[#表紙(表紙3.jpg)] 続々・私の映画の部屋 淀川長治 目 次  イタリア映画最高のルキノ・ビスコンティ   日本にこなかった初期の三つの作品   アンナ・マニャーニの個性を生かす   世界に注目された名作「夏の嵐」   白い雪が哀《かな》しく舞うラストシーン「白夜」   「若者のすべて」と「山猫」   いよいよ本格的になるビスコンティタッチ   少年に魅せられた愛の姿「ベニスに死す」  私のミュージカル・アルバム   「巴里《パリ》のアメリカ人」でデビューしたレスリー・キャロン   ファンタスティックな、大人のおとぎ話「ブリガドーン」   本場ブロードウェイで見た「王様と私」と「私とジュリエット」   野球狂は魂だって売る「くたばれ! ヤンキース」   反戦ミュージカル「素晴らしき戦争」   思い出のジーグフェルド劇場で「ポギーとベス」を見た  戦 争 映 画   戦争映画のいろいろ   ポールは、ちょうちょうをとろうとして死んだ   戦争の爪跡「ジョニーは戦場へ行った」   戦争こそ人間のいちばんの悲劇  美男スターの哀しみ   アラン・ドロンの悩み   頭から足の先まで美男のロバート・テイラー   山の手のトロイ・ドナヒューと下町のトニー・カーチス   アメリカ美男スター第一号の早川雪洲   伝説の美男スター、バレンチノ   父子ともに殉職したタイロン・パワー   自殺した美男スター  映画にみる恋愛学   アメリカ風恋愛スタイル   サイレント時代の恋愛相   センチメンタルな恋愛映画   昔とは違ったこわい恋、ジャリの恋   クラシックな恋への返り咲き   映画で学んだ恋のテクニック  スウェーデンとイングマール・ベルイマン   スウェーデン生まれの牧師の子   救いのない「道化師の夜」   教会の壁画から想を得た「第七の封印」   夢と現実、過去と現在「野いちご」   神と人間と、「処女の泉」   神がみつめている時—「沈黙」   女とはなにか、その生と死「叫びとささやき」   スウェーデンの映画  インド映画のサタジット・レイ   昔、私が見たインドの映画   道の物語「大地のうた」   オプー少年の成長を描く「大河のうた」   さらに第三部「大樹のうた」   日本を訪れたサタジット・レイ  クリスマス映画   クリスマス映画の決定版   キリスト映画のいろいろ   「汚れなき悪戯《いたずら》」のマルセリーノ   「野のユリ」のエーメン   「我が道を往く」の愛の世界  映画のなかの会話の魅力   「おれは今女房に復讐《ふくしゆう》されとるんじゃ」   「女は二十分で若者を一人前の男に……」   「こう寒いと人が恋しいなあ」の実感   「世界はその人のために道をあける」   私が映画から得た三つの言葉  いつでも別離はつらい   別れの映画のクラシック「シナラ」   「旅情」の別れと「終着駅」の別れ   アラン・ドロンの「個人生活」の別れ   人間と動物との別れ「野生のエルザ」   名作「シェーン」と「禁じられた遊び」の別れ  パゾリーニの人間探究   貧しさのなかで作家を目ざす   飢えと色欲を描く不思議な感覚   艶笑文学「デカメロン」の映画化   「カンタベリー物語」のパゾリーニタッチ   パゾリーニ美術「アラビアンナイト」   行きついたパゾリーニの悲惨な最期  淀川さんに百の質問  あ と が き [#改ページ]   イタリア映画最高のルキノ・ビスコンティ  はい、みなさん今晩は。  一九七六年の三月十七日、ルキノ・ビスコンティは六十九歳で、心臓障害で亡くなりました。私のおなかのなかを、さらけ出しますと、だれよりもビスコンティが最高に好きでした。  それで、今夜はどうしても、彼のことをお話しましょうね。  私にとっては、歴史的な事件ですから、どうぞ、お聞きになってくださいね。 ●日本にこなかった初期の三つの作品  ルキノ・ビスコンティは、一九〇六年、十一月二日にミラノで生まれました。  十六世紀頃からずーっと続いた、由緒ある家柄ビスコンティ家の子孫です。お父さんは公爵で、お母さんは大実業家の娘でした。子供の頃から、貴族の子弟として育てられましたが、少年時代、四回も家出しているんですよ。小さい頃から演劇に興味をもち、映画にも心をひかれました。  マルキシズムの洗礼を受け、左翼的になって「あの若様は、赤い公爵だ」といわれたんですよ。  やがて、フランスに行って、いちばん尊敬している監督のジャン・ルノワールに頼んで助監督になり、映画の勉強をしました。  ちょうどその頃は、ルノワールの「どん底」(一九三六)の時代です。日本にはきませんでしたが、「野あそび」(一九三六)という映画がありますし、その助監督をやりました。一生懸命勉強しました。そして、ルノワールタッチを身に着けました。ビスコンティの二十八歳から二十九歳の頃、一九三四年から一九三五年ですね。やがて、イタリアにもどり映画の勉強を続け、舞台の演出家の勉強もしました。  オペラの演出もするようになりました。そして三十六歳のとき、一九四二年、映画監督の第一歩をふみだしました。だから、非常におそいですね。第一回作品は「妄執《もうしゆう》」という映画でした。  ちょっと一口だけ、イタリアの有名な監督のこと、先に申しあげておきましょうね。  ビスコンティとフェリーニ。どちらもおもしろい映画、むずかしい映画を作りますねえ。フェリーニという監督は、肉体で魂をつかんでおりますが、ビスコンティは、精神で魂をつかんでおります。それだけになにか二人の監督には違いがあります。オールド・ファンに申し上げますと、フェデリコ・フェリーニという監督は、ちょうどサイレント時代にセシル・B・デミルという監督が、社会劇、現代劇を作っていた頃の感覚に似ていますね。  一方、ルキノ・ビスコンティという監督は、サイレントの映画の頃のエリック・フォン・ストロハイムのタッチに似てます。写実主義で、残酷趣味ですね。 「妄執」、「大地は揺れる」(一九四八)、「ベルリッシマ」(一九五一)。この初期の三作品は日本にはきませんでした。けれどもビスコンティの初期のタッチを勉強するために、ちょっと聞いてくださいね。 「妄執」というのは、人のいい、ちょっとふとった男がいました。この男の嫁さんが浮気女で、この嫁さんが行商人の若い男とできてしまいました。この嫁さんにクリヤ・カラマイという女優が扮していますが、日本ではほとんど知られていない女優です。ふとった亭主は行商人と嫁さんができてしまったことをなにも知りませんでした。二人は駆け落ちの相談をしました。  結局この二人は駆け落ちするために、とうとう、このふとった亭主を殺してしまいます。嫁さんは、この亭主に相当な生命保険をかけていたので、これはどうも臭いというわけで、警察で調べられました。どうしても、きめ手がありません。このわるい女とわるい男は、釈放されました。嫁さんは、この町にいたら、どうもヤバイというので、私は里に帰る、といって姿を隠しました。あとに残ったこの行商人の若い男は、浮気をはじめました。ところが、二人が頼んだ弁護士がいたんですね。この弁護士が、二人が有罪になる証拠をつかんでいて、この浮気男をゆすりだしたんですね。その頃、里に帰っていた、姿を隠していた女は、町にもどってきて、男の浮気を知りました。その後いろいろのことがあって、ある日、男の自動車で二人がどこかへ行く途中、事故で女が死んでしまいました。車が大破して、ほんとうに事故だったんですが、この行商人の若い男は、殺人罪ということで、とうとう死刑になりました。  これが、ビスコンティの第一回作品ですね。こわい話ですねえ。アメリカの推理作家の小説の映画化です。 「大地は揺れる」は、ビスコンティの第二回目の作品で、この頃から、彼の作品は、本格的になってきました。  ジョバンニ・ベルガという人の小説を自分で脚色しまして、ほんとうの漁師たちを使って、写実的に作りました。  お話は、シシリーの漁師町です。網元にこき使われていた漁師が、もうこき使われてたまるか、あの網元の競争相手になってやると、両親を説得して家を売り、借金をして、まあ、いろいろ苦労して、船を買いました。もう、こうなったら網元と対等です。あっちも船を持ってるなら、こっちも船を持ってる、負けてたまるか、今までこき使われていた網元と対等になりました。ところが、かわいそうに、そんな無理をして手に入れた船が、ある嵐の晩に、めちゃめちゃになってしまいました。さあ、それでこの漁師は、食うに困ってきました。もう、生きていられないほど貧乏になりました。そうして、とうとうまた網元のところへ、使ってくれと頼みに行くところで、この映画は終ります。  だんだん、ビスコンティのタッチは、こわくなってきました。 「ベルリッシマ」というのは、彼の第三作です。この映画に初めて、みなさんのご存知の俳優が出てきます。アンナ・マニャーニの主演です。これは、やっぱり原案がありますけれども、その原案を作った人は、撮影所で、ほんとうに聞いた話をもとにして小説を書きました。  ベルリッシマというのは�べっぴんさん�、美人ということですね。  とっても貧乏な労働者のおかみさんがいます。そのおかみさんに、近所で�べっぴんさん�と評判のかわいらしい一人娘がいました。毎日毎日、働いていても暮らしが楽にならない、この娘をひとつ映画スターにしてこませと思いました。それで、撮影所にいって頼みました。撮影所では相手にしてくれません。お百度をふみました。まあ、ときには撮影所の人と遊びに行きました。ちょっと、誘惑しました。けれども、いちばんこわいところで、このおかみさんはうまく逃げました。そんなことまでして、自分の娘を売り込みました。あんまり、うるさいので、撮影所のほうでは、テストしてやるということになって写してくれました。いよいよ試写をする日です。おかみさんと娘は、着飾って出かけました。映写室の電気が消えました。自分の娘が映りました。まあ、なんという下手な演技、なんというぶざまな格好、まあ、なんという表情のまずさ。そばで見ていたスタジオの連中が、げらげら笑いだしました。あきれたな、まあ、この子は。みんな笑うので、このおかみさんは、いたたまらなくなって、娘を隠すようにして逃げて帰りました。これが、「ベルリッシマ」という映画です。  さあ、だんだんだんだん、ルキノ・ビスコンティは、こわくなってきましたね。 ●アンナ・マニャーニの個性を生かす 「われら女性」(一九五二)、この作品が、ビスコンティの作品として初めて日本にやってきました。五人の監督が、一話ずつ製作していて、ビスコンティは第五話を担当しています。女優さんの話ですね、アンナ・マニャーニが主演しとります。  アンナ・マニャーニが画面に出てきます。「ア、ハ、ハ、ハ、私、アンナ・マニャーニですよ、私のことですから、どうせけんかですよ」といいました。おもしろいですねえ。また、その感じのいいこと。 「そう、十年前だわ、私、その頃、舞台のレビューでうたってたのよ」といいました。 「私、犬を連れて、タクシーに乗ったの」そこから、映画はその女の話ですすんでいきます。  女がタクシーに乗りました。劇場の前でおりようとしました。すると、タクシーの運転手が、 「犬を連れてるから、割増料金一リラくださいな」といいました。女は怒りました。 「なんですって、あんたのチップとして、一リラあげるなら、わかるわよ。だけど、犬に割増料金なんて初めて聞いたわ。あんた、ずるいわね」大げんかになりました。運転手も負けてはいません。とうとう、二人はおまわりさんを呼びました。解決しません。二人は交番に行きました。交番に行っても、はっきりしません。それでも女はあきらめません。 「こんなばかなことはないわよ」といって、その運転手を連れて警察に行きました。運転手もカンカンです。そうして、警察署長と話をしました。署長は、頭をかしげて、どっちがどうだろうなあ、奥から大きな本を出してきて、ペラペラペラペラ、めくりました。そして犬に割増料金を出すということはない、運転手のインチキであることがわかって、運転手はおこられました。女はハ、ハ、ハ、ハ、と笑って、 「一リラ、チップにあげましょう」というと、運転手はいらない、といいました。二人は抱きついて仲直りしました。 「あ、私劇場に行かなくっちゃ」あわててその運転手の車に乗って劇場に行ったら、マニャーニの出番の舞台は終りかけていました。彼女は、舞台に飛び上がってうたいました。  それだけの話です。アンナ・マニャーニのすごかったこと、このマニャーニという女優がどんなにうまいか、のちにダニエル・マン監督の「バラの刺青《いれずみ》」(一九五五)に主演しましたが、一九七三年、とうとう、亡くなりましたねえ。 ●世界に注目された名作「夏の嵐」 「夏の嵐」(一九五三)ビスコンティは、この作品によって世界中に注目されました。みごとにビスコンティタッチの生かされた作品です。  さて、これはあの「第三の男」(一九四九)でみごとな演技をしたアリダ・バリが主演しております。それから、アメリカのファーリー・グレインジャーが共演しとります。原作は十九世紀末の作家が書いた「官能」という短編です。これがビスコンティとスーゾ・チェッキ・ダミイコの二人によって脚色され、映画化されました。せりふを書いた人、映画的にせりふを直した人は、なんとテネシー・ウィリアムズとポール・ボウルズ。テネシー・ウィリアムズが手を入れてるんですね。ビスコンティとウィリアムズ。不思議ですね。  一八六六年。その頃、イタリアにはオーストリア軍が入り込んで、ベニスを占領しておりました。けれども、町はいつものように、オペラもあればレストランも開いているんです。ここにリビアという伯爵夫人がいました。きれいな人です。アリダ・バリが扮しております。この貴婦人が夫といっしょにオペラ見物にきております。夫はオーストリア軍と手を組んでおります。そうしたほうが、自分の仕事をやるには好都合だからです。伯爵夫人のほうは、私はイタリアのベニスの人間である、オーストリア軍と手を組むなんて、と夫のあり方になんとはなく不純さを感じております。  オペラはちょうど、エル・トロバトーレというのをやっておりました。その三幕目、剣《つるぎ》をとれ、剣をとれ、というセリフのところがあるんですね。すると、そのセリフをきっかけに三階のほうから、たくさんのたくさんのビラが落ちてきました。それは、オーストリア軍に反抗するレジスタンスのビラでした。しかも、そのリーダーは伯爵夫人のいとこでした。  この劇場にオーストリア軍の美男子の若い中尉がいました。このフランツという中尉に、ファーリー・グレインジャーが扮しています。この中尉が、「イタリア人なんか、紙の兵隊だよ。イタリア人なんかマンドリンでも弾いていればいいのに」といいました。それを聞いたレジスタンスのリーダーは、おもわず飛び出しました。そうして、二人は決闘することになりました。リーダーは、伯爵夫人のいとこです。夫人は困ったことになったと思いました。それで、夫人はまだ会ったこともないこのフランツという中尉を呼びとめました。 「どうか、あの男を許してやってくださいませんか」そんなことから、この中尉と伯爵夫人の間に、ロマンスが生まれてきます。  リビアというこの夫人は、だんだんだんだん、この男にひかれていきます。なんだかしらないけれどもなにかもっている。情熱がある。なんとなく不思議な男。この中尉は、このリビアをだんだん、深みに引きずり込んでいきました。  リビアは、このフランツに会いたくなって兵舎を捜しました。女から男を訪ねていくことは、とっても恥ずかしいことです。それなのに「フランツ中尉の部屋は、どこでしょうか」女気のない兵舎の中を、あっちに三人、こっちに五人、将校や兵隊が見ているなかを捜し回って、とうとうフランツの部屋を見つけました。フランツは、飛びつくように出てきて接吻《せつぷん》しました。  彼女は、これが恋なのか、これがほんとうの恋というものなのか。リビアは、そこで自分の毛をはさみで切って、胸のロケットの中に入れて、 「これは、私の命。フランツ、これをあなたにあげます」  この伯爵夫人は、ほんとうに自分の恋、自分の青春、自分のすべてが、このフランツによって初めて見いだされたその喜びで、もう夢中でした。話を飛ばしますが、やがて、このフランツはリビアの家までやってきました。大きな立派な豪邸です。伯爵がいたらどうなったでしょう。リビアは、彼を裏の穀物小屋にみちびきました。そこで、二人は、また愛を交わしました。女は、また彼の兵舎を訪ねました。まるで、女は熱病にかかったようでした。あれは、いつか来た女だ、そんなささやきも聞こえないかのように。  フランツの部屋をノックしましたが、返事がないので、開けて中に入ると、テーブルの上に、自分のロケットが捨ててありました。髪の毛が机の上に散らばっておりました。彼女は、びっくりしました。フランツが、私の命を捨てたまま、どこかに行っている、そんなはずがないと思いました。  というわけで、「夏の嵐」は、この伯爵夫人のひきむしられるような哀《かな》しい恋を描いております。それから、いろいろありまして、男は女から金をしぼれるだけしぼって、逃げました。男は、そんなわるい男なのか、このフランツは、そんなに憎い男なのか、映画を見ていますと、このフランツもなにかと闘っている感じがするんですねえ。自分はオーストリアの軍人だ、あんな女を愛してはいけないんだ、おれが貴族の女に肌を売ったりしては、男の恥なんだ。そう考える一方、あのリビアがいなければ、おれは生きていけないんだという、この二つの煩悶《はんもん》が、映画を見ていてわかりますねえ。  逃げて姿をくらますとき、置手紙をしました。女は、この手紙を見て男のところへ馬車を走らせました。それはまる二日がかりの旅でした。途中では、弾丸の音。ガタガタの道。服もなにもかも泥まみれになって、とうとう、男の居場所を捜し当てました。女の恋のこわい一念ですねえ。  私が来たら、フランツはどんなに喜ぶだろう。また、どんなにびっくりすることだろう。ドアを開けました。ノックしましたけれど返事がありません。鍵がかかっていないので、すぐに開きました。部屋の奥のベッドに寝ていたフランツが、困ったようなびっくりしたような顔で、リビアを見ました。「フランツ!」といって、抱きつこうとしましたら、彼は笑いました。 「あんたの金で、この家を買いましたよ。今、あんたのお金で、楽に暮らしていますよ。軍隊は、とうとう脱走しました。もう、オーストリア軍でもなんでもない。勝手に逃げて来たんですよ。見つかったら、大変なんだ。ぼくは、奥さんのために、とうとう脱走したといってもいいかもしれませんね」といいました。リビアが、なにかいおうとしたときに、隣の部屋で、 「フランツ」と呼ぶ声がしました。女の声です。下着一枚で、若い女が出てきました。かわいい女です。  フランツは、その女の顔を見て、こっちへ来い、といいました。そうして、抱きしめました。リビアは、「ノウノウ」と叫びました。 「この女も、奥さんの金で買ったんです。おまえ、奥さんに、ありがとうといいなさい」リビアは、もうなにもいえなくなって、そこを飛び出しました。  彼女は、どこをどう歩いたか、自分でもわかりません。司令部の中へ、なにかに憑《つ》かれたように入っていきました。密告しました。すると、司令官が「あなたがフランツという中尉のアドレスを教えたということは、その男を殺すということですよ」といいました。彼女は「そうですよ」といい、外へ出ました。  リビアは、城壁のへいの下を歩いていました。その石のへいはなんでしょう。それは兵士の処罰される刑場でした。彼女は、まるで敗残者のように、うつむいて歩いていました。  そのとき、遠くのほうで、パーン、パーンと幾つかの銃声が聞こえました。フランツが、処刑された音でした。  彼女は、それを知っていたか、知らなかったか。「夏の嵐」は、ほんとうに、この幕切れがすごいでしたねえ。 ●白い雪が哀《かな》しく舞うラストシーン「白夜」  この「白夜」(一九五七)は、ロシアの文豪ドストエフスキーの短編小説の映画化です。原作では、十九世紀頃のペテルスブルグですが、この映画では、現代のイタリアに直してあります。そうして、主役の女の名前の、ナーチンスカをナタリアにかえております。マリア・シェル、ジャン・マレー、マルチェロ・マストロヤンニの共演です。  しがない、しがないサラリーマンがいました。孤独です。マルチェロ・マストロヤンニが扮しています。ある夜、課長といっしょに食事に行きました。そうして、別れて下宿に帰るんです。犬が、ちょこちょこと歩いてきました。下宿に帰る道です。マリオというサラリーマンは、ホイホイこっちおいで、ここへおいで、犬を呼びますが、犬は、右へ曲って、ガードの下のほうへ行ってしまいました。犬さえそばにはこないほど孤独です。  この男が、橋のところへ来ますと、一人の女が立っていました。もう夜の十時頃です。  この女にはマリア・シェルが扮しています。そこヘ一台のオートバイに、二人の男が相乗りしてやってきて、 「おい、ねえちゃん、おれたちと遊ばないか、男二人と女一人、おもしろいぞ」  からかいはじめました。女は黙っていました。マリオは、飛んでいって、 「この人は、ぼくの友だちだよ」  といって二人の男を追っぱらいました。マリオは、その女に、 「ぼくが送ってあげますよ」といいました。女は、 「ノウ」といいましたが、結局送ることになりました。女は、どんどん歩いて行きます。黙ったままで。マリオは、うれしくなりました。なぜあんなところに、一人でいたんですか、とたずねることもできず、こんなきれいな女の人といっしょに歩くだけでもうれしい、なにも、しゃべってくれなくてもいい。そうして、あるアパートの前で、女は「ここが私の家です、さようなら」といって中へ入っていきました。マリオは、喜んで、興奮して、彼女のうしろ姿を見送りました。そして、そばにあった共同の水道の水をジャアジャア顔にかけて、うれしいうれしい、きっと、また会えるぞ、と思い、そのアパートを振り返りながら、帰りました。  女は、今、入っていったアパートから外へ出ました。なんでしょう? このアパートは、彼女の家ではなかったのです。すーっとどこかへ去って行きました。秋の終り頃のことです。  二人は、また会いました。そのうちに、この二人はデートするようになりました。もう、マリオはうれしくて、夢中になって、この女こそ自分の命だと思いました。また、二人はデートしました。寒いときです。歩いていると、たき火の残り火を見つけました。その残り火で手を暖めながら、マリオは、彼女にたずねました。 「あなたは、どうしていつもあの橋の上で、デートするんですか」彼女が「実は、私はね」といったときに、キャメラが、ずーっと左に移動して、場面がかわって、彼女の回想になってきました。  彼女には父も母もいません。父は、彼女が小さいときに家出をしました。母は、父が家出した後、六、七年たって、男ができて出ていきました。彼女は、おばあちゃんと暮らしておりましたが、おばあちゃんは目がよく見えないんですね。昔は、立派なじゅうたん屋だったんですが、今は落ちぶれて、じゅうたんのつくろいをして、二人は細々と暮らしております。生活が苦しいので、二階の屋根裏のような小さい部屋を、人に貸すことにしました。その部屋を借りた男が、すばらしい美男子で、書物もいっぱい持っておりました。そうして、優しい人でした。ジャン・マレーです。ある日、おばあちゃんと彼女をオペラ見物に連れていってくれました。  彼女は恋をしました。恋に酔いました。ところが、その男は、一年間転勤することになりました。彼女は泣きました。男はいいました。 「ぼくは、一年たったら、帰って来ますよ。また、会ってくれますね。ちょうど、一年目の夜の十時、ほら、あの橋の上まで来てごらん。ぼくはきっと迎えにきますから」  やがて、一年たちました。一年半たちました。彼女は泣きました。彼は、来ないのです。  それを聞いたマリオは、自分がいちばん愛してる女から、こんな打ち明け話を聞かされて、なんともしれん寂しさを覚えました。それからも、二人は、幾度も幾度も会いました。やがて、マリオの孤独は救われました。女が、あの人のことは、もうあきらめますといいました。二人は、レストランに行って、踊りました。踊っているときの、マリオの手が彼女の肩に乗りました。彼女の耳に、カチカチという腕時計の音が聞こえました。ふと見ると、十時五分前です。彼女は「私、行きます」といって橋のほうへ駆けて行きました。マリオは、あとを追いました。  女は、橋の上に立っております。夜霧が彼女のからだを包んでおりました。女は泣きながら、男の肩に顔を埋めました。いよいよ彼女はあきらめました。二人は、ほんとうの恋人同士になりました。あたりは、一面の雪。マリオは、女が自分のものになったうれしさで燃えあがりました。その雪は、まるで花園でした。二人は、ベンチに腰かけました。マリオは、コートをぬいで、女にかけてやりました。  女は、ふと橋の上を見ました。すると、遠くの橋の上に、あの男が、ジャン・マレーが立っておりました。女は、駆け出しました。マリオのコートが、雪の上に落ちました。  橋の上で抱き合う二人の姿を、マリオは白く舞う雪のなかで哀しく見ていました。  これが「白夜」ですねえ。ルキノ・ビスコンティのほんとうの感覚が表れていました。残酷ですね。 ●「若者のすべて」と「山猫」  この「若者のすべて」(一九六〇)には、アラン・ドロンが出ていますので、みなさんもごらんになったでしょう。  南イタリアにいても不景気で仕事がないので、北イタリアにいっているいちばん上の兄が、生活が少し楽になったというので、親子三人、兄を頼って出かけます。母と男の子が二人、その下の男の子がアラン・ドロンですから、そう小さい子供たちではありません。  北イタリアにいっても、兄はあまり助けになりません。しかたがないので、二番目の兄のレナード・サルバトーリと、アラン・ドロンは、ボクサーになろうと思いました。ジムに行きました。けれども、どうもガラがわるいので、アラン・ドロンのほうはやめて、洗たく屋になって、まじめに働いております。ところがサルバトーリ扮するシモーネのほうは、拳闘をしているうちに、ヤクザになっちゃったんですね。そうして、女ができました。この女にアニー・ジラルドが扮しています。シモーネは、この女を弟に紹介しました。アラン・ドロンの弟は、ロッコという名です。女は、弟のほうが好きになりました。兄貴の女であるのに、二人は愛し合ってしまいました。とうとう、シモーネは、ロッコと自分の女があいびきしているところを見つけて、仲間のヤクザを三人連れてやってきて、ロッコの前で、自分の女を押えつけて、犯しちゃったんですね。残酷なシーンですねえ。そうして、シモーネは、姿を消しました。女も夜の女になってしまいました。  ロッコは、生活に困って、洗たく屋をやめて、ボクサーになりました。五年たちました。ロッコは、チャンピオンになったんですねえ。一家は、やっと暮らしが楽になりました。そこへ、なんともしれん老いさらばえたような感じの、あのシモーネが、帰ってきました。「おれは、あの女を殺してしまった」といいました。これが、「若者のすべて」ですね。イタリアの現実の姿がよく出ています。いよいよ、ビスコンティが本格的になってきました。  次の「山猫」(一九六三)は、ビスコンティの五十七歳のときの作品です。  シシリーのランペドゥサの小説ですけれども、ほんとうの話なんですね。シシリーに三百年の家系をもつ公爵がいます。かつては、シシリーの王家といわれた名門です。その紋章が、山猫なんですね。バート・ランカスターが扮しています。もう、頭に白髪が見える公爵です。今も、やっぱり豪華な生活をしておりますけれども、土地などを売って、生活をささえているという、貴族が、だんだん身の皮をはがしていってる時代の話ですね。  バート・ランカスターが、無気力で、むなしい哀しい表情で演じていますが、ビスコンティが使うと、バート・ランカスターも、こんなに名優になるのか、という演技をみせました。  この公爵は、自分の子供は、みんな嫁《とつ》いで、男の子は、いません。おいのタンクレディという子を、とっても好いていて、このおいをアラン・ドロンが演じております。  あるとき、この土地に、革命やら、戦争がありました。昔、シシリーとかイタリアには統一のための戦いがあったんです。それで、この公爵家も、どこかに逃げなくちゃならない。田舎の別荘に行きました。さあ、田舎へ行った、その別荘での生活も豪華ですけれども、ここでこの公爵の寂しい姿が、だんだんだんだん、鮮やかになってきます。すべて売り食いの生活なのに、豪華な晩さん会を催しました。たくさんの人が集まってきます。そこへ、その土地の田舎の農夫あがりのおじいさんが、末娘を連れてやってきました。それが、クラウディア・カルディナーレです。きれいな娘です。その娘を、この公爵のおいが、一目で好きになりました。けれども、この公爵は、昔かたぎで、おいに、あんな農家の娘とものをいってはいけないよ、というぐらいの昔の人でした。昔は、そういう農家のおやじなど、貴族のパーティには出席できなかった、それが今では、ああしてノコノコやってくる、公爵は、寂しい顔をして、みんなを迎えております。というのは、公爵は、その末娘を連れてやってきた豪農に、広い広い土地を売って、今の生活は、それによってなりたっているというのが、真の姿です。 「山猫」は、そういうように、だんだん没落して、自分の時代が終っていく公爵の話です。そうして、おいは、その娘と結婚するというお話です。その結婚|披露《ひろう》、そのあとの夜通しのすごいすごい宴会。  夜が明けてきました。一番星が消えていく頃、この公爵は、ただひとり、表へ出て散歩するところで、この映画は終ります。  いかにも、ビスコンティです。みごとでしたねえ。 ●いよいよ本格的になるビスコンティタッチ 「山猫」の次に、五人の監督でオムニバス「華やかな魔女たち」(一九六六)を作っております。ビスコンティ、六十歳のときの作品です。  第一話がルキノ・ビスコンティ。第二話、マウロ・ボロニーニ。第三話、ピエル・パオロ・パゾリーニ。第四話、フランコ・ロッシ。第五話、ビットリオ・デ・シーカ。  さて、ここでビスコンティは、どんな映画を作ったでしょう。  映画スターのグロリヤ(シルバーナ・マンガーノ)が友だち(アニー・ジラルド)のところに遊びに行きました。グロリヤは、とっても疲れていました。けれども、スターが来たというので、友だちの家の近所の人たちが、どんどん集まってきて、派手なパーティになりました。みんなが、グロリヤに踊ってくださいよ、なにかうたってくださいよ、というので、まあしかたがないので、みんなの前で、ダンスをしました。けれども、あんまり疲れていたので、ダンスの途中で卒倒してしまいました。倒れた彼女を、かわいそうだというので、みんなで介抱《かいほう》しました。  顔をきれいに拭いてるうちに、まつげを取りました。そうして、目を引っ張っているばんそうこうを取りました。まゆげを拭いてやりました。唇も拭きました。だんだんだんだん、きれいだったスターの顔が、はぎとられてみすぼらしい一人の女になっていきました。その晩、彼女は眠れませんでした。  なんともしれんむごい感じですね。翌日、プロデューサーとメーキャップの係の人が、飛んできました。新聞社の人々もやってきました。さあ、ヘリコプターで、帰るんですよ。メーキャップをしなければいけませんよ。あんたは、ミンクのコートを着けるんですよ。ネックレスは、あれですよ。メーキャップ係とプロデューサーが、彼女につきっきりです。彼女は、もとどおりまつげをつけました。まゆげをかきました。口紅をつけました。さあ、もとどおりのすごいスターの顔にかえりました。  けれども、なんとむごい女の姿でしょう。彼女が門の外に出たとき、あたりにいたキャメラマンたちがキャメラを向けました。疲れきって死にかけていた、この映画スターは、いかにもあでやかに笑って、ヘリコプターに乗り込みました。ヘリコプターは、あがっていきました。  それを彼女の友だちは、じーっと見ていました。まるで試験管の中に入った、まるで液体のような彼女の姿を感じて。「疲れきった魔女」という題です。やっぱり、ルキノ・ビスコンティは、こわいですねえ。 「地獄に堕《お》ちた勇者ども」(一九六八)の奇妙な、こわさをお話しましょうね。  この作品は、ビスコンティの六十二歳のときの作品です。ダーク・ボガード、イングリッド・チューリン、ヘルムート・バーガー、シャーロット・ランプリング、フロリダ・ボルカン、ルノー・ベルレー。おもしろい顔合せですね。これは、ナチが台頭してきた一九三三年(昭和八年)頃の話ですね。  ドイツの巨大な製鉄会社の所有者エッセンベックという男爵がいました。もう、この人はおじいさんです。この男爵の誕生日です。いかにも大金持の旧家。おいが来ました。めいも来ました。これから、余興ということになりました。家の中に、舞台があります。そこへいちばん小さな孫があがって、童謡をうたい、お話をしました。おじいさんは、喜んで手をたたいて、上手だね、上手だね、ごほうびをあっちへ行ってもらいなさい。いかにも金持の家の誕生日の光景です。ところが、そのつぎに、すごい音楽とともに、なんともしれん夜の女みたいなのが、飛び出してきました。ちょっと、ディートリッヒみたいな女で、いかにも粋です。その女がうたいかけたとき、事件が起こりましだ。  議事堂が燃えてる、議事堂が燃えてるんだ! 舞台でうたってた女が、かつらを取りました。かつらを取ると、それは男でした。この男は、男爵の孫なんですね。この孫が、この男爵家を継ぐことになっているのです。なぜこの孫があとを継ぐのかといいますと、自分の娘の婿が戦争で死んで、現在、娘が会社を牛耳《ぎゆうじ》っているわけですけれども、この娘は、会社の総支配人とできてるんですね。配役は、総支配人が、ダーク・ボガード。娘が、イングリッド・チューリン。男爵は、この娘と総支配人をあまり好きじゃないんです。だから、あと継ぎは、この孫にしているのですね。ところが、この孫のマーチンというのが、お父さんが、戦争で死んで、お母さんの溺愛《できあい》のなかで育ったけれども、総支配人とのことなど知って、変質者になっているんですねえ。小さな女の子を暴行することを楽しむようになっとります。また、母を総支配人にとられていることが、たまらなくなってきました。そうして、ある日、母を全裸にしました。自分も裸になって、母のからだに抱きついたときに、母は発狂状態になりました。  やがて、母をその総支配人と結婚させてやるということになって、この総支配人と、もう、すでに気の狂った母とが結婚式をあげるところでこの映画は終りますけれども、このときは、もう男爵は死んでいました。この、二十歳のマーチンが、母と総支配人を祝福するために、シャンパンを抜きました。そして、二人にすすめたときに、マーチンは、シャンパンの中に毒薬を入れました。母は、息子が毒薬を入れるのを見ておりました。総支配人も、これは普通のシャンパンじゃないことを知っておりました。しかし、二人は、だまって、そのシャンパンを飲みほして、式場へ行くところで、この映画は終ります。  ドイツの大金持が、ナチのために崩壊していく話で、ビスコンティのみごとなタッチが、よく出ておりましたねえ。 ●少年に魅せられた愛の姿「ベニスに死す」 「ベニスに死す」(一九七一)は、ビスコンティの六十五歳の作品。原作は、トーマス・マンの短編です。  明治から大正になる頃の、一九一一年のお話です。主人公は、アッシェンバッハという作曲家、これにはダーク・ボガードが扮しております。  蒸気船のデッキで、アッシェンバッハが本を読んでおります。上品な上品な初老の男です。夏だというのに、首にショールを巻いて、ちょっと病気のような感じがいたします。そのそばで、ガヤガヤとイタリア人が騒いでおりました。そのなかの男の一人が、もう四十ぐらいというのに、まゆげを墨でかいて薄化粧をしとりました。アッシェンバッハは、なんともしれんいやな気持になりました。  やがて、その船からおりて、ゴンドラに乗って、サンマルコに行き、そこでまた乗りかえて、リドに行くんです。リドに着くと、船着場にホテルの番頭がいて、荷物をみんな受け取ってくれました。ゴンドラに料金を払おうと思って、うしろを振り向くと、ゴンドラがいません。すると、ホテルの番頭が、「あなたは儲けましたね。あれは、もぐりの船頭ですからねえ。向こうにおまわりさんがいるのを見て、逃げちゃったんですよ」といいました。アッシェンバッハは、とっても不愉快になりました。全然料金を払わずにすんだことが、たまらなく不愉快でした。そんな気持のままで、ホテルに入りました。階段をのぼりかけると、メリー・ウィドウのなかのビリヤの曲が、かすかに聞こえてきました。なんとはなしに落ち着きました。二階の部屋に入って、窓を開けると、ずーっと向こうに、夏の海が見えました。テントが見えます。ホッとしました。  そうして、着がえをして、ロビーにおりました。ロビーには、ヨーロッパの金持たちが、いっぱい集まっていて、アジサイの花が、とってもきれいです。すると、あのビリヤの曲が、再び鮮やかに聞こえてきました。  ふと、前を見ると、なんともしれんきれいな少年がいました。  ひじをソファーに置き、指を頬《ほお》に当てて、気取ったポーズでキャメラが、その女のような美しい少年の姿を、ずーっと引いていきますと、その全身が見えました。十三、四歳の男の子です。その向こう隣にお母さん、シルバーナ・マンガーノが扮しています。こちら隣に、しぶいしぶい衣装を着けた女の教師、そうして、二人のお姉さんがいることがわかりました。この男の子だけが派手なものを着けていました。タジオという名であることもわかりました。アッシェンバッハは、この少年を見て、これが美だ、これこそ芸術だと思いました。見とれました。この少年を見ていると、心の安らぎを覚えました。この美少年タジオにビョルン・アンドレセンが扮しています。  タジオは、柱のいっぱいあるテントの下を歩きました。アッシェンバッハは、うしろから、ついていきますと、タジオは、柱を片手でもって、クイと回り、アッシェンバッハと目が合いました。アッシェンバッハは、うしろから自分がついてきていたことをこのタジオが気づいたかなと思いました。この少年のあとをつけている自分が、なんだか情けなくなりました。  また、あるとき、ロビーでこのタジオがピアノを弾いていました。そのメロディは、ずーっと前、妻がいるのに、夜の女を買いに行ったとき、その女が弾いていたメロディと同じものでした。その女とはなんでもなく金だけ払って帰ったのですが、その女とこの少年が、同じメロディを弾いてることに、なんともしれん肉感的なものを感じて、アッシェンバッハは頭を振りました。  やがて、アッシェンバッハは、自分が少年をつけていることを彼が気づいているような気がしたので、なるべくこの子のそばによるまいと思いました。  アッシェンバッハは、このホテルから去ることにしました。荷物をまとめて、船に乗って駅まで行くうちに、なんともしれん寂しさが、胸に込み上げてきました。ところが、ホテルの番頭の手違いから荷物がスイスのほうへ発送されてしまって、もう一、二日ホテルに泊まらなければならぬことになりました。アッシェンバッハは、飛び上がるほどうれしくなりました。  アッシェンバッハは、あのタジオという少年から逃れられなかったんですねえ。ところがこのあたりに、コレラがはやりだしました。あの少年が、あのタジオが、コレラになったら、コレラにかかって死んだら、どうしようと思いました。  あわててタジオとその母たちを捜しました。町では、病人が担架で運ばれ、あるいは病人の持ち物を焼いている煙があがっておりました。その煙の、その炎のそばに、少年が立っていました。アッシェンバッハと目が合ったのに、知らん顔をしました。もう忘れてしまったのか、またすーっとどこかへ行ってしまいました。アッシェンバッハは、ホテルにもどって、「あのタジオ一家は、いつまでこのホテルにいるのですか」とたずねました。すると、ホテルの番頭は、「ハイ、あのお方たちは、今日午後おたちになりますよ」といいました。アッシェンバッハは、ホッとしました。これで助かった、あの少年は、死なずにすむんだ、そう思って気分なおしに床屋に行きました。床屋がきれいに散髪してくれて「すこし若返りましたね」といいました。すると、アッシェンバッハは、「ぼくもっと若返りたいなあ」といいますと、床屋は、粉おしろいを塗ってくれました。まゆげを墨ですーっとかいてくれました。ここに来る、船の中で見たイタリアの薄化粧した四十男とそっくりでしたけれども、今のアッシェンバッハは、それを喜んでおります。胸にバラの花を着けました。そうして、海岸に出ました。あの少年の姿を捜しましたが、あ、今日午後ここを去るんだったな、いるはずがないなと思いました。  そのとき、しまの海水着を着けた少年が、つかつかとやってきて、海辺に立ちました。もうすぐここから出て行くんだ、しばらく海を眺めて別れようと思ったらしいのです。泳ぎません。ただじーっと波打ち際に立っておりました。  このきれいなきれいな少年のうしろ姿を、アッシェンバッハはじっと見ていました。  もう、これでいいんだ。これがこの子の見納めなんだ。この子の美しさを一生、心にもっていようとアッシェンバッハは思いました。そのうちに、アッシェンバッハの額から汗が流れて、目に入り、まゆげの墨が溶けて、なんともしれんグロテスクな顔になりました。そうして、そこに倒れてしまいました。漁師が、助け起こしたときには、死んでおりました。タジオは、自分を思って思って、こがれていたおじさんが、自分のうしろで死んだことなど知りません。いつまでも、いつまでも海を眺めていました。有名な作曲家が死んだのです。翌日の新聞には大きく出ることでしょう。  ビスコンティの描いた、なんともしれん愛の姿、哀れというのか、こわいというのか、みごとなものですねえ。  さあ、みなさん、このイタリアの魔法使いみたいな監督のお話、いかがでしたか。四年ぐらい前からからだがわるく、車椅子に乗って、撮影、監督していたそうです。私と三つ違い、もう少し生きていてほしかったですねえ。私、この世が真っ暗になった気がしますよ。ほんとうに惜しいですねえ。では、  サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ。 [#改ページ]   私のミュージカル・アルバム  はい、みなさん今晩は。  今夜は、私のミュージカル・アルバムということでお話しましょうね。  まあ、こういうことをおっしゃる方がいるんですよ。おまえは、おしゃべりが多いから音楽を主にして、おしゃべりをへらせ。でも残念でした。私、今夜も、ミュージカルについてたっぷりとお話するつもりです。  さあ、あなた、うろうろしないで、おすわりなさいよ。 ●「巴里《パリ》のアメリカ人」でデビューしたレスリー・キャロン  はい、これは、一九五一年のMGMの大作でしたね。ビンセント・ミネリという監督。みなさんご存知でしょう、ライザ・ミネリのお父さんですね。ライザ・ミネリは、ビンセント・ミネリとジュディ・ガーランドとの間に生まれた子供ですね。  ビンセント・ミネリは、鼻が妙に大きいんですね。この「巴里のアメリカ人」は、アーサー・フリードの作品。豪華なもんでしたねえ。ジーン・ケリーにレスリー・キャロンにオスカー・レバントが出てますね。アイラ・ガーシュインの作詞、ジョージ・ガーシュインの作曲でした。  ジョージ・ガーシュインが、一九二八年、ヨーロッパを旅行したときに、いろいろと、頭のなかにスケッチして、それをシンフォニーにしました。それが「巴里のアメリカ人」でしたね。そのオーケストラが、この映画を生んだのです。  ジョージ・ガーシュインが、ヨーロッパで見て回った、ロートレック、ルノワール、ゴッホ、ルソーなど、近代フランス画家の画風が、バレエのなかで、ミュージカルのなかで、きれいなきれいなムードを出してますね。さあ、このラストの十七分間のバレエのみごとだったこと。  私は、一九五一年、ハリウッドに行って、パンティージ劇場で、この映画の試写会を見ました。私は、生まれて初めて、そういう試写会に行ったんです。興奮しました。そうして、タイトルが映りました。タイトルはいろんな場面が、いっぱい小さく集まって、それがみんな動いているんですね。全部レスリー・キャロンのダンスなんです。レスリー・キャロンは、ローラン・プチに見いだされて、シャンゼリゼバレエ団にいました。それをジーン・ケリーが連れてきて、主役にさせたんですね。かわいいかわいいダンサーでした。  この映画は、アメリカ人のジーン・ケリーが、売り子のリーサというレスリー・キャロンに恋をして、それから、ずーっとバレエの場面になっていきます。  私は、このあとで、レスリー・キャロンに会いました。そうして、いっしょにアーサー・フリードの部屋に行きました。アーサー・フリードは、大学の校長さんのように、品のいい人でした。彼女のそばで、私とアーサー・フリードが話していますと、いかにも孫娘のように、にこにこして聞いておりました。豪華な部屋でした。アーサー・フリードがいいました。 「今度は、�巴里のアメリカ人�よりも、もっともっと楽しいものを見せてあげますよ」 「なんですか」といいますと、 「それは、�ブリガドーン�、ブロードウェイで、とっても当たったミュージカルですよ」  私は、ブリガドーンって、いったいなんだろう? と思いました。というわけで、このダンス、ダンス、ダンス。ジーン・ケリーの踊りのみごとだったこと。私は、ミュージカルが大好きですねえ。 ●ファンタスティックな、大人のおとぎ話「ブリガドーン」  これは、一九五四年の作品でしたね。監督は、ビンセント・ミネリ。彼は、ミュージカルの監督としては第一級です。振り付けは、ジーン・ケリー。配役は、ジーン・ケリー、バン・ジョンスン、シド・チャリッシ。脚本は、アラン・J・ラーナーで、フレデリック・ロウが作曲しております。先ほど、私は、アーサー・フリードに会った話をしましたね。この人は、「ブリガドーン」のほかにも、「サマー・ホリデイ」「イースター・パレード」(一九四八)、「恋の手ほどき」(一九五八)、「アニーよ銃をとれ」(一九五〇)などをプロデュースした人ですね。  この映画は、名作ですね。ほんとうのミュージカルとは、この「ブリガドーン」のようなものをいうのですね。  いかにも夢の世界に、引きずり込んでいきながら、きれいなきれいな音楽で、なにか、この世のものとは思えないようなものを大人の胸にしみ込ませながら、ひとつのポイント、そういうものを感じさせるのが、ミュージカルの、ほんとうの生命なんですねえ。  スコットランドの山の奥の霧の深いところへ、二人のアメリカ人が、猟に入っていったんですね。すると、そこにきれいな村があったんです。村人たちが、スコットランドの踊りを踊っていました。きれいな、きれいな娘が踊っていたんです。二人は、びっくりしました。特に、このジーン・ケリーのアメリカ人は、そのきれいな娘に、命がけで恋をしてしまいました。けれども、この村、ブリガドーンは、なんと百年に一回、一日だけ現れる村だったんですね。そういうことを知らないで、このアメリカ人は、もう、ほんとうに命がけで、その村娘を好きになってしまったんです。この娘の名は、フィオナといいました。やがて、帰らなければならなくなって、二人は帰りました。もう二度と、その村はありません。しかし、このアメリカ人は、ニューヨークに帰っても、その娘のことが、忘れられない。それでもう一度、その思い出のスコットランドの山奥へ出かけていくところで、この映画は、おもしろくなりますね。そういういかにもファンタスティックななかに、恋というもの、百年に一回、一日だけの恋。その恋は、タイムをとおりこしたなかで、生き続けていく、そういう生命を、この「ブリガドーン」は、もってるんですね。  まあ、ミュージカルは、なにかしらないけれども、非常にきれいなものを、どの作品もどの作品も、もっていますから、よろしゅうございますね。けれどこの映画は、あんまりファンタスティックすぎて、日本では当たりませんでしたね。 「ジーザス・クライスト・スーパースター」(一九七三)これは、ノーマン・ジュイスンの監督で映画になりました。  キリスト最後の七日間を描いたミュージカルですね。配役は、キリストはテット・ニーリー、ユダにカール・アンダースン、黒人ですね。マグダラのマリアにはイボンヌ・エリマンが扮しております。私は、ブロードウェイのマークヘリンジャー劇場で、見ました。ブロードウェイでは、映画とは別のメンバーが、やっておりました。  ライトが消えました。けれども、初めから舞台の中央には、大きな大きな板が三枚立ててありました。三枚の板というのは、グレーがかった、うすいうすい、グリーンの感じのする板でした。  やがて、音楽です。すると、その三枚の板が、かすかに上のほうから斜めに奥のほうへ傾いていきました。そうして、その板のいちばん上から一人の黒人が、さーっとまたいで、すべって舞台の真正面におりてきました。それが、ユダでした。その黒人の歌から始まるんですけど、高いところから足が出てきて、手が出てきて、顔が出てきました。さーっとまたいで、すべって舞台におりてきたときに、どこか遠くの向こうのほうから、息せき切って、駆けてきた感じがしました。そうして、これがユダで、最近のキリストのことをいってるんですね。   