角川e文庫    非情の女豹 [#地から2字上げ]大藪春彦   目 次  第一話 汚れた油田  第二話 法王の隠し金  第三話 裏切り     第一話 汚れた油田      一  窓の外には冷たい雨を混えた強風が吹きすさび、満開の桜花が吹雪のように舞っていた。  しかし、大使館が多い|元《もと》|麻《あざ》|布《ぶ》に建つ十階建てのマンション・シルヴィアの九階の|続き部屋《ス ウ ィ ー ツ》は、エア・コンによって快適な温度と湿度に保たれていた。  九百十二号のその続き部屋は五DKだが、公団住宅のそれとちがって、各部屋が広い。  いま、そのスウィーツの食堂で、二人の女がシャトー・ディカンの白ワインで舌を洗いながら、アンチョビー・ソースで味付けしたキング・サーモンのステーキを口に運んでいた。  招待主側の席についている長身の女が、ここの続き部屋の持主であり、私立明和大学の動物学講師でもある|小《こ》|島《じま》|恵《え》|美《み》|子《こ》だ。海外ではエミー、あるいはエミリアと呼ばれている。  母親がアンダルシア出身のスペイン人であった恵美子は、よく陽に焼けた明るい|褐色《かっしょく》の|肌《はだ》と燃えるような|瞳《ひとみ》を持っている。  その瞳の色は、光線と感情の影響によって|鳶《とび》|色《いろ》からグリーンへと変化する。硬く長い髪は|漆《しっ》|黒《こく》だ。  かつて数々のビューティ・コンテストで優勝したことがあるラテン風の|美《び》|貌《ぼう》だ。体のほうだって申し分なく、身長百六十七センチ、体重五十キロ、バスト九十八、ウエィスト五十八、ヒップ九十四センチのボディには、三十一歳になった現在も|贅《ぜい》|肉《にく》一つついていない。  恵美子とテーブルをはさんで向いあっている若い娘は、小柄で|初《うい》|々《うい》しい。雪国の出身らしく、抜けるように白い|餅《もち》|肌《はだ》だが、今は興奮とアルコールのせいでピンクに染まっている。  名前は|秋《あき》|本《もと》|信《のぶ》|子《こ》といって、明和大の学生として二年目を迎える前の春休み中だ。 「うらやましいわ、本当に……何度も言うようですけど、何と|綺《き》|麗《れい》なお肌なの?」  今は|瞳《ひとみ》の色がエメラルド・グリーンに変っている恵美子は、信子を見つめながら|呟《つぶや》いた。ハスキーな声だ。 「まあ、わたし、もう消え入りたいぐらい……先生のようにお美しいかたに、そんなことおっしゃられると」  全身をさらに鮮かなピンクに染めて信子は|俯《うつ》|向《む》いた。言葉には、まだかすかに東北|訛《なま》りが残っている。 「今夜は、ゆっくりしていけるのでしょう? レコードを聴きながら、あなたの将来の専攻コースをどう決めるか、じっくり相談に乗ってあげたいの」  恵美子は言い、サーモン・ステーキの最後の一片を口に入れた。 「|憧《あこが》れの小島先生にこんなに目にかけていただくなんて夢みたい」 「それは、あなたが、頭がいいだけでなく、可愛らしいからよ」 「まあ……」 「音楽は何がお好きなの? ここには、大ていのレコードは用意してあるわ」 「クラシックなロック……ビートルズなんか」 「わたしと同じね。ビートルズは古くても新しいわ」 「|御《ご》|馳《ち》|走《そう》さまでした。おいしかったわ。後片付けは、わたしにやらせてください」  信子は立上った。 「じゃあ、手伝ってね。デザートと食後のお酒は居間のほうでとりましょう」  ソルテーヌのシャトー・ディカンの白のグラスを乾した恵美子も立上った。ヒップはぐっと盛上っている。  二人は、ほとんど機械化されたアメリカ式のキッチンに食器を運んだ。恵美子は自動皿洗い機に皿を入れてスウィッチを押す。  機械が精巧なロボットのように皿を洗い、乾燥棚に移していく様子を信子が目を丸くして見つめているあいだに、恵美子は自動製氷機が吐きだしてあったアイス・キューブを大きなアイス・ジャッグに移した。  冷蔵庫から出したメロンを四つに割り、二切れずつを二つの皿に盛ってフルーツ・スプーンを添える。  自分はアイス・ジャッグを持って、恵美子はメロンの皿を持たせた信子を居間に案内した。  広い落着いた|雰《ふん》|囲《い》|気《き》の居間だ。内外の超一流の部品を選んで組立てたステレオの本体は壁の奥の小部屋に隠され、プレイヤーとスピーカーだけが見える。  カーテンとブラインドを開くと、雨風にかすかに揺らぐ東京の灯や車のライトが見おろせた。  窓ぎわに立った信子にそっと寄り添った恵美子が、信子の肩を優しく抱く。信子は一瞬体を硬くしたが恵美子から逃れようとはしなかった。 「素敵なお住いですのね」  と、|呟《つぶや》く。 「大学の安いお給料でどうして、と思っているんでしょう? 確かにそうね。でも、わたしには母が|遺《のこ》してくれた信託預金があるの」  柔らかにカールした信子の髪を|撫《な》でながら恵美子は言った。 「お母様はお亡くなりに……」 「そう。わたしが十四の時に……さあ、そのソファに|坐《すわ》ってくつろいで。食後のお酒は何になさる?」 「もう充分ですわ。それに、本当いって、お酒の名前はよく知らないんです」 「じゃあ、わたしが|択《えら》んであげる」  燃えるように熱くなっている信子の肩をブラウス越しに再び抱いた恵美子は、夜景がよく見えるソファに信子をいざなった。そのソファは、高い背もたれを倒すと|寝椅子《デイヴァン》になる。  恵美子は居間の西側のバーに行き、スリヴオヴィッツのプラム・ブランデーの|壜《びん》とグラス二つを持ってきた。  信子の右側に坐り、グラスにプラム・ブランデーを|注《つ》ぎ、アイス・キューブをたっぷり入れ、 「その前に、デザートは?」  と、尋ねる。 「もう、お腹いっぱい」 「そう?」  恵美子はよくシェイクしたグラスを一つ信子に渡し、 「動物学者としてのあなたの未来のために乾杯」  と、自分のグラスを挙げる。 「恥ずかしいわ」  信子は|呟《つぶや》いたが、グラスを合わせた。おそるおそる一口飲む。アルコール分は強いが口当りが柔らかいから、飲みこんでも顔はしかめなかった。 「あなたは、|故《ふる》|里《さと》の秋田の日本カモシカの生態を|野外《フィールド》で調査したい、と言ってたわね?」  恵美子は信子のむっちりした|太《ふと》|腿《もも》に左手を置いた。 「ええ。秋田の|太《たい》|平《へい》|山《ざん》は完全保護区ですから、鳥|射《う》ちのハンターも入れないため、銃声や猟犬に|嚇《おど》されてほかの土地に分布をひろげるといったこともなく、カモシカが増えすぎているぐらいなの。それに伐採の影響で過密状態になって伝染病がひろがっているほどです。地元の研究者が立派な観察記録を残してくれてはいるんですが、まだまだ日本カモシカには|謎《なぞ》が多いんです。冬の深い雪を|掻《か》き分けて|棲《せい》|息《そく》フィールドに入るのは女には無理だと言われてますけど、今年の夏から、定期的に山にこもって調べてみたいんです」  信子は目を輝かせながら言った。 「ジャパニーズ・シーロー、つまり日本カモシカは分類学的に見ても興味ある対象ね。ロッキーの|白岩ヤギ《マウンテン・ゴート》やヨーロッパ・アルプスのシャモアと同じようにゴート・アンテロープあるいはカモシカ類とされていて、その証拠に皮膚染色体が五十で、ロッキー・マウンテン・ゴートの四十二とシャモアの五十八の中間にあるのは事実だわ。でも、日本カモシカと形も生態もよく似たターが、なぜアイベックスやチュールと同じワイルド・ゴートに分類されているのか、わたしにはよく分らないの。わたし、ニュージーランドにいた時、あそこの南島に移されて猛烈に殖えたシャモアとヒマラヤン・ターをマウント・クックの近くの山で毎日観察したことがあるの。あなたが目ざしている日本カモシカの観察記録のデータと、わたしが持っているターやシャモアのデータを突き合わせることが出来たら色々な|謎《なぞ》が解明出来そうな気がするわ」  信子の|腿《もも》を|撫《な》で、耳に|唇《くちびる》をつけるようにして、恵美子はハスキーな声で|囁《ささや》くようにしゃべった。 「あ、ありがとうございます」  上気した信子は、声がかすれてきた。 「でも、あなたのカモシカのフィールド・ワークの予定地の太平山には、伐採や植林の仕事で山に入る男の人が多いそうね。男のことですから、可愛らしいあなたが一人きりでいるのを見てムラムラっとくる|男《ひと》がいないとはかぎらないわ。襲われた時の防ぎかたを教えてあげる」  恵美子は|囁《ささや》くと、腰をおろしたまま、いきなり信子を両手で|抄《すく》いあげ、自分の|膝《ひざ》の上に乗せる。女とは思えぬほどの力であった。  信子を一度|羽《は》|交《が》い|絞《じ》めにした恵美子は、たちまちのうちに信子のブラウスのボタンを外した。 「や、やめて、先生……」  と逃れようとする信子のブラジャーも巧みに外した恵美子は、信子の両の乳房を柔らかく|掴《つか》む。  お|碗《わん》|形《がた》のマシュマロのような手触りの信子の乳房であった。今は黒炭に火がついたような|瞳《ひとみ》になっている恵美子は、 「好きよ。大好き。食べたいぐらい……」  と、|喘《あえ》ぐように|囁《ささや》きながら信子の首筋に唇を|這《は》わせる。      二 「|堪《かん》|忍《にん》して……先生……」  信子は体を震わせた。しかし、恵美子のデリケートな指に|嬲《なぶ》られる乳首は湿って固く|勃《ぼっ》|起《き》し、目には|霞《かすみ》がかかり、半開きの唇からは|唾《だ》|液《えき》が垂れはじめた。  上向きに|尖《とが》った自分の乳房を信子の背中にこすりつけながら恵美子は、左手は信子の乳房や乳首を|愛《あい》|撫《ぶ》し続けながら、右手でジーンズのベルトのバックルを外し、信子のジッパーを引き降ろす。その間も、恵美子の唇は信子の首筋や耳たぶを|這《は》ったり吸ったりしている。  恵美子は信子のパンティの|隙《すき》|間《ま》から右手を差し入れた。すぐに花弁や|花《か》|芯《しん》をさぐらず、|太《ふと》|腿《もも》の付け根のあたりに指をさまよわせる。  信子の震えは、期待からくる|細《さざ》|波《なみ》のようなものに変っていた。|蜜《みつ》|壺《つぼ》からあふれたジュースが太腿も湿らせている。  恵美子の指が、|火傷《やけど》しそうに熱く|濡《ぬ》れている花弁を|愛《あい》|撫《ぶ》し、ふくれあがった花芯を軽くノックしはじめると、信子は声をあげた。恵美子も、すでに|洪《こう》|水《ずい》のようになっている。  ゆっくり信子を横倒しにした恵美子は、固く|瞼《まぶた》を閉じている信子の唇にそっと唇を寄せた。  唇を震わせてから吸う。信子も吸い返してきた。  舌をからませたまま恵美子は、パンタロンをはいた長い脚をのばし、ソファの横に固定されているサイド・テーブルについているスウィッチの一つを足の指で押す。  ソファの背もたれが倒れ、ベッドに変った。もう一つのスウィッチを押すと居間の天井の灯が消え、壁からの弱い間接照明に切替えられて、居間は|仄《ほの》|暗《ぐら》くなる。  信子の乳首をくわえた恵美子は、舌で乳首を|舐《な》めたり、軽く歯を当てたりしながら、自分が身につけているものを器用に脱いだ。  明るい褐色の彫像のような姿であった。上向きに|尖《とが》ったバストのあいだは深い蔭となり、腹はくびれ、腰はたくましく張っている。下腹の|翳《かげ》りは火炎型だ。形がいい|太《ふと》|腿《もも》の内側はジュースでバターを溶かしたように光っている。スキャンティで覆われていた跡だけが小麦色だ。  その恵美子は、体を起すと信子を脱がせにかかった。 「|嫌《いや》……許して……」  信子は首を振ったが、恵美子は慣れた手つきで信子のフリルのついたピンクのパンティを外し取る。  かすんだ目を開いた信子はあわてて両手で自分の下腹を覆ったが、まだ新鮮な花弁は充血していてもピンクを保っている。|翳《かげ》りは薄かった。  真っ白な信子の裸身には柔らかみがあった。ヘソの|脇《わき》のホクロが鮮かだ。 「安心して……優しく愛してあげるから」  かすれた声で|囁《ささや》いた恵美子は、体を倒すと、信子の|腿《もも》の内側から|舐《な》めあげはじめた。左手は自分の|花《か》|芯《しん》を激しく|愛《あい》|撫《ぶ》している。 「やめて! やめて!」  と、|喘《あえ》いでいた信子は、恵美子の唇が花芯に達すると、悲鳴に近い声を漏らしながら恵美子の髪を両手で|掴《つか》んだ。無意識に腰を突きあげはじめる。  その信子に寄り添った恵美子は、信子と|腿《もも》を交差させた。二人の花弁や花芯が激しくこすれあい、今はもう途方もなく|昂《こう》|奮《ふん》した信子は恵美子の乳首にしゃぶりつきながら腰を震わせる。  女同士の愛は夜明け近くまで続いた。信子は、指だけでなくヴァイブレーターも受け入れるようになった。  くねり付きのヴァイブレーターを内蔵した|両張形《ディオルド》を二人が共に|蜜《みつ》|壺《つぼ》にくわえこんで最後のクライマックスに達したあと、消耗しきった二人は腿をからみあわせたまま眠りこんだ。  電話の音で恵美子は目覚めた。信子からそっと離れ、本物のペルシャ|絨毯《じゅうたん》を敷いた床に降り立つ。  素足の恵美子は、|踵《かかと》を|絨毯《じゅうたん》につけずに、|膝《ひざ》を真っすぐのばしたまま、滑るように電話に向けて歩く。盛りあがった小麦色のヒップが引き締まりながら揺れる。  受話器を取上げた恵美子は、 「はい?」  と、答えたまま黙っていた。時計は午前十時を示している。 「お早よう。|御《ご》|機《き》|嫌《げん》はいかがかな、|女豹《パンサリス》君?」  聞き慣れた初老の男の声が含み笑った。 「夜ふかししてしまったので」  恵美子は答えた。 「お楽しみだったようだな。疲れているところを悪いが、十二時に会いたい。話は会ってからだ」  電話は切れた。  居間のカーテンは、昨夜の愛技のあいだに閉じてあった。恵美子はハイヤー会社に電話して車を一台廻すように言い、寝室の隣りのバス・ルームに入った。バス・ルームは、床もバス・タブも大理石張りだ。  シャワーを浴び、花弁の奥も入念に洗う。髪をブラッシングしながら、新しいスキャンティをつけただけの恵美子は居間に戻った。  信子は目覚めていた。 「恥ずかしいわ、先生」  と、仰向けになったまま、左手で顔、もう一方の手で下腹を覆う。 「ゆっくりしていてもらいたかったの……でも、御免なさいね。急用が出来てしまって……さあ、お|風《ふ》|呂《ろ》|場《ば》に案内するわ」  恵美子は信子の額に軽くキスした。 「また会ってくださる、先生?」 「|勿《もち》|論《ろん》よ。今度はもっとゆっくりとね」  恵美子は真っ白な歯を見せて笑った。今は|瞳《ひとみ》の色は|鳶《とび》|色《いろ》に戻っている。  体を起してパンティをはきかけた信子は、まだそれが乾いてないことを知って複雑な表情となった。 「心配しないで。私のをお貸しするわ」  恵美子は言った。 「新しいのでなく、いつもはいてらしたのをね……想い出に……」  信子の|頬《ほお》はまた上気した。  信子が浴室から出て来た|頃《ころ》、恵美子はモス・グリーンのスーツをつけ、フレッシュ・ジュースを飲んでいた。|強靭《きょうじん》な体力はもう回復している。 「わたしの車で送りたいけど、別れるのがつらくなりすぎるから」  と、言って信子をハイヤーに押しこんだ恵美子は、マンションの地下駐車場に歩いた。  恵美子は三台分の駐車ロットを契約していた。そこに|駐《と》めてある三台のうちの一台は、目立たぬ外観の銀色のコロナGTで、その|D・O・H・C《ダブル・オーヴァー・ヘッド・カム》二リッター・エンジンは、ターボ・チャージャーによってパワー・アップされている。  もう一台は普段の足に使っているブラウンのアウディ八〇LEだ。  最後の一台は、怪奇なほどの外観を持つレーシング・セダンで、ダットサン・サニー・クーペのボディをベースにしたR仕様だ。エンジンはブルやスカイラインやローレルのL一八、四気筒一・八リッターのやつをダブル・オーヴァー・ヘッド・カムに変え、排気量を二リッター近くに上げ、燃料噴射装置をつけて、二百八十馬力以上を絞りだしている。  純レーシング・カーだから、ナンバー・プレートを付けることは出来ず、サーキットまではトレーラーで運ばねばならぬ。  恵美子はアウディ八〇LEのセダンに乗りこんだ。日本仕様の右ハンドルで、オートマチック・ミッションだ。  セレクターを|P《パーキング》に入れたまま恵美子はスターターを回した。燃料噴射装置のせいで、エンジンが冷えていても掛かりはいい。  恵美子はセレクターを|N《ニュートラル》に戻して二分ほどエンジンをウォーミング・アップしてから発車させた。  数字上は一・六リッター八十二馬力という非力な割りに速いのは、ボディが軽いためと、さまざまな補機類をつけたままエンジン出力を計るドイツ式DIN馬力表示だからだ。  前輪駆動の割りには、ハンドルはそう重くない。地下駐車場を出た恵美子のアウディは、|飯《いい》|倉《ぐら》ランプから首都高速に乗った。  |赤《あか》|坂《さか》トンネルを抜けた頃から道は空いてきた。|新宿《しんじゅく》ランプ出口の先のきつい左廻りコーナーを、恵美子はタイアを鳴かせながら百二十キロ近くのスピードで通過する。車がアウトにふくらみすぎかけると、アクセルをゆるめてやる。前輪駆動のお蔭でインに車首は|捲《ま》きこまれる。  あまり急激にアクセルを放すと転倒する|怖《おそ》れがあるが、恵美子の趣味の一つはモーター・スポーツであり、サーキット・レースや山岳ラリーで幾多の実績を持っている。  アウディは首都高速からそのまま中央高速道に入り、|調布《ちょうふ》インターで降りた。  |甲州街道《こうしゅうかいどう》から|三《み》|鷹《たか》のほうに車を向ける。|深《じん》|大《だい》|寺《じ》の|脇《わき》を通り、|神代植物園《じんだいしょくぶつえん》の裏のほうに廻る。  そこに、広い敷地を持った古代|武蔵《む さ し》|野《の》記念館があった。メイン・ビルは三階建てで、その一階が展示場になっている。  広い駐車場に十数台の車しか見当らないのは、正門に示された入場料一人三千円という高い料金に|怖《おそ》れをなして、客は一人も入ってないのであろう。したがって、そこに|駐《と》まっている車はすべて職員のものだ。  正門の前で一度車を|停《と》めた恵美子は、係員に、考古学者や動物学者などに記念館が無料で発行しているパスを示した。  係員が頷き、守衛が|鉄《てっ》|柵《さく》の門を開く。恵美子はまだ二百台分以上も余地がある駐車場にアウディを乗り入れた。  一階の展示場には、武蔵野の動物の化石や|剥《はく》|製《せい》、昆虫標本や植物の種子などが飾ってあった。古代に武蔵野に住んだ人々の生活のありさまを復元した模型なども見える。観客は一人も見当らなかった。      三  恵美子は「立入り禁止」の札が階段を|遮《しゃ》|断《だん》する鎖からぶらさがっているのを無視し、鎖を身軽にまたぐと、二階に登っていった。  二階の壁や天井には、監視用のモニターTVのカメラがところどころに顔を|覗《のぞ》かせている。  恵美子は二階の廊下の突当りの部屋のドアをノックした。 「十五分も早すぎるが、まあいい、入りなさい」  先ほど電話で恵美子が聞いた初老の男の声が、壁のスピーカーを通じて低く響いた。ドアが電動で音もなく開く。  入ったところが小部屋で、その奥に鋼鉄の扉が見える。小部屋には、ビルジャック防止用の金属探知装置と、テーブルが置かれている。  恵美子はハンドバッグと、腰につけていた金属製のバックルのベルトをテーブルに置いた。  金属探知装置のあいだをゆっくりと歩き、奥のドアに向った。鋼鉄製のドアも電動で開いた。  その奥は|豪《ごう》|奢《しゃ》な部屋になっていた。窓にはブラインドとカーテンが降りている。  突当りのマホガニーのデスクの向うで立上った初老の男は、モミアゲが白かった。|鷹《たか》のような|風《ふう》|貌《ぼう》を持っている。長身|痩《そう》|躯《く》に、ロンドン仕立てらしい三つ|揃《ぞろ》いのダーク・スーツを|粋《いき》に着こなしている。通称を|長《は》|谷《せ》|部《べ》という。  右側の|椅《い》|子《す》から立上った中肉中背の特徴がない中年の男は、長谷部の秘書で|湯《ゆ》|浅《あさ》という。 「どうだね、体の具合は? まあ、坐りなさい」  長谷部は左側のソファを示した。 「ありがとう」  ソファに腰を降ろした恵美子は|膝《ひざ》を組んだ。湯浅がイヴのタバコのパックの封を切って、卓上ライターと共に恵美子の前に置く。 「今度の仕事は?」  恵美子は挑むような|眼《まな》|差《ざ》しで長谷部を見た。  腰を降ろした長谷部は置時計に目を走らせ、 「もうすぐ昼食の時間だ。君にも軽い食事を用意してある」  と、言った。  長谷部は、ロンドンに本拠を持つ国際秘密組織スプロの日本支部長で、恵美子はスプロと契約を交している執行人の一人だ。  スプロ—SPRO—は、スペッシャル・プロフィット・アンド・リヴェンジ・アウトフィッターズの略語で、悪どい|荒《あら》|稼《かせ》ぎをしている連中の上前をはねたり、依頼人に替って、法の手がとどかぬ大物への|復讐《ふくしゅう》を代行したりする。無論、|莫《ばく》|大《だい》な報酬と引替えにだ。  十五歳で日本を離れ、スウィスの私立高校からオックスフォード大学に進んだ恵美子は、そのセックス・アッピールと男には心を動かさぬ性格、それに抜群の運動神経を買われ、オックスフォードの大学院生としてアフリカのザンビアでハイエナの研究に熱中していた頃、スプロにスカウトされたのだ。  約束された|莫《ばく》|大《だい》な報酬が当時の恵美子にとって魅力であった。それから二年後、 「ルアングワ|渓《けい》|谷《こく》における、ハンターが仕掛けたライオン用の|囮《おとり》の盗食がハイエナの習性に与えた影響」  という論文によって恵美子が博士号を取得するまで、スプロは恵美子を闘いの実務にはつけず、戦闘訓練や破壊活動の演習、それにベッド・テクニックの実習などをさずけ、月に五百ポンドを与えた。  実務につくようになった恵美子は、ヨーロッパの各地を転戦した。  しかし、恵美子の戦果があまりにも|華《はな》|々《ばな》しすぎたために、スプロと対立する可能性が大きい様々な組織に恵美子の|顔《めん》が割れてしまい、恵美子は一年前に日本支部に移されたのだ。  死の商人を相手にしたヨーロッパでの最後の仕事では、恵美子は三百万ドル近い金を稼いだ。  だが、金銭の報酬も大きな魅力ではあったが、たびたび敵に窮地に追いつめられたことがある恵美子は、今の一瞬後には命がどうなるか分らぬスリルも、生きる上で欠かせないものになっていた。  それに、昼間は|鉄《てつ》|面《めん》|皮《ぴ》にふんぞり返っている男たちが、恵美子の誘惑を受けたり、恵美子の|拷《ごう》|問《もん》を受けたりした時に示すセックスの反応が、恵美子のサディスティックな本能を強烈に刺激するのだ……。  長谷部と恵美子はしばらく雑談を交した。恵美子は細長いイヴのシガレットに火をつけるが、鼻から煙を吐くようなエレガンスに欠けた|真《ま》|似《ね》はしない。  奥の部屋を|覗《のぞ》きに行った湯浅が戻ってきて、 「用意が出来ました」  と、言った。  奥の部屋は食堂とバーと仮眠室を兼ねていた。廊下の階段を使わなくても直接上下の階と行き来が出来るようになっている。  円卓の上では|広《カン》|東《トン》式|飲《ヤム》|茶《チャ》の用意が出来ていた。幾つものアルコール・コンロが置かれ、それらの上で何重にも積まれた|蒸籠《せいろ》が湯気をあげている。  アルコール・ランプの上では冷めないようにした焼きソバの金属皿がエビ・ソースの香りを放っている。  一人につき一つずつ置かれた大きな|急須《きゅうす》の中味はジャスミン茶だ。  三人は、茶を飲みながら、カニ・ギョーザやエビ・シューマイや肉マンなどが入った|蒸籠《せいろ》を自分の前に取り分けて、熱いうちに平らげていく。コックはいい腕をしていた。  食後しばらくたってから、三人はもとの部屋に戻った。葉巻に火をつけた長谷部は、 「今度の仕事は、|国家的大事業《ナショナル・プロジェクト》とか称して、石油をタネに、日本石油発掘公団や日本貿易銀行を通じて、国民の税金や国民年金などを盛大に吸いあげている連中の隠し金を|捲《ま》きあげることなんだ」  と、言った。  十六ミリ映画の映写機をセットしていた湯浅がリモコン・スウィッチを使って部屋の電灯を消した。  映写機のスウィッチを入れる。部屋の左側のスクリーンに、ちょっとのあいだ白い雨降りの映像が流れ、続いて六十歳近い男の上半身が現われた。  額が|禿《は》げあがったその男の顔は|脂《あぶら》ぎっていた。エラが張った、ふてぶてしい顔つきだ。その男は、野太い声で、 「確かに我が海外石油発掘株式会社と大日本石油発掘株式会社がアラダブの石油で約六百億の赤字を出したのは事実であります。その赤字を指して|厖《ぼう》|大《だい》な金額とそしる者もおります。だが、何を言うか! そんな損金など、国家的見地から見たら小さいもんだ。  ともかく、何と言われようと現実にアラダブの我が鉱区から石油は出ておる。たとえ日本の必要量の三パーセントしか産油してないとは言っても、アラブで石油を掘りだしているという事実を|誰《だれ》が否定できるか?  私の|狙《ねら》いは、その実績をもとに、|日《にっ》|韓《かん》|大《たい》|陸《りく》|棚《だな》協定が|批准《ひじゅん》発効された時、メジャーと同等の資格で東シナ海の日韓共同開発区域での石油開発権を手に入れることだ。あそこには石油は埋まってないと言う者が多いが、掘ってみないと分らん。  ともかく、日韓共同開発区域の石油発掘には、とりあえず五千億円の融資が日本石油発掘公団と日本貿易銀行から予定されている。最終的には十兆円が流れこむだろう。  御存知のように、発掘公団法によって、万が一にも石油が出なかった場合には、我が社を含め融資を受けた各社は一文も返済する必要は無いのだから、これ以上に安全な|賭《か》けは無い。そして、我が社の技術をもってすれば、必ず石油は出ると信ずる。その時には、アラダブでの赤字など、東シナ海で|湧出《ゆうしゅつ》する半年分の石油だけで消し飛ぶ」  フィルムはそこで中断され、部屋に再び|灯《あか》りがついた。  デスクの上の分厚い資料をめくりながら長谷部が、 「今の男は、|田《た》|口《ぐち》内閣時代に、財界官房長官と|仇《あだ》|名《な》されていた|古《ふる》|川《かわ》|常《つね》|平《へい》だ。  九州で小さな炭鉱の経営をしていた古川は、九州の炭鉱王と言われた|麻《あざ》|布《ぶ》一族に巧みに取入り、東京での麻布一族の関連会社の専務や副社長を兼任して財力をたくわえていった。もともと強烈な権力指向を持っている男だから、そのうち財界の大物たちから、政治献金を渡す時の走り使いとして重宝がられるようになった。  特に古川を可愛がったのは、財界四天王のうちのトップと言われた、|汎《はん》日航やペルシャ石油の会長の|大森正《おおもりただし》だ。  戦後三、四年して、古川はストで経営が|麻《ま》|痺《ひ》状態になった世界精機という大手シャフト工場に目をつけ、大森たちの力添えでその会社を乗取り、組合の争議のほうも弁舌巧みに丸めこんで、念願の財界入りを果した。  その古川が財界でめきめきのし上っていったのは、大森のあと押しもあったが、十五年ほど前に田口がはじめて保守党三役の一つの党政調会長の|椅《い》|子《す》を射止めた頃から、田口べったりになったからだ。  田口には|小《お》|佐《さ》|村《むら》という|金《かね》|儲《もう》けの天才の盟友がついていたが、小佐村は財界人でないから、財界からの献金ルートを作りあげるためにも古川と組んだ。  今から五年ほど前に田口内閣が成立すると、田口の土地転がしをあまりよく思ってなかった大森は、田口と仲たがいして財界の表面から引退した。  古川はたちまち、財界四天王のナンバー|2《ツー》であった東関銀行の|高《たか》|丘《おか》にさらに深くくいこんで、自分も四天王の一人にのしあがった。  その田口内閣時代に古川がデッチ上げたのが海外石油発掘株式会社と大日本石油発掘株式会社、それに大日本石油発掘のスケールを小さくした色んな石油会社だ。  田口と古川のあいだに、どんなリベート関係があったかは、君の調査にまかせる。我々はそれをネタに、田口からもたっぷり絞りあげることにする」  長谷部は冷たい笑いを浮かべた。      四 「古川の海外石油発掘の前身は、田口が保守党幹事長をやっている時に、田口や財界のバック・アップを受けて、銀行や石油を多く使う企業に六十億を出資させて作ったノース・アラスカン石油だ。アラスカの極北部で発見された大油田に経営参加して、日本のエネルギー安定対策の一助としたい、というのが名目だ」  長谷部は続けた。 「…………」  恵美子はイヴに火をつけた。 「古川としては、極北の油田からアラスカ南部の不凍港までアラスカを縦貫する大パイプ・ラインの建設が、自然保護団体の猛反対を受けて|挫《ざ》|折《せつ》することを計算に入れていたらしい」 「あのアラスカ・パイプラインが、旧大陸から運ばれてきて野性化した|レインデアー《ト ナ カ イ》や野生の|アメリカ・トナカイ《キ  ャ  リ  ブ  ー》の大移動に与える影響は実に……」 「しばらくのあいだ、君は動物学者であることを忘れてくれ……ともかく、事は古川たちの思い通りに運んだ。だから古川は、そのナショナル・プロジェクトとか言って集めた六十億をアラスカには廻さず、銀行や証券会社に預けたらしい。年に十億を越す利子を先取りして、自分の|懐《ふところ》に入れたり田口派の政治家にバラまいたと言われている。その点も、君がよく調査してくれ」 「分りましたわ」 「ついでに言うと、アラスカ・パイプラインの問題は、その後、世界を襲ったオイル・ショックで反対運動は吹っ飛び、アラスカ大油田で採れる|莫《ばく》|大《だい》な量の石油は今年の秋から市場に出るわけだ。アラスカ南部の不凍港から米本土の西海岸に陸上げされる石油は、西部の州に売るだけでは採算がとれないので、余った石油は日本に輸出される見通しが強い……ともかく古川は、アラスカ石油の開発がパイプ・ラインの問題で|挫《ざ》|折《せつ》している間に、ノース・アラスカン石油の社名を海外石油発掘と変え、首相になった田口から圧力を加えさせて、それまで参加してなかった各社も株主にならせた。資本金は三百億にふくれあがった」 「…………」 「古川たちはその金を銀行や証券会社に預けて利息を取るだけでなく、既存の色んな石油会社に出資し、配当金を受取っては|懐《ふところ》に入れていたようだが、保守党反田口派や野党やマスコミがうるさくなったので、アラブ産油国の一つのアラダブに形式的に進出した。そこで、大日本石油発掘の創立のキッカケとなる話が持ちこまれた。  話を持ってきたのは、国際弁護士でもあったし、国際利権屋でもあった|松《まつ》|木《き》|玄《くろ》|人《うと》だ。昨年、アフリカのアンゴラに石油開発の調査に行って、ゲリラにでも襲われたのか消息を断ってしまったあの松木だ。  アラダブではイギリスのR・B・O、つまりロイアル・ブリティッシュ・オイルがほとんどの石油鉱区を独占していた。  ところが、R・B・Oはアラダブ政府の鉱区国有化が予想していたよりずっと早まることを察知し、それにスコットランド沖の北海油田の開発費を|捻出《ねんしゅつ》する必要もあって、成金国のくせに石油のほとんどを輸入に頼っている日本にアラダブ石油の利権を売りつけようとした。そこで、R・B・Oの秘密代理人でもある松木に、二パーセントの手数料を払うから日本のカモを捜してくれ、と持ちかけた。その点については、我々スプロのロンドン本社が確認をとってある。  R・B・Oとしてはアラダブ石油の利権を全部売り逃げしてドルを|掴《つか》みたかったんだが、そいつは天文学的な金額だから、おいそれとは引っかかってくれる日本の企業は無い。  そこで、アラダブ鉱区の利権の一部だけでも売り飛ばすことにした。  松木ははじめ、古川の海外石油発掘に、R・B・Oのアラダブ石油の利権の一部の料金を二十億ドルと吹っかけた。R・B・Oがヨーロッパ諸国に口を掛けても、五億ドル以上は絶対に出せないと断わられたところなのに……。  言い値の二十億ドルは次第にさがってきたが、古川は本気で買う積りなんかなかったようだ。ところが、田口と会ってアラダブ石油の利権の話をしてから、急に本気になりはじめた。その間の事情についても、君の調査を待つ。  大蔵省や通産省の田口派も乗り気になった。結局、古川の海外石油発掘が百億出資し、古川自身もそこの社長を兼ねる新会社をデッチ上げて、その会社、つまり大日本石油発掘が十五億ドルでアラダブ石油の利権を買うことになった。  十五億ドルと言ったら、当時のレートで約四千五百億円だ。鉱区の利権を買っただけでは仕事にならないから|莫《ばく》|大《だい》な回転資金も要る。  そこで、国民の税金を使っているくせに、貸した相手の企業が石油を探り当てなかったら貸し金を帳消しにし、企業が欠損を続けている間は貸しっ放しにしておくという、ふざけた特殊法人の日本石油発掘公団が、融資どころか七百億も出資して、資本金八百億の大日本石油発掘が作られたわけだ。  その上、これも特殊法人で、税金や郵定預金や厚生年金や国民年金などが運用資金になっている日本貿易銀行が大日本石油発掘に四千億、さっき言った石油発掘公団が出資金のほかに、三千五百億を融資している」 「日本で百を越す特殊法人というと、天下り高級官僚の天国だと聞いたわ。同じ特殊法人の役員でも昇格するごとに元の身分の退職金、それも一、二年で千万単位の退職金が出るし、公団から公庫、公社、特殊銀行、特殊会社、何とか協会などを渡り歩くごとに退職金をさらっていく退職金転がしの“渡り鳥”元高級官僚も多いそうね。そんな人は月給も百万前後も入るし、ボーナスは年に半年分、それに恩給もつくし」  恵美子は|苦《にが》|笑《わら》いして見せた。 「まあ、今度の仕事で、そんな連中を思いきり痛めつけてやってくれ」 「…………」  恵美子の笑いが残忍なものに変った。|瞳《ひとみ》が青く光る。 「さて、話は戻るが、古川の大日本石油発掘は、設立してからこの四年間で六百億の赤字を出している、と言われている。古川はこれまでアラダブに大日本石油発掘が投資した金は、利権料四千五百億、開発費や設備投資費や人件費などの経費が二千億と説明している。  ところがスプロ本部は、大日本石油発掘がR・B・Oと実際に最終決定した利権料は十億ドル——それもR・B・Oが松木に払うコミッション料を含めて——だと、R・B・O側からの確証を得た。それに、大日本石油発掘がアラダブの採油活動でこの四年間に使った開発費などの一般投資金は五百億にも満たないことも分った。何しろ、大日本石油発掘の油田は、自社で新しく発掘したり発掘を試みたりしたものは一つも無く、すべてすでにR・B・Oが開発したものを使っているわけだから」  長谷部は肩をすくめた。 「つまり、途中で大きな金額が消えているわけね?」 「古川の|懐《ふところ》にだけ消えたわけじゃないだろう。甘い分け前にあずかっている連中が多い|筈《はず》だ。それらの金を|捲《ま》きあげるたびに、君に五パーセントの手数料を払う、オーケイかね?」 「結構ですわ」 「では、これから君が相手をするだろう連中の顔を覚えてくれ」  長谷部が言った。  湯浅が部屋の灯を消し、再び映写機のスウィッチを入れる……。  三時間ほどのち、恵美子は古代武蔵野記念館の地下三階に降りた。  そこは、壁に分厚い防音材がついた私設射撃場になっていた。奥行き約百二十メーター、幅三十メーターほどだ。  恵美子は射場から引っこんだ武器室に入った。武器室は修理工場も兼ねていて、機械油にまみれた老ガン・スミスが、今は旋盤でライフルか|拳銃《けんじゅう》の部品を削りだしているところであった。  恵美子を認めたその|銃工《ガン・スミス》は、旋盤のモーターを切り、 「元気そうだね?」  と、笑った。 「また仕事よ。まずは拳銃とナイフだけでいいみたい」 「あんたの銃は、毎日手入れしてあるよ」  銃工は、奥にずうっと並んだロッカーに歩いた。ロッカーの一つの扉を開く。自動ライフルと短機関銃とマグナムのボルト・アクション・ライフル、散弾銃、それに引金の|用心鉄《トリガー・ガード》を引っかけられてぶらさがっている四丁の|拳銃《けんじゅう》が見える。下のほうは数段の|抽《ひき》|出《だ》しだ。 「どれにするね?」 「ザウエルを」  恵美子は答えた。  銃工は一丁の拳銃と二つの抽出しを|作業台《ワーク・ベンチ》に運んできた。  恵美子は、|撃鉄《ハンマー》が露出してないためにブラウニングの小型ピストルに似た|自動《オート》|装填《マット》式拳銃を手にとった。  用心鉄の左うしろにコッキング・レヴァーが見えるその拳銃は、現在にいたってもまだ、最も進歩したポケット・ピストルの一つと評価されているザウエル七・六五ミリだ。  第二次大戦中に設計され製造されたその拳銃は、ナチ国防軍の将校や|空《くう》|挺《てい》部隊の多くに、護身用として使われていた。  いま恵美子が手にしているザウエル七・六五ミリは、スタンダードのものでは|遊底被《ス ラ イ ド》が銃身の先端部までかぶさっているのに対し、スタンダードのものより八分の五インチ長い四インチ銃身がついていた。  したがって、銃身の先端は、|遊底被《ス ラ イ ド》の先から少し突き出していた。|消音器《サイレンサー》をつけるための|溝《みぞ》が切ってある。  その|拳銃《けんじゅう》を持って恵美子は射場に戻った。監的用のスコープが柱に固定されているデスクのうしろに立ち、|遊底被《ス ラ イ ド》を引いてスライド・ストップを掛けた。内蔵されている撃鉄が起きる。  老ガン・スミスが二つの|抽《ひき》|出《だ》しをデスクに運んできた。一つの抽出しには幾つかのホルスターと、四つの口径の拳銃弾が二百発ずつ入っていた。消音器も四個入っていた。予備弾倉も幾つか見える。  もう一つの抽出しには、三十丁ほどのナイフが入っていた。  恵美子はコッキング・レヴァーの下の|弾倉《マガジン・》|止めボタン《リリース》を押した。|弾《マガ》|倉《ジン》が滑り落ちると共に、スライドは前進した。閉じる。  左手で弾倉を受けとめていた恵美子は、スライドの後部の左側についている|手動安全装置《マニュアル・セーフティ》が外れていることを確かめてから、二十五メーター先に起きあがった人体標的に向けて引金を絞ってみる。照星には薄暗い場所で使えるように、ラジウムを塗ったカヴァーが|嵌《は》められている。  ブラウニングから受け継いだマガジン・セーフティの働きで、弾倉を抜いた時には引金はロックされて動かないようになっている。  そのマガジン・セーフティ装置はこわれてなかった。恵美子はレミントンの弾箱から七・六五ミリ・ブラウニング口径とまったく同じである〇・三二コルトACP口径の実包を八発、弾倉に|装《そう》|填《てん》した。  弾倉を|銃把《じゅうは》の弾倉室に|叩《たた》きこみ、スライドを引いて放す。弾倉上端の実包は銃身後端の薬室に送りこまれた。  ザウエル七・六五ミリ口径の銃身は|銃体《フレーム》に溶接されていて命中精度を高めるようになっている。|薬莢《やっきょう》が短く火薬量が少ないために反動も小さな〇・三二インチ口径実包だから、発射のガス圧が薬莢の|尻《しり》を通じて遊底を後退させるブロー・バック式が採用されているのだ。  これが強力な|拳銃《けんじゅう》実包だと、発射の瞬間に銃身が後退し、ガス圧が安全圏までさがってから遊底の閉鎖が解かれるショート・リコイル式を自動拳銃は採用する必要がある。  標的に対して斜めに体を向けた恵美子は、すっと|狙《ねら》いをつけた。スライドの上部にチェッカリングをほどこした散弾銃のリブのようなものがついているし、銃自体のバランスが抜群なので、非常に狙いやすい。  適度の重さの引金を絞ると、銃声と快適な反動と共に空薬莢が斜め右上に舞いあがった。  ザウエル七・六五ミリには手動安全装置のレヴァーも無論ついているが、恵美子はコッキング・レヴァーのほうを押し下げた。  内蔵されている撃鉄が安全位置まで倒れた。実包を薬室とも|装《そう》|填《てん》したまま拳銃をポケットに入れて安全に運べるようにとの、独特の第三安全装置をコッキング・レヴァーは兼ねている。  恵美子は監的スコープを|覗《のぞ》く。自分の手の一部のように慣れた銃だから、人体標的の胸部の十点圏に着弾していた。  ザウエル七・六五ミリはダブル・アクションだから、今のように撃鉄が倒れていても、引金をぎゅっと引き絞ると、撃鉄が起きて撃発準備が行われ、そのまま引金を絞り続けると、撃鉄が勢いよく倒れて撃針を叩き、撃針が薬室内の|薬莢《やっきょう》の尻の雷管を強打して発火させるようになっている。  だが、緊急の場合をのぞくと、ダブル・アクションとして使うと引金が重くなって|狙《ねら》いがそれやすいというデメリットの面が出てくる。  しかし、ザウエル七・六五ミリのコッキング・レヴァーは、撃鉄が露出している鉄のダブル・アクション式をシングル・アクション式として使う場合に親指で撃鉄を起してやるのと同じ働きも持っている。  つまり、コッキング・レヴァーを強く押すと、内蔵されている撃鉄が起きるのだ。  そうやって撃鉄を起して引金を軽くした恵美子は二発目を|射《う》った。初弾の一センチほど上に着弾した。発射のガス圧で、内蔵された撃鉄は自動的に起きている。  八発を慎重に射ってから恵美子は、スカートをまくりあげ、淡い|褐色《かっしょく》の|肌《はだ》が光る左の|太《ふと》|腿《もも》のガーターのあたりに、予備弾倉と消音器を入れる|鞘《さや》もついたホルスターを縛りつけた。  予備弾倉を|銃把《じゅうは》の弾倉室に|叩《たた》きこみ、薬室に|装《そう》|填《てん》した恵美子は、ザウエルに安全装置を掛けてホルスターに収めた。ホルスターの安全止革のスナップ・ボタンを留める。  デスクの横に移動し、腰を落としながら左手でスカートをめくりあげる。右手は左の太腿に向けて、|咬《こう》|打《だ》する蛇の|鎌《かま》|首《くび》のようにのびる。  素早く立上った時、恵美子はすでに二発を放っていた。あとの二秒間に、残りの六発をブッ放す。人体標的の心臓部のあたりが|千《ち》|切《ぎ》れて飛んだ。      五  翌日の夜、小島恵美子は、排気圧利用のタービンで吸入気を圧縮して無理やりにエンジンのシリンダーに押しこむターボ・チャージと燃料噴射装置で百八十馬力にパワー・アップしたコロナGTを走らせていた。  恵美子は黒塗りのトヨタ・センチュリーを尾行していた。そのセンチュリーV8は、特殊法人公害防止公団の総裁|田《た》|村《むら》|武《ぶ》|吉《きち》の専用公用車だ。  センチュリーの後部のシートで、一見して女装と分る若い男と|接《せっ》|吻《ぷん》をくり返している、|頬《ほお》の肉がたるみ髪が白くなった初老の男が田村だ。田村は、田口内閣が退陣してすぐ、公害防止公団に移ってきた渡り鳥天下り官僚で、それまでは日本石油発掘公団の総裁であった。さらにその前は通産省の事務次官だ。  深夜であった。二台の車は首都高速の|初《はつ》|台《だい》ランプを過ぎる。たがいに百二十キロ以上出しているが、五速に入れた恵美子のコロナはその程度のスピードではやっとターボが効きだしたぐらいだ。  三千回転を超えてターボが効きはじめてからは、排気音がかえって静かになったのに、加速は強烈で、ともすればコロナはセンチュリーに接近しすぎそうになる。  恵美子の車は、センチュリーとのあいだに、酔客を乗せたタクシーと酔客とホステスを乗せたハイヤーをはさんでいた。  もしセンチュリーが恵美子のコロナの尾行に気付いて振り切ろうと試みたところで、実測二百二十キロ以上出る上に加速力がケタ外れな恵美子の特殊チューンの車にかないっこないだろう。  それに恵美子のドライヴィング・テクニックはサーキット・レースやラリーの成績で実証済みだし、この車も動力やその伝動系統だけでなく足回りもチューンしてある。  田村の自宅は環八の少し先にある|上《かみ》|高《たか》|井《い》|戸《ど》の御殿のような豪邸だ。だから、田村一人の時は高井戸ランプでセンチュリーは降りる。  しかし、今夜のセンチュリーは、高井戸の手前の|永《えい》|福《ふく》ランプに近づくとスピードをゆるめ、左折のフラッシャーを出した。左側の車線に移る。  恵美子も左の車線にコロナを移した。  永福ランプを降りたセンチュリーは、|甲州街道《こうしゅうかいどう》の二つ目の信号を右折し、永福町の駅のほうに向った。  甲州街道と駅が近くにある水道道路との中間の右側に、新築の五階建てのマンションが建っていた。  マンションの前には、三十台ほど駐車出来るスペースがある。  センチュリーが右折して、そのマンションの玄関に近づくのを横目で見ながら、恵美子はそのままコロナを走らせた。  二百メーターほど行き、露地に車の|尻《しり》を突っこんでターンさせ、マンションの近くに車を戻す。  田村と連れを降ろしたセンチュリーが甲州街道のほうに走り去るところであった。  恵美子は来客用と書かれた駐車ロットの一つにコロナを|駐《と》めた。  田村たちの姿はすでに無く、明るい玄関でたくましい体つきの若いガードマンが|仁《に》|王《おう》立ちになっているのが見えた。腰に|吊《つ》った警棒の革ケースに右手を添えている。  車から降りた恵美子は、インド|更《さら》|紗《さ》のプリント・シャツとデニムのロング・スカート姿であった。黒革のウエスターン・ブーツをはいている。  バーバリーのコートを羽織った恵美子は、足早に歩いてマンションの玄関に近づいた。自動ドアが開く。 「どなたにご用事ですか?」  牛のような目のガードマンは恵美子の顔から胸へと視線を移しながら強い北関東|訛《なま》りで尋ねた。 「いま、田村さんがお着きになったでしょう? 連れの若いかたと」  恵美子はセクシーな笑いを浮かべながら言った。 「田村さん? そんな|奴《やつ》……いや、そんなかたは住んでない」  |踵《かかと》が高いウエスターン・ブーツをはいているために自分と背がほとんど違わぬ恵美子の顔を視線で|舐《な》めまわしながらガードマンは答えた。 「おかしいわね。あのかたと、お部屋で会う約束があるの。あんまりびっくりさせられたので、お部屋番号も急に忘れてしまったわ。ねえ、お願い、助けて」  恵美子はガードマンに流し目をくれた。  若いガードマンが|勃《ぼっ》|起《き》しはじめたのがズボン越しに分った。 「そう簡単にあの人の名前や部屋番号を教えるわけにいかんが……ちょっと|尋《き》きたいことがあるんで、|俺《おれ》……私の事務室まで来てくれんかね?」 「いいわ」  恵美子は答えた。  ズボンの前が突っぱっているので、ガードマンは歩き|辛《づら》そうであった。ホテルの受付けのカウンターのような右奥の部屋のドアを開き、恵美子に先に入れと合図する。  簡易ベッドとロッカー、簡単な炊事コーナー、それに机と|椅《い》|子《す》が二つあるきりの狭い部屋であった。  自分もその部屋に入って、うしろ手でドアを閉じたガードマンは、発情した|牡《お》|牛《うし》のようであった。帽子を机に投げると鼻息も荒く、 「な、キスだけ……キスだけでいっからさ」  と、恵美子の肩を|掴《つか》んで簡易ベッドに押さえこみにかかる。力は強かった。  自分からベッドに腰を降ろした恵美子は、 「待ってよ……その前にお茶でもちょうだい。|喉《のど》がカラカラなのよ」  と、セクシーな声で言った。 「分った。いますぐ入れっからな」  渋々と恵美子の肩から手を放し、垂れかけた|唾《つば》をすすりこんだガードマンは、炊事コーナーのほうに体を向ける。  その途端、恵美子は右脚のブーツの内側の|鞘《さや》に隠してあったブーツ・ナイフを電光のようなスピードで抜いた。  そのブーツ・ナイフは、イノシシの刺殺用にポートランドのガーバー社のチーフ・デザイナーの|馬《マー》がデザインしたガーバー・サーヴァイヴァル・ナイフ・マーク㈼の刃渡りを四インチに短くし、幅も狭めたようなもので、無論両刃だ。  |獲《え》|物《もの》の体に刺しこんで引き抜く時に破壊力が大きくなるように、|鍔《ヒルト》の前の刀身が一インチ半にわたって|縦《たて》|挽《び》きの|鋸《のこぎり》状になっている。  そのブーツ・ナイフの両刃の片側は、カミソリのように研ぎあげてあった。  ナイフを抜きながら素早く立上った恵美子は、自分に背を向けた格好になったガードマンのうしろ髪を左手で|掴《つか》み、右手のナイフを|喉仏《のどぼとけ》に当てた。 「騒ぐと、首と胴とが生き別れになるわよ」  と、|圧《お》し殺した声で言う。 「お、お前は|誰《だれ》だ?」  全身を硬直させたガードマンは|呻《うめ》いた。 「誰でもいいわ。田村の部屋番号は?」 「…………」  声を漏らしたガードマンは腰を落しそうになった。ズボンの前がたちまち|濡《ぬ》れ、|栗《くり》の花の|匂《にお》いがひろがる。恵美子の声や息を首筋に感じて暴発させてしまったのだ。  ガードマンの軽い|痙《けい》|攣《れん》がやむと恵美子は、 「これだけは言っておくわ。わたしは、人を殺すことぐらい平気な女」  と|囁《ささや》く。 「あ、あの人は|平《ひら》|田《た》さんだ。部屋は三〇二号。マスター・キーは|俺《おれ》のベルト・サックのなかだ」 「これから、しばらくのあいだ眠ってもらうわ。目が覚めても、わたしのことは誰にも言うんじゃないのよ。女にやられたなんて、恥ずかしくて誰にも言えないでしょう?」 「分った。プロ・レスラーみたいな大男に殴られたと言う」 「じゃあね」  恵美子は右手のナイフをガードマンの|喉《のど》から放しながら、左手の手刀を|頸動脈《けいどうみゃく》に|叩《たた》きつけた。  崩れ折れるガードマンのコメカミを、先が|尖《とが》った硬いウエスターン・ブーツで鋭く|蹴《け》る。ガードマンは完全に気絶した。  毛布をナイフで裂き、ガードマンに猿グツワを|噛《か》ませた上に手足を縛った恵美子は、スペルマの匂いに顔をしかめながら、薄いラテックス・ゴムの手袋をつけた。  ガードマンのベルトに差されたサックを開く。|手錠《てじょう》、笛、|捕縄《ほじょう》と共に車のキーとマンションの各部屋のマスター・キーらしいものが入っていた。  マスター・キーと覚しい|鍵《かぎ》を持って玄関ロビーに出た恵美子は、そのキーで事務室のドアをロックした。  エレヴェーターで三階に登る。三〇二号室のネーム・プレートは平田となっていた。田村の偽名だろう。  そのドアにキーをそっと差しこんでみる。これがマスター・キーでなかったとしても、恵美子にとってはヘア・ピンでシリンダー錠を解くぐらいのことは簡単な作業だ。      六  その|鍵《かぎ》は確かにマスター・キーであった。軽い金属音をたててシリンダー錠が解けた。  恵美子は、ドアの横に体を寄せてしばらく待った。それから、そっとノブを廻し、ドアを細目に開いてみる。  内側にチェーン・ロックが掛かっていた。恵美子はブーツ・ナイフをドアの|隙《すき》|間《ま》から差しこみ、簡単にチェーン・ロックを外した。  ドアをもっと開き、なかにすべり込む。ナイフはいつでも投げられるように構えている。  その部屋は小さな玄関ホールになっていた。突当りに分厚いアコーデオン・カーテンがある。脱いだ靴が見当らないのは、靴のまま奥の部屋に通るようになっているためであろう。  恵美子はうしろ手にドアを閉じ、アコーデオン・カーテンをそっと開いてみる。そこは居間兼応接室のようになっていて、さらにその奥の一部屋からオカマと田村のよがり声が漏れてくる。  恵美子は|鳥《とり》|肌《はだ》をたてたが、冷たく皮肉な笑いを浮かべると共に鳥肌はおさまった。足音をたてぬように気を配りながら、声が漏れてくる部屋に忍び寄る。  その部屋のドアには|鍵《かぎ》がかかってなかった。コートのポケットのなかのコンパクトだが高性能のテープ・レコーダーの録音スウィッチを入れた恵美子はドアを細目に開く。  天井もベッドと反対側の壁も鏡張りの、ラヴ・ホテルの一室のような部屋であった。光量を落したライトの色は紫だ。  そこでは|肋《ろっ》|骨《こつ》が浮いた|痩《そう》|身《しん》の田村が全裸になり、両手を背中のうしろに縛られて|跪《ひざまず》いていた。  その前に立ったこれも裸の女装の若者——女装といっても今はカツラと化粧とブラジャーだけだが——のものを田村はくわえて舌戯に夢中になっている。  セントラル・ヒーティングだから、ドアを開いても|隙《すき》|間《ま》風が入らぬせいもあって、二人は恵美子に気付かなかった。激しく顔を振りながら声を漏らしていた田村は、やがて若い男から口を放すと、 「ねえ、お願い……十万円あげるから」  と、気味悪い作り声で哀願する。下腹部のものは、まだ垂れさがったままだ。  ブラジャーをつけた若者のものは巨大であった。 「分ったよ、クソ|爺《じじ》い。さあ、ベッドに行け!」  と、薄くなった田村の白髪を|掴《つか》んで立上らせた。うれしそうな悲鳴をあげる田村をベッドに突きとばし、自分のものに、サイド・テーブルに乗っていた|壜《びん》から出したクリーム状のものを塗りはじめる。  背中のうしろで両手を縛られている田村は、|俯《うつ》|向《む》けになって薄汚い|尻《しり》を突きあげ、 「ねえ、早くう」  と、身をくねらせる。 「ガツガツするなったら」  若い男は言い放った。  その時、その男は気配を感じて恵美子のほうを振り向く。|驚愕《きょうがく》に|歪《ゆが》んだ男の顔が残忍な笑いに変った。 「こいつは|面《おも》|白《しれ》えや。おい、|姐《ねえ》ちゃん。この爺いのスケか? 俺だって両刀使いさ。たっぷり可愛がってやる」  と、恵美子に近づく。|反《そ》り返らせたままだ。 「どうしたの?」  と、ドアのほうに顔を向けた田村が、ベッドから転げ落ちた。  恵美子はドアを大きく開いた。ナイフを左手に持ち変える。  若い男は足をとめた。 「刃物なんか振りまわす|柄《がら》じゃねえぜ。どうせ金のためにこの爺いに抱かれてるんだろう。|妬《や》くことねえさ。さあ、刃物を捨てろ。仲よくやろうぜ」  と、恵美子に無造作に近づく。  恵美子が跳んだ。鋭く|蹴《け》りあげた右足のウエスターン・ブーツの靴先が、男の充血した海綿体を|睾《こう》|丸《がん》ごとグシャグシャに|潰《つぶ》した。  悲鳴をあげながら|尻《しり》|餅《もち》をつこうとする、その男の声帯を右の手刀が|叩《たた》き|潰《つぶ》す。  倒れた男は意識が無いまま|痙《けい》|攣《れん》しながら、口と尿道から血を垂らす。潰れた声帯から、呼吸のたびに笛のような音をたてている。  立上った田村が背中のうしろで両手を縛っている絹のロープをほどこうともがきながら、 「だ、|誰《だれ》だ!」  と、恵美子に向けてわめいた。 「尋ねたいことがあってやって来たわけ。尋問に答えないと死刑を執行するわ」  うしろ手でドアを閉じた恵美子は、冷たい|憎《ぞう》|悪《お》に燃える目で醜悪な体の田村を見つめながら言った。  その恵美子を見つめ返す田村の顔に好色な輝きが|甦《よみがえ》り、しなびていたものが徐々に膨張しはじめた。 「ああ、女神よ! ついに待ちのぞんでいた女神がいま目の前にいる。僕ちゃん、|嬉《うれ》しい!」  と、無気味なシナを作る。 「いい加減にしないと、痛い目に会わすわよ」  恵美子は残忍な笑いを浮かべた。 「嬉しい……いじめて! お願い……思いきりいじめてくれたら、何でもしゃべる……ああ、夢のよう」  田村は|喘《あえ》いだ。 「田口内閣が古川の大日本石油発掘とR・B・O——ロイアル・ブリティッシュ・オイルのアラダブ石油利権の買収契約を閣議決定した時に、お前は日本石油発掘公団の総裁をしていた」 「そうよ。それがどうかしたの? ねえ、お願い。洋服ダンスの一番下の|抽《ひき》|出《だ》しに、黒いパンティと|鞭《むち》があるわ。ナチスのSS将校の制帽も何サイズかあるの。その格好で思いきり僕ちゃんを痛めつけて。一生のお願いよ」  現公害防止公団総裁の田村はヨダレを垂らしていた。 「分ったわ。|俯《うつ》|向《む》けになって目を閉じるのよ! 着替え中を|覗《のぞ》いたりしたら、痛いだけでは済まされないと覚悟して」  恵美子は命令した。痛めつける快感に興奮してきている。 「はい、女神さま」  |膝《ひざ》を折った田村は分厚い|絨毯《じゅうたん》に俯向けになり、顔を絨毯に押しつける。  恵美子は大きな洋服ダンスに近づいた。そのタンスの扉の下に|抽《ひき》|出《だ》しが数段ついている。|蹲《うずくま》った恵美子は、一番下の抽出しを開いた。  ホモや緊縛などの写真集と共に、フリルがついたレースの黒パンティやブラジャー、絹ロープ、ローソク、それにナチのSS将校用のブーツと制帽などが数サイズ入っていた。  自分のウエスターン・ブーツを脱いだ恵美子は、ナイフを右のブーツの内側の|鞘《さや》に仕舞い、横目で田村をうかがいながら、左|腿《もも》のガーターの上につけたザウエル|拳銃《けんじゅう》をホルスターごと外し、ベッドの|枕《まくら》の下に突っこんだ。  コートのポケットから出した録音中のテープ・レコーダーをサイド・テーブルに置いてから、ストッキングをのぞいて体につけていたものをすべて脱ぐ。  脱いだパンティは湿っていた。抽出しから出したLサイズの黒いレースのパンティをはこうと片足をあげると、田村が顔を横にして鏡に映る恵美子のポーズを|覗《のぞ》いた。 「約束を破ったわね。もう、やめたわ」  恵美子は足を降ろした。 「お許しを……お願い……」  田村は再び顔を|絨毯《じゅうたん》に押しつけた。  恵美子は前が開くようになっているフリル付きのそのパンティをはいた。  薄いので、|猛《たけ》|々《だけ》しいジャングルが透けて見える。  自分にサイズが合った制帽をかぶり、ナチの黒革のブーツもはく。そいつは、ヒールが思いきり高いものに変えられていた。  柄がついた|鞭《むち》を一本|択《えら》んで鋭く振ってみる。鋭い音をたて空気を切った鞭の革の内側にはピアノ線が入っているようだ。  田村のそばに戻った恵美子は、鞭を田村のシミが浮いた尻に巧みに打ちおろした。鋭い音の割りには痛くないように手加減してだ。 「さあ、立て!」  と、命令する。  両手を背中のうしろで縛られているので、田村はもがきながら体を起した。坐りこんで恵美子を仰ぎ見る。|恍《こう》|惚《こつ》とした表情だ。膨張したものは、田村の年齢としては限度一杯の水平位置まで起きている。 