいのかなあと思わすところが、実はヒッチコックのいたずらですね。さあ、この映画ごらんになったでしょう。  なんでもない庭。自分の庭を見ていますと、なんだかしらないけれども鳥が八羽もいるんですね。八羽、九羽、十羽。どうして今日はこんなに鳥がいるんだろう? そんなところからこの映画は始まりますね。ところが、明くる日になったら、朝起きると三〇羽もいたんです。私のうちの庭にはなにかエサがあるのかなと思っていると、だんだん数が増えてくるんですね。  こういうことちょっと考えるとなんでもないけれども、いやらしい鳥が一〇〇羽もいてごらんなさい。これちょっと気持わるいですね。こういうところがヒッチコックのこわがらせ方なんです。なんでもないけれども、だんだん本気にこわくなってくるんですね。  この映画、そういうわけで、鳥がいっぱい来ちゃった。ちょっと変だぞといいながら二階の屋根裏にあがってみると、もう破れた窓からいっぱい入り込んでいるんですね。天井の梁《はり》からなにから、あたりはあの鳥の|すずなり《ヽヽヽヽ》で気持わるいね、といってるうちに、その鳥が、バタバタはばたいた。一羽がはばたいたら、つぎつぎとはばたいて、ガンガンガンガンガァー、とやってきたんですね。あわててドアを閉めたら、そのドアを、コンコンコンコン、コンコンコンコン、まあ、こわいですね。鳥をこんなかたちで使うヒッチコック、なんてこわいんでしょう。それからいろいろありましたよ。  学校へ行く子供たちの頭をねらって、鳥がギャーッと幾羽も幾羽も降りてきますね。こわいですね。こわいですね。鳥たちが群集心理に巻き込まれたら、こんなかたちになるということをよくよく見せたあとで、もう家の周りが鳥で、見渡すかぎり鳥でいっぱいになるところがあったでしょう。  ここに四人の人間がいましたね。早く逃げないと、その四人の人たちは、ひどいことになると思いましたね。けれどもポーチを出て、階段を降りて自動車のところまで行くその間の地面は、鳥で鳥でいっぱいで、どうすることもできない。  もしも、ここで一羽の鳥が、パタパターッと飛んだら、全部が飛びあがって、私たちにとびついてくる。あの主役のロッド・テイラーが最初に外に出て、みんなをソーッとみちびく。鳥が、じーっとしている。気持わるいですね。鳥には表情がありませんね。顔に表情がないから、なにを考えているかわかりません。ただじーっとしているんですね。そこを抜き足、差し足、歩き出す。その足元を、キャメラがすーっととらえますね。鳥は、じーっとしています。もし、靴で、あの靴で鳥にちょっとさわったら、踏んだら、えらいことですね。パタパタ、パタパタ、パタパタ、一羽が翼をひろげて飛びあがったら、全部が、いっきに翼をひろげて、人間に飛びかかるかもしれない。その恐怖。「鳥」は、そういうところがこわかったですね。  ヒッチコックは、不思議なところでこわがらせますね。これがヒッチコックタッチなんですね。  次に「裏窓」(一九五四)というのは、ジェームス・スチュアートでしたね。この映画、ごらんになったでしょう。  裏窓。ニューヨークに行きますと、裏窓だらけです。一〇階、一五階のあの窓を開けますと、隣のビル、あるいは、すぐそばのマンションの、窓という窓が全部見えますね。  ヒッチコックという人は、映画こそ目で見るもの、そういう考えの人ですから、目で見ることを非常に強調し、それを上手に使います。だから、この「裏窓」というのは、ヒッチコックのムードをいっぱいもった題名ですね。  これが普通に「窓」だったら、そんなにこわくはないですね。ドラマにならないんですね。どこの家にも、窓があります。窓があるんだから、外の景色が見えます。それは芝や樹木、あるいは遠くに見える小川かもわからない。あるいは海かもしれない。  けれども裏窓といいますと、人間の舞台裏が見えるような気がしますね。この題名がおもしろいですね。  ここに一人の男がいました。足を怪我して、ずっと車椅子にすわったままなので、もう退屈で退屈でしかたがないから、この男いけないことに、望遠鏡を持って、あっちの窓、こっちの窓と見てたんですね。キャメラはそのとおり、あっちの窓、こっちの窓と見せますね。すごいすごい望遠鏡ですから、手の届くところに、窓の中の人物が見えますねえ。  まあ、あの四階の人はバレエのダンサーかしら? 一生懸命ダンスを練習してますね。こっちでは、コカコーラかなんか飲んでますわね。ドリンク飲んでますわね。  こちらでは、なんかしらんけど、裸で汗ふいてますね。まあ、こっちではきれいな奥さんが、一生懸命料理をこしらえてますわね。おもしろいから、この男あっちこっち見てたんです。ところが、あるとき、きれいな奥さんを見てますと、トランクを掃除したり、ベッドを掃除したりしているところに妙な男がやってきて、その奥さんの首をしめようとしてるんですね。こちらからそれがはっきり見えたんですね。 「奥さん、危ない!」  といおうと思っても、望遠鏡ですね。遠くの窓の奥さんだから、呼んだって、とても聞こえはしませんね。  望遠レンズで見るから、目の前に人物がいる。「あんた」と肩をたたけるところにいるのに、実は本人は遠い向こうにいる。まあ、このキャメラのおもしろさ、このキャメラのテクニックのおもしろさ、目のこの感覚のおもしろさ、この「裏窓」は、いかにもヒッチコックタッチをよく出しておりましたねえ。 ●その二─やっと封切られることになった「海外特派員」  ヒッチコックタッチのことをもう少し説明しましょうね。  この「海外特派員」(一九四二)は、テレビでやったかもしれませんが、日本では、なかなか封切られませんでした。ところが、幸いにもこれが封切られることになりましたね。  一人の男が逃げました。逃げました。五人が追いかけました。刑事かなんかが追いかけました。その男、逃げた、逃げた、逃げた。とうとう、マンションに入った。  二階、三階、四階、五階、六階の部屋に逃げ込んだ。みんなも六階まで追いかけてきた。ドンドンたたくけれども鍵がかかっていて、開かない。みんなでゴンゴン、ゴンゴン、ゴーンとやって、戸を破りました。シャワーの音がしています。あいつ、シャワーのところだ! あわててカーテンを開けると、人はいなくて、シャワーは流れっぱなし。どこだろうといくら探してもいない。  ところが、この窓の中の様子を隣のビルから写しました。中でみんなが探しています。すると、そのキャメラはえらいものを写しました。そこの窓のわくの下に、その男がしがみついて、じーっと腰をかがめておりました。窓の下にいるんです。わかった。向こうにおる。けれども中を探している人たちにはわからない。  キャメラが、また窓の中へ入りました。探しました。わからない。外にいるんだよ、あの窓のわくの下にいるんだよ、といいたいのだけれども、そんなこといえませんね。  みんなは夢中になって探しています。一人が、だんだんだんだん、窓のほうに近寄ってきます。ああ、窓のほうへ寄ってった。あれ、きっとわかると思いました。窓に寄って外を見ました。今度は、キャメラが犯人の目になって、その窓の男を見ています。自分のちょうど頭の上の窓のところから顔が出てきました。犯人はびっくりしました。自分のすぐ上に刑事の顔が出てきた。さあ、困った。ギューッとからだをよじって壁にへばりつきました。上の刑事は、自分のすぐ下に犯人がいるのに、下を見ずに右や左を見ました。どこにもいない。それで首をひっこめちゃったんですね。犯人は助かったんですね。  ところが、この犯人がちょっと動いた瞬間に、自分の踏んでいたネオンサインの線を一つ切っちゃったんです。ネオンサインは犯人の下のほうの電光ですから、上のほうの人には見えはしません。ネオンは、犯人の下のほうで、グランドホテル、グランドホテル、と点滅してたんですね。それを犯人がホの字の線を切ってしまったんです。グランドホテル、グランドホテルという点滅は、このビルディングの向こう側のウィンドに映っていたんです。それがグランド□テル、グランド□テルと、こんなテンポにかわりました。  しかし、人間には不思議な感覚というものがあるんですね。上の首をひっこめた刑事が向こうのパッパ、パッパ、パッパ、パッパと光ってるネオンが、なんとはなしに、ちょっと変だな、と思ってネオンを見ようとして窓から下を見た、そこに犯人がいた!  これがヒッチコックタッチですね。口でしゃべると、こんなに長くかかりますが、画面では、パッパッパッパァーッ。ああこわい、ああこわいという感じなんですね。 ●その三─「知りすぎていた男」と「暗殺者の家」  ヒッチコックの映画は、音楽に頼らないで、目で見るところがおもしろいけれども、あるとき、本格的に音楽を使ったことがあります。  それはドリス・デイという歌い手を使って、ここでひとつ徹底的にこの人をうたわせてお客さんを楽しませなくちゃいけない。映画というものは、その主役によってお客さんは期待するんだから、ここでドリス・デイのきれいな声を聞かせましょう、という映画がありました。  これが「知りすぎていた男」(一九五六)ですね。みなさんもよくご存知でしょう。私は昔からヒッチコックの映画を見ておりますから、この映画のタネが一度使われていることを知っとります。  それは、「暗殺者の家」(一九三四)というこわい映画がありました。脚本は二人の作家の共作でヒッチコックも脚本に手を加えています。イギリスにいた頃のヒッチコックの映画です。レスリー・バンクス、エドナ・ベスト。みなさんのご存知ない役者が出てきますが、そのストーリーをちょっといいましょうか。  夫婦と子供が旅行しました。そうして、旅行さきで、友人と会いました。ところが、その友人が、まあなんと急にあるところで殺されたんですね。びっくりして、その犯人を探し回っているうちに、えらいことになってくるんですね。そうして、もっともっと大きな暗殺事件があるということを、その奥さんが知ったんですね。  さあ、奥さんはいいたいけれどもいえない。たくさんの殺人者がいるからいえない。それはコンサートホールで、そのコンサートのある瞬間に、暗殺事件が起きる、という映画でした。  これが「暗殺者の家」です。これと「知りすぎていた男」は同じ趣向《しゆこう》でした。というわけで、ヒッチコックもチャップリンと同じように、昔の映画、自分の映画をもっともっとみがいて、もう一度みがきあげて作るようなところがありますねえ。 ●その四─「ダイヤルMを廻《まわ》せ」と「疑惑の影」 「ダイヤルMを廻せ」(一九五三)、あれちょっとこわかったですね。グレース・ケリーが出ましたねえ。  実は、この映画ほんとうのことを申しましょうか。飛び出す映画だったんですよ。映画というのは、シネラマがでてきて、シネマスコープができた。それと同時にスリーダイメンションというのができて、飛び出す映画ができましたね。ヒッチコックもそれをひとつ利用しようというので、一九五三年、飛び出す映画を作ったんですよ。けれども、うまくいかない。眼鏡をかけなくちゃ見えない。それでだめになったんです。けれども、この「ダイヤルMを廻せ」は、もともとその飛び出す映画のために作られました。  グレース・ケリーは、旦那さんが殺そうとしていることを夢にも知らない。旦那さんは、いろんなトリックして、殺人者をやとって「おれが妻に電話をかける、すると妻が出てきて受話器をとる。そのとき、うしろから首をしめて殺してくれ」と、うまく段取りをつけましたね。そうして、旦那はキチンとタイムをはかりました。殺し屋は奥さんが寝ている隣の部屋でじーっとカーテンに隠れて待っている。ところがその旦那が電話をかけようとしている電話機で別な人が電話をしているから、タイムがだんだん過ぎていく。まだ長話している。イライラしている。そういうところがおもしろいですね。けれども、うまくいった。さあ、ここで電話をかけろ。電話かけた。やがて電話がかかった。グレース・ケリーが、寝巻きのまま出てきた。そうして、受話器をとった。  さあ、うしろからしめるんだ。女の靴下で、ギューッとしめました。すると旦那は、ギャーッという奥さんの声を聞いて、うまいこといったぞ、うまいこといったぞ、これで妻は殺された、と思いました。  そのとき、奥さんはのけぞった。首をしめられながら、のけぞった拍子に机の上を探した。手で物を探すんじゃなくて、どこかをつかもうとしたんです。それで、大きなハサミをつかんじゃったんですね。ハサミをつかんで、思わず自分の首をしめているその男の背中を突いたんですね。その男は、ウウンとうなって死んでしまったんですね。  そのハサミを突き刺すところが、飛び出す映画で、その手とハサミのその感覚が、すごい感覚で画面から飛び出してきたらしいんですね。私が見たのは、飛び出す映画でなくて、普通の映画でした。というわけで、この映画も、見てこわがらすところが、なかなかおもしろうございましたねえ。  ヒッチコックの戦後の最初の映画として、「疑惑の影」(一九四三)が登場しました。  ジョセフ・コットンが出ているな、テレサ・ライトが出ているな、けれどもユニバーサルの映画で、あんまり評判になっとらんぞと思いました。音楽は、ディミトリ・ティオムキンでしたけれども、その時分ティオムキンなんか知らない。どんな映画だろうと思いました。ところが、見てびっくりしました。びっくりしたというのは、ヒッチコックが、いかにも彼のタッチをこの映画でもりあげていることで、なんてすごいんだろうと思いましたねえ。  原作は、ソーントン・ワイルダー。それに、アルマー・レビイ、サリ・ベンスン、いい連中で、オリジナルストーリーなんですね。  このお話を簡単にしますと、こわい男がいたんですね。これがジョセフ・コットンなんです。探偵にねらわれているんです。なんでねらわれているかわからない。逃げたんです。逃げた、逃げた。そうして、この男は姉さんの家に行ったんです。カリフォルニアのサンタローザ。平和な平和な、きれいな村で、教会があって学校があって、まあ、町中清潔なんですね。そこへこの男は逃げたんです。  実は、この男は大変な男だったんですねえ。金持の未亡人を次から次へと殺して金を巻きあげていたんですね。そういう男がきた。けれども姉さん一家はだれもそんなことは知りません。  ところが、この男にその男の姪が指輪をもらったんです。その姪は、まあ、きれいな指輪ねえ、といって何気なく指輪の裏を見ると、M・Tとしるしがしてあったんです。  このM・Tってだれ? と姪が聞くと、ウン、だれでもないんだよ、友だちだよ、と、この男はいったんですね。この姪には、テレサ・ライトが扮しているんですが、この娘さんが指輪のM・Tという頭文字が気になって調べているうちに、この間、新聞に出ていた殺された女の頭文字と同じなので、こわくなってきました。この娘さんが、図書館などに行って古新聞を調べているうちに、この叔父さんがなんだかしらないけれど、この姪の行く先々に現われて、姪は、でかける|たんび《ヽヽヽ》に危ない目に会うんですね。  ほんとうに、この男が犯人だということがわかったときに、幸いにもこの男は、この町から出て行く一人の金持の未亡人のあとをつけて、姉さんの一家から離れていきます。汽車に乗って。さあ、この姪は喜んだ。家中だれも知らない、この叔父さんの悪事を、私一人だけが知っているんだ。みんなには黙っとこう。自分だけはこわいこわい殺人鬼だということを知っていながら、澄まして叔父さんを駅へ送りに行きました。  叔父さん、さようなら。叔父さんも、にっこり笑って知らん顔して、さようなら、といいました。握手しました。列車の発車のベルが鳴りました。じゃあ、といったときに、叔父さんは手を離さないんですねえ。その姪の手を。「叔父さん、さようなら」と手を離そうとするのに。汽車は動き出しました。とうとう、姪の手を持ってひきずりこんだ。ステップのところにこの姪を押しつけて、線路へ落とそうとしました。さあ、この発車のところのこわかったこと。この姪は、びっくり仰天して、ステップのところの鉄棒に、しがみついて悲鳴をあげましたが、悲鳴をあげたって聞こえはしません。シャーッと汽車は走っているんですから。  このとき、叔父さんが、一気に姪を突きました。娘さんは命がけで、列車にぶらさがりました。すると叔父さんがすべって線路に落ちました。そこへ反対から汽車が走ってきて叔父さんはひき殺されてしまいました。これが「疑惑の影」ですね。  ヒッチコックは、なんでこんなこわい映画を作るのか? それにはおもしろい話があるんです。  ヒッチコックはロンドン生まれで、お家は鶏肉屋さんでした。小さかったときから、なんでも景色を見るのが好き。動いている景色を見るのが大好きでした。この頃から、ヒッチコックは、どうも映画的感覚があったんですねえ。  そうしてあるとき、四つか五つの頃です、遊覧バス、二階だての遊覧バスに勝手に乗っちゃったんですね。バスのいちばん上から、ずーっとロンドンの景色を眺めて、一人で喜んでいた。夕方になっても帰って来ない。家中心配で心配で、すると遅くなって、ケロッとして帰って来たんです。お父さんは、びっくり仰天して、自分の友だちのおまわりさんに頼みました。おまわりさんは大真面目な顔をして、ちっちゃな坊やのヒッチコックのそばに来て 「おまえはなにをしたの? お父さんやお母さんになんにもいわないで。勝手なことをしたら、えらい目に会うんだよ。ちょっと、いらっしゃい。警察にいらっしゃい」  ほんとうに、お父さんに頼まれたとおり、警察に彼を連れて行って、鉄のおりの中に入れて、ガチャーンと鍵をかけて、当分、入っていらっしゃいといったんですねえ。  ヒッチコックは、このときのこわさが、ずっとつきまとって、だからスリラーの監督になってしまったということですよ。 ●ヒッチコックは話上手  私はヒッチコックに会ったんですけど、ヒッチコックという人は話の上手な人で、私にいろんなこわい話をしてくれました。おもしろくって、こわくって、ちょっと変わった話がありますから、簡単にお話しましょうね。いかにもヒッチコックの感覚が出ていますよ。  あるとき、砂漠の真ん中で、自動車が故障しました。陽はカンカン照っている。さあ、困った。ずーっと遠くにオアシスがある。あそこまで歩いて行って、あのオアシスの椰子《やし》の陰で休んでいて、だれか来たら助けてもらおうと思って、暑い暑い暑いなかを歩いて行きました。すると、オアシスの椰子の陰に一軒、きれいな家がありました。ノックした。中から召使いが出てきたので 「実は、車が故障して私とっても困っているんです。助けていただけないでしょうか」 「ちょっとお待ちくださいませ」といって召使いは中へ入った。やがて立派な主人が出てきて 「それはお困りでしょう。どうぞ、お入りください。私の召使いを町にやって、町から車を一台持ってこさせますから、それまで、どうぞ」すすめられるままに、その男は中へ入りました。  きれいなお部屋。立派な書斎。  やがて、美しい奥さんとお嬢さんが出てきて「これが家内です。これが娘です」というわけで、だんだんおしゃべりをしているうちに、この家族のなんともしれん教養のある雰囲気にすっかり気持がよくなりました。お茶をいただいているうちに、夕方になりました。 「せっかく、おいでになったんだから、夕食を召しあがって、ゆっくりなさってください。もう、間もなく召使いも町からもどってまいりましょう」その男は、奥さんもきれい、お嬢さんもきれい、そしてご主人は立派で、どうしてこんな人たちが、こんなところに住んでいるんだろうと思いながら、喜んで夕食のごちそうになった。食事のあとで、レコードを聞き、ワインを飲んでいるうちに、ますますいい気持になってきた。すると、主人は 「お泊まりになってはいかがですか」 「それでは一晩泊めていただきましょう」 「どうぞ。泊まっていただいたら、どんなにうれしいことでしょう」  その晩、この砂漠で、自動車の故障で助けを求めてきた男は泊めてもらいました。うつうつうつうつしているうちに、夜中の一時か二時になった頃、コンコン、コンコン、扉をたたく音がする。なんだろう? と思って扉を開けようとすると 「ちょっと、お待ちになってください。電気を消してください。どうか電気を消してください」きれいな女の声です。夜中にやってきて、男ならなにが目的かわかりますねえ。あわてて電気を消した。まあ、香水の匂い。きれいなガウンの肌ざわり。その男は夢中になって彼女を抱きしめました。彼女も夢中になって彼を抱きしめました。やがて、一時間。夢中になったあとで、その女はすーっと去って行きました。しまった! 奥さんだったか、お嬢さんだったか、きくの忘れた。まあいいわ、あしたの朝になったらわかる。  朝になりました。  さあ、朝食。旦那さん、奥さん、お嬢さん、自分。なに食わぬ顔で朝食をいただきながら奥さんの顔を見て、ちょっと合図しましたが、全然反応ありません。ハハァン、それではあれは娘だったんだなと思って、娘のほうに、ちょっとウインクしましたが、これもまるで反応なし。まあ、どちらも全然知らん顔。  まあ、よくもこんなに芝居ができるなと思いながら、いろいろおしゃべりをする。やがて昼になる。また話がはずむ。気持がいい。 「もう一晩お泊まりになったらいかがですか」奥さんもすすめる。お嬢さんも。 「ほんとに、泊まっていってくださいません?」みんながすすめる。  もう一晩泊まったら、もしも今晩やってきたら、娘か奥さんかどちらかわかるかもしれん、また今晩きっと来るぞ、その男はそう思って、また一晩泊めていただきますということになった。  その晩、またうつうつうつうつ待っているうちに、やがて、うつうつうつうつ眠ってしまった。  夜中に、コンコン、コンコン、コンコン、ハッと気がついた。ああ、そうだったんだ。今夜もまた彼女が来たんだ。扉を開けようとすると 「電気をどうか消してください。明かりを消してください」「オーライ」明かりを消して扉を開けると、まるで霞《かすみ》のように、入ってきた。昨夜よりも、もっともっときれいな匂い。そしてガウンの肌ざわり、しかも、昨夜よりもずーっと情熱的。もっとパッショネート。彼はあんまり夢中で抱きしめられて、愛のテクニックに彼はボーッとしてる間に、彼女はすーっと去ってしまった。しまった! またきくの忘れた。  明くる日になりました。その男も、いつまでもこうしていられないと思って、朝食のあとで 「それでは失礼いたします」 「そうですか、もっといらっしゃってもいいんですよ。私たちは寂しいんですよ。お話相手が欲しいんですから」 「ええ、でももう失礼さしていただきます。とっても楽しゅうございました」奥さんだったか、お嬢さんだったかわからないままで去るのはつらいので、みんなの前で 「私の家は何丁目何番地、電話番号はこれこれ、どうかご縁があったらお電話ください」  奥さんやお嬢さんにわかるようにいいました。けれども奥さんもお嬢さんも澄ました顔をしておりました。 「奥さん、どうも楽しゅうございました」固く手を握って反応を求めました。ところが、なんの反応もありませんでした。やっぱり娘のほうだな、そう思って今度は娘の手を握って、小指で娘の指先をさわって 「ほんとに、楽しかったですよ」しかし、反応はゼロでした。まあ、いいわ。主人の前だから、お父さんの前だから、どっちも澄ましてるんだろうと思って、車に乗りました。  すると、主人が寄ってきて 「どうかまた来てくださいね」といいました。 「はい、また寄せていただきましょう。でも、どうしてこんな寂しいところに住んでいらっしゃるんですか?」そう聞いたときに、主人は 「お恥ずかしいことがあるんです」 「いったいなんです?」 「ちょっと人にいえないことがございましてな」 「どういうことです?」 「実は、もう一人、娘がおりましてね」といった。 「えっ、もう一人いらしたんですか」ハハン、あれがその娘か。 「どうしてごいっしょにお食事なさらなかったんです?」 「はい、実はその娘はレプラなんです」  これは、ヒッチコックさんに二十幾年前に聞いたお話なんです。現在はレプラなんて病気は完全になおりますから、決してこわくないですね。だから、ちょっとここでスタイル変えましょうか。  ご主人が車のそばにやってきて 「とってもお恥ずかしいことがあるんです」 「いったいなんです?」 「はい、実は二晩通いましたのは、実は私でございました」  まあ、いやらしい。  この、映画じゃないお話のなかにも、ヒッチコックタッチというのがよく出てるんですね。そういうわけで、ヒッチコックのお話のうまかったこと。ヒッチコックは、スリルのなかにセックスとユーモアをみごとに入れて驚かせる人ですねえ。 ●鶏がきらい、卵がきらい  ヒッチコックという人は、生家の商売のせいで毎日毎日鶏をしめ殺していたので、鶏が大きらい。卵が大きらい。日本に来たときも、ビフテキばかり食べてたから、あんなにふとっちゃったんですね。  ヒッチコックの映画のなかで、まあ、卵の使い方の憎らしいこと。女が怒る。そのあげく吸いさしの、火のついた煙草を、ハムエッグスの卵の上に、ギューッと押しつけて出ていきますね。目玉焼きの片っ方の卵の上に立てて、いかにもその煙草が生々しく、卵に突き刺さったところが気持わるいですね。それから台所と廊下でけんかしてます。ガラス戸があります。台所の男が、廊下の男に「ばか野郎!」といいながら、ちょうど持っていた卵をターッと投げたら、ガラスに卵が当たって、黄身が破れて、ヌルヌルヌルヌルヌルーッと、線を引いて下へ流れていきます。鮮血のかわりに、黄身ですね。卵の黄身が鮮血のように、ヌルヌルヌルヌルヌルーッとおりてくる。ヒッチコックは卵の使い方がいじわるいんですね。  ヒッチコックはロンドンで生まれて、二十一歳のときに映画会社に入りました。アメリカの会社のイギリスの支店に入りました。  そこへ入って、なにをしたか? タイトルかきになったんです。この人はだいたい、美術家になろうと思ったんですねえ。なんか包装紙のデザインやろうと思ったんですね。一九二〇年頃、タイトルかきになっていましたから、私はその頃の映画はなんだろうと調べてみましたら、ベティ・カンプスン主演の「仮面の毒婦」だとかいろいろいい映画がありました。あんな映画のタイトルをかいていたんですね。  それから、二十四歳で助監督になったり、脚本書いたり、美術セット作ったりしました。二十六歳から監督になって、一本立ちしてイギリスでたくさん映画を作りました。そういうわけで、ヒッチコックは、もうサイレント時代から、古い古い古い、長い長い経歴をもっています。今の七十七歳まで、どんなに大事に映画を見ているか。映画こそ目で見るもの、映画こそ目で見せるもの、そういうことを映画のなかで強調してきた人ですねえ。  ヒッチコックの映画は、どれでも目で見ることがこわい。たとえば、「断崖」(一九四一)なんて映画があります。  これは、奥さんが、旦那さんに殺される、殺される、殺される。そればっかり心配してるんですね。すると、ある朝旦那さんが「おまえは、あんまり神経を使いすぎる、少し静かに寝てなさい」といってコップにミルクを入れて持ってきたんですね。この奥さん、そのミルクがこわくてこわくて、きっと私を殺すミルクなんだわ。まあ、ふるえてます。すると、旦那さんは、「おまえ、心配しないで、このあたたかいミルク、これを飲むと神経がやすまるよ」  奥さんがそのミルクをじーっと見ているところがこわいんですねえ。この映画、暗い部屋のなかでミルクを見ている、その奥さんの目がこわいし、そのミルクがこわいんですね。  そういうときに、このミルクをどうしたでしょう? はい、ミルクの中に小さな小さな豆電球を入れて、ミルクの白さを強調したんですね。ミルクがいかにも白い。その感覚がいかにもこわく感じられるんですね。そういうわけで、ヒッチコックは、画面のなかの目で見る、目に訴えるこわさ、それを上手に見せます。 「マーニー」(一九六四)なんて映画がありましたねえ。みなさんよくご存知でしょうけれども、悪い女がいまして、この女が、まあ、悪いことばっかりする。金庫を破ってお金をとる。そうして、次の所へ行くときには、髪の形を変え、洋服も変えてすっかり違う女になる、そんな映画でしたね。あの映画でも、女が次の犯罪を行うときに、自分の家の洗面所で、頭を洗うところがあります。染めた頭を水の中に入れる。すると、その水はサーッと黒く濁《にご》っていく。ああいうところがうまいんですね。なんでもないけど、そういう目で見せるところがこわいんですね。  なんといっても、ヒッチコックの映画は、目で見せるものですね。「北々西に進路をとれ」(一九五九)だって、やっぱり目で見るこわさ。  一人の男がいました。荒野みたいなとこでバスを待っている。次のバスまで一時間。この男、日陰もないので困っています。  すると、向こうから小型の飛行機がやってきました。それは畑の上に薬をまいていく飛行機です。まあ、あんなところに飛行機が飛んでるなあ。はじめはのんきに見ていました。のんきに見てると、だんだんだんだん、その飛行機が自分のほうへ自分のほうへやってきます。おかしいな、おかしいなと思っていると、自分の頭の上にきて、自分を撃とうとしましたね。でもこの男、全然逃げ場がないんです。森も林も樹もなんにもないんですね。さあ、この男、走ったって飛行機にかないっこありませんねえ。そういうこわさ。どのようにして、この男はどこへ逃げるでしょう? という、そういう目で見て、ハラハラハラハラさすところがヒッチコックは実に上手です。  そういうわけで、ヒッチコックのおもしろさは、私たちが考えられない、ここでこの男いったいどうなるだろうか? とはらはらさせる、こういう見せ場がうまい。たとえば、しめ殺される女の眼鏡が飛んだ。女は苦しい、苦しいといってると、眼鏡のレンズが、その首をしめられてる女を映している。その眼鏡がとっても度がきつい。だから、ゆがんで見えるんですね。そういうふうに、まあ、ヒッチコックとキャメラが非常に仲良くなって、いかにもおもしろい。  ヒッチコックの映画がこわいというのは、キャメラアングル、キャメラタッチがいいんですね。  さあ、最初からずーっとお聞きになってこわかったでしょう。あの砂漠の話なんか、ゾーッとしたでしょう。なに? ずーっと寝てた?  まあ、あんたの神経、いったいどこにあるんでしょうね。それではまた、  サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ。 [#改ページ]   記 録 映 画  はい、みなさん今晩は。  今夜は、記録映画について、みなさんと楽しくお話しましょうね。ろくでもないことするなって? ろくでもないこと、どうして? |きろく《ヽヽヽ》だから。あんた、そんな安っぽい洒落いいなさんな。まえからあんた、頭わるいと思ってたけど、まあ、そんなこというんですか。ちょっと、あんた、表へ出てくださいよ。  はい、みなさん、あのじゃま者がいなくなりましたから、ゆっくり、これから記録映画について、お話しましょうね。 ●記録映画に出る実力  映画って、これはほんとうに記録映画に、映画の魅力というのか、映画の、ほんとうの実力を出しますねえ。  遠い遠いアフリカだとか、ああいう所のほんとうの景色、ほんとうの土地の匂い、そうして、その土地の人たちの顔。その顔の表情までが、手にとるように見えますね。  これは、いくらきれいな本を読んでも、これほど匂いが迫ってきませんねえ。ここに記録映画の良さがありますね。そして、私が考えておもしろいことは、演出ですね。演出というのは、撮り方ですね。それがおもしろいんです。西洋人たちは、実に表現がうまいんですね。「さらばアフリカ」(一九六六)でも実写です。けれども、その見せ方が上手ですねえ。  たとえば、まあ、話は飛びますけれども、シネラマというのが、初めて誕生しましたね。大きな大きな、左右いっぱいひろがってるあの大きなスクリーン、あれを初めて私が見たとき、ちょうどそのとき、ハリウッドにおりました。「ジス・イズ・シネラマ」(一九五二)というのを見よう、さあ、行きました。行きましたときに、私がびっくりしたことを申しましょうか。  それは、大きなスクリーンじゃないんですねえ。その見せ方、その方法にびっくりしたんです。まあ、左右いっぱい、すごくしぼったカーテン、赤いカーテンがありました。さあ、これからシネラマを見るんだと喜んでおりました。今でこそ珍しくありませんが、そのとき、初めてこんな見渡すかぎり左右いっぱいのスクリーン、どう映るんだろう? 生まれて初めてですから胸おどらせて見ていますと、サーッと真ん中だけが開いたんですね。普通の映画のとおりだ、アラッと思った。電気が消えたんですね。すると、そこに人が現われて 「みなさん、映画というものは、どうして生まれましたか。はい、このとおり。ごらんなさいね。ここに壁画があるでしょ。牛の壁画がありますね。この牛の足見てごらんなさい。四本五本、六本七本八本、九本十本ありますね。牛の足が十本なんて、どうしてでしょう。はい、古代の人たち、石器時代の人たちは、この壁に絵をかいてますね。その絵は、牛が動いてるとこかきたかったんですね。けれども、動かないから、足をたくさんかいたら、動いているように見えるかと思ったんですね。はい、人間は、生まれたときから動くところを表現したかったんですね。というわけで、そこから映画が誕生したことはご存知ですね。さあ、それからサイレントからトーキーになり、やがて、シネラマになりました」  そう説明したんですね。ははあ、おもしろいこと説明するなあ、と思ってますと、ウエスタン第一号の、エドウィン・S・ポーターのもう古い古いフィルム「大列車強盗」(一九〇三)が上映されたんですね。やがて 「さあ、これからみなさん、シネラマをごらんください。ジス・イズ・シネラマ!」  といったときに、サーッと音をたててスクリーンが開いたんですねえ。そして、ワァーッとひろがったのが、すごい大きな大きな画面、迫ってきますね。なるほどうまいなあと思ったんですよ。そういうわけで、表現のしかたがうまいんですねえ。「さらばアフリカ」にもそれがあるんですねえ。  日本の万国博覧会に行ったときに、その万国博覧会で、こんな手法の上映をいたしました。ちょっと、それお話しましょう。  それはシルクラマといいました。サークルラマということですね。それは、天井にも、左右の壁にも、全部にスクリーンが映るんですねえ。さあ、天井も左右も前もうしろも全部スクリーン。まあ、おもしろいことをやるなあ、と見てますと、パーッといっぺんに映りましたね。紅葉《もみじ》の葉っぱ。どこもここも紅葉。紅葉のなかに私たちは埋っている感じがしました。  けれども、私はなんて表現方法が下手なんだろうと思いましたねえ。どうして、初めからパーッと全部見せるんだろう。まず最初はそんなことをしないで、一部分だけ人を見せて、その人が、さあ、これからシルクラマをお見せしますよ。シルクラマとはなんでしょう? サークルラマですね。サークルとは円ですから、これ、前もうしろも横も全部映るんです、といいながら、その人がずーっと右の方へ右の方へ行きながら、しゃべって、いつの間にか一回転して、あら、うしろへ行ってる、あら、前へ来た。というふうにして、さあ、これからごらんなさい。そこで、パーッと天井もどこも全部に映ったら、どんなにびっくりするだろうと思ったんですね。そういうわけで、日本人に比べると西洋人は、演出、見せ方、そういうものが、上手なんですねえ。 ●残酷物語の教祖グアルティエロ・ヤコペッティ 「さらばアフリカ」、このイタリア映画は、アフリカが白人の支配から解放された、黒人国家になったときの実写ですねえ。記録映画ですねえ。アフリカアディオスというんだから、どんなことをするんだろう? まず、ライオン、いや象のシルエット。夕陽を受けて、象がほえてるというんですか、そんなところから始まってくるのかと思いました。あるいは、キリンが走るところを映すのかと思いました、タイトルバックに。違いましたねえ。 「さらばアフリカ」のタイトルバックはなんでしょう? 大きな大きな画面いっぱいに、白人の兵隊の口が映りました。前へ進め! まあ、びっくりしましたねえ。それから右へ曲れ! 止まれ! まあ、唇ですよ。今度は、黒人の号令、白人の号令。そうして、このタイトルバックは消えて、本編に入っていきました。なぜ、こんなところからスタートしたんでしょう。  はい、これは白人の支配から解放された、新しいアフリカ。それを見せるための、最初は、その解放、解放。その号令|一下《いつか》の唇から、始まっていきましたねえ。一九六六年。イタリアのヤコペッティは、おもしろい演出をしましたねえ。  はい、「世界残酷物語」(一九六二)は、いやらしい映画でしたねえ。私、好きじゃありませんね。イタリアの人は残酷ですねえ。五年に一度のお祭りがあって、数百頭の豚をたたき殺して、たたき殺して焼くところ。あるいは、牛の首を青竜刀でパーッと切って、血が飛び散るところ。ほんとうに今の瞬間まで、牛が目をこっちに向けて、モーといってたのに。かわいそうに。  この映画は、そういう場面を、まあ、容赦《ようしや》なく見せましたね。だから、「世界残酷物語」は、こわい映画という評判でしたが、ヤコペッティは、それだけではありませんねえ。もっと、いたずらをしましたねえ。みなさんお気付きになりましたか。ちょっと申し上げましょうか。この作品、あるいは「続・世界残酷物語」(一九六三)に入ってたかもしれませんけれども、バレンチノという人がいましたねえ。ルドルフ・バレンチノ。サイレントの大スターですね。美男スター。ちょうどサイレントのアラン・ドロンですね。このバレンチノがイタリア人だというので、その町が改めてバレンチノを尊敬しだして、わが町で育ったバレンチノのために、銅像を建てました。その記念像の除幕式から、キャメラはずーっと撮っております。  ヤコペッティですよ。残酷物語ですよ。なにが残酷でしょう? たくさんの人がいっぱい集まってます。キャメラは、バレンチノのその像を写しています。バレンチノは、髪の生えぎわが長いんですね。ちょっとスペインふうなんですね。そして、頭の刈り方が、バレンチノスタイルなんですね。その銅像をじーっと写しながら、そのキャメラは、大勢の人が見ているところ、見ているところをパンします。キャメラがずーっとなめるわけですね、移動するわけですね。やっぱりバレンチノというわけで、アンちゃん、お兄ちゃんたちが、たくさん見てますね。  すると、キャメラが、だんだんだんだん、そのお兄ちゃんたちを撮りながら、一人の男のほうへ、男のほうへ男のほうへ寄ってきました。その男は、はじめ、いやがりました。キャメラがこっちへくるから、横向いて恥ずかしそうな顔をしました。それでも、キャメラはずーっと寄っていきます、寄っていきます、寄っていきます。  そのとき、まあ、その男は思わずキャメラがこんなに寄ってくるのは、おれがきれいだから、おれの顔がハンサムだから寄ってくるんだな、とどうも勘違いしたらしいんですね。急にその男は、すーっと澄ましだした、その澄ました顔──ちょうど生えぎわがバレンチノスタイル。髪の刈り方もバレンチノスタイル。けれども、顔だけは天と地の差。いやらしい顔──その男は、澄ましてキャメラのほうを向きました。  ここに残酷物語がありますねえ。本人はきれいと思ってる。キャメラはこのまあ、なんちゅう汚い顔、バレンチノとはえらい違い、と思って撮ってるかもわからない。そういうところに、ヤコペッティは、なんともしれん鋭い、憎らしいひらめきを見せました。  そういう場面が、まだまだ、まだまだ、ありましたねえ。  たとえば、犬のお墓がありました。これはアメリカです。ロサンゼルスです。お金持の奥さんが、泣きながら犬を連れて、死んだ自分のワンワンのところへ行って、なにかしらないけれども、ビスケットみたいなものを置いとります。前にはきれいな花が供《そな》えてあります。けれども、キャメラがずーっと寄りますと、その花は造花でした。そうして、そのまあ、腕輪をジャラジャラ、ジャラジャラいっぱいつけたおばさんが、泣きながら、犬を連れて帰ろうとしたときに、その犬が、引っ張られながら、その造花のところで、片足あげて小便しました。まあ、なんでもないけれども、その瞬間なんという残酷なという感じをうけました。