川上宗薫 流行作家 「市川先生じゃございませんか」  そこは、ホテルの中にあるカクテルラウンジである。  ちょうど市川は、編集者を待っている処だった。どうしても、市川は、約束の時間よりも早目にきてしまう。それは、彼が、締め切り日よりもずっと早く原稿を書いて渡す性癖と、どこかで繋《つな》がっているにちがいない。  近づいてきたその顔を見て、市川は、 「なんだ、田宮さんか」  そういった。  彼は、先ほどから、向うの方で、自分の方を見ている女がいることには気がついていた。  しかし、そういうことはよくあるのだ。  市川は、だんだん世間に顔を知られてきていた。町を歩いていると、彼の方を頤《あご》でしゃくったりする男に出会うことがあるし、時には指を差されることもある。  そんな顔の多くは笑っている。その笑いの中に、市川は、〈おかしなやつ〉といったような、ある侮りを見る気がする。  そんな時市川は、あまりいい気はしない。その女の眼も、おそらく、そういった類《たぐ》いにちがいない、と市川は勝手に思いこんでいた。相手が自分に抱いているかもしれない低俗なイメージに逆らうような気持で、彼は、ことさら無表情を心がけていた。  市川は、〈老けたな〉と思った。  市川が田宮照子を知ったのは、もう六、七年前のことだ。彼女は、ある芸能関係の雑誌を手伝っている女である。色白で大きい胸を持っていた。そして、その頃はまだ若さを保っていた。 「先ほどから、先生かなと思ってたんですけど、髪を長くしてらっしゃるし、少しお太りになったみたいで、もしかしてちがっていたらと思って、考えていたんです。だれか女の方でもお待ちになっていらっしゃるんですか、よくこんな処で女の方と会っていらっしゃるなんて、聞いたことがありますけど」  田宮照子は、べつにからかうつもりでもなく、無論お世辞でもなく、真面目な顔でそんなことをいっている。声をひそめていないので、あたりのテーブルの客にも聞こえてしまう。 「編集者の人を待っているんですよ。久しぶりですねえ」  市川はまた〈この女も老けたな〉と思った。眼の下や眼尻の皺《しわ》が目立っているし、肌の艶《つや》も失せている。以前は想像できなかった老人になった時の顔が、今では想像できる。以前は肉体美だと思ったその体は、今では、ただ太っているといった感じになっている。彼女が妻子のある男と恋愛をしているということを、彼は聞いたことがある。 「その後、ずっとうまくいってますか」 「うまくなんかいきませんわ」  彼女はそういうと、その話題には触れたくないといったふうに、 「先生、ずいぶんお書きになってますわねえ、方々に。この前も、先生のもの読んでて、わたし恥ずかしくなっちゃった。あんなことお書きになってて倦《あ》きませんの?」 「それは倦きますよ。でも、商売だから」 「少し先生は、以前に較べると無口になったみたい。堂々としてらして、近づきにくいような感じになっちゃいましたわね。今お飲みになっているの、それお酒なんでしょう?」  テーブルの上には、ドライシェリー酒がダブルの量だけ入ったグラスが置かれている。 「ええ、軽いやつですけどね。昔から、コーヒー飲むぐらいだったらアルコールがいいと思ってたもんで」 「本郷にいらした時も、昼間からお酒飲んでいらっしゃいましたわね。でも、あの頃はいきいきとして話してらしたわ」  市川は皮肉をいわれた気になった。彼にも憶えはある。彼がいきいきとして彼女にいろいろ話をしたのは、田宮照子を自分に引きつけようと思っていたからである。なにも、彼が今は売れていて、昔は売れていなかったという、そのちがいのためではないのだ。少なくとも市川自身はそう思っている。  だが、その簡単な理由について、田宮照子にいうわけにはいかない。  あの頃、市川は、国産の千二、三百円のブランディをよく飲んでいた。他の上質のものを知らないせいで、彼はそのブランディを、たいそううまいと思っていた。  その頃から、彼はブランディをよく飲み始めるようになっていたのだ。その前はサントリーの白ラベルのウィスキーだ。そして、そのずっと前は、かなり長いことトリスだった。  学校の教師をしていた頃、市川は、学校から帰るとトリスをストレートで飲むのが楽しみだった。そして、そのトリスをまずいと思ったことはなかった。  市川がいるテーブルの前にあるのは、冷えたドライシェリーである。このドライシェリーを、市川は、銀座のクラブに行くようになってから覚えたのだ。味は少し日本酒に似ている。普通の白ブドウ酒よりも少し苦《にが》っぽい。  ほんとうは彼は、TIOペペというドライシェリーがいちばん好きなのだが、その種類を置いてない処が多いので、やむなく他の種類にしている。  そういった知識も、田宮照子と本郷で知り合った頃には、彼にはなかった。  その本郷の部屋は六畳で、殺風景で、少し傾いていた。贅沢《ぜいたく》品といえば、クーラーと小さい冷蔵庫があるぐらいのものだった。  田宮照子も、ある評論家とこのホテルのカクテルラウンジで落ち合うことになっているのだ。彼女は、早くき過ぎたのだという。 〈昔の自分はいきいきしていた。今は少し寡黙《かもく》になり近寄りにくくなった〉  彼は、自分のことを書く小説に使うために、その照子の言葉を憶えていようと思った。 「あの人じゃありませんか」  しかし、市川は、その評論家を一度しか見たことがない。照子は振り返って、 「ちがいますわ。もっと真面目な人です」  そういった。  入ってきた男は、長髪で、流行《はやり》の色のついた眼鏡をかけていた。そういった風態を、彼女は、不真面目と受け取っているらしいのだ。なにかインチキくさい男と、照子は思っているのかもしれなかった。  となると、今はかなり流行に従って髪を長くしている市川も、照子の眼に、インチキくさく、なにかしら軽薄な男として映っているように、彼には思われる。  しかし、市川は、〈思うなら勝手に思え〉という気持だった。  そして、その気持がどこからやってくるかということも彼はわかっている。自分の書くものが売れている、その意識以外に、それはなかった。  そんな処に編集者がやってきた。  田宮照子は席を離れて行き、また元の処に戻った。  彼は、その編集者を連れて、同じホテルの中にある鮨屋《すしや》に行った。  彼は、その小説雑誌の若い編集者の山口に、田宮照子との会話の間に生じた、ある起伏と屈折のことを話そうかと思ったが、やめにした。そういうことを話す気持の中にも、おそらく、裕《ゆと》りがあるにちがいないと思ったからである。そこにもまた、自分が売れている作家という意識が作用しないはずがないからだ。  市川は、鮨をつまみながら、彼のことを「近寄りがたくなった」といった田宮照子の言葉を思い出していた。そういう言葉を吐いた田宮照子にも、同質の意識が働いているのではあるまいか。  つまり、これは、動物の意識といったものではあるまいか。それは自己保存の本能に基づいた意識なのだ。原稿が売れるということは、金が入るということである。わりと、人からチヤホヤされるということである。  そういうことが、その人間の生活の安泰を強めてくれる。なんのことはない、市川に裕りを持たせているものは、結局、この安泰の感覚ではないのか。  そして、また、田宮照子にそのような言葉を吐かせたものも、彼女の中に無意識に潜んでいる安泰への希求なのではあるまいか。  その鮨屋の店長と市川とは、互いに動物好きという点で、話を合わせていた。たとえば、虎とライオンはどちらが強いかといった類いの話なのだ。  市川は、小さい頃から、どちらが強いかということに興味を持っていた。たとえば、クラスの中に強そうな男の子が二、三人いると、そのどちらが強いかを、ぼんやりしている時間に、よく考えたりした。  そして、その二人が、ある日|喧嘩《けんか》して、一人が呆気《あつけ》なく敗れた時など、なにか信じられぬ思いがした。あんなに強そうに見えたその男の子が負けたというのが信じられないということよりも、強そうな二人が戦ったというそのことが現実に起こってみると、彼が思い描いていた戦いとはちがって、欺《だま》されたような気持になるからだった。  現に、一人が簡単に敗れたということで、その戦いは二人の強者の戦いではなくなってしまっていたのである。 「だいたい、どっちが強いなんていえないんじゃないですか」  ほかの客の鮨を握りながら、その三十半ばぐらいの年齢の店長はそういった。 「そのライオンが何歳であるか、その虎が何歳であるかということもありますし、それから、それまでの戦歴がどうかにもよりますし、だから、持続して見てみなきゃわからないんですよね。だいたい、動物園じゃ、これまで互角だそうですよ」  店長と彼との間での、陸上の動物のランキングは、一位アフリカ象、二位はシベリアの虎、これはライオンよりも体が大きいからである。三位がライオン、四位がインド犀《さい》、五位インド象、それから、カバ、続いて、アフリカの白犀、黒犀、その次がアラスカ熊、ジャガーという順序である。  そういった類《たぐ》いの話をためらいなく鮨屋の店長とできる底のものについて市川は無自覚ではない。売れている作家だからこそ店長はつき合ってくれているのだ。そして、売れているにも拘らずそんな話を熱心にしてみせるといった衒《てら》いが市川の側にはある。銀座のクラブで、市川が愚かものの真似をしたり象の鳴き声を真似る時にも、同じ衒いが彼の中には潜在している。  市川は、赤坂の喫茶店で、銀座のクラブの女を待っていた。  彼は、それまで、赤坂にあるホテルのコーヒーハウスをよく使っていた。だが、コーヒーハウスの黒い服の男に顔を憶えられ、挨拶をされるようになり、彼がテーブルにつくと、その黒い服の男は「いつものお飲み物ですね」というようになった。  いつもの飲みものというのはドライシェリーである。それに、彼はオリーブを六個ぐらいつけてもらう。  彼がドライシェリーを頼むのは、昔、こういう場合に、安いウィスキーの水割やビールを頼んだのと同じ発想である。市川は、コーヒーや紅茶を飲むくらいならアルコールを飲んだ方が得だという考えなのだ。  文学新人賞の候補に三回ほど続けてなった頃、彼は、夜は高校で英語を教えていて、昼間は、その頃銀座の並木通にあった三田文学の事務所によく遊びに行っていた。  そんな時、彼は、坂下とよく近くの喫茶店に行った。  坂下は、十九歳で、文学賞の新人賞の候補になった男である。  坂下は、いつも市川を見ると、眉間《みけん》に軽い皺を、口には皮肉っぽい笑みを浮かべ、〈おもしろい人だなあ、この人は〉といった顔をして見せた。つまり、おもしろいというのは、市川の欠落の部分をややからかい気味におもしろがっているのである。  市川はこの事務所にくると、やたらと女の子に電話をかけた。電話代がただだからである。  市川は、いつも少し頭が重いようなのを感じていたが、アルコールを入れるとその重さがなくなる。彼がアルコールを好きなのは、そういうせいもあった。おそらく、血圧が低いためにちがいなかった。  頭の感じを軽くするために、それに、もともとアルコールが好きなために、市川は、昼間から赤い顔をしていることが多かった。その赤さが顔から薄れないままに、彼は、いつも上野を四時六分発の電車に乗った。すると、やっと遅刻せずに済むのだった。  電車を降りる頃になると、彼の顔の赤みは消えていた。ただ、ときどき生徒が「わあ、お酒くさい」といった。  この赤坂の喫茶店では、まだ彼の顔は憶えられていなかった。それに、市川は、眼鏡を外して服の胸ポケットに入れている。強い近視ではない。  いつも、市川は、女を待つ時、出口に体を向けている。出口に背中を見せていたりすると、せっかくやってきた女の子の眼に彼の顔が入らず、女が別の席に腰を降ろしたりして、お互いに会わずに終るかもしれないという不安があるからである。  市川は、初めての女を待っている時、女がこなければいいと思うこともある。面倒な気がしてくるからである。  女がやってくれば、黙ってついてきてくれるかどうかを打診しなければならない。その打診の他に、喫茶店を出て車を拾ったりするまでの間に、どうしても緊張がある。女が初めからいってくれた方が気が楽である。「ねえ、どこに行くの?」などと女がいう場合には、先ず九分どおり見こみはない。覚悟してやってくる女は、そういうことは訊《き》かないものである。  けれども、訊かないものがすべて黙ってついてくるかというと、そうでもない。ホテルの前まできて、〈とんでもない〉といった顔になる女がいる。ある時は、市川だけが自動扉の内側に入って、自動扉の暗い色の外側を女が一人で歩いて行っているのが透けて見え、慌ててあとを追いかけるというようなことがあった。  市川は、こういう時、車を持っている男は有利だなと思う。車に女を乗せ、そのまま地下に駐車場のあるホテルに入って行けばいいからである。タクシーを利用するのと、自分の車を利用するのでは、女の諦め方もかなりちがってくる。  けれども、市川は、これまで車を運転しようなどと思ったことはない。彼は、自分の運動神経に自信がないし、それに、万一の事故をこわいと思う。彼だけが安全な運転をしていても、うしろからクラクションを鳴らされたり、あるいは「バカやろう」などと怒鳴られたりしたら、動顛《どうてん》して、赤信号でも突っ切ったりしかねない、と彼は思っている。  それに、もしも途中で故障が起きたりしたらどうなるのだ。高速道路でエンコして、車に赤い布をつけ、男が、暑い日差しを片手で避けながら、片手に持った白いハンカチを振り廻しているのを市川は見たことがあるが、あんな目に遭ってはかなわないと思う。  それに、市川は、車とかゴルフに対して、昔、反感を持っていた。それが、なお尾を引いているのだ。車を持ったりゴルフをする連中は、金持ないしは成金だという意識が、彼の中にある。  昔、彼は県営住宅に住んでいた。ちょうど彼の家の前は、住宅の中の小さい公園になっていて、ブランコなどがあった。  そこで、一人の男が、夕方や日曜日の午後など、クラブを持ってゴルフの練習をよくしていた。その男は、会社ではかなり上の方らしかったが、県営住宅に住むぐらいの地位でしかない。  その男は、市川が通りかかると、少し得意そうな顔を向けてきた。その顔は、こういっているように市川には思われた。 〈どうです、ぼくはゴルフをやるんですよ。あなたとはちがう〉  市川は勝手にそう思い、わざとその男の方を見ないように心がけた。見ても、彼がゴルフの練習をしていることにはまったく気づいていないといった顔をして見せた。すると、その男の顔から、徐々に得意気な感じが消え失せてしまうのだった。  市川は、レジの処にある赤電話を黒い服の男が耳に受けているのを見ていた。もしかしたら、その電話は女からのものかもしれないからだ。  男は受話器を置き、こういった。 「市川さま、市川さま、お電話です」  市川は立ち上がった。眼鏡を外している自分の顔にこの男は気がつかないにちがいない、と彼は思っている。  彼の顔は、小説の性質によるのか、水商売の男女によく知られていた。 「はい、市川です」 「由美子です。きょうはだめなのよ。お友達がきたの」 「よくある手だよ。故郷《くに》から母がきたとか……」 「ほんとなの。だって、お友達を置いて出るわけにはいかないでしょう」 「とにかく、わかったよ」 「ごめんなさい」  彼は受話器をかけた。そして、席に戻り、もしかして、黒い服の男が自分の顔を知っているかもしれないという想定に基づいて、自分は決して女の子からスッポカされたわけではないと思わせるための顔を造って見せた。  彼はそういう時、にこやかに笑うことにしているのだ。まるで自分に運が向いてきたとでもいった、そんな表情を、無理に顔に取ってつけるのである。  しかし、彼は、その時、決してすっかりがっかりしているわけではなかった。面倒くささから逃れられた、そういった安堵《あんど》も、僅かながらあるからである。  市川が、あるパーティで久しぶりに会った地味な作家の中田譲に、 「きょうもスッポカされちゃったよ、女の子に」  といった時、中田譲は驚いた顔になり、そのために、瞳《ひとみ》の上端《うわはし》の白っぽい部分までが見える眼になり、こういった。 「きみでもそんなことがあるのかい?」  市川はこの時、一般の彼に対する観念がここにある、と思った。  じっさい、市川は、流行作家になれば、ずっと今よりもてるだろうと、以前考えていた。だがそのもて方は、彼が思っていたのとはかなりちがっている。  もてるといえば、市川は、小さい頃から、女にもてたいと思っていろいろなことをやってきた節がある。小学校の時に一所懸命に勉強をやった時があるが、その時も、成績がいちばんになれば女の子にもてるだろうと思ったからである。中学の時に受験勉強をやった時にも、彼は、高等学校に入って白線の帽子を被って歩けば、きっと女の子にもてるだろうと思ったからだ。  学校の教師になり、彼は、学校の教師は腰かけだという意識でもって小説を書いていたのだが、その時の気持の底にも、今に世に認められれば女にもてるだろう、といった期待があった。彼には、このままではすまないぞといった気持が、わりに昔からあった。  小学校の頃、市川は田舎に住んでいた。  市川の父はプロテスタントの牧師である。アメリカ人の宣教師の影響などがあって、市川たちは、親から、霜降りや小倉の制服を着せてもらえなかった。半ズボンをはかされ、女の子のような、シャツとも上着ともつかぬものを着せられ、学校に行かされていた。  彼のクラスでは、彼のほかに一人だけ、同じような服装の男の子がいた。自然と日陰者同士のような感じに、市川とその三宅という男の子は、校舎にもたれかかって話をしたが、そんな時、市川は、自分や三宅がアウトサイダーであるような感覚を持っていた。  そして、将来自分は、なにかしら、ものを考えるとか書くとかといった方向に進みそうな予感を持っていたし、進みたいと思った。そして、そういった話を、三宅とした記憶が市川にはある。  女にもてたいといったような願望のいっさいが押し潰され、痴呆《ちほう》状態に彼が陥った時代があった。太平洋戦争の時代である。  軍事教練が彼には苦痛で仕方がなかった。軍事教練なんかしている自分が女の子からもてるなどとは、まったく思えなかった。そして、また、軍事教練のあの息《いき》んだ感覚や、張り上げる号令の声や、革の匂いといったようなもののいっさいを、生理的にきらっている自分が、その時代の中では不様《ぶざま》であることがわかっていた。  市川は、教練をサボれば上級学校の進学に差しつかえることがわかっていながら、教練をサボり、本来なら、不合格点をもらって上級学校に行けない処を、父の配属将校への運動によって、なんとか最低の合格点をもらって、憧《あこが》れの白線の帽子は被れなかったまでも、上級学校に入り、そのまま兵隊に取られたのであるが、兵隊に行く前も、彼は教練をサボり続けていたので、幹部候補生になれる見こみなど、少しも持っていなかった。  内務班の生活において、彼が発狂しなかったのは、彼が痴呆状態のままに日々を過ごしていたからにちがいない。少しでも醒《さ》めた意識があったりすれば、彼は、ある日突然起き上がって「ハトポッポ」などと歌い出したかもしれないのだ。  軍事教練がない世の中がきた。この世の中や時代は、市川に向いているといえた。号令をかけ、息んだ顔や姿勢が得意だった連中は行き場を失ってしまった。  市川は、戦争が終ったあとずっと、いい時代だと思っていた。この時代がいつか壊《こわ》れはしないかとビクビクしていた。  今の時代に暗さを見つけたりするのは贅沢だという考えも、彼の中にはある。学校の教練がなく、軍人が威張らず、食料がたくさんあって、かなり自由にものがいえる。いい時代ではないか、と市川は思っている。  彼が初めて文学新人賞の候補になった時、市川は三十歳だった。彼は〈これで女からもてるぞ〉と思った。  確かに、新人賞の候補にならないよりは、なった方がもてた。候補にでもならなければ、作家志望者の彼の力のほどを、客観的に認定する印はどこにもなかったからである。  その証拠に、彼はその頃、教え子からこういわれたことがある。 「先生が文学新人賞の候補になったら、ぼく十万円あげますよ」  その生徒は、自分の周囲にそういった多少とも才能を感じさせる存在がいるなどとは夢にも考えなかったのだ。それに、どう見ても、市川のような男にその種の才能があるとは、彼は彼なりに、思えなかったらしいのだ。  市川は、やたらと冗談を飛ばしては生徒たちを笑わせたが、笑っている生徒たちの中には明らかに彼をバカにしている男の子がいた。  その男の子は、わざと彼に聞こえるように「エヘッヘッヘ」というような笑い方をした。  しかし、その男の子も、彼が文学新人賞の候補になったと知ったあとでは、その笑い方をしなくなった。  市川は、女の子から待ちぼうけを喰らわされる度に、おれは嘗《な》められている、と思った。  彼が書く小説の殆どは情痴ものである。世間ではエロ小説などと呼んでいる。  銀座のクラブのある女の子は、 「ねえ、時には、頭の痛くなるような本を書いてよ」  などといった。  彼に待ちぼうけを喰らわせた女の中には、たかがエロ小説家という意識があるのかもしれない。ある女はこういった。 「こわいのよ、先生のこと。だって、先生の小説に出てくる女の子って、たいてい素敵でしょ。だから、ひけ目を感じて会えなくなったりすると思うの」  じっさい、市川は、週刊誌の連載などに女を書く場合、たいていその女の構造を名器のように描写しがちである。  たとえば、その内奥の部分に小魚が跳ねるような感触があるとか、餅のように粘った感触があって、その男性の昂《たか》まりを取り包んできて、なかなか離れようとしないとか、更に、感度の面でも、たいそう優れた女が、彼の週刊誌の連載小説の中には多く出てくる。  とても自分はこんなではない、と、彼女たちは思うにちがいないのだ。  彼に対して好奇心を持っていても、いざ、これから会いに出かける段になると二の足を踏んでしまうというようなことも、充分にありうる。  また、ある女は、市川のことを、だれでもが知っている男というふうに受け取っている。たとえば、市川が町を歩けば、そのあたりを歩いている人の九十パーセントが市川の顔を知っているというふうに思っているのだ。そんな男と歩けば、忽《たちま》ち目立って噂《うわさ》になる。女は勝手にそう思い、一度は会ってもいいと思いはしたが、やはりやめよう、などと思うのである。  もちろん、中には、市川に好奇心を持って近づき、簡単に肌を許す女もいる。だいたいにおいて半々だ、と市川は思っている。  市川は、普段女を抱きたくてしようがないというような気持になることは殆どないといってよい。それは年齢のせいもあるし、女の体に慣れ過ぎているためである。  もしも、抱きたくて仕方がなくなれば、彼は、自分の若い細君を抱けばよいのだ。市川の細君は、四十八の市川の約半分の年齢である。  市川が浮気をするその目的の大部分は取材のためといってよい。女を一人抱く度に、なにか必ず新しいことがあることは事実である。  ある女は、感覚が高まってくると水を飲むような音を口に立てる。ある女は、途中から「強姦はいや、強姦はいや」などといい始める。ある女の眼は少し開いていて、瞳がすっかり吊り上がってしまい、白一色になる。ある女は、四十をとっくに過ぎている市川に向って、「だから、若い人はいや」といった。訊いてみると、彼女のパトロンは七十二歳だという。  過去の経験だけに頼るのではなく、現に経験しつつある、その現場の感覚が、通俗小説の場合、なまなましくて新鮮で大切だ、というのが市川の意見なのだ。  しかし、なぜそれほどまでして、通俗小説に打ちこみ、原稿を消化しなければならないのか。市川は自問してみることがある。  それには、大ざっぱにいって、二つの理由がある。  一つは、自分が流行作家である、その感覚がまだ目新しく、もっと長く味わっていたいためである。  もう一つは、世間への怯《おび》えである。やがて売れなくなったらどうしようといった怯えなのだ。つまり、稼げるだけ稼いでおこうというわけである。  その二つの理由は、それぞれ、市川が、自分は不遇であるという強い意識を、かつて持っていたことに根ざしている。  彼は、朝眼が醒めると、すぐ起き上がって、知っている編集者や友人を訪ねて廻るというようなことをやったことがある。  彼が学校の教師を辞めたのは、食ってゆける保証があるからではなかった。  