TITLE : 出孤島記    出孤島記   島尾 敏雄  目次 格子の眼 出孤島記 砂嘴《さし》の丘にて 朝影 夜の匂い 子之吉《ネノキチ》の舌 むかで 冬の宿り 川にて 格子の眼  百合人《ユリンド》はどうしてそれをしてみようという気になったのか。見えない糸に引張られるように階段を上って行った。それはどうも百合人の意志ではなかったようだ。階段を上りつめた薄暗い天井のあたりで大きな顔が舌を出してげらげら笑いながら百合人を操っているような気がした。それにはどうしても逆うことが出来ず、これは僕がするのじゃない僕がするのじゃないと思いながら、身体《からだ》にがくがく震えが来て顔に強くほてりが上り、全く他人のような身体で二階に足音をしのばせて上って行った。  二階にはやわらかい、こんもりしたふとんのふくらみの中に、白いあたたかいにおいのいいものが昼寝をしている筈であった。  百合人は今しようとしていることを誰にきいたわけでもなかったし、ましてその眼で見ていた訳でもなかった。不思議にそれは未知の行為で、そうすればどうなるのかも全然分らなかった。ただ百合人に分っていたことは、そのことはこっそり隠れてしなければいけないのだということだけだ。それがみんなにみつかれば自分は大層恥ずかしい思いをするだろう。百合人が今日の今まで享有することの出来たおとなしいお行儀のいい坊ちゃんという名誉が一ぺんに崩れてしまって、もう拭うことの出来ないしみがついてしまうであろう。そうなってしまえば、どうやって今迄《いままで》の普断の顔付でそれからの毎日を過して行くことが出来るだろう。  然しそれにも拘《かかわ》らず百合人は熱に浮かされたようになってその方に近づいて行った。  階段を上り切った廊下は、よその家と違って奇妙な造りになっていた。というのはそこに太い頑丈な木で目のあらい格子がはまっていた。どんな目的でそういう装置がしてあったのか、百合人には分らなかったが、百合人がそこを通る度に、格子廊下の下の暗い板の間から鬼みたいなものに覗《のぞ》き見されているような戦慄《せんりつ》を感じた。そしてへんなことに、いっそ自分もその鬼になって子守のミヨがそこを通る時に下から覗いてみたいと思った。その下の暗い板の間は、明るい広い店の間の次の控えで、うす暗くお店の品物などが積んである部屋にくっついた袋部屋に当っていた。其処《そ こ》にはなんの道具も荷物も置いてなく仕末に悪い余分な場所のように、いつも薄暗くそしてひんやり床板ばかり黒光りに底沈んでいるように思えた。前に住んでいた人の時にそこの女中が此処《こ こ》で首つりをして死んだということを百合人は誰からとなく耳に入れていた。それはお店の金どんや好どんが百合人をからかってそんなことを言ったのかも知れなかったが、百合人はそこで実際にそんなことが行われたであろうと思い込んでいた。そこにはいつも物《もの》の怪《け》がいて、二階の格子廊下を誰か通る時に、いつも下からそれを覗いているのに違いない。とんとんとん、誰か又階段を上って行く、その揚句ぎしぎしと格子廊下をふむ音がする。その音をきくと百合人はぐいと秘密臭い気分に誘い込まれた。鬼と覗き見とおどろ髪、そして防禦《ぼうぎよ》のない身体の部分。  百合人は階段を上ってしまうと、その格子廊下を足早に通り過ぎた。すると二階の明るい広い座敷に出た。もうその瞬間に格子廊下の下の鬼のことは忘れてしまって、座敷の真中に紫地のはでな大柄な花模様のふとんが敷いてあるのがぱっと目につく。そこに根岸さんのおばさんが昼寝をしていた。  百合人の家に出入りをする女の人の中で、百合人は根岸さんのおばさんが一番綺麗《きれい》な人に見えた。それは、根岸のお菊さんは美人だよ、という父や母の口ぶりからばかりでなしに、小太りの艶々《つやつや》した身体つきが百合人に好ましく感じさせるものがあった。ふっくら下ぶくれの顔で色が透くほど白く、何よりも腰のあたりの豊かな感じが、軽く衣《きぬ》ずれの音をたててまるで生き物のようにあやしく跳《おど》りあがる裾さばきの乱れが、百合人に緻密《ちみつ》な豪華さを感じさせた。渋好みの着物の柄も、それは何と根岸さんのおばさんに似合って上品に見えたろう。ナフタリン臭いにおいまで上品なにおいとして感じられたことだろう。それに根岸さんのおばさんの声は一層百合人の耳をひきつけた。その声は百合人には涼し気に聞えた。根岸さんのおばさんののどには薄荷《はつか》が塗ってあるのではなかろうか。  その根岸さんのおばさんが先刻見えて、百合人の母と話をしている声が聞えていたが、やがて何だか気分が勝《すぐ》れないからと言って二階にふとんを敷いてやすんだのだ。  百合人は根岸さんのおばさんの腰もとにすがりついてみたい欲望をいつも持ちながら、 「おや、ユリンドちゃん、いつもおとなしいのね」  とふくよかな下ぶくれの顔の目を細めて見つめられると、かしこまってしまって手も足も出なくなってしまう。おとなしいと思われていることに叛《そむ》くのはいけないという心遣いがはたらくのだ。そうではない。僕は違うのだと百合人はいつも思う。世間はどうして色々のことを百合人に押しつけて来るのだろう。そして人々から押しつけられた言葉は重たくて百合人にはねつける器量はないのだ。その器量のないことが即《すなわ》ち世間の言葉を許して置くことになっていた。  然し今百合人は前後のつじつまの合わせようのない訳の分らない熱のために操り人形のようにぎくしゃくしてふとんの裾にたどりついた。百合人はそこにぺたんと坐り込んだ。まだ根岸さんのおばさんは気がつかない。それは眠っているのではなくて、わざと気配を伺っているようにも思われた。百合人はそっとふとんのはしをかかげた。するとそこにこぶ巻みたいな根岸さんのおばさんの裾の方が翼を休めた感じで横たわっていた。あのあでやかな生き生きした裾さばきの魅力は死んでしまって、残骸のように薄汚ない二つのあなうらがそこにあった。百合人はその一つを掴《つか》んでみた。すると彼が期待していたとは反対に、ひやりと冷い感触が掌《たなごころ》に伝わって来た。それは百合人の熱をさます啓示のようでさえあった。これではない。もっと違うものを探さなければいけない。そう思った時に百合人の掴んでいた足首がびくりと引っ込められた。  根岸さんのおばさんが上半身を起して、じっと百合人を見つめていた。そしてゆっくりつぶやくように言った。 「まあ、この子ったら」  百合人は反射的に立ち上って、ばたばたと階段の方に遁《のが》れ、鬼の覗き見する格子廊下も一気に通り越して、はしご段を転ぶようにしたに降りた。まだ後髪《うしろがみ》をひかれるような未遂行の心残りと、もう自らの手で今までの太平無事な秩序をかき廻してしまって、見当のつかない恥辱の大海に乗り出してしまった不安で、百合人はどうしてよいか分らなくなっていた。  家の中のどんな所にも眼がついていて、百合人をじっと見つめているような気がした。その眼は根岸さんのおばさんの眼のようでもあるし、又母の眼のようでもあった。又そのほか百合人を知っている色々な人の眼のようでもあった。  百合人は店の間に出て行った。  そこは子供には見向きもしない忙しそうな空気が充満していた。父の血走った眼。「どいたどいた。子供はお店に出て来ちゃいかん。奥で遊んでいなさい」そろばん玉をはじく音と電話室のけたたましい呼鈴。盲縞《めくらじま》の筒袖の着物に前垂《まえだれ》をかけ白足袋をはいて忙しく立居振舞をしている金どんや好どんの威勢のいい返事。見知らぬ取引のお客さんが出入して煙草の煙を濛々《もうもう》と部屋の中一ぱいにこもらせて、喧嘩《けんか》のような調子でしゃべっている。そんなしゃべっている口ばかり。白いつばきを飛ばして、しゃべってばかりいる部屋。  そこにはいって行けば、百合人は無視されているであろう。百合人は今は何にもまして無視されていたかった。二階のあの部屋からは、百合人に対する軽蔑《けいべつ》の陰口がむくむくとふくれ上って猛烈な勢いで広まりつつあるような絶望的な後ろをふり向けない早瀬につき落されていた。  お客さんとしきりに話し込んでいた父が、じろりと百合人の方を見た。然しそのまままたお客さんとの取引の話を続け始めたので、百合人はほっとした。まだ此処では、以前の百合人の値打が通用するように思えた。然し、やがて此処にも知れ渡ってしまうだろう。  夕方にさえなればいつもあんなに仲良く百合人と遊んで呉《く》れる好どんも、昼間は百合人の方を見向こうともしない。然し今の場合百合人にはそれが好都合であった。彼は電話室の方に行ってみた。電話室の扉には百合人の肩のあたりから上が写る高さでガラス戸がはまっていて、金粉で「電話室」という字が書いてあった。なかが暗いから、そのガラス戸は曇った古い鏡のようにぼんやりと人の姿を写し出した。  百合人は扉に身体をすりつけながらそのガラス戸に自分の顔を写してみた。そして百合人は自分の顔が凡《およ》そ可愛げのない顔であることを認めた。自分の顔がどんな顔であるかを知っていた訳ではなかったが、恰好悪く小ぢんまりとつき出たおでこと、低い鼻が気に入らなかった。眼が黒く大きくまつげが病的に長いことは少しもよい条件とはならないで、却《かえ》ってじめじめしたませた、そして子供っぽさを消してみせることに役立っているように思えた。それに左肩下り。このいやな左肩下りのために洋服を着ても着物を着ても肩がずっこけてしまった。百合人は身体の左の部分に意地の悪い、しんの弱いものがひそんでいて、その為に自分の左肩は下るのだろうと思った。「ユリンド、ちゃんとしてごらん。真直ぐ立ってごらん。変だねえ。背骨が曲っているのかねえ」母の言葉は百合人に暗い雲をかぶせた。このまま一生左肩が下ったままなのだろうか。骨が曲っているのなら、もう直りっこはあるまい。赤ん坊ではあるまいし、こんなに大きくなってしまったのだから。「ユリンド、お前胸を張ってお歩き」その言葉も百合人を脅《おびやか》すものだ。歩く時に、胸を張ったり左肩をあげたりそんなことにいちいち気をつけて歩かなければならないとしたら、何という窮屈な生涯を背負わなければならないだろう。どんなにして歩いていたっていいではないのか。自分で気持よく歩けてさえ居れば。「ユリンド、お前こう胸を張ってお歩き」その母の声を耳の底にしながら、百合人はガラス戸に写った自分の左下りの肩を見ていた。女の子のようななで肩を見ていた。すると、「おしんさん、おしんさん」と二階から百合人の母を呼ぶ根岸さんのおばさんの声が聞えたような気がした。いよいよ、あのことを根岸さんのおばさんは百合人の母に言いつけるのであろう。百合人はあらためてかっとなる程の恥ずかしさが身体を流れた。そして思わず電話室の扉を開けその中に隠れようとした。そしてそこに百合人は子守のミヨが赤ん坊と一緒に坐り込んで遊んでいるのを見た。 「ミヨや、ここにいたの?」  百合人は思わず扉を後ろ手で素早く締めていた。 「ミヨや、どうしてこんな所に居るの」  百合人は何かしゃべらなければいけないように、そうきいた。ミヨが赤ん坊と二人っきりでそんな秘密の場所にはいり込んでいる気持が分ってやれそうな気がしたのに。  ミヨの歳は十六で、身体はやせていた。それで見る者にすらりとした感じを与えたが、唇の色がなまなましく又頬の血色がよくて痣《あざ》と見違える程にも赤いのが、ミヨをひどく田舎者に見せていた。百合人はミヨのその田舎っぺの所は好きでなかった。何処《ど こ》と言ってはっきりはしないがきたない感じ。鼻の下の所にぼやぼやっと生毛《うぶげ》が生えているからだろうか。手が水仕事でよごれているからだろうか。訛《なまり》の抜けない言葉を使うからだろうか。百合人にとってミヨは働き蜂《ばち》のみじめさで映っていた。若《も》し父や母が死んで自分がみなし子になったら、ミヨのようにそして又金どんや好どんのように、よその家で使われなければならないのだろうか。百合人は自分が大きくなったら何になるのだろうかということについては、少しも見当がつかないし、又そんな遠くのことを考えないでもゆっくりしていてよさそうにも思えたが、それでもミヨや金どんや好どんのような境遇ではないもっと別なもののようにぼんやりながらそう思えていた。ミヨを殊更にいじめる気持にはならなかったけれども、そうかと言ってどれ程もミヨの身の上に同情し得たであろう。ミヨ、ごはん。ミヨや、紙。ミヨオ、水持って来てえ。百合人がそれをあたり前のようにして使う言葉の数々にミヨはハイと返事をしてすぐ応じて呉れた。然し、ふとした時に百合人が何かしらこつんとしたものに鼻をぶつけることも忘れることが出来ない。ミヨが返事をしなかったり、口の中でぶつぶつ言ったり、それもミヨは時々はそんなふうになるのだということを経験で理解しても、どうかしたはずみに、ミヨに体をかわされて、そこを埋めようのない空虚と感ずることがあった。そんな時にはこつんと冷いものに突き当ったと思った。百合人はそれはミヨが他人だからだと思った。毎日の色々なことで、ミヨの助けを借りなければやって行けない程ミヨに寄りかかっているのだけれども、それも自分とミヨとがうまく機嫌の合っている時だけだという怖《おそ》れをいつも持っていた。  百合人が電話室にはいって、ミヨと赤ん坊を見て、あわてて扉をうしろ手に締めて、電話室の四角な狭い空間と外界とを遮断《しやだん》した時に、ふとその孤独を感じたのだ。さっきの二階の事件で百合人はひどく自分が独りぼっちであると思い込んでいたが、外部と断ち切られた小さな場所でミヨと向い合った時に、ミヨは大へん立派なひとかどの他人に見えた。自分は何という値打のない汚ない存在になってしまったことだろう。赤ん坊のことについては百合人は手が届かなかった。赤ん坊が泣いてもむずかっても百合人にはどうすることも出来はしない。それは厄介なそしてこわれ物のような生きものであった。母か、又はミヨでなければさわることの出来ないもの、そしてそれが自分のきょうだいだと言われているもの。それに対して今の百合人には何の感じもない。然しそのように独りぼっちでありながら、やはり或る限られた場所で向い合っていることで、百合人はミヨに気兼ねをし、ミヨがしているようにそこに坐り込んだ。  電話室の中は薬臭いにおいがあった。それは消毒薬のようでもあり、或はワニスのにおいが籠《こも》っているのかも分らなかった。その気分を惹《ひ》き込むようなこもったにおいは二人を上気させた。百合人がはいって来る前にミヨは秘密の遊びをしていた。それは赤ん坊をあやしながら頬ずりをしているうちに覚えたことだ。赤ん坊の小さな口もとの、その唇の色や、凹《くぼ》みや肉づきやその線、そして鯉か何かの口のように奥深く空気をすっと吸い込んで行く有様が、無性に可愛らしく、未《ま》だ歯が生えていないので危害を加えられる心配のないことが、ミヨをふと誘惑して、赤ん坊の口に自分の口を持って行かせた。ミヨ、赤ちゃんに口をつけてはいけませんよ、そう奥さんからいつも言われていた。おとなの口は黴菌《ばいきん》が多いからね。その禁止が逆の作用をした。おさしみの肉のように誘惑を感じて、ミヨは自分の口を赤ん坊の口に重ねた。すると赤ん坊は乳首と思ってかミヨの口を吸い出した。すっとそれに吸い込まれた時に、そのなまあたたかさと内部の構造のよく分らないまま手さぐりではいって行くような感じにミヨは夢中になった。こんな手近に自分を夢中にさせて呉れるものが禁止されていて、それに少しも疑惑を持たずに今迄その禁止を破ってみようなどとは露ほども感じなかったことが、却って嘘のように省られた。そのことがあってからミヨは赤ん坊のお守に大へん興味を持ち始めた。赤ん坊の身体をみつめていると、いつまでも見あきない楽しみが持てるようになった。そして時々は電話室のような所にはいり込んで赤ん坊の口に自分の口を持って行く遊戯を覚えた。  丁度ミヨがその遊戯をしていた時に百合人がはいって来たが、百合人にその前後の一切のことは気もつかなかったし又理解も出来なかった。遊戯の続きの気分の中で、坐ったままの彼女は子守のミヨではなく、十六の小娘になって、大胆に闖入者《ちんにゆうしや》の百合人を眺めた。百合人はそのミヨの放神の様子に、いつもとは違う対等になった一個の人格のミヨを認めて、ふだんの態度がとれないぎこちなさになっていた。ミヨがいつもより綺麗に見え、いつものきたなさを感じなかった。その狭い箱の中でミヨを一人前に認めると、先程からのワニスと消毒薬に赤ん坊のおしめやミヨの髪の毛のうむれなどのにおいを改めて強く意識し、さっきあのような熱病にさせて二階に引っ張って行った時の、自分の意志ではどうにも出来ない強い力に再びとらわれて、百合人はミヨのまたの所に手をつき出していた。今にも電話の呼鈴が鳴りはしないか、父かお店の人が電話をかけに扉を開けてはいって来はしないかとびくびくしていた。今すぐにもこの電話室を出て行きたいとしきりに思いながら、でもこんな時にはこのようにしなければいけないのでそれをやったまでだと思っていた。そしてミヨが声をあげて叱責《しつせき》したりしないで、黙って百合人をみつめたままむしろはげますように彼女の手を添えて来たことは、百合人を困惑した陶酔に導いた。  どういうものか、百合人は母の眼が冷くなったと感じ始めた。父は百合人にとってただ忙しいばかりの人のように見えた。そして時たま百合人を否定的に取扱う人。然し母は、百合人の身体の延長の程にも分けることの出来ない人だと思っていたのに。  根岸さんのおばさんについてのあんな事件があった日のことについて、百合人はどんな外部からの恥ずかしめを受けた訳ではなかった。百合人にとってはひとつの脱皮の日であったにしても、その日はいつもに続く平凡な日に終ってしまって、むしろあっけない程であった。ミヨとのことも、それはそれだけで、ミヨももとのミヨやになり、百合人の方も、もとの坊ちゃんでそのまま日を過した。表面からは何事も指摘することは出来なかったし、又その日からだと、はっきり言うことも出来なかったが、その日の前後を境にしたようにして、百合人は母の眼に冷たいものを感じ始めた。  百合人は何《ど》んな悪いことをしただろう。たとえば母に知られて悪いような何かをしたことがあるだろうか。百合人の頭で悪いと考えられているものは、嘘をつくことと盗みをすることであった。若し母に叱られるようなことをしても、そのしたこと自体よりも、それが発覚して母にとがめられた時に嘘をつくことが百合人にとっては堪えられない悪いことであった。そのためにどれだけ手控えな子供になってしまっていたことだろう。然しどんなに手控えにしたところで母は子供の詰問の種をこしらえてしまう。百合人もその程度の沢山の小さな詰問に対して、その答を事実のままに表現して見せる能力が出来ている筈はなかった。然しそれは母の毎日の日課の一つのようなもので、詰問されてそれにいくらかずれた答をしてみせても、それが母を対手《あいて》どってしている限り、百合人はいくらか気持を軽くしていることが出来た。恐らくはそのようなことで、母が百合人に対して溝《みぞ》を深めたのではないであろう。すると、いつか母の留守の時に亀楽《きらく》せんべいを黙って二三枚とって食べたことが母に知られてしまっているのだろうか。その時百合人はたしかに何かに強く誘惑された。母がミヨと赤ん坊を連れてどこかに出かけた時、百合人は家の中がまるで活気がなく冷え冷えした感じに襲われた。たんすの環《かん》やふすまの取手《とつて》などが奇妙に大きな感じでのさばり出すのだ。   そまつにすなと母上の   さずけ給いし此の人形  母は紙の手函《てばこ》に千代紙人形を作ってしまっていた。でもそれは百合人のものだということになっていた。人間の形をしたつくりもの、それはひどく百合人の心をひきつけた。百合人はその沢山の紙人形にボール紙で裏打ちして少しうしろによっかかった恰好で畳の上に立たせることが出来る細工をした。母の作った紙人形はお雛様《ひなさま》を中心にしたものばかりで変化に乏しかったので、絵本の中から王様や鬼や狩人《かりゆうど》やそしてライオンだの象だのを切抜いてそれにも同じような裏打ちをして畳の上に立たせ、やがては座敷一ぱいに行列させ、部屋の端っこに腹這《はらば》いになって、それらの紙人形を、竹と糸で作った小さな弓で、射倒して遊ぶことを考えついた。蓄音機の針が先についた矢が紙人形に当るとあっけなく引繰《ひつくり》返ったが、そんな単純な繰返しが百合人には面白かった。何回もそれをしていると裏打ちがぴんとそってしまって射ち易いかたちに立たなくなったり、又こちらの端に腹這って一通り射ち終ってしまうと、起き上って行ってもう一度それらの紙人形を立て直さなければならないことが、この遊びに嫌気を起させるきっかけとなるようであった。すると今迄あんなに興味のあったことが白々しくなって、もう人形なんかはどうでもいいように思えてきた。もっとバネ仕掛ででも動き廻る人形が欲しいと思った。矢があたればその傷から毛糸の血潮が流れ出るような精巧な人形がほしくなった。或いはもっと紙人形たちがそれ位の大きさで本当の人間のように生きていればよいと思った。そうすれば自分はガリバーのように彼等の間に君臨することが出来るだろう。小指の先程のペルシャ猫などを自分の手のひらにのせてみることが出来たらその楽しみはどんなだろう。それは空想だけで、午後の陽が黄色く陽焼けのした畳の上にさして来て、その光の中をほこりが舞い踊り、畳の上のごみも眼につき、そして紙人形がもう何の面白味もなく引繰返って動かないのを見ていると、人間の世の中の狭いことや人間の力のたよりないことを見せつけられたようで、遊びくたびれたけだるさの中で、百合人は邪険にそれを手函の中に押し込んだ。  百合人はそして陽のささない奥の部屋の方に歩いて行った。ねだがゆるんでいるためか、たんすの環がかたかたゆさぶられる音がした。そして階段の所の格子廊下がいやでも百合人の眼についた。その格子のすき間からのぞける下の暗い袋部屋の空虚から陰気な風が吹き上って来るように感じた。   そまつにすなと母上の   さずけ給いし此の人形  その歌の悲しげなメロディが百合人の頭に甦《よみがえ》って来て彼を妙な気持の底のような所に引張り込もうとした。そのむずかしそうな古い調子の言葉の本当の意味は分らなかったけれども、そしてその歌の文句の限りではそのことを意味してはいなかったが、百合人は此の歌は人形をむごく取り扱った子供に対しての呪《のろ》いの言葉のような無気味な所があると思った。さずけたまいし、のたまいしという言葉が殊更に強くひびき、それはたましいという言葉の変貌であるように考えられた。死んだ人形の魂が迷い出て、歌の中にはいっているのであろう。その悲しい調子に百合人はすっかり参ってしまった。広い世界の太陽が、だんだんその光がかげって来て、たよりなく明るくなったり暗くなったりすることを繰返しながら、その光はすぼんで来てやがて百合人のほんの周囲だけしか照らして呉れず、どこにもその他の明るい場所を探すことが出来ない寂しさに襲われた。自分はこれから先どうなるのだろうか。自分はやはり大人になって行くのであろうか。自分にも自分のような子供が出来るのであろうか。大人になったら何かの商売をしなければならないのであろう。然し父のやっているような商売をしたいとは少しも思わなかった。もっと違う商売がないものだろうか。自分が大人になったらそんなことがやって行けるだろうか。そして一度は好どんが行って来たように兵隊に行かなければならないのではないか。好どんの兵隊に行って来た話をきいていると、百合人は或る恐怖を抱いた。母の話では、男の子の兵隊にとられることと、女の子の赤ちゃんを生むということが此の世で一番つらいが一遍はどうしても通らなければならないおつとめだと言うが、男でも父のように兵隊にとられなかった者もいるではないか。そこの所の運命は自分にどう顔を向けて呉れるのだろう。そんな考えが次から次へと百合人の小さな頭に一ぱい湧《わ》き起った。そしてどれ一つ百合人に解決のつく問題はなかった。  百合人は胸から背にかけたあたりにむずがゆい不快なしこりを感じ始めた。それは自分に何か分らない問題が黒い鳥のように覆いかぶさっていて、百合人の身体をつつき廻しているように感じられた。そうすると気持も身体もむしゃくしゃして来て、どこかに乱暴にこすりつけたく思った。身体の中に蛇が一匹棲《す》んでいて、いらいらする神経の根に噛《か》みついているので、その噛みついている蛇をはがして地べたにたたきつけなければこのはけ口のないもやもやした気持の納りはつかないと思われた。自分が巳《み》の歳だからそんな蛇がしつこく棲んでいるのかも知れないが、このように割り切れない覆いかぶさりを取り除くことが出来ないで世の中にどんな楽しみがあるというのだろう。百合人は畳の上にごろりと横になって、両手で頭を抱え、身体を縮めたり反らしたりしながら、畳にすりつけてくねらせた。そうでもしなければとてもやり切れないと思った。何もかもがいやになった気持で、そういう気持の状態を苦しいと感じた。頼って行くものがなく畳に訴えているふうであった。百合人は低くうなり声を出してみた。うーんうーんと病人が苦しむ時のように少し長く引張ってうなってみると、或る限界でくるっと気分が裏返しになったかと思うと、その奇妙な運動と声を出していることが幾分快感を伴い始めたことに気がついた。すると気持がさらさらとほどけて崩れて来た。そして自分のそのおかしな恰好を子供らしくなくいじけた姿だと批判している別の自分がもう一人いることに気がついた。百合人は立ち上った。もうけろりとしていた。我ながらおかしくてくすっと笑った。そしてぺろりと舌を出した。何か今度は目に見えるものが滑稽で阿呆《あほ》らしく思えた。ポッポ、ポッポ。鳩時計が時を知らせた。百合人は、短く上の方に上ってしまった鳩時計の鎖を、屑籠《くずかご》の役目もする踏台を持って来てそれに上って、引っぱって下の方に垂らした。部屋の中の家具をみんな横に引繰返してみたい気持になったが、それをする勇気のようなものはしぼんでいた。その代りのように百合人はたんすの上のブリキ罐《かん》の中から亀楽せんべいを二三枚ぬき出して食べたのだ。  そのようなことを母が何うしてだか知ってしまって、そして百合人に新しい扱い方を始めたのであろうか。それはそうでもないようだし、然し案外その辺に原因があるのではないかとも思った。  又こんなことのあったことも気にかかった。それは好どんについてのことだ。金どんと好どんの二人の番頭のうちで、百合人は書生っぽくさい好どんに好意を持っていた。金どんは背が低く小ぶとりで、丸い色の白い顔に金縁の眼鏡をかけていた。そして夜になるとよく外に遊びに出てしまうばかりでなく、百合人の遊び相手になることを好まないように見受けられた。好どんは凡そ金どんと反対に見えた。骨太で背が高く、眼鼻立がはっきりしていて、傍《そば》によると青年のにおいがした。夜になってひまになっても、店の間で何かひとりでこつこつ仕事をしていた。そうでなければ表に出て柳並木のある歩道で近所の若者と棒押しをしたり、相撲をとったり、それにあきると店の間の上框《あがりかまち》の所で将棋をさしたり腕相撲をしたり。そういう好どんの姿を見かけると百合人は何となくそばによって行って彼にまつわりつきたくなった。「好どん、ねえ、くびこんましてよお」すると好どんはちっとも嫌な顔を見せないで百合人を肩車にのせたり、仰のけに引繰返って両足で百合人を宙に支えたり、くすぐったり、高い高いをしたり、両耳を持って吊《つ》り下げたりしてみせた。それが百合人にはとても楽しかった。その度に好どんのふとん部屋のにおいに似た体臭も不思議にいやに思えなかった。それは溌剌《はつらつ》とした若さの象徴のように思えた。百合人に希望があるとしたら、自分も大きくなったら好どんのような身体つきになり度いと思った。力も強く、顔立もきりりとして、と考えると、もしかしたら兵隊にとられた方がいいのかも知れないとも思った。百合人は好どんと遊ぶ時はげらげら馬鹿声を出して笑いころげた。「ユリンド、そんなに好どんにばっかりくっついていちゃ、好どんが迷惑だよ」「そんなことないねえ、好どん」「そんなことないねえじゃありませんよ。好どんもちっとはきつくしておやり、癖になるから」「奥さん、いいんですよ。ねえ坊ちゃん」  母はどうして好どんから百合人を引きはがそうとするのだろう。百合人は好どんの顔色に毛筋ほどの不快な色も見つけたことはないのに。  お湯屋には百合人はいつも好どんに連れて行って貰う。お湯に行く日は好どんが店の間の上框の所に腰かけて、百合人の方に背中を向ける。 「坊ちゃん、お湯に行きましょう」  百合人はばたばたと駈け出して行って、好どんの背中にどんとぶつかり、そして好どんの肩車にまたがる。両手で好どんのいがぐりの頭をしっかり掴まえる。ぐらぐらゆれる高い位置でお湯屋に行く。そして身体も丁寧に洗って呉れるのだ。それを母は又どうして止めるのだろう。 「坊ちゃん、お湯に行きましょう」  百合人がばたばた駈け出して行くと、奥から母の声が追いかけて来る。 「好どんにくびこんまして貰うんじゃありませんよ」  百合人は出足をくじかれた気持になる。 「好夫、百合人は自分で歩かせなさい」  すると好どんは、目くばせをして百合人に早く肩車に乗れと合図をするのだ。 「坊ちゃん歩きましょうね。はい、下駄をおはきなさい」  わざと大きな声で奥の方に聞えるように好どんはそんなことを言う。 「はい、お利口さんですね。奥さん、坊ちゃんはちゃんと下駄をはきましたよ。はい行って参ります」  そして百合人は好どんの肩車に乗って行く。好どんの迷惑は少しも理解出来ずに、たまには肩車の上で、どしんどしんとお尻で調子をつけたりしながら。此の好どんの打ったお芝居は、百合人にどれ程の智慧《ちえ》をつけたことだろう。蜜《みつ》のように甘く多少のうしろめたさが胡椒《こしよう》のようにぴりっと利いて、百合人の人生を形づくったはずだ。  或る日好どんが、夕食後の無聊《ぶりよう》で、店の間のたたきの上の鴨居《かもい》にぶら下って機械体操をしていた。それを百合人が見つけ、箒《ほうき》を持って来て、上框の所から好どんを煽《あお》り上げたのだ。好どんは尻を叩かれないよう、やもりのように鴨居に身体を曲げ上げてへばりつき、「坊ちゃん、降参、降参」と百合人がその冗談を止《や》めることを頼んだが、始めは軽い気持でそうしたことが、好どんを本当に困らせてやりたい意地の悪い気持が百合人に萌《きざ》してきた。それで自分も眼付が変って来たと自覚しながら、本気になって箒を強く振り廻し、好どんが下に降りられないようにした。此のいたずらを長く続ければ、好どんはたたきの上にびたっと落ちて大怪我をするかも知れない。そんなことになったらどうしようと思うかたわら、そうなるのを見て見たいような気持がひそんでいた。好どんは何て馬鹿だろう。少し位箒でぶたれてもいいから下に降りればいいじゃないか。きっとわざと、あんな風に怖がって見せているのだろう。百合人はそう思って、少しも力をゆるめず箒を振り廻した。所が、好どんはげっと変な声を出したかと思うと、上框の畳の方に斜《はす》に勢よく跳び降りて来た。然し、疲れていたせいか、思ったほど畳の奥の方に跳び降りることが出来ないで、上框の木の所にがつっといやな音を立てて、ぶつかった。と思うと、うーんと、身体を蝦《えび》のように曲げて、畳の上で苦しそうに身体をくねらせた。  これは一体どういうことになったのであろう。百合人は冷水をぶっかけられたように、はしゃいだ気持が急速に冷めてしまったことを感じた。好どんはこのまま死んでしまうのではなかろうか、とふと不吉な考えを抱いた。そしてあわてて好どんの口の辺を眺めた。口からどす黒い血の塊が噴き出ていないかと思ったからだ。然し血を吐いてはいなかった。そして顔は蝦のように真赤に充血していると思った。と同時に血の気が失せて紙のように青ざめているとも思った。そのどちらであるかを百合人は見定めることは出来なかった。その両極端の印象が百合人の頭の中に一緒にはいってきた。 「好どん大丈夫? 好どん、ね、大丈夫?」  百合人は好どんを遠巻きに見てそう言った。然しその言葉の中で自分が半分逃げ腰になっていることに気がついていた。何故《な ぜ》こんなに弱虫なのだろう。百合人はどうしていいか分らなかった。失敗《し ま》ったという後悔の念が深く心にささって来た。何故早くそのいたずらをやめてしまわなかったろう。早くやめていたらこのことは起らなかったのに。さっき迄自分が箒を振り廻しながら、わーい、わいとか落っこちるぞとか弱虫やーいとか調子よくさわぎ立てていた時のざわめきがぱたりと潮騒《しおさい》を聞かなくなった後の空虚のように、そのざわめきの軽い調子が、哀れに空しく百合人の耳もとに残った。耳もとに残っているひいてしまったざわめきのために、今の無気味な、出来事が起きてしまった後の静まりようが、一層冷酷な審《さば》きのように百合人に感じられた。  百合人は最初に、好どん大丈夫? と言った自分の言葉の意味に気がついて、恥ずかしく思ったので、今度はそっと、言い替えて見た。 「好どん、ごめんなさいね」  好どんは返事をしなかった。黙って其処に眼をつぶって寝ていた。百合人は好どんに、好どんも百合人もどうしようも出来ないむしろ神様の領分のような所で、無視されていることを強く感じ取った。  百合人の母が気配を察して店の間に出て来た。 「どうしたのさ。好どん、しっかりおし。大丈夫かい」  母は大人の経験で、好どんの身体に手をかけてその変調の程度を知ろうとした。 「痛むのかい?」  すると好どんは、ふーっと太い長いいきを吐いて眼を開いた。 「大丈夫です。大したことありません。どうも御心配かけました」 「どうしたのさ」 「いえ、なに鴨居から跳び降りたところが鳩尾《みぞおち》を打っちゃって……」  百合人はその様子を傍でじっと自分の居場所を完全に喪失した感じ、水の中に立っているような気持で、突立っていた。  百合人は益々《ますます》母のいらだちをきつく感ずるようになった。百合人はそういう母に対して何と色々なへまを重ねるような立場に立って来たことだろう。もう此の頃では、家の中の空気がすっかりとげとげしいものに変ってしまった。 「ユリンド、どうしてお前は家の中にばっかりいるの。ちっとは外に遊びに行ったらどうなの。お隣りの三ちゃんを見てごらん」  母のヒステリックな言葉をきくと、百合人は自分の左肩下りの姿を思い出した。百合人は外はちっとも面白くなかった。三ちゃんも、運送屋の玄ちゃんも、百合人には面白くなかった。自分が三ちゃんや玄ちゃんよりも背丈《せたけ》が、一廻りのっぽであることで、うまく釣合いがとれなかった。何か内側から足をすくわれるような感じと、三ちゃんも玄ちゃんも三男坊や次男坊で、そして百合人のように総領の甚六《じんろく》という言葉をあびせかけられたことのない自信の強いきかん坊の顔付が百合人には気に入らなかった。彼等とはどうしてか一緒に溶け込めない。彼等と遊んでいると、自分の形成されていない性格が無理やりに浮彫にさせられる戸惑いを感じた。ひそひそと彼等は相談し、自分はひとりぼっちでうかうかその計略のおとし穴に近づかせられるような感じを消すことが出来ない。百合人はそれは自分だけの罪じゃないと思う。僕が最初に生れて来たからいけないんだ。隣りの三ちゃんの兄の辰夫の、女の子のようにくねくねした身体つきを見ていると、先に軽蔑の気持が湧き起ったが、百合人は辰夫程弱虫ではなかったけれども、何か知らないが底の方で辰夫と共通するひ弱な部分があって、その類似のために一層反撥するようであった。それはお互いが一番先に生れて来たという運命の下で押えつけられてしまってどうにも動かすことが出来ないもののようにも感じられた。それで百合人は辰夫を見るのは嫌であった。と言って三ちゃんや玄ちゃんと遊ぶこともつらい思いだ。 「内べんけい外みそなんだから」  母のその言葉は百合人の自尊心をどれ程傷つけたことだろう。 「お前に一日中家の中に居られると、お母さんはのぼせてしまいそうだよ」  どうしてそんなことになってしまったのだろう。 「お菊さんもお菊さんだよ……」母はこの言葉をいつ誰に言ったことだろう。百合人はそれを忘れてしまったが、ちらっと母のそういうつぶやきをきいたような気がする。そして百合人はその言葉に怯《おび》えた。百合人にとっては根岸さんのおばさんのお菊さんのことについては、自分に関することだけしか理解出来ず、そしてそれに怯えた。あのことは早く忘れられてしまいたかった。そこだけを切り取って百合人の生涯の歴史から除いてしまうことは出来ないものか。 「そうだ。ユリンド、お前幼稚園に行くといいよ。そうしよう、ね、いいだろう?」  百合人は、自分のことで此の頃は母が父とまで険悪な関係になっていることに堪えられなく思い始めた。自分の呪われた運命の下での性質はこの先どうなって行くものか。どうかして母との間をもとのようにして貰いたいと思った。あの柔和なもとの母に返って貰いたいと思った。その為に母が百合人を幼稚園に出し度いのならそれも致し方のないことだ。  三ちゃんや玄ちゃんと遊ぶことでさえ窮屈なのに、あの自分と同じ年恰好の子供がうようよいる幼稚園は百合人にとっては随分怖ろしい所のように思われた。しかも学期の途中からはいって行くのだ。  然し兎《と》に角《かく》百合人は母に連れられて幼稚園に行った。最初に入れられた小さな教室。それは小さな百合人にさえ小さ過ぎて感じられた。そしておもちゃ箱を引繰返した雑然さと、子供たちがてんでんばらばらにおしゃべりしている騒々しさに百合人は期待が外れた。  百合人はもっと天井の高い広々とした教室で、生徒の子供たちは行儀よくきちんと並べられた机に坐り、先生は教壇で色々なことを鞭《むち》を持って教えている所を想像していた。然し実際は、部屋の隅では背の低いじこっとした女の先生がオルガンをひき、子供たちはあっちを向いたりこっちを向いたり、ばらばらにうなるような歌い方をしていた。中には何を思い出したか手放しで泣き出すような子供がいた。歌いながらおならをする子供もいた。それがすむと籠の中の積み木がテーブルの上にぶちまけられた。細いしなしなした針のような木と豆が配られた。それでみんな弥次郎兵衛を作った。そして最初の百合人の眼には、みんなきたない友達になる甲斐のない子供たちばかりに見えたのだ。いつもつきまとう最初に団体の中に入れられた時の自分の同志を選択する時の眼付を、百合人もやってみたが、百合人はがっかりした。こんな幼稚園に来るのじゃなかった。おやつの時のだらしなさはどうだろう。独りぼっちになる寂しさで、百合人がそれとなく近寄りお友達にして貰おうと思っていた、やわらかい髪の毛をふさふさのばしてハイカラな折襟《おりえり》を着た色の白い子供は、うで卵を口にほお張ったまま、隣りの着物を着た眼のつり上って鼻をたらした子供とつかみ合いの喧嘩を始めた。そして卵の黄味をそこら一めんに散らばらせた。そのむっとするにおいに百合人は辟易《へきえき》して、もうその子と友達になることは止めようと思った。  馴れないうちは退屈で仕方のなかった時間が、でも次第に苦痛でなくなった。そうすると、中には白い綺麗なエプロンをかけた子供だとか、髪の毛がちぢれていてあいの子のような子供だとか、聡明で信頼の置けそうな子供などの居ることが分って来た。然し百合人はその中でも自分が目立ってのっぽであることが恥じられた。母が着せて呉れるハイカラそうな折襟の洋服が、ひとに笑われる種のように思えたり、始めからそうであったかも分らないが、百合人の性質がみんなに分って来るに従って一層はっきりとのけ者にされそうな恐怖の心は取り除くことが出来なかった。どうしても馴染《なじ》めないものがあって、百合人を積極的にさせなかった。然し靴カバーを袋にいれてぶらぶら振り廻しながらの幼稚園への往復は百合人を楽しませた。そして家が同じ方向にあるというので、往復の連れは自然に決って来た。  百合人は幼稚園に通い出してから急におとなになった自分を感ずることもあった。もう好どんの肩車に乗ってお湯に行くことに、何となくためらう気分が出て来た。そして母のいちいちの態度が、そんなにびしびし百合人にひびいては来なくなった。  そのようにしてどの位幼稚園への往復を重ねた頃であったろうか。  その日一日中身体がだるくて仕方がなかった。朝起きた時、よっぽど休もうかと思ったがその言いわけのために口をきかなければならないことが億劫《おつくう》でそのまま幼稚園に出かけた。然しその日一日の受業はどんなに長く感じられたことだろう。あの最後の、みなさん、さよなら、ごきげんようの合唱がどんなに待遠しかったろう。  百合人は帰り道をどう歩いたか覚えがない。耳もとで襖《ふすま》の取手の鬼が、そらこいそらこい、早く帰れ早く帰れと、熱っぽいいきをふきかけながらささやいていた。  百合人は一刻も早くくたくたと母の懐の中に崩れ込みたく思った。柳並木のある大通りが見え、百合人は自分の家のガラス戸を開け、店の間でいつものように煙草の煙を濛々とさせて商談のおしゃべりをしている中を、上框をやっとこさ上って奥の方にはいって行った。  母は台所で何かしているようであった。 「お母さん」  百合人は崩れそうになる身体をやっと支えて、すがりつくように母を呼んだ。母が百合人の身体をがっしり受けとめてさえ呉れれば熱は一遍で散ってしまうと思えた程に。  然し母は忙し気にこちらを振向こうともしない。 「お母さん、かったるいの」  百合人はもう一遍そう言った。 「何です? お母さんは今忙しいの。自分でとこをとって、やすんでいなさい」  百合人はせい一ぱいで頼りにして来た何か大切なものを、ぱっと外された感じで瞬間ぐらぐらっとめまいがした。  然し百合人は黙って二階への階段を上った。「お母さん、僕は死んじゃうよ。僕はもう死んじゃうのだよ。死んでもいいの?」階段を上りながら百合人は全く力が抜け切った自分を感じた。やっと二階に上った。あの格子廊下のその下の覗き見する鬼は怖くないけれども、格子の孔が俄《にわ》かに大きくなって、その中に吸い込まれそうな気持になった。百合人は這うようにして、格子廊下を渡った。もう、どんなにしてふとんを押入れから出していいのか分らなかった。百合人は鳩時計の下の所で畳の上にごろりと横になったまま、こんこんと意識の不明な眠りに落ちて行った。  百合人は引き戻されるように意識を取り戻した。ぽっと小さな豆電球に灯が点《とも》る具合に、彼が気がついてみると、母の眼が大きく、顔が広く写って来た。頭ががんがん割れるように痛かった。 「ユリンド、気がついて呉れたね。よかった。よかった。母さんが悪かったよ。かんにんしてお呉れ」  百合人は母のそういう言葉を水の流れのように聞いていた。自分はどうしてこんなになったのだろう。それを思い出そうとしても、どうしても思い出せなかった。母は何故あんなことを言っているのだろう。 「ユリンド、本当に母さんが悪かったよ。母さんは神様の罰《ばち》があたったんだ。よくなってお呉れ、ユリンド。でも気がついて呉れてよかったねえ」  母は何を言っているのだろう。ああ、頭ががんがんする、と百合人は思った。自分は、何か大へんな病気にかかってしまったのではないか。自分はどんなことになっているのだろう。お母さんは何もあやまることはないではないか。百合人は前後のつじつまをどうしても合わせることが出来なかった。「母さんは夢を見たのだよ。恐《こわ》い夢だったよ。然しその場所ははっきり覚えていた。それにお前はこんこんと眠ったきり気がつかないじゃないか。お父さんとその場所に行ってみたよ。お父さんとも仲直りしてね。母さんがいつまでもヒステリを起して子供たちを構わなかったから、きっと神様が母さんの眼を覚まして呉れたのだ。きっとそうだよ。行って見たこともないその町に夢の中とそっくりのおやしろがあるじゃないか。母さんはぞーっとした。そのおやしろで父さんと二人で拝んで来たのさ。ユリンド、気がついて呉れてよかったね。しっかりおし、死んじゃいけないよ。しっかりおし、死んじゃ駄目だよ。母さんがついているからね」  それは何のことだろう。母さんは誰に何を言っているのだろう。何か古めかしい物語をきいているように、此の世のこととも思えない不思議な出来事を、巫女《み こ》のようなものが、百合人の枕辺で語っているように、それは百合人の耳にはいって来た。然しその意味は百合人には分らない。浜辺に打寄せては返すあの限りない潮騒のように、単調な然ししつっこい繰返しで、百合人の耳もとで誰かがしゃべっている。  もっとあかりが欲しい。どうしてみんなそっちの方にす去ってしまうのだろう。「お母さんもっと傍に来て下さい。お父さんは何処にいるの」どうして辺りがこう暗くなるのだろう。自分はもう死んでしまうのだろうか。そまつにすなと、母上の、さずけ給いし此の人形。なんかそんなメロディが百合人の耳もとに嫋々《じようじよう》とまつわりついていた。そして百合人は、自分で何かいけないことをしたので、罰があたってこんなになってしまったのではないだろうかと思っていた。 (昭和二十三年十二月)   出孤島記  三日ばかり一機も敵の飛行機の爆音をきかない。こんなことは此処《こ こ》半年ばかりの間、気分の上では珍らしいことだ。その為に奇妙な具合に張合いを失っていた。  三度の食事時に、定期の巡検のように大編隊でやって来て、爆弾やロケット弾や機銃弾を、海峡の両岸地帯にかけてばらまいて行く。そしてその中間の時刻には少数機でやって来たから、海峡の両岸ではいつも爆音の聞えない時はなかったことになる。言うまでもなく夜は夜で夜間戦闘機がやって来た。それで一日のまる二十四時間飛行機の爆音で耳のうらを縫われてしまった。  それがこの三日ばかり、ちっとも音沙汰がない。  