花は、造花で、生きているワンワンが、死んだワンワンの墓の前の花に、小便ひっかけて帰る、けれども、おばさんは泣いている。なんともしれんところがありました。  というわけで、「残酷物語」「続・残酷物語」どちらであったか、覚えていませんが、ここで、私がびっくりしたこと、口ではいえないこと、ちょっといってもいいですか? こんなこというと、あんた、急に目を覚ましましたねえ、いやらしいね、あんたは。さあ、申しましょう。あんまりよく聞かないでくださいよ。  ここに、女の救援隊がいます。溺《おぼ》れた人を助けるんですね。からだのきれいな、立派な女たちです。それが一〇人、一五人並んで号令掛けます。はい、並びます。砂の上に。海岸です。遠くのほうで男が一人、溺死《できし》スタイルで、訓練ですから、溺死寸前のスタイルで泳いどります。助けてくれぇ、助けてくれぇ!  という格好しとりました。そこで、ピリピリーッ、と号令一下、六人の女が抜手を切って、その男を助けに行きました。引っ張ってきました。引っ張ってきました。その男は、溺れた感じで、六人の女にかかえられて、頭の上へ差し上げられるようにして、陸へあがりました。男は、砂地に上を向いて寝かされました。その男の上に、女の救援隊のリーダーがまたがりました。そうして、その両側に、女が二人ずつつきました。またがったリーダーが、一生懸命男の腹を押えました。そうして、唇から吸うようにして、水を出そうとしました。ぴちぴち張り切った女の人が、その男の上に乗って、からだを押しつけております。両側の連中も押しております。キャメラは、その男の下のほうから撮っていますねえ。こちらから見ますと、男は大の字になって、股を広げて寝ておりますねえ。その上に女の人が乗って、一生懸命からださわってますねえ。こっちからキャメラ向けてますねえ。これ、ちょっとつらいですねえ。まあ、なんでつらいか? そんなことご想像ください。これ、男にとったら残酷かもしれませんね。頭のほうから撮らないで、足のほうから撮ってますものねえ。  ヤコペッティは、いやらしいことしますねえ。  これから、「世界女族物語」(一九六二)のお話をしましょう。これは楽しい映画でした。いろんないろんな場面が出てきましたね。ここで、ヤコペッティという人が、なんともしれんおもしろい感覚をもってることを申しましょう。  女がまるで男そっくりですね。日に焼けて。女の兵隊ですね。それがみんな行進して、そして休憩の時間。スパスパ、スパスパ煙草を吸ってる。ショートパンツ、そうして、ゲートルのような長い毛糸のものをつけて、ゴム靴はいて。顔は日に焼けて真っ赤。それが煙草をふかしてる。  そうして、腰掛けると、まあ、片っ方の足をあぐらをかくように曲げてる。まるで男そっくりですね。そんな、男かと思える女の兵隊の姿をどんどん、どんどん見せました。この女の兵隊が、二人話しながら歩いてる。いかにも真っ赤に焼けて、そばかすだらけで、男と同じ顔してますよ。そのときに、二人話しながら歩いている女の一人は、脇にノートを二冊かかえておりました。そうして、思わずかがみました。  なにしてるんだろう? 見てますと、この女の兵隊は、そこにあったクローバーの花をとって、ノートの中にはさみました。そのクローバーをはさむときに、うつむいたときに、女の胸が見えました。シャツの間から、おっぱいのふくらみが見えました。クローバーを、ノートにはさんだ──ここに、女がちゃんとでてきましたねえ。男の兵隊だったら、クローバーなんかとりませんね。やっぱり男のような格好してても、ここに女ありというところが、よく出ましたねえ。というわけで、イタリア映画の記録映画はずいぶんたくさんあります。  たとえば、「緑の魔境」(一九五五)なんていうの、これは違う監督でしたねえ。ジャン・ガスパレ・ナポレターナなんていう人が撮っとりますねえ。緑の魔境というのは、南米のリオデジャネイロですけれども、これなんかも、映画でないとわからない、残酷ないやなものが出てましたねえ。  一頭の牛が、ピラニヤという、すごいすごい魚、ちっちゃな金魚みたいな魚ですけど、肉食のすごい奴ですね。そのピラニヤの大群に、生きながら食われているシーンが出てきました。こんなシーンは、見たくありませんねえ。どうやって、キャメラを据えてるんかと思いますね。見てる間に、見てる間に、このかわいそうな牛は、骨だけになってきましたね。  まあ、こういうのもいやだけど、これも記録映画の、まあ、かなしい楽しさというんでしょうか。楽しさとはいえませんけど、こわいシーンですね。映画でないと撮れませんね。 ●活動写真はすべて実写  昔々、明治の三十三、四年頃から、活動写真はありました。その頃、実写のほうが多かったんですよ。つまり実写というのは、記録映画ですよ。製作本数を記録映画が一五本としますと、劇映画が三本、活動写真が生まれた頃はそんなもんだったんです。だから、記録映画というのは、ほんとうの活動写真の祖先なんですねえ。  たとえば、明治三十三年、あんた、生まれてた? もちろん空気でしたね。その頃、日本の撮影したものに「回向院《えこういん》夏場所大相撲」なんていうの、もうすでにあったんですねえ。それから、明治三十四年には、パリの大博覧会なんていう実写があったんです。  そういうわけで、明治四十三年、四十四年の実写の作品、ちょっと見てみましょうか。おもしろいのがありますよ。「空中飛行機」、まあ、飛行機がおもしろかったんですねえ。ロンドン市長の新任|披露《ひろう》の挨拶。パリ大洪水。アフリカ、土人の風俗。もう、この頃から、そんな記録映画があったんですね。  明治四十三年のロシヤの作品におもしろいのがありますよ。ハルピン駅頭、伊藤公の射殺のシーン、そんなんあったんですよ。ほんとうかどうかしりませんけど、実写にあったんですね。  明治四十四年には、シカゴの大火だとか、飛行家マースの飛行実況だとか、あるいは、飛行機と自動車の競走とか、英国皇帝の戴冠式。今なら見に来いといっても、そんなもん見にいきませんねえ。けど当時、これがえらい呼び物だったんですね。  ニューヨークの風景。ベルリンの風景。エジプトの名所。イタリアの名所。トルコの名所。ナイルの風景。アフリカのライオン狩り。そんなのがあったんです。  明治四十五年には、欧米人の見た乃木大将。そんなもんもあったんです。昔はこれがえらいえらい映画の呼び物でした。というわけで、まあ、「緑の魔境」の、ピラニヤという魚に一頭の牛が食い殺される──これもまあ、そういう明治の頃からずーっと流れてきた実写のひとつの精神といえましょうねえ。 ●イタリアとフランスとアメリカの違い 「最後の楽園」(一九五七)、あれはきれいでしたねえ。これは、フォルコ・クイリチが監督です。非常にきれいで、南太平洋に浮かぶあのタヒチ島ですね。その自然と生活。もう、タヒチが疲れて、だんだん、だんだん原始的な、きれいなきれいな、大自然の美しさがなくなっていく姿を見せました。最後の楽園ですね。  また、現地の民俗音楽をアレンジした「パペーテの夜明け」という音楽が、よかったですねえ。  さあ、そういうふうに映画はいろいろありますが、フランスになってくると、ちょっと変わってきますね。  フランスに、あのアクアラングを発明したクストーという人がいましたね。ジャック・イブ・クストー。あの人なんかはすごいですねえ。「沈黙の世界」(一九五六)。だいたいフランス人は詩人ですね。だから、同じ作るんでも、詩的な探し方します。詩的なもの、きれいなもの。だから、海の底、音のしない世界。その世界がどんなに神秘的か。どんなに美しいものか。ここらがイタリアの記録映画と違いますねえ。イタリアの記録映画というのは、いかにももの珍しく、生臭いですねえ。フランスはやっぱり詩人が多いというのか、クストーも「沈黙の世界」で、まあ、深い深い七五メートルの深海にもぐっていきますね。そうして、まあこんなのどうやって撮影したか、と私たちが思う、海の底の、私たちが絶対に行けない世界を見せましたねえ。この人のもので「太陽のとどかぬ世界」(一九六四)なんていうのは、もっともっと神秘な、青い青い海の底が見えましたね。というわけで、フランスは、やっぱりイタリアとちょっと違いますねえ。  アメリカのは、また違いますねえ。「青い海と白い鮫」(一九七一)というのありました。これは、ピーター・ギンベルという人が製作、監督しました。  人間が、鉄の檻《おり》の中に入って、どんどん、どんどん海の底へ入って行きます。南アフリカのダーバンから、ずーっと南に行ったところですね。そこで撮影したんです。五カ月かかって。やっぱりアメリカは、いかにもアメリカらしい撮り方ですね。そうして、檻の中から、どんどん、どんどん鮫を見ますね。向こうから鮫がやってきます。やってきます。やってきます。さあ、その鮫すごいです。その鮫が、人に食いつこうとしますけれども、檻があるから中へ入れません。その鉄の棒に、ガツン、ガツン、ガツン、と当たるのが、キャメラで、真正面からとらえられてるんですね。鮫の歯が、鉄の棒にくいこんでるところがすごいですね。しかも、大きな口を開けるところを真正面から撮ってるから、鮫の扁桃腺《へんとうせん》が見えるくらいですね。そういうわけで、鮫ののどの奥まで見せた。やっぱり映画の魅力ですねえ。 ●記録とドラマの結びつき 「チコと鮫」(一九六二)は、やっぱりフォルコ・クイリチ監督作品ですけれども、ちょっと劇的になってますね。  タヒチの少年チコと、人食い鮫の友情ですねえ。非常にきれいでした。あのきれいなきれいなタヒチの海岸の、あの海のきれいなこと。色のきれいなこと。まるでコバルトの宝石が流れているようでしたねえ。  そこで、チコという少年が、入り海のなかで、ちょうどなにかイケスみたいなものを作って、そこに小さな小さな鮫の子を連れてきましたね。遊んでますね。まあ、私は海が好きで好きで、海にはもう夢中ですから、あれを見たらよだれがでるくらい、ああ、行きたいなあ、タヒチに行きたいなあ、と思いました。  やがて、チコと鮫が、だんだん、だんだん仲良くなって、毎日毎日遊んで、鮫の背中に乗ったり、しっぽをつかんだりしましたねえ。人食い鮫ですよ。やがて、その鮫は大きくなりました。それで、この少年は鮫を海に放さなくちゃならなくなってきました。放せない。けれど、おもしろいかたちで、別れを見せますねえ。  チコは、|たこ《ヽヽ》をあげました。黄色い|たこ《ヽヽ》。その|たこ《ヽヽ》を青空高くあげました。ボートに乗って、真っ青の海の上から。|たこ《ヽヽ》をあげてます。そばに、その鮫がいます。ピピピピピ、笛を吹くと、そばへ寄ってきます。チコは、その|たこ《ヽヽ》の糸を、もう、おまえとお別れだよ、といって鮫のしっぽへくくりつけましたね。さあ、お行き。さあ、お行き。鮫は、それを聞いてわかったかどうか、やがて寂しそうに、何度も何度もふり向きながら、海の遠くへ遠くへ、そうして、海の底へ深く深く入って行きました。|たこ《ヽヽ》をしっぽにつけたまま。やがて、この黄色い|たこ《ヽヽ》が、空から、だんだん、だんだん引っ張られて、引っ張られて海のなかへ消えていきました。なんともしれん少年チコと鮫の別れでしたね。おもしろいシーンでしたね。  チコは、やがて成長しました。そうして、あるとき、沖で泳いでいました。そしてもぐりました、もぐりました。もぐっていくと、向こうからすごい鮫が一匹やってきました。いかにもこわい顔してやってきました。その鮫は、すーっとチコのそばへ寄ってきて、からだをこすりました。あれ? この鮫は僕に食いつかないな、と見ると、大きな大きな鮫のしっぽに、かすかにかすかに|たこ《ヽヽ》をくくりつけた糸が残っておりました。あの鮫だったのです。少年は、やがて成長して青年になり、海のなかで鮫と再会したんですねえ。ここらあたりが、なかなかおもしろうございました。 ●「ねむの木の詩《うた》」の清らかな感動  日本の映画で、とっても胸を打たれた、感心した映画があります。それは、「ねむの木の詩」(一九七四)、もう、みなさんご存知でしょう。宮城まり子さんが作りました。一時間二十九分の記録映画です。すごく立派なものですね。  宮城さんは、一九六八年に、静岡県の浜岡町に肢体不自由児の養護施設を作りましたね。えらい人ですねえ。六年間、その施設のいろんな子供を見ているうちに 「どうにかして、これを記録に撮りたい。けれどもいかにも私が作ってる、私がのさばったようなものはきらいだ。そうして、子供たちがかわいそうだ、かわいそうだ、という映画もきらいだ。なにか温かいものを作りたい」  そうして、これが生まれたんですね。なるほど、この映画は、園児が、四七名。先生が六名。保母、指導員が二〇名。そういうことも、ろくに説明しないで、いかにもクレヨン画のように、パステル画のように、綴り方のように、子供の楽しい姿を、あれこれあれこれと見せてるんですねえ。その優しさ、その美しさ、みごとでしたねえ。  さあ、どういうこといっていいかわからないけれども、この子供たちは、お父さんやお母さんがなかったり、あるいは、お父さんがあっても、もうどっかへ行っちゃったり、そういうふうな、かわいそうな子供さんたちもいます。生まれながらに足の動かない子供さんもいます。それを一生懸命なおしてるのを見せるんじゃありません。子供たちのスケッチです。子供たちの童謡、あるいは、詩などがちょっとでてきます。  たとえば、足の不自由な女の子が、八つか九つぐらいでしょうか。その女の子が、私こんな夢、いつも見るんです、といいます。 「私、町で、ゴーストップで、あの信号がゴーになったとき、パーッと走って行きたいの、走って行きたいの、赤い靴はいて」  その子は、生まれたときから歩けないんですねえ。いかにもその女の子が、私、走りたいの、走りたいの、というところに、なんともしれんいじらしさが出てます。そうして、その子が、一生懸命、一生懸命歩く練習してるところが出てきますが、いつでもスマイル、顔が笑ってるんです。ニコニコと。そこにこの映画のなんかしれん救われたところがあるんですねえ。運動会もでてきます。足がわるい子。手がわるい子。どこか不自由な子が、たくさんでてきますが、一人の足のわるい女の子が、運動会の初めに、マイクの前で 「みなさんこれから運動会を始めます。しっかりやりましょうね。さあ、今日は楽しくやりましょうね。昭和何年何月何日、ねむの木学園」  なんて、いうとこあるんですね。先生が、女の子に 「さあ、あなた挨拶なさい」  すると、その子は恥ずかしそうな顔をして、歩けない足を一生懸命引きずってマイクの前へ来て 「みなさんこれから運動会……」  というところで、次がいえないんですねえ、その子。恥ずかしがって、|あが《ヽヽ》っちゃって 「ううう、ううう──」  言葉にならない言葉をだして、そのあと、泣いちゃったんですねえ。先生が 「がんばんなさい。がんばんなさい」  とうとうその子はあとがいえなくて、先生が代りにいってやったときに、その子は泣きながら、最後の昭和何年何月のところだけ懸命にいうんです。ほろりとします。  この映画は、肢体の不自由なところは見せないで、子供の心、そういう童心を見せました。  ここに、まあ、たくさんの子供おりますけれども、一人の男の子。この子も歩けないんです。いかにもかわいい、かわいい顔してます。この子のお父さんは、広島で原爆を受けて、今でも病院におります。お母さんはありません。小学校一年生になったかならずの子ですねえ。かわいい顔してます。やんちゃな顔してます。  あるとき、みんなで海岸にピクニックに行きました。「さあ、砂丘の上へあがりましょう。はい、みなさんあがりましょう」ちっちゃな子も大きな子も、どんどん、どんどんあがっていきます。女の子も男の子も。海の風がきれいです。みんなのシャツにもパーッと風が当たって、いかにも海岸の感じがしています。てんでばらばら、向こうもこっちも、みんなあがっていきます。いかにもピクニックの楽しい風景です。けれども、よく見てますと、みんな必死になってあがってます。あがってます。  さあ、大方あがったな、と見ると、あの小学校の一年生ぐらいの男の子が、歯をくいしばって、両手で砂をかいて、かいて、足は動けないからなんとかしてあがろうとしています。あっちでも、こっちでも、横でも見ています。その子は、一生懸命砂をかいてます。砂をかいてあがっていくから、顔をあげますと、顔中砂だらけ。でもその子は笑ってるんですね。にっこり笑って 「フ、フ、フ、ぼくまだよ、ぼくまだよ」  がんばれ! がんばれ! あがっていきます。がんばりました。さあ、どれだけ時間がたったでしょう。いよいよ上へあがってきました。すると、あっちでも、こっちでも手をたたきました。いよいよ上へあがるところで、ちっちゃな男の子が二、三人。駆けるように、すべるようにして、その男の子のところへ来て、うしろからお尻を押しました。  そのとき、私は涙があふれました。うしろから押す子供もやっぱり足がわるいんです。からだがわるいんです。その子たちが見かねて、ころころとおりていって、ちっちゃな子ですよ。幼稚園に行ってるような子が、そのお兄ちゃんのうしろから押したときに、その子が笑いながら、「うん、うん、うん」といってとうとう上へあがって、にっこり笑って、うしろを向いたら、海が、船が、広い広い海が、初めてその子の目にしみこむように見えたんですね。そのときの、その子の顔は、なんときれいだったでしょう。一生懸命やったあとの美しさ。  いよいよあがる最後のところで、ちっちゃな坊やがころっとおりてきて、その子のお尻を押す──そこになんともしれんこの映画の心がありました。 「ねむの木の詩」は、いかにもきれいな、童話のような、かわいそうな、しかしニコニコ笑った明るい映画でした。  明るいだけに、見たあとには、胸にしみこむつらさがありました。  さあ、記録映画にもいろいろ、いろいろありましたねえ。記録映画とは、生き生きとして、血が通っているんですねえ。  あなたも、たまにはごらんになってくださいね。  サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ。 [#改ページ]   映画の祭典アカデミー賞  はい、みなさん今晩は。  さあ今夜は、アカデミー賞についてお話するんでしたね。あら、あんた、ぱっちり目をあけましたね。いつも、あんたは寝ているくせに。なんですって? アカデミー賞なら自分がもらいたいですって? まあ、あんたは欲ばりですねえ。  アカデミー賞いうたら、それはもう、アメリカの映画界が大変なんですねえ。アメリカどころか、世界中が注目してますねえ。え? あんたも注目してた? そうですねえ、私もそうですよ。毎年、毎年、どんな作品がアカデミー賞をとるか、おもしろいですねえ。さあ楽しく、アカデミー賞のムードに入りましょうねえ。 ●「キャバレー」のライザ・ミネリ  さあ、最近のアカデミー賞とった映画で、私がとくに忘れられないのは、ライザ・ミネリが主演した「キャバレー」ですね。これ、非常にハイカラな映画、ハイカラというより粋な映画なんで、日本ではさあ、当たるかどうか思ってましたところが、若い人がまあ、とっても「キャバレー」を愛しました。つまり評判よかった。  この「キャバレー」はね、アカデミー賞で八つの賞をとってますね。一九七二年、第四五回のときですよ。主演女優賞にライザ・ミネリ。監督賞にボブ・フォッシー。そして助演男優賞にジョエル・グレイ。このジョエル・グレイというのがまたよかったですねえ。「マネマネマネー、マネマネマネー」なんて、あのうたい方も上手でしたねえ。それから、美術の監督賞をとってますねえ。撮影賞もとってますねえ。編集賞、音楽の編曲賞、それにサウンド賞、まあそういうわけで、八部門もとりました。  これで、ライザ・ミネリは一躍有名になりましたね。こういうふうに賞をとる、とくに主演女優賞なんていうことになると、その女優さんはうわーんと出演料があがるんです。だからまあ、アカデミー賞に当選した、オスカーとった女優さんはもう、キーキーキャーキャーです、喜んで。  このライザ・ミネリという人は、派手なというか立派なというのか、えらい人気ですねえ。そうして、ライザ・ミネリが「キャバレー」に出る前後、アメリカの「タイム」という週刊誌、それから「ニューズ・ウィーク」という週刊誌、どちらも粋な編集している週刊誌が、両方ともライザ・ミネリを表紙にしましたね。この表紙の人物になるということは、アメリカでは大変なんですねえ。それが、まだまだ若いのにライザ・ミネリが表紙になった、しかも、両方のトップ週刊誌の表紙になったというところがおもしろうございますね。  なぜでしょう? このアメリカの女の子、ジュディ・ガーランドの娘、ミネリ監督の娘というのが、ほんとうの生え抜きのハリウッド育ち、ロサンゼルス育ちだというので、アメリカ中が大拍手したんですねえ。アメリカらしいですねえ。つまり、オードリー・ヘプバーンも、オランダとかのあちらの系統。ソフィア・ローレンも、イタリア系統ですね。というわけで、最近の人気のあるスターはみんな、アメリカ人以外の人が多い。けれども、ライザ・ミネリこそは生粋《きつすい》のアメリカの女の子だというので、拍手が多かったんですねえ。  というわけで、彼女はみごとに「キャバレー」で主演女優賞とりましたねえ。で、このライザ・ミネリですけれども、この人のお母さんのジュディ・ガーランドは、数年前に亡くなりましたねえ。睡眠薬の飲みすぎで自殺だといううわさですね。それまでにも何回も自殺をはかっては助かってますねえ。あるときなんか、お風呂に入って、コップを割って、そのコップのかけらで両腕の動脈を切って、大騒ぎになったことがありますねえ。  そういうわけで、なぜ、お母さんはそんなにヒステリー、あるいは神経衰弱になったのか、まあいろいろわけがあるでしょうけど、昔々、その昔、ジュディ・ガーランドが小さい頃に、もう一人、小さい女優で歌のうまい子がいたんですねえ。  それはだれでしょう? あの「オーケストラの少女」(一九三七)に出たディアナ・ダービンです。このディアナ・ダービンとジュディ・ガーランドとが、小さいとき、五つか六つか七つの頃に、両方ともMGMに買われてたんです。つまり、少女役の一歩手前で、これからどうしようかなあという感じで、二人とも契約してたんですねえ。  そうして、二人で一本の短編を撮ったことがあるんです。ジュディ・ガーランドが、ホットジャズをうたってねえ、そうしてディアナ・ダービンはクラシックでうたうんですねえ。これが二人の初登場でした。ところが、そのあとに、ジュディ・ガーランドは人気がなくなり、ディアナ・ダービンがえらい人気になったんですねえ。  そういうようなことがありまして、まあ長い長い間、ディアナ・ダービンに負けてたんですねえ、ジュディ・ガーランドが。それがだいたい、一生涯つきまとったコンプレックスじゃないかと思うんです。そういうわけで、何度も何度も夫がかわり、それでしょっちゅう、自殺をはかった、そんなお母さんの娘ですねえ、ライザ・ミネリは。  お母さんは大変な収入があったんですけど、大変な支出もあったんですねえ。まあ派手な派手なパーティはする、そしてお酒は飲むし、ぜいたく三昧《ざんまい》で、それでいつもお金がなかったんですねえ。ライザ・ミネリはそのお母さんを助けていっしょに暮らしてたけど、お金をほとんどもらってなくて、お母さんのファンレターの代筆をしては小遣いをもらってたんですねえ。  けれども、このお母さんからいっぺん離れて独立しようと思って、ブロードウェイのダンサーになろうとしたことがあるんですねえ。ライザ・ミネリはあっちこっち駆け回ったんですけれども、そのときに、どっこも雇ってくれなくて、マンハッタンの、あの大きな大きなセントラルパークですか、あの公園で野宿したこともあるんですねえ。ホテル代もなくなって。あのジュディ・ガーランドの娘さんのライザ・ミネリが、そんな苦労したことあるんですねえ。  というわけで、まあ、その苦労が実ったのか、ライザ・ミネリは今、うたえて踊れて、演技のできるアメリカの代表的な女優になりましたねえ。「キャバレー」の主演女優賞をとって、まあどんなにうれしかったろうと思います。 ●アカデミー賞の最多受賞  ところで、この「キャバレー」でライザ・ミネリが主演女優賞をとった年、一九七二年には、作品賞が「ゴッドファーザー」でしたねえ。そうして、この映画のマーロン・ブランドが主演男優賞になりましたけれども、どういうわけか、マーロン・ブランドはそれを蹴りましたねえ。まあ、欲しくって欲しくって、もらったらキャーッて喜ぶ人がたくさんいるのに、それをことわる人がいるなんて、いろいろですねえ。  さあ、その受賞の会場に、アメリカのインディアンの女の子が、インディアンの服装でやってきまして、マーロン・ブランドの代りにことわる理由をいいましたねえ。そういうわけで、まあ大変な評判になりました。けど、ことわったのは、マーロン・ブランドだけじゃありませんね。一九七〇年に、あの、ジョージ・C・スコットは「パットン大戦車軍団」で主演男優賞に決まったのに、これを拒否しましたねえ。  で、マーロン・ブランドですけれども、この人は、一九五四年のあの名作の「波止場」のときは、ちゃんと主演男優賞をもらったんですねえ。さあ、それから「ゴッドファーザー」が作品賞をもらった、そして「ゴッドファーザーPART㈼」が一九七四年の作品賞をもらったんですねえ。つまり、第一部・第二部ともにオスカーとったというのは、アカデミー賞の歴史のなかでも珍しいですねえ。  ついでに申しますと、この「ゴッドファーザーPART㈼」は、作品賞のほかに、監督賞フランシス・フォード・コッポラ、助演男優賞ロバート・デ・ニーロ、音楽賞ニーノ・ロータとカルミーネ・コッポラ。きれいなきれいなニーノ・ロータの音楽、それを指揮しているのがカルミーネ・コッポラですね。このカルミーネ・コッポラはこの映画の監督さんのお父さんですね。それから、脚色賞、美術監督賞というわけで、この映画は六部門の賞をとりましたねえ。  さあもうひとつ、ついでに申しますと、この一九七四年には、助演女優賞を、まあ、イングリッド・バーグマンがとりましたねえ。「オリエント急行殺人事件」に出たんでしたねえ。このバーグマン、すでにもう二回も、オスカーをとってるんです。一九四四年に「ガス燈」で主演女優賞、一九五六年に「追想」で主演女優賞、そして今度は歳《とし》ですねえ、助演女優賞というかたちになりました。けれども、みごとでしたねえ。  そういうわけで、このアカデミー賞をいちばんたくさんもらった人はだれでしょうねえ。これは、ウォルト・ディズニーが二九個もオスカーをもらってますねえ。  それから、ゲーリー・クーパーなんていう人は、もうずい分前になりますが、「ヨーク軍曹」(一九四一)でもらいました。「真昼の決闘」(一九五二)でもらいました。それから一九六〇年に特別賞もらいました。三回ですねえ。  監督ではジョン・フォードですねえ。「男の敵」(一九三五)、「怒りの葡萄《ぶどう》」(一九四〇)、「わが谷は緑なりき」(一九四一)、それから「静かなる男」(一九五二)、この四本で四回も監督賞をもらってますねえ。やっぱりジョン・フォードは立派ですねえ。  その次は、ウィリアム・ワイラーですね。ワイラーは「ミニバー夫人」(一九四二)、「我等の生涯の最良の年」(一九四六)、それから「ベン・ハー」(一九五九)で監督賞をもらいました。三回ですね。  それから、さっきも六部門とか七部門の受賞のこといいましたけれど、いちばんたくさんの賞をとった映画はなんだったでしょうねえ。はい、「ベン・ハー」ですね。これが一一個のオスカー、一一部門の賞をとってますねえ。次が「ウエスト・サイド物語」(一九六一)で、一〇個とってるんですけれども、その振付で特別賞とってますから、やっぱり「ベン・ハー」と同じように一一になりますね。  さあ、そのほかには、「恋の手ほどき」(一九五八)というあのミュージカル、あれが一〇個とってますねえ。それから「風と共に去りぬ」(一九三九)が九個とってますねえ。「マイ・フェア・レディ」(一九六四)は八個、「パリのアメリカ人」(一九五一)も八個、「地上《ここ》より永遠《とわ》に」(一九五三)も八個、それから、あのエリア・カザンの「波止場」(一九五四)も八個とってますねえ。さっきも申しましたように、このときはマーロン・ブランドもニコニコと主演男優賞をもらったんですよ。  まあ、その次となりますと、「アラビアのロレンス」(一九六二)が七個、あの「キャバレー」(一九七二)が八個ですね。「戦場にかける橋」(一九五七)も七個とってます。このあたりが優等生ですねえ。  というわけで、賞をたくさんとったからいいかどうか、賞が少なくたっていいのもありますけれども、やっぱり、これだけの賞をとれるということは、受賞作品のそれぞれのスケールがわかりますねえ。 ●チャップリンとロビンソンの特別賞  というわけで、いろいろありますけれど、アカデミー賞というのは、その年その年の作品に賞が出るのがたてまえですねえ。ところが、映画が作られたときから二〇年もたって、賞をもらった作品があるんですよ。なんでしょう?  それは一九五二年のチャップリンの作品の「ライムライト」ですねえ。なつかしい映画でした。そうして、きれいな映画でした。もう、ほんとに胸がいっぱいになりますねえ。この映画が一九七二年のアカデミー賞で、音楽賞もらったんですねえ。なぜでしょう? 急にチャップリンにおべっかつかったのかしら、そう思いましたところが、そうじゃないんですねえ。  この「ライムライト」は、一九五二年に、アメリカでは封切ってなかったんですねえ。そうして、やっと一九七二年になって封切った。だから新しい映画として扱ったんですねえ。なぜ、そんなことしたか。もうみなさん、ご存知のように、「ライムライト」の製作中の頃は、アメリカがもうチャップリンをえらいマークして、追い出そうとしていたんですねえ。思想の問題で。ですから「ライムライト」を作った年、とうとうチャップリンは国外に追放されました。さあ、そういう人の作った「ライムライト」だというので、ハリウッドでは、その年には封切らなかったんですねえ。えらいことでしたねえ。  実はこのチャップリン、音楽賞をもらう前、その一年前の一九七一年、特別賞をもらいました。まあ、そのときに、私は、チャップリンが怒るだろうと思ったんです。前には国外に追放しといて、今更賞をあげるなんて、なんてことですか。皮肉にそういうのかと思ってたら、チャップリンは怒るどころか、サンキュー、サンキュー・ベルマッチといって、イギリスからアメリカへ行きましたねえ。私は驚きました。けれども、ここらあたりで、チャップリンのえらさがわかりますねえ。  ところで、アカデミー賞が生まれたのは、一九二七年から二八年、昭和二、三年の頃で、サイレントからトーキーになった頃ですが、その第一回のアカデミー賞で、チャップリンは特別賞をもらっているんです。「サーカス」という映画で脚本・主演・演出・製作をやって、特別賞ということになったんですねえ。まあそういうわけで、チャップリンも三回受賞しましたねえ。  まあまあ、いろいろありますけれど、特別賞というのは、チャップリンの二度目の特別賞のように、その年にいろいろ働いた人以外に、あの人だけは今のうちにあげないといけないなあ、あげとこうかなあ、いずれ死ぬかもわからないから……まあそういう意味もありますし、とにかく特別に映画に功労のあった人にあげましょうというので、特別賞というのがあるんです。  ちょっと、どんな人が特別賞をもらっているか、ペラペラペラと名前をあげてみましょうか。チャップリンがもらいましたねえ。ディズニーがもらってます。それから、D・W・グリフィス監督ももらってます。それから、ディアナ・ダービンも子役としてもらってます。このディアナ・ダービンと張り合ったジュディ・ガーランドも、ディアナ・ダービンより少しおくれてですが、子役として特別賞をもらってるんですねえ。  それから、シャルル・ボワイエがもらってるんですねえ。フランスからアメリカにやってきて、非常にアメリカ映画にいい影響を与えた名優というのでもらってます。やはり、アメリカ人ではありませんけれど、ローレンス・オリビエ、この人はまあもらうのが当然なくらいですねえ。アメリカで、「レベッカ」やいろいろなものに出たりしましたからね。  それから、ボブ・ホープ。まあこの人はアカデミー賞授賞式の司会ばっかりやってたからもらったんでしょうねえ。それが、この特別賞ばかり三回も、一九四〇年、一九四四年、一九六五年というわけで、三回ももらったんですねえ。それから、あの子役のマーガレット・オブライエンも特別賞。それに、ジーン・ケリー。ダンスの振付を立派に映画のなかにこなして、特別賞もらいましたねえ。  それから、ロイドももらってます。一九五二年ですね。バスター・キートンも、一九五九年にもらってるんですねえ。グレタ・ガルボももらいました。リリアン・ギッシュももらいました。もっともっと変わったところでは、ケーリー・グラントです。このケーリー・グラントという人があれだけ映画に出ていて、一回もオスカーをとってなかったんですねえ。それに気がついたのか、一九六九年に、ケーリー・グラントさんにもあげましょうといって、特別賞がおくられました。  もっともっと胸打つお話がありますよ。それは、あのギャング役者エドワード・G・ロビンソンが、胸をわずらって病気になって、もうだめだというときがありました。ちょうどそれが、アカデミー賞決定のひと月前でした。エドワード・G・ロビンソンはまだ一回もオスカーをとってない、これでは気の毒だ、あの人にも差し上げなくちゃいけないというので、特別賞に決まりましたねえ。そして、エドワード・G・ロビンソンの枕元に行ったんですねえ。とっても、あんた授賞式にいらっしゃいなんて、いえるような状態ではなかったんです。  しかも、これだけは今まで絶対にアカデミー賞の歴史になかったこと、前もって知らすということは絶対になかったのに、このとき初めて、公表にはまだ間があるのに 「エドワード・G・ロビンソンさん、今回のアカデミー賞では、あなたに特別賞を差し上げることになりましたよ」  といって、枕元で、オスカーを渡したそうですねえ。ロビンソンは泣いたそうですね。そしてそのあと、一週間か二週間で、ロビンソンは亡くなりました。一九七二年です。というわけで、まあまあ、いろいろと話していると、きりがありませんねえ。 ●アカデミー賞の歴史とオスカー  ここらで、ちょっと、アカデミー賞の歴史のことをお話しましょう。堅苦しくいいますと、アカデミー・オブ・モーションピクチュア・アーツ・アンド・サイエンス、映画芸術科学協会ということになって、この協会が出す賞なんですねえ。これが生まれたのは、さっきもチャップリンのとこでいいましたように、昭和二、三年なんです。一九二七年から二八年です。あなたは生まれてらっしゃらなかったかもわからないねえ。その頃は、もちろんのこと、生まれていませんでしたって?  さあ、その第一回の頃、協会の会員は三五名しかいなかったの。その人たちが投票してたんですねえ。投票で賞が決まったんですねえ。最初のときは、作品賞、男優賞、女優賞、監督賞、脚本賞、撮影賞、美術監督賞、技術効果賞、特別賞というふうだったんです。当時はまだ白黒でしたし、カラーになるのはそれから一〇年あとですねえ。というわけで、部門も少ないし、賞も簡単だったんです。それが今ではもう大変ですよ。ふえてふえて、二〇から三〇部門に近い賞になってきましたねえ。それから協会員も、三〇〇〇人から四〇〇〇人というふうになって、監督も俳優も投票できるんです。  この投票のこと、ややこしくて、私もよく知りませんけれど、六週間の間にねえ、どんどん投票してもらうんでして、そしてそれを集めてねえ、銀行で秘密に集計するんですって。そして、その投票数の多いものをノミネートするらしいんですねえ。ノミネート、候補ですね、それが各部門ともだいたい五の単位で選ぶんですね。作品賞なら五本の立派な作品、五人のすぐれた監督、五人のすぐれた主演女優ということですねえ。  さあ、ノミネートされたということだけでも大変ですねえ。で、最後に、そのなかから選んで一番が決まるわけですけれども、とにかく最後の最後、いちばん最後、なにが作品賞なのか、だれが主演男女優賞ということは、発表の前夜、最後のトータルが行なわれる晩にわかるんですが、実はそれが四人の人しかわからないの。その四人というのは、銀行の人ですよ、映画関係者じゃない人ですねえ。それが知っちゃうんですね。けれどもその人は、封をかたくして、銀行の金庫に入れてしまうんです。で、発表までは、|協 会《アカデミー》の会長もわからないし、だれも知らない。知ってる四人は銀行に泊まって外へ出ないんですって。まあ厳重なことをするらしいんですねえ。  けれども、その前に、いろいろと事前運動するようなことも、ないではないんですねえ。たとえば、もしも自分の作品が作品賞とったらいいというような感じをもったプロデューサーが、大きな週刊誌とか新聞とかに、どんどん運動するんですねえ。パーティーなんかもするんですねえ。  まあ、とにかくそういうわけで、大変な騒ぎで、これが世界中の注目をあびる映画の祭典になってきましたねえ。みなさんもご存知のように、この賞には、オスカーというのが出ますねえ。アカデミー賞だのに、あの黄金像をなんでオスカーというんだろうか、やっぱり説明しましょうねえ。  このアカデミー賞の協会には、事務所があって、二階に本がいっぱい置いてあるところがあります。私も、そこへ行きました。そこに、マーガレット・ヘリックさんという女の人がいるんです。  それで、アカデミー賞の二回目のときにねえ、初めて黄金像ができてきたんです。第一回目はまだ、その黄金像はなかったんですね。ハリウッドの有名な美術家がデザインして、二回目になってできてきた。さあ、それをこのマーガレット・ヘリックさんが見てねえ、こういったんです。 「あら、まあ、これ、私のおじさん、オスカーおじさんにそっくりだわ」  それを聞いた事務所の人たちが、そのオスカーという発音、オスカーという字、それがなかなか粋だなあ、とても気に入ったなあといって、このブロンズの金メッキの像に「オスカー」という名前をつけたんですねえ。協会の会員が全部、それでいいといったんですねえ。簡単ですね。けど、その簡単なところが、アメリカらしくっていいですねえ。  で、これは高さが三五・四センチ、重さが三・四五キロなんです。手で持てます。そんなことはどうでもいいですね。けれども、このオスカーがいくらするか、いちばん問題ですねえ。はい、これは二五〇ドルです。たったの二五〇ドルですけれども、命がけみたいにしてもらいたがるんですねえ。  もらった人は、まあびっくり仰天、キャーッなんですねえ。なぜ、キャーッか。はい、これをもらうと、とたんに、そのときから自分のギャラ、いうんでしょうか、自分の出演料、自分の監督料が五倍、六倍、七倍、八倍にあがっていくから、キャーッなんですねえ。そういうわけで、まあ、オスカーをもらう人は大騒ぎです。 ●作品賞に輝く映画の歴史  さあそれでは、ここらでもう一度、どんな映画がアカデミー賞の作品賞をとったか、のぞいてみましょうか。最初の頃の作品というと、はるかかなた、とにかく昭和二、三年の頃に賞が生まれましたから、みなさんはピンとこないかもしれませんねえ。けど、ちょっとまあ作品を読みあげてみましょう、おじさん、おばさんもお聞きかもわかりませんからね。  最初の一九二七年から二八年のとき、パラマウントの「つばさ」というのが受賞しました。作品賞の第一号です。これは、ゲーリー・クーパーがこの映画で一躍有名になった問題の大作ですねえ。第一次大戦の航空兵の飛行機映画です。そうして、その次に一九二八年から二九年に作品賞をとったのが「ブロードウェイ・メロディ」。これは、いよいよトーキーになったときですねえ。その次が「西部戦線異状なし」。もうこれはリバイバルされましたから、ごらんになった人あるでしょうね。トーキーに完全になった頃です。一九二九年から三〇年です。ユニバーサルの名作ですねえ。  その次が「シマロン」(一九三一)。その次が「グランド・ホテル」(一九三二)。