「石油発掘公団が古川の大日本石油発掘に貸した三千五百億の金利は年にわずか〇・六パーセント、日本貿易銀行の四千億がこれまた〇・五パーセント……それに五年間|据《すえ》|置《お》きで十五年返還とタダ同然……ほかの企業には、石油発掘公団は年利何パーセントで貸しているのよ?」  両足を軽く開き、誇らしげに|剥《む》きだしの乳房を突きあげた恵美子は、|鞭《むち》をもてあそびながら尋ねた。 「六・二五パーセントから六・七五パーセント。政府の圧力でナショナル・プロジェクトには五パーセントという場合もあるが……貿易銀行のほうは六から九パーセントの範囲だが実際は七・五から八パーセントが多い」 「大日本石油発掘に対する貸付け利率は、無茶苦茶に安すぎるじゃないの? それに、あそこに貸した金のうちの採掘費分は、石油が出た時には返してもらえても、石油が出なかったら融資の元本をゼロにする出世払いでしょう?」      七 「石油の採掘はリスクが多い。うまく掘り当てるのはバクチのようなものだ。日本の民間企業にはその危険を負担するだけの力が無い。だから公団が低利で融資して企業のリスクを負担してやるのだ。石油発掘公団には、昭和六十年までに石油の自給率を三十パーセントまで引きあげる義務がある。残念ながら力およばず、まだ十パーセントにまでしか引きあげることが出来てないが」  男言葉になっている田村は言った。張り切っていたものが少ししぼみかける。 「そんなお題目を|尋《き》きにここにやってきたんじゃない!」  恵美子は|鞭《むち》で田村の右肩を引っぱたいた。再び張りきってきた田村は、 「もっと……もっと……」  と、せがむ。 「本当のことをしゃべったら、いくらでも楽しませてやる。石油発掘公団がこれまでに企業に融資した約七千億のうちの半分ほどを大日本石油発掘に|注《つ》ぎこんでやった真意を|尋《き》いてるのよ。それに資本金まで出してやっている。  それは、これまで公団が金を貸してやった企業の九十パーセントが休眠中で何もしないで金を食い|潰《つぶ》しているのは事実でしょうが、大日本石油発掘に対する融資額は異常すぎるわよ」  恵美子は田村の左肩を引っぱたいた。  快感の|唸《うな》りをあげた田村は、 「お願い……もっと下も打って……いや、その前に|一《ひと》|口《くち》だけでも御聖水を……」  と、恵美子の下腹に向けて舌を突きだしながらにじり寄る。 「増長するんじゃないわよ!」  恵美子の|鞭《むち》が田村の左顔面で音をたてた。 「顔の上に乗って! パンティの前を開いて……」  仰向けに転がった田村は、ますます調子づいた。 「|嫌《いや》よ!」 「じゃあ、顔を踏んづけて……」 「質問に答えるのよ」  恵美子は今度は手加減せずに田村の顔を鞭で殴りつける。鞭が顔にくいこむと鞭を引く。  田村の|頬《ほお》が深く切れ、血が飛び散った。自分の血を|舐《な》めた田村は、ますます|恍《こう》|惚《こつ》となり、 「いいわ……もっと……」  と、宙に腰を突きあげる。  田村のようなマゾヒストには、一度セックスを爆発させてやらないと、何を|尋《き》いてもしょうがない。  だから恵美子は、ブーツの高いヒールで田村の顔を踏みにじりながら、田村の腹を鞭打った。張りきっているものも鞭打つ。  その途端、悲鳴とも聞える大声をあげた田村は、年に似合わず大量に噴出させた。目を閉じ、体を震わせて余韻を楽しんでいる。  その間に恵美子は、この部屋に侵入した時の姿に戻った。|拳銃《けんじゅう》も|腿《もも》につける。レコーダーのテープは一面が九十分間録音出来るやつだから、まだ裏返さないで済む。  やがて陶酔から|醒《さ》めた田村に痛覚が|甦《よみがえ》ったらしく、苦し気に顔をしかめると、 「まだいたのか? |俺《おれ》の上着の内ポケットに二十万入っている。その金を持って、とっとと出ていけ! そうだ、出ていく前に俺のロープを解くことを忘れるな」  と、恵美子を|怒《ど》|鳴《な》りつける。公団で部下に用事を言いつける時も、このような態度なのであろう。 「ふざけるんじゃないよ!」  恵美子は|狙《ねら》いすまして、今はすぼんだ田村の男根を|鞭《むち》で強打した。皮がはがれ、血が噴出する。  |怪猫《かいびょう》のような悲鳴をあげながら田村は|苦《く》|悶《もん》した。小便が漏れ、それが傷にしみて、さらに痛がる。 「なぶり殺しにしてやる」  ナイフを抜いた恵美子は|獲《え》|物《もの》の|皮《かわ》|剥《は》ぎや解体用に合わせて、カミソリのようにはツルツルになってないほうの刃を、田村の左の小指の第二関節の軟骨に|叩《たた》きつけた。  指が|千《ち》|切《ぎ》れて飛んだ。恵美子のブーツ・ナイフは、ガーバー・サーヴァイヴァル・マーク㈼と同じように、硬度よりねばりを重視してL六アロイの工具用特殊鋼を鍛造した材質を使っているから、コンクリートの壁に投げつけても折れることがない。それに硬度は低いといってもロックウエルで五十八度あるから、多くのゾーリンゲンのナイフよりはずっと硬い。  恵美子はロープも切った。|痺《しび》れかけていた右手を体の前に持っていった田村は、小指が切断されたのを見て、心臓が|喉《のど》からせりあがってきそうな表情になった。 「今度は、薄汚いペニスを|叩《たた》き切る」  恵美子は血に飢えた者のような表情と声で言った。 「やめてくれ! しゃべる、何でもしゃべる。まず、何をしゃべったらいいんだ?」  田村は|喘《あえ》いだ。 「あんたが石油発掘公団の総裁だった時、どうして|古《ふる》|川《かわ》の大日本石油発掘にあんな無茶苦茶な融資をしたのよ?」 「|俺《おれ》に……石油発掘公団の総裁だった私に話を持ってきたのは、当時は通産省の次官だった|双《ふた》|葉《ば》と大蔵省の次官だった|三《みつ》|谷《たに》だ。二人とも首相だった田口の子分で、今は双葉は核エネルギー開発公団の総裁、三谷は代議士になっている。  私はアラダブ石油の利権料十五億ドルは高すぎると反対したんだ。それに〇・六パーセントの金利は何とも安すぎると……。  だけど、双葉と三谷は、古川の海外石油発掘が大日本石油発掘を設立してアラダブ石油を日本に持ってくることは、田口内閣の至上命令だと言った。私は田口内閣の|中《なか》|野《の》|原《はら》通産大臣に呼びつけられた。大日本石油発掘に貸しつける〇・六パーセントの金利と、ほかの石油開発会社に貸しつける六、七パーセントの利子との差額は、政府が石油公団に利子補助するから心配ないと……そして、確かに閣議決定事項で利子補助は公団に入ってきた」  田村は言った。 「それで、あんたの|手《て》|許《もと》には、いくら入ったのよ?」 「俺には……私には一文も……」 「そう?」  恵美子は田村の|内《うち》|股《また》も|鞭《むち》で強打した。絶叫をあげて逃れようとする田村の|尻《しり》を|蹴《け》とばす。  突んのめった田村の体をさらに蹴って|肋《ろっ》|骨《こつ》を数本へし折った恵美子は、田村を仰向けにさせて男根にナイフを当てた。 「本物のオカマにしてやる」  と、歯の|隙《すき》|間《ま》から声を押し出す。 「やめてくれ! しゃべる。たった二十億円だ! 俺が大日本石油発掘の設立顧問の一人になることを承知した翌日、ダンボール箱十個が届けられた。開けてみると、二十億の札束が入ってた」  |脱《だっ》|糞《ぷん》しながら田村はわめいた。 「二十億を持ってきたのは?」 「名前は知らん。その男は、政財界の有志の者の使いだと言った。素直に収めてもらわないことには私の将来は無い、と言われた」 「でも、|誰《だれ》がそのワイロを贈ってくれたかぐらいは見当がつくでしょう?」 「その翌日、双葉次官と会ったら、“先輩の家は古くなってきたから、もっと広いところに新築したら?”と言われた。中野原通産相や古川からも、同じようなことを言われた」 「その二十億はいまどこに?」 「五億は新しい家のために使った」 「残りは?」 「…………」 「死にたいのね?」  恵美子はナイフを田村の男根にくいこませた。 「しゃべる。国債に変えた。利子でまた国債を買い増ししたから、今は十八億ぐらいに増えている!」 「国債は無記名だわね。でも、買う時にあんたが自分の名を出すと、証券会社に証拠が残って政権が変った時に脱税や収賄でやられる可能性がある。高級官僚だったあんたが、そこのところを計算に入れない|筈《はず》がない」 「参った。国債は、色々な証券会社の店頭で、偽名を使って買った。住所も架空だ。マル優扱いでないかぎり、利子の税金は天引きされるから、税務署に調べられることは無い」 「国債はいま、どこに?」 「自宅の金庫だ」 「その国債の記号番号の控えは?」 「面倒臭いから同じ金庫に入れてある」 「金庫のダイアル番号は? 金庫の|鍵《かぎ》は? しゃべらなかったら金庫を爆破する」  恵美子は冷酷な笑いを浮かべた。  さらに痛めつけると田村は吐いた。恵美子は、 「その国債の盗難届けを出したら、あんたはかえって困った立場になることぐらい分ってるでしょう? ところで、日本貿易銀行の総裁だった|石《いし》|黒《ぐろ》の|懐《ふところ》にはどれぐらい入ったの?」  と、尋ねた。 「知らん、本当だ。だけど、|俺《おれ》と同じぐらいと見るのが妥当だろう」 「双葉と三谷は?」 「知るわけがない……本当だ……田口元首相の|懐《ふところ》には一千億、中野原先輩の懐には三百億入ったと言う|噂《うわさ》があるが、あくまでも噂で、たかが公団の総裁の俺が本当のことを知るわけがない」  田村は|呻《うめ》いた。  恵美子は田村の頭を鋭く|蹴《け》って気絶させた。  恵美子が執行人の一人として|傭《やと》われているスプロの秘密連絡所——そこは|深《じん》|大《だい》|寺《じ》とはちがう場所にある——に電話を掛ける。  一時間半後、秘密連絡員から電話が入った。スプロの下級職員が|高《たか》|井《い》|戸《ど》の田村の自宅に忍びこんで金庫を開き、十八億を超す国債とその記号番号の控え、それに大日本石油発掘とは別の会社からのワイロで買ったらしい十億近くの割債や社債などの無記名債券と番号控えを奪ったことを伝える。  無記名債券である国債や割債などの記号番号控えも奪ってしまえば、田村は盗難届けを出したところでどうしようもない。証券会社に通報される債券番号が分らないのでは……。  それに、現実問題としては盗難に会う債券は日本中ではおびただしい量になるので、月に一度証券会社に廻ってくる盗難告示の分厚いファイルによって客が持ちこんだ債券が盗難品と分ったところで、その客に廻ってくるまでに債券は転々としていることが多いから、“善意の第三者”であるその客を捕えることは無理だ。  だから、スプロが記号番号控えまで奪ったのは、あくまでも用心のためであった。  スプロが奪った無記名債券は、さらに安全を期して分散し、全国各地の証券会社で現金に換えることが出来る。  しかし、証券会社と売買契約を交してから、実際に現ナマを手にすることが出来るまでには四日待たねばならぬ。客と証券会社が深い付合いをしている場合でも三日待たされる。形式として、その間に事故債券であるのかないのかを証券会社が調べることになっているからだ。  だからスプロは明日、奪った無記名債券を、|兜町《かぶとちょう》に無数にある金融会社に持ちこんで、債券を担保に借りる形で、現ナマをその場で受取るわけだ。利息は取られるが、客は身分をあかす必要はない。架空の名前と住所でいい。  無論、スプロは担保にした債券を流してしまう。そして、そうやって換金した金のうちの五パーセントが恵美子の|稼《かせ》ぎとなるわけだ。      八  田村とオカマの男役とガードマンが半日ほど気絶から覚めないようにし、恵美子は車に戻った。無論テープ・レコーダーは録音スウィッチを切ってコートのポケットに仕舞っている。  特殊チューンのコロナGTを駆った恵美子が次に着いたのは、|目《め》|黒《ぐろ》の|柿《かき》の|木《き》|坂《ざか》の高級住宅街のうちでも一段と目立つ豪邸の裏通りであった。  その家は、田口内閣時代に日本貿易銀行の総裁をしていて、今は特殊法人海底資源調査事業団の総裁をやっている|石黒勝《いしぐろまさる》のものだ。石黒は大蔵省出身だ。  屋敷の裏塀に車を寄せて|駐《と》めた恵美子は、車の助手席のシートをはぐった下にある隠しポケットから、牛乳|壜《びん》のような形の革袋に砂と鉛の|芯《しん》をつめた殴打用の凶器ブラック・ジャックを取出した。  ブラック・ジャックには、手首に|捲《ま》きつける|革《かわ》|紐《ひも》がついている。車の屋根に登った恵美子は、身軽に塀を跳び越えた。  空中を二回転して裏庭に着地したので、大きな音はたたなかった。  石黒の屋敷に住んでいる者についてはスプロがすでに調べあげてあった。だから、恵美子が女中と家政婦と住込みの私設秘書をブラック・ジャックで|昏《こん》|睡《すい》させて、二階にある石黒夫婦の寝室の前に立つまでには、台所のドアから侵入してから五分もたってなかった。  ヘア・ピンで寝室のロックを解いた恵美子は、ドアをそっと開く。  一昨年先妻をガンで失った石黒は、昨年再婚した若い妻と抱きあって眠っていた。  大柄で|小《こ》|肥《ぶと》りの石黒はセックスについてはノーマルであった。  恵美子が石黒や、石黒の目の前で小柄な妻の|純子《じゅんこ》をブラック・ジャックやナイフで痛めつけると、油紙に火がついたようにしゃべりまくる。  石黒が吐いた内容は田村のに似ていた。夜明け近く、テープ・レコーダーの録音スウィッチを切った恵美子は、石黒夫妻を|昏《こん》|倒《とう》させ、寝室の壁の大きな絵の裏に隠されていた金庫を開いた。  獲物は、二十五億円ぐらいの株券と無記名債券、それに二千万の現ナマと、二カラットから五カラット級のダイアの指環七個であった。株券は銀行株や電力株やガス株のように値が割りに安定しているものばかりであったから、金融会社にスプロの下級職員が偽名で持ちこめば時価の六掛けぐらいで換金出来る。株券の裏書きは株主総会や配当を受取る時だけ必要だが、売買には必要ない。  それに、石黒の無記名債券は、ほとんどが割引債券であった。割債を担保にすると、兜町の金融会社が額面の九掛けぐらいを貸してくれる……。  翌日の夜は曇り空であった。黒|装束《しょうぞく》の恵美子は、世田谷|田園調布《でんえんちょうふ》の高級住宅街にある、元大蔵省次官で今は衆議院議員をやっている三谷の屋敷の塀の上に音もなく登ろうとした。  その途端、広い庭のところどころから放たれる殺気を肌に感じる。  恵美子はエンジンを切って惰力で転がして塀に寄せてあったコロナの屋根の上でそっと体をかがめる。  塀の|天《てっ》|辺《ぺん》に目を寄せて、じっくりと庭を見まわす。  その位置からは、裏庭と左右の庭の一部しか見えない。  月は完全に雲にさえぎられている。しかし、もともと視力がいい上に訓練によって|豹《ひょう》のように夜目が効く恵美子は、植込みの蔭に|蹲《うずくま》ったり、太い樹木の幹を背に木化けした五人の男を数えることが出来た。  五人とも火器を携帯しているが、深夜の住宅街に銃声を響かせるのを|怖《おそ》れてか、クロス・ボウとかボウ・ガンとか呼ばれる弓鉄砲を持っている。  弓鉄砲の|弦《ストリング》は張られて|弦止め鈎《ストリング・ストッパー》に引っかけられ、矢は|溝《レール》につがえられている。安全装置を兼ねた照門は起されて、引金を絞ればすぐに発射出来るようになっている。  体を沈めた恵美子は|太《ふと》|腿《もも》のホルスターからザウエル七・六五ミリの|拳銃《けんじゅう》を抜いた。夜間射撃用に照星には蛍光塗料のイリジウムを塗った照星カヴァーがかぶせられている。薬室に一発、弾倉に八発|装《そう》|填《てん》されている。  恵美子はホルスターの|鞘《さや》の一つから、大きな消音器を取出した。静かにそろそろと銃身の先端部に|捩《ね》じこんでいく。  銃身に|嵌《は》めこんだ消音器の上端の高さは照星カヴァーの高さよりわずかに低かった。そうでないと、正確な|狙《ねら》いはつけられない。  コッキング・レヴァーを強く押して内蔵されていた拳銃を起した恵美子は、そろそろと体を起した。  両手で握った拳銃を突きだす。  一番近くの男の|眉《み》|間《けん》を狙って|射《う》った。消音器でエネルギーを弱められるから、即死させるにはよほどの急所を狙わねばならない。  音のエネルギーの大部分を消音器で熱エネルギーに変えられて、銃声は小さかった。だからと言っても映画やTVのようにはいかず、普通のヴォリュームにしたTV映画の消音器なしの拳銃の銃声ぐらいには響く。  狙われた男は、右目にくらって倒れた。クロス・ボウから暴発された矢の猟用の|矢《や》|尻《じり》が塀の大谷石にくいこむ。  ほかの男たちが、あわてて銃声のほうにクロス・ボウの狙いをつけようとした。  恵美子は速射した。あとの八発を二秒で射ち尽した。銃身固定式のザウエルなので消音器に食われたエネルギーのせいで回転不良を起すようなことはない。  ホルスターの別の|鞘《さや》から抜いた予備弾倉と|空《から》になった|銃把《じゅうは》の弾倉を替えながら、恵美子はあとの四人の男たちが|眉《み》|間《けん》や頭部に二発ずつくらって|痙《けい》|攣《れん》しているのを見た。  塀を乗り越えて裏庭に跳び降りた恵美子はゴム底のスニーカーをはいていた。色は無論、黒だ。  恵美子が黒いスカートの内側の隠しポケットから革の弾薬サックを出し、三十二口径実包を空になった弾倉に素早く詰め終えた時、 「どうした、何かあったのか?」  と、叫びながら、二人の男が前庭のほうから駆けてきた。  恵美子は二人に二発ずつくらわせた。最初の男がまだ死にきってないのを見て、|眉《み》|間《けん》にトドメを射ちこむ。  十分後、恵美子は横庭や前庭にいた八人のうち七人の男をザウエルで片付けた。  ただ一人残した男を背後から襲い、|喉《のど》にブーツ・ナイフを突きつけて、 「家のなかには三谷のほかに|誰《だれ》がいる?」  と、|圧《お》し殺した声で尋ねた。 「お、奥さんだけだ……使用人は、みんな休みを取らせた」 「あんたたちは?」 「|山《やま》|野《の》|組《ぐみ》東京支部の者だ……死にたくない……助けてくれ……」  男は|呻《うめ》いた。 「家のなかに山野組は?」 「いねえ……本当だ」 「三谷に|傭《やと》われたの?」 「支部長の命令にしたがっただけだ」 「立ちなさい。家のなかにわたしを案内するのよ。大声をあげたりおかしな|真《ま》|似《ね》をする前に、ナイフと|拳銃《けんじゅう》があんたの心臓を狙っていることを思いだすことね」  恵美子は冷たく言った。  もがきながら立上った男の背に拳銃を突きつけて歩かせる。庭ではよく聞えた消音器を通した銃声は、広い道路をへだてた隣家には聞えなかったらしく、外で騒ぎは起ってない。      九  二階にある三谷夫妻の寝室の前で、案内した山野組の男は|延《えん》|髄《ずい》を恵美子のナイフで|抉《えぐ》られて即死した。  崩れ折れるその男を恵美子は支えた。音がしないように寝かせる。  ドアのロックをヘア・ピンで解いた恵美子は、ナイフをくわえ、ドアを細目に開く。  三谷の妻であり、典型的な日本調美人であるために芸能雑誌のグラビアにもたびたび載ったことがある|千《ち》|津《づ》|子《こ》が、素っ裸にされ、両脚をV字型に開かされて、天井に固定されたウィンチから逆さ|吊《づ》りにされている。  三十五、六の千津子は肉にたるみを見せていた。両手は背中のうしろで縛られている。カツラでなく本物の日本髪が乱れていた。  その千津子の薄いジャングルに囲まれたクレヴァスに太いローソクが差しこまれて炎をあげている。  熱い|蝋《ろう》が花弁に垂れるごとに、千津子は何とも形容しがたい快楽の声を漏らす。  千津子と向いあった大きなダブル・ベッドの上で、いつもは|精《せい》|悍《かん》な表情であろう五十代の男が、左手で水割りのグラスを口に運びながら、残忍な表情で右手で自分のものを|愛《あい》|撫《ぶ》していた。田口に可愛がられ、若くして官僚の最高ランクである大蔵省事務次官に|抜《ばっ》|擢《てき》され、その後、金と千津子の|媚《こ》びで代議士の|椅《い》|子《す》を買ったも同然と言われている三谷だ。  恵美子に気付いた三谷は|罵《ば》|声《せい》をあげ、グラスを落とすと、電話が乗ったテーブルに走ろうとした。 「動くと|射《う》つ!」  口にくわえていたナイフをベルトに差しこんでいた恵美子は、三谷の|足《あし》|許《もと》に消音器付きのザウエルから一発射ちこんだ。 「…………!」  悲鳴をあげた三谷は|尻《しり》|餅《もち》をついた。|反《そ》りきっていたものが見る見るしぼんでいく。  目を開いた逆さ|吊《づ》りの千津子が、白目を|剥《む》いてあっけなく気絶した。 「だ、|誰《だれ》だ! そうか、田村たちを襲った女だな?」  三谷はわめいた。 「わめかなくても聞えるわよ。もっとも、この部屋の様子からして、S・Mプレイが遠慮なく楽しめるように防音装置が完備しているようだから、いくらわめいても誰も駆けつけてこないようね」  恵美子は冷たく笑った。 「畜生……どうやって、ここに……?」 「庭で警備していた山野組はみんなくたばったわ」 「…………!」  また悲鳴をあげた三谷は|這《は》って逃げようとした。  恵美子はまた射った。  毛むくじゃらな右の|太《ふと》|腿《もも》の内側の肉を数十グラム吹っ飛ばされた三谷は転げまわって苦しんだ。心臓がとまりそうな表情だ。 「やめてくれ! 暴力はいかん……法に反する……もっと理性的になってくれ……」  と、わめく。 「なに言ってるのよ。今は庭で転がっている暴力団山野組を呼んだのは誰なのよ?」 「|俺《おれ》じゃない! 田口先生が手配してくれたんだ!」 「じゃあ、田口もびくついているわけね。田口と山野組の関係は?」 「かつては先生の私兵だった。先生が政権を握っている時は、今の|福《ふく》|本《もと》首相の私兵の|関《かん》|東《とう》|会《かい》と手を組んで山野組を|袖《そで》にしてたが、今はまた山野組と仲直りしている」 「庭の連中の交代時間は?」 「…………」 「分らない男ね」  恵美子はまた射った。  今度は左|腿《もも》を七・六五ミリ弾に貫通された三谷は、|軟《なん》|糞《ぷん》を噴出させながらのたうち、 「朝の六時だ!」  と、答えた。  その間に、気絶している千津子のクレヴァスに差しこまれている、火がついたローソクは少しずつ短くなっていた。 「それが|嘘《うそ》なら、あんたは死ぬ——」  恵美子は|銃把《じゅうは》の弾倉室から抜いた弾倉に|実《じっ》|包《ぽう》を補弾しながら言い、 「わたしがここに何をしに来たか分るでしょう? 古川の大日本石油発掘に、あんたたちはどうしてあんなに肩入れしたのか答えるのよ。言っておくけど、ナショナル・プロジェクトだとかエネルギー対策だとか|綺《き》|麗《れい》ごとを並べるたびに、あんたは痛い目に会うのよ。今度は、耳を吹っ飛ばしてやる」  と、冷酷な笑いを浮かべる。ポケットのテープ・レコーダーの録音スウィッチを入れる。 「い、異常な状況下でなされた証言は法的効力を持たん」 「うるさいわね。法律の解釈を拝聴しに来たのではないのよ」 「だ、だから、ここで俺が……いや私が……何と答弁しようと、法的責任をとらされることは無いと……かように存じ……ともかく、しゃべる! 古川は確かにペテン師だ。だけど、田口先生は派閥を維持したり、二期目の保守党総裁選を勝ち抜いたり、土地転がしの回転資金をひねり出すために|莫《ばく》|大《だい》な金が要った。当時の中野原通産相も、色んな事情で金はいくらでも欲しかった。  だから、二人の先生は古川と取引きした。大日本石油発掘に国の金をトンネルさせておいてから吸い上げることにした」 「大日本石油発掘から吸いあげた国民の金はどれぐらいになるのよ? 大日本石油発掘がロイアル・ブリティッシュ・オイルに払ったアラダブ石油の利権料は十五億ドル、当時のレートで四千五百億と言われているけど、実際は十億ドル、つまり三千億だということを認めるわね? その差額の一千五百億があんたたちの|懐《ふところ》に吸い取られたってわけね?」 「|俺《おれ》がもらったのは、ほんの一部だ」 「その話はあとでゆっくり|尋《き》くわよ」 「R・B・O——ロイアル・ブリティッシュ・オイル——と大日本石油発掘とのあいだのアラダブ鉱区買収契約書は二通交された。表向きの十五億ドルのやつと、実際の売買値の十億ドルのやつが……R・B・Oは、十億ドルのほうの実際の契約書は絶対に公表せず、もしその契約書がいかなる方法にしろ公表された場合には、五億ドルの違約金を大日本石油発掘に払うという誓約書を出した。あのボロ鉱区が十億ドルで売れただけでもR・B・Oにはボロ|儲《もう》けだから……痛い……しゃべり終ったら救急車を呼んでくれ……頼む」 「正直にしゃべったらね。アラダブ石油の話を持ってきた利権ブローカーの松木は、手数料がへるのに文句を言わなかったの?」 「それは言った。しかし、あの|頃《ころ》の田口先生は無敵だった。検察庁だって|顎《あご》で使っていた。だから田口先生は松木の弱味を握っていたから、簡単に黙らすことが出来た」 「契約に立ち会ったのは? 表向きでないほうの契約のほうよ」 「田口先生の第一秘書と中野原先生の第一秘書、それに俺と当時の通産次官の双葉、それに財界の大御所になっていた東関銀行の高丘さんだ」  苦痛に涙をこぼしながら三谷は答えた。田口と中野原の当時の第一秘書の名もしゃべる。 「大日本石油発掘は、その後、アラダブ石油鉱区で開発費や人件費など一般投資金を二千億使ったと言っているわ。でも、実際には五百億にもならない。その差額は?」 「知らん……本当だ。俺は大日本石油発掘がアラダブで活動しはじめてから、大蔵省を離れて代議士となるための事前運動に入ったから」 「それでは、さっきの質問に戻るわ。大日本石油発掘の件で、あんたの|懐《ふところ》に入った金額は?」 「ほんのわずかだ……みんな選挙費用に消えてしまった」  苦痛を乗り越えて三谷の目に|狡《こう》|猾《かつ》な色が浮かんだ。三谷はそれを隠そうと目を閉じる。  そのとき、千津子が|怪猫《かいびょう》のような悲鳴をあげながら意識を取戻した。  燃えて短くなったローソクは、今は|蜜《みつ》|壺《つぼ》のなかで煮えたぎりながら肉を焦がしているのだ。 「奥さんより金が大事というわけね? 選挙の応援に散々こき使ったくせに……それにあんたが選挙の事前運動をしてた二年前、毎月のように億という金が田口から届けられたそうじゃないの」  千津子の悲鳴に負けぬ大声で恵美子は言った。 「しゃべる! 火を消してやってくれ。百億だ、古川社長の秘書たちが届けてきたのは!」  三谷はわめいた。  恵美子は一発射った。千津子の|股《また》のあいだをかすめた銃弾が起す爆風でローソクの火は消えた。千津子は再び気絶した。 「その百億は、いまどこに?」 「この家を買ったり、選挙民の買収費に使ったり……今はみんな消えてしまった」 「なるほどね? そこまでとぼけるんなら、今度はあんたを逆さ|吊《づ》りにしてやる。ローソクも要るわね。サドのあんたがマゾの扱いを受けるのも面白いわね」  恵美子は声をたてて笑った。  三十分ほどのち、三谷を地下の金庫室に引きずり降ろした恵美子は、三谷の髪を|掴《つか》んで無理やり立たせ、金庫室のダイアル・ロックを解かせた。  四畳半ぐらいの金庫室のなかの幾つものロッカーには、百五十億近い無記名債券と時価三十億ぐらいの宝石、それに現金三億が入っていた。大日本石油発掘以外でも|荒《あら》|稼《かせ》ぎしたらしい。  三谷の|尾《び》|てい[#「てい」は「骨」+「低のにんべんをとったもの」Unicode="#9AB6"]《てい》|骨《こつ》を鋭く|蹴《け》って気絶させ、恵美子は金庫室にあった幾つかのボストン・バッグに|獲《え》|物《もの》を詰めはじめる。  無記名債券は一枚が一千万円券のものがほとんどであったから、現ナマよりずっと|嵩《かさ》ばらない。  三時間後、恵美子は待伏せている八人の山野組戦闘員を皆殺しにして、品川|高《たか》|輪《なわ》の屋敷にいる、元通産次官の|双《ふた》|葉《ば》を襲った。  今は核エネルギー開発公団の総裁に|天《あま》|下《くだ》っている双葉は、老妻と寝室を別にしていた。  老妻をブラック・ジャックで殴りつけて気絶させてから双葉の寝室に侵入した恵美子は、縛りあげた双葉をライターの炎で|炙《あぶ》って口を割らせた。  双葉がしゃべった内容は三谷のものと似ていた。  しかし、双葉は大日本石油発掘に関して五十億しかもらってない、と誓う。男根をナイフで一寸刻みにしても供述を変えないところを見ると本当のようだ。  恵美子は、双葉の寝室の金庫にあった七十億相当の無記名債券を|頂戴《ちょうだい》して去った。     一〇  海外石油発掘株式会社並びに大日本石油発掘株式会社の社長である古川常平の屋敷は、世田谷の|玉《たま》|川《がわ》|野《の》|毛《げ》町の|等《と》|々《ど》|力《ろき》|渓《けい》|谷《こく》に沿った広大なものであった。  流れはいささかドブ臭く、洗剤の泡も目ざわりだが、その等々力渓谷は都内では珍しく自然が残っている。  古川の屋敷の裏庭からは、対岸の不動滝を見おろせ、正門側にはすぐに|大《おお》|塚《つか》|山《やま》|公《こう》|園《えん》が位置している。  つまり、古川の屋敷の敷地は、幅と奥行きがそれぞれ三百メーターほどもある。  渓谷に面した裏庭は|木《もく》|柵《さく》で囲まれていただけであったが、今は突貫工事でジュラルミンの高い塀が張られている。  庭には樹木が多かったが、裏庭の一部は広い芝生の小高い丘となっている。そこに|四《あず》|阿《まや》が建ち、そこから不動滝を眺められるようになっていたのだが、今はジュラルミンの塀にさえぎられているから見えない。そのかわり、対岸の人目からも、古川の裏庭はさえぎられるようになったわけだ。  その夜、古川の屋敷には実に六十人の山野組戦闘員が待伏せていた。四十人が庭に、二十人が鉄筋三階建ての|母《おも》|屋《や》やガレージや住込みの使用人用の別棟にいる。  戦闘員たちはみんなトランシーヴァーで連絡を取りあっていた。腰に|吊《つ》っている|拳銃《けんじゅう》の実包は、実用火器としては一番発射音が小さな二十二口径リム・ファイア・ショートだ。  家族をアメリカに|疎《そ》|開《かい》させた古川常平は、三階の一番奥にある日本間に隠れていた。  三方は窓が無い分厚いコンクリート壁で囲まれ、ドアは鋼鉄製の密室であった。ただし、エア・コンのダクトが通じているから、酸素不足になるようなことはない。  部屋の一番隅には絹の分厚いフトンが敷かれ、|枕許《まくらもと》に屋内電話が置かれている。三方の壁は鏡張りだ。  額が|禿《は》げあがった古川は、今は薄化粧し、昔の小姓の|髷《まげ》に似せたカツラをつけていた。華麗な紋付きハカマ姿で正座している。左右に日本刀と|脇《わき》|差《ざ》しが置かれていた。  その前に数十枚の|錦絵《にしきえ》が並べられていた。戦国の武将が切腹して開いた傷口からハラワタを|掴《つか》みだして敵に投げている絵や、|森《もり》|蘭《らん》|丸《まる》の切腹姿、|会《あい》|津《づ》|白虎隊《びゃっこたい》の少年たちが向かいあって腹を切っている絵などもある。|三《み》|島《しま》|由《ゆ》|紀《き》|夫《お》が自作自演の映画“憂国”で切腹シーンを演じているスチール写真もある。  その|頃《ころ》、恵美子は手袋までついたウエット・スーツの背中に小さなアクア・ラングのボンベを背負い、胸にゴム袋の大きなバッグを縛りつけて、等々力渓谷に通じた古川の屋敷からの排水トンネルを|這《は》っていた。水中マスクにはヘッド・ランプが固定されているがまだ点灯してない。  排水は浄化されているから、マウス・ピースを口から離しても悪臭は少なかった。もし恵美子がトンネルにいることを気付かれ、大量の水を放水された場合にはアクア・ラングが役立つ。  浄水装置の最終槽には数センチほどしか水がたまってなかった。腰をかがめて立上った恵美子は、上にかぶさっているマンホールの|蓋《ふた》をそろそろと持ちあげる。  三十キロぐらいの重さであったから恵美子にとっては大した力仕事ではなかった。持ちあげることよりも、その蓋を横にずらしてから音がしないようにそっと置くほうが力が要った。  恵美子は地上に顔を突きだしてみた。そこは裏庭の一部で、まわりが十メーター四方ほどコンクリート張りになっていて、浄化装置の各プロセスの上の|鉄《てつ》|蓋《ぶた》が見える。コンクリート張りのまわりは、通路をのぞいて|灌《かん》|木《ぼく》の茂みになっていた。  そっと浄化槽から這い上った恵美子は、鉄蓋をもと通りにし、近くの灌木の茂みにもぐりこんだ。  そのとき、二十メーターほど離れたところで人声が起り、恵美子は体を硬くする。  それは、軽い雑音を混えたトランシーヴァーを通じた声であった。 「F点、応答しろ。F点、異状ないか?」  と、尋ねる。 「こちらF点。異状なし……どうぞ」  若い男の肉声がトランシーヴァーのマイクに答えた。  そのトランシーヴァーからは、 「了解……G点、G点、どうだ様子は?」  と尋ねる男の声が聞えた。  庭じゅうに散らばっている男たちと指令の男がトランシーヴァーで連絡を取りあっている間も、恵美子はマスクやアクア・ラングやゴム袋などを体から外した。  ウエット・スーツを脱ぐ。下は黒い|長《なが》|袖《そで》のボディ・シャツと黒いタイツ姿であった。体の線がくっきりと見える。  ゴム袋をそっと開いた恵美子は、フォレスト・グリーンのウールの短コートとズボンを身につけ、ネオプレーンのゴム底の黒いスニーカーをはいた。  ゴム袋から出した弾倉帯を腰に|捲《ま》く。それには、シュマイザー短機関銃用の弾倉を十四本差したパウチと、ザウエル|拳銃《けんじゅう》のホルスターがついていた。ホルスターには無論、拳銃が差しこまれていた。  次いで恵美子は、ゴム袋から金属銃床を折畳んだシュマイザーMP三十八の短機関銃を出した。  その短機関銃には、コーラの大缶を二つ重ねたほどもある消音器がついていた。  これほど大きいと消音効果は大きい。恵美子は、ゴム袋から|鞘《さや》に入った銃剣を取出す。  銃剣を抜く。カッティング・エッジをのぞいて反射止めの黒い焼付け塗装がされたその銃剣を、シュマイザーの銃身の下に特別に加工した着剣装置に|嵌《は》めこんだ。  F点にいる男が見える位置に移動し、地面に腰を降ろす。顔に濃い|褐色《かっしょく》のドーランを塗った。無臭のドーランだ。  F点の男は折畳み|椅《い》|子《す》に腰を降ろし、消音器がついた二十二口径ショートのコルト・フロンティア・スカウトの|拳銃《けんじゅう》を|膝《ひざ》の上に置き、こちらに横腹を見せていた。肩からトランシーヴァーを|吊《つ》っている。  しばらくすると、その男はニコチンへの飢えに耐えかね、両の|掌《て》で火口を覆いながらタバコを吸いはじめた。  身を低くした恵美子は、音もなくその男の背後に廻りこみ、首のうしろと頭骨の境の|延《えん》|髄《ずい》をシュマイザーの着剣で|抉《えぐ》って即死させる。  庭にいる四十人の男たちのうちの半分ほどを片付けるのに一時間近くかかった。  そのとき、トランシーヴァーによる次回の交信がはじまった。A点から順番に指令の男は呼びかけていくが、返事が無い男が多い。  男たちにパニックが起った。生残りの男たちは、わめき声をあげながら母屋の玄関に殺到した。 「入れてくれ!」 「殺される!」 「助けてくれ」  と、ドアを乱打する。  ドアには|鍵《かぎ》がかかっていた。  恵美子は玄関の前で押しあいへしあいする男たちに、消音器付きのシュマイザー四弾倉分の銃弾、つまり百二十発以上を浴びせた。シュマイザーの発射機構はブロー・バック式だから銃身につけた消音器の重量で回転不良を起すことはない。  続けざまに被弾して倒れる仲間を見て、|別《べつ》|棟《むね》やガレージから戦闘員が跳び出し、樹木を|楯《たて》にした恵美子と|射《う》ちあうが、彼等の射撃能力は零点に近かった。  しかも、消音器を通じた二十二口径ショートの威力は空気銃並みだから、恵美子は冷静に彼等を片付けていった。  母屋のなかでは、屋内係りの山野組の男たちが、本部と電話連絡をとろうとあがいていた。  しかし、通じない。塀の外の電柱の上で、屋敷から聞えるかすかな連続発射音を聞いたスプロの下級職員が、電話線を切断したからだ。  窓の一つを破って野生の|豹《ひょう》のように母屋に跳びこんだ恵美子は、目につく敵を手当り次第にシュマイザーで掃射する。  その頃、三階の奥の密室では、古川が着物を脱ぎ、越中フンドシ姿で左側の壁の鏡の前に正座していた。  フンドシの|脇《わき》から、青筋だったものがそびえている。古川は、刀身にサラシを|捲《ま》いた脇差しを両手で握り、切っ先をヘソの近くに当て、鏡に映る自分の姿に見とれていた。  音量を低くした屋内電話のベルが、地虫の鳴き声のような音をたてているが、陶酔している切腹マニアの古川には聞えないようだ。分厚い壁や鋼鉄のドアにさえぎられて、消音銃の銃声も聞えない。  よく鍛えられて皮の下に筋肉のふくらみが見える古川の腹は、浅い傷跡だらけであった。  古川は、切っ先をハラワタに深くくいこませたい欲求をこらえながら、表皮を浅く右に切った。鋼鉄のドアのロックが解かれる音にも気付かず、今度は左の|脇《わき》|腹《ばら》からヘソにかけて脇差しの切っ先を引っぱる。  皮が完全に切れ、同時に古川は耐えきれずに噴出させた。エネルギッシュな男だけに、スペルマはハイ・ティーンそこのけの勢いで飛び、鏡に当ってひろがる。  その時、ドアを開けて恵美子が入ってきた。シュマイザーは首から吊っている。気付いた古川は、|狼《ろう》|狽《ばい》しながら、 「無礼者!」  と、わめき、右手を脇差しの|柄《つか》に移す。 「そんなに切腹が好きなのなら、|介錯《かいしゃく》人になって首を|叩《たた》き切ってあげようか?」  |嘲《あざ》|笑《わら》った恵美子は、今は消音器をつけてないザウエルで、慎重に古川の右手首を射ち抜いた。  密室なので銃声は激しかった。脇差しを落した古川は絶叫をあげて転げまわる。  脇差しを足でへし折り、左手で拾った日本刀を抜いた恵美子は、その刀で古川の背中を軽く切り刻みはじめた。 「さあ、答えるのよ。わたしが何でここに来たのか分ってるでしょうからね?」  と、言う。  絶叫をまじえながら古川は、 「アラダブ石油鉱区の利権買収の際の表向きの契約金と本当の契約金との差額一千五百億は、|儂《わし》が六百億、田口が四百億、中野原が二百億取った。あとの三百億は、高丘たち財界首脳と関係官界や関係公団の実力者、それにうちの会社の役員たちのあいだで分けあった!」  と、わめいた。 「アラダブ油田で、実際には使ってないのに使ったことにして浮かした金額は?」  恵美子は古川の|睾《こう》|丸《がん》に日本刀の切っ先を浅くくいこませながら尋ねた。 「やめてくれ!……約千五百億だ……そのうちの五百億は|儂《わし》が取り、あとは田口に三百億と中野原に百五十億やったほかは、保守党の反田口派や反中野原派にまんべんなくバラまいた。儂がやってることが保守党内でも問題になってきたので」 「あんたが稼いだ六百億プラス五百億は、どこに隠してあるのよ?」 「そ、それだけはしゃべるわけにいかん……儂の命と同じぐらいに|可《か》|愛《わい》い金だ」  古川は|呻《うめ》いた。 「どんなに可愛いお金でも、死んだら使い|途《みち》はないのよ。もうすぐヘリコプターが来る。ヘリから|吊《つ》りさげて、|銀《ぎん》|座《ざ》のど真ん中に落してやるわ」  恵美子は古川の|睾《こう》|丸《がん》の袋を短く裂いた。 「しゃべる! 儂は|南多摩《みなみたま》に隠れ家を持っておる! 田口さえ知らん隠れ家だ。そこの地下金庫室に、日本やアメリカがインフレになるほど値上りするスウィス・フランに替えて隠してあるんだ!」  古川は|喘《あえ》いだ。  その古川の|肛《こう》|門《もん》に日本刀を突きつけて屋上に歩かせた。廊下には数個の死体が転がっていて、血で滑りやすい。  屋上で、フンドシ一枚の古川は気絶した。カツラのせいで、倒れても頭は割れなかったようだ。  恵美子は夜空に向けて、ザウエルから三発射つ。銃口から|閃《せん》|光《こう》がほとばしり、銃声が響きわたる。  |多《た》|摩《ま》|川《がわ》上空のほうからポツンとオリーヴ色の点が現われ、爆音と共に見る見る接近してきた。スプロが持っているヘリのうちの一機だ。  ヘリに古川を乗せて南多摩の隠れ家に連れて行き、古川が国民からかすめた金を横取りしたあと、恵美子は古川の処分はスプロに任せる積りだ。  スプロは古川を人質にして、田口たちから|汚《よご》れた金を|嚇《おど》し取ることだろう。  いずれにしろ、恵美子の|懐《ふところ》には|莫《ばく》|大《だい》な手数料が入る。恵美子はポケットから出したクレンジング・クリームでドーランを落しながら、すでに上空まで来たヘリの爆風を避けようと|蹲《うずくま》る。ナイロン・ストッキングで覆面したパイロットに|凄《せい》|艶《えん》な流し目を送る。 [#地から2字上げ]〈第一話 了〉     第二話 法王の隠し金      一  関東地方で続いている狂ったような酷暑は、高原にある|富《ふ》|士《じ》スピードウェイでも変りはなかった。  いや、光線が強いだけに、目まいがしそうな暑さであった。滑り止め舗装からの照り返しが熱気をさらに強めている。  その富士スピードウェイの十七番ピットにビキニ・パンティとノー・ブラのTシャツ姿の|小《こ》|島《じま》|恵《え》|美《み》|子《こ》がいた。サンダルばきだ。  恵美子は、キャンヴァスのデッキ・チェアに腰を降ろし、ダイア・アイスを大量にぶちこんだコーラの大きな紙カップを手にし、二人のドイツ人メカニックがターボ・チャージャーのブースト圧を調整している、|B・M・W《ベー・エム・ヴェー》・M1のスーパー・シルエット・マシーンを眺めていた。  ミッドシップに燃料噴射とターボ・チャージャーで武装した六気筒二十四ヴァルヴ・ダブル・オーヴァーヘッド・カムのエンジンを積み、ウィングやスポイラーが突きだした怪奇な姿のそのマシーンは恵美子のものだ。  F・I・Aすなわち国際自動車連盟の国際スポーツ・ルールでは、|G《グループ》5シルエット・フォーミュラ・マシーンは、四百台以上が生産された量産車を原形としないことには公認されない。  しかし、|JAF《ジ ャ フ》つまり日本自動車連盟の国内競技車輛規則では、一年間に二百五十台以上生産された市販車が母体で、総排気量が五リッター以下であれば、G5——国内ではR㈵——の|スーパー・シルエット《エス・エス》の公認が取れるようになっている。そしてB・M・Wはつい二た月ほど前、二百五十台以上のM1クーペ市販ストリート・ヴァージョンを売ることに成功したのだ。  したがって、そもそも設計のはじめからの目的が、グループ|5《ファイヴ》の公認を受けて、メークス・チャンピオンシップでは無敵のポルシェ九三五ターボの独走を|阻《はば》むことにあったB・M・W・M1G5仕様車は、ヨーロッパに先がけて、日本でスーパー・シルエット改造車として公認されたのだ。  そのG5仕様マシーンとスペア・エンジンの購入と富士のコースに合わせた改造費などに恵美子はすでに四千五百万円以上を使い、高給を払っているメカニック二人には、恵美子がレースに勝つことが出来たら百万円ずつのボーナスを与えることになっている。  海外ではエミー、あるいはエミリアと呼ばれている小島恵美子の長身は明|褐色《かっしょく》に陽焼けしていた。スペインの血が混ったその|美《び》|貌《ぼう》に薄く汗をかいている。光線と感情の影響によって|鳶《とび》|色《いろ》からグリーン、あるいはその逆の色に変化する燃えるような|瞳《ひとみ》は、いまは濃いサン・グラスに隠されて、外からは|覗《のぞ》けない。  あと一週間ほどのちに迫った全日本富士ロング・ディスタンス三百五十マイル・レースを控えて、このレース・コースでは二十数台のマシーンが練習とセッティングに熱中していた。  ピット・ロードとガード・レールをへだてた|直線《ストレート》コース部分を、国内規定ではR㈼クラスと称されるグループ|6《シックス》の二リッター・グランチャン・レーシング・スポーツやR㈵(G5)のスーパー・シルエット・マシーンが、空気抵抗の壁を切裂いてかすめ去っていく。  キューン……ヒューン……と、独特の排気音をたてているのが、ポルシェ九三五ターボやトヨタ・カローラ・ターボ、それにニッサン・ニュー・バイオレット・ターボ等のスーパー・シルエット・マシーン、|轟《ごう》|音《おん》をたてているのが、B・M・Wやマツダ13B型改ロータリーのレーシング・エンジンをマーチやシェヴロン等の純レーシング・シャーシーに積んだ、二座席あるいは単座の二リッター・レーシング・スポーツだ。  グループ6の純レーシング・スポーツには、国内では二リッターの排気量制限があっても、それはレシプロの|D・O・H・C《ダブル・オーヴァーヘッド・カム》を基準にして二リッターと言うのであって、レシプロの|S・O・H・C《シングル・オーヴァーヘッド・カム》では三リッター、ロータリーではレシプロ換算三リッターまでが二リッター・スポーツの扱いを受ける。  マツダの13B型改ロータリーは、六百五十四CCの|二《ツー》ロータリーにロータリー系数である二倍を掛けられても約二・六リッターだ。そいつを燃料噴射でさらにパワー・アップしたやつを積んだサヴァンナRX|7《セヴン》のG5シルエット・フォーミュラ二五二iと同様に、|猛《たけ》|々《だけ》しいまでの排気音をまきちらしている。  全日本富士ロング・ディスタンス耐久レースは、主に|G《グループ》6とG5のマシーンによって争われるが、G6のレーシング・スポーツはシリーズのチャンピオンシップの対象にならない。それでも出場してくるのは、街なかを走っているセダンやクーペを大改造したG5のシルエット車よりもはるかに軽い上にコーナリング性能がすぐれていて勝率が高いためだ。入賞すると当然ながら賞金が入ってくる。  六気筒D・O・H・C二十四ヴァルヴ・K・K・Kツウィン・ターボ・チャージドの三・二リッター・エンジンを切った、ドイツ人メカニックの一人ハンス・シュミットが恵美子に合図をした。  G5スーパー・シルエット・マシーンは、富士の特別規定で耐久レースの場合は五リッターまでの排気量が認められている。ターボの場合は一・四の系数を掛けられるが、M1のG5仕様エンジンは三・二×一・四で約四・五リッターだ。制限内に収まっている。 「レーシング・スーツに着替えてくるわ」  ドイツ語で答えた恵美子は立上り、コーラを飲み干すと、ピット裏の二十フィート級トレーラー・ハウスのほうに向き直った。  酷暑と激しい練習で体力を消耗しているにもかかわらず、身長百六十七センチの恵美子は痩せすぎもせず、バスト九十八、ウエィスト五十八、ヒップ九十四の|完《かん》|璧《ぺき》なプロポーションを保っていた。三十二歳になるが、|小《こ》|皺《じわ》一つ無い。  恵美子がトレーラー・ハウスに近づいた時、そのルーフやボディにつけられた十数個のオレンジ色のランプが点滅し、ブザーが断続して鳴った。そのブザーは、レース車がピット・インしてくる時にピットに鳴りわたる警告音とまぎらわしくない音色にしてある。  恵美子の顔に緊張が走ったが、それは一瞬だけであった。トレーラー・ハウスのスライド式サイド・ドアに手を掛ける。  その時、日本の四輪レース界のプリンスと呼ばれ、マンモス製薬会社の社長の息子である|島《しま》|田《だ》|達《たつ》|也《や》が横から近づき、 「今夜どう? たまには付き合ってよ。オヤジの会社のヘリで東京まで送るからさ」  と、甘ったるい笑顔を恵美子に向ける。  恵美子はその島田に冷たい|蔑《さげす》みの目を走らせてドアを開いた。恵美子に続いて乗りこもうとする島田の鼻先でドアを閉じる。サン・グラスを外してTシャツの丸首に引っかけた。  トレーラー・ハウスの窓にはブラインドとカーテンが降ろされ、外からは内部が|覗《のぞ》きこまれないようになっていた。しかし、ルーフに三つある天窓の一つのブラインドが細目に開かれ、そこから入る光りで薄明るい。車内がひんやりとしているのは、プロパン・ガス利用のクーラーが効いているからだ。  車首側の大きなダブル・ベッドに腰を降ろした小柄な娘がスリップの|裾《すそ》をまくってジーパンをはこうとしていた。色白でぽっちゃりしている。昼寝していたらしく|瞼《まぶた》がはれぼったい。  娘の名前は|小《こ》|宮《みや》ルミという。 「おねえさま、いま呼びに行こうとしてたところなのよ」  ルミは言い、はきかけていたジーパンを脱ぐ。 「起してごめんね」  恵美子は上体を折り、ルミの額に|唇《くちびる》を当てた。トレーラー・ハウスの中央部の居間や車尾側に寄ったダイニング・スペースを通り、車尾のバス・ルームに入る。  トイレや洗面所もついているバス・ルームの左側に、幅一メーター半、奥行き一メーターほどの|納《なん》|戸《ど》がついていた。納戸のドアを開いた恵美子は、電灯のスウィッチを入れてから納戸に入り、ドアを内側から閉じる。  数枚の服がぶらさがっている納戸のなかのダイニング・スペース寄りに、かなり大型の無線自動車電話のセットが置かれてあった。電話機の赤ランプが点滅している。  恵美子が受送器をフックから外すと、赤ランプの点滅はやみ、ブザー音も消えた。 「はい?」  恵美子はそれだけ答えた。  ルミがバス・ルームに入ってきて、歯を磨きはじめた音が漏れてくる。 「ジャジャ馬マシーンに手こずっているようだな、|女豹《パンサリス》君?」  聞き慣れた初老の男の声が受送器から伝わってきた。だが、いつもの余裕がある調子ではなく、いささか緊張した声だ。 「本番までには必ず乗りこなして見せますわ」  恵美子は勝気な表情で答えた。 「せっかく張切っているのに悪いが、今夜の九時に会いたい」  初老の男は言った。国際秘密組織スプロの日本支部長|長《は》|谷《せ》|部《べ》だ。 「お断りします。本番レースが終るまで、仕事の話はいっさいお聞きしたくないの」  恵美子はピシャリと答えた。 「しようがない。今の状態の君では無理だとは思ってたんだが……分った。来週まで待とう。しかし、あんまりカッカとして、レースなんかで命を落さないように気をつけてくれよ」  長谷部は無線電話を切った。  受送器をフックに戻した恵美子は、しばらくのあいだ|虚《こ》|空《くう》を|睨《にら》みつけていた。  スプロ—SPRO—は、スペッシャル・プロフィット・アンド・リヴェンジ・アウトフィッターズの略語で、ロンドンに本拠を持ち、悪どい|荒《あら》|稼《かせ》ぎをやっている連中の上前をはねたり、依頼人に替って、法の手がとどかぬ大物への|復讐《ふくしゅう》を有料で代行したりする。  そして小島恵美子は、今はスプロ日本支部の女エースだ。  恵美子が|納《なん》|戸《ど》から出ると、ルミは洗面台の鏡に向い、長い髪をブラッシングしていた。ブラッシを置いて振り向き、|爪《つま》|先《さき》立って恵美子の首に両腕を|捲《ま》きつけ、 「何かあったの? ルミ、心配だわ」  と、|呟《つぶや》く。 「心配しないで……大学からの電話なの。来週からアメリカ東部の大学を研修で回ることになっていた同僚が、人間ドックで検査を受けたところ、肝臓がひどくやられていることが分ってしまったの。それで、|急遽《きゅうきょ》わたしにお鉢が回ってきたわけ」  恵美子は答えた。恵美子の表向きの顔である私立明和大学教師のほうでも、今は講師から助教授に昇格している。 「いや、|嫌《いや》よ! おねえさまに会えなくなるなんて!」  ルミは身をよじった。 「ちょっとのあいだの辛抱よ。研修期間は二た月だけ……向うから手紙を出すわ……電話もするわ」  恵美子はルミの顔を仰向かせ、唇を合わせた。  舌をからませたルミは恵美子が反射的に|腰《よう》|椎《つい》のあたりを|愛《あい》|撫《ぶ》すると、|喘《あえ》ぎながら|恥《ち》|骨《こつ》を恵美子の|腿《もも》にこすりつけはじめた。  恵美子も感じはじめたが、意志の力でルミから逃れ、 「いまはレースのことしか頭にないの。女にあんな怪物マシーンが振りまわせるもんか、と|嘲《あざ》|笑《わら》っている男たちを本番レースで見返してやりたいの。あなたも、マシーンに振りまわされてばかりいるという|蔭《かげ》|口《ぐち》に飽きあきしたでしょう? あなたも、今日は本腰を入れて練習するのよ……さあ、着替えて」  と、Tシャツを脱ぐ。ビキニ・パンティも脱いだ。  ビキニで覆われていた跡だけが小麦色で、あとは明るい褐色に陽焼けした恵美子の姿は彫像のようだ。乳房は上向きに光っている。  熱で溶けぬコットンのアンダーウェアをつけはじめた恵美子の乳首に吸いつこうとしたルミは、恵美子に、 「あとで……」  と、押しのけられると、|溜《ため》|息《いき》をついてバス・ルームに入る。  体を冷やしているルミのシャワーの音を聞きながら、恵美子は上下つなぎの耐火レーシング・スーツをつけた。  レーシング・シューズをはき、耐火マスクをかぶる。|防《ぼう》|眩《げん》処理をしたヴァイザー付きのヘルメットとドライヴィング・グラヴを手に持つ。  ルミとは、四か月ほど前、スズカ・サーキットのダイアモンド五百キロ耐久レースの練習中に親しくなったのだ。  その時の恵美子のマシーンは、サニーを基本としたボディに、三リッターにボア・アップし、D・O・H・C二十四ヴァルヴとクーゲルフィッシャー燃料噴射装置でフル・チューンしたL二八型六気筒エンジンを無理やり押しこんだシルエット・マシーンであった。  交代のコ・ドライヴァーには、テクニシャンではあるが男を感じさせぬ——事実あとでホモと分った——|秋《あき》|野《の》というドライヴァーを|択《えら》んであったが、本番レースでは、恵美子一人でその極端にトップ・ヘヴィのサニー改を駆り、五百キロを走り抜いた。  そして、ドライヴァーが、急激な大トルク変化をもてあましたり、パワーと高熱にエンジン自体や駆動系が破壊されたりして次々に脱落していくターボ・マシーンを|尻《しり》|目《め》に、総合三位に入賞することが出来たのだ。  しかし恵美子は、ターボ・マシーンの圧倒的な加速とスピードに魅了されたのも事実だ。  そのレースで、ルミのほうはトヨタ十八RG改二リッター二百八十馬力のカローラ・シルエット車を使い、女性のコ・ドライヴァーとコンビを組んだ。  ルミは一時は二リッター・クラスのシルエット・マシーンのなかで四位を占めるほど|果《か》|敢《かん》に闘ったが、腕が悪すぎたコ・ドライヴァーがマシーンをクラッシュさせてしまった。  レースが終り、パーティのあと、失意のルミを恵美子がなぐさめているうちに、二人の体はからみあったのだ。  そのあとルミは、はじめて二人の目が合った時から、レズの直感で、恵美子も同じ世界に生きる女と知り、恋いこがれていたことを告白した……。  トレーラー・ハウスから降りた恵美子はピットを抜けた。二人のドイツ人メカニックはピットのカウンターに腰を降ろしてビールを飲んでいる。  恵美子はピット・レーンに置かれている自分のB・M・W・M1グループ5スーパー・シルエット・マシーンに近づきながらヘルメットをかぶった。  G5仕様のM1は、街なかを走るロード・ヴァージョン自体がもともとG5仕様に改造された時のことを考慮に入れてデザインされているだけあって、|猛《たけ》|々《だけ》しく怪奇な形をしているとはいえ、ほかのG5仕様車ほどではない。  G5のスーパー・シルエット車は、ホイール・ベースの長さを変えたり、エンジンやトランスミッションの配置を変えたり——例えばフロント・エンジンをミッドシップに置いたり、エンジンのうしろにあったトランスミッションを前に置いたり——などの禁止をのぞくと、ほとんど改造が自由とも言える。  エンジンに関しても同一メーカーのものなら他のモデルのものを積んでもいいし、エンジン・ブロックさえ変えなかったら改造自由だ。排気量制限はあるが。  ボディももとの面影さえ残してあれば、全幅は二メーター以内の範囲、全長は二十センチを超えない範囲で大きく改造できる。サスペンションも、もとの型式さえ保持しておけば変更や交換が許される。  そして、スポイラーやエアダム・スカートやウィング等の空力部品も、前面投影面積からはみださないかぎり許される。最低車重は富士のルールでは、M1のようにターボ系数を掛けても排気量四・五リッター以下のものは一〇二五キロあればいいから、ストリート・ヴァージョンより三百キロほど軽量化できる。  ホイールは排気量三リッター以上の車の場合、十六インチ幅まで許されるから、タイアはごく太く、フロントのエアダム・スカートからつながったオーヴァー・フェンダーが|凄《すご》|味《み》を増している。  ビールを飲み干して近づいたメカニックに見守られ、恵美子はコックピットに乗りこんだ。ミッドシップ・エンジンだから、シートのうしろの隔壁をへだてて、背後にインター・クーラー付きK・K・K——キューンル・コップ・アンド・カウッシュ——ツウィン・ターボで武装されたエンジンがある。  フル・ハーネスのシート・ベルトをしめ、ヘルメットのヴァイザーを半ば降ろした恵美子は、レーシング・グラヴをはめ、イグニッション・スウィッチを入れてからスターター・ボタンを押す。  かなり長いあいだスターターが回ってから、|轟《ごう》|然《ぜん》とエンジンが掛かった。恵美子はレーシング・スーツの|胸《むな》|許《もと》のヴェルクロ・ファスナーを開き、外気導入のフレキシブル・ホースを|懐《ふところ》に入れる。  コックピットは|天火《オーヴン》のなかにいるように暑かった。走りだせば、フレキシブル・ホースを通って吹きつける外気が、いくらかは体を冷やしてくれる。  背後のエンジンのターボ、すなわち排気圧を利用してタービンを回し、シリンダーに無理やり混合気を押しこむ過給器の最高ブースト圧は、今は一・二kg/平方cm[#「平方cm」は底本では「cmの2乗」]に落してあるから最大出力は八千二百回転で八百馬力ぐらいであろうが、ブースト圧が一・四の時には八千五百回転で八百五十馬力を超えていたのだ。  恵美子はターボが効きはじめる六千回転以上はエンジンを回さないようにし、ピット・インしている車とメカたちで混雑しているピット・レーンの|脇《わき》のピット・ロードを、ストレート・コースに向う。ターボによる高熱と|異状爆発《デトネーション》対策として圧縮比を七・〇に落してあるので、ターボが効いてないうちは圧倒的な加速は望めない。  三十番ピットでは、ポルシェ九三五/七八ターボが、テイル・ウィングの調整を受けている。