TITLE : 伊豆の踊子・禽獣 本作品の全部または一部を無断で複製、転載、配信、送信したり、ホームページ上に転載することを禁止します。また、本作品の内容を無断で改変、改ざん等を行うことも禁止します。 本作品購入時にご承諾いただいた規約により、有償・無償にかかわらず本作品を第三者に譲渡することはできません。 目 次 伊豆の踊子 青い海黒い海 驢《ろ》馬《ば》に乗る妻 禽《きん》獣《じゆう》 慰霊歌 二十歳 むすめごころ 父 母 注 釈 『伊豆の踊子』について 川 端 康 成 年 譜  伊豆の踊子        一  道がつづら折り《*》になって、いよいよ天《あま》城《ぎ》峠《とうげ》に近づいたと思う頃《ころ》、雨足が杉の密林を白く染めながら、すさまじい早さで麓《ふもと》から私を追って来た。  私は二十歳、高等学校の制帽をかぶり、紺《こん》飛白《がすり》の着物に袴《はかま》をはき、学生カバンを肩にかけていた。一人伊豆の旅に出てから四日目のことだった。修《しゆ》善《ぜん》寺《じ》温泉に一夜泊り、湯が島温泉に二夜泊り、そして朴《ほお》歯《ば*》の高《たか》下《げ》駄《た》で天城を登って来たのだった。重なり合った山々や原生林や深い渓谷の秋に見《み》惚《と》れながらも、私は一つの期待に胸をときめかして道を急いでいるのだった。そのうちに大粒の雨が私を打ち始めた。折れ曲った急な坂道を駆《か》け登った。ようやく峠の北口の茶屋に辿《たど》りついてほっとすると同時に、私はその入口で立ちすくんでしまった。あまりに期待がみごとに的中したからである。そこで旅芸人の一行が休んでいたのだ。  突っ立っている私を見た踊子がすぐに自分の座《ざ》蒲《ぶ》団《とん》をはずして、裏返しに傍《そば》へ置いた。  「ええ……」とだけ言って、私はその上に腰をおろした。坂道を走った息切れと驚きとで、「ありがとう」という言葉が咽《のど》にひっかかって出なかったのだ。  踊子と間近に向かい合ったので、私はあわてて袂《たもと》から煙草《たばこ》を取り出した。踊子がまた連れの女の前の煙草盆を引き寄せて私に近くしてくれた。やっぱり私は黙っていた。  踊子は十七くらいに見えた。私にはわからない古風の不思議な形に大きく髪を結《ゆ》っていた。それが卵形の凜《り》々《り》しい顔を非常に小さく見せながらも、美しく調和していた。髪を豊かに誇張して描いた、稗《はい》史《し*》的な娘の絵姿のような感じだった。踊子の連れは四十代の女が一人、若い女が二人、ほかに長岡温泉の宿屋の印《しるし》半《ばん》纏《てん》を着た二十五、六の男がいた。  私はそれまでにこの踊子たちを二度見ているのだった。最初は私が湯が島へ来る途中、修善寺へ行く彼女たちと湯川橋の近くで出会った。その時は若い女が三人だったが、踊子は太《たい》鼓《こ》を提《さ》げていた。私は振り返り振り返り眺めて、旅情が自分の身についたと思った。それから、湯が島の二日目の夜、宿屋へ流して来た。踊子が玄関の板敷で踊るのを、私は梯《はし》子《ご》段《だん》の中途に腰をおろして一心に見ていた。——あの日が修善寺で今夜が湯が島なら、明日は天城を南に越えて湯が野温泉へ行くのだろう。天城七里の山道できっと追いつけるだろう。そう空想して道を急いで来たのだったが、雨宿りの茶屋でぴったり落ち合ったものだから、私はどぎまぎしてしまったのだ。  まもなく、茶店の婆《ばあ》さんが私を別の部屋へ案内してくれた。平常用はないらしく戸障子がなかった。下を覗《のぞ》くと美しい谷が目の届かないほど深かった。私は肌に粟《あわ》粒《つぶ》をこしらえ、かちかちと歯を鳴らして身《み》顫《ぶる》いした。茶を入れに来た婆さんに、寒いと言うと、  「おや、旦《だん》那《な》様《さま》お濡《ぬ》れになってるじゃございませんか。こちらでしばらくおあたりなさいまし、さあ、お召《めし》物《もの》をお乾かしなさいまし」と、手を取るようにして、自分たちの居間へ誘ってくれた。  その部屋は炉《ろ》が切ってあって、障子を明けると強い火気が流れて来た。私は敷《しき》居《い》際《ぎわ》に立って躊《ちゆう》躇《ちよ》した。水死人のように全身蒼《あお》ぶくれの爺さんが炉《ろ》端《ばた》にあぐらをかいているのだ。瞳《ひとみ》まで黄色く腐ったような眼を物《もの》憂《う》げに私の方へ向けた。身の周《まわ》りに古手紙や紙袋の山を築いて、その紙《かみ》屑《くず》のなかに埋れていると言ってもよかった。とうてい生き物と思えない山の怪奇を眺めたまま、私は棒立ちになっていた。  「こんなお恥《はずか》しい姿をお見せいたしまして……。でも、うちのじじいでございますからご心配なさいますな。お見苦しくても、動けないのでございますから、このままで堪《かん》忍《にん》してやってくださいまし」  そう断わってから、婆さんが話したところによると、爺さんは長年中《ちゆう》風《ぶう》を患《わずら》って、全身が不随になってしまっているのだそうだ。紙の山は、諸国から中風の養生を教えて来た手紙や、諸国から取り寄せた中風の薬の袋なのである。爺さんは峠を越える旅人から聞いたり、新聞の広告を見たりすると、その一つをも洩《もら》さずに、全国から中風の療法を聞き、売薬を求めたのだそうだ。そして、それらの手紙や紙袋を一つも捨てずに身の周りに置いて眺めながら暮らして来たのだそうだ。長年の間にそれが古ぼけた反《ほ》古《ご》の山を築いたのだそうだ。  私は婆さんに答える言葉もなく、囲《い》炉《ろ》裏《り》の上にうつむいていた。山を越える自動車が家を揺《ゆ》すぶった。秋でもこんなに寒い、そしてまもなく雪に染まる峠を、なぜこの爺さんはおりないのだろうと考えていた。私の着物から湯気が立って、頭が痛むほど火が強かった。婆さんは店に出て旅芸人の女と話していた。  「そうかねえ。この前連れていた子がもうこんなになったのかい。いい娘《あんこ》になって、お前さんも結構だよ。こんなに綺《き》麗《れい》になったのかねえ。女の子は早いもんだよ」  小一時間経つと、旅芸人たちが出《いで》立《た》つらしい物音が聞こえて来た。私も落着いている場合ではないのだが、胸騒ぎするばかりで立ち上がる勇気が出なかった。旅《たび》馴《な》れたと言っても女の足だから、十町や二十町遅れたって一走りに追いつけると思いながら、炉の傍《そば》でいらいらしていた。しかし踊子たちが傍にいなくなると、かえって私の空想は解き放たれたように生き生きと踊り始めた。彼らを送り出して来た婆さんに聞いた。  「あの芸人は今夜どこで泊るんでしょう」  「あんな者、どこで泊るやらわかるものでございますか、旦那様。お客があればあり次第、どこにだって泊るんでございますよ。今夜の宿のあてなんぞございますものか」  はなはだしい軽《けい》蔑《べつ》を含んだ婆さんの言葉が、それならば、踊子を今夜は私の部屋に泊らせるのだ、と思ったほど私をあおり立てた。  雨足が細くなって、峰が明るんで来た。もう十分も待てば綺《き》麗《れい》に晴れ上がると、しきりに引き止められたけれども、じっと坐《すわ》っていられなかった。  「お爺さん、お大事になさいよ。寒くなりますからね」と、私は心から言って立ち上がった。爺さんは黄色い眼を重そうに動かして微《かす》かにうなずいた。  「旦《だん》那《な》さま、旦那さま」と、叫びながら婆さんが追っかけて来た。  「こんなにいただいてはもったいのうございます。申し訳ございません」  そして私のカバンを抱きかかえて渡そうとせずに、いくら断わってもその辺まで送ると言って承知しなかった。一町ばかりもちょこちょこついて来て、同じことを繰り返していた。  「もったいのうございます。お粗末いたしました。お顔をよく覚えております。今度お通りの時にお礼をいたします。この次もきっとお立ち寄りくださいまし。お忘れはいたしません」  私は五十銭銀貨を一枚置いただけだったので、いたく驚いて涙がこぼれそうに感じているのだったが、踊子に早く追いつきたいものだから、婆さんのよろよろした足取りが迷惑でもあった。とうとう峠のトンネルまで来てしまった。  「どうもありがとう。お爺さんが一人だから帰ってあげてください」と私が言うと、婆さんはやっとのことでカバンを離した。  暗いトンネルに入ると、冷たい雫《しずく》がぽたぽた落ちていた。南伊豆への出口が前方に小さく明るんでいた。        二  トンネルの出口から白塗りの柵《さく》に片側を縫われた峠道が稲妻のように流れていた。この模型のような展望の裾《すそ》の方に芸人達の姿が見えた。六町と行かないうちに私は彼らの一行に追いついた。しかし急に歩調を緩《ゆる》めることもできないので、私は冷淡なふうに女たちを追い越してしまった。十間ほど先に一人歩いていた男が私を見ると立ち止まった。  「お足が早いですね。——いいあんばいに晴れました」  私はほっとして男と並んで歩き始めた。男は次々にいろんなことを私に聞いた。二人が話し出したのを見て、うしろから女たちがばたばた走り寄って来た。  男は大きい柳《やなぎ》行《ごう》李《り*》を背負っていた。四十女は小犬を抱いていた。上の娘が風《ふ》呂《ろ》敷《しき》包み、中の娘が柳行李、それぞれ大きい荷物を持っていた。踊子は太鼓とその枠《わく》を負《お》うていた。四十女もぽつぽつ私に話しかけた。  「高等学校の学生さんよ」と、上の娘が踊子に囁《ささや》いた。私が振り返ると笑いながら言った。  「そうでしょう。それくらいのことは知っています。島へ学生さんが来ますもの」  一行は大島の波《は》浮《ぶ》の港の人たちだった。春に島を出てから旅を続けているのだが、寒くなるし、冬の用意はして来ないので、下田に十日ほどいて伊東温泉から島へ帰るのだと言った。大島と聞くと私はいっそう詩を感じて、また踊子の美しい髪を眺めた。大島のことをいろいろ訊《たず》ねた。  「学生さんがたくさん泳ぎに来るね」と踊子が連れの女に言った。  「夏でしょう」と、私が振り向くと、踊子はどぎまぎして、  「冬でも……」と、小声で答えたように思われた。  「冬でも?」  踊子はやはり連れの女を見て笑った。  「冬でも泳げるんですか」と私がもう一度言うと、踊子は赤くなって、非常にまじめな顔をしながら軽くうなずいた。  「ばかだ。この子は」と、四十女が笑った。  湯が野までは河《かわ》津《づ》川《がわ》の渓谷に沿うて三里余りのくだりだった。峠を越えてからは、山や空の色までが南国らしく感じられた。私と男とは絶えず話し続けて、すっかり親しくなった。荻《おぎ》乗《のり》や梨《なし》本《もと》なぞの小さい村里を過ぎて、湯が野の藁《わら》屋《や》根《ね》が麓《ふもと》に見えるようになった頃、私は下田まで一緒に旅をしたいと思い切って言った。彼はたいへん喜んだ。  湯が野の木《き》賃《ちん》宿《やど》の前で四十女が、ではお別れ、という顔をした時に、彼は言ってくれた。  「この方はお連れになりたいとおっしゃるんだよ」  「それは、それは。旅は道連れ、世は情け。私たちのようなつまらない者でも、ご退屈しのぎにはなりますよ。まあ、上がってお休みなさいまし」と無《む》造《ぞう》作《さ》に答えた。娘たちは一《いち》時《どき》に私を見たが、しごくなんでもないという顔で黙って、少し恥《はず》かしそうに私を眺めていた。  皆と一緒に宿屋の二階へ上がって荷物をおろした。畳や襖《ふすま》も古びて汚かった。踊子が下から茶を運んで来た。私の前に坐《すわ》ると、まっ赤になりながら手をぶるぶる顫《ふる》わせるので茶《ちや》碗《わん》が茶《ちや》托《たく》から落ちかかり、落すまいと畳に置く拍子に茶をこぼしてしまった。あまりにひどいはにかみようなので、私はあっけにとられた。  「まあ! 厭《いや》らしい。この子は色気づいたんだよ。あれあれ……」と四十女が呆《あき》れ果てたというふうに眉《まゆ》をひそめて手《て》拭《ぬぐい》を投げた。踊子はそれを拾って、窮屈そうに畳を拭《ふ》いた。  この意外な言葉で、私はふと自分を省みた。峠の婆さんにあおり立てられた空想がぽきんと折れるのを感じた。  そのうちに突然四十女が、  「書生さんの紺《こん》飛白《がすり》はほんとにいいねえ」と言って、しげしげ私を眺めた。  「この方の飛白は民次と同じ柄だね。ね、そうだね。同じ柄じゃないかね」  傍の女に幾度も駄目を押してから私に言った。  「国に学校行きの子供を残してあるんですが、その子を今思い出しましてね。その子の飛白と同じなんですもの。この節は紺飛白もお高くてほんとうに困ってしまう」  「どこの学校です」  「尋常五年なんです」  「へえ、尋常五年とはどうも……」  「甲府の学校へ行ってるんでございますよ。長く大島におりますけれど、国は甲《か》斐《い》の甲府でございましてね」  一時間ほど休んでから、男が私を別の温泉宿へ案内してくれた。それまでは私も芸人たちと同じ木賃宿に泊ることとばかり思っていたのだった。私たちは街道から石ころ路や石段を一町ばかりおりて、小川のほとりにある共同湯の横の橋を渡った。橋の向こうは温泉宿の庭だった。  そこの内《うち》湯《ゆ*》につかっていると、後から男がはいって来た。自分が二十四になることや、女房が二度とも流産と早産とで子供を死なせたことなぞを話した。彼は長岡温泉の印《しるし》半《ばん》纏《てん》を着ているので、長岡の人間だと私は思っていたのだった。また顔つきも話ぶりも相当知識的なところから、物好きか芸人の娘に惚《ほ》れたかで、荷物を持ってやりながらついて来ているのだと想像していた。  湯から上がると私はすぐに昼飯を食べた。湯が島を朝の八時に出たのだったが、その時はまだ三時前だった。  男が帰りがけに、庭から私を見上げて挨《あい》拶《さつ》をした。  「これで柿《かき》でもおあがりなさい。二階から失礼」と言って、私は金包みを投げた。男は断わって行き過ぎようとしたが、庭に紙包みが落ちたままなので、引き返してそれを拾うと、  「こんなことをなさっちゃいけません」とほうり上げた。それが藁屋根の上に落ちた。私がもう一度投げると、男は持って帰った。  夕暮からひどい雨になった。山々の姿が遠近を失って白く染まり、前の小川が見る見る黄色く濁《にご》って音を高めた。こんな雨では踊子たちが流して来ることもあるまいと思いながら、私はじっと坐《すわ》っていられないので二度も三度も湯にはいってみたりしていた。部屋は薄暗かった。隣室との間の襖《ふすま》を四角く切り抜いたところに鴨《かも》居《い》から電燈が下がっていて、一つの明かりが二室兼用になっているのだった。  ととんとんとん、激しい雨の音の遠くに太鼓の響きがかすかに生まれた。私はかき破るように雨戸を明けて体を乗り出した。太鼓の音が近づいて来るようだ。雨風が私の頭を叩《たた》いた。私は眼を閉じて耳を澄ましながら、太鼓がどこをどう歩いてここへ来るかを知ろうとした。間もなく三《しや》味《み》線《せん》の音が聞こえた。女の長い叫び声が聞こえた。賑《にぎ》やかな笑い声が聞こえた。そして芸人たちは木賃宿と向かい合った料理屋のお座敷に呼ばれているのだとわかった。二、三人の女の声と三、四人の男の声とが聞き分けられた。そこがすめばこちらへ流して来るのだろうと待っていた。しかしその酒宴は陽気を越えてばか騒ぎになって行くらしい。女の金切り声が時々稲妻のように闇《やみ》夜《よ》に鋭く通った。私は神経を尖《とが》らせて、いつまでも戸を明けたままじっと坐っていた。太鼓の音が聞こえるたびに胸がほうと明るんだ。  「ああ、踊子はまだ宴席に坐っていたのだ。坐って太鼓を打っているのだ」  太鼓がやむとたまらなかった。雨の音の底に私は沈み込んでしまった。  やがて、皆が追っかけっこをしているのか、踊り回っているのか、乱れた足音がしばらく続いた。そして、ぴたと静まり返ってしまった。私は眼を光らせた。この静けさが何であるかを闇を通して見ようとした。踊子の今夜が汚れるのであろうかと悩ましかった。  雨戸を閉じて床にはいっても胸が苦しかった。また湯にはいった。湯を荒々しくかき回した。雨が上がって、月が出た。雨に洗われた秋の夜が冴《さ》え冴《ざ》えと明るんだ。はだしで湯《ゆ》殿《どの》を抜け出して行ったって、どうともできないのだと思った。二時を過ぎていた。        三  翌《あく》る朝の九時過ぎに、もう男が私の宿に訪ねて来た。起きたばかりの私は彼を誘って湯に行った。美しく晴れ渡った南伊豆の小春日和《びより》で、水かさの増した小川が湯殿の下に暖く日を受けていた。自分にも昨夜の悩ましさが夢のように感じられるのだったが、私は男に言ってみた。  「昨夜はだいぶ遅くまで賑やかでしたね」  「なあに。聞こえましたか」  「聞こえましたとも」  「この土地の人なんですよ。土地の人はばか騒ぎをするばかりで、どうもおもしろくありません」  彼があまりに何げないふうなので、私は黙ってしまった。  「向こうのお湯にあいつらが来ています。——ほれ、こちらを見つけたと見えて笑っていやがる」  彼に指ざされて、私は川向こうの共同湯の方を見た。湯気の中に七、八人の裸体がぼんやり浮かんでいた。  仄《ほの》暗《ぐら》い湯殿の奥から、突然裸の女が走り出して来たかと思うと、脱衣場のとっぱなに川岸へ飛びおりそうな格好で立ち、両手をいっぱいに伸して何か叫んでいる。手《て》拭《ぬぐい》もないまっ裸だ。それが踊子だった。若《わか》桐《ぎり》のように足のよく伸びた白い裸身を眺めて、私は心に清《し》水《みず》を感じ、ほうっと深い息を吐いてから、ことこと笑った。子供なんだ。私たちを見つけた喜びでまっ裸のまま日の光の中に飛び出し、爪《つま》先《さ》きで背いっぱいに伸び上がるほどに子供なんだ。私は朗らかな喜びでことこと笑い続けた。頭が拭《ぬぐ》われたように澄んで来た。微笑がいつまでもとまらなかった。  踊子の髪が豊かすぎるので、十七、八に見えていたのだ。その上娘盛りのように装《よそ》わせてあるので、私はとんでもない思い違いをしていたのだ。  男と一緒に私の部屋に帰っていると、まもなく上の娘が宿の庭へ来て菊畑を見ていた。踊子が橋を半分ほど渡っていた。四十女が共同湯を出て二人の方を見た。踊子はきゅっと肩をつぼめながら、叱《しか》られるから帰ります、というふうに笑って見せて急ぎ足に引き返した。四十女が橋まで来て声をかけた。  「お遊びにいらっしゃいまし」  「お遊びにいらっしゃいまし」  上の娘も同じことを言って、女たちは帰って行った。男はとうとう夕方まで坐り込んでいた。  夜、紙類を卸《おろ》して回る行商人と碁《ご》を打っていると、宿の庭に突然太鼓の音が聞こえた。私は立ちあがろうとした。  「流しが来ました」  「ううん、つまらない、あんなもの。さ、さ、あなたの手ですよ。私ここへ打ちました」と、碁盤を突つきながら紙屋は勝負に夢中だった。私はそわそわしているうちに芸人たちはもう帰り路《みち》らしく、男が庭から、  「今晩は」と声を掛けた。  私は廊下に出て手招きした。芸人たちは庭でちょっと囁《ささや》き合ってから玄関へ回った。男の後から娘が三人順々に、  「今晩は」と廊下に手を突いて芸者のようにお辞《じ》儀《ぎ》をした。碁盤の上では急に私の負け色が見え出した。  「これじゃしかたがありません。投げですよ」  「そんなことがあるものですか。私の方が悪いでしょう。どっちにしても細かいです」  紙屋は芸人の方を見向きもせずに、碁盤の目を一つ一つ数えてから、ますます注意深く打って行った。女たちは太鼓や三味線を部屋の隅に片づけると、将《しよう》棋《ぎ》盤の上で五目並べを始めた。そのうちに私は勝っていた碁を負けてしまったのだが、紙屋は、  「いかがですもう一《いつ》石《せき》、もう一石願いましょう」と、しつっこくせがんだ。しかし私が意味もなく笑っているばかりなので紙屋はあきらめて立ち上がった。  娘たちが碁盤の近くへ出て来た。  「今夜はまだこれからどこかへ回るんですか」  「回るんですが」と男は娘たちの方を見た。  「どうしよう。今夜はもうよしにして遊ばせていただくか」  「嬉《うれ》しいね。嬉しいね」  「叱られやしませんか」  「なあに、それに歩いたってどうせお客がないんです」  そして五目並べなぞをしながら、十二時過ぎまで遊んで行った。  踊子が帰った後は、とても眠れそうもなく頭が冴《さ》え冴《ざ》えしているので、私は廊下に出て呼んでみた。  「紙屋さん、紙屋さん」  「よう……」と、六十近い爺さんが部屋から飛び出し、勇み立って言った。  「今晩は徹夜ですぞ。打ち明かすんですぞ」  私もまた非常に好戦的な気持だった。        四  その次の朝八時が湯が野出《しゆつ》立《たつ》の約束だった。私は共同湯の横で買った鳥打帽をかぶり、高等学校の制帽をカバンの奥に押し込んでしまって、街道沿いの木賃宿へ行った。二階の戸障子がすっかり明け放たれているので、なんの気なしに上がって行くと、芸人たちはまだ床の中にいるのだった。私はめんくらって廊下に突っ立っていた。  私の足もとの寝床で、踊子がまっ赤になりながら両の掌ではたと顔を抑えてしまった。彼女は中の娘と一つの床に寝ていた。昨夜の濃《こ》い化粧が残っていた。唇と眦《まなじり》の紅が少しにじんでいた。この情緒的な寝姿が私の胸を染めた。彼女は眩《まぶ》しそうにくるりと寝返りして、掌で顔を隠したまま蒲団を辷《すべ》り出ると、廊下に坐り、  「昨晩はありがとうございました」と綺麗なお辞儀をして、立ったままの私をまごつかせた。  男は上の娘と同じ床に寝ていた。それを見るまで私は、二人が夫婦であることをちっとも知らなかったのだった。  「たいへんすみませんのですよ。今日立つつもりでしたけれど、今晩お座敷がありそうでございますから、私たちは一日延ばしてみることにいたしました。どうしても今日お立ちになるなら、また下田でお目にかかりますわ。私たちは甲州屋という宿屋にきめておりますから、すぐおわかりになります」と四十女が寝床から半ば起き上がって言った。私は突っ放されたように感じた。  「明日にしていただけませんか。おふくろが一日延ばすって承知しないもんですからね。道連れのある方がよろしいですよ。明日一緒に参りましょう」と男が言うと、四十女も付け加えた。  「そうなさいましよ。せっかくお連れになっていただいて、こんな我《わが》儘《まま》を申しちゃすみませんけれど。明日は槍《やり》が降っても立ちます。明後日が旅で死んだ赤ん坊の四十九日でございましてね、四十九日には心ばかりのことを、下田でしてやりたいと前々から思って、その日までに下田へ行けるように旅を急いだのでございますよ。そんなこと申しちゃ失礼ですけれど、不思議なご縁ですもの、明後日はちょっと拝《おが》んでやってくださいましな」  そこで私は出立を延ばすことにして階下へおりた。皆が起きて来るのを待ちながら、汚い帳場で宿の者と話していると、男が散歩に誘った。街道を少し南へ行くと綺麗な橋があった。橋の欄《らん》干《かん》によりかかって、彼はまた身の上話を始めた。東京である新派役者の群れにしばらく加わっていたとのことだった。今でも時々大島の港で芝居をするのだそうだ。彼らの荷物の風呂敷から刀の鞘《さや》が足のようにはみ出していたのだったが、お座敷でも芝居の真《ま》似《ね》をして見せるのだと言った。柳《やなぎ》行《ごう》李《り》の中はその衣《い》裳《しよう》や鍋《なべ》茶《ちや》碗《わん》なぞの世帯道具なのである。  「私は身を誤った果てに落ちぶれてしまいましたが、兄が甲府で立派に家の後《あと》目《め》を立てていてくれます。だから私はまあいらない体なんです」  「私はあなたが長岡温泉の人だとばかり思っていましたよ」  「そうでしたか。あの上の娘が女房ですよ。あなたより一つ下、十九でしてね、旅の空で二度目の子供を早産しちまって、子供は一週間ほどして息が絶えるし、女房はまだ体がしっかりしないんです。あの婆さんは女房の実のおふくろなんです。踊子は私の実の妹ですが」  「へえ。十四になる妹があるっていうのは——」  「あいつですよ。妹にだけはこんなことをさせたくないと思いつめていますが、そこにはまたいろんな事情がありましてね」  それから、自分が栄吉、女房が千代子、妹が薫《かおる》ということなぞを教えてくれた。もう一人の百《ゆ》合《り》子《こ》という十七の娘だけが大島生まれで雇いだとのことだった。栄吉はひどく感傷的になって泣き出しそうな顔をしながら河瀬を見つめていた。  引き返して来ると、白《おし》粉《ろい》を洗い落した踊子が路《みち》ばたにうずくまって犬の頭を撫《な》でていた。私は自分の宿に帰ろうとして言った。  「遊びにいらっしゃい」  「ええ。でも一人では……」  「だから兄さんと」  「直ぐに行きます」  まもなく栄吉が私の宿へ来た。  「皆は?」  「女どもはおふくろがやかましいので」  しかし、二人がしばらく五目並べをやっていると、女たちが橋を渡ってどんどん二階へ上がって来た。いつものように丁寧なお辞儀をして廊下に坐ったままためらっていたが、一番に千代子が立ち上がった。  「これは私の部屋よ。さあどうぞご遠慮なしにお通りください」  一時間ほど遊んで芸人たちはこの宿の内湯へ行った。一緒にはいろうとしきりに誘われたが、若い女が三人もいるので、私は後から行くとごまかしてしまった。すると踊子が一人すぐに上がって来た。  「肩を流してあげますからいらっしゃいませって、姉さんが」と、千代子の言葉を伝えた。  湯には行かずに、私は踊子と五目を並べた。彼女は不思議に強かった。勝《かち》継《つ》ぎをやると、栄吉や他の女は造《ぞう》作《さ》なく負けるのだった。五目ではたいていの人に勝つ私が力いっぱいだった。わざと甘い石を打ってやらなくともいいのが気持よかった。二人きりだから、初めのうち彼女は遠くの方から手を伸して石をおろしていたが、だんだん我を忘れて一心に碁盤の上へ覆いかぶさって来た。不自然なほど美しい黒髪が私の胸に触れそうになった。突然、ぱっと紅くなって、  「ごめなさい。叱《しか》られる」と石を投げ出したまま飛び出して行った。共同湯の前におふくろが立っていたのである。千代子と百合子もあわてて湯から上がると、二階へは上がって来ずに逃げて帰った。  この日も、栄吉は朝から夕方まで私の宿に遊んでいた。純樸で親切らしい宿のおかみさんが、あんな者にご飯を出すのはもったいないと言って、私に忠告した。  夜、私が木賃宿に出向いて行くと、踊子はおふくろに三味線を習っているところだった。私を見るとやめてしまったが、おふくろの言葉でまた三味線を抱き上げた。歌う声が少し高くなるたびに、おふくろが言った。  「声を出しちゃいけないって言うのに」  栄吉は向かい側の料理屋の二階座敷に呼ばれて何か唸《うな》っているのが、こちらから見えた。  「あれはなんです」  「あれ——謡《うたい》ですよ」  「謡は変だな」  「八《や》百《お》屋《や》だから何をやり出すかわかりゃしません」  そこへこの木賃宿の間を借りて鳥屋をしているという四十前後の男が襖《ふすま》を明けて、ご馳《ち》走《そう》をすると娘たちを呼んだ。踊子は百合子と一緒に箸《はし》を持って隣りの間へ行き、鳥屋が食べ荒した後の鳥鍋をつついていた。こちらの部屋へ一緒に立って来る途中で、鳥屋が踊子の肩を軽く叩いた。おふくろが恐ろしい顔をした。  「こら。この子に触《さわ》っておくれでないよ。生《き》娘《むすめ》なんだからね」  踊子はおじさんおじさんと言いながら、鳥屋に「水《み》戸《と》黄《こう》門《もん》漫《まん》遊《ゆう》記《き》」を読んでくれと頼んだ。しかし鳥屋はすぐに立って行った。続きを読んでくれと私に直接言えないので、おふくろから頼んで欲しいようなことを、踊子がしきりに言った。私は一つの期待を持って講談本を取り上げた。はたして踊子がするすると近寄って来た。私が読み出すと、彼女は私の肩に触《さわ》るほどに顔を寄せて真剣な表情をしながら、眼をきらきらと輝かせて一心に私の額をみつめ、瞬《またた》き一つしなかった。これは彼女が本を読んで貰《もら》う時の癖らしかった。さっきも鳥屋とほとんど顔を重ねていた。私はそれを見ていたのだった。この美しく光る黒眼がちの大きい眼は踊子のいちばん美しい持ちものだった。二《ふた》重《え》瞼《まぶた》の線が言いようなく綺《き》麗《れい》だった。それから彼女は花のように笑うのだった。花のように笑うと言う言葉が彼女にはほんとうだった。  まもなく、料理屋の女中が踊子を迎えに来た。踊子は衣裳をつけて私に言った。  「すぐ戻って来ますから、待っていて続きを読んで下さいね」  それから廊下に出て手を突いた。  「行って参ります」  「決して歌うんじゃないよ」とおふくろが言うと、彼女は太鼓を提げて軽くうなずいた。おふくろは私を振り向いた。  「今ちょうど声変りなんですから——」  踊子は料理屋の二階にきちんと坐《すわ》って太鼓を打っていた。その後姿が隣り座敷のことのように見えた。太鼓の音は私の心を晴れやかに踊らせた。  「太鼓がはいるとお座敷が浮き立ちますね」とおふくろも向こうを見た。  千代子も百合子も同じ座敷へ行った。  一時間ほどすると四人一緒に帰って来た。  「これだけ……」と、踊子は握り拳《こぶし》からおふくろの掌《てのひら》へ五十銭銀貨をざらざら落した。私はまたしばらく「水戸黄門漫遊記」を口読した。彼らはまた旅で死んだ子供の話をした。水のように透《す》き通った赤ん坊が生まれたのだそうである。泣く力もなかったが、それでも一週間息があったそうである。  好奇心もなく、軽《けい》蔑《べつ》も含まない、彼らが旅芸人という種類の人間であることを忘れてしまったような、私の尋常な好意は、彼らの胸にも沁《し》み込んで行くらしかった。私はいつのまにか大島の彼らの家へ行くことにきまってしまっていた。  「爺さんのいる家ならいいね。あすこなら広いし、爺さんを追い出しとけば静かだから、いつまでいなさってもいいし、勉強もおできなさるし」なぞと彼ら同士で話し合っては私に言った。  「小さい家を二つ持っておりましてね、山の方の家は明《あ》いているようなものですもの」  また正月には私が手伝ってやって、波《は》浮《ぶ》の港で皆が芝居をすることになっていた。  彼らの旅心は、最初私が考えていたほどせちがらいものでなく、野の匂《にお》いを失わないのんきなものであることも、私にわかって来た。親子兄弟であるだけに、それぞれ肉親らしい愛情で繋《つなが》り合っていることも感じられた。雇《やとい》女《おんな》の百合子だけは、はにかみ盛りだからであるが、いつも私の前でむっつりしていた。  夜半を過ぎてから私は木賃宿を出た。娘たちが送って出た。踊子が下《げ》駄《た》を直してくれた。踊子は門口から首を出して、明るい空を眺めた。  「ああ、お月さま。——明日は下田、嬉しいな。赤ん坊の四十九日をして、おっかさんに櫛《くし》を買って貰って、それからいろんなことがありますのよ。活動へ連れて行ってくださいましね」  下田の港は、伊豆相模《さがみ》の温泉場なぞを流して歩く旅芸人が、旅の空での故郷として懐《なつか》しがるような空気の漂《ただよ》った町なのである。        五  芸人たちはそれぞれに天城を越えた時と同じ荷物を持った。おふくろの腕の輪に小犬が前足を載せて旅馴《な》れた顔をしていた。湯が野を出《で》はずれると、また山にはいった。海の上の朝日が山の腹を温《ぬく》めていた。私たちは朝日の方を眺めた。河津川の行く手に河津の浜が明るく開けていた。  「あれが大島なんですね」  「あんなに大きく見えるんですもの、いらっしゃいましね」と踊子が言った。  秋空が晴れすぎたためか、日に近い海は春のように霞《かす》んでいた。ここから下田まで五里歩くのだった。しばらくの間海が見え隠れしていた。千代子はのんびりと歌を歌い出した。  途中で少し険しいが、二十町ばかり近い山越えの間《かん》道《どう》を行くか、楽な本街道を行くかと言われた時に、私はもちろん近路を選んだ。  落葉で辷《すべ》りそうな胸先上がりの木《この》下《した》路《みち》だった。息が苦しいものだから、かえってやけ半分に私は膝《ひざ》頭《がしら》を掌で突き伸ばすようにして足を早めた。見る見るうちに一行は遅《おく》れてしまって、話し声だけが木の中から聞こえるようになった。踊子が一人裾《すそ》を高く掲げて、とっとっと私について来るのだった。一間ほどうしろを歩いて、その間隔を縮めようとも伸そうともしなかった。私が振り返って話しかけると、驚いたように微《ほほ》笑《え》みながら立ち止まって返事をする。踊子が話しかけた時に、追いつかせるつもりで待っていると、彼女はやはり足を停めてしまって、私が歩き出すまで歩かない。路が折れ曲っていっそう険しくなるあたりからますます足を急がせると、踊子は相変わらず一間うしろを一心に登って来る。山は静かだった。ほかの者たちはずっと遅れて話し声も聞こえなくなっていた。  「東京のどこに家があります」  「いいや、学校の寄宿舎にいるんです」  「私も東京は知ってます、お花見時分に踊りに行って。小さい時でなんにも覚えていません」  それからまた踊子は、  「お父さんありますか」とか、  「甲府へ行ったことありますか」とか、ぽつりぽつりいろんなことを聞いた。下田へ着けば活動を見ることや、死んだ赤ん坊のことなぞを話した。  山の頂上へ出た。踊子は枯草の中の腰掛けに太鼓をおろすとハンカチで汗を拭いた。そして自分の足の埃《ほこり》を払おうとしたが、ふと私の足もとにしゃがんで袴《はかま》の裾《すそ》を払ってくれた。私が急に身を引いたものだから、踊子はこつんと膝を落した。屈《かが》んだまま私の身の周《まわ》りをはたいて回ってから、掲げていた裾をおろして、大きい息をして立っている私に、  「お掛けなさいまし」と言った。  腰掛けのすぐ横へ小鳥の群れが渡って来た。鳥がとまる枝の枯葉がかさかさ鳴るほど静かだった。  「どうしてあんなに早くお歩きになりますの」  踊子は暑そうだった。私が指でべんべんと太鼓を叩くと小鳥が飛び立った。  「ああ水が飲みたい」  「見て来ましょうね」  しかし踊子はまもなく黄ばんだ雑木の間から空《むな》しく帰って来た。  「大島にいる時は何をしているんです」  すると踊子はとうとつに女の名前を二つ三つあげて、私に見当のつかない話を始めた。大島ではなくて甲府の話らしかった。尋常二年まで通った小学校の友達のことらしかった。それを思い出すままに話すのだった。  十分ほど待つと若い三人が頂上に辿《たど》りついた。おふくろはそれからまた十分遅れて着いた。  下りは私と栄吉とがわざと遅れてゆっくり話しながら出発した。二町ばかり歩くと、下から踊子が走って来た。  「この下に泉があるんです。大急ぎでいらしてくださいって、飲まずに待っているから」  水と聞いて私は走った。木《こ》蔭《かげ》の岩の間から清《し》水《みず》が湧《わ》いていた。泉のぐるりに女たちが立っていた。  「さあお先きにお飲みなさいまし。手を入れると濁《にご》るし、女の後は汚いだろうと思って」とおふくろが言った。  私は冷たい水を手に掬《すく》って飲んだ。女たちは容易にそこを離れなかった。手拭をしぼって汗を落したりした。  その山をおりて下田街道に出ると、炭焼きの煙が幾つも見えた。路傍の材木に腰をおろして休んだ。踊子は道にしゃがみながら、桃色の櫛《くし》で犬のむく毛を梳《す》いてやっていた。  「歯が折れるじゃないか」とおふくろがたしなめた。  「いいの。下田で新しいの買うもの」  湯が野にいる時から私は、この前髪に挿《さ》した櫛を貰《もら》って行くつもりだったので、犬の毛を梳くのはいけないと思った。  道の向こう側にたくさんある篠《しの》竹《だけ》の束を見て、杖《つえ》にちょうどいいなぞと話しながら、私と栄吉とは一足先きに立った。踊子が走って追っかけて来た。自分の背より長い太い竹を持っていた。  「どうするんだ」と栄吉が聞くと、ちょっとまごつきながら私に竹を突きつけた。  「杖にあげます。いちばん太いのを抜いて来た」  「駄目だよ。太いのは盗んだとすぐにわかって、見られると悪いじゃないか。返して来い」  踊子は竹束のところまで引き返すと、また走って来た。今度は中指くらいの太さの竹を私にくれた。そして、田の畦《あぜ》を背中に打ちつけるように倒れかかって、苦しそうな息をしながら女たちを待っていた。  私と栄吉とは絶えず五、六間先を歩いていた。  「それは、抜いて金歯を入れさえすればなんでもないわ」と踊子の声がふと私の耳にはいったので振り返ってみると、踊子は千代子と並んで歩き、おふくろと百合子とがそれに少し遅れていた。私の振り返ったのを気づかないらしく千代子が言った。  「それはそう。そう知らしてあげたらどう」  私の噂《うわさ》らしい。千代子が私の歯並びの悪いことを言ったので、踊子が金歯を持ち出したのだろう。顔の話らしいが、それが苦にもならないし、聞き耳を立てる気にもならないほどに、私は親しい気持になっているのだった。しばらく低い声が続いてから踊子の言うのが聞こえた。  「いい人ね」  「それはそう、いい人らしい」  「ほんとにいい人ね。いい人はいいね」  この物言いは単純で明けっ放しな響きを持っていた。感情の傾きをぽいと幼く投げ出して見せた声だった。私自身にも自分をいい人だと素直に感じることができた。晴れ晴れと眼を上げて明るい山々を眺めた。瞼《まぶた》の裏が微《かす》かに痛んだ。二十歳の私は自分の性質が孤《こ》児《じ》根《こん》性《じよう》で歪《ゆが》んでいると厳しい反省を重ね、その息苦しい憂《ゆう》鬱《うつ》に堪《た》え切れないで伊豆の旅に出て来ているのだった。だから、世間尋常の意味で自分がいい人に見えることは、言いようなくありがたいのだった。山々の明るいのは下田の海が近づいたからだった。私はさっきの竹の杖を振り回しながら秋草の頭を切った。  途中、ところどころの村の入口に立札があった。  ——物《もの》乞《ご》い旅芸人村に入るべからず。        六  甲州屋という木《き》賃《ちん》宿《やど》は下田の北口をはいるとすぐだった。私は芸人たちの後から屋根裏のような二階へ通った。天井がなく、街道に向かった窓際に坐《すわ》ると、屋根裏が頭につかえるのだった。  「肩は痛くないかい」と、おふくろは踊子に幾度も駄目を押していた。  「手は痛くないかい」  踊子は太鼓を打つ時の美しい手《て》真《ま》似《ね》をしてみた。  「痛くない。打てるね、打てるね」  「まあよかったね」  私は太鼓を提げてみた。  