[#表紙(表紙.jpg)] 孤独か、それに等しいもの 大崎善生 目 次  八月の傾斜  だらだらとこの坂道を下っていこう  孤独か、それに等しいもの  シンパシー  ソウルケージ [#改ページ]   八月の傾斜      1  その八月の日の朝、私は確実に何かを失おうとしていた。  本当に何ということもない、いつも通りの朝だった。七時に仕掛けた目覚まし時計が鳴る寸前に目を覚ましたことも、目覚めたときに胸の中できつく枕を抱いていたことも、寝室の横を通り過ぎていく路線バスの排気ガスの微《かす》かな匂いを感じていたことも、朦朧《もうろう》とした頭を振りながら鳴るはずもない電話を無意識に眺めてしまったことも、おそらくはいつも通りだった。ベッドから弾みをつけて跳ねるように飛び出して、パジャマのズボンだけを脱ぎ捨て、洗面所で歯を磨いた。鏡に飛び散る歯磨き粉の痕《あと》を不快に感じたことさえも、自分らしい朝のはじまり方だった。  歯を磨き、それから顔を洗う。  鏡には二十七歳にしては幼く、のっぺりとした顔が映っている。十四歳の誕生日に嫌いになって以来、十三年間大嫌いな顔だ。  その顔にやっとの思いで口紅を塗る。鏡の表面に飛び散った歯磨き粉の白い痕をたどりながら、塗りつぶしていく。子供のころ、鉛筆で点をなぞりながら何かの形を描きあげていく遊びをしたことがあった。それが何という遊びだったのか、そもそも何のためにそんなことをやったのかもうまく思い出せなくて、軽い眩暈《めまい》がする。とにかく点と点を結ぶと、単純な絵が浮かんでくる。点の上にふられている数字の通りになぞっていけば、ドナルドダックか何かの下らない絵ができあがった。  それは半日分の自分の唇が描きあがることによく似ているし、きっと同じくらいにどうしようもなく下らないことなのだと思う。  鏡で右の耳を映してみる。  昨日の朝と、何ひとつ変わっていない。次に左の耳。見る限りは何の変化もないので左手の指で軽く押さえてみる。そうすると辛うじて、昨夜会社の帰りに寄った渋谷《しぶや》で、発作的に開けたピアス穴の鈍痛を感じた。  ベーコンを適当に炒《いた》めて、食パンを齧《かじ》る。炒め過ぎたベーコンは、やはりバスの排気ガスのような匂いがした。  それから会社に向かう。  4という点の駅に向かい、鉛筆のかわりに電車が線を引く。それから5という点の駅で地下鉄に乗り換えて6で降り、歩いて7の地点の会社に到着すれば、いつもと変わらない絵が描きあがる。鉛筆で描いたドナルドダックと同じようにきっと誰も見たくないようなつまらない絵だ。  入社して五年になるが、自分は今までにいったい何枚の同じ絵を描き続けてきたのだろう。そしてこれから先、何枚の絵を描くことになるのだろう。  日めくりのカレンダーをめくるように、私は一日一枚の絵を描きあげては、それを破り捨てていった。入社して五年もたてば、破り捨てる瞬間に感じていたはずの疼痛《とうつう》すらも、まるでセロハン紙のように薄くなってしまっている。  大学を卒業して都市銀行に就職した。その銀行が証券会社と合併して、いつのまにか株取引の受注をやらされるようになった。しかし、新会社はうまくいかなかったようで、今は人材派遣の新部署で働いている。最初の勤務先となった銀行と、次の証券会社と、そして今の人材派遣会社は同じ大通りに面して並んでいる。だから正確に言えば私の描いているドナルドの絵は少しずつ形を変えていたことになる。しかしドナルドの嘴《くちばし》が少しだけ長くなったり短くなったりしたところで、それは私にも、そして誰にとっても本当にどうしようもないくらいにどうでもいいことなのだ。  銀行の仕事も証券会社も、今の仕事も好きになれない。ただ九時から五時までの時間が、コンピュータの画面を眺めるふりをしながら過ぎていくだけのことだ。しかし、そんなことでも会社には何らかの利益をもたらしているのだろう。その証拠に口座には毎月給料が振りこまれてくる。  会社の椅子に座りモニターを眺めながら、私の左手は無意識に左耳を押さえている。皮膚の上にできた小さな穴を私は感じ、そして少しだけ気持ちが明るくなる。ほんの少しだけ。  私は何を失ったのだろうか、あるいは今日一日という時間をかけて何を失っていくのだろうか。  指先に伝わる見逃してしまいそうな些細《ささい》な感触を確かめながら私は考える。ここに、こんなに小さな穴を穿《うが》ったことで、いったい私の何が変わっていくのだろうかと。  その言葉を何の脈絡もなく思い出したのは、昨夜の新宿での早津との退屈きわまりないデートのときのことであった。 「人間の耳たぶには信じられないほど大切な神経が通っていることがある。だからピアス穴なんか開けないほうがいいに決まっているんだ」  油まみれのスペアリブを齧りながら、アフリカ料理レストランで早津と向き合っている私の脳裏に何度もその言葉が蘇《よみがえ》っていた。  それは高校三年生のときに聞いた大久保君の言葉だった。  札幌市の中央を分断するように流れる豊平《とよひら》川の土手に座り、草をむしりそれを風に流すようにしながら、大久保君は私の顔をチラリとも見ずにそう言ったのだった。堤防の草むらの上に座る二人の視線の先では、真っ青な空の色を映した水がとどまることもなく流れ続け、太陽の光を反射して輝いていた。まるで空や光そのものが上流から下流に向かって流され続けているようだった。  流されていった空はどこにいってしまうのだろう。そう思って大久保君の横に座る私は、何度となく空を見上げてみた。  何度見ても空はそこにあった。  光も少しも移動することなく空の中にあって、それは私たちに向かって変わることなく降り注ぎ続けていた。  ピアス穴を開けようと思っているという私の言葉に大久保君は、間髪入れずにそう答えたのだ。 「大切なものを失くしてしまうよ」と。  大久保君とは中学二年のときからの付き合いだった。中学のころ、大久保君はロックバンドのリードギターとバスケットボール部のキャプテンをやっていた。女の子たちの憧《あこが》れの的のような存在だった彼が、どうして私を選んでくれたのかはわからない。  私は他の女の子たちとは少し違っていて、大久保君をそんなに積極的に好きだったわけではない。 「祐子《ゆうこ》は誰が好きなの?」と聞かれたときに「特にいない」と答えるのが面倒くさかったから、誰に聞かれても納得してもらえるように「大久保君」と答えていただけのことなのだ。そう答えておけば「ああ、やっぱり祐子もそうだったのかあ」と笑われてその問答は終わってくれた。  だから放課後に大久保君からグラウンドに呼び出されて「僕も石田のことが好きだよ」と言われたときには嬉《うれ》しいというよりもポカンとしてしまった。大久保君はそう言うと、ゆっくりと私に向かって右手を差し伸べてきた。たったそれだけのことで私の心臓は信じられないようなスピードで高鳴りをはじめてしまった。ドクッ、ドクッという体の中をつき抜けるように響く心臓の音を感じながら、自分はこの人のことが好きなのだと私は初めて理解した。  だから私もゆっくりと右手を差し伸べた。  二人は手と手を握り合った。震える指先でお互いの指に触れ合った。  私の右手は大久保君の鼓動を感知していた。それはまるで電流が通されたような感覚だった。大久保君の感情が指先から流れこみ、体の中で私の感情と合体して新しい何かに生まれ変わった。それは再び私の指先から大久保君の体の中に入りこみ、また新しい何かに生まれ変わっていく。そんなふうに二人の中を今までに知らなかった感情が循環しはじめたのである。  二人の間を駆け巡る感情は確実に交じり合い、増幅し、刻一刻と新しい何かに変化していく。めまぐるしく、温かく、そして息苦しく——。  中学、高校時代を通じて私はその瞬間のことを密《ひそ》かに誇りに思っていた。  私たちのすべては、握手からはじまったのだ。たったそれだけのことで、私たちの間には確実に電流が流れ、瞬間的にまるで超能力のようにお互いのほとんどのことを感じ合い理解することができたのだ。  高校に進むと、大久保君はバスケットもロックバンドもやめてしまった。女の子みたいに髪を肩まで伸ばしている以外は、まったく平凡などこにでもいる男子高生になっていた。私はそんな大久保君のことがもちろん嫌いではなかった。むしろ誰からも騒がれることのなくなった彼を、ますます好きになっていった。  中学三年の卒業の間際に、私は大久保君にキスをせがんだことがある。クラスメートの百合子《ゆりこ》から、中学時代の二年間を付き合った記念にキスくらいしてもらったらと言われたからである。 「百合子は?」 「なに?」 「彼にどうしてもらったの。中学卒業の記念は、やっぱりキス?」 「それは、もっともっとよ」 「もっと、もっと?」 「うん。もっともっとすごいことよ」  そう言う百合子の瞳《ひとみ》が美しく透明に輝いていて、私はそのことがとても羨《うらや》ましく思えた。百合子もきっと彼から新しい電流を次々と流しこまれてこんなに輝いているのだ。 「キスしてください」と私は卒業がいよいよ近づいた日に、家の近くの公園で大久保君にせがんだ。  大久保君は私の手を優しく握りながら私にこう言った。 「石田」 「はい」 「キスはね……。高校生がやるものだと僕は思う」 「はい」 「だから高校に進学してからにしよう」  次の日にそのことを百合子に話すと、彼女は声を上げてケラケラと笑い転げた。 「ハハハ。キスは高校生かあ。大久保君ってやっぱり可愛いなあ」  そう、大久保君は可愛いと私も思った。可愛いだけじゃなくて格好いいし、それにものすごく男らしい——。  カチャッと目の前の早津がフォークを皿に当てる音をたてた。スペアリブを食べはじめてまだ十分もたっていないのに、彼がその耳障りな音をたてたのは何回目のことだったろう。  早津は決して悪い男ではない。むしろ私の会社ではエリートと目されていて、新入女子社員の間ではいつも一、二番人気を争っている存在である。仕事はどんなことでもそつなくこなすし、スーツやネクタイの選び方にも控えめでいながら目立たない主張を感じさせる。ワイシャツもいつもほんのうっすらと茶味のかかったエジプト綿で統一されている。軽い糊《のり》で仕上げられたそのワイシャツは、夕方になると微かな皺《しわ》が寄ってくる。確かにそんな早津を見ていると、光るような白さでいつまでたっても皺ひとつできないワイシャツを着ている男たちがバカみたいに思えてくることもあった。退社時刻が近づいた早津はまるで皺を着るようにワイシャツを着こなしていて、二十九歳の男にしては、本質的なセンスのよさを感じないこともなかった。 「結婚を前提にして付き合ってください」と何度目かのデートのときに早津から真顔で言われたときには、驚きもあったがそれなりの喜びもあった。都心のホテルの最上階ラウンジでのことで、まるで騙《だま》されていることを諭してくれているかのように、レストランの床はゆっくりと回り続けていた。  私はこんな所をプロポーズの場所に選ぶ早津のことが可愛く思えてしかたがなかった。レストランはちょっとした視線の角度によって東京という街がいかに違ったものに見えるかを、グルグルと回りながら懇々と説明してくれているようだったからである。  次々と出てくるアフリカ料理を食べながら、どうして今日に限って大久保君のことばかり思い出すのだろうと私はそんなことばかりを考えていた。回転を続けるホテルのラウンジでプロポーズされてから、これが四回目のデートだった。  早津はゆっくりとした動作でクスクスを口に運ぶ。そんな彼を見ながら、スペアリブの食べ方はなっていなかったけれど、クスクスを食べる姿は悪くないなと思った。  バンドとバスケットをやめた大久保君は詩を書きはじめた。最初は自分の作ったメロディーにつけるための歌詞だったのだが、続けているうちに詩を書くこと自体が面白くなってしまったようだった。大久保君は大学ノートに何冊も書き連ねた詩を、公園のベンチでときどき見せてくれた。  大久保君の書く詩が、私は好きだった。  そのほとんどは今となっては思い出すことができない。でも本当に何でもないときに不意に断片的な言葉が蘇ってくることもある。 [#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]   時間がもしブーケガルニみたいなものだったとしたら。   過ぎていく日々が、束ねられたハーブのように誇り高く自由なものだったとしたら……。   僕も君も、もっといきいきと生きていける。   もっと、もっとだ。 [#ここで字下げ終わり]  私と大久保君がはじめてキスをしたのは高校一年の秋の文化祭だった。いつものように豊平川の川原に座って草をむしる大久保君に私から唇を差し出したのだ。  そのとき、大久保君はぎょっとしたように明らかにひるみ、目を丸くした。 「だって高校生がやることでしょう」 「うん」 「私たち高校生でしょう」 「うん」  唇を重ねたとき、大久保君の吐息は熱風のように熱かった。それを自分の口に感じながら私は大久保君のことをもっと知りたくなった。私のまだ知らない彼の色々な部分を、知ってみたいと心の底から感じていた。  もっと、もっと。  誇り高く、そして自由に。  何度繰り返しても大久保君は少しもキスが上手にならなかった。それでも、そうしている間は毛布にくるまっているような幸せな感触があった。その後に何人かの人とキスをしたけれど、私を毛布にくるんでくれたのは大久保君だけだった。  何度目かのキスをしている間、私は乳房に大久保君の手を導いたり、太股《ふともも》の内側に手のひらを誘導したりした。大久保君の手はびくつきながらも、私の指示に従った。ジーンズの中で大久保君の性器が鉄のように硬く、熱くなっているのを感じた。私はそれをデニムの上から、何度もなぞった。  私が自分の下着の中に大久保君の指先を招き入れようとしたとき、それまでの軟弱な許容を完全に排除したような口調で彼はこう言った。 「それは大学生がすることだよ」と。      2  会社の椅子に座り、パソコンのモニターを眺めながら、私はいったい何を失ってしまったのだろうかと考える。耳に小さな穴を穿つことによって自分が失ってしまった、あるいは今日一日をかけてゆっくりと失ってしまうかもしれない大切なものは何なのだろうかと。私のその部分にどのような神経が通っていたのだろうか。  オフィスのフロアーは、全体がまるで午後の倦怠《けんたい》の中に埋もれてしまっているように静まり返っている。 「何を失うのよ」と私が豊平川の川面《かわも》を眺めながら大久保君に言ったのは、高校三年の九月のはじめのことだった。 「えっ?」と大久保君は私の顔を怪訝《けげん》そうに見た。 「だからピアス穴を開けることによって、私が何を失うのか教えて」 「わからないよ、そんなこと」 「たとえば何かの言語?」 「そうかもしれない」 「ある音階とか?」 「それもありうる」 「子供のころの記憶?」 「うん。だって君の耳たぶにどんなことにつながる神経が走っているのか、あるいはいないのかなんて誰にもわからないもの」 「でも何かを失うのね」 「その可能性はある」 「何を?」 「だから、僕が言いたいのは、失うってことは、それは本当に喪失してしまうことだから、きっと失ってしまったあとでは何を失ったかすらわからないんじゃないかな。それが失うということだから」 「ふーん」  九月の札幌の風は肌に冷たかった。体を赤く染めたとんぼが、うるさいくらいに私たちのまわりを飛び交っていて、夕陽が川面を赤とんぼたちよりも少しだけ薄い赤に染めはじめていた。  私は上流から下流に流れていく朱色に輝く光の帯を眺めながら、何度も空を見上げた。しかし、何度見たところで夕陽も夕焼けもやはりそこにあり続け、何ひとつ流されていくものはなかった。  ではあそこに流されていく赤い光の正体はいったい何なのだろう。 「いつ失うの?」  私はしつこく大久保君に食い下がった。 「穴を開けてから二十四時間のうちに」 「本当?」 「確かそのはずだよ」 「本当に、本当?」 「ああ」 「じゃあ、やめようかな」と私は言った。 「きっとそのほうがいいと思うよ」と大久保君は私の顔を見ずに、川面を眺めながら言った。そこを見つめている大久保君の瞳がオレンジ色に反射していて、その輝きは胸を締めつけるような哀しい気持ちにさせた。  涙が溢《あふ》れてしまいそうだった。 「どうしたの?」と大久保君は怪訝な顔をした。  私は何も言わずにただ子供のようにかぶりを振った。夕陽に晒《さら》されている姿を見ているだけで哀しくなってしまうほどに、私は君のことが好きなんだ。胸の中はそんな気持ちで破裂するほどに膨れ上がっていたけれど、その感情が口から零《こぼ》れでることはなかった。涙となって溢れるばかりなのだ。  二人は言葉もなく、ただ大地が暮れてゆく光景を眺めていた。  大きな夕陽があり、それを反射する川があり、草をむしる大久保君がいて私がいた——。  しばらくすると、大久保君はノートを鞄《かばん》から取り出して私に見せてくれた。表紙にはノート一冊分のタイトルのようなものがつけられていた。 [#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]   僕の手の中の鍵《かぎ》は君の世界を広げるためのものじゃない [#ここで字下げ終わり] 「どうかなあ?」とタイトルを指差して大久保君は自信なさそうに訊《き》いた。 「いいんじゃない」と私は答えた。  語感がよかったし、伝えたいことがとても簡明に表現されているように思えた。そのことを伝えると大久保君は私の顔を見て嬉しそうに微笑んだ。  私は大久保君が好きだなと、その表情を見てまたそう思った。  もちろん彼の持っている鍵で、私は自分の世界を広げてもらうことなど望まない。もし大久保君が手に握りしめている鍵があるのなら、それを大切に使って自分自身の世界を存分に広げたらいい、本当に私は素直にそう思った。心の底からそう思い、そしてそのことに私は一切の疑念を持たなかった。  それから私と大久保君は何度目かの、まだ数えることだって可能なキスをした。私の手は彼の性器を無意識にさすっていた。これを自分の体の中に受け入れてみたいと、キスを交わしながら私は思った。そのとき大久保君はどんな顔をするのだろう。もしかしたら私が今までに一度も見たことのない表情を見せてくれるのかもしれない。  それからこう思う。  きっと大学生になれば見られるのだろう。  香りのいいクスクスを食べながら私は早津に言った。  昨晩のことだ。 「ピアス穴を開けようかなと思っているの」 「へー」 「賛成してくれる?」 「もちろん」 「ずいぶん昔に、一度開けてみようかと思っていたことがあるんだけど、そしたらね、その部分にとても大切な神経が通っていることがあって、何かを失ってしまう可能性があるよって脅されたの」 「彼氏だな」 「まあそんなようなもん」 「単なる迷信じゃない?」 「そうかもね」 「そんなこと気にする必要なんかないさ」 「そう?」 「もし失ったものがあったとしても、その開いた空間に運びこめるものがきっとある」 「そうかな」 「大丈夫」  それは私が早津のプロポーズを受ける決心をした瞬間だった。肉を切るときに皿に音をたてるのはいやだったけれど、それ以外のことはだいたいがまあまあかそれ以上だった。それにエジプト綿のワイシャツさえ揃えていれば、この先何十年一緒に暮らしたとしても、そんなに大きな問題は起こりそうにないだろうという安心感を、早津に感じはじめていたことも事実だった。 「わかりました」と私は言った。 「何が?」 「私と結婚してください」  私がそう言った瞬間に早津が口に含んでいたクスクスが何粒か勢いよく飛んできて、私の頬に当たってテーブルの上に落ちていった。頬に当たるその不思議な感触を感じながら、こんな喜びの表現のしかたもこの世にはあるのかと私は思った。 「本当に?」と早津は言った。 「はい」 「何だか夢みたいだ」  私は彼が自分の頬をつねりはじめないことだけを心の中で祈っていた。それに何といっても夢みたいなのは、クスクスを顔に吹き飛ばされた私のほうなのである。  早津と別れてから、タクシーを飛ばして渋谷に向かった。そして後輩から教えてもらっていた道玄坂の店に行ってピアス穴を開けた。耳たぶに氷を当てて何分か押さえつけ、脱脂綿でアンモニアを塗り、ホチキスのようなものを当てて、カチャンと下ろせばそれですべてが終わりだった。  結婚の承諾と同じくらいにあっけなく簡単に、それでも私は自分の人生に小さな穴を穿ってしまったことを少しだけ悔やみ、道玄坂のショットバーで一人でカクテルを飲んだ。それから渋谷から最終の地下鉄に乗って5の地点で降り、乗り換えて4の地点に戻り、そうやって朝に描いたドナルドの絵の上を逆からなぞるようにして部屋に戻り、ほとんど何も考えずに眠ってしまったのだった。      3  八月に傾斜があることを知ったのは大学三年の夏休みだったと思う。そのことに私は南フランスの原野に立つペンションの窓辺で突然に気がついた。それから六年間というもの、私の八月は毎年のように傾斜を続けている。  大学三年の夏休みに、約一ヵ月をかけて南フランスを旅して歩いた。理由はとくに何もなかったのだが、大学生活の四年間で一度くらいは旅らしい旅を経験しておいたほうがいいかもしれないと思い立ったからだ。いったんそう思いつくと、それは強迫観念のように私を追いたてはじめた。なぜ南フランスかといえば、おそらくたまたま見かけた「an・an」か何かでそこを特集していたからなのだと思う。  パリからTGVに乗ってリヨンまで行き、そこからホテルに泊まりながらゆっくりと南を目指した。雑誌にそういう旅のしかたもあると書いてあったからだ。移動手段は主に乗り捨て自転車と徒歩。疲れ果てている日だけは電車を利用した。リヨンから三週間かけてプロバンスにたどり着いた。そうやって私はフランスの大きな空に囲まれ、乾いた風を体中に感じながらゆっくり、ゆっくりと八月の坂を下っていったのである。  たどり着いたのはプロバンスの原野のまっただ中に立つ小さなペンションだった。老夫婦が二人で切り盛りしているそのペンションに着くと、私はそこを動けなくなってしまった。長旅の疲れももちろんあったが、居心地のよさもあった。  おじいさんが皿に入れてくれる野菜スープを飲みながら、私はこの場所をこの旅のピリオドにしようと思い立った。帰りの飛行機までは一週間以上あったが、それまでは移動することなくここでゆっくり体を休めようと決心したのである。  私の部屋は二階に並ぶ四室の右から二番目だった。窓からはゴッホが描いた絵の通りの大きな糸杉を、一本だけ見ることができた。あとはどこを見ても、ただ原始的な野原が広がるばかりであった。  窓辺の椅子に座って、糸杉の背後の地平線に太陽が沈んでいくのを見ているのが私は好きだった。巨大で真っ赤な夕陽はまるで悲鳴を上げているように悲しげに大地の中に姿を埋《うず》めていく。それは自分が表現することのできなかった、哀しみの塊を私のかわりに叫び続けてくれているような気がした。その塊は地平線の中に完全に姿を埋没させたあとも、空を狂おしいほどに赤く染め上げていた。  太陽が沈んでしまったあとのただ赤いだけの空虚な空。それをただ呆然《ぼうぜん》と眺めながら、私はいったい何度涙を流したことだろう。  二階に並ぶ四部屋のうち、西の端の部屋が空き部屋になった日があって、私はそこに入りこんで日向《ひなた》ぼっこをしていた。南フランスらしいあでやかな色使いをしたベッドカバーや使い古された艶《つや》のいい家具に囲まれた、とても愛らしい部屋だった。大きな出窓があり、私はその前に置いてある椅子に座りこんでいつのまにかうたた寝をしてしまっていた。  出窓にはいくつかのドライフラワーが並べられていて、それらはほのかな優しい香りを放ち続けていた。  どのくらいの時間、眠ってしまっていたのだろう。私は背後に人の気配を感じて目を覚ました。 「この部屋がお気に入りかい?」とペンションのおばあさんが言った。 「ええ、とても」と私は答えた。 「だったらこの部屋に移ってもいいわよ」 「本当?」 「ああ。あなたがここのほうがいいのならどうぞお好きにおし」 「きれいですね」 「何が?」 「このドライフラワー」 「ドライフラワー?」 「そう、この出窓の花束」 「それはね」とおばあさんは微かな笑みを顔に浮かべながら私にこう言った。 「ブーケガルニというんだよ」と。  おばあさんが戸を閉めて部屋を出ていったあと、私はへたりこむようにして出窓に並べられたブーケガルニの束を眺めた。カサカサに乾燥したハーブの束は、まるでミイラのように死んでいた。その姿は私が想像していたブーケガルニとはあまりにも違っていた。 「時間がもしブーケガルニみたいなものだったとしたら……」と私は口ごもった。沈みかけている大きな太陽が、死んでしまった花束さえも赤く染めている。  そのとき、私の目の前に巨大な坂が現れた。そして私は必死にその坂を転げ落ちないよう足を踏ん張っていた。それが、八月の傾斜が自分の前にはっきりと姿を現した瞬間だったのかもしれない。  結局、私と大久保君がセックスをすることは一度もなかった。大久保君が大学へ進学しなかったからである。  高校三年の九月、私はピアス穴を開けることに反対した大久保君とキスをした。それから彼は大学ノートの一ページを破り、それを几帳面《きちようめん》に折りたたんで、寝る前に読むようにと言って私にくれた。はにかんだ大久保君の顔を見たとき、私は本当にどのくらい彼のことが好きなんだろうと胸が一杯になった。  石田祐子は大久保|直人《なおと》をどのくらい深く深く愛しているのだろう——。  その夜、大久保君からもらった紙の切れ端を机のビニールマットの下に大切に挟みこんで、私は受験勉強をしていた。マットに挟んだ紙切れを開くのは、英単語と熟語をそれぞれ五十個ずつ暗記したときのご褒美だった。  午後十一時に父親から呼ばれた。階段を駆け降りていった私に父は難しい顔をして受話器を手渡した。  高校のクラスメートからだった。  用件は極めて簡単なものだった。  大久保君が学校の帰りに自転車ごとダンプカーに潰《つぶ》されて死んでしまったというのだ。  最後に彼女が一際高い声で言った「即死」という言葉が私の胸の中で反響を続けた。  父に頼みこんで、私は大久保君の遺体が安置されている警察病院に連れていってもらった。弁護士という父親の職業を私は子供のころから誇りに思っていたし、きっといつかは自分もそのような仕事をするのだと信じこんでいた。自分で培った学問や知識を使って、弱い者を助ける。しかし、大久保君の死の前では弁護士もそれを目指している娘も何の役にもたたなかった。  霊安室の前のベンチに座っていた大久保君の父親に、遺体と対面させて欲しいと私は頼んでみた。中学からのガールフレンドだったのだと。 「やめたほうがいい」と父親は吐き捨てるように言った。そしてそれきり言葉を閉ざし、何も話さなくなってしまった。  私は所在なく病院の暗く長い廊下の片隅に立ち尽していた。この扉を一枚隔てた向こう側に、死んだ大久保君がいるのかと思った瞬間、私は自分の身の周りにあるありとあらゆるものが、ひどく非現実的なものであるような感覚に囚《とら》われ、激しい嘔吐《おうと》感と眩暈に襲われた。  頭上では切れかけた蛍光灯がジーッという神経を焦がすような音をたてていた。灯《あか》りが切れるたびに私は現実に戻り、そしてそれが点《つ》くたびに非現実に入りこんでいくような錯覚に陥り続けた。しかし次の瞬間には点灯が現実で、消灯が非現実のように感じ、それを繰り返しているうちに何もかもわけがわからなくなってしまっていた。  大久保君が好きだと思った。  どんなにぐちゃぐちゃに、壁にぶつけられて潰されたトマトのようになっていたとしても、遺《のこ》されたどこかの肉片を抱きしめ慰めてあげたい。  