彼は十年間高校の教師をしてきた。その殆どが夜間部の高校である。朝寝ができ、夜|更《ふ》かしもできるといういい身分だった。こんな楽な稼業はないとさえ思った。  だが、ある時から、だんだん彼は、自分が働いている灰色のコンクリートの校舎を見るのもいやになってきた。それは、ノイローゼ症状のようなものだった。しかし、そのノイローゼ症状を助長しているものがほかにあった。彼の友人の谷中が突然流行作家になったからである。  谷中は、市川とどっこいどっこいの貧乏生活を送っていた。市川は、殆ど毎日のように谷中と会っていた。  谷中が売れる小説を目指して書き始めたのは、携わっていた仕事がうまくいかなくなったからである。そのために、谷中の細君はキャバレー勤めをすることになった。  市川は、谷中の原稿を度々読まされた。市川には、その小説があまりおもしろいとは思えなかった。けれども、谷中は一所懸命である。もしも、これが日の目を見なかったらどうなるのだ、そう思うと、市川は、谷中から眼を背向《そむ》けたいような気持だった。  市川は、谷中に出版社を紹介してやった。そして、側面援助として、その頃すでにはなやかな存在であった友人の横川にも紹介してやった。  処が、その作品は本になってから忽ち評判になってしまった。そして、あっという間に谷中は流行作家になってしまったのだ。  市川は、夢の中のできごとを見るような気持で、そんな谷中の経過を見ていた。世の中には稀にこういうこともあるものだなということを知らされた。そして自分の方は依然として不遇であることに不満を抱いた。  しかし、彼は、谷中のようになりたいとは思わなかった。一日に二十枚とか三十枚とかいう原稿を消化していかねばならないということが、不可能に思われたからである。  市川は、文学新人賞の候補に三回続けてなったあと、また二回続けてなった。計五回というわけである。その五回の経歴が見こまれて、ある同人雑誌の座談会に引っぱり出されたことがある。その時、彼はこういった。 「ぼくが、もしも流行作家になったりしたら軽蔑《けいべつ》してくださってけっこうです。ぼくには、とてもああいう常軌を逸した真似はできっこないんですから。いちばんわからないのは、ああいった情熱です。金のためでしょうか、人気のためでしょうか、もしもそうだとしたら、彼らはもう少し恥ずかしそうな顔をしていてもいいんですけどね、それが、なにか正々堂々とした顔をしているじゃありませんか。そういうチャンスがあったとしても、ぼくはとても恥ずかしくてなれませんよ」  市川は、その時、正直にそういったつもりである。そして、谷中を見ている段階においても、彼は、やはり、そんな忙しい生活はまっぴらだと思っていた。ただ今よりももう少し原稿が売れ、もう少し経済生活がよくなってくれさえすればいいのだ。そうすれば、もっと寛《くつろ》いだ気持で浮気もできようというものである。  まだ谷中が流行作家になる前、市川に、ある純文学の雑誌から、彼が文学をやめようと思っているという話を聞いたが、もしもそういう気持がじっさいにあるのなら、そのことについて書いてくれないか、という頼みがあった。  市川は文学をやめようなどと思ったことはなかったし、いったこともなかった。処が、どういうわけか、その編集者は、人から聞いたというのだ。  市川は、だが、とんでもないことだとは思わなかったし、そうもいわなかった。彼は、逆説としてなら書いてもいいというようなことをいった。なんだっていいから、題名に、「文学をやめようと思う」とつけたい、と編集者はいった。  その頃、市川は、純文学の雑誌に小説を載せていなかった。三度続けて文学新人賞の候補になったあと、鳴かず飛ばずであったのだ。それから数年経って、また二度ほど文学新人賞候補になるその間のことである。なんでもいいから、純文学の雑誌に自分の文章が活字になった処を見たいといった気持が市川にはあった。それに、原稿料がもらえるではないか。  その頃、市川は、原稿料といえば、純文学の雑誌からしかもらったことがなかった。一枚五百円から七百円の間である。それ以外の原稿料を知らないために、彼にはその五百円から七百円の原稿料が安い、などという気持はなかった。彼は、何回女と会えるというような勘定しかできなかった。  市川は書き、それは雑誌に載った。すると、なぜああいうことを書いたかといった非難をこめた疑問を、方々から市川は浴びせかけられた。また、中には、バカなことを書くものだといった軽侮の声が、彼の耳に入ってきた。  市川は、その時には、あれは逆説で書いたのだなどといったが、本音はそうではない。なんでもいいから、とにかく自分の文章を活字にしたかったのである。そして、二次的に原稿料がほしかったのだ。  市川には、盗作をする者の気持がよくわかる。盗作をしてまでも、自分の作品を商業雑誌の中で活字にしたいといった気持である。もちろん、盗作をする者の中には、これはバレることはあるまいと、たかをくくっているものもあるにちがいないが、市川が理解できるのは、そういった盗作者ではなくて、これは、おそらくバレるかもしれないと思いながらも、バレてもいいから、自分の作品が商業雑誌の上に初めて活字になる処を見てみたいというその種の気持である。  市川が高校教師を辞めた段階においては、最小限、食べていけるだけの収入が予定されていた。その予定の中には、谷中の口ききによる仕事も入っていた。  処が、彼が高校の教師を辞めて約半年した頃、思いがけない失敗を彼はしでかした。頼みとする谷中を怒らせるようなことを彼はしてしまったのだ。十年以上前のことである。  彼は、流行作家の谷中をモデルに小説を書いたのである。もちろん、臆病《おくびよう》な市川が、谷中を怒らせることを覚悟の上で書くわけがなかった。谷中を怒らせたりすれば、忽ち彼は生活の不安を感じなければならないからである。  市川がその小説を書いた意図は、それまで無名に等しかった谷中が突然流行作家になったことへの嫉《ねた》み、更に谷中の変貌に対する諫言《かんげん》といったものである。市川は、その時別にその文芸雑誌から、そういう種類のものを書くようにと注文を受けたわけではなかった。  その小説の題名は「作家の喧嘩」という。出だしはこうだ。 「私は村越享と喧嘩をした。二人の間柄は世間では親友ということになっている。  私はめったに怒ったりすることがなかったから、これは村越には思いがけないことらしかった。だから喧嘩になったともいえる。私がふだん怒らないのは寛容などからではなく、むしろ不寛容なことが多すぎるためにその一つ一つに怒りを爆発させたりすれば体がもたなくなるからである。……  私も村越も小説を書いている。どっちの名が売れているかというとそれはもう比較を絶するほどに村越の方が売れている。村越は今や推理小説界の大御所松山西北に次ぐほどにまでのし上がっている流行作家である。電車の中でふと眼を上げたそこにも週刊誌の広告ビラに彼の名は出ているし、たまたまその日の新聞の文化学芸欄に眼をやれば、そこにも『昨今の推理作家』という見出しのついた中に彼の写真が出ていたりするのだ。しかも、その写真の大きさは他の推理作家たちのそれを断然ひき離して、その大きい面積の中で村越は笑顔で受話器を耳に当てているのである。  私はといえば、レッテルは一つきりである。新人登竜門といわれているA賞の候補にこれまで五回挙げられたというのがそれである。いつも落選である。だが、この五回というのは最高記録なのだ。私は総て最高とか新記録でさえあれば気に入るという単純な性情の持主である。  しかし、この単純さもめったに怒らないからくりと同様にただの単純さでないという点にも村越との喧嘩の理由があるのである」  この中に出てくる村越は、もちろん谷中である。  この作品の最初の部分に「世間では親友ということになっている」という文章があるが、ここに、すでに市川自身のある屈折を見ることができる。  この作品を書く段階においては、市川は、谷中に対して親友の意識を捨てているわけである。だが、この作品によって、また、その親友の関係が回復されるかもしれないと、彼が思って書いたことも事実である。しかし、なにかしら動機には入り組んだものが感じられる。  この作品の中の私なる人物は、花井宏之という名である。  流行作家になった村越は、初めの間は、花井のことを編集者に引き合わす時、こういっている。 「紹介しましょう。この男が花井です、ぼくにあの作品を書かせた男です」  処が、 「そういうことが或る時からぷっつりとなくなったのである。村越は宗旨変えしたように、私の存在は彼の現在にとって関係がないというような態度をとるようになったのである。  或る週刊誌が村越のめざましい躍進ぶりを扱うために村越と私を並べた処で取材したことがある。その時、私は、記者に向ってこういった。 『村越にはぼくはいつも有益な忠告を作品の上で受けてきました』  こういえば村越もなにかお返しにいってくれるだろうと思ったからである。処が、村越は黙っていた。私は待ちくたびれてまたいった。 『非常にいいことをいってくれましたよ。短くても図星といったグサリとした忠告をね』  それでも村越は黙っていた。私はちらと村越を横眼で見た。村越は知らぬ顔である。私はあきらめざるをえなかった」  市川と谷中が喧嘩をしたその描写が、その作品の中ではこう描かれている。 「酒が入ると村越は自制力が弱まるくせがある。ことのきっかけは村越の次のような言葉である。 『きみはおれがぜにがなくて困っている時におれの家にきてはめしを食っていただろ、えっ? それに�末吉�のおかみもいってたぞ、ぎょうざだけとって女と三時間も二階の部屋にねばっていたって。きみはそんな男なんだよ。なにをニヤニヤしてるんだ。どんな顔したところで追っつきゃあしないんだぞ』  村越の形相はまったくものすごかった。村越はわる酔すると蒼《あお》くなって妙に陰惨な顔になることがあるが、その陰惨さに加えてすわった眼が青い憎悪をみなぎらして、それでも尚表現の不足を感じて歯ぎしりしているといったすさまじいものなのである。思わず気圧されて私はこんなことをいった。 『ぎょうざだけじゃなかったよ。豚の串焼きもだよ』  こう口に出してしまって私は自分のこっけいさに気づいた。豚の串焼きまでちゃんと憶えていることを村越に悟られてしまったではないか。私が急に村越に怒りを感じたのはその時からである。だが、私のような男には素直な怒りの表出というものは不可能に近い。だから怒りの爆発にも他人には入り組んで見えるかもしれないが私にしてみればひどく手慣れた手順というものが意識の中でくり拡げられるのである。 〈しめた。とうとう見届けたぞ。じつにおどろいたことだ。こんな顔をよくもこのおれに向かってできたものだ。思い上がっている証拠だ。それになんということだ。お里が知れてしまったではないか、めしを食っていたことを流行作家になった今になって持ち出すとは。その頃はおくびにも出さずに今になって持ち出すそのいやらしさ。たしかにおれはそういわれればそんな男かもしれない。だが、ヤツの今の顔やいい方にはおれ以上の下賤さがあるじゃないか。よし、ひとつ手本を見せて、ヤツの言葉を認めてみせてやろう。そうすればいっそうヤツの下賤さをきわだたせることができるわけだ。その上で堂々とヤツの思い上がりを突っついてやろう〉  私は少し頬《ほお》が寒いようなのを覚えながらいった。 『認めるよ。きみのいったことはおれの痛い傷だ。はずかしい傷だよ。きみしか知らない傷かもしれない。忠告ということについて教えられた気がするから、おれもお礼としてきみに忠告しておこう。今までおれは方々からきみが最近|傲《おご》り高ぶっていて鼻持ちならないということを聞いていた。それはそいつらのひがみだと思っていたが、昨日だったか確かな人の口から聞いておどろいた。まだそれでもうたがっていた』  ここまではまだ静かな語調だったが、これからあと私は怒鳴り始めたのだ。 『だが、今やっとわかった。この眼で今確かにきみの思い上がった顔を見た。前にはそんな顔は見なかった。みっともない成り上がり根性はすてろ』 『なに? おれが威張ってる? このおれが? いつ威張った? いったい、だれだ、そんなこといったのはだれだ?』 『だれ? そんなことはだれだっていいだろ。まったくきみはいつからそんな自信ができたんだ? 絶対に威張っていないなんていう自信がだよ。知らず知らずにということをきみは信じないのか? おどろいたものだ』  それからは『だれがいった?』『そんなことはどうでもよい』と烈しいやりとりになった。つまり村越は私が確証がなくてでたらめにそんなことをいって日頃のうっぷんを晴らしていると疑ってかかっているようだった。けれども、私がだれそれから聞いていたことは事実であったのだ。だが、名前を出すわけにはいかないのだ。その人にわるいというよりあまり口が堅くない村越などにしゃべってしまうと私自身あとで困ることになりそうに思われたからである。村越は私の親しい者の名を挙げ始めた。しかし当っていない。 『じゃあ、だれなんだ?』  また村越の眼に憎々しいものが燃え上がった。すると、私もつい怒りにかられて抑制を失い、一人の名を口にした。と、村越は一瞬ギクリとした強い視線を私に当ててきた。その眼に疑惑の色が濃くなる。だが、その眼は憎々しさを燃え上がらせる前に私のたじろがぬ視線に負けてあらぬ方にそれた。村越はそれまで前屈《まえかが》みになっていた体をソファにもたせ、髪をかきあげながら、心のどこかが痛むような声を出した。 『遊佐がねえ』 『そうだ、遊佐だ』  私は半ば自棄的にそう強調した。村越は他にだれがいったかはもう訊かなかった。遊佐の名を耳にしただけで参ったらしかった」  その作品の終りはこうである。 「朝、十一時近く、私は起きたばかりで、もう電気暖房器具がいらなくなったために少し手なれぬ涼しさを膝のあたりに覚えながら食卓の前で朝食がととのえられるのをぼんやりと待っていた。不意にそんな私の耳をラジオのアナウンサーの声が打ってきた。 『今朝は今さかんに御活躍中の推理小説の村越享さんをお宅にお訪ねいたしました』 『音楽はいかが』という番組なのである。途端に私は例のおもしろくない感情にとらわれていた。私の妻が、 『あら、村越さんじゃないの』  といっても、私は返事をしなかった。  村越がテレビの『現代の顔』というのに出た時私は朝眠っている処を妻に『村越さんよ』と起こされて寝巻のまま見たことがあった。喧嘩をした翌々日のことだった。私は村越が喧嘩のことで謝りに訪ねてきたと思って飛び起きたのだった。それにテレビの声は現実の声に非常に近いのでテレビの中の村越の声はまるで玄関からのように聞こえたせいもあった。その時私はテレビの画面に見入りながら入り組んだ気持にさせられた。自分の友人が画面に映っているという一種の連帯的誇りと自分はこういうことがないという嫉妬《しつと》や絶望やらが妙な工合に混り合って、小学校に行っている子供の保子が、 『あら、村越のおじさん、お父さんとおそろいのスウェーターを着てるわ』  とうれしそうなはずんだ声を出すのにも聞こえないふりをしていた。私は笑顔を努力してみるのだが、すぐにそれはくずれて私の顔がこわばっているのがわかるのだった。テレビの中で村越は小憎らしいほどざっくばらんなもののいい方をしていて非常に感じがよかった。こんな村越を見ては自分のせっかくの悪口もみんな信用しなくなるのではないかと、喧嘩直後のことだったので私は不安と失望を覚えたものだった。  それから一週間も経ってはいないのに今度はラジオである。村越の関西|訛《なま》りのある声が聞こえてきた。 『ぼくは、これからもぼくが憎いと思っている人たちを小説の中で殺していきたいと思っています。まだ殺さねばならない人がいますからね。普通一般には憎しみをさらりと流し捨てることがなにかいいことのようにいわれていますけど、ぼくはむしろ憎しみをいつまでも忘れないということの方が大切ではないかと思っています。それが作家だと思っています』  続いて祇園小唄が鳴り始め、それを背景音楽として私の耳底には村越の言葉が録音のように残っていた。その言葉は私の胸に一つの不気味な意味深い衝撃となって突き刺さってきた。それは私が村越から初めて聞く言葉だった。私はじっさいよくいってくれたと思った。なぜなら、村越に対してこれからもますますなまぐさい愛憎を執拗《しつよう》に燃やしつづけてゆくにちがいない私の心をその言葉は代弁していてくれたからである」  谷中は、それから間もなく、ある作品の中で市川とおぼしき邪淫《じやいん》の塊のように描かれた男を殺した。  その作品の中で、市川の細君の道子とおぼしき女はかなり傷つけられていた。道子がその作品を読まないようにと、市川は、そのことの方を強く願っていた。  なぜなら、その中で、谷中らしい男がおもしろ半分に、市川の細君の道子の陰部について、語り手に話すくだりがあるからである。その陰部にある細工をすると、道子らしい女が悦楽のために声をあげるという、しかも、いかにも事実めかした書き方をしている。  市川自身の不行跡だけであれば、道子も知っているから、この小説を読んでひどいショックを受けることは、先ず考えられないのだが、彼女自身についての箇所では、大きい屈辱を受けることはまちがいがなかった。しかも、全体に荒廃した家庭のなりふりかまわぬ細君といった感じに描かれている。  どうやら、無事に道子の眼につかずに済んだと、市川が安堵の胸を撫《な》で下ろしていたその時に、それまでそういった気配も見せなかった道子が、とっくに読んでいたということがわかった。  その時のことを、市川は、ある作品の中で書いたことがある。  その作品の中では、市川は永田という名になっていて、道子は光子という名になっている。 「永田はその夜、光子より先に横になって本を読んでいた。  光子は低血圧の者によくある宵っぱりで、しばしば永田のほうが早く眠りにつくことがあった。  午前二時頃になると永田は眠るが、そろそろ活字が眼に入らなくなった頃、光子は自分も寝《やす》むために部屋に入ってき、彼の蒲団《ふとん》の裾《すそ》を跨《また》ぐようにして通りながら、なにげないような口ぶりでこういった。 『大原さんてひどいわね』  永田は本に眼を向けたまま凝然となった。そして、 『読んだのか』  といった。  光子は黙っている。永田は、光子はなんとか克服したのだと思った。それか、光子には窺《うかが》い知れぬ大きい寛大な気持があって、そのために平気なのかもしれないと思った。 『だめな作品だよ。みんな大原はひどいやつだといってるよ。どうってことないさ』  永田はそういい、光子と彼との間には、以後、そのことについての話題はなかった。  永田が、その時の光子の気持について、ある女の友人を通して聞いたのは、それから数年後の光子と別居したあとのことだ。その女の友人に光子が話したことが、当時の心境をそのまま語っているのか、それとも着色して語っているかはわからない。けれども、永田に、その女の友人はこういった。 『奥さんあの時自殺しようかと思ったんですって。わたしが、�永田さんは奥さんにあれを読まれれば困ると必死でしたわよ�といったら、�ほんとですか�とびっくりしてたわ。あなたたち二人ともあまりにも知らないんだなと思ったわね、夫婦なんて意外と』」  もちろん、大原は谷中のことである。  谷中は編集者たちに好かれていたし、とにかく、マスコミの寵児《ちようじ》であった。谷中の傍におれば、なにかそのはなやかな余光に与《あずか》ることができるといったような感じがあり、その周囲は、いつも笑いに包まれているといった感じであった。彼は、谷中を怒らせるつもりもなく怒らせてしまったのである。  じっさいにはどうか知らないが、市川はその時点から、谷中を含めたジャーナリズム全体から足蹴にされてしまったような気持になった。  市川は、僻《ひが》みもあって、自分の方から、はなやかなジャーナリズムの世界に背中を向けてしまった。そして、彼は、少女雑誌や漫画雑誌から仕事をもらって、それで生計を立てることにしたのである。  市川は、それまで自分の小説を載せてくれた純文学の雑誌を出している出版社のビルを車の中から見かけたりすると、ひょいと眼をそらすようになった。  彼は胸の中で、〈関係ねえや〉と思った。  市川は、そのビルに代表されるジャーナリズムに、自分がまた復帰するなどとは夢にも思っていなかった。  彼は、生まれて初めて、その時世間を知ったといってよい。生まれつき世間的な感覚が欠落している上に、ずっと抵抗の少ない教師という世界で十年過ごしてきたために、それまで、彼にとって、世間というものはなかったようなものだった。  処が、ある風の吹き廻しによって、彼は新聞に女の小説を書くようになった。友人の小森の口ききによってである。小森は、随筆でもどうかなと思って、その新聞の担当者に口をきいてくれたのだが、結局、市川が書くのは小説になってしまった。  その新聞にそういった小説を連載することが、市川にとってはマイナスになるかもしれない、と小森はいってくれたのだが、市川は、とにかく金が入りさえすればよいと思った。  市川はべつに生活に困っているわけではなかったが、もっと金がほしかった。彼は、その金を女遊びに使いたかった。じっさい、市川は、金を貯めてどうするといったようなことを具体的に考えたことは、これまでなかった。  その新聞の連載がきっかけで、ほかのスポーツ新聞からも連載を頼まれ、情痴小説を書き続けた市川はその分野で徐々に認められていった。  市川が芸者と同棲生活をし始める頃から、彼は急速に忙しくなった。いつの間にか、市川は、週刊誌の連載を四本も抱えていた。  彼は小森に電話した。 「『週刊世代』から連載を頼まれちゃったよ。いやになっちゃう」 「だったら、断わればいいんだよ」  小森はそういった。  小森は、もともと病弱な体質を持っていたが、これまでの文筆生活のいろいろの無理のために、更に体が弱くなった作家である。小森がそういう時には、市川のためを思っていっている。そして、市川がじっさいに弱っていて、自分に相談をしているのだと受け取っている。 「書くのってあんまり好きじゃないんだよ。ただ、ぼくは弱いんだ、断わる時の声とか言葉とかがうまく出てこない」  小森は笑った。 「しかし、いやなものは断わった方がいいよ」  市川は、しかし、その連載を引き受けた。彼には、自分が引き受けることが初めからわかっていた。なんのことはない、市川は、小森に向かって嬉しい悲鳴をあげてみせたようなものである。  だが、小森には、嬉しい悲鳴というのがわからないにちがいなかった。  小森は、作家としてはエリートのコースを歩んでいる。しかし、それは傍《はた》から見ての話である。小森は苦吟し、できるならこんなことをやりたくないと思いながらも、それ以外には生計を立てる道がなくて、いやいややっているふうであった。  だから、小森は、流行作家になるくらいなら死んだ方がまし、と思っているにちがいなかった。  市川が原稿を断わらない理由として上げている、断わる時の声や言葉がうまく出てこないというのは、一部真実であった。  だが、それは一部の真実でしかない。彼がそういう言葉や声を造れないのは、彼が一流と認めている雑誌社の編集者に対してだけであり、彼が一流と認めていない雑誌社の編集者に対しては、わりと楽に、 「今、ちょっと忙しいんですよ。また、先になって電話してくれませんかね」  などということができたのである。  更にまた、彼は、それまで書いていた少女雑誌の編集者井口に対しても、こういった。 「これからは、ぼくは少女小説を書きたくないんです。それは、いろいろ注文があって、そっちの小説の方がぼくの性《しよう》に合っているからなんです。どうもぼくは、あの少女小説の性の場面の描写になると不潔を覚えちゃうんです。変に少女趣味にならざるをえないでしょう、あれが、どうも性に合わないんです。それから、もう一つの理由は、原稿料が安いっていうことなんです」  すると、井口はこういった。 「先生のおっしゃることはよくわかりますよ。ぼくも先生の原稿はほしい処なんですけど、先生もおっしゃるように、原稿料も安いし、それに、お忙しいしするから、是非ともなんていうことはとてもいえません。残念ながら諦めます」  市川は、井口にはかなり世話になっている。市川は下手《したて》に出たいい方をしているが、そのいい方の中には余裕があり、その余裕を支えているのは、前とは変って自分は売れてきているという意識である。  