[#表紙(表紙.jpg)] 大道珠貴 裸 目 次  裸  スッポン  ゆううつな苺  あとがき [#改ページ]    裸  選んだらしい。  自分の隣の席をぽんぽんぽんぽん気忙《きぜわ》しげにたたき、「ここ、ここ、ここ来《こ》んね、ここ座らんね、おら、ここ、ここ」上機嫌な声をあげ、あたしの源氏名を呼んだ。ムラサキちゃあん。  銀色のバッジが背広の襟でいかにもエラソウに光っている。どこもかしこも太っていて、匂いもかなりきつそうで頭もハゲている。歩み寄ってくるあたしの乳の揺れ具合をまばたきせずに瞳を凝《こ》らして見つめ、「膝のうえでもよかばい。どうね」強い力でぐいと引き寄せ、刺身でも食べるような口つきで、「チュッチュッチュー」といいながら吸っては顔を離し吸っては顔を離し、吸いついた跡形が残っているか目を近づけて確かめる。「若か女のエキスば吸わな、なぁ」  同意を求められた青や赤のバッジをつけたまわりの男たちは、やや困ったような、はにかむような、どこか慎み深い笑顔でこちらを注目しており、そのなかには|あの男《ヽヽヽ》もいたがあたしは気づかぬふりをした。抱っこされたかたちでぼんやりしているあたしは、おじいちゃんにあやされてる孫みたいだなぁ、と自分のことを客観視して愉快に思っているだけだった。  平気へいき、酔わなきゃ紳士なのよ、いつもはクールに決めてんのよ、なんたってドラゴンズクラブの会長さんやけんね。  さっき、あたしの耳へ、刺繍《ししゆう》いりのしろいハンカチで口元を隠しながらチーママが、なまあたたかいしゃがれ声を吹きこんだ。ほんっと平気、クールな紳士、常識はずれたことはせんひと。ほらほら呼びよんしゃあ、いってらっしゃい、ムラサキちゃん。 「ふわふわして気持ちがいいですね」といってあたしは自分の尻のしたに手をいれ、クールな紳士の脂肪を思いきりつかんでみた。「いいクッションになりますね」といってあたしがつかんでいる部分は、どうもコウガン寄りの下腹だったらしく、クールな紳士は「おうっ」とかん高い声をあげたかと思うとにやにや照れ笑いをした。それからあたしの胴体を両手でもち、下腹の肉の部分を上下させリズムをとって弾ませた。浮き沈みしながらあたしは店内をちょっと見まわしてみる。あちこちから冷ややかな視線が飛んできていた。メガネをはめていないのであたしにはどのホステスもどのボーイもよく区別がつかないし、区別がついたとしても興味はない。このバーでバイトをはじめて一カ月、客とは楽しく遊んだが、従業員とはひとりも親しくならなかった。 「ああ重かおもか、尻が重かなぁ、よっこいしょ」  尻をもちあげられてあたしはやっと隣の席へおろされた。ひと息つく。吸いつかれた頬が乾いてつっぱっているのを、あからさまにぬぐっては悪いと思い、なにげなく髪を扱うふりしておしぼりでそっと拭いていると、左ななめ前にいた女が歯茎《はぐき》をむき出して笑いかけてきた。「よく我慢したねぇ。嫌だったでしょぉ」  あたしは黙っていた。女はあたしの伯母《おば》である。  遠くのシートから美和姉《みわねえ》ちゃんもしきりにあたしのほうを見ているのが、メガネはなくとも姿かたちの特徴ですぐわかる。美和姉ちゃんは従姉《いとこ》である。あたしは唇だけを歪《ゆが》ませる。美和姉ちゃんはひとさし指となか指をぴんと立てる。あのひとは目があうたびにああやってVサインを送ってくる。 「おなかすかないの? ほら、オゴチソウがいっぱい。いまのうち食べときなさいよぅ」身をのり出し、秘めごとでもささやくかのように伯母がいった。口のなかで臓物色のなにかぐちゃぐちゃしたものが噛《か》み砕かれている。目の前のテーブルには、豪華そうな色とりどりの料理が所狭しと並んでいて、男たちがなにか鹿爪《しかつめ》らしい顔をし女抜きで話しあっている隙《すき》に伯母は、料理をつまんで口に頬張っているのだった。きっとあとで裏方さんに頼みラップか銀紙に包んでもらって、ウチへもって帰るだろう。  伯母は、素早く料理を口へいれてはいるが、ドラゴンズクラブの副会長だという白髪にパンチパーマをあてた|ちいさいおじさん《ヽヽヽヽヽヽヽヽ》に、肩を抱かれっぱなしなのだった。伯母は別にここでホステスをしているのではなく、そのちいさいおじさんにつれられて、一応客としてきているのだった。美和姉ちゃんとあたしをここにバイトとして紹介したのもそのおじさんだった。おじさんは、ひとと仕事、またはひととひと、の「橋渡し」をするのが好きな性分なのだそうである。「ものすごくいいひとやろ。どうしてこんな親切にしてくれんしゃあとかいなって、私いっつも思うっちゃけど、惚《ほ》れられとうけんやろうねぇ、やっぱ」と伯母はいうのである。「私なんにもしてやってないとよ、なのになんでやろう。どう思う? あー、あんたにはこういう話もしやすかぁ、美和ちゃんとは話せんもん、やっぱ。あの子はウブやけん、ほんと、あの子はぜんぜんすれてなかもん、だけん母親のこんな話をきかせるのは酷やもんねぇ」というのであったが、ウブとかなんとかいっても美和姉ちゃんはもう二十五歳なのだった。 「損得勘定なしやからね、おれは」とちいさいおじさんもあたしにいうのだった。「もうこのぐらいの歳になると、カネもベンジョガミに使うほどある。もうこれからは世のためひとのために働かんば。あんたたち若かもんがシアワセになるためにゃ、もうおれたち年寄りはどんな努力も惜しくなか」とちいさいおじさんも酔った勢いであたしにいうのだったが、あたしはおじさんがナニモノか詳しくは知らない。伯母が配膳係として働いている料理屋で、よくパーティーなるものをひらく男だということくらいはきいている。  伯母をアイジンとして囲っているというならわかりやすいが、伯母の取り扱われかたを見ていると、どうもアイジンにもしてもらえていないというのが現状のようだ。伯母は、ちんぷんかんぷんですという顔で、ちいさいおじさんの隣にちょこんと座っており、たえず微笑している。男たちがどっと笑えば、その方向へかすかに視線をあて、いっしょに笑う。「よそ様ではお上品に」というのが伯母の信条らしいので、笑うときは口をすぼめ、「ほほほほ」という。つまり笑っているというより、まわりにあわせてただ笑い声を立てているのだ。ふだんウチではハカタベン丸出しで、ふてくされたようなダミ声をしているのに、ここでは、だれか男がそばにいるときだけだが、死にかけの子猫みたいなかぼそい声を出す。卑猥《ひわい》を通り越して悲哀をあたしなんかはかんじるのである。「おなかすかないの? ほら、オゴチソウがいっぱい」なんて、そんな、ナニナニなの? とかいう疑問形、親戚一同、だれも使わない。オゴチソウ、なんて、そんなへんてこなコトバ、笑うにわらえず、姪《めい》としてあたしは心臓あたりがどきどきしていた。 「あんまりこういう仕事には慣れてないようですね」|あの男《ヽヽヽ》が、あたしの右ななめ前へ、水滴でぐっしょり濡れたウィスキーグラス片手に腰をかがめて移動してきた。「歳、いくつ? 二十五、六?」「十九。三十五、六?」と横顔のままでしゃべり、あたしはそのグラスへ氷をいれる。手元のウィスキーを流しこみ、男の前に滑らす。「歳はあんまりいいたくないね。オトコでも。まあ、四十のちょい手前ってとこかな、いいじゃん、そんなこと」と男は不思議なこたえかたをした。数秒会話しただけで、こんなにひとを不愉快にさせるひとも珍しい、とあたしは思い、男をまっすぐ見つめた。「副会長の知りあいかなんか? ぼくもね、ドラゴンズクラブなんですよ、下っ端だけど」と男がいったので、あたしは男の背広の襟の青いバッジを見た。「こないだもぼく、きてたんだけどね、そのときはおしゃべりしなかったね」と男がいったので、あたしは薄ら笑いを浮かべて男の目をじっと見た。こないだどころか、何度となくこの男がやってきているのをあたしは知っている。 「お酒弱いからね、ぼくは。すぐ顔に出ちゃってね。なんだかノリに遅れちゃうな、お酒のめない人間は。みんな楽しそうだな。お酒弱いと損だね」と男はあたしの直視を避けて片頬をなでた。いうほどに酔いはまわっていないんじゃないか? 四十ちょい手前の歳にしては言動がおどおどしすぎており、からかいがいのあるようにも一瞬思えたが、やはりどうでもいいかんじがした。酒が飲めないならグラスを離せばいいのに、両手であたためるようにもって膝に置いているから、ベージュ色のデザインスーツに水滴が失禁のようなシミをつけている。「あなたは、こんなところで働く子たちと、なにか雰囲気が違うな」なんて、こちらは腐るほどきいたセリフで、口説き文句の一種にしてはあまりにつまらないので必ず笑顔のサービスもしないで放っておくことにしているが、男はそのセリフをいって即、顔の皮膚をこわばらせ、あたしの反応を待つかのように上目遣いで、唇をつまんだり目尻を掻《か》いたりともじもじした。  男とあたしが会話しているのを、左ななめ前から伯母とちいさいおじさんが、まるであたしのオヤかなにかみたいに、いかにもほほえましげに眺めている。ちいさいおじさんの手は短く、伯母の肩にのせるのがやっとで、かなり無理な体勢だ。  ドラゴンズクラブ、というのがひとつの合言葉のようにこの店でははびこっているけれど、それがどういう組織であろうが、どの男のつけたバッジがどういう等級を示していようが、あたしにはどうでもいい。あたしの脳みそはどうでもいいことを即、記憶から抹消してしまう癖がある。それより、ちいさいとかハゲているとか、匂うとかおどおどしているとか、そういう特徴がひとつでもあれば、じゅうぶん客を憶《おぼ》えていられる。チーママから、あのねベテランのホステスさんってすばらしくきき上手なのよ、ムラサキちゃんにそこまでは要求せんけどもうすこし愛想よくね、と注意を受けたことがあり、あたしもその点じつに徹底して能力に欠けていると自分で思う、が、ただ、愛想はないかもしれぬが、ほんとうはそのドラゴンズクラブなるものが、「博多《はかた》の中くらいの規模のデパートの副社長、とか、あんがい流行《はや》っている商店街の主《あるじ》、とか、いつかエラクナルひととか、もうすでにエライひととか、かつてはエラカッタひとらの集まりだ」程度の理解はあるのだった。でも、とぼけている。知らぬふりをしている。ここではムラサキちゃんだから。で、客にも、できたらそんな肩書きなしで遊んでほしいのだった。ここでだから、抱っこされたりチュチュチューをされたりするわけである、客も、好きなように遊んでほしい。ここまでやってきて生真面目な顔をすることはないだろう。酒ものまずになにがおもしろい。のめないのになぜきた。かりそめにもここでは女を選べ、女は身体をさわらせ、その女が承諾すれば店が退《ひ》けたあとでも好きにすることが可能なわけである。女をものにするための大ボラ、駆け引き、スリル。遊ぶが勝ちじゃないか。なにをそんなに縁側で茶をすするじいさんみたいな格好で、女に怖《お》じ気《け》づいたりしているんだろう。 「チーママが見てますよ」と縁側のじいさんみたいな格好の男はいった。「マークされてるんじゃない? ほら、柱の陰から」 「ああ、幽霊みたいですね」とあたしはこたえる。「あたし、火ぃ怖くてライターつけるのが嫌だから、客がタバコ吸うのも気づかないふりするんでね」ボーイに合図してグラスをもらい、氷をいれウーロン茶を注いでゆっくりのむ。 「なんかぼくはああいう、こなれたかんじの女は嫌だな。だってあれはまだ子供じゃあないですか。なのにいっぱしに店を切り盛りしている顔してのさばってる。着物の着方もありゃなんだ。いかにも水商売じゃないの」 「だって水商売ですもん」と鼻で笑うと、男もここぞとばかりに朗らかな笑顔をつくった。笑いながら男は、奇妙にしろく細い女のような指でタバコに火をつけ吸った。笑いながらあたしは、美和姉ちゃんが指名されようとシートに座ったまま、きょときょとあたりに視線を送っているのに気づく。それにしても今日も衣装が見事に似あっていない。デザインがかわいいからという理由だけで選ぶからだ。かわいい水玉模様、フリル、リボン。あのひとはかわいいモノが大好きで、価値の基準もそこにある。つまりかわいくないおじさんはだめなのだ。 「奥さん、あんた、ほんとに純粋なとこがあるねぇ、それがいいねぇ」ちいさいおじさんが伯母の手を取り、指の一本いっぽんを撫《な》でながらいっている。伯母は肩をすくめ、「ほほほほ」と笑い声を立て、されるがままになっている。ふたりが「寝た」のかどうか、どうでもいいが、ふたりはどこか意識して「寝てない」関係を演じているようだ、わざとらしい距離感がある。かつて「寝た」ことがあるくせに、さもおれと私はお友達同士、裸を見せあったことなどございません、というような態度をとる男女などざらにいるが、それってなんなのだろう? と思いつつ、あたしもよくそうやってごまかすほうだ。なにがなんでも「寝てない」ことにするわけだ。事前に示しあわせていなくとも、一度寝た仲であると、なぜか共犯めいたことなんて行きあたりばったりでも、暗黙のうちにすらすらできてしまう。  伯母が、ノースリーブからにょっきり出た自分の腕をさすっている。毎晩風呂場で全身の産毛《うぶげ》を剃刀《かみそり》でそるのが習慣だそうで、「いつ男のひとにさわられても気持ちいい肌って思われたいけんねぇ」とおっしゃる通り、恐ろしいほど無毛でぴかぴかだ。「あんたも若いころから身体を磨いとったほうがよかよ」と助言してくださりもする伯母。「若い肌はアブラ塗っとうみたいにつやつやしとうねぇ、裸にしたらきれいかろうねぇ」と、まわりにだれもいないのを見計らって、追いつめるようにそっと耳打ちしてくる伯母。この伯母はあたしの母のすぐうえの姉で、女ばかり六人きょうだいのなかでいちばん早く結婚し、いちばん早く夫に先立たれ、それから以後、あたしの父と随分とまぁ仲良しだった時期があったようである。 「なぁ、そこのおふたり」とちいさいおじさんが伯母の肩に肘《ひじ》をもたせかけ、小指で耳のなかをほじくる、というたいへん横柄な態度で呼びかけてきた。「その男はサダくんといって、信頼できるいいやつだよ。で、そのイカシタお嬢さんはこのひとのメイゴさん」 「似てるでしょう」と肘もたれはにっこりしていった。 「そういえば、似てますね」とサダくんがいった。  あっちのかわいい衣装着てるのが娘ね、と伯母のかわりになってあたしはココロのなかでいった。  ちいさいおじさんにつれられて、伯母と美和姉ちゃんとあたしはここ半年ほど、あちこち食べ歩いた。台湾料理、いわし料理、ちゃんこ鍋、それから油染みで重たげな暖簾《のれん》をぶらさげたラーメン屋、生きたままをすする白魚の吸い物──どこの店主も、おじさんを知っていた。ただの常連扱いではなく、特別なモテナシかたをしていた。おじさんは、伯母のことを未亡人だと知っているのに、奥さんと呼び、それはこれ以上ないといっていいくらい蔑《さげす》んだ調子に響く。美和姉ちゃんはケモノのカンのようなものを発揮して、おじさんにすこしもなつかない。その態度が二十五にしてはあまりに幼い。頬をふくらましてぷんとしたり、爪を噛んだり、だだをこねる子供のようなのだった。四人でつれ立って歩くとき、たいていあたしと手をつなぐか腕を組むかしているが、高じて、揉《も》んだりしゃぶったりもする。幼いころからのつきあいであるからあたしは、髪の毛や首筋や耳たぶ、二の腕や肘の皮、指先の肉を、愛玩用具のように扱われてきたのだった。 「きょうで最後やなぁ、ここのバイト。どうね、ゼニはたんまりたまったね、ゼニは。どうせそのゼニでぷらぷら遊ぶっちゃろぉがな」とおじさんはまだあたしにしゃべっている。 「サダくん、このお嬢さんに、なんか仕事、紹介してあげろ」  おじさんと伯母とサダなる男、三人は保護観察者のごとくあたしを取り囲んで凝視している。 「よくわからんけど、モデルとかやりたいんだって? だったらこのサダくんにお願いして、いいとこ紹介してもらいんしゃい」  イヤ、イイデスヨ、と、自分でもびっくりするぐらい怒りのこもった大きな声があたしの口から出た。全身が小刻みに震えている気がしたが、屈辱で血の流れが早まっているのかもしれない。胃酸過多のときのような苦い液体もこみあげてくる。怒りは伯母へ向けられたものだったが、その顔をまともに見るのは避けた。  美和姉ちゃんがVサインを送っている。この一カ月間、あのひとがすっと立ってカウンターへ用事を頼んだり、ボーイになにかことづけたりする姿をあたしは一度も見たことがない。ウチでもテレビの前に座るといちんちじゅうだってそこに陣取っていられるひとだが、ここでも、一カ所に腰を落ち着けるともうちょっとやそっとでは動かない。口をあけてぽかんとし、テレビと対座しているときと同じ顔だ。いや、手鏡を覗くときの顔だ、あれは。肌身離さずもっていて、暇さえあれば食いいるように覗《のぞ》きこみ、長年いじくって青紫になっている右頬の梅干し大の吹き出物を、また性懲《しようこ》りもなくいじるときの、なんだか淫《みだ》らな表情。  伯母が媚《こ》びた声をあげた。おじさんの手が太もものうえにのっている。美和姉ちゃんは、女として母親を見、毛嫌いする、という時期はとっくに過ぎ、いまは無関心になっている。いや、あのぽかんとした顔のしたで、やられろ、と舌を出して叫んでいるかもしれない。それくらいの情熱はあるかもしれない。母親に話しかけられると、顔を背《そむ》け、低い声で虚ろにこたえる。それはもうすでに会話というより、美和姉ちゃんひとりの呻《うめ》きだ。そして呻きながらやはりあたしの腕にしがみついている。そうだ、ここのバイトも、あたしがするなら自分もするといったのだ、美和姉ちゃんは。しかも自分からはあたしにいえないので、母親にいってもらったのである。  あたしたち従姉妹《いとこ》はこの店でときおりふたりで並べられ、どうしたってあたしのほうが老けて見られるのだが、あのひとが嬉しそうにするときは、そうやって、歳を異様に若く見られたときか、小学生の少女のように痩《や》せていることを指摘されたときぐらいだ。美和姉ちゃんは肘の骨が飛び出るほどに痩せており、ビョーインにも通っているらしいのに(たぶん心療内科)、ビョーキを治そうとするどころか、痩せることに過剰なエネルギーを注ぎ、母親が心配してなにかいえばいうほど、ぎすぎすに痩せてゆく。ほら、と親指とひとさし指でワッカをつくり、二の腕へ通して、すごかろ細かろぉ、ワッカがすぽすぽ通るとよぉ、とシアワセそうに笑うのだ。私ぜんっぜん、きつくないと、貧血でもないし、便秘でもないし、私、ものすご元気よぉ。  ちいさいおじさんがトイレに立った。 「よかったねぇ」伯母は前かがみになって顔をあたしに近づけた。 「伯母ちゃんのおかげやろ。ほかにもなんかあったら、伯母ちゃんから頼んじゃあけんね」 「モデルクラブやってる人間、ぼく知ってますよ。地方だからチラシに載る下着モデルぐらいの仕事しかないだろうけど、でも地方にしては規模デカイですよ、モデル学校に二年ぐらい通えば、」とサダなる男が擦り寄ってきていった。 「恥ずかしがらなくってもいいのですよ」と伯母の語調が男につられてへんな具合になる。「モデルはあんたの夢やったのでしょう、高校生のときからの、ね。伯母ちゃんはちゃんと知っとった」  衣装室でも美和姉ちゃんとあたし(あたしはカーテンの陰に隠れて工夫しながらこそこそと)が着がえているのを見物しながら、伯母はしゃべりつづけた。コトバはほぼあたしに向けて投げられた。チーママがね、美和ちゃんとは、歳も同じやし、これからこのバーをしょって立つ「即戦力」になってほしいっていうっちゃけどねぇ。あんたもつづけるんなら、美和ちゃんもするやろうけど……。  ウンニャ、アタシハセン、とあたしはいった。腹の底から絞り出した声で。眉間に思いきり皺《しわ》を寄せて。そろそろあたしは限界に達していた。伯母はあたしの怒りを察知すると、とたんに小心になるひとである。そしてその場を取り繕《つくろ》うようにますますジョウゼツになる。ん、そう、そうよねぇ、こういう仕事はやりだすと足が洗えんごとなるもんねぇ、ん、フツウの仕事がばからしくなって、やれんごとなるもんねぇ、やっぱウチの親戚はさ、女ばっかしやけど夜の仕事なんてしてないもんね、働くっていったら地道に清掃とか皿洗いとか配膳やもんね。あたしたちにはそういう血が流れとうとよ、だって、ウチのおばあちゃんも、あんたたちはまだ生まれてなかったけん知らんめぇけどひいばあちゃんもひいひいばあちゃんも、女はみんな、じっとじっと堪《こら》えるみたいにして商売しながら畑も耕しよんしゃったとよ、知らんめぇが、あんたたちはまだ生まれてなかときの話やけんね、ウチの女たちはね、ものすご働きもんで、ムカシはごはん炊くのもカマドにいちいち火をおこさないかんし、だけんね、いつもしたばかり向いとった、畑耕すのも、だんなさんの小言きくのも、縫いもんするときも、いっつもしたばっかり向いとった、だけん背中があんなに曲がっとったい。おばあちゃん、背中曲がっとうの気にしとんしゃあもんねぇ、私もあんなに曲がるとかいな、いややぁ、曲がりたくなかぁ。  あたしたちがウチと呼んでいるのは、祖母の家のことである。 「ドブ川に沿ってずっとまっすぐ行ってください」タクシーにのるとき、博多のめぼしい繁華街からでならだいたい、こう大ざっぱにいえば、ウチの近辺に到着する。運転手さんもわざわざ、那珂川《なかがわ》ですね、などと正式名できき返したりはせず、ドブ川でじゅうぶん通じた。  一時期は、護岸工事のため景観がよくなったものの、だんだんに流れが弱まり水嵩《みずかさ》も減り、メダカもボウフラも棲まなくなって、どろどろした暗緑色のよどみに変化し、粗大ゴミが投げ捨てられ、犬か猫か鶏かの骨がころがり、川から吹いてくる風さえ気味悪く思えたときもあった。やがて町内会での住民の協力のもと、清掃され、いまではドブはドブですらなく、干あがったコンクリートがどこまでもしろくつづいているだけだ。そしてあたしたちのウチもドブに負けず劣らず随分と年季が入っている。  こんなところから脇に入ると家が? という、唐突に奥まった光の射さないじめじめした通路をすすむと、三軒、争うように軒をつらねて、手前から伯母、祖母、あたしのオヤの家だ。祖母の家には祖母しか住んでおらず、部屋数はたくさんあって、玄関以外はどこの戸にも鍵が掛けられていないので出いりが自由、数ある部屋のうち、二階の六畳間に美和姉ちゃん、向かいあった三畳間にあたし、それぞれオヤと衝突しはじめた時期ごろから、ほとんど勝手に住みこんでいる。といってもここ二、三週間前からあたしは1Kのアパートを借りてひとり暮らしをはじめているのだが。 「あれ、自分チにも帰らんと? あら寂しかよぉ、娘が会わんで帰るげな」タクシーからおりると伯母が早速あたしを引き止めにかかったが、いいながら伯母の身体はもうウチへと向いている。気がゆるんだらしく、不機嫌でつっけんどんなものいいという、いつも通りの伯母に戻っている。あたしたちは、ちいさいおじさんとサダなる男にバーの裏で待ちぶせされ、食事(博多一の味といわれているらしい一口ギョーザ)を御馳走になり、ようやく解放されて帰ってきたのだった。 「あんたんチ、電気ついとうやないねぇ。ちょっと顔覗かすだけでもしたらどうねぇ」  そういわれても、あたしは曖昧《あいまい》に笑う。そりゃ夜になれば電気くらいどこの家にも点くくさ、とココロのなかで悪態をつく。あたしはオヤを避けてはいない。そこそこ情をもって接している。ただ我が家の幸福感をこの伯母には嗅ぎ取られたくない、いつもちょっと不幸そうな雰囲気を漂わせていたほうが、伯母の執拗《しつよう》な関心から逃れられるということを長年の経験から学んでいるのだった。  はああ、と美和姉ちゃんが深い溜め息をついてから、タバコに火をつけ、思いきり吸い、思いきり鼻と口から煙を吹き出している。最後の給料をもらうとその足で、バーの向かいにある|セブンイレブン《ヽヽヽヽヽヽヽ》へ走りクロスワードパズルの雑誌を買っていた。ギョーザ屋ではみんなに見えないような角度でちらちらその雑誌をめくって、四角く区切られたマスメのなかに推理したコトバをペンシルで埋めていたが、さすがにおじさんと伯母に見咎《みとが》められ、けれども伯母にとって、この雑学を駆使《くし》して解いてゆくクイズは、娘が「博識家」であると晴れがましいらしく、「なんかちょっとしたこととか、ほら、冠婚葬祭とかのこととかさ、世の中のいろんなことでわからんことがあったら、美和ちゃんに知恵をハイシャクするとよかよ」と親戚じゅうにふれまわっているが、もちろんだれかが知恵をハイシャクしたという話はきかない。  そんじゃ、ん、きょうまで、まぁ、お疲れさまでしたぁ、ん、まぁ、と口々にいいつつ、なんとなくきっぱりとした別れの挨拶ができず、三人、つっ立っている。名残り惜しいのではない。習慣がないのだ。ばいばいも、おやすみも、おはようでさえ、あたしたちの暮らしにはなかった。祖母の家にはしょっちゅう親戚のだれかが遊びにきており、ひとが出たり入ったりしているこの敷地内ではいちいち顔も見あわない、笑いかけもしないし、せかせかと早足でそれがフツウなのだ。「ん、そんじゃ、これ、汁がこぼれるけん、傾けたらいかんよ」伯母はバーでもらってきた銀紙に包んだぬくい料理を、あたしの手に握らせた。ども、とだけいうとあたしは歩いて二十分ほどのアパートへ向かう。襲われんようにねぇ、美和姉ちゃんのあまったるい声が背中にぶつけられる。捨てられたタバコの吸いがらがアスファルトのうえで赤い光を保ち、静かに縮んでいた。  ドブを覗きこみながらあたしは歩く。どこに虫がいるのか、夏の終わりかけによくきくジィジィという声音がしている。風が湿っている。汗ばんだこめかみや脇のしたから体臭がやさしく匂った。ロングスカートのポケットに手をいれ、アパートの鍵を鳴らしながら、帰ったらまずムスクのお香を焚《た》いて、で、ミント系のエッセンスオイルを垂らしたお風呂にしっかり浸かろう、ヘアパックもしよう、と思った。あ、便器を洗うスポンジはまだ買ってなかったやん、どこで買おうか、ピンクとか緑色は嫌やしなぁ、と考えた。もう、あのバーの暗がりや客やお遊びや、シートの弾力やアルコールや香水や整髪料の匂いは、遠くかなたへきれいさっぱり消えていた。  伯母ちゃんがね、この部屋、汚いけん、もっと片づけさせろって。私が文句いわれるとよ、ちゃんとしてよ。おばあちゃんチっていっても、ひとんチってこと弁《わきま》えないかんよ。あんた、自分チがちゃんとあるっちゃけん、戻って来《き》んしゃい。早よせな、どんどん戻りづらくなるよ。と母はよく三畳間へ説教をしにやってきていた。日記も読みようみたいよ、あることないこと親戚じゅうにべらべらべらべら、ばらしよんしゃあよ。  いまと違って伯母はあたしをまだ恐れていなかった。親戚のみなさんからあたしは「不良」と呼ばれており、ぞんざいに扱われてもしょうがないとされていた。あんたんごたぁ不良はウチの血筋じゃなか、ウチにゃそんなのだぁれも居らんが。祖母は口癖のようにあたしに向かって毒突いていた。たかが一、二年前のことだ。  男を求めてさまよい歩きよった、くらいにいまでもおとうさんは思っとうよ、と母はいう。いいよそれならそれで、とあたしは過去に関しては投げやりでいる。あのころほんとうはだれと夜ふらつきよったとね? と母からいくら追及されても、だけんひとりひとりいっつもひとりやった、と自嘲するかのごとくにこたえる。悪い仲間さえいなかったんです、とココロのなかではつけたす。そう、ほんものの「不良」にスマナイくらい、あたしはあのころ不良らしいことはなにもしなかった。恐喝、シンナー、万引き、不純異性交遊、不良を謳歌《おうか》しているひとびとは、まさに活動的なのだ。それに不良とかなんとか、そういうことはやはり高校生ではなく、中学のときで済んでるもんだ、というばかばかしさもあって、あたしはいいわけもしたくないのだった。単に、高校生じゃなくなり、制服を着ることもなくなって、化粧し自分でカネを稼いでいたら、「改心した、よかった」といわれるようになっただけだ。  オヤの家じゃない、祖母の家でもない、別の場所で過ごす夜というのが、あたしは好きだった。高校へ行く途中に二十四時間営業の|ロイヤル《ヽヽヽヽ》があり、そこのソファがふかふかで、ホットケーキを食べながら座った姿勢でねむった。また、なぜだかあたしの通う高校はラブホテル街にあったので、誘われるとそのまま夜までいっしょに居り、冗談でなくそのころ性交の仕方を知らなかったし、ひとを笑わせようとすればあたしは連発しておかしいことがいえ、あの特殊なセットのなかではますます快調で、すると相手も損はしないと笑いころげてくれ、一度も犯されたりはしなかった。ねむったり、空中の一点を長いこと見つめたり、とにかくぼんやりだらだらした日々だった。右にすすむか左にすすむか、行動で立ち止まることがあると、十円玉を手のなかで振り裏が出るか表が出るかで決めればよかった。なんでもかんでも見るものかんじるものすべて、自分だけの記憶におさめられたし、忘れられもし、孤独のよさが身に沁《し》みた。嫌なできごとはあっても、嫌いなひとはいなかった。どの季節の、どんな夜も、それぞれ微妙に違ういい匂いがし、好きだった。  あんた、生理のときどうしようと? 袋につめた汚物がたんすの裏に隠してあったって、伯母ちゃん、それ見つけてぎゃって飛びあがったよぉ、って文句いいんしゃったよ。そりゃ、おばあちゃんチのどこにも生理の汚物いれはないけどさ(ここでふふっと笑う)、もうちょっとうまく隠せんかったとね。そりゃあ私も思うよ、じゃあ自分の娘はどうなんだって、思うけどねえ……おばあちゃんがいいよったけど、美和ちゃんの吐いたものがよく便所に飛び散っとうって。間にあわんで、便器におさまらんみたいで、床にこぼしとうって。そんなにたくさん突然吹き出るものかいな、気持ち悪かぁ。下水管がつまって、業者のひとを呼んだってよ。私、目撃したっちゃけど、居間にね、私が入ってきたら、なんか汚い色のたっぷりした洗面器、ささっと炬燵《こたつ》ぶとんのなかに隠したよ、美和ちゃん。かわいそうやけん知らんぷりしてやったけどね……たぶん、おばあちゃんとふたりのときは、おばあちゃん耳遠いし、感覚も鈍っとうけんってナメとっちゃろう、吐いた洗面器そのままそばに置いて、だけん、酸っぱい匂いがむんむん居間にこもっとう。オバチャンたちもみんな、わかってはおるけど、だれもなんもいわん。あんまりかわいそうで。まだ十いくつやったねぇ、美和ちゃんがお父さん亡くしたのは。それからすこしずつブウチャンになったもんねぇ。隠れ食いっていうと? ひと前では食べんくせ、夜なかにこっそり食べるようになってねぇ。で、今度は満腹になるとスプン喉《のど》に突っこんで吐くこと覚えたらしくてさぁ、なかなか治らんらしいよ、あのビョーキは。おばあちゃんチの買い置きの食料ぜんぶ食い尽くしてしまうし、どうしたもんかいなねぇ……。  母の語る伯母ちゃんや美和姉ちゃんの話は、耳を塞《ふさ》ぎたくなった。そしてどこか笑えた。いちばん迷惑しているのは祖母だろうな、と思った。  おばあちゃん子ではないがあたしは祖母を、仏壇や墓石に近く畏怖《いふ》している。粗末に扱えばバチがあたるという気がする。もしかすると自分の生まれたときから住んでいる家が、つまりオヤの家が、祖母所有の土地に建てられているという確固とした事実に畏怖しているだけかもしれない。ということは、祖母に対し、いつだって頭のあがらない父に、あたしは、どこかで同化しているのだろう。美和姉ちゃんの生まれたときから住んでいる家、つまり伯母の家も、祖母所有の土地のうえに建っているが、美和姉ちゃんはけろりとしている。畏怖どころか、祖母と背中あわせに昼寝をし、手もち無沙汰だからとペットの毛を撫でさするように、ちっちゃくてかわいいぃ、と祖母の皺だらけの頬や節くれだった手を無遠慮に愛撫している。  あたしが|あそこ《ヽヽヽ》を出て行ったいまも、美和姉ちゃんは、|あそこ《ヽヽヽ》にいる。もうバーのバイトも終わったし、また祖母とふたりで居間にねころびテレビを観、食べては吐き、|元気な《ヽヽヽ》暮らしを送るのだろう。