「おや、重いんだな」  「それはあなたの思っているより重いわ。あなたのカバンより重いわ」と踊子が笑った。  芸人たちは同じ宿の人々と賑《にぎ》やかに挨《あい》拶《さつ》を交していた。やはり芸人や香具《や》師《し*》のような連中ばかりだった。下田の港はこんな渡り鳥の巣であるらしかった。踊子はちょこちょこ部屋へはいって来た宿の子供に銅貨をやっていた。私が甲州屋を出ようとすると、踊子が玄関に先回りしていて下駄を揃《そろ》えてくれながら、  「活動につれていってくださいね」とまたひとり言のように呟《つぶや》いた。  無《ぶ》頼《らい》漢《かん》のような男に途中まで路を案内してもらって、私と栄吉とは前町長が主人だという宿屋へ行った。湯にはいって、栄吉と一緒に新しい魚の昼飯を食った。  「これで明日の法事に花でも買って供《そな》えてください」  そう言って僅《わず》かばかりの包み金を栄吉に持たせて帰した。私は明日の朝の船で東京に帰らなければならないのだった。旅費がもうなくなっているのだ。学校の都《つ》合《ごう》があると言ったので芸人たちもしいて止めることはできなかった。  昼飯から三時間と経《た》たないうちに夕飯をすませて、私は一人下田の北へ橋を渡った。下田富士に攀《よ》じ登って港を眺めた。帰りに甲州屋へ寄ってみると、芸人たちは鳥鍋で飯を食っているところだった。  「一口でも召しあがってくださいませんか。女が箸《はし》を入れて汚いけれども、笑い話の種になりますよ」と、おふくろは行《こう》李《り》から茶《ちや》碗《わん》と箸を出して、百合子に洗って来させた。  明日が赤ん坊の四十九日だから、せめてもう一日だけ出立を延ばしてくれ、またしても皆が言ったが、私は学校を楯《たて》に取って承知しなかった。おふくろは繰り返し言った。  「それじゃ冬休みには皆で船まで迎えに行きますよ。日を報《しら》せてくださいましね。お待ちしておりますよ。宿屋へなんぞいらしちゃ厭《いや》ですよ、船まで迎えに行きますよ」  部屋に千代子と百合子しかいなくなった時活動に誘うと、千代子は腹を抑えてみせて、  「体が悪いんですもの、あんなに歩くと弱ってしまって」と蒼《あお》い顔でぐったりしていた。百合子はかたくなってうつむいてしまった。踊子は階下で宿の子供と遊んでいた。私を見るとおふくろに縋《すが》りついて活動に行かせてくれとせがんでいたが、顔を失ったようにぼんやり私のところに戻って下駄を直してくれた。  「なんだって。一人で連れて行って貰ったらいいじゃないか」と栄吉が話し込んだけれども、おふくろが承知しないらしかった。なぜ一人ではいけないのか、私は実に不思議だった。玄関を出ようとすると踊子は犬の頭を撫《な》でていた。私が言葉を掛けかねたほどによそよそしいふうだった。顔を上げて私を見る気力もなさそうだった。  私は一人で活動に行った。女弁士が豆ランプで説明を読んでいた。すぐに出て宿へ帰った。窓《まど》閾《しきい》に肘《ひじ》を突いて、いつまでも夜の町を眺めていた。暗い町だった。遠くから絶えず微《かす》かに太鼓の音が聞こえて来るような気がした。わけもなく涙がぽたぽた落ちた。        七  出立の朝、七時に飯を食っていると、栄吉が道から私を呼んだ。黒紋付の羽織を着込んでいる。私を送るための礼装らしい。女たちの姿が見えない。私はすばやく寂しさを感じた。栄吉が部屋へ上がって来て言った。  「皆もお送りしたいのですが、昨夜おそく寝て起きられないので失礼させていただきました。冬はお待ちしているから是非と申しておりました」  町は秋の朝風が冷たかった。栄吉は途中で敷《しき》島《しま》四箱と柿とカオールという口中清涼剤とを買ってくれた。  「妹の名が薫《かおる》ですから」と微かに笑いながら言った。  「船の中で蜜《み》柑《かん》はよくありませんが、柿は船酔いにいいくらいですから食べられます」  「これをあげましょうか」  私は鳥打帽を脱《ぬ》いで栄吉の頭にかぶせてやった。そしてカバンの中から学校の制帽を出して皺《しわ》を伸しながら、二人で笑った。  乗船場に近づくと、海際にうずくまっている踊子の姿が私の胸に飛び込んだ。傍《そば》に行くまで彼女はじっとしていた。黙って頭を下げた。昨夜のままの化粧が私をいっそう感情的にした。眦《まなじり》の紅が怒っているかのような顔に幼い凜《り》々《り》しさを与えていた。栄吉が言った。  「ほかの者も来るのか」  踊子は頭を振った。  「皆まだ寝ているのか」  踊子はうなずいた。  栄吉が船の切符とはしけ券とを買いに行った間に、私はいろいろ話しかけて見たが、踊子は掘割りが海に入るところをじっと見おろしたまま一言も言わなかった。私の言葉が終わらない先に、何度となくこくりこくりうなずいて見せるだけだった。  そこへ、  「お婆《ばあ》さん、この人がいいや」と、土《ど》方《かた》ふうの男が私に近づいて来た。  「学生さん、東京へ行きなさるだね。あなたを見込んで頼むだがね、この婆さんを東京へ連れてってくんねえか。可《か》哀《わい》想《そう》な婆さんだ。倅《せがれ》が蓮《れん》台《だい》寺《じ》の銀山に働いていたんだがね、今度の流行性感《かん》冒《ぼう》てやつで倅も嫁《よめ》も死んじまったんだ。こんな孫が三人も残っちまったんだ。どうにもしようがねえから、わしらが相談して国へ帰してやるところなんだ。国は水《み》戸《と》だがね、婆さん何もわからねえんだから、霊《れい》岸《がん》島《じま*》へ着いたら、上野の駅へ行く電車に乗せてやってくんな。めんどうだろうがな、わしらが手を合わして頼みてえ。まあこの有様を見てやってくれりゃ、可哀想だと思いなさるだろう」  ぽかんと立っている婆さんの背には、乳《ち》呑《のみ》児《ご》がくくりつけてあった。下が三つ上が五つくらいの二人の女の子が左右の手につかまっていた。汚い風呂敷包みから大きい握り飯と梅干とが見えていた。五、六人の鉱夫が婆さんをいたわっていた。私は婆さんの世話をこころよく引き受けた。  「頼みましたぞ」  「ありがてえ。わしらが水戸まで送らにゃならねえんだが、そうもできねえでな」なぞと鉱夫たちはそれぞれ私に挨拶した。  はしけはひどく揺れた。踊子はやはり唇をきっと閉じたまま一方を見つめていた。私が縄《なわ》梯《ばし》子《ご》につかまろうとして振り返った時、踊子はさようならを言おうとしたが、それもよして、もう一ぺんただうなずいて見せた。はしけが帰って行った。栄吉はさっき私がやったばかりの鳥打帽をしきりに振っていた。ずっと遠ざかってから踊子が白いものを振り始めた。  汽船が下田の海を出て伊豆半島の南端がうしろに消えて行くまで、私は欄《らん》干《かん》に凭《もた》れて沖の大島を一心に眺めていた。踊子に別れたのは遠い昔であるような気持だった。婆さんはどうしたかと船室を覗《のぞ》いてみると、もう人々が車座に取《と》り囲《かこ》んで、いろいろと慰めているらしかった。私は安心して、その隣の船室にはいった。相模《さがみ》灘《なだ》は波が高かった。坐《すわ》っていると、時々左右に倒れた。船員が小さい金だらいを配《くば》って回った。私はカバンを枕にして横たわった。頭が空《から》っぽで時間というものを感じなかった。涙がぽろぽろカバンに流れた。頬《ほお》が冷たいのでカバンを裏返しにしたほどだった。私の横に少年が寝ていた。河津の工場主の息子で入学準備に東京へ行くのだったから、一高の制帽をかぶっている私に好意を感じたらしかった。少し話してから彼は言った。  「何かご不幸でもおありになったのですか」  「いいえ、今人に別れて来たんです」  私は非常に素直に言った。泣いているのを見られても平気だった。私は何も考えていなかった。ただすがすがしい満足の中に静かに眠っているようだった。  海はいつのまに暮れたのかも知らずにいたが、網《あ》代《じろ》や熱海には灯があった。肌が寒く腹が空《す》いた。少年が竹の皮包みを開いてくれた。私はそれが人の物であることを忘れたかのように海《の》苔《り》巻《まき》のすしなぞを食った。そして少年の学生マントの中にもぐり込んだ。私はどんなに親切にされても、それをたいへん自然に受け入れられるような美しい空虚な気持だった。明日の朝早く婆さんを上野駅へ連れて行って水戸まで切符を買ってやるのも、しごくあたりまえのことだと思っていた。何もかもが一つに融《と》け合って感じられた。  船室のランプが消えてしまった。船に積んだ生魚と潮の匂《にお》いが強くなった。まっ暗ななかで少年の体温に温《ぬくも》りながら、私は涙を出まかせにしていた。頭が澄んだ水になってしまっていて、それがぽろぽろ零《こぼ》れ、その後には何も残らないような甘い快さだった。  (大正十一年—大正十五年)  青い海黒い海          第一の遺書  帆かけ船の船《せん》頭《どう》です。  「おおい」  「おおい」  河波の上の呼び声でほうと眠りから覚めると、私の眼に船の帆が白い渡り鳥の群れのように浮かびました。そうです。白帆を見た瞬間の私は、その胸に鳥を飛ばせている時の青空のように無心でした。  「おおい」  「おおい。生きてるのかあ」  帆かけ船の船頭に呼ばれてこの世へ新しく生まれたように私は眼を開いたのでした。  ——私は一《ひと》月《つき》ほど前にも、女の呼び声でこの世に生き返った人間なんです。そして、その日の夕方には、その女が遊覧船でこの海浜に来ることになっているのでした。  私は顔に載《の》せていた経《きよう》木《ぎ》帽《ぼう*》を捨てて立ち上がりながら、日に焦《こ》げた腹に河の水をかけました。夕方近くの風を待っていた帆船が河をのぼって来たのでしょう。波の光が夕方でした。  まもなくびっこの少女の豆自動車が砂浜を走って来る時刻でしょう。その少女は別荘番の娘です。別荘の主人はやはりいざりの少年です。少年は足が立たないばかりではないと見えます。毎日夕方になると、少年と少女とを乗せた豆自動車が海から投げ上げられた水色のまりのように海辺を飛ぶのですが、少年は下《した》顎《あご》ばかりをぴくりぴくりと動かしています。この少年には家庭教師がついています。私はその男を憧《どう》 球《きゆう》 場《じよう》で、二、三度見たことがあります。しかし、少女は村の小学校に通っています。  その日も河口の砂原へ行く途中で、私は学校から帰って来る少女に出会いました。少女は松《まつ》葉《ば》杖《づえ》の上に怒った肩を蝙《こう》蝠《もり》の翼のように羽ばたいて、ぴょくりぴょくりと踊るように砂浜を歩いていました。砂や波の上は影のない七月でした。突然少女は大きいあくびをしました。  「あっ。暗《くら》闇《やみ》。暗闇!」  ぎらぎら眩《まぶ》しい光の世界で、少女が大きく開いた口の中に、ただ一点の暗闇が生まれたのです。その暗闇はじろりと私を眺めました。どうして私はこんなものにびっくりするのでしょう。その後で見た蘆《あし》の葉にしてもそうです。  この頃《ごろ》、私は毎日河口の砂原へ昼寝に行くことにしています。海には泳ぐ人がちらほら出はじめましたので、わざわざ人目のない河口まで行くのです。私は一月ほど前女の呼び声でこの世に生き返ったばかりのからだなんですから、夏の日をまともに受けながら裸で砂の上に眠ったりするのは、たいへん毒だと思いますけれども、こんなふうに自分を青空に明けっ放して寝ることがたまらなく好きなんです。それに私は、生まれながらの人生の睡眠不足者なのかもしれません。人生で寝《ね》椅《い》子《す》を捜している男かもしれません。私は生まれたその日から母の胸に眠ることができなかったのですから。  そんなわけでその日も、砂の上へ寝ころがりに行ったのでした。  空が澄んでいたので島が近くに見えました。白い燈台がほんとに白く見えました。ヨットの帆の黄色いのがわかりました。そのヨットはちょっと見ると、若い夫婦かなんかが乗っていそうですけれども、実はドイツ人のおじいさんなんです。とにかく私は、熱い砂が背中の皮膚に馴《な》染《じ》んで来るのを感じながら、主人のいない部屋のガラス戸のような眼で、海の景色を眺めていました。ところが、私の眼に一本の線を引いているものがありました。  一枚の蘆《あし》の葉です。  その線がだんだんはっきりしてきました。せっかく近づいた島が、そのために、だんだん遠《とお》退《の》いて行きました。蘆の葉が私の眼の中いっぱいに拡がって来ました。私の眼は一枚の蘆の葉になって行きました。やがて、私は一枚の蘆の葉でした。蘆の葉はおごそかに揺れていました。その蘆の葉が、河口や海原や島々や半島やの大きい景色を、私の眼の中で完全に支配しているではありませんか。私は戦いを挑《いど》まれているような気持になって来ました。そして、じりじり迫って来る蘆の葉の力に押《おさ》えつけられて行くのでした。  そこで私は、思い出の世界へ逃げ出しました。  きさ子という娘は十七の秋に私と結婚の約束をしたのでした。その約束はきさ子が破りました。けれども私はあまり気を落しませんでした。お互に命さえあればいつかはまた、と思っていました。私の庭にも芍《しやく》薬《やく》の花があります。きさ子の庭にも芍薬の花があります。その根さえ枯れなければ、来年の五月にはまた花が咲くでしょう。そしたら蝶《ちよう》が私の花の花粉をきさ子の花に運んで行くようなことがないともかぎりません。そう思っていました。  ところが、去年の秋のことでした。私はふと気がつきました。  「きさ子は二十になった」  「私と婚約した十七のきさ子が二十になった」  「きさ子は私と結婚しないのに——二十になれたのは、何故だ。きさ子を二十にしたのは何者だ。——とにかく、私ではない」  「見よ、汝《なんじ》と婚約した十七の娘は汝の妻としてではなく二十になれたではないか、と私に戦いを挑むのは誰《だれ》だ」  私はこのどうしようもない事実を、その時初めてほんとに心で掴《つか》んだのでした。そして、歯をぎりぎり噛《か》みしめてうつむいていました。  しかしです。私はきさ子が十七の年から後きさ子に会っていないのですから、私にとっては、きさ子は二十になっていないとも言えるのです。いいえ、このほうが正しいのです。その証拠にはその時もちゃんと十七のきさ子が小さい人形のように私の前へ現われて来たではありませんか。けれども、この人形は清らかに透明でした。そしてそのからだを透《す》き通して、白馬の踊っている牧場や、青い手で化粧している月や、花《か》瓶《びん》が人間に生まれようと思って母とすべき少女を追っかけている夜や、そんなふうないろんな景色が見えるんです。その景色がまた非常に美しいんです。  すると私は、自分というものがぴったりと鎖《とざ》した部屋一ぱいの濁《にご》ったガスのように思えて来ました。もし扉があるなら、直ぐにも明け放して、きさ子のからだのうしろの美しい景色の中に濁ったガスを発散させてしまいたくなりました。生命とは、ある瞬間には、ピストルの引き金をちょいと引く指の動き、ただそれだけのものにすぎないのですからね。  しかし、しあわせなことにちょうどその時、私の死んだ父がほとほとと扉を叩《たた》いてくれました。  「ごめんください。ごめんください」  「はい」と答えているのは小さい人形のようなきさ子でした。  「私は忘れものをした。この世に息子を置き忘れた」  「でも、私は女でございますよ。娘でございますよ」  「部屋の中に私の息子を隠しているので、私を通さないと言うのか」  「どうぞご自由におはいりあそばせ。人間の頭の扉には鍵《かぎ》がございません」  「しかし、生と死との間の扉には?」  「藤《ふじ》の花の一《ひと》房《ふさ》ででも開くことができます」  「あれだ、私の忘れものは」  部屋にはいって来た父は稲妻のように腕を突き出しました。その指の先で、私はぎょっと身を縮めました。しかし小さいきさ子はけげんそうな眼をしていました。  「あら、あれは私の鏡台でございますよ。それともあなたは、鏡の前の化粧水のことをおっしゃるのでしょうか」  「ここは誰の部屋だ」  「私のです」  「嘘《うそ》だろう。お前は透明ではないか」  「あの化粧水だって桃色に透明でございますよ」  父は私を眺めて静かに言いました。  「私の忘れ者よ。お前は十七の娘が二十になったのでうろたえたではないか。それでいながら十七のきさ子をこの部屋の一隅の虚《こ》空《くう》に描いて、命を吹き込んでやっている。すると、お前のいる生の世界には二人のきさ子がいるのか。または、一人のきさ子もいないのか。あるいは、お前ただ一人しかいないのか。——しかし、お前が生まれない前にお前と別れた私は、二十六のお前を一目見たばかりで、こんなにも素直に、私の忘れものよと呼んだではないか。これは私が死人だからだろうか」  その時でした。なぜでしょう——私はほうっと太《と》息《いき》をすると、それが、  「お父さん」という声になっているのでした。  「あら。私の化粧水がものを言った。ああ」  きさ子は鮎《あゆ》の眼のような小さい眼に、無限の悲しみを浮かべたかと思うと、すうっと姿を消してしまいました。  「息子よ。この部屋はなかなか立派だ。一人の女がこの部屋から消え失せても、空気が一そよぎもしないほど立派だ」  「しかしお父さん。あなたは私にちっとも似ていませんね」  「そうだ。それをお前も気がついてくれたか。私がここへ来る前にいちばん苦心をしたのは、自分の形をどう作ろうかということだった。少しでもお前に似ていてはお前が気を悪くすると思ってな」  「そのご好意はよくわかります」  「でも、眼が二つ、耳も二つ、足も二本の人間だ。一般の幽霊のように、足だけはなしで来ようかとも考えたが、それも月並だからな。いっそのこと、鉛筆か煙水晶の姿をして来るのもおもしろいのだが、死人は生存ということに対する信用が薄いからな」  「とにかく、あなたが私のほんとの父なら、その頭を殴らせてくれませんか。他人の頭を殴るのは、どうも気まずいのです。肉親があれば、その頭を一つ、ぽかりと力まかせに殴ってみたいと、時々考えるのです」  「いいとも。しかし、お前はきっと失望するよ。たんぽぽの花の上の陽《かげ》炎《ろう》を殴るのと同じように手答えがないだろうから」  「しかし、たんぽぽの花の上の陽炎からは人間が生まれないでしょう」  「しかし、たんぽぽの花の上に陽炎が立たなければ、人間も生まれないのだ」  そして実際、私の頭の中にはたんぽぽの花が咲き、陽炎が揺れているのでした。父の姿なぞはどこにも見えませんでした。きさ子もいませんでした。私と結婚の約束をした十七のきさ子が私の妻としてではなく二十になれた——このことについての、さっきの白い驚きも消えてしまっていました。  そうして、私の感情はだらりと尾を垂れて眠がっていました。  こんなことがあったからかもしれません。その後まもなく私はもう一人の女りか子の前で、  「ははははは——」と笑ってしまったのです。  「ほんとにお聞きしないほうがよかったわ。ほんとにお聞きしないほうがよかったわ」と、りか子は言いました。すると、重苦しい気持で恋を打ち明けていた私は、  「はははは——」と、笑ってしまいました。なんという虚《むな》しい笑い声でしょう。自分の笑い声を聞きながら、まるで星の笑い声でも聞いたように、私はびっくりしました。それと同時に、自分という一本の釘《くぎ》が音もなく折れて、その釘にぶら下がっていた私はふうっと青空へ落ちて行きました。  そして、りか子はその青空に昼の月のように浮びました。  「りか子はなんという美しい眼をしているのだろう」  私は不思議そうに眺めていました。そして私たちは二個の風船玉のように立ち上がりました。  「あの丘へ登って椎《しい》の木のところを右へ回ってください」と、りか子は自分で自動車の運転手に言いつけました。  りか子をおろしてしまうと、私は自動車の中でにこにこにこにこ微《ほほ》笑《え》みました。嬉《うれ》しい気持がぽこぽこ込み上げて来て、どうしようもありませんでした。  「恋を失ったのだから悲しまねばならない」  そう思って自分を叱《しか》りつけました。また、この並はずれた感情の動きに不安を感じました。しかしそれも、腹の皮で水の中へゴムまりを抑えつけているようなくすぐったい気持がしただけで、まもなくぷっと吹き出してしまいました。  「悲しむべき時に喜ぶ自分は褒《ほ》むべきかな。足を北へ運びながら南へ行く自分は褒むべきかな。これは、神様ただいま帰りました、という気持なんだ」  そんなふうに戯れながら、私は一人で微笑していました。愉快で愉快でしかたがありませんでした。けれども、この明るい気持はその日一日だけでした。とは言え翌《あく》る日から悲しかったと言うのではありません。ただそれからは、自分に対するぼんやりした疑いが、私の身のまわりを野《の》分《わき》のように通っていました。  ——ところが、すべてこれらの感情を私の熱病がみごとに裏切りました。  五月でした。私は熱病を患《わずら》って死にかかっていました。熱に浮かされて意識を失っていました。  「きさ子」  「きさ子」  「きさ子」  「りか子」  「きさ子」  「りか子」  「りか子」  「きさ子」  私はうわごとを言い続けていたそうです。  私の枕《まくら》辺《べ》にいた伯母は奇跡が好きだったのでしょうか。りか子を私の病床へ呼んでくれたのでした。りか子、と私が呼ぶ声に、りか子が答えたならば、私が命を取り止めるかもしれないと考えたのです。  二人の女のうち、きさ子はその時どこにいるのかわからなかったのです。いいえ、伯母はきさ子という女の名をその時初めて聞いたのです。ところが、りか子は伯母の姪《めい》だから嫁入り先もわかっていたのです、第一、それが奇跡ではないでしょうか。そして、奇跡は第二第三と続いたのでした。  りか子はすぐに私の枕辺へやって来たそうです。するとどうでしょう。  「りか子」  「りか子。りか子」  「りか子。りか子。りか子——」  私はりか子の名ばかり呼んだそうです。きさ子の名は一度も呼ばなかったそうです。考えても見てください。私は高い熱で意識を失っていたんですよ。私はこれを、人間の中の悪魔の狡《こう》猾《かつ》——なぞと言って片づけられない気がします。後でこのことを伯母から聞いた時私は、  「これは死ぬに価する」  と、何気なく呟《つぶや》いたのでした。  とにかく私は、りか子に自分の名を呼ばれ、自分の手を握られながら、この世に生き返ったのです。そして、意識を取り戻した瞬間に見たりか子の印象はどうだったでしょう。いつかりか子が私に話したことがあります。  「私のいちばん古い記憶を話してもいい? 二つか三つの頃《ころ》でした。お日様はお寺の塔から昇って芭《ば》蕉《しよう》の葉へ沈むという考えがあったらしいのね。昇る、沈む、という言葉を知らなくっても、朝日と夕日とでちがった感じがあったのね。ところが、ある日、芭蕉の葉からお日様が昇った、芭蕉の葉からお日様が昇ったと思うと、わあっと泣き出してしまいましたわ。子守の背中で夕方眼を覚ましたのよ」    ——私は一枚の蘆《あし》の葉を見て、これらのことをすべて連想したというのではありません。ただ一枚の蘆の葉からも、きさ子が二十になったことからも、同じように戦いを挑《いど》まれた気持がしたというだけなんです。  そして、帆かけ船の船頭の声で目を覚ますと、りか子の声で生き返ったことを思い出したのです。  もう日が半島の上に傾いていました。しかし私は三歳のりか子のように、日が西の半島から昇ったとは思うことができませんでした。  もうすぐに、りか子の汽船が沖へ現われるでしょう。そして彼女は沖から遊覧船でこの浜辺へ来るでしょう。  りか子は船室に寝ころびながら、足《た》袋《び》を脱いでしまった美しい足を船腹に突っ張って、波の動揺を支えているのでしょう。その姿を描いた頭で、私は河口を立ち去ったのでした。      第二の遺書  「私は死ぬ。りか子は生きている。私は死ぬ。私は死ぬ。りか子は生きている。生きている。生きている。生きている——」  あの時の気持を言葉で現わせば、こう言うよりしかたがありません。あの時とは——私が短刀でりか子の胸を突き、それから自分の胸を突いて、意識を失って行く時のことです。  ところがどうでしょう。私が意識を取り返してみると、最初に浮かんだ言葉が、  「りか子は死んだ」  というのでした。しかもそこに、  「私は生きている」  という言葉は伴《ともな》って来ないのでした。そればかりではありません。私が意識を失って行く時には、  「私は死ぬ。りか子は生きている」という言葉が浮かんだのではなかったのです。その時の気持を言葉で現わそうとすれば、そうとよりしかたがないというだけなんです。  その時私の頭を走り過ぎたすべてのもの、火のように熱い小川に見えた流血や、骨の鳴る音や、蜘《く》蛛《も》の巣を伝わる雨滴のように幾つも幾つも流れて来る父の顔や、渦を巻いて飛び回る叫び声や、さかさまになって浮き沈みしている古里の山なぞの、どれもこれもから私は、  「りか子は生きている」という同じ一つのことを感じたのでした。  そして、私は「りか子の生存」とでもいうものの波に溺《おぼ》れかかってもがいていたのです。それからいつの間にか、その波の上に軽やかに浮かんで、ゆらゆら揺られていたのです。  ——けれども、意識を取り返した時には、  「りか子は死んだ」という言葉がはっきり言葉そのものとして浮かんで来たではありませんか。そしてまた、  「私は生きている」という言葉を伴わないで、それがはっきり浮かんで来たではありませんか。  ——これでみると、生存というものは死というものに対して、非常に傲《ごう》慢《まん》なのかもしれません。  しかし、やっぱり——その言葉がこの世の光と物の世界の明るさとよりも先に感じられたのではありませんでした。  最初私は明るい光の中へ、ぽっと浮き上がったのでした。  その時は七月の海浜の真昼でした。でも、たとえ私が真夜中の暗《くら》闇《やみ》の中で生き返ったとしても、この感じは同じだろうと思います。盲目でも明るさと光との感じは持っているでしょう。私たちは暗闇の中で眼を覚ましても、やはり明るさと光との感じが起こるのですから。そして、私たちはこれを眼で感じるのでなくて、生命で感じるのですから。生存とは、一口で言えば、光と明るさとを感じることだ、とも考えられます。  ただその時の私には、毎朝眼を覚ました時よりもその感じがもっともっと清らかでした。  それからが音です。波の音でした。その音が私の眼に見えました。静かに踊っている金色の一寸法師の群れとして見えました。その一寸法師のうちで手を高く伸して飛び上がった一人が、  「りか子は死んだ」  という言葉だったのでしょうか。  とにかくこの言葉は私を驚かせました。この驚きが私の意識を初めてはっきりさせました。  窓の外の空には松の芽が伸びていました。五歳の子供が青い紙へやたらに墨《すみ》で引っぱった線のようでした。  私は私に切りかかって来る幻の下で、ひらりひらりと身をかわしているような気がしました。夕方野を走って行く夕《ゆう》立《だち》の後足のように、私の視野の中に幻が何本も光っていました。  その時私は、墨で黒くなったりか子の唇を思い出しました。  煖《だん》炉《ろ》のある正月の西洋間でした。りか子は十四でした。書《かき》初《ぞ》めをしていました。十四になっても、筆を舐《な》めて唇を黒くしながら字を書くのでした。——その唇を思い出したのです。そして私は自分の手を眺めました。誰かが洗ってくれたにちがいないのですから、りか子の血なんぞ付いているはずはないのでしたが。  それにしても、私がりか子を突き殺した時、女の血は私の右手の四本の指に流れたのに、なぜ紅《べに》差《さし》指《ゆび》だけを汚さなかったのでしょう。いいえ、それよりも、紅差指一本だけが血みどろの手のなかで悪魔のように白かったことなぞが、あんな場合にどうして私の気にかかったのでしょう。紅差指一本が白かったから、私は生き返って、りか子は死んでしまったのでしょうか。いいえ、そんなことはどうでもいいのです。紅差指一本だけが白く見えたりしたのは幻だったのかもしれません。  そんなことよりも、私たちはなぜ死ぬ気になったのでしょう。熱病で死にかかっていた私の命をりか子が取り止めたからでしょうか。そうです。そうにちがいありません。  しかしその夜、あまり月が明るすぎたのもいけなかったのでしょうか。あんまり砂がまっ白すぎたのもいけなかったのでしょうか。満月は白い浜を空気のないような色に冴え返らせていました。月光が水の滴のようにまっすぐ降るほど静かなためか、空の動く音が微《かす》かに聞こえました。私の影は白紙に落した墨のようにまっ黒でした。私のからだは白砂に突き立てた一本の鋭い線でした。砂浜が白い布のように、四方からきりきりと巻き上がって来ました。  その時私とりか子とは、この三日間で目《め》高《だか》の死《し》骸《がい》のように疲れ切っているということに、どうして気がつかなかったのでしょう。それを知らないばっかりに私は、  「人間はこんなにまっ白な土の上に立ってはならないのだ」  と考えたのでした。そしてベンチの上に足を縮《ちぢ》めてしまいました。りか子にも足をベンチの上に上げさせました。  海はまっ黒でした。その広い黒にくらべて、この砂浜の白はなんとちっぽけだろうと思いながら、私は言いました。  「黒い海を見てごらん。私は黒い海を見ているから、私は黒い海だ。あなたも黒い海を見ているから、私の心の世界もあなたの心の世界も、この黒い海だ。ところが、私たちの眼の前でこのあなたと私との二つの世界が同時に一所を占《し》めながら、いっこうぶっつかりも、弾《はじ》き合いもしないじゃありませんか。突き当たる音も聞こえないじゃありませんか」  「私にわからないことはおっしゃらないでね。信じ合って死にたいから。気違いじみたことを言わないで死ねるうちに死にましょうね」  「そうだ。そうでしたね」  私が死ぬことにきめたのはその時だったのでしょうか。それとも前に、そんな約束をしていたのでしょうか。  とにかく、二人が一つの黒い海のように信じ合いながら、そして二人が死んでも一つの黒い海がなくならないことを信じながら、死のうと思っていたらしいのです。  ところがどうでしょう。私が生き返ってみると、海はまっ青でした。  まっ青な海ではありませんか。  赤かった私の手が白いように、まっ黒だった海はまっ青でした。そう思うと、涙がぽろぽろ流れました。悲しいのではないのですが、涙《なみだ》壺《つぼ》の蓋《ふた》がこわれてしまったのです。私が生き返らなかったならば、海はきっとまっ黒だったでしょう。  それでは、あれがいけなかったのでしょうか。あの時、りか子を突き飛ばしたのがいけなかったのでしょうか。  りか子は両方の腕で私の首にぴったり抱きついていました。そうしていてくれと、私が頼んだのでした。二個のからだが一個のからだの感じになる、つまり、りか子が独立した一個の人間という感じを失わないと、私はりか子の胸を突き刺すのがこわかったのです。  私はからっぽになろうとして、りか子の頬《ほお》の匂《にお》いの中で、ぽかあんと口を開いていました。するとさらさら流れる小川の幻が浮かんで来ました。そこで、私は短刀を力まかせにりか子の左の胸へ突き立てました。それと同時に、抱きしめ合っていたりか子のからだを、どんと突き飛ばしました。かと思うと、私はすっくと立ち上がっていました。  あおむけに倒れたりか子は、自分の血の上で素早く寝返りしてうつぶせになりながら、  「し、し、死んじゃいけません」  と、冴《さ》え冴《ざ》えとした声で言いました。しかも、胸に刺さった短刀を自分で抜き取ると、鋭く投げつけました。短刀は壁にたらたらと血を流して畳に落ちました。  その時でした。私は自分の紅差指一本だけが悪魔のように白いのを見て身ぶるいしました。  りか子は五分間ほどで動かなくなりました。動かないりか子を見て、私は心が澄み通ったような落ちつきを感じました。そして、手《て》拭《ぬぐい》を短刀の上に載せ、突っ立ったまま足で短刀の血を拭《ふ》いていました。  それから、機械のように自分の動作を疑うことなく、りか子の腹の横に膝《ひざ》を突いて、短刀を持ちながら目をつぶりました。できることなら、りか子と重なって死にたいと思っていたのです。それには、最初からりか子とからだをくっつけていては苦しまぎれに離れるだろうと考えたので、こうしたふうの身構えで胸を突き、いよいよこらえ切れなくなったら、りか子の上へ身をのめらそうという計画だったのです。  ところが、どうでしょう。短刀をぐっと突き立てると同時に、姿を崩して前へ倒れかかりました。と、叫び声をあげて飛び上がっていました。  ああ。それは、りか子の体温でした。  りか子の上に倒れかかった私は、りか子の体温を感じて飛び上がったのでした。りか子の体温が私を撥《は》ね退《の》けたのです。りか子の体温が私に伝わった瞬間の恐怖——これはいったいなんでしょう。  とにかく、それは本能の火花でした。人間の奥底にひそんでいる憎しみだったのでしょうか。でなくて人間が人間に感じる恐ろしい愛だったのでしょうか。でなくて、生命と生命との稲妻が目に見えぬ世界でぶっつかったのでしょうか。その時、私がなんと叫んだかは覚えていませんが、おそらくこれほど凄《すご》い叫び声はなかったろうと想像されます。  飛び上がった私は、横ざまに倒れました。痛みや苦しみはすぐに、痛みや苦しみでなくなってしまいました。  急な傾斜面を疾風《はやて》に追っかけられているような気持が、からだ中にありました。  やがて、世界は一つの強いリズムとして感じられました。私と一緒に世界が大きい鼓動を打っていました。全身の筋肉がその鼓動の音を聞いていました。「暑い」と思うと同時に、自分の眼界の暗さを感じました。  その闇《やみ》に金色の輪が二つ三つ浮かびました。と、りか子が私の古里の橋に立って水を眺めていました。——りか子は生きているのです。そのりか子は顔が広がって足の小さい三角形でした。私の父らしい男が逆《さか》立《だ》ちして、流星のように河底から浮いて来ました。鳥の翼のような花弁のダリアの花が風車のように回っていました。その花弁はりか子の唇でした。しんしんと音を立てて月光が横向きに降っていました。  ——こんなことをいくら書いてもきりがありません。とにかく私は高速度の幻想に乗って、弾丸が草木を追い抜くように、時間というものを追い抜いていたのでした。  そして、この幻想の世界では、色が音であり、音が色でした。ただ、匂いだけは少しも感じられませんでした。それから、この豊富で自由な幻想の断片のどれもこれもが、前にも書いたように、  「りか子は生きている」  という意味を私に感じさせました。その感じの裏には、  「私は死ぬ」  という感じが青い夜のように拡がっていたのでした。——ですけれども、私が自分の胸を突く前には、  「りか子は死んだ」  と信じていたのでした。  いいえ、死んでいるか、死んでいないかを、疑おうとさえしなかったのです。それは後から考えると不思議です。りか子の生死をいちおう確めてみるのが普通なのではないでしょうか。  不思議と言えば、自分の胸を突くまでは、りか子は死んだと信じていたのに、私の薄れて行く意識の断片が、  「りか子は生きている」  ということに感じられたのも不思議です。それから、意識を取り返してみると、あまりにも素直に、  「りか子は死んだ」  という言葉が浮かんだのも不思議です。  なるほど、りか子は死んだにはちがいありません。けれども私が生き返ったということはりか子の死を確めたことではないではありませんか。  もし私が生き返らなかったらどうでしょう。私にとってこの世界は「生きているりか子」の広々とした海だったではありませんか。  また、りか子が苦しい息の下から冴え冴えとした声で、  「し、し、死んじゃいけません」  と言った言葉も不思議です。心中の相手に死んではいけない、と言ったのでしょうか。自分自身に言ったのでしょうか。それとも、りか子の心に浮かんだ私でもりか子でもない何かに向かって言ったのでしょうか。  それよりも、私は短刀で自分の胸を突く前に、この言葉について何も考えなかったのはなぜでしょう。私はそれほど死というものに対して臆《おく》病《びよう》だったのでしょうか。だから機械のように自分の動作を疑うまいとしていたのでしょうか。しかし、ほんとうに私は死に対して臆病だったのでしょうか。また、臆病ならどうして死ぬ必要があったのでしょうか。  「し、し、死んじゃいけません」と、りか子も言っていたではありませんか。  そして、私の死は「りか子は生きている」という象徴の世界だったではありませんか。  それから、私の生は「りか子は死んだ」というはっきりした言葉だったではありませんか。生はそれだけのものではないと言うのですか。  「だから、お前は生き返った」  と言うのですか。  ——明日になったら、いろんなことを考えてみましょう。  窓の外の松林はまっすぐに立っています。あの松林が水車のような音を立てて回るダリアの花に見えたら、私は「りか子の生存の象徴の世界」に生きることができるのでしょうか。  時間と空間とを征服した、あのすばらしく豊富で自由な世界を束《つか》の間《ま》持つために、人間は生まれて来たのでしょうか。そして死ぬのでしょうか。  ああ。なんだかわかりません。  私が眼の前の青い海でないことが不幸なのでしょうか。いいえ、あの時もりか子も、眼の前の黒い海だったではありませんか。      作者の言葉  作者はこの二つの文章に「第一の遺書」、「第二の遺書」という題を付けた。この筆者は、心中の前に第一の文章を書き、二度目の自殺の前に第二の文章を書いたからである。そして、今度こそは蘇《そ》生《せい》しなかった。だから、もうこれ以上彼から「生と死」の話を聞くことはできない。しかし、さだめし彼は「りか子の生存の象徴の世界」に再び生きたことであろう。言うまでもなく、彼はりか子に恋をしていた。けれども作者は、たとえ彼が、  「一茎の野菊」  に恋をしていて、野菊の幻想の波の上に死んだとしても、この遺書は書き変える必要がないと思うのである。 (大正十四年)  驢《ろ》馬《ば》に乗る妻    妻が丘の上の馬場で驢《ろ》馬《ば》に乗っている。  娯楽室の明るい窓から、思いがけない妻の姿を眺めて、彼は晴れやかに笑い出した。  