東 峰夫 オキナワの少年 目 次  オキナワの少年  島でのさようなら  ちゅらかあぎ [#改ページ]  オキナワの少年     1  ぼくが寝ているとね、 「つね、つねよし、起《う》きれ、起《う》きらんな!」  と、おっかあがゆすりおこすんだよ。 「ううん……何《ぬ》やがよ……」  目をもみながら、毛布から首をだしておっかあを見あげると、 「あのよ……」  そういっておっかあはニッと笑っとる顔をちかづけて、賺《すか》すかのごとくにいうんだ。 「あのよ、ミチコー達《たあ》が兵隊《ひいたい》つかめえたしがよ、ベッドが足らん困《くま》っておるもん、つねよしがベッドいっとき貸らちょかんな? な? ほんの十五分ぐらいやことよ」  ええっ? と、ぼくはおどろかされたけれど、すぐに嫌な気持が胸に走って声をあげてしまった。 「べろやあ!」  うちでアメリカ兵相手の飲屋をはじめたがために、ベッドを貸さなければならないこともあるとは……思いもよらないことだったんだ。  ミチコーとヨーコは、前の、カウンターのとなりの四畳半を寝室にとっている。部屋いっぱいにダブルベッドをおいて、客とねる時もかわりばんこにそのベッドを使っていたんだ。けれども、ふたり同時に客がつくと、おっかあは困ってしまってぼくの部屋にくることになる。しょっちゅうというわけではなかったけれど、そのたびにぼくはゆすり動かされて、ああ、そのことあるを思ってかくごしておくべきだったんだ。 「……並んで商売せえ済むるもんにゃあ」  ぼくはおきあがりながらいってみた。 「まさか! さあ、早《へえ》くせえよ。儲《もう》けらるる時に儲けとかんとならんさに?」  おっかあは糊のきいたシーツカバーをパリパリひろげながら、ぼくをいそがせた。 「こん如《ごと》うる商売は、ほんとに好《す》かんさあ」 「好《す》かんといっちん仕方あんな。もの喰《く》う業《わざ》のためやろもん、さあはい!」 「いかにもの喰う業のためやってん、好《す》かんものは好《す》かん!」  泣きたくもなってくるさ。にんげん喰わんがためには、どんなことでもせんならん場合であろうか。ぼくは机の上のかばんや帽子をベッドの下におしかくした。 「ごめんなあ!」  ミチコーが兵隊の手をひっぱって、腰にくっつけながら、目だけで笑ってこっちをみていた。     2 (ヒヤヒヤヒヤ! 我《わ》あがベッドで犬の如し、あんちきしょうらがつるんで居《お》んど!)  ぼくは心でそう叫びながら、外に飛びだしていったんだ。家にいると、うめき声やギシギシベッドのきしむ音が聞えてくるから、逃げよう!  コザ小学校へくだっていく坂を走っていると、 「わあっ、ひと驚かしてえ! つねよしね、この夜中からどこいくの?」  山里さんの門口からでてきたチーコ姉《ねえ》の乳に額をうちつけた。 「マラソンしに!」 「髪頭《かんとう》バアバアしているから、驚いたさあ、明日はかならず散髪《さんぱち》にいきよ」  スカートをなおしながら、まるで本当の姉さんであるかのように、ぼくを叱っていうんだ。 「………」  ぼくは、余計なお節介だよ、と思ったから何もこたえずにまた走りとばした。が、すぐ走るのをやめてチーコ姉がのぼっていった坂の方をふりかえった。親身にいわれたことが、ちょっと有難くもあったんだろう。  ネオンの光でほのあかるんだ空が、坂道の上いっぱいに見えて、チーコ姉のスカートが落下傘のようにひろがっていたよ。すずめのチョンチョン足に似ている細い足が、スカートから出ていた。 「あれっ?」  道の片側にたっていた兵隊が、ついっとチーコ姉によると、チーコ姉はその腕にぶらさがって、そのまま角をまがって見えなくなった。     3  コザ小学校は、小さな谷間に息苦しくはさまっている小さな学校だよ。そして庭といった方がいいくらいの小さな運動場がついている。あたりを囲んだ山は、すすきがバッサリ茂って、てっぺんには露出した石灰岩がチクチク夜空をさしていた。ハブが暮らしやすい山だ。谷間にはまっくらの闇がおりていて、こども達が踏固めた二百メートル・トラックの白い線もよく見えなかった。  ハアハアする息をもとにもどすために、朝礼台の上にゴロッと寝ると、井戸の底から空をみているような感じだ。空には星ばかりがひかっていて、すがすがしい風がすぐに汗をとってくれた。     4  部屋に帰ってくると、女の匂いがプンプンして、ぼくは息がつまってきた。 「おっかあ! 腕時計が無《ね》んなっとんでえ!」  その時計はチーコ姉がくれたもので、文字盤にはポパイの絵がかいてあったんだよ。 「ええっ? 持っち行かんたんな?」 「ううん、壁の釘にかけたまんま、置《お》ちあったんよ」 「あんすりゃ、床《ゆか》にゃ落《おて》てや無《ね》んな?」  おっかあは前かけで手をふきながらやってきた。床には洗浄の時の水がたれているきりだ。おっかあの前かけから米粒がふたつぶみつぶころげ落ちた。 「だあ? 落《おて》てや無《ね》んせえ! あんやこと好かんといったえさに?!」  口のはたに白い汁がついているから、おっかあはまた生米をたべているんだろう。虫がわくるもん生米たべてはならんど、といいながら自分はちょいちょい食べるんだ。 「あーあ、好かん好かんとばっかりいっち、この童《わらば》あは! 親がこん如《ごと》し苦労すしん諸々子達《もろもろこた》あのためやあらんな?」  いつもそういうんだ。親が苦労、親が苦労! そればっかり聞かされていると、もう親の厄介になるのはやめて、家をけりとばして出ていきたくなる。 「あーあ、我《わん》も働き欲《ぼ》さぬならんさあ、学校んやめて……」 「いいっさ! 学校やめて働けえ! 教育も無《ね》ん者は、糞肥桶《くそごえおけ》かついで畑作《はるさ》をするほか無《ね》えんさっ!」     5  ぼくは夢をみていたんだよ。台風の……。戸のあいだから外をのぞくと、吹き暴れる風が隣りの山羊小屋のかや屋根をむしっていた。小屋の中では山羊がうちこむ雨をかぶって、メエメエ鳴いていた。首もきらんばかりに綱をひっぱって、戸口に向かってあがいていたんだよ。 「つね、風が暴れこむるもん、早《へえ》く閉めれ!」  と、おっかあがいったけれど、ぼくはバンバンうたれている山羊から目がはなせないでいた。 (山羊に草やらんとならんがなあ、山羊が餌欲《やほ》さぬ餌欲さぬって鳴いてるがなあ)  小便を我慢してる時みたいに、ぼくはジリジリしていたんだ。 (はあもう! 早く草刈りにいかんとならんがあ!)  そう阿鼻《あび》しているうちに、胆がホトホトしてきて、ヒイーッヒイーッヒイーッ。泣かされてしまっていた。胆がいたくて、うめいて、苦しさのあまりに目をさますと、ぼくはベッドに寝ている。ほっとした。目尻がジクジクしているのが自分でもおかしかった。     6  山羊を飼っていたのは、一年以上も前のことだ。いなかの……美里という村で……四頭も束《つか》なっていたんだよ。  実際には風が暴れる日に、山羊の草刈りにいったことはない。それよりも先に、風をだしぬいて山のように刈ってきて、余分に投げあたえておくのだった。  風が暴れる日には、山羊はおとなしくうずくまって、ググーッとたべものをだしてはもくもく|※[#「歯+台」]《にれか》んでいた。それなのに何の故にあんな夢をみたんだろう。ほっとするより以上に、こんどはさびしくなってきた。  山羊は二頭が外国の山羊だったよ。なんとか援助物資で送られてきた山羊だといっていた。栗色の毛並の……大きな茶色の目、たちあがると腹の下に乳房がみえて、島内産の白い山羊はそのかげに隠れてしまう。角がグルッとまがって、その先が耳のつけ根にささり、そこだけ皮がむけてしまうのだった。だもんだから、ある日おとうが金切鋸でギコギコ角をきったよ。欲ばって短くしすぎたので中の肉芽を傷めて、血がにじんできた。山羊はいやがった。山羊の首を抱いておさえていたぼくも、痛ましくて目をつぶっていた。するとおとうは、もう一度、今度は先の方をきった。  それからしばらくして、子山羊がうまれたんだ。栗色の……可愛らしい子山羊だったよ。幼いものはぜんぶ可愛いけれど……。それがある日草を刈って持っていくと、そばの畑の肥溜めに落ちて死んでいたんだ。親山羊は乳をポタポタたらしてばかりいた。そしてもう子をうまなかった。  おじいが死んで、うちは町へ引越すことになったんだ。家を売った。山羊も村の誰かに売った。子をうまなくなったあの山羊は、すぐ殺されてくわれたのではないだろうか。どっちにしても、今のぼくとは何の関係もない。もう町へ引越してきてるんだもの、あの山羊のことで心配することがあるもんか。 (さあ、もう眠ろう。朝は五時に起きなければならないんだから)  ぼくは新聞配達のアルバイトをしているんだよ、この前から……。家計を助けるために……。緊張しているんだ。そうだ、緊張のあまりにあんな夢をみたのかも知れないね。     7  いなかの炊煙でまっくろになった蝿帳やたんすや、垢よごれた布団蚊帳をトラックにつんで、明ら昼の軍用道路を走って、町へ移動してきた時には、ぼくは気恥かしくてならなかったなあ。なきわらいの時のようなおかしさと悲しさがあったよ。飛行機の発着もできるように作った、と皮肉られた軍用道路をアメリカ女が運転する乗用車が走っていたし、島の人たちをつめこんだバスも通っていた。  道路の両側には、横文字の看板が並んで、スーベニヤ・ショップだとか、レストランだとか、テーラー・ショップだとか、ホテルだとか……道路には音楽が流されて、兵隊たちが歩きながら手舞い足舞いしていたよ。  そんな町の中にあたらしい家はあったんだ。窓から空をあおぐと、映画館の屋根のスピーカーが見えて、アメリカの歌が町中にひびいていたよ。昼間から洗面器を持って風呂屋へいく姉さんたちが歩いていた。  それから、おとうはいろいろ商売をはじめたんだ。 「町に出《いで》て来《き》ちょるもん、ひと儲《もう》けせにゃなゆめ?」というわけなんだろう。  こんにゃく製造、雑貨商店、どれもだめだった。そして、今度の風俗営業だ。そのことについては、ゲート通りでバーを経営している山ノ内叔父さんによく教えられたと思うんだ。 「乳摩訶《ちいちまが》の女子《おなご》、蜂鎌首《はちがまく》のおなごから選んで三、四名は集めらんとならん筈や」 「うちのスージー如《ごと》うる色白うの、尻曲《ちびまが》り屋が見つかれば儲けたるもんやがな」  この山ノ内叔父さんは、たんすを銭箱がわりにしているという噂であった。おとうは山ノ内叔父さんのあとについて、よく出かけていった。大工を頼みにいったり、女をさがしにいったり、役場に営業許可の札をもらいにいったりしたのだろう。  ある日、学校から帰ってくると女たちがきて、もう店の方で何かして笑っていたよ。おとうは、めしを口いっぱいにくくみながら、おっかあに話していた。 「どこのバーでも……よく売れるおなごにゃ……銭をどんどん貸らしち、借金で縛りつけておるもんやあ……売れらんおなごは借金もできらん……あっちのバーこっちのバーと……転々しよる」  女が借金で縛られて身動きできないでいるなんて、それは奴隷とおんなじじゃないか。借金をいれて女をつれてくるというのは、人身売買じゃないか。ひとの不幸を話しながら、どうしてうまそうにめしがくえるのだろう。ぼくはゴクッゴクッと動くおとうの喉仏をみつめながらふかく考えていたんだ。     8 「つね、つねよしよ、起《う》きてとらせえ!」  そういってたたきおこされるのが、この頃のぼくの生活なんだよ。 「あ、またかあ……ちきしょう。べろやあ、やな香気《かざ》し……いつまでん、プーンとやな香気《かざ》しならんもん!」  と、うめいていると、 「つね! 新聞配達に遅《うく》れゆんど!」  あ、もう朝なのだ。ぼくはバネじかけで起きた。起床ラッパではねおきる大和魂の兵隊の如《ごと》く元気よくおきりよ、とおとうにいわれてるから。そのおとうは、早おきて、きのうの新聞を口に泡ためて読んでいる。アジ演説するみたいに……興奮して。字の読めないおっかあに自慢しているんだろう。おっかあはコンロの前にうずくまって、湯気のたっている鍋にねむけトロトロ、味噌をといていた。  朝の町は誰も歩いていないから、顔は洗わなくてもいいだろう。すぐにサンダルをつっかけた。 「集金帳を持っちいかんな?」 「朝から新聞代集めて歩《あ》っけや、悪口《あつく》さらんかや?」 「あんしても、夕暮《ゆうくわ》から集金しに行《い》けや、バーなんか縁起|悪《わ》っさやといっち呪《のら》わんな? 持っち行けえ」  先月から集金してない分が、まだのこっている。とても代金のとりにくいところばかりで、それをひき受けることで、友達から配達の仕事を継がせてもらったんだ。     9  朝露でぬれて、ひえびえした風がよどんでいる通りに走りでたら、いろあざやかなハンカチが落ちていたんだよ。なにもひろうつもりではなかったけれど、ちょっと足でひっかけてみると、あれっ、それはパンティーだったんだ。かわいた路面がその下にくっきりのこっていた。  波照間《はてるま》島からきたおじさんは、いつものように歯ブラシをくわえて店の前をはいている。 「おじさん、おはようございます!」 「おわよう!」  文房具や雑誌、本などで狭い土間に、とびこんで、部数をかぞえて奥の上り框《がまち》に揃えてくれてある新聞を脇にかかえた。 「おじさん、けいぞうくんはもういった?」 「けいぞうくんはもういった! あ、つねよしくん、吉田のにいさんは仕事いきがけに新聞持ってったからね!」 「うん!」 「新聞代もおいていったからね!」 「うん!」     10 「あの、新聞代お願いします」 「え? あ、新聞は毎日いれとるんか、まったく見たことないけど……」 「はい。おもての戸のすきまからいれてます」 「え? おもてのお? あれえーあそこはたんすが置いてあるから、いれてもわからんよ」  バーテンをしているような感じの男のひとは、こうすいの臭いのする部屋にひっこむと、黄色くなった新聞をひとつかみしてきた。 「じっさいもう、毎日たんすのうしろにいれてたんか!」 「すみません、たんすがおいてあるとは知らなかったんです」 「こんどから、台所の方へいれてくれよ」 「はい……あの……」 「なんだ?」 「新聞代を……」 「このつぎだ!」  ぼくは逃げながら舌をだして、その家をふり向いた。下水溝のように汚なくなった小川の石橋をわたろうとしたら、足のふみ場もないくらいにガラスの破片が散乱している。誰か酔っぱらいが力まかせに酒瓶をたたきつけたのだろう。朝日にキラキラしてなかったらふむところであった。     11 「あ、けいぞうくーん!」  ぼくはなつかしさにたまらなくなって、子犬のような気持でかけよっていった。 「……やあ……」  どうしたというのだろう。級長の政一と話しこんでいる恵三は、ぼくの方にちょっとふりむいてくれたきりだ。ぼくは気持がへんになった。 「今朝は、配達におくれたろ?」  それでも、しばらくしてそういってくれたので、ぼくは、 「うん、ねぼうしたから! ハハハ」  諂《へつら》って、とてもおくれたかのようにいって頭をかいた。 「あ、匂うぞ、匂うぞ」 「えっ? なにが?」 「知ってるだろ、セイエキの匂いがするんだよ」  政一は笑っていた。道には粉のような花がおちている。見あげると白い花をさかせた木が、道の上に枝をのばしていた。恵三はとびあがって葉をちぎると、それをかんでしかめっ面をした。ぼくもとびあがって葉をむしりとり、かんでみた。青芽のような苦い匂いがした。 「セイエキのにおいがするだろ?」 「セイエキって?」 「おい、知らないのかよ、遅いな。よし、それじゃ、きょう波照間の店にいったら、辞典でセイという字をぜんぶ調べてみろよ。おもしろいから……このセイだよ」  恵三は掌にその字を書いた。 「けいぞうくんは、すけべえ!」 「なにいってるんだ。じゃ、きみはすけべえじゃないのか。ちょっとぼくを指さしてみろよ、ほら、人さし指以外の指はどこをさしているんだ? きみ自身じゃないか。ひとにすけべえといわば、きみはその三倍さ!」  何の気なしにいった言葉なのに、そんなに強く反撃されるとぼくは泣きたくなる。絵を通じてあんなに親しくしていた恵三は、この頃政一と数学に没頭しているんだ。ぼくはつまらないので、学校につくと便所に入って、授業の鐘がなるまでかがまっていた。カンカンカン。月曜日であったのか朝礼の鐘がなって、校庭に走る生徒たちの息がきこえた。     12  ホームルームの時間がおわると、安里先生は男生徒の席のところにはいってきた。 「たけしくん、休み時間にちょっと職員室まできてくれない? 聞きたいことがあるから、あ、つねよしくんもいっしょにきてね」  何の用事があるんだろう。先生によばれたことは中学生になって初めてのことなので、ぼくは晴れがましかった。  職員室にいって先生のうしろにたつと、先生はすぐに気づいて、 「ちょっと……」  そういって先になって、校舎のうらのガジマルの下に歩いていった。先生はぼくの肩に手をおいて、武からひきはなした。 「……あのね……」  相談するかのように、ぼくの顔をうかがっている。 「……今朝ね、副会計のなつこさんのカバンからおかね盗《と》ったひとがいるのよ。つねよしくんこころあたりない? あなた朝礼にでなかったでしょう? 遅れてきたの?」 「いえ、ぼく、けいぞうくんたちといっしょにきて、それから、トイレにはいっているうちに朝礼になって、そのままずっとはいっていたんです」 「……そう……」  隣りの組の女生徒たちが駈けてきて、象の鼻のようにたれさがったガジマルの枝にとびついた。象の鼻は生徒たちの手でみがかれて、スベスベになっている。 「ゴリラ!」  ひとりの女生徒は、畑をへだてた向うの金網を指さして勇敢に叫んだ。そこにはアメリカ軍の無線塔があって、黒人兵のガードが金網に両手をかけてたっていたんだ。女生徒たちを見ていたガードはフッと片口《かたくち》笑いをした。 「……あのね、朝礼の時間になつこさんの席に髪をのばした男生徒が、うつぶせに顔かくして、ねているのを見たというひとがいるのよ」 「えっ? じゃぼくもうたがわれているんですか。ちがいますよ! ぼくは!」  ただ、髪をのばしているということだけで疑われるなんて、なんたることだろう。ぼくは固い地面にはえているおおばこを踏みしだいていた。これでもか、これでもか、青い汁を土になすりつけた。 「なつこさん、泣いてるのよ、生徒会費は大金なだけに……」 「だれですか、その、みたというひとは。ぼく、あってきますよ!」 「………」 「………」 「いいわ、つねよしくんは、もうかえっていいわ、ごめんなさいね」  教室にかえると、会計の正夫がうしろの席で漫画をよんでいた。肩ごしにのぞいてる者もいる。ぼくもみせてもらおうと、正夫の肩に手をのせた。正夫は胸のポケットをおさえた。そこにはお金がはいっていたんだ。ぼくが先生によばれた理由をはや知っていて、それで警戒したんだろう。ぼくは、もういやだと思って……恵三は離れていくし、先生には疑われるし……逃げていったんだよ。     13  すすきの茂った丘の斜面を、ぼくは這いのぼっていった。すすきの下葉はふみしだかれて、小さなトンネルの道になっているのがおもしろかった。野良犬がつくった道かもしれないんだ。 (つねよしくん! まいにちやまがっこうして。もどりなさい!)  ぼくは安里先生が、そこまで追っかけてきているかのように空想していた。 (いやだよ、せんせい!)  トンネルの道をハウハウと頂上の方へにげていると、泣きたいような得体の知れない強い感情が、こころの芯にあつまってフワラフワラとしてくる。  こころがいそいで……いそぎながらガサガサのぼっていると、急に明るい場所にでた。小便がしたいのかも知れないと思ったが、なぜかしら先の方に力がつまっていて、小便はでない。  海には勝連半島が手をのばしている。その手の先には、その手につかまるまいとするかのように、津堅島や久高島がうかんでいる。  背のびをして裾の方をみおろすと、畑のこちらに美里村がかたよせてあり、浜には漁師部落がちょっぽりとあって、ふたつの部落を隔てるかのごとく滑走路が横にのびている。捨てられた滑走路は、アメリカ兵がオートバイを乗り飛ばすいがいに使いみちがないのであろう。ここにたっていると、空に舞っているこころもちだ。 「ああっ」  こどもがするみたいに、それをいじくっているうちに、不思議な、夢にみたことのある快感がよせてきたんだ。見ると青芽の匂いがする液が草にかかっていた。  ぼくには、その時になってすべてがわかったんだよ。そうなんだ、それは単なる摩擦にすぎなかったんだ。凸《とつ》には凹《ぼこ》がなければ快感が得られないということではなかったんだ。それなのに……兵隊たちは……なんという……もう……。  渇いた喉に水をながしこんだ時のような和《なご》んだ気持がして、ハアーと草のうえにねてみた。     14  太平洋の水平線からはモックリモックリと入道雲がのぼって、海と空が一本の線でわけられていたよ。陽炎にもえた海! そのかなたには楽園のような島々がある。裕福なオーストラリアがある。ぼくが生れそだったサイパンもあるんだ。パパヤなんかだれも食べるものがなくて、小鳥がつっついている。バナナは油であげてたべるんだ。 (いきたい、いきたいなあ)  ぼくはうすらぎかけたサイパンの思い出をまたとりだして、はっきりたしかめるかのように目をつぶった。 (こかげで土人のこどもと、いちんちじゅう粘土細工をしてあそんだね。せんとうきやぐんかんを作って、ゆかしたにならべてほしたね。ゆかしたには、たくさんのせんとうきやぐんかんがならんでいたね) (海に泳ぎにいったこともある。かえってくるなり、ぼくはおっかあにいった。ぼくねえ砂つかんで泳いだよ。おっかあは笑っていた) (艦砲におわれて、ジャングルに逃げこんだときには、背中に毛布を背負い、両脇にはにわとりをだいていた。みんなにおくれまいと走るたびに、にわとりはキョトキョト首をふった) (戦争がおわってジャングルをでてきた時には、服をきた骸骨がそこらじゅうによこたわっているのをいっぱいみたね)  けれども、ぼくは戦争のときのことはあんまり思い出したくなかったので、気持をかえてかばんから地図帳をだしてみた。太平洋の潮流をあかい矢印でしめしてあるページをひらくと、赤道からの潮流はフィリッピンにつきあたって北へむかい、沖縄を洗いながして四国沖をとおり、小笠原島から南にくだって、南洋の島々にながれいたっている。 (船を潮流にのせればいいんだよ。河の水に流されていれば海にでられるように、黒潮に流されていれば南洋の島にたどりつけるにちがいないんだ)  どこかで子犬がクンクン鳴いていた。それは下の村から聞えてくるものとばかりに思っていたのに、あれっ? 意外にちかいことに気づいたんだ。 (そのへんに、野良犬の巣があるかもしれんぞ)  すすきの下葉のふみしだかれた小道は、はんたい側へものびていた。そこを這っていくと、いきなり、ハイエナのような母犬が牙をむいていた。びっくりしてあとずさると、母犬もあとずさった。それで、ぼくはあとずさるのをやめてじっとしていた。母犬は負けてさっていった。巣にはムクムクした子犬がかさなりあっていて、羊水と乳のいりまじったなまなましい臭いがしたよ。いちばん大きいのから選んで、ふところにいれた。 「ああっ、夕刊だあ!」  ぼくは子犬といっしょに、ぐっすりねむりこんでいたんだ。丘の斜面をずりおりて、ごぼう畑をつっきっていたら、ひろい葉っぱのあいだにいくつもいくつも、白いものがひっかかっている。なんだろう。みどりの葉っぱをかきわけてよくみると、ウヘッ、ゴムサックであった。町の肥をくみあつめてきて、畑にまいたんだろう。肥溜めにもたくさん、大きなうじむしみたいに、プックリ空気をふくんで浮いていたよ。  そのひとつひとつには、まだ性欲がまといついているような感じがして、ぼくの空想をかきたてた。するとズボンがテントをはってしまって……。     15  山学校からかえってくると、隣りの部屋にチーコ姉がきていたんだよ。 「わたしシミーズぬいでさあ、ふりかえったらさあ、部屋のすみにふるえてかがんでいるんよ。××ポつかまえてさ、ハッハッハ、どうしたのよ、ワッツマラユーと聞いたらさ、こわいアイムスケーヤ、メイビーユアV・Dっていうんさ」  ぼくにはチーコ姉の声は、どこからでもわかるんだ。 「V・Dってなに?」 「V・Dって性病のことよ。ヘン、こどものくせしてさ、あんまりバカにしたこというんでさあ、アイショーユー、ルック! パッとあけてみせてやったらさ、ハッハッハァ!」  ああ、チーコ姉の声はなんて大きくて、あまくて、さわやかなんだろう! 「アッハッハ、それでどうしたの?」 「ハッハッハッヘビみたいにはいだれてさ、スルリッと股くぐってひんにげていったよ! ハイスクール生ぐらいのさあ、もやしみたいな子だった!」 「アメリカーはからだが大きいから、早くなから色気づくもんねえ」 「ほんとさあ、ズケランの家族部隊でメイドしてた時もさ、スタップサーズンでミュラーという、いいにんげんだったけどさ、そこの子で十二になるのがいたんよ。わたしがトイレにはいるとドアをいたずらするしさ、シャワー浴びてるとのぞきにくるんよ、手をあらうふりしてさ。あんまりうるさいから、ママさんがミーリングにいってるあいだにさ、とっつかまえて習わせてやった!」 「ばれておこられなかった?」 「へいきさあ、わたしだって十四のときに習わせられたんだから、ううん、そこのパパさんじゃなかったけどさ。前のハウスでだったけど……かたきとるつもりで、ようく習わせてやったんさ。……あ、おばさん、またおじゃましてます!」 「あい、チーコな? 風呂屋にろ行《い》んじやんな?」 「うん、風呂屋でミチコーねえさんにあって、はなしに気とられてあがりこんでしまったさあ……あれえ、美味《うま》さげの大根やあ?!」 「はいな、ゆうゆうとよどんでいきよ、大根の肉煮汁《ししにじる》つくゆるもん……」  それから、おっかあはぼくの部屋の戸をあけたよ。 「つね! 夕刊配達は? いま波照間のおじさんにそこでおうて、つねよしはまあだ学校からかえらんねと聞《ち》かったんど! あれ! ふところでムクムクすしは何《ぬ》やがよ? 呆《あ》っ気《き》さめよ! 犬の子やあらんな? この前から青臭《おおぐさ》さぬならんと思ったりや、犬の子でやったえさや。まあだ眼も開《あ》かんもんとって来《き》ちものも思わん、すぐ返《けえ》ちこうっさ!」 「したら、夕刊は?」 「はあもう! あんせやなんで寝んておるかっさ!」  ぼくは、ヌルッとした手をズボンにふいて出ていった。     16  波照間のおじさんは、指につばをつけてはキユナ百貨店のチラシをぜんぶの新聞にさしはさんでいた。店で雑誌や文房具をうっても、まだ、東京の大学へいっている息子さんに送る金がたりないらしかった。 「おじさん、この本なんセントな!」 「なんちゅう本ねえ?」  大きな声でよんでも、儲け仕事から顔をあげないで聞いている。 「ロビンソン漂流記!」  その時、大通りの仲宗根商店の前あたりから、ドシーンと大きな音がつたわってきた。 「ロビン……、あれ、いまの音はなんだね、台風でもないのに家でも倒れたんかね、ロビンソンはいくらだったかな、うしろにいくらとかいてあるう?」 「二二〇円!」 「そんなら、それを四で割ったらいい!」 「……五五セントな。あ、五セントたりないや」 「いいよ、いいよ!」 「ほんとうな?」 「うん、あとでいいよ。ほかならぬつねよしくんのことだ、好きな本からもっていきなさい!」  また、なにかの騒動がもちあがったのか、ひとが走っていった。 「あ、つねよしくん、見にいくひまはないよ。はい、きみの分はすんだからね、さあいっといで! ゆうかんおそくなってすみませんって、声をかけるんだよ!」  ぼくは、夕刊を脇にもって大通りにいそいだ。せっけんの匂いをさせてブラブラしている兵隊やはしゃいでいる兵隊のなかを、すりぬけたりかいくぐったり、ぼくはフットボールの選手が、いさましくゴールに突進している時の気持であった。  仲宗根商店の前には、レストランの、糊でピカピカする制服をきた女たちや、こうすいくさいドレスをきた女たちが、兵隊たちの間にはさまってなにかを見ていた。 「めちゃくちゃだがねえ、もう!」  泣いているような声がきこえるので、ちょっとのぞいてみると、タクシーが電柱の前で倒れていた。ガラスがダイヤモンドのようにとびちって、 「ふんだりけったりだがねえ、もう!」  運転手らしい男は、まがったフロントをたたいていた。遠くサイレンをならしてMPカーが走ってくる。     17  夕刊を配達しおわってかえってくると、ぼくは腹がへってグッタリ窓框にすわってしまうんだ。いろがうすくなった空には、夕暮れの町のざわめきがひびいていた。坂をあがる車のエンジンの音や、客をよびこむバーの音楽や……。ぼくは竹笛をとりだして吹きはじめた。 「わっ!」  いつの間にきたのか、チーコ姉が窓框にとびついてぼくをおどろかしたよ。 「どれ、かしてごらん」  チーコ姉はしごきとった笛を、よだれでしめっているのもかまわずに吹いている。  ぼくが窓辺で笛をならしたりするのは、ほんとうはこのチーコ姉にきかせたいためなんだ。けれど、もうバーに行ったのかなあと思っていると、こうして傍ちかくにやってきて、紅のはみだした唇でぼくの笛を吹いたりするのでドギマギする。  やっぱりぼくは、空想のなかだけでチーコ姉をすいていたんだろう。笛をかえしてくれたけれど、ぼくは口をつけなかった。 「魚《いお》や買《こ》うみ候《そう》らんなあ」  前の通りを呼び売りする女が歩いていったようだ。  チーコ姉は両手をくんで窓框にのせ、その上にあごをおいて目をまるく動かしながら、部屋じゅうを見まわした。時計のことは忘れてくれているのであろうか。 「あの絵、あんたがかいたの?」 「うん」 「へえ、ちょっとうまいじゃないのさ、どうしてどこもかもあかくぬったの?」 「夕やけだから……」 「あはあ、馬車屋さんが夕やけの道をかえっていくところなのね。だから馬車もおじさんも道もむこうの山も、まっかなのね」  チーコ姉は目をひっくりかえすようにして、下からぼくの唇を見あげている。いつだか、ぼくに習わせてくれてもちっともいやじゃない、と考えたことでぼくは恥かしかった。 「ああ、わたしも絵がかきたくなったさあ、わたしうまいのよ」 「つね! 水汲みにいかんと! 直江はなあ行《い》んじまっちょんど!」  戸のむこうでは、おっかあがよんでいる。チーコ姉はなにをさとったのか、ふっと悲しそうな顔をした。 「ほら……おかあさんがよんでる……じゃバイバイ!」     18  井戸は二十三ひろもの深さで、そこからつるべで汲みあげるのは、腕の力がいる仕事なので、ぼくが専門に汲みあげて、妹の直江が専門にかついで台所の飯銅甕《はんどうがめ》に運ぶ。肩荷棒をビタビタさせ、ヨロヨロかついで行く妹をみると、あれじゃ背がのびないのも無理ないなあ、と思って可哀相になるけど、ぼくがかつげばぼくものびなくなるので、知らんふりして井戸の底をのぞいたりする。 「おーい!」  深い底のほうでは、月の大きさぐらいの水あかりがユラユラしている。  ぼくが井戸のふちにもたれているとも知らずに、チーコ姉が山里さんの門から、兵隊といっしょにでてきた。兵隊はズボンにシャツのすそをおしこんでいる。  担桶《たあご》の十二杯もいれなければ、飯銅甕はいっぱいにならない。飯銅甕をいっぱいにしておかないでは、あしたいちにちの使いみずが足りないので、おっかあがゆるしてくれないだろう。おっかあは担桶《たあご》から飯銅甕《はんどうがめ》に、水をあけるのを手伝ってくれてるから、番をしているようなものだ。水汲みがおわらないと、夕飯にならない。     19  夕飯をたべていると、突然おっかあが、 「やあ、ほんに!」といった。 「あんすりゃ、幸吉も大損害やろもんなあ」  おとうは片膝立てをして、その上に箸をもった腕をのせ、胴体をかしげたまま食べていた。 「して、銭もはらわんでひん逃げたる兵隊は、捕《ちか》めえららんでな?」  おとうは、なにもいわないで、油いための味噌を箸でえぐりとっていたよ。 「何《ぬ》やがよ、幸吉にいさんは……」  ぼくは、こらえきれなくなって聞いた。幸吉にいさんは、おとうのまたいとこで、個人タクシーを経営しているんだ。 「酔《い》うとる兵隊がくるまのなかで暴りて、電柱に衝突せしめたんとよ!」  そういえば大通りの仲宗根商店の前で、倒れていたタクシーは幸吉にいさんのだったんだ。ぼくはなぜ気づかなかったのだろう。 「そばの兵隊が膝踏《ひさふ》ん付《じ》けて、くるま走《は》い飛ばしめたんとよ!」 「えっ? アクセル下《くだ》めとる膝な?」 「うん、ハアバー、ハアバー、ハヤク、ハヤクといっち……」 「幸吉にいさんは五体《ぐてい》があるもん、押し転ばさらんたる場合がや?」 「押し転ばさるるかや、相手はうしの如《ごと》うる三人組のマリンやったといゆるもん!」  その時、おとうのげんこつがぼくの額にとんできた。 「この膝はまがらんな!」  ぼくはちゃぶ台の下に足をのばして、楽にたべていたんだ。 「不作法もんや!」  それがくやしくて、おとうだって片膝立てして楽にたべてるくせに、といおうとしたが、おとうはとっくに片膝立てをなおしていた。     20 「つねよし、起《う》きれえ!」 「えっ?」 「あれ、起きておったんな? なあいっかい水汲んでおかんとならんごとなっとうさ!」 「水? さっき汲んだろもんな?」 「あれや、兵隊が小便たらして使えららんもん、タッ返《けえ》らしたせえ」 「えっ? 小便?」 「うん、酔《い》うとる兵隊が……」 「なんで外《ほか》んかへ、しょびき出《いだ》さんたる場合がよ。おっかあは何《ぬ》しおったかっさ!」 「何《ぬ》しおったかといっちん、忙《いそが》さぬならんしわからんな? ビール買《こ》うたり湯《ゆう》わかしたり……。さっき、その兵隊《ひいたい》が吐きあげて雑巾かけておったんよ、ママサン、ベンジョベンジョといっち這《ほ》うていきよるもん……」 「アウトサイド、アウトサイドといっち声浴びしたんな?!」 「やさ、アウトサイド、アウトサイドと浴びして、すぐあと追うたしがまにあわんよ。隅にむかってたらしておるもん」 「飯銅甕にむかってな?」 「うん、飯銅甕にむかって。ビールくささぬならん蒸気がいっぱいたっちよ。あいな、この狂《ふ》れもんはと押し転ばしたがとまらんよ。もう、台所《だいとこ》いっぱい小便はねちらかして。しかたが無《ね》えん水はタッ返《けえ》らしたせえ。はいよ、起きてなあいっかい、カッ汲んでおけえ。直江もすぐ起《う》こすさ」 「べろや、べろやあ!」 「べろやあといっちんしかたあんな? さあはい、まあだ八時前やろもんだいじょうぶやさ。本はあとから読めえ!」 「きょうの分は、もう汲んだろもん。知らん!」 「知らんといっちん、水汲《みじく》んでおかんとあさは困らんな?」 「………」 「あんすりゃ、済むさ。あさはごはん炊《た》からんことよ、嚼《か》まんけよ!」 「………」 「あんすりゃ、おとうに汲ますさ。幸吉はたからじき帰《けえ》てくるはずやろもん!」     21  この町はほそながい町だよ。日向にでてきたみみずに蟻がたかるみたいに、軍用道路に土地をなくした住民が、しゃぶりついてできた町だよ。ぼくはヒクヒク泣きながら町を横切った。町のうしろには、すぐにいも畑がひろがっている。ほこりをかぶった生垣にかこまれた農家や、畑のうらにかくれた豚小屋や……。  海にいく近道の農道は、月明りにてらされて、いしころのひとつひとつが見えるくらいに明るかったから、なんにもこわくなかった。  ポクポクしたほこりの中に、足をふみ入れると、昼間のあつさがまだこもっていてあったかい。ポクポクふむのに熱中しているうちに、涙はかわいた。  安田村にぬける切通しのところまできて、ぼくはなぜかしら寒気だったよ。崖の両側には木がおいしげって、くろぐろとした闇がさがっていた。たぶん、そこには魔物がたっていたんだろう。ぼくの魂がそれを感知したんだろう。 「守護魂《まぶり》よ、守護魂《まぶり》! 追うてこいよ!」  そういってぼくは、闇のなかをまえばかり見てはしりぬけた。こわいことやおどろかされたりしたことがあると、からだの中の魂がとびだして迷ってしまうから、そう唱えなければならないとおっかあがいつもいっていたんだ。  坂をおりると、ちいさな盆地があって、ずっとまえに……そう、終戦直後に犬蚤宿《いんのみやど》という収容所があったところだ。     22  そこには、たくさんのテントがならんでいたんだよ。そして、サイパンから帰ってきたばかりのぼくたちを迎えるために、そこのテントからおじいが飛びだしてきた。 「おおっ、ぜんきちぃまつこぅ! 無事帰《ぶじけえ》て来《く》られゆたんなあ?!」 「あいよな! おじいもよう頑丈しおったえさやあ?!」 「おおっさ! 南洋も玉砕と聞《ち》ちおったしが、ようまあ帰《けえ》ららったさ! して、誰《たあ》ん戦《いくさ》にまけらんたんな?!」 「はいなっ、兵隊《ひいたい》にん行かんでまことしおったれえ、親子もろとも皆無事《んなぶじ》やせえ!」 「ううっ、良《よう》しやさ! ようしやさ!」  そういって三人がだきあって泣いていたのは、ほんのこの前のことのような気がする。六つぐらいになっていたぼくも、涙で目をグルグルさせながら、おとなが泣くのをはじめてみたのだった。それは、これまでの生活のクライマックスのような光景だったよ。けれどもそれも、もうずっと前のことだ。ずっとむかしの……。もうおとうもおっかあも泣いたりなんかしない。     23  今は、盆地には土地をとりあげられた伊佐浜の人たちが引越してきている。雨水をためてつくった田圃がうちならんで、田のあぜには掘りだしたコンクリや石がつんである。田圃のむこうの肩をすぼめたような農家の庭からは、犬がやかましく吠えた。まだ、こんなに遠いのに……きっとやせほそって神経のとがった犬なんだろう。ぼくも遠くから親しみをこめてポチポチとよびなだめてみた。けれどもいっこうにききめがない。うるさいから忙しく村をかけぬけた。盆地のとっぱなまでくると、海の匂いのする風がふきあげてきて、美里村の屋根々々が月の光にほのじろんでみえたよ。海には軍艦のイルミネーションが、入用もないのにギラギラしていた。     24  浜にひきあげられたサバニ舟に寝てるとね、舟底の板が心地よく背中を温《ぬく》ためたよ。海のはるか沖ではドーンドーンと潮がなって、月は西へ移ってちいさくなっていた。  舟の上では潮風がすずしく吹いていた。が、舟の中の風のよどみには、護岸のうしろの沼地からやぶ蚊がとんできて、もうチヲクダサイ、チヲクダサイ、耳のまえでいっしょうけんめいに鳴いたよ。  ウトウトとしては蚊を追いはらい、ハッと気づいては蚊をたたいてると、どこかで人の声がしたようだった。首をもたげてそこを見すかしていると、護岸の上に櫂をもった男の影がうきでた。そのあとからも、もう一人、帆布をまいた棹をかついだ男の影がついてきた。 (どうしよう! こっちへ歩いてくる! みつかったら、この盗《ぬす》っ人童《とわらば》あは! といって首筋をとっつかまえるにちがいないんだ。もし帆や櫂が舟にのこっていたら、ぼくはそれで沖にこぎでていたろうからね……いいや、みつかっても寝たふりしていよう!)  ぼくは、そう決めて石のつもりになってかたくした体を舟底においた。 (どうしても首筋をつかまえるんなら、ぼくはワッと泣いたっていいんだ)  ………………。 「……浜上地のひろこもよ……」  と漁師はいっていた。 「……ああ……」  と、もうひとりの漁師がこたえていた。  水の中をあるく音がして、浅瀬にもやってあった舟の方へいったようだ。 「……浜上地のひろこも、ブラジルかへ立つんといいよるもんやあ……」 「……せいきちの傍《はた》かへな?……」 「……ああ……」  底にたまった水をかいだしているのであろう。ジャボッ、ジャボッと音がする。 「……あんすしが増しよ。あれん姉さん如《ごと》うし、アメリカーと偶《ぐう》になってハーニーになゆる場合かやと思ったしが……」 「……ああ……フッフッフ、よごれハイカラーやったんやあ……」 「……ああ……フッフッ、おしろい塗りたっくわしてやあ……」  ひとの声をなつかしく聞いていたのに、それが途絶えてしまったので、もういっかい首をもたげてみると、小さな帆をふくらませたサバニ舟は沖のほうへむかっていた。勝連半島の上の空がむらさき色になって、朝はちかい。海の上の軍艦のギラギラもきえている。     25 「うわっ」  目がさめてみると、陽がたかくのぼって、ぼくの首や腕をやいていたよ。とびおきて汗ばんだ首をぬぐうと、蚊のくいあとに汗がしみた。  潮はとおく沖の方へひいて、あたりはすっかり干あがった砂浜になっている。ぼくは一瞬間だけ、あの憧れの無人島にきているんではないかと思ったんだ。いそいであたりを見廻すと、潮風にふきさらされて白くなった護岸や、見覚えのある緑の山なみがそのむこうにつづいていて、がっかりだったけれど……。 「あれえ?」  バンドの間にはさんでおいた果物ナイフがなくなっている。だれかが寝こんでいるぼくをゆっくり観察したのかも知れない。おお口をあけて寝入っている。それだから……ナイフをとっていったんだろう。  クワッと目もくらむばかりに輝いた砂浜だ。よし、きょういちにち、ロビンソン・クルーソーのように生活してみよう。そう思って、ぼくは浜へ歩いていった。もう、無人島にきているつもりになって……。 (シオマネキについて)  無数のシオマネキが、口から泡をだしてブツブツ呪文をとなえながら、はさみをあげたりさげたりして、潮をまねいていたよ。ぼくはその団地めがけて、タッタッと駈けていった。シオマネキはとっぴな出来事に右往左往して、自分の穴をさがすいとまもない。とまどって動けないでいるやつや、他所の穴にもぐろうとして、大きなはさみがつかえて入口のところでじたばたしているやつ。シオマネキをつかまえるのは簡単だ。つかんだやつをすっぽり掌でくるんで、それからしずかに開けるといつまでもとどまっている。とても清らかな小蟹だよ。背中はみどり、足はかっしょく。体と同じくらいに大きい片方のはさみは、みどりからだいだいに変り、さらにそのさきはまっかだ。もう一方の萎えたようなはさみは黄色い。家にもって帰りたくなった。けれど……この小蟹は……潮気のないところではすぐに死んでしまうんだ。 (イソフグについて)  |踝 《くるぶし》くらいまでの浅い潮だまりが、浜の方々にのこっている。そんな潮だまりにはイソフグが餌をあさっているんだ。バシッバシッバシッと水しぶきでズボンがぬれてしまうのもかまわずに、フグを追いかける。とても逃げおおせなくなったフグは、きゅうに身をひるがえして、足でにごした砂の中にかくれる。目敏くかくれるところを見つけないと、どこでかくれたのか見失ってしまうんだよ。  足でソッとにごった砂をふんでいくと、ヌメヌメしたいきものをふみつけることができる。それを手でつかめばいい。フグはタンタンと口を鳴らしながら、腹をふくらませる。腹をさかさにこすって、さらにもっと精いっぱいふくらまさせてやる。フグは毒だからたべられない。風船のようにふくらんだフグを潮だまりにはなしてやると、しばらく浮いて死んだふりしていて、ひとの足音がとおざかると、スッと空気をはいて逃げていくんだ。浜にいるとちっとも退屈しないよ。 (ガザミについて)  潮だまりに頭をだした石をひっくりかえしてみると、たいていガザミがかくれている。この蟹は満ち潮といっしょにりくだなから出てきて、餌をあさってはかえっていくのだが、ときには帰りおくれるのもいる。ひしがたの甲羅の両端にはとげがあり、はさみにもとげとげがある。はさまれると痛い。自分のはさみがもげてとれるのもかまわずに力いっぱいはさむんだから。  屋根をうばわれたガザミはおこって、はさみをひらいていどみかかる。片手でそのはさみをおびきよせながら、もう一方の手でうしろからすばやく甲羅をおさえてしまう。腹がへってならなかったので、甲羅をはいで白い肉を潮水で洗ってたべてみた。あまりいい気味ではなかった。 (ウニについて)  ウニは砂浜のはずれ、ずっと沖の方のゴツゴツした岩の間に、その針ではさまって住んでいる。いつか、おっかあといっしょにウニをとりにきたことがあった。投げてよこすウニを割って、中身を匙でこそぎとっては瓶につめたよ。ごはんにかけてたべると味濃うてうまかった。そう思ったらぼくはなつかしくなって、ひとつだけとったウニを海になげすてた。カモメがゆるやかに飛んでいるこんな、遠浅のはてまできていることが恐ろしくもあった。岩場であそんでいるうちに潮がとりまいて、そのままのこされて溺れてしまうこともある。潮が満ち潮になっているか、どうかを調べるには海面に浮いているものの動きを見ればいい。おっかあがそういっていた。浮いてるものがない場合には、唾をすればいい。唾の泡はノッタリノッタリ陸の方へ流されていた。これは一大事! ぼくはびっくりしてひきあげてきた。 「あっ」  新聞配達のことをいい心持ちで忘れていたんだ。 「波照間のおじさんに叱られるがねっ」  黒いナマコが砂の上をのんびり進んでいる。いそぎ足でふみつけてやると、ブッとまっ白い糸をはきだした。 「いいや、叱られたらやめるといってやろう。安心して家出もできないんだからなあ」  ぼくはもう、勇みたって、元気よく護岸によじのぼりながら自分にいっていた。 「そして手間賃をもらったら、無人島にいく時につかういろんなものを買っとこう、ナイフや擬餌鉤《ぎじばり》や、ビタミン剤や……それから本を読んで、航海のしかたや、体に必要な栄養素のことや……。そんな、いろんなことを頭につめこんでおく必要があるだろう」     26 《一六五九年九月三十日。私、というのは、これを書いている哀れなロビンソン・クルーソーは、この島の沖で嵐にあって難破し、瀕死の状態でこの島に漂着した。私には食物も家も、着物も武器も、又避難する場所も、ここから救出される望みもなく、猛獣にくわれるか野蛮人に殺されるか、あるいは餓死するか、いずれにしても死よりほかにはないと考えて、その日、一日中嘆いて暮らした》  本を読んでいると、 「すまんしが、またベッド貸らしちょんかんな?」  とおっかあがいった。 「またんなあ、勉強しちょるもんならんよ!」  ぼくは顰《ひん》をかまえてから読みつづけた。 《十月一日。朝になって、私は船が満ち潮にのって、前よりも近いところに運ばれてきているのを見て驚いた。もし、私たちが船を離れずにいたら、船を救うことができたかも知れないし、少なくとも誰も溺死せずにすんだかも知れないのだ。仲間を失ったことが前にもまして悲しくなったが、一方、私は船のことでは喜んでいた。船は解体もせず、転覆もしていないので、嵐がやんでからは毎日、船にかよって、運べるものをすべて陸に運んだ》 「おばさん! 準備はまあだな?」  ミチコーが店の方で声をあげている。 「はい、今すぐ!」  おっかあがそういいながら、ぼくの部屋を割りあけてはいってきた。 「つねよし! 早くせえよ! 十五分ぐらいやろもん、ただいますぐやさ!」 「はあもう! やめれえ、あん如《ごと》うる女《おなご》商売は!」 「ふん! 商売やめてまた、今日《きゆう》は暮《く》らしたしが明日《あす》は如何《いかあ》にするかやの生活にもどゆんな? 四苦八苦し、銭《ぜに》も無《ね》えんだれや学校にん行からん……」 「学校いかんで済むるもん、銭《ぜに》はいらんよ!」 「ふん、云《い》ゆたんや、よう覚《おぼ》えておりよ!」  ぼくはベッドにながべったらと寝て、両手を組んで頭の下にしくと、天井をみつめながら、ぼくだけの空想にもどっていった。 (ロビンソン・クルーソーは好都合だったね、難破した船から生活に必要ないろんなものをとってくることができたんだから。ぼくは、そういうわけにいかないだろう。何もかも持っていかなければ……いや、何もかも持っていくことはできないさ。必要最低限のものしか持っていけないだろうさ) 「おばさん、もうこのお茶の間で済ますさ」 「え? お茶の間でな? あんすりゃテーブル片付《かたじ》きらな!」 「うん、早《へえ》くど!」 「はいはい、いますぐ!」 (必要最低限のものとしては何がいるだろう。まず、いちばんはじめに擬餌鉤と糸だ。航海中は、ずっと魚ばかりたべることになるだろう。食糧は持っていけないからね。魚の肉は蛋白質、骨はカルシウム、内臓にビタミンA。にばんめに水だ。水を入れる一斗罐。たぶん、それだけでは水は足りないだろう。雨をふらせてくださるように、神さまに頼むよりほかはない。魚の肉をしぼって水分をとることもできると読んだけれど……。さんばんめにビタミン剤。魚の肉にはビタミンBやCは、含まれていないそうだから。ビタミンBが不足すると脚気になる。昔の水夫は野菜をたべないで、よく脚気になって足腰がたたなくなったと、どれかの本に書いてあった)  茶の間の電燈がきえて、ミチコーがヘイヘイ、ユーと兵隊をよんでいる。 (よんばんめにナイフだ。料理にも使うし、護身用にもだよ。ごばんめにマッチ……というより火打石の方がいいだろう。マッチは水にしめって、使えなくなることもあるし……)  ぼくは空想にふけりながらも、隣りの茶の間にきき耳をたてていた。バンドをはずす音がカチャカチャして……それからあけすけに笑いあっている声であった。そしてゆかいたがギチギチなり……荒い息づかいや……うめきや……ぼくはたまらなくなって……すぐに終えてしまった。チーコ姉のことを空想するひまもなかった。あふれでたものを毛布にふいた。 「おばさん! 洗浄の湯は?」 「あ、仏壇のそばに置ちあんど!」  おっかあは台所にかくれて、声だけで命令している。  茶の間に電燈がついた。ぼくは、さっきのおっかあの言葉が気になって出ていった。新聞配達の手間賃を全部かりられてしまっているのだ。 「おっかあ、本|買《こ》うゆるもん、我《わあ》が銭返《ぜにけえ》せえ」 「えっ? 何の銭《ぜに》よ?」  敷ぶとんをあげながら、うすらとぼけている。 「この前、新聞配達の手間賃十二ドル貸らしたえさに?」 「あれや、返《けえ》さんたんな?」  どこまでうすとぼけるつもりか、むしろの上がぬれているのを見つけて、雑巾をとりに台所へ逃げていく。 「まあだよ。知っちょるくせに!」  ぼくも癪にさわりながら、台所へ追いすがった。 「よう!」 「何の本|買《こ》うゆる場合かっさ! 本は学校の本し、たくさんやあらんな?」 「何の本やってん、我《わあ》が勝手よ。返《けえ》せえ!」 「おとうがよ、無駄使いするはずやろもん、童《わらべ》に銭《ぜに》は持たすな、とよ!」 