だんだんだんだん、キリストは、スーパースターになってきた   だんだんだんだん、彼は、人気が出てきた   だんだんだんだん、キリストは、ぼくとは友だちではなくなってきた   イエスは、だんだんだんだん、ぼくの心から離れていく   イエスは、堕落《だらく》する、堕落したんだ  まあ、こんなことをロック調でうたうんですね。見ていますと、超モダンなスタイルで、これがニューヨークの美術だと思いましたね。きれいなシンボリックな舞台でした。やがて、キリストが出てきました。そうして、話はどんどんすすみます。キリストが、ユダに銀三十枚で売られて、いよいよはりつけになるところ、すごうございましたねえ。  キリストを十字架にかけました。すーっと、舞台の上のほうに十字架をあげてゆきます。床のカーペットが、波打ってきました。だんだん、ライトが暗くなってきます。すると、音楽とともに、すごい嵐になって、キリストが、さらに上にあがっていくんですね。キリストが、遠くに見えるようになってきたときに、ぱーっとライトが当たって、光ります。ちょうど、稲妻のなかに、十字架のキリストが立ってる感じなんですね。  そうして、やがて真っ暗になり、今度は復活になるんですね。なんともしれんすごい演出デザインでしたね。その舞台装置のすごいこと。これを見ていると、不思議な感覚になるんですねえ。  ユダが、だんだん堕落していくんじゃなくて、このユダが、イエスを尊敬すると同時に、なにかイエスに対して、男が男を愛するようなホモ的な愛をもっていて、やがて、イエスがスーパースターになっていくのを、自分から離れていってしまう、そんなふうに感ずる嫉妬《しつと》、そんなところで、イエスを売ったというわけですね。これは、みごとなミュージカルでした。 ●本場ブロードウェイで見た「王様と私」と「私とジュリエット」  この「キング・アンド・アイ」(「王様と私」一九五六)は、きれいでしたねえ。  ウォルター・ラングが監督しました。デボラ・カーとユル・ブリンナーとリタ・モレノが出演しましたね。  一八六〇年、イギリスの軍人の未亡人が、自分の子供を連れてシャムに行きまして、そこの王様の子供さんたちに、英語や、いろんな勉強を教えるんですね。  これは、前に一度、アイリーン・ダンとレックス・ハリスンで、「アンナとシャム王」(一九四六)という題で、映画になったことがあるんです。これを見た有名なブロードウェイのスターのガートルード・ローレンスが、どうしても、ミュージカルにしたいというので、とうとう一九五二年、ブロードウェイでオープンしました。そうして、まだ当時、新人だったユル・ブリンナーを使いました。ガートルード・ローレンスのアンナ、ユル・ブリンナーの王様で、舞台を開けました。さあ、それが、えらい評判になりました。  オスカー・ハマースタイン・ジュニアの作詞、リチャード・ロジャースの作曲で、大騒ぎになりました。私は、どうしても、この「王様と私」の舞台が見たかった。なぜ、そんなに見たかったかといいますと、ジェローム・ロビンスのすごい踊りがあるんです。ダンス、ダンス、ダンス。その踊りは、雑誌で、どんどん日本に紹介されました。私は、思い切って、一九五二年、ニューヨークに行きました。ガートルード・ローレンスのアンナを見たかったのに、縁がないんですねえ。私が、行ったときには、彼女はいなかった。「王様と私」に出演中に、彼女は亡くなったんですね。アンナはコンスタンス・カーペンターという新人女優に入れかわったんですね。そのときまでユル・ブリンナーは助演だったのに、主役になりました。それで一躍ユル・ブリンナーは有名になりました。  私は、「王様と私」を見るために、せっかくニューヨークに来たんですから、見に行きました。偶然、二階の真正面の席がとれたんです。シャル・ウィ・ダンスとか、ゲッティング・トゥー・ノウ・ユーだとか、いろんな音楽から始まりました。お客さんは、また、今夜も見にきたという顔をして、音楽に合わせてからだを動かしているんです。ああ、ミュージカルというのは、こんなかたちで見たらいいなあと思いました。でもカーテンが、すーっとあがったときに、なあんだこんな舞台セットか、と思いました。歌舞伎座の舞台セットのほうが、ずっと豪華ですよ。  初め、船がシャムに着いたところです。アンナが、自分の子供たちに、さあ、勇気を出して、こわがってはいけませんよ、なんていってるところから始まりますが、まあ、その舞台に出ている人たちが、表情たっぷりで、一生懸命なこと。私は、二時間見ているうちに、ほんとうに魂を吸い込まれてしまったんですね。ブロードウェイのミュージカルといったら、そんな感じですねえ。  王様には、十幾人かの子供があるんですね。いちばん上のお兄ちゃん、その子は皇太子ですね。それを、この間死んだサル・ミネオがやっていました。アンナが、先生になってやってきました。地図なんか置いて、さあ、これからお勉強ですよ、というところで、ゲッティング・トゥー・ノウ・ユー、まあ、このメロディのきれいなこと。そうして、先生が、扇を持って、ダンスになってくるんですね。  その扇を持って踊る手つき、扇を投げて、ぱーっと投げて、それを相手が取るところ、「王様と私」には、たくさんたくさん、日本の歌舞伎調が劇中に入ってくるんですよ。よかったですね。 「私とジュリエット」これも、私はブロードウェイで、見たんです。私、ブロードウェイで見たことを自慢して、しゃべっているんじゃないんです。実際に、見たその感じを、どうしても、みなさんにお伝えしたいんです。 「私とジュリエット」の、私というのは、ミュージカルダンサーの私。ジュリエットというのは、ロメオとジュリエットのジュリエット。そうして、これは、ミュージカルが生まれるまでのミュージカルなんですね。だから、舞台で、どんどんどんどん、けいこしているところから始まるんです。そうして、片一方のほうでは、「ロメオとジュリエット」のミュージカルをやってるんですね。こちらは、すごいモダンなミュージカルをやってるんですね。その二つが入り組んでくるんです。舞台自身が、リハーサルやってる。リハーサルがすんで、舞台のカーテンがあがる。さ、本番、それも舞台。幕あいも舞台ですから、見ている私たちは変なことになってくるんですね。私たちが廊下に出る、それと同じようなスタイルで舞台の上で、やっている。もちろん、舞台の幕あいのお客さんは、みんな役者がやっているんですけれども。 「ちょっと、今日のミュージカルは、あんまりよくないわねえ。だって、あの娘、下手だったじゃないの」なんて、やってるんですねえ。というわけで、おもしろうございましたが、いちばんおもしろかったのは、バレエダンサーが集まってくるとき、先生が怒るんですね。 「おまえ、昨日海水浴に行っただろう、そんなに肌やいたらだめじゃないか」とか、あるいはその隣の男の子が、バレエ衣装着けて出てきたら、黒いタイツに、ちょっと穴があいてるんです。「困ったな、困ったな、先生に怒られる」といっていると、女の子が「ちょっと待って」といってまつげにつける黒い墨を、その穴のあいたところに、塗ってやるんですね。 「助かったあ」なんて、そういうあたりのおもしろかったこと。それから、ワンツースリー、ワンツースリーと、ダンスが始まるんです。そういってると、真っ暗になるんですねえ。ワンツースリー、みんなが手をたたくんですよ。そうして、電気がつくと、みんなの衣装がかわってるんですね。真っ暗な間に、コーラスのラインがかわったんですね。それがお客さんにはわからない。というわけで、そのコーラス・ラインの一人に、あのシャーリー・マクレインがいたんですねえ。シャーリー・マクレインは、「私とジュリエット」でやっとこさコーラス・ラインのダンサーになれて、それがチャンスで、今日の地位をつかんだんですね。それから、ずーっとあとに、私は、シャーリー・マクレインに会いました。 「私は、ブロードウェイで、�私とジュリエット�を見ましたよ」といったら、 「私、あのとき、踊ってたのよ、私、わかった?」わかりませんよ、そんなの。わかるもんですか。けれども、 「あのなかで、とってもきれいな人がいたと思ったら、あんただったのね」といいましたら、「サンキュー、サンキュー」といってましたが、このミュージカルは、とてもおもしろうございました。 ●野球狂は魂だって売る「くたばれ! ヤンキース」  これは、あの有名なジョージ・アボットの脚本で、舞台では、彼が演出しました。そうして、�がっちりローラ�のときのダンスは、ボブ・フォッシーが振り付けしました。「キャバレー」(一九七一)のあの監督ですね。  主演は、グエン・バードン。彼女は、ボブ・フォッシーの奥さんですね。そういうわけで、この「くたばれ! ヤンキース」(一九五八)のみごとだったこと。みなさん、ご存知でしょう。野球の話ですねえ。  セネタースがとってもひいきの、ジョーというおじさんがいました。ところが、テレビを見ていると、ヤンキースばっかり勝つんですね。もう、腹が立ってしかたがないから、このおじさん、庭に出て、 「こんなテレビつまんないなあ、ヤンキースばっかり勝ちやがって! ヤンキースを負かすことができたら、魂を売ってもいいぞ」といったんですね。ドロドロドロン、そこへ悪魔が、やってきたんですね。 「おまえ、ヤンキースが負けるならば、ほんとうに魂を売るか」と、いいました。このジョーおじさん、びっくりしたけれども、もうしかたがないから、 「はい」といったんですね。 「それじゃ、今から向こう幾年間、わしに魂を売れ。もし、わしのいうことをきかなかったら、その場で死んでしまうぞ」といったかと思うと、悪魔は、さーっと消えて、このジョーおじさんは、たちまち、まあ、若い青年になっちゃったんです。その若い青年に、映画ではタブ・ハンターが扮しました。  こんなに若い青年になってしまったら、もう奥さんところへは帰れませんね。そのまま家を出ていったんですねえ。野球場に来ました。選手たちが、ウォーミング・アップしてます。ジョーが、ちょっとぼくに打たしてくれといったら、しろうとが、なにをいうかといって怒られたんですね。それは、セネタースの連中です。あんまり、頼むから、打たしてみたら、打ったらカーン、打ったらカーン、おまえは、すごいなあというので、ジョーは、打撃王になっていくんですね。そうして、ヤンキースをやっつけちゃうんです。  ジョーは、悪魔と一つ約束したことがあるんです。奥さんのところへは、決して行っちゃいけないということです。けれども、このジョーは、もともと奥さん思いで、どうしても、もういっぺん会いたいというわけで、捜して捜して我が家に行きますと、奥さんは、一人じっとしておりました。「おまえ」なんて、声はかけられません。 「お水を一杯くださいませんか」というと、 「まあ、あんた、かわいらしいお方ね、野球の選手さん?」なんていって、お茶を出してくれました。なかなかいろっぽい。そういうわけで、奥さんに、このジョーが会ったから、悪魔が怒った。 「約束を破ってもらっちゃ困る、ここは、ひとつローラでなけりゃ」というので、悪魔はローラを呼びます。ローラというのは、百八十歳のばばあです。しわくちゃばばあ。けれども、色気の点では天下一品。悪魔は、 「ローラ、おまえ、一人、男を誘惑してくれ」 「いいわよ、そんなの簡単よ。私はね、今日まで幾人、男を殺したかわかりゃしない。あの人も、ビルから落ちて、自殺したわ。あの人も破産したわ、あの人は……」ローラが自慢そうにいうと、悪魔は、 「おまえに誘惑してくれと頼む相手はな、ジョーといってな」 「ジョー、ジョーって、どこのお方? お金持? ジョーって、だれなの、五十八ぐらい、それとも六十? なんだ、まだ二十代、なに、野球の選手。|ぶちょく《ヽヽヽヽ》しないでよ。ばかばかしい」 「それが、おまえしかないんだ。かたいかたい男なんだから」  ローラ、怒っちゃったんですね。私、|ぶちょく《ヽヽヽヽ》されたわ、そんな二十歳ぐらいのジャリ。ローラが、いやだというのに、悪魔が、どうしてもやれ、というので、親分の命令だからしかたがない。相手は野球の選手だから、こんな衣装でいいだろう。まあ、その衣装、田舎のおねえちゃんみたいな、メキシコスタイルの、いかにも安っぽい衣装を着けて、野球場の控室にやってきました。ジョーはそのとき、脱衣場にいて、チラッと、その女を見て、変なのが来たな、と思ったんですね。ローラは、私が一言いったら、いっぺんで、この男参っちゃうと思いながら「あたいと遊ばない?」ジョーは、かたい男です。そうして、心のなかでは、いつも奥さんのことを思っている。ローラが、懸命に、誘惑するが、ジョーは、その手に乗らない。いよいよ、手練手管、ローラは、手袋をとり、靴下をぬいで、とうとうストリップになって、�がっちりローラの踊り�、そうして、腰をひねって、ジョーの頭をさすりながら、いやらしくいやらしく踊るところが、ちょうどサロメの�七つのベールの踊り�になってくるんですね。というわけで、最後の最後は、このローラが、ジョーのために、命を捧げるという恋の話になっていきます。「くたばれ! ヤンキース」は、おもしろい映画でした。 ●反戦ミュージカル「素晴らしき戦争」 「素晴らしき戦争」(一九六九)は、日本では、昭和四十五年に封切られましたが、当たらなかったんですね。こういうすばらしい、粋なイギリスのミュージカルが、日本では受けないんですね。それは、どこかまだちょっと日本のミュージカルファンは、ほんとうにミュージカルをかじっていらっしゃらないんですねえ。これは、イギリスの映画ですけれども、パラマウントが配給しました。そうして、BBCのプロデューサーだったチャールズ・チルトンという人が、反戦映画のかたちで、テレビで放送したんですね。一九六三年。これが芝居になりました。  ところで、この映画は、リチャード・アッテンボローが自分で製作、監督しました。なかなか大作です。ジョン・ミルズ、ローレンス・オリビエ、マギー・スミス、ジョン・ギールガッドなど、イギリスのトップ級がそろっている、すごいミュージカルなんですね。男のミュージカルだから、日本ではぴったりこなかった。ストーリーを申しましょうか。  第一次大戦に、イギリスも参加しました。軍部は、若者を戦争へ戦争へと、駆り立てております。ここに、スミスという一家がありますが、ここの息子たちも、次から次へと、戦争に連れていかれました。  この戦争は、将軍たちに勲章をあたえ、そうして、軍需資本家には富をあたえましたが、若者はみんな、家に帰ってはこなかった。スミス家の息子たちも、再び家にもどってこなかった。みんな丘の上の十字架の墓になってしまいました。こういうふうな映画なんです。けれども、このなかには四十曲ぐらいのきれいな曲が、いっぱいあります。マギー・スミスが、みごとにうたいます。すごい口紅、アイシャドーをつけて、粋なというか、いかにも魅力的な格好でうたうんです。男の子をいっぱい無料招待して。   さあ、あなた方を男にしてあげましょう   男にしてあげるから、兵隊に行きなさい   さあ、あなたも、あなたも   もしも、このなかで兵隊に行く人は   舞台にあがんなさい   私、熱い熱い接吻をしてあげましょう  初めは、みんな笑いながら聞いておりましたけれども、マギー・スミスが、コケティッシュに、にっこり笑いますと、男の子たちは、やっぱり腰をあげました。   ぼく、兵隊に行こう、ぼくも行こう  こわいところですねえ、マギー・スミスは、どんどん男にしてあげるとうたいます。だんだん戦争は、苛烈になってきました。さあ、向こうの丘も、こっちの丘も、砲弾が飛びかい、そこここに、死体が倒れております。丘の向こうには、ケシの花が、いっぱい咲いています。それが揺れています。そのケシの花が、兵隊の血に重なっていきますね。家では、もう、帰ってくるか、もう、帰ってくるかと待っています。クリスマスには、赤いリボンで飾ったクリスマスツリーが、やがて、そのケシの花にオーバーラップします。ケシの赤い花は、やがて、血にかわっていきます。そんななかで、男たちが、   戦争とは、こんな残酷で、こんなむだなものとは思わなかった   ぼくたちは、まちがっていた   ああ、家へ帰りたい   アイ・ウォント・トゥー・ゴー・ホーム  男のコーラスです。それが、胸にしみ込んできます。この映画の最後は、スミス家のお母さんが、墓まいりに行きます。見渡すかぎりの丘が、墓また墓、丘から丘へ、白い十字架がグリーンの芝の上に。お母さんは、それをじっと眺めている。それに、オーバーラップしてケシの花、ケシの花は赤いリボンに、やがて、それが血になっていく。  そのあたりに、「素晴らしき戦争」のもつ反語がわかりますねえ。母の手から、みんな子供をもぎ取った戦争でしたね。この宝石のような、イギリスのにおいをうんともった、男のミュージカルが、日本では当たらなかった、恥ずかしいですね。 ●思い出のジーグフェルド劇場で「ポギーとベス」を見た  私は、みなさんにとっても自慢したいことがあるんです。といいますのは、ミュージカルの育ての殿堂、ジーグフェルド劇場というのが、ニューヨークのマンハッタンにあるんです。もう残念なことに映画館にかわってしまいました。けれども、私は、昭和二十八年、この劇場が映画館にかわる最後のときに行って、ミュージカルを見たんです。  ここは、「ショーボート」だとか、「フーピー」だとか、いろんないろんなヒットミュージカルを生みました。エディ・キャンター、ウィル・ロジャース、マリン・ミラー、ヘレン・モーガンなど、たくさんたくさんのスターが出ました。  さあ、劇場へ入りました。全部、ビロードのソファー、真っ赤でした。通路のじゅうたんも真っ赤。そうして、いすの手すりは黒。きれいでしたねえ。階段の手すりはグレー。なんともしれん粋な劇場でした。地下に行きますと、休憩所があって、ダリのシュールの絵が六点飾ってありました。バレエの絵に一九二四年とダリのサインがしてありました。ダリのオペラの絵は、女の口から白い馬が昇天しとりました。映画の絵は、目と耳だけのお化けの絵で、足元に裸体の女がまつわりついておりました。演劇の絵は、鼻と口だけの顔で、鼻がずーっとのびて、額縁からそとに出ていましたね。  私がここで、この劇場で見たミュージカルは、「ポギーとベス」でした。もとは、ヘイワードの一九二五年の小説です。一九二七年に、ブロードウェイで芝居になり、一九三五年(昭和十年)、ジョージ・ガーシュインが、ミュージカルにしたんですね。そうして、「ポギーとベス」という名前になりました。どの曲もどの曲もみごとでした。もう、最高のアメリカ自慢のミュージカルですねえ。  第一幕。南キャロライナのチャールストンという港町です。そこに、キャットフィッシュという漁師町があります。まあ、いっぱい子供たちが遊んでいますね。そうして、おかみさんたちが、ふとんを干したり、ベランダで、子供のゆりかごを揺すったりしています。夕方の五時過ぎですか、夕焼けの前です。そこで、サマー・タイムを、ベランダで物を干してるおばさんがうたうんですね。まあ、そこは恵まれているんですね。   海では、魚もたくさんとれるし   畠は、作物が豊かに実っているし   私たちは、ほんとうにしあわせだ  といった歌ですね。そこへ、漁師たちが、帰ってきます。どんどん男たちが帰ってくる。帰ってくると、地べたにすわって、キャアキャア騒いでサイコロを振って|ばくち《ヽヽヽ》が始まります。さあ、ご飯ですよといってるのに|ばくち《ヽヽヽ》をやめません。  いかにも、黒人のムードが、ぷんぷんしてますね。クラウンという大きな男が、やってきました。ちょっと酔っています。沖仲士《おきなかし》ですね。そのあとから、真っ赤なドレスを着た酔った女がついてきました、片手にウイスキーびんを持って。きれいな女です。黒人です。そうしていばりくさっています。  クラウンは、黒人仲間のボス。この女は、その情婦のベスですね。みんなは、あいつ、ベッピンやなあ、と見とれています。ベスは、さーっとスカートをめくって、ガーターをしめあげました。男たちは、みんな地面に伏せって、のぞき込もうとしました。まあ、ベランダのおかみさんたちや、娘さんたちは、いやだ、あのゲスめ、とにらんでいます。ベスは、自分を惚《ほ》れ惚れと見ているのを、笑っております。いかにも高慢ちきな顔をして。  だれかが、ベスをからかって、クラウンとけんかになって、クラウンは、その男の首をしめて殺してしまいました。みんなは、こんなことにかかわりあったらえらいこっちゃ、というので、逃げました。クラウンも、ベスを突き飛ばして、逃げていってしまいました。  死体の前には、ベスだけ。あたりは、しだいに暗くなって、三日月《みかづき》が浮かんでいます。どこかで、サイレンの音がしました。警察の笛が、遠くのほうで、ピイーッ。  さあ、ベスは困った。助けてといって一軒一軒と戸をノックしましたけれど、どの家も、中の電気を消して、返事をしません。また、こっち、また、あっちとノックしますが、だれも相手にしてくれません。そのとき、舞台の下手《しもて》に、かすかな光がもれていました。ベスは、そこへ一歩一歩と近づきました。そうして、地下の階段をおりていきます。   助けて、助けてよポギー  ベスは、行くところがない。とうとう、いざりで、いちばんしがない、いちばん貧しい、いちばん顔のまずい、いちばん貧弱な、セクシーなところが、爪のあかほどもないポギーのところへ、助けを求めていきますね。真っ暗な舞台。三日月だけが光ってる。  そこで、第一幕のカーテンがすーっと、おりますね。  第二幕は、長屋ですね。死んでしまった、殺された男のおかみさんが泣いて泣いてそこから始まりますね。二階か三階の長屋の舞台が、さーっと割れるんですよ。すると、死んだ男のお通夜の光景にかわるんです。そこで、おかみさんやみんなが泣きながら、おとむらいの歌になります。この黒人霊歌を、手を振りながらうたう、その幾十本かの手がローソクの光の影になって映ります。そこへ、ベスが、お祈りのなかへ入れてください、といって階段をあがってきました。みんなは、つんと横を向きました。ベスは、すみっこで、みんなの歌に合わせてうたいます。ベスが、いかにもうまいので、そのきれいな声に、みんなは酔わされて、最後には、ベスがリーダーになって、この黒人霊歌は、クライマックスになっていくんですね。というわけで、話はおもしろくなっていくんです。ベスも、とってもいい女になって、ポギーのおかみさんになりました。  ところが、ここにニューヨークからやってきた遊び人のスポーティング・ライフという男がいるんです。まあ、この男だけが、ダービーハットでちょうネクタイ、そうしてステッキを持って、いかにも粋な格好をしているんです。  この男がベスを見て、一目|惚《ぼ》れして、なんかかんかとベスをくどくんですね。私は、ポギーのおかみさんだからだめよ、というのに、おまえ、これ飲んだら、楽しくなるよ、といって麻薬をやるんですが、ベスは、変なことしないでください、といって、それを捨てます。このスポーティング・ライフというのは、麻薬の商売をしている男なんですね。ベスは、この男を相手にしないで、ポギーと仲良く暮らしていました。  ある日、この町で、ウィーク・エンドにピクニックに行くことになりました。べんとうを作ったりして、もう、町中大騒ぎです。ポギーはベスに、おまえ、行ってこいよ、おれは足がわるいから家にいる、といいます。ベスは、あなたのそばにいたほうがいいわ、といいますが、ポギーが、行け、とすすめるので、出かけていきます。もともと、ベスという女は、陽気な女ですから、喜んでピクニックに加わります。また、そこでスポーティングが、くどくんですが、ベスは相手にしません。みんながうたってるところへ、スポーティングがやってきて、おれにまかしとけ、といってうたう歌が、なんともしれん調子がいいんですね。悪魔が、神の国にやってきて、みんなを地獄へ誘うような歌なんですね。  さあ、ここでみんな酔っぱらって、ご飯も腹いっぱい食べて、帰るべえ、というので、迎えにきたボートに乗り込みます。ベスも、帰ろうとしたときに、木陰から、手がぐーっと出てきて、木陰に引きずり込まれました。あの、人を殺して行方不明になっていたクラウンは、この島で、ずーっと野宿してたんですね。そうして、ここで二人は、なにをしたか、情熱を燃やしたかもしれませんね。そうして、ベスは、一人だけで渡し舟で帰ってきました。ポギーは、怒りましたが、ベスは、なにもいいませんでした。  そういうわけで、いろいろあって、ある日、ベスがポギーといっしょに暮らしているのを、聞きつけて、クラウンがやってきました。島で一度、クラウンに会ったベスは、またまたクラウンによろめいてきました。ポギーは、ほんとうに細くて、弱々しくて、枯葉のような男。クラウンは、たくましい、大きな男。ポギーとクラウンは、とうとうけんかになりました。ポギーは、まな板の上にあったナイフを持って、これで切るぞ、切るぞとおどかしているうちに、そのナイフの上に、クラウンがひっくり返って死んでしまいました。  ポギーは、人を殺したんですね。ポギーは、警察に連れていかれました。ベスは、泣きくずれていました。  この静かな漁師町。遠く屋根の上を、トビが飛んでいます。トビの影が、町に影を落としています。すると、黒人の女たちは、十字を切って逃げます。トビが、地上に影を落としたら、縁起がわるいのです。町は、シーンとしています。   とれとれのカニ、いりませんか   ストロベリー、新しいストロベリー  などと物売りが、通っていきました。ベスは、洗たくをしたり、縫い物をしたり、内職をしたりして、ポギーの帰りを待っています。そこへ、またもやスポーティングが、顔を出しました。   おまえ、あんなもん、待つの、やめとけ   ニューヨークへ行って、おれとひと旗あげんか   おまえのこのからだなら、どれだけ、男がとれるかわからんぞ   あたい、そんなこと、いやだよ   そんなこと、いうなよ  なんて、スポーティングはいいながら、コーヒーか酒の中に麻薬を入れて、ベスに飲ませました。ベスは、スポーティングがあんまり優しくいうので、そのコーヒーか、酒を飲みます。ベスは、だんだん昔の野性の、あばずれ女にもどっていきます。そうして、ニューヨークに行こうかなあ、といいます。とうとう、二人は姿をくらましてしまいます。  それから、数ヵ月たって、ポギーは、帰ってきました。   ちょっと、ポギーが帰ってきたぞ   早いな、あんた   うん、わしゃ模範囚でな、よく働いた、よく働いた、それで帰してくれたんだよ  というわけで、土産をいっぱい持って、帰ってきました。どうして、こんなに土産が買えたかというと、ばくちで儲《もう》けたというんです。   みんなだまっとれや   ベスには、いちばん高い、いちばんいい   赤いドレスを買うてきとるんや  といったときに、みんなは、うつむいちゃいました。子供たちまで、黙ってしまいました。すると、おばあちゃんの一人が、そばによってきて、   これ、ポギー、おまえ泣くでねえぞ   実はな、ベスはあのスポーティングにだまされて   ニューヨークってとこ、行っちもうたぞ   ニューヨークへ?   ニューヨークは、ここから、どのくらいあるべえ   遠いところじゃ  ポギーは泣きました。ベスは、どこにいるんじゃろなあ。ここから、またすごい歌になりますね。  そうして、最後に、やっぱりベスを捜しに行くといったときに、みんなで相談して、やぎを一匹連れてきて、おまえのいざり車にやぎをつないで、引っ張ってもらったら、すこしは助かるだろう、といいました。ポギーは、やぎをいざり車につないで、いよいよベスを捜しに行きます。そこで、オン・マイ・ウェイのすごいコーラスになって、   ポギー、元気で行けよ  それで、終りとなりますね。  これが、やっぱり映画になりました。一九五九年(昭和三十四年)、サミュエル・ゴールドウィンという人が、映画にしました。あの「嵐が丘」(一九三九)のプロデューサーですね。  メロディを聞いていますと、そのときどきのいろんな思い出が、目の前に浮かんできますね。映画と音楽はしっかりと、結びついていますね。映画を愛すれば、映画の主題歌もほんとうに愛すべきですね。というわけで、私は映画から、どんなに音楽の勉強をさせてもらったかわかりません。ではまた、  サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ。 [#改ページ]   戦 争 映 画  はい、みなさん今晩は。  今夜は、みなさんはお待ちかねかどうかしりませんが、私のお待ちかねの戦争映画です。戦争映画といいますと、まあ、ほんとうに映画館でもテレビでも、よく当たりますね。どうして当たるんでしょうね。  さあ、今夜は、みなさんと戦争映画を思い出してみましょうねえ。 ●戦争映画のいろいろ 「大脱走」(一九六三)というのがありますね。これは、ちょっと変わっていましたね。みんな将校で、この有名な脱走の名人たちの捕虜が、逃げ出す映画でしたね。まあ、この映画、なかなかおもしろかった。けれども、これ、ほんとうの戦争映画というよりも、戦争のひとつの産物ですね。  もしも、戦争映画を映画会社が作らなかったならば、どういうことになるでしょうね。ちょうど十二月の芝居に、忠臣蔵がないみたいなもので、これは困りますね。「ジャッカルの日」(一九七三)なんていう、ドゴールの暗殺の作品がありましたね。ああいう作品を見ますと、イタリアとアルジェリア合作の「アルジェの戦い」(一九六六)を思い出しますね。「アルジェの戦い」は、一九五四年、フランス領のアルジェリアが、フランスから独立しようとした、地下運動の、すごいすごい抵抗運動でしたね。こわい写真でした。ジッロ・ポンテコルボの名作でした。「アルジェの戦い」を見たあとで、「ジャッカルの日」を見ると、よくわかりますね。ドゴールは、アルジェリアをフランスから離しました。すると、フランスのまちがった国粋党、つまり右翼といったような連中が、ドゴールを憎んで、ドゴールは、フランスの敵だというので、殺そうとしたんですね。というわけで、まあ、戦争は、いろんな意味で、歴史の足跡を教えてくれますね。 「史上最大の作戦」(一九六二)は、フォックスのたいへんな作品でしたね。みなさん、ご存知のように、一九四四年六月の、あの連合軍のノルマンディー上陸作戦ですね。戦争映画のおもしろさは、キャメラですね。そのキャメラのすごかったこと。しかも、この映画は、監督もたくさん集まり、俳優は、フランスもアメリカもイギリスもドイツも、みんな総動員でした。ダリル・F・ザナックというフォックスのえらいプロデューサーが、まあ、おれの力はこれぐらいあるというように、世界中のスターを集めて、撮ったこの映画は、史上最大のオールスター作戦でもありましたね。  それから、「武器よさらば」(一九五七)というのがありましたね。アーネスト・ヘミングウェイの名作で、ベストセラーでしたね。これを一九五七年アメリカで、チャールズ・ビーダーという監督が、ロック・ハドソンのアメリカ人と、ジェニファー・ジョーンズのイギリスの看護婦とのロマンチックなストーリーで描きましたね。ここにも、戦争の爪跡がありますね。戦争のために、こんなに愛し合った二人が、引き離される。この「武器よさらば」は、ずーっと前に、一九三三年(昭和八年)に、いっぺん映画になっていますね。オールドファンの方は、ご存知のように、ゲーリー・クーパーと、舞台の名女優ヘレン・ヘイスで映画になりました。このときも「武器よさらば」という題をつけるはずだったんですが、その頃は、日本はいかにも軍国主義でしたから、そんな女々しい題はだめだということで、「戦場よさらば」にかえられちゃったんです。まあ、そういう思い出も、戦争映画にはありますわ。  さあ、そこで、ついこの間もテレビでやりましたけれども、「バルジ大作戦」(一九六五)、これもなかなか派手な戦争映画でしたね。  一九四四年の十二月。もう、ドイツが負けるというので、連合軍のアメリカ兵、イタリア兵はベルギーのアルデンの森で、のんきにのんきに遊んでいたんですね。そのとき、ドイツは、ひそかにタイガー戦車隊というのをつくりましてね。地下でつくっていたんですね。そのタイガー戦車隊の、すごい攻撃が、「バルジ大作戦」でしたねえ。これは、ケン・アナキンが監督しまして、ヘンリー・フォンダとかロバート・ショウだとかチャールズ・ブロンソンだとか、たくさんの俳優が出てました。戦争映画というのは、男の俳優が、みごとにたくさん集められるところも、おもしろいんでしょう。  戦争映画を分類していたら、きりがありませんけれども、「戦争と平和」(一九五六)というのがありますね。トルストイのあの有名な原作ですが、これは戦争映画というよりも哲学ですねえ。あのナポレオンのロシア侵入ですね。ピエールとナターシャとアンドレイがいましたね。これは、アメリカとソ連と両方で作りました。  アメリカでは、ヘンリー・フォンダのピエール、オードリー・ヘプバーンのナターシャ、メル・ファーラーのアンドレイ。アンドレイという貴族がいました。オードリー・ヘプバーンのナターシャは、ほんとうに花でした。それがだんだんだんだん、いろんな人生経験を積んでいきますね。  ソ連では、二、三年がかりで作りました。セルゲイ・ボンダルチュクという、ふとったこわい人が監督して、自分で、ピエールを演じました。ナターシャは、サベーリエワ。アンドレイは、チーホノフという人がやりましたけれども、まあ、それは、ロシアの大地に、撮影隊が腰を落ち着けて作ったから、ムードがありました。  私、同じソ連の戦争映画のなかで、好きな映画があるんです。それは、「誓いの休暇」(一九五九)というんです。  少年兵が、ちょっとした手柄をたてたので、上官が、「おまえに勲章をやろう」といいました。すると、その少年兵は、「実は勲章よりも休暇が欲しいんです」といいました。「お母さんから手紙がきて、家の屋根がこわれて、雨が漏って困っているという手紙がきましたので、私は家に帰って、屋根を直したいんです」そんなこといったんですね。けれども、家に帰るのに、二、三日かかるんです。上官が「おまえ、そんなこといっても、一週間休暇をやっても、家にいるのは、一日ぐらいじゃないか」といいますと、「一日、それで結構です。家に帰りたいんです」というわけで、休暇をもらいました。  帰る途中で、いろんなことがあって、やっと家にたどり着いて、「お母さん!」といって抱き合っただけで、もう部隊に帰らねばならない時間になっていました。そこらあたりが、いかにもかわいそうな映画でした。  お母さんが、「もうおまえ、帰るのかい」といって抱きしめました。その子の名前を悲しそうに呼びました。  この子は、お母さんのもとへは、再び帰ってきませんでした。 ●ポールは、ちょうちょうをとろうとして死んだ  私の心に刻みこまれた戦争映画が、三本あります。まあ、なんでしょう。 「西部戦線異状なし」(一九三〇)、これはみごとでしたね。トーキーになったときです。もうレマルクの小説は、みなさんお読みになっているでしょう。小説を読むと、どんなに戦争がこわいか、どんなにむなしいかが、よくわかりますね。  ポールという少年がいました。もう、高校生です。学校で勉強していました。すると、先生が、 「諸君! 諸君は国のために、ドイツのために、勇敢に戦場に行くべきである」  といいました。ポールは、先生の言葉に、からだがふるえました。そうして、あの子も、この子も手をあげて、どんどんどんどん、戦争に行きました。  ポールも戦争に行って、けがをして、休暇をもらって、家に帰ってきたのです。お母さんにもお姉さんにも、会いました。そっと、なつかしい学校をのぞいてみました。すると、先生は、今でも同じように、 「戦場へ、戦場へ」  と生徒たちに叫んでいました。その言葉をきいて、ポールは、むなしい思いでいますと、先生が、 「おい、ポールじゃないか。早く来い、こっちへ来い」  といって、教室で生徒に紹介しました。 「この人は、我が校の出身の勇敢な軍人である。さあ、ポール、みんなに軍人魂を聞かせてやれ」  ポールは、先生にそういわれたときに、うつむきました。 「今、先生がおっしゃったような戦場は、勇敢な、勇気のある、みごとな男のひのき舞台ではないことを、私は体験しました。なんともしれん、むなしく残酷なところです」  そこまで、ポールがしゃべると、先生は、すっかり顔色を変えて、 「ポール、君の話は、もういいよ」  といいました。ポールは、ほんとうのことをいったんですね。  ポールは、また戦場にもどりました。それから、いろいろなことがありまして、ドイツとフランスが戦っている、ある、どしゃ降りの雨の翌日、どういうわけか、銃声が、ぴったりと止まってしまいました。ドイツの兵隊のいる塹壕《ざんごう》も、遠くフランスのほうの塹壕も、音がすべて止まってしまいました。一瞬の平和が訪れたわけですね。雨はあがって、太陽が、暖かく照っております。ドイツ兵の一人が、ハーモニカを吹いておりました。シャベルで、塹壕の泥をすくっている者もありました。ポールは、なんとはなしに、この春の一瞬に酔いました。  そのとき、向こうに、なにかがチラチラ見えました。それは黄色い小さなちょうちょうでした。ポールは、おもわず少年の心にかえって、 「あっ、ちょうちょうだ」  ちょうちょうをつかまえようと手を出しました。その瞬間、フランスの塹壕から銃声がして、ちょうちょうをつかんだポールは、動かなくなりました。ポールは、戦死したんですね。けれども、その日の隊の報告には、西部戦線異状なし、と記されました。ポールの死は、異状じゃなかったんですね。人間が、あたりまえのように、普通に死んでいく、その一人にすぎなかったんですね。この映画は、そんな形で終りました。最後は、どんどんどんどん、死んでしまった兵隊たちが、あのポールも、あのアレックスも、あ、あのジョエルも。  私たちが画面で、なじんだ兵隊たちはみんな幽霊《ゆうれい》となって、鉄砲かついで丘の向こうの墓場へ墓場へと、歩いていくところで、この映画は、終るんです。  けれども、ひょいと、ポールが画面から、こちらを向いて、寂しく笑って、また向こうを向いていきました。この終りは、こわかったですねえ。ポールが、いかにもかわいそうでした。こういうふうな、戦争の描き方というのは、見ていて、中味がありますね。 ●戦争の爪跡「ジョニーは戦場へ行った」 「先生、先生。ぼくの右の肩、さわったらだめだよ。右の肩、どうしているの。右の肩に、針金が、あるみたいだ。先生。ぼくの右の肩、さわらないでください。痛い、痛い」  その青年の声は、やがて、こんなことをいいだしました。 「ぼくの右の腕、指先、感覚がない、感覚がない。先生、ぼくは、右の肩から、手がないんですか」  やがて、画面は、その目隠しされた、顔も全部隠された、病室の中にいる患者の顔のほうへ顔のほうへ、寄っていきます。声は、いよいよはっきりします。 「先生、だめだよ、左のほうもさわってる。左の肩もさわってる、そんなこと、やめてください。ぼく、ぼく、左の手も、ないんですか」  キャメラは、その医者、その患者のからだの下のほうを写してきます。すると、もっと絶望的な、哀《かな》しい声で、 「先生、ぼくの右のももを、さわってますね。なぜ、そんなことをするんです。あんたに、そんな権利あるんですか。だめです、だめです。ぼくの足は、感覚がないんですよ」  やがて、その声は、もっとすごくなってきます。ジョニーという若い男の声ですね。兵隊です。そうして、この若い男を、ティモシー・ボトムズがやっております。そのせりふは、みごとですね。この映画が「ジョニーは戦場へ行った」(一九七一)ですね。  この青年、ジョニー、この悲惨な肉のかたまりは、神経と頭脳はありますが、口と眼と鼻がなく、両手両足もないんですね。食事は、管を通して、からだのなかに入れるんです。そういうわけで、この哀しい哀しい肉のかたまりの青年が、戦争に行く前のことを回想するところから、この映画は、きれいなカラーになるんですね。病室は、暗く沈んだグレーで、回想が、いかにもきれいな色彩だから、よけい哀しいんですね。  このジョニーは、いい青年です。そうして、かわいい娘と仲良くなります。この二人が抱き合うときに、このジョニーが彼女を抱くその手を、きれいにきれいに写しました。意識的でなく。なんて長い指だろう、いい青年だなあと思います。二人は抱き合いました。すると、そこへお父さんが、帰ってきました。娘さんの家です。二人は、離れました。すると、お父さんがいいました。 「おまえたち、なにしてるんだ?」 「この人、明日、戦争に行くんです。私、この人と結婚したいと思います」 「明日、戦争に行くのか、それなら、隣の部屋で、ゆっくり遊べ」  と、このお父さんなかなか話せるんです。二人は、喜んで隣の部屋へ行きました。その部屋は、娘さんの部屋です。そうして、二人はベッドに入りました。娘さんのベッドですから、その青年の足が、長く、毛布のスソからはみだしておりました。その足が、ピンク色で、なんともしれんきれいでした。この足が、さっき抱き合ったときの、あの手とともに、切断されたんだということが、よけい鮮やかにわかってきます。最初のほうの、両手両足がないという事実が、このきれいなカラーのところで、よけいゾーッとします。さあ、この青年の回想のところもみごとですが、やがてもとにもどります。  この肉のかたまりを殺すことは許されません。一生、生かしておかなければならない。そういう軍部の命令です。けれども、かわいそうなこのジョニー、生きていていったいどうなるのでしょう。この肉のかたまりになったジョニーには、神経はあるのです。どうにかして自分の気持を軍部に伝えたいと思います。けれども、軍部や医者は、神経までもやられて、ただ生きているだけだと思い込んでいますから、物体あつかいです。こんなところに置いておいても、目立つから、地下にでも入れておけといった感覚です。ジョニーは、どうしようかと思いました。どうして、相手に伝えようかと、|もがき《ヽヽヽ》ました。その|もがき《ヽヽヽ》がすごいですね。神経があるから|もがく《ヽヽヽ》んです。  もしも、この部屋に、蚊が入ってきて、ぼくの顔に止まったら、いったいぼくはどうしたらいいんだろう。  もしも、ベッドの下にねずみが出てきて、ぼくのからだに飛び乗って、ぼくのからだをかじったら、どうしよう。  考えたらこわいですね。それは夢想ですね。幻覚です。ほんとうは、そんなことのないような病室に入れてあるのですから。ところが、この患者の担当の看護婦は、彼がかわいそうで、かわいそうでなりません。見ておれません。ときどき彼のからだを拭いてやります。汗が出ますから。あるとき、からだを拭いてやっているときに、反応をみせました。おなかを、ちょっとふくらましました。手で、さわっているときに、そう感じたのです。からだをちょっと、動かしたんです。彼女は、このからだに、神経があるんだな、と思いました。それで、彼女は、おもわずその肉体のかたまりの胸の上に、エックスという字を書きました。すると、その顔のない頭は、かすかにうなずきました。わかったんです。そこで、彼女は、指先で、�今日は、クリスマスですよ�と書いたんですね。すると、さあ、うれしそうに、その頭はピクッピクッと動きました。彼女は、もうたまらなくなりました。このからだは、わかってるんだな、わかってるんだな。かわいそうにと、たまらなくなってきました。  このかわいそうな物体、この生きている物体を、彼女は殺してやろうと思いました。呼吸をしている管、食事の通っていく管をはさみで切ろうとしました。  そこへ、医者が入ってくるんですね。医者は、あわてて彼女を止めて、それで、この、看護婦は、別の病棟に追いやられてしまいました。かわいそうに、ここで殺したならば、殺されたならば、どんなにこの肉のかたまりは、助かったでしょう。  やがて、この肉のかたまりの、闘いが始まります。どんな闘いか。 「ぼくをどうするんだ、ぼくをどうするんだ」。とうとう、この肉のかたまりは、二日、三日、四日、五日、六日|もがいて《ヽヽヽヽ》、|もがいた《ヽヽヽヽ》あげくは、頭を動かせば、モールス符号、SOSができるんだということを思ついて、さあ、そこで頭を枕に、グングングングン、ぶっつけるように動かします。初めのうちは、医者もわかりません。やがて、その頭の動かし方が、そのリズムが、なにか暗号みたいだ、なにかの記号だということが医者と軍部にわかって、会話ができるようになりました。 「ぼくは、ここで一生、飼い殺しになるんですか。それなら、まだこの肉のかたまりが、呼吸をして、生きている証拠をみせるために、カーニバルの日に、見世物小屋に連れていってください。さあ、さあ、ここにこういう肉のかたまりが、まだ生きているんだよ、といってみんなに見せてください。せめて、それがぼくの最後の、ぼくにできる仕事です」  そんなことは、できない。とんでもないことだというので、この肉のかたまりは、もっともっと奥の地下室に運ばれて、カーテンを深くとざされてしまった、というこわいこわい映画ですねえ。  この映画は、昔、シナリオライターだったドルトン・トランボという人が、一九三九年に書いた戦争小説、「ジョニーは戦場へ行った」の映画化ですね。この小説は、非常に当たりましたが、どこへもっていっても映画にしてくれない。とうとう一九七〇年から七一年に、自分で金を工面して、自分で脚本を書いて監督したのが、この映画ですね。  この映画を見ていると、むごさというのは、戦争だけじゃない、そのあとにくるものは、もっとすごいですよ、という、アメリカは、こういう映画を作りました。それなのに、なぜ戦争は続いたんでしょう。「西部戦線異状なし」もアメリカが作ったんです。  なぜ、人間は戦争をするんでしょう。 ●戦争こそ人間のいちばんの悲劇 「かくも長き不在」(一九六〇)、思い出されましたか。これは、みごとな戦争映画でしたね。アンリ・コルピという監督の名作で、原作は、マルグリット・デュラスという女の人です。悲惨なすごい戦争の爪跡ですね。  フランスの作品ですね。戦場をすこしも出さないで、こわいこわい戦争映画を作りましたね。アリダ・バリという女優と、ジョルジュ・ウィルソンという英国の俳優が、出演しております。  ここに、一人の女がいました。四十ぐらいの女です。レストランをやっています。小さなレストランです。  ある日、表のテントをガラガラとハンドルを回して、張っていますと、目の前を、一人のルンペンが通りました。夫は、十五年前に戦死しました。けれども、はっきりした公報はきていません。この女は後家さんです。結婚の話は、幾度もあったのですが、その気にならず、ずーっと、レストランのおかみで過ごしています。  そのルンペン、ずだ袋をさげた変な格好をして、今、目の前を通っていくルンペンの顔は、まさしく夫のアンドレの顔でした。びっくりして呼ぼうかと思いましたが、自分の顔を見て、目と目が合ったのに、気がつかないのか、わからないのか、そのまま行き過ぎてしまいました。ここらが、フランス映画ですね。私たち日本人だったら、どうでしょう、「あんたぁ」といって、飛びついたでしょう。  この女は、夫は、きっと頭のどこかがこわれていると思ったのでしょう。黙って、あとをつけました。ここで、あんた、といって駆け寄れば、ひょっとすると、その神経が、もっとこわれるかもしれない、だめだ、だめだと思って、そーっと夫のあとをつけました。ガードの下をくぐりました。とうとう、運河のところへ来ました。夫は、自分で建てたと思われる、汚いテント小屋の中に入っていきました。そうして、手を洗って、なんか新聞紙みたいなものをおいて、ああ疲れたという顔で、靴もぬがないで、横になりました。  この人は、古新聞や雑誌を集めて、それを売って一人で生きている、なぜ、私のところへ帰ってこないのだろう、なぜ、あの店に帰ってこないのだろう、と思いました。このフランス映画は、このあたりみごとな感覚で、この女の驚きを見せます。  この女は、じっと夫の顔を見ます。じっと、ルンペンの手を見ています。手。画面に大きく手が映りました。この手、この手はまちがいなく私を愛撫《あいぶ》してくれた夫の手。この女は、一時間か二時間そこに立ちつくして、泣きながら去っていきました。そうして、どうにかして、そのルンペンの注意をひこうとします。  また、夫のそのルンペンが歩いてくるのを見て、夫が好きだったあのフィガロの結婚の曲をかけて、夫が気がつくだろうかと、胸をはずませております。夫は、店の前に来ると、ふと立ち止まりました。ア、気がついてくれてよかった、と思っていますと、またスタスタと行ってしまいました。どうして、わからないのだろう。そこで、次の機会を待ちました。今度は、声をかけました。 「あなた!」といいました。すると、ルンペンは、振り向いて、 「はい。奥さま。なんでございましょう」  その返事に、なんて哀しいんだろうと、この女は思いましたが、 「今、お茶がはいったとこですから」というと、 「ありがとうございます」といって、そのルンペンは喜んで、お茶をいただきました。そのときに、この女は、夫がいつも持っていたパイプと、好きだった灰皿を目の前に置きました。そうして、愛用していたお皿を三つ四つ置いて、近所の人を呼んで、昔の友だちの噂《うわさ》話をしましたが、そのルンペンの夫は、おとなしくお茶をいただいて、お礼をいって、帰っていきました。彼女は、からだをふるわせて泣きました。  どうして、思い出せないのだろう。