彼は、しかし、もしも純文学の雑誌から小説の注文がきたら断わらないにちがいなかった。純文学の雑誌の原稿料は、少女雑誌のそれよりももっと安いのである。  だから、原稿料の高低は理由にはならなかった。少女小説は文壇ジャーナリズムとはいえないのに対し、彼に原稿を依頼する雑誌の殆どが文壇ジャーナリズムの中にある。  それだけの理由で、彼は、少女小説を書くことを止めることにしたといえる。  市川は、雑誌が出る前に送られてきた刷出しを、その頃よく行っていた飲み屋の二階に谷中を呼んで見せた。  谷中は、その頃、まだ賞はもらっていなかったが、既に日の出の勢いに乗った流行作家だった。しかし、そんなふうになったについてはだれのお陰かね、といった意識が絶えず市川の中にはあった。  市川が、谷中に対してその刷出しを見せたのは、一種の自慢の気持からでしかなかった。 〈どうだ、よく見てるだろう、甘く見なさんなよ〉といったような気持からでもあるし、一方は流行作家になり、一方は※[#「木へん」+「兌」]《うだつ》の上がらない作家である処からきているいろいろの齟齬《そご》や屈折が、この小説を機に解消されるかもしれないといった期待があってのことでもあったが、そういった市川の期待は、刷出しに眼を通している谷中の額にふくれ上がってくる静脈を見た途端に崩れてしまった。  谷中は、爆発はまだ最後まで取っておこうといった工合に、ページをめくったあたりで顔を上げ、 「たいへんなことを書いてくれたな、ええ?」  といっただけだった。  その時の谷中の声や表情には、これまで市川が知らなかった面が出ていた。  市川は、その時、身が竦《すく》むのを覚えた。  彼は谷中に対して、そういうこわさを感じたことはそれまで一度もなかった。  もしも、そういう谷中の面を市川が知っておれば、市川はそういう小説を書かなかったにちがいない。  谷中は読み終ると、 「これが出たら、おれはまた元の稼業に逆戻りだ」  といい、市川は、〈それはたいへんだ〉と思った。  谷中の方が、市川よりも世間についてよく知っている。こういう人間だと谷中が世間に思われたりしたら、谷中にはもう原稿の注文はこなくなる。彼は、流行作家になる前の苦しい稼業に戻らねばならないという。 「しかし、もうどこも使ってくれやせんよ。たいへんなことをしてくれたなあ」  それから、編集者の島がその飲み屋の二階にやってきたのは、動顛した市川が電話したからである。  市川は、その時の模様を、約二月後に島に頼まれた小説に書いた。しかし、その小説は、結局雑誌に発表されなかった。そして、市川自身も年月が経つにつれて発表の意欲を薄れさせていった。  島はかなり評価したのだが、どういうわけだか載らずじまいになり、そのゲラは市川の書斎の押入れのダンボール箱の中に十余年経った今しまいこまれたままになっている。その紙は薄茶色に変色しているが、赤を入れた処や、削ったり書き直したりしたインクの色はまだ鮮やかである。その小説の題名は「虚弱種」という。その出だしに、こういう言葉がある。 「私はこれまで倉本のことを一度も『あなた』と呼んだことはなかった。初めて倉本と会った時でも『あなた』とは呼ばなかった。『倉本さん』あるいは『あんた』とかだったと思う。親しくなってからは『きみ』とか、時にはふざけ半分に『おまえ』とかだった。  それが今、いつの間にか、私は倉本に対して『あなた』と呼んでいた。いったい、どうして、こんな『あなた』などという呼び方になったのだろうか、と、私は、時間が停まったような衝撃が続く中で、倉本の激しい声を耳にしていた。 『きみが刷出しをぼくに見せようと思ったのは、きみがぼくに見せてくれた初めての親切なのだ。島さん、ぼくは直感でおかしいと思ってたんですよ。すると案の定これだ。こいつは、これが出るとたいへんなことになると知ってたんだ。だから、ぼくを呼んでこれを読ましたんです』  倉本は、言葉の途中で、私から島の方に眼を移し、私の小説の刷出しの数枚の紙を卓上に叩きつけるようにして、言葉を切った」  谷中の激しい怒りや要請にも拘らず、廻っている輪転機はもう停めるわけにはいかなかった。  その夜、市川は、本郷の仕事場に泊ることになった。  その時の描写が、その作品の中ではこうなっている。 「愚かなことをやってしまったという強い悔いと、そういうことに予め気づかなかった自分への腹立ちの堂々めぐりである。  私は、自分の体の占める空間が妙に大き過ぎるようなのを、寝床の中に感じていた。私の中で、乾いた音を立てて、なし崩しに崩れてゆくものがあるようだった。  外の廊下の電話ボックスでベルが鳴っていた。管理人はもう起きはしない。夜中の二時ごろに電話のベルが鳴るということは珍しいことだった。番号をまちがえたのがそのアパートにかかってくるような時ぐらいだ。  しかし、この時、私は、この電話はおそらく私にかかってきたにちがいないと思った。とにかく、私のあの小説のことでかかってきたにちがいないと思った。  私は起きて灯を点《つ》けた。寝床がいやに下方に敷かれているような感覚の中で、雨の音が聞こえていた。粒の大きい雨の音である。風の音もしている。天候の荒れは、まるで私の気持を象《かたど》るもののようである。却《かえ》って私は、象られたことで、深夜の戸外に敵を感じた。  受話器を取った私の耳を打ってきたのは倉本の声だった。他人行儀な厳しい声がこういった。 『あなたの誠意を見せてほしいんです。誠意がなければわたしには考えがあります。しかし、あなたがなにかの形で誠意を見せてくだされば別です』  私の口からも他人行儀な、ものを窺う口調が出てきた。 『いったいどのようにすればいいっていうんですか』 『それは、わたしに訊いたって知りませんよ。現にあなたはそこにいて、わたしのためになにもしてくれてないじゃありませんか。まだ配本は済んでいないかもしれないんですよ。発売は明後日でしょう、それをなんとかくい止めるとか……』 『そんなことは不可能でしょう』  私は、それほどに倉本に打撃を与えたのかと、もう憤激の方は消え失せ、その代わり、憤激を経由したためにそうなったのか、私の中に、初めて倉本の身になってみる心が萌《きざ》し、私は新たな動顛の中に突き落されていた。不可能でなければ、私は作品掲載を取り消すに異存はなかった。それどころか、自ら進んで願いさえするだろう。 『不可能かどうか、あなたは緑水社の社長を今から叩き起こすとか、そんなことをやっていないじゃありませんか』  倉本が、それまで私に向かって使ったこともない『あなた』とか『わたし』という言葉が、私にはたいへんこたえた。  それにしても、倉本の注文はむちゃに思われる。が、すぐに私は確信がなくなって、こんな電話を倉本がかけてくるのはよほどのことであり、それほどよくないことを私はしたらしい、と考えた。  それでいて、なにがそれほどよくなかったかは、依然としてわからなかった。わかるのは、倉本が私の作品によって甚大な精神的打撃を受け、それが怒りとなって現わされているという事実だけであった。  電話は切られていた。  私は部屋に帰り、壁に吊《つる》してある上着の内ポケットから手帖を取り出し、緑水社の編集者の島の自宅の電話番号を捜した。  夜中にダイヤルを廻しても、編集者という職掌の人はたいてい起きてくれる。  島もそうだった。島は寝床に入ったばかりで、まだ眠っていなかった。 『今度のあの作品を下ろすことができれば、そうしたいんです』 『もう雑誌は配本になって汽車に乗ってますよ。いったいどうしてそんなことができると思うんです?』  島の声の終りの方は、こんな返答をさせられていまいましく思うような、中っ腹な響きになっていた。  部屋に戻った私は、一種の安心を覚えて寝床に体を横たえた。もうどうしようもないという安心であった。あの作品は、すでに完全に私の手から離れてしまったからには、私がいまさらどのように動いた処でどうしようもなく、どうしようもないからには動かずに済むという、怠惰で投げやりな捨てばちな安心であった。その安心が、私を浅い眠りに落した。  ふと、私は、浅い眠りの中で、電話のベルが鳴るのを聞いていた。反射的に私は飛び起き、ドアを開け、電話ボックスに入った。  再び倉本の声だった。私は、島から聞いたことを倉本に告げた。すると、倉本は、それには直接返事をせず、こういった。 『あなたが誠意を見せてくれなければ、あす代理人を立ててあなたを告訴します。名誉|毀損《きそん》とプライバシーの侵害のかどで告訴します』  私は口がきけなかった。  私の法律的知識は幼児並である。告訴という言葉に、非情な鉄格子や、ニコリとも笑わぬ護送警官や、やたらといかめしい判決文やらが思い浮かび、たとえ私は少しもわるくなくても、私は、それらのいかめしさに圧倒されて口がきけなくなり、いつのまにか犯罪者に仕立てられて、刑罰を受けそうだった。  私は、自分が失神するかもしれないぞと思った。だが、失神などしなかった。  私は歩くことができず、寝る前に飲んだ抗ヒスタミン錠が効いてきたのか、けだるさを意識することができ、そのくせ、〈たいへんだ、たいへんだ〉と思っていた。自殺への意思が、滅びたい欲求として私の脳裏をチラチラ掠《かす》めた。  今から緑水社の社長の家まで車を飛ばして叩き起こしてみようか、と私は考えた。しかし、なにをやっても、雑誌が出ることは確かなことにちがいなかった。  私は、誠意を示すというより、誠意を示すふりをするために、社長の家に車を走らせてみようかと考えたのだ。  だが、私の中には、ついに、たいへんなことになったと思いながら、倉本が私に求めるほど の犠牲的精神は、湧《わ》いてこなかった。あとになって自分の不精を悔いることになるかもしれないと思いながら、私はやはり寝ることにした」  市川は、十余年前の、載らずに終ったその原稿を引き出して眼を通しながら、あの頃はじっさいたいへんだったと思った。彼は教師を辞めたばかりだった。これから筆一本で生活しようという時にこの事件だったから、路頭に迷うかもしれないという不安にも脅かされたのだ。  彼は谷中の援助を期待していたのである。だが、このことで、谷中と市川との間は切れてしまった。  市川は、谷中への詫状《わびじよう》を書かされたりし暗鬱《あんうつ》な月日を送り始めた。あの小説の結果、低劣な男だと大方の世間に思われ実害を蒙《こうむ》ったのは市川の方であり、むしろ、谷中はとんだ被害者と同情されたことも、市川にはたいそう意外なことであった。  ある批評家は「市川はつまらない作品で一生を棒に振ってしまった」と、ある雑誌に書いた。  しかし、今この小説を読んでみて、市川は、自己省察ができているようでできていないと思う。というのは、この作品の中では、谷中の中に捉《とら》えられている自分についての想像力が、まったく市川の中に働いていないからである。  彼は、この小説の中では、見栄も外聞もなく弱くなってしまったという自分をさらけ出すことに酔っている。けれども、谷中の目に映っている市川とはこういう形ではないはずである。したたかであったり、無神経であったり、谷中にもよくわかる屈折があったり、そして、そういうものが現われている市川の顔であったりしたはずである。 「天候の荒れは、まるで私の気持を象るもののようである。却って私は、象られたことで、深夜の戸外に敵を感じた」  という箇処などに遊びがある。  市川には、「却って私は、象られたことで、深夜の戸外に敵を感じ」るというのはどういうことなのか、十余年前に自分で書いていながら、よくわからない。  また、彼が驚いたことは、ショックを受けたにも拘らず、自分はあの時に眠ったということである。ほんとうにショックを受け動顛した人間が眠ったりできるものだろうか。  市川が谷中と、その事件以来初めて会ったのは、約九年が経ったパーティでであった。  そのパーティは、市川の親友の三条敏子が、ある文学賞を受けたためのものだったので、どうしても出ないわけにはいかなかった。そして、そのパーティに出るということは、その賞の選考委員でもある谷中と顔を合わすということでもあった。  それまで市川は、谷中と顔を合わせたくないためにパーティに出ないということがよくあった。  だが、今度は避けられぬ事態になった。市川の中には、谷中ノイローゼがまだ尾を引いていた。  そのパーティの中で、谷中と市川とを握手させたのが、谷中も市川も昔から知っているある編集者だった。  谷中は、こだわりのない態度でこういった。 「浮腫《むく》んでるんじゃないか、ええ?」  その時、市川は、急性肝炎を患って、退院してきたばかりである。その頃からすれば、市川はだいぶ太っている。  市川は、 「別に浮腫《むく》んじゃいないよ」  といった。彼はいやいや握手をしていた。  谷中はめっきり白髪《しらが》がふえていたが、人の心を覗《のぞ》きこもうとするようなあの眼つきは変りなかった。 「蜆《しじみ》を飲めよ、蜆を。肝臓にいいんだよ」  市川は、この時も、なんといっていいかわからなかった。しかし、谷中の傍からすぐに去ってゆくわけにはいかないので、グラスを手に持ったまま突っ立ち、あいまいな笑みを顔に浮かべ、あたりを見廻すふりをしたりした。 〈おとなと子供の差だ〉と市川は思った。  市川はこういう時、どうにもならない自分を感じてしまう。  仲介した編集者は「仲直りですね」といった。  しかし、谷中は、その言葉は気はずかしいといった顔を心がけていた。  市川は、「仲直りなんて……」といっただけだった。  その時、市川に声をかけてくる者がいて、市川は救われ、谷中に向って「また」といって、その場を離れて行った。  市川の中には、曾《かつ》て毎日のように会っていながら谷中に対して抱いた、懐しいようなあの感情は、もはやなかった。  谷中とのことがあってから、市川はしょっちゅう世田谷の太子堂に行くようになった。太子堂には作家夫婦が住んでいた。その夫婦は市川程度にうだつの上がらぬ、田野米彦と三条敏子である。  その二人の存在は、その頃の市川にとって、どれほど救いになっていたかわからなかった。傷心の市川を、この夫婦は旅に連れて行ってくれたし、田野は、市川の好きなピンポン玉を使う野球の相手になってくれたりした。  市川は、よくこの夫婦の家に泊りに行ったものだ。そして、三人は、よくめいめいの作品を読んで批評し合ったりした。  田野はたいへんな自信家で、こういえばああいうという理屈が非常にうまかった。  市川は、その頃、田野の理屈に感心させられていた。自分についても、自分の作品についても、すっかり自信を失っていた時期なので、いっそう市川に対して、田野は強い影響力と暗示力を持っていた。しかし、人に自分のいうことを聞かせても、人のいうことには深く打たれることがなさそうな田野に対して、市川はときどき批判を持ち、三条敏子と二人して田野を罵《ののし》ったりしたが、田野の前でその言葉を口にすると、三条敏子と二人だけの時には、いかにもシッポを把《つか》まえたといった感じのその言葉も、忽ち色|褪《あ》せてしまって、簡単に田野特有の理屈に一蹴され、彼は二の句がつげないのだった。  田野は、他人のことはよくわかるが、自分のことはよくわからないというふうな処があった。後に市川は、だんだんとそんな田野から、精神的に離れていったのだが、その頃の市川が田野から受けた恩については忘れてはいない。  三人は夜遅くまで話し合った。  その時、田野が、正確にはどういった言葉で自分にしゃべったか、市川は憶えていないのだが、要約すると次のようなことである。 「きみは小さい頃から、自分のことをどういうふうに思っていたかね?」 「どんなふうにって、どんなことだい?」 「いやさ、自分についてだよ」  田野は小さい頃に小児麻痺に罹《かか》り、そのために軽く足をひきずっている。そのことが、彼が作家になった上で大きい一つの理由になっている。  小学校の頃、友達が野球をしている。彼は足がわるいので、選手に選ばれることなどはとっくに諦めている。処が、ひょいと彼は、ライトを守れといわれたのだ。その時の嬉しさについて、田野は、ある小説の中で書いている。 「きみは、確かに、なにか自分については思っていたはずなんだよ。それを忘れていると思うね。きみの作品を見てみても、それを忘れた顔が出ているんだよ。おそらく、きみの初期の作品にはあったと思うんだ。つまり、忘れていないものが、きみにものを書かしたと思うんだけど、文芸雑誌に載ったり、そして、新人賞の候補になったりなんかしているうちに、きみは少しずつ増長して忘れたんだと思うね。いや、きみは最初から意識はしてないんだよ、きみにものを書かしたものがなんであるかについてはだね。きわめてそれはうっすらとあったんだよ。そのうっすらとあったものが、ますますきみの中で虐待を受けている。しかし、その虐待を受けているうっすらとしたものが、今、チャンスを把みつつあるんだ。きみは、昔自分のことをどう思っていたかなあ」  田野の眼を見て、市川は、田野が今|毀《こわ》れものを扱うような気持で自分に対しているということがわかった。  田野自身も、今がチャンスだと思っていっているような気配が市川に伝わってくる。  どうやら、それはかなり重要なことのように、市川には思われた。自分のことに関しては見えない面があっても、他人に関しては、名人のようによくわかる男である。  今、田野が、自分に愛情を持って話しかけているということが、市川にはじつによくわかった。  その時、傍にいた三条敏子が通して黙っていたような記憶が市川にはある。彼女も、おそらくこの時の田野の言葉には同感で、市川に対して毀れものにさわるような気持であったにちがいなかった。つまり、きわめて微妙な時間に三人はいたわけである。  たしかその夜は夏であったような気が、市川はする。  この作家夫妻が住んでいる家は、その頃、市川にはとてつもなく大きく見えた。  この家を、田野は父親から譲り受けた遺産でもって建てたのである。その遺産を、この夫婦は少しずつ食い潰しながら、小説を書いているというわけだった。  夜が更《ふ》けると、網戸越しに入ってくる外の空気が、涼しさを屋内に運んでくれている。 「おれがどう思っていたっていうんだよ?」  市川は、深刻な重々しい雰囲気になると、それが照れくさくて、わざと茶化すような癖がある。  おそらく、同じ癖を持つ三条敏子も、普通だったら同調する処だが、その時は〈そんなふざけてる場合じゃないわよ〉といったふうに、ごく軽く、それが癖の「フン」というふうな笑いを洩らしただけだったと市川は憶えている。  田野は答えずに、やはり、毀れものを扱うようなやさしい笑みを顔に浮かべて市川を見ていた。そんな笑顔の時、特に田野の眼尻には笑み皺が数多く刻まれたものだ。そして、その笑みには、彼自身なにか無理をして痩《や》せ我慢して笑って見せているといったような感じがあったものである。  田野は市川に答を与えなかった。そして、もう遅いからというので眠ることになった。  市川は、いつも、三条敏子が仕事をする部屋で寝ることになっていた。  いつもならすぐに眠ってしまう処だが、市川は、珍しく考えさせられていた。小さい頃から自分のことをなんと思っていたか。しかし、答はきわめて簡単なものであった。果して、それが答といっていいものだろうかと不安なほど、簡単なものだった。  しかし、その簡単な答について、市川はこれまで考えたことがなかったことも事実だった。そういうことはとっくの昔にわかっていながら、気がついていなかったといった方がよかった。  そういうことに気がついておれば、彼は、作品の中で情事一つ書くにしても、女をちょっと描写するにしても、かなりちがったニュアンスになるにちがいなかったのだ。  そして、その簡単なことは、こういう時だから簡単なことであるのであって、もしも、彼が文学新人賞などをもらった直後であってみれば、とても引き出すことが困難な記憶であり、答であるにちがいなかった。  たしか、田野がいっていることはこのことにちがいない、と市川は思い、いつの間にか眠りに落ちていった。  彼は割と早く眼が醒め、階下に降りて行った。そして、手伝いの女が出してくれた冷たい紅茶を飲みながら新聞を読んだ。彼の眼には新聞の記事も克明には入ってこなかった。  市川は、三条敏子や田野米彦が起きてくるのを待って、早くその答を口にしたくてならなかったのだ。それは、なにかこわい、肌に粟《あわ》が立つような時間だった。  そんな時、三条敏子が起きてきた。彼は三条敏子にはなにもいわなかったが、三条敏子は、〈いつもとちがった顔だな〉といったような少しとりすました眼を彼に向けた。  田野米彦がパジャマ姿で起きてきた。彼は市川が読んでいる新聞の裏の方に眼を注ぎながら、冷たい紅茶を、飲み始めた。そんな田野は、昨夜のことなどすっかり忘れているような顔である。  そんな田野に、市川はこういった。 「おれ、小さい時から、自分のことをよくないと思ってたなあ」  例の眼尻に皺が数多く走り、自分自身なにかを痩せ我慢して笑っているような、そんな笑みを顔に浮かべ、田野は、 「そうだろう」  と我が意を得たりといった声になっていった。  じっさい、市川は、自分の顔を見て、あるいは、なにかするにつけて、自分を醜いと思っていたことは確かである。  だれでも、町を歩きながら、ショウウインドに映る自分の最初の瞬間の顔については、あまり気に入らないものだ。そして、すぐに取り繕う。取り繕ったあとの自分をほんとうの自分だと思いたがる。そして、最初の瞬間の気にくわない自分の姿のことは忘れようとする。  市川は、よくない自分について、その日からは忘れることがなかったといってよい。  そして、こういうことも彼にはわかったのである。  ものごとがわかるということはかなりむずかしいことだ、ということだ。わかってみれば、すべてコロンブスの卵のような簡単な仕掛けなのだが、そういうことがわかるにはタイミングが必要である、ということである。  それに、わかるということは決して頭ではない。  このこともまた含めて、コロンブスの卵のような簡単なことではあったのだが。  女の子というものは不思議なものである。それは、個性というよりも複合体のように市川には思われることがある。うまくいく時は、次々と、嘘《うそ》のようにうまくいくし、うまくいかない時には、まるで場所がわるい処では釣れない魚のような工合に、うまく引っかかってくれないのである。  うまく引っかからないことが続くと、彼は、自分がバカにされたというよりも、作家全体がバカにされたような気持になった。  そんなあと、久しぶりにうまくゆくと、市川は、寂《さび》れた商店の主人が稀に入ってきた客を歓待するような工合に、揉《も》み手をしたいほどの気持になった。  そんな市川に対して、理花が、 「先生ってやさしいのね」  といった。  市川は、洋服ダンスから浴衣やタオルを取ってやり、それに、理花が服を吊すハンガーまで渡したりし、彼女がこれから入るにちがいないと思い、浴室に湯を溜《た》めに走ったりし、更にまた、ムード造りのために、ミュージックと書かれているボタンを押し、部屋の中にムードミュージックを流しさえし、普段はあまり浮かべたことのない笑みを理花に向けたりした。  市川は、これまで、理花に二度スッポカシを食っている。二度スッポカシを食わされた女に対しては、市川は諦めることにしているのだが、理花は店を移ったのだ。  これまでいた店はオール制である。それが、今度は売り上げ専門の店に移って行った。保証も高くなる。どうしても客の数を集めねばならない。理花は、市川の処に電話をよこし、会ってくれといった。  二人は土曜日に会った。同伴出勤のためである。しかし、電話の時に、市川はこういってあった。 「前のスッポカシの贖《あがな》いをつけてくれよ」 「わかってます」  理花はそういったが、二度あることは三度ということもあるので、彼はあまり期待せずに理花と会った。処が、理花は会うなり、 「お店のあとじゃだめなの、先生は? だって、髪がこわれちゃうでしょう」  そういった。  市川は、店のあとの女と会ったりすることはない。彼は、その理由を、女たちには、翌日の仕事に差しつかえるからといっているのだが、じっさいは、細君の暢子との諍《いさか》いがいやだからである。  じっさいには、浮気をしようと思えば、夕方でも店のあとでも同じことなのだが、午前零時に家に帰るのと、午前三時に帰るのとでは、浮気の有無とは別に、暢子が受ける感じのよしあしがちがってくる。  理花に対しても、市川は、他の女たちに用いるのと同じ理由を口にした。  