「無駄使いさんさ。返《けえ》せえ!」 「あんすりゃ、あとから返《けえ》すさ、待っちょれえ!」 「べろやあ、いますぐに返《けえ》せえ!」  ぼくは癪にさわったばっかりに、目から涙がわいた。 「だあ、銭《ぜに》は足らんせえ、あとから返《けえ》すさ!」 「べろやあ! すぐに返《けえ》せえ! 返《けえ》せえ! 返《けえ》せえっさ!」  ぼくは、うしろからおっかあのふくらはぎを蹴りとばした。 「はあもう! ほれはい! 取れえ! 強情にはかなわんさ!」  おっかあは、前かけのポケットにおしこんであったミチコーからの金を、そっくり投げてよこした。ぼくは、その一ドル札をひろうと、ふたつに裂いた。それから、めちゃくちゃにひきちぎった。 「あいなっ?!」  おっかあはそんな叫び声をあげて、こぼれてちらばった札をかき集めようとしていた。     27  それからのぼくは、もう毎日忙しく暮らしていたよ。琉米親善センターの図書室にいって、ヨットの本を読んだり……あ、ヨットが風上にも走れるのは、あれはジグザグに走るからなんだね。ぼくは不思議でならなかったんだ。風を帆に受けて風下に走るはずのヨットが、どうして風上にも走れるんだろうってね……。そして、百科事典で「やきもの」のことも調べたりしたよ。島でいつまでも、原始的な生活を送るのでは大変だろうから、せめて、やきものの器ぐらい作ってやろう、と思ったんだ。  ──ねばり気のある土で器を作って、十日ほど陰干しする。すっかり乾燥したら八百度の熱で焼く(作品が火の中であかく焼けていたらそれでよい)、以上が素焼き。つぎに石英をくだいて骨灰とまぜあわせ、水でドロドロにといて作品にぬり、乾かしてからもう一度やきあげる。するとスベスベしたやきものができあがる──  ぼくが自分からすすんで、こんなにまじめに勉強したことは、かつてないことだったんだよ。     28  火打石もみつけてきた。コザ小学校の前の山で……。お墓のそばを通って、山のてっぺんにのぼると、そこに岩をけずりとって簡易水道のタンクがそなえつけてある。ぼくはいつだったか、けずった岩の割目にガラスのような石がつまっているのを見たことがあったんだ。  山の上にとびだした岩には、どの岩にも波がくいけずった切れ目が水平にのこっている。この島が大昔の地殻運動で隆起した島である証拠なんだろう。風雨にさらされてすっかりトゲトゲしくなった岩にのぼってたちあがってみると、ああっ、大昔海の底であったところに、今では家々がひしめいている! 一本の軍用道路にしがみついているコザの町全部が見下ろせる! どの店にも大きな看板がたてられて、前をかざってうしろを隠しているけれど、ここからはまる見えじゃないか!  さびたトタン屋根やすすくった瓦屋根の間に、ものほし台や便所や、煙突や水タンクがゴチャゴチャして、ぼくは恥かしい部分をみてるような気がして、チョオッと嘲りたくなっていた。  通りのあっちこっちには、夏季清掃週間のごみがつんである。だれかが山の上のぼくをわらっているような感じがして、周囲を見まわすと、さっきそばを通ったお墓の庭に男のひとがうつぶせに寝ているきりであった。  岩のくぼみには大昔の貝がらであろう、白いボロボロの貝がらがつまっている。  石英のような石でポケットをふくらませて山をおりると、お墓の庭にはアメリカ兵がたって、髪の毛から枯草をとっているハーニーのような女をみていた。     29 「つねよし、げんのう知らんな? おとうが使ゆんで尋《と》めたしが……」  ぼくは、石とりに持っていったげんのうをベッドの下からだした。 「やっぱりや……おとうんかへ持っち行けえ。あれ、目があかあし居《お》せや、ごみろ入《い》ったんな?」 「うん……細石《こまいし》がグリグリしならんさあ」 「だあ、面持《つらも》っち来《く》うわよ」 「………」 「うち向けて、見しれえっさ!」 「こん如《ごと》うしな?」  ぼくは横にころがりながら、おっかあの膝の上に頭をのせた。おっかあはしなびたお乳をつかみだして、白い汁をひきしぼっては二滴三滴ぼくの目にたらしこんだ。 「パチパチせえ、すぐ取りゆさ」  かわった匂いがするおっかあの膝から離れて、天井を見ながら目をパチパチしていると、目尻から乳が涙のように流れた。 「なおたらや?」 「うん、なおたん!」  おとうは何枚も板をきっている。ポチがゆかしたに罐詰がらや古下駄、その他なんやかやくわえこんで散らかすから、かこいをうちつけようというのだ。 「かこゆるもん、ポチよびいださんな」 「ポチ! ポチ! いでて来《く》うわっさ!」  この犬は、自動車につきとばされてからは臆病になって、ゆかしたの奥深くもぐって用がない限り出てこない。ぼくはごはんに煮干しのはいった味噌汁をかけてもっていった。 「ポチ! 煮干しの入《い》っちょるものど!」  ムクムクした毛はどろまみれで、くさくてかなわない。おとうは、そのすきにかこいをうちつけようとしたけれど、ゆかしたにはまだ塵がちらかったままだ。 「つねよし、レーキでちりかきいださんな?」 「レーキはとどかんもんな?」 「這いこんで行っち、かきいだせえ!」 「べろやあ! 糞器《はご》やろもん!」 「バカ、糞器《はご》やこと掃除する場所やあらんな? 早《へえ》く入れえ!」 「………」  ぼくはおとうがうらめしくなって、あかくなった目でにらんでいた。 「早くいれえ、口ばかりとがらち、聞《ち》からんな!」  ゆかしたは、洗浄のときにこぼした水でジメジメしてもいるんだ。 「親《うや》のいゆし聞《ち》からんな!」  ぼくは、もうはっきりと決心してうしろ手に柱をつかまえてからいった。 「聞《ち》からんよ」 「この、横着もんや!」  おとうは、サッとたちあがると、持っていたげんのうでぼくの頭にうちかかった。ぼくは目をつぶった。つぶった目からは火花がとんでもう即死だ、と思ったけれど……げんのうは髪の毛にふれただけでくいとめられていた。これが間一髪というのだろう。 「親のいゆし聞《ち》からんだれや、誰がいゆし聞《ち》かれゆがっさ!」  おとうはぼくを殴っては、愛《かな》さぬならん殴ゆる場合るやんど、といったりするけれど、それは嘘だ。憎くて、腹がたってなぐるんだ。 「ちかごろ、反抗ばっかりし……」  ぼくは柱を離れながら、声もなくないていた。 (げんのうでうちかかるなんて! まかりまちがえれば即死じゃないか。もう、こんな家にいてやるもんか! なんだい、ひとをいつも厄介者あつかいにして……そうだ、ぼくは知ってるぞ、おとうだっても兵隊みたいに、あれがやりたくて、やりたくてのしかかったら余計なものが出てきたというんだろう? 厄介な……お荷物のぼくがさ……ちぇっ!)     30  ぼくは鉄砲が欲しくなっていた。航海中にサメにおそわれたら、パンパンと鉄砲でうち殺してやろう。ぼくに意地悪くするやつは、誰でもパンパンとうち殺してやるんだ。うち殺してやりたいと思っているうちに、鉄砲が欲しくなったんだ。  そうだ、いつのことだったろうか。滑走路のむこうはしの青小森で山羊の草刈りをしていると、お墓の石垣の中に草をかぶせた木箱をみつけたんだ。なんだろう、かんづめでもはいっているのかな、と思って開けてみたら、それは油紙につつまれた十挺ばかりの鉄砲だったんだ。ぼくはおそろしいものを見たような気がして、元どおりに草をかぶせて逃げたのだったが、あの箱はまだ、かくされてのこっているだろうか。いってみよう。     31  まなつの、真夏の太陽が、なんにもさえぎるもののない空から、まっすぐに滑走路のうえを照らしていたよ。  なんにもない、わらくずひとつ落ちていない、ひともいない、ただひろいだけのアスファルトの滑走路は、グラグラとした熱気がゆらめいて、ずっと、ずうっと向う、はしっこの青小森が蜃気楼のようにゆれていた。  滑走路のわきにひろがった畑にも、おじいの畑があったあたりにも、誰もいなかった。いま午後のいちばん暑い時刻なんだ。農夫たちは昼めしをたべに帰って、それから陽がなえるまで休んでいるんだろう。ただの鳩が畑のうえをよそみしながら飛んでいったよ。  ぼくは目をほそめ、カンカンに火照ったアスファルトに足をむらされながら、ゆっくり歩いていった。  そうだ、陽炎にもえて目もくらむばかりに熱いこの滑走路のしたには、おじいの畑があるんだった。  そうだそうだ、サイパンから引揚げてくる船のなかでぼくたちは、 「おじいの家についたら、きなこのプクプクふきでちょる芋を噛《か》ん割《わ》い、かんわい喰《く》おうな。掌程の肉《しし》をシイシイ喰おうな」  と、云いいいしながら帰ってきたんだよ。ところが帰ってみると、おじいはテント小屋に住み、畑は滑走路の下敷きになっていて、呆っ気さめ、呆っ気さめ! というわけだった。  そうだ、おじいのはなしではね、この滑走路は本土進撃に備えて、一週間のうちにつくられたということだったよ。けれどもここから爆撃機がとびたつまでもなく、日本は原爆で降伏して、その後この滑走路は海からふきつける潮風で飛行機をさびつかせることが判ったので、使われないままに放っておかれている。ひところこの滑走路には、ふきんから集められた武器弾薬がやまづみされ、テントをかぶせられ、それがいくつもいくつも禾堆《にお》のように点在していたことがあったんだ。  おじいもアメリカ軍に雇われて、弾薬ひろいの仕事にいき、手間賃にかんづめやタバコをもらってきたといってた。そしてその仕事がなくなってからは、滑走路にそってたがやせるだけの空地をヨイヨイたがやして、砂利をのぞき石をおこして芋をうえてみたけれど、そこからは朝鮮にんじんのようなひげだらけの芋しかとれなかったんだよ。いまその畑に目をやると、小学校のうらにわの実習地のように、こまぎれの笑止千万な畑なんだ。  そういうわけで、畑はおっかあがつくり、おじいとおとうは軍作業にでて、ぼくも山羊を束《つか》なって学校から帰るとまいにち草刈りだったんだ。  あの鉄砲はそのころ、だれかが武器弾薬の山から盗みだしてかくしたものにちがいない。その後弾薬の山はもちさられて、海のふかみに沈められたということだった。  岬の青小森にたどりついて、お墓のなかをさぐってみたけれど、もうなにものこってはいなかった。のこっているはずがないんだ。それをみたのは、ずっとまえのことだったんだから……もうなんねんもまえの……。  浜へでてみると千鳥がチューイと鳴いてはとまり、チューイと鳴いてはとまりしていた。  どこにむかって小便してもかまわないくらいに人里はなれたところだ。  そうだ、そのころ、この浜いったいも屍にむらがる蝿のように、むらがりついた上陸用舟艇であかさびた鉄のいろだったよ。それも日本のサルベージ業者があっという間にかたづけてしまったのだけれど……。  目のたかさにひろがっている海は、なないろに輝いている。湾のいりぐちにあるホワイトビーチ軍港の空母がまぼろしのように浮かんでいる。湾内をひとが乗っているとも思われないヨットがしずかに流れている。  ぼくは護岸のコンクリートのうえに坐って、海をわたってきた風にやわらかくうたれながら、どこへいこうか、どこへもいくところがない、家にもかえれないと思ってぼんやりしていた。     32  もう暑さにやられ、人里がおもわれて、ぼくは漁師部落までかえってきたんだよ。部落といっても、ここにはたった八戸ばかりの家があるきりなんだ。のきの低い家がメリケン松や仏桑華やバナナなどにかこまれてうずくまっている。道のうえにも濃い木蔭がおちていて、ぼくはよろけながらそこにたどりついたよ。木蔭にはいると、スッとするような涼しさが体をつつんで、頭のうえでは潮風にふかれる松の枝が鳴っていた。  のどがかわいて、のどがかわいて、どこかで水を飲もうと木蔭をえらびえらび渡っていくと、サバニ舟を作っている家の方からは、木をけずる音がしたよ。生垣のすいたところから中を見ると、屋根だけの小屋のしたで小さなおじさんがかんなをかけていた。そばの台には竜骨とあばら骨だけの舟がねかしてあった。  家のうらには雨水をためたコンクリート製のタンクがそなえつけられている。ぼくはそこからどんどん入っていって水をのんだ。タンクの水はぬるま湯のようになっていた。けれど口にはとっても甘くて、ぼくはすきっぱらにいっぱいのんでやった。  そして、舟のつくりかたには興味があるので、庭へまわっていったんだ。 「何《ぬ》やが!」  おじさんはびっくりした目でぼくをみすえた。まつ毛のないあかい目は、病んででもいるのだろうか。漁師は海にもぐるからよく目やみするそうだ。 「何の用がっさ!」 「ううん、別に……ただ」 「用も無えんだりゃ、他所《よそ》の門にへえるな!」  いっかつされた。ぼくは石をなげつけられた犬のように、しっぽをまいて庭をでた。  砂のうえにひっくりかえされて、防腐剤をぬられたサバニ舟を足でけってみた。こんな舟でとおい海をのりきることができるだろうか。そう思って足でけってみたけれど、サバニ舟は動かない。それでもういちど、強くけってみた。ひきあげられた舟は、意外に重くて動かない。動かなくてもぼくは、こんな舟! といってけりころばそうとしていた。防腐剤の臭いが鼻にツンツンする。  モーターボートが白い波の線をひきずりながら湾内をまわっている。その向うには、外海からかえってきたのだろうか、ひとがのっているとも思われないヨットが流されてきている。そうだ、漁師部落のさきにはアメリカ軍人軍属がつかっているヨットハーバーがあるんだった。     33  やわらいだ日に黄色く照らされた一本の桟橋が海へつきでて、その先には浅瀬をさらってつくったみどりの水路が、赤いブイにまもられてのびていたよ。桟橋の両側にはみがきたてられたヨットやハイカラなモーターボートが、十四、五艘もきょうだいのようにならんでいた。ぼくはメリケン松の葉が散りしかれた涼しい護岸に坐って、ためいきをつきながらヨットらをながめたんだ。  桟橋のいりぐちには監視小屋がある。鉄砲をもった警備員がたっている。それこそいっかつされるだけではすまされないだろう。それだからぼくは、気にもとめなかったのだが……。  海藻をうかせて泡だった満ち潮が、足のしたまでよせてきていた。満ち潮はピチャピチャとヨットらの底をなめて小気味よくゆすってもいたよ。  釣竿をもった小学生ぐらいのこどもたちが桟橋のうえを走っている。あの突端でつるのだろうか。するとあそこは入れたんだ。 「あれ、しげちゃん……おーい、待てえっさ」  六年生までいっしょだったさちこの弟のしげるが大将になって、みんなをひきつれているではないか。  警備員のおじさんは、鉄砲を戸口にたてかけて弁当をつつんできたような新聞をよんでいた。 「あ、つねよしにイにイ!」  いもをたべたべ歩いているしげるたちにはすぐ追いついた。 「わけれえ!」 「ちびの端《はた》し済むんな?」 「うん!」  ………………。  いり陽のなかにうきでたヨットらを間ぢかにみているぼくは、興奮していたといっていい。そして、なんどもなんども、よおーしよおーしとつぶやいていたんだ。  満ち潮が頂点にたっしたのか、湾の内の海が一枚のかがみのようにしずまってきた。大きなだいだい色のかがみだ。ピチャピチャする満ち潮の音もいつしかきえている。風もそよがなくなっている。すべてのものがひっそりと、何かをまっているような夕暮れの一瞬だ。  だいだいに染まっていたヨットらや海や、その向うの半島の山はだが火のような色にかわってきて、それがだんだん、あかくあかく、さらにあかく燃えてきたよ。なんの予兆だろう!  ぼくたちはおびえたように、あかい顔をみあわせた。もうだれも浮標などに目をくれない。息をつめてあたりの気配をうかがっていると、地球最後の日がきたような……不思議な……なんとはなしに天にむかって泣きたくなるような、そんな感じがした!     34 「惚れてん惚れてん、チーコが合点《がつてん》さんもん、ワジワジしる投げたえさに?!」 「いかにワジワジしても、まさかバーんかへ手投げ弾な?! 面《ちら》んかへ大火傷やれえ、チーコもやあ、ほんに哀《あわ》れすさやあ!」 「あーあ、台風が近さこと風がやな暑《あち》さぬ、気いがクサクサしならん、洗濯すませや久しぶりに映画にでも行かなや、兵隊《ひいたい》も出《いで》てこんはずやろもん!」 「また、風が暴れゆんとな?」 「うん、昼方《ひるがた》のラジオが云ゆたし、おばさん聞《ち》かんたん?」  おっかあとミチコーがはなしこみながら洗濯しているうしろを、ぼくはすりぬけていった。ミチコーがぼくに気づいて、ひじでおっかあに知らせた。 「あいな! さってもさってもつねよし!」  ぼくはものもいわないで台所にはいると、サンダルをぬぎすてて部屋にあがった。雑巾がけしてある中廊下のゆかいたに、白い足あとがついた。おっかあはせっけんのあわがついたままの手で、追ってきた。 「学校で勉強しおるもんとばっかりに思うておれや、今ごろノコノコ帰《けえ》て来《き》ちよ……ゆうべはけいぞうの家に泊《とま》ったんな?」  ぼくはこの前みたいに浜のサバニ舟に寝て、桟橋の方へ二度もようすを見にいったりしたんだ。だからおどろかしてやろうと思って、ありのままにいってやった。 「浜に!」 「浜?! 迷わさってろおろうさに!」  おっかあはほんとうにおどろいて、心配してくれている。 「浜にゃ、迷わせもんが居《お》し判らんな? こぞの夏も小渡《おど》さんの童《わらべ》が海に添うていかって、溺《うぶ》らさったし判らんたんな?」  不慮の事故で溺れ死んだものが、くやしさのあまりに悪い亡霊になって浜をさまよい歩き、だれかを迷わせて海にひきずりこむという迷信がこの島にはあるんだよ。そうしなければ浮かばれないというんだ。だからでもないだろうけど、浜には時々死人がでる。ぼくもすでに迷わされてるかも知れない。 「ああ、恐《おと》ろさぬ胆《きも》もホトホトすさ! ゆうべの夜烏《よがらし》やその知らしろやったえさや。おかあは外《ほか》んかへ飛《と》ん出《いじ》て、他所《よそ》の上どよその上ど! と声浴びせたしが……早く食物《もの》嚼めえ、蝿帳におかずが取って置《う》ちあさ。してから学校んかへ行《い》きよ、今からでん遅《おそ》くは無《ね》えんはずやろもん!」  はやく食物《もの》かめえ、というのはおっかあの労《いたわ》りだし、これからでも学校にいきよ、というのはおっかあの諌《いさ》めであったろう。けれどもぼくは固く決心していたから、もう心をうごかされなかった。ぼくはただ、航海に必要な道具をとりにきただけのことだ。おっかあはもっと何かをいいたげに、ぼくの顔をみていたが、 「やあほんに! 哀れなもんや!」  そうつぶやいていってしまった。  ぼくはいそいで抽出しをあけた。釣ばりや糸や、ナイフやビタミン剤、カボチャやトウモロコシの種の包みをポケットにつめた。ポケットはふくらんだ。水筒を手にとってぼくは困ってしまった。ポケットには入らない。水筒のふたには磁石の針がついて、これは羅針盤がわりなので、どうしても持っていかなければならないんだ。ぼくはかばんの教科書をとりだすと、水筒も、それからポケットのものもぜんぶつめかえた。海図につかう社会科地図帳もいれた。それから、箪笥から帆布にするシーツカバーをだした。毛布に着物、ベッドのしたから手斧、井戸の水くみに使い古したロープ、ぜんぶ必要なものばかりだ。ぼくは台所へいってメリケン粉をとってきた。茶の間のちゃぶ台にはごはんとおかずが置いてあって、おっかあは洗濯ものをほしに裏庭にいってるようすだ。 「ヨーコ! 風呂かへ行かんな!」  裏庭でミチコーがよんでいる。 「うん、いますぐ!」  ヨーコがバケツと雑巾とをもって中廊下をとおっていった。が、ふとそこの白い足あとを見つけてしゃがみこんだ。蜂の巣のようにカールピンを頭にいっぱいつけて、短いスカートをはいている。ちらっとぼくの方を見たけれど、ぼくはカバンとメリケン袋の二つの荷物を机の上において、そしらぬ顔をしていた。  女たちが風呂にいったので、ぼくは茶の間にでてごはんをかきこんだ。 「はあもう! 立っちょるまんまな? 行儀|悪《わ》っさや。魂《たまし》いりかえらんだれえ、おとうんかへまた扱《すぐ》られゆんど!」  気がつくとおっかあが台所からにらんでいた。汗のふきでた顔はいっときの間にやつれたようにみえた。おっかあは飯釜をもってきて、ちゃぶ台のそばにおいた。 「味噌汁《んそしる》は温《ぬく》ためらな?」 「ううん、済むんよ!」 「おかずは足りゆんな? 待《ま》っちょれえ、卵買うて目玉焼きつくらな!」  おっかあは買物カゴをさげて走っていった。そのうしろ姿を目のちびでみたぼくは、くすんとなってしまった。おとうの厄介になるのはやめようと、あれほど固く決めていたのにごはんものどをとおらないんだ。 「いまごろになって心をゆすり動かされて、ちきしょう!」  どうしていいか判らないのでたちあがって部屋にはいると、机のうえにかばんとメリケン袋の荷物だ。 「すっかり準備もととのったいまになってもう!」  ぼくはカバンとメリケン袋をつかんで、心で騒ぎながらも裏庭から通りへでていった。  メリケン袋の荷物は大きくがさばって、それを背負っているのがおかしかった。巡査にみつかればあやしまれるだろう、道で顔見知りにあうかもしれないし……ぼくはひっかえして、便所のそばの古木材の下にメリケン袋の荷物をかくした。もどって……そうだ、暗くなってからもういちどもどってきて、それからもっていけばいいだろう。     35  町をでると風においたてられたちぎれ雲が、イッサンゴーゴーみんな同じ方向にとんでいたよ。ぼくもイッサンゴーゴーにげていった。やっぱりぼくは、親に厄介をかけるのがいやなんだ。  いそいでとんでいる雲は陽をさえぎって、あたりがパッと暗くなったり、それからまた急に、パッと明るくなったりした。遠くの畑や森のうえをそういう雲の影が、だれにも邪魔されずにはしっていたよ。うしろの、みんなが四苦八苦している町のうえの空には、雲が待ち合わせてもうじき雨をふらせようとしていた。  いつまでも、あんなおなご商売をしてからに! ふりかえったついでにべろでもだしてやろうかとしていると、突然つよい風にうしろくぼをたたかれて、美里村のうえの坂にでていた。  まっこうから吹きつけるつよい風は、半ズボンのすそやえりもとからいっぱい入ってきて、ぼくはいたずらでもされてるみたいでフワラフワラ……軽くなって空にまいあげられそうだったよ。からだじゅうくすぐられて、あおりたてられて……そう、あおりたてられるばかりでぼくはいやだったんだ。  海はいまはもう、白い荒波をたてて、こゆいきりでおおわれていた。海のむこうの半島の山襞も潮をふくんだ風につつまれて見えなくなっていた。  浜につくと、ぼくはすぐ桟橋の様子をたしかめに走っていった。監視小屋の前には乗用車がとまっていて、桟橋のうえでは大きなアメリカ人が動きまわっていた。ロープをつかんで引っぱっては、ヨットやボートに渡してしばりつけている。すでに他のヨットやボートにはすっぽりとカバーが被せられ、何本ものロープで頑丈にもやわれていた。  ぼくはもうひとつの荷物をとりにいかなければならないので、ひっくりかえされたサバニ舟のしたにカバンをおしこんだ。     36  突風にまじってパラパラッとおちてくる雨のなかを帰ってきて、金城商店の横から走りでたぼくはあっといってたちどまったよ。四軒目のぼくの家の前では、おとうがげんのうをうちふって表の戸を釘づけしていたんだ。軍作業から帰ってくるなり、すぐ暴風対策をはじめたんだろう。あの汗臭い兵隊作業帽をかぶっている。とすれば角材をとりだすのに、便所のそばの古木材をひっかきまわしたにちがいない。古木材のしたに隠してあったメリケン袋は、見つかってしまったことだろう。  ぼくは金城商店の横に身をかくして、ぼくをしめだそうとするかのように、戸を釘づけしているおとうをまた憎んでいた。金城商店のおじさんは、屋根にあがって薪をなげおとしている。屋根のうえの電線は風にゆれてビュウビュウ鳴っている。もう、家に用事はない。むさむさしている暇もない。     37  風にむかってあがこうとしても、水の中をあるくみたいに気持だけがあがき乗りして、からだの方はままにならなかったよ。鼻も口もブサッとふさがれて……。  水の中をあがっていくぼくの前には、まぶしい砂浜がひろがって、みどりの島がまっていた。  あがいてもあがいても、ひとつも前にすすまないから、ぼくはくちおしくなって風にうちかかってやった。すると風の方がまけて、その拍子に前にでられたんだ。肩でうちかかってはふみだし、腹でもたれかかってはおしすすみしてむかっていったよ。  風は道の砂をまきあげて、砂つぶてにしてうちつけてもきた。チクチクチクチク! 砂つぶては顔や腕や足につきささっていたかったよ。パチパチパチパチ! それは漁師の家の板壁にもはじけていた。  いまごろになって庭のバナナの葉をきりおとしてる者がいる。どこかの屋根のトタンが風にあおられながら、ガランガラン道をとんでいく。あぶなくてならないから、ぼくはむさっとしないで風にうちかかって、漁師部落をぬけていった。  メリケン松はうす暗い空に枝をあげてわめいていたよ。みどりの島にあがっていったぼくもワーッとわめいていた。松のしたにたどりついて幹につかまりながら上をみあげると、まるで気がふれた女の髪みたいに枝がふりみだれていた。抱いてやろうにも大きくて……ぼくにはみんな大きくて無理だったんだ。  監視小屋は三方の窓を戸板でかくし、表のガラス戸だけが電燈にひかっていた。ぼくは松のしたからガラス戸に人影がうつるのをまってみた。もう半島も海も桟橋もまっくらだ。ガラス戸の前を光に照らしだされたしぶきが白くかすめているきりだ。 (おじさん! ヨットはロープがすりきれて流されていったというんだよ。そうすれば責任はないから。ぼくもうまくすりきってやるからね!)  風にわきたつ波頭からふきちぎられた潮は、雨のようにあたりいちめんにふりかかっていた。しおっぱいしぶきとなって……。おじさんは何をしているんだろう。ぼくの心臓はドクドクドクドク脈うって、頭は血でいっぱいになってきた。     38  ぼくは這って監視小屋の前をとおりすぎた。かばんの中の水筒に水をつめてくるのを忘れていたけれど、もうひっかえせない。  桟橋の上でもたつことができなかった。たてばひとたまりもなく吹飛ばされて、わきたつ海にころがし落されそうだった。あせりながらもそのままよつんばいになって、はしごをのぼるような恰好でむかっていった。  ヨットらは思っていた以上に頑丈にくくられていたよ。ロープをつかんで引きよせようとしても寄ってこない。海の中の係留ブイと桟橋の杭とから、両方にひっぱられているんだ。わずか十メートルぐらいの間隔ではある。ぼくは手と足を使って、ロープにぶらさがりながらたぐっていった。  ヨットの間からは、渦まいた潮がドドーッともりあがったり、ググーッとへりさがったりしていたよ。ぼくの重みでロープがたるんだのか、もりあがった潮がはげしく背中を洗って、もう流されるっと思ってるうちに潮がへりさがってくれた。その間に夢中でたぐってヨットの脇腹につるされたタイヤに足をかけた。  ナイフでカバーをきりさき中にもぐりこんでみると、何と用心のよさだろう。キャビンにはさらに鍵がかけてあった。しかし、ぼくはもう半分は安心していた。体はカバーにかくれているし、鍵をこわす音もきこえはしないだろう。  キャビンの中にはニスとロープの匂いのいりまじった空気がこもっていたよ。ずぶぬれになって、投げこまれたロープの上にかがみながら、ぼくは心で叫んでいた。 (やったぞ、ついに忍びこんでやったぞ! さあ、吹きあれろ、もっと吹きあれろ! そうして強い吹きかえしになってやってこい!)  風は海から島にむかって吹いていた。台風の目がとおりすぎて、吹きかえしになれば島から海へ風むきが変るんだ。その時ロープをきられたヨットは湾を吹きだされて、ひろい外海へのがれさるだろう。強い吹きかえしであればあるほど、はやくにげられるというものだ。 (沖へ出たら帆をあげよう! ああ、はやく吹きかえしがこんかなっ!)  ナイフをにぎりしめてうずくまっていると、ヨットの底をドッドッドッドッと潮がぶちあたり、ゆすりあげ、流れさっていくのがわかったよ。それは足を伝わって、ぼくの体の芯にもつきあげてきて、フッフッフッフッとするようなはげしい武者震いとなってつつみこんできた。 [#改ページ] 島でのさようなら     ㈵  そうですねえ、この島のことについて、まあ、ひとくちでいってみるならば、こんな風にでもいえるでしょうか。  ──どこかに向かってまっすぐに歩いていくと、基地の金網にぶつかる。金網にぶつからなければ海へつきでてしまう──  いや、実際、この島は小さな島ですからね。海だけがひろびろとしていて……。  小高い丘にのぼれば、その海が両方にみえますよ。こちらは太平洋、あちらは東支那海! 二つの大海がいちどきにみえるんです。爽快な眺めではあります。富士山からアメリカとアジヤを眺めているようなそんな感じで……。  海からの潮風は、この島をひとまたぎします。いえ、ほんとですよ。台風の日などには、潮そのものがとんできて、雨のようにふりかかることもあるんです。すると全島、これあかがれた晩秋のいろ、たそがれのいろですよ。あんなにワイワイ競いあっていたみどりが、一朝にして死のいろですからね。それはもう、悲しい光景です。  そして、そのかれしおれた島の上に、これはまた、何という強烈な太陽でしょうか。雲ふきはらわれ、ちりも洗いきよめられた、こんぺきの空からジリジリと太陽が島をやきます。うわはは、うわははは。ながねん島に住んで、たびたび目にするそういう光景──島の風物──ではあっても、それでも気が変になりそうで、用もないのに家をとびだして、忙しく外をかけまわりたくなります。     * 「はあもう! 昨夜《ゆんべ》のからっ風は、あんしバンバン暴《あば》れたるやア! あねッ、この家は無事やったえさヤ!? いちばんに割らるるかと思ったれヤ!」 「呆っ気さめよイ! マサーッ、なりふりは構《かま》って歩《あ》っけヨ。いかに年寄《としよ》いやってン、汚れシミーズのまんまなア。して家は無事イな?」 「へいな、大家は無事やしがヨ、豚の屋《や》と便所は持っちいかったんヨ。いい場合やサ、あん如《ごと》うる古屋《ふるや》は早く持っちいかって……。うち壊《こわ》する手間《てま》んかからん……」 「ひたいの汗、取ってはなげ取ってはなげし、急ぎ来よるもん、気がかりやったサ!」 「へえ! ひたいにン汗こころにン汗! ただいまから、豚の食物《もの》の心配しおるさア。高潮にやららって、芋も早《へえ》く掘らんだりゃ腐らんかヤ、まあだ三月《みつき》にもならんもんによオ!」 「ンでもはあ、思惑《しわ》しても仕方あんな? なんとかなゆる筈やろもん……して、童ァ達やみんな元気イな?」 「へいな、あのガキ猫達や、起きる早々から尾をふりたてて浜に走りとばしたせえ! 波にもまって弱《よう》とうるコブシミイカでン、よせてや来ちょらんかやといっち……あれ、よしお! 便所たてなおすることやろもん、あとから手兼《てが》ねしに来《く》うよ!」  まあ、そんな風なやりとりが島中でよびかわされるというわけです。けれどもマサーというのはぼくのおふくろではありませんよ。念のため。     *  浜に走りとばすといえば、ぼくがこども……いえ、ガキ猫のころにもよく走りとばしたものですよ。 「つね! おとうの手伝いもせんで! 聞からんな!」  弱りはてた大きな鯨が、浜でのたうってるかも知れないと思えば、おふくろの声など耳の端《は》でも聞けないものです。  空がふき清められてきれいならば、道もきれいにふきはかれていて、ちりあくたは全部溝にたたきこまれています。はだしで走ったって、けがなんかする道理もないですよ。  走りながらあたりの様子をうかがうと、この上もなく地上が明るいわけがすぐに見てとれます。風のやつは木の葉や垣根の小枝をもむしりとって田んぼの畦うち、道の側のくぼにはきこんでくれているのです。もっとも、農家の板塀をバラして溝におしこもうとしたり、田の中をころころ転がって稲をたおしたりしたのなどは、ちょっとひどすぎるといえなくもないんですけど……。  浜はおお騒動です。したりしたり! 風のやつはよいことをしてくれたものです。半島の岬のホワイトビーチ軍港に泊っていた、アメリカ軍の冷凍船をひっぱりだして、暗礁にたたきつけて割ってくれたのです。いろんな罐詰が、箱ごと波にもまれてうちよせてきます。村人たちは波うちぎわにたって、 「寄って来う! 急ぎ来うっさ!」  箱に手招きしています。ひろいあげた箱は砂浜につみあげて、旗じるしに自分のこどもを坐らせています。ああ、こういう時にこそ!……うちの頑固おやじはもう! ぼくはおやじをよびに全速力で飛ばしましたよ。  ところで、おやじをつれて浜へもどってみると、ありゃりゃ、さっきの騒動はうそのようにしずまっていました。アメリカ軍が回収にこないうちに、箱をかついで逃げたのでしょうか。ひとひとりもいなくなってました。  それでも浜にたっていると、何やら屍のようなものがいくつも、いくつもよせてきます。見ると、それはまるはだかの豚でした。冷凍ものは腐りやすい。臭いはじめた豚をひきあげて、何とかならないものかと、考えたあげくに油をとってみることにして、おやじは家から大鍋をもってきました。薪はそのあたりに、うちよせられた木っ切れ板っ切れがたくさんあります。豚はよさそうなものから、ためつすがめつ選んで、こまぎれにし、大鍋でぐちぐち煮だして油をとってみたんですけれど、油にも臭いがうつって駄目でした。それでも捨てるのはおしいからと、一斗罐につめてかついで帰りました、が、臭いはだんだん強くなっておふくろにどなられました。 「あいなッ、鼻もまがゆる如《ごと》うし。あん臭《くさ》さるものは何《ぬ》やがよッ」  しかたがないから、うちの豚の餌にまぜてやることにしましたが、豚のやつもいそいで鼻をそむけました。  それから、そのあくる年でしたか、あくるあくる年でしたか、またまた台風の後のおお騒動がもちあがりました。その時は、浜のほうでではなく、山のほうで、でした。というのはアメリカ軍もだんだん悪がしこくなって(失礼)、台風がくると、いちはやくレーダーでキャッチして、飛行機はもとより、船もほかの島の基地へ逃がして、割られるようなへまなことはしなかったからです。  けれども、飛行機や船は逃げられても、兵舎は逃げられませんよ。丘の上にひとを見下すかのように、威張って建っていたものですから、たちまちうち壊されて、もうトタンはとんでくる。ベニヤ板はとんでくる。毛布や衣類もとんでくる。  この島の人々は、台風のこわさをよく知ってるものですから、山の風陰や、谷の間にかたまって村をつくっているのです。そこへちりあくたといっしょに、値うちのあるいろんなものがとんでくる、というわけでしてね……。その時ばかりは、うちのおやじも前のことで魂が入ったのか大活躍して、トタンを何十枚も、それにベニヤ板やなんかをひろい集めて、雨の中を、自分の畑に穴をほってかくしました。そして、ほとぼりがさめてから掘りだして、町に新しい家をたてて引越すことができたのでした。  ぼくの方も大活躍。溝におちているシーツカバーや田んぼに浮いているジャンパーコートを戦果にしました。ジャンパーコートは、とても上質なものなので、これは青年団にはいっていた兄々《にいにい》に献上、兄々が七、八年も着て、それからぼくにさげて貰ったのですけど、ちょっと黄ばんでいただけで、島をさようならする時まで四年ばかりも着ていましたよ。     *  あっちこっち、島は基地だらけです。そして、この基地からあの基地へ、渡り廊下のように軍用道路がかけわたされています。島尻の方のナハ飛行場から、島頭の方の奥間ビーチへつらぬく一号線。その一号線にそってナハ軍港、マチナト落下傘部隊、キャンプ桑江、ズケランハウジングエリア、カデナ飛行場、チバナ弾薬庫、グリーンベレー訓練場などが並んでいます。一号線にはたくさんの分岐があって、クバサキハイスクールへの十三号線、ホワイトビーチ軍港への二十四号線、というぐあいに、島中、ほうぼうに行きわたっています。  コザという町は、そういう島の中央部、軍用道路が交差するところ、部隊と部隊のはざまにできた町です。 (税金がたかい、物価がたかい。やせた土地にしがみついては暮らしがなりたたん。こどもの教育もできん。町へでた方がよろしかろう)そんな目安だけで町へ引越してきた住民で、この町はふくらんで、もう部隊の柵に迫っています。今にも柵をおしたおしそうです。柵がとりはらわれたならば、なだれをうってたおれることでしょう。  柵の内側には、さつま芋畑や野菜畑がぽつぽつとあります。 (このやろう、使いもせんくせして、やたら土地とりあげてからに)  柵内にはいって耕作した人は、そんなつもりなのでしょうか。 (あったら地をなア、もったいない。さとうきびでン植えちょかな)  賃貸料が安いので、もとの地主たちが入りこんで、耕したのかも知れないのです。 (借地法にのっとって契約書もとりかわし、立入禁止の札もさげてあるのに、これら愚昧《ぐまい》な民衆どもには手を焼く)アメリカ軍は、黙認せざるを得ないかたちです。     *  町へ引越した最初の夏のことです。ぼくは工作の宿題を、すすきのほうきでも作ってもっていこう、と思って柵の中に入っていきました。それがいちばん簡単で、手っ取りばやかったのです。ちょうど、女生徒がぼろきれで雑巾を作ってもっていくみたいに……。そしてそれは、そのまま学校で使えるからよろこばれもしたんです。  もと、諸見里《もろみさと》の村があったあたりには、すすきがたくさん茂っていました。立入禁止の立札には〈軍用犬の哨戒あり〉と、そえがきがしてありましたが、それは夜間だけのことで、昼間は柵にそった巡察路にガードの姿さえ見えないことを知っていました。  ジープのタイヤでふみかためられた巡察路は、万里の長城のようにくねくねと、谷にくだったり坂をのぼったりして、陽光にしろく照りはえています。ガードがジープに乗ってとおる以外に、とおる人のいない路はひっそりとして空しいような感じです。  ぼくはすすきの穂をかりながら、比嘉さん(父の友人)のキビ畑はどのあたりだろう、帰りには二、三本もらっていきたいな、と思っていました。するとうしろで、ピューッと指笛がなって、ぎょっとしてふり向くとガードが仁王だちしていたのです。  "Hey, what're you doing here, get out!"(おい! そこで何しているんだ、出ろ!)  ぼくはいそいで巡察路をわたり、金網がめくれている出口に走りました。  "Hey!"(おい!)また、よんでいます。  "Come here!"(こっちこいよ!)  ただじゃすまないのかな、と思ってぼくはびくつきながら、近づいていきました。ガードは洗濯とアイロンでピカピカのカーキーを着て、腰にはピストルをつるし、足には白いゲートルをまいています。みがきたてられた軍靴には、ほこりもついていません。それで、第二ゲートの立番のC・Pであることがわかりました。ぼくが柵の中にいるのをみつけて、ゲートのところからゆっくり歩いてきたのでしょう。C・Pはぼくの鎌をとりあげました。とりあげなければ、それで切りかかるとでも思ったのでしょうか。とんでもないことです。  C・Pは鎌で草の先をなぎはらいながら、古屋敷の方へ歩いていきます。ぼくも、鎌をかえしてもらわないとおやじに叱られるので、ついていきました。古屋敷は草ぼうぼうで、生垣の仏桑華も大きくなっています。C・Pはぼくの肩をつかんで、門口の古い石段に坐らせると、いきなりズボンをさげて突起をだしたのです。これはどういうことなのでしょうか。ぼくは歯をくいしばって顔をそむけました。なぜ、こんなことをするのでしょう? 柵内に二度と入らせないために、こういう侮辱を与えてやれと、隊長から命令されているのでしょうか。ぼくは頬のすじをぴくつかせながら、遠いところをみていました。C・Pはこの程度でよいと思ったのか体を離しました。  ぼくは走りました。もう、射たれてもいい、今に発射音がして背中に激痛がくるぞ! ほら、ねらってる! 走りながら、ほんとうに背中がピリピリ痛かったのをおぼえています。  柵の外へでて、草をつかみながら土堤をはいあがっていると、頭をかすめて鎌がとんできました。親切気をおこして、鎌をなげかえしてくれたのでしょうけど、ぼくは、腹がたって、ようやく腹をたてるゆとりができて、ふりかえってみたのです。C・Pは笑ってこっちをみていました。ぼくは鎌をひろおうともせずに、いそいで人家の間にはいっていきました。そして、いやなことは早くわすれてしまおう、と思っていました。  それから四年ほどして、高校を中退したぼくは、おやじのコネでその基地内に働かせてもらうことになって、C・Pにパスをみせながら、同じ第二ゲートをはいっていきました。が……あの時のことをおぼえていたでしょうか。いいえ、おぼえていませんでした。     *  これも町へ引越してきた最初の夏のことです。学校から、昼めしを食べに家へいそいでいると、向うからやってくる二人のアメリカ兵が、こんなことをいっているんです。  "Hey look at!, SAKUHACHE girl."(おっ、見ろよ! サクハチだぜ)  "Oh yeah? Are you sure?"(えッ、そうかい? ほんとかい?)  嘲けられているのは誰だろうと、顔をあからめながらふりかえると、口紅をまっかにぬったあの女が、上体をゆすりながら歩いていました。  ふとっているのに、何というすばやさでしょう、ぼくの横をダッとかけぬけると、二人の兵隊の間に体をぶっつけて、腕をつかまえました。  "Come on."(おいでよ)  "Are you going to kill me?"(おれを殺すつもりかい?)  ふたりの兵隊は笑いながら、腕をふりもぎって両方に逃げました。  "Come on!"(おいでよ!)  鼻へぬけるような、甘えた声をだします。  "Boar-shit."(豚のくそッ)  その女は、ぼくの家の近所に間借りをしていたのです。マリーという四つの女の児と、ジョージという三つの男の児、ふたりを抱えた四十女で、第二ゲートの通りにでてはアメリカ兵をつかまえているということでした。アメリカ兵をつれてくると、ふたりのこどもを外へ追いだして商売をするのでした。  ある晩、本屋をめぐって、遅くなって帰ってきたぼくは、そこの家の前で追いだされたマリーとジョージをみつけました。マリーは短くなったスカートから、汚れたズロースをのぞかせて、ジョージは長いメリヤスシャツひとつを着せられて、ふたり並んでたちながら、戸に顔をくっつけています。 「かあちゃーん、さむいよー」  マリーが、のぞいていた節穴からなかによびかけます。 「かあーたん、さぶいよー」  ジョージも、戸のすきまからマリーをまねて、云っています。  ぼくは、うわはははと逃げましたけれど、いつまでも、その声は耳にのこりました。     *  さて、以上が、この島のありのままの、しかし、概略的な姿です。そして……そして……はなしはこれからですよ。     ㈼  ……うーん……高校を……逃げだした、については、これはもうトルストイを読みすぎた、という以外にいいようがないんですよ。  春、二年の新学期がはじまったばかりのある朝、一八番英語教室から二三番化学教室へ歩いていると、向うから膝まであるゴム長をはいた親友の恵二君が、本を読みながらやってくるので、 「おおっす!」  と、声をかけたんです。 「よオー、きょうはあったかいなア!」  あったかいというのは恵二君にとって、幸福であるということの同義語なので、ぼくもうれしいのでした。寒い日にうぶ毛をたててふるえている親友をみるほど、つらいことはないですからねえ。 「おい、つねお君、ちょっとここを読んでみろよ」 「え、なに?」  なるほど、化学室へ通ずる石段の上はやわらかい陽をいっぱいに受けて、風もありません。恵二君がはいているゴム長は、結核療養所へいってしまった彼の兄さんがのこしてくれたものです。 「読んでみろよ、ほら」 「ここ? どれどれ……学校は、こどもたちが学びたい事柄を学びたい時に、学びたいだけ学ぶことができるようにとの意図で作られた殿堂ではなく、教職員がすべてのこどもを手際よく鋳型にはめこむことができるようにとの意図で作られた工場なのです。そうです、ここではこどもたちの一人一人を『秩序ある社会人』という鋳型にはめこんで、はみだした部分を容赦なく切りすててしまうのです……ふうーん、ほんとかなア、ふうーん……だれの本?」  表紙をみると、「人生の糧・春の巻」トルストイとなっていました。 「戦争と平和の……か?」 「そうだよ」  恵二君は、働き手の兄さんがいなくなったので、学校の寄宿舎のひと部屋に母さんとふたりで仮住いしてるんです。が、大変な勉強家でいつもぼくの先を走っています。  ゴッホの絵のすばらしさを判らせてくれたのも、もうじき地球に最後の日がくるという「予言の声のキリスト教」を教えたのも彼なのです。(最後の日はなかなか来そうもありませんけれど、その日には燃える大いなる火天より落ちきたり、とあるのです。核戦争を意味しているようで、不安だけはのこっています)ぼくは、彼がもちきたらすものに興味を抱いているのでした。 「ふーん、真実をいってるみたいでもあるねえ、この本は」  それから、あてずっぽうにページをめくって、めくられたそこを読んでみるとこんなことが書いてあるのです。 「一八一九年にジェリコーが描いた『メデュース号の遭難』は時のサロンに物議をかもしだしたが、あの遭難事件の地獄図絵は現代の社会生活にもすっかりあてはまるのである。人々は粗末な板で急ごしらえしたいかだの上に、ひしめきあって生きている。ここで生きのびるためには他を蹴落し、他をふみつけながら上へはいずりあがらねばならない。そして最も力の強い者が最も安全な場所に居坐り、その次に力の強い者がいい場所をしめて、いかだのはじにつかまりながら死を待っている者の肉を喰らいつつ漂流し、別のいかだに接近するやいなや、そのいかだを奪うために血なまぐさい闘いをいどみあうのだ」  うわはは、とこみあげてくる笑いをおさえながら、ぼくはその本をとじて表紙をさすりました。 「この本は……読んでやってもいいよ、貸してくれ!」 「ぼくが読んでからな、だけどいいかなア」 「うん、いいと思う、うん、いいよ、実にいい!」 「そんなら、二、三日内に図書館にかえすからな、そしたら借りだせよ」 「え? 図書館? 学校のかア?」 「そうだよ」 「いやア、ほんとかイ?」 「上の棚に全集がずらっと並んでるよ、少しかけてるけどな」 「いやア、ほんとかア」     * 「親愛なるチュトルコフ様、あなたが書いてよこされた事柄について私の(中略)。秩序ある社会人とはいかなるひとのことをいうのでしょうか。私は官憲を恐れずにはっきりと申しあげます。  先祖代々、労力の大半を搾《しぼ》りとられてきた人々が、わしらの富は流れながれて資本家の倉に集められているぞ、とりかえせと『一揆』や『世直し』などの旗をかかげて集まり騒ぐのを、『暴徒』だとか『秩序破壊者』だとかと称して警棒でたたき、発砲し、逮捕しては監獄にぶちこむという、そのことによって鎮圧させられた人々のことを秩序ある社会人というのです。  だから、ここでいう秩序とは実に奇妙なことだけれども、要するに支配者が搾取と虐待によってなりたっている自分たちの生活を治安活動によって維持することができている状態のことをいうのです。警官と監獄とを擁している政府とは支配者に結託した暴力組織であり、その政府の教育行政によって作られた学校とは理知と良心に富んだ新しい世代のにない手を無知蒙昧化し、その上で一部の者を組織にとって有用な成員にするための出先機関です。あなたのご子息の進学について(中略)」     * 「おッ、つねお君、どうしたんかねちかごろ、まるっきり授業にもでんそうじゃないか! いずみ先生が、ちょっといってどんな悩みがあるのか相談にのってやってくれっちゅんでね、きみをさがしてたんだけど……どうしたんかね? 勉強はきらいかア」  担任のいずみ先生は、絵の好きなぼくとこの美術の先生となら話があうだろう、と思ったにちがいないのです。 「……勉強は……好きです」 「勉強が好きならどうして……授業も受けんで、ええ?」 「……授業は……受けてませんけど……勉強は……」  ぼくはカバンをいじくってみせました。図書館から借りだしたトルストイの本が三冊に、自分で買ったのが二冊も入っています。それにノートと弁当。 「なんだい、教科書は持ってきてないのか?」 「………」  目の前の運動場では、女生徒たちがドッジボールをやっています。ぼくのクラスの女生徒も二、三人まじっていて、こっちをちらちらみています。 「どうしたんかね、いったい……わけがわからんじゃないか、教科書は持ってこんで、図書館の本ばかり読んで……そんなことでは卒業もできんぞ!」 「……いいんです」  この先生も片眼がわるくて、ぼくはこの先生をみると自分をみているようで、苦しいのです。だから、クラブ活動の時にもできるだけ顔を合せないようにしてたんですけど、 「おどろいたね、まったく……それじゃ学校にはいった甲斐もないじゃないか、え? そうだろ?」 「………」 「みんな脇目もふらずに勉強しとるのに、きみだけがこんな木の下なんかに坐って、ぼんやり」 「ぼくも勉強してます!」 「ほう? 何の勉強かね?」 「……生きていて……何をなせばいいのか……人生に対する正しい理解がほしいんです」 「人生に対する、理解?」  うしろの音楽教室からは、ピアノの練習曲がきこえてきます。 「生きていて……何をしなければならないか……それがわからなくては……生きていたって……」  ぼくは、もうこれ以上は何もいうまい、と思って、ワアーッと叫んではボールをよけている女生徒たちをみていました。  春がたけて、運動場は陽にかがやき、舞いあがったほこりは運動場をかこむ木麻黄《もくもう》のみどりをうすくかすませています。向うの小さな丘に密生した茅草が、風にふかれてサワサワした縞をつくりながら流れています。 「……こないだの映画見学いったかね、真昼の」 「いいえ!」 「………」 「………」 「とにかく……授業にはでといた方がいいよ! 悪いことはいわんから、その本は放課後にでも読みなさい!」 「………」 「いいね!」  ぼくは黙って運動場をみていました。先生は顔をゆがめたようすでした。     * 「実をいうと、ぼくは露国史と統計学ができなくて、二回も不合格をくらったんだけれどね、そして、ようやく三回目に入れはしたけれど、またまた進級試験に落第して、哲学科から法科へころがりこんだというわけさ、ああ、あんちくしょう、イワーノフ教授のやつめ!」 「………」 「歴史なんて退屈な学問だよ、要するに瑣末な数字の山と陳腐な固有名詞の羅列以外の何ものでもないと思うんだ! 統計学も同じこと、その上に無味乾燥ときている! いったい収税局や郡役所に奉職するつもりもない人間にだよ、何の必要があって統計学なんかおしつけるんだろう? きみは数学は好きかい?」 「……犯すあたわざるもの、なんじの名は数学なり、さ」 「なるほど、数学は真の学問ではある。嘘のはいりこむ余地がないからね。しかし、しかしどうだろう? 定理や公式にあてはめてたくさんの演習問題をこなしつつ、無限につづく階段をひたすらのぼることを要求されるこれらの学問は、この学問にぼくは鞭の苦痛を感じるんだけれどね……数量的データの処理法を教える統計学はもとよりだよ、ものの形、大きさ、位置、その他空間に関する性質をきわめようとする幾何学、任意にアルファベットで表わした数の関係や性質を研究する代数学、その他解析学など、いったいこれらの深遠難解な学問が一般的な学生に必要だろうか。いや断じて必要じゃない。だいいち実生活になかなか応用されないし、学校を卒業した途端にみんなはそれらの学問をきれいさっぱりと忘れてしまうんだからね」 「さあてね。しかし、そうだとしても誰にも必要じゃないと断言できるだろうか?」 「いや、待ってくれ、待ってくれよ。ぼくがいいたいのはそのことじゃないんだ。つまり数学は学生たちを困難と苦痛によって叩きのめす鞭として用意されてるっていいたいんだ。お前らに真の学問の深遠さがわかるか、ピシ! お前らに真の学問の困難さがわかるか、ピシ! こらッもっとしっかり走らんか、ピシ! そして学生たちがすっかり打ちのめされへたばらされたところで、嘘の学問、この社会の悪辣な制度を擁護弁明するためにあみだされた政治や法律や経済などの学問がつめこまれるんだ。つまり嘘の学問の嘘が見ぬかれないためには真の学問の鞭でピシピシと叩きのめす必要があるというわけさ」     * 「この手紙は……おい、おかあヨ! この先生からの手紙は、いつの手紙かヨッ」 「え?……一昨日《おとつい》の……」 「何故《ぬうえ》に、こん如《ごと》うる重大問題の手紙、新聞の間に隠っくちょるッ、おとうにン見《み》しらんでッ」 「あんまり、騒《そう》がんしが増《ま》しゃあらんかヤ、そのうち、気持が直《な》うて」 「しても、まさか、学校にゃ行《い》ンじおって、授業は受けとらんといいよるもんニ、重大問題やあらぬな? ンだ、ンだ、あん如《ごと》る者はコンコンとものの道理|云《い》っち聞《ち》かさな。叩き起こしち来《こ》うッさ!」 「もう、寝《ね》ンておるもん、そっとしちょけえなア、なおこ、なおこよ」 「まさか、まさか! せっかく親が銭カネかけて勉学やらしちょるもんに、親の恩義もわからん、すぐ起こしち来《こ》うッ」 「はあ、もう! 騒《さわ》がんけエ! なおこ、流しに置《う》ちある米ガシガシとぎ洗っておかんな」 「まさか、はあーあ!」 「なおこ、朝の準備しちょけヨ……つねおは……学校やめて農業し」 「え? 学校やめて農業?!」 「……農業のかたわら、本買うて、本に填《はま》って勉強すンとよ」 「はあ? あれがすることなすこと、まったくわけがわからんサ!」 「……学校がつまらんとヨ」 「学校がつまらん?! 勉強せん者に学校がつまらんとナ、授業うけらんでンぜんぶ判っておるとナ?!」 「………」 「やめさせろイ! 授業受けらんだりゃ、何の用面《ようつら》して学校に行《い》ンじおるか! 何の用面も無えン!」 「眼の悪っさることやろもん、皆の勉強に追いつかぬわけやあらぬかヤ?」 「なら、なせばなると、ひといちばいに頑張り通すしが本当やあらぬな、なせばなる、なさねばならぬなにごとも、なら」 「ときどき、頭がガンガンするといいよるもん……」 「ええッ?……ああ!」     *  ここに一ルーブルを持っている者がいる。その隣りに一億ルーブルを持っている者がいる、と仮定して(いや実際、それはこの社会にはざらにあることなのだ)、一ルーブルを持っている者は、それをポケットにねじこんで酒屋で一杯ひっかけるなり、一膳飯屋で腹をみたすなりしていて、別段に政治権力のありがたさを意識したりはしない。ところが一億ルーブルを持っている者は、一ルーブル持っている者の一億倍の意識で政治権力のありがたさを感じるのである。一億ルーブルがいかなる方法で集められたかは、ここではいうまい。ただ、ポケットの一ルーブルを使ってしまうと、またぞろ労働を売りに出かけなければならない多数の人々の中で、一億ルーブルを抱えて豪邸に住み、ぜいたくな生活を営むことができるのは、拳銃を持った警察官、黒衣をまとった裁判官、威容をほこる牢獄が二者のあいだにあって、一方をおさえつけ一方を助けているからであることは一目瞭然である。結論をいうならば、政治権力の確立と運営を必要とした者は、彼ら少数の一億ルーブル族であったのである。決してその逆の一ルーブル族の多数ではなかったということだ。富というものは権力によって守られていなければ、たちまち水のように平面にひろがる性質を持つものである。     * 「あら、つねおくん、どうしたの? 学校を休んでばかりいて……、病気かしらと思ったわよ、あ、教室へいきましょう」  いずみ先生は二年六組の教室へはいり、椅子を二つ廊下にだしました。 「なかは暑いから、ここがいいわね、あんまり休むものだから、心配に……」  誰もいなくなった放課後の教室は窓をしめきって、ほの暗いなかに机椅子が整頓されています。顔をのぞかせて息をすうと、ほこりの臭いといっしょに、 「心配になって、また手紙を書いたのよ、恵二くんに持ってってもらったけど、会えた?」  机椅子についた手汗のにおいでしょうか、なつかしいようなにおいがします。 「……顔がすこしあおいようだけど、病気じゃないんでしょ、どうしたの、ほんとに」  教室の裏っ側の運動場からは、野球部員の蛮声がきこえてきます。ぼくは何もいわない先から、胸がつまってうつむいてしまいました。トルストイから受けた感銘を先生にもわからせることができるでしょうか。いいえ、決してできないにちがいない、ぼくにはことばが少ないし、思っていることを明瞭に話すことにもなれていないし、それに、それにトルストイのことばは鋭いメスです。不用心にふり廻せばきっと先生を傷つける、そう悟っていました。 「……ぼく……」  それでも、このことだけは、はっきりといわなければ、と思って、 「……やめたいんです」  いってしまいました。 「どうして、やめたいの?」 「……経済的……理由なんです……父が……商売に失敗して……いま、金を借りたひとと裁判沙汰なんです。……高利貸で、利子の払いが遅れると、それを元金に加算して証書をかきかえさせて……それがつみかさなって、大きくなって……利子に利子をとっていたんです」  とっさにいい理由がみつかったもんだ、と、ぼくは胸をなでおろしました。 「……で? おとうさんは、仕事はしてないの?」 「カデナ空軍基地に仕事をみつけて、通ってますけど……親たちがそんな風に苦労しているのに、学校でのうのうとしてるのは、ぼくたまらないんです」  教室のにおいがそうさせたのか興奮したせいで、涙がでてきます。 「……でも、おとうさんは、やめさせるとは、いわなかったんでしょ?」 「………」  やめさせろイ、何の用面《ようつら》もないッ、とおふくろにいってたことばを、ぼくは思いだし……ましたが、もう、胸を苦しめることしませんでした。 「……せっかく高校に入ったのに、やめてしまうのはもったいないじゃないの? もうすぐ夏休みだし、夏休みじゅうに少し勉強して、頑張るつもりはないの?」 「………」 「……そういうことでしたら、とにかく、おとうさんとも相談してみましょう。あしたつれておいでなさい。やめるにしても、一時休学という方法もあるんですから」     *  東西の先人たちが究めてくれた知識や、経験からわりだしてくれた知恵のすべてを、われわれは学びつくすことができないし、またその時間も持ちあわせてはいないのである。だからここで大事なことは、ぜひとも知りたい事柄は何か、それをわきまえて、それから先に学ぶことが必要である。人体は不思議なもので、塩分が不足すると塩っからいものが食べたくなるように、頭の方も何が知りたいかをわきまえているものなのである。そして、ぜひとも知りたい事柄を先に学び、それから、次に知りたい事柄を学んでいくという風に、順序よく学んでいくならば、よしそれがわずかな学問にしかすぎなくても、学んだ事柄は生活にいかされるであろうし、十分役だつであろう。     *  学校をやめる手続きは、簡単なものでしたよ。いずみ先生につれられて校長室へいき、休学願いの用紙に名前をかき、はんこをおせばそれでよかったんです。  おやじは手続きがすんでからも、なかなかたとうとはしませんでした。わざわざ仕事を休んできてみたのに、手続きはあっさり片づいてしまったので、何かもの足りなく思ったのでしょうか。茶碗をもみながら、うちのつねお君は、つねお君は、と話すんです。自分の息子に|くん《ヽヽ》をつけるというのは、どういう了見なのでしょうか。 「うちのつねお君は、これは眼が悪いという条件から、いわんや結局、のちの勉学にそれが影響して、みなに追いつけないという困難さゆえに、学校がいやになったのではないかと、受取っておりますのですが、なんと申しますか、親がなあ、せっかくりっぱに作ってやった目を」  あ、またはじまったとつぶやいて、ぼくは窓のそとにその目をやりました。ウンカが、風にまきあげられたほこりのように、ひかりの中で舞っています。 「いためたんですか、目は」 「はあ、これがおさないという年頃に、山羊の草刈りをやらしておったのですが、原っぱからさびた拳銃をひろったという日に、危険もわきまえずに石でたたいたとかで、突然もなにもなく暴発しましてな、はあ……バンという音で気がついたら、もう右の目は割れていたという、これはつねお君のはなしで、よくおぼえとるのですが、自転車のうしろへのせて医者へはしりましても、はっきりともう駄目になっとるというありさまで、のちの時分といういまごろに、なにぶんにも、もったいないことをしてくれたと、親はチャン、チャンしておるのですが」 「そうですか……そうでしょう、そうでしょう」 「ま、そのことからして、医者通いのために半年ほど、学校を休ませておったのですが、事実上、勉学におくれをとって、ただもう強情になるばかりで、わけもわからぬ家出をこころみたり、きちがいみたいにキリスト教を信心したり、はあ、もうつねお君のすることは、親の理解にあまりあることばかりで、手をこまねいているという毎日で……このたびのことにしても、趣味でもないのに、勉学をおしつけるのは無理なことであろうと、家族会議の結果、一時休学というかたちに決めた実情ですが、もったいないことではあります」 「そうそう、しかし、勉強したければ復学できるんだし、いいじゃないですか」 「はあ……ま、そういうご考慮のもとに、これが手続きをとっていただいたいきさつを、先生がたにはまことに感謝しておるしだいです、また、校長先生にもご多忙なところをはばかりまして……では、ま、つねお君、先生にごあいさつしなさい」 「え、あ、どうも……お世話になりました」 「うむ、また、勉強したくなったら、もどってきなさいよ、うむ」  余計なことなど、いわなくてもよかったのです。  おやじは、面目をたもつことができたと思う気持からか、新聞からよせ集めた教養をひけらかすことができた満足からか、ふだんになくやさしい顔をして、 「あれに寝ておるのは……あれもやっぱし高校生か?」  授業時間のあいた生徒たちが、芝生のうえにころがって、本を読んだりしゃべったりしているのに目をとめました。 「……みんな気楽なごとしておってからに……ああ」  この学校は、台場のはずれにあるので、門を出るとすぐに眺望がひらけます。ゆるやかにカーブして台場の下へと走る道路の向うには、裾野があり村があり、半島があり湾があり、小島があり大きな空と海があるのです。  もう、これで学校にくることもない、そう思って眺める風景は、ひとしお目にしみました。海をわたってきた風が、坂道をはうようにして涼しくふいています。     ㈽  で……その年の暮れから、ぼくはカデナ空軍基地につとめることになって、おやじのあとを追いかけながら、第二ゲートをはいっていきました……けれども。うーん。基地につとめて、軍隊に奉仕することの是非について……ですか? それは、もう、もちろん……いえ、うすうすに、というべきですね。とにかく、ぼくは基地につとめることになったんですから。  人間、まず食わねばならぬ、働かねばならぬって、自分にいい聞かせたんですよ。それで仕事口をみつけようと頑張ったんですが、仕事口はなかなかみつからないし、それほどの才覚もなかったし、結局、おやじがみつけてきた仕事に……おやじに従うよりほかになかったんです。  農業するには資金が必要です。まあ、二、三年辛抱して……金をためて……と、そう思ったんです。  たはーッ。はじめてみる基地の奥は、牧場のように広い感じでしたよ。朝日にそまるやわらかい芝生の牧場です。  芝生の中にこんもりとしたガジマルの木やフク木がたっています。戦争前にそこに住んでいた人たちが、屋敷のまわりにうえた木なのでしょうか。戦火にも焼けずにのこっていたのにちがいないのです。整地するブルドーザーも立木だけはのこしておいたのでしょう。  ぼくは、ちょっと誇らしいような気持でした。なぜかなら、誰もが自由にそこにではいりできるわけではなかったからです。たとえば、あの木をうえた住人たちだって、自分の屋敷あとにきてみたいだろうのに……。けれども、十何年もみないうちに、そこがすっかり変ってしまって、外国になっているのでびっくりすることでしょう。  おやじは小脇に弁当包みをかかえ、あいた片手は大きくふりながら、うつむいて歩いていきます。おやじが歩くときの癖です。近道をして、一直線に芝生の海を歩いていきます。「KEEP OUT GRASS」と立て札がありますが、頓着なしです。そこには人の歩いたあとが、一本の線になってついています。しかし、それはおやじだけがふみ固めた道だということではないのですよ。そこを歩く人はたくさんいますから。  ぼくは、つかずはなれずにおやじを追いかけます。おやじがB・O・Qの兵舎の角にきえるころ、ぼくは芝生の海を歩いています。ぼくがB・O・Qの角にくると、おやじはP・Xの駐車場をよこぎっています。  ある日、芝生の道で小犬を追っかけてくる金髪の婦人にあいました。  "Boysan!, boysan!, catch my doggy, please!"(ボーイさん! わたしの小犬つかまえて!)  ええッ、と思ってぼくはたちどまりました。  "Catch Charley!, It's my doggy!"(チャーリイつかまえてよ! わたしの小犬なの!)  オー、オーケイと、ぼくはいいました。胸も尻も大きいくせに、腰と足は細くて弱々しい婦人です。手伝ってあげずにいられるでしょうか? ぼくは弁当づつみをなげだして追いかけました。  小犬は芝生のなかを有頂天になって、はねまわっています。ながいこと散歩にだしてもらえなかったので、どうしても(今しばらくは)つかまりたくないと、いってるかのようです。人間より足が二本多いだけに二倍も早く、その上安定性があるので、右に左に自由自在です。ぼくはやたらに追いかけるのをやめて、人間の強味である知恵をつかいました。小犬は、さあ、もっと追いかけっこしようよと誘いかけています。ぼくは向うの方からまわりこみ、婦人の方へ追いこんでいきました。  そうすれば、婦人がみずからつかまえるでしょう。  "Now!, catch!"(そら!、つかまえろ!)  何という運動神経のにぶさ! むなしく空間をつかんだだけです。それからも、何度か追いこみましたが、空間を手さぐりするだけで……二本足が四本足をつかまえようなんて、どだい無理かもしれません。それに、ぼくは仕事におそくなってしまいます。  "I'm sorry, I……late for job!"(ごめんよ、ぼく、仕事におくれるんだ!)  "Oh, you!"(まあ、あんたって!)  ぼくは、弁当づつみをひろって逃げました。芝生の朝つゆでズックシューズはびしょぬれです。それでも、すまなく思ってふりかえると、  "Charley!, come back!, Charley!"(チャーリイ! おもどり! チャーリイ!)  婦人は危っかしい足どりで、朝日にかがやくみどりのなかにきえていきました。     *  それからまた、ある日、同じ芝生の海で、向うからやってくるひとりの兵士にいきあいました。航路は一本の細い線です。海のなかを歩くと靴がぬれるので、ぼくは彼に航路をゆずりました。朝つゆのしめりでズックシューズは、キュッ、キュッと鳴ります。いわば、芝生の大洋で船がいきあったのです。さあ、おたがいの健闘をたたえて汽笛をならしあいましょう、ぼくはそう思って親しみとほほえみをもって兵士をみていました。ところが兵士は、ぼくをみませんでした。犬がそばを通りぬけた時ほどにも、関心を示さなかったのです。つめたく無視しきって通りすぎたのです。ぼくの微笑はそのままこおりついてしまいました。  いったいに、この島の人たちは人の顔をみます。見知らぬ人同士なら、(あれ、あんたはどこのお方で?)というような表情でみつめあいますし、見おぼえのある人同士なら、(おや、また会いましたな)、(あ、あんたですか)、目の奥にそういう思いをこめて見合わすのです。いえ、見合わすというほどのことでもなく、ただちょっと見るのです。  小さな島にながいあいだ住んで、どこもかもよく知り、すべての人に親しみをもち、島全体をすっかり胸のなかにくるんでしまったような、そんな気持でいる人たちですから、無理もないのですが……。ひとに対する関心と興味は、その人への礼節であり、ひいては尊重でもあるんだと思っているのです。  そばを犬が通りすぎた時ほどにも、気を動かさなかった兵士の心は、はもののような鋭さとこわさを感じさせました。彼はこの小さな島の気風や習俗を知らなかったのでしょう。いいえ、ひょっとしたら、彼はアメリカの大都会からやってきた兵士かも知れないのです。人間が、顔をそむけたくなるくらい、うじゃうじゃいて、ぼくはほかの世界をみたような気がしました。     *  三月五日。今深夜の三時だ。奇妙な夢をみた。闇の中の巨大な塀。泣叫ぶ人々。そこをかきわけて走る騎馬警官。例のルジャノフの貧民窟の国勢調査で私は疲れていたのかも知れぬ。騒然。動揺。空気をきりさく銃砲の音。私は深く考えこんだ。涙を流しながらいそいでメモをとっておく。  政府とは、金持の屋敷をとりかこむ塀のようなもの。支配者、塀の必要性を民衆に説く。盗賊から財産を守り、外敵から生命を守るために。なるほど塀は必要かも知れぬ。欺瞞《ぎまん》。策謀。民衆、塀をつくることに協力。えんえんとのびる巨大な塀。奇妙にいりくみ、複雑にまがりくねり……。気がついて塀の機構を調べてみると(それさえ困難をきわめたのだ!)、それはすっかり支配者の家をとりかこんでいる。民衆は、どこかで塀がきれているので守られてはいない。工場も銀行も倉庫も、支配者の財産物権はすべて塀の中。しかし、民衆の生活は……。  塀の中には贅沢安楽な支配者の生活。塀の外には貧困にあえぐ暗愚な民衆の生活。  塀は常時、多数の警官によって見回られている。飢えた者が金持のたべのこしでもいいからと塀に手をかけると、不法侵入、窃盗罪で逮捕。裁判。投獄。廃人だ。  民衆も塀の維持費、拡張費は徴収されるので銭がいる。賃労。農民も都市へ落ちていき賃労。(支配者は待ってましたとばかりに、蟻地獄に落ちてきた蟻をくいつくすごとく、労働を搾り血をすいつくしカスになると外へほうりだす)  塀の中の工場で支配者の私腹をこやしてやりつつ、稼いできた賃金を税にとられる都市労働者は、二重の責め苦と重荷をおうこととなる。……一つは税のかたちによる略奪、もう一つは工場での搾取による略奪。  めざめた民衆が大挙して塀の破壊に馳参じることがないように、非常時にそなえて出動する軍隊が、大砲、戦車をもってひかえている。軍隊の大砲の筒先は、まず、内側の民衆にむけられている。  この夢は神の啓示だ。いつか、これをもとにして論文を書かねばならぬ。 「我、黙すあたわず!」  ×××枕もとのローソクをふきけして眠りにつこうとしたけれど、闇の中でますます頭はさえてき、思考がむらがりおこる。涙。煩悶。舌うち。戦慄。勇気。またおきだしてメモを書く。  われわれは、鎧をまとい剣をつりさげ、貴族階級にこびる武士連中が、貧民のうごめく町々や村々を、パカパカと騎馬でけちらしながら、農奴制《ヽヽヽ》を守っていた時代のことを、暗澹とした気持なしに思いみることができない。  それと同じように、戦車や小銃、軍艦や大砲をかかえて、支配者の生活を守るべく訓練を受けた何十万の兵士たちが、平安を願ってほそぼそと暮らしている市民のあいだを地響きたてて通ったり、演習で農地や漁場をあらしたりしながら、外には敵対し、内には反政府的な人々に威圧を与えつつ、ようやく保つことができている資本制《ヽヽヽ》の現代を、暗澹とした思いなしにかえりみることのできない時代がくるであろう。  そうだ、われわれはまだ暗黒の時代をぬけだしてはいないのである。     *  コールメン・ジム(体育館)の裏口からとびこむと、ぼくはすぐにクーラーの水をのみます。外には、まだ八時だというのに、はやくも炎熱地獄を予想させる太陽がかがやいています。光と水で育つといわれる草木も、まもなく、ふんだんな光にうんざりして、しおれることでしょう。  バスケット・コートの向うからは、サーズン(軍曹)ボブがどなります。  "Hey, get'o work!, everybody!, hurry up, hurry up snail!"(おい! 仕事にかかれ! みんなだ! いそげいそげ、かたつむり!)  サーズンボブは、フィリッピンで日本車の捕虜になり、さんざん苦しめられ、飢死寸前にアメリカ軍に救いだされたという経歴の持主ですから、彼があかい顔でどなったりする度に肝をつぶします。  "God-damn snail!, you're late this morning too, huh?"(かたつむりめ! おまえは今朝も遅いじゃないか、ええ?)  "No!, never!"(いえ! とんでもない!)  ぼくのつねおがなまって(アメリカ人は|ツ《ヽ》という発音ができないのです)、|ス《ヽ》ねおになり、それがさらに発展して、スネィルになったのです。なお、スネィルには、のろのろしたなまけ者という、かくされた意味もあります。  "All right snail, clean up floor……!"(いいぞかたつむり、床をみがけ……!)  ぼくは階段の下の掃除道具いれから、モップをだして、それにワックスオイルをしみこませ、バスケットコートをみがきにかかります。モップをひきずって歩いたあとのコートは、高窓からの光を反射して、鏡のようになっています。  "Hey Ansco!"(おい、アンスコー!)  サーズンボブは、安行《アンコー》さんのしぐさに目をとめます。  "Number one go-brake Ansco!, you at all time sleeping Z-Z-Z!"(一番聞かん気のアンスコーめ! おまえはいつでもグーグーグーと眠っとるな!)  サーズンボブは、安行さんの帚をとりあげると、彼がやっているまねをしてみせます。たち眠りをしながら、むなしく帚を動かしているの図です。そのしぐさがあまりにうまく、しかも大げさなので、ぼくたちは笑います。当人の安行さんも笑いながら帚をうばいとり、その帚でひっぱたこうとします。サーズンボブは、満足して事務所に逃げこみます。  館内の掃除がおわると、今度は広い庭や駐車場へでて pick up trash(ちりひろい)をやります。コーラの紙コップやタバコのすいがらをひとつのこらずひろうんです。  芝生の庭に坐りこんで(もう、朝つゆはありません)、毛をわけて塩粒をさがす猿のように、すいがらをひろう仕事はみじめなものです。向うがわにうずくまって、まじめにすいがらをひろっているおやじがうらめしくなります。おやこ並んで、こんな仕事をするのは、恥かしいことなので、ぼくはできるだけ離れて(五メートルぐらいも)ひろいます。そして、おやじが東をむいてる時は、ぼくは西をむきます。ぼくは、たえず心のなかで、(あーあ、いやだなア。つまらないなア)といっています。もし、みんながおたがいの福利を願って……おたがいに奉仕しあって……いる、そういう世の中でしたら、どんな下っ端の仕事をしていたって、その仕事がよろこばしく……それこそ、はりきって働いてしまいますよ。ほまれがありますからね。……でも、ここ……この社会では、みんな、自分の腹をみたすために、だとか……利己的目的のために働いているんです。雨の中でにわとりが、胃袋をみたすために餌をあさっています。その行為がにわとり自身にとって何のほまれでしょうか? そしてぼくは、炎天の草の上で餌をあさっている毛なし猿なんです。     *  ──あなたのそのわずかな土地、古ぼけた家、手垢のついた家財道具、あなたのその貧しい貯えを、こそどろから守るために、あの巨大な政治制度がつくられ、運営されているのだ、と思いますか? そうではないのです。  こそどろを追っ払うには、犬の一匹もかえばいいし、それでも心配だといわれるなら、隣り近所の人々をよび集める鐘のひとつもあればいいのです。現に村では泥棒がはいれば鐘をたたくんですからね。  一般民衆がだきかかえている、そんな小さな個々の財産を、個々の人から(おたがいに盗賊とみなして)守るために、あの強大な政治制度がつくられたのではないのです。  法律の目的は、私有権を確立し、その権利を犯す者に対するさまざまな罰則をもうけることです。そう、あなたのその手垢のついた家財道具も、わずかな貯えも、あなたの私有物であるとして、紙に書きつけた権利として確定するのです。ところが、それと同時に、かかえきれないほどの財産、つみかさねられた膨大な資本を持った支配者のそれも、私有物として認められます。  あなたは、その苦しい家計からお金をひねりだして、こそどろを追っ払ってくれる政府へ納税します。支配者もほっとくだけでもふえつづける利益のなかから、わずかの金を納税します。  あなたは、その家具をこそどろにとられなくて、これで安心、と胸をなでてほっとしてるでしょうけれど、支配者は、ダッハハハ、これでやつらは奪いかえせんぞ、と肥満体の腹をかかえて笑ってるんですよ──     *  "Hey!, everybody, get'o work!"(おいッ! みんな、仕事にかかれ!)  サーズンボブのくちまねをしながら、PFC(一等兵)ゲイリーが、ボイラー室のドアをけっとばして入ってきます。ぼくたちは塵ひろいがおわると、もう何もすることがなくて、ボイラー室を詰所にしてとじこもっているんです。ゲイリーはみんなの間にわりこんできて、一緒にうたたねします。白人兵はプライドを持っていて、決してそんなことはしないのに、黒人兵は……黒人兵にはしたしみがもてます。  ゲイリーは、ぼくの登山帽をとりあげて、自分の頭にちょこんとのせます。額と目がすっかりかくれるまで、前の方にずらしてかぶるんです。ゲイリーがそんなかぶり方をすると、とてもよくうつります。黒い肌に白い帽子、無造作にちょこんと、前にずらして……。  "Gary, teach me English, please!"(ゲイリー、英語をおしえてくれよ)  占領軍の国語なんか、ならいたくもないのですけど、退屈になると、ゲイリーをそそのかしてみたくなるんです。遊び半分になら、まあ、ならってもいいな、と思って……。  "Gary, wake up!, come on, teach me English!"(ゲイリー、おきろ! さあ、英語をおしえろよ!)  "Yeah, sure, sure, come on!"(うん、そうだ、そうだ、さあ!)  安行さんも、笑いながら賛成します。ゲイリーは、しぶしぶ承知します。  "All right, now children, repeat a word after the teacher, right?"(よろしい、それではこどもたちよ、先生のあとについていうんですよ。いいですか?)  "All right." "All right."(いいよ)(いいよ)  安行さんもぼくも、チェリーボーイ(さくらんぼ少年・童貞の意味)の正二君までもが、  "All right."(いいよ)といいます。  "Sunday, Monday, Tuesday, come on, repeat me, Wednesday…"(日曜日、月曜日、火曜日、さあ、くりかえせよ、水曜日)  なあーんだ、つまらないな、と思ってぼくたちは笑うだけです。  "Sandal, mandolin, cheek-dance."(サンダル、マンドリン、チィークダンス)  "Shut up, snail!"(だまれ、かたつむり!)  すぐに、とっくみあいがはじまります。  ………………。  ゲイリーは、そこらに散らかっているアメリカ雑誌をとって、ページをめくります。美しい写真や絵がたくさんあるので、それを眺めるために、ちりばこからひろってきて、おいてあるんです。  "This is the western country."(これは西部だ)  のぞきこみながら、たどたどしい、ぼくのせいいっぱいの英語でいいます。砂漠の中にあらくれ男が水に渇していきだおれになっているんです。  "A hard sunshine, no water, the soldier is dying! Gary, where is your country?"(きびしい日光、水はなし、兵士は死にかけている! ゲイリー、君の国はどこ?)  "Tunisia!"(チュニジアだよ!)  "Tunisia?"(チュニジア?)  アメリカにチュニジア州ってあったかな、としばらく考えていました。  "I don't know Tunisia, where is……?"(ぼく、チュニジアって知らないよ、どこに……?)  "In Africa!"(アフリカだよ!)  "Oh, oh no!,……I mean where are you from?"(あ、いや! ぼくがいうのは……きみはどこからきたんだ?)  黒人に、きみの国はどこか? などときくべきじゃなかったと思います。百何十年も前に、奴隷としてアメリカへつれてこられた彼らは、アメリカに住みながらも、心はアフリカなのかも知れません。ゲイリーはぶつくさして黙っています。     *  ──政府は紙幣を印刷し、それを自分の金庫に納めながら、国民に租税として紙幣を要求します。国民はニセ紙幣を作ることを禁じられているので、どこかから紙幣を手にいれなければなりません。  政府の役人、軍人になって紙幣をもらうか。政府の必要とする施設建造物をつくって、紙幣をもらうか。あるいは、建築屋に雇われて紙幣をもらうか。生産した農産物を、政府役人に売るか、あるいはその他の紙幣を持っている者に売るか。とにかくどこかから、紙幣を手にいれなければ、税金がはらえません。  納税しなければ財産を没収され、はては投獄されますからね。大変なことですよ。  つまり、政府はただの紙っきれで(ピョートル大帝だとか、エカテリーナ女帝だとか、暴君や女奸の肖像が精巧に印刷されている)、たくさんの人員、労力、施設建造物、食糧、武器、事務用具、その他、政府に必要ないっさいのものを集めることができたわけです。  紙っきれに「百億ルーブル」とインクですりつければ、たちどころに百億ルーブル分のいっさいのものを生産したことになり、欲するものを入手できることになるのです。ゆえに、政府が印刷し、他のいかなるものにも印刷することをゆるさない紙幣とは、明らかに略奪の具なのですよ──     *  "Snail, get on the truck!"(かたつむり、トラックにのれ!)  "What's?"(何です?)  "Get on the truck!"(トラックにのれよ!)  "Why?"(なぜ?)  "God-damn snail!, I tell you, get on the truck, that's my order!"(かたつむりめ! トラックにのれっていうんだよ、命令だ!)  "Yes, sir, commander, sir!"(はいです、司令官どの!)  ぱっぱっと機敏よろしく、ぼくは助手席にとびのります。  "Are you ready?"(用意はいいか?)  "?"  "Say, 'yes, I'm ready'."(はい、いいですといえよ)  "Yes, I'm ready, sir."(はいです、用意はいいです)  ゲイリーは黒い手で器用にハンドルをきって、トラックを大通りにだします。コーヒーの匂いがながれてくるので、窓のそとをみると、大きなメスホール(兵営食堂)があって玄関わきのガジマルの木の下に兵隊たちがたむろしています。  "Where are we going?"(どこにいくんだい?)  "Just sanpo sanpo!"(ただの散歩さ!)  "That's good!"(それはいいな!)  この島の空白な部分を埋めあわせることは、ぼくにとって楽しいことなので手をたたいて喜びます。窓の外には、「ここより先機密保持のため撮影禁止」というたて看板が五〇メートル間隔にたっています。  "Yipe! Whow!"(フェーッ、ホォーッ!)  ゲイリーは、ハンドルの上にさいふをだして調べながら、さかんにうなっています。それからお金を胸ポケットにいれ、写真や紙っきれなどは投げすてています。しまいにはさいふをも、おしげなく投げました。  "Da, dum, de da. Da, dum, de, da."(ダ、ダム、デ、ダ。ダ、ダム、デ、ダ)  バスケットをしにくる兵隊たちが、事務所に貴重品をあずけると、何者かによって時々持ちさられていたのです。  建物のあいだから、キラリ、キラリと戦闘機の胴がみえます。こちら側には瀟洒《しようしや》な住宅がならんで、家のぐるりが草木でふちどられています。芝生の庭には人形がおきわすれられ、舗道には三輪車がころがされています。     *  ──戦争はつくられるものなんだよ。いいかい? 工場という工場がいろんな物資を、何年も何年も競争しながら生産する。需要はみたされ飽和状態になる。もう、生産しても売れないし販路がない。景気がおちる。工場主は生産をしていなければ、経済競争に負けるから何か生産したい。で、政府に働きかけて軍備増強をはからせる。武器は政府が注文するというかたちで商談はまとまる。  そこで造船所は軍艦を、自動車工場は戦車をという具合に、いろんな工場でいろんな軍需品をつくりはじめる。しかし、軍需品もすぐに飽和状態になる。景気がおちる。で、どこかに、焼却炉のような戦場をつくる必要が生じてくるんだ。戦争に火をつける謀略工作員は暗躍する。外国のちょっとしたいざこざに目をつけて軍需物資を売りこんだり、自ら介入しようとしたりする。そして火はつけられるんだ。さあ、投げこめ、投げこめ、もやせやもやせ! 戦場とは生産競争によってありあまった資本主義経済社会の物資を、燃やすためにつくられた焼却炉なんだ──     *  バスケット・トーナメントのシーズンが、まためぐってきました。試合は毎週、土、日曜日におこなわれます。駐車場はお客の車で埋まり、体育館にはたくさんの着飾った人たちが出入りし、ワーッ、ピリピリピリ、パチパチという大音響が館内をゆるがします。  ぼくたちは、日曜日も出勤して掃除をします。選手がころんで、汗でコートをぬらしたりすると、とびだしていってモップで拭きとります。  どうしたわけか電光スコアボードが故障して、ゲイリーが板のスコアボードの前にたっています。得点があるたびに、数字板をさがしだして釘にかけるのです。ぼくはモップの柄を杖にしながら、そばにひかえて、たまには数字板をさがす手伝いをします。  "Snail, keep watching the score-board. Okey? I want to go, buy the hot-dog"(かたつむり、得点掲示板を見張りしていろ、いいか? ホットドッグを買いにいきたいんだ)  "No!, I can't!"(だめ! できないよ!)  "Why not?"(なぜだい?)  "Because, I don't know score-rule. Hey! Gary, don't go away!"(なぜって、得点規定を知らないんだ。おい! ゲイリー行くなよ!)  "It's all right, it's all right. Don't worry. I'll make a sign at the doorside. Okey?"(だいじょうぶ、だいじょうぶ。心配するな。ドアのそばで合図してやるから。いいだろ?)  さあ、大変です。ぼくはゲームスポーツがきらいなので、バスケットボールはもとより、バレーボールやベースボールのルールを知らないのでした。体育館に勤めるようになってからも、昼休みなどにボールを持ちだして奪いあいをしていると、サーズンボブがおこるので、なおさら嫌いになっているのでした。  ワーッパチパチと歓声があがって、得点があったようです。ゲイリーが玄関の人混みのなかで手をあげて、サインを送っています。けれども、客の頭がサインを横ぎったり、選手がはしりすぎたりして、よく見えません。それでも、彼が八本の指をかかげているのを認めて、八の数を釘にかけました。八対八です。すぐに、また、ワーッピリピリ、パチパチという歓声です。ぼくも、ワーッと叫びたいくらいに動揺しています。ゲイリーは、ホットドッグを買いにでたのか姿がみえません。  "Hey, tell me, what's the score?"(おい、教えてくれ、今、何点だ?)  "I don't know!"(知らないよ!)  "Hey, what's the score?"(今、何点だ?)  そこらにいる誰彼をつかまえて、きくことにしました。  "The score is ten to eight in our favor!"(十対八でわれわれのほうが勝っているぞ!)  少し親切すぎるようですけど、ぼくはいそいで十対八にしました。ああ、ゲイリーのやつ、早くかえってこんかな、と思って玄関のところをみると、ホットドッグをほおばりながらひらひらと手をふっています。こんちきしょう、早くかえってこい! ぼくも手をふって合図しました。  ワーッ、ピリピリ、パチパチッとまた大歓声です。  "Now, what's the score?"(さて、今は何点?)  "Ten to ten!, oh damn!"(十対十だ! ちぇッ、いまいましい!)  ゲイリーはどこへいったのでしょうか。まさか、事務所の貴重品を盗みにいったのでは……あ、また、大歓声です。  "What's the score?"(今、何点?)  さっきから、親切に教えてくれているそばの兵士だけがたよりです。  "Ten to eleven! No, eleven to ten!"(十対十一だ! いや、十一対十だ!)  あれッと思って、確かだね? ときいてから十一対十にしました。すると、どこかでウーウーといっています。それがだんだん、ブーブーと大きな声になりました。非難するときに発する声です。あ、さては! 嘘を教えてくれたな! と、彼をさがしましたが、姿がきえています。いそいで、十一をおろして、ぼくは困惑してぐずぐずしていました。  "Ten to eleven!"(十対十一!)  "Ten to eleven!"(十対十一!)  向う側の席から、大勢の人の声です。ぼくは動転しながら十対十一になおしました。もう、泣きたくなっています。どうして、彼らの戦いにまきこまれたのか、選手にまけないくらいに汗をかいています。あ、向うでは、サーズンボブにゲイリーが小突かれながらうなだれてたっています。それから、どなられながら走ってきました。  "What the hell are you doing? God-damned snail! "(いったい、何をしてやがるんだ? のろわれたかたつむりめ!)  "What's?"(何です?)  彼は白目をむいて、怒っています。  "Get'o hell at here! God-damned you mingy-wag!"(地獄へ消えろ! のろわれたミンジイワーめ!)  ぼくはミンジイワーって何のことなのか、知らないのでした。聞いたこともないことばです。  "What're you talking about?"(何をいってるんだい?)  "I said, you're mingy-wag!"(ミンジイワーだといったんだ!)  "What do you mean, is……?"(何の意味だ? その……)  彼はぼくの登山帽をとりあげると、それを銭受けがわりにして、ミンジイワー、ミンジイワーと、ふしをつけてうたいました。右や左のだんなさま、どうかおめぐみ下されや、哀れないざりでございます! というようなしぐさをしてみせるんです。  たくさんの兵隊が、こっちをみて笑っています。さいふのことで告げ口をしたというのでしょうか? 彼が送るサインをまちがえたから、というのでしょうか? ぼくには、わけがわからないのでした。     *  ──二月二十日。新聞は旅順における戦争の模様を大見出しで報道。悲嘆。愛国心の残滓《ざんし》。新聞を読むと意識がくもり鈍り、脳に塵芥がつまったようになる。客間では大勢の者が議論。マーシャ・スモレンスカヤ県在住の未知なる婦人の手紙を持ちきたる。内容、左記の如し。 「(中略)、あの晩、そう、いよいよ出征というあの晩、わたしたちみなは食卓につきました。ローソクを灯して、ワインを出して、つとめて明るく……わたしは皆の気持をひきたてようとしてたんですよ。ただ、あの子だけは、おこったようにうつむきこんでいて……そして、突然にこんなことを云うんです。『かあさん、ぼくは戦場へいっても、鉄砲は撃たないよ。命令されても……ね……。けれど、そうだな、どうしても撃てというのなら、木や土や壁……そんなものを撃つんだ。絶対に人の胸なんか、狙わないよ……向うは、まっすぐにぼくの胸を狙ってくるだろう。それでいいんだ。ぼくは……骨になって帰ってくるよ。かあさんは泣くかい? せっかく、これまでに育てて、学校にもやって、さあ、これからという、時になってさ、戦場へやられて、殺されてしまう……骨を抱いてかあさんは、泣くかい? けれど、ぼくは思うんだけど……、かあさんにも責任はあるんだよ。かあさんは税金をだして、戦費のいくらかはまかなったわけだし……そう、ぼくが持つだろう鉄砲の、筒先の突起ぐらいは、かあさんのお金で作られたかも知れないんだよ。あるいは引金の半分ぐらいはね。そして、あの、戦争へかりたてる法律を作った連中を、選挙して議会へ出してやったり、食わせてやったりしたんだからね……だから……だからさ……全部の責任がかあさんにあるというわけじゃないけど……何百万分の一、何千万分の一ぐらいの責任はあるんだ……小さな責任……といわないでくれよ。……どんなに小さくても、責任は責任だからね……(中略)』ああニコーレンカ、ニコーレンカ。いとしいニコーレンカ。わたしが……お前を……殺そうとしてるっていうのかい? お前を生み、育てたのは……このわたしですよ。骨を与え、肉をわけ、血を体いっぱいに満たしてやって生んだんですよ。そして、正直で、やさしい子になってほしいって、育てたんですよ。それなのに……わたしが……このわたしが……お前を殺そうとしてるっていうのかい?(中略)人類の(中略)トルストイさま、どうかわたしの息子が(中略)お助け下さい。そして、今後、わたしはどうすればいいのか、どうか(中略)」  マーシャに公官庁職員録を調べてもらって、ニコライ・アンドレーヴッチ・ルサーノフ一等兵の直属する長官に、このひとり息子を、できるだけ危険の少ない地域に配属してもらうよう、嘆願の手紙を書く。母親、ツェツィリヤ・セミョーノヴナ・ルサーノワには、要約して次の五つの事柄をしるした手紙を送る。(1)税金をださぬこと、(2)投票せぬこと、(3)「権力」に訴えでぬこと、(4)公務につかぬこと、(5)徴兵に応じぬこと──     ㈿  いやあ、すきっぱらに酒をのむと、ジューッと腹わたにしみこんで、すぐにまわってしまうものなんですねえ。ぼくは、それを知らなかったもんですから……もう、大変です。 「おおーいッ、おっかあよッ」  安行さんの結婚祝いから帰ってくるなり、玄関の戸をガラガラあけて、そう内によびかけました。ドタッ、グニャリ。いたの間に倒れると、板のつめたさが頬にひんやりして、気持いいです。 「ああーッ、したたかに酔うたっさア、おおーいッ」  もう、深夜なのでしょうか? 家じゅうしずまっています。 「うおーッ、やけ酒のんでよオー、はあーッ」  声だけが、びんびんなかにひびきます。誰だってそうだろうと思うんですが、初めて、酒をのんでふか酔いした時には、大げさになって、わめいてしまうものなんですよ。 「茶目よイ! 何《ぬう》のやけ酒かよオ!」  そういって、おふくろは寝間着に夜具のにおいをつけて出てきて、 「もう! 皆《ンな》、寝《ね》ンておるもんに、大声《おおご》いださんけヨ、ほれッ、寝《ね》どこンかへ這《ほ》うれエ!」  ぼくのバンドのうしろをつかんでひきずります。 「ハバ、ハバ前ンかへあがけエさ!」 「ああー、やけ酒、ゴオン傾《かし》ぎしよオー」 「なれらん酒のんで、おとう如《ごと》うし、胴いっぱいにジンマシン掻けえッ」 「ヘッ、何のジンマシンかヨ、入れてン入れてン満《み》たん、割れガメの出《いじ》ちょッて、いつのはなしィかヨ!」 「若さたいにのことヨ」 「四十年めえのはなしィな! ヘン!」 「酒に肌が合うわんヨ、酒のむるたんびに胴掻いたさ! はい! 東《あがり》ンかへうち向《ん》かって、寝ンれえ?」 「あがり、は、ううッ……ううッ!」 「呆っ気よイ! ゲエゲエ食物《もの》吐きあげて、枕よごさんけヨ!」 「ううッ……ううッ」 「待っちょれえッさ、洗面器とって来《こ》うらな!」  ぼくはもう、病人のようになってました。気持はわるいし、目はまわるし……。 「ああー、やまい買《こ》うたる如《ごと》うやサ!」 「酒のんで、胴弱《どうよう》らせヤ、仕事ンかへや行かれゆんな!?」 「ううん……明日や、仕事にゃ行かんどオ、一日、憩《よこ》ゆんヨ!」 「アンして、憩《よこ》うてばっかり居れや、クビにさららんかや?」 「クビにすれや、ありがとうやサ、あん如うる嫌《や》な軍作業、ミンジワーミンジワーとあだ名さらって」 「何の意味かよ、ミンジワーと云うしヤ……」 「……いざりこじきとヨ」 「いざりこじき!?」 「………」 「ンでも、頑張らんだれや、今の仕事口の無《ね》えん時期に、困らんな?」 「……ああー、農業し暮《く》らし欲《ほ》さぬならんさア!」 「また、狂《く》れたものいいが始《はじ》またせッ……楽な軍作業がつとまらん者《もん》に、難儀な農業がつとまゆんな?」 「………」 「くわの歯ンたたん、かた地ヨイヨイ耕《だげ》えち、作物《つくりもん》つくれや暴風にかきむしらって……腰まがるか難儀し、痩《や》し枯《が》れてヨ……あん如うる割にあーわん農業が望みな?」 「ああ……涙《なだ》、垂《た》れゆるばかりに、ヨ」 「やア、ほんに! 農業の苦《く》ちさンわからんやア……。おかあ達《たあ》も、若さたいにヤ、農業望んでヨ、ミンダナオ島に渡って開墾しゃしがヨ、オーイと近《ちけ》え隣りに声かけてン、聞《ち》からんあたりの田舎《いなか》でヨ、日《ひい》が落《う》てりゃ何の楽しみン無《ね》えん、わびしい暮らしやったサ……はい、早《へえ》くうち寝《ね》ンれえッさ」 「ああーッ」 「はあ……もう!」     *  で、そんな風に(憩《よこ》うてばっかり)のある日、 「四日も続けて憩《よこ》うたもん、なア、クビになっておんヨ!」  そういって、うやむやのうちに仕事をやめてしまったんですよ。  仕事をやめて、つぎの仕事口をみつけるまでのあいだが、ぼくにとってうれしい公休日でした。公休日がほしいから、これからもちょくちょく仕事をやめるということをし……いえ、これは、とりけし。  とにかく、つぎの仕事口をみつけるまでの間は、おやじも黙ってみすごすほかにないのでした。  ぼくは、部屋でごろごろしながら、こころゆくまで本をよみます。 「──古代ヘブライ民族は、偉大なる統帥者が山のいただきで、いなづまのなかから神によって授けられ、石にほりつけて持ちかえったという、十の戒律を、民族が守るべき掟としたのである。また、歴史をしらべてみると、いずれの古代民族も、たとえ石にではなく、皮や亀甲や獣骨にではあっても、わずか二十かそこら、少なくとも百をこえない程度の条文をかききざんで、それで生活を律していたのである。  私は現代の法律の数をかぞえてみようと思いたって、モスクワ国立国会図書館にいき、法律の名称を手帳に控え、そのなかの条項をいちいちかぞえてはメモしていったけれど、途中であきらめてしまった。法の種類だけでも三八種類、部厚い本、全五二巻からなり、その一巻の条をかぞえると、なんと千何百条があるのだ。さらにその条の下には項があって、おそらく項もかぞえいれると、一巻につき何万条項という数になるであろう。さらにそれを五二倍しなければならないのである。  われわれは法律を遵奉《じゆんぽう》して、生活すべきであるといわれているけれど、ではその、何百万条項もある法律をひとつひとつ銘記しているのであろうか。そこらの人間、よかったら図書館の地下食堂で、本を読みながら食事している教養ある男をつかまえて、○○法第○○条第○○項には、いかなる事柄がさだめられているか、知っていますか? ときいてみるがよい。男はきょとんとした表情でしばらくみつめるであろう。それから、悪くすればなぐられるかもしれないけれど……われわれ、一般民衆は法律の二、三条でさえ明確にはおぼえていないのである。しかしその知らない法律ではあっても、それを破ろうものなら警官がとんできて小突きまわす。反抗しようものなら即刻にひったてていく。