|あそこ《ヽヽヽ》で子を産み、|あそこ《ヽヽヽ》で子を育てるかもしれない。あたしはいま、自分ひとりの暮らしをつくりはじめ、ステキなお部屋に、奮発して買ったおふとんを敷いてねむってはいるが、なぜだか、ときおり、便所で汚物や吐瀉物《としやぶつ》にまみれ、ひしゃくやら汲み取り用のスコップやらを何本も手にしたまま途方に暮れている自分の姿を夢に見る。  モデルのモの字もいいたくない。しかし今日は謝りにきているので、最初からあたしは低姿勢である。 「ほんとうにもういいの? モデル学校の看板を見ただけで、あれでよかったの?」といわれても、「ええ、いいユメ見させてもらいました、どうも」と頭をさげ通しだ。「せっかくサダさんにお骨折り頂いたのに──」とあたしははじめて名前を呼んだ。呼びかけた。「ほんと、いいユメ見せていただきましてそれだけでもう」そればかりいっているが、そのあたしのユメは、高校のときの日記のなかで完結していた。現実の自分と百八十度ちがうからこそ、ユメ見れた。現実の顔はねむりの生活でむくんでいたし、どこに自信があるわけでもないし、美容に気をつけてもいなかった。そこがあのくらいの歳の女の子の謎だが、まったく身のほどを知らないのだ、視覚が狂っているというか、現実の自分を引き受け切らず、鏡のなかの自分をそのまま視覚が脳へ伝達してなかったのかもしれない。歌手でも留学でもよかったのかもしれない。家を離れたかったとか、ねむってばかりの生活を改善したかったとか、だれかにザマミロといいたかったとか、人気者になってサインしたかったとか、それらはどれもあとから考えた理由だ。  あのころのことは、自分だけの胸にとじこめられれば、恥ずかしさとせつなさで済んだのに、伯母が記憶係のような顔でいるうちは、あたしのなかに罪のように巣食い、はたまた他人にばらしたからには、こうして尻ぬぐいをしにあたしは参上しなければならない、これだけは確かだ。  サダさんは、あのバーの客だったときから逆転し、あたしを笑っている。なかなか本性をあらわさないが、話の主導権を握り、笑顔にも余裕がある、おどおどもしていない。もうあたしの用件は済んだ。早く去りたい。「え?」とサダさんが何度もききかえす。あたしがぼそぼそしゃべるので、ききとれないらしい。あたしは今日メガネをかけていて、それは父からよく、「オカチメンコに見えるけん、やめなさい」といわれているからで、こうやってあたしにはコンプレックスをとことん掘りさげる日というのがあるのだった。 「あのさ、ここでだからいうけど、副会長とはかかわらないほうがいいですよ、内緒にしといてね、あのひと、かなり借金負ってて、たぶんもうすぐ自殺するよ」自殺、というコトバをいったあとでサダさんは興奮したように鼻の穴をふくらます。細い指がタバコの吸い殻をくねくねと弄《もてあそ》んでいる。「いまあのひと危ないよ、近づかないほうがいい、じゃないと巻きこまれますよ、伯母さんにもそれとなく教えてあげたほうがいいですよ、ほんと。下手すりゃ新聞にも載るかもしんない」さもオオゴトのように話す。あたしは喫茶店内の、あちこちに掛った数字のない時計を見ている。 「うちさ、いま奥さんと別居中でさ、ひとり暮らしなんですよね」唐突に両手でサダさんは顔を覆い隠す。きっちり七三にわけてあった髪がぱらぱらと左右に乱れる。 「そうですか」ああこういうとき、美和姉ちゃんのあのぽかんとした顔が有効だ、と思い、つくってみた。できるだけまぬけに見えるように鼻のしたをだらんと伸ばして。 「ひとり暮らしというのはたいへんでね、いつも外食ですよ。疲れちゃった」「そうですか」「家に帰ればあかりもついてなくて、侘《わび》しいもんですよ」「そうですか」──そして無事に話題は尽き、ふたりのあいだに長々と沈黙が横たわり、あたしは母と待ちあわせをしていたデパートへ時間通りに行けた。  秋物のからし色のとっくりセーターと、れんが色に紺のチェックのやわらかいマフラーを、母は買ってくれた。祖母の家に移動したときとは違い、あたしはあの敷地内からいま完全に姿を消したので、母は説教もできず、不満であり、不安であるらしい。また、伯母や美和姉ちゃんとは遊んでいるくせに、というひがみもあるらしい。モノで娘を釣ろうという魂胆なのだ。そして娘はちゃんと釣られてやるのだった。  母は、「脱走してきた」といってあたしのアパートにときおりくるが、泊まることはせず、またしおしおとおとなしく家に帰ってゆく。このところ、三軒の家が、あいだあいだのわずかな透き間のことで、ほうきを置くな、植木を出すな、自転車の空気いれが倒れていてつまずいた、なんだとちくちくやりあっているそうだ。祖母が伯母にいいつけ、伯母が母に文句をいう。母は父へいわずに、自分のなかにしまいこむ。伯母の不満も母に直接ゆき、父の不満も母へゆく。一度怒りが爆発すると、ずるずる尾を引き、もうとても険悪な雰囲気だそうだ。だから母は三軒の家を、発狂したセキセイインコ(実際、かつて我が家は飼っていた、羽があることを忘れたみたいに二本の足でかごのなかを休まず走っていた)のように行ったりきたりしているという。  父と伯母がちょくちょく寝ていたのは、あたしがちょうど小学三、四年生くらいだったときが盛んだったように思う。  自分の家で風呂を沸かすのがもったいないからと、祖母の家でいつも入っていた伯母は、よく素っ裸でうろうろしていた(現在もだが)。伯母の身体はあたしの母と違って、陰毛が驚くほどふさふさしており、胸と腰にたっぷり肉がついていた(現在もだ)。とにかくふたつのぶらさがった乳は尋常ではなく、へちまそっくりでいかにも重そうであり、「ん、重いよ、邪魔なときはね、こう、肩にのっける。さわってみんしゃい」とあたしに研究させたりした。「こげん大きいのはなんでかっていったらね、男のひとに揉んでもらうけんたい。あんたのも、男のひとに揉んでもらえば大きくなるよ。自分チ帰って、おとうさんにきいてみんしゃい」  父へきいた。するとその場にいた母はすっと台所へ立った。  やっぱり男に揉んでもらうと大きくなるとおとうさんがいっていた、と伯母へ報告に行くと、そうやろうそうやろう、と自分の胸を揉みほぐしつつ、「こうしてねぇ、あんたんチのおとうさんもねぇ、揉んだことあるとよぉ」といったのだった。  あるとき、宿題をしていると、母があたしの名を呼び、いまから伯母の家へ行ってこいという。子供は寝る時間で、ふだんならゼッタイに表に出してくれないはずである。「行って、おとうさんって呼ぶとよ。ゼッタイ居るけんね、返事するまで呼びぃね」  伯母の家には、だれもいなかった。真っ暗だった。祖母の家へ行ってみると、美和姉ちゃんが祖母とチキンラーメンを食べており、「伯母ちゃんは?」「家」「居らんかったよ」「居るよ」などと会話を交わしたが、床にべっとり座りこみラーメンに夢中の美和姉ちゃんにこれ以上つきあわせるのも気の毒なので、退散した。それからもういちど伯母の家へ行ってみた。さっきは気づかなかったが、裏の勝手口の透き間から、みかん色の豆電球がついているのが見える。あちこちの窓をがたがたと揺さぶり、どこかあかないかと探った。さすがに「おとうさん」と呼ぶのは憚《はばから》れ、「伯母ちゃあん」と呼んだ。その自分の声がやけに感傷を誘い、履いてきたつっかけを寂しげに引きずったりした──このシーンをいつまでも憶えておこっと、ドラマみたいやし。  父はここにいる、確信に近く思った。もう帰って来《こ》んかもしれん。絶望的な気分とさわやかな気分と憂鬱な気分が巻き起こった。伯母と父が肩寄せあい、息を殺してあたしが去るのを待っている。それならあんまりいじめてもかわいそうだからと、帰ってあげた。平然として帰ってきた娘を母は平手でぶった。あたしはなかなか泣かない子供で、しゃがみこんで膝のあいだに頭を突っこみ、自分の体臭を嗅いでいると安心し、そうやってほとんどの苦しみをやり過ごせた。役立たず、と母はあたしをののしり、壁に押しつけ、膝蹴りし、モノを壊し暴れまわった。あたしはココロのなかで叫んでいた。ばかじゃなかろうか。  その後、父は大胆になり、たびたび伯母のことを妙な抑揚をつけて、食卓で話題にした。すべて、嫌らしい話だった。ときにはあからさまに、「あーあ、ヒステリー女はやかましかけん、伯母ちゃんちに遊びに行こっと」といった。「行っていいや?」と母やあたしの顔を交互に見た。どうでもいい。いまあたしが頻繁《ひんぱん》に使うこのコトバは、きっと、そのころからのものだ。  母の身長を越したころ、一度、母を思いきり殴り返した。母はおとなしくなってしまった。あたしは数々の子供っぽいビョーキ──チック症、アトピー性皮膚炎、夜驚症、夜尿症──をもっていて、母を怖いと思わなくなったときから自然に治っていったが、いまでも、いざ性交しようという段階になると、夜尿症、つまり寝しょんべんのことが頭をもたげ、だから熟睡はしていられない。自分でカネを稼ぎはじめたころから男との性交も憶えたのだが、寝しょんべんがばれてもつらくない程度の相手をどこかで選んでいるらしい。だからまだ友情だけの男としか寝ていない。  それにしても、伯母と父の性交など、この目で見てはいないのである、みかん色の豆電球が点いていて、息を殺す気配があったとしても、それがどうして「寝た」ことになるのだろう。まったくの嘘ではないかもしれないが、事実でもなかった気がしてならない。  六人きょうだいのうち、信頼のおけるしたから二番目の妹に、母はつい涙ぐんで漏らしたことがあるそうだ。妹も、夫の浮気に悩んで、日赤病院の神経科に入院したことがあるからだ。が、妹は母を一瞥《いちべつ》し、「あんたの思い過ごしよ」といい、母は「ショックやった」そうである。「きょうだいやろうが、仲良くしぃよ」と、まるで相手にしてくれなかったそうである。「あんなふうに男に色目使う女なんて、きょうだいのなかであのひとだけやん」となおも伯母の悪口をいい募ったら、「あんただっていま、焼き鳥注文するのに色目使ったやない」──近所の、大学生の青年バイトが多くいる焼き鳥屋での会話だったそうだ──とつっこまれたという。祖母の面倒をよく看《み》ているのは、そばに住んでいる伯母と母のうち、端《はた》からはどう見ても、伯母なのだ。伯母のほうが祖母の家に多く出いりしているので、なんとなく親孝行に見えるのだった。  だけん告白なんてせんほうがよかったとに、とあたしはくすくす笑っていった。伯母ちゃんのほうが、信頼あついよ。  あんたいったいだれの味方ね、と母はくってかかってきた。え、あんた、どうでもいいなんていんしゃんなよ、だれの味方ね?  どのオバチャンの味方でもないよ、とあたしは本心をいった。でもみぃんなそっくりだと思う、ほんとに。  そうよ、私のきょうだいはね、なんやかんやいっても、悪い人間はひとりも居らんもん、と母は、結局おさまりよくまとめてしまうのだ。  いま、三軒の人間関係のうち、なにかとトラブルを起こし、呪いあって口もきかないのが、伯母と父らしい。 「いま、近くに来とうっちゃけど」と美和姉ちゃんから電話があったのは、バーのバイトから一カ月あまり経ったときだった。真昼で、あたしは種なしぶどうを食べていた。「この電話番号、オバチャンから教えてもらったと。よかったかいな?」  もちろん、美和姉ちゃんのいうオバチャンとは、あたしの母のことだ。アパートまでの道わかる? 住所まではいくらなんでも教えてないだろうな、と思いつついうと、「ううん、|ロイヤル《ヽヽヽヽ》。ロイヤルに居ると」と美和姉ちゃんがいう。「ここに来ん?」  おなかすいてないけど、ホットケーキなら食えるかな、と腹をたたいた。あの尻の重い美和姉ちゃんがあたしのアパートの近くにまできているんだ、とはしゃぎたい気持ちになった。そうだ、今年の夏は大濠公園の花火大会にも行っとらんし、十円ババアの店で線香花火でも買って、そこらの公園で過ぎ去った夏を惜しもうかねぇ、ちいさいころはお揃いの浴衣《ゆかた》をおばあちゃんに縫ってもらい、仏壇のロウソクをもち出し、それで火をつけ、花火をした、爆弾花火は美和姉ちゃんがやってくれた……などと、どこまでがひとりごとでどこまでが電話相手に話しているのかわからぬほどあたしは有頂天であった。すぐ行くねぇ、という自分が浮かれ気分むき出しの素直な声であるのに、感動すらしていた。  なにかへんだとは思ったのだ。  案の定、美和姉ちゃんは、男づれだった。男はふたりいた。ふたりとも、あのバーの客だったらしいが、見たような見たことないような、おてんとうさんのしたでは意識もまた違うし、あたしは始終無言のまま様子を窺《うかが》った。「偶然に会ったっちゃんねぇ」と三人は顔を見あわせていう。「いまからドライブに行かん?」と美和姉ちゃんがてきぱきした声でいい、その肩に、小太りの、日焼けサロンでいかにも色をつけてきましたといわんばかりの全身こげ茶色の男が、手を掛けている。金色のばかでかい時計。ヤシの木模様のブルーのアロハ。  あたしの目の前にいる男は、あたしが現れたときからずっと視線をはずさない。つまりあたしにはこの男があてがわれているのだろう。男は、あのバーで、ホステスにかなり人気があったそうである。「顔がいいから」美和姉ちゃんがそう説明すると、男は、そうそう、とうなずいて自己肯定した。ナントカ郡に、だだっぴろい田畑をもつ農家の跡継ぎだという。「ね、行こう、車二台あるし。ほら」と顔のいい男があたしの手をとった。「すごいとよぅ。このひとたちの車」美和姉ちゃんは車の名前や値段をいった。  何百万かするナントカいう左ハンドルの車が二台、ものすごいスピードでいきり立って去る。美和姉ちゃんが車のうしろ姿を目で追い、「私の相手、野球選手の|クドウ《ヽヽヽ》に似とったろうが」というが、あたしは野球選手に詳しくはない。「好みじゃなかった? でもね、彼女にはならんでもいいけん、つきあって損はせんよ。私、二対一で、あのふたりにドライブつれて行ってもらったりした。ぜんぜんカネもちなのをひけらかさんいい人間よぉ、ふたりとも」 「ウチまで送るよ」あたしはいう。 「まだあかるいよぉ」 「なんかてくてく歩きたいし」  こういうとき美和姉ちゃんは遠慮して断ることはなく、あたり前だというふてぶてしさもない。あたしの顔色を見ながらいわれた通りにする。  ほんの二十分の、オヤ離れできていない距離を、ドブに沿って歩く。高校の校舎の柵がきらと光る。アスファルトの割れ目からセイタカアワダチソウやヒメジョオンがはえている。このごろなんしょうと? しばらくして美和姉ちゃんがたずねた。「夜とかさぁ」 「戸じまりして、ねる」 「だってまだ十九やない、もう遊ばんとぉ?」 「美和姉ちゃんは?」 「私、楽しいよ。朝まで歌いまくって踊りまくってさぁ」いきなりスカートをめくりあげ、ストッキングのたるみを引き伸ばし、最後のしあげに、うんしょ、と相撲取りがシコを踏むような格好をした。化粧が濃い。あたしの知っている美和姉ちゃんなのに、どこか違う。そしてまた相変わらずの美和姉ちゃんでもある。髪にメッシュをいれているがどうもこれは「不良」ではなく、お洒落なのだろう。二十五にして遊びに目覚めたのか。しかし毛深いではないか、母親みたいには脱毛も脱色もしていない、肌の色もあの五十近い母親より、くすんでいる。息もチーズのような匂いがするが、これはビョーキのため、内臓がやられているからかもしれない。「私またあのバーで働こうかと思うとよぉ」美和姉ちゃんの両手はいつの間にかあたしの手をくるみ、大切そうに指をさすったり、頬へあてたり、匂いを嗅ぐ真似をしたりしている。 「あたしも、今度面接ある」あたしがいう。 「なに、正社員?」 「事務のバイト」 「えーっ、そんなの、ものすごく時給安くない?」 「安いね、バーに比べれば。でもさ、あかるいうちに働いて、夜はぐっすりねむりたいと。掃除とか洗濯とかもあかるいうちにやるとさ、世の中の色もありのままに見えて、気分もよくなって、こんにちわぁとか近所のひとに気軽に挨拶できるような、」と久し振りにあたしはまともにいまの心境を複雑なオトメゴコロもまじえて吐露《とろ》しようとしたわけであるが、「ねぇねぇねぇ、あたしたちの足も手も重なっとうよぉ、ぴったりぴったりぃ」てんできいてやしない。  あたしたちの足先から、影がひょろりと長く伸び、同じ速度で同じ動きをしている。風が冷たい。草の乾いた匂いがする。美和姉ちゃんは反対側にあたしの手をもちかえた。「ごめんねぇ、べたべたするやろ、汗っかきやけん私」そして握った手を前に後ろに振って、ふんふんふんと鼻唄をうたい、あ、そうそう、となにか楽しいことを思い出したかのような声をあげた。「そうそう、おばあちゃんが水団《すいとん》つくっとうよぉ」  あたしたちは足並み揃えて水団を目指しウチへ帰る。  美和姉ちゃんが汗を流しに風呂へ入っているあいだ、伯母がやってき、開口一番、お見合いせんね? といった。「ほんとは美和ちゃんだけにきたハナシやったっちゃけど、あの子、ひとりじゃ嫌っていうとよ」歯茎を見せて笑いながら、水団を丼《どんぶり》になみなみとつぎ、音立ててすすっている。「あ、|イケベリョウ《ヽヽヽヽヽヽ》ね、死にんしゃったとよ」なにげなさそうに呟《つぶや》いた。  ああ、ちいさいおじさんのことか……どんな俳優さんだったっけ、クドウは知らんけど、イケベリョウはきいたことある、ちいさいおじさんに似ている俳優かぁ、ええと──、と考えながらあたしも水団をお椀につぐ。 「結婚せんでよかったぁ、美和ちゃんが反対しとったけど、よかったよ」伯母がいい、「よかったろうが」美和姉ちゃんの声が脱衣所から届く。機嫌のいい堂々とした声だ。結婚するつもりでいたのか、とあたしは思わず吹き出す。伯母はそんなあたしを鼻であしらう。「よかよか、もうその話はナシ。イケベリョウは死んだけどさ、見合いのハナシは前からのもんで、イケベリョウが居らんでもなんの問題もないと。仲人は私ひとりでいいと。相手はふたりちゃんとモンチしとうと。せんね、二対二でお見合い? あんたは本気でなくてもいいとよ、つきあいでいいと、目立った格好せんでいいと。あんたはまだ若いけんね、それに男には不自由してないやろ。でも美和ちゃんはさ、もう二十五やし、なんかこのごろイイトコのボンボンとつきあいようみたいやけど、それはそれで置いといて、早く嫁に行かそうと思ってさ」  イイヨ。あたしは水団を二杯食べ終ったところでこたえた。小麦粉の粘りが口のなかに残る。居間には、水団の匂いと、美和姉ちゃんの使うシャンプーの香りが立ちこめている。 「美和ちゃん、バスタオルはあるとね」「あるある、あるけん入って来んでよっ」その母娘の大声の会話に、一年じゅう置きっぱなしの炬燵に寝ていた祖母が、「なんごとなっ」と、たまげて起きあがる。なんでもないなんでもない、とあたしがいうと、「ジョーダンじゃなか。このひと達の声くさ、びくぅとするごと大きかけん、あたしゃ目ん玉飛び出そうになるが」と訴える。「耳遠かくせ、ようきこえるねぇ」と伯母が茶々をいれる。おばあちゃん、水団おいしかったよ、とあたしがいうと、そこではじめて、「あら、どこのお嬢さんかと思ったら、珍しかな、なんね、ひとりは寂しかろ、帰って来んしゃい、帰って来んしゃい」と孫だと気づいてくれた。  神棚、祖父の遺影、確実に老いてゆく祖母、このウチには死が近しい。このウチにはだれかが死んだなぞという話をもちこんでも、女どもは平然とでき、笑い飛ばせるのだ。 「たまには帰りんしゃいね、ひとり暮らしでオヤのありがたみがわかったろ?」伯母が縁側の向こうの、あたしのオヤの家を、くいと顎《あご》でしゃくった。台所の曇りガラスの窓、こうこうとあかりが点き、ふたつのヒトガタが動いている。まさしく夫婦のシルエットである、ココロあたたまるほどに。  母からこんな話をきいたことがある。「私、あの伯母ちゃんとちいさいころから仲が悪かった。私がね、出歯、出歯、ってからかったけんねぇ。だけんやろうね、トシゴロになると、出歯ば、整形外科かどっか行って、すこし直しんしゃったよ」──え、あれで直したと? まだ出歯やん、とあたしがいったら、「いや、あれでもかなり直したほうよ。子供のときはものすご突き出とんしゃった。それを結婚前やったかな、直しんしゃったよ、やっぱり。……気にしとんしゃったっちゃねぇ」──顔のことでそれだけからかったんなら、自分の夫にすこしぐらいちょっかい出されたってしょうがないぞ、とあたしはそのときココロのなかで、母と伯母の対決を五分五分にしたのだった。  美和姉ちゃんが薄いタオルで前だけ隠し、膝立てて床に座っている。手をあげる。伯母が給仕のようなタイミングで水団の入ったお椀と箸《はし》を渡す。「これから忙しくなるねぇ。いい出会いは逃さんでさ、じゃないとあっという間にオバサンになるよ。たくさん男をつくって、そのなかで選べばいいっちゃけん、ね。やっぱ女には男が必要たいねぇ」娘と姪に向かって伯母はいう。隣町に住むいちばんうえのオバチャンが自転車でやってきた。鯨の背脂の酢みそかけをもってきたよぉ。女がまた増えたのだった。あら、だれね、冷蔵庫の卵受けに、座薬いれとうのは。TVの音が大きかぁ。おばあちゃんの耳にあわせて大きくしとったい。水団、もういっかいたぎらかそうねぇ。こんばんわぁ、夕飯たべたぁ?  肌ざわりのいいきれにくるまれ、しょいカゴにでもいれられて、ネェンネェンコロリィ、と揺すぶられているような心地があたしはし、ふと涙ぐみそうになった。赤ん坊ではなく、いまのままのあたしが、固い、骨と皮だけの、曲がった背中に、おぶさっている。こんなふうに涙ぐんだおぼえが、何度もなんども繰り返しくりかえし、数え切れないほどあった気がする。台所には次々と洗いものがたまってゆく。だれかが酒を飲もうといい出す。アタリメ買って来《き》んしゃい。ほら、おばあちゃん、オカネ、オカネ。催促されて祖母が財布を懐から出す。闇がようかんのように濃く、密になればなるほど、女どもの血は泡立つ。TVは消された。もう女どもの声しかしない。ざわめきをききつけた母が、つっかけの音を鳴らしてせかせかやってき、縁側からあたしの名前を呼んだ。 [#改ページ]    スッポン      一  イナカノババサンは、女であったが、おじさんかおばさんかわからない顔をしていた。潮焼けしていて、眉間に縦皴《たてじわ》がくっきり刻みこまれており、ほっかむりをとると、蕨《わらび》のようなかたちにパーマのかかった真っ黒な髪の毛があらわになった。夏ともなると、シャツをまくりあげ、腕をあげさげするすきにごわついた脇の毛がのぞき、汗の玉を吹き出していたりし、ますます印象を男らしくしたが、それでも声などはやはり女なのだった。草むらへ分けいり、中腰になって、おしっこをしているときがあり、その姿は、おひさまの光の下、実に堂々として爽やかだった。丸子は、子供のとき、なりたい職業はなぁに? と大人に訊かれるたび、「ない」とこころのなかでこたえていたが、食うための職業としては、イナカノババサンみたいなのがいいなぁと思い、いまでもちょっぴり思ったりする。  イナカノババサンの牽《ひ》いているリヤカーには山ほど海産物が積まれていた。魚の干物、めかぶ、ちりめんじゃこ、うにの瓶づめ、蛸《たこ》の塩辛、また、天ぷら、かまぼこ、ちくわなどの練りもの、あと、あさり、しじみなどは量り売りし、たまにビナという針でミをつついて食べる貝をサービスでざくざくくれてやるのだった。自家製らしい大福や干し芋や柚《ゆず》味噌もあり、いか燻製《くんせい》や皮はぎ、ふぐの珍味なぞの酒のつまみもあり、ちゃんぽんだま、ところてんがビニールにいれられてもあり、客が品を求めると素早く腕にはめていた輪ゴムをはずし、くくって渡した。  腕は、幾重もの輪ゴムのためくっきりと鬱血の線が刻みこまれていた。幼い丸子の目にそれは格好よく映り、自分も真似して腕を輪ゴムで鬱血させたりした。  イナカノババサンは玄界灘をフェリーで渡って来るらしかった。フェリー発着場に、丸子は小学校の遠足かなにかで行った憶えがあったが、荒い波のむこうに、不透明な霧の幕のかかった島々が見え、ただ見えているだけでなんとも言えずものがなしい風景だった。その、ものがなしき風景をぶち破るように波を割りつつフェリーがこちらへむかって突きすすんでくるのだった。  玄界灘のむこうには中国大陸や朝鮮半島があり、遣唐使の一団がこの港で風待ちをしたとかで、「はるかむかし、いま私たちが立っているこの場所に、古《いにしえ》のひとびとも立ち、長旅の前の想いを歌に詠《よ》んだのかもしれませんね」と引率の先生は言ったが、そんなことより丸子は、どこかはわからないがココじゃないところにイマじゃないがいつか、出て行ける、ということにそのとき気づいたのだった。突風が吹いていた。岬をくぐり抜けてくる北風であった。小学生の一団はすぐに退去となったが、丸子は、刺すような風を体に受けながらムラムラと気分が高揚し、「出てやる」とかたく志したのだった。  そうして二十歳でほんとうに出て十三年、ふるさとには帰っていないし、これからも帰る予定はない。  イナカノババサンはきんちゃくを出すとき、肌色のシミズからのぞいたしわしわでまんまるな乳首を邪魔くさそうに払いのけた。なまぬくい釣り銭を客に渡し、きんちゃくといっしょに乳首もしまった。きんちゃくの出しいれは瞬時に行われ、その間《かん》、極めて不機嫌そうであった。  イナカノババサンのその、ほっかむり、煮染《にし》めたような色の割烹着にもんぺ、履き心地良さそうでサイズもぴったりらしい幼稚園児が履くズック──そのいでたちは、丸子がものごころついたときからふるさとを出るまで、いつもどこかしらで目にしていたので、もう風景の一部と化している。あっちにもいたこっちにもいた。ちんまい体でよちよち、リヤカーを牽いていた。  最初、丸子はそれが一人の人間だと思っていた。さっきはむこうのほうで天ぷら売っていたのにもうここでダンボールの束を運んでいる。もんぺも穿きかえている。……すごい早わざやなぁ。狐につままれたみたいってこういうこというとかいなぁ。  よく見れば、それぞれ顔つきは微妙に違っていた。みんな別々の人間であった。海産物を売っている者、クズヤ、卵売り、靴の修繕、包丁研ぎ、わらび餅売り──。 「リヤカーを牽いている行商のおばさんをうしろからおして手伝ってあげた偉い生徒がいたと、父兄から電話がありましたよ。みなさんも見習いましょうね」  全校朝礼で校長先生がそんなふうに褒《ほ》め称えたことがあった。コジキだのビンボーだのと言ってイナカノババサンを、銀だま鉄砲で撃ったり、紐で足をひっかけたり、リヤカーへぶらさがってみたりしていた連中が、それ以来、偉いことしたいしたいとリヤカーのうしろをちょろちょろし出し、イナカノババサンには、「やめらんねぇ!」と、かえってうるさがられていた。「ったくよ、どこの悪餓鬼かいねぇ」  それは、丸子の従兄《いとこ》たちだった。  丸子の従兄たちは、地域でも評判の悪餓鬼だった。各自、ズボンのポケットに十円店(近所の駄菓子屋)でかっぱらった折り畳み剃刀を忍ばせており、殺し屋、というのが彼らが自分たちでつけたグループ名だった。 「どうや、都会は嫌んなったか」と実家の男衆が丸子に電話してくることがたびたびある。 「田舎ののぼせもんが都会に憧れてもろくなことなかろぉが」「まだまだやな、まだまだ痛い目に遭わな、わからんやろぉな」と男衆は受話器のむこうで、かたまりとなって、がなる。 「ここは別にトカイじゃないよぉ」と丸子はなるべくあかるい調子で返す。丸子は十三年のあいだあちこちを転々としてき、そのたびに、ここはトカイじゃないと彼らに言い訳をしなければならないのであった。トカイのカゼを吹かすと、受話器のむこうからでも彼らは丸子をつぶしに来るかんじがするのだった。  実家は、いまだ男の溜り場になっている。男衆がいったい何人住んでいるのかもう丸子は知らない。大人になった従兄のおにいちゃんたちも、あいかわらず、寝泊まりしたり、酒盛りしたり、つるんでいるらしい。 「写真ぐらい送らんかね。さぞかし、あか抜けたべっぴんさんになったろう、ケッ」「おれぁ、丸子のヌード写真、持っとぉぞ。うちの茶だんすのひきだしにあるぞ」「そりゃ餓鬼のころの行水ばしよう姿やろ」「しょぼい男にひっかかっとらんやろぉな」「ヒノエウマのオナゴは男を食い殺すって、なぁ」  酔っぱらっている。たえずだれかが笑っている。それがケッケとおし殺した笑いかたで、陰湿である。はじけたかんじがない。あたたかい土地で祭り好きで陽気であけっぴろげな、九州男児。のはずだが、この男衆たちはそうでもない。案外ひねこびている。女々しい。  けれども彼らの言葉の波に、丸子は自然とまきこまれてゆく。あまい、愛郷の念は、まったくかんじないのに、受話器をかたく握りしめるほど懐かしく、なかなか自分からは話を切りあげることができない。それは、自分から飼い主のもとを逃げ出したのに、また舞い戻ってしまう犬のような、どうしようもなさだった。飼い主の嫌なところはいっぱいあるのに、撫でられると、目を細めて尾を振ってうれしそうな素振りをしてしまう。  実際、丸子は、イヌと呼ばれていたときもあり、従兄のおにいちゃんたちに、「今日いちんち、しゃべるときは必ず最後に�ワン�をつけれ」と命令され、「算数のドリル買って来るワン」と言ったりし、また、ちんちん、伏せと芸をやらされたり、おしっこのかかった仮面ライダースナックを四つん這《ば》いになって食べさせられもした。  三十三歳のいまでも丸子は、目覚めた朝、一瞬自分がナニモノかわからず、ここはどこだ? と思い、ああ、実家の自分の部屋だ、と間違うことがある。自分は小学生であると勘違いをし、暗澹《あんたん》とする。小学生のころ、七つあたりの餌食になりやすかったあのころ、一日いちにちは内容が密で、まさに過酷な激しい日々だったので、やはりどうしても気分はあのころに帰りやすいらしいのだ。頭のなかでカレンダーの数字をひとつずつ塗りつぶしてみて、命が一日減ってよかったなぁとホッとしていたっけ……。  実家の自分の部屋は、天井が高く、すきま風が入っており、いやな軋《きし》みがし、どうかすると枯れ葉やカナブンの死骸がコロコロと畳のすみで音立てて転がるのだった。布団がかなり水分を吸っていて、重く、寝ることは重労働だった。不意に襖《ふすま》をあけられたり、すきまからのぞきの目ん玉があったり、なかなか気が休まらなかった。現在の丸子には、睡眠はごくふつうに疲れを癒すものとなっている。  長く生きていればこんなふうにごくふつうの朝が迎えられるんだなぁ、としみじみ思いながら三十三歳の女は身支度をする。ふうわりかるい布団を畳み、長い髪をアップにセットし、好感度の良さげな色合いの服を着る、爪も地味目な色のマニキュアを塗る。接客業なので見た目にはかなり気をつかっている次第だ。  ほかのナニモノでもない、自分なのだ、バイトして、ごはんを食べて、家賃や光熱費や保険料を毎月せっせと払っているいまのわたしである。  ……わたしのいま住む町は、これといって特徴がないけれど、強いて言えばお茶が特産物で、わたしはお茶の販売店で売り子をしている。わたしのいま住む町は、お祭りや歌手のコンサートなどの催し物もなく、まあ活気づいているといえば、駅前のスーパー・アカギ、国道沿いのファッションセンター・馬場、すかいロードなる名称の商店街、茶畑に囲まれた市立図書館ぐらい。この土地には、わたしと同年かそれより若いかくらいの母親が、うじゃうじゃいる。昼間は、彼女らが自転車の前やうしろに子供を一人か二人、載っけて、大股《おおまた》びらきでペダルをこぐ勇ましい姿がよく見受けられる。たぶんこのあたりの土地は、若夫婦が住むにちょうどいい家賃なのと、トカイ方面へ出て行くのにほどほど便利な電車があるからだろう、ファミリーが多いのだ。町ぐるみでなにかをやろうという気迫はないけれど、一応、お茶やちょっとした食料には、ムサシノ、という銘柄が入っているから、ここらがどこまでムサシノというのかは知らぬがどうやらどこまでも野っ原のように緑がつづくらしい。自分のふるさとには海があり、山もあったが、ここムサシノは、息苦しいほどの緑、しかも、海や山といった行き止まりがないので、ひたすら緑ばかりつづく不気味さがある。