彼は、まっすぐに連れこみホテルにタクシイで向かった。 「まだ明るいのね」  などと文句をいいながらも、理花は随《つ》いてきたのだ。小柄で、よく腰がくびれた女である。  けれども、彼が予想していたほど、その部分は狭小ではない。最初のせいで人見知りをしているのか、感じ方も深くはない。彼は、いくらかの失望と疲れのために体位を変え、自分が仰向けになることにした。  理花は、少し恥ずかしそうな顔になり、行ない始めた。恥ずかしそうな顔になる度に顔を傾《かし》げ、薄いはにかみ笑いを浮かべる。そのくせ、思いきった動き方である。一旦宙に浮かしてから下ろしてくる。  市川は、そのやり方を見た時に、理花が会っている男は若い男にちがいないと思った。そして、彼の方は、自分の衰えを気づかされたのである。宙に浮かして下りてくる勢いに耐えるほどの硬度を、市川のその部分はその時持っていなかったからである。  理花はそのことに気づいたのか、やがて、浮かすことを止め、動きを弱めた。すると、やっと市川は、理花の中で回復していった。  理花は、行ないながら、ときどき上気させた顔を、はにかむ工合に傾げてみせる。  市川は特定な女を造るようなことはなかった。特定な女を持つことに意味がないからである。  では、なぜ暢子と結婚したかという問が彼の胸に生まれる。そのたびに答は決まっている。その時には、その意義があったのだ、と。  彼は、約二十年一緒に暮した道子のいる家から飛び出し、芸者と同棲し、しばらく経った頃、こう思ったものだ。 〈ああ、ホテルに住みたい、ホテルで一人きりで自由に過ごしたい〉  その芸者の弥生は、かなり嫉妬心の強い気性の強い女であった。弥生からの束縛感のために、彼はそう思ったものである。  やがて、その弥生に男ができた気配があり、彼は同棲の必要がなくなり、自分自身の権利を主張するためもあって、ホテルで寝起きし始めた。  処が、やってみると、決して天国ではなかったのである。もちろん、市川は浮気を続けていた。  市川は、ホテル住まいを始めてからは、たいてい帰りが午前三時ごろになった。浮気をして、連れこみ専門のホテルで女を抱いて帰ることもあれば、女と一緒にサパークラブにゴーゴーを踊りに行ったりすることもあった。彼は女を送ってからホテルに帰った。  彼がいちばん虚《むな》しい気持にさせられるのは、その午前三時近くのホテルの部屋であった。凡ゆる女が彼に背中を向けて去って行くように思われたのである。みな、めいめい帰る処を持っているのに、自分だけに帰る処がない。そういった気持に彼はさせられた。  そして、市川は、自分は弱い男だと、つくづく思い知らされたのである。自分の中には、そういった弱い甘さがないものだと、彼はそれまで思っていた。  マイホームという言葉がある。家庭第一主義の考え方を、それは指している。  市川は、家庭の幸福などといったものはあまり顧みたことはない男だと、自分について半ば自慢し、半ば愛想をつかす感じに自認していたのだ。  もちろん、彼がその時味わった寂寥《せきりよう》は、マイホームそのものとはいえなかった。ただ、その感情がマイホームと繋がりがあることは確かである。  そんな時に、市川は暢子を知ったのだ。そして、暢子は、その時の市川の感情にふさわしい女といえた。  市川は、娘の百合とは別れて住んでいる。  百合は母親の道子と一緒に住んでいる。  たまに、市川は百合と会うことがある。会っても特別な話はない。別に懐しいとも思っていない。  市川が、百合や道子のいる家を飛び出た頃、百合は大学に入って一年経っていた。  市川は芸者との同棲生活を始めたのだが、その頃、母親と歩いている高校生ぐらいの女の子を見る度に、眼を背向けたいような気持にさせられたものだ。自分が棄てた幸福がそこにあるように思ったからである。  娘は甘ったれた感じに母親の腕を把み、母親の方は、娘の甘ったれに対して、〈どうしようもないわね、あなたって〉というような、やや気むずかしそうな顔をして歩いている。 〈なんという贅沢な気むずかしさだ〉  と、彼は思ったものだ。  母親も娘も、今の幸福を当り前のことと受け取っている。  その幸福が自分の側にはないし、そして、父親に逃げられた百合の側にも、今はないかもしれないと彼は思った。  しかし、そういった胸の痛む思いも、年月が癒《いや》してくれる。  市川と百合とは喫茶店で向き合っている。  百合には許婚《いいなずけ》がいる。  その許婚と、市川は会ったことがある。折り目正しい、礼儀を弁《わきま》えた若者である。かつての若い頃の市川になかったものが、そっくり備わっているといった男だ。いろいろの運動をこなすスポーツマンで、凜々《りり》しい顔立ちである。家が経済的にたいそう豊かなのもいい。  市川は、百合がその許婚の男と、すでに肉体関係を結んでいるかどうかということについても、殆ど関心がない。  百合がまだ小さい頃、定時制の夜間部の教師だった市川は、同僚たちと町の飲み屋で過ごして遅く帰った夜など、眠っている百合を一旦起こしてみたくなることが度々だった。  そして、百合が、 「おかあさん、またおとうさん起こすのよ」  といって、泣き声を出すのを聞くと、なんともいえない喜びを覚えさせられたものだ。  やがて、百合が嫁に行く時は、さぞ辛い思いをするだろうと、彼は、その頃考えた。  だが、市川は、今では、百合が嫁に行くことを少しも辛いとは思わない。むしろ、気がかりなことが一つ減ってよかったという気持である。  自分の娘が嫁に行く時に、ほかの男に自分の恋人を取られるような辛さを味わう父親が多いと、市川は聞いているが、その気持がわからないわけではない。しかし、その気持を高く評価するわけには、市川はいかない。  三条敏子がいったことがある。 「父親にそんな気持があるなんて知ったら、おそらく、娘たちは幻滅するわよ。吐き気を催すんじゃないかしら」  市川もその言葉に同感し、こういった。 「つまり、そういう父親は女慣れしていないんだよ。仕事に追われ、マイホームの夢に追われて、すっかり気弱になっているんじゃないかなあ。浮気でもすりゃいいんだ。そうすれば、そんなみすぼらしい気持にならなくて済むよ。ぼくがいちばんいやなのはねえ、娘を取られるというその辛さを、なにか自慢気に思っているおやじが多いということだよ。これはいやだね」  市川は、百合よりも年下の女とも寝ている。  初めて、百合より年下の女と寝たのはいつだったかということさえ、彼は憶えていない。寝たあと、年を訊いてみて、〈そうか、百合より年下か〉と思ったことがあることは憶えているが、その女がだれだったか、そこの処ははっきりしていない。  百合より年下の女は銀座の酒場の子だったが、彼はその時、それほど頑丈なものではないにしろ、ある拘《こだわ》りが自分の中で取り払われたのを感じ、〈なんてことないな〉と思ったものだ。  百合が市川の小説を読んでいるかどうかについても、市川は知らない。どちらかというと、読まれたいとは思わないが、その気持は、以前、いわゆる純文学といわれていた作品だけを書いていた時も同じである。  市川は、百合の結婚式のことを思うと憂鬱である。外国で、二人きりで挙げてくれればいいのだが、相手側の家が、とてもそういうことを納得する考えを持ち合わせていないらしい。  結婚式には道子もやってくる。いったいどんな顔をすればいいのか、と市川は思うのだ。  市川は、ものを書く生活の中で少しずつ尻を捲《まく》る練習を積んできたと思っている。〈結局、その時も尻を捲る以外にないな〉と、市川は、自分にいい聞かせる。 「おまえ、少し顔が長くなったなあ」 「わたし、ほんと?」 「髪型を変えろよ、ますます馬づらになる」 「失礼ね、馬づらなんて。オトアンに似たんじゃないの」  中学生ぐらいの時から、百合は、はっきり「おとうさん」と呼ぶことを照れて、「オトアン」と呼ぶようになっている。 「おれに似てればもっといいさ」  百合は笑う。百合は、母親に似て生まれていれば美人になっているにちがいないという考えを持っている。  百合が子供の頃、市川はしょっちゅう百合を笑わせていた。  しかし、百合は、大きくなるにつれて、もう父親のふざけに慣れきって笑わなくなった。小さい時、百合は、笑い過ぎるとシャックリを起こしたものだ。  大きくなっても、笑っている時の百合の顔には、小さい時の面影が急に強く浮き出てくる。  市川が百合と会って話す時間は長くてもせいぜい一時間半である。  市川の眼の前にいる岡野は、白髪がかなり多い温厚な顔だちの男だった。  岡野は出版社の重役である。岡野は、彼の小説集を出したいという話で市川の家にやってきたのだ。  市川の家といっても、それは借家である。この家が借家だと聞くと、岡野はびっくりした顔になった。 「お建てになればいいのに」 「そのうちにと考えているんですけどね」  市川は、しかし、家を建てることにある不安を抱いている。家を建ててしまえば、そこに住みつかねばならないからである。  家を建てるということは、今の暢子との関係が不動のものであるという前提に立っている。  市川は、なるべく面倒を起こしたくない。もう女との問題はこれきりにしたいと思っている。しかし、なにがどう変ったり起こったりするか、わかりはしないのだ。市川の側にそれは起こるかもしれないしまた暢子の側に起こるかもしれない。暢子はまだ二十代半ばの年齢である。一ぺん建てられた家は、そこにいつまでも建ち続ける。その家が火事になったとしても、その土地はいつまでもある。その不動の感じが市川には重いのである。  ただ、市川が家を建てるとしたら犬のためだ。自分自身の考えによって家を建て、もっと広い土地を犬たちに開放する。そして、便所は一階だけでなくて二階にも造って、それは洋式にする。  それから、彼の書斎は、ものを書くためというよりも、硬球のピンポン玉を使ってやる野球に似た遊びに適した部屋にする。その遊びは一対一でやるのだ。ピッチャーはあぐらをかいて座椅子の背中に向かってピンポン球を投げる。打つ方は、すりこ木を構える。走る必要はない。どこに当ればホームランとか、三塁打、二塁打、単打と決まっている。フォアボールもある。今の借家の彼の書斎では長さが不足している。  しかし、市川がピンポン野球と名づけているその競技について、なにも知らない人に説明をするのは滑稽《こつけい》なことだ。  市川は、岡野の慇懃《いんぎん》なもの腰や声に接していながら、なにか不思議な気がするのだ。  これは今に始まったことではない。彼の原稿が売れるにつれて、彼が忙しくなるにつれて、彼は、人と会うごとに〈ちょっと変だぞ〉と思う。  そんな時、彼は、相手を陸軍中尉に、自分を二等兵に置き替えたり、あるいは、相手を部長に、自分を係長に置き替えたりしている。  どう見ても、市川は、自分が将校であったり、管理職であったりという器には思えないのだ。だが、彼が会う人々の殆どは、管理職に適しているか、あるいは将校に適している。これが軍隊なら、おれはぶん殴られている処だと思ったり、これが会社だったら、おれは、この男の渋面の前にビクビクして立ち尽くしていなければならないかもしれないと思ったりする。  処が、なにかのひょいとしたまちがいで、この男たちは市川に対して腰を屈め、遜《へりくだ》った声を出している。  だが、それは今だからいい。こちらが図に乗ると、不意に相手は打って変って、「下手に出ればいい気になって」などというかもしれない。  市川の感慨を翻訳すれば、そういったものなのである。  彼が、会う人たちに威張った態度ができない唯一の理由は、その感慨のためといってよい。  なにかのまちがいで、ちょっとした狂いによって、自分は、こうした男たちに下手に出なくてもいい立場にいる。しかし、世が世ならば、これらの男たちは、みな市川自身が下手に出なければならない、そういった存在にちがいない。  そして、市川自身は、自分について〈世が世ならば〉などとは考えないのである。そして、市川は〈世が世ならば〉の立場に、現に今いるとは少しも思っていない。〈世が世ならば〉というのは、〈本来ならば〉ということなのだ。  市川は、本来ならば自分はこういうふうに運のいい状態にいるわけはないと思うのだ。運がいいというのは、今の時代が市川に合っているということでもある。  今の時代日本には戦争がない。もちろん、ベトナムには戦争が起こったし、小さいいざこざが世界のいろいろな処に、歪《ひずみ》のように生じてはいるが、直接に日本には関わり合いがない。今にも日本に軍国主義が擡頭《たいとう》するというような報道がなされているが、少なくとも、今の処は平和である。  しかし、市川には、今の平和がほんの偶然のような気がするのだ。あまりに虫がよ過ぎる、そういった時代のように思われるのだ。この虫のよ過ぎる平和が、彼が死ぬまでの間続いてくれさえすればいいのである。  戦争中の、あの暴力の暗黒の時代の空気を市川は吸っている。あの暴力が、ほんの気まぐれを起こして、〈さて、そろそろ始めるかな〉などといって動き始めたならば、市川などは吹けば飛ぶような存在である。  普段はおとなしいニコニコした顔の男が、酒が入ると突然に軍歌を歌い始めることがある。すると市川は、吹けば飛ぶような自分を感じるのだ。  このおとなしそうなニコニコ顔の男が、暴力の時代においては、水を得た魚のように突然いきいきとなり、顔から笑みを消し「こら、きさま」などと叫び始めるのではないかと思われ、その時の顔が眼に映る感じになることがある。  彼はタクシイに乗っていた。  タクシイの運転手としては、かなり気持のいい部類の男である。穏和な口のきき方をし、「暑くなりましたねえ」などという。  市川は、タクシイの運転手をいつもこわいと思っている。そんな時に、このような運転手に出会うと卑屈な気持になり、世辞の一つもいいたくなる。  と、そんなタクシイの運転手が、突然、 「ニューギニアではアメリカ兵をたくさん殺しましたよ」  と、自慢げに話し始めたのである。  市川は、その運転手に幻滅を抱いた。彼は、ただ「ほう」とか「へえ」とかいっているだけである。特に、その運転手は落下傘で飛行機から降りてきたパイロットに関しては容赦しなかったという。 「その場でぶった斬ったもんですわ」  運転手はそういった。  市川は降りたあと、なにかいってやればよかったと思った。  市川が怖れているのは、その運転手の中に流れている感覚である。その感覚が、ある日突然眠りを醒まし、伸びをし、〈そろそろ始めるか〉といい出しはしないかと怖れているのである。そういう時代では軟弱さが厭《いと》われる。市川が書いている小説などは真っ先に槍玉に上げられる。  市川は、どんなに親しい連中が軍歌を歌っている時でも、それには同調しないことにしている。  彼は、軍歌に対して懐しさなど持っていない。恐怖の記憶があるだけである。軍歌を愛好している連中に欠落があるのか、それとも、軍歌に懐しさを見出せない市川自身に欠落があるのか、そんなことは市川にはどうでもよい。彼は、胴間声を張り上げて軍歌を歌っている連中の中に、凶悪な影が動くのを見る気がするのだ。  岡野は、ずっと笑顔を崩そうとしない。彼は、沈黙が漲《みなぎ》るのをおそれる工合に、ひょいと思いついたことを口にしようと努めているようだった。  出版部の責任者の岡野は前の責任者と交代し、出版部に活を入れ、どんどん売れる本を出してゆきたいという。その売れる本の中に市川の本が選ばれたのである。  市川の作品をほかの出版社に取られないために、岡野は、市川に対して慇懃な物腰を努め、笑顔を心がけ、気まずい沈黙が訪れるのを避けようとしている。  市川は、岡野からしてみれば、窓外を走っている風景のようなものではあるまいか。今、窓の外に見えているのが市川にすぎないのである。やがて、市川は過ぎてゆき、また別の男が現われ、その男に向かって、岡野は笑顔や慇懃な物腰を心がけ、沈黙が訪れないようにと、思いついたことを、なんでも口にしようとする。  市川は、岡野の笑みを浮かべた眼が自分に注がれているのを見ながら、自分が少しも岡野に見られていないような気になっていた。 「最近、先生はテレビにお出になりましたね、あれはなんでしたっけ、『11PM』でしたっけ?」 「最近出たのは『23時ショー』ですよ」 「ああ、そうそう、それですよ、ぼくが見たのは。テレビだと太って見えますね。太られたなあと思って、それで、きょうお目にかかって、そんなに太っていらっしゃらないんで、テレビっていうのは太って見えるんでしょうかね」  彼がテレビに出ると、必ずだれかが見ている。そして、テレビの番組は、ほかの局のとよくまちがわれていわれることがある。  だから、視聴者といったものは、どこの局のなんという番組などということは、正確に憶えているものではないらしい。ただ、だれだれが出たということだけは記憶に残っているらしい。  岡野のいい方には、テレビに出ることを、なにか特別なことと受け取っている節がある。  市川は、テレビに出るのがだんだんきらいになっている。それは、必要以上に顔を憶えられるというせいもあるし、ギャラが安いというせいもあるし、テレビに出る度に、なにかチャチなままごと遊びをやっているような気持にさせられるためでもある。 「岡野さんは兵隊に行かれましたか」 「ええ、三年ほど行きましたよ、中国大陸でしたけどね」 「位はなんでした?」 「ぼくはポツダム中尉ですよ」 「じゃあ、偉かったんですね。ぼくは万年二等兵だった。軍歌なんかお好きですか」 「今でも、酒を飲むと口を衝いて出てくるのは軍歌なんですね」  岡野の眼は細くなっていて、きわめて柔和な状態である。  しかし、この眼が見開かれ、「気をつけっ」と怒鳴る時のことを、市川は想像してみる。 〈日本人の血の中にはなにかがある〉  と、市川は思わざるをえない。  作家三島由紀夫らの自決にしろ、浅間山荘の赤軍派のあの事件にしろ、テルアビブの空港での乱射事件にしろ、である。  あれは、平和の中に鬱積した日本人の血の小さい噴火のようなものではあるまいか。  市川は、日本人の中に流れているそんな血がきらいである。しかし、彼の中にも、それらの日本人と同じ血が流れていることは確かなのだ。  彼は中学生の頃長崎にいた。教会と牧師館とは、庭で隔てられていた。  市川と市川の弟の次男は、二階の部屋を当てがわれていた。  市川は受験勉強に勤《いそ》しんでいた。白線の入った高校の帽子を被って女にもてたいという一心からである。  窓にヤモリが現われる。ヤモリが現われると、次男と市川は、火箸《ひばし》を使ってそのヤモリを捉《つか》まえにかかる。憂鬱な勉強の時間の気晴らしである。ヤモリは雨戸の戸袋の方から、窓ガラスの桟《さん》を伝わってやってくるのだ。トカゲよりやや小さく、その皮膚は灰色と土色を混ぜたような色合いで、つがっているのもいる。ヤモリの男根は桃色で画鋲《がびよう》の針ぐらいの大きさである。  そのヤモリを、カマボコ板の上に火箸で押えつける。そして、その上から蝋燭《ろうそく》の蝋を垂らすのだ。必死にあばれていたヤモリの体は、やがて動かなくなる。火箸で押えつける必要もなくなる。  カマボコ板の上に蝋で固められたヤモリの姿が、いつも、朝、登校の時間の勉強机の上にほったらかされたままになっている。市川たちはその行為について父や母から注意を受けなかった。  市川は、次男とそういった気晴らしをやりながら、毛ほども自分が残酷なことをしているなどと思ったことはなかった。  市川が教師生活を辞めて半年ほど経った頃、谷中が、文学新人賞とは別の文学賞をもらった。谷中はますます勢いに乗った感じである。  その頃、谷中と市川との間は、決裂して約二月が経っていた。  谷中がその文学賞をもらったことを知った時、市川は、泣きっ面に蜂《はち》というような気持になっていた。  その翌日、市川の処に、あるテレビ局から電話があった。谷中と、テレビの番組の中で会ってくれというのだ。  市川は、テレビ出演を頼まれたのはこの時が初めてである。 「ぼくと谷中とのことを知っているんですか」  すると、相手は、 「ええ、だから却っておもしろいと思いましてね」  そういった。 「ぼくはとてもだめですよ」  市川はそういって、少し名残り惜しい気持を持ちながら断わった。  これで、おそらく自分の処に一生テレビからの出演依頼の電話がかかってくることはないだろうと思った。ただ一回のチャンスを彼は逃がしたわけである。  谷中との友好が続いておれば、彼は、もちろんテレビ出演を引き受けたにちがいなかった。  テレビに出る人々は特殊な人々だと、市川は思っていた。テレビに出ない人々は一般の人々である。市川は、特殊な仲間に入りたいと思っていたのだ。  その時、市川は、自分はなんとバカなことをしたものだと、自分を責めた。あんな小説を書きさえしなければよかったのだ。  しかし、市川には、小さい時からそういう処がある。  彼は、小学校に行く直前の年齢の頃、近くの菓子屋の店頭に石を投げこんだことがある。いたずらの気持はまったくなくてである。店の中にノラ猫が一匹入って行ったのだ。  市川はそのノラ猫を退治しようとして、ノラ猫目がけて石を投げた。処が、菓子屋の店先というものはガラスの山のようなものだ。石が猫に当ったとしても、撥《は》ね返ったその石はガラスを割るにちがいなかった。しかも、その石は猫に当らず、菓子が入っているガラスの壺《つぼ》に当ってしまった。  割れる音が起こり、市川は家に逃げ帰り、二階の部屋に隠れていた。  しかし、バレないわけはなく、母が部屋にやってきた。彼は、ひどい折檻《せつかん》を受けるにちがいないと覚悟していたのだが、その時、どういうわけか、市川の父も母も、市川に対してたいそうやさしかった。  そのやさしさの中に、却って市川は、自分のしでかしたできごとの大きさを見てとる気がした。  市川は、猫に石を当てることしか考えない、そんな気持で、谷中とのことを小説に書いたのだ。処が、ガラスが割れたように、谷中は怒り、市川はジャーナリズムの大半から非難された。  おそらく二度とないと思われていたテレビの出演依頼が市川にやってきたのは、市川の仕事が忙しくなり始めた年の秋だった。  その頃、市川は、まだ少女小説も書いていた。昼の寄席の番組に、彼は出演を頼まれたのである。もちろん、市川が落語や漫才をするわけではなく、その演芸の始まる前に、約二、三分しゃべる役である。  五日間に分けて放映されるので、市川は、五つの話を考えなくてはならなかった。  それは、生《なま》中継ではなくて録画である。五日ぶんを一ぺんに撮ろうというわけである。  市川は、しくじったらたいへんなことになると思った。しくじったりしたら、自分は気が狂いはしないだろうかというような緊張した気持だった。  市川は、腹の奥から喉にかけて異物が引っかかっているような感じを覚えることがあり、そんな時、吐きけを覚えた。しかし、軽く吐くような音を立てるだけで内容は出てこない。これは神経的なものである。意識し始めると、その吐きけは絶え間なく彼を襲ってくる。  市川が心配したのは、カメラを向けられた時に、こういう吐きけが襲ってきはしないかということだった。  市川は、テレビに出ている男が急に吐きけを覚えたりしたのを見たことがない。  また市川は、急にシャックリが出てきたらどうするのだろうと思った。これまで、テレビに出た人で急にシャックリが出て困っている人を、彼は見たことがなかった。あるいは、急に便意を催したりしたらどうなるのだ。そういった心配が、どっと市川に押し寄せてくるのだった。  それで、とても無事にテレビ出演を切り抜けることはできそうもなく思われてき、彼は、一旦は引き受けたものの、途中で断わろうかと思ったほどである。  しかし、やはり、テレビに出るという魅力に、彼は打ち勝つことはできなかった。  彼が頼まれている話は「女について」である。  市川は、自分ではそのつもりの気の利いた考えをメモ用紙に書きつけ、その寄席の行なわれる会場に行った。彼は楽屋に通された。  市川は、たいそう慇懃なもてなしを受けるのだと、勝手に思いこんでいたのだが、そういうことはなく、なにかしら十把《じつぱ》ひとからげに取扱われている気持だった。  楽屋には、彼がこれまでよくテレビで見ていた咄家《はなしか》や漫才師の顔が見えていた。彼らは市川の顔を知らないので、チラとした眼を投げるだけである。いわゆる文化人の一人として彼らの眼に映っている自分を、市川は感じていた。市川が文化人について抱いていたイメージは卑小なものである。