ありがとう、楽しかったよと言ってあげたい。  しかし、こうも考えた。扉の向こうに横たわっているのは、もうすでに大久保君ではなくて別の物体なのだ。  そう思った瞬間に私の頭は激しく混乱した。  どこが現実で、そしてどこからが非現実なのだろう。それを隔てているのは、この開くことのない、薄く愛想《あいそ》のない扉一枚なのだろうか。  大久保君は自分の世界を開くための鍵で、いったいどんな扉を開いたというのだろうか。私の世界を広げるためのものではない、という言葉は何を意味していたというのだろう。  あの詩は私を謳《うた》ったものだ。  だから大久保君はそれを私に見せてくれた。  たとえ大久保君の開いた扉がこのような残酷なものだったのだとしても、その鍵を使って私も一緒にそこに連れていって欲しかった。  私はそれで構わなかった。 [#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]   祐子、勉強頑張れよ。   大学に行ったら、干しぶどうの数くらいセックスをしよう。   おやすみ。 [#ここで字下げ終わり] [#地付き]直人     千切られた大学ノートに書かれてあった言葉に私は何を感じればよかったのだろうか。  おやすみ、という静かな言葉が胸に染みた。私が中学、高校を通して愛した人は、その静かな言葉を遺してこの世から消えていってしまったのだ。  翌春、私は東京の大学へ進学した。  目指していた国立の法学部ではなくて、誰でも入れる私立の女子大の商学部に入学した。その大学に通っている自分を想像したことすら一度もなかったけれど、とにかく札幌から逃げたかった。東京という怪物のような大都会の中にまぎれこみ、息をひそめて暮らしたかった。  できることならば何もかもを忘れてしまいたいと思った。大久保君が書いた詩も、数えられるほどのキスも、なしえなかった干しぶどうの数のセックスのことも、川原に座り大久保君が千切った草が風に吹かれて私の頬に当たる幸せな感触も、何もかも。  上京した年の九月、何も感じていない自分に私は気がついた。血が巡らずに動かなくなってしまった手足のように、体中が痺《しび》れ、精神も痺れてしまっていた。喜びも悲しみも、味覚も痛みも、熱さも冷たさも、夢も希望も絶望も死の恐怖も、太陽の明るさも闇の深さも、何ひとつ感じていない自分に気がついた。  私はアパートに敷いた万年床の上で、枕元に洗面器を置いてただ嘔吐だけを繰り返した。何も食べていないのに、次から次へと激しい吐き気に襲われて、洗面器はやがてブリキのバケツに姿を変えていった。二週間以上も立ち上がることさえできなかった。体は痩《や》せ細り、とうに来なくてはいけないはずの生理も一向に訪れない。  バケツの底にはいつも大久保君のふたつの眼球だけが光り、私を睨《にら》みすえているように思えた。その光に向かって私は絞りだすように真っ黄色の胃液を吐き続けた。  私の何が許せないのだろう。  大久保君は暗闇の中を蠢《うごめ》きながら、私に何を要求し続けているというのだろう。  涙と涎《よだれ》と鼻水さえも、やがて涸《か》れはじめていった。私はバケツの中に頭を突っこんだまま、抜き出す気力もなくただ激しく胃を痙攣《けいれん》させていた。これ以上いったい何を絞りだせばいいのだろうかと思いながら。  私が頼れるのは、たった一個のブリキのバケツしかなかった。そこはまるでこの世のありとあらゆるものが吸いこまれてゆく、吸水口のように思えることもあった。  この世の底がこのバケツなのだ。  目に映るすべてのものは、このバケツに吸いこまれていく。このバケツに向かってすべては傾斜している。そして私は今、このバケツが作り出す激しい渦に巻きこまれて逃れられなくなっている。  この世の底の底、このバケツの中で。  私は願った。  君の持っている鍵を貸して欲しい。  たった一度でいいから。  その鍵で、私のこのどうしようもない世界を広げて欲しい。  大久保君。  たった一度でいいから。  ある日、遠のく意識の片隅で私はバケツを蹴飛《けと》ばした。そして眠った。どのくらい眠ったのかわからないほど眠った。すべての感覚は麻痺《まひ》し、一本の指も動かすことができなかった。頭を少しだけ動かすたびに、吐瀉《としや》物で固まった髪がゴワゴワといやな音をたてた。それでも目の前からバケツが消えたことで、いくらかの解放感はあった。ブロックされていた神経の末端が少しだけ解き放たれたような感触だった。  それから悲しくて泣いた。  大久保君がいないこと。  どんなに捜しても、この世の底を這《は》いずり回っても、大久保君はいない。何十時間バケツの底に頭を突っこんで捜し回ったところで、どこにも大久保君はいない。今はもう気配すら感じない。  部屋には酸っぱい匂いが充満している。私は針金のように痩せ細った体を震わせながら泣いた。涙も声もでなかったが、それでも私は泣いた。泣いて泣いて泣き続けた。  大久保君の手の中にある鍵が欲しかった。そしてそれがいつまでたってもこの手に入らないことを思い知って泣いた。  咽喉《のど》は嗄《か》れ果て、暗い目には何ひとつ映らなかった。  ただ布団の中から虚空に向かって手を差し伸べながら、私はむせび続けたのである。  不思議なことに十月が近づくにつれて、体も精神も回復の兆しを見せはじめた。少しずつ血が巡りはじめた体の端々を手でさすり、壊死《えし》している箇所がないかを点検した。  どこも死んでいなかった。  心の底でどんなに望んでいようとも、何ひとつ壊れていなかった。あれほど願ったにもかかわらず、大久保君は私に鍵を貸し与えてはくれなかったのである。  その翌年の九月にも同じことが起こった。  神経衰弱というのが私に与えられた精一杯の病名だった。  三年目にはヨーロッパに旅をした。  そして私は見知らぬ町を歩きながら、この症状が八月からはじまることに気がついたのである。どん底に突き落とされる九月よりも、大切なのは八月の傾斜を見極めて、それに対して注意深く生活をすることなのである。だから私は八月をできるだけ何も感じないようにして過ごそうと決意した。八月という月が何も感じないで過ごすのに適していることが、私にとってのせめてもの救いだった。      4  大学四年の八月に、私は生まれて初めてセックスをした。八月の半ばに自分が傾斜のまっただ中にいることに気がついた私が選んだ、それは最後に近い手段だった。  相手はコンパで知り合った私立大学の学生で、それほど遊んでいるふうではなかった。たとえ遊び人だったとしても、ただセックスをしたいだけのいい加減な男だったとしても私にとってはどうでもよかったのである。  ただ、この傾斜をやり過ごすことができさえすれば。  渋谷のラブホテルのベッドの上で、男は私の性器を指で擦《こす》りながら「おかしいなあ。濡《ぬ》れないなあ」と何度も首をひねった。それから彼は私の足を大きく広げさせ、性器をめがけて何度も唾液《だえき》をたらした。  その瞬間に背骨のあたりに氷のような嫌悪感が駆けぬけた。そしてそんな彼の行為に嫌悪を感じる自分自身を私は激しく責めた。  今は八月なのである。  何も感じてはいけないのだ。  綿の抜けた人形のように私は足を大きく開き、名前も定かではない男の前に体を晒した。男はやがて屹立《きつりつ》したペニスを私の中にゆっくりと挿入しはじめた。  ミシミシという音が聞こえたような気がした。しかし、それだけだった。私は冷凍庫のドアのようにすべてを閉ざそうと試みた。痛みは感じなかった。そのことがもしかしたら微かな誇りと自信を、私にもたらしてくれていたのかもしれない。  私の上に乗り、男は腰を何度か動かす。  ペニスはやがて完全に私の体の中に入りこみ、何度かの往復を繰り返して出ていってしまった。  完全に出ていってしまったあとには、入る前よりももっと大きな穴が開いているような気がした。もうきっと同じ形のペニスではこの空洞が完全に埋まることはないのかもしれない。私がその行為の全体を通して感じたことがあったとすれば、つまりはそういうことだった。 「だって、いいんでしょう」  男が部屋を出ていったあと、ベッドに仰向けになった私は、天井の鏡に映る自分自身に向かって言った。 「もう、私、大学生なんだから」  鏡に映る私は何も身につけていない。頭のすぐ横には男が捨てていったティッシュにくるまれたピンク色のコンドームが置かれていた。 「大久保君。私、セックスしちゃったよ。だって、もう大学生なんだもん」  悲しくもないのに涙がこみ上げてきそうになる。だから私は男がペニスを挿入して、何度か往復して出ていったその情景を何度も頭に思い浮かべることにした。その間、確かに私は何ひとつ感じていなかった。そのことを誇りに思うべきなのだ。たった今、私は冷凍庫のドアを閉ざすことに成功したのだ。  だから、この九月は乗りきれる。  そう信じよう。  鏡の下で私は思いきり手足を広げてみる。  そして、干しぶどうの数だけ、君に抱かれてみたかったなと、もう一度だけ思うことを自分に許し、今度は思いっきり冷凍庫のドアを叩《たた》きつけた。  私はきっと渋谷のラブホテルに横たわり、天井に映る自分自身を眺めながら、こう考えていたのだろう。  死とセロハン紙一枚で辛うじて隔てられているようなどん底の九月。そこに向かう緩やかな傾斜を意図的に狂わせてしまえばいいのだ。このラブホテルの赤いベッドの上だって、九月ほどひどくはないにしても、だけどずいぶんと底のほうにあることには違いない。もしこの位置から転がっていくのだとしたら、いつものような激しい加速がつくこともないかもしれない。  今の私にはそれしか方法が見つけられない。  私は自分の世界を広げるたったひとつの鍵すら持っていないのだから——。  その年の九月を私は一個の洗面器だけで凌《しの》ぐことに成功した。ブリキのバケツはその一ヵ月、台所の流し台の下に置かれたまま、ついに一度も姿を見せることはなかったのだった。  翌春、私は就職した。  それからは、八月を除いてひたすらドナルドダックの絵を描きながら過ごしてきた。年によって八月だけは適当な男を一人選んで、投げやりに体を開くことにした。たったそれだけのことで、私の九月へ向かう精神状態はずいぶんと改善されたように思えた。大学四年から今まで、手の中にある干しぶどうは三個になっていた。それは確かに思い出したくもない、皺だらけで鼻をつくようないやな匂いを思い起こさせる体験だった。私の三度の性体験は、そのどれもがそれぞれに少しずつ違った種類の嫌悪感を体の中に刻みこんでいった。セックスというものは、ペニスという棒を使って嫌悪という火を熾《おこ》すことなのではないかと、真剣に考えることもあった。  たとえそうであっても、よかったのである。  バケツの中に吸いこまれていく恐怖にくらべれば、それでもずいぶんとましに思えたこともまた確かなのだから。  五年間はそうやって何とかやり過ごしてきた八月の傾斜も、今年はそれでは通用しないことを私は体中で感じ取っていた。  だから早津のプロポーズを受けてしまったのかもしれない。その見返りは顔に当たったクスクスの小さな粒だった。でもそれが頬に当たったとき、私は今までよりも少しだけ早津を好きになれている自分を感じていた。小さな温《ぬく》もりを、大久保君が千切って私の頬に当てた草のような頼りないけれど確かな感触を、早津は伝えてくれた。もしかしたら彼だったら傾斜をかわす避難場所くらいにはなってくれるかもしれない。  大久保君が死んでから十年近くがたって、あの九月のどん底が決して彼のせいだけではないことも私は感じはじめていた。私はきっと時間とともに失われてゆくすべてのことに怯《おび》えているのである。すべてを自分から奪い去ってゆく、時間という有無を言わせない力に。  大久保君が恋しいわけではない。  大久保君と過ごした自分自身の姿が恋しいのだ。それはなす術《すべ》もなく、日々、移り変わっていってしまう。二度と取り戻すことのできない記憶の堆積《たいせき》物に、私は勝手に大久保君という名前をつけて呼んでいるだけなのかもしれないのだ。  コンピュータの画面には職を求める人と人材を求める組織の一覧が果てることもなく流れ続けている。私はゆっくりとスクロールしながら、それをもう何時間も眺めている。求めるものと与えられるもののどうしようもないギャップに、砂を埋めていくのがとりあえず今の私がやっている仕事だ。  決して時間はブーケガルニのように流れていくわけではない。タイムやセージやセロリを束ねたように、そんなに調子よく美しく流れていくものではない。  それを知ることのなかった大久保君は、もしかしたら幸せな一生を送ったのかもしれない。  私はときどき南フランスのペンションの出窓に置いてあったブーケガルニを思い浮かべる。それは動き出すことのない時間そのものが凝縮されたようなハーブの束だった。お父さんが見せてくれなかった大久保君の死体よりも、遥《はる》かに死そのものを暗示しているように思えた。その束の上に密やかに舞い下りているものを私は感じた。  死そのもの。  それは一枚のセロハン紙すらも隔てずに私の目の前で夕陽を浴びていた。  ブーケガルニのように時は流れていかない。そのことを大久保君はきっと知っていたのだ。ブーケガルニの正体が決して流れることのない静止そのものであることを。あるいは、それがセロハン紙にさえ包まれていない死そのものであることを。  大久保君は近い死を予感していた。  あるいは確信していた。  だから流れて欲しいと願う自分自身の時間を、ブーケガルニに託したのだ。それ以外には託すものもなく、動かなくなってしまった死に絶えたハーブの束に。  デスクの電話が鳴った。  受話器の向こうから明るい早津の声が聞こえてきた。 「昨日はどうも」 「はい」 「今、大丈夫ですか?」 「はい。今、オフィスは私一人です」 「仕事中に電話をかけて本当に申し訳ないんだけれど、どうしても一言お礼が言いたくて」 「はい」 「僕の申し出を受けてくれて本当にありがとう」 「はい」 「昨日は嬉しくて眠れませんでした」 「はい」 「すごく月並みな言い方だけど二人で協力して幸せな家庭を築きましょう」 「夕食時にはご飯粒が飛び散るような?」 「はは」 「わかりました。精一杯努力します」 「ありがとう」 「早津さん」 「うん?」 「ブーケガルニって知っていますか」 「何それ」 「知らない?」 「聞いたこともない」  その言葉を聞いたとき、心の中の氷の塊が少しずつ溶けていくような気がした。 「じゃあ干しぶどうは好き?」 「大好きだよ」 「よかった。私、昨日早津さんと別れたあとに、渋谷に行ってピアス穴を開けちゃったんです」 「へえー」 「それでもいい?」 「どういうこと?」 「だから私は自分が気がつきもしない大切なものを失ったのかもしれないし、今日中に失くしてしまうかもしれないの」 「それがどうしたの?」 「いい?」 「だから昨日も言ったように、そんなの迷信だろう」 「それでもいい?」 「もちろん」  私は早津と会話を交わしながらコンピュータのモニターを眺め続けていた。まるで津波のように人の名前が次々と際限なく画面の下から上へと流れていった。 「どうしたの?」  言葉を発さなくなった私を心配して早津が小さな声を出した。その声がずいぶんと澄んで聞こえて、それは私の鼓膜から鼻の奥のほうへと抜けていった。 「どうしたの?」 「…………」  押し寄せてくる名前の波を見ながら、私は泣いていた。人の名前が作り出すその波は、今の私にとっての世界そのものなのかもしれなかった。  止めようとしても次から次へと新しい涙が出てきて止まらない。  この世界にはこんなにも私を頼ってくれている人がいるのだ。スコップを持った私が、ギャップを埋めるために放る砂を待っている人たちが。それなのに私は、ただの一度も私を頼ろうともしなかった高校時代の彼に恋い焦がれている。  何十時間も何百時間もの間、私はこのモニターの中に大久保直人という名前を探し続けてきた。そして早津の声を聞きながらも私の目はやはりその名前を無意識に追っている。 「私、ピアス穴を開けたの……」 「どうしたの?」 「ピ、ア、ス、穴をよ……」 「泣いているの?」  私は耳たぶに指先を当てる。  私が失ってしまったもの、あるいは今日中に失ってしまうものは何なのだろう。そしてそれは大久保君の言っていたように、自分には気がつくことのできないものなのだろうか。  本当に失うということは、そういうことなのだろうか。  私の目には八月の傾斜が見えている。  そして、坂を転がろうとする私を体を張って止めてくれる早津を求めている。 「大丈夫?」 「うん」 「本当に?」 「うん、本当に」 「絶対に?」 「うん、絶対に」  どうしてだろう涙が溢れて止まらない。  大久保君、私はこの早津という君の知らない男と結婚します。  そう決心したのです。  明るくて頼り甲斐《がい》があって、ちょっと間抜けなところもあるけれどとてもいいやつです。  だから、それを決心したから私はピアス穴を開けたんです。そうすればもしかしたら、私の一番大切なものを自分が気がつかないうちに消してしまえるかもしれないと思ったから。  ねえ、失うってそういうことなんでしょう?  だから大久保君、今はお願いだから私の側にいてください。本当にお願いだから。もしかしたら明日の朝には、君のことを忘れてしまったことすらも忘れて、バカみたいに鏡一面に歯磨きの白い粉を飛び散らかしているかもしれないんだから。  だからせめて、それまでは側にいて私を勇気づけていて欲しいの。この耳たぶの小さな穴から君が完全に抜けていってしまう、せめてそれまでの間は……。 「じゃあ、今晩また電話します」 「…………」 「本当にありがとう」 「…………」  ねえ、大久保君、聞いている?  だってどんなに、いくら考えたって今の私が失える大切なものって君との記憶しかないんだから。  どんなに、いくら考えたってそれ以外には何ひとつないんだから。 [#改ページ]   だらだらとこの坂道を下っていこう  恋愛にも飽和点があるものなのだろうか。たとえば山でいえば頂上のような場所だ。  恋をして結婚をして子供を作り、人間がそうやって何かに向かって登攀《とうはん》していく生き物なのだとしたら、いったいどこがその頂点となるのだろう。  三十代半ばとはそういうことがわからなくなる年齢なのかもしれない。  二十代は確かに坂を登っているような実感があった。仕事はきつく、経済的にも満たされず、生きていることの何もかもが競争のように思えていた。しかし、自分はまだ目に見えない頂上に向かって一歩一歩進んでいるのだという実感だけはあった。それがおそらくは活力の源だった。  頂上を目指しているという実感がある限り、どんなにつらいことにも人間は耐えられるようにできているのかもしれない。  二十四歳で結婚したとき、僕はこれからは由里子と一緒に山を登っていくのだと思った。区役所に提出した一枚の紙切れは二人の体を結ぶザイルなのだ。僕は会社で毎日、朝から夜遅くまで働き、とにかくがむしゃらに坂を登り続けた。僕がこの山の頂きを目指すことで、由里子もきっと少しずつ標高を上げていくことができるのだと信じこんでいた。  三十歳で子供ができた。  それを境に由里子の顔は、表現できないほどに優しいものになっていった。娘をあやすときに作るほんの一瞬の表情に、神々しい慈悲のようなものすら感じさせることがあった。僕は夜遅くマンションに帰りつき、その親子の姿を眺めていることに幸せかあるいはそれに似たものを感じていた。 「お帰りなさい」  赤子を抱いて部屋のドアを開けた由里子の柔和な笑顔、それを見た瞬間が二人にとっての頂上だったのかもしれないとも思う。  パリ発モナコ行きのTGVは混雑していた。七月半ばはヨーロッパのバカンスシーズンのまっただ中で、都会の人間は地方を、地方の人間は都会を目指して、年に一度の民族大移動が行われる。パリからモナコまで、飛行機ならばわずか一時間ちょっとの距離を、六時間半もかけて電車で移動するのは、そのあおりを受けて飛行機のチケットを入手することができなかったからだ。  東京で大沢|正彦《まさひこ》の訃報《ふほう》を聞いたのが三日前のことだった。大沢は僕と由里子が通っていた大学のゼミの先生で、二人の仲人《なこうど》でもある。三年前に大学を退官して、余生を若いころからの計画通りにモナコで過ごしていた。夢をかなえて老夫婦二人で海を眺めながらのんびりと暮らしていたのである。 「行かなきゃ」と由里子は僕に言った。 「本気?」 「そりゃそうよ。だって私とあなたの大恩人じゃない。大沢先生のお葬式だけはどんなことがあっても行かなきゃ」  日ごろから控えめでどちらかというと引っ込み思案な由里子にしては、めずらしいくらいに毅然《きぜん》とした口調だった。 「僕も?」 「もちろんよ」 「恵美《えみ》は?」 「母に預かってもらうわ」  由里子はその言葉通りに翌日にはすべての手配を済ませてしまっていた。飛行機チケットからパリのホテル、TGVからモナコの宿泊先までをだ。それから二人でせきたてられるように成田を発《た》った。  三十二歳まで僕は確実に坂道を登り続けているのだという実感があった。入社時に新商品開発を担当する部署に配属され、それ以来ずっと同じ場所で働いてきた。大手フィルムメーカーの中でも、そこはエリートが集まるといわれる部署だった。僕はその中で研究員の一人として、いくつもの特許を取得してきた。職場には大学の研究室のようなアカデミックな空気が流れていた。職場はいつも自由が最優先された。自由な時間、自由な研究、そして自由な発想。そんな環境の中で研究者たちは太陽の下、枝を精一杯伸ばす木々のように新しい発見に向かって葉を繁らせていた。  三十三歳の春に初めて人事異動を命じられた。それは、自分のまったく予期していなかった総務部広報課という部署であった。会社の広報紙を編集することが主な役割で、商品開発課ではどんな先端の研究をしているのかを現場の立場にもっとも近い人間の目で紹介してもらいたいというのが、異動にあたっての会社から僕への説明だった。  由里子は子育てに夢中になっていた。子育てというよりも、三歳になる恵美に対する愛情に溺《おぼ》れてしまっているといってもいいほどだった。二人の間では、いつからか恵美のこと以外は話題に上らなくなった。僕は僕でそんなものだろうと、どこかでたかをくくっていた。母性に目覚めた母親には、子供しか目に入らなくなる時期があるものなのだろう。  異動で飲み会が続いた。自分自身もストレスから逃れるために毎日、新宿の酒場に出て飲み歩くようになった。毎夜午前一時、二時、ひどいときには店を出ると空が白みはじめていることもあった。そんな僕を信頼していたのか、あるいは心配していたのかもしれないが、総じて由里子は無関心を装っていた。  異動して三ヵ月たっても気持ちの落ち着き場所をうまく見つけることができず、僕は飲み歩いていた。少しだけ損なわれてしまった職場の自由、たったそれだけのことを受け入れるだけでも、ミカン一個を丸ごと飲みこむような苦痛があった。通いなれた新宿のバーのカウンターにいるときだけは、心のうねりが少しだけ収まっているように思えた。  僕は毎日、喉《のど》に引っかかったミカンを嚥下《えんか》するような気持ちでウィスキーを呷《あお》り続けた。茶碗《ちやわん》が欠けたくらいの自由の損壊を思いながら、その埋めあわせるべき欠片《かけら》を探し求めて。  ある夜、僕は午前三時頃にマンションに戻った。そしていつもはほとんど入ることのない、由里子と恵美の寝室の戸を開けた。  由里子は娘を胸の中に抱えこむようにして寝ていた。遠い街灯の光だけがうっすらと部屋を照らしていた。闇に目が馴《な》れてきたとき、眠っているはずの幼女が暗闇の中でまんじりともせずに僕を睨《にら》みすえていることに気がついた。目を凝らし、もう一度見る。やはりビー玉をはめこんだような黒い瞳《ひとみ》が二つ、街灯の微《かす》かな光を反射している。そんなはずはないと思って、僕は蛍光灯の豆電球を点《つ》けた。 「あら、お帰りなさい」  由里子が僕に気がついて目を覚ました。  恵美は姿勢を微動だにしない。ただ、暗闇の中で輝いていたはずの瞳はいつの間にか固く閉ざされていた。僕は豆電球を消して部屋を出た。それから自室に戻ってウィスキーをストレートで何杯も立て続けに飲み干した。飲んでも飲んでも、目を閉じると暗闇に光るヘッドライトの残像のように、まるで闇に開けられた節穴のような三歳の娘の眼光が浮かび上がってくる。その青白い光は、怒りという意志を光源としているように思えてならなかった。それを振り払うために、僕はウィスキーを呷り続けた。  ある晩、新宿の路上で倒れた。  病院に救急車で運ばれ、急性アルコール性肝炎と診断された。点滴を打ってその場は収まったが、精密検査の結果、肝臓に相当のダメージがあることを知らされ、医者から禁酒を宣告された。三十三歳の秋のことである。確かに体はいつもだるく、酒を飲んだときだけはそれが溶けていくような感触があった。飲むと止まらなくなり、店の顔見知りや後輩に気がつくと絡むようになっていた。背中の筋肉が鉄板を挟みこんでいるように硬く腫《は》れあがっていることは自覚していた。しかしそれも、酒を飲んでいるときだけは柔らかくほぐれていくような気がした。医者に指で背中を軽く押されただけで悲鳴を上げてしまった。肝臓が腫れあがり、それを抑えるために背中の筋肉が硬直しているのだ。 「毎夜、うさぎ跳びをしているようなもんですよ。する必要のない」と医者は苦笑し、本当は入院を勧めるが、まあ酒さえ飲まなければその必要もないでしょうと言った。そして「徐々にここが柔らかくなっていけば快方に向かっているということです」と続けた。  僕は禁酒をはじめた。  不必要なうさぎ跳びを中止した。これ以上無闇に背筋を鍛えることが、これからの人生に役に立つとも思えなかったからだ。  誰かに何かを命令されて自分の行動を制限するというのは、生まれて初めてのことだったかもしれない。  考えてみれば、それが僕が坂道を下りはじめたころのことだったのではないかと思う。  では頂上はいったいいつ、どこにあったのだろうか——。  やはり、あの日、由里子が娘を抱きかかえて僕を部屋に迎え入れてくれた、あの幸せな笑顔を見た瞬間だったのだろうか。でも、それがもし僕らの山の頂きだったのだとしても、僕には何の到達感もなかったし、頂きから見えるはずの風景は何ひとつ見えなかった。  TGVはフランスの優雅に広がる田園地帯の中を疾走している。  座席に埋もれるように由里子は眠っていた。  フランスへ向かう飛行機の中でもホテルでも、ほとんどの時間を由里子は眠り続けていた。「はい、切符」とか「わあ、機内食だ」とか「地下鉄六号線ね」というあたり前の言葉だけを由里子は口にし、それに対して僕は曖昧《あいまい》な返事を繰り返しているだけだった。それ以外の時間は由里子は寝ているか、あるいは備え付けの小冊子に目を通しているかだった。  その間、僕はひたすら赤ワインをちびちびと飲み続けた。半年間の完全禁酒で肝臓は徐々に回復し、医者から少量ならばという条件で酒を解禁された。しかし、酒に対しては本能的な警戒心を持つようになっていた。背中に挟みこんでいた鉄板はいつのまにか消えて失くなり、それは二〇キロも体を軽くしたような快感を与えてくれた。  パリを出て三時間が過ぎようとしていた。窓外には南仏ののどかな風景が広がっている。青空から降り注ぐ光が作り出す鮮明な色彩と、ところどころに点在する糸杉が、南仏特有の景観を作り出している。  由里子は二歳のときに父親を病気で亡くしていた。だから父というものの記憶がほとんどないに等しい。うっすらと覚えているのは病院のベッドで、体に何本もの管を通されて、苦しそうに横たわる姿だけだそうである。父親と訊《き》かれて想像するのは、病室の白と体に通されたビニールのチューブの痛々しさ、うめき声と母親の泣き顔くらいだ。