その次が「カバルケード」(一九三三)、これもよかったですよ。それから「或る夜の出来事」(一九三四)。それから「南海征服」(一九三五)、これは「戦艦バウンティ号の叛乱」の第一号ですねえ。それから「巨星ジーグフェルド」(一九三六)。あのフローレンツ・ジーグフェルドといいまして、レビュー・ミュージカルのほんとうの生みの親なんですね。この人の伝記映画です。まあ、このあいだの「ザッツ・エンターテインメント」のなかに、この「巨星ジーグフェルド」のワンシーンが出てきますねえ。これも作品賞とったんですよ。MGMの作品です。  その次が「ゾラの生涯」(一九三七)。次の年が「我が家の楽園」(一九三八)。そして一九三九年には、あの、「風と共に去りぬ」が作品賞とりましたねえ。それから一九四〇年が「レベッカ」。もうそろそろ、みなさんご存知の作品が出てきましたねえ。それから「わが谷は緑なりき」(一九四一)、ジョン・フォードの名作です。それから「ミニバー夫人」(一九四二)。それから「カサブランカ」(一九四三)。それから「我が道を往く」(一九四四)。「失われた週末」(一九四五)。「我等の生涯の最良の年」(一九四六)。  それから「ジェントルマンズ・アグリーメント」(一九四七)、これは日本に入ってこなかった作品です。グレゴリー・ペックでしたか、主演しました。それから、ローレンス・オリビエが出ている「ハムレット」(一九四八)。これ、イギリス映画で、アメリカではユニバーサルが配給したんですね。それで賞に入りました。  その次の年の作品賞の映画が、これまた日本に入ってきませんでした。「オール・ザ・キングス・メン」(一九四九)という作品です。  というわけで、「ジェントルマンズ・アグリーメント」とか、「オール・ザ・キングス・メン」が、作品賞とってるのに日本に入ってこなかったのには、ちょっとわけがあるんですね。どんなわけか。ユダヤ人問題だとか、いかにもアメリカの問題で、アメリカ人でこそよくわかるけど日本ではちょっとわかりにくい、そういう人種問題だとか国際問題を扱った作品は、日本に入ってこなかったんですねえ。残念ですねえ。今からでも入れてほしいですねえ。  さあ、それから一九五〇年が「イヴの総て」。一九五一年が「巴里のアメリカ人」。だんだんおわかりでしょう。それから一九五二年が「地上最大のショウ」、セシル・B・デミルの大作ですね。それから一九五三年、「地上《ここ》より永遠《とわ》に」。それから次が「波止場」(一九五四)。「マーティ」(一九五五)。「80日間世界一周」(一九五六)。さあ「戦場にかける橋」(一九五七)。「恋の手ほどき」(一九五八)、MGMのみごとなミュージカル。それから「ベン・ハー」(一九五九)。それから「アパートの鍵貸します」(一九六〇)。そして「ウエスト・サイド物語」(一九六一)。それから、「アラビアのロレンス」(一九六二)。「トム・ジョーンズの華麗な冒険」(一九六三)。「マイ・フェア・レディ」(一九六四)。「サウンド・オブ・ミュージック」(一九六五)となると、みなさん知ってる作品ばかりでしょう。これらがアカデミー賞の作品賞をとってるんですよ。  それから一九六六年は「わが命つきるとも」。これは渋い作品でした。あまり当たらなかった。ヘンリー八世とその部下の話でした。けれども作品賞とりましたねえ。それから、「夜の大捜査線」(一九六七)。それから次が「オリバー!」、ミュージカルでしたねえ。次が「真夜中のカーボーイ」(一九六九)。そして「パットン大戦車軍団」(一九七〇)。それから「フレンチ・コネクション」(一九七一)。さあ、いよいよ間近になってきましたねえ。それから「ゴッドファーザー」(一九七二)。そして「スティング」(一九七三)。それからまた「ゴッドファーザーPART㈼」(一九七四)。いちばん新しいのが「カッコーの巣の上で」(一九七五)ですね。  まあ、こういうわけですねえ。とにかく、こういう作品が作品賞とるには、どれだけプロデューサーが苦労したか、わかりませんねえ。 ●監督賞に名を連ねている人々  それでは作品賞に続いて、監督賞のほうにも目を通してみましょうねえ。まず、その前に「ゴッドファーザーPART㈼」のフランシス・フォード・コッポラが監督賞になったとき、どんな監督がノミネートされたか、ちょっと申しましょうねえ。  このとき、あの「チャイナタウン」のロマン・ポランスキーが監督賞にノミネートされましたねえ。それから「アメリカの夜」のフランソワ・トリュフォもノミネートされましたねえ。おもしろいですねえ。これ、アメリカの会社が資本もってましたからアメリカの作品になってるんですね。それで、フランソワ・トリュフォは、アメリカでこの映画を作ったことになってるんですね。  それから、非常に評判もよかったし、日本でも当たった「レニー・ブルース」を監督したボブ・フォッシー、この人が監督賞にノミネートされましたねえ。で、この人は、「キャバレー」(一九七二)とか「スイート・チャリティ」(一九六八)のダンス監督もしましたねえ。元ダンサーだった人です。  それから、これは日本にきてませんが、「ア・ウーマン・アンダー・ジ・インフルエンス」(一九七三)という作品。これのジョン・カサベテスが候補に入っていました。ほう、カサベテスってなに者だろう、と思われるでしょうね。この人は俳優でした。映画にもときどき出演していました。なかなか男臭い、ちょっとマーロン・ブランド型の俳優です。それが監督になったんですね。そうして早くも、監督第一号で監督賞にノミネートされましたねえ。ジョン・カサベテスは、なかなか見込みのある人ですねえ。  それから、ノミネートされるのは五人ですから、もう一人、あの「ゴッドファーザー」と「ゴッドファーザーPART㈼」を続けて作ったフランシス・フォード・コッポラが入って、結局はこの人が監督賞に決まったんでしたね。  というわけで、まあ昔々、監督賞をとった人はだれかということを、またちょっと走り読みしましょうねえ。みなさんにしてみると、そんな映画があったんか、そんな監督がいたんか思われるかもしれません。けれども、お父さんにきいてごらんなさい。なつかしがりますよ、きっと。  最初の第一回のときは監督賞を二人がとったんですね。フランク・ボゼージ。「第七天国」(一九二七〜二八)でとりました。それからもう一人、リュイス・マイルストウンという人が「美人国二人|行脚《あんぎや》」でとりました。これ、なかなかおもしろいコメディでしたねえ。  それから、その次はフランク・ロイドが「情炎の美姫」(一九二八〜二九)でとりました。フランク・ロイドなんて、みなさんはほとんどご存知ないでしょう。その次はまたリュイス・マイルストウンが「西部戦線異状なし」(一九二九〜三〇)でとりました。それから、ノーマン・タウログという人が「スキピイ」(一九三〇〜三一)でとりました。そして、その次はまたフランク・ボゼージ。これは、「バッド・ガール」(一九三一〜三二)でとりました。それから、フランク・ロイドが再びとりました。「カバルケード」(一九三二〜三三)でとりました。  フランク・ロイドとか、フランク・ボゼージとか、みなさんにはピンとこないでしょうねえ。けれど、私は、フランク・ロイド、フランク・ボゼージなんていう名前聞いただけで、身ぶるいするんですよ。  その次はフランク・キャプラが「或る夜の出来事」(一九三四)でとりました。それから、ジョン・フォードが「男の敵」(一九三五)でとりました。このジョン・フォード、よかったですねえ。ジョン・フォードが、ついに監督賞とる時代がきました。一九三五年ですよ。いったい今から何年前になるでしょうねえ。  それから、フランク・キャプラがまた「オペラ・ハット」(一九三六)でとりました。それから、レオ・マッケリーという監督が「新婚道中記」(一九三七)というのでとりました。それから、またフランク・キャプラ、三度目ですねえ、「我が家の楽園」(一九三八)でとりました。まあ、レオ・マッケリー、フランク・キャプラ、このあたりのアメリカ映画は実に愉快でしたよ。  それから、ビクター・フレミングが「風と共に去りぬ」(一九三九)で監督賞とりました。そして、ジョン・フォードがまた「怒りの葡萄」(一九四〇)で監督賞とりました。しかも、次の年にも続けて「わが谷は緑なりき」(一九四一)で、ジョン・フォードはとりました。前に一回、今度は続けて二回なんですよ。みごとですねえ。それから、いよいよワイラーが出てきました。ウィリアム・ワイラーは「ミニバー夫人」(一九四二)でとりましたねえ。  それから、マイケル・カーティスが「カサブランカ」(一九四三)で監督賞とってますねえ。それから、レオ・マッケリーが「我が道を往く」(一九四四)でまたとりましたねえ。「ゴーイング・マイウェイ」ですね。その次に、ビリー・ワイルダーが早くも「失われた週末」(一九四五)で監督賞をとっとります。それからまた、ウィリアム・ワイラーが「我等の生涯の最良の年」(一九四六)で賞をとりました。それから、エリア・カザンが「ジェントルマンズ・アグリーメント」(一九四七)でとりましたが、これは日本に入ってこなかった。さっき、ちょっといいましたねえ。これで監督賞とりました。次に、ジョン・ヒューストンが「黄金」(一九四八)でとってます。  さあ、それから、ジョセフ・L・マンキーウィッツが「三人の妻への手紙」(一九四九)でとっております。そろそろ、みなさんのなじみの作品が出てきました。マンキーウィッツは、次の年にも続けて「イヴの総て」(一九五〇)で監督賞をとりました。そして、ジョージ・スティーブンスが「陽のあたる場所」(一九五一)でとりました。ジョージ・スティーブンスは亡くなりましたねえ、惜しいですねえ。  次に、ジョン・フォードが、またまた「静かなる男」(一九五二)でとりました。これで四回とってます。これは最高ですね。監督賞四回なんて、ジョン・フォード、さすがに立派ですね。それから、フレッド・ジンネマンが「地上《ここ》より永遠《とわ》に」(一九五三)でとりました。エリア・カザンが「波止場」(一九五四)でとりました。デルバート・マンが「マーティ」(一九五五)でとりました。この「マーティ」もなかなかいい作品でしたねえ。ジョージ・スティーブンスが「ジャイアンツ」(一九五六)でまたとっとりますねえ。  それから、デビッド・リーンが「戦場にかける橋」(一九五七)。ビンセント・ミネリが「恋の手ほどき」(一九五八)でとっております。ウィリアム・ワイラーが「ベン・ハー」(一九五九)でとりましたねえ。よかったですねえ、「ベン・ハー」のあのワイラー、さすがに立派でしたねえ。それから、ビリー・ワイルダーが「アパートの鍵貸します」(一九六〇)でまたとりましたねえ。  それから、ジェローム・ロビンスとロバート・ワイズの二人が監督した「ウエスト・サイド物語」(一九六一)。これは二人が賞をとりましたねえ。それから、またデビッド・リーンが「アラビアのロレンス」(一九六二)でとって、トニー・リチャードソンが「トム・ジョーンズの華麗な冒険」(一九六三)でとって、ジョージ・キューカーが「マイ・フェア・レディ」(一九六四)でとりましたねえ。  それから、ロバート・ワイズが「サウンド・オブ・ミュージック」(一九六五)。フレッド・ジンネマンが「わが命つきるとも」(一九六六)。これ、よかったのに、日本ではぱっとしなかった。さっきいいましたように、ヘンリー八世とその部下の話でしたねえ。それから、マイク・ニコルズが「卒業」(一九六七)でとりましたねえ。キャロル・リードが、あのミュージカルの「オリバー!」(一九六八)でとりましたねえ。キャロル・リードがミュージカル撮ったなんておもしろいですねえ。あの「第三の男」のキャロル・リード、なんでもやれるんですねえ。  それから、ジョン・シュレシンジャー。この人が「真夜中のカーボーイ」(一九六九)でとりましたねえ。それから、フランクリン・J・シャフナーという人、この人が「パットン大戦車軍団」(一九七〇)でとりましたねえ。それから、ウィリアム・フリードキンが「フレンチ・コネクション」(一九七一)でとりました。  さあ、だんだんにみなさん、わかってきましたねえ。それから、ボブ・フォッシーが「キャバレー」(一九七二)でとって、ジョージ・ロイ・ヒルが「スティング」(一九七三)でとって、そうして、フランシス・フォード・コッポラが「ゴッドファーザーPART㈼」(一九七四)でとったんですねえ。  そして、一九七五年度は、「カッコーの巣の上で」でミロシュ・フォアマンがとりました。この映画もたいへんな話題になりましたね。  というわけで、監督賞という肩書きがつきますと、まあ、その監督はもう、アメリカで第一級の監督ということになって、押しも押されもしなくなるわけですね。 ●アカデミー賞の授賞式の実況  というわけで、こんなお話しとりますうちに、私がハリウッドへ行ったときのことを、ちょっと今思い出しました。  この、アカデミー賞の授賞式の会場へ行ったのは、今を去る何年前でしょうかね。それは、一九五三年の三月十九日、一九五二年度のアカデミー賞のときでした。会場というのが、ロサンゼルスのパンティージ劇場といって、二八〇〇人も入れるところなんですね。  私が、なんでこんなところに行ったかといいますと、ちょっとわけがあるんです。このとき、外国映画として日本の「羅生門」が、衣裳デザインと美術監督の部門でノミネートされたんですね。この「羅生門」という作品は、もうその前の年に外国映画賞をとってたんです。ところがまた年明けて、衣裳デザインと美術監督でノミネートされたんですねえ。そういうわけで、だれか会場に行ってなくちゃいけない。  ところで、この年からアカデミー賞とテレビが、初めて握手したんですねえ。その、テレビで世界に放送することになったというので、私は、それをじかに見たいと思ったんです。で、だれもそんなところへ行くのいやだなんていってたものですから、「私が行ってあげましょうか」なんていったのがはずみで、とうとう行くことになったんですねえ。  さあ、そういったものの、そこへ行って、もし賞をとったら舞台にあがって「サンキュー、サンキュー」なんていわねばならんから、こんなことよう引き受けたなあと、胸がドキドキしながらも、まあ、まいりました。  そうして行きましたときに、私には、まあ思いもかけんことがありました。なんでしょう。当日はお二人でおみえになること、奥さんと旦那さん、あるいは彼と彼女で。そうして、どちらも夜会服とテールコートを着て行く。これが決まりなんですねえ。アハハハ、私、テールコートなんか持っていっていません。そうしておまけに奥さんなんか連れていってません。だいいち、私、奥さんないんでしたねえ。  困りましたねえ。それでしょうがないから、ホテルの近所の奥さんに「あんた行ってくださいませんか」っていったら、キャーッと喜んじゃったんですね。そうしてまあ、あわてて、行くために最高のイブニングドレスを作っちゃったんですねえ。私は、テールコート。困りましたねえ。ところが、その奥さんがおっしゃるんですね。 「そんなの簡単ですよ。デパートへお行きになったら、ちゃんとありますよ」 「え? デパートにあるんですか。テールコートも」  はい、ロサンゼルスのデパートに行きました。そうしたら、淀川さんは寸《すん》が小さいから子供のものがいいでしょうなんて、まあ憎たらしいこといわれて、子供の部に連れて行かれまして、いっぱい吊ってあるなかを探したら、ちょうど私の背に合うのがありました。これ、身丈《みたけ》は合うけれども、からだにぴったり合っていないから、ずんぐりで困りましたねえ。あさってには着て行くんですよ。どうしたらいいか。ところが、デパートの人は 「いえ、簡単ですよ。ひと晩で作ります」  なんて、ひと晩でちゃんと、私のサイズに合わせて、きれいに仮縫いから本縫いしてくれたんですねえ。まあ、びっくり仰天。しかも、これを買わなくてもいいっていうんですねえ。ひと晩借りたらいい。ひと晩いくらですか、忘れましたけれど、一〇ドルか一五ドル払えば借りて着ていけるんですね。  まあ、そういうわけで、それを着て行きましたけれど、よく似合いましたよ。あれ、買って帰ればよかったけど、返しちゃった。  今更こんなことを、まあ、みなさんに申し上げるのも恥ずかしいのですけど、私はドキドキしながら出かけました。さあ、まいりますと、どういうんでしょうか、そのパンティージ劇場の建物の上に、大きな大きな太鼓みたいなサーチライトが五つ、ピカピカ、ピカピカ光ってますの。そうして、その劇場に向かい合った建物にも、また太鼓みたいなライトが七つくらいついていて、パーッと劇場に当たってますの。  また、その劇場では妙なことしてますの。劇場の軒先のもっと上のところから、シャボン玉がパーッと虹のように散ってますの。ちっちゃい、ちっちゃいシャボン玉が。なんであんなことしてるのかとききましたら、これまでは、紙の粉をパーッとまいてたそうなんです。けれどそうすると、あとで掃除が大変なので、今度考えて、香水入りのシャボン玉を流しているんだというんですねえ。 「あら、あのシャボン玉が、もしイブニングドレスに当たったら、|しみ《ヽヽ》がつきませんか」 「そういう|しみ《ヽヽ》が絶対につかない、もう、非常にいい石けんのシャボン玉です」  なんていわれて、まあ空から、虹のようにそのシャボン玉が流れてるんですね。その日はちょうど、めずらしいことに、こぬか雨が降ってたんですねえ。  さあ、劇場の入口、どんどんお客が入っていきます。するとまあ、ダイヤモンドみたいにキラキラ光るマイクを持った司会者がいまして 「ただ今、モーリン・オハラさんがおみえになりました」とかいうんですねえ。 「はい、ただ今、リズ・テーラーさんがみえました」とかいってるんですねえ。  で、私が入っていきますと、まあ 「ただ今こられたのが、東京からみえたミスター・ヨドガワ、日本の映画評論家です」  ほんとうにそういったんですよ。私は、ぞっとしましたけれど、ライトが当たって 「今晩は。ハロー、エブリボディ」なんて、いわなくちゃならない。  というわけで、次から次へと入ってきますけれど、中へ入る人はみんな、ちゃんと登録してあるんですねえ。ですから、ファンの人たちは劇場の表で見てるんです。  さあ、その表には、授賞式が午後の七時半から始まるのに、朝の十時からファンがいっぱいつめかけて、そのファンのためにスタンドができてるんですね。スタンドの上で、みんなレインコートとか、それから新聞紙なんかを頭にのせて見ているんですね。雨が降ってましたから。そうして、サンドイッチをひざの上において、サンドイッチ食べながら見てる。朝からですからね。  ところで、この第二五回のアカデミー賞の授賞式がテレビで放送されることになったということは、おもしろいですね。映画とテレビの握手ですねえ。さあ、そのテレビというのが、どういうことになっているかといいますと、とにかくテレビのキャメラが、劇場内のあちらにもこちらにも向こうにも横にもいっぱいあるんです。それから、劇場内の一階二階三階、その両わき、あるいは通路に、テレビのあのスクリーンがあるんですねえ。  一階二階三階、パンティージ劇場は超満員。まあそれは、びっくり仰天の光景ですけれども、三階のいちばんてっぺんから授賞式を見てても、横見たら、下の下に遠く見えるその舞台のクローズ・アップを、テレビで見られるんですねえ。それがおもしろいですねえ。  けれども、表にもファンのために、テレビのスクリーンが置いてあるんですね。そうして、テレビのキャメラも外にあって、表のようすをとらえますねえ。だから劇場の中の人も、外のファンも、劇場の中のようす、劇場の表のようすが、みんな見られるんです。というわけで、まあまあおもしろい光景でした。  そうして、スターがどんどん劇場に入ってくるのを、ニュース・カメラマンがねらっています。そのねらっているときに、アイリーン・ダンという女優さんがきました。いっぱいの人垣ができて、おまわりさんがそれを押さえているのに、そのおまわりさんの手のあいだ股のあいだから、すーっと五つくらいの女の子が飛び出してきました。 「アイリーン・ダンさん、サインしてちょうだい」といったんですねえ。  アイリーン・ダン、びっくりしたけれども、「はい」といって、相手がちっちゃな子供だから、すわってというか、しゃがんで、サインしてやったんですねえ。劇場の入口の表のところですよ。雨が降ってるんです。だから、しゃがんだら、イブニングのすそがぬれてしまうんです。それなのに彼女は喜んでサインしてやったんですねえ。けれども、明くる日の新聞に、それが大きく出ましたから、彼女はまあまあ大変な宣伝したわけですねえ。  いろいろありますけれど、中へ入ると、まあ、きらびやかなこと、きらびやかなこと。私の前にはマール・オベロン、うしろにはエリザベス・テーラー、向こうにはガワー・チャンピオン。まあ、いろんな人がいっぱい。もう、いっぱいのスターです。私の席は前から一〇番目で、もし賞に当たったらどうしようと思いました。  とにかく、ボブ・ホープがやってきまして、司会をしました。けれども、最初に出てきて、今回の第二五回の開会にあたりましてなんて、そんなこといわないんですね。 「ハロー」って、出てきたんですね。出てくるなり、「みなさん、今晩はいったいなんの会ですか」なんていうんですね。そして「テキサスのPTAの会ですか」なんていったら、お客さんがみんな、ゲラゲラ笑って、手をたたいたんですねえ。  私は、瞬間わからなかった。テキサスのPTAってなんでしょうと思ったら、一秒二秒で、ああそうかとわかったんですねえ。テキサスというところは、あの「ジャイアンツ」という映画でもおわかりのように、もう金持がいっぱい、石油成金が山ほどいるんですねえ。テキサス、すなわちアメリカの成金という意味にもなるんですね。だから、成金のPTAですかなんて、お客さんがみんな、あんまりきらびやかに着飾ってましたから、ボブ・ホープはちょっと冷やかしたんですねえ。ところが、茶化されたお客さんのほうでは、怒るどころか、それに喜んで拍手したんですねえ。そこらあたりが、いかにもおもしろうございましたねえ。というわけで、アメリカではそういうユーモアが通じるなあということもわかりました。  さあ、ボブ・ホープのおもしろい司会で、やがて順番に、いろいろの賞が発表されていきます。その賞の発表ですが、私に関係があるのは衣裳デザイン賞と美術監督賞ですね。当たれば舞台にあがらなくちゃならない。その発表の役は、ジョーン・フォンテーンとジェームス・スチュアートなんですね。二人が舞台にあがりますと、みんな手をたたきます。ジョーン・フォンテーンが、ノミネートされた作品、候補になった作品を読みあげます。 「悪人と美女、黄昏《たそがれ》、わが従兄弟《いとこ》レイチェル、羅生門、革命児サパタ」  やがて、前に箱があって、その箱のふたを開けるときに、すーっと場内のライトが消えます。そうして、ジョーン・フォンテーンとその箱のところだけに、きついライトが当たります。さあ、これでわかるんです。みんなシーンとしているんですね。そうして、そのふたをあけて、一枚の紙をとります。はーい、わかりました。「悪人と美女」が当たりましたねえ。みんな手をたたくんですねえ。まあ、私、ほっとしました。「羅生門」といわれたかったけど、残念でしたけれども、私が舞台にあがらなくてすんで、ほっとしたんです。  というわけで、ジョーン・フォンテーンとか、ジェームス・スチュアートとか、アン・バクスターとか、ルイズ・レーナー、ロレッタ・ヤング、ロナルド・コールマン、ジャネット・ゲーナー、レイ・ミランド、テレサ・ライト、そんな連中が順々に、どんどん賞を発表します。すごい会でした。  この日、監督賞にはだれが当たったかといいますと、ジョン・フォードなんですねえ、「静かなる男」で。まあ、ジョン・フォードがオスカーを受け取るのかなあと思って、喜んで待ってました。ところが、ジョン・フォードはロケーションに行っていて、いなかった。それで、ジョン・フォードの代りにだれかが受けとりましたが、とにかくそんなので胸がドキドキです。  で、主演男優賞のときがおもしろかったですねえ。ゲーリー・クーパーが「真昼の決闘」でとったんです。ゲーリー・クーパーが出てくるんだなと喜んでたら、ジョン・ウエインが出てきたんですねえ。あら、ジョン・ウエインがなんで出てきたの。 「実は、私がここに出てきたのは、クーパー君が今、ロケーションでいないからなんです。みなさん、クーパー君にかわって私が受け取ります」そういったときに、もう一言いったんですね。「これがねえ、私がオスカーをもらうんで、クーパー君がかわりに来てくれとったらいいのにねえ」  なんて、みんな一言、おもしろいことしゃべるんですねえ。  そういうわけで、この晩はいろいろとおもしろいことがありましたよ。で、主演女優賞はねえ、シャーリー・ブースが「愛《いと》しのシバよ帰れ」でとったんですねえ。ところが、シャーリー・ブースは、ロサンゼルスにいないんです。ニューヨークにいるんです。  そこでまたおもしろいことに、ハリウッド、ロサンゼルスのパンティージ劇場で授賞式をやってますけれども、こちらの会場に合わせて、二時間くらいの時差をはかって、ニューヨークでもちゃんと授賞式やってるんです。この会場に来られないスター、作家、作曲家、あるいは監督にノミネートされていて、ニューヨークにいる人たちのために、臨時にアカデミー賞の第二会場という席をおいてあるんですねえ。そこでは、コンラッド・ニーゲルという人が司会しながら、フレデリック・マーチがいろいろと授賞の世話をしてるんですね。それが、テレビで、ロサンゼルスの会場の舞台の、大きな大きなスクリーンに映るんですね。同時進行なんです。  そういうわけで、さあ、シャーリー・ブースに当たったら、ロサンゼルスの舞台のスクリーンに、ニューヨークの会場がパッと映りましたねえ。このシャーリー・ブースが、フレデリック・マーチの紹介で出てきてるんですねえ。まあ、私が当たったの、嬉しいわあ。彼女がびっくり仰天して、喜んで舞台にあがる階段にかけのぼっていきました。そのときシャーリー・ブースが、つまずいて、「あ、痛っ」足にさわってるところまで、こちらのパンティージ劇場の大きなスクリーンに映ってるんです。それを見ていて、まあ、みんなが拍手したんです。この拍手が、向こうでもわかってるんです。  まあ、ニューヨークとハリウッドは、パッパッ、パッパッ、パッパッパッ、みごとにテレビでスイッチするので、驚きましたねえ。ちょうど、このパンティージ劇場のすぐ隣に、ニューヨークの会場があるみたいな感じなんですね。  そうして、賞がきまるたびに、さあそれを発表するとき、オーケストラボックスは、もうたちまち、すぐに、作品賞なら作品賞の音楽を演奏するんですねえ。けれども、前もってわかっとらないのに、どうして即座に演奏されるのかしらん。はい、すでにノミネートされた五本の作品、それぞれの部門の五本の作品の楽譜を、ちゃんと置いてあるんですねえ。で、発表と同時に、その五本のなかの一つの主題曲の楽譜をとって演奏するんですね。そういうわけでみごとでしたよ。  だから、作品賞に「地上最大のショウ」が当たりましたら、すぐに、そのテーマ・ミュージック。主演女優賞がシャーリー・ブースに当たったら、「愛しのシバよ帰れ」の音楽が出るんですねえ。主演男優賞のときは、ハイヌーン、「真昼の決闘」の音楽ですねえ。このハイヌーンの音楽は、あとでまた演奏されましたよ。音楽賞をとったんですねえ。それも、劇音楽の部門と、主題歌の作曲の部門で、ディミトリ・ティオムキンは喜んで舞台へあがってきます。そのときにハイヌーンの音楽をやってます。まあ、その調子のいいこと、調子のいいこと。  というわけで、いちばんおもしろかった、というより感激したのは、助演女優賞の発表でしたねえ。候補にあがった人たちはみんな、それぞれの席にきています。この候補の名前を読みあげました。ロレッタ・ヤングでしたか、読みあげました。そうしてそのときの最後に、「はい助演女優賞は�悪人と美女�のグロリア・グレアム」といったときに、うしろのほうで「キャーッ」という叫び声がおこりました。  それは、グロリア・グレアムが叫んだんですね。まさか自分が当たると思わないから、びっくりしたんですね。そうして、通路をさーっと駆けて舞台にあがりました。 「サンキュー、サンキュー、サンキュー・ベリーマッチ。私がこんな賞をいただけるなんて……」  しゃべる時間は、だいたい一五秒と決まってるんですね、そういって、グロリア・グレアムは舞台の中央から袖のほうへ、駆けて入ったんですねえ。ここでおもしろいのは、舞台にテレビのキャメラが用意してある、客席にも用意してある、舞台の袖にも、楽屋にも、テレビのキャメラが装置してある。けれども、グロリア・グレアムはもう、そんなこと忘れて、エキサイトして、もう興奮して興奮して、舞台の袖に入るなり、そのオスカーに何べんも何べんもキスして、ああああ、ああああ、泣きだしたんですねえ。  それが舞台の袖のテレビのキャメラにちゃんと入ってるから、泣きだしたグロリア・グレアムの姿が、舞台の画面に大きく映ったんですね。お客さんがみんな、手をたたいたんですねえ。  まあまあ、そういうわけで、このテレビの操作にはびっくりしましたねえ。もちろん、劇場の表のテレビで、ファンの人たちは見ております。雨のなかで、帰らずに見ているんですねえ。  いずれにしても、このアカデミー賞の授賞式に行きまして、いちばん感心したことは、時間どおりの進行ということでしたね。なにしろ、時間をきちっとさせながら、はなやかに、おもしろく、盛りあげていく。それがとてもうまく、手際がいいんですねえ。  私が授賞式に出席するということになって、出かける一週間前に、分厚い手紙がきました。アカデミー賞の協会からです。その頃は、チャールズ・ブラッケットが会長でしたから、このチャールズ・ブラッケットからの手紙がきました。  その手紙には──もしも、あなたが賞をもらわれた場合には、あの舞台に向かって左のほうの通路をすっーと通って、舞台にあがってください。その左の通路を通るとき、その通路のぐるりの人が、おめでとうおめでとうと握手しようとしても、握手したらいけません。時間がありませんから。真っすぐ舞台にあがって、そうして舞台にあがられたら、舞台で一五秒だけなにかおっしゃってください。そうして、舞台からみて左側の舞台の袖にお入りください。そうすると地下がありますから、地下に入りますと、そこにリポーター、新聞記者、カメラマンがいますから、そこでインタビューにお答えください。  まあ、そういうことが、こと細かに、細かに、細かに書いてありました。ああ、当たればこんなことするのかなあと思うと、私は胸がドキドキしましたが、考えてみますと、毎年毎年のアカデミー賞で、私みたいに胸をドキドキさせている人が、かならずいるんでしょうねえ。  私が行きましたのは、第二五回、もうずい分前のことですねえ。一九五三年の三月でしたから、それから二三年もたってるんですねえ。そのあいだにも、アカデミー賞の作品、監督、男優、女優、もういろいろ、いろいろの話題がありますねえ。アカデミー賞のことをいちいちくわしく申しましたら、それはそのままアメリカ映画の歴史ですねえ。  はい、それにしても、もう時間がきましたねえ。今夜は、これでお別れです。あんた、うれしそうにしてますねえ。やあもう、これで終ったと思うとうれしいなんて、憎らしいねえ。けど、あんたとほんとに別れる気は、私、ないんです。残念でしたね。ではまた会いましょうね。それでは、  サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ。 [#改ページ]   ギャング映画  はい、みなさん今晩は。  今夜は、ギャング映画ですね。私、ほんとうは、ギャング映画ちゅうの、あんまり好きじゃないんです。アラッ! あんた、目をむいて立ち上がりましたねえ。  なんですか? ギャング映画とっても好きだ? そういえばまあ、あんたの顔はギャング映画に出てくるような人の顔してますねえ。  さあ、みなさん今夜はギャング映画のお話しましょうね。 ●「ゴッドファーザー」のファミリー  みなさんごひいきの「ゴッドファーザー」(一九七二)についてまずお話しましょう。製作者のアルバート・S・ラディという人は、「ゴッドファーザー」の前はね、あんまり大きな作品は作ってないんですよ。でも「お前と俺」(一九七〇)という粋な小品を作りました。これはロバート・レッドフォードと、マイケル・J・ポラードが出ている、ほんとうにちょっとした感じのものなんですね。まあそういった映画を作った人で、あんまりみんなに注目されてませんでした。ところが、このアルバート・ラディが「ゴッドファーザー」を企画したんですね。これはマリオ・プーゾォの有名な小説ですねえ。  私がアメリカに行ったときには、飛行機の中でも、ホテルでも、もうどこでも、ゴッドファーザーを読んでおりました。映画館はどこも「ゴッドファーザー」をやって、大当たりでした。もちろんみなさんもごらんになったでしょうね。  これ、監督は、フランシス・フォード・コッポラですねえ。この人もこれで一躍有名になりました。音楽はニーノ・ロータ。この音楽が、またよかったですね。  みなさんごらんになって、よくご存知でしょうけど、ここでもう一ペんちょっと復習してみましょうね。  ドン・ビトー・コルレオーネ。これがマーロン・ブランドでしたね。マーロン・ブランドが、まあ口の中に綿を入れて、うまいこと声をだしました。あの声が、しゃがれてとっても憎らしいくらいにうまかったですねえ。これに長男のソニーがいました。これ、ジェームス・カーン。なかなかいい顔してますね。次男はフレッド、これジョン・カザーレがやりましたが、みなさんあんまりご存知ないでしょう。ところが、三男のマイケル、これがアル・パシーノで、この役で一躍有名になりましたねえ。アメリカでは、アル・パチーノといってます。マイケル、これがなかなかよかった。  それから娘がいましたねえ。コニーという。このコニーにはタリア・シャイアが扮していますが、なかなか、かわいいネンネのお嬢ちゃんです。ところが、結婚して赤ちゃんができる頃から、えらいまあ、ヒステリーの女になる──このコニーもなかなかよかった。というわけで、長男は、もうすごい血気にはやった男で、嫁さんと三人の子供があるのに浮気ばっかりしてましたねえ。次男のフレッドは、ぐずぐず、ぐずぐずした三十くらいの男。で、三男のマイケルは、お父さんの命令を拒否した、たった一人の息子でしたねえ。  この映画は、一九四五年の八月の暑いときに、末娘のコニーが結婚するところから始まりますね。ロングアイランドの大きな邸宅でした。マフィアのゴッドファーザー、親分はこんな屋敷にいるんですねえ。花婿は、カルロ・リッチィという男。これもマフィアの仲間の息子ですね。というわけで、この映画を見てますと、マフィアの一族とはこういう人たちか、というその内側がよくわかりましたねえ。ドン・ビトー・コルレオーネのドンというのは、尊称ですね。ビトー・コルレオーネ親分というわけですね。  このコルレオーネに五つのマフィアの一族が手を組んでいるんです。これをファミリーというわけですね。このビトー・コルレオーネは、麻薬というものがきらいなんです。まあほかにいろいろ儲けられるんだから、麻薬に手を出すなといっているんです。ところが、ファミリーであるソロッツオという親分が、絶対に麻薬をやりたいんですね。そういうわけで、このコルレオーネ、ゴッドファーザーは、ソロッツオ一味の子分にねらわれて撃たれて重傷を受けましたねえ。  というわけで、コルレオーネは晩年はとってもさびしい死に方をしましたが、この映画で、マフィアとはなにか、ということがよくわかりましたねえ。  このドン・ビトー・コルレオーネ、このゴッドファーザーの連中は、シシリー系ですねえ。それからアメリカで有名なカポネという親分がいますが、これはナポリ系なんです。  ギャングの系統に、シシリー系統のギャングとナポリ系統のギャングがあるということが、この「ゴッドファーザー」からわかりましたね。 ●暗黒世界の支配者マフィア  さあ、今度は新しい映画のほうへまいりましょうね。 「コーザ・ノストラ」(一九七三)という映画。この映画は、監督がいいんです。フランチェスコ・ロージですねえ。この人の監督作品には「シシリーの黒い霧」(一九六二)という題名の映画がありました。これがそもそもマフィアのことを、私たちが映画から知った最初の作品でした。マフィアとはなんだろう。ということがわかりました。  マフィアは、シシリーの反政府運動、地下運動の連中から始まったんですねえ。それがだんだん、だんだんゆがんできたんですね。このフランチェスコ・ロージの作品には「シシリーの黒い霧」のほかに、「真実の瞬間」(一九六三)というスペインの闘牛士の悲しい映画がありましたね。それから「イタリア式奇蹟」(一九六七)というおもしろい映画がありました。  このロージが、ギャング映画を作りました。それが「コーザ・ノストラ」です。一九三一年頃の話です。  ニューヨークで、マフィアファミリーの幹部にラッキー・ルチアーノというのがいたんです。これほんとうの話なんですねえ。自分のボスを殺して、それから、どんどん、どんどん出世していったんですね。自分の手下に、自分のギャング仲間を四〇人も殺させたようなすごい男ですけど、自分は決して手を出さないんです。そうして、どんどん、どんどん、自分の勢力範囲を広げていって、とうとう暗黒街の顔役になっていきました。やがてトーマス・E・デューイという地方検事に摘発されて、五十年の刑を受けました。  ところが、実際は九年間で、イタリアに追放されたんですね。彼をそのように逃がしたのは、かつて摘発した地方検事のトーマス・E・デューイなんですねえ。なぜ助けたかといいますと、このトーマス・E・デューイは、ラッキー・ルチアーノが九年間の刑を受けてる間に、ニューヨーク州の知事になっちゃったんですね。マフィアの連中は、ニューヨーク州の知事とも手を組んでるんですね。それで追放、たった九年で追放ということになった理由は、このラッキー・ルチアーノが戦争中に海軍に非常に協力したというわけで、助けたんですね。  ラッキー・ルチアーノはイタリアで、ゆうゆう、暮らしてたんですけれども、まあいろんなことがあって、一九六二年にまた調べられたんですね。けれどもいくら調べても調べても証拠があがらないんです。なかなかうまいんですねえ。それで刑務所にもいかないで、うまく逃げたんですけれども、このラッキー・ルチアーノの友人がアメリカに行くというので、イタリアのなんとかいう空港に送りに行った。そのときに、お腹が痛くなって、妙な苦しみ方をして死んじゃったんです。仲間に殺されたのかもしれませんねえ。  というわけで、まあ血が血を呼んでいくように、いかにもこのギャング映画というのは、こわいですねえ。まちがった男の世界ですね。 ●アメリカのギャング映画  さあ、ここでアメリカのギャング映画の話にうつりましょうね。 「ボニー・アンド・クライド」、日本では「俺たちに明日はない」(一九六七)という題名でした。これみなさん、お好きでしょう。お好きでしょうといっても、このギャングがお好きというんじゃなくて、この映画がお好きだろうということです。私も好きでした。  アーサー・ペンは、なかなかみごとな監督ですねえ。ボニーとクライドの血だらけのお話ですね。時代は一九三〇年頃です。この「俺たちに明日はない」の背景になったギャングたちは、この頃にどんどん、どんどんはびこってきましたねえ。アメリカがいちばん不況だった頃です。そういうときには、こういうギャングみたいな連中が生まれてくるんですね。  それで、このチンピラのクライドもいっぱしのアンチャンになろうと思って、まあ気どってるんです。ところが、ここに|イカレ《ヽヽヽ》た女の子でボニーというのがいるんですね。この|イカレ《ヽヽヽ》た女の子と、|イカレ《ヽヽヽ》た男の子が共鳴したんです。そうして、二人で格好よく、どこかへ家出して、その途中銀行強盗やっちゃったんですねえ。銀行強盗をやるクライドを見てボニーが喜んじゃったんですね。