「奥様は娯楽室でお客様とピアノをお弾《ひ》きになっていらっしゃいます」  東京から着いた彼は、宿の女中にそう言われて、部屋にも行かずに玄関からすぐその足で、丘の上の娯楽室へ長い廊下を登って来たのであった。  しかし彼の晴れやかな表情は一分間と続かずに曇った。——姉の豊子だ。  妻の姉が驢馬の口を取りながら先引きをして歩いているのだ。  「お客様というのは豊子だったのか」  豊子は妻の着物を着ている。  そして、妻は豊子の洋服の黄色い上衣を着ている。その黄色い服に彼は見覚えがある。それから驚くべきことには、彼が宿屋に置いて行った洋服の縞《しま》のズボンを妻がはいているのだ。しかも、上衣の裾《すそ》をズボンのなかに落しているので、ズボン釣りが上衣の上になり、腹がすっかりズボンに呑《の》まれている。これで足が非常に長く見えるけれども、鐙《あぶみ》にかけた踵《かかと》までがズボンに隠れてしまっている。  このおどけた服装で驢《ろ》馬《ば》の背に跨《またが》り、手綱も持てずに鞍《くら》を掴《つか》んでいる妻の様子は、彼に幼いおかしみを感じさせずにはいなかった。まだ初《うい》々《うい》しい少女としか見えない彼女には、こんないたずらがよく似合って、小さい花が突然大きくなった驚きのような愛らしさがあった。姉の豊子を見た不愉快があったにしても。彼の顔は長く曇っていることはできなかった。夫の目からは遠く隠れていると思う時の若い妻を偸《ぬす》み見る、といったような喜びも感じられた。  馬場の周囲を一回りして、妻は娯楽室のほうへ静かに乗って来る。からだが危いので笑うにも笑えないのか、おかしさと生《き》まじめの入り交った表情を見せて、ほてった頬《ほお》を生き生きと輝かせている。  馬場のうしろは松林だ。松林の北の二月の空には三《み》河《かわ》の国の山々が四月のように霞《かす》んでいる。  やがて、妻は姉に抱きついたかと思うと、辷《すべ》り落ちるように驢馬からおりて、抱きついた腕を放そうともせず、姉のからだがよろよろするほど乱暴に笑い始めた。それから、何事かをしきりにしゃべりながら、姉に驢馬を引かせて、娯楽室へ近づいて来た。豊子は驢馬を立木につないだ。妻はズボンを両手でつまみあげて腰を軽く振りながら走って来た。ドアの開く音と共に、娯楽室へ花やかな笑い声が飛びこんだ。娯楽室の階下には玉突き台が二台ある。彼は二階からおりようとして梯《はし》子《ご》段《だん》の傍《そば》に立ち止まった。  「お姉様が先に脱いでちょうだいよ。着物を着なければズボンが脱げないじゃないの」  「それじゃこっちが困るわ」  「じゃ羽織だけでもいいわ」  「私のほうが小さいんだから、ズボンが足の先まであってよ、きっと」  豊子がおれのズボンをはくのか。——それが豊子であるだけに、以前の恋人であり今は妻の姉である豊子であるだけに、彼は複雑な刺激を感じた。  妻が言っている。  「誰も見ていやしないでしょうね」  「大丈夫」  「でも困るわ」  「そんなら二階で着替えたらどう。二階ならいいわ」  彼は窓から飛びおりようかと思った。しかし、梯子段をかけ上がって、  「あら!」  と、蒼《あお》ざめた妻だ。姉の上衣に彼のズボンという洋装の上に、彼女の羽織をひっかけている。  「いやだわ。いやだわ。いけないわ。驢馬に乗ってるところを見たんでしょう」  しかし豊子は妻よりも苦しい顔で硬くなっている。  「すみません。私が妹をむりやりに乗らせたんです。宿屋に驢馬がいると聞くと、つい私が乗りたくなって——」  「いつお帰りになったの。こんなに早く来てくださるとは思わなかったから、昨日お姉様をお呼びしましたのよ。寂しいから」  「別に大した用事なんかありゃしなかったんだよ。息子を電報で呼び寄せたりするのが、例によっておやじの誇《こ》大《だい》妄《もう》想《そう》的《てき》な趣味なんだね」  妻は彼の顔色を見て安心したらしい。  「でも——とにかくお話は後でうかがうから、お部屋へいらしてくださいね。こんな格好を見るもんじゃないわ。驢馬に乗っかってるところを、ここからすっかりごらんになったのね」  「驢馬に乗ったっていいさ。姉様は佐藤の馬場の女王で、荒馬が乗りこなせるんだもの、その妹のお前だって驢馬ぐらいには乗れたっていいさ」  姉の豊子は唇をふるわせた。    東京の郊外の佐藤の馬場。馬場の女王。騎馬旅行。武蔵野の雑木林の秋。落葉。そして彼は豊子と親しくなった。  目黒の競馬場。彼に誘われた豊子。群集。感情の弾丸のように飛ぶ競馬馬。賭《と》博《ばく》者《しや》の嵐。賭博。賭博。賭博。勝って帰る彼と豊子とをつつんだ夕《ゆう》闇《やみ》。夜。そして彼は豊子と結びついた。  豊子の妹の女学生。少女のいたいたしい恋。荒《すさ》んだ女は純情と純潔とを崇拝する。その時不覚にも自分を省みて涙する。その涙に宿る義《ぎ》侠《きよう》心《しん》と自己犠牲。そして、豊子のふとしたセンチメンタリズムの結果は、彼と豊子の妹との結婚であった。  結婚してから一月ばかりの後のある日、妻は彼に言った。  「姉さんは会うたんびに、私達のことばっかり聞きたがるのよ」  「どんなことを」  「朝起きるとから夜寝るまでの、私が自分で気がつかないようなことまで、根掘り葉掘りですわ」  犠牲の尾だ。  その尾を拝んでいる妹だ。    「お休みなさい」  豊子は自分で別の部屋を取っておいたのか、彼の部屋を何気なく出て行った。彼はそっと後をつけて、彼女が裏庭へ通じる廊下を登って行くのを見た。部屋に戻って半時間ほどしてから妻に言った。  「お湯へはいって来ないか」  「あなたは?」  「僕はちょっと丘へ登って来る」  「どうして。私も行くわ」  「姉さんに話があるんだ。姉さんが丘へ行ったからね——」  「そう」  妻はふと瞼《まぶた》にさした影が重そうに目を伏せた。  「お湯から上がったらお前も梅林のあずまやへおいで。待ってるから来るんだよ」  宿屋の二階から丘の腹を這《は》い上がっている、長い廊下を登り切って下《げ》駄《た》をつっかけると、彼は丘を捜した。宿屋の付属動物園の横を抜けた。月夜の温室のガラスに豊子の影がある。その影は悲しみを写《うつ》している。  「まだこんなところにいたんですか。——綾《あや》子《こ》はもう寝てしまいました。あいつは横になったかと思ったらもう夢を見ている」  驚いて振り返った豊子は、疑わしそうに彼を見た。  「梅林のあずまやへ行ってみませんか」  「いいえ。私もう部屋へ帰ろうと思っていたところですの。少し寒いようですし」  「ちょっとお話したいことがあるんです」  満開の梅が月に匂《にお》っている。丘の麓《ふもと》の入り海から潮の香が微《かす》かに漂《ただよ》って来る。彼は豊子に寄り添うて腰をおろした。彼女ははっと身を避けようとした。  「綾子はあなたに感謝しています。あいつの生活はあなたに対する感謝という土台の上の積木細工のようなものかもしれません。それをご存じですか」  豊子は黙っている。  「あなたは綾子の感謝を当然だと思っておいでですか。あれが私と結婚できたのはあなたのお蔭《かげ》だと思っておいでですか。そして今でも自分の犠牲を自分で楽しんで、毎日その涙を飴《あめ》のように舐《な》めているんですか」  「どうしてそんなにいたけだかにものをおっしゃるのか、私にはわかりません」  「自分を犠牲にしたつもりでいるなら、あなたのとんだ思いちがいです。僕は綾子を愛しているけれども、あなたにはほんとうの愛を感じた覚えはない。愛さないあなたを棄てて、愛する者を愛したからといって、僕があなたに恩を感じる理由にはならない。あなたがいようがいまいが、僕は綾子を愛したにちがいありません。だから綾子はあなたに感謝する必要はないわけです」  「それならそれでよろしいじゃございませんか」  「ところがあなたは自分の愛を犠牲にしたつもりでいる。失恋という言葉の穴を犠牲という言葉の泥で埋めている。あなたは銀だと思っているが泥ですよ。そして穴を埋めたつもりでいるのも、あなた一人のセンチメンタリズムですよ。だって、あなたの失恋と綾子の結婚とはまったく関係のない二つのものとすれば、犠牲でも何でもないじゃありませんか」  「では、私もあなたを愛した覚えがない、と一こと言えばいいんでしょう」  「いくら言ったって嘘《うそ》ですよ」  「ふん」  「自分の愛を犠牲にしたと思う気持、その犠牲に対する感謝が欲しい気持、その犠牲の効果を眺めて自分を慰めたい気持、その気持がある間は、僕を愛している証拠じゃありませんか」  「あなたを愛さない時はあっても、妹を愛さない時はありません」  「あなたは恋愛合戦に敗《ま》けたのだ。みじめに敗けることが明らかになって来ると、あなたは勝を譲ったと見せかけようとしたのだ。その実あなたは綾子に刃向かえる敵ではなかったのだ」  「綾子のご自慢ならいくらでもお聞きするわ」  「それに可《か》哀《わい》想《そう》に綾子はあなたに感謝をしている。僕の綾子に対する恋をせきとめる力、僕を綾子から奪い返す力、そんなものが自分にあると、あなたは思っているのですか。僕を愛しているなら愛していると言ってごらんなさい。そうですか、と言って僕は横を向いて見せますから」  「おつつしみなさい」  「卑《ひ》怯《きよう》者《もの》!」  彼は豊子を殴りつけるように鋭く叫んだ。  早くしないと妻がお湯から上がって来る。彼は声をしめやかに落して静かに言った。  「あなたはこんなに弱くなってしまった。勝気なあなたには美しい女の意地があると思っていたのにね。僕がこんなにまで言っても、あなたは自分の足で立とうとしないんですね。今でも僕を愛していると言ってくれないんですね」  言い終わらないうちに、突然彼は両腕で豊子を荒々しく抱き寄せ、唇で豊子の唇を突き刺すように顔の上に顔を落した。豊子は彼を突き飛ばそうとした。驚きで目がくらんだらしい。  「ああ。な、な、なにをするんです。放してください」  彼は豊子の胸が音を立てて毀《こわ》れるほど強く抱きしめて、彼女の肩を静かに咬《か》んだ。豊子は身をもがいた。  「聞いてください。こうしていないと話せないことがあるんです。じっとしていてください」  そして、驚きで蒼《あお》ざめて固く結んだ豊子の唇を、彼は自分の歯で咬み開けようとした。  「僕の愛しているのはあなたです。綾子ではありません。あなたが僕を綾子に渡そう渡そうとする素《そ》振《ぶ》りを見せた時、僕はあなたに棄てられるのだと悲しかった。棄てるにしても、芥《ごみ》溜《ため》へ棄てないで、せめて花畑へ棄てようとする、あなたの好意だと感じた。しかし僕には綾子を愛することができませんでした。それになぜ結婚したかというと、綾子はあなたの似顔絵だからです。あなたの影だからです」  「放してください。人に見られたらどうします」  「僕は誰かに見てほしいくらいだ。そしたら、あなたに正しい勇気が生まれるでしょう。——ところであの時、あなたの僕に対する愛が色《いろ》褪《あ》せたのだと思ったのは、僕の思いちがいだったのだ。あなたは犠牲という言葉で古臭い詩を作ったにすぎなかったのだ。その詩はあなたの日々の生活に満足を与えてくれましたか。鏡に映して自分の眼の色を見てごらんなさい。豊かで花やかに輝いたあなたの眼が、犠牲の涙に似つかわしいと思えますか。犠牲の涙はとっくに転《ころ》げ落ちて、あなたの眼は感情の乞《こ》食《じき》のように乾き切っている。しかも、あなたの気まぐれなでき心のセンチメンタリズムは、僕の生活までも叩《たた》き毀《こわ》した。そして偽りがあまりに長く続いたとお思いになりませんか。偽りだ。偽りだ。偽りだ。ただ一つのまことは、あなたと僕との愛だ。お互に仮面を脱ぎましょう」  「あなたの夢としても許しませんわ。妹が可哀想です。あんまり可哀想です」  「それがあなたの古めかしい感傷を歌った詩なんだ。あなたの感情の足は糸のように弱くって、自分ではしゃんと立てないのですか。あなたのように自分の生命で燃えている美しい女が、自分の火を消すのは神をけがすことだ」  彼は豊子の胸を抱いていた腕をようやく緩《ゆる》めた。彼の腕に抑えられて彼女の脇《わき》腹《ばら》に食いこんでいた彼女の腕は、しびれたように力なく垂れた。彼は彼女の首を抱いて頬を重ねながら耳に口を寄せてささやいた。  「もう僕になんにも言わせないでくださいね。黙っているのがほんとうなほど、あなたも僕の気持がわかっているはずです」  豊子の胸が彼の胸へだんだん膨《ふくら》んで来るのを彼は感じた。彼女の両腕の下から胸を抱いた。はたして、彼女の腕は彼の首に巻きついて来た。豊子は額を彼の右肩に落して静かになった。梅の花が月の光に白く閑寂だ。そのままの姿で二十分経《た》った。  突然、彼は豊子のからだを払い落すように立ち上がって呟《つぶや》いた。  「もうとっくに綾子が湯から上がったにちがいない」  「え!」  豊子の眼は病的に開いた。  「湯から上がったら梅林のあずまやへ来いと言っておいたのでした。——僕たち二人を見て、中途から引き返して行ったのでしょう」  「なんですって」  「僕たちが抱き合っている姿を綾子は見たにちがいありません。あなたが僕を抱いているところを、僕は綾子に見せたかったのです。見せる必要があるのです」  「——悪魔! ああ!」  「今ごろは部屋へ帰って泣いているのでしょう。そして、きっと今度は妹が姉の犠牲になろうと決心するでしょう。そしたら僕は言ってやります。僕をゴムまりのように姉妹の手から手へ投げ合って遊ぶのはよしてくれ、と。——しかし今の僕たちのこの姿を見た以上は、まもなく綾子は姉が恋人をくれた恩人ではなくて、恋人を奪おうとする敵であると、憎むようになるにちがいありません。その時こそあなたに感謝をすることなしに、あなたの力を借りずに、あいつ自身の力だけで僕を愛するでしょう。綾子の愛があなたの犠牲の幽霊から独立するでしょう」    明くる朝早く豊子は東京に帰った。  妻は四月のように暖い二月の入り海を寝不足な眼で眺めて、物思いに沈んでいる。  「おい、驢《ろ》馬《ば》に乗ろうか」  「驢馬でからかうのはもうよしてほしいわ」  「姉さんとなら乗って、僕と乗らないというわけはないじゃないか」  「でも、姉さんが上衣を着ていってしまったわ」  「僕の上衣を着ればいいじゃないか」  「あら。そんなことしちゃなおおかしいわ」  「ぜひ乗ってほしいね」  「そんなことをさせて、私を笑わなくってもいいじゃないの」  「それどころか、非常に愛らしく見えるんだ」  「今日は気分が悪いから嫌よ」  「だから気晴らしにさ」  彼はむりやりに妻を説き伏せた。着替えに行った次の間から、初めて妻の少し花やかな声が聞こえる。  「ネクタイがうまく結べないわ」  「ネクタイなんぞいるもんか。カラーもはずしてしまえ」  そして彼は彼の洋服をだらりと着た妻をつれて丘へ登った。  宿屋の動物園で猿《さる》の群れが午前らしく戯れている。四、五羽の鶴《つる》はいっせいに長い首を上げた。  二頭いる驢馬を今日は二頭とも出してもらって、頭を並べた。妻を乗せてから、彼はどてらのままひらりと跨《またが》った。耳だけでも驢馬はおかしい。彼は妻の驢馬の頭を撫《な》でながら、口輪を並べて静かに蹄《ひづめ》を運ばせた。  「足に力を入れて馬の腹を挟んで。——鞍《くら》から手を放して。——もっとしゃんとして。——僕の乗りぐあいによく見ならって」  そして二、三周するうちに、妻が少し驢馬の背に落ちついて来たのを見て、彼は言った。  「いいか。少し走らせるよ」  「だめ。——だめ。——だめ」  言いながらも妻は、ぽかぽか駆け出した驢馬の背で、頬を赤くしながら喜んだ。  「驢馬なんかすぐ乗れるようになるよ。重いのかよろよろしていやがる。——犠牲とは驢馬のごときものなり、か」  駆け足で一周してから、静かに馬を止めた。東海道線が丘の下の野を走っている。レールが日を受けて光っている。ふと彼は東京に帰った豊子を思った。  「上から見ると、レールはずいぶん間の抜けた面《つら》をしているもんだね」  「でも、寂しそうに痩《や》せているわ」  驢馬はまた哀れな頭を振って歩き出した。  丘の南は四月のように霞《かす》んで見える、二つの半島に抱かれた、暖い蒲《がま》郡《ごおり》の入り海だ。  鶴が鳴いた。 (大正十四年)  禽《きん》獣《じゆう》  小鳥の鳴き声に、彼の白《はく》日《じつ》夢《む》は破れた。  芝居の舞台で見る、重罪人を運ぶための唐《とう》丸《まる》籠《かご*》、あれの二、三倍も大きい鳥籠が、もう老朽のトラックに乗っていた。  葬《とむら》いの自動車の列の間へ、いつのまにか彼のタクシーは乗り入っていたらしい。うしろの自動車は、運転手の顔の前のガラスに「二十三」という番号札を貼《は》り付けていた。道端を振り向くと、そこは「史跡太《だ》宰《ざい》春《しゆん》台《だい》墓《*》」との石標が表にある、禅《ぜん》寺《でら》の前であった。その寺の門にも貼り紙が出ていた。  「山門不幸、津《しん》送《そう》執行《*》」  坂の途中であった。坂の下は交通巡査の立っている十字路であった。そこへ一時に三十台ばかりの自動車が押し寄せたので、なかなか整理がつかず、放鳥《*》の籠を眺めながら、彼はいらいらして来た。花籠を大事そうに抱いて、彼の横にかしこまっている少女に、  「もう幾時かね」  しかし、小さい女中が時計を持っているわけはなかった。運転手が代わりに、  「七時十五分前、この時計は六、七分おくれてるんですが」  初夏の夕方はまだ明るかった。花籠の薔《ば》薇《ら》の匂《にお》いが強かった。禅寺の庭からなにか六月の木の花の悩ましい匂いが流れて来た。  「それじゃ間に合わん、急いでもらえないか」  「でも今、右側を通すだけ通して、それからでないと。——日比谷公会堂はなんでございますか」と、運転手は会の帰りの客でも拾おうと思ったのであろう。  「舞踊会だ」  「はあ?——あれだけの鳥を放すのには、どれくらいかかるもんでしょうかね」  「いったい、途中で葬式に出会うなんて、縁起が悪いんだろう」  翼の音が乱れて聞こえた。トラックの動き出したはずみに、鳥共が騒ぎ立ったのである。  「縁起がいいんですよ。これほどいいことはないって言うんですよ」  運転手は自分の言葉の表情を自動車で現わすかのように、右側へ辷《すべ》り出ると、勢いよく葬式を追い抜きはじめた。  「おかしいね。逆なんだね」と、彼は笑いながら、しかし、人間がそんなふうに考え習わすようになったのは、当然であると思った。  千花子の踊りを見に行くのに、そんなことを気にするからして、今はもうおかしいはずであった。縁起が悪いと言えば、道で葬式に会うことよりも、彼の家に動物の死《し》骸《がい》を置きっぱなしにしてある方が、縁起が悪いはずであった。  「帰ったら今夜こそ忘れんように、菊《きく》戴《いただき》を捨ててくれ。まだ二階の押入れにあのままだろう」と、彼は吐き出すように小女に言った。  菊戴の番《つがい》が死んでから、もう一週間も経《た》つ。彼は死骸を籠から出すのもめんどうくさく、押入れへほうりこんだままなのである。梯《はし》子《ご》段《だん》を登って、突きあたりの押入れである。客のあるたびに、その鳥籠の下の座《ざ》蒲《ぶ》団《とん》を出し入れしながら、彼も女中も捨てることを怠っているほど、もう小鳥の死骸にもなれてしまったのである。  菊戴は、日《ひ》雀《がら》、小《こ》雀《がら》、みそさざい、小《こ》瑠《る》璃《り》、柄《え》長《なが》などと共に、最も小柄な飼い鳥である。上部は橄《かん》欖《らん》緑色、下部は淡黄灰色、首も灰色がかって、翼に二条の白帯があり、風《かざ》切《きり》の外弁の縁が黄色である。頭の頂《いただき》に一つの黄色い線を囲んだ、太い黒線がある。毛を膨《ふく》らませた時に、その黄色い線がよく現われて、ちょうど黄菊の花弁を一ひら戴いたように見える。雄はこの黄色が濃《こ》い橙《だいだい》色を帯びている。円い目におどけた愛《あい》嬌《きよう》があり、喜ばしげに籠の天井を這《は》い回ったりする動作も溌《はつ》剌《らつ》としていて、まことに可《か》憐《れん》ながら、高雅な気品がある。  小鳥屋が持って来たのは夜であったから、すぐ小暗い神棚に上げておいたが、ややあって見ると、小鳥はまことに美しい寝方をしていた。二羽の鳥は寄り添って、それぞれの首を相手の体の羽毛のなかに突っこみ合い、ちょうど一つの毛糸のまりのように円くなっていた。一羽ずつを見分けることはできなかった。  四十近い独身者の彼は、胸が幼なごころに温るのを覚えて、食卓の上に突っ立ったまま、長いこと神棚を見つめていた。  人間でも幼い初恋人ならば、こんなきれいな感じに眠っているのが、どこかの国に一組くらいはいてくれるだろうかと思った。この寝姿をいっしょに見る相手がほしくなったが、女中を呼びはしなかった。  そして翌日からは、飯を食う時も鳥籠を食卓に置いて、菊《きく》戴《いただき》を眺めながらであった。いったいに、彼は客に会うのにも、身辺から愛《あい》玩《がん》動物を放したことはなかった。相手の話はろくろく耳に入れないで、駒《こま》鳥《どり》の雛《ひな》に手を振りながら指で餌《えさ》を与えて、手振り駒《ごま》の訓練に夢中であったり、膝《ひざ》の上の柴《しば》犬《いぬ》の蚤《のみ》を根気よくつぶしたり、  「柴犬は運命論者じみたところがあって、僕は好きですよ。こうやって膝《ひざ》に載《の》せても、部屋の隅に坐《すわ》らせても、半日くらいじっとしていることがありますね」  そうして、客が立ち上がるまで、相手の顔を見ようともしないことが多かった。  夏などは、客間のテーブルの上のガラス鉢に、緋《ひ》目《め》高《だか》や鯉《こい》の子を放して、  「僕は年のせいか、男と会うのがだんだんいやになって来てね。男っていやなもんだね。すぐこっちが疲れる。飯を食うのも、旅行をするのも、相手はやっぱり女に限るね」  「結婚したらいいじゃないか」  「それもね、薄情そうに見える女の方がいいんだから、だめだよ。こいつは薄情だなと思いながら、知らん顔でつきあってるのが、けっきょくいちばん楽だね。女中もなるべく薄情そうなのを雇うことにしている」  「そういうんだから、動物を飼うんだろう」  「動物はなかなか薄情じゃない。——自分の傍《そば》にいつも、なにか生きて動いてるものがいてくれないと、寂しくてやりきれんからさ」  そんなことをうわの空で言いながら、彼はガラス鉢のなかの色とりどりの鯉の子が、その游《ゆう》泳《えい》につれて、鱗《うろこ》の光のいろいろに変るのをつくづく見ながら、こんな狭い水中にも、微妙な光の世界があると、客のことなど忘れてしまっているのだった。  鳥屋はなにか新しい鳥が手に入ると、黙って彼のところへ持って来る。彼の書斎の鳥が三十種にもなることがある。  「鳥屋さん、またですか」と女中はいやがるが、  「いいじゃないか。これで四、五日、僕の機《き》嫌《げん》がいいと思えば、こんな安いものありゃしない」  「でも、旦《だん》那《な》さまがあんまりまじめなお顔で、鳥ばかり見ていらっしゃいますと」  「薄気味悪いかね。きちがいにでもなりそうかね。家のなかがしんと寂しくなるかね」  しかし彼にしてみれば、新しい小鳥の来た二、三日は、まったく生活がみずみずしい思いに満たされるのであった。この天地のありがたさを感じるのであった。たぶん彼自身が悪いせいであろうが、人間からはなかなかそのようなものを受け取ることができない。貝殻や草花の美しさよりも、小鳥は生きて動くだけに、造化の妙が早わかりであった。籠の鳥となっても、小さい者たちは生きる喜びをいっぱいに見せていた。  小柄で活発な菊戴夫妻は、ことにそうであった。  ところが一《ひと》月《つき》ばかりして、餌を入れる時に、一羽が籠を飛び出した。女中があわてて、物置の上の楠《くすのき》へ逃がしてしまった。楠の葉には朝の霜があった。二羽の鳥は内と外とで、高い声を張りあげて呼び合っていた。彼はすぐ鳥籠を物置の屋根に載せ、黐《もち》竿《ざお》を置いた。いよいよ切なげに鳴きしきりながら、しかし、逃げた鳥は正午頃に遠くへ飛び去ったらしかった。この菊戴は日光の山から来たものであった。  残ったのは雌であった。あんなふうに寝ていたのにと、彼は小鳥屋へ雄をやかましく催《さい》促《そく》した。自分でも方々の小鳥屋を歩いたが、見つからなかった。やがて小鳥屋がまた一《ひとつ》番《がい》、田舎《いなか》から取り寄せてくれた。彼は雄だけほしいと言ったけれども、  「番《つがい》でいたんですからね。片《かた》端《わ》にして店へ置いてもしようがないし、雌の方はただ差しあげときます」  「だけど、三羽で仲よく暮らすかしら」  「いいでしょう。四、五日籠を二つくっつけて並べとくと、お互に馴《な》れますから」  しかし、子供が新しいおもちゃをいじるような彼は、それが待てない。小鳥屋が帰るとすぐ、新しい二羽を古い一羽の籠へ移してみた。思ったより以上の騒ぎであった。新しい二羽は止まり木に足もつかず、籠の端から端へばたばたと飛ぶ。古い菊戴は恐怖のあまり籠の底に立ちすくんでしまって、二羽の騒ぐのをおろおろ見上げている。二羽は危難に遭《あ》った夫婦のように、お互を呼び交わす。三羽とも怯《おび》えた胸の鼓動が荒い。押入れへ入れてみると、夫婦は鳴きながら身を寄せたが、離婚の雌は一羽離れて落ちつかない。  これではならぬと、籠を別にしたが、一方に夫婦を見ると、一方の雌が哀れになる。そこで、古い雌と新しい雄とを、一つの籠に入れてみた。新しい雄は離された女房と呼び合って、古い雌となじまなかったが、それでもいつのまにやら、身を寄せて眠った。翌《あく》る日の夕方は、籠を一つにしても、昨日ほどは騒がなかった。一羽の体に両方から頭を突っこみ、三羽で円くなって眠った。そして籠を枕《まくら》もとに置いて、彼も眠った。  けれども、次の朝目が覚めてみると、二羽が一つの温い毛糸のまりのように眠っている。その止まり木の下の籠の底に、一羽は半ば翼を開き、足を伸ばし、細目をあけて、死んでいた。それを二羽に見せてはならないかのように、彼は死《し》骸《がい》をそっと拾い出すと、女中に黙って、芥《ごみ》箱《ばこ》に捨てた。むざんな殺しようをしたと思った。  「どちらが死んだのかしら」と、鳥籠をしげしげ見ていたが、予期とは逆に、生き残ったのは、どうやら古い雌であるらしかった。一昨日来た雌よりも、しばらく飼いなじんだ雌の方に愛着がある。その彼の欲目が、そう思わせたのかもしれなかった。家族なく暮らしている彼は、自分のそんな欲目を憎《にく》んだ。  「愛情の差別をつけるくらいならば、なんで動物と暮らそうぞ。人間という結構なものがあるのに」  菊戴はたいそう弱くて、落鳥しやすいとされている。しかしその後、彼の二羽は健《すこや》かであった。  密猟の百《も》舌《ず》の子供を手に入れたのを、先がけとして、山から来るいろんな雛鳥の差《さ》し餌《え》のために、彼は外出もできなくなる季節が近づいた。洗《せん》濯《たく》盥《だらい》を縁側に出して、小鳥に水浴をさせていると、そのなかへ藤の花が散って来た。  翼の水音を聞きながら、籠《かご》の糞《ふん》の掃除をしている時、塀《へい》の外に子供の騒ぎが聞こえ、なにか小さい動物の命を憂えるらしい話模様なので、彼のところのワイア・ヘエア、フォックス・テリヤの子供でも、中庭から迷い出たのではないかと、塀の上に伸び上がってみると、一羽の雲雀《ひばり》の子であった。まだ足もよく立たぬのが、芥《ごみ》捨《すて》場《ば》のなかを弱い翼で泳いでいる。育ててやろうと、彼はとっさに思って、  「どうしたの」  「お向こうの家の人が——」と、一人の小学生は、桐《きり》の毒々しい青い家を指して、  「捨てたんだよ。死んでしまうね」  「うん、死んでしまう」と、彼は冷淡に塀を離れた。  その家には、三、四羽も雲雀を飼っている。ゆくすえ鳴鳥として見込みのない雛を棄てたのであろう。屑《くず》鳥《どり》など拾ってもしかたがないと、彼の仏心はたちまち消えた。  雛の間は雌雄のわからぬ小鳥がある。小鳥屋はとにかく山から一つの巣の雛をそっくり持って帰るが、雌とわかり次第に捨ててしまう。鳴かぬ雌は売れぬのだ。動物を愛するということも、やがてはそのすぐれたものを求めるようになるのは当然であって、一方にこういう冷酷が根を張るのを避けがたい。彼はどんな愛玩動物でも見ればほしくなる性質だが、そういう浮気心はけっきょく薄情に等しいことを経験で知り、また自分の生活の気持の堕落が結果に来ると考えて、今ではもう、どんな名犬でも名鳥でも、他人の手で大人《おとな》となったものは、たとい貰《もら》ってくれと頼まれたにしろ、飼おうとは思わぬのである。  だから人間はいやなんだと、孤独な彼は勝手な考えをする。夫婦となり、親子兄弟となれば、つまらん相手でも、そうたやすく絆《きずな》は断ち難《がた》く、あきらめて共に暮らさねばならない。おまけに人それぞれの我《が》というやつを持っている。  それよりも、動物の生命や生態をおもちゃにして、一つの理想の鋳《い》型《がた》を目標と定め、人工的に、畸《き》形《けい》的に育てている方が、悲しい純潔であり、神のような爽《さわや》かさがあると思うのだ。良種へ良種へと狂《きよう》奔《ほん》する、動物虐待的な愛護者たちを、彼のこの天地の、また人間の悲劇的な象徴として、冷笑を浴びせながら許している。  去年の十一月の夕暮のこと、持病の賢《じん》臓《ぞう》病かなにかで、しなびた蜜《み》柑《かん》のようになった犬屋が、彼の家へ寄って、  「実は今、たいへんなことをいたしました。公園に入ってから曳《ひ》き綱《づな》を放したんですが、この霧で暗かったんで、ほんのちょっと見えなくなったと思うと、もう野《の》良《ら》犬《いぬ》がかかってるんです。すぐ離して、ちくしょう、腹を蹴《け》って、蹴って足腰の立たないような目にあわしときましたから、まさかとは思うんですが、かえってこんなのは、皮肉なもんでさ、よくとまるんでして」  「だらしがない。商売人じゃないか」  「へえ、恥ずかしくて、人に話もできやしません。ちくしょう、あっという間に四、五百円損をさせやがって」と犬屋は黄色い唇を痙《けい》攣《れん》させていた。  あの精《せい》悍《かん》なドーベルマンが、しみったれたふうに首をすくめ、怯《おび》えた目つきで賢臓病みをちらちら見上げていた。霧が流れて来た。  その雌犬は、彼の世話で売れるはずになっているのだった。とにかく、買い手の家へ行って雑種を産んだりしては、彼の面《めん》目《ぼく》もつぶれるからと、彼が念を押したにかかわらず、犬屋は金に困ったとみえて、しばらくしてから、彼には犬を見せないで売ってしまった。はたして二、三日後に、買い手が彼のところへ犬を連れて来た。買った翌晩、死産したというのである。  「苦しそうな唸《うな》り声が聞こえるんで、女中が雨戸をあけてみると、縁の下で産んだ子供を食ってるんだそうです。恐ろしくてびっくりしてしまったし、まだ明け方だし、よくはわからないんですが、何匹産んだか、女中の見たのは、いちばんおしまいの子供を食ってるところらしいんです。すぐに獣医を呼ぶと、子供のいる犬を、犬屋が黙って売るはずがない、きっと野良犬かなにかがかかったんで、ひどく蹴るか殴るかしてよこしたんだろう。お産の様子が尋常じゃない。またもしかすると子供を食う癖の犬かもしれん。それなら返して来いって、家中で非常に憤慨してるんです。そんなことをされた犬が可《か》哀《わい》想《そう》だって」  「どれ」と、無《む》造《ぞう》作《さ》に犬を抱き上げて、乳房をいじりながら、  「これは子供を育て上げたことのある乳ですよ。今度は死産だから食ったんですよ」と彼は犬屋の不徳義に腹を立て、犬を哀れみながらも、無神経な顔で言った。  彼の家でも、雑種の生まれたことはあったのである。  彼は旅に出ても、男の連れとは、一部屋に眠れないくらいで、自分の家に男を泊めることをいやがり、書生も置かないが、そういう男のうっとうしさを嫌う気持とはかかわりなく、しかし、犬も雌ばかり飼っていた。雄はよほど優秀なものでないと、種《たね》雄《おす》として通用しない。買入れに金がかかるし、活動役者のような宣伝もせねばならず、したがって人気の盛衰があわただしい。輸入競争に捲《ま》きこまれるし、賭《と》博《ばく》じみる。彼はある犬屋へ行って、種雄として名高い日本テリヤを見せてもらったことがあった。二階の蒲《ふ》団《とん》に一日中もぐりこんでいる。階下へ抱いておろされさえすれば、もう習《なら》わしで、雌が来たものと思うらしい。熟練した娼《しよう》婦《ふ》のようなものである。毛が短いから、異常に発達した器官があらわに見えて、さすがの彼も目をそむけ、無気味な思いをしたほどであった。  しかし、そんなことにこだわって雄を飼わないわけではなく、犬の出産と育児が、彼にはなによりも楽しいからであった。  それは怪《あや》しげなボストン・テリヤだった。塀の下を掘るし、古い竹垣は食い破るし、交配期にはつないで置いたのだが、紐《ひも》を噛《か》み切って出歩いたらしいので、雑種の生まれることはわかっていた。でも女中に呼び起こされると、彼は医者のような目の覚し方をして、  「鋏《はさみ》と脱脂綿を出してくれ。それから酒《さか》樽《だる》の縄を大急ぎで切って」  中庭の土は、初冬の朝日に染まったところだけが、淡い新しさであった。その日のなかに、犬は横たわり、腹から茄《な》子《す》のような袋が、頭を出しかかっていた。ほんの申し訳に尻《しつ》尾《ぽ》を振り、訴えるように見上げられると、突然彼は道徳的な呵《か》責《しやく》に似たものを感じた。  この犬は今度が初潮で体がまだ十分女にはなっていなかった。したがってその眼《まな》差《ざ》しは、分《ぶん》娩《べん》というものの実感がわからぬげに見えた。  「自分の体には今いったい、なにごとが起こっているのだろう。なんだか知らないが、困ったことのようだ。どうしたらいいのだろう」と、少しきまり悪そうにはにかみながら、しかしたいへんあどけなく人まかせで、自分のしていることに、なんの責任も感じていないらしい。  だから彼は、十年も前の千花子を思い出したのであった。その頃《ころ》、彼女は彼に自分を売る時に、ちょうどこの犬のような顔をしたものだ。  「こんな商売をしていると、だんだん感じなくなるって、ほんとう?」  「そういうこともないじゃないが、また君が好きだと思う人に会えばね。それに、二人や三人のきまった人なら、商売とは言えないさ」  「私あなたはずいぶん好きなの」  「それでももうだめか」  「そんなことないわ」  「そうなのかね」  「お嫁《よめ》入りする時、わかるわね」  「わかるね」  「どんな風にしてればいいの」  「君はどうだったんだ」  「あなたの奥さんは、どんなふうだったの」  「さあ」  「ねえ教えといてよ」  「女房なんかないよ」と、彼は不思議そうに、彼女の生まじめな顔を見つめたものだった。  「あれと似ているので、気が咎《とが》めたのだ」と、彼は犬を抱き上げて、産箱に移してやった。  すぐに袋《ふくろ》児《ご*》を産んだが、母犬は扱《あつか》いを知らぬらしい。彼は鋏で袋を裂いて、臍《へそ》の緒《お》を切った。次の袋は大きく、青く濁った水のなかに、二つの胎《たい》児《じ》が死の色に見えた。彼は手早く新聞紙に包んでしまった。続いて三頭生まれた。みな袋児であった。そして七番目の、これが最後の子供は、袋のなかでうごめきはしたが、しなびている。彼はちょっと眺めてから、袋のままさっさと新聞紙にくるむと、  「どこかへ捨てといてくれ。西洋では、生まれた子供をまびく、できの悪い子供は殺してしまう。その方が、いい犬を作ることになるんだが、人情家の日本人には、それができない。——親犬には、生卵でも飲ましといてくれ」  そして手を洗うと、また寝床へもぐりこんでしまった。新しい命の誕生という、みずみずしい喜びが胸にあふれて、街を歩き回りたいようであった。一頭の子を自分が殺したことなどは忘れていた。  ところが、薄《うす》目《め》を開く頃のある朝、子犬が一頭死んでいた。彼はつまみ出して懐《ふところ》に入れると、朝の散歩のついでに捨てて来た。二、三日後に、また一頭冷たくなっていた。母犬が寝場所を作るために、藁《わら》を掻《か》き回す。子犬がその藁に埋もれる。自分で藁を掻《か》き分けて出るほどの力が、子犬にはまだない。母犬は子供を銜《くわ》え出してやらぬ。それどころか、子犬の下敷きになった藁の上へ自分が寝る。子犬は夜の間に、圧死したり、凍死したりする。子供を乳房で窒息させる、人間の愚かな母と同じである。  「また死んでるよ」と、三頭目の死骸も無《む》造《ぞう》作《さ》に懐へ入れながら、口笛吹いて犬共を呼び集め、近くの公園へ行ったが、子供を殺したのも知らぬ顔に、嬉《き》々《き》と駆け回るボストン・テリヤを見ると、ふいとまた千花子を思い出した。  千花子は十九の時、投機師に連れられて、ハルビンへ行き、そこで三年ばかり、白系ロシア人に舞踊を習った。男はすることなすことに躓《つまず》いて、生活力を失ってしまったらしく、満州巡業の音楽団に千花子を加えて、ようやく二人で内地へ辿《たど》り着いたが、東京に落ちつくとまもなく、千花子は投機師を棄てて、満州から同行の伴《ばん》奏《そう》弾《ひ》きと結婚した。そして方々の舞台にも立ち、自分の舞踊会を催すようになった。  その頃、彼は楽壇関係者の一人に数えられていたが、音楽を理解するというよりも、ある音楽雑誌に月々金を出すにすぎなかった。しかし、顔見知りとばか話をするために、音楽会へは通っていた。千花子の舞踊も見た。彼女の肉体の野蛮な頽《たい》廃《はい》に惹《ひ》かれた。いったいどういう秘密が、彼女をこんな野生に甦《よみがえ》らせたのか、六、七年前の千花子と思いくらべて、彼は不思議でならなかった。なぜあの頃結婚しておかなかったのかとさえ思った。  しかし、第四回の無踊会の時、彼女の肉体の力はげっそり鈍って見えた。彼は勢いこんで楽屋へ行くと、まだ踊り衣《い》裳《しよう》のまま化粧を落しているところなのもかまわずに、彼女の袖《そで》を引っぱって、小暗い舞台裏へ連れ出した。  「そこを放してちょうだい。ちょっとなにかに触《さわ》っても、お乳が痛いんですから」  「だめじゃないか、なんてばかなことをして」  「だって、私は昔から子供が好きなんですもの。ほんとうに自分の子供がほしかったんですもの」  「育てる気か。そんな女《め》々《め》しいことで、一芸に生きられるか。今から子持ちでどうする。もっと早くに気をつけろ」  「だって、どうしようもなかったんですもの」  「ばかなことを言え。