だから、彼ができて本当に嬉《うれ》しいのだと、由里子は僕に言った。大学の校舎へとつながる大きな並木道を歩いているときのことだった。  それから掠《かす》れるような小さな声でこう言った。「長生きしてね。あなたへの私の希望はたったひとつ。それ以外には何もありません」  確かに由里子はその言葉を守った。  その言葉通りに、僕に何の注文をつけることも我がままを言うこともなかった。ただ、生きていて一緒に生活すること、それだけで由里子は普通の女性には味わえない喜びを感じることができたのかもしれない。  僕は新型カメラの研究に追われ、会社の仕事に埋没に近い状態だった。それは自分の生きがいのようなもので、新しいシャッターのシステムをひとつ開発することが、結果的には由里子の何かを豊かにするのだというふうに考えていた。それが、男特有の身勝手な考え方であることは体のどこかでわかってはいたが、しかし仕事に集中できる環境を作ることが自分の務めだという由里子の考えに甘えきっていた。  僕たちの登山口はきっと、あの大学の校舎へ続くゆったりとした並木の下だったのだと僕は思う。由里子のあの言葉を合図に、僕たちはゆっくりと山を登りはじめた。そして、山頂は恵美が生まれた周辺。大沢先生が病院に現れて、娘を抱き恵美と命名してくれたとき、あるいは由里子の父親の墓に孫の顔を見せに行ったときだったのかもしれない。  しかし、それから三年。何があったというわけではないのだが、僕と由里子の間で何かが変わっていった。それは言葉で説明することができない皮膚感覚に近いような何かだった。日常のことは何も変わっていない。しかし、たとえばまったく同じ朝食を由里子が用意してそれを僕が食べたとしても、何かが今までとは違っているのだ。それは味というよりも食感とでもいうべき微妙なもの。  些細《ささい》なことに僕は違和感を覚え続けた。それまでには使ったことのなかったトイレの芳香剤の匂い、台所のグリルにある小さな醤油《しようゆ》の焼けこぼし跡、気がつくとスリッパがムートンの毛に覆われていたこと、そんな類《たぐい》のことである。しかも日を追ってその感覚は強まっていき、やがて僕は違和感そのものの中で生活しているような息苦しさを覚えるようになっていた。しかも、その違和感は巧妙に仕組まれていて、決して言葉で明確に指摘できるような正体は現さないのである。説明のできない違和感がもたらす、説明のできない苛立《いらだ》ち、それがやがて僕たちの生活に見え隠れするようになっていった。完全に聴こえているはずのオーケストラの楽器のどれかが、音を狂わせている。しかし、いくら耳を澄ませてみても、その楽器を見つけ出すことができない。  しかし、そうではないのかもしれないとも僕は考えた。むしろ、変わっていっているのは自分のほうなのかもしれないと。楽器にではなく自分自身の聴力に問題が生じているということも考えられる。異動のショックのこともあった。それにかこつけて酒を浴びるように飲み続け、禁酒を余儀なくされるまでになってしまった。死に物狂いでうさぎ跳びをして、死に物狂いでうさぎ跳びをやめた。  それにくらべて由里子の何が変わっているわけでもない。ただ毎日、僕と娘の面倒を淡々と見続けているばかりである。  闇にらんらんと輝いていた娘の二つの瞳。  あれはもしかしたら酒の飲みすぎによる幻覚か、あるいは単なる錯覚なのかもしれないと僕は考えるようになっていった。その画像は自分の中に残ってはいたが、そう考えるほうがはるかに自然だったからだ。おかしいのは、きっと自分なのだ。  快調に走っていたTGVが突然減速をはじめ、やがて停止してしまった。駅も町も何もない南仏の原野のまっただ中でだった。しばらくは乗客もおとなしくしていたが、二、三十分過ぎたころからがやがやと騒ぎはじめた。  由里子は相変わらず眠っていた。  車内にフランス語のアナウンスが流れた。どうやら進行方向の先のほうで大きな火災が発生し、安全を確保するまで列車は出発できないというようなことを言っている。それを聞いてこれはまいったな、というふうに首をすくめながらフランス人の乗客たちが列車を降りはじめた。モーターが停止してしまったことで、今まで快適に作動していた冷房も弱まってしまい、車両内の温度が急激に上昇しはじめていた。  僕は眠っている由里子を置いて外に出た。  そこは南仏の田園のまん中で、降りると乾いた心地よい空気が全身を包みこんだ。フランス人たちは、線路脇に積んである枕木に寝そべって日光浴をはじめたり、芝生の上で車内でやっていたトランプの続きをしたりしている。輪になって酒盛りもはじまっている。誰かがラジカセを持ち出していて、そこからボブ・マレーのレゲエが呑気《のんき》に流れている。  僕も雑草の上に座りこみ、煙草を吹かしながら空を眺めていた。それくらいしかやることが思いつかなかったからである。  空は広く、緑は鮮やかに広がっていた。どこまでも広がる草原のところどころに糸杉の巨木が点在しているのが見渡せた。  しばらくして電車から降りてきた由里子が僕を見つけ、横にしゃがみこんだ。 「火事だって?」と僕が言うと「マルセイユでらしい。復旧まで二、三時間かかるかもしれないと言っていたわ」とフランス語が少しわかる由里子が教えてくれた。  しばらくすると車掌が降りてきて、外で思い思いのスタイルで時間|潰《つぶ》しをする乗客一人一人にミネラルウォーターを配りはじめた。由里子はプラスチックのコップに自分と僕の分の二杯を貰《もら》ってきてくれた。車掌を取り囲むようにして、乗客たちの笑い声が響き渡る。 「あと何時間かかるんだい?」 「風向きに訊いてくれ」 「随分待たせるね」 「マルセイユの消防士はどうせ怠け者が多いんだろう」  そんなことを言いながら笑い転げている。 「やっぱり、みんなのんびりしているね」と僕は水を持ってきてくれた由里子に言った。 「これ以上急いでもしょうがないよ、なんて言っている人もいた。余裕があるわ」  そう言って笑った由里子の目尻に小さな皺《しわ》ができた。自分も歳を取ったけれども、由里子もいつの間にかこうして歳を取っていたんだなと僕はそれを見た瞬間、しみじみとした愛《いとお》しさがこみあげてきた。考えてみればこんなに明るい太陽の真下で由里子の顔を見るのはまったく久しぶりのことであった。  電車が停止して三時間ほどが過ぎようとしていた。こんなことでもなければ、僕と由里子の間にはお互いの顔の皺を確認する時間もないのかもしれない。僕らは日向《ひなた》ぼっこをし、他愛のない会話を交わしながら電車の出発を待った。 「ボブ・マレーって昔よくかかっていたわね」と由里子は高音が割れる音質の悪いラジカセから流れてくるレゲエに懐かしそうに耳を傾けていた。学生時代にデートでよく通った新宿のレゲエバーで毎日のように流れていた曲だった。それを、南仏の原野のまん中で聴くことになるとは思わなかった。  由里子は静かに僕の手を取り、つないだ。それすらも恵美が生まれてからはじめてのことかもしれない。それから、昔のように僕の胸に頭を埋《うず》めた。それは、二人が付き合い出したころから由里子が好きな姿勢だった。  僕も変わってはいないし、そして由里子も変わっていないのかもしれない。由里子の髪を撫《な》でながら、ふとそう思った。  変わっていることがあるとすれば、僕たちがきっと坂を下り出しているということなのだ。僕は僕で、そして由里子は由里子で、お互いにそのことを実感することがどこか怖くて、だからその事実を迂回《うかい》するために色々な方法で距離を置いていたのかもしれない。僕が感じている違和感は由里子が作り出したものではなく、周りの風景自体が変わりはじめていることに原因があるのだ。  日常にポッカリとあいた落とし穴のような時間に僕たちはいて、その場所からだけは自分たちが登った山の正体が見えるような気がした。初めて、そんな気がした。  だらだらとこの坂道を下っていこう。  胸に埋もれ目を閉じている由里子に、声にならないような声で僕はそう囁《ささや》いた。聞こえたとは思えないが由里子はこっくりと肯《うなず》いた。  長い長い時間をかけて、ゆっくりとこの坂道を下っていこう。二人で登りつめた山を今度は二人で降りていくのだ。途中に何があるのかはわからない、どこまで続くのかもわからない、でも二人でだらだらと下っていこう。今度は降りていく風景を眺めながら。もし降りていく途中で坂道が二つに分かれていて、君が右に僕が左に行かなければならないのなら、それはそれでしかたない。でも、今はまだ道は一本で、二人の体はきっとまだザイルでつながれている。  僕と由里子は手をつないでしゃがみこみ、いつの間にかビキニ姿になっている日光浴の女性たちの姿をのんびりと眺めていた。ときおり風が吹き、いっせいにタンポポが揺れる。その先のすべての風景は静止している。 「発車時刻はマルセイユの風に訊いてくれ」  車掌のミネラルウォーターつきのお詫《わ》び行脚は陽気に繰り返され、南仏の名もない原野にレゲエは響き続ける。 [#改ページ]   孤独か、それに等しいもの      1  孤独を感じたことがない、という孤独をどれくらいの人が理解してくれるのだろうか。それこそが底の見えない黒い沼のように暗く恐ろしい深みであるということを。  私と茜《あかね》がいたところが、つまりはそういう場所だったということに気がついたのは、高校卒業を目前にしたよく晴れた春の日のことであった。学校での退屈な授業を終えた私は、いつものようにぶらぶらとゆっくり歩きながら、家を目指していた。学校のある丘を下りて小川を渡り、大型のダンプカーがひっきりなしに行き交う国道一七六号線の側道を約十分歩き、一度も入ったことのない簡易食堂の角を右に曲がって緑の生い茂る神社を横切る。その先にある小さな公園で、休憩がてらブランコに揺られているときに不意に私はその観念に囚《とら》われてしまったのである。  孤独を感じたことがないという不可解な孤独——。それは底の見えない沼を覗《のぞ》きこんでいるような容赦のない孤独だった。  ゆるやかなブランコのリズムに乗って、赤いスニーカーが揺らいでいた。そのわずか先では、羽化したばかりの紋白蝶《もんしろちよう》が戯れるようにひらひらと飛んでいた。 「それは花じゃないんだよ」と何度|囁《ささや》いても、生まれたばかりの小さな蝶は私のスニーカーにまとわりついて離れていこうとしない。それは自分の中に不意に芽生えてしまった、孤独を感じたことのない孤独という概念が、自分にとってひどく忌まわしく危険なものであると気づいていても、思うようにかき消せないでいることによく似ていた。  風が吹けば蝶は私の足先から離れる。しかしいつのまにかまた舞い戻ってきてしまう。そんなことをもう何度も何度も繰り返していた。  私は誰もいない公園のブランコに揺られながら、少しずつ赤く染まりかけてゆく西の空を眺めていた。学校の立つ丘の上に大きな太陽が沈みかけていた。三階建ての校舎は夕陽を背負いながら、影となって青くたたずんでいた。 「それは花じゃないんだよ」と私は再び蝶に向かって囁いてみる。そして懸命に自分にいい聞かせている。それが花ではなくて赤いスニーカーであるように、この胸に芽生えた感情は孤独ではなくて、きっとそれとは別のものなのだと。  小学校五年のときに茜がまるでひきつけを起こしたように泣き出した日のことを思い出す。いくらなだめても慰めても決して消えていかない恐怖に歪《ゆが》んだ妹の顔。別に私は茜をいじめたわけではない。  ただ、こう言っただけだ。 「私は茜よりも三分だけ早く生まれたんだから、きっと三分だけ早く死ぬんだよね」  正確には覚えていないけれど、きっとそのころに流行《はや》っていた白血病か何かで死んでゆく女の子のテレビドラマを観ていたのだと思う。その最終回を二人で並んで、それこそ息を呑むようにして観ていた。ドラマが終わり、自分なりの感想を茜に向かってたいした意味もなく伝えたのだ。その言葉が茜の胸の中で、どのような化学反応を起こしたのかはわからない。しかし私と同じ形をした耳から入りこんだ言葉は、まるで彼女の顔を溶かしてしまうのではないかと心配してしまうほどの涙と涎《よだれ》を誘い、号泣という結果をもたらしてしまったのである。  私と茜は一九八九年に兵庫県で生まれた。双子であるらしいことを医者から聞かされたとき、父親はその場に倒れそうになってしまったと、幼いころから何度となく聞かされてきた。医者からそれを聞かされた瞬間の、目を完全に白目にし息を止めて倒れそうになる父の仕草を見るのは私も茜も大好きだった。その姿を見て二人で並んで声を上げて笑うのは、私たち姉妹の大切な役割だと思いこんでいた。幼いころはそれが父親の喜びの表現だと疑いもしなかった。しかし、歳を重ねるにつれて、それだけではないということを薄々感じるようになっていった。電気会社の工場に勤務する父にとって、二人の娘を同時に育てていくのは経済的な面だけを考えても決して簡単ではなかったろう。  父は青が好きだった。  だから私に藍《あい》という名をつけた。  母は赤が好きだったので、妹の名前は茜になった。  藍と茜。私たちは両親から与えられたその名前も語感も、双子として育てられてゆく環境も両親の仲睦《なかむつ》まじさも、何もかもが嫌いではなかった。三分先に生まれた私は長女として躾《しつ》けられ、長女らしく振る舞うことを密《ひそ》かに誇りながら育ってきた。茜は妹らしく、いつも私の少し後ろを歩くようにして成長してきた。小学校に入学したときにクラスを分けられてしまったのは小さなショックだったけれど、先生やクラスメイトには見分けがつかなくて不便だからと説明されれば納得するしかなかった。私と茜を完璧《かんぺき》に区別することができるのは母親くらいだったからだ。一人をショートカットにして一人をロングにする、といったアイディアが毎日のように父親から提案されたが、それは私たち姉妹と母によってことごとく却下された。私たちは瓜ふたつのまま生きていきたかったのである。  茜は私にとっては鏡の中にいるもう一人の自分のような存在だったし、茜の存在があって初めて自分の世界なのである。幼児が鏡を見て、それがもうひとつの別の生き物ではなく、鏡に映っている自分自身の姿なのだと認識するころを鏡像段階というらしいが、私たちにとってはその成育の段階は極めてあやふやなものだったのではないかと思う。私の前にはいつも鏡に映っている自分がいて、鏡に映っている自分のような茜がいた。  小学校入学時に私たちは小さな勉強部屋と、二段ベッドを与えられた。上が私で下が茜と、くじ引きで決まったのだけれど、私たちはいつも下のベッドで抱き合いながら眠った。そうしていると、母親の子宮の中で抱き合っているような安心感があった。私と茜はいつも胎児のように抱き合いながら眠り、自分たちが孤独というものからどんなにかけ離れている存在であるかを体中で感じていたのではないかと思う。  双子として生まれ育った多くの子供たちがそうであるように、私たちにも友達らしい友達はできなかった。何も言うことも伝えることがなくとも、ほとんど完璧に、しかも瞬時にわかりあえる人間が側に一人いれば、完結した世界ができてしまうのである。そこに友人という異物が入りこむ隙間はなかった。  それが私と茜が作り上げた王国だった。  重ね合わされた鏡が、どこまでも続く世界を映し出しているようなもので、そこは果てしなく広く、自由だった。二人がいれば、この空間は永遠に続くようにさえ思えていた。だからこそ、私が死んだ三分後に茜は死ぬという言葉は危険な力を持っていたのかもしれない。永遠のはずの王国の終焉を暗示してしまったからである。  払っても払っても赤いスニーカーの先から飛び去っていこうとしない小さな白い蝶を眺めながら感じていた、見えない沼底を覗きこむような孤独の正体を、二十五歳になった今も私はうまく説明することができないでいる。それは花じゃないんだといくら説明しても、蝶がまとわりついて離れていかなかったように、もしかしたら私は別の感情に孤独という名をつけて感傷的になっていただけなのかもしれない。あるいは暮れてゆく空と、それに不釣合いな小さな蝶の姿そのものに孤独の気配を感じていたのだろうか。  私はいつまでも危うげに頼りなく、孤独か、それに等しいものの周辺を飛び回り続けていた。      2  ヒロシは今年、二十五歳になる。  小柄だが骨太でがっしりとしている。性格は三角定規のように真面目で、そのわりには下手なギャグを連発しては自分で大笑いするという困った癖がある。  たとえば私の住んでいる吉祥寺《きちじようじ》のアパートで鍋《なべ》を二人で食べるときにはまるで判を押したようにこう言う。 「今年のメジャーのホームラン王は」 「はい?」 「バリー・ポン酢、なんちゃって」 「…………」  こんなとき私はおろしたての石鹸《せつけん》のように、真っ白に固まってしまう。 「ギャハハハ」とそんな私の顔を見て、ヒロシは大きな声を上げて無邪気に笑うのである。大学を卒業した彼は今年の秋、地方公務員試験に合格した。受け入れを表明してくれている市役所は、長野県の飯田《いいだ》市と山形県の天童《てんどう》市と埼玉県の川越《かわごえ》市である。それをここ数日中に決めて返事を出さなければならないのに、彼はまったく無頓着《むとんちやく》である。 「川越は中途半端だよなあ」とか「飯田はきっときれいなところだろうけど、閉鎖的そうだよなあ」とか「天童は温泉があって食べ物もうまそうだけど、寒いだろうなあ」などと気楽なことばかり言っている。どの街にも行ったことがないのである。ヒロシの就職に合わせて来春結婚することが決まっている二人にとって、それは大きな問題なのだ。おそらくは、一生をその街で過ごさなくてはならないことになるのだから。 「行ってみようよ」と私は言う。新しい居を構えて、子育てもすることになるかもしれない街なのである。この目で見て確かめておきたいと思うのはあたり前のことだ。 「でも、まあいいんじゃねえの」とヒロシは鍋の底をれんげで漁《あさ》りながら笑う。 「行ったら行ったでどうせ迷うだけだから。勘で決めよう。その方が面白い」 「でも市役所の雰囲気とか違うじゃない」 「そんなのどこでも同じだよ」  今のところヒロシの気持ちは天童に傾いているように見える。その最大の理由がサクランボとラ・フランスあたりにあることを私は薄々感づいているのだが、口に出すことができない。彼は北海道|帯広《おびひろ》市の出身だから、天童ならば少しでも故郷に近づくという安心感もあるだろう。しかし、それでは兵庫出身の私の故郷からは逆に遠ざかってしまうことを、ヒロシは忖度《そんたく》してくれている。だから、彼は彼でなかなか結論を口に出すことができないでいるのだ。 「藍が決めろよ」 「行きもしないで?」 「そう。直感だよ」 「じゃあ川越かな? ここから一番近いから引越しも楽そうだし」 「楽とかじゃなくてさあ。もっと前向きに考えようよ。夢を持って」  夢かあ、と私は固太りのヒロシの体を眺めながら思う。 「じゃあ飯田にする?」と私はわざと意地悪を言う。 「もちろん、いいだ」 「ちょっとやめてよ、下らない。真面目な話をしているときに」  飯田という町が清潔そうで、簡素な場所じゃないかと私は直感していた。山の緑に囲まれて空気も澄み渡っているだろう。実際、自分としては最有力候補のつもりだったのだが、この先何十年、何百回にわたってこの駄洒落《だじやれ》を聞かされるのかと考えると、思わずひるんでしまうのである。  何でも、いいだ。  どうでも、いいだ。  ことあるごとにそう言っては、ギャハギャハと一人で笑うヒロシの顔が浮かんでくる。そんな人生は夢どころではなくて、それこそ悪夢である。 「でも飯田にはヒロシくんの好きなエロビデオショップはないかもよ。川越や天童にはたくさんあるだろうけど」と私は精一杯の反撃を試みる。付き合いはじめたころに、ヒロシの部屋で見つけたエロビデオは二年経った今でも私の格好の攻撃材料なのだ。  ヒロシは私の攻撃をかわすために、冷蔵庫にビールを取りにいく。私の部屋の冷蔵庫には、ヒロシがいつ訪ねて来てもいいように、いつからか彼の大好物のギネスの缶が常備されるようになっていた。 「痛くなったらすぐギネス」と得意の鼻歌を歌いながら冷蔵庫を開けるヒロシのずんぐりむっくりした後ろ姿を見ていると、でもまあこれはこれで幸せなのかもしれないと、心が温かくなるのであった。  これから先の夢ではなく、今こそが夢そのものなのだ。      3  中学一年のときに私は不思議な体験をした。  母に連れられて茜と三人で梅田のデパートに買い物に行った帰りのことだ。お揃いの下着と洋服を買い、父のネクタイを三人で選び、それから夕食のおかずを買って阪急梅田駅を目指して歩いている途中で、私は二人からはぐれてしまった。クリスマスの少し前のころのことで、街は歩けないほどの人で賑《にぎ》わっていた。そのころの私はもう梅田から家まで一人で帰ることもできたと思うのだが、それは相当の心細さがつきまとうことだった。茜と二人で梅田を往復したことは数度あったが、自分一人きりでという経験はなかったからだ。  阪急梅田駅周辺で私は母と茜の姿を必死に捜した。しかし、捜してうろつき回れば回るほど、ますます遠ざかってしまう。人混みという蟻地獄にはまりこんで、無闇に手足をもがき続けているようなものだった。それでも懸命に捜し続けていると、エスカレーターを降りた大きな本屋の前で私は茜の姿を見つけた。 「あかね、あかねー」と私は手を振って走っていった。茜も手を振って近づいてくる。  そのことに私はどの時点で気がついたのだろう。それは眩暈《めまい》がするようなおぞましい感覚だった。手を振って近づいてきたのは、茜ではなくて大きな鏡に映し出された自分自身の姿だったのである。そのことに気がついたとき、私はその場から身動きができなくなってしまった。鏡に映った呆然《ぼうぜん》と立ちすくむ自分の姿を見ていると、どうしようもない悪寒が体中を駆け巡った。  鏡に映っているのは自分である。  幼児のころに学習していなければならないことを、私はいまだに習得できていない。鏡に映った自分に向かい、手を振って駆け寄っていってしまった自分への嫌悪と恐怖——。その事実をとにかく飲みこまなくてはならないと思い、私はしばらく鏡に映った自分を眺めながら立ち尽くしていた。これは茜ではなくて、自分自身なのだ。その証拠に右手に持ったクリスマス仕様に包装された父へのネクタイのプレゼントが左手にはっきりと映っている。  体の中を悪寒が走り抜けていった。  そこには、鏡に映っている自分が自分であることを懸命に確認している自分自身の姿が映し出されていたからである。  双子のうちの一人として生きていくということは文句なく楽しいことだった。まわりの人間は私たちが双子であるというだけで、普通の子供には示さない興味や好意を持ってくれた。見分けがつかない、というそれだけのことでどれだけの人が笑ったり喜んだり、可愛がったりしてくれたことだろう。  私たちはほとんど無条件に、周囲の人間たちの好意に囲まれて生きていることができた。見分けがつかない、ただそれだけのことでだ。私と茜は学校から帰ると子供部屋で、その二人の特技に磨きをかける努力をした。小さな指の動きから習いはじめた英語の発音、ピアノ演奏で間違える箇所までまったく同じになるように練習した。そうすることでより多くの人間の好意が私たちを取り囲んでくれるように思えたからである。洋服や音楽や読書、テレビに映画。すべての好みを二人で一致させていった。その結果、打ち合わせなどなくとも、まったく同時にそして不意に同じ鼻歌を口ずさむようになり、同じ日に生理がはじまり、同じような形で陰毛が生えはじめた。そしてついには同じ男の子に初恋をするようになっていったのである。  中学時代の私たちに、少しだけ違っていたところがあったとすれば、私の不用意な一言によって茜の中に芽生えさせてしまった恐怖心の存在だった。 「私が死んだ三分後に茜は死ぬのかしら」  この言葉に過剰なまでの反応を示し、手がつけられないぐらいに泣きじゃくってしまった茜は、そのまま消してしまえばよかったはずの鶉《うずら》の卵のように小さな恐怖心を、温めて育てていってしまった。まるで親鳥がそうするように彼女はそれを自分の胸の中に抱えこみ、決して放り出そうとはしなかった。孵化《ふか》させることはなかったけれど、茜が抱え続けていたその小さな卵の存在が、二人の性格を少しずつ変えていくことになったのではないかと私は考えることがある。  私と茜の初恋の相手は奥田くんという一年B組の人気者だった。私はA組、茜はC組にいた。たいていの初恋がそうであるように、私と茜の場合も淡くあどけないものだった。家が寝静まると私と茜はベッドの上の段に集まって、奥田くんの話に夢中になった。 「私かお姉ちゃんのどちらかを好きになってもらえばいいのよ」と茜は声を潜ませ、目をキラキラと輝かせながら言った。 「どうして?」 「だって、それは二人を好きだということと同じだもの」 「じゃあ、茜、告白してよ。それでいい返事がもらえたら、私がお付き合いするから」 「そんなのずるい」 「じゃあ、その逆は?」 「それならOKよ」 「でもね、よく考えてみて」 「うん?」 「もし、奥田くんが私のことを嫌いだったとすれば、それは茜のことも嫌いだということよ。趣味が合わねえな、ってテレビで男の子がよく言っているけれど、私が趣味に合っていなくて茜が合っているということはまずないからね」 「うわあ、そうだったらどうしよう」 「考えてみれば不思議ね。これから茜はきっとたくさん恋をするんだろうけれど、それって私の沽券《こけん》にかかわるのよ。あなたがもてれば、それは私がもてているってことなんだから」  そんなふうに私たちの初恋談義は果てることもなく続くのである。 「じゃあ、二人で一気にいく?」と茜はおどけて見せる。 「玉砕戦法?」 「そう。どうせ見分けつかないんだし」 「じゃあ、見分けられるように茜がショートカットにしちゃったら?」 「いやよ」 「どうして?」 「だって奥田くんが髪の長い子が好きだったらどうするの?」 「その場合は私が登場よ。髪の長いバージョンの茜ですって」 「そんなのずるい」  毎晩毎夜、二人の作戦会議は続いたけれど、結局のところ結論はひとつも導き出せなかった。それはたいていの初恋がほとんど何の結論もないままにいつのまにか消えていってしまうのと同じことだった。もちろん私たちは奥田くんに手紙を出すことも、二人で玉砕することも、話をすることもなかった。奥田くんに二人の見分けをつけて欲しいと願う夜もあったが、でも本当は私たちは見分けのつかない二人のままでいたかったのかもしれない。見分けられるということが、これから先の人生で幾度となく自分たちが直面するであろう厳しい選別に直結していくことを、私も茜も予感しはじめていたのだと思う。      4  選別を自ら望んだのは私ではなくて、むしろ茜のほうだった。宝塚《たからづか》市内の同じ公立高校へ入学した二人は、例によって別々のクラスに分けられた。  高校進学に合わせて、家の裏庭に子供部屋二室が増築された。一ヵ月もしないうちに狭い庭の中に離れのような二階建ての部屋ができあがった。大きな柿の木が放り出されたようにポツンと立っていた場所だった。  くじ引きの結果、茜が二階、私が一階の部屋を使うことになった。それぞれの部屋に子供のころから使っていた二段ベッドを分解して置くことになり、茜と私は別々の部屋で過ごし別々の部屋で眠ることになった。さすがに私にとっても、茜にとってもそのほうが過ごしやすい年齢に達していた。  二人の背格好や性格が大きく変わることはなかったけれど、方向性だけは少しずつ角度を変えていった。私は小説に夢中になり、本ばかり読むようになった。最初のころは私の読んだ本をすぐに読んでいた茜も、ドストエフスキーや三島由紀夫になると放り出すようになってしまっていた。  