その、緑というのが、ふるさとで目にしていた楠や梅の木などの頼もしかったり可憐だったりという親しみ深い木の類ではなく、背の低い、芋虫のような茶の木がもこもこつづく、または落葉樹の雑木林が長々つづいてどこかに首吊り死体でもありそうな雰囲気だ。実際、迷い老人や行方不明者のお知らせが、市役所のスピーカーからしょっちゅう流れている……歳は八十一歳、性別女、紺のジャージ上下、髪型はボサボサ。見かけたかたは警察まで御一報を……。けれど、夏に雑木林のそばを通ると、葉っぱと葉っぱのすれ合う音が豪勢だったり、秋には葉っぱが黄色かったり赤かったり色紙を撒《ま》いたみたいになって、なかなか風情《ふぜい》があり、なにか、忘れていた童謡のワンフレーズを思い出して透き通った奇麗な気持ちになったときみたいに、その光景の前で、こころうたれて呆然となることもあるにはあるのだ。で、不思議なことも起こる。自転車でこのムサシノをどんどん走っていると、ふと、おんなじ風景をぐるぐるまわっていて、この奇妙な輪廻《りんね》から自分はおりられぬという、ぞくっとするような束縛感に操られ──これぞ狐につままれたってもんだなぁ、ムサシノでも狐につままれるのだ──よし、どこまでも行ってやるぜ、とやけを通り越して気分爽快になったころ、ふっつりと道が切れ、おや、見憶えのある三叉路。卵の黄身を落としたような夕陽をバックに信号機が立ち、目印のゴルフ練習場のスポットライトがきらめいていて、で、難なく、わがアパートの前に到着する。呪縛がとれたみたいにケロリわたしは平常心。だれも待っていないからとっても落ち着く、恋しいこいしいわたしだけの部屋だ。仮にわたしが死体になったとして、実家からだれかひとがそれをひきとりに来るには、五、六回は乗り物を乗り換えなければならないだろう、そんな遠いところにわたしはいるんだ、あぁ愉快、爽快。だれからものぞかれる心配のない風呂に、ゆったり浸かる。目覚まし時計のねじを巻き、自分でつけた梅酒を流しのしたから出し、梅の実を齧《かじ》って、すぐ眠気、すごくシアワセな気分。  ……というような、他愛のない話を、丸子はだれにもしゃべったことがなかった。なんでもない話をしゃべることのできる相手は、そんなひとは、丸子のそばにはいないのだった。  丸子は、無口に見られるが、実はたいへんなおしゃべりである。ただ、しゃべり出すと、ひとがしらけてゆくのがわかる、そして、わかっているのに、止まらないのだった。  しらけた表情のひとを見つめながら、わざとのようにおしゃべりになってゆく。感情が爆発した、とでも言うのか、溜まっていたものが吹き出すように、あとからあとから言葉が突いて出る。  感情というものを言葉にしてやると、とにかく自分が楽なのだ。それは相手に信頼をおいているからで、あまえちゃってるわけだが、しゃべり終わると、相手の気持ちはひいており、我慢のあとの苦渋の表情で、遠ざかってゆく。  だから、あまりしゃべらないようになった。  しゃべらなくなると、今度は、きき上手と思われて、ひとがむこうから近づいてくるようになる。  すると丸子は体調がへんになる。  ひとが、ふれ合いを求めてやってくると、しかもほほえんでいたりしてあきらかに親愛の表情を示していると、腹からなにか嫌なかんじがこみあげてくる、吐きそうになる。  吐き気は、集団対自分でも、一人対自分でも、アットホームな気分をかんじとったときに、起こった。和気藹々《わきあいあい》が駄目なのだった。やさしいなんてのが、とても駄目なのだった。  町を歩いていてもそう、手づくりパン、なんて、悪いけれどさわりたくもないのだった。パンでも弁当でも、いかにも機械でつくられたものしか買わなかった。ひとの手のしょっぱさがしみこんだ食べ物なんて、ゼッタイ口にしたくなかった。愛情をひとつまみいれました、なんて、気味が悪いのだった。基本的に、人間は、みな、孤立し、敵対してくれなければ、やさしかったり、協調したり、助け合ったりしていられたりすると、そりゃそれでたのしげで、立派で、およろしゅうございますが、自分は逃げ出してしまうのだ。  ──なんか怖ぁい。なんか迫力あるね。目つきがね。なんか、ふつうの女じゃない。むかしヤンキーだったとか? キューシューって、ヤクザが多いんだって?──こういうことはもう、言われ慣れた。  そういえば、七つあたりのあの過酷な時期、丸子はおない歳とあまりにタイプが違って怖いので、クラスでは、ゴッドねえちゃん、と呼ばれていた。それから、|殺し屋《ヽヽヽ》から、手下として喧嘩のときのガンのつけかたの手ほどきも受けていた。キサマ、というのを、巻き舌で、クサン、あるいはキシャン、あるいはオンドリャア、と言う。クサン、クサン、と何度も練習した。そのとき、首を前に突き出して口を尖《とが》らせ、体勢を低くし、目玉をしたからうえに運動させるというポーズも重要。そうして思いっきり、啖呵《たんか》を切る。クサン、クラスゾ。オンドリャア、クラサルゥゾ。  二十歳で出て、十三年間、実家の連中とは会っていない。おっさんになってしまった声からはもう、従兄のおにいちゃんたちの顔も想像できない。彼らからの電話のあと、たぶんいま話したなかには、わたしの知らない余所《よそ》のひとが従兄のおにいちゃんのうちのだれかの声色を真似て、わたしに説教したりしたな、と丸子は思った。──丸子は、からかわれ慣れていた。  からかわれる、ふみにじられる、捨てられる、のが当たり前だった。男だらけのなかで育ち、蝶よ花よでもなんでもなく、いいときはつかいっぱしりか新種のいたずらの実験台、普段は完全に無視されていた。従兄たちときょうだい同然で育った、となると、なにか、かたい絆みたいなとらえかたをされるが、丸子は、従兄たちを、なにをしでかすかわからぬ獣のオスの集団だと考えていた。  子供時代の従兄たちは、半ズボンを穿き、野球帽子をかぶり、おんなじ床屋で散髪するから全員で坊ちゃん刈り、十円禿げがところどころにあった。体じゅうカサブタだらけで、おたがいそれを剥《は》がし合うから、いつまで経っても傷は治らず、血の滲《にじ》んだ肉があらわになっていた。半ズボンのしたから手をいれて、おちんちんをすごく痒そうに、ぼりぼり、しょっちゅう掻《か》いていた。  かっぱらいをしたり、のぞきをしたり。草むらから青大将を何十匹と捕まえてきて、走って来る車に轢《ひ》かせたり、皮を剥いで見せびらかしたり。隣町のひょうたん池で捕ってきた食用蛙やアメリカザリガニを歳下の子に売りつけたり。海で岩から岩を飛び移る競争をして溺れて死にかけたり。農家の牛や豚に爆竹を食べさせたり。解剖セットで鶏になりかかったひよこをさばき、焼いて味見したり。  おまわりさんがしょっちゅう、言いつけにやって来たが、その顔は悠長ですこしも怒っていなかった。かえって、度胸を買っていた。悪餓鬼ほどかわいい、というやつである。  親たちの都合もあり、別の区域に越したり、また戻って来たり、だから従兄の人数は不意に減ったり増えたりしたが、たいてい五人以上はいた。多いときで十二、三人ぐらいいた。みんな父方であった。  こすっからい表情がどの子もよく似ていたなぁ、と丸子は思う。  鏡を横目でのぞく。  ぜんぜん似てない、と声に出して丸子は言った。似てないこともない、とまた言った。  顔の部分ぶぶんの微妙な特徴、眠たげな細い目や、なにか文句を言いたげなつんと尖った唇などは、やはりあの少年たちとよく似ているのだった。 「そいがくさ、餓鬼がまたおれの餓鬼んころとそっくりやろが。おれの項《うなじ》んとこの毛、犬のちんちんみたいにチョロッとなっとろぉが、知っとうや、なっとぉったい、そいがくさ、息子もそうなっとう、チョロッと」とおもしろおかしくしゃべる、大人の男になったある従兄は、中学の同級生と結婚したらしい。彼らはおおかた地元で相手を見つける。 「まぁ、おれの職業は自由業ってとこかいな。気ままやなぁ、おれって。あくせく働くのは好かんし、いい御身分やな、まったくよ」  商売に手を出してはすぐやめ、競艇場に入り浸り、キャバレーに通いつめ、または浮浪者のようにぶらぶらしたかと思うと、ときおり蒸発もし、なのにちゃんと所帯が持てるとは、たいしたものである。この従兄にかぎらず、である。  すべて、祖父の遺してくれた金や土地や名誉のおかげであろう。  地主であり、町内会長もしていた祖父──屋敷の門には、玉川組、という看板みたいにおおきな木の表札を掲げていた──働かずとも祖父は、どこからか金が入ってくる大人物であった。町内の街灯をつけるにも出費したらしく新しい街灯には祖父の名前が黒字ではっきり入っていた。小学校の卒業式の来賓席にも紫色の座布団つきで堂々と席が用意されていた。地域が、全体的に、一目置いている存在であった。  春休み、突如、従兄のおにいちゃんたちは性に目覚め、いたずらはもっぱらその方面においてのみとなった。丸子は、たらいに浸かって行水しているところをのぞかれた、というか、裸になって入れと命令されたから入った。  裸を見られることに恥ずかしさはまだなかったが、命令されて裸になると、頭のうえのほうで、脱いでは駄目です、というカミサマの声はした。したけれど、従兄のおにいちゃんたちの怖さにはかなわないのだった。  ストリップショーやれ、とも命令され、やっぱり、した。ドリフターズのカトチャンがするように、横たわって歌いながら片脚をあげた。また、鍵のはずれた座敷牢へつれていかれて、電気アンマをされた。 「気持ち良かや?」と訊かれても、丸子はぼんやりしていた。  あまりに退屈なので、「風船ふくらませていい?」と言ったりした。 「気持ち良かって言うまでやめんじぇ」と、丸子の両股《りようまた》をひらきスカートのなかへ、片脚をつっこんで、三十分ぐらい従兄たちは交代でやりつづけた。  丸子はビニール風船をチューブから出し、管の先につけ、いくつもふくらませた。  股間に響く小刻みで規則的な振動が汽車に乗っているみたいなかんじで、気持ちいいといえば言えたので、キモチイイ、と言ってみると、だったらもっとやってやろぉ、と結局、従兄たちは自分らがあきるまでやりつづけるのだった。  煙草を吸い、ウィスキーの小瓶やカップ酒を片手に持っていた。丸子も、だから七つという歳で、酒・煙草を憶えさせてもらった。  あきたら、その灯りのない、釘や材木や泥状になった新聞の束でぐちゃぐちゃの一室へ、丸子を放って彼らはいなくなった。  それから、従兄たちは、ゴムみたいにやわらかくて弾力のある大人の背丈ほどの、たぶんダッチワイフだと思われる人形と、からめ、と言ったりもした。ストーブの囲い、あれに、人形と丸子をいれて抱き合わせ、エッチぃことやれ、と言った。また、鼻たれ小僧と呼ばれていた、小学校へは行っていない頭のハチの異様におおきな少年をつれてきて、からめ、と言った。そのころはまだ鼻水をたれていた子供があちこちにいて、そういう子供はおおかたノータリンかビンボーで、なにかと悪事に利用された。ただし、鼻たれ小僧であっても、余所のひとなので、仁義として従兄たちは、ヤクルト一本を渡した。 「なんか欲しいもんはないね?」と、大人の男になったある従兄が訊く。  訊かれれば、そんじゃ、イナカノババサンの天ぷら、とこたえることにしているが、ほんとうはなにも欲しくはない。二、三ケ月先の生活費を蓄えてはいる、それだけで、ほかに貯金はなし、未来への胸ふくらむ展望もない。住み心地が良くなってきたなぁ、なんだか地域に根ざした生活してるなぁ、とかんじはじめると、不意に引っ越したくなり、実行する。丸子はずっとそんなふうに生きてきた。 「ま、嫁にも行かんやったわけやから、あとは、ばあさんになるだけやな。好きなようにしたらいいっちゃないや。いまどきの九州男児はオナゴに命令はせんのじゃ」「いまどき、美人ば美人て褒めてもいかんらしいやないか、世の中そうなってきよるらしいやないか、ほりゃ、セックスなんたら言う」「セクシアルハラスメントたい」「なんでもモノ知っとんしゃあねぇ」「しゃあしかねぇ、こいつぅ」  ケッケと、おし殺した笑いが鎮まることなくつづく。受話器のむこうの丸子にきかせるようにしゃべりながら、丸子を無視している。  むかし、近所に長屋があり、そこに明治生まれの老人が大勢住んでおり群れ特有の言語でしゃべっていた。老人たちはクニからの金で生活していて、たいてい腕や脚がセンソーのため一本なかったり、先っぽが欠けていたりしていた。グンタイジイサン、というのが彼らの綽名《あだな》であった。祭りには、軍服を着て頭や脚に包帯をぐるぐるに巻き、松葉杖を持ち、腕立て伏せのようなことをして、通りすがりのひとの目をひいていた。アルマイトの洗面器がそばに置いてあり、同情したひとはそこへお金をいれるのだった。  中年と呼ぶにはまだ早すぎる従兄たちが、あの老人たちとそっくりなしゃべりかたをしている。  あのグンタイジイサンたちがいなくなったあとも、土地のもつしぶとい色は、そこで生まれてそこで育った人間に、じんわり染みこむものらしい。  青年期、同年代がフレッシュな新入社員になってゆくのに、従兄たちは、けじめのため、あるいはハクをつけるために、指の一本や二本を失った。ある者は艶つけて片耳にピアスをし、ある者は体じゅうに彫り物をいれ、ある者は極端に肥満してしまい──見た目、ふつうのサラリーマンでないのは確かだった。  事件沙汰で死んだり車椅子生活になったりしたあいつ、こいつ、それらは共有の財産として、日本昔話のようにくり返し語られた。昔々のお話は栄光で、ひとさまにかけた迷惑も、ヤンチャしたなぁという照れくらいしかない。祭りの日は、自分たちの縄張りをうろうろし、あたりをきょろきょろ見まわして、「よう、男前になって」「太ったな」「いまお前なんしょっと?」「いいスケ、おらんや」などと、久しぶりに会った同年代の友達と挨拶を交わし合う。トラブルが起こっても、つるんでいるかぎり、すぐにだれかが助っ人で現れる、子供時代とおんなじ。仲間はあちこちにいる、そこのところの連絡網はしっかりしている。たいていのことは地域で賄《まかな》えるので、わざわざ余所の土地へ出る必要もない、いつまでもしがみつく。いつまでもよたついていられる。  ふるさとでは、彼らが、自分の餓鬼をつくりはじめている──なにか、彼らが、肩を組んで列をつくっているかんじが、丸子には、する。  青年期のあの姿を最後に、丸子は彼らを見ていない。  ときおり、乗りもの酔いをしないため臍《へそ》に梅干しを絆創膏《ばんそうこう》で貼るというようなことを平然とやっている自分が、おかしくなる。この迷信は、従兄たち全員、かなりおおきくなるまでやっていた。もしかしたら、まだつづけているかもしれない。そう思うと、更に笑いがこみあげてくる。  ふよふよと脂肪がついて、三段になった腹。幼いころはあばら骨が浮いているほどだったが、三十過ぎたころから丸い体つきになってきた。どこをおしても柔らかい。梅干しを貼るときは、まず、肉の溝をおし広げて臍を捜してからだ。      二  バイト先のお茶を丸子は実家宛に送った。百グラム二千円のやつ(店で二番目に高級なお茶)を、五袋セットで。販売員は二十五パーセントオフである。  十二月も中旬となると、そろそろ年賀の準備だ。すかいロードはお茶フェアとなり、黄緑やピンクの宣伝旗やら、ローカルニュースの取材やらで、ぼちぼち賑って来ている。  店のドアについたカウベルの、カランコロンと鳴るのが、客が入って来た合図だ。トイレにいても、裏の流し場や物置にいても、その音ですぐわかるようにしてある。 「あら、今日はおたくが早番? そっかぁ」と客が入って来るなり言った。黄色がかった白髪をマッシュルームカットし、赤いチェックのブラウスにチョッキ、なんだか童話に出てくる樵《きこり》のような風情のおじいさんで、何回か来ているが、いつも最初の出だしは、こうだ。 「ぼく、シバリョウタロウに憧れてね、こんな髪にしてんの。知ってる? シバリョウタロウ。スギリョウタロウじゃないよ。抹茶入り玄米茶三百グラム、ちょうだい。百グラムずつ真空パックにしてくれるかしら」  丸子は、お茶を注ぎ、片隅の待合の机に置いて、「どうぞぉ」と言ってから、機械で真空パックをはじめた。  コツをつかめば、ぴっしり気持ちいいくらいに真空状態ができる。 「奥さん、もう慣れた? あ、おたく、ひとりもんだったっけ」  丸子は話しかけられても、はぁ、とか、へぇ? とか、そうですねぇ、とかしかあまり返さないようにしている。が、話をきくのはすこしも嫌ではない。微笑して、きいている。  内心は、顔が怖いと思われていやしないかと冷やひやしているのだけれど、しきりにお客が話しかけてくるし、ギャグにも耐えているし、わたしってまんざらでもないかもしれない、接客業なんて一生無理かと思ったけれどやってみると、わたしの笑顔もさまになってるような気がする、ちょっとやさしいひとのふりの努力もしてるし、と思いはじめている。  品物を包装紙で包んで、渡す。  金をいただく。釣り銭を渡す。  まだレジを打つ指がぎこちないが、スピードより正確さなので、いちいち消費税や割引の値段をはっきりした声で読みあげて、客にも確認してもらう。五百円お買いあげごとにおすスタンプの数も、一枚たまれば五百円券にかわるので、こだわる客はかなりいるのだ。はぁい、こちら今日はサービス品となっておりましてもう安くしてあるんでスタンプはおせないことになっているのですが、おしときましたねぇ、ふたっつ。  買った茶を受けとっても、まだじっと立っている客は、なにか話しかけたくてうずうずしているのである。待合の席に腰掛け、茶をずるずるすすって、今日の天気模様、病気自慢、このお茶屋の店内の印象やらなんやら、または両隣──右隣は男性専門のヘアーサロン、左隣は犬猫病院──について、その評判や噂、なんたらかんたら、二度三度と茶のおかわりを所望しつつ、話す。  マッシュルームカットのおじいさんは、直立の姿勢でレジカウンターにむかいコツコツ箱を折っている丸子へ、すきを見ては話しかけたそうで、湯飲み茶碗を手に持ったままそばにいる。箱の、胴体と、なかの仕切りと、ふたの部分、三種類がそれぞれもう二十ずつくらい丸子の目前に高々と積みあがっている。朝から時間を見つけては折っていた。  捜せばいくらだって雑用はあるのだった。来た客には必ず茶を出すので茶碗洗いはたまっているし、茶渋とりもしなければならない。茶銘や賞味期限のシール貼りも、包装紙を大、中、小、さまざまな箱のサイズに合わせて切っておくこともしなければ。五百円で袋につめ放題として売るため、何種類かの安くて古い茶を混ぜ合わせて桐の箱にいれておくこともしないと。ヘアーサロンからまわってきた回覧板を犬猫病院のほうへまわさなければならないし、茶を郵送する際の地域ごとに違う郵送費も憶えなくてはならない。お年賀用の、のしを注文し、予約のあった茶を袋づめにし、包装しなければならない。包装にもいろいろな折りかたがある。  茶は、めでたいときにも、法事にも、ちょっとした志としても、もってこいの品なのだろう、店は年中無休で営業している。 「テレビ、映ってたでしょ、ここの店長。ね、テレビ観て来たって言うお客さんには、安くしてくれるんじゃないの? 確か沼田さんが言ってたと思うんだよなぁ、安くするって」  おじいさんがそう言い出したので、丸子は、 「はぁ、じゃあ、あの、お待ちいただけますか、訊いてみますので、すみません」と返し、ワゴンカーで外まわりをしている店長に電話してみた。安くなるわけないじゃん、そんなことしたらうち赤字、と店長は携帯の電話をぷつんと切った。 「ふうん。沼田さんが言ってたけどなぁ。──ッコイショウイチ。じゃあ、沼田さんによろしくね」とおじいさんは腰をあげ、わりかし素直に帰った。  丸子は、丁寧に頭をさげ、これから木を切り倒しにでも行きそうなおじいさんのうしろ姿を見送って、また作業にかかった。  丸子は、一人で店番しているいまが、たのしい。帰ったばかりの客の、悪口を、言わなくて済む。  沼田さんなら、また来てねぇ、と、舌のもつれたあまえ声で客を見送ったあと、ドアがしめられるなり、「うふふん。安いお茶しか買わないくせに、うっとうしいじじい。二度と来んなよん」と歌うように言うだろう。  沼田さんは、四十四歳の主婦で、この店で一番の人気の売り子である。常連さんがドアのガラスに映ると、お尻をぷるぷる振りながら小走りし、自らドアをあけ、招きいれる。 「あたち、じじばばにしか好かれないんだからさー、やんなっちゃう」と、よく自ら言っているとおり、老人が彼女にやたらなつく。これでもかというくらいの気配りだからだ。  沼田さんがいないとわかるとしゅんとなり、茶も買わずに帰ってしまうひと。熱きメッセージを置いてゆくひと。ちょっぴり恨みごとを言ってゆくひと。毎日、花を一輪ずつ持って来るひと。ファンはファンなりにさまざまな心理があるらしいが、とにかく親切がいかにも身に沁みるようで、四十四歳の主婦にもう夢中なのである。  老人というのは、なにか、ちょっとした手土産を持ってき、それが、みかん一山だったり、安そうなケーキだったりする、で、沼田さんは、ドアがしまるなり、お面をとったみたいにサッと笑顔を崩し、「全部あげる」と、もらったものを丸子におしつける。にやつきながら、ぽい、とゴミくずを捨てるみたいに放って渡すこともある。モノをひとのかわりにして杜撰《ずさん》に扱うのが快感らしい。一口食べてみせ、「まずい、あぁまずい、まったくじじばばのセンスはこれらから、あははん」と鼻に皺《しわ》をよせ、ねぇ、と首を肩にくっつけるように曲げて笑い、同意を求めてくる。「うちじゃ持って帰っても、娘、食べないしぃ、ピコ(犬)にあげたらピコも食べないのよー」  うふんとかあはんとか、ほんとうにそう発音する。色気のつもりなのか、無意識なのか、わからない。わからないといえばわからないが、わかりやすいところもまたたくさんあるひとである。  お気にいりの老婆なぞが来ると、背中までさする。 「このごろ姿が見えないから、ちんぱいしたのよ、え、病院? どうちたのどうちたの」  驚き、涙ぐんで見せる。が、涙はひき、えへと笑う。 「おちっこ検査はあんの? 検便は? あたち、かわりに持ってってあげるから、なんでもしてあげるから、ね」  過剰なサービス満点であるのだった。  丸子は、彼女のことをこころのなかで、昼の風俗嬢、と呼んでいる。  丸子は、最初の面接のとき、店長の背後からちょこんと顔を出している、えらい栗色の髪の毛の、目玉をくりんくりんさせた、内股《うちまた》で立つモヘアセーター姿の沼田さんを見、やさしそうだが信用できなさそうだ、と思い、やはり、やさしいが信用できない女だと働いて二ケ月で、つくづくかんじとっている。かえって、瓦さんという、もうひとりの六十近い主婦、目をカッと見ひらいてつけつけものを言う、エプロンに食べこぼしのカスがこびりついているのに気づいていない不潔っぽいおばさん、そっちのひとのほうが、まし……いや、どっちもどっちかもしれない、と一緒に働いてきた二ケ月のなかでかんじている。 「悪いことは言わないからさ」と、面接日、採用になった丸子に、沼田さんと瓦さんは、レジカウンターのところでにじりよって来た。リンチされるのかと身構えたが、親切な御忠告らしいのだった。  ──ここ時給七百五十円だよ。いまどきこんな安いとこないよ。クリーニング屋さんだって、アカギだって、馬場だって、時給七百八十円は出すってよ。やめたほうがいいよ。そりゃ、いいひとそうだから、私たちもいてほしいけど、ねぇ、悪いことは言わない、まだ若いんだから、ほかにいくらでも、そうそう、すかいロードのはずれにある、もっこすラーメンも募集してんじゃなかったっけ。ま、私たちはさ、年間百三万以内しか働いちゃいけないのよ、夫の扶養に入ってるから。でもあなたは──この間《かん》、丸子はいちいち、「時給七百五十円って安いほうなんですか? わたしあんまり気になんないです、あぁ、お二人は気になるんですね」とか、「どうして初対面でいいひとなんてわかるんですか?」とか、「年間百三万以内しかいけないって、それしか働いちゃいけないって、なんか、へん、いけないわけじゃなくて、なんかそうすると法律上で損になるから自分たちがそうしないってんじゃないんですか?」とヘラヘラ愛想笑いしながら突っこみをいれていた。  すると主婦二人はむきになり、なんだこいつおとなしくきいてろ、とでもいうように話すスピードがあがり、どんどん攻撃してくるのだった──時給が高いとこ捜しな、ね! ま、そのあいだ、ここに勤めて、いいとこ見つかったら、やめたらいい、ね! ここさ、ひとはいい、すごくいいの、ねぇ(と二人、顔を見合わせ微笑み合う)。こんなにいいとこはないよ、仕事は簡単、汚いとか臭いわけじゃない、ひとの命にかかわることじゃない、お茶が腐ってておなかこわしたなんてお客さんいないもんね。ま、年賀の時期の、十二月の終わりから一月の初旬までと、新茶の時期の五月前後かな、忙しいのはさ。そのときは三人体制ね。あとは、暇、すんごい暇。暇なときは出勤されると困るって、店長から嫌な顔されるよ、ケチなの、ねぇ(と裏から出てきた店長に言い、店長は、どのへんからきいていたのか、うつむいて、小心者っぽく、当たり前じゃん、無駄働きさせたらうち赤字、と呟いて再び姿を消す)。楽なことは楽。ま、あとは自分で決めな。えーと、玉川、丸子、さん、か(丸子の持参した履歴書をジロジロ見る。玉川丸子という名に対し、なんだか含み笑いの二人。おめでたいでしょ? と丸子は言おうと思ったが、やめた)。じゃあ、|タマチャン《ヽヽヽヽヽ》ね、うん、決定。あのさ、エプロンなんか買わなくていいからね、店のあるし。タマチャン、朝、ちゃんと起きれるひと? 一時間二時間おくれたって、あとでタイムカード書きかえてあげるし。私たちもよくそうしてるのよぉ、主婦の朝は、とにかくバタバタして時間がいくらあっても足りないもん、ねぇ。お茶は飲み放題。暇なときはお客さん用の椅子に座っちゃってる、お客さんの話相手も仕事のうちだから、いいのいいの──ねぇ、うん、ねぇ、と相づちをたえずいれながら、話はだらだらだらだら、牛のよだれみたいにつづいた。  沼田さんも二人で語るときはなぜだか舌の回転もスムーズであった。モヘアの毛が口に入るらしく、それをつまんでとっているので舌がちょっぴりへんな具合なんだろうかと丸子は思ったが、やはり、一人語りになると、レロレロというかんじに鈍くなる。 「れもね、これ言っちゃっていいのかなぁ。ちょっとねー、てぃてぃぶ(秩父《ちちぶ》)が、あ、店長ね、いいのいいの、呼び捨てで。あれがものすごくいやらしいのよ、ううん、ちょっとなの、あたひなんかすぐ、もうっやめてって、蹴っちゃうから。あたひ、強いから。あははん。いやなことは、はっきりいやって言うから、そういうひとだから、あたひ」 「そうそうそうそう」と瓦さんは太鼓持ちみたいに間髪いれず相づちを打つ。「秩父さんはでも沼田さんには頭あがらないからさ。沼田さん、仕事できるひとだから頑張りやさんだから、それ、秩父さんもバカじゃないんだからさ、沼田さんがこの店にとってどれだけ大事かちゃんとわかってるよ。安心しな。私なんか、ここ以外にもう勤め先はないとしよりで、置いてもらってるってかんじだけどさ、沼田さんは次期店長……」  途中までニッコニコしてきいていた沼田さんだが、責任をかぶせられるのは気にいらないらしく、「え? そんな、店長なんて……」とムカッとしたのを顔に出し、瓦さんはビクリとしたのを顔に出す──。  丸子は気おされて、もうなにも返せなかった。さまざまなバイトを経験して来た丸子にとって、初対面のこの雰囲気は、うんざりするほど、身に憶えのあるものだった。  すんごい暇だから楽だよぉって、暇だとおしゃべりしなきゃならなくなるんじゃないですか、わたし、あなたたちとあまり話したくないです、とは、もう、言わなかった。  いいのいいのって、なににつけてもズルしたりごまかしたり、そのズルを隠し合ってとりこんでいき、仲良し小良しでやれるみたいな言いかたですが、ここを仕切れるのは店長でしょう? あなたたちはただの売り子さん、ただの販売員でしょう? とは、言わなかった。  慣れ合ってべたべたは嫌いだ、楽なんてしなくていい、ふつうに仕事させてくれ……とは、言わなかった。  ただ、丸子は、どちらの口にうまく誘われても、もう片方の悪口はゼッタイに言うまい、とこころした──。  その日、身につけている服のおおまかな値段から髪質、体形のすみずみまで、すっかり観察された。  そして、キューシューから来たということも、未婚者だということも、一人住まいで店から自転車で五分のところに住んでいるということも、その住まいの家賃も、なんでもかんでも、気になることはすべて訊かずにおれないせっかちさで、先輩主婦パート二人は、遅くまで居残り、茶をすすりつつ、質問攻めして来たのだった。  主婦二人は、とにかく、独身で放浪している若い女が珍しくてたまらないらしかった。怪しんでもいるらしかった。わからないわからないをくり返した。わからない、それで寂しくないの? 不安じゃないの? 子供は欲しくないの? わからないよね、私たちみたいな平凡な主婦には、そういうの。  丸子は、かなり疲労したが、 「親御さんは? キューシューでなにを?」と訊かれたとき、いまだと思い、一瞬ためらうような間を置いてから、淑女のような気品ある笑顔をこころがけ、 「両親は、二人とも、わたしが生まれてすぐ、事故で死にました」とこたえた。  事故ではなくそれぞれ病死だったが、事故のほうが運命だからしかたないときくほうも後味がさっぱりする気がするのだった。 「だから、オヤってどんなものなのか、わたしには……。顔は、写真で知ってるけれど。実感ないのですよ。じいちゃんばあちゃんがオヤがわりといえば言えましたが、やっぱりじいちゃんばあちゃんはじいちゃんばあちゃんでしかないし、としよりだからわたしが二十歳のころにはもう死んじゃって……」  事実は事実なのだ、しかし具体性を増せばますほど、この手の話はどこか笑いに通じる。しゃべっていて、吹き出したくてたまらなくなる。  が、主婦二人の慌てようといったらなく、まずいこときいてしまった、いまの質問はなかったことにしようと、 「たいへんねー。でも、ま、ひとにはいろいろあるからね、うん」  焦って話題をかえていた。あたふた空まわりしていた。仕事を手当たり次弟、捜しまわっていたが、バタバタ、音だけが荒く、気もそぞろなのであった。 「参観日は、じいちゃんが来ましたね。運動会も、じいちゃんがいっしょに二人三脚してくれました。わ、くせぇっ、お前、としよりの匂いするって、よく言われましたよ。初潮のときの手つづきって言うんですか、ああいうのも、ばあちゃんの指導の下でしたから、最初、脱脂綿を重ねて新聞紙でくるんだやつでした、なんてこれはジョーダンです」と自虐的に止まらなくなった丸子だったが、主婦二人は知らんぷりするしかすべはないようであった。  もちろん、沼田アンド瓦主婦二名の、親切らしいことは、「はいありがとう!」と叫びたいくらいで、歓迎の意を表してくれているのは充分わかるのだ。しかしこの和気藹々には、腹がむかつき、吐き気がこみあげるのだ。どうも内臓の具合がおかしくなるのだ。すまないなぁ、と思いつつも、沼田さんのレロレロしたしゃべり、眉毛ぎりぎりに揃えた前髪、丸っこくて凹凸のないずどんとした筒のような体つき、それから瓦さんの大正浪漫風の長いちょうちん袖《そで》、ピンであちこち留めてある縦ロールの髪、若者がつかうような、安心しな、とか、食べな、とかの口調やらに、いまはまだただ珍しいかんじしかしないからいいが、これからつき合っていくうちに、いつかきっと、我慢できなくなる、だから、あまり見つめるのはよそうと丸子は思った。見すぎると、よくない。目に入っても、じっくり考えを深めるのはよそう、そのひとの人間性を云々《うんぬん》言う前に、その前髪をちょん切ってやりたい、とか、その縦ロールが許せない、とか、単にいちゃもんをつけるだけの、情けない言い分から入ってしまうだろう。  距離をとるのが一番、と丸子は思った。      三  うちは代々、男尊女卑の家系やけんな。と、祖父は再三言っていた。 