これらの法律がいかなる人物達によって決議されたか、ということはさておいて、いったい、知らない法律によって捕まえられたり、裁かれたりするというのは、どういうことなのであろうか。私にはどうしてもわからない。  ただ、わかることは、われわれが人殺しをしたり、暴力をふるったり、他人に迷惑をかけたりしてはいけないと決めているのは、法律にそれが定められているからではなく、われわれの理性がそれを教えるからなのである。と、いうことは、われわれは法律とは関係なく、自己の理性によって生活を律してきたということができるのである──」 「つねおヨ、アンしおる本は読《よ》まんけエ!」 「え?」  おふくろは孫を守りながら、ぼくの部屋をのぞいて注意するのでした。 「頭凝《つぶりこ》らしちヨ……宮里の兄さん如うし、学狂《がくぶ》り者《もん》になゆんどオ」  あ、そうだ、その(宮里の兄さん)ですけど、おかしな気違いでしたねえ。いつも、まっ白いYシャツを着て、新しい下駄をはいて、町じゅうを歩きまわり、気がむくとどこの家であろうと、のそっとはいっていっては、洗面器に水をみたし、顔や手足をせっけんできれいに洗い、そこらにある手拭いでふきとり、そして、さっぱりしたというような顔で、そろっとでていくのでした。どこかの町で教師をしていて、あんまり頭を凝らしたために異常になって、帰されてきたという噂でした。  だから(というほどのことでもないんですけど)ぼくにとっても、気分転換の散歩や軽い運動は欠かせないものになっていました。 「近《ちけ》え隣りに、恥かぬならんもん、昼日中からフラフラやさんけヨ」  おふくろが、これもまた、注意するので夕方からでていきます。おやじが仕事から帰ってくる時分でもあるので、逃げといたほうがいいのです。 「あッ、つねお兄さん!」  小学校の運動場へエイホッエイホッとかけていると、マリーがおっかけてきます。 「自転車と競走しよッ」  誰の自転車をかりたのか、こども用の自転車に、長い足をまげてまたがり、ひっつめにした栗色の髪をなびかせて、勝負をいどみます。 「よオーし!」 「スットコドッコイ! 負けらんどオ!」 「なにオー、まてーッ」  追いついて、荷台をつかんでやろうとしても、 「ハハハハ! ヒョイ、ヒョイ、ヒョイ!」  たちこぎをしながら、逃げていきます。     * 「あ、兄ちゃん、この鉄棒につかまらせて!」 「そこの、低いところでやればいいだろ?」 「いや! たかいとこがいい!」 「しようがないなア、よいこらしょっと。さちこのおもいことオ!」 「あれェー、こわーい。おろして、おろして!」 「だから、いったろオ」 「つぎは、ぼくをつかまらせる番だよ!」 「よし、どれッ。ちびはかるーい。もう、いいか?」 「こんどは、うち、うち、うちあげて! ハハハハ!」 「くすぐったがりやだなア。ほら、くねくねするなッ」 「ハハハハ、いいよいいよ!……あげて!」 「なんだ、どっちにするんだよ。ほら、わきの下をおっぴろげろ! ハハハつかめないじゃないか!」 「なら、マリー、マリーあげて!」 「ええッ? おおきいこは、自分でとびあがれッ」 「いや、ピョンと、はやく。けりあがりするから!」 「あれェー、くすぐったくないんかア」 「ぜーん、ぜん!」 「こちょこちょしてもかア」 「ぜーん、ぜん!」 「おどろいたなあア、わきの下もてのひらみたいなんだねッ」 「ヘヘヘ、マメがあるよッ」 「えッ、わきの下に、かア」 「ちがうッ、手にさッ、四つずつッ」 「あッ、どこもかもまる見えッ」 「エッチ!」 「まいにち鉄棒やってるんか、うまいな、おんなだてらに」 「まいんち、やってるよッ、うち、うちの手エみてッ」 「うわッ、ひとォつ、ふたァつ、みッつ。おばさんの手みたいだッ」     * ○ひとは理性を法律として生きればいいのである。各自、自分の肉体と精神を自分の理性によって治め、一国一城の主となり、独立宣言をすればいいのである。 ○ひとが理性を法律として自己を治める時、いかなる成文法がそれに匹敵しうるだろうか。 ○理性、それは何という柔和な、伸縮自在で、完全無欠な法律であろう。 ○それは、ひとの内面にきざみこまれていて、その人が生きている間中効力をもち、変ることなく作用するのである。 ○理性の法律は、ものごころついた五歳の児童にも理解され、実行されうるものである。 ○それは自分の行為を律するものであって、隣人のやることなすことをとりしまるものではない。 ○理性は隣人に何ひとつ強制しないから、一切の罰則を必要としないのである。牢獄も、裁判所も、鉄砲も、必要としないのである。 ○それは、でっぷりと肥えふとり、顔を脂ぎらせた連中が、料理屋の二階やホテルの大広間で、酌婦をまじえて酒気をおびつつ、ひそやかに談合し、いそいで議会にもちこむやいなや、議事進行上の策略と、国民に対する二枚舌の欺瞞によって強行採決し、そしてきょう施行し、あすは破棄してしまうかも知れない、あの成文法とは似ても似つかぬものである。 ○それは囚人の足にはめられた鎖と鉄弾のように、ひとの自由をうばい拘束するものではなく、鳩にあたえられた翼のように、人間に生きるよろこびと活動力をあたえるものなのである。 ○理性をもって生きるのに徒党を組む必要はない。なぜなら、それを実践するかいなかという問題は、純粋に自己裡の問題だからである。それは隣人に協力しないということではない。理性に照らして納得できないことに対しては協力できないということなのだ。 ○理性はいかなるかたちの殺人をも、強く否定するのである。そのあまりに、野鳥をうつとか、蟻をふみつけるとか、花木の枝をおるとかというささいな事にまで、干渉がおよびついてしまうのである。     * 「ピカッ、ドーン」  ぼくの部屋の戸をほそくあけて、すきまから目をのぞかせながら、マリーがへんなことをいってるんですよ。 「?……」 「つねお兄さん、げんしばくだんつくってる?」 「え? げ、げんしばくだん?」  マリーは甥っこのつかおを抱きながらはいってきます。 「おばさんが……げんしばくだんつくっておるもん、邪魔やさんけヨ!……」 「ひえーッ」 「とじこもって……ひとりでコツコツ……ピカッドーン!」 「たまげたなア」  マリーはぼくのベッドにすわって、甥っこの顔にかぶさったタオルをなおしはじめました。ぼくはそばの机にすわって、うえから甥っこの顔をのぞきこみます。乳のような匂いと汗のような匂いが、ふたりのあいだからたちのぼってくるので、こんどはマリーのうなじをみます。うぶ毛とそばかすのひろがった皮膚のひだには、黒糸のような垢がこびりつき、着ている簡単なワンピースはよごれているし、ぼくはいっしゅん、性にうたれてげんなりしました。安堵のあまり気がぬけたような……世の中がつまらなくなったような、 (あ)  気がつくと、すぐ目の前にマリーの顔があって、あおいような瞳がキッとやぶにらみのぼくをみていたんです。     *  マリーは学校から帰ってくると、ちょいちょい子守りをしにやってくるようになっていました。 「毎日《めえにち》、来《く》うらんな。小遣いとらす事よ」  マリーにごはんをたべさせながら、おふくろがそういっているのを聞いて、ぼくは内心よろこんだものです。けれど、そういわれても、マリーは気が向いた時にしかこないのでした。  ぼくは明けがたからベッドにもぐりこんで、甥っこの泣き声や、前の通りをはしる車の騒音や、小学生たちの叫び声などに悩まされながら、浅い眠りをお昼頃までむさぼる、という生活をつづけていました。  寝呆けまなこで居間へでていくと、マリーがテレビをみながら子守りをしています。ぼくは自分のむさくるしさを考えて、ゆううつになるのでしたが、いつの間にかそれにも慣れてしまって、ぞんざいにいうのでした。 「あ、おばあは、どこいった?」 「キューシンかいにいったよ」  のばした膝のうえに甥っこをのせて、思いだしては軽くゆすりながら、テレビ映画に夢中になっています。 「なんの映画?」  採光がわるくて居間がうす暗いのをさいわいに、ぼくもテレビに見入りながらそばに坐ります。マリーは照れわらいをしながらも、映画から目をはなしません。  そこにはヌーボー社長が登場し、その社長にすっかりのぼせた女秘書が、ことあるごとに恋情をぶっつけています。 「ああ、もう! しめころしてやりたいさア、ギューッ」 「え? フフフ」  毛なみのよろしいヌーボー社長は、古い館に母親とふたりで、さみしく暮らしていて、会社のほうもさびれているようでした。それは善良さがそうさせるのにちがいないのです。そして、女性に対しても、自分の欲望をつきつけるのは相手の人格をそこなうものであろうとかたく信じて、とっくの昔にそういうものをこそぎ落しているもののようです。そのうえで、誰にでもやさしく親切さをもって接しているのです、が、女秘書はますますのぼせあがるばかりです。 「ああ、もう、まだわからんさア! トンチキ!」 「え? あれ?」  真剣になっておこっているので、ぼくはニヤニヤしながらマリーをみました。十三歳の少女にヌーボー社長の精神が理解できるはずはないのです。いちずに女秘書の気持に共感するだけで、 (あれ? 恋する気持はわかるのでしょうか?)  頬は上気して汗ばんでいます。瞳はさまざまな思いに暗くかがやき、 (あれ? これは……しかし)  ぼくはそこにマリーを強く感じはじめました。そして、だんだん、いたたまれなくなって、たちあがって……。     *  で、そうしたある日、仕事を早引してきたおやじが、 「おい、つねおヨ、美浦ンかへ売りいださっとおる畑があんといいよるもん、見いが行かんな!?」  汗をぬぐいながら、そういうんです。  ぼくは、そういわれてもちっともうれしくありませんでした。畑を買うてくれ、そうでなければ、借りるごと相談してくれと何度たのんでも、ひとの望みをうちくだこうとするだけで、ぼくはもう、気持をこじらせていたんです。ぶつくさして、ふてくされて……ふてくされてしまってからでは遅いんです。  でも、まあ、とにかく、浮かない気持で、おやじのあとについていってバスにのりました。おやじは背中にもじっとり汗をかいて、そばにいると体臭がするようなので、ずっと離れた席に坐って窓のそとばかりみていました。  高校の前をとおって、長い坂をおりていくバスの窓からは、大地の暑熱をはこんできた風が、刈草のにおいやかすかな潮の香をおびて、ワッワッととびこんできます。普通なら、夏の陽のもとにひらける鮮明な眺望を、たのしんだのにちがいないのですが、今は心をとざして涼しい風をさえ、うるさく思うのでした。  ひなびた村のバス停におりたつと、おやじは勝手しってる者のようにさっさと歩き、一軒の農家の庭にはいっていって声をかけるのでした。ヘチマのつるのさがったひさしの奥の主座には誰もいなくて、陽の光になれた目で主座をうかがいみると、仏壇の線香壺の水金が暗いなかにひかっていました。何度目かの声で、豚に餌をやる時に使うひしゃくをもったおばさんが、家のうらっ側からまわってきました。 「あ、おくさん、豚にものくわせとる時間ですか。実はそのオこんな時間にいきあわせて、なんですが、こちらさまの売りにだされとる畑のことは、まだ、きまってはおらんのでしょうな?」 「はあ」 「うちの二男坊のこれが、いつのころからかその、農業したい農業したいとばかりに口癖しておりますもんで、子のたっての願いとなれば、これはもう何とかせねやなるまいと思うて、わざわざ腰をあげてきた次第ですがそのオ、畑は売れとらんわけですな?」 「はあ、まだですが……」 「何ですか、今の時代に」 「あの、ちょっと豚の」 「あ、かまわんで下さい、なにも気がねせんで……え」  おばさんは、ちょっとまごついてるようでしたが、おやじが口をつぐんでいるので、ひしゃくを置きにいき、手を洗ってもどってきました。 「あ、の、おちゃでもいれ」 「いえ、おちゃも家でのむだけのみましたから、気がねせんでやって下さい。その、ご主人さまは役場から、まだ、帰られんのですか?」 「きょうは、とまりがけで北部の方へいきましたんで、帰ってこないんですが」 「あ、出張ですか。いや、それじゃ、ま、おくさんにでも、案内役つとめてもらいましょう」  おばさんは、田圃のあぜ道や畑のうね間を海に向かって歩き、おやじがそのうしろをはなしながらつき従い、ふたりからずっとおくれたぼくが肩をすぼめて追っていきます。 「……農業したいという……これはどういう考えか、よく理解が……とどきかねるのですが、……ま、熱心に口癖するもんだから、ひとつやらせてみようかとも思っとるのですが、親のなア……気持としては恥かしくてならないことでもあるんですよ」  おばさんは、はあ! はあ! とあいづちをうちながら、捨てられた畑のあいだを歩き、どんどん海辺へちかづいていきます。しめり気をおびた風が、重っくるしく吹いてきて(親の気持)をきれぎれに伝えるのですが、ぼくは何もきこえないふりして、捨てられて草の茂った畑に目をむけます。 「ま、開発青年隊にでも……海外に雄飛……機械農業を夢みて……大きく儲ける……これには大賛成……しかしながら、うちのこれは……みんなが捨てて町へで……その畑を借りて耕したいという……この望みの細《こま》さ! 世間のみんなが町へでて、少しでも楽して儲けようとしている現代に、なんですか流れにさからってまで農業したいという、このあわれ、この苦労性! これはもう、はあー」  おやじは自嘲しているのです。それがぼくにも伝わってきましたので、なんだか恥かしくなりました。ついに護岸のそばまできて、おばさんはたちどまりました。護岸は台風の被害で決壊したのか、くずれさけて土が波にさらわれ、爆弾あとのような穴の沼になっています。沼には葦の根がはびこり、ドロには蟹のはいまわった爪跡がつき、土堤にはたくさんのドロ蟹の穴があるのです。売畑とはそのきりくずされた畑なのでした。葦沼を中心にして三百坪ほどの砂地には、ちょろちょろした芋づるがたち、そのあいだからは葦の地下茎が芽をだしているのです。 「これが……畑な?」  幻滅でした。現実にしたたかな一撃をくらわされたという感じでした。 「どうするかヤ? つねお」  どうするも、こうするもないのです。雨にうたれた表土には、白い貝殻があらいだされていて、それに、こんなに海にちかいのでは、ちょっと海がしけただけでも、それこそ雨のように潮をかぶってしまうでしょう。  ぼくが農業したいというのは、内的な要求からでした。畑を耕していないのに食物を口にしているからには、それは何らかのかたちで畑を耕している者に負ぶさっているのにちがいないのです。正しく生きたければ、まず最初の行為として、ひとに負ぶさるという悪いことをやめなければならない。自分の足でたたなければならない。だから、どんな畑でもいい、今すぐにでも耕したい。いそいでひとの背からおりたい。すぐにも鍬をとって農業しなければ、とかまえていたのですが、いかに内的な要求ではあっても、こんな畑は耕せないのです。 「買うてみたいか?」  ぼくは、これはおやじがしくんだ策略ではないか、と考えました。あまっちょろい夢をみているぼくを叩きのめすため、老獪《ろうかい》にしくんだ芝居にちがいないんです。 「……こんな畑エ!」  ぼくはそれだけいうと、先になって歩きました。 (ああ、まいったなア)  いつの間にか彼らから遠く離れて、うつむきこんで一人の道を歩いていることに気づきました。 (ぼくは、ひとりで歩いてきたんだ。これからも……) (いつか、才覚ができたら、自分で、実現するさ)  うつむきこんだまま、目を道のはたにやると、よどんだにごり水をためた田圃があって、にごり水だからなおのこと、さえわたった空の青と陽を受けた雲の白が、かっきりとそこにうつっていました。     * 「ンだ、ンだ、つねおヨ、相談があるもん、出《いじ》て来《く》うらんなッ」  ぜんこう叔父がぼくの部屋の前でそういっています。さっきから、おやじと酒をのみながら、 (部屋ごもり仕始《しいはじ》めてから一年半としにもなゆるもんヤ)  だとか、 (この前や──どこそこのおばあに──あれッおじいは、まあだギリギリ働《はたら》ちょる場合な、と笑《わら》アて恥かさぬならんたんヨ)  だとかそんな話をしてたんです。  ぼくは一戦まじえるつもりで出ていきました。ついにその時がきたんです。 「ンだ、おじさんが云《い》ゆし、ようく聞《ち》きヨ、つねおヨ。おとうさんやヨ、この際《きや》の年寄《としよ》いになゆるまでギリギリ働ち、童《わらば》ア達《たあ》を十分に程丈負《ほどたけお》わしたン。このうえは子達に養《やしな》わって、隠居すしが普通やあらぬな? な? つねおヨ、親の気持が判ゆらあ、これからすぐに仕事ンかへ出《いじ》て下《く》り。してからに勉強し欲《ほ》されや、隙々《ひまひま》に勉強せエ!」 「やさ、やさ、おじさん!」 「………」 「むかし年《どし》でいえや、つねおもなあ二三。りっぱに衆《ちゆ》のなかまヨ、ウヌ丈《たけ》ある衆《ちゆ》が昼日中から家《やあ》の内シリシリし、働きンさん、技術ン持たん、刀自《とじ》(妻)求《と》めゆる算段も無えん、親の臑《すね》かかじて、もうこれエ、もってのほか!」 「旨《うま》! 旨《うま》やさおじさん! よう云ッち取らしたッ」 「………」  おやじは、そこッそこだッ、とぜんこう叔父の方へ身をのりだします。 「とにかく、おとうさんヤもう、面倒ごめんと云っち居《お》んど。つねおヨ、親の心配が判ゆるもんやれェ、仕事口に構えて働けェ。な? おじさんが頼み、この通りやサ!」  叔父は食卓にぬかずきます。おやじは感涙にむせんで食卓をたたきます。ぼくはにがりきった目でそれをみています。 「ああ、今の云言葉《いことば》の、この条理。おじさんがいゆる通りやサ、つねお。おとうからン頼む、あたり前の人間に戻って下《く》り!」 「アンせや、云うシがヨ、何故《ぬうえ》におとうは、盛夫|兄《にい》にヤ銭分けて取らしち、我《わ》にンかへや取らさんか!」 「はあつねおヨ、寝ンたい起《う》きたいシリシリする者《もん》に、銭が分けられゆんな、頭《つぶり》のあれや考えり!」 「おじさんは|嘴 《くちばし》入りらんき!……四年間の我《わ》アが貯金あるはず、分けて取らせェ、その銭し勉強すさ!」 「……アン云《い》っちんヨ、だア銭は無《ね》えんせェ。盛夫が質屋につぎつぎ入《い》って、貯金のあるぶんうッ使《つか》って」 「それヤ、えこひいきやあらぬな?」 「あのうあらぬど、おとうの心算《つもい》や、なア銘々《めいめい》、ツイツイ独立しめ欲《ほ》さたんヨ、アンやしがこの不景気、だア思ゆるごとかなわん世の中やせェ、盛夫も自転車操業ろ仕おるもん」 「盛夫兄ばっかあ、ひいきすらア、我にン覚悟があんど。内地ンかへ行ンじ、なア帰らんことヨ、手紙ン書かん、音信不通にし、行方不明になゆことヨ!」  いいたいことはこれで全部だ、とぼくは座をたちました。 「ええッ、つねおヨ待てえッ! 盛夫ひいきしおる者《もん》やあらぬど! ンだ、おとうの気持ジュンジュンといい聞かすシが」 「はあ、聞かんでンようく判って居《お》んよ!」  追いすがってきたおやじの鼻の先で、戸をぴしゃりとしめました。 「つねおヨ! おとうの心配がまあだ判らん場合なッ、え? 日夜勉強々々と、勉強に填っておる様子やしが、ウれや何の勉強かヨ、え? 山之口貘如うし、貧乏文士になゆる心算《つもい》やあらぬな? おいッ」  聞くにたえないことをわめくので、ぼくは窓から外へでました。 「この前《めえ》の新聞にマギマギと、山之口貘三五年ぶりに帰るンち、載って居ったしおとうは読《よ》で、すべて知っち居《お》しがヨ、おわい屋つとめたイ日雇人夫になったイ、苦労のだんだん仕ィかさねて、聞《ち》ち居ンなッ」  腰をかがめて玄関前をすりぬけ、台所へまわって下駄をつっかけます。 「山之口貘、あれが如し文学が認めらりれや、これはまた、りっぱなもんやしがヨ、危《あぶ》なさる綱わたて、はたして認めらるるか、才能があるか、そこッそこやサ!」  そして、うわーッと叫びながら、夜の町へ走りでたんです。 (あんちきしょう、世間ていの頑固おやじめ、常識づらのずるおやじめ、農業といえや道ふさぎ、勉強といえやとどめをさす、うわーッ)  あんまり苦しいもんだから、ちょこちょこ、ちょこちょこかけながら、 (ナユンド、ナユンド、フレモンニ。ナユンド、ナユンド、フレモンニ)  拍子をつけてうたったんです。人気のない裏通りを、涙をながしながら、ナユンド、ナユンドとうたっていると、そのことばがだんだん奇妙にきこえてきて、ハヒハヒハヒハヒと笑っていました。ナユンドというのは現在完了の強めなのに、未来意志にきこえてきたんです。  ………………………… (めんどりだって)  と、自分にいい聞かせながら、町のなかにぽっかりとできた開放地のはずれまでいきました。 (めんどりだって、ひよこが大きくなれば、あ、あ、あんまり動《いい》かさんき、こころから血イがでる)  開放地のはずれの斜面を、草につかまりながらおりていきます。 (めんどりだって、ひよこが大きくなれば、つっつきまわして別《あ》かそうとするッ、あ、そろっとド、そろっとド)  斜面のなかほどにある亀甲墓の上にあおむけになります。 (結局、おやじも)  まるっこい大きな甲羅のセメントは風化して黒ずみ、いきものの肌のようになつかしい温《ぬく》みをもっていて、背中になじみます。 (つっつきまわして、追いだそうとしてるんだろう、大きくなりすぎた)  下のほうには、たくさんの町の灯がチカチカと明滅し、 (もちろん、働かねばならないさ、そろそろ、な)  町の灯を邪魔に思いたくなるくらいに明るい月がのぼりかけています。  キャーと叫びごえがするので、斜面の上のほうをみると、二人の少女が手をつないで、そこのはずれまで走ってきていました。 (あれ?)  月の光のなかで、ふたりの姿はぼんやりとしか見えませんが、そこでにげ惑っているようです。すぐにオートバイの音がきこえて、少女たちはオートバイに追いつめられていることがわかりました。オートバイを草のなかにつっこんだ少年が、少女たちをつかまえようとします。三人は笑いさけびながら草のなかを走り、大きな少女がつかまりました。それを救おうとして小さな少女が少年をつきとばします。 (あれ、あれは!)  それから小さな少女もつかまり、三人はヤジロベエ人形のように、少年の手につながりながらぐるぐる回ります。 (あれはマリーとさちこかなア、マリーと……)  ひとりの少女の手がはずれて、あとの少年と少女は、重心を失ったかのように、もつれて草の陰にたおれました。 (あ、あんちきしょう、マリーのやつめ!)  キャーッと少女の声がまたあがり、もうひとりの少女が、草の陰のふたりにぶつかっていきます。 (あっ、いやだッ、いやだッ)  三人は草のなかを転がりながら、あばれています。 (ああ、もう、いやだッ、もう、いやだッ)  ぼくは、そこも追いだされたかのように、斜面をすべっていきました。     *  その頃、町の中には開放地が二つもありました。柵と柵のあいだにできたこの町は、ついに柵をおし倒すまでにふくらんで、柵内の者をおいだしてしまったんです。煩雑と騒音と不衛生とから、基地は島頭《しまがみ》のほうの山地に、統合されて移っていったということでした。  深夜、ぼくはうつけた心で、その開放地へでていきます。寝苦しさに汗ばむ肌を、空地に集まる夜風に清《すが》しにいくのです。  放置されたアスファルト道や基礎コンクリートのあいだからは、雑草が芽をふきだし、おい茂って、もう虫たちの森になっています。昼間は遊びに群がるこどもたちに、ひっかきまわされる虫たちも、夜闇のいまは平安のなかにあって、小夜曲をかなでています。 (あ、なかがポンカスーになってるみたいだなア)  と、ぼくは自分にはなしかけます。そんな癖がついてしまったんです。  開放地の向うには、黒々とした家々の背中がみえます。軍用道路によりすがって、ひしめきあう家並みなんです。 (あ)と、ぼくはまた声をあげて、たたずみます。 (あ、あそこには、生存競争があるぞ! うばい、かすめ、だまし……)  夜闇のなかの黒い家並みは、のたうち、ころがり、せめぎあってるかのように、見えなくもないのです。 (あそこは戦列だ。一本の軍用道路に生活をかけた戦いをくりひろげている、その……)  消し忘れられたネオン灯が、血のような赤を、ひときわ高い建物の壁にボカッボカッと投げかけています。 (ぼくは戦列から逸脱してしまったなア。もう戻れないだろう。戻りたくもないし……これから戻るくらいなら、なぜ逸脱したんだ、と自分をせめなきゃならないからねえ)  夜風が虫たちの森のうえをゆるがしていくと、風の動きに気をとられたかのように、虫たちはフッと鳴きやみます。 (ぼくは、生きられないかなア。うまれでてきてみるとさア、生活の場であるはずの地上は、誰かの所有物になっていて、そう、平地はもとより、山や森や谷や海岸にいたるまでだよ、そこで生活するためには、支払いをしなければならないという、支払いできない者は生きる権利がないというのかなア、え?)  権利をのべたてたってどうしようもないのに、そんなことをいってるのでした。  生きる権利、自由である権利、生をたのしむ権利! 権利と権利はぶつかりあい、闘いをくりひろげ、ついに一つの権利が勝ちをしめて、権利となるらしいことは知っています。それは支配する権利だともいえなくはないのです。そして小さな権利はふみにじられます。ふみにじられるからこそ、権利々々と叫びたてるもののようなのです。夜空に星がかがやいていて、手をこまねいたぼくは、それを見あげたりします。 (ブルドーザーをもってた儀間高司はさア、村の近くの開放地をやすくかいとって開墾し、何千ヘクタールものキビをつくったというよ。照屋政夫は医科大を卒業して、医者のたまごになったときいたし、あ、ぼくにトルストイを読ませた宮古恵二は、高校を卒業すると警察官になっちまった!……みんなひとかどの場所を占めているんだ。それなのに……ぼくはまるっきり……こどもみたいなもんだよ)  風がまた、ひとわたりふいてきて、感傷にふけっているぼくを清《すが》します。 (こどもかア、こども! こどもはいいなア! こどもは好きだよ! こどもと遊んでると、こっちまでこどもになる。こどもになれなきゃ遊べないんだ。蟻と遊ぶときは蟻、雲と遊ぶときは雲……)  こどもは、よどんで腐りかけたドブ水のなかに、流れこんでくる清冽ないずみの水ではあります。だから、よどんでいる水も、すっかり腐ってしまうのをまぬかれているんだと思いますよ。 (誰だって、こどもだった時があるんだのになア、つまりさ、そのいずみの水とやらで、この世に流れこんできたんだろう? それなのに、どうして、腐りかけた水になるんだろう、よどんでしまうからかなア、どんどん、どんどん流れていけば……ぼくはよどんだ水はいやだな) (二三のこどもかア?……三三のこども……五三のこども……八三のこども、オイ、腰のまがったこどもか! ハハハハ)  からだというものはアッという間に成長するらしいです。そして成長がおわったとたんに、もう老衰がはじまるんです。のびきった背はだんだんひくくなり、ツヤツヤした皮膚はシワシワになり……そしてある日……ある日……。 (オイ、苦しい事実をつきつけるなよ!)  このやじり声は無視します。理性は心の感情的ことばに流されるべきではないのです。そうですよ、肉体の生命なんて朝露ですよ。はかないものなんですよね。十日も水をやらなきゃ枯死だし、四、五日も養分をやらなけりゃ……それで、ギリギリの生命力でしょう? そうでなくっても、生命は約束されてはいない……あすの生命は約束されてはいないんです。あすは何かの事故で死んでしまうかもしれないし、いや病死かな……なにしろ黴菌《ばいきん》や害毒はそこらじゅうに、いっぱいありますからね。急病でなければ……ああ、ぼくは、自分をきりきざむやいばで、みんなをも傷つけてしまうかも知れないけれど、ボタン戦争もあるんでした。悲しい事実ですよ。それに戦慄を感じてもいいと思いますよ。それは、そこにありますからね。  どうせ、生命力をのばすことができないんなら……あくせくすることはない……と、ぼくは自分に納得させようとしましたよ……そうでなきゃ苦しいんですものね……苦しいんですもの……。うちひしがれて、このうえもなくうちのめされて……。  そのとき、うしろに、ちかづいてくるものの気配をかんじましたので、あ、これはいけないッと、なにくわぬ顔をしました。  ……けれども、ふりかえってみると……だれもいなかったんです。  ……ぼくは、こうべをたれて……ふかくこうべをたれて、なきました。  ……それは、感じでした。あたたかい目でみてくれてるような……そんな感じでした。あたたかい目の……。  ……それは、あったんです。みんなをみてたんです。     *  いよいよ出発だという日の朝、ぼくはボストンバッグに本と下着と、せっけん、歯ブラシをいれて、それを廊下にだしました。 「だア、荷物は? ウれだけな?」と、バッグをあけてみながら、おふくろはいいました。 「うん」 「呆っ気よイ、だア、多《おお》っさけの衣類や道具はヨ!」  こんどは部屋をのぞいて、とんきょうな声をあげています。 「がらくたな? 塵捨て場ンかへ持っち行《い》ンじ投げたン」 「はあ、置《う》ちおけや帰《け》えて来ゆる場合に、また着られゆるもんにナ? もったいない!」  たつ鳥あとをにごさずといって、ぼくは前の日に部屋のなかを整理したのでした。  教科書や雑誌や古着を二つのカマス袋にいれ、前の新城さん宅の自転車をかりてもっていったのです。  日記ノートや本は捨てるわけにいかないので、紙箱につめて天井裏にかくしました。釘をぬいて板をはずし、また板をうちつけておけば、日記は読まれることもないでしょう。  板をはずしながら、そんなにまですることがあるのか、とも考えましたけれど……かたづけてしまいました。部屋には勉強机とベッドとふとんと、からっぽのタンスしかないのでした。そんな部屋をみて、おふくろはびっくりしているのです。 「仕事着は持っち居《お》ンな?」 「内地んかへ行ンじから買《こ》うゆん」 「買うゆる暇や有《あ》がや?」 「有んよ!」 「はあ、おかあが走《は》い飛《と》ばち行ンじ、買《こ》うて来《こ》うらな?」 「済むンよ! 胸ドンドンするといいよる者《もん》が、走《は》い飛《と》ばせや、道中行《みちなかい》ンじウッ倒《とお》れらんな?」 「いンいいえ、ただいまから走い飛ばすサ! 待っちおれェ!」  どうしても買いにいかなければ承知できない、という表情です。 「あーあ、いらんことしやあ……アンせや、キューシン飲《の》でから行けェ」  おふくろは小指ほどの壜から、針の先ほどの丸薬を掌にうけて、こわばった指でひとつぶをわけています。 「効くンな? この薬は!」 「うん、増《ま》しやる如《ごと》あるもんヨ、ホレ、ちびた目糞《めーくす》の如しおって!」 「熊の胆《い》し作《つく》たンで云《い》ゆンど!」 「アンやことろ苦ささや!」  それから、忙しく玄関におりたちます。 「十時までにゃ帰《け》えて来《こ》うよ、十時半にゃ職安の前《めえ》ンかへ集合《すうごう》やろもん!」 「いいっさ!」 「あ、この前の如うるジーパンど!」  おふくろが買ってくれるズボンは、どれもこれもダブダブなものばかりでしたが、(この前の如うる)ジーパンだけは、偶然にもぴったりして、ボロボロになるまではいたのでした。ぼくは、そんなズボンをまた注文するのです。  おふくろを待ってるあいだは、することが何もないので、バッグから本をとりだして、広くなった部屋に腹ばって読みました。  ──にくたいのせいめいをおしむものは、まことのいのちをうしない、にくたいのせいめいをすてるものは、まことのいのちをえるなり── (うん、そうかア)と、ぼくは考えるために本をつきはなしました。 (結局、誰だって生命を惜しみながらも、それを捨てているのにちがいない。捨てざるを得ないんだもの、捨てなくても失われていくんだもの……。ただ惜しみながら、だから……子のためだけに、だとか、できるだけ少なく、だとか、最小限の捨てかたしかできないのにちがいないんだ……とすれば……ぼくは……いさぎよくありたいな)  そう、つぶやきました。  ──にくたいは、うつわにしかすぎない── (あ)とまた本をつきはなしました。 (なんの器だろう? 精神? 精神の活動によってかもしだされたあるもの、こころ? たましい?)  ぼくにもし魂があるのなら、その魂はおふくろのそばまで飛んでいました。いえ、ただの想像力のはたらきかも知れませんけれど……ぼくには、おふくろが心臓をはげしく鼓動させながら、那覇の町を走っているのがわかったのです。あせりながら、人混みをかきわけていると、肝はダクダクし息は苦しくなり、それはそっくりそのままこっちにも伝わってきて、ぼくも息が苦しくなり、じっとしてはいられなくなって、部屋を歩きまわりました。  みんなは仕事にいき学校にいき、居間には甥っこだけが寝ています。ぼくはそばにしゃがんで、無心な顔にみいります。  玄関の戸がガラッとあく音で、ぼくははねおきました。おふくろは額に汗のつぶをうかせ、あかい顔をし、息をきらしているのでした。 「胸ドンドンや大丈夫な!?」 「……大……丈夫!」 「ジーパンは有《あ》ったん?」 「……あれが如うる……ジーパンは……なア売りて……無《ね》えらん、かわりにこれ買《こ》うたン」  そういって包みからだしてくれたズボンは、草色の作業ズボンで、それはひと目でダブダブであることがわかりました。ぼくは(やっぱりな)と笑って、それをバッグにいれました。もう、職安の前に集合する時間もせまっています。 「ああ、二三なアに成ってから、他所国《よそぐに》ンかへ行《い》けヤ、哀れ苦労すさヨ、島で頑張れやすぐに嫁ン求《と》められゆるもんにヨ!」 「何《ぬう》の……哀れがア!」 「アンせや、体に気イ付《ち》きて、元気し働きヨ」 「うん」 「落着けや、すぐに手紙書かんだれや!」 「うん!」 「聞《ち》ち居《お》ンな?」 「聞ち居ンど!」 「ああ、ものの言《こと》ン無《ね》えらん、トロトロしヨ!」 「思惑《しわ》やさんき!」 「まあだ、おとう恨んでろ居《お》ろえナ?」 「何《ぬう》のために、いつまでン恨むる!?」 「親に心配かけゆるものやあらぬど、はがき一|枚《めえ》しこうこうが成《な》ゆるもんに、はがきン書きヨ!」 「うん!」 「見送りかへヤ、行からんサ、ねえさんは産気|付《づ》ち入院しおるもん、門口から見送りすサ……あ、ンだ、つかを起《う》こち来うらな!」 「………」 「車ンかへ気イ付きて、皆とン仲良たさし、相入《そうい》っち働きヨ」 「ああ!」 「見送りかへヤ行からんもん、門口から見送ゆサ!」 「………」 「アンすりゃ、行ンじ来うわヤ!?」 「………」 「元気し……」  おふくろは、ぼくの気持をおしはかるかのように、目をみはりながら門口にたち、そばには甥っこが、かつてのぼくがそうしたように裾にまといついていました。  ぼくは陽光に照りはえる坂道をのぼっていきました。うしろはふりかえりませんでした。さようならもいいませんでした。   付記  ぼくは見送り人たちのはじっこに、マリーをみつけました。 (あれッ、マリー、オートバイの少年も集団就職することになったんか?)  野積みされた材木のそばに、ひとりだけポツンとたっているのです。 (それじゃ、マリーも、おわかれだねッ)  泣きだしそうな顔に、苦しそうな笑いをうかべているので、船のかたすみから心の声で、はなしかけます。もう、癖になっているんです。 (マリー遠慮しないでこっち来いよ、テープをかわせばいいだろ?)  けれども、パラソルをクルクルまわしたり、きゅうにとめてみたり、いじくってばかりで、それからこっちをみたり、うつむいたり……。 (あれ? オートバイの……ではなかったんか?)  まだ四月だというのに、とても暑苦しくて、半袖開襟シャツの背中を、汗がズルッズルッとすべっていきます。 (そんなら、オートバイの少年と遊んでいたのは、マリーじゃなかったんか?)  舷側には、あっちこっちの職安から集まってきた少年少女たちが、二百人ばかりもとりついて、見送り人の一団とテープをひきあいながら叫んでいます。 (うーん……マリー……うーんマリー……でも、いまとなっては……)  スピーカーからは曲がなり、船は岸壁をはなれはじめ、さらにたくさんの声がよびかわされ……。 (マリー、とにかく……いまとなっては……もはや……ぼくは……ね……)  ぼくは、とたんに苦しくなって、舷側から海をのぞいたり、見送り人たちをみたり、ポツンとしたマリーをみたり……時がすぎていくのを……。 [#改ページ]  ちゅらかあぎ     1  多摩川の堤にきた。草の上に坐っている。目の前には広い河原。音たてて流れる水。静かな向う岸。松林ごしに見える家並み。その向うの森。そしてさらに遠い山々。雪をかぶった山々の向うには、白い富士。空は青く、大気は冷たく、悲しいほどの日和だ。  小田急線の和泉多摩川で下車した。駅前の小さなパン屋で菓子パンを四個買った。ハムソーセージも一本買って、手さげの布バッグにいれて、人影の少ない上流へむかって歩いてきた。そしていま、ピクニックのようにして草の上の食事をおえた。腹はみちたりて、なごやかな気分だ。  空には雀たちのさえずりさわぐ声。手元にはトランジスターラジオの音楽。遠くの鉄橋をごうごうと走りわたる電車。河原の薄氷を割る釣竿をもった少年たち。空にこだまする彼らの笑い声。ぼくはそれらの風景を眺めている。その中にあって全部を身に感じている。  ここ二、三日、ぼくは日記を書いてない。何も心配しないで仕事をやめた。おとといから新宿のベッドハウスに宿泊している。一泊二百円というネオン看板を電車の窓から見てしっていたので、そこへとびこんだのだ。そして街をさまよった。何もすることがなくて映画もみた。何ものかへ推移しようとする、そんな変化のある生活を送りながら、ぼくは何も書かなかった。が、心をひきしめるために、最初の意図をよく思いだすために書こう、そう思って記述する場所をさがして、ここまできたのだ。  田中製本をやめて五日になる。たった五日だが、ぼくにはとても長い日数のように感じられる。街や郊外をあるいて、くたびれて帰ってくる毎日だった。多摩川べりや荒川の上流あたりをうろついた。十円のきっぷで中央線にのって、遠く日野あたりまでいって、そのまま帰ってきたこともある。毎日そういうふうにぼんやりあるき廻って、何を考えていたというのだろう。生活の心配があることはあったが、心配するなとそれを追いはらって、ポカンとした安心のうちに時をすごした。  ベッドハウスは朝九時までしかいられない。九時になるとベルが鳴りひびいて、時間ですよオという声がきこえるのだ。ぼくはとびおきて支度する。掃除夫がほうきを持って、各部屋の戸をあけはなっていく。さあさあ、起きてくださいよオ、掃除しますから。ぐずぐずしていると、ごみといっしょに掃きだされることになるのだ。廊下の途中にある洗面台で顔をあらっていると、掃除夫が奥の部屋から掃きだしにかかっていることがわかる。部屋のなかから紙くずや吸いがらがとびだし、敷布がまるめられて投げだされる。  大急ぎで宿屋をでるけれど、さてどこへいったらいいのだろう。どこにもいくあてがなくて、あっちこっちうろついてあるいているうちに疲れてくる。そして時計をみると、もうたいていお昼まえで、ぼくは通りすがりにパンを買って布バッグにいれ、こんどはそれを食べる場所をさがすのだ。人混みのなかを口をもぐもぐさせてあるくのはいやだから、公園で食べようとするのだが、さがしあるいてるうちにお昼すぎになる。公園のベンチでも人目をはばかって食べなければならない。近所の工員たちが運動をしていたり、日向ぼっこをしていたりして、じろっとこっちをみるのだ。ぼくは水のみ台へいって、喉につまっていたパンを流しこんで、そそくさとたち去っていく。  きのうは新宿区立の図書館をさがしてあるいた。そしてついに、新宿御苑ちかくにそれをみつけることができた。ずっと以前に東京見物のつもりで都電にのって、新宿までいったことがあったが、その時通りに学生たちが行列をつくっていたので、何だろうとみると図書館らしい建物であった。そんな何カ月か前の記憶をたよりに、新宿からあるいてきたのだった。街道ぞいに四谷へむかっていると歩道は朝日をうけて、温かくてよかったけれど、交通がはげしくてほこりや煤煙で目がちかちか痛かった。それで裏通りの小さな路をいくと、こんどは風がつめたいのだった。  ベッドハウスは夕方五時にならないと開かない。たとえ開いたにしても、あそこへは急いで帰る気がしないのだ。六畳ほどの部屋に八人分のベッドがあって、昨夜も七人がむさくるしく宿泊した。ベッドハウスというよりも、部屋の両側に二段の棚があり、畳がしいてあるだけのものだ。壁も柱も手垢でひかり、畳の上の布団も油垢の臭いがしみつき、布団えりは頬にふれるとひんやりする。  階下で風呂がわきましたよオという声があったので、まっさきにいってみると風呂は熱くてはいれなかった。はいれないようにわざと熱くしてあるのだろうか。風呂場に石鹸をおいてないから、番台の人にそう告げたら、 「石鹸ぐらい自分でもってこい。安いどやちんでおめえ、石鹸のめんどうまではみられないよ」  そうしかられたので、銭湯にいくことにした。とにかく、気楽にいこうとつぶやきながらバス通りを横断し……。 「もうそろそろ、まじめになってよォ、仕事にでたろうかと思ってんだけど、どうだいやまの景気は、あいかわらずかい」 「まあまあってとこだろな。だけどほら、今年はオリンピックだろう。いつもの年にくらべりゃ、わりと仕事はあるよ。しかし、きのうはまあ、ひでえめにあっちゃったい」 「どうしたんだ?」 「いやね、ちょっと寝すごしちゃったんでさ、あぶれるかと思ってよ、あらいのバスにとびのっちゃったんだけどさ」 「ヘッ、あらいかあ!? あんなとこにいくもんじゃないぜ。五百もピンハネされてよォ」 「手配師やしなってやってるようなもんだな」 「仕事もばくばくやらされちゃったろォ」 「ああ、ひでえもんだよ。そばにつきっきりで見張ってやがるんだもんな」 「それよか、やまだのほうがいいんだよ。ちんたらやってりゃ、金になるしよ。まだきてるんだろ?」 「きてるきてる。しかし六時までにゃ決っちゃうからさ、ちょっと寝すごすとだめだな」  七人のなかの三人は、もう顔なじみらしく競輪競馬のはなしがおそくまでつきなかった。一人は去年の十月から、ずっと遊んでいるというようなことをいっていた。遊んだというのは、毎日競馬へいったということらしかった。  競馬のはなしはおもしろい。なけなしの金で確実な券を買っていくらかの金をかせぐ。それで二百円の宿泊費をはらったり、大衆食堂で六十円の定食を食べたりする。大穴で金がはいればうまいものを食べ、ひやを一杯ひっかけてくる。そんなことをして結構命をつないでいるらしいのだ。ぼくは競馬など不健全だとは思うけれど、彼らの生活にはなぜだか同意できそうな気がした。  ぼくも仕事へなどいかないで、競馬でかせいでは勉強のために図書館がよいをしてもよくはないかと、そんなことを考えたりしたのだ。仕事のはなしにはきき耳をたてたけれど、よくわからなかった。あぶれとかピンハネとかいうから、それは日雇い仕事のはなしにちがいなかったけれど……。  中央線で立川まできて、南武線にのりかえた。駅売店で新聞を買って、募集広告をみる。アルバイトの仕事が三件あった。募集に応じて出向いていくつもりはなかったが、もう安心はしていた。きのうの新聞にも二、三件あった。このぶんだと毎日、二、三件はあるだろう。アルバイトの仕事は、いつでもたやすく見つかるはずだ。  ぼくは日払いのアルバイトをしようと決めている。一日働いて、千円から二千円程をかせいで、あとはそれで二、三日暮らしたい。ベッドハウスに宿泊して、日に二食の定食をたべる。それでじゅうぶん生きていけるはずである。一日働けば二日は働かなくていい。その二日をぼくはどういうふうに活用しようか。働く日より休みの日のほうが多いのだ。  南武線の電車は南武蔵野をよこぎって、多摩川ぞいに川崎へとくだっていく。左手にも右手にも田畑がひろがって、農家があり木立ちがあった。ナシ畑が多かった。だんだんに開かれて、郊外の住宅地にうつりかわろうとしている様子も感じられた。新しい家が畑のなかに建てられつつあった。新しい団地も点在していた。川崎の工業地帯に働く人々が、ここに住家を求めて散ってきたのだろうか。  電車は真昼の日をあびて、畑があったり家があったりする野を、ごとごとかけぬける。窓からは光がさしこんで肩が温まる。外を見るとまぶしくて、目をほそめなければならない。そのとき懶《ものう》い春という感じがあった。そうだ、これからは温かい春にむかっているのだ。その春のつぎには、暑い夏がひかえている。活動的になれる季節だ。そんな思いをもったぼくは、なぜだかふてぶてしい居直りの感情にとらわれた。大地は温かい。何をあくせくすることがあるだろう。住む家がなくて野になげだされたにしても、草の中ででも毎日がすごせる。  電車のなかでは通勤の客が目についた。背広をきちんと着た男が、疲れたような顔色で坐っているのだ。クスッとした笑いが思わず口もとにきた。嘲笑とも憐憫ともつかない感情がそうさせたのだ。あるいは同情なのだろうか。  ぼくは肉体的には、落ちるところまで落ちた。もうこれより下へは落ちないであろう。これより下に落ちることは、肉体の死を意味する。路頭に迷いでて、風雨のなかで寒さにふるえ、水をのんで空腹にたえるという生活しか残されていないのだ。そしてそんな生活も四十日と続くまい。ぼくは肉体の死をおそれるのではない。むしろ神の前に顔をあげきれないのをおそれる。  ぼくは川崎にきた。ついでに図書館にいってみることにした。が、月曜日は休みだ。節約して、駅から徒歩できたのに、シャッターは閉っていてがっかりだ。朝から何も食べていなかった。徒歩でくる時に魚屋の前を通ったら、魚てんぷらを揚げていたので、そこまでもどっていって、温かいあじてん五枚を買ってきた。労働会館の前の公園で、新聞を読みふけっているふりをして食べる。寒風がでたせいか人影はない。ぼくは手を温めては書き、手を温めては書きしている。     2  田中製本は、ビルの谷間にはさまれた、木造二階だての小さな工場だった。  ビルを若者にたとえるなら、こっちは腰が矩《かね》の手にまがった、おばあさんだ。 (あいな、あいな、あが遠《とお》さから、よう走《は》っち来《く》られイたさや)  そういって腰をのばして、ひとを迎える田舎のおばあさんのような……そんな感じの……。  船酔いはまだのこっていた。工場の二階の廊下を歩いていると、船室から船室へつながる廊下を歩いているような気がして、足もとがぐらりぐらりと揺れるのだ。  じっさいには、大地の上にしっかりと建った、住込み部屋にいることは知っているのだが、揺れうごく船の上にいるような感じがしたのだ。  これが錯覚というやつだな、ぼくはそうつぶやいて壁にもたれ、平衡をたもちながらそろりそろりと歩いた。  島の最北端を通過したころから、船は揺れはじめた。どっしりとした大きな揺れだった。海の色は青から紫に変っていた。島の影は海原のかなたに、小さくかぼそく見えかくれして、水に浮ぶ帯のように頼りなげだった。かつてのぼくがあそこで、山羊の草刈りをしたり、父母といいあらそったりしたことがあったとは思えなかった。  船は波頭をきりさいてしぶきをかぶった。誰かのトランジスターラジオからは、ふるさとの民謡がながれていたが、それもいつしかとだえがちになった。もう甲板にたってはいられなかった。ぼくは他の集団就職の人たちといっしょに、船尾のほうの二等室にいたのだが、そこは特に揺れがひどいらしいことがわかった。  波頭をつっきるさいに、船首はだっとのしあがる。その時船尾は反動でぐっと沈むわけだ。きりさかれた波は、はげしく船腹をたたいてながれさっていった。夕食がでたけれど、ひと口もたべられなかった。腹にのこっていたものも吐いてしまった。起きる元気もなくなって、うなされながら横になっていた。  船はますます揺れはじめた。谷間にのまれるようにすべっていっては、あえぎあえぎ波のいただきにはいのぼった。スクリューが波からあらわれて、ガラッガラッと空転した。その振動は船全体をふるわせ、ぼくたちの体にもひびいてきた。谷底におちる時にはふわりッと体が浮き、谷底におちた瞬間にはずしッと体が床にへばりついた。重力を失ってふわりッと浮くほど不安な状態はない。はっとしては緊張し、一ト息したかと思うとまた体が浮いて、結局緊張のしどおしでまいってしまった。はやく陸についてくれればいいと、ただひたすら念じるだけだった。  大げさにギシギシいう廊下をいって、トイレのチューリップに向かっていると、うしろの戸がさっと開いて、食堂の電燈の光がさしこんできた。 「あれえーッ」  女の声がきこえたのでふりかえろうとしたら、戸はバタンとしまり、 「電燈もつけないで、便所に入ってるさあ」  女子部屋の同僚に、そんなふうに大声で報告している。 「だあれ?」 「きょうきたばかりの、ほら、あの男さあ」  ぼくはドキッとした。 (そうだ、どこかそのへんにスイッチがあるはずなんだ) (どうもおかしいと思った。やっぱり電燈をつけるようになってるんだな)  ぐるりを見まわしたが、暗くてスイッチは見つからない。 (外にあるんだろうか?)  トイレをでると、女は戸のそばに待っていた。壁にたれさがったひもをひっぱって、電燈をつけた。 「うわーッきたない。ほれッこんなに汚してッ」  遠慮のない声だった。 (ぼくは、知らなかったんだもの、なさけないなあ) (会ったばかりの男に、そんな苦言を平気でいう女は、ぼくはきらいだな) (ああそれにしても、会ったばかりの女に、そんなことをいわれる自分も、いやだなあ)  ああいやだ、ああなさけないと、そんな表情で部屋に逃げこんだけれど、これからのここでの生活が思いやられて……。  そう、そう、チューリップに向かってたちながらさ、臭気ぬきのような窓から外を窺うと、すぐそこに、手のとどきそうな位に近い、すぐそこに、隣りのビルの荒壁がみえたんだよ。  深海艇バチスカーフの覗窓から、暗い岩肌をみているような気がして、ぼくは身ぶるいした。おそれ? そう、そこには冷たい風がよどんでいて、闇にとざされた世界があったんだ。ひっそりとした、未知の海溝の……。それでぼくは、つらいような気持に、とらわれたんだけど……。 「まあ、遠いところから、ようおいでなすったわねえ。船旅はたいへんだったでございましょう?」  