半年もの間寝ても覚めても、その音響ばかりが気にかかり、その音響の状況によって毎日の生活の順序などが按配《あんばい》されていたような、その上に生命に危険のあるその音響が、そして勿論《もちろん》その音響の原因である飛行機がぱったり来なくなったと言うことは、頗《すこぶ》る奇妙に迷って感じられた。それは無気味なことだ。  それに、我々はもうなすべきどんな仕事もなくなってしまった。  戦争の嵐の眼は、我々の頭上を通り過ぎてしまったのではないか。そして我々は圏外に取り残されてしまったのではないか。  もしそうであるとすれば、孤島に残された我々は食糧の確保の計画を立てなければならない。  島民からの食糧の入手が困難であることは明らかであったので、それは我々自身の手で作り上げなければならない。  現実に戦闘がない以上、我々は異常な興奮でいつ迄《まで》続くか分らぬ毎日を過すことは出来ない。我々は普通の神経でその毎日を飲食して排泄《はいせつ》して暮さねばならない。  我々は或一つの仕事を除いては役に立たない戦闘員であった。  或る一つの仕事というのは、我々が敵から「スイサイド・ボート」と呼ばれた緑色小舟艇の乗組員であることによって運命付けられていたものだ。  長さ五米《メートル》、幅約一米の大きさを持ったベニヤ板で出来上っている、木っ葉舟がそのボートであった。一人乗で目的の艦船の傍《そば》にもって行って、それに衝突し、その場合頭部に装置してある火薬に電路が通じて爆発することになっていた。衝突場所がうまく選ばれていた場合には、多分二隻で目標の輸送船一隻を撃沈させることが出来るであろう。もう少し欲を出して軍艦一隻を轟沈《ごうちん》させる為には、近接が成功したとして更にもっと多数の我々の自殺艇を必要とするだろう。そして我々乗組員はそのような戦闘場裡《じようり》にあって、沈着に、突撃の百米程前方で、針路を絶好の射角に保ったまま舵《かじ》を固定して海中に身を投じてもよいことにはなっていた。もしそんなことが出来るとすれば。  今でこそ不思議に思うのだが、私はそのような目標直前での舟艇離脱という冷静な行動がとれそうにないから、いっそのこと自殺艇と一緒に敵の船にぶつかってやろうと、もうその他にどんな道も自分に許されていないように思い込んでいたことだ。  この一年間というものは、そんな事情で、明けても暮れても、身体《からだ》ごとぶつかることばかり考えていた。  我々が、この特定の孤島に基地が選ばれて移動して来てからも既に九カ月ばかりが過ぎ去っていて、その間に戦闘準備作業は殆んど完成してしまった。最良の状態にではなかったけれど、寧《むし》ろ幼稚極まる状態に於《おい》てではあったが、許された手持の材料ではせい一ぱいの準備は完了し終えてしまった。  誠に色々な仕事が我々の眼の前に生じ、そしてそれを強行して来て、もう今はすることがなくなってしまった。本州との輸送連絡は絶たれ、新しい材料で兵器を強化するということは考えられなかった。  ただその時与えられてしまっていたものだけで、最大の効果をあげなければならない。  然し自殺艇の効果も時期のものだ。計画では三十五ノットも四十ノットも或いはそれ以上の高速が出る筈であったものが、我々が受取った時に、既に二十ノット出るかどうかがあやしいのであった。機関やその他の部分品の予備品が補充される見込が失われてしまえば、艇の性能は次第にやくざなものになって来る。  整備の要員も配属されて此《こ》の孤島に渡って来ている者だけに頼らなければならないし、彼等の技術を不安に思ったところでどうにもならない。  そして我々乗組員にしてみたら一層急場の間に合わせ訓練で速成の教育を受けただけの者ばかりなので、エンジンのことについてすらトラックの運転手程にも知ってはいなかった。  エンジンはさびつき、船体はくさりつつあった。そしてその愛すべき自殺艇は、急拵《きゆうごしら》えに我々が掘り抜いた洞窟《どうくつ》に格納されていた為に、常にひどい湿気の中に浸っていた。  艇の寿命も心配なことながら、間に合わせの格納洞窟の崩壊の時期もそんなに遠くはない。  つまり我々の自殺艇がそれを考案した者の予期するような効果をあげる為には、或る時期のうちにそれが使用されなければならなかった。  ああ、その時期も終りに近い頃、我々は敵にさえ見放されてしまったのではないか。  その時期は強引に過ぎ去ってしまうのだから、その時期さえ過ぎてしまえば、我々は自殺艇の乗組員である運命から解放される訳であったが、我々は、というより私は無理な姿勢でせい一ぱい自殺艇の光栄ある乗組員であろうとする義務に忠実であった。  そうでなくなってしまえば、それこそ拳銃一梃《ちよう》だに無い戦闘員が出来上ってしまうことになる。  私の眼界は昏《くら》く、拳銃一梃もない戦闘員になることはひどく頼りな気で、そのような場合どんな処置をとってよいか分らない。一カ年ばかりの間自殺艇と共に死んで行くことを稽古して来たのだから、せめてそのつもりで転結しようという呪縛《じゆばく》にかかっていた。  それに私が百八十人もの個性の集団の中で、命令する位置が保てたのは、何はともあれ我々の集団の中にあって自殺艇乗組員は総員の四分の一ばかりであり、私はその四分の一の中の第一号であったから、同じ戦闘員仲間の間に於てでさえ奇妙な伝説の中に住み込んでいる結果になっていたからだ。  一種の焦慮。それは艇の腐朽や洞窟艇庫の寿命、そして隊員の食糧問題などの複合から生じていたものだろう。それに私は百八十人が極く悪い状態に陥ちこんだ場合に、彼らがどんな赤裸々な姿を現わし出すかを冷静に計算してみたことは一度もない。  人々の陥り勝ちないやな傾向を詮索《せんさく》することにそれ程熱心ではなかったかも知れないし、その為に私は現実を認識することに浅く、従って表面は何事も波立たないで、たとえば私の性格のような隊風が出来上っていたのかも知れない。  この事実はおそろしいことだ。一つの隊の性格が指揮官の性格次第で、色々な色がついているとは。自分の体臭は消し難く、而《しか》も私は毎夜名前のない神に祈って体臭の消えることを願った。  そんな日々に於いても、我々がその日その日を生活するための一切の関心を挙げて、そこに集中している敵機の出現が、多分向う側の計画で三日間も見ることが出来ないということは、ひどく不吉なことだ。  いよいよ我々集団自殺者の祭典の時刻が近づいたように思われた。我々のその行為によって戦局が好転するとも考えられなかったが、それでも誰に対してしたか分らぬ約束を義理堅く大事にしていたのだ。我々は犠牲者だと自分に悲劇を仕掛けている気分もあっただろうし、又仮構のピラミッドの頂点で、お先真っ暗のまま、本能の無数の触角を時間と空間の中に遊ばせて、何とか平衡を保とうとしていたのだろう。  既に原子爆弾が広島と長崎に投下されてしまったことを我々は無電で受信していた。  私はその頃の時間の感じに自信がない。時は進んでいたのか、逆行していたのか、或いは又停止していたのか、然しそれを疑ってみたというのではない。ただ私にとって歴史の進行は停止して感じられた。私は日に日に若くなって行った。つまり歳をとって行かないのだ。私の世の中は南の海の果ての方に末すぼまりになっていた。その南の果ての海は突然に懸崖《けんがい》になっていて海は黒く凍りつき、漏れた海水が、底の無い下方に向って落ち続けていた。  私はそこから落下する為に、毎日若くなって行った。而もそこに行く前に、一つだけ思いきった行動を起さなければならない。眠っている間に、そっとそこに突き落して貰うというわけにはいかない。一米歩く為にも、こちらから身体を起して、重い足を動かさなければならない。  そして時は不気味に進行を止め、毎日の出来事は既に歴史書に書かれていることばかりのように思えた。どんなことが起っても新鮮な驚きを感じなかった。ムッソリーニが虐殺されたこともヒットラーの消失も私にはその意味が分らず、歴史年表の古い記事を読むのと変りがなかった。然しどこでそんなことになる歴史が始まり、そしてその次に何がやって来るかについて私は何も考えることが出来なかった。私の頭の中には猛烈に無気力な空白の渦があった。昨日は今日に続かず、そして又今日は明日に続いて行きそうもない。ただ南方洋上のT島のあたりが絶え間なくどろどろとおどろに鳴り響き、運命の日をのみ待ちくたびれて、一瞬一瞬だけが存在しているようなその日その日があっただけだ。  私の世界が、黄昏《たそが》れていたそのような時に、まず広島の運命を知った。  それは新型爆弾と報道された。詳しいことは分る筈もなかったが、その爆弾によれば、山も一部はどろどろに崩れ落ち、人間はその光線を受けただけで消失したと伝わった。要するに原子が破壊され(と素人《しろうと》考えをしたのだが)、物質は何もかもばらばらになり土に返ってしまうのだろう。その爆弾の効力の及ぶ範囲などに疑問が持てないこともなかったが、とに角広島市が一瞬に消滅し、そしてそれは又長崎市の運命でもあった。長崎の壊滅ということは殊に私を感傷的にした。私はそこで四年間も暮していたことがあったのだから。  自殺艇乗組員の私にとって、思い出ということの素直な感じはなくなっていたが、それでも長崎壊滅の報《しら》せは、暗い終末を一層確定的に予言されたと思った。私は誰の為に死んで行き、そして私の死んだ後には誰が生き残っているのだろう。  不思議なことに、原子爆弾のニュースは私を軽い気持にした。これで私も楽に死ぬことが出来そうだ。それは恥ずべき考えであった。然し私はこっそりそう感じ、之《これ》を口外出来ないという罪の意識を自覚した。  こんなひよわなぼろボートで子供だましの戦闘をしかけて行く蟷螂《とうろう》の斧《おの》の滑稽さが、もっとよりがっちりした必然さのローラーの下で果敢《は か》なく押しつぶされてしまう奇妙な安堵《あんど》であった。それに対して尚《なお》あがいて見せろとは要求して来ないだろう。私は未《ま》だ誰かの命令に拘《こだ》わり、その命令に忠実であろうとしていた。  命令を純粋に公式のように自分に課して、未知の世界に対して自分を実験してみようという気持がなくはなかった。然しその気分と平行して、命令されることにはただ臆病であった。命令を出す者への疑いを消すことは出来なかったけれど。  然し原子爆弾の前では、どんな命令も恐らくナンセンスに思われた。  今度の新型爆弾は頗る強力なもので、従来の防空設備では用をなさないから、各隊は速やかにそれに対処すべし、という命令が防備隊司令より発令されても、私はそれを一笑に付し去ることが出来た。  何という奇妙な解放感であったろう。  と同時に、ぐったりと疲労を自覚した。今迄の夥《おびただ》しい犠牲を支払って来たこの戦争がこんなに頼りないものであったのか。  私は思い煩うことを軽くさせられていた。その頃を前後として、敵は空から我々に象形文字で書いた印刷物を配付して呉《く》れた。  それには二宮尊徳のことが書いてあったり、十二時の時計に形どって向うが次々に奪還し或いは占領した島々が画かれてあった。十時の所には硫黄《いおう》島《じま》の、そして十一時の所には沖縄島の略図がそれぞれ示されていて、その上のところで日章旗がへし折られてあった。時計の針は正に十二時に近づこうとし、其処《そ こ》には日本の本土が置かれていた。  我々は沖縄島と本土との間にあって、遂に硫黄島程にも歯牙《しが》にかけられていないのか。そのくせ私はほっとしていた。  或時は我々はポツダム宣言の要約のビラを天から受取った。  それにつけても、それを国際公法の知識でどれ程正確に読みとることが出来たろう。それはむしろ滑稽な仕業に思えた。そしてポツダム会談というような歴史事件は、中学生の頃に教科書で既に習ってしまった気がするのであった。そんな古臭いことを、何故《な ぜ》今頃持出して来て、その要約を空から我々にばらまいたりするのだろうと思った。  要するに我々は孤立の世界に追い込まれて、瞬間瞬間が重なって行くに過ぎないだけの生活をしていた。  高い空を四発の大型飛行機が、いやな連想をしか私に与えない、にぶい然し太い複合の爆音を散布しながら、一機だけ飛んでいるのを私は、石ころの多い浜辺で見上げていた。  高所を飛ぶ大型飛行機はそんなに恐ろしくない。南の真夏の太陽が強く照り、空は気が遠くなるほど青く、而も光を一ぱいに含んでいた。それだけの距離を置いてもその飛行機は、へんに大きく感じられた。ふと私の感覚はしびれ、一切の物音は聞えなくなり、その大きな空のくらげの化物のような物体が、すいすいと移動して、私の頭上の方にやって来た。  その透き徹った感じの機体から、さっと銀粉のようなものが放出された。その瞬間のきらりとした一閃《いつせん》に、私は思わずどきりとして、崖《がけ》の窖《あなぐら》に走り寄った。  その一閃が原子爆弾に関係した前兆であるかも知れないと考えた。原子爆弾によって、私の肉体の原子が破壊し尽され、どろりと土になってしまうことを、期待していたつもりなのに、私の心はみにくい避難の姿勢をとっていた。そしてその姿勢には科学的考慮が殆んど訓練の跡を残していないのだ。  然し空のくらげの化物が飛び去った後で、きらりきらりと綾《あや》なす光彩の変化を見せて、空のただ中に広がり舞い落ちて来たのは、敵方からの伝単の贈物に違いなかった。  それはやがて海の上や岬《みさき》の岩の間、畠《はたけ》や溝《みぞ》や豚小屋の汚物のそばなどに汚れ落ちて置かれるだろう。  そのような日々の後に迎えた、三日間の無気味な静寂に私は戻らなければなるまい。  無気味なと感じたのは私であって、この孤島の浦曲《うらみ》には、すぐ手の届くついこの間まで、戦争の影響がまだ押し寄せて来ない日々がそうであった、長い年月の間のふだんの山川草木の姿があるだけだ。私だけが日毎の爆音に神経を亢《たか》ぶらせて、山川をしっかり見ることが出来なかった。私のとがった心の中では、その辺のどこを掘り起しても、危険な信管のついた物体が掘り起されて出て来た。  爆音の全く聞えなかった三日のその最後の日は、夏の暑さや、潮の香り、草木のうむれ、鳥の鳴き声、蛙《かえる》の声、干潟《ひがた》のつぶやき、部落なかのかそかな物音、例えば何か槌《つち》を打つ音とか、子供の誰かを呼ぶ声とか、豚の悲鳴や鶏のとき、そんな色々の、ふだんの感覚や物音が、太陽の熱に膨張して、物うく、然し充分に厚い層で、ひしひしと私の身の廻りを取り巻いて来たことを、あらためて強く感じた。  それらは非常に切なかった。そして何事も事件らしいことの起きない目立たない平凡な日への郷愁が、私の身体をしびれさせ、原子爆弾に対してはどうすることも出来ない、という無抵抗感が、低くにぶい伴奏となって私の身体の底に或る響きの調子を沈めて保っていた。  その日の午後私はからだと心を持ち扱い兼ねた。  隊員の殆んどは、畠の芋造り作業に充《あ》てられていた。そんなことしか仕事はなかったからだ。艇隊訓練も次第に間遠に数がへらされていた。勿論暗夜の而も敵の夜間飛行機が偵察に来ないような時を選ばなければならなかっただけでなく、使用度による艇の効率の減落と寿命への接近が頭痛の原因となっていたからだ。それで自殺艇乗組員も亦《また》、芋造りに主力を注ぎ出した。四つの艇隊の間での競争や又他の整備員や基地隊員や本部要員(その中には医務員、通信員、烹炊員《ほうすいいん》、経理員などが含まれていたが)などとの一種の対立が、そのように将来の食糧確保に関係した地味な作業過程にはいると、ぶすぶすいぶり始め出してもいた。  艇隊員はつまり自殺艇乗組員のことだが、彼等の中に、明らかに我々は生き残るであろうという予言をし始めるような者も出て来た。それはいくらか滑稽味を加えて、そして反面狂信的な調子で言い始められた。もっとも彼等は自殺艇の遂行を拒むような要素は少しも匂わせず、自分らがその任務に選ばれていることに特権の意識を抱き、他の隊員との間に待遇の峻別《しゆんべつ》を期待していた。それでその予言というのは、遂には彼等は、突撃の為に出陣するであろう。しかも彼等は生き残るであろう。それでなければ、或る夜忽焉《こつえん》として敵艦船の蝟集《いしゆう》する沖縄島が陥没するであろう、というのだ。然し彼等が期待するようにたとえ生き残ったとしても、戦争自体が終結しない限り、我々は更に前線に進出しなければならない。既に我々には掌《しよう》特攻兵というマークがついてしまっていただけでなく、そのような粗《あら》い仕事のほかは何も出来ない伎倆《ぎりよう》しか訓練されなかったし、そういう状態でかなりの期間特権的な生活をして虫食《むしば》まれていた。  私は無聊《ぶりよう》であり、ただ待っているだけだ。特攻戦が下令されるその瞬間を、だ。どこか日蔭者の生活に似て居り、即時待機で、その時を待っていた。それは頗る不自由であった。そしてそれをまぎらして呉れた敵機の爆音も、もう三日もきかない。三日の間やって来ないというのは、一体どういうことなのか。  私はひどく末期症的な考え方に陥ってしまう。私は防備隊の司令部に敵状を再三問合わせた。すると敵機の大編隊は、もうこの孤島などは歯牙にもかけずに日本本土の方に向って北上し、そして一仕事の後に又沖縄の方に南下することを繰返しているというのだ。  何かすべてが急転直下の様相を帯びて来たようだ。  だがそのような時にこそ我々の隊への危険は増大して来る。  何気なく孤島の近海に近寄った敵艦船に対して我々は突き当る為にいつなんどき出発させられるかも分らない。  しかし若《も》しものこと、我々の孤島が全然戦略的価値がなくなって、敵は沖縄から素通りで、本土の方に行ってしまったら、我々に或いは新しい生活にはいれる途《みち》が開かれるかも分らない。  そんなことを考えながら私は、海辺に近い高みの豁口《かつこう》にある、木小屋の本部の隊長室を抜け出して、ぶらぶら磯伝いに、隊の構内を岬の鼻の方に向って歩いて行った。  兵舎は分散して浜辺の小さな谷間を利用して建てられていた。そして浜辺に突出した尾根の岩層の適当な場所を選んで奥行三十米《メートル》前後の壕《ごう》を掘り、自殺艇を格納してあった。隊のある入江の口は、直接には海峡に向って開かれていない。狭い細長い入江はその袋口のところで直角に折れ曲っていたために広い海峡からの直接の風波も、その折れ首の所でさえ切られて入江の中に直接には影響せず、我々の入江はまるで山中の湖のように思える時があった。視界も入江の中だけに限られ、その限りの狭い範囲では、我々の秘密部隊は隔離された気分になることが出来たし、又実際に我々だけの生活を展《ひろ》げていることが出来た。私は防備隊司令の許可をたてにして、小舟による入江の袋のところの奥の部落と、他部落との交通を禁止していた。我々は軍機部隊だからということによってそれができた。  静かな入江うちを浜辺沿いにぶらぶら歩いているうちは、気分は丸く完結し、と同時に義務や責任のことばかりが繰返し考えられ、隊員を厳重に、入江うちの隊内にとじ込めてしまったそのことの報酬のように私も共に閉じこめられていた。  入江うちでは、私は到る処《ところ》で、隊長という位置で表立っていなければならない。  入江の折れ首の地点は、尾根がつき出ていて、裸岩が海の中にまで列を為《な》し、むき出たまま風にさらされ潮に洗われていた。干潮の時は海底が露出して、岩石は痛々しい感じを与えた。そこは丁度細長い隊の構内の片方の端になっていた。我々は其処に番兵を常置した。  私は番兵塔の方に歩いて行った。  そこの番兵には、大てい基地隊の第二国民兵役から補充された三十歳から四十歳以上にも及んだ年配の、この隊では最も下の階級の兵が当った。彼等の仲間は総数五十名ばかりで、既にかなりの社会的地位を持った雑多な職業経歴を有する者たちの集りだが、中でも農業者がいちばん多く、それに鉱山監督、役場の吏員、巡査、パン製造業者、傘張り、理髪屋、町会議員などの職業を有する者が交っていた。又文盲が二名いた。精神薄弱者もいた。  彼等の服装は一番ぼろで、そして一番下積みの仕事を負担した。彼等は殆んど何らの軍隊教育をも受けないで私の隊に配属されて来た。その主要な任務は、自殺艇の艇庫からの搬出入作業で、最後の運命の日に自殺艇が基地を出払ってしまった後は、もうそれらは二度と再び基地に帰っては来ないのだから、基地隊の彼等は小銃と手榴弾《てりゆうだん》だけで陸戦隊を編成することになっていた。  彼等の殆んどは戦闘作業には不向きであると思われた。彼等は規律や訓練を最も嫌った。その代りのように彼等はそれに一番ひどくこたえた。  短期間の間に彼等はどんなにつらい訓練に堪えて来たことだろう。落伍者の出なかったことが不思議な程だ。  近頃は兎《と》に角《かく》一応陽焼けしてたくましくなり、形式的な規律に自分をあてはめてあやしまない程になり、それ迄には見られなかった新規の兵隊のタイプさえ出来上りつつあった。  そして此の頃のように我々の隊が屯田兵の様相を帯びて来ると、彼等の確実な生活の根が段々頭を擡《もた》げ始めたように見えてきた。  入江の折れ首の崖際の岩の上で、私はその老番兵の捧《ささ》げ銃《つつ》の敬礼を受けた。ひどく生真面目に口をとがらせて前方をにらみつけていた。私は彼の眼の前を通って隊の外に出て行かなければならない。  海は丁度最低潮であった。私は狭い崖際の岩盤の上を番兵のそば近く通らないで、干上った砂浜を遠廻りして外側に出た。  外側は空気が動いていた。  そして眼界が広く開けた。  入江うちが淀《よど》んで凪《な》いでいても、此処に来て、足を一歩入江そとの方にふみ出すと、風が耳のうらを鳴って通り、身体の中に飼っている鳩が自由なはばたきをあげて飛立つ思いをした。  沖合の波は白く穂立ち、かもめがゆるく舞っていた。そして入江は海峡に大きく口を開き、その海峡越しに、はるか向うの島の山容、海岸沿いの県道の赤い崖崩れなどが、痛いようにこちらの気持に手を差し伸べて来た。  入江うちでの重い荷のようなものが、背中からはがれ落ち、私は軽々と自分自身になって、何の才能も技能もないままの姿を浜辺に伏せることが出来た。  私は外側の砂浜に身をなげかけて、仰のき、両腕を後頭部の下に組んで、青い空を見上げた。入江うちの隊内でそういう姿勢をとることは困難だ。でもいくらかすぐそばの岩の上の年配の番兵の眼を感じながら私はそうしていた。彼は黙って、いつまでもそのような姿勢でいる私を見ているのに違いなかった。私はこの状態を太陽の光線のように快く感じながらそうしていた。少く共その場合私の姿勢は自由であり、番兵の姿勢は不自由であった。然し私は彼から悪意を感じとることが出来ない程、自分の崩したその姿勢に、自然をくみ取っていた。  私は身内がほんのりこげ臭くなるまで、陽に焼けた石と、空気を通して来る太陽の熱と、そして磯の香や、松風のにおい、舟虫のしょっぱさにまかせて仰のけになっていた。やがて私は身を起して、又歩き出す。海峡の中にぐっとつき出た岬の鼻の方に行こうと思った。  その岬の鼻をぐるっと向う側に廻って行けば、隣りの入江はこちらより広く、そして海峡にじかにその全貌を現わして居り、その入江の奥の部落も大きく、役場や農業会や小学校、駐在所などが置かれているような場所でもあった。  私はどうしてもその部落に足が向き勝ちだ。  この三日間に、戦局の様相の末期的現象を強く感ずると共に、私は自分の身体がひどくがたがたになったことを感じた。食欲はすっかり減退した。  本部の中では食事に関心の深い他の士官たちの強い自己主張が、私の食欲を一層減退させるようにも思えた。私の食欲のないのは私の装いであったかもわからない。でなければ私の胃腸は神経障害に原因していたと思われる。私は明けても暮れても、或る命令を待ち、それの対策ばかり、空《むな》しく胸算用で繰返していたのだから。でも、この自殺艇が最初に使用されたと思われるリンガエンでも、その次の沖縄ででも、体当りの効果があったようでもない。否それは完全に失敗であった。同じ時期に派遣された自殺艇隊で無疵《むきず》で残っていたのは、この孤島に派遣された二、三の艇隊だけになってしまった。我々の艇の効果にしたところで成算のあるはずがない。せめても神経を麻痺《まひ》させて呉れる超高速さえ奪われてしまった自殺艇に、私はどんな期待を持つことが出来たろう。  私は神経衰弱に陥っていた。私自身は、そうは思えなかったが、小胆な私がそうでないわけがない。その為に食欲が減じ、顔色が蒼白《あおじろ》くなって来た。他の隊員は連日の屋外作業で逞《たくま》しく陽焼けしているというのに。  身体がとてもだるかった。南海の暑気のせいもあったかも知れないが、海ばたの生活はむしろ我々に快適であった筈だ。  なぜそういう感じを持つに至ったのかは分らないが、司令部の最高指揮官の早急な判断で無意味な犠牲者になる日が遂に近づいたと私は考えた。さもなければ、戦争の終結を見るだろう。然し自殺艇乗組員にだけは甚しく悲劇的な顛末《てんまつ》しかやって来ないのではないだろうか。その乗組員にとっては末すぼまりの予感がするけれど、一般的情勢は戦争の終末を来《きた》すだろう。それがどんな形に於いてであるかは、当時の私は考えることを避けていた。然し我々が出発した後に残った者たちはどんな状態に於いてであれ生命は全うすることが出来るであろう。  何故そういうことになるかというと、敵の機動部隊が、もう我々の孤島に用事はないのだけれども、日本本土への航行の途次、ついうかうかと我々の孤島に接岸航行をするようなことがないとも限らない。行きがけの駄賃に少し示威運動をして置こうと、茶目気のある考えを起さないとも限らない。然し我々の孤島側は余裕のある考え方が出来ないに違いない。その上に完全な電波探知機一台すら手中にしていない貧弱な見張網の報告の綜合《そうごう》の結果、防備隊にいる司令官は遂に我々の自殺艇を使用してみることを決意するだろう。彼は沖縄島への赴任の途次、沖縄島が救うことの出来ない状態に陥ったので我々の孤島に止《とどま》り、北部南西諸島方面の海軍部隊の最高指揮官になったのだが、此の方面の海軍部隊に彼が認めた艦艇は、我々の自殺艇によって編成された五つの水上特攻隊と、四隻の特殊潜航艇しかなかった。海軍部隊としては、それは何としても奇妙な兵備であった。その他に機帆船で編成された輸送船隊があったが、それがどの程度戦闘に役立つかを真面目に評価することは出来ない。そして末期現象の特攻兵器だけを以って連合突撃隊を編成し、それぞれの隊の指揮官の先任順に序数番号がつけられていた。第一突撃隊は海兵出のQ大尉が指揮官であり、重ねて連合突撃隊指揮官も兼摂していた。私の隊は第二突撃隊で、この両突撃隊が我々の孤島に基地を有し、そして内地から進出して来たのも同時で、すべての場合に姉妹隊として経過し、訓練期間も他の突撃隊よりはずっと長く、そして事故のないことで完全に近い整備を保っていることが出来た。  総ての突撃隊を同時に出撃させることは効果的ではあったが、そうすれば、その後の攻撃兵器は何一つ残らないことになるので、司令官はそのような決心をすることは出来ないだろう。  そこで先《ま》ず最初の火の粉を振払う為に、予備学生上りの指揮官をもつ、第二突撃隊を海峡の外に出して使ってみるのが一番適当であるように見えるではないか。恐らくはそうなるであろう。私にはねばり気のないそのような思考力しか働いて呉れない。その結果、それが、無駄であることが分り、第二突撃隊の犠牲の後で、急角度に或る新しい状態が生じて、(その頃では、降服という形式が我々には考えられなかったにも拘《かかわ》らず)戦争は終了することになるだろう。戦争の終了。世界の情勢に盲目になってしまっていた我々にとって、そのことが、どんなに遠い殆んど望み得ない素晴らしい時間と空間、という風に考えられたことだろう。丘の斜面の草原に寝転がることが出来、禁止事項はなくなり、もう今では想像することも出来ない海峡をへだてた向いの島との郵便船の定期が復活するだろうそれらの日々を、何故我々が頒《わか》ち享《う》けることが出来ないことなのだろう。爆音におどおどして逃げ廻っている島民たちや、そして我々。  岬の鼻への途中に、一軒だけぽつんとある人家、そしてその背戸の山は、几帳面《きちようめん》に耕された段々畠になっていた。  その段々畠の風景も時の襞《ひだ》に吸い込まれて、風化されてしまうだろう。その跡に立つ後の世の者がいたとしても、何の感興も湧《わ》かないだろうと思われた。村々をつなぐ人の通い道とは関係なく、岬のはずれにぽつんと雨風をしのいでいた一軒家の恐らく最後の住人になるであろう一組の夫婦者が、はだしでいつもまめまめしく過去のしきたりのままのなりわいを続けていることが言いようのない驚きの眼で見られた。いつ見ても、豚に餌《えさ》をやり、畠を耕し、芋を掘り、塩を焼き、魚を取り、麦をたたいて、余念なく動き廻っていた。私は番兵塔のある岩盤の上から望遠鏡を出して、その動く人間の姿を見ていることを一つのなぐさめとしていた程だ。  また彼等の、空襲を恐れあわてることの大げさなことが、私の心の傷を妙な具合に治癒《ちゆ》して呉れた。  編隊の爆音がきこえると、私の耳は兎の耳のように敏感になって、かなり前からその音をきき分けるが、彼らは余程近づいてからでないとそれが聞えないようだ。やがて爆音を確かにききつけたとみえ、あたふたと海ばたの崖を利用して作った防空壕の方に走って行く夫の姿が望遠鏡のレンズに写る。そして家の中の方に向って何かを叫ぶ低音の声が、思わぬ近いあたりの声のように私の耳にはいると、またもう一つの背の低い妻が転ぶように夫を追って防空壕に逃げて行く姿が、活人画の一こまのように眺められた。  私は一度その防空壕にはいってみたが、それは粘土層の赤土を、簡単な坑木《こうぼく》を入れてくりぬいたもので、ずい分ひまをかけて作ったにちがいない。それにしても壕の奥の袋になった所は人二人がやっとはいって居られる程の広さで、湿気を防ぐ為か、板が敷かれその上にむしろが置かれてあった。恐らくは其処で初老の夫婦が抱き合ってふるえているのだろうと思われた。  彼等の家の柱や縁板が潮風や嵐のために、流木のようにさらされていると同じように、歳月の皺《しわ》で渋くなってしまったような一組の夫婦の爆音におびえるその姿は、見ていて気持のよいものだ。  彼等がこの岬の一軒家で生んだ子供たちが未だ幼いときは、毎朝この家から蜘蛛《く も》の子を散らすように、というのは十人近い子供を持っていたということであるから、きょうだい喧嘩《げんか》をしながら学校通いをしたことだろう。私は、読む本がなくなったので、明治時代の本か或いは古い雑誌でもないだろうかとその家に借りに行ったことがあったが、尋常科とか高等科とかの区別のついていた時代の小学校の国定教科書が、押入れから持出されて来ただけであった。そしてその子供達はそれぞれちらばってしまって、岬の一軒家には初老の夫婦だけになっていた。  その防空壕に、私はNと一緒にはいったことがあった。  Nは、岬を廻った向うの入江の奥の部落に年老いた祖父と二人だけで住んでいる娘だ。Nはすっかり夜が更けはててから岬を廻って、一軒家のあたりまで私に逢う為にやって来た。  初めの頃は、私が岬の尾根筋の小さな峠を越してその部落に出かけて行った。そのころ私はその部落にある役場や学校に所用の為に明るいうちに度々出掛けて行った。然しそのうちそんな用事も少くなり、部落民は山の中に小屋を作って疎開し、私の方は、防備隊司令部の司令官から即時待機の配備につくことを命じられる状態になった。  それで私はNの所へ真夜中に出かけて行くことを始めた。終日私は隊長室で司令官からの命令を待っていて、やがて一日の日は暮れ、夕食もすみ、夜にはいり、そして峠の峰のあたりに月が出てくるのを見ていた。  私はへんに涙もろく、そして依怙地《いこじ》になってしまって、殊に六人の「准士官以上」の気配を嫌悪《けんお》し始めていた。  夜中の十二時も過ぎると私はむくむく起き上り、靴をはき、懐中電燈と、杖《つえ》を持って峠の道を上って行き、そして、東の空が白み始める頃、峠を下って来て、隊長室のベッドの中に、もぐり込んだ。  然し、それももう出来なくなった。情勢が悪化したからだ。もうどちらにしろ結着がつけられなければならない。それで、私は隊を離れることが危険であった。釘《くぎ》づけになって私は隊内の入江のほとりをふらふら歩いて、頬はこけ、色めが悪くなった。  すると、Nが岬をぐるっと廻って隊の端近くまでやって来ることを覚えた。  私は何とか口実を設けて、入江の折れ首の所の岩の上の番兵塔を出てNと逢った。  それにしてもそれは真夜中に行なわれなければならなかった。浜辺で四季の遷《うつ》り変りとじかに相手をしている生活をするようになってから、私は、夜に月のある夜とそうでない夜のあることを、そしてそれの交替が間違いなくやって来ることに今更のように驚嘆していたが、Nの浦巡のしごとが始まってからは、月は私にとって一層の関心事になった。月のない闇夜の岬越えはどれ程絶望的にそそり立ったものであることか。そして月の衰退に応ずるように、海のふくれ上りが、私の胸の中でも、満ちたり退《ひ》いたりした。  私はもっと天体の学問と、潮汐《ちようせき》表の算出法に精通して置かなければならなかったのだ。  一方私のその夢遊病者のような深夜の行動に対して、非難をするものと、何故か分らぬけれども許容するものとの色分けを、隊の中にかもし出すようになった。  殊に、本部の士官室の「准士官以上」の間に、私はそれをひしひしと感じ始めた。非難は徐々に根強く培われた。許容は私に甘いささやきをした。  もう総てが無駄になる時刻が近づきつつある。私はそれを、砂時計の無慈悲なしたたりのように私の心をしめつけに来る音としてきいていた。  私は岬を歩いて行った。  白砂が広がり波のいたずらで凹《へこ》んで彎曲《わんきよく》したところ。又ごつごつと石ころばかりの小さな鼻。巨石の落下したと思われるような難所。  また海苔《の り》のためにずるずるすべってうまく歩けない崖際があった。  月がなく雨が降りそして私の潮汐表の間違ったひき方の為に丁度満潮の時に難所を通らなければならなかったNが、五時間もかかってやっといつものところにやって来たことがあった。  そういう風にしてNはいつも、そこを夜中の通い路にしていた。  そこを私は、明るい陽のかんかん照りつけている午後、そして、大潮の時の最低潮の今、ぶらぶら、岬を越した向うの部落に足を向けていた。  もう私の姿を、番兵塔の番兵は認めることが出来ないだろう。番兵に、私のあからさまの意志を察知されることはやりきれない。ただもう、あの名のたたないことへの願いばかりが、私の背中を丸くさせていた。  私は今戦闘員なのだ。それは何というちぐはぐな感じだろう。この戦争について私は何を知ることが出来たろう。私の意志は失われ、私の手は汚れてしまい、傾斜をどんどんかけ下りていた。かけ下りるにしてもその動く姿の自分が、こんなにも淀んで停滞して感じられるとは。ただ南の方向に雷鳴のようなとどろき、乱雲の重なり、そしてあやしげな閃光《せんこう》。南から吹いて来る血なまぐさい飢えに、私は私だけではなく恐ろしいことに私の命令で四十八人もの自殺艇をひきつれて、あの世の果ての凍りついた海原の断崖に飛び込む運命にあった。大渦のおどろのとどろきの淵《ふち》に吸い寄せられて行かなければならなかった。  然し、浜辺の石ころを飛び伝いして歩いて行く私は、何も考えていない。  私は土偶に過ぎない。  ただ、曇天の日の底光りのように、背後で脅かされているつかのまの自由のはばたきに誘われている私に、千鳥の囀《さえず》りは、まだ生きていることを喜んで呉れるように聞えた。  海峡の向うの島山が見える。そして向い合った町の外れにわずかに焼け残ったいらかが陽の光で白っぽく光って見える。その町は海峡をはさんだ両側の島での唯一の町であり、そしてその為に敵の爆撃機が群る鴉《からす》のように、執拗《しつよう》な襲いかかりで主要部は殆んど破壊されてしまった。  その時々の地獄の火焔《かえん》と噴煙は、今は全く見ることが出来ず、静まり返った焼野となっていた。  私は望遠鏡で海峡の向うのその廃墟《はいきよ》の町をのぞいて見る。  南の輝ける真夏の日の島山。然し、海峡には小舟一艘見えず、うねりや小波の穂頭に、きらきらと陽の照り返しを受け、底に潮の流れを静かにひそめていた。  今日も爆音が聞えない。  然し、私はふと耳にかすかな爆音を聴いたようにも思った。それは、どもどもと、耳と言うより胸にひびいて来た。もうなれっこになっているその前徴。私のあらゆる神経はその音を捉えようと緊張した。それはごく低いものだが、やがて私の神経は確実にそれを捉えることが出来た。それは必ず超大編隊の複合音のかすかな先ぶれに違いない。  私は、身体をあらゆる方向に傾けてみた。私の身体が一個の精巧な聴音器であった。  そして私がその音の源を対岸の平行した地上の物体に確認した時の安堵のしようはどうだろう。私の下腹のあたりには幾層もの断層があり、色々な現象に対する判断の度に、私はその断層にどすんと落ち込んだり、這《は》い上ったりしているようなものだ。  私は尚も、眼をつぶって海峡の向うの町の廃墟の方に神経を集中した。  爆音は明らかに自動車のそれであることが分った。  安堵がいっそう身体中を這いまわる。その這いまわりよう。  それにしても、あれ程やられてしまった町の中に、誰がどんな用事で自動車なぞ乗り入れたのだろう。恐らくは陸軍の作業の何かだろう。まだ人々は向う岸の町で生きている。  もうお互いにどんな連絡も危険であり、別々に生きているこの頃の私は、海峡の向うを忘れ、そして音響は敵の飛行機の爆音の外は無くなっていたのに。  岬の鼻には表情があった。  干潮で岬の鼻の岩はその全貌に近い姿を現わしていたから、波でえぐられた洞穴の様々のとがったかたちを私は認めることが出来た。干上った海藻がからからにひからび、無数の小さな穴には蟹《かに》とも蝦《えび》ともつかぬ小動物が、穴の中や貝殻から身体をのり出して、触角や手肢《てあし》を動かしていた。潮くさい強いにおいが私の鼻を打った。そして尚海水に浸っている部分の洞穴の奥の方で、出たりはいったりしている海水が、地の底ののろいのように、低いつぶやきを続けていた。  私は岩の一番先に立って、足もとの、ふくれ上ったり、低くすぼまったりする海の動きをしばらく瞶《みつ》めた。  すると海の水のふくれ上がりの律動が、軽く私の身体に伝わってきた。  突端に立つ爽かさ。  又時として打寄せる波の加減で、私はしぶきをからだに浴びた。  やがて、私は一途《いちず》に、部落の方に向った。  小さな彎曲した白砂のなぎさと、崖を一つ越すと、部落の全貌がぱっと開けて眼に飛び込んで来た。  こちら側の入江は、我々の入江に比べて、何という構え無しに広い海峡に向って開けていることだろう。岬の方から入江の奥をまともに見ると、殆んど開《あ》けっ放しに見えた。我々の閉鎖された秘密げな狭い入江から、こちらに廻って来た私は、その開け広げな入江の様子に、暗い考えを見すかされたような、ためらいを感ずる。  恐らくは空からも、平たく開けっ放しに見えるだろう。でも何故かまだ爆弾の直撃からは免かれていた。  家々が気がもめる程大っぴらに入江一ぱいに広がって、どう見てもにぎやかな部落らしく、軒を低くして群らがっていた。  入江は最低潮時で、海水は見た眼では入江の半分程までも退いてしまい、浅瀬の為に一丁程もあろうと思われる長い桟橋の基礎柱が、醜く、部落の中ほどあたりから、入江に二列縦隊でつき出ているのがはっきり分った。  私は空襲がはげしくなって来た時に、爆撃の目標になることを恐れてその長い桟橋の橋板を撤回することを部落にすすめたが、このような干潮時には少しもそれは役に立たない。海峡の向いとの定期の発動船が通行を止めてからも随分久しい。あらゆる平時のいとなみの施設が蟹の手足をもぐように、もぎとられて来たのではあったけれど。  干潟の或る日の午後。  私は何を考えていたことか。審判の日の近づいた不吉な不安の幾日かのその一日に。然し島の部落の人々は、その干潟の中で、いつもの日の干潮時と変りなく、いっぱい出て来て貝ひろいをしていた。まるで穴から出て来た蟹ほどにも向う見ずに、もう三日も飛行機が見えないからと言って、安心して、疎開小屋から海ばたに下りていた。 (気をゆるめちゃいけない。危い。引込んで居れ)つい私はそう思った。でも伝令や号笛手のいないところで私の声はものの用に立たない。三日間の静寂に対して私がいくら神経質になっても、部落の人々にとってそれがどうしたというのだろう。  私は即時待機のさ中に隊をはなれて部落に何の権利があって近づいて行こうとするのか。  私はとうとう部落の中にさ迷い込んだ。  岬の方から見た時には、沢山の家々が、群れ集っていると見えたのに、中にはいってみると、部落は何となくもの寂しく、樹木と高い生垣が家々のぐるりを厳重にとり巻いていて、人の気配もない。干潟にはあれ程の子供やおとなが出ていても、やはり生活は疎開小屋の方に移っているらしく、部落の中は、まるで人気がなかった。  私は生垣にはさまれたまひるの部落うちの細い道を、ぐるぐる歩いた。  何か強いかおりの樹木のにおいが鼻をうって来る。そのにおいは、私の深夜の村あるきの時に、くらがりの静寂の中で、苦しい程に官能をかきたてられたにおいなのだ。私の深夜の夢中遊行に似た愚かな散歩は、いつも今度こそは今宵限りであろうというしっとりと重い鎖でつながれていた。  そのにおいは、つまりはNにつながっている。Nはまひるでも、深夜と同じように私を待っているに違いない。Nにとっての生活は、ただ待っていることだけだ。  私もめくらになってしまった。みなしごのNに、此の世の中でたった一人の孫娘をたよりに生きている年老いた祖父をひとりだけ谷の奥の疎開小屋に移し、Nだけに部落の中の家に寝起きさせるようにしてしまったのは、私ではなかったか。Nは、年寄りは部落うちは危ないし、危急の時に逃げ出すことが困難だからという理由で、祖父をひとりぼっちにさせてしまった。言うまでもなく、他の部落の人々も大方は山蔭や谷の疎開小屋に移ってしまっていたのではあるけれど、Nがひとりだけ部落うちの家に、夜も昼も止っていることは、どんなに不自然に見えたことだろう。  そのことをNは少しも気づいてはいない。Nは私とのことが部落の人には少しも知られていないと思っている。  もう門口が見えている。深夜の気配が、私をそっと足音をしのばせてこの門口に導いて呉れる時にはそれ程に不思議とも思えない道すじが、ひるまの光の下では、眼をみはる思いだ。この白昼の下でも、消え失せないで残っているとは。こんもりした丈の高い生垣。それは何という名の灌木《かんぼく》か私は知らない。その内部のものを外界にあらわにさらさないで包みかくしていて呉れることに私は身近な安堵をよせかけているだけだ。  平たい石をうめた低い石段を二段ばかり踏んで、構えの中にはいって行くと、Nの祖父がなぐさみに植えた草花が、手入れもわざと省いていた上に、此の家の主を失って、延び放題になっていた。  浜木綿《はまゆう》の群れ咲きは化物のような花の群れだ。その強いにおいと、白い遊魂が四方に指を広げて何かを求め、また首をかしげて待設けている姿は、私の深夜の訪問の出迎え人であり、私はその浜木綿によって申分のない状態に誘導されていた。  でも真昼の浜木綿は曲《きよく》もなげに、多過ぎる花をもてあましていた。然し、私はそれを認めて、きりりとした気持に立ち直った。  私は浜木綿の門をくぐった。強い甘ずっぱいにおい。それはNのにおいに通い、Nは浜木綿の茎の首をにぎって花々のにおいを顔一面にふりかけたりした。Nも又他の島人と同じように、はだしでいることが自然であった。島人たちがはだしで歩く浜辺や部落の小路や庭の中を、私は軍靴をはいてそっと歩く。  偽装のため屋根にたてかけた松やその他の葉の多い木も枯れて赤くなってしまい、そして何遍も繰返されたので庭は朽葉が一ぱい落ち敷いていた。  孤島の天気は雨が多く、雨がすだれのようにたれこめると島は海と天との間に水にけむってとじ込められ押えつけられてしまう。  雨のはれた次の日は、樹木がすくすくと伸びる。  今日は、樹木の伸びる日なのだ。  私は日の照る干潮時の浜辺を、背中を陽にこがして歩いて来た。屋敷はひっそりして、樹木の伸びる時のむんむんするにおいに充ちていた。薔薇《ば ら》が乱れ咲き、虫どもがにぶい羽音をさせて蜜《みつ》を気儘《きまま》に散らして歩く。  私は書院の縁の方に廻る。そして沓脱石《くつぬぎいし》の上を見た。  そしてそこにNの沓がないことで、屋敷うちに誰も邪魔する者のいない合図をよみとった。  私が踏む朽葉はかさと音がして、訪れて来たのは私であるのに、私がその家の主で、不意の訪問客に胸がときめくような錯覚を覚えた。  書院の座敷の障子は開け放されてあった。  座敷の中に縁近く机が置かれ、その上におはじき石が散らばって、書物が開かれたままになっていた。またランプものっていた。粗《あら》組みのわくに半紙を貼《は》っただけの簡単なあんどんをかぶせて。  夜は明りが外にもれないように、ランプのしんを出来るだけ短かくし、その上にかぶせたあんどんの上から更に布切れを覆った。そのランプの介在で、私はNを色々な陰影で眺めることが出来ていた。  書院には人気がなかった。私は裏手の方に廻った。  じめじめして蒼いかびの生えた屋敷の裏手。厠《かわや》のわきを通り、井戸端のそばの、くりやに近づいた。  自然に跫音《あしおと》をひそめた。くりやの中も外から見通せる所には人気がなかった。ひょっとしたら、家に居ないのではないか。私はがっかりし、うらみがましい気分が勃然《ぼつぜん》と湧き上って来るのを覚えた。 (もう本当にどうなることか分りはしない。今夜にも、出撃の命令が下るかも分らない。分らぬ所ではなく、我々の自殺行へのいで立ちの時刻は、手の届くような所にやって来ているに違いない。  これから先の刻々は、今迄のようなそれとは全く違ってしまったのだ。どんなことで急激に絶ち切られてしまうか分らないのに)  私は横手の方の縁に近より、何気なくすみの方をのぞいた。  そしてそこに私はNを発見した。  彼女は鼠ほどの物音をたて、うずくまりながらしきりに何かを食べていた。  私はそれをじっと見た。  スリップ一枚の恰好であった。Nが一日中どんなことをして暮らしているのか少しも見当がつかなかったが、今私はその生活をかいま見た。  彼女は堅い黒砂糖のかたまりを、庖丁《ほうちよう》でかきくだいては、口に頬張っていた。Nは今、何も考えていないように見える。空襲のことも、戦争のことも。所で私は戦争のことを忘れた瞬間があったろうか。私の戦闘配置が何であるかをうすうす察し始めたNの夜毎の愁嘆は、今のNのどこにも感じられない。野育ちの猫が人家の食料をあさっているように、私には写った。  人の気配でNは私の方を見た。 「あらっ」  そしてぱっと身体を翻し、中の屋の方に逃げ込んでしまった。それは、猫が人の気配に驚いて逃げて行く時の気配とどんなに似ていたことか。  私は中の屋の方に向って声をかけた。 「ひまがないんだ。すぐ隊に帰らなければならないんだ」  中の屋の方からは、調子は高い、が間のびのした声が送られて来た。 「いやですわ」  私はNの出て来るのを待った。  実を言うと、かなり前から、もっとはっきり言えば番兵塔の番兵の姿が見えなくなった頃からだと思うが、私の身体にはかすかな顫動《せんどう》が起っていた。  私のいない間にどんな事態が隊内で生じているかも分らない。或いは司令部から私に呼出しがかかっているかも分らない。新しい命令が来ているかも分らない。  刻々が後ろ髪をひかれる思いで、此処まで来てしまった。然しNの顔を見ただけで私はもうこらえ切れずに、隊に走り帰りたい気持で一ぱいになっていた。顫動はその運動の振幅を広げ、又何となく遠くにぶく大編隊の近接の爆音が聞え始めたような気になってくる。 「大急ぎで帰らなければいけない用事があるのだ」  Nは縁先にとび出して来た。みけんに皺をこしらえていた。その皺は私を脅《おびやか》した。それは平凡な日常の生活を始めたなら、Nはきっとその皺を発作の度毎につくり出すに相違ない。その皺に私は果てのない退屈の魔の姿をちらと垣間《かいま》見たと思った。  Nは何というあわて方をしていることだ。着物をぎこちなく着て、よせばよいのに帯をしめてきた。着物の柄が、大きな明るい那覇《なは》風のもので、それはNの身体つきと容貌とにちっとも調和しない。上気した赤い顔に、化粧を施してきた。家の中のくらがりで急いでしたので、白粉《おしろい》も紅も肌にのらず、不調和に濃過ぎた。  それはNをすっかり台なしにしてしまった。さっきの恰好の素顔のままであった時のNにどれだけ惹《ひ》かれたことだろう。夜中のNは妖《あや》しげな気配をただよわせていたものを。  私は帰途にあった。  潮は刻々と満ちつつあった。  満潮の時の海は、生ぐさいエネルギーに満ちていた。仮借なく海はふくれ上って来た。  部落を遠ざかると私の胸の中には、Nの私への善意だけが、その他の一切の道化を押しやって強く残った。その善意の悲しみのようなものが、潮のふくれ上りと共に私を圧迫した。  恐らく私は何人《なんぴと》に対しても何ものにも値しない。而《しか》もこのように振舞っていることは、空恐ろしいことだ。  満潮になれば、岬廻りの歩行は難渋になる。又しても夜毎のNの難渋の意味が、鮮かに私を捕える。  そして又殆んど私ひとりが気儘に隊の外へ出歩いていることと共に、私は何かに罰せられている思いにうちひしがれる。  やがて私は番兵塔の見える所まで帰って来た。私がそこを出た時から、もう何人の番兵が交替したことだろう。  番兵は私の姿を認めると、型の如く敬礼をしただけで、何事もなくもとの姿勢になって勤務を続ける。  私が隊を空けていた間に、何事もなかったのだ。何事もない。これ程豊穣《ほうじよう》な生活がまたとあろうか。何事もなかったのだ。今日一日も辛うじて無事であることが出来るのかも知れない。  私は番兵の見える所の砂浜で腰を下ろし、ただ何となく眼を開いていた。その私の眼に、潮は足許《あしもと》近くまで押し上って来ようとしていたし、又あたりはたそがれて来て、西の空が真赤に色づき、そして少しずつ紫色から灰色へ変化した。  雲は西の方からやって来て、どんどん東の方に移動して行った。  怪鳥のような形の雲が、余光を含んで、変に赤い色をして流れて来た。そして姿を色々に変え、少しずつ消えて行って、不吉な黒味を加えながら、東の方に去った。  今宵の夕焼が何故《な ぜ》このように特別に私の心に印象づけられるのであろう。  そういう風に夕焼を見ていられることがかけ換えのない楽しいことに思われた。  私は小石をいくつか拾っては、それを海の中に投げてやった。そしてその音をじっと聞いた。  私が腰を上げて、隊の方に帰ろうとした時、番兵塔の所をこちらに走って来る伝令の姿を見た。  司令部からの私へ宛てた信令に違いない。私はいつでも受入れの態勢を整えているつもりであった。然し、その時が「今」では少し早過ぎた。もう少し先に延ばされなければいけないと思った。それでその信号が何ごとでもないようにと願う気になった。  私は伝令が何か言い出す前にこちらから声を出した。 「何だい」  伝令は立ち止って敬礼をしてから言った。 「司令部からの情報であります」  私は未《ま》だ余裕が残されていることで、深い安堵《あんど》を覚えた。 (夕飯がゆっくり食べられる)  私は伝令の持って来た受信紙を読んだ。それは、各方面の見張所の報告を綜合《そうごう》すると、有力な敵船団が北上中の模様であり、当方面島嶼《とうしよ》に上陸する算が大であるから各部隊は一層警戒を厳重にせよ。そして特に水上特攻隊は即時待機に万全を期すべし、と書かれていた。  私は、「よし」と声に出して言った。伝令への了解の意志表示だけではなしに、私自身への言いきかせであった。  今度こそは愈々《いよいよ》やって来たと思えた。然し恐らくは此《こ》の孤島に真向から上陸するつもりはないだろう。日本本土への行きがけの駄賃に鎧袖一触《がいしゆういつしよく》の程のつもりで近接しつつあるのだろう。遂に犠牲にならなければならぬことを少しうらみがましい気味合で自分に言いきかせた。早く本部の私の部屋に帰って、その時の準備の心用意をしなければならない。その時になって、靴をはいたり携帯糧食を持ったりするのが、それをどんな風にすればいいかという事がひどく心掛りであって、ひょっとするとあわててしまって、そんな一寸《ちよつと》したことが出来ないのではないかと心配された。  また命令が全艇隊出動ではなしに、一部分の艇隊のみの出動を言って来た場合に、私はどんな処置をとろうか。  どういう訳か、此の悲劇の破局に於《お》いて、最初のあわてた出動の犠牲の後、事態は急転して、残った諸隊は出動を見ることなく、生き延びることが出来るような感じを私は消すことが出来ない。  何故そんな気持になっていたかは分らないし、又残った部隊がどんな形で生き延びられるかを、考える力はなかったが。  私は先任将校であるV特務少尉の第二艇隊を先に出してしまおうかという考えに捉われた。彼は私を軽蔑《けいべつ》し、私は又彼をけむたい存在に思えた。このような場合、純粋な戦略理由からでなしに決定しうる命令権が私の胸中にゆだねられていることに私は気分が参っていた。いやなからくりだと思った。而もみすみす私がその犠牲者になることには恐怖があった。V特務少尉を先に出してしまうやり方が、或る快感を伴って誘惑して来る。  本部の士官室では、私の分の夕飯だけが皿をかぶせて残されていた。  私は食慾はなかった。  外はまぶたに膜がかぶさって来るように、宵闇が重なりつつあった。  私はひとりだけの自分の部屋で、何をする気にもなれないでいた。  私の部屋には、簡易な組立て寝台と白木の机が置いてあるだけで、机の前の板壁に中型の鏡が打ちつけてあり、机の上には機密書類函《ばこ》と一冊の書籍がのっていた。私の日常の仕事はいよいよなくなってしまったから、Nの家から藤村の「新生」を持って来て読んでいた。文字に飢えていた私は、そのねばりのある文章の滋養を、食物のように摂取していた。然し何を読んでも、私には時が停止していて、我身のつたなさがつのって来るばかりだ。  私は鏡に自分の顔を写してみた。  眼ばかりぎょろりとして、頬もこけてしまった。頭髪は未だ刈るほどにはのびていない。無精髭《ぶしようひげ》がまばらにある。日が暮れた部屋に燈のない暗さも手伝って、私の顔は冷たい鏡の中に、堅い思いつめたとがった様子で沈んでいた。  私は部屋にランプを入れさせようと立上った時に、本部に近い当直室の電話の鈴がけたたましく鳴るのを聞いた。  私は従兵にランプを持って来ることを言いつけて、当直室で当直衛兵伍長が、司令官からの信令を復唱しながら記録しているのに耳をすませた。  それが、何であるか私にははっきり分った。とうとうその時が来た。  従兵がランプを持って部屋にはいって来た。ランプの光で従兵の顔がフィルムのネガのような陰影を作った。  瞬間、私は何をしてよいか分らなかった。私は立ち上ったり、部屋の中を歩き廻ったり、又椅子に坐ったりした。机の上の書物の表題が私の眼にうつる。島崎藤村著新生。それを私が読んだということが、何と無駄事に思えたことだろう。落着かなければならない。世の中が白い。紙のように白い。鏡が何だろう。机が何だろう。Nには逢って来た。まてよ、そうしているうちに今にも大空襲に襲われるのではないか。早く処置をしなければいけない。毎日毎日考えていたその順序通り始めればいいのだ。あわててはいけない。私は手がふるえているのを感じた。  伝令が、ばたばた本部への細い坂道を上って来た。 「隊長。信号お届けします」  私は無理に落着いた態度を見せようとした。 「どれ、とうとうやって来たな」  少し咽喉《の ど》のつかえた声が出た。私は受信紙を受取り、夕食後巡検までのひとときを思い思いの場所で過している「准士官以上」の集合を命じなければならないと思った。 「先任将校と当直将校を呼べ」 「はい。先任将校と当直将校を呼びます」  私は伝令も興奮しているのを感じた。  私は自分の身体が浮上りそうになるのを押えた。部屋の調度が遠のく。  受信紙には、先般発信した敵の情況に対して特攻戦を発動する旨とその方法とがうつしとられてあった。  私は機密書類を函から取り出し、下令された特攻戦法の区分を確認しようとした。そして私は今下令されたのは、一個艇隊のみ出動する場合に当ることを知った。  私の奇妙な予感が適中した。  私の眼の前を、蒼褪《あおざ》めた馬がのろのろと歩いて通り過ぎた。  当直将校がとんで来た。  私は隊内に総員集合をかけることを命じた。入江の両岸に点在しているので、本部の下の広場に総員が集合し了《おわ》るまで、かなりの時間を要した。 「准士官以上」が本部の士官室に集って来た。私はそこに出て行った。 「お待ち兼ねのものがやって来たよ」  私はそう言った。私はせい一ぱいでこらえている何かを感じた。どっとせきを切っておろおろし始めるかも分らないきっかけを押えつけていた。  ソーイン、シューゴー  当番が伝声管でどなっているのが、へんにうら悲しく入江のうちの浦々に反響するのが聞えた。  私は六人の「准士官以上」が、みな緊張し過ぎて泣き出しそうな或いは妙にうすら笑いを浮べた表情で私の眼を求めて来ているのを感じた。  私は三人の艇隊長の顔を見た。(誰を最初の犠牲者にしてやろう) 「所で命令は一個艇隊の出動なので、私が先陣をつとめましょう」  私は遂にさいころを振ってしまった。私は先任将校であるV特務少尉の強い視線を殊更に感じながら、私の性格の弱さを認めた。どうせ私の手の汚れついでだ。そんな気分が濃厚に湧《わ》いて来るのを感じていた。私はその時に六人の者との間に、深い断層のあることをはっきり知った。私は彼等を憎んでいることも認めなければならない。恐らくは、彼らも私がそういう処置をとる傾斜をすべっていることに憎悪《ぞうお》を感じているに違いないと思えた。 「隊長。それはいけないですよ。隊長には最後迄指揮をとって貰わなければ」  分隊士の兵曹長が先ず口をきった。そして私は次々にそういう抗議を受取った。私の頭の中に黒い蝙蝠《こうもり》が無数に飛び交う。 「何を言ってるんだ。此の部隊はそういう必要はない。陸戦隊は基地隊長が居ればよいし、残りの三個艇隊は、先任将校が指揮をとれば充分だ。先任将校、願いますよ。どうせつるべ落しに出動の命令が来るよ。とにかく先陣は私がつとめる」  私は自分の言ったことに逆説的な皮肉な調子が含まれているのが、少しいやであった。何も悲壮がることはないじゃないか。ただ私の気まぐれで私と運命を共にしなければならない第一艇隊の十二名の自殺艇乗組員に対して抱いた罪の意識を私は消せなかった。もっと猫可愛がりに可愛がってやってもよかったのかも知れない後悔のようなものに攻められた。  丁度その時、伝令が呼吸を険しくして新しい信令を届けて来た。 「司令部から先程の発令を訂正して参りました」 「何?」私は受信紙を見た。それは、発令された特攻戦法の訂正であった。即ち、一個艇隊だけでなしに、全艇隊出動の準備をなせ、というのだ。  私はなぜかほっとした。 「ああ、全艇隊の出動だ。もう問題はないよ。みんな一緒に出て行くんだ」  私は験《ため》されていることを深く感じた。  験されてばかりいる。然しそれももう終ることだろう。さあ、私は死装束《しにしようぞく》をつけなければならない。  本部の下の広場には、隊員がひしひしとつめかけて来た。  何かを叱咤《しつた》する声、番号をかける声、急ぎ足で行き交う兵の足音、金属的な物音やにぶい音。それらの物音が圧迫して来る夜気を撥《は》ね返しながら、どことなく、枚《ばい》を銜《ふく》んで舌打ちするような物々しさの気配で、入江の両岸に波紋を広げた。  月が山の肩に登った。  私は部屋の中で死装束をつけた。つまり自殺艇に乗込む為の服装になった。此の一ぺん限りの時の為に、いつもおさらいをしていた順序で、ふだんの略服の上に、飛行服をかぶった。私はその時に、袖やズボンに手足がうまくはいらないようなことになることをどんなに怖れたろう。然しそれも、どうやら右左を間違えずに着け了ることが出来た。ただふと気持が内に向くあの自分の体臭をしみじみと嗅《か》ぐ気分の中で、もうこの服も脱ぐことはないのだという、ひとりぼっちにされた寂しさを感じた。この身のいとおしさ。N。今の私はNが髪振り乱して狂乱している姿をしか想像出来ない。何故か発狂して恥知らずの姿になったNの姿しか瞼《まぶた》に浮ばない。然し恐らく兵火の犠牲になって命を落すこともあるだろう。私はNが死んでしまうことを願った。然し又雑草のようにしぶとく生きていて呉れることも願った。後の世の中との唯一の架橋のように思えたのだから。それから飛行帽をかぶり、双眼鏡を首にかけた。力が手足から抜けてしまって、しびれたようにぐったりとなっている自分の肉体を感じながら、然し次第にいつもの時の平常な気持を取戻しつつあることを喜んだ。誰の為に喜んだのかは知らないけれど。携帯糧食や海図入れ、刀、自殺用手榴弾《てりゆうだん》などは、指揮艇である私の自殺艇に乗って私と心中することを余儀なくさせられる若い掌特攻兵のS兵曹が、艇に積込むことになっていた。彼は自分の死装束の準備をすると共に、私の身の廻りの世話もやかなければならない。それは誠にあわただしく忙しい、而も従属的な人間関係の中で、彼は最後の陸上での短い時間を送らなければならない。私はいつも彼を凝視していただけだ。私は最後の突撃の前に彼を海の中につき落してやろうかとも思っていたが、その時になってどんな事態になるかは確信がなかった。それは艇隊長艇に限られてはいたが、一つの自殺艇に二人も乗っていることは、最後の瞬間に於いては無駄な滑稽なことに思われた。  S兵曹が私の部屋にはいって来た。眼をくりくりさせ、少しすねた投げやりの態度がいつもとちっとも変らない。それは私をいくらか力づけた。悲劇を誇張してはいけない。  私は本部の外に出た。そして月を仰ぎ見た。何という人間事のせせこましさ。沢山の拘束の環《わ》のがんじがらめで、今宵奇妙な仕事を遂行しようとしている自分が、月を眺めて見る自由は残っていた。同じ月の下には敵も居り、又戦争をしていない土地もある。Nもその下に居り、私の今の環境を彼女は知ることが出来ない。昼間のあっけない別れを不満に思っているだろう。月は銀幕に写ったそれのように位置が定まらずに小きざみにふるえて見え、それはさながらNの身体のふるえの経験を呼びさました。然し私はNに関してはつゆほどの後悔も感じてはいない。私は胸のポケットのふくらみを押えてみた。そこにNからのてがみをたたみ込んで入れていた。 「隊長、総員集合よろしい」  当直将校が届けて来た。  本部前の坂道を私は浜辺際の広場に下りて行った。  夜目にひしひしと隊伍の整列があった。  私は芋畠の高みの所に上った。  私はどんな表現をしなければいけないのか。  少し狂信的な甲《かん》の高い声を張ることが、この場合の人々に心理的な効果を及ぼすのだろうか。  その効果を考えないで、自分の性格に合った調子で、この場合も押し通すことは、或いはひょっとすると弾みの足りないひからびた人間らしくないやり方になってしまうのではないか。  然し私には狂信的な声をはり上げることが嫌悪される。全く何でもない事なのだ。  やはり私はただ事務的な事情を述べるに留《とど》める。時間を節約しなければならない。  特攻戦が下令された。やがて発進の命令が下される迄に、我々は各隊の分担に従って洞窟《どうくつ》から艇を出して整備しなければならない。エンジンを点検し整備し終えたならば、頭部炸薬《さくやく》に電路をつなぎ、信管を挿入《そうにゆう》せよ。然しくれぐれも注意しなければならないことがある。それはM隊のような事故の勃発《ぼつぱつ》を充分警戒しなければいけない。不注意のためにM隊は隊長以下十数名の死者を生じた。只今出陣の門出に当って我々はそのような事故を再び繰返し度くない。艇内の湿気の為に電路が短絡するおそれが大きいから、接断器のスウィッチを絶対に接につないではいけない。時間は充分にある。恐らくは明朝未明に発進がかかると思われるから、あわてずに落ちついて、確実に整備をせよ。整備の終った艇隊は直ちに俺の所に届けい。かかれい。  基地隊員、整備隊員、本部電信員、衛生員、烹炊員《ほうすいいん》、そして四個艇隊の各々は各隊先任下士官の短い号令で夜の入江の両岸の各々の場所に散って行った。六人の「准士官以上」もそれぞれ自分の分掌する隊の方に散って行った。  私は洞窟の中に設けられた当直室にはいった。洞窟の中は氷室《ひむろ》のようにひやりと私の身体を包んだ。戦闘体制にはいって、当直員は全部陸上残留隊員に切換えられた。いつもは艇隊員が当直室に於ても眼立って潮気のある勤務をしていたのだが。  いよいよ我々は基地を後にして出て行かなければならないことが冷たく感じられた。  然し私にしてはこの時に及んでもまだ之《これ》以上に情報を確かなものにする必要があった。このままで発進が下令されても、何処《ど こ》に行けばよいのかは分っていない。  私は防備隊の司令部に電話をかけた。然し司令部でも、私が夕方番兵塔の近くの浜辺で受取った以上の情報ははいっていないようであった。  私は空虚の中に陥ち込んだ。それは、私の時間の中の或る瞬間の真空の放心であったかも知れない。さて、戦闘はどんなにして展開されるものだろう。その血なまぐささの程度はどんなものなのか。もう直ぐやって来る筈の阿鼻《あび》の世界を私は想像することが出来ない。  その時丁度、姉妹隊である第一突撃隊の隊長、即ち聯合《れんごう》突撃隊指揮官の大尉から電話がかかって来た。彼は待望の時が遂にやって来たこと。此の孤島への駐留以来蓄積した訓練の効果を充分発揮して貰いたいこと。其後《そのご》の情報は進展せず、付け加えるべきものは何もないから整備もあわてるようなことなく充分慎重にやって貰いたいこと。それで手配はうまく行っているかというようなことを尋ねて来た。  姉妹隊というものの、海兵出の而も先任である彼の為にいつも後塵《こうじん》を拝せられて来たにがさは消すことが出来ない。彼の確乎《かつこ》たる態度は専門兵家《へいか》に見え、私はいつも素人《しろうと》臭かった。然し最早此処《もはやここ》に来て、私の兵法と彼の兵法とがどのように違った効果を齎《もたら》すかは見物だと思えた。  私は彼の電話の声を聞き置いた。  然し此処一年ばかりの彼との交際が、彼の飴玉《あめだま》を含んだような声をなつかしいものとさせた。妙なことに、彼と飲酒遊興を共にしたことばかりが思い起されて来た。そして二人でもう一度海峡の向うの町の料理屋で底抜けに酒を飲み、一夜を過すようなことももう出来ないのだという寂しさを感ずることを私は自分に許した。  自分の直属の第一艇隊の整備状況を見る為に、私は第一艇隊所属の洞窟前に行った。  月の光は、熱のない光線を入江の両岸に、隈《くま》なく降り濺《そそ》ぎ、地上の物の貌《かたち》にそれぞれの陰影を与えていた。  その月の光を浴びて、自殺艇乗組員たちが、整備隊員や掌機雷兵の協力で、此の夜月の下の南海の果てを乗り行く自分の艇をみがいていた。  ベニヤ板の船体に何かがぶつかるにぶい音や、試運転のエンジンの低いぶるぶるしたふるえや、空気をひっかく空転の音響が、両岸のあちらこちらから湿っぽい夜気の中に広がり沈んで行った。  誰もが一見無心に目前の仕事に従っているように見えた。  月の光で私は彼等の若い横顔や身体つきをいくら見つめても彼等が今どんな気持でいるのかを知ることは出来ない。  我々の自殺艇が、飛行機のような高速力が与えられて居らず、よたよたと木っ葉同然果てしない夜の海を編隊をなして暗い突撃の場に出かけて行くことは、誠に残酷だと思えた。  我々は麻痺《まひ》を要求した。然し最後のその時が、徐々にやって来るという自殺艇の置かれた条件の為に、我々は素面《しらふ》で、そこに近づいて行かねばならぬことが要求されていた。  再び当直室へ引返そうとして、小さな鼻を廻った時、第四艇隊の洞窟の方角で、乾いた絶望的な猛烈な音響が突発した。  私は腰をかがめ、思わず崖際《がけぎわ》の方に逃げかかる姿勢をとった。てっきり敵機の奇襲だと思った。敵は今夜の我々の行動を探知し、エンジンの音響を消して近接し、強烈な炸薬を装備した四十八隻もの自殺艇の点在する入江に数個の爆弾を投下しさえすれば、入江中誘爆を生じて、一瞬の内に壊滅し去ることを知っていたのか。  その端緒が今出現したと思った。  ほら、今すぐ此の入江は酸鼻の極みに達する。私は何をしなければならないか。私は験されている。甘いヒロイックな調子を含んでいた私の腸《はらわた》に木の杭《くい》をぐいと突込まれた。次の姿勢は? 何か命令しなければならない。私の頭は渦巻き、次の瞬間の、事態の変化を待った。  然し、何事も続いては起って来なかった。ただ四艇隊の洞窟の方向に、むくむくと透視のきかない煙幕がもり上り、強い煙硝のにおいが鼻を打って来た。 「四艇隊」  私は大声をはり上げた。 「四艇隊。今の音は何かあ」  四艇隊からは返事がなかった。私は自分の声がヒステリックに入江の水の上にわーんと広がって余韻を残しているのを、たよりなく聞いた。 「でんれい」 「はい」  伝令がとんで来た。  二、三の者がばたばたと四艇隊の方に走って行こうとした。 「待て。行くな」  私はM隊長が、事故の現場にかけつけて誘爆の爆風にあおられて死んだことがすぐ頭に浮んだ。 「四艇隊」  私はまた大声で呼びかけた。私の声だけが甲高く夜の空気につきささる。  四艇隊の方角から、がやがや人のさわぎ廻る声が聞えて来る。それで私は少しは安心していた。全滅したのではあるまい。  私はまた四艇隊を呼んだ。すると私の呼びかけには間を置いた調子で、四艇隊長のL少尉候補生の声があわてた音声で、然し私の耳には遠く間のびして聞えて来た。 「只今の音は頭部の爆はーつ」 「でんれい」私は伝令をかえり見て言った。 「四艇隊長に連絡をとれ。直ちに人員異常の有無を知らせ」  伝令は夜の中に走って行った。  基地隊長や整備隊長も現場に赴いているだろう。  私は舌打ちした。(何ということだ。この期《ご》に及んで)  どきつく胸を押え、ゆっくり四艇隊の方に歩いて行きながら、私は或る打算をしていた。それは此のような事故が、普通の時であれば、私の負わされる責任は甚だ厄介なのだ。然し、今は敵艦船に体当りをしに行こうという矢先だ。従って此の事故は湮滅《いんめつ》させてしまうことが出来る。肩の荷が下りるというものだ。然し、この打算は一体何だろう。それは、理のない、不明瞭な盲点でしかないだろう。然し私はその時そういう安心をしていた。  そして、私の身体に筋金が一本はっきりと通り、早く発進の命令の来ることを願った。一刻も早く苛烈な戦闘場裡《じようり》にはいって行って運命をためして見たい気になって来た。私の血は湧き立って来た。恐らくは私の容貌にも残虐な凄味《すごみ》を加えて来ただろうと思えた。  伝令が戻って来た。 「隊長。人員異常なし」 「何? 人員に異常がなかったか」  私は安堵の吐息をもらした。と同時に不可解な気分に包まれた。頭部の火薬が爆発したというのは、おそらく兵器の接断器をさわったからに違いない。精神的に顛倒《てんとう》している際であるから、思わず電路系統を混線して、接にしたのだろう。然し、それでいて、一回限りの爆発に食い止め得たのは何故だろう。今の爆発が完全爆発でない事は、其後の他艇への誘爆を生じないことで明らかであるが、それにしても人員に少しも被害を及ぼさなかったということが、私には理解出来なかった。私は現場を見た。しかし、どこから見ても一隻の自殺艇の頭部の船体がわずかに破られていただけだ。  程なくその事情は判明した。それは殆んど奇蹟に近いことであった。私はその時ミラクルという外国語の発音が頭の中に座を占めていた。ただ蓋然率《がいぜんりつ》の極く少ないことが偶々《たまたま》その場合に当っていたのだが。  誠に幸運なことに信管だけが点火されて、雷管には火がつかなかった。従って二百三十瓩《キロ》もある強烈な炸薬はただ周囲に散っただけに終った。それは想像するさえ肌に粟《あわ》を生じた。若し雷管に点火していたら、というより信管だけ爆発して雷管や炸薬に点火しないなどという事は殆んど考えられない事だが、もし完全爆発していた場合は、近接して置かれた整備中の他の自殺艇は物すごい勢で誘爆し、それは又他の艇隊の艇にも及んで、出撃の寸前で、此の入江の機密兵器部隊は自ら全滅し去っていただろう。  事故を起したという掌機雷の下士官は、基地隊長から詳細にその経過を聴取され、その結果が私に報告されて来た。  その下士官の申立ては殆んど支離滅裂なのに、妙にねばっこい論理を持っていて彼の過失でないことを強く主張しているという。日頃実直な勤務振りを見せていた彼だけにその執拗《しつよう》な主張が気味悪くもある。眼が上ずってあらぬ方を凝視しているので、此の際此の上の追求は、不必要でもあるし、本人にとっても良い結果をもたらさないだろう。現在の環境が異常なだけに、彼を単独で放置せず誰か人をきめてその行動を監視させることにしてその事件を沙汰やみに付した。  やがて各艇隊共整備の終了したことを届けて来た。  月も中天に昇った。  もう発進の下令を待つばかりだ。  不思議に此の世への執着を喪失してしまった。ただ一刻きざみに先へ延ばされていることが焦燥の種を植えた。即時待機の精神状態を持続することは苦痛であった。今がチャンスだ。今が丁度いい。今なら平気で出て行かれる。  然し命令は来ない。  一通りの出撃準備を終ってしまった後では、することは何もなかった。  ただ命令を待っているだけだ。  時が過ぎる。だるい倦怠《けんたい》がしのび込んで来る。気持に余裕が出来る。すると自分たちの置かれた環境が世にも奇妙なものに思えて来た。  全く日常の雰囲気《ふんいき》の、異常なことの何もない入江の、夜の静けさの中で、死への首途《かどで》を待っている。精神や肉体を麻痺させるものを私たちは何も享有していない。それに堪えさせているものはあの二階級特進という名誉のようなものだったろうか。  私は又司令部に其後の情報を求める。然し付加されるべきものは何もない。  それで当直を除いて総員を一先ず休養させることにした。そのままの服装で各自の兵舎で充分に睡眠をとれ。  みんな眠れ。命を捨てる直前であるのに、やはり睡眠をとらなければ気持が悪いということが不満に思える。私たちにとって此の世の最後の一晩位、睡眠の義務から解放されていてもよさそうではないか。  四艇隊長のL候補生は爆発事故について神秘的な気分に支配されているようだ。彼は此の隊の編成当初から居たのではない。最近になって求めて此の隊に志願して来た。何故そうしたか私には分らない。然し丁度艇隊長が一名欠員になっていたので喜んで来て貰った。それで総てが不馴れで事故を起し勝ちであった。彼は私と同じく学徒兵であった。その為に彼とは学生仲間のような話し振りで会話をすることも出来た。 「隊長、御心配のかけ通しで本当に申訳けありません」  彼はそう言った。「然し奇蹟です。何故信管だけの爆発で食い止めることが出来たのでしょう」 「あやうく一足先に行ってしまう所だったじゃないか」 「私は運命に祝福されたような気がします。きっと素晴らしい戦果が上ります」 「まあ充分睡眠をとって置いて呉れ。おや、君眉毛はどうしたんだ」  私は彼の顔付がいつもと変って見えていたのが納得が行かなかったが、ふとその原因を見つけてそういうと、彼はさっと飛行帽を目深におろした。 「恥ずかしいです。さっきの事故の時焼きました」  彼はひどく虚をつかれたようにうろたえ、私に固い敬礼をして、自分の艇隊の方にもどって行った。  私は洞窟内の当直室で頑張ることにした。洞窟内のしんと沈んだ湿気のある空気で耳は圧せられ、恐らく徹夜をしなければならぬことを思うと、このまま眠りこけてしまいたい衝動に強く誘われた。  然し私が眠り込むことは出来ない。  夜が更けるに従って、頭のしんが痛んで来た。私は何も考えて居らず、司令部からの電話を待っていた。  そして宵の口からのどうしても興奮して調子が甲高くなっていたであろう自分の行動が不出来な作品のように凸凹《でこぼこ》のあるくだらぬものに思われ出した。きんきんした調子だけが抽象されて私の頭の中で余韻を保っていた。そのくせ、一切が古い出来事のように遠く忘れ去って行きつつあった。  特攻戦発動の命令を受取った後の総員集合や、そして第四艇隊の爆発事故などのことが、あざやかな絵画的な印象を私に残さずに、暗い、眼で確かめることの出来ない音楽的なショックで、私の経験の中になまなましい印象を残していた。それは如何にも不細工な出来栄として私の経験の中に刻み込まれていた。  私の力の及ばなかったあらゆる可能性の因子が羽虫のように翼をつけて私の頭の中にいやがらせをしに飛んで来る。それがもう遠い遠いことのように思われ始めた。  それらのことと今の私との間には何日も何日も時が過ぎ去ってしまった。或る時代の或る日の夕方に私はそのように出発して南海の果てで死んでしまったのであった。そして今の私は違った時代の或る日に徹夜をしていて、いつかこんなことがあったようだと回想しているのではないか。私はそんな風なたあいのない想いのとりこになったりした。  洞窟内の空気が鼓膜を圧迫し、夜は更け、時は更に移った。  そしてそれは次第に朝の領分に近づきつつあった。  夜が明けてしまえば、制空権が完全に向う側にある現在の状況下で、私たちの海上行動が無謀であることは言うまでもない。とすると、夜が明けてからの行動は手おくれになる。行動を起すなら今のうちなのに。  司令部は何を考えているのだろう。  然し此の孤島の周辺で海軍の司令部の管下にある見張探知能力は私にも分っていた。又味方の飛行機がどれだけの偵察を為《な》し得たであろう。すると今度の特攻戦発令の正体は、何か非常に子供だましの因子に原因しているのではないか。私はあまりに命令をまともに受取り過ぎて、浄化させていたのではないか。  私の心に少し罅《ひび》がはいって来る。  もう自分の精神を日常のいつもの通りの何事も起らない安らかさの体制へ切り換えてもいいのではないかという気持がかびのように生えはびこって来た。  つまり今度の特攻戦発動の命令が空《から》手形になりそうだという予感が生じ始めた。  私は今の間に一つの気がかりを処理して置こうと思った。  Nが番兵塔の外の一軒家の近くに来ていることを知らされていた。  それは第四艇隊の事故のあった直後のことだ。公用でいつも部落へ出ることの多い主計兵が私に一通の封書を手渡した。  私はそれが誰からの手紙であるかを直ぐ了解した。  然しその主計兵は何の為に部落へなど出て行ったのだろう。 「誰が部落にやらせたんだ」  私がそう聞くと、彼はおびえるような目付をした。 「分隊士が行って来いと言われましたので……」 「分隊士がNの所にも行けと言ったのか」 「は、あの……」 「よし、分った」 「一軒家の所に来て居られる筈ですから」 「分った。そういうことに心を使うな。お前は自分の兵舎に帰って寝ろ」  私は動揺していた。  おせっかいなことだ。私は分隊士のやりそうなことだと嫌悪《けんお》した。  腫瘍《しゆよう》の原因は私が隣りの部落に女をこしらえていたということ。それが破れて膿《うみ》が流れている。分隊士は何故部落に主計兵を急行させるような処置をとったのか。目的は違う所にある。私は利用されている。人間事の執着でむんとするものを私は嫌悪している。私を非難している眼。私に同情している眼。そして私のそういうことに気づいていない眼。私は審《さば》かれていなければならない。そしてそれに対しては私は説明は無い。私はいつもの状態から、引きちぎられて南海の果てで身を引きさかれたかった。正当付けも哀悼も必要ではない。  然しNの壺の中での悲しみを放棄する決心はつかなかった。(ばかやろ、何ということだ)  それは誰に向っての憤懣《ふんまん》であるか私自身にも分らない。 「隊内を見廻る。司令部から命令があったならば、番兵塔の方に大声で呼べ」  私は当直衛兵伍長にそう言って、度々そうであったように深夜の月の傾きかけた青い汀《みぎわ》を番兵塔の方に足早に歩いて行った。  当直室を離れたことは、私の心を不安にした。配置を離れることの不安。そして行先には女が待っているという。その断層を、私は小走りでそこに赴きながら、埋める方法を考えていたのだったろうか。  番兵が私の姿を見て捧げ銃をした。 「俺は海峡の情況を見て来る。当直室から連絡があったら、大声でどなれ」  私は番兵にそう言い捨てて、さくさく浜辺を走った。  そして思わぬ近さに、黒々と人が砂の上にうずくまっている気配を感じた。  私はそれがNであることを認めたので、歩度をゆるめてゆっくり近づいた。  Nは坐ったまま私を見上げ、私はつっ立ったまま、Nの、涙で顔は濡れ、唇がはげしく痙攣《けいれん》しているのを見た。  私の心は冷く其処にはなかった。今に及んではNの体臭がせつな過ぎ、当直室を不在にしていることで私は不安であった。今にも、番兵がどなり出しはしないか。発進命令が今にも下りはしないか。 「馬鹿だねえ。誰におどかされたんだ」  Nは煙草のやにのような皮革臭い私の飛行服姿の下肢《かし》の方を殆んど放心したのろまさで自分の掌《たなごころ》でさわって見ることを繰返した。そして私の靴に彼女の頬をすりつけようとさえした。 「演習をしているんだよ。心配することはない。お帰り、帰っておやすみ」  Nは私の顔を見上げて、ゆっくり首を左右にふった。それは私がどんなに気やすめの嘘をついても知っていますというように見えた。そして静かに私の身体をさわった。私は自分がひょっとしたら幽霊ではないかしらと思う程、もう此の世の中には亡くなってしまったものを追慕している調子がNの様子に表われていた。  私はNを両手で抱いて立たせたが、Nの身体からは力が抜けていて、私はよろよろした。顔はほの白くいくらか濃い目に化粧をしていた。その化粧のせいで百合《ゆ り》の花のにおいに似た香りが、私の鼻を打った。黒っぽいかすりの着物を胸元きつく合わせて紋平《もんぺ》をはいていた。 「いいか。之は演習だからね。心配するんじゃない。夜が明けたらすぐ使いの者をやろう。こんな所にいないですぐ帰るんだよ」  私はNの身体をゆすぶるようにして、そう言った。  Nはがまんがしきれぬもののように嗚咽《おえつ》がこみ上げて来て、「う……」とあふれ出る涙を流した。 「さ、お帰り。心配することはない。夜が明けたらすぐ連絡するから。僕は今は忙しい。一寸の間も隊を離れる訳にはいかない。いいね。帰るよ。夜が明けたら連絡するから」  私はそんなことを繰返して、私のされるままになって震えているNを放し、隊の方に後ずさりした。  私はNが戦闘には用のなくなった私の短剣を白い風呂敷包にして持っていることに気がついていた。  Nはまたへなへなと砂の上に坐り込み、私の方にすがりつく視線をよこした。  Nはそこで石になってしまうのではないか。  瞼が涙でふくれ上っている。  私はくるりと背を向けると、小走りで、隊内の方に引返した。 (私はどうすることも出来はしない)  訳が分らず悲しかった。  自分の頬にうっすら百合の花の香が残っていることも、何としたことだろう。  八月十四日の暁方、入江が白み渡る頃おいまで、私は当直室の洞窟の中で、頭の中は真空のように冷たく凍りつき、考えることは何もなく、フィルムが断ち切れて逆に回転するような錯覚の中で、千鳥の鳴く音や雀の払暁の囀《さえず》りを迎え聞いた。  やがて夜のとばりがすっかり拭い去られると、入江の表面は海水の蒸発で葦《あし》の芽のようにけば立ち湯気の幕を一面に敷きつめた現象が、まだ弱い朝の光線に孵化《ふか》されて、ゆるくゆれ動いているのが見られた。  少しずつ空気がゆれ動き、夜のびっしり敷きつめた重い空気がそよ風となって霧のように消え去って行った。私は、悪夢を見たのであったろうか。  私は明け方の爽やかさの中で、身体のすみずみが解けて伸びやかになり、充実した肉体が、今日も未だ自分のものであったことに、しびれるほどの安堵の中に浸っていることを感じていた。  恐らくは陽の目のある間は私たちの行動は先に延ばされるであろう。  そして、朝は入江に何事もなくやって来て、その新鮮な感じは、やがて太陽が昇ると共に、だるい日中のいつもの繰返しの中にはいって行った。  何も起らなかったのだ。  司令部から電話がかかって来た。  信管ヲ装備シタ即時待機ノママデ第一警戒配備トナセ。  たとえ運命は今日一日の延期であったとしても、昨夜発進していたら、もうしなくてもよかったようなことを、私たちはしなければならないだろう。  昼間は自殺艇を洞窟の中にかくして置かなければならない。第四艇隊の爆発の事故の処置を如何にかたづけたものか。入江の奥にある部落から隊員の慰問の申込が来ていたが、それを受けたものだろうか、どうしたものだろう。それから睡眠を取り返して置かなければならない。敵機は今日も亦《また》やって来ないだろうか。そうだ、Nに手紙を書く約束をしていた。入浴しようかな。髭も剃《そ》って置こうかな。  然し此の虚脱したような空虚な感じは何としたものであろう。  信号兵がラッパを首からかけて朝もやのなぎさの方に下りて行った。当直室で彼に時間の到来を合図すると、彼は朝の静かな空気を引きさいて起床ラッパをふきならした。すると伝令がメガホンで入江の磯辺をどなって廻った。  ソーインオコーシ、ソーイン、シングオサメエ!  ソーインオコーシ、ソーイン、シングオサメエ! (昭和二十四年五月)   砂嘴《さし》の丘にて  私はその時、海の中にいて浜辺に気を配っていた。しゃがめばやっと肩が水中にかくれる程の深さの所で、私は途方に暮れてしゃがんでいた。浜辺では母と折笠先生がおとなの話をしている筈であった。  私はどうしてか、ひどく途方に暮れていた。海の中から立ち上って、母や折笠先生のいる方に気軽に近付いて行くことが出来なかった。それは少しいやな気持であった。そのいやな気持は私が自分で選んだのではなく、と言って明らかに母ばかりの責任でもなさそうなことが、一層私を途方に暮れさせていたようだ。それで私は海の中で立ち上ることさえためらっていた。立ち上ると浅い所なので、腰から上があらわになることが、ひどく恥ずかしいことに思われた。どこかひ弱な感じの痩《や》せた肩幅のせまい身体に安物の生地の、薄い黒っぽい海水着をまとっていたが、肩の所がすぐずり落ちて来て気持が悪かった。からだにぴったり合った充実した気分になれなかった。それにたとえそのように安物の海水着であったにしろ、その辺の海水浴場では見かけることが珍らしく、健康そうに陽焼けのした漁師の子供たちが、真っ裸か或いは白いさるまたをはいて跳び廻っているような所では、彼等と私は一様でなく、殊更にハイカラ振って海水着などをまとっているように見えることに誰にともなく居心地悪い思いでいた。その海水着は母が選び、そして母の一方的な手順で私はそれを着せられていた。漁師の子供等の一人が、私を、おい! と手荒くこづいたら、私はこづかれてたじたじとなったまま、さてどう構えを持直していいか困り果てたことだろう。  海の中で私は中腰になり、身体《からだ》はかくし首だけ出して、母や折笠先生の方をはっきりとは見ずに水浴びにはすっかり厭《あ》きていた。  私は唇が紫色になっていた。海水浴の季節は外れかかっていたが、それでも海水の中に身体をつけていれば、生ぬるく、どうにか我慢が出来て、そのためにも立ち上ることが億劫《おつくう》に思われた。 「一《ハジメ》、もう一遍泳いで来たら何《ど》う」その母の言葉に私は縛られていたのかも知れない。私は退屈してしまって早く宿屋に引き揚げたかった。そして宿屋の畳の上の塗膳で、何かごちそうをしこたま食べたいと思った。それでぼんやり母たちの傍《そば》に身体を投げ出して砂などをいじっていた。母たちの話は何と止めどのないことだ。退屈な会話がどうしてあのようにあざなわれるものか。然し私は決してその話の筋道を理解したわけではなかったのに。私は母のおしゃべりの切れ目切れ目で母の顔を見ては、もうそこを切り上げて、宿屋に帰ることを殆んど祈る目付をして待ち望んでいたのに。母は私を何遍目かの海へ追いやった。  私は誰に腹立てようもない忿懣《ふんまん》で、海につかりながら紫色の唇をして空を見上げた。すると、急に雨が降って来た。それはまるで不意打に、しぐれて来た。雨足にたたかれて海の上一面が菊石になり、私は奇妙に水の要素の中にはまり込んでしまい、そこから抜けきれない錯覚を抱いた。ああ、やっと母たちは浜辺から腰をあげるだろう。私も母たちの方に帰って行かなければならない。然し私は海の中で変な具合にとじ込められてしまったことに満足していた。しゃがんでいる海の中から立ち上がれば、私は雨に濡れるだろう。それは少しおかしな思い過しであった。私の身体は既に海の中で水びたしになっていたのだから。海は天からのびっしりした雨の矢に叩かれて、それまでは落着きなくうねり動いていたのに、ぴたりと動きを止めてしまったようで、その動きの無さの中で、私は余計に立ち上れず、母が呼んでいる声に向っても、意地悪くのろのろした態度を取ろうとしていることに気付いていた。  私は外海の荒い波濤《はとう》を直接に受けとめている砂嘴の広く果てしのない砂丘の中で、二人の妹と一緒だったが、砂を掌の上にすくい上げては、傾けて、こぼしていた。私は二人の妹の言い分をきくばかりだ。自分の意見は言わなかった。というよりも言うことが出来なかった。意見らしいものが何一つ私に湧《わ》いては来なかったのだから。  砂丘は果てしないように思われ、太平洋の波が、砂丘の小高い所に白い歯をむいて向って来ては退《ひ》いて行く。この何時止《いつや》むとも分らぬ打寄せる波の繰返しは、私を怠惰にする。丁度滝を眺めている時と同じ作用が私の脳細胞に波及して来る。しびれてしまって何んにも考えたくない。何んにもしたくなかった。そして波や滝に付随する音響がそこにあった。その音響を消して、滝の落下を凍結させたり、海水を断ち割って海の底を陽の目にあらわにして見ることも出来ないで、その上私というものは一体何であったことか。そんな驕《おご》った妄想《もうそう》を、巡りの悪い頭で考えていた。だから妹たちの話を彼女たちに即して聞いてやっていたわけでもなかった。私は自分の顔色や皮膚の上の色々の現象について、肉親の妹たちの話をきいているような時にも、いくらかこだわらないですますことが出来なかったのだから。自分の顔の表面を自分で見ることが出来ないことは、動かすことができぬ一つの運命ではないか。誰が、自分の顔を、自分の掌を見るように見ることが出来たろう。そのために、自分の顔の表面の諸状態について、私は確信がなかった。私の顔の表面の一寸《ちよつと》した小さい変化さえ見ることの出来る私の対話者は、私について各瞬間に色々な感受を持つだろう。しかし私は私の対話者が私の顔の皮膚の色やよごれやその他の現象にふと持ったその感じを感じ取ることは、できない。