「オナゴはバカぐらいがちょうどよか」とも。 「オナゴは生まれながらにして男に劣る生きもん」とも。  祖母の婿としてやって来た祖父は、男を見こまれ選ばれてやって来た優秀なオスであるので、ふんぞり返っていた。明治生まれだったが、あきらかに近所の長屋老人たちとは違う、異質なひとであった。わしをひとりにしとけよ、そばに来るとただじゃおかん、という殺気みたいなものを常に発散していた。  祖父は、孫の丸子とお手伝いのばあさんの小梅という名前をいっしょくたにして、コマル、と呼んだ。ごにょごにょと入れ歯をらくだのごとく動かし、「丸子……小梅……」と小声で言い淀み、ええいなんだっていいやと言わんばかりに、「コマル!」と呼んだ。たいてい小梅ちゃんは返事をせず、丸子が「はぁい」と言って駆けつけた。  天気のいい晩の風呂あがり、タオルをぴったり頭に巻き、すっ裸のままお縁《えん》から下駄を履いて庭に下り、いちじくの木を見あげながら、祖父は体を拭いていた。三段棚に並べた植木をジロジロ眺め、虫をつまみ捕ったり、気にいらない枝を折ったりした。たまに、頭のタオルを短く持ち、股間を元気づけるようにばしばし叩いていた。夏の夕暮れなぞは、一時間も二時間も、すっ裸のままなのだった。その姿にだれも言葉をかけてはいけなかった。  祖母は、台所を仕切り、ほとんど毎晩、祖父の好物のモツ煮こみをつくった。煮るあいだ、祖母特注の背もたれ肘もたれ付き椅子へ深々と身を沈め、キセルで煙草を吸ったり、黒田節や五木の子守唄をうなっていたりした。鍋のなかは、グルグルやらギザギザやら、得体の知れない臓物がたぎっていた。  お手塩皿にとり、それを食べるときの祖父の口から出る音が、コキコキと耳ざわりがいいので、まじまじと丸子は見つめ、何度も真似をしたがおなじようにはならなかった。その快い音は入れ歯から出るものらしかった。祖父はだれよりも早目にメシを食べ、焼酎を飲み、済むと焼酎のまだ残ったガラスのコップへ入れ歯をいれてゆすいだ。そのことについても、だれも言葉を発しなかった。  祖父は日に何度も、「コマル!」と丸子を呼び、自分の下働きをさせた。丸子は祖父からワイシャツのアイロンがけや、剃刀の研ぎかた、カンナの使いかた釘の打ちかたなど習うのは、祖母から台所で皿洗いばかりさせられたり、小梅ちゃんに厳しく注意されながら漬物の菜を刻んだりするよりか、好きだった。  祖父と祖母は、一ダース、子をもうけ、そのせいで孫は繁殖しすぎた感があるが、いやな孫ならシッシッと追い払うし、機嫌のいいときは孫全員へ、均等に、金を与えた。孫の友達でも、友達の友達でも、それが男の子だったら、よかよか、居んしゃいおんしゃい、と言って出入り自由にさせた。  従兄のおにいちゃんたちもさすがに祖父の前では縮みあがって、おとなしかった。いや、それは表むきであり、裏では、祖父のことを稲造と呼び捨てにしていたし、稲造の歌もつくっており、植木鉢を割ってしまって怒鳴り散らされたあとや、正月のお年玉の値に不服なときは、ひやかしで歌っていた──イナゾォウさんイナゾォウさん、なぁにがすきなぁの、そーね、おカネがすぅきなのよぉ。イナゾォウさんイナゾォウさん、おカネがすきなのね、そーよ、ウエキもすぅきなのよぉ。  一ダースの子のなかには、中途で死んだのあり、行方知れずあり、酒で体を壊してずっと無職、または病院に入ったまま、とさまざまであった。 「娘はよけいな知恵のつかんうちに早よ嫁にやった」と言う祖父であったが、ヒノエウマ生まれの孫の丸子に関しては、降参しているようであった。 「ほりゃ、好いとう男のため、大火事起こしたあれ、八百屋お七っての、あれもヒノエウマ生まれやったらしか。気の強かったっちゃろうな。ヒノエウマ生まれを粗末に扱うとバチがあたる気のして、恐ろしかぁ。イエ丸焼けにされるっちゃなかか」と、酔ってふざけて言っていた。祖母の姉でヒノエウマ生まれの行かず後家がいて、男に食ってかかる鬼婆で、婿の祖父はチクチクいじめられたらしい。  丸子は、適度には、かわいがられた。  眠れない夜、祖父の座敷に行くと、「グルルル」というような音を喉《のど》から立て、口を尖らせ、しかめっ面で、布団をあけてくれた。入れ歯をはずしているので、ちんくしゃな顔になっていた。丸子を毛布で丸めるとうえにかぶさり、祖父なりの寝つかせかただろう、親鶏の口真似をした。「コォコッコ、コッコッコ」と。卵になった気分で丸子はうとうとするのだった。  まぁ、それがなぜだか従兄のおにいちゃんたちにバレて、「コマル、コォッコッコ」と、囃《はや》し立てられたりはした。が、卵になるのはあたたかかったし、祖父のポマードというかチックというのか、整髪料が丸子のパジャマにくっついて、その匂いは、好きだった。祖父が死んだあとも、えんえん残った。おしゃれなじいさんであった。スパイみたいな帽子を被り、ステッキを持ち、真っ白で糊のきいた開襟シャツを着、背筋をぴんと伸ばし、シャッシャときどって道を歩いていた祖父の姿が、その匂いをかぐと、ちょくちょく思い出されたりするのだった。  ただし、コォコッコと言いながらも二の腕や首筋に吸いついてきたことは、忘れようと丸子は努力している。白髪混じりの祖父の顎鬚《あごひげ》がざらざらしたのを、皮膚がちゃんと憶えているが、あんなのはなんでもないことやんか、と打ち消してきたし、記憶を探ればもっと怪しい場面が出てき──たとえば、尻や、未熟な乳を、どうも揉まれた憶えもあるのだが──やばいことだったのかもと悩んだのは思春期ぐらいで、三十三歳のいまでは、じいさんも幼児のみずみずしい肌には欲情したんだねぇ、とか、いやいや、成長をオヤがわりに確かめたんだろうねぇ、という感慨しかない。  祖父も祖母もお手伝いの小梅ちゃんも、もともと歳老いていたが、喜寿すぎたころになるとみんな、老いの速度が早く、とことん老けこんでゆき、「もうぜんぜん怖くなくなったねぇ」「赤ん坊といっしょやねぇ」「惚けたふりしとるんやなかとかいなぁ」「まだまだ死なんやろぉ。死んだって死なんぞ、しぶといぞ、ありゃ」なぞと周囲に言われながら、厄介がられたり、労《いたわ》られたり、やがて、「そろそろやろぉなぁ」という頃合いに、臨終を迎えたのだった。  感心したのは、祖父の葬式用写真で、あらかじめ還暦ぐらいのときに撮っておいたやつだから、髪も黒々、ふさふさで、ネクタイに背広、黒縁眼鏡、男の色気さえ漂わせ、矍鑠《かくしやく》とし、威厳があり、いかにも歴代の御先祖さんらの写真に並んで恥ずかしくない風なのであった。  イエをだれが継ぐのか、丸子にはまったく関係がない。血が濃いとか薄いとか、どうであっても、特別どのひとに親しんでもいないし、二十歳になって、「そんじゃもう大人だと思うし、ちっちゃいころから決めていたことなので、出ます」と、べつだん反対にも遭わず巣立ったのだったが、出るときはなんとなく、みんなが忙しそうなとき、あまりこちらに構っておられぬすきに、裏口から、「ではさようなら」と言った。洗濯機や風呂釜のある狭い通路を、手荷物をぶらさげ、体を斜めにしてすり抜けてゆきながら、蒸発するひとみたいだなぁ、と思った。 「コマル、あんたが住んどるとこば地図で調べたっちゃが、活断層、走っとうぞ。地震には気をつけれ」  また、従兄のおにいちゃんからの電話である。受話器越し、低いかすれ気味の声と、合間あいまの息づかいが、なんだかエロティックに響いている。このひとはこんなふうにときおりひとりで電話をかけてくる。  芋焼酎しか飲まない男で、そのアルコール度の強い酒は、一旦体内に入ると、独特な酸《す》い匂いを放ち、なかなか消えることがない。いま、丸子の鼻の奥に、その匂いがふうっと蘇った。 「コマル、おれ、今度、ミナミに遊びに行くっちゃが、よかろぉが。オオサカじぇ、オオサカのミナミ。あそこはキャバレーの本場やからなぁ。ちょっと一発当たってな、ぱぁっと遊んで来ようと思ってな」  丸子が生まれた年に、このひとの妹も生まれたのだが、一週間も経たずに死んでしまったという。それで丸子のことを、妹のような存在だと思っているらしい。顔が似ていたとか、生まれ変わりじゃないかとか、いまだによく言う。 「うまいもんもいっぺぇあるらしいしな、あと、漫才も観てくるわ。キューシューの笑いはいまいちやもんなぁ、やっぱ笑いはオオサカが一番やもんなぁ。奥目のハッチャンに逢えるかいな」  奥目のハッチャンが出演しているテレビを、丸子は中学の夏休みのとき部活の合間にイエへ帰り、チャーハンを食べながら観たのを憶えている。食べたらすぐまた学校へ戻らなければならないので、テレビの前に座って急いでチャーハンをかきこんだ。慌てながら、チャーハンのおいしさも奥目のハッチャンのおもしろさも、夢中で味わった。 「オオサカに出たついでに、あんたんとこにも行くかもしれんぞ」 「──へ?」と丸子は吹き出した。流しのしたの梅酒の瓶から梅の実をとりだして噛っていたのだが、食べるのを休止した。「ぜんぜん近くないよ、オオサカとここは。太にいちゃん、地図でもういっぺんよく見なよぉ」 「さすらって行くうちに、辿《たど》り着くやろ」 「なに、さすらいたいの?」 「いいやんか、おれだって、さすらってもさ」 「一発当たったって言っても、キャバレーで遊べばすぐ飛んじゃうでしょ。お金、どうすんの」 「だからぁ、それはまたあれですよ、競艇とか、パチンコとか、宝くじとかぁ」 「ふうん」 「しつこいオナゴから逃げたいので、二、三ケ月とんずらしたい、ということもある」 「ふうん。まぁ、そうだなぁ、来る? いいよ、太にいちゃんなら、わたし。おいでよ」  どんな男にもこんな台詞《せりふ》、言ったことがないのに、梅酒の梅の実ごときで、丸子も酔っているようである。おいで、おいで。十三年ぶりだね、おたがい、顔、わかるかなぁ。  ゴルフ練習場のスポットライトが窓からさんさんと入ってきて、まぶしい。木々のてっぺんに、闇をひっかいてできた傷みたいな月が出ている。 「いっちょまえに、おいでぇ? ケッ」  ぶつぶつ言っている太にいちゃん、照れている。大勢が背後にいるときとは調子がちがって、この従兄、口調がやけにやわらかい。 「ヘェックショ、エエイクソッ」  くしゃみをし、鼻水をすすっている。そしてまた芋焼酎を含んでいる模様。この従兄は、眠たげな目も持っていないし、尖った唇でもない。一人だけ、顔つきが異なった。ちょっと輝いていた。目が葡萄《ぶどう》の実のようにおおきく、血色のいい赤い唇をしていた。祖母の、真に好きだった男性(病弱で、男として役に立たないから、結ばれなかったという)の面影が、この従兄にはあるらしい。よくみんながひやかしていた。太の前じゃ、ばあさん、おとなしかもんな。煙草も吸わんし、髪も奇麗に油ばつけて撫でつけんしゃあもんね。  沈黙が訪れる。  ……コマルでもイヌでもアホでも妹でも、なんでもいいけど、イエを出てからも、ちょくちょく、空耳で、きこえるんだよ。男のひとの野太い声で、だれという特定の人物じゃなくて、でもふるさとのだれかではある、わたしを呼ぶ声がさ。で、つい、「はぁい」とそれに声を出してこたえてしまっているんだ、アホなことにいまでもわたしは……と思いつつ、丸子は壁にもたれかかり、目をつぶる。気持ちよくめまいがする。 「行くじぇ、ゼッタイ。いいや? 行くじぇ」  ……この従兄は、わたしをかばってくれたことが、二、三回ある……瞼の裏のその暗幕に、むかし懐かしの映像が白黒で静かに映る。  泣くのを堪《こら》えてうずくまるわたしの服をつまんで立ちあがらせて、太にいちゃん、自分の自転車のうしろに載っけて、つれて帰ってくれたっけ。  裏口のあの狭くて暗い通路ですれちがうとき、わたし、体が捻じれるような気持ちだったよ、太にいちゃんとのときだけ。  夏休み、そうめん流しして西瓜割りしてプールで泳いで、わたしもビリッケツでいれてもらってさ、みんな疲れて昼間っから大広間で雑魚寝《ざこね》したとき、隣だったよね。ひんやりした畳のうえで、太にいちゃんの寝顔をまうえから見つめて、たまらなくなって……ませてたよ、わたし。だんだん顔を近づけてった。ギリギリんとこで、止めた。顔からおたがい、湯気出てなかった? ぬくかったよね。かたく目つぶって鼻で息してたね、太にいちゃん。 「いいこと考えた。あんた、キィ坊の嫁にならんや」  カチ、カチ、とコップと酒瓶のぶつかり合う音。そろそろ呂律《ろれつ》がまわらなくなって来ているようだ。「どうや、コマル。キィ坊と、どうや」 「ふうん、あまりもん同士をくっつけようとゆーわけやね」と丸子は興味のない声を出す。もう眠い。  ゴルフ練習場の電気が消えた。ボール洗浄器の音だけが、ガタタンゴトトン、辺りに鳴り渡る。窓の外の木々は真っ黒に尖り、風でわさわさ揺れている。受話器のむこうにも、風は吹いているだろう、玄界灘からの、潮の匂いのきつい北風が。 「血ぃ、つながっとうって言っても、再従兄《はとこ》やん。よかっちゃないや、再従兄となら結婚しても。どうや、おれ、本気ぞ。本気で仲人しちゃるじぇ。おれの|祝い目出た《ヽヽヽヽヽ》をききやがれ」  ふふん、と丸子は笑い、半分眠った頭で、「またそこにみんなと住むわけぇ? うへぇ」と言ってから、不意に、なにか、哀しくなった。  一度だって、考えたことがなかったのだ。いま、瞬間、口から出て自分でも驚いているが、やっぱり、あり得ない。みんなで一緒、なんてイメージするだけで、かなわない。 「キィ坊、あいつ、可哀想と思わんや? 一生、嫁が来んと自分でもよぉわかっとっちぇ。なんも望んどらん。毎日、近所の餓鬼あつめて、遊びようだけじぇ、リョウカンサマみたいによ、ケッ。しかもこないだ、おたふく風邪に罹《かか》ってしもうて、もう子種がない」  再従兄のキィ坊は、女性とまともに話のできないひとで、いまは確か五十代半ばだ。女児には夢中になって話しかける。丸子も、幼いとき、憶えがある──「いい革ジャンパー着とるねぇ。なんの革? 牛やろ、それ、牛やろ、良かねぇ」と、キィ坊が興奮顔で褒めてきたので、だいの大人が、こんな子供になんでまた、と、可哀想になった。いっしょに鞠《まり》つきして遊んだこともある。いつだって坊主頭だった。季節のかわり目になるとひとが違ったように凶暴になるので、刃物を見せないよう、まわりで気を配っていた。「可哀想になぁ、自分で自分がコントロールできんのじゃ、あいつは」「少年のように純粋じゃ」と、男衆からあたたかく見守られて、現在も生存しているらしかった。  再び沈黙。 「おう、コマル」  太にいちゃんが口をひらく。「あんたにも分け前はあるとじぇ。稲造はちゃんとあんたにも残すもん残しとうらしいじぇ。知っとっちゃろ、あんたも。いつとりに帰って来てもいいとじぇ」  あぁ、まぁねぇ、と言うだけで、丸子はほかに言葉を返さない。どうせ、ひとくせもふたくせもありそうな金だろう、煩わしいや、そんなの、と思っている。 「あんたの部屋はもう余所のもんに住まわせとるが、あんたが帰って来たら、そんときゃそこらに空き家はいっぺえあるし、どこに泊まっても良かし。いっぺん、帰って来んや?」 「わたし、帰らんよ。わたし、だれかの嫁になんてなるつもりないし、太にいちゃんのことも、ぜんぜん懐かしくない」と丸子は言った。 「ほお、そっか」 「そう。ほんとだよ」 「そっか、そっか」  三度、沈黙。  怖い顔のなかでも、このおにいちゃんだけは、微妙に違って見えた、このひとがいたから、どんな意地悪も我慢できた、このひとの意地悪なら、うれしかった……あぁ感傷ばっかりだ。やだやだ、ときどきこんなふうにセンチメンタルなわたし……。 「太にいちゃん、いつ来る? ほんとに来る?」  丸子はいきなり大声で訊く。「来るなら、日にち決めてよ。道順とかさ、御案内の地図、書いて送りますよ」 「投げやりやなぁ」と太にいちゃんが言う。 「来る? 来るなら来れば? いつでもいいし、どうでもいいよ、わたしは」  来る? 来れば? と言うのが、来い、来い、と言っているように、自分でかんじた。来る? 来れば? と訊きながら丸子は、乳と乳のあいだのその奥の、ずっとずっとむこうが、開かずの間みたいなそのヘヤが、すきま風でキシキシ鳴るみたいに思えた。息苦しかった。  このとき、自分がこの歳までいわゆる「処女」であることを不意に思い出した。ちょっと、太にいちゃんに言ってみようかな、と思ったが、おおげさに受けとられるのは嫌なので、やめた。「処女」を守っているとかじゃない、ただのんきなだけなのだ。いや、一生このままだっていいと思っている、なんの支障もない。  月が雲で消えた。  丸子は長いこと床に座っていてすっかり冷えきった尻を、ストーブへむけてあぶった。じわじわ下半身がぬくもって来る。 「ヒノエウマは、行かず後家になるって、稲造、よく言いよったねぇ」と丸子は独りごとのように言った。  国道を救急車が走っている。けたたましいサイレン音。合わせて犬の遠吠え。  受話器のむこうで従兄は、しきりと、「クション、ケホン」──くしゃみと咳《せき》をいっぺんにしている。  なかなか、電話を、おたがい、切らない。      四  ひょうたん池は、池というより沼であった。  水面がヒツジグサでびっしり覆われ、黒に近い深緑色だった。雨あがりに、よく、わらじみたいなおおきさの亀が、ぷかぷかと浮かんでいた。ほとりには葦が繁り、いぼると危険なので有刺鉄線の柵が張りめぐらされてあった。  祭りのあとは、色つきひよこや、ペットくじで当たったもののすぐあきられて捨てられた鶉《うずら》や、雑種の子犬が落ちていることもあり、そして、ツチノコを発見した子供もいるというし、河童に脚を掬《すく》われて命を奪われた子供もいるという。 「信じるも信じらんも、丸子ちゃんの勝手やけどな。そんじゃ、スッポンっちゃ知っとうや? あれもあの池にはおるとじぇ。亀に似とるが亀じゃない、顔がとんがっとる。甲羅はふにゃふにゃとやわい」「ありゃ手では、捕まえられん。思慮深い(たぶん用心深いの間違い)から、すぐ泥んなか入りよる」「おう、それに、危なかじぇ、あれから噛まれると指がもげる。しかしな、食うと、顎が落ちるごたぁ、そりゃうまかじぇ」「丸子ちゃんとこの、じいさんによう似とろうが」「おう、口とんがらかして文句言うとことか、よう似とう」  グンタイジイサンたちの長い話は、日本昔話とか童話なぞよりもマコトに近く、「人生ゲーム」よりもスリルがあり、「コックリさん」よりも不気味に幼い丸子にはかんじられた。あやふやで怪しげだけれど子供をぐんぐん魅了してゆく言葉づかい。丸子が真の友達と言えるのは、あとにも先にも、あの、グンタイジイサンたちのみだ。  長屋の共同井戸のそばに、台風で倒れた楠の木があり、そこへ腰掛けて、老人たちは、ぼそりぼそりと話してくれるのだった。イナカノババサンの天ぷらを、子供の口のサイズに切り、それを網で焼いてくれたりしつつ。  もと牛小屋であったらしく、長屋一帯は、常に獣と藁《わら》と黴《かび》の混ざった匂いがした。地べたは水はけが悪く、すこしの雨でもべちょべちょになった。 「あれは、滋養にいい。死にかけたもんが、あれの生き血を飲めば、見事に蘇る。ぴんぴんして次の日から働きに出らるぅらしいじぇ」「ハラボテのオナゴにもええらしいし」「そうたい、元気のなか男にももう、そりゃ一晩でよう効く」「スッポンの口に、なんか棒でも布でも噛ませてから、すっぱり首ばちょん切って、血ば出すと。首ば、軒にぶらさげとって、したに皿ば置いとって、ぽとぽと血が溜まるのば、待つと。しかし、猫が来て嘗《な》め尽くしたりするがな。猫はひょっくり返るがな、あんまり効きすぎて」  どの老人も、センソーで無くした腕や脚のその切れ目の部分を、ゼッタイに丸子には見せないよう、長いシャツや長いズボンで隠し、袖先を固結びにしていた。酒臭くはあっても、幼い丸子に対しての気の配りようは、しっかりしていた。センソーの話は、焼夷弾が空から降ってきたときガラスの瓶が割れたみたいにきらきらして奇麗かった、ということぐらいしか語らなかった。  丸子が長屋へ遊びに行くことに対し祖父は、「あそこに行くと帰って来れんごとなるぞ」と怖がらせ、従兄のおにいちゃんたちは、「一人で行きようとか? なんされるかわからんじぇ。おれらだってみんなで行かな恐ろしかっちぇ。オナゴのくせ、度胸あんな、あんた」と言った。  隣町のひょうたん池に、丸子は一人で通った。有刺鉄線のあいだから侵入し、ぬかるみに脚をとられて死にかけそうになり、そんな自分がおかしくて、くすくす笑いながら、スッポンを見つめていた。スッポンは、丸子には難なく発見できたのだった。優雅そうに浮かぶ無数の亀をじっくり観察していると、見慣れぬ顔がある、一匹だけ、とんがってる、顔つきがちがうのだ。亀よりも、祖父に近い顔であった。ガンのつけかたを練習している鏡のなかの自分にも似ていると丸子は思った。  行ってはスッポンの存在を確かめ、行っては確かめた。一人で行くというのが肝心なのだった。一人という重みに、わくわくした。ぬかるみにはまるたびに、死にに来た気がし、ちょっと冷や汗をかいてぬかるみから脱出しては、やっぱり助かってよかった、と安堵《あんど》した。  ある日、グンタイジイサンが二人、釣りの餌のミミズ捕りにひょうたん池へ行き、ついでにスッポンも捕まえたと、わざわざ丸子の家にやって来た。勝手口に、一人はビクと木の枝でつくった竿をさげ、一人は松葉杖をついて一本脚で立っていた。  すごかぁ、と丸子が興奮して言うと、二人は誇らしげであった。 「ひっぱったら、首だけひっこ抜けてしもうた」とジイサンたちは言った。  釣り糸でくくられたスッポンの首は、生っぽくて、肉の切れ目がぎざぎざしていた。血は、鮮やかに真っ赤っ赤だった。  丸子は、いろいろ迷ってから裏口の、洗濯機の脇へ、「首」をそっとぶらさげた。それが夜なよな気になり、苦になり、とうとう呪われたらしく、体に斑点ができた、が、実は麻疹《はしか》だった。  パジャマのまましばらく自分の部屋から出ない日々がつづいた。  塗り薬をすりこみ、軟膏くさい体で、雨ばかり見ていた。  ふと、あの「首」を陽のあたる場所に出したほうがいいと思いつき、玉川組の文字の入った表札、その脇からはみ出ている釘の先っぽに、マスコット人形みたいにぶらさげた。  風におされて、くるくるまわっていた。ずいぶん長いあいだぶらさがっていたように思う。風になびくスッポンの首を、近所の子供らが指さし、「ほらほら、玉川んちの目印!」「魔よけのつもりかいな?」とはしゃいだりもした。  ──玉川家の看板にぶらさがっていたあの、滑稽で、どこかもの哀しい干からびたスッポンの首は、しきりと昔を思い出す丸子に、気分を軽くしてくれる効力があるのだった。  長屋がとり壊され共同井戸がつぶされ、ひょうたん池も埋め立てられ、友達《ヽヽ》はみぃんないなくなり──長屋なんて一日で板切れの山だった。ちょっと見ない間に駐車場となってしまった。ひょうたん池は影かたちもなく、もともとありましたというカオしたシーソーやブランコや花壇でいっぱいの素敵な公園になってしまった。丸子に哀しいとか寂しいとか思わせる間もなく消え去って行ったのだった。  現在の丸子の住まいには、つるんとしたのっぺらぼうの金属製のドアがあるばかりである。そこには表札もない。バタンとしめればそれぎりである。  郵便受けを買う金がなかったので、取っ手にかごをぶらさげているのだが、今日、バイトから帰ると、そこに、大家さんからの食べ物の差しいれがあった。こんもりとビニールぶくろが盛りあがっていた。さわるとまだ食べ物のあたたかさが残っていた。  住み心地がよくなって来たなぁ、と丸子は思う。顔見知りも増えて、「お出かけですか?」なんて話しかけられもするし、いくつかバイトをしたのでそういうところでの知り合いとも道ですれ違い、「今度お茶飲みに行こうね」と誘われたりする。  そうだ、この町には確か二年は住んでいるのである。  ひごろあまり月日の勘定をして暮らしていないから鈍いのだが、ただ、水道代のことを考えると、二年経ったとはっきりわかる。たぶん市役所の手違いだろうが、引っ越してきた当初から集金を言って来ないままなのである。タダは、うしろめたい。だからといって自分から市役所の水道課へ出むくのも、正直者っぽくて嫌。そろそろ逃げよう、二年も滞納してるのは、やばい、犯罪かもしれない。保証人のいらないアパート見つけなきゃな。かなりひとのいい大家さんじゃないと、わたしみたいなのには貸してくれないもんなぁ。おおきな荷物もないからすぐに出られる、そんなにお金もつかわないからいままでみたいにぼちぼち働けばいいし……考えてゆくうちに丸子はだんだん興奮してきた。ひとまず梅酒を飲んで気を静め、それから食べ物の御礼を言うために大家さんの電話番号をまわした。      五  丸子がスカーフを、いろいろに結びかたをかえて巻いてきてから、沼田さんも瓦さんも、スカーフを巻いてくるようになった。二人とも、丸子より頭二つ分はちいさいので、ふろしきをガバリと体に巻きつけているみたいになる。幼児がスーパーマンごっこしているようなかんじだ。  そのスカーフの柄も、馬が馬車牽いていたり、船の碇《いかり》だったり、航海地図だったり、色はド派手で、たぶん、ファッションセンター・馬場あたりで購入したものと思われた。  また、丸子が、自転車のかごに入るくらいの、フェルト素材の手提げバッグを新しく買って持って来たら、しばらくすると似ているようでどこか形のへんなバッグを沼田さんがぶらさげていた。沼田さんは、「あら、タマチャンも、こういうの、持ってなかったっけ?」と、いかにも、丸子が持っていたのはあたしは知らなかったんだという言いかたをした。で、丸子のバッグを見ると、「あら、こっちのほうが持つとこが太くてかあいいね」とおおらかそうにニッコニコ笑って言った。  それから、丸子が、柑橘系の香りをうすく耳たぶにつけていると、そのかすかな匂いを、神経質な瓦さんは嗅ぎとったらしく、鼻をくんくん鳴らして匂いの根源を捜していた。その数日後、丸子がバンドエイドを買いに薬局へ行くと、魅惑の香り・官能の香りというコーナーで、顔を近づけて試供品を試している瓦さんを見かけたのだった。声をかけずに丸子はその場を立ち去った。  三十三歳の新人は、先輩主婦パート二人に、すくなからず影響を与えているらしいのだった。  タマタマって──と沼田さんが、丸子に背中をむけ、おなかを抱え苦しそうに笑っている。瓦さんってば、タマタマって──。  年賀の時期なので、三人体制だ。  忙しいなかの狂喜というのがある。もう、気分ははちゃめちゃなのだ。さっきまでイライラして丸子にあたり散らしていた沼田さんだったが、とうとう、笑い出してしまっているのだ。  そこへ店長が外から帰ってき、 「こら、なに笑ってんの、忙しいのに」と早速、沼田さんのお尻をしたから掬うようにしてさわる。客が見ていても平気である。 「タマチャンをさわったらぁ? 若いほうがやわらかいよー」と無邪気に沼田さんが言う。そして思い出し笑いし、「きいて、ほら、あの、お茶っぱを掬うやつ、おタマみたいなやつ、いまあれ捜してたのよ。で、おタマ知らない? って、瓦さんにきいたの、そしたら瓦さんってば、え、タマチャン? タマチャンなら裏で湯飲み洗ってたよって言うのー」と咳こみ、涙まで目尻に滲ませており、瓦さんはそこまでではないが、やはり程よく笑い、「タァマタマタマって、呼びやすいねぇ」と感心したように言っている。  秩父はかわいくてたまらないという表情で、ゼイゼイと笑っている沼田さんの栗色の髪の毛を撫でる。  湯飲み茶碗を洗い終えて来た丸子は、ハンカチで手を拭きつつ、みんなのその様子につき合うため、半笑いである。  こういうあいだにも客はひっきりなしに出たり入ったりしている。予約の電話はどんどんかかる。しかも、稼ぎどきということで店ではいま、欲を出して、まんじゅうも蒸して売っている。蒸籠《せいろう》の匂いが暖房をかけた店のなかに充満している。丸子はあんまり笑顔の持続はできないので、すぐに顔を伏せて黙りこみ、まんじゅうの蒸し加減をチェックしたりなどしてみる。  客は、来るときになると、たてつづけに、どんどん来る。待合の席にも座れず、ガラスのドアの外で客は待っている。 「ねえ、老眼鏡、忘れたのよ。これ、なんていう字?」と、老婆が、郵送する宛名の載ったアドレス帖を、瓦さんに見せる。「あら、私も無理だわ。何枚書くんです? 二十? あらま、たいへんだ。うちに書くの好きなのいますから、書かせますよ」「そうしてもらうと助かるわぁ」「はい、タマチャン」と、瓦さんは当然のごとく二十枚の用紙を丸子に渡す。「のしにもついでに書いてよ」  丸子は、受けとるため、慌ててまんじゅうのふたをしようとする。 「タマチャン、いま、むこうの世界でしょ」  にゅっと沼田さんが顔をのぞかせ、つぶらな瞳で言う。 「え?」と丸子はまんじゅうのふたをとじてから、言う。瓦さんから二十枚の用紙を受けとり、のしやら筆ペンやらを捜す。 「こんな忙しいときに、なに考えてんの? こっちの世界に戻って来な」と瓦さんが叱りつける。 「ターマチャン。消費税は何パーセント?」と沼田さんが得意げな顔で訊く。「は?」と丸子は隅のほうで用紙に宛名を書きながら言う。「消費税。何パーセントだ?」「はぁ、五……」「訊くからね、これから何回も訊くからね、それがタマチャンのためらから。じゃ、いまから千円のお茶、五本ぶり、包装してくれる」「は? ぶりって?」「えぇ? 五本ぶり、つくれるでしょ、つくれないの、このあいだ教えたばっからよね」「あぁ、五本分ってこと……」「なになになにがわかんないの、タマチャン、しっかりしてよぉ」と沼田さんは言い、瓦さんへむけて助けの視線を送る。瓦さんも、「タマチャンって、結局なんでもヒトゴトなんだよね」と真面目に言う。「そうなのよねー、いっつもなんか違うことばっか考えてるよね、なに考えてるのか全然わかんないもんね」と沼田さんは客にむかってうふんと笑いかける。客も、その笑顔にこたえ、無能な新人売り子をちらりと見、「たいへんねー」と沼田アンド瓦さんへ笑いかける。みなして丸子のことをバカ扱いである。  丸子は、「タマチャン」と自分の玉川という名字を綽名で呼ばれるのは生まれて初めてで、なにか、実家の表札を土足で踏みにじられているような不快感がする。何度呼ばれても、慣れるということがない。 「タマチャン、東男《あずまおとこ》、裏からとって来て、急いで」と瓦さんがきつい口調で言う。 「東男」がせんべいだとは知っているが、どこにあるのか、丸子は知らぬから、息を切らし、脇に汗をかき、棚をあちこちひっくり返すが、見つからない。ないです、と店のほうへ言いに行くと、客は帰ったあとで、瓦さんも沼田さんも口をつぐんで丸子と目を合わせない。 「教えてもらってないから、ってのは禁句だぜ。勘で捜すんだよ。一人で違う空気放ってるとさ、お客もひくぜ。仕事の技は、自分で盗むんだよ」と店長が壁を見ながら言う。この男は、面接日からずっと丸子の目を見て話さない。しかしすきを見てはうしろにまわりたがり体をさわろうとする。うしろからしか狙ってこない。さわるというより、体の線をなぞるのだ、しかも尻は、両手で掴《つか》んで感触を確かめる。そして熱い息を耳に吹きかけてくる。 「きいてる?」と店長は言う。「こっちは三人分、給料出してんだよね。新人、古株に関係なく、時給はみんないっしょなんだ、そこんとこ考えたら、がんばろうって思わないか」  沼田さんと瓦さんは、遠くにいて、なにかいかにも忙しいという素振りで雑用をしているが、耳はぴんとこちらへむいている。散々、言いつけたんだろうなぁ、と丸子は思っている。丸子がいないとき、なにか、みんなで、噂し合っているらしいのである。主婦二人にしか言っていないことなのに、店長がちゃんと知っていたりすることが何度もある。  やっと客がひき、「休憩したら?」と店長が言う。「まんじゅう、一個ずつ食ったら? ロスまんじゅうを」と丸子の背後にすりよってくる。身をかわし、丸子は茶を注ぐ用意をする。  蒸籠は箱二段になっており、うえのは売り物で、したのはロスまんじゅうといって賞味期限の切れたやつだ。試食として出すか、サービスと言って客にくれてやる。 「あたち、すずしろ。