おばあさんのひとが、部屋に顔をみせるなりそういった。 「あなたの場合ですと、いくにちほどかかりました?」 「三泊四日でした。とちゅう時化《しけ》にあって」 「まあ、四日も。それはそれはたいへんだったですわねえ。あ、どうぞどうぞ、お気をらくうになすってくださいまし。うちはちっちゃな会社ですから、みんな家族みたいなもので、ちっとも遠慮はいらないんですよ。お食事はどうですか? お口にあいますですか?」 「はあ」 「ええ、ええ。しっかり食べて、はやあく元気をとりもどしてください。それからあのう、これは銭湯のきっぷですから」 「銭湯の……ですか?」 「ええ、あとで誰かさんといっしょに、いってらっしゃい。うちに風呂があればいいんですけどねえ、なにしろごらんのとおりの狭さでございましょ? それでみなさんにはつぎつぎ十五枚の入浴券をさしあげてるんですよ。川平さんにでもつれていってもらいなさいまし。お湯にはいれば、旅のつかれもすぐにとれますでしょうから」 「はあ」  ぼくは美しい言葉にききほれて、ポカンとしてしまった。流暢な日本語を、なまできいたのは初めてのことなのだ。それにしてもここには、ほんとにまあおばあさんがいたんだ。  先に沖縄からやってきた二人の青年は、外から帰ってくるとぼくの部屋に集まった。そこで社内の様子をきいたのだが、あまりかんばしくないものであった。  名護町からきたという照屋くんはいうのだった。 「おい、壁に耳ありど、方言|使《ちか》れえっさ!。とにかくさ、兄さんやこん如《ごと》しよる所《とくろ》ンかへ申《もう》し込《こ》で、損《すん》し居《お》んよ」  那覇市からきたという川平くんもこういうのだ。 「あばい切《ち》りるか働かさってよォ。毎日《めえにち》めえにち九時十時まで残業ざんぎょうで、いち大事《でえじ》どォ」  彼らは去年中学を卒業して、すぐにここにきたということだった。三人できて一人はもうやめてしまったというのだ。 「あーあ、沖縄《うちな》ンかへ早《へ》えく帰《け》えり欲《ぼ》さっさァ」 「バカひゃあ、旅費《りよひ》ン無《ね》えらんもんに帰《け》えられゆんな!? とにかく別《べち》ンかへ仕事見ちきらんとならんよ。其《う》れからやサ」  そしてあしたも、仕事をさがしにいきたいというのだ。仕事がみつかりしだい、こっそりやめるというのだ。 「あん如《ごと》うる安月給し、痩《や》し枯《が》れるか扱《こ》ん使《つか》あってよ」 「此《う》れこの膝《ひざ》の汚《よご》れ! 紙ぼこりがタッ喰《く》わってまっくろよ」  二人は風呂屋でもそんなはなしをしていたのだ。誰それは不親切だとか、誰それは非道い人間だとか愚痴をこぼしていたのだ。 「ビールの一、二本はさげてくればいいのに……」  そういう声が隣りの部屋からきこえてきた。本を読んでいると突然に、そんな声が耳にはいったのだ。ぼくのことをいっていたのだろうか。ただそういう声しかききとれなかったのだが、あるいはここに新しく入ってきたぼくは、先輩たちの交誼をえるために、おみやげのひとつぐらいは持ってくるべきだったのだろうか。しかしまさか、そんなことをいわれるとは思ってもみなかったので、ぼくは困惑した。 「……無口で、つきあいのわるい奴だよ……」  そういうような声も、それからしばらくしてきいた。彼らは隣りの部屋でビールをのみながら、にぎやかに談笑していたのだ。ぼくのことを話題にしていたのだろうか。はっきりしたことは何もわからなかったが、とにかくそんなことをいっていたのだ。  いったりきたり。ぼくは断裁機のそばに雑誌をはこんだ。一日じゅうそういう仕事をした。雑誌は焼付機からでてくる。表紙をくるまれた雑誌は、背中の糊をかわかすことと、型をきめるために、焼けた鉄板のうえに背を下にして並べられ、三方からの圧力でもってアイロンがけされる。  とったりおいたり。糊の匂いと熱をもった雑誌をかかえて、一日じゅう同じ動作のくりかえしだ。雑誌は断裁機にいれられ、背中をのこして三方を切りおとされる。機からでてくると、もうりっぱな商品だ。それは結束機で、二十冊ほどにたばねられて、出荷口へつみあげられる。  走ったりとまったり。雑誌をささげもっていっては、それを置いてとってかえし、またささげもっては走っていく。一日じゅうそればかりだ。作業着のおなかのあたりは、糊がこびりついてごわごわになった。工場の奥のほうでは、丁合をするという機械が、ガッチャンガッチャン動いている。  ぼくは大山のブロック工場で働いていた。それは海のみえる台場のはずれにあった。工場といっても、何本かの丸太をたてて角材をかけわたし、テントをかぶせただけのものだった。直射日光をさえぎるためのテントだ。テントの下にブロックをつくる機械が据えられ、ミキサーは外のしろく輝く砂山にうもれていた。テントの前には、塩田《えんでん》のようにひろい露天のブロック干し場があった。みんなは晴天の日だけ、仕事をするのだった。ずしっと重いなまのブロックを、両手でかかえて干し場に走った。つぎのブロックができるまでには、走りもどらねばならなかった。一人あて二百個のブロックをつくった。二百個つくらなければ、島の人夫の平均賃金の二ドルにならなかったのだ。五人で千個をつくるのは大変だった。機械と干し場のあいだをいったりきたり、うだるような暑さのなかを動きまわった。けれども決してつらくはなかった。走りながら目を遠くにやると、青い海をみわたすことができた。そばの小道を若い女のひとが通ると、みんなは野次をとばした。喉がかわけば、ミキサーのそばの水道から水をがぶのみした。ついでに頭や顔にぶっかけて涼をとった。海からの風がたちまちのうちに、熱と汗をふきとってくれるのがわかった。風がないときには、口笛をふいて風をよんだ。日にほてったからだを、風にふきなでさせるのは快かった。炎天も働くものにとっては、うれしいのだ。とおい海原には、白い船や黒い船がうかんでいた。本土航路の旅客船や貨物船だ。それは空と海の青のなかに、こびりついた紙魚《しみ》のようだった。みていると動かないけれど、ときたま目をやると移動しているのだった。ぼくは島のそとに恋いこがれていた。いつの日にかあの船にのって、と思うとそれはつのるばかりだった。  ぼくはぎごちない思いをしている。ここは暗くてほこりだらけで狭いのだ。ちょっと余計にうごいたりすると、柱につきあたってしまうし、元気よく力をだすと、誰かにぶつかってしまう。力のある男がこんな場所で働くのは、場ちがいのような気がする。そういえば、ここにいるのはみんな年寄りや少年工や女子工だ。仕事の内容もそんな人たちに、ふさわしいもののように思われる。  ぼくは肩身のせまい思いをしている。(あんまり、張切らないでくれや)つきくずされた雑誌の山を、たてなおす手伝いをしてくれながら、工場長の佐藤さんはいった。ひと棟の工場だったのが発展して、隣りの棟にのびていったらしいこの工場には、まじきりの壁はとりはらわれたが、たくさんの柱がのこり、二階への階段は三つもついている。柱と柱のあいだには折束がつまれ、柱と階段のはざまには機械が据えられ、階段と壁のすきまに雑誌がつまれている。  ぼくはいごこちのわるい思いをしている。この工場でもう十日働いたが、うんざりするほどの息苦しさなのだ。窓は小さくて光もさしこまず、昼間から電燈をつけて仕事をする。こんなに狭っくるしい場所で、こののち何カ月も何年も、同じ動作をくりかえしながら働くのは耐えられない思いだ。ぼくはとびだしたい衝動をおさえかねている。  使っている布団は住込み部屋に備えつけのものだ。会社の古布団なので襟には、他人のにおいがしみついている。それを六畳間にしいて寝る。窓はいつも開けはなたれていて、カーテンもない。古くなってすすけた板壁には、外国女優の写真がいくつもはってある。または剥がしたあとがのこっている。六畳の片隅に三段ベッドがひとつおいてあって、うえから新助さん熊さん信さんが寝ている。ベッドからは、ぼくの寝姿が見おろせるのではないだろうか。日記を書いているとそれも見られてしまうので、部屋に誰かがはいってくると布団のしたに隠すことにしている。本を枕もとにひろげておいて、それを読んでいるふりをしている。朝になって布団をあげる時には、日記ノートもそのまま布団にまきこんで、押入れにいれることにしている。このノートは誰にもみせられない。これを隠しとおすのに苦労させられる。  ベッドのいちばん下に寝ている信さんは、 「おれたちは社会の底辺にうごめいているんだ」  と、たいへん悲観的なことをいった。この人は工場の片隅で、ひっそりと仕事していてめだたない。まえに一度結核を病んで、いまも保養をしているらしい。夕食をたべおわると、枕もとの小箱から三角チーズをとりだしてたべる。薬のようにひとつだけたべるのだ。めがねをかけていておとなしい。無理なことは何ひとつしない。活気がなくて年寄りくさい。まだ保養中だから、活気がないのはやむをえないとしても、この人をみていると、若いくせにもうモソモソしてやがるという気持になる。あるいはこの人は、社会や経済のしくみにおしひしがれまいと、ゆっくり仕事をすることで、抵抗をこころみているのかもしれない。  明日は出発するという、その日の夕方まで何ともなかったのだ。手足を洗って机に向おうとしていると、たんすの取っ手にひっかけられた背広がふと目について、着てみようという気をおこしたのだった。その背広は質屋業をしている義兄がくれたもので、茶にこまかい格子縞が入っていて、ぼくには地味に思われた。着てみる気もしないで放っておいたのだが、妹は柄がよいとかありふれた生地じゃないからいいとか、さかんにほめていたのだ。それで気が変って、背広をきて台所にいる妹のところへいって見せた。 (ほれ直子、見《み》ち居《お》め? こん如《ごと》し地味《じみ》よ)  そういうつもりであったのだが、妹は声をあげた。 「あいな! いい感じやあらんな。其《う》れやアメリカ製の背広かやア? いい背広どオ! しかし中身は沖縄製やあ」  背広を着てみたらきゅうに、内地へいくということが実感となってわいてきた。ぼくはそれまで、たいして気にもとめていなかったのだ。たとえば、那覇の町へバスにのってちょくちょく行ったけれど、別段にかわった心がまえもいらなかった。だから東京という街へいくのにも、別にかわった心がまえはいらないのだと思っていた。バスにのって行くところを、船にのって行くだけだと、自分にいいきかせていたのだ。  ぼくは背広を着たまま居間にたって、台所の妹と東京のはなしをした。デパートのエスカレーターのことや、電車や交通ラッシュのことなどがでてきた。 「東京の車にや、用心さんとならんはずよ」 「車な? 生命保険かけて居《う》けや、大丈夫よ」 「生命保険? うっ死ぬる時《とち》や、誰《たあ》が其《う》の銭や受けとゆるかや?」 「妻《とじ》が名義にしち居《お》くんよ」 「まあだ恋人もおらん者《もん》に、妻《とじ》がすぐに見つかゆんな?」  そんな会話をしているうちに、ぼくの心はだんだん揺らいできたのだ。東京へいくということは、これは大変なことかも知れないぞ。そういう気持になったのだ。しかも出発の日も迫っている。いまのいままで心が揺らぎもしなかったことが、おかしいとさえ思われてきた。せきたてられるような気持で、部屋にもどった。もみ手をしながら部屋をあるきまわった。  ぼくは秋田からきた人といっしょに仕事をしている。三人ひと組で焼付けの仕事をしているのだが、二人が東北の出身なので東北弁をつかうのである。(そんでねえベー、おめえ)とか、(あれとって下《け》ろじゃー)という。田舎くさい言葉である。(ですよ)とか、(でしょうね)とかはつかわない。あるいは秋田なまりの残った東京弁をつかうのである。とても早口でもって、(ちげえねえじゃねえか、おい)という。野暮ったい言葉である。  東京の人の言葉は、(あのねえ〜)というところに特徴がある。ふつう、ラジオできく言葉は東京の言葉なのだが、それはしかし役所言葉とでもいうべきだろう。東京の人の家庭内での言葉は、もっとくだけていてやさしい感じがするのではないだろうか。あるいは遠慮ぶかい感じがするのでは……。  ぼくは沖縄で、ラジオやテレビや本などから標準語を身につけていたつもりであったのだが、ここにきてはあまり役だたない。それは秋田の人といっしょに、仕事をしているからなのかも知れないが……。ぼくは早く言葉になれたい。現在のぼくは、いいたいこともじゅうぶんにいえないでいる。おじおじしているのだ。  ぼくの隣りの部屋には、きのう熊本からやってきた人がいるが、この人もあまり標準語がつかえない。ぼくがつかうほどにもつかえなくて、いつもモゾモゾしている。ものがいいたいのに、うまくいえないもどかしさにモゾモゾするのだ。またこの人の言葉には、熊本弁のなまりらしいのが残っている。(いやあ、よんべは憩《よこ》われんかったです。市電の音がきんきんして)そんなふうにぎごちなく標準語をつかうのである。  東京にはいろんな土地の人々があつまってくる。そしてそれらの土地の言葉をもちこんでくる。田舎言葉のなまりも、もちこんでくるのだ。そして仲間どうしはだいたいにおいて、田舎言葉をつかっている。ぼくはそんな言葉をよくきいた。そこでぼくは、どっちが本当の言葉だろうと思ったのだ。  本土就職を申込んで二カ月もたっているのに、なんの音沙汰もないから、もうあきらめかけてはいた。しかしあきらめるにしても、そのままほっぽらないで、なにがどうなっているのか、それをはっきりさせたいと思って、職安にでかけていったのだ。いったい採用してくれるんですかくれないんですか。もし採用してくれないんなら、だした書類で別の職場に申込みたいんですが、とぼくはいった。  いや待ってくれたまえ。あすじゅうにはなにもかもはっきりしますから。こちらから電報をうってみましょう。送りだしてもいいかどうかの問いあわせだから、あすじゅうにも返事はくるだろう。別のところに申込むにしても、それからにしてください。  本土就職の係のおじさんは、色がくろく、眉が三日月のようにまがっていて、やさしい感じだった。おじさんのいうとおりにすることにして、では、あしたまたきてみますといって職安をでた。  そのまま家に帰るのもつまらないのでバスにのった。きっぷを買うだんになってから、さて、どこへいこうかとまよい、結局港にいってみることにした。もし本土就職が決まらないのなら、島のどこかに仕事口をみつけなければならないだろう。港の荷揚げ人夫になってもいいのだ。そこでしばらく働きながら、本土就職の別の職場に申込もう。  泊港は車の出入りがはげしかった。いろんな商品が雑然と陸揚げされていた。岸壁のはたによっていって、網で蟹をとっている男の手もとをのぞいたりした。簡単なしかけだ。わっぱに網をはって、まんなかに魚肉をむすんでおくだけでいい。それを海になげこんでおいて、しばらくして引きあげると、網に足をとられた蟹がごそごそしているのだ。  そのうちにタグボートに引かれた本土からの貨物船が入港してきた。船首の男が細いロープをふりまわしている。ロープの先には袋(サンドバッグ?)がついていて、弧をえがいてとんだ。岸壁の男はそれをつかんで走った。幾人かの男もくわわってロープを引っぱった。船首から太いロープがひきよせられ繋留杭にひっかけられた。タグボートは船を岸壁のほうにおした。岸壁にはタイヤがいくつもつりさげられていて、船は衝撃もなくぶつかってとまった。  吃水線いっぱいに杉材をつんでいた。両舷にはガスボンベも並んでいた。人夫たちが船にとびうつる。自分がこの港で働くことにでもなれば、あんなふうに仕事をするだろう。そんな思いでぼくはみていた。船のウインチが動きはじめた。ガスボンベはつりあげられてゴンゴンと鳴った。  みんなが杉材に手をかけはじめてから、ぼくはそこを離れることにした。用もなさそうに人夫たちをみているのは気がひける。仕事もしない男が、あくせく働いているのをぼんやりみているぜ、と思われてじろっと見返されたりするのはいやなことだ。港の食堂で牛乳をのんだ。外はむしあつかった。午後の日がまぶしく照りつけていた。  風呂から帰って、すぐに街へ出てみた。風呂屋の板の間の壁に、映画ポスターがはりだされていて、それがぼくを街へさそいだしたのだ。(映画館はどこにあるのだろう)  ぼくは田中製本と風呂屋しか知らないのだった。船旅ですっかり方向感覚を失っていて、外をで歩くのがこわかったのだ。しかし風呂屋へはちょくちょく行った。紙ぼこりと汗を流すため、というよりも息ぬきのために。(やれやれ、きょうも一日が終ったイ)  風呂屋へ行くにもビルの谷間を通っていく。ビルは印刷工場であったり、商事会社であったりしたが、窓はいつも閉ざされていて暗かった。普段は九時の残業が終ってから、そこを通るのだったから、どこも閉店していて暗いのは当然だった。狭い通りを冷たい風が、ふきぬけていた。(ほう? ここはおもちゃ屋さんだったんか?)  さて、自分の勤める工場と風呂屋しか知らないぼくは、その間ずっと暗澹とした気持で過していたのだ。それが街へでてみてすっきりと晴れた。都電通りをどんどん下っていけば、一丁目向うが軒並みの古本屋街だったのである。(ひゃあーッ、驚いたなァ。ここがあの有名な、神保町とかいう……)  本屋のなかは蛍光燈でまぶしく輝き、天井近くまで本が並んでいた。一冊一冊の本は上へ上へとのぼって、入ってくる客におおいかぶさるような姿勢をとりながら、てんでに勝手な自己主張をしていた。(まってくれ、ぼくは金を持ってないんだよ。ただ、見てまわろうとしているだけさ)  たくさんの学生たちが流れ歩いていた。この前、工場長の佐藤さんに、あのひとたちはサラリーマン? ときいたら、学生だろ、神田近辺には大学が多いから、と教えてくれた。その学生たちが背広を着て、本やノートをもって歩いていたのだ。(へえーッ、ここが本通りで、あそこは裏通りだったんだな)  暗い木造だての工場も、にぎやかなこの神保町の一画にあるのだと思うと、周囲が明るくなったように感じた。ぼくはこの本屋と学生の多い街を、ふるさとの町のように好きになりたくなっていた。(そうだったんか、わかってみれば何てことはない……)  哲学書は、はいて捨てるほどもあり、文学書も浜辺の砂の数ほどあるらしかった。ぼくはそれらの一冊一冊を必要に応じて、買ってきては利用できる。じっさいメリヤスいっぽん、つっかけ下駄でも、駆けて行ける近さなのだ。(これなら、あそこがどんなにむさくるしくても我慢できるぞ)  沖縄の田舎町からでてくる時、東京の人口は一千万に達して、世界一になったというニュースを聞いたばかりだった。人口が世界一であるならば、市街の巨大さも世界有数であろう。目もくらむような高いビルが、どこまでもつづいていることだろうと思っていたのだ。  たとえば、ハドソン湾をさかのぼって、ニューヨーク港にはいっていく旅客船からは、マンハッタン街のステッキを大地につきさしたような高いビル群が、視角四十五度の高さに見上げられる。そんな話をアメリカ人から聞いていたし、エンパイヤーステートビルの写真も見せてもらっていたのだ。  そしてぼくは東京にでてきた。しかしなるほど、繁華街には二十階建てほどのビルがあったが、そんなに高いとも巨大だとも思えなかった。威圧を感じることもなかったし、ことさらにびっくりするようなこともなかった。東京の街といっても、大半はごちゃごちゃと平家や二階家がたてこんでいるだけで、そしてそれが田舎の町よりも広範囲につづいているという、それだけのことだったのだ。  ぼくはこちらにきて一週間目になって、ようやく街歩きをしたが、そんな街の路地でまよったら、自分のいきつくべき工場がまるっきりわからなくなり、住込み部屋にも帰りつけないのではないのかと不安だった。路地も四方八方にのびていたのだから。  東京の人はみんな色が白い。沖縄では日にまっくろにやけた労務者などよく見かけたが、東京では労務者や土方でさえ色が白い。太陽がないからであろう。東京の空はカラッと晴れあがることがない。少なくとも、ぼくがここにきてからまだ晴れたことがない。毎日うすぐもりだ。朝おきて歯をみがきながら、部屋の窓からむこうの屋根を眺めていると、よごれてくろく見える。煤煙がしみこんでいるのだ。窓べによって手摺りにもたれかかると、手にくろすすがつく。通りの眺望もかすんでいる。こちらでは一キロメートルも離れると、もうぼんやりとしか見えないのだ。太陽はそのような空にかすかに見えてすぐに沈む。  ぼくは東京にきて色の白い人たちにばかり出会うので、それが目につき気になってしかたがなかった。沖縄では色の白い人は事務員をしているか建物の中で働いている人で、ひとくちにいって尊敬できる人たちなのだ。  だから東京では会う人ごとに気をひかれ緊張したのである。ここではみんな一様に色白で区別ができなかったのだから。  高窓の外には、みどりの木の葉がみえた。ビルと工場のはざまの木は、昼頃になってから陽光をあびて、こごえた手足をいそいでもみほぐす。 「大原、あれは何の木だろう?」 「さあ、知らないな」 「柿の木かな?」 「ちがうだろう、柿の葉っぱはもっと濃いみどりだよ」  小窓はいつしか、いっぷくの絵になった。機械の音にせかされて働きながら、ふとそれを見上げては、どこか知らない遠い緑野を思いみる。  給料をもらった翌日は、日曜日であった。しかし朝は普段のように七時半に起きた。がさがさ洗面をすませ、生卵のついた簡単な食事をとった。そばにいた熊本からきた松岡くんに、きょうは横浜の港を見物しにいくつもりだというと、いっしょにいきたいと同意したので、ふたりはクリーニング店に行ったり郵便局によったり、さらに飯田橋の原運送店によりみちしたりした。ここには田中製本をやめた二人の沖縄《うちなあ》ン衆《ちゆ》が働いているのだ。店の人に川平くんいますかと尋ねると、二階へかけあがっていって、出かけてしまった、照屋も寝てないといった。彼らも誘おうと思ったのだが、映画でも見にいったのだろう。九時すぎになってようやく飯田橋から横浜へと出発した。  横浜駅には観光案内の大きな地図があった。その下に名所旧跡の名前がならんでいる。ボタンをおすと地図の上に赤い豆電球がつくしかけである。港の見える丘公園というのがよさそうであった。ふたりは山手の静かな住宅地をあるきまわった。港の見える公園をさがして、丘の方ばかり見てあるいたのである。外人住宅がおおかった。樹林にかこまれた外国風の建物は落着いてみえた。丘のはずれまでいっても公園はみつからなくて、ついに外人住宅の屋敷内から港を眺めることにした。急傾斜の丘の下には貧しい長屋が見えたが、そして外人住宅はそれらを見下すお城のような感じであったが、そんなことには頓着しないで港に停泊する巨大な外国船を眺めた。松岡くんは海はめずらしい、船もあまり見たことがないといった。いま船をみたから、この次は船にのってみたいといった。  人混みの電車にゆられて出歩くのは、砂漠で水がかれるみたいに、心の潤いを失ってしまうようだ。都会に住む人間はおたがいに顔をみないのである。視線があうといそいでそらしてしまう。心をかよいあわせるゆとりもないというのだろうか。身なりからすると生活がそんなに貧しいということではないらしいのだが……。電車のなかで前の人の顔をみるのは、それはその人の顔の輪郭をみているのだ。その人の目のひらきぐあい鼻のたちぐあいをみているのだ。その人に心をかよわせたいからではない。ちらっと見かえすと、とまどったように顔をそむけてしまうことからもわかる。無表情なゴムの顔、すましている蝋の顔、無関心なにかわの顔、そんな顔がうじゃうじゃいた。そんな顔のまえでは、自分もそれに感染して感情をころした顔にならざるをえない。出かけるときのにこやかさはどこへやらだ。  工場長の佐藤さんは、ぼくが沖縄からでてくる二カ月前に、沖縄旅行をしたとのことで、ひめゆりの塔の前では涙がでてしかたがなかったというのだった。そして観光バスでもらってきたというパンフレットをだしてきて、ぼくに見せてくれたのだが、それは南部戦跡めぐりの観光バスでもらったパンフレットにちがいない。慰霊の塔の写真ばかりなのだ。たくさんの日本兵や住民が追いつめられて死んでいった南部の島尻には、いまではびっくりするほど多くの慰霊の塔がたっている。大変なことだなと思いながら、ぼくもそのパンフレットをみたのだった。塔のそばには遺族や学友が詠んだ歌碑もたっていて、たとえば健児の塔の碑には�みんなみの、いわおの果てまでまもりきて、散りにし龍の子、雲まきのぼる�とあるのだ。ひめゆりの塔には�いわまくら、かたくもあらん安らかに、眠れとぞいのる、学びの友は�という歌があるのだった。佐藤さんはこんな歌碑になかされたのではないだろうか。ぼく自身もそれをよんでクスンとしたのだった。  それからカラーで撮ってきた沖縄の風景写真もみせてくれた。それを一冊の写真帖にしてとってあるのだ。佐藤さんは観光のとちゅう町の職安によって、求人申込みをしてきたということだった。運転手一名に製本見習い工三名の求人には、しかし見習い工のぼく一人しか応募者がいなくて、ぼくは他の工場に就職する青少年たちといっしょに、集団就職船で職安長から祝辞をうけて送りだされてきた。佐藤さんはそんな人なので、沖縄の人にはとてもよくしてくれて、パインナップルのおいしかったことや海や空がすんでいたこと、そんなみやげばなしをしたがるのだ。佐藤さんがそんな人であることをぼくはなぜ忘れていたのだろう。腕をだして国際通りで買ってきたのだといって、オメガの時計を見せてくれたりする工場長を忘れて、なぜこんな工場はいやだなどと思っていたのだろう。こんな佐藤さんのもとで、何もできなければぼくは駄目なやつだぞ、しっかりしろよと、感激して自分にいいきかせたのだった。  失望したくなかったから、あまりあてにはしてなかったのだ。もし不採用ならすぐにでも、港の荷揚げ人夫にいくつもりでいたのだが、採用だった。ぼくはほっとし、それからちょっと笑った。うれしさをもっと表情にあらわそうとしたが、とっさのことでよくできなかった。とにかくよかったといって、職安をでて足早やに帰ってきた。  それから理髪店にいき、風呂屋にもいってきた。そしてさっぱりした気持でぼくは母にいった。 「とうとう決《き》またんでエ。二十三日に出発とよオ」 「何《ぬう》が決またんよ?」  母はとぼけたような顔をふり向けたが、それにはかまわずに先をつづけた。 「百ドルぐれえや持っち行《い》ちゆるもん、準備しちょおけよ」  ぼくが本土就職を申込むと、父はぼくに持たせるつもりで百ドル借りてきて、母に隠させておいたのだ。ところが一ト月たっても採用の通知はなく、母はそれまでにその百ドルをくずしては使いくずしては使いしていた。 「たんすの引出しにや、百ドルあるはずやろもんに」  だから、ぼくは皮肉るみたいにいったのだ。 「百ドル? 其《う》んごとした銭は、はじめから無《ね》えらんよ……大謝名の貸住宅のペンキ塗り仕《し》ちおりや、ペンキ代が浮《う》ち百ドルぐれえや持《も》っち行《い》かったるはずやろもんによ」 「ああペンキ塗りな? あれ仕ちょりや百ドルばっかりせや承知ならんよ。財産わけてくれっち談判し、ぜんぶ持《も》っち行《い》くるはずよ」  そんなことをいって出てきたのだったが……。  きのうは一日じゅう、めまいがした。頭痛もしないのに、めまいがした。いや、唾液が口中にじくじく出て、吐き気もあった。唾をはきすてながら、仕事をつづけた。しめきりもまぢかいのに、頑張らなくっちゃ給料少ないだろう。自分にそういいきかせながら、惰性の法則で動いていた。  仕事はあいかわらず、焼付けのおわった雑誌を断裁機のそばに運んで、つみかさねておく役だ。たちくらみする頭で、雑誌を山とつみかさねるのだったから、組みあわせがわるくて倒れそうになったり、割れてかたむいていたりした。きょうその山をみたが、ずいぶんといいかげんな仕事ぶりだったことがわかる。  ところで、なぜめまいがしたのだろう。住込み部屋の食事では栄養不足なのであろうか。ごはんは二杯も三杯もたべられるのに、おかずの方は、大きな皿にめざしが二、三匹だったり、鮭のきり身がひときれだけだったり、鯨肉がちょこんとのっていたりだ。含水炭素は充分すぎるくらい補給できるとしても、蛋白質は不足しているにちがいなかった。  昼休み前に、ぼくは大原くんにきいた。 「卵はどこに売ってるんだろう」  田舎みたいに店屋にいけば、何でもあるというわけにはいかないからめんどうだ。 「八百屋にきまってるだろッ」  焼付機係の大原くんは、そんなふうにこたえた。 「八百屋?」  首をかしげたく思いながらも、ぼくはまたきいた。 「八百屋はどこにある?」 「風呂屋の向かいにあったろオ」 「いや、あそこじゃなくて……もっと近くに」 「もう、うるさいな。八百屋をきいてどうするんだ!?」 「大急ぎで卵かってきたいんだ」  彼はちょくちょく卵を借りていながら、まだ一度も返していないことを思いだしたんだろう。きゅうにやさしくなった。 「卵? ならさあッ、そこを出てつきあたったら左へいき、すぐに右側に道があるからそこに入っていって、左っ側の四軒目がそうだよ」  まっくらやみの田舎道を、手さぐりして歩く気持ではあったけれど、八百屋はちゃんとみつかったのである。嗅覚でみつけたのか第六感でみつけたのか、それはいうにいわれない。昼休みにラーメンをつくる鍋を借りてゆで卵をつくり、大急ぎで蛋白質を補給した。パックに入っている全部をゆでて、半分はたべたから、五個ぐらいはたべたことになるだろう。これで蛋白質はあふれるばかりに補給された。もちろんあふれたものは無駄になるわけだけれど、この際はそれも承知のうえでゴボゴボつぎこんだのだ。  ところでどうしたことか、それでもめまいはなおらない。ビタミンが不足なのであろうか。潤滑油がきれたのであろうか。油も緊急にささなくてはならないのであろうか。やれやれなんということだ。仕事中ではあったがちょっとのすきをみはからって、潤滑油、潤滑油ととなえながら、また八百屋へ走った。走っていると節々がキシキシときしんで、摩擦熱さえ持ちはじめたようだから、けっしてぼくの思いちがいではない。ぼくは一個十五円の温州みかんを二個だけ売ってもらって、走りながら皮ごとたべたのである。しかしどうしたことか、こんどは頭痛もはじまったようだ。たいへんなことだ。ああ、それにしても、生野菜を皿にもってポリポリたべたいものだ。塩をふりかけ……まてよ、塩のかわりに農薬がかけてあったらどうなんだろう。皮ごとたべたみかんに農薬がふりかけてあって、それにあたったのでは……。 「めまいがする!! なぜか頭もいたい!!」  ぼくはたまりかねて、大原くんに訴えたのである。 「ガスのせいかなぁ?」  彼はしゃがみこんで、焼付機の下をのんびりと調べている。 「ガス!?」  きいただけでも身ぶるいがくる。アウシュビッツの毒ガスだ。 「ときどきさあ、火が消えてもれることがあるんだ。はきけもするかあ?」 「するする、めまいにはきけに、頭痛だよ!」 「あ、すみっこの穴の火が消えてらあ」  それでも、頭痛に耐えて仕事はやりとげたのである。そして晩は早目に寝た。きょうも朝のうちは、ずきっとするような痛みがのこっていた。それで用心しいしい働いたのだが、もうなおったようだ。  ぼくは淀《よど》みに浮いている一片の木ぎれであった。ぼくの周囲はどんよりした水だった。そして動かない水はいつしか、ぷくぷくと泡をたてはじめたようだった。動かない周囲、動かない自分をぼくはじっくり眺めていた。眺める習癖も身についた。それからそれに飽きて、流れを望みそれに身をまかせたのだった。自分を動く水のなかに浮かべてみたいと思ったのだ。しかし流れに入ってみると、激流とでもいうべきもので、ぼくは翻弄されて落着きをなくし、浮沈のなかで休息もなくしたのだ。心の潤いも、余裕もなくなった。  そんな激流のなかで、もとの淀みを思いおこして、あの頃はよかった、ああ、何とかしてもどりたいといってはみるのだが、それは我ままかも知れない。淀みや流れは、ほんとうのところ、自分に何の影響も与えないものなのかも知れないのだ。どこにでも淀みのような静止はある。ただ静止状態が長いか短いかの違いがあるだけだ。  あれはいつのことであったろう。中学一、二年の頃のことであったろうか。学校に宣教師がやってきた。放課後校舎の屋上で、キリストの話をするから聞きたい者は集まれということだった。友だちからそれを聞いたのだったろうか。ぼくはおそるおそる屋上へのぼっていった。もう話はおわっていて、こんどはお祈りをしようというのだった。お祈りの言葉を知らないのなら�ああ�とか�うう�とかでもいい、神に向かってキリストに向かって叫べばいい、気持を集中させて呼びかければいいというのだった。ぼくの隣りの中学生たちは叫びはじめた。両手をあわせひざまずいて呼びかけていた。ぼくはびっくりしてあたりを見まわすばかりだった。すると宣教師がそばにきて、お祈りしなさいというのだ。ぼくは天に向かってあーあーといった。いつしか自分の声もきこえなくなった。ただ、あなたは救われますという宣教師の声だけがきこえていた。目がさめるとぼくはひざまずいて両手をくみあわせていた。不思議な感じがあった。  それから近くの教会に通いはじめ、聖書も買って読んだ。ある日曜日の午後、洗礼を受けたい人は泡瀬の浜に集まれと牧師がいうのだった。ぼくはでかけていった。夏ではあったし海にいってくるのもわるくなかった。浜べには二十人ばかりの人たちが集まっていた。牧師はジープでやってきて、服のまま海にはいりひとりひとりを呼んでは洗礼をさずけた。何か大声で叫んでは信者の頭をおさえて海水につからせるのである。海からあがってきた人は、アダンの林にかくれて着がえるのだった。ぼくは着がえをもっていなかった。シャツとズボンをぬぎ、メリヤスとパンツだけになって牧師の前にいった。イエスのみなによって洗礼を授けますと大声でよばわって、ぼくの頭をおさえて海水につからせた。メリヤスとパンツは体にへばりついた。林にかけこんでぬれた下着のうえにそのままシャツとズボンを着た。青い海の向うには入道雲がまきあがっていた。ぼくは海辺をひとまわりして帰路についた。牧師のジープが砂ぼこりをあげながら追いぬいていった。ジープに鈴なりにのっていた人たちは讃美歌をうたいながら手をふった。さんさんごご歩いている人たちを追いぬくたびに手をふった。  教会は町中をつっきって走る広い軍用道路を前にして建っていた。カルテックス・スタンドのそば。白いペンキのトタン屋根と、白と緑にぬりわけたトタンの壁。石灰岩できずかれた石垣の上、三メートルの高さの台の上にあった。前庭はこれも石灰岩の砕石をしきつめた白い駐車場。日曜日ごとにアメリカ人たちは、奥さんや子供をつれて車で乗りつけてきた。ぼくたちは石垣の上に坐って足をぶらぶらさせながら見物していた。教会の中は劇場のように騒がしかった。英語のおしゃべり日本語の呼び声。  ぼくはまもなく教会にいかなくなった。学校帰りに友だちがこういうので良心がとがめたのだ。おい、クリスマス前《めえ》にや、信者がいっぱい出てくるって本当な? プレゼントがたくさんもらえるってからによ。確かにそうかも知れなかったのだ。教会の支持者であるアメリカ人たちは、クリスマスになると靴や自転車や野球グローブやクレヨンや、その他いろんなものを車につんできて、ひとりひとりの信者にプレゼントするというのだった。あるいは教会の建てものでさえ、彼らが寄贈したものであったのかも知れない。なぜなら白と緑は兵舎の配色であったからだ。払い下げになった兵舎をそっくりそのままトレーラーで運んできて、台の上にのっけたものだったのだろう。軍用道路ではバスやタクシーにまじって、演習に出かける兵士たちを乗せたトラックが走った。ときどき戦車も地響きたてて通りすぎた。兵士たちは女を見かけると口笛をふき手をふり白い歯を見せるのだった。 「あれ? 新顔がきてるね? きょうきたの?」 「ああ」 「いなかは、どこ?」 「おれか? おれは深川だよ」 「深川? というと……」 「浅草の向うだ」 「なあんだ。じゃあ東京の人なのか」 「なあんだってことはねえだろう? がきのころからずうーっと東京だよ」 「いや、ひとりで淋しそうに坐ってるからさ、どこか遠い田舎からでもきたのかなと思ったんだ。製本にはなれてるの?」 「おれは運転の方だよ。で? おめえの田舎はどこだい?」 「ぼくはおきなわだ」 「おきなわ? またえれえ遠くからきたもんだな。おきなわっていやあ、自由にいったりきたりできねえんだろ?」 「うん、パスポートがいる」 「パスポート? なんだ? それは。旅券のことかあ? へえーするてえと、いちおうは外国じゃねえか」 「うん、そうなんだ」 「それじゃなにかあ? おめえは外人なのか? それにしちゃ、へんな外人だな」 「へんかね?」 「日本語もちゃあんとしゃべれるしよ。向うじゃ英語かなんかをペラペラしゃべってんだろう?」 「そんなことはないさ。これでもりっぱに日本民族だから」 「そうかねえ、おれはまた|えぞ《ヽヽ》あたりの民族かなって思ったんだが」 「えぞって?」 「えぞを知らねえのか? 北海道のことだよ。頬骨がはっちゃって毛深いから、そうだと思ったんだが、じゃあおきなわには、その手の顔は多いのか?」 「一般的にいってね」 「どうだい、ここはおもしろいとこかい?」 「東京のこと?」 「ここといやあ、会社にきまってるじゃねえか。美人もいるんだろう?」 「ひとりもいない」 「ひとりもいないって? そんなことはねえだろう。いくらなんでもひとりぐらいはいるだろう」 「うん。見ようによっては美人に見えるひとも、いることはいるんだが、みんな決ってる相手がいて」 「いったい何人ぐらいいるんだ?」 「社員か? ぜんぶで三十人ぐらいはいるんだ。そのうち住込みが十九人ぐらいで、男が十人で女が九人」 「女のことだけでいいんだよ。野郎のこときいたってしょうがないじゃねえか。それで? おめえも相手はみつけたんだろ?」 「いや、みんな相手が決ってるんだ」 「決ってるったっておめえ、ほしけりゃとっちゃえばいいじゃないか」 「そんなことはできないよ。それにぼくはだいたいにおいて、興味がないんだ」 「興味がないってことはねえだろう。男でありゃおめえ、女に気をひかれるのは当然じゃねえか」 「うん、それはそうだろうけど、ぼくはもっと教養のある女性が好きなんで、ここにはそんなのがいないことはわかっているから、べつに」 「みんなはどこに寝てるんだ?」 「女の人たちか? そっちのほうだ」 「へえ、めとはなの先じゃねえか」  ぼくは何とひどい、ちぐはぐな精神状態にあったことだろう。ここに勤めはじめて以来、ずっとはりつめた気持で過してきた。そしてみんなに好きになってもらおうと努めているのだった。ここの人たちに気をもみ、気を使っているのだった。ちいさな会話にもすぐに参加したがった。しかし親切のつもりが、かえってその人の気にさわったりしたこともあった。何気ない気のきいたつもりの言葉が、嫌味にうけとられることさえあったのだ。  給料袋には一万五千円が入っていた。まずは、給食費の五千円を賄《まかな》いのおばさんに支払う。それから近くの洋服店で、四千五百円のブレザーコートと、千四百円の白ワイシャツを買う。六千円も買物に使ってしまってから、はたと困った。これから最新流行の靴も買いたいし、ラジオと電気スタンドも買いたい。ラジオは古物の安いのがみつかればいいのだが、二千円はするだろう。スタンドだって千円はするだろう。  日曜日は朝十時から、ラジオと電気スタンドをみつけにいく。この前、映画館をさがして街をうろついていたら、木立ちにかこまれた神社の近くに、古道具屋があったことを思い出した。軒先にいろんな道具といっしょに、大きなラジオも売っていた。四、五日も前のことだから、もう売れているかも知れないと思いながら、歩道橋の上から、神社の木立ちをさがした。あのあたりだ、と見当をつけてから路地へ入っていった。古物商の店はわけなくみつかった。ラジオもまだのこっていて、二百五十円の値札がついている。値札のすみには「教材用に」と書いてある。店のガラス戸をあけようとしたがあかない。このようすでは、店番の人はちょっとそのへんに出かけたようだ。ぼくはガラス戸に顔をくっつけて、しばらくのあいだ、中の商品を物色した。電気スタンドでもあれば一挙に必要なものがそろうのだが、しかし、スタンドはないようだ。それならラジオを買うのもよそうかな、と思ってしまった。こんなに古くてでかいラジオは、きっと物笑いの種になるだろう。それに教材用にというのは、分解して教材につかうのにいいということでもあろう。もしかすると故障していて、鳴らないのかも知れないのだ。ぼくはよくよくそのラジオを見たが、電気博物館にでもありそうな旧式のラジオで、クスッとふきだしてしまいそうなくらいの品物だ。  神保町の交差点には、質流れの品物を売っている店がある。帰りにはその店にもよってみた。ショーウインドに人がたかり、店内もこんでいて、品物は豊富であったが、安いとは思えなかった。ぼくはみるだけにして帰ることにした。  食堂でテレビをみながら昼食をとっていると、都合よく新助さんが帰ってきたので、安いラジオを売ってる店を教えてもらった。 「あきはばらへいってみな。あそこならピンからキリまであると思うよ。なにしろ、日本一電気屋さんが集まってるところだからねえ」 「へえ? そんないいところがあったの? よし、決心した。そこへいってみよう。そこは近いの?」 「すぐそこだよ、ものの十分もかからないだろう」 「歩いていけるんだね?」 「なにも歩いてくことはないだろう? 電車という便利な足があるんだから」 「あれ? ぼくの足をばかにしてるな? これでも田舎では、仕事のいきかえりに二十キロも歩いて鍛えた足なんだからね」 「そうか? それならその足で三時間ぐらいで、いけるだろうな」 「そんなにかかる? そんなら電車にのっていこう」  新助さんにだいたいの道順を教えてもらい、地図も調べてみたりして、略図を頭にいれて出かけていった。なるほどずらりと同じ店が並んでいる。ぼくは人に押されながら値札だけをみて歩いた。目にもあざやかな新品の商品ばかりで、それだけでもうおじけづいてしまう。どこにも千円のラジオは売ってない。こんなところにくるんじゃなかった。ここは古物を売るところではない。平静をよそおっていたが、つらかった。結局ぼくは、店に入ったり出たりして疲れてしまった。自分が蒼白な顔をしているような気がして、通りを歩くのもはずかしかった。何という人だかりだろう。彼らは何の目的で出てきたんだろう。ぼくはラジオを買いにきたのだが、彼らはただこんな人混みを好んで、気晴らしのために歩いてるのかもしれない。そんなおしゃれな若い人たちが多かったのだ。  残業がないので六時にしまう。ふところには金があるから、みんないそいで風呂にいき支度して街へでる。ぼくも辞典を買いにいく。運転手が近くの映画館を教えてくれというので、いっしょにいくことにする。ぼくはブレザーコートをきた。自分でも気持がいいと思えるほど、よい恰好をしている。辞典をかかえて、南明座までいく。古本屋あるきを考えていたが、映画をみることにした。太陽の下の十万ドル。あっけない終止。  夜ふけの暗い街をいそいで帰ってくる。あしたからは仕事。運転手はいまの仕事をどう思うかという。それで満足か、何かの技術を身につけて、もっとゼニの取れる方法を考えなくてもいいのか。ぼくはそういわれて心外な気がした。これでじゅうぶんだ。ぼくはこんな生活を望んでこんな状態にある。これ以上のことはない。しかし他からみれば無為に人生を過ごしているようにもみえるのだろう。なるほど製本屋、それは大の男がする仕事じゃない。ぼくにはもっと別の、全身全霊をうちこんで働ける仕事がほしい。それはそうなんだけど……。  川平くんが十時ごろたずねてきた。ぼくがここにきて間もなくして、やめていった沖縄《うちなあ》ン衆《ちゆ》だ。ぼくはもてなすつもりで、卵をいれて即席ラーメンをつくった。夜食用に買っておいたものだが、どんぶりに盛って食べさせた。それからビタミン補給のために買っておいた七、八個のみかんもだしてすすめた。これは三日分のつもりであったのだが、気前よくすすめた。ついさっききょうの分をたべたばかりであったが、だしたついでに禁をやぶってもいいつもりで、自分もたべた。 「助手の仕事やきつくは無《ね》えんな?」 「あいな、兄さんよ。助手席に居《い》ちよりや済《す》むるもんに、楽よ。時間のたつしン判らんどオ。車の窓から東京見物も出来《でき》ゆるもん」 「ふうん、そうか。してもあぶなくは無《ね》えんな?」 「大丈夫よォ。鼻の穴やまっくる成《な》ゆるか排気ガス吸《す》うしがよ。頑張って運転免許とってよ、車の一台ぐれえや買《こ》うて帰《けえ》らなと思うて居《お》んよ」 「それはいい。頑張りよ。で? 照屋くんは?」 「あれや、夕べから長距離で名古屋ンかへ行《い》んじ、まあだ帰《けえ》らんもんな」  二時間ばかり雑談して、それから電車にのって有楽町の映画館街へいった。邦画がいいか洋画がいいかときいた。ぼくとしては邦画はなかなか見る気がしない。見るなら威勢のいい西部劇がいい。西部男の汗の臭いと、かわいた平原の砂ぼこりと、からりとした太陽の明るさがあればなおいい。しかし川平くんは邦画がいいときっぱり答え、あ、あれにしようと通りにだされた絵看板をゆびさした。  川平くんとぼくは五時ごろ、神田に帰ってきて、それから近くの食堂へよった。彼はなかなか帰ろうとする様子がなかったのである。ぼくは映画をみた時から、つまらなくなっていた。電車賃も映画代もぼくに払わせて小遣いは使いはたされていたのだ。ぼくは自分をはげまして、彼にはすまないけれど帰ってもらった。ちっとも楽しくない日曜日で、解放されてから深いためいきを何度もついた。  テレビニュースをみていたら、警視庁には、一万八千体の身元不明の遺体があるというのだった。またいっぽう、身上相談の窓口には、家出人の安否を気づかう両親や妻子が、捜索願いにつめかけてくるというのだ。そこで係官は、家出人のその当時の服装や所持品をきいて、いちいち身元不明の遺体と照合してみるというのだった。 「もう十年も前のことでございますけんど、お盆をちょっとすぎた、九月ごろのことで、運転免許の試験をうけに行てくるちゅうて、家をでたまんま、それきりもどりませなんです。どうしたことじゃろ、試験におちたんで、どこぞ友だちの家ででも、ぶらぶらしてるのかしらんと思うて、気の弱い子でしたけんねえ、一週間ばかりは待ってみましたけんど、ひと月すぎても戻ってきませんで、これはおかしい思うて、駐在さんに捜索願いをだしたわけでございましたが……それきりいままで何の沙汰もありませんで、はい……たった一枚のはがきでいい、元気でどこそこに働いちょるといってよこせや、それだけで孝行になりますものを……たった五円のはがきで、いまは七円ですけんど、まえは五円でしたけん、五円のはがきで親孝行ができますものをと、じいさんとはなしたことでございました」  涙をうかべた目で、老婆がはなしているのをみているうちに、ぼくはたまらなくなった。やつれたきつい顔をしてこっちを見ていた。ぼくは部屋をとびだしていって、最初にみつかった文房具店にとびこんで、便箋と封筒を買った。  みんな幸せに暮らしておりますか。家には笑い声がありますか。笑い声をたやさないようにして下さい。克夫はまだみんなを笑わせますか。それとも学がもう大きくなって、みんなを笑わせますか。おとうは、まだ軍作業にかよっていますか。小脇に弁当箱をかかえて、手をふりふり、まっくろに陽やけして、仕事にいきもどりしていますか。そんな姿が目にうかびます。おかあはやはりテレビをみながら、子守りをしていますか。マイクロウエーブが開通したそうで、毎日、日本のいい番組がみられて勉強になりますね。豊美は、高校二年になったはずです。もう高校にもなれて、おちついて勉強しているでしょうか。直子はいまでもやっぱり、銀行に通っていますか。はやくいい男の人をみつけるようにいって下さい。初は日曜日ごとに、真ちゃん悟をつれてくるし良子は店番のあい間に、まるまるふとった美智や信一をつれてきて、家は賑わって、わいわいがやがや騒がしいことでしょうね。そんな家の光景が思いだされます。みんな幸せでいて下さい。家のなかが暗いとしたら、ぼくは苦しくてたまりません。(おとう、おっかあへ つねをより)  田中製本では、新聞に募集広告をだしたらしく、いろんな学生たちがアルバイトにやってきた。女子学生もくれば、男子学生もくる。そして二、三日もたたないうちに去ってしまうのだ。女子学生にとって製本の仕事は、重労働であるうえに、紙ぼこりがひどくて、頭をまっ白にし、足をまっ黒にする。それは女性の肌にわるいのかも知れなかった。男子学生にとっては、紙ぼこりも重労働も気にならないけれど、賃金が安いという点が不満なのであろう。  いれかわりたちかわり、やめては入ってくる学生たちをみても、ぼくは心を動かされなくなっていた。あ、またきたな、という程度に一瞥して、あとは無関心だったのだ。すぐにやめてしまうのだから、いちいち関心をよせていては、こっちがまいる。ところで、そういう学生たちのなかに、あのおさげ姉妹がいたのである。もちろん、おさげ姉妹はすぐにはやめなかった。それどころか、よく頑張って工員のみんなから、愛称さえもらったのである。  じっさいに、妹のほうはおさげであった。一週間ほど先にやってきて働きはじめ、それから、姉のほうも通いはじめた。妹の方は背が小さくて高校一年生ぐらいにみえた。姉のほうは高校を卒業したてのような感じだった。妹のほうは隅にひっこんで仕事をしていたけれど、姉のほうは元気があって、てきぱきしていた。車に配本を積むといえば、すぐに飛んできて、運転手や工員たちのあいだに割りこんで、本を手わたす列に加わった。そんなところは、男の子のような気性をもった娘として、みんなに好かれたようだ。いつもにこにこ愛嬌があって、みんなは遠慮なしに仕事によびこみ、いたずらはんぶんにこづいたりしたのである。  六時になると、おさげ姉妹は、みんなが食事しているそばを、さよならバイバーイといって通りぬける。更衣室が、というより女子部屋が食堂の向うにあるので、住込みをしているみんなの食事時間と、ちょうどかちあうのである。妹の方はちょこちょこと小走りになり、姉のほうはいたずらっぽくはねて、大原くんにだけ(バイバーイ)という。気どって手をふりながら(また、あしたね)ということもある。それらのしぐさはいかにも、仕事から解放されて家に帰れるうれしさにみちあふれている。そういうことがたびかさなって、ぼくもようやく、関心を向けたのだった。 「頑張るなア、あの子たち」  ぼくは隣りに坐っている新助さんにいった。 