眼鏡を掛け、神経質でどこか卑しげで、ああいえばこういう手口を心得て、稼いだ金をそっと懐《ふところ》に忍びこませる。  市川はこわばっていた。そして、ときどきメモ用紙を見て、胸の中に叩きこもうとした。なにせ、生まれて初めてのテレビ出演である。  やがて、その時間がやってきた。そこはステージになっていて、テーブルに向かって市川は腰をかければよかった。ライトが市川を照らし出している。  一人の男が、会場に向かってぐるぐる手を廻した。すると、拍手が起こった。 〈なるほど、こういう仕掛けか〉  と市川は思った。  彼は、わりと自分がおちついているのを感じていた。「女は一見無邪気に見えるにすぎない」というのが、第一回目の話の要旨だった。 「なぜ無邪気なのかといいますと、女は男に較べてずっと冷酷だからです。彼女の中にある残酷さが、彼女を無邪気に見せかけているのです。ぼくが知っている女で、たいそう無邪気な女がいました。その女は結婚式の時にうつらうつら居眠りをしたほどなんです。処が、その女はやがて子供を生みました。彼女は、わたしにそっといいました。『この子供は主人の子供じゃないの、わたしの恋人の子供なの』驚くべきことに、その女は、自分の夫以外にその愛人と、それにもう一人、ぼくと関係を続けていたのです」  その時、僅かな笑いが場内に起こった。  彼は、それからはすっかりおちついて、二回目の演芸が始まる前の時は、むしろ、最初にヒットを打って張りきって打順が廻ってくるのを待ち望んでいる打者のような心境になっていた。  市川は、テレビ出演をする時には、いろいろの人間と知り合いになれると思っていたのだが、そういう彼の期待は裏切られた。楽屋でちょっと挨拶することはあっても、それだけのことである。  持ち時間が少なくなってくると、「三十秒前」と書いた紙を持った男が、客席とステージとの間に蹲《うずく》まって、市川に見せようとしていた。テレビ出演するということは、そういうことにも慣れるということだった。  だから、もし熱血漢がいて、懸命にしゃべり、三十秒前の字も見えなくなったりするようなことがあれば、変なものになりかねなかった。  だから、テレビに出るということは、ある程度のわるずれとバカバカしさを意に介せぬ神経を必要とすることのようにも、市川には思われた。  その録画は、やがて昼の時間放送された。市川は、初めてテレビに映る自分の顔を見た。  彼は、これまで、自分の動く顔を見たことがなかった。動かない写真とはかなりちがっている。それに、声も、自分が思っているのとはかなりちがっていた。  市川は、自分の声については、もっといい声のつもりだった。処が、テレビの声は少し濁っていて、知性に欠け、呂律《ろれつ》が不鮮明である。声のイメージがちがっていたのは前にもテープに吹きこんで聴いたことがあるのでさほどおどろきはしなかったが、自分の顔については初めて月着陸の実況中継を見るのと同じくらい強い好奇心を抱かされていた。市川が自分の顔について最も心配していたのは、口が尖《とが》り過ぎてはいないかという点である。テレビの画面で見ると、それは杞憂《きゆう》といってよかった。しかし、特徴がないという点では、彼は多少落胆させられていた。  彼は五日間、その昼の時間になるとテレビを点け、自分の短いおしゃべりを聴き、顔を見た。  彼は、それから、テレビヘの出演をときどき頼まれることがあり、断わるようなことはなかった。それは、彼にとっては、一流雑誌からの原稿注文と同じように、断わるべき筋合いのものではないように思われたからである。  テレビに出るということだけで、市川は、自分が構える気持になるのがわかった。にも拘らず、彼は、テレビに出て大失態を冒すかもしれないという不安に、その都度|戦《おのの》いていた。急に吐きけが喉《のど》もとを襲ってきたらどうなるのか、シャックリが出たらどうなるのか、便意を覚えたらどうなるのか。  彼は、そういった不安と緊張のためにいくらか痴呆的になっている自分を感じながら、スタジオに入って行ったものである。  彼は、本番が始まる前、しきりと鼻から喉にかけて啜《すす》るような音を立て続け、本番の時に吐きけが起こらないように予備工作を怠っていなかった。そして、また、少しの便意でも覚えている場合は、その前にテレビ局の便所に入ることにした。  彼は、テレビ局という場所では知人や友人ができないことがわかってきた。控え室などで挨拶をし打ち合わせをする。その打ち合わせの時に簡単なリハーサルのようなものがある。本番でまたそれと同じようなことをロにするというようなことから、すでに作為的な関係が造られることになる。だから、そんな時出演者のめいめいは、ある程度共犯の意識を分ち合うことになる。帰る時には、めいめいテレビ局の車に送られてゆく。  特に司会者に至っては、臆面もなく、リハーサルでいったのと同じような言葉を口にしている、というよりも、その臆面のなさを、彼らは得意に思っている感じさえあった。  市川は、テレビの出演が終ったあとは、いつもいくらか憂鬱な気分に閉ざされるのだった。そして、一方では、テレビに出ることのできた特権意識を味わってもいたのである。  多分、野添は、あの頃おもしろくなかったにちがいない、と、市川はときどき思うことがある。  野添は、いわゆる純文学といわれている商業雑誌の編集者だった。  市川が、純文学の商業雑誌に二度目に載せてもらったのが、野添の関係している雑誌だった。だから、原稿料をもらったのも二度目というわけだった。  市川は、野添に世話になった礼のつもりもあって、銀座の酒場を二、三軒廻って歩いたことがある。  その前にも、市川は、恩人である作家の南原節から銀座の酒場を奢《おご》ってもらったことがある。そして、また、野添からも、作品が雑誌に載る前に銀座の酒場を奢ってもらったことがあった。その頃は、まだ銀座のそれらの店は、クラブなどとはいわれずに、バアといわれていた。  彼が初めて銀座の酒場を奢った相手が野添というわけだった。  市川は、たしかその時、約四万円の原稿料を上着の内ポケットに入れていて、絶えず、それが掏《す》られたりしていないかどうか、確かめていた記憶がある。  市川は高校の教師をしていて、年は三十歳だった。彼が、その頃、純文学の商業雑誌からもらっていた原稿料は一枚五百円だった。  じっさいの処、市川は、銀座のバアをそれほどおもしろいとは思わなかった。とにかく、そこは、彼にとってはまったく無縁な場所であった。しょっちゅう行けるわけではなかったからである。  最初に払った金は三千円とちょっとだったと、彼は憶えているが、その時、市川は、ずいぶん高いなと思ったものだ。  市川は、自分が奢っているという意識に捉われて、ひどく無口になっていた。そんな市川の気分をほぐすように、野添がいろいろ話しかけてくれた。  その時のことを思い出す度に、市川は、自分自身に対して舌打ちしたくなる。そして、舌打ちしている自分に、ある自足の感情があることに気づくと、また、そんな自分に舌打ちしたくなるのである。  だが、じっさい、どうしようもない恥ずかしさというものを、彼は、野添と銀座の酒場を二、三軒廻った時のことを思い出す度に、覚え、居どころのない気持にさせられてしまうのだ。  市川も、野添と一緒になってウィスキーの水割のお代わりを求めればいい処を、彼は、まるで野添に対してもこれ以上飲むなといわんばかりに、「ぼくはもういいです」などといったものだ。  傍らにどんな女がいるかも、彼はあまり関心を払わなかった。その女もまた、彼にとっては縁がなかったからである。可能性ゼロの女は、どんなにそれが美人であっても、市川にとっては画餅《がべい》に等しかった。  おそらく、市川が動顛していたのは、これまで殆ど人に奢った経験がなかったせいにちがいなかった。なるべく野添と愉快に時間を過ごそうといったような裕《ゆと》りのある気持は、まったく市川にはなく、〈とにかく奢りさえすればよい〉と、自分にいい聞かせ、眼をつむって滝に飛びこむような、そんな時間を過ごしていた記憶が、市川にはある。  最後は鮨屋に行って、そこも市川が払って、別れ、ホッとした気持で、電車に揺られて帰ったのだが、初めて銀座のバアを奢ったその動顛の余韻は、家に着くまでの間、市川を虚《うつ》けた感覚に落しこんでいた。  市川卓の最初の出版記念会が行なわれたのは、野添に初めて銀座の酒場を奢ってから、まる一年ほどが経った頃である。その本は新書版だった。しかし、市川にしてみれば、どんな形にしろ、本が出たということだけで感激であった。  主催をしてくれたのは、彼が加入している二つの同人誌だった。若い坂下や、のちに交通事故で死んだ山口などが、いろいろ骨を折ってくれた。  その出版記念会の時に、いろいろの人からお祝儀という形で、金を市川はもらった。市川は、そんな時お金をもらえるとは思っていなかったので、儲《もう》けものをした気持だった。  市川は、その時のことを考えても、あとになって、しばしば自分に対して舌打ちをしたものである。  なぜならば、市川は、その祝儀の金を、世話になった人へのお礼として使いたいと、これっぽっちも思わなかったからである。  出版記念会のあと、南原節たちと一緒に、銀座に大ぜいで飲みに行ったが、その時も、市川は、その飲み代の一部にでも自分の祝儀を当てようというような気持はまったく起こらなかった。そういうことは、彼の中に、一つの考えとしてさえ浮かんでこなかったのである。ひたすら、市川は、儲けものをしたと思っていた。その金を、女と会う度に当分の間使ってゆけるなと思って、ほくそえんでいただけなのである。  そして、そういう自分の欠落については、市川は、まったく気づいていなかったし、その頃人に指摘されたこともなかったのだ。  しかし、その欠落が、どうやら女との関係においては、ある円滑さを与えていたようである。普通の感覚を持った男であればやらないようなことを、市川は平気で、それを当り前のこととしてやることができたからだ。  彼は、いつも、金がなかったが、女とホテルに行ったり、ホテルで出前の丼《どんぶり》ものを取ったりするぐらいの金だけは持つことにしていた。当時で千円である。千円あれば、五百円の部屋に入ることができた。それで、そこで出前の丼や鮨を取ることができたし、そういうことをしない場合は、ホテルを出たあと、ビヤホールに入ってカレーや生ビールの一杯ぐらい食べたり飲んだりすることができた。  喫茶店で女と落ち合う。それから、まっすぐ、市川は女をホテルに連れて行った。喫茶店を出たあとは、歩くか、国電に乗ってから降りて歩くかだった。国電の駅を降りて、目指すホテルまで十分は歩かねばならない時にも、彼は、車に乗ろうなどと思ったことがなかった。  そういうやり方が、意外と功を奏していたのである。  もちろん、これが、多少の贅沢さを知った酒場の女であるような場合には、初めから相手を呆れさせて、必ず失敗したにちがいなかったのだが、彼がその頃相手にしていた女たちは、水商売の女ではなかった。  どうやら、女は不意を突かれた感じになるらしかった。いったいどこに行くのだろうと、女は考える。女たちは、まさか落ち合ってすぐホテルに連れて行かれるなどとは考えていない。ホテルに着くまでの間、市川は、なるべくしゃべるように心がけている。殆ど口から出まかせである。そして、ひょいと入って行くのだ。  その頃は、まだ逆さクラゲの印が連れこみホテルの屋根の上にあったが、彼が女たちを連れこむのはたいてい昼間だったので、逆さクラゲのネオンは女の眼には入らない。いったいここはどこだろうと思っている間に、ホテルの雇いの女に部屋へ案内され、女は、そこにベッドを見ているという仕掛けである。  女は半ば茫然《ぼうぜん》となっている。不意を突かれたために、女の意識は半ば痺《しび》れていて、その痺れが抵抗力を弱めている。  市川は、後になって、こういうやり方のことを�アレヨアレヨ作戦�と呼んでいた。女に考える暇を与えずに一気にことを運ぶという意味である。  おそらく、普通の男であれば、喫茶店で落ち合ったあと、ワンクッションもツークッションもおくにちがいない処を、彼は、そうしなかったということによって成功していたわけである。  そのやり方に味をしめた市川は、人に連れて行ってもらって知ったあるキャバレーの女と待ち合わせをしたことがあった。  女はやってきた。喫茶店を出るや、いきなりホテルというふうに、彼は考えていたのだが、女に先手を打たれ、「ねえ、映画を見ましょうよ」といわれた。その喫茶店は有楽町にあり、映画館は、万年橋を渡ったすぐの処にあった。  市川は、自分の目論見《もくろみ》が崩されるのを感じ、渋ったが、女には、とてもホテルなどに行ってくれそうもない気配があった。  市川は諦めて、女に同調し、あの映画館だったら歩いてすぐだなと思い、喫茶店を出て女と一緒に歩き始めると、女がこういった。 「ねえ、車で行きましょうよ」  その時、市川は、 〈なるほど、こういった女には自分の作戦は通じないな〉  と思った。そして、とても自分が普段持っている金では駄目だなと思い知らされた。  車に乗って映画館に行き、映画館の中で、彼は女の手を握ったが、その時も市川は、彼が普段目をつけている女たちとは、彼女がちがうことを発見した。  水商売でない女たちにとっては、映画館の中で手を握られることは一つのショックだった。それまで笑っていた女が急に笑わなくなったり、顫《ふる》え始めたりしたものだ。  処が、そのキャバレーの女は、彼に手を握られていて、まったく平気なそぶりだった。手を握られながら、画面を見て笑ったりしていた。  映画を見たあと、二人は映画館の近くのレストランに入った。女が注文したものは、これまた、彼が知っている、いわゆる素人の女たちだったら、市川の懐工合を考えて絶対に口にしないようなものだった。  市川が女と同じものを注文すれば、彼の持ち合わせの金では足らなくなるので、市川自身は、食欲がないようなふりをして、ごく安いものを頼んだ。 「きょうは楽しかったわ。ねえ、またお会いしたいわね、でも、その前にお店にいらっしゃるでしょう」  彼女はそういった。  市川がその店に行ったのは、友人に連れて行ってもらったからである。その店に一回行く金で、彼は、ほかの女とであれば何度か会うことができるのだ。  市川は、自分をその店に連れて行ってくれた友人の名を口にし、 「彼と一緒に行くよ、今度」  といった。市川は、その友人の奢りを当てにしていたのだ。結局、その女とは、その時会っただけで終った。  野添に市川が銀座を奢ったといっても、それらの店はみんな野添が知っている店だったので、純粋な意味では彼が野添を案内して奢ったということにはならない。  市川が、自分の案内で編集者たちを銀座の酒場に連れて行くようになったのはずっとあとのことである。それらの酒場は、たいてい同年輩の作家で友人の横川や小森に連れて行ってもらって知った店である。  そういった店には、ジャーナリズムや文壇の重鎮たちがよく顔を見せていた。  市川は少女小説を書いて生計を立てていた。彼の少女小説は、かなり売れていた。そういう重鎮たちの顔を見ても、市川は、〈関係ないや〉と思っていた。  だから、横川が、市川のためにと、それらの重鎮に紹介しようとしてくれた時にも、どちらかというと、ありがた迷惑な気持でさえあった。紹介されれば、どうしても、これから顔を合わせた時に挨拶しなければならない。市川の方は忘れるわけはないのだが、相手が市川を忘れているということが考えられる。だから、次の時に顔を合わせた時のことを考えると、市川の中に煩わしい意識が起こってきて、酒場の楽しみが、そのぶん減ることになる。  酒場のある女に、重鎮の一人が眼をつけているというようなことを聞いても、市川は平気で〈おれに関係ないよ〉と思い、その女を口説くことをやめたりはしなかった。  ある銀座の酒場で、名高いジャーナリストの一人を、雑文を書いている男が、市川に紹介しようとしたことがある。そのジャーナリストは市川の隣のテーブルにいて、市川と同じように壁ぎわに腰かけていた。  市川が、なに気なくそのジャーナリストを横眼で見たその時、そのジャーナリストは、雑文を書いている男に向かって、顔の前で小さく手を横に振っていた。  その時、市川には、そのジャーナリストの意識が手にとるようにわかった。そのジャーナリストは、市川を紹介されることを迷惑に思っているのだ。その名高いジャーナリストは、市川をまったく認めていないのである。  雑文書きは、「あのね、卓さん」といったあと、急に話題を変えて、「どう、元気? 相変らず?」などといった。  けれども、そのジャーナリストは、それから何年か経った時、二、三の部下と一緒に市川を食事に招待してくれ、そのあと、銀座を一緒に飲んで廻った。  そのジャーナリストは、その間、きわめてへりくだった態度を示し、下にも置かぬ笑顔やしゃべり方でもって市川に接していた。  谷中との事件があったあと、彼は少女小説を書いていたが、まだその頃、少女小説だけでは充分な生活はできかねていた。  なぜなら、それから二、三年後に起こった少女小説のブームの前ぶれは、まだやってきていなかったからである。  ある漫画週刊誌の平は、その頃の市川にとっては、たいそうありがたい編集者だった。  平は、市川のことを「卓さん」と呼んでいた。その気さくな人柄から、市川も親しみを覚え、平とは、よく安い飲み屋やバアを飲み歩き、市川が後によく通うようになった新宿のバアも、平の紹介によるものだった。そして、平や平の仲間たちと、市川は、飲み屋のいちばん広い部屋でピンポン玉を使って野球をしたりした。  それから何年か経って、市川が文壇ジャーナリズムの雑誌に小説を数多く載せ始めるようになった頃、平から電話がかかってきた。 「先生、ちょっとお願いがあるんですが」  平がそういった時、市川は、初め先生という呼びかけが冗談かと思っていたのだが、どうやらそうではないとわかると、大きい困惑を覚えた。平のような男には、彼はやはり「卓さん」と呼んでもらいたかったのだ。  平は、いわゆる文壇ジャーナリズムの正統派の編集者ではない。おそらく、彼の中にそういう意識があるために、つい、市川を自分から離れた存在に勝手に祭り上げて、「先生」という呼称が自然と口を衝いて出たにちがいなかった。  しかし、市川は、�そういう呼び方はよしてくれ�などといえなかった。そういうことが、また平を傷つけるように思えたからである。  しかし、平と会って、飲んだりしているうちに、平は「先生」と呼ばなくなったがもう「卓さん」とは呼ばず、「市川さん」と呼ぶようになっていた。  市川の胸の中には〈卓さんと呼んでくれよ〉といいたい気持がある。しかし、それを口に出していうことと、胸の中でそう思っていることとの間には、かなりの距離がある。口に出せばいやみになるからである。  しかし、いやみは、彼自身が勝手に感じていることであって、平は、彼がそのことを口に出せば、決していやみとは受け取らないにちがいないのだ。そして、むしろ喜ぶかもしれないのである。いや、喜ぶに決まっている。だからこそ、いっそう市川は、とても口にできない気がした。  市川は、胸の中でこういってみる。 〈�卓さんと呼んでくれよ�か。いい気になるんじゃないよ、卓さんよ〉  小柄な白髪《しらが》の多い、どこか剽悍《ひようかん》な感じの瘠せた男がエレベーターに向かって足疾《あしばや》に歩いて行くのを、市川は見た。市川は、隙《すき》のない武芸者のような男だなと思った。  男の方が早くエレベーターに乗り、危うく市川は間に合った。男は、自分が降りる九階のボタンを押した。市川が降りるのも九階である。同じパーティに出席する男である。  おそらく、この男は有名な男にちがいなかった。市川は写真で見た憶えもあった。  男は、昇って行くエレベーターの階数を示す数字が変ってゆくのを見上げて市川にうしろを見せていた。  エレベーターは停まり、男が先に降り、続いて市川も降りた。と、顔見知りの編集者が近づいてきた。 「中林哲雄先生と一緒でしたね」 〈ああ、あの人が〉  と市川は思い、会場に、これまたわき目も振らずに歩いて行く中林哲雄のうしろ姿に眼をやった。  市川は、中林哲雄という名前については若い頃から知っていた。読んだこともあるが、むずかしくて、途中で放り出したことが何度かある。読んだ感じから冷徹という印象を市川は受けていた。解らない頭のわるい連中については初めから問題にしないといった態度がその文章に滲《にじ》み出ている。 「へえー、あの人が中林哲雄さんか」 「おや知らなかったんですか」 「偶然にエレベーターが一緒だったんですよ」  市川はもう一度、「へえ、あの人がね」といった。  そのパーティは、ある賞を受賞した人のためのものだった。賞は三つほどに分かれているので、三人の受賞者が挨拶をしたり、また、選考委員の代表者が挨拶をしたりした。  特別の席が設けられていて、委員の中の一人の中林哲雄は、その席の端に腰を下ろし、脚を組み、やや斜め上を見上げていた。だれが話をしていても、その顔には笑いが浮かばず、なにかほかのことを思い耽《ふけ》っているといった厳しい気配を漂わせていた。  市川は、手にビールのコップを持って、わけもなく〈なるほど〉と頷《うなず》くような気持であった。  と、その時、三条敏子が声をかけてきた。 「市川さん、なにをぼんやり立ってるのよ?」 「いや、あれが中林哲雄かと思ってね、やっぱり、ああいう人の顔とおれの顔はだいぶちがうなあ」 「つまり、ああいうのが偉い顔っていうのよ」 「そうか、あの人は偉いのか」 「というよりもね、自分が偉いと思ってる、そういった顔なのよ」  その言葉に、市川は、なぜかひどく感心させられた。 「そうか、偉いと思ってる顔か」  市川は、その言葉によって急に中林哲雄の顔の意味の謎《なぞ》が解けたような気がしてきた。  そして、以後、市川はそのパーティの間、中林哲雄に眼を向けたりはしなかった。  市川は、まだほそぼそと売文で生計を立てている頃、小森や横川に銀座でよく奢ってもらった。  そんな時、市川には、相手に余計な出費をさせているという意識はなかった。相手は自分より売れているのだから、そのくらい金を出しても当り前ではないかといった気持であった。  彼らに対するのと、市川に対するのとでは、女の態度が明らかにちがっていた。  市川もものを書くということで、ホステスたちは、市川のことを「先生」と呼んでいたが、小森や横川が話す時に耳を傾けるのと、彼が話す時に耳を傾けるのとでは熱意がちがっている。  小森には、一種座談の名手といった感じがあって、しきりに女たちを笑わせていた。そんな時、市川は、自分も時にはなにかおもしろいことをいって女を笑わせなければ、といった気持になる。  彼は、むしろ、それまで小森の飲みっぷりや、小森の女の扱い方に見とれていたのだ。  突然、市川がなにかいうと、女の子たちは〈おや〉という感じになり、とにかくお客さまだから耳を傾けてやらなければ、といったとりつくろった感じになる。  市川は、きっと女の子たちが笑うだろうと思っていたのだが、女の子たちは、ほんの少し、文字どおり儀礼的に乾いた笑い声を洩らし、それから、すぐにまた先ほどの続きを促す工合に、小森に話しかけてゆくのだ。  市川は結局、一人の女の子を選んで、個人的な話をする以外になくなる。とても小森のような座を沸かすというようなことはできないからである。  市川がなにかいえば、小森も市川の立場を酌んでいて、一応耳を傾け、「それはおもしろい」などといってくれるのだが、市川の話し方にはどだい不自然さがある。自然に言葉を口にしているのではなくて、一種の自己主張のために無理をしてしゃべっているわけである。その無理をした感じが、しゃべり方や表情に出ているにちがいなかった。  だから、市川は、その頃酒場を出て、小森や横川と別れたあとは、いつもかなり惨めな気持にさせられていた。彼は銀座から帰る時はたいてい電車だった。タクシイだと、千葉県の彼の家まで帰るにはかなり高くつくからである。  普段、生活の中で女の子たちに接している時には、市川はかなりリラックスしているのだが、銀座のクラブに行くと、途端にギクシャクになってしまうのが、自分でも不思議だった。  彼は、後になって、彼よりももっと銀座に慣れていない、ものを書いている男を、行きつけの店に連れて行ったことがある。  すると、その男は、傍にきたホステスにこう訊いた。 「どちらにお住まいですか」  その男は、それまではもっぱら池袋や新宿の安いバアで飲んでいたのだ。