瓦さんはなにがいい? いつもの、おから? いっぱいあまってるよぉ」  沼田さんは休憩となると、とたんに顔がきらめく。 「私、このごろ歯が悪いから、餡こみたいなのがいい。あ、ごめん、やっぱり、おから。一個、食べれるかな……」  瓦さんは休憩となると一気に疲れが露出する。 「タマチャンはまんじゅう、なにがいい? おからでいい?」  顔を蒸気でじめじめにし、猫っ毛だから前髪が額にくっついている沼田さんは、まんじゅうを眺めるだけで口のなかに唾《つば》がたまっている。 「──あぁ、はい、おからで。すいません」と丸子は言ったが、この日初めての長い台詞で、声がうら返っていた。人数分の茶を御盆に載せる。持ってゆく。  物置の横の、トイレに近い長細い空間で、三人、肩をぶつけ合いながら、休憩しなければならない。 「奥、いいよ、奥、入って」と沼田さんが言う。 「うん、私は、まんなかでいい」と瓦さんが言う。 「いいの? まんなかで」 「うん、いいの、としよりは。沼田さん、奥いいよ」 「あたひも手前でいい。じゃ、タマチャン、ほら、奥、いいよ、奥」  どうでもいいので丸子は既に奥へすすんでいる。  沼田アンド瓦さんは、「ま、ずうずうしい」というかんじで、ぎょっとしている。「奥」に、どういう好条件があるのか、なぜ「奥」がそんなにいいのか、さっぱりわからないので、丸子は譲り合いにつき合えないのだ。 「あー、おなかすいた。おなかすくと、あたひ、イライラしちゃうひとなのよねー。よく友達に、まったくもう子供みたいなんだからって、叱られるのー」と沼田さんは瓦さんにしゃべっている。  丸子は、沼田さんと瓦さんが愚にもつかない会話をしている間に、まんじゅうをちり紙に包んでエプロンのポケットにいれようとたくらんでいたが、 「どうしたの、若いんでしょ、入るはいる」と瓦さんが、じろりと丸子を見る。 「お茶がおいしい」と丸子はやっと呟く。  沼田アンド瓦さんは、むしゃむしゃ食べている。丸子も、無理やり、その分厚い皮の、もったりしたまんじゅうを、おしこむ。なかから、おからの塊が出てくる。蝉《せみ》の抜け殻のようなカサカサの海老も出てくる。腹がふくれるにつれ、丸子はムカムカしてきた。女の肌のぬくもりで店が膨張しているかんじがする。まんじゅうの匂いも臭いし、アットホームな雰囲気だし、この休憩時間がいちばん嫌だ。丸子は、いま座ったばかりだがもう立ちあがって箱でも折りたい。袋づめでもやりたい。 「もう、朝ごはん、今日はつくんないで来た。ピコのも、つくんなかった。一分でも長く寝てたいもん」「私もよ、仕方ないよ、この時期は。新人教育もあるし」「ね、タマチャン、主婦はたいへんなんらよ。やることやってないと働きに行かせてもらえないの」「そうそうそうそう、そうなんだよ、タマチャン」  ええ、エライと思います、と丸子はぶっきらぼうに言う。  このところ毎日会っている。そばで見ると、瓦さんは、上唇のうえに、なまずひげが生えている。それが意外に濃い。前日風呂に入らなかったんだろうな、という匂いもする。沼田さんは、しゃがんだり体をひねったりするとおなかがぽっこり出る。ストレス太りだろう、新人教育に手を焼いているので。「あー、きつぅい」と気をゆるめてゆったりしているとき、腹が、胸よりも、出ている。  店長が、食べている沼田さんをうしろから抱きしめ、耳もとで、「ふっくら蒸しむし沼田ちゃんのおまんじゅう、あたちのおまんじゅう、食べませんかぁ、って、売ったら? 売れるぜ」と言う。 「いやぁん」と沼田さんはよけたが、すぐに体勢を立て直して、 「タマチャンと店長の顔、似てるよね。親子って言ってもおかしくないかも」と言う。  だれも同意しない。 「タマチャンの髪って、黒々してるね」と沼田さんはどうしても丸子を話の中心に持っていきたいらしい。 「根性みたいにずぶとかでしょうが」と丸子がキューシュー訛《なま》りで言う。  だれも笑わない。  また沼田さんが店長を誘うような発言をし兼ねないので丸子は気が気じゃない。さわられると、こちらに振る。もうこの繰り返しだ。ここいらで、バシッと言ってやろうか、と思っていたら、 「別にそんなつもりないのになぁ。あたひ、ひとをじっと見る癖があるし、舌たらずだから、勘違いされるみたいなのよねー」と沼田さんは言い出した。 「舌たらずなんですか?」と丸子が訊くと、沼田さんはなにをいまさらという複雑な怒りの顔になる。 「舌が足らないんじゃなくて、長いんじゃないんですか、たぶん」と丸子は言う。沼田さんがしゃべっているとき、口のすきまから、明太子のようにもったりしたのろまそうな舌がのぞくのがよく見えるからだった。  沼田さんは黙りこくった。  このまま永遠に黙ってくれればいい。だいたい、沼田さんのしゃべることはオチがない。きいているほうも忍耐が要るのだ。娘の生理がまだはじまらないだとか、娘を産んでから夫とは一緒のベッドに寝ていないとか。こちらはなんとも見解を述べにくい。  また、「さっきアカギで買って来た野菜、ここに置いとこぉっと」とか、「いまお客さんすくないから薬局行ってムトーハップ買って来よぉっと。あたち敏感肌だからー」とか、行動を逐一、言葉にする。独りごとならいいが、他人がもちろんきいてくれているものだという傲慢さがあるのだ。しかし、それを不愉快に思っているのは丸子だけなのか、瓦さんは沼田さんの無駄話にべつだん不平そうでもない。  瓦さんは、丸子にはわからない人物である。  それこそ、店長からさわられるという被害にはまず遭わないから、丸子が店長にさわられ青ざめていると、「それくらいで。気にすることないじゃん。さわりたい歳頃なんだよ、さわらせとけばいいの、大丈夫、大丈夫、ほっとけばいいのよ」  平然と言う。「だってタマチャンって、三十過ぎてんじゃん。未通女《おぼこ》でもないだろうにさ、もうすこしくだけてもの考えな」  悪気はないらしい。  瓦さんは、椅子に座るとき、股《もも》と股のあいだをこぶしがはいるぐらいあける。そういうふるまいのことを、「はしたない」と祖父が嫌っていたのを、丸子は思い出す。「オナゴならぴったし脚をとじてろ」  また、瓦さんは、孫の話しかしないのだった。パートをしているのも、孫になにか買ってやるためだった。「私はもう女盛りはとっくにすぎたからさ。いまはもう孫だけが生きがい」というのが口癖だった。  そのわりに、沼田さんから、「瓦さんって、ウエスト細いねぇ」と言われるとまんざらでもなさそうだったし、「そのカールって手がかかるでしょ」と言われると、うろたえたようになりながらもカールの仕方を説明していた。もちろん沼田さんの言いかたはどこか毒があり、瓦さんが説明し出すと目は宙を浮いていた。 「タマチャン、結婚しないの?」と瓦さんが言う。退屈なときは決まってこの話題だ。「結婚しなよ。しないの? しなよ」 「───」  しゃあしいなぁ、と丸子は思い、無言だ。 「いちかばちか、結婚しなよ」  瓦さんはなぜかうすら笑いである。真剣に話しているとは思えない。「ダメモトでしてみなよ。失敗してもともとだと思って結婚しな」 「だれとですか?」と腹立ちをおさえて、くぐもった声で丸子は言う。この話題に限らず、瓦さんが笑ってしゃべることは、丸子にはすこしもおもしろくなく、いっしょに笑い合えるということがない。 「いないの、そういうひと?」と瓦さんが言う。  沼田さんも耳を傾け、興味|津々《しんしん》のようである。しかしこの話題は、何度もなんどもなされたのだ。それを、毎回まいかい、いま初めて話題にするような訊きぶりなのである、この主婦二人は。  ふっ、と丸子は笑い、「結婚して、シアワセですかぁ?」とあまりにもまともな質問をしてしまい、したあとで、かなり落ちこむ。あぁ繰り返している、と自分でも思う。毎回まいかい、こうじゃないの、もう。  質問をするのは好きだがいざ自分が質問されると、すこしもこたえられない瓦さんである。シアワセかと訊かれれば、うーんと考えこみ、「やってみればわかるよ」と逃げに入る。 「シアワセですか」と丸子は、沼田さんに尋ね、こたえを待たずに、「わたし、シアワセ、苦手なんです」と言う。これもいつも通りだ。 「子供、欲しくないの、タマチャン?」と瓦さんがもう何十回とした質問を性懲りもなくまたする。「かわいいよぉ、子供って。産んでみたらわかる、どんなにかわいいか。で、また孫がかわいいんだよ」 「かわいいのは五歳くらいまででしょ」と丸子はニヤニヤ笑いで言う。立ちあがりかけているが、主婦二人がどっしりくつろいでいるので、出られない。 「あ、でも、あたひ、もう一度生まれかわったときには、子供なんて産まなぁい」と沼田さんはいやにきっぱり言う。「いまうちの子、反抗期で憎ったらしいんだもん。タマチャン、子供は、よぉく考えたほうがいいよ。やり直しきかないから」  瓦さんが今度は黙りこくる。生命は地球より重い、というのが瓦さんの考えなのだ。  丸子はなるべく主婦二人には仲たがいしてほしくない。  そう、沼田さんは浮気をしちゃっており、店では公認であるが、瓦さんは気に食わないのだった。十いくつか歳下の、夜店で売られているお面みたいに無表情な男だ、よく店に沼田さんを迎えに来る。沼田さんの、キャラクターシールをべたべた貼った携帯電話がレジスターの脇に置いてあり、ものすごく邪魔くさいのだが、その呼び出しの音楽がまたアイドル歌手のふざけ切ったやつで、ピロピロ鳴るたび、瓦さんはこめかみを揉む。男を待つためレジカウンターに尻を載っけて、つっかけをぶらぶらさせている沼田さんの姿は、いかにも恋している。ガラスのドアに額をくっつけて待つけなげさ、娘が高熱を出していても男に会う意気ごみ。沼田さんの、家事や子育てで丸太のようになった腕が、このときばかりは、しんみり、丸子の目には「いい女」に映る。が、浮気なんて、平穏無事・家庭円満が好きな瓦さんには信じられないことなのである。あの、常連さんであるマッシュルームカットのおじいさんが、沼田さんに老いらくの恋をしちゃっており、猛アタックし、ゆきすぎてしまって大騒ぎになったが、それは沼田さんが思わせ振りだからだった。もう店に出入りしませんと誓約書を書かされた日、おじいさんは、去り際、「あなたには家庭がある……だからあきらめましょう。が、今度生まれかわったら一緒になりましょう」と言ったらしく、沼田さんはあとあとまで笑いものにした。ほんとかよ、と丸子は思ったし、瓦さんも、「としよりを笑い者にするのはいかがなものか」というかんじに眉をひそめていた。  結局、三人で話していると妙にぎくしゃくするのだ。 「袋づめ、やりませんか」と丸子は提案する。 「いいよ、しなくて。きりがないよ、この店は雑用多くて」と瓦さんが言い、「どんなに働いても時給は七百五十円」と沼田さんが言う。 「タマチャン、人間は一人じゃ生きられないんだよ。もっと友達つくろうとしなきゃ駄目。老後、孤独だったりしたら嫌でしょ?」と瓦さんが言う。 「別にいいです。意地悪ばあさんになりたいから、わたし」と丸子は笑わないで言う。 「わかんないなぁもう」と瓦さんが叫ぶ。 「なにを言えばいいんです? なんでもいいからスッキリしたわかりやすいこたえをほしいんでしょうね。とりあえず安心したいわけでしょう?──わからなくていいじゃないの、わたしだってそちらのことわからないことだらけですよ、いいじゃない、わからなくて。わからないところは、そのままにしといちゃいけないんですか」と丸子は思わず、こころのなかの呟きを口に出してしまった。言ったあと、恥ずかしくてたまらなくなり、心臓が痛くなるわ、どっと汗が吹き出るわ、酷かった。丸子は、瓦さんへむけて言ったのだったが、沼田さんが、 「怒ったの? あたひたち、タマチャンって、いいお嫁さんになると思ってんだよぉ」とうれしそうに仲裁に入る。「怒ったんなら、ごめんね。でも、タマチャンのことちんぱいだってことはわかってくれてるよね?」 「ちんぱいって、なにがちんぱいなんですか」と丸子は言う。 「だから怒らないでってばぁ」と、沼田さんがカナシゲな表情で言うと、横から、「いいよいいよ、もうよそう、ひとはひと。ね、沼田さんをはじめて見たとき、いくつに見えた?」と瓦さんが、いやに飛躍したほうへ話題をかえてくれた。 「え? 四十四でしょう?」と、丸子は呼吸を整えながらこたえる。 「うん、そうだけど!」と瓦さんは声を荒げ、己の膝をもどかしそうに叩く。「でも、若く見えたでしょっ」  手をあげられたので丸子は一瞬ひるんだが、なんだ、ふりがおおきいだけか、とホッとする。瓦さんはときどき、暴力的になる。 「えー、四十四だよぉ」と沼田さんはウレシゲな表情である。 「でしょうね」と丸子は言う。  すると沼田さんの目つきがかわり、丸子の顔にぴったり視点をあてて言う。「タマチャンも若いよね。三十三には見られないでちょ」 「見られていると思いますが」と丸子は言う。  その場がしんとなった。言い足す。「歳相応がいいですよ」 「えー、老けて見られるより、若く見られるほうがいいじゃーん、ねー」と主婦二人。  こんなときに客は一人も来てくれない。  丸子はトイレに行った。  市役所のスピーカーから、四時半になると決まって放送されるお知らせが流れている──「良い子のみなさん、日が暮れました。早めにおうちに帰りましょう」──それと共に|夕焼け小焼け《ヽヽヽヽヽヽ》の音楽も。  町全体に、夕飯時がやって来ているのだった。  トイレから出て来てハンカチで手を拭いている丸子のうしろ姿を、観察しながら沼田さんが、「タマチャンてさ、初めての印象はとっつき難いって言われなぁい?」と言うが、丸子はこたえない。 「タマチャンさ、やめないでしょ? つづけるでしょ?」と瓦さんが言うが、丸子はこたえない。困るんだよねぇ、はっきりしてもらわないと。  もういいや、とさっぱりした気になり、やめよう、と丸子は決めた。ただ、いまは忙しい時期だからやめることはできない、この時期を過ぎて、店が暇になったときに……。  カランコロンとカウベルが鳴り、店長が出てゆく気配がする。 「音がしなかったからいないのかと思った。店のすみっこであたちたちの話きいてたのかしら、気味悪い。市立図書館あたりの茶畑、所有してる、金持ちの家に生まれたんだってよ、お客さんが言ってた」と、沼田さんの噂話が始まる。「で、これ、笑えないんらけど、だれにも言わないでね。親はあのひとの面倒見なくて、だから、いつも汚いボロ着て裸足らったんだってー。あたひとおない歳なのよ、あいつ。裸足の子なんていない時代らよ」  丸子はぶふっと吹き出した。「裸足らったんだってー」としゃべる沼田さんの表情が、自分の残酷さに酔ってすごくウツクシク丸子には見えたので、笑ったのだった。 「なになになんで笑うの、笑うとこじゃないでしょ、タマチャン、酷いじゃなぁい」と言いつつ、沼田さんもヒイヒイと笑っている。 「お坊ちゃんだったんだね、偉いね」と瓦さんは正義派でいようとする。 「しかもね」と沼田さんは止まらない。「かなり頭も悪くてね、ほら、いるじゃない、町に一人や二人、有名なバカが。てぃてぃぶって、そういう存在だったんだってー」 「あぁ、鼻たれ小僧みたいなね」と丸子が煽《あお》ると、 「そうなのよぉ、どの時代にもどの町にもいるよねぇ、あれだったのよぉ」としゃべっている沼田さんはすばらしく美人だ。 「おれは知能指数は高いんだよな、とか、IQがいくつだとか、わたしたちの前でよく言うじゃないですか」と丸子が言うと、急に瓦さんが声を荒げ、「ちゃんと店を持って、偉いよっ。努力家なのよ、苦労したんだろうねっ」と言った。目頭を熱くしていた。  叫んだあと瓦さんは、こめかみを揉み、「ゆうべも私、眠れなかったから、睡眠薬、飲んだんだ。このごろ、薬が効かないのよ」と自分の話題のほうへ持ってゆき、ナーバスである。沼田さんは、「あいつの鼻のしたに棒線二本ひっぱったら、よく似合うんじゃなぁい?」と言っている。「タマチャン、描くこと好きなんでしょ、ちょっと描いてみてよぉ。紙、捜してくるからぁ」 「いやもうそれより箱でも折りませんか」と丸子は落ち着いて言った。 「としよりになると健康第一だからねぇ」と瓦さんは節くれだった指先を見つめて言っている。「タマチャンもさ、若いうちから気をつけたほうがいいよ。お酒強そうだけど、ほどほどにして、毎日、運動したりしたほうがいいよ」 「そんなに命が大切ですかぁ? わたしは健康のために運動するの大っ嫌いでして、病気の一つ二つ持ってて不健康なのが合ってるんですよねぇ」  実際、いまは小康状態だが丸子には腎盂炎という持病があるのだった。「どうせ人間は死にますしねぇ。ジタバタしてもせいぜい百年だし」 「いいじゃん! 百年。生きたくない? 百年!」 「そんなに生きてどうします」 「若いから言えるんだよ」と瓦さんはややよろめきつつ、「東男、捜して来よう……」と死にそうな昆虫のごとき脚どりで裏へ行った。  早起きは得意だし近所に住んでいるし、どうせやめるつもりだからいまのうちぐらいは親切でいようと、店の鍵を一番にあけ玄関マットを表に出したり湯を沸かしたりしに行くのが丸子の日課となった。ある朝、その丸子よりも早く店長が来ていた。 「朝一番で病院の受付に診察券、出して来た」と言う。「一番に呼ばれるからな。一番に診察してもらうんだ」と言った。  よかったですね、一番で、と丸子は言った。 「でもさ、あんまり早すぎて、それまで行くとこないんだよな」  痰《たん》や鼻水の音を顔じゅうから出している。  丸子は熱いほうじ茶を一杯出してやった。店長は、ぐびと飲み、「朝でも店のなかは暗いなぁ」と店内を歩きまわりながら言う。  じゃ、あとよろしく、わたし一度帰ります、すぐに瓦さんが来ると思いますので、と丸子は言った。  俺様にさわるなよ、と思っていたら案の定、背後から荒い鼻息がきこえたので、くるりとふりむき、その、自分よりも目線がしたの男をまばたきせずに見おろし、「なんですか? さわって呼ばないでくださいね」と言ったが、店長はそっぽをむく。それで、更に顔を持って行って、相手の目を見て、「ね? 名前を呼んでくれれば、わかりますから」と丸子は言った。店長は、もじもじして返事をしなかった。  一月の半ば、すかいロードにある、ちゃんこ鍋屋で、遅い新年会をひらいたのだったが、店長は深刻な顔で、店の今後の方針や、銀行への借金のこと、自分がどれだけ販売員を大切に思っているか、などを切々と話していた。ところどころに自分はガンかもしれないという不安をにじませてしょんぼりしたりもしていた。  女の前でしか威張れない男。給料袋をもったいぶって渡す男。ありがとうがきちんと言えない男。たいてい男だったら、酒が入れば普段とちがう色気がほろりと出るものなのに、また、こっちだって酒が入っているのでどんな男からでもどこか格好いい部分を見つけられるはず、なのに、この男については、まるで、ない。こんなに魅力のない男も珍しい。  やがて、スケベな話になり、その内容が丸子の小学生のときひやかしていたようなレベルで、しかも、主婦二人はきゃあきゃあはしゃいでいる。沼田さんは日本酒の酔いがまわって、店長にどこをどうさわられても感覚がないようだ。瓦さんの意識も朦朧《もうろう》としている、口が半びらきだ。  結構、このおじさんおばさん三人は、仲良しだし、気が合ってるし、たのしげな世界だな、と丸子は思いながら、もくもくと鍋をつついていた。  やめます、すいませんが、新しいひとを募集してください、と丸子が言ったのは、二月だった。客が一日三人も来ない、一人体制でもとにかく暇な月である。      六  コレクトコール、受けますか。という電話があり、受けません、とこたえると、あのふつうは受けられますんですが、と言われたので、あぁそうですか、だれからです? と訊いたら、 「おれおれ、コマル、おれじゃおれ!」──と、太にいちゃんである。  オオサカのミナミに居るったい、金がない、ぜんぜんない、つかい果たしてしもうた。送ってくれんか。というのである。あんたんとこには行けるかどうかわからんよ。あんたから送って来たあの地図くさ、御案内してくれるのはよかけど、下手でようわからんじぇ。ややこしかねぇ、いくつ乗り換えりゃいいとか? 途中までは行こうと思ったけど、ひき返して、いまはまだミナミじゃ。 「きっと迷うよ、無理して来なくてもいいんじゃない。ミナミでたのしんでるほうがいいよ」  丸子は言う。  太にいちゃんは、おおいに酔っており、御機嫌だ。結局、それほどわたしに逢いたいわけじゃないらしい、と丸子は思った。きっとミナミからは一歩も出てないのだ、このひとは。吸いよせられて、クラクラなんだ。声からしてもうスケベっぽいもの。ちょっとでも逢える気がしてときめいていたわたしが、アホだった、ということにしよう。  三月、いや、四月には行く。太にいちゃんが言う。 「ふうん」  よし、茶摘みの時期、茶を飲みにそっち行く。 「ふうん」  そんときにはもういないと思うけど、と声に出さず胸のうちで丸子は思った。丸子の住まいはダンボールだらけである。いつでも引っ越せる準備がしてあるのだ。  おれもさ、玉川のうちは、なんか、あきたじぇ。このまま帰らんかもしれん。  女のひとの声やムード音楽が受話器から溢《あふ》れてくる。いちゃついている模様。ほんとに従妹《いとこ》? と女のひとが言っている。このおにいさん、やたら恥ずかしがってますよぉ、ほんとに従妹さんですかぁ。  おれにとっては実の妹みたいなもんでねぇ、なんて太にいちゃんは説明している。やめてくれ、うすっぺらだ、と丸子は受話器をあてたほうの耳が痒いほどだ。  このおにいさん、美形ねぇ。女のひとが言っている。 「でも、皮のしたはだれでもおんなじ骸骨ですよ」と丸子は言った。 「太にいちゃん──」と丸子は呼びかける。  んあ? んあ? と、うまくききとれないらしく太にいちゃんは何度も訊き返してくる。  バイトをやめたのでそんなにはお金を送れない、と言いたいのだが、こんなにたのしんでいるのに、野暮なこと言ってがっくりさせちゃ、悪いかな、とも思う。  コマル、茶の葉っぱは、処女しか摘んだらいかんってほんとや? なんて太にいちゃんは言っている。 「知らんよ、そんなこと」と丸子はやさしげに言った。  コマル、おれ、ほんとに、玉川のうちには、帰らんかもしれん。 「いいや、あんたはきっと舞い戻るね」と丸子は決めつけて言った。  んあ? と太にいちゃんが訊き返したが、丸子はもうおなじことは二度と言わなかった。ただ、「いいね、憧れの土地があって」とは言った。  羨《うらや》ましい気がしたのだった。自分も、どこかの土地に憧れて、そこへゆきたい、とかんじたのだった。  金の送り先を訊いて、丸子は受話器をそっと置いた。  丸子はつい二、三日前の夕方、国道沿いを歩いていたら、前から来た男に道を尋ねられ、教えていると、いきなり両乳をわしづかみにされ耳をかじられた。「なんかされたら男の急所をねらえばいい」というのが、男だらけのなかで育った丸子の知識だったので、膝で、蹴ってみた。かすかにあたったが、相手は反応しなかったし、かえって丸子のほうが、「キー」という金切り声をあげてしまった。こんなことは初めてではなく、だからなるべく「女」の形にならないようにひごろから努めていたが(長い髪をなびかせたりしない、体の線を強調した服を着ない、尻を振って歩かない、など)、とっさのことで、やはり、震えた。  が、今度狙われたら、必ず命中させてやる、と奮起した。いちいち狙ってきちゃってさ、ったくもう。乳が二個ぶらさがってるだけやんか、と笑う余裕もいまはある。だんだん自分が強くなっているような気がする。これからだって、なにが起こるか、わからないのだ。自分の身は自分で守らなければ。頼れるのは、自分だけだ。  もうこのムサシノともおさらばだ、別れの杯だ、と丸子は、一人で近所の居酒屋で酒を飲んだ。女一人で飲むのなど平気だった。  帰り道、酔ったよったと言いながら、自転車をこいだ。しっかり運転できている。信号機は黄色で点滅をしており、かなり深夜らしいのだが、ムサシノをしばらく走りつづけた。闇だらけなのに、交通事故多発地帯なのに、すこしも危険なかんじせず、サングラスまでかけ、粋がって、ずんずんつっ走った。犬の糞だってちゃんとよけられた。ぜんぜん酔いはまわっていないのだった。お銚子を三本ぐらいだったから、なんでもない。緑の匂いが濃い。耳が寒さでジンジンした。手もかじかんだ。のぼりもくだりもない、平坦な道だ。しゃりしゃりと落ち葉をタイヤが踏みつける音だけする。自分がナニモノかわからない状態がつづいた。ただペダルを踏み、前のめりにすすんだ。雑木林にさしかかった。目の前を、すうっと横切ったのがいた──どうも、しっぽのある小動物に見えた。なんだか、そこらじゅうに獣がうごめいているような気がする。子犬かなにか、捨てられていないかなぁ、と思った。あ。ひょうたん池? と自転車を停めた。まさか。  ……すり鉢状にえぐられたただの穴であった。まわりには岩が置いてあり、立ち入り禁止の札が立てかけられている。「コマル!」とだれか男のひとに呼ばれた気がしたが、もちろん、だれもいなかった。  再び、自転車をこいだ。  息切れしたころ、巨大な緑色のネットが目に入り、自転車をおりた。ゴルフ練習場だった。そして自分の住むアパート。空は東のはじっこから、ちり紙をちぎったみたいにしらんでいた。丸子の手には泥のついた根っこが握られていた。そういえば、あれ、なんだこれ、と言いながら、ずるずるひき抜いていたような気もする。ふるさとでは、よく山芋を掘った。残念ながら、いま手に握られているのは、ただの木の根っこだ。が、久しぶりに、土をいじったので、気分良かった。葉っぱの腐ったような、湿った、いい匂いだった。  あたひ、直すから、悪いとこあったら直すから、と沼田さんは泣き、なんで直すんですか、と丸子は突き放した。タマチャンじゃなきゃ嫌だってお客さんもいるんらよぉ、と言うので、茶ごときでタマチャンじゃなきゃもあるもんか、と返した。タマチャンの真空パックうまいねって瓦さんと褒めてたこともあるんらよぉ、ね、瓦さんのお見舞いもいっちょに行こう、ねー!  沼田さんの言うところによると、丸子が店をやめてすぐ、瓦さんが、バスに乗っていて追突事故に遭っちゃったらしいのである。もうこれはカミサマが、タマチャンをひき止めなさいと言っているんだ、瓦さんはどうなるかわからない、入院するほどではないんだけれど、いまはだれとも逢いたくないと家にひきこもっているらしい、たぶん、自律神経失調症。  涙でしっとり濡れて、ぬくくて、内股で、ほんのり腋臭《わきが》の匂いがして、丸っこくて、ちいさい沼田さんは、丸子のアパートを捜しあて、道端でしがみついてきたのだった。突き放してもつきはなしても、ぺっとり吸いついてきた。堪忍してくれ。  断りながらやっとドアをしめ、鍵をかけた。が、「あけてぇ、ね、駄目?」とインターホンへむけてあまえた声を出し、それが徐々に渇望した人間の悲鳴へとかわる。顔色がすごく悪いよ、ね、どこかおかしいよ、医者に行きなさいよぉ。娘を持つ母親だから言うの、ほっとけないのよ、タマチャン、言うこときいてぇ。  母親? 気持ち悪い、と丸子は思った。  なにごとかと大家さんが駆けつけたりした。ゴルフ練習場にいたひとびとも、顔をのぞかせて見物していた。  やがて、静かになったな、とドアをあけてみると、かごへ、差しいれだというメモがいれてあり、それが三個百円のプリンやら、どら焼きやら、だった。  アパートまでおしかけて来るのも、まぁ一週間くらいだろうと考えていたら、ほんとうに一週間キッカリで沼田さんはおとなしくなった。  タマチャンでなきゃ、嫌だからね、ほかのだれか新人さんが来たって、店にいれないから、と、そう言った次の日、こんなことを留守番電話にいれたのだった──「玉川さんのお宅ですか? えーと、タマチャァン、新人さんが入ったよー。これでタマチャンにも迷惑かからなくて済んだぁ、えへ。ゆっくり休んでねぇ。そうそう、雛祭《ひなまつ》りに餅つき大会するって、てぃてぃぶが言ってたでちょ、あたひ、断固拒否するから。あんな、お客といちゃいちゃするの、大っ嫌いらから。新人さんに出てもらいまぁす。ちんぱいしないでねぇ」  それから速達で写真が送られてきた。 「タマチャンがやめてみんな寂しがってます」とメッセージつきで。子供づれや老人ばかりの客に混じって、沼田さんは、栗色の髪をなびかせ、両手で杵を持ち、一生懸命らしい顔で、臼のなかの餅をついていた。  とにかく、とりあえず、嵐は去った。昼間っからカーテンをしめてとじこもっていた一週間、ダンボールが積んであるからあまり身動きもできず、丸子は、やることもないので、自分の髪の毛を五分刈りにし、それから買い置きしていたパーマ剤をかけて見事に失敗した。かたつむりが何匹も頭にへばりついているみたいになった。日記を書きなぐった。酒太りした。日本地図を見、どこに行こうか、と杯を片手に、思案した。キューシューを飛び越えて、島へ行こう、と強く思った。まだはっきりと決めてはいない。ただ、ドコへ行くかというより、ナニか、力仕事がしたいとそればかり考えている。余計な愛想笑いはせず、この腕で脚で、食べてゆきたい。骨盤だってしっかりしているし。  ブラジャーやパンティーなんて煩わしいもんもはずし、体を解放した。血管の浮き出た腕は自分でもたくましくて惚れぼれする。スッポンみたいな獰猛《どうもう》なやつだって、この腕っ節だったらOKだろう。腎盂炎がまた再発したのか、むくんでいるようなかんじもするが、太陽の下でがむしゃらに体を動かせば治ると信じよう。自分で調べられる尿蛋白の検査をしてみて、かなりやばい結果が出たのだったが、見ないふりした。化粧をしていないシミの浮き出た顔を鏡でじっくり見つめ、これにほっかむりをかぶったら格好いいぞ、と自分へむけて言った。口を尖らせて自分を睨《にら》んでみた。なんでもできるよね、と励ますように言った。  杯を神妙に両手で持ち、お膳座りをした。窓から見える月へ、恭しく頭をさげた。なんでもできます、します、と言った。ふくれた裸足の指を揉み、この脚でふんばれます、と言った。だから、暇なときでいいですから、お月様、わたしをどうぞ見守って……。  リヤカーも牽ける、蛸を素手で捕まえられる、サザエ捕りもうまいじぇ。裸足で岩場をすっすっと滑るみたいに飛び越えるのもお手のもんじぇ。さばいて、味つけして。イナカノババサンみたいにさ。そう独りごとを言っているうちに、ふと潮の香りがし、丸子はますます高揚して酒がすいすい体に入り、ぐらぐら、ぐらぐら、傾《かし》いでゆくのだった。 [#改ページ]    ゆううつな苺      一  このところ、日曜祝日はいつも塾さがしだ。いましがたも、「あまから塾」というトンチキな塾の面接から母と帰ってきたばかりで、帰ってくると私はたちまち悪寒《おかん》がし、吐き気を催した。寝ろ寝ろとふとんにおしこめられ、漫画を読んでいたら肩をひやすととりあげられた。熱なんて計ったところで熱がさがるわけでもあがるわけでもない。なまけたからだを急に活動させるからこうなったわけで、治すにはまたなまけさせる、つまり安静がいちばんいいと自分ではわかっていたけれど、病人はとにかく病院へ行けという。  診察に手間がかからないようにと前あきブラウスに着がえ、玄関までの廊下を歩いたら、それだけで息が切れてしまった。よりかかっていいよと言われたから体重をあずけ、すると母は前のめりにすごい音を立てて倒れた。「重いって、重いって。髪をつかんどうけん離してよう」と、うなっている。「思いっきりのしかかってくるひとがどこにあるね」私より荒い息をしている。 「栄養つけないかんよ」  妙に具だくさんのおかゆを母が枕もとに運んできた。ねこまんまのようなにおいがたちこめる。 「あした、学校、行くやろうね」  私は黙って背中を向けている。 「行かんとね。どうするとね。行かんと? 行きたくないと?」  このままぐずぐずと学校を休まれたりするのが嫌らしい。  私はもう、そっとしておいてくれ、とつい母の頭を平手でぶってしまった。まただ。これで三度目。こうすれば母は一発で黙ってくれるので、気持ちより先に手がでるのだ。父が死んでから私は、極端な言動にでるようになった。  