なぜなんだろうと思いながら、一つの計画をたてました。いつも、そのルンペンが、前を通っていくある夕方、この女は、 「あなた!」と、ルンペンに呼びかけました。 「なんでございますか、奥さま」と、ルンペンは、いいました。すると、彼女は、 「あのね、今日はお客さんの注文で夕食をこしらえましたら、先ほど電話で、行けなくなったからというんですよ。もし、よかったら、ごいっしょに召し上がってくださいません?」 「ありがとうございますけど、奥さま、どうして、あなたはそのように親切なのですか」 「いいえ、私一人じゃ、寂しいものですから、ちょっと、お誘いしましたの」彼女は、胸がいっぱいになりながらも、そうこたえました。彼女は、夫がいちばん好きだった料理を用意しておりました。彼女は、うれしそうに食べているそのルンペンの手つきや、口に料理をほおばっているその顔を、つくづく見て、どうして、私ということがわからないのだろう、あんたと私は、夫婦なんですよ、といおうとする心を押さえました。やがて、おいしゅうございました、ごちそうさまでした、と彼が、立ち上がりかけたときに、それを引き止めて、いっしょに踊りませんか、といって、夫の好きだったワルツをかけました。  夫は、いかにもなつかしそうに、ききほれていました。  さあ、踊りましょう、というと、そのルンペンは、ごいっしょいたしましょうといって、二人は、踊りました。けれども、そのルンペンの夫の目は、うつろでした。彼女は、踊りながら、部屋の壁にかかっている鏡を見ました。彼女は、その鏡の中に、大変なものを見ました。それは、そのルンペンの頭の真ん中の、三日月《みかづき》形の、むしりとったような傷跡でした。  これが、この傷がすべての記憶をもぎとったんだ。そうか、この傷で、夫は、私を失ったのか——やがて、ダンスは終りました。ルンペンは、静かに立ち上がって、 「今夜は、ほんとうにありがとうございました。たいへん楽しゅうございました」と、いって、深々とおじぎをして、表へ出たときに、彼女は、たまらなくなって、 「あなた!」彼女は、夫の名前を叫びました。 「アンドレ!」このルンペンの夫は、そのとき、どうしたでしょう。  両手をあげたんですね。捕虜のときを思い出したのでしょうか。そうして、走り出しました。走った、走った。  彼女は、追いかけました。 「アンドレ! 私ですよ。アンドレ、私ですよ!」といいながら。  そのときです。どんどんどんどん走っていく、そのアンドレの前に、トラックが横からきて、ガーンとぶつかりました。そのルンペンの夫は、その車の下敷きになりました。  妻は、自分の目の前で、夫が大きなトラックの下敷きになって、死んでしまったのを、じっと見ている。これで、この映画は終ります。  この映画は、戦争の場面は一つもないけれども、戦争の傷跡が、こんなこわい形で残っているということを、みごとに描いて、戦争のこわさを見せてくれました。  戦争映画は、見ていておもしろいアクションのかたまりですけれども、その戦争の陰は、いろんな形で、映画のなかに現れてきます。  戦争は、二度と繰り返してはならないものですね。なぜ、戦争映画がおもしろいか、それはおもしろいのではなくて、もしも、明日自分が死ぬと思ったときに、人間は、どのように行動するだろうか、それが、あなた方に緊迫感をあたえるのでしょうね。それはギャング映画と異なって、ほんとうにだれもが、戦争に参加する運命のなかで、そういう映画をごらんになるから。  私は、やっぱり戦争のなかに、人間をつかんだもの、それがいちばん立派だと思います。「アルジェの戦い」なんか、こわいこわい戦いですけれども、あのなかに、ほんとうに国を守って、感傷におぼれないところの、あのこわさですね。あのむごいむごい抵抗の姿にも、なにかいやな感じがしませんね。哀れがあるんですね。その哀れさが、人間性が描かれているから、いいと思うんですね。  戦争映画の陰に隠れて、いちばん効果をあげているのは、キャメラですね。まあ、あの「ノルマンディー上陸作戦」の移動なんて、見ていて、たまりませんね。映画の美ですね。  これからも、戦争映画は、いろいろと作られるでしょうけれども、なんといっても戦争は、いやですねえ。  さあ、みなさん、ちょっとむずかしい戦争映画のお話をしましたけれど、よう、これだけ作られたと思うくらいありますね。  次々あります。まだこれからもどんどん作られるでしょう。けれど、ほんとうの戦争はもうやめたいですねえ。  まあ、あなた、ずーっと立ちっぱなしで、お聞きになったんですか? では、  サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ。 [#改ページ]   美男スターの哀しみ  はい、みなさん今晩は。  さあ、今夜は美男スターのお話ですよ。なんですか? 美男スターなんていったら、あんた、ぱっちり目をあけたんですか? いつもは枕持ってきたなんていってるくせにねえ。美男スターっていったって、あんたのことじゃないんですから、ま、寝てらっしゃいよ。  はい、それではみなさん、今夜も楽しく、映画の世界で遊びましょうね。 ●アラン・ドロンの悩み  きれいでしたねえ、あの「太陽がいっぱい」(一九五九)のアラン・ドロンは。あれで成功したんですねえ。けれども、その前、「お嬢さんお手やわらかに」(一九五八)という映画に出たときは、きれいなきれいな女優さんのなかにもまれて、美青年というのにはまだ早いくらいの、かわいい、かわいい美少年でしたね。  それが「太陽がいっぱい」で、本格的なスターになりましたねえ。この映画では、もう一人の美男、モーリス・ロネが出ておりました。モーリス・ロネは、いかにも富豪の、なにもかも知りつくしたプレイボーイの、なれの果てみたいな魅力を見せました。あれも美男ですねえ。  けれども、やっぱり、なにか、がつがつと欲望に燃えている若者、あのアラン・ドロンはみごとでしたねえ。これでアラン・ドロンは有名になりましたが、なにしろ、なんともしれんきれいな顔、まあフランスでもいろいろなスターがいますが、あれぐらいきれいなスターはちょっといませんねえ。  だから、アラン・ドロンは今、苦しんでますねえ。美男スター、顔がきれいだというのは、俳優としてこわいんです。いつでも、きれいな役ばっかりもたされる。というわけで最近は、ジャン・ギャバンと共演したり、それから、いろんないろんな共演者、ブロンソンだとか、あるいはまあ女優でもしっかりした女優を相手にして、むつかしい映画、こわい映画というふうに、まあ、自分から性格俳優になろうと努力してますねえ。  けど、なにしろきれいだし、おまけに、アラン・ドロンを使おうという会社は、まあ、アラン・ドロンを大事に大事にしてるんですねえ。みなさん映画をごらんになっても、アラン・ドロンの顔ですねえ、目ですねえ、鼻ですねえ、口ですねえ、それをキャメラで、どんなにきれいにしようかというのが、よくわかりますねえ。うつむいたときのまつげ、それから上向いたときのあご、それから横向いたときの目。まあこれほど大事に、キャメラがいたわっている役者はいませんねえ。  というわけで、アラン・ドロンはいつまでたってもきれいです。このアラン・ドロンが日本に来たとき、私も会いました。それが不思議ですね、あの人は、妙なべったりとした流し目を相手に投げるんです。いや、流し目というんじゃなくて、実は、そういう愛きょうが身についているんですねえ。ちょうどそれが長谷川一夫さんにそっくりで、いかにもなまめかしい。ああ、やっぱり美男なんだなあって思いました。 ●頭から足の先まで美男のロバート・テイラー  一九五一年の大作「クオ・ヴァディス」の主演が、これまた大変な美男スターでしたねえ。なに、アラン・ドロン? 違いますよ、ロバート・テイラーですね。このロバート・テイラーといったら、まあ洋服屋の看板みたいなきれいな人ですね。頭から足の先まで、なんともしれないきれいな人で、あんまりきれいなものだから、かえって腹が立つくらいですねえ。私たちとは縁が遠すぎて。  それくらい、この人のきれいさはみごとですね。けれども、きれいだから、この人も苦しみましたねえ。  ロバート・テイラーは、ネブラスカの生れなんです。大学へも行きました。ところが音楽家になりたくて、大学を中途でやめてしまって、バンドを組んだんですねえ。けれども、なにしろ顔がきれいなものだから、さっそく映画界に引っ張り込まれました。二十四歳から、どんどんどんどん、映画に出ておりますが、初めのうちは、みんな、女優の相手役ばっかり。自分が主役になるなんてこと、ありませんねえ。  そうはいっても、きれいな男だから、いつでも、いい女優の相手役でしたねえ。まあ、その最高が、グレタ・ガルボの「椿姫」(一九三六)の相手役のアルマンでしたねえ。このときのロバート・テイラーは、きれいでしたよ。それが二十五歳のときだったんですね。  こういうわけで、あんまり美男だと、早く使われすぎて困るんですね。そうしてガルボの「椿姫」から二年たった頃、二十七歳の頃から、ロバート・テイラーもすこうし主役に近くなってきました。MGMの映画で、ボートレースのスポーツ映画「響け凱歌」(一九三八)という作品に、ロバート・テイラーが主役で出ました。そのときの相手役が、モーリーン・オサリバンといいまして、今のミア・ファローのお母さんなんですね。  さあ、モーリーン・オサリバンとロバート・テイラーの主演映画「響け凱歌」を、私も見ました。まあ、あまりおもしろくない写真でしたけれども、助演として出ているのが、ビビアン・リーなんですねえ。ええっ? モーリーン・オサリバンとロバート・テイラーが出ている映画に、ビビアン・リーが助演だなんて、なぜですか? そんな疑問が、ちょっと浮かんできますねえ。  はい、それがおもしろいんですねえ。ビビアン・リーは、ちょうどその頃、アメリカへ行っておりました。このビビアン・リーは、ローレンス・オリビエを好きで好きで、オリビエが「嵐が丘」(一九三九)の主役でアメリカへ渡ったあとを追って、アメリカへ行ったんですねえ。そうしたら、アメリカの映画人が黙ってませんねえ。きれいなきれいなビビアン・リーに、ちょっとテスト的に助演で出てくれませんか、と頼みこんで、この「響け凱歌」の助演が実現したんです。  そういうわけで、ビビアン・リーは、ちょっとアメリカ映画に出ました。けれども、もうそれから二年もたたないうちに、ビビアン・リーは、ロバート・テイラーといっしょに「哀愁」(一九四〇)に出ましたねえ。さあ、この「哀愁」のビビアン・リーとロバート・テイラー、こんなきれいな映画なかったですねえ。  というふうに、ロバート・テイラーぐらいになると、いつでもきれいな役をもたされるんです。そうして、この美男のために、かえって苦しむんですね。さて、このロバート・テイラー、一九六九年の六月八日に、五十八歳で亡くなりましたね。思えば思うほど、美男スターでしたねえ。 ●山の手のトロイ・ドナヒューと下町のトニー・カーチス  みなさんよくご存知のトロイ・ドナヒュー、この人のいちばんきれいだったときの映画が「避暑地の出来事」(一九五九)でしたねえ。  この人はニューヨークの生まれで、お父さんがなかなかの金持なんです。お父さんは、ゼネラル・モータースの重役で、会社のコマーシャル映画の部長だったんですねえ。そんな関係で、お母さんが女優だったんです。  で、トロイ・ドナヒューはもう二十一歳のときに、映画界に入ったんですねえ。そうして、このトロイ・ドナヒューが最初に有名になったのが、「悲しみは空の彼方に」(一九五九)という映画で、女の子のほっぺたをバーンと殴る役をやったんですね。その役で評判がよかったんです。  この映画、ピンキーが出てきます。顔立ちからすると、どうしても白人に見える。けれども、実は、お父さんかお母さんのどちらかが黒人の血を引いている。その黒人の血を隠している男、女、とくに女をピンキーといったんですね。  映画のなかでは、このトロイ・ドナヒューの扮している青年と毎回デートしている女の子が、実はピンキーだった。それがわかってきて、「この女め」と殴ったんですね。こわいですねえ、昔は。それほど黒人をいやがったんです。  ところで「避暑地の出来事」のときのトロイ・ドナヒューは、なにしろきれいでしたねえ。けれども、あんまりきれいでも困るんですねえ。  トロイ・ドナヒューも、もう三十八歳になってきた。二十歳《はたち》代はよかったけれど、三十八歳にもなってくると、トロイ・ドナヒューみたいに、いかにも、いかれ坊っちゃんみたいなきれいな顔は、困ってくるんですねえ。  まあ、そういうわけで、トロイ・ドナヒューと同じようにニューヨークの生まれですけれども、お坊っちゃんでなくて、下町の貧乏人の子に生まれた美男に、トニー・カーチスがいますね。  トニー・カーチスは、もちろんトロイ・ドナヒューよりも十歳年上です。けど、このトニー・カーチスが、初めて映画界に入ってきたときは、かわいい、かわいい男の子だったので、まあ美男スターにしようというわけで、えらいえらいがんばったんですね。  ところが、トニー・カーチスは、ポーランド移民のユダヤ人です。だから心配なんですね。自分が美男スターで売り出されていったら、どんな目にあうか、若さが過ぎるともうだめだ、そういうことをよく考えたんですねえ。  だから、がんばってがんばって、「空中ぶらんこ」(一九五六)だとか、「成功の甘き香り」(一九五七)だとか、「手錠のままの脱獄」(一九五八)だとか、あるいは「お熱いのがお好き」(一九五九)だとかいうふうに、アラン・ドロンと同じですね、どんどん美男スターから逃げたんですねえ。自分は美男スターであるなんて喜んでいられないんです。ですから、「バイキング」(一九五八)だとか、「隊長ブーリバ」(一九六二)だとか、「グレート・レース」(一九六五)だとか、まあ、あらゆる方向に、トニー・カーチスは泳ぎに泳いで、その人気をまだまだ保《も》たしてるんですねえ。 ●アメリカ美男スター第一号の早川雪洲  さあ、みなさんご存知の「戦場にかける橋」(一九五七)は、アレック・ギネスが主役のみごとな作品でしたねえ。ところがこれに、早川雪洲という日本の有名な有名な俳優が出とりましたねえ。アレック・ギネスと早川雪洲が、一対一で向かいあって問答するところのシーン、それを見てますと、この映画がどんなに雪洲のことを大事にしてるかが、わかりますね。  というのは、早川雪洲こそ、日本の国際スターの第一号だからなんです。世界的大スターの、日本での第一人者の第一号なんですねえ。しかも、それだけではなくて、早川雪洲という人は、実は、ハリウッドの美男スターの第一号なんですよ。  えっ? そんなことって、あるかしら? はい、そうなんですねえ。この人はもう大正頃に、どんどんハリウッドの映画に主演しておりました。ハリウッドの映画界は、雪洲のオリエンタルな美しさにびっくり仰天しました。なんてきれいなんだろう、この東洋人は、というわけで、大変な人気になったんです。おもしろいですねえ。そして、あまり大変な人気で、これまた美男スターの型《かた》にはめられていったんですねえ。  だから、あれやこれや出たけれども、とうとういわゆる性格俳優になりそこねたんですねえ。そういう人なんです。  この人、明治二十二年の六月十日に、千葉で生まれました。大きな大きな網元の坊っちゃんでした。若いときから柔道とか剣道が好きだったらしいんですねえ。で、海軍兵学校を受けたんです。ところが落第したんですねえ。さあ、えらいことに、切腹しようとしました。それで、あわや切腹というところを見つけられてしまって、死にそこなったのですねえ。 「おれはもう、日本におれん。こんな狭いところにおれん」  なんて、まあ、この人は男のなかの男みたいな気だったんですねえ。考えをかえて、サンフランシスコへ行ったんです。  この人、名前は早川金太郎といいました。さあ、この早川金太郎、金ちゃんはどうして一人でサンフランシスコへ行ったんでしょうか。それは、中学校のときの友だちが、サンフランシスコに勉強に行ってたんですね。それを聞いて、おれも行くといって、海を渡ったんですねえ。  サンフランシスコでは、まず働かなくちゃいけない。それで、皿洗いをやったり、停車場の食堂の給仕をやったり、まあ、なかなかやったんですね。そうして、中学校の旧友にも会って、サンフランシスコの学校にも行ったんですねえ。それから、シカゴ大学の予科に入ったんです。けれども、一生懸命に勉強するのといっしょに、一生懸命にアルバイトもやりました。  アメリカいうところは、どんどんアルバイトをやると金が入るんですねえ。それで、だいぶ金がたまりました。そこで、この早川金太郎、ロサンゼルスの日本人町へ行ってこませなんて、遊びに行きました。するとまあ、ダウンタウンで、日本人の一座が芝居やってたんですねえ。それを見たときに、 「おれだって、あれくらいの芝居なら、やれるぜ」  というので、その座長の藤田東洋という人に会って、おれも出さしてくれなんて、いったんですよ。その座長、喜んだんですねえ。というのは、早川金太郎の顔がなかなかいいからなんです。  さあ、それで、一座に出ました。早川金太郎雪洲という名前で出たんです。それがまあ、とうとうおもしろくなって、この一座に落ち着いてしまいましたねえ。そのうえ、なんと、座長級にまでなったんです。  そうして、「嵐(タイフーン)」ですね、この日本劇を英語でやろうというので、ほんとうに英語でやりました。さあ、この芝居をロサンゼルスの映画の製作者が見たんですねえ。そして、「タイフーン」の主役をやってる早川金太郎雪洲というのがいいじゃないか、というので呼びました。  ところが、活動写真の俳優なんて大きらいだからと、むちゃくちゃの条件を出したんですねえ。自動車を二台くれとか、この一座全部を雇ってくれなきゃいやだとか、なんでもかんでも条件にもちだしたのに、よっぽど早川金太郎雪洲のことが気に入ったのか、全部OK、そこで、とうとう早川雪洲、映画界に入ったんですねえ。  というわけで、「タイフーン」「火の海」(一九一四)、「異郷の人」(一九一六)、「ジャガーの爪」(一九一七)、まあ、たくさん出ました。そしてもう、えらい評判で、アメリカの女の人たちは、早川雪洲の映画といったらどんどんつめかけて、早川雪洲が画面に現れると、映画館の中は女の人のため息がさざなみを打つようにひろがっていったなんて、そんなふうだったんですねえ。  まあ、日本の俳優が、アメリカの美男男優の第一号だなんていうの、いいですねえ。  私は、大正七年封切りの「火の海」から見てますけれども、きれいな人でしたねえ。そして奥さんが、川上音二郎のめいの青木鶴子。まあ、この青木鶴子と雪洲、これがアメリカでの、日本の国際スターのナンバー・ワンですねえ。  というわけで、早川雪洲はえらい人でしたねえ。この人も、昭和四十八年、一九七三年の十一月二十三日に亡くなりましたけれども、八十四歳、長命でしたねえ。 ●伝説の美男スター、バレンチノ  サイレント時代の美男スター、早川雪洲に続いて現れたのが、ウォーレス・リードという人でした。この人は、なかなか立派な、いい俳優で、感じもよかった。なかなかの男前でしたねえ。  どういったらいいんでしょうかねえ、ちょうど今の、あのタイロン・パワーとか、アラン・ドロンとかを合わせた感じでしたけれど、この人、まあかわいそうなことに、三十一歳で早く死にました。その死に方がいけなかった。ウォーレス・リード、この人は麻薬で死んじゃったんですねえ。  それで、ウォーレス・リードが死んでから、この人の奥さんのドロシーが自分で、自主映画を作りました。「麻薬の罪」(一九二三)というのを作ったんですよ。  で、この三十一歳で亡くなったといいますと、ルドルフ・バレンチノという人も、同じ三十一歳で亡くなりました。このバレンチノは、大正七年、一九一八年に映画界に入って、大正十五年に亡くなりましたねえ。しかしスターとしては五年間のスター生活です。  けれども、世界で、今なおバレンチノは、美男スターとしてほんとうに伝説の人になっていますね。ちょうど、サイレントの時代が終るとともに、この人は消えていきました。不思議な人でしたねえ。  まあ、美男スターは早く亡くなりますねえ。あのジェームス・ディーンも、早く死にましたねえ。なに? あんた、あんたなんかは、なかなか死にませんよ。  はい、バレンチノ、この人のこと、ちょっとお話しておきましょうね。  バレンチノは、イタリアの生まれです。おとっつぁんは軍人です。お母さんはフランス人です。とっても貧乏でした。けれども、軍人の家系だから、なんだかえらい名前がついているんです。イタリアには、こんな長い名前があるんですねえ。バレンチノの本名を、ちょっといいましょうか、舌かみそうですけど。  ロドルフォ・アルフォンツォ・ラファエロ・ピエール・フィリベール・グッリエルミ・ディ・バレンチーナ・ド・アントニエーラ。まあ、長ーい名前ですねえ。  で、この人、十一歳のときにお父さんが死にました。もう貧乏で、十八になると、移民船に乗ってアメリカへやってきました。そして、ホテルで給仕したり、床屋さんの手伝いしたり、マーケットの八百屋さんの手伝いしたりしましたが、ダンスが上手だったんですねえ、ボールルーム・ダンサーになったんです。ボールルーム・ダンサーというのは、ダンスホールの男ダンサーですねえ。そこで、ルドルフ・デ・バレンチーノという名前つけていたんです。  ところが、この男ダンサーを映画界に引っ張り出したのが、メイ・マレーという映画のスターですね。バレンチノは映画俳優になりました。  そうして、大正十一年、バレンチノは「黙示録の四騎士」という映画で主演して、まあ一躍有名な有名な俳優になりましたねえ。この映画、原作が、スペインの作家のビンセント・イバニエツの有名な小説ですね。戦いの神、飢饉の飢えの神、それから征服の神、死の神、この四つの神が空を駆けるなんていうこわい反戦映画なんです。  そのなかでバレンチノが、タンゴダンスをやったんですねえ。バレンチノはタンゴの名手なんですね。そのバレンチノと、ビアドリス・ドミンゲスというアルゼンチンタンゴの有名な女ダンサーとが組んで、タンゴダンスを踊りました。みごとでしたねえ。  その大正十一年、私、十三歳でした。日本ではまだ、大正十一年には、タンゴダンスなんての知らなかった。だから、あれはなんだろべえ、タンゴダンス、ああ|ダンゴ《ヽヽヽ》みたいだなあ、二人がこう顔くっつけて手をのばしているから、ちょうど一本の串《くし》に頭が二つ、|ダンゴ《ヽヽヽ》みたいだなあなんて、そんなこといっておりました。そんな時代、思えば思えばなつかしいことですねえ。  ところで、この「黙示録の四騎士」は、ずっとあとで、トーキーになってから、グレン・フォード主演でまた映画になりましたが、まあ、グレン・フォードの「黙示録の四騎士」(一九六二)と、バレンチノの「黙示録の四騎士」とは、えらい違いですねえ。バレンチノが、どんなによかったか。グレン・フォードが、どんなにつまらなかったか。  というわけで、バレンチノ、有名になりましたけど、まあ、三十一歳の若さで死にました。そのときの葬儀が、大変なことだったんですねえ。  グロリア・スワンソンは、このバレンチノの葬式に、百五十本の白バラの花を贈りました。ところが、ポーラ・ネグリ、当時バレンチノの恋人だった、このポーラ・ネグリが、真っ赤なバラを贈りましたね。——ちょっとついでに申しますと、バレンチノの奥さんは二回かわってますが、死ぬときにはポーラ・ネグリというドイツ女優とロマンスを流しておりました。  さあ、グロリア・スワンソンが白バラだから、ポーラ・ネグリが真っ赤なバラ。その真っ赤なバラが、なんと縦に十一フィート、横が六フィートの大きな大きな花輪だったそうですねえ。  というわけで、まあ、その大変なお葬式の人出、人出、人出。えらいことで、警官が百人も整理に行ったそうですねえ。そして、その葬儀の二時間がたって、そのあとには女の靴が二十八足も道に落ちていたそうなんですよ。まあそういうわけで、ともかく大変なことでしたねえ。 ●父子ともに殉職したタイロン・パワー  ところで、美男スターの一、二、三、四に入る人に、タイロン・パワーがおりますねえ。この人が主演した「愛情物語」(一九五六)という映画、ごらんになった方も多いんじゃないでしょうか。その主題曲、きれいな音楽でしたねえ。  しかし、このタイロン・パワーも、四十五歳で、一九五八年に死にました。けど、その死に方がかわいそうでしたねえ。ちょうど、「ソロモンとシバの女王」(一九五八)の撮影中に、心臓麻痺で殉職したわけですねえ。四十五歳なんて、まだまだ若かったのに、そんな死に方をしました。そうして、この「ソロモンとシバの女王」の主役は、タイロン・パワーが死んだから、ユル・ブリンナーがかわりに出ましたねえ。  ところがねえ、不思議なことがあるんです。タイロン・パワーは、シンシナチーの生まれで、実は、お父さんは有名な舞台の俳優、そして映画の俳優でもあったんですよ。タイロン・パワーといって、やっぱり同じ名前でした。だから、初め、息子のタイロン・パワーが出てきた頃は、タイロン・パワー・ジュニアといってたんです。  で、このお父さんも、パラマウント映画だとかフォックス映画なんかに出たことがあるんです。私、見たことあります。このお父さん、パラマウントが「ミラクルマン」という映画を作るときに、主演になりました。けれども、やっぱり撮影の途中で死んじゃったんですねえ。  お父さんも、息子も、映画の撮影中に死にました。そういう、まあかわいそうな、かわいそうなことだったんです。  その、息子の、美男スターのタイロン・パワー、「シカゴ」(一九三八)だとか、「世紀の楽団」(一九三八)だとか、「スエズ」(一九三八)だとか、「血と砂」(一九四一)だとか、「剃刀《かみそり》の刃」(一九四六)といった作品がありますが、いつでもいつでも二枚目、二枚目、二枚目で、ほんとうの性格俳優をやれなくて苦しんどりましたねえ。きれいなきれいな男をやらされるので困りましたねえ。  ところが、ジョン・フォードは「長い灰色の線」(一九五五)で、タイロン・パワーに老《ふ》け役、じいちゃん役をやらせました。それからまた、ビリー・ワイルダーは「情婦」(一九五七)という映画で、このタイロン・パワーに、ついに悪役をやらせました。  というわけで、タイロン・パワーも、なかなかみごとな俳優でしたねえ。 ●自殺した美男スター  ここで、私、とても印象深く思い出すのは、アラン・ラッド。この人の「シェーン」(一九五三)といったら、もうみなさんご存知ですね。まあ、アラン・ラッド、なかなかきれいな顔してますねえ。  この人、不思議な人生でしたよ。一九一三年に、アーカンサス州で生まれましたねえ。で、高校を卒業すると、ユニバーサルやフォックスの撮影所の大道具係になったんですねえ。俳優じゃなかったんですねえ。けれども、ただの大道具係だけでは食べていけなくて、アルバイトに、ラジオの声優さんをやったことがあるんですね。  撮影所に通っているうちに、やっぱり、ちょっとドラマづいてきたんです。ところが、このアラン・ラッド、みなさんごらんのように、まあなかなかいい顔してますねえ。だから、俳優エージェントをやっている、スー・キャロルという女の人が目をつけちゃったんです。この顔ならいける、と思ったんですねえ。そうして映画入りをすすめて、アラン・ラッドが二十六歳のとき、映画俳優になったんですよ。  このスー・キャロルという人は、実は、サイレント時代の有名な人気スターだったんです。ええ、私も、何度も何度も、スー・キャロルの映画を見ております。この人がいつのまにか、エージェントになってたんですねえ。  さあ、スー・キャロルは、アラン・ラッドをどんどん売り込みましたね。売り込んでいるうちに三年たって、アラン・ラッドが二十九歳のとき、このスー・キャロルは彼と結婚してしまいました。自分の旦那にしてしまったんですねえ。もちろん奥さんのほうが年上です。  そうして、売り込んだ、売り込んだ、売り込んだ。だから、どんどん出ましたね。アラン・ラッドは「市民ケーン」(一九四一)でも出ているんですよ。それから「暗黒街の巨頭」(一九四九)というパラマウントの大作にも出ております。けど、うまくいかなかった。というのが、アラン・ラッドは大根なんですねえ。うまくないんですね。  この「暗黒街の巨頭」というのは、原題が「グレート・ギャツビー」なんです。これ、その後また映画になりましたねえ。そのときは、ロバート・レッドフォードが主役で、ミア・ファローが相手役の大作でしたねえ。  さあ、実はアラン・ラッドが、この「暗黒街の巨頭」で主演だったんです。けれども、あまりうまくいかなかった。  というわけで、アラン・ラッドがみごとに使われたのは、「シェーン」でしたねえ。そのとき、四十歳でした。もう、そろそろ人気が下火になってきたのが、この「シェーン」で、一躍、またもや人気を盛り返しました。だから、奥さんは喜んどりました。  それから何年かたって、今度は「大いなる野望」(一九六三)というので、いい役をもらいましたね。ネバダ・スミスの役ですね。まあ喜んだ喜んだ。奥さんも喜んだ。けれども、この頃は、もうだいぶん年がいってましたねえ。どちらかといえば、老け役に近いほうが自然ですけれども、アラン・ラッドは美男子だから、そう老けさせられないんですね。ですから「大いなる野望」のネバダ・スミスは、若やいだ若やいだメイキャップをしとりました。  この映画、成功したんですねえ。ネバダ・スミスがおもしろいというので、今度は、この役そのものを主役にして、一本の映画を撮ることになったんです。アラン・ラッド、喜んだんですねえ。 「今度こそは、ほんとうに、一人立ちの、ほんとうの主役をやれるんだ」  前の「シェーン」にしても、主役とはいいながら、ジーン・アーサーだとかみんな共演者がかなりの役をやってますねえ。今度こそ、本物の主役をやれるというので、喜んだんですねえ。  さあ、一九六四年、一月の終り頃、「ネバダ・スミス」の企画が会社から発表されました。そのネバダ・スミスの主役、それがなんと、スティーブ・マックィーンに決められていたんですねえ。アラン・ラッドじゃなかった。アラン・ラッドは、もう大変なショックを受けたんですねえ。企画の発表のあった日、アラン・ラッドは自殺してしまったという噂《うわさ》がたちました。睡眠薬を飲んで死んだんですねえ。  というわけで、まあまあ美男俳優でも、その行く道はむつかしゅうございますねえ。そんなことは山ほどあるんですよ。  そう、かつてのサイレント時代に、ジョン・ギルバートという俳優がいました。美男スターの、この人も、指折り数えて一、二、三、四に入る人です。ガルボの相手役で、もう、ガルボとジョン・ギルバートといったら、映画館がいっぱいになったんですねえ。きれいな顔でした。サイレントのスターだったんですね。  やがて、トーキーになりました。ガルボはスウェーデンなまりをもちながらも、トーキーをみごとに征服しました。ところが、ジョン・ギルバートという人は、顔はいい、体格もいい、格好がいいのに、声のほうがキンキンだったんです。さあ、映画のいちばんいい場面で、甘く甘く「アイ・ラブ・ユー」なんていうとき、キンキン声なものだから、映画館のみんなが大笑いしたんですねえ。きれいな顔のそのムードを、声では出せなかったジョン・ギルバートは、とうとうトーキーのために自殺しました。  はい、美男スターのお話、そういうわけで哀《かな》しい話になりましたけれども、今夜は、私にも、あなたにも、まあまあ全然関係のないお話をしましたねえ。さあ時間になりました。それでは、  サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ。 [#改ページ]   映画にみる恋愛学  はい、みなさん今晩は。  今夜は、映画の恋愛のお話です。ラブですね、ラブなんていうと、マッドネス、もう気違いみたいなもんですねえ。さあ、どんなお話になるか。  あら、あなた、今夜は目をパッチリあけられましたねえ。枕なんか、どこかへやったなんて、あなたでも、恋愛と関係あるんですか。恋愛と聞いたら、寝てなんかいられない? その気持、わかりますねえ。  はい、それでは、ゆっくり聞いてくださいね。 ●アメリカ風恋愛スタイル  まず、みなさんよくご存知の映画から入りましょうか。「ピクニック」(一九五六)という作品、きれいな映画でしたね。このなかの恋愛は、追っかけですね。もう最後になって、彼女のほうは、やっぱり母にもいわれたし、自分でも考えて、彼のあとを追いましたねえ。そういうわけで、自分のほんとうの相手を、最後につかもうとしますねえ。ああいうところに、アメリカの健康性がありますね。  この「ピクニック」と同じ年の作品に「バス停留所《ストツプ》」というのがありましたね。よくご存知でしょう、マリリン・モンローの映画ですよ。おもしろい映画でしたね。マリリン・モンローは、ショーガールになっとりました。そして、まあ、ハリウッドへ行って一流の女優になろうなんて考えてる、ちょっと脳たりんの娘さんの役でしたねえ。  さあ、ショーガールで踊ってる。そこへ、ドン・マレー扮するカウボーイが来まして、一目|惚《ぼ》れ。まあ、くどいて、くどいて、くどきましたねえ。どんなにくどかれても、マリリン・モンローは相手にしませんでした。 「いやだわ。私、西部へ行くなんて、思ってもみなかったわ」なんて、西部のカウボーイにつれなくしましたね。  けれども、ほんとうに最後の最後まで、ドン・マレーが彼女を愛した、そのために、とうとう参っちゃって、マリリン・モンローはもうハリウッドのスターなんてあきらめて、ドン・マレーのいる西部に行くことになりましたねえ。これも追っかけですねえ。  というわけで、「ピクニック」も「バス停留所」も、ほんとうに明るくて、そうして、いかにもアメリカ映画らしく恋愛の真実をつかんでいましたね。 ●サイレント時代の恋愛相  ちょっと、古いところを思い出してみましょうね。「さらば青春」(一九一八)という映画、私が九歳の頃です。これ、見ました。  イタリアの映画で、下宿屋の娘さんの話です。この娘さん、下宿の大学生を好きで好きでしようがなくなったんです。ところが、大学生のほうは、娘さんを好きだけれども、そんなにめちゃくちゃに愛してるわけじゃない。だから、ほかの女の人と火遊びしたりして、この下宿の娘さんは泣いたりしました。まあ、泣いたり喜んだりいろいろあって、最後にとうとう、青年が田舎に帰って、お父さんの仕事をやらなきゃならないようになって、さらば、といって別れて行くところが、なかなか悲しくて美しくて、私は今でも覚えております。  青年がトランク持って出ていったあと、娘さんは、汽車が通る鉄橋の上で待っとりました。さあ、向こうから汽車が来ます。彼女は泣きながら「青春よさらば、彼よさらば」といって、菊の花を一輪一輪、汽車の上に投げ落としました。昔ですね、汽車がゆっくり走ってた頃ですねえ。  この「さらば青春」というのが、映画からの、私の恋の手ほどきみたいなものでした。まだ、九歳の子供でしたけれど……。  それから、一九一二年頃に「永遠の世界」というきれいな映画があったんです。これは後に、ゲーリー・クーパーがやりましたから、ご存知の人があるかもわからない。私が最初に見たのは、ウォーレス・リード、エルシー・ファーグソンという俳優でした。  彼と彼女がほんとうに愛し合ったんだけれども、いろいろ事情があって、彼が牢獄に入れられてしまったんです。家庭と牢獄に二人は引き離されました。けれども、夜な夜な二人は、お互いの夢のなかであいびきしました。ほんとうに思い込んだその一心で、彼と彼女が夢で会うんですねえ。なんて恋というのはすごいんだろうと思いましたねえ。  それから、その頃を順番に思い出しますと、「椿姫」(一九二一)なんていうのも、私にとってはびっくり仰天でしたねえ。私の子供の頃、まあ「椿姫」という歌は知っとりましたが、ストーリーなんてろくに知らない頃、あの美男子のバレンチノと、アラ・ナジモバという有名な女優の「椿姫」を見たときには、まあ驚きました。  マルグリットという女とアルマンが恋におちますねえ。けれども、アルマンのおとっつぁんに別れてくれといわれて、まあまあ、ほんとうに女はあきらめます。そして、肺病になって死にかけたところへ、アルマンが駆けつけました。その最後の幕切れ、今でも思い出しますねえ。 ●センチメンタルな恋愛映画  というわけで、私は小さいときから、映画で恋愛ばっかり見せられて、ああ恋とはうるさいもんだな、と思いました。そういう頃に、まだまだ見てますけれど、デミルの「愚か者の楽園」(一九二二)という映画を見ました。ははあ、こういう恋もあるのか、と思ったんですねえ。  ある詩人が、舞台のバレリーナに恋をしました。まあ、そのバレリーナのきれいなこと、きれいなこと。男は毎日、毎日、舞台を見に行きました。けれども、楽屋へ彼女を訪ねていくなんて、ようしませんでした。  ところが、この詩人を愛してる酒場の女がおりまして、腹が立ってしかたがない。あんなバレリーナが好きなんて、自分のことをちっとも思ってくれない。それならばと、とうとうある日、詩人を酒場に呼びました。あんた、一杯飲ましてあげましょう。その詩人のおとなしい男は、お酒なんか飲まないというのに無理に呼ばれて、ちょっと口をつけようかと思ったときにあんたシガーがありますよ、と煙草を出された。これも吸わなきゃいけないかなと思って、煙草に火をつけたら、それが花火仕掛けの煙草だったんですねえ。パアーッと目の前で火花が散りました。そうして、その火が目のなかに入って、その詩人は盲目になりました。かすかにしか見えない。けれども、その目で、バレリーナの舞台を見に行きました。  それを見た酒場の女が、泣きくれて、私がわるかった、いいます。この「愚か者の楽園」はそういうふうな映画でしたけれども、私は、あ、これもおもしろいなと思って、セシル・B・デミル監督の恋愛シーンにほろりとしました。  ちょうど、そういうふうにセンチメンタルな恋愛映画が、その頃、たくさんあったんですねえ。「焼けただれし翼」(一九二二)というのも、やっぱりその頃でした。これも、なかなか、かわいそうな話でした。  金持の旦那さんと奥さん。奥さんは旦那が好きで好きでしかたがないのに、旦那さんはいい人だけれども、ちょっとプレイボーイ。舞台のダンサーが好きになりまして、もう夢中になったんです。とうとう、パーティのときに、自分の屋敷の広間に舞台をこしらえて、そのダンサーを踊らして自慢しようとしたんですねえ。舞台の真ん中に大きな大きなローソクのセットを立てまして、火をつけて、その火に飛んでくる大きな大きな羽根の蛾《が》、その蛾になって彼女は踊るんです。  旦那さんがそういう仕組みのパーティを考えましたときに、この奥さんが、あんまり悲しい、あんまり寂しいので、とうとう、その踊り子の家に訪ねていって、頼んだんですね。どうか主人に内緒で、あの踊りを、私にやらしてくださいませんか。そうして、主人があなたを見る目で、私の踊りを見てくれたならば、どんなに幸せでしょう。……そんなふうな映画なんです。まあ、こんな嫁さんもあるのかなあと思って、ほろりとしたこともありました。  そういうわけで、昔の昔の映画の恋愛も、なかなかかわいらしくて、きれいで、いじらしくて、楽しいものでした。また、哀《かな》しいものでした。  その頃から四、五年たった頃に、ジョン・M・スタールという有名な監督の作品で「囁《ささや》きの小径《こみち》」(一九二五)という映画がありました。ニューイングランドの田舎の話です。  メリーとジョー、女の子と男の子です。とても仲が良かったんです。そこにジムという男の子が仲間になって、三人とも仲が良かったんです。そうして、メリーとジョーは、やがては結婚しようと思っていたところが、どうもジョーが、やんちゃというのか元気がよすぎるし、あんまり金持でない。そういうので、メリーのお母さんは、どっちかというと紳士的で、家が金持のジムと娘とを結婚さしてやりたいと思っておりました。とうとうしまいに、ジムの家に行きまして、私の娘をどうですか、ということになったんですね。娘もついにお母さんのいうままに、ジムと結婚するようなことになっちゃいました。  ジョーは、ニューヨークに去っていきました。というわけで、三年がたちました。メリーとジムはいい夫婦になりまして、二人の間に子供もできました。そんな頃、ジョーが帰ってきました。金持になって。立派になって。  さあ、メリーは、もう一度ジョーに会えることが、こわいし、うれしいし、うれしいし、こわいし、ドキドキしとりました。そうして、やってきたジョーの、なんとまあ派手な派手なネクタイ、いやないやな趣味の、まあいやらしい趣味の上着、そして靴。メリーは、びっくりしました。メリーの両親も驚きましたねえ。  以前の優しい、あのジョーの思い出は全部消えました。あんないやらしい人になってる、悪趣味のかたまり、なんて人間はかわるんだろう、とメリーは思いました。  やがてジョーは、またニューヨークへ帰ることになりました。メリーとは家で別れ、メリーの夫のジムが、ジョーを送って駅まで来ましたときに、ジョーにいいました。ありがとう。いいんだよ、とジョーがいいました。実は、芝居だったんですね。ジムが、ジョーに頼んだんですねえ。どうかメリーに君のまぼろし、君の面影をもうぬぐいとらしてくれないかと頼まれたジョー、ほんとうはおとなしくて、優しくて、趣味がよくて、今は立派になっているんだけど、哀しい哀しい芝居をしたんですねえ。  というわけで、「囁きの小径」というのは、自分の好きな好きな女のため、女の幸せのために、男が自分を犠牲にして芝居をしたという話でした。 ●昔とは違ったこわい恋、ジャリの恋  さあ、ジャンヌ・モロー主演の「突然炎のごとく」(一九六二)という映画になると、もう、ほんとうに、昔の恋愛映画とは違ってきましたねえ。この映画の女は、ジュールとジムという二人の男に愛されましたね。このカトリーヌという女は、どちらもきらいじゃなかったんです。けれども、やっぱり人間ですから、ジムのほうがちょっとよけいに好きだったんですねえ。けれども、あるとき、この好きなほうの青年のジムとデートの約束しましたところが、ジムがデートに二十五分、三十分、遅れてしまいました。それで、カトリーヌは、そんなに好かれてないんだわと思って、もう片一方のジュールと結婚してしまいました。  けれども、結婚してしまったカトリーヌを、ジムは思いつめて思いつめて、その女の家庭を訪問しました。ちょうど、先ほどの「囁きの小径」と同じですねえ。けど、その先が違いますね。訪ねていって、恋を打ち明けてしまいました。カトリーヌのほうも、やっぱりあんたのことを忘れられなかったの、といいましたね。そうして、子供があるというのに、この二人、夢中になりました。別の部屋に旦那のジュールがいます。おとなしい主人です。  こういうふうに映画は変わってきましたねえ。そうして、最後にどんなことになったか。——自分のおとなしい主人、自分を愛してくれている主人、その前で、この嫁さんは、かつて自分がほんとうに好きだった男、そして訪ねてきてくれた男といっしょに自動車に乗って、自分の主人の前をすーっと走って、そうして鉄橋の裂け目からドブンと車ごと川のなかに飛び込んで、二人は心中してしまったんですねえ。 「突然炎のごとく」はこわい映画ですねえ。その最後が、すごいですねえ。嫁さんと、そうして自分の友人と、この二人が心中したことをよく知っている男、主人ですねえ、このジュールが両手に骨壺《こつつぼ》を持って、こうして別々に骨を持つよりも一つの壺の中に二人を入れてやったほうがよかったなあと、そういうふうに終りますねえ。この主人が、自分の妻をそんなにまで愛していたのか、というのがすごいですね。この生き残りの夫がかわいそうでしかたがありませんねえ。  ところで、あのイタリアの、フランコ・ゼフィレッリの「ロミオとジュリエット」(一九六八)では、十四歳と十五歳の若い若い二人の恋でしたねえ。そうして、まあ困ったことに、ロミオが偶然にも人を殺しました。さあ、 「ジュリエット、待っててくれ。おれはしばらくこの町から遠く離れて、一年か二年たったら帰ってくる」そういったときに、 「あなたがいなくなったら死んじゃう」なんて、このジュリエットはいいました。  そこで、とうとう二人は、教会に行ったんですね。牧師さんに頼んで、二人だけで、ローソク一本立てて、結婚しましたねえ。まあ、その結婚の晩の、かわいそうなというか美しいというのか、あれがまた、すごい恋愛の場面でしたねえ。  二人は抱き合って寝ました。二人は、一刻一刻が過ぎるのがこわかったんですね。明くる日になったら、ロミオは遠くへ去らなきゃならない。夜中に、ジュリエットがいいましたね。ロミオ、ロミオ、ひばりが鳴いてる、もう夜が明けてきました、といいました。すると、ロミオが目を覚まして、ひばり? あれはひばりじゃない、ナイチンゲールだ、夜のうぐいすだ、まだ夜は明けない。そこで、ジュリエットは喜んで、ああよかった、まだ夜中ね、といってまた抱き合った、ところが抱き合っているうちに、今度はロミオのほうが、あれはやっぱりひばりだ。こういうところは、こわいですね、かわいそうですねえ。  ほんとうかしら。二人は窓から外を見ました。ほのかにほのかに、空がばら色に染まってきていました。二人は泣きながら抱き合って、やがて、もう夜が明けてしまう、あの朝の光が、まるでロミオのからだを刺す剣のように見えましたねえ。  はい、この「ロミオとジュリエット」から思い出したんですけれど、「小さな恋のメロディ」(一九七一)という映画、十一、二歳の子供、九つ十くらいの子供の恋でした。ジャリの恋でしたね。ジャリといったら怒られるかもしれませんけれど、まあ、この二人のかわいかったこと。マーク・レスターと、トレイシー・ハイドが演じましたねえ。「小さな恋のメロディ」のもとの題名は「メロディ」なんです。メロディというのは、この女の子の名前ですね。  この小学生の二人が、まあまあほんとうに好き同士になりました。そうして二人は、好き同士だったら結婚してもいいんでしょう、といいました。ぼくら結婚します、私結婚するんです、と学校の先生にいいましたねえ。先生はびっくりしました。まさかほんとうに結婚するんじゃないだろうなと思ったけど、びっくりしたんですね。大人の結婚だと、結婚式のあとややこしいことがあるんですねえ。もし、この二人の子供が、そんなことしたらえらいことだと思ったんですね。ところが子供は、そんなことまで考えていませんねえ。  そうして二人は、学校の友だちの世話で、小屋の中で結婚式を始めました。さあ、学校の先生も父兄の人たちもびっくり仰天、そこへ飛んでいくところがおもしろいでしたねえ。ところが二人は、この騒ぎから逃れて、トロッコに乗って、二人でカッチャンカッチャン、カッチャンカッチャンいわせて、花園の遠く、草むらの遠く、森の向こうに逃げていきますねえ。そこで終りましたが、まあ、この子供の恋もおもしろかったですねえ。ジャリの恋でも、ここまできれいに見せられたら、ほんとうに恋とはきれいだなあと思いましたね。  それから、「ジョンとメリー」(一九六九)という映画がありましたが、これなんかは、ちょっと違いましたねえ。男の子と女の子がいます。男はダスティン・ホフマン、女はミア・ファローですね。で、この二人は、パーティで出会って、男の子が女の子を誘いました。そうして自分の部屋へ入れたんですねえ。  二人は、ベッドに入って、初めてお互いの名前をきいたんです。男の子は、ぼくは山田太郎だよ、といったんですね。君はなんていう名前? 私、山本花子よ。どっちも嘘《うそ》いったんです。フンといって、いっしょに寝たんですねえ。こういう恋愛って、あるでしょうか。今日の青少年はこわい、というふうにこの映画は作っとりますね。  けれども、朝、起きました。そうして女のほうが、私、それでは帰るわ、といいました。男は、そう、といいました。そのあたりから、二人の恋が本格的な恋にかわっていくところが、すごいですねえ。二人は、からだを知り合ってから、絶対に離れられなくなっていくんですねえ。そういうところが、よく撮れていました。 ●クラシックな恋への返り咲き  ところで、最近の映画で、いかにも派手な、いかにもみごとだったのが「華麗なるギャツビー」(一九七四)でしたねえ。ロバート・レッドフォードが主役で、ミア・ファローが相手役で、キャストもいいですねえ。  これは、どんな映画か。「嵐が丘」なんですねえ。「嵐が丘」の男の現代版ですね。男が思いつめた女を、いつまでも、いつまでも離したくないというふうな映画で、どうも「嵐が丘」と日本の「金色夜叉」を合わしたようなストーリーですね。実は、この映画の原作は、有名なF・スコット・フィッツジェラルドという作家の小説で、もうすでに二度映画になっているんです。  サイレントの頃に、みなさんご存知ないですけれど、ワーナー・バックスターという人の主演で映画になりました。で、トーキーになってから、アラン・ドロンが主演しました。どちらも、あまりよくなかった。ところが今度、またまた三度目ですが映画になりました。おもしろいことは、こんな甘い甘い、甘い甘いストーリーが今に映画になる、昔の恋愛映画が今に命をふき返した、ということなんですねえ。  ギャツビーという若者、デイジーというかわいい女の子がいたんです。デイジーはお金持です。ギャツビーは貧乏なんです。