そして、そういう店では、彼は肩から力を抜き、「おまえたち」などと横柄な口を叩いていたのである。  処が、銀座のその店にくると、その男が打って変って慇懃な声や物腰になっているのが、市川にはおかしかった。  そして、結局、自分も以前はこんなふうだったのだな、と思い知らされたのである。  原稿が売れ始めの頃は、市川は、自分が知らぬ人が自分の顔を知っているとわかると、かなり得意な気持にさせられた。  渋谷に、連れこみホテルやレストランクラブが同居している建物があった。  そこに、市川が、銀座のクラブの子と行った時に、黒い服の男がテーブルにやってきて、 「お作品はいつも拝見してます」  といった。  その時、市川は、うれしくなり、その男に、 「今度本を持ってきてあげるよ」  といった。  その次の時、別の女と、市川はそのレストランクラブで待ち合わせたのだが、その時には、その男はもう辞めていなかった。  彼は飛行機の中で話しかけられたことがある。市川は廊下側の席に腰を下ろして雑誌を読んでいた。彼に話しかけてきた男は彼の隣の席にいた。 「ちょっとお伺いしますが、先生はもしかしたら……」  その時、瞬間的に、市川は、この男は自分のものをよく読んでいるにちがいない、と思った。得意な気持が彼の胸の上にせり上がってくる。市川は、多少演技的なはにかみ笑いを顔に浮かべた。  と、隣の男はこういった。 「戸永次郎先生じゃございませんか」  市川はがっかりさせられていた。  戸永次郎は有名な漫画家である。  市川は、よく戸永次郎に顔が似ているといわれた。自分では似ているとは思えないだけでなく、自分の方がずっといいと思っていたので、世間でよく似ているといわれるのが市川は不満だった。 「ぼくはちがいますよ。よくいわれますけどね」  市川はそういい、喉まで言葉が出かかってきた。〈ぼくは市川卓なんですよ〉けれども市川はその言葉を呑みこんだ。  隣の男は、それ以上話しかけてこなかった。  市川は雑誌を読み続けるふりをしていたが、活字がまばらにしか眼に入ってきはしなかった。  市川は、小森から次のような話を聞いたことがある。  小森がある賞をもらって間もなく、ある女と連れこみホテルのエレベーターに乗った。案内係の女が、小森にこういった。 「この度はおめでとうございます」  小森はいやな気持になったという。  小森にいわせれば、そういう時には知っていても知らぬふりをするのが、そういった店の従業員のエチケットというものではないか、というのだ。  市川が女と一緒に行ったレストランクラブの男が、テーブルに近づいて「お作品はいつも拝見してます」といったそのレストランクラブは同伴ホテルと同じ経営である。そのレストランクラブで食事をした男女が、そのままホテルの部屋に直行という仕組みになっていることが多いのだ。  だから、レストランクラブの黒い服の男も、エチケットを欠いていたというべきかもしれない。けれども、市川は、その男がエチケットを欠いていた、そのことによって、得意にさせられたわけである。  市川の原稿がかなり売れ始めた頃、市川と小森と香椎とは、銀座の喫茶店で待ち合わせていた。  香椎は、市川よりももっと忙しい作家だった。そして、その忙しい生活をもう十年以上も続けている。  けれども、香椎は、約束の時間が三十分過ぎてもこなかったので、小森と市川は先に行くことにし、小森は、レジの女に言伝《ことづて》を頼んだ。 「香椎という人がきたらだね。小森と市川は先に行ったといってくれないか」  すると、女の子は、 「香椎なんとおっしゃるんですか」  といった。 「香椎重之だよ」  小森は字も教えた。  すると、レジの女は、もう一度その名前を小さい声で読み直し、「香椎重之さんですね」といった。そのいい方には、かの有名な流行作家の香椎重之についてまったく知らない感じがあった。  店を出た処で、小森は市川にこういった。 「香椎重之でも知られてないんだなあ。もの書きっていうのはいいね」  小森は、なるべく名前や顔を知られない方が生きるに都合がいいと思っている男のようだった。  市川はその言葉を聞いた時、〈この人は育ちがいいのだ〉と思った。小さい時からの育ちもよかったかもしれないが、作家としての育ちもいいのだ、と思った。 「そんなにお金を稼いでどうするの?」  銀座のクラブの女光枝はそういった。  彼女は、市川に、同伴出勤をしてくれないかと頼みこんできたのである。その店では、土曜日は同伴出勤でないと店に入れない仕組みになっていた。土曜日は交代で女の子たちは出勤する。しかし、同伴の場合だけは別である。だから、女の子は、同伴の相手が見つかれば店に出ることができ、その日の給料だけでなく、同伴した功績分の金ももらうことができる。 「きょうはとてもだめだよ、忙しいから」  市川がそういったその言葉に対して、光枝がそういったのである。  市川の方は、仕事が忙しいといえば、これは有無をいわせぬ理由になると思っていたので、自然とその口調は横柄な感じになる。  ある忙しい漫画家がテレビの番組に出て、 「眠る時間もないというのが実情なんで」  といったことがある。  その時、その漫画家は、少し得意そうに瞬きし、ちょっと顔を造って見せた。  市川は、眠れそうもないほど忙しい生活はいやである。彼は彼でその漫画家に対して、眠る暇もないほどにどうして働かなくてはならないのか、と訊ねたい気持である。  だが、市川も、その眠る暇もない漫画家と五十歩百歩ではあるまいか。忙しいという言葉を口にする時に、自然と纒《まつ》わりついている得意げな感じが光枝にも伝わったにちがいなかった。じっさい、〈稼いでどうなるのか〉と、彼は自分に問いかけた。 「忙しいわりには、あまり儲けにならないんだよ、ぼくらの仕事は。税金にごっそり持っていかれる。税金を納めるために働いているようなものさ」 「でも残ると思うわ」 「それは、少しはね」 「少しの考え方の相違だけど」  市川には、金を持っていれば安全だという気持がある。生活不安のために、夏の日盛りを歩いて、顔見知りの編集者に会って仕事をもらうというようなことを、彼は年を取ってしたくない。  また、彼は、ジャーナリズムに対して力を持っている作家や編集者の前で、わざとらしい相槌《あいづち》を打ったり、おかしくもないのに笑ったり、というようなことをやりたくない。  市川は、とにかく一度谷中とのことで文筆生活者として懲りた経験を持っているのだ。その後遺症が、彼に威張る姿勢を執らせないで、なるべく原稿を断わらないようにさせている。  市川の名が、作家の多額納税者の五番目に出たことがある。そんな時、ちょうど暢子にかかってきた電話を市川が取り次いだ。  暢子より年長のその女と暢子とは、三味線や小唄の勉強会の仲間だった。 「この度はおめでとうございます」  その女はそういった。  市川にはすぐわかったが、とぼけて「え?」と訊いた。 「あのう、新聞で拝見しましたわ。文壇長者番付の五番だなんて、すごいですわねえ、ほんとにおめでとうございます」  市川は、「いやあ」といった。  市川は、その前年あたり、自分は十番以内に入るにちがいないと思って、ビクビクしていた。いかにも稼ぎまくっているといったような感じに見えるのが恥ずかしかったからである。とにかく、たくさん原稿を書くということは、仕事をやっつけているということである。少なくとも市川の場合はそういう感じがする。  もちろん、ある仕事には身を入れ、ある仕事の場合には杜撰《ずさん》になるということはある。だが、全体的には、やっつけているという感じを拭《ぬぐ》うことはできない。  そして、彼はある朝、自分の名が十番以内に入っていないことを、新聞を見て知らされていた。  その時、市川はある不満を覚えた。それまでは、十番以内に入らないことを願っていたにも拘らず、そこに自分の名が出ていないとなると不満であった。その気持を、市川はおもしろいと思った。 「あなたあんなに書いてて出てないわよ」  とその時暢子がいった。 「ひやひやしてたんだよ。出やしないかと思って」 「へえー、みんなすごいのね」  暢子は熱心な眼を喰いいらせていた。  市川は、自分の名が出ていれば出ていたで、パッと顔が赭《あか》らむような恥ずかしさを覚えることがわかっていたのだが、出ていなければ出ていないで不満なのである。  その不満がどこからきているのか、市川にはよくわかっている。それは通俗な名誉欲というやつだ。市川はその時、〈こんなこっちゃいかん、いかん〉と思ったものだ。 「今年出てなかったね、当然出ると思ったんだけど」  知人の評論家は、あるパーティで市川にそういった。その時も、市川は、 「ぼくも出るんじゃないかと思ってひやひやしてたよ。でも、よかった。しかし、来年は出ると思うなあ、その時は眼をつむって滝に飛びこむ気持だ」 「来年は出るよ、もちろん。あんなに書いてて出ないんだからなあ」  評論家は、同情するような声と顔になってそういった。  そして、一年が経ち、市川の名が五番目に出ていたというわけである。  彼は、新聞に出る前の夜かかってきた長崎にいる父からの電話で、そのことを知っていた。「さっき、テレビに出てたよ、五番目だったぜ」  彼の父は、まるで選挙の当選報告をするような弾んだ声でそういった。  その時、市川を襲った感情は、僅かな苦味《にがみ》を伴った満足といったものである。  しかし、その苦味というのも、かなりインチキくさいものである。こういう時には苦々しく思わねばならないといったような、一種の義務感から、実はありもしない感情を、自分に対して演技しているもののようであった。単純に彼は満足していたのである。  しかし、その満足には、僅かながら、おそるおそるしたものが混っていたことも確かである。その僅かな怖れがなにに対してのものかは、市川自身にもよくわかってはいないのだが、彼の中に成り上がり趣味があることだけは争えぬ事実だった。  市川は、自分が最初の細君の家を飛び出したのも成り上がり趣味のせいではなかっただろうか、と思うことがある。  ちょうど、彼の収入はふえ始めていた。  彼は、最初の細君の道子や、子供の百合との時の生活の中では、自分がいつかこの家を出ることがあろうなどとは考えたことがなかった。そんな残酷なことができるわけはない、と市川は思っていた。  だから、道子の「あなたはいつかわたしがいやになって、別れたりするかもしれないわね」とか、「わたしは別れたっていいのよ、経済的な面さえちゃんとしてくれれば」というような言葉を耳にしていた時にも、市川は、自分がこの家を飛び出るなどとは夢にも考えていなかった。  処が、彼は教師を辞め、文筆一本の生活に走り、芸者を抱き、銀座のクラブの子に狙いをつけ、少女小説の読者の一人と旅に出たりしているうちに、また、収入がふえてくるうちに、そしてまた、純文学をすっかり諦めて、エロ小説家といわれようとなんといわれようとかまいはせぬというような居直った気分になり始めたりしているうちに、彼を包んでいる生活感覚に、少しずつ変化や広がりが現われ始め、その変化が、成り上がり趣味によって拍車をかけられ、ちょうどその時現われた芸者弥生をスプリングボードにして家を飛び出したというふうに、市川は、荒っぽく解釈してみるのだった。  教師を辞めたあと、谷中とのことがあった直後を除けば、あとは順調に彼の収入は伸びてゆき、その都度、彼は、これまで経験したことのない金額を手にしていたわけである。その都度、彼は驚き、〈自分には金がある〉と自分にいい聞かせ、上《うわ》ずり、そして、その上ずりに慣れることがなかった。  やっと日の目を見たという感覚が市川の中で続くようになった。そして、その感覚に彼は倦きることがなく、まるで、吝嗇《りんしよく》な男が窃《ひそ》かに蔵《しま》ってある貯金通帳を出してはニタリと笑うような工合に、日の目を見た自分を日々つくづく確かめ、窃かにニタリと笑っていた。  だが、市川は、自分が成り上がり者であることは認めても、偉くなったと認めるわけにはいかなかった。  たとえば彼は、自分が作家であるというふうに思うことには抵抗があった。むしろ売文業者といった方が適切に思われた。 �もの書きさん、今度また頼むよ、例のやつをよ�彼は、編集者にそんな工合に頼まれているような気持だった。そして、彼の方も�あいよ、例のでいいんだね。でも、あんたんとこはよく注文してくれるから、今度は大負けしとくよ�といったようなつもりであった。  だから、ほんとうは市川は「先生」と呼ばれたくなかった。それは、彼が学校の教師をしていたせいもある。  学校の教師をしていた時、教師同士が「先生」と呼び合う習慣が学校にはあった。彼は〈いい気なものだ〉と思っていた。だから、彼は、努めて「先生」と呼ぶことはよして、「さん」と呼ぶように心がけていた。  町の中で、生徒から「先生」と呼びかけられることも、彼はいやだった。それは、通りがかりの人に学校の先生だと思われることが恥ずかしかったからである。  彼は、学校の先生というと、真面目くさった顔を、一応人前では取ってつけるが、一人きりになると、急にあたりを窺って、なにかこそこそ懐《ふところ》から取り出し始めるといったようなイメージを持っていた。そして、世間の人々も同じようなイメージを、教師に対して持っているような気がしていた。  といって、もしも編集者が市川に「もの書きさん」といえば、彼はむっとなるにちがいなかった。なぜなら、そういう呼びかけは、まだ一般的ではないし、ふざけたり、彼をからかう以外の時に口から出るはずがないからだ。  だが、彼は「先生」と呼ばれるよりは「市川さん」と呼ばれた方がもっとよかった。  市川は、顔や名が知られるようになってから、初めて行く銀座のクラブなどで、いつ彼女たちが自分の存在に気づくかなと、待つような気持になることがあった。  そんな時、彼は、自分で自分のことをいやらしいと思いながら、とにかく早く気づいてくれた方が、ことがし易くなると思うのだった。市川だと知られていて、ふざけたり冗談をいうのと、市川と知られない時にふざけたり冗談をいうのとでは、座の空気は、かなりちがったものになる。  市川だと女たちが知っていない時には、〈いったいこのお客はなにものだろう〉といったような、一種|白《しら》けた気配が漂うのだが、市川と知ったあとでは、なにか迎合的な笑いさざめきが、そのテーブルに漂うようになる。  いったい、世の中には、ひょいとやってきて、どこのだれともわからないのに女の子に大もてする男がいるだろうか、と、市川は疑問に思うことがある。そして、銀座のある高級クラブの女たちに、 「どの女の子からも必ずもてるっていう男がいるかね?」  と訊いたことがある。  すると、そこにいた三人の女の子はみな一斉に、 「そんな人いないわね」  といった。  その言葉を聞いた時、市川は安心した。  だが、市川は、自分の方から、実はこういう男だなどと女にいったことはなかった。彼は、自分の中のいやらしさを、なるべく小さい範囲で喰い止めていたかったからである。  だから、ひょいと入ったある店で、最後までだれにも気づかれまいと、依怙地《いこじ》にふるまったこともあるのだが、銀座のクラブの中には、たいてい一人か二人、かつてどこかの店で会った女がいて、「あら先生」などといってくるのだった。  すると、市川の方は、ほっと救われたような気持になり、〈やっとやり易くなったぞ〉と思うのだった。  市川は中学校は長崎で、その上の学校は、同じ九州の福岡だった。  彼は、それまで東京に行ったことがなかった。東京という町が市川には外国のように思われた。そのため、ときどき東京に行った夢を見た。  市川が東京にやってきたのは二十五歳の秋である。戦後間もない頃で朝鮮動乱が始まっていた。今から較べれば、東京駅前などは貧弱なものだったが、長崎からはるばる汽車でやってきた彼の眼には、皇居側の東京駅の前のビルの眺めが外国の町のように思われ、しばらくの間、トランクを下に置いたまま眺めほうけていた。丸ビルや国鉄や中央郵便局の建物が、そこにはあるだけだった。  もちろん、市川はすぐ東京に慣れた。  やがて、市川は、自分が白人たちがたくさん歩いている外国の町を歩く夢を見るようになった。自分は一生外国になど行くことはないだろうという諦めの気持が、彼にその夢を見させているのだった。  市川が初めて外国に行ったのは、四十を過ぎたばかりの頃である。外国といっても香港だった。同棲していた芸者の弥生と一緒に出かけたのである。  旅行社では、香港やハワイは外国として扱っていない。  しかし、香港島に立ち並ぶビルを飛行機から眺め下ろした時、市川は、初めて、外国にきたという感慨を持った。  それから一年経った春、市川は弥生と別れ、今度こそほんものの外国、ヨーロッパに、友人の横川や編集者と一緒に、三週間の旅に行った。  最初に着いたのはコペンハーゲンである。早朝の道を、空港からタクシイでコペンハーゲンのホテルに向かう途中、市川は、これがヨーロッパという感慨に打たれていた。  コペンハーゲンの町は美しく、アパートの窓々にカーテンが引かれていて、窓ぎわには花が飾られ、建物の色もおちついた煉瓦《れんが》色であったり、代赭《たいしや》色であったりし、静かなその町に雪が降っていた。行き交う人はすべて白人である。  彼がかつて夢に見た外国とは、こういう国だったのだ。  こういった夢が叶《かな》えられたというのも、市川が流行作家になったおかげである。  彼は、特にその旅行のために貯金をしたわけではない。夜、銀座のクラブで使う金を外国旅行に振り替えたのと同じようなものである。  市川は、白人の女にもやがて慣れた。彼は女体について詳しくなければならなかった。そのために、市川は、日本における以上に、外国では一つの仕事のように白人の女を連夜抱いた。これで、彼の女についての見識のレパートリーはより広くなったわけである。  彼の女遊びについて、彼の友人の横川は、 「趣味と実益を兼ねているからいいなあ」  といった。  しかし、市川にいわせれば、必ずしもそうではなかった。彼には、無理をして女遊びをしているような処があったからである。  彼自身、どこまでが取材精神であり、どこまでが遊びであるか、よくわからないことがあった。  純粋に取材精神であれば、市川は、もっと自分の好みとはちがった女たちとも接するべきであった。しかし、彼は、そこまでやろうとは思わなかった。  外国に行っても、市川は、自分の好みの小さい女だけをバアの中に見つけ、交渉し、外に連れ出した。  彼は、景色や名所には殆ど興味を持っていなかったので、食べることと飲むことと、動物園を見ることと、女を買うことに専心していた。  外国旅行のいい処は、その間、仕事をしなくてもいいということであり、毎日だれ気がねなく女が抱けるということであり、絶えず、今自分はパリのホテルにいるとか、今自分はバルセローナの町を歩いているとか、といった感慨に打たれるという点であった。  日本での三週間は、いつどんなふうに過ごされたかということについて、あとで思い出すのはむずかしいことであるが、こういった旅での三週間は克明に記憶に残されている。  旅の意義は、人生の時間が市川の眼を盗んで、手を抜いた工事のように安直に過ぎ去ろうとするのを、眼を光らせて喰い止め、丹念な時間に造り変えてくれるという処にあった。  だから、彼は、旅においてはなるべく贅沢をすることにしていた。といっても、飛行機のファーストクラスを使うというほどではない。  市川は、毎年一度は外国旅行に出かけるくせをつけるようになった。ただ、彼が外国旅行で心配なのは、絶えず飛行機が落ちはしないかと思うことである。  市川は臆病な男だった。羽田を発って、そして、羽田に帰ってくるまでには、幾つ飛行機を乗り継がねばならないかといったことを考えると、その幾つかの飛行機の中の一つが落ちたとしても不思議ではなさそうな気がしてくる。  市川は、今死ぬのはバカらしいと思っている。今が、彼の人生の絶頂なのだ。その絶頂の時間を、彼は、できるだけ長く味わっていなければ損だと思っていた。  市川はブランディが好きである。彼は、家でも銀座のクラブでも、絶えずブランディを嘗めている。彼が普段買うのはレミーマルタンのVSOPというやつである。普通の店で買うと、八千円という処だ。  たまに彼は、普通の店で買うと二万円ほどのクルボアジェや、カミュのナポレオンの瓶をもらうことがあった。すると市川は、そのナポレオンの瓶の方からあけなければ損のような気持になった。  若い頃であれば、市川は、安い方からあけて、高いおいしい方を取っておくということをするにちがいなかった。処が市川の中には、いつからか、この高くておいしいものをきょう飲んでおかねば、あしたはどうなっているかわからないといった感覚が育てられていた。  彼は、あすの存在をそれほど信じてはいなかった。とにかく、当てにならぬあしたよりは、今の確かな刹那《せつな》を楽しまねば損だと思っているのである。  市川は、その男と、どこかで会った気がしていたが、どこのだれかは思い出せない。  その男の方は、市川が当然自分のことを知っていると思った態度で近づいてきたのだ。  そこは、ホテルでのパーティの会場だった。市川が知っている銀座のホステスたちが、接待のために何人かきている。出版社主催のものである。 「忙しいでしょう」 「忙しいったって、好きでやっていることですからね」 「それにしても、寝る暇もないんじゃないですか」 「寝るのはちゃんと寝てますよ、速記の人がいつもきてくれますからね、だから、割と楽なんです」 「最近のは読んでいないけど、あの頃の作品はよかったなあ、『夏の挽歌』なんか、今でも憶えてますよ」  男は、そういうと、〈この人も変ったもんだ〉というような眼になって、どこか憐れむ感じに、窃かな眼配せを、市川の体全体に這《は》わせ始めた。  市川は、その時、胸の中でこう思った。 〈あなたはぼくの書くもの全部を読んでくれてないんじゃないか。ぼくだって、ときどき、割といいものを書いているんだよ。ただ、そのいいものが目立たないだけなんだよ。とにかく、あまりたくさん書き過ぎているために、みな同じような作品だと思われて、損をしている〉  男は、顔見知りの編集者に話しかけられ、市川の傍から去って行った。  市川は、ちょうどやってきた親しい編集者に、その男のことを訊いた。 「あれ、あの人知らないんですか」  その編集者は、市川にその男の名前を教えてくれた。  彼は、かなり有名な作家だった。そして、かなりの頑固者で、月に書く枚数を決めていて、編集者がどんなに頼みこもうと、その枚数を崩すことはないという。市川と年齢はおつかつである。  市川は、数多く書いている中で、僅かに、自分で目ぼしいものと思っている作品集を、その男に、あとで送ってやろうかと思ったが、やめにした。  市川は、そんな自分を女々《めめ》しいと思った。腹を括《くく》っていない証拠のように思われた。その本を送れば、その男が、〈おや、忙しい合い間にもこういうものを書いているのか〉と、感心してくれるかもしれないと、甘い期待を、市川は抱いているのである。  世の中には自然の評価というものがある。そして、その自然の評価というものはバカにならない。  彼がたまに書く、その数少ない作品が自然の評価を得ていないからといって、彼が報われていないと思うのは甘い料簡といわねばならない。報われていないと思うのは、市川の思い上がりであろう。  市川は、自分は、なりたくて流行作家になったと考えている。もちろん、世の中ではすべての人が、なりたいものになっているわけではない。だが、一応の成功者たちは、すべて、なりたくてなったに決まっている。いやいや流行作家になっている者など、いるはずがなかった。  とすると、いったいなにがよくて流行作家になり、また、流行作家であることを止められないのか。頼まれた原稿を拒《こと》われるものではないというのは理由にならない。だから、その偽りの理由を先ず省いて考えてみると、市川の場合には、楽に流行作家稼業をこなしているということがある。もしも、徹夜で仕事をやらねばならなかったり、しょっちゅう締切りに追いまくられたりするとわかっていたら、果して、自分が、今の忙しい生活を選んでいるかどうかは疑問である。  市川の場合には、ほかの作家にはない武器がある。それは口述筆記という方法である。彼は、週刊誌一回分を、たいてい一時間足らずでやってしまう。週刊誌の連載は、短くて十五枚、長くて十八枚である。