その|脇《わき》に立った正ドライヴァーの|中《なか》|野《の》|猛《たけ》|夫《お》が、恵美子に薄笑いを向け、投げキッスする。  中野猛夫は、全日本歯科医師会の|法《ほう》|王《おう》と呼ばれている中野|義《よし》|正《まさ》の長男の息子で、やはり歯科医であると共に中野ファミリーの私物であるマンモス歯科大の東都歯科大学と大東医大の理事をやっている。  空水油冷ともいうべきエンジンを持つポルシェ九三五/七八は、ポルシェの純ファクトリー・マシーンで、その圧倒的な性能は、ル・マンのストレートで最高速が三百六十キロを越えたことでも分る。短距離レース用の八百五十馬力型では最高速三百八十キロに迫ったかも知れない。  七八年にだけレース活動を行った九三五/七八は——それも、市販のポルシェ九三〇をさまざまなチューン・アップ・ショップでG5仕様に改造した九三五ターボ・レーサーのユーザーを圧倒的な性能差で落胆させることを出来るだけ避けるために、わずか四レースしか出場しなかったが——、B・M・W・M1がまだヨーロッパで|G《グループ》5のホモロゲーションを取得できないでいる今年はポルシェ工場の奥深く仕舞いこまれている。市販改造のポルシェ・ターボをもってしただけでも、G5シルエットのメークス・チャンピオンシップでは無敵であるからだ。  門外不出とも言うべきそのファクトリー・マシーンを強引に手に入れるために、中野猛夫は三億を超える金を払ったと伝えられている……。      二  コース・インした恵美子は、アクセルを踏みこんだ。ターボが効きはじめ、強烈に加速する車内で、恵美子の背中はバケット・シートのバックレストに押しつけられる。安全ベルトが乳房にくいこんだ。  すでに数年前から富士スピードウェイは、大事故が続発した高速バンクがあるフル・コースを使ってなく、現在は約四・三キロのショート・コースの右回りだ。  したがって、コース・インして四百メーターほどで、もうきつい五〇Rの右回りの第一コーナーだ。コーナーの出口は四〇Rとさらにせばまっている。  たちまち迫ってきた第一コーナーの手前のブレーキング・ポイントまでにM1は二百キロほどの速度になっていた。  恵美子はフル・ブレーキングを掛けながら、ヒール・アンド・トウで一速までシフト・ダウンし、急速にスピードを殺す。ヘルメットの重さが加わった頭が慣性でフロント・スクリーンに吸い寄せられそうになる。  ギアは一速で、ターボが効いている六千回転以上に何とかエンジンを保ちながら、恵美子は慎重に第一コーナーの出口に向った。F1フォーミュラ・マシーンと同様に、進入速度を犠牲にして、立上り加速でコーナーの脱出加速を|稼《かせ》ぐのだ。  恵美子が練習をはじめて一週間ぐらいのあいだは、コーナーの途中で急にターボを強烈に効かせてしまったり、コーナーの途中でアクセルを踏みすぎたりして、数十回のスピンを体験させられ、心臓が|喉《のど》から跳びだしそうになったのだ。  第一コーナーの出口で車首を真っすぐに立て直した恵美子は、ゆるい“く”の字型の二六〇Rを通って一〇〇Rに向う高速ベンドを、直線的なラインをとりながら急加速する。ターボが効いている高回転域だけでギア・シフトしているので、爆発的に加速したM1シルエット・マシーンは、二六〇Rを直線的にカットする時には時速二百八十キロを越えていた。  右回り一〇〇Rから二五〇Rを恵美子としては限界に近いスピードで回る。エンジンはもっともっと回りたがっているし、ミッドシップ・エンジンのために車自体のコーナリング性能はもっと高いが、腕力は抜群であっても五十キロの体重の恵美子の体は、口惜しいが身動き出来ないほどの激しい横|重《ジ》|力《ー》に耐えることが出来ない。  右回り二五〇Rを抜けると、下りとなり、その先に左回りの一五〇Rヘア・ピン・カーヴがある。  恵美子はアウト一杯に寄ってからダウン・コースをくだり、急ブレーキとシフト・ダウンでスピードを殺す。タイアが煙を吐いた。  ギアは一速で、ターボがまだ効いているうちの最小の回転数にエンジンを保ち、深い突っこみから、逆L字型に直角に左に折れる。  このM1シルエットにも、ポルシェ九三五/七八のように、ブースト圧をコックピットから調整出来る装置がついていたのだが、どういうわけか恵美子のマシーンは、ツウィン・ターボがそのやりかたでは同調しにくかったために、その装置を外している。  アウトに流されながらスピンしようとするマシーンを逆ハンドルで押さえ、コース・アウト寸前の状態になりながら、恵美子は何とか八百馬力の|悍《かん》|馬《ば》を立ちなおらせることに成功した。当然ながらアウト・イン・アウトのオーソドックスなラインをとることは出来ないが、こういう大馬力車では、ちょっとでも早く車を直進状態に持っていくことがコーナリングのコツなのだ。  ヘア・ピンを抜けると、ゆるい右回りの高速ベンドになる。|上《のぼ》りだ。しかし、恵美子のマシーンは、パワーがありあまっているから、上りで回転の上昇が鈍ることはない。  三〇〇Rのインをすれすれにかすめ、|傾斜《カント》がついている二五〇Rをアウトに流されながら通過した時、M1シルエットの時速は三百キロを越えていた。ギアは四速だ。  恵美子の首は折れそうになると共に、肩のあいだにのめりこみそうになる。  一五〇Rの最終コーナーの手前で一度アクセルをゆるめた恵美子は、再び加速しながら、その右回りの最終コーナーをストレートに向う。  マシーンはアウト一杯まで流され、強烈な横Gを浴びた恵美子の頭は、ちょっとした真空状態になる。  ストレートに入って三百メーターほどで|ステアリング・ホイール《ハンドル》と前輪を真っすぐに立て直した恵美子は、ブースト圧を下げないようにアクセルを踏んづけたままギアを五速にアップし、アクセルをさらにぐっと踏みこむ。  五速でさえも、エンジン回転は爆発的に上昇した。たちまち回転計の針はレッド・ゾーンがはじまる九千回転を示す。時速は三百四十キロぐらいであろう。強化プラスチック製ボディが風圧で波打つ。|胸《むな》|許《もと》に差しこんだ外気導入ダクトからの風でレーシング・スーツはダルマのようにふくらんだ。  恵美子はパッシング・ライトのスウィッチを入れっ放しにし、ストレートを走っている排気量換算三リッターのG5シルエットや、二リッターG6レーシング・スポーツ車をゴボー抜きにしていく。広いコースがひどく狭く感じられるスピードだ。  恵美子は、自分のメカニックがストップ・ウォッチでラップ・タイムの計測にとりかかるのを横目で見た。  親指と人差し指を丸めて、マシーンに異状がない、というサインをメカニックに送る。  五日ほど前までは、加圧と共に加熱されてしまう吸入気を冷却するインター・クーラーがついているにもかかわらず、ターボによる高熱と高圧によるストレスで、エンジンのピストン・リングやベアリングやコン・ロッドなどにしばしばトラブルが発生しただけでなく、排気の高熱でターボ・チャージャーのタービンがいかれたこともあった。  強大なトルクによって駆動系が|捩《ね》じ切れたりバラバラになったりするトラブルが発生しなかったのは有難かったが、恵美子のテクニックの未熟さも加わって、エンジン・トラブルには悩まされた。  しかし、ドイツから送られてきた、エンジンの新しい強化部品が四日前に通関し、それらを組付けたところ、耐久力が驚異的にアップしたのだ……。  ピット・レーンのガード・レールが切れるあたりで、日産純ファクトリーのニュー・バイオレット・ターボとトヨタ・セミ・ファクトリーのカローラ・ターボに追いついた。  二台の小さなシルエット・マシーンは、三百キロ近いスピードを出していて、G6の純レーシング・スポーツよりストレートでは早い。  日産|追《おっ》|浜《ぱま》工場ファクトリー・チューンのニュー・バイオレット・ターボは、市販車では一・六リッター百馬力程度のバイオレット・クーペのボディやシャーシーなどをシルエット用に改造し、シルビア/ガゼール用の二リッター|S・O・H・C《シングル・オーヴァーヘッド・カム》四気筒エンジンを二・一四リッターにボア・アップし、|D《ダブル》・O・H・C十六ヴァルヴ改造したものに積み替え、レース用の機械的燃料噴射とエアリサーチ社製ツウィン・ターボで武装している。  二・一四リッター・エンジンはターボ系数一・四を掛けると三リッター弱になる。その出力は約四百八十馬力/八千回転と言われている。  一方のカローラ・ターボは、トヨタ・ファクトリーがレース活動を中止している現在、それに替るセミ・ファクトリーの雄ナゴヤ・レーシングが作製したシルエット・マシーンで、カローラ・ハードトップの小さなボディを利用し、コロナ二〇〇〇GT等の十八RGエンジンを二・一リッターにボア・アップし、K・K・Kツウィン・ターボ・チャージャーを含めてフル・チューンしたやつを積んだもので、耐久レース用の出力はバイオレット・ターボと同じぐらいと見られている。  恵美子は三百馬力以上のパワー差を利して、その二台のマシーンを一気に抜いた。しかし、すぐに、きつい右回りの第一コーナーが迫ってくる。  恵美子は三百四十キロのハイ・スピードから、強烈なブレーキングとシフト・ダウンで急激にスピードを殺していく。強激なトルク変化で車の|尻《しり》が左右に振られる。  充分にスピードを殺して第一コーナーに入った恵美子のM1をさっき抜いたニュー・バイオレット・ターボがインからあっさりと抜き返した。  ドライヴァーは日産ワークス・チームの一人|見城《けんじょう》だ。旧バイオレット・ターボでターボの利点も欠点も知り抜いている見城は、パワーをもてあましている恵美子を尻目に、斜めになったバイオレット・ターボでM1をたちまち引離す。  カローラ・ターボの|橘《たちばな》もM1をあっさり抜いて見城を追った。  恵美子はカッとなったが、相手はレースをビジネスにするプロ、わたしのビジネスはほかにある……と、自分に言い聞かせる。コーナーで絶対に負けたくないわたしの相手は、ポルシェ九三五/七八の中野猛夫だけだ……。  第一コーナーを抜けた恵美子は、一〇〇Rに向う高速ベンドの途中の二六〇Rの近くでカローラ・ターボをアウトから抜き返した。  二六〇Rのインを高速でかすめようとする。  しかし、ちょうど恵美子のコーナリング・ラインにバイオレット・ターボが立ちふさがった。  ブロックされた恵美子は、追突を避けるためにアクセルをゆるめ、ブレーキを踏んでしまう。  恵美子のM1はふらついただけでなく、エンジン回転数がターボの有効域よりぐっと落ちこみ、アクセルを踏みこんでも、ターボのタイム・ラグのせいで回転の上昇はひどく鈍い。それに圧縮比が低いから、ターボのブースト圧が効いてない時はひどくパワーが落ちる。  それでも、最高ブースト圧を一・四kg/平方cm[#「平方cm」は底本では「cmの2乗」]に調整していた時よりもスロットル・ラグはかなりましだ。  もたつく恵美子のM1の横をカローラ・ターボがすり抜けていった。  恵美子はシフト・ダウンして回転を上げようとした。コンプレッサーのタービン回転数の上昇と実際にターボが効くまでのズレのために、スロットル・ラグはまだ続いたが、突如としてターボが効きはじめ、急激なトルク変化でM1マシーンは右に左に|首振り《ヨーイング》をはじめた。  オーヴンのなかにいるような暑さの汗だけでなく、冷汗もかきながら恵美子は、シフト・アップしてやっとヨーイングを収めた。  きつい一〇〇Rから二五〇Rを抜ける。その時すでにバイオレット・ターボとカローラ・ターボはヘア・ピン近くに駆け降りていた。  恵美子がやっとその二台を抜いたのは、三〇〇Rと二五〇Rとのあいだの高速ベンドであった。あとは、パワーの差で一気に引き離し、ストレートではるかあとにする。  ピットの並びの前を通過する時、これまでピット・インしていた五十数台のマシーンの大半がコース・インしているのを知って|嫌《いや》な感じがする。  果して、各コーナーごとに、TSクラスのひどく遅い車の集団にブロックされる。それら“動くシケーン”とも言うべき低馬力車の群れの障害物を、身軽なG6レーシング・スポーツをあやつるプロフェッショナル・ドライヴァーや、ファクトリーやセミ・ファクトリーの三リッターG5に乗るワークス・ドライヴァーのように、コーナーで右から左から自由に抜いていかねば、混戦となる本番レースでまったく勝ち目は無いのだ。  やっとストレートに出た恵美子は、“一八・五六”というピット・サインをドイツ人メカニックが示しているのを見た。  今の周でなく、前周のラップ・タイムで、一分十八秒五六を意味している。二六〇Rから一〇〇Rにかけての失敗がなかったら、コーナーで抜群に早いG6レーシング・スポーツのトップ・クラス並みに一分十五秒台に入っていたことであろう。  もっとも、今の周は“動くシケーン”にたびたびブロックされ、ブレーキングのあとアクセル・オンにしてもターボのタイム・ラグが重なったから、一分四十秒以上のメロメロのタイムであったことであろう。  しかし、実戦となると、自分一人だけがレース・コースを走るわけでないのだ。好きなコーナリング・ラインばかりを走れるわけでは絶対にない。  だから恵美子は、次の周からは、いかにブロックをかわすかの練習にはげんだ。  三十周ほど“動くシケーン”相手の練習を重ねているうちに、ブレーキングのあと、いかにスムーズにターボを効かせるかのテクニックが次第に上達してきた。  ブレーキを踏むとすぐに、追突を|怖《おそ》れずに、これまでよりずっと早目にアクセルを踏みこむのだ。ターボのタイム・ラグがあるので、早目にアクセルを踏みこんでおくと、かなりいいタイミングでターボが効きはじめる。  各コーナーで“動くシケーン”のブロックに会っても一分二十五秒台のタイムを出せるようになった恵美子は、|喉《のど》の渇きに苦しめられた。ストレート・コースで時々、ダッシュ・ボードに固定した飲料タンクから薄い食塩水を、チューブを使って飲むが、そいつは暑さと熱気で熱湯のようになっている。恵美子はゲータレード等のスポーツ飲料にアレルギー反応を起して吐く体質だ。  中野猛夫のポルシェ九三五/七八はまだコース・インしなかった。恵美子へのピット・サインは今はルミが出している。  三十二周目から、恵美子はきついコーナーを回る時に、思いきって、急激にコーナリング・ラインを変える実戦テクニックの練習に入った。  たびたびスピンしそうになる。  しかし、きついコーナーでブロックする“動くシケーン”の群れをアウトやインから抜けるようになった恵美子のラップ・タイムは一分二十秒を切った。  六十周目に一分十七秒三七を出した恵美子は、高熱にさらされたタービンとベアリングを冷却させるために次の周をゆっくりと回ってピット・インした。タイアがかなりすり減っている。ラジエーターから伝わる高熱でレーシング・シューズが焦げそうだ。  マシーンから降りた恵美子の体重は二キロほど減っていた。ルミに支えられ、ピットのキャンヴァス・チェアまでよろめき歩くと、一リッター|壜《びん》に詰めてあったブドウ糖液を三本分、続けざまにラッパ飲みする。梅干しを口に放りこむ。ツナギのレーシング・ジャケットの上を脱いだ。      三  メカニックはM1シルエットのタイア・チェンジを行ない、給油作業も行なった。オイルも換える。  ルミがそのマシーンに乗り、一周二分ぐらいのラップ・タイムでゆっくり回る。ルミは二リッター三百馬力ぐらいの軽いマシーンは振りまわすことが出来ても、M1シルエットのような|悍《かん》|馬《ば》を思うように扱えるだけの体力がない。  しかし、幸いにして富士三百五十マイル・レースのルールではドライヴァー交代の義務は無いし、レース中にドライヴァーが交代しても、車から降りたドライヴァーに対して一定時間以上の休憩義務も無い。だから恵美子は、本番ではほとんど一人で走り抜く積りだ。  中野猛夫のポルシェ九三五/七八もコース・インした。  ターボの高圧に耐えるためにシリンダー・ヘッドにガスケットを使用してない、その純ファクトリーの三・二リッター|水平対向六気筒《フラット・シックス》二十四ヴァルヴ空水油冷エンジンは、コックピットからターボのブースト圧が変えられ、ブースト圧の変化によって七百五十馬力から八百五十馬力を出す。ブースト圧を高めるほど馬力は上るが、コーナーでのタイム・ラグ——スロットル・ラグ——はひどくなる。  そのポルシェは、フレームやサブ・フレームにチューブラー・パイプを多用し、後部の床までファイバーグラスに変えてあるので、市販チューンの九三五と同様にエンジンは|後部《リア》にあっても、極端なテイル・ヘヴィーではない。九三五/七八は、前後の重量バランスがいちじるしく改善されているのだ。  中野の九三五/七八は、ストレートではさすがに早く三百五十キロ近く出していたが、コーナーで“動くシケーン”にブロックされ、ラップ一分二十五秒を上下している。  ルミのほうは十周ほどでピット・インしてきた。汗びっしょりだ。  恵美子はすでに、かなり体力を回復していたが、涼しくなるまで休むことにし、トレーラー・ハウスでシャワーを浴び、塩をたっぷり入れたトマト・ジュースを飲んでから、パジャマ姿でベッドに横になる。  やっと|掴《つか》みかけた混戦状態でのアクセル・ワークやステアリング・ワークのこと……スプロの日本支部長から掛かってきた無線電話のこと……などを考え、頭が|冴《さ》えて午睡に入ることが出来ない。  トレーラー・ハウスにルミが入ってきた。シャワー・ルームから出ると、腰にバス・タオルを|捲《ま》きつけただけの姿で恵美子の|脇《わき》に横たわり、恵美子のパジャマのボタンを外しはじめる。 「いまは|駄《だ》|目《め》よ。我慢して」  目を開いた恵美子は言った。 「わたしが|嫌《きら》いになったのね?」  ルミはたちまち涙を|頬《ほお》に垂らした。 「ちがうわ。くたくたなのよ」 「さっきの電話は|誰《だれ》からなの? 何か、むつかしいことが起ったの?」  恵美子の|胸《むな》|許《もと》から差し入れた手で乳首を|揉《も》みながらルミは叫んだ。 「ちがうってば……分ってよ。今はレースのことで頭が一杯なの」 「もうすぐお別れなのに、ルミのことなんか眼中にないのね」 「そんな……」 「アメリカまでおねえさまについて行こうかしら」 「許して。向うでは寮生活なの」  恵美子は言い、ルミに背を向けた。  |溜《ため》|息《いき》をついたルミは、恵美子の背に乳房を押しつけ、首筋に|唇《くちびる》を|這《は》わしながら、右手で自分の|花《か》|芯《しん》を|愛《あい》|撫《ぶ》しはじめた。ルミの激しい息とベッドの揺れが恵美子のジュースを誘ったが、恵美子は歯を食いしばって我慢する。  やがてルミは、恵美子の腰の上に乗せた右脚を|痙《けい》|攣《れん》させ、恵美子の髪に|噛《か》みついて頂上に達した。眠りこむ。  恵美子はそっとルミを仰向けにさせてやる。ルミのジュースは左|膝《ひざ》のあたりまで流れて光っていた。  そのルミにシーツを掛けてやる恵美子のプッシーのほうも、ジュースが熱で乾いて|糊《のり》のようになっていた。  恵美子は浴室に移り、シャワーでよく洗った。温水でオシボリを作り、ルミの|股《こ》|間《かん》や|腿《もも》を|拭《ふ》いてやる。再びベッドに横になった。  午後四時半、神経がたかぶって眠れないまま、恵美子はレーシング・スーツをつけてピットに入った。いくらか涼しくなっている。  コースを走っている車は少ないが、そのなかに中野猛夫のポルシェ九三五/七八もいる。恵美子のメカニックに|尋《き》いてみると、今日の中野のベスト・ラップ・タイムは一分二十秒といったところであった。  M1シルエット・マシーンに乗りこんだ恵美子は、ゆっくりとウォーム・アップ・ランを行ないながら、中野のポルシェが追いついてくるのを待った。  しかし、一周しかかったところで、恵美子は中野のポルシェがピット・インし、中野はヘルメットを脱ぎ、彼のメカニックたちは道具を片付けはじめているのを見た。  恵美子は舌打ちし、全力走行に移った。何度かスピン寸前になって失禁しかけたが、五時の終業時間の直前、コース上に他車がいない時、一分十四秒〇二の非公式最高コース・レコードを|叩《たた》き出す。  恵美子のM1シルエット・マシーンはメカニックたちのトレーラー・トラックで、富士スピードウェイの正門近くに借りているゲルマン・スピードショップの|修理工場《ガレージ》の保管庫に運ばれた。メカニックたちはスピードウェイ・ホテルに泊る。  恵美子とルミは、ジープ・ワゴニアで|牽《けん》|引《いん》したトレーラー・ハウスをゲルマン・スピードショップの裏庭に|駐《と》めた。恵美子が長距離用の足に使っているモス・グリーンのB・M・WアルピーナB|7《セヴン》ターボに移る。  世界最速の|四《フォー》ドア・セダンと呼ばれているその車は、B・M・Wが日本と米国への輸出用に作っている五三〇iをアルピーナ社が改造したもので、運転席からノブの操作でブースト圧を変えられるK・K・K——キューンル・コップ・アンド・カウッシュ——ターボ・チャージャー付き三リッター・エンジンは、ブースト圧の高低により、二百五十馬力から三百馬力の最高出力を出す。無論、足回りも強化されている。  恵美子はその車を出来るだけ目立たないようにするため、ボディのアルピーナ・ストライプを消してあったが、ブレーキやオイルクーラー冷却用の空気取入れ孔を持つフロントのエアダム・スポイラー、トランク・リッド後端のラバー・デッキ・スポイラー、それに前輪側も二〇五—十六と太いが後輪側は二二五—十六とさらに幅広くたくましいピレリP|7《セヴン》のVRタイアが、|精《せい》|悍《かん》さを隠しきれないでいる。  富士霊園に向う|田舎《いなか》町を、ルミの肩を抱いた恵美子はゆっくりと車を進めた。  五速一千回転、つまり四十数キロからでもスムーズに加速が効くフレキシブルなエンジンだ。もし五速に入れたままアクセルを踏みこんでいくと、三千回転、すなわち百二十キロに達してから二秒弱のタイム・ラグのあとターボのブースト圧が急激に高まる。  そのB・M・WアルピーナB7ターボに目をつけた暴走族の改造セダンやクーペが四、五台追いついてきた。一台がB7ターボに並び、レズビアンを|罵《ののし》る|鄙《ひ》|猥《わい》な言葉を浴びせる。 「うるさいジャリどもね」  |呟《つぶや》いた恵美子はルミの肩から右手を放し、ギアを二速に|叩《たた》きこんでアクセルを踏みこんだ。  ターボのタイム・ラグのせいで、ターボが効きはじめる三千回転にエンジンのレヴ・カウンターの針が入ってからも、ちょっとのあいだは急加速しなかった。  しかし、ブースト圧が高まり、ターボが効きはじめると、レース用とは|較《くら》べられぬとはいえ、公道を走るセダンとしては爆発的にエンジン回転が上り、タイアから煙を吐いて急加速する。  ハイ・パワー・チューンのターボ・エンジンの場合、アクセルから足を浮かす普通のやりかたでシフト・アップしただけでも、ブースト圧が再び高まるまでには、アクセル・オンとエンジン回転のあいだに|ずれ《タイム・ラグ》が生じる。アクセルから足を離すと排気圧が落ち、排気圧によって最高十数万回転もするターボのタービンの回転が落ちるからだ。したがってブースト圧がさがる。  だから恵美子は、二速で六千四百回転のレッド・ゾーンまで引っぱると、アクセルを踏んづけたまま三速にシフト・アップする。  |〇—四〇〇《ゼロヨン》メーター十四・五秒、〇—百キロ六秒弱、〇—百六十キロ十四秒弱、最高速二百五十キロ以上の性能を持つB7ターボは、シューンというターボのタービン音と、スタンダードの五三〇iよりも静かな排気音を残して、暴走族の改造車群をたちまち引離した。  排気音が静かなのは、ターボのコンプレッサー・タービンを回すために排気エネルギーの多くが使われるからだ。  B7ターボ車は、セダンとしてはただやたらに速いだけでなく、足回りとのバランスもとれているから、曲りくねった道でも安定している。何とか恵美子に追いすがろうとした改造車が次々にスピンを起している。  恵美子は霊園の前で車をドリフトさせながら左折し、ゴルフ場と雑木林にはさまれたストレートが多い道を、二百二十キロ以上を保って走らせた。バック・ミラーにはもう暴走族の車の姿は写ってない。  道の左の雑木林の奥にホテルのイルミネーションが見えてきた。恵美子とルミが泊っているホテル・ハイランダーだ。  恵美子は急激にスピードを殺し、左にハンドルを切って、ホテルにつながる私道をゆっくり走らせた。  ホテルの玄関前の駐車場にB7ターボを|駐《と》めると、係員にチップを握らせ、 「この車にいたずらされないように気をつけてね」  と、言ってホテルの玄関に向う。  恵美子とルミの部屋は五階にあった。  ドレス・アップした二人は一階にある和・洋・中華の三つのレストランのうちのフランス料理のレストランに入る。  食事を始める前に、レストランのなかにあるバーで、恵美子はジン・トニック、ルミはドライ・シェリーのロックを飲んだ。  冷えたグラスが汗をかくジン・トニックのダブルの三杯目を飲み干すと、恵美子は緊張が胃のあたりからほぐれていくのを覚えた。  二人はレストランのテーブルにつき、シャンペーンで、バターを塗ったライ麦パンに乗せた黒海のキャヴィアの前菜を胃に収める。  メイン・ディッシュはポテトのフレンチ・フライ付きのステーキであった。ルミがオーダーしたのは十オンスであったが、恵美子のほうは三ポンドのミディアム・レアをボージョレーの赤ワインで平らげる。激しいドライヴィングで失った二キロの体重を翌日までに取戻さねばならぬ。  |肥《ふと》るのを|怖《おそ》れずに済む恵美子は、デザートに三人分のアイスクリームを頼んだ。コニャック入りのコーヒーで仕上げし、伝票にサインすると、ルミと共に部屋に戻る。  部屋の窓のカーテンとブラインドを細目に開いてみると、駐車場にあるB・M・WアルピーナB7ターボが見おろせた。今のところ、暴走族が仕返しに来た様子はない。  恵美子がシャワーを浴びていると、ルミが入ってきて体を洗ってくれる。恵美子はルミを洗ってやった。  浴室を出た恵美子は、バス・タオル一枚を腰に|捲《ま》いただけの姿でベッドに仰向けになった。|火《ほ》|照《て》った体を冷やす。激しい練習の疲れが出て睡魔が襲ってくる。  うとうとしかけた恵美子は、挑んできたルミによって眠気を|醒《さ》まされた。  恵美子の|腿《もも》のあいだに顔を埋めたルミは指で花弁を開き、|花《か》|芯《しん》を|舐《な》め、舌をペニス状に丸めて挿入してくる。  耐えきれずに|呻《うめ》き声を漏らした恵美子は、ルミを仰向けにさせ、シックスティ・ナインの体勢をとった。ルミのジュースを吸う。  一時間後、ルミと腿を交差させて激しく花弁や花芯をこすりあわせているだけで恵美子はクライマックスに達した。けもののような叫びをあげ、おびただしくほとばしらせる。  がっくりと疲れが出た恵美子は睡魔に身をまかせた。ルミが体を|拭《ぬぐ》ってくれ、毛布を掛けてくれるのをかすかに意識しながら眠りこむ……。      四  翌朝八時にモーニング・コールの電話で目を覚めさせられた時、恵美子は疲れが完全にとれているのを知った。  その横で、ルミは猫のように丸くなって眠っていた。毛布をはぐった恵美子はルミの白く丸いお|尻《しり》を軽く|叩《たた》き、 「お早よう、おねぼうさん」  と、|頬《ほお》にキスする。  |可《か》|愛《わい》いアクビを漏らしながらルミは手足をのばした。 「まだ眠いわ、おねえさまって、本当にタフね」  と、|呟《つぶや》く。  食堂で恵美子は、大カップのオレンジ・ジュース二杯、卵を五つ使ったチーズ・オムレツ、バターを分厚くなすったりメープル・シロップやハニーをたっぷりと掛けたパンケーキ五枚、それに大きな木製のボウル一杯の野菜サラダを平らげた。  ルミの朝食はつつましかった。  昼食用のサンドウィッチやフルーツやチキン・バスケットなどを紙袋に入れてもらい、二人は一度部屋に戻って用を済ませてから、駐車場のB7ターボに近づく。Tシャツの上にウエスターン・シャツを引っかけ、ジーパンにウエスターン・タイプのジッパード・ショート・ブーツをはいている。  昨日のとは別人ではあるが二人が顔なじみである駐車係りが、 「|誰《だれ》にもお車を触らせませんでしたので御安心ください」  と、言う。 「御苦労さま」  恵美子はチップを与えた。  恵美子が運転し、ルミが助手席に|坐《すわ》るアルピーナB7ターボが|富《ふ》|士《じ》|霊《れい》|園《えん》に近づいた時、昨日の暴走族の車が道の左右に|駐《と》まっているのが見えた。スピンした時に電柱や塀にぶつけたらしく、ボディが大きくへこんでいる。  近づいてくるB7ターボを見て、アフロ・ヘアの若い男がヌンチャクを振りまわしながら降りてきた。  恵美子は急激に車のスピードを殺しながら鋭くハンドルを切り、一度フット・ブレーキから足を離すと、ハンド・ブレーキを引いてスピン・ターンさせた。車を|停《と》めると、 「あんな連中、わたし一人で大丈夫だわ。でも、この車を襲ってきたら、全力で飛ばして逃げて、ホテルに戻って助けを呼ぶのよ。さあ、わたしが降りたら、運転席に移って」  恵美子は言いながら、助手席側にある大きなグローヴ・ボックスを開き、サップ・グラヴを取出した。  バック・ミラーやドア・ミラーには、|駐《と》まっている暴走族の車から、木刀や自転車のチェーンを提げた連中が次々に降りるのが写る。十人以上だ。 「おねえさま、|怖《こわ》い!」  ルミは恵美子にすがりついた。 「大丈夫よ。さあ、しっかりして」  恵美子は、防寒グローヴのような分厚さの、ディア・スキン・サップ・グラヴを両手にはめ、ジッパーを閉じる。  サップとは、アメリカの俗語で|棍《こん》|棒《ぼう》という意味だ。恵美子のサップ・グラヴには左右とも約五百グラムの鉛の粉が|拳《こぶし》や手刀の部分に埋められている。 「じゃあね」  と|呟《つぶや》いた恵美子は、路上に並んでいる十二人のアロハ・シャツやサーフィン・シャツの連中に歩いて近づいた。  連中の残忍な笑いには、恵美子が近づくにつれて発情期の|牡《おす》の笑いが混った。  恵美子は真ん中あたりの、リーゼント・ヘアと羽根をひろげたファイアバードの絵模様をプリントしたTシャツ姿の二十四、五の男の四メーターほど前で立ちどまった。  その男はリーダーのようであった。殴打用の凶器ブラック・ジャックを自分の手に|叩《たた》きつけて、 「よう、昨日は味な|真《ま》|似《ね》をしてくれたじゃねえか……今日は、たっぷり礼をさせてもらうぜ」  と、恵美子の全身を目で|舐《な》めまわす。 「どんなお礼をしてくれるの?」  恵美子は薄く笑った。 「年増の割りにはマブい|面《つら》をしてやがる。ボディもハクいしな。レズの味しか知らねえんでは|勿《もっ》|体《たい》ねえや。だから|俺《おれ》たちが|輪《ま》|姦《わ》して、男の味を教えてやろうってわけさ」  リーダー格の男はヨダレを垂らした。 「せっかくの御好意は有難いけど、お断りするわ」 「俺たちを|舐《な》めるとどうなるか教えてやる」  リーダー格の男は、革製の棒のなかに砂と鉛を詰めたブラック・ジャックを振りかざし、恵美子に突進してきた。  恵美子の肩を目がけてブラック・ジャックを振りおろす。横に跳びながら恵美子の左足が|閃《ひらめ》き、ウェスターン・ショート・ブーツの靴先が男の|睾《こう》|丸《がん》を|蹴《け》り|潰《つぶ》した。  ブーツの靴先には鋼板が埋めこまれてあるのだ。絶叫をあげた男は体を二つに折り、|尻《しり》|餅《もち》をつくと意識を失う。 「やりやがったな!」  ヌンチャクを握った男と木刀を握った男が恵美子に襲いかかってきた。  打撃を避けた恵美子の右の|拳《こぶし》がヌンチャクの男の顔面、左の手刀が木刀の男の|喉《のど》を強打した。  恵美子の両手には、鉛の粉を詰めたサップ・グラヴがはめられているのだから、強打をくらった二人はひとたまりもなかった。  ヌンチャクの男の顔面はトマトを|潰《つぶ》したようになり、木刀の男は気管と声帯を破壊され、首の骨がずれる。口と鼻から血が噴出した。  木刀を奪った恵美子は、逃げ腰になっていたチェーンの男の|脇《わき》|腹《ばら》を横なぐりに払った。|肋《ろっ》|骨《こつ》が数本折れる。  一瞬にして四人の仲間が|悶《もん》|絶《ぜつ》したのを見て、残りの連中は凶器を捨てた。アスファルトの上に土下座し、 「お見それしやした」 「何とぞお見逃しを……」  と、哀れっぽい声をたてる。 「|怪《け》|我《が》人を車に積んで早く消えなさいよ。あんたたち、女のわたしにやられたなんて|警《サ》|察《ツ》にしゃべったりしないでしょうね?」  恵美子は言った。 「約束します」 「兄貴たちは運転ミスで怪我したことにしますから」  若い男たちは震えた。 「じゃあ、さっさと消えてよ。|須走《すばしり》側にね」  恵美子は言い、車をぶつけられないように雑木林に身を移す。  大怪我している四人と凶器を車に放りこんだ暴走族の車は、ヤケ|糞《くそ》のようにタイアを鳴らし、富士スピードウェイと反対方向に消えた。  恵美子がB・M・WアルピーナB7ターボに戻ると、上気した顔のルミが、 「おねえさまってスーパー・ウーマンみたい。どこであんな|業《わざ》を習ったの?」  と、尋ねる。 「あなたにはまだ言ってなかったわね、亡くなったわたしのパパが、|拳《けん》|法《ぽう》の道場を持っていて、わたし、見よう見まねで……」  恵美子は適当なことを言ってから、 「あなたが運転してね。また狂犬みたいな連中が襲ってきたら、わたしが追い払ってあげる」  と、助手席で|膝《ひざ》のあいだに木刀をはさむ。  ルミはB7ターボをスムーズに運転した。スピードウェイの正面ゲートに近いゲルマン・スピードショップに着くまでアクシデントは起らなかった。  そのガレージの裏庭で、トレーラー・ハウスを|曳《ひ》く四輪駆動車に乗り替える。  スピードウェイに入り、事務所で、今日の練習走行の事務的手続きを終えて料金を払い、トレーラー・ハウスをピット裏に回す。  富士スピードウェイは午前九時からスポーツ走行が許される。すでに九時を過ぎていたが、今日はピットにもコースにも車の数が少ない。  しかし、恵美子のライヴァルのポルシェ九三五/七八はコース上にあった。コーナーでパワーを持てあまし、一分十九秒台で周回している。  メカニックがウォーム・アップしたB・M・W・M1ターボのシルエット・マシーンで恵美子が走りはじめたのは午前九時半|頃《ごろ》であった。  まだあまり暑くない。ガソリンは、とりあえず八十リッターを入れてあった。  一周目を一分四十秒台でゆっくり回った恵美子は、ストレートで三速にギアを落し、中野猛夫のポルシェ九三五ターボが背後に迫るのを待った。  バック・ミラーにそのポルシェの姿がはっきり写った時から恵美子は加速を開始した。  しかし、ストレートの終りから四百メーターほど手前でスピードが乗っているポルシェに抜かれた。  だが、恵美子は早くもS字コーナーで中野を抜き返し、ヘア・ピンを過ぎて三〇〇Rに向けて立上った時は三百メーターほどあとにしていた。  三〇〇Rから二五〇Rの高速を過ぎて最終コーナーに跳びこんだ時には六百メーター以上の差をつけている。  三周を終えて恵美子が一分十三秒四の|凄《すさ》まじいラップ・タイムを|叩《たた》きだした時、恵美子のM1がストレートの終り近くで第一コーナーにそなえてフル・ブレーキングを掛けているのに、中野のポルシェはやっと最終コーナーを回ってストレートに姿を現わしたほどの開きが出来ていた。  事故が発生したのは、四周目の最終コーナーを恵美子のM1マシーンが強烈に流されながらストレートに入ってきた時であった。  アウト一杯で踏みとどまったかに見えたM1シルエット車の、|物《もの》|凄《すご》い重力がかかった左前輪が吹っ飛んだのだ。  恐怖に失神しそうになりながらも、恵美子は反射的に、ダッシュ・ボード下にある消火器のレヴァーを引いた。  だが、そいつは|錆《さ》びついたかのように動かない。  次の瞬間、左前輪サスペンションの|残《ざん》|骸《がい》が、ガーッと路面をこすった。続いてM1はガード・レールにフロント左側を激突させた。  約三百キロのスピードでクラッシュしたM1の前部はグシャグシャになり、カウリングの強化プラスチックの破片とシャーシーの金属片やラジエーターなどが飛び散った。  激しいショックに辛うじて耐えた恵美子を乗せたまま、マシーンは宙を舞った。コース側に押し戻されながら空中飛行する。  マシーンの滞空速度が百五十キロほどに落ちた時、すでにフル・ハーネスの安全ベルトを外していた恵美子は、衝撃でアクリル・ウィンドウが砕けていたドアから跳びだした。  空中で回転しながらコース上に左の背中を下にして着地する。十数メーター滑りながら、二輪レースでたびたび転倒事故を味わったことがある恵美子は命が助かったことを知る。  やっと滑りがとまった恵美子は、立上り、|女豹《めひょう》のようなスピードで走り、ガード・レールを跳び越えてグリーンに転がりこむ。路面との摩擦でレーシング・スーツの背が破れていた。  マシーンのほうはさらに飛び、宙返りすると、仰向けになってコースに|叩《たた》きつけられた、激しくバウンドし、横倒しになる。横腹からさまざまな破片をまき散らしながら滑るマシーンの安全燃料タンクのあたりから火を吹いた。  たちまち猛火が、スクラップ同然となったマシーンを包む。やっと|停《と》まった火だるまマシーンの|残《ざん》|骸《がい》は、消火器を持って駆けつけたコース委員を高熱で寄せつけぬほどの勢いで燃えさかる。  恵美子の|怪《け》|我《が》は、左背の打撲傷と擦過傷だけで済んだようであった。|肋《ろっ》|骨《こつ》は大丈夫のようだ。ショックに|蒼《あお》ざめながら立上る。  その横を恵美子のM1マシーンの破片を踏んでタイアの空気が抜けていく中野のポルシェがゆっくりと通り過ぎていく。その中野は薄笑いを浮かべていた。  三日後の午後、恵美子はB・M・WアルピーナB7ターボを駆って|東《とう》|名《めい》高速を東京に向っていた。  事故を起したM1シルエット・マシーンの火は、あのあと駆けつけた消防車によって十数分後に消しとめられたが、完全にスクラップ化し、修理は不可能と分った。  レース出場を断念した恵美子に、事務的金銭的な事後処理の仕事が待っていた。  事故のあとすぐに、二人のドイツ人メカニックは、マシーンの左前輪を支えていたダブル・ウィッシュボーンのサスペンションが折れたのは、正常な点検では内側の傷が発見出来ぬ欠陥材質のせいか、恵美子の無謀運転のせいで、自分たちには責任は無いと主張した。  吹っ飛んだ左前輪と、それに付いていたサスペンションの断片はスピードウェイの車検パドックに保管されたが、事故の夜、そのサスペンションの断片が消えるという事件が起った。  恵美子のトレーラー・ハウスのカー電話を通して、スプロの長谷部が連絡してきたのは昨日の午後であった。ルミはスピードウェイのドライヴァース・サロンにいた。 「事故の原因が分った。折れたサスペンションには、空気が触れている金属表面には目に見える変化は現われないが、金属の内部を|腐蝕《ふしょく》させる特殊な薬品が塗りつけられてあったのだ」  と、言う。いつもの余裕は無く、緊張した声だ。 「じゃあ、あれを車検パドックから盗んだのは……?」 「その通り。我々の部下が化学検査に回すためにやったことだ」 「|誰《だれ》なの、金属腐蝕剤を使って、わたしを事故死に見せかけて殺そうとしたのは?」  恵美子は怒りに|瞳《ひとみ》をグリーンに光らせた。 「今のところ、我々が相手にしているある団体が雇ったある巨大な暴力組織とだけ言っておく」 「事故の直後、消火器のレヴァーを引いたの。でも、レヴァーは動かなかった」 「強力な瞬間接着剤で、レヴァーは固定されてたのだろう」 「事故の前、公道で暴走族に襲われたわ。前の日、|奴《やつ》|等《ら》を|弄《なぶ》りものにしてやった仕返しだけど」 「奴等は暴力組織が雇った連中だ。だらしない連中だったが……ともかく、君も|狙《ねら》われている。出来るだけ早く帰って、戦闘準備をととのえるんだ」 「私も|狙《ねら》われている、という意味は?」 「会ってからくわしく話す。我々の本拠も敵に知られている可能性が大きい。君の本当の身分が敵に割れていることは確実だ。充分に要心してくれ」  長谷部は電話を切った。  恵美子はトレーラー・ハウスの食料庫の床下の隠し物入れに仕舞ってあった、板バネ・クリップ付きの|鞘《さや》に入っているガーバー・マーク|㈵《ワン》の刺殺用ブーツ・ナイフを、左のウエスターン・ショート・ブーツの内側に差しこんだ。  やはり床下の隠し物入れにあった、スプロの銃工が作製したディリンジャー・タイプの超小型上下二連|拳銃《けんじゅう》を折り開き、二発の三十二口径オート実包が詰まっていることを確認してから、撃鉄を静かにハーフ・コックの位置まで倒し、右のブーツの内側に突っこむ。  その拳銃には照星も照門もついてない。至近距離での護身用として作られたからだ。しかし恵美子は訓練によって、カンを頼りに腰だめでブッ放しても、二十五メーターの距離をへだてた人体標的の心臓部分に命中させることが出来るようになっている。  実包の口径を三十二オート、つまり〇・三三コルトあるいは七・六五ミリ・ブラウニングとしたのは、今はスプロの武器庫に預けてある愛銃のザウエル自動|装《そう》|填《てん》式拳銃と同じ弾薬が使えるからだ。  二十発の予備実包が入ったゴム製の弾薬サックをジーパンの|尻《しり》ポケットに突っこんだ恵美子は、ドライヴァース・サロンに行った。  ポルシェやドイツ・フォード系のシルエット・マシーンのオーナーやドライヴァーたちを|掴《つか》まえては|下《へ》|手《た》な英語で売りこみを計っている二人のドイツ人メカニックを、自分のトレーラー・ハウスに連れていき、 「御苦労だったわね。あなたたちの腕は超一流だわ。帰国旅費のほかに二千ドルのボーナスを払ってあげる。そのかわり、今度わたしが新しいM1マシーンを手に入れた時は、またわたしのために働いてね」  と、ドイツ語で言う。  二人は、今日の午前の便で帰国した。  そしてルミのほうは、今朝遅く、ジープ・ワゴニアでトレーラー・ハウスを|曳《ひ》いて、|元《もと》|麻《あざ》|布《ぶ》にある恵美子のマンション・シルヴィアに向っている……。  東名を行く恵美子のアルピーナ・ターボは、|大《おお》|井《い》|松《まつ》|田《だ》から|厚《あつ》|木《ぎ》にかけての片側二車線道路の追越し車線を時速百三十キロほどで、ゆるやかにターボを効かせて走っていた。ギアは五速に入れている。  |秦《はだ》|野《の》と|伊《い》|勢《せ》|原《はら》の中間のあたりで、十数台の自家用大型トラックの群れが編隊を組んで走っているのが見えた。  その編隊を追い越そうと思った恵美子は、それぞれのトラックの運転台の屋根の上に強力なトランシーヴァーの|C・B《シチズン・バンド》のアンテナが突きだしているのを見てハッとなった。  それに、その編隊は、走行車線を八台ぐらいが走り、走行車線の列の真ん中あたりの右の追越し車線を四台が並行して走っている。  もし、追越し車線を走っているトラックの最後尾に恵美子の車が迫ったら、左側の走行車線のトラックのうちの数台が恵美子の車のうしろに回りこみ、恵美子の車を完全にはさみこんでしまうことが出来る布陣だ。  その場合、恵美子の前のトラックが急ブレーキを掛け、恵美子のうしろに回ったトラックが追突してきたら、恵美子の車はサンドウィッチのようになる。さらに恵美子の車の左横のトラックが横腹をぶつけてきたら、恵美子の命は無くなるだろう。  恵美子はサード・ギアにシフト・ダウンしてターボを充分に効かせた。  左の路肩に出て、走行車線のトラックを左から抜く構えを見せた。  走行車線のトラックの群れの最後尾のトラックが、追越し車線側に寄って、恵美子の車に進路をゆずった。最後尾から二番目のトラックも同様だ。  ここで恵美子が加速したら、その二台のトラックは恵美子の車のうしろをふさぎ、前方のトラックのうちの数台は恵美子の車の前に跳びだすことであろう。  だから恵美子は急ブレーキを踏み、走行車線に戻って、スピードを八十キロぐらいに落した。  トラックの編隊も百キロほどのスピードから八十キロぐらいにスピードを落した。さっきの二台は走行車線のレーン内に戻っている。恵美子は目に写るトラックのプレート・ナンバーや会社名を暗記しながら、四十キロにまでスピードを落した。  当然ながら、東名を走っているのは、恵美子のアルピーナ・ターボをマークしているトラックの編隊と恵美子の車だけではない。一般車や道路公団の車やパトカーも走っている。  八十キロほどまでスピードを落していたトラックの編隊は恵美子に合わせて四十キロぐらいにまでスピードを落した。そのために、恵美子の車を抜いた一般車が見る間に走行車線に十数台詰まり、クラクションを合唱させる。  追越し車線をノロノロと走る四台のトラックは、渋々と走行車線に移り、一般車に抜かせる。  恵美子はそれら一般車にまぎれこんでトラックの編隊を抜こうかと思ったが、左前方に|鶴《つる》|巻《まき》のバス停が見えてきたので考えを変えた。  そのバス停は東名バス用のものだから、本線の横に数百メーターの導入路と本線への進入路を持っている。  ギアをローにまで落していた恵美子は、バス停への導入路にフル・アクセルで突入した。強烈な加速だ。エンジン回転がレッド・ゾーンに達すると、アクセル・オンのままシフト・アップする。  わずかな距離のあいだに時速二百キロを越えたアルピーナ・ターボは、必死に加速しているトラックの編隊のはるか前に跳びだした。  追越し車線に出ると、ブースト圧を〇・九に上げ、パッシング・ライトを点滅させ続けながら、追越し車線を走る一般車を時には時速二百八十キロ近いスピードで|蹴《け》ちらしていく。  そういったケタちがいのスピードですっ飛んでくる車がいることなど想像外にある一般ドライヴァーの車が走行車線から追越し車線にさまよい出るごとに、急ブレーキや急ハンドルでかわすことにうんざりした恵美子は、厚木インターを過ぎて三車線になると、百二十から百四十キロぐらいにスピードを落す。  やがて、二本の走行車線に車がつながっているあたりで、追越し車線を時速八十ぐらいでのろのろと走っているトラックが見えた。  そのトラックはC・Bアンテナは立ててなかった。そのトラックに追いついた車がパッシング・ライトやクラクションで追越しの合図をしても|頑《がん》としてどかないので、追越し車線での追越しをあきらめた車は、走行車線に移り、しばらく時間のロスをしてから、左からそのトラックを追越している。  馬鹿猿にルールを教えてやりたくなるのが恵美子の悪いクセであった。  そのトラックに追いつきブレーキでスピードを殺しておいてから再加速態勢に入り、パッシング・ライトとクラクションを浴びせた。  しばらくのあいだ車線を変えなかったそのトラックは、車体を大きくローリングさせて走行車線に移った。  恵美子が追越そうとすると、そのトラックは、いきなり追越し車線に戻り、急ブレーキを掛け、ディーゼルの真っ黒な排気煙を浴びせる。  アルピーナ・ターボのブレーキ性能が加速力に釣り合ってなかったらそのトラックに追突するところであった。  そういう妨害が三度続いた。  恵美子はそのトラックを左側から追越し、トラックの直前を、トラックのスピードに合わせてゆっくり走った。トラックは全力をふりしぼってスピードを上げてくる。  アルピーナ・ターボのバック・ミラーに写るそのトラックの運転手の土気色の顔と凶暴な表情から、|覚《かく》|醒《せい》|剤《ざい》か何かの中毒者と分った。  スプロが相手にしている組織の者では無いらしい。しかし、腹にすえかねた恵美子は、グローヴ・ボックスからスパナーと薄いゴム手袋とウエスを取出した。  ゴム手袋をつけた手で、ウエスを使ってスパナーの指紋を|拭《ぬぐ》う。車の助手席側の窓を降ろした。  車の流れが途切れ、前方にも後方にもほかの車が見えなくなった時が来た。  恵美子は走行車線にアルピーナ・ターボを移し、ブレーキを踏んでトラックの斜めうしろにさがった。そのトラックの横腹には|川《かわ》|本《もと》シャーリングと書かれている。  加速しながら恵美子は、上体を右の助手席に倒し、手首のスナップを効かして、スパナーを幅寄せしてくるトラックの運転席に投げこんだ。急加速して逃げる。  バック・ミラーには、大きく|蛇《だ》|行《こう》したトラックがガード・レールをへし折って横転したのが見える。車外に放りだされた運転手は、自分のトラックに押し|潰《つぶ》されて|挽《ひき》|肉《にく》状になる。  それからあと、元麻布のマンション・シルヴィアに着くまで何も変ったことは起らなかった。  天井が高い地下駐車場に、トレーラー・ハウスとジープ・ワゴニアが戻っているのを見た恵美子は、エレヴェーターを使って九階にある自分の|続き部屋《スウィーツ》の玄関前に着いた。  インターフォーンの押しボタンを押す。ちょっと間があって、 「どなた?」  ルミの声がインターフォーンを通じて尋ねた。|怯《おび》えたような声だが、ルミはスピードウェイでの恵美子の大事故以来、神経がたかぶっているようであったから、恵美子は大して気にかけずに、 「わたしよ。開けて」  と、言った。 「御免なさい。いまちょっと手が放せないの」 「いいわ」  恵美子はショールダー・バッグから出したキーで玄関のロックを解いた。  玄関を通り、居間のドアを開いた時、|寝椅子《デイヴァン》の上で素っ裸にされ、両手を背中のうしろで縛られているルミの姿と、|拳銃《けんじゅう》を腰だめにした四人の男の姿が恵美子の目にとびこんだ。 「動くな! |可《か》|愛《わい》い恋人をくたばらせたくなかったらな」  目の色が見えぬほど濃いサン・グラスを掛けた男が鋭く叫んだ。コードをのばされたインターホーンが寝椅子の上に転がっている。      五  オール・ヌードで両手を背中のうしろで縛られているルミは、恐怖の表情を|剥《む》きだしにしていた。しかし、異様な状況に置かれた興奮からか、乳首は硬く|勃《ぼっ》|起《き》している。 「助けて、おねえさま!」  と、|喘《あえ》ぐ。  四人の侵入者のうちの二人がそのルミに|拳銃《けんじゅう》の銃口を向けていた。  濃いダーク・グレーのサン・グラスの男と、グリーンのシューティング・グラスの男は恵美子に拳銃の銃口を向けている。  四人の拳銃は、いずれも|輪胴回転式《リヴォルヴァー》で、メーカーやモデルの差はあっても、細い|銃腔《じゅうこう》から見て口径二十二と分った。 「|俺《おれ》たちがこんなところでブッ放せるわけはない、と思ってやがるんだろう?……だけど、そいつは間違いだぜ。ああ、大間違いだ。こいつを使うんだから、銃声が廊下に漏れたところで、豆が|爆《は》ぜたぐらいにしか聞えんよ」  濃いサン・グラスの男が薄ら笑い、左手でポケットから数発の口径二十二ショート実包を|掴《つか》みだして恵美子に示した。  センター・ファイアではなくリム・ファイアの、口径二十二ロング・ライフル|実《じっ》|包《ぽう》でさえも、|薬莢《やっきょう》の長さはわずか一・五センチ、直径も約六ミリと|可《か》|愛《わい》らしいのに、反動が少ないほど好ましいピストル・シルエットの速射用に使われている口径二十二ショートとなると、ロング・ライフルより薬莢は五ミリは短く、火薬量はごく少ない。  したがって威力はごく弱いが、大きな音をたてるのが好ましくない|室内射撃場《インドア・レンジ》やリス|射《う》ちにもよく使われているように、銃声も小さい。 「これで|俺《おれ》たちが消音器をつけてないわけが分ったろう? そんなもの必要ないからな。それに、俺たちが使っているのは見ての通りにリヴォルヴァーだ。ロング・ライフル用の弾倉がついているオートマチック|拳銃《けんじゅう》にショート弾を使った時とちがって、連発しても回転不良を起すことはない——」  男は短い笑い声をたて、 「おまけにな、こいつを数発|射《う》ちこまれても、よほどの急所でないかぎり即死はしねえんだ。長いあいだ苦しんだあげく、もがきながらくたばる」  と、付け加える。 「講釈はもういいわ。それで、わたしに何の用なのよ? 悲鳴でもたててもらいたいの?」  恵美子は冷たく言った。 「ふざけるな!——」  グリーンのシューティング・グラスの男が|怒《ど》|鳴《な》った。分厚い|唇《くちびる》を|歪《ゆが》めてニヤリとし、 「しかし、まあ、ギャーギャーわめかれるよりはましだ」  と、言う。 「…………」 「それでは、用件に入ろう。ズバリ言って、|俺《おれ》たちは、あんたにお願いがある」  濃いサン・グラスの男が言った。 「お願い?」 「そう。お願いするにしては、いささか非礼だということは充分に心得ているが、人質でもとっておかないことには、あんたが俺たちの話を聞いてくれそうもないんでね」 「|拳銃《けんじゅう》を|仕《し》|舞《ま》ってくれたら話を聞かないでもないわ」  恵美子は愛想笑いを浮かべてみせた。 「そうはいかん。俺たちがハジキを仕舞った途端に、あんたがどこからかハジキを取出してブッ放してくるだろうからな」 「ハジキって何? わたし、そんなもの持ってないわ」 「カマトトは似合わないぜ。あんたがハジキを持っているか持っていないかは、すぐに分ることだ……俺たちのお願いというのはな。あんたにスプロとかいう組織から|脱《ぬ》けてもらって、俺たちの組織に|鞍《くら》|替《がえ》してもらいたい、ということさ。|勿《もち》|論《ろん》、高給をお払いすると、ボスはおっしゃってる」 「スプロ? スプロって何なの?」 「また、また、とぼける。俺たちを|舐《な》めるんじゃない。俺たちはスプロのエージェントを何人か痛めつけて、あんたがスプロの女エースだということを知ったのさ。念のために言っておくと、スプロは国際秘密組織スペッシャル・プロフィット・アンド・リヴェンジ・アウトフィッターズの略語だそうだな」 「知らないわ」 「俺たちの組織は、はじめはあんたを事故に見せかけて片付ける方針だった。だけど、あんたは俺たちが考えていた以上に有能だと分った。だから、方針を変えて、あんたの能力を|俺《おれ》たちの組織のために役立たせることにしたんだ。さあ、これだけ聞いたら、あんたはスプロの執行人の一人だということを認めるな?」 「何のことだか分らないわ」  恵美子はショート・ブーツに隠したディリンジャー・タイプの|拳銃《けんじゅう》とガーバー・ナイフを抜くチャンスが訪れるのを待ちながら時間|稼《かせ》ぎを行なった。 「|可《か》|愛《わい》い恋人が痛めつけられるところをたっぷり拝ませてやる。そしたら、あんたはスプロのエージェントだと認める気になるだろうよ。幸い、このマンションは上等な造りだから、悲鳴が廊下に漏れるようなことはないだろう」  グリーンのシューティング・グラスの男がサディスティックな笑いと共に言った。 「やめて! お願い、やめさせて、おねえさま!」  恐怖に顔を引きつらせたルミが叫んだ。 「おっぱじめる前に、ハジキを提出してもらわんことにはな。スプロの女エースさんよ。だけど、あんたのことだ。ハジキを差し出す振りをしてブッ放そうという|魂《こん》|胆《たん》かもな。そこでだ、あんたにも裸になってもらう。脱いだものを部屋の|隅《すみ》に放るんだ」  濃いサン・グラスの男が命令した。好色な笑いがこみあげてくるのを押しとどめようとしているようだ。 「|嫌《いや》よ! スプロなんて知らないし、ハジキなんかも知らないと言っているでしょう?」 「|俺《おれ》たちのハジキはただの|嚇《おど》しのオモチャでないんだぜ——」  濃いサン・グラスの男は腰だめにしていたスターム・ルーガーのシングル・シックス・リヴォルヴァーを持った右手をのばし、左手を添えた。撃鉄はすでに起されている。 「まずは、|怪《け》|我《が》しないように、ベルトのバックルに当てて見せる。動くなよ。動いたら、バックルでなく、腹に当っちまうからな」  男は笑い、発砲した。  軽い銃声と共に発射された口径二十二ショートの小さな弾頭が、マウンテン・シープの絵を彫った銀合金の恵美子のウエスターン・バックルに命中した。  エネルギーが小さな口径二十二ショート弾とは言え、腹にパンチをくらったようなショックを覚えて恵美子は前のめりになる。視線をバックルに落すと、鉛の弾頭はバックルを浅くへこませて|潰《つぶ》れ、その|窪《くぼ》みにへばりついていた。  ブーツの拳銃を抜きやすいように、恵美子は|喘《あえ》ぎながら体勢を立て直したついでに|尻《しり》|餅《もち》をついた。 「俺の射撃の腕だって、まんざらじゃねえだろう?」  濃いサン・グラスの男が言った。すでに親指で撃鉄を起し、|輪胴弾倉《シリンダー》を六分の一回転させている。 「分ったわ。もう|射《う》たないで……吐きそう……」  恵美子は、わざと哀れっぽく言った。 「じゃあ、あんたはスプロのエージェントだと認めるんだな?」 「スプロなんて知らない」 「スプロの人間だということを漏らしただけで裏切者として扱われるそうだからな……さあ、脱げ。まずブラウスからだ。言うことを聞かねえと、今度は耳を吹っ飛ばしてやる」 「…………」 「ゆっくりと脱ぐんだぜ。おかしな動きをしたらブッ放すからな」 「分ったわ」  恵美子はブラウスのボタンを外した。ゆっくりと脱ぐ。部屋の隅に向けて放った。ブラジャーはつけてない。  |褐色《かっしょく》に陽焼けした恵美子の野性的な上半身を見て、男たちはヨダレを垂らしそうになった。 「今度はジーパンを脱げ。おかしな|真《ま》|似《ね》をするなよ」  濃いサン・グラスの男が命じた。  恵美子はジーパンのベルトのバックルのフックを外した。ジッパーを下げる。|尻《しり》|餅《もち》をついているので、左手を|絨毯《じゅうたん》につき、腰を浮かしてジーパンを右手でずりさげる拍子に、|尻《しり》ポケットに入れてあった口径三十二|拳銃実包《けんじゅうじっぽう》を二発ひそかに取出した。背中のうしろで、分厚い絨毯の毛のあいだに押しこめる。  恵美子としては、ショート・ブーツの上を通してジーパンを脱ぐ際に、ブーツから上下二連のディリンジャー・タイプの拳銃を抜いて射つ積りであった。  恵美子はパンティもはいてなかった。ジーパンを|膝《ひざ》のあたりまで降ろした時、|猛《たけ》|々《だけ》しいほどの下腹のジャングルを見つめていたシューティング・グラスの男が、 「ストップ! そのまま、両脚を大きく開いて、両手を|床《ゆか》につけろ。そのほうが、ジーパンが脚にからまって動きがとれんだろうし、素っ裸になるよりエロチックでいい」  と、言った。 「兄貴の言う通りだ。