けれども、ギャツビーの軍人姿がとってもよくて、このデイジーが憧れたんです。やがて、ギャツビーは兵隊にとられて出征しました。残ったデイジーは、お母さんにいろいろといわれて、ロングアイランドの立派な金持の息子、トムと結婚しました。女の子が生まれました。  さて、それから四、五年たった頃、ギャツビーが帰ってきましたが、どうして金をためたのかわかりませんけれど、えらい金持になっていました。まるで「嵐が丘」か「巌窟王」ですねえ。ギャツビーは、大きな大きな邸宅を建てました。それがちょうど、デイジーと旦那さんのトムの屋敷のある入江、湾の遠くの対岸で、庭の外灯が見えるところなんですねえ。そうして、毎晩のようにパーティ、ダンス、ダンス、ダンスで、ギャツビーの家には呼びもしない人まで来ました。  そうしていたら、デイジーが来るかもわからない、と思ったんですね。けど、デイジーは呼ばれもしないところに行きません。それでも、とうとうあるとき、ギャツビーの隣に住んでいるニックという人が、デイジーの遠縁に当たるということがわかって、このニックを通じて、ギャツビーはデイジーに会いました。まあ、何年ぶりでしょう。  ギャツビーはいいました。今でも愛しています。あなたを好きです。そういって、もう奥さんになってるデイジーを、もう一度とりもどそうとしました。けれども、それでギャツビーに愛を呼びもどすなんて浅はかな女じゃありません。実は、デイジーの旦那さんは金持の道楽息子だから、近くの貧乏なガソリンスタンドのおかみさんを自分の愛人にしています。まあ、デイジーは、そんなこと知っているのかどうか、あんまりやきもきしてなくて、のんきにしてるんですねえ。  ギャツビーは、デイジーを自分の屋敷に連れてきました。まあ大きなお屋敷だこと、まあおきれいなこと、まあ立派なこと、デイジーはびっくりしとります。ギャツビーは、部屋中見せて、自分の棚を見せました。まあ何百着あるかわからないくらい、ピンク、アイボリー、いっぱいのワイシャツ。ギャツビーは、一つ一つそれを引っ張り出して、こんなにあるんだ、こんなにあるんだと見せましたね。  すると、デイジーがその一つを抱いて、こんなきれいな生地のシャツ初めてだわ、と泣きました。これはギャツビーが、おまえのためにこの土地を持ち、この家を建て、おまえにもう一度もどってもらいたいために命がけになってるんだ、というのと、デイジーが、なんていう人でしょう、あんたみたいな人ありません、というのをシャツで表してるんですねえ。デイジーが、こんないい生地のシャツを見たことない、というのは、こんなすごい愛は知らなかった、といってることなんですねえ。  とうとう二人は、だんだんムードを出してきて、あなた、昔の軍服を着てください、といいました。ギャツビーはもう一度、あの若いときの軍服を着ました。そうして、デイジーは、ローソクを一本床に立てて、さあ、ここで思い出のワルツを踊りましょう、といいました。  大きな大きな家の大広間で、二人っきりで、立てたローソクのぐるりを踊るあたり、なんともしれんエレガントなというか、なにかがあるんですねえ。こんな恋の場面、今までになかったんですねえ。こんな恋の場面を、アメリカは映画のなかに入れたんですね。  さて、いろいろありましたけれど、結局、デイジーはほんとうにギャツビーの愛に心打たれて、とうとう夫のトムから離れ、ギャツビーの家に行こうと思いました。そのとき、つらいことに、二人が乗って、デイジーが運転しているその車で、あのガソリンスタンドのかみさん、トムの愛人ですね、その女のひとをひき殺しました。けれども、だれも見てなかった。だから、ギャツビーがひいたことにしたんですねえ。  おかみさんをひき殺された、このおとなしい、貧乏くさいガソリンスタンドの主人が、自分の妻を殺したのはギャツビーだ、ギャツビーだ、そういって、ふるえながら、自分の部屋からピストルを持ってくるあたりから、この映画はこわくなってきますねえ。  デイジーの罪までもギャツビーは引き受けて、自分が殺したんだとはいわないけれど、自分が殺したんだという態度をとったために、とうとう最後は、そのガソリンスタンドの亭主に撃ち殺される。ギャツビーは、ついに命をかけてデイジーを守り抜いたんですねえ。これをロバート・レッドフォードが演じるところがおもしろいですね。  というわけで、「華麗なるギャツビー(グレート・ギャツビー)」は、この恋のクラシックに、アメリカがまたもやたちもどって、こういう時代をとりもどしたということを、よく物語っているんですねえ。 ●映画で学んだ恋のテクニック  はい、私はいろんなことを映画から勉強しましたが、英語もそうです、恋もそうなんですね。ちょっと、英語のことから申しましょうか。  私は神戸育ちで、神戸といえば港町ですから、昔からどんどん外国人が上陸します。そういう関係かどうか、映画館のプログラムも看板も、割合に英語の字を大きく書いてあるんですね。それに、たとえば一九一七年封切りの「鉄の爪」というのがありますと、大きく「アイアン・クロー」と日本語の片仮名でも書いてあるんです。私が七つの頃ですから、アイアン・クローってなんだろう思って、隣の兄さんにききました。アイアンは鉄で、クローは爪だよ、といわれました。ほんとうに、次から次と、小学校の一、二年の頃から、映画で教えられたんですねえ。  ああ、いい映画がきたぞ。なに、「グレイ・ゴースト」(一九一七年封切り)。グレイ・ゴーストって、なあに? グレイといったら灰色だろう、おまえのその家の壁、グレイだろう。ゴーストって、なに? ゴーストって幽霊だよ。へえ。というように、連続活劇でどんどん英語の勉強をしましたよ。  サミュエル・ゴールドウィン製作の「背中を掻《か》いて頂戴《ちようだい》な」(一九二〇)という映画が「スクラッチ・マイ・バック」。あら、スクラッチ、これ掻くということなの。こんなの先生知らないだろうなと思って、学校へ行って、先生スクラッチ知ってますか? それなんだね。ざまあみろと思いましたけれど、まあそんなふうに、だんだんむつかしい単語が好きになってきて、映画がどれだけ私に英語の魅力を楽しませてくれたかわかりません。  というわけで、私は小学校の頃から映画のタイトルの原名を覚えたんですね。これがとっても役に立ちました。ずーっとのちに、アメリカに行くようなことになりまして、そのとき、映画のいろんな話をして、あの映画見ましたよ、この映画見ましたよ、原名でいいますから相手がすぐにわかってくれる。日本での題名を直訳していってみたって、英語の原題と違うのが多いんですねえ。だから、とっても助かりましたねえ。  そんなことで、おどけた話もたくさんあります。アメリカに行きまして、私は恥ずかしい話だけれども、お酒が飲めない、ちっともいただけないんですよ、といいますと、オーライといいます。けれども、一ヵ月もホテルで原稿ばっかり書いてると、心配するんですねえ、あんたも男でしょう。そうですよ。あんた、男で一人でおっていいのかね。そんなこと平気ですよ、といったら、あんた、ちょっと病気と違うか、なんていわれて、寂しいでしょう、ということになって、ガールフレンドを世話してあげましょう、というんですね。私、そんなガールフレンドなんか来てもらったら困るんですよ。けれども相手は、世話してあげるというんですね。そういうとき、ノー・サンキューといえないんです。なにか愛敬たっぷりにことわらなければ、いけないんですねえ。  とうとう、パーティで、遠くにいるお嬢ちゃんのこと、あのお嬢ちゃんどうですか? もしあんた気に入ったら紹介してあげる、というから、ノー・サンキューといえないし、困ったな困ったなと思っていると、映画のタイトルが順に浮かんできました。クラーク・ゲイブルの映画で「操縦困難」(「空馳ける恋」一九三六)という飛行機映画、あれを利用しようかな。「ツー・ホット、ツー・ハンドル」。よし利用してこませと思って、 「サンキュー、けど、ぼくには、あのお嬢ちゃんはツー・ホット、ツー・ハンドル。ちょっと操縦がむつかしいなあ」といったら、オーライといって笑っていました。ああ助かった、ああよかった、これで相手にわるい感情を持たれずにすんだ、と思いました。  ところがまあ、いろいろあって、ニューヨークに行きましたとき、サルディという粋な粋な料理屋に連れていかれました。まあ、たくさんの女優さんが来とります。みんな、イブニングドレスで、きれいな連中ばかりなんですねえ。すると一人、向こうのほうに、金髪のきれいなイブニングの女の人がいました。あんた、あの人に紹介してあげる、あの人と遊びなさい、といわれました。困ったな、あんな人に来てもらったら、どう扱っていいのか、私はわかりゃしません。これも、ノー・サンキューはいえない。ツー・ホット、ツー・ハンドルでは、同じことばかりで笑われる、と思ったときは、クララ・バウの映画を思い出しました。  あれいってこませ。「曲線なやまし」(一九二九)という映画、「デンジャラス・カーブ」だったな。危険な曲線、これいってこませと思って、 「サンキュー、でも、ぼくには、ツー・マッチ・デンジャラス・カーブ」  そういったら、オーライ、なかなか粋なこというね、といわれて、これも助かりました。というわけで、映画のタイトルが、いろいろと私を助けてくれたんですねえ。  はい、今夜は、恋愛映画。あんた、とうとう寝そこないましたねえ。恋をしたくて、うずうずしてきたなんて、だれですか? 今夜はちょっと、私の映画勉強のほんの一端をお話しましたけれど、もう時間がきました。それでは、  サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ。 [#改ページ]   スウェーデンとイングマール・ベルイマン  はい、みなさん今晩は。  さあ、今夜は、イングマール・ベルイマンについて、お話しましょうね。この人の作品、なにかごらんになっていますか。なに? 全然見てない? おまけにあなた、大きな枕を持ってきましたね。ベルイマンだから、ゆっくり寝るんだって、勝手になさい。 ●スウェーデン生まれの牧師の子  イングマール・ベルイマンは、スウェーデンの牧師の子供として生まれました。牧師の子供ですけれども、神を汚すような映画を、たくさん作っております。なぜでしょうね。神に刃向かうような映画を、いっぱい作っているんですね。けれども、その底の底の、底の底には、神をとっても認めている。神在りて我在りみたいな、そういう映画が多うございますねえ。やっぱり、この人が牧師の子だったということが、原因してますね。一九一八年生まれです。  彼は、小さいときから、演出家になりたくて、ストックホルムの学校に行きました。そうして、そこの大学で、文学と美術を専攻しました。学生演劇のリーダーでした。  二十二歳から、三年間、ストックホルムの王立オペラ劇場の演出助手になって、シェークスピアのもの、ストリンドベリのもの、オニールのものなどを手がけ、やがて、スウェーデンの名演出家になりました。この人は、映画を監督している反面、舞台も演出してるんですね。そうして、現在では、ストックホルムの王立劇場ドラマーテンの支配人なんです。舞台と映画の神様みたいな人なんですね。この人は、二十四歳から脚本を書きはじめました。ちょっと、代表作品をあげてみましょうか。 「愛欲の港」(一九四八)、「不良少女モニカ」(一九五二)、「夏の夜は三たび微笑む」(一九五五)、「第七の封印」「野いちご」(一九五七)、「処女の泉」(一九六〇)、「鏡の中にある如く」(一九六一)、「沈黙」(一九六三)、「ペルソナ」(一九六六)、「狼の時間」(一九六八)、「叫びとささやき」(一九七二)。まだまだあるんですよ。けれども、むずかしくて日本に輸入されてないんですね。 ●救いのない「道化師の夜」 「道化師の夜」は、一九五三年の作品です。アルベルトという曲馬団の主人がいました。中年のふとった男です。もう、不景気で不景気で、お金がなくって、衣装までないんですね。  ある町に行きました。そこで、もう恥も外聞もなく、ちょうどそこに来ていた旅回りの劇団に、頭をさげて衣装を貸してもらいました。  このアルベルトには、情婦のアンナという女がいます。このアンナは、この町に来て、ちょっと心配しています。というのは、この町には、アルベルトの別れた奥さんが住んでいて、煙草屋をしてるんです。  アルベルトは、やっぱりこの別れた奥さんを訪ねていきました。八つになる息子が、いるんですね。けれどもその息子は、お父さん、ともいわないで、さげすんだような顔をして、アルベルトを見ておりました。知らないことないんですね。アルベルトは、息子に、「よう」とも声をかけられませんでした。別れた奥さんといっしょに、小さなレストランに行って、料理をもりもり食べました。アルベルトは、おなかがすいていたのです。そうして、あとで、この別れた奥さんが「少しお金お貸ししましょうか」といいました。さすがに、アルベルトは、それをことわりました。ことわったけれども、あと味がわるかった。こんなところへ、訪ねてくるんじゃなかった。男一匹が、料理をごちそうになって、そのうえ、お金を貸してあげようかなんて、そんなこといわれたつらさが、だんだんだんだん、身にしみ込んできました。  一方、この情婦のアンナは、あの衣装を貸してくれた旅回りの劇場をのぞきに行きました。座長のフランスというのは、粋な二枚目で、このアンナをくどきました。アンナは、最初のうちは相手にしませんでしたけれども、きれいなきれいなペンダントを見せられて、そのペンダントに誘惑されて、この座長のフランスに、身をまかせてしまいました。アンナは、そのフランスと別れての帰りがけ、近くの宝石店に、ペンダントを持っていって、これいったい、いくらぐらいのものでしょう? とききますと、これ、にせ物のガラスですよ、といわれて、アンナは腹を立てました。  アルベルトは、そのすべてを知りました。いよいよ、このアルベルトの曲馬団の開演です。客は、あんまり来ていませんでしたが、その客のなかに、アンナをだましたフランスが来ておりました。そうして、やじりました。アルベルトは、腹が立って腹が立って、サーカスのグラウンドから、むちで、フランスの帽子を飛ばしました。そうして、けんかになりました。えらいけんかです。サーカスは、もうめちゃめちゃです。アルベルトは、フランスにたたきのめされて、二度と起きあがれない姿になってしまいました。なんともしれん情けない映画ですね。  ここに、サーカスの小間使いの女がいます。この女が、十人ぐらいの軍人にだまされて犯されて、帰ってきました。ちょうど、そのとき、サーカスの熊が病気で、アルベルトは、もうこの熊は生かしておけないというので、銃で殺してしまいました。小間使いは、それを見て、ワァワァ泣きました。  情婦のアンナは、いやな男にだまされるし、自分は自分で別れた女房に、哀れみを受けるし、もうなにもかもが情けない。熊は殺してしまったし、もうおれは死んだほうがましだというので、アルベルトは、曲馬団のワゴンの中に入って、拳銃の引き金を引きましたが、弾丸は、もう入ってなかったんですね。死ぬこともできませんでした。  情けない情けないアルベルト。そうして、かわいそうなアンナ。またもや、この曲馬団は、次の町へと、旅立っていきました。これが、「道化師の夜」ですね。  なにかがめちゃくちゃにいじめられているんですね。めちゃくちゃに情けないんですね。隠しておかなくちゃならないものを、蓋《ふた》を開けられた気がするんですね。 ●教会の壁画から想を得た「第七の封印」  この「第七の封印」は、一九五六年の作品です。中世に、第七の封印という言葉があるんですね。  七というのは、ラッキーセブンといって、とても縁起《えんぎ》がいいんですね。なぜでしょう? それは、東西南北、人間は、この四つの風、気候によって、恵まれた生活をしている。そうして、地上の神、天国の神、海の底の神、この三つの神に守られて、幸せに生きている。四つの気候と、三つの神。四と三と合わせて七、それはとっても縁起がいい、これを封印するんですね。それは死ぬときなんですねえ。  ここに、十字軍に参加したアントニウスという勇敢な働きをした騎士がいました。マックス・フォン・シドーが扮しています。七回遠征して、七回とも負けました。神の使徒なのになぜ負けたのか。彼は、疑いをもちました。神の掟《おきて》を破ったんじゃないだろうか、と思いました。そのときに、死神がやってきました。そうして、死を命令しましたが、この騎士は、死にたくありません。死ぬのがこわいのです。そこで、死神に頼んで、チェスをして、もし、自分が負けたら、死の世界に行こうといいました。チェスをしている間に、どうにかして、逃げようと考えました。死神とその騎士がチェスをしているところは、いかにもいかにも古典的なシーンですね。このチェスをしている間に、この騎士の過去、いろんな情景、いろんな物語が出てまいります。  ここに、非常に純情な、ほんとうに疑うことを知らない夫婦がいました。曲芸団の夫婦です。この夫婦は、なにも疑わない。みんなには見えないものが見える。それは神の姿ですね。そういう夫婦には、死神は近寄れないんですね。しかし、この騎士は、なぜあのような残酷な戦いをしたのだろうか、と、そういう疑いを持った。神を疑った。だから、そこに死神が現れたとも考えられますね。  騎士は、とうとうチェスに負けてしまいました。負けたときに、この騎士はもだえました。死ぬのがこわい、いやだ、しかし、約束です。死神は、この騎士の手を引っ張って、どんどんどんどん、死の世界へ、死の世界へ連れていきました。遠くへ、遠くへ行くうちに、この騎士は、今度はいかにも楽しげに、死神といっしょに死の世界へ行ってしまうところで、この映画は終ります。  さあ、これはいったい、なにを意味しているんでしょうねえ。もし、死神に取り憑《つ》かれたら、気持わるいですねえ。みなさん死にたくないですねえ。けれども、ほんとうに死ぬんだ。もう、死ぬ運命が、はっきり決まったんだと思ったときに、いったい人間は、どうなるんでしょうね。  この、「第七の封印」は、その瞬間を、まざまざと見せているような気がするんですねえ。これは一九五七年カンヌ審査員特別賞をもらっています。 ●夢と現実、過去と現在「野いちご」  一九五七年に、「野いちご」という作品がありましたね。これも一九五八年にベルリン国際映画祭グランプリを受賞しています。野いちごとは、なんでしょうね。青春のことなんですね。  ここに、イサク・ボルイという老人が出てきます。名前を、自分でいいます。 「私は七十八歳です。医学への五十年間の貢献により、私はロンドンへ行って、その名誉博士号をいただくんです」というところから、この映画は始まりますね。この役をやったビクトール・シェーストレーム自身も、このとき七十八歳でした。七十八歳ということを、本人自身が、私たちに真正面に向かっていったときに、七十八歳、もう、死が近づいているな、この老人も、そう長くは生きないな、と思います。  この人は、学位五十年の名誉勲章をもらうことを、ちょっと自慢してますね。けれども晩年ですねえ。なにか、やっぱりむなしい気がします。今になって、そんな名誉勲章をもらって、なにが楽しいんだろう、というところもちらっとみえますね。  このイサク博士が、四十年ぐらいも働いていた召使いに、 「わしはねえ、明日ロンドンに飛行機で行こうと思ってたが、息子の嫁のマリアンヌの車で、マリアンヌといっしょに行くよ」  と、いいます。召使いは、飛行機で行くといわれたので、簡単な荷物にしておいたのに、車だったら、シャツ五、六枚よけいに入れとかなくちゃ、といいました。  イサクが、なぜ飛行機に乗るのをやめたのか。きのう変な夢を見たからなんです。その夢は、自分が町を歩いていて、ふっと腕時計を見ると、時計の針がないんですね。町角の柱時計を見ても、針がないんですね。向こうから人が来た。見ると、その人の顔が、ないんですね。ぞーっとしました。また、しばらく歩いていました。すると、だれもいない、人のまったく歩いていない町角から、二頭立ての馬車で霊柩車《れいきゆうしや》がやってきたんですね。見ていると、自分の前で、霊柩車がひっくり返って、その中から棺桶が、放り出されました。イサクは、びっくりしました。棺桶の中をのぞくと、自分と同じ顔をした、自分と同じ男が、死体になって、入っていました。  そんな夢を見たので、飛行機に乗るのは、やめたといったんですね。ここで、みなさんは、どう思われたでしょう。  七十八歳のイサクは、やっぱり死ぬことが、こわいんですね。死にたくないんですね。人間というものは、いつまでもいつまでも生きたいのですね。そんなに、この世のなかが、楽しいのかしら? イサクは、名誉勲章をもらうんだから、楽しいのでしょう。だから、生きたいのでしょう。  いよいよイサクは、マリアンヌの車で、ロンドンに行くことになりました。どんどんどんどん、ハイウェイを車が走って行く、単調な単調なリズムのなかで、この老人は、うとうとと眠りました。眠ると、過去が走馬燈のように、頭のなかによみがえってきます。  この映画は、イサクの過去と、現在を見せていきます。このイサクが、どんな人間かがだんだんわかってきます。イサクは、若いときから、頭のいいおとなしい青年でした。サラという、恋人がいました。サラも、イサクを愛していました。イサクには、元気のいい弟がいました。その弟も、サラを好きでした。あるとき、いっしょに野いちごをつみに出かけました。きれいな森で、あちらにも、こちらにも野いちごがあるので、喜んでイサクもサラもイサクの弟も、野いちごをつんでおりました。その、野いちごつみの日に、イサクの弟は、サラに接吻してしまいました。そうして、積極的なイサクの弟の求愛に負けて、サラは、イサクの弟と結婚してしまいました。イサクは、あきらめて、見合い結婚をしました。イサクが結婚した奥さんは、とてもいい人でした。  あるとき、イサクは、森のなかで、大変なことを見ました。それは、自分の妻が、姦通している現場を見てしまったのです。イサクは、目を閉じて、なんにも見なかったことにしましたけれども、イサクの奥さんは、感覚的にそれに気がついて、そのことを苦にして、何年かののちに、死んでしまいました。  長い過去を振り返ってみると、イサクは、一回も自分からすすんで情熱的に、相手を抱きしめるなんてことはありませんでした。自分の最初の恋人は弟にとられ、奥さんは姦通したが、許すとも許さないともいわないで、自分の心のはけ口は、すべて学問へ学問へと向けて、積極的に、人間的なことはなにひとつ果たしておりませんでした。愛とは、相手があたえてくれるものだとばかり思っておりました。  映画は、イサクが、名誉勲章をもらって、若い人たちから、すごい拍手を受けるところで終りますが、この映画は、このようなイサクを、ほめているのか、責めているのか、このむなしい七十八歳の老人を、いかにもむち打ってるような、こわい映画でした。  このベルイマンと、似たようなタイプの監督が、イタリアにいますねえ。フェリーニという人。フェリーニには、なにか温かさがありますね。でも、このスウェーデンのベルイマンは、逆に冷たさを感じさせますね。 ●神と人間と、「処女の泉」  みなさんは、「処女の泉」ごらんになりましたか。ベルイマンみたいな監督の映画は、ファーストシーンから、じっくり見なくちゃいけませんね。  この映画の最初は、真っ暗な場面ですね。なんだろうと思ってますと、なにかかまどの火を吹くような感じがあるんですねえ。  やがて、フー、フーと吹いている音とともに、メラメラメラメラッと、炎があがって部屋全体がわかってきました。台所ですね。汚い台所で、女が火を吹いてたんですね。パンを焼いてたんですね。この女は、妊娠してるんです。映画は、だんだんこの女について、教えていきます。  この女は、この家の遠いしんせきに当たる女ですけれども、だれかに犯されて、父《てて》なし子をはらんでおります。彼女が、かまどの火を吹くところから、この映画は始まるんですね。こういう場面を見てますと、なんだか炎というものが、悪魔のように見えますね。  この女は、この家のしんせきなのに、まるで、下女あつかいです。この女は、この家の十六、七歳の娘が、大きらいなんです。一人娘で、両親がかわいがって、ちょうよ花よと大事にしていますが、この女は、この娘がきらいだから、食事の皿の中に、ガマガエルを入れて蓋《ふた》をして持っていって、娘を驚かして、遠くで喜んでいるような女です。  この映画は、生娘《きむすめ》のきれいなきれいなお嬢ちゃんと、どこのだれの子とも知れない子をはらんだ女と二人出して、この娘が神様まいりに行くところから、だんだんこわくなってまいります。  この娘が、年に一度の神様まいりに、たくさんの、寄付するローソクを持って、あの父なし子をはらんでいる女を連れて、ロバに乗って、森を通り、林を抜けて、海岸を通っていきますね。やがて、谷間にさしかかったときに、恐ろしいことが起こりました。  三人の羊飼いが、この娘がロバに乗って、通っていくのを、じーっと見ています。一人は、三十歳ぐらいで、一人は四十歳ぐらいですが、もう一人は、まだ十六ぐらいの少年でした。年配の二人が、娘に近づいて、水をくれんか、といいました。娘は、喜んで水をあげました。おれたちといっしょに、メシを食わんか、といったときに、娘は、うれしそうに、私もちょうどご飯にしようと思ってました、となんにも疑わずに、ロバからおりました。娘の連れの女は、とっくに逃げてしまっていたのです。  そのうちに、だんだん気持がわるくなってきます。二人の男が、やがてその娘にからんできます。娘は、困って、右に逃げ、左に逃げているうちに、二人につかまってしまいました。そうして、二人は、娘の胸をさわりはじめ、スカートをめくり、みだらな顔をみせてきました。  とうとう、この二人の男は、娘を無残に犯してしまいます。血だらけになったそのシーンも出てきます。それを、年若い羊飼いは、こわがって見ておりました。  犯された娘は、大声をあげて助けを求めましたが、羊飼いの年上のほうが、こん棒で殴って殴って、その娘を殺してしまいました。これを見ていた、年若い羊飼いの少年は、ゾッとして胃から食物を吐きました。そうして、この三人は、逃げていきました。  荒野に娘の死体が、両足をひろげて、半裸になって倒れております。その死体の上に、雪がすこしずつ積もっていきます。  娘の家では、帰りがあまりおそいので、心配しておりますと、娘のお供につけてやったあの女が泣いて帰ってきました。親たちは、びっくりして娘を捜し回って、谷間で、娘の無残な死体を発見しました。やがて父親は、この娘を犯して殺してしまった羊飼いたちの首を絞めて殺してしまいましたが、娘は生き返るわけではありません。  世のなかに、神というものは、ないのかしら、父親は、泣いて泣いて、娘を抱きあげると、娘の倒れていた首のあたりの地面から、水が噴《ふ》き出しました。きれいなきれいな泉がわいたんですね。  最初は、炎で始まって、最後は、泉で終りました。娘のお父さんは、せめて、娘の供養のために、この場所に、寺を建ててやろう。これが、「処女の泉」ですねえ。なんともしれん、無残なお話ですね。ベルイマンは、十六、七歳の、親にかわいがられた、おとなしい生娘が、無残に殺されてしまう、こんな映画を作ったんですねえ。  この映画のなかにも、いろんな人間の残酷な姿が見えて、ベルイマンの人間解剖のきびしさがこわいくらい迫ってきますね。この映画は、一九六〇年のカンヌ映画祭特別賞をもらいました。 ●神がみつめている時——「沈黙」  この人に、「沈黙」という、作品があります。これも、こわい映画ですね。  姉と妹がいます。旅に出ましたが途中で姉が病気になって、ある町に下車して、小さな宿屋に泊まりました。姉さんというのは、非常に禁欲的な女で、いつでも字引を持って翻訳ばっかりしている。そうして、肉欲というものを、軽蔑《けいべつ》しきっておりました。  妹のほうは、五、六歳の男の子があるのに、肉欲のかたまりですね。町で、ちょっと自分に流し目をする男がいると、すぐ肉体関係を結んでしまうような、そんな女なんですねえ。姉さんは、こういう、妹のような女を許せません。妹は男を連れてきて、姉さんの目の前で、ベッドに入りました。姉さんは、絶叫して、自分の部屋に駆け込んで、なんだか妙なことをしだすんですね。自慰というんでしょうか。  こわい映画ですね。けれども、もっとこわいのは、この妹に、五、六歳の男の子がいることですね。この子がお母さんは、なにしてるんだろうとのぞきに行きました。お母さんが寝ているところを鍵の穴から、のぞき見するんですね。そうして、「おばさん」と、母の姉にいいに行くんです。「ちょっと、おばさん。来てよ。お母さんが、あの、男の人といっしょに寝ているよ」なんて、いうんですね。この子は、チョークで、一生懸命悪魔の絵なんかかいている、なんともしれん子供です。それから、もっとこの子供のこわいところが出てきます。この子供は、お母さんが遊びに行ってしまったので、一人で、ホテルの中をチョコチョコ歩いていますと、ホテルの廊下の壁に、昔の名画が飾ってあるんです。大きな絵です。その絵は、真っ裸になったふとった女が、なにかをまたごうとしてるんですね。その下に、半分は獣で、半分は人間のようなのが、そのふとった、お尻の大きな女を笑いながら見ている、そんな絵ですね。この絵を、その子供がじーっと見てるんですね。すると、ちょうどそこで、電気のかさを直していた工夫が「おい、おまえ。その絵がわかるんか」と、きいたんですね。すると、その子供は、いやな顔をして、向こうのほうへ行ってしまいました。  そうして、また廊下を歩いてますと、六人の小人がやってきました。小人の一座で、その連中は、みんなその役者ですね。そのなかの二人は女形。六人とも男の小人です。二人だけが女形の姿をして、芝居がはねて、帰ってきたとこらしいんです。その子供と廊下で、すれ違うとき、子供と小人の背丈は同じでした。そこで、小人たちは、その子供を取り巻いて、自分たちの部屋へ連れていったんですね。  なにをしたんでしょう? その子供は、小人たちの部屋から出てきました。なにをされたんでしょうね。  出てくると、その子供はズボンのボタンをはずして、廊下に、ジャー、とおしっこをしたんですね。そうして、逃げて帰りました。それだけのことですけれども、なにかあの中年の小人たちが、その子供にいたずらをしたんじゃないか、というこわさを感じますね。  人間というものは、子供のうちに、大人のセックスの風のなかを通っていくんですね。五つ六つ七つで、早くも、大人のセックスを感じるんですよ、ということを、「沈黙」で、いってますねえ。 「沈黙」とは、なんでしょう。神が、なにもいわないで、人間の罪を見つめている時を、沈黙、というんでしょうか。  というわけで、ベルイマンにかかると、子供までいじめられますねえ。 ●女とはなにか、その生と死「叫びとささやき」  はい、それではいちばん新しい、一九七二年の「叫びとささやき」、このベルイマンの新作をご紹介しましょうね。  私、これニューヨークで、見ました。映画館は、シーンとして静かで、まるで新劇を見ているようでした。大人が、いっぱいでした。こわい映画ですね。 「叫びとささやき」って、なんでしょうね。十九世紀の終り頃のお話ですね。ストックホルムから、十数キロ離れたところに、大きな大きな古いお屋敷があります。秋ですね。木の葉が、いっぱい散ってますね。  この映画のタイトル、みごとですね。これは、ベルイマンの日本では初めての、色彩映画です。タイトル・バックは、赤と朱色が混ざった色です。そこに、タイトルが出てきます。そうして、主役のイングリッド・チューリン、ハリエット・アンデルソン、リブ・ウルマン、そういう名前が出てきます。さあ、そのタイトルのきれいなこと。まず、役者の名前が出てきたとき、音楽はなんにもありません。次の瞬間、小さな小さな金属性の音がします。カーンという音。また、消えます。今度、ハリエット・アンデルソンの名前が出てくると、カーン。小さな音がします。また、次の役者の名前が出てきたときに、チーン。なんともしれん小さな金属性の音です。次から次と、静かに静かに音がします。なんの音だろうと思ってますと、ファースト・シーンは、時計のセコンドの、カチカチカチカチ。大理石のきれいなすごい時計の秒針が動いてるところへ、キャメラが近寄って、そうして、キャメラが、ずーっと離れて、初めてのシーンになります。  あの小さな小さなカーンという音は、時計の音だったんですね。�時�なんですね。十九世紀の終りの、まだランプの頃ですね。  さあ、この映画のカラーのきれいなこと。しかも、場面がかわるときに、カラーの赤い色は鮮やかな色になって、深い色になって、また薄い色になって次の場面に移っていきます。不思議な感覚です。この作品は一九七二年にニューヨーク映画批評家賞で、作品、監督、脚本、撮影、主演女優の各賞をもらいました。また、一九七三年のアカデミー賞では撮影賞を受賞しました。  ここに、アグネスという女がおります。ハリエット・アンデルソンが扮しています。このアグネスは、三十七歳になっていますが、まだ結婚しておりません。子宮ガンで、ときどきすごいすごい発作がおこります。召使いのアンナという女が、一生懸命に世話をするのです。  このアグネスは、実は三人の姉妹の次女です。このアグネスが、もう危ないというので、長女と三女が見舞いにやってきました。  長女は、カーリンといって、イングリッド・チューリンが扮していますが、三十九歳で、もう子供もたくさんありますが、主人は、二十歳以上も年上で外交官です。そうして、夫が毎晩毎晩肉体を求めますので、カーリンは、それを下品だといって、夫を軽蔑しています。そんな女です。そして、この屋敷は、両親がとっくに亡くなって、次女のアグネスが持っております。  三女のマリア、この女は商売人の金持と結婚しております。五歳の女の子がいます。このマリアという女は、非常に浮気な女で、自分の気持のおもむくままに、からだをあたえる女です。ちょうど「沈黙」の妹に、よく似ていますね。マリアは、アグネスの診療に来た医者を別室に呼び込みます。というのは、少女の頃に、このお医者さんと関係したことがあるんです。だから、また自分といっしょにベッドに入るように、誘惑します。アグネスのことなど、そっちのけにして。すると、そのお医者さんは、マリアを抱きしめて、こんなことをいいます。向こうの鏡を見てごらん。そうして、無理にマリアを鏡のほうに向けさせました。それ以上なんにもいいませんが、マリアにはわかります。もう目尻にしわが出て、首筋にもしわが出ています。医者は、こんな年になっても遊びたいか、と残酷なことを、鏡に顔を向けさせて、黙ったままで、説明しました。この屋敷は、こういう変な家庭です。  アグネスに仕えている召使いのアンナは、アグネスをとっても大事にしています。なぜ、そんなに大事にしているのか。  この召使いのアンナは、今から十年前、子供ができて、三歳になるまで、アグネスが面倒をみてくれました。その子供は三歳で死にましたが、アグネスという主人が、とってもかわいがってくれたことに恩義を感じて、アグネスを大事に大事に看病しております。  アグネスが、苦しんで苦しんで、もだえてもだえて、もう今にも息を引き取るぐらいにあえいだときに、アンナは飛んでいって、アグネスのからだを抱きしめます。抱きしめるだけでなく、自分の胸をはだけ、はだかにならんばかりにしてさわらせます。すると、アグネスは、やっと苦痛から救われたように、ほっとして、眠りに入ります。なぜ、そんなことをするのでしょう。このアグネスは、小さいときから、お母さんの愛がなかったんですねえ。お母さんの愛は、妹のマリアに占領されたんです。そうして、だれにも甘えられなくて、だれにも愛を訴えられなくて、三十七歳の今日まで、きたんですね。  アンナは、そのアグネスを自分のからだで抱きしめて、はだかで抱きしめて、母の愛、同性愛、あらゆるものを、アグネスにあたえております。長女のカーリン、三女のマリアは、しょっちゅう、うめき声をあげているアグネスが、きらいでした。  そのうちに、長女カーリンの夫も三女マリアの夫も、ここにやってきます。カーリンの夫は、この屋敷でカーリンに肉体関係を迫ります。もう六十歳近いというのに、カーリンのからだを求めます。そのとき、カーリンは、どうしたでしょう。カーリンは、ガラスのコップを割って、そのコップの破片で、自分の股にすごい傷をつけて、血だらけにして、もうあなた遊べませんよ、という顔をします。こわい女ですねえ。  三女のマリアは、またまたあのお医者を誘惑して、肉体関係を結ぼうとします。そうするうちに、アグネスは、うめいて、うめいて、死んでしまいました。カーリンとマリアは、別室でお通夜をすることにしました。アグネスの枕元にいるのが、いやなんですね。ところが、死んだはずのアグネスが、夜中に、うめき声をたてました。カーリンもマリアも、驚いて逃げました。アンナは、飛んでいって、アグネスを抱きしめてやりました。アグネスはアンナの腕のなかで、今度こそほんとうに死んでしまいました。  というわけで、実はマリアの主人も、この屋敷に来てますが、この主人は、あんまり自分の妻が浮気をするので、いっぺん自殺しかけたことがあるんです。  それから、いろいろあって、結局アグネスが死んだので、カーリンの夫、カーリン、マリアの夫、マリアたちは相談して、この屋敷を引きはらうことにしました。アンナには、いくらいくらお金をあげるから、おまえはここを出ていっておくれ、というと、アンナは、私はもうお手当は欲しくございません。この屋敷が売れるまで、一人でここにいさしてください、といいました。  アンナは、アグネスの魂のようなこの屋敷から、離れられなかったんですね。カーリン夫婦とマリア夫婦が立ち去ったあとで、アンナは、アグネスの日記を、ランプの下で、じーっと見ておりました。  アグネスの日記のなかの、一ページを、アンナは、いつまでもいつまでも、幾度も幾度も、読み返しました。 「それは、ある春の日です。私は、姉さんのカーリンと、妹のマリアと三人で、白いレースの服を着て、白いパラソルをさして、お庭を散歩しました。お庭には、若草がもえておりました。三人そろって歩きました。そうして、三人で椅子ブランコに乗り、召使いのアンナが、うしろから押してくれました。この私の幸せ、この春の日の幸せを、私は生涯忘れないでしょう」  このように記してあるページを、召使いのアンナは、いつまでもいつまでも、見ておりました。  この映画、いったいなんでしょうね。私にもよくわかりません。けれども、時計のセコンドの音で始まって、そうして、人間の死ぬことで終り、しかも色欲というか、欲望を軽蔑している女、欲望を求めている女、そうして、次女の死。このアグネスの死ぬところが、すごいですね。  うめいてうめいて、ほんとに痰《たん》がのどにつまるような感覚で、このハリエット・アンデルソンの演技がすごいですね。死ということを、それを無残に描いて見せますね。  私たちは、この映画を見て、生きることのうれしさ、それと同時に、死ぬことの覚悟をさせられますね。そんなことをふっと思ったら、黒沢明が「赤ひげ」(一九六五)で藤原鎌足が死ぬところで、この映画の死のようなものを描いておりましたね。死ぬ苦しみを見ているのは、いやなものですが、必ず、死は人間に訪れるものですね。それを、このベルイマンは、私たちに、きれいなきれいなキャメラで、じっと見せたんですね。  赤い赤いバックの、あのビロードのような、見るからに血を思わせる色のなかで、クリーム色のランプがあって、そのなかで、死が訪れるんですね。いかにもきびしいですね。  まあ、ベルイマンのこの映画は、生きることと死ぬことを、ほんとうに教え、しかも、四人の女で、女というものを教えたんですね。女とはなにか。そして生と死。これが、この映画の生命じゃないか、と私は思います。 ●スウェーデンの映画  スウェーデンの映画は、一八九六年(明治二十九年)頃に、誕生しました。一八九六年といいますと、日本で、初めて活動写真のフィルムが、大きなスクリーンに映って、びっくりしたときです。神戸の新興クラブで、初めて映写されました。  だいたい、スウェーデンは、時期的に日本と似てるんですね。一九一三年頃から、本格的になってきました。ドラマが始まってきたんですね。一九一六年に、「波高き日」という名作が生まれております。その監督は、ビクトール・シェーストレームという人です。その人は、一九六〇年に、八十一歳で亡くなりました。この人が、ベルイマンの「野いちご」で、主役をしたんですね。ベルイマンは、ほんとうのスウェーデン映画の歴史の人を主役にしたんですね。  シェーストレームという人は、活動写真が始まった頃、映画界に入って、「霊魂の不滅」(一九二一)など、たくさんスウェーデンの映画に出ております。そうして、監督もしております。昭和の初め頃、アメリカに行って、「風」(一九二八)という映画で、リリアン・ギッシュを監督しとります。 「霊魂の不滅」は、スウェーデンの映画の骨ですね。これは、大正十一年に日本で封切られました。私、十三歳頃、この映画を見ました。死神の馬車が、しょっちゅう、目の前にやってきている、そんな映画ですね。あとでフランスのジュリアン・デュビビエが、もう一度、映画にしましたが、やっぱり、ビクトール・シェーストレームのほうが、こわかったですね。  スウェーデンは、イギリスより、もっともっと北ですね。ギリシアとかスペインとかイタリアは南ですね。映画には、その土地柄といいますか、そういうものが、しみ込むものなんですねえ。というわけで、スウェーデンの映画は、幽霊のように、こわいんです。神の目から映画を見ているようで、霧のなかの映画のようですねえ。肉体的な、あのイタリアの映画と違って、スウェーデンの映画は、精神的ですね。  だから、ベルイマンの映画は、とってもむずかしくて、私よくお話できないんですけれども、今夜は、みなさんとごいっしょに、彼の作品をいろいろと勉強しましたね。  ベルイマンの映画は、なんともしれん自虐というのか、自分をいためつける、そうして、死がいつでも目の前にあるという作品が多うございますねえ。  これが、やっぱりスウェーデン映画の、一つの精神なんですね。  さあいかがでした。ベルイマンの作品をごらんになりたくなったでしょう。今度上映されたら、じっくりと見てくださいね。人生の勉強になりますよ。ではまた、  サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ。 [#改ページ]   インド映画のサタジット・レイ  はい、みなさん今晩は。  今夜は、インド映画のお話をしましょうね。インド映画なんていうと、みなさん、なじみがないかもしれないけれど、すばらしい作品があるんですよ。おや、あんたはまた、枕なんか持ってきてるんですか? とんでもない、インド映画がいかに立派かということを、今晩はじっくり聞いてくださいね。 ●昔、私が見たインドの映画  さあ、インド映画ですけれど、日本ではめったにお目にかかれませんねえ。けど、実は、たくさん作られてるんだそうです。ベンガルの映画だとかねえ、ヒンドスタンの映画だとかねえ、インドという国にはたくさんの違った言葉があるから、そのいろんな言葉の映画があるんですねえ。年に、三百本ぐらい作ってるそうですよ。  それなのに、日本には、ほとんど来ていない。不思議ですねえ。というのは、どうも質があまりよくないんですね。しかも、三時間、四時間もの長い映画が多くて、ちょっと日本人向きじゃないんですね。だから、インドとしてはたいへんな娯楽ですけれども、日本に来るような質の映画がなかったんです。  というわけで、昔、私はインドの映画を見ましたが、大正十四年、一九二五年のことですよ、「アジアの光」(一九二一)という映画でしたけれど、ほんとうはドイツ映画なんですね。ドイツのエメルカという会社の映画なんです。監督も、フランツ・オステンというドイツ人でした。  けれども、ロケーションが全部インド、役者も全部インド人、お釈迦《しやか》さんが生まれて死ぬまでのお釈迦さんの映画だったんですねえ。  まあ、そのお釈迦さんが亡くなったときのシーン、それにはびっくりしましたねえ。とにかくみごとでした。お釈迦さんの死体を安置した寺院、まあその寺院の立派だったこと。遠い遠い天井の天窓から、すーっと一条の光がさして、お釈迦さんの死体に当たります。すると、まあ外では、みんながお寺を取り巻いて泣いております。  やがて葬儀になりますと、化粧した象が、十頭、二十頭、三十頭、五十頭、百頭と並んで、そのお釈迦さんの死体を先頭にして、ずーっと町を練り歩きます。町の歩道には、蓮《はす》の花びらが、まあ海のように波のようにいっぱい散り敷かれていて、インドの葬儀というものはすごいなあ、インドではお釈迦さんがどんなに偉大であったかが、わかって、私、びっくりしました。  これが、私が初めて映画に接したインドでしたねえ。  それからまだ、いろいろありました。たとえば、ロンドン・フィルムの「カラナグ」(一九三七)という映画が来ました。これは、キプリングの原作を、フラハティという記録映画作家が監督して映画にしたんです。インドの象と少年の話です。舞台はインドですけれども、いかにも英国映画の感じがしましたねえ。インドのにおいは、「アジアの光」のほうがずっとしましたねえ。  ところがやがて、一九五一年、昭和二十六年に、あのフランスのジャン・ルノワールという有名な監督が、インドの映画を作ったんです。ジャン・ルノワール、「大いなる幻影」(一九三七)の監督ですね。実は、アメリカのロサンゼルスの花屋さんが、どうしてもあのインドの美しさをカラーで映画に撮ってほしい、とルノワールに頼んだんですねえ。この花屋さんは、自分の家も店も全部売ってしまって、その費用をつくったんです。さあ、ルノワールは喜んで、「河《リバー》」という映画を撮りましたねえ。  私は、ロサンゼルスの一流の映画館で、この「河」を見ましたが、きれいだったですねえ。あんまりきれいで、泣きましたねえ。ガンジス河のほとりに麻工場があります。その工場に働いている三人の少女——白人の女の子が二人に、インド人とイギリス人との混血の女の子が一人、この三人の少女の春のめざめのお話です。そのインドの風景、インドの花祭、そうしてインドの結婚式、インドの踊り、音楽、まあきれいでした。  この「河」を見まして、私はびっくり仰天しまして、その足ですぐロサンゼルスのレコード屋へ行って、そのインドの音楽を買ってきました。きれいな音楽で、私は夢中になりましたが、そのレコードを持って帰ってきて、あんまり自慢したので、野口久光さんにとられてしまいました。  というわけで、この「河」で、私はインド映画の美しさを感じましたけれども、いまお話した幾つかの映画、みんな外国人の撮ったインド映画ですね。インド人が撮ったインドの映画ではありませんねえ。けど、ここに一人、立派な立派なインド人の監督が生まれてきたんですねえ。  サタジット・レイといいます。この人、インドの黒沢明といわれました。今夜は、この人の作品をご紹介しましょうねえ。 ●道の物語「大地のうた」  はい、サタジット・レイという人、「大地のうた」(一九五五)で、私たちの前に現れましたねえ。これは、ベンガル映画ですね。音楽はラビ・シャンカール。このラビ・シャンカールの兄さんというのが、ウダイ・シャンカール、アンナ・パブロワに発見された有名なダンサーなんですね。日本にも来たことがあるんです。で、弟のラビ・シャンカールは、兄さんの踊りの伴奏もしていました。なかなかきれいな演奏をしますね。  さあ「大地のうた」、これは、黒白、二時間三十分の長尺で、きれいな映画でしたねえ。原題を「パテール・パンチャリ」といいまして、「道の物語」というわけなんですね。人間が生まれて死ぬ、その道ですね。そして、原作がインドの有名な小説家ビブティブシャン・バーナルジの長編小説で、オプーという少年の物語です。  はい、ベンガルの北部の田舎です。その田舎にある、ハリの家。このハリというお父さん、バラモン階級の家系で、三代目なんですねえ。ところが、人がよすぎて、生活力がなくて、学校の先生したり、お役人したり、ちっとも生活は楽じゃない。バラモンといいますと、インドでは立派な、第一の階級ですのに、バリの家はだんだん貧乏になって、もう貧乏のどん底になってきてるんですねえ。  で、この一家は、お父さんとお母さん、それにドガという六つくらいの女の子、それから、お父さんのお姉さんでインジュラという人、もう九十を越してるかもわからないようなおばあさん。この四人なんですね。  そして、お母さんは、この年寄りのこときらっているんです。 「あのおばあちゃんときたら、また台所へ行って、ご飯の盗み食いをしてるんだから」  なんていってるんですね。そうするとまた、おばあさんはおばあさんで、 「私さえいなかったら、いいんでしょ。はい、私、出て行きますよ」  なんて、まあ汚い風呂敷に、身の回りのものを包んで、家出していきます。それが、一日もたたないうちに、このおばあさん、帰ってきます。  ところが、娘の、女の子のドガは、このおばあさんが好きで、よその家の木の実なんか盗んできて、インジュラばあさんのカゴの中に入れてやるんです。おばあちゃん、喜んで食べますねえ。  そんなふうな家庭に、また子供が生まれました。オプーですね。男の子。みんな喜びました。けれども、ドガだけ、ちょっと怒りました。