「ん?」  丁合機の係である彼は、ごはんを口いっぱいにいれていたので返事ができなかった。 「あの子たちさ、感心だなア、どこからくるんだろう?」 「さてな、東京のいなか、だとかいっていたが……」  仕事の上でも一番頭である彼は、そんなことにはたいして関心がなさそうだった。 「高校生?」 「いや大学だよ、この春から四年になるとかいってた。妹のほうもあれで大学一年らしいよ」 「へえ、まだ、高校生のようにしかみえないのに……かあ?」  ぼくは驚いた。(大学生なら十八歳以上のはずだ。それにしては妹のほうは育ちが悪い。姉のほうは子供っぽい)そんなふうなことを思ったのである。  ところでなぜ、大原くんにだけバイバイといって、手をふるのかといえば、それは大原くんが、この工場ではいちばんに美少年だからである。それに年齢も同じぐらいだからであろう。大原くんは中学を卒業すると、東北から集団就職で上京してきて、旋盤工やその他の仕事を転々としたらしい。ほそい肩は、なよなよとして、黒目がちの瞳には、人なつっこい感じがある。大原くんは自分でもそのことをよく知っていたようだ。この工場でいちばん若いことは確かだし、みんなに好かれるいい顔かたちをしているのも確かだと思っていて、姉のほうが通いはじめた時には、さっそくそばにいって話しかけた。そしてふたりは急速に親しくなったのである。  大原くんはすっかりのぼせあがった。(あの子はもうおれのものだぞ、あの子もおれを好いてくれている。そうでなきゃ、こんなに親しくなれるわけないだろ)そんなふうなことをぼくに告げたことでもわかる。しかし、娘はみんなに親切だった。だれにもわけへだてなく愛嬌があったのである。そのために大原くんは、はしゃいだり、ふさぎこんだりしていた。  彼女の親切さは誰にも好かれたが、娘を好くほうには、それぞれに邪心があった。娘がこんなに愛嬌がいいのは、自分に気があるからではないだろうか、と勘ちがいした。恋愛に経験のない男ほど、その勘ちがいはひどかったのである。ぼくもその中のひとりである。しばらくのあいだは(ほう、この娘はなんて変っているんだろう)と讃嘆の目でみていた。(ちっとも意地悪さのない娘だ。まるで子供のような心で、ふるまっている娘だ)そこでちょっとした会話をこころみたり、娘の仕事を助けてやったりしたのである。娘の愛嬌はぼくにも同じく与えられた。そしてぼくものぼせあがってしまった。彼女をかきくどいてみよう、といろいろ考えたのだ。それはすぐに、甘い夢想に変ってしまって、そのために、寝つかれない夜がつづいたのである。  さて、そして今朝のことだ。ぼくは彼女にたいする好意を、胸のうちに隠しておくのが苦しくなった。それは自分勝手にふくらましてしまった好意であったのだが、とにかく、ふくらましてしまったものは、もう胸におさまりきれない。そこできれいさっぱり、さらけだそうとしたのである。本を運びながら思いをこめて、彼女をみつめたりしたのである。彼女は台のところで佐藤さんたちと一緒に婦人雑誌の付録に型紙をさしこんでいた。ぼくは本が焼付機から出てくるのを待つあいだ彼女をじっとみつめ、彼女の目とかちあうと、いそいで視線をそらしたり、はッとしたふうをよそおって伏目にもなった。その時は真剣な思いをその目にこめていたかも知れないが、よくもそんなことができたものである。そこでぼくは彼女からはっきりした返答をもらうことになったのだ。 (あら、あのひと、へんねえ、なぜわたしを、そんなに見つめるのかしら、おかしいわね)  そんなふうに、首をかしげてみせたのである。首をかしげるという、ちいさな、あるかないかぐらいのしぐさで、ぼくはあッと思い、(いやだ、いやだなあッ)と叫び、そして急に、耳たぶをほてらせたのである。彼女の視線から逃げながら、(そうか、そうだったのか)と恥じたのである。ぼくの恋の顛末《てんまつ》は、これでぜんぶであるのだが……いろいろと考えさせられた。たとえば喜納なつ子のことなども、まざまざと思い出されて……。  屋上に出るドアーを開けると、まぶしくて一瞬目がくらんだ。雨ざらしになったショーケースやこわれた机などの上で遊んでいた光が、はげしく飛びはねたのだ。目をほそめながら白い世界にふみこんでいくと、たちのぼってくる熱気で体があぶられるようだった。 「ああ、びっくりしたなア。あいつがデパートに勤めていたとは」 「あい、いまさっきのおなごな?」 「うん。喜納なつ子というんだ。中学三年から高校二年の時まで一緒だったんだぜ」 「ふんとう? ははあ、それでニイサンは惚れておったんだろう?!」 「そうなんだ、まさに」 「じゃ、胸がワサめくか?」 「ああ、ワサめくワサめく!!」  古くなった長椅子や錆びたレジスターのそばを通って道路側の柵までいって、かついできた垂れ幕をなげおろした。白い登山帽をとって顔や首の汗をぬぐっていると、青天からふりそそぐ陽光が項や腕をちりちりと焼いて痛いのだった。 「丈高《たけたか》あだったね?」 「そうだろう? 百七十ぐらいあるんじゃないかな」 「ひゃあ、アメリカーみたいだな」 「そうなんだ、運動会のときなんかブルーマはいてさ、先頭を行進してたけどすごかったぞ」 「どこもかも大きかった?」 「うん、ただもう圧倒されるくらいに」  農夫などは夏のその時刻をまふっか(真沸膏?)といって、野良仕事をやめて陽射がなえるまで休むのだったが、町の看板屋に勤めるぼくたちは休むわけにはいかなかった。屋上から見下す町は煮えたつ油の中にあるかのようにゆらめいていた。遠くの路上をはしる車は陽炎《かげろう》の中に浮いて見えた。 「語らったことは、ある?」 「いや、いちども。彼女は無口なんだ。とてもおとなしくて」 「にぶいんじゃない? 胴が大きいから」 「そうじゃないよ、性格なんだよ。もっとも高校入試に失敗してさ、傍聴生になってぼくたちのクラスに入ってきたんだけど」 「ほれ、頭悪うだったんだよ」 「そりゃ頭のいいやつに比べたら、だれだって頭悪うになっちゃうさ。ぼくはむしろ頑張るなアと思って注目してたんだけど」  大売り出しの垂れ幕をひろげて、上端と下端に短い桟木をさしこんだ。桟木の両方にはロープを結えつけて屋上から垂らした。ぼくが柵にロープをまきつけているあいだに、鉄夫は二階におりていって窓から身をのりだして手すりにロープを結びつけた。 「しっかり結んだ? お中元がおわるまではずれんように」 「うん。がっちり。ひゃあ色白うだったなア」 「また、見たんか?」 「見た、見た。婦人服売場にいたよ。でもすましていて冷たい感じ!」 「昔タイプの日本女性なんだ。おっとりしていてやさしくて」 「どこに住んでる?」 「よくは知らないけど、十字路あたりじゃないかなア。土曜日には掃除当番が一緒だったけどさ、ぼくたちは怠けているのに、彼女たちは何にもいわずに男生徒の分までやってくれてたんだぜ」 「あとつければいいのに!」 「え? いや、いやだよ。見つかったら困るよ」 「じゃぼくがあとつけて調べてやろうか?」 「ええッ?!」  お盆もまぢかい或る夕べ、ぼくはコザ十字路にいく坂をくだっていった。開放地の前をすぎて切通しの道にさしかかると、町からの風がふきあげてきて気持がよかった。どこからともなく盆踊りを練習する青年団の太鼓の音や歌声がきこえていた。あえぎあえぎ坂を登ってくる車をしり目に、ぼくはとんとんとはずみながら行った。両腕をひろげるとそのまま風に乗るみたいで、心のおもむくままに町の上を飛びまわりたくもなる。  仕事仲間の鉄夫がつきとめてくれたなつ子の家は、坂の途中の町中にあった。鎌原でバスをおりると、左側の道下に市場や風呂屋やブロック工場があり、風呂屋の向かいに豆腐屋さんがあって、その家だよと鉄夫はいうのだ。意外だった。鎌原のその豆腐屋さんなら知っていたのだ。まっくろに陽焼けしたおばさんが手拭いをかぶり、大きな箱を自転車につんで汗をふきふき豆腐を売りあるくのを何度も見ていたのだ。  交通事故で夫を失った後も女手一つで豆腐屋をきりまわし、三人の子を育てているという話をおふくろから聞いた時、ぼくの胸はもの思いでいっぱいになり、親愛なるなつ子様という書きだしで手紙さえ送りたくなったのだった。ふきあげる夕風はズボンやシャツを体にぴったりさせて、股のところに気になるふくらみを作っていたが、夜目では誰も気づくまいとはねていった。コンクリートでうち固められた急な坂をおりて、電燈で明るい市場の中を通った。  豆腐屋さんの前に出ると台所が見えて、洗ったばかりの箱がつみかさねられ、タイルばりの水槽には水がみたされていた。家は通りにくっついていて塀もなければ垣もない。居間では黒いズボンをはいた男の子が寝そべってテレビを見ていた。次の部屋にはギンガムチェックのカーテンがつるしてあって彼女の部屋にちがいなかった。ガラス戸は下がくもりガラスで上は透明なガラスだ。ひょいとジャンプすると中がのぞけそうだったが、ためらっているうちに通りすぎてしまった。  盆踊りの練習を見にいってもよかったが、それよりも彼女の家のそばをうろうろしたいのだった。ブロック工場の庭につまれたブロックの上に坐って休みながら、彼女の家のほうばかり気にしていた。工場の平屋根にあがれば涼しくもあり、彼女の部屋ものぞけるだろうと思って登ったがだめだった。隣りの屋根からだとまっ正面でもあり、腹ばってあごを腕にのせながらいつまでも眺めていられるようだ。隣りの屋根にとびうつって身をふせた。カーテンのすきまから明るい部屋が見えて、壁にはデパートの制服もかけられていた。  鼻先を湯気と石鹸の匂いがかすめていくので、上を見あげると換気窓があって白い蒸気がもれでている。ぼくは風呂屋の屋根にあがっていたのだ。水音や話し声なども聞えてくる。その時部屋の中に白いものが動く気配がした。ほうきを持った彼女が窓をあけはなっていた。ぼくはぴったり屋根にへばりついた、が遅かった。彼女がこっちを見つめながら呆然とたちつくしたのだ。心臓がひっくりかえるような感じがしてきゅっと痛んだ。  戸を閉める音で顔をあげるとカーテンもひかれていた。失敗だったかなアと口走りながら、屋根をおりて一目散にかけた。膝ががくがくして力がはいらない。なぜあんなことをしたんだろうと思ってもぼくには判らなかった。あえぎながら坂をのぼって、それから町をふりかえると、青白く澄んだ十三夜の月が屋根々々や小さな田畑や遠くの森を照らしていた。  お盆の日の夜になって、ぼくはなつ子の家をうかがいながら市場の前の四つ角にたっていた。サンダルをはいた黒人が豆腐屋の隣りの門から出てきて、こっちをじろじろ見ながら市場にはいっていった。しばらくして彼はビールを二本ぶらさげて出てきて声をかけた。 「おい、そこで何してるんだ?」 「え?」 「何してるかと、きいているんだよ」 「何も……」 「ははあ、お前だな!?」 「え?」 「おれのポータブルラジオ盗んだのはお前だな!?」 「ラジオ?」  彼は両手にさげていたビールビンを肩にのせた。背丈はぼくより低かったが、ずんぐりしていて力が強そうだった。びんでとんとんと肩を叩きながら目をひからせている。びんがいつぼくの額にとんでくるかわからないのでたじたじになってしまう。 「四、五日前、おれの部屋からラジオ盗んだろ?」 「ぼくはぬすっとボーイじゃない!」 「いや、お前はきっとそうだ。あれはどこへ持っていった?」 「ぼくは知らないよ! 何をいってるのか」 「返答しろよ、あれはどうしたんだ? 六十ドルもしたんだぜ!?」 「ぼくはぬすっとボーイじゃないといってるのに!」 「それじゃ、ここで何してやがるんだ?!」  背の高い黒人がもう一人門から出てきた。その時、豆腐屋の窓になつ子が坐っているのにぼくは気づいたのだ。うちわで衿元をあおぎながら、こっちの様子を見ていた。まずいことになってしまったものだ。背のたかい方はやさしそうだった。 「おい、ジム。何が起こったんだ?」 「こいつさ、へんなボーイだぜ、さっきから」 「散歩してるんだよ」 「ジム、彼にかまうなよ。おれはトラブルはごめんだぜ」 「それじゃ何だって、ここばっかりをうろつくんだ!?」 「それはぼくの勝手だろう? 八月十五夜の祭りなんだもの」 「そうだよジム、彼のいうとおりだ。もうおれは帰るぜ」 「待てよフロム、ビールは飲まないのか?」  彼女は顔の半分に電燈の光をうけて、まぶしそうにしてこっちを見ていたが、二人の黒人とやりあっているのがぼくであることに気づいただろうか。ぼくは板塀に背中がつくまであとずさりした。ジムもしつっこくにじりよってきた。 「じゃ、よろしい。ほんとのことをいうよ」 「はやくいえ!」 「あそこの窓にガールが見えるだろ? 彼女はクラスメートなんだ」 「それがどうした!」 「ぼくは彼女が好きなんだよ」 「それじゃ、何だってさっさと彼女の家へいかないんだ!?」 「いけないんだよ」 「どうしてだ!?」 「そんなに簡単じゃないんだよ」 「どうしてだ!!」  首をのばして彼女のほうを見ると窓は閉められていた。こんなことになるなんてと悔んだがどうしようもなかった。町をねりあるきながら唄い踊る青年団のざわめきがすぐ近くまでよせてきていた。彼女が踊りを見にでてきたら、話しかけようと思っていたのだが……。 「きみ達の場合は簡単さ、ハローわたしはどう? 欲しくない? 一回二ドルよ、一ト晩なら五ドル。ハニーにしてくれるんなら月三十ドル、どう? 女がそういってくるんだ」 「はっは、そうか?」 「そうだよ、欲しければオーケー。欲しくなければノー。これで全部だ」 「はっはっは、それで全部か?」 「そうだよ。でも、ぼく達の場合はそんなんじゃない。きみは知ってるはずだ」 「わかったよ。それじゃ、いいこと教えてやろう。花を持っていくんだ」 「花?」 「そうだ!」 「それでもだめだ。もう、だめなんだ」  ………………  焼付機の鉄板の上に『愛と生と死』という文庫本をおいて、出てくる雑誌を待つあいだ二、三行読み、断裁機のそばに雑誌をかかえて行って引返しては二、三行読みして、動きまわりながらも考えたり思ったりしていたのだが、お昼休みのあいだにその本が失くなってしまった。鉄板の上におきわすれて二階の食堂へ行ってるうちに失くなったのだ。おさげ姉妹は階下で弁当を食べるのできいたのだが知らないという。三人して紙くずの中やそこらの隅などをさがした。が、どうしてもみつからない。不思議なことだ。  何のつもりもなしに電車にのって、井伏鱒二宅を見てきた。黄色い電車にのって新宿までいき、赤い電車にのりかえて荻窪でおりた。残業もしないでふらっと出たのだから、住所もメモしてなかったが、心づもりはあった。駅前には本屋があるだろうから、本で住所を調べ、ついでに売りものの地図もちょっと見せてもらって、だいたいの見当をつけてから歩いていこうというのだ。  新潮社の井伏鱒二集を本棚からとりだして、年譜のなかの住所を読みとった。それからすばやく地図の棚によっていって清水町二十四をさがしだした。ものの一分もかからなかったから、店の人に迷惑はかけなかったであろう。ぼくは安心しきって歩いていった。すぐに見つけてしまおうと、急ぎ足にもなった。  そこには何軒もの家がたっていた。どれが井伏氏の家なのかわからなくて、その区画をひとまわりした。雨模様の天気のせいかあたりは暗く、おりからうす靄もたちこめてきた。人通りのすくないひっそりとした住宅地は、どこも生垣や石塀をめぐらせてこぢんまりとした佇《たたず》まいであった。人通りのないのを見はからっては、門柱によっていっては表札をさがした。三十センチほどにも顔をくっつけなければ字も見えない暗さである。�井伏�という表札は白ペンキの地に黒字で書いてあった。  生垣の奥の家のあたりからは明りがもれ、誰かおばさんの人の声がきこえた。井伏氏の奥さんなのであろうか。若い女性の来訪があって、奥さんはいまその客を送って出るようである。ぼくは素知らぬふりをしてたちさり、うしろの気配に注意をむけていた。門戸があく音がして、送る人と送られる人は通りに出たようだ。ふりかえって見ると、若い女性が門の内にたち、おばさんの人を送りだしていた。ぼくは思いちがいをしていたのである。  井伏氏の雰囲気はどこにも感じられなかったのだが、わけなく井伏邸をさがしあてたことに満足して帰ることにした。垣根のすきまから家の様子を見ようとする考えもなく帰ってきた。  作家の家を見たって文学勉強には何のプラスもありはしない。それよりも部屋でじっくり読んだり写したりしたほうがよさそうだった。沖縄から出てくる時ぼくはただ一冊、井伏氏の「昨日の会」という随筆集を持ってきていたのだ。その中の「おふくろ」がよくて……。  ぼくが東京に出ていくというので、ゲート通りの叔母が面会にやってきた。ぼくは居間で母といっしょにテレビをみていたのだが、 (つねをォや家《や》あに居《お》ンな?)と妹にはなしかけている声を耳聡くききつけると、さっとはねおきて自分の部屋に逃げこんだ。部屋に逃げただけでは、呼びだしにやってきやしないかと不安になって、こんどは部屋からも出ていった。  廊下のつきあたりの居間で、叔母は母にはなしかけながら坐ろうとしているところだった。 「つねをォや行《い》ちゅんと云いよるもんに、アンしてすぐになア?」 「へえな、予定やあさってと云うシが、あれがことやあんまり当てにやならんよ」  そんな挨拶がわりの会話がきこえていたのだ。  ぼくは妹の部屋から外へ出て、妹が洗濯しているうしろをすりぬけて下駄をさがした。戸口には下駄はなくて甥の小さなサンダルがあった。それはぼくの足には小さすぎるので、妹のはいていたサンダルと取りかえてもらった。そして大通りのほうへと、月明りにほのじろんだ道をのぼっていったのだ。  米兵相手のバーやレストランのあるセンター通りを、ぼくはポケットに手をつっこんで歩いた。ビリヤードの前では、米兵が玉つきをしているのを立どまって眺めた。映画館の前にいってスチール写真もみた。ぼくはもうじきこの町を出ていく。そして四、五年うちは帰ってこない。いや、十年十五年たっても帰ってこないかも知れない。帰ってこないかも知れないという気持が、ぼくを感じやすくさせていた。いまだかつてそんなふうな思いで町をみて歩いたことはなかった。  家にもどってきて玄関のすきまから、廊下の向うの居間をうかがってみると、叔母はやはりまだ待っていた。それどころかこんどは叔父もやってきていて、父母と話していたのだ。ぼくは玄関前の路上にとめてある車が、叔父の車であることに気づいて、それをいちべつしながら開放地のほうへと逃げていった。どうしても叔父と顔をあわせたくなかったのだ。  ブロック工場をやめて以来、ぼくは一年半にわたって家にとじこもっていた。そして毎日毎日何をしていたかというと、昼は寝ていた。夕方から起きだして食事をとり、散歩をかねた運動をしてきて、それから机に向かって夜明けちかくまでごそごそしているのだった。普通人とまるっきり反対の生活をしていたのだ。父はそんなぼくを叱るに叱れなかった。そうかといって頑張れともいいかねたのだ。  ところで酒をのんできた日には、ぼくのことをそのまま放置しておくことに耐えられなくなって、意見しようとするのだった。 「つねをよォ、年のいくのは馬の走《は》ゆるごとしどォ。二十四になってから勉強すると云《い》っちん、其《う》れや何のためになゆるかや? 其《う》れよか働ち技術身に着《ち》けて、妻子|持《む》っつる心がけせんだりや、ならぬはずやあらんな!?」  そういうことがたびかさなって、だんだん嘲罵のような大声になったのである。ぼくはそんな父の声を聞くのがつらくて、父から逃げて部屋にかくれたり、追っかけてくる父の鼻の先で戸をぴしゃりと閉めて、窓から外へとびだしたりするのだった。ぼくは勉強したいんだ、ぼくに思いきり勉強させてくれ、ぼくのこの気持がわからないんか。そんなことを胸のうちで叫びながら、小学校の校庭や開放地のほうへ逃れたりしたのだった。  そしてある晩、父と叔父が居間で酒をのんで、部屋にとじこもっているぼくのことを、また問題にした。ぼくは部屋から呼びだされて叔父に難詰されたのだ。叔父の声にあわせて、父もそこだそこッといわんばかりに声をはりあげるのだった。その時から気持はさめてしまった。勉強するにしても親のすねをかじりながらでは駄目だ。まずは仕事に出よう。働きながらその暇々に勉強しよう。そう思いきめて翌る日職安にいくと、本土就職の求人があったのだ。  開放地の突端までいくと、崖下にコザ十字路の町が見下ろせるのだった。昼となく夜となく、ぼくは何度そのとっぱずれまでいって、コザの町や向うの勝連半島や、その半島に抱かれた海を眺めたことだろう。ぼくは小さく口笛をふきながら、コザの町の夜景を前にしてうずくまっていた。夜空は町のあかりをうつしてそこだけぼうっと明るくなっていた。目を遠くにやると月明りのなかに、山なみがかさなっているさまがかすかにみえるのだった。  深夜になって帰ってくると、玄関の前の車はなくなっていた。もう父も母も寝床にはいっていた。居間では妹だけがテレビをつけっぱなしにして繕《つくろ》いものをしていた。 「叔母さんが小遣いに持たせえと云《い》っち、十ドル置《う》ち行《い》じゃんでエ」  そんなことをぽつりといった。やがて妹も部屋へたっていった。たっていきながら、またこんなことをいった。 「待《ま》っちよれや済《す》むるもんによ。せっかく……」  ぼくはひとり居間にのこってテレビをみていたけれど、画面が白っぽく見えるだけでつまらなかった。立っていって、おふくろたちが寝ている部屋でものぞこうかと思ったがじっとしていた。 「おい、ラーメンにいれる卵ないか」  入ってくるなり大原はそういった。 「ひとつしかないんだが……」  ぼくはこたつに足をいれて倒れていた。 「かしてくれ」  大原は、棚の上の紙袋をまさぐっている。 「じゃ、ぼ、ぼくは?」 「もう、鍋をしかけてあるんだよ。すぐ、かえすからさ、風呂帰りに買ってくる。いいだろう?」 「ああ」 「どうしたんだ、近ごろ元気がないな」 「そう見えるか?」 「えへへ、知ってるぞ知ってるぞ」 「なにを?」 「お前、あの子が好きなんだろ?」 「あの子って?」 「かくしても無駄さ、アルバイトの女子大生のことさ……お前」 「ラーメンがのびるぞ、早くいきなよ」 「お前、あいつの名前知ってるか?」 「そんなこと、知らないな」 「えへッ、聞かしてやるからな。まってろよ」 「い、いいよッ」  大原は卵をもって台所へいき、湯気のたったどんぶりをもって、すぐにもどってきた。 「あっちち、うめえ、うめえ。お前さ、あんまり悩まんほうがいいぜ」 「ぼくは、別に悩んでなんかいないんだが」 「おれさ、あいつとデートしてるんだ」 「デート?」 「あいつさ、おれがめしをくってるあいだに着がえてさ、おもてで待ってるんだぜ。知らなかったんか? 大急ぎでかっこんでさ、それから駅まで送っていってるんだ」 「へえ? 知らなかったなァ」 「この前の土曜日は、いっしょに映画みてきたんだぜ、残業しないで出かけていったことがあったろう?」 「映画?」 「黄色いロールスロイス、あれはおもしろかったな。あ、そうだ、あいつの名前はさ、これだよ」  大原は、ズボンのポケットから、サイフをだした。 「手紙をくれといってさ、名前と住所を教えてくれたんだ、ほら」  チョコレートのつつみ紙の裏に、二つの名前が書いてあった。 「史子というのが、あの娘の名前か?」 「それは妹だよ。写真ももらったぜ、みるか?」  ぼくは、その写真もみた。 「ふうん、知らなかったなア、ずいぶん親しいんだね」  テーブルのしたの足は、ぶるぶるふるえている。 「三分でめしをかっこんでさ、通りで待ってる、あいつのところへ、とんでいくだろ? 忙しいよおれ。残業がはじまるまでにゃ、もどってこなきゃならないしな。コーヒーをおごってもらったって、のんでる暇もないよ」 「おどろいたな。まだ、学生だから……」  ぼくはラジオのほうに手をのばした。体を動かすのにことよせて、ふるえている足を、はなしたかったのだ。 「お前のこともきいてたぜ、お前、いなかに子供がいるといったんか?」 「ああ、しゃくだったから。結婚してるってほんとう? なんてきくんだもんな。子供は九人もいるといってやったよ」 「あれ? お前、結婚してなかったんか?」 「まさか!?」 「そんな感じがしたんだけどな、おちついてるしさ。それにもう子供がいてもおかしくない年だろう?」 「そういったのか?」 「うん、嫁がいるかも知れんといっといた」 「そうか……まあ、いいや。しかしおどろいたな。まだ学生だから、そんなことはしないと思ってたのに……」 「するさあ、どうして学生がデートしていけないんだ!? 大学へいってる女なんてさ」 「勉強に忙しくて、デートしている暇……」 「ちがうよ、大学にいってる女なんて、たいてい男をみつけにいってるようなもんさ、バカだなアお前」 「そうか?」 「それにさ、勉強ばっかりしてて何になるんだ? ちっとも楽しくないじゃないか。お前もさ、いつも本を読んでるようだけど、そんなに本がいいのかあ?」 「…………」 「何になるんだい勉強して」 「何になるって?」 「小説家にでもなるつもりか?」 「…………」 「うへッ、あきらめなよ。大学出たって容易にはなれないらしいぜ。頭ころしてさ、白毛のしわくったじいさんになってからじゃ、楽しみもないだろう? おれはキックボクシングやりたいな」 「キック?」 「いま後楽園ジムで募集しているんだ。やりたいなァおれ。まだ流行ったばかりのスポーツだろう。先取りしてさ、金を稼ぎたいんだよ。明日にでもいこうかと思ってるんだ」 「いきたいならいくがいい、ぼくは散歩にいきたい」 「こんな遅くからか? 寝ちまいなよ」 「いや、ぼくはちょっと、そのへんを歩いて、頭をひやしてこよう」 「なんだい、頭に血がのぼったのか? ははは」  みんなは伊豆修善寺へいった。一泊二日の旅行だ。そして三日目は日曜日である。続けざまに三日も休めるのだ。ぼくは休みに飢えていた。もうながいあいだのんびり休んだことがなかったように思う。きのうまでは、(みんなと一緒に旅行にいってみようかな)などといっていたのだが、旅行にいっても何もない。温泉につかってどんちゃん騒ぎの宴会をし、一泊しただけでつぎの日はもう帰ってくるのだから。  住込み部屋はがらんどうになった。テレビをつけて騒ぐ者もいないし、ドカドカと廊下をかける者もいない。笑い声や話し声も消えた。何もすることがない。ぼくはひとりもの思いにおちいっている。自分の前途のことをぼんやりと考えている。  昼ごろ、俄雨がふった。温暖前線がのびてきたという、ラジオのニュースがあって間もなく、あたりは夕方のように暗くなり、やがて大粒の雨がふりつのった。小半時もふって雨足は去ったけれど、空はまだ曇っていて風がつよい。  きょうの朝、社長はわざわざ部屋にきて、(なんだお前、旅行にはいかないのか)ときいたので、ぼくは(いきません)とこたえたけれど、そのこたえかたがあまりにはっきりきっぱりしていたので、弁解するようなこともいった。(のんびり休みたいんですが……こんなにたくさんの本を買ってきてしまって……ひとりで東京見物もしたいんです。まだそんなに見てませんし……)社長は(あ、そうか)といって出ていったけれど、とっさのあいだに、自分の気持をすっかり話して、それをわからせるということはむつかしいものだ。ぼくはせっかくの心づくしを無下にことわったようで、申しわけない気持だった。  おきなわから出てきて、まだ半年にもならないのだから、東京の街はほんの一部分しか知らなくて、広大にひろがった街のどこにどんな楽しい場所があるのかわからない。たとえば安くて気楽にとびこめる映画館は南明座しか知らなくて、もっと知っていれば選択ができるのにと残念なのだ。そしてぼくは草深い田舎や野山が好きである。しかしそんな田舎や野山がどこにあるのか、どのようにしてそこへたどりつけばいいのか、わからなくてもどかしい。  桜の花も散りつくして、野や山に濃い緑がはえるきょうこの頃となりました。ごぶさた致しておりますが、いかがお過しでしょうか。お伺いもうしあげます。  さて先日来、お約束(私が勝手に決めた)致しておりましたお友達紹介の件ですが、三人の方におたずね致しましたところ、いずれの方もO・Kの由ですので、一応お知らせ致しておきます。  直接、私のお友達ではございませんので、よくはわかりませんが、とにかくおとなしくて気持のよい方たちだそうです。いちどお逢いしたいとの由ですので、いつかご連絡いただければさいわいです。  私の方は多忙をきわめておりますが、ご連絡いただければ都合をつけて、その方たちをご紹介致します。また、ご迷惑でなければ私がお電話してもよろしいのですが、いかがでしょうか? お返事をお待ちしております。  一日すわりどおしというのもつらいことです。なれるまでは……。一時間半の授業筆記もつかれます。五時限まである日はつかれて腕を動かすのもだるくなります。しかし何といってもやはり学生生活がよいです。古巣にかえったような気分で毎日の授業を楽しんでおります。今年は四年で卒業論文もひかえておりますが、あるかぎりの力をふりしぼってない頭を働かせて、最善の努力をするつもりでおります。頭をつかうばかりでなく、時には一切をはなれ運動やリクリエーションをすることがあるでしょうが、最後の学生生活を楽しみながら過そうと思っております。  ごめんなさい、自分のことばかり並べて……。そちらの生活はいかがでしょうか。ご無理なさらぬよう、おん身ご自愛のほどお祈りもうしあげます。乱筆乱文お許しのほど、ひがしさまおんもとへ、恵美子拝。  恵美子さん、お手紙ありがとう。元気で学生生活を楽しんでいるとのこと、それは何よりです。手紙がくるということは、大原君からきいて知っていましたので、心待ちにしていました。お手紙には友達を紹介してあげるとありましたが、ぼくはそこを読んで心に痛みを感じてくすんとしました。その親切さが心にしみたのです。  しかしいまのところ、ぼくは友達をほしいとは思いません。じつは最近失恋したばかりなので、そんな気力もないのです。いまは�ぼくはだめだ�としきりにつぶやいていて、はた目にもそれとわかるほどしょげきっています。残業も休んでばかりいます。  失恋の相手というのが(もう何もかもうちあけてしまいます)、しばらくのあいだ当田中製本にアルバイトで通ってきていた女子大生の町野豊美さんです。この人を最初みた時、�あれ? 妹に似ているなあ、額や眉や目が似ているなあ、東京にも妹に似た人がいたのか�と、うれしくなったりおかしかったりしました。しかし豊美さんをみているうちに、だんだんわかってきたのですが、気質としては似ていませんでした。  ぼくの田舎の妹というのは、今年高校二年ですがとても内気で人見知りをします。自分の家と高校をいきかえりするだけで、どこへも遊びにいききれないのです。学校の運動場も市立の図書館も歩いていけるほどの近さにあるのに行きたがらないのです。人前にでるとまるっきり口がきけなくなる性質を、ぼくは歯がゆく思って図書館へひっぱっていったこともあれば、映画へつれていったこともありました。こんな|田舎の豊美《ヽヽヽヽヽ》も遠くはなれてみるとなつかしい。  しかし町野豊美さんのほうは何と明るく、てきぱきした性質であったことでしょう。さすが人の多い東京に住んでいるだけのことはあると思いました。誰にも愛嬌があってそして親切で、ちっとももじもじしたり人おじしたりしない。まるで妹を理想のかたちにしたような人だったのです。そんなことでやがてぼくは、豊美さんに恋愛感情をもちはじめました。  恋愛というものは苦しいですね。ぼくはこの妹のような人に、自分のそんな感情をみせてもいいものかどうかと迷いました。こんな高校生のような人に、ぼくのようなものが近づいていってもおかしくはないかと思案していたのです。ところがその時すでに、大原君と彼女はデートしていてふたりは親密になっていました。大原君がいちいちそれを報告するのです。そこでぼくはふたりを邪魔しないようにひっこんでいました。そのうち彼女はアルバイトをやめて去っていきました。ぼくは心が急に軽くなって虚しいくらいでした。  さて、もうわかってもらえたと思います。ぼくは自分を傷つけて�やぶにらみだ�といってみたり、しかしまた�豊美のやついまに見ておれ�といってみたりして、ずいぶんと混乱した状態にありました。そしてようやく近ごろ平静をとりもどしかけているのです。そういう時期にあるぼくには、いかなる友達も必要ではありません。恵美子さんの親切はとても有難く思っても、以上のような理由で辞退したいのです。どうぞぼくの気持をくみとってわるく思わないでください。     恵美子さんへ [#地付き]常夫より    散歩のつもりで夕方六時ごろ、仕事着のままぶらっと住込み部屋をでた。三崎町の都電のりばから、巣鴨行きにのった。誰かに会いたいと、心はふつふつとなっているのに、会ってくれる人がどこにもいなくて、ぼくはなきわらいのような、ひどい顔をしていたことだろう。巣鴨につくと、こんどは志村坂上行きにのった。志村坂上で下車して、長後町一丁目まで歩いていき、大通りからそれて町中へと入っていった。  もはやアルバイトで通ってきていた、あの女子大生の家をめざしていることにまちがいなかった。しかし彼女に会おうということではない。家のあたりをぶらついてみようという、いたずらな気持を抱いていただけだ。できたら、垣根の外から家のようすをのぞいてみたい。そう思って地図の記憶をたよりに、ひたすらそこへ足を運んだのだ。  衝動的にこんなところまでやってきて、ひょっこり彼女と出会いはしないかとぼくは恐れていた。うわあー、わるいところで会ったなあ、はずかしい立場にたたされた時の、とまどいの声をじっさいに練習してみたりしながら、通りを歩いている人に遠くから注意をはらっていた。できることなら会わないほうがいいのだし、ぼくのほうで注意してさければいいのである。  長後町から蓮根町一丁目はかなり遠かった。徒歩三十分ぐらいはあった。そして電柱にはられた住居表示を見ながら、一の四をさがしまわったのだが、どうしてもみつからない。もう暗くなっていたので、人の家の前をうろつくのは気憚られた。挙動不審な男だと思われて、警察へ通報されては困るのである。  うっそうとした欅《けやき》にかこまれたお寺があって、地図でみた記憶では、それは蓮華寺だったのだが、ぼくはそのあたりの風景と、だいたいの様子を印象して、帰ることにした。  路上に猫が血まみれになって死んでいた。金色にひかる鋲をうたれた首輪をはめて、ずいぶんと大事にされていた猫と見受けられた。血糊はまだ乾いていなかったから、轢かれたばかりにちがいない。どこの車が轢いたのだろう。塀のそばに奥さんのような女性がたっていたのでぼくはきいた。 「あの、一の四はどのあたりでしょうか」 「もっと……向うじゃない?」  彼女はそう答えてくれたが、あまりにそっけない教えかただったので、ぼくはたちどまったままでいた。その時になって、彼女が胸に毛布を抱いてることに気づいたのだ。彼女は猫のそばによっていってうずくまった。 「あ、その猫、おたくのですか?」  そう話しかけたら、彼女はきゅうにひいーッと泣いた。それまでこらえていたのだろうが、ぼくには奇異に思われた。 「まだ……こねこだったのよ……」  毛布で死骸をおおいはしたけれど、それ以上は手が動かせないでいる。 「すみませんが……包んでくださらない?」  泣きながら頼むので、これは当然悲しみにあたいすることだろうと自分にいいきかせて、猫を包んであげた。 「ひどいことをするものですねえ」 「くるま……見ませんでした?」 「いえ、見ませんでしたが、いまさっきだと思いますよ」 「とても……かわいかったのに……」  彼女がどんなにこの猫を可愛がっていたかを思うと、可哀想になってきた。たとえ猫の子でも一緒に暮らしていれば、愛着がわいてくる。そして、それが突然死ぬようなことにでもなれば、泣くのは当然であろう。毛布にくるまれた猫を抱いて、彼女はすすりあげながら帰っていったが、すぐそこが家で、門を入ってゆく時にはよろけて、しばらくのあいだ門にもたれかかっていた。  ぼくは何ともいえない気持で歩いていった。そんなに猫を可愛がるのはよろしくない、と思いながらも、いやこの都会ではそれは当然なことであろうとも思われたのだ。バスにのっても電車にのっても、人々はひからびた表情で、顔をそむけあっていたり、無視しあっていたりするのだ。それにくらべると、一緒に住んでいる猫の方が、どんなに可愛いか知れやしない。  心のやさしい人々が、愛のやりばに困って、それをペットや鉢うえの花に向けるのもやむをえないことではないだろうか。そうであるならば、ぼくはもっと彼女に同情して、一緒に泣いてあげてもよかったのだ。ぼくは頭の片隅では、たかが猫の子が死んだぐらいで、そんなに泣くのはおかしいと思ったから、何の同情のことばもかけてあげることはできなかった。おかしいといえば、この都会全体がおかしなものにみちているのだから、しかしそれもどうしようもないことなのではあろう。  彼女の家はみつけることができないままに、志村坂上まできた。バス停には池袋駅行きのバスがとまっていたので、走っていってとびのった。彼女の家をみつけて、どうしようということでもなかったのだ。ただ東京のいなかだとかいう、そこまで散歩にいってみたかっただけのことだ。とはいってもなぜかしら心が淋しかった。  バスのいちばんうしろの席にぽつねんと坐って、うつりかわる夜の町の燈明りをみながら、口笛をふいていた。すると車掌さんはうしろをふりかえって、ぼくにいうのだ。 「お客さんッ口笛はやめて下さいッ」  他の迷惑をかえりみずにいたことを恥じながらも、心からはうわぁーとするようなうめきがもれそうだった。ぼくはバスを捨てて、見知らぬ町中に自分をほっぽりだした。ぼくの口笛はぼくのひとりごとなんだのに……なぜひとりごとをいってはならないんだ? 向うの客だってべちゃくちゃしゃべっていたじゃないか、どうしてぼくがしゃべってはいけないのだ?  そんなことを思いながら、バス通りにそむくようにして町中へと入っていったのだ。わからずやだなァ、わからずやのギスギス女だよ、そうつぶやきながら家々のたてこんだ小路を歩いていると、にぎやかな笑い声がきこえてきた。首をあげてそこをみると、ガラス戸にテレビの蛍光がうつっていた。一家じゅうで夕食後のひとときを楽しんでいるのであろう。なつかしくなってくる。うつむきこんで歩いていると、ある家からは煮物の匂いがながれてきたり、ある家からは防臭剤の臭気がふっとただよってきたりする。  裸電球の下に洗濯ものをほしてあるのがみえたり、閉ざされた部屋から赤ちゃんの泣声がきこえてきたりした。みんな箱のなかに住んでいるのである。右にも左にも、そんな箱がびっしり並んでいるのをみるともなくみながら、ぼくはどこをどう歩いたのかわからない。ただ、この方向へいけば神田だろう、夜っぴて歩けばいつか住込み部屋にたどりつけるだろうと、歩きつづけたのだ。いりくんだ小さな通りを歩いていると、見当をつけた方向がわからなくなってきたけれど、それでも前へ前へ歩いていった。  と、突然に広い通りにつき出て、ゆるやかなのぼり坂が向うにみえた。きらめく街燈が二列になってつらなり、あかるい光のなかを貨物自動車が疾駆していたのだ。 (海?)  ぼくはそうつぶやいた。その向うには港があってそこへ貨物自動車が入っていったり、出てきたりしているのではないだろうか。そんな感じがしたのだ。 (あそこには海がある!)  ぼくは急ぎ足になった。 (ほら、潮風もふいてるじゃないか!)  そしてぼくは走った。いつかどこかの海辺の町で、こんな光景にであったことがあったのだ。坂をのぼりきったら、向うに開豁《かいかつ》にひらけた海がみおろせたのだ。心から先になって、坂をのぼり、そして海をみようとして目をみはった。けれども、そこに海はなかった。  こんなところに海があるはずはなかったのだ。ぼくはふるさとの小さな町を思いうかべていた。 (ああ、海がみたい。潮風にふかれながら、すわって夜の海をながめていたい)  眼前にひろがる霧の街並みに向かってたっているといつのまにかそれは海のようにみえなくもなかったのだ。月明りにひかるいらかの波、夜光虫やほたる烏賊《いか》の海に……。  山は牛がふせったように黒々として小高く、海は草原のように広々として、のたうつ波は風にゆれる穂先のようだった。貞三は窓ガラスに額をくっつけて寝入っている。牛の鼻づらのあたりにちかっと、車のライトがあらわれた。けれどもすぐに首のあたりに入りこんでいって、見えなくなった。そんなふうにして何台かの車が、山裾からあらわれたり、山襞に消えたりした。消えたと思ったら突然に、前のカーブからあらわれることもあった。  土地の人々はそこを名護曲りとよんでいた。七十七曲りもあるということだったが、しかしそれは確かではないだろう。沖にむかって走っていると、海風が窓からはいった。それからカーブして山にむかって走ると、風はとだえて、車内の匂いが鼻にきた。酒や汗やシートの匂いだ。彼についてきてしまったことをぼくは悔やんだが、しかし深夜、こういう風景のなかを走るのはわるくなかった。行こう行こう。金はぼくがだす。千津という店なんだ。いい子だぜ、きみもきっと気にいるよ。ぼくはポケットの有金を貞三にあげてしまっていて、帰りたいからバス代をくれといいたかったが、いいそびれていた。コザ吉原という飲み屋街をひやかして歩きまわったが、店に入るたびに薄暗い奥の方にきらきらする瞳が待っていたりして、ぎくっとする。  そういう場にすっかり慣れている貞三が、ぼくには遠く感じられた。カウンターにむかって坐ると、女たちがよってきてもたれかかる。貞三は女の肩に手をやって、飲んだりしゃべったりした。ピーナッツ売りの少女が入ってきたので貞三に買ってもらう。ピーナッツばかりくってないで、飲めよ。貞三はぼくを叱った。飢えてるわけでもあるまいに!  ぼくは酔わないように用心していたのだ。酔ってしまって何もわからなくなり、えいくそッとばかりに女に巫山戯《ふざけ》たりするのはいやだった。そんなふうにはしたくなかったのだ。ぼくはつらい気持になったが、そうかといって、貞三をつっぱねることもできなかった。おいッ、もっと面白い店にいこう。千津の店がいい。彼も不愉快そうだった。外にでると首や腕の汗がすっとひいていくのがわかった。あんな脂肪ぶとりはだめだよ。豚の油でふとりやがった、あんな、あッ、あのタクシー捕まえろッ。  車に乗ってみると、行き先が名護だということがわかったのだ。コザから名護まではバスで二時間以上もかかる。大きな半島のつけ根、農山村のはじっこにある遠い町だ。中学生の頃、修学旅行で島の北部巡りをしたことがあったが、山間の小さな谷や海に傾いた狭い台地に村は危かしく寄りあつまっていて、びっくりしたものだった。彼らはいったい何を生業にして暮らしているのだろう。心細さに目をあっちこっちにやると、山の斜面に小さな畑があった。浜べには小舟がひきあげてあった。そしてそれっきりだったのだ。それから何年かすぎて、ひとりでふらっと名護行きのバスに乗ったことがあった。山の端には潮風にひんまげられた喬木がへばりついていた。途中の村におりたつと、黒い節あとをいっぱいにつけた強そうな木々があって、それに取りかこまれて茅葺きの家が隠れているのだった。道も石垣も家壁も白っぽかった。潮風にふきさらされ清められて、すっかり白くなったという感じだった。村内には人の姿が見えなかった。道にはにわとりが餌をあさっていた。浜べに出ると千のスポットライトを浴びたかのようにまぶしかった。小さな人影が二つ、浅瀬で貝をとっていた。手をかざして見ていると六つぐらいの男の子と三つぐらいの女の子で、男の子は貝をみつけると、石で叩いてむき身を潮水で洗って、女の子に与えるのだった。  村の姿はちっとも変っていない。きのこのような家々はいま深い眠りのなかにあって、生活の疲れをいやしている。ぼくはとりとめもないことを考えながら、それらの村に大丈夫かいと声もなく呼びかけていた。地の果てにまできているみたいに淋しい村だ。  名護の町に入って、絵はがきにもなったヒンプンガジマルの下を通りすぎ、道を左に折れて、小さなバーやキャバレーがかたまっている、一角に止った。涼しい風にふかれて清々しながら、そこらあたりの建物に目をやると、壁や戸板には泥水がはねかけられている。はねかけられてはかわき、はねかけられてはかわきして、との粉をぬったようになっている。千津の店には窓ガラスにもはねのあとがあった。軒は額をうちつけるくらいに低く、ドアを開けると黒いカーテンがつるしてある。あいなア、いいところに来てくれたさア。そういって千津は貞三とぼくを大急ぎで中にひっぱりこみ、外の様子をうかがってから鍵をかけ、カーテンをしめた。  あんた、こんな遅くまで遊んでからに、奥さんに叱られないね? 千津はさも親しそうに貞三にいうのだ。ヘッ奥さんか、聞いてあきれる。あんなやつのことは二度と口にするなよ。おい、彼はぼくの親友なんだ。サービスしろ。うんとサービスしろ、まだ初心なんだ。へえー、こんなハンサムがね? 信じられないさ。あ、立ってないで、こっちに坐りなさいよ。  貞三は彼女との離婚については何もはなしたがらなかった。高校時代に知りあって卒業後すぐに結婚したのに、二年もたたないうちにもう別れてしまったのだ。名護の町からさらに北へ、バスで一時間も行った渡久地という漁村の派出所に勤めながら、そこで世帯を持っていたのだが、彼女は田舎の生活に耐えられなかったのだろうか。  千津は酔っていて、ぼくの膝の上に上体を寝かせると股のあいだに手をさしこんで猫のようにひっかいた。貞三はそばの女の首を抱き、口を割ってグラスのハイボールを流しいれようとしている。カウンターでは漁師のように陽焼けした男がバーテン相手に飲んでおり、奥のテーブルには三人づれのアメリカ兵が、二人の女を間にはさんで騒いでいた。名護湾の向うには伊江島があり、軍の射撃演習所があったので、アメリカ兵はそこからボートに乗って飲みにきたのにちがいなかった。  千津の背に手をふれると温かくて、気持が乱れてくるのだったが、それが金でわけなく買えることが、安っぽく思われていやだった。ぼくはえいくそッとばかりに、ハイボールをあおった。あんた、いつもジーパンはいてるのオ、かたいさアと千津はいった。胸苦しくなってトイレに入り、口をふきながら席へもどろうとすると、貞三が千津に何かを手渡していた。千津は思いのほかしゃんとしていて、ぼくの手を引いて裏口から出ようとする。貞三は女を膝の上に坐らせたまま、行けよ行けよと手をふっていう。  家と家の間を、下水溝にかけわたされた板をふんで、よろけながら行った。通りに出て、泥水のはねで粉をふいたブロック塀にそってしばらく歩いた。  ぼくはたちどまった。塀の上にはホテルの看板があり、角をまがればもう玄関になっているらしかったのだ。いやなの? と千津はいった。塀にもたれかかって、また吐いた。袖で口をぬぐった。あんた酔ってるのオ? しっかりしてよ、さあはい。ほこりがつくのもかまわずに背中を塀にくっつけて、ぐらぐらする頭をたれてうつむいていると、千津は両手でぼくの顔をはさみ、首をたてようとしながら、うちのどこがいやなのさアといっていた。うちがきらいならいいさア。きらいなら……。でもよかったというのよ。お金を払って何もしなかったといったら、笑われるから。わかった? 体をすりよせ手のひらでささえた顔をのぞきこみながらそういうのだ。とてもとても、よかったというのよ。みんなそういうんだからさ。  もうろうとした頭をあげて、過ぎたとぼくはつぶやいた。これで終った。そういって通りの向うをみると、ほの明るい海があったのだ。ぼくはふらふらする足で歩いていった。もう貞三にあうこともない。それは終ったんだ。海からの風が、きゅうに肌寒く感じられて身震いした。海原の上には半分に欠けた月があって、青白い光を放っていた。どよめきのような声を秘めた海は、無数の光る波にみちていて、それは群衆の瞳のようでもあった。ゆるしてほしいとそれらに向かっていった。あいつ、彼女とのことで自棄をおこしていて、ぼくは目がはなせなかったんだ。下駄の下で砂が鳴った。そのまま海に入り、手を洗い顔を洗い、それからうがいをした。非番の日には家にいるのに耐えられなくて、バスにとびのり、コザの彼女の家までやってきて、窓を眺めるというんだから、よっぽど苦しいんだろうと思っていたのに、結構たのしんでやがるんだ。波はしずかにうねりながら寄せてきては、砂の上にきゅうにひっくりかえって、白い腹をみせた。  護岸の近くまでもどって、坐るところをさがした。坐ろうとして手をつけると砂が夜露にぬれているのがわかった。そこらにはごみも散らかっている。ひきあげられたサバニ舟によっていき、その下に坐った。あいつ、自分を楽しませることを、もうおぼえてしまったんだろう。酒をのんだり女といちゃついたり……。いや、それが悪いというんじゃない。そうしたいやつは、そうすればいいさ。ただ、ぼくは……。海風は耳の端できれてひゅうひゅうと鳴っていた。酔いと寒さのせいで頭が痛くて、じっとしてもいられない。たちあがって名護岳の上をみると、だいぶ明るくなっている。町の中を走りさるトラックの音がきこえた。二度とあいつと論じあうこともないな。魂としてここに在るっていったって、あいつにとってそれが何だっていうんだ。そんなことでは決して満足しなくなってるし、それだけのことでは……。護岸をはいあがり、こめかみを押えながら町へはいっていった。すかすかになったアダンの防潮林のそばを通り、土ぼこりをかぶって、白くなった仏桑華の生垣をみながら歩いた。遠く近くで雄鶏が鳴いている。公民館があった。広い庭の隅に石灰のふきだした水タンクをみつけたので、もう一度手足を洗った。背中のほこりを払い、うがいをし、水を腹いっぱいのんだ。さあ歩こう。ひとのことなんかほっとけばいい。平気だよ歩けるさ。ああ、それにしても、それにしても……。  大原たちと、四名で江ノ島へ海水浴にいった。海は高波があって、波うちぎわは濁っていた。女子供が、そんな水の中ではしゃいでいた。天気は快晴だった。久しぶりにはめをはずしてみた。若者たちが、砂に竹串をたてて、走り高とびをしていた。ぼくも仲間に入れてもらった。最初はよかったが、しまいには砂を蹴上げて自分に目つぶしをくわせてしまった。大原たちともよくはぐれた。勝手に浜辺を歩きまわり、焼きいかだの、とうもろこしだのを食べた。  自分を楽しませようと思えば、こんなこともできたんだとぼくは思った。小田急線で新宿に帰ってきた。ジーパンにタータンチェックのシャツ、ゴムぞうりばきで人混みの中を歩いた。何も恥ずかしいとは思わなかった。