しょうのないカップルです。  ところが、この二人が逃げて行くときに、ガソリンスタンドで、モスという変な男の子を見ました。これがマイケル・J・ポラードですが、おもしろい顔をしてますね。このモスが、格好いいクライドにちょっと惚れたんです。そうして、おれも仲間に入れてくれといったんですね。ところが、クライドが「おまえみたいなチンピラがなにぬかす」っていったんです。すると、モスが売上金を全部ポケットに突っ込んで、これ持って逃げようといったんで、仲間に入れたわけですねえ。  そういうわけで、まあどうしようもない男二人と、この|イカレ《ヽヽヽ》た女がどんどん、どんどん行くうちに、だんだん、だんだん話がこみいってきます。  おもしろいのは、アーサー・ペンという監督ですねえ。ギャングをどんなふうに映画のなかで描いているのか? ただのギャングじゃないんですねえ。若いくせに、なにか疲れきった人生、そこを描いてる、それがおもしろいですね。  このクライドという男には、ウォーレン・ビーティが扮しています。ボニーには、フェイ・ダナウェイが扮しています。モスは、マイケル・J・ポラード。このモスと、それからクライドは、ちょっと仲が良すぎるんですよ。どうも、この二人はホモなんですね。だから、ボニーが怒るんです。自分を相手にしてくれないので。そういうところも、この映画の裏側にはあるんです。  そうして、このボニーがクライドに、「あんた、不能なの?」というんですねえ。それでクライドは苦しむんです。ボニーを見てもあんまり感じないんですね。友だちとしては好きだけれども、からだはあんまり好きじゃないんです。ここらあたりが、この映画おもしろいですね。  けっきょく、いろいろ、いろいろありまして、とうとう血だらけになったクライドを助けて、情婦のボニーとモスが、モスの家へ行きました。モスのおとっつぁんは、まあ何年ぶりかで自分の息子を見たんですねえ。息子を見て、「おまえなにをしてるんだ?」といったんです。その息子の胸にイレズミがあったんですね。「おまえイレズミなんかしやがって」と怒りました。ところが、イレズミどころか、クライドまで背負いこんでいるんですね。モスのおとっつぁんは、これでは自分の息子は、たまったもんじゃないというので、とうとうクライドとボニーを売ったんですね。密告したんですねえ。そうして、最後には、このクライドとボニーはえらい死に方をしました。  というわけで、やっぱりアーサー・ペンぐらいの監督になると、ただのギャング映画じゃない、まあ血だらけのなかに、なにかこわい、この時代の人間の陰影を見せましたねえ。それがおもしろうございますねえ。  はい。ここらでギャングということを、いっぺん勉強してみましょうか。ギャングを勉強するなんて必要はありませんけれども、やっぱり私たちは、冷静にギャングというのをみてみましょうね。  ギャングというのは、仲間のことなんですね。けれども、だいたい、いい仲間じゃないんですねえ。  いたずら仲間だとか悪党仲間だとか囚人仲間をギャングというんですね。けれども、もうひとつ言葉があるんです。ラケットという言葉。ギャングに対してラケット。だから、ギャングのことをラケッターなんていうんですね。このラケットのほうは知能犯のほうが多いんですね。そうして、ギャングのほうは、血だらけのほうが多いんですね。そういうわけで、こういうラケットという言葉もあるということを、ちょっと覚えといてください。  だいたい、ギャングというのは、アメリカの開拓時代の無法者ですね。アウトロー、これもギャングですね。  十九世紀に入って、イタリアとかアイルランドから、どんどん、どんどん移民がやってきた。それで、マフィアだとかカモラなんていうグループができたんですね。カモラなんていうグループ、いったいなんでしょうね。これは、一八二〇年頃、ナポリにあった政治的秘密結社なんですね。それをカモラといったんです。マフィアに対してカモラ、そういう連中のグループが、アメリカで生まれてきたんですね。  この連中は、血の気が多くて、血の復讐なんていうことを、考えていたんです。それで、この連中の組合には、ブラックハンド・ソサエティなんていうのあるんです。日本的にいえば、黒手組ですね。  そういうわけで、シカゴに、アル・カポネというのがおりましたし、それから、ティーム・マフィーというのがおりました。またニューヨークにはジョン・ハインズという、ギャングスターがいましたね。まあ、ギャングスターもたくさんいます。  アル・カポネ。これはもうとても有名ですね。この男はね、売春宿の用心棒からのしあがってきて、政治家とか弁護士とかお医者さんを仲間に入れて、そのうえ警察官まで引き込んで、どんどん、どんどん有名になった男ですねえ。アル・カポネのことを、一名スカーフェイスといったんですね。スカーフェイスというのは、顔に傷のあることで、カポネは顔に傷があったんですねえ。だから、スカーフェイスのアルといったんです。ほんとうの名はアルフォンズ・カポーネといいました。この男は四十八歳で、フロリダで死にました。警察で死なないで、ベッドの上で死にました。というわけで、監獄から出てきて八年目に亡くなりました。亡くなるときには、なんかもう精神が錯乱していて、非常に哀れな死に方したそうですね。まあこういう連中の最後は、やっぱりみじめですねえ。  さきほど、スカーフェイスといいましたね。ところが、実は映画で「スカーフェイス」(一九三二)という映画が作られていたんです。これが、アメリカのギャング映画の歴史の、代表選手みたいなものですから、ちょっとお話しましょうね。  日本では一九三三年封切で、題名は「暗黒街の顔役」というんです。  これは、ベン・ヘクトといいましてニューヨークで非常に腕のたつ劇作家が、シナリオを書いとりました。監督は、ハワード・ホークス。ハワード・ホークスには「コンドル」(一九三九)とか、「ヨーク軍曹」(一九四一)。「赤い河」(一九四八)、「リオ・ブラボー」(一九五八)とか「ハタリ」(一九六二)、たくさんありますね。この監督が一九三二年に、もうこんな大作を映画にしたんです。で、これは、日本では昭和八年に封切られました。  そのストーリーをお話しますと、これは一九二〇年から一九三〇年代の禁酒時代のときです。アメリカでは、禁酒を行ないましたので、えらいことになったんですねえ。つまりそれでギャングは、酒の密輸入で、どんどん、どんどん有名になっていったんですね。ここにギャングの親分のコステロというのがいたんです。その用心棒にトニーという男がいました。このトニーに扮してるのが、ポール・ムニといいまして、とても有名な舞台俳優で映画俳優、もう亡くなってしまいましたが、オールド・ファンにはなつかしい名前でしょう。  このポール・ムニの扮したトニーという男が、親分のコステロを殺して、敵に寝返ったんですね。もうなんでもいいから出世するためには、どんなひきょうなことでもするんですねえ。そこに敵の親分の情婦にポピーという女がいたんです。カレン・モーレーがポピーに扮していましたが、このポピーにまで手を出したんですね。自分の親分から横取りしちゃったんですねえ。  そういうわけで、このトニーという男は、自分の欲望のためには、どんなことでもやったんです。そうして、最後にはその親分も殺してしまったんです。まあ、このトニーという男は、大変な血の気の多い男なんですね。ところが、この男は情婦はおるんだけれども、自分の妹、チェスカという妹を溺愛《できあい》してるんです。アン・ボーザックが扮してました。この妹が好きで好きで、好きで好きでしかたがないんですねえ。その好き方が、ちょっと異常なんですね。自分の妹を、ほんとうに妹として好いているのか、女として好いているのかわからないぐらいかわいがってるんですね。  またこのトニーには、かわいがってる子分がいるんです。リナルドという──この色男の子分にジョージ・ラフトが扮してるんです。  この映画の製作者は、あの有名なハワード・ヒューズです。あのすごい人ですねえ。アメリカで有名なあのハワード・ヒューズが、この映画を製作したんですね。だから、ただの映画じゃない。  今と違った時代のことですから、まあ、あんまりくわしくはセックス関係は説明していませんが、このトニーという男は、自分の妹を肉体的に愛し、そうして、自分の子分のリナルドをホモ的に愛していたんですねえ。妙な人物像ですけれども、暗黒街にはこういう人物がいるんですねえ。  ところが、トニーがちょっといない間に、この子分のリナルドと自分の妹のチェスカが同棲したんですねえ。さあ、トニーは怒った、怒った怒った。嫉妬ですねえ。そうして、この妹の部屋をたずねていったリナルドを、殺しちゃったんですね。  ジョージ・ラフトの扮している子分が、イナセな男で、いつも黒いシャツを着ていました。今でいう殺し屋スタイルですねえ。そうして、相手を殺すときには、口笛を吹いて、口笛を静かに吹いて、ポケットから小銭を出して、それをピュッと上に投げては、手で受け止める。また投げては手で受け止める。そうして、パンパーン。ねらって殺しちゃう。非常になんともいえん残忍な男なんですね。  このリナルドが、トニーの妹とくっついたというので、トニーが子分に命じてリナルドを殺すところ──このリナルドは殺されるとは知らないから、廊下で口笛を吹いて、小銭を上に投げ上げて受け止めようとしたときに、パーンとうしろから撃たれた。ばったり倒れた。上にポーンと投げ上げた小銭が、まだ下まで落ちてこないうちに殺された。そうして、死んだリナルドの上にポトンと小銭が落ちた。  ここがなかなかよかったですねえ。その演出がよかった。だから、ジョージ・ラフトというと、いつもこのシーンがでてきます。  そういうわけで、まあこの映画はすごい血だらけの映画ですね。そうして、自分の彼氏を殺された妹が、気違いのようになって、警察へとうとう兄貴を売っちゃったんですね。警察がやってきて、ずーっと包囲しまして、とうとう断末魔。このトニーは、すごいかたちで殺されていくんですけれども、殺されるときにこの男は 「助けてくれ、助けてくれ! 撃たないでくれ、撃たないでくれ!」  っていったんですねえ。これがこの映画のおもしろいところだけれども、検閲が、最後にそうしないといけないといったんですね。  このトニーという親分の住んでいるビルディングの前には「世界は我がもの」というイルミネーションが輝いていたんですね。当時はネオンサインではありません。イルミネーションが点滅してたんですね。 「世界は我がもの」、「世界は我がもの」、「世界は我がもの」、と点滅しているイルミネーションを見て、トニーはいつでも胸を張っていたんですね。最後に殺されるときも、そのイルミネーションを見て「世界は我がもの……」といいながら死んでいくところが、こわかった。  まあ「暗黒街の顔役」は、ギャング映画の代表作ですねえ。 ●ギャング映画のなかに見るアメリカの足跡  そういうわけで、ギャング映画は、いろいろありますけれども、それではギャング映画につきものの、Gメンという名前、よくご存知ですね。Gメン、Gメンとはいったいなんだろう?「Gメン」(一九三五)という映画がありました。簡単にお話しましょうね。監督はウィリアム・カイリー。ソル・ポリトのキャメラ。そうして、ワーナーブラザーズの映画。  イーストサイドの貧しい貧しい少年を、暗黒街のボスが、かわいがって大学まで出してくれたんですね。そうして、この少年は、立派に成長しました。これがジェームズ・キャグニーなんです。そうして、キャグニーはFBI捜査官のGメンになったんですねえ。暗黒街のボスは困った。自分の育てた少年が、暗黒街のボスにならないで、Gメンになったから困ったんですねえ。けれども、まあ出世だというので、このボスも、ボスの情婦のジーンという女も祝ってやったんですねえ。  ところが、最後にはやっぱりキャグニーのGメンが、自分の恩人のボスを殺さなければならないことになるというところで、この映画のおもしろさは、クライマックスになるんですけれども、お話は、まあそれほどおもしろいものじゃなかった。  ここでいちばんおもしろいのは、Gメンという言葉がこの映画で有名になったんですね。Gメンとはなんだろう? というわけですねえ。  で、Gメンというのは、ほんとはガバメントメン。お役人のことなんですねえ。  あるとき、ギャングが情婦と寝ておりました。そこへこのFBIが、どっと踏み込んできて、拳銃で撃とうとした。すると、そのギャングが、あわててびっくり仰天して「ガバメントメン、かんべんしてください」というところを、「ガバメントメン、お役人さん」というのもいえなくて、その頭文字のGで「Gメン、おれを撃たないでくれ」といったんですねえ。それからGメンという言葉がはやったんですよ。おもしろいですねえ。  はい、ところでトーキーになったときに、ギャング映画が、どんどん、どんどん入ってきたんですね。なぜかといいますと、一九三〇年頃は、ちょうどジャズがはやったんですね。だから、ジャズの音楽を聞くと同時に、パンパン、パンパンパーン、というあの拳銃の音や機関銃の音が、なかなか威勢がよくて、なんとなく両方がうまくマッチするので、トーキーにもってこいだというわけで、ギャング映画が、どんどん、どんどん入ってきたんですねえ。  そうして、その頃さっき申しましたポール・ムニとか、たくさんの俳優がでてきました。ジェームズ・キャグニーとかエドワード・G・ロビンソン。この人は舞台俳優でしたね。  そのあとで、ハンフリー・ボガートなんかが出てきたんですねえ。  けれどもその頃は、非常にこのやくざ者、ギャングを英雄化したんですね。いかにも英雄的に描いたんですねえ。それがいけないというので、第二期には、ギャングスターの末路のほう、いかにもギャングスターは死ぬときには、決まってみじめだというところを描くように変わっていったんですね。というわけで、まあギャング映画も今思い出してみると、いろいろと名作がありました。  有名な銀行ギャングのジョン・ハーバート・デリンジャーの伝記映画がありましたね。「デリンジャー」(一九七三)です。  まあ伝記映画といいましても、ギャングの伝記映画は、別にそうおもしろいとは申せないでしょうけれども、このデリンジャーと仲間の死に方、あるいは追跡されて、その逃げ方が、ほんとうにその実録どおりにやられているところがおもしろいんですねえ。そのジョン・デリンジャーをウォーレン・オーツがやっておりました。この人は「夜の大捜査線」(一九六七)、「続・荒野の七人」(一九六〇)に出ておりました。  それから、この連中を、追いかけて追いかけて、どうしてもつかまえるというFBIの捜査官にベン・ジョンソンが扮しておりました。FBIのリーダーですね。この男が追いかけて追いかけて、もう絶対にやっつけるというときには、ゆっくりとシガーを口にくわえて、マッチをつけて、そうして一服すいます。そして乗り込みます。このあたりも、きっと実録にそういうふうに記してあったのでしょう。  デリンジャーには、ハリーとチャーリーとホーマーという子分がいまして、運転手のエディも仲間。それに情婦のビリー、インディアンとの混血女です。この五人が仲間で、悪いことばっかりしてたんですけれども、その道中ですね。ギャングの歴史といいましょうか、デリンジャーの歴史を、みごとに再現してるらしいんです。私はよく知らないんですけれども、まあ逃げたり、追っかけたりするんですね。そうして、とうとうこのデリンジャーは、アリゾナ州のツーソンで、捕えられてインディアナ州の刑務所に入れられるんです。そして脱獄、逃げた。その逃げるときに、黒人殺人犯のリードを連れて逃げた。そうして、デリンジャーとリードは、逃げる途中で銀行に入って、預金を全部払い出してくれといったんですねえ。こんな客の預金なんかあるわけはありませんから、銀行ではびっくりしたんです。するとサッと拳銃を出したんです。まあそういうわけで、ちょっと行きがけの駄賃とばかり銀行をおそったわけですねえ。ところが、それが大金なので二人はすっかり喜んじゃって、今度は情婦の隠れ家へ行きました。  そこには、ハリーとホーマーとそのほかに、プリティボーイ・フロイドやベビーフェイス・ネルソンとか、もう有名な連中ですが、そんなのがいたんですね。さあこの連中が、次から次へとまた銀行強盗やっていくんです。  そのなかで、プリティボーイ・フロイドとベビーフェイス・ネルソンの死に方といいますか、殺され方が実際そうだったんだろうなあという感じで、なかなかみごとです。すごいすごいFBIの包囲陣にあって、ベビーフェイス・ネルソンというのが、まあ血だらけになって、寝巻のままで、パンパン、パンパンって撃たれて、撃たれるだけ撃たれて、ひっくり返って死んでいくところ。残酷ですねえ。  ところが、プリティボーイ・フロイドというのは、非常に温顔で、おとなしい顔をした青い目の男です。この男は、逃《のが》れ逃れ逃れてある農家へ逃げ込みました。そうして、そこの年寄りの農夫の夫婦に、私はちょっと道に迷ったんですとかいって、お昼をごちそうになりました。この農夫の夫婦は、この男をギャングだなんてちっとも思わずに、「まあほんとうに気をつけてお行きなさい」といって送り出しました。プリティボーイ・フロイドも、なんかひさしぶりに健康な世界にもどったような気がして、ニコニコして表に出たときには、もうすでにFBIが張り込んでいたんですねえ。そうして、丘を越えて森のほうへ行こうとしたところで、すごい射撃を受けて、まあすごいかたちでひっくり返って死にますね。このあたりもすごいです。  で、最後は、いよいよデリンジャーです。デリンジャーは逃げて逃げて、シカゴへ来ていました。デリンジャーの情婦のビリーは、シカゴの売春宿で夜の女になっていました。デリンジャーはそのビリーに会いに、毎晩毎晩、客になっていくんですねえ。ところが、その売春宿のおかみさんが、どうもビリーの旦那の男があやしいというので調べたんですね。さあ、あの男はデリンジャーだというので、ひそかにFBIに知らせたんです。  そうして、ある晩、シカゴの映画館に二人を連れて行く、私は赤い服を着て行くから、それを目印に、私が腕をとってるのがデリンジャーですよ、とFBIに教えて、映画館へ行ったんですね。  さあ、その映画も映画館も出てきます。この映画、「マンハッタン・メロドラマ」をやっておりました。デリンジャーは、それを見て、表に出たところを殺されるんですけれども、私は、この「マンハッタン・メロドラマ」を見たことあるんです。昭和九年か十年頃に、日本では「男の世界」(一九三四)という題で封切りました。これは、W・S・バンダイクという監督で、クラーク・ゲイブル、マーナー・ロイが出演しておりました。デリンジャーは、この映画でクラーク・ゲイブルがギャングの親分になって、最後に死刑になるとこ、まあ見たわけなんですねえ。  そうして、表に出ました。売春宿のおかみさんは、赤い服を着ておりました。おかみさんはそっとデリンジャーの腕をとりました。デリンジャーはなんにも知りません。情婦のビリーもなんにも知りません。三人は、しゃべりながら映画館の前をちょっと通り過ぎようとしたときに、パンパン、パンパンパーン、デリンジャーはすごいかたちで殺されましたねえ。  赤い服のおかみさんは、サーッと逃げましたねえ。情婦のビリーは、ハンドバッグからハンカチを出して、そーっとデリンジャーの血をぬぐって逃げて行きました。これがデリンジャーの最期です。いかにもすごい死に方。この映画は、みごとに、実際的にデリンジャーの最期を描いていますね。いかにもおもしろかった。  けれども考えてみると、あの頃まで、昭和七、八年頃まで、約一四年間ぐらい、第一次大戦のあとずーっとアメリカは禁酒だったということが、今更ながら驚きますねえ。だから、昭和八年頃まで、表向きにアメリカではお酒が飲めなかったんですねえ。不思議な国ですねえ。  そんなことしたら、まあギャングの生まれるのあたりまえですね。だから、スピーク・イージーというのありましてね。秘密のクラブがあるんですねえ。そこでは、ないしょにお酒飲めるんです。そういうとこ、スピーク・イージーといいました。みんなが飲まなくちゃいられないような、ああいうものを禁止すると、ギャングみたいなものがはびこることになるんですねえ。  というわけで、ギャング映画のなかに、アメリカの歴史、いろいろなアメリカの足跡、一九三〇年代の足跡がよくわかりますね。映画は、いろんな勉強になりますね。  さあ、今夜のお話はすごうございますね。ちょっとこわかったでしょう。あら、あんたそんなにふるえてないで、早くトイレにいってらっしゃい。そしてぐっすりおやすみなさいね。  サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ。 [#改ページ]   ハロー!バスター・キートン  はい、みなさん今晩は。  今夜は楽しいですねえ、バスター・キートンのお話ですよ。あなた、聞いていらっしゃいますか? なんですって、蛙が鳴いたようだって? まあ、失礼しました。私の声なんですよ。よく聞いてくださいね。ちょっと変だ? はい、ちょっと変なんです。ちょっと風邪をひきましたの。私も人間ですから。でもどうか聞いてください。  さあ、キートンですけれども、まあ、みなさん、あのバスター・キートンをもう十分にお楽しみになったでしょうねえ。今夜はみなさんといっしょに、もう一度楽しくキートンの勉強をしましょうねえ。 ●キートンの「恋愛三代記」  バスター・キートンの作品には、長編の名作が一〇本と、それから短編が一二本ありますが、このまた短編がとってもいいんですねえ。どれを見ても楽しませてくれますねえ。  ところで、これまでに、長編では「セブン・チャンス」(一九二五)、これおもしろいでしたねえ。それから「海底王キートン」(一九二四)、「キートンの蒸気船」(一九二八)に「キートンの探偵学入門」(一九二四)。まあ、私はこの四本、どれがどれといえないくらい好きでしたねえ。  さあ、いよいよ第五本目がやってきましたねえ。今度は「恋愛三代記」(一九二三)というんですね。これ、昔に「滑稽《こつけい》恋愛三代記」なんていう題で封切ったことがございます。私、かすかに覚えております。さあ、この作品のおもしろかったこと。  それがどんなお話かという前に、ちょっと、この映画の初めのほうで、きれいなピアノの演奏の音楽が入ってますが、これが、キートン自身の演奏なんですねえ。非常に珍しいですねえ、本人の演奏なんて。作曲はスコット・ジャップリンという人で、この人の作曲のメロディーが「スティング」のなかにも入ってるそうです。  さあ、そのお話というのが、石器時代、その次にはローマ時代、そして現代、この三つの時代のキートンの恋愛記なんですね。そのおもしろいこと。  石器時代は、なにしろ腕力時代なんですね。それで、強くてたくましい大男が、好きな女の髪の毛をひきずって自分の家へ連れてって結婚する、なんていう時代ですねえ。だから、ひょろひょろのキートンは困りますねえ。きれいな娘さんのおとっつぁんも、腕力のある男に自分の娘を嫁にやるという時代ですから、キートンも困りました。  さあ、その時分のことですから、キートンは、ターザンみたいな格好で出てきます。タクシーもありません。キートンは、大きな恐竜の頭の上に乗ってやってきます。なかなかいいとこですね。そしてまず、彼女に結婚を申し込みますけれど、なにしろ彼女には大きな大男がついております。どうしても負けます。しかたがないから、彼女に嫉妬させて、彼女の心を自分に向けさせようなんて、いろんなことしますねえ。まあ、昔から、女の人の心をとらえて自分と結婚させるということは、むずかしいんですねえ。  ローマ時代、さあローマ時代は、もうとにかく力があって、そうして位のあるもの、権威のあるものがいばってるんです。まず、戦車競走です。戦車競走に勝たねばならない。ところが、相手が強いもんですから、まあ困りました。  ここで、映画というもの、滑稽というもの、パロディーのおもしろさ。そのローマの競技場に雪が降ってきたんですね。なんていうことでしょう。そこでたちまち、キートンは考えました。戦車のかわりにソリを持ってきまして、犬をたくさんソリにつないで、おまけに犬の前に竿《さお》で人参かなんかつけまして、そうして犬をけしかけました。だから、どんどん、どんどん走って、走って走って、戦車に勝つというのがローマ時代なんですねえ。  ところが、現代はいったいどうなってるんだろうかといいますと、もう現代はすべてお金ですねえ。お金がある人がいちばん偉いということになってるんです。  さあ、キートンが娘の家に行きますと、娘のお母さんが出てきまして 「よくいらっしゃいました。ちょっと、あなたの貯金はいくらありますか」  初めっから、そんなこといわれるんです。もう一人の相手は堂々たる男で、ちゃんと貯金通帳を持ってきました。ファースト・バンク、まあ立派な銀行ですね。その通帳を開いて見せますと、0がたくさんついてました。 「あら、まあ、ご立派なお方」なんていうんですねえ。  キートンも「あなた、ちょっと貯金通帳を」なんていわれて、キートンのはどこの銀行か、ラスト・バンクだなんて、いちばんいやらしい銀行、まあ最低の銀行の通帳を出して見せたら、まあ、0が全然ないんですねえ。  というわけで、キートンは大失敗。さあ困ったなあというところから、この映画は、またもや石器時代になるんですね。  で、キートン映画のおもしろさといったら、いったいなんでしょう。それは、遊びの精神ですね。そうして、パロディーですね。パロディーというのは、もじりですねえ。この映画でもなにをもじっているかといいますと、この映画のずっと前に、映画の歴史にその最高の足跡を残したという「イントレランス」というのがあるんですね、その「イントレランス」というのが現代とか昔の時代とか、そういう四つの時代を交互に交互に見せたんですねえ。それを「恋愛三代記」では、上手に上手に、楽しく楽しく、キートンが茶化しながら見せてるんですねえ。  というわけで、このひょろひょろしたキートンが、どうやって彼女をつかむかというところの、その石器時代、とうとう張り合いになりまして、おとっつぁんがいいました。 「そんなにわしの娘が欲しいなら、おまえとあの相手と、ここで決闘してみろ」  といわれました。まあ、岩の上で、石器時代の決闘です。どんなことするんでしょうねえ。どっちもターザンみたいな格好しております。そして彼女も、ターザンみたいな格好で、はらはらしております。  さあそこで、ちっちゃい男キートンとウォーレス・ビアリーの扮している大きな大きな男の、その二人のけんかです。大きなこん棒持って、それでエイエイハッシとけんかするんですけれども、まあ、キートンはどう考えても勝てそうにありません。そこで悪知恵ですねえ、そのこん棒の中へ大きな石を入れたんですねえ。そんなこと、できるもんですかねえ。ところが映画ですから、ちゃんと、うまいこと、まるでこん棒が紙みたいで、その中に突っ込んで、石を入れちゃったんですねえ。  それで、エイエイバンバンやってるうちに、バッカーンと相手を殴った。石で殴られたから、相手の石頭もたまりません。パッタリ倒れたその間に、キートンは、その娘さんの髪の毛を引きずって自分の家に連れて帰るというところで、まあまあ、石器時代にはみごとに成功したんですねえ。  さあそれでは、ローマ時代ではどうなったんだろうか。はい、ローマ時代では、うまいこと、ソリで勝ったんでしたね。勝ったんですけれども、相手もさる者で、キートンが喜んで歩いているところ、うまーくそこに穴をあけまして、すとんとキートンを落としました。キートンは哀れ、おりの中に落ちました。そのおりの中にいるのはライオンでした。  まあ、ライオンがキートンの顔見てます。ニヤッとしました。いやらしいですねえ。どうしてニヤッとしたんでしょう。これ食べたってうまくないな、と思ったんでしょうね。どう見てもこれ、鰹節のけずりかすみたいだと思ったんですねえ。  キートンも困りました。けれども、ここはやっぱり、しっかりしなくちゃいけない。そうだ、かつて、アンドロクロスとライオンというのがあった。わしもそれをまねしよう。といいまして、キートンはそのライオンのそばへ寄っていきました。ライオンはいやがりました。けれども、もっと寄りました。そうして、ライオンの手をとって、マニキュアしてやりました。ライオンはニヤッと笑って、キートンのほっぺたをなめました。まあ、キートンはライオンにも勝ったんですねえ。戦車にも、ライオンにも勝った。いよいよ、キートンは晴れやかに彼女を迎えることができました。すべては力ですね。  そういうわけで、現代はいったいどうなったんだろうか。はい、現代はフットボールですね。女性をつかむには、やっぱりそういう|カッコ《ヽヽヽ》のいいのがいいんですねえ。キートンは、まあフットボールで、相手の男と大騒ぎですねえ。  とうとう、大活躍大活躍、妙な勝ち方したんですね。勝ったんだけれども、相手の男もさる者ですねえ。キートンのポケットにウイスキーを放り込んだんです。ウイスキーのびんをね。そうしておいて、おまわりさんに教えたんですねえ。ちょうど禁酒時代ですから、おまわりさんがやってきて、キートンは警察に連れていかれました。  まあ困っちゃった。けれども、キートンは警察に行って、はっと気がつきました。それは、あのいばりくさった男、たくさんお金を入れてるファースト銀行の通帳を持ってる男が、実は結婚詐欺師なんですねえ。警察の帳面見て、それがわかりました。  それで、あわててそれを告げて、監獄から放免されまして、いざ結婚式というところへキートンは、走った走った。飛んでって、いよいよ結婚式、もう彼女の指に指輪がはまるというところへ「待てーっ」って行きまして、彼女をひったくって式場から連れて帰りました。  まあ、ここのところ、それから何年たったでしょう、ちゃーんと「卒業」という映画がまねしてますねえ。キートンは早くに、こういう映画を作ってたんですね。  というわけで、石器時代も、ローマ時代も、現代も、みごとに成功しました。やったら、やれるんですねえ。あんな妙な顔でも。だから、あんたも心配しないで……。  三代ともみごとに成功して、そして、その石器時代の、まあ楽しい家庭風景。石の穴から、嫁さんとキートンが出てきました。嫁さんもお父さんも赤ちゃんを抱いています。あら、もう子供ができたのかなあと思ってると、次から次から子供が出てきて、まあ一ダース、一二人の子供ができとりました──なんていう平和な風景で終るんです。 ●やったぞ! バスター  はい、バスター・キートン、この人はどんな人か、もうみなさん、ご存知ですか。  この人は、明治二十八年、一八九五年の十月四日に、カンサスで生まれました。お父さんはスコットランド系、お母さんはアイルランド系なんですね。で、お母さんもお父さんも、古くから、舞台でうたったり踊ったりのショーをやって、旅回りもしていたんですねえ。そんなわけで、このお父さんとお母さんは早くから、曲芸をやってたんです。いろんなダンスといっしょに、アクロバットの曲芸を舞台でやってたんですねえ。  そういうわけで、このバスター・キートンが生まれたときには、ジョセフ・フランシス・キートンなんていう名前がちゃんとあったんです。けど、この坊やが生まれてまだ二カ月か三カ月のうちに、お父さんがつまんで舞台へ連れていきました。  初めは抱いていたのが、お父さんがお母さんにピョイと渡して、お母さんがまた離れてピョイとお父さんに渡して、お父さんがもっと離れてピョイと渡して、お母さんがもっと離れてピョイと渡して、まあかわいそうに、この三カ月足らずの男の子、ピョイピョイ、ピョイピョイ、放り回されたんです。そうして、いうことがいいですね。 「この子、雑巾みたいでしょ」  なんていったんです。それでお客さんが拍手したら、お客さんのところへピョイと投げたりしたんですねえ。お客さん、あわてて受け取ったんですねえ。  こんなふうに、舞台のショーにしたんですねえ。ところが、あんまりだ、幼児虐待だということになって、警察からちょっと怒られたんですねえ。  というわけで、キートンはゆりかごの時代から、もう舞台のショーの中に放り込まれたんです。やがて、二つ足らずになってきました。そろそろ自分でも歩けますし、お父さんにいわれたり、お母さんにいわれたように、はしごの上まで登るようになりました。  さてこの一座に、ハーリー・ホーデーニィという、これはまた錠抜けの名人がいたんですねえ。ハーリー・ホーデーニィ、みなさんご存知かどうか、アメリカでは有名な有名な人で、のちにその伝記が映画になったこともあるんです。トニー・カーチスが扮してやったことがあるんですね。どんなに手錠をはめても、いっぺんにさっとほどいてしまう男、これがハーリー・ホーデーニィ。  私も、この人を見ました。この人は、のちに「人間タンク」という連続活劇に呼ばれて、主役で出たことがあるんです。それで見ました。  このホーデーニィが、このキートン一座にいました。それで、小さな子供のキートンと、お父さんとお母さんは、スリー・キートンズといって、もう評判になって、ポスターが出ておりました。その、すっかり人気者になった二つ足らずの子供が、あるとき、はしご段の上から、パターンと落っこったんですねえ。ふつうだったらワァーンと泣くのに、仕込まれたのかどうか、この子の性格なのか、痛いともなんともいわないで、ピューイと立って、舞台の下手へすーっと入って行ったんですねえ。  お客さんは、えらい笑った。すると、ハーリー・ホーデーニィが、それを楽屋から見とって、こういったんですねえ。 「えらい子じゃなあ。あいつは、ようやるなあ。バスター!」  このバスターというのは、「やったぞ」ということなんですねえ。  お父さんが、それを聞いて 「そうか、あいつはバスターか。それなら、バスター・キートンという名前にしよう」  というので、そのことから、バスター・キートンという名前がついたんですねえ。  まあ、そういうわけで、二つ三つの頃からずっと舞台に出て、ショーの精神を身につけました。そうして、曲芸の、いろんないろんな身体の訓練もやりました。だから、若い人がキートンの映画見て、よくおっしゃいますねえ。 「あの、キートンという人、あんなにしたら痛いでしょうねえ、身体が」と。  そうですね、ほんとに痛いでしょう。けれどもキートンは、身代りを立てないで、自分で逆立ちしたり、ひっくり返ったり、なんでもやれるんですね。  やがて、キートンは二十二歳のとき、ニューヨークで、ロスコ・アーバックルという人に出会いました。ロスコ・アーバックルは、その頃、もうすでに、ファッティ・アーバックル、デブのアーバックルといいまして、活動写真の滑稽劇にどんどん出ておりました。ところが、このロスコ・アーバックルが、自分で独立プロダクションをつくって、一本二本三本四本、短編を撮りたい、だれか相手がいないかなあと思ってるときでした。 「君、活動写真に出ないか」 「ほう、おもしろいねえ」  というので、キートンが頼んで、デブ君がまた頼んで、両方で頼み合って、とうとう二十二歳のキートンは、お父さんお母さんから離れて、デブ君の活動写真の滑稽の仲間に入りました。これが、キートンの映画入りですねえ。  チャップリンが映画に入ったのは二十五歳。そして、初めて映画に出たのが大正三年です。ところが、キートンが初めて映画に出たのは大正六年。というわけで、まあまあ、あの頃の同じ時代ですねえ。で、ロスコ・アーバックルは、キートンよりも五つ年上です。チャップリンは、キートンよりも六つ年上ですねえ。それから、あのロイドという人がいますね、あの人もキートンより二つ上ですから、まあキートンがいちばん若いですねえ。  ところで、アメリカでは、チャップリンのことを「ザ・トランプ」というんですねえ。トランプというのは放浪者ですね。そして、ロイドのことを「ザ・ボーイ」というんですね。青年ですねえ。それでは、キートンのことはなんていうのか。「グレート・ストーン・フェイス」というんですねえ。絶対に、もう、かちんこの無表情というわけです。これが、愛するキートンに捧げる言葉なんですねえ。  かわいそうにキートンは、だから映画の中で、とうとう今日まで一回も笑わずじまい。けれども、初めの頃の短編時代に、一回だけ笑ったという伝説もあります。それにしても、まあ、キートンが笑わないで、あのストーン・フェイスで、あれだけの演技ができるというのは立派なもんですねえ。 ●話せばきりのないおもしろさ  さあ、ここらでキートンの作品にもどりましょうか。まず「セブン・チャンス」、これは一九二五年、大正十四年。古い映画ですが、いつまでたっても、ほんとにおもしろいと、その生命はありますねえ。ごらんになって、みなさんおもしろかったでしょう。  キートンにはだれも結婚してくれる相手がなくて、新聞広告でも出したら一人くらいは来るだろうということになって、教会で待ってますねえ。相手がいない花婿が、あてもなく花嫁を待ってるなんて、そんな悲しい姿ってあるでしょうか。最低ですねえ。キートンは真面目な顔をして待ってます。あの顔がほんとうのストーン・フェイスなんですね。  やがて、一人か二人かと思ったところが、金持だというのでいっぱい来る。そのおもしろいこと。いっぱいといっても五人か六人くらいだろうと思っていると、五〇〇人、六〇〇人、七〇〇人と来る。そのオーバーなところ、ちょっとすごい漫画ですね、派手な漫画ですね、リアリズムではありませんね。そういうところに、度肝を抜かすおもしろさがあるんですねえ。  この映画で、あの花嫁がいっぱい来るところで、ジーン・アーサー、あの「シェーン」でお母さんになった人が、ちらっと出てきております。おもしろいですねえ。  さあ、次は「海底王キートン」。これもねえ、話しだしたらきりがないくらいおもしろさがいっぱいあります。海の底で、まあ、太刀魚《たちうお》とチャンチャンバラバラしたり、船に乗ってからのいろんないろんな、いかにもスリル、サスペンス。  それから、上の甲板と下の甲板で、男と女が入れ違いになるところがあるんですねえ。男が自分一人で乗ってるようだけど、足音がする。女のほうも、わたし一人かと思ってるのに、どこかで音がする。こわがってこわがって、ブルブルふるえて、男と女が上と下の甲板を走り回ってる。あのあたりの舞台の使い方ですねえ、いかにも画面の使い方がおもしろうございましたねえ。  もう一つ、「キートンの蒸気船」では、共演者がアーネスト・タレンスといいましてねえ、いい俳優なんですが、これがおとっつぁんになりましたね。このおとっつぁんが、キートンが来るというので喜びました。わしはもう、そろそろ落ちぶれてきた。敵には大きな競漕の船がある。わしのほうの船は汚くてどうしようもない。ああ、ここで、息子が来てくれたら助かる。大学へやったんだから、どんなにか立派になったろう、と待ってますと、いやらしい息子が来ました。ひげをはやして、ウクレレ持って、妙な上着をきていて、もう親父が泣きましたねえ。  この「キートンの蒸気船」は、まあ、あの最後の嵐のところもすごうございましたけれども、あのおとっつぁんと息子の人情で、むしろ、ほろっとしました。キートンの映画は、そういう親子の人情を見せても、実にうまいんですねえ。キートンの、笑わない、泣かない、ベソもかかない、ただじっとしているあの顔で、それだけの芝居を見せるところがすごうございますねえ。  それから「キートンの探偵学入門」となると、まあ、これこそ映画ですね。私は、どの映画を見ても気に入るんですねえ、困ったことに。けれどこれはケッサクでした。  この「探偵学入門」は、むかし「忍術キートン」といって封切ったんです。忍術なんてどういうわけかといいますと、キートンは映写技師なんですねえ。この映写技師が映画を映している間に、うつらうつら寝てしまうんですね。そうして、自分のからだが自分から離れて、映画の画面の中に入っていくんですね。そのあたりのおもしろいことねえ。私たちも考えますね、映画見ていて。まあ向こうに、オードリー・ヘプバーンがいるな。ぼくがそばへ行って、あの人のからだをさわれたら、どんなにうれしいだろうと思うけど、あれはスクリーンですねえ。