私にとって大切なものが、必ずしも彼女にとって大切なものであるとは限らない。そう感じはじめたのは高校一年の秋くらいのことだったのではないかと思う。  高校という空間は小学校や中学よりも少しだけ広がりがあった。今まで学校に感じていた逼塞《ひつそく》感は軽減され、それに伴い親密さも拡散していくような感覚があった。それは一緒の部屋で暮らしていた姉妹に二階建ての離れが与えられたのと同じような開放感であった。普通の高校生にはわずかに心地よいくらいか、あるいはほとんど意識することもないかもしれないような、高校という空間の小さな広がりは、しかし私たちにとっては驚くほどの大きなスペースに感じられた。  それは、自由という言葉に近かったのかもしれない。そして私たちは、高校生にして初めて手に入れた自由か、あるいはそれに近いものを手足を伸ばすように謳歌《おうか》し、楽しみ、そしてその陰にまるで代償のようにつきまとう孤独や寂寞《せきばく》に耐えながらお互いの生活を送っていった。  茜が目指したものはバスケットボールだった。高校入学と同時に入部したバスケットボール部で茜はぐいぐいと頭角を現していった。彼女は一年生でレギュラーに抜擢《ばつてき》され、小さな体でコートを駆け回った。そしてボールがリングを抜けるたびに私と茜の差別化は進んでいくことになるのである。茜がスリーポイントシュートを決めれば、彼女は私から確実に三点遠ざかってしまうようだった。  もちろん私たちはそれでよかった。  鏡は確かに世界を映すけれども、そこに映っているものは本物の世界ではないのである。そのことに私も茜も気がつきはじめていた。私たちは鏡に映っているものが、自分自身の姿であることを十分にそして常に認識するべきときを迎えていたのである。  高校二年のころに二人はほとんど同時に恋に落ちた。しかも本当に運のいいことに、相手は違う男の子だった。しかももっと運のよかったことはそれぞれに付き合いがゆるやかに進行しはじめたことだった。  篠原《しのはら》くんというのが私の人生で初めてできた彼の名前だった。付き合ったといっても私と篠原くんは学校の近くの公園を散歩したり、近所の低い山に簡単なハイキングに出かけたりする程度だった。ときどき篠原くんは私のロッカーに、日頃のあれこれを書き綴《つづ》った日記のようなノートを投げこんでくれた。だからそれに対して、私も日頃のことを書きこんで篠原くんのロッカーに放りこんだ。ほとんどそれだけがすべてといっていい他愛のない付き合いだったが、でもそれで私は十分だった。公園のベンチに篠原くんと並んで座って眺める風景は、それまでに私が見てきたどんな光景とも違っていた。私は鏡ではない、リアルな世界の空気を体中で感じ胸一杯に吸いこんだ。見えない存在を確かめるために、ありもしない鏡に向かって手を差し伸べてみる必要すら感じなかった。たったそれだけのことで、私はどのくらい解放されたことだろう。  篠原くんの横に座ってさえいれば、木は木だし、風は風なのだ。  楽しい日々を送っているように見えた茜に小さな異変が起こったのは、高校二年の秋の高体連を直前にした日のことだった。放課後の練習中にアキレス腱《けん》を断裂するという大怪我を負ってしまったのである。手術を終えた茜は病室で私に向かって寂しそうな顔でこう言った。 「これで、もうすぐにわかるね」 「何が?」 「左足にアキレス腱があるのが藍で、切れているほうが茜」 「すぐに元に戻るわよ」 「でも傷跡は消えない」  そう言うと茜は私に背を向けてしまった。肩が小刻みに震えていることで泣いているのがわかった。声を漏らさないように懸命に耐えていた。 「大会に出られなくて残念ね。あんなに一生懸命練習していたのに」 「ううん」というふうに茜はかぶりを振った。その瞬間に私はすべてを理解した。茜は大会に出られないことや、選手としてもう二度とコートに戻れなくなるかもしれないことを悔しがっているのではない。自分の体に私とはまったく違う目印を刻んでしまったことを悔やんでいるのだ。 「お姉ちゃん、ごめんね」と振り向かずに茜は言った。 「どうして、謝るの」 「どうしてかわからないけど、でも本当にごめんなさい」  私は茜が顔を向けている方向へまわりこんで右手を差し伸べた。私の手を茜は両手で抱きかかえるようにして握りしめて、泣きじゃくった。ポロポロと涙が次々と頬を伝っていく。嗚咽《おえつ》をこらえるために止めている呼吸が、ますます嗚咽を大きなものにした。 「痛いの?」  痛くなんかない。たとえ痛くたってそんなことで泣いているんじゃない。そのことは私も十分にわかっていたけれど、泣きじゃくる茜にほかにかけてやる言葉は何も浮かばなかった。  私の手を握りしめて茜は声を絞るようにして泣いた。子供のころはまるで自分の指をしゃぶるように、いつも私の指をしゃぶって寝ていたという母の言葉を思い出して私は胸が一杯になった。  このときに私は気がつくべきだったのである。  私より三分後に生まれた妹が、いまだにあの鶉の卵を抱卵しながら生きていたのだということを。そしてそれは妹の羽の中で、音もなくしかし確実に成長を続けていたのだということに。      5  高校を卒業した私は親元を離れて広島の大学へ進学した。私は風や外敵から逃れる蓑虫《みのむし》のように、ぶ厚い葉を体中に巻きつけながら、大学生活を過ごしていた。それから就職のために東京に出たのが二十二歳のときのことである。故郷に帰りたいという気持ちもなくはなかったが、広島時代に風除《かざよ》け代わりに付き合っていた彼の就職が東京に決まり、半ば強引に決めさせられてしまったのである。  田口というその男と私は大学の三年間と東京での一年間の計四年間付き合った。会うたびに体を求めてくるのが、最初のころは嫌でたまらなかったのだが、男と女の付き合いというのはそんなものなのかと、そのうち割りきれるようになった。田口は女という生き物はすべからくセックスが好きで、それを求めているのだという典型的な勘違いの持ち主であった。それが女の本能なのだとさえ考えている節もあった。  それも私にとってはどうでもいいことだった。そう思うならば、そのように振る舞うことだって私にはできなくはなかった。田口はプログラマーとしては優秀だったし、その業界では超一流の会社に勤めてもいた。背も高く、涼しげな顔をしていた。社会という階段をのし上がっていくのだという意欲に溢《あふ》れ、その上昇志向は確かにときには輝いて見えた。  しかし田口は私が心の中に抱えこんでいる大きな重い石の存在も、そもそもなぜ私が彼という隠れ蓑を必要としたのかも、考えるということすら思いつかないような人間だった。彼にとっての重大な関心事項は、たとえばいつどのような形で私の両親に挨拶《あいさつ》に行けばベストなのか、決まってもいない結婚のスタイルをどうするかというようなことばかりであった。  でも、それはそれでよかったのかもしれない。田口がそういうタイプの男であるからこそ、私は彼を必要としたのだし、そのおかげで私は重い大きな石を抱きかかえながらも大学生活を無事に終え東京での就職に成功したのである。そういう意味で彼を利用したのはむしろ自分のほうであり、感謝しなければならないのも私なのかもしれないのだ。  そんな、ありがちな関係のカップルだった二人だけにありがちな間違いが訪れた。田口に私以外の女ができてしまったのである。  そのことをある日、私は田口本人の口から聞かされた。それは彼がこれから人生という長い階段を踏みあがっていくためにも、どうしても必要なことなのだろうとは、話を聞いているうちに薄々察しがついた。 「正直に言うよ。君に隠したくはない。藍ならばわかってくれると思って。本当にすまないとは思っている。でも僕は彼女に傾いてしまった気持ちをどうすることもできないんだ。君を傷つけることになって申し訳ないけれど」  私は何も言わないで田口の言葉を聞いていた。彼に求められるままに広島から東京へ出てきてしまった私なのだから、彼に求められるままに東京というこの大都会で孤立すればいいのである。要するにそういうことなのだ。  何もかもが単純でばかばかしく思えてしかたなかった。ただ、どうしても許せないのは、田口がうなだれてすまなそうに最後に言った言葉だ。私がその最後の夜に彼に言い返したいことがあったとすれば、こういうことだった。 「あなたは私を傷つけることができる刃《やいば》なんか持ってはいない」  しかし、私は黙っていた。  やがて、田口はそそくさと立ちあがり喫茶店を出ていってしまった。そうして私は彼の望むままにここにきて、そして望むままにこの街で完全に孤立してしまったのである。  その年の冬は寒さが厳しかった。  私は行くあてもなく、平日は会社に通い、休みの日には井の頭公園を何時間もかけて散策して歩いた。公園の中央にある池をただぼんやりと眺めながら思い出すのは茜のことばかりであった。茜とそして私のスニーカーのまわりを飛び交っていた寂しそうな蝶の姿。  高校三年のある日、いつものように篠原くんが私のロッカーに忍ばせていたノートにあった言葉は、いつも茜と白い蝶にまつわるようにして私の胸に蘇《よみがえ》ってきた。 [#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]   藍へ   昨日はありがとう。   キスはいつも通りに素敵で、そして昨夜はつい興奮してしまって、あんなことまでしてしまって申し訳なく思っています。でも、しばらくはお互いのためにこれ以上のことはやめにしよう。それは君を大切にしたいからだよ。   では、また。 [#ここで字下げ終わり]  公園の池の上では水鳥がのんびりと泳ぎ回っていた。その姿を私は逆光の位置から見ているのが好きだった。いつも座るベンチの位置からは、反射する光の輪を切り裂くように泳ぐ水鳥の姿が見渡せた。それは私にとっての忌まわしくて、しかも曖昧《あいまい》な過去の記憶を鋭利な刃物で切り裂いてくれているようだった。  次の日に私は篠原くんに簡単な手紙を返した。 [#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]   篠原くんへ   お願いだから今度、そういうことをするときには、左足の傷跡を確かめてからにしてください。 [#ここで字下げ終わり]  篠原くんが悪いわけではないことはもちろんわかっていた。しかし、そのことをすべてうまく解決して元の位置に戻すには、私も篠原くんもおそらく幼過ぎたのだと思う。私はただの一度も篠原くんとキスをしたことがなかった。もちろん、それ以上のこともだ。  ノートブックがその後私のロッカーに戻ってくることは二度となかった。  でも、私はなぜか茜を責める気にはなれなかった。だからこのことについて一度も問い詰めたことも、話をしたことすらなかった。アキレス腱を切ったあとの茜は無残だった。バスケットボール部を退部して、悪い仲間と夜の町を遊び回るようになっていた。煙草を吸い酒に酔い、バイクを乗り回し、どこでどう過ごしているのか家に帰ってくるのはいつも朝方だった。美しいまっすぐな髪はいつからか荒れ果てていた。父や母と幾度も死ぬか生きるかのような怒鳴りあいを繰り返し、家を飛び出したまま何日も帰ってこないこともあった。でも私にはどうすることもできなかった。  いつか酔っ払って意識の朦朧《もうろう》とした茜が私を睨《にら》みすえて怒鳴りつけたように、私たちはもう双子ではないのである。たった一本のアキレス腱のあるなしが茜を、より激しい選別に駆りたてていったのだ。茜が望んでいたことは、まずは私たちの間にあったあの無限の世界を映し出す鏡を粉々に砕いてしまうことだった。生活が乱れていくに従って、王国の幻影を疎ましく思い、それを暴力的に叩《たた》き壊そうとした。つまりは私の存在。しかし、私を壊すこともできず、だとすれば自分が崩壊してゆくしかない。  その苛立《いらだ》ちを理解できなくはなかった。  だから、ただ私は茜の中に吹き荒れている風が収まってくれるのを待つしかなかった。いつのまにか私は�あのどうしようもない暴走族崩れの茜の姉�という目で見られることが多くなっていることに気がついていた。  高校三年のある夜。どうしようもない不安に駆られて、私は泣き出してしまった。ベッドの上で泣いても泣いても涙が止まらないのである。私は眠っていたのだと思う。眠りながら泣いていたのだ。 「あかね」と叫びながら鏡に映った自分に向かって手を振る悪夢を何度も見た。何かに祈り、泣いた。どんなに自分のことを悪く言われてもいい、恋人をすべて騙《だま》し取られてもいい。だから自分のそばにいて欲しい。私たちが築き上げてきた世界を支えるもう一本の柱でいて欲しい。私は切に願った。意識と無意識の混濁の中で、祈り泣き、そして祈った。  それが茜が死んだ夜のことだ。  バイクの事故だった。  男の運転するバイクが一五〇キロのスピードで交差点に突入し、右折しようとしていた車に激突した。二人は急いでいた。その直前にコンビニのレジから金を盗んで逃げている最中だったからである。後部座席に乗っていた茜は五〇メートルも弾き飛ばされて、ヘルメットを着用していない頭からアスファルトに叩きつけられた。  脳|挫傷《ざしよう》及び頸椎《けいつい》骨折による即死だった。  私が不用意に発した一言、それがきっと茜の体に小さな卵を産み落としたのだ。茜はどうしても捨てることができずに、自分の手に余るはずのそれを抱き育て、そしてついにはその怪物を孵化させてしまったのだ。  死への恐怖だったはずの小さな卵は、幾つもの狂おしい夜を経ていつのまにか大きく姿を変えていった。  忌むことも避けることもできない死への親近感へと。  私は見過ごしていた。  その卵の成長を。  そして私の妹がそんなにもあの暗闇の近くで生きていたのだということを。      6  私の精神状態が極端に悪化したのは、田口と別れた冬を乗り越えたころのことであった。高校時代のある日、不意に私を襲ったどうしようもない、しかも容赦のない孤独感がまるで巨大な石の塊のように、再び私の内部に出現してしまったのである。  その孤独は暗く、そして深かった。  それは双子として生きてきた自分にとっては、味わったこともない、想像もつかないものだった。  高校卒業から大学、そして就職とまるで神経をブロックしたように生活してきた自分の、その肝心なブロックが何かのはずみで崩壊してしまっていた。最初のころはまるでダムが決壊したように、抑えこんでいた感情がとめどもなく溢れ出した。いつかは止まると思っていた水は際限なく流れ続け、やがて私の感情をつかさどっている部分を水浸しにした。私は吉祥寺のアパートで一人でその崩壊に耐えていた。しかし、所詮《しよせん》それは私が一人きりで耐えうるようなものではなかったのだ。  広島の大学に行くときに、父にきつく言われた。  茜のことは忘れて生きようと。すべての想い出はそれぞれの胸のうちにしまいこんで、そして表面上はなかったことにして生きよう。お前はそもそもが双子なんかではなくて、私の大切な一人娘だったのだ。  父は泣いていた。  茜が死んで何年かは泣いてばかりだった。その間に二十歳も老けこんでしまったように見えた。どんなに苦しんでももがいても、いい結論なんかにたどりつけるはずはなかった。それは家族の誰もが同じ思いだった。 「この先、一生、茜が存在していたことを人に言わないでおこう」  私はそれを父に約束した。  それが嘆き悲しんだ父がようやくたどりついた結論なのだとすれば、それを尊重しよう。コンビニから金を盗み、逃走中に暴走族崩れの男の運転するバイクに乗って事故死した双子の妹の存在が私のこれからの人生にいい影響をもたらすはずがない。そのことを何よりも真剣に父親は心配してくれているのだ。 「茜のものをひとつずつわけあって、すべてを捨ててしまおう」  母はその言葉に号泣した。 「お墓はあるのだから。お父さんとお母さんがそこに入るまでは、なかったことにしよう。忘れるわけではなくて、三人の胸の中に閉じこめてしまおう」  逆光の中に戯れる水鳥たちのすぐ前には、自分の履いている赤いスニーカーが見えた。左側のかかとが厚くなってアキレス腱の部分が保護されている、特別仕様のスニーカーである。そしてそれが十七年間一緒に、最後の一年を除いてほとんど離れることなく過ごしてきた妹が、私に遺《のこ》したたったひとつのものなのであった。  私は父の言葉を守り、広島に行っても東京にきても誰一人にも、双子の妹が存在していたことを話さないできた。もちろん田口にさえ話したことはなかった。大学の数少ない友人にも、職場の同僚にも、誰一人にもだった。  しかし、ダムは決壊した。  体は石を埋めこんだように重く、何日も何日も不眠が続いた。それが私には茜の怒りに思えてならなかった。自分の存在を封じこめようとしていることが許せないのだ。私はやがて睡眠薬を常用するようになった。それに合わせてあまり飲めなかった酒に溺れるようになった。会社の出勤率が極端に悪化して、いつ免職を言いわたされてもしかたのない状況だった。私は四六時中朦朧としている意識の中で父を恨みはじめていた。私の妹をどこかに封じこめようなんて考えたことがそもそもの間違いのはじまりなのだ。人間の一生を消しゴムで消してしまうようなわけにいくはずがない。そのできもしないことを、東京で一人で暮らす私にまで押しつけようとするほうが間違っている。私だってまだ二十三歳を少し過ぎたばかりの、本当はまだまだ誰かに守っていてもらわなければならないような年回りなのに。  しかし、いくら父を恨んだところで壊れたダムからの奔流が収まるはずもなかった。私は何とかその前で足を踏ん張り、押し流されないように持ちこたえようとした。しかし、それは無意味な頑張りだった。踏ん張れば踏ん張るほど、傷は深まっていくばかりだったのである。  どんなに安酒を飲んでも、襲い続ける孤独感に耐えられなくなった。布団を頭からかぶり枕を口にくわえて、泣き叫ぶ。爪で畳をかきむしり、泣き叫び続ける。しかし、叫べば叫ぶほど、泥沼は深まっていく。どんなに疲れていても、酔いがまわっていても、睡眠薬を飲んでも眠りだけは一向に訪れてくれない。何週間もそんな状態が続いた。  あらゆることに限界を感じたある日、私は会社に辞表を郵送し睡眠薬をいつもの五倍飲んで、ウィスキーを大量に呷《あお》り、そしてワンピースを着たまま風呂《ふろ》に入った。  まるで泥に浸《つ》かっているような感触だった。  自分が何をしているのかもよくわからなかった。ただ、朦朧とする意識の片隅で父親の声と母の泣き声だけが響き渡っていた。父は泣いている母の横でこう叫んでいる。「藍のことも、なかったことにしよう」と。  薬とアルコールが体の中を猛烈な勢いで走り回っているのがわかった。私はワンピースが水にどっぷりと浸かっていく悪寒に耐えていた。ときどき意識を失っては、頭ごと湯に浸かり息が苦しくなって顔を上げた。しかし、次の瞬間にはまた顔を湯の中に浸けていた。死のうと思っているわけではなかった。ただ疲れ果てていて、少し休みたいだけだ。ほんの少しの間だけでいいから、心底からの休息を必要としているだけだ。  少しずつ湯に頭を浸けている時間のほうが長くなってゆく。苦しさはなく、温かくていい気持ちだった。これでいいのだと思った。この場所から立ちあがるには自分は疲れ過ぎてしまっている。水を飲み、何度か大きく咳《せ》きこんだ。しかし、咳きこむ回数すら徐々に減っていった。  そのとき私は霞《かす》みつつある意識の中で、誰かの声を聞いたような気がした。その声を聞こうと思い私は最後の気力を振り絞って、大きくかぶりを振った。頭を振ったちょうどその先に、浴槽の縁に置いてある鏡が見えた。  私はそれを見た。  ワンピースを着たまま風呂に浸かる自分が映っていた。疲れ果てた、情けない顔が映っている。途切れかけている意識の片隅で、もう一度私は鏡を見た。  そして、思った。  これは、私じゃない。  それは、自分にはわかる。  そこに映っているのは私ではない。  そう、茜だ。  茜だ。  そのことを辛うじて認識した瞬間に、私の冷めきっていた感情に小さく温かい火花が散ったような気がした。  私は鏡を覗く。  間違いなく茜が映っている。  私を見捨てないで、助けにきてくれたのだ。 「茜……」  いやもう私にすらわからない。  そこに映っているのは自分なのか茜なのか。  私は鏡に手を伸ばす。鏡は伸びてくる私の指先を正確に映し出している。しかし、その先に映る正体がどちらなのかわからない。そのまま伸ばした手は鏡を掴《つか》みそこね、それは勢いよく倒れて浴槽の縁に当たり大きな音をたてて砕け散った。その衝撃音が私の何かを覚醒《かくせい》させた。私は足元に手を伸ばし、そして渾身《こんしん》の力で風呂の栓を抜いたのだった。      7 「昨日ね、変な夢を見たんだ」と私はヒロシに言った。 「なんだい?」 「私の双子の妹から電話がかかってくるの」 「双子の妹?」 「そう、まあいいから聞いて」 「うん」 「お姉ちゃん、私が結婚する人って変なやつなの。夕食にトンカツを作ってあげたらね、トンカツには何てったってサミー・ソースだって」 「はは」 「受けないでよ」  私たちの前にはやがて冬を迎える天童市の大らかな風景が広がっていた。渋るヒロシをどうしてもと言って上野から新幹線に乗せ、引きずるようにして連れてきたのだ。駅前でタクシーを拾い運転手にどこでもいい、ここに行けば天童市がわかるというような場所に連れていってくれと頼んで連れてこられたのがここだった。そこは鶴舞公園という小高い山の上にある公園で、確かにこの場所からは天童市のほとんどすべてが一望できた。 「でね、妹が言うの。私の彼氏ってずんぐりむっくりで、小柄なんだけど骨太なのよって。小学校の先生で性格は生真面目なくせに下らないおやじギャグばかりを飛ばすの。まるでバイ菌みたいに」  昼間だというのに風は冷たかった。  しかし、それは心地のよい冷たさだった。 「広くて、きれいな街だなあ」と私の言葉を無視したように街を見下ろしながらヒロシは言った。 「ヒロシくん」 「なんじゃい?」 「聞いて。とても大切な話なの」 「わかった」 「妹がね、お姉ちゃん、よかったねって。お姉ちゃんが今度結婚する人って、私の彼氏にそっくりなの。骨太のずんぐりむっくりで。よかったね。きっと、そういうことなのよね。初恋の人だって同じだったし。だから私も安心。本当におめでとうって」 「わからんよ」 「いいから聞いて」 「ほいさ」 「私には双子の妹がいたの」 「へー」 「茜っていうんだ」  ヒロシは何も言わずに秋から冬へ音もなく移行しようとしている風景に見とれている。私は夢中になって、茜のことを話した。生まれてから今日までのことを、何もかも包み隠さずに。父親からその存在を誰にも言うなと言われたことまで話した。ヒロシは天童の街を眺めながら「うん、うん」と小さく何度も相槌《あいづち》を打ちながら聞いてくれた。もちろん驚いたり笑ったり、そして暗い表情になったりもした。それでもこれ以上ないくらいに素直に真剣に耳を傾けてくれた。 「双子って不思議なの。だって親知らずだってほとんど同じ日に痛みだすんだから」 「そうなんだあ」 「今まで、黙っていてごめんね」 「ノープロブレム」 「本当?」 「ああ」  ヒロシはまるで捨て猫を拾うみたいに、私を拾ってくれた。雨の日の井の頭公園でのことだった。薬物常用とアルコール依存症を矯正するプログラムを終えて、一週間ほどたった日、雨に打たれながら公園の池を眺めている私に声をかけてくれたのだ。私の座るベンチの横に腰かけた彼は、私の頭上に傘を差し出して「こんにちは」と言った。  それからしばらくは言葉もなく、雨を喜んでいる水鳥を眺めていた。私はただそうしているだけで、不思議な温かさに包まれている自分を感じていた。こんな私に言葉もなくただ傘を差し続けてくれる人だっているのだ。そう思った瞬間に手足の先に血が通いだしたような気がした。三ヵ月に及ぶ治療の効果もあったのだろうけれど、しかしきっとそれだけではなかった。それから二週間くらいした日に私は同じベンチで彼と再会した。  驚いた表情で彼は私にこう言った。 「一度だけ会う人間は生涯に一千万人と仮定したら、二度会う人間ってきっとその千分の一くらいなんじゃないかなあ」  三度目に会ったときには百分の一になっていた。そして十度目で二十分の一。ある日、吉祥寺のパブでビールを飲みながら私は彼に言った。「それはわかったから、いったいいつになったら一分の一にしてくれるの」と。そう、二分の一ですらなくて私はヒロシにとっての一分の一になりたかったのだ。精神状態が快方に向かうのとほぼ同時に現れた彼の存在は大きかった。だから、私がヒロシを好きになっていくのは半分以上は適切な治療の恩恵なのだと、いつもばかみたいなしょうもないギャグを飛ばしながら自分で笑い転げている姿を見て思ったのだけれど、いつからかはそんなことはどうでもよくなっていった。  前提とか、接続詞や比喩《ひゆ》を取り除けば、美しく簡明な文章ができあがるのと理屈は同じことである。  私はヒロシくんが好きなのだ。  眼下には村山盆地の広大な風景が広がっていて、そしてその手前には赤いスニーカーがあった。ヒロシはさすがにここまできたのだから市役所の様子を見てくると言って山を駆け降りていった。  その山の上で私は高校三年の日、ブランコに揺られながら感じたのと、ほとんど同じような感慨に包まれている。一瞬にして体を絞り上げられるような、どうしようもない孤独感。そしてあのときの孤独と、今私が感じているものは同じようでいてそうではないことも私はわかっている。  あのときは否応《いやおう》もない茜の死が私をそこに追いやった。でも今は違う。私が自ら茜から離れようとしているのだ。でも、そのことが私に感じさせるものの結果は同じような胸の痛みなのである。  もちろん、それを孤独と呼ぶことはできない。でも、うまくは表せないけれど、それに等しいものなのだ。  私の苦しみはきっとこういうことだったのではないかと考える。私は茜という鏡の中にいるもう一人の自分のような妹を失った。その喪失感とだけ、私は私なりに必死に対峙《たいじ》してきた。でも、そうではなくて本当の苦しみは、茜の見る鏡の中に映り続けていたはずの自分自身を失ってしまったということではないのかと思うのだ。人を失うということはそういうことなのかもしれない。  ヒロシが汗だくになって戻ってきた。  骨太な手に缶コーヒーが二本握られていた。  そのうちの一本を分けてもらう。 「さっきの話」とヒロシは言った。 「うん?」 「びっくりしたよ」 「そう?」 「だってサミー・ソースだもん」 「はは。でもバリー・ポン酢よりはいいでしょう」  天童の街は夕陽に染まりはじめていた。どこまでも広い平野全体の隅々までが赤く色づいてゆく。平原に広がるその色を眺めながらしみじみと私は思う。赤は寂しい色なのである。 「ヒロシくん」 「なんだい?」 「お願いがあるの」 「うん」 「茜をね」 「…………」 「茜を一緒に貰《もら》ってくれないかな?」 「…………」 「私と一緒に」 「…………」 「こんなことをお願いできるはずもないことはもちろんわかっているんだけど。でもヒロシくんにしか頼めない。もしヒロシくんが許してくれるのなら、私とそして私の双子の妹を一緒に貰ってくれませんか」  山形の暮れはじめた空は物音ひとつなく清らかに静まりかえっていた。 「いいよ」とやがてその大空に響き渡るような声でヒロシは言った。その大きな声を聞いた瞬間に私の目の前に広がる街並みが歪んだ。ぽつぽつ光り始めた街の灯《あか》りが、涙に滲《にじ》んで歪んで見える。 「本当?」 「約束する」 「本当?」 「ああ、誓うよ」  私はそう言って柔らかな視線を向けるヒロシを見て思う。この人にだったらこれからも何でも正直に伝えられる。私と茜がどれくらいに一体で、そしてそれはどんなに素晴らしい経験だったかということを。