さあ、|股《また》をおっ広げろ」  濃いサン・グラスの男が垂れかけたヨダレを|啜《すす》りこんだ。  恵美子は言われた通りにした。花弁が|剥《む》きだしになる。ルミに銃口を向けていた二人の若い男のスラックスの前がふくらみきり、ジッパーがはじけ切れそうになっていた。 「よし、そのまま動くなよ——」  シューティング・グラスの男が恵美子に命じ、若い二人に、 「おっぱじめろ」  と、|顎《あご》をしゃくった。視線は恵美子から外さないままだ。 「分りやした」 「レズに男の味を教えてやります」  二人の若い男は拳銃を持ったまま、大いそぎでスラックスとブリーフを脱いだ。  その二人の|痩《や》せた長身のほうのペニスは細いが長く、ずんぐりしたほうのは短いが太かった。いずれも天井を向いて脈打ち、すでに透明なジュースをしたたらせている。 「男嫌いのあんたの|可《か》|愛《わい》い彼女が、こいつらに|穢《けが》されるのを黙って見てるのかい? 今のうちにしゃべったほうが利口じゃないのかね?」  シューティング・グラスの男が|嘲《あざ》|笑《わら》った。その男も、ズボンの前をふくらませている。濃いサン・グラスの男もだ。 「助けて、おねえさま……わたしを愛しているのなら……お願い、しゃべって!」  ルミは悲痛な声をたてた。 「わたしには何もしてあげられないわ。悲しいことだけど」  恵美子は|呟《つぶや》いた。 「わたしを愛してないのね!」 「愛しているわ。でも、スプロなんて知らないの、信じて」 「よし、はじめろ」  シューティング・グラスの男が若い二人に命じた。  両手を背中のうしろで縛られているルミを、二人の若い男はベッドにもなる寝椅子の上で仰向けにさせた。金切声をあげながらルミは両|腿《もも》をぴったりと閉ざす。  二人の若い男は無理やりにルミの両|膝《ひざ》を開かせた。ずんぐりした男のほうが|革《かわ》|紐《ひも》を上着のポケットから取出した。|拳銃《けんじゅう》を口にくわえ、革紐の一端でルミの右足首を縛り、寝椅子の脚の一本に一端を固定した。  |痩《や》せた男のほうがルミの左足を思いきり引っぱっている。ずんぐりした男はルミにのしかかった。  |蜜《みつ》|壺《つぼ》をさぐり当てたペニスが貫いた。男は拳銃を右手に持ち替え、激しく腰を振った。  恵美子はブーツから拳銃を抜くチャンスを待っていたが、サン・グラスの男とシューティング・グラスの男二人は、恵美子の反応を楽しむかのように恵美子から視線を外さない。  ルミを貫いている男は、|溜《た》まりきっていたらしく、たちまち放射し、|尻《しり》の筋肉を|痙《けい》|攣《れん》させた。 「もう、いいだろう、代ってくれよ、兄貴」  |痩《や》せた若い男がせかせた。 「今のはほんの味見だ。もう一発かませてやる」  放射しても硬度を保っているずんぐりした男は、再びゆっくりと腰を振りはじめた。 「代ってやれ!」  サン・グラスの男が、振り向きもせずに言った。 「済んません」  ずんぐりした男は、渋々とルミから身を抜いた。立上ると、|濡《ぬ》れ光っている硬いものを恵美子のほうに誇らしげに向ける。  今度は|痩《や》せた男のほうがルミを犯そうとしていた。ルミの左脚が自由になっているのでうまくいかない。 「手伝ってやれ」  シューティング・グラスの男が、ずんぐりした若者に命じた。 「わ、分りやした」  ずんぐりした男は悲鳴をあげるルミの左足首を引っぱった。まだペニスを脈打たせている。  痩せた若者もたちまち果てた。同時に、ずんぐりした若者も、二発目を|虚《こ》|空《くう》に放つ。  恵美子は仮面のような表情でその様子を眺めていた。 「ちえっ、だらしねえ連中だ。女によがり声をださせねえことにはちっとも効き目がねえぜ。ヒロシ、いい加減にその女から離れてあの女にハジキの|狙《ねら》いをつけてろ。|俺《おれ》がこの女を料理してやる」  サン・グラスの男が、再び腰を使いはじめた|痩《そう》|身《しん》の若者に言った。 「あ、あっ、またよくなりやがった、畜生……」  ヒロシと呼ばれた男は再び果てた。|余《よ》|韻《いん》を楽しもうとする。 「|馬《ば》|鹿《か》野郎、こんなことじゃあ、何回やってもきりがねえや」  サン・グラスの男はヒロシの髪を|掴《つか》んでルミから引きはなした。まだ垂らしながら、ヒロシは下半身を|剥《む》きだしにしたまま立上り、シューティング・グラスの男と並ぶと、あわてて恵美子に|拳銃《けんじゅう》を向ける。しぼみかけていたものが恵美子の秘部を見て再び仰角を保ってきた。 「タカシ、この女のあそこが、あの女によく見えるように、よく|股《また》を開かせておけ」  サン・グラスの男は、ルミの左足首を引っぱっている、ずんぐりした若者に命じた。  若者は馬鹿力を振るって、言われた通りにした。ルミの|蜜《みつ》|壺《つぼ》からは、二人の若者がたっぷり放ったものが流れ落ちている。  サン・グラスの男は、拳銃を口にくわえた。麻の背広のボタンを外す。ワイシャツの腹の上に、百二十五CCクラスのバイクのチェーンが|捲《ま》きつけられているのが見えた。  男は薄く笑いながら、ピンを抜いてチェーンを腹から外した。そいつを三つ折りにする。拳銃を左手に移した。 「な、何をするの?」  ルミは金切声をあげた。 「こいつでお前を|可《か》|愛《わい》がってやる。こいつを突っこまれて|掻《か》きまわされたら、不具になるどころか廃人になるかも知らんぜ——」  男は言い、今度は恵美子の方を向いて、 「可愛い女の体がどんなことになるか分ってるくせに、顔色一つ変えんとは、さすがスプロの女エースだな」  と、笑った。 「…………」  恵美子は答えなかった。 「よし、分った」  男は三つ折りにしたチェーンの先端部をルミの|蜜《みつ》|孔《あな》に押し当てた。  ルミが絶叫を放った。  サディスティックな興奮に駆られたシューティング・グラスの男が、ルミの|股《こ》|間《かん》とチェーンのほうにチラチラと視線を走らせる。 「さあ、これが最後のチャンスだ。しゃべってくれるだろうな?」  シューティング・グラスの男が恵美子に向けて言った。 「…………」  恵美子は答えなかった。 「よし、やれ!」  男はわめいた。  残忍な笑いを|頬《ほお》に走らせたサン・グラスの男は、チェーンをルミに|捩《ね》じこんだ。  出血と汚物にまみれながら、ルミは身の毛がよだつような絶叫を発した。  いま、男たちの視線は、ルミとそのなかに押しこまれるチェーンに集中していた。  シューティング・グラスの男は本物のサディストらしく、左手でズボンのボタンを外し、黒紫色のものをしごきながら、 「思いきり|掻《か》きまわせ!」  と、|喘《あえ》ぐ。  その時恵美子は、すっと脚を閉じ、左のブーツの|踵《かかと》で、ジーパンの右|裾《すそ》を押しあげ、右のブーツに差しこんである|拳銃《けんじゅう》を抜きやすくした。同時に、左手を背中のうしろに回し、|絨毯《じゅうたん》に隠してあった二発の|実《じっ》|包《ぽう》を|掴《つか》む。  サン・グラスの男は、さらに乱暴にチェーンをルミに押しこんだ。  心臓が|喉《のど》からとびだしそうな表情になっているルミは、絶叫にまじえ、 「約束がちがう!」  と、金切声をあげる。  それを聞いた瞬間、恵美子の全身がバネのようにしなった。  上体を前に倒して右のショート・ブーツからディリンジャー型超小型拳銃を抜き、抜きながら撃鉄を起すと、シューティング・グラスの男の右肺に|射《う》ちこんだ。  口径三十二の拳銃実包は、三五七マグナムや四四マグナムからくらべるとケタ違いに威力は小さいとはいっても、ディリンジャー型拳銃の銃身が短いこともあって、口径二十二ショートとは比較にならぬ鋭く大きな銃声をたてた。  シューティング・グラスの男は、右手の拳銃を放りだし、両手で傷口を押さえて転がった。  恵美子は二発目を、あわてて振り向いたサン・グラスの男の|眉《み》|間《けん》に射ちこんだ。衝撃で眼球が|眼《がん》|か[#「か」は「あなかんむり」の下に「果」Unicode="#7AA0"]《か》からはみだしたその男は即死する。 「野郎!」  二人の若い男が、あわてて恵美子に銃口を向けようとした。  だが、その時には恵美子は上下二連の拳銃のレヴァーを押して銃を折っていた。二個の|空薬莢《からやっきょう》が自動エジェクターによってはじき出される。  左手に持っていた二発の実包を二本の銃身の二個の薬室に詰めた恵美子は、転がりながら銃を閉じ、撃鉄を親指で起す。  |痩《や》せた男が発砲してきたが、恵美子の肩をわずかに外れた。  恵美子は続けざまに二発射った。  |眉《み》|間《けん》に一発ずつくらった二人は即死した。  ジーパンを引きあげ、ジッパーを閉じながら立上った恵美子は、|空薬莢《からやっきょう》を抜き、|尻《しり》ポケットの実包を二発|装《そう》|填《てん》した。  肺を射たれた男の顔からはシューティング・グラスが外れていた。口からは鮮血がこぼれている。落した|拳銃《けんじゅう》を拾おうともがいている。  駆け寄った恵美子は、そのハイスタンダード・ダブル・ナインのリヴォルヴァーを取上げた。ウエスターン・ベルトのバックルのフックをはめると、ベルトにその拳銃を差しこむ。  男はキツネに似た顔をしていた。口からの出血に鼻からの出血が重なって血にまみれたその男の顔は苦痛に|歪《ゆが》んでいる。  恵美子は横目でルミをうかがった。チェーンを挿入されたままのルミは気絶した振りをしているが、|痙《けい》|攣《れん》する|頬《ほお》と|瞼《まぶた》がルミの意図を裏切っている。      六  ディリンジャー型拳銃を左手に持ち替えた恵美子が、左のブーツからガーバー・マーク㈵のナイフを抜いた時、男は|怯《おび》えきった目を開いた。 「な、何しやがる!」  と、|呻《うめ》く。また血を吐く。 「仲間はどこ? この部屋にいる三人の仲間とは別のよ。ここの三人は地獄に行ってしまった」  恵美子は冷酷な表情で言った。ナイフを使って、バックルにめりこんでいる弾頭をこじり外した。 「畜生……貴様がスプロの女エースだとは聞いていたが……たかが女だと|舐《な》めてたのが失敗だった……」  男は|喘《あえ》いだ。|剥《む》きだしにしていたものは、今はしぼんでいる。 「質問に答えるのよ。肺の傷は致命傷でないわ。わたしが、手術したら助かるようにと射ったんだもの。でも、あんたが答えを引きのばしていると手遅れになる」  恵美子は言った。  その時、電話が鳴った。  恵美子は顔をしかめたが、男に銃口を向けたままあとじさりし、受話器を取上げた。 「小島さんですね?」  電話からのあわてた声はマンションの管理人からのものであった。 「ええ、小島です。何か?」  恵美子は愛想いい声を出した。 「九階にお住みのあるかたから……お名前は勘弁してください……あなたの部屋から銃声のような音が何回か聞えたと……」 「あら……驚かして済みません……ホンコンから来たお友達に爆竹をいただいたので、面白がって試してみてたんです……ええ、|勿《もち》|論《ろん》、安全な場所で。そう、飾り暖炉のなかでね」 「そうでしたか……早まって百十番しないでよかった」  管理人は|安《あん》|堵《ど》し|溜《ため》|息《いき》をついた。 「知らせてくださったかたに、わたしからのお|詫《わ》びをお伝えしてね」 「私からよく御説明いたします。どうも、どうも」  管理人は電話を切った。  恵美子は|苦《く》|悶《もん》している男のそばに戻った。 「助かりたかったらしゃべるのよ。外で待っている仲間は? それに、あんたの名前は?」 「|俺《おれ》は|高《たか》|岡《おか》っていうんだ……|仲《ダ》|間《チ》は……あんたのトレーラー・ハウスのなかだ」 「何人?」 「四人だ」 「あんたたちが乗ってきた車は?」 「マーキュリー・クーガーとキャディラック・エルドラドとシボレー・カマロだ。このマンションからちょっと離れたところに路上駐車している」  高岡と名乗った男の出血は少し弱まった。 「いかにも、ヤーさんが好きそうな車ね」 「でっかいアメ車だと、駐車違反でやられることが滅多にねえ……俺たちはサツと持ちつ持たれつの仲だから……|糞《くそ》う……|痛《いて》えよう……息がつまる……早く血を止めてくれ」  高岡はもがいた。 「トレーラー・ハウスに隠れている連中は何を待っているの?……あんたがわたしを地下駐車場に連れてくるのを待っているだけ、とは思えない」 「…………」 「痛めつけかたが足りなかったようね。ルミにあんたたちが使ったチェーンで、あんたのアヌスを破壊してやる」  恵美子は残忍な笑いを浮かべた。 「ま、待ってくれ……取引きしねえか?」  再び血を吐きながら高岡は|喘《あえ》いだ。 「どんな取引きよ?」 「俺が知っているモグリの医者のところに運んでくれたら、重大なことを教えてやる……あんたの|生命《いのち》にかかわることだ」 「いましゃべってくれたら、あんたをそこに運ぶわ」 「|駄《だ》|目《め》だ……向うに着いてからだ」 「あんたが入っている組織は? どうせ、あんたから聞かなくても、すぐに分ることでしょうがね」 「しゃべれねえ……しゃべったことが分ったら、ひどいリンチに掛けられる……だけど、信じてくれ……組織が方針を変えて、あんたを抱きこむことにしたというのは|嘘《うそ》じゃねえんだ。本当だ……」 「じゃあ、ルミから|尋《き》くことにするわ。あんたは、ほかの武器を持っていても使えなくしてあげる」  恵美子は言った。右手のナイフが|閃《ひらめ》く。  高岡の右|肘《ひじ》の|腱《けん》が|袖《そで》ごと切断された。白目を|剥《む》いて気絶した高岡の左肘の腱も恵美子は切断した。  高岡のスラックスで血を|拭《ぬぐ》った恵美子は、そのナイフを、左のブーツのなかの|鞘《さや》に収めた。  高岡の体をさぐる。高岡は|身《み》|許《もと》を明らかにするものを身につけてなかった。マネー・クリップで束ねた五十万ほどの現ナマとヘンケルの西洋カミソリ、それに五十発ほどの口径二十二ショートの実包が入った革ケース、それにタバコやライターなどが出てくる。  恵美子はそれらをポーカー・テーブルに置き、高岡から奪ったハイスタンダード・ダブル・ナインのリヴォルヴァーの輪胴弾倉を左横に開いてみた。九発の口径二十二ショート|実《じっ》|包《ぽう》が詰まっている。  手首の鋭い一振りでシリンダー弾倉を閉じた恵美子は、その拳銃を自分のベルトに戻し、三つの死体が持主であった|拳銃《けんじゅう》を取上げ、死体を調べた。  三人とも、|身《み》|許《もと》を示すものは身につけてなかった。濃いサン・グラスを掛けていた男——そのサン・グラスのブリッジは恵美子の三十二口径弾に割られていた——が身につけていたのは、高岡のと似たようなものであった。  二人のチンピラは所持金が一万円足らずであった。ヒロシと呼ばれていた若者のポケットから出てきたフォードのキーは、マーキュリー・クーガーのものであろう。もう一人のずんぐりした男の死体が身につけていた|G《ジェネラル・》・|M《モーターズ》のキーはキャディラックかシボレーのものであろう。  奪った品々をポーカー・テーブルの上に移し、恵美子は寝椅子のルミに近づいた。  ルミの|蜜《みつ》|孔《あな》に数センチ挿入されているチェーンを乱暴に深く押しこむ。  |化鳥《けちょう》のような悲鳴をあげたルミは、苦痛に全身を|痙《けい》|攣《れん》させながらも上体を起そうともがき、 「何すんのよ!」  と、金切声をあげる。 「いつから、この連中の仲間になったの? わたしと知りあう前から? それとも、知りあってから?」  恵美子は厳しい声で尋ねた。沈痛な|眼《まな》|差《ざ》しだ。 「し、知らないわ……何のことだか……」  ルミは|唸《うな》った。 「分ったわ。もう、あなたは、わたしの|仔《こ》|猫《ねこ》ちゃんでない」  恵美子はチェーンをひねった。ルミはおびただしく出血する。絶叫が一息つくとルミは、 「許して……許して、おねえさま……あいつらの組織に引きこまれたのは一と月ほど前……おねえさまがドイツに出かけている時、わたし、あいつらの組織に捕まって、何人ものチンピラからレープされたの……|奴《やつ》|等《ら》はその現場の写真をスチールやムービーで|撮《と》ったり、テープに録音したりして、もしわたしが組織に協力しなかったら、写真やテープをおねえさまに見せる、と|嚇《おど》したの……わたしが男を受け入れたことを知ったら、おねえさまはわたしをボロ|屑《くず》のように捨てるに決まっていると言って……わたし、|怖《こわ》かった……おねえさまに捨てられるのが……捨てられるぐらいなら、死んだほうがまし……」  ルミは涙を流した。 「奴等から、お金ももらったんでしょう?」  恵美子は、奇妙なほど優しい声で尋ねた。 「白状するわ……もらったのは事実よ……でも、絶対にお金のために奴等の言いなりになったのじゃないわ……信じて!」 「それで、あなたは奴等のために何をしてやったの? 今日のように|囮《おとり》になったほかに?」 「ただ、おねえさまの毎日のスケジュールや、おねえさまに起ったことを知らせただけ……本当よ、信じて」 「どうやって、|誰《だれ》に?」 「わたしと組織の連絡員は、“モーター・スポーツ・ウィークリー”っていう週刊誌の女の記者の|赤《あか》|坂《さか》|恵《けい》|子《こ》……彼女だと、ピットにもフリー・パスだし……」 「組織は、わたしのことをどう説明したの?」 「…………」 「言って!」 「もとは奴等の組織にいて、ある事件にからんで、組織のお金……それも何億という大金を持ち逃げしたと言っていた……おねえさまは大金持ちだから、わたし、うっかり信じてしまったわ。スプロなんて名、今日はじめて聞いた……スプロって何?」  苦痛にまだ|痙《けい》|攣《れん》を続けながらルミは尋ねた。 「いいから、続けて」 「組織は、おねえさまからお金を取戻そうとチャンスをうかがっているけど、おねえさまは組織の弱味を握っているし、誰かに計画的に殺されたと分った時には、組織と大物政治家との密着ぶりを示す証拠物件が検察庁や警視庁だけでなく各マスコミにも渡る|手《て》|筈《はず》になっているから、うかつにはおねえさまに手が出せない……そのうちに、おだやかに話しあって、お金のほうは|諦《あきら》めるから、もと通りに組織で働いてもらうようにする……って言ってたわ……|嘘《うそ》だったのね……」 「組織の名は?」 「具体的なことは教えてくれなかった……本当よ……でも、関東で一番大きな組織だと言ってたから、|東関東会《ひがしかんとうかい》のことかも知れない……広域組織暴力団の……ねえ、お願い……チェーンを抜いて……そっと……子宮まで壊れたみたい……」  ルミは|呻《うめ》いた。 「…………」  恵美子は一気にチェーンを引き抜いた。ルミは口から泡を吹いて意識を失う。  恵美子は血とザーメンで汚れたチェーンを持って高岡のところに戻った。それを、しなびている高岡の男根に|叩《たた》きつける。皮が切れ、肉が|潰《つぶ》れた。  苦痛のあまり意識を取戻した高岡は、 「助けてくれ……助けて……」  と、泣きわめいた。 「あんたが入っている組織というのは、東関東会のことね?」  恵美子は尋ねた。 「しようがねえ……認める……」 「東関東会が、どうしてわたしに用があるの? それとも、東関東会は、誰かのために動いているの?」 「くわしいことは知らねえ。|俺《おれ》は|六《ろっ》|本《ぽん》|木《ぎ》を中心に縄張りを持っている|田《た》|村《むら》|組《ぐみ》の幹部だが、田村組長にしたって、関東に五十人以上いる東関東会の直系若衆の一人にしかすぎんのだ……何しろ、東関東会には二万人もの構成員がいる……俺が知っているのは、今度の仕事を東関東会が|請《うけ》|負《お》ったのは、全日本歯科医師会からの頼みがあったということだ。あとは、さっき俺と|吉《よし》|村《むら》がしゃべったことぐらいだ」  高岡は|呻《うめ》いた。吉村とは、サン・グラスの男のことであろう。 「さっき、わたしと取引きしたい、と言ってたわね。でも、わたしの|生命《いのち》にかかわるということを、いましゃべってくれたら取引きに乗るけど、そうでなかったらお断りよ。そのかわり、あんたをオカマにさせてでも|尋《き》きだしてやる」  吐き捨てるように言った恵美子は高岡のズボンを脱がせた。軟便をちびっているブリーフも脱がせる。 「何しやがる!」  口からの血と共に高岡はわめき声を出した。 「さっきわたしが言ったことを忘れたの? これをあんたの薄汚いお|尻《しり》の|孔《あな》に突っこんで、思いきり引っかきまわしてやる」  恵美子はチェーンを示した。 「参った!——」  高岡は悲鳴をあげ、 「しゃべる……トレーラー・ハウスのなかにいる連中は、あんたの車……B・M・Wのアルピーナ・ターボのエンジン・ルームに爆弾を仕掛けた。あんたが俺たちと一緒でなくて、一人で駐車場に降りていった時には、俺たちが返り討ちに会ったということが分る。あんたがアルピーナ・ターボのスターターを回すと、爆弾がドカンといくことになっている。だから、トレーラー・ハウスのなかの連中は、あんたが俺たちと一緒に降りてくるか、それとも爆弾で吹っ飛ばされるかを見きわめるために待っているんだ」  と、しゃべる。血を|咳《せき》こんで背中と尻を|痙《けい》|攣《れん》させた。 「全日本歯科医師会と言ったわね、東関東会に仕事を頼んできたのは?」 「そうだ……日本歯科医師会の歯医者にも悪徳医師が多いが、あそこから独立した全日本歯科医師会の連中となると、|銭《ぜに》勘定しか頭に無い連中ばかりだ……くわしいことは、あんたのスプロの親玉に|尋《き》いてくれ……さあ、|俺《おれ》はしゃべったんだから、早くモグリの医者のところに連れていってくれ……路上駐車してある三台のアメ車に見張りは残ってねえ……このマンションの玄関から俺を連れ出してくれたら、地下駐車場の連中には気付かれずに済む……頼むぜ」  高岡は哀願した。 「あんたが一人で歩けるのならね」 「殺生な、かついで行ってくれ」 「お断りよ。そのかわり、楽に死なせてあげる。本当なら、あんたの体が|挽《ひき》|肉《にく》になるまでチェーンで痛めつけて、なぶり殺しにするところだけど、爆弾のことを教えてくれたお礼に、これ以上苦しまないで済むように殺してあげる」 「じょ、冗談だろう!」  高岡は恐怖に震える声を出した。  恵美子はその高岡を|俯《うつ》|向《む》けにさせた。チェーンを捨て、ガーバー・マーク㈵のナイフで|延《えん》|髄《ずい》を|抉《えぐ》る。  全身を突っぱらせて高岡は即死した。恵美子は気絶しているルミも、ナイフを使って、すみやかにこの世に別れを告げさせた。かつては愛したルミではあっても、自分の素顔を知られた以上、永遠に口を封じなければならない。  ナイフの刃をキッチンで洗った恵美子は、居間に移り、スプロの秘密番号に電話のダイアルを回した。 「はい、|東《とう》|光《こう》商事です」  連絡員が答えた。 「こちら、パンサリス。不動産のことで社長とお話が……」  恵美子は言った。 「しばらく、お待ちを……」  連絡員は答えた。自動的に録音された恵美子の声をチェックする一分ほどの時間が過ぎ、 「私だ。何かあったのかね?」  と、尋ねるスプロ日本支部長|長《は》|谷《せ》|部《べ》の声が聞えてきた。  恵美子は暗号と隠語を駆使しながら、さっき起ったことを報告した。  長谷部も暗号と隠語を駆使した。 「分った。君のマンションを部下に見張らせておかなかったのは私の失敗だった。死体処理係りと、爆弾処理係りをそちらに派遣するから、君は駐車場の連中をまいて、至急こっちに来てくれ。こっちの所在地はとっくに敵の組織に知られているようだから、待伏せに気をつけてくれ。それから、変装用の着替えも持ってくるように」  と、いう意味のことをしゃべる。  電話を切った恵美子は、五つの死体を浴室に移し、居間の血を|拭《ふ》いたり隠したりした。ボストン・バッグとスーツ・ケースに、着替えの品と、死体から奪ったものを詰めた。ショールダー・バッグに、ベルトに差していた高岡のハイスタンダード・ダブル・ナインのリヴォルヴァーを移す。  その|拳銃《けんじゅう》をいつでも引き抜けるようにファスナーを閉じないまま、恵美子はショールダー・バッグを右肩から掛けた。左手でボストン・バッグとスーツ・ケースを提げる。  幾つかあるエレヴェーターのうちで、地下駐車場には通じてない一つを使って一階に降りた。 「御旅行ですか?」  中年の管理人が声を掛けてきた。 「ええ。また、ちょっと海外に……さっきは済みません。驚かしてしまって」 「とんでもない……お車をお呼びしましょうか?」 「ガードマンにタクシーを拾ってきてもらうわ。それより、ちょっと困ったことが起きたの……うちの|親《しん》|戚《せき》がやっている電気屋さんに、冷蔵庫の取替えを頼んであったの。そしたら、問屋からの配達が遅れて、ここに持ってくるのが、今から三十分か一時間ほど遅れそうなの。幸い、さっきあの電気屋に寄った時に予備のキーを渡しておいたからよかったわ。冷蔵庫が着いたら、電気屋の人たちを通してあげてね」  恵美子は言った。超大型冷凍冷蔵庫のコンテナーを恵美子の部屋に運びこんだスプロの死体処理係りが、そのコンテナーに死体を詰めて去るという寸法だ。 「分りました。わたしが立会いましょう」 「それは困るわ……あの人たちのプライドを傷つけるし……それに……わたしだって女よ。管理人さんに部屋のなかを見られるのは恥ずかしい……電気屋の人たちは親類だから、男と思ってないけど……」  恵美子は身をくねらせて見せた。 「わ、分りました。じゃあ、私はお部屋まで上らないと約束します」  管理人は赤面した。 「有難う……じゃあ、あの人たちの用が済んだら、スペア・キーを受取って保管しておいてね」 「かしこまりました」  管理人は答えた。  恵美子は玄関にいるガードマンのところに行き、|小《こ》|島《じま》電気店の人間が来たら通すように言った。スプロが使っている即乾性のペンキは優秀だから、トラックのボディの店名を塗りかえた場合、五分もたてば塗りたてだと分らなくなる。  千円のチップを握らされたガードマンは、三分もかからないうちにタクシーを拾ってきた。  それに乗りこんだ恵美子は、ガードマンに聞えないように、 「|新宿《しんじゅく》に……」  と、運転手に行き先を告げる。  化粧を直す振りで、しばしば|手鏡《てかがみ》に背後を写してみたが、新宿まで尾行車は無いようであった。  |伊《い》|勢《せ》|丹《たん》の駐車ビルの近くでタクシーを降りた恵美子は、|靖《やす》|国《くに》通りの地下の商店街を歩き、そのさらに下にある有料駐車場に降りた。  |人《ひと》|気《け》が無い一画で待つ。  やがて、|鍵《かぎ》|束《たば》をぶらぶらさせたリーゼント・ヘアの若い男が、|駐《と》めてあるスカイラインGTに近づいた。  スーツ・ケースとボストン・バッグを持ったまま素早く近づいた恵美子は、スカGの運転席のドアを開いて乗りこもうと身をかがめた若い男の首筋に、強烈な右の手刀を|叩《たた》き降ろす。  スーツ・ケースとボストン・バッグを助手席に放りこみ、気絶した男のアロハ・シャツの胸ポケットから駐車券を取上げる。  奪ったキーで車のトランク・リッドを開き、そこにあった|牽《けん》|引《いん》用ロープで全身を縛り、洗車用タオルで目隠しをし、猿グツワを|噛《か》ませた。  自分のリーのジーパンの|尻《しり》の上の革のラベルの内側に隠してあった二本の針金で、隣りのセドリックのトランク・リッドを開き、男をトランクに押しこめてリッドを閉じる。      七  ランプやインターチェンジを封鎖されたら逃げ道がなくなる首都高速や中央高速道を避けて、恵美子は主に|甲州街道《こうしゅうかいどう》を使ってスカGを走らせた。  スプロ日本支部の本拠である、|調布《ちょうふ》市の古代|武蔵《む さ し》|野《の》記念館の広大な駐車場にスカGを乗り入れた恵美子は、そこに異様なほどの緊張感が張りつめているのを|肌《はだ》で感じとった。まるで無数の銃眼から|狙《ねら》われているようだ。  記念館の二階のビル・ジャック防止用の金属探知装置の前で、すべての武器弾薬やベルトのバックルまでテーブルに置きざりにした恵美子は、その奥の|豪《ごう》|奢《しゃ》な部屋に入った。  支部長長谷部と、長谷部の秘書の|湯《ゆ》|浅《あさ》が待っていた。長身|痩《そう》|躯《く》の初老の長谷部には、いつものリラックスした様子が見られない。 「いまさっき、爆弾処理班から連絡が入った。発煙筒で君のトレーラー・ハウスのなかの連中をいぶり出してから、アルピーナ・ターボに仕掛けられていたプラスチック爆弾を外し終えたそうだ」  長谷部が、恵美子にソファを勧めるジェスチュアをしてから言った。 「はじめから、くわしく話してくださらない? 東関東会は全日本歯科医師会から頼まれた、と言ってたわ」  恵美子は湯浅が差しだしたイヴに、卓上ライターで火をつけた。 「そういうわけだ。全日本歯科医師会と東関東会を結びつけたのは、保守党幹事長の|黒《くろ》|川《かわ》と、その一の子分の厚生大臣の|大《おお》|石《いし》だ。黒川派は全日本歯科医師会から|莫《ばく》|大《だい》な政治献金を受取っているだけでなく、あの会を大きな|票田《ひょうでん》にしている。そして、東関東会は黒川派の私兵だ」  長谷部は吐きだすように言った。 「要するに、スプロは全日本歯科医師会からお金を|捲《ま》きあげようとし、相手は東関東会を使って反撃に出てきた、ということらしいわね」  恵美子はタバコの火を|揉《も》み消しながら言った。 「大体、そんなところだ。君は全日本歯科医師会と、|法《ほう》|王《おう》と呼ばれている会長の|中《なか》|野《の》|義《よし》|正《まさ》のことを、どの程度知っている?」 「よくは知らないわ。でも、あの会の歯医者は、入れ歯一本に何十万円もの差額料金を取る強盗みたいな連中が|揃《そろ》っていると聞いたわ。そして、会長の中野と中野一族がたくわえた隠し金は数百億とかいう|噂《うわさ》ね」 「その通りだ。中野義正は父が創立したマンモス歯科大の|東《とう》|都《と》歯科医大と、これもマンモス医大の|大《だい》|東《とう》医大の総長であり理事長でもある。|勿《もち》|論《ろん》、マンモス病院の大東総合病院の院長であり理事長だ。それらのどの施設でも、中野一族が理事職や役職を固めている。それだけでなく、中野コンツェルンは、薬品問屋や医療機器の輸入や製造や販売、それに修理会社などの関連会社を何十も経営している」 「…………」 「中野義正は、もとは日本歯科医師会の会長として十年近く独裁権を振るってきた。しかし、昭和五十年に歯医者の差額診療による暴利や脱税ぶりが社会問題になった時、内紛を起した日本歯科医師会は、会長であり法王と呼ばれていた中野一人に責任を押しつけた。  会長をクビになった中野義正は、東都歯科医大系の歯医者を引きこんで全日本歯科医師会を作り、自分が会長におさまった。  全日本歯科医師会の連中は、差額徴収と健保の不正請求——何しろ、死人まで治療中にして健康保険の架空請求をしてくるぐらいだからな——、脱税などで派手に稼ぎまくっているが、中野ファミリーは自分の大学からも巨大な金を吸いあげている。東都歯科医大も大東医大も、正規の入学者はわずか五パーセントだ。あとの九十五パーセントは、成績によって、一人につき、五千万から一億円の裏口入学金を中野ファミリーに吸いあげられる。  それに、中野ファミリーが経営する関連会社のなかには、ダミー会社やトンネル会社が三十ほどあって、大学の研究室や大東総合病院がそれらの会社を通して架空仕入れした薬品や医療機器の代金は、みんな中野ファミリーの|懐《ふところ》に収まる仕組みになっている」  長谷部は言った。 「それで、中野ファミリーの隠し金は、正確にはいくらにのぼるの?」  恵美子は尋ねた。 「分らん。中野ファミリーは私兵を抱えてない|筈《はず》だった。だから、わざわざ君に出馬してもらうこともないと思って、うちの二線級のエージェント十人を繰りだした……結果は、中野ファミリーに|傭《やと》われた東関東会に次々に殺された。それも、ひどい拷問を受けたあとでな。この古代武蔵野記念館の構内に拷問死体が投げこまれたことから、殺されたエージェントはスプロのことをしゃべってしまったにちがいない、と判断できる……それで我々最高幹部たちは、自宅を突きとめられないように、このところずっとここに閉じこもっているんだ。|狙《そ》|撃《げき》|兵《へい》百名に|護《まも》られてね」 「中野義正のほうは?」 「奴のほうも、|多《た》|摩《ま》市|連《れん》|光《こう》|寺《じ》にある広大な屋敷に閉じこもっている。東関東会の武装組員数百名に護られてな」 「…………」 「こうなったら、中野ファミリーの隠し金をみんな|捲《ま》きあげてやらないことにはスプロ日本支部の|面《メン》|子《ツ》がたたない。本部からは、この支部のふがい無さを責められているんだ。いよいよ、君の出番だ。まずは、中野義正に、まわりから揺さぶりを掛けてくれ」 「報酬は?」 「中野ファミリーから金を捲きあげるたびに、君に七パーセントの手数料を払う」 「これまでの仕事のように、五パーセントではないのね?」 「相手には、関東一の暴力組織東関東会がついているからな。その点を考慮したのだ。不足かね?」 「分りましたわ」 「じゃあ、契約成立だ。それでは、敵側の連中の顔からフィルムで見てもらおうか?」  長谷部は、十六ミリ映写機の用意をしている湯浅に合図した……。  恵美子がスプロ日本支部である古代武蔵野記念館を出たのは、それから三日後であった。  記念館に食料を運んできた冷凍車のアルミ・パネルの荷室に乗っている。無論、その中型トラックはスプロのダミーの会社のものだ。冷凍スウィッチは切ってある。  恵美子は変身していた。陽焼けした|肌《はだ》は化学療法によって色白になり、長い黒髪は|黒褐色《こっかっしょく》に変えられ、肩のあたりまでの短さに切られて、ふんわりとカールされている。  着ているものも、レースのフリルがついた花模様のブラウスと、ドレッシーなパンタロンだ。ブーツも、ウエスターン・ショート・ブーツではなく、上品なドレス・ブーツだ。しかし、そのブーツの靴先には鋼鉄板が埋めこんである。  古代武蔵野記念館の裏門を出た冷凍トラックが二キロほど走ったところで、運転台の男が車内インターフォーンを使い、 「|尾《つ》|行《け》られているようだ。尾行車はブルーのベンツ四五〇SE、|品《しな》|川《がわ》ナンバーだ」  と、言う。荷室と運転台とのあいだには隔壁があって、恵美子の顔や体は運転手と助手から見ることが出来ないようになっている。彼等が東関東会に捕まって拷問を受けた時に、現在の恵美子の|変《へん》|貌《ぼう》ぶりをしゃべられないようにとのスプロの配慮からであった。 「了解」  荷室内のベンチから立上った恵美子は、テイル・ゲートについた小さな|覗《のぞ》き窓の|蓋《ふた》を開いた。冷凍車とのあいだに|多《た》|摩《ま》ナンバーのカローラをはさんで走っているベンツには五人の男が乗っている。みんな、服装は一流会社のビジネスマン風だが、顔付きや眼光は高級ヤクザそのものだ。そして、ベンツのトランク・リッドから、長いアンテナがのびていた。  ベンチに戻った恵美子は、 「あの車を、どこか、始末しやすいところにおびき出して……あとは、わたしが片をつけてあげるから」  と、インターフォーンに向けて言う。 「了解」  助手席の男が答えた。  荷室には、ダッフル・バッグやフィールド・バッグ十個ほどのほかに、バック・パックも見えた。  恵美子は、キャンヴァスにビニール・コーティングしたフィールド・バッグの一つを開いた。  そのなかから、フォーム・パッドに包まれたものを取出す。フォーム・パッドを外すと、ビニールのソフト銃ケースが現われた。  恵美子は、銃ケースから、短機関銃トミー・ガン——トムスン・サブマシーン・ガン——を細くしたような銃を出した。しかし、トミー・ガンの弾倉挿入孔は機関部の下にあるが、その銃のものは機関部の上に口を開いている。  アメリカン百八十サブ・マシーン・ガンM|二《ツー》だ。正式にはアメリカン百八十オート・カービンと言う。リム・ファイアの口径二十二ロング・ライフル実包を使用するその銃は、|半自動《セミ・オート》と|全自動《フル・オート》の切替え射撃が出来る。  フィールド・バッグには、口径二十二ロング・ライフル弾を百七十七発詰めたドラム弾倉が十個、五十発入りのレミントン・ハイ・ヴェロシティ・ソリッドの口径二十二ロング・ライフルの紙箱が百個、それにレーザー光線による照準装置レーザー・ロックの長方形の箱が二つ入っている。予備バッテリーも十個見えた。  今は昼間だから、レーザー・ロック照準装置を使う必要はない。  恵美子は、百七十七発入りのドラム弾倉を取上げた。アメリカン百八十の銃自身は二・五キロぐらいしか無いが、口径二十二ロング・ライフル実包がいかに小さいとはいえ、百七十七発も詰まった弾倉の重さは二キロほどある。  恵美子は機関部の上のフィーディング・ブロックに、ドラム弾倉をカチンと|嵌《は》めこんだ。立ててではなく、水平にだ。  銃の機関部の左側についている|装填《コッキング》ハンドルを引き、手で前に戻してやるが、まだ弾倉内の初弾が銃身の薬室に移ったわけではない。  このアメリカン百八十も、ほかの短機関銃と同じように、ファイア・フロム・オープン・ブリーチ・システムで、引金を絞ると遊底が前進し、その際に弾倉内の実包を薬室に送りこみ、遊底が前進しきったところで遊底前面に固定されている撃針が、薬室内に入った|薬莢《やっきょう》の|尻《しり》を|叩《たた》いて発射させるのだ。無論、そのあと、発射の反動圧で遊底は後退し、その際に薬室から空薬莢を抜いて外に|蹴《け》り出す。  コッキング・ハンドルを手で前進させたのは、恵美子の気分によってであった。コッキング・ハンドルが後退した位置にあっても、アメリカン百八十は、一発目の発射の際に遊底の前進につれてコッキング・ハンドルも前進し、それ以後は発射を続けても後退しない。|排莢孔《はいきょうこう》は機関部の下にあり、セミ・オートにしろフル・オートにしろ、一発目以後はコッキング・ハンドルは遊底の動きとの関連を断たれて、自動的には動かない。  だから、セミ・オートで慎重に|狙《ねら》いをつけて射撃する時には、コッキング・ハンドルの慣性重量が、いくらかは命中率に関係するかも知れないが、恵美子はフル・オートで連射する積りだから、コッキング・ハンドルを手で前に戻そうが、後退位置で放っておこうが命中率に関係は無い。だから、恵美子がコッキング・ハンドルを前に戻したのは気分の問題ということだ。  恵美子は機関部の右側についているセーフティ・ディスクの表示リングが後方の|S《セーフ》の安全位置にあるのを確かめてから、セーフティ・ディスクのうしろについているセレクター・ピンを右に押し出し、セミ・オートからフル・オートに切替えた。  冷凍車は国道二十号の|調布《ちょうふ》バイパスと旧|甲州街道《こうしゅうかいどう》を突っ切って|多《た》|摩《ま》|川《がわ》のほうに向った。ベンツ四五〇SEは、二十メーターほどの間隔を置いてついてきている。  それだけでなく、無線連絡を受けてやってきたらしいローヴァー三五〇〇が冷凍車の三十メーターほど前を走っていることが、インターフォーンによって恵美子に伝えられている。  恵美子はパンタロンの腰に幅広の革ベルトをつけ、アメリカン百八十の予備弾倉を二個ずつ入れたズック・ケースをベルトの左右から|吊《つ》っていた。  花模様のブラウスの上には、特殊繊維十数枚が内側に入ったサファリランドM|三《スリー》の防弾チョッキをつけ、顔には薄い生地の覆面をつける。  やがて三台の車は|日《にっ》|活《かつ》撮影所の横で左折し、多摩川に沿った通りに出た。  冷凍車の前を走るローヴァー三五〇〇が急ブレーキを掛け、サイド・ブレーキを併用して、狭い道路を横にふさいで|停《と》まったのが、|狛《こま》|江《え》スポーツ・センターの近くであった。  冷凍車とベンツは急停止する。  恵美子は、冷凍車の荷室内で、コードをのばしたインターフォーンを左手に持ち、テイル・ゲートの|覗《のぞ》き窓からベンツ四五〇を|睨《にら》んでいた。 「ローヴァーから四人の男が降りてきた。みんな消音|拳銃《けんじゅう》を持っている」  助手席の男の声がインターフォーンを通じて聞えた。 「まかしといて。あなたたちは、ダッシュ・ボードの下にもぐりこんでいたらいいわ」  恵美子は答えた。  ベンツからも、運転係りをのぞいた四人の男が降りてきた。みんな消音器付きの拳銃を腰だめにしている。  恵美子は荷室の中央左部に走った。そこに、ボディの内側に沿ってアルミ製の|梯《はし》|子《ご》がルーフに向けてのびている。  恵美子は梯子を登り、ルーフにつけられた小さなドアを開いた。荷室の天井の上に身を移す。天井を車尾のほうに素早く|這《は》った。  ベンツから降りた四人の男が恵美子に気付いた時、安全ディスクを前側のFの撃発装置にした恵美子は、アメリカン百八十をフル・オートで連発した。  口径二十二ロング・ライフルだから、フル・オートの反動は少なく、連続発射音も大排気量のバイクのエキゾースト・サウンドぐらいしかない。  だがM|二《ツー》のアメリカン百八十は、一分間に実に千六百回転もするのだ。一秒に二十七発を吐きだす!  恵美子は一人あたりにつき半秒分、つまり十数発をブチこんで片付けていった。仰天した男たちは、次々に|拳銃《けんじゅう》を暴発させながら胸部を|挽《ひき》|肉《にく》にされる。  ベンツの運転係りは、あわてて車をバックさせはじめた。  恵美子はその左の前輪に二十発ぐらいを|射《う》ちこみ、冷凍車の天井を走って、ローヴァーから降りた男たちを三秒で殺した。  かなり弾倉が軽くなったアメリカン百八十を持って道路に跳び降りる。  ローヴァー三五〇〇の男は、車ごと逃げようとハンドルを切返しながら、小刻みに車を前進させたりバックさせたりしていた。心臓が|喉《のど》からとびだしそうな表情になっている。  ローヴァーは英車だからハンドルは右についている。つまり、冷凍車側にローヴァーの運転係りはいた。  恵美子は走り寄り、窓ガラスを降ろしたローヴァーの運転席にアメリカン百八十の銃身を突っこんだ。  運転係りの男は白目を|剥《む》いて失神した。恵美子は左手をのばしてローヴァーのイグニッション・キーを切り、さらにキーを回してからスウィッチから抜く。パンタロンのポケットに収めた。  左前輪をバーストさせたベンツのほうに走った。  ベンツの運転係りは、必死の|形相《ぎょうそう》で車を冷凍車から遠ざけさせていた。しかし、スピードが乗らない上に、左にハンドルを取られ、何度もスピンをくり返している。  |膝《ひざ》|射《う》ちの構えをとった恵美子は、百五十メーターほど離れたベンツの運転席の窓がスピンでこちらを向いた時、アメリカン百八十の弾倉の残弾五十発ほどをフル・オートのまま射ち続けた。  二秒もかからず弾倉は|空《から》になった。火薬量が大きなセンター・ファイア・ライフル|実《じっ》|包《ぽう》だと高熱で銃身が焼き切れたところだ。車窓ガラスを砕いて飛びこんだ数十発の口径二十二の四十グレイン弾をくらい、ベンツの運転係りの顔面と頭部はスクラップと化した。  オートマチック・ミッションのために、ベンツはそれでもエンストせず、ずるずると動いた。多摩川に落ちそうになり、堤の斜面と道路の落差に車の腹がつかえ、後輪を空転させる。  恵美子は弾倉を素早く替えた。ついでに、弾倉入れのズック袋に入っていた薄い絹手袋をつけ、ローヴァーのほうに走って戻る。  そのローヴァーもトランク・リッドからアンテナを立て、ダッシュ・ボードの下に無線ラジオをつけていた。  恵美子は、ドアを開け、気絶している運転係りを引きずり降ろした。ドレス・ブーツの靴先で男の男根と|睾《こう》|丸《がん》を|蹴《け》り|潰《つぶ》す。  苦痛のあまり意識を取戻した男は、悲鳴をあげながら立上ろうとした。|不《ぶ》|様《ざま》に失敗して転がる。  恵美子はその男の左右の|肘《ひじ》に三発ずつ射ちこんで、男が武器を隠し持っていても使えない体にしてやった。 「東関東会の応援部隊はこっちに向っているの? 答えないと、殺す」  恵美子は鋭く命じた。 「そ、そんなことはねえ……|俺《おれ》たちだけで充分だと思って……失敗だった……」 「わたしの逆襲を、東関東会に無線で連絡したの?」 「そ、そんな余裕は無かった……本部向けに無線の周波数を変えるなんて……」  男は再び失神した。      八  東関東会の男たちは、前後に通行車がいない場所を|択《えら》んだようだし、近所の住民や訪問者たちが聞いた一番大きな音はタイアのバースト音ぐらいであろうから、まだ野次馬の姿は無かった。  恵美子は男を乱暴に引きずって冷凍車に走った。テイル・ゲートを開き、男を荷室内に放りこむ。  ローヴァー三五〇〇に駆け戻り、その車内の無線ラジオのスウィッチを切り、奪ってあったキーを使って車を動かし、道の左端に寄せる。  冷凍車の荷室に戻ると、インターフォーンを使い、 「片付いたわ」  と、言う。  ちょっとの間を置いて、冷凍車は動きはじめた。  アメリカン百八十から弾倉を抜いて完全に暴発を防いだ恵美子は、天井の窓を閉じ、ローヴァーを運転していた男の左右の|肘《ひじ》の上をインディアン・タンの|革《かわ》|紐《ひも》できつく縛り、止血処理をする。  男のズボンとブリーフを、ブーツの内側から抜いたガーバー・マーク㈵のナイフで切開く。  |蹴《け》り|潰《つぶ》された男の|睾《こう》|丸《がん》と男根はもう|腫《は》れあがっていた。  声は小さく出るが|甲《かん》|高《だか》い悲鳴は出ないように、タオルでゆるく男に猿グツワを|噛《か》ませてから、恵美子は男のペニスをライターの炎で|炙《あぶ》った。  悪臭が荷室内に漂いはじめた|頃《ころ》、男は再び意識を取戻した。悲鳴を猿グツワの|隙《すき》|間《ま》から漏らす。苦痛に身をよじった。 「あんたは、東関東会のどの組の者なの? 名前は?」  揺れる荷室内で恵美子は尋ねた。 「|府中《ふちゅう》の|小《お》|原《ばら》|組《ぐみ》の|大《おお》|坂《さか》だ……暴力はやめてくれ……何でもしゃべる……」 「冷凍車をストップさせて、何をしようとしたの?」 「あ、あんたが小島恵美子だな?……|俺《おれ》たちは、万が一にでも冷凍車に隠れてあんたがスプロの本拠地から抜け出そうとしたのでないかと確かめようとした……その万が一が……」 「冷凍車にわたしが隠れていると分ったら、どうしようとしたわけ?」 「あ、あんたごと、冷凍車を東関東会の本部に連れていこうと……」  大坂は|呻《うめ》いた。 「東関東会の本部は、|西新宿《にししんじゅく》にあるのね。あんたはさっき、カー無線の周波数を本部に合わせる余裕は無かった、と言った。周波数はベンツに合わせてあったわけね」 「…………」 「本部との交信の時の周波数は?」 「…………」 「分ったわ。眼球を|抉《えぐ》り出してもらいたいのね?」  恵美子はナイフの切先きを大坂の右の|瞼《まぶた》に近づけた。  悲鳴を漏らした大坂は、 「しゃべる!——」  と、周波数を教えた。 「交信する時は、当然、暗号や隠語を使うんでしょう?」 「…………」 「そう?」  恵美子は大坂の右瞼に軽くナイフを突き刺した。 「やめてくれ! しゃべる、しゃべる……」  大坂は|喘《あえ》いだ。 「それを一つ一つ教えてよ……例えばスプロのことは何と言うの?」  恵美子は尋ねた。  冷凍車が歩くようなスピードになったのは、世田谷|桜上水《さくらじょうすい》二丁目に近い|上《かみ》|北《きた》|沢《ざわ》一丁目であった。そのあたりには|畠《はたけ》や空地や雑木林がまだ多く残っている。  冷凍車は竹林と造園業者の苗木畠に囲まれた空地に|停《と》まった。その頃には恵美子は大坂から、かなりの暗号を|尋《き》きだしていた。 「わたしが消えたら、ここにいる男を日本支部に運んで……そして、尋問係りに渡すのよ」  恵美子はインターフォーンを通じて助手席の男に言った。大坂をロープで縛りあげ、猿グツワをきつく|噛《か》ませ直す。 「まわりに人影はありません。人が来ないうちに早く」  助手席の男が言った。  恵美子は冷凍車から降り、空地に停まっているクラウンのステーション・ワゴンに近づいた。ポケットからキーを出してテイル・ゲートを開く。  冷凍車の荷物をクラウンに移した恵美子は、防弾チョッキを脱いでそのステーション・ワゴンを走らせた。冷凍車が見えなくなったところで覆面を脱ぐ。  上北沢二丁目の雑木林のなかの空地で、用意されていたスカイラインのステーション・ワゴンに乗り替えた。荷物を移す。  その恵美子が着いたのは、目黒平町の住宅街であった。環七に近く、東横線都立大学駅と田園都市線緑ヶ丘駅の中間あたりだ。  恵美子のスカイラインのステーション・ワゴンは、風雨にさらされて崩れ落ちそうな、ひどく高いコンクリート塀に囲まれた民家の正門の前で一度停まった。  車から降りた恵美子は、門の|脇《わき》のインターフォーンのボタンを三度短く、四度長く、次に五度短く押した。  |錆《さ》びた鉄門が電動で横にスライドする。車を庭に入れた恵美子は、門の内側の塀の金属ボックスの箱を開き、そのなかにあるボタンを押した。  門が閉じた。庭は七十坪ほどで、そのうちの二十坪ほどをシャッター付きのガレージが占めている。古びた洋館は建て坪は三十坪ほどで、二階建てだ。屋根の|天《てっ》|辺《ぺん》から避雷針が立っている。  スプロが用意してくれた隠れ家の一つだ。大型乗用車が五、六台は楽に入るガレージに車を突っこんだ恵美子は、アメリカン百八十オート・カービンを腰だめにして、建物の玄関に近づく。  幸い、近くには高層マンションが建ってないので、庭の様子を|覗《のぞ》きこまれることは無い。  建物のなかで待伏せている者はなかった。ステーション・ワゴンから荷物を移した恵美子は、二階の|納《なん》|戸《ど》に入った。そこに無線ラジオがある。そのアンテナは避雷針に見せかけたものが兼ねている。  恵美子は無線ラジオの周波をある数に回した。敵に|嗅《か》ぎつけられぬように、毎日スプロとの交信周波数を変えることになっている。  恵美子はスプロと交信し終え、化粧を直してから、タクシーで|五《ご》|反《たん》|田《だ》の駅まで行き、そこから港区|高《たか》|輪《なわ》|台《だい》に近い東五反田四丁目に歩いた。  メイゾン・ファイブは桜田通りに面した十階建てだ。地下一階が駐車場、地上一階が商店、二階が中小企業のオフィスやクリニック、そして三階から上が居住区になっている。  その二階に、中野ファミリーの一人で、中野義正の長男|一《かず》|成《しげ》の母方の|従《い》|兄《と》|弟《こ》の一人である|松《まつ》|山《やま》|誠《せい》|次《じ》が歯科クリニックを開業している。  松山は本職は大東医大の教授と大東総合病院の歯科医師なので、ここのクリニックは午後三時から午後七時までだけ開いている。稼ぎのためもあるが、本当の目的は好色な欲望を満たすことにあった。  恵美子が二階にエスカレーターで登ったのは、午後の四時頃であった。松山歯科クリニックは通信販売会社のオフィスと精神科のクリニックにはさまった三十坪ほどのものであった。  分厚いカーペットが敷かれた待合室では、ジュースの自動販売機と二十インチのカラーTVが二台置かれ、革張りのソファが五個置かれていた。いまその待合室には、宝石を光らせフランスのデザイナーのオーダー・メイドの服をつけた四十女や五十女が三人腰を降ろしている。靴は脱がなくてもいいようになっている。  恵美子はおどおどしたポーズを作り、待合室の右手の薬局を兼ねた受付けに近づいた。天井や壁にモニターTVのレンズが埋めこまれているのをさり気なく見る。  受付けの娘はレズだ、と恵美子は直感した。それもマゾだ。スプロの資料でもそうであったが、恵美子にはその予備知識がなくとも分った。  住所を五反田駅に近い|大《おお》|崎《さき》のアパートにし、勤め先を|京橋《きょうばし》の商事会社にした、|近《こん》|藤《どう》|康《やす》|子《こ》という偽名の健康保険証を差しだした恵美子は、 「奥歯が痛くて、会社を休んでいたんです。週刊レディという雑誌を読んでいたら、このクリニックの広告が出ていたので……」  と、言う。  受診の手続きを済まして空いているソファに移る。有閑マダムやクラブのマダム風の患者たちが無遠慮に恵美子を観察する。  壁に埋めこまれたスピーカーから流れるソフトなバックグラウンド・ミュージックを聴きながら、恵美子は左|頬《ほお》を押さえてみせた。スプロで|臼歯《きゅうし》の一本を人工的に欠けさせてあった。  先着の患者の治療が終り、恵美子よりあとに来た患者が二人、診察室から出て帰っていったあとも、恵美子は呼ばれなかった。  ファッション雑誌やTV番組に退屈した振りをした恵美子は、頬を押さえながら受付けに行き、 「あの……わたしの番は?」  と、尋ねた。 「先生は初診の患者は特に丁寧に診察されるの。もう少し待ってください」 「痛くて気が狂いそう……」  恵美子は|呟《つぶや》いてソファに戻ったが、少しも痛くはない。 「近藤さん……近藤康子さん……」  と、診察室のなかから中年女の太い声で呼ばれたのは、午後七時も近く、恵美子以外の患者がいなくなってからであった。  恵美子は、ポケットに入れてある、超小型でありながら長時間の録音が可能なテープ・レコーダーのスウィッチを入れる。  いたるところに飾られた造花に香水が振りまかれた診察室に窓は無かった。二台の治療用|椅《い》|子《す》と、カーテンで隠される大きなベッドが見える。  松山誠次は額が|禿《は》げあがり、それをカヴァーしようとしてか、パーマを当てた左右やうしろの髪を長くのばしていた。顔色は|脂《あぶら》光りし、陰毛|髭《ひげ》をのばしている。四十歳の|小《こ》|肥《ぶと》りの男だ。  その横にいるのが、三十ぐらいの女の助手で、体は男のように筋ばっている。|鷹《たか》のような眼付きをしている。|山《やま》|崎《ざき》|久《ひさ》|子《こ》といって、レズでサディストだ。  恵美子を見て松山はニヤついた。 「まあ、掛けなさい」  と、|甲《かん》|高《だか》い声で言い、自分より背が高い恵美子の腰に手を添えて治療台の椅子の一つに誘導する。  恵美子がその椅子に|坐《すわ》ると久子が恵美子の腰に車の安全シート・ベルトのようなものを|捲《ま》きつけ、椅子の背のうしろで固定金具を閉じた。  松山は恵美子の前に回った。 「どこが痛いのかね? 安心しなさい。私の治療はソフトで有名なのだから」  と、恵美子の|胸《むな》|許《もと》を|覗《のぞ》きこむ。 「左の奥歯が……昨日、梅干しの種をかじっていたら、急に痛くなったんです」  恵美子は言った。 「じゃあ、アーンして……」  松山は命じた。久子がライトを恵美子の口のなかに当てた。  松山は五分ほど掛けて恵美子の歯を調べた。そうしながら、|肘《ひじ》で乳房を触ったり、首や|頬《ほお》を|撫《な》でまわしたりする。  手を洗った松山は、 「君、これはひどいよ。悪くなっている下の歯をすぐに抜く必要があるな。すでに、上の歯にも影響が及んでいる。放っとくと、総入歯ということになる」  と、重々しく言った。 「そんな……入れ歯って高いんでしょう?」  恵美子は泣きだしそうな表情と声になった。 「保険ではロクな治療が出来ないからな。当然、差額徴収ということになる。しかし、私にかかれば、ほかの医者とちがって三日で完全に治してあげるよ。一生|保《も》つ、ちゃんとした義歯を入れてね……悪徳医者にかかったりしてごらん、予約だとか何とかで一年も二年も通わされて、かえって高くつくんだ」 「い、いくらぐらいお金を用意したらいいんでしょうか?」  恵美子は声を震わせてみせた。 「で、君は、いくらぐらい出せるんだね」 「お給料が安いし、この不景気で会社が|潰《つぶ》れかけてるんです……あの……いくらで治してくださいますか?」 「五十万はもらわないとな」 「五十万!」 「しかし、君の苦境を察して、思いきって三十万にしてあげる。大赤字だが、医は仁術と言うじゃないか」  松山はもうズボンの前をふくらませながら言った。  歯が欠けた場合には、抜かなくても、陶器のポーセリンやメタルの|冠《かん》をかぶせたらいいのだ。どうしても義歯に替えなければならない場合が万に一つもあったとしても、実費は数千円だ。 「こ、困りましたわ」 「よろしい、君の美しさに免じてタダにしてあげよう……と、言いたいところだが、物には値段というものがある……ちょっとのあいだ、目をつぶってくれてたらいい……わたしは……その……精管の|結《けっ》|紮《さつ》手術……つまり、不妊手術を受けているから、君はあとのことを心配することはない。……何なら手術を受けた証明書を見せてもいいんだ」  松山の息が荒くなった。  いつの間にか、受付けの娘も診察室に入ってきていた。その娘が恵美子の左手を|掴《つか》み、久子が右手を掴む。  恵美子の両手は|椅《い》|子《す》の背のうしろに回された。 「何をなさるの!」  恵美子は抵抗する振りをしながら叫んだ。 「ちょっとわたしを楽しませてくれるだけで、君の歯の治療費はタダになるというわけだ。大丈夫……あとで歯の治療費を請求するようなことはしない……さあ、治療費三十万を前払いで受け取ったという領収書を出すから、信用してくれるね?」  興奮でかすれた声で言った松山は領収書を書いた。それをサイド・テーブルの恵美子のショールダー・バッグに押しこみ、ズボンのジッパーを開いて|逸《はや》りきっているものを|剥《む》きだしにする。ずんぐりと太い。  同時に、久子が治療台のレヴァーを踏んだ。背もたれが水平にリクライニングし、恵美子は仰向けになった。  恵美子は少々暴れてみせた。久子と受付けの娘が必死にその恵美子を押さえつける。 「さあ、|大人《おとな》しくするんだ。そうでないと、こいつで眠らせることにする。もっとも、悲鳴をたてたところで、このクリニックのなかで起った音は外に漏れないようになっているがね」  松山は左手で自分のものをしごきたてながら、右手で麻酔薬が入っているらしい注射器を取上げた。  恵美子がここに来た理由の一つは、中野ファミリーと悪徳歯科医への怒りを燃えたたせるバネを作ることにある。今にも怒りが爆発しそうになりながらも、恵美子は|怯《おび》えてみせた。 「いい|娘《こ》だ、いい|娘《こ》だ……話が分ったようだね……|勿《もち》|論《ろん》、君も気持よくさせてあげるよ……あとは、よく洗浄してあげる。証拠は残らん」  注射器を置いた松山は恵美子のスラックスを脱がせにかかった。  恵美子の左|膝《ひざ》が跳ね上った。