でも私も亦《また》私の対話者の顔の皮膚の感受でその人に対する態度を決めてしまうことが多いではないか。当人だけが気付かないということ。人々は自分では絶対に見ることの出来ない顔の形や色や又自分の意志に反して保っている或る状態を、あけすけに他人に開放したままでいる。それは造化の神の人間に対する不機嫌で皮肉な刑罰なのだろうか。私も亦、私の意志に反して、私の顔の形や色を持っている。私は二人の肉親である妹たちの顔を見る時に一層強くその不如意を感じた。  私たち三人は妙に力が抜けていた。自分たちの力ではどうすることも出来ない事にぶつかって、而《しか》も何か私たちの側に罪か或いは過失があったような狭い出口のない黄色の部屋の中に閉じ込められた気分で、その砂丘に坐り込んでいた。  私たちの気分がそんな風に、ひどくせばめられているのに、波濤は限り無く砂浜に打寄せては引返し、砂丘の長さは私の眼に果てしなく映っている。実際は地平線に近く紫にかすんだ断崖《だんがい》の所迄《まで》しか続いていないが、私には手がとどかなく感じられた。砂に足をとられ、不自然に股《また》に力をいれて歩いて行っても、私はその長い砂嘴の砂浜を縦に渡り切ってしまうことが出来ないような気がして、恐らくそのように砂丘を地平線の断崖の所迄歩いて行くことは今後も私の生涯の中にはないだろうという無縁の感じに裏打されて、一層私たちを頼りな気にしていた。  私たちにはどんな生活の楽しみも残されていないと思い込んでいたように思う。私たちがそのように頼り無げであったのは、私にも妹たちにも、太陽の陽が、もう強烈に照っては呉れないだろうという気持にさせられていた。その日の朝方、私たちは海水浴場の海辺の宿屋で、折笠先生の娘の匡子《マサコ》の死の報《しら》せを受けなければならなかったから。  私たちは遠い都で生れ、成長しそして暮していたが、私たちの父母は辺鄙《へんぴ》な地方の農村で若い時代を過した。私たちが「いなか」と呼んでいる場所が、父や母が生れ育った所だ。そのいなかには両方の祖父や祖母、おじやおばたちの生き残った人々が住んでいた。  私たちにその時までは、毎年やって来る暑中休暇の度毎にそのいなかに「帰って行く」ことは少しも疑われずに繰返されて来たが、そこが本当に私たちにとって、帰って行くことの出来た場所であったのかどうかを、私は知っていなかったようだ。眼の前に無秩序に、そしてしつこく現われる沢山の現象に嫌悪《けんお》するだけで、多くの日が流れ去り、過ぎてしまう。振返って見ると何という口惜しい日々であったろう。而も私はその時々には、窒息しそうな程にも沢山の現象に即物的であったのに。  私たちの母は死んでしまった。それでもまだ私たちは疑いもせず、母の生れた生家にやって来た。私たちにどんな保証があって、かつて子供であった時と同じように、真夏の太陽が輝くばかりの暑熱を感じさせて呉れることを期待出来ただろう。  私たちが折笠先生を思い出したのは、いくらかは世間に向っての眼が智慧《ちえ》付けられたからであろうか。太陽の光線が皮膚に充足しては感じられなくなって、ふと肌寒い間隙《かんげき》が感じられたからであろうか。私たちは誰に許容されて三度の食事の席に連なることが出来るのか。  私は母を強く身勝手に思い出した。あの浜辺での夏も終りに近い或る日の場景が思い出された。此《こ》の度も私はかつてのあの日の場面の想起とも関連させ、折笠先生を訪問してみようと思い立った。然し私はあの場面が意味する事実は何にも知らない。死んだ母が私たちに、「母さんのロマンス」と前置きしてその人のことを話して呉れたその程度に於《お》いて、だるいように変化のない私たちの人生にも、多少は修飾してみることの出来る生活もあったのだという快さに酔っていただけだ。私は母のそのものがたりの中で、あの夏の浜辺でのことがどんな位置を占めているかに、はっきり気付いてはいない。然し、私は「母のロマンス」の継承者になっていてもいいという甘い考えを捨て切れないでいた。母は私たちに対して、折笠先生とのそのものがたりを完璧《かんぺき》にガラス函《ばこ》の中に密閉してしまったので、骨董品《こつとうひん》のようにいつでもガラス函を取り出して見さえすれば、その楽しさを再現してみせることが出来ると思い込ませることに成功した。だから私たちはそのことを誰にでも、父の前でさえも、平気で話題にすることが出来たほどだ。父はそのことに対して全く無関心であるように私には見えた。勿論《もちろん》、父に対して母が子供たちにそのことを平気でしゃべらして置いてもいいような、何か理由があったのだろうかということにも、気がついてはいなかったのだが。  折笠先生は大学生だったという。そして母は、二人の赤ん坊の母親であった。然しそれは何と若い母親であったことか。母の年齢は、私のその時々の年齢に丁度二十を足せばよかった。母は何かの所用で、いなかに帰る汽車に乗っていた。そして折笠先生は休暇で帰省する途中であった。乗客のあまり多くない車内でのその座席には窓際に向い合って母と折笠先生が腰掛けているだけであった。海岸沿いの支線なので、目のさめるような鮮明な海の青が時々窓のわくの中一ぱいになる。二十歳を少し出たばかりの私の母はどんな着物を着ていたのだろうか。又髪をどんなかたちに結っていたのであろうか。偶然に乗り合わせている向い側の大学生の眼に、赤ん坊の私に乳をふくませる姿勢を見せたのではなかったか。母はその頃の生活に幸福だったのだろうか。折笠先生は書物を読んでいた。私はようやく画かれている動物が何であるかを識別する程になっていた。私は「うま、うま」と歯の生え揃《そろ》わぬ口で発音しながら、折笠先生の見ている本の方に手を延ばして行った。私は多分母の膝《ひざ》の上に居た。母は恐らくは、どの母親でも殆んどがそうであるように、口では、「坊や、よそのおじちゃまのご本をおいたしてはいけませんよ」と言い乍《なが》ら、かなり図々しく自信のある間のびした態度で、私のいたずらを許容していたのであろう。折笠先生は何んな本を読んでいたのだろう。動物学の教科書のようなものだったろうか。そして彼は不幸だったのだろうか。それだけのことで、彼はどうして私のような赤ん坊さえ出来てしまっている私の母に、結婚を申込んだのだろう。  私が母に与えられているデーターはそれだけだ。物覚えのついた頃から、毎年その季節になるときまって折笠先生から送り届けられる季節の品の贈り物があるのを私は経験した。子供の私は、そのことは又どこの家ででもある当り前のことで、ただ折笠先生からの贈り物がたとえばすぐ食べられるお菓子だとか、見て面白い絵本などでないことが不満で、厭きもせずに、来る年も来る年もそんな無駄なことをしている折笠先生という人が、ひどくやぼったい人のように感じられた。その頃の私は母を少しも美しいと思わなかった。母の容貌について、ただその美醜に関してだけは私は悲観的であった。その母の血を享《う》けて生れた私たちは、その点では不幸な巡り合わせを背負っているのだと思っていた。そんな私の母に対して、働きかけている一箇の男性の存在ということが理解出来なかった。母が時々繰返すそのものがたりを、私は少しいやに思いながら聞いていた。それは又別な時母が私たちに話してきかせる父と結婚をする前後のことを聞く時にも感ずるいやな気持にも通じていた。然し私たちは母を是認していた。ただ母のそういう話を、私はもっとふくらみのある意味を持たせて理解することが出来なかった。  私が始めて折笠先生という人に会ったのは暑中休暇でいつものように私たちが、「いなか」に帰っていた時のことだ。私は尋常科の一年生だったように思う。その年のいなかへは私と上の妹の二人だけが行くことになった。そして母は、いなかに居る間のいつか一日を折笠先生の所に遊びに行くことを私たちに約束させた。  ある日私と妹は、祖母に連れられて、折笠先生の家を尋ねた。  その時の私は、母の疑いのない口ぶりに支えられていた。だが気はすすまなかった。その場合むしろ祖母の方から積極的に私たちは連れ出された。何かの縁故から祖母は折笠先生の人柄について、聞き知る所があって、心を動かしていたような所があった。祖母は、私の母と折笠先生とのいきさつよりはむしろ、折笠先生の家が、太平洋の浜辺寄りのその地方での昔からの古い家の一つで、彼の伯母のかねという人と、若い頃にかなり親しいつき合いをしたことに、なつかしさをあおられたようであった。その人はもう大分前に死んでいたが、祖母はおかねさんの実家の様子と、その甥《おい》であるという折笠先生を一度見て置きたいと思ったようだ。  祖母と私と妹とは、私たちのいなかの駅から二つか三つ目の駅で汽車を下り、駅前から小さな町中を通り抜け、町外れの踏切を渡ると、見渡す限りの田圃《たんぼ》のある風景の中で、下駄の底に吸いつきそうな砂ぼこりの白っぽい県道が、乾き上って行手の森かげの方に伸びているのを見た。  私たちはその白い道を乾ききって歩いて行った。  夏休みで、いなかに帰っている間は、概《おおむ》ね私は自由な思いをしたが、然しどうしても果さなければならない義務が二つか三つかは負わされていた。例えば父の方のおじやおばたちの家々を廻らなければならないこと。私はそれがあんなに自分にとって嫌悪されていたことが滑稽なことに思い返される。私がその嫌悪の様子を露骨にしてみせる程、祖母や、そして母も、私をたしなめながら喜ぶことを私は知っていた。私は折笠先生の訪問もその年の夏休みのいやなおつとめの一つに数え挙げていた。  私と妹は、よそ行きの洋服を着なければならなかった。それは特別にそういう日のために都会の母から用意されていたもので、祖母は私たちにそれを着ることを強く要求した。然し、私はそれを着ることを好まなかった。はでな縞模様の羽二重地のシャツ、そして妹は同じ生地のぞろりとしたワンピース。明らかに一つの反物から分けて作ったことが歴然としていて、そのようなはでな服装を、私たちのいなかでは殆んど見ることが出来ない。その為に私たちは、いなかの子供たちの揶揄《やゆ》の的になったものだ。そのよそ行きを着ている時の私と妹は、広い道や町筋をさけて、人のいない鉄道線路や田圃道を選ばなければならなかった。その日は祖母がついていたので、いくらか肩身のせまい思いをなくすことが出来たが、見馴れた妹の都会くさい、羽二重地のワンピースや眼元深くかぶる帽子などの恰好が、いつものことながらもう少しどうにかならないものかと思っていた。私は自分の妹を醜いと思い、そのいくらか大人びて見える切れ目の長い眼許《めもと》や、口許の勝気そうに引きしまった塩梅《あんばい》の美しさに気付くことが出来なかった。彼女のえくぼさえ私は醜く思った。彼女の気安げな大胆さを低脳のせいにしていた。子供の私は、彼女がいつまでも私の為には荷厄介な付属物のように此の世の中にあって私の傍にくっついて邪魔をしているように思っていた。  どんなに長い白い道を歩いたことだったろう。その長い道の途中には氷水屋もラムネ屋も見つけることが出来なかった。そして私たちは再び負わなければならない帰途のその苦労にうんざりした気持で折笠先生の家に辿《たど》りついた。  折笠先生は中学校の教師をしていた。それで私たちは、彼を先生と呼んでいたのだが、丁度折悪しくその日先生は学校の慰安会で、夜遅くしか帰って来ないということであった。  その日私は折笠先生の家のたたずまいから、或る深く打たれるものを感じた。不幸な静けさのようなものが、彼の屋敷うち一ぱいにみなぎっていた。その屋敷は白い街道筋から坂道の誘道で引きこまれた小高い所に、よく手入れのとどいた丈高の生垣ですっかり囲まれていたが、そこにだけ通ずる細い坂道を登って行く時に、既に訪問者に一種名状しがたい憂愁の感情が、起って来るようであった。  その日の訪問の印象が、こんなにいつまでも私の心に焼きついているということは恐ろしいことだ。西も東も分らない年頃の私が、たった一回訪ねただけで、或る型の家のたたずまいと、或る型の人間の気配とについて、固定観念のようなものが出来上ってしまった。  こまかなことは忘れたが、ただ二つのことが記憶にあざやかだ。それはその屋敷には蠅《はえ》がいなかったこと。その夜は折笠先生の帰宅が遅くて私たちは先生の奥さんに強く引留められて泊ったのだが、夜中に私は強いおとなの体臭に眼を覚ましたこと。彼は宴会で酒に酔って来た。おかしなことだが、それは私の期待に合致したのだ。私の母のこしらえごとで折笠先生は不幸な人でなければならなかった。彼は生ける屍《しかばね》のような毎日を鄙《ひな》びたいなかの旧家で、希望を断ち、運命への消極的な復讐《ふくしゆう》の生活を送っている筈であった。それで彼が泥酔して帰って来たことは、いかにも似つかわしいことに思われた。やっぱりそうだったのだ。私は熟柿臭い折笠先生に違いない人に抱き上げられたのを知っていたが、何か未知の人への恐怖と、寝ている所を酔っ払いの騒々しさで眠りから引き戻された不快と、私が折笠先生を考える時につきまとっている或る気分の為の羞恥《しゆうち》とで、瞼《まぶた》のうらをわななかせつつ眠りを装っていた。 「…………」  折笠先生がその妻に何か言った言葉に、又私は恥ずかしい思いをした。それは何か子供である私の無心な美しさのようなものに対する彼の詠歎の言葉であったようだ。然し実際は私は狸寝《たぬきね》をしていて、眼を覚して彼と初対面の挨拶をすることが億劫な気持と、おとなが子供の私に抱いている感じを崩してしまっては悪いだろうという心遣いで、殊更に身体をぐったりさせ、しばらくは、彼の毛むくじゃらの、と感じた腕の中で、見透かされはしないだろうかというおののきと闘っていた。それにしても、折笠先生の奥さんは、何という可哀そうな人なのだろうとその時の私は思ったのだ。 「あなた、起こしてしまいますよ。そんなに……」  その言葉からは、何かしら世間というものからの私に対する批評に似たものをかぎつけてみるだけで、折笠先生とその妻との毎日の生活のどんなかげりもひき出すことは出来なかった。  あわただしく小さな嵐が過ぎ去ってしまったように、いつのまにか私は再び眠りの中に陥ち込んでいた。  翌朝眼をさましてからの、私のちぐはぐな気持を調整する為の努力は、私を一層無口にし、おしゃまなものに見せかけていたであろう。あれ、こんな人だったのかしらん。顔のひげが美しく剃《そ》られて青く見える。血色のいい顔の人。眼が象のそれのように細くてやさしく何処にも荒廃の気配など見えはしない。昨夜お酒をのんで来た不幸な人の面影など、何処にも留《とど》めていない。そして奥さんとのおだやかな応待《おうたい》。  私ははぐらかされていた。だから一層完全に振舞おうとして、私は折笠先生が大事にしていたレコードをふみ割ったりした。すると彼は、私の戸惑いするすきも与えずに、こわれたレコードの残骸を私の見えない所にあわてて押し込んでしまった。私は自分の勘定の彼からの借方がふくらんで来るように思った。然し救済されている感じを植えつけられたことも事実だ。  匡子はまだ小さかった。一言もものを言わない子。私は彼女を美しいとは思えなかった。彼女が私に美しく見えれば、私の小さな世の中がふくらんでくる期待が持てたのに、私に彼女の美しさは見えなかった。口もとのとがって見えたのが、私がいつも厄介で美しくないものに感じている私の上の妹の、ひねくれの気性に似ていると思い、失望した。頬の赤いのは、いなかっぺいだと思えた。  私の母がこしらえ上げた物語めいた生活など、此の世の中にありはしなかった。私はそういう智慧を覚えて帰ったのに、何故《な ぜ》かその日のことが強く脳裏に刻みつけられてはなれない。  何だって又私たちは折笠先生の所を訪問してみる気になったのだろう。何か魔物に魅入られた具合に、私たち三人は折笠先生の村にやって来た。私は大きくなっていた。あらゆるものの意味が理解出来そうだと考えていた。然し何も分ってはいなかったのではないか。気構えだけは、いつでも事件の渦中に跳び込んでみせることが出来ると思っていたのだが。  いくらかはその気負った気持で、折笠先生の所を訪問してみる気持になったのだろう。何かに甘えた気持と、又何かを見極めて、自分が招待されているのか拒絶されているのかをはっきり知りたい気持。私は二人の妹を連れて折笠先生の所に出かけて来た。上の妹は、かつての日に祖母に連れられて私と一緒に折笠先生の屋敷を尋ねて来た。妹はそれについてどんな彼女自身の記憶があるだろう。私はかつての日の彼女は、私に向っても意志や感情など少しも示さず、ただ子供っぽいひねくれだけを持っていたと思い込んでいる。下の妹については尚《なお》のこと分らない。ただ上の妹よりはもっと私に対して批判的であるようだ。  長い白い道を、私たちは歩かなくてすんだ。それは鉄道省営のバスが通うようになっていたからだ。停車場から二里余りの距離にあるあの海水浴場に、この地方としては珍らしくにぎやかな設備が設けられていた。  海水浴場から少しはなれた所に、周囲の四、五里もある浦が横たわっていて、外側の海は波が荒く、浦は陸の方に深くふくらみ、外海のたけだけしさに比べ、おだやかな変化のない景色をこしらえ上げていた。牡蠣《か き》の養殖風景や、釣する舟のもやい、暑熱の午《ひる》さがりの入江端の白い街道を、子供の私はどんなに、ありふれたそして恐らくはいつまでも変りそうにない退屈な風景として受取っていただろう。そのとき私と妹は折笠先生について歩きながら、ともすれば遅れ勝ちになる私たちに不機嫌になっている疲れた彼に、はっきり他人を感じたことがあった。折笠先生も若かったであろうのに。外海は青く、荒い。いつも丈高のうねりが、岸の近くで一きわはげしく盛り上り、それがまくれ込み白くくだけて崩れ落ちながら砂の傾斜に目くらむ程の早さで走り上って来るのを繰返している。浦と外海の間は、巨大な水鳥の上嘴《じようし》のように、細長い尾根筋のふくらみ上った砂丘を形造っていた。  折笠先生の屋敷は、停車場から、その浦の風景の見える辺りまでの道のりの中程の所にあった。  私たちが降り立った街道筋を、バスは砂ぼこりをまき上げて遠ざかった。  むかしあれほどの苦行場であった白っぽい街道を、私たちはまたたく間にバスにゆられて運ばれた。  街道は個性を失い、海水浴場はバスで簡単に来ることの出来る沢山の人々ですっかりよごされているだろう。私たちが母とそして折笠先生に連れられて過した夏の日の特殊な海ばたでの感じは、もう失われているだろう。  それでも、街道をそれて折笠先生の屋敷への引込みの細い坂道を上るときには、急に時の後退が感じられた。総ては、昔のまま。坂をのぼりつめた石の門の所で迎え入れられる私たちは、祖母に連れられた、責任の負わされていない幼い姿の私と妹と変らない。  然し、今私はいやでも少しずつ世間に対する責任を背負わなければならない年頃になったことに、強い不安を感じさせられる。  折笠先生の家でもさまざまな変化があったにちがいない。先生自身が口髭《くちひげ》を生やしていた。多分奥さんの強い反対があったろうに、本人はもう馴れっこになっているのだろうが、私にはそれがおかしなことに思えた。口髭を蓄えると、何故あんなに好色であるように見える人がいるのだろう。丸顔で眼の細い血色のいい柔和さが、いつわりに見えて来る。それに匡子のほかに、次々に子供が生れていた。あの最初の訪問の日から私は度々折笠先生の家を訪問した。母に連れられての、夏の日の浜辺でのことも、その始めの訪問から程遠からぬ年月の訪問の一つであった。そのあとでも度々私はやって来た。その度に、匡子は大きくなり、匡子の弟が生れ、その妹が出来、そして又その下の妹や弟たちも。匡子が成長してくると、私は彼女を私の側だけで勝手に造型し始める。そして一切の訪問の日々のこまかなことは忘れてしまう。ただ始めての訪問の日の印象だけが、だんだんあざやかになる。  今度も匡子を見ることが、私のひそかな此の訪問への言いわけにした。然し私の二人の妹たちはどうであったろう。殊に下の妹にとって此の訪問にどんな意味があったろう。  すべてに悔いが先立ち、日がかげって回想される。  屋敷うちが、またどうして、あんなに寂しく感じられたのだろう。人の気配がなく、然し掃除は行きとどいておりながら、屋敷全体のエネルギーが衰退して印象された。どんなにしても避けることの出来ない滅亡へ傾きかけた家系であったのではなかろうかと、ふと不審な気持が生じた程に。  私たちのおとないはしばらくは空《むな》しく応待された。私たちは昔造りの家によく見かける、部屋の半分ほども土間の深くきり込んだ、囲炉裡《いろり》のすすで高い天井の梁《はり》が黒光りになり、うす暗くそしてしめっぽく感じられる玄関の間の、その土間に立ったまま、恰好がつかなかった。  私はそのしめっぽい広い板の間の部屋に、奥から猫のような足どりで出て来る匡子を考えていた。赤い手織のごつい木綿の着物を着た匡子が、都会の、眼にはでな装飾の娘たちを見ている私の眼に、そっとしみこんで来るのが快かった。  然し誰も応じて出て来る者がいない。明らかに奥の間で人の気配がするのに。私たちは奥をうかがった。妹たちの都会風な洋装がしおたれて見えた。やっと奥の間の人の気配が、はっきりした話し声に変ったと思うと、廊下をふんでこちらにやって来る足音がした。  それは折笠先生の奥さんであった。色が白く面高《おもだか》の顔立ちは、明らかに私たちの死んだ母より美しい。いつ来る時も同じ表情のない顔ではあったが快く迎えて呉れた。心の奥底で私たちをどう思っていたのかは分らない。折笠先生と私の母との事件のあらましをどの程度に知らされていたのだろう。彼女を見る度に、私は自分が余計な闖入者《ちんにゆうしや》であることを思わない訳にはいかない。折笠先生の節度のある田舎教師のおだやかさに侵蝕《しんしよく》されてしまった個性の弱い婦人が、私の眼の前に現われている。そして私は、ちらと彼女の眉間《みけん》に現われるはずの曇りを見逃すまいとする。無駄なことに似たこころみ。若《も》しそのようなかげりを見つけたら、私は冷く刺し殺されるとでもいうのか。  都会に住む私たちが忘れてしまったのろい速度の丁寧な挨拶。私は彼女が眼の前に来た時に消毒薬のにおいをかいだ。  おや、誰か病気でねている。やがて、私たちの訪問が何の意味も無かったことが改めて強く分ってくる。 「どなたか御病気ですか」 「いえ、あの、匡子が一寸寝ていますものですから……」 「それはいけませんねえ」 「…………」 「あの、先生は?」 「まだ学校に居りますの。今すぐ呼びにやりますから」  私は奥の方が気になって仕方がない。 「母ちゃん、母ちゃん」  若やいだ羞恥《しゆうち》を感ずる程に、匡子の肉声が私の耳を強くとらえた。 「一寸失礼します」  奥さんはそそくさと立って行った。  私は奥の間にはいって行って、匡子をひと目見たいと思った。然しそれが出来なかった。  誰が呼びに行ったのだろう。それとも偶然に帰って来たのだろうか。折笠先生が口もとのちょび髭を宙に浮かせて忙し気に帰って来た。 「やあ、やあ、よく来たね」  私たちはほっとする。此の家では、やはりどういうものか彼だけに安堵《あんど》できた。  彼は一旦奥にはいる。そして又出て来る。奥さんがすがるように何か小声でささやきかけながら夫について歩く。 「一寸家の中がごたついているのでね……浜に御案内しよう。え、なに構わないよ。折角来て貰ったのに悪いけど……」  折笠先生の言葉の下で、私は奥さんを見ていた。私は彼女の白い面高の美しい顔が当惑しているのを見逃さなかった。  二十年程の夫婦生活の積み重なりが、始めの頃ひどく無性格に思われた奥さんの顔にも、生活のあくのようなものが出て来ていることを私は認めた。私たちは一言で片付けられても仕方がなかった。所が奥さんや、殊に折笠先生にとって私たちを日常的に処理することをいくらか躊躇《ちゆうちよ》させる原因のあるらしいことが、それぞれの思わくで、割切れないものにしていた。  私は奥さんに何か分らぬながら、すまない気持のまま、辞退することをせずに、折笠先生の誘いに従いそのあとについて屋敷を出た。  私たちと折笠先生はバスに乗って海水浴場である海ばたの小さな町にやって来た。バスに乗ったのは、かつての日々のように、ではなかった。  過ぎ去った沢山の時間。それらの時間を回想する時、少しはその時間の置かれた意味が分るような気がして、それを光耀《こうよう》で満たしてみせたりするのに、現在という時間はがらんどうで、すき間からみんな逃げて行ってしまう。回想的になっている時だけ私たちは時間を止めることができたと思ったのであろうか。  然し現在はあわただしく過ぎてしまう。そして人間のめいめいが何というひとりぼっちに見えることか。  バスの中で折笠先生は殆んど口をひらかなかった。  前は窒息しそうに長く感じられた道が、再びあっ気なく乗りすてられ、我々はごみごみした小さな海ばたの町なかに下ろされた。  どうして、此処もこんなに光が弱いのか。いつからこんなにさびれてしまったのか。浜べのきたないこと。昔はこんなではなかったと思えるのに。母と折笠先生が腰を下して何かしらぬ長い話をしていた砂浜は、無くなっていた。海岸には弓なりに高い石垣が築かれ、港の岸壁に打ちよせる殺風景な海水のようにひたひたと満ちよせている。砂が陽にこげ、あしうらがあつくてとび上りながら汀《みぎわ》まで走って行った長く手答えのあった白く美しい砂浜はどこに行ってしまったのか。  避暑客の姿は認められず、漁村の単調な生活の繰返しの切れはしが、黄昏時《たそがれどき》の刻々に重なるうす闇の中にとけ込んでいただけだ。  いつの間にか風が出て来て、浜辺の松の梢《こずえ》をゆさぶり、それは汀の潮騒《しおさい》と共に、私の胸の中を吹き抜けて行った。それは象徴的な音響でさえあった。浜べのその潮騒と松風は我々の持っているあらゆるものの基調だと考えられる程に。  部屋数の多い浜辺の旅館は、その数多い部屋が全部ふさがった日を持ったことがあったのだろうかと疑わせる程荒廃して私の眼に映った。その夜の泊り客は恐らく私たちだけであったのかも知れない。  折笠先生は浴衣がけのままで来たが、風が出て来て雨戸を騒がせ、日がすっかり落ちてしまうと、あたりはうすら寒い気配にとりかこまれた。でも彼は肥えた胸毛の多い胸を露《あら》わにして私たちの食事につき合ってくれた。そしてビールが注文され、私と折笠先生はビールを飲んだ。矢張り楽しいひと時の経過があった。ビールのアルコール分の為に口が軽くなって放談をし始めた私と折笠先生に対する、妹たちの旅先での気持のはずんだ許容が、私を一層饒舌《じようぜつ》にした。  そして酔が廻る程に肯定的な気分が広がって来て、私は折笠先生にしきりに或る働きかけをし始めていることに気付いた。彼は娘の匡子が胸を患い、もう二年越し寝ついたきりで、現在必ずしも良い状態にないことを言った。私たちは、そのような時に突然こちらだけの都合で訪問して来たことをわびた。そして少し執拗《しつよう》に彼の気持を軽くするような話題を引きだそうとつとめた。  その時の自分が鰌《どじよう》のように泥くさいと思う。結局は自分のことしか考えられなかった。私は母の話を持ち出したりした。もう私たちにどんなことを告白しても、精神的に受容出来る用意がありますよ、という顔付をしたことが、たまらない。私は抑制なく酔い、折笠先生も共に、私がそうであったその頃の友達仲間での会合の時のように酔払って貰うことを、身勝手に期待した。そうすることが、お互いが赤裸々になれてそして真実が語り合えるのだと、独り合点の若さの界内で自信にみちていた。折笠先生が深く酔わないことに軽い不満をもち始めていたのだから。誰彼へとなく思いきった批判のことばなども出した。私の精神は弛緩《しかん》し、二人の妹に対しても私の顔の筋肉の表情を感じなくなっていた。旅館の外には闇の中に風と海があり、それは我々の話の合間に、寂しさとなってしのび込み、まだ何かが足りない、もっと陶酔しなければ満足出来ないと思いながら、潮時は過ぎて、どうにもしようがなく白けた気配に覆われて来た。  やはり私たちは訪問者の卑屈の中にいた。あるじの座を外したすきに、額をよせて、もう帰ろうかどうしようかとひそひそ話をし始める、あの醜い姿勢を私たちは持っていたことをかくせない。  それを私は酔のために弛《ゆる》んだこころで解放しようと思いついた。明日は私たちの勘定で折笠先生の子供さんたちに奉仕しようではないか。それと共に私たちも、何かしらかげりの多い此の夏の終りに近い一日を強く弓弦《ゆんづる》を張ってみたいと思った。 「待っていますから是非子供さんたちを連れて来て下さい」  それは妹たちを元気付けることにもなったのだったが。  突然のように折笠先生は帰った。  彼も私たちと一夜の泊りを共にするものと思っていたので、ひどく気落ちがした。もうバスもなくなってしまった時刻だったのに。  旅先の宿りで他人を交えずに夜を過すことは面はゆい。よそ目には若い娘の妹たちが、都会風に装い、さびれた海浜の旅館の一室で、一人の兄と共に置き忘れられた。  中途半端な酔い。今まで折笠先生にしゃべりかけていた熱っぽい論理も、空しくいとわしく、それに気付けば、彼が殆んど何もしゃべっていないことが妙な後味となって残っていた。私はしきりに個性をあらわにしようとし、折笠先生はさり気なく世間の中にとけ込んでいたのだなどとひとり合点をした。  残された私たちは、その上にしゃべることはなく、ひそまり返ってふとんにはいった。  荒い波の浜辺に打寄せる音がしつこく耳にまつわり、わびしい思いは一層深くなった。  次の日の朝、私たちは何ごともなく眼を覚した。  何か落着きの悪い不安な夢を見たようでもあった。男ものの浴衣を着た妹たちの、少しだらしなく見える姿があった。一つの部屋に限定されて、波の音をきくより他にすることもなく。  すでにすっかり陽は上っていた。  起きぬけにふと折笠先生との約束を面倒臭いと思った。  ようやく運んで来られたおそい朝食と共に、私たちを待ち受けていたのは、今朝早く折笠先生からの使いが持って来たという一通の手紙だ。  そして、匡子の死が書かれたその不幸な報せを読んだ。私たちは、すっかり打ちのめされてしまった。  やがて、私たちは宿を出て、砂嘴の砂丘の上に、ぼんやり坐っていた。  私の精神は陰影を失った。  でも匡子の死についてばかり語っていた訳ではない。何ということだ。私は妹たちの将来の結婚について泣きごとをきかされていた。  妹たちの悲しみは、母親の居ない家庭というものが、女の子供たちにとって、どんなに不利であるかということについてだ。後妻を迎えない父に対する疑惑が次第に嫌悪に変って来ると言う。然し私たちが継母を持たなかったことで、複雑な人間事を避けてこられたのは事実ではないか。私はそのことを寧《むし》ろ好都合に考えていたのだが、妹たちにして見れば、それは彼女たちが主婦の代りに家に縛りつけられることだと主張する。  下の妹は近所のよく知らぬ人にまで、姉が父の後妻のように見られていることを、嫌悪のために身をふるわせて話した。 「いやらしいわ。ねえちゃん、それで何ともないの」  それは上の妹が父の身の廻りの世話をし、その出勤の時には電車道の方迄見送って行くことから出て来た。父はそれを喜んでいたようだ。 「お父さんはどうしていつまでもとしをとらないんでしょう」 「いつまでもあぶらぎっていていやなのよ」と姉の方もつられて言う。 「どうしてお父さんはねえちゃんの縁談を断ってしまうのかしら」 「それはあまりいい話じゃなかったからだろ」私はやっと口をだした。 「そればかりじゃないわ。よくしらべて見もしないのよ。そしてちっとも積極的じゃないんだもの」  下の妹は何でもずけずけ言ってしまう。 「あたし、もうお父さんの犠牲になるわ。そういうけどお父さんも可哀想なのよ」 「それでも、それはねえちゃんだけの犠牲じゃないのよ。ねえちゃんがお嫁に行かなければあたしもいかれないのよ。そんなのはいやよ」 「あんたは先にどんどん行けばいいじゃないの」 「そんなこと出来ないわ」  私の耳は、休むことのない外海の怒濤の音をきいている。砂嘴の丘の上に坐り込んだ私たち三人の兄妹が、自分たちだけが生きて行くことの出来ないもろい存在であることに打ちのめされている。匡子の死と、妹たちの愚痴。  私にとって父はどんな意味を持っていたろう。妹たちの父に対するさまざまな感情はほんとうのところは私には分らない。私と父とはいつでも断ち切れる状態であるようにさえ感じられる。私は地方の学校に出してもらい、休暇ででもないと父や妹たちのそばに帰ることはない。私が父に対して持つ恐怖は、金銭関係に過ぎないのではないか。父が私に対して存在し得るのは、いつもこういう非常時に何不自由なく高等教育を施す機会を与えてやっているのだという小言を言う者としてではないか。其の点を押えられている為に私は父に対して主張を曲げ、父の趣味にも迎合しようとするのではないか。  それに、上の妹が父を嫌悪しながら父に同情し父を愛している姿勢や、下の妹が自分や姉の立場をはっきり肯定しながら、父や姉を愛し、而も自分の将来に不安を感じていることなどの意味が、私にははっきりして呉れない。  みんな何かにしがみついているらしいが、それは何か。  私は、家の中では私の考え方はどこか変な所があって通用しないということになっていた。匡子の死、父の不在。私は妹たちに、殊に父に、納得させるどんな言葉の断片も口にする姿勢がとれない。止むなくしゃべりかけた言葉でも、いつでも断ち切れるし、その後の弁明が続かない。説明とか弁明が、人を納得させることは一体何なのか。私は砂丘の中で無力感に崩れ込む。  そして私は妹たちのおしゃべりを、黙ったまま当惑そうな顔付で、自分の意見は少しも言わずに聞いていた。  此の砂丘の上にもいつまでも居ることも出来ない。  砂丘の上では、いつも風が吹いて居り、風は砂浜に固く根を生やした蔓草《つるくさ》の間を波形の紋をこしらえて吹き通る。  磨滅しつつある小石や貝殻。  そのころの私たちの背後には、年頃の娘たちでさえ、適当な結婚が困難なしに行われることの出来ない環境が生じつつあった。  私たちはただ未来に不安を覚え、而も為すことを知らず、夏休みには、父から小遣を貰っていなかにやって来た。そして死んだ母の作りあげた雰囲気《ふんいき》に近付いたが、その原因であった折笠先生の娘の匡子は昨夜呼吸を引き取った。匡子の死の時刻は折笠先生に私がビールの酔いで空しく何かをしゃべっていた時分であった。折笠先生は娘の死に立会う機会を私たちから奪われた。私たちを浜辺の旅館に置いて、恐らくは胸さわぎを押えながら帰る夜道の途中で、娘の死を伝える使いの者とぶつかった。  折笠先生の手紙を受取った私たちは、私たち自身もひどく悲惨であることを思い知った。同時に私は折笠先生の奥さんのことを思い出さないわけには行かなかった。私たちきょうだい三人が肉親であること。そして母と折笠先生のことなど何も知っていなかったこと。私たちは折笠先生の子供ではないこと。そして類縁のある顔付で、目白押しに並んで歩いていること。数々のことがやりきれなく押しかぶさって来た。兎に角一度私たちは折笠先生の家に行かなければならないのだろうか。  私は三人の中ではどうしても代表者になっている立場を不安に思った。その立場を妹に押しつけることは出来ない。それなのに私は世間事に対して全く能力が無い。香奠《こうでん》のことはどうしたらいいだろう。此のような場合どれぐらいが包まれるべきだろう。そしてこの地方の習慣などのことも私をおびやかした。妙なことに折笠先生までが、私の心の中で厳然と対立し、私はひそかに父を擁護する側に立っていることに気付いた。つまり、折笠家の息女の死ということ、それに付随して生じた葬儀という生きて残された側の形式に対して、私たち三人は、私たちの母のまぎれもない法律上の夫としての私たちの父の名代であるという気持が冷たく生じていた。  香奠の金銭高決定のためにも私たちは分裂症的になり、そのまま折笠先生の屋敷への道を選はずに、海辺の小さな町を、岬の方へどこまでも歩いて来て、その道が尽きた崖《がけ》の上のまばらな松林の中に小さな祠《ほこら》を見つけ、裏の崖をかけ下りると、そこは長い砂嘴の丘につながっていた。  ごく最近まで、その場所は周囲が四、五里もあるという大きさの此の浦への海からの入口になっていた。それが直角に打寄せる波の運んで来る砂で塞《ふさ》がれてしまって、長い砂嘴の丘と結びつけられた。 (昭和二十四年五月)   朝影  今朝も亦《また》海の方へ向う朝の風が、彎曲《わんきよく》した入江沿いの部落の通い道のあたりで、夜の淀《よど》んだ空気を騒がし始め、もう明らかに人の顔が見分けられる明るさが、加速度を増して広がりつつあった。  ついさっきまで、あの書院の、部屋の中もうす暗く、ランプの芯《しん》を短くしてその上に布をかぶせ夜通しともし火をゆらゆらさせていた時間が嘘のように遠のいている。草花の茂るにまかせた庭は、まだ夜のとばりに覆われていた。ただ片隅に乱れ咲いた浜木綿《はまゆう》の花の束が人の顔のように又は百の指のようにほの白く、そして酢味がかった芳香を強くただよわせていることが、女の匂いに似ていた。花の浮き出様が手の届かぬ所のもののように青麻《アオソ》をおびやかす。こののっと大きな草花は青麻の行為を見守っていたことになるのか。それは甘さを伴いながら青麻の心を一瞬の間釘《くぎ》づけにする。  青麻は縁から沓脱石《くつぬぎいし》に足をおろす。縁の下で地虫がか細く鳴いている。靴は石の上で夜通し夜露に濡れて置かれたままになっていたのだ。  あのにぎやかなお星様がのきの所に上って来るまで。女はそういって青麻をひきとめようとした。いやですわ。お帰りになっては。  それらの言葉が、青麻をひきとめていたのは、夜が深かったからだ。この浜辺の部落の道は細くうねり、細竹の生垣《いけがき》が家の内部を匿《かくま》い、部落うちを迷路にし、気根を垂らした榕樹《ガジマル》の類が部落を深く抱え込み、そして人々は一人も夜の部落には止《とど》まっていなかったからだ。  だが青麻は夜の明けぬうちに峠を越した隣りの入江にある部隊に戻らなければならない。夜は浅い顔付をする。それは女のうたう島うたにも歌い込まれていた。遊ぶ夜は浅いものだ。宵のうちだと思っているのに、もう夜中になり、やがて鶏が鳴いて、夜は明けてしまうのだ。  女は泣きながらうたい、青麻は女のとこの中でどうあやしようもなく聞いていた。女の涙は塩っぽい。それは青麻が所望したのに、青麻の神経は、帰らなければならぬ峠の赤土道の横たわりと、島の周辺を偵察に来る敵の夜間戦闘機のありや無しやの爆音が一大事であった。それが眼の底や耳の底に用意されていた。  夜になると部落の人たちは山際や谷の奥の疎開小屋に逃げて行って夜を過した。敵の飛行機は夜中にでも爆弾を落して部落を焼き払ったし、又沖縄の場合のようにいつ敵兵が上陸して来ないものでもない。夜になると、部落は空っぽになって、のきの棟はみしみしと収縮し、人間の錯覚は刺戟《しげき》されて、部落は寧《むし》ろ奇妙なにぎわいの気配をただよわせ始めた。それはまるで深夜の小学校の運動場での不思議なにぎわいと同じことだ。青麻は空っぽの真夜中の部落に夜毎に下り立った。部落なかの広場の四すみには力石が月の光に濡れ、小川の水はきらめきつぶやき、土橋はしめっぽくきしみ、海辺は潮の香がただよい、青麻は戦争でなかったときへの、もう無限の距離を絶望の気持で部落うち一ぱいにふりまいて歩いた。これは誰一人知らぬ青麻のかくしごとの行動だとして置きたかった。然しそのような事が隠しおおせるものでもあるまい。女にとって、もう夜が明けようと、太陽が登って来ようとこうなってしまっては何《ど》んな恥をかくというのだろうという気持になっていても、青麻には明け方のあの無慙《むざん》な透明な明るみが怖《おそ》れられた。あのにぎやかな星の東の空に上り始めるとすぐ、それを追いかけるように金星の強い光芒《こうぼう》が東の空の向いの島の山の端《は》のあたりの闇を吹き払いながらぐんぐん上って来るのだ。金星のふりまく明るみは、無情にもどんどん夜をはがし、やがてすぐ、しののめがやって来る。太陽がにょっきり顔を出し、南国の強烈な真昼がうずうずして起き上って来る。  青麻は何に怖れているのか。青麻は縁からはだしで庭の土の上に下りた女の肩を抱く。女の香料が青麻の鼻をつく。それは矢張りその場限りであっても、男を恍惚《こうこつ》とさせることが出来るものだ。心なしか爆音がきこえて来る。それは一層男を気負い立たせ、女はそれによって自分を悲劇にしたてて訳の分らない満足感に浸る。男は女の香料を女の肌の匂いだと錯覚している。その匂いが次の逢《お》う瀬までの消えそうで決して消えない女の航跡になる。青麻は自分で勝手に作り上げた女の像を、女にかぶせて、それを軍服の装いで両腕の中にしながら、気はそぞろに峠の赤土道を上っていた。  うす暗さを逃さないうちに、女の庭を脱け出たのに、部落うちの砂地道をしばらく曲り歩いて、海端に出ると、潮は退《ひ》き、遠浅の干潟《ひがた》では色々な貝がぶつぶつつぶやき、もう朝の風が動き始めてしまって、既に明るさが、訪れていた。  また失敗《し ま》ったことをした。青麻はまだ人と物とを判別することが出来ない昧爽《まいそう》のうちに、峠の番兵塔を過《よぎ》り、部隊に帰って壕《ごう》の中の木造りのベッドにもぐり込んでいたかった。それは全く望ましい状態なのだ。青麻は先任将校である給黎《キウレイ》特務少尉に自分の深夜の脱出を、あからさまに気取られたくなかった。それは妙なかけ引きだ。給黎にとって青麻の行動が分らない筈はなかったが、その程度をぼかして置きたいと青麻は思った。  早道をするために干潟を直線につき切って、峠への上り口にかかろうとした。入江は朝方のもやをふき払って青麻の眼の前にその全貌を現わした。海峡をへだてた向いの島の水上飛行機の基地から試運転の爆音がきこえて来る。夜通し青麻の耳底に残っていた爆音の正体が之《これ》であったかどうかは分らない。時には敵機が近接していたものか。然し現に味方の水上基地のあたりから、高らかな爆音がこちらの岸にまで空気をふるわせて来ているのだ。暁の出撃ででもあるのか。特攻機が沖縄に出撃するのか。然しこちら側では、壮快な悲しみで、青麻を深く呼吸させているのだ。潮の香の強さが、寝もやらずに抱き合っていた女の身体の柔軟な感触と一種の臭気とを、もう取り逃がしてしまっていながら、たしかに自分のものだったというなぐさめをあざやかにして呉れた。このままどういうことになるのだ。愚行の繰り返し。真夜中に、部落におりて来て、夜の明け方に、いつもせかせかして帰って行くことの繰り返し。それは何の確かめになることなのか。繰り返しは熟練となりそして、確かなものを、自分の両手のてのひらの上にのせてみることが出来るのだろうか。この胸もこの足も、この腕、そしてこの指が、女の身体を受けとめていたのに、浜の干潟を歩いている青麻には、既に空《むな》しい疲労だけが残っていた。女のどんな行為も、言葉も青麻にとって、どうして、こんなに何でもないことなのか。青麻が今何かである為には睡眠の姿勢をとらなければならないということだ。然しそれは又快い疲労であったと言えなくもなかった。  浜辺には千鳥が飛んでいた。  青麻の思い込みで、それはすぐ女を連想することにつながる。浜辺を追いかけて来はしないだろうか。もう一度引き返してたしかめてみようか。と同時に、もうこれっきりで、やって来るものかとも思う。今夜あたりに出撃の命令が出て、それっきりになってしまうのだと思ったりもする。女から逃げ出すことだ。もうここまで手に入れたのだから女はもう俺にとって退屈さを表わし始めたではないか。そのようなきれぎれの考えが交流する。女は夢中なのか。そうすると俺は危険だ。女は気がふれるかも知れないということがどうして予想出来ないと言い切れるだろう。呪《のろ》いが青麻をとらえ得るだろうか。この島に生まれたこの女がユタの狐憑《きつねつき》の状態にはなり得ないのだという保証もつけられないことではないか。  青麻は深夜に峠を下りて、ひそまり返った海辺の部落のたたずまいを見下ろしながら、いつも、俺はこの部落に魂が奪われる、と少し気どってひとり言を言って見た。  それが奇妙に青麻にしっくりした気持を湧きたたせることに効果があったからだ。   千鳥よ、浜千鳥よ   何故《な ぜ》お前は泣きます   あの人の面影が立つから泣くの   あの人の面影が   ゆらゆらと消えずに立つの   塩を焼く煙のように  そう女はうたうのだ。青麻は女に後髪《うしろがみ》をひかれていた。女の身体はやせていたが、腰が太く、顔の輪廓《りんかく》は丸いながら角張って、眼が際立って鋭く大きく、髪の毛やまつ毛は黒々として居て、それはこの辺りの島の女の類型でしかなかった。  青麻は前かがみになって歩いていた。歩きつつ、何となく右の掌《たなごころ》を開いてじっと眺めてみた。そして低く独り笑いをした時、背後にひたひたと小走りにやって来る人の足音をきいた。  おや、もう部落の人が山の疎開小屋から起きて来たのかと青麻は思う。見られることは少し具合が悪い。部落うちには青麻が何をやっているかということは知られてしまっているのだけれど、青麻はこのことは誰にも知られていないのだと思いたかったし、いくらかはそう思ってもいたわけだ。たとえ真夜中の青麻の部落歩きの姿を見かけた者があったとしても、その人はそのことをそっと胸の奥底にしまい込んでいて呉れるだろうとひとりよがりに思っていた。  足音は青麻の傍《そば》をすり抜けて追い越そうとした。青麻は妙にせかせかした呼吸を背中に感じた。そして恐らくは自分の前を歩いている男が何者であるかに注意が向かない、一つの観念で頭の中が渦巻かれているに違いない気抜けのした顔付の男を青麻は認めた。 