自分への愛が、オプーにとられたと思ったんです。やがて、オプーが三つ四つ五つになった頃、ドガが七つ八つ九つになった頃、二人はだんだん仲良くなって、やがて七つぐらいのオプーと、十ぐらいのドガが、もつれて遊ぶ姉弟愛の美しいことって、ないですねえ。  あるとき、隣の大地主のお嫁さんが、どなり込んできました。その嫁さんの娘に、ドガと同じ歳《とし》の女の子がいて、遊びに行ったり来たりしてたんですね。そうして、このお家の、首飾りがなくなったんですね。 「あんたとこのドガが、私の家で、首飾りをとったのと違いますか?」 「いくら貧乏でも、私の家はバラモンの階級でございます。そんな、人さまのものをとるほど落ちぶれてはおりません」  ドガのお母さんは、泣いて怒りました。ドガは、とってない、そんなものとるもんですか、といいました。オプーも、お姉ちゃんはとったりしない、といいました。  さあ、この二人の姉弟が遊ぶところの、インドの風景、なんともしれん美しい景色ですねえ。ある秋です、まあ見渡す限りのススキ、ススキ。その白いススキがいっぱい波打ってるところを、オプーとドガが走ります。ちょうど白い孔雀《くじやく》の羽の波のなかを、小さな男の子と女の子が走る感じです。まるでインドの美術画ですね。  二人は走って走って、汽車を見に行くんですねえ。もう汽車がくる時間だよ。二人がススキの間から線路を見てますと、遠くのほうから黒い黒い真っ黒の汽車が、黒い煙を吐いて、シュシュシュシュシュシュ……。まあ、二人は喜んで、汽車とともに走ります。なんともしれん美しい景色、なんともしれん、サタジット・レイの映画感覚ですねえ。  けれども、話をどんどん飛ばしましょう。  ある年の夏に、オプーとドガは、大きな大きな、広い広い蓮の池に遊びに行きました。二人がもつれて遊んでますと、急に風が吹いてきて、遠くのほうに黒い雲が見えてきました。さあ、その風、風、風で、池の見渡す限りの蓮の葉が白い裏を見せて、そのきれいなこと。そして、ポツリ、ポツリ、雨、雨。すると向こうから一人の男が走ってきました。頭ツルツルのおじさんです。その頭にポツリポツリと当たるので、そのおじさんが頭の露をのけながら走って行くところ、おもしろい風景でしたが、やがてすごい雨になってきました。スコールですね、夏の。いかにもインドの雨ですね。きれいですね。  オプーは、大きな木の陰に隠れて、 「お姉ちゃん。ぬれるから早くお入り、早くお入り」  といいました。ところが、お姉ちゃんのドガは喜んで喜んで、全身ずぶぬれになりながら、雨のなかで踊っておりました。髪の毛がびっちゃびちゃになりますから、その長い長い、まあ腰のあたり、お尻のあたりまである長い毛を、両手できゅーっとしぼりました。しぼったその髪の毛を、くるくるくるくる回しながら振るところ、ちょうど、インド美術ですね。インドの舞踊ですね。なんともしれん、その、夏の池の夕立の景色は立派でしたねえ。  さあ、やがて、かわいそうに、ドガはこれがもとで死んでしまいました。肺炎になりまして。死というものを、オプーは初めて知りました。  しかし、その前に、オプーは、人間の死というものを見たことはあるんです。あのインジュラばあさん、お父さんのお姉さんですね、それがあるとき、竹林のなかでしゃがんでおりましたから、おばば早く帰らな日が暮れるぞといいながら、オプーが突きました。突くと、ポトリッと首が落ちました。ゆれて、うつむきまして、首が股のあいだへすっと入りましたので、ドガがなにしてんのとさわったら、動かなかった。  それが死だったんですね。インジュラばあさんが死んだんですねえ。そのときには、オプーはまだ、死ということがはっきりわからなかった。けれども、お姉ちゃんが死んだときに、二度と帰ってこないということを知りまして、ほんとうに、初めて死を知りました。  そうして、お父さんとお母さんも、もうこの家庭をあきらめて、どうしても食っていかれんことだし、ひとつ、ガンジス河のそばのベナレスのほうへ行こうか、ということになりましたね。さあ、この家をあけることになりました。そこで、オプーは、お姉ちゃんのドガがずーっと寝起きしていた、部屋の隅っこへ行って、お姉ちゃんの棚を探したんですねえ。けど、形見の品なんて、なんにもない。  お椀が一つありました。ああ、お姉ちゃんが、しょっちゅう食べてたお椀だ。ぱっとお椀をとったときに、中からクモが一匹、さーっと出てきました。お姉ちゃんがいなくなったら、そのかわりにクモが住んでいました。それといっしょに、オプーはびっくりしました。お椀の中に首飾りがありました。私とらないよ、私とらないよ、といったあの首飾り。お姉ちゃんはとっていたんですねえ。  オプーは、その首飾りをつかむと、たーっと裏庭へ行って、裏庭の池に、ポチャン、捨てました。だあれも知りません。お姉ちゃん、ぼくだけが知ってるんだよ、とオプーがいいました。  やがて、明け方、まあ、ありったけといったって、まあ貧しい貧しい荷物を積んで、お父さん、お母さん、そしてオプーが乗った馬車は、ランプに灯をつけて、夜明けに出て行きました。  そのあと、キャメラは、だれもいなくなったその家を、じーっと見つめて、しだいにさがっていきます。家がすーっと向こうのほうへいきます。すると、目の前に草むらがありまして、草むらから一匹のヘビが、にゅるにゅるにゅるっと出てきました。そのヘビが、どんどん、今は人のいない家の中へ入っていくところで、「大地のうた」は終ります。  はい、この「大地のうた」は、カンヌ映画祭で特別賞をとりましたねえ。 ●オプー少年の成長を描く「大河のうた」  さあ、そのあと一年たって、一九五六年に、今度は「大河のうた」をサタジット・レイが撮りました。原題は「敗北しない人々」なんですね。それを「大地のうた」に調子を合わせて「大河のうた」としたんですねえ。というのは、この作品、オプーの物語の続きで、しかも、ガンジス河のほとりに舞台が移ったからです。「大地のうた」を第一部とすれば、これは第二部ということになります。  で、この作品も、ベネチア映画祭でグラン・プリをとっております。えらいですねえ。サタジット・レイという人は、みごとな、世界的な監督になりましたねえ。  さて、オプーとお父さんとお母さんは、ガンジス河のほとりのベナレスという都会にやってきました。そうですねえ、ちょうど大阪みたいなゴミゴミしたところですねえ。けれども、この日本とは違う、インドのまだ文化の低いといったら変ですけれど、いかにもまだまだむさ苦しいところです。  そのガンジス河の岸辺には、大きな石段があるんですね。そこでみんな、行《ぎよう》をしたり祈ったりしてるんですね。ハトが飛んでます。そんな景色もなかなかいい。けど、オプーのお父さんは、石段のところにすわって、お経やら説教やら、そんなことやって投げ銭をもらってるんですねえ。  けれども、オプーはまだ子供ですから、裏通りをみんなと走り回って遊んでおります。祭りがあって、夜なんか花火がパーッとあがると、お菓子買いたい、お菓子買いたいといいます。あるいは昼間、猿寺へ行って猿と遊びます。オプーは、手に持った紙袋の中のお菓子を猿にやっております。まあ、オプーの少年時代、そんなに哀れでもありません。  ところが、ある朝、お父さんが亡くなりました。お母さんはそれで、内職して内職して、オプーと二人で暮らさなければならなくなりました。まあどういうんですか、裏長屋ですね。その二階三階のところに、中年の男が住んでおります。その中年の男が、後家《ごけ》になったオプーのお母さんのそばへ、おずおずしながら寄ってきて、そーっと、マッチがなかったら貸しますよ、いい寄るんですね。お母さんは、びっくりします。私は夫があった身でございます、そばへ寄らないでください。そういうせりふ、ありません。目で知らせます。すると相手の男は、恥ずかしそうに二階三階に逃げていきました。  オプーはやがて、少年から青年に変わってきました。そうすると、学校に行きたくなりました。勉強したいといいました。そこでお母さんは、二人して金持の家に住み込みで働くようにしましたねえ。お母さんは召使い、オプーは走り使い。そうしてお金もらって、学校の資金をためたんですね。お母さんは、オプーが働くさまを、いとしくいとしく、じーっと見ておりました。  やがてお金をためて、オプーは学校へ行くようになりました。中学校。オプーはなかなかできがよかった。そうして、学校に寄宿するようになりましたねえ。だからお母さんは、自分の遠い知り合いの田舎へ行ったんですね。そうして、オプーからの手紙をなによりの楽しみに待っておりました。  オプーは休みになると、お母さんのいる家に飛んで帰ります。そうして、この田舎で、オプーとお母さんが、遠く汽車を見るところがあります。お母さん、汽車が走ってるよ、とオプーがいいます。オプーの小さい頃、姉さんのドガといっしょに汽車を見た、あのシーンが、このところでもう一度よみがえってきますが、なんともしれん、おもしろいですねえ。  なぜ汽車を見るんでしょう? あの汽車が走る線路が、なんとはなしに、オプーの人生のひとつのような感覚を与えてくれるんですね、この映画は。  やがて、オプーが学校で勉強してるときに、家からの知らせがきます。お母さんが危篤なんですねえ。さあ、急いで急いで急いで、オプーは帰ってきました。走って走って、家の裏木戸をくぐって入ったとき、家の中の人の姿、お坊さんの姿、これで、青年のオプーは母の死を直感しました。そのまま地上にへなへなとすわり込んで、声をあげて泣きました。その泣いているオプーのうしろに、古い古い木がありました。もう長い長い年月、風に当たり雨に打たれてきたであろう古い木、その木がまるで、お母さんの身がわりのようにオプーを見守っている感じで、いかにもサタジット・レイのこの演出はみごとでした。  木も、人も、動物も、生きとし生けるものすべてが生命をもっているという、なんともしれん東洋的な感覚が出ておりました。  こうして、一人で生きていかなければならなくなったオプー、というところで「大河のうた」は終りますねえ。 ●さらに第三部「大樹のうた」  さあ、この監督は、今度は三年たってから「大樹のうた」という第三部を撮りました。その間に二本、ほかのものを撮っています。この「大樹のうた」の原題は「オプー・サンサール」といって、オプーの世界という意味なんですねえ。それを日本では第一部、第二部に合わせて「大樹のうた」とつけたんですね。  オプーはもう学校を出ました。カルカッタの北部の、貧しいアパートにおります。このアパートのそばを汽車が走っています。駅が近くにあります。汽笛が鳴ります。というわけで、汽車が、一部二部三部と必ず出てくるんですねえ。  オプーは青年になりましたが、まだ独身です。ろくな仕事がなくて、汚いアパートでくさっております。アパートの主人に部屋代をせまられて、あのちょっと待って、なんていいながら一人になると煙草吸って、ぼーっとしています。このオプー、煙草吸わなかったんですねえ。第二部の「大河のうた」では、学校の友だちが、ぼくは英国へ留学するんだといいながら英国の煙草を出して、オプーに一本吸いたまえとすすめたとき、オプーは首を振りました。ぼくは吸いません、といったんですね。ところが、この第三部になってきますと、スパスパ吸っております。  そうして、はっと煙草をもみ消して、机の上の横笛をとって吹きはじめますね。その瞬間に足を組むそのポーズが、なんともしれんインドの伝説の神のような感覚なんですねえ。いいですねえ。足の組み方、そしてそのインド人のオプーの顔、やっぱりこれはインド映画だなあと思いました。  このオプーに扮している人は、よく知りませんが、スーミットラ・チャッテルジーといいまして、いかにもインドの顔、インドの青年の顔してますねえ。  さあ、オプーがくさっているときに、かつての学友が訪ねてきました。それで、その友だちに連れられて、町の食堂で久しぶりに満腹になったとき、オプーは誘われるままに、友だちの田舎へ遊びに行く気持になります。二人が田舎へ行くところ、船で河をのぼっていくところ、いかにも景色がいいですねえ。景色がいいというよりも、インドのムードがよく出てますねえ。  やがて、その友だちの家に着きました。まあ大きな地主でしょう、わりにきれいな大きな家です。どうしてその友だちが田舎に帰ってきたのか。そして、オプーを誘ったのか。そのわけがわかりました。その友だちの妹が結婚するんです。  着いた日の明くる日が結婚式なんですねえ。さあ、その田舎の結婚式もよろしゅうございますねえ。川堤を、花婿のみこしが向こうのほうから、笛、太鼓、ラッパでやってきます。それが英国の行進曲なんですねえ。そうして、インドのラッパのそばで吹いている笛というのが、あの皮袋で作った英国のバグパイプの笛なんですね。おもしろうございますね。インドでは、そんな田舎にまで英国が入り込んでいるんですねえ。  いよいよ、そのみこしが着きました。花婿をそのみこしの中から二人の男が引き出しました。さあさあ、結婚式ですよ。そのときに、その花婿は発狂しました。発狂というのか、乱れました。あー、あー、あー……。  びっくりしましたねえ、そこの人たち全部。この結婚式はお流れになりました。けれども、大地主のおとっつぁんがいいました。 「ああ、この結婚式ができなんだら、わしは財政的にえらい困るんだ」  その一言で、花婿が少し白痴で頭がいかれているのをおとっつぁんは承知だったこと、それでも持参金つきで婿取りしようとしたことが、わかってきましたねえ。ちょっと、そんなことがほのめきました。  さあ、ところが、それよりもなによりも、その村の風習、インドの風習で、式をあげるといっておきながら結婚式ができなかったら、村中の恥、その家の恥、えらい恥なんですねえ。この日のうちに、だれか、かわりの花婿でもいい、式さえあげられれば名誉は挽回《ばんかい》できる、すべて助かる。ということになって、遊びにきていたオプーがねらわれましたねえ。 「オプー、おれの妹はけっしてわるい女じゃないから結婚してくれ。頼む。結婚してくれ」  友だちは手を合わせました。オプーも、かつては立派な血筋の人間、バラモンの出。そんな悲しい結婚をしたくありません。けれども、一家中が泣いておりました。娘がどんなにつらかろう、悲しかろう、と思ったときに、オプーは、よろしいといいました。  どんな娘か、顔も見ておりませんのに、結婚式になりました。冠をつけ、ベールをかけて娘が来ましたが、オプーは、娘の顔もろくに見ませんでした。助けるための結婚だからなんですね。  インドの風習による結婚式、いかにもおもしろうございますが、やがて、その晩になりました。初夜ですねえ。ベッドを間に、オプーと、ベールをとったその娘オプルナとが、初めて顔を見合わせました。オプーは、なんてきれいな、なんてかわいい娘だろうと思いました。けどオプルナの顔は人形のように動きませんでした。二人は、両手を合わせて拝みあっただけで、その一夜が過ぎました。なんともしれん清らかな清らかな初夜でした。  明くる日、お人形のような嫁さんのオプルナを連れて、馬車で、オプーは北カルカッタへ帰ってきました。その嫁さんを近所の人たちが見にくるところ、日本の田舎と同じですねえ。  オプルナは、田舎ではまだお嬢ちゃんでした。それが、北カルカッタの、このアパート、なんて汚いアパート。一間きり。彼女はお人形のようにじーっとしてましたが、そのときに大粒の涙を出して泣きました。私はこんな汚いところで世帯をもつのかという気持と、もう一つ、私はこれで妻になってやっていけるだろうか、妻の役目を果たせるだろうか。この二つの泣き顔が、みごとな演出でした。  そうして、この若い若い花嫁は、泣きながら窓の外を見ました。子供が走っていく。あとからお母さんが、危ないよ危ないよ、これ坊や危ないよ、追っていって抱きしめました。あんた勝手に走ったらだめよ。そんなことをいっている親子の光景を、このオプルナ、窓から見おろしましたときに、涙をすっととって真正面を向きました。ここに、この娘は、妻になること母になることを覚悟した、いかにも美しい顔をしました。  オプルナの描き方はみごとですねえ。  この花嫁は目覚し時計をかけますが、時計が鳴る前に起きてきます。そうして、ちゃんと火をおこし、ご飯の用意をします。さあそのときに、煙が目にしみて痛い、けれども、その煙の向こうにすっくと立っている、かわいいかわいいオプルナは、いかにもけなげな妻の感じを出しておりましたねえ。  もっと美しい演出。朝、オプルナが起きたときに、さっとベッドから立ち上がろうと思ったら、自分の寝間着のすそが旦那さんのからだの下に入って離れない。それで引っ張りました。見ると、自分の寝間着のすそと、オプーの寝間着のすそとを、オプーが知らん間に結んでおいたんですねえ。まあ、なにしてるの、と笑いながら、花嫁が寝ている旦那さんの腕をぱっと叩くところ、なんともしれん東洋的な夫婦の演出がきれいでしたねえ。エロティックなものを見せないで、いかにも二人の夜の感じを出しました。  そうして、やがてこの夫婦は、仲良く仲良く仲良く、一生懸命に生活をともにしていきます。たとえば、夏の暑い日に、オプーがご飯を食べてます。それを、うちわで花嫁があおいでおります。そのうちわを持つ手が、うちわはそのまま、オプーの手にかわりました。すると今度は、嫁さんがご飯を食べます。旦那さんがあおいでいます。この夫婦像は、美しいですねえ。  その花嫁のオプルナが、とうとう妊娠しました。オプーは喜びました。そうして、田舎で産むというので、ひとまず、オプルナが帰りました。やがて産み月。予定の日の近くに、使いが来ました。オプーは、その使いの顔を見たときに、死神の顔を感じました。はっとしました。そうして、どうした、といったら、奥さんが亡くなりました、と答えたそのとき、オプーは思わず、その使いの男をパチーンとひっぱたいてしまいました。  かわいそうに、オプーは、あんなに好きだった嫁さんに死なれてしまったんです。もっとつらいことは、母親は亡くなったのに、生まれてきた男の子は生きていたんですねえ。そんな子供、そんな母を殺した子供ということで、オプーはどうしても、子供を好きになれません。それで、とうとう、子供を里に置いたまま、出て行きました。オプーの放浪の世界です。  子供は、一歳、二歳、三歳、しんせきからしんせきへ預けられて、五歳になってきております。いつまでたっても、オプーが子供のそばへ行かないので、昔の友だちがやってきて、一度、子供に会ってやってくれ、といいました。いやだ、会いたくないと、オプーはいいました。 「けど、おまえだって、おとっつぁんだよ。おまえは父親だよ」  そういわれて、とうとう、オプーはその子に会いに行きました。田舎のおじいちゃんに育てられてるその子は、少しやんちゃな、少し冷たい子になっていましたけれど、オプーを一目見たとき、お父ちゃんいうことを感じました。けれども、お父ちゃんのそばに寄りません。  オプーは、だめだ、と思いました。こんな子は、やっぱり自分の子じゃない、おれはだめだ、この子はなつかん、というので育ての家を出ていこうとしたときに、ふっとうしろを向くと、その子がちょこちょこと走ってきて、オプーを見ておりました。そこで、 「おいで、おいで」  と呼んでも、その子はじっと動きません。やっぱりこんか、と思いました。おいで、おいで。そのとき遠くのほうで、育てのおじいちゃんがいいました。 「これ、坊や。おーい、帰ってこんか。こっちこーい」  その子は、おじいちゃんのほうを見ました。また、親のほうへ向きました。オプーは、育てのおじいちゃんのほうへ行くに違いないと思ったところが、その子はオプーのほうへたーっと走ってきまして、お父ちゃん、ていいました。やっぱり肉親、親と子の糸は、どこかで結ばれていたんですねえ。オプーはその子を抱きしめて、肩ぐるまに乗せて——、 「わしといっしょに行こうなあ、いいか、坊や」「うん、うん」 「大樹のうた」は、ここで終ります。オプーは大人になり、夫になり、今は父親になったんですねえ。みごとな大団円になりましたねえ。さあ今度は、オプーのその子供の時代にかわっていくでしょう。 ●日本を訪れたサタジット・レイ  というわけで、サタジット・レイのこの三部作、みごとな作品です。そのサタジット・レイが日本にも来ました。「大地のうた」が日本に来たそのあとで。  私、この人に会いました。まあ立派な体格の人でした。いろいろと質問しましたけれど、いちばん好きな監督については、ジャン・ルノワール、ジョン・フォード、フランク・キャプラです、と、とても優しくいいました。映画青年とはこんな人のことだという感じでした。  私は恥ずかしがりやで、サインしてくださいなんてこと、とてもいえないんですけれど、生まれて初めて、このサタジット・レイにはそういったんです。そうしたら、喜んで、私の名前入りのサインをして、これでいいですかと、サタジット・レイは両手を合わせました。インドの人はすぐ両手を合わすんですね、品がありますね。  というわけで、今夜はまあまあ長いこと、インド映画、サタジット・レイの三部作「大地のうた」「大河のうた」「大樹のうた」の三つのお話をしました。インド映画も、なかなか立派ですねえ。世界の国を、映画で知るということはおもしろいですねえ。  さあ、どうでした? もう時間です。なんですって、よーく寝た? ぐっすりだなんて、やらしいですよ、あんた。はい、残念なことに時間がきましたねえ。それではみなさん、  サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ。 [#改ページ]   クリスマス映画  はい、みなさん今晩は。  もういよいよ年の瀬も、おしせまってきましたね。クリスマスも目の前ですねえ。今夜は、みなさんとともに、楽しいクリスマスの映画を思い出してみましょう。  あら、あんた、もう�ジングル・ベル�のメロディを口ずさんでいらっしゃる。いいですねえ。けど、映画でいったら、ほら、�ジングル・ベル�よりも、あの�ホワイト・クリスマス�のほうが、ぴったりしますねえ。さあ、ちょっと、うたってみませんか。 ●クリスマス映画の決定版  さあ、その、なつかしい「ホワイト・クリスマス」(一九五四)というパラマウントの映画、大当たりしましたねえ。主題曲の�ホワイト・クリスマス�が、もう、それ以来というもの、すっかりクリスマスの歌になりましたねえ。この映画、みなさんごらんになりましたでしょうか。ビング・クロスビー、それにダニー・ケイ、ローズマリー・クルーニー、ベラ・エレン。いいキャストでしたねえ。監督は、マイケル・カーティス。この人は、なかなか音楽映画もうまい監督なんです。  で、そのお話というのは——。  戦争がすみました。第二次大戦ですねえ。それで、戦友の二人、ビング・クロスビー、ダニー・ケイが、もう仕事がない、困ったなあ。けれども、うたえて、踊れるんですねえ。舞台に立とうというわけで、しろうとのくせに、うたったり踊ったりしたのが当たったんですねえ。  この二人が、あるナイトクラブへ行きましたら、そこにかわいらしい姉妹がいたんです。まあ、その二人と組んで、こんどは四人組になって、歌をうたう、踊る。ここに、いかにも音楽映画のムードがもりあがってきて、この監督のタッチがよく出ていましたねえ。  この連中が、雪の名所のバーモントへ行きました。宿屋に泊まったんですね。ところが、その宿屋の主人が、実は、戦争だった頃の上官だったんです。将軍だったんですね。けれどもその宿屋、さびれてるんですねえ。そりゃ気の毒だ、ステージを作って客を呼ぼう、うたって踊ろう、というわけで戦友をみんな呼びました。  さあ、この宿屋が、四人組の歌と踊りで、にぎやかになる、繁盛する、そういう楽しい楽しい映画でしたねえ。雪のバーモント、そのクリスマスの夜には、真っ白な雪につつまれて、ホワイト・クリスマスの音楽が流れて、楽しゅうございました。  というわけで、クリスマスの映画というと、たくさんありますけれど、ちょっと、みなさん、クリスマスとはなんですか? もうこんなこと、みなさんご存知ですね。イエス・キリスト様がお生まれになった、お祝いの日ですねえ。そうして、クリスマス・イブというのは、その前の晩の楽しい楽しいパーティ、あるいはお祝いのごちそうを食べる日ですねえ。そして二十五日のクリスマスは、静かーにイエス・キリスト様を、みんなで、心のなかで拝むわけですねえ。そして、クリスマス・キャロルというのは、そのクリスマスをお祝いする歌のことですね。  まあ、ここで、クリスマス・キャロルという言葉が出ましたが、「クリスマス・キャロル」(一九七〇)という映画もありましたねえ。はい、ロナルド・ニーム監督のイギリス映画、いかにもクリスマス・キャロルの感じが出とりました。これ、ディケンズの原作ですねえ。  アルバート・フィニーが、スクルージという、もう、けちんぼで、けちんぼで、金ばっかり勘定して、ひとりで住んで嫁さんも持たないで、まあ、汚い汚い万年床で寝てる男の役をやりましたねえ。このスクルージという役は、むずかしいんです。名優でないとやれないんです。  この男はけちで、けちで、自分のところの使用人を、まあクリスマスの前の晩まで働かすんですね。さて、この男が、ひとりで自分の部屋で寝たときに、幽霊が出てきましたねえ。アレック・ギネスの幽霊が出てきました。それから、エディス・エバンスのばあさんの幽霊が出てきました。まだもうひとり出てきました。そうして、このスクルージをいじめますねえ。 「世のなかは金だけじゃない。人生は金だけじゃない。もっともっと大事なものがあるんだ。おまえは、それを忘れとるぞ。愛というものを、おまえは知らんのか」  なんていう、まあ、おもしろい、こわい幽霊が出てきまして、スクルージはもう冷や汗びっしょりになって、朝起きましたときが、ちょうどクリスマス。はっと考えて、やっぱり自分にいちばん足りない愛というもの、人にほどこしをあたえるということを、わしは知らなかった。と、このスクルージがすっかり目覚めて、まあたくさんのクリスマス・プレゼントを持って、貧しい子供たちにわけてやりますねえ。いかにも、ディケンズのクリスマスらしいお話ですねえ。 ●キリスト映画のいろいろ  ところで、クリスマスなんていいましても、もともとは、イエス・キリスト様ですねえ。さてそのキリスト、これはほんとうは名前じゃありませんね。救い主のことですねえ。そういうわけで、キリスト映画も、たくさんありました。  あの、セシル・B・デミルという人も、キリストの映画を撮りましたよ。「キング・オブ・キングス」(一九二七)といって、これは、昭和二年で、私見ましたが、それは非常な大作でした。H・B・ワーナーという俳優がキリストをやりました。  それからずーっとあとに、ジュリアン・デュビビエも、「ゴルゴタの丘」(一九三五)というのを撮りましたねえ。昭和十年頃です。ロベール・ルビギャンという人がキリストをやって、アリ・ボール、ジャン・ギャバンも出ました。なかなかよかった。  それからもっとあとに、あの「シェーン」を撮った、ジョージ・スティーブンスという監督が、「偉大な生涯の物語」(一九六五)を撮りましたねえ。これも、なかなか立派な作品でした。みなさんもよくご存知でしょう。マックス・フォン・シドーというスウェーデンの俳優が、キリストをやりました。そして、バプテスマのヨハネ、バプテスマというのは洗礼者のことですね、そのヨハネを、確かチャールトン・ヘストンがやりました。  そのほかまだ、イタリアでも作ってますねえ。パゾリーニという、あのこわい監督、非常にむずかしく映画を作る監督、いや、むずかしいというよりも、人間の根を深くえぐり出してみせる監督がいますねえ。あの監督が「奇跡の丘」というのを撮りました。一九六四年に。これはもう、非常に変わった、キリストの映画でしたねえ。  けど、非常にわかりいい作品としては、ニコラス・レイという監督、「北京の55日」(一九六三)や「理由なき反抗」(一九五五)の監督が、「キング・オブ・キングス」(一九六一)を撮りましたねえ。キリストを、ジェフリー・ハンターがやりました。そのとき、ロバート・ライアンが、バプテスマのヨハネをやったんでしたね。  この映画、あのキリストがゴルゴタの丘へ引っ張っていかれるところで、おもしろいことしました。キリストが、自分が処刑される十字架、その大きな大きな材木を背負って、丘へ登っていくんですねえ。あえぎながら、もうふらふらになって、登っていくときに、イエス・キリストが背負ってる十字架の材木が、ゴッツン、ゴッツン、ゴッツン、と階段にぶつかって登っていきます。あの音を、ニコラス・レイ監督は、非常に印象的に映画のなかに入れてるんですねえ。  あの映画を見てますと、ゴッツン、ゴッツンという音が、頭のなかにしみ込むんですね。そうして、見終ったあとでも、いつまでもいつまでも、あのゴッツン、ゴッツンという音が、イエスの受難、なんてかわいそうなんだろう、あの人がなんではりつけになるんだろう、どういうわけであんなに苦しむんだろう、そういうことが頭に入り込んで、そうして自分の今の立場の苦しみが、あのゴッツン、ゴッツンの音のことを考えたら、なんとまだまだ浅いんだ、ということがわかってきて、あの「キング・オブ・キングス」もなかなかおもしろうございましたねえ。 ●「汚れなき悪戯《いたずら》」のマルセリーノ  そういうわけで、いろいろな作品がありますけれど、真正面からキリストを描かなくとも、イエス・キリストのことを非常ににおわせた映画もまた、たくさんありました。  さあ、ここで、スペイン映画の名作「汚れなき悪戯」(一九五五)のお話。これ、音楽がまたきれいでしたねえ。そして、あの五つぐらいのマルセリーノ、なんてかわいいんでしょう。ラデスラオ・バホダという有名な監督の作品で、黒白の映画ですけれど、なにか黒いダイヤモンドのような光がありましたねえ。  まず初めのところで、三人ほどの老僧が、荒れ野の丘の上に、僧院を建てようとしてました。やがてできあがりかけた頃、それはちょうど、マルセリーノという神様のお祭りの日なんですね、その日に、僧院の門前に捨て子があったんです。まあ生まれたての男の子だね、といいながら、老僧が拾い上げて、育てていったんですねえ。  やがて、坊さんは一人ふえ、二人ふえ、三人ふえて、十二人になりました。十二人でこの子供をかわいがってかわいがってかわいがったんです。その子が、マルセリーノですね。  四つ、五つになってきました。もういたずらな子で、走り回っていました。そしてお坊さんに、おカユさんだとか、門番さんだとか、病気さんだとか、まあみんなに名前つけて、お坊さんたちと仲良くして、お坊さんのほうでもマルセリーノをまるで自分の子のようにかわいがりました。  もう五つ、もう学校にやらなければならないので、こんなとこに置いとけない。どこか、母と父のある家へ養子にやろう。それで、あちこちの村へたずねたけれど、ことわられたんですねえ。お坊さんたちは、ことわられると、実はほっとして喜んで帰ってくるんですねえ。ほんとうは養子にやる気がしないんです。この子供が、ときどき、たずねます。 「お母さん、というのがあるの? お母さん? なんなの?」  まあ、坊さんは胸がいっぱいになってくるんですねえ。  ところが、このお寺の屋根裏に、イエス・キリスト様の、十字架にはりつけにされた像が置いてあったんですねえ。もう、少しくすぶっていましたが、ちょうど大人の大きさぐらいの像なんです。そんなところへ子供が行ったらこわがるかもしれない、さわったりしたらいけない、というんでお坊さんが、マルセリーノ坊やに、あの二階のもうひとつ上の部屋へ行ったらいけませんよ、と教えていたんですね。  けれども、そんなこといわれたら、なんだかのぞきたくなりますねえ。その子供、そーっと行きますねえ。はだしで、そーっとあがっていくところ、かわいかったですねえ。さあ、子供が行ってみたら、おじさんがいました。かわいそうに、あんなとこで、両手をひろげたまま、じーっとしてる。おじさんというのは、イエス・キリストですね。 「おじさん、なんにも食べないで、おなかすくでしょう」  そばへいって、坊やは、そういったんですねえ。そうして、それからこの坊やは、いつもご飯食べるところで、そっと自分のパンを一切れ、隠したりしたんですね。そして、屋根裏のおじさんにあげたんです。おじさん、実はイエス・キリストの木像です。それにあげたんですねえ。ところが、それだけでは足りないでしょうというので、今度は、お坊さんたちが飲むぶどう酒をそーっとコップに入れて、持っていってやったんですね。お坊さんのパンもちょろまかして持っていったんですねえ。  そんなことしてるうちに、だんだん、そのキリスト像とこの坊やは仲良くなって、 「おじさん、こんなところに一人でいて、寂しいでしょう」 「おまえはいい子だねえ、なにか望みをかなえてあげよう」  なんて、その木像が、なんかしゃべりだしてきたんです。そうして、すっかり仲良くなって、やがて、あるとき、キリスト像の膝《ひざ》にもたれて、坊やはすやすや眠っちゃったんですねえ。  さあ、みんなは、坊やがどこかへ行っちゃった、と捜しました。この頃はどうも、あの屋根裏へ行くらしいと、みんな心配して、そーっと、一人、二人、三人、四人、五人、六人、七人と、あがっていったんです。そうして、屋根裏のドアをすーっと開けて中をのぞいたときに、まあこの画面、きれいでしたねえ。  イエス・キリストの像の前で、坊やはすやすやと眠っているんですけれども、すき間から光がさして、後光《ごこう》のようにそのマルセリーノのからだに当たっているんです。お坊さんが、そーっと、一人、二人、三人、五人と入っていって、そのマルセリーノ坊やのからだにさわると、坊やはもう死んでいたんですねえ。  どうして死んだんでしょう。望みをかなえてあげる、といわれたとき、マルセリーノは、「ぼく、お母さんにあいたいな」といったんですねえ。それでキリストは天国へ連れていって、お母さんに会わせてやったんでしょうか。坊さんたちは、これは、マルセリーノが神様になったんだ、そう感じて拝むんです。それでこの映画は終りますねえ。  私は、こんなこと感じました。一生懸命になって僧院を建てる、けなげな坊さんたちを見て、神様が思いました。この坊さんたちになにかプレゼントをあげたい。なにか楽しみをあたえたい。それで、人のかたちをさせて、神の子供をみんなにあたえた。そうして五歳になるまで、みんなでかわいがるように、みんなで楽しむようにさした。やがて、この神の子供は五歳、もういいだろう、神様はお坊さんたちにそうささやいて、マルセリーノ、神の使いを、また神の世界へもどした。  そういう感じがするんですねえ。そういう意味で、なかなか味がありましたねえ。クリスマスがきますと、この「汚れなき悪戯」のマルセリーノ、あのきれいなきれいな音楽を思い出しますねえ。 ●「野のユリ」のエーメン  というわけで、まあ映画とキリスト、いろんな形で結びつきますねえ。「汚れなき悪戯」ととっても似ているけれども、もっとモダン、もっと現代的な映画で、いかにもきれいで黒人調のメロディがよかった「野のユリ」(一九六三)のお話、みなさんご存知ですか。  この「野のユリ」の、エーメン、エーメンという曲、私は大好きなんです。いかにも黒人調のメロディがおもしろうございましたねえ。  シドニー・ポワチエの主演。監督はラルフ・ネルスン。のちにこの監督、有名になりましたが、これが第一回作品でした。独立プロダクション。ラルフ・ネルスンが自分でお金を集めて作りましたから、この映画のなかで自分も出演しましたねえ。  アメリカの荒野で、ヨーロッパから来た修道女、尼さんたちが、お寺を建てようとしました。まあ、ヨーロッパの尼さんがアメリカの大陸で、しかも西部で、お寺を建てるといっても、なかなかできません。けど、一生懸命やってます。  ちょうどそこへ、兵隊あがりの、除隊した黒人の男が、口笛を吹きながら、車ですーっとやって来ました。どっかで一旗あげて儲けようかなあ、と思ってました。ところが、車の水が欲しくなって、家を建てかけているところへやってきて、ちょっと水をくれんかなあ、といったんですね。その家が、尼さんたちが建てようとしたお寺の、小っちゃな、貧しい家だったんですねえ。 「はいはい。お水なら庭にありますから、どうぞどうぞ、おくみなさい」  その黒人は、オーライといって、喜んで水を入れて出かけようとしたら、 「この納屋の、この雨戸を直してくださいませんでしょうか」  なんていわれて、へえー、と思った。みんな女ばっかり、ちょっとばあさんみたいのもおるんですね。なんだろうと思いましたけど、よし、やってやる、といいました。働いたら、いくらかくれるかもしれんと思ったんですねえ。そして直しました。 「ありがとうございます。まあまあ、やっぱり男の方は、力があってよろしゅうございますね。ついでに、向こうの棚も直していただけないでしょうか」 「いいとも。直してやるけど、いくらくれますか」 「オホホ、はいはい、お礼はいたします」  というので、もう、あっちこっち直してやって、さあ出て行こうと思って、 「ちょっと、直し賃、いくらになるかな」 「はいはい、今晩ここで、お食事したあとで、ご相談しましょう」 「えっ、おれ、これから出て行くんだよ」 「まあ、もう一日ぐらい、お手伝いをお願いいたします」  なんていうことになって、この黒人、ほんとに金をくれるのだろうかと思いました。  まあ、その晩の貧しい食事。わずかなパン、わずかなおかず、この連中、ようもこれでいいのかな。きいてみますと、あのおばさんも、この娘さんも、このお姉さんも、ほとんどみんな英語を知らないけれど、どうやらここに寺を建てるらしい。へえ、女ばっかりでか。そういいながら飯を食って、鼻歌をうたって寝ました。  つぎの朝、早くから、カランカラン、カランカラン、鐘で起こされました。またもや働かせた、働かされた。まあまあ、よくこき使うなあ。けれども、さっぱり金をくれそうにないので、だんだん腹が立ってきた。 「あんた、いつ、金をくれるんですか」 「はいはい、もうすぐ差し上げます」  どうも、おれ、ただ働きさせられてるなあ。腹が立つなあ。けど、腹が立つけれども、この連中、女ばっかりでやってる。ちょっと、かわいそうだ。よし、もうちょっとやってやろう。やってるうちに、また腹が立ってきて、なんか、こいつらをいじめてやろうと思ったんですねえ。  みんなは英語ができない。よろしい、今晩からひとつ英語を教えてあげます。というので、みんなをすわらせて、英語を教えました。その英語が、なかなか人の悪い英語を教えたんですねえ。  ブラック。黒という言葉、ブラック。黒板を指して「これ、ブラック」。ストーブの黒い石炭を指して「ブラック」といったんですね。自分の顔を指して「ブラック」といいました。みんなが「ブラック、ブラック、ブラック」教えてもらったとおりにいいました。そうして、その黒人は、私は黒人ですということを教えたんですね。「アイ・アム・ブラック」といったんですね。「はい、いいなさい」って。さあ、白人の尼さんたちがみんな「アイ・アム・ブラック」といったんですねえ。ハハハハァ、と喜んじゃった。「もういっぺん、いってみい」「アイ・アム・ブラック」ハハハァ、うまいこというのう。私は黒です。いいぞ、いいぞ。  そういうわけで、さんざん、からかいました。そしてつぎの晩、さあこれからご飯というところで、みんなが「アーメン」といったんです。「アーメン、アーメン」 「おまえたち、なにいってるんだ。アーメン、そんなこというもんか。エーメンというんだよ、エーメン」みんなが、 「そうでございますか、エーメン、エーメン」 「はい、もっとはっきり、エーメン、エーメン、アーメンじゃないよ」  教えているうちにおもしろくなってきました。この黒人は、やっぱり生まれながらに音楽というものを身に着けた黒人ですから、エーメン、エーメン、もっとはっきり、もっとはっきり、ていっているうちに、だんだん自分が乗り気になって、調子がついてきて、エーメン、エーメン、もっともっと、エーメン、よろしい、もっともっと、とうとう自分が子供の頃に日曜学校で教えられた「エーメン」という歌をうたってやろうという気になってきました。  この、調子づいてきて自分でうたうところが、よろしいんですねえ。そして、この「エーメン」という歌は、イエス・キリスト様が生まれて、あのヨルダン川で洗礼を受けて、だんだん立派になっていく物語の歌詞なんです。ですから、うたっているうちに、イエスのありがたさがわかってきて、この黒人が、オーライ、よし、おれがこの教会を建ててこませ、というところがおもしろいんですねえ。  さあ、一生懸命、建てているうちに、村人たちがそれを知って、わしも手伝うぞ、わしもレンガ持ってきてやるぞ、わしも材木持ってきてやるぞ。ここから、この映画、もっとおもしろくなるんですねえ。  みんなが集まってくれたことはうれしい。材木くれたことも、レンガくれたこともうれしいぞ。けれど、絶対、手伝ったらだめだぞ。おれ一人で建てるんだ。寺を建てるという善行を、おれ一人がひとりじめするんだ。——この男が、こんなふうになる、そこがおもしろいですねえ。  この男はもうお金なんか全然問題じゃない。寺を建てることがおもしろくなったんですね。そうして、みんなに見さしといて、自分一人で、まあそれこそ汗びっしょりびっしょりで、み月かかったかよ月かかったか、とうとう寺を建てました。そうして、建てた寺のてっぺんに、十字架を釘《くぎ》で打つところ、すごいですねえ。喜んで喜んで釘を打って、セメントの上に、自分の名前の頭文字を彫って、そこでまた、エーメン、エーメンと鼻歌をうたいながらおりてきます。 「あしたは、この教会のミサです。初めて村のみなさんを集めるんですよ。うれしゅうございます。あなたのおかげで、こんな立派なお寺が建ちました」  喜びの言葉を聞いて、この男は、一人で鼻歌うたいながら、車ですーっと去って行ってしまうのが、この映画の終りですねえ。はい、「野のユリ」ですねえ。野のゆり、野生の、この花。一輪の野のゆり、これはなんて立派でしょう。ソロモンのあの豪華な豪華な衣装よりも、この野のゆりの、この美しさを見なさい。という映画で、まあ、いかにもクリスマスを、イエス・キリストを背景にしたおもしろい映画でしたねえ。 ●「我が道を往く」の愛の世界  ここらでもうひとつ、きれいな話の映画を思い出しました。「ゴーイング・マイ・ウェイ」(「我が道を往く」一九四四)、まあ、これもきれいでしたねえ。  ニューヨークの下町に、もう七十、それよりもっと歳《とし》とったみたいな、おじいちゃんの坊さんがいましたねえ。これ、バリー・フィッツジェラルドが扮してますが、教会を経営してるんですけれど、もう不景気で不景気で、借金だらけ。まあ、その土地の地主が、教会を壊しちゃって、ビルディング建てるっていってきてるんですね。それを、そのじいさんの坊さんが、まあまあもう少しかんべんしてください、なんていってます。  さあそこで、教会の教区の元締めのほうから、じいちゃんではだめだからおまえ行ってこいというので、若いオマリー神父が、派遣されてくるところから、この映画が始まりますねえ。ところが、おじいちゃんは、まさか自分がくびになって若い牧師がきたとは、頭から考えてません。わしの助手がきたのかのう、なんていってるからおもしろくなるんですねえ。ビング・クロスビーがこのオマリー神父を演じてみごとでした。  この若い牧師は、なんでも若いスタイルでやっていきます。不良少年がいたら、歌で歌で歌で、みんなを教育してやる。まあ、家出娘も、歌で教育してやる。明るく楽しく、テニスもする、釣りもする、野球もする、なんでもするんですねえ。まあ、このおじいちゃん、すっかり怒りました。なんちゅう行儀のわるい牧師だろう、この頃の若い者はしようがないなあ、と思っとりました。あんな若い牧師に、この教会をめちゃめちゃにされたらたまらん、そう思いながらも見てると、この若い牧師の明るい明るい気持ちで、どんどん信者がふえてきたんですねえ。あいつ、やりよるなあ、と思ってきました。  ところが、あるとき、教区の元締めへ行きまして、このおじいちゃん、ほんとうは自分のかわりに、あの若い牧師が派遣されてきたんだということを知ったんですねえ。まあ、自分の誇り、自分の自信がめちゃくちゃになったわけです。ショック受けたんですねえ。 「わしは、もう、いらんのか。そうか、いらんのだな。あの若いのが、教会の主人になるんだな。そうか、わしはいらんのか」  まあ、ベソかいて、泣きながら帰ってきて、とうとうその晩に、このおじいちゃん牧師は家出しました。  オマリー神父はびっくりしまして、電話であっちこっちたずねました。そして、警察にも電話かけました。雨が降ってきました。八時、九時、十時、十時半、そこの女中さんと召使いの女の人と自分で、入口でじーっと待っていても帰ってこないので、ソファで横になりました。  おじいちゃん、実は行くとこなんか、ありゃしません、どっこも。だから、雨にぬれて帰ってきました。おまわりさんに連れられて。入ってきたときに、いいました。 「わし、ちょっと、散歩に行っとったんや。心配したかいのう」 「はあ、散歩でしたか。ようお帰りなさいました。あの、二階へあがってお休みください。あのね、晩ご飯、ちょっとあまってるの、食べませんか」  この若い牧師が、そういいました。まあ、あんた、どこへ行ってたの、なんていわなかった。そして、おじいちゃんがおなかすいてペコペコなのを知ってましたけど、知らん顔していったんですね。 「ちょっと一口でも食べませんか。あんまりすいてないと思いますけど」 「いや、わしは全然すいとらんの。なにも、そんなもの欲しくない」  まあ、おじいちゃん、腹ペコのくせに、そんなこといってましたの。  二階のベッドに入れて、それから温かいシチュー持ってったら、まあ、おじいちゃん、全部食べましたねえ。もう皿までなめるぐらい食べました。そこで、この若い牧師が、一杯飲ましてやりたいなあと思ったけど、一杯飲みますかなんていったら、おじいちゃん、また怒るから、 「あのう、あのバイブルの裏に、かぜ薬がありましたなあ。あれ、ちょっと飲みませんか」 「ああ、わしのかぜ薬があったのう。ちょっと飲んどこうかのう」  うそです。お酒なんですねえ。それをとってきて飲ませたら、 「ああ、うまかったのう。今日は、疲れた。あの、ちょっと、向こうの額、見てみい。あれは、わしのなあ、おふくろ、もう九十歳過ぎや。アイルランドにおるが、どうしとるやろなあ。若いときに、あのおふくろがわしを抱いて、よーく、うとうてくれた、アイルランドの、あのトゥーラルゥーラ ルラー、なつかしいのう」  おじいちゃんは、そういいながら、そこのオルゴールの文箱開けたら、トゥーラルゥーラ ルラーが聞こえてきました。 「私がうたってあげますよ」  その若いオマリー神父が、 「トゥーラルゥーラ ルラー ルーラリーラ リー ルーラリーラ ルラー」  おじいちゃんは、すやすや眠りました。よかった。オマリー神父は抜き足差し足で、そーっと電気消して、扉を開けて、出ていこうとしたら、おじいちゃんが、 「おやすみ」といったんですねえ。おじいちゃん、眠ってなんかいなかった。  ここのところ、おじいちゃん牧師と若い牧師さんの、友情というのか愛情が、なかなかあふれるように出とりましたねえ。  やがて、クリスマスがやってきました。そうして、このときに、立派な立派な教会ができあがったんです。さあそこで、おじいちゃんが、 「まあ、なにもかも立派になった。みなさん、このオマリー牧師という若いのが、ようやりよったおかげだ。わしは、この教会から出るはずだったけれど、この若い牧師がいうてくれて、まだここにおることができるようになった。みなさん、どうぞよろしゅう、このオマリー牧師とわしを、いつまでもいつまでも忘れんように」  そういう説教してるときに、オマリー神父が教壇にあがってきまして、 「さあ、ちょっと、あなたに贈り物があるんですよ。クリスマスの」 「わしへの贈り物か。なんじゃ、あらたまってのう」 「向こうを見てごらんなさい」  オマリー神父が指差しました。教会の入口の戸を開けて、そこに、杖をついて、ひょろひよろ、ひょろひょろ、二人に抱かれて出てきた、それは忘れもしない九十一歳を迎えたお母さん。おじいちゃんのお母さん。オマリー神父がお金出して、わざわざアイルランドから呼んできたんですねえ。 「さあ、これが、あなたへのプレゼントなんです」  おじいちゃんは、まあ、びっくりして、ふるえるように教壇からおりて、「お母さん!」そういいました。お母さんもからだをふるわして、 「よう、わしの息子かのう」といいました。まあ、七十歳の牧師と、九十一歳のお母さんが抱き合ったときに、この映画は、  トゥーラルゥーラ ルラー ルーラリーラ リー  きれいなきれいなメロディで、二人が抱き合って泣いてるところ、この若い牧師がそーっと、もう用意したトランク持って、出てゆきます。もう、用事はすんだんだ。きっと、あのじいさん牧師で、この教会はきれーいにやっていける。そう思って、外へ出たんですねえ。外は星空。雪がいっぱい。クリスマスの晩は、いかにもきれいでした。  これが「我が道を往く」でしたねえ。そういうわけで、映画のなかのクリスマス、いかにも心温かく、私たちをほんとうに愛の世界に導いてくれますねえ。  まあ、クリスマスの映画、いろいろ語っているうちに時間がきましたが、まだまだ、たくさんあるのに残念ですねえ。  