ヨダレを垂らしていた松山の|顎《あご》を砕く。同時に恵美子は|物《もの》|凄《すご》い力で二人の女から両腕を振りほどいた。  |尻《しり》|餅《もち》をついた松山は舌の先を|噛《か》んで口を血だらけにしている。受付けの娘は転がり、久子は横に走るとメスを握った。 「往生ぎわが悪いね、|野《や》|暮《ぼ》娘……シート・ベルトをどうやって外すのよ?」  久子はメスで|威《い》|嚇《かく》した。  上体を起していた恵美子は左足首を素早く腹に引きつけた。ガーバー・マーク㈵のナイフをブーツから抜き、シート・ベルトを切断する。  全身がバネと化した恵美子は、|女豹《めひょう》のように治療台から跳ね降りた。逃げようとした受付けの娘の|尾《び》|てい[#「てい」は「骨」+「低のにんべんをとったもの」Unicode="#9AB6"]《てい》|骨《こつ》を|蹴《け》り、化石したようになっている久子に向う。  気を取り直した久子は、腕一杯にのばした右手に握ったメスごと恵美子に突っこんできた。軽くサイド・ステップしてそれを避けた恵美子は、久子の|恥《ち》|骨《こつ》を|蹴《け》り砕いた。  顔から床に突っこんだ久子は、仰向けになると同時に、白目を|剥《む》いて気絶した。  受付けの娘は悲鳴を漏らしながら全身を|痙《けい》|攣《れん》させていた。松山は|尻《しり》|餅《もち》をついたまま、眼球が|眼《がん》|か[#「か」は「あなかんむり」の下に「果」Unicode="#7AA0"]《か》からとびだしそうな表情になって|喘《あえ》いでいる。血の泡を吹いていた。 「さあ、この落し前はどうつけるのよ?」  恵美子はナイフの腹で松山の|頬《ほお》をピタピタと|叩《たた》いた。  松山は女のような悲鳴を漏らした。男根はしぼみきってズボンのなかに隠れている。 「も、|勿《もち》|論《ろん》、慰謝料を払う……いや、払わせてください……」  松山は|呻《うめ》いた。|顎《あご》が砕けているので、声が変っている。 「その前に、わたしの保険証と申込み書を返してもらうわ。カルテも破棄する」  恵美子は言った。 「カルテと申込み書はあのデスクの上に……血が……血がとまらない……止血剤を注射するのを許してくれ」  松山はベッドと反対側にあるデスクのほうに顔を向けながら泣いた。  恵美子は申込み書と、まだ恵美子の偽名や架空の住所などしか書かれていないカルテをショールダー・バッグに入れた。ショールダー・バッグから、バンダーナのハンカチにくるんであった|手錠《てじょう》を出し、松山の両手首を背後で組ませて手錠を掛ける。 「薬事Gメンだったのか! それにしては乱暴な……」 「乱暴なのはどっちよ。保険証は?」 「|真《ま》|弓《ゆみ》君……秋野君が知っている」  松山は|痙《けい》|攣《れん》している受付けの娘に顔を向けた。 「さあ、案内して」  恵美子は真弓の横に立った。 「う、動けないの……」  真弓は哀れっぽい声を出した。 「甘えるんじゃないの」  恵美子は真弓の|尻《しり》を軽く|蹴《け》った。  マゾの真弓は、今度は快感に身を震わせた。仰向けに転がり、うっとりと恵美子を見上げる。  恵美子は、真弓の乳房を荒々しく踏みにじった。苦痛のためとも快感のためともつかぬ悲鳴をあげた真弓は、四つん|這《ば》いになって歩き出す。  真弓を薬局を兼ねた受付けまで|這《は》わせるためには、時々、尻や|脇《わき》|腹《ばら》を|蹴《け》ってやらねばならなかった。  自分の指紋がついている偽造の保険証を取戻した恵美子は、また真弓を蹴っとばしながら診察室に戻った。  松山誠次は、両手首に背後で手錠を掛けられたまま立上り、口にくわえたボールペンを使って電話のダイアルを回そうとしていた。  しかし、砕かれた|顎《あご》が痛むのでうまくいかない。  四つん這いの真弓と共に戻ってきた恵美子を見て、ボールペンを吐きだした松山は床に倒れ、死んだ振りをした。  ハンドバッグから絹手袋を出して手につけた恵美子は、受話器を電話機に戻し、 「どこに電話しようとしたの?」  と、松山の下腹を|蹴《け》った。  |大《おお》|袈《げ》|裟《さ》な悲鳴をあげた松山は、 「きゅ、救急車を呼ぼうと……」  と、|喘《あえ》いだ。 「そう?」  恵美子は棚からアルコールの|大《おお》|壜《びん》を持ってきた。中味を松山の下腹部を中心としたシャツやズボンにぶっ掛ける。マッチを|擦《す》り、その炎を松山に見せびらかす。 「火だるまになりたい、というわけね?」  と、笑う。 「やめてくれ! 中野会長に連絡をとろうとしたんだ!……会長に、東関東会の者をよこすように頼もうと……」  松山は口から血泡を吹いた。  恵美子は手袋を焦がしそうになったマッチを吹き消した。 「あんた、わたしにやろうとしたような手口で、何人の女性を犯したの?」 「お、覚えてない……」 「覚えてないほど多勢を|毒《どく》|牙《が》にかけたのね?」 「頼む、|金《かね》でカタをつけてくれ。百万出す」 「ケタがちがうんじゃないの?」 「そ、そんな……二百万出す」 「五億は|頂戴《ちょうだい》しないとね」 「無茶な! そんな大金があるわけない」 「キャッシュでは持ってないでしょうよ。でも、あんたが|蓄《たくわ》えている隠し金は十億や二十億ではきかない。大東医大への入学リベートだけでなく、歯科医の国家試験の問題作成委員もやっていて、教え子に問題を漏らしては大金を|捲《ま》きあげているそうね?」 「き、君は|誰《だれ》なんだ? スプロの女エースの小島恵美子は浅黒い|肌《はだ》だと聞いていたが……」 「あんたの隠し金はどこにあるの? 言わないと、火だるまにする前にオカマにしてやる。|嚇《おど》しじゃないわ」  恵美子はナイフで松山のズボンの前を大きく切裂いた。縮みあがっている男根に、まず浅く切れ目を入れる。  切れ目にアルコールがしみた松山は|脱《だっ》|糞《ぷん》しながら|苦《く》|悶《もん》した。 「しゃべる……不動産をのぞいて二十二億ある……ほとんどが無記名の債券だ……現物は、わたしの家の犬小屋の下に掘った|地《ち》|下《か》|壕《ごう》に隠してある!」  と、わめいた。  恵美子はさらにくわしく|尋《き》きだし、 「中野ファミリーは、|金《かね》にガメついだけでなく、セックスの欲望も激しいようね。それも、なかなか変った趣味を持っていると聞いたわ。まず、中野ファミリーのボスの中野義正の変態ぶりを話してよ」  と、言う。自分がレズでサドだということなど忘れている。 「し、知らん……義正先生は、わたしにとっては|雲上人《うんじょうびと》なんだ……プライヴァシーのことなんか……」  松山は|呻《うめ》いた。 「分ったわ。もうあんたに用はない。火だるまになって死んでもらう」  恵美子は二本目のマッチに火をつけた。  心臓が|喉《のど》からとびだしそうな表情になった松山は、 「やめてくれ! しゃべる……義正先生は|死《し》|姦《かん》マニアなんだ」  と、わめいた。      九 「死姦マニア? 歯科医界の|法《ほう》|王《おう》と呼ばれている中野義正は死姦マニアなの?」  小島恵美子は|唇《くちびる》を|歪《ゆが》めて笑った。 「し、知らなかったのか?……そうか、あのことはファミリー内だけの秘密だから……頼む、わたしがしゃべったことを内緒にしてくれ。そうでないと、村八分にされてしまう」  両手首に背後で|手錠《てじょう》を掛けられ、傷つけられた下腹部のあたりにたっぷりアルコールを浴びせられている悪徳歯科医松山誠次は、口から血泡を吹きながら叫んだ。  恵美子はマッチの火を吹き消した。 「義正はどうやって死体を調達するの?」  と、尋ねる。 「言えない……知らん……」  松山は顔をそむけながら震えた。 「そう言えば、中野ファミリーの大東総合病院には死体安置室があったわね」  恵美子はカマをかけた。 「さっきのは失言だった……忘れてくれ……忘れてください」  松山は|喘《あえ》いだ。 「いま、面白いものを見せてやるわ」  恵美子は気絶している、松山の助手の山崎久子に近づいた。白衣を脱がせると、それをナイフで切裂き、ロープを作る。  ロープで久子の両手両足を縛り、|顎《あご》の関節を強引に外してから猿グツワを|噛《か》ませた。久子の下腹のあたりのスカートとブラウスに、たっぷりとアルコールを振りかけ、マッチで火をつける。  衣服にしみたアルコールは青白い炎をたてて燃えた。  やがて久子は熱さで意識を取戻した。肌が炭化し肉が焦げるごとに、|物《もの》|凄《すご》い|苦《く》|悶《もん》にのたうつ。勢いよく放尿するが、それでも火は消えない。野天の火葬場の悪臭が漂った。このビルには自動消火装置のスプリンクラーはついてない。  全身を|痙《けい》|攣《れん》させた久子は再び失神した。恵美子は発狂したような表情になって目をそらしている松山の髪を|掴《つか》み、 「よく見るのよ。次はあんたの番なんだから」  と、久子の炎に顔を向けさせる。 「ま、参った……やめてくれ……しゃべるから」  松山は血が混ったヨダレを垂らした。  恵美子は洗面台からホースで水を引いてきて久子の下腹部に浴びせた。スカートの大半が焼け崩れ、黒焦げの醜悪な秘部をさらしている久子の火は消えた。  恵美子は歯の切削用のドリルを手にした。タングステン・カーバイド製の小さな|丸《まる》|鋸《のこ》状のドリル刃をアタッチし、スウィッチを入れる。  電気と圧縮空気によって、ドリルの刃は一分間に五十万回転もした。あまりにも回転が早いので、ほとんど音がしないほどだ。 「さあ、しゃべらないと、あんたを火だるまにする前に、これで全身の皮を|剥《は》いでやる。まずは、頭の皮から剥ぐわ」  と、言う。受付けの娘のマゾの秋野真弓は、興奮のあまりスラックスの前をジュースで|濡《ぬ》らしている。 「やめてくれ……しゃべる……お年を召してからの義正先生は、ドライアイスで冷やし、青白い化粧をほどこした若い女や少女の死体でないとエレクトしなくなったんだ……死体は、大東総合病院の霊安室から冷凍車で先生のお屋敷に運ぶんだ」 「遺族に気がつかれないようにね……」 「先生がお気に召した患者が死ぬのはいつも日が暮れてからだ。火葬場は開いてない。だから霊安室に死体を一度収容し、それからひそかに先生のお屋敷に運ばれたあと、またひそかに霊安室に戻され、翌日、大東総合病院直営の火葬場に送られるんだ。その火葬場には|斎場《さいじょう》もついている」  松山は|喘《あえ》ぎながらしゃべった。 「中野義正が気に入った娘や少女は、どうして必ず日が暮れてから死ぬの?」 「…………」 「言うのよ」  恵美子はドリルの刃で松山の耳を浅く|抉《えぐ》った。  悲鳴をあげた松山は、 「こうなったら、何でもしゃべる……義正先生の長男で大東総合病院の副院長であり、東都歯科大の副院長でもある中野|至《し》|誠《せい》先生は、|淫《いん》|楽《らく》殺人症なんだ……」  と、言う。 「淫楽殺人症? 殺人淫楽症でなく……」  恵美子は|呟《つぶや》いた。 「そうなんだ。淫楽殺人狂だ。殺すことだけでエクスタシーに達するんだ……|俺《おれ》なんか……わたしなんか、それから見たら正常そのものだ……これ以上、痛い目に会わせないでくれ」  松山は涙をこぼした。  セックス学者の故|高《たか》|橋《はし》|鐵《てつ》氏は、淫楽殺人とは「異性あるいは同性を殺すことだけによって性快感を得るもの」であり、殺人淫楽とは「殺害してでも淫楽をとげる凶行である」と、明確に定義している。 「じゃあ、至誠は、気に入った患者を殺しては楽しんでるのね?」 「|勿《もち》|論《ろん》、至誠先生がマークした患者を殺す時には、義正先生の同意がいる。あとで、義正先生が|死《し》|姦《かん》を楽しむ必要があるから、死体になった時に義正先生の気に入る女でないとならないからだ! |狙《ねら》いをつけられた入院患者については、心臓に重大な欠陥が発見された、と家族に告げられる……急死した場合に、家族に不審を持たれないように病院側で細工するんだ……至誠先生は本物の|淫《いん》|楽《らく》殺人狂だから、|狙《ねら》いを定めた患者の個室に忍びこみ、片手で患者の首を絞める振りをしながら、心臓マヒを起す毒薬をゆっくり患者の静脈に注射するだけでクライマックスに達する。患者の体内にザーメンを注ぎこむようなことはしなくても済むんだ。もっとも、死体から血を抜いておき、それを寝酒がわりに飲んでは快感を覚えるそうだが」 「狙いを定められた患者は必ず個室に入れられるわけ?」 「日本では珍しいタイプの心臓病だから、データを採るために入院費を病院が負担する、ということにして個室に入れるんだ」 「あの病院のほかの医者や看護婦も、至誠の淫楽殺人狂ぶりを知っているの?」 「下っ端や中堅の医師は知ってない。知っているのは、中野ファミリーの医師たちだ。看護婦で知っているのは婦長クラスだけだが、|莫《ばく》|大《だい》な口止め料を受取っているから外に漏らさない」 「あの病院の歯科部長と外科部長を兼ねている、義正の次男の|国《くに》|報《お》も変態ね?」  恵美子は尋ねた。再びドリルを松山に近づける。 「分った……何でもしゃべる……|国《くに》|報《お》先生は殺人|淫《いん》|楽《らく》症だ」 「殺人淫楽マニア? 殺したり仮死状態にしておいてから犯さないと気分が出ないのね?」  恵美子は肩をすくめた。 「それだけじゃない……教えるから、もうわたしをこれ以上痛めつけないと約束してくれ」  松山は頭をさげた。 「いいわ」 「国報先生は、|強《ごう》|姦《かん》したあと必ず相手を殺し、死体をバラバラに切り刻んで食ってしまうんだ」 「そんな大食漢なの?」 「いや、冷凍庫に|仕《し》|舞《ま》っておいて、何回にも分けて食う」 「犠牲者は、やはり入院患者なの?」 「そうなんだ。大東総合病院は、|立《たち》|川《かわ》と|川《かわ》|崎《さき》と|川《かわ》|口《ぐち》と|松《まつ》|戸《ど》、それに|朝《あさ》|霞《か》に分院を持っている。そのうち川口の病院の入院|病棟《びょうとう》は生活保護を受けている連中を収容している。国から治療費や入院料が出るし、投薬費の水増し請求で|荒《あら》|稼《かせ》ぎが出来るんだ。  国報先生は変り者で、女の美醜や年齢など気にしない。御自分に反抗的態度を見せる患者なら|誰《だれ》でもいいんだ。その女を、分院長室の地下にある完全防音装置付きの人工的な熱帯ジャングル室に連れこみ、散々鬼ごっこを楽しんだ上で首を絞めて仮死状態にさせ、犯してから切り刻むんだ。犠牲者は病死して、例の火葬場で焼かれたことにされる」 「川口分院の分院長も中野ファミリーの一員なのね?」 「そうだ。国報先生の|従兄弟《いとこ》だ。これはサディストだが、|緊《きん》|縛《ばく》と|鞭《むち》|打《う》ちと|浣腸《かんちょう》マニアで、大したことはない」 「どいつもこいつも|汚《きたな》らしい|奴《やつ》|等《ら》ばかりね。義正の三男で大東総合病院の精神科部長をやっている|忠三《ちゅうぞう》は?」 「|強《ごう》|姦《かん》マニアだ。あの病院の立川分院は精神科専門で定床五百人のところに千二百人を詰めこみ、患者を薬づけにした上に、架空の投薬費請求で稼いでいる。忠三は本院で気に入った患者を見つけると立川分院に閉じこめ、強姦してから薬づけで廃人にしてしまうんだ」 「四男の|考《たか》|郎《お》は? 循環器部長をしている……」 「あの先生はマゾだ。奴隷願望と家畜願望、それに人間便器願望が特に強い」 「五男の|義《よし》|夫《お》は? 産婦人科の部長をしている」 「セーラー服の学生を犯すのが大好きだ。|西新宿《にししんじゅく》に|掻《そう》|爬《は》専門の自分のクリニックを持っていて、女子中学生や女子高生が中絶手術にやってくると、麻酔で眠らせておいてから犯すんだ」 「六男の|誠《せい》|六《ろく》は? 眼科の部長をしている……」 「放火魔のオナニストだ。フェチストでもある……都内の幾つもの女子大や女の学生が多い大学の近くに沢山のアパートを借りていて、女子大生専門のアパートから下着を盗むんだ。そして、その下着の持主のアパートに放火する。燃えあがる火を見ながら、盗んだ下着を身につけ、頭からパンティをかぶってオナニーにふけるのが最大の生きがいらしい。一と晩に十発も十二発もマスを|掻《か》きまくることがあるというからかなわんよ」  松山は泣き笑いの表情になった。 「至誠の長男の|猛《たけ》|夫《お》は? 金にあかして自動車レースに出たりしている……」 「あれはサディストだ。それも、ただのプレイでは満足できない本物のサディストだ」  松山は|呟《つぶや》いた。  恵美子はさらに尋問を続けた。中野ファミリーの男で、いわゆる「正常」なセックス・ライフを送っている者はいないようであった。 「あんた、どうしてそんなに、中野ファミリーの連中の変態ぶりを知っているの? ファミリーの直系でもないあんたが……」  恵美子は尋ねた。 「みんなが、|俺《おれ》のように……私のようにただただ女とハメハメすることだけが好きな……どっちかというとノーマルな私を|馬《ば》|鹿《か》にし、それぞれの趣味を自慢して、私を同じ道に引きずりこもうとするんだ……もっと度胸を出せと……どんなことをやっても、政府がかばってくれると……」  松山は言った。  恵美子は|多《た》|摩《ま》市の中野義正の屋敷の警備状況を尋ねた。 「完全武装の|東関東会《ひがしかんとうかい》の戦闘部隊二百五十人があの屋敷を|護《まも》っている。義正先生は屋敷の|母《おも》|屋《や》に閉じこもっていて外出しない。義正先生が外部と連絡をとる時は電話が|主《おも》だ。ファミリーのお偉方にも東関東会のボディ・ガードが数人ずつついていて、あの人たちが義正先生のお屋敷にうかがう時にも、当然ながらボディ・ガードが一緒についていく」  松山は答えた。  それから一時間ほどして、恵美子は、 「さあ、自宅に電話して。仲間に誘われて|銀《ぎん》|座《ざ》のクラブで飲んでいる。帰りは遅くなるだろうから、先に寝ていてくれ、と奥さんに言うのよ」  と、松山に命じた。 「な、なぜだ? どうしてだ?」 「あんたにしばらくここで眠っていてもらって、その間に、犬小屋の下に隠してある債券を|頂戴《ちょうだい》しよう、というわけ。大丈夫、殺しはしないから」 「畜生……こんなことになるんだったら、義正先生に財産管理をまかすんだった」  松山は|呻《うめ》いた。 「じゃあ、ファミリーのほかの連中は、中野義正に財産管理を頼んでいるの?」 「よくは知らん……その点については本当によくは知らんのだ。でも、義正先生から、金の運用をまかせてくれたら、年に二割の利子をつけてやる、と言われたことがある」 「そんな有利な条件なのに、どうして預けなかったの?」 「義正先生に万一のことがあった時、至誠先生たちに私の財産を横領されるのを|怖《おそ》れたからだ」 「至誠は義正に財産を管理してもらっているの?」 「知らん。本当に知らん」 「分ったわ。ともかく、自宅に電話してよ」  恵美子は言い、すでに調べてあった松山の自宅のダイアルを回した。受送器を松山に近づけ、自分も耳を寄せる。  電話に出たのはメイドのようであった。松山は、 「女房に伝えてくれ——」  と、言ってから、恵美子に命じられた通りのことをしゃべった。|顎《あご》の骨が砕けているので発音は|不明瞭《ふめいりょう》だが、メイドには松山が酔っているためと聞えたらしく、不審感は抱かなかったようであった。  松山と助手の久子、それに受付けの真弓の|延《えん》|髄《ずい》をナイフで|抉《えぐ》って殺した恵美子は、松山の死体から|手錠《てじょう》を外し、ズボンのポケットから|鍵《かぎ》|束《たば》を奪うと、床に落ちているマッチの燃え残りを拾った。電灯のスウィッチを切る。  松山歯科クリニックの出入口のドアは二重になっている。内側は曇りガラスで外側は鋼鉄製だ。  外側のドアも閉じられ、鍵が掛かっていた。奪った鍵束のうちの一本を使ってそのドアを開き、廊下に出てみると、“本日の診療は終了しました”という札が掛かっていた。恵美子は外側からドアに再びロックする。  電車に乗って目黒平町の隠れ家に戻った恵美子が、スカイラインのステーション・ワゴンを使って、港区|高《たか》|輪《なわ》一丁目の高級住宅街にある松山誠次の自宅に近づいたのは、午後十時半|頃《ごろ》であった。  大谷石の塀を張りめぐらせた松山の自宅の庭は三百坪近く、樹木も多い。建て坪五十坪ほどの近代的な建物は二階建てだ。  恵美子はエンジンを切り、ギアをニュートラルにした車を惰性で塀に寄せる。路上に人通りはなかった。正門と玄関とのあいだの左手で三、四頭の犬が|吠《ほ》えるのが聞えた。  目のあたりだけを開けたナイロン・ストッキングの覆面をかぶり、黒いゴム手袋をつけた恵美子は、車のなかでロング・ドレスを脱いだ。  黒いジャンプ・スーツ姿が現われた。その腰に、消音器付きザウエル|拳銃《けんじゅう》を収めたホルスターやガーバー・マーク㈼のナイフを入れたシース、それに輪に|捲《ま》いたロープや工具差しの革ケースなどをつけたベルトを|捲《ま》く。  ハイヒールをジョギング・シューズにはきかえ、背中にバック・パックを背負った恵美子は、ステーション・ワゴンの屋根の上に登った。  犬の吠え声は、低い不気味な|唸《うな》り声に変っている。恵美子は電柱を登り、松山の屋敷に通じる電話線の端子を外す。  塀の上に降りた時、台所側から、パジャマを着けた二十七、八の醜い女が懐中電灯を持って犬小屋に近づくのが見えた。  犬小屋とは言っても四畳半ほどの広さがある。三方が空気抜きの|孔《あな》をあけた鋼板で、前面が|鉄《てつ》|格《ごう》|子《し》のドアになり、ドアの下側には食器入れの引き戸がついている。 「お黙り! うるさいわね。何かあったの?」  女は言った。電話で聞いたメイドの声だ。  四頭の犬は、鉄格子の扉に前脚を掛けて立上り、|物《もの》|凄《すご》い|形相《ぎょうそう》で|吠《ほ》えた。四頭ともドーベルマンであった。  塀の上に立った恵美子は、バック・パックのサイド・ポケットから軽合金製のフレームのスリング・ショット、つまりパチンコを取出した。  そのスリング・ショットのフレームには、グリップのほかに、保持する腕や手首を安定させるためのリスト・アシストがついている。ゴム・バンドは、普通の腕力の男では五センチも引けないほど強力なやつだ。  ジャンプ・スーツのポケットの一つから、直径八ミリ半ほどの鉛製の玉を出した恵美子は、ゴム・バンドの中間の革製のパウチにはさんだ。  手加減しながらゴム・バンドを右手で引き放す。  鉛玉はメイドのコメカミを直撃した。メイドはあっけなく気絶して崩れ折れる。  身軽に塀から庭に跳び降りた恵美子は、スリング・ショットを腰のベルトにはさみ、バック・パックのもう一つのポケットから、ボロ布と|小《こ》|壜《びん》を取出した。  小壜の|栓《せん》を抜き、中味をボロ布にたらす。悪臭を放つその液体は、発情のピーク時の|牝《めす》犬のヴァギナからの分泌物のエッセンスだ。  人間の数万倍の|嗅覚《きゅうかく》を持っている犬のことだ。四頭の牡のドーベルマンは途端に|吠《ほ》えるのをやめ、やるせなげな鼻声を出した。  恵美子はボロ布を振りながら犬小屋に近づいた。甘え声を出すドーベルマンのなかには、食器の洗面器を裏返しにし、それを抱えこんで腰を振っているやつもいる。  ボロ布と|小《こ》|壜《びん》を犬小屋の前に置いた恵美子は、思いきりスリング・ショットのゴム・バンドを引き絞っては、次々に鉛玉を放つ。  |眉《み》|間《けん》から脳に鉛玉をくいこまされた四頭のドーベルマンは、目玉を|眼《がん》|か[#「か」は「あなかんむり」の下に「果」Unicode="#7AA0"]《か》からとびださせて即死した。キャンとも言わない。  恵美子はメイドが落した懐中電灯で、犬小屋のなかをよく照らしてみた。小屋のなかに、こちらに口を開けた、幅三メーター、奥行き一メーター半ほどのジュラルミンの箱があり、それは四つに仕切られて、ゴザが敷かれている。それが犬たちの寝箱であろう。  ボロ布と小壜を二重ビニールの袋に収めてバック・パックに仕舞った恵美子は、気絶しているメイドを犬小屋のなかに引きずりこんだ。  猿グツワをゆるく|噛《か》ませ、腰骨を軽く|蹴《け》って活を入れる。低く|呻《うめ》いたメイドは意識を取戻した。  恵美子はポケットから五カラットのダイアを出した。五越デパートの二千万円のプライス・カードがついている。  恵美子はそのダイアと保証書を、懐中電灯で照らしながらメイドに見せた。 「これが欲しくない?」  と、|囁《ささや》く。 「ど、どうしてわたしに?」  メイドは猿グツワの|隙《すき》|間《ま》から、かすれた声を漏らした。 「協力してくれたら、これをあんたにあげる。この家の連中はまだ起きているの?」 「|旦《だん》|那《な》さんは銀座で飲んでるわ。例によって朝帰りでしょう。奥さんは、ホスト・クラブに男を買いに行った。帰りは、いつもの通りなら、十二時をずっと過ぎてからだわ。息子さんと娘さんは、ディスコに遊びに行ったから朝帰りの|筈《はず》……」 「じゃあ、この家に残っているのは、あんただけね?」 「…………」 「犬小屋の下に何か隠してあるのを知っているでしょう?」 「…………」  メイドは首を振ったが、視線はダイアから外すことが出来ない。 「さあ、これを|仕《し》|舞《ま》ってて。|勿《もち》|論《ろん》、旦那や奥さんたちにこのことを黙ってていいのよ。それに、犬小屋の下から何か出てきたら、分け前をあげるわ」 「…………」  メイドはダイアと保証書を引ったくった。パジャマのズボンとパンティを降ろし、過度のオナニーのせいか|花《か》|芯《しん》や花弁が黒ずみ肥厚したセックスのなかに、ダイアと筒型に丸めた保証書を隠した。パンティとパジャマのズボンを引きあげ、 「わたしが見てないと思って、|旦《だん》|那《な》と奥さんが時々、夜中にその下にもぐりこむのを見たわ。それを動かせばいいのよ。手伝うわ」  と、ジュラルミン製の犬の寝箱を示す。     一〇  犬の寝箱の下のコンクリートの床に|揚《あ》げ|蓋《ぶた》があり、その下に|鉄《てつ》|梯《ばし》|子《ご》でつながった地下室があった。地下室のロッカーに、さまざまな無記名の公社債の現物があった。一枚が一千万円単位のものが多いので、二十二億円分といってもバック・パックに入れて運べる重さでしかなかった。もし現金だと、全部が一万円札でも、三百キログラムほどになる。  メイドを処分し、ダイアを取戻した恵美子は目黒の隠れ家に戻った。深夜一時に、スプロの秘密連絡員と青山墓地で車を交換する。  二十二億の債券を乗せたスカイラインのステーション・ワゴンは去り、スカーフとマスクで顔を隠していた恵美子は受取ったクラウンのステーションに乗って|原宿《はらじゅく》通りに行った。  スカーフとマスクを取り、自動車の修理工用のツナギをつけ、路上駐車しているホンダ・シヴィックを盗み、目黒の隠れ家に再び戻ると、ナンバー・プレートと車検証を、用意してあった偽造品に取替えた。  翌日から、数時間置きに髪かたちや化粧や服を替えた恵美子は、中野義正の六男で、大東総合病院の眼科部長と大東医大の眼科主任教授、それに大東医大と東都歯科大の常任理事をやっている中野誠六の尾行をはじめた。  中野誠六は四十五歳、長身|痩《そう》|躯《く》で|蒼《あお》|白《じろ》いインテリ|面《づら》をしている。いつもは、東関東会の二人のボディ・ガードに身を|護《まも》らせている。  誠六が恵美子の第六感に響く行動をとったのは、尾行をはじめてから三日目の夕暮時であった。  環状七号に面した杉並|堀《ほり》ノ|内《うち》の巨大な大東総合病院から、ボディ・ガードを助手席と後部座席に乗せたキャディラック・フリートウッド・ブローアムで|甲州街道《こうしゅうかいどう》から|新宿《しんじゅく》を通って|四《よつ》|谷《や》の自宅に向っていた誠六は、|伊《い》|勢《せ》|丹《たん》デパートの横に来た時、運転手にキャディラックを急停車させたのだ。  キャディラックから、いつものように大きな診療カバンを持った誠六が降りると、これも車から降りた二人のボディ・ガードが誠六をはさみこんだ。  恵美子は駐車禁止の標識を無視し、今日の尾行に使っているホンダ・アコードを歩道に寄せて|駐《と》めた。その車も無論、盗んだものだ。  デパートのなかに入っていく誠六たちを|尾《つ》|行《け》る。誠六は喫煙具売り場でライターを品定めしていたが、カルチェのライターを注文し、ボディ・ガードの一人に数枚の一万円札を渡すと、 「これで勘定してもらってくれ……ちょっとトイレに……腹具合が悪くて……」  と、さっさと歩きだす。  もう一人のボディ・ガードがあわてて誠六を追った。  しかし、紳士用トイレの入口の前で、誠六に「ちょっとは私のプライヴァシーのことも考えてくれ」と言われたらしく、不満そうに足を|停《と》める。  何人もの客がトイレに出入りしたが、誠六はなかなか出てこなかった。あせったボディ・ガードはトイレに踏みこむ。  それと入れちがいのようにして、中野誠六が出てきた。  恵美子でさえも一瞬だまされそうになった誠六の変身ぶりであった。アフロ・ヘアのカツラにカストロ|髭《ひげ》、レイバンのブラック・キャラバンのサン・グラス、よれよれのウエスターン・シャツにブリーチ・アウトのフレアードのジーパン、それにカカトがヤケに高いロンドン・ブーツというイメージ・チェンジぶりであった。カバンは持ってない。  誠六は入ってきた時とは別の出入口からデパートを出た。タクシーを呼び止めようと車道に降りる。  誠六を追った恵美子の目に、車を歩道に寄せて停まり、デパートに入った連れを運転席で待っているらしい中年女の姿が見えた。車種はカローラのセダンだ。  愛想笑いを浮かべた恵美子は、その車の助手席に乗りこんだ。驚きの表情を向ける女の|脇《わき》|腹《ばら》に、 「失礼」  と、フックを突き刺す。  女は瞬時にして意識を失った。大雑踏のなかで、そのことに気付いたり気をとめたりしたりする者はいない。  恵美子は女をフル・リクライニングさせた助手席に移し、シート・ベルトを掛けた。自分は運転席に移る。女は疲れて眠っているように見える。  誠六はタクシーを|掴《つか》まえた。恵美子はカローラでそのタクシーを追う。バック・ミラーに、デパートから歩道に跳びだした二人のボディ・ガードが泡をくらった表情で左右に目を走らせているさまが写る。  恵美子は助手席の女の下腹を鋭く殴りつけ、しばらくのあいだ意識を取戻さないようにした。  誠六を乗せたタクシーが停まったのは、日本女子大に近い豊島区の|雑《ぞう》|司《し》が|谷《や》であった。|目《め》|白《じろ》通りから少し入ったアパートや下宿屋が多いあたりだ。  誠六は|高《たか》|田《だ》|荘《そう》と書かれた二階建てのアパートの二階に登った。一階には玄関から入るようになっているが、二階には建物の外についた非常階段のようなものを通って入るようになっている。  おまけに、二階のヴェランダのような通路に面して各部屋のドアがついているから、誠六が入った部屋も恵美子から見えた。  恵美子はしばらくは外で様子をうかがうことにし、車をバックさせた。車のトランク・リッドを開き、トランク・ルームにあったロープとウエスで中年女を縛った上に猿グツワを|噛《か》ませる。  女をトランク・ルームに移し、スパナーで頭を一撃して一日ぐらいは気絶から|醒《さ》めぬようにし、トランク・リッドを閉じる。  半時間ほどたってから中野誠六は出てきた。今度も変身し、ネズミ色の作業服をつけ、工具メーカーのマークが入ったキャップをかぶっている。スニーカーをはき、眼鏡はナスビ型のシューティング・グラスに変えている。肌が陽焼けして見えるような化粧をしていた。  誠六が目白通りに出たのでタクシーを拾うのかと恵美子は思ったが、誠六は目白駅のほうに向けて歩き続けた。駅近くのコンヴィニエンス・ストアで食料や飲料を買いこみ、その紙袋を抱えてさらに歩く。  |下《しも》|落《おち》|合《あい》で誠六は目白通りから外れ、左側の住宅街に入った。恵美子は車を一度捨て、足を使って誠六を尾行する。もう暗く、常夜灯の下でないと人相が分りにくいほどだ。  スニーカーをはいている誠六の足音は小さかったが、人工ゴムのクレープ・ソールの靴をはいている恵美子の足音はさらに小さかった。  誠六は|聖《せい》|母《ぼ》短大の近くの|青《あお》|葉《ば》アパートの二階二〇七号室に姿を消した。高田荘と造りがよく似ていたから、恵美子にその部屋が確認できたのだ。  恵美子はゆっくり歩き、青葉アパートと平屋の民家三軒をはさんで木造二階建てのアパートが建っているのを見た。夏なのでほとんどの窓は開け放され、部屋のなかにいる、スリップ姿やタンク・トップ姿の娘たちが見える。  恵美子は大回りしてカローラに戻り、それを青葉アパートから百五十メーターほど離れた路上に移した。うまい具合に、そこは駐車禁止ではなかった。  車から降り、青葉アパートの二階に登っていく。今の恵美子は、まったく足音をたてなかった。  中野誠六の部屋の左隣りの二〇六号室の前で立ちどまり、ショールダー・バッグから盗聴器を取出してスウィッチを入れ、マイクをドアに押しつける。イヤー・ホーンを耳に差した。  TVの音や男女の会話が聞えた。恵美子は誠六の部屋の右隣りの二〇八号の前に移る。  留守と分った。先端を|鉤《かぎ》|型《がた》に曲げ|潰《つぶ》した針金でロックを外した恵美子は、その部屋に入る。  入ってすぐのところに流しとガス台、それにトイレがついた八畳間だ。万年床が敷かれた部屋は散らかし放題で、おびただしいポルノ雑誌が見える。雨戸が閉まっていて、|蒸《む》し|風《ぶ》|呂《ろ》のような暑さだ。  ドアを閉じ、内側からロックした恵美子は、懐中電灯をつけ押入れを開いた。洗濯してない下着がおびただしく放りこまれていて、あまりの男臭さに恵美子は吐きそうになる。  押入れの天井板を開き天井裏に身を移した恵美子は、バンダーナのハンカチで鼻と口を覆って|埃《ほこり》が|喉《のど》に入るのを防ぎながら、音もたてずに誠六の二〇七号室の上に移る。  天井の板は|節《ふし》|孔《あな》だらけなので、二〇七号室の様子はよく見えた。  誠六は電灯を薄暗くし、双眼鏡を左手で目に当てていた。シューティング・グラスを外して女っぽく化粧し、|栗《くり》|色《いろ》の長い女性用カツラをかぶり、|偽《にせ》の乳房とフリルがついたスリップをまとっている。そのスリップにはスリットが入っている。  誠六は|籐《とう》|椅《い》|子《す》に腰を降ろしていた。サイド・テーブルに置いたソーセージやオレンジやパンを口に入れたりバッドワイザーの缶ビールを飲んだりする合間に、スリップのスリットから差しこんだ右手で怒張しているものを|玩《がん》|弄《ろう》している。  双眼鏡を向けている先は、無論、女性専用らしいアパートだ。  午前一時頃までに、誠六は次々に装着したゼリー付きのスキンのなかに五度放射した。  午前一時半、雨戸を閉じた誠六は電灯を明るくし、薄いゴム製の手袋をつけた。スリップの上から黒いドレスをまとった。押入れから、女物のハイヒールと、十八リッター入れのポリ・タンク、ガラスを外した小型の目覚し時計、ガス湯沸し器用の電子口火セットなどを取出した。  ガソリンか石油が入っているらしいポリ・タンクと目覚し時計などを大きな|風《ふ》|呂《ろ》|敷《しき》に包んで右手に重そうに提げる。左手にはハイ・ヒールの靴を持った。部屋からそっと出ていく。  二十分ほどして戻ってきた誠六は興奮しきった呼吸のために舌を突きだしていた。|空《から》になったポリ・タンクとハイ・ヒールを押入れに仕舞い、押入れに隠してあった女性の下着を数十枚部屋にまき散らす。それらの下着は、みんな盗んだものであろう。  ワン・ピースを脱いだ誠六は、下着の上を転げまわって|匂《にお》いを|嗅《か》いでいたが、素っ裸になると、パンティとカップ入りのブラジャーをつけた。電灯を消し、そっと雨戸を開く。ゴム手袋を脱ぐ。  女性用アパートの方角が炎で明るくなったのはそれから五分ほどたってからであった。誠六は目覚し時計と電子口火を使った時限発火装置を使ったのだ。  頭からパンティをかぶり、|股《こ》|間《かん》のパンティをずりさげた誠六は、|啜《すす》り泣きに似た声を漏らしながら、炎のほうを見つめてしごきまくっている。|憑《つ》かれたような表情であった。  恵美子が押入れの天井板をはぐって部屋に降りても、|恍《こう》|惚《こつ》境に入っている誠六は気がつかない。火に包まれた五十メーターほど先のアパートでは、全裸や全裸に近い娘たちが逃げまどっている。  恵美子はショールダー・バッグから出した超小型のフラッシュ・カメラのフラッシュを跳びださせ、充電ランプがつくと、誠六に向けてシャッターを押した。フィルムはASA四〇〇のカラーを使っている。  ちょうど誠六が勢いよく放射した時にフラッシュが光ったのだが、誠六はそれにさえ気づかなかった。まったく衰えを見せぬものをこすり続ける。  さまざまな角度から続けて五度シャッターを切った恵美子は、ポケットのなかの超小型のテープ・レコーダーのスウィッチを入れると、誠六の頭からパンティとカツラをもぎとった。  そこでやっと我に返った誠六をさらに撮影する。 「だ、|誰《だれ》だ! 何している!」  誠六は|喉《のど》を絞められた時のような声を出した。  異様なほど長い誠六の付けマツゲをむしり取って再びカメラのフラッシュを|閃《ひらめ》かせた恵美子は、 「さあ、一緒に警察に行くのよ。これだけ証拠が|揃《そろ》ったら、どんなに大物政治家を動かしても手遅れね。それとも、パトカーを呼びましょうか?」  と、残忍な笑いを|頬《ほお》に走らせた。  消防車やパトカーのサイレンが放火されたアパートに近づいてきている。 「頼む、見逃してくれ! |金《かね》で話をつけさせてくれ……」  散乱した女の下着の上に身を投げだした誠六は両手を合わせた。歯がカタカタ鳴るほど震えている。  その姿も撮影した恵美子は、 「いくら出す気? 金額によっては口を閉じていてあげる」  と、冷たく笑った。 「一億出す……一億がギリギリだ……それで目をつぶってくれ」  誠六は|米《こめ》|搗《つ》きバッタのように頭をさげた。 「冗談じゃない。あんたの放火のせいで、これまでに十六人が焼け死に、|大《おお》|火傷《や け ど》を負った人は五十人をくだらないのよ。今夜も何人か焼け死ぬかもね。まあ、あんたはどうあがいても死刑ね。それに、あんたの変態ぶりが天下の笑いものになるわ」 「分った……現金は一億しか無い。だけど、金塊でならもっともっと出せる……頼む、早く雨戸かカーテンを閉じてくれ……こんなところを、あのアパートの屋根に登った消防士にでも見られたら、私は破滅だ!」 「分ったわ」  恵美子は窓に近づいた。その背後で立上った誠六がブラジャーを両手で握って忍び寄るのがガラス窓に写る。  恵美子が雨戸を閉じた途端、誠六が恵美子の首をブラジャーで絞めようとした。  恵美子は右|肘《ひじ》を鋭くうしろに突き出した。肘打ちを胸にくらった誠六は|尻《しり》|餅《もち》をつき、悲鳴を漏らしながら恵美子の右脚にしがみつく。 「いい加減にしてよ」  恵美子は左足で誠六の耳を|蹴《け》った。誠六はあっけなく気絶する。  恵美子はしばらく考えていたが、まわりじゅうでパトカーや消防車のサイレンが|吠《ほ》えたてている上に野次馬が群がっているいまは、誠六を連れてこのアパートから脱出する時ではない、と判断した。ホトボリが|醒《さ》めるまで、ここに|籠城《ろうじょう》することにする。幸い、誠六は東関東会にもこのアパートの存在を知られないようにしているところから見て、中野ファミリーの|誰《だれ》もがこのアパートのことを知らないだろう。  誠六の腰骨を|蹴《け》って意識を取戻させた恵美子は、散乱している女の下着類を押入れに片付けさせた。その様子も写真に|撮《と》る。工員姿にさせて背中のうしろで|手錠《てじょう》を掛けると、 「金塊はどこにあるの? このところ、ゴールドの値動きは激しいようね。上ったり下ったりしながらも、結局はこの十年間で十倍の値上りというから、原油の値上り率と同じね。|勿《もち》|論《ろん》、あなたは現物で持っているんでしょう? 悪質なブローカーを通して先物の信用取引なんかやったら、骨までしゃぶられるのが落ちだから」  と、言う。 「私の家の庭に、大地震にそなえて|貯《ちょ》|水《すい》|槽《そう》が掘ってある。金塊はその水中に沈めてある」 「重量にしていくら?」 「…………」 「いいわ。雨戸を開けて人を呼ぶ。ブラジャーやパンティやネグリジェは、また畳の上にまき散らしておく」  恵美子は残忍に笑った。 「やめてくれ……一トンだ……」 「一グラム二千五百円として二十五億ね。いざ売るとなると二十億ぐらいになるでしょうが」 「…………」 「ゴールドのほかに偽名の定期預金通帳や、株や債券も隠してあるんでしょう?」 「ちがう……私は九十億の現ナマをオヤジに預けている。オヤジは、それに対して月に五パーセントの利子を払ってくれる。年利六十パーセントだ。源泉分離課税を払ったあと年利五パーセントそこそこになる割引債や三・五パーセントぐらいの定期預金なんて|馬《ば》|鹿《か》|馬《ば》|鹿《か》しくて……」 「あんたのオヤジの義正は、よほど有利にあんたから預かった金を運用しているのね? あんたに年利六十パーセントを払えるからには、その何倍もの利益をあげている|筈《はず》よ……あんたの兄貴たちも、義正にお金を運用してもらってるの?」 「よくは知らん。だけど、多分その通りだ。ただ、オヤジは、親子のあいだで固苦しいことを言うな、と預り証もよこさないから、私のように換金性のあるものをいくらかは|手《て》|許《もと》に残しているだろうが」 「時価二十億で、“いくらかの”とはよく言うわね。ところで、さっき言った現金一億はどこにあるの?」 「金庫に|仕《し》|舞《ま》ってある」 「金庫のダイアルのコンビネーション番号は? |鍵《キー》は?」  恵美子は尋ねた。  それから夜明けまで恵美子は尋問を続けた。誠六がトイレに入る時は、ドアを開けさせたまま監視する。TVをつけてみると、ニュース・キャスターが昨夜の放火で二人の娘が焼死し、三人が大火傷を負ったと言っている。  サラリーマンの出勤時間になってから、誠六を前に立たせて恵美子はアパートを出た。誠六がおかしな|真《ま》|似《ね》をしたら、ショールダー・バッグのなかの|拳銃《けんじゅう》の引金をためらわずに引くと警告してある。  アパートから百五十メーターほど離れたところに路上駐車してあったカローラは動かされてなかった。右側に大型消防車が|悠《ゆう》|々《ゆう》と通れる余地があるからだ。  その車の助手席に誠六を乗せた恵美子は|脾《ひ》|臓《ぞう》を一撃して意識を失わせた。環状六号から右に入った落合火葬場の近くでカリーナに盗み替えた。誠六をカリーナのトランク・ルームに移して縛りあげ、猿グツワを|噛《か》ませる。  気絶を続けている中年女の姿が早く発見されて生命が助かるようにカローラのトランク・リッドを開きっ放しにし、恵美子はカリーナを運転して目黒の隠れ家に戻った。  完全な防音装置がついた地下室の|檻《おり》に誠六を入れ、猿グツワと手足のロープを外してから、ドッグ・フードと水の鉢を置き、檻の|格《こう》|子《し》戸をロックする。  スプロとの交信を終えた恵美子はぐっすりと眠った。午後二時頃に目覚め、大量の食事をとると、フィールド・バッグの一つを持ち、地下室に降りてみる。      一一  誠六は死んだ振りをしていたが、与えてあった水がへっているから意識を取戻したことが分る。  恵美子はフィールド・バッグから非常に小さくて軽量の短機関銃を取出した。  そのサブマシーン・ガンはアメリカン百八十ではなくて、片手|射《う》ち用のサイドワインダーであった。  サイドワインダーには口径九ミリ・ルーガーのSS—1と口径四十五オートのSS—2、それに口径九ミリと口径四十五の実包が銃身と遊底と弾倉の交換で使えるSS—3の三つのモデルがあるが、いま恵美子が出したのは口径九ミリ・ルーガー・カートリッジを使用するSS—1であった。  押しこんだり引っぱり出したり出来る金属銃床を押しこんでいる今、全長はわずかに四十三センチそこそこだ。三十二連の|装《そう》|填《てん》された弾倉をつけても、重量はわずかに三・二キロ強だ。  恵美子は、下に四脚と滑車がついた標的箱を|檻《おり》の横に置いた。三十センチ四方ほどの標的箱は奥行きが一メーターほどあり、そのなかにはゴム袋に入った砂がつまっている。  標的箱に標的を|貼《は》った恵美子は、十五メーターさがった位置にサイドワインダーSS—1とフィールド・バッグを置いた。  三十二連の細長い弾倉を弾倉|枠《わく》に押しこみ、弾倉を弾倉枠ごと左側に回した。このサイドワインダーの最大の特長はスウィーヴェル弾倉といって、弾倉を機関部ごと三百六十度内のどの位置にでも回すことが出来ることだ。  つまり、正確な射撃を期するために片手は弾倉枠を握って引きつける両手射撃の場合、左ききの射手なら右手で弾倉枠を保持するために弾倉を右に回せばいい。低い姿勢で伏射する時には弾倉が下側にあると邪魔だから斜め上に回しておけばいい。建物などの蔭からブッ放す時には、敵から見えない位置側に弾倉を回せばいい……。  シングル・ポイント型の光学照準器をわざとつけずに遊底|桿《かん》を引いた恵美子は、|負い紐《スリング》を左肩に回し、ゆるやかな“く”の字型の銃尾板を右|肘《ひじ》に当てた。  銃口のすぐ近くにある|引金《トリガー》グループの|銃把《じゅうは》を右手で握り、人差し指をのばして標的を指さすようにする。左手で弾倉枠を握り、引金に掛けた右の中指で第一段目まで引く。  口径二十二ロング・ライフルとは比較にならぬ鋭い銃声と共に一発が飛びだした。  わずか十五メーターの射程なので、標的の真ん中近くに|弾《だん》|痕《こん》があいたのが見えた。悲鳴をあげた誠六が頭を抱える。  恵美子は引金を二段目まで引いた。今度は自動的に三点射となる。直径二センチぐらいに三発の弾痕が散る。  恵美子は次に三段目まで引金を引き絞った。自動的にフル・オートになり、次々に銃弾が吐きだされるが、反動が少ないだけでなく銃口の|跳《は》ね上りもごく少ない。恵美子はバッファー・スプリングの調節で、一分間七百発から千二百発の回転速度の幅があるその銃を一分間七百回転させるようにしてあった。  腰だめに近いスタンスにもかかわらず、十数発の着弾の直径は五、六センチであった。  絶叫をあげている誠六を無視し、恵美子は|空《から》になった弾倉を予備弾倉に替えた。左手に二本の予備弾倉を持つ。左手は銃の弾倉枠を持たず、片手|射《う》ちのフル・オートで射ちまくる。のばした右の人差し指を標的に突きつけるようにして|射《う》てばいいのだから、|狙《ねら》いのつけかたは実に楽でスピーディだ。引金グループは右|肘《ひじ》を自然に曲げた時に|掌《てのひら》や指の位置にくるようになっている。  左手で構えて射ってみたり、スコープをつけた銃の銃床をのばして肩付けしてみたり、大きなソニック・サウンド・サプレッサー、つまり銃声弱音器をつけて射ってみたりする。無煙火薬とはいえ、地下室に煙のヴェールがかかる。  マガジン・ロッダーを兼ねた|弾《マガ》|倉《ジン》着脱弁を使い、弾倉の強力なスプリングを下に押しつけながら空になった弾倉に九ミリ実包を|装《そう》|填《てん》していく恵美子は、 「今度はあんたに標的がわりになってもらおうかな?」  と、誠六に言った。 「助けてくれ! 何でも言う通りにするから!」  誠六は黄水を吐いた。  それからしばらくして、恵美子は目隠しをさせた誠六をカリーナのトランク・ルームに押しこんで、野沢公園に連れていった。人通りがなくなった時、誠六の目隠しをとって公衆電話のボックスに歩かせる。  中野義正に電話を掛けさせた。 「どうした。無事か? お前がいなくなったんで、東関東会の連中が五十人ほどお前の家に集まっている」  義正のドスがきいた声が聞えた。 「済みません……また例のクセが出てしまって……まわりじゅう刑事が張りこんでいるんで、あと一日ぐらいはここに|籠城《ろうじょう》してホトボリが|醒《さ》めるのを待っていたほうがいいと思って……」 「ここって、どこなんだ?」 「それだけは勘弁してください」 「|馬《ば》|鹿《か》者が! この大事な時に……|下《しも》|落《おち》|合《あい》だろうが? テレビや新聞が大騒ぎしとるぞ」 「父さんだって、好きな道はやめられないじゃないですか……女房は?」 「孫も連れてこっちに避難して来とるわい」 「じゃあ、また連絡しますから」  誠六は電話を切った。  その夜、|手榴弾《しゅりゅうだん》六発と右手のサイドワインダー、左手のアメリカン百八十を駆使した恵美子は、|四《よつ》|谷《や》の中野誠六の豪邸で東関東会五十数名を|鏖《おう》|殺《さつ》し、一トンの金塊と一億円の現ナマを奪った。現場に誠六の死体を放置する……。  翌日から恵美子は|西新宿《にししんじゅく》の新宿中央公園に近い雑居高層ビルのなかにある、中野義正の五男の|義《よし》|夫《お》がセーラー服姿の中学生や高校生を犯すのが目的である産婦人科クリニックを見張った。  だが、弟の誠六が殺されたので|怯《おじ》|気《け》づいたらしく、海外の学会に出席中という|貼《はり》|紙《がみ》を出して、義夫はそのクリニックを臨時休業していた。  数日を|無《む》|為《い》に過ごしてから、恵美子は、東関東会との連絡役をやっていた女性モーター・スポーツ・ジャーナリストの赤坂恵子に|復讐《ふくしゅう》することにした。  全日本富士ロング・ディスタンス三百五十マイル・レースのほうはもう結果が出ていて、ターボ勢は全滅し、優勝したのはグループ|6《シックス》の二座席レーシング・カーであった。中野猛夫は三十二周でポルシェ・ターボのエンジンをこわしている。  渋谷|広《ひろ》|尾《お》町の高層マンションの五階にある恵子の続き部屋の寝室に忍びこんだ恵美子は、シガレットの煙をたてぬために、スコールの|噛《か》みタバコを|頬《ほお》の内側と|歯《は》|茎《ぐき》のあいだにくわえ、ニコチンの|唾《つば》をフィルムの空缶に吐きだしながら待った。  玄関のドアが開いたのは深夜になってからであった。ベッドの下にもぐりこもうとした恵美子は、恵子の声に混って男の声が聞えたので、造りつけの大きな|衣裳《いしょう》戸棚のなかに隠れる。戸棚のなかは|華《はな》やかなドレスが多い。  恵美子は戸棚の扉に目立たぬように|錐《きり》で|孔《あな》をあけてあった。男の声が中野猛夫と知って薄く笑う。  隣りの居間兼ダイニング・ルームから、中野義正の長男の息子で東都歯科大と大東医大の理事をやっている二十七歳の猛夫が、 「よう、今夜はやらしてくれるんだろうな? 散々おあずけをくらってよう、|俺《おれ》、もう漏れそうになっちまったぜ」  と、強引に恵子に迫っている。 「おやめになって……わたし、そんな女じゃあ……」  恵子は猛夫をじらしていた。  やがて平手打ちの音が三発ほど聞えた。恵美子は、|衣裳《いしょう》戸棚の扉にあけた小さな|孔《あな》に目を当てる。  ぐったりした振りをした|痩《そう》|身《しん》の恵子を重そうに抱えて、猛夫が寝室に入ってきた。恵子をベッドに放りだすと、荒々しく脱がせる。恵子の乳房はお|碗《わん》|型《がた》であった。いつもサーキットをTシャツとジーンズ・ショート・パンツ姿でのし歩いているから顔や手足は黒いが、胸や腹は色白だ。|腿《もも》を固く閉じて、目をつぶっている。  自分も素っ裸になった猛夫は、ベルトを振りあげ、自分のサディズムと闘っていた。下を向いていたものが、猛夫が身を震わすごとに硬く上向いてくる。  猛夫はまだ自分のサディストとしての正体を知られないと思ったらしい。ベルトを捨て、恵子の|膝《ひざ》を何とか割ろうとする。 「責任をとってくださるわね?」  目を開いた恵子が言った。 「責任?」 「結婚してくれるのね?」 「分った。分った。だけど、すぐには無茶だ。そうだ、明日、|俺《おれ》の家で中野ファミリーだけのパーティがある。オジ貴の忠三先生や俺のイトコたちが集まる。その席で、俺は君をみんなに紹介する」 「イトコさんたちって……?」 「ああ、やはり|俺《おれ》と同じで東都歯科大の理事をやっている|秀《ひで》|人《と》だとか、大東総合病院の理事の|則《のり》|夫《お》だが……」  猛夫はパーティにやってくる中野ファミリーの男たちの名を並べたてた。みんな、サディストや|強《ごう》|姦《かん》|魔《ま》だ。  それを聞いた時、恵美子は今夜は恵子と猛夫をなぶり殺しにするのを中止し、明日の夜のパーティを待つことにする。 「うれしい! 中野ファミリーにわたし公認されるのね」 「まあ、そんなところだ。オジ貴たちの|御《ご》|機《き》|嫌《げん》をそこねないように、パーティではしおらしくしてろよ」 「抱いて、猛夫さん」  恵子は両足を開いた。うっとりと目を閉じる。恵子の秘部はかなり使いこんであった。  猛夫のものはしぼみかけていたが、恵子の首を絞める|真《ま》|似《ね》をしているうちに再び|猛《たけ》|々《だけ》しくなってきた。貫く。  猛夫の胴を|両腿《りょうもも》ではさんだ恵子は技巧的な声を張りあげて、自分からも積極的に動いた。その髪を乱暴に|掴《つか》んだ猛夫はやがて全身を|痙《けい》|攣《れん》させた。  薄目を開いた恵子は、 「幸せ……朝までこのままでいたいわ」  と|呟《つぶや》く。 「明日のパーティの準備があるんだ。明日の夕方七時に例のところで待っていてくれ。必ずだぜ」  恵子から抜きながら猛夫は言った。 「例のところって? ああ|馬《ば》|事《じ》|公《こう》|苑《えん》の“スパロー”ね……お願い、もうちょっとここにいて……放さないわ」 「ともかく七時にあそこにいてくれ」  猛夫は恵子から逃れると、シーツの端で下腹部を|拭《ぬぐ》い、そそくさと服をつけた。 「じゃあな」  と、言い捨てて寝室を出る。玄関からも出ていく音が聞えた。  ベッドの上に|坐《すわ》ってタバコを吸い終えた恵子は、しばらく猛夫を|罵《ののし》っていたが、 「でも、あいつと結婚出来たら、億万長者夫人だわ。何としてでもあのファミリーに入りこんでやる」  と、踊りながら浴室に消える。  シャワーの音にまぎれて、恵美子は恵子のマンションから退散した。  翌日の夜九時過ぎ、恵美子は|成城《せいじょう》にいた。けもの道をそのまま拡大したような無秩序な道路が多い|世《せ》|田《た》|谷《がや》にあって、成城の戦前からの住宅街の道は珍しく|碁《ご》|盤《ばん》の目のようだ。  中野猛夫の屋敷は成城学園初等科に近いところにあった。独身なのに、五百坪近い雑木林の庭付きの洋館の持主だ。|白《はく》|亜《あ》のその建物は地下一階、地上二階建てだ。  黒覆面に暗いカモフラージュ色のジャンプ・スーツ、それに黒い綿の|手《てっ》|甲《こう》と黒いバスケット・シューズ姿の恵美子は、先端に|鉤《かぎ》がついているロープを、猛夫の屋敷の塀の上から突きだしている桜の枝に投げた。  恵美子は右肩にソニック・サウンド・サプレッサーをつけたサイドワインダー・サブマシーン・ガンをスリングでかついでいた。  腰には弾倉帯を|捲《ま》き、弾倉帯にはザウエル|拳銃《けんじゅう》のホルスターやガーバー・マーク㈼の入った|鞘《さや》、それにスリング・ショットの鉛玉が入ったゴム袋などをつけている。背負ったカモフラージュ色のバック・パックには予備弾倉や|手榴弾《しゅりゅうだん》などが収められている。  恵美子が投げたロープの|鉤《かぎ》は桜の枝に引っかかった。恵美子はロープを伝って音もなく塀の上によじ登る。ロープを一振りして鉤を枝から外し、ロープごとバック・パックのサイド・ポケットに収めた。柔らかに庭の|朽《くち》|葉《ば》の上に跳び降りる。  この屋敷の近くで見張っていたスプロの|偵《てい》|察《さつ》|隊《たい》によって、今夜は二十人の東関東会の連中がここをガードしていることが分っていた。偵察隊が電話を盗聴したところでは、十五人が庭を護り、五人が建物のなかにいる。  庭の定位置で三方に目を配っている男たちの存在は、着地点近くの|灌《かん》|木《ぼく》の蔭に|蹲《うずくま》っている恵美子には、十数分で分った。  彼等は不安に耐えかねてか、時々、フクロウの鳴き声のような声をたてているからだ。  バック・パックを背中から降ろし、灌木の茂みに隠した恵美子は、サイドワインダーを左手に持った。  一番近くの男の背後に|這《は》い寄る。その男は自動散弾銃を腰だめにしていた。  男の七メーターほどうしろでサイドワインダーをそっと地面に置いた恵美子は、ジャンプ・スーツのポケットから黒塗りのピアノ線を丸めたものを取出した。ピアノ線の両端は環状になっている。  そっと立上った恵美子は体を低くし、男の動きと呼吸に自分のものを合わせながら忍び寄った。  男に近づいた時、恵美子は覆面の下で口を開いて呼吸し、わずかな呼吸音もたててない。ピアノ線を両手で握り、左足を前に出すと、のび上るようにした。両手を上から振りおろし、ピアノ線を男の|喉《のど》に引っかけた。右|膝《ひざ》で男の腰骨を支え、両手を思いきり引っぱる。  散弾銃を放りだした男の頭が|反《そ》りかえった。喉には深々とピアノ線がくいこみ、男は声をたてることも出来ない。地面が柔らかいので、落ちた散弾銃は暴発しなかった。  恵美子はピアノ線を握った両腕を交差させ、男の喉を絞め続けた。ピアノ線は気管を切断した。恵美子はナイフでトドメを刺す。死体を|灌《かん》|木《ぼく》の蔭に引きずりこむ。サイドワインダーを左手に|提《さ》げて次の男に向う。  次の男は木の幹を背にしていたので処分するのに楽であった。幹ごしに左手をのばして口をふさぎ、右耳のうしろからナイフで|延《えん》|髄《ずい》を破壊して即死させる。  三番目の見張りは塀を背にしていたので、スリング・ショットのパチンコから放った鉛玉をコメカミにのめりこませて気絶させておき、ナイフで生命の灯を消す。  そのようにして東関東会の十四人の見張りを片付けるまでには一時間以上かかった。  十五人目の——庭にいる者では最後の——見張りは、自分がフクロウの鳴き声を|真《ま》|似《ね》ても|誰《だれ》も応じる者がいないので、極度にビクついていた。  三百六十度の角度に回り続け、見えない敵に口径二十二の自動|装《そう》|填《てん》式スポーツ・ライフルの|狙《ねら》いをつける真似をする。口からは|啜《すす》り泣きの声が漏れていた。  恵美子はまだサイドワインダー短機関銃を使うわけにはいかなかった。消音効果が高いソニック・サウンド・サプレッサーを銃身にかぶせているとはいえ、発射音を完全に消すことは出来ない。