父が死んでから変わったのは、もちろん私だけじゃなく、母だって、私とふたりっきりはかなわないとどこかで思い、けれど、その気持ちをごまかしているだけだ。 「病院に行かんなら、寝とかなよ」  乱れた髪をなでつけると、なにごともなかったみたいに母はでていった。私はかけぶとんをからだにまいたまま部屋をでて縁側から庭におりた。  庭では、苺《いちご》がたくさん実をつけていた。けだるくうなだれたみたいに真っ赤な実がぶらさがっている。ブラウスのすその前をもちあげ、そこへ摘んだ苺を入れていく。どれもこれも、いびつな形で、おちんちんみたいな形の実など三つもあった。うっすら水気を帯びていたから、ブラウスがしっとりしめった。  幼稚園に行く前のころ、私は野道になっていたヘビ苺を、毒がある実かどうかたしかめるつもりで、ひとつぶ口に入れたことがある。そばにいた父の、「ペッしなさい、ペッペッ」という低い叫び声は、どこかせっぱつまっていて、私はそのけんまくにおののいてしまい、吐きだすどころか飲みこんでしまった。逆さまにつるすように足首をもたれ、上下に揺すぶられると、のどから、きれいな形のまま、ころんと赤い実が落ちた。父は遠くへ放った。ささいなことで父がおおげさに騒いだのが、私にはかなり強い印象として残った。父のためには、自分の命を軽くみて遊ぶようなまねをするのはよしたほうがいいのかもな、とそのときかんじた。  台所で苺を洗う。ちらりと母を見る。もくもくと、コンロに火をつけたり、食器棚からお皿をだしたりしている。謝るとかしても、すでにやったことは消えない。手にはまだちゃんと、母の頭の抵抗が、うしろへ倒れまいとふんばる力が、生々しく残っている。  私はなにも言わずに、苺をガラスの器に入れ、牛乳をかけ、スプーンをもって、自分の部屋へ行った。  ふとんは巻いたまま、窓際に座り、苺をスプーンの背でつぶす。庭の涼み台の横に植わっているセンリョウの木に、うぐいすがとまっていた。我が家のこんなかぼそい木にやってくるなど、珍しいうぐいすである。枝にしがみつきながらもさえずっている。けなげだ。太宰府の梅ももう散ったから、こういうところでさえずるしかないと見える。けきょけきょ、と真似て言ってみると、しばらくしいんとしてから、「──けきょけきょ?」と返ってきた。  苺が口内炎にしみる。ひんやり、のどをすべり落ちていく。具合の悪いときによく食べたからか、いろいろなことを思いだす。思いだすのはゆううつなことばかりだ。  入院中の父へ会いにいく道の途中、すずめが落下してきたことがある。なんの前ぶれもなく、電線にとまっていた群らすずめの一羽が、歩いている私のちょうど目の前にぽとんと落ちてきたのだ。最初はどんぐりかと思った。 「ああっ」  私は声をだしてしゃがみ、両手で掬《すく》った。  すずめがこんなに小さいとは思わなかった。ただ単に見ているのと、手にとって間近に見るのとではまるで違う。重さが重さとしてかんじられない。軽くてはかない。足は硬直し、まぶたはかたくとじられていた。見あげると、秋の夕暮れのだいだい色の空を背景に仲間のすずめは、じゅじゅじゅと鳴いたり、毛づくろいをしたりしているのだった。  一羽のすずめの死など、ほかのすずめにはとるに足らないことなのだ。世界はなにも変わっていない。  ベッドに横たわる父の視界にもすずめがいた。たぶん、父が最期に見た風景も、すずめのとまった電線と空だっただろう。その、ベッドに横たわった姿勢から見る風景を、私ははっきり記憶している。父のものが、いつの間にか私のものになっているのだった。いつの間にかではなくて、意識して、私は記憶した。なんでもないような、すずめと空の風景だ。 「まあ、丙クラスの下にも入れんな」  さっき、私の答案用紙を見て、「あまから塾」のおじいさん先生は言った。眉毛が長く、鼻毛も耳の毛も長い老人であった。五本指の靴下をはいていて、ちょんまげのつもりか、うしろで筆のように白髪を結んでいた。座布団に座り、近い距離で向き合っての面接だった。 「うちは甲乙丙とクラス分けしとるが、しかしこんなひどい成績は初めてやな、丙の下にも入れんな、うん」  どこの塾もおなじ。まずはどれほどのアホなのか、テストを受けさせる。あんまりにも悪ければ、入れてもらえない。 「高校受験は、ともかく数学と英語。このふたつが勝負どころ」  おじいさん先生はしゃべりながら、筆立てにしてある湯飲み茶わんから耳かきを引っこ抜き、耳の穴につっこみ、快感らしく、鼻息が荒くなってくる。私はぼんやりしている。神棚に、サカキの枝をさした一輪挿しやら、風車やこけしやらが置いてある。 「だいたい、やる気があるとか、ないとか、どっちや」  おじいさん先生は耳かきの先を私の前でくるくるまわして言う。  ──やる気。あるんだろうか。やる気を起こさせてくれる塾を私はさがしているんじゃないかな。  と私は頭のなかのはじっこのほうで反応する。  ──そうか、母が行けと命令するから行こうとしているだけだった。いつもだな。いつも、きてしまってから、なんでここにいるんだろうと思うんだな。 「なんば言っても上の空。こりゃ相当の努力がいるが。なあ、お母さん。お母さんが謝ったってしょうがないでしょうが。本人の問題でしょうが」  母は染めたばかりのミルクティー色の髪を指ですきながら、はあすいません、とくり返し言っていたが、謝るなと叱られたので、はあ、す……の先を慌ててのみこむ。髪をいじるのはその場にいたたまれないときの癖だ。  いつから母はハハオヤらしくなったのか、きいたことがある。結婚した当初も楠子が生まれたころもまだ学生気分が抜けてなかったねぇ、と母は言った。近所のおばさんと話すのも恥ずかしかったよ。まともに話せんかったよ。少しずつよ、ほんとに少しずつ少しずつハハオヤになっていったってかんじやねぇ。  でも母とこうして連れ立って一歩外へでると、私は嫌でも知らされる。  ──私の母は世間に通用しない。一歩外へでればぺしゃんこ。まともなことひとつ言えない。  家では、娘の私とふたりっきりで、だからぞんぶんにハハオヤをしてはりきっていられ、 「チチオヤがおらんごとなったけんって、楠子が引け目かんじることないとよ。あたしが、おる。高校もちゃんと進学させちゃあけんね」  なんて、未亡人になってまだ半年たらずのやつれた色っぽさで言う。  そう意気ごんでいること自体が私に言わせると危なっかしくて、ときにはたまらなくいらいらするんだと、まともにぶつけるのは酷だ。だって、母からハハオヤであるということをとったら、なにが残るだろう。母がハハオヤでいたいあいだは、その役目をやらせてあげておきたい。 「あの、最初からここまで頭が悪かったわけではなくてですね」  母は耳まで赤くし、ハンカチをひねり、おもむろに口をひらいた。 「あの、去年の秋に……」  ハンカチでそそくさと口元を隠す。先を言いたそうで言えないというふうにもじもじする母、先生もいまは耳かきの手をとめ、前のめりになって、話をききだそうという身構えである。  ──同情を買おうとすんなよなあ。  と私はうんざりして思っている。  ──女は境遇をばらして相手にとりいるからなあ。まるで息するみたいに簡単にやるから、侮れん。だいたい、私の成績が悪いのは、私の問題で、私自身のせいで、チチオヤが死んだことのせいにしてしまうのは、あまりに都合が良すぎやんか。 「いろんな事情がどの家庭にもありましょうな。子供は敏感ですからな」  おじいさん先生の気がじわあっとこちら側へにじりよってくるのがわかった。私と母をひとくくりにし、ねっとり見つめて笑っている。底引き網で根こそぎ魚をさらっていくおじいさん先生の姿を私は想像する。 「まあ、ね、お母さんも、もう少し元気だして」  母の肩にふれた。なかなか離れない。私はその手を横目で見ていた。指にもじゃもじゃ毛が生えていた。もっとご家庭で娘さんと話してらっしゃい。親子のコミュニケーションがまず必要ですな。 「やさしいね」  と母が私にささやく。 「先生についていきぃ、ね」  と私のひざをさすっている。 「何てかっ」  私は、耳の遠いばばあのように声を大きくし、そして母から肩を離した。  きょう手続きしてしまおうよ、と母がせっかちに言い、つつくが、私は黙って立ちあがった。  暮れかかりの空に、細かい泡のつぶが、ぷかぷか浮いていた。透明な丸が、まぶたをとじても目玉にはりつく。それが脳みそにまで到達し、泡立つかんじがする。ぱちんぱちんと、頭のなかで泡のつぶが割れている……。だるかった。道々、声を押し殺しながらの言い合いがつづいた。 「こりゃ親子して嫌われるなってさ、あたし、部屋に通されたときからぴいんときたもん」  四十歳近いのに、娘とおなじランクのしゃべり口調。生まれつき歯茎が弱くて、すでに総入れ歯だから、ハンカチで口元を隠してしゃべるのだった。 「あんたこそさ、いま出しよう声とぜんっぜん違ったやん。猫みたいやったやあん。あたしはね、言っとくけど、純潔よ。ココロさえ売らんどけば、女はきれいでいられるとよ」  胸をはって前を歩いてゆく。  ズボンにパンツの線がくっきり透けている母の、左右にこりこり動くお尻の筋肉を私は見つめ、  ──純潔よ、かあ。  言ってみたいもんだとしみじみした。 「しゃっしゃっしゃっしゃっ歩きんしゃい」  叱り飛ばされ、よぼよぼついてゆく。 「だいたいね、あんたがそんな変な身なりばしてくるけんたい。やけん、制服着てきんしゃいって言ったろうが、もう」  私はあらためて自分の身なりとやらに立ち返る。髪を逆立てて、Gジャンを裏返しにして着ていた。襟には二十個バッジをつけて。  ひとつのファッションのつもりだったが、そう言われると急に、いかがわしい格好をしている気がした。  母の部屋の前を通ると、ヘヤスプレーのにおいとドライヤーのあたたかさがまだ残っていた。  家をでて玄関ドアの鍵をかけてからも母は、「楠子、楠子、うち側から、チェーンかけときぃ」などと叫んでいた。知らんぷりしていると、自分で、縁側からあがってき、玄関ドアのチェーンをかけていった。でもでていくときは縁側の戸はあけたままなのである。  行ったかなと思っても、油断はならぬ。一度はまた舞い戻ってくる。  ひたひたと忍び足でやってくる気配がしたので、私は部屋の鍵をかけておいた。黙っていきなり娘の部屋のドアをあけるのが好きなひとなのだ。 「ちゃんと寝とろうね? 寝とかな具合はよくならんよ」  とドアノブを左右にうるさくひねって、脅すような声をだしていたが、こちらが物音ひとつ立てないでいると、 「早く帰ってくるけんね。なんか食べたいものあるね?」  と、今度は、とりいるような声となった。 「あるねってききよろぉがぁ」  とまた脅す口調になるので、しかたなく、 「けきょけきょ」  と私はこたえた。  窓をあける。車庫からバイクをだす母が見える。苺畑を横切るとき、タイヤが苺をひいていくことがあるが、きょうは大丈夫だった。  きっとふり返るので、窓から離れた。でかけるときはいつもそうなのだ。一旦、我が家を見て、よし、というような顔をする。  近所の大工さんの手で造られた二階建てのこの家は、まわりの農家などに比べればかなり小さい。病弱の父がぜいたくをつつしんで建てたものだ。台風のときは瓦が飛んだりし、大きな地震でもきたらどうしようと不安になる家だけれど、根っこが頑丈らしく、ひどい被害にあったことはない。  台所へ行く。  テーブルにいくつかの料理をしっかり用意してあった。怒れるオンナがつくった家庭料理。怒れるオンナはメモも残していった。 「コンロのとこにおかゆのなべ」さっき私が食べなかったやつだ。 「サラダは冷蔵庫。プリンもはいってる」  具合の悪いときにこんなちまちました家庭の味など、食べたくないのである。めざし三匹。ひじきと大豆の煮物。春キャベツの炒めもの。春キャベツと大豆のサラダ。ひじきと大豆なんて、水でふくらましてなんとかなるところが、せせこましい。節約とか工夫とかを考えているらしいが、食べるものから貧乏になっていくのは、いかにもみすぼらしく、じめじめ、かなしい。  あまから塾を紹介してくれた山辺君は、「うちの塾、人気あるけん、あんまりほかの子に紹介するなっておかあさんには言われとっちゃけど。家庭的でさぁ、いいじぇー」ともったいつけて言っていた。 「家庭的?」  口をひん曲げて私はきいた。 「うん、おいでよおいでよ。いっしょに勉強しようしようしよう」  両手をこぶしにして、私の肩をぽこぽこたたく。 「あんね、シャープペンは禁止。鉛筆を、ちゃんとかみそりで削って使わないかんと。正月は書き初め大会があると。紅白まんじゅうもらうよ。まじぃけどな。ありゃとしよりの食うもんやな。あんね、服装とか、不良っぽいとダメやけん、まじめにして行きぃよ。としよりやけん、おんなじこと何べんでも言うけど、とにかくハイって元気よく返事しとけばいいけんね」  うん、うん、と気おされて私はうなずいた。  なんの縁か、中学一年二年三年とずっとおなじクラスで、だからどこか親しみ深いつき合いのような気がしている。山辺君は私の、私は山辺君の似顔絵が得意で、教室のあちこちによく落書きをして遊ぶ。彼はかならず私の鼻を豚みたいにしてしまうが、私は彼の顔のいちばんの特徴であるあごのしゃくれたところはわざとはずして描く。あまり露骨だとしょげるに決まっている。  山辺君が私の席のうしろになったときは、わずらわしかった。下敷きで頭をこすってきたり(静電気を起こして髪を浮かせるお遊びだ)、背中に字を書いてきて「これなぁんだ」と言ってきたり(たいてい、オマンコとかヤリマンとかマンゲのどれかだった)、給食のからあげやらピーナッツバターやらさくらんぼやらを脇からひょいとかすめ盗っていったりした。そこで私が、「やめてよう」とよろこんだように騒ぐと、あいつらはつき合っている、ということになりかねない。  三年になると、まわりが私と山辺君をどうやら長年の深いつき合いであるカップルと見ているらしいのがわかった。新学期すぐの遠足のとき、バスの席を当たり前みたいに隣にされたし、担任まで山辺楠子と私を呼んだりした。  一度、山辺君のずうずうしい態度が、私を怒らせた。私の机のうえにぬけぬけとお尻をのせ、ともだちと朗らかに談笑しておったので、「どけ」と言ってやったのだった。どいたけれども彼はぼうぜんとしていた。談笑を続行しつつ、気もそぞろらしかった。それから一週間くらい口をきいてくれなかった。  また、彼は私によくものを頼む。男にものを頼まれるのがうれしい女もいるかもしれないが、私はうれしくない。が、山辺君の頼みは、 「消しゴム貸して」「オンナ紹介して」「バレンタインのチョコちょうだい」「マフラー編んで」  と、断るのも大人げないような、私でもできそうなことばかりなのだ。私は小学校時代のませた女の子を三人ほど紹介したし、チョコもちゃんとコンビニで買ったやつじゃないものをあげた。  マフラーは途中から父のものに変更した。私が本気で編んでいると山辺君が信じていないみたいだったし、本気で編んでいる自分がなんだかまるで山辺君を好きみたいで気色悪くなってきたのだ。これで愛が芽生えでもしたら困ると思った。  が、山辺君はどうやら前にもまして私にときめいたりしちゃうらしく、迫力をもってくっついてき、やや獣じみている。つれなくすると、ずぶぬれでひんひん鳴いている子犬みたいな瞳をし、私の肩に顔をすりつけたりする。ふざけているにしても、どこか真剣さがうかがえて、私の背中をかゆくさせる。  授業中、さされて、ただまっかっかになって立ちすくみ、先生がこたえをだしてくれるのを待っているそのあまえた考えが、私は第一に嫌いだった。そして、「不良」の子たちからかばん持ちやら使いっぱしりやらをさせられたりして、それをいかにも一生懸命にやってしまい、にやついている、その哀れさ。ぐしゃぐしゃに丸めてほうりたくなるのだ。  父にも、どこかそのようなもろさがあった。  私は、いつもなんかしてやりたいなんかしてやりたい、と思って父を見ていた。頼られると、胸がきゅんとなった。  男は多かれ少なかれ、そんなものかもしれない。無意識にしろなんにしろ、その手で女をおびきよせているんじゃないだろうか。近ごろ急にオンナになったみたいな気分の私の、率直な感想である。  魔の時刻というのがある。父の見舞いの帰りがそれだった。荷物を引きずるみたいに、行きよりかなりだらしない歩きかたを私はした。乾燥肌なので、ほっぺたも唇もがさがさで、そこへつめたい風とどんよりした夕暮れが迫る。もうすぐチチオヤを失う自分がとてもかわいそうだと同情しながら歩いていた。信号待ちでひとが十人ぐらいでぼけっとしたりしていると、なんでこんなに人間がいるんだと怒りがわいた。ほこりくさい道、屋台の電光がもれている道、通りすぎる道と家まで伸びる道。道は、私のうしろも前も、どこもかしこも、ものがなしかった。病室でかなりつくり笑いをしたので、道ではおそろしく不機嫌な顔でいた。いいかげん荷物をほうりだしたかった。そしてそういう時刻、私は何度ナンパにひっかかったことか。  天神で。堀川駅で。コンビニやファミレスの駐車場の前で。高校生やら。大学生やら。サラリーマンのおじさんやら。  女子中学生というだけで価値があるらしく、男が近よってくるのだ。へつらうような瞳をして、「おごらせてくれん?」とか言う。「いらん」と断ると、しゅんと肩を落とし、「わかった。ごめんね。またね」と、残念そうな顔で去っていく。  断った私としては、すまない気持ちになり、かわいそうだったかも、と後悔する。で、次に別のだれかに声をかけられたときには、「いいよ」と、ついていってしまうはめとなる。  それに、声をかけてくるひととは、やはりどこか、おたがいにぴたりとくるものがある。さびしいとかわびしいとか、なにも言わなくていい。荷物も置いて服も脱いで、密室にしばらくのあいだふたりっきりでこもっていたい。  乱暴しようという企みのひとは、ほとんどなかった。無理やり服を脱がされたことはあっても、そんなに急がなくても脱ぐからと私が言うと、相手もききわけるのだった。相手の手が私の肌にはじめてふれる瞬間は、何回やっても平静でいられず、手足がマヒしたようになり、たまにそれを見破られ、「からだ、ガチガチにこわばっとうね」と指摘されたりする。それも、ぎゅうっと抱き合ったり、唇をちゅうとくっつけ合ったり、あちこちをくすぐり合ったりしていれば、だんだんほぐれてくる。  いろいろなことをしたけれど、挿入はなかった。チツという穴が、私のはとても狭くて、しかも濡れてくれないらしかった。相手がなにをしても、乾いていた。だから、厳密に言えば私は男のひとたちと寝たといえないのだろう。  いまでも、夕方、屋台に光がともるころ道を歩いていると、ついふらりと男のひとについていくことがある。特に、サラリーマンのあの背広にネクタイという姿には不思議な魅力があるものだ。そのときの私は、ふだんの女子中学生ではなく、冗談ひとつ言わない、うつむき気味な、けだるくゆううつなオンナで、ごく自然に指をからめ合っている。  いつなんが起きるかわからんっちゃけん、とそれが近ごろの母の口癖だ。  お金がない、ない、と近所のひとにふれまわっている。そして、春キャベツやら、ほうれんそうやら、枝豆やらを、近くの農家からいただいてくる。娘の着なくなった服をどうぞ、とくれたひともある。  使ったら使ったぶんだけお金はなくなるとよ、と目が真剣である。なにかひとりごとを言っているときはたいてい金銭に関してのことだ。 「おかしかあ、先月こんなに電話代つかったかいな、電話会社のまちがいやないかいな、電話してみよう」  父が残してくれたお金では心細いという。将来なにがあるかわからない、パートをもうひとつ増やそうかなという。一日に一回は、ガスか電気か水道のことで娘を叱る。  自分の部屋へちょっとした用事があって行くとき私は、廊下の電気をつける。戻ろうとしたときにはもう電気が消されていて、「つけっ放しやったよう」とおそろしく大声で言われる。何回もつけたり消したりするほうが電気代がかかる、と言う気も、うせてしまう。まめに消すほうがいいのだ、と母はかたく信じている。 「いつかなにかが起きる」  らしいのだ。母の頭のなかでは。  あのひとがそんなふうにおびえていると、ほんとうにいずれ近いうちに、なにかとんでもないことがこの家に起きそうな気がしてくる。  おびえるのは嫌いだ。  父は、わき腹にしこりのようなものがある、とか、おしっこに血が混じっていた、とか、せっかくの天気のいい朝の食卓でも、私の小学校の遠足当日でも、不吉な雰囲気でその場を暗くした。  こめかみや胃を押さえて、食卓の縁にしがみついたり、母に抱えられてふとんへかつぎこまれたりしていた。母はいつも素早く介抱したけれど、その行動は投げやりだった。長身の父は体重が五十キロもなくて、ひじやひざの骨がでっぱり、その風貌はどこか、かすみを食って生きている仙人、を思わせた。自分のからだが貧相だとかなりのコンプレックスをもっていた。裸に自信がないので海やプールなんてもってのほかだったし、夏でも長袖を着ていた。背広には肩パッドがかならず入っていた。男性用胸パッドというのも入れていたし、お尻パッドも入れていた。父が歩いたあと、畳のうえに白くてやわらかい物体が落ちていて、私は幼いころそれを拾うと、なんなのかまったくわからず、においをかいだり、裏返してみたり、飾り耳に見立てて鏡に映したりした。この家には妙なものが落ちているなあと思っていた。だいぶ大きくなってからは、父の下着入れの、きれいにパッドの並んだなかへ、返しておくようにした。 「楠子が二十歳になるまでは……」  ……死ねん、と言ったって、早死にするひとはするものである。私はぜんぜん期待などしていなかった。無理な希望をもって、がんばれがんばれと家族が一致団結するのは、まやかしだ。そんなのはいつか疲れきってぼろぼろになるだろう。私は父を励ましたり慰めたりしなかった。つめたい娘やなぁ、と冗談めかして父がこぼしていたことがある。本心だろうと思う。でも私は悲劇に浸りたくなどなかった。三十七歳春、胃ガンが見つかり、「とうとうきたね」と父は言った。秋には肝臓に転移した。「みんなそうやったし、しょうがないや」と父は言った。父の親戚はみんな五十歳前に死んでいるのだった。そろいもそろってガンだった。だから父も幼いころからまわりのひとびとの死におびえ、いずれくる自分の死にもおびえて育ったのだった。 「ガンはね、でも、こわい病気やないよ。早くに発見されれば治せて、また復帰できるし、遅く発見されたらされたで、死ぬまでに時間はかからん。どっちにしろ、ぼけてまわりに迷惑かけたり、糖尿病で薬のめ、食事に気をつけろとやんややんや言われながらずるずる生きたりするより、まし」  よく父は言っていた。父は早期発見だったが、だめだった、治りはしなかった、みるみる弱っていった。うでも足も、私の半分ぐらいに細くなった。「因果やねえ」とつぶやいた。残りいくら生きられるか、お医者は言わなかったが、だめだろうと私も母も父本人も重々わかっていた。  高校を卒業して就職したころには母を結婚相手に決めていたけれど、それは早いところ人並みのことはやっておこうとしたのだと父は私にだけ言った。とにかく、あきらめの早いぶん、しずかにやれた入院生活だった。くるべきものはきたのだ。  ──もうおびえなくてもいいんだ。  それが私にとって、一筋の光だった。  ぷすんぷすん、とバイクの音がし、玄関の前にとまる。夜九時すぎ、母がかっぽう料理店から帰ってき、まっすぐ私の部屋へくる。私が部屋の外に糸電話を垂らしておいたので、 「もしもし。母です。起きてますか」  と、糸の先の紙コップへ口をあてて話している様子である。 「寝てます」  私もドアのこちら側の紙コップで話す。 「ね、焼き鳥と巻き寿司、買ってきましたの、豚足もあるよ。おいで」 「おかえりなさい。ありがとう。でもいまは欲しくありません。ガッチャン」 「楠子さん、じゃあいいけど、顔見せて」  母の声が、私の耳のなかの鼓膜をふるわせ、神経に伝わる。糸電話をほうる。 「具合はどうね。治ったとね」  寝ていますから静かにして、と私はふとんにもぐって言う。 「起きとうやない。ちょっと顔見せりぃってば」  母は怒鳴ってから、ドアをどんとたたいた。それから廊下をずかずか歩いていった。  ふとんのなかで寝返りを激しく打つ。母親が疲れて帰ってきているらしいのに、私はかえってすねたくなったりする。きっと母は、私が食べるであろうとふんでいる。しゃくにさわるが、数分後には台所へ行って、飲み物をだしたりしてしまった。  たばことお酒のにおいをまとった母と、パジャマ姿で向き合って、食べた。顔色が悪いね、まぁだ具合悪いとね? と母が面倒くさそうにきいてくる。このひとはほんとうに病人が嫌いなんだなあと私はおかしくなる。うんにゃ、どっこも、と私はこたえたが、胃がしくしくいっていた。すっぱい胃液もこみあげてくる。母の手は焼き鳥と豚足のあまいたれと、巻き寿司ののりで、汚れている。その汚れを口でなめとっている。  ──このひとに、新しい男でもできたらいいのに。  と心底、思った。  夢に、父の言葉がでてきた。 「看護婦見習いの子に、お菓子の差し入れをしなさい。朝昼晩、病院で働いて、それから夜中に勉強しようとよ、偉いよ、あの子たちは」  たしかに、あれは現実に父が言った言葉だった。  目が冴えてしまった。窓をあけた。星がひとつもでていない。門の向こうの農家のてんてんとしたあたりには、古いアパートも建っていて、そのなかの窓の二つにだけ電気がついている。空気を吸うと、緑のにおいがからだいっぱいにはいってきた。  母の部屋は遠く離れている。いるのかいないのかわからないほどだ。夜中にこんなふうに目覚めると、私はこの家にひとりでいるみたいな気分になる。  差し入れは、たこやきや焼きそばやフライドチキンにし、たびたび渡したものだった。病院の表玄関はしまっていたので、裏口から入った。夜の病院は幽霊でもでそうで、わくわくした。見習い看護婦たちは、しきりに恐縮していた。ありがた迷惑かもしれなかった。けれどやはり父には特別ていねいな看護をしてくれた。娘があまえないぶん、ほかのひとにあまえてもらえばいい。母と似て、私はあまえるのが大の苦手なのだった。  私から見ても、父は色気のない男で、それはいい意味、安全だった。だから若い見習い看護婦たちが父にまとわりつくのを見ても、いやらしいかんじがちっともなく、かえってほほえましいくらいだった。  ──博愛医院でよかったね。最期の場所が、ここでよかったね。  私はココロで父へ言っていた。  死ぬ間際の父を、やさしくなったと母も病院のひとたちも表現した。が、父はあきらめきっていただけなのかもしれない。いまになって母も、「もう少しわがままきいてやればよかったなあって思うっちゃんねえ。意地悪するみたいにお酒もたばこもとりあげてしまったことあったしねえ」と反省したようなことを言うけれど。私が言っているのは、そんなことじゃない。言うことをきいてやったとか、なになにしてやった、と私が言う、その範疇《はんちゆう》にはまるでないところに、父の自分でやりたいことがきっとあったに違いない……という後悔だ。  入院生活は実際、しあわせがたくさんあった。しあわせは、起こったことや話したことの一瞬一瞬だった。さんまがうまいだの、駄菓子屋で飴玉を買ったらもうひとつくっついてきて得しただの、天神の地下街で売れていない芸能人を見ただの、病室の窓をUFOらしきものがよこぎって消えただの、よろこんで笑ってびっくりした、その一瞬一瞬だった。 「だめだなあ」  私はひとりごとを言って、窓をしめ、ふとんにもぐり、目をとじる。気持ちのいい眠りがすぐに迎えにきた。  後悔はしても、もう深刻じゃない。ひとが死んだら、そうそういつまでも暗いばかりじゃないのだし、自分が生きることのほうが大事になる。 「死んだひとは気楽やなあ。バトンタッチされた私はたまったもんじゃない。次は確実に私の番だもんなあ」  寝言みたいに私はつぶやく。そうなのだ。父の子であるから死の影は私自身にもはやばやと近づく。まわりの中学生たちよりもたぶん早くこの世から去るでしょう、と思うと、ちょっとやそっとのいざこざは、許してしまう。 「どうせ死ぬんだから」  それが私の生きる頼みの綱。慌てなくても、私はどうせ死ぬ。まわりの中学生よりも早いうちに。      二  教室に入ると、私の机だけ逆さまにしてあった。もとどおりに起こし、一応おはようと言ってみたけれど、だれも返してこない。新しいクラスになってまだ間がないので、だれとだれがグループなのか、私は把握しきれていない。どの子も躍起になってともだちづくりに励んでいるということだけはわかる。隣の席の子が、かたくなに背中を向けている。もう了解した。こうやってシカトされる順番がまわってくる。だれでもやられる。時期とか理由とかはだれにもわからない。やるほうもやられるほうも、だ。男子でも女子でも、勉強ができようができまいが、「不良」だろうが、そのなかのボスだろうがヘッドだろうが、一年間のうちに一回は、やられる。それを、やられたほうも、ああきょうからね、と納得する。  とりあえず山辺君に、「ごめん。塾のこと」と小声で言っておいた。山辺君はきこえなかったみたいにして廊下を走っていった。  彼は休み時間になると廊下を走るのが癖で、走りながら飛びはねては、各教室の様子をのぞいたり、立ち話をしているなかのかわいい女子の頭だけをたたいていく。そのおり、「ひょーひょー」という奇声をあげる。  だれとも会話せず学校の時間が終わった。どのひとも、私がくるとふわりとよけていった。一日でいっぴき狼になったのだ。なんだか自分に威厳みたいなものが備わった気がしてきた。靴箱に靴がなかったので、すのこをあげると、見つかった。泥だらけにしてあった。  校門をでかかったとき、どこかで見たことのある顔が壁を背にずらりと並んでいたので、 「ああ」  と私は懐かしいような気がして言った。ボンクラ高校にいったひとつうえの女子四名かあ。 「顔貸してん」  といきなり本題である。その、いちばんに発言した女は、小学生のころから知っているが、表のあだ名は「すがっぺ」とかで、裏のあだ名は「ぼうぼう」だった。五年生のとき、水泳の授業で、彼女の脇から海草のような毛がなびいていたのがいわれだという。  私は生きてきていままで、あだ名で呼ばれたことがなく、裏のあだ名というほどでもないけれど、男子が集まってひそひそやりながら私を見、「エッチ博士にきけばいいっちゃないや」「そうやね、エッチ博士ならシックスナインてなんか説明できるっちゃないや」という具合に、「エッチ博士」でどうやら通っているようだ。  校門の外まで、うでを引かれ、校舎から見えない位置に追いつめられた。卒業式の日、お礼参りと称して、気にくわない先生や生徒が呼びをくらい、リンチを受けるという儀式があり、あれが最後だと思ったのに、またこうしてくる。新しい高校になじめないとかで、中学校が恋しくなったのだろうか。私は「ぼうぼう」一点にしぼって見返している。「ぼうぼう」はひるむ。むかしから小心者だった。ほかの三人が、ひとかたまりになって、じわりとにじりよってきた。 「あんたずいぶんのぼせたカッコしとうやない」「様子見にきたらもうこれや」「ヤキ入れてほしいみたいやねえ」  四人とも、サザエさんの妹のワカメちゃんみたいなおかっぱのかりあげだ。前髪が眉毛うえで切りそろえてある。私だって、彼女たちが中学で目を光らせているあいだはずっとワカメちゃんカットをさせられていた。いまは好き勝手で、きょうは毛先を軽くカールしてきた。彼女らは校則の厳しいボンクラ高校に入ってしまったため、てんでイナカモンになっているのだった。  ──やっぱり勉強、がんばったほうがいいみたいやなあ。ボンクラ高校に入らんために。  私は自戒してみた。 「うちらが卒業したけんて、いきなり横着しようらんめぇね」「なん、その髪は。パーマかけとろう?」「リンチ、リンチ」  生まれつきトウモロコシの毛みたいな私の細い髪を、彼女らのひとりがつかもうとしたので、よけた。菌がうつる、と思った。