はい、いかがでしたか? なに、最初からぐっすり寝てた、ですって? まあ、あんた、きっと|ばち《ヽヽ》が当たって風邪ひきますよ。ともかく気をつけてくださいね。それでは、  サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ。 [#改ページ]   映画のなかの会話の魅力  はい、みなさん今晩は。  今夜は、映画のなかの会話の魅力、映画のなかの言葉の魅力のお話。まあ、言葉というものも、いろんなおもしろさがありますねえ。さあ今夜は、それをみなさんと楽しみましょうね。  あんた聞いてるの? まあ久しぶりに、ちゃんと聞いてらっしゃる。ありがとうございます。粋な言葉、すばらしい言葉、ためになる言葉がたくさんあるんですよ。いいですか、よーく聞きなさいね。 ●「おれは今女房に復讐《ふくしゆう》されとるんじゃ」  最近、といってもちょっと前になりますけれど、「ゴッドファーザー」(一九七二)、まあこんな映画でも、映画のなかの会話といいますと、いいのがあるんですねえ。私は、ああいいこといってるなあ思うと、聞くとすぐにメモするんですね。 「偉大な人間とは、生まれながらに偉大なのではなく、長ずるにしたがってえらさを発揮してくるものである」  そういってるんですね、「ゴッドファーザー」のなかで。いい言葉だなあと思いました。生まれたときは、みんな同じ。だんだん大人になるにつれて偉大さを発揮してくるんで、みんな自分自身に責任があるんですねえ。  いいこと、いってるなあ。メモしました。そういうメモした言葉、頭に入れてある会話を、みなさんにお話しましょうね。だから、どの映画にどれがあったのか、わからなくなってるのもありますけれど、ちょっとずつ、いろんなのがあるんです。 「ぼくは、煙草を禁煙してるんだ、人にもらって吸う以外は」  まあ、いいですねえ。うまいこと、いいますねえ。そういった言葉を聞くと、うれしくなりますねえ。なんとなしに愉快になってくるんですね。  さあ、お母さんと娘が車に乗っておりました。お母さんが運転しとります。で、そばで娘が、なんとかかんとか文句いってるんですねえ。その娘の彼氏のことを、お母さんが理解してくれない。それで娘が怒ってるんですね。娘がいいました。 「だって、ママだって、パパと恋愛結婚したんでしょ」  どうもその娘は、その彼氏と恋愛してるんですねえ。そのとき、お母さんがうまいこと、いったんです。 「だから心配なの。あんな亭主つかんだから」  まあ、こういうあたり、なんでもないけどおもしろいんですね。つまり、恋愛というものはハシカみたいなもので、そのときは夢中になっても、一年たったら覚めるかもわからない。覚めるのを待たないで結婚したら妙なことになる、なんていってるところが、ちょっと、ほのかにわかって勉強になるんですねえ。こんなおもしろいの、ありましたよ。 「あら、あんた、よくいらっしゃいましたわね。うれしいわあ、私、今夜から、お父さんと堂々と一つベッドで寝られますわ。だって、私んとこ、ベッドは二つしかないんだもの」  そういってるんですね。これ、なんの話か。女のお友だちが、自分の知り合いの女の家へ訪ねていって、「今晩泊めてちょうだい、明日も泊めてちょうだい。私、家でけんかしたの」といったんですね。まあ、急に来て、泊めてちょうだいなんて、厚かましいなあ、いやですねえ、そう思っても、上手にいうんですねえ。あら、よくいらっしゃいましたわねえ、うれしいわ。これで今夜から、お父さんといっしょに一つベッドで寝られますわ。だって、私んとこ、ベッドがたった二つなんです、といってるんですね。「ベッドがたった二つ」ですよ。「ノー」といってないようで、「ノー」といってるんですねえ。  そんなことが、よくありますよ。 「あんた、ずいぶん立派になったわねえ。中味は前よりわるくなっているけど」  なんていうのも、うまいですねえ。まあ、憎らしく、うまく皮肉りますねえ。 「ああ、おれは今、女房に復讐されとるんじゃ。あれで昔は、ほっそりとして美人じゃったがなあ」  これ、おじいさんが自分の友だちと将棋してるんです。そこへ、奥さんがパンとぶどう酒を持ってきたんですね。その奥さん、ふとってるんです。その奥さんを見て、おじいさんの亭主がいったんですねえ。復讐されとるんじゃ、というのがいいですねえ。どうも、美人のワイフもらったくせに、自分は浮気ばっかりしとったらしいですね。そのうちに、だんだん嫁さんがふとってきたんでしょう。  こういう言葉をきくと、やっぱり人生勉強になるんですね。この言葉、もしも、こんなふうに直してみたらどうでしょう。 「ああ、おれは女房に失敗した。あれで昔は、ほっそりと美人じゃった」  これはいけませんねえ。女房に失敗したなんていったら、|み《ヽ》も|ふた《ヽヽ》もありません。女房に復讐されとる、というところに女房への愛情があるんですねえ。 ●「女は二十分で若者を一人前の男に……」  映画のなかでね、美人スターがね、こういったんですよ。 「あなたと私が結婚すると、きっとすばらしいわ」  相手は作家なんです。私の美貌と、あんたの天才的な頭脳、その二人が結ばれてすばらしい子供ができるでしょう、というんですね。すると、その作家がいったんです。 「そうだねえ。けれど、君の頭脳と、ぼくのこのまずい面とが、そのまま子供に受け継《つ》がれたら、えらい子供ができるだろうな」  まあ、ひどいですねえ。まあ、えらい侮辱ですねえ、その美貌スターへの。  そういうことを、映画ではどんどんいいますね。そんなこと、まだありますよ。 「いったい、行く気があるのか、行く気がないのか」と、亭主が奥さんにきいてるんです。 「それは、あんたの考え方次第ですわ」と、奥さんがいいました。 「どうして?」といったら、 「だって、私、初めっから行く気なんか、ないんですもの」といってるんです。  簡単なことですけれども、ここに味がありますねえ。おまえはいったい行く気があるのか行く気がないのか、なんて亭主にきかれて、その奥さん、すぐには、行くとも行かないとも答えないで、あんたの考え方次第でしょうというところ、この夫婦の、生活というか性格というか、みごとに表してますねえ。  まあ、映画のなかの人生勉強、思いがけないところにもあるんですよ。たとえば「史上最大の作戦」(一九六二)という戦争映画ありましたねえ。この映画でも、ぴちっと目が覚めるような言葉が出てきましたねえ。 「鉛筆というものは、あんまり先をとがらせておくと、ピシッと折れるもんだよ」  ははあ、いいことやな、と思いました。なんでもないことなのに、ちょっと考えますねえ。あんまりキンチョウして、あんまり考えて考えて考えて神経のかたまりになったら、かえってうまくいかないですね。鉛筆もあんまり先をとがらせると折れますよ。これを頭に入れて、私は勉強しております。  さあ、それでは、ここでちょっと気分転換をして、ボブ・ホープのあの「腰抜け二挺拳銃」(一九五〇)という映画から、一言、探してみましょうか。ボブ・ホープが、おもしろいこといいました。 「歯医者というものは、患者の口のなかへ金属を突っ込んで、そして患者の懐《ふところ》から金をもぎ取るもの」  まあ、ものはいいよう、いろんないい方があるもんですねえ。けれども、もっと実《み》のある言葉を探してみましょうね。 「独身の男は、結婚している男よりも女のことについてはよく知っている。もしも知っていなかったら、とっくに結婚してしまっただろう」  まあ、えらい言葉、ちょっと困ります。私の言葉みたいね、まるで。ひどいですねえ。それからね、 「女は、男をそのお母さんから奪い、そうしてその女は、やがて息子を新しい女性に奪われる」  こんな言葉が出てくると、息子を持ったお母さんは心配ですねえ。さあ、みなさん、これを聞いてください。いったい、どうお聞きになるでしょうね。 「母親は、二十年かかって少年を一人前に育てます。しかし、別の女は、二十分でその若者を 一人前の男に仕立てあげます」  まあ、意味深ですねえ。お母さんは二十年かかって息子を大きくしたんですねえ。それを別の女が二十分で、男にするというんですね。まあちょっと、いやらしいですねえ。あきれますねえ。  けど、もっと真面目な言葉もありますよ。 「小麦は緑」(一九四五)という映画でした。ウェールズの炭坑の町で、ベティ・デイビスの扮する学校の先生が、一生懸命に子供たちに教えてるんです。ところがまあ、みんな、しようがない子供で、ちっとも勉強しない。先生は、もうガックリして、こんな学校の先生なんかやめようかしらん、そう思いました。けど、一人の子供が、とってもいい答えを書く、作文もみごとなんですね。この子は絶対いける、この子のためにがんばろう、と思いました。そうして、 「決して気短かになってはいけません。忍耐をもって、この一粒の麦を植えましょう。育てましょう」  そういうことをいいました。そんなことを、この先生がいったことはうれしいことですねえ。おもしろかったですねえ。はい、まだまだ、いろいろ、映画のなかの言葉はあります。 「一日だけ幸せになりたかったならば、あんた、床屋に行きなさい」  まあ、一日だけの幸せ。そうして、 「一週間だけ幸福になりたかったら、結婚しなさい」  まあ、結婚ですと、一週間だって。 「一ヵ月幸せになりたかったら、あんた、馬を買いなさい」  これ、イギリスですね。競馬が好きだから、馬を買って一ヵ月の幸せなんて。 「一年幸せになりたかったら、家を新築しなさい。けれども、一生幸福になりたかったら、正直な人になりなさい」  まあ、いいですねえ。正直な人というのは、そんなに幸せなんですねえ。 ●「こう寒いと人が恋しいなあ」の実感  人間がひとりでいること、私もひとりですけれど、映画のなかで、こんなこといいました。 「孤独というのは、男にとって、成功への大切な土壌である。しかし、女にとって、孤独とは破滅しかもたらさない」  ははあ、男は孤独でいいんですね。女は孤独ではいけないんですね。そんな言葉が、映画のなかにちらちら出ると、人間探究できますねえ。  また、あるとき、こんなこといいました。 「ユーモアというものは、悲しいことを悲しいこととして語ることを拒否するものだ」  ははあ、おもしろい言葉だなあと思いました。ユーモアというものは、悲劇でさえ滑稽《こつけい》化するんだな、と思いましたね。まあ、なるほどねえ、と考えさせられますねえ。  それから、たった一言のニュアンスが、なんとなし、人間の感じを出すのもありますね。「ウィル・ペニー」(一九六七)というヘストンの映画がありました。文字も書けないカウボーイが、もう結婚もできなくて、四十男になっている、この西部の男の話なんです。ヘストンが扮しました。この男、ペニーが一言いった言葉がおもしろいんですね。 「こう寒いと人が恋しいなあ」  たった一言、なんともしれんいい言葉だと思いました。寒いと人が恋しいなんて、おもしろいですねえ。実感がありますねえ。なにも四十男の独身でなくたって、そんな感じ、わかりますねえ。このウィル・ペニーが、こうもいいました。 「歳《とし》をとってしまっては、もういっぺん繰り返すことはできんなあ」  といいましたね。なんでもないようだけど、こわいですね。こんな言葉が、まあ、ちらっと出てくるんです。だから、映画は二、三回ごらんになったら味がありますよ。また、こんなこといってます。 「他人がいなかったならば、人間は存在しないんですよ。人を意識することが教養の初めです」  自分ばっかり、勉強して頭でっかちになって自分さえよかったらいい、そんなのはちっともえらくないんですねえ。人を意識することが教養の初めなのですねえ。そういうことが映画のなかにありますと、やっぱり勉強になりますね。 「世のなかには、よい戦争も、また、わるい平和も決してあり得ない」  まあ、おもしろいねえ。当たりまえですね。よい戦争なんてありっこありませんねえ。昔、戦争を日本がやったとき、聖戦、清らかな戦いといいました。まあ、そんなこといわれて、だまされましたねえ。 「世のなかは、根気の前には頭をさげることを知っていますよ。けれども、火花の前には一瞬の記憶しか残らないことを教えてくれます」  これもおもしろいですねえ。根気のあるしんぼうづよい人を、世のなかが認めてくれるんですねえ。火花のように、パッと華やかでも、それは一瞬の拍手なんですよ。よくありますねえ。きのうなんでもなかった若いのが、急に一流の歌手みたいになって、パーッと燃えて、三年たったら消えてなくなる。つまらないですね。一生懸命に一生懸命に自分のものをみがくのがいいんですね。世のなかは根気の前には頭をさげることを知っている、というのがいいですねえ。  というわけで、私は、映画って安いと思いますよ。映画はね、じかにこっち向いてしゃべってくれる、それがとっても身につきますねえ。  はい、あなたが美しくなるための言葉。 「美しくなる化粧の第一は、とにかくまず、感激の涙であなたの頬をぬらすことです」  そういってるんです。これはいい言葉ですねえ。感激の涙で頬をぬらすんです。それが美しくなるいちばんいいことだといってます。まあ、映画のなかのすごい映画を見て思わず泣いたり、小説読んで感激のあまり涙ためたり、文楽見に行ったり歌舞伎見に行ったりして泣く、それが顔をきれいにするんですねえ。美に対する感激が、ほんとうに心と顔を美しくすることなんですねえ。  さあ、おれの女房は悪妻だ、なんていってるのは亭主がわるいんですよ。あなた、よくお聞きなさいね。 「よき夫には悪妻なし。もしも夫が妻に愛されていなかったならば、その夫の生涯は危険の連続である」  まあ、おもしろいですねえ。だから、夫婦というものは、むずかしゅうございますねえ。こういうようなこと、どんどんどんどん、私は頭のなかにメモしてるんです。そうするとね、勉強になるんですね。それで、とうとう私は、結婚できなかったんですね、フフフフ。 ●「世界はその人のために道をあける」  どのような職業につくとも、学問と芸術を愛することを忘れては、なんにもならない。まあ、こういうことも教えられましたね、映画で。 「どんな職業についても、学問と芸術、これを愛さないようでは仕事はできない。いちばん人間で大事なこと、それは学問と芸術なんです」  いいこと、いいましたね。これ、フランス映画だったかなあ。 「今日が去っていくことを絶対止めることはできない」  これもいいと思って、メモしましたねえ。こんなこと、もう常識ですねえ。けれど、これを画面のなかの男、あるいは女がいったとき、身にしみます。今日が去っていきます、日が沈みました。もう二度と今日は帰ってこないんです。映画のなかで、そうしんみりいわれたら、私なんか特に身にしみますねえ。死期が迫っていますから。  こういう言葉は、やっぱり勉強になりますねえ。また、こんなのあるんです。 「五ドル、十ドルを倹約して、精神的に千ドルの損」  まあ、これなんか日本にもありますねえ。安物買いの銭《ぜに》失い、ですねえ。 「金で買えるすべてのもの(オール・ザット・マネー・キャン・バイ)」  これは、悪魔が喜んでいう言葉です。悪魔は金で買えるものをいっぱい持っていますけれども、金で買えないもの、それこそが人間のいちばんの宝なんですね。それは、友情ですね。夫婦愛ですね。すべて愛というものは、金で買えませんねえ。 「いやでもなんでも言葉というものを一生使っていかなければ、社会生活ができません」  まあ、これもいい言葉ですねえ。社会生活には、まず第一に言葉ですよ。人間にはまず言葉あり、イエス様もそういいましたね。そういうわけで、言葉というものはとっても大事なんです。ところが、この頃の学生の言葉を聞いてると、東映の映画みたいでこわいですねえ。「テメエ」「オレ」なんて、すごいですねえ。  そういう具合に、ぞんざいな、なんともしれんいやな言葉づかい、それから、こんな会話がありますね。 「今日は暑いですね」「うん」これじゃ、つまらないですよ。「今日は暑いですね」「ほんと、暑いですねえ」これが社会のまず第一の文化ですねえ。 「今日は寒いですね」「うん、冬だもの」これでは、あんまりです。やっぱり、「今日は寒いですね」「ほんと寒うございますね」これが文化の第一ですねえ。  ちょっと、映画と違いますけど、秋田のお坊さんに教えてもらった言葉の詩があるんです。これ、とてもきれいでした。   一つのことばでけんかして   一つのことばで仲直り   一つのことばでおじぎして   一つのことばで泣かされた   一つのことばはそれぞれに   一つのこころをもっている  一つのことばでけんかして、いらんことをいうからけんかになるんですね。一つのことばで仲直り、ごめんなさい、たった一言で仲直りになるんですねえ。一つのことばでおじぎして、暑うございますね、ほんとに暑うございますね。今日はほんとに寒うございますね、さあさあなんか温かいもん食べましょうか、その言葉で相手はおじぎをするかもわからない。一つのことばで泣かされて、冷たーいこという人、その言葉で相手が心のなかで泣いた。そういうわけで、一つの言葉それぞれに一つの心をもっているんですね。  まあ、話がえらいかたくなってきました。  ところで、映画の「我が道を往く」(一九四四)のなかで、オマリー神父に若者がおもしろいこといいました。 「ぼくはね、十八歳のときは、お父ちゃんがばかに見えたの。ところがね、二十一になったとき、おとっつぁんがすごくえらく見えたの。たった三年で、おとっつぁん、どうしてあんなにえらくなったんだろう」  そういったんです。これ、十八歳のとき、おとっつぁんのこと、ばかかと思ったんです。十九のときも、二十のときも。ところが二十一、急におとっつぁんが立派に見えてきたんですねえ。この言葉のなかに、十八、九の頃には親のありがたさがわからなかったのが、二十一、二十二になって、ああ、ついにわかってきました、ということいってるんですねえ。親のありがたさがわかったのは、自分が成長したからなんですね。  それから、ヘンリー・フォンダの映画で、「スペンサーの山」(一九六三)というのがありましたねえ。この映画のなかで、石切り屋の子供が、上の学校へ行きたいんだ、といいました。おとっつぁんは、学校へなんか行かなくてもいい、といいました。モーリン・オハラのお母さんが、けどあんなに行きたがっているんだから、といいました。それで、お父さんとお母さんが、小学校の先生のところへ、その子を連れていきまして、 「この子が上の学校へ行きたがってしようがないけれど、行ってみたところで、この子にはなんの役にも立たないと、わしらは思っとりますが……」  そういいました。そして、先生がその子にききました。 「あんた、ほんとうに行きたいの?」 「うん」といいました。  そこで、この先生が、いい言葉をいいましたねえ。 「世界は、わきによけて、その人のために道をあけてくれます。もし、その人が本気で通るならば」  なかなかすばらしい言葉ですねえ。映画のなかには、そういう言葉がまあダイヤモンドみたいに出てきますよ。 「世のなかで、いちばん楽しく立派なことは、生涯をつらぬく仕事を持っていることだ」  こんな言葉もありましたよ。 ●私が映画から得た三つの言葉  さあ、あんまりかたいことばっかりいわないで、なんかおもしろい言葉を探しましょうね。映画の言葉というものはね、一流映画じゃなくて二流映画でも、おもしろいのが出てきますねえ。このあいだ、和田誠さんが、こんなこといってましたね。 「イギリス映画でね、おもしろいのがありましたよ。�謎の要人ゆうゆう逃亡�なんていう二流の映画。まあ二流といったらなんだけど、一流とはいえないねえ。この映画のなかで、こんなのありましたよ」 「どんなこと?」 「あのね、�料理するには頭はいらん。そうでなかったら女にできるはずがない�っていってた。これ、いい言葉だねえ」  なんていってましたが、憎らしい言葉ですねえ。そういう言葉がたくさんあるんですねえ。あの「コレクター」(一九六三)のなかでは、こんなこといってました。 「だれでも人は好きになれますわ。だれでも人を愛することはできますわ。でもそれは、人を所有するということではないのよ」  これ、だれでも人を愛することはできます、でも独占することはできません、といってるんですねえ。もっと、なんか、いやらしいの探しましょうか。「昼下りの情事」(一九五七)で、モーリス・シュバリエがいったんです。 「時計の針というものは、真夜中の十二時になると、大きいのも小さいのも、二つが一つに重なり合いますよ」  これなんて、まあ、ちょっと意味深長ですねえ。いやらしい言葉ですねえ。しかし、うまいこといいますねえ。  まだまだあります。たとえば、約束の場所へ男と女が行く、そのときにね、男が女を待つことは事件にならないんですって。 「男が女を待つことは当たりまえだ。ところが女が男を待つことは、すでに事件の始まりだ」  といってるんです。まあ勝手ですね。男は損ですねえ。  男と女というところで、ちょっと思い出しました。男と女、どちらが賢《かしこ》いかなんて、そういう映画がありましたね。あなた、どちらが賢いと思います? すると、その映画のなかで、そりゃ女のほうよ、といったんです。ありゃ、女のほうが賢いのかな、びっくりしたんですね。 「男と女、どちらが賢いの?」 「だって、そりゃ女の人よ。だってね、男の人は女なんかと結婚するんでしょ」といったんですね。「女の人は、ちゃっかり男と結婚するんだもの」  まあ、わかりますか? 「それで女は一生、安楽ですわ。けど男は、それで一生苦労しますわ」  なんて、まあ、うまいこといいましたねえ。ずいぶん男って損ですねえ。  そんなことば、まだいろいろありますよ。 「妻は、なにか買ってくれと、ねだったことは一度もありません」 「まあ、あんたの奥さん、いいですねえ」 「けどね、勘定書だけを回してきます」  一言で、そんな奥さんのこといってのけるなんて、映画の会話は勉強になります。  日本人ほど会話がへたなのはないんですねえ。むこうは、とっても社交性があるから、映画の会話がとっても勉強になるんです。だからね、私たちも、もし少し会話の勉強をしたほうがいいと思います。けど、 「男があんまりペラペラしゃべるのは男らしくないんだ。ことに、あの淀川なんていうのは、いちばんばかだね。あんなにペラペラしゃべるのはね、男の世界に入れられない」  なんて、ことに男の方、おとっつぁんがいってますね。そんなおとっつぁんは、小さいときから、あんまり男はものをいうな、といって育てられたのでしょう。だから、ものがいえなくなって、会社でも「おはよう」「うん」なんです。家に帰っても、「あら、おとうさん、お帰り」「うん」なんて、うんばっかり。けれど人間はね、そうしゃべらないでおれないんです。しゃべらないと、おなかのなかに、たまっちゃうんですねえ。  そんなときに、おとっつぁんはね、帰りに一杯飲みに行くんですね。そこで思いきり二時間くらい、しゃべってくるんですね。そのしゃべり方きいてますと、たいがい上役のわる口いったり、まあ女房のわる口いったり。あんまりおなかのなかでふくれちまって、ものがいえなくて黙っていると、わるいことばかり出てくるんですねえ。  だからね、常々、会話を楽しむということは、とってもいいことなんですよ。というわけで、私は映画から会話の勉強しましたねえ。そして、そういう言葉は、ユーモアがあって明るくて、すべてが人間愛から出ていますから、どんなに憎たらしい言葉でも腹が立たないんですねえ。 「あんた丈夫ねえ、なに食べていらっしゃるの?」 「うん、ぼくですか、人を食ってるんだ」  まあ、なんでもないけどね、その一言に、とってもユーモアがあるんですねえ。  飛行機に乗って、そうして隣の人が、 「まあ淀川さん、このソファも、このカーテンも新しくてきれいですね、いい飛行機ですね」  というとですね、私は、いってはいけないことをいっちゃうんですね。これはもう、ちょっといいすぎですけどね。 「はい、あのねえ、飛行機はですね、よく落ちるでしょ。しょっちゅう落ちてるから、だんだんきれいになっていくんです」  なんて。相手の人が私の顔見て、プウッと怒ってるんですけど、おもしろいですねえ、そんないたずらが。  さあ、そろそろ時間が迫ってきました。最後に、これはもう何度もいったから照れくさいですけれど、いちばん私を健康にしてくれた三つの言葉、申しましょうね。 「苦労こい。苦労きたれ」  まあ、映画から得ました。それから、 「他人歓迎。もう他人という言葉をもつな」  これも映画から得ました。もう一つは、もう照れくさくて照れくさくていえないくらい、私がよくいってる言葉で、 「アイ・ネバー・メット・ア・マン・アイ・ディドント・ライク」と、映画の画面のなかのおっさんがいいました。「おれはなあ、まだ今日まで、きらいな奴にあったことがねえ」  まあ、こんなこといえたら、どんなに人間幸せでしょう。私は、こういう言葉を、映画から得たんです。本なんかと違って、映画は画面がパッと移って消えちゃうから、いいなと思ったら、すぐに覚えておかないと損だと思うんですね。だから、映画のなかの言葉いうもんは、案外しみこんでいて、ちゃんと覚えているんですねえ。  ああ、もうすっかり時間がきましたね。いかがでしたか? いろんな言葉、次から次におしゃべりしましたけれど、一つぐらい、覚えてくださったでしょうか。こんど、あなたが映画をごらんになったら、すばらしい会話、すてきな言葉をつかまえてみましょうねえ。はい、それでは、  サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ。 [#改ページ]   いつでも別離はつらい  はい、みなさん今晩は。  今夜は、映画のなかの別れです。まあ人生は、会うことと別れること、これはもうつきものですねえ。人間、不思議なもので、いろんな運命がありますね。会うことの楽しみ、別れることの楽しみ、悲しみ。別れることの楽しみっていうのは困りますけど、いろいろありますねえ。  さあ、どれだけ映画のなかで、うまくいかなくて別れるということが多いか、もうそれは限りがありませんねえ。別れるシーンの、みごとな作品を拾って、お話しましょうね。  でもね、私は、あなたとまだ別れません。しっかりとくっついておりますから、まあまあ心配せんと、ご安心ください。はい、残念でしたねえ。 ●別れの映画のクラシック「シナラ」  たぶんみなさんが、もうごらんになってる「パリのめぐり逢い」(一九六七)も別れの映画ですねえ。クロード・ルルーシュのあのタッチ、それに音楽もきれいでしたねえ。イブ・モンタンがニュース・キャスターで、アニー・ジラルドのきれいな奥さん。まあ、こんなにいい奥さんがあるのに、イブ・モンタンは浮気しますねえ。どうしてでしょうね。不思議ですね。男は、こういうことになるんですねえ。だから、私は結婚してないんです。  というわけで、まあ話がそれそうになりましたけれども、このイブ・モンタンが、アメリ力の娘で、ソルボンヌ大学に通っている女の子、キャンディス・バーゲンに一目|惚《ぼ》れしましたねえ。そうして、このアメリカ娘が、相手に奥さんがあることもよーくわかってるのに好きになりました。こういうこと、困りますねえ。  私の知り合いの娘も、そうですねえ。あんた結婚しなさいよ、そういったら、私の好きな人はみんな奥さんがあるの、なんてまあ困りますね。どうして神様は、こんなに意地悪いことするんでしょうねえ。  というわけで、このアメリカ娘、相手に奥さんがあること承知でした。けど、最後の最後に、奥さんが相手の男から離れたとき、初めて、その奥さんの気持がわかった。それで、若い娘は逃げましたねえ。去っていったんですねえ。  相手を幸せにしようという気持で、自分だけ傷を受けて逃げようとしますねえ。ここらあたり、この男、この奥さん、そうして第三者のこの若い娘が、お互いを傷つけないようにしているところに、なんともしれん愛の温かさを感じますねえ。こういう映画のよさがありますねえ。  さあ、こういう別れの映画のクラシック、今考えたら映画のクラシックになってますねえ、一九三二年の映画に「シナラ」というのがありました。旦那さんと、奥さんと、第三者の若い女の、これはみごとな映画でしたよ。ロバート・ゴア・ブラウンという人の舞台劇の映画化で、監督がキング・ビダー。この監督は、こういう映画撮るのがうまいですねえ。そして、ロナルド・コールマン、|ひげ《ヽヽ》のコールマン、その頃の一世を風靡《ふうび》した、まあ代表的な二枚目のコールマンが主演しました。クラーク・ゲーブルが男性的なら、ロナルド・コールマンは紳士的ですね。このコールマンが旦那さんで、きれいなきれいな奥さんにはケイ・フランシスという女優さん。  二人はとっても仲がいいんです。旦那さんは立派な会社の重役ですねえ。あるとき、奥さんのお母さんが病気だというので、奥さんが見舞いに行きました。四週間、故郷へ帰ったんですねえ。  旦那さんは、ゴルフに行ったり、いろんなクラブでお話したりして、妻の帰りを待っておりました。そして、仲間といっしょに一杯飲んだ帰り道で、ちょっと、ソフトドリンクでも飲んでいこうというので、みんなが笑いながら喫茶店へ行きました。 「まあ、ぼくたち、こういう喫茶店なんていうところへ来るの、久しぶりだなあ」  なんて、この四人ばかりの立派な中年の紳士がしゃべってますと、向こうのほうのシートに、三人、四人ぐらいの女の子が、キャーキャーしゃべっておりました。あんまりかわいいんで、「おいで、おいで」といったら、みんな喜んできました。そうして、おじさんたちと若い娘たちと、まあキャーキャーしゃべって、 「私たち、これからチャップリンの映画を見に行くのよ。おじさんたちも行きませんか」 「まあ映画が好きなの。そうだ、考えてみると、チャップリンの映画おもしろかったなあ」  というので、みんなで映画見に行きました。これが「シナラ」の始めなんですね。  そうして、その帰り。一人の娘さんが、ロナルド・コールマンの扮してる中年紳士のことを、なんという上品なおじさんだろうと思いました。とっても尊敬しました。 「私、また、おじさんに会いたいわ」といったんですねえ。 「いいよ」と、この紳士はいいました。  そうして、この若い若い娘、フィリス・バリーが扮していますが、その娘と紳士が、また会いました。それはちょうど、お父さんが娘に会うように、おじさんが自分のめいに会うように、気楽な気楽な気持で会ってやったんですねえ。  けれど、また会うことになりました。 「公園のベンチで会いましょう」と娘がいいました。男は笑いました。 「ロマンティックだなあ。まるで、昔の、ぼくが妻君とデートしたこと思い出すなあ」  こうやって会ううちに、このかわいい十七歳の娘のほうが、本気で男を好いていることがわかってきました。ほんとうに、本気だということがわかってきて、この紳士は、 「ぼくは、そうでは困るんだよ」といいました。 「ぼくには奥さんがあるんだよ」 「そんなことは、私、初めっから知っています」といいました。 「けれども、奥さんがいらっしゃっても、私を一生涯、愛してくださいませんか」 「とても、そんなこと、できやしない」といいました、このおじさん。 「君は立派な、いい男性を見つけて結婚しなくちゃいけないよ」  娘は泣きくずれました。 「そんなことは、とってもできない」といいました。 「それなら、おじさん。奥さんが帰られるまでは本気で愛してくれますか」 「そんなこといわれても困るけど、妻が帰ってくるまでは、楽しく、いつもデートしましょう」といいました。  男の口から「デート」という言葉が出たので、まあ、娘は泣きながら喜びました。  そうして、何度も何度も会ううちに、とうとうこの紳士も、本気で彼女が好きになりました。彼女がいなくては生きられないくらいの気持になりましたが、これはいけないと思いました。いよいよ最後のデート。公園で会いました。雨が降ってきました。二人は小屋の中へ入りました。そして、この紳士がいいました。 「明日は、ぼくの妻が帰ってくる日ですよ。だから、あんたとは、もうこれで、はっきりお別れしますよ。今度、妻と二人で道を歩いているときにも、会釈《えしやく》ぐらいするけれど、もう君は、ほんとに忘れてくれないと困りますよ。これは、約束したことだものね」  娘はうなずきました。  やがて、二人は雨のなかを町に出て、男はタクシーを拾って、車に乗って去って行きました。娘はいつまでもいつまでも、いつまでもいつまでも、その車を見つめておりました。その男がタクシーの窓からうしろを振り向いて見てると、雨にそぼぬれて立っている娘が、いかにもかわいそうでした。かわいそうでしかたがないけど、男はあきらめました。  そうして、奥さんが帰ってきました。いつもの生活がもどってきました。そして三日目の新聞に、彼女が自殺したことが出ました。しかも、彼女の友だちが、訴えました。あの人が捨てたんだ、といいました。あの人というのは、この紳士のことです。裁判になりました。裁判ですべてのことがわかって、この紳士は、今の会社から南米の会社に転属になりました。つまり追放ですねえ。  この男は、なんにもわるいことしなかった。けれども、かわいそうに、みんなから去り、妻とも別れて、一人孤独に、トランクを持って船上の人となりました。船が港を離れて行く。思い出のその町を見つめながら、だんだん去っていく。そのときに、あなた、といいました。死んだはずの彼女の声で。と思って、びっくりしてうしろを向くと、それは自分の妻でした。 「私、やっぱり、あなたといっしょに、新しい任地におともいたしますわ」  そこで、この映画は終ります。さあ、ところで�シナラ�という名前、どこにも出てきませんでしたねえ。これ、なにかといいますと、ギリシア神話に出てくる不思議な神様なんですね。女の神様です。男と女がラブをして抱き合っている間に入って、じーっと二人の愛を見つめてる神様。二人を結びつける、また二人を引き離す、不思議な恋の神様が�シナラ�なんですねえ。 ●「旅情」の別れと「終着駅」の別れ  もうみなさん、二回三回とごらんになったかもしれない映画で、「サマー・タイム」よかったですねえ。「旅情」ですねえ。キャサリン・ヘプバーンと、ロッサノ・ブラッツィの別れが、みごとでしたねえ。一九五五年、デビッド・リーンの監督作品ですね。  もう一度、思い出してみましょうね。アメリカからイタリアのベニスに、もう婚期が過ぎかけた女がやってきました。アメリカの女が一人でやってきたというところに、この映画のおもしろさがありますね。この女が、なにかしらロマンティックなもの、愛の冒険をかすかにかすかに求めているんですねえ。  そうして、そのベニスの宿へ初めて入ったとき、そうしてトランク置いたとき、夕方ですねえ、まあ空は燃えるように紅色になってきましたね。そうして彼女は、一人で、サンマルコ広場へ行きました。あのとき電気の光のきれいなこと、夕焼けのきれいなこと。顔がほてるようでしたねえ。  そこで彼女は、テラスですか、カフェですか、その喫茶店の外の歩道に並んでいるテーブルに、ひとりすわりましたねえ。そして、レモネードかなにか注文しましたねえ。その彼女の前を、たくさんの人が夕方の散歩を始めておりましたが、みんなカップル、みんな二人連れで、仲良く手を組んで歩いて行きます。彼女はそれを見て、なんとなし寂しいというのか、恥ずかしいという気になりましたね。自分はたった一人。けれども、みんなは二人ずつ。ああ、やっぱりイタリアだなあ、と思いました。  ところが、なにかしらないけど、だれかにうしろから見られてるような気がするんですねえ。彼女がふっとうしろ見たら、中年の男が、新聞を読むような格好して、じーっと彼女を見ておりましたね。その男も一人でしたね。というわけで、中年のイタリアの男と、アメリカの婚期を過ぎそうな女との、ロマンティックな愛の冒険が始まりますねえ。  夜の、満月の晩の二人のデート。まあ、そのきれいなこと。そうして楽しいこと。彼女は、まあほんとうに、自分のドリームがかなったと思いましたねえ。そうして、毎晩のように二人は会いました。彼女は、男の身の上なんか知りませんけれども、聞く必要もない、ほんの一瞬の愛の冒険だと思ってました。  二人で、サンマルコ広場で満月を見ながら、音楽をきいて、夢のようになったときに、花売りのおばあさんが花を持ってきました。男がいいましたね。 「あなたは、どんな花が好きですか」 「私は、この白いガーディニアが、いちばん好きよ」  さっそく男が買いました。さあ、男から花を買ってもらったこの女は、そんなことが一度もなかったから、なんともしれん乙女心になって喜んで喜んで、男と女はもつれながら帰ってきますねえ。ベニスの夜、きれいですねえ。花火があがる。そうして、橋の上から下を見ると、ゴンドラがちょうちんをつけて流れていきますねえ。  なんてきれいでしょう。彼女が橋のらんかんからからだをのり出して下を見たときに、あっ! 大事な大事なガーディニアの花を落としちゃいました。あっ、しまった。花は流れていきますね。男は、あわててそれを追いました。手をのばしました。のばしたけれども、ガーディニアの花は流れ去ってしまいましたねえ。  ここに、この映画の、二人の別れが暗示されていますねえ。もしもこの男が、プレイボーイだったら、こんな追っかけをしませんよ。ザブーンと飛び込んで、その花をとってきたでしょう。そうして、ずぶぬれになったから、さあここらでひとつホテルへ行こうか、といったでしょう。けれども、この中年のもっさりとした男は、そんなこと、とってもいえなかったんですね。また買ってあげましょう、といったままですね。そうして、二人の愛は、もっともっと深くなっていきますねえ。  とうとう、イタリアの男は、イタリアらしい感じを燃えあがらせて、いいました。 「あんたは、イタリアに来たんでしょう。ベニスに来たんでしょう。なにしに、来たんですか、ひとりで」っていいましたね。女は黙っていました。「あんたは、イタリアに、スパゲティを食べに来たんでしょう。それなら、なぜ食べないんですか」  女は、びっくりしましたねえ。それは、私が欲しいんでしょう、欲しけりゃなんで自分のものにしないんですか、と、そういう意味ですね。彼女は、この中年のおとなしい人が、こんなにはっきり、ものがいえるとは知らなかったと思いましたね。けれども、とうとうほだされて、二人は結ばれましたねえ。  ところがやがて、デートしたときに、思いもかけないことがやってきました。それは、少年から青年になりかけのかわいい男の子がやってきまして、 「おばさんですか。私のお父さんは、今日、ここへ来れなくなりました」といいました。 「私のお父さんは、と、あんたはいいましたね。あんた、息子さんですか」 「はい、ぼく、息子です」といいました。  彼女はびっくりしました。それで、やっぱり私は、こんな火遊びをしてはいけないんだ、と思いました。健康な理性ですね。そうして彼女は、男にはなにも告げないで、ベニスを去ろうと思いました。  まあまあ、このひと夏の、ひと夏の愛の冒険だ。私はもう忘れよう。そう思って汽車に乗ったそのときに、向こうからまあ男が飛んできました。走ってきました。けれど、そのとき汽車は発車しました。汽車は出て行きます。男はもう一生懸命、走って走って、その手に小箱を持ってきましたが、とうとうその小箱を、ホームの端っこに落としました。彼女が見てると、その小箱の中には、あの白いガーディニアの花がありました。それを見て、この女は泣きながら、涙をためて、 「いいのよ、いいのよ、もうそれで、わかりました。あなたがほんとうに私を愛してくれたことが、わかりました。あなたのベストフレンドとして、私は一生、あなたを忘れないでしょう」  この汽車の別れがみごとでしたねえ。いかにも健康な、しかしけなげな、そして哀れな別れでしたねえ。この最後、男が汽車に飛び乗ればいいのにねえ。それができないところに、この中年の男の、なんともしれん哀しさがあって、このお話はきれいになりましたねえ。  ところで、この「サマー・タイム」と同じように、最後の別れが汽車のシーン、そしてイタリアのローマ、という映画がありましたねえ。はい、「終着駅」ですね。一九五三年、ビットリオ・デ・シーカの監督作品。このほうは、モンゴメリー・クリフトの扮したイタリア青年が若かっただけに、やっぱり激しかったですねえ。  アメリカから、夫と子供を残して、イタリアにやってきた女が、ジエニファー・ジョーンズでしたね。この女が、とうとうイタリアの青年と火遊びしましたねえ。けれども、だめだ、私はこんなことしていられん。アメリカの良心がよみがえって、この女は逃げましたね。そのとき、追っかけてきたこのイタリア青年は、彼女をこっぴどく殴りましたねえ。駅、ローマの駅で、みんなが見てるのに。  さあ、それから、この青年は、だれもいない客車のなかで、彼女に愛を迫りましたね。けれども、女はやはり汽車で去ろうとします。男も、その汽車に飛び乗ったけれど、そのまま乗って行くことはできないんですね。振り落とされるようにして、倒れ落ちましたねえ。これは痛々しい別れでしたねえ。 ●アラン・ドロンの「個人生活」の別れ  ところで、アラン・ドロンという人、いろんな役をやって、もうたくさんの映画がありますけれど、どれもみごとですねえ。だんだん名優になってきましたねえ。そのなかで、政治家になったのがあるんです。まあそれも、内閣の重要なメンバーに近づいている、若手のパリパリの政治家なんですねえ。これ、実は、フェリシャン・マルソーという人の小説の映画化で、監督は、ピエール・グラニエ・ドフェール。「個人生活」(一九七五)という作品です。  この映画は、みごとにアラン・ドロンの個性を生かしましたねえ。この政治家というのが、奥さんと、十七歳の高校生の男の子がいるんです。もう中年ですね。ところが、まあ、パリで有名なトップモデルに夢中になってるんですねえ。この女もまた、政治家に夢中になってるんです。二人は熱愛してるんですねえ。  この政治家、奥さんが神経衰弱で入院してるところへ見舞いに行きます。彼は一流の政治家ですから立派な車で行きます。けれども、このアラン・ドロンが扮してるジュリアンという政治家は、病院の入口まで行って、自分の部下に、バラの花束を届けさしました。自分は病室まで行かない、冷たい男なんですね。奥さんは、きれいなきれいな花束をかかえて、窓から車を見ました。車の中に、自分の夫がいることも見ました。  そういう男ですけれども、そうして仕事をバリバリやっているけれども、男はまあ、いつも頭のなかに、トップモデルのクリージーという女のことがちらついて、どうしようもないんですね。寂しくなると、その女に電話をかける。女はもう命がけで、早く今、今、今来てください、といいます。そしてこの二人は燃えますねえ。  けれども、ジュリアンという男は、寂しくなると女に電話をかけるけれども、女はトップモデルですから、忙しくて部屋にいない。いくら電話のベルが鳴っても部屋にいないときは、もう実に、あせりますねえ。  ところが、今度は、女のほうが死にたいほど寂しい、夜中の十時頃、十一時、十二時に電話するのに、この男、いないんですねえ。政治のことで忙しくて、もう忙しくて忙しくて、まだまだ解放されていないんですねえ。そういうわけで、両方で電話するけれども、うまく合わない。そのいらだちがみごとに出ています。  ここでいよいよ、この男が、ほんとうに重要なメンバーとして乗り出していくところで、実は頼みたい相手が出てくるんですねえ。連合共和党の総裁が亡くなって、その未亡人に、ルネという女がおるんですね。そのルネに頼まないと仕事ができない。それで、ジュリアンがルネを訪ねて、頼むから助けてくれませんかといったときに、ルネは笑いながら、 「そう、助けてあげますよ。けど、あんた、あんな小娘から手を引きなさい。そうしたら私、助けてあげましょう」といいましたね。  このルネを、ジャンヌ・モローが演じてるんですねえ。このルネ、ジュリアンには目もくれない、色気なんか全然見せないけれども、心のなかでは、ひょっとしたらあの男は私の寝部屋にやってくるかもわからない、という顔してるんですね。けれども、まあ男の頭から心から、すべてがクリージーという女に占領されていることがわかって、このルネが寂しい顔をするところがいいですねえ。  このジャンヌ・モローの扮しているルネが、鏡見て、笑って、ばかだねえおまえは、あんなジュリアンが自分の寝部屋にくるはずないでしょ、といいながら、その鏡をくりっと裏側へ回すところがすごいですねえ。  というわけで、クリージーに引っ張り回されてるジュリアン、そして、もっともっとジュリアンに命がけのクリージーの二人ですけれども、ある晩、クリージーが電話で、 「今夜、今夜、十一時までに来てくれないと、私はほんとうに遠いところに行ってしまいます」といいましたね。 「十一時にきっと行くよ」といいながら、やっぱり男の世界ですね、用事が、仕事がいっぱいありますねえ。とうとう、ジュリアンが女のアパートに駆けつけたのが、もう一時。あの十何階か、女の部屋の電気は消えて真っ暗でした。  この映画の最初のシーンは、きれいなきれいなクリージーが、ベッドの中で、全裸で死んでいるところから始まりましたね。そして、最後は、ジュリアンがじーっと、電気の消えたクリージーの窓を見つめるところで終りますけれども、このクリージーは自殺したんですねえ。  考えたら、ずいぶん勝手な映画ですねえ。奥さんも子供もある、その男を、むちゃくちゃに好きになって、その男がまた、その若い若い女に夢中になって、そうして、その若い女は自分のいうとおりにならないから死んだんですね。けれども、それを見ていて、なんともしれない哀れを感じるところに、今日の私たちの感覚があるんですねえ。  というわけで、このアラン・ドロンの新しい映画、いろんな意味でおもしろうございますね。トップモデルのクリージーには、シドニー・ロームという新しい女優が扮しましたけれど、ルネになったジャンヌ・モロー、この人もだんだん老《ふ》けてきましたけれどやっぱりすてきですねえ。  それにおまけに、マドレーヌ・オズレーといいまして、あの「罪と罰」(一九三五)や「旅路の果て」(一九三九)に出ていた有名な女優が、この映画にも出ておりますけれど、すっかり老けてますね。それにくらべて、まだまだアラン・ドロンが艶っぽくてきれいなところが、なんともしれん、憎らしいけれども、それがまた、女の人に受けるのでしょうねえ。 ●人間と動物との別れ「野生のエルザ」  さあ、映画のなかの別れもいろいろありますけれど、生き別れにしろ死に別れにしろ、男と女の愛ですねえ。けど、もっともっと別の、愛の別れがあるんですよ。私の、もっとも好きなお話の一つを、ここらでしましょうか。  はい、それは「野生のエルザ」(一九六五)ですね。音楽もよかった。ジョン・バリーの音楽、みなさんもご存知ですね。私は、この音楽を聞くだけで、もう胸がいっぱいになるんです。この映画、ジョイ・アダムソンの有名な動物文学の映画化ですね。  この製作が、カール・フォアマンですよ。「鍵」(一九五八)だとか「ナバロンの要塞」(一九六一)だとか「勝利者」(一九六三)だとか、たくさん作ってますけど、「野生のエルザ」のような作品を選ぶなんて、さすがですねえ。この作品は英国の映画です。そうして、バージニア・マッケンナ、ビル・トラバースというほんとうの夫婦が主役になってますねえ。  お話は、東アフリカです。人食いライオンが出たんですね。そして、土地の男をかみ殺したんですねえ。さあ、あわてて、管理人が飛んでいって、ライオンの雄を殺しました。そのとき、出てきた雌、それも殺しちゃったんですね。そして、ふっと見たら、三匹のかわいいかわいいライオンの子供が、殺された親のそばにいたんですねえ。  かわいそうになって、この管理人、三匹の子供ライオンを持って帰ってきました。家に持って帰ると、奥さんが喜んじゃったんです。かわいいかわいい、まるで子犬ですねえ、というわけで、かわいがりましたね。まあ、三匹の子供のライオンが、クッションを抱いたり、ころげ回ったり、ソファの上に乗ったり、かわいい猫のようですねえ。けれども主人はいいましたね。「こんなに三匹も飼ったら、大変なことになるよ。もういっぺん、原野にもどしてやろう」 「だめだめだめ」と奥さんがいいました。「この一匹だけは、頼みますから、もう一年だけでも、半年だけでも置いてください。どうにもかわいくてしかたがないの」  そうして、この一匹の子供のライオンに、エルザという名前をつけました。まあ、このエルザがかわいいんですねえ。海岸に行って、ボール遊びなんかすると、ちょこちょこ上手に遊ぶんですよ。二人の夫婦といっしょに、はしゃぎ回るんです。  だんだん、だんだん、ほんとうの子供みたいにかわいくなってきたんですねえ。それと同時に、だんだん大きくなってきて、猫どころか、犬どころか、もっと大きくなって、困ったねえと主人がいいますけれど、私がちゃーんとみてるから大丈夫よと奥さんがいいました。  そのうちに、あるとき、主人が病気になりました。そのとき、このエルザは、主人のベッドの下で一晩中、見張りをしてました、寝ないで。まあ、なんてかわいいんでしょう。主人が病気になったことを感じたらしいんですねえ。  けれども、すっかりエルザが大きくなってきました。こうなったならば、この野生動物というものは、動物園へ入れなければいけません。ところが奥さんは、エルザを動物園の檻《おり》の中なんかに入れたくない、といいました。それで、野生にもどしてやることになりました。