完全に音が消えたとしたら、弾速もエネルギーもゼロに等しくなる。  恵美子はその男から二十メーターほど離れた|灌《かん》|木《ぼく》の茂みの蔭に|蹲《うずくま》った。茂みのなかには死体の一つを突っこんである。  恵美子はフクロウの鳴き声を|真《ま》|似《ね》た。  ホッとしたらしい十五人目の男は、あわてて、フクロウの鳴き声で応じた。  左手で自分の|喉《のど》を押さえた恵美子は、 「おい、ちょっと来てくれ。ここに何か変なものがあるぜ」  と、太く低い男の声を作った。 「どうした?」  生残りの男は無雑作に近づいてきた。  |這《は》ってそのうしろに回りこんだ恵美子は、いきなり立上ると、左手で口をふさぎ、右手のナイフで喉と|頸動脈《けいどうみゃく》を|掻《か》き切る。噴出する血を巧みに避ける。  バック・パックを回収した恵美子は、スティンレス製の丈夫な|雨《あま》|樋《どい》を伝って屋根まで登った。天窓のガラスをダイアモンドのカッターで切り、ロックを解いて天井裏に入りこむ。  二階のどこにも東関東会の男たちはいなかった。これから先は、東関東会の男に|遭《そう》|遇《ぐう》したらブッ放す覚悟を決め、遊底を引いたサイドワインダーを腰だめにして一階に続く階段に向う。足音はたてなかった。左手に予備弾倉を持っている。  その|頃《ころ》、防音装置をほどこした地下の広い快楽室では、中野猛夫とその|叔《お》|父《じ》で大東総合病院の精神科部長をやっている忠三、それに猛夫とあまり年齢がちがわぬ七人の中野ファミリーの男たちが残虐な楽しみに狂っていた。  快楽室は拷問室を兼ねていた。血や|糞尿《ふんにょう》を洗い流せるように床はリノリウム張りになり、一平方メーター置きぐらいに排水孔があけられている。  今夜の犠牲者の女は五人であった。一人は天井から逆さ|吊《づ》りにされ、|鞭《むち》打ちの跡で全身が|腫《は》れあがって死んでいる。無論、全裸だ。  もう一人は、木馬の|鞍《くら》から突きだした人工ペニスにアヌスを貫かれてもがき苦しんでいる。両手を背中のうしろで縛られ、両足首は木馬の腹の下で結ばれていた。  あとの二人は、まだ十二、三歳の少女であった。一人の少女を巨漢の忠三が犯し、もう一人の少女を中野ファミリーの|強《ごう》|姦《かん》|魔《ま》の一人が犯している。少女たちは裂傷を負って血まみれだ。  そして、スポット・ライトを浴びた中央のターン・テーブルでは、大の字に手足をひろげられて、四本の鉄柱にロープで固定された赤坂恵子が悲鳴をあげていた。|股《こ》|間《かん》は血まみれだ。  ゆっくり回るターン・テーブルの上には素っ裸の猛夫がいた。三つ折りにした、血まみれの自転車のチェーンを握り、恵子をまたいで立っている。  これも素っ裸の中野ファミリーのサディストや|強《ごう》|姦《かん》|魔《ま》たちは、ターン・テーブルを囲んでソファやリクライニング・チェアに坐り、キャビアや強い酒を胃に送りこんだり、マリファナ・エキスやヘロインや|覚《かく》|醒《せい》|剤《ざい》を自分で注射したりしながら、 「もっとやれ!」 「レッツ・ゴー!」  などと、猛夫に向けて叫んでいる。みんな|勃《ぼっ》|起《き》させていた。  ソファの上で少女を犯している忠三も、ターン・テーブルに濁った視線を向けている。  狂人の笑いを浮かべた猛夫は、チェーンを四つ折りにする。それを強引に恵子に押しこんでは引く。その動作をくり返す。 「いけ、いけ! もっといけ!」  男たちは身を乗りだして叫んだ。  |化鳥《けちょう》のような絶叫を放ち続けていた恵子が、 「東関東会に言いつけてやる!」  と、|喘《あえ》いだ。 「了解済みだ。死体は|奴《やつ》|等《ら》が|俺《おれ》たちファミリーの火葬場に送りこんでくれる」  猛夫はわめいた。恵子に押しこんでいるチェーンのピストン・スピードを早める。  一方、恵美子が敵と|遭《そう》|遇《ぐう》したのは、一階に降りた途端であった。一階の廊下で車座になって酒盛りをしていた東関東会の五人の男の一人が、恵美子を発見し、反射的に立上ろうとする。  恵美子はサイドワインダーからフル・オートで|射《う》ちまくった。相手が一発も射ち返せない間に、たちまち|空《から》になった三十二連弾倉を左手の予備弾倉と付け替えて、さらに五、六発射つ。  連続発射音は、サウンド・サプレッサーのせいで、五十CCの婦人用バイクのエンジンを低回転させたぐらいでしかなかった。  五人に近づいた恵美子は、そのうちの一人が重傷を負いながらも、まだ死にきってないことを知った。 「中野ファミリーの連中は地下室でしょう? 地下のどこなのよ?」  と、尋ねる。 「水……水をくれ!」  男は弱々しく|呻《うめ》いた。 「返事するのよ。水が欲しかったら」 「降りてすぐの部屋だ」  男は失神した。      一二  恵美子はその|眉《み》|間《けん》に単発射撃で一発|射《う》ちこみ、トドメを刺した。空の弾倉をサイドワインダーから抜いてバック・パックに入れ、バック・パックから三十二発ずつの九ミリ・ルーガー・アンモがつまっている二本の予備弾倉を出す。そのうちの一本を弾倉帯の空になったパウチに差し、一本を短機関銃の弾倉|枠《わく》に|嵌《は》めこむ。  バック・パックから四発のパイナップル型|手榴弾《しゅりゅうだん》を出し、それをジャンプ・スーツのフックに引っかけて|吊《つ》った。  地下への階段を降りる。降りた廊下の向いに鋼鉄製の大きなドアがあるが、防音装置になっているから、内側の音は漏れてこない。  恵美子は超小型盗聴器のマイクをドアに押しつけ、レシーヴァーを耳に当てた。男たちの掛け声と女の絶叫が聞える。  盗聴器をポケットに収め、恵美子は針金でドアのロックを解いた。針金を|仕《し》|舞《ま》い、勢いよくドアを開くと、右手のサイドワインダーの銃床尾を曲げた右|肘《ひじ》の内側に当て、左手でフラッシュ・カメラを弾倉帯に|吊《つ》った袋から取出す。  ちょうどその快楽室では、恵子が猛夫の五つ折りにしたチェーンによって|悶《もん》|絶《ぜつ》させられたところであった。  けだものじみた声をあげた猛夫が|虚《こ》|空《くう》に放ったものが、恵子の顔や胸に飛び散る。ほかの男たちも、わめきながら放った。  男たちは恵美子が跳びこんできたのに気がつかぬほど|嗜虐《しぎゃく》の楽しみに夢中になった。ヒップとバック・パックを使ってドアを閉じた恵美子は、左手のフラッシュ・カメラのシャッターを押した。  フラッシュの|閃《せん》|光《こう》でやっと気付いた男たちは、あわてて恵美子に視線を移した。フィルムを|捲《ま》いていた恵美子はさらにシャッターを押す。  男たちは、悲鳴をあげて頭を抱えこむ者と、 「野郎!」  と、わめいて突っこんでくる者に分れた。  恵美子は、素っ裸でまだ放出させながら殴りかかってきた先頭の男の胸に三点射した。  その男が倒れて|苦《く》|悶《もん》するのを見て、突っこんできた男たちはみんな床に伏せ、|啜《すす》り泣きながら|這《は》いじさった。 「束になって襲ってきた時には、|手榴弾《しゅりゅうだん》を使うから覚悟しなさい」  恵美子は|威《い》|嚇《かく》した。  |悶《もん》|絶《ぜつ》した血まみれの恵子の横に身を伏せて顔を隠していた猛夫が、 「き、貴様、スプロの小島恵美子だな!」  と、|喘《あえ》いだ。恵美子が覆面をしていても、声で知ったのであろう。 「動いたら|尻《しり》に射ちこむからね」  恵美子は警告し、血まみれの少女の上に|茫《ぼう》|然《ぜん》と乗っかったままの大柄な中野忠三に近づき、ロー・アングルから撮影した。痛々しい連結部もよくファインダーに入る角度から撮影する。 「やめてくれ、私は破滅だ!」  忠三は口から泡を吐いた。  男の一人が、ヤケ|糞《くそ》の勇気を絞りだして恵美子の背後から襲ってきた。恵美子は顔を忠三に向けたまま、サイドワインダーの銃口をうしろに回し、フル・オートで五、六発ブッ放す。肉や骨が破壊される音と|呻《うめ》き声、それに男が床に倒れる音がする。  恵美子は中央のターン・テーブルに近づき、回転スウィッチを靴で切った。 「さあ、さっきまでこの女にやっていたことを、またやって見せるのよ」  と、猛夫に言う。 「|嫌《いや》だ。貴様の命令なんか聞けるか」 「そう?」  体を低くした恵美子は、サイドワインダーを単発射撃した。  銃弾は猛夫の左右の|尻《しり》の盛りあがりを浅く|抉《えぐ》り、恵子の|腿《もも》の上をかすめて飛び去った。壁にのめりこむ。  |怪猫《かいびょう》のような悲鳴をあげた猛夫は、射たれた野良猫そっくりに跳びあがった。|空《から》勇気はたちまちしぼみ、 「助けてくれ!」  と、恵子をまたいで立上り、無惨に破壊された恵子のプッシーに突っこまれたままのチェーンを前後させる。  恵美子はアングルを変えながら五枚の写真を|撮《と》った。  ほかの男たちの写真も撮っていく。フィルムが切れると、左手を使ってカートリッジ・フィルムを取替える。写真を撮り終えた恵美子は、カメラを腰の袋に収め、胸の|手榴弾《しゅりゅうだん》の一発を外した。 「この女をターン・テーブルからどけて、忠三をターン・テーブルの上に仰向けに縛りつけるのよ」  と、猛夫に命じる。 「そ、そんなこと出来ない」 「じゃあ、|誰《だれ》か、命が助かりたい者がいたら、猛夫を縛りつけて」  恵美子は男たちを見回しながら言った。 「|俺《おれ》がやる」 「そのかわり、約束を必ず守ってください」  数人の男たちが立上った。  悲鳴をあげた猛夫は、 「やる! 俺がやる……助けてくれ」  と、わめき、ターン・テーブルの上の四本の鉄柱に縛られている恵子のロープを必死に解きはじめた。 「猛夫……貴様……俺を売る気か?」  やっと少女から離れることが出来た忠三が全身を震わせながら|呻《うめ》いた。 「仕方ないんだ、|叔《お》|父《じ》さん……|俺《おれ》はまだ死にたくない」 「エゴイストめ! |呪《のろ》い殺してやる!」  忠三は頭を|掻《か》きむしった。  恵子をターン・テーブルから降ろした猛夫は、忠三に近づき、足を引っぱろうとした。 「恩知らずめ!」  立上った忠三は猛夫に組みついた。体格は忠三のほうがいいが、猛夫には若さがある。互いに投げ飛ばそうと|揉《も》みあいになる。二人とも激しい呼吸だ。 「みんな、何をぼやぼやしてるのよ。猛夫を手伝ってやってよ」  恵美子は言った。  七、八人の男が立上った。そのうちの一人が、火責め用の鉄の|灰《はい》|掻《か》きで忠三の後頭部を殴りつける。  崩れ折れた忠三は、寄ってたかってターン・テーブルの上に運びあげられ、仰向けにされた。大の字にひろげられた手足をロープで鉄柱に縛りつけられる。 「猛夫を残して、みんなもとの位置に戻って」  恵美子は言った。男たちは言われた通りにする。 「オーケイ、猛夫……忠三の|肛門《アヌス》に、さっき恵子にやった通りのことをしてやるのよ。はじめはチェーンは一本だけのほうがいいようね」 「わ、分った」  猛夫は血と粘液でヌルヌルする、五つ折りになった自転車のチェーンを取上げ、一本にのばすと、その先端を巧みに忠三のアナルホールに挿入した。ぐいっと押しこむ。  苦痛のあまりに忠三は意識を取戻し、必死に暴れた。口からは絶叫が漏れ、|痙《けい》|攣《れん》する全身からは|脂汗《あぶらあせ》が吹き出る。  見物している男たちの精神に、恐怖よりサディズムが勝ちを占めた。自分の|伯《お》|父《じ》や|叔《お》|父《じ》などに当る忠三が痛めつけられ、|従兄弟《いとこ》二人の死体が転がっているのに。 「いいぞ!」 「ゴー・ゴー!」  などとわめく。もう再び|勃《ぼっ》|起《き》させている者もいた。  勢いづいた猛夫は荒々しくチェーンを使った。ゆっくりエレクトがはじまっている。みんな、狂がつく変態であった。  |悶《もん》|絶《ぜつ》寸前の忠三に、すぐ横にいる恵美子は声を掛けた。 「やめてもらいたい?」 「やめさせろ!……やめさせてくれ……何でも言う通りにするから!」  忠三の悲鳴は、やっと言葉になった。 「あんたの隠し財産は?」 「みんな、オヤジに預けた……四百億だ……」 「そう?……猛夫、今度はチェーンを二つ折りにして突っこむのよ」  恵美子は命じた。 「やっちまえ!」 「ぶちかませ!」  男たちは叫んだ。 「やめてくれ!……うちに残してある分もある……ダイアだ……みんな、すぐに換金出来るように、一カラットから五カラットまでの粒だ」  忠三は|呻《うめ》いた。 「時価にしていくら?」 「百七十億……」 「今は、極上品のダイアは、一カラット六、七百万円、二カラットでは三千万近くするわ。上級品でその半値、並クラスだと四分の一といったところね。三カラットの極上品だと一粒で五、六千万円ね。もっとも、あんまり大きな粒だと、買手がつきにくいので、|幾何級数《きかきゅうすう》的には値段が上らないけど……それで、集めたダイアは、どこに隠してあるの?」 「ダイアは|俺《おれ》の命だ……しゃべるわけにいかん」 「やんなさい、猛夫」  恵美子は猛夫に銃口を向けた。  猛夫は二つ折りにしたチェーンで忠三の|肛門《アヌス》と直腸と大腸を痛めつけた。|苦《く》|悶《もん》のかぎりを尽す忠三を見て男根を脈打たせている。ほかのサディストたちも興奮しきっている。  忠三がしゃべったのは、三つ折りにしたチェーンで|掻《か》きまわされはじめてからであった。 「やめろ!……ダイアは、俺のベッドの脚の|空《くう》|洞《どう》に隠してある」  と、わめくと失神する。  恵美子はほかの男たちに忠三をターン・テーブルから外させ、かわりに猛夫をターン・テーブルの四本の鉄柱に仰向けにさせて縛りつけさせる。猛夫は|馬《ば》|鹿《か》力を振り絞って暴れながら、 「やめろ!……貴様らも俺と同じ目に会わされるんだぞ!」  と、わめいていたが、大の字にされて四本の鉄柱に縛りつけられると、 「ママ……お母さん……」  と、|啜《すす》り泣いた。 「さあ、|誰《だれ》か猛夫を痛めつけるチェーン係りをやってよ」  恵美子が言うと、応募者が続出した。  チェーン係りは、猛夫の|従《い》|兄《と》|弟《こ》で、義正の四男の|考《たか》|郎《お》の次男の|敬《けい》|次《じ》がなった。考郎がマゾなのに、敬次はサドだ。もう何度も放ったので下腹やジャングルをベトベトにしている。 「あんたの隠し財産は?」  恵美子は尋ねた。 「みんな、お|祖《じ》|父《い》ちゃん……義正先生に預けた……生活費だけ残して……みんなもそうだろう? 敬次、お前もそうだろう?」  猛夫は悲痛な声を振り絞った。 「|俺《おれ》たちは義正先生に動産をみんな預けた。だけど、あんたのことは知らん」  敬次は言った。 「そうだ、そうだ……」 「ぶちかませ!」  男たちはわめいた。 「よし、いくぜ」  舌なめずりした敬次はチェーンを猛夫のアヌスにあてがった。押しこむ。  心臓が口から跳びだしそうになった猛夫は、絶叫をあげてもがいた。  恵美子は忠三を|蹴《け》って意識を取戻させ、忠三の家の警備状況を|尋《き》きだした。義正の五男の義夫のことを尋ねると、 「|怖《おじ》|気《け》づいて、オヤジの屋敷に家族ぐるみ逃げこんでいる。しかし、例の病気……セーラー服狂いの病気を自分で押さえつけるのに苦労して、気が狂ったようになっている」  と、|呻《うめ》き声を交えながら忠三は答えた。  一方、のたうちまわっていた猛夫は、調子に乗った敬次が五つ折りにしたチェーンで痛めつけた時に、|手《て》|許《もと》には隠し金は残ってないと否定し続けながら|悶《もん》|死《し》した。  すでに忠三から彼の兄弟、すなわち至誠たちのことをかなり|尋《き》きだしてあった恵美子は、ドアの近くまで|退《さが》った。  左手の|手榴弾《しゅりゅうだん》を胸に|吊《つ》るし、サイドワインダーの予備弾倉二本を抜いた。  サウンド・サプレッサーをつけたサイドワインダー短機関銃を|射《う》ちまくる。約三弾倉分を使って、快楽室兼拷問室にいる男たちを|鏖《おう》|殺《さつ》する。猛夫にも、念のために三発頭に射ちこんだ……。  猛夫の屋敷を出た恵美子は、杉並の|大《おお》|宮《みや》|公《こう》|園《えん》に近い中野忠三の屋敷を襲った。  忠三は家族を|多《た》|摩《ま》の義正の屋敷に|疎《そ》|開《かい》させていること……忠三の屋敷は東関東会の戦闘部隊員十名が警備していること……などのことは忠三の口から|尋《き》きだしてあった。  忠三の屋敷を警備する東関東会の連中は、まだ猛夫の屋敷が襲われたことを知らないらしく、|覚醒剤《シャブ》を打ちながら花札バクチに夢中になっていた。影のように忍び寄った恵美子のサイドワインダーの連射で|薙《な》ぎ倒される。  忠三がたくわえこんだダイアは、ダブル・ベッドの倍ほどのサイズのベッドを支える太い径のスティンレス・パイプの四本の脚の空洞部に隠されていた。  一粒一粒が脱脂綿とガーゼにくるまれていた。百七十億円相当のダイアといっても、量にすると|茶《ちゃ》|碗《わん》十数杯分ほどで、実に持ち運びやすい……。  それから一週間ほど、恵美子はホトボリが少し冷めるまで、目黒の隠れ家で休養した。休んではいたが、体力を維持するトレーニングはおこたらなかった。  スプロからの暗号無線で、中野義正の五男の義夫が、|西新宿《にししんじゅく》の産婦人科クリニックを再び開いた、という連絡があったのは、八日目の午後であった。  セーラー服姿のティーン・エージャーを犯す欲望に耐えられなくなったらしい。そのかわり、午後三時から午後六時まで開くその|掻《そう》|爬《は》専門のクリニックの始業時間の三時間ほど前から、クリニックがある三階の廊下には東関東会の連中二十人ほどが見張っている、とのことであった。  そのクリニックは、週のうち月・水・金の三日だけ開く。夕暮近くになって、スプロは恵美子に、クリニックの前や斜め左右で恵美子を待ち伏せしていたらしい東関東会の連中は、クリニックの終業時間から一時間ほどたって義夫が引きあげると共に廊下から去った、と報告してきた。  義夫のクリニックは新宿中央公園に近い十階建ての雑居ビルのなかにある。翌日の夜八時頃、夏用のスリーピング・バッグを縛りつけたバッグ・パックを背負ったスポーティな格好の恵美子は、二階の商店街からエスカレーターで三階に昇った。  義夫のクリニックは終業し、見張りの姿は見えなかった。三階のほとんどのビジネス・オフィスも終業している。だが、なかにはまだ営業しているオフィスもあるから、ビルのガードマンはパトロールしてなかった。  恵美子は、義夫のクリニックの隣りにある、すでに灯が消えている受験業者のオフィスのドア・ロックを針金で解いた。ラテックス・ゴムの手袋をつけている。  そのオフィスに入り、内側からドアをロックする。  恵美子はバック・パックのなかに、カメラの三脚のように伸び縮みする軽合金製の|梯《はし》|子《ご》を入れてきてあった。だが、天井裏に通じる|揚《あ》げ|蓋《ぶた》の下にロッカーがあるので、それを使う必要はなかった。おまけに、ロッカーの横に|椅《い》|子《す》まであった。  ロッカーの上に登った恵美子は、揚げ蓋を横にずらせて天井裏にもぐりこんだ。四階とのあいだの天井裏は高さが一メーターほどしかなく、電線のケーブルやエアコンのダクト・ホースがのたくっている。ところどころに鉄筋の支柱が見えた。  背中から降ろしたバック・パックから出したヘッド・ランプを頭につけた恵美子は、|揚《あ》げ|蓋《ぶた》を閉じ、バック・パックをそっと引きずって義夫のクリニックの上に移った。  そこの揚げ蓋を開いてみると、下はちょうど手術室を兼ねた診療室であった。ロープの一端をエアコンのダクトに縛りつけた恵美子は、ロープを伝って診療室に降りる。クリニックの内部をよく調べてから、天井裏に戻り、揚げ蓋を閉じる。揚げ蓋に|孔《あな》をあけ、魚眼レンズを埋めこむ。  天井裏で、ヘッド・ランプの|灯《あか》りを頼りに、ざっと分解してあったサイドワインダー短機関銃をバック・パックから取出した。それを組立て、弾倉帯や|手榴弾《しゅりゅうだん》なども取出す。尿や大便を|溜《た》めるゴム袋を取出し、食料の袋や飲料のクラッシャブル容器などもスリーピング・バッグの横に置いた。  ヘッド・ランプを消灯して頭から外すと、スリーピング・バッグに横になり、弾倉帯を|枕《まくら》にして目をつぶった。明日の午後まで待つのだ……。  翌日の午後三時から中野義夫の診療がはじまった。  義夫は|短《たん》|躯《く》だが、胸幅は厚く、筋肉もたくましい。四十七歳だが、頭髪は額からかなり後退している。  クリニックは、義夫と助産婦上りらしい初老の女、それにこれも初老の受付け兼薬剤師の女でやっていた。  義夫は、大きくひろげた両脚の足首を固定具に縛りつけられて診察台で秘部をさらけだすオフィス・ガールや中年女の患者に対しては、指サックをはめて義務的に診察し、妊娠と分ると、大東総合病院への紹介状を書いて追い返した。性病患者には、ここは泌尿器科ではないと怒鳴って追い返す。  その義夫がヨダレを垂らさんばかりの顔つきになったのは、午後五時半頃、セーラー服姿の中学生がおずおずと入ってきた時であった。  あわてて顔つきを引きしめた義夫は、デスクの|隅《すみ》についたブザーのボタンを押した。ちょっとの間を置いて、受付けの女が入口のシャッターを閉じる音が続いた。 「|年《と》|齢《し》は十八歳だって? ごまかしたら|駄《だ》|目《め》だよ、君。|叱《しか》らないから、本当のことを言ってごらん」  女子中学生の診察申込み書をひねくりまわしながら、義夫は|猫《ねこ》|撫《な》で声で言った。 「十四歳なんです。助けてください……もう二た月もメンスがないの」  少女は哀れっぽく言った。天井裏から|覗《のぞ》いている恵美子には斜め上からの角度でしか見えなかったが、ポニー・テールの髪をリボンで結んだその少女が|清《せい》|楚《そ》な感じがする美少女で、細っそりした小柄な体のほうもバランスがよくとれているのが分った。  恵美子がレズの|悦《よろこ》びを教えてやりたいほどであった。 「それは困ったな。それで、相手は|誰《だれ》なんだね?」 「|尋《き》かないでください、先生、お願い」  少女は耳を真っ赤に染めて|俯《うつ》|向《む》いた。 「名前までは言わないでいいんだよ。学生なのかね、相手は?」  義夫は興奮のあまりかすれてきた声で尋ねた。目がねばっこく底光りしている。 「はい。大学生です。お願い、中学生のわたしが赤ちゃんを育てるわけにいかないの」 「男は君を捨てて逃げたのか?」 「ちがうわ。アルバイトに精出して、手術費を作ってくれた……」 「まだ診察してないので、君が妊娠しているかどうかは分らんが、受精した可能性のほうが大きいだろう。それで、どうなんだね。その男にはじめて抱かれた時の状況は? 気持よかったかね?」  義夫はヨダレを垂らしかけた。あわてて|啜《すす》りこむ。 「そんなことまでお話ししなければなりませんの?」  少女は泣きだしそうな表情になった。 「君い、中絶を簡単に考えているかも知らんが、優生保護法によって厳しく規制されているんだよ。妊娠にいたった事情をくわしく聞かせてもらわんとな」 「あの|男《ひと》、わたしの英語の家庭教師なんです。この春、パパもママも弟や妹も留守のとき、授業中にいきなり抱きしめられてキスされたの。わたし、前からあの|男《ひと》が好きだったから抵抗しなかったの。そのうち、体じゅうがだるくなって、頭がポーッとしてしまって……気がついたらベッドの上であの|男《ひと》がわたしのなかに入っていた……」 「気持よかったかね?」  義夫はもう|喘《あえ》いでいた。 「夢中だったわ……でも、それから何度も外でデートしてあの|男《ひと》のアパートであれをしているうちに、気が遠くなるほどよくなってきて……」 「分った。はじめは|強《ごう》|姦《かん》されたんだな?」 「強姦だなんて!」 「いや。人の|心《しん》|神《しん》|喪《そう》|失《しつ》もしくは|抗《こう》|拒《きょ》|不《ふ》|能《のう》に乗じて|姦《かん》|淫《いん》した場合も強姦になるんだ。君の相手は教師という立場を利用し、君が抵抗できないのを見通して君を犯した。それに君はさっき頭がポーッとしてしまって、気がついたら突っこまれていた、と言ったじゃないか。強姦されて妊娠した場合には、人工中絶は合法的に受けられる」 「でも、それでは|雅《まさ》|也《や》さんが犯罪人に……」 「相手は雅也と言うのか……大丈夫だ。|強《ごう》|姦《かん》|罪《ざい》は|親《しん》|告《こく》|罪《ざい》だから、君が|告《こく》|訴《そ》しないかぎり警察は介入できない。君が|怪《け》|我《が》させられたり、|輪《りん》|姦《かん》された場合は別だがな」 「…………」 「分ったね、私が言う意味は? 私は法に触れることを好まないのだ。医師免状を取上げられたくないからな」 「分ったわ。わたし、強姦されたことにするわ。お願い、早く診察して……」  少女は涙をこぼした。 「よし、よし、心配することない。じゃあ。パンティを脱いで、そこに仰向けになって……セーラー服は着けたままでいいから」  義夫は小刻みに震えはじめた手で診察台を示した。      一三  少女は高い診察台に踏み台を使って登り、仰向けになった。あと数年もすれば絶世の|美《び》|貌《ぼう》になりそうな顔だ。  初老の看護婦が慣れた様子で、少女のセーラー服のプリーツ・スカートをまくりあげ、胸と腹とのあいだに|遮《しゃ》|蔽《へい》カーテンを垂らす。|足《あし》|許《もと》に回り、両脚を大きく高々と開かせて、足首を支えの固定具に縛りつけた。  涙を流しながら少女は固く|瞼《まぶた》を閉じた。看護婦が床のレヴァーを倒すと、診察台のうしろ半分が油圧で静かに沈み、床の上でとまる。  少女がたとえ目を開いても、カーテンのせいで、うしろに回った義夫は見えない。  義夫は白衣の前ボタンを外した。ズボンのジッパーもそっと引き降ろし、脈打っているものを|剥《む》きだしにした。巨根だ。  左手でそれを|玩《もてあそ》びながら義夫は、まだピンク色を保っている少女の花弁を右手でいじりまわした。|花《か》|芯《しん》を|愛《あい》|撫《ぶ》する。看護婦は少女の頭側に回って、両肩を押さえつけている。  花弁を|撫《な》でられた少女は腰をくねらせ、 「|嫌《いや》!……これも診察の一部なの?」  と、口を|尖《とが》らせる。 「当然だよ。これは最新の方式でね。ヴァギナを充血させておくと、診断が確実になるんだ」  義夫はかすれた声で言った。少女が意思に反して、|蜜《みつ》をにじませはじめると、それを自分の|亀《き》|頭《とう》になすりつける。  指や子宮鏡を少女に挿入したあと、義夫は右足を使って診察台の後半分を上下させるレヴァーを操作した。義夫が乗っている部分がせり上ってくる。  少女の蜜口と自分の|股《こ》|間《かん》の高さが一致したところで義夫はスウィッチを切った。張りきっているものを少女の蜜口にあてがう。  少女はビクッと体を固くした。ヨダレを垂らしながら義夫は押しこもうとしたが、サイズが合わない。少女が苦痛の声を漏らし、上半身を起そうともがいた。  義夫は残念そうに身を引き、 「確かに妊娠している。中絶手術の承諾書にサインしてくれ」  と、言った。 「料金は?」  少女はおずおずと尋ねた。 「君はまだ自活能力は無いし、相手の男もアルバイト学生じゃあ、正規の料金では気の毒だ、医は|仁術《じんじゅつ》という。一万円でいいよ。こちらは大赤字だが」 「有難うございます、先生」  少女は看護婦がプラスチック板にピン留めして差しだした手術承諾書に、内容をろくに見ないで、仰向けのままサインした。 「じゃあ、始めるよ。痛くはない。眠っているまに済むから」  義夫は左手で巨根をしごきながら言った。  看護婦が、少女の腕に静脈注射をした。 「さあ、数を数えて……気を楽に持ってね」  と、言う。  三十も数え終らぬうちに少女は|昏《こん》|睡《すい》した。注射薬は、強力な催眠剤であったのだ。カーテンを引き上げた看護婦は、見慣れているからか、義夫の狂態を目にしても平然としている。  少女の体は、診察台の横にあるベッドに移された。看護婦は、 「終ったら呼んでください」  と義夫に言って受付けの部屋に消えた。  義夫は素っ裸になった。胸毛が下腹のジャングルにまでつながっている。少女のプリーツ・スカートの|裾《すそ》を一度フクラハギのあたりまで降ろし、フラッシュ付きの一眼レフ・カメラで、さまざまな角度から少女を撮影する。フィルム自動|捲《ま》き上げタイプのカメラだ。  次いでスカートをまくりあげ、|腿《もも》を大きく開かせた。セーラー服の上着の左胸を大きくひろげ、まだ発育しきってない乳房を|剥《む》きだしにする。  再び数枚の写真を|撮《と》った義夫は、三脚を出してきて、それにカメラを据え、レンズをベッドに向けた。そのカメラに、リモコン・シャッターの長いコードをつけ、ベッドまで引っぱってくる。  少女の|尻《しり》の下に分厚いバス・タオルを敷いた義夫は、巨根にワセリンを塗ったくった。少女を強引に犯しはじめる。  麻酔状態に近くて筋肉がかなりゆるんでいる少女であったが、出血は避けられなかった。無意識のうちに逃れようとする。義夫は巨根を半分ほど埋めたところで、リモコン・シャッターのスウィッチを入れた。  天井裏の小島恵美子は、|揚《あ》げ|蓋《ぶた》をそっと横に外していた。目と口のあたりだけ|孔《あな》があいた覆面をつけ、そろそろとロープを垂らしていく。  それに気がつかぬ義夫は、|唸《うな》り声をあげて少女を|貪《むさぼ》っている。今は完全に埋没させてから、激しく腰を振っている。時々、反射的に、リモコン・シャッターのスウィッチを入れている。  肩からサイドワインダー短機関銃を|吊《つ》るした恵美子は、ロープを伝って、そっと降り立った。  ポケットから出したフラッシュ・カメラで、少女を犯している義夫を撮影する。  そのフラッシュは自分のカメラから放たれたのと錯覚してか、義夫はまだ恵美子に気付かない。少女の左乳房をくわえ、背中を丸めて、ピストン・スピードを早めた。  そっとその横に回りこんだ恵美子は、強烈な右の手刀を義夫の首に振りおろした。義夫は気絶し、少女の上に突っ伏す。  義夫の一眼レフ・カメラからフィルムを抜いてポケットに|仕《し》|舞《ま》った恵美子は、サイドワインダーの銃床尾を右|肘《ひじ》の内側に当て、回廊を回って調薬室を兼ねた受付けの部屋に行った。  |煎《せん》|餅《べい》をかじりながら|嫁《よめ》のことでグチをこぼしあっていた二人の初老の女は、短機関銃を見て腰を抜かし、口から泡を吹く。  その二人を気絶させ、猿グツワを|噛《か》ませ、全身を縛った。  義夫のところに戻る。義夫の両手両脚をロープで縛り、口にゆるく猿グツワを噛ませてから、煮沸消毒用のガス・バーナーに火をつけ、炎で鉄棒の先端を|炙《あぶ》った。  鉄棒の先端が真っ赤になったところでガス火を止める。その鉄棒で義夫の|尻《しり》に十字を書いた。  皮膚と肉が焦げた義夫はベッドから転げ落ちた。悲鳴は、ゆるく噛まされた猿グツワにさえぎられて、大きな音にならない。  恵美子は再び鉄棒を|灼熱《しゃくねつ》させ、見る見るしぼんでいく義夫の男根に近づけた。恐怖のあまり|喘《ぜん》|息《そく》の発作を起した義夫に、 「あのカメラのフィルムもいただいたし、このカメラでも写したわ……中学生を犯しているあんたの姿をね。さあ、色々としゃべってもらわないとね」  と、恵美子は言う……。  中野義正の五男の義夫は二百億の隠し金をたくわえ、そのうちの百五十億を義正に預け、残り五十億はルビーに換えて腹巻きのなかに縫いこんであった。  義夫は、血の輝きを持つ深紅色のルビーの熱狂的なコレクターなのだ。ダイアよりも値動きが激しい点も魅力なのであろう。  一個一億円もする大粒で超A級のルビー約五十個を、床に落ちている義夫の腹巻きから奪い取った恵美子は、義夫の兄たちのことや義正について尋問した。  義夫が震えながらしゃべり終ると、|灼熱《しゃくねつ》した鉄棒をアヌスに突っこんで悶死させる。  天井裏に戻り、短機関銃を分解して弾倉帯や|手榴弾《しゅりゅうだん》と共にバック・パックに仕舞う。|糞尿《ふんにょう》のゴム袋や、回収したロープなどもバック・パックに突っこみ、スリーピング・バッグをバック・パックに縛りつける。  天井裏を|這《は》って、終業している受験業者のオフィスの上に移った。そのオフィスに降り、開いた窓からロープを垂らし、それを伝って、これも終業している二階のバッグ屋の窓まで降りた。ガラスをカッターで切り、窓のロックを解いてバッグ屋に入りこんだ。  シャッターが降りているバッグ屋の|潜《くぐ》り戸から二階の廊下に出る。買物客にまぎれこんで、一階から外に出た……。  中野義正の四男で大東総合病院の常任理事兼循環器部長をしている|考《たか》|郎《お》の屋敷は杉並の|善《ぜん》|福《ぷく》|寺《じ》にある。  善福寺池の北側にあるその屋敷の庭には、|鬱《うっ》|蒼《そう》たる巨木が林立している。広さは千坪以上あった。大きな池と|築《つき》|山《やま》もある。  化粧|煉《れん》|瓦《が》を張ったコンクリート造りの建物は延べ百五十坪に及ぶ二階建てだ。屋根の中央部に、耐火煉瓦製の四角な煙突が突きだしている。暖炉用の大きな煙突だ。  考郎も家族を義正の屋敷に避難させてあった。  庭を五十名、建物のなかを二十名の|東関東会《ひがしかんとうかい》の武装隊員に護らせた考郎は、二階にある暖炉の部屋で、不安をまぎらわせるかのようにマゾヒストとしての快楽に酔っていた。午後十時頃だ。  いつもなら、都心に持っているマンションで、奴隷願望や家畜願望、それに人間便器願望などの薄汚い欲望を満たすのだが、今は家族がいないので、自宅で自由に振るまうことが出来る。  弟の義夫が天井裏にひそんでいた小島恵美子に襲われたらしい、と分ってから、考郎は屋根裏に赤外線警報装置を無数に張りめぐらせてあった。  いま、考郎は、素っ裸で馬具のそれを小型にしたハミをくわえさせられ、手綱を荒っぽく引きしぼられて首が折れそうになりながら、若い女を背中に乗せて四つん|這《ば》いになって動いている。  五十歳の考郎は背も高いが体重も百キロほどあって豚のように太っている。頭と下腹部をのぞくと無毛に近いそのピンク色の体のあちらこちらは、|鞭《むち》|打《う》たれてミミズ|腫《ば》れになっている。拍車で腹の皮膚が切れている。  考郎の背中のカーヴに合わせて作られた|鞍《くら》にまたがった娘は、ナチス親衛隊の士官用の制服制帽をつけ、ピカピカと黒光りする|長靴《ちょうか》には鋭い歯の銀の拍車をつけていた。右手に鞭を持っている。目深にかぶった制帽の下に濃いサン・グラスを掛けていた。  広い暖炉の部屋には、ほかに二人の娘がいた。魔女の仮面をつけ、黒い|透《す》け透けの薄いブラジャーとパンティをつけている。鋭く高いヒールのブーツをはいていた。  三人の娘は、マンモス歯大の東都歯科大学の学生だ。東都歯大の女子学生は心理学科教室で全員が心理テストを受けさせられる。テストを行なうのは、考郎のイトコの|鉄《てつ》|夫《お》だ。  心理テストで潜在的サディストと査定された女子学生のうちから、容姿共にすぐれている者が五十名ほど|択《えら》ばれ、考郎によって、サディストとしての才能をのばすように教育されていくのだ。  択ばれたサディストの女子学生には大きな特典がある。つまり、全優の成績で卒業出来、歯科医の国家試験の出題を教えてもらえるのだ。無論、考郎のマゾの秘密を外に漏らさない、という条件付きだが……。  いま考郎に馬乗りになっている娘は|矢《や》|代《しろ》|暎《えい》|子《こ》といって四年生だ。あとの二人は、|石《いし》|井《い》|加《か》|代《よ》|子《こ》と|佐《さ》|久《く》|間《ま》|明《あき》|子《こ》といって一年生だ。サディストとしての花を咲かせる訓練をいま受けているところだ。  |鞍《くら》の上の暎子は|鞭《むち》を振りあげた。 「ロバか、お前は? もっと早く走れ!」  と、考郎の|尻《しり》に鞭を振り降ろした。  考郎はうれしそうに、ヒ、ヒーンといなないた。あわてて、四つん|這《ば》いのまま、手足を懸命に動かす。肥満体に似合わず馬のように長いものは脈打ち、初老のために仰角を保つことが出来ないので、先端が|絨毯《じゅうたん》の床につきそうだ。  荒い息をつきながら考郎が加代子と明子が立っている近くに回りこんできた時、暎子は二人に、 「|蹴《け》るのよ、このブタ・ロバを」  と、言った。  はじめに、加代子のブーツの|尖《とが》った靴先が考郎の尻の肉にのめりこんだ。続いて明子の鋭いヒールが考郎の腰にくいこんだ。二人とも興奮して、透け透けパンティをジュースで|濡《ぬ》らしている。  |大《おお》|袈《げ》|裟《さ》な悲鳴をあげた考郎は暎子を振り落して横倒しになった。そこをまた明子に腹を蹴られ、腹帯で固定された|鞍《くら》をつけたまま仰向けに転がる。引っくり返された亀のように四肢をばたつかせた。  |尻《しり》|餅《もち》をついてサン・グラスが飛んだ暎子は|憤《ふん》|怒《ぬ》の表情で立上った。 「この腰抜けエロ・ブタ!」  と、考郎を|罵《ののし》る。 「お願い……お願いです、女王様……どうか、存分にお仕置きを……」  長さ二十センチは充分にあるものを垂直にそびえ立たせながら考郎は哀れっぽい声をたてた。 「ブタかロバのくせに、一人前にこんなものをつけてやがって」  暎子は|鞭《むち》の革を考郎のペニスに|捲《ま》きつけた。左右に乱暴に振ったり、根元から引き抜こうとする。  うれし泣きの声をあげながら、考郎は快感に身をよじった。 「もっと、もっと……」  と、せがむ。 「本当にお前は薄汚い変態だね。わざわざお前を楽しませてやることもないが、わたしは|苛《いじ》めるのが好きなのよ」  暎子は考郎のペニスから鞭の革を外した。  考郎が気絶しないように手加減して、ペニスを|鞭《むち》|打《う》つ。  考郎は絶叫を発した。 「お願いです……もう、いきそう……その前に、ぜひぜひ、御聖水を……」  と|呻《うめ》く。 「|誰《だれ》がお前なんかに——」  暎子は吐きだすように言い、明子のほうに顔を向けて、 「このエロ・ブタの顔にオシッコを引っかけておやり」  と、命じる。 「いいの?」  明子は顔を輝かせた。 「こいつの顔の上にしゃがんで、思いきり引っかけてやって。それから加代子、あんたは、こいつの薄汚いペニスを踏みにじっておやり」  暎子は言った。  |濡《ぬ》れたパンティを脱いだ明子が考郎の顔をまたいで中腰になった。首を持ちあげた考郎は舌を精一杯にのばして明子の花弁を|舐《な》めようとする。 「何するのよ、|馬《ば》|鹿《か》」  暎子が|鞭《むち》で考郎の頭を殴りつけた。  加代子が考郎のペニスを靴底で横に倒した。軽く踏みにじりはじめたが、次第に興奮の度を増して荒々しくなる。 「駄目ね……なかなか出ないわ」  明子は泣きべそをかいたが、暎子に肩を|叩《たた》かれた途端、小水をほとばしらせた。大きく口を開いてそれをガブ飲みしたりむせたりしているうちに、踏みにじられているペニスから放射する。      一四  その時、暖炉と煙突とのあいだにはさまれている鉄製の雨よけ板をそっと押しだしていた小島恵美子が、音もなく暖炉のなかに降りたった。ASA四〇〇の、カラー・フィルムを詰めたローライ三五で続けざまにシャッターを切る。この部屋の照明はフラッシュを必要としないほど明るい。  恵美子は柔らかな革の銃ケースに入れたアメリカン百八十の短機関銃を左肩から|吊《つ》り、左右の腰に弾倉袋をつけていた。ジャンプ・スーツと覆面は|煤《すす》にまみれている。  昨夜三時、東関東会の連中が夜食のために大食堂に集合した|隙《すき》に、侵入した庭から建物に忍び寄った恵美子は、|雨《あま》|樋《どい》を伝って屋根の上に登り、夏のために使われてない煙突のなかにもぐりこんだのだ。  そして、暖炉と煙突のあいだにある雨よけ板の上に|坐《すわ》りこんで、飲まず食わずでチャンスを待った。雨よけ板を押し外す時には、両足を煙突の内側の壁に突っぱって体重を支えておいた。  カメラをポケットに収めた恵美子が暖炉から出て、ショールダー・ホルスターから、長く太い消音器をつけたザウエル|拳銃《けんじゅう》を抜いた時にも、夢中になっている三人の娘は恵美子に気付かなかった。クライマックスに達している考郎も気づかない。  ザウエルが消音器を通して、低く鈍い銃声を続けざまに三度吐きだした。  |眉《み》|間《けん》や|延《えん》|髄《ずい》を射ち抜かれた三人の娘は即死した。  何が起ったのか分らぬ考郎が立上ろうともがくところに、走り寄った恵美子は考郎の耳を鋭く|蹴《け》った。  考郎は意識を失った。  恵美子は|椅《い》|子《す》の上にあった女物のドレスをナイフで裂いてロープを作り、考郎の両手首と両足首を縛った。小さな声は出るが、大きな悲鳴や絶叫は出ない程度に、ゆるく猿グツワを|噛《か》ませる。  しぼみかけている男根をライターの炎で|炙《あぶ》ってやると考郎は意識を取戻した。猿グツワの|隙《すき》|間《ま》から悲鳴を漏らす。  テーブルの上にある果物カゴから取上げたオレンジの皮にナイフで切れ目を入れながら恵美子は、 「あんたをこれまで味わったことがないまでに気持よくさせてやる。生きたまま指や耳や鼻を切り落し、|眼《め》|球《だま》も|抉《えぐ》り出してやるのよ」  と、言った。目と口のあたりだけ|孔《あな》があいた覆面姿のまま、皮を|剥《む》いたオレンジにかぶりつく。 「やめてくれ! 私が好きなのは、あくまでもプレイなんだ!」  考郎はマラリアの発作を起したようになった。 「あんたはサファイアのコレクターだそうね? 義夫から聞いたわ」 「き、貴様は小島恵美子……スプロの……どうせ、|俺《おれ》の口を割らせてから、弟たちのように殺してしまうんだろう?」  考郎は|嘔《おう》|吐《と》しそうな表情になった。小便が垂れる。 「殺しはしないわ、素直にしゃべったらね。あんたの弟たちは、|嘘《うそ》をつき続けようとしたから殺したのよ。猛夫の屋敷で、猛夫やあんたの兄の忠三を含めた中野ファミリーのサディストたちを皆殺しにしたのは、|奴《やつ》|等《ら》がわたしの|隙《すき》を見て、一斉に襲ってきたからよ」  恵美子は考郎に希望を持たせた。 「本当か?」 「ええ。素直にしゃべってくれたら、あんたを殺さないと約束する」 「俺は……私は死にたくない……|至《し》|誠《せい》兄貴や|国《くに》|報《お》兄貴とちがって、俺は殺人罪は犯してないんだから、政変があって俺たちが逮捕されたところで、俺は兄貴たちとちがって極刑になる心配はない……オヤジが亡くなれば、俺は中野ファミリーの跡取りになれる可能性が充分にある」  考郎は|喘《あえ》ぎながらしゃべった。 「サファイアはどこにあるの?」 「本当に、しゃべったら|生命《いのち》を助けてくれるか? 百五十億円相当のサファイアを持っていかれても、|俺《おれ》にはまだ三百億の|金《かね》が残る……オヤジに預けているんだ……死にたくない」 「殺さないと約束するわよ」 「本当だな?……サファイアは、|俺《おれ》の寝室の……隠し金庫のなかだ……案内する」 「寝室はこの部屋の隣りね?」 「廊下に出なくとも、ドアでつながっている」 「分ったわ。そのかわり、おかしな|真《ま》|似《ね》をしたら、なぶり殺しにしてやる」  恵美子は覆面の蔭で笑った。  考郎の両足首をきつく縛ってあったロープを一度解き、両足を三十センチほど開くことが出来るように縛り直した。  両手のロープを解いてやり、髪を|掴《つか》んで立たせてやる。ゆるい猿グツワの|隙《すき》|間《ま》から悲鳴を漏らしながら立上った考郎は、足のロープが邪魔になって|大《おお》|股《また》には歩けない。  暖炉の部屋と寝室は、壁の一部のように見せかけたドアでつながっていた。広い寝室だ。  考郎はサド・マゾの研究書で埋まった本棚の横の壁に掛けてある、大きな油絵の前に立った。  その絵は、血にまみれた全裸のキリストがハリツケにされ、魔女たちに|鞭《むち》|打《う》たれて|勃《ぼっ》|起《き》しているという構図であった。 「これから押すのは警報装置ではない……本棚を回転させるボタンだ……|嘘《うそ》じゃない……」  考郎は言い、ガラス玉を埋めこんだようなキリストの両眼を指で押した。  油圧のせいらしく音もなく本棚がゆっくり半回転した。  そのあとに、大きな金庫の扉が見える。|鍵《かぎ》は使わずに、二つのダイアル錠を使ったロック装置だ。 「頼む……サファイアを渡したら、本当に|生命《いのち》は助けてくれるんだろうな? 金庫のロックを解いた途端に殺されるなんて|嫌《いや》だ……」 「くどいわね。おかしな|真《ま》|似《ね》をしないかぎり約束を守るって言ってるでしょう?」  恵美子は吐きだすように言った。  考郎は、震える手でダイアル錠のコンビネーションを合わせる。二つのダイアルのロックが解けると、ドアを開く。  金庫のなかには、当座に使うための現金三百万ほどのほかは、|桐《きり》の小箱が並べて重ねてあるだけだ。小箱の一つを開かせてみると、ビロードを|褥《しとね》として、二十カラットほどの大粒のカシミア・サファイアが濃いブルーに輝いていた。  恵美子は、極上品の二十から三十カラット級が|揃《そろ》っている、百五十億円相当のカシミア・サファイアやスター・サファイアを桐の小箱ごと、弾倉袋の一つから取出した中型のリュックに詰めこんだ。一粒が一億円以上するから、百五十億円分といっても、リュックに収めることが出来る。  考郎を殺したのでは、兄たちがしゃべらなくなる|怖《おそ》れがあるので、恵美子は考郎に兄たちや父の義正の近況を|尋《き》きだしてから、気絶させるだけにとどめた。  リュックをかつぎ、アメリカン百八十を銃ケースから取出す。その短機関銃の下に長方形の箱型のレーザー・ロック夜間照準装置がついていた。  その装置のスウィッチをオンにすると、ヘリウム・ネオン・ガスをバッテリーで作動させるレーザー光線が放射される。集光性が高く、目には見えないレーザー光線は、標的に当るとはじめて発光し、赤い小さな点を標的上に現わす。その赤い点の直径は二百メーターの射程で八センチほどだ。  だから射手は、相手の体にレーザー光線が重なって赤く発光した時に引金を絞ればいいのだ。しかも、空中では不可視光線だから、|暗《くら》|闇《やみ》で|狙《ねら》われた相手には光線源——つまり射手の位置——が分らない。  二階の電灯の電線をショートさせて二階を真っ暗にさせた恵美子は、目を|闇《やみ》に慣らしておき、短機関銃のレーザー・ロック照準装置のスウィッチをオンにして廊下に跳びだした。  あわてふためいている二階の東関東会の連中にレーザー光線の赤い点を重ね、フル・オートで|鏖《おう》|殺《さつ》する。  次いで、二階の窓から跳び降りた。空中で二回転して柔らかく着地し、庭を警備している連中の胸や顔にレーザー光線を重ねて引金を絞る……。  一週間ほどのち、看護婦姿の小島恵美子は、患者の|汚《よご》れ物に見せかけた武器弾薬や着替えなどを包んだシーツを持って、埼玉県|西《にし》|川《かわ》|口《ぐち》にある大東総合病院の川口分院に忍びこんだ。  警戒の目をかすめて、二十七棟の入院病棟からかなり離れた分院長室の地下にもぐりこむ。完全防音装置付きのその広い地下室は、天井が非常に高く、気温は四十度Cに保たれている。  床の上には土が分厚く盛られ、十数本の熱帯樹がそびえていた。人工の三つの池には熱帯魚が泳ぎ、人工太陽に照らされて熱帯産の小鳥が飛び交っている。シダや常緑|灌《かん》|木《ぼく》の茂みがいたるところにあった。  恵美子は、一番大きな池の|脇《わき》にはえているタコの木の根のあいだに隠れて二日を過ごした。常緑高木のタコの木は、幹の下部から太い気根がタコの足のように生えている。  一日に一回だけ分院長の|中《なか》|野《の》|弘《ひろ》|政《まさ》が小鳥とピラニアに|餌《えさ》をやりにくるが、地下室のパトロールは行なわなかった。暑さと湿気で気が狂いそうになりながら、恵美子は乾肉をかじり、イオディーンの錠剤で浄化した池の水を飲んで待った。無論、看護婦の制服から、カモフラージュ色のコットンの戦闘服に着替えている。  二日目の夜、地下室の三重ドアが開いて、中野弘政と、中野義正の次男の|国《くに》|報《お》が、大きな麻袋に入ったものをかついで入ってきた。三百坪ほどある地下室の中央部のシダの茂みの上に麻袋に入ったものは放りだされる。 「では、ごゆっくりと、先生」  国報の|従《い》|兄《と》|弟《こ》の弘政は、卑屈な笑いと共に国報に言うと、地下室から出ていく。三重扉に外側から次々に|鍵《かぎ》が掛けられた。  作業服姿であった国報は、服や下着を脱いで近くの低木の枝に引っかけた。  国報は五十四歳だが、分厚い胸と両腕が異様に長いその体は筋骨たくましかった。白毛混じりとはいえ、髪はふさふさしている。狭い額の下に陰惨な目が深くくぼんでいる。  国報は右の脚に大きなナイフの|鞘《さや》をつけていた。左の脚には|砥《と》|石《いし》付きの小さなナイフの|鞘《さや》をつけている。  右脚から|鞘《さや》を外した|国《くに》|報《お》は、鞘からヘンケルの牛刀を抜いた。鞘を木の枝に|吊《つ》るし、麻袋の結び目を切断した。麻袋からパジャマ姿の女を引きずりだす。  女は二十二、三歳であった。猿グツワを|噛《か》まされ、両手両足を縛られている。国報はその猿グツワを切断した。  女は恐怖に耐えて、|憎《ぞう》|悪《お》に燃える目で国報を|睨《にら》み上げた。 「何する気よ。変態!」  と、吐きだすように言う。だが、その声は震えていた。 「これまで、よくも|俺《おれ》に|楯《たて》つき通しやがったな? この日を待ってたんだ。ロープを切ってやるから逃げろ。悲鳴をあげてもいい。ここの防音装置はパーフェクトだ。さあ、力のかぎり逃げるんだ。だけど、出口は無い」  国報は無気味に笑いながら言った。太いものが|勃《ぼっ》|起《き》しはじめる。  足と手のロープを切断された女は跳ね起きた。悲鳴を放ちながら逃げる。無気味な笑いを続けながら、牛刀を持った国報は追った。  女は巨木を|楯《たて》にしたり、|灌《かん》|木《ぼく》の茂みにもぐりこんだりして必死に逃げまわった。もう悲鳴はあげず、フイゴのように荒い息をついている。汗まみれだ。  三十分ほど追いかけっこを楽しんでから、国報は牛刀を|一《いっ》|閃《せん》させた。女のパジャマの上着の背中側が、|襟《えり》から|裾《すそ》まで切断される。ブラジャーのバンドも切れた。  小さな悲鳴をあげた女は、観念したように崩れ折れた。肩で大きな息をついている。|喉《のど》からはヒューヒューという音が漏れた。切断したパジャマの上着とブラジャーを引きむしった国報は、これも荒い息をつきながら左手で太いものを|玩《がん》|弄《ろう》し、 「少し休ませてやる。楽しみは長びかさないとな」  と、シダの葉の上に腰を降ろした。 「変態!……サディスト!……訴えてやるから……薄汚い……それでも人間なの?」  女は荒い息のあいだから、かすれ声で|罵《ののし》った。 「気が強い女だ。ますます気にいった……だけどな、|俺《おれ》はただのサディストなんて単純なもんじゃないんだ。今に分る」  殺人|淫《いん》|楽《らく》マニアの国報は|呟《つぶや》いた。  二十分ほどして女の呼吸が平常に戻ると、国報はその|尻《しり》の肉に浅く牛刀を突き刺した。  悲鳴をあげながらはじかれたように立上った女と、国報は再び追いかけっこを楽しむ。  さらに三十分後、女は足をもつれさせはじめた。再び国報のナイフが|一《いっ》|閃《せん》し、すでに上半身は裸にされている女のパジャマのズボンの、腰から|股《また》|下《した》にかけてが切断された。  女はシダの茂みの上に倒れた。|喊《かん》|声《せい》をあげた国報は、女の上にのしかかり、左腕で首を絞めた。  全身を|痙《けい》|攣《れん》させた女は仮死状態におちいった。パジャマのズボンとパンティを脱がした国報は、女を犯しはじめる。時々、牛刀で女のあちこちを刺して痙攣させる。  二度犯してから、国報は女の体を、肉食魚のピラニアがうじゃうじゃいる池の|脇《わき》に運んでいった。左脚につけていた小型のナイフを抜く。そいつは手術用のメスを大型にしたような格好をしていた。  そのナイフで女の腹を|水月《みぞおち》から|恥《ち》|骨《こつ》の上まで切断した。脂肪層も切れ、腹圧で内臓がせりあがってくる。  切り取った胃をピラニアの池に放りこんだ。池の水面が、|餌《えさ》を奪いあうピラニアで盛りあがる。女の肝臓を切り取った国報は、手も顔も胸も血にまみれながら食いはじめる。悪鬼のような表情だ。  その国報の斜め前に、タコの木の根のあいだから|這《は》い出た恵美子が忍び寄っていた。覆面をつけ、カメラを構えていた。  人工太陽の|灯《あか》りのもとではフラッシュは必要でなかった。|唸《うな》り声をあげて肝臓をむさぼり食う国報を、さまざまな角度から、女の体と共に十数枚撮影する。その時になって、国報はやっと恵美子に気付いた。  血も凍るような絶叫をあげて牛刀を|掴《つか》み、それを振りかざして恵美子に襲いかかってくる。  恵美子は消音装置付きのザウエル|拳銃《けんじゅう》で国報の右|肘《ひじ》を|射《う》ち抜いた。右の|膝《ひざ》の皿も射ち砕く。  牛刀を放りだして横転した国報は、必死に|命乞《いのちご》いした。  国報はエメラルドのコレクターであった。その二百億円相当のエメラルドが国報の中野区|江《え》|古《ご》|田《た》の屋敷の掘りゴタツの灰のなかに隠されていることを|尋《き》きだした恵美子は、国報の兄の至誠が次の犠牲者としてマークした娘のことや、義正の屋敷を警備している東関東会の連中が大幅に増員されたことなど、を尋きだし、射殺してからピラニアの池に放りこむ。池の水はたちまち真っ赤になった。  数時間後、恵美子は、家族を|多《た》|摩《ま》の義正の屋敷に避難させ、東関東会三十名に護らせている国報の屋敷を襲い、エメラルド数百粒を奪う。  それから三日後、恵美子は杉並|堀《ほり》ノ|内《うち》にある広大にして巨大な大東総合病院の特別入院病棟の病室の一つに忍びこんでいた。  恵美子が一昨日からもぐりこんでいるのは、心臓自体は少しも悪くないのに、心臓ノイローゼのいわゆる神経心臓で来院したところを、中野義正の長男でありこの病院の副院長をやっている至誠が張りめぐらせてあった網に捕えられた美しい女の病室の天井裏であった。  |望《もち》|月《づき》|冴《さえ》|子《こ》という女は、至誠の一の子分であり至誠の|従《い》|兄《と》|弟《こ》の心臓専科部長の|高《たか》|志《し》に、日本では珍しい難病だと診断され、国家からの研究費補助があるから料金のことは心配しないでいい、と言われて、高級ホテルのような特別病棟に入院させられているのだ。  冴子は十八歳。透き通るように白い肌とフランス人形のように整った顔を持っていた。体は細っそりとバランスがとれ、乳房は半球形をしている。  国報がしゃべったことによれば、|淫《いん》|楽《らく》殺人症で、殺すという行為だけによってエクスタシーに達する至誠は、今夜か今夜をはさんだ前後一、二夜のうちに、冴子に対して淫楽殺人を敢行する予定だそうだ。  中野ファミリーは、通夜や葬式で全員が一堂に会したところをスプロに襲われるのを警戒し、恵美子に殺されたファミリーの男たちの葬式をまだ出してない。  スプロとの決着がついたら、ファミリーが経営している火葬場付きの|斎場《さいじょう》で、盛大な合同葬儀を行なうのだ。男たちの死体は、内臓を取出され、|腹《ふく》|腔《こう》や|胸腔《きょうこう》に塩を詰められてから、この病院の霊安室で冷凍されている。  ファミリーのボス義正は、恵美子の報復と略奪がはじまってから、恵美子が輸送車で義正のところに運ばれてくる死体とすりかわって義正の屋敷にもぐりこむのでないかというノイローゼにおちいって、このところ長らく|死《し》|姦《かん》を楽しむ欲望を無理に押さえつけているという、国報の話であった。  だが、その忍耐も爆発点に近づいており、至誠のほうも義正にこのところ禁じられていた|淫《いん》|楽《らく》殺人への欲望が耐えきれないほどになっている。  だから、義正は至誠に殺人を再許可し、冴子の死体は輸送車のなかでも至誠がつききりで見張って、義正のもとに送りこむことになったのだ。  それに、これまでのケースから見て、恵美子が国報の次に至誠を襲うまでには一週間ぐらいの時間的ズレがあると判断し、予定通りの行動をとることであろう。  白衣をつけた中野至誠が、診療カバンを持ち、一人だけで冴子の個室に入ってきたのは午後八時|頃《ごろ》であった。うしろ手でドアにロックし、入口に近いトイレ兼バス・ルームを開いて、|誰《だれ》かが入ってないか確かめる。  角川文庫版の|立《たち》|原《はら》|道《みち》|造《ぞう》の詩集を読んでいた冴子は、心臓に響かないように、そっと上半身を起した。ラヴェンダー色のネグリジェの|襟《えり》|許《もと》のボタンを掛けながら、 「あら、先生……」  と、|憂愁《ゆうしゅう》を帯びた目を見張る。 「厚生省で行なわれていた会議が予定より早く終ったのでね。大事な患者の君を見舞いに来たんだ」  至誠は、かすれた声で言った。三重窓のブラインドとカーテンを閉じはじめる。五十六歳の至誠は長身|痩《そう》|躯《く》で青白い肌をしている。長髪に軽くパーマを当て、光線によって色の明暗が変るレンズを入れたローデンストックの眼鏡を掛け、一見軽評論のタレント風だ。 「大先生がわざわざいらっしゃってくださるなんて光栄ですわ」  冴子の白い顔がピンク色に染まった。カーテンを閉め終えた至誠は、 「ただの見舞いではない。君に大朗報を持ってきた。うちの研究チームがかねてから君のように特殊な病気を根本的に治療することが出来る特効薬の開発に全力をあげてきていたんだが、すでに動物実験や囚人のボランティアに対する人体実験も終った。そして、さっき行なわれた厚生省での薬事審議会で一般使用が認められた」  と、冴子の目を|覗《のぞ》きこみながら言った。 「本当ですの?——」  冴子は叫ぶように言った。興奮して神経心臓の発作を起したらしく、 「あっ、先生……また心臓が……」  と、心臓の上を押さえて|蒼《あお》ざめる。 「大丈夫……この新薬で、すぐに治るから」  至誠はねばっこい目を輝かした。テーブルに置いた診療カバンから注射器のケースとアンプルを取出す。冴子に手を添えて仰向けに寝かし、ネグリジェの|襟《えり》や胸のボタンを外すと、左|袖《そで》をまくり上げた。  冴子の肌は、腕をゴム・バンドで縛って血管を浮きださせなくても、静脈が透けて見える。  