けれども、この「探偵学入門」では、自分でスクリーンのなかに入っていくんですねえ。まさにキートンは、映画とともに遊んでおりますねえ。  さあ、まだまだおもしろいものがあるんですよ。「キートンの大学生」(一九二七)はもう、忘れられないおもしろさです。これは「キートンのカレッジ・ライフ」という題で封切られたかもしれませんけど、これがおもしろいんですねえ。  キートンは大学の優等生なんです。スポーツなんか、ぜんぜんしないで、勉強ばっかりしてるんです。そうして、演説大会、弁論大会がありました。キートンは演説します。 「運動とはなんですか。あんなばかなことはおやめなさい。ジャック・デンプシー、あんなのは最低です。ベーブ・ルース、あの人はなんのために、あんなことをやるんですか。ほんとうに人間でいちばん大事なのは学問です」  まあ、えらい演説しました。それで、ガール・フレンドが怒ってしまったんですねえ。 「もう絶対に、あんたとは会わない。あんたみたいに、いやらしい人なんか」  キートンは、あんまり派手にふられたのでガックリきて、スポーツをやろうかなあと思ったんですねえ。スポーツのスの字も知らないキートンが、一生懸命に校庭でスポーツを練習するところが、おもしろくておもしろくて、びっくり仰天するほど楽しかったですよ。  とにかく、槍《やり》投げをやろうと思いまして、まあキートンが一生懸命に遠くから走って、槍をポーンと投げて、はるかかなたに飛んだかなと見てると、目の前に落ちてきました。それから、ハードルがあって、そのハードルを飛び越えようと思います。一三ぐらいのハードル、それをピョイ、ピョイ、ピョイ、ピョイ、ピョイ、ピョイ、ピョイ、ピョイ、ピョイ、一生懸命に飛びました。飛びました。飛びました。とうとう、飛び終えて、ほっとうしろを見ますと、いちばん最後だけ飛べてました。あとは全部、倒れておりました。キートンはガックリして、もうこれなら最後の一つも倒しとけって、倒しましたねえ。まあ、そのキートンの大学生ぶり、運動ぶりが、おもしろい映画でしたねえ。  ところで、あのキートンの顔、あの顔を見てますと、どうしてもちょっと寂しいですわねえ。おまけに、男のくせにちょっとお尻が出てますわねえ。あのあたり、なんとなしに、コンプレックス感じますわねえ。キートン自身が、コンプレックスのかたまりみたいですねえ。どんなパーティへ行っても、だれも相手にしてくれませんねえ。  ああいう映画を見てますと、私たちは安心するんですね。おれよりも、もっと最低なのがおるわい、という気持になるんですねえ。しかも、自分とそう変わらんぐらいの、最低の男、それがキートンで、しかもそのキートンが人生に成功する。ここにまた、キートンのおもしろさというのか、お客さんの受け方があるんですねえ。 ●キートンの結婚と幸せな晩年  私は、このキートンが晩年は幸せだったということを知って、つくづくうれしく思うんですけれども、実は最初の結婚では苦労したんですねえ。  バスター・キートンが非常に成功している頃、ナタリー・タルマッジというなかなかきれいなお嬢ちゃんと結婚しました。このナタリーには、ノーマとコンスタンスという立派なお姉さんがいまして、有名な女優で、えらい人気があるんです。ナタリーのほうは自分があまり映画に出られないので、せめて金でも使おうと思ったか、まあバスター・キートンにどんどん、どんどん金を使わせました。  そして、大きな家を二回も三回も建て直させました。最後の家なんていうのは、ナタリーの別荘とよばれた大きな家で、 「さあ、おまえの気に入った家ができたよ」といったら 「あら、そう。それから召使いの部屋はどこなの。どこに召使いの家を建てたの」  なんて、まあ憎らしいことをいうんですね。部屋はいくつあるかわからないくらいなのに、それでも気に入らない。だから、バスター・キートンは、ナタリーのために、すっからかんになって、人生的にも非常に苦労しました。  そのナタリーの別荘といわれた大きな家は、今でもハリウッドのビバリーヒルズにあります。もうキートンのものではありませんけれど。  それから、メー・スクリベンスと結婚しまして、二年ほどでまた離婚しました。  そういうわけで、二度の結婚に失敗しましたけれど、三度目に、エレノア・ノリスという優しい優しい娘さんと出会いました。あるとき、トランプしようとして、どうしても一人足りないので探したら、その席の近くに女の人がいて 「エレノアさん、ちょっと、あんたもこのブリッジに入ってください」  なんて、トランプで仲良くなったんですねえ。エレノアさんは、キートンがえらいスターだということは知ってましたけれども、キートンの映画はほとんど見ていなかった。そんなエレノアさんと結婚をしたことが、かえってよかったんでしょうねえ。  私は後に、このエレノアさんに日本でお会いしましたが、非常に優しい奥さんでした。キートンのことを、とても優しくほめていらっしゃいましたので、キートンの晩年はとても幸せだったと思います。  このキートンが六十二歳のとき、一九五七年ですね、パラマウントで「バスター・キートン物語」という伝記映画が作られたんですねえ。チャップリンも、ロイドも、まだ伝記映画はありません。けれども、キートンには生きている間にできたんですね。おもしろいですねえ。バスター・キートンに扮していたのが、ダンスのうまいドナルド・オコナーで、そのほか、アン・ブライス、ロンダ・フレミング、それからピーター・ローレと、いいキャストです。で、キートン自身も、この映画に、監督で入ったそうです。そうして、ドナルド・オコナーに一生懸命指導したそうですねえ。  なにしろ六十二歳のキートンが、自分の伝記映画を見られるということは、とっても幸せですねえ。  それからまた、一九六三年、ちょうどキートンが亡くなる三年前ですね。その年のベニス映画祭で、キートン週間をやろうということになったんですねえ。キートンは、わざわざベニスに呼ばれました。六十八歳のキートンは、自分のキートン週間を喜んで喜んで見たでしょう。そうして、みんなの大変な歓迎を受けたでしょう。  私は、このキートンがそういう目に会ったことがうれしいですねえ。とにかく、この人は、もう一九五〇年頃は「サンセット大通り」では、ちらっと出たくらいでした。タンゴ・ダンスを、グロリア・スワンソンとウィリアム・ホールデンが踊ってる、その隅っこのほうで、トランプ仲間の三人として出ていました。その三人というのは、H・B・ワーナー、アンナ・Q・ニルスン、それにキートン。みんなかつての大スターですね。それが蝋人形のようにすわっている。まあ、ビリー・ワイルダーは残酷な使い方しました。  けれどもやがて、一九五二年には、チャップリンは「ライムライト」のなかで、キートンを立てました。チャップリンのパントマイム、そうしてキートンのコンサート・ピアニスト。まあ、二人の芸がみごとでしたねえ。  それから一九六〇年には、マイケル・カーティスの監督作品「ハックルベリー・フィンの冒険」に出ておりました。それから一九六三年、スタンリー・クレーマーに呼ばれて「おかしな、おかしな、おかしな世界」に出ております。そして、一九六六年にも、リチャード・レスター監督の「ローマでおこった奇妙な出来事」に出てましたねえ。  というわけで、キートンの晩年は、寂しいどころか、なかなか忙しかったらしいんです。奥さんにききますと「はいはい、あのねえ、映画以外に、テレビにもどんどん出てたんですよ。あのねえ、グロリア・スワンソンさんともね、いっしょに出て、おもしろいラブシーンをしたんですよ」ということで、まあ、キートンという人が、その晩年は忙しくて楽しかったということは、とってもうれしいことです。  けれども、キートンはもう今、この世にいませんね。七十歳で亡くなりましたねえ。一九六六年、昭和四十一年の二月一日に、肺癌で亡くなりました。そのとき、二十五年間連れそった奥さんのエレノアさんが、その枕辺におりましたから、キートンは幸せな最期だったと思います。  はい、もう時間がきましたねえ。今夜は、キートンの夢でも見ましょうか。すばらしい娘さんをつかまえるとこ、見たいですねえ。えっ、あなたはもうつかまえたんですか、それはごめんなさいね。  サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ。 [#改ページ]   映画のなかの食べ物  はい、みなさん今晩は。  今夜もみなさんといっしょに楽しい時間を過ごしましょうね。  ほんとうにね、こういうときがいちばん楽しい。今日のテーマはなんでしょう?  はい……それは食べることです。まあいやらしいなんていわないでください。今夜は映画のなかの食べ物の話をいたしましょうね。あなた、どうなさったの? グーッと変な音しましたね。あら、あなたまだ食べてなかったの。まあお気の毒でした。  さあ今夜はその食べ物の話しましょうね。 ●パイ投げはドタバタ喜劇から 「グレート・レース」(一九六五)、これは連続活劇スタイルのおもしろい映画でしたね。ジャック・レモン、トニー・カーチス、それにおもしろい連中がたくさん出ましたね。ナタリー・ウッドも出ました。ちょうど自動車が発明された頃のこと。ドタバタ喜劇なんですね。ブレイク・エドワーズの監督。まあヘンリー・マンシーニの音楽のおもしろかったこと。それといっしょにおもしろい場面が出てきましたね。パイ投げなんて出てきました。パイ投げなんて、そんな言葉使ったのは、私がオールドファンだからですねえ。  トニー・カーチスとジャック・レモンが、まあコック部屋に入ったんですね。大きな大きなコック部屋。そこはある小さな国の大きな宮殿の中の料理場ですから、大きな大きなお菓子とパイがいっぱい並んでたんです。そこへ二人が入ってきてけんかになった。まあパイを投げるんですね。あの投げ方の、当たり方のおもしろさ、役者も大変ですね。  パッチン、ペッチャ、パッチン、ペッチャ。口の中へ入るんです。目の中に入りました。そうして、鼻の中にも。とにかく顔中パイだらけになるんですねえ。ジャック・レモンもナタリー・ウッドもピーター・フォークもみんな顔中パイだらけ。あれどうしてあんなうまいこと当たるんでしょう。みんなパンパカ、パンパカ、パンパカ、コックさんもパイ投げするんです。ところが、パチャパチャ、パチャパチャ、いっぱい投げるなかで、トニー・カーチスにだけは、ちっとも当たらないんですね。  あれ見ていてちょっと腹が立ちましたね。あの二枚目にだけ当たらないで、ナタリー・ウッドなんかメチャクチャですわ。どこに顔があるのかわからないくらいですわ。トニー・カーチスだけどうして当たらないのかと思って見ていますと、最後の最後にナタリー・ウッドが両手にいっぱい持ったパイをパチャンとすごい勢いで、トニー・カーチスの顔にぶっつけましたね。まあトニー・カーチスの顔中、パイパイパイパイ、パイだらけ。もったいない。こんなこと戦争中に見たら腹が立ちますねえ。というわけで、昔、ニコニコ大会の頃には、このパイ投げがはやったんです。  どういうわけで、こういう食べ物を顔にパッチンと当てるのがはやったんでしょう。別に食べ物にうらみがあるわけじゃないんですね。昔々、活動写真ができた頃、ニコニコ大会、滑稽というのがありました。  どうして滑稽がはやったかといいますと、おもしろいからはやったんですけれども、実はその頃、アメリカは非常にいい時代で、男性は女性に全部敬意を表します。女性がレストランに入ってきますと、男性はみんな立ち上がって、そうして、女性がエレベーターに乗ると、男性はみんな帽子をとりました。あんまりそんなことばっかりやらされているから、男はいっぺん女をやっつけてやろうとだれでも思ってたんですね。それでも現実にはやっつけられないから、活動写真のなかで、やっつけてやろうと思ったんですねえ。  だから、ニコニコ大会のドタバタ喜劇の短編では、イブニングドレスを着けて、きれいなきれいな格好した、気取ったおばさんの、その澄ました顔に、パッチンとパイが当たるような仕掛けの場面がいっぱい出てきて、喜んだ喜んだ。というわけで、パイがえらいことになりましたね。 ●イタリア映画はいつも食べ物がいっぱい 「イタリア式奇蹟」(一九六七)、これみなさんごらんになりましたか。おもしろい映画でしたね。おとぎばなしというか伝説ですね。監督はフランチェスコ・ロージ。あのフランチェスコ・ロージといいますと、「黒い砂漠」(一九七二)がありましたね。それから、マフィアのこわいこわい映画がたくさんありました。この監督は「イタリア式奇蹟」では、イタリアの大昔の伝説を映画にしたんですね。まあ、村の伝説みたいなものを映画にしました。ソフィア・ローレンとオマー・シャリフが出たんですね。さあ、ところでこの映画のどこに食べ物がでてくるかというと、おもしろい食べ物が出てきます。  まずこれはどんなお話かといいますと、王子がいました。この王子は馬が好きで好きで、まあ白い馬を乗りこなすことに夢中なんです。お母さんが、もうそろそろお嫁さんをもらいなさいといっても、嫁さんよりも馬が好き。それで毎日馬ばっかり。お母さんは呆れとりました。ある日その白い馬に乗って山に行きました。ところが、ひっくり返って落ちたんですね。馬がどっかに行っちゃったんですねえ。王子はがっくりしてちょうどその近くにお寺があったので、そこへ行ってお坊さんにたずねました。 「馬がどこかへ行ってしまったけれど、どうしたらいいだろう」そんなことを聞いたんですね。すると、お坊さんが 「その馬の行方かな? それはこうこうこういうところの畑にいる女が知っとるよ」といいました。 「このメリケン粉をやるから、そこの畑に行って、その女にこれで七つのダンゴを作ってもらいなさい。そうすると、あんたは幸せになる」そんなところから始まるんですね。七つのダンゴというところがおもしろいでしたね。その百姓の女がソフィア・ローレンでした。この女がなかなか威勢のいい女でした。 「七つのダンゴを作れって? てまえ勝手なことをいうな」といって、王子だとは知らないで、殴りつけようとしました。それでもダンゴを作ってくれました。しかし、意地悪く六つしか作ってくれません。日本のダンゴと違って、真ん中を指でキュッと押さえてへっこんでるダンゴ、おもしろいおまんじゅうみたいなダンゴ作っとりましたが、イタリアにもダンゴなんてあるというところがおもしろいでした。  このソフィア・ローレンの百姓女は、しまいにはこの王子に見染められて、二人は結婚したいんですが、相手は王子ですから、そう簡単にはいきません。そこで王子はお母さんに頼んで、嫁さんコンテストをやってくれなんていいました。まあ七つの国から一人ずつやってきました。ソフィア・ローレンもそのなかに入っています。そうして、この七人で皿洗いコンテストをやったんですねえ。一番早く洗った女が嫁さんになるなんてところで、この映画はえらいスリルになるんですけれども、それよりも衣装、このコンテストの衣装のきれいなこと。ソフィア・ローレンは魔女に頼んで、きれいな衣装を着けてきました。ほかの女たちもきれいな衣装を着けています。そうして、皿洗いするんです。王様もお姫さまも王子もいます。  さあその場で皿洗い、どんどんどんどん洗う。そのうちにソフィア・ローレンと、ある国の、青い、きれいなきれいな衣装を着けた王女との競争になりました。ソフィア・ローレンのその女は、台所でうんと働いた女ですから、きれいな衣装着けていますけれども、皿洗いがうまい。ところが最後になってくると、ソフィア・ローレンのその女のほうが勝っているのに、その皿が真ん中からパリッ、パリッとみんな割れだすんですねえ。とうとう、青いきれいなきれいな衣装を着けたお姫さまが、オマー・シャリフの王子と結婚することになりました。  ソフィア・ローレンのその女は、一生懸命に洗って洗って、洗って洗って、もう衣装はベタベタです。そのベタベタの衣装で泣きながら、その宮殿の廊下を走っていくところは、まるで歌舞伎のようでした。  というわけで、この映画はソフィア・ローレンのその女の失敗になるんですけれども、実は、青い衣装を着けた女が、自分の指輪のダイヤモンドでソフィア・ローレンのいっぱい積んである皿の裏を、一枚一枚キュッキュッキュッと、全部傷つけといたんですね。だから、皿を洗っているうちに、パリッと割れることが、あとになってソフィア・ローレンのその女にわかって、えらいことになってくるんですけれども、そんなお話よりも食べ物の話でしたねえ。 ●食べ物を粋に使うフランス映画 「恋人たち」(一九五七)、この映画はルイ・マルという粋な粋なフランスの監督でしたね。  ジャンヌ・モロー、アラン・キュニーの共演で、まあきれいな映画でしたねえ。アンリ・ドカエのキャメラがきれいでした。ここでこの映画のストーリーをお話してると大変ですけれども、ジャンヌ・モローは大金持の奥さんですね。アラン・キュニーの旦那さんは、新聞社の社長さんです。非常に澄ましているというか、冷たいというか、嫁さんのジャンヌ・モローを信じ切っているというのか、まあ倦怠期ですね。なんだかしらないけれども、夫婦の間には、波風も立たないし、ジャンヌ・モローは、ぬるま湯に入ってる感じですねえ。娘もいます。けれどもジャンヌ・モローはちっとも幸せじゃありません。  この家族の農園の近くの別荘風な家。ちょうど夕方。窓が開けてあります。小鳥が入ってくるんですね。いかにも自然と家とが溶け合っているんです。そこでジャンヌ・モローが、籠《かご》の中のいちごをとってそのまま食べるところ、へたをキュッとむしって食べるところ、これがなんとも粋だったんですねえ。なにが粋だって、クリームや砂糖をかけないで、ビチャビチャつぶして食べないで、そのまま口に入れるジャンヌ・モローがとっても粋でした。そういうところをときどき映画のなかで見ると、いいなあと思うんです。ルイ・マルは、そういうムードを作るんですねえ。  そういうわけで、生のいちごを手でちょっと口に入れるところ。いかにも夏の夜の感じが出ていました。 「トランプ物語」(一九三六)、さあこれみなさん、ごらんになってないでしょう。フランス映画です。有名な劇作家で、おまけに俳優でもあるサシャ・ギトリという人が自分で監督して映画を一本撮ったんです。それがこの「トランプ物語」です。  子供から大人になっていく、その人生を描いています。その少年時代に、食べ物の事件がおこりました。この少年は、家では「|にんじん《ヽヽヽヽ》」みたいにお母さんに怒られてばかりいて、ちぢかんでいます。兄弟もあります。お父さん、お母さん、おばあちゃんみんないます。そのなかで、この少年はあまり好かれていません。この少年が、あるとき、ちょっといたずらをして、えらいこと怒られて、 「今夜は、あんたには食事はあげませんよ」といわれました。 「あんた、そこに立っていらっしゃい」、この少年はベソをかいて立っていました。みんなはテーブルに着きました。そうして、今朝、森でとってきたきのこをみんなして楽しげに食べました。この少年は、指をくわえてそれをじっと見ていました。すると、夜中に全員死んでしまいました。このきのこは毒きのこだったんですねえ。この少年一人が助かっちゃった。ブラック・ユーモアですね。まあ映画ちゅうものは、いろいろありますわねえ。「汚れなき悪戯《いたずら》」(一九五五)、マルセリーノという五つの坊やのお話でしたね。マルセリーノという子供が捨てられていて、この子供を三人の坊さんが育てましたね。やがて、その坊さんが一二人になりました。そこから始まっていきますね。この子供が、お坊さんたちに名前をつけます。おカユさんとか、病気さんとかいろいろつけますね。最初に三人の坊さんが、まあ捨て子を拾ったというところに、もうイエス・キリストの三賢者のようななんか匂いがありますねえ。その坊さんが一二人になった。ちょうどキリストのお弟子さんみたいな気がしますね。スペインの映画は、どこか宗教と結びつきますね。  あるとき、この子供が屋根裏で大きな大きな、人間と同じくらいなキリストの像を見ました。ちょうど両手を十字架にかけられた像を見ましたね。 「あのおじちゃん、こんなところでじっとしていておなかすいただろうなあ、なにか持ってきてあげよう」初め水を持ってきました。 「おじちゃん、この水おあがり」といいました。それから、また行きました。今度は自分のパンを半分切って持って行きました。 「おじちゃん、おあがり」といいました。すると、この木で作られた、彫刻されてペンキで塗られている、このキリストの像が 「ありがとう、坊や」といいましたねえ。マルセリーノはとっても喜びました。それから、このマルセリーノは、大好きなお坊さんたちの食べるパンをそーっと台所で一枚、あるときは二枚、それとお坊さんのぶどう酒を少し盗んで屋根裏へ持って行きましたね。  そういうわけで、パンだとかぶどう酒をこの子供が、イエス・キリストの像のところへ持って行く。このパン、このぶどう酒がイエス・キリストとどんな関係があるか? みなさん最後の晩餐でごらんになりましたね。パンとは人間の肉ですね。ぶどう酒、ワインとは人間の血ですねえ。だから、このパンとワインは、ただのパンとワインじゃありませんねえ。なにかを教えていますね。  映画のなかでいろいろ食べ物が出てきても、その食べ物がなにかを教えてくれますね。 ●生活を感じさせる食べ物  ところが、食べ物といいますと、ウエスタン映画では、なに食べるんだろうと思って見ていると、ベーコンを焼いたり、なにか干し肉をむしって食べたり、まああれちっともフルーツ食べていませんねえ。なにか果物をむしゃむしゃ食べているのを見たことない。あれでよく|おつうじ《ヽヽヽヽ》があるなと思いますけれども。それでね、よくフライパンでね、ベーコン焼いたりしてますね。たいがいコーヒーとベーコン食べてますね。  ところが、あのあとがおもしろかった。ベーコン食べたあとで、あのフライパンどうするのかと思ったら、ちょうど西部の真ん中で野宿してるでしょう。そんなところは、たいがい砂地でしょう。その砂を手でにぎってね。そのフライパンに乗せて、こうジャリジャリジャリと砂で洗って、そのままですね。  まあいやらしい、気持わるい、だがあれでいいんですね。トウモロコシをつぶしたんだとか、家庭でも豆食べてますねえ、ウエスタン見てますと。あれキントンみたいに甘いんだろうなあと思ったら、そうじゃないんですね。ただいためただけで、ちょっと日本のご飯みたいなもんですね。豆だとかトウモロコシだとか、あれで果物のかわりになってるんでしょうかねえ?  私あるとき、見てました。「ララミー牧場」なんかのとき、おもしろかったですね。あの連中が、どんどんどんどん、サボテンの林の奥へ入って行くんですね。太陽がカンカンカンカン照って、のどが渇いて死にそうになる。けれど水筒に水は一滴もない。みんな困っちゃった。あたりにむろん谷川などない。みんな目が回ってきた。  そのときに一人の男が、サボテンをナイフでななめにバシャっと切ったんですねえ。そうして、口に持っていったんですねえ。さあ、あのサボテンから、ポトリ、ポトリ、水がたれてくるんですね。サボテンは水を持っていたんですねえ。だから砂漠にサボテンがあるというのは、なにかの助けになるんですね。  それから、こんなこともありました。ちょうどアラスカで金鉱が発見された頃、チャップリンの「黄金狂時代」(一九二五)もありましたけれども、あのとき、チャップリンは靴を食べましたねえ。そういう話もまたあとでいたしましょう。  その黄金狂時代に、ある男がアラスカへ行きました。そうして、毎日毎日、毎日毎日金を探しました。ところが、ありゃしません。だんだんだんだん、ポケットのお金がなくなってきて、毎日毎日二流のレストランで、一ぱいの豆を食べておりました。来る日も来る日も豆ばっかり。その男にはハリー・ケリーという役者が扮しておりました。映画は、クラレンス・ブラウンという監督です。「仔鹿物語」(一九四七)の監督もしています。この映画は「黄金の世界」(一九二九)というんです。  ついにこの男は金を発見しました。それからがおもしろいんですね。レストランに行きました。いつも豆ばっかり食べているレストランに行きました。 「おい、すまんが、豆を七皿持ってきてくれ」といいました。まあこの男、毎日豆ばっかり食べていて、今日はまた七皿も食べるのかいなと思っていますと、豆を注文したあとで「大きな大きなビフテキ持ってきてくれ」といいました。あら、豆七皿も食ってビフテキも食うのかいな──この男どうしたかといいますと、テーブルの真ん中にビフテキをドスンと置いて、そのぐるりに七枚の豆の皿を置いて、その一つずつに 「ばか野郎、ばか野郎、ざまあみろ」といいながら、ビフテキを食べました。豆ばかりで生活している開拓者がいるということがわかりましたね。 ●幼時の記憶につながるチャップリンの食べ物  チャップリンの「犬の生活」(一九一八)。短編から中編にかわりかけた頃の名作ですね。ぜひみなさんに見てもらいたいと思います。  チャップリンはルンペンで、お金も食べ物もなくて苦しい苦しい生活のなかで、野良犬を拾って自分といっしょに仕事を探しに行く、そんな映画ですけれども、食べるということ。チャップリンは、ほんとうに、食べるということをいつも描いています。みごとですねえ。チャップリンの映画は、すべて食べることですねえ。ろくろく、食べることのできなかった苦しい子供の時が、忘れられないのでしょうね。人間にいちばん大事なことは食べることです。あの「モダンタイムズ」(一九三六)ごらんになっても、チャップリンが、どんなにガツガツガツガツ食べることを考えたか、あの、手を使わないで食べる機械のテストにされたり、まあ食べることに、むちゃくちゃやられる。  いつでも食べ物が、チャップリンの映画のなかでは、けんらんとおもしろいギャグをあたえますねえ。「サーカス」(一九二八)、この映画の綱渡りはおもしろかったですね。この映画でもチャップリンは仕事がないので、ふらふらとサーカスの前に行きました。そうして、サーカスの看板を見ていました。昨日からなにも食べてないのでおなかがすごくすいています。できたらサーカスで働きたいなあと思っていました。  すると、目の前に男の人が子供を抱いてやって来ました。その子供は、手に大きな大きなホットドッグを持っておりました。チャップリンはそのホットドッグに見とれました。ところが、子供はおなかがいっぱいなのか、ホットドッグの先のほうをちょっとなめるだけで、食べはしません。前やうしろに手をふっております。父親は看板ばかり見ています。  子供が一生懸命に手をふっているので、そのホットドッグがチャップリンの鼻先きにくるんですね。これ食べたいけれども、子供のものだから食べたらいけない。しかし、子供がふってる方向に口を開けていたら、ひょっとしたらホットドッグのほうで口に入ってくるかもしれないと思ったんですね。子供はふっています。ふっています。チャップリンは、そのふっている方向に大きく口を開けたら、パクッと入ったんですねえ。チャップリンは、口をつぐんだ。そしたら半分とれちゃったんですね。  チャップリンは、盗まないで食べました。父親はそんなことは知らない。ふと子供の手を見たら、ホットドッグが半分なくなっている。 「おまえ、そんなにたくさん食べたらだめだよ」といっています。チャップリンは、うしろで口をもぐもぐさせていました。というようなところで、チャップリンの食べるシーンのおもしろいこと。  そういうわけで、チャップリン映画は、とくに食べるシーンがすごいです。 「黄金狂時代」では、アラスカで、チャップリンともう一人の男とが、飢えて飢えて餓死しそうになったときに、相手のその大きな男が、チャップリンの歩き方がまるで|にわとり《ヽヽヽヽ》みたいなので、だんだんだんだん、チャップリンが|にわとり《ヽヽヽヽ》に見えて、食べたくなるところなんかこわいですねえ。じっさい、笑いごとじゃないですね。けっきょく、チャップリンは飢え切ってしまって、自分の片一方の靴をぬいで、それを煮て、半分を皿に入れてその男にやり、半分は自分が食べるところがありますね。その食べ方のすごいこと、チャップリンは、けんらんと食べますねえ。  というわけで、どの映画のなかでも、食べるということは、まざまざと私たちの前に迫ってきますねえ。 ●食べ物のおもしろい使い方 「イグアナの夜」(一九六四)、この映画、メキシコですね。エバ・ガードナーがホテルをやってます。そこへリチャード・バートンが、まあ観光団連れてやって来るんですね。テネシー・ウィリアムズ原作のちょっと粋な、いかにも感覚的な、セクシーな、そうしてもっと精神的な映画でした。  この映画のなかで、おもしろかったのは魚をブツ切りにして台所で煮るところ。それから大きな大きなトカゲが出てくるんですね。すると、その大きな大きなトカゲをこのメキシコの村の子供たちは、あわててとるんですねえ。ところが、これが食べたらとってもおいしくって、|にわとり《ヽヽヽヽ》のやわらかい肉とそっくりだそうなんです。映画とは、こんなトカゲが食べられることも教えてくれましたねえ。  私映画見てますと、ゲーリー・クーパーの食べ方の粋なことに感心します。ちょっとパンをつまんで、ポッと口に放り込みます。あのあたりの粋なこと、そうして、バターをちょっとつけるところの粋なこと。  ジャン・ギャバンも食べ方うまいですね。なにかネットリしたチーズをビスケットにつけて口に入れるところのうまいこと。しかもモクモクモクモク、と口の中でムシャムシャやりながらセリフをいうんですね。その粋なことってないですねえ。こういう名優になってくると、食べることでも演技になるんですねえ。  私ね、いっぺんおもしろい映画見たんです。ドイツ映画でね、「バリエテ」(一九二五)という映画あったんです。エミール・ヤニングスが主役やってました。彼は田舎のサーカスのおやじなんですね。彼が、朝ご飯食べるところがとってもいいんですねえ。  籠の中にゆで卵を一五個ぐらい入れてくるんです。そのゆで卵を食べるんですけれども、その食べ方がいいんです。そのゆで卵を手にとって、ひたいのところでコツンといわせて割って食べる。またコツンといわせて割って食べる。  私あれ見て、家に帰って五つゆで卵を作って、二階に持っていってこっそりやってみました。イタカッタ、イタカッタ。まあ、あんなばかなまねするもんじゃありませんねえ。  卵は、ヒッチコックの映画ではおもしろく使いますねえ。卵が血のかわりになりますね。台所でコック同士がけんかをする。真ん中にガラスの板がある。そのガラス板があるのを知らないで、こっちから卵をバーンと投げる。するとその卵がガラスに当たって、黄味がダラダラーッと流れるところ。ヒッチコックらしい感覚ですね。 ●飢えを哀しく描く 「アンネの日記」(一九五九)、これ、黒パン盗む話でかわいそうな映画でしたね。ジョージ・スティーブンスの監督で、ミリー・パーキンスがアンネになりましたね。アンネ・フランク。ユダヤ人のお父さんお母さんお姉さん、それにアンネが、あの二階か三階のところに、二年間もじーっと隠れてる話でしたね。それから、あのバンダンという夫婦が息子を連れて来ましたね。ピーターという息子。あれ、リチャード・ベイマーが扮しましたね。  まあ、この少年と少女の愛はとってもきれいでしたけれども、もう毎日毎日、食べ物がなくて、ほんとうに気を使って食べてるときに、このバンダンが、立派な家庭の旦那さんが、そーっとアンネの家庭のパンを盗むところありますね。アンネのお母さんが怒りますねえ。あんた大人でしょう、なにするんですか、といいますね。盗みにいった旦那の嫁さんがベソをかきますね。  パンの一切れで、なんともしれん哀しい哀しいシーンがありましたねえ。 「みじかくも美しく燃え」(一九六七)、これはスウェーデンの映画です。監督はボー・ビデルベルイです。  嫁さんも子供もあるシクステン・スパーレという伯爵とエルビラ・マディガンというサーカスの綱渡りの娘が、ほんとうに好きあって駆け落ちしました。駆け落ちしてから二人は、だんだん生活ができなくなりました。質屋にも行き、指輪も売って、とうとう食べ物もなくなりました。けれども二人の愛は変わらない。最後にどちらかが最後のものを売ってパンとぶどう酒を買ってきて、二人で森に行きました。そして、シーツを敷いて、二人は向かいあいました。心の中で二人はこれが最後の日だと思いました。  その前の日、エルビラはあんまりおなかがすいたので、クローバをとって口に入れましたがもどしてしまいました。それぐらいかわいそうな二人でした。コップにぶどう酒を入れるときに、パァッとそのコップがひっくり返って、白いシーツにかかりました。それはまるで血のような感じでした。やがて、この女はいいました。 「私がね、なんにも気がつかないときに殺してくださいね」  伯爵は「わかったよ」といいました。そこでエルビラは、子供のように黄色い蝶を追いかけました。そのとき、パァーンという音が森にこだましました。エルビラは草の中に倒れました。映画はそこからずーっとキャメラを引いてきます。すると、もうひとつ、パァーンという音がしました。伯爵が死んだんですねえ。二人の飢えと苦しみ、けれどもここにはすごい愛がありました。みごとな映画でしたねえ。  さあ、食べ物も映画のなかでは、とても大切な役割りをもっていますね。  えっ? あんたおなかがますますすきましたって? どうぞ、これからゆっくり、一晩中でも、食べて食べて食べてくださいよ。  サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ。 [#改ページ]   キャサリン・ヘプバーン  はい、みなさん今晩は。  さあ、今夜は、キャサリン・ヘプバーンについて、みなさんと楽しく思い出しましょうね。  なに、オードリー・ヘプバーン?  いいえ、残念でした。キャサリンでございます。変な顔しないでくださいよ。あんたは、どうして、そんな変な顔するんですか。あんなおバアの話、聞きたくない?  まあ、失礼ですね。あんなみごとな、すばらしい女優のことを。あんた、ちょっとどっかへ行ってらっしゃい。 ●心理学博士から舞台女優へ  キャサリン・ヘプバーン、もう今年十一月で、六十七歳ですねえ。私と同じ年ですねえ。私が好きなのは、なんとなくそういうところかもしれません。死期が迫ってますねえ。そういうわけで、この人のこと少し勉強しましょうね。  この人は、アメリカのコネチカット州のハートフォードで生まれました。アメリカの東部ですね。そうして、ほんとうの名前は、キャサリン・フォートン・ヘプバーンといいます。お父さんはお医者でした。五人兄弟ですね。そうして、コネチカットの女学校に入りました。それから、お母さんの母校のプリモア大学へ進みました。そうして、このキャサリン・フォートン・ヘプバーンは、心理学を専攻して、博士の学位をもらいました。立派ですね。  それから女優になりたくなって、両親に相談したら、お父さんもお母さんも、いっぺんに賛成してくれました。いかにもこの家庭が、豊かなことがわかりますねえ。それで彼女は、メリーランドの、バルチモアの小劇団に入りました。  そのとき、その劇団の経営をしていたのが、エドウィン・ノッフなんですね。この人は、のちに有名な映画や舞台のプロデューサーになりました。この人が、このキャサリン・フォートン・ヘプバーンを認めました。そうして、なによりもまずニューヨークへ行って、本格的に勉強しなさいといわれました。  彼女は、ニューヨークへ行きました。そうして、まず発声法の勉強をしました。俳優というものは、なによりもまず発声法です。私なんか、その発声法の点では、もう最低ですけれども、ほんとうは、アイウエオ、カキクケコ、その発声法というのは生命なんですね。舞台役者の生命なんですね。  ベティ・デイビスでも、それからほかに、いろんな俳優は、個人的な先生を雇ってるぐらいなんです。先生を雇ってるといういい方はわるいですね。先生に自分の家へ毎日毎日来てもらってるんですね。そうして、発声法の勉強をしてるんですねえ。今の若いスターが、テレビでも映画でも、ほんとうにそういう発声法の勉強をしていらっしゃるかどうかなあと思いますね。  というわけで、キャサリン・ヘプバーンは、発声法を勉強しました。そして、もうひとつ、優雅《ゆうが》なからだ、優雅な線を出すために、エレガントな線を出すために、マイケル・モードキンという、ほんとうにロシア・バレエで立派なダンサーだったこの人に、バレエを習いました。  だから、キャサリン・ヘプバーンは、舞台に出てくる、あるいは映画に出てくる、サッとすわる、サッと立ち上がる動作といいますか、動きがまるで風のなかの羽根のように柔らかいんですね。みなさん、ごらんになって、彼女のすわるところ、壁にもたれるところ、見てごらんなさい。とっても柔らかい線を出しますね。これは、彼女がバレエの勉強をしとったからですねえ。  彼女はいよいよ認められて、最初のブロードウェイのチャンスをつかみました。それが「ビッグ・ポンド」という、「大きな池」という劇の主役なんです。これは、すでに以前に大当たりの芝居でした。でも彼女は出なかったんです。監督と、けんかしたんです。  まあ、まだ二十歳《はたち》そこそこの彼女が、主役をもらったのに、けんかしたんですねえ。この「ビッグ・ポンド」は、のちに映画化されました。映画のときには、クローデット・コルベールがやりました。そんな、そんないいチャンスを彼女は、やらなかったんですねえ。  もっとほかに、彼女は、けんかしてやらなかったのがあります。「死神の休息日」、これもけんかしてやらなかったんですね。これも映画になりました。みごとな映画でしたよ。  それから、「アニマル・キングダム」野獣王国、これもけんかしたんですね。このときの主役は、全部レスリー・ハワードだったんですね。レスリー・ハワードといいますと、これは、もう一流中の一流の舞台俳優なんです。「風と共に去りぬ」(一九三九)で、アシュレイをやったあのレスリー・ハワード。舞台では、もう最高の俳優です。それなのにその人と大げんかしたんですね。というわけで、このキャサリン・ヘプバーンは、とっても気が強かったんですねえ。気が強かったというよりも、自分の個性、自分のほんとうの個性に合った芝居じゃないとやらなかったんですね。  やがて、「戦士の夫」という芝居で、ブロードウェイで彼女大当たりしました。二十二歳です。この、「戦士の夫」を見たハリウッドのプロデューサー、デビッド・O・セルズニック、この人が、自分が関係しているRKOラジオに連れていきました。 ●美人じゃないけど、たちまちトップスター  そうして、キャサリン・ヘプバーンは、RKOで、「愛の嗚咽《おえつ》」(一九三二)で初めて、主役をしました。その相手役、共演者は、ジョン・バリモアです。まあ、ジョン・バリモアといえば、舞台、映画の神様みたいに、たいした人です。その人と、二十三歳になったばかりのヘプバーンは共演したんですね。  そういうわけで、なかなかこの人は、初めっから派手なんですね。RKOは、すぐさまヘプバーンと五年間の契約をしました。RKOに入って、間もなく主役で、しかも五年の契約というわけで、キャサリン・ヘプバーンという人は、なかなかしっかり者ですね。  そうして、「人生の高度計」(一九三三)、その次に「勝利の朝」(一九三三)というのを主演しました。この「勝利の朝」は、ヘプバーン二十四歳のときです。彼女はこれでもう、一九三三年度のアカデミー主演女優賞をとったんですねえ。  それから、「若草物語」(一九三三)が待っておりました。あの大作を、彼女の主演でやりました。まあ、みごとですねえ。  それから、一九三四年、「野いばら」だとか、「小牧師」だとか、みんなRKOのトップクラスの映画ですね。そんなのに、どんどんどんどん、主演しました。それから、一九三五年に、「心の痛手」、シャルル・ボワイエと共演しました。それから、「乙女よ嘆くな」(一九三五)、これで、いよいよキャサリン・ヘプバーンの演技が、世界の注目を浴びました。 「乙女よ嘆くな」(「アリス・アダムス」)、これは舞台劇の映画化ですが、フレッド・マクマレイと共演しまして、監督が、ジョージ・スティーブンス。