女の芸人がいちいち真正直に、なにをしててたまるか。亭主はどういう考えだ」  「喜んで可《か》愛《わい》がってますわ」  「ふん」  「昔あんなことをしてた私にも、子供ができるって、うれしいわ」  「踊りなんかよしたらいいだろう」  「いやよ」と、思いがけなく激しい声なので、彼は黙ってしまった。  けれども、千花子は二度と出産をしなかった。生まれた子供も彼女の傍《そば》には見られなくなった。ところがそのためであるか、彼女の夫婦生活はしだいに暗く荒《すさ》んで行くらしかった。そういう噂《うわさ》が彼の耳にも入った。  このボストン・テリヤのように、千花子は子供に無心ではいられなかったのである。  犬の子にしても、彼が助けようと思えば、助けられたのである。第一の死の後に、藁《わら》をもっと細かく刻《きざ》んでやるか、藁の上に布を敷くかしてやれば、それで後の死は救えたのである。それは彼にわかっていた。しかし、最後に残った一頭も、やがて三人のきょうだいと同じ死に方をした。彼は子犬が死ねばいいと思ったわけではなかった。だが、生かさねばならないとも思わなかった。それほど冷淡であったのは、彼らが雑種だからであろう。  路傍の犬が彼について来ることはたびたびあった。彼は遠い道をそれらの犬と話しながら家に帰り、食物をやり、温い寝床に泊めてやったものであった。犬には彼の心のやさしさがわかるのだと、ありがたかった。けれども、自分の犬を飼うようになってからは、道の雑犬など見向きもしなくなった。人間についても、またかくのごとくであろうと、彼は世のなかの家族たちをさげすみながら、自らの孤独も嘲《あざけ》るのである。  雲雀《ひばり》の子も同じだった。生かして育てようとの仏心はすぐ消えて、屑鳥など拾ってもしかたがないと、子供たちのなぶり殺しにまかせておいたのである。  ところが、この雲雀の子を見ていた、ほんのちょっとの時間に、彼の菊《きく》戴《いただき》は水を浴びすぎたのだった。  驚いて水籠を盥《たらい》から出したが、二羽とも籠の底に倒れて、濡《ぬ》れたぼろのように動かなかった。掌《てのひら》に載せてみると、ひくひく足を動かしたので、  「ありがたい、まだ生きている」と勇み立つと、もう目を閉じ、小さい体の底まで冷え切って、とうてい助かりそうにもないものを、手に握って長火鉢に焙《あぶ》りながら、つぎ足《た》した炭を女中にあおがせた。羽毛から湯気が立った。小鳥が痙《けい》攣《れん》的《てき》に動いた。身を焼く熱さの驚きだけでも、死と戦う力となるかと思ったが、彼は自分の手が火気に堪《た》えられないので、水籠の底に手《て》拭《ぬぐい》を敷き、その上に小鳥を載せて、火にかざした。手拭が狐《きつね》色《いろ》に焦《こ》げるくらいだった。小鳥は時々弾《はじ》かれたように、ばたりばたりと翼を拡げて転《ころ》げはじめたものの、立つことはできず、また目を閉じた。羽毛がすっかり乾いた。しかし火から離すと、倒れたままで、生きそうには見えなかった。女中が雲雀を飼う家へ行って、小鳥が弱った時は、番茶を飲ませて、綿にくるんでやればいいと聞いて来た。彼は脱脂綿に小鳥を包んだのを両手に持ち、番茶をさまさせて、嘴《くちばし》を入れてやった。小鳥は飲んだ。やがて擂《すり》餌《え》に近づけると、頭を伸ばして、啄《ついば》むようになった。  「ああ、生きかえった」  なんというすがすがしい喜びであろう。気がついてみると、小鳥の命を助けるのに、もう四時間半もかかっていたのだった。  しかし、菊戴は二羽とも、止まり木に止まろうとして幾度となく落ちた。足の指が開かないらしい。捕えて指で触ってみると、足の指は縮かんだまま硬ばっている。細い枯枝のように折れそうだ。  「旦那さまがさっき、お焼きになったんじゃありませんか」と、女中に言われてみると、いかにも足の色がかさかさに変わってしまっていて、しまったと思うだけに、なおさら腹が立って、  「僕の手の中に入れてたのに、手拭の上だのに、鳥の足の焼けるわけがあるか。——明日も足が治らなかったら、どうすればいいか、鳥屋へ行って教わって来い」  彼は書斎の扉に鍵《かぎ》をかけて、閉じこもりながら、小鳥の両足を自分の口に入れて温めてやった。舌ざわりは哀《あい》憐《れん》の涙を催すほどであった。やがて彼の掌《てのひら》の汗が翼を湿《ぬ》らせた。唾《つばき》で潤《うるお》って、小鳥の足指は少し柔らいだ。手荒らにさわれば脆《もろ》く折れそうなのを、彼はまず指の一本を丹念に伸ばしてやり、自分の小指を握らせてみたりした。そしてまた足を口に銜《くわ》えた。止まり木をはずして、小皿に移して餌を籠の底へ置いたが、不自由な足で立って食うことは、まだ難儀であるらしかった。  「やっぱり旦那さんが足をお焦《こ》がしになったんじゃないでしょうかって、鳥屋さんも申しておりました」と、翌《あく》る日女中は小鳥屋から帰って、  「お番茶で足を温めてやるとよろしいんですって。でもたいてい、鳥が自分で足をつついて治すもんだそうでございます」  なるほど、小鳥はしきりと自分の足指を嘴で叩《たた》いたり、銜えて引っぱったりしていた。  「足よ、どうした。しっかりしろ」と啄木鳥《きつつき》のような勢いで、元気いっぱいに啄んでいた。不自由な足で敢然と立ち上がろうとした。体の一部分が悪いなんて、不思議千万だと言いたげな、小さい者の生命の明るさは、声をかけて励《はげま》したいくらいであった。  番茶に浸《ひた》してもやったが、やはり人間の口中の方が利《きき》目《め》があるようだった。  この菊《きく》戴《いただき》は二羽とも、あまり人間になれていず、これまでは握ると胸を激しく波立たせるくらいだったが、足を痛めた一日二日で、彼の掌にすっかりなじんだらしく、怯《おび》えるどころか、楽しそうに鳴きながら、抱かれたまま餌を食うように変わってしまった。それがひとしおいじらしさを増した。  しかし、彼の看病もいっこうしるしがなく、怠けがちとなり、縮んだままの足指は糞《ふん》にまみれ、六日目の朝、菊戴夫婦は仲よく死骸となっていた。  小鳥の死はまことにはかない。たいていは、朝の籠に思いがけない死骸を見るものである。  彼の家で初めて死んだのは、紅《べに》雀《すずめ》であった。番《つがい》とも夜の間に鼠《ねずみ》に尾を抜かれて、籠に血が染まっていた。雄は翌日倒れた。ところが雌の方は、次々と相手を迎えてやった雄が、なぜか皆死んで行くにかかわらず、猿《さる》のような赤むけの尻《しり》のまま、長いこと生きていた。しかしやがて、衰弱の果てに落鳥した。  「うちでは紅雀が育たんらしい。紅雀はもうやめた」  元来、紅雀みたいな少女好みの鳥は嫌いなのだった。西洋ふうな播《まき》餌《え》鳥《どり*》よりも、日本ふうな擂《すり》餌《え》鳥《どり*》の渋さを愛した。鳴《めい》鳥《ちよう》にしても、カナリヤとか、鶯《うぐいす》とか、雲雀とか、鳴きの花やかなものは、気に入らなかった、だのに、紅雀などを飼ったのは、小鳥屋がくれて行ったからにすぎなかった。一羽が死んだから、後を買ったというだけの話であった。  けれども、犬にしろ、たとえば一度コリーを飼うと、その種《しゆ》を家に絶やしたくないような気になるものだ。母に似た女にあこがれる。初恋人に似た女を愛する。死んだ妻に似た女と結婚したくなる。それと同じではないか。動物相手に暮らすのは、もっと自由な傲《ごう》慢《まん》を寂しみたいためだと、彼は紅雀を飼うのをよした。  紅雀の次に死んだ黄《き》鶺《せき》鴒《れい》は、腰から後の緑黄色や腹の黄色や、ましてそのやさしく淡い姿形に、竹の疎《そ》林《りん》のような趣があり、ことによく馴れて、食の進まぬ時も、彼の指からならば、半開きの翼をうれしそうに顫《ふる》わせて愛らしく鳴きながら、喜んで食べ、彼の顔の黒子《ほくろ》も戯れに啄《ついば》もうとするほどであったから、座敷に放しておいて、塩せんべいやなにかの屑を拾い食いし過ぎて死んだ後は、新しいのをほしいと思ったが、やはり思いあきらめて、これまで手がけたことのない赤《あか》鬚《ひげ》を、その空籠に入れたのだった。  けれども菊戴の場合は、溺れさせたのも、足を痛めさせたのも、まったく彼の過失であったゆえか、かえって未練が断ちにくかった。すぐにまた小鳥屋が一《ひとつ》番《がい》持って来た。それをまたしても、なにぶん小柄な鳥であるにしろ、今度は盥《たらい》の傍《そば》を離れず見ていたのに、同じ水浴の結果を迎えたのである。  水籠を盥から出した時、ぶるぶる顫《ふる》えて目を閉じながらも、とにかく足で立っていただけ、前よりはよほどましだった。もう足を焦がさない注意もできる。  「またやっちゃった。火をおこしてくれ」と、彼は落ちつき払って、恥《は》ずかしそうに言うと、  「旦那さま、でも、死なせておやりになったらいかがでございます」  彼はなんだか目が覚めたように驚いた。  「だって、この前のことを思えば、造《ぞう》作《さ》なく助かる」  「助かったって、また長いことありませんよ。この前も、足があんなふうで、早く死んでしまえばいいのにと思っておりました」  「助ければ助かるのに」  「死なせた方がよろしいですよ」  「そうかなあ」と彼は急に気が遠くなるほど、肉体の衰えを感じると、黙って二階の書斎へ上がり、鳥籠を窓の日差しのなかに置いて、菊戴の死んでゆくのを、ただぼんやり眺めていた。  日光の力で助かるかもしれないとは、祈っていた。しかしなんだか妙に悲しくて、自らのみじめさをしらじらと見るようで、小鳥の命を助けるために、この前のように騒ぐことはできないのだった。  いよいよ息が絶えると、小鳥の濡れた死骸を籠から出して、しばらく掌に載せていた。それからまた籠に戻して、押入れへ突っこんでしまった。その足で階《し》下《た》へおりたが、女中にはなにげなく、「死んだよ」と言っただけであった。  菊戴は小柄なだけに、弱くて落鳥しやすい。けれども、同じような柄《え》長《なが》や、みそさざいや、日《ひ》雀《がら》などは、彼の家で健《すこや》かなのである。それも二度まで水浴で殺すなんて、たとえば一羽の紅雀が死んだ家には、紅雀が生きにくくなるのであろうかなどと、彼は因縁じみたことを考えながら、  「菊戴とはもう縁切りだよ」と、女中に笑ってみせ、茶の間に寝ころんで、犬の子供たちに頭の毛をぐいぐい引っぱらせて、そこに十六、七並んだ鳥籠のうちから、木《みみ》菟《ずく》を選ぶと、書斎へ持って上がった。  木菟は彼の顔を見ると、円い目を怒らせ、すくめた首をしきりに回して、嘴《くちばし》を鳴らし、ふうふう吹いた。この木菟は彼が見ているところでは、けっしてなにも食わない。肉片を指に挟《はさ》んで近づけると、憤然と噛《か》みつくが、いつまでも嘴にだらりと肉を下げたまま、呑《の》みこもうとはしない。彼は夜の明けるまで、意地っ張りの根《こん》くらべをしたこともあった。彼が傍にいれば、擂《すり》餌《え》を見向きもしない。体も動かさない。しかし夜が白みかかると、さすがに腹が空《す》く。止まり木を餌の方へ横ずりに近づく足音が聞こえる。彼が振り向く。頭の毛をすぼめ、目を細め、これほど陰険で狡《こう》猾《かつ》な表情がまたとあろうかと思われるふうに、餌の方へ首を伸ばしていた鳥は、はっと頭を上げて、彼を憎《にく》さげに吹いてから、素知らん顔をする。彼がよそ見をする。そのうちにまた木菟の足音が聞こえる。両方の目が合って、鳥はまた餌を離れる。それを繰り返すうちに、もう百《も》舌《ず》が朝の喜びを、けたたましく歌う。  彼はこの木菟を憎むどころか、楽しい慰めとした。  「こういう女中がいないかと思って捜してるんだ」  「ふん。君もなかなか謙譲なところがあるよ」  彼はいやな顔をして、もう友人からそっぽを向き、  「キキ、キキ」と、傍の百舌を呼んだ。  「キキキキキキキキ」と、百舌はあたりのいっさいを吹き払うように、高々と答えた。  木菟と同じ猛《もう》禽《きん》だが、この百舌は差し餌の親しみが消えないで、甘ったれの小娘のように彼になついていた。彼が外出から帰る足音を聞いても、咳《せき》払《ばら》いをしても、鳴き立てる。籠を出ていると、彼の肩や膝《ひざ》へ飛んで来て、翼を喜びに顫《ふる》わせる。  彼は目覚時計の代わりにこの百舌を枕もとに置いている。朝が明るむと、彼が寝返りしても、手を動かしても、枕を直しても、  「チイチイチイチイ」と甘えるし、唾《つばき》を飲む音にさえ、  「キキキキキ」と答えるし、やがてたけだけしく彼を呼び起こす声は、まことに生活の朝をつんざく稲妻のように爽《そう》快《かい》である。彼と幾度か呼応して、彼がすっかり目覚めたとなると、いろんな鳥を真《ま》似《ね》て静かに囀《さえず》り出す。  「今日の日もかくてめでたい」という思いを彼にさせる先がけが百舌で、やがてもろもろの小鳥の鳴き声が、それに続くのである。寝間着のまま擂《すり》餌《え》を指につけて出すと、空腹の百舌は激しく噛みつくけれども、それも愛情と受け取れる。  彼は一晩泊りの旅行でも、動物共の夢を見て夜中に目が覚めるから、家をあけるということはほとんどない。その癖が強まってか、人を訪ねたり、買い物に出たりするにも、一人だと途中でつまらなくなって帰って来てしまう。女の連《つ》れのない時は、しかたなく小さい女中といっしょに行ったりする。  千花子の踊りを見に行くにしても、小女に花籠まで持たせてであれば、  「よして帰ろう」と、引き返すことができない。  その夜の舞踊会はある新聞社の催しで、十四、五人の女流舞踊家の競演のようなものであった。  彼は千花子の舞台を二年ぶりくらいで見るのだったが、彼女の踊りの堕落に目をそむけた。野蛮な力の名残《なごり》は、もう俗悪な媚《び》態《たい》にすぎなかった。踊りの基礎の形も、彼女の肉体の張りと共に、もうすっかり崩れてしまっていた。  運転手にああ言われても、葬式には出会ったし、家には菊《きく》戴《いただき》の死体があるし、縁起が悪かろうというのをいい口実にして、花籠は小女に楽屋へ届けさせたのだったが、彼女はぜひ会いたいとのこと、今の踊りを見ては、ゆっくり話すのもつらく、それならば休憩時間にまぎれてと、楽屋へ行ったが、その入口で彼は立ちすくむより早く体を扉に隠した。  千花子は若い男に化粧をさせているところだった。  静かに目を閉じ、こころもち上向いて首を伸ばし、自分を相手へ任《まか》せ切ったふうに、じっと動かないまっ白な顔は、まだ唇や眉《まゆ》や瞼《まぶた》が描いてないので、命のない人形のように見えた、まるで死顔のように見えた。  彼は十年近く前、千花子と心中しようとしたことがあったのだ。その頃、彼は死にたい死にたいと口癖にしていたほどだから、なにも死なねばならぬわけはなかったのだった。いつまでも独身で動物と暮らしている、そういう生活に浮かぶ泡《うた》沫《かた》の花に似た思いにすぎなかった。だから、この世の希望は誰かがよそから持って来てくれるというふうに、ぼんやり人まかせで、まだこれでは生きているとは言えないような千花子は、死の相手によいかとも感じられた。はたして千花子は、自分のしていることの意味を知らぬ例の顔つきで、たわいなくうなずくと、ただ一つの註文を出した。  「裾《すそ》をばたばたさせるっていうから、足をしっかり縛《しば》ってね」  彼は細紐で縛りながら彼女の足の美しさに今さら驚いて、  「あいつもこんな綺《き》麗《れい》な女と死んだと言われるだろう」などと思った。  彼女は彼に背を向けて寝ると、無心に目を閉じ、少し首を伸ばした。それから合《がつ》掌《しよう》した。彼は稲妻のように、虚無のありがたさに打たれた。  「ああ、死ぬんじゃない」  彼はもちろん、殺す気も死ぬ気もなかった。千花子は本気であったか、戯れ心であったかはわからぬ。そのどちらでもないような顔をしていた。真夏の午後であった。  しかし彼はなにかひどく驚いて、それから後は自殺を夢にも思わず、また口にもしなくなった。たといどのようなことがあろうと、この女をありがたく思いつづけねばならないと、その時心の底に響いたのだった。  踊りの化粧を若い男にさせている千花子が、彼女のその昔の合掌の顔を、彼に思い出させたのである。さっきも、自動車に乗るとすぐ浮かんだ白《はく》日《じつ》夢《む》は、これであった。たとい夜でもあの千花子を思い出すたびに、真夏の白日の眩《まぶ》しさにつつまれているような錯覚を感じるのだった。  「それにしても、なぜ自分はとっさに扉の蔭《かげ》へ隠れたのかしら」と呟《つぶや》きながら廊下を引き返して来ると、親しげに挨《あい》拶《さつ》した男があった。誰だかしばらくわからないでいるのに、その男はひどく興奮して、  「やっぱりいいですね。こうして大勢踊らせると、やっぱり千花子のいいのがはっきりしますね」  「ああ」と彼は思い出した。千花子の亭主の伴《ばん》奏《そう》弾《ひ》きだった。  「この頃はどうです」  「いや、一度ご挨拶に上がろうと思って。実は去年の暮にあいつと離婚したんですが、やっぱり千花子の踊りは抜《ばつ》群《ぐん》ですね。いいですなあ」  彼は自分もなにか甘いものを見つけなければと、なぜだか胸苦しくあわてた。すると、一つの文句が浮かんで来た。  ちょうど彼は十六で死んだ少女の遺稿集を懐《ふところ》に持っていた。少年少女の文章を読むことが、この頃の彼はなにより楽しかった。十六の少女の母は、死骸を化粧してやったらしく、娘の死の日の日記の終わりに書いている、その文句は、  「生まれて初めて化粧したる顔、花嫁の如《ごと》し」 (昭和八年)  慰霊歌    理髪店の鏡に映る道ゆく女たちの髪、そうでした、その鏡には百日紅《さるすべり》の花、ところでこの壁いっぱいの鏡と枝にあふれ咲く百日紅の花との組合せは、夏から秋へ移ってまいりますにつれて、純粋に澄んだ色となりますので、その色の上に黒い髪が浮かべば、これはあざやかにちがいなく、今日に限ってどの女の髪も美しく見えますのも、そのためだと思っていたのでありますが、いよいよ顔に剃《かみ》刀《そり》をあてることとなって、鏡の見えないように寝かされ目をとじますと、ふと鈴子の赤いみすぼらしい髪を思い出したのでありました。ああ、そうか、それで女の髪の毛がみんな美しく見えるのか。これは私に喜びでありました。鈴子の髪が道ゆくことごとくの女よりみにくいとすれば、私の悲しみでもありそうなものですが、かえって女たちの髪の美しさを今はじめて知るような喜びであるとは、よほど鈴子を愛しているにちがいないと、私は気がついたのでありました。  そうすると、早くすませて鈴子の家へ行かなければ、彼女が出かけてしまいそうで、なんとなく胸騒ぎしながら、しかしひとつには理髪のこころよさも手つだってか、頭はしびれるようにうっとりして、鏡の上の鳥《とり》籠《かご》の頬《ほお》白《じろ》を聞いておりました。ちりりりりいんと、鳴き声に三つ鈴《すず》を入れる、理髪店の主人が自慢の鳥です。頬白と向かいあって、入口の扉の上には、駒《こま》鳥《どり》の籠があります。駒鳥が朝鳴くのを聞くと深い山の思いがすると、主人は私にたびたび話したことがあります。  渡り鳥、ああ、そうか、あの渡り鳥もと、私が思い出しましたのは、夏鳥とか、冬鳥とか、旅鳥とか、漂鳥とか、そんな本式なものではなく、朝行って夕べに帰る小鳥の群《む》れにすぎないのですけれど、朝は空の白《しら》む五時すこし前、夕方もやはり五時頃《ごろ》、この頃毎日まさしく同じ時刻に、金属の鈴ではない、竹かなんかの鈴を幾百振るような鳴き声に羽音をまじえて、私の家の上を渡ってゆく、永年東京に住みながらはじめてのことで珍しく、二、三度は半ば眠りで朝の雨戸をあけたのでしたが見えなかったところ、ある朝二階の窓から首を突き出してみると、ああ、驚くほど高い空を飛んでいる、でも、本式の候《わたり》鳥《どり》の渡りは驚くべく高い空を驚くべき早さで飛ぶというから、これくらいの高さに不思議はないのでしたが、不思議なのは、なぜ今年の初秋に限って、小鳥の群れが私の家の上を渡るのでしょうか、言い直せば、なぜ今年の初秋に限って、渡り鳥の音に私は目《め》覚《ざ》めるのでしょうか、鳥の渡りは今年にはじまったことではないのでしょう。その証拠には、私もうっかりしていると夕方の渡り鳥はまったく気がつかないことがありますとおり、街のたいていの人も、去年までの私と同じように、この渡り鳥を知らずに過ごしているのでありましょう。渡り鳥の音に明け方必ず目を覚ますほどに私がなったのは、よほど鈴子を愛しているからだろうと、私はやはり理髪しながら気がついたのでありました。  こんなふうに私にも未知の感じ方が開けかかっているのに気がついて、鈴子の家へ行きますと、彼女はちゃんと門に出迎えてて、部屋には茶菓の用意がもう整っていましたので、  あんたは、四六時中もてなしの準備をしておいて、自分は門《かど》に立って、僕の来るのを待っててくれるんですか。  あら。五分も前から呼《よび》鈴《りん》が鳴っていましたわ。あなたの押し癖になっていましたわ。  僕はまだ一度もお宅の呼鈴を押したことはないはずですよ。  ええ、でも、あなたの鳴らし方はわかっていますわ。  やがて、鈴子が紅茶を入れるためにうつ向いておりますと、もう夕暮のほの暗さのなかで、彼女の赤茶けた髪はなにか激しい炎に焼かれて枯れたように見え、人知れず燃えた高《こう》山《ざん》の山火事のあとへただ一人でたどりついたような気持、それは部屋にいつとはなくオゾンのような匂《にお》いがして、空気が冷たくなって来たからなのですが、彼女のうしろで、ピアノが奏《ひ》く者の姿もなく、ひとりでに鳴り出してまいりました。  慰霊曲ですか。時々聞く曲のような気がしますがと、私たちは遠くから近づいて来る足音のような響きに耳を傾けております、彼女はピアノの方を振り返りもしないで、  曲って? 曲って名のつかないほどの練習曲らしいわ。  ピアノの上の薔《ば》薇《ら》が揺れ出しましたよ。そんなに強くキイを叩《たた》いているのか、僕の耳がどうかしているのか。  花子です。花子が来たのですと、紅茶茶《ぢや》碗《わん》の皿に鈴子の取り落す銀の匙《さじ》の音がひとつ響くと、ピアノはぴたりと鳴りやんで、彼女は右手で左手を、左手で右手を、また両手で顔を、そこらにからみつく蜘《く》蛛《も》の巣を神経質に払うようにこすりながら、額《ひたい》から頬《ほお》へ青ざめて行くと、瀬戸物の肌へ人間の少女の眼を嵌《は》めたかのように、眼だけが生き生きしい光を放って、しかも私などは見ようとしていないらしく、  窓をしめてください、早く、厚い方のカーテンよ。花子の幽霊にさわらないで、私にもさわらないで。幽霊にいたずらされると、私が大《おお》怪《け》我《が》をするか重い病気になりますのよ。  窓を見ますと、まだ秋の初めですのに、いかにも、夏の白いカーテンの裏に暗い紅がら色の冬のカーテンが、しぼってありましたので、私があわててそれを拡げていますと、  もっと静かにしてくださいな。花子のいる間私は眠っているように見えても、あなたの腕時計の音が柱時計の音よりも大きく聞こえるんですのよ。あなたのお考えになることは、すっかり私にわかるんですのよ。  鈴子は体を白い雲につつまれ、しかしいうまでもなく、白い雲は私には見えないのですけれど、ふらふらと歩いてゆくありさまが、支えていられない彼女を長《なが》椅《い》子《す》へ倒れに行くのだとはわかっていながら、雲を踏んで歩く足つきはこうかというふうに見え、危っかしいようでいて抱き止めるには及ばないという気をさせ、また部屋には彼女と私の二人きりでありましたから、S・P・Rの多くの名高い霊《れい》媒《ばい*》たちのように、実験に立ち合う人たちの疑いを軽くするため、体を縛られたり、裸にされたり、髪を釘《くぎ》づけにされたりする憂いはなく、ピアノの傍《そば》の長椅子にふわりと身を横たえ、もし花子があなたになにか言いましたら、まじめに受け答えしていただかないと、幽霊は怒って話をよしてしまいますわ。  その声もこの世でもう二度とものいうことがあるまいような感じに聞こえましたが、私はテーブルに頬《ほお》杖《づえ》を突いて、目覚めたまま眠りに入ってゆくらしい鈴子を眺めておりました。厚いカーテンを漏《も》れる暮れ方の薄明かりにも、彼女の手の指先はひきつって、白い花のなかに入った蜂《はち》の翅《はね》が花を動かせるように小《こ》刻《きざ》みにふるえ、足の関節は伸び切ってこわばりましたものの、たとえばユーサピナ・パラディノ(一八五四年—一九一八年)、イタリアのネープルスの近くの生まれ、母は彼女を産んで死に父は彼女が八歳の時に盗《とう》賊《ぞく》に殺されたとか、路《みち》ばたの捨て児であったのを孤児院に引きとられて育ったとかで、ですから、霊媒として二十五年の長い間、ロンブロゾー、オリヴァ・ロッジ、リシェ・フラマリオン、マイヤース、オショロウィッチ、そのほかたくさんの一流の科学者たちの実験を受けるようになっても、もともと品性の卑《いや》しい女が実験ずれしましてなおさらのことでありましょうか、実験の中のユーサピナは大《おお》袈《げ》裟《さ》な芝居がかりで、彼女自らの告白によりますと、芸術家の制作欲のようなものとみえ、心霊現象をつくりたくてたまらない気持にまずかられ、やがて体がしびれ、手の指が鳥肌立ち、背骨の下の方に液体の流れるような感じがし、その感じが両腕に拡がって、肘《ひじ》のあたりまで及ぶと、その時分からそろそろ心霊現象がはじまり出すのですが、レヴィテション《*》、テーブル浮揚、つまり支えるものも持ちあげるものもないテーブルが宙に浮きあがるという、心霊現象としてのいちばんありふれたことの起こっている最中から膝《ひざ》のあたりが痛く、その後は、ほかの現象の起こっている間は腕や肘が痛むと、そういうのでありますけれども、ユーサピナについて詳しい臨床的な研究の報告をいたしておりますモーセリその他の眼にうつりましたところでは、実験のはじめに彼女はしゃがれ声を出す、すすり泣く、汗が出る、呻《うめ》く、人相も変わる、そして恍《こう》惚《こつ》のありさまに入るにつれて、白眼をむいて、いたけだかに号令をかけるとテーブルはその通りに動いたり、口で吹くとテーブルはほんとうに吹き飛ばされたり、舞台じみた誇張よろしくあって、時には逸楽の絶頂にある女のもの狂わしさを思わせ、醒《さ》めぎわにも産婦のように叫んで痙《けい》攣《れん》を起こしたりというようなわけですから、実験がすんだ後は、水づかりの紙《かみ》屑《くず》のように疲れて、急に十もふけて、皺《しわ》くちゃの老《ろう》婆《ば》に変わったといいつたえられておりますのなどに較べると、鈴子のなんという静かさでありましょう。ユーサピナが幼い時に高いところから落ちて傷つけた頭のてっぺんの窪《くぼ》みからは、時にはなま温い、時には冷たい一陣の風が吹き出して、手を近づけても感じられ、紙きれなどはひらひらはためいたということで、このようなことも新しい神経力の説明に役立ちはしなかろうかと、モーセリ教授を考えさせておりますが、ちょうどこの時鈴子の部屋にも、なにか菊のような匂いがただようらしく思われましたのは、やはり霊の力といっしょに鈴子の頭からでも立ちのぼったのでありましょうか、私の感じ過ぎでありましょうか。また頬杖のまま鈴子を見つめている私の頭の上から、いきなり声でありました。  花子が来ましたわ。  え? と私は部屋をひとわたり見回して、また目を鈴子に戻しました。鈴子の声ではありませんでした。ラジオにスイッチを入れた瞬間に似た、そうして若い女がラッパ型の楽器に口をあててあまえるような声でありました。  私はここに来ているのですわ。生前の名を名乗るってことが、死んだ人間にはちょっとむずかしいと言ったら、不思議にお思いでしょうね。  でも、名前も言葉でしょう。あんたははっきりした言葉をつかっているのに。  私たち魂は言葉や文字よりも、象徴の方がわかりいいんです。薔《ば》薇《ら》をさしあげますわ。  そこで私がピアノの上の花《か》瓶《びん》を見ますと、一輪の薔薇が伸びあがって、こちらへ宙を流れてまいりました。もしここに三人の臨席者がおりましたならば、一人目の人は花を持っている雲のような手首の形を見、二人目の人は花のまわりにただよう霧のようなものを見、三人目の人はただ花の動くのだけを見たかもしれないのですが、私はその三人目の人にあたるでしょうか。薔薇の花は私の鼻のさきまで来ると、じっと浮かんだまま、さも受け取れというふうでしたけれど、今も今鈴子から幽霊にさわってくれるなと言われたばかりか、もっとも、幽霊の手はそう冷たいものでなくて温みもあり、ウィリアム・クルックス卿《きよう》のしらべた幽霊の手は脈《みやく》搏《はく》が七十五、同じ時の幽《ゆう》媒《ばい》の脈搏は九十打っていたということや、それからボストンのクランドン夫人の実験室では、一人の幽霊の指紋が陰画式にも、鏡像式にもたくさん作れたということやも、後で知りましたものの、この時は鈴子の言葉を守って、頬杖をくずさずにおりますと、花子は私が薔薇の花をきらいだとでも思ったのでありましょうか、薔薇はまた宙をすうっと花瓶に返って、ところが、私の目の前の紅茶茶碗の紅茶のなかから、いきなり一本の草が生えました。またたく間にその茎はするすると一尺ばかりの高さに伸び、菊の葉を生じ、暗がりにも黄色とわかる八重の小さい花が、見えぬ手で虚《こ》空《くう》に押し絵するようにぽつっぽつっと咲き、数えれば九輪もあるではありませんか。菊の花の幽霊といえばいえましょうけれども、虚空にみちたもろもろの精霊がたまたまここに一つ形を取ったのを見るような感じでおりますと、白い焔《ほのお》の光か、これも焔といい光というのは私の感じの形容でありまして、まことは雲か霧のようなもの、しかし、めらめらと揺れながら、いかにも立っているというたしかさのあるもの、そういう白いものが、テーブルの向こうに現われましたが、それのゆらめいているのは気体が固形体に凝結しようとしている、もっとふさわしくいえば、一つの化学現象のようにひとりでに凝結しつつあるという感じを持っておりまして、しかもその白い霧のようなものはあきらかに一人の人間だとわかりますので、昔から多くの人が見た幽霊というものはなるほどこんなものであろうかと、私が思っておりますうちに、それはまずやわらかい光の白い着物となり、やがて一人の若い女が私の前に立ったのでありました。  光を薄い布にひきのばしたか、光の糸で織ったか、そういうベールをふわりと頭からかぶっておりまして、ベールの裾《すそ》がどこであるのか、またはベールと着物とがひとつのものであるのか、暗さのためばかりでなく、私には夢を思い出すようにあいまいでありましたが、ほのかな燐《りん》光《こう》を放つ瀬《せ》戸《と》物《もの》のように白い顔や、ガラスの義眼《いれめ》のように動かぬ眼や、ひと口にいえば死人らしさが、そのほんとうよりも生きた人間らしく見えたのは、この体につけたもののあいまいさのためでありました。仏たちがよく雲に乗ったり、光につつまれたりしていらせられますのは、そのありがたさを添えるためではなく、その現実らしさを増すためなのでしょうかなどと考えておりますと、  私は生きた人間に見えないんでしょうかと、幽霊が少し首を傾《かし》げてにっこり笑いながら言いますので、私は力強く、  それどころか、人間に見えすぎるのを僕は不思議に思ってるくらいです。あなたは死んでからもどうして人間の姿をしているんです。それは悲劇と思わないんですか。  私を見つめないでほしいの。そんなに一心に見つめられると、私の体は堪《た》えられそうもありませんわ。  でも、あなたは実によく鈴子さんに似ているんですね。  それは私も知っていますと、幽霊は悲しげにうなだれて、  ですけれどしかたがないことですわ。私をお膝の上に載せてごらんになるとわかりますわ、鈴子さんより重いってことが。  そうしてこつこつと軽い音を立ててテーブルを叩《たた》いてから、右手を差し出しながら、  さわってごらんなさいまし、そんな疑わしそうな眼で見ていらっしゃるよりも。  彼女は生きた人間と変わりない身動きをしておりますし、ものをいうと呼吸らしいもの、それも温いものが感じられますし、ただ、よくは見えないながら、歯だけは歯《は》茎《ぐき》にしっかりと植っていなくて、たとえば歯科医のつかう蝋《ろう》のようなものに軽く挿《さ》しただけで、どうかすれば脱け落ちるのでないかと私には感じられましたが、肌も光が薄れて生きた色を帯びて来たらしく見えますし、それでも私にはやはりさっきから一つのことが気にかかっていますので、  あなたはなぜ鈴子さんに似ているんでしょう。  ですから、しかたがないと今も申しましたじゃございませんか。死んでからもどうして人間の姿をしているっておっしゃったのは、どうして鈴子さんに似ているかって意味なのね。そんなに鈴子さんを愛していらっしゃるの? 鈴子さんのような霊的な女の人にとって、愛ってどんなものか、今におわかりでしょうよ。  私も少しむっとして、  僕はただあなたが鈴子さんの二重人格じゃないかと思っただけなんです。  やっぱりあなたは私を信じていらっしゃらない。死人は鈴子さんのような人の力を借りなければ、生きた人間の前に人間の姿を現わすことはできないのですけれど、私が生きている時は鈴子さんよりもずっときれいでしたわ。私のほんとうの姿を見せたいと思いますわ。いらっしゃいまし。  私を招くように、そうでした、その素振りは生《き》娘《むすめ》の鈴子とちがって、遥《はる》かに女らしくなまめいて、幽霊は歩き出しました。足音が聞こえるのです。けれども、隣の部屋へ通じる扉の向こうへ幽霊の体は煙のように消えるでもなく、紙のように薄くも糸のように細くもなるのでもなく、そのまま、ですから、幻の扉を通るように、幽霊が生きた人間で扉がかえって幽霊であるかのように、実のところ私は木の扉が透明でそのなかを越える幽霊の姿が見えているような気さえしたのでしたが、とにかく、閉じたままの扉をふいと向こうへ入って行ったのでありました。  鈴子からそうと聞かせられるほど、私たちはまだ深い間柄ではありませんでしたけれども、隣の部屋が彼女の寝室とはかねがね知っておりましたので、私は少しためらいながら、入っていいかと問いたげに長《なが》椅《い》子《す》へ近づいてみますと、彼女は深い眠りに落ちているものですから、私は引き返して扉に手をかけたのでありましたが、この寝室は夜なかのような暗さ、そのはずです、寝台の額《がく》縁《ぶち》といったらよさそうな長方形の狭い部屋には、寝台の裾《すそ》の方に大きい窓が一つあるきり、  明かりをおつけになってもいいの。そこの枕もとにありますわと、幽霊に言われて、手さぐりに、小さいテーブルの上の電気スタンドの鎖《くさり》を引きますと、黒の厚いカーテンがそのただ一つの窓をとざしているのでした。まるで写真の暗室です。電燈も赤ガラスです。十燭《しよつ》光《こう》くらいでありましょうが、電球にすっぽりかぶさっている筒《つつ》みたいな笠《かさ》は、金属製でありましたから、光はそれを通りませず、笠《かさ》の裾からテーブルに落ちた赤い光の円もさしわたし七寸とはないのでしょう、それの反射がわずかに部屋の明かりというわけで、ものの形だけはどうやら浮き上がっておりましたけれど、赤い光というものは写真の乾板に感光しないばかりでなく、このように薄いと人間の眼にも闇《やみ》よりもかえって暗いという気持を起こさせるものであります。ですから幽霊にも、燐の光やガスの光のように堪えやすいのかしら、鈴子は幽霊のためにこんな光で寝るのかしらと思って、あたりを見ますと、枕もとのもう一つの小卓にこちらは若い娘らしい電気スタンドがありまして、写真らしいものが散らばっています。してみると赤い電燈はやっぱり現像につかうのでしょうが、時と場所がこんなふうですから、たとえばホープとバックストン夫人のクリュー団の幽霊写真などを思い出しまして、  あなたの写真もあるんですかと、幽霊に問いますと、彼女はさっきからなぜか明りに近づいて来ないまま、  ありますわ。でもそんなぼんやりしたものより、ここにほんとうの私がいるんですもの。これが生きていた時の私ですわ。こちらを向いてごらんなさいまし。  振り返りざま、  ああ、と言ったまま私はただ見つめるばかりでありました。  鈴子さんのような赤毛じゃないでしょう。  ベールはいつのまにか消えて、そのベールよりも長く豊かに、緑なす黒髪が肩に流れているのでありました。こんなに美しい女、とにかくもここは寝室、まじまじ眺めているのはと恥ずかしがるなまなましい思いがふと私の胸に湧《わ》いたのを、幽霊は見てとると、いかにも女らしいよろこびを顔に浮かべまして、  私の方が鈴子さんよりずっと美しいでしょう。  ええ。  あなたは私が人間の姿を現わしたことよりも、私の美しいことにびっくりしていらっしゃいますのね。  その言葉がいよいよ生きた人間と向かい合っていると私に思わせましたのか、私はしめきった部屋のぬくみで汗ばんでいることに気がつきました。すると、幽霊の肌もどうやら汗ばんでいるように見えるではありませんか。これにはさすがに驚きましたので、  あなたには血も通《かよ》っていれば、それから不浄の?  ええ、鈴子さんの体にあるものならなんでも私の体にありますわ。いらっしゃいまし。  手を伸ばせばとどくところに私は近づきました。  私はこの通り女ですわ。なに一つ不足のない女ですわ、と言うといっしょに、はらりと白衣を脱いで、そうでした、肩から軽い布をすべらせるというしぐさをしたのですが、それは足もとの床に落ちたわけではなく、消えるのが目にとまらぬうちに消えて、ああ、彼女はまっ裸で私の目の前に立っているのです。弱い赤い光がほのかに肌を染めているものの、輝くような純潔さ、それも神の純潔さではなく、彼女の裸像のどこかに人間らしい欠点があると思われる純潔さ、幽霊というものは恥ずかしさを知らないのでしょうか、それとも生きた体を見せたい一心で女のつつしみを忘れているのでしょうか、微《ほほ》笑《え》みながらまっすぐに立って、  私は立派な女ですわね。  うぶ毛とか、毛穴とか、肉眼で見えぬほどの皺《しわ》、どんなきめのこまかい女の肌にもある、そういうもののありがたさ、そんなことを感じるまで私は目を寄せて、乳房からみずおち、臍《へそ》、腰それからと念入りにしらべながら、  ほんとうに立派すぎるくらい女です。  その言葉のうちに、鈴子などと較《くら》べると、よく熟した女であるという意味を含めまして、相手の態度にふさわしくこちらも医者が診察するような口調で、  あなたは子供を産んだことがありませんか。