冴子の左腕の一部をアルコール綿で|拭《ぬぐ》った至誠は、アンプルから吸いこませた薬液を、注射器でゆっくりと冴子の静脈内に移した。  その毒薬は徐々に効果を現わすように調合されているらしく、冴子は注射針を抜かれても、まだ|苦《く》|悶《もん》の度を強めなかった。  それどころか、本当は心臓のどこにも欠陥はない神経心臓のノイローゼ患者だけに、素晴しい新薬という暗示にかけられて、安らかな表情になってきた。血色も戻ってくる。  目は異様な輝きを増し、白衣を通してもズボンの前がふくれあがっていることが、天井から|覗《のぞ》きおろす恵美子には分る至誠は、注射器や|空《から》になったアンプルなどをカバンに収め、カバンから炊事用のゴム手袋を出した。 「さあ、これをつけましょうね。人体実験中に偶然に発見されたのだが、|掌《てのひら》から空気を|遮《しゃ》|断《だん》すると、この薬の効果は劇的に大きくなるんですよ」  至誠は無理に作ったソフトな声で言い、冴子の両手に丈夫なゴム手袋をはめさせていく。それらは冴子の小さな手にあつらえたようにぴったりしているので、はめさせるのも一苦労だが、脱がす時にも時間がかかることであろう。  冴子にゴム手袋をつけさせた至誠は、|椅《い》|子《す》をベッドに寄せ、それに腰を降ろした。 「さあ、先生がついていてあげるから、安心して目をつぶっていなさい」  と、|猫《ねこ》|撫《な》で声を出す。  冴子は目をつぶった。至誠の顔が狂人の笑いに|歪《ゆが》み、白衣とズボンのボタンを外した。すでに用意よくスキンをつけてあったものが勢いよく出現する。至誠はザーメンが外に漏れないように、スキンを根元まで引っぱった。腰を浮かして、全裸になる。|肋《ろっ》|骨《こつ》が浮いて見えるほど|痩《や》せている。  冴子が苦しみはじめたのは五分ほどたってからであった。カッと目を見開き、胸を|掻《か》きむしりはじめる。  しかし、ゴム手袋をつけさせられているのでネグリジェを引き|千《ち》|切《ぎ》ることは出来ても、肌に|爪《つめ》をたてることは出来なかった。|脂汗《あぶらあせ》が吹きでた肌の上でゴム手袋の指が滑る。 「苦しいかね?」  無気味な笑いを浮かべた至誠は立上った。カバンから出した予備のスキン数個と、絹のロープ二本をベッドサイドの卓子に移す。  その至誠を見て、冴子は悲鳴をあげた。窓は三重窓だし、隣室との壁や分厚いドアのあいだには防音材がサンドウィッチされているから、その悲鳴は外に漏れない|筈《はず》だ。  しかし|淫《いん》|楽《らく》殺人マニアの至誠は、左手で冴子の口をふさぎ、右手で首を絞める|真《ま》|似《ね》をした。もがく冴子にのしかかり、 「騒ぐと殺す。絞め殺してやる!」  と、荒い息と共に|圧《お》し殺した声で言う。冴子は至誠の顔を|掻《か》きむしろうとするが、ゴム手袋が滑ってうまくいかない。 「|大人《おとな》しくしてろ、このアマ!」  至誠は|呻《うめ》いた。その途端に一回目のクライマックスに達し、全身を|痙《けい》|攣《れん》させ、けものの|咆《ほう》|哮《こう》をあげながらスキンのなかにおびただしく放つ。スキンがふくれ上ったほどだ。  左手を冴子の口から首に移し、悲鳴や絶叫をあげたり、 「助けて! お母さん……」  と、叫んだりしながら暴れる冴子を押さえつけて|余《よ》|韻《いん》を楽しんでいた至誠は、絹のロープの一端でゴム手袋をつけた冴子の右手首を巧みに縛り、もう一端を特製の重いベッドの脚にくくりつけた。左手首もベッドの脚に固定する。  これで冴子は、どうもがいても、ベッドから転げ落ちることが出来なくなったわけだ。  まだ硬度を保っているもののスキンをかぶせ替えた至誠は、メスを使って、|苦《く》|悶《もん》する冴子のネグリジェやパンティを切裂き、全裸にさせた。冴子は苦痛と恐怖のあまり、パンティやネグリジェの腰のあたりを|濡《ぬ》らしている。  至誠は、メスの柄で冴子の体を切り裂く|真《ま》|似《ね》をしたり、|扼《やく》|殺《さつ》する|真《ま》|似《ね》をしたりしているうちに三度スキンのなかに放ったが少量ずつであった。もともとは心臓は丈夫なのだから、冴子はなかなか死にきれない。  ついに顔色が紫色に変った冴子は、舌を突きだして死の|痙《けい》|攣《れん》をはじめた。もうスキンをつけてない至誠は、冴子の腹の上で中腰になると、乳房や顔に最後に残っていたものをおびただしく|撒《ま》き散らす。のろのろとベッドから降りると、冴子の血管から注射器で血を抜きはじめる。  唇を|噛《か》みしめてその狂態を|覗《のぞ》きおろしていた恵美子は、今は至誠をなぶり殺しにするわけにいかないが、あとで必ず……と、心に誓う。      一五  深夜になり、義正や至誠の腹心の連中の手によって、|苦《く》|悶《もん》の表情は無表情なものに直され、全身を青白く化粧された冴子の遺体は、霊安室の冷凍庫とドライ・アイスで充分に冷やされた。その遺体は、殺される時に至誠に巧みに扱われたために、ほとんどといっていいほど傷はつけられてない。注射針の跡は化粧で修正され、乱れた髪もセットされた。  冴子の遺体は、全裸のまま|棺《かん》|桶《おけ》に移され、ドライ・フラワーと共にドライ・アイスが詰められた。|覗《のぞ》き窓をつけた棺の|蓋《ふた》が閉じられ、四トン積みロング・ボディのアルミ・パネルの冷凍車に乗せられる。  冷凍装置が弱く働いているその荷台のベンチでは、防寒服やスノーモービル・ブーツをつけた至誠と、東関東会の武装ボディ・ガード六人が待っていた。  至誠は、棺の蓋の覗き窓から冴子の顔を確認するだけでは足りずに、一度蓋を開いて、冴子の遺体であることを確かめた。テイル・ゲートを閉じられた冷凍車は義正の屋敷に向けて走りだし、その前後を、六台の東関東会の護衛車が伴走する。  |多《た》|摩《ま》市|連《れん》|光《こう》|寺《じ》にある中野義正の屋敷は、多摩川を見おろし、実に四平方キロもの土地の広さを持っていた。東関東会の関連会社が、一時間ごとに作業員の|身《み》|許《もと》チェックを行ないながら突貫工事で張りめぐらした、高さ四メーターのジュラルミン製の塀に囲まれている。  その中心部に建つ地上三階地下二階建ての延べ五百坪の|母《おも》|屋《や》を中心に、二階建てのかなりの広さの離れが六軒、二百メーターほどの間隔をあけて取りまいている。  それらの離れは、法事などの際に、中野ファミリーの|主《おも》だった者が泊れるようにと造られたものだが、今は殺された義正の息子たちの遺族や、考郎と至誠とその家族が住んでいる。  林のなかに点在している二十近くの飯場用のプレハブ住宅は、この屋敷を警備している四百名の東関東会の連中の住居用だ。慰安婦を兼ねた炊事婦が各プレハブ・ハウスに二人ずつ住みこんでいる。  屋敷を警備する連中の厳重なチェックを受け、冷凍車は義正の屋敷に入った。  しばらくのち、彫刻入りの棺は、義正が妻や娘や成人してない孫たちを絶対に寄せつけない、母屋の地下二階にある快楽室に運びこまれた。  運びこんだのは東関東会の至誠のボディ・ガードだ。至誠が付き添っている。  白髪の義正は、|痩《や》せてはいるが骨太な体格であった。|金壺眼《かなつぼまなこ》が|炯《けい》|々《けい》と光っている。和服姿だ。 「ずっと見張って参りましたので、すりかわっている心配はありません。父上がきっとお気に召してくださる娘と思います。写真よりももっと|綺《き》|麗《れい》です」  至誠は頭をさげた。 「よろしい、離れでゆっくり休みなさい」  義正は威厳を見せながら言った。  男たちは去った。壁じゅうに鉢植えの花がぶらさがっている快楽室のドアに行って掛金を降ろした義正は、棺に近づき、懐中電灯の光を|蓋《ふた》の|覗《のぞ》き窓に寄せる。  冴子の死に顔を見て、義正は小刻みに震えはじめた。威厳など吹っ飛び、|唸《うな》りながらヨダレを垂らす。  和服とフンドシを投げ捨てて素っ裸になる。シミだらけの肌だが、筋肉はそう衰えてない。老人だけに、これもシミだらけの男根はまだダランと垂れさがっている。  |釘《くぎ》は打ってないがクサビのために震動では外れないようになっている棺の蓋を外した義正はブルブルと震えはじめた。  青白い冴子の死に顔や全裸の全身を見つめているうちに全身がマラリアの発作時のように震え、垂れさがっていたものが水平に近くなる。数滴がピッと冴子のほうに飛び、ドライ・アイスに当って水蒸気をあげる。  よろめいた義正は|坐《すわ》りこんだが、冴子の冷たい|頬《ほお》を|撫《な》でているうちに、再び小刻みに震えはじめる。 「よし、よし、|儂《わし》の体温で生き返らせてやるからな……」  と、老人とも思えぬ力で冴子を抱きあげ、マットレスの上に移す。冷たく硬直した体を抱いて|頬《ほお》ずりし、乳首を口に含んだり、|腿《もも》にペニスをこすりつけたりする……。  その頃、スプロ日本支部の戦闘部隊の精鋭百二十名と小島恵美子が、義正の屋敷の東端から四百メーターほど離れた位置に五億円を投じて買ってあった広い農家の地下に集まっていた。工兵隊員四十名もいる。  その地下から、義正の屋敷の庭の下には、すでにランドクルーザー級の四輪駆動車がすれちがえるだけの幅と高さを持つトンネルが掘られていた。  スプロが中野ファミリーに宣戦布告し、中野ファミリーが東関東会を使って反撃に出て以後、スプロは自分のところの特務エージェントにも内緒のうちに、工兵隊を使ってトンネルを掘らしてあったのだ。  スプロの工兵隊は、日本支部から五百メーターほど離れた自動車修理工場——これもスプロの持ちものだ——とのあいだをトンネルでつないであって、その修理工場側から、東関東会の見張りに気付かれずに出動していた。  この連光寺は、多摩ニュー・タウンをすぐ近くに控えて建築ブームの土地柄であるし、丘の下を通る|川《かわ》|崎《さき》|街《かい》|道《どう》は別名ダンプ街道と呼ばれるほどなので、掘り出したトンネルの土を運びだすためにダンプが出入りしても目立たなかった。  義正の屋敷の庭の下でトンネルは幾つにも枝分れしている。それらのトンネルの出口につながる縦穴の地表部分は、厚さ十センチほどの表土層が残され、トンネルに据えられた巨大な油圧ジャッキで、崩れ落ちないように支えられている。  カモフラージュ色の戦闘服とヘルメットとマスクをつけ、自動ライフルとナイフと|拳銃《けんじゅう》とピアノ線の針金を|芯《しん》に入れた投げ|縄《なわ》と|手榴弾《しゅりゅうだん》で武装したスプロの男たちと恵美子は、農家の警備に十名を残し、機関銃、迫撃砲、バズーカ砲、それに無反動砲などを積んだ小型トレーラーを|曳《ひ》いた十台のランドクルーザーや|三《みつ》|菱《びし》ジープに鈴なりに乗りこんだ。  四輪駆動車のエンジン・ルームは分厚い防音パッドに覆われ、排気マフラーは巨大なものに変えられている。それが低速で進むのだから、地上には音がとどかない……。  地下広場から枝分れしたそれぞれのトンネルの出口の近くに|停《と》まった四輪駆動車から降りた男たちは、油圧ジャッキの上昇スウィッチを入れた。その上の地表が突き破られる。次に下降スウィッチを入れると、|土埃《つちぼこり》と共に、地表部分の土がジャッキの上の鉄板と共に降りてきた。  出来るだけ音がしないように木製のスコップで土を鉄板から払い落した男たちは、機関銃や砲や弾薬を鉄板の上に乗せた。一チーム当り一人ずつの油圧ジャッキ係りを残し、武器弾薬と共に、油圧でせりあげられる鉄板に乗って地上に達した。  機関銃と砲の係り二人ずつを残し、一チーム七人ずつが、|闇《やみ》のなかを、庭を警備している東関東会の連中を静かに処分するために出発した。  スプロは、昼間、測量写真撮影会社のマークをつけた軽飛行機をこの屋敷の空高く何度も飛ばせて撮影した写真を拡大しただけでなく、夜間も高空から特殊な赤外線カメラで撮影してあったから、警備の連中のそれぞれの定位置はくわしく分っていた。  小島恵美子のほうは、中野至誠とその家族が住んでいる離れから三百メーターほど離れた地上に姿を現わした。背中にカモフラージュ色のネルソン・パックを背負っている。目的の離れとのあいだにいる東関東会の連中を投げ|縄《なわ》やナイフで殺しながら前進する……。  至誠とその家族に与えられた離れの一つの玄関前ポーチと裏口のポーチで三人一組になって|頑《がん》|張《ば》っている東関東会のボディ・ガード六人を片付けるためには、恵美子は|殺《さつ》|戮《りく》行動に移るまでに、かなりの準備時間をかけねばならなかった。  スリング・ショットと投げ縄のほかに、パックから出した|継《つ》ぎ|竿《ざお》にナイフを縛りつけて作った|槍《やり》も使う。  応接室で虚脱したような表情でコニャックを飲んでいた中野至誠は、そっと開かれたドアにも気付かなかった。  飛んできた投げ縄が空気を切る音に、ハッと顔を起す。その時には、首に投げ縄の輪が絞まっていた。  悲鳴をあげることも出来ずに、至誠は|喉《のど》にくいこむ縄を|掻《か》きむしった。  ピアノ線入りの縄を投げたのは、無論、恵美子であった。カモフラージュ・マスクにあいた|孔《あな》から|覗《のぞ》く|瞳《ひとみ》が冷たく燃えている。縄をたぐり寄せながら至誠に近づいた恵美子は、耳の上を手刀で一撃して気絶させる。  ソファの上に至誠を移し、両手両足を縛った。小さな声だけは出るように、ゆるく猿グツワを|噛《か》ませる。投げ|縄《なわ》をゆるめた。  卓上ライターで鼻の孔を|炙《あぶ》ってやると至誠は意識を取戻した。全身を|痙《けい》|攣《れん》させる。 「義正は地下の快楽室ね?」  恵美子は|圧《お》し殺した声で尋ねた。 「…………」  至誠は必死に|頷《うなず》いた。 「大金庫室は、義正の快楽室の隣りにあるそうね。大金庫室の扉のダイアル|錠《じょう》のコンビネーション番号は?」 「し、知らん」  猿グツワの|隙《すき》|間《ま》から、かすかに聞きとれる声が出た。 「義正は、自分に万一のことが起った時の用意に、長男のあんたにだけは教えてある、と|国《くに》|報《お》が言ってた」 「や、奴は|嘘《うそ》つきだ……苦しまぎれに、そんな嘘を……」 「分ったわ」  恵美子は、至誠の首の投げ|縄《なわ》の輪を縮めていった。  くたばらないように加減したが、至誠の顔は紫色に近くなり、苦しまぎれに|糞尿《ふんにょう》を漏らす。投げ縄をゆるめた恵美子は、 「しゃべらないと、朝まででもくり返すわよ」  と、言った。 「しゃべったら……殺す気だ……」 「今さらあんたを殺しても仕方ない……それに、大金庫室のダイアル錠の組合せ番号は、あんたのワイフも知っているそうね。分ったわ。ここであんたをくびり殺して、あんたのワイフから|尋《き》きだす」 「やめてくれ……しゃべる……まず、はじめに九十七を右に五回……次いで——」  至誠はゼーゼーという呼吸音をまじえながらしゃべった。  恵美子は至誠に、ダイアル錠のコンビネーション番号を五度くり返させた。いずれも、はじめにしゃべった番号と合っていた。 「ところで、あんたはプラチナ・インゴットを集めているそうね。あんたの弟たちの話では、あんたが義正に預けている大金のほかに、あんたが|手《て》|許《もと》にたくわえているプラチナの時価は二百五十億を超えるということだったわ」 「|嘘《うそ》だ……」 「今度は拷問の趣向を変えてみるわ——」  恵美子は至誠の首から投げ|縄《なわ》を外した。  ネルソン・パックから、強化焼入れした茶色のガラス|壜《びん》を取出す。半リッター入りのその壜から、粘っこいジェリー状のガソリンを至誠のズボンの右|膝《ひざ》のあたりに少量垂らした。 「な、何だ?」 「ゲル状のガソリン。ナパーム弾の中味だと言ったら分るでしょう。長い時間を掛けて、あんたを蒸し焼きにしようというわけ」 「やめてくれ……ボディ・ガードは……|奴《やつ》|等《ら》はどこに行った」  至誠は|呻《うめ》いた。 「とっくに地獄に送ってやった。さあ、しゃべるのよ」 「知らんものは知らん」 「そう?」  恵美子は卓上ライターで、至誠のズボンの右|膝《ひざ》のあたりに少量垂らしたゲル状ガソリンに火をつけた。素早く至誠の髪を|掴《つか》み、ソファのクッションで軽く至誠の口を押さえる。  ジェリー状のガソリンは高熱を発して長く燃え続けた。燃け崩れる右膝に至誠は|苦《く》|悶《もん》のかぎりを尽す。まわりに燃えひろがらないように恵美子が水差しの水を至誠のズボンに掛けても、なかなか火が消えないほどだ。  やっと火が消えた時、もがき苦しんだ至誠の髪の五分の一ほどが抜けて、恵美子の手に残った。至誠の頭は血まみれになる。  髪を捨て、ソファ・クッションを口から外した恵美子は、充血しきった眼球が|眼《がん》|か[#「か」は「あなかんむり」の下に「果」Unicode="#7AA0"]《か》からとびだしそうになっている至誠に向い、 「今度は、ここを焼いてやる」  と、|股《こ》|間《かん》の上にゲル状ガソリンを垂らした。 「やめてくれ! プラチナは、|俺《おれ》の……私の|田園調布《でんえんちょうふ》の家の寝室の床下にある」  至誠は|呻《うめ》いた。 「義正は一族から預かった金に、年に六割もの利子をつけてたそうね」  恵美子は尋ねた。 「オヤジは預かった金で、色んな製薬会社の株を買い占め、プレミヤ付きで買い戻させて|儲《もう》けてるんだ」  至誠は|喘《あえ》いだ。  その時、広大な庭の一角から銃声が伝わってきた。銃声は交錯する。スプロの戦闘員の|誰《だれ》かが“静かな殺し”に失敗して、|射《う》ちあいになったのだ。  途端に、|母《おも》|屋《や》からサイレンが響いた。  同時に、スプロの砲撃が開始された。すでに航空写真から位置と距離を割りだして照準計算を済ませてあったので、正確きわまる砲撃弾が、いま恵美子がいる建物をのぞいた、あらゆる建物や敵の機関銃座に次々に命中する。  東関東会の非番の者が集まっている二十近くのプレハブ住宅や、五つの離れはたちまち爆破された。なかにいた連中と共に吹っ飛ぶ。  母屋の地上部分も、一〇六ミリ無反動砲弾を次々に浴びて崩れはじめた。銃撃戦も激しくなる。  恵美子は、ジェリー状ガソリンを至誠の全身に浴びせた。 「やめろ、しゃべったのに!」  至誠は失神しそうになった。 「あんたが望月冴子を殺すところを見た……あの時、あんたをなぶり殺しに出来なかったのが残念だったわ」  恵美子は言い、卓上ライターの火を移した。  火だるまになった至誠は、手足を縛られたまま、苦しまぎれにエビのように跳ねまわった。  ネルソン・パックから照明弾|拳銃《けんじゅう》を出して庭に出た恵美子は、夜空に向けて赤とグリーンの照明弾を|射《う》ちあげ、サイドワインダー短機関銃を|威《い》|嚇《かく》射撃しながら三百メーターほど離れた林のなかに駆けこむ。  三十秒後に、今まで恵美子がいた離れに対する迫撃砲弾の砲撃がはじまった。十数発で離れの建物は炎を吐きながら吹っ飛ぶ。  スプロの砲撃手たちは、広大な庭の要所要所の空中に、|落《らっ》|下《か》|傘《さん》付きでゆっくりと落ちてくる照明弾を射ちあげた。機関銃手は、照明弾に照らされた敵に連射を浴びせる。  庭じゅうに散って、さっきまで“静かな殺し”に従事していたスプロの戦闘部隊員も、照明弾に照らされる生残りの敵を射殺しながら地上部分が崩壊した母屋のほうに集まっていく。恵美子もだ。  母屋の地下でまだ生き残っている東関東会の連中がいるかも知れないが、地上にいる東関東会が全滅した今、スプロ側の被害は、死者三名、重傷者五名、それに軽傷十名であった。  待機していたスプロの工兵隊と暗号無線で連絡がとられ、工兵隊は巨大なシャベル・カー二十台に乗ってやってきた。  シャベル・カーで、地下に続く階段をふさいでいるコンクリートの塊りを片付ける。恵美子たちは、|手榴弾《しゅりゅうだん》を投げこみながら地下二階に達した。ヘルメットに、ヘッド・ランプをつけている。  中野義正は、冴子の死体を抱いたまま死んだ振りをしていた。ナイフでその|肛《こう》|門《もん》を|抉《えぐ》りながら、恵美子は大金庫室のダイアル錠のコンビネーション番号を|尋《き》きだす。至誠が言った数字と一致した。  大金庫室に収まっていたのは、時価三千億円を超える無記名株券の山であった。  義正を八つ裂きの刑に処したスプロは、リレー式にその膨大な株券を運び上げ、シャベル・カーに積みこむ。恵美子はスプロの戦闘部隊員十名と共に農家に戻った。恵美子たちは、十一台のダンプ・カーを運転して、田園調布にある至誠の屋敷に向う。目的は無論、二百五十億円を超える時価のプラチナ・インゴットだ……。  スポンサーを失った上に戦闘力がひどく弱まった東関東会とスプロが手打ち式を行なったのはそれから半月ほどたってからであった。スプロは東関東会に百億、中野ファミリーと持ちつ持たれつの関係にあった保守党の大物政治家たちにも五十億を払い、そのかわりに彼等はスプロに手を出さないことになった……。 [#地から2字上げ]〈第二話 了〉   〈この作品はあくまでもエンターテインメント・フィクションであり、したがって、B・M・W・M1が|G《グループ》5の前提になるG4のホモロゲーションを現実に取得出来たかどうかについても筆者の関知するところではありません〉     第三話 裏切り      一  長野県長野市という地方都市に本店を持つ相互銀行でありながら、|大《だい》|徳《とく》相銀は五年前に待望の東京証券取引所一部に昇格し、都内だけでも四つの支店を持っている。  大徳相銀|新宿《しんじゅく》支店は、都内にある四つの支店のなかで一番取引高が大きいだけでなく、間借りではない自前のビルを持っている。  |新宿《しんじゅく》三丁目にあり、|御《ぎょ》|苑《えん》通りから新宿通りや|靖《やす》|国《くに》通りに抜ける広い新道に面しているそのビルは、地上五階、地下二階建てのビルだ。地下二階に大金庫室があった。  地下一階の駐車場は、役員や営業車や賓客用に当てられているが、裏庭に、副都心としては|贅《ぜい》|沢《たく》なほどの広さの一般客用駐車スペースを持っている。  木枯しが吹き荒れる土曜日、大徳相銀がメイン・バンクである都内の不動産会社のうちの二十数社が、首都圏の不動産会社三十数社に現金取引きで転売した、幾つもの広大な土地の代金が、大徳相銀への預金となり、新宿支店に続々と運ばれてきた。  それらの|現金《キャッシュ》は、|池袋《いけぶくろ》や|日《に》|本《ほん》|橋《ばし》などの支店には分散されず、一度新宿支店にまとめられたあと、都内や首都圏の支店の経営資金を残したのちのキャッシュが、月曜に長野の本店に送られることになっている。新宿支店に一度プールされたのは、そこが都内や首都圏の支店のなかでただ一つの大徳の自前のビルであり、広い上に|堅《けん》|牢《ろう》な大金庫室を持っているからだ。  土地代金の警備と輸送に当ったのは、新日本警備通運という会社であった。その警備・運送会社は、装甲現金輸送車の保有台数日本一を誇っている。大徳相銀の長野本店にキャッシュが送られる時にも、新日本警備通運が警備と輸送を担当することになっている……。  土地の売買自体は前日の金曜のうちに行なわれた。土地代金の札束は、土地を売ったほうの会社の金庫に金曜の午後から深夜にかけて収められていて、金庫がある経理の部屋にはそれぞれの会社の役員や経理担当者が内側から|鍵《かぎ》を掛けて泊りこみ、それぞれの会社が|傭《やと》った、さまざまな警備会社のガードマンたちが事務所を警備した。  そのなかには新日本警備通運の支店も含まれてはいたが、新日本警備通運本部が一体となって警備に当ったのは、大徳がメイン・バンクであるさまざまな不動産会社が新宿支店に向けてキャッシュを運ぶために、新日本警運の装甲現送車にキャッシュを積みこむ時点からであった。  土曜の午前の大徳相銀新宿支店の、店頭からは見えない位置にある広い支店長室、それにアコーデオン・カーテンを開くとつながる、さらに広い会議室は戦場のような|雰《ふん》|囲《い》|気《き》となった。  何しろ、その日に運びこまれたキャッシュは実に一千億円にのぼったからだ。  不動産会社から大徳新宿支店に着いた現金輸送車は、特殊警棒や模造刀を持った新日本警備通運のガードマン五十名が警備する地下一階の駐車場に入ってくる。無論、その日は、|賓客《ひんきゃく》の車といえども地下駐車場には入れない。  他の支店から応援に来て、胸に顔写真入りのI・Dカードをつけた行員十数人ずつの立会いのもとに、現送車から札束が詰まったジュラルミン・トランクが次々に降ろされ、これも写真入りのI・Dカードをつけたガードマンたちが、ジュラルミン・トランクを幾つものカートに移し替え、行員たちに付添われて一階の支店長室や会議室に続くスロープを押していく。スロープや通路にも、五メーター置きにガードマンが|立哨《りっしょう》していた。  支店長室や、アコーデオン・カーテンを開いてそれにつなげた会議室には、支店長や次長をはじめ、この支店の行員の約半分に当る三十人ほどの銀行員、新日本警運のガードマン約二十人、|該《がい》|当《とう》不動産会社の役員や経理担当者たち、それに盗難や強奪にそなえて大徳が契約している大手民間会社の一つ|東《とう》|和《わ》生命の係員四人がいた。店頭のほうは、客の振りをした私服のガードマン二十数名が警備している。  ジュラルミン・トランクから取出された一万円札は、百枚ずつ一束にされて十字型に帯封が掛けられてあった。  保険会社員やガードマンの立会いのもとに札束は数えられ、該当不動産会社の預金通帳に金額が記載される。  数え終えられた札束は、再びジュラルミン・トランクに戻され、ガードマンとコンビを組んだ行員の手によって、地下二階の大金庫室に降ろされる。  一階から地下二階を結ぶのは、無論、地下一階の駐車場を通らずに済むスロープやエスカレーターや階段だ。その要所要所をガードマンが警備している。  無線で連絡をとりながら、到着時刻を調整し、適当な時間差を置いて、各不動産会社からの現金輸送車が大徳新宿支店に到着するので、一千億のキャッシュの札束が大金庫室に収容されるには午後一時過ぎまでかかった。  何しろ、一千億円の現ナマとなると、重量にして実に十三トンに達する。  無事にキャッシュの搬入を終えた新日本警備通運は、三十五人だけを相互銀行に残し、あとを引揚げさせた。銀行側で残ったのは、四人の係長と他の支店からも集めた六人の警備係り、それに二人の用務員だ。  用務員は|炊《すい》|事《じ》と|配《はい》|膳《ぜん》を行なう。そのうちの一人は、停電時に自動的に作動する自家発電装置の保守点検や修理係りを兼ねている。電気がとまると、警報装置も働かない。  新日本警運のガードマンは、十五人が、銀行の係長二人と警備員四人と共に大金庫室の前の広い廊下を警備し、あとの二十人が、銀行側の人間と共に、一階と地下一階を警備した。  一同の夕食は、缶詰物にちょっと手を加えて熱した、飛びきり辛いビーフ・カレーとライス、それに缶詰のパイナップルという簡単だが胃を刺激するものであった。自家発電係りの用務員である若い|青《あお》|野《の》という男など、胃痛を起してトイレで吐いたほどだ。  深夜一時過ぎ、大金庫室の前で警備する男たちは、当番の五人のガードマンと二人の銀行側の人間を残し、アルミ・パイプとキャンヴァス製の簡易ベッドで眠りこんでいた。  午前零時から午前二時までが当番であるそれら七人は、|床几《しょうぎ》に腰を降ろし、うつらうつらしかかってはハッと目を覚まし、また、うつらうつらするということをくり返している。  一階の連中も、当番の三人だけを残し、机に顔を押しつけるようにして眠っていた。当番は眠気と闘っている。  地下一階の連中は、全員が当番であった。しかし、ほとんどの者が、立ったまま壁にもたれて居眠りしている。  用務員二人は、年上の|松《まつ》|田《だ》という男が用務員室で眠りこみ、青野が地下一階にある配電室の|椅《い》|子《す》で大アクビをしていた。  午前一時半、配電室にある警報装置の電気系統のボックスからショートの火花が散った。目をつぶっていた青野は薄目を開いただけで動かなかった。  警報装置の電源は焼け崩れた。  その直後、銀行の裏庭と地下一階の駐車場をさえぎるシャッターの|脇《わき》にあるくぐり戸が外側からそっと開かれた。  くぐり戸の外には、黒覆面に黒い上下つなぎのジャンプ・スーツをつけた三十の人影があった。そのうちの一人は、体格から三十歳ぐらいの女と分る。ジャンプ・スーツの胸と背中に“C”のワッペンをつけていた。  それら黒|装束《しょうぞく》の連中は、薄いゴム手袋をつけた手に、銃身を二十センチほどの短さに|挽《ひ》き切ったボルト・アクションのライフルを持っていた。みんな、銃声が小さな口径二十二リム・ファイアの銃で、銃身先端には大きな消音装置をつけ、脱着式の|箱型弾倉《ボックス・マガジン》は特製らしい三十連の長いやつがつけられていた。  警報装置の電源がやられてしまったので、くぐり戸が開かれても警報ベルは鳴らなかった。  腰に弾倉帯を|捲《ま》き、ナイフの|鞘《シース》と|拳銃《けんじゅう》のホルスターをつけた黒装束の連中は、無駄がない動きで、素早く地下一階の駐車場に続く回廊に入りこんだ。  回廊で立ったままうとうとしていたガードマン二人が、ハッと目を開き、あわてて腰の警棒に手を走らせる。  途端に、消音装置に|圧《お》し|潰《つぶ》された鈍く小さな銃声が十発ほど|囁《ささや》き、二人のガードマンは顔面と心臓部に被弾して崩れ折れる。  ゴム底のバスケット・シューズをはいている黒装束の一行は、回廊を進んで駐車場に達した。  駐車場にいた連中は、抵抗する時間もなく次々と銃弾を浴びた。一人が平均して十発ずつくらう。口径二十二ロング・ライフル弾の弱い威力が消音器でさらに弱められたとはいえ、十発もくらえばこたえる。  侵入者たちは、殺しのプロらしく、手動で遊底を操作しなければならぬボルト・アクションのライフルを、自動|装《そう》|填《てん》式にあまり劣らぬスピードで連射していた。  自動装填式のライフルを|択《えら》ばなかったのは、消音器にガス圧が吸収されて回転不良を起す危険を避けたのではなく、|排莢孔《はいきょうこう》から銃声が漏れるのを|怖《おそ》れたからであろう。  口径二十二リム・ファイアの自動装填機構は、大量の火薬を使用する口径の銃のそれとちがってシンプルで、発射時にガス圧でうしろに急激に押し戻される|薬莢《やっきょう》が遊底を後退させるブロー・バックだから、銃身に消音器をつけても機能に影響を受けない。しかし、シンプル・ブロー・バック式であるから、発射と同時に遊底が後退して空薬莢を|蹴《け》り出す際に排莢孔から銃声の一部が漏れてしまう。  ポンプ式とも呼ばれるスライド・アクションや、レヴァー・アクションだと、ボルト・アクションより手動で遊底を操作する時間が短縮されるが、その二つのタイプとも、現在はほとんど脱着式の|箱型弾倉《ボックス・マガジン》ではなく、固定式のチューブ弾倉を採用している。チューブ弾倉だと、弾倉に装弾するのに時間がかかるが、脱着式のボックス・マガジンだと、すでに装弾しておいた予備弾倉を何本かポケットなり弾倉帯なりに用意しておけば、ワン・タッチで、|空《から》になった弾倉と交換出来る。  地下一階の駐車場のガードマンたちを片付けた黒|装束《しょうぞく》の連中のうち五人が、やはり地下一階にある配電室に入った。  配電係りである用務員の青野は、今は眠気をまったく見せてなかった。  主人の命令を忠実にこなした犬のような表情を五人に向ける。  入った五人のうちの一人の、“C”のワッペンをジャンプ・スーツにつけた女が、いきなり青野の心臓に一発|射《う》ちこんだ。 「畜生……裏切ったな……」  青野は心臓を押さえて崩れ折れそうになった。ほかの黒装束の連中が次々に放った銃弾をくらって転がる。  黒装束の“C”のワッペンの女が、倒れた青野の|眉《み》|間《けん》に消音器を|圧《お》しつけるようにして引金を絞り、トドメを刺す。  配電室を出た連中は、駐車場にいた連中と合流し、一階に向った。地下一階と地上一階をへだてるドアにロックはされていたが、侵入者の一人が|合《あい》|鍵《かぎ》でロックを解く。  一階の連中も銃を持ってなかったので、無抵抗に近い状態で片付けられた。用務員室の用務員松田も殺される。電話で外に緊急事態の発生を知らせようとした者も、通じない電話を|呪《のろ》いながら死んでいった。電話線はすでに銀行の外で切断されているのだ。  地下二階の大金庫室の前にいたガードマンたちのなかには、一階の騒ぎで目を覚まし、刃を研いでない模造刀を振りまわして逆襲してくる者が四、五人いた。  だが彼等は、獣のように殺された。トドメを刺される。地下二階の生残りのガードマンと銀行側の男たちは、大小便を漏らしながら、四つん|這《ば》いになって|命乞《いのちご》いをする。 「抵抗しないと約束するなら命を助けてやる。そのかわり、ちょっとでもおかしな動きを見せたら地獄に直行させてやる」  黒覆面の男の一人が言った。頭からすっぽりかぶった覆面は、目のあたりだけが開いている。その男は、ジャンプ・スーツの胸と背に、“B”のワッペンをつけていた。 「助けて……助けてください……女房や子が、帰りを待っているんです」  銀行の係長の一人が震え声で哀願した。 「よし、みんな、|腹《はら》|這《ば》いになって、両手を首のうしろで組め」  ワッペン“B”の男が命じた。  四つん這いになっていた男たちは悲鳴を漏らしながら腹這いになり、両手を首のうしろで組む。  黒装束の連中は、ガードマンや銀行員たちから、特殊警棒や|手錠《てじょう》や模造刀、それに武器になるものを取上げた。  いま彼等がいる広い廊下と大金庫室とのあいだには|鉄《てつ》|格《ごう》|子《し》が降りていた。鉄格子には大きな|南京錠《なんきんじょう》が掛かっている。南京錠など気休めのように見えるが、電子の警報装置が正常に作動している時には、侵入者をひるませる、時間|稼《かせ》ぎの役に立つのだ。  鉄格子から五メーターほど奥に見える大金庫室の扉には、三個のダイアル錠が見えた。  “K”のワッペンをつけた男が、針金を使って簡単に鉄格子の南京錠のロックを解いた。  鉄格子が開かれた。“K”のワッペンの男のほか、“J”と“L”のワッペンの男が大金庫室の扉に近づく。ワッペン“J”と“L”の男はバック・パックを背負っていた。  鉄格子と大金庫室のあいだの空間には、不可視光線の警報装置のカーテンがあって、それを何かが突っきると、警報ベルが鳴り響き、それにつながった所轄警察署の警報装置も連動することになっている。  だが、警報装置の電源がショートしてしまっている現在、警報ベルは鳴るわけがなかった。  ワッペン“J”と“L”の男がバック・パックを背中から降ろした。バック・パックから、聴診器のようなものとレシーヴァー、それにポータブル・コンピューターを取出す。  ワッペン“K”の男が、コンピューターの電線をつないだ聴診器のようなものとレシーヴァーを両耳につけた。聴診器のようなものの先端のゴム・カップを大金庫室の三つのダイアル錠の一番上のやつの横に当て、ダイアル錠を静かに右に回しはじめる。スウィッチを入れられてあったコンピューターのインディケーターに、さまざまな数字が躍り出る。  右に十一回、左に十回ダイアル錠を静かに回したワッペン“K”は、コンピューターに出た数字を|覗《のぞ》いて|頷《うなず》いて見せてから、その数字をメモ用紙に書きこむ。  そうやって同じダイアル錠を何度も回してみたワッペン“K”は、コンピューターに出た数字に対して首を横に振って見せたり、頷いてメモ用紙に書きつけたりする。  五分ほどかかって、R九十五、L三十二、R五十七、L四十三、R六十六、L二十一、R八という数字がメモ用紙に並べられた。  ワッペン“K”は、いじくっていたダイアル錠を一度勢いよく左に回転させてから、右に九十五を四度回し、左に三十二を三度回しといった具合にコンビネーションを合わせていく。  最後にダイアル錠の回転ノブの八の数字が合わせマークで止まってそれ以上動かなくなった時、軽い金属音と共にそのロックが解けた。  ワッペン“K”は、あとの二つのダイアル錠も最初のものと同様にして解いた。  三人は|悠《ゆう》|々《ゆう》とポータブル・コンピューターなどをバック・パックに収めた。ワッペン“K”が、ハンドルにぶらさがるようにして大金庫室の扉を引っぱった。  油圧で、特殊金属で防火材をサンドウィッチした十数トンの重さがある、巨大な扉が静々と開いた。  大金庫室のなかはジュラルミン・トランクの山であった。 「よし、みんな、カートで地下一階にトランクを運び降ろすのを手伝え。命がおしかったらな」  ワッペン“B”が、ガードマンや銀行側の人間に命令した。  四つん|這《ば》いにさせられていた男たちは、のろのろと立上った。|膝《ひざ》が震えて|坐《すわ》りこみそうになる者もいる。  大金庫室の前の広い廊下の突当りに、手押しカートが数十台並べられてあった。 「ぐずぐずするんじゃねえ。|椅《い》|子《す》や簡易ベッドを片付けて、カートをこっちに持ってこい」  ワッペン“B”が、天井に向けて消音器付きのライフルから一発放った。  ガードマンたちは、あわてて作業に取りかかった。黒|装束《しょうぞく》の連中に銃を突きつけられながら、カートを押して大金庫室に入っていく。  地下一階の駐車場は出入口のシャッターがすでに開かれ、ニッサン・キャラバンやトヨタ・ハイエースなどの|長尺《ロング・ボデイ》ルートヴァンが二十数台入っていた。  ルートヴァンは荷室の天井近くまで荷物を積みこんでも車窓が割れないように、荷室の窓ガラスが鋼板に替えられているヴァンだ。運転台に品物が落ちこまないように、キャビンと荷室のあいだに鉄パイプ製のセーフティ・ガードがついている。  最大積載量約一トンのそれらのロング・ボディ・ルートヴァンのボディの社名やナンバー・プレートなどは、ボール紙とガム・テープで隠されていた。それらの車の運転者も、無論、覆面姿であった。  一千億円の現ナマは、ジュラルミン・トランクごと、二十数台のルートヴァンに積みこまれた。それだけでなく、大金庫室にあった金融債券類も積みこまれる。  作業は三時間ほどかかった。  作業が終ると、ガードマンと銀行の人間たちは地下二階の大金庫室に戻された。 「御苦労」  ワッペン“B”が|嘲《あざ》けるような声を出した。  再び乱射がはじまった。  乱射が終った時、銀行の人間や新日本警運のガードマンたちで生残った者はいないように見えた。  しかし、重傷を負って死んだ振りをしていた人間が二人いたことが、午前六時の定時交信に反応が無いことに疑惑を抱いて駆けつけてきた新日本警運の本部隊員によって発見された。無論、現ナマや債券を載せたルートヴァンの群れは消えていた。      二  それから二十日ほどが過ぎた。  スプロ日本支部の女エース、コード・ネーム“|女豹《パンサリス》”の|小《こ》|島《じま》|恵《え》|美《み》|子《こ》は、たび重なる呼出しにやっと応じ、スプロ日本支部長の|長《は》|谷《せ》|部《べ》と向いあった。  場所は、スプロ——SPRO——スペッシャル・プロフィット・アンド・リヴェンジ・アウトフィッターズの日本支部。支部の本拠が隠れミノにしている、|深《じん》|大《だい》|寺《じ》近くの古代|武蔵《む さ し》|野《の》記念館のなかだ。 「よく来てくれたね。君が引退したいという気持ちはよく分る。何しろ君は、もう十二分に|稼《かせ》いだんだから。したがって、これが我々の最後の依頼だと受取ってくれてもいい。もっとも、君が今度の仕事を終えて充分の休養をとり、また気力が充実してカムバックする気になった時は、我々は|双《もろ》|手《て》をあげて歓迎するがね」  長谷部はミュリエル・コロネナのシガリロを|弄《もてあそ》びながら言った。 「本当に、今度の仕事が終ったら、自由にしてくださるのね? もっとも、生き残ったらの話ですけど」  恵美子は言った。 「約束する。あとで契約書を交そう。我々は、君が引退したあとも、スプロの秘密を守ってくれると信じているが……」 「分りましたわ。で……?」 「君は、この前に起きた大徳相互銀行新宿支店の、一千億円強奪事件を覚えているだろう?」 「それは|勿《もち》|論《ろん》……」 「マスコミの一部でも報道されているが、大徳相銀はロックウィード航空からワイロを受取ったことが|表沙汰《おもてざた》になって裁判中でありながらも、保守党内に最大の派閥“|田《た》|口《ぐち》軍団”を擁している最大の実力者田口元首相の|厖《ぼう》|大《だい》な資本源の一つだと言われている。事実、田口内閣時代の蔵相であった、田口の一の子分の|竜《たつ》|田《た》は大徳相銀の顧問をやっている」  長谷部は銀のカッターでシガリロの吸い口を切った。 「そうですってね」 「田口のかつての日本列島改造ブームと超高度経済成長計画に乗って、売れもしない土地や実体もないに等しいレジャー会社をごっそりと抱えこんだ大徳相互の内情は、今や火の車だ。裏保証で自分のところのダミー会社にほかの銀行や農協や保険会社から金を出させて自転車操業し、やっと表面上は赤字を出さずに済ませている。だが、帳簿外保証、つまり他の銀行などに大徳が銀行債務保証を行なって自分のところのダミー会社やトンネル会社に融資させ、それを表帳簿に記載せずに粉飾決済をやっていることが|表沙汰《おもてざた》になったら、大騒ぎになるだけでは済まない|筈《はず》だ。スプロが調べたところでは、大徳の裏保証は約一千億で、そのほとんどは焦げつきになっている。  今のところ、田口軍団の圧力で大蔵省が定期検査の時に知って知らぬ顔をしているから表沙汰になってないが……それに、一般国民への大増税構想を打ちだしている大蔵省としては、自分のところの大失態が明るみに出る前に、何とか|隠《おん》|密《みつ》|裡《り》に関連銀行団に大徳を救済させようとしているんだ」 「ブル・シット!」  恵美子は吐きだすように言った。 「そういった大徳の内部事情については、あとで詳細な資料を渡すことにして、例の強盗団の犯行自体に話を戻すとしよう。君は発表された状況で、何が一番不自然だと思った?」  長谷部はシガリロに火をつけた。 「第一に、不動産取引きとはいえ、一千億円もの現金が動いたことですわ。会社の小切手や手形で不安なのなら、銀行が振出した小切手を使うのが常識でしょう?  第二に、大金庫室の三つのダイアル錠のコンビネーション番号の組合わせをさぐり当てるのにポータブル・コンピューターを使った、ということ」 「なるほど」 「ほかのガードマンや銀行側の人間は、みんな完全にトドメを刺されているのに、大金庫室の前で犯人がコンピューターを使ってダイアル錠のコンビネーションをさぐり当てるのを目撃した連中のなかにだけに、完全にトドメを刺されるのをまぬがれた者が二人いるわ。  つまり、犯人たちは、はじめから大金庫室のコンビネーション番号を知っていたのでなくて、コンピューター操作にも熟知した黄金の指と耳の持主の金庫破りのプロがいたからこそ、コンビネーション番号が突きとめられた、という印象を捜査側に残したかったのではないかと思うの。  あの銀行のなかには……|勿《もち》|論《ろん》、本店も含めて……共犯者がいるわ……それも、すぐバレてしまうような配電係りの青野なんてチンピラよ。もっとも、もう一人の用務員と一緒になって、辛い夕食のなかに睡眠薬を混ぜるという仕事をやってのけたようだけど……生残りのガードマンと係長はシロだと思うわ。もしあの二人が強盗団に裏切られたのなら、あれほどの重傷を負った以上、アタマにきて真相をしゃべった|筈《はず》だわ」 「なるほど」 「ですから、大徳の共犯者は、あの大金庫室のダイアル錠の組合わせ番号を強盗団にあらかじめ教えることが出来たほど高い|地位《ポスト》の連中……なぜって、わたしの知るかぎりでは、三つものダイアル錠のコンビネーションを……それも七|桁《けた》ものコンビネーションのダイアル錠を……たとえコンピューターを併用したところで、短時間のうちにさぐり当てるほどの黄金の指を持っているエキスパートは日本にはいないわ」  恵美子はイヴのシガレットに卓上ライターの火を移した。 「その通りだ。それに、スプロが知っているかぎり、そんな|凄《すご》|腕《うで》は世界にもいない」  長谷部が|頷《うなず》いた。シガリロの煙を口に|溜《た》めると、口の端からチョロチョロ吐きだし、鼻に吸いこむ。 「大徳相銀新宿支店の大金庫室のダイアル錠のコンビネーション番号を知っているのは?」  恵美子は尋ねた。 「支店長の|長《なが》|崎《さき》と次長の|横《よこ》|井《い》、それに経理担当主任の|武《たけ》|田《だ》だ。本店の|馬《ば》|場《ば》社長、社長室長の|横《よこ》|川《かわ》常務、それに|金《かな》|谷《や》専務なども知っている。金庫会社の担当員もだ。あの銀行は支店長が交代するごとに、金庫会社の|斉《さい》|藤《とう》|精《せい》|機《き》を呼んで、ダイアル錠の組合わせを変えさせるそうだ」 「…………」 「それでは、どうして一千億円もの現ナマが大徳相銀新宿支店に集められたか、の問題から検討してみよう。あの現ナマは、大徳に関連している幾つもの不動産会社が、よそのいくつもの不動産会社に土地を売った代金だ。大徳の説明では、土地を売却した相手の会社が、税金対策上の理由で、銀行を通さずに現ナマで支払うと主張したので、渡りに船とオーケイした、ということになっている」 「作り話みたい」 「我々の調査では、土地を買って代金を支払ったほうの会社も大徳の関連会社だと判明した。それらの会社が大徳のダミーだとは表面上は分らないようになっている。だから無論、それらの会社に大徳の|金《かね》がストレートに融資されたわけではない。大徳のトンネル会社に、大徳の裏保証で他の銀行や保険会社などから融資された金が、また別のトンネル会社を通して、それらの不動産会社に渡っている」 「|図《ずう》|々《ずう》しいわね」 「現ナマは、大徳の新宿支店に集められる前に、抱えていた土地を売却した大徳の関連不動産会社二十数社に一と晩寝かされた。それらの会社はそれぞれが警備会社を|傭《やと》ったが、現ナマが置かれた経理の部屋にはガードマンもオフ・リミットで、会社側の役員たちによって部屋のなかは固められた」 「一種の密室というわけね」 「そう……そして翌朝になり、ジュラルミン・トランクに詰まった現ナマは、新日本警備通運によって大徳新宿支店に運ばれた。新宿支店に運びこまれた現ナマは、新日本警運のガードマンや、銀行が盗難保険の契約を結んでいる東和生命の係員の目の前で数えられ、大金庫室に送られた」 「現ナマは一枚一枚数えられたの?」 「まさか……一万円札だけで一千万枚だよ。しかも、百万円ずつ一束にされて十字型に帯封が掛けられていた。はじめのうちは札束の端をめくって偽札でないかの確認がされたようだが、すぐに札束の数だけが数えられるようになり、そのうちにジュラルミン・トランクの|蓋《ふた》が開け閉めされるだけが確認事項になった。一つのジュラルミン・トランクに百万円の札束が百個ずつ詰まっていた。つまりトランク一つ一億円だ」 「…………」 「一枚一枚よく数えなかったことを後悔しているのは、新日本警備通運と東和生命だろう。何しろ大徳は新日本警運には損害賠償の示談交渉を進め、東和生命には盗難保険金の請求を出したんだ。一千億の現ナマに対してだけでなく、大金庫室のなかにあった時価三百億の金融債——それが実在したことは、生残ったガードマンと大徳の係長が証言している——についてもだ。どうして火の車の大徳にそんな金融債があったかと言うと、大徳がほかの銀行、特に特別長期信用銀行などに債務保証して、自分のところのダミー会社やトンネル会社に融資してもらう時には、そこの金融債を買う必要があるからだ。はじめは、大徳が買った金融債の八十パーセント見当ぐらいを特長信銀は融資してたんだが、どうせ大徳が|潰《つぶ》れそうになっても大蔵省が音頭をとって救済してくれるだろうと計算して、金融債の額面の何倍もの金を融資してたんだ。このところ低成長時代で、優良企業はなかなか銀行から金を借りてくれない。銀行から熱心に金を借りたがっている企業は危いところが多い。そんな時代だから、特長信銀と大徳は持ちつ持たれつの関係にあるんだ。大徳の債務保証があれば、銀行の倒産を一番|怖《おそ》れている大蔵省の方針からして、特長信銀は長期的に見て貸し金を取りっぱぐれることはないし、利子が稼げるからね……生命保険会社にしても、金がだぶついているから、ほとんど無担保で大徳の裏保証に応じている」 「何だか、筋書きが読めてきたみたい。でも大徳の首脳部は、何で今度のようにすぐにバレるような筋書きを書いたんでしょう?」  恵美子は肩をすくめた。 「ヤケ|糞《くそ》じみているが、奴等にとっては起死回生、一発逆転の妙案に思えたかも知れんな。特に大徳の社長の|馬《ば》|場《ば》|栄《えい》|光《こう》は名誉欲と権力欲のカタマリのような奴で、今度の計画が|目論《もくろ》み通りにいくと、これまでの損失を一挙に取戻し、社長の|椅《い》|子《す》にもしがみついていられると……」 「でしたら、わたしの出る幕が無いほど簡単な事件ね。スプロの執行人はわたしだけではないもの」  恵美子はイヴの火を灰皿で|揉《も》み消した。 「ところが、どうやら奴の筋書きは狂ったようだ」 「え?」 「大徳相銀の本店や馬場たちの手に、新宿支店から奪われた金は予定通りには入ってこなかったようなんだよ。それに、今度の事件に新宿の暴力団|野《の》|崎《ざき》|組《ぐみ》が深く関係していることを我々は|掴《つか》んでいる。ところが、そこにも金が入ってこなかった。それどころか、野崎組の組員が、このところ次々に事故死しているんだ。自動車事故だとかガス中毒ということになっているが、事故に見せかけて殺された可能性が大きい。  一方、大徳側も、関連不動産会社の経営者や経理担当者が何人も行方不明になっている。野崎組のボディ・ガードもろともにだ。それに今日は、新宿支店長の|長《なが》|崎《さき》が店に出てこないので、支店は大騒ぎになっている。長崎にも野崎組のボディ・ガードがついていた」 「…………」 「まあ、ともかく、我々スプロの目的は、新宿支店の大金庫から奪われた金の行くえを突き止めて横取りすることだ。成功したら、君には十パーセントの手数料を払う。さてと、部屋を替えて、昼食でもとりながら、じっくりと話しあおう。今日は、飛びきりうまいイタリア料理を用意させた」  長谷部は立上った……。  その夜遅く、黒革のツナギのレーシング・ジャケットで身を固め、反射止め塗装を行なった暗色のヘルメットをかぶった小島恵美子は、バイクにまたがって、世田谷赤堤を|経堂《きょうどう》のほうに向っていた。  そのバイクは、オフ・ロード用のビッグ・シングル五〇〇CCエンジンを中低速のピック・アップ性能のよさを犠牲にせずにチューン・アップし、ロード・スポーツ用の特製フレームに載せたホンダXL五〇〇S改だ。  メーカー・チューンでも市販品でもないそのバイクは、満タンでも重量百キロを切り、まったく乗りやすい。シートの下にのびていた排気管はステップ位置に水平なほど下げられているから、キャリアーの左右にツーリング・バッグをつけることが出来た。  経堂に近い赤堤一丁目は高級住宅街だ。大通りでエンジンを切り、ギアをニュートラルにした恵美子はバイクを押しながら住宅街に入る。重量が二百五十から三百キロもある、一リッターやオーヴァー一リッターの排気量のモンスター・バイクだと|駐《と》めておくだけでも人目を引くし、押すだけでも一苦労だ。しかし、この目だたぬ外観のXL五〇〇S改だと、その双方の面だけでも断然有利だ。  恵美子が排気音をたてないままバイクを駐めたのは、付属幼稚園を持つ、あるカソリック教会の石垣に寄せてであった。  その教会の幼稚園寄りに、大徳相互のダミー企業グループの一つの中央興業の|総《そう》|帥《すい》|村《むら》|上《かみ》|竜《たつ》|也《や》の|妾宅《しょうたく》がある。中央興業グループの一つである新中央農林という不動産会社は、例の大徳新宿支店の事件が起る前に、これも大徳の隠れたダミー企業である現代コーポレーション・グループの一つ|和《わ》|光《こう》不動産に土地を転売したのだ。代金は現ナマで五十億であった。  住宅街なので人通りは無かった。午後十一時|頃《ごろ》だ。恵美子はバイクの左のツーリング・バッグを開き、ズック製の弾倉帯を取出して腰につけた。  その弾倉帯は、サイドワインダー短機関銃用のものだ。十本の三十二連弾倉をパウチに収めた弾倉帯には、ホルスター入りの消音器付きザウエル自動|装《そう》|填《てん》式拳銃、|手錠《てじょう》入りのサック、丸めたロープ、シース入りのイノシシの刺殺用のガーバー・マーク㈼ナイフ、それに特製の強力なスリング・ショットと|手榴弾《しゅりゅうだん》二個を|吊《つ》っている。  その弾倉帯をレーシング・ジャケットの腰に|捲《ま》いた恵美子は、右のツーリング・バッグから、片手|射《う》ち用のために非常に全長が短いサイドワインダー短機関銃、ソニック・サウンド・サプレッサーの銃声弱音器、それに、わずかな明りさえあれば夜でも目標が見える対物レンズ径八十ミリのずんぐりとしたツワイライト双眼鏡などが入ったソフト・ケースを取出した。  ヘルメットを一度脱ぎ、黒覆面をつけてから再びヘルメットをかぶる。ソフト・ケースを肩から|吊《つ》り、幼稚園のほうに歩く。|艶《つや》|消《け》しのライディング・ブーツの靴底は、足音をたてにくいネオプレーン・ゴムだ。  幼稚園の石垣をえぐっている石段をそっと登ると、低い|鉄《てっ》|柵《さく》の門があった。幼稚園と教会の土地は、土盛りされて、道路から一メーターほど上にあるのだ。  身軽に門を乗り越えた恵美子は、桜が多い幼稚園の庭を影のように横切り、村上の|妾宅《しょうたく》の塀に忍び寄る。  三百坪近い妾宅の土地は、道路と同じ高さにあるので、幼稚園の庭から下にあった。塀の|天《てっ》|辺《ぺん》は幼稚園から一メーター半ほど上にある。塀側は妾宅の裏庭だ。  恵美子は肩から吊っていたソフト・ケースから、ツワイライト双眼鏡が入ったハード・ケースを取出した。ハード・ケースのX字型のエラスチック・バンドを胸に|袈《け》|裟《さ》がけにし、ケースから双眼鏡を出した。  ずんぐりと太く重いそれは、鮮明度を重視するために倍率を四に押さえてあった。塀の天辺からわずかに覆面の顔を|覗《のぞ》かせた恵美子は、まず肉眼で妾宅の裏庭を点検した。  次いで、セーム皮の手袋をつけた手で双眼鏡を持ちあげる。焦点合わせのノブを回しながら、|妾宅《しょうたく》の裏庭の、人が隠れやすい暗所を、明るいレンズを通して調べる。  人影は見当らなかった。鉄筋二階建ての建物の窓にはブラインドとカーテンが降りている。  恵美子は胸のハード・ケースに双眼鏡を収め、|蓋《ふた》を革バンドで固定した。スナップ・ボタンを使ってないのは、それがたてる音を防ぐためだ。  塀の上に身を移した恵美子は、裏庭に跳び降りた。空中で一回転してソフトに着地し、肩から|吊《つ》ったソフト・ケースからサイドワインダー短機関銃を出した。サウンド・サプレッサーの銃声弱音器を装置し、金属銃床を引きだし、弾倉|枠《わく》に弾倉帯から出した弾倉を一本静かに押しこんだ。  だがその短機関銃はまだ撃発装置にせず、左肩から吊る。スリング・ショットを左手に持ち、レーシング・ジャケットのポケットの一つから鉛製の|玉《ペレット》を四粒取出した。スリング・ショットの強力なゴムのあいだにある革製のパウチに一発の鉛玉をはさむ。  木蔭を縫って表側の庭のほうに回りこむ。  だが、表側の庭にも横庭にも人影は無かった。野崎組のボディ・ガードは家屋のなかにいるらしい。  針金を使って一階のトイレのアルミ・サッシュの窓のロックを外した恵美子が、二階にいた四人のボディ・ガードを発見したのは、それから数分後であった。  暖炉で|白《しら》|樺《かば》が燃える豪勢なサロンで、音を弱めたTVを掛けっ放しにしたまま、四人の男は寝室と思える一つの部屋のなかの|覗《のぞ》きに夢中になっていた。  四人は覗きの特殊道具を使っている。|窃《せっ》|視《し》鏡と呼ばれる細長い金属製のパイプで、そのなかにレンズやプリズムが組みこまれているものだ。  |絨毯《じゅうたん》の床に|腹《はら》|這《ば》いになった黒背広の四人の男は、窃視鏡の先端を寝室のドアの下の|隙《すき》|間《ま》に突っこみ、接眼鏡に目を当て、右手や左手を|股《こ》|間《かん》に当てて腰を振っている。  今は恵美子は、スリング・ショットのかわりにサイドワインダーを右手にしていた。再び押しこめてあった銃床尾を|肘《ひじ》の内側に当てている。遊底は引かれて撃発装置にされていた。スウィーヴェル弾倉は左に回してあった。  そっとサロンの入口側の巨大なTVに近づいた恵美子は、左手でそのヴォリュームをノーマルに上げた。  四人の男が、ベルトに差している|拳銃《けんじゅう》に右手や左手を走らせながら、|驚愕《きょうがく》の表情で恵美子のほうに顔と体を|捩《ね》じ向けようとした。  恵美子は引金を深く絞り、フル・オートで|射《う》った。サウンド・サプレッサーのせいで、銃声はTVから流れたほどのヴォリュームしかなかった。  一人が平均して三発ずつ九ミリ・ルーガー弾を|喉《のど》や胸にくらった四人は、悲鳴をあげることも出来ずに|痙《けい》|攣《れん》する。みんな、ズボンの前を開いて|剥《む》きだしにしていた。スキンが装着されている。      三  三人はすぐに呼吸がとまったが、一人だけはタフであった。口から血を逆流させながらも、上体を起して|拳銃《けんじゅう》を抜こうとする。  恵美子は引金に添えてのばした人差し指でその男の右腕を|狙《ねら》い、中指で引金を一段引いた。  単発のセミ・オートとなったサイドワインダーから放たれた九ミリ弾は、男の右腕を貫いた。しかし、サウンド・サプレッサーでエネルギーを弱められているので、腕が|千《ち》|切《ぎ》れそうになるようなことはない。  |拳銃《けんじゅう》を落した男は横転した。もがく。|豹《ひょう》のように音もなく近づいた恵美子は、男の耳の上を|蹴《け》って気絶させた。  TVのヴォリュームを再び弱め、寝室のドアの前に|蹲《うずくま》って、折り曲げた|窃《せっ》|視《し》鏡の一つを覗く。  寝室のベッドでは、恵美子がスプロの資料写真で見た、村上の|愛妾《あいしょう》の|季《き》|美《み》|子《こ》が、若い女とレズ行為にふけっていた。  季美子は二十五、六の|熟《う》れきった体を持つ女だ。仰向けになった季美子の乳首をくわえた若い女が、ゴム製の|張形《デルオルト》をつけ、激しく責めている。  