これは、ジョージ・スティーブンスの第一回の監督作品で、彼は、いっぺんでキャサリン・ヘプバーンに夢中になったんですね。彼女の演技にですよ。本人に、じゃないですよ。  というわけで、一九三五年、彼女は、二十五、六歳で、まあ、世界のトップスターの仲間入りしました。  それから、「男装」(一九三六)、それから、「スコットランドのメリー」(一九三六)、これは、フレデリック・マーチと共演しました。これはとてもよかった。けれども、この王族のお家騒動は、日本に輸入されなかった。でものちにテレビで入ってきましたから、ごらんになった方もあるでしょう。  マクスウェル・アンダーソンの有名な舞台劇、これにキャサリン・ヘプバーンは、スコットランドのメリー女王になりました。それから、「女性の反逆」(一九三六)、「ステージ・ドア」(一九三七)、「赤ちゃん教育」(一九三八)、彼女は、どんどん出ました。フィリップ・バリーの「素晴らしき休日」(一九三八)で、彼女はケーリー・グラントと共演しまして、いよいよはなやかな経歴がつまれました。  フィリップ・バリーは、今度、彼女を使って、舞台の芝居を書こうと思いました。そうして、キャサリン・ヘプバーンを主役にして、「フィラデルフィア物語」という舞台劇を書きました。彼女は、再び舞台にもどりました。これがまた、非常に当たって、「フィラデルフィア物語」は、彼女の当たり役になりました。これがまた映画になって彼女は主演したんですね。RKOとの五年の契約も終りまして、ヘプバーンは、MGMに、一流トップスターで迎えられました。 「フィラデルフィア物語」(一九四一)は、まあ、みごとな映画になりました。共演者は、ケーリー・グラントとジェームス・スチュアートですねえ。 ●無二のボーイフレンドはスペンサー・トレーシー  キャサリン・ヘプバーンは、今度は、「女性No1」(一九四二)で、初めてスペンサー・トレーシーと共演しました。この二人が、初めて会ったときに、彼女は 「ごめんなさい」といいました。スペンサー・トレーシーが 「どうしてですか」といったら、「私、あなたより少し背が高いから、お困りでしょ」といったんですね。すると、彼がいいました。 「心配しないでください。やってるうちに、同じ背の高さになってみせます」といったんです。まあ、スペンサー・トレーシーも、なかなかしっかり者ですね。こんなことで、スペンサー・トレーシーとキャサリン・ヘプバーンが、非常に仲良くなっていったんですね。  ここで、ちょっと彼女のプライベートなこと話しときましょうねえ。  彼女は、夜会服なんか全然好みに合わないんです。きらいなんですね。そうして、服を新調するのが、十年に一回ぐらいなんです。ケチじゃないんですね。そんなんきらいなんですねえ。スラックス、男のズボンはいてるのがいちばん好きなんですね。そうして、宝石とか、香水なんていうのも、あんまり好きじゃないんです。彼女のいちばん好きなものは、お風呂なんです。お風呂が大好きなんです。一日に五回もシャワーを浴びるんです。  こういうところ、私とちょっと似てますねえ。水泳が好きで、テニスが好き。テニスは、ちょっと私と違いますが、水泳の好きなのも、ちょっと私と似てまして、頭以外、顔以外、そうして、男性と女性以外は、彼女と私は似てますねえ。この人、しかしねえ、もうひとつ私と違うところは、飛行機の免状早くから持ってたんですよ。なかなか男性的ですねえ。この人のいちばん好きなスターは、グレタ・ガルボだそうです。  彼女は、十九歳のときに、学校の同級生で、フィラデルフィアの名門の息子のラドロウという人と結婚したんですねえ。けれども、やっぱり勝気のせいでしょうか、二十八年に結婚して、三十四年に離婚しました。その後、ずっと独身を通しております。  けれども、スペンサー・トレーシーと非常に仲良くなってきました。恋愛関係じゃないんですね。ほんとうの友だちですね。ずっと今日まで続きましたけれども、スペンサー・トレーシーは、まあ、亡くなってしまいました。亡くなるときに、彼のそばにいたのは、実はこのキャサリン・ヘプバーンだったそうですね。というのが、彼は二十八歳のときに、ルイズという人と結婚して、二人の子供ができましたが、晩年には、別居していたそうです。世間では、今度は彼女と結婚するだろうといいましたが、二人は一生友だちとして、つき合ったんですねえ。  まあ、そんなことよりも、彼女は、それからいろんな映画に出ました。「大草原」(一九四七)は、スペンサー・トレーシーと共演しました。それから、「愛の調べ」(一九四七)、これクラレンス・ブラウンが監督しましたが、あのトロイメライで有名なシューマンの奥さんのクララの話で、けなげに働く奥さんを、いかにも上品にやりました。キャサリン・ヘプバーンは、とっても品があるんですねえ。なかなかいい作品でした。  この人は、どんな映画に出ても、みごとですね。  はい、それからまた、「アダム氏とマダム」(一九四九)で、スペンサー・トレーシーと共演し、そしてあのみごとな「アフリカの女王」(一九五一)をやりました。  やがて、彼女はもう四十六歳になった。その頃に「旅情」(一九五五)、「サマータイム」ですね。さあ、この映画、とってもよかったですねえ。アメリカの女が、ベニスに行きまして、イタリーの男に情熱を燃やしました。彼女は、情熱を燃やすために、イタリーへ来たんですねえ。  さあ、この男といっしょに、ベニスのゴンドラに乗るところ、そしてまあ、あの満月の晩のきれいだったこと、キャサリンが、まるで少女みたいに、いかにもういういしく、きれいでしたねえ。でもこのとき、キャサリンは、四十六歳だったんですねえ。  私は、あの監督、デビッド・リーンですか、あの監督に会いました。キャサリンがきれいでしたねえ、といいましたら、大変だったんですよ、とあの監督がいうんですね。  もう、ともかくキャサリンは、顔中しわだらけ。それで困って、ラブシーンするときでも困りました。もう、手もしわくちゃなんですって。あの人四十六歳ですけれども、皮膚がうすいんですね。もう、しわだらけなんです。それで、ゴンドラに乗るところ、そこできれいな彼女を見せたいんで困ってしまって、ゴンドラの中にそーっと隠してライトを入れて、下からずーっとライトを当てて、キャサリンの顔のしわをうまく隠したんです、なんてあの監督は、憎らしいことをいってました。けれども、この映画はなんともしれん美しさでした。ガーディニアの花を思い出しますね。  その次に彼女は、「雨を降らす男」(一九五六)という、みごとな作品に出ました。これは、バート・ランカスターと共演しとります。 ●いじらしい娘役がぴったり  ここでちょっと、「雨を降らす男」のお話をしましょうか。  これは日本ではあまり有名ではないんです。けれども、私は、キャサリン・ヘプバーンのもののなかでは、一、二、三、四、五の中に入れたい作品なんです。だから、このお話をちょっとしましょうね。「ザ・レイン・メーカー」といいます。  しかし、「ザ・レイン・メーカー」ってなんでしょう? はい、おもしろいお話です。監督は、ジョセフ・アンソニーですけど、これは舞台でとっても当たった芝居で、一九五四年舞台で初演されました。そして、大当たりしました。そうして、一九五六年にパラマウントが映画化したんですが、とってもおもしろい内容なんです。映画になって、キャサリン・ヘプバーンとバート・ランカスターが、みごとな主演を演じた後で、一九六三年に、ミュージカルになって、また舞台で上演されたんですよ。  さあ、どんなお話か、簡単にお話しましょう。  アメリカの西南部に、スリー・ポイントというところがあるんですね。まあ、見渡すかぎりが草原、そして荒野。雨が、きのうもおとといも、一週間も十日も、ひと月もひと月半も降らないんですねえ。風が吹いたらほこりだらけ。まあ、そこでその土地にいる、ちょっと農村の中流家庭ですね、そのオヤジが、困ったなあ、雨が降らないで、どうしたらよかんべえ! なんて思ってるんですね。  ちょうどそこへ、一人のスターバックという旅人がやって来たんです。  この旅人は、ただの旅人じゃないんですね。太鼓を持って、妙な服を着て、そうして、この小さな村の十字路で、ドーン、ドーン、ドーン。太鼓たたいて、集まれえ! なんて、まあ、気違いが来たかと思うぐらいに、まあ、妙な男が来たんですねえ。このスターバックにバート・ランカスターが扮しています。 「もし、君たちが雨が欲しければ、おれが降らしてやるぞ」といったんですねえ。 「そんなばかなことができるか」 「おれは必ず降らしてみせる、ただし雨が降ったら、一〇〇ドルくれ」そういったんですね。だれもそんなの相手にしません。けれども、ここに農家の主人の一人が 「雨が降れば一〇〇ドル。降らなかったら、やらなくともいいんだったら、一ぺんやらしてみよう。おい、おまえやるか」といったら、このスターバック 「おれは必ず降らしてみせる」といったんですね。そういうふうなおもしろい男、この男が、映画の題名のザ・レイン・メーカー。雨を降らす男ですね。  これをアメリカでは、ドリーマー・コン・マンというんですね。コン・マンというのは、詐欺師《さぎし》ですね。スティングの連中は、コン・マンといいますね。この男も、ドリーマー・コン・マン、夢想的な詐欺師なんですね。こんな話を入れながら、この映画のほんとうの柱はなにかといいますと、ここにお母さんが亡くなって、おもしろい陽気なお父さんと男の兄弟ばっかり、その長女が、キャサリン・ヘプバーンなんです。この長女は、もう三十過ぎていました。三十三ぐらいになってきました。  まあ、あのキャサリン・ヘプバーンですから、みなさん、ご想像ください。どうしても胸がふくらまないんですね。そうして、彼女は、その町の保安官を愛してるんです。その保安官の奥さんは、ほかの男と駆け落ちして、この保安官は一人者になってるんです。ウェンデル・コーリが扮してますが、なかなかいい顔してるんですね。この男にキャサリン・ヘプバーンは、ほのかな恋を感じてるんですけれども、このリジーという娘は、どうも胸がぺちゃんこだし、別に足もきれいじゃないし、顔もあんまりどうみてもよくないし、私はだめだ、私はだめだというので、苦しんでいるんですね。ときどきお風呂場から、手ぬぐいを二枚とってきて、胸のなかに入れてみて、ちょっとふくらましてみてるんです。そうして、鏡で見るんだけれども、どうしてもいい格好じゃないんですね。  このリジーが、このごろ、ちょっとだけヒステリーになって、ノイローゼ気味なんです。だから、兄弟たちは、リジー姉ちゃんに変なこというたらいかんぞとみないってるんです。けれども、男兄弟ばっかりですから、兄貴は、彼女に、まあいいたいこというんです。 「おまえは、一生一人でいるに違いないから、おれが養ってやるよ」なんて、兄貴は優しい気持でいってるんですけれども、リジーにとっては、ひどいことをいってるように思われるんですね。  というわけで、みんなはまあ、いたわってるつもりなんだけれども、彼女には、そんな言葉が、全部|かん《ヽヽ》にさわるんですね。  ところが、あるとき隣の隣の、隣の駅のところで、パーティがありまして、リジーも行くことになりました。「さあ、行っていらっしゃい。リジー行っといで」、というわけで、まあ、バスケットにものを入れて、彼女は出かけました。おとっつぁんも、兄弟たちも、心の中では、パーティに行ったならば、だれかあいつにひっかかる男が一人ぐらいはいるだろう。リジーのほうでも、だれかボーイフレンドが? というわけで、出かけて行きました。一日たって、一泊して、明くる日リジーが帰ってくる頃に、みんなで駅に迎えに行きました。おとっつぁんも、兄貴も、末の弟に、「あの、姉ちゃんに変なこといったらだめだよ、なんにもいうなよ、ボーイフレンドができたか? なんてそんなこと聞いたらいけないよ、姉ちゃんまた泣くからな」そんなこといってるところに、汽車が着きました。  姉ちゃんが降りて来ました。黙って、みんな帰りかけたときに、チビの弟が、いったらいけないというのに、「お姉ちゃん、だれかいい男の子いた?」といっちゃったんですね。みんなまあいらんことをと思っていると、姉ちゃんは、アッハッハと笑って、「私困っちゃったのよ。つきまとわれてつきまとわれて、ほんとに困っちゃったのよ。もう、私がね、そこのお家のね、お部屋で寝るときに、ベッドまで入ってきたのよ」  みんなびっくりしたんですね。うまいこといったな。一人ひっかかったな。喜んだんですね。姉ちゃんも、とうとう相手みつけたなと思ったんですね。チビが聞きました。 「そう、その男の人、なんて名前?」 「ジョンというのよ」 「ジョンて、どんな男の人なの?」 「あら、ジョンはおす犬よ。どうして?」  まあ、ワンワンだったんですねえ。みんなガッカリなんですね。  というわけで、この「雨を降らす男」は、片一方ではバート・ランカスターのなんともしれん、つまり|いかさま《ヽヽヽヽ》で世を渡っていく男のおもしろさ、片一方ではこのキャサリン・ヘプバーンのオールド・ミスの哀しさ。その二つがおもしろうございました。  やがて、この男がそこへ泊まって、明くる日雨が降らないんですね。ドーンと太鼓をたたいても。「オイコラ、雨が降らんじゃないか」「まあまあ、あわてるんじゃねえよ」、なんていってるんですね。そうして、納屋《なや》をあてがわれて、納屋で寝ることにしたんです。このスターバックという陽気な詐欺師が、納屋で寝ようとすると、向こうのほうでだれかシクシク泣いとる。だれが泣いとるのかのぞいたら、ここの家の娘が泣いとる。 「なんで、あんた泣いとるの」 「私はね、やっぱり一生独身で暮らすの。学校の先生になって。こんな顔じゃ、だれも相手にしてくれないもの」リジーがそういったときに、このスターバック、詐欺師は、ハッハッハと笑って 「あんた、そんな妙な顔じゃないぞ」といいました。 「あんた、鏡に向かって、あたいはきれい、といってごらん」 「そんなこと、私とってもいえないわ」 「いうだけいってみなさいよ」 「私は美人」 「そんないい方ではだめだ、もっと本気になって」 「私は美人」 「だめ、もっと本気になって」 「あたいはきれい」 「もっともっと」 「あたいはきれい」 「もっともっと」 「あたいはきれい」リジーは言われるままに、あたいは美人、あたいはきれい、といい続けました。そういってるうちに、このスターバックが惚れ惚れとその娘の顔を見た。 「ウン、ほんとにベッピンだぜ」、といいました。 「ちょっとその髪変だな、そこのつまんどるの、それはずしなさい。そうそう、はずして、バサッとしてごらん」  彼女は、いわれるままに、変なリボンとっちゃって、バサッと肩に髪をかけた。 「あたいはきれい、あたいはきれい」といってると、スターバックのバート・ランカスターが、じいーっと見て 「|ほんまもんや《ヽヽヽヽヽヽ》」といったんですねえ。  リジーの目から涙がこぼれた。彼女の顔は、みごとにきれいになってきたんですねえ。  そうして、彼女は勇気を出して、あの町の保安官に、アイ・ラブ・ユーということができた。さあ、このスターバック、雨は降らさなかったけれども、幸せなことをひとつ残して、この村を出て行きました。「あの男に一〇〇ドルやろうかな、娘にちゃんと男をみつけさしてくれたから」とおとっつぁんは思いました。けれども、スターバックは、アバヨといって、去って行きました。これが「雨を降らす男」ですね。 ●どんな役でもこなす芸域の広さ  はい、キャサリン・ヘプバーンといいますと、あの「雨を降らす男」の、あのいかにもいじらしい娘さん。あるいは、「旅情」の、アメリカからイタリーにやって来て、ベニスにやって来て、恋に燃えようとしたが、やっぱり未練を断ち切って帰っていった、あのいじらしい役。あるいは、「冬のライオン」(一九五八)みたいに、とってもこわい王様のあの奥さん。彼女の芸の幅は広いですねえ。いろんな作品で、いろんなかたちで。  では次に彼女の作品のなかで、ただ一つ、とってもこわい映画がありますから、そのお話をしましょうね。  というのは、こういう映画をごらんになってない方が多いと思いますので、ちょっとお話しましょうね。 「去年の夏突然に」(一九五九)という作品です。これは、テネシー・ウィリアムズの舞台劇ですね。一九五八年に、ニューヨークで初演されまして、その翌年、コロンビアが映画化の権利を買って映画にしました。ジョセフ・L・マンキーウィッツが監督に当たっとります。  キャサリン・ヘプバーンは、どんな役だったでしょう?  アメリカの南部のフロリダ、どこかそのあたりの大金持の未亡人なんですね。亡くなったお父さんは、立派な立派な博士、学者だったんですね。お金は山ほどある。そこに一人息子がいたんです。セバスチャンという名前の息子、そのセバスチャンを、お母さんはとってもとっても大事にしました。もう息子が自慢《じまん》で自慢で、その子のために生きてるみたいなお母さんでした。そのお母さんを、キャサリン・ヘプバーンは演じました。  そうして、その息子は、いかにも美少年です。やがて美青年になってきました。お母さんは、その息子を連れて海外や、いろんな所へ旅行しました。旅行へ行きますとみんないいます。「まあまあ、あのお母さんとあの息子さんのなんてきれいなこと」  初めはそうでしたが、だんだん、息子が大きくなってきて、大きなホテルのラウンジで、しゃべっているのをチラと耳にすると、あの二人は恋人同士かしらん、あの男の年上の恋人かしらん、夫婦かしらん、なんていうのを聞いて、お母さんはとっても得意でした。  その子供にセバスチャンという名前をつけたのも、お父さんではなくてお母さんでした。イエス・キリストのために一生をつらぬいたあのセバスチャン、その名前を子供につけたんですね。自分が、まるでイエス・キリスト。自分の息子は、自分にいつまでもあらゆる意味で服従している男。そういうふうなつもりで、お母さんは、もういつも悠然と優雅にその息子をかわいがっていたんですね。  その子供、やがてだんだん年をとってきます。世間的に結婚させなくちゃならない。それで、お母さんはあんまり気が進まなかったけれども、あの娘、この娘と候補を選びましたが、みんな気に入らない。この息子のほうは、だれでもいいといってるんですね。  この息子は、一人で部屋の中で絵をかいてるのが好きなんですね。そこの家は大きな家で、ビザンチンふうな、いかにもクラシックな家です。広い庭があって、豪華なんですね。この家の一室に閉じこもって、絵をかいたり、彫刻したりしてますが、その絵、その彫刻が全部男の裸体、男のみごとな彫刻なんですね。お母さんは、この息子が芸術的な才能をもってることを誇りにしてたんですね。けれども、嫁をもたさにゃいかんというので、とうとう自分がいちばん気に入った姪を息子の嫁にしたんですね。  この姪というのがおとなしくて、なんでもいうことを聞く、右を向いとれというと、一日中でも右を向いとるぐらいのおとなしい姪なんですねえ。この役にエリザベス・テーラーが扮しました。この息子は、やがてお母さんと旅行するよりも、自分の嫁さんと旅行するといいだしました。当然ですねえ。嫁さんは喜びました。お母さんは、ちょっと気に入らない。そうして、息子たちは旅行するんです。  けれども、やがて異様なことが起ります。この嫁さんは、旦那さんとダブルベッドで寝たことないんです。ツインベッドで、別々のベッドで寝かされて、でもこのおとなしい姪の嫁さんは、そういうものかと思ってたんですね。  二人はいろんなところへ行きました。みごとなみごとな避暑地へも行きました。そのうちに、この旦那さんは妙なことをいうんですね。「できるだけ裸のからだの線が見える海水着を着なさい」嫁さんは、「まあ変なこというわね」、と思いながらも、背中を丸だしの、もう胸も丸見えの海水着を着て海へ行きました。  すると、彼女がきれいなもんだから、周りを少年とか青年が、取り巻くんですね。それをじーっと見て、この旦那は、その少年や青年と交渉をはじめていくんですね。このだんなは、実は、女よりも男の子が好きだったんですね。そうして、どんどん、どんどん金をばらまいて、男の子を自分の部屋へ、別室に連れ込んでいたんですね。そういう餌食《えじき》になった少年が、いっぱい出てきたんですね。  とうとう、最後にあいつもか、あいつもかというわけで、初めは金をもらって餌食になったけれども、考えたらだんだん腹が立ってきて、みんなが集まって、空缶を、カンカン、カンカン、カンカン鳴らしながら、この奥さんが、びっくり仰天している前で、この旦那をみんなでたたいてたたいて、踏んで踏んで殺してしまったんですね。奥さんはびっくりして発狂してしまいました。病院の医者が、なにもかも奥さんから聞きました。  この医者には、モンゴメリー・クリフトが扮しております。どうして、その旦那がそうなったか、家庭は、どんなだったか、だんだん、だんだんこの医者が調べていきます。この医者が、キャサリン・ヘプバーンと会うところは、だんだんすごくなってきますね。このお母さんが、自分の息子を、自分のからだの中へ入れてしまいたいぐらい愛してたことが、だんだんわかってくるんですね。そうして 「あんたの息子は、もう青年時代に気が狂ってたんですよ。あんたの息子は、ほんとうのホモですよ。男と寝るんですよ」この医者が、お母さんに話してるうちに、お母さんは 「セバスチャンが、あの自分の宝が、そんなはずはない。あの子がそんなはずはない」というんで、だんだん変になってきて、皮肉なことに、息子の嫁を無理に入院させ、やがて退院したそのときに、この医者に、いろいろいろいろ、責められて、だんだん、だんだん様子が変になってくところが、ヘプバーンうまいんですね。  やがて、にっこり笑って 「セバスチャン、ここへいらっしゃい」医者を自分の息子と錯覚《さつかく》しはじめたんですね。 「セバスチャン、さあ、私といっしょに、お部屋に入りましょうね」彼女は狂ったんですね。そういうところで、この映画は終ってるんです。  キャサリン・ヘプバーンは、こんなグロテスクなお母さんの役もやれるという、「去年の夏突然に」は、まあおもしろうございますね。  彼女は、スペンサー・トレーシーと共演したり、「招かれざる客」(一九六七)とか、まあまあ、社会的なおもしろいおもしろい、いかにもアメリカ女性らしい役をやってるのに、この「去年の夏突然に」の役は、なんともしれんこわい役ですねえ。  そうして、「招かれざる客」で、アカデミー賞をとりました。みごとな作品でしたね。続いてその翌年、今度は「冬のライオン」で、またもや主演女優賞をとりましたねえ。いかにも彼女の実力を示しておりますね。今ちょっと映画に出ておりませんが、まだまだまだまだ、舞台や映画に出ることでしょう。まあ、この人はこの前、ブロードウェイの舞台で、あの香水王、コティですか、あの香水王の女主人の役をやって、なかなか評判がよかったですねえ。  キャサリン・ヘプバーン。私は、やっぱりいちばん好きな女優のひとりですねえ。  あなたも「私はきれい、私はきれい」と百ぺんもいってごらんなさい。きれいになりますよ。そんなこといわれなくてもきれいですって?  それは失礼しました。けど、残念ながら、私、あなたの顔見れませんもの。ではまた、  サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ。 [#改ページ]   映画に出てくる動物たち  はい、みなさん今晩は。  今夜は映画と動物です。さあ、楽しみましょうね。なに、聞こえない? おかしいですね。私一生懸命しゃべっているんですよ。あなたの耳がおかしいのと違いますか。なんですって、今|しゃも《ヽヽヽ》の首をしめるような音がした?  残念でした。あれ、私の声なんです。今ちょっと声変わりしてるんです。ごめんなさいね。声《ヽ》わずらいなんですねえ。しんぼうして聞いてください。 ●体長六フィートの大うさぎ  動物は、いろんな映画の画面にあふれるように出てきますね。  今更エルザの話なんかしなくても、みなさんよくご存知ですね。アフリカの原野に、あのエルザを返して、また再び会いに行く、あの育ての親とエルザの再会。すばらしいですねえ。  まあ、映画のなかの動物といったら、リンチンチンからラッシーまでどれだけあったかわかりませんね。  ところで、ちょっと変わったお話しましょうか。みなさん、こんな妙なお話知っていますか。その映画のこと、ちょっと一口、十秒ぐらいしましょうね。 「ハーベイ」(一九五〇)、ジェームス・スチュアートが主演してるんですよ。「オーケストラの少女」(一九三七)を監督したヘンリー・コスターが監督しました。ハーベイ、これ実は六フィートもあるうさぎなんです。え、そんなに大きなうさぎ? はい、目に見えないうさぎなんですよ。妙な映画でしょう。原作はメリー・チェイスの舞台劇で、まあ、ニューヨークで五年間もロングランしたんです。アメリカというところはおもしろいですねえ。妙なお話が当たるんですね。  ここにエルウッドという底抜けに人のいい男の子がいたんです。男の子といっても、もう少年以上の歳《とし》ですが、まだ結婚していません。ちょっとお酒が好きです。このエルウッドをジェームス・スチュアートが演じたんですよ。この男がときどき妙なことをしてるんです。部屋の中でだれかと一生懸命しゃべっているんです。一人でしゃべってるんだけれど、どうも相手がいるらしいの。いっしょに暮らしてるお姉さんは気持わるいのね。 「あんた、エル。いったいだれと話してるの?」 「ぼく、ハーベイと話してるの。ここに、ほらハーベイいるでしょう。大きなかわいいうさぎいるでしょう? ぼくの親友なんです」  お姉さんびっくりするんですね。 「そんなものいないわ」といってドアを閉めたら「そこ閉めないで、ハーベイが帰るとき困るから」というんですねえ。お姉さんはあんまり気持わるいから、病院に電話かけたんです。あわてて病院から先生と看護婦さんがやって来ました。  その先生と看護婦さんは、お姉さんのほうが気違いだとまちがって病院に連れていっちゃったんです。お姉さんがあんまりガミガミいうから、お姉さんのほうを患者かと思ったんですねえ。エルウッドが病院へ駆けつけました。そうして、「姉がぼくを入院させるために電話したんです」というわけで、このエルウッドが入院することになるんですけれども、エルウッドは入院しても、ハーベイと話ばっかりしてるんです。  けれども彼はハーベイと、いいことばっかり、楽しいことばっかり話してるその会話がおもしろいですねえ。エルウッドがハーベイにいっていることが、みんなの心を温かくさすんですね。とうとうしまいには、病院のみんなが「エルウッドさん、そこにハーベイいますね」と、ほんとはいないハーベイを、ほんとうにそこにいるようにエルウッドに話しかける、そんな映画なんですねえ。おもしろいですね。  これで五年間もブロードウェイで当たったんですよ。どこがおもしろいのか。それは、このエルウッドという男が、目に見えないハーベイと話しているその話が、とても心温かい話であること、外国ではうさぎちゃんというのが、なんかラッキーなんですね。うさぎのしっぽがラッキーみたいに、うさぎ自身がなにか幸福のシンボルなんですね。  ちょっとハーベイのことを話しましたが、まあ、映画と動物といえば、山ほどありますねえ。 ●人間の悪知恵と動物 「かもめのジョナサン」(一九七三)こそ、動物映画ですね。人間が一人も出ないで、あのかもめばっかり出ましたねえ。ほんとうにまあ、ジャック・コーファーという人のキャメラに頼ってもう人間は使わないでかもめだけで、よくこのホール・バートレットという監督は、長編映画を作りましたね。けれども、この映画見ていて胸がスーッとしますね。映画ですねえ。あの海。あの白いかもめ。なんてきれいでしょう。  こんなこと思っていると、今度は「イルカの日」(一九七三)を思い出しました。「イルカの日」なんて題名がくせ者ですね。「ザ・デイ・オブ・ザ・ドルフィン」というんですね。そうすると、ザ・デイ・オブなんとか思い出しますねえ。ジャッカル、「ジャッカルの日」(一九七三)を思い出すんです。  はい、そのとおりで、まあかわいそうに、あのかわいい、かわいいイルカを使って、大統領を暗殺しようとしましたね。人間はなんてわるい知恵をもっているんでしょう。  イルカというのは、ワンちゃんより頭が良くって、人間のいうことはなんでもわかるんですね。そして、ちょっとしゃべれるんです。パーとかマーとかいうんですねえ。飼主の顔を見て、水から半分顔を出して、パー。あれ見ていたら私イルカと寝たくなりました。そういうわけで、このかわいいイルカを使って、人間はなんと悪いことを考えたんでしょう。  これだけの知恵があったら、こうしろああしろと訓練したら、大統領のヨットにぶっつかって大統領のヨットを爆発させることができるかもしれない。イルカを使って大統領を殺そうとしました。イルカはそんなことは全然知りません。この映画は、人間の汚い知恵とイルカのきれいな知恵をほんとうに見せましたねえ。  この映画の監督が、マイク・ニコルズなんですね。ご存知ですか。なに? 知らない。あんたは、知らないのがあたりまえですよ。マイク・ニコルズというのは、「卒業」(一九六七)の監督ですよ。思い出しましたか?「キャッチ22」(一九七〇)の監督です。思い出しましたね。それから、「愛の狩人《かりうど》」(一九七一)、見た、見た、見た。  いやらしい、あんた、あんなんだけ見てるんですねえ。「愛の狩人」のあの監督が、こんな「イルカの日」なんていう、動物映画を作るところが、外国の監督の幅の広さですね。感心しますね。「イルカの日」で、イルカを使って人間を殺そうとした、人間はなんて悪い奴だろうと思うと、「ドーベルマン・ギャング」(一九七三)なんていうのも、まあドーベルマンというかわいいワンちゃんを使って銀行強盗をしようとしました。人間はなんてあくどいんでしょう。というわけで、映画のなかの動物は考えたらきりなくありますねえ。しゃべれば、おそらく二十時間ぐらいしゃべれますから、困ります。けれども、だいたい活動写真が始まった頃から、動物は出ていましたよ。 ●アメリカの鷲《わし》、日本の鷲  そもそも大昔、一九〇七年(明治四十年)、あんたがまだまったく空気だった頃、アメリカ映画に「鷲の巣から助ける」という映画がありました。これはグリフィスの初期の初期の作品です。そのストーリー? なんでもないんです。赤ちゃんが家にいた。家の庭にいたところ、鷲が赤ちゃんをキュッとつまんで、ピューッと空へ上がって、鷲の巣へ連れていってしまった。さあ困った。そこで村の青年が、その鷲の巣のある絶壁まで行ってその赤ちゃんを助けるだけの話。なんでもない一〇分ぐらいの映画。これ、えらい評判になりました。  みなさん。そういうふうなもので、今ちょっと私思い出したものがあります。こんなときに、ちょっと勉強しましょうね。  みなさん。「良弁杉《ろうべんすぎ》の由来」なんての知っていますか。なに? そんなもの聞いたことない。はい、やっぱり、あんたはそういう程度でしょうねえ。せいぜいそんなレベルでしょう。あんたの頭。これ、知らなかったら困りますよ。はい、残念でした。映画ではありませんでした。文楽でした。  たまには、文楽の話もしましょうね。「良弁杉の由来」これ書いたのは、女の作家です。よろしいよお、ピンピンピン。私頭が狂ったんじゃないんです。そういう文楽の幕開きの三味線のなんともしれんいい音色から、「良弁杉の由来」は語られてゆきます。ここは宇治の里。宇治の茶摘みで、きれいなきれいな五月の空。畑また畑また畑。  そこへ大地主のおかみさんが、赤ちゃんを抱いて出てきました。そうして、赤ちゃんを緋毛氈《ひもうせん》のきれいなきれいな床几《しようぎ》の上に置いて、まあ、まあお茶がよくとれました。この葉のよくついたこと。  ここでひとつお祝いにお弁当でも食べて、踊りましょうか。というわけで、銀の扇で踊るあたり、いかにも山の肌の緑のこの茶畑のきれいなこと、踊るおかみさんの顔の若いきれいなこと。ところが、ピューッと風が吹いてきました。えらい風だ、えらい風だといってると、一羽の鷲がピーヒョロロ、シューッと降りて来よったあ。そうして、その赤ちゃんをくわえてシューッといっちゃった。  その踊っていたおかみさんは、びっくり仰天して地面に倒れて、飛び上がってまたころんで、我が子、我が赤ちゃん、我がヤヤ。まあ、泣いて泣いて、どこ行った、ああ、ああ、と泣きました。  この序幕が終ってから、やがて五年、一〇年、一五年、二〇年、このおかみさんは、鷲が連れ去った赤ちゃんを追って、山から山へ、里から里へと探し回りました。あんなきれいなきれいな若奥さんが、白髪になって杖をついて、こっちの山からあっちの里へとたずね歩いていると、山里の子供が、「ヤァーイ、ババア、ババア」と石を投げる。これこれわるさするなよ、といいながら、もう半分物もらいのばばあになっていました。  川を渡るとき、頭は白くなって、髪は乱れて、見るからに老いぼれた姿が水に映るのを見て、私も、もうこんなに老いぼれたか、といいながら歩いて行くうちに二月堂に着きました。  そうして、お祈りしました。息子はどうしているだろう。生きていてくれればなあと思いながら、また歩き始めると大きな大きな杉の木がありました。そしてその根元に囲いがしてあって、柱になにかいわく因縁《いんねん》が書いてある。見たら、これこれこのとおり、ここの枝の高い梢に、昔々何年何月何日に、赤ん坊を鷲がくわえてきて、向こうにヒョイとひっかけていきまして、それからはこの杉を良弁の杉と申します。実は、このお寺のいちばん偉いお坊さんが良弁さま。その良弁さまは、実はあの木の枝にひっかかっていた赤ん坊であります、と書いてあるので、このばあさんは腰が抜けたようになって、ヤ、ヤ、ヤ、ヤ、というのがこのお芝居。  やがて、そこに良弁さまが、お輿《こし》に乗ってみえられて二人の対面、そなたが我が母か。もったいなや、良弁さま。  というわけで、鷲の巣から子供を助けたというあのグリフィスの映画から思い出しました。  左甚五郎という人がお寺の山門に一生懸命に、鷲のきれいなきれいな彫刻を彫ったところが、その彫刻はほんとうにみごとなできばえで、最後に、その鷲に目を入れたら、ピーヒョロロ、ピーヒョロロと飛んでいったという、そのトリックがおもしろうございました。その甚五郎を、尾上松之助が演じました。大正の初めの活動写真です。  というわけで、映画のなかのそんな話したら、きりがないほどありますねえ。 ●人間と動物との闘いと愛情  みなさんが、そうだそうだ、おまえそんなこというけれども、「白鯨」(一九五六)もよかったぞとおっしゃるように、あのハーマン・メルビルの「白鯨」も何回も映画になりました。ジョン・ヒューストンが監督して、グレゴリー・ペックもよろしゅうございましたなあ。  そこに一人の男がいましたな。船長さん。その船長さんが、なんと鯨に足をもぎとられた。あの鯨、あの白い鯨、あいつはわしの足を食いちぎりやがった。わしは一生かかっても、あの鯨めをつかまえてみせる。まあ、この船長は片足は棒になってるんですねえ。  そうして、この頑固な、いかにもおそろしい、このなんともしれんこわい船長さんは、甲板を歩くときは、コツンまたコツンまたコツン、片足は棒ですから、靴の足音は片一方だけ。片一方は棒のコツンという音。その音がいかにも頑固な感じをよく出しておりました。このこわいこわい船長が探すのは、自分の足を食いちぎった鯨だけ。けれども、海は広い。あんなに広い大海原で、どうしてその鯨が見つけられましょうぞ。しかしながら、男の一念、探して探して、探して探して、とうとう最後に、あの鯨じゃあないかというところがすごいでしたなあ。大きな鯨が潮を吹いて、ブゥオー、ブゥオー。まあ、数百匹のかもめが、ピヨピヨピヨピヨその鯨の回りにむらがってましたね。  その鯨めがけて、あれこそわしが待ちに待った鯨だというので、この船長さんが鯨を射止めるところがすごかった。射かけても射かけても、この大きな鯨はなにくそと逃げていく。逃がしてたまるものかと、この船長は船から鯨に乗り移った。すべって落ちてはいけないので、銛《もり》であっちもこっちもひっかけて、銛の綱で、その白鯨に自分のからだをくくりつけました。そうして、持ったナイフで、鯨の胴体を、えぐってえぐってえぐって、わしは絶対にこいつを殺してやるといってるときに、この鯨はあんまり痛いのか、船長さんをくくりつけたまま、ザブンと海の底へもぐっていった。やがて潮の渦がわいたかと思うと、ザーッと上がってきた。鯨にくらいついているその船長の手が、波のなかで手をふるように、二、三度フラリ、フラリとゆれたまま、またもやこの鯨とともに海のなかに消えていきました。というわけで、白鯨と人間との闘いもすごうございましたねえ。  はい、「チコと鮫」(一九六二)、これはもうフォルコ・クイリチのイタリア映画。今更しゃべったら、そんなこと知っとるぞ、といわれそうですから、なんにも申しませんけれども、人食い鮫と少年が仲良くなって、やがて別れていく話ですねえ。けれども何年かたって、この少年が大人になって、そのなつかしいなつかしい鮫と再会するところ、ホロッとしますね。人間と動物の愛情っていいですねえ。  ところで、ここでひとつ、みなさんはこの映画ご存知あるめえという、なつかしいというのか、古めかしいというのか、おもしろい映画のお話をしましょうか。  はい、こんな映画ご存知ですか。「この虫一〇万ドル」(一九四四)。そんなもの知らん、あたり前ですね。  昭和二十一年、戦争が終って、やっと映画が見られるようになった。ちょうどその頃やってきましたから、みなさんご存知ないわね。アレキサンダー・ホールという人が監督しました。けれども、役者はケーリー・グラントが出ているんですよ。それから少年が出てきます。テッド・ロバルトソン。みなさん知らないでしょう。でもケーリー・グラントが出ているのですから、ちょっとその光景を目の前に思い浮かべてください。  ニューヨークです。ニューヨークの劇場の興行主がいました。ケーリー・グラントが扮しています。一〇万ドル借金ができたんですね。それで芝居ができなくなったんです。さあ困った。この赤字をどうしよう、もう自動車に乗って家に帰るのもつらくて、ブロードウェイの裏通りをトボトボトボトボ、歩いていたんです。  どうやって金の工面《くめん》しようかと考えながら歩いていると、一人の少年が、道端で妙なことやってたんですね。ハーモニカ吹いてるんです。ハーモニカ吹いてるのは不思議じゃないけれども、その少年の前に一匹の毛虫がおるんですね。その毛虫が、少年がハーモニカ吹くと踊るんですね。興行主だから、これおもしろいな、これちょっと使いたいなと思ったんですねえ。  毛虫が踊っても、これ舞台で使っても困るなと思いながらも、いかにもおもしろい。少年が、生き生きとハーモニカを吹くと、毛虫も生き生きと踊るんですね。スローテンポで吹くと毛虫はゆっくり踊るんです。これおもしろいな、これいけると思ったんですね。そうして、その少年と仲良くなっていきました。ところが、それを世間が知った。新聞が書きたてた。おもちゃ屋が買いにきたんですね。その毛虫売ってくれ、とんでもない、少年が怒ったんですね。すると今度は、あのディズニーの撮影所までが、これを記録映画にしたいからちょっと貸してくださいといってきた。少年は、ノー、ノー、ノー。ぼくの親友だからいやだといって、どこにも貸さなかった。  けれどもこのケーリー・グラントは、うまいことこの少年をちょろまかしておれだけが使ってやろうと思ったんですね。少年をどんどん、どんどん自分の仲間に引き入れて、しまいにはおれだけがこの毛虫を使ってやろうと思ったんですね。さあ、いよいよ少年が 「おじちゃんなら、この毛虫を使ってもいいよ」といった。いいぞ、これをどううまく使おうかと思っているうちに、毛虫がいなくなった。どこを探してもいないんですねえ。二人はがっかりしました。その明くる日も探した、いない。三日目、ケーリー・グラントは、少年がハーモニカで吹いていたあのメロディを頭に入れてますから、ピアノで弾いてみたんですねえ。なんとなしに弾いていると、ピアノの向こう側から一匹の蝶々が出てきて、そのピアノといっしょに踊りだしたんですねえ。