暗くてよくはわかりませんが。  まあ、マッチを擦《す》ってもっとよく見ていただきたいと思いますわ。  私はもうポケットをさぐりながら、それでも、いいんですか。  そうしてマッチを擦りますと、暗いところで急に火が燃えると瞬間は眼のなかが焔《ほのお》の色ばかりになる、この時もそれで、私にはよく見えなかったんですが、幽霊は蝋《ろう》人《にん》形《ぎよう》が火のなかで崩れたり、雪《ゆき》達磨《だるま》が日光で融《と》けたりするふうに、まず顔の輪郭がぼやける、眼が落ちくぼむ、耳が欠ける、手足がとろける、そしてへなへなと坐《すわ》り込むように体が床へ沈んで来る、その白い塊も湯気のように消えてしまう、といえば長い時間のようですが、一、二秒のうちこれだけの順序をたどったのでありましたから、私にしてみれば、マッチの火が幽霊の腹を照したという印象のうちに、彼女の姿は消え失せていたのでありました。しかし、その崩れ方の早さよりも私を驚かせたのは、  きゃあっという、女の悲鳴が隣の部屋から聞こえて来たことでありました。  あわてて隣室へ飛びこんでまいりますと、鈴子は長椅子に身を起こしております。目覚めております。しかし、ひどい驚きと恐れとでいきなり体が飛びあがるような起き方をした後らしいのです。強い睡眠剤のさめきらぬ時のようなのです。うつろな眼を開いて、体が顫《ふる》えているらしいのです。  どうしたんですか、と私もふるえる手でテーブルの上の電燈をつけますと、彼女は、  あっと叫んで、光に切りつけられでもしたように両の掌《てのひら》で顔を抑えて、ばたりとうつ伏せに長椅子へ倒れましたが、どうやら右足だけは棒のようにこわばっているらしく、それでげえげえ吐きそうにしますので、私は走り寄って背を撫《な》でますと、冷い汗はまだいいのですけれど、濡《ぬ》れた紙屑みたいに疲れた上に、急に骨ばっているのです。  どうしてあげたらいいんです。大丈夫ですか。  私は鈴子を抱きあげてやりたいと思いながら、なんだか彼女の体がたいへん軽くなってしまったのではないかという気がしますので、やはりこわごわ撫でさすっておりました。  電燈を消してしばらく寝かしといてくださればいいのよ。それから窓をあけて。  窓から初秋の空の星、ようやく夜のとばりがおりてうっすら光りはじめた星を仰ぎました時には、私はなんとはなしにおかしくて笑いたくなりました。ぷっと唾《つば》を吐きますと、それの落ちたのは浅い泉水で、緋《ひ》鯉《ごい》の動いているのが見えました。色が泳いでいる、私はそんなことを思いながら、うっとりと目を閉じているらしい鈴子の傍《そば》を通って、ピアノに坐《すわ》りました。私はピアノを習ったことはないのですけれども、子供の頃に小学校でいたずらしたことを思い出しながら、簡単な唱歌らしいものを、聞こえるか聞こえないくらいに叩いておりました。  チャールス・ベーレエという霊《れい》媒《ばい》は、まっ裸にされたばかりでなく、そんなところにも小鳥を隠していはしないかと疑われて、直腸のなかまでしらべられようとしたことがあるそうであります。私は科学者ではありませんので、外国の名高い心霊学者たちのように、体重計だとか、検温器だとか、顕微鏡だとか、エックス光線だとか、検電器だとか、血圧計だとか、悸《き》動《どう》計《けい*》だとか、いろいろなものを持ち出して、鈴子や花子を実験してみようとは夢にも思いませぬし、テーブルが浮揚したり死人の魂が人間の姿を現わしたりするのは、霊媒の体から流れるエクトプラズムと名づけるものの働きだという、その冷《ひや》っこい、ぬらぬら粘る、たいていは白い、時には写真にもうつり肉眼にも見えるものを手にさわってみたいとも思いませぬし、悪魔につかれた人を最もうやまうボタテ族の蛮人のような考え方で鈴子を見てもおりませぬし、かえって私と結婚すればこういう霊媒としての力も失うかもしれないと、それをのぞんでいたのでありますけども、今の彼女の目覚めは死か狂気に近い逸楽の頂上を打ち切られたありさまに似ていはしないかという疑いも、ふと浮かぶのでありました。  ピアノの気まぐれな唱歌が二十分も続きましたでしょうか。  胸の深い底から吐く息といっしょに、鈴子の起き上がるらしいけはいで、  もういいのよ、ごめんなさい。  こちらへ歩いて来る彼女はびっこをひいております。  どうかしたんですか、足を、と私も立ちあがってテーブルの上の電気スタンドに明りを入れますと、  なんでもないんですの。一晩眠ればよくなりますわ。  鈴子は私の前の椅《い》子《す》にぐったり腰を落して、まるで植物かなにかを見るように、じっと私を眺めておりますので、私もまた鉱物かなにかを見るように彼女を眺めておりましたが、赤い髪は彼女が眠る前よりもいっそう燃え屑に見え、眉《まゆ》毛《げ》は不《ふ》揃《ぞろ》いに立ち、神聖なものを失ってしまった天女のような感じで、体のどこかに熟した女の疲れがほのめき、やがて彼女の頬《ほお》にはほのぼのと赤い色がさしてまいりまして、しかも彼女が自分ではまだそれに気がつかない時の美しさといったら、ところがやがて彼女がそれに気づくほどになった時には、それは羞《しゆう》恥《ち》の色なのでありました。鈴子は今度こそはっきりと目が覚めたというふうに、  ひどいことをなさいましたわ。ほんとうにびっくりいたしましたわ。  マッチをともして幽霊を見ようとしたことを言っているのにまちがいないと思いますと、花子の裸体が目の前に浮かんでまいりまして、私の顔も赤くなるのでありました。  眠りから覚めましたけれど、今の私はまだ、手から一寸くらい離れたところを針で突かれても、ほんとに指を刺されたみたように痛むくらいですもの。眠っております時に、幽霊の手を握ったりなさいますと、さわられていると感じるのは、幽霊でなくて、私なんですもの。  彼女のいうことがまことなら、私に裸を見つめられたと感じたのは、幽霊ではなくて、鈴子だったということになります。私にとっては心臓がとまるほどのことです。そうとあらかじめ知っていれば、私は幽霊に接《せつ》吻《ぷん》しておけばよかったのではないでしょうか。彼女は急に女めいて来たのも、あんなふうにして私という男に裸を見せてしまったからでありましょうか。もし心理学的に解釈すれば、鈴子は彼女の裸を私に見せたい心が胸の奥底にひそんでいますので、幽霊に裸を見せさせたということになりはしないでしょうか。いずれにしろ、私には鈴子の裸を直接見るよりも肉感的な思いでありますので、口から出かかっている、  幽霊は霊媒の思い通りに動くものだそうじゃありませんか、という言葉もひかえて、  花子っていう人はいったいどういう人なんです。  あなたなんにもお聞きになりませんでしたの?  聞こうと思ううちに姿が消えてしまったんです。  私にはわかりませんわ。  なにか幽霊になって出るわけがあるんですか。  そんなこと、私は考えてみたこともありませんわ。  生前の愛《あい》憎《ぞう》や恩《おん》怨《えん》や、善行や悪徳までが死後にも尾をひくものだとすると、ずいぶん憂《ゆう》鬱《うつ》ですね。そういう考え方は幼稚じゃないですか。  よく聞いてごらんになればよかったのですわ、と鈴子はあまりおもしろくなさそうな受け答えですので、私は煙草《たばこ》を出して火をつけましたが、さっきのマッチだなと気がつくと、ポケットに隠すのもかえっておかしいようで、テーブルの上におきましたところ、彼女はそれを拾ってしばらく弄《もてあそ》んでから、なにごころなく耳にあてて、  あら、小鳥のさえずるのが聞こえますわ。  頬《ほお》白《じろ》ですよ。  百日紅《さるすべり》でしょうか、大きい鏡。  ここに来る前に行った散髪屋ですよ。  歴史ね。私は人さまからなんにも品物をいただかないことにしているの。洋食屋のマッチね。コック場の匂《にお》いがしますわ。  そんなこといえば、この家の材木だって、山の歴史を持っています。米だって、バタだって、菓子だって、あんたの口へ入るまでには、何人の手と何人の思いを通って来ているかもしれないじゃありませんか。  そういえばそうですわ。私の感じはそんなに鋭くないだけのことですわ。  それじゃこれは? と私はチョッキのポケットから小さいナイフを出しますと、  もう厭《いや》ですわ! 私の疲れていることがおわかりにならないの? それより、あなたの知らない、あなたのお手紙をお見せいたしますわ。  窓よりの卓の抽《ひき》斗《だし》から彼女が持って来た幾つもの紙束には封筒らしいものが一つもありませんし、  僕の手紙? 僕はこんなにたくさんの手紙をあなたに出した覚えがありませんがね。  ええ、でも、私はいただいたの。いけませんわ、ここでお読みになっては。あなたの手でしょう。あなたの書体そっくりでしょう。あなたがなにか私におっしゃりたいとお思いの時は、私の手がひとりでに動き出して、あなたのかわりに書くのですもの。一日に何時間も私はあなたから私への手紙を書いているのがほんとうでしょうけれど、やっぱり感じる時と感じない時とがありますのね。  それじゃもう僕はあんたになにもものを言う必要もない。会うこともない。こうして向かい合って坐《すわ》っていることもない。  そんなことございませんわ、と彼女はふと子供のように微《ほほ》笑《え》みまして、その笑顔の下の紅茶茶《ぢや》碗《わん》に、  あっ、菊が。  菊は私の声といっしょに姿がなくなってしまいました。花子の幽霊と共に消え失せるべきなのを、消え忘れていて、今急に思い出したというふうでありました。それにしても、明るい光の下、目の前にある菊を私はどうしてこの時まで気がつかなかったのでありましょうか。  虫の声が急にしげくなって、庭の木の間は月の出らしい色でありました。 (昭和七年)  二十歳    静岡県清《し》水《みず》港《みなと》の歯科医青木好馬は、お霜《しも》という娘の臼《きゆう》歯《し》を抜き取ったとたんに、脳《のう》溢《いつ》血《けつ》で死んでしまった。それから一年とたたぬうちに、好馬の息子の兵禄はそのお霜と結婚した。  それで去年の怪《あや》しい噂《うわさ》が、再びいまわしげにささやかれたのはもちろんである。しかし、お霜の父におどかされて、やむをえずそうしたという、兵禄のいいわけは、たいていの人に受け入れられた。好馬は大酒飲みであり、息子が二十五にもなる年だから、いつ頓《とん》死《し》しても不思議はないようなものだが、ああいうことがあってみれば、お霜は不《ふ》吉《きつ》な影を背負い、疵《きず》物《もの》になったも同様で、嫁入り口も遠くなる。だから、死んだ歯科医の息子に彼女を押しつけるという理屈が、成り立たないこともない。お霜の父は雲の五六という綽《あだ》名《な》で通った、顔ききの博《ばく》徒《と》であった。兵禄のうちは家柄もよく、相当の財産もあった。  このたびは不思議なご縁でと、兵禄の親《しん》戚《せき》の一人が婚礼の時に、うっかり型通りの挨《あい》拶《さつ》をすると雲の五六はなにが不思議だといきり立って、相手を一つ殴りつけておいてから、なに、そうか、不思議といえば、好馬と、兵禄と親子二人でお霜に惚《ほ》れたのは、なるほど不思議だよ。そう言いながら、雲の五六は急に酔いが回ったらしいありさまだった。けれども見ている人たちは、それもわざとで、雲の五六は少しも酔っていないと考えた。父と息子でお霜を好いていたというのも、彼女の父の口から出ると、かえってつくりごとらしく聞こえて、雲の五六はただ今後新郎側の親戚を恐れさせるために、腕力をふるってみせたと思われるのだった。  お霜は戸籍面では雲の五六の実子になっているが、ほんとうは養女であるらしかった。結婚すると彼女はこのことを無《む》造《ぞう》作《さ》に夫へ打ち明けたが、実の親を知ろうとする心は持っていないふうであった。  銀作はこういう結婚の翌年に生まれた子供であった。お霜は数え年十八で母になったのだった。  銀作六歳の時、兵禄は歯科医師の免状を取りに、東京へ遊学することとなり、お霜は次のお産の臨月近い身で、江《え》尻《じり》の駅まで夫を見送って行った。停車場で、銀作はあまりに悲しくて泣けなかった。それほど父母は甘い別れを見せるのであった。にもかかわらず、母はその帰り道、雲の五六の家へ立ち寄った。なぜそうするのか、銀作は子供心にも、不審というより不平であった。母はひどいめにあわされるにちがいないと怯《おび》えていたのに、怒《ど》鳴《な》りつけられただけですんだのは、意外なくらいであった。なぜなら、兵禄の上京はこの時までお霜の養父に秘密だったのである。養父がたびたび無心に来るので、しばらく夫婦別れをしていようというような相談を、父母は子供の聞くのも気にかけなかったから、銀作はちゃんと知っていて、雲の五六の顔を見ると、さっきの悲しみも薄らぎ、自分も共に彼を出し抜いてやったようで、いくらか得意であった。しかし、なぜまっすぐに家へ帰らなかったかと、母を詰《なじ》る気持は、どういうわけかいつまでも残っていた。  ところが、お霜はていよく兵禄に追い出されたようなものであった。兵禄は東京にいる間に離縁の手続きをすませ、一年半ばかりして歯科医の資格を取って帰ると、すぐに土地の芸者の梅子というのを受け出した。一騒ぎ起こるべきはずなのに、雲の五六はなんの弱味があってか、苦情も言わずに娘のお霜を連れ、二人の孫を兵禄に渡して、清水港から姿を消してしまった。  そうして銀作と弟の芳二とは、後妻のお梅に育てられることになった。  芳二はまだ歩けぬくらいの赤ん坊で、梅子を産《う》みの母と思いこんでなつくし、彼女にしても手塩にかけて、可《か》愛《わい》くありそうなものだが、彼女は人々の予期とも逆に、銀作よりも芳二へかえってつらくあたった。銀作はこれをはっきり知ると、梅子のどんなつれなさも忍べるという、ひそかな喜びを感じるのだった。それとまた一方、実母のお霜を失ったことについても、銀作はやはり弟を憎んでいた。なぜなら、父と実母とが別居しようというようなことを口にしはじめたのは、母親の腹が目立って来てからのことだったせいである。やがて梅子に実子が二人も生まれてからは、彼女が継《まま》母《はは》であって産みの母ではないと、弟に言いきかすことに、銀作は嫉《しつ》妬《と》の残酷さを味わっていた。わずか四つ五つの芳二は、はじめのうち兄の言葉の意味もさっぱりわからず、すぐそのまま母に告げ口するほどであったが、たび重なると、弟もうんうんとうなずいて、ともかく兄の悲痛な顔つきの真《ま》似《ね》をしながら聞くようになった。  しかし、銀作は芳二と遊ぶよりも、腹ちがいの赤ん坊の守りをすることを好んだ。継母の機《き》嫌《げん》を取りたいためではなく、その方がなんとなくのびのびするのであった。けれども心寂しい時は、芳二を連れて表に出た。そうすると、大人たちが甘やかしてくれた。世間の人たちや小学校の友達の話によると、自分たち二人はよほどむごたらしい継《まま》子《こ》いじめをされているらしかったが、そしてそういうふうに聞かされてみれば、なるほどひどい継母だと思うが、継子というものはいじめられるものとのあきらめが、いつか頭にしみこんでいるのか、銀作はそれほど母を憎む気にはなれなかった。ただ、腹ちがいの弟たちも銅銭で買食いするくらいの年になると、まったくだらしのない母が、自分と芳二に対してだけは、別人のようにけちで、どんなに小銭も出し惜んでいたかということが、非常な驚きで胸に焼きついた。  銀作が尋常六年の七月であった。彼の赤ん坊の時の子《こ》守《もり》で、今は町の宿屋の女中をしている女が、門口をあらっぽくあけ、ごめんください、銀坊ちゃんはいらっしゃいますかと、家じゅうに響き渡るような勢いで、銀作を見るなり、お母さんが会いに来ていますよ、さあ芳二さんも連れて行きましょう。お霜はその宿屋へ来ているのだった。泊ることになり、母は両腕に二人の子供を抱いて寝たが、芳二ももう九つで、銀作は母がたいへん太ったことを、床のなかでびっくりした。母は泣いてばかりいて、銀作の体を撫《な》で回すので、彼はなんだか悪いことをした後のようだったが、日《ひ》頃《ごろ》まったく忘れていた温さに気が遠くなって、これが母というものだと、身動きもしなかった。芳二の方はお霜をはじめて見るようなものだが、すぐすやすや寝入ってしまった。お前はもう継母に渡すものか、台湾へいっしょに連れて帰ると、お霜の繰り返すのに、銀作はしきりとうなずいてうれしがった。ところが朝、いちばん早く目を覚ますと、妙にそわそわして、母を揺り起こしながら、学校へ行くと言った。勉強は大切だ、感心な子だと、お霜に褒《ほ》められて、彼の心はやっと落ちついた。  父に昨夜のことを話して小学校に行った銀作は、手足が軽くなったように、ひとりではしゃぎ回り、廊下に竹子の姿を見つけると、いっさんに駆けて行って、彼女にどんと突きあたり、その勢いで運動場の端まで走りつづけた。竹子は継母の梅子の妹で、やはり芸者になるらしく、三《しや》味《み》線《せん》や踊りを習っていて、着付けにも肌の色にも、もうそういうところがあった。姉の嫁入り先へはめったに来ず、銀作の一級下でもあるが、そんなことよりも、彼女は子供たち皆から、美しいと目をつけられているために、銀作はものを言ったこともないのだった。  学校がひけてからも、竹子を突き倒した余勢のまま、宿屋の部屋へ飛びこんで行って、銀作ははっと立ちすくんだ。父がいたのだ。お霜になにかしきりときめつけられて、父はうなだれていた。この母は、八年前の彼女とはちがっていた。梅子を追い出して、家へ戻るのはやさしいが、女に子までできている今、それも野《や》暮《ぼ》だから、銀作をもらって行くと言うお霜に、兵禄はお前それでいいかと傍《そば》の子供に聞くこともしないほどの弱さだった。  銀作はお霜に連れられて、大阪へ立ち寄ったのが、思いがけなく、雲の五六の家であった。大阪城の近くの裏町であった。清水港の歯科医院とはくらべものにならぬ家だし、出入りのならずものたちをよろしくあしらっている母を見ていると、銀作は着いた当座の薄寂しい悔《く》いも忘れて、継母の傍で人をはばかるおじ気も失い、急に大人の世界へ近づいた。母はこの三月の間に、大阪や紀州で五人の娘を買い出して来て、いよいよ神戸から基《キイ》隆《ルン》行《*》きの船に乗った。  五日目の朝、基《キイ》隆《ルン》に着き、そこで便船を三日待って、東岸沿いに台東の鼻南街に向かった。海も海岸の岩も荒かった。どうせ台湾まで売られて行こうというのだから、素《しろ》人《うと》娘《むすめ》はただ一人で、残りの四人は荒《すさ》んでいた。植民地行きの三等船室、お霜の眼は女たちの上にきびしかったけれども、寂しいすてばちの売春婦たちは、この少年をやるせなさの慰めとし、過ぎ去った彼女らの夢の思い出とし、日々に気が荒くなるに従って、皆が銀作の奴《ど》隷《れい》となりたがって来るように見えた。少年は女というものをさげすむことを覚えた。しかしそれは、いかなる場合にも常に女が自分を救いに来てくれるという気がする、一種の女性崇拝の心を植えつけられたのと同じであった。  鼻南街は高く尖《とが》った雑草の山に四方をかこまれ、時には箪《たん》笥《す》や小石を飛ばすほどの風が吹きまくり、雨はほとんど降らず、その頃ちょうど花蓮港への道路工事で、山に日本人が百五十人くらい、生《せい》蕃《ばん》が危険なので駐《ちゆう》屯《とん》兵《へい》の護衛で働き、町にも日本人は百五十人ばかり、小学校の三人の教師は、腰に剣をさげ、判任官待遇であった。お霜は兵禄と別れてから、流れ流れて、測量技師の妻となったのだが、夫は道《みち》普《ぶ》請《しん》で山にはいり、彼女は鼻南街の広い家で、宿屋を兼ねて女郎屋を営《いとな》んでいるのだった。正月でも浴衣《ゆかた》がけでビールを飲み、海で泳げ、年始回りに日《ひ》傘《がさ》がほしいという気候で、土地が淫《みだ》らな上に、植民地の荒《あら》稼《かせ》ぎに入り込んだ大《だい》工《く》や土工は、山に籠《こも》っての金を女郎屋でぱっと使い果し、また山へというふうだから、お霜の商売も派《は》手《で》だし、夫の技師も大金を懐《ふところ》にした。小学校の子供も皆できが悪く、銀作は優等で卒業した。  ところが卒業のまぎわに、母は肺結核が急に重《おも》って、水がひくように痩《や》せ細った。銀作が宿屋でいっしょに寝た時、あんなに太っていたものの、病はよほど古く、銀作を産む頃からのことらしかった。かかえ主の死病をざまみろと思うような女もいなかったけれども、女たちはひそまりながら、しかもかえってどことなく生き生きしく立ち上がったように見え、それに反応してか、銀作もはじめて女たちをなにかと怒《ど》鳴《な》りつけてみると、彼女らはげらげら笑うのだった。笑われた銀作も腹は立たなかった。彼がいい気で女を叱《しか》ったりできたのは、一生のうちで、この母の死病の日々だけであった。  お霜は銀作を枕《まくら》辺《べ》に呼んで、私はまもなく死ぬ、私が寝ついて夫の迷惑の上に、お前の厄《やつ》介《かい》までかけては心苦しい、お前は一日も早く清水港の実父のところへ行って、私の帰るのを待っていてくれ。行くならいっしょにと、銀作は泣いていやがったが、母もきちがいじみて言い張った。それに、お前は国のお父さんや私やまた私のお父さんのように、身をあやまらず、まっとうな道を踏んでくれと、しみじみ遺《ゆい》言《ごん》されると、銀作はもう母のいいつけをなんでもうなずくことに勇《いさ》み立った。産み落したばかりの芳二の可愛さが、今はじめてわかったとの母の言葉も、わけわからずに胸にこたえた。  十五の四月、銀作は台湾から静岡県まで、はるばると一人で帰って来た。神戸には雲の五六が出迎えていて、大阪の彼の家で一泊した。  病み倒れては、夫の世話にもなっていられぬとは、お霜の流浪が覚えさせた道徳であったろう。また、こういう女の植民地の感情であったろう。夫は山の仕事で留守がち、それに妻の連れ子など、いいおもちゃだくらいの無《む》頓《とん》着《じやく》さでもあったが、銀作もこの継父には窮屈な思いをしなかった。夫婦は傍若無人に愛し合っていたとはいえ、子供の銀作の眼にも、兵禄と梅子とのむつまじさとはどこかちがうのはわかり、いわばゆきあたりばったりの激しさ、夫の姿が見えぬと、お霜はもう商売に夢中になっているというふうに、この町はどこにも家庭らしいものがない。病が重ると、お霜は夫を旅烏と見、女郎など叱り出したわが子が恐ろしく、内地で死にたい思いにかられたのである。  銀作が清水港に帰って二《ふた》月《つき》ばかりすると、大阪から母危《き》篤《とく》の電報で、彼はやはり一人で行った。お霜は夫の技師といっしょに、雲の五六の家へ来ていた。わが子を見ると、母の病も軽くなったようなので、安心して清水へ帰ったところ、それをまた電報が追っかけて来て、二度目に大阪へ行った時は、母はもう死棺へ入っていた。  産みの母の死は銀作に、継母の家を出る決心をかためさせた。実の母の遺言は強く響き、台湾で激しく働くということを見て来たので、商売で身を立てようと、大胆な野心に燃えてもいたが、彼も出《で》稼《かせぎ》人《にん》の根《こん》性《じよう》に染まって帰ったのであった。お霜と暮らした半年は、梅子を継母と実にはっきり感じさせた。産みの母の死を悲しむことを知らず、梅子を継母ということもしかとはわからぬ、弟の芳二をふびんと思えるほどに、銀作は一家を離れて見れるようになっていた。船のなかで売られてゆく女たちと継母の話をし、それを繰り返して台湾へ着く頃には、梅子が鬼のような女にされていることなどを思い出しても、今度はもう弟にうちあけなかった。  高等小学校は二《ふた》月《つき》ばかりでやめ、かねての望み通りに、掛川町の呉服屋へ小僧に行ったが、呉服屋とは名のみで、雇い人は副業の新聞配達をさせられるばかりであったから、商売が見習いたいのだと真剣な顔で主人に頼むと、それではと世話をしてくれた先は、京都市筒屋町の法衣《ころも》屋《や》であった。東本願寺などの僧が、毎日大勢店へおいてゆく、古い法衣をほどき、それを洗張り屋や染物屋や仕立屋へ自転車で持ち帰りするのが、銀作の仕事であった。ほかの小僧たちが起きる頃には、銀作はもう店の掃除をすませ、坐《すわ》ってほどきものをしているというふうに、一心に働いたので、やがて、銀行の使いや停車場の荷送りは、銀作の役目となったほどに、主人からも目をかけられた。京都のような大都会に、いそがしく働くということだけで、少年はもう未来を祝われた楽しさだった。二月足らずのうちに、新参小僧へ配達を譲り、二階でミシンを踏む身にもなった。法衣屋の家族は、女房に先立たれた六十近い主人と、十六になる養子との二人きり、そこへ三十前の若い嫁を迎えたのは、銀作が店へ来てから十日目くらいだったが、この女もやはり彼女の用を銀作にばかりいいつけた。彼はこの女主人に喜んで取り入った。父の家へ継母が来たことを思い合わせたものの、彼はかえって、この若い後妻に味方して、息子を責める手つだいをしたいふうに立ち回ったが、彼の気持は彼女へあまり通じないらしかった。継子と養子とはまるでちがうのかしらと、彼は考えた。  ところが、店の金が二十円紛失した。銀作はちょうど父からの送金があったので、派手な鳥打帽を買い、残りを十円余り持っていた。主人は銀作の日頃から見て、まさかと打ち消したが、いいえ、そういえば、いちいち思い出すと、まあ恐ろしいと、若い嫁は悪い男にだまされかかって目が覚めた女のように、あの小僧はすっかり私の浅はかな女心をまるめこんでいた。これには、十五の銀作はなんともいいわけのしようを知らなかった。ただ、こんなに正直に働いているのに、盗《ぬす》人《びと》と疑われてと、くやし涙にくれたところを、番頭にそそのかされ、二人でその夜法衣屋を逃げ出してしまった。その二十円は、商業学校の二年生の養子が持ち出して、靴を買い、品物を学校に置いていたので、家にはわからなかったのだった。  二十そこそこの番頭はかねがね銀作にむなしく言い寄っていたのだから、終列車で大阪に行き、安宿で一夜を明かした。銀どんがもう三、四年も店にいれば、おかみさんに口《く》説《ど》かれて、たいへんなことになるのは目に見えていると言う、番頭の臆《おく》病《びよう》そうな言葉は、その夜番頭から受けた苦しみと驚きよりも、銀作の男を目覚めさせた。番頭にはあいそをつかして、翌《あく》る朝別れると、早く出世をして、立派な身なりで法衣屋を訪れたら、若いおかみさんはどんなに詫《わ》びるだろうかというふうな空想が、頭いっぱいだった。  汽車賃を借りに、雲の五六の家へ寄った。そこで母の位《い》牌《はい》を拝んだ。雲の五六は銀作の蟇《がま》口《ぐち》をあけてみて、五円しか足《た》してくれず、お霜の死ぬ時とはうって変わって、この孫に冷淡だった。銀作はその日のうちに、奈良へ行った。奈良行きの電車の出る、上《うえ》本《ほん》町《まち》六丁目が、雲の五六の家に近いからでもあったが、少年は京都駅がこわくて通れず、奈良から関西本線を名古屋に出て、清水港へ帰るつもりだったのである。  しかし、奈良駅で切符を買おうとして、蟇《がま》口《ぐち》を掏《す》られてしまっていることに気がついた。駅前の交番の巡査に、このバスケットを預《あず》けて行くから、江尻までの汽車賃を貸してくれと頼んだ。巡査はバスケットのなかの単《ひと》衣《え》一枚袷《あわせ》一枚、それに二、三冊の古本とを笑いながら、二十銭しか持ち合わせがないし、お前のような奴《やつ》はよくあるよと、めんどうくさがった。しかたなく、駅で汽車から降りて来る人たちをぼんやり眺めていたが、そのなかに一人の飛び抜けて美しい娘を見ると、口《くち》入《い》れ屋《や》はどこかといきなり聞いた。娘は親切に案内してくれた。銀作は身の上を達者にしゃべって歩きながら、国の小学校で、継母の妹の竹子が美し過ぎて、ものも言えなかったことを思い出していた。  口入れ屋は蕎《そ》麦《ば》屋《や》の出前持ちに世話をしてくれた。そして十日ばかりで、得意先への道もだいぶのみこめたところへ、おかみさんの弟が手伝いに来たために、銀作は暇を出された。同じ口入れ屋から、別の蕎麦屋へ行った。この江戸庵は花柳街のなかで、大仏前に支店もあり、前の店よりいそがしいのを、銀作は喜んで働き、昼の暇な時間も、店の者たちのつまらぬ遊びに加わらず、歯科医学書を読んでいた。父の兵禄の本であった。京都を逃げ出す時も、バスケットに入れて来た本であった。  呉服屋、法衣屋、蕎麦屋と、銀作は奉公して来たけれども、自分はそんなものではなく、将来なにかすばらしい商売をはじめるつもりで、とにかくよく働いておけば、商売というものを覚えるとの考えから、骨身を惜まないのであった。商人を志しながら、歯科医学書を読むのも、学問というものの手がかりは、これしか持っていないからのことであった。  二月ばかりたつと、新しい出前持ちが一人入って来た。夜具が足りないので、銀作が同《どう》衾《きん*》させられた。夜なかに目が覚めたりすると、銀作はほとんど忘れていた、法衣屋の番頭を思い出して、こんなふうに眠れないのは、生まれてはじめてであった。阿《あ》呆《ほう》面《づら》で深寝している相手を見ては、京都の番頭が恋しくさえなったが、銀作はこの出前持ちから疥《かい》癬《せん》をうつされ、たちまち体じゅうにひろがった。そこへ月一度の飲食物営業者の身体検査の日が来た。こんな疥癬かきを使っていては、営業停止すると脅《おど》かされて人情家の主人もしかたなく、しかし銀作には、わずか二月ほどのつとめなのに、手当てを二十円もくれた。  銀作はまた大阪へ出た。お霜の離縁前に、父の代診をしていた男が、築港の近くに開業していると聞いていたので、頼って行くと、京都へ引越したあとであった。京都へ行くのは、まだ恐ろしい。母方の祖父の雲の五六しか、知った人はないが、この前の冷やかさがくやしく、なじみの奈良行きの電車の停留所にぼんやり坐って、雲の五六の家へ行く時間を延しているうちに、二人の刑事につかまったのは夜の十一時過ぎであった。持っている金を怪しまれ、十日の拘留に処せられた。警察が雲の五六に照会した結果、疑いははれたけれども、放免の時には、写真もうつされ、指紋まで取られた。雲の五六は迎えにも来なかった。  博徒の祖父にさえ合わす顔がないと思ったほど、少年はわが身にひけめを感じた。法衣《ころも》屋《や》の女主人に向けた、あの一筋の憤りにくらべると、今度は警察を怨《うら》むさえ、まずあたりを見回してからというふうな、うしろめたい影に怯《おび》えた。  神戸へ行って、外国商館に雇われようと思い立った。これは銀作自身気づかぬながら、台湾へのあこがれの形を変えた現われであり、この世で一足後ずさりした、人嫌いの芽《め》生《ば》えであった。外国商館の華《はな》やかさを思い描いて、勇み立ったにしろ、それはたとえ蕎《そ》麦《ば》屋《や》ででも働いて商売というものを覚えようとの気持を失った証拠であった。  神戸でもやはり、女に口入れ屋を教えられたのを手はじめとして、銀作は宿屋に泊り、四、五日いろんな方法で、勤め口を捜し回ったが、身《み》許《もと》引受人もない子供を、相当な外国商館で雇ってくれるわけもなく、午後には疲れた足を海岸のベンチに休め、港の船を眺めていた。もう秋風であった。清水港を出てから半年になる。しかし銀作は故郷を思うよりも、第四突《とつ》堤《てい》に台湾航路の汽船が見たく、あの船旅の娼婦たちもなつかしまれるのだった。これまでになく、詩のように悲しいと銀作は思ったが、ベンチで居眠りできるほど、浮浪というひびが体に入りはじめたのであった。ゆり起こしてくれたのは、きちんと袴《はかま》まではいた、品《ひん》のいい老人で、外国商館などよりもおもしろくて、金になる仕事がある、汽船から荷あげする人夫を監督してくれればいいのだと言われるまま、喜んでついて行くと、島田組という沖《おき》仲《なか》仕《し》の合宿所、監獄部屋のようなもので、老人はぽん引きなのだった。翌《あく》る日からもう沖の貨物船へ働きに出された。十五の体をこき使われて目も見えないくらいだった。それでも一月ばかりで少し慣《な》れると、船倉へ入れられることになった。船倉での最初の仕事、奥の方の荷物に起重機の綱の先を引掛けてから、起重機の真下に来て、合図しながら立っていると、引き寄せられた荷物は、釣り上がるとたんに、唸《うな》って飛んで来て、こちらの荷物にぶっつかったが、銀作の右手は二つの荷物の間は挟《はさ》まれ、薬《くすり》指《ゆび》の頭は切れ落ち、小指は押しつぶされ、彼は気絶した。気がついた時は慈善病院に運ばれていた。  この病院で、銀作は十六の正月を迎えた。清水港の祖父がお霜の臼《きゆう》歯《し》を抜くとたんに死んだという話が、記憶の底から浮かび上がったのも、この病院であった。ここに枕を並べた敗残者たちと、台湾の鼻南街の荒《あら》稼《かせ》ぎの人たちとは、なんというちがいであろう。その二つに共通なものまでは、もちろん少年の感じるすべはなかったけれども、沖仲仕の日々のあまりの荒っぽさで、ぽうと見失っていた自分というものを、病院のぶらぶら暮らしのうちに再び見つける場合、体の脂肪といっしょに、あくびの癖がついた。  入院中は組合から一日五十五銭ずつくれることになっていたが、病院の払いは一日六十銭で、毎日五銭の不足、少しは小遣銭もいるし、二か月の間に十五円ほど借金ができた。これを沖仲仕のわずかな給料のうちから、どうして返そうか、奥歯を抜いた拍《ひよう》子《し》の祖父のように、自分も今度は荷物に頭を打たれて死にはせぬかと、思いわずらってはいたものの、身の上に同情した看護婦が、そんな金は踏み倒して、逃げるのがあたりまえだと、彼のばか正直を笑うまでは、銀作は島田組に帰って働くと、思いきめていたのだった。しかし退院の夕方、島田組を逃げ出してみると、法衣屋を出た時とちがって、さらりとした気持だった。  衣類などの持ちものを八円に売り、坂本町の木《き》賃《ちん》宿《やど》に身をひそめていた。もう海岸へ台湾通いの汽船を見に行くような、少年ではなかった。出歩くと島田組の者につかまるおそれがあるというのを、自身へのいいわけにして、職をさがそうともしなかった。それに沖仲仕の合宿所では、ただ相手こわさの夢中で、彼らのいうままになっていたが、今ゆったりと鏡を見ると、いざとなれば、自分の美しさででも食えないことはないのだと、ほのかに甘い人待ち心の気だるさも知った。木賃宿の主人がやはり静岡県の生まれだとかで、父の兵禄に手紙を出してくれ、迎えに来た父を見た時は、さすがにほっとわが心のゆるみに気がついた。  なぜこれまで黙っていたんだと、父に叱《しか》られると、銀作もなるほどと不思議な気がして、産みの母と宿屋で寝た夜のように、血の親の温《あたた》かさに驚くのだった。清水港には春も早く来ていた。  四月の末、急用の客で宴会へ父を呼びに行くと、思いがけなく、この間小学校を出たばかりの竹子が、半《はん》玉《ぎよく》姿《*》で父を送って出て来て、そこに立ちすくんでいる銀作の肩をぽんと叩きながら、梅子姉さんの罪は堪《かん》忍《にん》してねとささやいた。涙がいきなり銀作の頬《ほお》をぽたぽた伝わった。ああ、自分はやっぱり家を出て、継《まま》母《はは》をしあわせに暮らさせねばならぬ、立派な人間になろう。帰りの夜道で、歯科医の勉強に東京にやってくれと、彼は父を口《く》説《ど》いた。なにも泣かなくてもいいよと、兵禄は息子の肩を抱いて、月々の学費を送ると約束し、銀作は苦学すると言い張った。  神田のある苦学生会の紹介で、新宿裏の歯科医の書生に入ったところが、患者がさっぱりなく、銀作は子守ばかりさせられるので暇を取り、浅草森下町の歯科医院へ移った。彼の奉公は、はじめてここでだいぶん長つづきし、診察も手伝い、技工も器用に覚え、歯科の夜学へ通《かよ》えと主人にすすめられ、講習会費を父に請求してやると、約束の月々の金はおろか、蒲《ふ》団《とん》さえ送ってくれなかった父から、珍しく二十円の為替《かわせ》が届いた。ところが、講習の申込み間際に、その金を落してしまった。彼は医院の会計から十円盗んで、講習会費を納めた。すぐ父に送らせて返しておけば、わかりはしないと思った。けれども兵禄は、落したなどという息子を信じないのか、手紙の返事もよこさなかった。十円のつかいこみがばれた。父に弁償してもらうことにして許された。しかし、医院の人たちの銀作を見る眼の色がちがってしまった。彼はこういうことに、受身の辛抱はもう失っていて、なんだいと、あの流浪が頭をもたげた。職を捜すつもりで医院を抜け出したが、浅草公園の活動写真館へ行った。  出し物が二度繰り返されても動かないので、そこを不良少年につけこまれ、失礼だが察するところ神戸か大阪でお盛んだったのを、今度ゆえあって、江戸へずらかっておいでなすったのか。銀作は相手の慧《けい》眼《がん》にぎくりとしたが、いささか得意でもあり、近づきになっているところへ、大瀬という仲間が来て、二人に三円くれた。二人はその金で、雷門前の安宿へ泊った。この学生ふうの金田が不良少年だとは、はじめからわかっていたが、銀作は彼にふと女心めいた愛着を感じて、自分がどうなってゆくかということは、踏み止まって考えられなかった。掏《す》摸《り》の方法をいろいろ教えられても、ひとごとのように聞きながら、そのくせ、強くいやだと振り切りもしなかった。  うん、そうだな、君は女を専門に狙《ねら》うんだなと言われると、銀作はなんだかぽうっと赤くなって、胸がどきどきした。相手はただ銀作をうれしがらせるために言ったのではなかった。掏摸の勘《かん》のよさは、銀作にそういうところを見たのだった。  翌《あく》る日の夜から、銀作はもう掏摸を働いた。台湾の頃の生き生きしさがよみがえって来た。京都や奈良で働いた日々とはちがう、肉体的な生き甲《が》斐《い》であった。仲間は間の抜けた女を選《えら》べと言った。しかし彼は美しい女を狙いたがった。奈良行きの電車で掏《す》られた時、口《くち》入《い》れ屋《や》へ案内してくれた娘を掏ってやれば、あんな苦労はしなかったのにと思った。  ところが、ちょうど一週間目に、雷門の停留場で仕事をし、女が気づいたらしいので、あわてて電車に飛び乗り、浅草橋まで行き、両国橋から蟇《がま》口《ぐち》を捨てて、また雷門に引き返したところを、銀作は二人の刑事につかまった。刑事は現行犯を見て、電車のなかもつけていたのであった。雷門前の安宿に泊りつづけて、注意人物とされていたのだった。  検事局送りの日は、梅雨であった。