隠すこともなく。正直に何もかも。茜と抱き合って寝た何千日もの夜のことも。お互いどれほど大きな影響を受けながら生きてきたのか、そしてそれはこれからも続いていくのだということを。 「ここにしようか?」とヒロシは言った。  そして「ここがいいよ」と続けた。 「ちょっと寂しくない?」と私は言った。 「うん、ちょっとだけ」 「でも何か温かいよね」 「うん。温かい」  そう言って微笑むヒロシの横顔を眺めていると、不意にあのどうしようもない寂寞感が蘇ってくる。私はきっとこれからも自分の体の半分を失ったようなこの感覚に耐えながら生きてゆくのだろう。孤独か、あるいはそれに等しいものと。 「空気は澄み渡っている」と小さな沈黙の後、ヒロシは言った。 「空も広いしね」と私は答える。 「帯広も近いし」 「ここにしようか」と私が言うと「デヘヘ」とヒロシはだらしなく笑った。その声を聞いた瞬間に必死に閉じこめていたはずの感情が、次から次へ溢れていった。 「ラ・フランスもあるし」と私は声にならない声で言った。 「そう。佐藤錦《さとうにしき》だってある」とヒロシは笑った。 「それに……」と言った私はその後に続く言葉もうまく発することができないでいた。唇をかみしめて、涙をこらえた。茜を一緒にもらってくれることを約束してくれたヒロシに涙は見せたくない。できればどんなに小さくてもいいから笑顔を見せてあげたい。そう思って、私は懸命に涙をこらえた。 「それに?」とヒロシは私の肩を抱きすくめながら優しい声で訊《き》いた。その指先から伝わってくる温《ぬく》もりを私は信じよう。 「それに……」 「うん?」 「ヒロシくんの好きな……」  私の肩を抱くヒロシの手に少しだけ力が入ったような気がした。私は眼下に広がる街並みに灯《とも》っていく温かい光を眺めながら、最後の力を振り絞って言葉を続けた。 「ここには、ヒロシくんの好きなエロビデオ屋もあるしね……」 [#改ページ]   シンパシー      1  たとえば一冊の本を読めば、一冊分の知恵がつく。  ビールを一本飲めば、ビール一本分の幅ができる。  そんなふうに考えていた時期があった。  その考えはマッチ棒を積み重ねて塔を作っていくことによく似ていた。一本のマッチ棒が重なれば必ず塔は高くなる。際限のないその積み重ねが人格を形成していくのだ。  単純で前向きで、若々しい考え方だと思う。  僕が二十歳前後だった今から二十数年前には、そんな考え方をして生きている同じような若者が少なからずいた。  僕たちは連日連夜、薄ぐらい穴倉のようなジャズバーやロック喫茶にどこからともなく集まり、文庫本を読み音楽を聴き、煙草を吹かしながら肺の中にタールとニコチンの塔を作り上げていった。肺胞に付着したタールですら、何かの積み重ねであると信じることができたのだ。  あるいは、報われるという言葉でその感覚を表現する人間もいた。人間の行動はいつか必ず何らかの形で報われていくものなのだと。もちろん当時の僕はその表現があまり好きにはなれなかった。古臭いし、封建的だし、どこか宗教的な響きを感じずにいられなかったからである。しかし報われないよりは、報われると考えたほうが理念として自然な感じがするし、少なくともポジティブではある。だから僕はその言葉を極めて消極的に、嫌々ながらという感じで受け入れていた。  いいにつけ悪いにつけ、自分が行ったことはいつかは何らかの形で必ず自分自身に返ってくる。中空に向かって目標もなくただ闇雲にマッチ棒を積み上げていったとしても、結局そこには何らかの立体ができあがってしまっているのである。  窓からは雨に霞《かす》む海の向こうにいくつかの島がうっすらと見わたせた。その中の名前のひとつが闇の底に吸いこまれようとしている蝋燭《ろうそく》の炎のように、か弱くそして唐突に僕の脳裏にゆらめいた。  鵜渡根《うどね》島——。  そう、あれは確かそういう名前の島だ。利島《としま》と新島《にいじま》の間に浮かぶ伊豆《いず》七島にも数えられない小さな、まるで海の上の忘れ物のような島。  太平洋に臨む海岸に立つこのホテルにこもって一週間が過ぎようとしていた。ここにくる前に期待していたほどには仕事の効率は上がらない。遅々として進まない仕事にうんざりし、半ばふて腐れながら僕はこれまでに何度となく眼前に広がる海を見てきた。もちろん晴れた日もあったから、水平線上に一直線に並ぶ鮮明な島影も何度かは見た。しかし、鵜渡根島の名前が思い浮かぶことは、今の今まで、ただの一度もなかったのだ。  バルコニーに出てデッキチェアに腰かけ、煙草を吹かした。潮の香りを柔らかく包みこんだ海からの風が、心地よく通り過ぎてゆく。僕はその潮の匂いを煙草の煙と一緒に胸一杯に吸いこんでみた。  霧の中から浮かび上がってきた鵜渡根島のように、記憶は何もかも曖昧《あいまい》で断片的なものだった。しかし、そのいくつかはまるで川に投げられる寸前のルアーのように、過度なまでに鮮明に色づいていた。その色鮮やかな記憶のひとつは、まるでそれにつられて食いつく川魚がいるように、いくつかの残像を引きつれて記憶の川底から上がってきた。なかなか一枚の絵にはならなかったけれど、しかし手の中にはいくつかの原色の絵の具が転がっている、そんな感じだった。  僕はかつて六人のメンバーで伊豆にきたことがある。二十数年前のことだ。大学の読書サークルのメンバーで、伊豆の民宿で合宿をしようという話になったのである。もっとも僕はそのサークルに所属していたわけではない。新宿のジャズバーで知り合いになった先輩がサークルの幹事で、読書会に参加する必要はないから海水浴くらいの気持ちできてみないかと誘ってくれたのだ。大学進学のために札幌から東京に出てきて、初めての夏を迎えようとしているころだった。読書会も海水浴にもまったく興味は湧かなかったが、たまたま運転免許を取得したばかりで、とにかくどこでもいいから遠距離ドライブをしてみたかった。だからレンタカーを借りて参加することにした。  僕を誘ってくれた平尾真一とその彼女の石井礼子とは顔見知りだった。しょっちゅう新宿のジャズバーで見かけていたからだ。あとのメンバーは顔も名前も知らなかった。ショートカットで痩《や》せこけた女の子が一人と、似たような雰囲気の見るからに冴《さ》えない男子学生が二人だった。僕が西新宿のレンタカー屋で車を一台借り、平尾の運転する車と二台連なって東京を出発することになった。  僕の車に二人の男子学生が乗ったのだが、事故が怖いからといって二人とも後部座席に座った。運転に集中したかったから、僕にとってもそのほうが都合がよかった。二人はまるで坐禅《ざぜん》のように背筋を伸ばし姿勢を正して座っていた。二人ともほとんど何も話さず、カーラジオもテープもかけていない車内は静まりかえっていた。免許を取って以来、初めて路上を運転する僕にとっては、運転だけに集中できるという意味でいいドライブ相手だったと思う。ただ二人の座高の高さだけはどうしても気になった。ルームミラーで後方を見ようとすると、必ずどちらかの頭が邪魔になってしまうのである。二人とも僕を気遣っているのか、目が合うと敵に見つかったベトコンみたいにさっと頭を下げる。その仕草が、妙に苛立《いらだ》ちを募らせるのだった。  平尾の後ろを追尾するように走り続けた車はやがて伊豆スカイラインへと入っていった。サービスエリアで、東京を出発してから三度目の休憩をとった。全員が少し遅めの昼食を始めていたが、馴《な》れないドライブで興奮気味の僕はどうしても食事をする気になれず、サービスエリアの周りを煙草を吸いながらうろうろと歩き回っていた。自分の運転に納得がいかないという苛立ちもあったし、そんな自分自身の運転への恐怖感もあった。車線変更は意図したようにはいかず、車幅の感覚も把握できなくて、対向車がくるたびに身を硬くしていたのだから食事をする気になどなれないのも無理のないことだった。  歩き回っている僕の目にやがて思わぬものが飛びこんできた。  小さな段ボール箱だった。しかもよく見るとそれはかすかではあるが動いている。近づいてみると中から「チイチイ」という動物の鳴き声が聞こえてくる。最初は鳥がここに巣を作ったのかと思った。しかし、どこを見ても穴が開いていない。箱を開けてみると、毛布にくるまれた小さな白い犬が「チイチイ」と一際高い鳴き声を上げた。生まれて間もない、手のひらの半分ほどの小さな犬で、まだ目が見えていないようだった。それでも「チイチイ」と情けない声を上げながら、必死に母乳を探すような仕草を繰り返していた。  僕は自動販売機まで走り、牛乳を買って子犬の場所に戻った。小指に牛乳をしたたらせて子犬の前に差し出すと、びっくりするくらいのしっかりとした力で指に吸いついてきたので、何度か僕はその作業を繰り返した。子犬は指先を通して、生命に対する意欲のようなものを僕に伝えているようだった。それは小気味よく、力強く、そして心地よかった。  他のメンバーが食事を終える前に僕は段ボール箱を抱え、助手席のシートの前に隠すように置いた。子供のころから子犬や子猫を拾っては親に叱られていたから、捨て犬を拾うのは悪いことだという本能のようなものが染みついてしまっていたのだ。  車を出発させると、後部座席の二人が会話をはじめた。きっと僕の運転に馴れてきたのだろうし、僕自身も運転に少しは馴れてきていたのかもしれない。いったんはじめてしまうと二人は夢中になって話を続けた。その会話の途中で僕はそのうちの一人が高地で一人が高井という名前だということを知った。知ったというよりも再確認したというべきかもしれない。最初に会ったときに平尾が僕にそう紹介してくれていたからである。  読書会ということはぼんやりと聞いていたが、それがどういう集まりであり何のための合宿なのかを、正確には何ひとつ知らないことに僕は思い至った。「聖書」なのか「資本論」なのか「異邦人」なのか、あるいは平尾が中心になって新興宗教でもはじめようとしているのか。まあ、何でもいいやというのが正直な気持ちだった。そのころの僕にとって、そのいずれであろうともそんなに大きな差を実感できなかったからである。それにどう考えても、いつまでたっても名前を特定できない高井と高地や、いつも新宿で飲んだくれている平尾や石井がそんなに大それたことを企《たくら》んでいるようには見えなかった。  伊豆の海岸線を走っているころに後部座席の二人の会話から少しずつサークルの正体が見えはじめてきた。少女漫画の研究会らしいのである。ショートヘアの女の子は、宮沢カンナというペンネームですでにデビューしているらしい。その原作やネームをほとんど一手に手がけているのが石井礼子。才能を発掘してプロデュースの役割を担っているのが平尾。彼はこれまでに何人もの学生をプロとして出版社に送りこむことに成功していて、その実作の後押しをしているのが石井なのだという。石井から声がかかるかどうか、どうしたら彼女に認めてもらえるようになるのか、何度も真剣にそんなことを話しあっているところを見ると、どうやら後ろの二人も漫画家を目指しているようである。  そんな話を聞いているうちに、同じ大学の学生であるはずの石井と平尾の二人が、明らかなしかも強力なリーダーシップをとっている理由を少しずつ理解できるようになってきた。  とはいっても彼らの話は、途切れ途切れに耳に入っていただけである。伊豆スカイラインを降りて一般の国道に入ってからは、僕は前後左右の安全確認に多忙を極めていたし、脇を自転車が走るたびに一メートル以上の間隔をあけることに四苦八苦していた。そのたびに平尾の車はあっという間に見えなくなり、しばらく走っていくとウィンカーをつけて停まっているのだった。それに加えて、僕の左側の足元に置いてある子犬のことが気になってしかたなかった。きっとサービスエリアでミルクを与えたから眠っているのだろうとは思うが、車に入れて以来一度も鳴き声を聞いていないように思えた。ただ段ボールはときおり、かさこそと小さく動いた。それは信号機と同じくらいに静かで確実な、生きているというシグナルに思えていたのだった。  太平洋が一望できる展望台で車を降りた。  よく晴れた初夏の日だった。  海の上にはいくつかの島がまるで床の間に並んだ置物のように整列していた。 「あれが鵜渡根島だよ」と平尾はその中の小さな島を指差して、誰に向かってでもなく言った。その堂々とした姿は共産圏の指導者のように僕の目には映った。その横で、学生には見えないような品のいい淡い紫色のニットのワンピースを着た礼子が優雅に微笑んでいた。海からの風に髪をかきあげるたびに、美しい形の額が見え隠れした。  利島も新島も知らなかった僕が初めてこの場所で知った島、それが鵜渡根島である。 「あそこは何もない島なんだ。観光客も海水浴客もまず行かない。何人かの人がたいした仕事もせずにのんびりと暮らしている。まあいってみれば楽園だな」  誰もがその言葉に黙って聞き入っていた。利島でも新島でもない島をまっさきに指差し、そこを楽園と決めつけるところに平尾のカリスマ性があったのかもしれない。と、同時に極めて単純な限界もだ。  平尾の言葉に微笑む礼子の表情は文句のつけようがなかった。眩《まぶ》しそうに海を見つめる目や、日よけのかわりにかざす指の白さ。  しかし、僕は平尾の言葉や礼子のそんな姿に聞き入ったり見とれてばかりいたわけではない。本当のことをいえば、駐車した車をどのようにバックさせ、何回切り返せばスムーズに国道まで戻れるか、そのイメージ作りのほうにどちらかというと気持ちがいっていたのではないかと思う。      2  読書会のための合宿という名目ではあったが特別なことをしたわけではなかった。昼は泳ぎ、夜は酒を飲んで騒いでいただけだから、どこにでもいる海水浴客と何も変わらない。泊まったのは海岸脇に切り立った崖《がけ》の上に立つ、わりと大きな民宿だった。崖を海に向かって下っていけば、人気のない岩場のプライベートビーチがあった。食事や部屋の広さもまあまあだったし、海もほとんど人がいないので気持ちがよかった。同じ民宿に泊まる客も、車で五分ほどの砂浜に泳ぎにいってしまうのだ。ただ民宿と海をつなぐ坂の上り下りは結構な重労働だった。  高井と高地、僕の三人に一部屋があてがわれた。そして平尾と女性二人でもう一部屋を使うことになった。  僕は車から子犬を下ろして部屋に運び、同室の二人に断りをいれた。段ボールに入った鼠のように小さな犬を見ても、二人に格別大きな反応はなかった。むしろ無関心という感じだった。 「何ていう名前?」とどちらかが聞いた。 「チイ」と僕は咄嗟《とつさ》に答えた。チイチイ鳴くのと小さいからだ。 「チイちゃんかあ」と拍子抜けしたような口調でどちらかが言った。 「この犬どうしたの?」という、この状況においてまず最初に訊《き》かれるはずの質問が最後まで二人の口から上らなかったことを僕は不思議に思っていた。せっかく盗塁したのに、面倒くさがってキャッチャーが球を二塁に放ってくれない、そんな草野球の盗塁王のような気分だった。  一日目は子犬を部屋に入れたまま寝た。二日目には下痢をして部屋がにおったので、窓の外に出しておいた。海から戻って段ボールを開けると、子犬は相変わらず「チイチイ」とか細い鳴き声を上げ、小さな尻尾《しつぽ》を懸命に振ってミルクの催促をするのだった。僕は小指にミルクをしたたらせて子犬に飲ませた。晩飯を済ませると僕は一人部屋に戻り何度も何度も、ただひたすら同じことを繰り返した。その間、他のメンバーが何をしていたのかは知らない。もしかしたら読書会や勉強会が催されていたのかもしれないが、子犬にミルクをやっている僕の耳には酔っ払いの嬌声《きようせい》にも似た笑い声が響いてくるばかりだった。  三日目の朝。  目が覚めて段ボールに向かうときに、胸騒ぎがした。僕が側にいったときに必ず聞こえてくるはずの「チイチイ」という声がしないことが、胸騒ぎの原因だった。箱を開けると子犬はぐったりとへたりこんでいた。指を差し出すと、そこに口を近づけようとして顔を動かしたが、明らかに力は弱っていた。僕は海水浴をあきらめて、部屋に残って子犬の様子を見ることにした。  午後二時ころに部屋の戸がいきなり開いた。  振り向くと石井礼子がそこに立っていた。 「どうしたの?」 「調子が悪いみたいなんだ」 「君の?」 「いや。子犬を拾ってね」 「チイちゃんでしょう。高井君から聞いたわ」 「うん。何だかぐったりしちゃって」 「その小ささじゃあ、母犬がいないと無理なのよ」と言って礼子は段ボールの前にしゃがみこんだ。その拍子にスカートがめくれて眩しいほどに白い素足が僕の目に飛びこんできた。 「泳ぎにいかないの?」と僕が訊くと礼子は「何だか疲れちゃって」と小さな声で独り言のように呟《つぶや》いた。 「君、優しいんだね」と礼子は子犬の頭を静かに撫《な》でながら僕を見ないで言った。  それからしばらくは礼子も僕も何もしゃべらなかった。海からは間断なく波の音が聞こえてきた。空ではときおり海鳥が甲高い鳴き声を上げた。しかし、それだけだった。部屋は明るく静かで、礼子も僕もそして子犬も何の声も出さなかった。  気が詰まるような沈黙ではなかった。むしろ自由でゆったりとした静けさだった。  子犬の頭を撫でている礼子の肩が小刻みに震えていることに気がついたのは、しばらくしてからのことだった。  礼子は声を出さずに泣いていたのだ。 「この子、死んじゃうよ」 「そう?」 「うん。絶対に死んじゃう」 「どうすればいいの?」 「もう、どうしようもない」 「病院に連れていこうかな」 「それでも無理。人間の手では育たない。このまま寝かせておいてあげるしかないわ」  そう言いながら礼子はティーシャツの腕のあたりで何度も涙をぬぐうような仕草をした。 「まだこんなに小さくて、目も開いていないのに」  それからまた一時間近く、僕と礼子は黙りこんでいた。彼女は姿勢もほとんど変えることなく子犬の頭を撫で続けていた。僕は畳の上にあぐらをかいて、その姿を眺めながら煙草を吹かしているしかなかった。      3  その夜、僕は初めてディスカッションに参加させられることになった。せっかくの合宿なんだから君も一度くらいは参加するべきだと、平尾が言い出したからである。もちろんそんなことよりも子犬のことが僕は気になっていたが、ここまで連れてきてもらい、もう三日も一緒に寝泊まりして、一度も参加しないのはさすがに気が引けた。  その席で僕が聞かされたのは、報われる報われないの、論争ともいえないような、飲み屋の討論レベルのディスカッションであった。人間の行いのすべては善きにつけ悪しきにつけ、何らかの形で報われていくのだというのが、石井礼子の一貫した論旨であった。それに対して、人間社会というものは何もかも不公平にできていて、そのシステムを知り尽くして逆手に取っていくことが、才能を花開かせる唯一の方法なのだということを平尾は力説した。努力よりも効率を重んじるべきだというのである。  一般論ならばいざしらず、漫画という特殊な世界においては平尾の言っていることのほうが正しいように僕には思えた。一般論と特殊な業界のことが隔たりなくごちゃまぜに語られる、その第一歩からしてこのディスカッションは不毛だった。しかし、それは正直いって僕には限りなくどうでもいいことだった。ただ、礼子の口からしきりに発せられる報われるという言葉には、何かしらの違和感を覚えずにはいられなかった。すべての行動は何らかの結果としていつの日にか報われるという考え方は理解できないでもない。そうではなくて報われるという語感自体が礼子には不釣合いに思えてならないのだ。  高井と高地は二人並んで、背筋を伸ばして話に聞き入っていた。宮沢カンナはどっかりとあぐらをかいて、ビールをがぶ飲みしている。何か自分の興味を引くようなことがあれば適当にちょっかいを出し、それ以外のほとんどのことには気難しい猫のように無関心だった。 「君はどう思う?」と平尾が僕に訊いた。 「いや、僕は。別に漫画家になりたいと思ったことは一度もないので」と僕は口ごもった。正直いって、この手のいかにも学生風の論戦が好きになれなかった。しかもこのメンバーに感じる無言の中に潜んでいるような上下関係はもっといやだった。海岸で花火をしているほうがどれだけ楽しいだろう。 「漫画の話は別にして一般論でいいから」と平尾は僕に詰め寄ってきた。 「僕はあなたたちとは違って、無目的な人間なもので」と僕は言った。 「無目的?」 「そう。無目標というべきなのかな。ただ毎日、本を読んだりビールを飲んだりしていれば十分なんです。あと煙草を吸ったり」 「目的もなく?」 「まあ。それが目的といえば目的なのかな。マッチ棒を積み重ねて塔を作っていくように、一本一本、一冊一冊を今は無目的に積み重ねているだけです。別に何かになるためにではなくて。報われるとも不公平だとも考えたことはありません。ただマッチ棒を積み重ねていけばきっといつかはどこかに到達するのだろうと、それだけを考えています」  平尾も礼子も不満そうに口を歪《ゆが》めたように見えた。その表情を見て、高井と高地は硬くなった。カンナだけは久しぶりに興味を引くものが見つかったときの猫のように目を輝かせた。しかし、この話題は長くは続かなかった。論点がまったくといっていいほど噛《か》み合わないからである。  それから漫画論や作家論がはじまった。それは聞いていてそれなりに面白かった。高井と高地の二人が平尾が興ざめるほど病的に、漫画家と作品に詳しいことに驚かされた。ほとんどの漫画の一コマ一コマの背景やセリフまですらすらと空で言えるのである。しかし、それはカンナにとってはまったくどうでもいいことのようで、その間、大あくびを繰り返しているばかりだった。  だらだらと続けられたディスカッションが何となくという感じで終わったのは午後十一時ころだった。平尾は面白い物があるからちょっとここで待っていてくれと言って自分の部屋に戻っていった。そして大きな紙袋を手にして戻ってきた。食堂には我々の他には誰もいなかった。それでも平尾は注意深く辺りを見まわして他に誰もいないことを執拗《しつよう》に確認し、その紙袋をテーブルの上に置いた。  ゴトンという硬質の音が響いた。 「拳銃《けんじゆう》だよ」と平尾が言った。 「サービスエリアのゴミ箱の中で拾ったんだ。たぶんモデルガンか改造銃だと思うけど、弾も一緒に入っていた」  ひとつのサービスエリアでは、子犬を拾う人間もいれば拳銃を拾う人間もいるものなのだ。  それから平尾が言い出したことは僕の想像を遥《はる》かに超えていた。これを使ってロシアンルーレットをしようというのである。もちろん弾は込めないけれど、それでも結構迫力はあるのではないかというのだ。それは確かに不毛なディスカッションより面白そうではある。皆が一様に目を輝かせた。  我々は崖を下りて、暗黒に沈む海岸線へ出た。雲が空を厚く覆っていて、星も月も見えなかった。平尾の指示に従い波を被る危険のない岩の上に輪になって座った。その中央に蝋燭が立てられた。夜の海は暗く、まるで怒りを秘めたように不気味にうねっていた。  くじを引く。  1から6までの順番だけを書いた単純なものだ。1がカンナ、2が高井、3が平尾、4が高地、5が僕で最後の6を礼子が引いた。平尾が簡単に手順を説明する。要するに撃鉄を上げてこめかみに銃口を当て、引きがねを引くだけである。平尾はリボルバーの弾倉を何度も回して全員に見せ、弾が入っていないことを十分に知らしめた。  カンナは銃口をこめかみに当てると、何がおかしいのかケラケラと笑い出してしまった。そして笑いながら迷わずに引きがねを引いた。その瞬間カンナはビクッと目を閉じ、カシャッという乾いた音が闇を裂くように響き渡った。  続いて高井が引き、そして平尾が大袈裟《おおげさ》な仕草でこめかみに当て、ゆっくりとトリガーに指をかけた。その指が震えているように僕には見えた。  カシャッ、という音が響くと平尾は「フウーッ」と大きな溜息《ためいき》をついた。  高地が終わり僕の番がきた。  高地から手渡されたリボルバーはずっしりとした重みがあった。誰かを撃ち殺しているような禍々《まがまが》しい雰囲気に背筋が寒くなった。僕は銃口を自分のこめかみに当てた。わけもなく手が震えた。弾が発射されることがないことはわかりきっているはずなのに、死の匂いが立ちこめているように感じた。鉄の質感と鉄のかすかな香りが、死を想起させるのだろうか。  僕はゆっくりと撃鉄を上げた。  取り囲む五人が、すべてスローモーションで動いているような錯覚に囚《とら》われた。その先では黒い海が波しぶきを上げていた。これが死でないことはわかっていた。しかしまったく死と無関係ではないような気もした。右手に持つ拳銃の重厚な重みが、恐怖を喚起した。蝋燭の炎がゆらゆらと揺れているのが目に入った。海からの風に吹かれて、それは激しくゆらめいていた。  僕は無意識に礼子の目を見た。  礼子の怯《おび》えたような瞳《ひとみ》の中でもやはり、蝋燭の炎が揺れていた。  引きがねを引く。  カシャッ。  その瞬間、気が遠くなるような感覚がした。スーッと意識が遠のいていくような妙な気分だった。慌てて生唾《なまつば》を飲みこんだ。でも、終わってしまえばただそれだけのことだった。  礼子は拳銃をこめかみに当てたまま、しばらくの間、微動だにしなかった。  蝋燭のか弱い光に照らし出される顔は、蒼白《そうはく》で無表情で、しかし何ともいえない官能的な美しさがあった。礼子の瞳は薄い涙を湛《たた》えているようだった。蝋燭の光を反射して、それは妖《あや》しく光っていた。  手がぶるぶると震えている。  僕は吸いこまれるような気持ちで礼子の目を見つめていた。その目は、平尾にも僕にもそしてその他の誰にも向けられてはいなかった。それは人形に嵌《は》めこまれた大きなガラス玉のようだった。でもそのガラス玉が何を見ているのかが、僕にはわかるような気がして背筋が寒くなった。引きがねを引いた後に、もしかしたら見えてくるかもしれないもの。正確にはそれが何なのかはわからない。しかし、この世にある何かを見ているような瞳でないことだけは理解できた。  なぜかわからないけれど、僕は今までに一度も感じたことのない恐怖に囚われていた。  弾が入っているのではないか。もしかしたら平尾はゲームにかこつけて疎ましくなった礼子を殺そうとしているのではないか。  そんな感慨が一瞬、胸を過《よ》ぎった。 「撃て!!」という平尾の大きな声が響き渡った。 「やめろ」と僕は心の中で叫んだ。  礼子はこめかみに銃口を当てたまま、凍りついたように動かない。 「撃て!!」と平尾が再び叫んだ。  その瞬間、礼子は目を固く閉ざしたまま首をすくめ、震える指先で引きがねを引いたのである。      4  鵜渡根島というたったひとつの言葉から胸に蘇《よみがえ》ってくる様々なこと、そのあやふやな記憶とは相反する、二十数年たっても忘れていない銃の重みのリアルな感触に僕は戸惑っている。  子犬はあの夜の次の朝に死んでいた。  僕は民宿の裏庭で木箱を拾い、海に流した。  牛乳パックを横に置いてやり、そして「鵜渡根島にだけはいくな」と声をかけた。  平尾が言うところの、何もない平和なだけの島に行ったって何が楽しいのだろう。楽園と平尾は表現したけれど、あの島から見ればきっと僕らの立っているこの場所こそ楽園に見えるに違いない。  楽園なんて、きっとそんなものだ。  僕はホテルの窓の外に広がるいくつかの島を眺めながら、たとえどんな状況であろうとも最初に鵜渡根島を指差して説明するような人間にはなりたくなかったのだと思った。僕にとってのあの旅の意味は何もかもがあやふやだけれど、鵜渡根島を指差した平尾への小さな怒りだけは一本のマッチ棒となって積み重なったのかもしれない。でも、それが本当にどれくらい意味があることなのかどうかは、正直いってわからない。  今になって僕は考える。  あの四日間は子犬にとっていったい何だったのだろうかと。