私のからだは免疫力が弱いので、こんな、しぶとく長生きしそうなイジワル菌を体内にもったひとたちに触れられると、あっという間に感染してくたばってしまう。でも激しく動いて息切れするのがおっくうだし、いままで通りやられるだけやられることにした。  ──おてもやーん、あんたこのごろ嫁入りしたではないかいな。嫁入りしたこつァしたばってん。  リンチを受けているあいだ私はよくその歌を頭のなかでうたっていた。  ──こういう連中が、愛校心をもって、いつまでも同窓会とかくり返したがる大人になるのかもなあ。  前庭に、勇気、忍耐、根性、という文字が刻まれた石碑がある。学校創立時、記念に建てたんだろうから、時代に合わなくてもどうすることもできないし、石は長生きなので、これからも前庭にりんと建ちつづけるだろうが、そういえばこういう連中にはぴったりな文字かもしれない。 「だいたいあんたまあだ、あいさつがなっとらんやんかあ」  つつかれたりしている最中、そう言われ、あいさつにこだわるところが前とちっとも変わらないので、しみじみ懐かしいかんじがまたわいてきた。それぞれの顔を見つめた。ふたつきほど会わなかっただけで、どこか成長のあとが見られる。ほっぺたのところとか、まぶたのまわりとか、腰のあたりとか。  そしてこれからこのひとたちはもっと成長し、大人のオンナになっていくのだ。ハハオヤにもなるだろう。きっと頼れる立派なハハオヤになる。  ひとことも口をきかないでずっと連中におまかせの私であるが、彼女たちだって、いちゃもんをつけるだけつけると、もうなにもないらしかった。ただ、引っこみがつかなくなったため、しめくくりに四人それぞれが三発くらいずつ、わき腹とかみぞおちとかを殴ってき、それから財布のお金を五千円抜いていった。  台所のテーブルにはひとりぶんの食事がのせてあった。においからして、きりつめてみじめなのがわかったので、食べるのはよす。  自分の部屋へいき、制服を脱ぐと、ふとんへもぐり、それから理想の食べたいものの絵を描く。  うずらの卵のフライ。さわがにのからあげ。焼きなす。ごはんのうえに、ささみと錦糸卵とさやえんどうをのせて、かつお節風味のおつゆをかけたもの。まて貝のバターいため。七色ゼリー。駄菓子屋で買おうと思っていたけれど財布がからになってしまったので買えなくなった、ラムネ菓子や飴。  ピンクのギンガムチェックのテーブルクロスに、それらの品々をのせる。クレヨンでは、まて貝の色がでない。でもほどほどうまくできたかんじはする。眠ると、夢にまで風味が入りこんできた。ふだんなら、食べる前に目が覚めるのだけれど、きょうはちゃんと食べられた。まて貝をいためるときのフライパンの重みや、ゼリーの粉をボールのなかでまぜるときの、バレリーナの足みたいに箸をくるくるまぜるかんじなども、いきいきしていた。  満腹になった。へんな感覚。おなかはがらんとしているのに、頭がたっぷり満たされている。  お風呂に入り、髪を乾かし、漫画を読んでいたら、夜九時すぎ、母がかっぽう料理店から帰ってきた。台所のいすに手提げをひっかけてから、化粧をおとす。手提げをさぐると、おみやげがあり、それは乾燥したほたてのひもだった。  久しぶりの雨あがりの日のこと、山辺君が校舎の二階の手すりから落ちた。「不良」の子たちと、手すりを伝って追いかけっこしていたのだ。  気づいた者だけが、二階の窓をあけてベランダへいき、したを見ていた。奇妙なざわめきに私も胸騒ぎを覚え、見にいった。「そのまま、そのまま。動かしたらいかん、頭がやられとる」と、体育教師が慌てていた。山辺や、山辺が落っこちたって、と生徒が言っているのを耳にして、ああやっぱりあれは山辺君かと私は手すりにしがみついた。  山辺君はぴくりとも動かない。両手両足を広げたままうつぶせている。地面が濡れて黒くなっているので、はじめはわからなかったが、頭からかなり出血していた。それに気づいたとき私は、くらりとめまいがし、地面が揺れて見えた。体育教師がメガホンをうえに向け、「おまえら、なんしよるか。引っこめ。教室の窓しめて、席に着いとけ」と言うまで私は、重たげに地面へ覆いかぶさっている山辺君をじいっと見おろしていた。  夕方、テレビのニュースで放映があった。重傷だと流れた。不良の子たちが、その事故場面でピースをしていた。  テレビに映るなんて、一生に一度のことかもしれない。不良の子たちには、めでたいに決まっている。私も自分の通っている学校の、校門やら、校舎やら、グラウンドやら、山やらを、画面を通して観て、なんだか興奮した。  テレビを消すと私は山辺君の家に電話をかけた。お父さんであろうひとがでて、「頭の外は怪我しとっても、なかはまったくやられとらんよう」と、のんびり言った。  山辺君は二カ月間絶対安静だったのに、二週間で退院してき、クラス対抗のバレーボールの試合にもでた。奇跡的な回復力だ、勇気をもらいましたねえ、と全校朝礼で校長がほめたたえていた。  ──もうずいぶんとまともな会話をしてない。おなじクラスなのに。山辺君。元気だろうか。遠いところに行ってしまった気がするが。  授業中、山辺君の横顔を見ながらそう思う。朝しっかり巻いてあった包帯が時間が経つとゆるみ、治りかけの傷がのぞく。何針も縫ったらしい。手術のため坊主頭にしたのが、いまはうっすら毛が生えそろってきている。廊下を走って「ひょーひょー」と飛びはねる癖は前と変わらない。  あんね、と久しぶりに声をかけられたとき、山辺君の顔がどこかゆがんで見えた。ゆがんでいるというより、あごがいっそう前にでていた。やはり後遺症だろうか。 「あんね、ちょっとちょっと」  手招きをする。  なあん? と私は笑ってみた。彼は笑わない。 「ちょっと用があると」  とだけ、よそを向いて、ぶっきらぼうに言う。  それから落ち着きがなく、私を何度もふり返って話しつづけた。二階から落っこちてからさ、俺、人格が三百六十度、変わったってかんじするっちゃんね。  三百六十度も変わったなら、一回転して元通りってことやん、と私が言ったら、きょとんとしていた。  夕方で、雨がぽつりぽつりとふりだしていた。数々の男女のペアがひとつの傘をさして帰っている。このところ、三年のあいだでは、異様に男女がやたらくっつきはじめた。毎年こうなるのだった。夏休み前に、めぼしい者を見つけて「告白」し、「つき合う」。首筋にバンドエイドを貼ってくる女子は、これキスマークよと自慢しているわけだ。腕に、相手の名前をかみそりで彫るのも、流行《はや》っている。アップリケのついたおそろいのきんちゃく袋をさげるペアは、一時期だけ盛りあがって、あっけなく別れることが多い。なんにしろ私には、つき合うとかなんとかしている男女は、悪い病気にでもかかったように見える。  用事あるひとがおるけん、ほら、と山辺君はうわずった調子で言う。脅したらしい不良の子がひとりで立っている。すごいキツネ目だった。片手でにぎりこぶしをつくり、壁を殴っていた。もう片方は、ズボンのポケットにつっこんで横に布地をのばしていた。えんじ色の靴下をはいている。 「俺のこと知っとうと思うけど。かたい話は抜きで、早い話、いまから帰るっちゃろ。送ってやあよ」  私の肩を断りもせず抱いて言う。  送ってもらいい、送ってもらいい、と山辺君は泣き笑いのような変な顔つきをしてすすめる。 「もうおまえ、よか。散れ」  山辺君は私をそうっとかなしげな瞳で見ると、いちもくさんに走っていなくなった。 「うち、どこ。送っちゃあよ、雨やし」  告白されないうちに私は帰ることにした。 「あれ、無視とかする?」  立ちふさがり、押し戻す。壁をまた叩きだした。  私は柵にもたれかかり、グラウンドを見おろし、それから目を細めて山をまっすぐ見た。深く呼吸をする。雨のつぶが口に入る。わざわざ屋上に呼ばんでもそこらで済む話やん、と私は山を見ながら言った。 「あ、うん、まあ、そうやね。屋上って、青春しとうみたいで、いいやん?」  とキツネ目が言って笑う。目がつりあがる。  私は握っていた柵から手を離す。さびで赤茶けたペンキがはりついた。  数日して、放課後にキツネ目が数人の仲間をつれて私をかこんだ。図画工作室の裏で、カシワの木のあるところだった。「おまえ、女子の嫌われ者やそうやなあ」と転校生みたいな知らない顔の子が言う。「こないだは俺によう恥かかせてくれたな。のぼせんなよ」と、キツネ目は、強気な態度である。「ヤキ入れろってな、あちこちから言われてなあ」と知らない子が言う。「このけろりとしたとこが、むかあってさせるわけやねえ」とまた言う。  だれかから木におしつけられた。キツネ目が抱きついてくる。凶暴だった。だれかが私の顔を、両手で固定する。キツネ目が舌をとがらせて、私の口に入れてくる。むせた。  スカートまでめくられそうになったから私はいいかげんにしろと思い、しゃがんで輪のなかから飛びだした。大急ぎで走っているつもりだったが、足がからんで何度もこけ、途中で動悸が激しくなり、あとは歩いた。口ほどにもない連中だったけれど、やはり、こわかった。  翌日の教室の黒板には、私の似顔絵に、「やられました」「くどけばできる」と書いてあった。  踏んだり蹴ったりだ。そして私はキツネ目と「つき合っている」ことになっていた。キツネ目とつき合っていることで、とたんにまわりが私に愛想よくなった。そして、彼女だとかいうひとが、私を敵対視しはじめ、グループをひきつれてうちのクラスへきて、にらむようになった。 「堀川塾」は、私の住んでいるこの堀川町の駅のそばだった。その塾の不気味な先生が、たくさんの本を持っていて、「堀川文庫」と名づけ、塾生に開放していた。不気味な先生は、私に何度も、「居残り」を連発した。居残りして本を読んでもいいし、とか、居残りして質問していいし、学校でわからんことがあったらここで居残りしてやっていいし、とか。  ちょうど居残りをしている子たちがいて、男の子が二人と、女の子が七人いた。先生の扱いかたにも好き嫌いがはっきり表れていたが、塾生のほうも、男の子は自分たちが素っ気なくされていると知っていたし、女の子は、女であるだけで好かれていると知っていた。特に、肩まで髪を伸ばし、乳首がつんとブラウスから透けていたひとりの女の子は、先生のひざのうえにのって愛くるしくお話をしていた。そして私を嫌な目つきでちらりと見た。 「なんかされたら、手で払いのけて必死で帰ってきんしゃいよ」  母はそう言ったが、なんかされてからでは遅いやんかと私は腑《ふ》に落ちなかった。みすみすなんかされるのを承知で放りこむ親がいるだろうか。  通って二回目に、先生の熱い吐息を耳にかんじながらひとりで一時間半も居残りをさせられ、それは微妙なものだったが、私には不気味であったので、母に「盲腸になった」と嘘をつかせてやめた。  盲腸になったは、前にも一度使った。九州大学工学部の色黒の家庭教師を雇ったときだ。居間で私と向き合って、「じゃ」と小声で言ったあとは、ただまっすぐ釘みたいに座っている。これはこうですかとこちらからきくまで、なにも言わないし、言うとしても「うん」と小声だ。これこれこうなってこうなるというアドバイスをひとつもしない。ただどこかを見ている。どこをか、わからない。私のノートと自分のあいだにあるぽっかりした空間を、かもしれない。  私は内心、「マジっすか」と叫び、自分で解いていき、もちろんまるでできなくて、ずいぶんと沈黙の時間が経過したあと、おそるおそる男の顔を見あげた。「うん」と彼は、なにがうんなのか、それだけであった。教科書ガイドでも買って、それを見て勉強したほうがましだ。おやつをだす母がマヌケに見えた。  やつが帰ったあとの空気も、使ったコップもお皿もフォークも不潔にかんじられた。そういえばやつはまともにさよならも言わなかった。すると、きたときも、なにも言わなかったような気がする。なんだったんだろうか。しっかりその日の分の高額な授業料を受けとって帰っていった。  もうくたびれたので、これで最後にしようと思った。きょうのは、塾というより、「大和精神道場」という看板からしてもう相当に怪しいところだ。かなりのどかな田園風景にかこまれ、カエルの鳴き声がしきりにしていた。  そこで私はまず「活」を入れられる。 「顔色が悪いな。姿勢からして悪い。背骨が曲がっている。ばあさんのようだ。きっと、骨盤も曲がってるぞ。たぁっ」  急に大きな声をだすので、びっくりして、背筋も伸びるというものだ。 「そうそう、伸びた伸びた。すぐ伸びたね。もっと伸びるぞう」  作務衣《さむえ》を着、ひげを鼻からあごまで生やしたおじさんは、ご機嫌だった。ところが、 「あんたのほうが悪い」  と注意が母へうつってから、ゆとりがなくなってきた。 「まだまだまだ」「まだまだ伸びる」「まだまだまだ」  懸命にやっている母へ、容赦ない。 「鶴じゃないんだぞ。首を伸ばすな、背筋だ。精神だ」  母は完全に萎縮してしまった。  最初はおかしくてたまらなかった私だが、視線を送っても反応しなくなった母に驚き、このまま帰れないんじゃないかとぞうっとした。 「その涙を忘れるなよう」  母はすっかり他人のようになって、二十畳もある道場のまんなかでひとり座禅し、涙をつうつう流していた。  どこにでもいそうなおじさん顔だが、先生のその指の動きは奇妙で、一本一本がそれぞれ、そり返ったり、ふるえたりしている。 「この手で何人もの患者を治しましたねえ」  私の額へほこらしげに手をかざした。目をつぶってごらん。光が見えるでしょう。紫の鮮やかな放射線状の光が。 「見えます!」  私のひとことが、おじさんの気を良くした。だるいのがなくなりました、と私は笑顔で肩をぐるぐるまわす。  とにかく三時間も鍛えられてしまったわけであるが、 「なんで泣いたとか、自分でもわからんかった」  あぜ道を小走りする母が言う。 「なんか反省したっちゃない」  ついていきながら私が言う。 「うんにゃ、それはない」  でもまあ、助かった助かった、と親子でよろこび合った。「おいしいね、これ」といつになく私は夕食の切り干し大根をおおいにほめ、母も、「あんたが生きていてくれるだけでいいよ」と私の髪をなで、「じゃあお母さんは一生懸命働いてきまあす」と陽気にバイクにのって、かっぽう料理店へでかけていった。  が、私はハンカチを忘れてきた。とりにこいと電話があったのだ。  なんで電話番号、覚えとうとかいな、履歴書はちゃんと持って帰ってきたのに……と私は悲嘆にくれ、死にたくなったが、泣く泣く行った。  おじさんは、不安をあおる。きみはいま危ない淵にいる、わたしはいままで全国各地の子供らを救ってきたから、わかる。きみはこれから転がるように堕落してゆく。身売りをしたり、クスリをやったりな。 「え?」  私はテレビドラマでも観ているんだろうか。へんてこな気分だ。  決めるのはきみだ。お母さんじゃない。うちの道場に入って精進する、それしかきみの生きる道はないね。いまここにいるきみ、きみのいまここが、分岐点だ。  私は目をあけたままで眠っているのかもしれない。もういいや、という気になり、なりゆきで「精神統一」という額の掲げられた個室の壁に向かって座禅し、瞑想することになった。そしてなんのひらめきも得られず、足のしびれでよたつきながらおいとました。なまあたたかい風がふいていた。  堀川駅の前で、サラリーマンになったばかりらしい童顔の男に声をかけられたけれど、ついていかなかった。そのひとはまた三分後くらいに追いかけてきて、「あんたのこと、知っとうよ」などと言う。 「え?」  私はぎょっとした。「これがれいのやらせ女か」そう男がココロのなかで笑っている気がした。私のことがなにか嫌なふうに知れ渡っているのか。住んでいるこの町に。  しかしその男は、「前、駅のベンチで、長いマフラー、編みよった女の子やない? あ、やっぱりそうやね」と親しげに笑い、「どこ中?」ときき、「まあどうでもいいけど。これ、食べりぃ」と、コンビニの袋を押しつけ、正義の味方みたいに去っていったのだった。雨がふりだしていた。もらったフレンチドッグを食べながら私は、頭にコンビニの袋をかぶって雨を避けた。  なにがなんだか、世の中、いやなひとが多いんだか、いいひとが多いんだか、わけがわからない。  その夜、夢にまで作務衣のおじさんがあらわれた。私の寝ているふとんの柄になっているのだ。いくつもの顔が、ふとんの模様になっている。しかもそれは外側ではなく、内側に、だ。  こういうときにかぎって、眠りからはなかなか脱出できないので困る。疲労しきっているのに、ふくらはぎの筋肉がこむら返りするので、私は眠ったままからだの苦痛にぐすんぐすん泣きっぱなしだった。      三  もうすぐ夏休みに入ろうとしていた。庭の苺は食べつくしたから、トマトを植えた。雨が降ったり、暑くなったり、まちまちの気候である。このあいだはお風呂のタイルになめくじがいて、ゆうべは便所にこうもりがはいってき、いまもまだいる。鼻先が長く、キツネに似た顔をしていた。枯れ葉のように動かない。  きょうは日曜で、私は朝から縁側に寝ころび、トマトをかじりながら、風に流されていく雲を見たり、漫画や「アンアン」を読んだりしている。 「ちょっと楠子、来てん」  エプロンをかけ、スカーフを三角巾みたいにして頭に巻いた母が居間から呼んでいる。思い立って大掃除をはじめたのだ。 「こんなのが出てきた、ほら」 「なあん」 「遺言」  私は起きあがり、漫画につまずいた。ごめんと漫画に謝って、居間へ行くと、母の手が一本のビデオテープをつかんでいた。 「観らないかんね」  と、ぞうきんでビデオテープを拭き、ついでにテレビ画面も拭き、スイッチを入れる。 「観らん観らん」  と言った私はなぜか急に正座してしまった。 「──楠子、初美」  画面のなかで父がしゃべりはじめる。 「──おととい、癌センターに行って検査し、胃にガンが発見されました……」  気落ちした顔がこちらを観ている。 「──うすうすはかんじていましたが、ショックです。一年に一回、検査に行っていたのに、たまたまサボったら、こうなんて、まあ、バチがあたったというか、いや、人生というものはたいていそんなものかもしれません」  母は私の前でやはり正座している。 「しかし」  と、声を低めに母へ言ってみた。 「こんな、ビデオテープなんて遺《のこ》しとったとはねえ」  母も、声を低くし、 「うん。どういうつもりかね」  と言うが、その声は泣いていた。 「──初美」  父が呼び、 「はい」  母は父へこたえた。 「──済まないが、先に行くよ。これから俺はどんどん痩《や》せて、どんどんしゃべれなくなって、意識もぼんやりしてしまうやろうから、いま、こうして、遺したい言葉を言っておく。と言っても、ありがとう、だけやけど」  私は便所へ立った。こうもりがまだいたので、手で掬い見つめると、生きているらしく、あたたかい。窓から放した。地面に落ちた。飛ばない。はいつくばって移動し、また静止した。  父は身のまわりの品の少ないひとだった。生きているあいだにいらないものは自分で処分していた。お葬式でも、友人知人は、騒がず惜しまず、しずかに線香をあげて帰った。父方の親戚たちも、死へ向けて無駄のない暮らしかたをしていた。死んだあとの灰を、海にまいてくれだの、宇宙に飛ばしてくれだの言うひとはひとりもなく、みんな福岡葬祭場で焼かれ、霊園の墓に入っている。私は彼らの死に顔もばっちり拝ませてもらったし、亡霊になってでもいいから死んだあとの世界がどんなものか教えにきてください、と遺体のほっぺたにふれるたび、ひそかにお願いした。 「──生まれ変わっても」  父の声がまだ流れている。私は縁側へ戻り、空を見あげる。生まれ変わっても、また家族になろう。テープが終わる。  母は泣きやんでいる。もう一度テープをぞうきんで拭いてから、紙袋に包み、 「いやなんか、悪い気がしたねえ。だってさ、ちょっと忘れとったけん」  と苦笑いをする。 「死にんしゃったこと?」 「っていうか、なんかぜんぶ」 「ふうん」 「楠子ちゃんとふたりっきりでおるのがもうふつうやん。やけん、なんかさあ」  私は台所へ行ってつめたいお茶を入れ、母へ渡した。母はおいしそうに飲んだ。ひと息つくと、 「きいたね? ありがとうって言いんしゃったろう」  と言った。 「うん」  私は縁側から足を伸ばし、ぶらつかせた。母も隣にきて、湯飲みのなかの氷を鳴らしている。 「合計三回もよ。やっぱうれしいやん」 「また復活する気かいな」 「するかもよう」  と母は私の背中を軽く押した。 「せんほうがいいよ」  復活したって、どうせガンなのだ。父が父として生まれ変わるかぎり、からだの痛みに苦しんで早死にすることになる。  中学に入る前あたりだったと思う。夜、眠れなくなって、父のふとんにもぐりこんで話をしたことがある。  父のにおいをからだいっぱい吸いこみ、枕に頭をきちんとのせて天井を向いている父へ、 「いままでのおこないをふり返ってみて、はい、あなたは極楽に行けると思いますか」  ときいた。  娘に突然きかれた父は、「うーん」と唇をひきしめて難しい顔をし、それでもすぐにこたえた。 「極楽なんて、行ったとしても、退屈やろう。地獄のほうがいいね」 「へえ」 「血の池地獄とか、どうやろう」 「血の池地獄なんて、別府の温泉やん」 「針地獄、炎熱地獄──あとなんがあるかねえ」 「地獄では、死なんっちゃろう?」 「うん、ずっと苦しんどかないかんっちゃろうね」 「ふうん」  私たちは死についてよく話す親子だったと思う。おやつを食べているときのおしゃべりみたいに、軽く交わしていた。でもちゃんとからだには重くたまる。私のからだのなかで、父と話したことの数々は、日が経ったからといって薄れることはなく、いまもくっきりと思いだせる。 「地獄に行く前に、このジャンパー、楠子にやっとこう」  クリームソーダっていうとこのでね、若いとき流行ったっちゃんねえ、と父は言った。会社でも地味、ふだんも地味やったけど、ディスコに行くときくらい、こんなの着てみたかったと。一回しか着らんかったけど。流行はひとまわりするけん、それまでとっときぃ。  そでやえりが真っ黒で、あとはピンクの、つるつるに光る布地でできたジャンパーだった。うしろに、ポニーテールをした女の子と、サングラスをかけた男の子の絵がのっていた。  うん、いまはまだ恥ずかしいけど、着る日もあるかもしれん、たぶんないと思うけど、と私は笑って言った。  しかし私は今回、着てみた。キツネ目と山辺君と三人でデートしたのだ。 「いっしょに歩くの、恥ずかしかあ。派手すぎるじぇ」  キツネ目は言う。いつものように目をつりあげたこわい笑顔だ。魂、という字がプリントされた黄色いTシャツに、制服と似たような横広がりのズボンをはいている。そしてぞうりだ。  山辺君はシモベとなり、あとをついてくる。動物園、山道、植物園、また山道。歩いてばかりやね、と言ったら、キツネ目はやっと、ソフトクリームを食べさせてくれた。コーラとたこやきも買ってくれた。  猿まわしを見た。サボテンを買った。 「二時間もゾウとかペンギンとかサボテンとか観てしまった」  キツネ目がベンチにふんぞり返って言う。 「これから、ある先輩んとこ、顔だしに行くけど、来るや」  行きたくないけど、と私は言い、行く、とシモベが言った。シモベは私とキツネ目が座るベンチのうしろに立っていた。 「よし、行くじぇ行くじぇ」  私はキツネ目の見ていないところで、山辺君に小石をぶつけた。彼はしょんぼりし、けれど三人でいるのが楽しそうで、足どりが軽い。私たち三人はいつの間にか横に並んで歩いていた。  先輩、というひとは、金に染めた髪のこめかみに、めいっぱい剃りを入れていた。コンタクトレンズはグレーだった。キツネ目はへこへこ低姿勢で、私と山辺君の頭を両手でおさえると、「あいさつ、あいさつ」と親が幼児へするようなことをした。 「かっちょええの着とるやん。古着ね」  先輩が私のジャンパーを指さしてきいた。  座るとたぶん長居させられると思い、つっ立っていた。  ボーリング、つき合わんや? と言われたが、笑顔で断った。帰りも、あいさつは忘れずにした。  汗びっしょりだったので私は、ジャンパーを脱ぎ、片手に引っかけて、もう片方にはサボテンをもって、歩いた。 「これからうちの塾、よってみらん?」  山辺君は、飛びはねて私のまわりをまわる。 「他人と長い時間すごすと、具合が悪くなる」  私は言った。 「ごめんごめんごめん。きょうはつき合わせてごめんね。だって、あいつ呼んでこいってうるさく言われて」 「いいもう」  なんて、やっとふたりでまともに会話していたのだったが、そこで、警察に呼び止められたのだった。おまえたちいま、たばこ吸っとったろう。ちゃんとあかりが見えとったとぞ。俺の姿が見えたんであわてて草のほうに放ったろうが。  アタマっから決めつけた。あかりぃ? うそばっかり! 私は、かあっときた。 「吸っとらんてえ」  暇なおまわりが、説教しやすいレベルの中学生をたまたま見つけたのでからんだ、としか思えない。激しい口論となり、「そげん、目くじら立てて言わんでもよかろぉもん」という私のせりふで、おまわりは本気になった。私だけ交番につれていかれた。身元調べをされた。家には報告せんでやるがな、と恩着せがましい。一時間もかかった。表にでると、山辺君が笑って待っていた。 「じゃあね」  その場で別れる。 「送る」  とついてくる。 「いらん。天神に行くし」 「なにしに」 「ぶらぶらしに」 「じゃあね」  と意外にあきらめが早い。  ひとり、天神をぶらついた。欲しいような、欲しくないような服が、ずらりとある。入りたいような、入りたくないようなカフェやクラブが、ひしめき合っている。アンアンにのっていたデザイナーショップに入ってみても、どこか規模が違う。店員もあかぬけていなくて、イモネエチャンみたいだ。 「アンアンって、東京ばっか見とうもんなあ。こっちなんて眼中にないっちゃろうねえ」  と私はつぶやく。  ある服屋のなかをまわっていたとき、急にジャンパーをつままれた。ふり返ったら、まったく知らない大人の女が、マネキンの服でも見るみたいに、私のうでのジャンパーを裏返したり感触をたしかめたりしている。気がすんだら、行ってしまった。 「変なの」  早く帰ろうと思った。  ──なんかきょうは忙しかった……ジャンパーが目立ちすぎるのだろうか。  ぐったりして思った。  駅のコンコースにつながるデパートのドアの前で、ざわめきがあった。ひとだかりがしていて、私はそれをよけようとした。すると、バッと女の子が私にとりすがってき、「隠しとって。これ、隠しとって」と、ぐりぐりなにかを押しつける。見ると、髪につける花の小物だった。顔がひきつっている。私もひきつった。「早く、これ、これ」と言うから、受けとった。そこへ猛スピードでおばさんがやってきて、その子のうでをしっかとつかんだ。  出しなさい、隠してもだめっ、とおばさんが言った。女の子は濡れぎぬだというふうに首をふり、腰をぺたんと床につけた。ぼうっとしている私のことをギロリと見てからおばさんが、ちょっとそれ、と小物を奪った。女の子は腰が抜けたようになり、引きずられていった。ひとびとはもの珍しそうに見ていた。 「家と学校も生きにくいけど、家と学校以外もまた生きにくかあ」  と私にはつぶやくしかなかった。  夜、山辺君が、「うたつくったからきいて」と電話してきた。できたて。あんね、こんなうた。あの子は夜のまちに消えていったよー。  それから、ボタンのかけちがい、よくある話さーとつづき、野に咲く花かアスファルトに咲く花がどうのとも言っていた。音痴だったけれど、ギターをちゃんとつまびいて、それが音楽になっているので、感心した。ぼくはきみを見失ってしまったよー、とほうにくれたさー、三番まであるぞおれはやめないぜー。  終業式をサボるため、便所にひそんでいた。終わる寸前を見はからって教室へ行こうとしたら、「おい」と呼び止められ、「おまえたい。ちょっと来い」  首根っこをつかまれてからだが引きずられていく。こうなったら無抵抗に徹するしかなかった。  柔道部のエロッパという先生だった。バケツをぶらさげて歩いているのが日常の姿で、こうして各便所(もちろん女便所も)をのぞいてまわり、授業をサボって喫煙していないか、見まわっているのだ。火の用心というシールの貼られた銀色のバケツは、年季が入っていて、魂がこもっているように見える。 「おまえ、なんて言う名や?」  私は学校の先生連中にはあまり知られてない。親しくなりたくはないのでそばへよらないことにしている。 「口がついとらんとか」  顔をななめにして横目で見あげたら、 「なんちゅうクソ生意気な顔しとるんや」  いきなりほっぺたを二発はたかれた。出席簿や学生かばんで殴る先生がたいていだけれど、このひとは素手だ。私もサボりだけれどこのひとはなに。受けもつ授業がないので、生活指導みたいなことをしているわけだろうが、それは干されているのではないか。柔道着姿に裸足というのがまた哀愁を誘う。  たてつかずに、三十分くらい大声でどやされていた。講堂から全学年の生徒がどやどやでてき、私はさらし者であった。  さらに生徒指導室で、担任もふくめた鬼瓦のような面々たちに、私は顔つきから成績の悪さまで、集中攻撃を受けた。 「なにしに学校へ来ようとか。給食を食べに来ようわけやなかろう?」「おまえひとりのために、みんなが迷惑するとぞ」  ──便所もろくろく入っておれないな。  口もとをきりりと結んで、手を前に組み神妙にしている裏で、私は考える。  ──あ。職員便所にしよう。職員便所ならまさか生徒は使うまいとだれもが思っている。そこを突こう。これからは職員室ね。  なんてったって、教師の足もとがいちばんの安全地帯なのだ。  全校生徒はすでに帰宅の時間だった。生徒指導室をでると私は英語教科室へ向かった。期末テストの英語が三点でヒアリングが五点だったから、夏休み中ずっと補習にでろということで、それはもうきょうからなのだった。  かばんを抱えて階段をあがっていると、踊り場のところで意味ありげに女子四名がかたまってこちらを見ている。筋肉質なこの女子たちは、ソフトボール部である。全員、半そでのラインに灼けあとがある。ショートカットで、横のほうの髪をキャラメル型だとか星型だとかのボンボンで結んでいる。  ほら、きょうこそはっきり言ってやりぃ。いま言わなどうするう。いきり立っている三人とは異なり、ひとりでどんより暗く沈んでいるのは、キツネ目の彼女だ。  そっちはつき合いようつもりかもしれんけど、あっちは遊びよ、と、おせっかいのひとりが顔を輝かせて言った。 「当たり前やん。遊びやもん」  と私はまじめに言った。  わあ、ひどかあ。あんたがしゃしゃりでてくる前は、この子たち、ものすごうまくいっとったとよ。ふたまたもみまたもかけてからさあ。山辺君なんかもかわいそうやん。  闘志むきだしだ。男を自分のものだとしたり、男のものになりたがったり。ひとはひとのものになんかならないのに。  私は、おせっかいに背中をさすられている彼女にだけ向かい、「私、関係ないけん」  ときっぱり言い、階段をすすんだ。  キツネ目が仲間と、頭上の階からこちらのすったもんだを観察していた。仲間はにやにや笑っていたが、キツネ目は、通り過ぎる私を笑わないで見ていた。  五条正直というその先生は、おだやかな口調だった。 「英語、嫌いなの?」  まっすぐな目で見る。小馬鹿にしたようなほほえみかたはしない。ぴしっとした白い半そでのワイシャツ、折り目の正しくついた紺のズボン、健康サンダル。髪がべとついていないし、男特有の臭さとか、防虫剤とかのにおいもしない。黒ぶちのメガネがどこかおしゃれだ。 「嫌い?」  二度目もやわらかにきく。 「ディス・イズ・ア・ペン、のときからだめです」  私は上目使いをしてみた。 「教科書のいちばんはじめのページの例文じゃない。ケンとかビルとかがでる」  と言って先生は、ほおづえからずっこけるという古めかしいことをした。はしゃいでいるのだ。 「だって変な例文やもん」 「変?」 「これはペンです、なんて。当たり前やん」  私も意識されていると思うとふわふわとはしゃぎたくなってき、口数が多い。