銀作は手錠をはめられた、右手の爪《つめ》から先のない薬指を眺めながら、どうせもうこうなればと、逃げることばかり考えていた。銘《めい》酒《しゆ》屋《や》の女を連《つ》れ出して、二十九日の拘留中だという男が、警察の留置場で、くよくよすることはありゃしないさ、裁判に回されたって、どうせお前は子供だから、誰かに引き渡されるにきまっている、そうしたらおれのところへ頼《たよ》って来いと、銀作に言いふくめたのだった。はたして、検事のねんごろな説諭がすむと、救世軍の士官が迎えに来たが、銀作を留置場と検事廷との間に待たせて、士官が検事に会いに行った、ちょっとの隙《すき》に、銀作は素早く逃げ出してしまった。もう大丈夫と、うしろを振り返ると、突然破れるような笑いがこみあげて、その後はなんともいえない身軽さで、空《そら》恐《おそ》ろしいほどいそいそした。  頼って来いといった男の深川の家は、捜しあたらなかった。法衣《ころも》屋《や》を抜け出したために、京都駅を汽車でも通れなかった一昨年など思い出しもせず、浅草へ舞い戻ったところ、色物小屋で、またあの金田と倉木という男とに会った。倉木は不良少年団の頭《かしら》であった。金田は倉木に、銀作を掏《す》摸《り》だと紹介した。たちまちのうちに、倉木は銀作の顔を不良仲間に売ってくれた。銀作は浅草田中町あたりの木賃宿を渡り歩いて、やはり女ばかりを狙《ねら》う箱《はこ》師《し》になった。それで、毎日市電に乗り回っていたが、勘を鋭くする前には、一度無念無想に落ちねばならない、そういう時、電車の揺れの連想でか、行きは産みの母と、そして帰りはただひとりだった、台湾までのあの長い旅路の思い出が、心を遠い甘悲しさにゆらゆらとぼかし、さて、はっと目が覚めると、必ず仕事は上首尾なほど、彼は冴《さ》え渡るのであった。  木賃宿街の入口に、みさご亭という安食堂があった。銀作は仕事の帰りに、その裏の狭い空地に並べた、ビールの空《あき》瓶《びん》の間へ立ち小便してから、店で飲み食いするのが習わしだった。ところが、ある夜のこと、空瓶がきれいにかたづいているので、銀作ははっとして、ちょうどぐったり三味線をさげて帰り路の、歌唄いをつかまえると、その小娘を楯《たて》のようにして店へ入った。奥から出て来たおかみさんは、銀作がしきりと機嫌を取っている相手の小娘を、さっさと追い払って、彼の前に腰かけると、ねえお前さん、うちの裏へよく蟇《がま》口《ぐち》を捨ててゆく人があるが、そんな人は宿屋なんかに泊ってるとあぶないねと、意味ありげに笑って、そう言えばお前さんも、うちの二階へ来た方が、ずっと銭もかからないよ。銀作はその夜は、いぎたなく眠ったおかみさんを、底抜けのようないまいましさでちらちら見ながら、明日の朝は、身に覚えもない、あの二十円を送って、法衣屋のおかみさんに後悔させてやろうなどと、涙ぐんでいた。  不良仲間に誘われても、私《し》娼《しよう》などに銀作が近づかなかったのは、もう自分はだめだと思いながら、しかも恋はいい女とできそうな気がしている、彼の矛《む》盾《じゆん》のためであった。竹子や、法衣屋のおかみさんや、奈良の娘や、神戸の看護婦や、その他の女の幻が、心にあるからでもあるが、また一つは、掏るにも女をという、彼のなかの女性的なものが、彼を女になれなれしく、女をさげすませつつ、しかも、この世に女がいる限り、自分はいつか立派な人間になれるというような、安らかな夢を、どこかに持たせているのだった。だから、みさご亭のおかみさんとのことほど、彼をがっかりさせたものは、これまでになかった。銀作は十七であった。それから一週間とたたぬうちに、みさご亭の二人の女給も、彼の自由になった。  おかみさんは嫉《しつ》妬《と》をして、彼女の父の家へ銀作を移した。やはり浅草の裏町で、二階を人に貸し、老人夫婦は洋傘の柄《え》を磨《みが》いていた。ここにいる間は、あまり飲食いに行かなくても、みさご亭へ十日目毎に三十円くらいずつ渡し、おかみさんにいろんなものを買い与える一方、女遊びにも先立ちをするようになり、女を掏る感覚もふてぶてしく濁り、やがて、おかみさんにしばられているのが阿呆らしく、同宿の芝居の出方が口軽るだとて、鳥浦という男の家へころげこんでしまった。  鳥浦親分のところは、前科者や与《よ》太《た》物《もの》の根《ね》城《じろ》で、銀作の犯罪も女遊びも、今までとは桁《けた》がちがって来た。ところが、品川の金波楼から、刑事という男が銀作を表に連れ出して、銀作の錦《きん》紗《しや》の帯を奪って行き、その後でまたやくざものに、密告するとおどされて羽織を脱がせられ、鳥浦方へ帰ってみると、偽刑事とやくざ者とがげらげら笑っているところ、銀作は自分などこの家ではまだ小僧っ子かと、骨身にくやしく、今にみろ、兇《きよう》器《き》の世界にまで入ってやると覚悟をきめたが、ちょうどその夜、刑事が三名踏みこんで来て、銀作は再び捕えられた。  留置場で雪の音を聞きながら、凍《こご》える胸をぎゅっとちぢめたとたんに、銀作は喀《かつ》血《けつ》した。祖父の脳《のう》溢《いつ》血《けつ》と、実母の肺結核と、二つの死が一つに閃《ひら》めいた。病室に移されても、病いは急に重いらしく、もう助からぬ運命だと、あきらめていたが、慈善団体に預けられて、海岸の結核療院に移され、またしても病室で十八の正月を迎えることになった。父もさすがに驚いたとみえ、百五十円送って来た。海岸に来てからは不思議な早さで病が軽くなり、入院中の日蓮信者たちが池《いけ》上《がみ》の本門寺へ初詣《まい》りするのには、銀作も加わったほどであった。帰りに横浜へ回って、金のあるにまかせ、強壮剤などむやみに買いものをしていると、回復期のすがすがしさに、久しぶりの子供心の喜びが、体いっぱい湧《わ》いた。  ところがその翌《あく》る日、鳥浦親分が見舞いに来た。銀作は誘いを拒み切れずに、東京の鳥浦の家へ行った。その時は正午頃にそっと戻ったが、二度三度と抜け出すにつれ、女郎屋で夜まで遊んで帰ることもあり、病院でも目にあまる振舞いが重なったから、体がほぼよくなったのをさいわい、警察の手に戻されてしまった。しかし、係官も少年の過去の境遇を深く哀れみ、病身でもあり、生家も相当なのを思って、公判へは回さず、父に引き渡すことにした。神戸の木賃宿から連れて帰られた春のはじめと、今度の冬のはじめと、古里も父もなんというちがいであろう。  もう銀作には継母の意地悪さなど、ものの数ではなかった。ほう、美人じゃないかと眺めた。父の遊《ゆう》蕩《とう》を種にして慰め、法衣屋のおかみさんに取り入った天性でなれなれしくすると、梅子は脆《もろ》い女であるらしかった。ふと気がついて急に恐ろしそうに銀作を見るのも、法衣屋のおかみさんが、まあこわいと叫んだのと同じであった。思ってみれば、産みの母のお霜も、台湾ではもうばくれん女であった。雲の五六の無心をことわれず、兵禄を東京へ見送った帰りにも、雲の五六のところへ寄ったお霜より、妹の竹子さえ寄せつけぬ梅子の方が、よっぽどしっかりしている。父は意気地なしで、ことなかれの卑《ひ》怯《きよう》な自己主義に、好人物の面をかぶっている。実母の味を知らず、したがって継母の憎さもわからず、哀れと見えた弟の芳二は、今は結局勝利者だ。そのような銀作の見方は、時と場合とでぐるぐる変わったが、古里に帰ってみて、かえって心の古里を根こそぎ失ったことだけは、確かであった。十八の彼は、たいていの人から二十三、四と見まちがえられた。それに禁足同様の家には、せめて十九の正月を迎えて行けと父に頼まれた、そのわずかの日の辛抱さえできぬくらいだった。  正月の八日、五十円もらって上京した銀作は、神田の英語学校へ通ったのはいいとして、ところもあろうに、鳥浦親分の家へ下宿した。またしても父から送金がない。鳥浦に借金がかさむ。一つ見つかった就職口は、経歴が知れてしくじる。鳥浦はさすが掏《す》摸《り》にかえれとは言わないけれども、催促はきびしい。家の炊事までして働き、送金を待っているところを悪友に誘われて、州崎の遊《ゆう》廓《かく》に三日いつづけ、鳥浦の家にも帰りにくく、君ともあろうものが女中の真《ま》似《ね》をするとはというおだてにのって、電車のなかで以前の腕を見せびらかしたのをきっかけに、また掏摸をはじめた。  秋霧の夜をさまよって、ふと血《けつ》痰《たん》を見た頃から、彼の仕事には、死の近い人の凄《すご》さが加わって、掏る女の美醜どころか、相手の体さえ目に入らず、ただ貴金属と札束ばかりが、透視の世界に奇怪な輝きで浮かび、女共に寒気を覚えさせるような美男子になった。五、六人の子分をつれて、花柳街を大胆不敵に遊び歩いた。  そうして、あわただしい年の暮の非常警戒は、わが身にも迫っているのを感じた。銀作は鎌倉のホテルに逃れた。食堂で五つくらいの女の子をいたわっている、上品な夫人を見ると、彼はふと幼《おさな》心《ごころ》に涙ぐんだ。はて、ずっと昔、たしかにどこかで見たことがある女だと、しばらく目をつぶっていたが、なあんだ継母の梅子に似ているのだ。彼は明るく笑った。そして、ぴたりと笑いやむと、ああ、竹子。部屋に帰って、寝台に横たわるなり、彼の体は竹子恋しさにしびれてしまった。どうして今日まで、この恋に強く生きなかったのか。激しい吹雪《ふぶき》になった。夜に入っていよいよ荒れた。停電して、部屋が暗くなると、銀作はなぜか怯《おび》え、自動車を呼べと、ホテルを驚かした。  松並木で銀作の自動車は青い松の枝を挽《ひ》きつぶして揺れた。降り落ちた雪もまた吹き上げられて、白い布のように飛ぶ、道のあちこちに、折れ散った松の枝、裂けたまま幹にぶら下がった大きい枝、吹雪の夜のこういう松林の負傷の青は、車の前燈に染め出されると、穏妻のなかの女の裸体のように、実になまなましかった。銀作は江尻までの汽車のなかでも、正月の旅客の懐を狙って、一生の終わりに、竹子を受け出すつもりなのだが、彼女に名も知らさずにおこうか、ただの一度だけ抱こうか、この迷いをすさまじい嵐の音にあおられ、死ぬほど幸福だった。  泣いてやがらと、ポケットのハンカチを出そうとして、ひょいと振り返ると、追って来る自動車、刑事だっ、ここでつかまっては竹子がと、扉をあけて、雪へころび落ちた彼の上へ、後の車が鈍い音で乗りあげた。  銀作はその場で死んだ。 (昭和八年)  むすめごころ    (私の遠縁の娘、静子が時《とき》田《た》武《たけし》と結婚した。静子が自分で選《えら》んだ相手であった。結婚後まもなく、静子は私の家へ来て、長い手紙のようなものを見せてくれた。親友の咲子が書いたものだという。私はこの手紙によって、静子の結婚のいきさつを知ることができた。また、今の世にもなお変わらぬ若い娘心の不思議を知ることができた。別に異常な心理や事件ではなく、むしろ平凡すぎるくらいであるけれども、咲子の心が素《す》直《なお》に書けていて、この見知らぬ手紙の主《ぬし》に好意を持った。この手紙は私が預かることになった。静子たちの家に置かない方が、夫婦の平和によいと思われたからである。そのわけは、手紙を読んで貰えば自然にわかるだろう)       一  静子さんも知ってのとおり、小さい頃から私の失敗といえば、みんな愛ゆえの脆《もろ》さのせいだ。静子さんのことで心がいっぱいになった時、私は知らずしらず、自分の頬《ほお》を可《か》愛《わい》くてならないように、両手ではたはたと打っている。  「静子さん」  と呼べば、  「ええ」  と、あなたはすぐ私の掌のなかで答えそうだ。静子さんとの日々の愉《たの》しさを、何と言おう。喜びよりももっと静かに、望みよりももっと清く、悲しみよりももっと柔《やわら》かく、ただ目を閉じてうっとりとなる。この溢《あふ》れるばかりに豊かな気持あるゆえに、私は幸《しあわ》せに生きている。  さて、その思い出の糸口を、静子さんのあの剽《ひよう》軽《きん》なおじぎに求めよう。親しい微笑をたたえた目を、じっと相手に注いだまま、ぴょこりと腰だけ折る。あの微笑。顔は動かないのに、眼と口もとに可愛い微笑がいっぱいで、あの時ほど静子さんの愛情が、じかに伝わって来る時はない。  「ああ。静子さんだ」  と、こちらはおじぎを忘れてしまう。  ところがね、静子さん、私はあなたのおじぎを真《ま》似《ね》していた。誰に向かって——もちろん武さんに。しかも私はちっとも気づかなかった。  静子さんの真似だなんて、思ってもみなかった。このおじぎをすると、ただなにかしら違ったものが、私の心いっぱいになる。相手の顔にじっと笑いかけたまま、腰だけぴょこり折っていると、甘えたような愛情がほのぼのと湧《わ》いて来る。——それでも私は、湧いて来る愛情が、なんであるかは考えてみなかった。それほど武さんと私との間は、近すぎたのだもの。  ある日のこと、武さんに向かって、ふとおじぎをしている最中に、びっくりするほどありありと、あなたの姿が心に浮かんだ。と言うよりも、まるで私があなたになってしまったみたいだ。顔も、体も、すべてあなたの素《そ》振《ぶ》りをしている。その私のなかに、あなたの心までが芽《め》生《ば》えたのだった。  「ああ、これは静子さんのおじぎだった」  と、次の瞬間に初めて気づいて、私は血が引くほど驚いた。  「私ではなく、静子さんが武さんにおじぎをしているのだ」  ふと二人を私の心の世界に並べてみる。武さんの横にそっとあなたを置いてみる。そうすると、二人はびっくりするほどよく似合う。  突然閃《ひらめ》いた神の啓示のようだ。  その日からの私の願いは、あなたを武さんに近づけたいということだった。愛の不思議であろうか。あなたと会っていて、もうこれまでに幾度感じたかしれない、あなたの魅力が、また新しい驚きのように、私をとらえると、その時まざまざと思い出されるのが、武さんのこと。今度は私が武さんになったみたいだ。武さんがあなたに会えば、こうも可愛いと思うにちがいないように、私はあなたを可愛いと思った。それほど私はあなたと武さんとをいっしょに考えた。それほど私はあなたと武さんとが同じに好きだった。  「そうだ、武さんに静子さんを会わせよう」  そんな思いの末にこう決心してしまったら、私は急に人が変ったように、生き生きと元気づいた。  ほんとうに嘘《うそ》のようなこの動機——嘘に近ければ近いほど、たわいなければたわいないほど、私は二人へのせつない愛情の強さを知る。  でも、原因はもう一つあった。それは私と武さんとの血のつながりだ。ほんとうに血のつながりというものが、ああまで私を安心させようとは。私は武さんを見ていると、欲《ほ》しいものはなんにもなくなってしまう。したいことはなんにもなくなってしまう。古《ふる》里《さと》に帰った思いとは、こんな気持のことだろう。私の心が武さんにつつまれて、静かに安らいだのは、武さんの人となりにもよるけれど、やはり私たちの血のつながりのせいも多かった。それにまた、血のつながりというものに対する、私の小さい反《はん》撥《ぱつ》もあった。なにかしら重苦しいものが、武さんにではなしに、その周囲に対して感じられた。  この血のつながりが、武さんを私の恋人と呼ぶことを妨《さまた》げた。  ——あなたを、武さんへ近づけたいと思いながら、あなたに少しも嫉《しつ》妬《と》を感じなかったのは、あなたへの深い愛情であったと共に、私と武さんとの血のつながりでもあったのだ。  そうして最初の日が来たんだ、私たち三人の——。  静子さんはまたあなた自身の思いで、あの日のことは忘れられないだろう。  私は植物園に黒いダリヤの咲いていたことを、まっ先に思い出す、あれは九月の末だった。  あなたと二人で電車に乗ってしまってから、はじめて私は、武さんも来ているかもしれないと打ち明けた。あなたは大《おお》仰《ぎよう》に拗《す》ねて厭《いや》がった。けれども、あなたと武さんとは、私の心のなかでは、もうとっくに仲よくなってしまっている——その二人がどんな初対面をするか、それが楽しみでならなかった。  「……そんなこと言って、その人はやっぱり咲子さんのあれでしょう?」  「そうよ。さっきからそう言ってるじゃないの。うるさいわ」  「まあ、ひどい。どこまでしゃあしゃあしてるんだか。知らないわ」  しかし、あなたは半信半疑のふうだった。  河岸で電車をおりると、武さんは橋の欄《らん》干《かん》に凭《もた》れて待っていた。  「あの人」  と、私が呟《つぶや》くと、あなたは私の肩を力まかせにぐんぐん押して来たが、橋の袂《たもと》まで来ると、もう動かない。私は一人小走りにかけ寄って、いきなり横から、武さんにどしんとぶっつかった。  「ばかだなあ。電車をおりるのを、ちゃんと知ってたよ」  「お友達をつれて来たの」  恋人かもしれぬという、静子さんの疑いを解《と》くために、私はわざとこんな親密な素振りを見せたのだった。  「静子さん」  と振り返って呼ぶと、ああ、その時——横を向いて両手で頬を抱えるようにしていたあなたが、くるりと振り向いたとたん、もうまっすぐに武さんの顔を見て、ぴょこりとあの愛らしいおじぎをしていたのだ。腰を半ば折りながら、あなたは微《ほほ》笑《え》む。目にかすかにはにかみをたたえる。口がほころびかかって、八《や》重《え》歯《ば》がちらと見えたと思うと、下唇をちょっと噛《か》んで、笑いをこらえたように見えながらつつましい。なんと可愛い一瞬であろう。私も思わず血が温まったくらいだ。  ほんのひとときのできごとが、私をどんなに感動させたことか。  「ねえ、それごらんなさい、静子さん」  と、私は勝利の快感を味《あじわ》った。私は正しかったのだ。私の予感は的中したのだ。あなたと武さんとがいるところに、私の存在はもはや無用になったと思ったほどの一瞬だった。  しかし、その一瞬が過ぎると、三人は三様にまごついて、  「どこへ行くの?」  「さあ、どこか行きたいところあるの?」  「植物園はどう」  などと言いながら、静子さんは先に立って歩き出したが、その後姿の袴《はかま》の腰板が少し歪《ゆが》んで、格好が悪い。走り寄ってそれを直してあげたいと、ふいに私は親心を感じた。親心、ほんとうに親心であった。この豊かな心持こそ、後々までも私にあなたたちを守らせた、また同時に私自身を守らせた、たった一つの美しいものであったのだ。その私の心持を感じたかのように、あなたは私に寄り添って来た。そのあなたを見ると、あなたをしあわせにしてあげたい思いだけが、私をしあわせにするというような、そんなしみじみとした暖かさが静かに湧いて来た。電車に乗ってからも、私はあなたを庇《かば》うような格好で、あなたの前に立っていた。あなたは黙って、私の袴の紐《ひも》をいじっていた。  植物園は楽しそうな行楽の人でいっぱいだった。  図《ず》抜《ぬ》けて背の高い武さんと並ぶと、私も小さいけれど、あなたはもっと小さい。  「専門部に君たちのように小さい人はないだろう」  と、武さんも少しうちとけて来たけれども、二人はいつまでたっても、直接に話し合わない。  武さんも私に、静子さんも私に、茶店で買った菓子を分ける時でさえ、私の手でなければならない。そうして、私が静子さんと取り交す子供のような話は、武さんに聞かせるため、また武さんと取り交す兄弟のようなやりとりは、静子さんに聞かせるため、しかも、私はそれが無上に嬉《うれ》しかったのだ。  ちょうど萩《はぎ》の花盛りで、つつましい白い花が咲きこぼれていた。青い芝《しば》生《ふ》、あちこちに散らばった花々、輝く初秋の空、その中をそぞろ歩きする人、写生する人、芝生に寝転ぶ人、すべてがあなたと武さんとの初対面を飾る背景のように、私には思われた。  「あれ、あれ、黒いダリヤ」  と静子さんは立ち止まった。  白や黄や赤のダリヤにかこまれて、一本くっきりと大輪の黒ダリヤが咲き誇っている。その花の方に駆け出して覗《のぞ》き込むと、その濃《こ》い臙《えん》脂《じ》の色が黒に見えるのだった。  「どれ」  と、後から来た武さんの頬の温かみで、私はふと身を引いたが、無心にみとれている静子さんの頬は武さんの頬に近かった。なにかしらたわいないことにぎょうさんに心を動かしている三人。——黒ダリヤに見入っている二人の頬を、ほんの瞬間私は一種の感動で眺めたものだった。  植物園を出た時はもう正午をだいぶ過ぎていたろう。  再び河岸の街へ来て、午《ご》飯《はん》を食べたが、あなたがちょっと席を立った時、  「ねえ、静子さんて可愛い人でしょう」  と、私はあなたを自慢したように言うと、武さんは私の顔を見てから、  「うん。ちょっと君に似てるね」  「あら、ほんとう? うれしいわ」  と私は軽く受けたけれど、似ているという言葉は、私を興奮させた。二人が似ているなどとは、誰も言わなかった私たちを、武さんが似ていると言った。このことも私には、なにか意味ありげで忘れられなかった。  まるで息《むす》子《こ》と娘とを見合わせているかのような、私一人の思いが武さんを疲れさせたのか、  「僕はもう退却してもいいだろう。二人で遊んでらっしゃい」  と別れて行った。残された二人は、繁華な街を歩きながら、なぜかひどく無口だった。そうして帰りの電車に残ると、あなたは倒れるように私の肩へ凭れかかって来た。疲れているのかもしれないけれど、あなたは目をつぶっていた。私はあなたの肩を抱《かか》えるようにして、あなたのあの綺《き》麗《れい》な細い手をじっと眺めていた。  私は一人で学校の寄宿舎に帰ると、周囲の騒がしいのが、堪えられないほど厭になった。        二  静子さん。  その日からあなたがひとしお美しくなったように見えたのは、私の心の迷いだろうか。とにかく、私たちがまた急に近づいたように思われたのは、ほんとうだった。あなたはこれまでよりも早く登校して、毎朝まっすぐに寄宿舎へ来る。  二階の窓から覗《のぞ》いていると、あなたは渡り廊下の端でちょっと立ち止まって、あのおじぎをして走って来る。  私はまるで私が武さんであるかのように、あなたを可愛いと思う。だって女同志の間に、あんな愛情を懐《いだ》くなら、私は立派な罪人だ。けれども、このようなことも、目に見えない運命の力だったのだろうか。  学校がひけてからも、あなたは私の部屋の窓に腰かけて、  「いいわねえ。私も寮に入ってみたいわ」  と、帰りたくなさそうだ。でも、一緒に腰をかけて、さてなにをしようというのだろう。私はただ幸福なだけだ。涙ぐんでなにか大事な話をしてあげたいような、心の奥底をもっと見せ合いたいような、なんとなく激しい気持で、しかもたわいないじょうだんばかり言っている。  噂《うわさ》がどうして伝わったのか、  「やあ、植物園」  と、私の肩を叩いたり、  「咲子さんも隅《すみ》へおけないわ」  と、面と向かって冷やかす人があったりする。私がどぎまぎしていると、傍《そば》からあなたはいっそう私を困らすように、そっと微笑んで私を見る。すると私は不思議なことに、  「隠したって駄目よ。ほら、静子さんあなたの目のなかに、武さんが写っているじゃないの」  まったくあなたの恋心を芽生えさせたのは、私であったろう。  「また植物園へ行こうね」  と、誘《さそ》いかけると、  「いやだわ。もうごめんだわ。あんた一人で行ってらっしゃい」  「ううん静子さんと一緒の方がいいんだって」  「狡《ずる》いわ。そんなに一人で行きにくいの」  と、あなたは晴れやかに笑っていたけれど、私は次の機会を待った。そうしてそれは意外に早く来たのだ。  学校から美術展覧会を見に行った帰り、集合までに二、三時間あるので、黙って武さんの下宿の前へ連れて行ったら、あなたは可愛くはにかんで、私よりもあなたの方が恋人にふさわしかった。あなたは男一人の部屋を珍らしがって、急には坐《すわ》りもせずに、  「なんだかこの部屋おかしいわ」  と、きょとんとしていた。  またたわいない話ばかりなのに、それで少しも退屈しない。愛情の力だろう。武さんも明るい顔をするし、あなたは武さんの写真帳を見たりした。集合の時間に帰ろうとして玄関に出ると、  「外は寒いから気をつけていらっしゃい」  と、武さんが言った。私たちは外へ出てから、言い合わせたように、  「ああ、寒い、寒い」  と体を寄せ合って、足が自然と小走りになった。  静子さん。  こうしてあなたと二人で武さんを訪《たず》ねる習慣がついてから、私はなぜかもうあの人を一人で訪ねるのが恐ろしくなった。別に心《こころ》疚《やま》しいものもなかろうに、まるで悪いことのように、なぜかそれができなくなった。恐ろしいのは武さんでなしに、私自身だったのかしら。  そしてまた、その冬休みに家へ帰ってみると、われながら驚くほど、私は変わっていた。私はいつになく一人でいたがった。これまでになく両親が厭《いと》わしかった。私はあなたと武さんとのことばかり考えていた。それを考える者は、私以外にあってはならなかった。だから、冬休みが終わって、春田の伯父さんの存在を知った時の私の動揺は大きかった。会うと早々あなたは一大事件を報告するように言ったっけ、あなたの若い伯父さんの春田さんが、武さんと知り合いだと。  あなたの顔は喜びに輝いていた。遠い気のしていた人が、意外にも近いつながりの人であったと発見した喜びだ。けれども、私は深い悲しみの底へ突き落されたように感じた。こうして思いがけぬ、春田の伯父さんという人が現われて来た以上、私がいなくとも、成り立つものは成り立つ。やはり、あなたたちは結びつく運命だったのか。でも静子さん、まちがってはいけない、私が感じた嫉《しつ》妬《と》は、あなたたち二人に対してではない。春田の伯父さんという人に対してだった。伯父さんの出現が、私はたまらなく寂しかった。妬《ねた》ましかった。  私を中心にあなたと武さんとが結び合う、あらゆる場合を想像しながら、私以外の人を中心にあなたたち二人が結び合うとは、夢にも考えることができなかった。  なんというわがままだろう。一人よがりだろう。あなたのような素直な人には、奇怪なことかもしれないけれど、私はこの嫉妬に打ち勝つために、決心を固めた。これはどうしても、自分の手で早く二人を結びつけてしまおうと。  ほんとうを言えば、その頃になって初めて私は、自分と武さんとの間には、いつのまにか、無言の約束のようなものができているのに気づいた。今頃そんなことに気づいたのは、私の心が目覚めたためか、武さんが私に一歩迫って来たためか。とにかく武さんの私を見る眼は、以前になかった光を帯びはじめた。これを武さんの怒りと言えば、私の自《うぬ》惚《ぼ》れかもしれないけれど、それでもなにかしら私を責めるようなものが、あの人の目に見えはじめた。  でももうそんなことは遅かったのだ。言ってみれば、武さんの愛のあかしをその目色に見たために、私は大きな安心を感じて、身を退《ひ》くこともできると思った。今頃になって、静子さんにこんなことを言い出すのは、私の汚い未練であろうか。でも言った方がいい。もう一つのことも言ってしまった方がいい。  もう一つのこと——それはあなたのまったく知らないできごとだ。  その頃、武さんから思いがけない手紙が来た。話したいことがあるから、一人で来てくれとの簡単な文面だった。約束の日はひどい雨だった。  「まあ、こんな日に……」  と、下宿のおばさんが驚いたので、私は急に恥《はずか》しくなった。  「着物がひどく濡《ぬ》れている」  と、武さんは立ち上がって私の肩を抱きそうに見えたが、その素振りをしただけで、坐ったままであった。障子の嵌《はめ》ガラスから、なにか知らない花が雨に揺れている庭を見ながら、武さんの言葉を待っていたけれど、あの人はなにも言わない。あまり長いこと黙っているのも不自然なので、  「ねえ、なんなの?」  と、小声で促すと、  「うん、なんだと思う」  「わからないけど……」  「ちっともわからない?」  「いいえ、あの……」  「少しは知ってるの?」  「ええ、でも一人《ひとり》合《が》点《てん》だわ」  「一人合点でもいいから言ってごらん」  「あら、そんなの狡《ずる》いわ」  と、赧《あか》くなりながら笑ったら、あの人はふいと黙ってしまった。しばらくして、また改まった調子で、  「もうすぐ卒業だね。なにか方針きめてるの?」  「方針てなんのこと」  「なんのこともないもんだ。卒業が近くなれば、考えておくべきことが多いだろう」  「でも、さしあたってなにもないもの」  「ないことがあるものか。後で後悔しないために、いい加減なことじゃすましておけない。君はこの頃少し変わったろう」  「…………」  「僕はまちがってるかもしれないよ。まちがってたらしあわせなくらいだ。僕はこの頃の君は厭だな」  私は胸を突かれた。  「それはそれとして、君は卒業したらどうするの」  「どうするって——家へ帰るよりしかたがないわ」  「ばか。そんなことじゃない。それから先のことだよ。わからないのか。結婚のことだ」  「ああ、そのことなら……。私そのことは考えないの。いやだわ」  「一番大事なことじゃないか」  「もういや。ひどいわ」  と、私は両手で顔を隠した。話が予期したところまで来てみると、私の心はまったく予期しない混乱に投げこまれて、ただもう夢中に話を打ち切りたかった。  しかしこうなると武さんは強くなって、私のこんな態度を許さなかった。いきなり私の両手を奪うと、それを自分の両手のなかに掴《つか》んで、はっきりと言った。  「いけない。今日はごまかしちゃいけない。君と僕との大事なことなんだから。いいか、それじゃ僕は露骨に言うよ。君は僕が好きなんだろう」  「あ!」  「それじゃ結婚してもいいんだね」  幸福がここまで来てしまうと、私はもうなんにも感じられない。ただ大きい手に掴まれた私の手、それが武さんの手だということだけだ。  私はそうして手を取られたまま、しばらく呆《ぼう》然《ぜん》としていたが、いきなり顔を伏せて、激しく泣きはじめた。どうしてあんな時に涙が出るか。しばらくして、武さんは黙って手を離した。  私は泣いているうちに、しゃんと立ち直った。武さんがこんなに真剣になっていてくれるのに、私ばかり甘ったれている法はない。今はほんとうに大事な時なんだ。涙を拭くと、自分でも驚くほどはっきり言った。  「私泣いたりして悪かったわ。ごめんなさい。でも、あんまりうれしかったから」  「そう? ありがとう」  「いいえ、そのこととはちがうの。結婚のこととはちがうの」  「いやなのか」  「まあ。いやだなんて! もったいないくらい。わたしどう言えばいいのかしら。結婚するのがもったいないほどなの」  「なにを言ってるんだ。僕との話だよ」  「ええ、ほかの人となら、なにもそんなこと、もったいないなんて思わないわ」  「じょうだんじゃない、まじめな話だ」  「ええ、まじめだわ。ほんとう言うと、結婚するのがこわいほど、あなたが好きなの。結婚しなくってもいいほど、もう安心し切ってるの。私あなたと結婚するくらいなら、もっと嫌いな人と結婚するわ。でも、私結婚はいや。今は誰ともいや」  そう言って、ありったけの信頼で武さんを見たら、武さんは憐《あわれ》むような眼で私を見返しながら、  「本心なんだろうね、後悔しないね。この話はもう止めるんだね」  そのたびに私は子供のようにこくりこくりうなずいて、またしても目にいっぱい涙をためた。  こうして高まった感動が過ぎ去ると、お互いに快い放心が来た。私は入って来た時と同じ姿勢で、雨にうたれる庭木を美しいと眺めた。二人の間に一つの距《へだ》たりを作った筈《はず》なのに、かえって二人の間には、以前にも増して静かな愛情が通《かよ》うように思われた。武さんが私の傍にいるということ、いいえ、傍にいなくとも武さんという人を知っているということ、そのことだけで、私は十分なような、しみじみとした大きな安心だった。        三  もう皆が帰ってしまって、静かな校庭の藤《ふじ》棚《だな》の下を、あなたと私は歩いていた。曇り日の湿った土の上に、二人の小さな靴音だけだった。小石を見つけて、私がちょっと蹴《け》ると、あなたはまたその先でちょっと蹴る。私が蹴る。あなたが蹴る。そんなことが二人の気の合ったしるしのようで、私は言いやすかった。  「あのね、静子さん、こんなこと聞くのおかしいけれど、あなたはうちでわがままがきくの? あなたのお父さんやお母さんは、わりあい自由な方なの?」  「さあ、どうかしら。私わがまま言うことないわ。無理を言うことは嫌いなの」  そんなところから話の糸口がついて、  「静子さん、とっぴのようだけれど、もし武さんがあんたを欲しいと言ったらどうする?」  「まあ、ひどいわ、私をからかうの? 私に恥をかかせるつもりなの? だって、あんたがもうあの人ときまってるんじゃないの」  と、あなたは驚いたけれども、私と武さんとの間は、兄妹のように好き合っているにすぎない、結婚するような間柄とはちがう、ほんとう言えば、私があなたを植物園へ連れて行ったのは、あなたと武さんとを結びつけたいためであったと、力をこめて言うと、  「まあ、困るわ。困るわ」  と、あなたは言葉少なになってしまった。私もあなたの肩を抱いて、長い間黙っていた。  私はあなたよりも感動しているように思った。自分のしていることが、少しも不自然な気がしなくて、清い忘《ぼう》我《が》の状態にあった。すると、あなたは急に泣き出した。両手を顔にあてて、まるで子供のような泣き方だった。  可愛い静子さん、私はあの時のことを思い出すと、母親の感情がどんなにしあわせなものであるかわかるような気がする。私はあなたよりしあわせだったかもしれない。私はあなたの肩を愛《あい》撫《ぶ》して、  「冷えて来たわ。静子さん、寒くない?」  「ううん」  「もう帰る?」  「ううん」  「そんならもう少し歩こう」  私たちは肩を並べて池の方へおりて行った。睡《すい》蓮《れん》の葉が鈍《にぶ》く光っていた。  「私ね、私、長生きするのはいや」  と、あなたが言うので、  「いやな静子さん、どうしたの」  「ただそう思っただけ。私ね、今日みたいにうれしいことなかったの。今死んだ方がいちばんいいわ」  「私だってうれしいわ」  「私ね、学校を出て、咲子さんと別れてしまったら、どうしようかと思うの。私はほんとうに弱虫なの。一人だったらなんにもできないの」  そうして私たちは池の岸にしゃがんで、目高の群れの泳ぐのをいつまでもうっとり眺めていた。  その日、あなたに別れて帰ると、私は自分が騎士のように頼もしかった。武さんもあなたも弱い。強いのは私だけだ。  それからの私たちは、まるで恋人同志のようであった。あなたはあなたが武さんに甘えるように私に甘えた。私は武さんがあなたを愛するようにあなたを愛した。私は自分の血のなかに、武さんの血が通っているとさえ感じた。私の心はすっかりきまっているのに、あなたと武さんとの間は、少しも近づきそうになかった。どうして話を進めたらいいのだろう。あなたたちを愛することが強ければ強いほど、私は美しい手段が欲しかった。  武さんに会いに行こうと誘ったら、あなたは寂しそうにはにかんで、首を振るばかりだった。迷っているうちに冬の休みも来た。私は武さんに手紙を書くことにした。武さんをしいるような、私の意見はいっさい書かなかった。ただあの日池の岸で語り合ったことを、あなたが泣いたことを、私が大きな喜びを感じたことを、ただありのままに、できるだけ素直に書いた。  武さんから返事が来るまでに、半月ほどかかった。その武さんの手紙は、今もこうして私のところにある。  「先日はあんな会い方をして、話を打ち切ったにかかわらず、僕はもう一度君に会って、君を負かしたいと思っていた。もう結婚しないでもいいほど安心しているという君の言葉には、僕もまったく同感だ。だが、これが結婚しないという理由には、決してならない。その反対だ」  こんな言葉に始まって、あなたのことに書き移り、  「正直に言えば、僕は静子さんも好きだ。君とのことがなかったら、僕はもっと静子さんが好きになっていたかもしれない。……僕が学校を卒業するのは、君たちより一年おくれるから、この話はそんなに急ぐことはない。静子さんに直接よりも、静子さんのご両親との間で話をすすめたいと思う」  というような言葉で、武さんの手紙は終っている。  静子さん、あなたはこれを読んだ私がどんな顔をしたと思う? 思い通りになって、ほっと安心したか、それとも、思い通りになり過ぎて、やるせない寂しさを感じたか。どちらもほんとうではあろうけれど、実は静子さん、私はまっ先に思ったのは、  「ああ、男って強いものだなあ」  ということだった。ほんとうにしみじみとそう思った。いったいこれはどういう意味か、はっきりとわからないながら、  「ああ、男って強いものだなあ」  と思っていると、一人で歩いている武さんの姿が、はっきり浮かんだ。同伴者のいらない姿。でも、女はそうじゃない。私は女の宿命とも言える、この弱点にぶっつかった。私たちにとって全部であることが男にとっては半分でしかないということが、初めてわかったようで、突き落された気持だった。しかし、こんな思いは、武さんの決断が鮮《あざや》かすぎたせいだろう。私たちの将来があまりに早くきまりすぎた驚きのせいだろう。また、嫉妬のせいだったかもしれない。  実のところ、私はこのなりゆきをもう少し複雑に考えていた。もっとロマンチックな花の開くのを期待していたのだろう。自分の役割がもっと花やかに演じられるのを予想していたのだろう。  でも詮《せん》索《さく》はよそう。なにもかも私の望み通りで、私が心から喜んだのも、嘘ではなかったんだもの。  そうして卒業と共に、あなたと私の別れる時が来た。あなたと武さんとの結婚式は、その翌年の節分の前夜だった。  あの日、東京は冷たい雨が降っていた。あんなにも長いと思った、一日一夜があるだろうか。一人で部屋にいることが堪えられないくらい、時間がじっと静止しているように思われて、なにも手につかず、急に涙がこぼれたりした。  悲しいのではない。今日の祝儀のお客は、私一人で十分だと思うほどの愛情、その私が遠く離れていることが寂しかったのだ。  あなたたちは武さんの故郷で式を挙げた。けれども、やはり武さんが東京の会社に就職し、あなたたちは家を持つことになった。  ああ、あなたたちの上京、東京での新婚生活、いや三人がまた昔に返るんだ。私は神に感謝した。愛情が天に通じたと信じた。  四月の初め、まず武さんがいろんな準備に上京した。私と武さんとは、今静子さんが住んでいる、あの家を捜すまで、毎日二人で回った。  そうして東京駅に迎えたあなたは、武さんの体を楯《たて》に取って、恥ずかしそうに顔だけ覗《のぞ》かせていた。