僕に拾われて過ごした、たった四日間の延命が、そしてその時間があの子犬にとって何かを意味していたのだろうか。  もうひとつ忘れられないことがあった。  ロシアンルーレットごっこをやった夜のことだ。  部屋には高井と高地の大いびきが響き渡っていた。眠っていた僕は、人の気配で目を覚ました。布団の中に誰かが潜りこんできて、僕のパンツに指を忍ばせてペニスを刺激しているのである。僕は恐る恐る髪に手を伸ばした。長くて柔らかな髪だった。性器を擦《こす》られる快感が熱を放射するように体の隅々まで駆け回った。とりあえず僕は快感に耐え、寝たふりをしているしかなかった。  やがて僕は寝返りを打つふりをしながら、彼女のほうへ顔を向けた。すると彼女はくるりと背を僕に向けるのだった。しかし、性器から手を離すことはなく彼女は後ろ手で器用に僕のペニスを刺激し続けた。それから彼女は穿《は》いていたパジャマとパンティーを膝《ひざ》まで下ろし、足首のあたりまで自分の足の指を使って下ろした。そして僕の硬直したペニスをゆっくりと自分の性器に近づけていったのである。体をくの字に曲げて、臀部《でんぶ》を突き出してきた。僕はなす術《すべ》もなく、彼女にされるままにしているしかなかった。右手を僕のペニスに当て、左手を自分の性器に当てている。そしてそのままの姿勢で臀部を僕のほうに突き出してきた。やがて皮膚とは違う感触が僕の性器を包みこんだ。次の瞬間にペニスは彼女の性器の中にスルスルと入りこんでしまっていたのである。 「うっ」という声を彼女が上げた。  それから彼女は腰をゆっくりとしたリズムで動かしはじめた。それに合わせて僕の腰も無意識に動いた。僕の腰が動くとまた「うっ」といううめき声を彼女は上げるのだった。彼女の性器は濡《ぬ》れていた。柔らかく驚くほどに熱かった。やがて彼女が腰を動かすスピードが速まっていく。僕はパジャマに手を潜《くぐ》らせて彼女の乳房を両手で握りしめた。彼女の声が高くなった。彼女の性器が激しく痙攣《けいれん》をはじめた。それとほぼ同時に僕は射精した。性器から背骨を抜けて頭のてっぺんまでを、グラウンドに引かれた一本の白線のような快感が走り抜けた。  セックスが終わると、彼女はパジャマのズボンとパンティーを元に戻し、僕に一度も顔を見せないまま、静かに部屋を出ていってしまったのだった。  礼子であることはわかっていた。  髪の長さも、体のサイズも、小さく上げた声の質も。  しかし、それを特定することはできなかった。つまり僕は彼女のそれ以上について何も知らなかったからである。一人残された布団の中で、僕はたった今自分の身に起こったことを咀嚼《そしやく》するだけで精一杯だった。しかし、当然のこととはいえ何ひとつ噛み砕くことはできなかった。ただ性器にはそれが夢や幻ではなかったという確かな感触があった。  僕ははっきりと射精した。しかし布団の中には女性が残していったわずかな温《ぬく》もりがあるだけで、精液の痕跡《こんせき》を見つけることはできなかった。  銃口を当てたときの礼子の無表情な顔が浮かんできた。  彼女は死に怯えてはいなかった。むしろ陶然としていたといっていいのかもしれない。あの無表情は、心の底から湧きあがってくるその得体の知れない快感を覆い隠すためのものだったのではないだろうか。  ではなぜ僕の部屋に潜りこみ、あんなやり方でセックスをする必要があったのだろうか。そのことはいくら考えてもわからなかった。それがなぜ、同じ部屋に眠る高井でも高地でもなく僕だったのか。あるいはその誰でもよくて、たまたま潜りこんだのが僕の布団だったというだけのことなのか。まるで自分の性器を使ってロシアンルーレットをするように、礼子は僕を受け入れただけだったのか。  あの四日間が子犬にとって何の意味があったのかわからないように、僕にとっても同じことがいえる。礼子が言うように、人間の行為が必ず何らかの形で報われてゆくものなのだとしたら、あの夜の行為は彼女に果してどのような報いを与えたのだろうか。僕にとってそれは本当に一本のマッチ棒を積み上げることになったのだろうか。そしてその塔は今も順調に積み上げられ続けているのだろうか。  伊豆からの帰り、誰もがどうしようもないほどに無口だった。  僕は平尾の真面目ぶった顔を見るたびに、海岸で「撃て!!」と叫んだ声が蘇り、気分が悪くなった。高井と高地は優しい男たちで、子犬の死体が海に流れていくのを見えなくなるまで一緒に見守ってくれた。帰りの行程で僕は平尾とカンナと礼子の関係が微妙であることに初めて気がついた。しかし、それは僕にとってはほとんどどうでもいいことだった。  今になるとわかるのである。  しかしあのころはそれを肯定することができなかった。結論を焦り、手にしていると錯覚しているもののすべてを自分に役立てようと考えていた。報われるのか報われないのか、不公平なのかそうでないのか。そんなことよりも何よりも、僕らは自分たちが内包しているどうしようもない残虐性にいち早く気がつき、それから目をそらす努力をしていなければならなかったのだ。  報われたのかどうか、マッチ棒が順調に積み上がっているのかどうか。それを確認するだけで二十年もの月日がかかることを僕たちは知らなかったし、たとえ知っていたとしてもそれを容認することはできなかっただろう。  とにかく、今になってわかることはたくさんある。  たとえば、あのメンバーの中で後に漫画家になったのが高井と高地だったこと。平尾は出版社に就職したものの編集を担当することはなく、やがて転職を繰り返し、今はどこで何をやっているのかもわからない。カンナは早々に漫画家から足を洗って阿佐谷《あさがや》でジャズバーを経営している。僕は無目的に学生時代を終え、適当な会社に就職し、そして今は物書きをして生活している。車の運転時の安全確認の回数は極端に減り、その代わり車線変更はそれなりにうまくなった。それがせいぜい自分が積み上げたといえるはっきりとしたマッチ棒なのかもしれない。  わからないのは石井礼子である。  彼女が自分のしたあらゆる行為によって果して報われたのか報われなかったのか——。  伊豆合宿から帰った四日後、彼女は自殺してしまったからだ。父親の保有する猟銃を口に咥《くわ》えて、足の指で引きがねを引いたのである。  僕は暗闇に包まれる海岸の岩の上で見た礼子のガラス玉のような瞳を思い浮かべる。そして後ろ手に器用に僕の性器を自分の性器に誘導する繊細な指先の感触。  礼子は伊豆から帰って死ぬまでの四日間、どこかで「チイチイ」とか細い鳴き声を上げ続けていたのかもしれない。  その声を聞いてくれる人間はいたのだろうか。  水平線に浮かぶ鵜渡根島は暗闇の中に沈んでいこうとしている。僕は窓辺に腰かけて、その姿が完全に闇の中に埋没してしまうときを、ただひたすら待ち続けた。 [#改ページ]   ソウルケージ      1  魂の籠《かご》に捕らえられている。  そうとしか言いようのない状況が、気がつけばもう一年近くも続いていた。いつのまにかはじまっていた曖昧《あいまい》な梅雨のまっただ中にいるようなものだった。何かの境目を意識することもなく、気がついたときには私はすっぽりとその籠の中にいた。それは長い雨に打たれ続けて、はじめて自分が梅雨という季節の中にいるのだと認識することによく似ていた。 「及川《おいかわ》さーん」  誰かが私を呼ぶ声が、はるか彼方《かなた》から聞こえてくる。  その声だけは、私が入りこみ身動きができなくなってしまっているこの籠の中にも辛うじて届いてくる。 「及川さーん」 「美緒《みお》さーん」  しかし、私は彼らに籠を開こうとはしない。入口も出口も、扉の場所も、果してそんなものが存在するのかどうかさえも私にはわからない。それはありもしない梅雨の扉を探すのと同じことだからである。  ソウルケージ——。  あるいはこうも言えるかもしれない。  あらゆる観念を閉じこめておく籠のようなもの。  最初のころは確かにそうだった。私は自分の中にあるありとあらゆる観念をそこに放りこんできた。悲しみや苦しみや嘆き、あるいは自分の中で暴れ回っているどうしようもなく獰猛《どうもう》な衝動や、発作的な慟哭《どうこく》、孤独感や虚無感といったもの。自分の内側から湧きあがる、そのような感情や観念をひたすらそこに放りこみ続けた。小学生のころにそれに近い訓練を受けていた私にとって、その作業はそんなに難しいことではなかった。  私は調子に乗って洗濯物をバスケットに放りこむように、籠に放り続けた。  薄っぺらな下着のような感情、安物のストッキングのような観念。カーディガンからワンピースから、目につくありとあらゆるものをだ。そして私は、それらのものを籠の中に放りこんだまま仕事に出かけた。街を歩き電車に乗って人と会い、必要な用事を済ませることができた。私がそうやって仕事の打ち合わせをしたり食事をしたりしていることに気がつく人は、ただの一人もいなかった。目の前で話をしている人間が、魂を部屋の片隅の籠に放りこみ無感情かつ無観念に相対しているということにだ。まるで意味もなくあやつり人形のように口をパクパクさせているだけだというのに。  そんな状態で私は滞りなく打ち合わせを済ませ、一通りの世間話をこなすことができた。地方に出かけ、写真を撮り取材をして回ることさえ可能だった。いや、かえってスムースにいったといってもいいかもしれない。そんなとき、私は茫洋《ぼうよう》とした頭の片隅でいつもこう思った。この世界はもしかしたらあやつり人形の方が過ごしやすくできているのかもしれないと。  それならば、それでいい。  シャベルで石炭を放りこむように私は感情や観念を籠に放りこみ続け、その結果あやつり人形化は際限なく加速していったのだった。  そして、ある日、はたと手が止まる。  もう何も投げ入れるものがなかったのである。  いくら探しても、何も残っていないのだ。  すべての糸を切られ、動きを止めてしまった人形のような寂寥《せきりよう》感に襲われた。三六〇度を地平線に囲まれた荒涼とした砂漠のまん中に一人で立ち、周囲をぐるぐると見まわしているような感覚だった。  私はアパートのフローリングの上にくしゃくしゃになってへたりこんだ。もう何も残っていなかったはずなのに、たったひとつだけ自分の胸に響き渡っている感情があった。  寂しい。  空っぽの石油缶に投げられた小石のように、その感情は耳障りな金属音をたてながら響き続けた。そのときの私は寂しさをオブラートのように包みこむことができるはずの、それ以外の感情をすでになにひとつ持っていなかったのだ。  フローリングにへたりこんだ私は、身動きもできなくなっていた。  空っぽの胸の中に、ただ寂しさだけが鳴り響いていたのである。  私ができることはひとつしかなかった。このずだ袋のようになってしまった体ごと、あの籠の中に放りこんでしまうこと。そうなればどうなってしまうのだろうかと、私は金魚のようにただ口をパクパクさせながら考えた。自分自身を現実のこの場所から、ソウルケージの中に放りこんでしまったら。  それからこうも考えた。  それはもうすでにはじまっているのかもしれないと。  いつのまにか梅雨の中にいたのと同じことだ。最初にひとつ目の感情を放りこんだときが、すでに私の梅雨のはじまりだったのだ。  私は最後の気力を振り絞って、転がりこむようにして自分自身を籠の中に放りこんだ。そして、結果的に私はこの魂の籠に捕らえられてしまったのである。  しかし、そこは案に反して、安らかな場所だった。世界と自分の間にある柵《さく》の存在を感じるたびに私はどのくらい安堵《あんど》したことだろう。その場所では叫ぶことも泣くことも恐怖に顔を歪《ゆが》める必要もなかった。何も考えずに何も感じずに身動きもせずに、永久凍土のようにただ時間だけをやり過ごしていけばいいのである。  感情を籠に投げ入れだしたときがはじまりなのだとすれば、もう私は一年近くもそこに捕らえられてきたことになる。そして最終的に魂の籠は音もなく、そして完全に私を捕まえた。一度、何かを投げ入れてしまえば、最後には必ずすべてのものがそこに入らなければならなくなるように仕組まれた巧妙な罠《わな》のようでもあった。  籠の中に横たわった私はただひたすら眠った。  観念的な、緩慢な自殺のような眠り。  あるいは永久凍土のような眠り。 「及川さーん」という、遠くから私を呼ぶ声が微《かす》かに聞こえた。  何も見えない濃い霧の中に響いてくる声のようだった。  その声を聞いて私という人間を形作っている破片のひとかけらに及川という一片があるのだということを認識した。感情という感情、感性という感性は凍りついた土の層のように何の脈絡もなくただ重なり合っているようだった。何もかもがかさかさに乾ききっているような感覚だった。 「及川さーん。美緒さーん」と今度は女性の声がした。  方向性のない濃い霧の中をさまよいながら、私はもうどのくらいこうしているのだろうかと考えた。自分自身をあの籠の中に放りこんでから……。 「及川さーん」  いくら叫ばれても、目を開けることができなかった。  瞼《まぶた》という一枚の皮が籠の一部で、それを固く閉じていることで私は身を守ろうとしていたのかもしれない。  とにかくもう少しだけ、と願う。  もう少しだけこの籠の中にいさせて欲しい、と。  私にはまだこの籠の扉が見えないのだから。  そして、それは誰の目にも梅雨の扉が見えないのと同じことなのだ。  母親一人の手で私は育てられた。  自分の親が、なぜ母涼子一人だったのか、そしてどのような方法で彼女が私たちの生活費を稼いでいたのかを私は正しくは知らない。物心がついたときにはすでに母親と二人きりで、そういうふうに暮らしていたし、子供心にその理由を母に訊《き》くことには躊躇《ためら》いがあった。  もちろん裕福ではなかったけれど、それなりの暮らしではあったと思う。小学校入学時には赤い新品のランドセルを買い与えられたし、居間の片隅には自分用の勉強机も用意されていた。旭川《あさひかわ》市内の中心部から程近い二階建て木造アパートの一階の一室が私と母の生活の場所だった。母は朝早くから仕事に出かけ、深夜か、ひどいときには空が明るくなりはじめているころに帰宅した。しかし、どんなに遅くに家に帰りついても、その日の朝には必ずまた仕事に出かけていくのだった。それは土曜日も日曜日も変わることはなかった。 「お仕事なの」  疲れ果てた顔で私を見ると、母はいつも悲しそうな目でそうつぶやいた。三十半ばだったはずの母の顔が、一瞬、七十歳を超えた老婆のように見えて、そのたびに小学校低学年だった私の胸は無理矢理何かを詰めこまれたように苦しくなるのだった。みるみる涙がたまっていったのだと思う。そんな私を見て母は「ごめんね美緒ちゃん、本当にごめんなさいね」と何度もただ繰り返すだけであった。  大地さえ凍りついてしまうような旭川の町で、どのくらいの冬の夜を私は一人きりで過ごしてきたことだろう。部屋の壁に掛けられた温度計が計測の限界の零下二〇度を超えた夜も私は一人で耐えていた。二〇度を超えてしまえば、もう二五度も三〇度も同じことで寒さも感じない。ただこの夜を乗り越えて母が無事に戻ってきてくれることを願うばかりだった。一人で布団《ふとん》に潜りこんで眠ることには馴《な》れっこになっていたが、それでも切ない胸騒ぎがしてどうしても眠れないときもあった。そんな夜には、アパートの近くを車が走る音がするたびに、布団から這《は》い出て、玄関でドアが開くのを待った。小学三年の誕生日の夜に私は、どんなに頑張っても消すことができない寂しさに耐えかねて、とうとう玄関のドアを開けてしまう。それは母から強く禁じられていた行為のひとつだった。  二月の真夜中のことである。  ドアを開くと眩暈《めまい》がするほどの暗闇が広がっていた。押し潰《つぶ》すような圧力を感じさせる圧倒的な闇だった。一切の隙も感じさせない密度の濃い暗闇だった。何の音も聞こえなかった。まるでこの世のすべてが暗黒に吸収されてしまったようで、体中が総毛立った。冷気が鼻を刺す。鼻腔《びこう》内のわずかな水分が瞬く間に乾燥して凍りついてゆくのがわかった。私は怖くなって、アパートの門灯を点《つ》けた。赤褐色の門灯の頼りない灯《あか》りは立ちこめる濃い霧を透過しながら、微かな光量ではあるが足元の雪を淡く照らし出した。  いくら待っても、母は戻ってこなかった。私は心細くなって泣き出してしまったのだと思う。しかし瞼の縁で凍りついてしまうのか、涙が瞳《ひとみ》から零《こぼ》れることはなかった。  門灯に照らされた霧の中に光の粒が静かに踊っていることに、やがて私は気がついた。霧のように見えるけれどこれは霧ではなく、空気が凍りはじめて白濁しているのである。宙空を舞うように氷の粒が、門灯の光を反射してキラキラと輝いている。  その光の粒に誘われるように外に出た私は、そこに広がる光景の思わぬ美しさに息を呑《の》むように立ち尽くした。  まるで世界全体が魔法にかけられているようだった。  零下二〇度を超える外気の中で氷結し、ダイヤモンドの破片となって鏤《ちりば》められた無数の光の粒が私を取り囲んでいたのである。  その中で私は母の優しさを思った。  躾《しつけ》には厳しいけれど、誰にでも親切で誰からも慕われていて、朝も夜もなく私を育てるために働き続ける母。  胸が苦しくなる。  呼吸さえも凍りついてしまうような冷気にさらされて、胸が一杯になってゆく。  では、そんな母のために私は何をできるというのだろう。母を喜ばせたいと思う。温めたいと思う。でも私は与えられるばかりで、何を与えることもできないのである。せめてこの美しい光の粒を母にも見せてあげたいと思う。どんなに喜んでくれることだろう。きっと母は急ぎ足でここに向かっていて、こんなに美しい光の粒が私たちを取り囲んでいることに気がついてもいないだろう。  私はアパートの玄関に座りこんで、母を待ち続けた。白く霞《かす》んだ空気の中を、光の粒を切り裂くようにして私の許《もと》に駆けてくる母の姿を何度となく思い浮かべながら……。      2  おかしいのは世界ではなくて、もしかしたら自分自身なのではないか。  そんな単純でささやかな、しかしそれだけに拭《ぬぐ》いがたい疑念に囚《とら》われはじめたのはいつごろからのことだったろう。世界が間違っているのではなくて、自分が間違っているのかもしれない。そのことを生まれてはじめて私に勘づかせてくれたのは石川先生だった。  魂の籠という、それまでには想像したこともない概念を与えてくれたのも石川だった。人気のなくなった小学校の広い教室の片隅で、まるで水面を泳ぎ回る金魚に餌をばらまくように、私はその言葉を投げ与えられたのである。 「君に必要なのは、恐怖とか不安とか、君を苦しめるありとあらゆる負の感情を閉じこめておくような籠なんだ」  防寒用のビニールが張り巡らされた教室の窓から夕陽が射しこみ、足元に落ちていた。私は石川に気づかれないように、ささくれだった木の床の上にできた陽だまりの中に、つま先を入れたり出したりしながら、退屈な話を聞いているふりをしていた。  石川はいつも白衣を着ていた。ぴかぴかに磨かれた眼鏡が冷たく光っていた。しかし、それ以外のことはどうしてもうまく思い出すことができない。  白衣と眼鏡と魂の籠。  陽だまりに出し入れするつま先。  がらんどうの教室。  男のくせに、少女だった私の前ですぐに涙を流す小学校教師。いくらかき集めても、思い出せることはせいぜいそれだけである。  黒板消しを木の棒で思いきり叩《はた》いたときに立つ白い煙や、そのにおいは鮮明に憶《おぼ》えている。少し後に導入された黒板消しクリーナーのことだったら形や大きさや色や、そしてそれがどのくらい吸いこみが悪くて役に立たないものだったのかも、カッターで裂かれたような吸いこみ口の形さえも思い出せるのに、石川のことになると髪型も顔の輪郭さえも思い浮かばない。小学五年から卒業までの一年間以上、放課後に週に何回も話し相手をしてくれていたというのに。  どうしても思い出せなかった石川のことが、しかしこの三ヵ月くらいの間に極めて断片的にではあるのだが、次々と蘇《よみがえ》ってくることに驚いている。あのころの私はやはり大人たちがよってたかってそう認定したように、病んでいたのかもしれない。そして、忘れさっていたはずの記憶を眠れない夜の敷布団の上に、獺《かわうそ》の祭りのように並べようとしてしまうのは、やはり今の自分が病んでいるからなのかもしれない。  間違っているのは、世界ではなく、自分のほうなのだ。  高校を卒業し、大学を出て就職をする。  今の日本に生きるたいていの若者たちが通り過ぎてゆく道を私も歩いてきた。大した疑問もなく、そのことに特別な何かを思うこともなく、自然な筋道をただ踏みはずさずに歩き続ければよかった。それはある意味ではコンピュータの中で何かを育ててゆくシミュレーションゲームに似ていた。ある条件を与えれば、画像の中の私は、簡単に確実に進化できるのである。そして新しいパワーを与えられて、次のステージへ移行可能となる。新しい場面に立つと、はじめのうちは少しだけとまどうけれど、結局は同じような理屈がその世界を支配している。金貨がどこに隠れているか、キノコをどうすれば手に入れることができるのか。  それを成長というのかどうか、私にはわからなかったけれど、とにかく次のステージに移行するたびに頭の中に祝福の音楽が鳴り響くことだけは確かだった。  私はいくつもの隠し金貨のありかを見つけ、抜け目なくキノコを強奪しながらやがて社会の中にどっぷりと足を踏み入れていった。  就職したのは東京の編集プロダクションだった。出版社の下請けとして編集実務を担うプロダクションの中では最大手ともいえる事務所だった。女性ファッション誌をはじめとして、あらゆるジャンルの出版物のデザインや編集や記事作成まで、雑誌に関する仕事は何でも引きうけていた。  私の仕事は簡単なものだった。  週に一度、カメラマンと一緒に日本のどこかを旅して、その情景を書くことである。それが週刊誌のカラーグラビアに四ページにわたって紹介される。 「こんなにも美しい日本」というのがそのコーナーの題名だった。十年以上も続いている定番企画で、新人だった私がそのページを与えられたことは幸運としかいいようがなかった。二十二歳で就職して二十九歳になる現在に至るまで、私の仕事の骨格は変わることがない。もちろん他にも雑務や人の尻拭《しりぬぐ》いのようなことは山ほどあるけれど、ベースになっているのは週に一度の割合でページをアップしていくことだった。  ただひとつ問題があるとすれば、そのページが私ではない誰かの名前で発表されること。つまりプロ野球選手であったり、大学教授であったり、芸能人であったり、各界の有名人が紹介する美しい日本なのである。もちろんそのような忙しい人種が、わざわざ日本の辺境を訪ねて歩く暇もない。そこで編集プロダクションの、そして私のような人間が必要になってくるのである。世間との折り合いといってしまえばそれまでなのかもしれない。社会と出版社の間に挟まって、キノコや金貨のありかを探す。要するに私が二十二歳から七年にわたってやってきたことは、そういうことだった。  能登《のと》半島でも対馬《つしま》でも、知床《しれとこ》や男鹿《おが》半島でも、場所を指定してくれる場合はまだよかった。稀《まれ》にではあるが、場所の選択も含めてそちらで適当にやってくれという依頼があるのには驚いた。名前だけを貸すという感覚である。先輩たちは、それは年とともに付き合いが深くなった芸能プロダクションのマネージャーが私を信用してくれている証《あかし》なのだと、慰めてくれた。  そういうものかなと私は思う。  とにかく、そうやってときにはプロレスラーになり、ときには人気絶頂の歌姫になり、ときにはカリスマ塾講師になりかわって私は全国を飛びまわって歩いた。ただひたすら、こんなにも美しい日本、を追い求めて——。  安物のゼンマイをただキリキリと巻き続けたような日々だった。私は自分の中にあるゼンマイを必死で巻き続け、その結果としてどこかの誰かが何らかのアクションを起こした。人が読んだり笑ったり、感心したりするのは決してゼンマイの動きを見るからではなくて、その上に被《かぶ》せられたブリキのおもちゃの姿が面白いからなのである。できあがった週刊誌のページを見るたびに、そんな空しさが胸を過《よ》ぎった。私の感じたこと、私の感情だったはずのものが、名前を変えて誰かのものにすりかわってしまっている。  行ったこともないはずの町。  見たこともないはずの光景なのに。  もちろんそのことは自分自身では納得しているつもりだった。ゼンマイをきつく巻き、ブリキを面白おかしく動かすことの代償として私はキノコや金貨を手に入れて生きているのだから。  しかし、こんな疑問も時折、頭をもたげた。もし誰かに訊かれたら彼らはどのような返答をするのだろう。いや、たいていの場合はそのページを見ることもなく、もっと言ってしまえばそのような企画に自分自身の名前で何かを書いているという意識すらないのかもしれない。最初のころはそのことが不思議で、不安でしかたなかった。しかし年月とともに、そのことも割りきれるようになった。ある部分までが私の役割で、そこから先はそれぞれの人たちの問題なのだというふうに。  正直に言えば週に一度の割合で消え続ける自分の感情に折り合えないこともあった。どこかに埋没し続ける自分の感性について、私はどのようにも責任を取ることができなかった。しかし、自分自身を説得しながらこの仕事を続けるには、週一度というペースがあまりにも慌ただしすぎた。土、日、月が取材。火が休み。水、木で原稿を仕上げ、先方の返事を待つ。金に入稿。取材先にファックスがきて校了。考えてみればこの七年間、三五〇回にもわたって同じ作業を続けてきたのである。もちろん近場の取材で、基本的には三日あけてある取材日が二日で済むこともある。中には自分で取材して自分で書きたいという人もいる。そんなときは取材には付き合うけれど、原稿書きに割り当てた時間は自由になった。  私はひたすら働いた。  二十二歳から二十九歳までの七年間、心の底に蠢《うごめ》くさまざまな疑問を封じこめて、仕事に邁進《まいしん》した。大学を出て就職して七年。過去を振り返ることも、自分自身の現在を顧みることもなく、ただひたすら毎週四ページのスペースを埋め続けた。考えたり立ち止まったりする暇も隙間もないというのは、私にとって決して悪い状況ではないように思えなくもなかった。      3  キリキリと巻き続けていたゼンマイが突然音を立てて弾《はじ》けた。その音を聞いたのは、御蔵《みくら》島の岸壁に座って、太陽の光を反射しながら銀色に輝く、太平洋の大海原を見ていたときのことだった。冬に向かう海は太陽の光すらも受け入れないような厳しさで、凜々《りり》しくひきしまっていた。  その光り輝く海を眺めているうちに、私の中で何かが音を立てて弾け飛んだ。車の部品のある部分を支えている小さなバネが弾け飛んだような感触だった。それによって車が動かなくなるほどの重要なバネではない。気がつくかつかないかくらいに、動きが少しだけぎくしゃくしてしまう、そういう類《たぐい》の部品である。それは何かの拍子に勢いよく弾け飛んで、私の体のボンネットのような場所に硬質な音を立てて当たり、そして転がり落ちたのである。  海は美しかった。  どこまでも広く、人を寄せつけない威厳に満ち溢れていた。薄雲の向こうに太陽があって、その光が海に反射しながら銀の帯を作りまっすぐに私の足元まで伸びていた。銀色に光る雲と、同じ色に輝く海は、一体化して広がり水平線の存在を見つけることも難しいくらいだった。 「いいなあ、ここは」とカメラマンの大森が何度も叫び声を上げながらシャッターを切っていた。  魚の群れを追うようにオオミズナギドリの集団がギャアギャアと大声を上げながら飛びまわっていた。その白い大きな羽が、逆光の中で動いている。