顔は日にやけてテカテカしていた。海水浴からの帰りらしいことは、一見してわかるはずだ。海水浴の興奮はまだ残っていた。はめをはずしても誰もとがめはしまい。人にぶつかるときも、おもいっきりぶつかった。相手がよろけるのをふり返って、ぼくは笑った。  最高に楽しかったよと、日にやけた顔をほころばして住込み部屋のみんなにいった。あかくなった背中を見せてあげた。世の中にはいろんな楽しみがあるものだ。それが判ったような気がする。ぼくは文学だけを追っかけていた。それが苦しみの多いこととは知りつつも……。  常夫君、初手紙有難う。其れを今日か明日かと待ち兼ねて居った時、二十九日月曜日の午後四時五十分頃、配達人より受取って見た時の喜び、其れは云うに云われぬ気持。  一体お父もお母も内心は君よりの手紙を待ち兼ねつつも、出航日より五カ月も音沙汰無しで、真実両親は考えさせられたよ。其の後も大元気で仕事にはまりこんで居るとの事と存じ、一家中で喜んで居る。  手紙に寄れば東京も名所旧跡の風景や其の風俗も知って勉強に成って居るとの事だが、お父うも其れは良いと思うて居る。  また、都会とはどんなに美しく、面白く、愉快な所であろうと、案じていた様で、其れでない事が記されて居るが、本当の事、其れは古里を離れて見れば、良く了解できる事だ。  お父も昭和二年十九歳の頃、比律賓《フイリツピン》に新渡航の時に思い知らされた事では有る。他国は如何に良い所かと思って居ったが、第一に頼る人のない事が大変で、親兄弟の有難さをヒシヒシと感じた。  ま、其れはそれとして、今後も良く注意する事は、万事に気を付け、身体の健康を維持して働かねばならない。  普天間の貸住宅は今月の二十八日に、ヘンリー君達が出て帰米、其の後の新規準の評価はとても厳しくて、家賃も二十五%位、値下げするそうで、色々と金掛りで困って居る。  話は別だが、高原の初姉さんも今回長女が出来ましたよ。由美と命名。  他に沖縄の情報や状勢が、何かテレビやラジオからでも知ることが出来るか、又は東京の新聞でも見て居るか、もし新聞を取って居るなら、毎月一、二回位に分けて送る事が出来たら良いが、此々の新聞も守礼の光も送る心算で居るが如何。  毎日の食物は栄養のある食が得られて居るか、もし欲しいものが有れば、必ず手紙で知らせなさい。  返事は早速出す心算で居ったが、普天間の貸住宅のペンキ塗りやら修理やらを急いで居ったので、少々遅れました。父母より。  ぼくは父からきた手紙を読んで憤然とした。父に送金を頼もうか、無心しようかと思っていたやさきに、(色々と金掛りで困っておる)といってよこしたからだ。(もし、欲しいものがあれば手紙で知らせよ)とも書いてくれてはいるが、これはどういうことなんだろう。お金を送ることはできんが、その他のものなら送ってやってもいいということなのだろうか? それとも、お金を送ることはいやだが、しかし困ったはてのことであれば送ってやってもよいということなのだろうか? そんなふうにも受取られたが、小心者であるぼくは、金掛り云々を読んで、途端に無心することを断念し、そしてそれをあきらめながら憤然としたのだ。  郷里の家でも、ぼくは小心ゆえにひねくれて、変に意固地になり、父母を困惑させたものだ。小遣いが欲しいのにもかかわらず、すなおにそういって、貰おうとはしきれなかった。小遣いをせびりきれなくて、部屋のなかで、しくしく泣いていたのだ。小遣いをくれようともしない父母をうらみ、自分の小心さをあわれんで、胸をやいていた。そして気をとりなおして、部屋からでると、ぼくは白けきって、父母に対するのだった。小遣いが欲しいなどとは、これっぽっちも思ってないという顔をしていたのだ。どうしても、すなおに何がほしい、かにがほしいとはいえなかった。そんなことをいえた義理ではないと思っていたのだ。  兄も家にはいくらも金をいれていなかったので、家計は父の給料だけでまかなわれているかたちだった。小遣いをくれなどといえば、すぐに(仕事にも出ないくせしてようそんな事がいえるな)とやりかえされることも知っていた。(仕事に出て働け、そうすれば、いくらでも小遣いは使える)そういわれるだろうことを予想して、ただ部屋にかくれて、切ない気持におちいるほかになかったのだ。そしてぐすぐすしくしくしながら、自分はひょっとして、フィリッピンの移民地に住んでいた頃によそから貰われてきた子かも知れん、そうでなくっては、こんなに冷たくするわけがない。まるで血のつながりのない他人みたいじゃないか、などと考えて、自分で自分の涙をさそっているのだった。  また我ままをいって叱責されることが、ぼくには耐えられないことでもあった。親のいい分がもっともであり、そのいい分には筋がとおっていると、ぼくはすぐに納得して、やり返すべきどんな言葉もみつからない。叱られればぐしゃりとつぶれてしまって、もう何の文句もいえなくなり、泣きだしそうな顔で部屋に逃げこんでしまう。母はそんなぼくの気持をさっして、部屋にやってきてはとりなし言をいう。もし、それが小遣いのことであったならば、ほれッといって小銭を投げてよこす。ぼくは気持をなおして、その小銭をポケットにいれて、それを使いに出ていくのであったが……。ぼくはふるさとの家での、そんなこんなを思いだして、憂うつな気持におちいったのだ。  立川というところまで行ってみようと思った。ふるさとの感じに似ているだろう基地の町をみてきたい。それから多摩川の河べりをずうーと上流のほうへ歩いてみたい。歩きながら考えごとをして、帰ってきたい。ずる休みといわれたってかまわない。  それで今朝は早く起きた。いつもは仕事開始のベルがなってからはねおき、みそ汁でごはんを流しこんで、ころがるように階下におりるのだったが、今朝は一時間も早くおきたのだ。工場の二階に住みながら、毎日のように遅刻するというのは、これは怠惰だろうか。いや、それはぼくのレジスタンスだと思う。そんなことが何になるのかよくはわからないが、それでもぼくはこれを試みずにはいられないのだ。  みんながまだ寝ているうちに外出のしたくをして、ぼくはそそくさと外へ出た。都電通りは学生たちであふれている。通勤通学のラッシュ時だから、電車も混雑しているだろうと思われたが、郊外へ向う電車は案外にすいていて、気持を楽にすることができた。中野というところで乗りかえて、ひたすら郊外へ郊外へと走っていった。  立川ではまずゲート通りを見た。そこが基地の町であるならば、ゲート通りがもっとも繁華にちがいないと思ったからだ。ところがどこを向いてもひっそりとしていて、ゲートから出入りする車も少ないのだ。なぜこんなに淋しそうなんだろう。そんなことを考えながら歩いていると、日本文字と横文字の看板が半々にかかっている。そのことでふるさとの町のゲート通りとは、雰囲気がすこしちがっているのだった。途中で三人づれの米兵にあったが、彼らは遠慮ぶかそうにして歩いているのだ。肩ひじをはって、大手をふってのし歩くということではないらしい。  やはりちがうんだなとつぶやきながら、ぼくは駅の方へひきかえした。と、向うから草色にぬった軍用トラックが走ってきた。それが古い型のトラックなので、ぼくは目をみはったのだが、よくみると日本の自衛隊員がのっていた。着ている軍服だって、米軍のお古を使っているのだ。沖縄の米軍ではそんな古い型のトラックや軍服は、もう見られなくなっていたのだが……。  北口から南口へいくバスにのった。市内をぐるっと廻ってみようと思ったのだ。ボーリング場があった。それから金網の柵と、広々とした飛行場が見えた。みどりの芝草と白ペンキの格納庫が目をひいた。ぼくはなつかしいような気持で、それらの風景に見入ったのだ。しばらくいくと農業試験場という停留所があったので、ぼくはとっさに手をあげてブザーをおした。農業試験場! 何という好ましい名称だろう。そこがいいそこがいい、そこに行ってみよう。  バスをおりると、欅の大木が何本もそびえていて、道の上に涼しそうな木陰をつくっていた。片側は急な傾斜で、それはむかしの多摩川の沿岸なのだろうか。木の葉ごしに広々とした田畑や河原が見おろせた。試験場の入口には、無用の者立入禁止の立札があったので、柵にそって歩きながら川の方へとおりて行った。あぜ道の草をふみつけていくと、草の種がズボンのすそにつく。どこからともなく、草の匂いもただよってくる。川が近いせいか空がひろくて、あたりはぼんやりとした明るさにみちていた。すずめの一群がナシ畑の上をかすめて、向うの草原にとんでいく。ぼくは何度も吐息をついた。すると自分の吐く息吸う息がはっきりと聞きとれるので、ふっとおかしくなったのだ。  ぼくは土手に坐って、ぼんやりとあたりを眺めていた。川下には鉄道橋があって、おもちゃのように小さな貨物列車が、ゴトゴトと橋をわたっていく。上流の方にも橋がうすがすみのなかに見えて、豆つぶのような自動車がゆきかっている。空はたかぐもりで、全体が黄色く輝いていて、とてもむしあつかった。遠くの方には、たなびく雲かと見まちがう山並みがあって、いく重にもうちかさなっている。すべてのものが眠っているかのように静かだった。そんな自然のなかにぽつんと坐っていると、なぜかしら声をだしてみたくなるものだ。奇妙な声を空にはなってみると、河原の水鳥がばさばさと飛びたって行くのが見えた。  動かない山にかこまれゆるぎない大地の上で、いままで何をしていたのだろう。青草の上に寝転がって考えるともなく考えにふけっていたら、いつのまにか寝入ったようだった。目がさめると風がでていて雲がながれ、雲のきれめから西陽がつよく照りつけている。ずっきんずっきんとする頭痛があって、とても疲れてしまっていた。久しぶりに陽にあたったからだろうか。頬もひりひりと痛かった。たちあがって草ぼこりを払いおとした。さて、帰ろうかと思ったのだが、たちさり難い気持でもあった。  沖縄のコザの町の琉米親善センターという建物のそばには、高さ十五メートルほどの岩があった。岩というよりも、石灰岩に土がかぶさってできた突起というべきだろうか。その突起の上にのぼって立つと、町の二階だての建物の高さよりもわずかに高く、町の屋根々々が見わたせるのだった。突起のすぐそばには、映画館が二軒ならび、それにひきつれられたように商店街がかたまっていた。島民相手の商店街はひっそりとして、買物客は少ないようであったが……。それらの商店街をとりまいて、住宅風の瓦屋根が並んでいた。ただ単に、町は暮らしやすいからと集まってきた人々の住む家々であろうか。そういう家々のあいだを縦につっきる軍用道路があった。その両側には米人相手の店々が並んでいて繁盛しているようだった。カルテックスだのスーベニヤ・ショップだのファーニチャ・ショップだの、いろいろな横文字の看板が並んでいて、ガソリンから金網まで売っているのだ。そういう店に働く人々が住んでいるのが、これらの住宅なのだろうか。  西方の、町のすぐ裏手には広大な米軍基地も眺められた。嘉手納空軍基地である。それらの基地に勤める人々も、この町にはたくさん住んでいた。空軍基地の向うには、塚山のような緑の小山がいくつも見られたが、それは知花の弾薬倉庫地帯ということであった。そこには核弾頭をつけた大陸間誘導弾の発射台もあり、核爆発物も貯蔵されているという噂であった。米軍は深夜に核爆発物を搭載して出撃する緊急発進の演習も、ときどき行うということであった。空軍基地と弾薬庫地帯は隣りあわせていて、牧場のなかを流れる小川のような軍用道路が、そのあいだを走りぬけている。島の東海岸と西海岸を結ぶ主要な道路でもあるので、住民をのせた乗合いバスも走っていればタクシーも走っていた。タクシーの運転手は深夜の演習にときたまぶつかったりして、通行止めをくらうこともあるということだった。タクシーの窓から、米軍のものものしい演習を見物することができて、原爆だ原爆だと眼をひからせて見るという、そんな話を運転手をしているという人からきいたことがあった。  もう十一時前であるが、階下ではまだガチャガチャと丁合機が動いているし、カチカチという表紙くるみ機の音もきこえている。みんな疲れきって残業をやっているのだ。汗をながし、くたくたになりながらも頑張っているのだ。ぼくは二階でくつろぎ……いや、そうではない。ただ、仕事をしないで坐っているというだけのことで、気持としては苦痛におちいっている。  一日に十時間も十二時間も働くのは、ばかばかしいと反抗的に考えて、ぼくは六時定時(これさえも、もう一時間は残業していることになるのだ)にしまって部屋にかくれたのだ。もし社長《おやじ》が二階にかけあがってきて、(よう、お前、なぜ残業出ないんだ。どこか悪いのか?)ときいたら、ぼくはすなおに(毎日残業ばっかりじゃ、耐えられないですよ)そういおうと思って、かたく身がまえてじっとしていたのだが……。  その結果ぼくは本を読むこともできなかったのである。白秋詩集とノートを机の上にひろげたまま、坐ってみたり寝ころがったりして、何も考えられず何も書くことができなかった。十一時になってみんなが二階にあがってきた時にも、すまないようで顔があげられない。みんなに合わせる顔がなくて、心が安まらない。勉強には不適当な四、五時間がすぎてようやくいま、このノートに向かっている。  下着をとらんとする者には、上着をも与えよ。一緒に一里行くことを強いるなら、ともに二里行け、という福音書の言葉が、ぼくを考えこませる。社長《おやじ》は働くことを強いる。ぼくは働くべきか? 働くことを肯定し、それを喜び受けいれるべきか。それとも、働くことを否定的に考えて、やむなく、消極的な気持で、むしろ苦痛に思いながら働くべきか。そしてチャンスあるごとに、怠けたり休んだりする。ぼくはどっちの考えにつくべきだろう。  上着をも与えよ、ともに二里いけ、という言葉からおしはかると、銃をとれ、と強制される時には、銃をとるということにもなるし、御輿をかつげと強いられたら、強いられるままに、それをかつぐということにもなる。いったいそれでいいのだろうか? 銃をとれと強制されて、戦争は始められたのではなかっただろうか。殺せと命じられたら殺してもいいのだろうか。イエスがいったことと、このこととは別の問題だろうか? わからない。  社長《おやじ》が仕事に出ることを望むのだから、いやではありながらも、働いた方がよさそうだ。働いてぐったりげっそりして、二階へあがってくる。(いったいこれでいいのだろうか)という考えを抱きながら、あがってくるのだ。古畳の上にごろりと寝ると、もう活発な思考がはじまっている。一日に十三時間も働くのは耐えられないことだが、しかし泣きたくなるのを我慢して、いや泣きながらでもいい働いて、苦しい、つらいと叫びながら、考え深くするのが、いいのかも知れない。  疲れている。あしたは土曜日。あさっての日曜日は出勤なので、仕事を休んで街をうろついたり、遠い郊外へいったりしたいと思っていたが、そんなことを思っているぼくとは関係なく、新助さんは仕事に追われどおしで困るといった。ぼくは休めなくなった。そんな新助さんを放っておいて、彼だけに苦労を負わせるのはわるいことだ。  夜もだいぶふけた。十一時半ごろから米軍放送をきいている。黒人のうたうポップソングが流れてくる。電燈は消してあって、暗やみに目をみひらいてポップソングにききいっている。こういう夜に、ぼくは思い出がある。  ふるさとの家で、ほんのこの前まで毎晩のように夜ふかししながら、KSBKという米軍放送をきいていたのだ。いや、きいていたかどうか、ラジオの音楽は深夜の部屋にひとつの雰囲気をつくっていたにすぎなかったとも思うのだが、とにかくぼくはラジオをつけっぱなしにして、本を読んだり筆記したり思いにふけったりしていた。  KSBKでは日がな一日、そんな音楽をきかせていた。胸の苦しみを忘れるために、ひっきりなしに酒を流しこむ酒飲みがいるとするなら、兵士に兵士たる苦痛を忘れさせるために、ひっきりなしに音楽をきかせていたのだろうか。新しく流行った歌を、とっかえひっかえしてきかせるのだった。ぼくは苦笑しながら、ときにはそれにききいって頭を休めるのだったが……  考えるのにも疲れて、ついうとうとしたり寝入ったりすることがあって、隣りの部屋の甥たちの泣き声にはっとしてめざめてみると、ラジオはやはりかすかにポップソングを流しつづけていたのだ。これはいかんとねむけを払って本に向うのだったが、そのころから、ぼくが日夜考えていることは、何とかして小説が書けるようになりたいということだった。そしてそれはきわめて具体的な追求でもあったが、また激しい思いつめでもあった。  ぼくは午後から仕事を休んだ。佐藤さん渡部さんと三人で、仕事についてちょっとした真剣な会話をしたばかりだった。あんまり働く気持がないとぼくがいったのに対して、困るねえ、そんなことではと佐藤さんはいう。なぜ困るのであろう。佐藤さん自身が困るというのであろうか。社長のために困るというのであろうか。あるいはぼくのためによくないというのであろうか。  困るという言葉のなかには、半強制的な含みもあった。いまは忙しい。仕事はいちだんらくはしているが、それでも何やかやと雑多な仕事がつまっている。それを早く仕切ってしまわなければ、次の仕事がまたつかえるわけだ。仕事がつかえると社長が第一に困る。儲けが少なくなる。働いている人達も困ることは困る。とどこおった仕事をかたづけるために遅くまで残業しなければならないからだ。  そんなことを書いてから、ぼくは気持を変えて外出した。窓からぬけだして風呂屋へいき、貸し手拭いと五円石鹸で体を洗い、神保町をうろついた。そのうちにまた気が変って映画をみることにした。「野のユリ」はいい映画だった。さて映画をみ街をさまよって帰ってきてみると、九時すぎだというのに田中製本には蛍光燈が白くかがやき、戸はあけはなたれていて機械が動き、みんなは汗みどろで残業していたのだ。社長《おやじ》はぼくに怒っているであろうか。体がわるいからでもなく、ただ怠けたいというだけの理由で、ずらかったぼくに腹をたてているだろうか。それにしてもどれだけ社長《おやじ》に甘えれば、ぼくは気がすむというのだろう。 (いまどき月五千円で部屋を貸してくれ、夜具を貸してくれ、一日三度の食事の世話もちゃんとやってくれるところがどこにある? 風呂にも月に十五回はいかせてやり、テレビも見たければ食堂で見せてくれる、そんな設備のある家がどこにある? こんな設備のある家にお前を飼っているのは、遊ばせるつもりがあるからではないのだ。お前の労働が欲しいから、こんな設備を整えておいてやってるんだ。お前に生活を楽しませたいからそうしてるんではない。こっちはただ、お前の労働がほしいだけなんだ。それを何だね、仕事を怠けてみたり休んでみたり気ままにして。午前中働いて、どこも悪いというのでもないのに午後からにげたりして、お前にどんないいわけがある?)  社長はぼくにそういってつめよってくる。ぼくはただうつむくだけだ。ゆるしてください、しかしゆるしてくれないというのなら、ここを出ていかなければならないのだが……。出ていくとなると、また寝る場所と食事を出してくれるところ、つまり働かしてもらえる工場をさがしてあるくことになる。仕事はどんな仕事でもやるつもりだから、すぐに見つかるとしても、しかし気苦労ではある。ぼくは宿なしの風来坊として街をさまよう。そんなときのぼくの心は荒れている。自分が情ない身の上であることを、そのときほど思いしらされることはない。ああ寝場所と食物を与えてくれるところはどこだ? 寝場所と食物! とつぶやきながら、落ちぶれはてたような気持で歩くだろう。そして生皮をはがされたいなばの白うさぎのように、ちょっとした風にもひりひりと心身を痛めるだろう。  街歩きをすると、美しい女性をよくみかける。そしてぼくは思うのだが、どうして恋人ができないのだろう。一緒に街を散歩したり、気持のいいおしゃべりをしたり、自分の心底をさらけだして語ったり、愛する女性の心の真実の姿を知ったり、実際の生活をのぞいたりしたいのだが、これはいけない気持であろうか。  公園のベンチに美男美女が、まるでひとつがいの文鳥のようによりそって坐っているのをみたり、人混みのなかを、お似合いのカップルが、流れに遊ぶ白さぎのように歩いてるのをみたりすると、ぼくの気持はたかぶるのである。ああ、あんなふうに手に手をとって、甘い気持になって夢中で歩いてみたいものだ。ぼくはそんなに�嫌《や》な影《かあぎ》�というわけでもないだろうに、いやぼくには自分の�影《かあぎ》�がわからない。いったい十人並みであろうか。それともそれ以下であろうか。  歩きながら、ショーウインドのガラスに映った自分をちらっとみると、ポケットに手をいれて気さくな風体をしていたが、顔に生気がなかった。とがった頬骨、狭い額、貧弱そうな唇で、ことごとく自分を失望させたのである。そのうえ、自分をはっとさせるような異様な目があった。片眼が白くひかってやぶにらみであったのだ。  田舎の町で毎夕、ぼくは小学校の鉄棒にぶらさがりにいったものだが、学校の近くの家の小学五年生のあけみちゃんは、ぼくのことをすぐろほまれに似ているといったのである。また、ぼくの叔父の洋裁店に働いているそのこさんは、いしはらゆうじろうに似ているといってくれたのだ。ぼくは(そんなに清《ちゆ》ら影《かあぎ》かな)と思って、鏡をみるようになってしまったのだが、そういえばそうにもみえた。  そんなことがあって、東京へ出てくる時には恥ずかしいような気がしたのだ。ゆうちゃんに似たぼくが、ゆうちゃんのいる東京にのりこむのである。しかしここでは、ゆうちゃんのことは何も知らないふりをしていた。口にもださなかったのだが、工場の新助さんは、みはしたつやに似たいかす男だというのだ。どうもわからない。このやぶにらみは気にならないのだろうか。  ぼくの兄はとても清ら影であった。東京のどんな男にくらべても、見おとりしないほどの美男であった。さだけいじに似ていると皆はいったが、ぼくはむしろ、もっと繊細で知性的な顔をしていると思っていた。長髪をぱらりとたらして町を歩くと、はっとする人もいたようだ。兄は少年の頃から、皆から愛され可愛がられていたが、無口でおとなしい性格で、それは青年になっても変らず、自分で恋人もみつけきれないほどであったのだ。  兄のことが出たついでに、祖父のことも持出さねばならない。ぼくの祖父は、七人も嫁を取っかえひっかえしたほどの美男で、祖父が七回も嫁を取りかえたのは、子宝がほしいからであったのだが、最初の妻に一子があったのみで、何度取りかえてみても子ができず、ついに自分に欠陥があることがわかったらしい。�小便破れ�で死んだのである。兄はこんな祖父を嫌っていた。いつもひっこんでいようとしたのには、そのことが原因でもあったようだ。そして見合い結婚をしたのである。  ところで父は、花肝《はなじむ》のおじいといって祖父のことを自慢していた。しかし容貌の点では、似ていなかった。祖母方に似て、ずんぐり骨太の百姓タイプであった。男性的ではあるが、ぼくは不運にもこの父に似たと思っている。そして祖父に似た兄を好運だと羨んだものだ。祖父の花肝と父の骨太さは、ぼくに合わさったと見なしたくもあるが……それでもぼくにはまだわからない。自分は嫌《や》な影《かあぎ》であろうか。それとも清《ちゆ》ら影《かあぎ》であろうか。  ある日ぼくは山羊の草刈りにいって、山でさびた拳銃をみつけたのだった。野山にはまだたくさんの弾薬がちらばっている時代だったから、拳銃などめずらしくもなかったのだ。夏になって日中の気温が三十度以上にもあがると、土に埋もれた弾が熱しられてはじけることもあったし、山火事があるときまってパンパンと銃弾の破裂する音がきこえるのだった。畑をたがやしているとさびた銃剣がでてきたり、田をうっているとまがった鉄砲がひっかかったりする、そういう時代だったのだ。  拳銃はずしりとした重さでぼくの手にこたえた。ひきがねにようやく指がとどくくらいに大きかった。松の木にねらいをつけて口でパンパンとうった。母にみつかるとしかられるのだが、ぼくは拳銃をもっこの草のなかに隠して家にもちかえった。友だちの誰かをびっくりさせてやろうと思ったのだ。山羊小屋のうらでこびりついた土を落そうとして、鎌の頭でたたいているとバンとほんものの音がして、拳銃をつきはなすひまもなかった。土がはねとんで目にはいったのか、右目がおかしいのでさわってみると血がでていた。井戸へいって顔を洗ってもなんだか目がへんなのだ。部屋にはいって鏡をみたら右目は白くにごっていた。すぐに母にみつかって騒ぎになり、父は自転車をかりてきて町の病院へつれていってくれたのだったが、右目はそれっきりなおらなかった。  そして村のなかま達とけんかするたびに、(目っ切れ軍曹、戦《いく》さの先走《さちば》い)とはやされることになるのだ。戦争がきらいなのに、戦さの先走《さちば》いなんて! ぼくにとってそれはいちばんの侮辱なのだった。なかま達は少年の鋭敏さで、けんか相手のもっとも痛いところを見ぬき、いちばんいやがる悪口を考えだして、逃げながらそれをあびせるのだ。ぼくは胸をやかれるようなくやしさで、いかりの涙をながしながら見境いもなく石をぶんぶんなげるのだった。中学生になるとその村をでて、コザ市へ引っ越したので町ではけんかはしなかったし、くやしい悪口もいわれずにすんだ。が、けんかをすればいつでも悪口をいわれ、くやし涙をながすことはわかっていたので用心もしていたのだ。そのころからぼくは内気になり引っ込み性にもなったと思う。 「おきなわは、行かないのか?」  佐藤さんの奥さんは、床をあげているぼくにそういった。みんなは、製本会社対抗の野球試合に行くというのだ。朝の七時に起きて物音たてて支度するやら、足音たかく廊下を走るやら、大声で話しながらの食事やらで、騒がしくて寝てもいられない。たまの日曜日なのに、起床ベルがなったりして。野球にいかない人もいるのだ。そして寝惚けまなこで床をたたんでいると、この言葉だ。おきなわから出てきたぼくのことをそう呼ぶのだ。何という、ぶっきら棒で教養のない言葉であろう。ぼくは腹がたっているうえのことであったから、ぶすっとして見向きもしなかった。 「あら、おにいさんは答えないよ!」  笑いながら奥さんは向うへいったのだが、あきたはいくのか? という言葉が、喉もとにまで出かかっていた。奥さんは秋田から出てきて、この会社に勤め工場長の佐藤さんと結婚した。子供が一人あって、二階のもの干し場の向うのひと部屋に、三人で住んでいる。そして賄いの仕事をひきうけているのだが、文句がたえないのだ。朝起きてみると台所が汚れているだの、テーブルに灰が落ちていただの、みんな子供みたいにわからずやだのというのだ。賄いの仕事を嫌っているようで、誰もやってくれる人がいないから、仕方なくやってあげているという顔をして、栄養に配慮のない食事をだしてすませている。  秋田なまりの残った声で、(あらとしくん帰ってきたの?)と、幼稚園児の自分の子にいったり、(佐藤さんをちょっと呼んで)とか、自分の夫のことをそういったりする。自分の子供をくんで呼び、自分の夫にさんづけをして、身内を敬う気持はよくわかるが、他人を敬って、その上で身内をも敬うというのではないから、いや味だ。もう半年以上もここに勤めているというのに、いまだにぼくの名前も知らず、ぼくを呼ぶときには、(おきなわ)とか、(あまみの人)とかいうのだ。  いったいに、ここに住んでいる人は、社長《おやじ》をはじめ、みんなそうだ。社長《おやじ》もぼくのことを名前で呼んだことはなく、(課長)とか、たんに(よう)というのだ。ほかの人もみんなそれにならって、(だんな)というのだ。(せめて若だんなと呼んでくれ)と注文をつけたら、(え? ばかだんな?)といいかえされて、まいってしまった。仕事をする人の出入りがはげしく、半年もしないでやめていく人がたくさんいて、そんなことで新しい人を無愛想にとりあつかうのだろう。それに耐えて二年三年と勤めたら、はじめて名前を覚えてやるというのかもしれない。そんな空気が、この工場にはあるのだ。  心に秋風がしのびこんだ。近頃めっきり肌寒い。やがて冬がくるであろう。口から白い息をはき、おおさむ、おおさむ、といってえりをたてる。手足をちぢかめる。外には寒風がふきすさみ、家も樹も犬も道も、ちぢこまって、じっとしている季節だ。ぼくは静かな部屋にいて、何かわけのわからない感慨にふける。  布団をひっくくって、大山のブロック工場の住込み部屋へ逃げこんだのは、ちょうど今ごろの季節であったような気がする。最初の十日ほどは、仲間と共同で自炊したが、彼は不潔であったから、ひとりになった。米をとぎ洗っていると水がつめたかった。食事をおえると電燈を消して、むしろの上にあお向けに寝て、消化を待ちながら思いにふける。耳をすますと遠い海鳴りがきこえ、ほのぐらい戸口からは海風がふきこんだ。蚊や羽虫も入ってきた。原始にかえったような気持で、自分をみつめ、空をみ、海鳴りをきいた。肌寒いと思いながら、それにもかまわずに……。  そんな生活で感じとった不思議な感慨が、いまになってふっと心によみがえるのだ。それは初めて家を出たころの気持でもあった。働いては自分で炊いた雑炊《ぞうすい》をたべ、たべては寝るという生活のなかで味わったある気分だった。  それからぼくは大山ブロックをやめた。夜逃げのような、せっかちな移転だった。おやじさんが、住込みは火元があぶないから、もうおきたくないというのだ。せっかく決心して家を出たぼくは、半年もたたないうちに、家にまいもどるのがつらかった。それで貸間をさがして歩き、仕事も玉本ブロックに変えることにして、その近くの村に家をみつけて引っ越した。貧家であった。ぼくは傾いた便所を修繕したが、井戸水がどぶくさくて、どうしても使えない。それで二日目には家に帰ってしまった。  めまぐるしい生活であったが、ぼくは一途《いちず》に生きたのだ。思いつめて、自分の前途をきりひらこうと、あくせくしていたのだった。その時に感じた何かが、今ごろになってよみがえってきたかのようなのだ。なつかしいような、いたましいような、わけのわからない……。  田中製本では、近ごろ、また新聞に求人広告をだしたようだ。その広告をみて、新しい人達が入ってくることだろう。車から�りんてん�をおろす手伝いをしていたら、田中製本というのはこちらですか? ときく女性がいた。どぎつい化粧をして、すこしとがった目をした二十四、五歳の女性だ。目のふちを黒くぬっているから、きつくみえたのだろうか。事務所へ面接を受けに入っていったが、たぶん広告をみてやってきたのだろう。もうちょっと、清楚な感じのする女性はこないものかな。髪をひっつめにした、高校を卒業したてのような娘がくればいいのにな。それとも、いなかの貧しい家から、ぽっと出てきたような……しかし、そんな思いとは関係なくぼくはだんだん暗い気持になった。仕事をさがして歩く人達のことを考えたら、そうならざるをえないのだ。  仕事口をみつけたいとしている人の身になってみると、あの人たちは必死なのだ。働きたい。生活は困窮している。働かねばもはや生活できないどたんばまできている。どんな職場でもいい。給料が安くても、仕事がきつくても、早く働こう。とにかくいそいで仕事につかなければ倒れてしまう。そう思って切羽つまっているのだ。そんな経験はぼくにも何度かある。金のあるあいだは、いい職場をみつけたいといって落着いて歩きまわっている。遊び半分の気持でぶらぶらし、場末の映画館なんかに入ってしまう。どうせ、いい職場なんてみつかりゃしないよといってみたり、なぜ奴隷みたいにつながれなければならないのかと考えたりして、なかなか仕事口はきまらない。そんなことをしているうちに金はなくなって、切迫してくる。心は焦って、もう遊び半分ではいられない。何が何でも働かねばならない。どんなところでもいい、とにかくとびこまなくては……。そして、首をうなだれていきあたりばったりの工場にとびこみ、頭をさげて哀願したいような思いで、面接をうける。もはや職にありつきたいという以外に、何の要求もなく、わずかの金で雇われて唯々諾々と働くのである。  ぼくには、人間のそんな安っぽさが痛ましい。いっぽう人間の労力をやすやすと奪うチャンスに、めぐまれているこの社会制度が癪にさわる。  十時まで残業をして足も膝関節も痛く、体はかわききって、労働のあとの熱いほてりが残り、全身は気だるく、二階へやっとの思いではいあがって、もう何をする気もおこらない。部屋にはいるなりごろりと畳の上にころがり、体をなげだし深く息を吸い、それからゆっくり息をぬく。と、その瞬間に胸にうずくような痛みがきて、心臓はだくだくとなり、なぜだか涙が流れるのだ。  そうして草臥《くたび》れきって寝ていると、憑《つ》かれたように想念が動いて、きりのないもの思いに沈んでいく。それはもはや仕事がきついとか、残業がいやだとかいうことではなく、こんな生活をどうにかしたいとか、胸の苦情をうちあけられる恋人がいたらいいとかということとも関りなく、それよりものんきだった昔のあれこれを思いうかべたり、どこか知らない遠い土地を歩いていたりするのだ。  丘のうしろの日だまりに茅葺きの屋根があつまっていた。碁盤わりにつくった狭い村道にそって建つ二百戸ばかりのとんがり帽子だ。どの家もトウバイホーの柱にベニヤ板の壁、六畳一ト間の母屋にトタンのひさしを付けたして台所にしている。収容所から解放されてもどってきた村人たちが共同で建てた標準小屋だ。台風をまともにくらうと飛ばされてしまうので、風があたらない丘の陰にかたよせてつくってあるのだ。 「春夫《ハーロー》、山羊の草刈《くさか》いが行《い》いかんな?」  門口か家に向かって唄うように呼びかけると、半ズボンをはいてまっくろい膝小僧をむきだしにした春夫がとびだしてくる。 「おおッ行くいく。待っちょれヨ、としあきヨーイ!」 「としあきもナ?」 「うん、追うて行くんとヨ。いい場合《ばあい》やサ、道具はあっ達《たあ》に持たせえ。オーイ、出発どオ」 「あいッ、待てまてッ」  丘はうねりながらうちつづいて、小さな森と谷をつくり、くねくねと曲った舗装道路が縦横にはしり、赤瓦と白壁のハウスが点在している。そこはアメリカ人の家族が住んでいる住宅地域だ。いたるところに芝生の庭と花壇があった。芝生の庭では子供たちが金色の髪を風になびかせて遊んでいた。花木の中からは茶色の髪をリボンでたばねて、白い手足をかがやかせた奥さんが顔をあげたりする。道ばたには自転車が乗りすててあり、庭にはおもちゃが転っていた。そこは通りぬけるだけでも胸がわくわくする別世界だった。歩きながら道ばたの草を刈った。草の中にバスケットボールが落ちていることもあった。ひろってきてアメリカの手ざわりを楽しんでから、そこらの生垣の中にほうりこむ。どのハウスの庭先にもごみバケツがあった。ぼくたちはもっと胸をわくわくさせて走りよる。 「我《わん》や、いちばーんッ」 「我や、にイばーん」  まっさきに声をあげた者が、一番よさそうなごみバケツに駈けつけて蓋をとるのだった。パンの切れっぱしにタバコの吸いがら。野菜のくずにコーヒーのかす。蓋をあけると同時にアメリカの匂いにむせてしまう。汚れた人形やこわれたおもちゃ、写真がいっぱい載った雑誌や古くなったズックシューズ。これらは捨ててあるのだから取ってもいいのだ。吸いがらは父のためにひろった。パンの切れっぱしは鶏のえさ。ズックシューズは洗ってはけるかどうかを調べ、汚れた人形は妹へのおみやげだった。  そんなふうにして草を刈りながら、家族部隊の奥へ奥へと入っていくと、何やかやたくさんの収穫があったのだ。P・X(共同売店)の前のごみ箱には、もみがらといっしょにリンゴやぶどうがあった。ふくらんでしまった罐詰や古くなった枕パンがあった。|庭  師《ガーデンボーイ》として働いている大人でさえもそこはねらうのだ。 「いちばーんッ」 「にイばーんッ」 「さんばーんッ」 「あれーッ、何《ぬう》ン残ってや無《ね》えらんもんなッ」 「あーア、先にやららったんや!」 「誰《たあ》がやら、なア、さぐったるはずヨ」 「リンゴ一つん、見《み》つからんな?」 「あッ、まるまるのチキンがッ」 「えッ? おいッ本当《ふんとう》なッ」 「ンだ、見しれッ」 「紙袋《かんぶくる》に包まって、すみにあったんデ」 「ひゃあ、儲けたんやッ」 「分《わ》けて、食《か》まなッ」 「食《か》むん?」 「皆《ンな》し食《か》まなヨ」 「皆《ンな》し、な?」 「山の草の中かへ持《も》っち行んじ」 「見つからかんや?」 「隠っくせえッさ!」 「あの水タンクの下や増しよッ」 「豚のものにせんな?」 「ばかひゃあ、もったいないッ」 「水タンクの下ンかへ持っちいけエ」 「美味《まあ》さかや?」 「美味さんよ!」 「油《あんだ》ジイジイし居《お》んデ?」 「油は栄養に成《な》ゆんッ」 「下痢やせんかヤ?」 「心配やれや、食《か》まんけ」 「いい香気《かば》やア」 「アメリカーは毎日《めえにち》こん如《ごと》うる食物《もの》かや?」 「ステーキや毎日、チキンはクリスマスによ」  絵や写真がたくさん載った雑誌は好きだった。それを眺めて毎夕を楽しくすごすことさえできたのだ。蔦のからんだヨーロッパの城や黒光りするマホガニーの家具。空想のうちにぼくはそれを自分のものにした。赤いスポーツカーが枯れ葉のちりしかれた森の道にとめてあった。スポーツカーに乗ってその道をいった。少年時代のリンカーンが炉端に腹ばって、本を読んでいる絵では、ぼくも一緒になって本を読んだ。炉の火がほんとうに頬にあついので顔をあげると、おふくろが竃《かまど》の火をかきだしている。気にいった絵や写真は、切りぬいて壁にはりつけることにしていた。ベニヤ板の壁はどこを見ても埋まっているので、たんすの横にはることにした。 「おっかあ、ご飯はまあだナ?」 「なアすぐド、待っちょれヨ」 「ご飯粒くれエ」 「蒸《うぶ》さんとならんもん、まあだ蓋は取られん、待っちょれエ」  ご飯にはさつま芋が切りこんであった。それを煮干しの味噌汁でながしこむ。空腹と疲労でねむくなってしまい、何を食べても味がわからない。 「あれ、つねヨ。鼻や汁ンかへつっこまんけよッ」 「トロトロせえならんド?」 「とよは煮干しは好かんナ? ようく捏《かな》アせや味濃《あじこ》うやろもんに」 「あーア毎日、煮干しの汁ばっか」 「はあ、また文句たれれヨ」 「好かんだれや、兄さんに食《か》ませエ」 「我《わ》にンかへは?」 「あい、今《なま》さっきまでトロトロし居《お》る者《もん》が」 「ああ、我や足らんさア」 「食物は、腹八分が大事ド」 「……しても、まあだ八分に満たんもんにナ?」 「はあこの餓鬼は、皆《んな》、平等の等分やあらんな? 文句はいわん」 「…………」 「あれッまた、すぐ面ふくれてシクシクするか? ンだ、おかあヨ物置きから棒もって来う」 「暗さるもん、灯籠点《とうろち》きてろ行かれゆんテ」 「…………」 「長棒が増《ま》しか短か棒がましか。長棒で短か追われすシと、短か棒でなが追われすシと、どれが増しかや?」 「……長棒も、短か棒も、いらんヨ」  そんなことをいってしまったので、棒も持たずに追われるはめになったのだが、おやじの手から逃れて、便所と生垣の間のすきまをすりぬけると、外はずいぶんと寒く、そして暗いことがわかった。  あるいは疲れきった体をなげだして、夢想の幻影ばかりを追いかけていたせいだろうか。寝入りばなにぼくは、肉体を離れて空中に浮遊している自分に気づくのだ。その瞬間にスッともどってしまうのだが、いままさに眠りに落込もうとするその夢現《ゆめうつつ》のはざまで、いつしかまた浮遊していて、天井も屋根もなくなり、闇の底からゆっくりと薄明りの世界へわけいって行くのがわかる。恐くはなかった。想念によってふるさとの浜辺を歩いたり、懐かしい人に話しかけたりするぼくには、むしろうれしいことだった。  気がついた時にはすでに一つの場所に立っていて、眼前にひろがる光景を眺めていた。草のじゅうたんに被われた平野があって、それに足をふれることもなく進んでいくと、草の中に黒人の少女が安らかな顔で眠っている。寝顔があまりに愛くるしいので、立ちどまって見とれていたが、彼女の眠りを邪魔してはならないからと先へいった。向うの木立ちのそばを四、五人の男女が語りあいながら逍遥している。ああそれは何と美しい姿であったことだろう。それを目にしただけで恍惚となってしまうような、駈けよっていきたいけれど自分が穢れているので出来ないような、それほどまでに清らかな存在であったのだ。  ぼくは顔をふせてしまった。すると奇妙なことに自分の足が見えなかった。自分には自分の姿が見えないというのが、この世界の法則であるらしかった。だから美しいもの清らなものには、無我夢中で駈けよっていけばよかったのだろう。躊躇する者はこの世界にふさわしくない。自らを意識することさえ、ここではゆるされない。そのことがわかったので、すでに躊躇してしまったことが悲しかった。  目をあげて右手を見ると、小高い丘にひかり輝く宮殿があった。太陽を透かした雲のように、全体がまぶしく輝いているのだ。黄金色《こがねいろ》のひかりのためにこの世界は美しかった。そしてぼくには一瞬のうちに次のことがわかった。宮殿に住まわれる方がひかりそのものだから、それが光源となって宮殿も輝いているのだ、と。(有《あ》られたのだ)とぼくは思った。それを知ってどんなに胸が安らいだことか。それだけでぼくには充分だった。  これ以上なが居してはならないような気がして、そこを離れた。闇が広がっている世界へ向かって、流星のように落下していく。大気と摩擦して体が燃えるくらいにあついのだ。ズシーンとした衝撃を感じてぼくはとび起きた。住込み部屋の垢汚れた布団の上に坐っていた。胸はまだ高鳴り、額からも腕からも汗がふきだしてくる。窓からさしこむ街灯の薄明りで、壁の釘につるされた仕事着やタバコの煙ですすけた天井などがはっきりと見えた。  新入りの渡辺明(通称P公、彼は前にもここで働いていたとのことで、みんなにそう呼ばれる)が精神病看護の本を買ってきて、テーブルごたつに足をつっこんでいるぼくに見せにきた。  彼は精神病患者で順天堂病院を退院したばかりである。言語障害があって、耳はまるっきりきこえないらしい。手紙やはがきは書けるけれど、長い文章になるともてあましてしまって支離滅裂になる。そんな手紙文を歯がゆさのあまりに、直してやったことがあったのだ。  その時、この人は本当に頭がわるいのだと決めてしまって、ぼくはつきあうのもほどほどにしようとしてきたが、彼のほうではぼくになついてしまった。新聞雑誌は読めるし、それにこんなふうに自分の病状を知って、それを何とかしようと本をみつけてくるところなどを考えあわせると、いじらしくもあってまんざらでもないと思うのだ。  仕事中に「看護の本あるか」と、筆談できたからぼくは何のことかわからずに困った。そんな本を持っているかときいてるのか、それとも本屋にそんな本があるだろうかときいてるのか、どっちだろうと「何の看護の本か」と筆談でききかえした。けれどもそれは適切な質問ではなかったらしく、彼は金をだしてみせ口頭で「本買いたい、どこか」と質問したのだ。こんどは即座に理解して、医学書を専門に売っている本屋を地図で教えておいたのだ。彼は残業を休んで本屋へいった。  彼はこたつの向い側に坐って、精神病看護の本に首をつっこんで読んでいる。苦しそうに頭をひねったりするので、本をちょっと貸してもらって頁をめくった。(1)妄想幻覚のある患者、(2)無為閉居患者、(3)拒絶症状のある患者、(4)興奮患者、(5)自殺企図のある患者、(6)不潔患者、(7)逃走企図のある患者、(8)放火弄火行為のある患者、(9)発作のある患者、(10)合併症のある患者。  ぼくはくすくすと笑ってしまった。小説の題材にはもってこいではないか。たとえば上林暁の「絶食の季節」には、そんな症状をもった若い男女が登場する。伊佐子という娘は農家の長男のところに嫁入りするのが嫌なのに、周囲が何やかやいって嫁がせようとするから祝言《しゆうげん》の前日から(4)の興奮患者となり、それから(3)の拒絶症状をあらわし、つぎには(2)の無為閉居となりその間に(5)の企図を持ったり(7)の企図を持ったりするのだ。賢一という青年も大学へいきたいのに、農家の跡取り息子であるばかりに大学へ行かせてもらえなくて寝込んでしまう。  心の中に激しい念願や希望を抱いているにもかかわらず、周囲の者がやいやいいって邪魔したり、それにそぐわないことをさせようとしたりして、ついに無為閉居や拒絶自閉の状態におちいり、それにおちいってまでも心の願望をおし通そうとする、そんな行動にぼくは一種のあこがれをもっている。何もかもうち捨てて、言語障害のようになって口をとざし、目はとろんと一点をみつめて何もしないという、そんな人間に賛同したいのだが、ぼくにも精神病の気があるというのだろうか。  きょうの昼食時に、社長《おやじ》はみんなを二階の食堂に集めて、演説をした。最近の製本業界とでもいうべき内容の演説で、なぜそんなことをするのか、ぼくにはよくわからない。とにかく義理人情では、仕事の取引きもできなくなったとか、義理人情だけでは、人を使うこともできないというのだ。そして最近の業界の不況をいい、工場の経営の不振をのべた。製本費は値下げされるのに、給料は値下げすることができないといった。五年前は、四十名の給料は八十万で済んだのだが、今では二十数名そこそこで、百二十万かかるのだといった。そして最後に、みんなに精勤を乞い、何か不満な点があれば、意見をのべてくれといった。  ぼくは給料を一万五千円もらっている。これを少ないなどと文句をいうのはやめて、みんなの給料を平均に、気前よく三万円払うとして、当工場の全従業員二十六人で七十八万になる。それなのに、なぜ百二十万の支払い額なのだろう。四十二万は社長《おやじ》の収入であろうか。事務所のタイムカードには、田中裕五郎だの田中アイだの、田中久子だのその他知らない人の名前も二、三見出された。それは社長《おやじ》のおじいさんだとか、おばあさんだとか奥さんだとかの名前であろう。こんなふうに不在勤務者の名前をかかげて、税務署をごまかしているのだろうが、この不在勤務者には高額の給料を支払っているのだ。つまりそれらの勤務者は、社長《おやじ》の身内人なのだから、それは社長《おやじ》の収入になっているのであろう。もちろん、この収入に文句をいうのではない。それは彼らが、工場を持っているから、当然のことなのだ。  ぼくはここにきて、こんな演説は初めてなので、社長《おやじ》に対して親密感を持ち、心ひそかに協力をちかったのである。今後仕事をずる休みしないでおこう。残業も十時までであろうと、十一時までであろうと、ちゃんとやりとげよう。勉強は寸分の余暇をみつけてするとしよう。どんな環境にもなれることだ。そして自分を生かしていく。環境になれないあいだは、どこへいっても駄目であろう。そんなことまで思ったのである。しかしこんなことを書いているいまは、ぼくは社長《おやじ》に対してむしろ不信感を抱いている。彼らは自分の私腹を肥やしているだけじゃないか。そんなことに協力を要請するなんて、何というお人好しだろう。また、何という労働者への見くびりだろう。働く者のことを無知蒙昧とでも思っているのだろうか。もっともそうであるならば、それは彼らがたえずふきこみ、いいきかせ、だまくらかしてきたことによるのだ。  ビルの谷間の、屋敷あとみたいな小さな公園で、ほんのなぐさめ程度の、緑をみながら坐っていても、そばには人の目がある。うるさい人声がある。どこへいってもひとりっきりになれない。電車で遠い郊外へ逃れるにしても、一時間も二時間も人混みを我慢しなければならない。 (何もかも投げすてて、ポカンとしていたいのだ。丘の斜面の日だまりにすわり、草むらに隠れるようにうずくまって、何も考えず、何も望まず、誰にも関心を持たずに、いつまでもじっとしていたいのだ。下界を眺めていたいのだ)  こんな都会に住んで、そのうえなお泰然として、隣りの存在にも煩わされず、周囲の騒音にも邪魔されないで、自分ひとりの思いにふけっていることが、できるであろうか。大勢のなかにいても、しかし、ひとりっきりであるという事実は消えないはずなのに……。 (それから、あたりに人の目がないのを確かめて、こっそり胸をはだけて陽にぬくもる。最初はひりひりした感触があるだろうか。ぬめぬめとしたしめりが陽と風にさらされて痛いだろうか。しかしやがて、からりとして爽快となり、解放感があるだろう)  ぼくは隣りのおじいさんに、都電はいつごろから走っているのでしょうかときいた。なぜ、きゅうに、そんなことをきく気になったのだろう。都会もやはり、変ることなくそこにあったと、思いこみたかったからであろうか。明治二十四年ごろから走りはじめたとおじいさんはいった。 (草の上にそっと体を寝かしつけると、もうそれにも無関心になって、自分の思うままにふるまう。陽に照りはえた斜面の草っ原をみる。草の穂先についた綿毛のような白い実をみる。陽が暖かくそれをつつみ、風がそれを乾かしてふわりと運びさる)  変るものと変らないものは、どっちが多いのだろう。ぼくはその変らないものをポカンとして眺めていたいのだ。ここに二十年も住みついていて、何物にも興味がなく、右往左往する人間にも関心をはらわず、ひとりっきりでいるみたいに、思いにふけっていることができる、というふうでありたいのだ。  ぼくは信さんに怒った。 「女の子を部屋にいれないでくれよ」  そう頼んだのに、信さんのほうではそれに素直な返答をしなかったのだ。 「おれが入れたんじゃない。おれには関係ないよ。そんなこといいたけりゃ、直接にいえばいいじゃないか」  そんなふうにやりかえしてきたのだ。  女の子というのは十六歳になる長崎出の娘で、少しパアではないかと思われるくらいに明るいのだ。無邪気といえば、そうもいえるのだが、体は一人前になっている。この子をみんながからかって、ふざけ半分にひっぱたいたりする。この子も負けずにやりかえす。追いかけっこをして、大声をあげながら食堂をかけまわったり、笑いあいながら部屋のなかにまで入ってきたりするのだ。  一週間前、男一人女二人で当工場にとびこんできて、社長は子供の勉強部屋を二人の娘に使わせたのだが、夜中に男が這入って一ト晩中もめていたというのだ。翌日、社長にそれを訴えた者がいて、男はすぐにやめさせられた。もう一人の娘も一緒に出ていって、この子だけが残ったのだ。そんな事情を新助さんに聞かされて、いっぺんに彼女を毛嫌いしているのだった。  信さんもこの子に気がないとはいえない。信さんもこの子にふざけていたことがあったのだ。この子はラジオを聞きに、ぼくたちの部屋に入ってくる。