それを机に向かってペンで書いている頃には、どんなに速くても、二時間遅くて三時間はかかった。口述だと倍以上の速さである。  彼は、仕事部屋のデッキチェアの上で寝ころんだまましゃべり、それを、毎日やってくる女性が速記してくれる。  だから、彼の中には、ほかの忙しいもの書きの連中より、自分は楽で得をしているという意識がある。  市川は、口述だけで仕事をやっているわけではない。朝十一時から、昼食と朝食を兼ねた食事の時間までに、だいたい十枚ぐらい自分で書く。二時半までの間に、自分で書くのと口述との仕事が終ってしまい、あとの三十分で、速記の人が清書して持ってきた原稿に眼を通す。  そのあとは、仕事のことで面会にきたり、原稿を取りにきたりする人と会い、風呂に入り、出かけて行く。  市川が送っている生活は、そういったものである。  ほかのもの書き連中が苦しくて蒼い顔している時に、自分は羽を伸ばしているという喜びが ある。楽をしながら儲けているという気持もある。  だから、市川は、原稿料のことさえ折り合えば、たいていの注文は引き受けることにしている。その引き受ける気持の中には〈どうせおれは匙《さじ》を投げられている男だ〉といった意識の働きもある。その意識は快感を伴っている。  以前は、向うの方からも気易く話しかけてきた先輩の評論家が、最近では、パーティなどで会っても、ひょいと眼をそらすようになった。その時にも、市川の中には、匙を投げられた男の自由で放埒《ほうらつ》な喜びが生まれてくる。親や親戚から見放された極道者が味わう喜びとはこんなものかもしれないと、彼は思う。  だが、匙を投げられた意識の不徹底があるために、自分の数少ない気に入った作品集を、あの頑固者といわれている作家に送ってみたいという気持が市川の中に起きたりもするのである。  しかし、市川に、自分が楽に仕事をこなしているということだけで満足があるかとなると、疑問点が出てくる。  彼が満足しているとしたら、それを支えているのは、月々こなしている膨大な枚数の中に、僅かながら、本心書きたいものを書いた作品が混っているという得心のせいではあるまいか。そういった作品は、頼まれて書くこともあるが、その多くは、一種の生理現象のような工合に、彼の中に溜って吐き出される性質のものである。そういう時、市川は、〈こう見えても、おれはやっているんだぞ〉と、いいたくなる。  文字を使っての排泄《はいせつ》作用をまったくやっていないとしたら、おそらく、市川は、自分が今得ているこの流行作家という位置に対しても、強い虚しさを感じることはまちがいなかった。  いや、むしろ、逆にその虚しさが、彼にときどきそういった作品を書かせていることもまちがいなかった。ただ、世の中の自然の評価の網が、それらの作品を掬《すく》ってくれないだけの話である。  市川は、決して、その流行作家という状態の中で、ノホホンとしているわけではなかった。たとえば、週刊誌の連載や新聞の連載が終りに近づいたとする。すると、そのぶんだけ、連載の数が減ることになる。市川の中で不安が拡がってくる。減ったぶんに取って替わる連載の注文が、どこからかやってこなかったとしたらどうしよう。  市川は連載が終りかけると、これでいくらか楽になるという気持よりも、ほかの新しい注文がなかったらどうしようという不安の方を強く覚えてしまう。だが、そういう不安は、たいていの場合、すぐに解消された。またどこかの新聞か雑誌が、彼に連載を頼みにやってくるからである。だが、そういう気持の動きの根底には、常に現在よりは未来を案じ、じつはありもせぬ未来の方に人生を感じているという迷妄がある。人生の刹那ごとに楽しむよりは、先に備えて金を貯めて満足している人の考え方と似たものがあると考えると、市川は、いやになるのだ が、この心の貧しさはなかなか癒る性質のものではないので、放ったらかしにして、また未来を先取りする生活に自足を見出すというわけであった。  市川が、収入と所得の意味の違いについてわかったのは、ごく最近のことである。彼が納める税金は、収入の約半分であり、所得の約七割だと、税理士が彼に説明してくれた。  市川には、銭金《ぜにかね》のことについて、たいそう理解の遅い処があるが、金に対する執着|乃至《ないし》は欲望の面では人には負けていない。  市川は、老後のことを考える。年を取って金に困り、卑屈な顔をして仕事を捜しに行ったり、あくせく働きたくない。だが、おそらく、彼は、年を取っても注文がくれば、それを断わったりしないだろう自分がわかっている。  それは、市川の金銭に対する執着からきている。たとえば、忙しい時に原稿の注文がある。断わろうと思えば断われないことはないにも拘わらず、彼が断わらないのは、そのぶんだけ儲かると思うからだし、もしも、ここで断われば、やがて自分が困った時に、その人乃至は会社が、前に断わられたからという理由で、もう自分に書かしてくれないのではないかという不安があるからである。それに貯められる時に貯めておかねばという気持もある。  これ以上仕事をすれば税金に取られるだけというようなことを、市川は聞くことがあるが、そういった理屈についてはよくわからないので、単純に、書けばそれだけ儲かるにちがいない、と考えている。そして、具体的に、彼はこう考えるのだ。原稿用紙一枚五千円の原稿料の小説を五十枚頼まれるとすると、二十五万円である。それで、その半分が税金として持っていかれれば、約十二万円儲かるわけだ。  彼が銀座で三万使うとする。すると、この三万円のためには、おれは六万円の仕事をしたのだな、と思う。  学校の教師を辞めて、文筆稼業に入って間もない頃、一度だけ、市川は、女遊びどころではなくなり、生活をする金に困って、恥を忍んで、ある芸能の月刊誌の編集長光田に会いに行ったことがある。  彼が光田を選んだのは、その雑誌だったら今の自分にはふさわしいと考えたからであるし、また、光田なら、頼めば自分に書かせてくれるだろうと感じていたからである。  彼は、生活に困っているとはいわずに、 「なにか書かしてくれませんかね」  といった。  そのいい方で、市川の置かれている苦境が光田に通じたにちがいなかった。通じたためのように、光田は、わざと明るい顔と声になって、 「考えましょうよ。どういう手でいくかなあ」  といった。  そして、早速、市川は連載ものにありついた。  あの時と同じような惨めな気持を、市川は、二度と味わいたくない。  惨めといえば、こういうこともあった。  市川は、自分の小説が、その文芸雑誌に載るとばかり思っていた。編集者の方も、載ると決まっているという口調で、題名を考えておくように市川にいった。  編集者は印刷所から電話をかけてき、市川は考えついた題名をいう。 「すっきりしないなあ、もう少し考えてみてよ」  編集者のいい方には、ある横柄さがあり、市川の態度には諛《へつら》いがある。彼が、自分の作品が載る度に感激を覚えていた頃である。  市川は懸命に考えた。編集者からは、また、夜の十一時過ぎに電話がかかってくるはずである。  市川は待っていた。だが、電話は、午前零時になってもかかってこなかった。  市川は、自分の方から、印刷所のその雑誌の校正室に電話をしてみた。その編集者は、忙しそうな口調でこういった。 「もういいんだよ。編集長が感心しないっていうんだ。ぼくはわりにいいと思ったんだけどね」  市川は咄嗟《とつさ》には口がきけなかった。  編集者は、少しの間市川に同情するふうに黙っていたが、すぐに、こうしてはおれぬといった感じに早口に、 「じゃあ、また、別の作品を今度見せてください」  といって、電話を切った。  市川は怒りと屈辱とでいっぱいになって、結局、「そうですか」といっただけだった。  しかし、彼は、またその編集者のもとに原稿を持ちこむ自分の姿がわかっていた。  原稿が売れるようになってからは、市川は、そういう惨めな目に遭わなくて済んでいる。  市川の中には、戦争恐怖の後遺症のように、ジャーナリズムでの、そういった惨めな経験からくる後遺症も、なお尾を引いていて、それが、連載が終りに近づくと不安を呼び起こすらしかった。  普通の作家であれば、女と連れこみホテルに入って行く処を人に見られたりすれば、きわめて工合のわるい気持を味わわねばならない処が、市川の場合は、殆ど平気といってもいいようなものだった。  彼が情痴小説を書き、世の中の人からエロ作家といわれているのと引き換えに得た特権がそ れである。女とのことでは、少々のことをやっても自分は許されるという、自由さを市川は生活の中で覚えている。  その上、彼は、普通の男たちよりも遊ぶ金には不自由していない。  しかし、そんな彼の中にも、ある気恥ずかしさのようなものがあるので、ホテルに向かう車の中では、眼鏡を外して上着の胸ポケットに収めたりするのだ。そういう処にも、彼の不徹底な意識の証左がある。  市川が忙しくなり始めた頃のことだが、御三家といわれている中間小説の雑誌があった。  彼の作品は、毎月、その御三家のどの雑誌かに載っていたが、ある月、三つの雑誌のどれにも彼の短編が載ることになった。  市川は、その雑誌が出る二十二日の発売日が楽しみだった。やがて、新聞に広告が出る。�今月は三つ全部に書いてるじゃないの�市川は、そういった知人の言葉を想像してみる。  だが、三つの雑誌全部に載るチャンスは持ち越されてしまった。なぜなら、彼があまり早く原稿を渡したために、一つだけひと月早い号に載ることになったからである。  市川は、その時、かなり落胆した。その落胆は、じつに単純な子供らしいものでしかなかった。載る段においては同じことなのだが、三つ全部の雑誌に同時に載ることが、彼には嬉しかったのである。  それから間もなく、その御三家のどの雑誌にも市川の作品が載る、その待望の時がやってきた。しかし、実現されてみると、喜びはそれほどではなかった。  彼が、だんだん忙しい流行作家になっていったいきさつの原因の中には、そういった市川の単純な心理仕掛があることも確かである。  たとえば、それは、「今週刊誌の連載は何本ですか」と訊かれて、「四本」というよりも、「五本」という時が嬉しかったり、「月にだいたい何枚ぐらいですか、五百枚ぐらいですか」といわれた時、〈とんでもない〉というような気分になり、口だけは少し大儀そうに「八百枚ぐらいかなあ」などといいながらも、胸の中では、〈ちゃんと憶えててくれよ、たったの五百枚なんて、見当ちがいも甚だしいよ〉という気持になる時にも、作用していた。  だから、そんな市川は、同じ心理仕掛によって、落胆を味わわされることも当然あった。  市川は、通りがかりに、ひょいと書店に入ることがある。彼は書棚に眼を通す。すると、同じ作家の作品がずらりと並んでいる書棚がある。しかし、市川の作品が棚にずらりと揃えられていることはめったになかった。秋永の作品などは、どの書店でも、少なくとも数点は揃えられて並んでいたし、また、市川よりも若い三木の本も、その人気を現わして、どの書店でも、目立つ処に数多く取り揃えて並べられていた。  市川はそんな時、急に自分が流行作家の座から蹴落されでもしたような、ある怯えを抱いた。 〈まごまごしておれないぞ〉  彼はそう思った。  だが、考えてみるに、市川の作品の性質が、そういう書店の側に、大威張りで幾つも取り揃えて並べて見せるという気持を起こさせないということも、充分に考えられるのだった。三木や秋永の本を、人々は堂々と�これをください�といって買い求めることができるが、市川の作品の場合には、人眼を忍んでこっそりと買いもとめるということが多いにちがいなかった。 〈まあ、いいや、彼らは体制側、このおれは反体制〉  市川は、そんな粗雑な言葉でもって、自分を慰めてみることもあった。  ある酒場の女と、市川は、ブドウ酒を飲みながら食事をすることになった。ボーイがボルドウ酒の瓶の栓を抜き、その栓をテーブルの上に置いた。  その女は三十を少し過ぎた感じで、小柄で贅肉がつき始めていた。しかし、彼が想像したとおり、あの部分は小さくすぼまっていて、感度もわるくなかった。彼女は、達する度に歯軋《はぎし》りの音を立てた。  女は、テーブルの上に置かれたブドウ酒のコルクの栓を手に取ると、こういった。 「わたし、この栓を、記念にずっと持ってるの」  市川は、その女の体をかなり大げさに褒め讃えたのだが、その言葉の底に、女は、もう市川が自分と二度と会うつもりのないことを読み取っていた。  そして、女は、市川のことを有名な作家と思っていて、そんな男と一度でも寝ることができたことを光栄だと思っている様子が、女との一緒の時間を通して、あった。  だから、その女がブドウ酒の栓をバッグに収《しま》うのを見た時にも、市川は納得がいく気持だった。そして、胸の中では、役得の悦びを味わっていた。それは、決してわるい気持のものではなかった。  市川は、しかし、その時、一応は照れくさいふりをしてみせ、 「よせよ、そんな大げさなことを」  といった。  これも、銀座の若い酒場の女だが、市川が、 「あした会わないか」  というと、 「わあ、ほんと? 光栄だわ」  といった。  彼女は約束の時間にやってきて、市川は、すぐに同伴専門のホテルに彼女を連れて行った。 「わあ、どこここ?」  彼女は、そのホテルの入口の処でそういい、戸惑いを見せたが、市川は、 「いいから、いいから」  といった。  そういいながらも、市川は、〈もしかしたら失敗するかもしれないぞ〉と思った。  こういったホテルの入口でもたもたするのは恥ずかしいことだった。だから、女が本気にいやがっていることがわかれば、市川は、すぐに諦めて、�じゃあ、どこかに飯でも食いに行くか�というつもりになっていたのだが、女の態度には、本気でいやがっている様子はない。  女は、果して、彼に随いて入ってきた。  そして、こういった。 「いいわ、先生だから」  彼女の体は、まだ経験不足だった。しかし、初々しい体の線を持っていて、彼が書く小説の中にやたらと出てくるその〈構造〉の面でもわるくなかった。経験を積めば忽ち覚えそうな敏感さが、今はまだ怯えの形を執って、やたらと彼女の体をピクつかせていた。  ことのあと、食事しながら、女はこういった。 「先生とこんなことできるなんて夢にも思ってなかったわ。ほんとに楽しかったわ。光栄だと思ったわ。これ、ほんとよ。だから、もう先生に誘われなくてもいいの。だって、先生には取巻がたくさんいらっしゃるんでしょう。でも、もしもその気になったら電話してね」  その言葉には、いやみはまったくなかった。 〈ここにも、おれに関しての虚像がある〉  市川は、そう思いながらも、この役得はわるくないものだと、ほくそえんでいた。  流行作家になったのは、突然なったわけではない。ある日、気がついてみると流行作家になったというような例はなくもないが、市川の場合は、徐々にといった方がよい。  市川が友人の小森に向かって、「『週刊世代』から連載を頼まれちゃったよ。いやになっちゃう」という電話をした頃から、彼は、いわゆる流行作家になり始めたといってよい。その頃は、まだ駆け出しの意識が強かったために、自分は流行作家だなどとは、彼は考えなかった。  やがて、その忙しさは、彼にとって日常的なものになり、徐々に収入が増え、こなす原稿の枚数も増えていった。  そして、彼は、いつの間にか忙しさに慣れたという意味で、流行作家になっていたのだ。  しかし、彼は、流行作家という意識に慣れることがなかった。  流行作家になってのいちばんの喜びはなんであろうか。それは、贅沢とか、彼と寝ることを光栄に思っている女が現われることとか、金を貯めて老後への不安がなくなることとか、というようなことではない気が、市川はする。大きい喜びとは、自分が売れている作家だという意識そのものなのではあるまいか。しかし、この表現はなおあいまいである。  市川がそんなことを考え始めたのは小森からこういわれたからである。 「きみがときどき書いている私小説じみたものの中に、いちばん欠けているものは�流行作家の哀歓�の�歓�の方じゃないかなあ」  市川は、そういわれても、よくわからなかった。自分はその歓についても書いているつもりだったからである。  しかし、彼が書いたつもりのものは、小森にも、経験ないしは自分の経験を通しての想像から、だいたいわかっているものにちがいなかった。 「ぼくなんかにわからないものがあると思うんだよ。そういうものをたっぷり書いてほしいんだなあ」  これは、易しい注文のように見えて、そうではなかった。そういわれてみると、いったいなにが喜びなのか、困難な問題を提起された気持に市川はなった。  市川は大型犬が好きである。昔から大型犬を飼いたいと思っていた。それも、できるだけたくさん飼いたい。  今、市川が飼っているのはグレートデンとセントバーナードである。しかし、そのくらいの犬を飼うのに、なにも流行作家でなくてはならぬということはなかった。小森もセントバーナードを一頭飼っているし、市川ほど忙しくはない天藤も、紀州犬を何匹か飼っている。  みながピンポン野球をつき合ってくれる楽しみというのも、自分が流行作家であるせいなのかな、と市川は考えてみた。市川が、ピンポン野球をしようといえば、仕事の関係の編集者や、昔から一緒にピンポン野球をやっていた連中は、すぐに応じてくれた。  しかし、それは、彼が今のように忙しくならなかった時代からそうだったのである。みなが子供をあやすような気持で、彼につき合ってくれたのだ。  となると、金ということになるが、もしも、彼が金に対してたいそう執着を持っているとすれば、もっと理財の方法を考え、収入と所得の意味の違いについて、最近になってやっとわかるというようなことはなかったにちがいない。  更に、市川は、金を貯めて豪壮な邸宅に住みたいという気持もあまりない。ただ、彼は、今は借家に住んでいるので、やがて家を建てる計画は持っているのだが、その場合でも、彼のいちばんの関心事は、その家の中に造りたい、ピンポン野球をやるのに適した部屋のことである。今、彼の借家では、左利きの人にとっては非常に不便である。だから、彼の家が建つまではピンポン野球の大会は旅館や飲み屋の二階を借りてやらねばならない。  結局、市川は、いろいろ考えてみて、一度に御三家といわれる中間小説の雑誌に自分の作品が載った時に覚えた満足、あれだな、と思った。つまり、自分はよく売れている作家だという その意識が、いちばん彼にとって、流行作家であることの喜びなのではあるまいか。  小森は、しつこくその処を書いてみろ、といったが、しつこく書くほどのものはあまりなく、その喜びとは、ごく単純で卑俗なものでしかなさそうだった。  そして、そう思っても、なおかつ、〈もうやめにした〉という気持が起こらないのは、惨めな経験による後遺症が尾を引いていて、急に注文が減ったりはしないかという不安のためである。  市川は、ときどき、ヒッピーの生活を羨《うらや》ましいと思うことがある。オランダに出かけて、そこの公園で一日ぼんやりとして過ごす。そして、自由に性生活を楽しむといった若者たちの生活を羨ましいと思うこともあるが、一面、こうも思うのだ。〈あいつらは風呂に入らないにちがいない〉。  市川はアレルギー体質である。虫に刺されると、その傷痕《きずあと》はひと月も癒らない。それに、風呂に入らないための体の匂いがたいそう気になる方だ。  一度、市川は、友人たちと志賀高原に行ったことがある。ホテルの予約もせずに行ったために、結局、泊れたのは汚ないロッジだった。  彼は、その汚ない畳の上に、汚ない毛布を被って寝ながら、蚤《のみ》に刺されはしないかとビクビクしていた。そして、急に自分の体から元気が失せ、憂鬱になり、寡黙になるのを覚えた。  その時、一緒だった田野米彦はこういった。 「卓は急に元気がなくなるなあ、こういう処だと。おれは割と平気なんだよ」  その時、やはり一緒だった、小説を書きながら新聞社に勤めている加山がこういった。 「おれも平気だなあ、こういう処は」  加山はかなりお洒落《しやれ》な男だった。いつも特別にワイシャツを注文し、いつも新しい背広を着ていた。田野米彦は金持の息子である。本来なら、市川が最も平気であるはずだった。なぜなら、彼は貧乏に慣れていたし、それに、加山ほどお洒落な男ではなかったからだ。だから、これは、体質ないしは感受性の問題といってよかった。  田野も加山も、そこの、垢《あか》が浮いた汚ない風呂に対しても割と平気だったが、市川の方は、毛虫をそっと箸でつまんで捨てるような、そんなおずおずした気持で漬かり、慌てて出た。  翌日、ホテルの部屋が取れた時から、急に市川は元気になった。  市川が貧乏を怖れる気持の中には、そういった体質や感受性の問題がある。蚤に刺されることや汚ない毛布はいやだった。  流行作家になってからの市川は贅沢に慣れている。彼の家には、夕方になると毎日のようにハイヤーの車がやってくる。更に、彼は、食べるものについても人並以上の関心を払っていて、どこそこの肉がうまいとか、どこそこの鮨屋の種はどうのというようなことがわかる生活をしている。毎夜のように銀座に出かけられるのもいい気持である。  市川にとって、今の生活は、特別に保護される区域に住んでいるようなものだった。彼は、そこから放り出されたくなかった。  だから、市川は、原稿を片っ端から断わる、そういった作家たちの精神構造に対しては、理解が届かない部分があった。彼らは、蚤に刺されたりする生活があってもいいのだろうか。彼らは、うまくない食事をしなければならない生活に戻っても平気なのだろうか。暑い日盛りの道を停留所まで歩いて行き、満員のバスに揺られたり、何台も通り過ぎるタクシイに乗車拒否をされたりする生活に甘んじられるというのだろうか。  市川の瞼《まぶた》には、自分の原稿が売れなくなる不安というイメージとして、いつも、あの志賀高原のみすぼらしいロッジの部屋が浮かんでくるのである。  市川が、〈そうだ、これだ〉と思ったのは、マニラの動物園を見て廻っている時だった。正午を過ぎたばかりの時間だったので、それに、マニラは夏だったので、日差しがたいそう強かった。  強い日差しの下を、市川は、帽子も被らずに速足に歩いていた。とにかく、彼は、外国の町にくると、そこの動物園を必ず訪ねることにしている。  マニラの動物園は、それほど大きくはなかった。インド象が直射日光の当る遊び場を避けて小屋の中にいたのでよく見えず、虎やライオンも日を避けて、檻《おり》に近い陰にいたので、遠目によくは見えなかった。  だから、彼の印象には、殆どなにも残らないといってよかったのだが、そんな時、速く歩いて見て廻ろうとしている市川の胸に落ちてきたのが、小森から投げかけられた�流行作家であることのその喜びはなにか�といった問に対する一つの答だった。  その答は、彼がこれまで思いついた答の中では、いちばん手応えのある気のきいた理由のように、彼には思われた。  それまでは、市川は、自分が流行作家であるために、その流行作家としての自分を距離を持って見ることができず、ちょうどそれは、映画館の中のいちばん前の席で、スーパービジョンとかシネラマを見ているような、そんな見にくさと同じなのかもしれなかった。  なんのために、この暑い日盛りの中を、わざわざこんな動物園にやってきたりしたのか、その一種の愚かな自分への意識が、ふと、自分との距離を生み、その答を引き出してくれたようだった。  市川は、小さい頃から仲間たちを怖れていた。  彼は、同じクラスの者から、軽く見られ、バカにされることが多かった。それは、どうやら、市川が虚弱であるのと、どこか不様《ぶざま》であったり、不器用であったりすることからきているらしかった。  そのため、市川は、バカにされまいとして、いつも緊張し、怯え、懸命な時間を過ごしていたといってよい。  彼は、自分よりも喧嘩の弱い相手を常に見つけていたが、その相手も、いつか突然自分に刃向かってきたりすれば、とても勝目はないということがわかっていた。  市川は、ぼんやりとではあるが、常に自分の欠落を意識し、その欠落が他人の眼に映らないようにと心がけていた。  中学の何年の時だったか、教室の市川の机の中から蛙が飛び出したことがあった。  臆病な市川は悲鳴をあげそうになった。だが、彼は辛うじて、出そうになる悲鳴を怺《こら》えた。そして、彼は、殆ど死ぬほどの懸命さでもって、自分がその蛙を怖れていないことをみんなに見せつけようとした。  それは、彼を臆病者だと思って、こわがらせようとしてやったというよりも、ただ、驚かせるためにやったいたずらにちがいなかった。