「おっ、網場《アバ》じゃないか」  青麻は声をかけた。そして今帰りか、と言い継ごうとして、青麻はあやうく出かかった言葉を呑み込んだ。  男はぎくっと立止った仕草が、ひどく恐怖に満ち過ぎていたからだ。それは烹炊所《ほうすいじよ》の上等主計兵であった。寝不足の頭の青麻にしてみれば、ひとしなみに朝帰りの男に声をかけたつもりだ。然し男は直立の姿で立ち止るとみるみる顔色を変えて行った。それは男の演技であるかも分らないことではないか。網場は何故俺の前で顔色を変えるのだろう。網場の顔は、眼も頬も黄色くにごって醜い。それはそのまま青麻の眼や頬にも反射した。醜さに於いてはおなじだ。ただ青麻が皮膚をゆるめて含羞《がんしゆう》の表情を保ち得ているのに反し、網場に瞳《ひとみ》を中央にして身体を硬直させたものは何なのか。青麻が将校服を着け、肩から斜にかけて腰の所を締めた革帯をつけていることが何か威嚇的だったのか。網場のつぎはぎだらけの色の褪《あ》せた日常作業用の兵隊服が、しおたれていたということなのか。青麻は網場の薄ぎたない兵隊服の下に包まれた肉付きのいい体格をちらと感じた。そして少しやりきれない気持を抱かせられる網場のわきが交りの体臭が、むんと鼻をついて来るのを、まともに顔にかぶっていた。まばらな無精髭《ぶしようひげ》と、ひどいさい槌頭《づちあたま》。そして金歯。女たちはこの網場のわきが臭い胸に顔をうずめ又青麻の革帯臭い腰にまつわりついて、ほんの五分ばかりを遅らせてしまっただけのことだ。  青麻はちらと網場の女がどんな女だろうかと思った。かすかな嫉妬《しつと》の情が起きるのを感じた。  すると網場上主はへたへたとよろけた。 「隊長、かんにんして下さい。かんにんして下さい」  網場はおどおどした眼付で、逃げ腰になって哀願した。 「点呼に遅れます。烹炊長に殺されます。見逃して下さい」  青麻は黙って網場の醜い泣声をきき流した。むくむくとむごい気持が起って来るのをどうにも出来ない。俺より下士官の烹炊長の方を怖れているのだ。そうか、それならそれでいいじゃないか。 「馬鹿野郎、くだらんことを言うのはよせ」  青麻がNの町で無害で無力な学生であった時に、網場は小太りの身体を精力的にゆさぶって頭の鉢巻にちらり金歯をのぞかせる部厚な脂《あぶら》ぎった顔を、ひのきのすし台の前に安定させていたのではなかったか。俺はそのすし屋小金の亭主の人生哲学にまるで歯が立たなかったのに。これはこういうこともあるということのありふれた実例にあまりにもぴったりとはまり過ぎていることではないか。  部隊が編成された時に、烹炊所の主計兵の中に青麻は、劃一《かくいつ》の兵隊服を着せられて見映えのしなくなった網場の姿を認めたのだった。もうそんなことさえ平板な忘却の地ならしにかかってしまったと思えていたのに。  網場の顔面にかすかなかげりのようなものが走った。 「隊長、悪いことをしました」  網場は青麻の眼をまともに見ながら言った。 「私を殺して下さい」  しわがれたいやな声であった。然し網場の一途《いちず》さが青麻をたじたじとさせた。網場の卑屈げな醜さは、ただ青麻の感情のかけ引きの中で、ちょっと青麻に優位にはたらいているに過ぎない。網場のその一途さの中でさえ、ちらつく金歯が、何か青麻への不真面目な嘲笑《ちようしよう》を感じさせるものもあった。  然し、網場にとっても、せい一ぱいの所だ。そして自分の言っている言葉の意味に、恐らく気付いてはいないのだ。  おや、これはとんだ愁嘆場だ。青麻は手ひどく自分の立場が戯画化されたのを感じた。俺がその気にさえなれば網場は俺を恨むことなく俺に殺されて行く。青麻がいつか矢張りそのような状態に陥った自分を思った。ただ禁止されていたことをしたというだけで青麻はその時の分隊幹事から転倒する程なぐられたことがあった。俺はその時奇妙にその分隊幹事の眼付と口もとに惚《ほ》れ込んでしまったではないか。 「馬鹿を言っちゃいかんよ。いいから早く帰れ。点呼におくれるぞ」  網場は一瞬きょとんとした顔付をした。こういう扱われ方には馴れていない具合だ。然し、青麻の言葉の意味が分ると、網場の顔にほっとした気配が露骨に浮び上った。 「はい」網場は勢よく敬礼した。「ありがとうございます」  網場は犬ころのように走り出した。彼は勿論《もちろん》まともに峠の赤土道を通って帰るわけにはいかない。つと道をそれると小さな谷間の雑木の中に姿を消した。  ちぇっ。愚かな姿だ! 青麻は網場と共に、蟻《あり》地獄の砂丘の傾斜をずるずるすべり落ちながらあがいている亡者《もうじや》さながらの人間臭い二つのものを感じた。そして又、網場の言ったありがとうございますという言葉がしつこく頭に残った。朝帰りが、鉢合わせをしたのだ。それが隊長と烹炊所の兵隊だったのだ。どっちもうまいことをしている同じ穴の貉《むじな》じゃないか。暁の御帰還だ。青麻は腕時計を見る。隊内ではもう「総員起こし十五分前」の号令がかけられている頃だ。それにしても網場が起床ラッパ直後の点呼と体操とに間に合うことが出来るのだろうか。青麻がいつかふみ込んだ岬《みさき》の裏山の様子を思い浮べてさえ、道などはなく野いちごが実を枝もたわわにつけていて、その急な勾配《こうばい》はとても十五分や二十分で越すことが出来るものではない。それにこの島だけの持つあの猛毒の飯匙倩《ハ  ブ》がどんな凹《くぼ》みや樹の上でとぐろを巻いているかも知れないものを。青麻は網場が愚かな繰返しの揚句に見つけて使っているに違いない草の伏した通い路を、ねたましい気持で探してみたいと思った。そこを猿のように走っている網場の姿がひどく小さくそして鮮明に見えるような気がした。  そうだ、俺は多分網場に対して何とか断乎《だんこ》とした処置をしなければならないのであろう。いいから早く帰れ、点呼におくれるぞ。青麻は自分の口を右手でひんまげてつねってみた。網場をぶった斬ればよかったものを。網場は一体どんな女と仲が良くなっているのだろう。それは色んな風に想像を妄《みだり》にしてみることも出来る。俺がやっていることが、こうなのだ。あら、隊長さんは蚤《のみ》にかまれると、こんなに大きくはれますの。そして女は子供のように声をあげて笑ったのだ。丁度赤子小如《アハチユツグワニ》ししや。女が島言葉を使うと急に芭蕉布《ばしようふ》の短衣《イツキヤギン》を着て素足ですりぬける部落の娘たちのしなやかな精悍《せいかん》さをちらりとのぞかせるのだ。またうもれよ加那、ふんとよ。道の勾配の為に、血行がよくなり呼吸が勢づいて来る。然し定かでない想念が繰返し繰返し青麻の頭の中を往来して、眼は内側へのみ向き、右腕の軽い痛みが女の重い頭の感触をそれだけが存在するもののように生々しく残っているのを確かめることが出来た。  朝霧がおだやかな入江の海の上をはい廻りそれは次第に眼の下になり、海峡をへだてた向いの島が広く視野の中にはいって来ると、今捨てて来た女のいる部落が、寂し気に屋根をよせ合い、青麻の位置が高まるにつれて、益々《ますます》部落はこぢんまりとより固まってしまう。向いの水上基地の爆音も全く鳴りをしずめてしまって、いつの間にか金星の光芒《こうぼう》も認めることが出来なく、南の島の昼が強い調子でやって来る。そして又昨日に続く戦闘が明らかに今日にも続いていることを確認しなければならない。今日はどんなことになるのであろう。  峠の番兵塔では交替しながらも夜を徹して兵隊が衛兵に立っていた。申継事項により夜半の十二時を過ぎた頃に隊長が一人でこの東門番兵塔を隊の外に出て行ったことが申し伝えられてあるのだ。〇〇三〇隊長外出、其ノ他異常ナシ。その言葉が真暗な木立ちのしげみの辺りに翼を得て浮遊し、青麻があけ方になって帰隊するまで、その言葉が死にきれずにいる。青麻に関してのあらゆる臆測の種がこの拘束された番兵の不眠の停止した時の間に醸成されていくのだ。入江の海峡への出口の方が、いつも青く明るいことはそれでもいくらかは彼等の魂を鎮めて呉れてはいたのだろうが。  青麻が、東門からは見ることの出来ない入江の磯辺に下りて来た時には、もう点呼も体操もすんでしまって兵隊たちは分散されたそれぞれの小屋がけの兵舎に帰って行く所であった。それは青麻をほっとさせる。ひどく青麻をほっとさせる。青麻は隊内見廻りの様な恰好で朝食の為のにぎやかな仕度にかかり始めた部隊の空気の中にまぎれてしまうことが出来たから。  ただ無性に眠い。そしていつものように、当直衛兵伍長に隊長の位置を言い置いて、空襲がはげしくなってから急にこしらえた横穴の壕の中の木のベッドの上で、眠りをむさぼらなければならない。そこはたとえ敵の空襲があっても、先《ま》ず可なりの安全度があったわけだ。そこで鰯《いわし》の眼のように眠らなければならない。しめっぽい壕の中の木のベッドの上で。もし防備隊の指揮官から特攻作戦についての命令が来れば、衛兵伍長は壕の中のベッドの青麻を起しに来るだろう。隊内での位置を当直室に示してさえ置けばいいのだという、青麻にとってそれは一つの安らかな日常の状態となってしまっていたのだ。  隊内に不在である状態は青麻を臆病にする。それは何にも増して落着きのない小きざみのふるえを伴った罪の意識にさえ変ろうとするものだ。  もう隊内に戻って来たのだ。どんなにひどい空襲もやって来るがいい。そして敵の艦船部隊が接近して来て上陸の兆しを示すがいい。  青麻がはいろうとした壕の入口の所に、網場が気抜けしたように立っていた。 「隊長」  ただそれだけ言って、眼を伏せた。それは早く処罰をしてくれと催促をしているようにも受取れたし、又烹炊長やその直接の分掌長である分隊士の兵曹長へは内密にして置いて呉れということを頼みに来ているようにも思えた。  青麻の眼の前に立っているのはすし屋小金の亭主ではない。ぼろきれのような一人の兵隊なのだ。  青麻は手を振った。「もういい、もういい」まるで病み犬を追うような調子で手を振っていながら、ふっと青麻は自分のその手つきを意識する。  それで説明の不足を補うようにこう言葉で言い足した。「もう自分の居住区に帰って居れ。心配するなよ」その上に網場の背中を軽くぽんと叩いたのだ。青麻は網場と一緒に腐敗した場所に転落したことを覚《さと》る。いやな手つき。そのように網場を取扱う権利を誰が持てるだろう。  烹炊所が士官室の食事を豊富にする為に、網場は、部落に出て鶏や卵や豚肉や木瓜《モツクワ》やバナナを買い集めて廻る仕事を与えられていた。  青麻はいつか、海端の崖《がけ》を細く蛇行《だこう》しながら浦々を巡っている島の道を、生きた鶏を抱え持って歩いている網場の後姿を見かけたことがあった。それは時刻が夕方であったせいか、このあたりの南島では珍らしい晩秋の落莫とした愁いのようなものがふと湧いて来て、青麻を驚ろかせた。網場のその後姿は妙に印象が強かったのだ。生きた鶏を抱え持った網場の後姿が。  網場の役割はそれだけではない。青麻が方便に女の所から借りて来る書物の持ち運びは、毎日士官用特別食買出しの公用使となって部落に出て行く網場が担当していたことだ。その書物の中には封じ込められた青麻や女の手紙のあることを網場は知っていたのだろうか。網場はそれを開けて見ていたのだろうか。網場は公用使となって部落に出て行くことを士官室に報告しに来る度に、ついでに必ず隊長室の青麻の所に来て、用事の有無をきくことをした。之は余計なことだ。少く共軍隊内での慣習としては、このような出すぎた行為は短絡と称して禁忌《きんき》されていたことだ。そしてそのような事を士官室に来て迄《まで》行うことは、網場にとっては不利なことであり、他の士官たちの心象を害《そこ》なう事柄であった。青麻はそのような網場を憎からず思い始めていたのだろうか。戦局が押し迫って来るに従って、網場はどうしてか青麻への文使いの役目をまるで自分の特別の使命か何ぞのように思い始めたらしいことは、おかしなことだ。  やがて青麻は前のようにもうそんなに度々女のいる部落に脱け出して行くことが出来なくなった。それは戦局の逼迫《ひつぱく》がそうさせた。第一警戒配備の体制が発令されたままになり、夜中を過ぎても配備体制は緩和されなくなった。青麻の部隊には即時待機の命令が下った。それはいつ命令が下っても出動させ得ることが出来るように、特攻兵器を装備しその機関を整備して置くことを意味した。  然し入江も部落もそれまでの日々と、之に続く日々との間にどれ程の変化があったというのだろう。入江にも部落にも警戒配備の差異などはなかった。ただ青麻はそれに縛られて隊内を離れることがむつかしくなって来た。そして相変らず烹炊所からは、網場上等主計兵が部落への公用使として毎日出されていることに変りはなかった。その度に網場は青麻の部屋の前でどなることをも又やめようとしなかった。 「隊長! 網場上主只今公用使出発致します。何か御用がありませんか」  青麻は、この頃になって網場の顔に弱気の皺《しわ》が広がって来出したことを認める。それは以前には認めにくかったものだ。羞《はじ》らいと言ってもいいかも知れない。悲しげな眼付で青麻を見返すことがあるのだ。網場が青麻との関係をもどかしがっているようにも思える。そして青麻と女との間のつながりが網場の公用使の名目にかくれてやっと支えられているようでもあった。  青麻は先任将校の給黎の気持が、青麻にすっかりそびらを見せてしまったことを覚った。そして他の士官たちも、それぞれの仕方で青麻を非難していることが感じられる。これは早く何とかしなければならないことだ。ただ辛うじてこの部隊の均衡を支え得ていたのは、青麻が先ず兵器の搭乗者《とうじようしや》だということであったようだ。特攻兵器の搭乗者であるということだけで、そこからかなり暴力的な強制力を生み出すことが出来たようだ。青麻には何等の技術もなく、ただ搭乗者であるということだけで、多くの技術者たちの口を封ずることも出来たのだ。それは危うげな均衡であり、青麻にとっても無意味であった筈だ。然し総ては遅過ぎた。青麻に残されたことはただ待つことだけだ。敵が上陸して来るのを待つこと。  敵の空襲も一層のはげしさを加え、そして度数も頻繁《ひんぱん》になって来た。本部も当直室も壕の中に移された。青麻は終日壕の入口の付近でぶらぶらした。隊員は空襲の間隙《かんげき》のわずかな時間をねらって作業をした。それにもう仕事の殆んどと言ってもよい程の部分が畠作りなどに当てられ始めていた。敵としなければならないのは飛行機や艦艇だけでなく、食糧の欠乏ということに危機が移行し始めていた。  青麻はしばらく女とも会わなかった。公用使網場を通じて手紙の交換はしていたけれど、久しく女を訪ねることが出来なかった。するともう一切の事は遠い昔の出来事のような気がして、どうでもいいことのように思えて来た。死に急ぎ、というようなことが頭の中一ぱいになったりした。どれひとつとってみても、終りの全う出来そうな事柄はなくなってしまった。三度の食事がうまくなく、摂取と排泄《はいせつ》が無意味なまだるっこいことに思えた。耳鳴りがして肩がこった。脊髄《せきずい》のあちこちが痛んだ。間歇《かんけつ》的に悪寒《おかん》に襲われた。歯をみがいていて不意にひき蛙《がえる》をふみそこなってさえ、鳥肌立つのだ。  そして、女が妊娠したのではないかという噂がたった。女の手紙で、女が具合が悪くて寝ているということは承知していた。女学生のようなふざけた筆使いでもうよくなってぴんぴんしているとも書いてよこした。然しその程度は会ってみないと分らないことだ。  基地隊の兵曹長が、あの女は確かに妊娠している。そういう時は不思議に双方で一緒に訳の分らぬ熱が出て寝込んだりするものだ、と言ったと、第四艇隊長の阿曾《アソ》少尉が青麻に告げて来た。彼は青麻と同じ予備学生上りの経歴を持っていて、青麻には一番気易く色々なことを話しかけて来た。士官室の中で、青麻と彼を除いた他は皆特務士官であり、その多くが兵曹長だ。給黎兵曹長が少尉になったのもそんなに遠いことではない。だから第四艇隊長の位置は微妙な陰影を伴った。兵曹長たちの間では第四艇隊長が青麻と兵曹長たちの中間で不必要な策動をしているに違いないという非難を根強く持っていた。実際阿曾は兵曹長たちの陰での青麻批判を青麻に一種の情熱を以て吹き込むことに巧であった。そして阿曾は青麻に一番親しみの感情を抱いていたことにも間違いはない。青麻も亦阿曾少尉に対しては気安く、生活感情の近似がもたらす効果に新らしい驚きを持った。女のことについても阿曾には開け広げであった。女のことでの私用にすら、青麻は阿曾を平気で使った位だ。然し青麻が阿曾少尉にしか知らせていないようなことが、兵曹長たちの間にも広がって行くことを防ぐことも出来なかった。 「そんなことは絶対にないですねえ、隊長」阿曾はそう言う。「隊長背中をもみましょう」阿曾はいつかベッドの傍にやって来てそうも言ったことがある。「ぼくは隊長の為に死にますよ」  然し阿曾が又基地隊長と青麻の女の妊娠説について噂話をすることも間違いはない。これ程話題として恰好な種はめったにあるものではない。ただそれは何と言っても青麻に強いショックを与えないでは置かないことだ。  どうしても女の口から確かめなければならないことだ。  或る日、島の上空に敵の飛行機が群がって来た。  青麻の部隊の基地は未だ発見されてはいない。もう一つ隣りの湾の防備隊が、いつも爆撃と銃撃の餌食《えじき》になった。  壕の入口近い当直室で青麻は待避していた。防備隊の指揮所から刻々に情況と命令が電話で伝えられて来た。尾根筋を一つはさんでいるが、防備隊に投下される爆弾の炸裂《さくれつ》する響は地底をどよもして、こちらの入江にまで殷々《いんいん》と伝わって来た。地をくりぬいた壕の中にいる為に、一層微妙な連繋《れんけい》を感ずるのだ。次々に交替して急降下して来る敵機の異様な複合音が空を覆っていて、恰《あた》かもこちらの入江に突込んで来るような錯覚さえ与えられる。程なく濛々《もうもう》とした黒い煙が尾根の稜線《りようせん》をはみ出し天空一帯に立ちふさがり始める。それは黒いかげりがこの島の空を包んでしまうとも思われた。ふと女のいる部落の静けさを青麻は脳裡《のうり》に浮べる。青麻にとってその部落はいつも静けさの中に沈んでいる。このような地獄のうめきに引きずり込まれている様子を想像することは出来ない。もし女の部落が防備隊のある湾と同じように爆撃を蒙《こうむ》っているなら、それはどんな形相を呈しているであろうか。不思議に女たちの髪と衣の乱れのみがいくつもの場面となって重なり合い、そのようなものとして青麻に想像される。女が青麻の所に来ようとして気がふれた場面さえ写し出される。  此の防備隊への大空襲は上陸の前ぶれであるかも知れない。既に敵の艦船部隊はじりじりとこの島の周辺に迫っているのかも知れない。指揮官から何故に発動に関する指示が来ないのだろうと、そんなことを考えたりする。耳を聾《ろう》する音響は肉体に一種の麻痺《まひ》を与えて、奇妙な眠気を誘う。既にただ敵の上陸の時の瞬時の反撃だけにそなえて抵抗を放棄してしまっているこの島の味方の各々の部隊は、敵の空襲にされるがままになっていなければならない。青麻の部隊にとっては、たまたま敵がこの基地に気がついていないか、まだ先の為のたのしみに残して置かれているかのどちらかによって、今回は攻撃から免かれていることで、隣りの湾で起きている惨劇を、岬のこちら側で傍観していられるだけだ。肉体的に苦痛はないのだ。然し妙に空虚な虚脱の徴候が青麻の身体に起りかけていた。  急降下をして爆撃を終えた敵の飛行機が、防備隊の機関銃をさけ、斜にすべりつつ上昇し機体をかわして行く。その時飛行機は一瞬水中から波の上に浮び上った泳ぎてのようにほっと一いきをつくような間があるのが見られた。それは丁度青麻の部隊のあるこちらの入江の上空で、きらりと白い腹を見せながら行われた。まるで隙だらけの恰好のように見える。それが、次々にそのように白い腹を見せて、山の向うの惨劇の現場から浮き上って来る。青麻はそれをぼんやり見ていた。戦争のなかった日の空中ページェントでそんな場面を見たような。こちらから撃てば、ひとたまりもなく撃墜出来そうな程にたよりなく見える。何気なく青麻は足もとの地面に眼を移してみた。腹の太い大きなばったが一番《ひとつがい》交尾している。青麻はしゃがんで、眼をずっとその昆虫に近づけた。殆んど緑の色素で出来上っているこの虫の顔の表情は分らない。ただ、か細い肢《あし》をかすかに動かしている。この虫けらにも陶酔ということがあるのか。二匹共気息奄々《えんえん》としていることが奇妙に思えた。これは全く死にかかっているようなものだ。恍惚だとかそして陶酔だとか言うかたい熟語があらためて青麻の頭の中を占領した。そしてその熟語の発音の響を舌の上にのせていると、じーんとしびれるような充実を感じて来たのだ。青麻は思わず辺りを見廻した。別に誰も青麻の行動に注意している訳でもない。青麻は棒切れを拾ってその虫けらをにじりつぶして引離してやろうと思った。すると二匹の虫けらが変な運動をはじめた。今までただ何となく動かしていた肢をぐっと伸ばしたかと思うと、小きざみの軽い痙攣《けいれん》を起した。そしてつなぎ合った、そこだけが動物的な感じのする軟体の腹部がゆったり呼吸をする様に波打ったのだ。殆んど瞬間のことであったが、青麻はそれをはっきり見た。青麻は身体が熱くなるのを感じた。やりきれない程の身体のもてあましを感じた。  敵機はその予定の行動を完了して引揚げて行った。入江は又もとの静けさに帰った。ただ青麻の身体には熱っぽい悪寒に似たふるえが残った。今日はこちらの入江はやられなかったけれど、次の日に何がやって来るかは分らない。敵機が引揚げてしまえば、部落に公用使が出されるであろう。青麻は網場が部落に出る前に必ず青麻の所にやって来るだろうと思い、そう思うとひどく網場の現われるのが待遠しい気持になった。 (昭和二十六年九月)   夜の匂い  日が暮れてから木慈《キジ》は部落の方に歩いて行った。道は入江に沿ってくねくね曲っていた。この千《チ》ノ浦《ウラ》の入江は長靴のように細長く海峡からは幾重にも折れ曲ってはいりこんでいた。その為に波風もたたず静寂で、うっかりすると水の豊富な川のようであったし、又深山の湖水のように思える時もあった。海面からこの入江にはいって来ると、秘密な場所に吸い込まれて来たような気持になった。海峡の執拗《しつよう》な潮騒《しおさい》と波のうねりが、この入江に折れ曲ってはいって来た時に、ふっとかき消されたからだ。部落は入江のどん詰まりに十軒ばかり散在していた。長靴の足先の部分のそのどん詰まりは低潮の時は殆んど干潟《ひがた》になった。海面を板付《イタツケ》で漕《こ》いで行けば、部落の所まで十分とはかからなかったが、海辺沿いの細い道を歩いて行くと、たっぷり半時間はかかった。手のとどきそうな所に部落が見えているのに、道は小さな数多い山鼻や湾入した場所をぐるぐる迂回《うかい》していたからだ。ふと幽谷に迷い又はけわしい峠を越すのだと錯覚させるような地形さえあった。道筋には蘇鉄《そてつ》や阿檀《あだん》やユナギが多かった。榕樹《ガジマル》が気根を垂らしてその醜怪な枝を伸ばし鬱蒼《うつそう》と覆いかぶさっている所もあった。月が出ていて、潮は満ちていた。潮の香が強く鼻を打ち、木慈の衣服をしっとりと包んだ。退《ひ》き潮の時は浜辺を磯伝っていくらか近道が出来たが、潮が満ちて来ると海は道の傍《そば》まで押寄せて来た。谷間の凹《くぼ》みの所など潮は道にまでかぶさっていた。木慈の足音に驚いた蟹《かに》がかわいた音をたててはい廻った。千鳥の声が耳先をかすって闇の中にささって行くように思えた。毒のある飯匙倩《ハ  ブ》に要慎しなければならないので懐中電灯と太目の杖を持っていた。榕樹の下を通る時は妙に寒気立って来るのがへんであった。自分の足音だけが時にしめっぽく時に甲高く自分の耳に返って来た。しんしんと静寂の中に引っ張り込まれるような無人の気配の中で、早く塩焼小屋のある鼻の所に出る為に足を急がせた。潮の香だけでなしに夜に匂いがあったが、何の匂いであるかは分らない。気持の中に、何かを期待するときめきがあった。そしてどこか遠いはるかな所で鈴が鳴っているように思えた。実際にそういう音が暗闇の中にひそんでいるのか、ただ空耳なのかは、はっきりしなかった。塩焼小屋のある鼻を廻ると、地勢は開け、十軒にも足りない寂しい部落ではあるが、戸のすき間からもれるランプの灯影の為に、ほっと人心地がつくような気がした。ふり返ると細長い入江の海面が、淵かなんぞのように黒々と底沈んで入江口の方に幻のように伸びているのが確かめられた。入江口の方には木慈が今脱け出して来た部隊の兵舎の灯りが海面にうつって、十字なりに伸びたり縮んだりしていた。  部落長の菊実祥喜《キク・サネシヨキ》の家の竹の生垣《いけがき》の傍まで潮が満ちて来ていた。此処《こ こ》が入江の一番奥であった。実祥喜の家の裏の所に小川が流れ込んでいて、その源を脊梁《せきりよう》の尾根に求めて伸びていた。蝌蚪《おたまじやくし》の尻尾《しつぽ》のように入江のどん詰まりが急に細くなって谷の奥の方に伸びているのだ。小川を渡る為に飛び石が置いてあったが、満潮の時には、石の頭まで潮がかぶってしまった。実祥喜の板付が道端に打ち込んだ杭《くい》につながれ、海水に乗って生き物のようにゆれていた。潮がひけば干潟に取り残されて残骸のようにその細長い舟肌を横たえているのではあったが。  木慈は小川に沿って道を横にそれ、祝正吉《イワイ・マサヨシ》の家の庭にはいって行った。戸は、たてられていた。小屋のような家であった。家の中の気配を覗《うかが》うために身体をかがめた。中には人が居らぬかのように冷えて感じられた。此頃《このごろ》島の人々は疎開小屋と称して海端の聚落《しゆうらく》から離れた谷の奥や山の懐に小さな小屋掛けをし飛行機からの銃撃を避けて昼も夜も引移っている者が多くなっていた。然し千ノ浦の部落は、民家の数も少なく、そして入江近く木慈隊が基地を持って籠っていることで何となく安全な気持になって、疎開小屋つくりは他の部落に比べて熱心ではないように見えた。木慈隊の存在はこの島では今は半ば伝説的でさえあった。木慈隊だけがこの島を敵の攻略から守ってくれるものだと島人たちは考えていた。入江の閉鎖的な形が一層木慈隊を秘密臭いものにした。千ノ浦にはいつの間にか洞窟《どうくつ》や地下室が掘られて、その中に小さな船が一杯格納されているという噂《うわさ》が島人たちの間に広まったのだ。薄っぺらな板切れのような船だと言う者がいた。いや黒々とした鋼鉄の小さな潜航艇のようだったと言う者がいた。「モウレニシ、ヨウリッグヮ、飛デ行キュタンムン、テハ崎ヌ沖ナンテ、見チャド」と言う者もいた。月の出ない闇夜になると編隊飛行機の爆音のようなおそろしい音をたてた黒い小さなものがぞろぞろつながって、千ノ浦から広い海峡に出て行くのを見たと云う者もいた。木慈隊の基地が出来てから、千ノ浦は閉鎖された。丁度木慈隊の中を通るようになってしまった湯湾《ユワン》の部落に行く道は通行を禁止された。島人はたいてい板付と呼ぶ櫂漕《かいこ》ぎの小舟で海上から部落の間の行き来をしていた。千ノ浦の部落は海上からも、そして陸上の一部からも孤立させられてしまった。千ノ浦の部落民は止《や》むを得ず湯湾への近道を作った。湯湾には役場も郵便局も小学校も農業組合もかたまっていたのだから。新道は祝正吉の家の傍の小川を少しさかのぼるとすぐ島の脊梁の尾根筋に急な傾斜をジグザグにきり開いてつけられた。尾根筋には、外海にある手安《テアン》の部落から湯湾への道がついていた。然し今は木慈隊の基地の中に閉じ込められてしまった岬の小さな峠を一つ越しさえすればよい旧道の道のりと比較すると、新道は時間も倍はかかるだけでなしに、高い尾根筋まで一たん無駄足を運んで急な坂道をよじ上らなければならず、その上不完全な工事の為に雨が降ると、道崩れがしてずるずるとすべって歩きにくかった。千ノ浦の子供たちは学校を休み勝ちになり、又登校して来る者も遅刻することが多くなった。然しとにかく木慈は自分の身の周りにこしらえ上げられた島人たちの無知故の誤解に挙措《きよそ》を合わせることにいつのまにか居心地のよさを感じていた。木慈は縁の下を懐中電灯で照らしてみた。薪などを束ねてつっ込んであるのだが、うっかり近よるとそこにひそんでいる飯匙倩《ハ  ブ》に噛《か》まれることがあるからだ。そして、たてられた風雨にさらされた雨戸を静かに叩いた。庭には月の光が満ちていた。やはりある匂いとある音響とがかすかに木慈の頭脳にこびりついていた。そして又ある色彩が、木慈をどこかに導いて行くようにも思えた。家の中であわてて人の起き上る気配がして、ランプが灯《とも》され、雨戸が開けられた。狭い部屋の中に子供たちが重なるように寝ていて、正吉の妻が恐縮と光栄と安堵《あんど》とを交じえた稚拙な微笑でランプの置き場に迷っている姿があった。まんまるい顔をして背は低いが、表情の中に町に住む者のわかりのよさを認めることが出来た。空襲がはげしくなる前まで、海峡の向うの奈帰仁《ナキジン》の町で洋裁店を開いていたのを、近頃千ノ浦に疎開して来たのだ。夫の正吉はひとりで奈帰仁に残っていた。彼女は普通語が上手にしゃべれた。奈帰仁の町での小綺麗な生活を、この本土の大学を出たという木慈隊の若い隊長に見せたかったと彼女はふっと強く思った。此処は長らく廃屋同様に打ち捨てられてあったのを今仮にこうして住んでいるわけなのに、恐らくそのことをこの人は分らないだろうと思った。まるであばら屋同様に柱はゆがみ、畳はぼろぼろで蚤《のみ》が沢山棲息《せいそく》し疎開荷物でただでさえ狭い一つだけの部屋のかや葺《ぶ》きの、このきのこのような家が彼女を情ない気持にした。彼女は多産系であった。六人も子供がいたのだ。彼女は化粧もしなくなった荒れた髪の毛をうしろに束ね込むようにしながら、子供たちを見やった。「隊長さんこの子供たちを見てやって下さい」そして、思い出したように笑顔を作って、「チイサコベノスガルもきっとこんなだったろうと思いますよ」と言った。木慈は理解したように深くうなずいたが、チイサコベノスガルという名前は聞いたことがあるようで、しかし何であったか思い出せなかった。そういう名前を知っていることを示すことで彼女が女学校の教科書の中にはっきり書き込まれていたことを木慈に思い出させたのだろうと、木慈は気をつかった。桂子はすぐ起き上って来た。枕許《まくらもと》に置いていたよそ行の洋服につと着換えた。そして、「ずーっと待って居ったのによ」と言った。 「ごめんごめん、どうしても手を離せないようなお仕事が出来たのでね、こんなにおそくなってしまった」木慈はそう返事をした。 「隊長さん、ほんとにどうなるのでしょうか。戦争はいつまで続くのでしょうか」母親はたえいるような細い声でそう言うのだ。「敵はこの島に上陸して来るでしょうかねえ」  木慈はぎくりとした。そんなことがどうして木慈に分ろう。「こんな小さな島に敵がやって来るものですか」木慈は確信のある顔付で答えた。然し状況は日を追ってこの島に対して険悪になって来ていて、この数日来第三警戒配備から一足飛びに第一警戒配備になり、その警戒配備はそのままで解けそうにもない。その日が近付いているように木慈には思えるのだ。母親は木慈の顔色から何かを読みとろうとむさぼるように見つめて来る。 「そうすると、この島は一体どうなるのでしょうか」 「敵さんはこの島など素通りして本土の方に行ってしまいますよ。そしてこの島は見捨てられてしまうでしょう。だから畠《はたけ》の仕事を一所懸命やって置かないといけませんよ」木慈はつとめてにこにこした顔付でそんなことを言ったのだ。「もしこの島にやって来たとしても、ぼくたちがやっつけてしまいます。ぼくたちにまかせて置いて下さい。こんな可愛らしい子供さんたちをどうして見殺しに出来るものですか」然し木慈隊の小型魚雷艇隊は多分、海峡口の皆通埼《カイツウサキ》を出た途端に全滅させられてしまうだろう。いや皆通埼を出ない前に奈帰仁沖か安脚場《アンキヤバ》沖で大空襲に遭遇して自爆してしまうだろう。この小型魚雷艇は兵器としての十分なテストを経ていないものだ。船体も機関も装備火薬の爆発装置も幼稚で不完全で、その為にそれ自身味方にとっても危険極まりない厄介物になってしまっている。電路が短絡して、知らぬ間に接になる。それは自爆を意味したのだ。そして湿気の多い急ごしらえの洞窟格納庫の中であらゆる部分の腐蝕《ふしよく》が既に始まっていた。速力は駄馬のように減退しつつあった。この島への本土からの補給路は遮断《しやだん》された。陸上部隊の兵器も抵抗力は無に等しくなった。この島にはもう轟音《ごうおん》を発してくれる火薬といってはこの小型魚雷艇しか残っていないように思えた。自爆であったにしても、未《ま》だ味方にも火薬が残っていたことのなぐさめになるというようなことになりそうであった。小型魚雷艇が無力であることを知っている者は、千ノ浦に封じこめられて軍機部隊にさせられた当の木慈隊の隊員たちであった。彼等は隊外に出ることを厳禁された。明けても暮れても湖水のような入江の潮の干満を眺めて暮した。生活は既に糧食確保の為のにぶい準備作業に移っていた。とにかくも気分を爽快《そうかい》にさせて呉れる海上の艇隊訓練などはもう殆んど行われなくなった。敵機の跳梁《ちようりよう》のせいもあったが、使えばそれだけ艇の能率が低下するし、保有量が少くなったガソリンを食ってしまうことになるからだ。能率の高い機械化された秘密部隊の金属的な反響音が、あたりの山や谷にこだましていると島人たちは思っていたのだが、隊員は来る日も来る日も畠の芋を掘り、偽装の為に枝葉の多い樹木を斬り倒して、そして体操をし、毎日風呂をたき、烹炊所《ほうすいじよ》の煙に神経質になり、隊の外の部落に出て行くことなどはとうてい出来なかったのだ。  木慈は桂子を連れて正吉の家を出た。月の位置はかなり高くなった。桂子は靴をはいて行くと言った。いつもは島の子供たちは、おとなと同じように裸足で島の中をどこまでも歩いて行った。木慈は新道を歩いて見ようと思った。小川を少しかけのぼると、もう一軒のかや葺きの、小屋まがいの古びた家が、月の光を浴びて一層黒々と影を地面におとしているのを見た。そこは喜《キ》みつ子の家であった。みつ子の父は癩病《らいびよう》やみであった。島にはどうしたわけか癩病やみがあちこちに人目をしのんで住んでいた。本土や他の島にある療養所に収容されても、逃げ帰って来て部落の中にひそんでいる者があとを絶たない。島人はそれを見過していて、別にあやしみもしない。狭い部落うちの縁戚《えんせき》関係の系図をこしらえると、身内に癩病やみがいる悲しみは他人ごとではない。みつ子は奈帰仁の女学校を出た。然し今はテル籠の帯紐《おびひも》を額にかけて、蘇鉄の実や唐芋《ハヌス》を運んで歩いている。部落の娘たちはみつ子を特別につまはじきはしない。然し手をつなぐことを恐怖する。恐怖しながら手をつないで島踊りを踊る。あとで小川や浜辺で手を洗う。みつ子の表情にかげりはない。他の島の娘たちと同じようにずず黒く、冴《さ》えない顔色はしている。眼玉もやはりみんなと同じようにぎょろりとしていて、疲労した時のかしこさを漂わせている。掌機雷のマーク持ちの山峡《ヤマカイ》兵曹が、真夜中に部隊を脱出してみつ子とねんごろになった。山峡はみつ子と夫婦になる約束をした。みつ子の母はそのことを部落中に披露した。みつ子の母は公用使で隊外に出ることを許された兵隊が通ると執拗《しつよう》に呼びとめて、茶を飲んで行くことをすすめていたのだ。みつ子の母は既にユタ神がのり移って狂信的な確信の焔《ほのお》でひとみをぎらぎらさせているような四十歳前後の小さな女であった。武《タケ》兵曹長がそのことを部落で聞き込んで来た。先任将校の今泉《イマイズミ》特務少尉が山峡を本部下の阿檀と蘇鉄で囲まれた広場に呼び出して、太い棍棒《こんぼう》で二十ばかり尻を叩き上げ背中をどやしつけた。山峡兵曹はその場にうずくまってしばらく動かなかった。彼は悪性の既にかなり進行した梅毒にかかっていたので日を置いて久根津《クネツ》にある防備隊の衛生科まで注射を打ちに通っていた。彼が気が抜けたようになって自分の兵舎に帰って行ったあとに、キャの木をたん念にくりぬいて作った手製のパイプが落ちていたということだ。今眼の前にみつ子の家が、地面に牡蠣《か き》のようにへばりついて、そこにのきを傾け立っていた。雨戸が頑固に殊更にぴしりと閉じられているように思えた。  新道はすぐ急な傾斜にかかった。尾根筋に出る迄は切り開いたばかりの木の下闇で昼でもうす暗く、坂道のため足もとばかり見つめて歩くので陰気な考えにとらわれ勝ちである。木慈は尋常科二年の桂子がもう一人前の女のように思われて気おくれのような気分を消しきれない。桂子がきどりやさんであるせいかも知れない。小川を横切る時木慈が手をひいてやろうとすると、桂子はそっと宙に浮かせて木慈の手を待った。坂道にかかると桂子ははき馴れない靴を持てあますようであった。家を出る時勢い込んでいつも当然そうであるように母親に靴を出すことを要求した時の、おかしみを木慈はかみしめていた。それは小さいながら、かかとが高くなって、どうみても石ころの多い夜の山道を歩くためのものとは言えなかった。  桂子はすぐその非を覚った。 「たいちょさん。桂子靴を脱ぎたいけれども。靴がいたむといけないから」そしてつとかがんです早くはだしになった。はだしの方がどれ程か桂子に似合った。木慈は桂子の手をひいて坂道を登って行った。道は細くそれは無理な姿勢であった。 「桂ちゃん、おんぶしてやろう」  木慈は突然桂子に背中を与えた。すると桂子はすぐ木慈の背中に負ぶさって来た。その時の間合いはやはり子供であった。両手に一つずつぶらさげた小さなかかとの高い靴が木慈の胸元でゆれた。桂子のいきをこらした気配が木慈の耳のうしろのあたりでひっかかっていた。木慈は桂子に自分が一個のたくましく頑丈な若い軍人であることを示してやりたいと思った。それで歩調を乱さず、のっしのっしと坂道を規則正しく登ってみせた。然しこの道は歩行者を妙にいらいらさせるものがあった。道としての落着く場所が得られていない、いらだたしい違和の感じがあった。そしてもうひとついやな思いをさせられたのは、撃墜された敵の飛行機と共に谷の斜面の或部分の樹木が焼けてしまっている場所を通らなければならなかったからだ。そのあたり一帯きな臭いにおいがいつまでもとれない。機体や翼やエンジンの焼け残り、そして夥《おびただ》しい機銃弾などがまだ散らばって残っている筈であった。久根津の防備隊が大空襲を受けた時であった。山を一つ隔てた千ノ浦ではむらがり寄る敵の飛行機の空中ページェントを対岸の火事さながらに見ていた。その中の一機が、黒い煙を引き斜になったへんな恰好で千ノ浦の方によたよたと高度を下げて来た。防空壕《ぼうくうごう》の入口でそれをみていた木慈隊員は、やられたなっ、と思ってそれを見ていた。するとぱっと白いものが胴体から離れた。妙に緊張した一瞬がそこにあった。然し、その一瞬後に見たものは、その白いパラシュートの傘の部分が機体のどこかに引っかかって、その先につながった人間らしいかたまりがぶらんぶらん空中を引きずられて行く場面であった。その一瞬で決定的な変革が一人の人間の上に起った。ひどく残念な気がした。飛行機はそのままいやな音響を次第に高くさせ大きく弧を画いて真黒な太い煙を残しながら千ノ浦の部落のうしろの方に落ちた。敵機が引きあげてから木慈隊は墜落現場を確認した。丸裸になってぶすぶす燃えくすぶっている人間の死体が一個あった。首はどこに行ったか見つけることが出来なかった。鶏を焼く時のような香ばしい匂いがしていた。掌の一つが脱ぎ捨てた手袋のように手首を離れていた。全体が小さくちぢんで見えたので、二世か支那人じゃないかという者がいた。阿曾《アソ》少尉候補生が手帳型のバイブル解説書のようなものを発見した。Norman Witledgeという署名を探すことが出来た。一枚のカードがはさんであって、ノーマン君の武運長久が祈られてあった。あなたのいとしのメリーよりと書いてあった。死体を縄でくくって棒に通し、部落の榕樹の下の共同墓地に引きずりおろした。穴を掘って死体をその中に入れた。部落のおとなや子供たちが集ってそれを遠巻きにして見ていた。木慈はふとこんなことをつぶやいた、「北枕にしろ」すると福助のような顔をした千ノ浦部落の盛福島《モリ・フクシマ》が、「隊長さん、そんなにまでせんでようごわすが。死んでしまえば仏様に変りはごわせん」とわざと鹿児島なまりを使って言った。木慈は福島の意見に従った。福島は長年博多に住んでいて、現に妻や子は博多に置いていた。彼が何の為にたったひとりで島に帰っていたのか分らない。彼は千ノ浦部落の知識階級だと自称していた。彼の他《ほか》は無知文盲の手合いばかりで無政府のようですと木慈に言ったこともある。六十歳近い年配であった。木慈隊に色々な注文を申し込んで来るのも千ノ浦では彼の他には居ない。隊の火薬で岬の鼻の崖《がけ》を爆破してこの際道を広くして置いて欲しいということや、隊の残飯を部落の豚の食いしろに無料払下げをお願いし度いという類《たぐい》のものだ。然し彼の本心はそれだけでもなさそうであった。彼の頤《あご》は長い人生での雄弁のために十分に発達してしなやかになっているように見えた。近頃福島のやもめ暮しの所に湯湾の与源千代《アタエ・ゲンチヨ》という後家が住み込んでいるということだ。源千代の夫は北海道から流れて来た者で、呂宋《ルソン》丸の火夫であったが、呂宋丸が徳之島沖で敵の魚雷に撃沈された時に船と運命を共にした。木慈は白木の木杭を木工兵にけずらせて、ノーマン・ウィットレッジ君之墓と書いて土饅頭《どまんじゆう》の上に建てさせた。然しその墓標がその土饅頭の上に建っているのが見られたのは一日だけのことであった。その晩何者かの手で墓標は取り去られ、小川の中に打ち捨てられていた。次の日にそれは崖の鼻の所に移されて居り、四、五日ばかりの間にノーマンの墓標はその場所を転々として、揚句の果てにどこに行ったか分らなくなった。武兵曹長が部落から、先祖代々の墓地に敵兵の死骸を埋められては大へん迷惑だと言う者がいるということをきき込んで来た。そしてそういうことを言いふらしているのはどうやらその盛福島であるらしいということも。  敵兵の死骸を思い出したことは木慈を忸怩《じくじ》とした気持に陥らせた。それは埋葬の時の気持の動きにかかわっていた。そのきな臭い場所は、彼の脱げた厚ぼたい手袋のような手首が宙の闇をとび歩き、或いは通行者の頬をなでるような気味悪さをひそませていた。夜の静寂は鼓膜をへんに押しつけて来る。何かの音の聞えて来ることが望まれた。力をつけて靴音高く歩いてみたくなった。あたりはそよとの風もないような気がした。とにかくこの坂道を上りきってしまうことだ。 「桂ちゃん、こんな道はいやだね。毎日学校に行くのは大変だろう」 「たいちょさん、もとの道を、わたしたちに、通らせてくれませんか。桂子この道は、ほんとに好きでないよ」  木慈は返事につまるのだ。「よし駈け足で上までのぼろう」木慈は小走りにのぼり始めた。肺と心臓が急にふくらみ、それは活力の一種のたしかめになるが、と同時に虚脱して行くような無意味さにも襲われる。尾根筋にのぼりつくまで走ろうと心に決めてそれをやり通そうとする自ら設けた束縛を守った。木慈は自分の呼吸がけだものじみて来たことと、汗くささがぷんと鼻をついて来たことを強く意識した。むき出しの呼吸と汗のにおいの中に、桂子は男をどれだけ感じ取れるものか。大事に捧げ持った一足の靴は桂子の生霊とも言えた。桂子がその靴を象徴のように持って、木慈の男くさいいき遣いと汗とに、手きびしい審判を下してしまったのではないかと思った。そのようなことは木慈の子供心にも覚えのあることだ。子供への奉仕の心で一ぱいになったおとなの体臭や口臭にそのおとなの生活の値打ちを封じ込めてしまうようなやり方は、子供の常套手段なのだ。木慈はなるべく呼吸をやわらげ、体臭を出さないように努めた。然し汗は略装のシャツの下でわきのしたを水玉になって流れた。そうしないようにと思うことが阻止しきれないと、逆に木慈をへんに興奮させ始めた。背中にもふき出ている汗が衣服を通して桂子の腹部の洋服にもしみ通ることが予想されるからだ。桂子の体温が木慈の背中を通して感じられ、この場合は木慈の眼は桂子の姿かたちを見てはいない。 「ああ、やっと尾根道に出た」木慈はほっとして叫んだ。桂子は黙っていた。そこには手安から上って来て湯湾へ通ずる尾根道が、長い歳月を人の足にふみしだかれ風雨にさらされて黒くしめりを帯びて長々と横たわっていた。しばらく木立に覆われて展望のきかぬままに歩いた。そこはおのずと道であることを意識しないで道の上を導かれて行くことが出来た。木慈は桂子を負ぶったままでいた。危機を通り抜けたような軽い気分があった。汗のべたつきは一先ず我慢をしなければなるまい。道は平坦であった。どんな木が生えているのかわからないが月の光で、もやがかかったようにいぶっていた。坂道のあえぎがなくなったので、木慈はあらためて桂子の身体の重みを感じた。桂子のお尻をうけて押えている両手の指の先が、やわらかい部分に当っていた。それは蟹の折りたたんだ腹部の部分の手ざわりを思い出させた。それを意識すると、指先があつくほてって来るのを感じた。木慈がわざとだらしなく腕の力をぬくと、桂子はしっかりと身体を木慈の背中に押しつけて来た。 「桂ちゃんの踊りは上手だね」  桂子は黙っていた。「誰にならったの」 「いつの間にか覚えていたのによ」桂子はおとなのような少しへんな言葉遣いで答えた。他人ごとのようにひとみを遠くして答える調子には何となく井介理恵《イカイ・リエ》に似ている所があった。 