二人で、エルザを車に乗せて、遠くアフリカの原野に連れてきましたね。 「さあさあ、あんたは、これから自分でえさをとるんだよ。さあ、この豚をお食べ」  といって、そのために持ってきた生きてる野豚をはなしたんですね。ところが、いつでも小さいときからずっと夫婦にかわいがられてきたエルザは、野生というものを失っておりました。その野豚といっしょに遊んじゃうんですねえ。じゃれあって、食べないんですね。しかたがないから、またエルザを連れて帰りました。  けれども、やっぱり家には置いとけない。動物園へやろう。いいえ、動物園へはやれません。そんなこといってるうちに、とうとう、思い切ってエルザを野生の原野に捨てることに決めたんですねえ。  また、原野に来ました。エルザを、無理に車から離して、シッ、シッ、シッ、早くあっちのほうへお行き、お行き。もう夫婦は、エルザの姿を見ないようにして、車で帰っちまいましたねえ。けれども、さあエルザが、あの野生のなかでどうしているだろう。一週間たって、夫婦は車で見に行ってみました。  すると、エルザが遠くからやってきました。車の音を聞いたんでしょうねえ。やってきましたけれど、まあ、そのエルザはやせこけて、とっても弱っておりました。自分でえさをとれないんですねえ、このエルザは。かわいそうに。  そこで、すごい訓練をやりました。えさを追うように、うさぎでも豚でも追うように、どんどん訓練して、やがて、このエルザも野生の生活になれてきましたね。さあ、これでよかった。夫婦は安心しました。しかし心のなかでは、ああ、もうこれで、エルザとはお別れなんだなあと思って、うつむいて、帰りかけますねえ。そして、そっとうしろを向くと、エルザは、じーっと立って車を見ておりましたねえ。  それから一年半たちました。もうエルザのことを忘れましょうと思っても、二人は気になって気になってしかたがないんです。とうとうまた、二年ぶりに、エルザを捨てたアフリカの原野へ行ってみました。もうしかし、どこを見ても、エルザはいませんでした。「エルザ!」呼んでみましたが、影も形もない。もういいわ、エルザはきっと立派な野生のライオンになってるでしょう。あれは雌だから、いいご主人でもついてくれればいいがなあ、と思っておりました。  そのとき、林の向こうが、ガサガサガサ、と動いたんですねえ。まちがいもないエルザ、エルザがやってきました。やってきました。そうして、二人の顔を見ました。そのエルザのうしろに、雄のライオンがいました。その雄のライオンと、エルザとの間に、かわいいかわいい三頭の小さな子供がいました。まあ、エルザは、何度も何度もうしろを向きました。うしろは、雄のライオンです。私に、こんな主人ができました。そういっているように見えました。夫婦は目に涙をためて見ました。  そうして、エルザは、小さな自分の子供の頭をなめて、また夫婦の顔を見ました。そうかそうか、あんた、子供ができたの、よかったわねえ。もうこれで、安心したよ。そう思ったときに、エルザにそれがわかったのか、今度はうしろ向いて、雄のライオンと子供を連れて、すたすた林の向こうへ去って行きました。  なんていう、この「野生のエルザ」の別れでしょう。温かい別れ。美しい別れ。動物と人間との愛情が、ほんとうに通い合ったんですねえ。まあ、これを見て、私は胸がいっぱいになりました。 ●名作「シェーン」と「禁じられた遊び」の別れ  というわけで、別れの映画にはいろいろありますねえ。そろそろ時間がせまってきたけれど、ここで、大人と子供の別れ、ちょっとお話しましょうね。  あの、ジョーイ坊やが、いいましたね。 「シェーン、カムバック。シェーン、カムバック」  あの別れ、なかなか哀れでしたねえ。みなさん、よくご存知の「シェーン」(一九五三)ですよ。  この映画の原作は、ジャック・シェーファーという人ですねえ。この人、「シェーン」の冒頭に、こう書いているんです。 「もう一度、この時代を振り返って、やっぱりアメリカには、けなげな精神があったということを思い出してもらいたい。そしてアメリカには、それをもう一度とりもどす精神があることを」  そういうわけで、これは、ワイオミングの、いかにもけなげな開拓者の話でしたね。この開拓者の夫婦に、ジョーイという男の子がいましたねえ。この坊やが一人で遊んでいますと、向こうのほうに鹿がきました。この坊やは、家からライフル銃を持ってきて、パンパーン、パンパーンと撃ちましたねえ。けれどもそれは、パンパーンと口でいうだけで、中には弾がはいってないんですね。  ここから始まるんですけど、子供が手にとるようなライフル銃には、お父さんもお母さんも弾を入れてなかったんですねえ。そういうところに、この親と子の家庭というものが、よく出ておりました。  やがて、シェーンがやってきました、遠くから。これ、ロンリー・ライダー、ロンリー・カウボーイ、つまり流れ者の牧童ですね。もう子供は、シェーンに夢中になりますねえ。ほんとうにアイドルですねえ。いかにも早撃ちの名人。格闘したって強い、強い。そして、お父さんとお母さんを守ってくれたシェーンなんですねえ。  それなのに、どういうわけか、そのシェーンが去って行く。まあ、ジョーイ坊やはたまらなくなって、頼みますねえ。お父さん、お母さんにいいましたね。 「もっともっと、シェーンに、家にいてもらえないの」 「そういうわけにいかないの。やがて、おまえにもわかるでしょうけれど、シェーンは、やっぱり出ていかなくちゃならないのよ」  そうして、シェーンは馬にまたがって去っていきますねえ。それを、野を越え、小川のあたりまで、子犬といっしょに追っかけました。 「シェーン、カムバック。シェーン、カムバック」  かわいそうな別れです。けれども、子供の目から見たその別れも、大人の目から見ると、もっと深い味が出ますねえ。このシェーンは流れ者です。独身の男です。シェーンだって、やっぱり男です。ジョーイ坊やのお母さん、とっても優しいきれいなお母さんのことを見てて、あんなきれいな奥さんを持てたらいいな、と思ったんです。そうして、だんだん、この坊やのお母さんも、心が傾いてきたんですねえ。  これでは困る、あのけなげなお父さんがいるのに、これでは困る。シェーンは、そう思ったんでしょう。そして、坊やのお母さんのためにも、はっきりここで別れなくちゃいけない、ここまでこの家庭を守ってきた人なんだから、私はもう去らなければいけない、と思ったんでしょう。  だから、シェーンは、坊やの母親とも別れていったわけですねえ。それを坊やは、シェーン、カムバックと泣きますね。このお母さん、そしてお父さん、坊や、そしてシェーンの姿に、いかにもけなげな開拓時代がよく出ましたねえ。  さあ、「シェーン」の別れもみごとでしたけれど、もう一つ、もうその別れがクラシックになっているぐらいの、あの思い出の名作に「禁じられた遊び」がありますねえ。ルネ・クレマン監督の名作、一九五一年のみごとな作品でしたねえ。これには、ポーレットという女の子と、ミッシェルという男の子が出てきますねえ。  一九四〇年、戦争で、パリから避難します。どんどん避難、避難の列が、田舎へ田舎へ行くんですねえ。そのときに、ポーレットも、お父さんお母さんも、そしてポーレットの好きなワンワン、犬も連れて、馬車で走って行きましたねえ。けれども、そこにもしょうい弾、あるいは機銃掃射が、ダダダダダダッと降ってきましたねえ。ポーレットの目の前で、お父さんもお母さんも死にました。  ところが、そのとき五つのポーレットは、お父さんお母さんが死んだなんていうことはわからないんですね。むしろ、自分が抱いていた犬が走り出して、パパパパーン、弾が当たって、死んで、川に流れましたときに、ポーレットは、私のワンちゃん、ワンワンがなんにもいわなくなった、って泣きましたねえ。かわいそうに、お父さんとお母さんが死んだことは、まだ、はっきりわからないんですね。  そして、この五歳のポーレットは、田舎へ引きとられましたねえ。そこには、ミッシェルという男の子、この子は十歳になるんですね、この男の子がいまして、毎日いっしょに遊ぶようになりました。二人で遊んでるときに、お葬式を見ました。あれが葬式だよ、ミッシェルが教えました。 「お葬式って、なんなの」 「死んだらね、箱に入れて埋めるの。そうしてね、十字架を立てるの」 「あら、そうなの。十字架立てるの、いいわね。いいわね、私もそれやりたいわ」 「だって、ポーレット。おまえ、生きてるからやれないよ」 「そうじゃないの。死んだらお葬式して、十字架立てられるんでしょ。だから、ここにいるアリ、アリを殺してやりましょう」  さあ、アリを殺して、ちっちゃな、ちっちゃな十字架を立てましたねえ。ポーレットは、まあ、十字架遊びが好きになって、今度はミミズを殺しましょうよ、今度はカエルを殺しましょうよ、今度はね、もっと大きな十字架を作りたいから、あのフクロウ捕ってよ、ミッシェル、あのフクロウ殺して埋めましょうよ、そしたらもっと大きな十字架立てられるわ。  二人は、禁じられた遊びに夢中になりましたねえ。しかしこの遊びは、考えたら大人がやってますね、戦争という形で。それを、このかわいいかわいいポーレット、そうしてミッシェル、この二人で見せましたね。  ミッシェルは、ポーレットのいうことなら、なんでもききました。都会の、パリのお嬢ちゃんのポーレットに、十歳のミッシェルはとっても心ひかれました。かわいいかわいいポーレット。こうして二人は、楽しい楽しい遊び、しかし大人から見たらこわい遊びをやっとりました。  けれど、やがて、この田舎だって、ミッシェルの親だって、いつまでもいつまでもポーレットを置いとけない、そういうことになりましたね。ポーレットは、孤児院に引きとられることになりましたねえ。二人の尼さんがやってきて、ポーレットの胸に�ポーレット�と書いたカードをつけまして、馬車に乗せて連れ出しました。  そうして、都会の大きな駅に着いたとき、がやがやいっぱいの人がいるなかで、ポーレットは、どこへ行くのか、どうなっているのか、きょろきょろしてました。まだ、ポーレットには、お父さんお母さんのことなんか、よみがえってこないんですね。ただただ、自分がどこへ行くんだろうと思ったんですね。 「あんた、ここで、じっとしてるのよ」  駅の人ごみの待合室で、尼さん二人がそういって、ちょっと、よそへ行きました。ポーレットはこわくなってきました。こんなにたくさんの人のなかで、じっとしているなんて。そのときに思い出したのが、あの友だちのミッシェルです。ミッシェルが助けにきてくれないかなあ、と思ったから、大きな大きな声で、 「ミッシェル、ミッシェル、ミッシェール!」  呼びました、呼びました。呼びながらポーレットが泣いたときに、どこかで、お母さんと子供がいて、子供がお母さんに「ママ」といったのを、ポーレットが聞いたんです。だから、ミッシェル、ミッシェルと泣きながら、あてもなく人ごみのなかを走って、その走ってるときに思わず、  ミッシェルは、自分のお友だちなんだ、私には、ママがあるんだ。  この五つ六つの女の子に、ぱっとママの面影がひらめいた、その瞬間、彼女は、ミッシェル、ミッシェルいってたその言葉のあとで、思わず、「ママ!」といったんですねえ。  これが、この映画の終りですね。この、お父さんもお母さんも殺されて、だあれもいないポーレット。この五つ六つの子供が、やがて大人になって、どんな世界に泳いでいくでしょう。こわいですねえ。この親子の別れというものは、見ていて、つらくて悲しいですねえ。「禁じられた遊び」は、そういう映画でしたねえ。  はい、もう時間がきました。別れの映画、映画のなかの別離というものが、ほんとうに胸を打ちますねえ。  さあ、今夜は、あんたともお別れですね。なに、別れられてよかった? とんでもありませんよ。きっと、またお会いしましょうね。それでは、  サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ。 [#改ページ]   パゾリーニの人間探究  はい、みなさん今晩は。  さあ、今夜はパゾリーニのお話ですね。このパゾリーニは、ついこの間、悲惨な死を遂げましたねえ。なぜでしょう? どうして、そんなことになったんでしょうね。今夜のお話は、やはり最後にはそこへ行きつくことになりますよ。  あなた、なにしてらっしゃるの? カバンなんか持って。パゾリーニみたいな映画の話聞くくらいなら家出する? まあ、すごいですね。けれども、家出するまえに、ぜひ、パゾリーニのお話、聞いてください。 ●貧しさのなかで作家を目ざす  ピエル・パオロ・パゾリーニ、みなさん、名前くらいはご存知でしょう。パゾリーニといったら、私のもっとも好きなイタリアの監督です。ちょっと、この人のこと、勉強しましょうね。  パゾリーニは、一九二二年、北イタリアのボローニアに生まれました。お父さんは職業軍人でした。けど、家はとっても貧しかったそうですよ。そして、なにか家庭的に非常につらいことがあったらしいんですね。  ともかく、なんとか、ボローニアの大学を出てから、パゾリーニは放浪しました。放浪というのは、一人でどこかうろついたらしいんですね。それで、やっと二十七歳のときに、お母さんとローマに行って、もう放浪をやめました。  それから、作家になろうと思って、小説の勉強をしました。そして小説を書きました。 「生きる若者たち」「激しい生活」という作品が非常に評判になりまして、パゾリーニの名前がイタリアの文学に残るだろうというくらいに評判とったんですね。それから、詩も書きました。戯曲も書きました。そういうわけで、二十七歳、二十八歳、三十歳の頃は、文学の世界で有名になってきました。  けれども、パゾリーニは、しだいに映画というものに魅力を感じだしてきたんです。やがて三十五歳になってから、この人は映画のシナリオライターに移っていきました。おもしろいですね。作家になるつもりが、小説書くよりも、あの映画で表現するほうが、自分の表現力は豊かであると思ったらしいんです。  そして、最初にシナリオを書いたのが「河の女」(一九五五)ですよ。みなさん、ご存知ですか。マリオ・ソルダーティ監督の作品ですね。これは、なんと六人のシナリオライターが集まって書きました。  イタリアというところはおもしろいんですね、脚本家が四人も五人も集まって一本の作品を手がけるんですね。パゾリーニもその中に入って、初めてシナリオを書きました。それが評判になりました。  次には、あの有名なフェリーニの「カビリアの夜」(一九五七)のシナリオに協力しました。このシナリオの担当は、ローマの方言についてですね。彼が非常にローマの方言にくわしいというので、いろいろ注意したり直したりしたんです。  まあ、そのほかに、「狂った夜」(一九五九)「汚れなき抱擁」(一九六〇)「残酷な夜」(一九六〇)「狂った情事」(一九六〇)「飾り窓の女」(一九六一)と、いろいろシナリオを書きました。どれもこれもいいとはいえませんが、パゾリーニはシナリオを書いている間に、映画をどんどん勉強しましたね。  そうして、三十九歳になって、とうとう一本立ちの監督になりました。けれども、世界に認められることになったのは、あの、みなさんも知ってますね、「奇跡の丘」(一九六四)、これで有名になってきました。四十二歳のときの作品ですね。これは、キリストを人間として描いたんですねえ。神の子をリアリズムで描いたんですね。それで大変な評判になりましたねえ。  さあ、そのあと、パゾリーニが作った映画の名前を、ちょっと申しましょうか。オムニバス映画「華やかな魔女たち」(一九六七)の中の一つ、それから「アポロンの地獄」(一九六七)「テオレマ」(一九六八)「豚小屋」「王女メディア」(一九六九)、それから「デカメロン」(一九七一)「カンタベリー物語」(一九七二)「アラビアンナイト」(一九七四)と続いて、あの最後の作品となった「ソドムの市」(一九七五)に行きつくんですねえ。  ところが、みなさんのなかには、こんなことをいわれる方がありますね。 「パゾリーニの映画は、むずかしくて、ちっともおもしろくない」とか、「フェリーニの映画なんかおもしろくない」とか、あるいは「ルキノ・ビスコンティの映画もつまらない」  まあ、いろいろおっしゃる。けれども、私は、あえてここで、はっきり申しときましょう。イタリアの最高の監督ルキノ・ビスコンティ、そしてあのフェリーニ、パゾリーニ、このあたりの監督の作品は、絶対に見ておいてくださいよ。芸術というものは、そうすぐに、簡単にわかるもんじゃありませんね。ときには格闘がいります。その格闘が、あなたをみがきます。 「そんなことまでして映画を見たくない」  と思われる人は損ですね。やっぱり格闘して、そのなかから芸術の魂をつかんだときはうれしいですね。見たときにわからなくても、二年、三年たつと、わかるときがあるんですね。パゾリーニの作品は、そういう感覚をもっていますねえ。パゾリーニのむずかしい映画を見て、「テオレマ」を見て、あるいは「豚小屋」を見て、全然わからんと思いながらも、やがて、その印象が、二年三年とたってくると、わかってくるんですね。ここがおもしろいんですねえ。  パゾリーニの芸術のなかには、むごいむごい人間探究があります。とことん人間を解剖していくんですね。恥もクソもない、人間を裸にして、ありのままの人間を掘り出すんですね。そこには、むごさがあります。グロテスクがあります。もっとこわいエロティックがあります。けど、そのグロテスクも、エロティックも、むごさも、通り越したものがあるんですね。  そこにパゾリーニの芸術があるんですね。ちょうど、イタリアの、ミラノの色ガラスですね、あのきれいなステンド・グラスの色のような感じで、パゾリーニの映画はいかにもイタリア的ですねえ。  さあ、これから一本一本、パゾリーニの映画の、いろいろ複雑なおもしろさを、いっしょに勉強してみましょうね。勉強といったらかたいですから、遊んでみましょうね。 ●飢えと色欲を描く不思議な感覚  さあ、さかのぼりまして「奇跡の丘」から始めましょう。これ、みなさんご存知のように、イエスの誕生、それからヘロデ王の迫害がありますね。それで、神のお告げがあって、自分が神の子だと信じてきましたね。そして、四十日間の断食があって、裏切りで十字架の刑を受けました。けれども、三日目に復活しました。まあほんとうに、イエス・キリストそのままの伝説を、パゾリーニは映画にしております。決して変えておりませんねえ。けれども、今までに、イエス・キリストをこんなに生々しい人間臭い感じで描いた監督はいなかったんですね。だから、びっくりしました。  そういう映画を作ったあとで、パゾリーニは、ちょっと一服したんですね。一服というのは、オムニバス映画に加わったんですね。それが「華やかな魔女たち」です。  はい、この作品、あのディノ・デ・ラウレンティスがプロデュースしまして、たくさんの監督がいっしょになって作っております。第一話は、ルキノ・ビスコンティ。第二話は、マウロ・ボロニーニ。そして第三話が、パゾリーニなんですね。第四話が、フランコ・ロッシ。第五話が、ビットリオ・デ・シーカなんですね。  もうこれは、一流が集まっているわけですねえ。だから、もうこのときに、四十五歳のパゾリーニはイタリア映画界の一流になっていたわけですね。  で、この第三話のパゾリーニの作品は、「月から見た地球」という、まあ題名からして変わっているんです。お話は単純です。  女房が亡くなりました。その旦那、そしてその息子、がっかりしました。貧しい貧しい家庭で、掘っ立て小屋に暮らしております。けれども男二人だから、もう一度女房を持ちたいなあと思っているうちに、とうとう一人の女を見つけてきました。おとなしい女です。耳が聞こえない、ものがいえない、だからおとなしいんですね。  そこでこの旦那は、うまいこと金儲けしてやろうと思いまして、その嫁を断崖絶壁の上に立たせました。そうして、大きな大きな声で、おいおい泣きながら、 「ああ、おれの女房が、今、飛び込み自殺する、飛び込み自殺する」  なんて騒いだんですね。そうすると、あちらこちらからのぞきに来たみんなが、びっくりして、やめろやめろといったら、この旦那、 「ああ、金さえあれば、あの嫁を助けられるのに、金がないので、とうとうあの嫁は死のうとしている」  なんていうので、みんなが金を寄付しました。それで、儲かったんですね。これはいい商売だというので、二日、三日、四日と、女房を崖の上に立たせたんですねえ。  ところが、とうとうほんとうに、女房は落ちて死んでしまいました。旦那と息子は、がっかりして家へ帰ってきました。さあ、家へ帰ってくると、そこに死んだ女房がすわっていたんですねえ。ここらあたりがパゾリーニなんです。不思議な映画を作りましたね。そうして、この三人は、もう欲深いことはいわないで、掘っ立て小屋で仲良く暮らすべえなんていうところで終りになるんですけれども、単純な話ですけれども、こわい感覚で描かれております。なんともしれん不思議な感覚です。  この死んだ嫁さん、それでいて生きている嫁さんを、シルバーナ・マンガーノがやっております。それから旦那を、トトという喜劇役者が上手に演じております。そして、その息子が、ニネット・ダボリという俳優ですね。このニネット・ダボリは、、もうパゾリーニ映画のシンボルのように、このあともどんどん出てきます。  というわけで、このオムニバス映画のあとで、あの「アポロンの地獄」となりました。これは、ギリシア神話のオイディプスの映画ですね。すでに何度かお話しましたけれども。(「私の映画の部屋」の�男の映画�の章を参照してくださいね)  一人の男が、自分の実の父親を殺し、実の母と関係して子供を作り、その自分の運命にびっくりして、両眼をえぐり取って荒野にさまよい出ていくという、この悲劇。それをパゾリーニは、どんな感覚で作ったか。そこにあるものは男ですね。男とはなにか。男とはこういう業《ごう》を持っているんだ。男とはこんな感じなんだ。勝負すること、勝つこと、征服すること、独裁的に生きること、そうして女にかしずかれること。これが男なんだというような感覚で作りましたねえ。  しかも、この「アポロンの地獄」のキャメラのきれいなこと。全編まるで映画の詩ですね。ここには、パゾリーニの映画美術がもりあがっておりましたねえ。ですから、男とはなにかが、こんなにひどく鮮やかに出た作品なんて少ないですね。  というわけで、パゾリーニは、ただの監督ではありません。その次には、もっと妙な作品に手がのびていきました。今度は「テオレマ」ですね。パゾリーニが四十六歳のときの作品です。一九六八年です。テオレマというのは、掟《おきて》のことらしいんですね。あるいはまた、テーマ、ある一つの主題でもあるんですね。  さあ、この映画をごらんになった方から、全然わからんわあ、なんていう声も聞きましたが、正直、それがほんとうだと思います。なぜ、パゾリーニはこんな妙な映画を作ったんでしょう。  テレンス・スタンプが主演しておりますが、シルバーナ・マンガーノだとか、いろんなみごとな俳優も共演しております。北イタリアの大工場主の家庭の話です。ミラノですね。この工場主は、ぜいたくな生活をしていて、パーティ、またパーティを開きます。そんなある日、見も知らない男が訪ねてまいりました。テレンス・スタンプ扮する青年ですね。けれども、だれもとがめませんね。この男も招かれているんだろう、ぐらいで通ってしまうんですねえ。  ところが、その男、なんともしれんきれいな顔していて、なんともしれん魅力があります。それで、その工場主の奥さんが、いっぺんに目まいがするほど、この男が好きになりましたねえ。しかも、その家の年頃の娘までが夢中になりましたねえ。もうほんとうに、魂を奪われるくらい、その男が好きになりました。まだ、あるんですよ。その家の息子、十五、六の少年がいますが、その少年も男に夢中になりました。  さあ、そんなわけで、その男は、帰らないで泊まることになりましたねえ。そうしてその晩、男が寝ていますと、少年が男のベッドのところへきました。 「お兄ちゃん。お兄ちゃんのからだきれいねえ。ぼく一人でなんか、とっても寝られないから、いっしょに寝てください」  なんていって、少年はその男に抱かれて眠りましたねえ。ところが、工場主のお父さんが、手洗いに行くとき、この抱き合って寝てる息子と男とを見ましたね。さあ、怒るかと思ったら大まちがいで、自分もまたその男に魂を奪われていくんですねえ。そうしてやがて、自分の寝部屋に呼んで、肩をもんでもらったり足もんでもらったりするうちに、妙なことになってきましたねえ。  まあ、この映画は、どういうことになるんでしょう。不思議な映画ですねえ。しかも、この家には年をとった召使いの女がいますが、そのおばさんまでが男に夢中になりました。この女は非常に信心《しんじん》深い、かたい女です。それが身も世もなくその男に夢中になって、男の寝部屋に行ってしまったことで、もうこの女は泣きながら、この家を出ていきました。  それからまた、この家の奥さんの乱れ方が、なんともしれん悲しい乱れ方しましたよ。どうしてもこの男を誘惑したいというんで、まあ全裸になって、お庭の溝の中に隠れていたんですね。そうして男が通るのを待ってたんですねえ。なんてことでしょうねえ。  というわけで、この男のために家中がめちゃめちゃになっていく話、これが「テオレマ」です。なにを、この監督はいってるんでしょうねえ。不思議な映画を作りましたね。  はい、みんなが持っている性欲、あるいは性欲以前のもっとすごい人間の業ですね、みんなが隠している恥ずかしいもの、いいえそれは恥ずかしくないんだけれど本人自身が恥ずかしいと思っているもの、それをここに一人の男を使って、パゾリーニは全部ひんめくっていったんですねえ。みんなが前を押さえるところを見せちゃったんですねえ。全裸を見せたんですね。  だからこの映画、なんともしれんエロティックなものがあるようで、もっとこわいものがありますねえ。そして、残酷に残酷に人間を見せながら、その残酷の奥で人間をかわいがっておりますねえ。  さあ、その次に作ったのが「豚小屋」ですね。まあ映画の題からして変わっていますが、これはいったいどんな映画なんでしょう。話は二つになっております。古典と現代になっていて、その古典と現代が交互に出てくるんですねえ。  古典のほうは、飢えです、ハングリーです。飢えた男が、岩から岩、荒野から荒野をさまよっております。この男を、ピエール・クレマンティという俳優がやっておりますが、まあおなかがすいて死にそうなんですねえ。苦しくて気が違うくらいなんです。それでもどんどん歩いていると、きれいなちょうちょうが草むらから飛んできました。この男は、あわててちょうちょうをつかんで、むしゃむしゃ食べてしまいましたねえ。  それからまた、にょろにょろ気持わるいヘビが出てきますと、まあこの男は両手でヘビを押さえつけて、生皮をむいて食べました。やがてこの男は、ある日、かわいい青年と出会ったんですねえ。このにこにこしている青年を、この男はどうしたでしょう。まあ抱きしめて、首をしめて殺してしまいました。殺したうえで引きずっていって、洞穴の中でその死体を焼きはじめました。焼いて、腕、足、首、指一本一本、全部舌なめずりして骨まで食べてしまいましたねえ。  まあ、飢えに飢えに飢えた男が、ちょうちょうも食べる、ヘビも食べる。そして人間も食べる。美しいものも、グロテスクなものも、人間も食べるんですねえ。こわい飢えの姿ですねえ。えらい映画ですねえ。これが古代編ですね。  現代は、その古代編の間に縫うように出てきますけれど、現代は西ドイツです。お金持の家庭です。おとなしい息子です。ジャン・ピエール・レオが扮しております。この息子は、上品に上品に育って、セックスなんか、その「セ」の字も見せたらいけない、口に出したらいけないような家庭に育った坊っちゃんなんですね。  そうして、この息子には、きれいなきれいな婚約者があります。けれども、どうしたんでしょう。息子は毎晩、真夜中にどこかへ行きます。あわてて帰ってきます。このことを、だれも知りません。ところが、ある晩、息子がどこを捜してもいないというので、みんなで捜したんですね。そして、とうとう、この家の農園の裏の、豚小屋の中で、この息子が死んでいるのが見つかったんです。どうしたんでしょう。その農園の男が一人、そのわけを知っていました。 「あの息子は、毎晩、豚小屋へいって、豚とセックスしておりましたよ。毎晩、豚を抱いておりましたよ。けど、とうとう、その豚に食べられて死んでしまったんですよ」  これが「豚小屋」ですね。まあ、ここにあるものは、飢えと色欲ですね。それをパゾリーニは、非常にデフォルメして、もうこわいかたちで描きましたねえ。  たとえばチャップリンが、愛すること、働くこと、そうして夢をもつこと、そして食べることを映画で唱えているときに、パゾリーニは、いちばん人間の根本のもの、飢えることと色欲、それをこんな形で、むき出しに見せましたね。  まあ、パゾリーニ芸術は、もう極端な、もう頂点まできたから、これ以上、映画を作らないんじゃないか。そう思っていましたら、今度は「王女メディア」を作りましたねえ。四十七歳のときの作品です。この「王女メディア」は、いわば前の「アポロンの地獄」と対《つい》になる作品ですね。  はい、「アポロンの地獄」で、男、男、男のほんとうの骨までしゃぶったこの監督は、今度は女、女、女の骨までしゃぶらなくっちゃ我慢できなかったんですねえ。なぜ、そんなことするんでしょう。パゾリーニは、人間が好きだからですねえ。人間が好き、好きだから人間の悲しさを見せようとするんですねえ。(「王女メディア」のくわしいお話は、「私の映画の部屋」の�女の映画�の章を参照してくださいね) ●艶笑文学「デカメロン」の映画化  というわけで、まあパゾリーニは「テオレマ」「豚小屋」そして「アポロンの地獄」「王女メディア」と、人間探究をどんどん深めていきました。けれども、これでは見ているほうがつらい。パゾリーニは、どんなにおもしろくてもこれではこわいと、彼自身そう思ったんでしょうね。今度はがらりと変えて、世界の艶笑文学に手をつけだしましたねえ。  はい、パゾリーニはもう五十歳近くになりまして、四十九歳、一九七一年に「デカメロン」というのを作りました。まあパゾリーニが「デカメロン」なんか作るのか、という評判になりました。  これは原作が、あのイタリアのジョバンニ・ボッカチオの作品ですね。ボッカチオが三十五歳から四十歳にかけて、一三四八年から一三五三年の五年間かかって書いた伝奇文学、遠い遠い古い古い物語です。これがまあ、ダンテの「神曲」に対して�地上の曲�だという評判とりましたねえ。明るい機知、ユーモアと、むき出しのエロティシズム、そして人間を解放して生きる喜びをあたえて、高らかに地上の賛歌をうたう。これが「デカメロン」ですね。  デカメロンというのは、ギリシアの言葉で�十日間�ということで、十日間に、七人の女と三人の男がそれぞれ一日に一つずつ物語をしていくかたちで、百のお話が語られているんですね。  パゾリーニは、そのなかから、七つのお話を映画にしました。これにもやっぱり、ニネット・ダボリという俳優と、フランコ・チッティという俳優、パゾリーニのもっとも好きな男優が出ております。ちょっと、第一話のお話をしましょうね。  まず最初に、人殺しの場面が出てきました。人間は人を殺すんだ、そういうところから始まりましたね。そうして話が変わって、ナポリの舞台になりました。そこにやってきた男がいます。これがニネット・ダボリの扮してるおもしろい男で、「ボンジョルノ、ボンジョルノ。こんにちは、こんにちは」といって、いかにもナポリの男の登場なんですねえ。人間登場ですね。  この男、金をもらって、馬を買いに行きました。馬市に行きました。ところが、向こうの窓から、きれいな女がこちらを見てます。この男、いっぺんにその女が好きになりました。馬なんかどうでもいい、あの女と遊びたいなあ、と思いました。すると、一人の男の子が、ちょこちょことやってきて、 「あの窓のおねえちゃんが、あんたとお話したいって、いってるよ」  といったんですね。まあ思うつぼ、渡りに舟ですねえ。この男、喜んであがっていきました。するとその女が、ベッドの端に腰かけていました。もってこいだ! この男はあわてて自分の着物を脱ごうとしました。すると、女がいいました。 「実は、あなたに御用というのは、なにを隠しましょう、調べに調べたあげくですけれど、あなたと私は姉弟、父も母も同じ、私はあなたの姉なんです」  そういわれて、この男、すっかり色恋が覚めましたね。そうして、この男、ここに泊まることになりました。着物を脱ぎ、金を枕元に置いて寝ようとしました。そのときに、おしっこがしたくなった。どこがお手洗いかな、と思っていると、さっきの少年がいました。その少年に教わって、あわてておしっこに行きましたねえ。  さあ、ここで、この男、クソつぼにベチャーッと落ちました。床がはずしてあったのです。まあ、クソだらけ。びっくり仰天。あーあーあー叫んでるその間に、女と少年は、その男の着物と金を持って、さっさと逃げてしまったんですねえ。だまされましたねえ。もう夜中で、だれもいない。からだ中臭くてたまらない。  するとそこに、二人の泥棒がきました。泥棒なんて知らないから、助けてください。よし、ついてこい、助けてやる。それで墓場へ行ったんですね。この二人の泥棒は、二日前に死んだ大きなお寺の坊さんの、指輪を盗もうというわけなんですねえ。墓石が重いから手伝わせようというわけで、さあ、よいしょ、よいしょ、大きな石の蓋《ふた》をはがしましたときに、泥棒は考えました。この男に指輪をとらせて、そのあと墓穴に閉じ込めてしまえ、と思いました。  そんなこと知らないから、クソだらけの男は、墓の中にもぐり込みました。案の定、死んでいるお坊さんの指に、立派な立派な宝石の指輪がありました。けど、この男、指輪なんかないぞうっていって、自分のふんどしの中に隠したんですね。そして、それなら着物を全部はぎ取れ、といわれて、坊さんの着物をはいで穴の中から渡したところが、えいっ、同時に上から蓋をしめられてしまいましたねえ。  さあ、困った困ったこの男、おいおい泣きだしました。やがて夜が明けて、明くる日になると、その昼頃、大きな坊主が墓にやってきました。一人で、よいしょ、よいしょ、墓の蓋を開けました。この坊さんも、死んだ大僧正の指輪をとろうとしてきたんですね。ぐぐっと蓋を開けて、なんか臭いなあと思いながら、足をそーっと墓穴に入れました。そのとき、中にいる男が、ぐいっと、その足にかみつきました。「あいたたたたっ」坊主びっくり、逃げましたねえ。そして、中の男は助かりましたねえ。  これが、第一話。さあ、このなかに、色と欲とグロテスクと、人間のすべてが出てきますねえ。そういうわけで、一つ一つのお話、しゃべっているときりがありませんから、もう一つ、第二話、簡単にはしょりましょうねえ。  第二話は、お寺の尼さんです。五人、六人、十人の尼さんたち、男が欲しい、男が欲しいと思っておりました。けど、男と遊ぶなんてことは、とんでもない。それを聞いたある男が、よし相手になってやろう、なんて思いまして、尼さんのお寺の、裏の畑に行きまして、裸になって、大の字になって寝ておりました。  まあ、尼さんたち、びっくりしましたね。一人の尼さんが、男のそばに寄っていきました。そして、まあ男の持ち物の立派なこと、喜びました。しかもこの男が、耳が聞こえない、ものがいえない、白痴の男になりすましておりましたから、尼さんが安心しました。 「ちょっとちょっと、あの人、ものがいえないの。だから、ちょっと遊んでもね、世間に知れないわ」  というので、尼さんがじゅずつなぎに並んだんですね。順番に次から次から次、ああ満足した。その男と尼さんは遊びました。けれども、この男、五人六人七人と相手になっているうちに疲れてきました。しかも、そのすごい攻め方で、ついに、 「ああ助けてくれ。おれ、もうこれ以上はだめだ」  そういったんです。びっくりしました。ものがいえるなんて、さあえらいことだ、世間に知れたらどうしよう。そのときに、院長さんがしずしずとそこにやってきました。 「みなの者、心配するでないよ。この人が、ものをいえたということは、神の奇跡だと、そう世間に申せばよい」といいましたね。  さあそれで、神の奇跡が現れて、ものをいえた、耳が聞こえない人がものをいえたというので、えらいことになって、このお寺はもっと繁盛しましたとさ。というのが第二話ですねえ。  こんな話、もうご存知かもしれませんが、パゾリーニが作るとみごとですねえ。なんでもないようだけれどもこわいですねえ。パゾリーニの映画のなかには、笑いながら、あるいはびっくりしながら、なにか人間がにおうんですねえ。そういうふうに人間をつかもうとする意欲が、ほんとうにみごとですね。 ●「カンタベリー物語」のパゾリーニタッチ  さあ、「デカメロン」の次が「カンタベリー物語」ですね。パゾリーニが五十歳になったときですねえ。この「カンタベリー物語」の原作者は、ジェフリー・チョーサーというイギリスの中世の最大の詩人です。このチョーサーは、一三四〇年に生まれて、一四〇〇年頃死んだということになってます。六十歳ですね。で、四十六歳からこの六十歳までの間に「カンタベリー物語」を書いて、途中で死んでしまったんです。  なぜ、パゾリーニが、これを取り上げたか。はい、実は、この原作者のチョーサーが、「デカメロン」の作家ボッカチオに非常に影響を受けたんですねえ。だからやっぱり、二つとも通じ合うところがあって、パゾリーニは好きだったんでしょうね。  というわけで、この「カンタベリー物語」は、カンタベリーというお寺へ巡礼に行く人たちが、ロンドンの旅籠屋《はたごや》に泊まり合わせて、男、女、ひとりひとりが物語をする形になってるんですね。それが二十三編のお話になっておりますけれど、パゾリーニはそのなかから八つを取り上げましたね。  その八つのお話のうち、一つ二つ三つとお話したいんですけれど、これもお話してたらきりがありませんから、その第一話、これがおもしろうございますねえ。ヒュー・グリフィスという有名な俳優と、ジョセフィン・チャップリンの共演ですね。ジョセフィン・チャップリンは、あのチャップリンのお嬢ちゃんなんですよ。  さあ、その第一話。六十歳ぐらいのおじいちゃんがいるんです。まあお金持なんですねえ。けれども、若い頃は遊んで遊んで、とうとう、嫁ももらわないで遊び続けて六十歳になったんですねえ。ところがやっぱり、しんせき一同、町中の人たちに、正式に嫁をもらいなさいといわれて、このおじいちゃん、あちらこちら嫁捜しを始めましたね。  あるとき、自分の二階から外を見てたときに、その下で、若いきれいな女の子が|わら《ヽヽ》を束にしてました。すると、そばにいたちっちゃな男の子が、そのおねえちゃんのお尻をパーツとまくったんですね。まあ、ピンク色の、ハート形の、きれいなお尻が、おじいちゃんの目に入ったんですねえ。  たちまち、この六十歳のおじいちゃん、惚《ほ》れ込みましたよ。そうして、人から人へと頼んで、この若い、十六、十七ぐらいの娘を嫁にしたんですねえ。さあ、このきれいな若いからだを見て、おじいちゃんは、ふるえあがりましたねえ。毎晩毎晩、まあまあ楽しい夫婦生活が続きました。ところが、なにしろ嫁は十六、十七ですから元気旺盛、毎晩すごく派手なんです。とうとう、おじいちゃんのほうが負けてきました。あんまり遊んで、このおじいちゃんの目がかすんできました。見えなくなってきましたねえ。  この嫁さんのほうは、ちゃっかりしていて、おじいちゃんの亭主のほかに、この家に働いている若いきれいな男と、前から仲が良かったんですねえ、あいびきしとりました。  さあ、亭主は目が見えなくなって、若い嫁さんが手を引いて庭を散歩します。毎日きまって三時から四時、きれいな大きな庭を散歩するんですけれども、あるとき、この嫁さんは自分の彼氏としめし合わせて、ある梨の木の上に彼氏を待たしておいて、その木の上であいびきしようといったんですね。  そうして、目の見えない亭主の手を引いて散歩しながら、その梨の木のあたりに近寄ったときに、嫁さんがいいました。 「ちょっとまあ、梨の実がだんだん熟《う》れてきましたよ」  そういって上を見ますと、上の枝に、若い自分の彼氏がいます。亭主は知りませんね。 「そうかそうか。おまえ、あれ食べたいか」 「はい、食べたい」 「よしよし。わしの肩車に乗れ」  まあ女は、ひょい、ひょい、ぱっぱっと身軽に、おじいちゃんの背中から肩車に乗って、木の枝に乗りました。そこに若い男がおります。それで二人は、あついあつい接吻をしたばかりか、まあ妙なこと、いやらしいことを始めましたねえ。  そんなことをちっとも知らない亭主は、下から、 「おまえ、その梨、熟れとるか。うまいかな」 「まあ、おいしいわ」といって、またもや接吻しましたね。  ところが、ちょうどその庭を男の神様と女の神様が手をつないで歩いておりました。この光景を見て、男の神様が怒りました。 「なんてひどい女だ。あの亭主があんまりかわいそうだ。あの亭主の目をあかしてやる」  そこで女の神様がいいました。 「だって、あの女は恋をしているんですよ。恋をしているから許してあげなさい。はいはい、私は、あの嫁に知恵を与えてやりましょう」  そのあとで、この六十歳の亭主の目が、ぱっとあきましたね。目があいた拍子に上を見ますと、まあ、なんでしょう、自分の嫁が若い男と抱き合って、まあ激しい激しい格好してます。びっくり仰天して、かーっと怒りました。  見られたあ、と思った嫁さん、上から下へと飛びおりて、こういったんですねえ。 「あら、旦那様、目があきましたわねえ。よかったわね」 「なんだ、おまえは、なんということをしてるんだ。あの上で若い男となにしておったんじゃ」といったときに、嫁さん、あっははは、と笑いました。 「まあまあ、あなたは、いったいどうしたんですか。あんまりあなたが、いつもいつもやいてらっしゃるので、そんな幻覚を見られたんでしょう。ちっともそんなこと、ありっこないでしょう。上を見てごらんになって」  そのあいだに男は逃げておりました。もう木の上には、だれもおりません。 「そらそら、あなたの頭のなかで、そんな幻覚があったんでしょう。それにしても、お目々があいて、よろしゅうございましたわねえ」 「そうかのう、そうかのう」亭主がそういったんですねえ。  まあこのなかに、色と欲と、なんともしれん人間の善良さと、人間の悪徳、それが出ておりますねえ。というわけで、この「カンタベリー物語」は、第二話、第三話へと、いかにもパゾリーニのタッチですすんでいきます。大工さんの女房が浮気する話。ここでは、人間の健康的なエロティックないたずらが、よく出てますねえ。三人の男が死神をやっつけようとして、結局、三人ともに殺し合って、死神に復讐《ふくしゆう》される話。ここにも、人間の欲、そうしてグロテスク、いろんなものがあふれてますねえ。  ちょっと、もう一つ。欲の深い坊さんがおりました。この坊さんが、死にかけた病人のところへ行って、拝みました。坊さん一人っきりです、その部屋には。そこで、きっとお金があるに違いないというので、そこら中探したんですね。最後に、その病人のお尻の下まで探しました。そのとき、その病人は、おならをプーッと落として死んでしまいました。ああ、臭い、臭い。  そこへ天使が現れて、わるい坊さんは地獄へ引っ張っていかれました。まあそこで、坊さんが、仲間のたくさんいる天国へ移してくれ、なんて頼むんですけれども、天使は笑いながら合図しましたねえ。そうしますと、悪魔という悪魔のお尻お尻お尻から、プーッ、プーッ、プーッとおならが出るごとに、その坊さんとそっくりの坊さんが、どんどん出てきました。おまけに、馬も猿も、ブーッ、ブーッといっては、おならといっしょに、そっくりの坊さんが現れましたとさ——という不思議な映画を作りましたねえ。  みなさん、これをごらんになって、なんだろうと思われるでしょう。私もそう思うけれども、パゾリーニのこの感覚はすごいですねえ。イギリスの「カンタベリー物語」ですけれども、映画のにおいは、まぎれもないイタリアのパゾリーニタッチでしたねえ。 ●パゾリーニ美術「アラビアンナイト」  さあ、パゾリーニは、「デカメロン」を第一部とすれば、第二部が「カンタベリー物語」ですね、そして第三部ということになるのが「アラビアンナイト」ですね、いよいよ一九七四年、五十二歳のときに、「アラビアンナイト」を作りましたねえ。  みなさん、もうこれはよくご存知の「千夜一夜物語」ですねえ。シェーラザードというかしこい娘が、王様の新しい妃になって、毎晩毎晩、おもしろいおもしろい話を続けますね。この王様は、女に裏切られて女を憎むあまり、新しい嫁さんを持つと、その晩にその女を殺していたんですねえ。  それが、シェーラザードには、おもしろい話が続く限りは殺さないと約束して、どんどん話が続くうちに、とうとう王様の心がとけて、楽しく楽しく二人はみごとな夫婦になりましたというこの「アラビアンナイト」、作者はだれかわかりませんが、古い古いインド、ペルシア、アラブの伝説を集めたようなお話ですねえ。  で、「アラビアンナイト」といいますと、あの「船乗りシンドバッドの冒険」とか「アラジンの不思議なランプ」とか「アリババと四十人の盗賊」とか、そういった話をみなさん思い出すでしょうけれど、パゾリーニの「アラビアンナイト」は、ちょっと違いますねえ。  とってもむずかしくなりました。というのは、これまでの「デカメロン」でも「カンタベリー物語」でも、パゾリーニは、一話二話三話四話五話と、うまくきれいに縫ってきました。一つ一つを消化しました。ところが「アラビアンナイト」になってきますと、「デカメロン」と「カンタベリー」をこき混ぜたように、一つの話から二つの話、二つから三つと、どんどん塗り込めて、ダブリながら重ねていくんですね。ちょうどステンド・グラスの、あの色ガラスが太陽光線を受けて紅色に変わっていくように、話がだんだんむずかしくなってきました。それだけに、いかにも「アラビアンナイト」には美術のにおいがしますねえ。  そして、「アラビアンナイト」と申しますと、大理石のきれいなきれいな宮殿があって、三日月《みかづき》があって、そしてハーレムのきれいな噴水があって、そこにきれいな女がたくさん出てきて、と、そういうふうに、みなさんが思われたら違うんですねえ。  この、パゾリーニの「アラビアンナイト」は、大理石じゃないんですねえ。ざらざらした土のにおいなんです。ここに、このパゾリーニの「アラビアンナイト」のおもしろさがありますねえ。そしてこれは、カンヌ映画祭で審査員特別賞をとっておりますねえ。この映画は、まず最初に、 「真実というものは、一つの夢のなかにあるものではない。多くの夢のなかにある」  そういっております。それは私たちに、人間というもの、それをいろいろな形で見せてあげましょう、ということなんでしょうね。  パゾリーニが「多くの夢のなかに真実がある」といっているように、この映画は、ヌレディーンという少年、それからズームルッドという女奴隷の二人を軸にして、まあいろんな話が展開していきます。そのお話を、ちゃんと話すなんてこと、むずかしいですねえ。ちょっと時間が足りませんねえ、ちゃんとお話したらおもしろいんですけど、ね。  人間の欲望というか、知恵というか、不思議なものが、物語と物語とがダブっていくなかに混ざり込んで、不思議な幻覚の世界に入っていくんですね。しかも、このペルシア、インド、アラビアのロケーションのきれいなこと。お寺のきれいなこと。お寺の鏡の間の、なんともきれいなこと。美術のような美しさと、いかにも土臭い、ざらざらした砂漠のにおい。さっきもちょっと申しましたけれど、物語の展開が、なんともしれん色彩感覚を持っているように、画面もまた、実に美術的なんですねえ。そのうえに、この夢のような古典とリアリズムとが、いっしょになってみごとにもりあげられているんですね。  というわけで、パゾリーニの「アラビアンナイト」は、いかにもパゾリーニ美術なんですねえ。やっぱりパゾリーニは、ただの監督ではありませんねえ。  はい、まだごらんになってない方がいらっしゃったら、ぜひ見てくださいね。 ●行きついたパゾリーニの悲惨な最期  さあ、そういうわけで、人間の真実をえぐってえぐって、どんどん階段をのぼりつめて行きました。あるいは、深く深く階段をおりていったんでしょうかねえ。今度は、どんな映画を作るだろうと思っておりましたら、やはり、すごい映画作りました。一九七五年の「ソドムの市」ですねえ。まあ、そのこわいこと、そのすごいこと。ほんとうによくもまあこんな映画を作れたなあ、そう思いました。  けれども、これが、パゾリーニの最後の作品になりましたねえ。この映画を作ったあと、一九七五年十一月二日、パゾリーニは十七歳の青年にむごい殺され方しましたねえ。それは、行きつくところまで行きついて殺された、そんな気もいたします。  その殺人の原因が、どういうわけでしょうか、ホモだとかいろんなこといわれておりますが、この人はおそらく、男も女も、あらゆるものに愛情と激情をもった、もっとすごい肉欲的愛情までもったのかもしれませんねえ。一流のそういう芸術家は、狂えるような愛をもっていますねえ。それを、十七歳の青年は理解できなかった。なんともしれん、この不気味なパゾリーニの作品に腹を立てて、殴り殺したんでしょうかねえ。  というわけで、パゾリーニは、残酷な、悲しい最期をとげましたね。