羽を透過した光が、いくつかの筋になって海に落ちてゆく。  海と空と鳥、たったそれだけの要素を十分に際立たせる複雑な太陽の光——。  それを目の前にして、私は言葉を失っていた。この私の感慨も、一週間もすればどこかに埋没してしまっていくのだ。女子プロレスラーの感情と化して……。その喪失してしまった私の感情は最終的にはどこへ行ってしまうのだろう。 「いいなあ、いいなあ」  背後から聞こえる大森の声が、まるでお伽《とぎ》の国からの叫びのように聞こえてくる。そして、私は無垢《むく》に広がる海を見ながらこう思う。  間違っているのは世界なのではなくて、もしかしたら自分なのではないか。  お伽の国にいるのは大森ではなく、自分のほうなのではないか。  そう考えた途端に背筋が凍りつくような悪寒に襲われる。  私は金縛りにあったように、その場から動けなくなってしまっていた。 「君の中にいる傷だらけの熊を、なだめすかして、籠の中に静かに寝かしつけておくんだ。大切なのは熊を怖がらずに飼いならすこと」  石川の声が聞こえてきた。  顔かたちも髪型も曖昧だが、声だけははっきりとリアルに蘇ってくる。 「ソウルケージに?」 「そう」 「私の中にいる傷だらけの熊をですか」 「そう、その通り。暴れ出して手に負えなくなることがないように、なだめて手なずけて、籠の中に眠らせておくんだ」  小学六年への進級を間近にした冬の日に、母は死んだ。二月十四日のことである。その日を境に私の身辺は逆らえない濁流に呑みこまれるように、どこかからどこかへと流され続けることになる。しかし、記憶は何もかも曖昧で粉雪のようにとらえどころがない。  母の遺体と対面することもなかった。  死因を聞かされもしなかった。  葬式の記憶もない。  ただある日を境に、母は私の許に帰ってこなくなってしまい、数日後に何人かの大人たちがアパートに現れて、部屋の整理をはじめた。私は施設のような場所に連れていかれて、そこで寝泊まりさせられるようになった。それから一週間後には札幌の小学校に編入させられてしまったのだ。  何の説明もなく、もちろん選択の余地もなかった。 「お母さんに会いたい」とどんなに泣き叫んでも、私の周りにいる大人たちはしかめっ面で首を振るばかりであった。私は自分を取り囲んでいる彼らが何者なのかも知ることができなかったのである。 「なぜその熊を籠の中で眠らせなければならないんですか?」 「人を襲うからだ」 「人を襲う?」 「そう。傷つけられた熊ほどおそろしいものはない。傷を負い荒れ狂ったやつらは、次々と一撃で人間の首を跳ね飛ばし、見さかいなく牙《きば》をたて肺腑《はいふ》を抉《えぐ》り内臓を引っ張りだし、大地を血に染めてゆく」 「その熊が私の中に?」 「そう。もちろん及川だけではなく、誰の心の中にもいる」  札幌のはずれにある小学校の教室で、私は週に何度か、石川からこんな気が滅入《めい》るような話を聞かされた。カウンセリングということらしかったが、それが私にとって何の役に立つものかはまったく見当もつかなかった。何度かに一度、石川はこのようなおぞましい話をするのだが、それ以外、大抵の場合は降り積もったばかりの雪のようにふわふわと優しい感じがした。  私が石川が好きだった最大の理由は、何といっても誰も話してくれない母のことを断片的にではあるが聞かせてくれたからである。  中学に入学して間もなくのころ、私は石川から母の死についての決定的な話を聞かされた。おそらく、小学校を卒業したことによって情報開示のレベルがいくらか緩やかになったからだと思う。  母が自殺したこと。  妻も子供もいる男との心中だったこと。  男の家族は自殺ではなく殺人だと言い張っていて、いつまでもその死について納得しようとしなかったこと。男は旭川の商工会議所では人望のある人物で、街全体が大騒ぎになってしまったこと。 「だから、あの場所から君を救い出さなければならないと旭川市の教育委員会が決定を下したんだ」  私は素直にカウンセリングを受けるふりをして、注意深く母に関する情報を石川から引き出していった。  相手は当時、母が夜の仕事として勤めていたスナックの常連客だった。朝から夕方にかけて、母はスーパーマーケットのレジ係として働き、夜はスナックでホステスをやっていたらしい。  十八年前の二月十四日の早朝。母は男と二人で連れこみ宿に入り、ダイナマイトを中央に置いて抱き合ったまま爆死を遂げたのである。六畳ほどの和室は血と肉片の渦になっていて、どちらの内臓がどちらのものであるかの識別も不可能なほどだったという。駆けつけた警官は畳の上にたまった血糊《ちのり》に何度も足を滑らせた。小さな床の間に置かれた花瓶の中から、どちらのものかわからない眼球が一個見つかったという。  その話をはじめて聞かされたとき、私は体が凍りつくような嫌悪感を覚えた。花瓶の底に転がっていたという眼球は、母のものだと本能的に直感した。そのイメージが私を苦しめ、その後どのくらい眠れない夜を施設のベッドの上で過ごすことになったことか。  一人きりの夜にはいつもどこからか現れて私を慰めてくれた母の優しい残像が、その夜から恐怖へと変わっていった。  石川の言う通りだと思う。  私は母のことをすっかり何もかも忘れさらなければならないのだ。すべてをソウルケージの中に閉じこめて。そして私の中にも確実に存在するだろう、傷だらけの熊を何とか寝かしつけながら生きなければならない。  暴れ回らないように。  人を食い散らかさないように。  何よりもその凶暴な獣から自分自身を守るために。 「どうした、及川さん」  背中から大森の声が聞こえてきた。  気がつくと私は足元の芝生に向かって胃液を吐き続けていた。いつのまにか太陽は海の向こうに沈み、その残像が鉛色に沈みかけた海を辛うじて照らし出していた。  石川先生なんて、そもそも最初から存在しないのだと私は収縮する胃の痛みに耐え、上半身を痙攣《けいれん》させながら思った。自分が生きてゆく上で都合のいいように、勝手に自分が作り上げた空想上の存在なのではないか。 「大丈夫か?」 「うん。大丈夫」と焼けつく咽喉《のど》から絞り出すようにして、やっとそれだけを答えた。 「そろそろ旅館に戻りましょう」 「はい」  私より一回り年上の大森は、決して一定の距離以上は近づこうとはせずに静かに声をかけてきた。何十回となく共に旅をした仕事仲間だった。美しい光景に出会うたびに「いいねえ、いいね」とつぶやき、ときには叫ぶようにしてシャッターを切るのには閉口したけれど、それ以外のことにおいては常識的で紳士的で、とても仕事のしやすいパートナーだった。 「いやあ、そういうことって僕も何回か体験があるんだ」 「…………」 「圧倒的な風景に出会って、感動して打ちのめされて、物も言えなくなって。心が空っぽになって涙が止まらなくなる。そしてひどいときには吐き気さえしてくる。圧倒的な美しさって、きっとそういうものなんだろうと思う」  そう思うのならばそれでいいと思った。  確かに私は御蔵島から見下ろす太平洋の光景に圧倒されていた。海に舞い下りる無数の光の渦に感動もしたし、息を呑むような思いもした。  でもそうではないのだ。  緩やかな坂を下りながら、民宿に向かう道すがら私は何度も胸に手を当てて、耳を澄ましていた。私の体を覆っているボンネットの中で、はずれてしまった小さなバネが立てているカランコロンという乾いた金属音に。  そして、怯《おび》えていた。  その音は不気味に響き続け、いつまでたっても消えていかないのだ。      4  札幌の中学校を卒業した私は広島県の高校へ進学することになった。  大学卒業までの生活費と学費のすべてを支援してくれるというスポンサーが現れたのである。もちろんその篤志家が、特別に私を選んだというわけではない。彼らのグループが恒常的に行っているボランティアの輪の中にたまたま潜りこむことができたのである。私でなければ違う誰かがその立場になっていたというだけのことであった。  小高い丘の上に建てられた寒々とした造りの鉄筋三階建ての寮では、全国から集まってきた何らかの理由で親のいない学生たちが共同生活をしていた。小学生もいたし、大学生もいた。どう見ても三十歳を過ぎているとしか思えない不思議な人間たちもいた。そこは社会人として自分で生活費を稼げるようになるまでは、誰かの財力に頼らなければどうすることもできないという学生たちの集合体のようなものであった。  私はそこでの生活に、静物画に描かれた目立たないテーブルクロスのように溶けこんだ。母を亡くしてから送ってきた自分の時間の過ごし方とそんなに大きな変わりがなかったから、それは難しいことではなかった。  目立たないように。  なるべく普通の子のように振る舞う。  要するに大切なのはそういうことだった。  そこで必要なのは年を取ることだけなのである。  大学を卒業して就職する年齢を二十二歳とすれば、それまでの間を静謐《せいひつ》な生活の中で大過なく過ごせばいいのである。どんなときにも、どんなことがあろうとも、熊をなだめて飼いならしておけばいい。  そこに集められた人間たちは小学生も中学生も、半ば本能的にそのことを理解していた。だから施設の中はいつも驚くほど、静まり返っていた。一日に二度の食事のときでさえ、食堂が騒がしくなることはほとんどなかった。年上の者は年下の面倒をよく見たし、小学生たちも年長者の言うことを驚くほどよく聞いた。  私は静まり返った食堂で、冷めた味噌汁《みそしる》を飲みながら考えた。親がいない、家庭がないということはこんなにも音がなく寂しいことなんだと。だから私は食堂での時間がどうしても好きになれなかった。数十人もいる仲間のまっただ中で、孤独を痛感するのは苦しいことだった。 [#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]   あなたたちは強い。   きっと僕よりも強い。   それはあなたたちが耐えるということを知っているからだ。   強いということは優しいということだ。   だからあなたたちはきっと僕よりも優しい。   そのことに胸を張って、誇りと光に満ちた人生を送って欲しい。 [#ここで字下げ終わり]  食堂の壁に飾られた誰かが書き残していった詩のような応援歌のような額装された色紙を、私は食事の間いつもぼんやりと眺めていた。誰が書いたのだろうかといつも考えた。僕よりも強いと書くくらいだから、よほど強さに自信のある人なんだろう。隅の方にサインがあるのだけれど、一文字さえ判読することができない。耐えるという言葉を使うあたりは、体育会系の人なのだろうか。  その正体を想像することは私のお気に入りのひまつぶしだった。誰だろうと考えるだけでわけもなく胸が膨らんだ。私はきっとその色紙が好きだったのだと思う。�誇りと光に満ちた人生を送って欲しい�という言葉の後ろに(僕のように)という文字を頭の中で足しては微笑んでいた。気分はきっとそうに決まっている。気張って格好をつけて書いたわりには、肝心な自分の名前が誰にも判読不可能だということも笑わせてくれる。  施設の人たちからは明らかに重宝されずに、食堂の片隅の目立たない場所に置かれ、炊事場から回ってくる油でガラスの表面はヤニがついたように黄ばんでいた。  タイガーマスクだったら笑えるよなあ、と考えて吹き出してしまう。  そうやって私はこの一枚の色紙から励まされているのかもしれない。私の知らない未知の社会の空気のようなものを感じて胸が膨らんでいたのかもしれない。  世界というものは、もしかしたら自分が思っているよりもはるかに単純で明るいのかもしれないのだ。  食事が終わると、部屋に戻る。  中学生からは四畳半ほどの個室が与えられた。部屋同士の交流が午後八時までと制限されている以外、食後は基本的にすべてが自由時間だった。私はほとんどの時間を読書と勉強をして過ごした。二階の図書室には高校三年間ではとても読みきれないほどの蔵書があって、それを棚ごとに片っ端から読んでいった。勉強の大切さは予感していた。それがこれからの自分の唯一の武器になるであろうことは、教師に言われるまでもなく十分に自覚していた。もちろん誇りと光に満ちた人生を送るためにである。  部屋にテレビはなかった。  部屋の先輩が置いていったCDプレイヤーが私にとっての唯一の家電製品だった。机に齧《かじ》りつく私の横では、いつも小さな音量でビートルズの『ラバーソウル』が流れていた。それも先輩が残していったもので、CDトレイの中に置きざりにされていた。  私は毎夜、それを聴いて過ごした。  他のCDが一枚もないのだからしかたがなかったが、聴いているうちに段々と好きになっていった。〈ミッシェル〉が流れてくると、いつも私は鉛筆を握る手を止めた。そして、無意識に窓の外に月を探した。どうしてかわからないけれど、条件反射のようなものだった。  空に浮かぶ月を見つければ、胸が締めつけられるように切なくなった。月が見つからなければ、悲しい気持ちになった。でも、そのどちらの感情も、そのころの私にとっては甘さがつきまとう、決して悪いものではなかった。切なくなり悲しくなったあとには、必ず温かで豊かな感情が胸に溢れてくるように思えたからである。  私もいつかは恋をするのだろうか。  それはどんな人なのだろう。  私はその人に何も隠さずに、思いのたけを打ち明けることができるのだろうか。  母のことを話せるだろうか。  その人は私が胸の奥にしまいこんでいる孤独という塊を、てのひらに受けとってくれるだろうか。  高校三年間はひたすら勉強と読書だけをして過ごしてきた。だから広島という町の印象もほとんど残っていない。学校と寮をただひたすら往復していただけだった。その結果、私は特待生として東京の私立大学への進学が許された。奨学金を満額受けとることができて、東京での寮費を含む生活費は引き続きこの施設から援助を受けることになった。  東京へ出発する日の朝。  私は誰よりも早く起き出し、食堂へ行って色紙のガラスをぴかぴかに磨いた。  CDプレイヤーは迷ったけれど、後輩のためにそのまま部屋に置いていくことにした。  そのふたつが私にできるせめてもの感謝の気持ちだった。  ガラスを磨き上げて部屋に戻り、窓を開けてCDをかけた。春のさわやかな風を胸一杯に吸いこんだ。東京というまだ見たこともない大都会に対する不安はもちろんあったけれど、その分期待も大きかった。  プレイヤーの蓋《ふた》を開けて三年間聴きつづけたCDもぴかぴかに磨いた。そしてそれを所定の位置に戻したとき、不意に涙が零《こぼ》れそうになった。  お別れである。  私がこの部屋に戻ってくることはもう二度とないだろう。見知らぬ誰かがこの部屋に入り、そしてこのプレイヤーを使うのである。それがこれからも何度も何度も繰り返されてゆくのだろう。  強くなるために。  優しくなるために。  ラバーソウル。  それは名前も知らない先輩から私へ、私から後輩へと引き継がれてゆく、この部屋の住人へのメッセージなのだ。  ラバーソウル——。  私はもう一度そのCDを眺めて、蓋を閉じた。  強くなれ。  そして優しい人間になるんだよ。  私は見たこともない後輩に向かって、先輩から受け継いだその意思を精一杯、閉じこめようとした。『ラバーソウル』という強いメッセージを秘めた題名のCDにすべてを託して。      5  御蔵島から帰った私は左足のつま先に猛烈な痛みを感じて歩くことも困難な状態に陥ってしまった。深い火傷《やけど》を負ったような痛みにひたすら耐えて、二日間を寝て過ごした。何とか足の痛みが和らぐと今度は発狂してしまいそうな偏頭痛に見舞われた。錐《きり》が頭蓋骨《ずがいこつ》を貫通して、脳の中枢にまで達しているのではないかと思うような痛みだった。その痛みは発熱を誘発した。熱の苦しみと間断なく襲ってくる頭痛で、ベッドの上で悶《もだ》え苦しんだ。ベッド脇のテーブルには瞬く間に解熱剤と頭痛薬の空箱の山ができあがっていった。そんな状態が五日間続いた。  どんなに苦しくても病院に行く気にはなれなかった。事務所に電話をかけて、原稿の代筆を誰かに頼むのが精一杯だった。  病院に行ったところで、風邪薬を与えられるのがせいぜいである。しかし、私はこの発熱や頭痛が風邪のせいではないことを知っていた。頭痛がおさまると今度は腹痛がはじまった。顔中に脂汗をかきながら、私はベッドの上を転げ回っていた。まるで拷問をかけられているような痛みが、次から次へと、一ヵ月以上も続いた。どこかの痛みに馴れはじめると、次は別の場所を攻めてくる。私の前にはよく教育された腕のいい拷問官が立っているかのようだった。  何度、横井に電話をかけようと思ったかわからない。しかし、私は耐えた。歯を食いしばり、髪の毛をかきむしりながら耐えた。その一ヵ月の間、横井から二度電話があった。彼の声を聞いている間だけは、まるで痛む箇所に温湿布を当てられているように、痛みが和らいだ。だから私は何とか電話を切られないように、話を延ばし苦しみを訴え、そして一度たりとも聞かせたことのないようなか細い声で泣いた。  泣いてすがった。  次々と襲ってくる容赦のない痛みの原因を私は理解していた。たった一個のバネが飛んでしまったことがそのすべての理由なのだ。車の部品がひとつ飛べば、思わぬ箇所に不具合が出るように、私の内面のどこかを支えていたバネが飛んだことによって、体がバランスを崩して痛みの連鎖がはじまったのだ。おそらくこれは、神経を麻痺《まひ》させたとしてもおさまるものではない。もっともっと深い部分で起こっている、観念的な痛みなのだ。  横井は迷惑そうだった。  それはそうかもしれない。  こちらからは電話をかけることができず、横井の気が向いたときにだけ電話がかかってくる。大学時代に、自分のゼミの二十五歳年上の大学助教授と、私はそういう関係を築いたのだ。それから七年以上も、そのような状態が続いていた。横井が結婚していることも私と同じ年頃の娘が二人いることも、最初からわかりきっていることだった。すべて承知で私は彼と恋に落ちた。横井といるときには、私はいまだかつてなかったような絶対的な安心を手に入れることができた。それだけでよかった。それ以上は何を望むつもりもなかった。他人を相手にそんな気持ちになれたのははじめてのことだったし、それは何といっても私にとっての初恋だったのだ。  静かに控えめに私は横井に恋をした。  やがてゼミの一学生からそうでない関係になる日が訪れた。私が大学三年のときのことだった。最初から最後まで、横井は終始優しく私に接してくれた。はじめて迎え入れる異性の性器も、少しも怖くはなかった。私は横井に抱かれながら、生まれてはじめて人の体に直接温められる喜びを味わった。横井の性器は私の中に入りこみ、体中を温めてくれた。  摩擦を与えてくれた。  そしてその摩擦が、私の中に存在し続けた孤独という氷の塊を溶かしていくように思えた。私は何も望まなかった。その氷の塊が横井の性器によって少しずつ小さくなっていく実感を抱くことさえできれば、私はそれ以上のことは何も望むつもりもなかった。  つまりそれが、自分にとっての誇りと光に満ちた人生の過ごし方なのだと私は考えた。  苦しければ苦しいほどに、多くを望むこともやめる。そうしていれば、横井はきっと何年も摩擦を起こし温かい熱を放ち続けてくれるはずだ。  ベッドの上を痛みでのたうち回りながら、悲しい夢を見た。  母の夢だった。  すべての負の概念をソウルケージの中に閉じこめろと、まるで魔法をかけるように石川に言われ続けてから、何とか私はそれをやり通してきたはずだった。  忘れろ。  忘れろ。  母が死ぬときの夢だ。  六畳ほどの広さの暗い和室の中央に母は男を抱きかかえるように座っている。男は歯を食いしばりながら何かに耐えている。母は男を布団に寝かしつけ、そして大きなバッグの中から次々と何かを取り出して準備をはじめる。  布団に横たわる男と自分の上にすっぽりと蚊帳《かや》を吊《つ》り始める。針と糸を取り出して布団の四隅にしっかりと蚊帳を縫いつける。まるで魔方陣の中に収まったように、二人はその網の中にいる。  ソウルケージ。  母は柔らかな笑顔を浮かべている。  魂の籠に囲まれて静かに微笑んでいる。  そして鞄《かばん》の中からダイナマイトを取り出す。  男を起こして何かを言う。 「やめて!!」  私は渾身《こんしん》の力をこめて叫ぶが、母の耳にはまったく届かない。 「やめて!!」  母は男を起こし、向かいあったまま体を抱きしめ、縄を取り出して自分の体に男の体をきつく縛りつける。次の瞬間に大爆音が起こる。蚊帳が一瞬、不気味な形に膨れ上がり旅館の壁や天井に血が飛び散る。  まるでシルクスクリーンのように。  それはきっと私の願望である。  そう願っているのだ。  几帳面《きちようめん》できれい好きだった母が、蚊帳か何かを利用して自分たちの肉片が飛び散るのを防ごうとしたことを。そして母が張ったその蚊帳こそが、ソウルケージなのだ。肉体と魂のどうしようもない散逸を食いとめる籠。 「飼いならせ」と石川は歌うように言った。 「君の中にいる傷だらけの熊を飼いならして、籠の中に閉じこめておくのだ」  がらんどうの教室。  石川の白衣が光を乱反射して目をくらませる。  母の死によってショックを受けた少女の精神をケアするために、白衣姿で歩き回る石川と小学校六年の自分がいる。  私は石川に言われるままに、熊をなだめ飼いならし、籠の中に閉じこめる努力をする。毎日、毎日、必死にそのことばかりを考えている。何もかもを忘れるために。石川に誉めてもらうために。それが親を失った身寄りのない小学生としてできる、精一杯のことなのだ。 「何もかも忘れるんだ」と石川は何度でも言う。 「ハイッ」とそのたびに答える私の声が人気のない教室に響き渡る。 「目を閉じて」 「ハイ」 「自分が魂の籠の中にいることを想像するんだ。安らかで平穏で、何もかもがいつくしみに満ちている場所だ」  私は目を閉じて懸命にそんな場所を想像してみる。石川は静かな足取りで私の周りを歩き回る。革靴の音が教室内に響き渡る。その音が私の背後で止まった。  後ろに立った石川は、私のブラウスのボタンをはずしはじめた。 「静かに」 「…………」  私は目を閉じたまま何かの検査をされるのかと身を硬くしてじっとしている。やがて石川の生温かい手が私の胸のあたりを這い回りはじめた。爬虫《はちゆう》類が這っているようなかさかさとした感触で、しかし動きはぬめらかだった。私はきつく目を閉じたまま、その感触に耐えていた。やがて石川の指先は膨らみかけていた私の乳房をゆっくりと揉《も》みはじめた。理由もない恐怖に私は凍りついた。石川の指先は私の左胸の乳首にたどりつき、ゆっくりと転がしたりつまんだりを繰り返した。  私は耐えていた。  次から次へと襲ってくる悪寒に、足がガクガクと震えていた。 「静かだろう、そこは」 「…………」  石川は私の胸元からてのひらを抜き取り、器用にブラウスのボタンをとめ直した。そしてもう一度「忘れるんだ」と言った。そう言い残すと、身動きもできずに目を閉じて座っている私を置いて、教室を出ていってしまったのだった。  次々と体を走り回る痛みはやがて私の体力を奪い、精神を消耗させていった。弾け飛んでしまった部品の正体にやがて私は気がつくようになる。それは石川が私の精神に植えつけたバネなのだ。 「忘れろ」という部品。  それが音をたてて弾け飛んでしまった。  私は石川のいいつけを守りながら、中学、高校、大学時代を過ごし、そして社会人として七年間働いてきた。過去の忌わしいことをソウルケージの中に放りこみ、体の奥深くに埋めこんで、何とか生き抜いてきた。精神を麻痺させ、ただ前だけを向いて歩いてきた。それがあの日から、二十九歳までの私の人生だった。  しかし、魔方陣は破れた。  簡単なことである。  あまりにも、それは簡単なことだ。  忘れることなんかできないのだ。  十七年前に石川につままれた乳首の感触だってはっきりと残っている。その後の半年間、石川はまったく何事もなかったようにカウンセリングを繰り返した。まるであのときのことが夢か私が勝手に描いた妄想だったような気持ちになることもあった。私は目を堅く閉じていたし、そのことを見ていた人間は一人もいない。次の日から石川は、まったく文句のつけようもないほど親切で紳士的に私に接し続けてくれた。  しかし、答えは簡単である。  あれは現実なのだ。  証明はできないかもしれないけれど、現実に石川は私の左胸の乳首をつまんだのだ。  網を突き破った記憶は、新しい記憶を喚起した。そしてそれらはどうしようもなく、どうすることもできず、次々と私の体を奔馬のように駆け巡っていく。それが、私を襲い続けている痛みの正体なのである。  忘れることなどできるはずもない。  なかったことにできることなど、何もないのだ。  そのことを私は看過しながら生きてきた。わかっているくせに見て見ぬふりをしながら、追いやりながら、過ごしてきた。小学校から現在に至るまでのその途方もないつけが、回ってきただけのことなのだ。その代償を支払うために、私は自らをソウルケージの中に放りこんだ。失われたはずの記憶に切り刻まれ、暴れ回る傷だらけの熊に体を何度も何度も切り裂かれ、骨を噛《か》み砕かれた。母とともにダイナマイトで肉片を飛び散らせ、花瓶の中に眼球を落とした。「うちの父ちゃんを返せ、この気違い」という泣き叫ぶ女児の声がアイスピックになって、私の体中を突き刺した。母が死んだ翌日にかかってきたその電話の受話器を私は持っていることができなかった。受話器は電話の置かれてある箪笥《たんす》からぶら下がり、ゆらゆらと揺れていた。しかし、そこから漏れてくる叫び声が途絶えることはなかった。受話器はまるでその声に共鳴するかのように私の目の前で揺れ続けていた。  私はのたうち回り、苦しみ悶えながらもその中に横たわっていた。そんな状態が三ヵ月以上も続いた。やがて私のベッドの上にはっきりと網のようなものが見えるようになった。それは間違いなく母が用意した蚊帳だった。私は私で精神を爆発させ、飛び散らすときがきているのかもしれないと思うようになっていた。もうどのくらいの時間かもわからなくなるくらいに私は悶えながら、その中にいた。いつも無意識に両方の眼球をしっかりとてのひらでおさえつけながら。      6  ある日部屋のドアがノックされた。  私はやっとの思いで立ちあがり、存在しないネットをくぐって玄関に向かった。ドアの覗《のぞ》き穴の向こうに上司の福沢と大森が立っているのが見えた。 「開けて」 「…………」 「及川さん、いるんだったら開けてください」 「…………」 「開けなければ大家さんに説明して合鍵《あいかぎ》をもらってきますよ、いいですか」  私は辛うじて鍵をひねった。 「凄《すご》いことになっているなあ」と福沢が部屋を見渡していった。 「大丈夫、及川さん」と言った大森の腕の中に私は倒れこみ、そのまま気を失ってしまったのだった。  気がつくと病院の白いベッドの上だった。  何日寝ていたのか、今がいったいどういう季節なのかもわからなかった。痩《や》せこけていたはずの腕は、いくらかふくよかになっていた。その腕に太い針が刺しこまれて固定されている。管の先には点滴の瓶がぶら下げられていて、それが窓からの光を浴びて刃物のように光っていた。  私は口をきけなかった。  立ちあがることも、光に手をかざすことさえできなかった。ただここが病院であることだけを辛うじて認識した。そして再び、深く暗く観念的な眠りについたのである。 「及川さーん」と耳元で誰かが叫ぶ声が聞こえた。男の声と女の声がかわるがわる聞こえてくる。私はその声に耳を傾けながら、しかしそれを無視し続けた。目を開けた途端にあの痛みと苦しみが、再び襲いかかってくるように思えたからである。瞼さえ開けなければ、たった皮一枚のことで、私はこの痛みも苦しみもない場所にいつまでも横たわっていることができるのである。