「慰問学芸会の時は桂ちゃんが一番よかったよ。今夜また先生の所で踊ってお呉れね、利根のお月さんを」 「はい」桂子はまるで素直な返事をした。 「あれは井介先生に習ったの?」 「わたしが前から知っていた。あの先生は踊りはあんまり知らないよ」井介理恵先生が恐らく疑ってみもしないだろうような祝桂子の一個の意見を木慈は聞いたのだ。 「わたしは踊りが大好き。大きくなったらもう覚えていたのによ。奈帰仁でもいつも兵隊さんの慰問に行ったの。奈帰仁のお家には、洋服も着物も靴も下駄も沢山《マンデ》あるの」 「奈帰仁と千ノ浦とどっちがいい?」 「奈帰仁がずっといい。早く奈帰仁に帰りたい」 「桂ちゃんは普通語が上手だね。島言葉もしゃべれる?」 「わたしは、島言葉は知らない。奈帰仁の学校では島言葉はつかわせないのよ。湯湾の学校では、みんな島言葉をつかうから、わたしは分らない」然しそれは桂子の思い違いだ。桂子は普通語をしゃべっているつもりでも、アクセントが島言葉風についているし、言い廻しが島言葉を普通語に言い変えたいくらかへんてこな表現なのだ。それは何としてもおかしな調子を帯びていた。島のおとなたちはそれを自覚して唐芋《ハヌス》普通語とおどけて言っていたのだから。 「豚は何て言う?」「ワと言うよ」「そんなら山羊は?」「ヒンジャと言うよ」「猫は?」「ミャ」「ふくろうは?」「ティコホ」「太陽は?」「ティダ」「お月さまは?」 「わたしは島言葉は知りません、みんな忘れてしまった」桂子は迷惑そうな声を出して木慈の問いかけをなぜか押えてしまった。  ぱっと青海原に泳ぎ出たような開豁《かいかつ》な場所があった。道はそこで尾根からそれて谷沿いに湯湾の部落に下りて行く。月の夜の明るさは、万象に影を失わせその隈《くま》どりが浮上って見えるように思えた。然しそれは錯覚に過ぎない。その明るさは一種抽象的な明るさとも言えた。物の形を見きわめようとひとみをこらすと、初めてこの明るさが闇の支配に服していたことに気がつき、失われたと思えた影は別個の物体のように固く凍りついていることが分った。その場所は外海の方も海峡の方も見通すことが出来た。周囲の見通しが解放されて、木慈と桂子は今更のように大空を仰ぎみた。大空は青のひと色で奏でられていた。それは音響のない色彩の交響楽とも思えた。青ひと色としか言えない表現のもどかしさの中で、豊富な色彩感に充ちあふれていた。月も星も光としては感ぜられずに青の色彩の中で融和し、木慈や桂子の身体の内部にまでしみ込んで来た。其処《そ こ》にはそよ風があった。月夜の峠でのそよ風は自由なはばたきへの誘いをひそめていた。両側にはるかに見下ろせる外海や海峡の海の色が殆んど夜空の青と見分けがつかなかった。請《ウケ》や与路《ヨロ》の島が眼下に浮んでいた。そしてはるかな空とも海とも見境いのつかぬあたりに徳之島の島影があった。それはあると思えばあり、又それは幻影とでも言えそうなものだ。もののけのかたちがそこに凝結していた。するとそのあたりからにぶい爆音が聞えて来るように思えた。木慈はちらと不安なかげりを感じた。留守の隊内で当直衛兵伍長がどんな新しい命令を防備隊から受取っているか分らなかった。木慈のたわけた月夜の道行に賛意を表する者が居るとは考えられない。命令を受取った当直衛兵伍長があわてふためいて木慈を探し求めているかも知れなかった。今頃千ノ浦の木慈隊は隊長が見つからずに、ごった返していないとは保証出来ない。  木慈は立ち上った。桂子を背中からおろし、略装もシャツもぬいで汗をぬぐって道端に腰をおろしていたのだ。桂子は靴を両手に持ったまま、傍にじっと立っていた。木慈は再びその背中を桂子に与えた。桂子は今度は大胆にしっかりつかまった。  道は一気に湯湾の部落に下っていた。木慈は半ばかけ足で下って行った。木慈の身体がゆれるので背中の桂子はとび上るようにはねた。そして二人共何かしら陽気な気分が起って来た。桂子はわざとはずみをつけるようにはしゃいで、自分の頬で木慈の横顔にさわった。麓《ふもと》で近くなり片側の谷間が深くなると、もうそのあたりの谷川沿いのあちこちに部落の疎開小屋が散在しているので人の気配が感じられて来た。高みから急に下りて来たので耳の奥で小さななだれがいくつも起きた。物音が急に退いて遠い気分になった木慈と桂子を逆に聚落の気配が違った物音を伴って取り巻いた。湯湾の部落は百軒程の人家が寄りかたまっていた。部落民の多くはその家を捨てて山の中に引き籠《こも》ってしまったが、やはりそこには人臭さがたゆたっていた。下り道の中頃から聞えていた蛙《かえる》の群の鳴声は部落外れの田圃《たんぼ》の中で湧《わ》き起っていた。小学校の裏の木の茂みのかぶさった急な坂道をかけおりると、もう平坦な部落の小路にはいることが出来た。耳の中で最後のなだれが終り、その蛙の鳴声が怒濤《どとう》のように押しよせて来た。それはすさまじく単調な音響であった。然しそれも月夜の青の大気の中で奇妙に複雑な音響を形造っていた。木慈がひとりで隊の東門番兵塔のある小さな峠の旧道を下りて湯湾にやって来る時も、先ずこの部落の外れの田圃の中での蛙の鳴声にぶんなぐられた。荒海に逆巻く波濤の怒号のようでもあり、ふと田圃の向うの土手道を急行列車が通っているようにも迷わされた。それは部落の入口での洗礼のように思えた。  部落は寝静まっていた。というより空っぽであった。月夜の海端に見捨てられていた。然しそこには部落のたたずまいがあり、用のある時に島びとは部落に下りて来て家の中をがさごそかき廻した。だがなんとなく部落は無用であった。敵の飛行機の攻撃目標にだけしか役立たないものであった。廃墟《はいきよ》ではないのだが人がその中につまっていなかったのだ。道端に捨ててあった蜂の巣のようであった。この間までその巣のひとつひとつに蠢《うご》めくものがつまっていた。それが今はぬけがらになっている。巣を拾った者は巣をひき裂いてみた。と思わず蛹《さなぎ》が一匹つまっていた。井介理恵は部落に残っていた。理恵は祖父と二人暮しであった。トウグラをこわして名護谷《ナゴマタ》の奥の方に疎開小屋を作って祖父をそこに移した。昼の間理恵は学校に出た。然し完全な授業は出来なくなっていた。欠席する生徒が次第にふえて来た。敵機が島の周辺に現われるともう授業どころではなかった。学校から帰ると疎開小屋の祖父の所に行った。そして夜中になると部落の家に戻って来てひとりで寝た。  部落には樹木が多く植わっていた。家々は丈高《たけだか》の竹の生垣に囲まれていた。部落の中にふみ込むと、蛙の鳴声はふっとかき消され、その竹の生垣に両側を区切られた細い道が、ひっそり迷路のように巡っていた。訪問者はその中をぐるぐる廻って歩き、つと竹垣の中にすい込まれる。離れていた時に見えた家々の屋根は、部落にはいると見失ってしまう。木犀《もくせい》科の植物の匂いが部落うちに立ちこめていた。その匂いはすっぱいとも言えた。そして何故かこの部落にはふくろうが沢山棲《す》んでいて、夜中じゅう聞く者の心を滅入《めい》らせるように鳴いた。  木慈はふくろうの鳴声と甘酸っぱい植物の匂いにとりつかれた。木慈がこの部落に引きつけられるのはその鳴声の物音と匂いであった。木慈の耳の底には、いつも何かの物音があった。それは木慈にとって運命的なともいえることのようだ。いつのことか分らぬながら、どこかでその音と匂いに滅入らされていたことがあるように思える。  やがて竹の生垣の道の角をいくつか曲って、二人は理恵の家の庭にはいり込んだ。そこは色んな種類の草花が乱れ咲くままにまかせてあった。落葉は敷かれたまま朽ちていた。その朽葉は露をふくみ物のけの眼のようにあやしげな光を発していた。浜木綿《はまゆう》の太い茎の先についた群れ花が、白くひとの顔のように宙に浮いて見えた。その花の匂いも、すっぱさを含んでいた。ランプに覆いをして理恵は待っていた。湯湾の駐在の有川巡査が木慈にそっと耳うちして、理恵は赤ん坊を生んだことがありそうだと言ったことがあった。  木慈は部屋の中に坐っていた。その部屋は本土風に床の間などもあったが、少し古風に書院窓などもついていた。理恵は別の棟の廚《くりや》で食べ物を用意し、桂子がそのお皿を捧げるように持って運んで来た。廚とこちらの部屋の間には取りはずしのきく踏み板がかけ渡してあった。木慈は手持無沙汰なので煙草を吸っていた。三人共無言でそれぞれの仕種《しぐさ》をした。にぶく爆音がきこえるようであった。木慈の胸に落着かぬすき間風がしのび込んだ。やがて一通り御馳走を運び終ると、理恵も桂子も木慈の部屋にやって来て坐った。木慈はカラカラに用意された焼酎《しようちゆう》をついで飲んだ。理恵はあわてて酌をしようと身を寄せた。すると木慈の身の廻りに理恵の体臭がただよった。それは桂子のまだ持っていない匂いであった。畳の匂いのようでもあった。線香の匂いのようでもあった。それにふくろうの鳴声と木犀科の植物の匂いがからみ合って来た。  木慈は利根のお月さんを所望した。 「桂ちゃん、はい、たいちょさんに踊って御覧にいれなさい」理恵は桂子に命令することに少しも疑いを持っていない気取りすました顔付でそう言った。桂子はすぐ立上って身を構えた。理恵は歌をうたい、桂子はきまじめな手ぶりで踊ってみせた。桂子がこの踊りは自分でいつのまにか覚え込んでいたのだと言った言葉を木慈は思い返していた。  又にぶい爆音が聞えて来た。このままでどうなることなのか。三すくみのかたちをもう一度展開し直してみる余裕はもうなかった。理恵を求めて来たにしては手続が煩瑣《はんさ》すぎた。この島の娘たちに共通な大きな眼のくまどりは、あることをささやきかける効果があった。ふくろうの眼に似ているとも言えたし、牝牛の眼のようでもあった。二人ともその眼を光らせていた。そして冴えないずず黒い皮膚の色も持っていた。木慈は喜みつ子を思い出し、そして山峡兵曹のことを頭に置いた。  木慈は帰ろうと思った。桂子も帰りたいと言った。桂子は理恵先生の所にはいつも泊っていた。でも帰りたいというから来た時にそうしたように負ぶって帰らなければならないだろう。木慈は疲れたと思った。もうひとりで帰り度いとも思った。桂子が泊ればいいのにともちらと思った。縁側の靴ぬぎ石の所で桂子を負ぶおうとした。 「桂ちゃん、自分でお歩きなさい。たいちょさんがたまりませんわ」 「いいよ、いいよ。さあ」木慈は二人の女の方を見た。背中にランプの明りを受けて立った二人の女の四本の足が、レントゲン写真のようにすけて見えた。理恵の二本の足がやせて細く見えた。それは理恵には気付かないことであった。桂子を負ぶって歩き出すと、つと理恵が縁側からはだしで庭先にとびおりて、ぼっと白くほの浮いている浜木綿の群れ花をぼきぼき折って、木慈への贈り物にした。桂子を負ぶって木慈の手はふさがっていたので、それは桂子が持つことにした。その代り桂子の靴は木慈のズボンのポケットにつっ込んだ。しばらくは部落うちの路地を歩き、小川を渡り郵便局や小学校の閉じられた窓ガラスが青く光っているのを横眼に見て通ると、二人は再び蛙の鳴声の怒濤の中に引張込まれた。今度は楽な旧道に道をとった。浜沿いに岬の方にしばらく歩いてすぐ赤土道の勾配《こうばい》にかかった。少しのぼって振向くと湯湾の部落の全貌が眼の下に見えた。夜の底でかや屋根をよせ養分を吸収し合っているきのこか何かのように見えた。小学校の瓦屋根が濡れた唇のように光った。月は中天にのぼっていた。木慈は歌声がきこえて来るように思った。それは気のせいかも知れないが嫋々《じようじよう》と木慈の弱い心にからみついて来た。木慈は理恵の不吉な狂乱の姿を妄想《もうそう》した。ユタ神に憑《つ》かれた理恵が髪ふり乱して夜の浜辺を疾走しているように思えた。山鼻を一つ曲ると、もう部落は見えなくなり、歌声は聞えなくなった。榕樹が気根を垂らして重苦しく立ちはだかっていた。この木の下を通る時には木慈は寒気だった。飯匙倩《ハ  ブ》がとぐろを巻いて樹上に人を待っているかも知れないという恐怖ばかりではない。木慈は桂子を背負っている手に力を加えて、彼女の名前を呼んでみた。彼女のためらうような返事のあとにしばらく間を置いて、「ぼくはね、桂ちゃんがね」と木慈は言った。「大大好きなのさ」そして計量するような眼付をして木慈は、耳を桂子に傾けていた。東門の番兵塔が近付いて来た。桂子はいきをはずませた。然し何も言わなかった。木慈は桂子がふくらみを加えて来たと思った。番兵塔では当直の兵隊が直立したままで木立の闇と向い合っていた。耳の底にふくろうの鳴声がこびりついていた。木慈はその番兵塔の前を通ることに深い気おくれを感じた。然し早くそこに行けば、隊内に何が起っているかが分った。木慈は番兵がどんな様子で立っているかすかして見て、別に何の変化もなかったようにも思えた。さきほどから何にということもなく誘い込まれるような気分に引きずられていると思ったのは、それは桂子が持っていた浜木綿の花の匂いであった。 (昭和二十七年二月)   子之吉《ネノキチ》の舌 「あなた、ネノを呼んで頂戴」  玄関口の二畳の間に置いたちゃぶ台の上で昼食の用意をしながら、妻のナスが四畳半の夫に声をかけた。  巳一《ミイチ》は返事はしないで、すりガラスの戸を広くあけて、隣家の狭い庭の方から家の前の建てこんだ路地のあたりを眺めわたした。  ついさっきまで声がしていた子之吉と近所の子供たちの姿は見えない。  子之吉の声が一番うるさい、と巳一は思っている。  近所の子供たちの中で、子之吉の声が際立って甲高く、よく聞えて来るのだが、そのせい一ぱいむきになっている調子が巳一にはやりきれない。  子之吉は仲間の中でからだつきが一番大きいが、Xなりの足のせいで足もとがふらつき、よたよたして自分のからだを重そうにしている。身軽なこなしがなく、仲間からよく泣かされる。  あいつもおれと同じに弱みそに違いない、と巳一は思い始めている。  姿が見えないので巳一は、あいだの六畳の間を通って二畳の方に行き、 「ネノは見えないよ」  とおこったように言うと、ナスがたたみかけて、 「大きな声でどなって下さい。声が小さいときこえないのよ」  と言った。ナスは呼べばすぐ帰って来るように言う。しかし巳一は子之吉が返事に答えてすぐとんで帰って来るかどうかあやふやなのだ。それに軒を寄せ合った近所の人たちに、自分の声がきかれると思うと、心にひるみが湧《わ》く。(あそこの親子は、そろってむきな声を出す)  ひとに言いつけないで自分で呼べばいい、とちょっと思ったが、朝から晩まで二十日鼠のようにからだを動かしているナス、肩から胸元にかけて肉がそげ落ちて骨の浮いて見えるナス、その姿が眼底に焼きついていて、そうとあらわにも言えず、不満な気持で四畳半に引返し、外をのぞくと、子之吉の姿が見えた。 「ネノ」  わざとへんな名前が近所にきかれてもいいんだといくらか気負って巳一が呼びかけるが、子之吉は振向かない。  しかし明らかに巳一の呼ぶ声を意識して、かたくなに背中を見せている。 (あいつ、弱虫のくせに、へんに横着なやつだ。どうせ仲間の中でものけ者にされているんだから、親が呼んだらすぐ帰ってくればいい)  今日はちょっと気持がこじれていると思いながら、とげとげしくわきにそれて行くのを自分で持ち扱いかねている。  多分股《また》のところの湿った痛みが気分をにごらせているのだろう。いつもどこかが、軽く痛んでいる。そしてそのわずかな痛みに気を奪われている。 「ネノ、ごはんだから帰っていらっしゃい」  五つの子之吉は背中を向けたまま左肩を少し上げた。それが巳一には子之吉のいこじとうつる。  子之吉が何に癇《かん》をたてているのかは、巳一には分らない。ナスと子之吉に言葉をかける時の巳一の口調が、いつもおこったようにきこえるのはどういうわけか。生涯そんなふうで過ぎてしまうとすれば、へんなものだ。  子之吉は巳一の調子を感付いているのかも分らない。巳一の声が自分を呼ぶと、びくっとする。遊びの手もとは留守になるが、すぐその言葉に応じようとしない。がまんして黙って皆中を見せていれば、巳一はやがてあきらめて呼ばなくなる。家のそとまで出張って来て叱るということはない。 「子之吉。返事をしなさい、返事を。子之吉」ちょっと声をたかぶらせたが、思い直したようにやさしい声で、「もう呼びませんよ。ごはんはしまってしまいますよ。いいですか」  そう言って巳一は引込んだ。  巳一がむつかしい顔で戻ってきて、ちゃぶ台に坐ったので、中腰で蠅《はえ》を追っていたナスも、みけんに皺《しわ》をつくった。へんにふけた顔付になった。 「駄目だよ、あいつ」 「居なかったの?」 「そこに居るのに返事をしないんだ」 「どうしたんでしょうね。私が呼んできましょうか」 「いい、いい。勝手にさせて置くといい、先に食べてしまおう」 「とうちゃんのように、そう、むきになったって……」  とナスは笑いかけようとした。  巳一もつられて、つい気が楽になり、 「ややこしいもんだね。とにかく、おれは男の子はきらいだよ」  と言いながら、二人で食べはじめると、子之吉がすっと音もなく帰って来て、玄関の敷居の上に下駄のままあがって、二人の方をうかがった。  巳一は子之吉に横顔を見せたまま、知らん顔をしていた。ナスも夫の真似をして無関心を装った。 「あああ、疲れちゃった」  子之吉は言った。  そして又、「とうちゃん」と尻上りに呼んだ。  巳一が返事をしないので、 「ごはんを食べてみようかな」  子之吉はそう言い、ちゃぶ台のそばにやって来て、どすんと坐った。ちゃぶ台がゆれて、汁がこぼれた。枯葉のむれたような子供の体臭が強く鼻をうった。  巳一もナスも黙っていた。  子之吉は、きゅうりもみを手でつかみ取ろうとした。 「あああ、きたない、きたない。手を洗って来てからっ」  巳一は顔をしかめて言った。  子之吉は手を引っ込め、ぶっと口をとがらせて、台所の方に行きながら、坐っている巳一の頭をこつんとげんこで叩いた。 「何をするんだ」  巳一は色をなして、からだをよじらせたとみると、思うざま、子之吉のお尻を叩いた。  子之吉はがくっと膝《ひざ》を折った。  その眼につとおびえた表情が走った。巳一はその子之吉に愛着を覚えた。ナスがいつか示したそれに似たおびえの表情に、いつまでも心をとらえられたことがあった。子之吉のおびえは一瞬の間であった。殆んど反射的に、ちゃぶ台の上のコップをつかんで、巳一の方にふり上げた。  巳一は眼を据えて子之吉を見た。 「ほうるんなら、ほうってごらんよ。いいからほうってごらん」  子之吉は、瞳《ひとみ》を上の方につりあげて、巳一をにらんだ。  おれの顔にそっくりだ、と巳一は思った。 「ほうれもしないくせに。やるんならやってごらんよ」  子之吉は犬ころのようにうなった。それは近頃子之吉が覚えた不満の現わし方であった。 「どうして、なんにもしないとうちゃんをいきなりぶつんだい」 「とうちゃん、子供にむかって本気になって、やめなさいよ」  ナスが真顔になって言った。 「ちぇ、くだらないやつ。振り上げたんなら、ぶつけたらいいじゃないか。だから泣かされてばかりいるんだ」  子之吉は尚も、うなっていたが、やがて、割れないようにコップを畳の上にほうり投げた。  巳一はほっとした。 「とうちゃんの馬鹿」  子之吉は言った。 「ああ、馬鹿だよ、とうちゃんは」 「とうちゃんの馬鹿」 「ああ、馬鹿だとも、お前のようにお利口じゃないよ」 「あなた」ナスが口をはさんだ。  すると子之吉は、くるっと向きを変えて、ナスの腰のあたりを不意に蹴《け》った。 「痛い、何だろう此《こ》の子は」  ナスが言った。  子之吉は外に出て行こうとした。 「子之吉」  巳一は立ち上った。えんぴを伸ばして、子之吉を次の六畳の畳の上に引据えた。  いったん膝をついた子之吉は、急に顔を真赤にして腕を振り廻し、巳一に手向って来た。 「来るか、この野郎」  巳一は口ぎたなくそう言って、力まかせに子之吉の尻をたたきあげた。てのひらに痛みを覚えた。 (ふと兵隊を並べてなぐって歩いた過去の感覚を思い出した。このことは決して子之吉にとってよい思い出とはならない、と巳一は頭のどこかで考えた。おれは子供の時父親に叩かれたことを長年根に持っていて父親を軽蔑《けいべつ》した)  子之吉は畳にはいつくばり、声をしぼって泣きわめいた。巳一の眼は坐って来た。子之吉は表わしようのないくやしさでひいひい泣いた。しかし眼には、父親の態度に恐怖を感じ始めている色が現われた。逃げ場のないうろたえたからだのこなしがあった。やわらかい、いつわりのない姿態が小さなからだ一ぱいに出た。眼が血走って、にごりを帯びた。  ナスはいきをひそめて見ていた。  子之吉の眼を見て、巳一はもうこの辺でやめようと思い、もう一度、子之吉のあごに手をかけて、仰のけざまに引繰《ひつくり》返した。  子之吉は気がふれたように立ち上ると、自分の廻りをわけもなく何かをきょろきょろ探す仕草をし、ころがっているコップを見つけると、つかみとるなり、やみくもに投げつけた。  コップは巳一のびんをかすめて、たんすにあたって砕け散った。巳一は子之吉の襟首《えりくび》をつかむと、猫の子のようにつるし、もうよせ、もうよせという何者かの声をききながら、二三回振廻すと、畳の上に投げ落した。そっと手加減をしたつもりだったが、子之吉は、ううっと、へんなうめき声を出し、そのままうずくまった。  巳一はしばらくぼやっと、うずくまって静かになった子之吉の小さなからだを見下していた。  それから、はっと気をとり直し、祈るような気持で、子之吉の顔を起してのぞき込んだ。  子之吉は、きょとんとしていた。  巳一は子之吉のあごに手をかけて、口をこじあけてみた。  舌がぶらっとたれ下って来た。 「おい、ナス、いけない。舌をかんでいる」  ナスは蒼褪《あおざ》めてさっと立ち上った。  巳一の頭の中で、時の流れがぶっつり切れた。 「早くしろ、早くしろ」  とあわててしまっている自分をもどかしく、何を早くしろだか分らないが、ナスと自分をせかしながら、巳一は四畳半の自分の部屋にはいって、外出の洋服に着換えようとした。  ワイシャツがうすよごれているな、と思いながら、どうしていいか分らず、ネクタイを首に巻きつけてうまく結べず、いやこんなことはどうだっていいんだ。今すぐしなければならないことはもっと別のことだ。子之吉、舌をのみ込んじゃいかんぞ。しかし子供は自分のやろうとしていることがどんなことか分らないのだから困ったもんだ。ぶらぶらして気持が悪いものだから飲み込んでしまうかも分らない。そうすると死んでしまうかな。そこの所は一体どうなのか。舌を噛《か》み切ると死ぬというのは俗説ではないか。外傷と同じわけだから手当をすれば何のことはないだろう。そうだ、早く手当をしなければならない。  噛み切ったのは三分の二ばかりだったろう。いや、もっと少なかったかも分らない。色つやの悪い気味の悪い物体がちょっと切れた位で……。血は出ていなかった。血が出なければ死ぬ筈はない。死ぬのは、のどにまくれ込んで呼吸がつまるからだろうか。 「ナス、早くしないといけない」  子之吉は一声も泣かない。少しは泣き声を出してくれたら助かるのに。  もう自分の役目がすんだようにけろりとして、おとなしく、ナスがよそ行きの洋服を着せるままになっていた。 「ナス、恰好なんか、どうだっていいんだ。早くしないと……」巳一はそう言って、あとは口をつぐんで、「問に合わないかも知れない」という言葉をのみ込んだ。そしてなかなか結べないネクタイをいつまでもいじった。腕の力が抜けて、指先の感覚がにぶった。  子之吉が可愛い、という気持がぐっと来た。どれ程家の中でさわぎ廻ろうと、ごはんの時に帰って来なかろうと、何だというのだ。  ひょっとすると、既に死にかかっているのかも分らない。あの時、ほんのちょっと、自分をおさえて、ほうり出す代りに、頬ずりしてやればよかった。巳一が酒をのんでいる時は、いつも頬ずりをしてやって、子之吉ははしゃいで巳一にまつわりついたのだ。「よっぱらい、よっぱらい」おどけた恰好に手を振って、足ぶみしながら部屋の中をとんで廻った。子之吉の二の腕とお尻の肌ざわりが気持よくて、さすってやると、子之吉は巳一にすりよって来た。  だが、ほうり出さなければ、ここの所はいつまでも分りっこない。やはりこのへんてこな不安の中に巳一は頭をつっ込まなければならなかったのか。  こんな簡単な医者の知識すら、おれにはない。それで、まるでお先まっくらで医者のところにかつぎ込まなければならない。 「とうちゃん、廊下とお台所のかぎをかけて」  ナスはす早く自分も着換えをしながら言った。 (子之吉は別に異常を示さない) 「お部屋のかぎもね。そして子之吉の靴を出して頂戴」  ナスに命令されると、巳一は身のこなしがす早くなり、その通りにした。  もう一遍子之吉の口をこじあけて、舌の具合を見ようと思うが、おそろしくてそれが出来ない。額に手のひらをあててみたが、熱はない。  少し大げさに考え過ぎているのかな、と思ったりした。  玄関の戸締りをして外に出ると、子之吉はふだんのように元気よく歩き出した。 「子之吉、舌をのみ込んじゃいけないよ」  巳一は子之吉の顔をのぞき込むようにして言った。  ナスが巳一を少しも責めないのも落着かぬ気持だ。  いつもこういう時にナスは気丈になるんだ。おれは、から意気地がなくなってしまうんだ、と巳一は歩きながら思っていた。 「子之吉、とうちゃんにおぶさるか」  道にこごまって背中を向けた。 「大丈夫、ひとりで歩きなさい」  ナスが強く言った。 「大丈夫かい?」  巳一がナスの顔色を窺《うかが》うように言った。  ひょっとして、ナスは子之吉の気持が、がくっとならないように、わざと強がっているのではないか。だが子之吉は死ぬかも分らないじゃないか。  三人はピクニックにでもでかけるように電車に乗った。乗客が何事もなく坐っている。  子之吉が気持悪がって、舌をのみ込んでしまいはしないか。今にも眼の前で、がっくり首を垂れてしまいはしないか。電車の動揺でまだつながっている部分まで噛み切ってしまいはしないか。巳一は気が気でなかった。それにしても、子之吉が舌を噛む前とあとで、こんなに空気の密度が変って感じられることが不満であった。一体どうしたというんだ。それまでまるで気を奪われていた股の不愉快な痛みが何でもなくなっていることにも不満を感じた。別に世の中は何も変っていないのに、自分はその時その時で、気持を奪われてしまう不安な違和の感じをいつも持っているということから脱け出すことが出来ない。  いっそのこと、何もかも、ざっくりと切りとられてしまえ。子之吉もあの時勝負がついていたらよかったのだ。と思うすぐあとで、自分のからだの一部がごそっと空洞になるような寂しさに襲われた。  子之吉は、自分の運命を悪びれずに受け取っているように見え、言いようなくふびんが加わった。  別に子之吉の様子に今までと変りのないことが、巳一には却って、子之吉が親たちのどうにも手の届かぬ場所を、どんどん歩いて行ってしまうように思えた。きょとんとした顔付で。何故《な ぜ》巳一があれこれと思い患って、気持をあがいてみせるのか、けげんそうにしているようにも見えた。  巳一とナスは相談したわけでもないのに、大学病院に行くことに二人ともきめていたのは、日頃のナスの考えが影響していたのであろう。  大学病院は設備がよく、立派な専門的な医師が沢山居るとナスは思い込み、巳一はそれはただ事大的な考えに過ぎないなどと言いながら、本当は医師のよしあしなど分るわけがない。まるであてものみたいに殆んど偶然で具合のよい医師に出くわせば気持が安まることになろう。いざというと、まるできめられたように大学病院の方に足を向けていたのは、多分そこでは無茶な医療費は取らないだろうという気持もひそんでいた。  所で巳一はその医療費のことで、はたと戸惑っている。  やっと今月はどうにか暮せるという状態のところであった。巳一には定職というものがなく、その時に応じて雑多の文章を書き、それを売って金を得ている。差し当って今思わぬ事故のための余分の出費の蓄えがなかった。  巳一は心積りで、昔の仲間のBのことを考えていた。  Bの名前はこの頃、名の売れた雑誌でよく見かけ、文筆の渡世で一種の安定圏にはいり込むことが出来た、と巳一は思っている。自分の気持を振返ってみると、世間でBの名前に安定感がつき出した頃から、巳一はBから遠ざかり出した。その頃からBはつまらなくなったからだ、と言いきかせる裏に、自分の心のいやしさもあると思った。とにかく、方向の決った人には興味を失ってしまうんだ、と自分の心の緒をそれとなくくくってしまって、Bにさよならをしたつもりでいた。  しかし、今Bのところに金を借りに行かなければならない。Bの所以外に、あと先の説明をはぶいて、手取早く金を借り出せるところがありそうにもない。 「ああそうだ。ここでちょっと降りよう」  電車がC駅にとまったとき、巳一がそう言って、あたふたと、子之吉の手をひいて車を降りた。ナスは半ば期待していたように、逆らわずにあとについて降りた。何にも言わずに黙ってついて来た。  巳一はナスと子之吉を、街かどに待たして置いて、自分ひとりでBの家の方に歩いて行った。あたりは前によく遊びに来た頃のままで、此処《こ こ》には二度とやって来るものかと、熱っぽく考えていたことが、今となっては少しずれて滑稽に思えた。  玄関で案内を乞うたが返事がないので、前からの習慣のまま巳一は黙ってずかずか中にはいって行き、Bの居間のドアに手をかけようとした。 「だれ?」  Bの声がした。  巳一は思わず立ちすくんで、気持が萎《な》えた。 「おれ、おれだよ」  立ちすくんでいるのも業腹な気がして、思いきってノッブに手をかけてドアを開いた。  昼間だというのに窓に覆いをし、蚊帳をつって寝ていた。女の気配もあったので、巳一はあわててドアの外に出ようとすると、Bの声が追っかけて来た。 「ああ、君か」  既におれには無関心だと、巳一は思った。  素早く蚊帳の中をたしかめると、巳一の闖入《ちんにゆう》で起き上ってはいたが、その時まで、Bともう一人の男が、Bの細君をまん中にして、「とんび」をやっていたに違いないと見た。もう一人の男というのはEであった。  益々《ますます》具合が悪い、と巳一は思った。  Eは巳一がBに紹介した男だが、今では殆んどBと同じように調子よく行っている。  今はBに金を借りに来たのだ。  そこにEも居て、而《しか》も「とんび」をしていたということは、巳一だけ取り残されてひとり相撲でひねくれていたのに、さびしくなったものだから又のこのこ頭をたれて出て来たという恰好があまりにぴたりときまったようだ。EがBにこんなに接近していたとは意外だ。「とんび」というのは、仲間の家で泊るときには、その家の細君をまん中にして、ざこねをすることにしようじゃないか、と冗談とも本気ともつかず話が出た時に、誰言うとなく、くっつけられた合言葉だ。 「やあ、あなたでしたか。久し振りです。どうぞ、どうぞ」  Eはそう言った。  巳一は破れかぶれの気持でつっ立っていた。(少くとも彼らは今世間から迎えられている)BにもEにもそれ程悪意があろうとも思えないのに。  すみで身づくろいしているBの妻を、視野の外に艶っぽく感じた。前は、田舎くさいのに自信をぶら下げていて、巳一には少しも興味のない女と写っていたのに。 (おれはBに金を借りに来たのだ) 「B君、B君、あのね、おれ……」 「分ってる。分ってる。ちょっと待ってくれ」  Bは明るい調子で言った。  巳一は、早くしてくれ、子之吉が今死ぬかも分らないんだ……とはどうしてか言えない。死にかかっている子供が歩いて来たということが何か矛盾していると思う。だが何をしているんだ。金のことなど、どうだっていいんだ。何よりも子之吉を医者の前に出して手当をして貰うべきだ。その外のことは一切そのあとのことだ。何をぐずぐずしているのだ。子之吉のいのちに関することなのだ。何をつくろったり、とまどったり、擬態をしているのだ。(Bたちをおれのがわにまき込むエネルギーがどうしても出て来ない)巳一はうなだれて、玄関先に腰をおろし、靴をはきにかかった。紐《ひも》が結べない。どうしていいか分らない。どんどん時はたち、子之吉の運命は決定されてしまう。 「あなた、いつまでも何をしているの」  ナスがけわしい顔付でのぞき込んだ。 「手おくれになってしまうじゃないの。何をしていたの。話はすんだの? あたしは待ちきれないから、そこの小学校の医務室に行ってたのんでみました。すぐ手術をしてくれるそうです。時間の問題だそうですよ。もう大学病院に行っているひまはありません。そこでやって貰いましょう。あなたが来てくれなくちゃ。あたしひとりでは心細い。都合よく先生がいらして、やってくれるそうです。あたしがたのみました。すっかりやってくれるそうです。病室もあるから、当分そこにはいっていてもいいと言ってくれました。早く来て下さい」  ナスが一気にしゃべるのを、巳一は頭を垂れてきいていた。  手おくれになることを一番心配していたのに、おれは何ということだ。またナスがすっかりやって呉れた。いつもそうだ。大事な時におれは何も出来ない。ナスがすっかり処置をする。こんな大事な時におれはBたちに神経をからませる遊びをしていた。  巳一はナスに連れられて、そばの小学校の門をくぐった。 「そうか、よかったよかった。何も大学病院でなくてもいいよ。しかしうまく色んな設備があってよかった」  子之吉が職員室のドアのかげから巳一の方を見つめていた。  部屋が幾つもあるのが珍らしく、ドアをあけたりしめたりして嬉しそうに見える。ただ口を固くつぐんでいる。あれが、そのまま放って置けば死んでしまうのか。わが子ながら殊の外可愛げに見え、こいつが舌を噛み切ったというのは冗談だったのではないか。 「ネノ、舌をのみ込んじゃいけないよ。いいかい、のみ込んじゃいけないよ」  巳一が言うと、子之吉は利発そうにうなずいた。額に手のひらをあててみると、火のようにあつい。 「こいつは、いけない。ナス、早くやって貰おう」  やはり確実に症状が進行しているらしいことが恐ろしく思えた。  もう、ずっとずっと昔から子之吉のおしゃべりをきいていないように錯覚した。子之吉の声は、近所の子供たちの中では際立って、澄んでいた、と今はそう回想した。何かがこう寂しくさせる。  巳一は子之吉の手を引き、医務室にはいって行った。  ぶっきら棒な態度で、白い上着をひっかけた男が、手術場の準備をしていた。  巳一もただ黙って傍で見ていた。  別に手術台というようなものもないので、散髪用の椅子を電燈の真下に据え、その周囲を白い布で囲った。  手術する現場を親たちに見せないつもりなのだろうか。  準備は程なく終った。 「坊や、こっちにおいで」  その男は子之吉を呼んだ。  子之吉は悪びれずに、椅子の方に行った。  巳一はほっと肩をおろした。手術椅子に固縛するまでに、ひと苦労して、ふびんな思いをするのではないかと心配したのに、子之吉は、すっかり合点して、むしろ突進するような具合に手術に身をまかせようとしている。 (少し物分りがよ過ぎる)そんな心配が湧いた。  もう一人の男と看護婦らしい女が、いつの間にかはいって来た。 「私たちは見ていて構いませんか」  三人の誰にと言うことなく、巳一がきくと、 「ええ構いませんよ。ただちょっと、むごたらしいかも分りません。それでもいいですか」  躊躇《ちゆうちよ》しながら、巳一とナスはそばに居た。  電燈が明るいものと取り換えられ、その場面だけがきつく、あかりに区切られた。  椅子にしっかりくくりつけられた子之吉が、大きな眼を開いて巳一とナスの方を見つめていた。 「口をあけて」  最初の男が言った。  子之吉はつぐんでいた口をあけた。  巳一とナスもずっとからだを近付けて、子之吉の口の中をのぞき込んだ。  舌がすっかりふやけて見えた。何故か白い紙片のようなものが、一ぱい口の中につまっている。これは何だろう。むしょうに気味の悪いものに見えた。子之吉が自分で何かつめたのか。男がピンセットでそれをつまみ出すと、一緒に舌が、ぶらっと口の外に出た。 「ああっ」  思わず、巳一とナスが異様な声を出した。  見てはいけないものの、実体を、まざまざ見てしまった恐ろしさで戦慄《せんりつ》が背筋を走った。自分で出した声に巳一とナスはおびえた。暗いがらんとした部屋の中で悪い眠りから覚めたような思いがした。  手術着の男も、その瞬間、からだをふるわせたのが、巳一に分った。  舌の切れ口の所から白い筋のようなものが幾本も出ていたのだ。(初め、そんなものは出ていなかった。一体何だろう。絶望的な気持が巳一を襲った)  手術者は軽く舌打ちした。  そしてもう一人の男を省みた。 「あんた、やって下さい。あたしには責任が持てない。これは単に舌を噛み切っただけじゃない。……を起している。(そのドイツ語は巳一にききとれない)この……を(それもききとれない。多分白い筋のことらしい)一本一本結接することに失敗したら、先ず絶望だね。あたしは単純な切断だと思っていた。これではあたしは責任が持てない。あんたはここの責任者だからお任せします」  別に顔色を変えるでもなく、その男はそう言った。  巳一はもう一人の男の顔をうかがった。  もう一人の男は当惑した表情を露骨に出していた。  ナスは唇をふるわせていた。 「あ、あなたたち、控室の方に行っていて下さい。手術がすんだら知らせます」  最初の男は、巳一とナスに向って言った。 「ナス」  巳一はナスに眼まぜで合図したが、ナスはうつろな眼付で気がつかない。 「おい、ナス」  巳一は少し強い声を出した。 「え?」  ナスは巳一の方を見て、はっと正気付き、 「え、はい」  とふらふら、巳一について、控室の方に引移った。  子之吉が、首だけ、二人の方に動かして、血走って来た熱っぽい眼で、じっと見送った。  やっぱり、来るべきものが来た。  どこか、おれがいけなかったところがあるから、こうなってしまった。どこがいけなかったのだろう。どこで間違ったのだろう。巳一は、濁ってしまった頭の中で、こうなったことの筋道をたぐろうとしたが、どこでどうなったのか分らなくなってしまった。  どこかで、おれは間違ったことをしたに違いない。巳一はそのことを何度もしつこく繰返して考えるだけで、その先に考えは一向進まない。自分のして来たことの順序が、あと先無茶苦茶になって、ぐるぐるどうどう巡りをして、ときほぐしようもない。  ナスをたよりなげな可哀そうなかたまりとして、皮膚一ぱいに感じながら、巳一は、ちらと、子之吉が死んでしまってからの、奇妙な愛着と責任と煩瑣《はんさ》から解放された、静かな家の中を想い浮べた。 (子供がいなければ、あの小さな家でもそんなに狭くはない)ナスも力を落して病気で死んでしまったらおれには別の生活がやって来る。(おや、おれはいつかも、どこか医者の控室でこんなことを考えていた。その時も、そばでナスが泣き伏していた。おれは、どこか自分の小さな痛みに気を奪われていた)  巳一は、はっと気をとり直した。  何を考えようとしていたのだ。  物を言わない子之吉の眼が、巳一にあつくささって来た。(よっぱらい、よっぱらい、拍子をとりながら子之吉が、部屋の中をはしゃぎ廻る姿、やわらかいお尻、二の腕のゴムまりのようなはずみ)  控室の戸を看護婦が開けた。 「手術がすみましたよ。坊ちゃんはお元気ですよ」  看護婦は明るい声で言った。  ナスはとび出して行った。  手術椅子のそばに子之吉が、ぼんやり突っ立っていた。 「ぼうや」  ナスは子之吉をつかみ声をあげて泣き出した。肩も腰も小さく、スカートから出た二本の足が細く、全体がみじめに見えた。  巳一はからだの力がすっかり抜けてしまい、うわのそらで子之吉のそばに歩いて行った。  医師たちは、黙って手術の道具を片付けていた。  巳一はそっと子之吉の口をあけてみた。  とにかく縫い合わされて、もとのようにくっついていた。  気のせいか、まん中のへんが、いくらか食い違ってぞんざいなふうに見えた。 (これでいいのかな。これでいいのだろうか。又あとで障害が起って来るのではないか。医師に言ってみようか。今言えばまずいかな) 「よかった、よかった。ぼうや、よかったね。先生にありがとうを言いましょうね」  ナスはうわ言のように繰返してそう言った。  巳一は子之吉の手術が完全に成功したとは思えない。きっと先々面倒な災厄が子之吉の身の上を覆うに違いないだろう、と思えた。そして自分の股のあたりも、はっきりしない湿った痛みが、又ずっしり拡がり始めたことに気がつき出した。  が、とにかく、子之吉の当座のいのちは取りとめた。戸外は明るく、太陽が輝いている。 (昭和二十八年十月)   むかで  深い川が流れている。場所はT市の西北隅に当るY町だから、深いと言ったのは人里はなれて奥深いというのではない。川床が深いという意味だ。橋はかかっていない。かけるとすれば吊《つ》り橋でもかけるほかはない。その左岸の急な斜面が、にぎやかな温泉地帯になっている。向いの右岸にも人家がないことはないが、それは傾斜の畠をたがやすための百姓家だ。先《ま》ずもの静かで明るい、見た眼にむくむくした山肌と樹木の緑と、そのそよぎがそちら側にある。  こちら側はごみごみした歓楽の町。にぎやかと言ってもいいし、わびしいと言ってもいいが、とにかく一個の温泉町が、石だだみで鋪装《ほそう》された勾配《こうばい》の強い細い一本道の両側に、すき間なくひしめき合っている。が、ものの十五分も急いでかけ下りれば、アスファルトの広い街路があり、白い西洋建築の建物があり、ロータリーがあり、市街電車が通って、そして自動車が流れるように走っている都会のただ中に出る。見えはしないが都会の気配がただよって来ている。  狭い一本道はまるで迷路のように曲りくねり、遠くまでの見通しはきかない。到る処《ところ》に石段がある。城郭のように古い堅牢《けんろう》な艶《つや》光りのする木造家屋が、行く手に覆いかぶさる。そしてこの狭くて勾配のきつい石だだみの坂道を、上り下りする人が多い。ほとんど下駄をはいている。石にきしませる下駄のひびきが頭脳にささり、時に耳に不快に伝わる。いや必ずしも不快ばかりでなく、それはそぞろ心を持つ者に官能への誘いの呪文《じゆもん》のようにもきける。  両側に重なるように並んでいる家々は、すべて宿屋か料理屋といっていい。でなければ、土産物を売る店、各種の飲食店、酒場のたぐい、遊戯場、理髪店など。  一体この石だだみの坂道をのぼり尽したところには何があるのか。ぼくにははっきりしない。多分霊験あらたかな古いお宮かお寺でもあるのだろうと想像はされる。ここを肩をすり合わせて往き来する人は、その頂上の何かに参詣《さんけい》する善男善女たちででもあるのか。それも分らない。  或いは何もないのではないか。のぼりつめたところには何もない、深い暗い森に囲まれた闇だけがあるのではないか、と考えられなくもない。  そこをひとりぼっちでのぼって行く自分をぼくは発見する。気持が弾んでいることが分る。麓《ふもと》の都会の中の、どこかに、自分をしばりつけ押しひしごうとする何かがあるという記憶が緒をひいているが、とにかく現におれはここを歩いているのだという弾みが感じられる。  ぼくはそこのM屋という温泉宿で大事にされたような情緒の名残りがある。父と一緒だったようにも思う。大事にされたのは、ぼくではなく父の方であったかも分らない。  一人の女がぼくを見て、父に言ったものだ。 「へえ、このひと、あんたのぼっちゃん?」  その言葉ははっきり覚えている。不自然な位親しげにぼくの顔を見つめたのだ。今し方、寂しい小さな駅を下りて、その人気のない待合室を捨てて古ぼけた乗合馬車で暗い田舎道をやって来たばかりだ、というような、別にそうしてやって来たわけでもないのに、そんなうすら寒いわびしい気持があった。  鼻筋が通って目元もすずしいのに、笑うとそっ歯でみにくく歯ぐきが出る女だ。  いつかそう経験したことの調子が、消えやらぬエネルギーのような具合に残っている。  それが何かに触れて甦《よみがえ》ると、記憶が深い沼の底から、しゃぼん玉のように頭をもたげて来る。つかみ害《そこな》うと、ぷすっと破裂して消えてしまい、もう手がかりがつかない。  頭脳やからだの内側にたれ下っている夥《おびただ》しい消えやらぬエネルギーの気根のいくつかが、万華鏡《まんげきよう》みたいに微妙な組合わせで或る型をとるときに、Y町を歩いている自分に気付く。  両側の家は、旅館も料理屋もみんな門口が狭い。しかし奥行きはかなり広い。小さな入口のために、はじめちょっと頼りない気持になるが、玄関の間のつい立てを廻って中にはいって行くと、なかなか複雑なのだ。土台の地勢が平板でないせいか、あちらこちらとやたらに中途半端な階段が多い。二階というのでもなく地下室というのでもないような重なり合った秘密臭い部屋が無数にある。長いうす暗い廊下がどこまでも幾重にも折れ曲って続いている。おそろしく急な長い階段につき当ることもある。  だが、そこはぼくだけが知っている場所、というのではない。そこの酒場などで文学グループの仲間たちと(彼らより他には人間づきあいを持っていないので、そこからしか世の中を知ることができないのに、ぼくは彼らから逃げよう逃げようとしている)ぶつかることも稀《まれ》ではない。そういうときはいつも宿命的な気持になる。彼らとの関係の外にはみ出ることは既に手遅れになってしまっているのではないか。それでいてお互いに突っ張り合い、しかもぼくは仲間から外されるために彼らからチェックされてしまっていると感じている。  たとえばこんな具合に——  そこの酒場の一軒である「黒猫」にある日出向いて行った。  仲間たちからはがきで会合の通知をもらっていたからだ。