若い女の髪を左手で|掴《つか》んだ季美子は、声をあげながら、右手の親指と薬指と小指で相手の花弁や|花《か》|芯《しん》を|愛《あい》|撫《ぶ》しながら、二本まとめてサックをつけた人差し指と中指を相手の|蜜《みつ》|壺《つぼ》に没入させている。二人とも、おびただしいジュースをしたたらせている。  村上竜也は、浅黒く|精《せい》|悍《かん》な顔と筋肉質の体を持った中年男だ。これも素っ裸で、ベッドの近くの|肘《ひじ》|掛《か》けや背もたれがない|椅《い》|子《す》にアグラをかいてレズ行為を見つめている。ヨダレを垂らしていた。  そして、天井を向いた村上のものを、二匹のペルシャ猫が|舐《な》めていた。村上は猫が熱心さを失うと、天井から|吊《つ》るした箱から指でほじったバターを自分のものになすりつける。  恵美子は、一度ドアの前から離れ、まだ死にきってない男を縛り、猿グツワを|噛《か》ませた。逆流する血で窒息死しないように、横向けに寝かせる。  再び窃視鏡に目を当ててみると、シーンは一変していた。村上が季美子を犯し、その上からデルオルトをつけたままの若い女が村上のアヌスを犯している。村上は動物的な|唸《うな》り声をたてていた。  立上った恵美子は、寝室のドアのノブを左手でそっと試してみた。ロックはされてない。ドアを細目に開いた恵美子は、蛇のように寝室のなかに身を滑りこませた。  いきなり、村上の上の若い女を射殺する。|怪鳥《けちょう》のような悲鳴をあげた村上は季美子から転がり外れようとした。  だが、目を吊りあげた季美子と中心部を外すことが出来なかった。ショックでヴァギナに|痙《けい》|攣《れん》を起した季美子が、|万《まん》|力《りき》の力で村上のポールを絞めつけているのだ。 「動くんじゃない。これから尋問をはじめるから」  厳しい声で命じた恵美子は、サイドワインダー短機関銃を村上に向けたまま、左のうしろ手でドアを大きく開いた。まだくたばってない男が逃げぬように見張るためと、村上に死人たちを見せるためだ。  血にまみれて転がっているボディ・ガードたちを見て、村上は季美子の胸に未消化物を吐いた。臭い。 「今度は真相を吐くのよ」  恵美子は言った。 「な、何のことだ?——」  背を波打たせてまだ|黄《おう》|水《ずい》を吐きながら、村上は震え声をやっと出した。 「あ、あんた、あの|物《もの》|凄《すご》い男の仲間か?」 「物凄い男って?」  覆面から|覗《のぞ》く恵美子の|瞳《ひとみ》が金属的に光った。 「な、仲間じゃないのか?」 「|誰《だれ》なのよ、その男は?」 「…………」  季美子に絞めつけられて血圧が上ったらしい村上は、鼻血を垂らしながらもがいた。 「これで切りはなしてやろうか?」  弾倉帯につけた|鞘《さや》から、恵美子はガーバー・マーク㈼のナイフを左手で抜いた。|諸《もろ》|刃《ば》のそのナイフのうしろ半分ほどには、ギザの|鋸《のこ》|歯《ば》がついている。  恵美子はそのナイフを、紫色に変りかけた村上の男根の根元に近づけた。  悲鳴をあげた村上は、 「しゃべる!……やめてくれ……大徳相銀のトンネル会社やダミー会社の社長が三人ほど続けざまに行方不明になったので、大徳の本店は我々に野崎組のボディ・ガードをつけてくれた。それでもまた二人がボディ・ガードもろともに行方不明になったので、大徳は新宿支店の役付きの連中にも野崎組のボディ・ガードをつけた。  新宿支店長の長崎には特に五人のボディ・ガードがつけられた。長崎は一時的に家族と別居して、野崎組が経営するマンションの一つの三DKに、五人のボディ・ガードと住んでいた。  ところが昨日の深夜、そこにある男が忍びこんだ。それが、|俺《おれ》が言う|物《もの》|凄《すご》い男だ。その男は、ダイニング・ルームに集まっていた五人のボディ・ガードを、アッと言う間に片付けた。男は|拳銃《けんじゅう》を腰につけていたようだが、それは使わずに、|拳《こぶし》や手刀と足の|蹴《け》りだけで片付けたんだ。五人とも首をへし折られて即死に近い状態だったらしい。男はそれから寝室に入って、気絶させた長崎を外に運び出した。男の部下が五人ダイニング・ルームに入ってきて、ボディ・ガードの死体を外に運びだした」  と、震えながらしゃべった。 「どうして、そのことが分ったの?」 「ボディ・ガード五人は、アヘンの中毒者だった。だから、襲われた時、アヘン・パイプを吸ってたんだ」 「…………」 「そのマンションの、長崎たちと同じ階の一Kに、野崎組のチンピラが一人、部屋をあてがわれていた。そいつは麻薬中毒なんだが、|麻薬《ヤク》を自由に買うほどの金がない。だから長崎のダイニング・ルームの天井裏に|這《は》ってきては、電線の点検用の|揚《あ》げ|蓋《ぶた》を細目に開いて、天井裏に昇ってくるアヘンの煙を盗み吸いしていた。そのチンピラが、|物《もの》|凄《すご》い男にボディ・ガードたちがやられるところを目撃した。だけど、|怯《おび》えきってしまって野崎組に報告することが出来なかった。泥棒猫のような|真《ま》|似《ね》までしてアヘンの煙を盗み吸いしてたことがバレるのも|怖《こわ》かったんだろう。  しかし、今日の昼すぎ、そのチンピラの怯えぶりがあんまりひどいのを幹部に見とがめられて、天井裏から目撃したことをしゃべった。それで、|俺《おれ》たちにも、その物凄い男に要心するようにという注意が野崎組からあったんだ」 「その“物凄い男”の顔とか体つきは?」 「覆面をしてたんで顔は分らないが、背が高くてすっきりした体つきだったそうだ。体のこなしは、信じられないほど素早くてスムーズだったと……頼む、もういいだろう? 早く医者を呼んでくれ」 「まだ本題に入ってないわ。あんたの会社は、和光不動産に五十億で土地を転売した。二十日ほど前……大徳相銀新宿支店の大金庫室が襲われる前の日にね。和光不動産も大徳のダミーだってことは分っているわ。だから|勿《もち》|論《ろん》、あの取引きは大徳の指令で行なったのね?」 「…………」 「そう?」  恵美子は村上の|尻《しり》に一センチほどナイフを突きたてた。  絶叫をあげた村上は、再び黄水を吐き、|喘《ぜん》|息《そく》患者のように|咳《せ》きこんだ。 「しゃべる……やめてくれ……やめてください。その通りだ。大徳本店の社長室の指令だった。和光不動産の社長の|小《お》|沢《ざわ》の話では、五十億の現ナマは、大徳の債務保証でトンネル会社数社に|明《めい》|光《こう》銀行をはじめ幾つもの銀行が出してくれたものを借りたものだそうだ」 「|勿《もち》|論《ろん》、その債務保証は裏保証、つまり帳簿外保証だったわけね?」 「…………」 「取引きが終って、五十億の現ナマは、あんたの新中央農林の経理室に運びこまれた。|傭《やと》ったガードマンをシャット・アウトして、あんたや重役たちが、その現ナマのお|守《も》りをしたことになっている。だけど、実際は、閉じきった経理室で何が起ったの?」 「そ、それだけは死んでも言えない」 「そう? じゃあ、お望み通りに殺してあげるわ。でも、あんたは、あっさりとは死ねない。長い時間をかけてなぶり殺しにされるんだわ」  恵美子は村上の尻の肉を切裂きはじめた。 「やめてくれ。しゃべる。|俺《おれ》たちは、あの夜、不眠不休に近い状態で、ある作業を行なったんだ……はっきり言う。札束は百万円ずつが一単位で、十字型に帯封を掛けられていた。俺たちは一度札束の封を破り、札束の上下と真ん中を二十万ずつ、つまり六十万ずつ残し、あとの四十枚を、一万円札と同じ大きさと厚さで材質も本物の紙幣とよく似た紙にすり替えたんだ。そして、破ったのとそっくりの帯封を掛け直した」 「大徳の指令ね?」 「そうだ。ミツマタや|楮《こうぞ》などを原料とした紙幣とそっくりの紙を用意してくれたのも大徳だし、封紙だって……」 「大徳は、紙切れが混ぜられた札束を新宿支店で強盗団に奪わせる計画まで話してくれたの?」 「そこまで知ってるのか!……いや、あの当時は、そこまでは知らされなかった。ただ、指令通りに動いたら、|俺《おれ》たち個人に五億の謝礼をくれるという約束だった……新宿支店の例の事件が起ったあとで、俺は大徳の社長室長を|詰《きつ》|問《もん》した」 「…………」 「そしたら、奴は渋々しゃべった。総会屋やブラック・ジャーナリズムを黙らせるために深い関係を持っている野崎組を通じて|傭《やと》った、殺しと金庫破りのプロ集団に新宿支店を襲わせ、奪った現ナマを大徳の本店に運ばせる計画だったと……。  そして大徳は、盗難保険を掛けてある東和生命に保険金を請求し、一千億の現金と三百億の金融債券の合わせて千三百億円を東和生命から|頂戴《ちょうだい》しようとたくらんだ。  東和生命がそれぐらいの金を支払ったところで大して痛手にはならん。それどころか、東和生命自体は、ほんのわずかの出費で済むんだ。どうしてかと言うと、東和生命は再保険を掛けているんだ。日本だけでなく、世界じゅうの大手保険会社に……例えばロイドのような……だから、各保険会社が分担して保険金を出しあうから、東和生命がすんなり払う|筈《はず》だと大徳は考えた。  そしたら、俺たちや野崎組や強盗団に払う謝礼を差し引いても、大徳はこれまでの損を一気に取戻せるだけでなく、充分にお釣りがくる。社長室長はしゃべらなかったが、欲っかきの大徳の首脳部のことだから、馬場社長たちはそのうちの何割かを自分たちの|懐《ふところ》に入れる予定だったんだろう」 「その予定が狂ったわけね?」 「世のなか、うまくいかんもんだ」 「何が起ったのか、大体の見当はついているけど、あなたの口から聞かせてもらうわ」 「強盗団が|獲《え》|物《もの》を持ち逃げしやがったんだ。野崎組が必死に奴等の|隠《かく》れ|家《が》を捜しているが、まだ全然と言っていいほど成功してないようだ。手がかりを|掴《つか》んだらしい奴は強盗団に消されている。野崎組の組長は、大徳から強盗団とグルになっているのでないかと責められ、強盗団についての新しい情報をもたらした組員には報償金を払うと約束した」 「…………」 「東和生命のほうも、今度の事件に何かおかしな点があると気付いたらしくて、調査続行中という理由で、大徳に保険金を降ろしてくれない。このままだと、大徳もろとも、うちの企業グループは倒産だ」 「|自《じ》|業《ごう》|自《じ》|得《とく》ね。ところで、あんたの新中央農林が五十億の現ナマの札束から抜き取った四十パーセントというと二十億ね。そのうちの五億があんたたちのポケットに入った。あとの十五億はどうしたの?」 「大徳新宿支店の事件が起る何時間か前の夕方に、和光不動産に融資した大徳のトンネル会社数社に渡した。トンネル会社は、大徳の裏保証で融資を受けた都市銀行に、これまでの借金の何分の一かを精算するために返済してしまった……助けてくれ。この通り、何でもしゃべったんだから」  村上は涙を流した。 「あんたがポッポに入れた五億円はどこにあるの?」 「それをしゃべったら、命を助けてくれるか?」 「約束するわ」 「U・Sドルのトラヴェラーズ・チェックに替えて、このベッドのマットレスのなかに隠してある」 「トラヴェラーズ・チェックの場合、盗まれたり落したりしたあと、他人がそれを悪用しないように、二つあるサイン欄の一つにサインをしておくのが普通ね。そして、使う時に、相手の目の前でもう一つの欄にサインする」 「|俺《おれ》はどこにもまだサインしてない。大徳がいよいよおかしくなって俺の会社も危くなった時には、アメリカに逃げる算段だった。だから、指名手配を受けた時でも、適当な偽名のサインが出来るようにと……」 「じゃあ、こっちもそのトラヴェラーズ・チェックを自由に使えるというわけね?」  恵美子は村上の髪を|掴《つか》んでベッドから引きずり落した。連結して外れない季美子と一緒に村上は床に落ちる。|鬱《うっ》|血《けつ》している海綿体が|潰《つぶ》れたらしく気絶した。  ベッドをガーバー・ナイフで切裂くと、十億円相当の、アメリカン・エクスプレスやバンク・オブ・アメリカ等のトラヴェラーズ・チェックが出てきた。  大徳からのボーナスのほかに、すでにたくわえてあった隠し金も、トラヴェラーズ・チェックに替えてあったらしい。偽造パスポートも三通あった。  口を封じるために村上と季美子を永遠に眠らせた恵美子は、奪ったトラヴェラーズ・チェックを毛布に包んだ。背負う。  重傷を負っているガードマンを|蹴《け》とばして意識を取戻させようとする。だが、その男がすでに死んでいることを知って肩をすくめる。  村上たちの死体は、翌朝やってきた家政婦によって発見された。  家政婦は動転しながらも、警察にではなく野崎組に通報した。  だから野崎組は、組員であるボディ・ガードたちの死体や|拳銃《けんじゅう》などを処分し、家政婦を組のマンションの一室に軟禁してから、|匿《とく》|名《めい》の電話で警察に知らせた。  したがって、その日のTVや夕刊などでは村上と情婦のことは報じられたが、野崎組の名前は出なかった。  その夜遅く、小島恵美子は、杉並の|大《おお》|宮《みや》|公《こう》|園《えん》に近い、野崎組の最高幹部の一人|白《しら》|浜《はま》の屋敷を襲った。  そっと塀を乗り越え、裏庭に跳び降りて様子をうかがった時から、恵美子の第六感に異変が伝わった。  かすかに血の|匂《にお》いを|嗅《か》いだのは、木造二階建ての|母《おも》|屋《や》に忍び寄る途中であった。|灌《かん》|木《ぼく》の茂みのなかに押しこめられるようにして一人の男が倒れているのを知り、反射的にサイドワインダー短機関銃を振り向ける。  その男は、|襟《えり》のニッケル・バッジから野崎組の若い衆と分った。死んでいた。  死体をよく調べてみた恵美子は、その男がごく細い|錐《すい》|刀《とう》のようなもので|延《えん》|髄《ずい》を|抉《えぐ》られているのを知った。出血はごく少ない。襲ったのは、よほどの|手練《てだれ》であろう。  庭をよく調べた恵美子は、あと三つの死体を発見した。いずれも延髄を破壊されていた。恵美子は村上が言った“|物《もの》|凄《すご》い男”のことを想像して軽く身震いした。  昨夜野崎組のボディ・ガードから奪ってあった|窃《せっ》|視《し》鏡を玄関のドアの下の|隙《すき》|間《ま》から差しこんで曲げてみた恵美子はさらに身震いした。  玄関ホールに二人の男が倒れている。いずれも、首が不自然な角度に曲っていた。  針金で玄関のエール|錠《じょう》を解いて玄関に入った恵美子は、玄関ホールで倒れている二人も野崎組の若い衆で、強烈なパンチか|蹴《け》りを顔面にくらって首の骨をへし折られていることを知った。  一階を慎重に捜索した恵美子は、四十歳ぐらいの白浜の女房と十六、七の長男、それに十四、五の長女が、縛られ目隠しされ猿グツワを|噛《か》まされて、女房のらしい寝室に閉じこめられているのを見た。三人とも、気絶しているが、死んではいない。  慎重に二階に登った恵美子は、白浜の書斎でボディ・ガード二人が首を切断されているのを見た。切り口から見て、ピアノ線の投げ|縄《なわ》で急激かつ強烈に絞められたらしい。ピアノ線は肉を切り、首の軟骨まで切断したようだ。  そして白浜は、デスクの上で素っ裸にされ、首をロープで絞められ、全身に拷問の打撲傷と|火傷《やけど》の跡を残してこと切れていた。まだ体温が残っているところを見ると、“|物《もの》|凄《すご》い男”が去ってから、あまり時間がたってないらしい。  書棚の一部に見せかけた隠し金庫の扉が開かれ、金庫のなかには預金通帳や定期預金証書など、換金しようとすれば銀行に怪しまれるものを残してすべて持ち去られていた。  覆面姿の恵美子は全身を総毛立たせながら二階じゅうを調べた。天井裏も調べる。しかし、侵入者は去ったあとであった。  一階に降りた恵美子は、白浜の妻の|聖《せい》|子《こ》を引きずってダイニング・ルームに移した。  ネグリジェ姿の聖子は眠っているところを襲われたらしい。化粧を落してあった。太り気味だが、まだ色香は残っている。もとは、新宿区役所通りでクラブをやっていた女だ。  恵美子は、大きな悲鳴をたてることは出来ぬがかすかな声は出るように猿グツワをゆるめ、左の乳首をライターの火で|炙《あぶ》った。  苦痛のあまり意識を取戻した聖子は、猿グツワの|隙《すき》|間《ま》から|呻《うめ》き声を漏らしながら転げまわった。  乱れた聖子の髪を踏んづけて動けないようにした恵美子は、声から自分の素性を野崎組に追跡されることを避けるため、 「素直にしゃべったら、これ以上痛い目に会わせねえで済ましてやる」  と、無理に作った太い男声で言った。 「主人は? 主人は無事! 息子や娘は?」  聖子は猿グツワの|隙《すき》|間《ま》から悲痛な声を漏らした。 「無事だ。しかし、貴様が本当のことをしゃべらねえと無事ではなくなる」 「な、何を言ったらいいの?」 「貴様を襲ったのは? どんな男だった? それとも女か?」 「知らない……信じて! 眠りこんでいて、フッと変な予感がしたので目を開いたの。真っ暗だった。いきなり耳の上を殴られて気が遠くなった……わたし、夢を見続けてるんじゃないのね?」  聖子は身震いした。  恵美子は聖子に尋問を続けたが重要なことは聞けなかった。恵美子は聖子を再び気絶させる。      四  スプロが今回も用意してくれた目黒平町の隠れ家に戻ってトラヴェラーズ・チェックの束を隠すとすぐに、恵美子はホンダXL五〇〇S改のバイクを駆って、中野区|江《え》|古《ご》|田《た》の広大な国立療養所に近い、野崎組最高幹部の一人|松《まつ》|沢《ざわ》の屋敷に向った。  松沢の屋敷の敷地は、刑務所のように高い塀を持った四百坪もあるものであった。塀の上には、|剥《む》きだしの高圧線が張りめぐらされ、スズメやオナガの焼死体が地面にも転がっていた。  あまりにも塀が高いので、近くからは鉄筋二階建ての豪邸の二階の一部しか見えないほどであった。  だが、どんな|要《よう》|塞《さい》にも盲点はある。恵美子は電柱から屋敷のなかにのびている電線と電話線の束に目をつけた。工場用らしく、その電話線は太い。  電柱を登った恵美子は、ライディング・グラヴを、ゴム手袋に替えた。弾倉帯につけてあったロープを三十センチほど切断し、それを電線の束に回して輪を作る。  ロープの輪に左手でぶらさがり、右手でサイドワインダーを構え、電線を伝って庭の上に出た。太い電線なので、恵美子の体重を受けても大きく垂れさがるようなことはない。  高い塀に護られて安心しているのか——それに、スプロから与えられた資料によると、正門にも裏門にも、不可視光線の警報装置がついているという——、庭には見張りの姿はなかった。  恵美子は右手のサイドワインダーを肩から|吊《つ》り、腰のロープを電線のロープに通した。そのロープをのばしながら庭に降り、ロープを引いて回収する。  二十分ほどのち、豪邸のなかにいたボディ・ガード五人を殺し、三人の使用人を気絶させて縛った恵美子は、二階にある松沢の寝室の|鍵《かぎ》|孔《あな》——その|錠《じょう》はシリンダー錠ではなく|棒鍵錠《ぼうかぎじょう》であったので鍵孔が大きい——に、レンズとプリズムが入った|窃《せっ》|視《し》鏡を差しこんだ。  松沢は半年ほど前に再婚したので、その女房|浩《ひろ》|子《こ》はまだ若かった。別れた古女房と子供たちは母子寮に追いやられたそうだ。  寝室からは浩子の悲鳴が漏れていた。恵美子の窃視鏡には、水平|吊《づ》りにされた全裸の浩子が、血まみれになっているのが写る。|絨毯《じゅうたん》の上には小便受けの大きなタライが置かれていた。  これも全裸の松沢は、ピアノ線を|芯《しん》に入れてある乗馬|鞭《むち》を振りあげている。鬼のような表情だ。体は小柄だが筋骨は隆々とし、起立したペニスはジャイアント・クラスだ。 「やめて、あなた! これ以上だと死んでしまう! 今夜はプレイを通りこしてるわ」  鼻血を出している浩子は|喘《あえ》いだ。 「うるせえ!」  松沢は思いきり鞭を振り降ろした。  浩子の血まみれの|尻《しり》からまた鮮血が飛んだ。  浩子は絶叫をあげ、全身を|痙《けい》|攣《れん》させ、 「あんた、|卑怯《ひきょう》よ。仲間が|殺《や》られてるんで、不安で気が狂いそうなんでしょう」  と、わめく。 「|俺《おれ》は|怖《こわ》くねえ! ふざけたことをぬかすな」  荒い息をつきながら、松沢は浩子の顔を思いきり|鞭《むち》|打《う》った。  今度は浩子は気絶した。 「ふざけやがって、俺様が怖いもんなんかあるもんか」  松沢は鞭を放りだし、|椅《い》|子《す》に沈みこむと、スコッチをラッパ飲みした。ジャイアント級のものが見る見るしぼんでくる。  突如立上った松沢は、ベッドのスプリング・マットレスのあいだからベレッタ・ジャガーの自動|拳銃《けんじゅう》を引っぱりだした。 「さあ、来い! どこのどいつか知らねえが、俺様が血祭りにあげてくれる!」  と、わめき、拳銃を振りまわして架空の敵に|狙《ねら》いをつける|真《ま》|似《ね》をする。  ドアのほうを松沢が|射《う》つ真似をした時には恵美子は思わず首をすくめかけたが、拳銃に安全装置が掛かっていることを見ているから、そのまま|覗《のぞ》き続ける。  松沢は拳銃を放りだすと、再び椅子に身を沈め、両手で顔を覆う。肩を震わせて|啜《すす》り泣きはじめた。  恵美子はそのチャンスを見逃さなかった。  |窃《せっ》|視《し》鏡を革のライディング・ジャケットのポケットに収め、針金で棒鍵錠を解くと、静かにドアを開いた。  侵入者にカンづいた松沢は、|怪鳥《けちょう》のような声をあげ、|絨毯《じゅうたん》の上に放りだしてあるベレッタに向けてダイヴィングした。  恵美子のサウンド・サプレッサー付きのサイドワインダーが五度低く|咳《せ》きこんだ。  ベレッタにのばした松沢の右手の指がすべて|千《ち》|切《ぎ》れ飛んだ。  絶叫をあげた松沢は、血にまみれた指の付け根をくわえて転げまわった。恐怖と苦痛で、ザーメンと小便をほとばしらせる。  右手首を左手で握って止血を試みながら、松沢は四つん|這《ば》いになってバッタのように頭をさげた。 「助けてくれ!……死にたくねえ!……あんたがあの“|物《もの》|凄《すご》い男”か?……いや、ちがう……ちがうんだろう? 女みたいだ……」  と、|呻《うめ》く。 「あんたが言ってる男なら、さっき白浜をなぶり殺しにしたわ」  |艶《つや》消しのヘルメットと覆面姿の恵美子は吐きだすように言った。  松沢はいきなり失神した。  恵美子はロープでその松沢の右手首をきつく縛って止血処置をし、その体をベッドの上に仰向けに寝かすと、首にロープの投げ|縄《なわ》を二本掛け、二本のロープの端を頭側のベッドの脚に縛りつける。  乗馬用の|鞭《むち》を拾いあげた。重さとしなり具合から、ピアノ線の|芯《しん》が入っていることが分る。  恵美子はその鞭で松沢の胸を強打した。|肋《ろっ》|骨《こつ》まで傷ついた音がした。  意識を取戻して跳ね起きようとした松沢は、首をロープに絞められた格好になって|苦《く》|悶《もん》した。|脱《だっ》|糞《ぷん》する。 「さあ、しゃべるのよ。あんたたち野崎組と大徳相銀や強盗団との関係を……素直にしゃべったら、命は助けてやるわ」  恵美子は言った。 「あ、あんたは、あの男の仲間じゃないのか?」  松沢は|喘《あえ》いだ。 「そんなこと、あんたの知ったことじゃないわ。さあ、どうする気?」  恵美子は再び|鞭《むち》を振りあげた。 「しゃべる! 何もかもしゃべる……何からしゃべったらいいんだ?」  松沢は泣き声をたてた。 「野崎組は、大徳相銀に頼まれて、強盗団を集めた。大徳新宿支店の大金庫室を襲うための……その事実を認めるわね?」 「認める。だが、そのあと、思いがけぬことが起ったんだ」 「強盗集団を集めるようにと野崎組に依頼してきた大徳側の人間は|誰《だれ》?」 「社長室長の横川常務だ。だけど、|俺《おれ》たちは奴だけでは信用出来なかったから、馬場社長や金谷専務、それに新宿支店長の長崎からも確認をとった」 「大金庫室のダイアル錠のコンビネーション番号は、大徳側から強盗団に知らされたのね?」 「そ、そうなんだ。俺たちを通じてな。大徳と強盗団の首脳は一度も会ってない。ヤバイからだ。だから、強盗団が奪った|金《かね》を持ち逃げしたあと、俺たちは大徳から毎日責められている。俺たちが強盗団に持ち逃げさせたのでないかということで……とんでもない話だ。野崎組のメンツは|丸《まる》|潰《つぶ》れだ。俺たちは大徳から長い年月、じわじわと絞り取ろうと思ってたんで、そんな大バクチを打つ気は無い」 「分ったわ。もし、計画通りに|事《こと》がすんなりと運ばれたら、野崎組にはいくら入ってくることになってたの?」 「三十億……強盗団には五十億の予定だった。だが奴等は五十億では満足せずに……畜生……」 「じゃあ、|肝《かん》|腎《じん》の質問に移るわ。野崎組が集めた強盗団について、くわしく話してよ」  恵美子は言った。 「兵隊や下士官クラスの連中については知らん。だが、リーダーは|黒《くろ》|金《がね》|一《いち》|郎《ろう》という名だ。本名なのか偽名なのかは知らんが……そして、サブ・リーダーは|古《こ》|賀《が》|伸《のぶ》|夫《お》という名だ」 「“C”のワッペンをつけていたのは女のようだった、と生残りの行員が証言しているわ」 「あの女は、|星《ほし》|野《の》|志《し》|麻《ま》といって、強盗団ではナンバー3にランクされている。男にも女にも|惚《ほ》れないという変り者だ。頭が切れるんで、作戦を立てる時に大いに役に立つらしい。今度の持ち逃げも、あの女が計画したのかもな」 「黒金たちと野崎組の関係は? つまり、どうしてあいつらに仕事をまかせる気になったの?」 「黒金たちは、|東関東会《ひがしかんとうかい》と正面衝突して|潰《つぶ》された、|渋《しぶ》|谷《や》の|共栄会《きょうえいかい》の残党だ。共栄会は消えたが、黒金たちは殺しを|請《うけ》|負《お》ったり、銀行や農協や公営|賭《と》|博《ばく》競技場を襲ったりして生きのびてきた。星野志麻は、東関東会に殺された共栄会会長の情婦だった」 「…………」 「何でもしゃべるから、命だけは助けてくれ……|俺《おれ》たち野崎組は、野崎組が直接手をくだすとヤバい殺しに黒金たちを|傭《やと》っていた。これまで奴等が失敗したことは一度も無かった。野崎組を裏切ったことも一度も無かった。だから信用しきってたのに……」 「黒金たちがどこに住んでいるのか野崎組は知ってたの?」 「ああ、表向きの住所もアジトの|隠《かく》れ|家《が》もだ。だけど、あのあと|奴《やつ》|等《ら》は、そのどっちにも寄りつかない」 「いま奴等が隠れているところを、まだ野崎組は発見出来ないでいるのね?」  恵美子は尋ねた。 「そうなんだ。うちの組長は組員に懸賞金を払うことにして必死に黒金たちの隠れ家を突きとめさせようとしている。うちの組員が自動車事故やガス中毒に見せかけて殺されているのは、深追いしすぎて黒金たちに|殺《や》られたんじゃないかと思う」 「黒金たちの写真はあるの?」 「隠し|撮《ど》りしてあった写真が身長や体格の特徴を書きこんだメモと一緒に全組員に配られた。俺に渡された分は、書斎のデスクの|抽《ひき》|出《だ》しに入っている」 「分ったわ。そのままじっとしてるのよ」  恵美子は|狙《ねら》いすまして松沢の男根を|鞭《むち》で引っぱたいた。血が飛び、松沢はあっけなく意識を失う。  恵美子は二階の書斎に移った。|本《ほん》|棚《だな》には歴史や経済のいかめしい本が並んでいた。試しに恵美子が数冊を開いてみると、中味はみんな|S・M《サド・マゾ》物であった。  デスクの抽出しに、ゴム・バンドで束ねた十数枚の写真があった。四つ切りの大判だ。写真の裏に、それぞれの推定身長や体重、体つきの特徴、言葉の|訛《なま》りやクセ、それに趣味や得意の犯行手口、隠れ家、近親者の名や住所などが書かれてあった。  恵美子はそれを持って寝室に戻った。水差しの水を松沢の腹に浴びせる。  身震いしながら意識を取戻した松沢は、 「暴力はいかん!……もうこれ以上痛い目に会わせないでくれ」  と、|呻《うめ》く。 「これがそうね?」  恵美子は写真の束を示した。 「そうなんだ。あとの連中の写真は|撮《と》ることが出来なかった」 「大徳相銀新宿支店を襲わせる前に、野崎組は黒金たちに手付け金を払ったの?」 「車や武器を準備する金が要るから三億の手付けを出せと言われた。大徳に相談したら、すんなり渡してくれた」 「あれだけの人数と大金を運ぶからには、車の数は十台や十五台ではきかなかったでしょうね? 奴等が銀行から大金を運びだすのを野崎組は見張らなかったの?」 「見張らなかったし、尾行もしなかった。もし何かの手違いで警官隊に奴等が包囲された時、野崎組が一緒に網に引っかかったんではまずいからだ。奪われたことにした現ナマや債券は、大徳の本店に戻される前に、長野市にある大徳の社長馬場の、お城のような屋敷に運びこまれることになっていた。だから|俺《おれ》たちは、間抜けにも、馬場の屋敷で強盗団の到着を待ってたんだ」  松沢は|呻《うめ》いた。 「強盗団が野崎組に知られないように用意した新しい隠れ家は、相当の広さが必要だわね。何台もの車を隠すだけでも、かなりのスペースが要るわ」 「俺もそう思う。奴等は現ナマや債券を運ぶのに二十数台のルートヴァンを使った。みんな盗んだ車だ。だけど、サツからの情報では、あの時に使われた車はまだ一台も発見されてないということだ」 「野崎組は警察のなかにも情報ルートがあるのね?」 「…………」 「野崎組は|勿《もち》|論《ろん》、大徳新宿支店の大金庫に運ばれた現ナマの何十パーセントかが|偽《にせ》|札《さつ》だということを知ってたんでしょう?」 「…………」 「どうなの?」  恵美子は|鞭《むち》を振りあげた。 「やめてくれ!……はじめは知らなかった。現ナマが届かないので動転した馬場がそのことを口走ってから、はじめて知ったんだ」 「じゃあ、強盗団もそのことを知らなかったのね?」 「その通りだ」 「奴等が一千億の現ナマと思っていた収穫が実際は六百億と知って、リーダー達に不満を漏らしたり分け前のことで仲間割れをした形跡は無いの?」 「そしたらうちの野崎組も動きようがあるんだが……」 「新中央農林の村上社長が言っていた“|物《もの》|凄《すご》い男”について、野崎組はどれぐらいのことを知っているの?」  恵美子は尋ねた。  恐怖に引きつっている松沢の|目《め》|尻《じり》が|痙《けい》|攣《れん》し、口からは泡が吹き出された。 「村上を|殺《や》ったのはあんただな! |俺《おれ》もしゃべらせてから殺す気なんだ!」  と、|喘《あえ》ぐ。 「野崎組が村上につけてあったボディ・ガードを|殺《や》ったのは確かにわたし……そうでないと村上に近づけなかったから。でも、村上と情婦を|殺《や》ったのはわたしじゃないわ」  恵美子は抜け抜けと答えた。 「じゃあ、あの二人を|殺《や》ったのは|誰《だれ》だ!」 「それこそ、例の“物凄い男”じゃないのかしら。わたしは村上から情報を取ってから、命は取らずに、縛ったままにして退散したわ。だから、ラジオやテレヴィや新聞から村上の死を知らされてビックリしたのよ」 「そうだったのか……しかし、実を言うと、俺たちも、あの“物凄い男”については、まったくと言っていいほど知らないんだ」  松沢は震えながら答えた。  恵美子はさらに半時間ほど松沢を尋問し、ナイフで|延《えん》|髄《ずい》を|抉《えぐ》って永遠に口を閉ざした。浩子も死の国に送りこむ……。  夜が明けてから、スプロの密使に目黒のアジトで会った恵美子は、これまでに分ったことを報告し、松沢から奪った写真の束を渡した。  スプロは写真を大量に複写し、情報部員に配るのだ。写真の顔やその裏に書かれてあったことは、恵美子の頭脳に確実に記憶されている。  昼過ぎまで恵美子はぐっすりと眠った。それからは、ほぼ六時間置きに、無線ラジオでスプロと暗号交信しながら待つ。緊急の場合には、定時連絡とは関係なく、どちら側からも発信していいことになっている。  三日間が過ぎた。“|物《もの》|凄《すご》い男”も動きを見せてないようだ。  四日目の午後遅く、スプロから緊急連絡があった。新約聖書の暗号コードを左手に持った恵美子は、鉛筆を右手に持って暗号無線を聴く。 「星野志麻らしい女の隠れ家が見つかった。近所の連中の話では、彼女はシェパードと二頭の|狆《ちん》を家のなかで飼っていて、三日に一度ぐらいの割合いで、犬たちの世話をするためにその家に戻ってくると言う。今日がその日に当っている」  スプロの通信係りは言った。さらにくわしく報告する。  交信が終った時は午後五時を過ぎていた。すでに陽は落ちている。  星野志麻と思われる女の隠れ家は、建売り住宅やアパートが多い新興住宅街にあるというから、恵美子は目立たぬ上に小さくて、ほかの車の通行の邪魔になりにくいホンダ・シヴィックの|三《スリー》ドアCXを使った。  無論、ボディの色は地味なブルーに塗り替えられている。一・五リッター・エンジンはCVCCも触媒も外され、低速でのトルクをほとんど犠牲にされずに百二十馬力にチューン・アップされていた。  志麻と思われる女の隠れ家は、|練《ねり》|馬《ま》区とはいっても、埼玉県に近いところにあった。  そのあたりにひろがっている建売り住宅の群れは、二、三十坪の土地に、境界ギリギリ近くまで木造二階の建て物がついているものが多かった。しかし、新興住宅街を外れると、|畠《はたけ》や雑木林が残っている。  志麻のものらしい家は、四十坪ほどの土地にシャッター付きのガレージと狭い庭を取った建坪二十五坪ぐらいの二階建てであった。延べ坪で五十坪ぐらいだ。「|遠《えん》|藤《どう》」という表札が出ていた。  一度その家の前を車で通り、家から灯が漏れているのを見た恵美子は、その家の裏側が観察出来る雑木林に車を回した。  新興住宅街には、まだ勤め帰りの人々が歩いているので、しばらく待つことにする。雑木林と目的の家の裏塀とのあいだには畠があった。  その家のなかには三匹の犬がいるというから、侵入する際には体臭を出来るだけ消さねばならない。  しかし、人間の数万倍の|嗅覚《きゅうかく》を持つ犬に対してそんなことは不可能だから、恵美子はスプロが開発した、人間の鼻には|匂《にお》わないが犬が|嗅《か》ぐと攻撃性を失わせる薬品のスプレーを、黒いジャンプ・スーツに着替えた全身に振りかける。  午後八時になって恵美子は車を出た。ルーム・ライトのスウィッチは、ドアを開いても消灯したままの位置にしてあった。  志麻のほかに、殺し屋でもある強盗団の仲間が隠れているかも知れないから、恵美子は充分な武器を身につけていた。ヘルメットはかぶらず、頭からすっぽりと覆面をかぶっている。  白菜畠の|畔《あぜ》道を、ほとんど音もなく近づいた。あまりゆっくりと近づくと、かえってその不自然な足音を犬たちに不審がられるから、自然な歩調をとる。  裏塀に近づいた恵美子は、家のなかからTVの歌番組がかなりのヴォリュームで流れてきているのを知った。  一メーター半ほどの高さの裏塀であるから、恵美子は助走もなしにそれを乗り越えた。狭い裏庭では、鉢植えの観葉植物が枯れかけている。  建物の裏側はアルミの雨戸が閉じられていた。裏にドアは無い。恵美子は横に回り、隣家との境いの塀とのあいだの幅一メーター半ぐらいの通路をカニのように横に歩く。  スプロの情報収集員は、建売り業者のロッカーにあった図面をフィルムに収めたので、スプロはこの家の見取り図を手中にしていた。  そのスプロから得た情報で|風《ふ》|呂《ろ》|場《ば》だと分る窓には、|鉄《てっ》|柵《さく》のガードがかぶせられていた。恵美子は用意してあったリキッド・レンチの|溶錆剤《ようしょうざい》とドライヴァーを使い、窓の鉄柵を留めてあるネジを、出来るだけ音をたてずにゆるめはじめる。TVの音が、ネジがきしむ音を消してくれることを祈る。      五  やっと|鉄《てっ》|柵《さく》を外し終えるまでに十数分かかった。  次はアルミ・サッシの窓のロックを外す作業だ。曇りガラスの破片が落ちて派手な音をたてないようにガム・テープで押さえ、ガス・ライターで熱しておいて、水分をたっぷり含んだ清浄綿をビニールの小袋から取出して当てる。  ピーン、とかすかな音をたてて曇りガラスが割れた。恵美子は割れた部分をガム・テープで外す。  ガラスの破れ目から先を曲げた針金を差しこみ、内側のロックを解いた。そっと窓とビニール・カーテンを開き、薄暗い|風《ふ》|呂《ろ》場に身を移すと、内側から窓を閉じる。  風呂場に一番近いダイニング・キッチンはきちんと片付けられていたが、料理の|匂《にお》いが残っていた。  サウンド・サプレッサーをつけたサイドワインダー短機関銃を片手で構えた恵美子は一階の各部屋を捜し歩いた。  一番奥に、犬用のトイレがあった。コンクリートの床に幾つもの|煉《れん》|瓦《が》をセメントで|貼《は》りつけたものだ。床のところどころに、排水孔がついている。壁には水道とホースがあった。  居間にある、かなりのヴォリュームのTVに手をつけずに、恵美子は急角度の階段を|這《は》い登った。  犬たちが襲ってきたら、即座に射殺する積りだ。志麻と思われる女が抵抗したら、左右の|肘《ひじ》を射ち砕いておき、車に乗せて目黒の|隠《かく》れ|家《が》に運んでゆっくりと尋問する。  二階の廊下にたどり着いた恵美子は、突当りの部屋から、中年近い女のよがり声が漏れてくるのを聞いた。  廊下を|這《は》った恵美子は、まずほかの部屋のドアの下の|隙《すき》|間《ま》から|窃《せっ》|視《し》鏡を差しこんだり、盗聴器を当ててみたりして、隠れている者がいないことを確かめた。  突当りの部屋のドアの前に這い寄り、中腰になると、ドアの|鍵《かぎ》|孔《あな》から、そっと窃視鏡を差しこむ。  三方が鏡張りになった、窓が無い洋間であった。|絨毯《じゅうたん》が敷かれたその部屋に、ほとんど家具は置かれてなかった。部屋の隅につけられたビデが目立つ。  志麻と思われる女は素っ裸で四つん這いになっていた。三十二、三歳だ。退廃的な顔と、いくらかたるんだ体を持っていた。  女は首に|褐色《かっしょく》の犬の毛皮をゆるく|捲《ま》いていた。  そして、女の上には大柄なシェパードが乗り、前脚で女の腰を抱えて激しく腰を振っていた。女の胸の下では、二匹の|狆《ちん》がバターやラードを塗ったくった乳房を|舐《な》めていた。  女は悲鳴に近いよがり声をたてながら、鏡に写るシェパードとの結合部を|恍《こう》|惚《こつ》と見つめていた。  赤紫のシェパードのポールの付け根が、犬類特有の兆候を見せて、ボールのようにふくれあがった。ザーメンが外に流れだすのを防ぐメカニズムだ。  |唸《うな》り声をあげたシェパードは、女の首の毛皮に|噛《か》みついた。ボールのようにふくれあがった部分まで埋没させる。  女も動物的な唸りをあげた。シェパードは唸り続けながら、これも犬類がクライマックスに達した時の特徴である足踏み運動に入る。たっぷり注ぎこんでいる|筈《はず》だ。  女はぐたっと腕の力を抜いて顔を|絨毯《じゅうたん》につけた。  押し|潰《つぶ》されそうになった二匹の|狆《ちん》が女の胸の下から抜け出た。一頭は白と黒、もう一頭は白と茶のマダラであった。二頭とも小さな体に似合わぬ大きさの、真っ赤なものを|剥《む》きだしにしている。  白と黒の狆のほうがもう一頭の狆より優位にあるらしい。白と茶のマダラのほうに乗りあげて|牝《めす》のように扱った。白と茶のほうは、屈伏して背を丸める。  シェパードのほうは、噛んでいた女の首の毛皮を放し、ぐったりとなった。女の背に|顎《あご》を乗せる。  しばらくしてシェパードは女から降りたが、連結したままであった。ボール状のものが女のなかで引っかかっているのだ。シェパードは女に|尻《しり》を向ける。  シェパードが動くごとにうしろに引っぱられる女は、再び声をあげはじめた。  恵美子はパンティが|濡《ぬ》れているのを自覚しながら、|鍵《かぎ》|孔《あな》からそっと|窃《せっ》|視《し》鏡を抜いた。ドアのノブを試してみる。  ロックはされてなかった。恵美子はドアを細目に開くと、体を室内に滑りこませる。うしろ手でドアを閉じた。左手でフラッシュ付きのポケット・カメラを出し、発光スウィッチを入れた。  いかに|嗅覚《きゅうかく》と聴覚に頼る犬といえども盲目ではないから、シェパードは恵美子のほうに振り向いて唇を|吊《つ》りあげた。鋭い|牙《きば》を見せて|唸《うな》る。  |狆《ちん》のほうも跳び離れた。うるさく|吠《ほ》えながら、恵美子に突っこんでくる。  サウンド・サプレッサーを通した二発の九ミリ弾が二匹の狆を即死させた。  本物の悲鳴をあげた女は、二メーターほど離れた|椅《い》|子《す》のほうに|這《は》い寄ろうとした。椅子の上に、ガウンと|拳銃《けんじゅう》が乗っている。  だが、シェパードが恵美子を襲おうとするので、それに引っぱられて、なかなか椅子に近づけなかった。  素早く横に回りこんだ恵美子は続けざまに三回フラッシュを|閃《ひらめ》かせた。カメラを|仕《し》|舞《ま》い、椅子の上の|拳銃《けんじゅう》——ブローニングの口径〇・二五の小さく平べったい自動|装《そう》|填《てん》式——を自分の弾倉帯に差しこむ。  シェパードのボール状のものは女のなかで巨大にふくれあがっているらしく、抜くことが出来なかった。恐怖によってもそれがなかなか縮小しないことは、街頭で|番《つが》っている犬に水をぶっ掛けたり棒で殴りつけたりしても効き目が薄いことでも分る。 「畜生、ジョン、|噛《か》み伏せるのよ!」  女はわめいた。自分から|這《は》ってバックする。女を引っぱりながらシェパードは恵美子に襲いかかってきた。  サイドワインダー短機関銃の引金に掛かっている恵美子の中指が引かれた。低く鈍い銃声と共に発射された九ミリ弾が、ジョンというシェパードの|眉《み》|間《けん》を貫いて胴体にくいこんだ。  悲鳴をあげることも出来ずにジョンは即死した。サウンド・サプレッサーでエネルギーを弱められてなかったら、銃弾は女にまでくいこんだことであろう。 「畜生……|誰《だれ》よ、あんたは!」  ヒステリーの発作を起した女は、|物《もの》|凄《すご》い顔付きになってわめいた。 「あんたは星野志麻だわね?」  |椅《い》|子《す》に腰を降ろした恵美子は、機関部の下に添えてのばした人差し指でサイドワインダーの|狙《ねら》いを女につけながら静かに言った。 「知らない! 知るもんか、そんな名前!」  女は叫んだ。 「じゃあ、あんたの名前は?」 「言う必要がない!」 「いい格好ね。犬の死体とつながったままなんて。もう一回記念写真を|撮《と》ってあげるわ」  恵美子は左手で黒いジャンプ・スーツのポケットからカメラを引っぱりだした。 「このアマ!」  歯を|剥《む》きだした女は必死に立上った。やっとシェパードの死体と離れることが出来る。シェパードが残したものをこぼしながら恵美子に素手で|掴《つか》みかかってくる。 「いい加減にしてよ」  立上りざま恵美子は、女の恥骨を|蹴《け》り砕いた。女は声も上げずに|尻《しり》|餅《もち》をつき、仰向けに|昏《こん》|倒《とう》する。  恵美子はその手足を用意してきたロープで縛った。目隠しをし、猿グツワも噛ませる。ガウンと二階の寝室から運んできた毛布でその体を包み、左肩にかつぎ上げる。  女をシヴィックの狭いトランク・スペースに押しこみ、恵美子が目黒平町の隠れ家に戻ってきたのは、それから一時間もたってなかった。  シヴィックを庭のなかにある広いガレージに突っこみ、シャッターを降ろす。シヴィックのハッチバック・ドアを開く。  女は無論、まだくたばってはいなかった。しかし、意識を取戻し、傷のショックからか、マラリアの発作時のように震えている。  恵美子は女の目隠しの布を縛り直してから、左肩にかつぎあげ、ガレージの|脇《わき》についたドアを開いて、古びた二階建ての洋館のなかに入った。  留守中に侵入者があったかどうかを|嗅《か》ぎつけようと感覚を|研《と》いだ。だが、第六感に響くものはない。  恵美子は女を地下の一室に運び降ろした。コンクリートが|剥《む》きだしになった殺風景な部屋だ。  そこにあるキャンヴァス張りの簡易ベッドに女を投げ降ろした恵美子は、女の目隠しを取り、猿グツワをゆるめた。毛皮とガウンをはぎ取る。  素っ裸で縛られている女は、寒気が加わって震えを増した。 「あんたは、星野志麻……認めるわね?」  恵美子は言った。 「ちがう。わたしは|遠《えん》|藤《どう》|百《もも》|恵《え》……マッサージ師よ」  女はゆるめられた猿グツワの|隙《すき》|間《ま》から震え声を出した。 「マッサージ師がどうして|拳銃《けんじゅう》なんか持っているのよ?」  恵美子は|嘲《あざ》|笑《わら》った。 「ホテルや旅館の個室に呼ばれた時、わたしをトルコの女扱いにして|捩《ね》じふせようとする客がいるからよ」 「分ったわ。もっと痛い目に会いたいわけね?」  恵美子はサイドワインダーを肩から|吊《つ》った。  棚の一つからガソリン・バーナーを取上げる。振ってみてタンクに燃料が充分に残っていることを確かめ、予熱皿に角砂糖のような固型燃料を乗せた。それにライターの火を移す。  女は|瞼《まぶた》を|痙《けい》|攣《れん》させながら目を固くつぶっていた。  充分にチューブが予熱されたところで恵美子はバーナーの調節ノブを回した。バーナーの火口にライターの火を寄せる。  バーナーから赤黒い炎が噴出した。恵美子はノブをさらに調節し、青白い炎がシューシューと舌なめずりするようにする。  バーナーを持って女の横に戻った。 「寒くて震えているようだから、この炎で温めてやるわ」  と、炎の先端を下腹に近づける。 「分ったわよ。確かにわたし、星野志麻だわ。でも、それがどうしたって言うの?」  女は|呻《うめ》いた。 「大徳相銀の金庫室を襲った時、あんたはナンバー“C”のワッペンをつけていた」 「…………」 「どうなの?」  恵美子は炎をさらに志麻の下腹に近づけた。濃いジャングルが焦げ、悪臭が漂う。  |芋《いも》|虫《むし》のようにもがいた志麻は、 「畜生……どうして知ってやがる? お前は一体|誰《だれ》なんだ!」  と、|喘《あえ》いだ。 「尋問してるのはわたしのほうよ。じゃあ、あんたは、大徳を襲ったことを認めたわけね」 「大徳から頼まれたんだ。野崎組を通じてさ」 「そんなことは分っているわ。問題なのは、あんたたちが大徳から奪った金を持ち逃げしたということよ」 「畜生……こんな目に会わせやがって……|呪《のろ》い殺してやる」 「一千億の|筈《はず》の現ナマが、数えてみたらずっと少なかったと知った時は驚いたでしょう? それとも、はじめから知ってたの?」 「…………」 「どうなの?」  恵美子は再びバーナーの炎を近づけかけた。 「やめて!……あんたは悪魔のような女だ……参ったわよ……大徳の馬鹿が、下手な小細工なんかしやがって……だから、わたしたちに持ち逃げされたのは|自《じ》|業《ごう》|自《じ》|得《とく》さ。あんた、大徳に|傭《やと》われたの?」 「ちがうわ。これだけは、はっきりさせておく」 「じゃあ、どこの組織の者よ?」 「それは言えないわ。ただ言えるのは、あのお金がいまどこに隠されているかをあんたがしゃべってくれたら、あんたの命は助けるし、モグリのお医者に傷の手当てもさせる、ということよ」 「誰が信用するもんか!」 「しゃべってくれたら、あんたに分け前を払う、と言っても?」 「|嘘《うそ》つき!」 「嘘か本当か、まだ分りはしないじゃないの? あんたたちが手に入れた現ナマは一体、いくらだったの? それを聞いてから、分け前の額を教えるわ……六百億ぐらいと思うけど、違うかしら?」 「そんなことまで知ってるの!」  志麻は口走り、あわてて口を閉じる。 「そう? やっぱり六百億だったのね? あんたには百億を渡すわ」 「|出《で》|鱈《たら》|目《め》は聞きたくない」 「黒金と古賀を裏切るのが怖いの?」 「あんたが信用出来ないのよ。まだ素顔を見せないあんたが」 「そう? じゃあ、ちょっと話題を変えましょうよ。野崎組や大徳が言っている“|物《もの》|凄《すご》い男”って、あんたの仲間なの?」 「“物凄い男”って?」 「四、五日前にも、野崎組の最高幹部の一人の白浜がなぶり殺しにされたわ……ボディ・ガードたちは即死……」 「あ、あの男ね?——」  志麻の|瞳《ひとみ》が光った。 「そうなのよ。あの男、わたしのボディ・ガード。しつこく|嗅《か》ぎまわっている野崎組の連中を血祭りにあげてるの……今夜はわたしがジョンたちとプレイするところを見られたくないから外で待たせておいたけど、あんたの車を|尾《つ》|行《け》てこの家にもぐりこんでいるでしょうね。さあ、あんた、早く逃げるのよ。ぐずぐずしてたら、あの男に殺されるわよ。ほら、もうそこまで来ている。あんたのうしろにいるわ」 「…………!」  全身を総毛立たせた恵美子は振り返った。心臓が巨人の手に|掴《つか》まったように縮みあがっている。  だが、誰もいなかった。志麻が必死の力を振り絞って簡易ベッドから転げ落ちる音を聞き、ゆっくりと向き直る。  恵美子の恐怖は怒りに変った。志麻の髪を|掴《つか》んで簡易ベッドに引っぱりあげ、足の裏をバーナーで焼く。 「助けて!……冗談だったの」  志麻は|唸《うな》った。 「本当は例の男のことを知らないのね?」 「お願い、助けて!」 「分け前はあげる。だから言うのよ。大徳から奪った|金《かね》の隠し場は? あんたたちの本拠は?」 「町田市の金井町……世田谷—|町《まち》|田《だ》街道からちょっと入ったところよ——」  志麻はくわしい番地を言い、 「そこに、町田スクラップというポンコツ自動車の解体工場があるの。わたしと黒金と古賀は、いつかチャンスがやってくる大仕事と共栄会の再建にそなえて、|山《さん》|谷《や》のドヤ街で手に入れた戸籍を使って、七千坪の土地を持つその工場を手に入れてあったの。今度の犯行に加わった者は、みんな、工場の従業員宿舎に泊らせてあるわ」 「まだ金を分配してないわけね?」 「ホトボリが冷めるまで待たなくては……分け前を渡してしまうと、たちまち警察や野崎組に目をつけられるから……派手に分け前の金を使う馬鹿が出てきた時に……」 「早く分け前を渡せと騒ぐ者はいないの?」 「あそこでは相互監視制度をとっているの。分け前を早く使いたがる者や女が欲しくて暴れたりした者は処刑した。処刑者が増えると、生残りに分け前が増えるので、不満分子はみんな殺された」 「死体は?」 「機械で粉砕し、飼料に混ぜてブロイラーに食わせた。あそこでは三千羽の養鶏場も経営しているの」 「いま残っているのは?」 「二十人ほど」 「犯行に使った車はスクラップにしたのね?」 「…………」 「金は、工場のどこに隠してあるの?」 「本当に分け前をよこす気?」 「あんたの話が本当と分ったら」 「養鶏場の飼料倉庫の地下よ。飼料の袋の山をどかせたら、地下室への入り口があるわ」 「有難う……まず、町田スクラップが本当にあるかどうか確かめてみるわ。しばらく眠っていて」  恵美子は志麻の|頸動脈《けいどうみゃく》を手刀で強打して|昏《こん》|睡《すい》させた。ガウンと毛布で包み、肺炎を起させないようにする。  サイドワインダーを片手で構えながら二階に登った。スプロとの連絡用の無線ラジオがある|納《なん》|戸《ど》の前の部屋に来た時、急に疲れが深まったのを覚える。  スプロに報告する前に頭のなかで報告文を整理することにする。いまいる納戸の前の部屋は防音装置をつけた第二の居間で、小さなホーム・バーもついている。  覆面や手袋を外した恵美子は、小型製氷器から出したキューブ・アイスでジン・トニックを作った。レモンをたっぷり入れたそのカクテルの大きなグラスとサイドワインダー短機関銃をサイド・テーブルに置き、|拳銃《けんじゅう》やナイフなどを|吊《つ》った弾倉帯を床に置いて、|肘《ひじ》|掛《か》け|椅《い》|子《す》に身を沈めた。グラスを口に運び、大きく飲むと|溜《ため》|息《いき》をつく。グラスをサイド・テーブルに置き、イヴのシガレットに火をつける。  深く吸いこんだ煙を吐きだしながら顔を上げた恵美子の呼吸がショックで止まった。  音もなく開いた納戸のドアを背にして、トール・アンド・ダーク・アンド・ハンサムという形容がぴったりくる一人の男が立っていた。  中年だが、すっきりとした長身には|贅《ぜい》|肉《にく》一つついてないようであった。音がしないペンドルトン・ヴァージン・ウールのトルコ・ブルーのウエスターン・シャツの上から、ダーク・グリーンのマッキナウ・シャツを引っかけている。これもウールのフィルスンのバックパッカー・パンツのズボンをはき、ヒールが無いモカシンのシューズをつけている。  微笑をたたえた|秀麗《しゅうれい》な顔は|燻《いぶ》し銀の魅力と共に強烈なセックス・アピールも放っていた。  レズの恵美子は、深い湖のようなその男の瞳に|眩《げん》|惑《わく》されようとする自分を心で|叱《しか》り、サイド・テーブルのサイドワインダー短機関銃に右手を走らせた。  途端に、低いがハラワタにこたえるような銃声が起り、弾倉|枠《わく》がへしゃげた短機関銃が吹っ飛んだ。  男が電光のようなスピードで、マッキナウ・シャツの下にあったヒップ・ホルスターから|抜《ぬき》|射《う》ちした、コルト・パイスン三五七マグナムの消音器付きリヴォルヴァーの威力であった。  |蒼《あお》ざめた恵美子の指から落ちたタバコがサイド・テーブルの上でくすぶった。 「御苦労さんだった。地下室での話は、みんな聞かせてもらったよ」  男の唇から深い音楽的な声が出た。 「だ、誰なの? そう、分ったわ。“|物《もの》|凄《すご》い男”と呼ばれている殺人鬼ね!」  恵美子はかすれた声を出した。身につけているただ一つの武器である、ヒップ・ポケットに入っているディリンジャー拳銃に命を|賭《か》けるか、床に落ちている弾倉帯につけたホルスターに入っているザウエル拳銃に賭けてみようか、と迷う。 「殺人鬼? 君だって目的のためには手段を|択《えら》ばなかったじゃないか? 私の名前は|伊《だ》|達《て》|邦《くに》|彦《ひこ》……君は、スプロのロンドン本部で一度ぐらい私の名前を聞いたことがあるかも知れない」 「伊達邦彦!」 「そういうわけだ。ある事情でこの日本に戻った私は大徳相銀新宿支店で起きた事件を聞いた。これは何か裏がある、と思った。小遣い稼ぎも|一興《いっきょう》だと思って、奪われた金を私のものにすることにした。君はわたしに尾行されていたことを気づかなかったようだな?」 「…………!」  屈辱にカッとなりながら、恵美子は反射的に尻ポケットに右手を走らせた。  邦彦は拳銃の撃鉄を起しただけであった。  恵美子が抜きだしたディリンジャーを邦彦のほうに向けようとした時、消音器付きの邦彦のマグナム・リヴォルヴァーが再び低く|吠《ほ》えた。  恵美子の右手から、ディリンジャーが暴発しながら吹っ飛んだ。恵美子は|痺《しび》れた右手を左手で|揉《も》みながら立上った。  邦彦の拳銃が三たび低く吠え、床に落ちている弾倉帯のザウエル拳銃が破壊された。 「名前を明かした、ということは、わたしを消す気ね?」  恵美子は追いつめられた|豹《ひょう》のような表情で言った。 「迷っているところだ。君はサドで、男嫌いだそうだな。本物の男を知らずに死なせるなんて……」 「|自《うぬ》|惚《ぼ》れないでよ!」  恵美子は突進した。左右のストレートでフェイントを掛け、右の足で邦彦の|股《こ》|間《かん》を|蹴《け》りあげる。  あっさりかわされる。次の瞬間、|頸動脈《けいどうみゃく》に手刀をくらって、急激に意識が遠のいていく……。  意識を取戻した時、恵美子は素っ裸にされ、寝室のベッドに仰向けに寝かされていた。首は熱っぽいが痛くはない。ストーヴに火が入り、ヌードでも寒さは感じられなかった。  伊達邦彦は素っ裸でベッドの|脇《わき》に立っていた。  服をつけていた時には想像も及ばぬほど|物《もの》|凄《すご》い筋骨であった。たび重なる拷問を受けた傷跡が残るマグナム砲には、松の根っ子のようなコブコブがついている。 「|嫌《いや》!」  反射的に|腿《もも》を閉じた恵美子は、両足首が|脱臼《だっきゅう》させられていることを知った。しかし、痛みはない。 「気分はいかが?」  |爽《さわ》やかな笑顔を寄せた邦彦を恵美子は引っ|掻《か》こうとした。気絶している間に、|爪《つめ》が短く切られているのを知る。 「|女豹《めひょう》とはよく言ったもんだな」  |呟《つぶや》いた邦彦はベッドに移った。  邦彦の|喉《のど》|笛《ぶえ》を|狙《ねら》って恵美子は噛みつこうとした。次の瞬間、音をたてて恵美子の|顎《あご》は|脱臼《だっきゅう》させられた。  |唸《うな》り声を漏らしながら恵美子は、両手で邦彦の眼球を|抉《えぐ》り出そうとした。たちまち両手首の関節を外される。  屈辱に|呻《うめ》く恵美子の|内《うち》|腿《もも》をバズーカ砲で|愛《あい》|撫《ぶ》しながら、邦彦は恵美子の乳房をくわえた。 「馬鹿にしないでよ……やめて、くすぐったい」  と言いたかったが、|顎《あご》が外されているために意味をなさぬ声をあげながらも、恵美子ははじめて、犯される快感に全身が震えてくるのを覚えた。  やがて|灼熱《しゃくねつ》した砲が貫いてきた。頭の|芯《しん》まで|痺《しび》れそうになった恵美子は悲鳴をあげ、腕と|脚《あし》で邦彦にしがみつく。邦彦の体重に押し|潰《つぶ》されそうになりながら、夢中で腰を突きあげる。  一時間半後、すでに十数回も大いなる波にさらわれていた恵美子は、最後のクライマックスに達しようとしていた。溶けそうだ。首を絞められ意識が混濁しながらも、未知であった奥深いアクメにすでに達した恵美子の|蜜《みつ》|壺《つぼ》は、邦彦の砲口を子宮に引きずりこもうと、独立した生き物のように動く。 [#地から2字上げ]〈第三話 了〉 〈これらの作品はエンターテインメント・フィクションであり、実在の国家、団体、個人等とはいっさい関係ありません〉 非情の女豹 初出誌一覧 第一話 「汚れた油田」  野性時代一九七七年七月号 第二話 「法王の隠し金」 野性時代一九七九年十・十一・十二月号 第三話 「裏切り」    野性時代一九八〇年二月号 |非情《ひじょう》の|女豹《めひょう》  |大《おお》|藪《やぶ》|春《はる》|彦《ひこ》 平成14年7月12日 発行 発行者 角川歴彦 発行所 株式会社 角川書店 〒102-8177 東京都千代田区富士見2-13-3 shoseki@kadokawa.co.jp (C) Haruhiko OYABU 2002 本電子書籍は下記にもとづいて制作しました 角川文庫『非情の女豹』昭和57年5月30日初版発行            平成 8 年3月15日40版発行