あの毛虫が蝶々になった、踊ってる、かわいいなあ、あの動き、おもしろいなあと思っていると、少年が窓を開けたんですね。蝶々は、メロディに合わせて、きれいなきれいなリズムで、ニューヨークのマンハッタンの、遠くに見える青空のかなたへ、ヒラヒラヒラヒラ飛んでいきましたとさ。  一〇万ドルは飛んでいってしまったけど、少年とケーリー・グラントは顔を見合わせて、ウィンクして、ハッピーだなといいました。これはおもしろうございました。「この虫一〇万ドル」、粋なお話でしょう。  まあ、そのほかにいろいろありましたよ。ペルーの映画で、「みどりの壁」(一九六九)、実写の記録映画でこわいこわい映画かな、と思ったら、少年と、お父さんお母さんのなんともしれん優しい映画。けれどもこの少年が、ジャングルを開いた畑の近くの谷川で、毒蛇にかまれるところはこわかった。  それからまた「野性の少年」(一九六九)というのは、あのフランソワ・トリュフォという監督が、どうしても「奇蹟の人」(一九六二)、あのヘレン・ケラーとアニー・サリバン先生を自分の手でどうしても映画にしたかったのをアメリカにとられて作れなかったので、その代りに赤ちゃんが森に捨てられて、おおかみに育てられたおおかみ少年を連れて帰って、イロハのイから勉強させて勉強させて、けれどもこの少年は、勉強よりも庭に出て満月を見て、ウォーッ、ウォーッと吠《ほ》えるのが好き、それを命がけで、トリュフォ自身が先生の役をやって、この少年に勉強させる話。  動物映画もいろんなかたちでおもしろうございますねえ。そんなことがあるかと思うと、「ハタリ!」(一九六一)のような映画もありますね。 「ハタリ!」は、ハワード・ホークスの監督で、アフリカのタンガニーカの原野で、野生の動物を生け捕りにする映画でしたね。  これには、ジョン・ウェイン、エルザ・マルチネリ、ハーディ・クリューガー、レッド・バトンズ、ジュラル・ブランなどおもしろい俳優が集まりましたね。これなかなかおもしろかった。ハタリというのはアフリカ人の言葉で、あぶないということなんですね。この映画のなかで、ハタリ! ハタリ! 出てきますね。どんなところだろう? 犀《さい》を追いかけるところですね。ジープで犀を追いかける。すごいですねえ。ロープで犀をとるんです。ところで犀のほうも負けていませんね。あのすごい角でコーン、キーン、まあジープが倒れそうになるんですね。  あのあたり映画とはおもしろいなあ、映画とはこれだ、という感じがしますねえ。アフリカの原野で、土けむりがパーッと立つ。あの犀が走る、スピード、スピード、スピード。それを追うジープ。そのジープに犀のほうからボイーン、ガッタン。乗っているのがジョン・ウェイン。いいですね。  というわけで、映画にはきりがないほど、おもしろいのがありますね。 ●サラリーマンにもいる�ビスケット・イーター�  ところで、またちょっと変わったお話しましょうか。さっきの「この虫一〇万ドル」みたいに、さあ、みなさんごらんになったかどうか。「僕の愛犬」(一九四〇)という映画。これもなかなかおもしろかったです。南部のジョージアの猟犬牧場の話なんです。アメリカ映画ですよ。スチュアート・ヘイスラーという監督でした。役者はビリー・リーという少年。みなさんご存知ないと思います。  この少年は犬を一匹もっています。とってもとっても大事にしています。その犬の名前はプローミスといって、やがてきっといい猟犬になると思い込んでいます。ところが、このプローミスはへまでへまで、ちっともいい猟犬にならないんですね。なにやってもだめなんですね。ところが、最後の最後の最後に、この猟犬が立派に、猟犬としての腕をみせるところがおもしろいんですけど、実はこの映画の題名がちょっといいたかったんです。はい、それは�ビスケット・イーター�ビスケット食いというんです。  ビスケット・イーターというのは、ビスケットばかり食べるくせに、ちっともいうことをきかない犬のことです。えさばっかり食べて、やれといってもなんにもやらない。これをビスケット・イーターというんです。だから、サラリーマンでも月給もらって毎日毎日遊んでばっかりいて、仕事してるような格好してる人をビスケット・イーターというんですねえ。  格好ばっかりよくて中味のない人、それをビスケット・イーター。というわけで、この映画は、そのビスケット・イーター、とってもへまな犬のへまさ加減を、この映画では犬の俳優が上手にやっているところがおもしろいんですね。ほかの猟犬が、上手に上手に動くのに、この犬だけはいつもへまばっかりやって、ストップというのに二、三歩してからストップして、みんなの顔を見てるんですね。ここらあたり、この犬の表情がとってもおもしろかった。 「鳥」(一九六三)のお話はしなくても、もうみなさんご存知ですね。  知っていらっしゃるでしょう? なに、知らないって。まあ、知らないのは、地球上であんたぐらいでしょうよ。  この「鳥」というのは、ヒッチコックの有名な映画で、ロッド・テイラーが主演しましたね。原作はダフネ・デュ・モーリアですね。ダフネ・デュ・モーリアといったら、「レベッカ」(一九四〇)の原作者ですね。この「バード」は、もうこれはなんともしれんたくさんのたくさんの鳥が、かたまってきてびっくり仰天する話で、初めはきれいな鳥だと思っていたら、だんだん、だんだんこわくなってきた。こわくなるどころか、庭が真っ黒になるくらいのたくさんの鳥が、群れの心理でグワーッと飛び込んできてつつかれたら、人間は死んでしまうというおそろしさがよく出た映画でした。  けれども、この映画のいちばんのおもしろさは、題名ですねえ。「バード」鳥。みなさんバードといったら、バード・ウィークがあるように小鳥を想像しますね。タイガーとかイーグルだったら最初からこわい。けれども「バード」という題で、こんなこわい映画作ってるところにヒッチコックのいたずらがありますね。 ●「猫と庄造と二人の女」  豊田四郎監督の「猫と庄造と二人の女」(一九五六)というのをごらんになりましたか。あ、ごらんになってなかった? まあ、残念でした。おもしろい映画でしたよ。  原作は谷崎潤一郎。この映画の大主役はリリー、リリーは猫の名前です。森繁久弥、山田五十鈴、香川京子、浪花千栄子が出ておりまして、原作者の谷崎さんは、ぼくの映画のなかでこれがいちばん好きだなとおっしゃっていました。この映画の話、ちょっと聞いてくださいね。  大阪のお話です。大阪の雑貨屋、芦屋あたりですね、庄造という男がいました。この庄造というのは妙な男なんですね。賢《かしこ》いのか、ばかなのかわからん男なんです。雑貨屋の息子です。お母さんが浪花千栄子です。このお母さんがしっかりしてますの。  ところが、庄造に品《しな》子という嫁さんができました。お母さん、この品子というのあんまり好きやないの。山田五十鈴が扮していました。森繁久弥の扮している庄造は、嫁さんの品子というのに、ウーマン・リブ、ちょっと尻にしかれてるんです。尻にしかれて喜んでるんですね。嫁さんのいうとおり、エヘ、エヘ、エヘ。この庄造、嫁さんに甘いんです。お母さんは、それでよけいに腹が立つんです。あの息子、なんであんなに嫁さんに優しくするのか、もっときつくしたらいいのにと思ってます。  またこの庄造というのは、猫のリリーが好きで好きで好きで、むちゃくちゃに好きで、自分は好きでもないのに、魚ばっかり買ってきてその魚を猫にやります。 「あんた、今日も魚買うんでっか。あんた、こないだもいわしこうたでっしゃろ。あんた、今日なに? あじ? あんた、あじきらいでっしゃろ。そいであじ買うの?」 「いや、ちょっとあじ食べたいねん」  奥さんの品子さんは、しょうないわといいながらあじを一生懸命料理しました。その晩、自分が食べるのかと思うたら、この庄造、五切れのあじ、自分で食べたんは、たったの一切れ。あとは口の中に入れて、「リリー、リリー、リリー、おいで、おいで」リリーにあとの四切れはやってしもうて、リリーの食べるのを見て、「おいしかったか、おいしかったかリリー」寝床の中まで、リリーを連れてきます。品子さんすっかり怒ってしまいました。 「私、いやや。こんなうち、あんまりや、二人寝とっても、真ん中に猫がおったら、気持わるうて気持わるうて、こんな旦那さん、私、いやや」 「そんなこといいな。相手は猫や。あんたと私がなにしとっても、わかりゃせんがな」といっても嫁さんは 「私、いやや。猫はじっと見てますわ。私、こんなんいやや」。二階でけんかばっかりしてる。下でお母さんこれ聞いて 「おもしろいなあ。あの嫁さん怒っとる。怒れ、怒れ」まあお母さんも勝手なお母さん。 「私、離縁してもらいまっさ」といって嫁さんは出て行きました。お母さんの思うツボですわ。ところで、庄造は、品子がいないのはつらいなあ、おれ寂しいなあといいながら、リリー、リリー。リリーのほうが好きなんですね。庄造は、あんまり、嫁さんが出ていったことを怒りゃしません。けったいな男や、この人。  ところが、お母さんはちょうどええわ、と思ってます。  ここに庄造のいとこに福子というのがおりまんねん。これ、いかず後家みたいで、あんまり顔がようのうて、みんなに好かれとらんので、婚期を逸してしまって、けど庄造のお母さんはこの福子が好きなんです。この娘を香川京子がやってます。 「ちょいと、あんた、福子さん嫁はんにしなはれ」というと、庄造は 「あ、ええわ」。庄造はだれでもいいような顔をしてます。そうして、お母さんのいうとおり、福子をもらいましてん。福子はんの前で 「母が今日から嫁はんにきてくれというてます。いいでっか?」 「ほんなら私あんたの嫁はんなるわ。おおきに」この庄造は相変わらず働くのきらいで、猫ばっかり抱いてる。どこいくにも猫抱いてる。ところが、またこの福子が怒りだしましてん。なんぞいうたら、ご飯たべるとき、猫に先にやります。そうして、自分のおかずを猫にやってから、あとで自分が食べますねん。で、福子 「あんなリリー、もういいかげんにしてちょうだい」 「そないなこといいな。これ、猫やろ。そんな、怒らんときいな。福子おまえにも、なついとるやないか」 「私、いやや、こんな猫」  一方、あの別れた品子のほうです。考えてみると、庄造をあんな福子のものにしとくのは惜しいと思いました。庄造を取り上げたろ思いました。そこで、計画を立てて、いかにも品子らしい感じで、まあ、めそめそした手紙を、福子に出しました。 「ほんに、福子さん福子さん。あんたは、まあまあ、あの庄造さんと夫婦《めおと》になられてよかったわ。ほんとに私お祝いしたいわ。あんたみたいな人に庄造さんを渡したら、私も安心ですわ。  ところで、あんた、あのリリーどう思うてはる? いりまへんやろ。あの庄造さんが、リリーを好きや好きやいうて、私ときどき忘れられたことありますねん。でも、あんたにはそんなことないと思いますけど。あのリリー私にちょうだい……」  まあ、福子はこの手紙を見て、ええわ。あんた庄さん、ちょっとおいで。あんたの前の嫁はんがな、リリーくれっていうてまっせ。あんたあげなはれ。いやや、いやや。おれあのリリーだけは置いとくわ。あんた、リリーがそんなに好きなの。私よりリリーが好きでっか。ちょっとお母はん、お母はん、来ておくんなはれ。あんたの息子はんな、私よりリリーが好きやて。私、こんな嫁はんなるの、いやや。  これ庄造、リリーを品子にやりなはれ。リリー置いたって、なんにも得になりゃへんやないの。あんた、福子と別れたらまた困りまっせ。嫁はん、ほかにありまへんで。  とうとう、うまいこと品子のワナにかかって、品子はリリーをとってしまいました。リリーさえつかまえていたら、庄造はきっとこちらへ来ると思いました。  案の定、庄造はときどきはアンパン持って、ときどきはいわしやあじを竹の皮に入れて、品子のところへいきますけれども、さすがに座敷にはようあがりません。品子の二階借りしている家のうしろの草むらのなかから、リリー、リリー。品子は庄さん来とるわと思いながら黙ってます。リリー、リリーと呼んでいる。品子は、リリーおまえいっといで、ニャーン。リリーはシューッと駆けていく。今に庄さん、こっちへ帰ってくるわ。  これが「猫と庄造と二人の女」。けれども、この庄さん、実はどんな男か。リリーが好きなのかどうか。ここが谷崎文学のおもしろいところで、リリーを利用して最初の嫁さんと二度目の嫁さんに嫉妬をおこさせて、庄造一人がこの女たちと遊んでるのかもわかりません。谷崎文学というのは、底がしれんおもしろさがありますねえ。  リリーこそ猫めいわくでしょうね。  さあ、いかがでしたか。人間よりも動物のほうが好きですって? まあ、あなたの顔もお猿さんそっくりですよ。ではまたゆっくりとお話聞いてくださいね。  サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ。 [#改ページ]   ビリー・ワイルダーはいたずら好き  はい、みなさん今晩は。  さあ今夜は、みなさんの大好きなビリー・ワイルダーの名作についてお話しましょうね。なんですか? あんた、そこでなにしてるんですか? もう寝る気で、枕でなくて布団を持ってきたんですって? まあ、そういう人は除いて、今夜はビリー・ワイルダーの名作で楽しみましょうね。  ビリー・ワイルダーといいますと、たくさんありますね。「昼下りの情事」だとか「麗《うるわ》しのサブリナ」だとか「七年目の浮気」だとか、みなさんもビリー・ワイルダータッチを堪能《たんのう》なさってると思います。さあ、そのお話です。 ●ワイルダーのいたずらはみんなわけあり  この監督、ビリー・ワイルダーという人のこと、私は初めから好きなんです。といいますのは、この人は、ディートリッヒだとか、キャグニーとか、ストロハイムとか、スワンソンとか、シュバリエとか、まあ、いろんな古い役者を使ってくれるんですね。私のように昔からの映画ファンは、よだれがたれるんですねえ。まあ、そういう感じで、ビリー・ワイルダーが好きなんです。  で、この人の、わりに新しい作品はどんな映画かといいますと、みなさんご存知ですか、あの「お熱い夜をあなたに」(一九七三)というのがありましたね。この作品も、なかなかおもしろうございましたが、見ていらっしゃいますか。ジャック・レモンがやっぱり出てきました。それから、ジュリエット・ミルズという新人の女優が出てきましたね。  ビリー・ワイルダーはお話がうまいですね。お話がうまいというのは、映画のストーリーの着想がうまいんですね。  この映画で、ジャック・レモンは、えらいえらいかたいおとっつぁんの息子ですね。それで、おとっつぁんが出張先のイタリアで、自動車事故で死んじゃったんですね。まあ、一生懸命に働いて働いて、仕事の鬼だったお父さんが亡くなったというので、ジャック・レモンが飛んで行くんですね。そのとき、急な電話で、危篤、もうだめだといわれて、びっくり仰天したから、普段の洋服のまま飛行場に行ったんです。そして飛行機に乗ってから、しまった、モーニングがいるんだった。お葬式だから喪服がいるんだったのにと思ったんですねえ。自分は赤い服を着てるんです。  さあ困っちゃって、じろじろ、じろじろ、その飛行機の中を探したら、一人、黒い服着てる人がいたんですね。ちょっと、お坊さんらしい人、その人のそばへ行って、ちょこちょこ、ちょこちょこ、なにか耳打ちしたんですね。黒い服の人が、そうですか、そうですかという顔して、二人でお手洗の中へ入ったんですねえ。  映画見てる私たちは、最初、そういうことを知らないんです。なぜ、ジャック・レモンがあわてて飛行機に乗ったか、きょろきょろしているのか、わからないんですね。ところが、その男といっしょに入ったから、ちょっとややっこしい気がしたんですね。あの二人、男同士でお便所に入った。まあ、ビリー・ワイルダーはそういういやらしいところから始めていく人で、ほんとうに人がわるいんです。結果において、これは、あわてて喪服を持っていかなかったからだということが、わかるんです。  というわけで、イタリアへやってきました。そうして、おとっつぁんの棺桶を見ました。泣きました。ところが、もう一人、隣できれいな娘さんが泣いておりました。娘さんのお母さんが亡くなったんですね。だんだん話がわかってきますと、そのお母さんというのは、実はジャック・レモンのおとっつぁんの、長い長い間のガールフレンドだったんですねえ。おとっつぁんはイタリアへ行くたびに浮気してたんですね。あのかたいおとっつぁんがそんなことしてたんか、あきれたおとっつぁんだなあ、なんというおやじだろうと思っているうちに、ジャック・レモンはその娘がかわいそうになってきて、今度は、その娘とその息子との恋愛になってくるんですね。なんでしょうね、おとっつぁんとお母さんの二つの棺桶、その棺桶の前で、第二のロマンスが始まっていく。やっぱり、ワイルダーはいたずらもんですねえ。  思い出しますね。「昼下りの情事」(一九五七)でも、私が見ますと、なんともしれん楽しみがあるんですよ。今更申し上げるまでもないんですけれども、モーリス・シュバリエが、いろんな人の火遊び、スキャンダル、奥さんの浮気なんかを種にして、それを旦那さんに知らせて商売にしている、怪《け》しからん私立探偵になっているんですね。  しかも、プレイボーイが出てきます。まあ、すごいアメリカ人の中年男のプレイボーイ、これをゲーリー・クーパーがやってるんですねえ。そうして、このゲーリー・クーパーがある嫁さんと浮気してるのを、嫁さんの旦那が気づいて、ゲーリー・クーパーを殺してやるといったときに、セロを弾くお嬢ちゃんの、オードリー・ヘプバーンが助けてあげるんですね。そのオードリー・ヘプバーンのおとっつぁんが、シュバリエなんですね。因果は巡ってくるというわけで、このヘプバーンがゲーリー・クーパーに夢中になるお話ですね。  この三人の人物関係がとってもおもしろうございますけれども、もっとおもしろいことは、あの堅物のゲーリー・クーパー、どの映画見ても清潔な役ばっかりのゲーリー・クーパーに、プレイボーイをやらせたんですねえ。もう、どんな人の嫁さんだってつまんじゃう、しようのない男にしたんですね。  しかも、そういう男を見つけては、浮気の種を旦那に売りつけるような、妙な悪い探偵というのがモーリス・シュバリエですね。ところが、この人は、ほんとの二枚目の色男で、プライベイトではちっともスキャンダルのないかたい人でしたけれども、映画のなかではまあ、もててもてて、もう、パリ、酒、女、そこにシュバリエがいないと困るくらいな二枚目の色事師の花形だったんですねえ。それを、こんなしょぼくれた老探偵にしたところに、この映画のおもしろさというか、ワイルダーのおもしろさがありますねえ。  というわけで、ワイルダーの映画は、とてもいろんないたずらが仕掛けてあるんですね。  まだまだ、ビリー・ワイルダーのいたずらには、こんなのがあるんですよ。あの「お熱いのがお好き」(一九五九)のなかで、マリリン・モンローがうたいますね。あのうたい方はなんだかこう、どういうんでしょうか、甘ちゃんの、赤ちゃんの声ですねえ。  はい、これにはわけがあるんですね。昔々、パラマウント映画に、漫画で、べティ・ブウプというとってもかわいい不思議な女の子がいたんです。これが八等身の反対で、四等身くらいの女の子で、顔が大きくて足が短いんですけれど、全身これエロチックなんですね。エロチックいうても、いやらしいエロチックやなくて、いかにも女の子のなんともしれんセクシーなムード持っていたんですねえ。そのベティ・ブウプのうたい方というのがあのプップッペドゥなんて変なこというんですね。あれを、マリリン・モンローにうたわせるところが、ビリー・ワイルダーなんです。ビリー・ワイルダーじゃないと、もはやこんないたずらをする監督は、アメリカにいないんですねえ。  ビリー・ワイルダーは、ワイルダーというから、ドイツ人ですね。ドイツ人ならこそ、アメリカに行って、あのマリリン・モンローにこんな漫画のベティ・ブウプの声を入れさせたところにおもしろさがあります。それと同時に、この「お熱いのがお好き」は、まあ、「シュガー」というミュージカルになっちゃったんですね。それくらい、これはみんなに楽しみを与えましたねえ。  それからまた、ジャック・レモンともう一人、トニー・カーチスが女装しましたね。女形になりましたねえ。このあたりも、ビリー・ワイルダーのいたずらなんですよ。  トニー・カーチスという人は、ブルックリン生まれの美少年で、どんどん有名になって映画に出ましたけれど、いつでも男の相手役がいるんです。バート・ランカスターとか、カーク・ダグラスとかね。一人だけでの主役というのが、なかなか、なかったの。いつでも相手方の男がいて、その男のそばで人気をあげていったんですね。そういうわけで、この人は決してホモじゃありませんけれども、世間では、「トニー・カーチス、ちょっと、|あれ《ヽヽ》かしら」なんていった人があるくらい、そういうふうな濡れ衣《ぎぬ》着せられたことあるんですねえ。そのトニー・カーチスを女形にしたあたり、まあ、なんともしれんビリー・ワイルダーのいたずらの悪いところがありますね。  というわけで、「お熱いのがお好き」は、活動写真はなやかなりし頃のドタバタ喜劇のスタイルを持っていましたねえ。ほんとにビリー・ワイルダーは、映画ファンのなかの映画ファン、その頃のほんとのアメリカ映画ファンだったんですね。私とちょうど年が似ています。そんなところもうれしいですねえ。 ●マリリン・モンローの全身を舌なめずり  このビリー・ワイルダーという人は、ドイツではなにをしてたかといいますと、シナリオライターだったんですね。それが、アメリカでこんなに有名になった。その有名になったのは、ルビッチという監督に見出されたからなんです。ルビッチという人が、セクシーなコメディのうまい人だったから、ビリー・ワイルダーはそのお師匠さんのおもしろいおもしろいタッチを継いだわけですねえ。  さあ、「七年目の浮気」(一九五五)というのがありました。これもなかなかおもしろかった。タイトルからしておもしろかったですね。あのタイトルの文字、�セブン・イヤー・イッチ�のイヤーのRの字が、プューンととび出してくるような、なんともしれんおもしろいタイトルを使いましたねえ。  まあ、えらいことに、仲の良いご夫婦が七年たったときに、なんだかしらないけれど、奥さんが旦那さんを疑うようになった。なぜかといったら、この「七年目の浮気」を見てから、男なんてそんなふうに浮気したがるんでしょう、ということになったなんて、ワイルダーはわるい映画を作りましたねえ。  けれど、この映画で、私は、ああやっぱりビリー・ワイルダーだなあ、と思ったことがあるんですね。これは舞台劇の映画化なんですけれども、これをビリー・ワイルダーは舌なめずりして映画にこなしました。どうこなしたかといいますと、マリリン・モンローが最初に出てくるところがいいですねえ、ちょっとごめんね、とドアを開けて入ってくるときに先に足が出てきたんですね、なんだか荷物持って、ねじ開けるように。  そうやって足を見せて、今度は階段をあがりかけて腰を見せて、肩を見せて、くちびるを見せて、まあ最初の登場のところで、マリリン・モンローを舌なめずりするように全部きれいに私たちに見せましたねえ。このあたり、マリリン・モンローの使い方、見せ方がみごとですね。  それからこんなシーン。マリリン・モンローが、ブロードウェイのタイムズスクエアを歩いて行きます。道のところどころが地下鉄の通風孔になっていて、その穴に鉄板の網を渡してあるんですね。その上を人が歩けるし、地下を電車が走るとシューッと風が上がってきます。ちょうど、マリリン・モンローがその上を歩いているとき、電車が通って、その穴からピューッと風が吹いて、マリリン・モンローのスカートがくらげみたいにパアッと開くところ。彼女の「まあ、涼しいわ」という顔は、かわいらしいけれど、考えたらなんだかエロチックですね。下から風が吹いて、そうして涼しいなんて、どこが涼しいかわかりませんねえ。いやらしい場面ですけれども、マリリン・モンローがやると、とってもキュートでかわいいんですね。  けれども、これを見たジョー・ディマジオ、当時の旦那さんですね、怒っちゃったんです。おまえはあんなシーンをよくもぬけぬけと撮ったものだ、というわけでけんかのもとになっちゃったんですねえ。かわいそうにねえ。  というふうに、この映画でもビリー・ワイルダーは、マリリン・モンローにずいぶんいたずらしました。どんなところがあるかといいますと、まあ、バスの中で──お風呂ですよ、自動車じゃありませんよ、お風呂の中で彼女、手と足の先をちょっと水道の蛇口に入れたんですね。すると抜けなくなったんです。どうしても抜けなくて困りましたね。電話もかけられませんね。というようなこと。  これはもう、ドタバタ喜劇の頃にはよくあったスタイルなんですねえ。それを今の監督は忘れているんですね。ビリー・ワイルダーは映画ファンですから、ずっと昔のそういうおもしろさ、そういうタッチをちゃんとこの「七年目の浮気」で入れてるんですね。  というわけで、この映画は、マリリン・モンローのとってもかわいいかわいい、ほんとうにどういったらいいんでしょう、まるでかわいい感覚を見せました。マリリン・モンローの田舎の娘さん、それがニューヨークへやって来て、これから仕事を見つけるのよ、というんです。けれども、頭がいかれているのか、まあ、ちょっと変なこというんですね。夏のことで、アパートの下の階の男と 「まあ、ほんとうに暑うございますねえ。私ね、とっても涼しくなる方法知ってますの」 「どうするんですか?」 「あのね、パンティをね、冷蔵庫に入れときますの。そうしてはいたら冷たくて気持がいいですわよ」平気でそんなこというんですね。  さあ、下の階の男は、あの女はなんてきれいなんだろう、あの足、あの腰、あの顔なんて思っていると、夢のなかにそのマリリン・モンローが出てきますね。ところが、そのマリリン・モンローは、長い長いシガレットホルダーの先にシガレットをつけて、真赤なイブニングを着て、モンロー・ウォークで腰をふりながら、まあ、すごい格好でやってきてシャンパン飲むんですねえ。すごいすごいマリリン・モンローですねえ。  というわけで、かわいいかわいいマリリン・モンローと、すごいすごいマリリン・モンロー、「七年目の浮気」は、それを両方とも完全に見せましたね。ビリー・ワイルダーという人は、なんておもしろい人なんでしょうねえ。 ●クラシック通《つう》、クラシック・ファン  ビリー・ワイルダーのいたずらを考えますと、きりなくありまして、ここで、どういったらいいかわかりません。たとえば「第十七捕虜収容所」(一九五二)なんて作品があります。アメリカの捕虜の話です。どんな残酷な話かと思いますと、まあ、この捕虜のなかのウィリアム・ホールデンが、自分の仲間に、自分がとってきたものを売って儲けてるんですね。ワイルダーにかかったら、ホールデンもえらい役をやらされますねえ。  というわけで、どれもこれもおもしろい。ところが、もっと私の好きな映画がありましたよ。それは私が最も好きな俳優のジェームズ・キャグニー、キャグニーってとってもいいですね。このキャグニーを使って一九六一年に「ワン・ツー・スリー」という映画を作りました。キャグニーはもう、これで映画界から引退しました。しかし、キャグニーはこの映画のあとで、なんとアメリカ映画協会から生涯の特別功労賞というのをもらったんですねえ。キャグニーはそんなえらい俳優だったんですよ。だから、私にすると、キャグニーの引退作品というので、この「ワン・ツー・スリー」は忘れられないですね。悲しい映画ですね。  けれども、映画はなかなかおもしろうございました。まあ、ここで、ちょっといっていいかどうかしりませんけれども、大きな声でいったらコマーシャルになりますけれども、この映画、初めからコカコーラの工場が出てきます。見渡すかぎりの大きな工場です。しかもちゃんと看板が出てくるんですね。ビリー・ワイルダーともあろう者が、よくもよくもこんなタイアップ映画を作ったもんだと思いました。  そうして、そのなかの話はいろいろありますけれども、その工場のいろんなもの、その生産ぶりを見せまして、まさにこれは、まあまあ、コカコーラの宣伝映画を作りやがったな、なんて思いました。またキャグニーがそこの重役、そこの副社長で、そのコーラのことで夢中で大変な映画なんですね。よくもまあ、コマーシャル映画みたいなものを撮ったものだと、私は画面をにらんでたんですね。  いよいよ映画も終りに近づきました。すると、飛行場に、ジェームズ・キャグニーと奥さんと子供のみんながやって来ます。そうして子供が 「ぼくね、なんだかねえ、ちょっと、なんか冷たいもの飲みたいな」 「よし、いいものやるぞ」  ここに大きなスタンドがありまして、ガチャンとお金入れたらなにか出てくるのがありますね。コカコーラの大きなマークがついてるんですね。キャグニーが喜んで小銭出して、ガチャンといって、キューと出してみせたら、それがペプシコーラだったんですねえ。まあ、あきれまして、キャグニーがかんかんに怒るところ、またその片方のマークが大きく画面に出てきましたの。だからもちろんコカコーラの宣伝映画じゃない。ひどい映画を作りますねえ。というわけで、まあ「ワン・ツー・スリー」も、愉快な映画でした。  ところで、この監督は「ワン・ツー・スリー」でキャグニーを使ったように、そのなかで、粋なクラシックのワルツの名曲を入れておりますが、そんなふうに、この人は非常に映画のクラシックを愛しておりますね。  この監督は「シャーロック・ホームズの冒険」(一九七〇)なんて映画も作りましたねえ。シャーロック・ホームズの冒険なんていいますと、連続大活劇を思い出しますねえ。  近頃は、ビリー・ワイルダーもずいぶん撮ってませんが、つい最近発表した新しい映画、その題名は「フロント・ページ」という題でした。�フロント・ページ�というのは新聞のいちばん最初の大見出しのことですね。そういう題を聞いたら、古いファンの方は、「えっ? �フロント・ページ�をワイルダーがやるのか」とお喜びになるでしょう。  はい、これは一九三一年に映画になりました。ベン・ヘクトとチャールズ・マッカーサーの二人の舞台劇の映画化でした。チャールズ・マッカーサーは、ジェームズ・マッカーサーのおとっつぁんです。有名な、舞台の戯曲の名作家です。ベン・ヘクトも有名な舞台の名作家です。これ、日本では「犯罪都市」という題で封切りになりました。  シカゴの裁判所にある新聞記者のたまり場です。ここを舞台にしまして、もう特ダネの取り合いですね。まあ、この新聞記者なんかは、自分の家庭生活なんぞ犠牲《ぎせい》にして、もう一生懸命になって特ダネを探し回る。犯罪を探し回るという話なんですねえ。それと同時に、この市政の、政治の腐敗を暴露《ばくろ》するという、しゃべってしゃべって、しゃべりまくる映画でした。この映画、なかなかよかった。  この一九三一年のときの監督は、ルイス・マイルストウン。あの「西部戦線異状なし」(一九三〇)の監督です。それがまたこの映画で、この監督は有名になりました。そして、パット・オブライエン、さあご存知かどうか、そのパット・オブライエンとアドルフ・メンジュウという人が主役になりまして、この映画は完成されましたが、これにオズグッド・パーキンスという役者も出てきます。このオズグッド・パーキンスというのが実はトニー・パーキンス、アンソニー・パーキンスのおとっつぁんなんです。このオズグッド・パーキンスという人は、舞台でもなかなか有名な俳優でした。  というわけで、このなつかしいなつかしい「犯罪都市」を、再び、またもや手がけるというところにビリー・ワイルダーの、いつまでたっても映画ファン気質が失われないうれしさを感じます。さあ、ビリー・ワイルダーが作る新しい新しい映画のお話をしましたが、今度はひとつ、古い古い古い映画、ビリー・ワイルダーがいよいよこれで有名になったんだという作品のお話をしましょうね。 ●出世作「失われた週末」  はい、それは「ロスト・ウイークエンド」日本では「失われた週末」という題になりました。これのミクロス・ローザの音楽もなかなか不気味でよかったですね。  この「失われた週末」は一九四五年の作品です。昭和二十年ですね。日本で封切られたのは昭和二十三年でした。原作はチャールズ・ジャクスンの小説です。アルコール中毒者の小説なんですね。だからだれも手がけようとしない、それをビリー・ワイルダーは大胆にも映画にしたんですねえ。で、その脚色は、ビリー・ワイルダー自身と、チャールズ・ブラッケットですが、このチャールズ・ブラッケットはビリー・ワイルダーとずっと協力した人です。舞台の有名な劇作家で、のちにはアカデミー賞の会長になりました。  私、このチャールズ・ブラッケットとアメリカで会いました。そうして、いろんなお話をしました。古い古い古い話をしました。たとえば、こんな映画でこんな役者が出た、ああ、グロリア・スワンソン、シーナ・オンウェイ、H・B・ワーナーなどというと、ブラッケットが喜んで喜んで、まあ、おもしろうございました。  そのブラッケットとビリー・ワイルダーがいっしょになって脚本を書いて、ビリー・ワイルダーが監督しました。音楽がミクロス・ローザ。主演がレイ・ミランド。さあ、レイ・ミランド、ご存知でしょうか。のちに、よくテレビに出ていましたからご存知かもしれません。なかなか二枚目ですね。それにジェーン・ワイマン、そんな連中が出ております。  で、これはどんな話かといいますと、ドン・バーナムという小説家の話なんですね。ファーストシーンは、遠いところからキャメラがどんどんあるアパートに近寄っていきます。そのアパートの窓の外に、ロープで酒のびんが一本吊ってあります。いったいどうしたんだろうと思っていますと、キャメラが中に入って、ドン・バーナムと、ドン・バーナムの兄貴とが相談しています。  おまえはあまりにも酒を飲んで、もう酒で一生をつぶしちゃうから、当分の間、ひと月ふた月み月でもいいから酒から離れてみて、そうして酒なしで生きられるかどうか試してみてくれ。さあ田舎へ行け、というので、トランクに荷物を詰めているところなんですね。けれど、兄貴は知らないけれども、ドン・バーナムはとっても酒なしには生きられないので、兄の目をちょろまかして窓の外に吊るしておいたんですね。兄貴がいないときにそれをサッとトランクに入れるところから始まっていくんですねえ。  このドン・バーナムは、どうしても酒から逃げられなくて、とうとうあるとき、思いきって「酒のびん」という題で小説を書こうとしたんです。書きながら、だんだん苦しくなっていくんですね。タイプライターも打てなくなってきた。とうとう気が違いそうになってきて、そのタイプライター持って、下町の質屋に持っていこうとしたんですね。  さあ、そのときの、このバーナムの狂的な顔はこわいでした。そうして下町へ行ったんですけれども、ちょうどその日がヨブキッパーというお祭の日だったんです。ヨブキッパーというのは、ユダヤ人のお祭なんですね。それで、下町の質屋は全部しまっていたんですね。もう困っちゃって困っちゃって、とうとう、そのタイプライターを投げ捨てて、彼は酒場へ飛び込んだんです。酒場へ飛び込んだけれども、金は一銭も持ってないんですねえ、だから、酒を飲めないんです。その酒場の中をうろついて、ある女のそばへ寄っていきまして、女のハンドバッグから札を一枚ぬいたんですね。それを見つけられたんです。酒場の用心棒に殴りとばされて外へ放り出されました。  まあ、この映画の、そんなレイ・ミランドの扮してるドン・バーナムという男の人物像というものは、残酷なくらいにこわいですね。この男はもう歩けなくなって、這うようにして次の酒場へ行きました。そして、そこで、どんなことしたんでしょう? この男は酒を飲みたいばっかりに、ある女の前で、その女にウインクしまして、女の手を握って、ひと晩おれを買ってくれという表情をしましたね。その女は、その汚い男の首すじを人差し指ですーっとさわってみて、あんたいけるわねという顔をしました。今晩、遊んであげるという顔をしました。ドン・バーナムは喜んで手を出しました。  そのとき彼女は、自分の財布から一ドルのお札を出すと、くちゃくちゃにして男の手につっこんで、「私、あんたなんか、いらないわよ」といいました。  この男、喜んでバーテンダーのところへ飛んでいって、一ぱいのウイスキーをもらいました。さあ、一ぱいのウイスキー、それを手で持てないんですね。ふるえて、ふるえて。とうとうコップをテーブルに置いて、口をそれに近づけていって、なめる。まあ、そのあたり、すごうございました。  いろいろありますが、結局、そのドン・バーナムの恋人と兄さんが協力して病院に入れました。病院に入れられて、まあ、ドン・バーナムは苦しんで、ねずみの夢、ごきぶりの夢、蛇の夢、いろんなものを見ながら苦しんで苦しんで、とうとうしまいに医者の上衣を盗んで逃げました。そうして、その上衣を売って酒にかえました。  もう、こんなふうになったら、とても助からない。そう恋人は思ったんですね。そこでいっそもう飲ませてやろうと、酒のびんを持って彼のところへ行くんですね。けれども、ほんとにやめてくれたらこんなうれしいことない、と思ってます。そうして、その恋人のヘレンが彼の部屋へ行ったときに、彼はちょうど洗面所で自殺しようとしていました。拳銃をこめかみに当てておりました。そこへ、ヘレンがやって来たので、あわててその拳銃をタオルに包んで洗面台の横に隠しました。  彼女は、やがてそれを見てしまいました。こんなにまで飲みたいのかと思いました。それで自分が持っていった酒を出して、飲みたければお飲みなさいといいました。もう、お飲みなさいといいました。そして、酒をコップになみなみとついで、ドン・バーナムの目の前に置いてやりました。  そのとき、彼は煙草を吸っとりました。ヘレンの顔を見ておりました。そうして、ふるえながら手に持ったコップに、ドン・バーナムは自分の吸いさしの、火のついている煙草をジュッと放りこんで、この映画は終ります。さあ、これで、ドン・バーナムが助かるかどうか知りませんよ。けれども、ドン・バーナムは、どうにかして、命がけで酒をやめようというところなんですね。  ビリー・ワイルダーは、こんなこわい映画を作ったこともあるんですねえ。 ●「サンセット大通り」  はい、ここでもう一つ、この人の作品のなかでいちばんこわい映画「サンセット大通り」「サンセット・ブールバール」、これをお話しましょうね。これは、あの有名な、かつてパラマウントの大スターのグロリア・スワンソンと、それから、有名な監督で名優だったエリック・フォン・ストロハイムを主役にしたこわい映画で、ウィリアム・ホールデンも出まして、これでいよいよ人気が出てきました。  一九五〇年、昭和二十五年の作品で、日本の封切は昭和二十六年です。プロデューサーは、あのチャールズ・ブラッケットです。そうして、ビリー・ワイルダーと、チャールズ・ブラッケットと、もう一人、D・M・シューマン・ジュニアという三人が脚本を書きました。  このお話、初め、サイレンが鳴りまして、おまわりの車がどんどんやって来ます。殺人事件があったんですね。プールに死体が浮いとりました。キャメラは、その死体を下から水の中から撮っております。まあ、両手両足をひろげて浮いているその死体が、しゃべるところから始まっていきます。その死体が実はウィリアム・ホールデンなんですね。ジョー・ギリスといって、シナリオライターの卵なんですね。このギリスが、自分が殺される前の話から始めていきます。こわいお話ですねえ。  アパートの中へずっとキャメラが入っていきますと、このジョー・ギリスが一生懸命タイプライターを打って、シナリオを書いております。けれども、どこにも買手はありません。パラマウントへ持っていきまして、脚本の係の女の人、ベティ・シェファーにそれを見せました。このベティには、ナンシー・オルスンが扮しています。この前の書き直してきたから見てくれないか。ベティがそれを読んで、だめですねといいます。売れないんですね。  