自分は役立たないと思うが、やはり役立っているんだということを確かめに行く。勿論《もちろん》(へんな話だが)時間通り始まる筈はない。自分にしたって遅れて行くのだが、又時刻通りに行ってもみる。 「黒猫」ではどういうわけかテーブルの上に椅子をみんな上げてしまって、女給たちもまだ来ていない。来ていないのではなく帰ってしまったのかも分らない。そしてSが居て、「ああ今日の会合は延期ですよ」と、こともなげにそっぽを向いて言った。彼はフルスキャップを広げ、赤インクで罫線《けいせん》を引いていた。いつもなら、そうですか、と言って黙ってそのまま帰ってしまうところだ。会合は二時間おくれて始まるか、事務局の都合で延期されるか、そのどちらにしても珍らしいことではないし、ぼくもそのつもりで出掛けて行き、(郊外のKに住んでいるから、そこに行くには二重にてまどるが)それを確かめれば、むしろほっとして帰るわけだ。  ところがSだったので、つい親身ぶって、「え? 延期だって? わざわざKから出て来たのに」とうらみがましい言葉を出してしまった。実のところ、そう思ったわけではなく、そう言って彼を気楽にさせてやろうと、自分を偽ったのだ。 「えらく恩きせがましいですね」するとこうSが言った。「ここは余分の椅子がありませんから、そのつもりでいて下さい」  テーブルの上で逆さにはなっているが沢山ある椅子を見ていても、それが自分に使えるというふうには理解されない。  どこかで間違って役所か銀行かそういうふうな所に来たのではないかという気持におちいる。 「そう、椅子なんかいいよ、立っているから」と言ったが、どうにも手持無沙汰で、「じゃあ」と思いきりよくSに背中を向けて外に出た。  しかしほんとはSと、もっとそんなふうにではなく話し合いたい。Sもそうに違いないと思うが、他の仲間の誰かを意識して、こんなふうにぼくを扱ったのだろうか。  思いきりよくと言っても、実のところは少しも思いきりよくはない。入口のところで、思いきり悪く、うじうじして彼が出て来るのを待っていた。もう少し何とか話し合って、別れ際を心残りなく調節し合って、というようなことを考えていたのだが、これはぼくの性質の中でも最も弱い部分だ。入口でSの出て来るのを待っているというてはない。しかし待っていた。  彼が出て来た。もう一人仲間がついていた。(名前を思い出せなかったが)それはどこに居たのだろう。たしかさっきはSだけだった筈だ。いや居たのかも知れない。それが自分の眼にはいらなかったのか。そのへんの確からしさを失っている。  とにかく仲間をもう一人認めると、ぼくは又固く心のふたをしめた。  Sがにわかに、ひとすじ縄では行かぬ人物に見えてきた。心の底で多少彼を軽んじていたぼくは、胸うちに焼きを入れられた。  もうSとはさよならだ、と思った。しかし彼の背後には幅広く世間が重なり、おれははじき出された、という気分が重苦しくあとに残るのはどうしたことか。  ぼくは自分の本心を、(もしかしたらこうではないかと、古井戸をこわごわのぞく恰好で)のぞいてみた。ぼくはSから、仲間の中で実はあなたが一番好きだということを、ききたかっただけなのではないか。  彼を失った(とひとりぎめするわけだが)胸の空洞は、しばらくはそのまま、ぽかっと空《くう》になったままで、埋めようがなく、その寂しさをがまんすることについては、からっきし駄目だ。  又こんなこともあった——  やはり仲間のひとりTと、石だたみのその狭い坂道を歩いていた。  行き交う人々と狭い道筋なので時々はからだをななめにしなければ具合が悪い。  Tは何かむつかしい言葉で、当面の文学的論争の中心点、というようなことをしゃべっていた。  ぼくはそのことが理解出来ないので、彼の言う所をよくきこうとするが、Tは天にうそぶくような調子があり、断乎《だんこ》と男性的とぼくには受けとれ、自分は頭脳も精神も思想というようなものもかたまらず、からだごと骨抜きの章魚《た こ》の類《たぐい》のように感じ出し、始末におえぬいらつきがあった。肩をななめにしてすりぬけ合う人々の、通りすがりのむっとする押しつけがましいエネルギーが、Tの筋の通った意見と重なり合うと、益々自分の姿勢と意見がぬらぬら崩れて来て手に負えなくなる。そのままでは支えられないが、そこには限度があって、からだの崩れをやくざないなせなからだつきで辛うじて受けとめることができると、思い込もうとする。尤《もつと》もそれには放棄した卑下の要素がかなりはいる。同時に、この野郎! 何かに寄っかかってかさにかかりやがる! という構えができ上る。こちらには働きかけるつまさき立った格好がないから、働きかけてくる彼の啓蒙《けいもう》の言葉を容赦なく叩き棄てることもできると、ほぞをくくる。  Tは言った。「××(と彼が以前夢中だった或る小説家の名前をあげて)もさよなら、○○もさよなら。そして……」 「わかった、わかった、そして木根(とぼくは自分の名前を言い)お前もさよなら、だろう。さよならするもしないも、土台君とぼくとはこんにちはしたことがあるのかい」これは既にうわのそらのいやがらせだ。彼が鋭く現実をむしって斬り捨ててしまう剣幕にぼくは恐怖して、ちょっと眼がくらみそうになる。しかしおれが今斬り捨てられてしまうにしては、どこか省略されたぞ、おれは民衆の前での裁きを要求するのだ、という想像図を頭の隅でこしらえる。そのとき恐らくぼくは敗北に終るだろうということは問題ではない。誤解のつみ重なりの上で、大ぜいに鞭《むち》うたれることが必要に思えると考えているに過ぎない。  彼は人なつこい顔付きをして、 「おれはお前のように中和できないんだ」  と言った。それがどういうことかぼくにすっかり分ったわけではない。中和という言葉の彼の真意もよく分ったわけではないが、見下げられたという感情が勃然《ぼつぜん》と起り、つい符号のような返事をする。 「酸化してるのだからいいじゃないか、君の方は!」 「君はシンが強いのだから、長生きしろよ」  するとぼくは逆上したのだ。「ふふん、君たちこそ」  もうどうでもいい気持になり、からだをTやすれ違う誰彼にぶつけても構わぬふうに、よろけてふらふら歩いたりした。  この時は逆に、いつか「黒猫」でぼくがSに感じた人なつこげな気持を、Tが持っていたに違いないことは考えられる。  お前ともさよなら、とたとえ言われたにしてもそんな言葉はどうでもよかったのだ。言葉の表面でではなく、もう少し底に沈んだところで、この仲間はぼくに何かを語りかけてきたのかも知れない。多分そうだ。それはぼくが「黒猫」でSに向っていた時の気持から推しても分る。ぼくはSにあやまってもいい(何をあやまるのかははっきりしなくても)とさえ思っていたのだから。  しかしTに返事をしたぼくの口調は、噛んで捨てるような苦々しいものを含んでいた。いや益益自分がそういう演技にのめって行くのをどうすることもできない。仲間うちで自分ははじき出されているというなやましい考えは、ぼくの心にしつこく巣喰っている。  ぼくが住んでいるKは、郊外電車に乗ってT市から小一時間ばかり離れた小さな田舎町だ。  そのKでぼくは日常に埋没している。そのまま生涯を終ることを或る日決心した、と言ってみたいが、そのごまかしはすぐはがれてしまう。しかしその決心みたいなものを出来るだけ訂正しないでもいいようにと、受身で頑《かたく》なになっているから、つきあいがこわ張ってやってくる。こわ張るもこわ張らぬも、むず、と手当り次第つかみとればいいのだと、突然たまらなくなり電車に乗ってT市に出て行き、又は更に足をのばしてY町の石だだみの坂道をのぼりはじめる。結局もとの仲間とのつきあいで、自分の硬化した皮膚がつき破られるかと期待するが、いつもあのように成功しない。傷口はやがて癒《い》えてしまって皮膚は一層かたくなる。それをつき破りたいという願いはせつないが、報われるだろうかということは望みがうすい。望みのうすさ加減は、かつての押しつけ戦争のときのほんのちょっとした経験を持ち出してもいい。外目に鉄壁のように見えた軍隊の統制と偉大が、もぐりこんでみると、一個の小さな部隊長の性格のかたよりにすっかりもたれかかっていたのではないかという疑問は覆うことができない。こんな曲りくねった言い方でなしに言おう。ぼくがその指揮官の地位を冒していたある部隊が、まるで一個の人間のように、ぼくにそっくりな性格を持ちはじめていた。そのことに気付いた日からの、軍隊の機構によりかかったあの徒食の生活は、ぼくをより一層けちな懐疑者に仕立ててしまったではないか。部隊という、つかみ所のないものが、生きもののように生《なま》ぐさい性格を持ちはじめるということは、不気味なことに思えた。しかもそれは指揮官を取り替えなければ、その部隊の持つ淀《よど》んだ皮膚はつき破れない。そしてその指揮官はぼく自身ではないか。ぼくはどの違った部隊に移し替えられても、その替って行った先々の部隊に、自分を包みこんでいる皮膚をかぶせこんでしまうことから脱れられない、と思ったときに、望みに絶たれたという気分に陥ちこんだ。  彼らとのつきあいを通してだけ世間とつながっていると思いたがっているその文学グループの仲間から、ぼくはどうして脱がれようとするのかわけが分らない。  しかしほとんど衝動的に、彼らにこっそりかくれて、どこか別な世間にもぐり込みたいと思う。  そして、ある日。Y町のM屋の長い曲りくねってやたらに階段の多い廊下を歩き廻っていたのだが——何かさがし物があるような気がしていた。或いは誰かを見つけようとしていたのかも知れない。  廊下はうす暗く、どの部屋もひっそりとしていた。部屋数にして五十程もあろうかと思われた。随分奥深い。玄関のこぢんまりとした狭さに引比べて、一層訪問者の好奇心をそそるものがあった。恐らく一つ棟のものではなく、後から次々と建て増してつないで行ったに相違ない。不安定な地形のために、間取りは入り組み、廊下は迷路じみている。及び腰で部屋部屋の気配を伺いながら歩いているぼくの鼻先に、湿ったふとん部屋のにおいがついて離れない。  湯槽《ゆぶね》や便所や手洗場、泉水、そういうものの存在が蒸れぶとんのにおいと重なり合って、ばかになれなれしく、ところ得顔に、頭脳の中に又気分にはいり込んで来て、それを又、温泉宿にずかずかふみこんで来たその姿勢で、つい許しているということが、そこで犯されていた。  かつて父が幼いぼくを連れて或る川添いの宿屋に泊ったことがあった。それはどこであったか? 父が宿屋のゆかたを、その小太りの血色のいいからだの上にぴったり着て、足の太い女中を負ぶって急な階段を下りてくるのにばったりぶつかったことがあった。ついそのことを思い出す。  なぜこう客が少ないのか。たまに客のいる部屋の中は、人のうめき声、意味をなさない怨嗟《えんさ》の声のようなもので満ちている。何も鍋釜《なべかま》食器の類がくり広げてあるわけではないが、世帯の一切合財その小部屋にぶちまけられているという気配が、廊下を通る者に襲いかかる。そして肌臭い田舎ことばがもれてくる。  湯槽には女中ばかり、ぶよぶよした白いからだを沈めていて、ぼくを認め、わざとらしい笑顔をつくって、そそくさとあがって着物を着ようとする。  帳場はどこか。おかみはどこに居るのだろう。いやそうではない。帳場やおかみをさがしていたのではなかった。どこか奥まった隅っこの一室に(季節の加減で部屋が満員になったときにしか使わないような部屋に)長わずらいで寝込んでいる人間が居て、その人を探しているのだ、というふうな考えに囚《とら》われている。誰からも引き続いて親切には、看病されないその人は、ぼくがこうしてやって来ることを予《あらかじ》め感じていて、途上に疲れ果てたあげくに辿りついた放心の顔付きを受け止めて、「よく来てくれましたねえ」と言うだろう。そんなことを考えて、ぼくはうろうろ宿屋中を歩いていたと言える。 「まあ、木根さんじゃありませんか」  あの笑うと歯ぐきの出る女が、ぼくの顔をじっと見つめて立っていた。  そしてすぐ、 「分っています、分っています」  と言い、一つの部屋に案内しようとした。  彼女のあとをついて行くと、迷路のような廊下も違った顔付きを示してくる。狭いうす暗い女中部屋を通りかかるときに、彼女は、 「おハルちゃん」  とひとこえ声をかけた。中から女の弱い声で返事があって、若い女が襖《ふすま》をあけて出て来た。ごつい感じの(きっと木綿だと思うが)黒っぽい地味な着物を着て、頭をくずれた耳かくしに結っている。目鼻立ちはよく見極められぬままに、その顔の肌の白さが先ず印象付けられた。今時ほとんど見かけることのない古臭い感じの着物と髪かたちにはさまれて白い(丸顔と見受けた)顔がある、という貌《かたち》で、ぼくはその若い女が(多分女中だと思えるが)歩みを止めようとしないで、ずんずん歩いて行く先の女の(従ってぼくも歩いたままでいたが)あとにくっついて来るのを意識した。  先々からこの二人の間に何か打合わせがしてあるように受け取れたのは、ぼくの六感が当ったとでも言うべきか。  おハルちゃんと呼ばれた女が、一向に意志らしいものを示そうとしない雰囲気《ふんいき》がぼくを包みこんできた。  案内された一室は、二階か三階か、或いは四階かも知れぬが、一番上のはしの部屋で、しめ切っていた障子をあけると、二方が見晴らしよく外界に対している。片方は峡《はざま》越しに秀《ほ》のつんつん立った杉の林と向い、他の一方は不規則な高さで、傾斜にへばりついたほかの宿屋などの裏側が、一種城郭めいて、のぞみ見ることができた。 「分っています。分っています」  と女はもう一度確かめるように言い(ぼくは父と関連させてその女を考えていたが)はぎとるようにぼくをはだかにした。といっても、自分で上衣もカッターシャツもズボンもぬいだのだが、その女が手を添えて、ぬがしてくれたという感じがとれない。  むしむしした暑さを、改めて感じた。 「暑いから、それもおぬぎになったら」  女は目元を細めてそう言ってくれたが、ステテコをぼくはぬぎたくない。こいつをぬいでしまうと調子がでなくなってしまうように思えて、かたくなに黙ったままはいていた。それだけでなく、白い晒《さらし》木綿を下腹に巻いていたが(胃が下垂気味なので)それもはずさなかった。 「あなたもたいへんですね」  とその女がぼくに言い、そのあとで、そら、というように眼顔でハルに合図をすると、ハルと呼ばれた若い女は畳の上にぺたりと坐って、ズボンやシャツをたたんだ。ぼくが汚いものでも棄てるように、そのへんにほうり出して置いたものだ。ハルの様子が妙にいそいそとして(と思う反面、無理強いにあきらめさせられたようなところもある)見える。この人とどうかなるのではないか、ふとそんな気になり、女が「分っています」と何遍も言ったことが意味あり気に思い返された。ぼくが独り身でないこと位、女が知っていない筈はない。たとえ父と何事か話し合わされていたにしろ、ハルをぼくに附添わせるようにひとり合点している女の態度は、のみこみ過ぎて押しつけがましいと言わなければならぬ。しかしそれとてもこちらで拒否する根拠(権利と言うべきかも分らない)はない。やがて彼女の洞察《どうさつ》は人生万般に相亙《あいわた》っていた、ということになりかねない。ぼくが決意し断定すると、世界がこぢんまりとくぐまってしまうことは既に分り過ぎるほどの始末に立至っている。  ハルは膝《ひざ》で横すべりに畳の上を動き廻り、動作は節度があって、これはやはり他人の家に住みこんで、女中というようないやしめられた地位で、真夜中に枕を涙でぐしょぐしょにしないと生まれてこない色っぽさなのだろうと考えていた。手や足のわずかに露出した肌の色あいがどうしても眼にすいついてくる。肌は不思議な色を持つ。勿論それは顔の色めに臆面もなく現われているが、そこはいじくり過ぎて信用できないということもある。所で手足の色あいというものは、まるで不用意なのだ。不用意な状態は悪くない。ハルの態度を人々は従順と見るかも知れないが、ぼくは口もとのへんに不平をよみとった。そしてそれは又ぼくの心を引っぱりつける。ハルが一体何を考えているか。例えば女がハルをぼくに押しつけようとしていることに対しても(はっきり女がハルに何かを言いふくめたかどうかは知らないが)どういう意見を持っているのか見当はつかない。ぼくという男をこうして眼の前に見たわけだから、何か意見を持っているに違いないが、当のぼくには皆目見当がつかない。ただ鼻っ面でにおいをかぎながら、物体がぶつかるときの摩擦に即時待機しているだけだ。その先の何が分ろう。ここにやって来たことにしてから、まるで胎内くぐりそのままに、手さぐりでからだを周囲にこすりつけぶつかり合い、やっとくぐり抜けて、ほっと一息ついた塩梅《あんばい》だ。そこに女の先廻った演出が待っていた。待っていたのではなく、そこで偶然ぶつかった。或いはそのとき触発したのかも知れない。 「見えましたよ」  と女が又のみこみ顔に言うと、廊下に足音がして、こちらの部屋にぱあっとした感じではいって来た男があった。  ハルの動きに気を奪われていたぼくに、その女はこちらの気持にかかわりなく、この部屋にいたことに驚嘆した。それは彼女自身が部屋を支配していたのだ。ぼくはいつも訪問者でしかない。彼女が又言葉を出して、事態を次の段階に進めたのだ。  はいって来たその男は、小太りで頭を角刈りに似せて短かく刈りこんでいる。血色がよく、光沢のつよいベンベルグ生地のシャツにステテコをはき、腹に毛糸の胴巻をしている。そしてこの男も口もとにぐっと不平そうな線が浮き上っている。  男のむっとする体臭にぼくはたじたじと部屋からはじき出される思いがあった。彼はこの宿屋の番頭ででもあろうか。或いは息子かも知れない。どこかで会った気もする。それも行きずりでなく、からみ合った関係を持ったことがあるような気持だ。こういう時はこちらものみこみ顔になることを強要される。つと殻にからだをひっこめて、改めてそっとつのを出してうかがうわけだ。しかしこれも露骨にやってはまずい。むしろするりと殻を出て、からだを全部対手《あいて》の前にのさばらせてしまうがいい。無感動な擬態。そしてどんなことでも対手に賛成して逆らわない会話をする。まるっきりそうではいけないが、反対して賛成してやるのだ。自分のまわりに人が集まると、不思議な分類の方法で、人間を二つの種類に分けてしまう。自分のようなやつ、とそうでもないもの。自分でない他の種類のものは、表面どんなにそれぞれが違った性格を示しているように見えても、どこか本質的なところで相通うものがあって、そこのところでみんな生活感情を共通にしていて、一緒になるとその共通なところを寄せ合っていきがらくになるようにしているのだ、と思ってしまう。そのときは自分だけが寄せ合う部分を失っていてみんなの敵になってしまう。(しかしみんなはぼくを敵だとは気がつかないで、何となく気詰まりなやつ、張り合いのないやつ、としか思わない)そのことはらくじゃない。(一人で居る方が退屈ではなく、むしろ安らかで楽しみが多いと考えるのはそういう時だが)しかし恐らく人々を避けおおせるということは、その時限りの気随気儘《きまま》でない限り希望のないことだ。いや一つの気分で灰色にぬりたくってみることも甘ったれている。結末は先の方に、といつも未決の状態で、偶々《たまたま》出会った事態に、はたらき者のように無口でどっしりとつとめる状態をこい願っているのかも知れない。(おハルを見て、自分もそうだったと思いたがっているのでもないと思うが)  つまりこういうことだ。ぼくはその男に、その男の考え方を以ってしても、こいつはちょっとしたくせ者だ、と思ってもらいたかったというわけだ。 「ところで仲々かんたんには片付きませんぜ」  と、いきなり問題の核心にふれて来るような調子で、その男はきり出した。  女は、話のあとさきを心得顔で、頃合いの場所で腰を浮かせ二人の男を見守っている。それが何というか実にぴたりと恰好がついている。そわそわしたところがない。おハルはおハルで、急にせわし気にそのへんを動き廻る。ぼくの脱いだものを片付ける位、ほんのわずかの時間で足りる。本当は何もすることがない筈なのに、ぼくには、何かしきりに片付けものをしているようにしか見えない。なるべくそのへんをうろうろしていて何かを聞き出そうとしている底意があるのではないかと邪推されるほどだ。  ぼくは擬態をすっぽりとかぶって、「ああ暑い暑い、こう暑くちゃ、全くたまったものじゃない」という様子をむきつけに対手に押しつけてそこらへん中ふりまく、という気持で、わざと大儀そうに、体重が十八貫位あるつもりで(実際は十二貫九百匁しかない)部屋のまん中にじだらくにあぐらをかき、対手をその前に迎え入れる態勢をととのえた。  そしてうちわがほしいと思うと、ハルがすかさず袖口をおさえた巧妙な手つきで、それをぼくにさし出した。(だがほんとは、女のそれとない指図でそうしたとも思える)ぼくは、もし床の間あたりにうちわが置いてあれば、膝とてのひらを畳について、四つんばいになって、男の眼の前を長くなってのろのろと、うちわを取りにからだを伸ばして行くことを考えていた。そういう虚勢がどうしても必要であった。それを、女たちから見守られて、そのように扱われると、おさまりきれない。男の体力からの圧迫と重なり二重に浮足立つ。とにかくうちわでからだをあおぎながら、 「そりゃ、そうしたもんですよ。あせっちゃいけません。とにかく私はあなたにすっかりおまかせしたのだから、その結果についちゃ、あなたを信用しています」  男はどっかりあぐらをかいて坐り、 「そうおっしゃられると、痛みいるが」と小声で言ったあと、少しも痛み入った気配も見せず、(ぼくの言葉をぼく自身まずい合槌《あいづち》だったとすぐ後悔したのをけ取られたのかも分らない)「一番ひっかかるところはですな、向うさんにかげの男がついていることです。その男が何を思っているか、今の所ちょっと見当がつかないわけだ。なあに、大それたことを考えたり、しでかしたりするほどの男じゃないんだが、とにかく、もう少し出方がはっきりして来ないと、作戦のたてようがないってわけですよ」  女がおせっかいに、ななめうしろからぼくのからだをうちわであおいでいる。これは気になる。やめろ、とも言えず、いらいらして、対手が丁度たばこの包みを取り出したので、体当りで行け、というような気持で、つと右手をのばし、 「ぼくも一本貰いますよ、いいですか」(言ってから、ちょっとまずいと思った)「どうぞどうぞ」男はばかにあいそよく、やさしい声を出した。  たばこを口にくわえたが、マッチは男が自分のひざの横に置いている。ぼくがマッチを持っていなくて、口にはくわえたが、手持無沙汰でいることに気がつかないのか。 「ちょっとマッチを貸して下さい。すみません」  男がめんどくさそうに寄こすのを受け取ると、今言った哀願の調子を自分で消すように、ぼくはす早くつけ加えた。 「一体、この問題は、ですな(男の口調がうつって)どうどうめぐりじゃないかな。その影の男、とかいうのもね。そんなことは始めっから分っていたことでしょう。だから、その点に関してはこちらの方で腰のもろいところがあったのだ。そこをあんまりつっつくと、ちょっとこっちも具合の悪いことになっちゃうんですよ。(マッチをすったが、最初の一本は首がぽろりともげてしまい、二番目のはついたと思うとすぐ消えた。こういうことが案外対手から見くびられる原因になるのだと思い、三番目をゆっくりすると、今度はつく。深くいきを吸って、その間言葉をとぎらせると、男は沈んだ眼付きでこっちを見ている。その眼付きにひっかかって、ぼくは一層深々とたばこを吸いつけて)あのね、これはぼくの今思いついたほんの何ですがね。しばらく、あんまりいじらずに、ほうって置いて様子を見た方がいいんじゃないかな」 「あたしの方はどちらでも結構ですよ。あんたがそうした方がいいとおっしゃれば、そのように致しましょうよ。しかしですな。押さえるところは押さえて置かんことにゃ、あとでどじをふみますぜ」  男の眼がきらりと光ったように思えた。どうせ今夜はここで泊ることになるだろう。(いや何なら今から坂を下りて町なかに出て電車に乗り長い鉄橋を渡ってKまで帰ったってかまわないんだ)だが、ぐっと、崖《がけ》っぷちの方に押されると、落ちたっていいんだという気持になることも事実だ。  うかつなことだが、この男が、ぼくに報告するように話しかけてくる事がらの本筋が、ぼくにはよく分ってはいない。まるっきり縁がないというのでもないが、自分にしつこくからみついてくる性質の事件というふうにも思えない。しかし男は言外に妙にぼくにからみついてくるものを持っている。これは父のことで何かあるのだろうか。ぼくがM屋につい来ることじたいの中に、潜在している何か重大な意味が或いは含まれているのではないか。そのことでぼくは復讐《ふくしゆう》されるようなことになるのではないか。  しかしこの男がぼくに示す態度の中には、言い現わせないべたついた近さがある。それは血の反撥といったようなものだ。この男は何かぼくの知らないことを知っていることで満足していることがあるのかも知れない。女のなれなれしい態度とうらおもてのものだ。  こういうやりとりが男たちの間でとり交されている間、女たちは、行儀よく、聞いていた。聞いているといっても、話の大事なところはわたしたち女どもには一向分りませんから、言葉はただ音響として耳から耳へ通りぬけてしまい、どんなことをおしゃべりになっても大事ありません、という例のひかえめな附添い方だ。  男たちは女たちが、そばでゆっくりうちわなどであおいで居てくれることで、はずみがついていることは疑えない。  男たちがいわゆる抽象的な言い廻し、何か公事《くじ》争いといった恰好に持って行きたがるのは、そういう理由のためだ。ぼくもその演技のために一所懸命で、二人の女を意識していた。 「何か、あちらさんの要求といったものが、具体的につかめるわけですか」  そうぼくが言った時、ハルが、げっというような声を出し、 「わあっ、むかでえ」  と叫んだ。  五寸程もあろうかと思える大むかでが畳の上をはっていた。 「ほうき、ほうき」  と年とった女は大きな声を出した。  ぼくは肌に粟《あわ》を生じた。  まだ学生の頃のことだ。ちょっと好きな少女が居て、一緒に学校のあった地方の町の郊外の山際の方に散歩に行った。秋の陽ざしのやわらかな日曜であったが、人目をさけた山かげをさがし歩いた。南向きのなぞえに、山焼きをしたあとがあった。恐らくその跡をたがやして畠にでもするつもりであったろう。その焼け跡の傾斜に腰をおろしてその少女と二人、向う側の山のたたずまいをぼんやり眺めた。少女は何を考えていたのか、ぼくに分る筈はない。ぼくの方ではこのへんでからだをつかまえてキッスをしなければならないのだという義務感に圧《おさ》えつけられはじめた。しかしどうにも越え難い平常心が二人の間に横たわっていた。だがぼくは決心した。ラシャの洋服がこげるような秋の午後の陽の白々した静けさの中で、仰むけになっていた重いからだを引き起して、少女の側に近付こうとした。そのとき、ふとぎごちなくついた手の下の焼け残りの木の枝の下で、がさっと、乾いた音が耳についた。何気なくそこを見た。そしてそこに太い大きなむかでを認めた。ぼくは背筋に冷水をあびせられたような気色になった。ささやかな欲情が萎縮《いしゆく》した。あの赤黒く(つや光りさえしている)固い鎧《よろ》われたむかでのからだ。そして沢山の足。いつどこで覚えたのか分らないむかでへの嫌悪《けんお》が、ぞろぞろ背筋をはい上って来た。  畳の上にむかでを見た瞬間、かつてのその感覚が甦った。天ぷらにしたら食えるかもしれない、という妙なことも一方に考えられることがむかでの気味悪さを助長する。  或いは単なる観念が、むかでどもに対して偏見を抱かせる始末になっているに過ぎないのかも分らない。  人間のうら寂しさ、など今更言うが程のことではない。そして夜中にふと眼覚めさせられることも、又うら寂しさの中の尤《ゆう》たるものかも知れたものではない。何か、のために夜半に眼覚めることは、人間の智恵の及ぶ所でないのかも分らない。全宇宙が、きつく、しめつけて来て、眼覚めさせられたという思いを強くした時に、こういうときにこそ落着かなければならないと、弱い心を叱咤《しつた》して、電気スタンドのスイッチをつけてみると、枕にへばりついている三寸ばかりのむかでを発見した、というようなことも、なかったわけではない。大鋏《おおばさみ》でちょん切ってしまえ。そのときはいかなぼくでも強暴な心になる。 「あんた(あんた、と人を呼ぶのは嫌いだが、その男がそうぼくを呼ぶから対抗しなければならぬ)に言って置きますがね。実のところは、ぼくはどうでもいいんですよ。あらゆることがね。一体この事件というのは、真相は何ですか。はっきりきいて置く必要もあると思うんだが、あんた、おれ(少しぼくは何かに酔って来はじめる)のおやじを知っているの? あんたとおやじと、どんな間柄か知らないが、そんなことぼくは知りませんよ。おれはおれなんだ。おみかけ通り、ぼくはから意気地のない男だ。ただ言って置きたいことは素手で人生を掴《つか》みたいだけなんですよ(もうどんな空言葉を吐き出しても、ぴたりと実感を伴っている。それはむかでに酔ったと言えなくもない)」  ハルがほうきの柄で、むかでを押さえつける。しかし女の弱腕で、しっかり押さえきれるものではない。むかでは、からだをよじらせて、あっけなくのがれてしまう。 「だめ、だめ、おハルちゃん。じりじりっと、押さえつけて、ずたずたにしてしまわなければ」  調子付いたぼくは、そんなふうに助言さえはいた。  対手の男が、むかでの出現で、いささかの動揺も示さないのは、もう筋書通りだ。そう来なくちゃならない。或いはここでぼくが、むかでに、大げさに恐怖してみせてもいい位だ。  ハルは言われた通りに、むかでを再びとらえて、ぎしぎし押しつけた。むかでの甲殻がつぶされる。甲殻の中のやわらかい身がつぶれて液汁を出す。それは何ともいやな感じだ。 「ずたずたにしないと、だめ」  ぼくはそちらを向かずに言う。怖いもの見たさの反対の気持だ。  怖いものは、こわごわ見たい。それがいわば人情だから、わざと見ないで置く。しかし怖くないかと言えばとても怖い。 「しっかり殺さないと、すぐ生き返るから」  と、ハルの方に念をおしておいて、 「まあ、そんなわけですな。それで、一体あんたは、この事件に本当に興味があるのですか」と男には言った。  物言いにいささか青臭さを露呈したが、むしろ時機は熟したという感じだ。  適度の酔心地は、たまたま袋小路《ふくろこうじ》を切り抜けさせる。酔わせられた原因がむかでであろうと、こうなれば騎虎《きこ》の勢《いきおい》というものだ。底を割れば、生きていることが先ず矛盾だと、開き直るまでもない。灰色に塗りたくっていた手つきに、少しあかねがさし込んだにしても、現に、夜の闇も時が移れば、あの爽やかな払暁の気配に圧倒されることを拒否するわけにはいかない。  効果はてきめん、とでも言うべきで、対手の男が、たばこの煙にむせたような顔つきをした。  ハルが、部屋を出て行った気配にうしろを見ると(恐らく、ちりとりでもとりに行ったと思える)むかでが、八つ裂きにされて、それでも、その裂かれた各々の部分が、ぴくぴく動いているのがすさまじい。  年をとった女の方は、いつのまに部屋を出て行ったのか、見えない。ぼくは一種肉体の疲労を感じ(ひと仕事はたらいたあとのような)ハルのじこっとしたからだつきに、気持がのめって傾いて行くことにどうしようもない。  そう。案外この調子だ、と考えていたとも言える。案ずるほどのことはない。 「いや、よく分りました。あなた(あんたがあなたになり、それはやはり象徴的だと思えるが)そういうお気持なら、あたしとしてもたいへん、やり易いわけです。ざっくばらんにあたしの考えをお伝えしましょう。実は、あたしはあなたの親御さんに、ちょっとこだわっている」  男がそう言いはじめた時に、ぼくはからだのあちこちが、痛がゆいことに気付いた。何気なく足の方を見やると、八つ裂きにされたむかでの足の一本が、こぶらはぎのあたりにしっかりくっついていて、そこが、へんに痛がゆい。そしてその一本の足が、生きているもののように、ぴくぴくしているではないか。  あわててはがそうとしたら、根元のところが、だにの口のように肉の中に食い入って、無理に引っぱると、食い入った部分が肉の中に残りそうだ。これは妙だと思い、押しつぶされてばらばらになったむかでのあった所を見ると、それが無い。  しまった(だから完全に殺して置けとあんなに言ったのに)と思うと、からだのあちこちがむずがゆくなり、あわてて、坐っていたあたりをよく見廻すと、ばらばらにされたむかでの一本一本の足が、ゆらゆら節足をゆすって、歩いている。その方向が、どうもぼくのからだらしいので、更に眼をこらしてみると、居るわ、居るわ。足から、腕から、腹のあたりにかけて、いつのまにはい上ったのか、むかでの足がいっぱい吸いついている。  からだ中、いぼいぼができるほど、ぼくはまっ青になった。  それが、一本一本、だにのようにしっかり食いついているから、からだをゆすったり、払い落したりする位ではとれない。腹に巻いた晒木綿を引っぱって、へその方をのぞいてみると、繊維に足をとられたりしているのやら、既にへその中に食いついているのもある。 「わあっ」と叫び出したいのを、男がいる手前、ぐっとこらえると、青くなった気持が逆流して、毛穴がふくれ上ってきた。  対手の男も気持悪がって、急にそわそわ、腰を浮かせ、ひざや腕を払い落とすしぐさをした。男には食いついてはいない。  二人の男の間に、ぴんと張っていた奇妙な緊張が、ぷつんと切れた。もともと虚妄《きよもう》のものだ。そんなふうに肩を張らなければならないものは何もない。  むかでの足の一本一本が、意志あるもののように(或いはこれでぼくは審《さば》かれているのか)動き出してぼくのからだに這い上って来たことは、むしろ祝福すべきことではないか。ぼくの眠っていた魂をゆり動かしに来た一つの運動のさきぶれかも知れない。このむずがゆい、ちくちくと痛む刺戟《しげき》は、ぼくが生きていることの確かめなのだ。  どういうきっかけからか、ぼくの気持に、そんなふうにどんでん返しが来て、へんに充実した気持になって来たのか、ぼくには解せない。  男がとんきょうな声を出して何か叫んだようだ。  ハルがしめった足音で廊下をぱたぱたとんで来て、ぶっつかるようにぼくのからだにさわり、少しもこわがらず、むかでの足を一本一本ぬきとりにかかった。(ぼくはふらふら立ち上っていた)ハルの指先がびっくりするほど熱く、そのぬくもりが、ぼくの皮膚に快く伝わって来るのだ。  思わず、その小太りの小さなからだをだきしめたい気持に襲われたが(シャツもそしてステテコもはずしていたので)はだかのような自分の恰好がはずかしい気がした。いやそうでなく、自分だけはだかでなく、ハルもはだかにしてしまいたかったが、そばに男が居るので飯粒の中に小石を噛みこんだようで、ためらいがあったのかも知れない。  ぼくはぶらんと両手を下げて、ハルのなすままにまかせ、その指先から伝わるぬくもりに酔いしれていた。(もう男のことも意識しない)  せめてハルの体臭をでもかぎとろうといきをこらすが、どうしたわけか、ハルは一向ににおいがなかった。 (昭和二十九年九月)   冬の宿り  GはZ山の中腹の谷間に旅館がただ一軒だけある温泉場だ。  しかし三階と二階の大きな木造建物が三棟と、浴場一棟の他に乾燥場、物置、倉庫などの付属建物が、急流の傾斜に沿って組み合わされているので、麓《ふもと》のA町から山道を三時間もあえいでやって来て、山の鼻を一つ廻り、はじめてGの全貌を見ると、ちょっとした小さな城のように思う。同時に又人里離れた奥深い渓谷の底に、しっかりへばりついた執拗《しつよう》な貝殻のかたまりのようにも感ずる。  夫婦《めおと》岩《いわ》と呼ばれるその山鼻の岩塊のところから、谷底の方に下って来ると、遠目に黒ずんでかたまり合って見えた建物は、意外に場所広く、にぎやかで高層な感じで眼の前に立ちはだかる。  この谷間に、そこ一カ所だけしかないその温泉宿の裏手は雑木林の山が迫って居り、川をへだてた対岸には、百米《メートル》もあろうかと思える岩壁が突兀《とつこつ》とそば立っている。  ある冬の師走も押しせまった晴れた日に、私はたった一人でそのGにやって来た。  その年はいつもより雪がおそくて、麓のA町ではまだ積雪をみなかったほどだが、私がGの宿に到着すると(尤《もつと》も峠を一つ越したあたりからさすがに雪がみられたが)待構えて私を呑みこんでしまうかのように、空があやしく灰一色に垂れ下ってきて、吹雪《ふぶき》に覆われてしまった。  それからほぼひと月ばかり、私はその隔絶された温泉宿にとじこめられ、外は来る日も来る日も雪が降り続いた。  私はからだに故障があり、人に教えられてわざわざ出かけて来たのだが、その単調な日々になれない私は窒息しそうであった。  はじめ一日の過ぎて行くのが不思議なほど時刻はのろのろと動き(あるときなど時というものは動くものではないのではないか、時が刻々移って行くということは不可能なのではないか。時計の針を見ていると、一分きざみに長針の動くのが奇蹟に思えたりしたほどだ)精神に喰い入ってくる退屈の魔が、おそろしい形相となってあらわれて来そうであった。がまんも何もなく、すぐにでも麓にとって返しバスに乗って停車場にかけつけ、そこから急行列車で都会に帰ってしまいたくなった。  しかし何かが私を押しとどめた。私はそこに停った。  そして毎日毎日吹雪で荒れ狂う谷間をガラス戸越しに眺めていた。私の部屋は旧館の二階で展望がよかった。と言っても外の方が見られたというだけで、外は谷川をはさんで巨大な岩壁が立ちふさがっているような展望だ。  その限られた外界に、荒れ狂う白いものが際限なく天からおりてくる有様を、虚脱したように見ているより仕方がなかった。  ガラス戸は風のために終日がたついた。まきを突っかえにしておさえてはあったが、やはりがたがた鳴りやまなかった。  気温は下り、こたつを片時も離れられなくなった。  私がやって来るまでは珍らしく上天気の日が続いたという。しかし冬という季節は毎日大凡《おおよそ》このように吹雪の日が続くのだということだ。  宿泊人は私と入れ違いに何組かは麓の町に下ってしまった。あとはいよいよここで冬籠《ふゆごも》りを決心した四組ばかりしか残っていない。全部で五十にも余る数多い部屋はがらんと人気なく、残った湯治客たちは、浴場に近い旧館の階下の部屋にかたまった。  私だけ一人はみ出て二階の部屋を与えられていた。  孤独な生活がはじまった。  したの湯治客はみんな家族連れだ。そして例外なく自炊している。食事時のにおいが、食器類の物音や田舎のことばの話し声などと共に、二階の私の部屋の方に流れてくる。  私はたったひとりで、こたつに腰から下をつっこんで横たわっているだけだ。  廊下のガラス戸が休みなくがたつき、外の吹雪いていることに変りはない。  からだが疲れ果てていたから、何かをすること(書物を読むとか、考えごとを書きつけるとか)はいやであった。  腰の方はあたたかいが、しんしんと冷えこむ六畳の殺風景な宿の部屋で、私は時の面《ツラ》と向き合って、それがじりじり移って行くのを待っていた。  待っていても何もやって来るわけではないが、ただそうして待っていた。何もそんなにしていないで誰かをやとってでも、そこを下る工夫をすればよかったのに、そのときはそこにそうして居なければならないと思いこんでしまい、別にへんにも思わなかったのだ。  ただ一つのたのしみは、浴場におりて行くことであった。  そうだ、それはまさしくおりて行かなければならない。浴場は谷川の川原近く、建物の中で一番低い場所にあったからだ。  二階の私の部屋からだと、暗い急な十二段の階段をおりて、したの交叉《こうさ》した廊下に出る。  廊下の一方には、四つの部屋のそれぞれの前に七輪や鍋釜《なべかま》の類《たぐい》が出してある。その四組がここで冬越しを決心した湯治客のすべてだ。みんな百姓で、病んだからだを運んで来ている。  更に広いゆるやかな階段を七段おりると、小さな売店の横に出る。そこではちょっとした土産物や、せんべい、あめ、果物、切手、はがきの類が売られているが、いつもガラス戸がたてられ錠前がおりている。  その売店の前から又急な階段を十二段もおりる。ここは雪が吹きこんで来てこびりつき、かたく凍っているので、うっかりするとすべってしまう。両側のガラス戸は湯気が結晶し美しい模様が出来ている。  そこを下りて廊下を折れ、うす暗い所をしばらく歩き、又階段に出る。そこを九段ばかりおりるとき、床の下の方で、水のかすかに流れる音がきこえる。  その下がスキー客のための乾燥場で、そこを通りぬけて、広い木の湯槽《ゆぶね》の浴場に、やっと着いた。  浴場は古風な建て方だ。  天井が高い。どこの浴場の天井も高いのが普通だが、ここでは殊更にその高いことが気になる。中はうす暗い上に(この浴場だけでなく、このGの建物はどこでも一体にうす暗い。それは雪よけのために、大きな簀子《すのこ》の覆いで建物全体が囲まれているからだ。しかし浴場は殊の外《ほか》暗い)湯気でもうもうとしているから、はっきり見極めることができない。矢羽根形の装飾で二重か三重の屋根になっているが、湯気が外に出て行けるように、すっかりは閉じられていない。だから風が少し強くなると、雪はどんどんはいり込んで来た。  高い位置にガラス窓があるが、外界は簀子のためうす暗いから、全く光はささない。  湯槽はすべて木造で、ふちは流し場と同じ高さだ。  中は全く暗い。廊下も一体にうす暗いが、それでもその明るさの中から一歩浴室にはいるとまるきりめくらになってしまう。もう何年か改造しないままで放置されているのでふちも流し場も水あかでぬるぬるしている。  湯槽は十分泳ぎ廻れるほどの広さだが、私はそこに下りて行ってもいつもひとりぼっちだ。どうしてだかほかの浴客とぶつからない。湯は天然の温度がかなり高く(しかしその日の天候や又川の水量で温度は猫の眼のように変ったが)ふだんは別に筧《かけひ》で引き込んだ水でうめなければ、はいっていられない位だ。  その湯槽に、長い歳月の間にどれほどの浴客が身を浸したことだろう。しかし私はいつもひとりぼっちで、湯槽に流れ入りそしてあふれ出る湯の音をきいていると、むしょうに寂しくなった。何か分らぬ気配に圧迫され、もののけが、暗い高い窓ガラスに髪もおどろにへばりついているような気がしてならない。私の唯一のたのしみは、この湯槽に冷え切ったからだをつけることなのに、そこにはいったとたんに寂しさと故ないおそれに身がちぢまって来て、あたふたとあがってしまった。  何という寂しい温泉宿であったことか。  私は書き落したが、私の耳に二六時中ついてはなれない音と言えば、戸を渡る風だけでなく、渓流のとどろきがあった。むしろそれはあらゆる思考を断念させるふうに、ひびき渡って止《や》むことがない。風の音は絶ゆることがある。断崖《だんがい》のうしろの山の端から、うそのように輝かしい太陽が光の箭《や》を投げかけてよこすこともある。それはすぐ又灰色の雪の乱舞にとって代られてはしまうけれど。しかし谷川のひびきは永劫《えいごう》に消えることがないだろう。鉄分をいくらか含んでいるせいか、褐色に濁った流れが、岩々に歯をむき出してかみつきながら、倦《う》まずに流れている。私はその音におさえつけられている。その渓流の源だというZ山の頂近い雪に埋もれた湖水のことなどおそろしくて考えることもできない。  そのほかにそこでどんな物音を私はきいたろう。  部屋の中でたぎっている鉄瓶《てつびん》の湯のつぶやき。たまに炭火のはねる音、したの廊下を誰か通る足音。障子戸をあける音。そしてどこかが痛んで低くうなっている誰かの声。  眼をとじると、Gは青い青い水底に沈んでいる一軒の寂しい旅人宿であった。  そこは外界から絶たれ、水底から長い忍耐のあとで水面に出るのでなければ、にぎやかな世間と交渉を持つことはできない。  その水底の渓谷の建物の奥まった部屋の片隅で、血なまぐさい惨劇が行なわれ、それは発見されぬまま凍りつき、永遠に陽の目を見ない。  そんなふうな妄想《もうそう》に襲われるのだ。死霊は青い蛾《が》となって、夜の静寂の、湯の流れる音だけがしみ入るように澄んできこえる浴場のガラス窓に来て、力なくぶつかることを繰返している。  私は次第におそれの心が強くなった。たった一つのたのしみの入浴でさえ、底気味の悪い因縁ごとの中に引きずり込まれるような気がして、間遠になりがちであった。  そしてむやみに夢を見た。  相変らずひとりぼっちの二階の私の部屋に続いて、無人の部屋が黙りこくっていくつもあった。私はどうしてもそれらの部屋に何かが居るような気がして仕方がなかった。  無理に作った小さな床の間には、きまって奇怪な風景の描かれた掛軸があった。又どうしても読むことのできない書体で書かれた額もかかっていた。字が読めないために一層奇妙な気分に引き入れられるのだ。それはまるで呪文《じゆもん》のようにも見えた。掛軸の風景の中の人物や、額の篆字《てんじ》が、夢の中に出て来たりした。  ふと、真夜中に眼を覚ました。  私は夢の中で何かから逃げようとして大きな声を出した。その声の余韻が気味悪く部屋にうわーんと残っているように思えた。  隣りの部屋は空っぽの筈だ。しかし何か魑魅魍魎《ちみもうりよう》のようなものが、ひしひしとつめかけているようにしか思えない。したのほかの湯治客たちは一体どうしているのか。ぎっしりした冷気が私をとりひしいだ。  