私がうしろへ回って、思いきり肩を叩《たた》いたら、  「ああ」  とはにかんでから、以前と同じに、ぴょこりと腰を折った。  「来たわねえ」  と、私が肩を抑えると、あなたは顔を隠したそうに、  「なんだか恥ずかしいわ」  「たいへんだったでしょう。ほんとによく来たわねえ」  「あんたもっと変わってると思ったけれど」  「変わるはずがないわ。静子さんこそ変わってるわ、奥さんらしくなって」  実際あなたは美しさを増していた。頬の色が輝いて幸福そのものの顔だった。動作の一つ一つに、安心しきった信頼が現われていた。あの郊外の家で荷物を整理しはじめた時、私ははっきりそれを感じたのだ。——あなたはきゃしゃな指で頑《がん》丈《じよう》な綱を解《と》いている。疵《きず》がつきゃしないか、皮が剥《は》げやしないかと、はらはら見ていると、あなたはふとやめて、武さんを見上げる。黙って武さんがすぐぐいぐいと解いてしまう。大きな抽《ひき》斗《だし》を一人で抱えて、高いところに挿《さ》し込もうとしていると、武さんが来て、ちょっと手を出す。するとあなたはそれをもう武さんにまかせて、次の仕事にかかっている。  ああと私は思うのだ。これこそ家庭だ、私はそんなことにうっとりする。これまでに見ない静子さんではないか。これまでにない武さんではないか。  「なんにもないと思っていても、相当あるものね」  と、あなたは疲れも知らない、すがすがしい顔だ。  「ちょっとここへ来てごらん、あすこの植込みがきれいだから」  二人が並んで、二階の手《て》摺《すり》に腰かけていると、すぐ武さんが下から呼ぶ。  「もうこれくらいにしといたらどう? 静子さんが疲れてしまうわ」  と私が言うと、  「ほんとうに暑い」  と、武さんも荷物に腰かけてほっと子供のような顔をしながら、私を見て、  「またなにか皮肉言いそうだな。どうせ当分は冷やかされ通しだ」  「あてられ通しだから、お互いだわ」  夕方、私はぐったり疲れて帰ると、いつまで長いアパート暮しが続くのかしらと、味気なさが胸に迫って、なにか支えてくれるものが欲しい。  なんということだ。これが私の願った喜びか。四方の壁の冷たさが、牢《ろう》獄《ごく》のように越えがたい。この向こうにある幸福、それがこの身になんのかかわりがあろうと思うほどに、突っ放された気持なのだ。私の待っていたものとはちがう。  しかも、私はせつない喜びにつつまれている。静子さんのういういしさが、はにかんだ眼が、笑いをこらえた口が、まざまざと見える。  「二人のいる東京だ、二人のいる東京だ」  と私は呪《じゆ》文《もん》のように唱《とな》えて眠る。        四  夜が明ける。私はもうあなたたちに会うことしか考えていない。朝を待ちかねて飛び出し、電車ももどかしい。まるで一夜の嵐で散ってしまう花を見に行くような、不安と期待だ。  家の前に立つと、さすが早過ぎはしないかと恥ずかしくて、おずおず戸をあけたら、あなたはもう白いエプロンをつけて、美しい新妻だ。なにか胸がつまって、まじまじ見つめていたら、  「まあ、いやだわ、なにを見てるの」  「見ちがえるようで、びっくりしてるのよ」  「いやだわ」  「あんたがあまり早起きで、殊《しゆ》勝《しよう》な格好だから、びっくりしたんだわ」  「えらいでしょ。あのね、今日はおひるから買物に行こうって言ってたの。あんたに先生になって貰《もら》うわ」  「この先生はちとおぼつかないけれど、家の物やなんか」  「ええ。——ちょっと二階へ上がってて。今起きたばかりでぼんやりしてるわ」  あなたを残して二階へ上がると、朝日の射《さ》しこむ窓に背を向けて、武さんはのんびりと煙草《たばこ》をくゆらせていた。  「呑《のん》気《き》そうな顔ね」  「うん」  とうなずいた武さんも、エプロンをつけた静子さんも、私の知らない表情があった。……静子さんの座《ざ》蒲《ぶ》団《とん》の上に載《の》っている、二つの紺《こん》足《た》袋《び》。それだけでもう二人の生活が覗《のぞ》けそうな気がする。見てはならないもののように目をそらすと、違い棚には武さんの時計、煙草、ハンカチなどと共に、無造作に置かれた静子さんのハンドバッグと金具の帯止め。なにかしら漂《ただよ》っている新鮮な幸福に私はまだ場《ば》馴《な》れていない。なにを見ても、胸がどきっとして、顔を赧《あか》らめる。  「まだなにも揃《そろ》っていないのよ」  と、あなたの言う、朝の食卓も、なにもかもが新しい出発を語るものばかり、思い出を飾《かざ》るものはなにもない。私は取り残された寂しさというよりも、行《ゆく》手《て》を塞《ふさ》がれた悲しみを感じる。午後のデパートの買い物も、その一つ一つが、あなたたちの生活を固めるのだ。先生どころか私の知らない、こまごまとした世帯道具を、次から次へ選ぶあなたを、私は不思議そうに見ているばかりだ。これがあの静子さんかしら。あなたと私との愛情の思い出を拒《こば》むものが、そこにありそうな気がして、ふと武さんに目を移すと、買い物はあなたに委《まか》せて、なにか放心している武さん、しかも、ああこの人だと私は思うのだ。この人が静子さんを変えて行く。二人は明らかに出発している。  なんという悲しい嫉《しつ》妬《と》だろう。けれども今さらなにを言おう。あなたたちのために、私もまた自分を変えたのだ。やがて私は家庭の喜びというものを理解した。あなたたちの生活を、自分の自由な生活よりも、遥《はる》かに愛するようになった。  ただ一度、そういう時にあって、昔の喜びの返って来た日のことを書こう。それはあなたを初めて自分のアパートに迎えた日のことだ。  あの日、私は大きな期待を持っていた。それは家庭の匂いをなにも持たないあなたを、この部屋でならば見られるだろうと思ったのだ。  私は駅の壁に隠れていて、  「わっ」  と飛び出して、あなたに縋《すが》ると、  「あら」  と驚いて笑ったあなたの顔は、これだ、これだと、私は失ったものを見つけた喜びで有《う》頂《ちよう》天《てん》になる。  二人はふざけ散しながら、肩を並べてゆるやかな坂を上って行く。部屋の扉をしめ切ると、もう二人を隔《へだ》てるものはなにもない。飾りの乏《とぼ》しい冷たい部屋が生き生きと温《あたた》まったような気がする。和《なご》やかな沈黙の後に、私はしみじみと、  「ねえ、静子さん。こうしていると、昔の通りのような気がするわね。なにもなかったようななにもかも嘘《うそ》のような……」  「そうよ、今私もそれを言おうと思ってたのよ。私ね、あなたの着ている着物まで思い出したの」  あなたはそう言って、思いを一つに集めるような目をした。その目を見ると、一瞬に多くのものが思い出される。——二人で腰かけた、校庭のベンチに藤の花が散っている。白いボールが落ちて来る。あなたの細い指が青い糸を巻《ま》いている。部屋のストーブのほとりの、静子さんの細い肩、涙を含んだ美しい目……。  「この部屋にこうして、毎日一人でいるでしょう。そうすると昔のことばかり浮かんで来るの。私ほど思い出を愛してる人もないだろうと思うと寂しいほどだわ」  「あなたがそんなこと言うと、私つらい気がするわ。この間もあの人と二人で話したんだけれど、あんたはいったいなにに満足してるの」  「あら、気を回したの? なにも今が不満というわけじゃないのよ。あんたたちが上京したし、これ以上のことないわ。それとは別だけれど、昔のことをあんまりはっきり憶《おぼ》えているので、寂しいくらいだと言っただけよ」  「ええ。それはわかってるけれど、私の言うのはちがうの。私みたいにあんたによくして貰ったら、誰でもこんな気持になると思うわ。あんたがしあわせにならないと、つらい気持なの。この頃つくづくそう思うの。あんたが私以上にしあわせになれたら、どんなにいいだろうと。こないだもそれをあの人に話したの」  悲しそうに小さな声で呟《つぶや》いてくれた静子さん。うれしいよりも、ああと私は胸を打たれて、そんなことを感じさせるのも、私が悪いからだと知って、  「静子さんはあんまりやさしすぎるのよ、まあいい、今に静子さんなんか及びもつかんほど、しあわせになって見せるわ。だから毎日勉強してるのよ」  「勉強してしあわせになれるものかしら。私はそんなこと逃げ道のような気がし出して来たわ」  「逃げ道? 静子さんまでがそんなこと言うの?」  「あの人とね、話したんだけれど、こんなところに一人でいないで、咲子さんも私の家へいらっしゃいよ。来てほしいのよ、二人とも。三人で暮らしたいわ」  「だって」  と私は笑って涙ぐんだ。  夕方あなたを送って、一人アパートに戻って来たら、寂しいのは寂しくても、どこかにあなたの匂いが漂っているようで、私をもう不安にはしない。安心して一人ベッドに入った。  (昭和十一年)  父 母          一  あなたの慶子さんは、今どこにどうしているか、あなたに分《わ》かっているのですか。  実にそっくりでしたよ。自転車のうしろにラケットがついていたから、テニスの帰りなんでしょう。追い越されるとたんに、あっと思うと、それはもう乱暴な速さで、風を切って行きました。一直線に落葉松《からまつ》の広い道です。遠くまで見送れるんですが、その二人づれの少女は、手放しで、自転車の上に立ち上がりそう、両《りよう》拳《こぶし》を踊るように振りながら、しかも英語の歌を早口で歌って行きます。掛け声が入るから、あまり上品でない流行歌か、学生の歌かもしれません。低い歌声で、その掛け声だけは勇しく張りあげるので、遠ざかれば、掛け声だけが聞こえました。雷雨の晴れた直後です。なんとも爽《さわや》かなものでした。日《ひ》灼《や》けして、むろん思いきり短いスカートで、軽井沢避暑令嬢の眺めですが、その後姿は、あっと思った驚きも、われら中年者の病的な夢かと思ったくらいです。その少女があなたのあの頃にそっくりであろうとは。  あなたは慶子さんの年が、今年いくつか忘れもなさいますまい。私は指折り数えるのに、少し困難でしたけれども。思えば私たちは慶子さんの話をすることなしに、それを避けながら、もう十幾年になるでしょう。  慶子の亡霊め。  まったく亡霊だったとお思いになりませんか。この自転車の少女が慶子さんだとすれば、十幾年も私たちの心に陰をつくっていた慶子さんはです。あなたはあなたの棄てた子供が、可哀想だ、不しあわせだと思っておいでですか。  この落葉松(ばかりでなく、なんだか知らん雑《ぞう》木《き》もありますが)の林は、家があまり見えんので、空《あき》地《ち》かね、とゴルフに行くみち友人に聞くと、空地ではない、庭が広いのだとの答えでした。外国人の女も、この道では、よく歌を歌って通りますよ。西洋人の少女よりも、この風俗を真《ま》似《ね》てる日本少女の方が、溌《はつ》剌《らつ》と健康に見えますよ。少なくとも、見えるのもいます。すべて明るく見えるものが嘘《うそ》いつわりならば、あなたが棄てた子の身の上に思う暗さも、これまた嘘いつわりでなくて、なんでありましょう。  もし、自転車の少女が慶子さんだとして、あなたに再会したとすれば、慶子さんはあなたの暗い顔に、なによりも驚くでしょう。そしてたぶん軽《けい》蔑《べつ》しますよ。われらも人を軽蔑することの自由を持ちたいものですよ。ごめんなさい、ずいぶん会わないあなたを、暗い顔などと言って、悪い癖。これはあなたが棄てた子は不しあわせだと思うのと同じですね。  西洋の天使の絵は、絵《え》空《そら》事《ごと》でないと、ここに来て思います。幼児ばかりは、ほんとうに西洋人がきれいです。甘く澄んだ声までが、童《どう》女《じよ》の時にああいう声でないと、ソプラノもアルトもだめなんかと思うくらいですよ。古い寺の庭に、小さい姉が小さい弟を胸に抱き寄せて、驢《ろ》馬《ば》に乗って歩いていると、軽井沢には珍しい大木の枝《しだ》垂《れ》桜《ざくら》の下枝から、もう黄ばんだ葉が一つ二つ散って、私は鎌倉に残して来た子供を思い出しました。  明日からテニスの見物に通《かよ》います。  二《に》伸《しん》。  犬は、西洋人のは、スコッチ・テリヤが多いようです。いいのは見ません。この犬を別荘へ連れて来ることについて、説がある由、小鳥が少なくなるだろうという。  また、夏の最中に、冬の毛皮屋やクリスマス・カードを売る店のあるのは、各地から集まった西洋人が避暑ついでに、必要品を買って行くのだそうです。神戸や横浜から来てる婦人服屋の特に多いのもこのため、田舎《いなか》住みの人が仕立てて帰るのだそうです。        二  久しくご無《ぶ》沙《さ》汰《た》、霧が峰にしばらくいて、それから信州の温泉場を転々、軽井沢に落ちついた。ここは霧が多くて、僕のような神経痛持ちにはどうかと思い、開祖のショーは霧のロンドンで、霧なんか平気だったんだろうとしゃべっていると、ショーはカナダの宣教師だと、後でわかった。イギリス生まれかもしれん。ショーの未亡人は、生涯日本で暮らすという日本好きだったが、大戦以来、なんでもかんでもカナダより高いと言って帰ってしまったそうだよ。大阪弁の西洋人の通るのはおもしろい。それが若い娘でね。神戸から来てるんだろう。達者な大阪弁で、いっしょに歩いてる日本娘が東京弁。北《きた》幸《さち》の谷、HAPPY VALLEY NORTHというのを散歩していると、イラン公使なにがしの別荘、イラン、はて? と呟《つぶや》く迂《う》闊《かつ》、鎌倉から英和辞書を送らせた。PUBLICとPRIVATEという言葉だらけで、頭にしみついた。いたるところの小路は、PRIVATE ROAD. 日本人の顔は暗く悲しげで、西洋人の顔は明るく楽しげでというのは、ここでは嘘のようだ。白系ロシア人、ナチス追われのユダヤ系ドイツ人が多いせいばかりじゃないらしいよ。西洋の女なんて、年の取り方を知らん人種だ。青春の刑罰の顔、まことに青春の刑罰を背負って歩いてるとしか見えんね。  青春の刑罰とは、ただ、今ふいと浮かんだ言葉だが、僕らはこれについて一度話し合おうじゃないか。僕はちょっと洋行してみたくなった。それは青春を再びすることになるかもしれんから。  日本の女の方が、若さが過ぎ去っても、楽な顔をしていていいよ。われらの女房たちのように。  ところで、君はゆき子さんや慶子さんのことを、今はどう思い出す。そういうことを思い出すのは、僕の文学者という商売柄だと、君は笑うだろうか。それについて、おもしろい便りができるかもしれん。君にもはやなんらの悔恨がなければ幸いだ。  浴衣《ゆかた》がけで、素足で、町を歩けん、日本人てなんて阿《あ》呆《ほう》な国民だろうと、僕には異様な眺めだった。軽井沢避暑風俗の第一印象は。西洋人の片言みたいな日本語を、真《ま》似《ね》てる日本人が耳ざわり。女は盛装して、夏羽織まで着た男もあって、散歩している。しかし、田舎《いなか》の人が初めて銀座を見たら、やはり気ちがいじみてると思うにちがいない。ここは銀座より西洋人の多いのと、ブルジョアの群れであること、それから足と腕まる出し軽装の各国少女の自転車の娘が走り回っている。西洋人は三千人ばかり来たらしい。遠くシナ、インド、東洋各地から来るのだという。世界中がここのように、各国人種雑居の時代は、いつか来るだろうか。西洋人の美女は一人も見かけない。きれいなのは子供の脚《あし》だけ。活動小屋は腋《わき》臭《が》がむうっとするそうだ。というような風俗も、二、三日なじむとおもしろくなって来た。  軽井沢風俗を報《しら》せるため、書き出した手紙じゃなかったんだけれども、僕は言葉に迷っている。君はもう手紙は、事務文《ぶん》範《ぱん》に従って、秘書に代筆させるだけかね。  テニスを見物している。野外舞踏場と、僕の友人はこのコートを名づけている。むろん、国際という形容詞つきの。僕はわれらのための形容詞を見つけたら、改めてお便りする。        三  あのお嬢さんはテニスがたいへん下《へ》手《た》ですよ。可愛くて微《ほほ》笑《え》ませるほど。  野外国際舞踏場と、私の友人はこのコートを名づけています。ふさわしい名ですが、あの少女なども、テニスをしているというより、楽しげに踊っているという眺めです。下手なことを、見物人の手前、少しも恥ずかしがらずに、朗《ほが》らかに。西洋人にも下手なのがたくさんいて、それを苦にしていませんから、自然そうなるのでしょうけれど、こういう娘たちの自然でもあるのでしょう。  肩から揺《ゆ》すぶって、腕を振り回す、自転車乗りの少女と、あなたがそっくりの顔とは、不思議でしたが、それは私にあなたの思い出があるからでしょうけれど、そういう私の心のなかだけでの不調和かもしれませんけれど、この下手なテニスは、私になんだか親しげな安心を感じさせました。四十男が欧化した少女に見出す安心。日本の落葉の匂いがしますか。そういう好みは棄てたいものです。けれども少女は、下手だろうと上《じよう》手《ず》だろうと、見た感じはちがわぬという下手さなのです。という嘘のうちにも、やはりもう感傷好みの匂いがしますね。  しかし、ここも日本の山村の初秋にはちがいないのです。古い街《かい》道《どう》の跡なのです。あらい肌の金髪の脛《すね》毛《げ》を見ても、それに私は来る秋を感じますよ。どちらから近づいて来るか、落葉松のなかに立ち止まって聞く馬の蹄《ひづめ》の音にも。赤い朝顔模様の浴衣《ゆかた》地《じ》のカーテンが、木がくれの窓に揺れているのにも。  私どもの齢《とし》ももう初秋なんでしょうか。ご存じの通り、私は三十五を過ぎて、十二、三も年のちがう娘と結婚しました。私の晩婚については、当時あなたも心を痛めてくだすったようでしたが、今なお、もっと晩《おそ》くもっと若い女と結婚してもよかったと思うものの、子供はあまりに幼い。昔のわが人に、女房子の年を語るとは、さてもみごとな耄《もう》碌《ろく》ぶりかもしれませんけれども、ここは若《わか》白髪《しらが》を抜いてくれる人も傍にいなくて、鏡台の前でひとり苦心惨《さん》澹《たん》しながら、夜半じゃありません、日中ですよ、父親の年の割に小さい一男一女の身のゆくすえを思っているのは、いい気持です。たわけた姿です。霧の彼方《かなた》に稲妻がはためいて、しかしその稲妻は霧のなかに薄桃紫色に拡《ひろ》がっていますよ。  あなたも今の少女であれば、軽井沢で自転車に乗り、テニスをしているでしょうか。子供が親に似るのは、思えば思うほど、ほんとうに不思議なことと、お思いになりませんか。ああ、二十年近く以前のあなたにそっくりの少女が、目の前に生きて動いているとは。少女には知らせず、あなたにこれを見せたい。少女は微《み》塵《じん》も化《け》粧《しよう》していません。高原の夏空の下です。白が多く、たいていはさっぱりした色ですが、なかにはきつい色彩のスカートの異人娘もいますよ。  あなたは感動して、涙を流すでしょう。けれども、その涙は、母が棄てた娘にめぐりあうという哀れっぽい人情の涙ではないでしょう。道徳の匂いもないでしょう。なにかたいへん純粋な喜びじゃないかしらんと、あなたに見せたい。  西洋少女の脚は輝くばかりです。日《ひ》灼《や》けしても色がちがって、その光沢は日本人にありませんね。まさしく青春の輝きを感じます。  あなたの慶子さんも、やはりほんの腰だけのスカートで、相手はこういう西洋少女ですが、シングルゆえ尚《なお》、まず二球ごとに、どちらかが玉拾いに走るという無邪気さ、言葉はあまり通じないらしいが、相手を楽しませるために、なるべく楽な球を打ち合っています。  中央に簡単な木組の観覧席があって、両側に並んだコートを見渡せる、この野外舞踏場は、私の文章であなたの目に浮かびましたか。西洋の女の姿には、短いスカートをうしろへはねあげそうな膨《ふくら》みを。そうして、脚はうしろから見た方が美しいということを。  それから、あなたの少女の頃の古い写真をご覧になってください。        四  あなたをどんなに驚かせることかとは思いましたけれど、でも、あなたのお返事は、あまりにお母さん過《す》ぎやしませんか。あなたの感動はよく文面から伝わって来て、それにつけても、私のような文士は、よほど特殊な心情で生きている、いや、はたして生きておるのかと、今さら鞭《むち》を感じる次第ながら、私はあなたに、いささかも悲劇的なるものを、投げつけるつもりはなかった。うれしい、喜ばしい、という言葉の余情に自らの悲しみを湛《たた》える、日本の女にあなたは成り果てましたか。  いや、あなたはこの現実をしっかりと捉《つかま》えたいのだ。しかしそれは無理じゃないでしょうか。あなたの希《ねが》うらしい意味では。  国際通話のできることは、東京市内のように、昨夜のお手紙がもう着きます。避暑団の顔振れのせいかもしれません。食いもの屋も、にしき、辰《たつ》巳《み》屋《や》、山《さん》水《すい》楼《ろう》、あかね、重箱、花月、おけいずし、地《ち》久《きゆう》庵《あん》などが出張しています。それで、私のテニスコート便りも、今頃はお手もとに届いているかと思いますが、そのなかに私は、慶子さんのテニスをあなたに見せたいと、確か書きましたね。しかし、それは肉眼によってであるか、心の眼によってであるか。現実の眼によってであるか。想像の眼によってであるか。今考えてみれば、どうも後者であるらしいのです。  あの少女は、あなたの棄てた子の現実の姿であるよりも、象徴の姿であるような、僕はどうもそう思うのですよ。  あなたの道徳的責任をもはや離れた、子じゃありませんか。  それならば、私はあなたになぜ報《しら》せたか。悔恨の思いもあります。私の文学の仕事もそういうよけいなことが、あまりに多いのではないかと。  けれども、あなたのご希望には添いたいと思います。テニスコートで会えるのです。私の友人には、このコートの会員が二、三ありますから、少女の家や名はすぐわかるでしょう。あの舞踏みたいなテニスなら、私にも相手ができそうです。少女の身の上を調べましょう。その子がいなければたぶん私たちは結婚していたろうところの少女を。  あなたはあなたの少女の頃の面《おも》影《かげ》を、私が二十年近くも、そんなにはっきり覚えているのは、不思議だという。覚えていたのではありません。思い出したのですよ。昔通った道を歩いてごらんになったことがありますか。  この次は、少女についてどんな手紙を差し上げねばならぬかわかりませんので、この宿のドイツ人一人——官費留学生、言語学研究、二十二歳、留学僅《わず》か一年というに、日本語自由、うっかりすると漢字など向こうから、なに偏《へん》のなに旁《つくり》と教えられるありさま、日本食、それからキモノを実に上手に着こなしているのは、感心せぬ者がありません。麻《あさ》や縮《ちぢ》みの単《ひと》衣《え》に兵《へ》児《こ》帯《おび》も自分でしめ、それが日本ふうの渋《しぶ》好《ごの》みでよく似合い、誰に見立ててもらったかと問うと、日本キモノが好きで、自分で買ったとの答え、凝《こ》った好みですねと褒《ほ》めると、凝ったという言葉が一つわからない。どういう意味で、なんの動詞かと文法的な質問に、宿の娘さんは説明に困って、辞書を引いたという話。素足に草《ぞう》履《り》。ただおかしいのは、この草履を、足で突っかけるのではなく、靴のように、鼻《はな》緒《お》を両指で持ち寄せて履《は》くのです。脱《ぬ》ぐ時も足を動かさず、手ではずすのです。  日本語のわかる西洋人が多くなったもんだと思います。日本で暮せばあたりまえのことなんでしょうが。——きれいなロシア少女がいるという菓子屋、その娘の兄貴が私の友人の弟をつかまえて、英語でしゃべり、フランス語でしゃべり、相手の困る顔を見て、君はなんにもわからないんだねと、今度は日本語の由。こんなのは日本語で商売してるんですが、自転車をよけてやると、ありがとうと尻上がりに言う、西洋人の子供の高い声は、静かな林にきれいに響きますよ。ここは例の避暑団の勢力が強く、酒場や喫茶店の類《たぐい》はいっさい許さず、十五歳以上三十五歳以下の給仕女は禁制、おかみさんだけはいいが、自分の娘も置けないのだそうです。お汁《しる》粉《こ》屋《や》も男ボーイ。宿屋は女中を使ってますけれど。ここくらい夫婦づれが歩いてるところはないという人がありました。それでロシア菓子の喫茶の少女などは目立つのでしょう。  日曜はテニスコートも休みです。        五  僕を若いと言うのは、君の皮肉だろうか。種々の意味を含めての批難だろうか。  君の言う通り若いならば、僕は君の棄てた娘と恋をしても、よろしいか。  無《ぶ》頼《らい》の強迫じみた言い草だね。僕はしょせん無頼の徒《と》にすぎんのだけれども。  君の慶子はここにいる。僕の小説を読んでいると言う。僕は慶子とテニスをしたんだ。君とゆき子さんと僕との間の出来事を書いた小説は、特に愛読したと言う。ほんとうの話なんだよ。女主人公はあなたに似ていないかと聞くと、慶子は喜ばしげに高笑いしたよ。あるいは蔑《さげす》むふうにでもあったかもしれん。この悪魔め。誰が。僕は知らん。おそらく悪魔と呼ぶべきは、ゆき子さんそっくりの少女に生あらしめた、なにものかだろう。  慶子さんに奇《き》遇《ぐう》したことは、ゆき子さんにも報せてやった。この産みの母は慶子さんの身の上を調べてくれと言う。いったいなにを調べるのだ。  無頼の徒は君の娘を愛せるのが、楽しいだけだ。  僕は君に復《ふく》讐《しゆう》したいつもりは、微《み》塵《じん》もないのだよ。君は君の血が僕に愛されることを、喜びたまえ。それが父なるものの、哀れなる運命である。君たちの過去は慶子さんのなかに生きていない。ああ、してみれば、君は動物のごとく、また植物のごとく、そして神のごとく、理想的な父ではないか。  慶子さんは十八歳だ。        六  あなたの慶子さんの魂は、あの、テニスの硬球のように、私の掌《てのひら》をとんとんと打って来る、そういう感覚が、今これを書く私に感じられる。  慶子さんは、私のあの小説を読んでいますよ。不思議な歌を聞く思いがなさいませんか。いや、歌などというものではありますまい。そうと知った瞬間、きっと厭《いや》な思いで、あなたは眉《まゆ》をひそめるでしょう。  私も同じでした。慶子さんは確かに少し驚いたふうでしたよ。不自然なほどの私の困惑のさまを見て。私の羞《はにか》みとのみ、少女は思ってでしょう、自分も少し頬を赤らめて。しかし、赤らめてといっても、日灼けした頬のことです。この高原の慶子さんのような令嬢たちはなんだか表情というものを失っているようです。失ったのではない、それが生まれる時は、下界の悲しみがはじまるのだというふうに、すべて表情というものは心の病であるというかのように。胸は青い風の吹き通しで、紫外線の強い日光の透明で、ほんとうに空《から》っぽなんでしょうけれど、かえって私には謎《なぞ》と思われます。少しも人を苦しめない、解く必要のなさそうな謎。慶子さんが私の小説を読んでいてくれるということに、私が異常な感動を示したことは、少女の虚栄心をくすぐったのでしょうか。虚栄心なんて、こんな少女には日常生活の習慣で、まだ自覚していないのかもしれませんが、慶子さんはきわめて率直にテニスをなさいませんかと言うのです。私も率直にラケットを借りて立ち上がりながら、あの小説の女主人公は、あなたに似ていませんかと、なにげなく問うと、慶子さんは無邪気に高笑いしましたよ。言葉はなく。  天使の笑い声、私はかくも純潔に美しい笑い声を聞いたことがありません。天啓の閃《ひらめ》きに心を貫かれた後のように、私はその余《よ》韻《いん》が空や林に満ちるように思われました。  わが愛する者の声きこゆ、みよ、山をとび、岡を躍《おど》りこえて来る。わが愛する者は〓《しか》のごとくまた小鹿のごとし。  少女はもうそんな小説の内容など覚えているはずはないので、ごまかすために笑ったのでしょうか。また私のそういう質問の不《ぶ》躾《しつけ》をたしなめるために笑ったのでしょうか。半ば蔑《さげす》みを含めて。  しかしながら、私に響いて来たのは、それは青春そのものの声であったのでしょう。少女の心理いかがにかかわらず、少女の生理の青春が声となったのです。それからは、少女の打つボールも、私をめがけて飛んで来る青春。それはあなたから、あなたの娘の慶子さんから、私の裡《うち》から、そうして遠い過去から、真新しい矢のように。  私は夏の軽井沢の小説を書こうと計画していました。貴族、ブルジョア、各国大公使、外人、そういう避暑団的な人物は、一人も登場せず、自転車、乗馬、プール、テニス、ゴルフも描かず、運転手、コック、女中、店員、小僧、裁縫職人、子守、別荘番、百姓、悪童、そういう人物ばかりを横行させるつもりでした。野《や》卑《ひ》俗悪な作者として。軽井沢へ来て、とつじょ左傾したわけではありません。避暑団の静かさ、品のよさ、また異国ふうは、私も好ましいくらいで、スポーツ的に明朗な少女たちは、うたかたの花であろうとも、幸福の見本のようではありますから、さほど反感に根ざした小説という次第ではなかったのですが、それでも避暑団から唾《つばき》を吐きかけて、横を向かれそうなものではありました。ソビエトとメキシコ、今はこの二国の運転手だけになりましたが、私が来た時この宿は、四、五か国の大公使の運転手が下宿しており、いろんな国のが、入れかわり立ちかわりということで、これはおもしろいと思ったのが、小説計画のはじまりです。だから、運転手といっても、やはり軽井沢国際風俗。大公使館の運転手の定宿らしく、二、三か国が合部屋する時もあり、またコックや阿《ア》媽《マ*》も泊っていて、これはうまい宿へ来たと、書きたくなったのです。夜食の癖ある私は、深夜に町へ出てみると、秋口の寂《さび》れにつれて、私の小説の登場人物の横行が逆に目立ち、彼らの巣のような支那料理屋などでは、せりふも誂《あつら》え向きのが聞けるというわけ、今日あたりは、避暑客の流行の名残《なごり》か、女中さんや地の娘さんが、自転車の稽《けい》古《こ》をしています。  ところが、慶子さんとテニスをした瞬間から、なんたることか、私の小説の感興はたちまち色《いろ》褪《あ》せるとは。おのれがうそ寒い裏町趣味にすぎない小説とは思われぬものの、私はそれを慶子さんに読まれたくない。どの小説も読まれたくない。見知らぬ産みの母のあなたのことを書いた小説を、慶子さんが読んでいることだって、文学のあまりよい働きとは思えない。慶子さんがあなたに生き写しであることだって、われらの文学と同じに、生命の冒《ぼう》涜《とく》とさえ思われました。  しかし慶子さんがあなたに似ていなかったならば、私はこの少女になんの感動するところがありましょう。なにか輝く象徴のように。  慶子さんは今は、慶子とは言わないようです。いく子と少女は呼ばれています。あなたはこの子の出《しゆつ》生《しよう》届《とどけ》を出さなかったのでしょうか。養父母がこの子の名を変えたのでしょうか。とにかく、あなたは子供のことを慶子という名で話してらしたから、私もいく子とは書きません。名のちがう少女を、私が慶子さんときめてしまっていることに、あなたは疑いを持ちますか。これはあなたの古傷を癒《いや》そうとする、私の夢物語であると。あなたの心の古い愛を甦《よみがえ》らせようとする、私の嘘《うそ》ばなしであると。少女の写真を貰《もら》えるか、また私が写すことができるとしても、あなたには送りますまい。あなたは静かに生きていらしてくだすっていいのです。ここに新しいあなたが再び生きている。私の青春と共に。青春はなにごとも信じやすいものであるけれども、少女と球を打ち合いながら、時の流れよりもあなたの生命の血の流れの方が、真実であるように思ったことでした。  私はひとりよがりの感情に走って、慶子さんとあまりに早く知り合えた仔《し》細《さい》報告を忘れていました。紹介してくれたのは、思いがけない、あなたも名を聞けばきっと覚えている、野沢君や私と一高寮の同室の旧友、ブルジョアの息子、今は銀行家、彼の姪《めい》と慶子さんとは軽井沢で友人、先日慶子さんと自転車をとばしてたのは、この姪、しかも彼の別荘も慶子さんの別荘も、オミ・パークのなかで、夏の近所づきあい、彼はテニスはしませんが、少女たちに引っぱり出されて見物に来ていたので、私が慶子さんのことを聞くと、気軽に紹介してくれたのです。旧友野沢君の娘だとは、夢にも知らないでしょう。  しかも彼は言うのです。軽井沢へ来て、宿屋にいるばかがあるか、そんなのは軽井沢じゃない、僕の庭に子供用の離れがある、子供は小学校でもう帰ったから、そこへ移って来い、まるで番小屋だが、静かで読書にはよかろうと。ああ、私は慶子さんの傍に暮らすことになるのでしょうか。  金持のおかしな心理で、ここでは家を安く建てるほど、自慢なのだそうです。むろん、立派な普《ふ》請《しん》もありますが。  コートの横のブレッツ・ファマシイ《*》で、西洋少年少女のピンポンを見物しながら、私たちは冷たいものを飲み、少し散歩しようということになって、水車の道というのを歩いて、カトリック教会の前に立ち止まって眺めていると、どうぞご覧くださいと、うしろから愛想のいい日本語で言うのは牧師、どっかから帰って来たところらしかったのですが、雲突くような、黒い僧服の長身を私は見上げ、ふと目を落すと、黒い靴の大きいこと。その偉大なる靴に敬《けい》虔《けん》なる親しみを感じました。牧師は手に持った聖書で、折からの夕映えの浅間を指《さ》し、もう五分くらい前はたいへんきれいでした。今朝噴火しました、あの赤い雲のようなのは煙です、ここからきれいに見えます。噴煙が初秋の夕日に輝く荘《そう》厳《ごん》、それは大きい憤《ふん》怒《ぬ》のようでもあり、大きい寂《せき》寥《りよう》のようでもあり、活火山の生命が伝わって来るか、私はあなたでありあなたの娘であるところの、そして傍に立つ少女が、なにかひたと感じられるのでした。  その慶子さんが私に、ミサにいらしてみたら。牧師がそれを受けて、ミサは日曜の朝の七時と十時、七時は日本人多く、十時は西洋人、ここの西洋人怠けものです。例外もありますけれども。しかしもう夏去り荘厳な儀式を見られぬと。牧師は立ち去ったと思うと、聖堂に灯をつけてくれました。私たちはなかに入りました。聖水盤、合唱室、懺《ざん》悔《げ》室《しつ》など見歩いてから、私たちがなんとなく坐っているうちに、二人の少女は、これに膝を突くのだと、足もとの小さい縄《なわ》蒲《ぶ》団《とん》に跪《ひざまず》いて、祈りの姿をして見せるのでした。その素直な栗《くり》色《いろ》の項《うなじ》を見おろしながら、私の心に浮かぶ懺悔の言葉は、かの日、なぜもっと乱暴にあなたを愛さなかったか、なぜ埒《らち》を越えなかったか。聖書は私の枕《ちん》頭《とう》の書ですけれども。  そこへ少年が現われて、長い綱を引いては、夕べの鐘を鳴らすのでした。  誘われるままに、私は友人の家まで送って行きました。落葉松《からまつ》の高く立つ下に闊《かつ》葉《よう》樹《じゆ》が柔らかく茂って、淡い夕霧のなかに木の間のともし火、友人は庭で焚《たき》火《び》をして見せてくれました。        七  いかにも僕には、わが子の顔を見ず、わが子が母の胎《たい》内《ない》にいるうちに棄てた経験はないから、そういう父の二十年後の気持はわからない。君の言う通りだ。  だから僕は、君を道徳的に責めようとは思わない。ゆき子さんに子供を産《う》ませた君の方が、埒《らち》を越えなかった僕よりも、今となっては道徳的かと思うほどだ。君の娘を愛することによって、僕が君を罰するなどと、まさか君も考えはしなかろうが、それは誤解だ。  慶子さんは、僕にとって幸いなことに、あるいは君にとっても幸いなことに、君には少しも似ていない。もしかすると、君に似ている部分を、僕が無意識に抹《まつ》殺《さつ》しているためかもしれないが。君は抹殺された父である。それを僕は君のために不思議と感ずるだけだ。僕が慶子さんを愛した場合には。  けれども、今度の娘の場合も、昔の婚約者の場合と同じように、君は僕を恐れる必要はたぶんあるまい。君は今でもなお、ゆき子さんと僕とを疑っているかね。  その疑いを晴《は》らすために、思えば、僕は大きい犠牲を払ったものだった。ほんとうに愚かな。君に棄てられたゆき子さんと、僕が結婚しなかったのは、半ばは君の疑いのなかにこちらから陥って行きたくなかったからだった。半ばはと僕は言っておく。ゆき子さんには君の子供があったから。また僕は若かったから。  僕との悪い噂《うわさ》が、まず君の両親の耳に伝わったことゆえ、婚約の破《は》棄《き》は君の責任ばかりではなかったろう。その時、君はゆき子さんに子供のできることも知らなかったのだからね。後でそれがわかった時、君や君の両親は、それならばなぜ破談の際に、子供のことを持ち出さずに隠していたか、そう言って取りあげなかった。これは道理だ。ゆき子さんの疑われるのは当然だ。自分の子だと、おそらく君は信じられなかったろう。  今僕のこの手紙を見ても、なお信じないだろうか。もしかすると、慶子さんは僕の子だと、今も疑っているだろうか。  破談に際して、受《じゆ》胎《たい》を自分一人の秘密で通した、ゆき子さんの心理は、まったく解《と》きがたい。少女の極端な羞《しゆう》恥《ち》か、気の弱さか。君の与えた一撃で、心理などというものは喪失していたのか。  僕はその後、ひそかに思うに、それは僕への愛のためではなかったろうかと。  こういう少女心もありうるんだろうか。君の子を宿したけれども、僕を愛しているゆえに、受胎を告げずして、君の別れ話にうなずくという。これは哀れか、美しいか。女の愚かな感傷か、深い真実か。  そういうひそかな嘆きに、ゆき子さんが殉《じゆん》じたのだったとしても、やがて母となるにつれて、ゆき子さんは悔恨に胸破れたであろう。  ゆき子さんのあらゆる思いの象徴として、いや再び生きる現実として、今その娘の慶子さんは、僕の眼前に立っている。  父なる君のまことの声が聞きたいものだ。        八  私が娘を愛するならば、再び母を愛してくれですって。少女の青春はあなたにまで、狂える炎を燃え移らせるのでしょうか。なにを言うのです。あなたの現在の平和な家庭と愛する子たちは、どうなるのです。私の手紙は悪魔の誘いであったでしょうか。  あなたは自分の身を投げ出して、私の手から娘を守ろうとなさる、母なのでしょうか。  娘の青春への嫉《しつ》妬《と》から、自分の古い愛を甦《よみがえ》らせようとなさる、女なのでしょうか。  残酷に言わせてください。あなたはもう僕には遠い人です。遠い土地に人妻として老い、遠い時の流れの夢に消え去り、あなたは高原に日《ひ》灼《や》けした、スポーツ服の、十八歳の少女ではないのです。