ぼくはこの子を嫌って、追払うつもりでラジオのスイッチをきってしまうのだが、するとこの子は信さんにすがっていうのだ。 「ねえ、あんたのラジオ聞かして! はやくはやく!」  ぼくは女の子が出ていってから、信さんにいった。 「この部屋に、女の子をつれこむのはやめにしてくれ」  ぼくも嵩《かさ》にかかっていたというべきだろう。 「つれこむ? なにいってやがんだ。冗談じゃないよ」  ぼくはほんとに怒った。素直でないことを怒ったのだ。  ぼくは信さんをつきとばした。信さんはよろけてベッドの板に体をぶっつけた。この際は(ああいいとも、そうしよう)とかなんとかいってくれればよかったのだ。そういってくれないものだから、ぼくは腕をとってねじあげた。いてて、いててといって信さんは卑屈な声をあげた。  この時になって信さんがいかに弱いかということが、ぼくにはわかったのだ。口ほどにもなくというより、口とは裏腹にいててというばかりで、腕をふりほどこうともしないのだ。ぼくが怒りにまかせてなぐっても、信さんは何もできなかったであろう。しかしなぜ、こんな弱い者を相手に怒ったのだろう。ぼくは気持のおさまりがつかなくなっていた。信さんに怒ったことが恥ずかしかった。気がとがめてやりきれなくもあった。  文學界の広告で、「文芸首都」という同人雑誌があることがわかったので、ぼくは入会希望を申込んだ。電話口の女のひとは、すぐに規定書を送るといっていた。毎月、研究会や合評会もあるのだそうだ。もし入会したいのなら、会にきてみてからにしてもいいともいった。  さて、ぼくは会費をだして自分の作品発表のめどをつけなければならない。会費はひと月たったの二百円。会員には「文芸首都」が送られてくる。  研究会にもいってみよう。みんなの顔をみてくるだけでもいいのだ。話しあえそうな人がいたら話しあってもいい。むしろ強い友好関係を結んでもいいのだ。それが女性であるならば……いや、女性には用心しよう。  文学を志望するひとの顔というのはどんな顔だろうか。ひと癖ありそうな顔だろうか。いろんな顔があるだろう。やつれた顔きびしい顔、ふくよかな顔あかるい顔。ぼくはあかるい顔でいたい。健康そのものの顔でいたい。  入会を申込んだら、きゅうに明朗活発になってきた。自信もわいてきて、押しもきくことがわかった。しかし自重して、文学活動でそれを発散させるとしよう。たたけよ、さらば開かれんだ。一段一段のぼってきて、こんどは同人雑誌に入会することにしたのだ。  文學界の同人雑誌評の頁に、こんな文章があった。──見合いの席で、「おたくは何が好きですか」「……うちは……」瞬間、わたしの顔は泣き笑いのようにゆがんだ。どういうわけだか、ふいに涙がこぼれそうになった。「……うちは……小説書きたいと思ってます」「小説?」「そうですねン、どないしても小説書きたいですねン」──  これは小説への妄執ではないだろうか。ぼくもかつて、いや、いまでもそうなのかも知れないが、ひどい妄執をもっていたのだ。なぜならぼくは小説が書きたいというよりも、小説家になりたいといっていたのだから。  またまた、仕事をずる休みしてしまった。仕事は十二月に入ってとても忙しいのに、社長《おやじ》はおこったことだろう。おきなわのやつ逃げたりして、どこへいったんだ?  やっとの思いで郊外へのがれたけれど、住込み部屋に帰ったら社長《おやじ》が待ちうけていて、こういいやしないかとこわかった。しようのないやつだ。お前にゃもうやめてもらうよ!  土ぼこりの田舎道や、畑の畦道を歩いてぼくは心を休ませた。畑のなかにはぽつぽつと新しい住宅がたち、遠くには樹木にかこまれたわらぶきの農家があった。やめさせるというんなら、やめるだけのことなんだが……。  そんな野歩きの途中で、小さな木工所をみつけた。壁のない工場は風通しがよくて、二、三人の大工が機械のこで材木をきっていた。木の香りが鼻をうつ。どこかに、いい仕事口はみつからないかなァ。  またしばらく行くと、川近くにヒューム管やU字溝やL盤をつくっている小さな工場があった。農夫と変らないほど陽やけした人たちが、野中の風にふかれて働いていた。コンクリートの臭いがなつかしくて、ぼくはたちどまって、眺めたのだ。ああ、こんなところで働きたいよ。  河原にはすすきの白い穂がうちつづき、川面は茫洋とかすんでいた。ぼくは郊外で働きたい。食っていくために工場を運営しているという、そんな小さくて貧しい工場で働きたい。  土手したの柵のなかに乳牛がいた。ふみこなされた泥土に靴をうめて牛舎をのぞくと、十頭ほどの牛がものうそうに反芻《はんすう》していた。小山ほどもある雄牛は、ぼくを讃嘆させた。こんな農家で働きたい。農業に関係したところで働きたいのだが……。  あなぼこだらけの堤の上の道を、うつむきこんで歩いていった。養鶏場でもいい。養豚場でもいい。いや田舎の工場であれば何でもいい。  陽が西にかたむいたら、にわかに肌寒くなってきた。けれども、西神田のあのビルの谷間には帰りたくない。ではどうすればいい? どこへいけばいいのだろう? ふるさとへ帰るべきだろうか。胃の腑をみたすことぐらいどこでだってできると思うんだが……。  さて、すっかり暗くなってから、住込み部屋へ帰ってきた。みんなはもう寝ていた。ぼくは卵をやいて食事をした。またあしたから、何の感激もない、あのいつもの仕事だ。ぼくは追いつめられて、ついにどたんばまできたようだけれど、仕事を変るというのか? ふるさとへ帰るというのか?  寝床に入ってからも、やつぎばやに問いかけたり答えたりしていた。では、小説の勉強はどうなる? しかし田舎へいけば勉強できないということではないだろう? いったいお前にとって何が大事なのだ? 勉強だ。では帰ることは考えるな、勉強には都会のほうが都合がいいのだから。  前略。十四日に受取った手紙に依ると、常夫は何処で生まれたか、又、其の頃の生活はどうで有ったかとの問いだが、此れが話はずっと遠くからかね廻して、順序よく楽しく語らんとならぬと思うからして、最初から話すことにするが……。お父《とう》がフィリッピンに渡航したのが、忘れもしない昭和二年十九歳の時、ミンダナオ島はカリナン地方、太田タロモリバー会社の耕地でした。此の耕地で九年近くも働いて資金を貯めて、昭和十一年ついに自立し、タロモリバー耕地の奥、タランダンに森林地を借受け開墾し、アバカ(マニラ麻)の栽培に乗り出しましたが、常夫が生まれたのが此の耕地で、昭和十三年の五月。アバカは植付けて一年八カ月にもなると収穫が出来るので、生産は一回位は済ませて、暮らしは楽になって居ったと思う。  手紙を出したのは、ぼくがこの世に存在しはじめたのはいつからだろう、そう思ったからだ。じっさいぼくがもの心ついたのはいつなのだろう。細胞は日に日に生まれ古い順に死んでいき、九年から十三年後にはすっかりいれ変っているという。何かの本で読んだのだが、それからすればぼくの体は二度も新しくなったのだ。が、それでもぼくはいつも同じぼくだった。そしてぼくの最初の記憶は次のようなものだ。  暑苦しかった。額がちくちくした。目をさますと、戸口から日差しがはいって、額のおできに蝿がうるさかった。おなかは帯でしばられ、一方は柱にくくりつけてあった。家の中はがらんどうで、みんなはどこへ行ったんだろう。えーんえーんと上に向かって泣きはじめた。どうしてぼくを放っぽらかしにするんだろう、おーんおーんと空に向かって訴えたのだが、誰もこなかった。泣きつかれてぬれた膝をかいた。床では蟻が大きな荷物を運んでいる。腹ばってそれを眺めているうちに、ぼくはまた眠りこんだのだった。  現地人のバゴボ族は一人当り二十四町歩の土地を政府から貰って、其れを日本人に貸して開拓させて居ったが、総売上げ額の十五%が地租で、地主は其れで楽しく生活して居りました。が一方では土地を貸そうにも借手がいなくて、其ういう地主は宝の持腐れで働かせてくれという者も居って、お父《とう》は使用人として何人か雇いました。バゴボ族は森林があれば暮らしには困らないから、一般に怠け者ではあったがアガホイとアーターはまじめで、四年も働きに通ってくれて、此れは家族待遇であった。飯時には庭に持出したテーブルで御飯とビスカーオ(干魚)の焼いたのを毎日食べたが、此れが二人の大好物でカーフェカモーテ(コーヒーと芋?)しかなかった彼らには、成程御馳走であったことだろう。  アガホイのことはおぼえている。架空のハンドルをにぎり、唇でエンジンの音をたてながら、広い庭をかけまわっていると、アバカ畑の中の道を腰になたをつるして、はるか向うからやってくるのだった。アガホイはぼくを見ると、黄色い歯をむきだしにして捕えようとする。捕まると食べられると思っていたので恐かった。ぼくは家に逃げこんで、アガホイがきた、アガホイがきたと呼ばわるのだった。  自動車をみたという記憶はないのに、自動車ごっこが好きだった。それらしくエンジンの音を響かせ、たくみにハンドルを切って、そこらじゅうをかけまわる。時には溝に落ちることもあって、あれ、また泥をこねてるかと、母に叱られるのだったが、ぼくは夢中だった。エンジンをふかして出ようとするが、なかなかうまくいかない。タイヤがすべってあがれんもん、おっかあのじろうしゃで引っぱれえ。すると母はうしろをつかんで引きあげる。ぼくは調子もかろやかに、またそこらじゅうをかけまわるのだった。  さて昭和十六年の九月に、戦争の噂もあるのでアバカ山は元金で売ってしまい、錦をかざって故郷に帰ることにし、帰国手続も済ませ、船便も十二月十日の出港と決まって居ったが、其の二日前の十二月八日に宣戦布告で、とうとう帰ることは出来なかった。アバカ山は売り荷物も括《くく》ってあったので、其れではダバオ市に出て商売でも始めようと、貸家をさがしに行ったところ、クラベリヤ街に良い家が見付かったので、カラバーホー(水牛)に引かした車で三日掛りの引越しをしました。此の家の実況を細かく知らせると、屋敷は二百坪位の面積で、家も建坪が五十坪位の二階家、ベランダ付きの白い豪華な家であった。遠いスペイン領時代から代々住みなした家ではあったが、アメリカ領時代からは寂れてもはやペンキも塗れない、はげ落ちたままとても古惚けて居り、家主はパルマヘルという六十歳位のまっ白い髪をし、まるく太ったおばあさんで、兄弟姉妹も沢山居ったと思いますが、生涯未婚で通した程の熱心なキリスト信者の御婦人でした。  家の裏には雨樋があって、その下の穴ぼこには、豪雨がきてたくさんの水が流れおちるたびに、小さなおもちゃが砂の中に洗いだされているのだった。そこは宝物が隠されているぼくだけの秘密の穴ぼこだった。空地の向うには製材工場があって、大鋸屑が山のように捨てられていて、よくそこで遊んだものだ。それから近くの日本人小学校の庭には、戦闘機の頭が台にのせて飾ってあった。  街の中の下水溝で、フィリッピンの少年たちが魚をとっているのを見物したこともある。どろんこになって溝をせきとめ、水を汲みだしたら魚がぴちゃぴちゃはねたのだ。ある日などは兵隊さんからもらった硬貨で、ピーナッツを買いにいったら、持ちきれないほどくれるので、びっくりして逃げだしたのだった。それから父は子豚を飼っていて、ふぐりを自分で切ったのはよいが、消毒がわるかったのか化膿させてしまい、子豚は尻がかゆくなるとペタッと坐って、ひきずってあるくのであれあれと道ゆく人がわらうのだった。  弟は弁護士をして居ると聞きましたが、此のおばあさんも気品があって、二階の居間にはキリストやサンタマリヤという像が大小さまざま、全部で十五体程も並べられ、お母《かあ》は其れを見て驚いたようで、幼児を抱いた母の像はうち眺めても美しくあったが、十字架に磔の青年像は見るだけでも心苦しく、嫌やだから下ろしてとお母《かあ》が頼んだところ、此れは神さまだから心配しないようにと聞かされました。居間の片側には大きなピアノも置いてあり、兄の盛夫や姉の初などがいつも触って居りましたが、おばあさんは誰を見てもボニート・ボニート(可愛い可愛い)で、お母《かあ》にもよく誉言葉《ほめことば》を使って、マリヤの話など聞かせたりして、まるで親子のようになって居りました。其処《そこ》で奮起してお父《とう》お母《かあ》は洗濯屋を経営して見ることにして、家の裏には洗濯用水のために深さが約五|尋《ひろ》位の井戸を掘り、井戸口には角材で橋をかけわたし、八分厚みの板で上を板張りにし蓋も作り、此処から水を汲んで洗濯をやりましたが、聖像のおかげか商売は大繁盛し、程なくしてトマシクラジョウの近く、サンタアナ港に行くロータリーの傍に家を新築することが出来て、引っ越すことになりましたが、パルマヘルの家ではもう一つお母の思い出話があります。其の家を借りて居った頃、お母《かあ》は妊娠していましたが、七カ月目に階段で転んで腹を打ったので、赤ちゃんはどう生まれて来るか、生まれる迄は心配で落着くことも出来ない程でしたが、生まれて見たら身体はまともであったが、頭がひしゃげて居って死産でした。産婆さんは非常に不思議がって、普通なら母体が危ないところであったといって居りましたが、此れも神様に恵まれて居ってのことでありましょう。  みんなが遊びに出たのをさいわいに、ぼくは住込み部屋にひとり寝ころんでいる。外はきのうの驟雨が信じられないほどの秋晴れだ。明るい陽光の蔭を、冷たい北風がふきぬける日だ。東北地方では初雪があって、きのこ狩りの男女が凍死したというニュースを、ラジオは報じていた。  音楽をきいたり、隣りの部屋の理市さんのテレビを見たりして、屈託した気持で日曜日の午後のひとときをすごした。テレビにはみがきのかかった顔の芸能人の顔が映ったり、ニュースの時間には、政治家にちがいない白髪の人の横顔がみえたりした。りっぱな背広をきて、顔はふくよかに輝いている。ぼくは肘枕をして呆けた顔でそれらの人たちを見ていた。それらの人たちにも、食うに追われるような若い日があったろうか。 「文芸首都」から、入会規定書がくるのを待っているうちに、ついに研究会の日がきてしまって、ぼくはとにかく出かけていった。会場である代々木の全国家庭クラブ会館を、開会一時間まえにさがしあてた。が、ひっそりとしたビルの窓をみあげてたっていると、だんだんに気おくれしてきた。ぼくはまだ一度も「文芸首都」を買ったことも読んだこともないのだ。そこで駅前にいって本屋を調べたが売ってない。それならば首都社へいってでも買求めなければならないと、たずねていくことにした。もう研究会の開会時間はせまっていたが、とにかく雑誌を持たずに顔を出すのが億劫であるならば、こっちのほうが先決であろう。  そしてへとへとに疲れるまで、首都社をさがしてあるいたのだ。そのあたりは閑静な住宅地で、どこにも雑誌社みたいな建物はなかった。あるいはそれは保高徳蔵氏の私宅かもしれないと、一軒一軒の家をのぞいてあるいたのだがみつからない。離れみたいな部屋に書籍雑誌がいっぱいにつまれ、その隅に机がおかれ電話がのっかっているので、ここがそうなのだろうかと思ったのだが、看板も見あたらないのでちがうようだった。  いつもの癖で、意地になってでもさがしだしてみせると、そのあたりをあるきまわったがどうしてもだめだ。それで小田急線で南新宿まで戻って、家庭クラブ会館の前にいってみることにした。四時半が終会時だというから、ちょうどその頃会場の前をうろついていて、文学志望者たちが会場からあふれ出てきたところに、行きあってみたいと思ったのだ。そして親愛と羨望と賛同のこもったまなざしを投げかけ、彼らのはつらつとした生気を胸いっぱいに吸いとりたかったのだ。会場に入りそびれたぼくは、せめてそんなふうにしてでも、彼らのはなやいだ雰囲気を感じとりたかったのだ。  ところで四時半きっかりに、ビルのガラス戸を押して出てきたのは、四十歳前後の労働者ふうの男が四、五人に、おばさんのような女が二人だった。ああその時、ぼくはどんなに呆気にとられ落胆したことか。いったいみんなはどうしたのだろう。こんな人たちが研究会の主体になっていて、若い男女はひとりもいないのだろうか。文学志望者とは案外にこんなものかもしれないけれど、これでは入会したいという意欲も失われそうだった。  日曜出勤を休んで、テーブルごたつに足をつっこんでポカンとしていたら、社長《おやじ》が、どうした、おきなわくんよ、ときたのだ。やるならやってくれ、やらないならやめてくれ、な? 中途半端な気持ではいかんじゃないか!  社長《おやじ》のいうことは、いちいちもっともなことなので、ぼくには何もいうことがない。  社長《おやじ》はこの木造二階建ての工場を、鉄筋コンクリート建てにしたいと思っている。機械を使って、人を働かせて……。  ぼくはここの捕われ人だ。自ら望んでとびこんではきたのだけれど……。働きのないやつはごめんなのだろう。  さて、住込み部屋にいる以上は、社長《おやじ》のいうとおりにしなければなるまい。それに飽きれば、ぽいっと他所へ逃げるだけのこと。  しかしぼくが休むのは、本が読みたいからなので……そして考えを多くし精神を深くして、小説家になりたいからなので……。  小説家になりたいといっても、仕事をやめて乞食のようにはなれないのだ。それ一辺倒はできないのだ。  中途半端はいかんというけれど、では小説家になるためには、どうすればいいのだろう。どんな努力をすればいいのだろう。 「きょうのところは、もう休みますが、あしたからは頑張ります」そういって、ぼくは社長《おやじ》の心をなだめはしたけれど……。  考えなければならないと、荻窪へいってみることにして、井伏鱒二宅の前をうろつき、それから阿佐ヶ谷にきて、上林暁の家の前をうろついたのだ。  ひとりごとが出てしまうのも、かまわずにうろついたのだが……。寒い通りを、考えこみながら歩いたのだが……。  ポケットには二百三十円の金があった。駅前の食堂で百三十円の定食をたべた。水道橋までの電車賃四十円をのこして、六十円のピーナッツをかじった。  社長《おやじ》は、ぼくに有能な片腕になってもらいたいのだ。精だして働き、働きながら丁合機の扱いをおぼえてもらいたいらしいのだ。  もうじき新助さんは世帯をもって、通いになるんだよ。な? 仕事も定時でしまったりするだろう。そこでどうしても住込みの者に丁合をおぼえておいてもらいたいんだけどね……。  ぼくにそれができるか? ビルを建てたいとしている社長《おやじ》に従って、精勤の働き人となることができるか?  やる気になってくれ、ちゃんとめんどうみてやるから、な? おきなわくんよ。近い将来、お前も結婚するんだし、そうなればまた、それだけの給料をくれてやる。  ぼくは疑問をもつ。ぼくにはとても勤めきれないだろう。遅かれ早かれここをやめることとなるだろう。  これまでは安穏にしていた。毎日腹いっぱいくって、温かい寝床に休んだ。風呂にいって身ぎれいにしたし、よそいきでちょくちょく外出もできた。  部屋には自分の本を飾っておける棚もあった。枕元の電気スタンドで本が読めた。ラジオといっしょに遅くまでおきていられた。  ああ、これらの満ちたりた生活が、やめろというひと声で、一瞬のうちに消えたのだ。それがどんなにはかない幻影であったかが、ぼくにはわかった。  社長《おやじ》がやらないならやめろ、といってくれたおかげで、ぼくはますますめざめたようだ。ひたすら自分の道をつきすすんでいくこととなったのだ。  黙っておちていくだけだ。自分一人で決めて実行するだけだ。ただ神さまだけがぼくをみている。  散歩がてら神保町の本屋をみて歩いていると、雑誌の台に偶然に「文芸首都」がみつかったのだ。もう投げだしたい気持でいたやさきにそれがみつかったので、ぼくは喜んだ。「東京十一月例会は、女性会員の参加が多く、色どりのはなやかさに比べ……」という文章を読んで、こんどは心が踊った。みんなはやはり、はなやいだ雰囲気をまきちらして散会していったのだ。もりもりと意欲がわいてくるのが、自分でもわかった。  合評会には、それで勇んで出てみたのだ。先生(同人?)が四、五人に、会員が老若男女あわせて四十人ばかり。運転手や大学生やヒッピー風の青年などがいて、同じ電車にのりあわせた人々の顔と、それは何らかわりはなかった。掲載された作品のひとつひとつを批評しあう。というよりも発言しなれた人たちが、勝手なことを述べあうだけだった。ぼくも発言したくてうずうずしていたが、にぎりこぶしをつくって、掌にぎゅうぎゅう押しつけて我慢した。  結局、様子をみにいったにすぎないという結果におわったのだが、それでもよかったのだ。ぼくには自信がわいてきた。いたずらに彼らを畏怖することもないのだということがわかった。  ぼくは仕事をやめようとしている。しかし何のために? なぜ、やめようというのだろう?  それは衣食住のことで、あくせくするのがいやになったからだ。あくせくさせられるのがいやだからだ。  では、衣食住は欠乏するだろう。生活は困窮するだろう。それでいいのか? 覚悟はできているだろうか? (こんな事を書いているうちに、一九六四年の元旦になった。ぼくは部屋で寝てみたり起きてみたり、ぐずぐずしている。ぼくには正月も何もないのだ。いや、というよりお雑煮という料理をはじめて食べた。鶏肉をいれた鍋いっぱいのお汁に、おぼんに盛った伸餅がでたのだ。餅を焼いてお汁にいれてたべるのだが、鶏肉はすでにかけらもなかった。あじけない正月だ。ただ、七日までは休業だから、休みだけはたっぷりある。ぶらりと外へでて、バスに乗っていって、晴海周辺をあるいてこようかと思ってはいるが、なかなか腰があがらない) (さらに書きあぐねているあいだに、正月二日となってしまった。元旦には昼すぎから外出して、東京タワーへいってきた。タワーの上からは、皇居のあたりに緑が眺められた。明治神宮?のあたりにも、こんもりとした森があった。緑や森を眺望したら、そこへいってみたくなってタワーをおりた。そして九段坂の靖国神社にきたのである。参道の両側には夜店がたちならび、ぼくは腹がすいていたので、おでん屋に立ちよってちくわをたべた。つぎのおでん屋ではごぼうまきをたべた。帰りは都電にのって神保町まできて、そこからあるいてもどった。外をあるきまわったせいか頭痛がして、着がえるのももどかしく寝床にはいった。そしてうめきながら寝入ったのだが、今朝はけろりとなおっていた。朝から寝床に腹ばって本を読んでいる)  そして、仕事をやめたいと新助さんに告げたのだ。つぎの仕事口のあてもないのに、そういってしまったのだ。  この際は最初に、やめるぞという決意を明確にしておこうと考えたのだ。そう告げてしまえば、もうあとへはひきかえせない。  ひきかえせない立場に、自分をたたせたかったのだ。そうすればぼくも本気になるだろう。ぼくの手にはいま七千円がのこっている。     3  新宿大ガード前の横断歩道をわたり、線路ぞいの土手下の道を歩いていたら、西口旭館という安い宿屋をみつけた。枕木の柵にトタンをかぶせ、その下にコンロを置いて魚を焼いているおばさんがいたのだ。そばには子供もまといついている。どうしたのだろう。なぜ、こんなところで炊事しているのだろう。家はどこなんだろう。  あたりを見廻したら、赤茶けた色の宿屋がすぐそこにあったのだ。開いている玄関から番台のほうをのぞくと、一泊百三十円と書いてある。山手レストハウスより七十円も安い。ぼくはここに泊ることにして、とびこんでいって頼んだ。さいわい部屋もあいていて、二階四号室の下の棚に案内された。  洗面台で顔や手を洗い、手拭いでふきながら廊下のはずれまでいったら、そこの窓から大きな東の空が見わたせた。ちょうど山手線と中央線の分岐点になっていて、鉄道敷地がひろいのだ。空が見上げられるだけでも、何となく明るい感じで、土手いっぱいの枯草もよかった。  この宿屋の風呂はいい。まず都の水道水をつかっている。山手レストハウスのように地下水ではない。あれは臭いのする水だった。お湯もあつい。たえず水をうめなければならない。これなら湯に浮いた黴菌もいないだろう。なにしろ一メートル四方の湯舟に、五十人ちかくもはいるというのだから、ちょっと湯がぬるいとすぐ汚なくなる。あがり湯もじゅうぶんにつかえる。ここでは宿屋の風呂だけで満足できそうだ。  この宿屋には二、三の家族持ちもはいっている。ぼくの上のベッドは六十歳ぐらいの夫婦者だ。子供たちが廊下をかけたりする。奥の二タ部屋から子供の声がきこえる。風呂にはいったら子供たちと一緒になった。子供はいい。女の子はほほえましい。子供たちがいることで、この宿屋にはながく住めそうだ。 「宿泊者心得」には、(夜間作業をなさる方、残業をなさる方は昼間も投宿できますが、ただし五十円の料金をいただきます)と書いてあった。ひょっとしたら、ここではお金さえだせば昼間もいられるのではないだろうか。もしそうならありがたい。部屋は三畳間で、四人合部屋になっている。人数が少ないというのもいい。  隣りのべッドに寝ている老人に、ぼくははなしかけた。もし、日雇いの仕事を知っているのなら、いろいろと訊ねてみようと思ったのだ。 「わしか、わしは某建築会社に、働いとる」  老人はそういった。日雇いをしているのだろうか。それなら都合がいいのだが……。 「わしか、いや、わしは係の者だよ」  係の者なら、ねがってもないことだ。ぼくは頼んだ。 「いや、わしは日雇いのことは知らんよ」  では、何の係の者なのだろう。係の者といっても、いろいろ名称があるはずなのだが、 「わしはわせだを出て、その会社を、後輩とやろうじゃないかといって、やりはじめた者だよ」  要領を得ない人なので、ぼくはもっと問いかけた。きっと顧問かなにかをしているのであろう。それにしては、そんな高給取りがなぜ、こんな宿屋にきてせんべい布団にくるまっているのだろう。しかしこの問いは老人を怒らせたようだ。ぼくは素直にわけをはなした。 「あんたは勉強する人だというから、では、つぎのことを聞くけど……」  こんどは老人のほうから、もちかけてきたのだ。 「理論と論理のちがいは、なにかね」  ぼくにはこたえられなかった。この老人はひとりでぶつぶついってみたり、え? うん え? うんとたえず自問自答していて、精神に異常をきたしているのではと思ったが、よくはわからない。  阿佐ヶ谷の古本屋に、本をかついで売りにきたのである。二千三百円をふところに入れて、さて、とぼくは考えた。この金も四、五日以内に消えてしまうであろう。いよいよ切羽詰ってくるぞ、新聞を買って求人広告を調べたが、適当なところがない。倉庫要員の日払いの仕事があったが遠い相模原だ。トラックの助手の仕事でもやろうかと思うのだが、日払いでの助手の仕事はどこも募集してない。いずれにしても、通勤費や食事代や宿泊費のことを計算すると、住込みの仕事をみつけなくては、困るのではないかと思うのだが、どうしたらいいのだろう。千五百円で日雇いの仕事があるらしいことを同宿のおじさんたちから聞いた。新宿の職業安定所の前の通りは、そんなニコヨンのたまり場で、やくざくずれのあんちゃんが紹介屋をやっているということだが……。歩いているうちに、石神井《しやくじい》公園行きのバスがきたので乗った。別に何のあてがあったのでもないのだ。  石神井公園の池は広い。ボートは土の上にはいあがって、甲羅を冬日にほしている。池面は小さな波にきらきら光り、池上のほうは鏡のようになって、その向うの森影や家の屋根を映している。  何を食べようかと命のことを心配したりするな。空の鳥をみよ。まかず刈らず、倉におさめることもしないのに、天の父はそれを養ってくださっている。あなた達は鳥よりもはるかに大切ではないだろうか。そういうイエスの言葉があるけれど、しかし実際にはどうなのだろう。ぼくは飢えるであろう。ただその飢えるだろうということを、気持のうえで受けとめるか受けとめないかのどっちかだ。しかしほうっておけばどうなるだろう。ほんとうに苦しいであろう。いや、苦しいのを苦しいと感じないでおけというのだ。心配し苦しんだからといって、寿命を一寸でものばすことができるだろうか。するとぼくには、もう何の言葉もない。池端のパン屋であんまんを買ってきてがつがつ食べた。ここのところあまりあごの筋肉をつかってないので、あごがいたい。  見晴らし台からは、向うの森のなかのベンチに女学生が坐っているのがみえた。本を読んでいるのか、うつむきこんで動こうともしないのだ。常緑樹の森はうす暗い闇をつくって、その闇をバックにしてぽつんと坐っているのが淋しそうだった。  おなかはいっぱいであったから、それで満足することにした。その他に何の心配がいるだろう。あしたの心配はあした自らにまかせておけ。いま満ちたりているのならば、それでじゅうぶんじゃないか。きょうはきょうの心配だけでたくさんだ。飢えの苦しみがやってくるであろうと予想して、いまから苦しみを味わうのは馬鹿げている。何も困ることはないであろう。むしろ困ったら困ったで、ぼくにとってその時が意義のある時となるだろう。お金がなければ、仕事さがしにも行けないというのか。二本の足があるではないか。歩いていればいい仕事口にぶつかるさ。おなかがへっても一ト月は生きている。まるまる一ト月だ。 「おいきみ、ちょっとちょっと。元気がなさそうじゃないか」  ふたりづれの警察官によびとめられた。町角から突然にとびだしてきたのだ。 「シャツも汚れているし……ちょっとこっちへきな」  元気がないといって、それが何だろう。シャツが汚れているからといって、それが何だっていうのだろう。警察官というものは、ずいぶんと目のきくものだ。そして平気でひとを卑しめる。 「どこに住んでるんだ? 住所は?」 「新宿の百人町です」 「ほう、百人町!?」  いろめきたってきた。百人町は有名なところのようだ。 「ちょっとこっちへ、そのバッグをあけて!」  ぼくは小路にさそいこまれた。バッグの中にはトランジスターラジオと、二冊の本とノートしかはいってない。 「百人町のどこだ?」 「一の十八、西口旭館という宿屋です」 「学生か?」 「いいえ」 「仕事は? 何やっている?」 「いまのところ、無職です」 「無職!? いなかはどこだ?」 「おきなわです」 「おきなわか。いなかから出てきて、ぶらぶらしていては、いかんじゃないか、え?」 「なぜです?」 「なぜ? なぜっていうのか!? そんなことはわかりきってるじゃないか! きみらのようなものが、できごころから犯罪をおかすようになるんだ」 「そうですか?」 「そうにきまっとる。だからはやく、正業につかんといかん。いいな?」 「はあ」 「じゃ、ちょっと向うをむいて、手をあげて!」  ぼくには何のことかわからなかった。そのとおりにすると、警察官は体をさわった。それは凶器や盗品をかくし持っているかどうかの調べであった。そしてゆるしてくれたのだが、たくさんの言葉が喉をついて出てきた。ぶつぶついいながら歩いた。  金はだんだん少なくなっていくし、ぼくはやはり心細くなって、仕事さがしに精をだすことにした。時計を質屋へもっていった。千円貸してくれた。履歴書用紙を買って、新宿の図書館で書いた。しかしぐずぐずしているうちに二日がすぎた。日払いの仕事があったが、それは電球のセールスでつまらなかった。もう一泊の宿泊費もなくなっていた。もとより食事などはできなかった。  ぼくは住込みで助手の仕事をすることにした。会社は森永乳業の配達をする運送店であった。朝は六時半出勤、夕方は八時まで残業。一日も休めないことを面接のときにいいきかされた。ぼくはどうしても働きたいと思っていたので、かしこまって係員のいいぶんをきいた。(荷物をとってきます)と事務所をでた瞬間から、もう迷っていた。ぼくはいったい何を約束したんだろう。いまのいままで、勤めたい一心から係員のいうことをきいていたが、それでは条件が厳しすぎるのではないのか。いやになって、そのまますっぽかそうかと思った。厳しくない仕事など、どこにもないことがわかったような気がした。胃の腑のためについに屈服したという思いも胸にあった。  ぼくは乞食をしていてもよかったのではないのか。いや弁解はしたくないのだが、空腹をわすれるために、キャラメルを買ってしゃぶりながら、仕事をさがしてあるいたのだ。迷いながらあるいたのだ。そしてついに採用というのをことわらなかった。ぼくは束縛された。そのことで滅入《めい》った。自分がなさけなかった。  朝、暗いうちに起床。身支度をし、車の手入れをする。手がきれるような冷たい水で、タイヤを洗う。ぬれ皮でフロントガラスを拭く。ぬれ皮はぱりぱりとガラスにへばりつく。六時半にはトラックいっぱいに牛乳をつんで配達にでる。いつも府中コースをいったが、四軒の牛乳店をまわって、それぞれ三十ケースほどずつおろした。そこの牛乳店から、各家庭や商店に配られるということだった。牛乳配達はこの世に必要な仕事だと自分にいいきかせようとしたが、そんなことは慰めにもならなかった。  図書館にかよって勉強したかった。そして気恥ずかしいことだが、もし仕事をやめて飢えるようになったら、こんな牛乳屋のごみ箱をねらおうかなと思っていたのだ。牛乳びんにひびがはいったり、ふたのビニールがとれたりすると持ちかえって取り替える。持ちかえった牛乳は外につまれているのだ。そんなびんから牛乳をあつめたら、二升ほどもあるにちがいなかった。  大和運送は、東村山にある森永工場の仕事をひきうけている。工場は操業してからまだ間もないということで、どこもかしこも新しかった。工場の近くの大和運送の寮も新しかった。二階の窓をあけると、たえず野の風がはいってきた。一望のもとに、きり開かれた平地が見わたせた。あるいは黒土をむきだしにした畑地が見わたせた。樹林がないから、ひろびろと見わたせるのだった。畑中の道をはしる車は、もうもうとしたほこりをたてていた。遠くに山が見えた。そこには狭山湖があるということだった。  運転手の三枝《さいぐさ》は中学を卒業すると、バスの車掌になった。車掌ではあきたりなくなってとびだし、大和運送にきて助手をしながら運転免許をとった。そして助手をしたり、運転手をしたりしていたが、ぼくが来る二日前から一台の車を受けもたされたのだった。彼は張り切ってばりばり仕事をした。ぼくはそういう彼についていけなかった。箱のつみおろしになれていないぼくは、彼に追われどうしだった。  車が左側から追いこしていった時には、(ばかやろうとどなれ)と彼はいった。ぼくは(声がでなくて、どなれない)といった。(声がでなくても、どならなくちゃだめだ)といった。(やる気をださなくっちゃ、だめじゃないか)(いや、こんな仕事にやる気などでないよ。いつまでもやってるつもりはないんだ)(ばかやろう。おれだっていつまでも、こんな雲助稼業をやってるつもりはないんだ。それでも、こうやって頑張ってるじゃないか。やる気がなくて、お前は何になれるってんだ? 助手席で本なんか読んだりしやがってよ)  その翌日から、ぼくはもう車にのらなかった。定時まで雑役しているといって、三枝から離れた。その日は風が強かったが、午後からますます強くなった。吹きっさらしの平野は土色の風景になっていた。すきおこされた工場用地から砂ぼこりがまいあがって、まるで砂漠の嵐のようだった。空には黄色い太陽があった。体温はのこらず奪いとられて、とても寒かった。工場の片隅に焚かれた火にあたりながら、ぼくは首をすくめて考えこんでいた。息苦しかった。  工場のなかのトイレにはいって、さらに考えた。どういう嘘をいって、うまく次長を納得させたらいいだろう。精勤を約束したのにたった一ト月でやめることになるのだ。どういう言訳をしたら、うまくやめられるだろう。新宿に姉がいる。夫が腎臓結石で入院した。昨夜電話したらわかったのだ。姉は二人の子をかかえて、てんてこ舞いしている。すぐに行かねばならない。働いたぶんの給料を払ってほしい。そんな嘘を小一時間もかかってまとめあげた。トイレをでるとさっきまでの嵐はぴたりとやんでいた。  日比谷図書館にきて、ぼくはゆっくりゆっくり本を読んでいる。トルストイの「最後の日記」を読んでいる。読みながら飢えている。ときに疲れると、二十分ばかりうたたねし、ときに気をとりなおして、目を窓の外に転じてぼんやりしている。とりとめのないことを考えている。飢えるのは働かないからだと知っている。そして働かないのは、空腹がそんなに苦痛だとは思えないからだった。  さて、五時になって薄暗くなってきた。日が暮れたらもう寝ることだ。ぼくは帰ることにした。風船のように体が軽く感じられた。新宿へむかって、しずかにしずかに歩を運んだ。空腹をかかえながら、国会議事堂の前をとおった。しかし心は楽しかった。心からの解放感があった。こんな喜ばしい解放感のためには、空腹もやむをえないではないかと考えていた。  いつの間にかぬか雨がふりはじめた。コートがだんだんしめって重くなる。不思議にあたたかい夕べだった。普段なら日が落ちると同時に、寒々とした風がふくのに……。ぼくはちっとも寒さを感じなかった。森永乳業のあの多摩工場での砂塵や寒風がうそのようだった。ポケットには、まだ二百円がのこっていた。新宿の旭館に帰って、百三十円のどやちんを払い、残りで六十円定食をたべようと決めていた。  麹町をとおりすぎ、四谷まできた。とても疲れた。コートが窮屈になった。背は自然にまがり、目はおのずと地におちていた。百円玉ひとつでもみつからないかなあ、どんなに助かることか。下ばかりみて、キョロキョロしていた。人通りの多いところでは、さすがにそんなことはできなかったが……。体はぐったりだるくなり、息はハウハウとあらくなった。つらいねえ、つらいねえと、つぶやきながらあるいた。やがてそれは、リズムになって|ツ《ヽ》ラー|イ《ヽ》ネ、|ツ《ヽ》ラー|イ《ヽ》ネとでてきた。それに節をつけて、うたいながら帰った。  図書館から帰るとちゅう、ぼくは気持が変った。何も宿屋でなければ、睡眠がとれないということではあるまい。夜がすごせないということでもあるまい。眠るのには、どうしても布団と枕がいるというのか。べッドと部屋がいるというのかね。ホンコンの水上生活者は、サンパンでなければ眠れないと考えているだろうか。他の人々を見ないから、融通のきかない考えにとらわれてしまうんだ。睡眠をとるとは、肉体と神経を休めることだ。そしてそれがそうであるならば、どこでだって寝られる。公園のベンチ、運動場の片隅、ガードの下、どこでだっていいのだ。しかも睡眠は夜の八時間と限定することもない。あたたかい昼間だっていい。いや、いつどこででも、寝たいときにちょっと片付いて眠ればいい……。  そんなことを考えたので、ぼくはためしに路頭に寝ることにした。深夜の三時ごろまで街をさまよって、ごみ箱をあさってあるいてみた。あるパン屋のポリバケツには、パンの耳がよごれないままにぶちこんであった。誰かみてやしないかと通りをたしかめてから、盗みとるかのようにさっさとバッグにとりこんだ。最初の収穫だ、最初の収穫だといって、あるきながらたべた。また牛乳屋もねらった。空びんのはいった箱のなかには、たいてい回収した牛乳が一、二本はのこっている。曜日おくれにはなっているけれど、腐ってはいないのだ。ある牛乳店にはヨーグルトがあった。ヨーグルトを飲むのは初めてなので、すっぱいのはすえているからなのかどうなのかわからなかったが、とにかく口にいれた。また別の牛乳店にはコーヒー牛乳が二本もあった。腹が水ぶくれするほど牛乳をのんだ。  途中、パチンコ屋の前に放置された、がたがたの自転車をみつけたので、それを乗りまわした。ひとみんなが腹を上にし横にして寝入っている時間に、ぼくは風にのってビルの谷間をはしりぬける。爽快だった。ビルは巨大な倉庫のようだ。どこへ行こうというあてもないから、パンの耳と牛乳で腹はふくれているのにも関らず、もっと食物を求めてはしりまわったのだ。八百屋の軒先のごみ箱には半分腐ったみかんがたくさんあった。腐ったところをのぞいて、さらに腹につめた。十個ばかりもくいちらしたであろう。  こんどは寝る場所をさがしてはしった。お巡りにみつからないように用心しながらはしった。もしみつかって呼びとめられても、聞えないふりをして逃げよう。職務質問されるのがいちばんつらい。沖縄の人間であるぼくは、東京にでてきて住所は不定だし何の職業にもついていない。どうして食べているかといえば、こんな乞食みたいなことをしている。しかしお巡りはそれを信じまい。何かわるいことをしているのではないかと疑ってかかるだろう。  地下鉄におりる階段をさがしあてた。上には屋根らしきものもついている。階段の奥ではシャッターがしまっていて、午前七時までひらかないと書いてあった。これなら寝られるだろうと膝をかかえてうずくまった。しかしおもしろい冒険をしたために、頭がさえて眠れない。さすがに明けがたは寒くもある。新聞をひろいにはしった。ひとかかえもひろってきて半分は階段にしき、半分は肩にかけた。膝頭と手足の指先がだんだん無感覚になっていく。窮屈な姿勢が血行をとめたのであろうか。とにかくじんじんと痛んでいたのが、丸太ン棒のようなものになっていくのだ。  ぼくはできることなら、毎晩でもこうして路頭に寝てみようと思っていた。寝袋を買って自転車の荷台にくくりつけて、東京じゅうを放浪してあるこうと思っていたのだ。しかしそれは夏ならいざしらず、冬は無理なようだ。やはり日雇いをして、ちゃんと働いて宿屋に泊ったほうがよさそうであった。同宿のおじさんに日雇い仕事のことをきいたら、わかりやすく教えてくれて、ぼくは高田馬場へもいってみたのだ。なるほど日雇い労務紹介所というのがあった。求職係官にあってみると、仕事をもらうにはカードがいるというのだ。そしてカードを作ってもらうには居住証明書がいるという。いったいこのぼくに、どこで居住証明書を手にいれろというのか。残念だった。宿屋の宿泊証明書でもいいというのならまだしも、いや、それでさえも宿泊して間もないぼくにくれるかどうか、とにかくふんぎりがつかないままに、図書館にでかけたりしたのだ。が、何としてでもカードをつくりたかった。  早朝の電車は明りをこうこうと輝かして、陸橋の上を走っていた。いかにも暖かそうだった。あのシートが恋しかった。自転車もそのまま駅へむかった。足がちくちくして、針ぶすまをふむような思いだ。駅の時計は四時四十分。ぼくは苦笑した。こんなに早々と家をでてきているのは、広い駅構内にたったふたりっきりなのだ。  山手線は東京をぐるぐるまわっているだけだから、寝込んでいても安心だった。暖房のきいたシートにすわって、首うなだれた。ぼくはあたかも、泥酔して留置場にひと晩をすごしてきた男のようにみえたことだろう。  誰かにゆすりおこされたようで、目をさましたら、もうかなりの乗客があった。立っている客はひとりもいなかったが、前の席の人たちが、ぼくをじろじろ見ていた。四人分の席をひとりじめにして、ぞんざいに寝ていたのだ。恥ずかしくもあって、はねおきて身じまいをなおした。それから窓の外に顔を向けると、公園のような広場があって、たくさんの浮浪者がいたのだ。  見おぼえのある場所だと思ったら、そこは高田馬場だった。浮浪者にみえたのは、日雇いたちだった。そこへ行ってみることにして、電車をおりた。その前日、求職のことをききにきたのは、昼まえだった。公園はどこにでもある公園と同じだった。が、いまは一変していた。  雑巾のような手拭いで、ねじり鉢巻きした男。よれよれの紙バッグをさげて、よろよろと歩く男。顔に黒土をぬたくったとしか思えないような男。いかつい肩で人混みをかきわけている男。そんな男たちがたむろしていたのだ。みんながみんな、傷か欠陥か前科か弱点か、そんなものを隠しもっているような感じだった。ぼくは恐くはありながらも、そんな人たちの中にはいっていった。  路上にはむしろがしかれて、出店がひらかれていた。作業着や地下たびや軍手はもとより、古着や古道具もあった。布団や毛布さえ売られていた。露天食堂も三軒あって、戸板でつくったテーブルにはいろいろなおかずが並んでいた。もつの煮込みをどんぶりのめしにかけて売っていた。やきもち屋のおばあさんもいた。やきたてのもちに、きな粉をたっぷりかけて五円だった。  道路の片側には、マイクロバスやほろをかぶせた車がとまっていた。運転手のような、世話役のような男たちが声をあげていた。ヨ、あんちゃん行かねえか? なんだおめえ、ひやかしか。ほら乗れ乗れ、あと三人できまりだ。おい、アルバイト生、おめえズックか、しょうがねえな乗んな。ほいあと二人あと二人。やろうてめえ、皮靴はいて仕事できるか、なにたび持ってる? ほんなら乗んな。ほいほい、あと一人、あと一人!  路上のそこここに焚火がたかれて、みんなが手をかざしたり尻をあぶったりしていた。よびこみの声には耳をかそうともしないで、焚火にはしりよってくる者もいた。そしてひたすら立ちつくすのだった。楽な仕事、金になる仕事を待っているのだろうか。あるいはふところに金があるので、働く気がしないのだろうか。線路の向うには太陽がのぼりはじめて、ときどき、通勤客を満載した電車が、光をさえぎって走りぬけていた。  宿屋の主人から宿泊証明書をもらって、日雇い労務紹介所へいって求職カードをつくる手続きをした。宿泊証明書でもよかったのである。カード番号六九四五、雑役夫。失業保険と健康保険の手帳もつくった。あしたから紹介所へいきさえすれば、仕事がもらえる。三日に一日はあぶれるということだったが、まあだいたいは就労できそうだ。  ついにぼくは日雇いになった。一日働いて、二、三日休んでは勉強するという生活がぼくの念願だった。ふるさとの家にいたときから、日雇いの生活がぼくにとって最も適切だということがわかっていた。そしていまこそ、ひどい廻り道をたどってはきたけれど、それが実現できたのだ。天の父がぼくを導いてくださったのだろうか。  都会地では、誰もぼくを知っている者がいなかった。人はみんな見知らぬ他人であった。誰にも恥じることはなく、外聞を気にすることもなかった。汚れた仕事着のままバスにのったり、土だらけの靴のまま電車にのったりしてもかまわなかった。しかし田舎の町ではそうはいかなかったであろう。  路頭に寝ると睡眠不足で頭がいたくなる。まず睡眠はじゅうぶんにとることだ。空腹よりもこっちのほうがこたえるのだ。神経がつかれて夢遊病者のようになる。そんなことでは文学勉強もおぼつかない。食事もとったりとらなかったりでは栄養失調になる。それも必要なだけちゃんと食べることにきめた。働いて、よく食べてよく寝るという生活が、体によいし頭にもいいようなのだ。そして勉強するというのが望ましい。  ぼくは肉体の欲を軽んじることはできるけれど、肉体そのものは軽んじることができない。なぜなら肉体は、天の父がぼくに着せてくれた作業服のようなものだからだ。ぼくはこれを勝手にぬぎすてることも、ひきさくこともできない。そんなことをすれば父の意志に背くことになる。この服をきて地上で働いてるうちに、すりきれたり破れたりするというのならかまわないのだが……。  またまた仕事にあぶれた。カードをもらって二日目なのに……。仕事の紹介は六九三四番で終ってしまった。ぼくは六九四五番。もうちょっとでまわってきそうだったが、日曜日は十四人の求人しかなかったのだ。質屋にいれたブレザーコートの金で、きのうまで暮らした。五百円の金は二日使えた。ここにのこっている六十円は、あした仕事にいくときの電車賃だ。  田中製本にまだいくらか、もらうべき給料が残っていることを思いだしたので、とりにいくことにした。二十日しめきりの月末給料だったから、十日分はある。残業は計算にいれなくても、十日で五千円以上だ。自分が働いた金をもらいにいくのに、何の気がねがいるだろう。とはいいながらも、ほんとうは藁《わら》をもつかみたい気持だったのだ。 「お、なんだ、いまごろ給料とりにきたのか。ずいぶんまったぞ。ほれ、ここに計算してある。じっさいお前には、まいったよ。なんだって無断で、でていったりしたんだ。一ト言ぐらいは、ことわってから行くのが礼儀じゃないのか。沖縄の人間ってのは、みんなそうなのか。正月くってにげるとは、ほんとに何ごとだい」  給料袋からは七十二円がこぼれでた。明細書をみると、本給が九日分で五千七百六十円。残業が十八時間で千六百九十二円。あわせて七千四百五十二円。それから失業保険が八十円ひかれ、給食費が十日分で二千円ひかれ、貸し布団代が五千三百円さしひかれて、その残りが七十二円なのだった。 「これだけですか?」とぼくはいった。 「これだけかってったって、計算のとおりだよ。見りゃわかるだろう?」 「布団代もさしひいたんですか? いつもは……」 「あたりまえだ。布団だってお前、使ってりゃ古くなる。貸し布団屋にいってみな、一日百円だ。それから考えりゃ、安いもんじゃないか!」  おそれいった。いまだかつて、布団代をさしひかれたことはなかったのに、こんどにかぎってはさしひいてるのだ。これが無断でとびだしていったぼくへの腹いせなのだろうが、何とも姑息《こそく》なやりかただ。そんなこととは知らずに、七十二円ぽっちをもらいにきて、いい恥さらしだった。もちろんぼくにも非はある。  事務所をでて、工場のなかをとおりぬけたら、新助さんがいった。 「どうだった? ちゃんとくれた?」 「さんざん叱られて、たった七十二円だ。五千円も布団代をひいてあるんだもんな、がっかりだよ」  それをきいていた大原がいった。 「ばかだなァ、そんなのほっぽっとけばいいのに。のこのこもらいにきてさ、叱られるだけ損だろうが?」 「ほんとだ、もう二度とこんなところには、こないでおこう」  あしたはきっと仕事がもらえるだろう。五時半におきて職安にかけつけて、すぐにカードがさしだせるように、いちばん前にたっていよう。もし、あした仕事にあぶれたら……いや、そんなことは考えないでおこう。そんな心配をして何になるだろう? とにかく、今晩はこの七十二円でめしがくえる。それだけでも有難いと思うことにしよう。  日比谷図書館にきてみたら、長い行列だった。遅れてきてはなかなか入れないことはわかっていたのだ。しばらく行列に加わって立っていたが、いやになってしまった。きょうの楽しみは、何の目的もなく街をさまよい歩くことさ。そんなことをいいながら、ぶらぶら歩いた。道のそばの子供遊園地では、ベンチに坐って子供たちのたわいない野球をみたりした。  それからまた歩きはじめて、けっきょく一日じゅう街をさまよったのだった。 [#地付き]〈了〉  初出一覧  オキナワの少年     文學界昭和四十六年十二月号  島でのさようなら     文學界昭和四十七年五月号   以上二篇は、昭和四十七年五月『オキナワの少年』として文藝春秋より刊行された。  ちゅらかあぎ   書下ろし作品として昭和五十一年九月、文藝春秋より刊行された。 〈底 本〉文春文庫 昭和五十五年九月二十五日刊