頭も足の先も、肩も腕も、いや胸や胴さえもこごえてしまって、ただ腹のあたりだけ、ほんのわずかのぬくもりが辛うじて残っているような気がした。  これではこごえ死んでしまう。私は浴場に下りて行こうと思った。浴場の方から、にぎやかな笑い声がきこえて来たように思えたからだ。女中たちが昼間の仕事から解放されてのびのびと湯につかっているのだろうか。  風はぴたりと止んで、鼓膜がへんになるような静けさがあった。(どうしてか渓流のひびきもきこえなかった)  私は気持がはずんだ。浴場におりて行って女中たちに冗談口をきいてやろう。湯桶《ゆおけ》をぶつけ合う音さえきこえて来た。  私は人が恋しかった。  寝床を出ると、寒さでふるえるからだをどてらで包みこみ、廊下のてすりにかけて置いた凍ってかちかちになった手拭を下げて、階段を下りはじめた。  丁度階段の下り口のところに大きな鏡がかけてあった。暗く沈んだその鏡面に、幻のように私の影が写って、むしろ鏡の中の私の方が、たしかな足どりでよみの国から私を迎えにやって来たとでもいったふうだ。思わずにやりと笑いかけたが、もしもその影が応じて笑ってくれないのではないかというような気がして、ぞっとしたのだ。それです早く鏡に背を向けて階段を下りた。  私はからだが衰弱し切っていたので足音高く元気な調子で階段をおりることができない。ぎしぎし一段ずつおりて行くより仕方がない。階段は苦しげにきしみ、爪先《つまさき》や手の指に容赦なく厳寒がかみついた。  階下の、新館や帳場に通ずる廊下はしんとして奥の方に続き、湯治客たちの部屋は全く寝静まっていた。低燭光《ていしよつこう》の裸電球がすすけた瀬戸物の笠の下で赤く光っているだけだ。  私はふいにおびえたが、尚自分をはげますように下りて行った。  売店はあかりが消えていて、ガラス窓を通して中の品物が肩をよせ合っているのが見えた。或いは土産物やせんべいなどが真夜中の会合を開いている気配さえ感じられる。品物たちのひそひそしたおしゃべりが、ガラス窓のうち側の狭い会議室に充満している塩梅《あんばい》だ。それで私もいくらか元気付いた。早く湯槽に冷え切ったからだを沈めよう。何なら女中たちに注文して田舎うたでもうたって貰おう。売店の下の階段の、両側のガラス戸からは外の闇がのぞいていた。誰かいたずらして、ガラス戸の一箇所に手のひらの形がくっきり押されていた。手をガラスにあてると、凍って結晶模様を描いている表面が、手のぬくもりでみるみるうちにとけて、そこに手のひらなりに跡が残るのだ。それが外の闇と呼応して何事か私に話しかけて来るように思えた。  私はこわがり虫になってしまったのかも知れない。あたりの底抜けの静寂のために、一切のものが、却《かえ》ってぶつぶつ不平をつぶやいたり突然甲高い笑い声をたてたりしているように感じられ出した。  乾燥場まで来ると渓流のひびきが思い出したように耳についてきて、恐怖は荒々しさを加えた。そこに渓流の方に向ってつけられた入口にはどういうわけか戸がはまってなく、一枚の藁《わら》むしろが下げられていた。それがばさっと風にあおられて、生きているもののように、裾をひるがえした。その藁むしろの向う側に赤いまざとしたものがとっついていて、すきあらば家の中にはいろうとしているように思えた。むしろは辛うじてそれを支えていたが、時折あおりをくらって、しめった重い音をたてた。  私はからだがたちすくみ、歩いているかどうかさえ確かでなく、頭はでかく無感覚にふくれ上ってしまい、その藁むしろを排《お》しわけて、今にも一人の血みどろの人間がころがり込んで来る不吉な想像をした。  このGには過去に何か埋もれた不幸な事件がきっとあったに違いない。こんなふうに私に襲いかかって来る迷った魂どもがうようよしていることはただごとではない。この谷底の一部にとじこめられた生霊や死霊が、はれやらぬ憂悶《ゆうもん》を抱き続けているのではないか。  私は大へんな所にやって来たものだ。  浴場には、誰もいなかった。まるで空洞であった。楽しげに笑い声をあげて一日の疲れをおとしていた筈の女中たちのさざめきなど、言うまでもなく私の空耳であった。  それでも、霊魂たちにあやつられるようにとにかく湯槽につかった私は、私を取り巻く空気の圧迫に耐えられなくなった。  しかも深夜は湯の温度もぐっと下ってしまって、生ぬるく、湯気は立たず、闇と静寂が一層あやしげに満ちてきて、蛇や鰐《わに》などの爬虫類《はちゆうるい》がぞろぞろはいり込んで来そうな感じにしめつけられ、どうにも我慢ができない。  何かに襟首《えりくび》をつかまえられると思うと気がへんになりそうになって、矢もたてもたまらず、よくふきもしないで着物をひっかぶると、背中を丸め小走りで自分の部屋に逃げ帰ったのだ。うごめく魍魎《もうりよう》たちにうしろをみせるときのおそろしさは又格別だ。からだ中に、私はできもののかさぶたができたのではないかと思った。  鏡のところで髪の毛が真白に変ってしまっていないだろうかと、鏡面を見るのを躊躇《ちゆうちよ》したほどだ。  しかし別に何の変化もなく、ただわけの分らぬ恐怖で手放しに泣き出しそうになっている血の気の失せた、なさけない自分の顔の写っているのを確かめただけだ。  而《しか》も時はやはり経った。  当然のことながら私の生活は単調なまま固定した。時のたつのがそれほど苦にならなくなり、朝方、若い頃から三十年も奉公しているという初老の歯っかけの番頭が、種火を持って来てくれる物音で眼を覚まし、起きぬけに湯槽におりて行き、朝食のあとこたつでうつらうつらしてから又ひとふろ浴びると、昼食になり、小説など読んで(四時にはもううすぐらくなるが)部屋に点灯されるころ又湯槽におりて行く。夕食をすませて寝る前にその日の最後の入浴をすますと、そのまま次の朝までぐっすり寝入ってしまう。  はじめのころ、退屈の魔に感じた強い抵抗も、雪にとじこめられたしめっぽく暗い、そして広い家の中で妄想したあやしげなすだまや霊魂たちへの恐怖も、却って緊張したおどろきであったとなつかしく思われるほど、ずるずると毎日が過ぎ行きはじめた。ここの番頭のように、三十年がたってしまうのも昨日今日のように造作のないことかも分らない。  温泉の中で知らない場所もなくなった。  そうして昼と夜の区別をはっきりさせて、早くぐっすり寝込むことを覚えてしまうと、何のへんてつもない日々が、やって来てはたちまちに過ぎて行き、やがて日付が気にならなくなり、昼前のことも午後にはもう忘れてしまって(女中たちはたのんだ品物を二日位たってからでないと持って来ない)いつのまにか沢山の日にちが経ってしまっていたということになるのだろう。  ある日、したのくりやの方から杵《きね》で餅をつく力強い音が伝わってきた。  私は、正月がやって来ることを知った。  その日の午後、したの廊下を乱暴なほど元気よくふみしだいて、湯槽の方におりて行く多くの足音をきいた。足音高く廊下を歩く者など居なかった筈だ。きっと新らしい浴客がやって来たのに違いない。それにしてもこんな雪を冒して、どんな人たちがやって来たのだろう。  夕食前の入浴のとき私は、その新らしい浴客たちと一緒になった。それは学生の一団であった。  死の洞窟《どうくつ》のような浴場が、まるでうそのようににぎやかになっていた。にぎやかと言っても当らない。あの一種禁欲的な、貪婪《どんらん》に何かを求めているような眼付の若者たちの、いくらか無理につくった無遠慮な磊落《らいらく》さで、この浴場の沈黙の秩序が一時にかき乱された。すだまたちは黙ってそっと隅っこに身をひそめたふうであった。湯槽の中で野太い声でドイツ語の歌をうたう者もいた。そのあとを継いで合唱しながら、ゆかをふみならして部屋にひきあげて行く者たちもいた。  私もすだまたちにならって隅っこに身を寄せていた。  孤独であんなに人恋しかったのに、私は彼らに声をかけようとは思わなかった。それは何故《な ぜ》だったろう。私は衰弱しきっていて、階段を上り下りするのさえ一段一段でないと、いきが続かない。彼らは二段か三段ずつまたいで上り下りしている。そして学生らしい理屈ばった話題を大声で話し合っている。私は彼らに話しかけて彼らの話題の中に自分を割り込ませて行く気持がどうしても起って来なかった。  それでも私は彼らの一人一人を、湯気を通して、どこかで見たなじみのように、なつかしい郷愁の気持で見ていた。  みんなへだてなく快活に仲良さそうに話し合っているのに、どうしてか私にはみんながまるで自分のことばかりしか考えていないように思えて仕方がなかった。  私の入浴には目的があるから、何度も湯槽につかっては流し場にからだを横たえることを繰返し、かなりひまをかけて、はいっている。大方の学生たちがあわただしくあがってしまったあとで、珍らしくゆっくり湯槽につかりながら眼をつぶって考えごとをしている二人の学生に気付いた。彼らの一団がスキーによるZ山登山隊であることは、その話のはじで分っていたが、残った二人の一人はそのリーダーらしく、まるで軍人のような顔付でもう一人に明日の先発隊の人選を相談しはじめた。  先輩ぶった口調のリーダーと、それに仔細らしく応じている多分副長格の学生の二人だけがあとに残って、今まで騒ぎまわって帰って行った連中の技倆《ぎりよう》や性格を批判しながら、先発隊の人選をうす暗い湯槽の中でやるという、そのことに或る感じがあって、私の印象に強く残った。  二人の言葉が作戦会議のようにこわ張っていたのは、私が居たのを意識したからだろうか。  一番あとで浴室を出た私は、ここに来て以来使っていた自分の草履が、鼻緒もきれかかった古ぼけた宿のものと、すり変えられていることを発見した。  私はふさいだ気持で階段を一つ一つ上って自分の部屋に帰った。どうしてだか、静かにひとりで暮している所にどやどや土足でふみ込まれた感じが残って仕方がなかった。  二日ばかりのうちに、学生たちはみんな居なくなった。  そして又私ひとりだけの(実はしたの百姓の湯治客が相も変らず居たのだが、彼らはそれぞれただ黙々と湯を浴びていた)日々が帰って来た。せいせいした気持と、何か取り逃がした気持が交錯して妙であった。  若い学生たちが大ぜい来ていたのに、素直に話し合えばよかったのではないか。自分のかたくなな心が、少しばかりうらめしくもあった。  元旦の前の四、五日は、珍らしく雪の降らない日が続き、青空も時にのぞけたのに、元旦の午後からひどい吹雪になった。  私はこの弱ったからだでどういうふうにここを下山しようかと心配になりだした。  いつまでもここに居ることはできない。ただやみくもにやって来たものの、やはり、そろそろ帰る心積もりをしなければならない。と、その出鼻をくじくように猛吹雪がやって来た。  番頭に相談すると、彼はこの吹雪がおさまったら麓のA町から人夫を呼んでくれることを約束した。  そうと決ると私はむしょうにここを去りたくなった。来たときのあのじりじりした気持が再び襲って来たように思えた。  浮足立つと、もう落着いていることは苦痛だ。しかし吹雪はやみそうになかった。やっと親しげに見え出していた一切の風景が、又冷く無縁のもののように遠のいた。  入浴もあきてきて、度数もへった。入浴すると、はき気を催すようにさえなった。  私は自分のことばかり考えていたが、その頃、Z山に出かけて行った学生たちは、山頂で吹雪にまき込まれ、道を失い、寒気と飢えと疲労のために、死と直面していた。  Gを次々に出発した彼らは、S大学の山小屋を根拠地にして、登高の機会をねらった。  第一陣の五名が山小屋を出発したのは、元旦の早朝であった。  よく晴れた絶好の日和で、彼らはI沢の絶壁を左に見て、K岳、N岳を簡単につき切り目的のZ山主峰の上には早くも十時頃に到着した。  頂上で約一時間休憩した。  記念写真をうつしたり、携帯食料を食べたり煙草をすったりした。そしてドイツ語の歌をうたった。  空は相変らず晴れていて、元旦の日而《しか》も冬山には珍らしいこんな天候にめぐまれたことを喜び合った。  この調子だとお昼過にはもう山小屋に帰りついて、残留の者に第一陣の成功を自慢することが出来るだろう。  十時五十分、彼らは再びスキーを点検し、身をかためて下山のコースをとった。  ところが、N岳との鞍部《あんぶ》のところで、急に天候が激変した。  猛烈な吹雪が覆って来た。  南東からの風がものすごく、その寒気のために、からだの感覚は完全に喪失し、手足はちぎれるかと思えた。  K岳らしい高みに辿《たど》りついた時腕時計は既に五時四十五分を示していた。そこからI沢を右に見るように下って行けばよかったのだが、おそろしい夜がついそこまで来ていた上に、吹雪で視界がきかず、地形が全然分らない。  彼らは既に遭難していることを覚《さと》った。  それまで五人は互いにはげまし合い叱咤《しつた》し合って離れ離れになることを警戒したが、次第にばらばらになりはじめた。しかし、それをどうかしようという気力がもう無い。ほとんど無意識でスキーを引きずっているに過ぎない。  どうもI沢の凹《くぼ》みの方に落ちこんで行ったらしく、来た時の道の見当がつかない。  そのうちまっくらになっていることにあらためて気付き、どうにか五人がまとまって、長い間かかって雪穴をこしらえ、その中で夜の明けるのを待った。  夜になっても吹雪はおとろえず、五人はお互いに牽制《けんせい》し合って眠り込もうとするのを防いだ。  くらい、おそろしい、そしてつらい、地獄のような夜であった。もうそのまま眠りこけて死んでしまった方がどんなに楽だろうと何べんも思った。  あたりがほの白み出すとすぐ、とにかく歩きはじめることにした。吹雪は少しもおとろえない。みんな意識がもうろうとして来て、意志も何もない。ただ本能だけで歩こうとしていた。  みんなは再び離れ離れになった。  一人はスキーの片方を崖下《がけした》にすべらせてしまい、一人は崩れるように雪の中に坐り込んだ。  山小屋の残留者たちの捜索網に、最初の一人がはいってから、あとの三人は次々に救出されたが(スキーの片方を失った者もひどい凍傷を起していたが救けられた)最後の一人が仲々見つからず、その日の午後の四時頃になって、遂に凍死体となって雪に埋もれているのを発見した。  くりやの大囲炉裡《おおいろり》で番頭と話をしていたときに、そこにはいって来た学生から、右のようないきさつを私は聞いた。  死体はスキーにくくりつけて、学生たちが交替に引っ張り、Gの谷間を通らずに直接A町の方におりて行ったという。  Gに連絡に来たその学生は、眼も鼻も唇も氷漬けの中から出てきたような具合に、凍りついた無感動な調子でそれを話してくれた。番頭にココアを濃くねったものを作って貰って、もどかしい位ゆっくりなめながら、無表情にそれを語った。  その夜の入浴のとき、私は学生たちの、あの無遠慮なざわめきが耳についてきてはなれなかった。  死んだ学生はどの人であったろう。あのリーダーと人選のことを相談していた学生だったろうか。私の草履を無頓着にはき代えて行った学生だったろうか。  彼らの中の誰かが、殊にあのもったいぶった顔付で先発隊のことを相談し合っていた二人が、そっとやって来ていて湯槽の片隅にうずくまっているようで困った。  よほど気をつめていなければ、こちらのエネルギーが負けて、彼らの姿がそこに簡単に現前しそうに思えた。  それは恐怖ばかりでもない。自分の影がうすく消えて行ってしまうようなたよりない気持であった。  その夜白皚々《がいがい》の雪原を、友だちに引っ張られて麓の町の方に下って行く、スキーにくくりつけられた学生の死骸が、まぶたに焼きついて眠れなかった。明朝夜があけたら、しゃにむにここを下りてしまおう、と冷いとこの中で寝返りを打ちながら、私は気ばかりはやって、益々眼が冴《さ》えてしまった。 (昭和二十九年九月)   川にて  岬《みさき》に行きたいと思った。そこは小さな島だが、とにかく土地の終末のところが見たかったからだ。Qに案内をたのむと彼はすぐ承諾した。風が出ていて、思い出したように霧雨が通りすぎた。ゴム長靴を借り、雨衣を着た。門口を出たところで、岬に行く前にちょっと川を見たいんだがと私は言った。「そうですね、じゃ、ゆあみをして行こうか」と彼は心得顔でそう言った。川とゆあみとどう関係があるのか分らぬままそこで私は「うん」と気軽に返事をしたのだが、しかしそのとき、川がゆあみ場でもあることを、潜在的なことを問題にしなければ、私は知っていたのではない。でも彼の言い方には或る感じがあったので思わず、彼が前に言ったことばを思い出した。「わたしの部落のゆあみ場は男も女もいっしょなんだ。はじめはへんだったですが、もうなれてしまって何とも思わない」。「なれてしまって」どうこうと言ったのは、彼が生まれたのは本土のどこかだったのが最近島の部落に帰ってきていたからだ。どういうつもりで私にそんなことを言ったのかは分らない。そのときの会話のあとさきと関係なしにぽつんとそのことばだけ投げてよこすふうに言った。それはしばらく私のこころの中でしこりになっていた。そのことを思い出してみると、「うん」と返事をしたことにかげがさした。もともとゆあみ場の方により関心があるのに遠廻しに川を見たいなどと言ったと受取られただろうという思いがわいたからだ。川はこの島ではただ一つの水汲《みずく》み場であり洗い場であってゆあみ場でもあることを考えなければ、よそ者が水汲み場を見たいと申し出ても、ことばのうらにしめっぽさはくっつかないはずだ。この島はおそろしいほど水の不便なところとして知られていたのだから。そして島の中のどの部落も、ただ一箇所だけ水の出る場所があり、それを川とよんでいた。川といっても、地表に延々と露出した水の帯の横たわりのイメージを描いてはあてはまらない。島の中では水脈はみな地下にもぐっており、ここで生活をする人々はそれをさぐりあて、どこか一箇所だけをあらわにして、川と名づけた。「さぐりあてる」というよりは、風雨に侵蝕されてなにがしかの作用を受けてでき上った大きなたて穴のような凹《くぼ》みを「利用した」と言った方がいいかもしれない。水がそこだけにしかないとすると、部落民の生活はおそらくその場所に濃厚にしぼられてくる。そこにはきっと異様な沸騰があるにちがいない。だからその沸騰のさまの現場を見たいと考えることは、名目が立ちそうだ。ではその川がどこにあるかは、部落を縦断し隣の部落から逆の方向の隣部落に通じている島の環状主道路を通っただけでは、分りにくい。部落の中では横にきれこむ枝道は多いのだし、その毛細道路はいわば迷路になっていて、どこで行きどまるか、はかりしれない。Qの部落は島の中でも一番大きく、全体が中高にもりあがっている。珊瑚塊《さんごかい》の石垣を家のまわりにずんと高く築くか、又は自然に布置された岩礁をくりぬいて路地や塀《へい》にしているので、それぞれの屋敷の全貌を外からうかがうことはできない。誰かよそ者が環状主道路を歩いて部落にはいってきたとすると、内部に秘密そうに導かれている枝道の入口入口に、顔立ちのしっかりした老人が腰をおろし両のひざに頬杖《ほおづえ》をついて侵入者を見ているような気配にぶつからないわけには行かない。それを感付いたとき、入来者のからだには或るうしろめたさが波状にわきあがってくるのを覚えるだろう。そしてそのあとでは部落の中にたった一箇所だけ存在するのだという川がどこにあるのかをつきとめることは容易ではなくなる。しかし実際には、どの部落にしてもその部落のからだつきが考えられるからそのどこの部分に外部の者の目撃を防がなければならない場所があるのかを感じとることはそれほどむつかしくはない。本当に困難なのは、そこだと感じとった場所に「近づく」ことなのだ。私の場合はいきなり本陣にはいりこんだかたちでQの家に居付いた。Qの家は部落長をつとめていたから、彼の家のひさしの下に身を置くことは、ひとまずは保護色をまとったつもりになれた。それがよかったかどうかは分らないけれど。  Qは私をゆあみにつれて行くために家の裏手に廻ったが、そのとき彼は今着たばかりの雨衣を縁側に置いて行ったので、私も彼に従った。私は川に行きたいと言ったのだから、その承諾の意味でならゆあみして行こうという返事はおかしいのに、私は先廻って納得している自分をひきしめることができない。生垣に沿ったアカギの大木の木蔭道は、女たちが大型の壺や桶《おけ》を頭の上にのせて、胸をはりゆったりした態度で、腰をおうように振りながら行き来していたが戻ってくる女たちに、より匂やかなのびのびしたそぶりの感じられたことがいぶかしい。戻ってくる? とつい書いたが、女たちの身のこなしには、どうしてもどこか特定の場所に「行き」そして「戻って」きたふうな安らぎがあった。そのことは私を気おくれさせる。女は年寄りも少女も例外なく頭上に水をかつぎ、その姿勢は彼女たちの目もとをきまじめに見せた。目の高さで前を見つめさせ、わき目をゆるさないからだ。多くはその固定した目付ですれちがって行くが、中にはQにとも私にともなく送る挨拶のため、胸から上をまっすぐにしたまま軽くひざを折って行く女もいた。その挨拶は、ふだん数限りのない行き遭いのなかでたまたまとり交わされたものなのかまた特定の場合にだけ送ってよこす何か差別の了解があるのかは分らない。Qの家が部落長の家であることが、彼と行動を共にするときに部落内で起こるすべての現象の原因であるかどうかは知らないが、私にはQが部落をはなれた別の場所でのときとどこかちがっていることに気がつきだしていた。もし私がそのときそれらのことについて何かの説明を求めても、彼からは真実のことが何一つきき出せそうにないと感じさせられるものがあった。といって、彼が自分の部落のすがたを或る部分はかくして私に示そうとしたわけではない。見せたくないような所があったにしても、そのときはむしろまっ先にそこに私を導いて行くにちがいなかった。すれちがう女たちの目もとはまっすぐ前に向けたままなのに、頬にうっすら微笑を浮かばせるのが、いっそ気がかりであった。それはその女が今行ってきたばかりのその場所を知悉《ちしつ》している心安さからなのだろうか。Qの方を見ると、彼は口をつぐみ、表情をこわばらせている。彼に先導をあずけた私は探険者の不安を背負わなければならない。  川の流れの浮流物が突然渦巻の中にまきこまれるように道が急に下の方に分れて行くところにやって来、私は自分が奇妙な行為の当事者になろうとしていることに気がつくと、軽い戦慄《せんりつ》に襲われた。すると、外部の世界では絶対に弁解のつかないあの内部の論理との境界での戦いから生ずるためらいが、醗酵《はつこう》して私を酔わせはじめるのだ。その酔いにおちると私の行動は孤立してくるし、Qとのあいだの裂け目がどこまでものびて行って、つながらない。急激に広がって行く罪の意識の中で、私の行動は速度をおとし、さばかれることばかり待ち受けはじめる。といって私はQに救いを求めるつもりもなくその気持は起きてこない。彼の場合どのようなためらいもなしにその渦の底におりて行けるのだとしても又彼がそうすることは彼の部落での日常の生活の中にくりこまれていることで部落者として当然の権利だとしても、私にしてみれば、それによって言いようのない抵抗がわき起こってくるのだし、たとえ彼のことばに従ったことをとり消そうと思ってもそれは又別の抵抗に見張られはじめることだ。変事が起こるまでは何気なさを装おう日常の表情が私の決断をにぶくさせているだけでなく、私のからだをゆあみ場の方に身軽につき動かすバネがいつのまにか強いはずみを加えてきているのを感じないわけには行かない。私はむらがり起こるこれらの未知のことどもを手さぐりでときほぐしそれに反応してきたのだがこれから先も事態がそれに応じたすがたで展開してくれるかどうかは分らない。くりかえして言うが、私にはQがゆあみ場に行こうと言って誘導してきたその場所がどうなっているかについては全く分らない。しかもQが私のことばに反応しての行動だとすれば、私は彼に川の方に案内されていると考えていいはずだ。気がつくとあの若干ざわついた風と雨の天候は、いつのまにか私の感覚の外に出てしまっていた。そしてその部落の枝道から急に渦巻状に下り坂になった場所が、ほかの場所にくらべて調和を破ってしまうほどにも格はずれて規模の大まかなのに気づく。大体に一つの城砦《じようさい》のように密集して立体的な外観をもっているその部落の中では、人々の動作はひどく勤勉そうに見えたのだが、しかしいったんこの渦のふちからはいりこんでくると、とたんに人々は小さくなり、間のびして、のろのろと写るのもふしぎであった。そして外界の天候が感覚の外に逃げたように、そのときまできこえていた部落の中のさまざまの鋭い音が、はぎとられるように消え去り、まるでにわかつんぼさながらに、こまくのぐあいがへんに遠い気分にひっぱられ、あらためて渦の底の方からきこえてくる底光りのするようなにぎやかな気配に気がつく。それはこの世のものとも思えない、猥雑《わいざつ》なほどに底ぬけに明るいにぎやかさだ。そちらの方から上ってきてすれちがう頭に水をのせた女は、あきらかにそのにぎやかさを浴びてきた確信を示して、いっそうにぶい動きに見えるのだ。そして彼女らがすれちがったあとには、香料のにおいが、かすかに立ちさわいで私に残される空気の中にまざるようだ。  私はQが誘って行ったその場所をとうとう見た。そこはやはり川であった。地表に横たわるそれではなしに、地表から渦巻の部分だけ蚕食されて凹み、その底に地底にひそむ川の一部がこんこんと湧《わ》き出ていた。もちろんそれはすぐ又地底の水脈の中にまぎれこんでしまうのだが、露出した部分はいわば深山の渓谷のようなぐあいに幽邃《ゆうすい》な雰囲気《ふんいき》におおわれ、部落の人々はそこをコンクリートではなはだ人為的に仕切りを設けた洗い場にこしらえていた。地表からかなり深く凹んでいるために地の底からしみ出てくるひんやりした空気は、からだをひきしめ、その場景はひとながめに吸収できるのになぜか人々のこびとのようなうごきのところだけが目にはいった。そこは部落の者でさえあれば誰でも誰にことわりを言うこともなしにやってきて物を洗い又自らを洗うことのできる場所だ。だから人々には日常となっているはずのその場所なのに、いきなりそこを見た私は、かたわらに五色の糸が濡れそぼれた犯罪現場に立合ったようなショックを受けてしまった。そこには何か最初の凝視をそむけさせる原色のきつさがあり、とらえにくい騒音があった。おそらくは、生活のきしりやその垢《あか》だとかがそこで洗い流され、よごれた水がしばらくは洗い場の周囲によどんでいるためであったろう。私は思わず足がすくんだ。ここは部落の外の者がやってくるところではない。よそ者がやってくるどんな理由も許されそうにない冷たい拒絶が、そこでかなでられている部落者どうしの許容の顔付の下から発散されていた。そこによそ者が一人でもやってきたときに、ふだんはひそんでいる熱が異物に触れて活動しはじめるふうに、濃厚な波状の放射となってよそ者を襲った。私が別にどんな雑音を出したわけでもないのに、鋭くふり向いたいくつかのつきささるようなまなざしが私をすくませた。私は思わずQを見る。しかしQは青銅のように無表情なのだ。そのようなとき彼は私の盾になってくれるはずだと思っていた。くるりとくびすを返して逃げ帰りたいと思ったが、しかしもうこんなに深入りしてしまったからはそれもいくつかの煩瑣《はんさ》と障碍《しようがい》にとりかこまれていて容易ではない。私の思う通りQが考えてくれて、無言のまま意志が通じ、一緒にさっとくびすを返すのでなければ、おそらくこの場を脱出することはできまい。ところがQ自身も彼の意志だけでは行動を中止することができない。行きあしのついた船のように、物理的な終末に襲われるのでなければ、このことからはのがれられない状態に陥ちた。私は軽くQを憎みはじめた。おそらく彼も私が憎らしくなっているにちがいない。そして尚も洗い場の方に近くおりて行ったのだが、たちさわぎ浮き足立ったこころでは、もう事態を冷静に見てとるわけには行かない。目にとびこんでくる現象はばらばらになっていて、むすびつけて意味を持たせようとする操作ができない。おちつけ、おちつけ、とかわいた唇の上でつぶやいていると、洗い場と反対の、滝壺のような感じのたにあいのところに、なおその上に、ゆあみ場を見てしまう。Qが唐突に口にし私がこだわったそのゆあみ場。ガジマルの群葉や気根が覆いかぶさっているその下に小さな木小屋が設けられ、そのなかから、あの耳なりの中のにぎわいの根源がふつふつとわき出ていることがやっと私に分る。目のあらい板壁からは湯気がもれ出て小屋をつつみこみ、扉のない入口のそば近くまで、ゆあみする女たちが坐ってからだを洗っている。私はみうちがあつくなり、どうしてよいか分らぬのに、足はそちらの方に向いて行った。Qの案内を受けなければならないのだから彼のうしろに従おうとするが、彼を私の前に押し出すことに成功しない。歩みをおそくしてもどうしても自分がQの前に出てしまい、矢おもてに立たされたかたちになる。その場所でのどんな作法も私は知らないのだから、Qがどんどん先に立つべきなのに私を先に押し出すのはどういうわけか。私は汗をびっしょりかく。おしつけられたとまどいの中で私は又自分の服装が、自分をのぞいたほかの誰のものとも様子がちがっていることに気がつく。救いを求めるつもりでQを見直しても、その服装はいかにも部落者らしく、色のあせた払下げ軍服の作業着だ。女たちは芭蕉《ばしよう》衣かQと同じ軍服を仕立て直したスカートを身にまとっている。私はといえば背広の三つぞろいにネクタイまでしめていた。その目立つ背広をどん なに早くぬいでしまいたかったか。ゆあみ場の入口のところでやっとQを自分の前に押し出すことができた。うす暗くてせまい内部から女たちの目は何かけだものの目のように二つずつ光って私の方を見ているにちがいない。そして白い歯でお互いに何かほかのことを際限なくしゃべりながら目だけは私の方に集めてよこすにちがいない。きっと、私の素性がそこでさらしものにされる! と私は思った。しかし実際は予想に反して、女たちは私を無視した。それは肯定の安らぎで私をも包みこむふうなやさしさを伴っていると受取れるぐあいにだ。それでふと私はQに全く他意はないと断定しそうになったほどだ。でもそのときになってもQはともすれば私のあとになろうとする気配を濃くしながら、どうにか先に立って中の方にわけ行った。といっても三坪ばかりのせまい木小屋のまんなかに設けられた小さな湯船のまわりに並んで坐った女たちが重なるように両足をなげ出しているところを、足のふみ場をさがしまたいで行くのだから、かなり手間どった。私の目は既に冷静を失い、焦点はうつろに、水平に前の方に向けられているだけだ。ふみ場をえらぶときに目をおとすので、そのとき、私を見上げている女たちの目をいくつかはとらえたはずなのに、一つの個性をもつかまえることができない。自分の足にゴム長靴をつけてきた残念さばかりが頭にのぼってくる。しかし私はQが長靴のままはいって行ったのに従ったまでだし、女たちはそれを非難してるようでもない。非難されなかったことは、「一つの」としか形容のしようのない感動となって、あやうく、積み重なってきた緊張から私を解放しようとしかけた。しかしもし途中の過程がはぶかれるならば、私はそこから廻れ右をして戻ることをえらんだだろう。 「分った、分った!」とからだの中からつき上ってくる声があった。小屋の奥には粗《あら》づくりの脱衣箱が板壁に打ちつけてあり、Qはそこにたどりつくつもりらしい。女たちはゆあみのつもりで軽衣をまとってくるから、脱衣にひまはかからない。芭蕉衣はただぬいつけた帯紐《おびひも》のむすびめをほどくだけでことがたりる。ゆあみのあとでからだがほてりすぎるようなら、そのまま洗い場の方に歩いて行って、地の底をくぐってきた冷たい川の水でからだをひやせばいい。そしてふたたび芭蕉衣か軍服を仕立て直したスカートをつけて、壺か桶に新らしく汲んだ水を頭にのせ、胸をそり、目もとを水平に保って、渦巻状の坂道を部落の中の自分の家の方に帰って行くのだ。私は今そのことが分った。そして今その底の現場のところに来ているのだという自覚が、重く沈んだ感じで私を襲った。そのとき私はかけ値なしに一個の裸者であった。私は自分の着衣の大げさを羞《は》じながら、いそいでぬいだが、私よりもっと早く脱げるはずのQはぬぎ終っていない。彼は或いは私をためそうとでもしているのか。そう思うと、ここにおりてくるときから彼は一言もしゃべらなかったことに気がつく。すると舌がこわばって気軽に彼に話しかけることもならず、私は脱衣箱の壁に向って立っていたが、いつまでそうしても居られず、気持に反動をつけて、湯船の方に向き直った。湯船は一枚の板で仕切られ、女たちがこみ合っている背中合わせの湯の中では、としをとった男がたった三人だけ、首まで湯につかりながら三人が三人とも、私を見つめていた。その目の光りを受けとったとき、私は了解できた。やはり来たるべき瞬間は、用意されていたのだし、そしてまぎれもなくやって来た。女たちのひとみの中にではなく、少しおそくやってきただけだ。私はQが下着の紐のむすびめをしきりにほどこうとしている姿を背中に感じながら、湯船の中にはいって行った。すべてが急ごしらえの粗雑さで、床板も間に合わせのものだし、よく見ると木小屋の半分は、たにあいの淵《ふち》にのり出していて何本かの細いくいで支えられているだけだ。湯船で使い流される湯水はすべて床板のすきまから、その淵の方に流れ落ちていた。女たちの方との区切りになっている仕切板は、どこかをかんたんにとめて浮かしてあるだけで不安定に動くので、私はそちらを背中にし、たにあいの方を見るようにした。その方には板壁がなく、たにをへだてて樹木の生い茂った崖《がけ》と向き合うことになる。そしてななめ下のところにさきの洗い場が見おろせて、そこで女たちが水を汲み、物を洗い、中には湯でのぼせたからだをひやしているのがながめられた。湯船の中の三人の老人をのぞいては男のすがたが認められなかったのは、ただ時刻がそのような時刻であっただけらしい。しかしたとえ男たちをもっとまじえたにしても、そこでの女たちの了解の調和がみだされそうではない。その疑いのない気配は私にも感じられたし、そうするとなぜか私はことさらによそ者の立場につきおとされ、ひどく孤独な思いになった。ところで私は自分に向けられた執拗《しつよう》な視線が相変らず注がれていることを感じて、目を湯船の中に移すと、私の目をとらえようといらいらしている老人たちの目とまともにぶつかってしまった。彼らは私のすがたをゆあみ場に見つけた瞬間から私を監視しつづけていたにちがいない。反射的に私はとらえた二つの目に視線を釘《くぎ》づけにするとその老人はうす笑いをしてひとみを伏せるが、視線をはなすとすぐ追いかけるように私をうかがう。私は彼らを無視する態度を露骨にして顔もからだも固くした。三人のその老人たちを区別して見分けることなど私にはとうていできっこない。彼らは枝道の入口に端正な顔付で腰をおろし外来者をうかがっている老人たちとそっくり同じだ。いくらたちきってもまといついてちくちく刺してくるしびれくらげのひも足のように、無気味な意志をむきだしにぶつけてくる。Qはといえば衣服はぬげたのに、湯船の中にはいってこようとはしないで、そのままからだを洗いはじめた。私はちょっといたたまれない気持になり湯船の外に出ようとすると、老人の一人が「けっ」とのどにつかえた声を出した。おそらく私に何か話しかけるきっかけのように思えたので思わず身構えると、案のじょう、「あなたは、どこからおいでた?」私の顔をまともに見ながら話しかけてきた。ずい分大きな声だったから小屋中の者が、もちろん女たちにもききとれたと思えた。するとそれが合図でもあるかのように、あとの二人は乱暴に立ち上って湯船を出た。そんな問には返答をしなくてもいいはずだ。しかし私は答えていた。「Nからです」老人はしばらく口をもぐもぐさせ「Nの町の人なら、こういうところに来なくてもいいはずだがな」と相変らず私の方を見ながら言った。私は黙っていた。ひとくちに彼らに説明できることでもない。すると老人は又言った。「Nの町の人なら、こういうところに来なくてもいいはずだがな」そして少し笑って「へんだな」とつけ加えた。私はいっそうかたくなに口をつぐんでその老人を見た。彼の詰問にどんな弁明があるだろうか。ことに私はすべての鍵《かぎ》をQにあずけたつもりでいる。もしよそ者がここに来ることがいけない取りきめになっているのなら、Qがそのことに対処してくれるのでなければ、私にはどうしようもなかった。しかし究極の行為の責任は私だという考えが私をがんじがらめにしている。Qは老人のことばがきこえているのに、湯船の中にはいってこようとはしない。女たちのおしゃべりは相変らずつづいていた。私はそこで仕切板を取りのけ、すべてのはだかの女たちを陪審員に見たてて自分の立場をときほぐして説明すべきであったかも分らない。老人たちがなぜ私をしつこい目つきで監視しつづけ、又意図のぼんやりした質問をふきかけてよこすのか、問いただしてはっきりさせるべきであったかもしれない。しかし、この部落に足をふみいれるとすぐ、例のうしろめたさにつきまとわれてしまっていることが、つまずきになった。でも老人の態度が癇にさわることもかくせない。どうしても返事をしなければならないことわりもなかろう。事態の原因をどこまでも追求するには、私は今はだかだということが障碍になっていたかも知れぬ。はだかだと彼らにはかなわないと思ったのか。うしろめたさはそのことと結びついていたわけか。私はどこでふみとどまらなければならなかったろう。そんなことをあれこれ考えめぐらしている私の顔に何を感じたのか、老人は何かぶつぶつ言いながら湯船を出た。すると入れちがいにやっとQがはいってきた。そしていきなり、はだかの気安さが装おうなれなれしさで、女たちとのあいだの仕切板を目まぜで指し示しながらこう言ったのだ。「いつもはこれもとりはずしてあるんだけどね……」私は思わず眉根をきつくしてしまって、そしてすぐその自分を恥じた。Qはとらえようのない遠い顔付で湯の中にからだを沈める。もう私は彼と話すどんな話題もなくなっていることを思い知った。彼のことばも、「じゃ、ゆあみをして行こうか」と言ったことばとのあいだは、全く無言であったことを確かめさせただけだ。私はこの場所を早くのがれたいと思うが、それにしても彼を先立てるのでなければ、女たちからまで、まだあからさまに向けられていない疑惑を、たちまちにして集中することになってしまいそうだ。とにかく、こころの準備もなくQについて、ここにやって来るまでの道すじの重さが、帰り道には、言いしれぬ恐怖をはらんで長く長く横たわっている。Qはどういうつもりで私をここに連れてくる気になったのか。私があまり早くゆあみを終われば、自分の所在ない危険な無防禦《むぼうぎよ》のすがたを、Qがあび終えるあいだ、老人や女たちの視線の中でさらしていなければならない。それは考えるだけで身がすくんだ。しかし私は長く湯の中につかりす ぎて、のぼせた。ちょうど老人たちが又湯船にはいってきたので、私はQをのこして湯船の外に出て、からだを洗った。ていねいにゆっくりゆっくり洗ったがすぐ洗い終ってしまう。そのままじっとしているわけにも行かず、又湯船にはいるとQは逃げるように外に出た。私は又もや老人たちの視線にとりかこまれ、気もそぞろになっていると、果して一人が近づいてきて私の横に並び顔をのぞきこんで「あなたはこの部落では見かけん顔だが、どこからおいでた?」と言った。それは前の老人と別に変った質問ではない。その老人は、先の老人なのか別の老人なのか私に区別はつかないが、別の老人であったにしても、さっきのやりとりがきこえないはずはない。それなのに全く同じと言っていいことを繰返してきき、私もまた、Nから来たのですと同じ答えをする。こんどはついでに「その」とQの方をあごでしゃくって「部落長さんのところに来ているのですがね」と、いくらか弁解がましくだめをおしてみたが、老人はきこえないらしく「町方の人がこのようなところに何のために来なさるのかね」と又変りばえのしない質問をした。さっきよりいくらか立ち入ってくるようだ。どうしても切り返して答える気持が起こらないので黙っていると、「町の人はこのようなところに来るはずがないのだがな」と繰返して言って(私は思わず、でも来ているじゃありませんかと大声を出しかかった)「あなたはNのCという人を知っとらんか」と話題をかえてきた。「Nといってもかなり広いですからね、部落でお互いを知っているようなぐあいには行きませんです」と私は仕方なく答えた。「Cという人が、このところにやってきたな。わしが住所をきいたら、Nだと言っておった。その人はNの町で菓子商をひらいとると言うとった。あなた、その人を知っとるだろう」「知りませんな」私はぶっきらぼうにそう答えると、思いきって湯船を出た。Qはうつむいてしきりに頭を洗っていた。老人は対手《あいて》の私が目の前に居なくなっても、「その人もNだと言うておった」と同じことを又言い「あなたのようにここにやってきたから、わしがきいたら、NのCだと言うておった。知らんわけはないだろう」と追いかけてことばを投げてよこした。私は湯船と老人たちを背にして脱衣箱の壁に向かい、からだをぬぐったが、ふいてもふいても汗が出て、仲々おさまらない。このままではいつまでたっても乾ききらないような気がしてき、そこに立っていると女たちの方からも見通しなので、いつまでもはだかのままではよくないと思い、そこそこに下着をつけ、ズボンをはき、上衣とネクタイはしないでカッターシャツをうでまくりし、壁に向いたままでQを待った。Qがぐずぐずしても彼があがってくるまではそうしていようと思った。しかしQはすぐ来た。そして「川の冷えた水を浴びると、とても気持がいいんだ」と言った。それは彼が私に言った三度目のことばだ。たとえ老人たちが居なかったとしても、はだかのままで女たちのあいだを通って、川のところまでおりて行きそこで水浴びをする気はとても起きそうになかったし、それに私はもう着衣していた。「ぼくはもう帰るよ、あびたければあんたひとりでするといい」ふき出してくる汗がべとべとして不快なのをおさえて私は言った。Qはそれには返事をしないですぐ衣服をつけた。彼の態度が移って、私もいこじなほどじっと同じ姿勢で立っていると、ようやくQが先に、女たちのなげ出している足をまたいで入口の方に歩いた。私は彼に従った。家畜小屋の中を通るような気がした。来たときと同じように私は彼女たちの個性を一つとしてつかみ得ない。小屋の外に出ると、やはり大気の広さと明るさがあり、私は思わず、ほっとした。そして気持のむすぼれはほぐれるようであった。おかしなことに何か浮き浮きした気分がつきあげてきて、口笛でも吹きたいと思った。Qにかぶせていたかげりも何だか思いすぎの滑稽なことに思えた。老人たちはおそらく私を警戒しすぎたのだろう。ゆあみ場の女たちの集合は、部落のしんのようであったとかえりみられる張りの強さを私に与えた。来たときとは反対に今度は自分が、匂やかな肌のかおりを運んでいるふうであった。部落からおりてくる女たちはほこりと汗でよごれていることが分った。私は今は既に部落の内奥のところの変身の場を見てしまったのだから、すれちがう女たちからの感受もちがってしまったことを自覚した。私にはこの川の部分が、部落の中枢でありそして致命地帯だと考えられた。老人たちの態度は無理もないのだろう。しかし、そこでの私はみにくかったと思えた。私は老人や女たちに、顔やからだのかたちを覚えられてしまったが、私は彼らを一人として識別することができない。私のあいまいな願望が、あのゆあみ場の木小屋の中にこもって残されたと思えた。私はこのとき自分が部落のよそ者だという意識にさしつらぬかれたようだ。この渦巻型のたて穴をのぼりきると、外界は、さきほどのあやしげな天候を維持していて、中断されたフィルムが再び動きはじめたぐあいに風と雨とがよみがえった。川とゆあみ場のところだけは、外の天候から白くとりのこされている感じが残った。  さて私は今後部落の人たちと、川に行かなかった前と同じ気持で顔を合わせるわけには行かない。彼らとすれちがう度に、私の気持には怖《おそ》れが交りこむ。もう私はこの部落を歩くのに顔を伏せなければならないかも分らない。自分の一生のうちには、ここの部落者には絶対になれないのだという重い考えが私を更になやませる。私とQは、そうして、珊瑚塊の石垣にはさまれた枝道を曲り曲り歩いてきたが、たまたま一人の青年と行きちがったとき(部落で青年を見かけることは珍らしかったが)Qがぎくりと歩みをとめて、思わずひとりごとを言ったのだ。「おや、あれは見たことのない顔だ」そのことばを私は一度はきき流した。しかしやがてそれは次第に頭の中にしみ広がってきて、私はおそろしさにぞーっと寒気だった。私にはその青年はこの部落の者としか思えなかった。しかしQは敏感に反応を示した。それは根深い自信をこめた声であった。私は最初の計画の通り、岬に行って海を見、そしてこの島の小ささも見たいと思った。 (昭和三十四年八月)   この作品は昭和五十一年八月新潮文庫版が刊行された。 Shincho Online Books for T-Time    出孤島記 発行  2002年5月3日 著者  島尾 敏雄 発行者 佐藤隆信 発行所 株式会社新潮社     〒162-8711 東京都新宿区矢来町71     e-mail: old-info@shinchosha.co.jp     URL: http://www.webshincho.com ISBN4-10-861184-5 C0893 (C)Miho Shimao 1976, Coded in Japan