これはいけない。私は嘘を言っているような気がします。  ご安心ください。高原の牧場で、慶子さんに私は別れました。少女は東京へ。そして私はまた軽井沢へ。別れた後で私が聞いた、ブルジョア少女の賢《さか》しい伝言は、東京へ帰ったら、たぶんご交際はできないと思います、よろしく、と。  私は十年も老いた。青春は去った。秋風が身にしみ、日毎に店々の閉されて行く、メイン・ストリートの人気のない、夜霧にうなだれて、さまよっていますよ。残っている西洋人も、それが外国人であるために侘《わび》しいばかり。落葉松の黄ばみはきたない色ですよ。その細かい落葉が、もう道に色づけて。サナトリウム《*》へ行く、まっすぐ遠くまで見える、アカシヤの小径、近衛公の別荘の横の大きい落葉松の並木道、私はあなたであるところの少女の幻を追って。  これであなたのお心も静まったことと思います。  そこで、あなたにもこれがお別れの、この手紙の色を変えて、ほんとうのことを言わせてください。少女に別れはしましたけれど、青春が去ったなんて嘘ですよ。あのテニスコートで、少女が私の胸に打ちこんだ青春の球は、今も生き生きと火の球のように燃えています。寂《さび》れ行く避暑地の秋とは逆に、私は若さを取り戻し、みよ、冬すでに過ぎ、雨もやみてはや去りぬ。もろもろの花は地にあらわれ、鳥のさえずる時すでに至り、斑《やま》鳩《ばと》の声われらの地にきこゆ。無花果《いちじく》の樹はその青き果を赤らめ、葡《ぶ》萄《どう》の樹は花さきてそのかぐわしき香気《におい》をはなつ、わが佳《と》〓《も》よ、わが美しき者よ、起《た》ちて出できたれ。  ついにわが母の家に伴《ともな》いゆき、我を産みし者の室に入りぬ。エルサレムの女《おうな》子《ご》らよ、我なんじらに〓《しか》と野の鹿とをさし誓いて請《こ》う、愛の自ら起こる時までことさらに喚《よ》び起こしかつ醒《さま》す勿《なか》れ。  私はあなたの古い愛を、ことさらに喚び起こしたでしょうか。あなたであるあなたの娘にめぐりあって、おのずから醒したと信じるのですけれど。そしてまた、あなたの婦道を破り、背徳の火を掘り起こさせたとしても。あなたの生活のいぶきを新たにしたと思うのですけれど。たとえあなたが娘のために私を憎《にく》み恐れたのではあっても。そうして今や、あなたの憂えと悔いは、ほんとうに消えたとお思いになりませんか。  慶子さんは幸福に生きています。産みの母とまことの父の存在も知らずに。  私たちの愛も成就したと申しましょう。そうして、恋は終わりぬと。  軽井沢で貸馬屋をしている男が、高市という部落の農家の息子、そこは神《こう》津《づ》牧《ぼく》場《じよう》の登り口なので、乗馬牧場行を勧め、よく西洋人なども誘って行くらしいですが、私や友人は馬に乗れぬし、少女にも危い遠乗りすぎるようで、和《わ》美《み》峠《とうげ》越えに、自動車の行けるところまで乗り、それからハイキング、慶子さんと友人の姪とそれから少女もう一人、厭《いや》がる銀行家を無理に歩かせて、一行五人、私の忘れられぬ日となりました。夜も月明るく、露けき牧草の上に出て、慶子さんは歌いました。なんの歌を。  わが愛する者よ、香《かぐわ》しき山々の上にありて〓《しか》のごとく、小鹿のごとくあれ。  では、永久にさようなら、あなた方、母と子とは、私の愛のなかに生きています。        九  さすがに君は慧《けい》眼《がん》だ。慶子なる少女は実在しない、小説家の僕の虚《きよ》構《こう》だと、看《かん》破《ぱ》したのはね。  しかし、君は私立探偵をこの軽井沢へよこして、慶子なる少女の身許を調査させ、僕を監視させ、次第によっては、慶子の父母に、少女が不良文士に誘惑されようとしていると、警告させようとしたのだってね。せっかくながら、君はほんの少し遅すぎたよ。慶子と僕が神津牧場で別れた後だったんだ。牧場から慶子は東京へ帰った。僕は軽井沢へ戻った。  君の慧眼通りに、慶子は僕の幻影の少女だ。君の娘ではない。ゆき子さんの子でもない。そう思ってくれたまえ。高原の秋草咲き乱れる広野原で、これが産みの母の古い愛人とは露知らず、僕に抱かれて、その時握っていた花を、松虫草だと僕に教えた、ゆき子さん生き写しの少女は。  少女は賢い伝言を残して行った、東京へ帰ったら、たぶんもうご交際できませんから、よろしく、と。その言葉が私に伝えられたかどうか疑ったのだろうか、東京から西洋菓子を送ってくれて、そのなかの紙片に、少女のテニスのように下《へ》手《た》な字で、私は忘れますけど、あなたは覚えていてください、と、ただこれだけ書いてあった。さっき着いた、今月の文学雑誌に僕の友人の書いている言葉を、僕は君の僕に対する言葉として、ここに引用したい誘惑を感じる。それはこうだ。  信念のないロマンチストは皆ファンテスト《*》にすぎず、信念のないリアリストは皆センチメンタリストにすぎぬ。 (昭和十一年十月) 注 釈 *つづら折り 葛《くず》のつるのように折れ曲がる意味で、ここでは坂道が折れまがっているということ。 *朴歯 朴《ほお》の木で作った日和下駄のこと。旧制高校生の一風俗であった。 *稗史 世間の事情やうわさをこまやかに歴史風に書いたもの。転じて小説のこと。 *柳行李 こりやなぎ(行李柳)の新枝の皮をはぎ、かわかしたものを麻糸で編んだこうり。上等品は角に革またはズックがぬいつけてあって耐久力をもたせてある。 *内湯 「外湯」に対する語で、宿のうちに備えつけてある風呂場のこと。 *香具師 祭礼、縁日などで興行して人寄せをし、また粗製品を売るのを業とする者。てきや。 *霊岸島 東京隅田川河口の右岸。三方に溝《こう》渠《きよ》があって島形をしている。東京湾近海汽船の発着場がある。以前はここから下田行の汽船も出た。 *経木帽 経木とは木材を紙のように薄く広く削ったもので、それで編んだ帽子のこと。 *唐丸籠 江戸時代、平民の重罪人を護送するのに使った竹製のカゴのこと。上に網をかぶせたさまが唐丸(長《なが》鳴《なき》鶏《どり》の一種)を飼う竹かごに似ているところから出た言葉。 *太宰春台 延宝八年—延享四年(一六八〇—一七四七)。儒者。名は純。初め朱子学を学びのち荻《おぎ》生《ゆう》徂《そ》徠《らい》について古文辞を学ぶ。徂徠の高弟の一人。著書に「聖学問答」「経済論」などがある。 *山門不幸、津送執行 寺に不幸があったことを示す。「津送」は禅宗で死者を送ることをいう。 *放鳥 葬儀の際、鳥を功徳のため寺院の庭で放してやること。 *袋児 卵胞に包まれたまま生まれた胎児のこと。 *播餌鳥 餌の与え方による分類で、まき散らしてある餌をたべる鳥のこと、家禽類のニワトリ、アヒル、キジなどである。 *擂餌鳥 餌の与え方による分類で、川魚・糠《ぬか》・野菜などをまぜてすりつぶしたものを食べる鳥のこと。カナリヤ、メジロなどの小鳥類があたる。 *霊媒 神霊や死者の霊と意志を通じることができる媒介者。霊がのりうつって神霊や死者にかわって話などをする。 *レヴィテション levitation. 空中浮揚。 *悸動計 現在の医学では使われていない。心電図、脈搏を計るメーター器か。 *基隆 Chilung. Kilung. 台湾の港市で、台北の東北二十九キロに位置する。 *同衾 一つの夜具の中にいっしょにねること。ともねのこと。 *半玉 玉代の半分のものの意で、まだ芸妓としては一人前でないものをいう。雛妓のこと。 *阿媽 amah. うば、女中の意味であって、ここでは日本にいる外国人の家庭にやとわれる女中またはうばのこと。 *ブレッツ・ファマシイ ファマシイ(pharmacy)は薬屋のこと。ブレッツ薬店という意味。 *サナトリウム sanatorium. 海浜とか林間、高原に設けて、清浄な空気と日光を利用して、主に結核患者を療養させるところ。 *ファンテスト fantast. 夢想家。幻想家。  『伊豆の踊子』について  川 端 康 成    私が初めて伊豆へ行ったのは、『伊豆の踊子』(全集第一巻)に書いた旅で、二十の時だった。『伊豆の踊子』の草稿「湯が島での思い出」には、「私は二十歳だった。高等学校の二年に進んだばかりの秋半ばで、上京してからの初めての旅らしい旅だった」と書いている。そのころは七月に進級して、九月から新学年が始まるのであった。  『伊豆の踊子』には、「二十歳の私は自分の性質が孤児根性で歪《ゆが》んでいるときびしい反省を重ね、その息苦しい憂《ゆう》鬱《うつ》に堪え切れないで伊豆の旅に出てきているのだった」とあるし、「湯が島での思い出」にも、「私は一高の寮生活が一、二年級の間はひどくいやだった。中学五年の時の寄宿舎と勝手がちがったからでもある。そして私の幼少年時代が残した精神的の病患ばかりが気になって、自分をあわれむ念と自分をいとう念とに堪えられなかった。それで伊豆へ行った」とある。旅の動機をはっきり書いているが、多分に感傷がまじっていたと今は思う。「厳しい反省を重ね」というのも、果たして厳しい反省であったかどうか。私は厳しく自己を反省することはない人間のように思える。  しかし「湯が島での思い出」には、「踊り子が言って、千代子がうべなった、いい人という一言が、私の心にぽたりとすがすがしく落ちかかった。いい人かと思った。そうだ。いい人だと自分に答えた。平俗な意味での、いい人という言葉が、私に明りだったのである。湯が島から下田まで、自ら省みても、いい人として道連れになっていたとしか思えなかった。そうなれたことがうれしかった。下田の宿の窓敷居でも、汽船の中でも、いい人と踊り子に言われた自己満足と、いい人と言った踊り子に対する傾情とで、快い涙を流したのである。今から思えば、不思議なことである。幼いことである」と書いている。これが『伊豆の踊子』を書いた動機のなかにあったことは疑えない。そしてこの作品が読む人に愛されるゆえんの一つになっているのだろう。  『伊豆の踊子』でも『雪国』でも、私は愛情に対する感謝をもって書いている。『伊豆の踊子』にはそれが素直に現われている。『雪国』では少し深くはいって、つらく現われている。  『伊豆の踊子』には修善寺から下田までの沿道の風景がほとんど描《か》けていない。自然描写につとめようとも思わぬほどなにげなく書いたといえばいえる。二十四歳の夏に湯が島で、公表するつもりもなく書いたものを、二十八歳の時にところどころ少し直しながら写したのである。のちに風景を書き入れて改作しようと考えてみたことはあったができなかった。しかし人物はもちろん美化してある。  昭和八年に書いた「『伊豆の踊子』の映画化に際し」には、この美化にも触れている。「あの年十四であった踊り子は、今年もう二十九になっている。思い出になによりあざやかに浮かぶのは、寝顔の目《め》尻《じり》にさしていた、古風な紅である。あれが彼女らの最後の旅であった。あの後《のち》は、大島の波《は》浮《ぶ》の港に落ちついて、小料理屋を開いた。一高の寮の私との間に、しばらく文通があった。似ているはずもないが、田中絹代の踊り子はよかった。ことに半《はん》纏《てん》をひっかけて肩のいかった後ろ姿がよかった。いかにも楽しげに親身に演じていたことも、私を喜ばせた。若水絹子の兄嫁は、早《そう》産《ざん》後の旅やつれの感じが実によく出ていて、見せ場がなく手持ちぶさたなのも、かえって愁えを添えた。しかしこれは、本物の彼女にくらべて、勿《もつ》体《たい》ない美しさであった。本物の彼女ら夫婦は、悪い病の腫《はれ》物《もの》に悩んでいた。彼女らは朝など足腰の痛みで、容易に寝床を起き上がれなかった。兄は温泉のなかで、足の膏《こう》薬《やく》をはりかえた。ともに湯のなかの私は見るに忍びなかった。水のように透き通った子が産《うま》れたのも、この病のためであったろう。  『伊豆の踊子』を楽に書き流した時にただ一つの迷いは、この病を書こうか書くまいかということであった。それが書けていたらば、すこうし感じのちがった作品になっていただろう。ところが意地悪く、その後も折ある度に、この腫物の幻は、踊り子の目尻の紅に劣らぬ強さで、私を追っかけて来るのである。おふくろはいかにも薄《うす》汚《ぎた》なかった。踊り子は目と口、また髪や顔の輪郭が不自然なほど綺《き》麗《れい》なのに、鼻だけはちょぼんといたずらにつけたように小さかった。しかし、それらを書かなかったのは、なにも気にかからない。なぜかただ腫物だけが、この文章を書きながらも四、五日の間、病のことを明かすか隠すかが、絶えず胸を行きかい、今もそれを書くところまできて、三、四時間筆を止めているうちに、夜が明け、頭が痛くなり、とうとう書いてしまった。書けば後悔するだろうが、書かなければまた、これからも腫物に追われつづけて、度々頭が痛くなるだろう。人間ていやなものだと、自分がうとまれもするが、反対に自分がいとしまれもする」  「しばらく文通があった」とは言い過ごしで、踊り子の兄から二、三度はがきがきただけであった。向こうでも私が大島へ来るものと信じ切っていて、正月に芝居をするから手伝ってほしいなどと書いてあった。下田で別れる時は私も冬休みには大島へ行って再会できるものと信じ切っていた。しかし金がなくて行かなかった。なんとかすれば行けたのだろう。そのなんとかをしなかった。その後東京の花見時の飛鳥山へ踊りにきたというはがきをもらったように思う。島へ帰ってからのたよりである。  『伊豆の踊子』が私の作品のうちで最も愛好されるにつけ、作者はむしろ反撥を覚えて、伊豆の作品のなかでも『春景色』や『温泉宿』のほうがいいと言いたくなったが、近ごろ細川叢書に入れる時読み返してみて、久しぶりで作者自身この作品に素直に向かえた。  年 譜   明治三二年(一八九九) 六月一一日、大阪市天満此花町に生まれた。父栄吉は医師、浪華《なにわ》の儒家易堂にも学び、漢詩・文人画を楽しみ、文学趣味もあったという。母げん、黒田家の出。姉に芳子があった。 明治三三年(一九〇〇) 一歳  父、死す。大阪府三島郡豊里村字三番の母の実家に移る。 明治三四年(一九〇一) 二歳  母、死す。祖父母とともに、原籍地大阪府三島郡豊川村大字宿久庄字東村に帰る。姉は東成郡鯰江蒲生のおばの家に預けられ、七、八年後死す。 明治三九年(一九〇六) 七歳  豊川村小学校に入学。祖母、死す。以後、一〇年ほど、祖父と二人暮らし。 明治四五年・大正元年(一九一二) 一三歳  大阪府立茨木中学校に入学。小学生のころ画家を志しもしたが、上級に至り乱読を始め、中学二年ころから小説家を志す。 大正三年(一九一四) 一五歳  夏、祖父死す。豊里村のおじの家に引き取られた。 大正四年(一九一五) 一六歳  一月、茨木中学校の寄宿舎にはいる。以後、卒業まで在舎。 大正五年(一九一六) 一七歳  作家志望の同級生清水正光にならい、茨木町の小新聞に短編小説や短文を書いた。大阪にいた石丸悟平の雑誌『団欒』に「倉木先生の葬式」を投稿して掲載された。 大正六年(一九一七) 一八歳  三月、茨木中学校を卒業、ただちに東京に出て、浅草蔵前のいとこの家に寄寓し、受験勉強のため、日土講習会、明治大学などの予備校に通った。九月、第一高等学校の一部乙(英文)に入学。いとこの紹介により、三田の新進作家南部修太郎を知った。一高の三年間は寮で過ごし、ロシア文学を最も多く読んだ。 大正七年(一九一八) 一九歳  秋、伊豆に旅し、旅芸人の一行と道連れになる。以後、一〇年間、毎年、湯が島温泉の湯本館に行き、一年の大半を過ごすこともあった。 大正八年(一九一九) 二〇歳  一高校友会雑誌に「ちよ」を書く。 大正九年(一九二〇) 二一歳  三月、一高を卒業。四月、東京帝国大学文学部英文科に入学。一二月、一高よりの同級生石浜金作、酒井真人、鈴木彦次郎に今東光を加えて、第六次『新思潮』の発刊を企て、その継承の了解を求めるため、菊池寛を尋ねた。以後、長く寛の恩顧を受けた。 大正一〇年(一九二一) 二二歳  二月、第六次『新思潮』を発刊。四月、国文科に転科。菊池寛宅で横光利一に紹介され、また、久米正雄、芥川竜之介らと知る。『新思潮』第二号に「招魂祭一景」を発表、好評を得た。七月、「油」(新思潮)。一二月、「南部氏の作風」(新潮)、最初の稿料一〇円を受けた。 大正一一年(一九二二) 二三歳  一月、『文章倶楽部』にチェホフやゴールズワージらの小品の翻訳を出す。二月、「今月の創作界」を『時事新報』に書き、以後二〇年間にわたり文芸時評を書く出発となった。七月、「現代作家の文章を論ず」(文章倶楽部)、「里見〓氏の一傾向」(新潮 七・八月)。 大正一二年(一九二三) 二四歳  一月、菊池寛『文芸春秋』を創刊し、『新思潮』同人四人とともに同人に加えられる。創刊号に「林金花の憂鬱」(のちに『浅草紅団』に挿入)。五月、「会葬の名人(のち改題「葬式の名人」)」(文芸春秋)。七月、「南方の火」(再刊新思潮。未完)。九月一日、関東大震災にあったが、駒込千駄木のしろうと下宿にいて無事。一一月、「新文章論」(文章倶楽部)。 大正一三年(一九二四) 二五歳  三月、東大国文学科卒業。大学三年のところ在学四年。四年目は執筆により自活した。「篝火」(新小説)。七月、「我々は既成文壇を如何に見るか」(新潮)。九月、新進作家約二〇人で金星堂より『文芸時代』を創刊、新感覚派の運動を起こした。一〇月まで、片岡鉄兵らとその編集当番になる。一二月、「短篇集(掌の小説)」(文芸時代)、「非常」(文芸春秋)。 大正一四年(一九二五) 二六歳  一月、「文壇的文学論」(新潮)。二月、「落葉と父母(のち改題「孤児の感情」)」(新潮)。三月、「新感覚派の弁」(新潮)。八月、「十六歳の日記」(文芸春秋 八・九月)。一一月、「第二短篇集」(文芸春秋)。一二月、「第三短篇集」(文芸春秋)。この年、伊豆湯が島に長く滞在した。 大正一五年・昭和元年(一九二六) 二七歳  二月、「伊豆の踊子」(文芸時代 一・二月)。四月、「第四短篇集」(文芸春秋)。六月、処女創作集『感情装飾—掌の小説三十六篇—』を金星堂より出版。「婚礼と葬礼」(新小説)。 昭和二年(一九二七) 二八歳  三月、湯が島より上京、高円寺に家を借りる。短編集『伊豆の踊子』を金星堂より刊行。二〇人ほどの同人で一ページ随筆雑誌『手帖』を文芸春秋社より創刊。五月、「第五短篇集」(文芸春秋)。一二月、熱海の貸し別荘に移り住む。この年、岸田国士、片岡鉄兵、横光利一とともに衣笠貞之助の新感覚派映画連盟に参加、シナリオ「狂った一頁」を書くが、この連盟はこの一作を製作したのみで消滅。 昭和三年(一九二八) 二九歳  五月、大森馬込に住む尾崎士郎に誘われ、馬込に移る。「死者の書」(文芸春秋)。 昭和四年(一九二九) 三〇歳  四月、「死体紹介人」(文芸春秋)、その続きとして八月に「死体の復讐」(祖国)、翌年八月に「通夜人足」(作品)を書く。八月、『川端康成集』(新進傑作小説全集)を平凡社より刊行。一〇月、上野桜木町に転居。浅草公園に通い、カジノ・フォウリイの踊り子たちと親しむ。「或る詩風と画風」(文芸春秋)。堀辰雄、深田久弥、永井竜男、吉村鉄太郎らの同人雑誌『文学』に犬養健、横光利一とともに参加。一二月より『東京朝日新聞』に「浅草紅団」を連載する。 昭和五年(一九三〇) 三一歳  四月、「花ある写真」(文学時代)、『僕の標本室—掌の小説四十七篇—』(新興芸術派叢書)を新潮社より刊行。五月、「鬼熊の死と踊子」(改造)。七月、「風鈴キングのアメリカ話」(中央公論)。一〇月、短編集『花ある写真』(新興芸術派叢書)を新潮社より刊行。一一月、「針と硝子と霧」(文学時代)。一二月、『浅草紅団』を先進社より刊行。この年、菊池寛が文化学院文学部長に就任の際、同学院講師となる。中村武羅夫らの十三人倶楽部に加わる。「近代生活」同人となる。 昭和六年(一九三一) 三二歳  一月、「水晶幻想」(改造)、その続きとして七月に「鏡」(改造)。同一月、「浅草日記」(週刊朝日)、二月、その続き、「浅草の女」(新潮)。四月、『川端康成集』(現代日本文学全集)を改造社より刊行。一〇月、「水仙」(新潮)。一二月、「落葉」(新潮)。この年、古賀春江を知る。 昭和七年(一九三二) 三三歳  一月、『川端康成集』(明治大正文学全集)を春陽堂より刊行。「父母への手紙」(若草)、その続き、四月に「後姿」(文芸時代)、九年一月に「あるかなきかに」(文芸)。「旅の宿」(新潮)。二月、長女麻紗子誕生。「抒情歌」(中央公論)。四月、「短篇集」(文芸春秋)。五月、「それを見た人達」(改造)。六月より一二月まで「浅草の九官鳥」を『モダン日本』に連載。八月、「隠れた女」(新潮)、その続き、九月に「現れた女」(新潮)。九月より一一月、『朝日新聞』に「化粧と口笛」。一〇月、「慰霊歌」(改造)。 昭和八年(一九三三) 三四歳  二月、「二十歳」(改造)。四月、「寝顔」(文芸春秋)。六月、短編集『化粧と口笛』を新潮社より刊行。七月、「禽獣」(改造)。夏、上総興津で過ごす。一〇月、武田麟太郎、林房雄、小林秀雄らと『文学界』を創刊、同人はほかに豊島与志雄、里見〓、広津和郎、宇野浩二、深田久弥。一一月、「散りぬるを」(改造)、その続き、一二月に「滝子」(文学界)、翌年五月に「通り魔」(改造)。一二月、随筆「末期の眼」(文芸)。 昭和九年(一九三四) 三五歳  三月、「虹」(中央公論)、その続き、四月に「踊子」(文芸)、六月に「夏」(文芸春秋)、翌年一〇月に「四竹」(中央公論)、一一年四月に「浅草心中」(モダン日本)。四月、短編集『水晶幻想』(文芸復興叢書)を改造社より刊行。五月、「文学的自叙伝」(新潮)。九月より「浅草祭」を『文芸』に連載(一〇年二月完結)。一〇月、「扉」(改造)。『川端康成集』を改造社より刊行(一巻のみで中止)。一二月、『抒情歌』を竹村書房より刊行。この年、松本学により文芸懇話会が生まれ、会員に加えられた。 昭和一〇年(一九三五) 三六歳  一月、「夕景色の鏡」(「雪国」の一)を『文芸春秋』に発表。以後、その続きとして「白い朝の鏡」(改造 一月)、「物語」「徒労」(日本評論 一一・一二月)、「萱の花」(中央公論 一一年八月)、「火の枕」(文芸春秋 一一年一〇月)、「手毬歌」(改造 一二年五月)、「雪中火事」(公論 一五年一二月)、「雪国抄」(暁鐘 二一年五月)、「続雪国」(小説新潮 二二年一〇月)を書き、「雪国」は完結。五月、「田舎芝居」(中央公論)を書き、『禽獣』を野田書房より刊行。六月、「純粋小説論の反響」(文芸春秋)。七月、随筆「純粋の声」(婦人公論)。九月、文芸春秋社により芥川賞・直木賞が設定され、芥川賞選考委員に加えられる。一〇月、「童謡」(改造)。この年、北条民雄と知る。 昭和一一年(一九三六) 三七歳  一月、「イタリアの旅」(改造)、「これを見し時」(文芸春秋)。四月、「花のワルツ」(改造 四・五月)、その続き、翌年一月に「最後の踊」(文芸)。夏、神津牧場より軽井沢に出、藤屋旅館にしばらく滞在した。九月、小品・随筆集『純粋の声』を沙羅書房より刊行。一〇月、「父母」(改造)。一二月、「女性開眼」を『報知新聞』(二二三回完結)に連載。短編集『花のワルツ』を改造社より刊行。この年、新潮賞、池谷信三郎賞設定され、選考委員になる。鎌倉宅間が谷に住む林房雄に誘われ、その隣家に移る。以後、鎌倉に住む。 昭和一二年(一九三七) 三八歳  六月、『雪国』、尾崎士郎の『人生劇場 青春篇』とともに文芸懇話会賞を受賞。『雪国』を創元社より刊行。七月、短編集『むすめごころ』を竹村書房より刊行。一一月まで軽井沢に滞在する。一二月、『女性開眼』を創元社より刊行。 昭和一三年(一九三八) 三九歳  一月、「生花」(中央公論)。四月、「金塊」(改造)。六月、本因坊秀哉名人引退碁を観戦し、一二月まで『東京日日』『大阪毎日』に観戦記を書く。七月『川端康成選集』(全九巻。一四年一二月完結)を改造社より刊行。一〇月、「百日堂先生」(文芸春秋)。一一月、短編集『抒情歌』(岩波新書)を岩波書店より刊行。一二月、「高原」(日本評論)、その続き、翌年一二月に「樅の家」(公論)。 昭和一四年(一九三九) 四〇歳  冬、熱海に滞在。一一月、文人囲碁会の『黒白叢書』の一巻として『短篇集』を砂子書房より刊行。 昭和一五年(一九四〇) 四一歳  一月、「母の初恋」、二月、「女の夢」、三月、「悪妻の手紙(のち改題「ほくろの手紙」)」、五月、「夜のさいころ」、六月、「燕の童女」、七月、「夫唱婦和」、八月、「子供一人」、一一月、「ゆくひと」、一二月、「年の暮」をいずれも『婦人公論』に発表。この連作九編は翌年一二月、短編集『愛する人達』として新潮社より刊行された。二月、『花のワルツ』(昭和名作選集)を新潮社より刊行。九月、『川端康成集』(新日本文学全集)を改造社より刊行。一二月、短編集『正月三ケ日』を新声閣より刊行。 昭和一六年(一九四一) 四二歳  一月、「義眼」(文芸春秋)。同月「寒風」(改造)、その続き、二月に「冬の事」(改造)、翌年四月に「赤い足」(改造)。春から初夏にかけて、『満州日日新聞』の招きにより村松梢風とともに呉清源の一行に加わり、満州におもむく。ハルビンにて一行と別れ、熱河の承徳を経て北京にはいり一〇日間ほど滞在し、大連より帰る。初秋、関東軍の招きにより、改造社社長山本実彦、高田保、大宅壮一、火野葦平と満州に行き、ハルビン、黒河、ハイラルなどに飛び、奉天にて一行と別れ一か月ほど滞在。北京に半月、大連に三、四日滞在して帰国。数日後に太平洋戦争が起こった。 昭和一七年(一九四二) 四三歳  四月、随筆集『文章』を東峰書房より、『川端康成集』(三代名作集)を河出書房より刊行。七月、短編集『高原』を甲鳥書林より刊行。八月、島崎藤村、志賀直哉、里見〓、滝井孝作、武田麟太郎を同人とする季刊誌『八雲』が小山書店より、創刊され、同人に加わって編集を受け持つ。ここで志賀直哉を知る。同誌創刊号に「名人」を発表。 昭和一八年(一九四三) 四四歳  三月、「父の名」(文芸)。四月、「故園」(文芸)、続きを二〇年二月まで分載するが未完。八月、一二月、および翌年三月に「夕日」(日本評論)を分載。 昭和一九年(一九四四) 四五歳  七月、「一草一花」(文芸春秋)。この年、「名人」「故園」によって菊池寛賞を受賞。 昭和二〇年(一九四五) 四六歳  四月、海軍報道班員として鹿児島県鹿屋飛行場に行き、一月余り見学する。「冬の曲」(文芸)。この年、久米正雄、中山義秀、高見順とともに鎌倉の八幡通りで貸本屋「鎌倉文庫」を開く。戦後、大同製紙の誘いに応じ、久米、中山、高見とともに出版社鎌倉文庫の創立に参加する。 昭和二一年(一九四六) 四七歳  一月、鎌倉文庫より『人間』を創刊し、同社の編集につとめる。鎌倉の二階堂から長谷に移る。二月、「再会」(世界)、その続き、七月に「過去」(文芸春秋)。同二月、「挿話」(新潮)。四月、短編集『朝雲』を新潮社より刊行。五月、「武田麟太郎と島木健作」(人間 五・八月)、続きを二四年三月『風雪』に載せる。一二月、「さざん花」(新潮)。 昭和二二年(一九四七) 四八歳  この年も鎌倉文庫の仕事続く。七月、『女性開眼』(改訂版)を永晃社より刊行。一〇月、「反橋」(風雪別冊)。一二月、「夢」(婦人文庫)。 昭和二三年(一九四八) 四九歳  一月、「しぐれ」(文芸往来創刊号)、「未亡人」(改造)、「再婚者の手記(のち改題「再婚者」)」(新潮)、続きを同誌に分載。五月、「少年」(人間)、続きを同誌に分載し、二七年加筆して完結。『川端康成全集』(全一六巻。二九年四月完結)を新潮社より刊行。六月、志賀直哉会長辞任のあとを受けて日本ペン・クラブ会長に就任。一一月、東京裁判の判決を傍聴し、『読売新聞』に「東京裁判の老人達」を書く。一二月、『雪国』(完結版)を創元社より刊行。 昭和二四年(一九四九) 五〇歳  一月、「かけす、夏と冬」(改造文芸)。四月、「住吉物語(のち改題「住吉」)」(個性)。五月、「千羽鶴」(読物時事別冊)、その続きとして「森の夕日」(別冊文芸春秋 八月)、「絵志野」(小説公園 二五年一月)、「母の口紅」(小説公園 一一・一二月)、「二重星」(別冊文芸春秋 二六年一〇月)を書き、「千羽鶴」は完結。九月、「山の音」(改造文芸)、その続きとして「日まわり(のち改題「蝉の羽」)」(群像 一〇月)、「雲の炎」(新潮 一〇月)、「栗の実」(世界春秋 一二月)、「女の家」(世界春秋 二五年一月)、「島の夢」(改造 四月)、「冬の桜」(新潮 五月)、「朝の水」(文学界 二六年一〇月)、「夜の声」(群像 二七年三月)、「春の鐘」(別冊文芸春秋 二七年六月)、「鳥の家」(新潮 二七年一〇月)、「都の苑《その》」(新潮 二八年一月)、「傷の後」(別冊文芸春秋 二八年一月)、「雨の中」(改造 二八年四月)、「蚊の卵(のち改題「蚊の群」)」(別冊文芸春秋 二八年一〇月)、「鳩の音(のち改題「秋の魚」)」(オール読物 二九年四月)を書き、「山の音」は完結。一〇月、「骨拾い」(文芸往来)。一一月、広島市の招待でペン・クラブの豊島与志雄、青野季吉らと原子爆弾の被害を見に行く。一二月、短編・随筆集『哀愁』を細川書店より刊行。この年、改造社によって横光利一賞が設定され、その選考委員となる。文芸春秋新社、芥川賞を復活し、その選考委員となる。 昭和二五年(一九五〇) 五一歳  二月、「天授の子」(文学界)、その続き、同誌三月に「水晶の玉」。三月、「虹いくたび」を『婦人生活』に連載(二六年四月完結)。四月、ペン・クラブ会員とともに広島・長崎へ原子爆弾の被害を見に行く。五月、「地獄」(別冊文芸春秋)。一二月、「北の海から」(別冊文芸春秋)。「舞姫」を『朝日新聞』に連載(一〇九回完結)。 昭和二六年(一九五一) 五二歳  一月、「首輪」(新潮)、「ルイ」(中央公論)。五月、「たまゆら」(別冊文芸春秋)。七月、『舞姫』を朝日新聞社より刊行。八月、「私の信条」(世界)。改稿「名人」(新潮)、続きとして「名人生涯」(世界 二五年一月)、「名人供養」(世界 五月)、「名人余香」(世界 二九年五月)を書き、決定稿「名人」は完結。九月、「三人目」(中央公論文芸特集)。一〇月、「さとがえり」(文芸)。 昭和二七年(一九五二) 五三歳  一月、「日も月も」を『婦人公論』に連載(二八年五月完結)。「岩に菊」(文芸)、「冬の半日」(中央公論文芸特集)、「お正月」(別冊文芸春秋)。二月、『千羽鶴』(「千羽鶴」「山の音」所収)を筑摩書房より刊行。これにより二六年度の芸術院賞を受賞。「白雪」(別冊文芸春秋)、随筆「月下の門」(新潮 分載七回)。四月、「新文章論」(文学界)。一〇月、「自然」(文芸春秋)。一一月、「明月」(文芸)。一二月、「富士の初雪」(オール読物)。 昭和二八年(一九五三) 五四歳  一月、「川のある下町の話」を『婦人画報』に連載(一二月完結)。「いつも話す人」(群像)、続きを同誌に分載するが未完。二月、短編集『再婚者』を三笠書房より刊行。三月、『川端康成集』(昭和文学全集)を角川書店より刊行。四月、「無言」(中央公論)、「波千鳥」(「千羽鶴」続編)(小説新潮)、以後、「千羽鶴」続編として「旅の別離」(五月)、「荒城の月」(九月)、「新家庭」(一〇月)、「波間」(一二月)を書く。五月、『日も月も』を中央公論社より刊行。八月、『川端康成集』(長編小説全集)を新潮社より刊行。戦後はじめて軽井沢に一〇日ほど滞在。一一月、「水月」(文芸春秋)。この年、芸術院会員に選ばれる。 昭和二九年(一九五四) 五五歳  一月、「小春日」(文芸)。「みずうみ」を『新潮』に連載(一二月完結)。三月、「春の目」(小説新潮)。四月、「横町」(別冊文芸春秋)。五月、「東京の人」を『西日本新聞』に連載(五〇五回完結)。七月、「妻の思い」(小説新潮)。八月、「離合」(知性)。 昭和三〇年(一九五五) 五六歳  一月、「ある人の生のなかに」を『文芸』に連載(五月完結)。『東京の人』を新潮社より刊行(全四巻 一二月完結)。四月、「故郷」(新潮)、『みずうみ』を新潮社より刊行。五月、「夢がつくった小説」(文芸春秋)。六月、「悲しみの代価その他」(文芸)。七月、「車中の女」(群像)。短編集『たまゆら』を角川書店より刊行。一一月、『川端康成集』(現代日本文学全集)を筑摩書房より刊行。 昭和三一年(一九五六) 五七歳  一月、「あの国この国」(小説新潮)、その続き、同誌四月に「隣りの人」。「雨だれ」(新潮)、「夕焼け」(中央公論)、『川端康成選集』(全一〇巻。一一月完結)を新潮社より刊行。三月、「ライオンと少女」(別冊文芸春秋)。「女であること」を『朝日新聞』に連載(二五〇回完結)。九月、「ある日」(文学界)。一〇月、『女であること〓』を新潮社より刊行、〓は三二年二月。 昭和三二年(一九五七) 五八歳  三月、国際ペン・クラブ執行委員会出席のため、松岡洋子とともに渡英、五月に帰国した。八月、「ヨーロッパ」(新潮)。九月、東京で開催された第二九回国際ペン大会に、日本ペン・クラブ会長として尽力した。 昭和三三年(一九五八) 五九歳  一月、「弓浦市」(新潮)、「並木」(文芸春秋)、「夫のしない」(週刊新潮)。二月、国際ペン・クラブ副会長に推された。四月、『富士の初雪』を新潮社より刊行。六月、沖縄へ約一〇日間の旅行。この年胆石症を患い、年末より東大病院に入院(翌年四月退院)。 昭和三四年(一九五九) 六〇歳  五月、フランクフルトの国際ペン・クラブ大会において、ゲーテ・メダルを贈られた。七月、「遠く仰いで来た大詩人」(中央公論 永井荷風追悼特集)。『風のある道』を角川書店より刊行。一一月、『川端康成全集』(全一二巻 三六年完結)を新潮社より刊行。 昭和三五年(一九六〇) 六一歳  一月、「眠れる美女」を『新潮』に連載(一—六月、三六年一—一一月)。この年冬より春にかけてたびたび京都・奈良に遊ぶ。フランス政府より芸術文化勲章を贈られる。五月、アメリカ国務省の招きで渡米。七月、ブラジルでの国際ペン・クラブ大会に出席、八月帰国。 昭和三六年(一九六一) 六二歳  一月、「美しさと哀しみと」を『婦人公論』に連載(三八年一〇月完結)。一〇月、『湖』(有紀書房刊)を編集し、「まえがき」を書く。「古都」を『朝日新聞』に連載(三七年一月完結)。一二月、『川端康成集』(新版昭和文学全集)を角川書店より刊行。 昭和三七年(一九六二) 六三歳  六月、『古都』を新潮社より、『川端康成集』(日本現代文学全集)を講談社より刊行。一〇月、世界平和アピール七人委員会に参加した。「落花流水」を『風景』に連載。この年、『眠れる美女』によって毎日出版文化賞受賞。 昭和三八年(一九六三) 六四歳  二月、「人間のなか」(文芸春秋)。四月、財団法人日本近代文学館が発足し、監事に連なる。八月、「片腕」を『新潮』に連載(三九年一月完結)。一〇月、近代文学館主催近代文学史展を監修する。 昭和三九年(一九六四) 六五歳  二月、『川端康成短篇全集』を講談社より、三月、『川端康成集』(日本の文学)を中央公論社よりそれぞれ刊行。六月、オスローで開かれた国際ペン・クラブ大会に出席、『新潮』に「たんぽぽ」を連載し始めた。一一月、『川端康成集』(現代文学大系)を筑摩書房より刊行。 昭和四〇年(一九六五) 六六歳  二月、『美しさと哀しみと』を中央公論社より刊行。九月、「たまゆら」を『小説新潮』に連載(翌四一年三月完結)。一〇月、小説集『片腕』を新潮社より刊行。 昭和四一年(一九六六) 六七歳  一月、「美智子妃殿下」(東京新聞)、『川端康成集』(日本文学全集)を河出書房より刊行。一月より三月まで肝臓炎を病む。六月、随筆集『落花流水』を新潮社より刊行。七月、『川端康成』(現代日本文学館)を文芸春秋社より刊行。八月、『川端康成〓』(日本文学全集)を集英社より刊行。一二月、河盛好蔵と対談(小説現代)。 昭和四二年(一九六七) 六八歳  六月、『川端康成〓』(日本文学全集)を集英社より刊行。七月、『川端康成』(カラー版日本文学全集)を河出書房より刊行。 昭和四三年(一九六八) 六九歳  六—七月の参院選に友人今東光の選挙事務長をつとめ、街頭演説も行なう。この年ノーベル文学賞受賞。一二月、ストックホルムの受賞式に出席。スウェーデン・アカデミーにおいて受賞記念講演を行なう。 昭和四四年(一九六九) 七〇歳  一月、ノーベル賞受賞のヨーロッパ旅行から帰国。三月、日本文学講義のためハワイに向かう。中間展覧会のための帰国をはさみ六月まで滞在。四月末から五月にかけて東京新宿伊勢丹で毎日新聞社主催の「川端康成展」開催。その後、大阪、福岡、名古屋でも開かれる。五月、ハワイ大学で「美の存在と発見」と題する特別講義を行ない、七月に英訳を付して毎日新聞社より刊行。スウェーデン、アメリカ、スペイン、ハンガリー等で訳書刊行。 昭和四五年(一九七〇) 七一歳  五月、川端文学研究会発足。六‐七月、台北のアジア作家会議、京城の第三八回国際ペン・クラブ大会に出席。 昭和四六年(一九七一) 七二歳  一月、三島由紀夫の葬儀委員長をつとめる。三‐四月、東京都知事選挙に際し保守系候補秦野章を応援。五月末から六月にかけて日本橋の壺中居で書の個展を開く。一二月、近代文学館名誉館長に就任。 昭和四七年(一九七二) 七三歳  一月、フジテレビのビジョン討論会「日本の美を考える」に出席。「志賀直哉」を『新潮』一‐三月号、「夢幻の如くなり」を『文芸春秋』二月号に発表。三月、盲腸炎の手術を受ける。四月一六日、この年一月に購入して仕事場にしていた逗子のマリーナマンション四一七号室でガス自殺をとげる。常用していた睡眠薬ハイミナール中毒の症状があった。一七日、自宅で密葬。戒名は友人今東光による「文鏡院殿孤山康成大居士」。葬儀は五月二七日、青山斎場で芹沢光治良が葬儀委員長となり執行された。 伊《い》豆《ず》の踊《おどり》子《こ》・禽《きん》獣《じゆう》  川《かわ》端《ばた》康《やす》成《なり》 ------------------------------------------------------------------------------- 平成13年2月9日 発行 発行者  角川歴彦 発行所  株式会社  角川書店 〒102-8177 東京都千代田区富士見2-13-3 shoseki@kadokawa.co.jp Yasunari KAWABATA 2001 本電子書籍は下記にもとづいて制作しました 角川文庫『伊豆の踊子・禽獣』昭和26年7月30日 初 版 刊 行               平成11年5月10日改訂54版刊行