笑ってくれている先生を前にし、なんだかオンナから少女に戻った気分だ。二十代独身教師と女子中学生の図、である。  英語教科室は、壁に貼られたなにかの表やらポスターやら、アルファベットだらけだった。五条先生が早速なにか英語で発音し、私には、東京とか外国とかの遠いところからきたひとのようにちょっと神々しく見えた。すると、あれこれ話しているうちに、東京出身で、イギリスに留学してもいたのだということがわかった。この中学には特別講師として勤めていて、ヒアリングの授業をするときにだけ教室をまわっているという。 「ほほう」 「なんで、ほほうなの」 「その、なのって言うのがもう、かわいい」  と私は顔をのぞく。  先生はのけぞる。あがってしまっている。  五条はマザコンだ、母親とふたりで暮らしているらしい、ときいたことがある。  五条をいじめてやってるというクラスもある。女子が、この先生の授業のときだけ、生理用パッドをうしろから投げつけたり、スカートをわざとぱたぱたあおいで、ふとももをむきだしにしたりするそうである。  生理用パッドでいじめられるのはこたえるだろう。私は前に、廊下であれをポケットからうっかり落とし、男子に奪われた。ほうきやちりとりで、ホッケーをするのだった。生理用パッドとは、どうも遊ばれるもののようだ。 「音楽の歌詞から入ったらどうかなあ。ビートルズとか、簡単だよ」  先生がまばたきをして言っている。その目を見つめ、 「東京、地震多いんでしょう」  私は言う。 「たぶん、福岡にくらべるとね。震度四ぐらいはしょっちゅうだね」 「地震って、足もとからやられるやん。根本から」 「こんぽん?」 「うん。私、立ちくらみか地震か、わからんときがあって、地面にさわったら、ぐらぐら地面が揺れよったことあるよ」 「ビートルズ。貸してあげるよ」 「いや、いいです」 「かみ合わないなあ」 「かみ合わんね」 「習う気、あるの」 「ちえっちぇっちぇーだ」  と言ったら、ひとさしゆびでとんと額をつつかれた。  古めかしい戯れ、と思いながらも私はふらりときた。五条先生は私を導こうとしない。アタマっから決めつけない。なんというか、染まっていないのである。教師臭くないのだ。  この先生も、いずれは、どこの教室へいってもおなじくだらない冗談を言うのだろうか。学校に慣れれば慣れるほど、世間からは、ずれていく。惜しい。 「じゃ、きょうはこれまで」  私が言う。ノートをとじる。 「まだなにもやってないでしょ」  先生がほっぺたをふくらまして言う。ノートを指でさっとひらく。  私はたまに考えていることがあり、それは、「一から十まで順序立てて性行為をしてみる」というものだ。いままでほんとうに雑な性生活だったわ、と思う。なにかを一からはじめる。それはあかるい未来をかんじさせる。なあんだ。学校というところにも、ときめきがあるじゃないか。 「先生、私、ぼやぼやしていたなあって思うよ」  と、瞳をきらつかせてみたら、 「うん、どこ?」  先生は私のノートをのぞく。  庭に涼み台を引きずりだし、木陰で寝そべっている若い男がいる。かっぽう着に、「たけ河」と赤い糸でししゅうがしてある。  私は伏し目がちに「おはよう」とあいさつして、補習へでかける。 「あ、どうも」  男は一拍ずれて返す。もともと目が笑っているので、愛敬はあるが、にきびのできた赤ら顔だ。全体がむっくりしている。母のパート先の板前見習いさんであるが、「家庭というだんらんが好き」と言って、店の昼休みが三時間くらいとれたりすると、わが家へくるのだった。歳は十七、八。  店から1DKの風呂なしアパートを借りてもらってはいる。しかし親もとから離れてさびしい。 「ねえさんとこ、風呂、ある?」  と、最初は、風呂を借りにきた。ねえさん、とは母のことである。 「ねえさんとこ、居心地がいいですね」  遠慮しいしい、くる。  それでも、家のなかにそうひんぱんにはあがれないと、こうして、庭にいるのである。 「つれなくしてみれば」  私は母に言ったことがある。 「なんでよ。いい子なのに」  と母は返した。 「バカな子ってことやろ」 「そんなあんた、口が悪いよっ」  母があいている部屋を使わせたいのなら、そうすればいいと私は思う。  そんなんやない、と母は言う。あの子だって、そんなの遠慮するよ。  パートに勤めるようになって、やはり母は変わった。だれかをほめたりかばったりなんてめったにないひとだったのに、いまは素直にやっているのだった。  つい最近、母の誕生日に、見習いさんがプレゼントをもってきたのだけれど、それが、なんと牛肉だった。しもふりの高そうなやつであった。カードがついていた。これからも元気ではたらいてくださいねえさん、とあった。私は少し涙がでそうになった。母はそういうメッセージみたいなものに、あまり興味のないひとなので、素っ気なく、すき焼きをすぐしはじめ、やっぱり高い肉はおいしかねえ、と舌鼓を打っていた。  いまが夏休みだと気づかないほど、毎日、通学だ。自転車はこぐときのあの足の回転がぶかっこうだから嫌いで、三十分かけて徒歩でいく。いままでずっとそうしてきた。  制服で歩いているのは私だけなので、やけに目立つ気がする。原付バイクにのった酒屋のおじさんがちらっと私を見る。ガソリンスタンドの夫婦がどこまでも見ている。 「先生、東京の、どこ?」  勉強の合間、私はきく。 「白金って言ったでしょ」  五条先生はメガネをまっしろのやわらかなきれで拭きながらこたえる。 「福岡にも白金ってあるよ。庶民の家並みがつづいたとこやけど」 「そう」 「赤坂っていうところもあるよ」 「やって」  先生はメガネをかけ直し、長い指でこつこつ私のノートを叩く。  先生を見ていたらからかいたくなる。これでもおさえている。私は三問解いて、合格をもらってから、 「ある日  パパと二人で  かたりあったさー」  と、口ずさんだ。  先生は窓際へいき、置いてある食器入れからコップをふたつだし、アイスコーヒーをつくる。山の緑が光っている。ミンミンゼミやニイニイゼミが鳴いている。 「この世に生きるよろこび  そして悲しみのことをー」 「グリーングリーン、だね」  先生が言った。 「グリーングリーン  青空には小鳥がうたいー  グリーングリーン  丘の上にはララみどりがもえるー」  先生が音のしない拍手をした。 「──小学校の音楽の授業って、水泳の授業が終わって、給食も済んで、五時間目やったりすると。みんな疲れとうけん、机にうつぶせになってもいいよって音楽の先生が言うと。眠りながら、音楽鑑賞すると。よかったなあ、小学生のころは。先生がちゃんとひとりひとりのこと見とったもん。あの子は牛乳でじんましんができる、とか、あの子の妹は二年何組、とか」  先生は私と向き合うかたちで、きいてくれている。机にほおづえをつき、いつものまっすぐな目で見ている。 「中学に入ってびっくりした。個人を尊重してやる代わりに責任は自分にふりかかるんだぞ、って、ひとくくりやん。だめなら落とす。ね、地理の下田、ループタイしとるやつ」 「やつじゃないでしょ」 「うん。でもループタイってなんやろ。下田が、ネクタイよりこっちのほうがしゃれとろうがって自分で言うけど、あれがなんなのか、あの役目、わからん。ループタイ」 「だからネクタイみたいなものだよ。飾りだよ」 「下田ね、あのひとの授業だけはね、暴走族入ってる男子が中心になると。男の心意気とかが通じ合うみたいでさ、ウッス、オッス、ってかんじ、教室のなかが。で、前ね、この教室に学年一ビリッケツがおる。だれとは言わんがな。太平洋を大西洋って書いたり、まあむちゃくちゃやな。ダハハってそりあげたちは机蹴って大笑い。俺たちだってそれくらいわかるじぇって。下田はうれしげに、しかも女やぞ、女。アホな女げな、もう生きとってもしょうがないなってそれ、私なわけ」  先生は、めずらしく、ふふと笑った。口のはじっこだけで、ふふ、だ。そのゆううつそうなかんじが私をときめかせる。  私は自分をおさえたい。アイスコーヒーをひとくち飲む。苦みとあまみがのどを落ちていく。冷静になりたい。窓から、虫が入ってきた。金属のような光沢をもっている。コガネムシだろう。 「先生のお父さん、生きてる?」 「死んだ」  即答だった。 「母親も死んだ」  え、という表情は伏せた。お母さんとふたり暮らしって、でたらめやん。  とたんに先生が自立した大人の男に見えだした。着ているワイシャツも、ズボンも、お母さんではなく、自分で洗うとかクリーニングにだすとかしているのだ。 「さ、はじめようか」  コガネムシを先生が窓から放った。そしてゆっくり教科書の例文を読みはじめた。  最期の瞬間の父のことはなによりもよく覚えている。人間の、意識の薄れてゆく様子、を。  いま父は奈落の底に落ちているんだ……と私は想像した。それは底なしだから、えんえんと落ちつづける。ひとりで十何階もある建物のエレベーターにのっていると、こころもとなくなって、叫びだしたくなるが、あのかんじが、えんえんつづくのだ。  意識の薄れていく人間にとって、その時間は短いものかもしれないが、見ているほうとしては、叫びがえんえんとつづくのだった。私は立ちくらみを起こしそうで、窓辺にぐったりよりかかっていた。飲みこまれる、と思った。父に誘われている、と思った。  あんたのほうがこわい顔して。だめやん、あんたを見とるほうがあたしはこわいよ、と母は言った。  そして、しっかりしぃ、と私の手をきつく握った。そうされたことでかろうじて私は、現実にとどまっていられたんだろうと思う。  病院は、現実だらけなのだ。博愛医院の外来病棟は、長生きしたくてたまらない顔をしたじいさんばあさんで満杯だった。  私はあの、としよりというものがうっとうしい。小学校のときも、いやいや千羽鶴を折らされた。老人ホームとの交流とやらだった。お返しに、ダンボール箱いっぱいのぞうきんが送られてき、としよりとはなんて暇人なんだろう、と思ったものだ。学級委員の子たちが慰問にいき、そこで演歌とか博多にわかとかを披露してきたらしい。としよりは毎日そこでなにをしているのかときいたら、折り紙をし、童謡や唱歌をうたい、昼寝をし、ごはんを三回食べているのだという。としよりの女と男はどっちが得のようだったかときいたら、おばあさんにはメイクアップ教室があり、楽しんでいるみたいだったが、おじいさんは眠っているのか起きているのか自分でもわからないようなひとが多かった、という。 「生きていてもしょうがない」  そんな言葉を言うとしよりはいないのだろうか。  ぞうきんのお礼の手紙を書かされ、私はまず書きだしから困った。としよりの顔も知らなければ名前も知らない。知らないが、たぶんばあさんではあろう。ありがとうございます、その言葉の薄っぺらさったら、なかった。どうして子供ととしよりをくっつけたがるんだろうか。私には理解できない。  板前見習いが台所に立ち、「ここの家の包丁はすごいなあ」と感嘆しながら、野菜かなんかをいい音させて刻んでいたので、私は急にいたずらがしたくなった。  縁側から、母を呼んで、庭に隠す。きっと慌ててさがしにくる。  母も笑いながら、センリョウの木の陰に隠れ、見習いの料理するうしろ姿を見ている。 「家に居つかれたらどうする」  ときいたら、 「そこまでせんってば」  と言う。  ねえさん。見習いが呼んでいる。 「ほらほら」 「かわいそう」  と母は言うが、どこかまだ笑っている。 「ここ、ここ。気づかんのがおかしいよ。ほら見た。でも気づかん」  と私は言う。  見習いは、包丁をもっておろおろし、ねえさんねえさんと泣きそうな声で呼んでいる。辺りは西陽が落ち、涼しい風が吹いている。 「なんであそこまで必死とかいな。待っとけばいずれ出てくるやろうとか、思わんとかいなあ」  声をださずに私は笑った。おなかが痛くなるまで笑った。そしてさびしかった。あんなふうに私はだれかを必死な声で呼んだことはなかったし、呼ばれたこともない。 「ねえさん、ねえさん」  かわいそうやん、行ってやるよあたしは、と言って母は私の肩をどけた。私に怒りをかんじているらしい。  母が行ってしまうと、私はセンリョウの木の横の涼み台に腰かけた。ちょうどこんな時期、たまに訪れる知人と父は、涼み台を玄関の前にだし、いっぱいやっていたものだった。知らないひとが通ると、「まあどうです」とおちょうしをつきだして声をかけ、その姿は、おっちょこちょいに見えた。  楠子ぉ、あさつき、二、三本抜いてきてえ。母が呼ぶ。ちょっとでいい、二、三本でねえ。  農家の畑から、ちょっと失敬してくるのだ。 「はあい」  庭を歩く私の足もとからバッタが飛びだした。  畑のふちには、もう彼岸花が咲いている。      四  エロッパが心筋梗塞で急死したという。生徒は葬式にでてはいけない、二週間後の九月二十日にお参りするように、とのことだ。ぜんぜんお世話になってはいない生徒も、行くらしい。私も行くことにした。行っても行かなくてもいいとかんじたので、行くことにしたのだった。  太宰府駅をおりたら、生徒の道ができていた。エロッパのあの大きなからだがこんなところでよく生活できたなあというようなせまくて窮屈な家だった。小さな祭壇に手を合わせた。傷のついたりんごが二つのっていた。  顔が土色のやつれた奥さんが、もう何十回さげたであろう頭を、事務的にさげている。ふすまの向こうで、子供らがなにかとり合いしているのか、ひどく暴れていて、奥さんが座ったままふすまをどすっとたたくと、しいんとなった。  帰り道、キツネ目とその彼女がうでを組んでいるのにぶつかった。ああ、と言ったら、ああ、とそろって返してきた。  キンモクセイのかおりを嗅ぎながら、てくてく歩いていると、どこからか、きき覚えのある「ひょーひょー」という声がした。そういえば夏休みからいままで、私は彼を忘れていた。  声は、うしろから近づいてき、そうして私を追い抜いていった。 「キキイ」  ブレーキの音を口で言い、五メートルくらい先でとまった。くるりとふり返って、 「あいかわらず、アホ?」  と言う。 「うん」  と私はこたえる。 「やけん、うちの塾にくればいいとに。受験対策、ばっちりじぇ。あれ、ここになんか。あ、暑中お見舞い申しあげますだ」  と、山辺君は胸ポケットから、角の折れ曲がったはがきをとりだす。海とヨットとかもめの絵がサインペンで描いてあった。  それから、私たちは太宰府天満宮へ行ってみた。  池に、朱色の橋がかかっている。そこは縁切り橋といわれていた。 「切れるとかいな、縁」  山辺君が言う。 「先に、渡って。並んで歩くのがいかん気がするけん」  と私の背中を押す。  おみくじを引き、ふたりとも小吉で、「こんなもんですな」と言うと山辺君は、私の手をぎゅうっと握り、あっちの梅の木に結ぼう、と走った。走り慣れていない私は息切れでぜいぜいいっていた。  山辺君はそれから手をほどかない。学業成就のお守りを買っているときもつないでいて、巫女《みこ》さんに、お似合いですね、などと言われてしまった。私はなんだかおつかいにきた姉弟みたいだなと思った。  私が母の好物のしょうがの砂糖づけやら梅《うめ》ヶ枝餅《えもち》やらを買っているときも、彼は手を握っていた。おたがいが手をつないでいるのではなく、彼が私の手を勝手につかんでいるのだ。私の手に意志はなにもない。堀川駅に着いても、だった。 「ダンボール工場があったよね」  駅をでて私が言う。 「あそこの門を入ると、ハンバーガーの自動販売機があるの、知っとう?」  知っとう、と山辺君はうなずく。濡れた子犬のような瞳になっている。  汗でおたがいの手は、ぬめっていて、歩きつつ私は自分の手から彼の手をはがす。そこで彼は打ちのめされたように立ちつくす。 「買ってくるよ」  私は工場の門をくぐる。  ほっこりあたたかいハンバーガーふたつを抱いてでてくると、山辺君の姿はもうなかった。 「先生、転勤とかする予定ないんですか」  と五条先生にきいた。 「どうして」  と先生は私を見る。まっすぐ、ではなくて、首を曲げ、こちらをのぞくようにして、見る。  放課後、英語教科室で、私たちは向き合っているのではなく、隣り合っている。私はときどき先生の肩に自分の肩をぶつける。 「東京に帰る予定はないんですか」 「たぶんないと思うけど」 「じゃあずっと福岡に住むと?」 「それもいいかな。住みやすいし」  とたんに先生がつまらない男に思えた。 「どこの高校希望するか、それさっさと決めないとね」 「堀川高校にしよっかな」 「男子校じゃん」  笑った先生の顔から手もとへ私は目を落とす。手をそっと重ねた。窓の外を見る。先生は私を見ている。  お茶にしようか、と先生は言った。するりと手が抜けていった。 「先生、車持ってましたっけ」  先生は急須から湯飲みにお茶を注ぎながら、うん、あるよ、とうなずく。 「ドライブ、連れていってくれん?」  日曜日、五条正直先生は、とっくりセーターにジャケット、そしてコーデュロイのズボンという私服であらわれた。全身黒ずくめだ。メガネはいつものと違い、レンズの縁がないやつだ。  山の展望台に車は向かう。 「そんな格好してると、中学生に見えないね」  先生は言う。  Gジャンをちゃんと表にして着、フレアスカートをはき、バラのにおいのリップをつけてきた。はりきりすぎに見えているのだろうか。 「いい天気だね。よかった」  先生は学校と変わりない口調だと思う。  車は白で、なかに余計な飾りは一切ない。  会ってはじめから私は先生の手を握っている。先生は軽く握り返してくることもあるけれど、たいていは私のほうが、先生のだらんと伸びた手にしがみついているというかんじだ。  空は澄みきっているし、車はすいているし、きょうはまったくのふたりっきりだ。先生は車のドアのあけかたがわからない私を見て笑い、先におりてあけてくれる。  しかし時間が経つにつれ、私はどんどんどんどん気がめいっている。まんまと生徒のデートの誘いを受けた先生が、どこか情けなかったからだ、とも言えるけれど、でもきてくれなければもっと私は傷ついただろう。傷つくなんてなんともないが。なんにしたって、先生は大人の男らしい対処をするだろう。  山の展望台からは、福岡市の中心地が見おろせた。はるかかなたには、また山があった。風が強い。私は緑をじいっと見て、それから、先生を、見た。そしたら、先生も一瞬、緑色に見えるのだった。 「見晴らしがいいね」  ずうっと当たり前のことしか先生は言わない。 「寒くないかな」  手をジャケットにかけた。それを見て私は、 「寒くない寒くない」  首をふって、肩を離す。  先生は笑ってジャケットを脱ぐ。 「いらんいらん」  ……じゃ、車のなかに戻ろう、風邪をひかせるといけないから。先生はため息をつき、私の肩先にほんの少し触れて言った。  草を踏み、駐車場へ向かう。草の露が、靴下にぺたぺたくっつき、肌にまでしみてつめたかった。  山からおりて、喫茶店に入り、ホットコーヒーを向き合って飲んだけれど、学校で飲んだアイスコーヒーのほうが、何倍もおいしい、と思った。 「あたたまったかな。送るね」  ほおづえをついて私を見ていた先生が言う。  車のなかで、先生はどこかのスイッチを押しビートルズをかけた。そのさりげない親切心が、ますます私をゆううつにし、私はもう自分から先生の手を握ろうとしなかった。  堀川駅近辺をぐるりとまわり、車を畑の脇にとめる。  農家の屋根にピンクがかった夕陽が落ちている。 「じゃ、また学校で」  ハンドルにもたれて先生は言う。うん、と私はうなずく。楽しかったですとは嘘でも言えない。  また学校で、と私は自分で言ったかどうか、覚えていない。そのとき母の顔がフロントガラスの先にあったからだ。  母は、「車のなかでいちゃいちゃする男と女がおると、つい見てしまう」と、前に言っていた。そしてほんとうに、見ているのだった。私は、うしろの座席のものをとるふりをして、からだをねじった。恥ずかしかった。母のことが。とても。  なのに、勘違いをした先生が唇を近づけてき、私はからだをかたくした。  が、先生は、話しかけるためにほんの少し近づいただけのようだった。近所のひと?  そうだと思う、と私はしたを向いてこたえた。すぐ通り過ぎたけん、よくわからんかったけど。  親子かな。先生は言う。  さあ。私は言う。母の隣には、あの板前見習いがいたのだった。買い物袋をさげていた。  不思議なカップルだったねえ。先生がすがすがしくそう言ったので、私は笑った。そうして笑いをこらえながら、車をおりた。笑いはとめどなくこみあげた。家に着いてからも、母の顔を見ると、おかしくて、吹きだしてしまった。母は、車のなかの私に気づいていたのかいないのか、なにも言わない。酔っぱらっているから、家のなかでも千鳥足だ。きょうは店のみんなでたくさん飲んで遊んではめはずしたとよう。おかみさんがおごってくれてねえ、カラオケなんてはじめて行ったあ。まだまだ飲みたいなあ。  板前見習いが、台所で夜食をつくっている。買い物袋から、野菜を次々にだし、洗い、水を切り、刻む。 「あ、ねえ、この女優。入れ歯よう、入れ歯。あたしにはわかるよう」  なんて母は、テレビドラマを観て言っている。自分が入れ歯なので、入れ歯の女優がよほど気にかかるのだろう。  私は見習いを手伝った。違和感のある存在だけれど、いてくれると、これはこれで安心する。だれかが母と私のあいだに入ってくれているのは、いい。 「今度、温泉行こうか、楠子」  母が言っている。旅番組が流れているのだ。 「お金も少したまったしさ」  別府に行こう、と私は料理のほうに気をとられながら言う。見習いの刻んださまざまな野菜を、私が鍋に入れ、ゆでる。味見は見習いがする。彼の料理は薄味だけれど、手がこんでいるので、安いものがずいぶん豪華に見える。がめ煮、田楽、なます、を同時につくっていく。 「温泉の前に、墓そうじ行かないかんねえ」  母はしゃべりつづけている。  そうやねえ、と私は返す。見習いが、よく切れる菜切り包丁の刃を見て、ほんとに気持ちいいほどよく切れるなあ、と言う。ふっくらした手が器用に動く。野菜それぞれの切り口に艶があり、いかにもおいしそうに切れている。ほほう、と私は見とれてしまった。私もやってみた。が、どうしてか私が切ると、鮮度が落ちるというか、薄汚れたようになる。下手すぎだ。ゼリーとかはつくるけれど、包丁を使うのはほとんどしたことがない。まあなんとかリズムにはのってきた。と思ったら、ざくっと私の頭のなかで音がした。目の前に、血の色が広がった。気が動転した。ごぼうに血が滴っている。意識が遠のいた。どこ切った? とさがしたら、左のひとさし指だった。傷口を見てしまい、わあっと騒いだ。  あとは歯を食いしばって立っていた。見習いが、私の手首を強く握り、そのあいだに母がタオルをとりにいった。二人がかりでてきぱき止血してくれた。タオルがすぐまっかになった。なにか言おうとしても、おそろしく不安で、声さえでない。死にたくない死にたくない、こんなことで死にたくない、私は胃ガンで死ぬのに、まさかこんなの、予定になかったよう。  平常な意識になってから私は、自分が思っているより自分のからだは、生きたがっているのだな、と思った。からだって、生まれたからにはもう生きるようにできているのだ、きっと。だるいだのきついだの疲れるだの死にたいだの、私はよく口にするけれど、そんなにからだはやわじゃないと思う。いくらからだがだるくたって、好物なら食べたくなってしまうし、血がでればそこに口を当ててとりあえず血を止めようとする。たぶん、自殺しようと電車のそばに立っていたとしても、強風にあおられてよろめいたら、からだは思わず起きあがるだろう。  あれから学校の外で五条先生とは会っていない。  学校のなかだけで会うのがいいのだ。放課後、かばんを持って、私は会いに行く。先生は、コーヒーをいれてくれるときもあり、いれてくれないときもある。手を握ると、握り返してくれるときもあるし、だらりと伸ばしたままのときもある。「先生、好いとう」と私が耳へささやいたら、「耳慣れない方言だね。でもいい言葉だと思うな、好いとうって」と話をそらす。私も先生に対し、ときめいたりときめかなかったり、だ。まるでそばに行きたくないときだってある。 「あんね」  山辺君がくっついてきた。 「あんね、エロッパの亡霊が出るって、知っとった? バケツ持ってまだうろうろ便所をまわりようってよ。律儀やね。死んだあとも舞い戻ってくるなんて。よっぽど生徒のたばこが気になっとったっちゃろうねえ」  そう言うと、「ひょーひょー」とうしろ向きに走り、ホイッスルまで鳴らし、廊下にいたかわいい女子たちの頭をたたいていった。  体育祭にむけて、いま、学校全体が、浮き足立っている。一年二年三年合同で男子の騎馬戦の練習がおこなわれるのだけれど、五条先生がその指導にあたっている。指導といったって、寒そうに首をすくめて練習を見ているか、グラウンドに落ちているどんぐりを拾ってはじっこによせているか、だ。  私は机にほおづえをつき、窓の外ばかり見ている。授業にならない。先生はどこから見ても一目で先生だとわかる。遠くからだと、どのくらい見ても見あきない。体育祭が終わるまで私は、こうして窓の外に気をとられてばかりだと思う。  ふと、山辺君が上半身裸でやっているのも、見た。うしろからねらったりしないで、ちゃんと正面から攻め、自分より大きな馬にも立ち向かっている。やたらに手をだすことはしないで、相手の馬の様子をうかがい、すきを見て、襲いかかる。練習試合でも彼は必死なのだ。ただし、練習試合なので帽子とりなのだった。裸と裸がぶつかり合うんじゃなくて、頭にかぶった紅白帽子のとり合いなのだった。山辺君の場合、つきでたあごにゴムが引っかかり、もうかっているようではある。キツネ目の馬が背後から忍びよってきた。おっとっと、というみたいに山辺君はふざけたふりして逃げる。  私は両手の中指と親指で、ほんの小さな四角をつくった。左目をつぶり、右目で、その四角をのぞく。こうすると、ふだんの視力では考えられないくらい、すべてのものがはっきりした輪郭をもち、鮮明なのだ。五条先生は退屈そうだ。緑の色のあせてきた山のほうばかり見ている。えりを立て、折り目の正しくついたズボンのポケットに手をつっこみ、背中をまるめている。風でえりがはためく。  山は、文鎮みたいに地面をしっかりおさえている。もずの鋭い鳴き声がし、それが、犬の鳴き声のようにもきこえたり、猫のにもきこえたり、人間の赤ん坊のにもきこえたりしている。 [#改ページ]   あとがき  こんにちはー。  私はさよならが大好きです。書いた作品は、自分の手から離れれば、さよならします。そしてすぐ次へすすむのです。  この三つの作品は、四、五年前に書いたようで、私の処女作品集でございまして、手にとってぱらぱらめくってみると、「お、書いた覚えありますわ……」と思い出し、耳まで真っ赤になりました。埼玉県の狭山市の一戸建ての二階部分で。やたら窓があった(出窓もね)、あかるい真四角の部屋。モノは茶系で統一。  こたつ生活でした。こたつでごはんを食べ酒を飲みねむり、風邪をひいてもこたつでまるまるだけ、絶叫するのもこたつぶとんに顔を埋めて、という。なにを絶叫することがあったのでしょうね。書くという仕事をもらいはじめたばかりのころなので、これをシアワセと言うのだろうとふわふわ夢見ている気分だったはずなのになあ。  二カ月くらいだれとも話さなくても平気、ただただ書く。自分が男なのか女なのか、いくつなのか、髪は長いのか短いのか、きょうだいはいるか、親は生きているか死んでいるか──などということを忘れている時間が多かったっけ。田中邦衛のものまねをしたり、夏は真っ裸で過ごしたりと、けっこうふざけてもいて。  階下の人材派遣会社のおじさんたちが、「若いねーちゃんが一人で家にこもってなにやってる」と私を不思議そうに見ていました。また、大家さんご夫婦もたまに様子見にいらして、私がいてもいなくても、あったかいお惣菜を、ドアのとってにぶらさげて行ってくれていました。  家の前は、ゴルフ練習場。そこは大家さんが経営しており、パートのおばさんと交代で、大家さんちの息子が受付をしていました。いくつ歳下だったかな、アメリカの大学から帰ってきたばかりの、スリムで女形のような顔、ラフな格好だけれどスニーカーにはこだわるおしゃれ君で、「ひとにつかわれるのはゼッタイにいや」だそうで。屋台のラーメン屋さんからは「若」と呼ばれていたボンボン。私がなにを話しても、「ケッ」と鼻で笑う。いつも近くにいてくれるから安心(いざとなったら助けてくれるかどうかは怪しいけれど。というか、自分の身は自分で守るしかないだろうし)の、家賃を払う三カ月にいっぺん会う青年でした。  会うときは、彼だけの個室へ、バドワイザーやハイネケン(若のご注文)を数本持って。だらだら飲みました。彼の部屋は、外国製品のポップなインテリアで占められており、お客がボールを打っているあいだ、ふかふかのソファーでねむっているから、髪の毛のうしろが束になってピンと跳ねていました。「サリーちゃんの弟・カブみたいでいいね」と私。彼も私を「ダイちゃん」と、いなかっぺ大将のカゼダイザエモンみたいにして呼んでいて、「ダイちゃんさ、自殺とかしないでよ。白骨化したの、見つけるのたぶん俺になるだろうからさー」なんて言ってきました。  育ちがいいのは、ビールの空き缶はかならず水道水でなかをゆすいでからダスターに入れる、というところからも感じとれたっけ。  近所で仲がいいのは彼くらい。夜中になると、だあれもいなくなります。あのころの狭山は犯罪が多く、「怖がってばかりもおれん。やって来たら、懲らしめてやるんだ」と私は槍で突く練習をしましたが、被害といえば、階下のおじさんにお尻をさわられるくらいのものでした。  ゴルフ練習場のカッと輝くスポットライト、雪に閉じこめられてなにも買いだしに行けなかったお正月、豪雨でどんどん水かさが増して浸水しかけ、軽い恐怖に大笑い(自転車を助けだすため奮闘した)、裏に住んでいるステテコ姿のおじいさんに同質の人生観を見たりも。  おじいさんは、いつもぶらぶらしており、ゴルフ練習場の草むらへ立ちしょんべんをし、朝早く雪かきをし(私の住む家の玄関前も)、そしてなあんにもしゃべらないひとでした。出窓から眺められる世界は、物語。民家の畑で猫がおしっこをし、そのあと野菜をもいでいく持ち主(朝どれ野菜を味噌汁の具にするんだろう)なんて、もう絵本にしたいくらい。  私はひとに好かれることなく、助けられることもなく生きる人間だと、幼いころは思っていたのだけれど、でも、狭山のあのころ、私は大事にされていたなあ、のら猫にえさを与えてやるくらいには。私には、あの愛情が、楽でした。たのしゅうございました。  そして今、私は狭山からずいぶん離れたところにいます。山ん中です。水、空気、光、土がバランスよく身のまわりにあるのです。さんさんとした朝陽と鳶の声に起こされ、夜中にゴミをだしに行くときは木々の匂いと満天の星と川の流れに、「うー、いいぞ、いいぞ」といちいち感嘆して。自然は、私の生きるお手本です。木々の色あいみたいな服装をしたいし、鳶の舞いかたは見えない風のゆくえを教えてくれるし、とどまることを知らない川はいつも私の背筋を伸ばしてくれます。  さて、私はどこに流れて行くのでしょう。にごり酒を朝食にし、たまにくるFAXの音に飛びあがり(ちょっとした音でも驚くほど、静か。絵を描いたり文章を書いたりすることに没頭している)、私を知っているひとがこの世にいて連絡してきてくれることに、どうもありがとうと感謝する日々。  この作品集のあとがきを書くことで、もう一度狭山時代に浸れ、そして新たに、私には今しかないし、先へすすむべし、と思えました。   二〇〇五年、春みたいだけれどまだまだ冬らしいわっていう日 [#地付き]大道珠貴  初出誌    裸      「文學界」平成十二年四月号    スッポン   「文學界」平成十二年十月号    ゆううつな苺 「文學界」平成十三年十二月号  単行本 平成十四年十月 文藝春秋刊 〈底 本〉文春文庫 平成十七年五月十日刊