このウィリアム・ホールデンの扮してるジョー・ギリスが、すっかりがっかりして車に乗って帰る道で、向こうから自動車のセールスマンが来るのを見つけたんですね。自分の車の月賦が残っていて、見つかったらまた責められるから、あわてて逃げて逃げて、サンセット・ブールバール、ハリウッドの大通りですね、そのある横丁に入った。そうして荒れはてた大きな邸宅の庭の、プールのわきにすーっと隠れました。プールには水が入ってなくて、ねずみが走ってました。  変な家だな、大きな家だけど、そう思ってますと、召使いがやって来て、どうぞ、ここの主人のところへ行ってください、といいました。このマックス・フォン・マイヤリングという年とった召使いは、ジョーのことをなにかとまちがえたんですね。この召使いをエリック・フォン・ストロハイムがやっとります。そこの女主人ノーマ・デスモンド、これにグロリア・スワンソンが扮しとります。  五十過ぎのノーマ・デスモンドは、黒い眼鏡をかけて、時代おくれのすごい衣装を着てます。けれども、サイレント時代の大スターだった。今でもサイレント時代の大スターのプライドをくずさないで、ゆうゆうたる態度でジョー・ギリスに会いました。 「あなた、ここになにしに来たんですか」 「ぼくは、シナリオライターで、これこれ、これこれです」 「それなら、私はここに�サロメ�というシナリオを持っております。マックス・フォン・マイヤリング、あの召使いと私とで考えたストーリーです。それを、あなたがもっともっといいシナリオに書き直してください」  ということになって、ギリスも喜んだんですねえ。そうして、このノーマという女は、五人、六人と夫を変えたけれども、あの召使いが実はいちばん最初の夫で、そしてかつては有名な監督で、今はもうすっかり映画界からしりぞいて、ノーマの召使いになっていることを知りました。気持のわるい家です。  けど、そういうわけで、このノーマ・デスモンドの頼みで、ギリスはここに寝泊まりするようになって、ノーマ・デスモンドがもう一度世のなかにカムバックするときのための�サロメ�を書き直すんですね。ところが、そうしているうちに、ノーマが、だんだん、そのジョー・ギリスを愛しだしました。五十過ぎのこの女が。ギリスは好きじゃありませんけれども、なにしろまあ三食よばれるし、きれいな部屋で寝られるし、月賦の男には追われないし、まあまあいいわと思っとりました。  と、このノーマ・デスモンドは、だんだん若やいできました。 「私の古い映画、見せてあげましょう」  そういって、奥の部屋の自分の試写室、そこへ入れまして、自分の若い若いときの映画を見せました。まあ、みごとなノーマ・デスモンド。その自分の顔の映っているそのスクリーンを見ながら、彼女は立ち上がりました。立ち上がると、映写室からの光線がその今のデスモンドのからだに当たります。彼女はそれを吸って吸って、深呼吸しました。今の老いぼれた自分が若い若い二十歳《はたち》代の光線を吸いました。見てると、なんかしら、気持がわるくなってきましたねえ。  そういうわけで、ノーマ・デスモンドが、だんだん、だんだんギリスを愛してくるので、このギリスはこわくなってきて、パラマウントへしょっちゅう逃げだしましたねえ。  けれども、シナリオはなかなかできあがりませんでした。そうして、このギリスが、パラマウントにいる脚本の係の女ベティと仲良くなっていくのを、ノーマ・デスモンドが嫉妬を感じだしたんですね。  それでとうとう、ある日、ノーマは自殺をはかりました。両手首の動脈をカミソリで切りました。さあ、しかしそれは自殺未遂。そのマックスという召使いが取り押えて助けました。両手首にすごい包帯。かわいそうで、かわいそうで、いくらなんでもあまりかわいそうなので、ジョー・ギリスが枕元で 「なんてこと、するんですか」  といっているうちに、包帯をした両手がだんだんベッドからのびて、そのかがんでいるジョー・ギリスの首すじに、蜘蛛《くも》のようにきゅーっと、まとわりつきました。ジョー・ギリスはその抱かれた腕のなかで、まあ思わず、ノーマ・デスモンドと接吻してしまいましたねえ。  さあ、その接吻がもとで、ジョー・ギリスは、ノーマ・デスモンドの|ひも《ヽヽ》になっちゃいました。|つばめ《ヽヽヽ》になっちゃいました。そこで、ノーマ・デスモンドはすごく喜んで、若返って、衣装を変えてチャップリンのまねしたり、きれいなきれいなイブニングでタンゴを踊ろうといいだして、バンドを呼んできました。お客が一人もいないので、サイレント時代のお客を三人呼んできました。  その三人、それは私たちがよく知っている俳優でしたねえ、H・B・ワーナー、アンナ・Q・ニルスン、それにバスター・キートン。ああ、なつかしいなあと思います。 「私たちの古い仲間ですよ」  ノーマ・デスモンドはそういって、そこでタンゴを踊るんです。きれいなタンゴを踊りながら、ギリスはこわいこわいなんともしれん気持になりました。こんなところにいたら死んでしまう、ほんとに逃げ出したい。けれども、いよいよ�サロメ�のシナリオができあがりました。それである日、この女はすごいロールスロイスに乗って、この召使いに運転させてパラマウントへ行きました。まあ、二十年ぶり、二十五年ぶり、三十年ぶりにパラマウントへ行きました。  大きなパラマウントの門の前で車は止まりました。門が開きました。けれども門の守衛がききました。あなた様はだれですか。このとき、このノーマ・デスモンドはすごい顔でその守衛をにらみつけました。そして、召使いの運転手は飛び降りてきて 「君はなんということをいうんだ。あの人こそ、ノーマ・デスモンド、パラマウントの大スターですよ」といいました。  守衛はびっくりして中へ通します。セットへ入りました。上からマイクが降りてきています。彼女はそのマイクを見て、なんともしれん悲しい顔、冷たい顔、憎らしい顔でマイクを見ながら「今は、トーキー時代なんですね」といいました。  ちょうどそこへ、セシル・B・デミルが入ってきました。すると、宣伝部の男がいいました。 「今、ノーマ・デスモンドが来てるんですよ」 「ああ、あの女優、まだ生きてたの」  そういうシーンがあります。ああ、ここらもおもしろいんですねえ。このセシル・B・デミルは、グロリア・スワンソンの育ての親、昔からの友だち。それをちょっと、そんないたずらのかたちで見せました。  明くる日、パラマウントから電話がかかりました。召使いが電話に出とります。彼女は喜びました。いよいよ、私の出番なんだな、とうとうパラマウントが私を迎えるんだな。けれども、召使いはその返事ができませんでした。パラマウントからの電話は、「きのう乗ってお見えになったあのロールスロイス、あれは非常にクラシックですから、ちょっと貸してもらえませんか」そんなこと、とても彼女にいえませんでした。  彼女はいよいよ自分が�サロメ�に出ることになったんだと、信じ込んでおります。ジョー・ギリスはとうとうこの屋敷から逃げる支度をしました。というのは、あのベティという女の子と、二人の人生をもとうと約束したからなんですね。それを知ってノーマ・デスモンドは、びっくりしました。 「おまえは、ここを逃げるのか。あんたのその洋服、その腕時計、そのライター、全部、私が買ってあげたのよ」といいました。 「もっともっと、なんでも買ってあげますよ」といいました。  すると、ウィリアム・ホールデンのそのギリスは、いやないやな顔して、その腕時計をとって投げつけました。シガレットケースも投げつけました。そして「こんな化け物屋敷、こんな汚いババアのいるところに、いるもんか」といって、出ていきました。  庭を通って出ていこうとするとそのギリスのうしろから、パンパンパン。追いかけてきたノーマ・デスモンドの手にはピストルがありました。まるで、サイレント時代のほんとうの名女優のやるようなジェスチャー、すごいかたちで撃ちました。ギリスは真っ赤に染まってプールに落ちました。  召使いのマックス、かつては夫だった人、かつては有名な監督だったこのマックスが、警察へ電話をかけました。さあ、自動車がサイレンを鳴らしてやってきました。パラマウントのニュース・キャメラマンがやってきました。そして、新聞社の記者がどんどん集まってきました。屋敷の一階はもう、ニュース・キャメラマン、おまわり、そしてキャメラ、いっぱいの人。  二階では、ノーマ・デスモンドがすっかり頭が狂っておりました。いよいよ自分のサロメの出番がきたという感じになりました。メーキャップをしました。そうして、二階のドアを開けてジェスチャーたっぷりに、サロメのムードで階段をおりはじめたんですねえ。  そのとき、この召使いが、大きな大きな声で、ニュース・キャメラマンに向かって 「キャメラ、アクション、スタート!」といいました。  その声を聞いて、ノーマ・デスモンドはいよいよ自分の出番がきたという感じで、二階から一段、二段、三段、四段、しかもジェスチャーたっぷりに、今クローズ・アップなんだという顔で、ニュースのキャメラマンの前で、自分の顔を演技して見せました。  すごいこのラストシーン。サンセット大通り。大スターのなれの果て。グロリア・スワンソンは、むごいかたちでこれを演じましたよ。しかも、その「アクション、スタート!」といったのは、有名なエリック・フォン・ストロハイム。なんておもしろい映画でしょうね。しかも、このストロハイムとグロリア・スワンソンは、三十年も前に、二人でいっしょに映画を作りましたねえ。グロリア・スワンソンが主演、ストロハイムが監督で、「クイン・ケリー」という映画なんですが、これは途中で二人がけんかして四巻で終ってしまった。そんな過去があるだけに、この場面がおもしろうございましたよ。  はい、もう時間がきました。ビリー・ワイルダーの昔のお話、たっぷりしましたねえ。どうでした。なんですって? えらい寝た、ぐっすり寝た、もう終ったのかですって? まあ、いやらしい人ですねえ。それでは、また会いましょうね。  サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ。 [#改ページ]   日本映画の今昔  はい、みなさん今晩は。  今夜は日本映画についてお話しましょうね。なに? おまえもたまには日本映画を見るのかですって? 私だって日本人ですよ。しょっちゅう見てますよ。  ただ、ガッカリするだけなんですよ。けれども、今夜は気に入りの映画が二本ありますので、楽しみです。聞いてくださいね。 ●私の好きな作品「砂の器」  ほんとうにいい作品がなくて、日本映画もずいぶん長い間、くさってましたね。でも、「寅さん」なんか、とってもいいですし、「座頭市」だっていいんですけど、これらのほかにストレートに、まあ、格闘した映画はなかったですねえ。  ところが、最近いい作品が二本できました。「サンダカン八番娼館・望郷」(一九七四)と、もう一本、「砂の器」(一九七四)。「サンダカン八番娼館・望郷」は、熊井啓監督の作品。田中絹代が、とってもいいですね。田中絹代さんと申し上げたいくらい名演技でした。「砂の器」は、松本清張の原作。監督は野村芳太郎ですね。この二つの作品を見て、やっと呼吸ができました。それまでは、つらかった。二つ比べて、どっちがいいか等級はつけられませんけれども、私は「砂の器」のほうが映画としてはよかったですね。両方見てると、日本映画も|やっとこさ《ヽヽヽヽヽ》ここまできたかと思いました。  まず、「砂の器」から始めましょうね。  これは松本清張さんが、昭和三十五年に読売新聞に連載しましたね。そうして、翌年本になりました。これを橋本忍という人が、狙いましてね、自分で製作したんですよ。そうして、橋本忍と山田洋次の二人で脚本を書いたんですね。それを野村芳太郎が監督したというわけですね。これ、なかなかよかった。おもしろかった。ストーリーは、まあ、東京の蒲田でね、駅のそばの操車場で殺人事件があったんですね。五十歳か六十歳の男が死んだんです。そんなわけでね、警視庁のベテラン刑事の今西という男と、それから蒲田署の若い刑事の吉村というのが、調べに行くんですね。  警視庁の刑事は、四十六歳。これは丹波哲郎がやっています。それから、蒲田署の刑事は、二十七歳。これは森田健作がやっております。この二人が探すんです。どんどんどんどん探すんです。まあ、丹波哲郎はうまいです。森田健作はせりふが下手です。ここに一人、三木謙一という、昔、巡査だった男がいるんですね。これを緒形拳がやっています。なかなか上手です。どうやらこの男が一人旅して行方不明になってるんですね。三木という人が被害者らしいんですね。で、この三木という人を調べたんです。すると、昔々、ずーっと以前、哀れな哀れな貧しい親子を世話したことがあるんです。いよいよそういうことがわかってくるうちに、ここに和賀という作曲家がいるんですね。なかなか立派な作曲をやってるんです。  和賀英良という人です。この人を加藤剛という俳優がやっていましたが、この人、顔はいいけど、演技は下手ですね。この和賀という人が、�宿命�というのを作曲してるんです。この人は、今はとても売れっ子。そうして、いい結婚話がある。その相手というのは、前大蔵大臣の令嬢なんですね。今、幸福の絶頂にあるわけですけれども、どうも陰があるんですねえ。その陰がだんだんわかっていく話なんです。  そうして、二人の刑事が、探して探していった三木という元巡査が、あの放浪の貧しい親子を世話しているうちに、そのおとっつぁんのほうがいなくなり、その子供というのを大事にしてやってると、その子供が、どこかへ逃げてしまった。どこへ行ってしまったのかわからない。でも、その子供が、どうもこの和賀という立派な立派な作曲家になっているらしい。ここに秘密があるというので、この映画はこわくなっていくんですねえ。  さあ、初めはこの二人の刑事が、細かく細かく、二本の針で一生懸命ぬっていった布が、パーッと開いたのが、この和賀という作曲家の発表会ですね。�宿命�という作曲の発表会ですね。この加藤剛の扮した作曲家が自分でピアノを弾いて、ぐるりにオーケストラの連中がいるんですね。ピアノを弾きながら指揮してるんです。派手な舞台ですね。  そのクラシックな音楽にのって、過去が出てくるところがいいですね。きれいですね。この撮影が、またいいんです。川又という人の撮影が。  ここに本浦《もとうら》千代吉という加藤嘉の扮しているじいさんがいるんです。その子供に秀夫というのがいます。この親子が流れ流れて、巡礼姿で、村から村へと逃げていく。なぜ、逃げなくちゃならないか? なぜ、逃げるのか? そこがこわいですねえ。  まあ、景色が、すごいんです。すごい海ですね。凍った海岸。あるいは、桃の花。桜の花。そこをこの二人が逃げていくところ──なぜ、この親子は流れ流れていくのかなというところがおもしろうございますね。この少年を、春田和秀というのがやっていますが、なかなかいいですね。この二人が、どういうわけで、逃げて流れていくのか、それがどういうことなのか、だんだんわかってきます。  それは、この本浦に今では簡単になおるのに、その頃では難病といわれたすごい病気があったんですね。そのために、このじいさんは子供を連れて逃げ回っていたんですねえ。その子供が、今、指揮をしている和賀という男……。この�宿命�という作曲のなかに自分の過去を取り入れて演奏しているんですね。  この難病をもったじいさん、加藤嘉が、みごとでしたね。  とうとう、この本浦は、ある村で捕えられて、強制的に、病院といいますか、瀬戸内海のある島の保養所へ連れていかれました。残された子供は一人ぽっちになった。それを三木巡査が助けてやったんです。けれども、また逃げてしまった。自分の宿命に対して逃げていったんですねえ。「砂の器」は、映画としてなかなかみごとなものでした。  私は、この映画見まして、この加藤嘉の演技がいいし、メーキャップがとってもすごいんで感心しました。映画を見て表へ出ましたら、監督の野村さんと、プロデューサーの橋本忍さんに会いました。「まあ、よかったよ」といったら、「よかったですか」「うん、よかった。初めは、ちょっとつらかったけど、終りのほうになったら、パーッと夜空に花火があがったみたいに、よかったねえ」といいました。 「ところで、あの本浦のじいちゃん、難病をもって、悲しんで悲しんで、世捨人になっているあのおじいちゃん、あの加藤嘉のメーキャップがすごいなあ、もう、あのメーキャップ見ていると、赤茶けた皮膚を一枚、手でキューッとむいたら破れそうな、いかにも皮膚が浮いてるような感じでこわかったですよ、なかなかよかった」 「あ、あのメーキャップはむずかしかった。とっても困った。どうやってあのメーキャップしようかと思っていろいろ考えた。とうとう、女のストッキングのあのうすい絹ですか、あれを加藤嘉の顔に、いちめんに貼《は》ってみた。そうしたら、あの感じがでた」 「あの雨のなかを、子供とあのじいちゃんが、巡礼姿で行くところ、かわいそうだなあ。そうして、雨のなかで隠れて笹やぶのなかで、二人で土鍋でおカユを炊いて、あの二人がね、一つの茶碗でおカユをすするところ、かわいそうだね。だが、景色はよかった」 「カユをすするところが、どうしても気分が出ないので、あれを撮るのに三日かかりました」  そう監督はいってましたけど、映画というのはそういうものですね。この「砂の器」には春も出てくるし、夏も出てくるし、冬のきびしい姿も出てくる。一、二年がかりで作るんですね。だから、そんなに時間をかけて作るものを、私たちは二時間あまりで見て、いいとか、わるいとか、ほんとうに簡単にいえませんねえ。けれども、映画とは、そういうもんですよ。チャップリンなんて一本作るのに、五年もかかっていますね。それが映画ですよ。というわけで、「砂の器」は、最近では傑作でした。 ●「サンダカン八番娼館・望郷」の田中絹代  さあ、今度は、「サンダカン八番娼館・望郷」のほうへ目をやりましょうね。  これは山崎朋子さんの原作ですね。脚本は、広沢栄さんと熊井啓さんの合作ですね。監督は熊井啓。熊井啓という人は、ねばる人なんですね。  アジア女性研究、そういうことを考えてる三谷圭子という二十九歳の女の人がいますね。栗原小巻が扮しています。アジア女性研究といいますけれども、これは海外に売られていった、売春婦の足跡を辿《たど》ろうとしてるんですね。その勉強しようとしているんですね。  この圭子は、ボルネオのサンダカンに行きました。そこに八番館というのがあるんですね。なんで八番館というかというと、一番二番三番──六番というように、ボルネオのサンダカンに売春婦の宿があったんですねえ。まあ、汚い言葉でいうと、女郎屋ですね。三谷圭子は、そのサンダカンに行って、まだ、お咲さんという人が生きているということを聞いて、九州の天草に行きまして、そのお咲さんに会うんです。というわけで、お咲さんの語る話、過去を語る話が、この映画のストーリーになってくるんですね。  そうして、そのお咲さんが、田中絹代ですね。まあ、田中絹代がフケをやりまして、みごとですよ。カラユキさんの過去をもつおばあちゃん、まあ、それはみごとな演技でした。  お話は、明治の四十年から、昭和の初めにかけて、昔のことが画面に出てきますね。そうして、その若い頃のお咲さんを高橋洋子がやってます。このお咲さんは、貧しい貧しい家庭に生まれて、お母さんが再婚したり、いろいろあって、お咲さんは、若いときに売られていくんですね。太郎蔵という人買いの手で、売られていくんです。この太郎蔵を小沢栄太郎がやっています。初めは、なんにも知らないで、サンダカンというところに行きまして、女中さんか掃除女をやっていればいいのかと思うと、客をとらされるんですね。客をとらされて、びっくり仰天。この娘《こ》、知らなかったのかしら?  そういうわけで、そこで、どんどんどんどん、男をとって、しまいには、一人前に娼婦になっていたんですね。そうして、自分の兄《あに》さんに、どんどんそのサンダカンからお金を送ってあげた。  やがて、お咲さんは、天草へ帰って来た。お金を送ってあげた兄さんは、ちゃんとした家も建て、子供もできている。それなのに、お咲さんが帰って来たら、じゃまもの扱いにして、カラユキさんが帰って来たといったら、評判がわるいからといって、あんまり寄せつけないんですね。お咲さんは、まあ、そういうわけで、それでもお婿さんもでき、男の子も生まれたけれども、いろいろ不幸なことがあって、その夫も亡くなって、息子は京都に行ってしまって息子とも離れて天草で、まあ、汚い汚いところで、一人住んでる。そんなストーリーになっているんです。ここで栗原小巻の扮してる圭子が、お咲さんにいろんなことを聞くところが、なかなかみごとな演技でした。  お咲さんは、この圭子がたずねて行っても、なにしに来たか、きかないんですね。  まあ、このお咲さんは、人のいい女で、圭子を十日も二週間も泊めた。泊まっている間に、圭子は、このカラユキさんの歴史を、どんどんどんどん聞き出していった。けれどもしまいに、自分がお咲さんをだまして、自分の原稿のタネにしていることが気の毒になってきて、とうとう、そのことを打ち明けて金を渡して、「お咲さんかんべんしてください」といったときに、お咲さんは、「いいよ。いいよ。書くなら、お書き。そのかわりな、そんなお金なんかいらんから、そのあんたが持ってる、その手拭、わしにくれんかのう」といったかたちで終ってるんです。田中さんが、とってもいいんですねえ。  私、この映画見まして、気になるところが、ひとつあるんです。それ、ちょっとお話しましょうね。  この圭子が、十日あまりも泊まっている間、お咲さんに京都の息子から月々送ってくる生活費が四千円なんですね。「おばあちゃん、あんた四千円で暮らすの」「ああ、それでいい。わしゃね、ジャガイモの屑を食って、麦一ぱいのメシ食ってやっていけるんじゃ。あんたもそれで食ってくれんか」というところで、この人が十日以上もいる間に、私に少し出さしてくださいとか、お米ぐらい買わしてくださいとか、いわなかったところが、ちょっと気になるんです。そんなこといったら、おばあちゃんが怒ると思っていわなかったのか。映画というものは、生活というのが非常に実写ですからね。気になるんです。  田中絹代がいいですね。ここで私、ちょっと、思い出したことがあります。「楢山節考」(一九五八)というのがありましたね。これのおリンを田中さんがやるというんでね、あのおばあさんを。あのとき、田中さんは四十八歳、私より一つ下ですから。映画のなかであのおばあちゃんは、からだが丈夫で、歯も丈夫なので、自分で歯を折るところがあるんですね。田中さんは、これをやるといったんです。  それでいったいどうしたかというと、歯医者に行って、歯を抜いてもらったんですね。私、それを偶然知ったんですよ。私が行ってる歯医者さんがありましてね。新橋に、寺木さんという。その歯医者さんに私が行っていると、電話がかかってきて、なにか先生が話してるんです。 「田中さん、心配しなくていい。そう痛くはありませんよ。なに、痛いのはかまわない? 値段いくらかって? 大したことありませんよ」私が 「だれの電話ですか」といったら、その先生が 「田中絹代さんですよ」 「あら、田中さん、お宅に診てもらいにいらっしゃるの?」 「ええ、まえから診ておりますよ。今のはね、どんな電話かといいますとね。あの人、今度、�楢山節考�のおリンやるんでね。おリンが前歯を折って抜くとこあるんです。クローズ・アップで歯が出てくるとこあって、その抜けた歯をパーッと画面に見せるところがあるんですって。普通、映画では、スミを塗って抜けたように見せるんですが、どうもそんなこといやなので、抜けたところから舌が見えなくちゃおもしろくないので、抜いてくれという相談なんですよ」。というわけで、私、それを聞きまして、気の毒に思って、木下監督にすぐ電話かけたんですよ。 「田中さんがね、まあ、あんたの映画出るのに、わざわざ歯抜くといってますよ」 「田中さんが、そんなことするといってましたか」というのでね、あわててね。松竹から、その歯の抜き賃を出したそうですけれども。まあ、日本だったら、それですみますが、外国だったら、抜き賃どころか、そんなこと女優がしたら、えらいお金をその女優に払ったでしょうね。田中さんは、執念の人ですねえ。 ●日本映画の歴史  はい、ここで二つの作品について、語りましたから、今度は、日本映画というものを、こういうとき、ゆっくりお話しましょうね。  いつもアメリカ映画とか、フランス映画とか、外国の映画のことばっかりしゃべっておりましたから。あんた、にらまないでください。たまには日本映画の勉強しましょうね。  ところで、活動写真というのが生まれていったい、何年たったでしょうか。だれかこの前、三〇〇年とおっしゃった。とんでもない。七〇年なんですよ。  日本映画は約七〇年。明治三十七年の七月に初めて撮影所というのが日本にもできました。一九〇四年、私も生まれておりませんでした。目黒に吉沢撮影所というのができたんですね。吉沢商店というところが、外国からフィルムを輸入してたんですね。その会社が、自分のところで撮影しようといいだして、活動写真の第一号みたいなものを作り出しましたけれども全部実写ばっかりです。なんかしらないけれども、ただ写ってるだけなんです。  ところが、その翌年、明治三十八年五月に、京都に横田という人がおりましてね。横田撮影所というのを作りました。ここは、ただ実写だけではなくて、ちょっと映画のストーリーをもったものを作ろうとしたんですね。  そうして、明治四十年に、ほんとうに映画のためのストーリーのあるものを作ったんです。けれども、ストーリーがあるといっても、今までの歌舞伎のストーリーを、そのまま映画にしたんですね。「本能寺合戦」だとか、「菅原の車引き」だとか、「鈴ケ森」だとか、「忠臣蔵」の五段目なんかを撮ったんですね。歌舞伎の舞台の役者の実写じゃないんです。映画のために撮ったんです。  そういう映画は、どういうふうに撮ったかといいますと、午前八時にスタートしまして、夕方の六時にだいたい終るんです。これが一九〇七年。  ところが、外国のほうを、ちょっとのぞきますと、アメリカでは一九〇三年に「大列車強盗」──「ザ・グレイト・トレーン・ロバリー」というのを、映画のために、ストーリーを初めて作りました。これはほんとうの列車が出てきて、ほんとうの林が出てきて、カメラが移動するんですよ。  まあ、その頃の活動写真は、一四場というのが大変だったんですね。けれども、この「大列車強盗」は、一四場面ありました。まだこの頃、日本では、カメラが固定されていて、動かなかったんです。それから、四年おくれて、活動写真のストーリーをもちました。やがて、明治四十一年、「己《おの》が罪」だとか、「切られのお富」だとか、「女侍」、「鬼あざみ」なんてのを撮っておりました。  いよいよ、尾上松之助の出現です。明治四十二年。私も、ちょうどこの頃、生まれました。この年、横田商会というところが、「碁盤忠信」という映画のための時代劇を作りました。この作品に尾上松之助という人を使ったんです。監督には、牧野省三という人を使ったんですね。さあ、それがえらく当たったんです。  古い話になりましたけれども、こういうかたちで、日本映画は誕生しました。それから、明治四十五年になりまして、「火の玉小僧」という、今度は、「己が罪」とか、「碁盤忠信」とかいうクラシックではなくて、いよいよ本格的な、映画のためのオリジナルですね。それをシナリオといいますか、ストーリーを考えて作りました。これがわが国最初の活劇だったんですね。  それから、こういうことがあったんですね。明治三十二年に、横山運平という人が、「ピストル強盗・清水定吉」というのを撮ったという、そういう記録もあるんです。ちょっと、疑問ですね。明治三十七年に初めて撮影所ができたというのに、明治三十二年に、これを撮ったといっているんですからね。どこが撮ったかわからない。ヒロメヤというところが撮ったと書いてある。どうもこれ、「ピストル強盗・清水定吉」という芝居のコマーシャルじゃないかと思うんですね。  さて、話をもとにもどして、「火の玉小僧」のつくられた前の年に、東京劇場の組合というのが、歌舞伎の映画を、そのまま撮ってもらっては困る、歌舞伎の役者が、そんなのに出てもらっては困ると厳重に抗議したんですね。そういうわけで、この頃から、有名な歌舞伎の役者でない、活動写真のための俳優が出てくるようになったんですね。  先ほど、京都の横田という人が出てきましたね。このへんで、横田という人は、どんな人か調べてみましょうね。  横田栄之助という人は、明治五年、京都で生まれております。この人は、十三歳のときに、東京にやってきて、学校に入りました。いまでいうなら、高校生ですね。けれども、中退して、アメリカへ行ったんですね。そうして、二十三歳で帰ってきたんです。帰ってきて、なにをしたか、といいますと、アメリカで勉強したエッキス光線、それで興行したんですね。舞台で見せたんですね。それから、シネマトグラフ、活動写真ですね。それに興味をもったんですね。活動写真を興行しようとしたんですね。そうして、この人は、フィルムをアメリカから買いはじめたんです。  また、二十八歳になったとき、パリの博覧会を見物に行き、パティ映画と契約したんです。当時、活動写真というのは、フランスとイタリアがいちばん多かったんです。アメリカは、まだ映画が少なかった。そういう頃に、フランスの映画の輸入をしたんですね。そうして、横田商会を作り、それと同時に、撮影所も作ったんですね。  そういうわけで、尾上松之助を呼び込んで主演させ、牧野省三という人を監督に使いました。この横田商会が、ちょうどその頃、出てきた独立プロダクションの日活という、日本活動写真株式会社と合併したんですね。だから、この横田さんは、日活の祖先ですね。この人、昭和十八年に七十一歳で亡くなられました。  牧野省三が目玉の松ちゃんを監督したというんですね。この人、どんな人か、ちょっと勉強しましょうね。  この人は、明治十一年、京都で生まれましてね。二十五歳のときに、お母さんの実家が持っていた千本座という劇場を、自分で経営しました。昔の人、えらいね。あんた、いくつ? まあ、二十八歳ですか。けど、まだジャリみたいね。というわけで、この千本座を経営しているときに、横田さんと知り合いになって、横田さんの映画製作に協力することになったんですね。やがて、この人は横田商会から離れて、自分でマキノ映画というのを作りまして、これが、たくさんの、たくさんのサイレントのスターを生みましたね。この人は、昭和四年、五十一歳で亡くなられましたねえ。  日本映画も、七〇年の歴史のなかで、たくさんの作品を生んどります。けれども、私は、そうですねえ。一〇本の映画のうち、外国映画が八本、日本映画が二本ぐらいの割合で見ておりました。  なぜ、八対二かといいますと、やっぱり、日本映画は、つまらなかったんです。幼稚でした。そういうわけで、日本映画はあまり見ておりませんけれども、私の歳になってくると、かぞえきれないほど、見ていることになります。日本映画が本格的になってきたのは、大正九年(一九二〇)頃からです。  その頃、日活は「|尼 港《ニコラエフスク》最後の日」(一九二〇)というおもしろい映画を作りました。ロシヤのなんだか暴動がありまして、日本の領事館をやっつけちゃうこわい映画があったんです。衣笠貞之助《きぬがさていのすけ》、山本嘉一、藤野秀夫なんて人が出ておりましたけれども、このとき、衣笠貞之助は女形で、日本の領事夫人になりましてね。まあ、ロシヤ人に手ごめになるところなんか、私、この頃、十一歳でしたけれども、映画というのはわるいですね。手ごめってこんなことするのかなんて、そんなこと教えられました。  兵隊は、みんな剣付鉄砲持ってね。その港を行進するところ。剣の先が、キラキラ光ってね、日活は、もうこの頃から、戦争映画はうまかったですね。その頃、大活というのがありましてね。「アマチュア倶楽部」(一九二〇)だとか、「葛飾砂子《かつしかすなご》」(一九二〇)という名作を出しました。「アマチュア倶楽部」は谷崎潤一郎のシナリオ。監督は、栗原喜三郎。「葛飾砂子」は泉鏡花の原作で、監督は同じくトーマス栗原。この泉鏡花のほうは、大げさですけれども、今のフランス映画にも負けないくらい、よかったんですよ。  なにしろ、その頃の日本の映画のファンは、まだ若く幼稚で、といったら失礼ですけれども、こういう高級な映画になじんでおりませんので、大した評判にもならずに終ってしまいました。それで、この会社も一年か二年で、ポシャッちゃったんですよ。いい会社だったんですけどね。 ●日本の映画監督  私が、長い映画の歴史のなかで、いちばん頭にしみ込んでいるのは、やっぱり溝口健二ですねえ。彼の作品は、全部よかった。「狂恋の女師匠」(一九二六)、川口松太郎さんの原作脚色ですけれども、この原作のもとは歌舞伎の「累《かさね》」、あれからヒントを得ていますが、これが大正十五年、これがよかったですね。それから、昭和四年(一九二九)、泉鏡花の「日本橋」、これを映画にして、これが、またなかなかよかった。名前だけにしておきましょう。ここでいちいち描写をしていたら、大変ですし、そんな古い話してもおもしろくございませんから、といいながらそれでもひとつ。  今、いいました「日本橋」の二年ぐらい前、辻吉朗監督が、大河内伝次郎で作りました「槍供養《やりくよう》」(一九二七)、これ、ちょっとだけ、お話しましょう。これはのちに、内田吐夢さんかだれか、映画にしたことがありますね。大河内伝次郎の若い頃の映画です。大名行列のいちばんさきを受け持って歩く奴《やつこ》さんがいますね。やがて、その行列がある宿場に来ました。ここで、ひと休み。それで、この奴さんも軒先きに、その大きな槍をたてかけて、そうして、中でひと休みしました。  さて、出発というときに、表へ出てみると、その槍がない。えらいこっちゃねえ。槍がなかったら、切腹もんです。探して、探して、探し回った。この大河内伝次郎の奴さん、内気な内気な、なんともしれん田舎の、気のいい若者で、オドオドして、どうしても槍が見つからないので、とうとう、泣き出した。泣き出したけれども、もうアカンわというので、家に書き置きを書いたんですね。わし、もう死ぬわというのですけれども、書き置き書くにも、ろくに字を知らないんです。泣いては書く、また少し書いては泣く。  大河内伝次郎がなかなかよかったですよ。それで、まあ、奴さんでも侍の端くれですから、小さな刀持っています。それで、腹を切りかけたんだけれども、切腹できないんですね。切腹のしかたもわからない。こわいんですね。「槍供養」のおもしろさは、ここなんですねえ。この農夫あがりの、この若者が出世して、槍持ちになったけれども、こわくて腹切れない。そうして、とうとう、泣いて泣いて、その宿の裏にあった鎌《かま》を持ってきて、鎌で腹をグサッと突いて農夫らしい死に方をするという、こういう地味な、こういう感覚の映画を、昭和二年に撮ったんですねえ。 「日本橋」の配役に、ちょっとふれますと、稲葉屋のお孝には梅村蓉子。横笛を吹く上品な芸者清葉には酒井米子。芸者の卵みたいなお千世には夏川静枝。お孝が命がけで好く葛木という男を、あの岡田時彦がやりました。これは、よろしいでした。それから、昭和五年には、「唐人お吉」。こんなことしゃべっていても、大昔のことで、みなさんにはつまりませんね。  その頃、村田実、伊藤大輔、衣笠貞之助とか、マキノ雅弘、伊丹万作、田坂具隆、内田吐夢、山中貞雄、稲垣浩なんて、けんらんたる監督がいましたねえ。やがて、それが黒沢明とか、そういう人にかわっていくんですね。  黒沢明は、いかにもみごとに映画というものを作りまして、たくさんの映画監督のなかで、この人がいかに受けたか。外国でもそうですね。これは黒沢明が、ジョン・フォード監督を尊敬していましたから、彼の映画の作り方、あるいは、映画のできあがりの、その映画の肌ですね、それが、アメリカ映画的な肌があるんですね。  その前に、小津安二郎という立派な監督がいましたね。この監督もなかなかいい作品を、たくさん作っておりますが、志賀直哉という、あの作家のように、品があって、障子だとかたたみだとか、廊下、庭のきれいな飛び石だとか、そういう日本趣味にこりかたまったような感覚で、外国人が、この人の映画を見てびっくりしたんですね。  キャメラが、みんな下におりてるんですね。たたみから撮ってるんですねえ。外国ではできないことですね。それに、映画を全部オーバー・ラップやらないで、カット、カット、カットでやっているから、日本のちょうど会話のような感覚で、フィルムが流れていくんですね。  ありがとう。そう。行ったの。行きましたわ。どこに。あのデパートに。ユカタが、あったわ。よかった。──そういう感じなんですね。映画の場面が全部そういう流れ方なんですね。それで外国人がびっくりした。というわけで、小津安二郎もよかったですねえ。  この二人のいいところを両方もっている人に、有名な監督がいますね。「カルメン故郷に帰る」(一九五一)、「喜びも悲しみも幾歳月」(一九五七)の木下恵介ですね。  この人の映画の流れはきれいですね。「喜びも悲しみも幾歳月」、これなんか潮風が、肌にさわるような感じでしたねえ。  あなた、そんなに髪ちぢらせていたって、やっぱり日本人ですよ。さあ、これからどしどし日本映画も見にいってくださいね。  サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ。 [#改ページ]    あ と が き  車に乗ると運転手さんが「私も若い頃は映画が好きでしてねえ」という。  私が映画のことを|しゃべる《ヽヽヽヽ》人間と世間でわかってしまったのか、どこでどんな人に会っても「若い頃は……」と、これが挨拶みたいに、そうおっしゃる。  私はそんな人たちのお顔を見つめてつくづくとうれしくなる。  なんだか映画を見ている人がほんとうの人間で、映画をまったく見ない……そんな人はあるまいが……映画を軽ベツしている人に、かりに会ったりすると、その人は人間じゃない、というくらいに私には見えるのである。  けれども「若い頃はねえ……」とおっしゃる言葉のなかに「もう今はあまり見なくなって……」という|ふくみ《ヽヽヽ》がある。  映画こそは、おじいさんになっても、おばあさんになっても、見て楽しむだけの、実は�必要�があるものだと思う。  五十歳になると、あらゆる多忙のなかにもぐり込み、六十歳を過ぎると、映画を見るエネルギーのなくなることで、映画からすっかり遠ざかってしまう。ということは、実は、そういうようにご自分で決めてしまっていらっしゃるのだと私は思う。  老人になってまで映画が好きだなんて、ということが、たいへんに立派なことに、やっとそろそろ、今にいたってそうなってきていることを、私は世間の肌で知る。  この本は、実は、若い人のために印刷していただいた本である。印刷していただいた……と申しあげたのは、これは私が�書いた�のではなく�しゃべった�本だからである。  それがどうして、若い人のために、とあえて申しあげたかは、私はこの本では実は|かたりべ《ヽヽヽヽ》なのである。  見て知って感じたことをお伝えしているのだから一種の�体験�であって、この�体験�とは妙ないい回しだけれど、見て知った、ということは�映画�を語るうえではたいへんお役に立つことだと私は信じている。  それで、その�見た�ことを、私は、まだ見ない、いや、もうそれを見ることが、そうできそうもない若い時代の人たちに、今のうちに�語って�おきたいのである。だから、この本は、ほんとうに若いお人たちへ捧げたい、そんな私の心の本なのである。  けれども、最初に申しあげた「若い頃にはねえ」とおっしゃるお人たちには、この本が「そうだよ、そうだよ、そうだったよ」と思い出して、喜んでいただける本であってほしいと思う。  そしてそのうえで「そうか、また映画を見ようかなあ」とそう思っていただけるようになったら、どんなに私はうれしいことか。   一九七六年 九月 [#地付き]淀 川 長 治  単行本 昭和五十一年九月TBSブリタニカ刊 〈底 本〉文春文庫 昭和六十一年七月二十五日刊