それほどの、この「ソドムの市」のお話したいと思いますけれど、もう、ぎりぎりの時間がきました。時間ぎれなんて、残念ですねえ。また機会があったら、話し残しのことをたくさんお話しましょうね。  まあ、あなた、とうとう家出なんかしないで聞いてくださいましたねえ。どうですか? お聞きになって、よかった? ありがとうございます。それでは、  サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ。 [#改ページ]   淀川さんに百の質問  はい、みなさん今晩は。  さあ今夜は楽しいですよ。いえ、いつもいつも楽しいですけど、今夜はいつもとちょっと違って、それで、ちょっとよけいに楽しいんです。私への百の質問、どんなのがあるでしょうか。あんたの質問も入ってるかもわかりませんよ。まあ、初めっから逃げる格好。ちょっとお待ちなさいよ。 ●「百の質問」が生まれたわけ  今夜はどうしてこんな、「百の質問」みたいなことになったかということ、ちょっとお話しときましょうね。  私みたいな、こういう仕事してますと、お手紙いっぱいいただきます。毎日毎日、手紙やはがきが来ますねえ。で、いろんなこと書いてらっしゃいますけど、たいがい、「映画評論家になりたいんですけど、どうしたらいいでしょうか」なんて、困りますねえ。私、うまく答えられないんですね。それからまだありますねえ。「ぼくは絶対に映画俳優になりたいんです」。どうしてあんた俳優になりたいんですかって返事書こうと思ったんですけど、ちょっと待ちました。そんなこと書いて、またやりとりしてたらたいへんです。なにしろ、三十通、四十通、五十通と来ると、ご返事が書けないんですねえ。  お手紙、おはがきは、ラジオの局へも来るんですねえ。チャップリンのことを知らせて、ブルース・リーのことをもっと知らせて。まあ、局の人もたいへんです。それで、私はご返事書けないし、いっそまとめて、放送でお答えしようかということになって、どうかご質問ください、と申しあげたんでしたねえ。ところがこれがえらいことでした。もう係の人の机がはがきでいっぱい。あさましいですねえ、いえいえ、すごいですねえ。ちょっと数えられませんねえ。  だから、どれを取り上げてお答えするか、私やめちゃったんですね。初めちょっと取り上げたんですね。でも、まあそこら中いっぱい。右も左もいっぱいなんです。しかたがないから、この山のなかから、むやみやたらと、手当たりしだいに、無責任にいただきますから、どなたのにお答えするかわかりませんよ。許してくださいね。  それから今夜は、私がこれまでにいただいたお手紙のなかから、特別に印象に残っているもの、印象に残っていることなども、いっしょにお話しましょうね。おもしろいのがたくさん、たくさんあるんですよ。 ●子役が大スターになれないわけ  さあまずはおはがき拝見しましょうね。ちょうどこの、机の上の、いちばん上のほうのをいただきますと、これはパラパラッ、パラパラッと、手でゴチャゴチャとやった、いちばん上の人ですよ。  この方、北海道の方、うすいふみひとさんです。十六歳の方です。なんでしょうかねえ。 Q[#「Q」はゴシック体] エリザベス・テーラーやブリジット・フォーセーなどを別にしまして、子役から騒がれている人は大スターになれないというジンクスがあるそうですが、ほんとですか。 A[#「A」はゴシック体] あんた、十六歳の方でジンクスとか、そんなことをご存知なんですね。なかなかあんた、粋な人ですねえ。  ハイ、子役から大人になる大スターっていうのは少ないんですねえ。まあ、ナタリー・ウッドぐらいですねえ。リズ・テーラーはもう、これは子役のときからとっても大人みたいな顔しておりましてねえ。あの人はきれいすぎますからねえ、大人までのびました。けれども子役はたいがいだめですねえ。あのー、うーんそうですねえ。ジャッキー・クーガンでもだめになりました。だめになるというより、かわいい子供だったのが、十五、十六、十七、十八なったら顔が変わってくるんですねえ。あの「シェーン」(一九五三)のブランドン・デ・ウィルデという少年、「シェーン、カムバーック!」あれ、かわいかったでしょう。あの子も、大きくなると変わってくるんですね。みんなかわいいかわいい子供のつもりで、ずーっとイマジネーションもってるんですねえ。それからはずれちゃうと人気がすたるんですねえ。やっぱり子役は子役ですねえ。日本の場合でもそうですね。高峰秀子さんぐらいですね。みんな子役はそのまま消えました。  というようなところでいいですか。 ●イタリア映画が子供をよく使うのは  はい、次とりましょうね。さあ、次のお方は、この方は、板橋区ですから東京のお方ですね。やまだあやこさん、なんでしょうね。 Q[#「Q」はゴシック体] ×月×日、「自転車泥棒」(一九四八)見ました。またもやラストで泣かされました。イタリア映画って、なぜこうも子供を使って泣かせる映画、名作が多いのでしょうか。 A[#「A」はゴシック体] さあそんなこと、私もよく知りませんね。けれども、イタリア映画と日本人と似てますの、どういうわけかね。なんかイタリアと日本がどっか似てますの。家庭的なこと、親子兄弟、おじいちゃんおばあちゃん、まあ子供がオマルでしょんべんしてるなんて、あんなとこまですっかり日本と似てますの。おばあちゃんが出てきて、しゃしゃり出てね、「嫁がねえ」なんていうところも似てますの。アメリカ映画もイギリスもそんなとこないんですね。イタリアはどうも家族主義、だから子供の姿がしょっちゅう映画に出てくる。「自転車泥棒」も、お父さんお父さん、息子、息子、息子、あれ、よかったでしょう。ちょうど、小津安二郎の「父ありき」(一九四二)に似てますね。ああいう点で似てますから、子役使うのがうまい。また、イタリアの子供っていうのが、もって生まれた表情もってるんですね。オペラの国だからでしょうかね。そういうわけで、イタリアと日本が子供使っていちばんうまいですね。そんなところでいいでしょうね。どうも似てますね、イタリアとね。 ●淀川さんは学生時代何本ぐらい映画を見ましたか  はい次いきましょうね。いきましょうって、いただきましょうね。ええと、神戸市須磨区森田町と書いてありますねえ。まあなつかしいですねえ。私も神戸。あきやまこういちさんですね。十五歳、高校一年生でおます、書いてある。おます、だって。これ関西弁ですね。よろしいなあ。肩書きありますね、�映画に狂っているジャリ�まあ、あんた、まあかわいいわね。あんたジャリいうてもいいジャリですね。さあ、 Q[#「Q」はゴシック体] 淀川さん、ボクは今年になってから、アホみたいに五十五本も映画を見にいきました。淀川さんは学生時代に、年に何本ぐらい見ましたか。 A[#「A」はゴシック体] 困りましたね、あんた。アホみたいに五十五本なんて書かれたらいわれませんがな、私。私、そうねえ、学校行ってた頃ねえ、一週間に三館行きましたなあ。あの映画館、松竹座、キネマクラブ、朝日館、もう一軒ぐらい行ってますわね。当時は二本立てあるいは三本立て。まあアホ通りこしてドアホやね。けれども私あんたにいうておきましょ。映画ちゅうものはね、たくさんたくさん見るばかりが能やないんでっせ。映画たくさん見るのは自慢だった、私も。けれども、考えたら、いい映画を二回、三回見て、本数をちぢめたほうがええかもしれません。ええと、あきやまさん、あんたこれからどんなお方になられるでしょうか。重役さんになったり、学校の先生なられたり、なになされるかしれませんけど、そんなにね、映画を専門にやらない以上はそんなにたくさん見ないほうがいいんですよ。これがお答えですね、いいですか。 ●「市民ケーン」の観客が少ないのですけれど  はい次の方いただきましょ。たくさんありすぎてとれやしませんね。福島県のお方、こんのまさゆきさん。きれいな字ですね。 Q[#「Q」はゴシック体] 前略、私の高校の文化祭で「市民ケーン」(一九四一)を上映しました。オーソン・ウェルズがみごとでした。ところが時間がたつにつれて観客は減るいっぽう、終ったときには十五、六人しかいなくてガッカリしました。この名作、どうお考えですか。 A[#「A」はゴシック体] まあ恥ずかしいこと、なんて学校でしょうねえ。みんな生徒さん、それでよく呼吸してますねえ。というわけで、これはみごとな作品でした。「第三の男」(一九四九)、「市民ケーン」、こんなのはまあ、ほんとうに映画の教科書ですね。「市民ケーン」、これはアメリカのすごいすごい勢力家がモデルになってますね。きびしいきびしい富豪の、むなしい姿が出てるんです。なんでもかんでも自由にでき、女も自由にできた。力であらゆるものを征服した。けれども自分には、ほんとうに幼年時代、少年時代、もっともっと昔のあの純真さ、生まれたてのきれいなきれいな純真さは、自分のどこにもないなあ、という苦しみ。みんながごらんにならなくちゃいけないのに十五、六人残ったなんて。でもいまちょっと無理なんですよ。この名画をじっくり見るような気持の人が少なくなったの。どうかあんた、ガッカリしないで、今度もっとむずかしいのをやってください。で、あんただけしか残らなかったなんてことになったら、おもしろいですね。 ●淀川さんの好きな俳優と映画は  次のお方、いただきましょうね。鹿児島のお方、たはらたみこさん、十四歳のお嬢ちゃん。どういう質問でしょうか。 Q[#「Q」はゴシック体] 淀川さんはどんな持ち味をした男優、女優がお好きですか。生涯で一生忘れられない映画ってありますか。いちばん最初、なんという映画を見たのですか。 A[#「A」はゴシック体] あんた、三つも質問書いてますねえ。まあずるいですよ、一人おひとつですよ。  私は個性の強い人が好きですね。キャサリン・ヘプバーン、ベティ・デイビス。男ではジェームズ・キャグニー、スペンサー・トレーシー、ハンフリー・ボガート。忘れられない映画、生涯で。七百本ぐらいありますから、それを話したらあんただけで時間たってしまいますから。ちょっと、一口に無理に無理に、無理に無理に無理に、たたいてたたいていったら、「散り行く花」(一九一九)、リリアン・ギッシュ、リチャード・バーセルメス、古い名作です。サイレント時代です。それから、ストロハイムの監督で「グリード」(一九二四)、これもサイレントの末期です。トーキーになってからは「駅馬車」(一九三九)、まだまだありますよ。でも、もっとしぼれば、「駅馬車」、チャップリンの映画のすべて。これが一生忘れられません。それから、いちばん最初に見た映画、さあそんなことはいえません。私は一歳から見てますからね。いちばん最初に好きになった映画、というんなら、それは十歳のときに見た「ウーマン」(一九一七)ですね。まあ、そんなところでかんべんしてくださいね。 ●大きなセットは使ったあとどうするのでしょう  次はえーと、これをいただきましょうか。愛知県の方、いちむらあきらさんというんでしょうか。いちむらあきらさん、�学生さんです�あなた自分で�学生さんです�だって、いいとこありますね。あなた、おいくつかしら。�いちむらあきら、学生さんです�だって、まあなんていいんでしょうね。 Q[#「Q」はゴシック体] 映画のなかに出てくる巨大なセット、たとえば、「ベン・ハー」(一九五九)の競技場などは、撮影が終ったあとはどのようにするのですか。取り壊すのですか。それとも一般の人々に公開して使うのですか。 A[#「A」はゴシック体] まあ、あなたなかなかプロデューサーみたいこと、いいますね。そうなんです。これなかなかおもしろいご質問ですね。あんまり巨大なものはじゃまになるし、たいそう地面を使っております。ことに「ベン・ハー」とかそういうのは、アメリカで撮らないんですね。この頃、ああいう大きな、巨大な巨大な土地を使うセットは、ローマへ行きましたり、スペインへ行きましたり、そういうところを借りまして作るんです。とにかくそこで働く人がハリウッド、アメリカよりも安いんですね、費用が。  まあとにかく「クレオパトラ」なんかいうのも、ローマとスペインとイギリスと、三つセットをもちましたの。大きな大きなセットを三月《みつき》、四月《よつき》、半年、ずーっと建てたままにしておりますの。だからおもしろいことあったんですよ。あの頃、エリザベス・テーラーと、それから、あの、リチャード・バートンがだんだん、だんだん仲良くなってきて、撮影所へ行かない日があったんですよ、何度も。それでえらいことになって、撮影が延びた。三日や四日やのうて、半年も延びたことがあったんですね。それで撮影の、その会社が怒ったんですね。「いったい、どうするのか、はっきりしてください、リズ」なんていった。それで撮影にやっともどったときに、まあその「クレオパトラ」のセットの中で、ニャーオ、ニャーオ、いつの間にかネコが住みついてたんですね、たくさん、たくさん。  そういうわけで、ネコが入ったり、ネズミがわいたりするぐらいに、オープンセットは一年ぐらいほったらかしの、雨ざらしもあります。けれども、あんな大きなセットは、やっぱり取り壊します。だいたい、いまはもう、なるべくそういうセットを残さないで、ただちにつぶして、その土地をまた使うようにしております。 ●アカデミー賞とゴールデンーグローブ賞の違い  もう一枚ぐらい、いただきましょうか。えーと、えーと、このおはがき、おところ、お名前ありませんけど、ご質問は、ああ、ありました、ありました。お若い方の字のようですね。 Q[#「Q」はゴシック体] アカデミー賞とゴールデン・グローブ賞との違いを教えてください。 A[#「A」はゴシック体] はい、お教えしますよ。アカデミー賞というのは、あの有名な有名な、アメリカの、ハリウッドだけじゃないアメリカ中の人が投票する、有名な賞ですね。ゴールデン・グローブ賞というのは、ハリウッドに住んでいる外国のジャーナリストが集まって出した賞なんですね。アカデミー賞のほうがずっとずっと古いんですよ。ゴールデン・グローブ賞のほうは新しいんです。いいですね。 ●私に来るお手紙のいろいろ  さあ、このへんでちょっと、私のうちに来るいろいろなお手紙のこと申しましょうか。「百の質問」は、またあとでどんどんお答えしますからね。  考えてみますと、お便りくださる方、たいがい十五歳がいちばん多いんですね。どういうわけでしょうね。ちょうど十四、五の頃が、ちょうどそういうものを、だれか相手にぶつけたい時代なのかしら。前は十八歳が多かったのね。この頃早くなりましたねえ。なにもかも早くなってきたんですねえ。  そういうわけで、私も投書したことあるけれど、そうですね、そういえばやっぱり十五頃投書してましたねえ。だからあたりまえなんですね。けど、いま私、もう六十七歳ですから、死期が迫ったいま、十五歳の若い人の手紙見ていると、いじらしいやらおませやら、不思議に思います。  だからここでちょっと、みなさんのご家庭にいっときます。油断できませんでえ。私に来る手紙、おもしろいのありますえ。「私はいつもいつも淀川さんのテレビ見ています。お父さんも見ています。お父さんがいいました。�これこれ、早く来い。おまえの恋人の淀川が出てるぞ�いつもそういいます。おもしろいお父さんでしょ」まあそんな内輪のこと完全に書いてこられますねえ。  なかにはこんなのがありました。お母さんが私の顔、私って淀川ですよ、淀川の顔見ていいました。 「ああァ、この人だけは死なせたくないねえ」まあいいお手紙ですね。またお父さんがいいました。「おいおい、おまえ」、おまえというのは、その手紙の差し出し人の、十四の女の子にですよ、お父さんがいいました。「これおまえ、この映画、おれはおまえのおっかさんとデートして見に行ったんだぞ」  いい手紙ですねえ。こういう手紙が来ると、ほんとにその家庭の明るさがよくわかるんですねえ。手紙というのはおもしろうございますねえ。  けどこの頃、文章がとっても明るくなって、非常にスラスラスラスラ書くようになられましたねえ。もうこの頃、こんなんありませんねえ。�そろそろ、サクラが咲く頃になりました�ああいう書き方やりませんねえ。初めから�こんにちは�なんて書いてみえるようになりました。やっぱり手紙の書き方も非常に明るくなってきて、それがよくわかって十四、五のお方が、気楽に気楽に手紙書かれるようになったなあというのを見て、うれしゅうございます。  というわけで、まあまあ手紙たくさん来ます。お母さんの手紙というのはいいですねえ。お母さんの手紙なんか読んでると、ハッと思って、いやでも返事書きたくなりますねえ。 「私の娘もそろそろ映画が好きになってきました。十三になりました。淀川先生、十三の子供に�嵐が丘�を見せていいでしょうか。�ロメオとジュリエット�見せていいでしょうか」  お母さんから、まあきれいな便せんで、長々とご相談があります。あら困りますねえ。返事書きたいですねえ。このお母さん、なんだろべえと思いますねえ。十三歳で「嵐が丘」を見せていいでしょうかなんて考えることが、もう手遅れですねえ。どんどん「嵐が丘」「ロメオとジュリエット」なんか見せてもらわな困りますねえ。  ですから私は、映画のほかのことなんにも知りませんけど、お手紙拝見してますと、今日の世間のお方のことがよくわかるんです。だから毎日毎日、三十通、三十五通と来るお手紙、来るたんびに私は胸いっぱいで封筒あけるんですよ、これでも。  ところがちょっといいましょうか。怒られるかもわかんないなあ。けれどもいいましょうか。  私まず裏向けて、山本太郎、吉岡金次郎、そういう人、先あけるんですよ。そうして、吉岡清子、ははあ、そういう女の名前の方はあとから見ちゃう。なに、楽しみにとっておく? そうだったらいいんですけど、女のお手紙はみんな長い長い。便せんにみな八枚ぐらい書いてあるんです。なにが書いてあるか、みんなブルース・リーがいいだって、わかってることばっかり書いてあるんです。しまいには、ブルース・リーのお墓はどこですか。そんなこと、私知りませんよ、といいたいぐらいの手紙来るんですね。  男の子はいいんですね。率直に、おっちゃんのサイン送れ。一枚で書いてくるから。もっと困ったのもあるんです。困ったって、私が困るんで、相手の方はとっても大まじめなんです。五百円のお札が入ってることあるんですねえ。それ、なんですか。淀川おじさんの写真送れ。まあいやらしいねえ。五百円でそんな写真、ありがたいけど、いちいちそんな具合にしてたら、勉強もできないし、ラジオもテレビも出るひまなくなっちゃうんですねえ。  そういうわけで、切手が入っていたり、五百円が入っていたりすると困るんです。どうかそんなもの入れないで、率直に送ってくださいね。楽しい楽しいお手紙でも、こんなのもあります。「今、授業中です。こっそり机のところに隠して私は手紙書いとります」こんなのいけませんね。こんなこと絶対やらないでくださいね。  というわけで、まあどうかみなさん、お手紙いただくのはとっても楽しいんですけど、返事を出せないということだけ、覚えておいてくださいね。ごめんなさいね。 ●配役の決め方は  さあ、「百の質問」、もう五十ぐらいいったかしら。なに、まだ七つだって? まああんた毎晩毎晩、憎らしいこといいますね。でもほんとかしら。スピードかけて、次から次とおはがきいただきましょうね。  あら、また神戸の方、てらいとおるさん。 Q[#「Q」はゴシック体] 企画が決定したとき、配役を最終的に決めるのは金を出した人ですか、監督ですか。 A[#「A」はゴシック体] いい質問ですね。これはお金を出した人、プロデューサーです。監督はそこまで権力がないんです。けれども一流の、一流の大監督になりますと、ジョン・フォードだとか、デミルとか、ヒッチコックになりますと、この俳優を使いますといって、最初から約束するんです。けれども、もともとの配役の権利をもっているのはプロデューサーです。 ●淀川さんは一日何本映画をみますか  はい、次は、くらたまさみつさん、十八歳。 Q[#「Q」はゴシック体] 淀川さんは平均一日に何本の作品を鑑賞されますか。 A[#「A」はゴシック体] これは、私は平均一日に一本でしょうね。はい、どんどんいきますよ。数だけたくさん見てもだめですよ。 ●スーパーの歴史について  えーと、名古屋市、もりひでかずさん、二十一歳、学生さん。 Q[#「Q」はゴシック体] 画面に文字が出てくる、あのスーパーの歴史についてお知らせください。 A[#「A」はゴシック体] そうですね。トーキーになったときから申しましょうね。日本でトーキー見たのは、昭和四年です。サイレントの頃、あなた、出ていきなさい、なんてみんな日本語で聞いていたのが、ゲェラウェイ、そんないい方になってびっくりしましたね。日本の弁士さんの声がゲーリー・クーパーのほんとうの声になって、鼻声で、サンキュー・ベリマッチ、なんていったときに、あ、クーパーは西洋人だったのか、とびっくりした時代がありました。昭和四年、五年とスーパーなんてございませんでしたの。そんなもの考えられなかったの。それでね、西洋人がしゃべる。その横から日本の弁士さんがしゃべるで、ややこしゅうございました。それが昭和六年に「モロッコ」(一九三〇)という作品でスーパーがつきまして、あの文字がつきました。いいですか。 ●ジェームス・ディーンが今生きていたら  札幌市、わだようこさん、十八歳、高三とありますね。なんでしょう。 Q[#「Q」はゴシック体] もしジェームス・ディーンが現在四十四歳で生きていたとしたら、どんな映画に出て、どんな役を演じて、どんな俳優になっていたと考えますか。 A[#「A」はゴシック体] ちょっと困りましたね。こう質問されても、私予言者ではありませんから、わかりませんけれども、彼が四十四歳になっていたら、シブ味がまたまた出たでしょうね。ジェームス・ディーンはハムレットをやりたいといっとりましたから、四十四歳でみがきがかかったハムレットをやってくれたらおもしろいだろうと思いますけれども、四十四ではちょっと老けすぎますわね。このへんでかんべんしてくださいね。ジェームス・ディーンのファンの方はやっぱりこんなことお考えになるんですね。 ●映画監督になるには  はい、次の方ですよ。静岡市のはせがわあきひこさん。 Q[#「Q」はゴシック体] 映画監督はどのようにしてなれるのでしょうか。経済的な面も関係ありますか。 A[#「A」はゴシック体] やっぱりありましたね、こういう質問ね。ちょっとむつかしいですけど、私は私なりの答えを申し上げてみましょうね。  映画監督なんていうのは、これは一種変わった仕事ですから、その人の個性、その人の芸術的な天才肌、もって生まれたそういうもの、それをもってないと、まあここへ入って、ここで勉強して、そういうわけにはいきませんの。小さいときから、映画だとか、芝居だとか、絵だとか、あるいはダンスだとか、レビューだとか、いろんなことが好きで好きで、なにかそういう美しさ、良さを十歳、十一歳の頃から自分でいつも楽しんでいらっしゃるような少年、それが青年になってもやっぱり監督になりたいなあ、というお方は、やっぱり心強いです。少年時代、あんまりそんなものはわからなかった、そういう人はちょっとむずかしいかもしれませんね。経済的な面、これ大変なんですよ。本も読まなければならない。芝居も見なくちゃならない。音楽会に行って感激しなくちゃならない。映画という映画は一流も二流も、ほとんど見なくちゃならない。アメリカ映画も、フランスもイタリアも、スウェーデンも。というわけでこれはお金がいります。そうして入りましても十年間、助監督で過ごす人が多うございます。安いサラリーでずっと暮らさねばなりません。とまあ、こんな職業なんですけど、映画監督になる人がいなかったらやっぱり困るんですね。いちばん困るのは私かもわからないけど。あなた、はせがわさん、おなりになりたいんですか。がんばってくださいね。 ●バレンチノの美男ぶりは現在でいうとだれでしょう  名古屋市のはやしもとこさん、あなたの番ですよ。なんでしょうかね。 Q[#「Q」はゴシック体] サイレント時代の、なんとかバレンチノという俳優についてですが、写真で見ても白いメーキャップでちっともわかりません。今でいえばだれのようなハンサムですか。 A[#「A」はゴシック体] まあこの質問もよろしゅうございますね。サイレント時代のなんとかバレンチノだって。これは、ルドルフ・バレンチノでございますよ。真っ白けのメーキャップ、この頃の二枚目は顔を白くしてたもんなんです。近頃はね、もうチャールス・ブロンソンみたいな顔もいいですけれども、昔は、ラブシーンのときに、あんまり陽にやけた顔はだめだったんで、色を白くして二枚目にしたんですね。バレンチノなんて、白くしなくともきれいなんです。とってもいい顔をして、まゆげなんか、もみあげなんか、とってもいいんです。だれに似てるか、今ちょっといないですね。アラン・ドロンでもないし……、やっぱりバレンチノはバレンチノですね。なんとかバレンチノ、なんていわないでくださいよ。ルドルフ・バレンチノですよ。はい、ここらでいいでしょうかね。 ●ダスティン・ホフマンってどんな人  三重県の方、はっとりゆうすけさん。 Q[#「Q」はゴシック体] ぼくはよくダスティン・ホフマンに似てるといわれますが彼はどんな人ですか。 A[#「A」はゴシック体] ダスティン・ホフマン、この人は美男俳優でない、本物の男のにおい、本物の人間をどうにかして出そうと思ってるアメリカで、非常に期待された、非常にみごとな演技の俳優です。ずばり、名優ですね。顔よりも演技を売る人ですね。顔よりも、ですよ、申しわけありません。 ●「駅馬車」が賞の少ないわけ  多摩市、やましたひでじさん、十六歳の方。 Q[#「Q」はゴシック体] 私は「駅馬車」をとっても楽しく見ました。ところがこの映画はその年のアカデミー賞で、助演男優賞と編曲賞しかとっておりません。これはどういうわけですか。 A[#「A」はゴシック体] まあ、あんたおもしろいこと書いてきましたねえ。「駅馬車」、そうでした。あんなにいい映画だけど監督賞もとっていませんね。助演男優賞がトーマス・ミッチェル、編曲はリチャード・ヘージマン、きれいな音楽でした。けどそれだけでしたね。なぜでしょうね。あれは一九三九年、そうです。同じ年に「風と共に去りぬ」があったんですよ。もうおわかりですね。これがみんなさらっちゃった。ちょうど競争した相手がわるすぎたんですね、「駅馬車」は。運がわるかったですねえ。おわかりですか。 ●淀川さん映画を作ってください  次は、えーと、映画が大好きな十四歳の女の子、と書いてありますね。ご質問はなんでしょうか。 Q[#「Q」はゴシック体] 淀川のおじさんは映画を作ってみたいと思いませんか。 A[#「A」はゴシック体] まあ、胸がいっぱいになりました。私は映画を作りたいんです、お金さえあれば、それと度胸さえあれば。少なくとも五億円いるんですよ。私はいま、五百円ならポケットにありますけどね。そういうわけでシナリオ、企画、それから役者、これを全部集めてやるには、二年間かかります。そうして、いよいよ製作を始めたら、今度は命がちぢみます。私は映画を作りたい。これは労働力、それと胸算用、それと度胸、なかなかたいへんな大事業なんですよ、せめてシナリオでも書きたいなあなんて思ってますけど、もう死期が迫ってきました。残念ですね。はい、このあたりでいいですね。次の方、いきましょうね。 ●むずかしい映画がわかるためには  中野区本町の方、さとうまさあきさんですね。 Q[#「Q」はゴシック体] 映画は芸術か娯楽か。あんまりにもむずかしい映画、たとえば「叫びとささやき」(一九七三)「アマルコルド」(一九七四)を見て感動しないのは、僕の人間性の低さからだろうか。 A[#「A」はゴシック体] まあ、あんたかわいいことおっしゃる。まあ気の毒ですけど、ズバリですよ。「叫びとささやき」、ちょっとむつかしかったかもわかりませんね。あんたいくつかしら。お歳《とし》が書いてなかった。それから「アマルコルド」感動しない? あんた感動なさいませんか。まあ、ほんとになんて方でしょう。芸術というものは、格闘がいるのです。あんたも格闘しなくちゃいけないのです。「アマルコルド」、あんなにみんなが喜んだ映画、なぜわからないのか。「叫びとささやき」、なんて変な映画なんだろう。けどみんながほめてる。そんなときには、どうか時間とお金をおしまないで、もう一回、もう一回見てごらんあそばせ。やがて、そうか、いいとこあるなあ、とわかってきたら儲けもんですよ。ピカソの絵なんて、ごらんになったら妙だなあ、何回も見てるうちに、ああいう表現じゃないと感じが出ないぐらいに上手に表現してあるんですね。というわけで、芸術というもの、格闘してつかむんですよ。映画は芸術であり、娯楽でありますよ。 ●淀川さんの私生活が知りたい  愛知県の方、しろさきたかひろさん、十四歳のお方。 Q[#「Q」はゴシック体] あなた様の私生活などを簡単でいいから教えてください。 A[#「A」はゴシック体] はい、私は表も家の中もおんなじなんです。なんにも私生活がないんです。けど、ちょっとだけ、ちょっとだけ、あなたにだけないしょで申しましょうね。アラ、いつもの寝ている人が目を覚まして、こんなときだけ目を覚まして、寝ていらっしゃいよ、いやらしい。早くやすみなさい。  はい、しろさきさん、あなただけですよ。ほかの方、耳押さえててくださいよ。私の生活の一部、それは、私はひとりものなんでございます。いかず後家で。もう六十七歳になっているのに一人でおりますから、夜中の二時頃に、ガスに火をつけてお風呂に入るときがあるんですよ。それがうれしゅうてうれしゅうてしかたがないんです、だれも怒らないから。それにね、あんただけですよ、大きな声でいえませんから。靴下とサルマタ洗ってるんです、二時半頃に。まあ、なに? いやらしい私生活だなですって?  私ときどき万年床なんですよ。私、ベッドきらいなんです。落ちるから。それでね、たたみの上にふとんを敷いてるんです。ところがね、放送局に行くときに、急いで行かねばならないとき、いろんな残酷な時間の使われ方するときには、ふとんなんかたたんでいるヒマないんです。それで、恥ずかしいけど万年床だったり、あるいは夜中にお風呂に入ったり、ときにはお米をといで自分で電気|釜《がま》に入れて、そうしてごはんをたいて、オムレツを作ったり。寝るのは夜中の二時頃、起きるのは九時半頃。というわけで、まあ私は、いかにも自由主義、ほんとうのリベラリズムのなかで生きとります。 ●ドイツ映画はなぜ復興しないのですか  はい、とうとう私生活まで聞かれてしまいましたね。でも、次のこの方、あらきゆうこさん、江東区のお方。あなた、いまの聞こえませんでしたよね、耳押さえてたから。夜中の二時半の洗たくの話なんか、聞いたらだめですよ。あなた、あらきさんのご質問、まえの方みたいなご質問じゃないでしょうね。 Q[#「Q」はゴシック体] 前略、ドイツ映画はなぜ復興しないのか、淀川さん、お答えください。かしこ。 A[#「A」はゴシック体] まあ、�前略�から�かしこ�になってるね。まあ、この人ねえ、江東区らしい下町の方ね。ドイツ映画はなぜ復興しないか。これが大変なんです。ドイツは一時、第一次大戦のあとから、ちょうどヒットラーが出てくる頃まではすごかったんですよ。ドイツ映画界、ドイツ文化、ドイツの文化というもの、芸術というものは、ほんとに世界を一時、牛耳《ぎゆうじ》っとったんですよ。だから映画界も「ドクトル・マブゼ」(一九二二)とか、あるいはまあ「クリームヒルトの復讐《ふくしゆう》」(一九二四)だとか、まあ、「メトロポリス」(一九二六)だとか、いい作品、「会議は踊る」(一九三一)とか、ウィーンの映画なんかピカピカ光ってましたね。黒いダイヤモンドみたいに光ってましたよ。ドイツ映画、よかった。  けど、こわいですね。ファシズムというんでしょうか。ああいう戦争の時代に入りまして、どんどん、どんどん、戦争へ、戦争へ、戦争へとヒットラーがもっていきましたね。だから映画は戦争の道具になったんですね。ヒットラーはオリンピックを映画にしたんですね。あれはすごい。世界であれだけのオリンピック映画ありません。というのが、オリンピックは映画を作るためにオリンピックやったぐらいだったんですね。どうしてか、ドイツは、あのオリンピックを使って、勝利への道、勝利への道、すごいすごい、勝利への道とはこれだ、勝利だ、勝利だ。勝つことだ、勝つことだ、と叫んだわけなんですねえ。それでみごとなオリンピックの映画ができました。けれども、戦争でドイツはむちゃくちゃになりました。で、もう根こそぎやられたら、えらいこってすね、ちょっと立ち上がれないんですね、いまだに。だからドイツは、なにか優しい、スイートな映画作って、たとえば歌の映画、きれいな、優しい、みんなが喜ぶような映画、そういうもの作って喜ばそうとしたけれども、まだ立ち上がれないんですねえ。だから、ドイツのあの深い、みごとな美術映画が生まれてこないのは、まだ戦争のいたみですねえ。戦争がそれほどドイツの芸術、ドイツの映画をもう、踏みにじったんですねえ。戦争はこわいですねえ。というところがお答えになりました。いいご質問でしたね。 ●「黄金狂時代」に音声の入っているわけは  熊本市の方、ほんだたかしさん。 Q[#「Q」はゴシック体] トーキーぎらいのチャップリンが初めて映画で声を出したのは「モダン・タイムス」(一九三六)だったと聞いております。ところが「黄金狂時代」(一九二五)ではちゃんとチャップリンの声が入っていたではありませんか。「黄金狂時代」は「モダン・タイムス」よりも前に作られたのと違いますか。いったい、どうなっているんですか。 A[#「A」はゴシック体] はい、「モダン・タイムス」は、あの「黄金狂時代」のあとですよ。「黄金狂時代」はサイレント時代ですよ。それに音が入ったり、声が入ったりしているのは、チャップリンがリバイバルのためにあとから音を入れたんですね。あれは全部チャップリンの声です。音楽もあとから入れました。というわけで、あのチャップリンが、はじめて声出したのは「モダン・タイムス」ですね。あれがチャップリンの第一声ですね。けれども、言葉はわけのわからない言葉で、あのおもしろいメロディにのせていいましたね。「黄金狂時代」の声は、「独裁者」(一九四〇)などを作ったあとから、もう一度入れなおしたものなんですよ。おわかりですね。 ●スターの手形や足形を押すわけ  千葉県の方、すがようこさん。 Q[#「Q」はゴシック体] たしかチャイニーズ劇場、(違っていたらごめんなさい)の前にスターの手形や足形を残してある場所がありますが、どうしてそんなことするようになったんですか。 A[#「A」はゴシック体] はい、ハリウッドのグローマンのチャイニーズ劇場のことですね。そこに私も参りました。劇場の前がずーっとセメントで相当広いところに、そこに四角な、そうですね、タタミ半畳じきより、もうちょっと小さいくらいの、あなたの机くらいの大きさで、みんなワクにしてありました。そこにスターの手形、足形に、ちょっと一言、�ありがとう��なんてうれしい日でしょう�とか、一言、一言、文句が入ってます。これはチャイニーズ劇場の支配人のグローマンという人が考えたアイデアなんですね。ハリウッドというところはスターがいるんだ。本人を呼べるんだ。だからここへ来て、やわらかいセメントの上に手形とか足形を入れておいてもらったら永久に残る。そう考えました。そうして年に何人か選んで、いちばんチャイニーズ劇場を儲けさしてくれたスター、そういう人を呼んだんですね。だから、呼ばれたスターは、キャッと喜んで来たんですね。両側にレンガかなんか置いて、そうして横板を置きましてね。その横板に乗りまして、やわらかいセメントにぐーっと手形を押すとき、みんなとってもうれしそうな顔をする。それがスナップに出ておりましたね。チャイニーズ劇場でまちがいありませんよ。いいですね。 ●ユナイテッド・アーチスツ社が生まれたのは  福井県の方、みなみだとおるさん、十六歳の方。えーと、あらまたチャップリンですね。 Q[#「Q」はゴシック体] チャップリンが仲間とともにユナイテッド・アーチスツ社を結成したときの、くわしい様子を教えてください。 A[#「A」はゴシック体] そんなこといってもちょっと無理ですよね。私、いなかったんだから。けれども、私には忘れられないんです。私のほんとうに身内みたいな会社だったんです。これは大正八年、一九一九年にできました。その頃は、アメリカ映画はほんとうに儲かって儲かって、世界の王座にあったんです。サイレントの第一期の黄金時代です。その頃チャップリンは、ある会社に雇われておりました。一年に何本作れといわれたら、三本作れといわれたら、月給もらっているから作らなくちゃいけない。ほかにも立派な人が雇われてましたけど、みんな何本作れといわれたら、やっぱりイエスといわなければならない。  そのときに、こういうことではほんとうの映画は作れない、ほんとうに自分の好きな映画を作るのが自分たちの人生だ。そう思った連中がいました。ハイ、その人はまずデビッド・グリフィス。まあこの人は「国民の創成」(一九一五)「散りゆく花」(一九一九)、名作がたくさんたくさんあります。この人がそれをいい出しました。自分たちの手で映画を作ろう。それに共鳴したのがダグラス・フェアバンクスでした。その奥さん、メリー・ピックフォード、これが仲間に入りました。三人。それにチャップリンが入って四人ですね。この四人で作ったのがユナイテッド・アーチスツですね。それぞれがみんないい、名作を作りました。私も、いつのことですかね、そう二十七、八歳の頃にこの会社に入りました。思えばこの会社のマークは自分の胸に長いこと着いていたマークですよ。 ●淀川さんが映画に出演されたってほんとうですか  福岡県の方、いわしたしんじさん、十七歳。はい、あなたの質問、なんですか。 Q[#「Q」はゴシック体] 淀川さんが以前お書きになった本のなかで、五分間だけ映画に出演したことがあると書いてありましたが、ご自分で、実際、映画に出てみて、どのようにお感じになりましたか。 A[#「A」はゴシック体] あ、あの話ね。あれもうだいぶ前ですわね。そうです。私はね、恥ずかしいけど、映画出たことあるんです。「八月十五夜の茶屋」(一九五六)という映画です。どうしてそんなん出たか、まあ長くなりますから、話はしょりますけど、この映画の監督、ダニエル・マンという私のとっても好きな監督に強引にくどかれちゃったんです。忙しい、忙しいといってことわったら、五分だけ、というんでしかたなかったんですねえ。  そのロケは奈良でやったんです。私はもういつもやることいっぱいありますから、ロケが始まるちょっと前になって、そのとき初めて台本読んで、ひっくり返りました。あのダニエル・マン、なんてことするんでしょ。いやらしい役なんです、私の役。私は米屋の配給人です。舞台は沖縄。そうしてね、表に女の人をいっぱい一時間も、二時間も立たしといて中で知らん顔してるらしいんです。やっとのことでガラッと戸を開けて出てきた私は「ヒガジガさーん!」なんて名前呼ぶんです。そのときに、ちょっと横見たらきれいなきれいな女の人が目につきますの。それでまあ、私の配給人が、「あんた暑いでしょう。中へ入ってお茶でもおあがり」なんて。ニヤッとして、これが私の役ですよ。  きれいな人というのは京マチ子さんでした。行列のいちばん前に並んでるのが清川虹子さんです。恥ずかしいですね。そして私がやってるのを腕組んで見てる男が二人いるんです。その二人というのはマーロン・ブランドとグレン・フォードなんですよ。まあ、つらかった。それで十回撮り直してできました。あとで京さんと清川さんが、それみなさい、映画ってむずかしゅうございましょう。映画批評家の方もいっぺんこういう現場でいじめられなさったらねえ、なんてまあ、ぞーっとしましたけれども、私はあの映画、恥ずかしくて一回しか見なかった。でも、いい映画でしたよ、私の出ている場面以外は。というわけで、もうこんなところでカンニンしてくださいね。 ●細かいシーンを覚えているのはなぜ  さあ、もうすっかり時間がきましたね。「百の質問」とても百はいかなかったかもわかりませんが、またいつかこういうことやりましょうね。私はまだみなさんにお話したいこといっぱいあるんです。けど今夜はあと一枚か二枚ぐらい、おはがきいただいてひとまずお別れしましょうね。あんたどんな別れが好きかしらね。  さあ最後のおはがきですよ。 Q[#「Q」はゴシック体] ものすごく細かいシーンを克明に覚えていらっしゃるのが不思議です。プロだからといえばそれまでですが、どういう見方をされているのか教えていただけないでしょうか。 A[#「A」はゴシック体] まあ、プロだからといえばそれまでですが。それはね、一言でいえば感激するからです。感激の極致で、酔っぱらって見たものは決して忘れないんですよ。ボケーッと見たらだめなんですよ。 ●愛にはなぜ涙がともなうのでしょう  さあ、もうガラスの向こうの局の方が時計と私の顔を順番にこわい顔でにらんでますけどおまけの一枚ですよ。山の下のほうからいただきました。えーと、いろいろありまして、ご質問は、えっ? Q[#「Q」はゴシック体] 愛はどうしていつも涙なのですか。 A[#「A」はゴシック体] これ、ほんとにこの番組のはがきかしら? そうですね、ちゃんと「ラジオ名画劇場」とありますねえ。まあ、時間がないというのに、このご質問、でもだいじょうぶなんです。私、ペチャクチャしゃべりながら頭のなかで答えを探してるんです。これでも年季が入ってるんです。お答えしましょうね。この方、まだ若い方らしいから。そうですね。涙のない愛があるかどうか、それはむつかしいことですね。探してごらんなさい。でも、ほんとうの愛には、喜びや、哀《かな》しみや、苦しみといっしょに、必ず涙もともなうものですよ。 ●サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ  ところで、ラジオの前のあなた、いつものお方、あんたの質問、どれだったんですか。え、まだ出てこない? 残念でしたね。でもあんた、私があんたのはがきをここで読みはじめたらすぐ逃げだすんでしょう。枕持って。そうなんです。そういう人もいらっしゃるんです。ラジオで自分の名前が出てきたり、はがき読まれたりしたら、うれしいけどテレくさい。テレくさいけど、うれしいんでしょうね。わかりますね。  さっきもおはがきのなかにありましたけど、お名前書かないお方、またお書きになっても、�放送のときは匿名希望�なんて、アカで書いてる方もいらっしゃいます。たとえば? たとえばそうですね。これはきれいなきれいなおはがきで、中三、十五歳とありますわね。�淀川おじさま。ご相談があるんです�はい、なんでしょうね。�続・エマニエル夫人のことなんです�えっ? �見に行きたいの�やっぱりねえ、�でも十五歳でしょ、私。うーん、うーん、困るんだなあ。年ごまかすの簡単だし、でもなんだかウシロめたいし、淀川おじさまはこの問題、どう思いますう?�  困りますねえ、アカい字で�匿名希望、大阪の田舎娘と呼んでください�と書いてあります。これなんかやっぱり、お名前書いてありますけど、匿名希望、のところよくわかりますねえ。あんたも、匿名で出したんでしょうねえ、きっと。  さて、いただいたおはがきのなかで特に多かったのはどんなご質問だったかといいますと、そうですねえ、チャップリンが多かった。それとやっぱり「風と共に去りぬ」。それから技術的なこと、トリックなんかもね。ピストルで撃たれてうまく血が出るのはどうなってるのかとか、人が火で燃えるところはほんとうに燃えるのですかとかですねえ。いまはなきMGMについてとか、ニューシネマについてとか、ありましたねえ。チャップリンが多かったの、私もうれしかったですけど、こういうのもありましたよ。「淀川さんの話にはよくチャップリンの映画や人柄などが出てきますがなぜですか?」  これは、何度も申しますように、私はチャップリンは映画の神様だと思っているからですねえ。そしてもちろん好きだからですねえ。もう一人の映画の神様、それはエイゼンシュテインという人ですよ。エイゼンシュテインのこともいつかお話しないといけないですねえ。  さあ、ほんとうに、時間がきてしまいました。私、まだまだたくさん、あなたに映画のことを、あれもこれもお話したいんですけれども残念ですね。また機会をつくってゆっくりとお話しましょうね。それじゃみなさん、  サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ。 [#改ページ]    あ と が き  きれいな本が生まれました。私の�おしゃべり�が活字になって残ったのです。うれしいことです。  今回は、ルキノ・ビスコンティやベルイマンがおさめられて、とくに私にはかけがえのない記念となりました。  マイクの前のひとときのおしゃべりは、私には�ひとときのおしゃべり�ではないのであります。命をすりへらした格闘なのであります。マイクの前で頭のなかのビスコンティを全身全力であふれ出させるのであります。その何十分間かに、私は頭のなかでビスコンティの名作を映写し、ビスコンティの�感覚�をどう伝えようかと、あせりにあせります。  この�おしゃべり�はマイクをとおし多くのみなさんにどう伝わっていくことやら。私の前にはマイクがあるだけのこと。  そして録音が終れば、その放送の夜、私は自宅でラジオにかじりつきます。たった一人でそのラジオを聞く私は、コーヒーもタバコもやめてしまっております。身がちぢむ思いとはこれでありましょう。  しかしそのひとときが終れば、ホッとして風呂に飛び込みます。そして今度こそはもっとうまくお話しなければと、湯のなかにもぐるくらい唇の下まで湯に身を沈めてしまいます。  そして実は……今これからその録音のため、赤坂のTBSへ駆けつけるところなのであります。  私の手帳のメモを見ますと、今日で百五十八回目、これは十月十日の放送、すると数えて今日が�まる三年�ちょうどその日に当たっているのであります。  まるで|いんねん《ヽヽヽヽ》みたいにそのような日に、この「あとがき」を書いているのだという、それが不思議で、それでこの�おしゃべり�が、私にはやっぱり命がけのことが、私自身に知らされたような心の張りを感じさせるのであります。  けれども、この�おしゃべり�が私一人でマイクに吸い込まれるわけはございません。すでにお気づきのように、TBSのラジオ局三名のスタッフの方のご苦労であります。いえ、このお人たちでこそ生まれた「淀川長治ラジオ名画劇場」。  なにを語るか。それは私にまかされております。さて私がなにを語るかをきめます。それへの反対は一度もありませんでした。この自由、そして�しゃべる�ときの自由。  このラジオ局の三名の方は、私の自由、これにご協力のありったけを示してくださったのであります。もしも、この「淀川長治ラジオ名画劇場」にかすかながらも個性というようなものがあるとすれば、このラジオ局のこのお人たちの親友とも申したい私への愛情であります。  タイムをはかってくださる係は、とくにご苦労をかけたのです。私はベルイマンやらビスコンティとなるともうもうタイムなどは、頭のなかにすっかりなくなって、しゃべりにしゃべります。私とてタイムは意識はいたしておりますが、自分でベルイマンに酔っている、そうなるとタイムという冷たいともいえるそのストップが、私には関係がないというむちゃなことになりかねない。思えばご苦労のかけどおしだったと思うのであります。  それに私の�おしゃべり�には調子というようなものがありまして、ガラスの壁の向こうから、それを録音されているその係のお人が、私のしゃべり終りのその瞬間に両手を大きく上にあげて円を描いてマルのサインをしてくださる、その瞬間に私の�おしゃべり�は成功だぞ……というわけなのであります。  私はしゃべっているときには絶対タバコは手にしないのであります。タバコを吸いながらのおしゃべりは私の体質には向かないのであります。けれどもこれから始めるというときは、むちゃくちゃに吸っております。  さて、そのおしゃべりとおしゃべりの間にレコードをかけます。さあそのとき、またもタバコです。タバコに火をつけては消し、またタバコに火をつけては消し、灰皿は十分の一も吸わぬタバコでみるみるいっぱいになってしまうのです。  その間中……一本のタバコも手にせず、マイクとテープに全力をかけての、そのお三人……このお人たちが実はこの「ラジオ名画劇場」の生みの親。そうなのです。  私は講演でよく冗談を申すのであります。この「ラジオ名画劇場」は、実はTBSラジオの三人のこわい人のきびしい鞭《むち》の下で生まれるのでございます。  そう申しますと満員の会場のみなさんが、ドッとお笑いになります。けれどもほんとうは鞭どころか私への�いたわり�の�協力�のみごとな私へのリードであります。  その三名の山崎修さん、小山雄二さん、上田正人さんに、この「あとがき」で初めてあらたまった、照れくさいくらいあらたまった感謝をこめて厚く御礼を申し上げたいのであります。  さらにTBSブリタニカのみなさん、なかでも第一巻、第二巻、第三巻のすべてに、かかりきりのご協力をくださった和田有規子さんに心から御礼を申し上げます。   一九七六年 十月十日 [#地付き]淀川長治  単行本 昭和五十一年十二月TBSブリタニカ刊 〈底 本〉文春文庫 昭和六十二年五月十日刊