死ぬまでここにい続けたいと思った。七十歳になろうと八十歳になろうと、ここでこのまま衰弱するまで横たわっていたかった。  横井のことを思った。  あの籠に閉じこもってからの何ヵ月もの間、ただの一度も私に救いの手を差し伸べてくれなかった横井。私が彼に多くのことを望んだことは一度だってなかった。デートも手紙もプレゼントも何もなかった。たった一度だけ、電話を通して「助けて」とすがっただけである。  しかし、七年も付き合ってきた彼は、その声にすら耳を傾けてくれなかった。その答えは「近々、娘が結婚するんだ」という意味不明のものであった。  それが別れの言葉なんだろうか。  私は病院のベッドの上で考えた。  そんな別れの言葉ってあるのだろうか。  残念ながら私は強くない。従って優しくもない。そして誇りにも光にも満ちてはいない。いくら考えても、それが自分の人生である。だから、私には泣くことが許されるはずだった。 「及川さーん」と耳元でまた誰かが叫んだ。  私はゆっくりと目を開けた。 「わかりますか?」と白衣を着た男が言った。私は何も言わずにただ首を縦に振るしかなかった。  私はいったいいくつの病名を医者から与えられたのだろう。若い医師は木彫りの人形のように首を動かし、目をパチパチさせながらそれを私に説明した。カルテの上に書かれた文字を追う医者のボールペンの先は栄養失調からはじまり、帯状|疱疹《ほうしん》や十二指腸|潰瘍《かいよう》、肝機能障害その他さまざまな病名を経て、神経衰弱を通過し、最後は抑鬱《よくうつ》状態で止まった。その後ろには括弧つきで極度の、と書きこまれていた。  医者は嬉《うれ》しそうにそれを私に説明した。  造られたばかりの人形が、はじめて動くことを許されたときのような表情だった。  もっとも大切なことは眠ることだそうだ。何も考えないでひたすら眠り、神経の中にまで入りこんだ疲れを完全に取り去ること。磨耗した精神を蘇らせるには、それ以外に方法はない。 「じゃあ、なぜ私を起こしたんですか?」と真顔で訊くと、医者は「ハア?」という顔をして私を見てまた大袈裟《おおげさ》に目をパチクリさせるのである。輪郭がはっきりしているわりには、間が抜けたその顔は鼻の低いピノキオのようだった。  それから毎日、私は大量の抗鬱剤や睡眠薬や、それ以外の問題のある箇処のための薬を与えられて、ひたすらベッドで眠りながら過ごした。頭はいつも萎《しぼ》みかけた風船玉のように茫洋としていた。現実と私の間に薬が立ちはだかっているような状態だった。私はいつも曇ったプラスチックの板越しに世界を眺めていた。とりあえず、そうしていれば致命傷になる弾だけは避けることができるように思えた。  私はそのことをピノキオに伝えた。 「素晴らしい」と彼は言った。 「はあ?」 「素晴らしい表現です、及川さん。その曇りが少しずつとれて、プラスチックが透き通ったガラス板になればいいのです。お互いに努力してそこまでもっていって、そして最後にあるかどうかさえわからなくなったガラスを注意深く、そっとはずせばいいのです」  何かと共に戦うには、ピノキオは情けないパートナーに思えた。しかし、私が頼れる人間が彼以外にいそうもないこともまた確かなことだった。  入院は半年以上にも及んだ。  その病院が三鷹《みたか》市にあり、しかも神経科をメインとする総合病院であることを私が知ったのは、そこに運ばれてから三ヵ月も過ぎた日のことだった。  正確には、私の味方はピノキオと化学反応というべきなのかもしれない。口に含んだ白い薬剤は私の体内に入りこみ、やがて複雑な化学反応を起こす。それが自分の神経にどこでどのように影響を及ぼすのかは想像もつかないが、その反応の結果、少しだけ気分が軽くなる。ことあるごとにケージに潜りこみ、暗闇だけを見つめようとする傾向を麻痺させてくれる。治療は効いたり効かなかったりの果てることのない繰り返しだった。神経の半分くらいに麻酔をかけられているような状態が続き、しばらくは様子を見る。それから五パーセントくらいずつを慎重に解除して、また様子を見る。だめなようならば、またすぐ五〇パーセントの安全地帯にまで引き揚げてしまう。その時点でそれまでの何週間かの治療は元の木阿弥《もくあみ》となる。でも私の場合は一応五〇パーセントの場所に相当強固な陣地があるから、まだましなほうですよとピノキオは慰めにもならないようなことを言って笑うのだった。  母の葬儀が行われたのは、死んで二週間もたってからのことで、私が札幌に移った後のことだった。もちろん私はその場への出席は許されず、葬儀が終わった何日か後にその事実を事務的に知らされただけだった。私は寝静まった病室の中で、考えた。葬儀はどのように営まれたのだろう。ダイナマイトを抱いて爆死した二人は、内臓も肉片も皮膚もすべて溶け合うようにぐちゃぐちゃになってしまっているはずだ。その破片をひとつひとつ識別することは不可能であろう。母の肉片は男の肉片の一部となって焼かれ、灰となり、そして男とともに埋葬されるしかない。きっと母はそれを望んだのだ。生も死も超えた混沌《こんとん》とした一体感。母が望んだことは、それだけだったのではないかと思うようになっていった。そのことを思うと私の目は冴《さ》え渡った。どんなにきつい睡眠薬を飲んでも、眠ることはできなかった。  そしてこう考えた。肉体が他人の体とぐちゃぐちゃに一体となって死んでゆくとき、母は表現できないほどの喜びを感じていたのではないか。飛び散ってゆく細胞のひとつひとつがオルガスムスに打ち震えていたのではないか。  そして、こう思った。  母はきっと幸福だったのだ……。  入院している半年の間に私は思わぬふたつのニュースに接することになる。同室の患者のラジオから流れてきたものだった。  そのひとつは栃木県で起きた事故。  自宅近くの貯水池で遊んでいた、小学校に入学が決まったばかりの男の子が水死した。弟の靴が貯水池に落ちてしまい、それを拾うために池に入りこんだ兄がそのまま溺《おぼ》れ死んでしまったというニュースであった。弟の靴は買ってもらったばかりの赤い靴だったという。事故当時は周りに大人が一人もおらず、警察署員が駆けつけたときには少年は池の底の泥にはまりこんでしまっていたのだという。  もうひとつは山口県で起きた事故だった。  中学生のときに兄を交通事故で亡くした高校一年になる妹が、兄が事故死したまったく同じ場所でダンプカーに撥《は》ねられて死亡したというもの。兄の事故現場に花を供えるために、週に一度母親の車で通ってきていた。その日も花を捧《ささ》げ終えて母親の車に戻ろうとした瞬間に下関方面からやってきた二トン車に撥ねられてしまったのだ。  弟を思う幼い兄と、兄の死を悼む高校生の妹のあまりにも悲劇的な死のニュースだった。  池に弟の赤い靴が流れた瞬間、小学校に入学が決まったばかりの兄は何を思ったのだろうか。岸辺から少しずつ離れていく弟のズック。それを見て泣き叫ぶ弟。僕が取ってやる。泣くな。小さな勇気を振り絞って池に飛びこむ兄。僕が拾ってやるから。体を伸ばしても届かない。それどころか弟の大切な靴は少しずつその手から遠ざかってゆく。じりじりと体を池に沈みこませてゆく兄。怖い。けれど弟の大切な靴を拾わなければ……。  山口県の少女は時速九〇キロで走ってきたトラックに撥ね飛ばされて、宙に舞ったときに何を思ったのだろうか。そのまま五メートルも飛ばされ、今はもう休業中の雑貨屋の前のアスファルトに叩《たた》きつけられた。兄が死んだ現場のガードレールにいつものように花を捧げ、雑貨屋前の空き地に停めてある母の車に戻ろうとして、国道を渡ろうとした瞬間のことであった。二年以上もの間、毎週欠かすことなく花を捧げていた心優しい少女は、その優しさもろとも容赦なく撥ね飛ばされた。車の中で待つ、母の目前でである。兄を思いやる心が、結果的に彼女を死に追いやってしまったのである。  そのふたつのニュースを病院のベッドの上で知ったとき、どうしようもないやるせなさが胸にこみあげてきた。私はいったい何を悩み、何に傷つき、そしてなぜ薬漬けになりながらただベッドに寝転がっているのだろう。もうそんな状態が半年も続いている。その間に幼い兄と妹は死んでいってしまったのだ。人を思いやる心に殉ずるように。まるでその犠牲となって。  歯を食いしばろう。  私はそう心に決めた。  もうあの籠に閉じこもるのはやめよう。ソウルケージの中から出るときがきたのだ。その強い気持ちを持たなくてはならない。その勇気を見知らぬ二人の魂が私に与えてくれたのだと考えよう。  病気を治そう。  そして立ちあがろう。  栃木県の貯水池と、山口県の国道。私のまわりはこんなにも美しい日本にあふれているのだから。      7  温度計は零下一五度を示していた。  旭川の空気はうっすらと曇りはじめているものの、空気が凍りつくまでには至らない。大森と私は公園のベンチに座って、ひたすら気温が下がっていくのを待った。  旭川に大寒波がきているというテレビニュースを聴き、いてもたってもいられなくなって大森に電話をかけたのが三日前のことであった。どうしても写して欲しい写真がある、空中の水分が氷結してダイヤモンドの屑《くず》のように輝き出す旭川の空気。 「空気?」と大森は電話の向こうですっとんきょうな声を上げた。 「そう空気よ」 「空気を写すの?」 「そうよ」 「それは難しいなあ」  三鷹市の病院を退院して、私はまっさきに上司だった福沢に身の振り方を相談した。薬は常用していなければならなかったけれど、とにかく働かないことには生きていけない。 「フリーでやってみたら」と福沢は静かな口調で私に提案した。 「僕は及川の腕は十分に信頼している。何しろあの面倒な企画を、今回の入院まで七年間にわたり一度も落とすことなくやりとげてくれたんだから」 「ありがとうございます」 「いや感謝しなければならないのは、こちらの方だよ。仕事ができるのをいいことに君を酷使しすぎてしまったと反省している。入院していた病院に一度、君の主治医から呼び出しを受けてね」 「ピノキオから?」 「そう。木下先生」 「それで?」 「どやされちゃったよ。君のこの七年間の仕事のことを訊かれてね。これは完全に労使問題になる。彼女の神経をあそこまで追い詰めたのはあなたがたの組織にほかならない。何なら私がその証明をしたっていい」 「ピノキオがそんなに強気だったの?」 「ああ、すごい剣幕だった」  私の前では木彫りの人形のように目をパチクリして「気長に、気長に」を繰り返すばかりの木下だったが、本当はそう言っている自分のほうがよほど短気だったのだ。 「労働基準監督署に提訴も辞さないなんて脅しまでくらっちゃって」 「へえ。ピノキオ、格好いい」 「でね。こちらは平謝りさ」 「それはすみませんでした」 「それで、彼が労働基準監督署に提訴しない条件というのがね、君を向こう二年間はフリーとしてこれまでとほぼ同条件で働かせてやること。週に一度なんてとても無理だから、量は月に一度に減らす。しかも賃金は大差なく」 「へえー、条件闘争まで」 「そう。でもこれは言い訳じゃないけれど、僕としてはもちろん及川を高く評価していたから、事務所に戻ってもらうのはもちろん歓迎なんだけど、君も病み上がりだし、ここは木下先生の提案でどうかな」 「とりあえずはどんなことを?」 「君が手伝ってきた出版社が今度、月刊誌を立ち上げることになってね。そこで�こんなにも美しい日本�のワイド版のような企画が持ちあがって、君に担当してもらえないかと向こうから言ってきているんだ。しかも自名で。もちろんペンネームでも構わない」 「場所やカメラマンは?」 「すべて君のチョイス」  栃木県の貯水池と山口県の国道に続いて、その第三回の取材地に私が選んだのが旭川だった。  大寒波が押し寄せていると聞いて閃《ひらめ》いたのだ。私と母との思い出の原風景ともいえる、あの旭川のキラキラと光り輝く空気の粒を写して欲しい。幻想的なあの輝きは、十分に雑誌のグラビアに堪えられるはずである。  腕時計は午前二時を示していた。  風がないせいか気温ほどには寒さは感じない。しかし、旭川空港に降り立ったときのどうしようもない胸の震えのようなものは依然として消え去らないでいた。  怖かった。  あの日以来、十九年ぶりに訪れる旭川。  母との数少ないが、それでも確固とした思い出が、崩れることのない結晶のように凍りつき、そのまま止まってしまっている街——。  私は公園のベンチに座り、ひたすらダイヤモンドダストの輝きを待った。あの日、母を待つ小学生の私を包みこんでくれた輝きが再び空気中に現れてくれることを。  祈るようにして待った。  私を包みこんだあの夜の煌《きらめ》きを。  診察の際に旭川を訪れることを木下に相談すると、彼の表情はみるみる曇っていった。反対はしないけれど、今の時点で賛成するわけにはいかないというのである。今の私の状態というのは、やっと透明になったガラスの板をそっとはずして、横にたてかけてあるような状態なのだそうだ。もしそれに何かが当たり、粉々に砕けてしまったら取り返しがつかないことになりかねない。今は静かに生活の中に溶けこんでゆくのを待つべきときなのだ、というのが木下の主張だった。  しかし、私は譲らなかった。  旭川に足を踏み入れて、十数年も無視していた現実を直視しなければ、またいつあの魂の籠に捕らえられてしまうかわからない。少しでも早い時期に私は自分自身の現実と対峙《たいじ》して、何らかの決着をつけなければならない。もう、二度とあの籠の中に閉じこめられて、のたうち回るような日々がこないように。化学反応が私を守ってくれているうちに、強い意思を持って立ち向かいたい。 「強い意思?」 「そうです。先生が私の中に再構築してくれたものです」 「まあ、そこまで言うのなら」 「いいですか?」 「もちろん。いくら患者とはいえ、もう君の行動を制限することはできない」 「ありがとうございます」 「そのかわり」 「はい」 「旭川から戻ったら、一日でも早く、ここに顔を見せてください」 「わかりました」 「約束だよ」 「はい。約束します」  帰りの飛行機は午前十時半発、あと六時間後に迫っている。しかし気温は零下一五度を保ったままで、そこから一向に下がる気配はない。昨日も一昨日《おととい》もそうだった。ダイヤモンドダストが現れる条件は、氷点下二〇度付近にまで下がらなければならないのだ。 「無理そうだなあ」と、まるで蒸気機関車のような白い煙を口から吐きながら、大森は言った。ライトや反射板をはじめとする大掛かりな撮影器具を用意して待ち続けてくれたが、白濁はするものの空気の氷結までには至らない。 「でもまあ、これでも十分に幻想的ではあると思うけど。何しろ空気が白く濁っているんだから。俺は結構、感動している」 「だめ」 「そうか」 「全然、こんなんじゃないの」 「飛行機、キャンセルしてもう一日粘ってみる?」  大森に沖縄での撮影の予定が入っていることは知っていた。東京に帰る予定の一日を飛ばして、直接北海道から沖縄に入れば、もう一日だけは何とかなるという。  私は迷った。  大森の機材のことを考えると気の毒だった。しかも明日の夜にダイヤモンドダストが現れるという保証はどこにもない。  どうしよう。 「なあ及川さん」 「はい?」 「そうしよう」 「はあ」 「もう一日だけ粘ってみようよ」  大森は明るい声でそう言った。 「いいんですか?」 「いいもなにも、僕自身が見てみたくなったんだから」      8  帰京の予定日だった。  夜までの時間がポッカリあいてしまったので、私は一人で市立図書館へと出かけた。これから自分がやろうとすることが怖くなって、何度も足が竦《すく》んだが、そのたびに私は体中のありとあらゆる勇気を振り絞った。全身の力をこめて、グレープフルーツの最後の一滴を搾りとるように。  答えは案外、簡単に見つかった。  調べるまでにかかった時間は、わずか十分くらいのものだった。  十九年前の北海道新聞旭川版の朝刊。二月十五日の社会面にその記事は小さく掲載されていた。 [#ここから改行天付き、折り返して1字下げ] 〈旭川市の旅館で心中事件  二月十四日未明、旭川市の丸友旅館でダイナマイトによる心中事件が発生し、男女二人が即死した。男性は旭川市内の野田川|一政《かずまさ》さんと確認された。女性の身元は不明〉 [#ここで字下げ終わり]  手が小刻みに震えている。  私は何度も何度もその記事を読み返した。  最後にある〈女性の身元は不明〉の冷たい文字に胸が一杯になったが、涙は出てこなかった。図書館は人気がなく、がらんと静まり返っていた。そこはこれまでの十数年もの間、私がいた場所に似ていた。どんな小さな声も鉛筆を落とした音も、響き渡ってしまうようながらんどうの部屋。そんな場所で私はひたすら音をたてることに怯えながら生きてきたのだ。自分の存在を誰かに気取られることを恐れて。  身元不明の女性の娘として。 「あなたたちは強い。きっと僕よりも強い」と私は口の中でつぶやいてみる。声に出ないように、細心の注意を払いながら。 「あなたたちは……強い……」  私は自分を誇るべきなのだ。  こんな目に遭わされても、私はただの一度も母を恨んだことはなかった。それは本当のことなのだ。ただ、母に焦がれているだけだった。母にもう一度会いたいと祈っているだけだった。 「あなたたちは……強い……」  そんな自分を誇るべきなのだ。  母を恨むことなく、ただ焦がれ会いたいと願ってきただけの自分を。十九年もそうやって、一人きりで生きてきた自分を。  誇るべきなのだ。  この広い図書館に一人座っている身元不明の女性の娘を、誇りに思うべきなのだ……。  私はゆっくりと立ちあがり、次に自分がやるべきことに着手した。  旭川には野田川という苗字《みようじ》の家は五軒しかなかった。そのすべてをメモに控えて、図書館を後にし、喫茶店に入った。ダイヤルボタンを押す手はさすがに震えた。止めたほうがいいとも思った。そのたびに私は赤い靴に勇気を奮って手を伸ばした少年の気持ちを思い、兄に花を捧げる少女の清らかさを思った。  三軒目で反応があった。  かなりの高齢と思われる女性の声だった。 「及川と申しますが」と私が言った瞬間に、女性の声は電話越しに震えはじめた。 「本当かえ? 本当かえ? あんた及川さんの娘さんかえ?」  後はもうしばらく声にならなかった。  母の墓の場所を知らないか。もし知っていたら教えて欲しいと私が頼むと「すぐにうちに来い」と言われた。 「とにかくぼやぼやしてねえで、すぐにうちに来い」  言われた通りの道順で私が野田川の家に行くと、門の前に立っていた老婆が雪の上を走ってきた。 「及川さんかえ?」 「はい」 「名前はなんてんだ?」 「美緒です」 「そうかあ、美緒ちゃんかあ」と言うと着物を着た女性は私に抱きつき、そして強く背中をさすった。 「かわいそうになあ。かわいそうなことしたなあ」 「…………」 「寒かっただろ」 「…………」 「かわいそうに、一人で生きてきたんだ」  老婆は泣いている。 「すまないことをした。美緒ちゃんか。本当にすまないことをしたなあ」  私はその場に立ち尽くしていた。  たださすられる背中に温かい気配だけを感じていた。もう何年も味わったことのない、温かな温かな温《ぬく》もり。母の手のような温もり……。謝りにきたはずの私が、自分よりもはるか年上の老婆にどうしてこんなに謝られなければならないのだろう。私は野田川の家に上がらされて、母の話を聞いた。そのどれもが、私が十九年にもわたって自分に思い知らせてきた物語とはあまりにもかけ離れていた。  母は優しい人間だった。  老婆は私の手を握りしめてそう言った。  きっと神様みてえに。  野田川はつは涙を浮かべて何度も何度もそう言った。治らない病気を患い、もうすぐ死んでゆくうちの息子を放っておけずに犠牲となり道連れとなってくれたのだと。  誰にもできねえことを、あんたのお母さんがやってくれた。  神様みてえな人だった。  老婆は私の手を握り、何度も何度もさすりながらそう続けた。握り合う手に老婆と私の落とす涙が落ちていった。 「すまないことをした」と老婆はうめくように泣く。 「お母さん」と私は声にならないような声でつぶやく。 「優しい人だったのね」 「うんだ。神様みてえに」 「優しい人だったのね……」  ずいぶん粘ってみたものの、結局はその夜もダイヤモンドダストが現れることはなかった。いくら待っても空気が白濁するところまではいくのだが、その先は何の変化もない。  羽田に向かう飛行機の中で、襲いかかってくるどうしようもない眠気に耐えながら、氷点下一五度まで下がった真夜中の公園で空気の氷結を待ってくれた大森のことを考えていた。彼はおそらく沖縄の撮影には何の関係もない撮影機材を山のようにかついで、旭川から千歳《ちとせ》へ飛び、今ごろは四国の上空あたりにいるはずである。 「及川さん」と大森は意思的な目を私に向けて言った。 「もう一度こよう」 「えっ?」 「必ずもう一度きて、ダイヤモンドダストを撮ろうや」と。  私は飛行機の小さな窓の外に広がる北海道の大地を眺めながら、いつか同じような感慨に浸っていた日のことを思い出していた。あれはたしか札幌から広島へ移動するときのことだ。  あの日、中学を卒業したばかりの私は生まれてはじめて乗った飛行機の片隅でガクガクと震えていた。その恐怖の正体を知ることすらなかなかできなかった。飛行機は雲をはるかに見下ろしながら飛んでいた。  私は怖かったのだ。  まるで自分が、消えてしまい舞いあがっていった母の魂よりも上にいるような気がして。そのことが怖くて怖くてしかたなかったのだ。私を置いて死んでいった母には、私がこんなに高い場所にいることはきっと想像もつかなかったろう。きっとせいぜい、あそこに光る雲の位置が母に想像できる精一杯のところだ。  そうに決まっている。  十五歳の私は震えていた。  母の魂よりも、もしかしたら私は高い場所にいるのではないだろうか。その恐怖にガクガクと震えていたのだ。  末期癌に苦しむ野田川一政の道連れのような形で母が死んでいったことを私は知らされた。それが野田川家では、現在では美談となっていることも教えられた。自殺後に大量に発見された、一政と母との間で交わされていた書簡がその根拠になっていた。しかし、それが決して最終的な結論で、何もかもを明快に説明しているわけではないことにも私は気がついていた。  ではなぜ母はあのような過激な死に方を選んだのだろうか。癌に冒されて死んでゆく愛人の道連れの方法とはとても思えない。  きっと傷だらけの熊が母の内面に放たれたのだ。それを知りながら、やがてコントロール不能に陥っていってしまう。それはいつどこで誰に向かって牙を剥《む》くかもしれない。母の内面で縦横無尽に暴れ回る傷だらけの熊。それに対処することは、もうできない。そのことを知ったとき、母はそれごと爆破させる手段を選んだのだ。どんなに探しても優しい面影しか見つけることができない、そんな母の内面にさえもいた、どうすることもできない傷だらけの熊。内臓や肉片を飛び散らすことを防ぐためにではなく、その熊を網の中に閉じこめておくために母は蚊帳を張った。それを散々《ちりぢり》にして消し去るために、導火線に火をつけたのだ。  きっと、そうだ。  傷だらけの熊を世に放たないために。  私は目を閉じ、また開いてを繰り返していた。窓の外には地図で見た通りの形をした北海道の大地を見下ろすことができた。  昨晩、私は大森の前で大泣きしてしまった。  泣いて泣いて、もうどうしようもないくらいに泣きわめいた。撮影を諦《あきら》めたあとの、朝まで開店しているという旭川の町外れのうらぶれた居酒屋でのことだった。  客は私と大森しかいなかった。  午前二時半から五時までいたけれど、ついにその状況が変わることはなかった。カウンターと小さなボックス席だけの店で、私と大森はカウンターの隅に座って日本酒を飲んでいた。  私たちは冷え切った体を温めるために、すごいペースで熱燗《あつかん》を飲んだ。大森は悔しがって「必ずまたチャレンジしましょう」とばかり繰り返していた。  カウンターに置かれた木彫りのひぐまが、顔よりも大きな鮭を咥《くわ》えていた。  私は今日一日に起こったことを何も隠さずに大森に伝えた。そうしなければ、すべてが泡になって朝陽が上るころには跡形もなく消えていそうなことばかりだったからである。  私が泣き出したのは午前四時ごろだったかと思う。そのときに私は不意に自分がソウルケージの外に立っていることを確信したのである。そしてもうこの先、二度とその中に戻ることもないだろうことを。  そう思うと、どうしようもなく涙が止まらなくなってしまったのだ。なぜだかよくわからないけれど、大森も泣いていた。バカみたいに声を張り上げて泣いていた。二人で意味もなくわけもなく泣いて泣いて泣き明かした。本当にただのバカみたいだった。  今私はどんな空を飛んでいるのだろうかと思う。ここは、母の魂が行った先よりも果して高いところなのか低いところなのか。  飛行機はやがて海を渡りはじめた。  雲が私の足元を音もなく流れてゆく。  店に流れていた深夜ラジオの放送時間が終わり、早朝のニュースがはじまった。店の主人はラジオを切って、テープに切り替えた。カウンターに置かれたちゃちな黒いラジカセからもう何度も何度も、数え切れないくらいに聴いた曲の数々が流れてきた。  それを聴いて私は泣き止んだ。  すると、大森もピタリと泣き止んだ。  ラジカセからは音質のよくない小さな音で、しかし哀切に溢れるメロディーが次々と流れてきた。  ラバーソウル——。  私の精神の靴底となって支えてくれたアルバムだ。〈ノーウェアーマン〉が終わり、何曲かが流れ、〈ミッシェル〉がはじまった。 「ラバーソウルをありがとう」と私は口の中でつぶやいてみた。目の焦点が合わなくなった大森からは何の反応もなかった。 「ラバーソウルをありがとう」  今度は声に出してもう一度、そう言った。  それを私に与えてくれたのは、名も知らず会ったこともない部屋の先輩だった。男か女かすらもわからない、その人のおかげできっと私は、今日までゴム底の靴を履いて生きてゆくことができたのだ。そして、そのたった一枚のゴム底が、私をあの籠の中から生還させようとしてくれている。  もう怖くはない。  窓の外を眺めながら、私は考える。  何も恐れることはない。  あの籠の中から私を救い出すものは、白い粒による化学反応ではなくて、知らないうちに自分を取り囲んでいる人間の優しさなのだ。  私はそれに囲まれている。  それが今も私を守っている。  眼下に広がる雲海を眺めながら私は思う。  これまでの十九年間、結局私はあの日、母が張り巡らせたソウルケージの中で、それに支配されながら生きてきたのではないかと。  それと訣別《けつべつ》しなくてはならない。  忘れることはできないけれども、別れるべきときはきている。  そう、今こそが母と別れるときなのだ。  母は私を捨てた。  これまでにただの一度も私が受け入れることのできなかった事実がそれだ。  優しかったのかもしれない、神様みたいだったのかもしれない、しかしどうであれ母は私を捨てた。それが事実である。  だから、私も母を捨てる。  誇り高く生きるために。誰よりもそれを望んでいるだろう母のために。  厚い雲の上には透き通るような青空が広がっている。光に手をかざしながら私は思う。もう見えないものに振りまわされることはない。あの空の向こうにはまた新しい空が続いているだけなのだ。  初 出   八月の傾斜 「野生時代」新創刊号(二〇〇三年十二月)   だらだらとこの坂道を下っていこう 「i feel」二○○三年冬号   孤独か、それに等しいもの 「野生時代」二○○四年一月号   シンパシー 「中央公論」二○○三年八月号   ソウルケージ 「野生時代」二○○四年三月号  角川単行本『孤独か、それに等しいもの』平成16年5月1日初版発行