そして、そのいたずらの対象は、必ずしも市川だけではなかったのだ。  もしも、ここで、市川が怯えたり悲鳴をあげたりすれば、それ以後彼は、そのいたずらな連中の餌食にされ続けたにちがいなかった。  だが、おそらく、いたずらをした連中は、市川だったら、びっくりしたり、こわがったりするかもしれないと期待していたことも確かだった。  そういう彼らの動機の中に、すでに市川は、自分が見抜かれているものがある気がしていた。  だが、彼らが見抜いた以上に弱い市川であってはならなかったのだ。そんな市川であれば、以後、ずっとそういう連中のいたずらの対象として、市川は生き続けねばならないからである。  その長い苦痛のことを考えて、市川はその時、こわい蛙が机の上に坐ったまま、どこに跳ぼうかという姿勢をして喉をヒクつかせているのを見ていた。その蛙が殿様蛙だったか、蟇蛙《ひきがえる》だったか、市川は忘れている。  だが、その蛙が、彼の顔目がけて跳びついてきたらどうしようかという、今にも卒倒しそうな恐怖を凝《じ》っと怺えていた記憶だけは、市川の中にある。  勉強ができない連中が、教練の動作だけはたいへんうまいというのが、いつも市川は不思議だった。  そして、そういう連中は、自分の勉強ができないことは恥とは思わず、理不尽にも教練の動作がぎごちなくて不格好な連中を軽蔑していた。  そして、その軽蔑を、市川はたいそうこわがっていた。そこにも、これからずっとバカにされたり、殴られたりする惨めな洪水を惹《ひ》き起こす蟻の穴があるような気がしたからである。  彼は、小学校や中学校を通して、しょっちゅう蟻の穴を敵に見つからない前に見つけて、懸命に塞ごうとする努力でもって過ごしてきたようなものだ。教練や体操の教師までが、勉強のでき不できよりも、むしろ、運動神経のよしあしでもって、生徒たちの人間としての価値を計っている節があった。  市川は、だから、自分の部屋で、柄の長い箒《ほうき》を持って、それを銃に見立て、窃かに立ち撃ちや寝撃ちや膝撃ちの練習をやったものだ。  とにかく、市川には、他人にはない欠落があった。その欠落がなんであるかについて、市川自身、はっきりと把んではいないだけに、その欠落は市川にとってはいつも不気味であった。  自分ではっきり欠落の正体がわかっておれば、彼は、予め敵の襲撃に備えることができるのだが、わかっていないために、しかも、敵にはわかっているために、いつも、彼は怯えていなければならなかった。  そして、ある集団の生活の中では、必ず、そういった市川の欠落部分を見抜く者がいた。  そういう存在は、軍隊の中にもいたし、大学の中にもいたし、彼の教師仲間にもいた。そして、それは、ときどき、彼が教えている生徒の中にもいた。  すると、市川は、天敵に会ったような気持になり、体が竦み、抵抗力を奪われてしまうのだった。  天敵は同人雑誌の仲間の中にもいたし、編集者の中にもいた。  市川は、天敵のいない処で生活できるようになれるとは考えていなかった。天敵の存在は、彼にとっては運命のようなものだった。その天敵たちは、たいてい市川を呑んでかかっていて、ときどき意地わるをした。  そして、その天敵は、ある特定の個人と限っているわけではなかった。思いがけず、親しい仲間や一緒に暮している女が瞬間的に天敵になることもあったからである。  そういう時、瞬間的天敵になったその仲間は、そうなったことに気づいていなかった。  ある男に対して、急に市川は、意識的によそよそしくなったことがある。  その男は、おそらく、市川が原稿が売れ始め、名が知られるようになったためにそうなった、と思っているにちがいない。  市川は、その男に自分のよそよそしさの理由について説明したこともない。  その男は、市川と二人きりでいる時にはたいそういい男だった。だが、一緒に酒場などに行くと、急に変って、ホステスたちに向かって、市川のことを「こいつ」と呼んだりし、「なあ、おまえはケチだものなあ」といったりした。  なぜ、急にその男の態度がそういう場所で変るのか、市川は、初めのころよくわからなかったが、ある時、ふと、こういう男が小学校の頃クラスの中にいたことを思い出していた。  その男の子は、市川の家に遊びにきたり、市川がその男の子の家に遊びに行ったりしているぶんには、たいそういい友達だった。だが、みなと一緒の処では、その男の子は忽ち変貌して市川に対して暴力的な態度に出た。そのくせ、また二人きりになると、やさしくて、いい友達になるのだった。  その男がちょうどそれだった。  とにかく、だれかほかの者のいる処では、市川に対して、軽蔑の混った、必要以上の馴れ馴れしさを見せ始めるのだ。  市川が、もしも、小さい頃からそういう天敵に苦しめられていなければ、別に、意に介するようなこともなかったにちがいないのだが、天敵の記憶が彼を怯えさせ、その男から離れさせていったといってよい。  市川は、だが、今は、そういった天敵の存在を忘れることのできる境遇にいた。  天敵たちは、自分が天敵であることを、市川に対して示そうとしないし、また本来、天敵でない人物たちも一緒に暮している女を除いては、瞬間的にしろ、天敵になるようなことは殆どなくなったのである。  市川は、道子との生活の中では自由気儘にふるまっていた。外泊もし放題だった。  けれども、芸者の弥生と同棲するようになってからは、彼は初めて束縛を味わうようになった。その束縛の感じは、暢子との生活にも持ち越されている。彼は銀座がカンバンの時間になると、まっすぐ家に帰るようになった。  そういう習慣は、半分は彼の方から造ったといえる。なぜなら、最初の期間、弥生との同棲の時も暢子との同棲の時も、彼は殆ど外に出なかったからである。そして、外に出る時はいつも一緒に出ていたからである。  特に、暢子との時には、市川は、外にいるよりも暢子と一緒にいる方が楽しく、ほかの処に行く気がしなかった。外に出ても、すぐ家に帰りたくなったほどである。つまり、彼と暢子とは恋愛をしていたわけだ。  そんな時に、市川は初めてヨーロッパに行き、旅行中も常に暢子のことばかり考えていた。  処が、そんな市川は、だんだん外に出ることが多くなった。そして、正式に暢子と結婚した半年後には、彼は、殆ど毎日のように銀座に出るようになっていたのである。  暢子との生活の最初から彼がしょっちゅう外出しておれば、なにも門限など気にすることはなかったのだ。  市川の女ぐせについては暢子もよく知っている。暢子の方は、帰りが遅いから必ずしも浮気をしているのではないということは、頭ではわかっている。浮気をしようと思えば、夕方だって宵の口だってできるからである。  しかし、宵の口や夕方の浮気は、午前零時までの許された時間の中に隠れてしまっていて目立たない。彼が午前二時に帰ったとする。すると、零時から午前二時までの二時間は、暢子の眼にはっきりと目立ち、その時間が暢子への抵抗の時間、もしくは、暢子にどう思われてもいいと思って市川が過ごしていた時間というふうに受けとられる。  暢子は市川にこういっていた。 「わたしは、べつにあなたが夜遅くてもどうってことはないんだけど、翌日の仕事に差しつかえるから、早く帰った方がいいといっているまでなのよ」  そういう暢子の無理な、本心と裏腹な言葉もまた市川を早く帰らせることに役立っている。  じっさい、市川は、午前三時を過ぎて眠ると翌朝にこたえた。  彼は毎日午前十一時に原稿を書き始める。彼の仕事ぶりは自転車操業のようなものだった。少しでも怠けぐせがつけば、急にそこに隙を見つけて流れ出ようとする水のような工合に、仕事が溜ってくる。  市川は、自分に怠けぐせがつくことをおそれ、そのためにも、必ずノルマを果すようにしていた。だから、彼は、小説のことで考える時間などといったものは殆ど持ったことがなかった。彼の場合は考えるのではなくて、頭の隅にチラと浮かぶ、そのことに縋《すが》って書くのである。速記の人が午後一時にはやってくる。そして、三時には、だいたい仕事を終えていた。そのあとは、速記の人が持ってきた原稿に眼を通すとか、入浴とか、人と会う時間に当てられる。  それから、市川は、外に出かけて行く。  彼は午前零時近くなると、一緒に飲んでいる編集者や友達と別れるわけだが、そんな時、彼は、酒場の女の子たちと一緒に六本木か赤坂に食事をしに行ったり踊りに行ったりする彼らを羨ましいと思いながらも、やはり、家に足を向けてしまうのだった。  市川の家は、裏道をまっすぐ走って五叉路にきて、そこを左に直角に曲がったその左角にある。彼は、車を停めてもらうと先ず二階の寝室の窓に眼を向ける。そこに灯が点いていれば暢子が家にいることを示し、そこに灯が点いていない時には暢子がたまに外出している証拠になる。灯を見ると、市川はホッとする。しかし、二階に上がって寝室のドアを開けてみてもそこに暢子がいないことがある。そんな時、市川は、暢子が二階のどこかに隠れていて不意に幽霊の真似をして彼を驚かそうとしているかもしれないと考え、寝室の押入れや、彼自身の書斎や、洋服ダンスが置かれている小さな部屋やらに行ってみる。暢子はいつまでも隠れておれる女ではない。自分が潜んでいる場所や幽霊になっている自分がこわくなってくるからである。市川は〈お化け〉や〈幽霊〉をこわいと思っている。そういうものがあるかないかは知らないが、少しでもある可能性があれば、市川にとってはそのこわい存在はあるのと同じことである。そんなこわがりの市川のことを知っていて、暢子は隠れるのだ。市川の方は、その遊びをおもしろいとばかりは思っていない。むしろ、自分をこわがらせようとしておもしろがっている暢子に腹立ちをいくらか覚えながら捜し廻る。 「よーし、今度反対にびっくりさせてやるからな、風呂場の窓の外から手を入れてやるからな。その時になって泣くなよ」  そんなことをいって市川は、押入れの戸を開けたりするのだが、どこにも暢子がいないことがある。つまり、寝室の灯を暢子か市川が消し忘れたまま出かけたらしいのだ。  市川は、そんな時、〈おれが早く帰っているのにけしからんやつだ〉と自分勝手な腹立ちを覚えながら、一人きりのその寝室がいやにガランとしたものに感じられてならないのである。  市川は一種の恐妻家といえる。だが、もの書きの男たちが、細君をおそれて、夜早く帰ったりすることがあるだろうか。市川は、そんな自分をみっともない男だと思っていた。 「今度家を建てる時には、遠くに建てて、都心に仕事場を借りるといいんだよ」  と、彼に奨めてくれた画家がいる。 「とてもぼくはだめだなあ、そういうことは。仕事場なんか、とても女房は許してくれないよ」  すると、その画家は不思議そうな顔をした。 「どうしてかなあ? ぼくなんかだったら、平気でそういうことはやっちゃうけどね」  そういうことがやれたのは、最初の道子との場合だけだ。しかし、道子の場合でも、彼は一種の恐妻家でなかったとはいえない。  道子は、家に、市川が彼の友人たちを食事に呼んだりすることを極度にいやがっていた。つまり、彼の友人たちが遊びにくることをいやがっていたわけである。遊びにくれば、食事を出したり話をしたりしなければならないからだ。道子は人づき合いがいやな性質であったが、その他に、自分の家の中が整理されていない処などを他人に見られるのをひどく怖れていた。  そんな道子のために、彼はどのくらい友達に不義理を感じたかわからなかった。  道子は、長崎にいる市川の父親が泊りにくることさえ反対し、もしも父が泊りにきたりしたら自分が出て行く、というようなことをいった。市川の父への個人的な反感があるにしても、それはちょっとひど過ぎる、と市川は思ったが、そういうことに関しても、市川は強く自分を主張することができなかったのである。  芸者の弥生との同棲の時にも、暢子との生活が始まってからも、自分がホテルで仕事をするようになれば、二人の関係にヒビが入りそうな予感を、市川は持っていた。  普通の男なら簡単にできることが、なぜ自分にはできないのか。忙しい作家で、缶詰になったりし、そのためにホテルで仕事をしている者はたくさんいた。  市川は仕事が速いので、缶詰になる必要はまったくなかったが、ときどき、ホテルで仕事をしている連中を羨ましいと思うことがあった。しかし、これからずっとホテルで仕事をしろなどといわれたら、彼は困るにちがいなかった。先ず、食べ物がホテルはまずい。それに味けない。  彼はそういう生活を既に弥生との生活の時に経験して知っていた。そして、そこには犬もいない。  市川には、子供じみた淋しがりの処があった。彼は自分が外にいる時でも、家に妻がいるという状態が好きだった。だから、家に電話してみて、思いがけず暢子がいなかったりすると、彼はやや暗い気持になった。  それは、嫉妬とか、猜疑心《さいぎしん》とかいったものではなかった。家の中に手伝いの女だけがいるという状態がさむざむと思われるからである。暢子がいれば、その世田谷の家は明るくて暖かそうに、彼には思われた。  もちろん、市川は、それが自分の他愛ないわがままであることも充分に知っているのだが、世の中には、わかっていても直せないことがあるというのも確かだった。  急に市川の白髪がふえてきた。  その白髪のことを指摘する編集者たちは、感慨深げな顔になる。 「ぼくが初めてお会いした時には、まだ黒々としてましたよね、あれからまだ三年ぐらいでしょう」  ある編集者はそういった。  市川は、家で髪を二度ほど染めたことがある。しかし、友人の小森や、同じ作家の友人の三条敏子に感心しないというような顔をされたり、いわれたりして、染めるのをよした。白髪というのもわるくないというのだ。それに、じっさい、銀座の女の子たちの中には、白いものが混っているのが素敵だというのもいた。しかし、染めずにいると、「ふえましたね、白いものが」などといわれてしまう。  市川はある夕方、銀座のクラブの子とホテルの一室にいた。同伴のホテルではなくて、ビジネスホテルのダブルベッドの部屋である。  市川は、そのホテルに、前の日に予約の電話を入れてある。客室係の女は、彼の名前と電話番号を訊く。彼は、親しい編集者の名前とその会社の電話番号を告げる。  翌日の夕方、市川は、女と待ち合わせの時間よりやや早目にホテルに着き、眼鏡を外してフロントに歩いて行き、 「きのう予約しておいた加瀬だけど」  といった。その編集者の名前である。  彼は加瀬の本名と彼の会社の番地や電話番号を書きつけ、一万円札を取り出して渡す。すると、フロントの男は、彼に預り証を書いてくれる。七千円の部屋である。帰りにこの預り証を渡せば釣をもらえるわけである。 「ご案内いたしましょうか」  といわれると、彼は、 「わかるからいい」  といった。  彼は荷物もなにも持っていない。鍵をもらって一人で部屋に行き、それからその鍵をポケットにしまって、同じホテルの中のバアに出かけて行く。そこで女と待ち合わせる手はずになっているのだ。  だいたいが、市川が女と会うのには、こういうやり方のほかに、待ち合わせの場所から直接同伴ホテルにタクシイで行くというやり方がある。  女によっては、同伴ホテルをいやがるのがいる。そういった女の場合には、こういった正式のホテルの部屋をリザーブしておくわけだが、その部屋が使われないままに終ることもある。  三枝子と市川とは、そのダブルベッドのある部屋で、小さいテーブルを隔てて向かい合って腰を下ろしていた。彼女がこういう部屋に連れてこられるとは思っていなかったらしいことが、すぐに市川にはわかった。 「そうか、思ってなかったのか。しかし、まあ、話だけでもいいや」 「いやです。ねえ、お食事に行きましょうよ」  三枝子はそういったが、 「ぼくは乱暴なことはできないよ。せっかくリザーブしたんだから、話だけでもしないと損になる」  そういい、彼は、三枝子と小卓を挟んで向い合ったというわけである。 「正直いって、きょう、ぼくはきみと寝たいと思っていたんだけどね」 「わたし、そんなつもりないんです」  だいたい、市川と会ってもいいと思う女は、もしかしたら彼にそういう誘い方をされるかもしれないという覚悟を持って現われるのが普通である。  だが、三枝子は、訊いてみると、どうやら市川の書くものもあまり読んでいないらしい。一緒に食事をしてくれ、一緒に同伴出勤をしてくれるやさしいおじさまぐらいにしか思っていなかったらしい。 「そうか。だったら、もっと魅力的な男性、もっと若い男性だったら、こんな場合寝ようという気になるかね?」 「なると思うわ」 「かなり手厳しいことをいうね、年を取り過ぎているのかな?」 「だって、今までわたしがそういう意味で知っているいちばん年上の人は三十三なんです」 「じゃあ、もっとぼくが若ければということかね?」 「さあ」  三枝子はそういって俯《うつむ》き、頸《くび》を傾《かし》げた。 「つまり、どうやらぼくは、きみの好みのタイプじゃないらしいな」  三枝子は俯いたまま黙っていたが、突然、こういった。 「わたし、宮原先生ってきらい」  三枝子と市川が知り合ったのはごく最近である。  宮原はずっと前から三枝子を知っている。三枝子がほかの店にいた頃からの客である。宮原は学者兼タレントといった男だ。市川よりも四つ、五つ年下である。いつもにこやかな宮原の顔しか市川は見たことがなかった。 「なぜだい?」 「だって、あの先生、お食事しようなんていってわたしを旅館に連れこんで、わたしが断わると、すごく怒ったの」  市川は、宮原の普段はにこやかな顔を思い浮かべながら、横にそれたその話をおもしろいと思った。 「なぜ怒るんだろうなあ?」 「自分の見こみが狂ったからじゃないかしら」  市川には、そういう時に怒る男の気持がよくわからない。市川だったら、そんな時、むしろ女に対して恥ずかしい気持になってしまう。そして、女を怒らせないために、男から誘われることは少しも女の自尊心には抵触しないというようなことをいって、説得するにちがいない。  おそらく、宮原は、女に拒まれた時の自分の態度や言葉を用意しなかったために怒ったのではあるまいか。それか、自分は偉い男だという意識のせいである。 「先生はやさしいからいいけど……」 「そんなこといったって、見こみがないものはないんだろう?」 「ええ」 「はっきりいい過ぎるね、百パーセントないのかい?」 「多分」 「多分っていうのは、百パーセントじゃないだろう?」 「じゃあ、九十パーセント」 「口から出まかせいってるみたいだね、せっかくこんなふうに部屋を取ったのになあ」  三枝子は、しかし、それは市川が勝手にやったことであり、自分には責任のないことだといったように、黙って俯いている。 「キスもだめか」  三枝子はスカートを掌で延ばすようなことをしながら、「だめ」と、はっきりいった。 「じゃあ、仕方がない、飯にしよう」  三枝子は頷いた。  彼はこの時、自分がそろそろ年を取ってきたために、若い女に相手にされなくなり始めている気配を嗅《か》ぎ取っていた。これからは、ますますこういうケースが多くなってくるにちがいないという寂寥が市川を取り包んでくる。  彼は三枝子に近寄り、その頬に唇を近づけた。  三枝子は、頬だけなら、といった感じに凝《じ》っとしている。  彼は三枝子から離れ、先に立って歩き、ドアを開け、三枝子を先ず出し、そして、自分も外に出てドアに鍵を掛け、その鍵をポケットにしまいこみ、絨緞《じゆうたん》の敷かれている廊下をエレベーターの方に向かって歩いて行った。  ベッドの毛布は捲《まく》られないままである。浴衣も畳まれたままである。浴室のタオルやバスタオルも掛けられたままである。  使われないままの部屋が、エレベーターの中に三枝子と向い合っている市川の瞼の裏に浮かんでいた。 「あなたは思いやりのない冷たい人」というのが暢子の口ぐせだった。  そして、暢子の中に、ある不満が徐々に堆積していって、ある日突然、それは爆発する。その爆発には、多分に彼女の生理の都合もあるにちがいなかった。  暢子が苛立《いらだ》って、険悪の表情を少しでも寝る前に見せたりすると、市川の中から、暢子を抱きたいという気持が薄れてくる。  だから、二人の間に交媾《こうこう》が行なわれるためには、相撲の立ち合いのような微妙な呼吸が必要だった。いつでもできるというものではなかった。二人ともきげんがよくて、二人ともそれほどアルコールが入っていないという条件が必要であった。少しでも諍《いさか》いがあったりすると、もう彼はその気をなくしてしまう。  そんな日が続くと暢子の感情の苛立ちもおのずと高まってくる。そして、ある日、彼女は彼に向かってしゃべりまくるのだ。  その夏の夜もそうだった。市川が帰った時には、暢子は犬に食事をやり終ったあとで、かなりきげんがよかったのだが、ひょいと風向きが変わる工合に、彼に向かって非難の言葉を浴びせ始めたのである。  二人は、これから一緒に風呂に入ろうとしている時だった。暢子は顔の化粧を落すためにドレッサーの前に腰をかけ、市川の方はベッドの上にひっくり返って夕刊を拡げていた。 「ねえ、あなたって、仕事のためにはすべて許されると思ってるんじゃないの」 「べつに」  と市川はいった。  市川は、この日、そろそろ暢子を抱きたいなと思っていた時である。〈今夜もだめか〉といったような憤りが彼の中に広がってきた。意識的に、暢子は、夜になると駄目にしようと心がけているとさえ、彼には思われた。 「またいいがかりをつけてくるのか」 「いいがかりととるなら、そうとってもいいわよ。とにかく、あなたは毎晩いないんですからね。あなたは、ほんとに人と会う時以外の日でも、自分の方から無理に人を誘って出かけているようよ。去年は、わたしは新しい絽《ろ》の着物を着てあなたと出かけたっていう記憶があるわ。でも、今年の夏、わたしが着物を着て出かけたっていうことがあって? 夜、一人でぼんやり待っているわたしのことなんか考えたことがないんでしょう。あなたみたいな仕事の人って、みんな偏頗《へんぱ》なのよ、どこかおかしいのよ」  市川は、初めの間、小さい憤激を胸に覚えていたが、だんだんそれが収まってゆくのを覚えていた。そして、珍しく耳を藉《か》す姿勢になっている。  おれは忙しい作家だという意識を、市川は、外に向かって現わしたりすることはない。しかし、彼は、暢子の前では、不用意にそういった意識をこれまで出していたようである。〈仕事のためだから仕方がない〉そして、その仕事はなにか特別のものといったふうに暢子に思わせようとしていた節がある。  彼が暢子の言葉に耳を藉そうという姿勢になったのは、そういった点に暢子の非難が向けられているためである。  彼は胸の中で〈もっとも、もっとも〉と思いながら、一方では〈今夜もだめか〉と落胆させられていた。 「みんなプールに行ったり、山や海に行ったりしている時、わたしはどこにも行けないのよ。いったい、なんの楽しみがあってこんな生活を送っているのかなって思っちゃうわ。あなたは、わたしがいいがかりをつけるなんていうけど、仕事の前なんかにこんなことをいうと、あなたは、仕事の邪魔をするっていって怒るでしょう。そして仕事が終るとお風呂に入って出かけて行く、あなたにいうのはこういう時しかないじゃないの。子供でもあれば、まだ気がまぎれていいと思うのよ。子供もいないし、それに、とにかくあなたはわがままなのよ。わたしの友達に対しては挨拶しないんですもの。前の吉田さんなんかきている時、どうして挨拶しないの? わたし、あなたの友達がきている時にそんなことしないでしょう、あなたが好きなピンポン野球の時なんか、いつもわたし、一所懸命みんなにやっているじゃないの。わたしがしなくてもいいの?」  市川は、ワッと山積する問題を突きつけられたような気持になった。  吉田というのは、暢子がときどき三味線を習いに行っている前の家の細君である。  じっさい、彼にはそういう処がある。人見知りというよりも、好ききらいが激しいのである。だが、そういった好ききらいを、彼は、あまり編集者には示しはしない。吉田の細君なんかに対する彼の態度の中には、なにか特別の仕事に従事しているという意識を持った男特有の傲慢さがあるにちがいない、と自分でもわかっている。  そして、そう思われても平気だ、という部分が彼にはある。わざとそういう冷たい溝を造ることで、彼は、狎《な》れ合いから生ずる煩わしさを予防しているのだ。  子供が生まれないのは、市川がパイプカットを体に施しているからである。そのパイプカットをやったのは、もう十六、七年前のことである。  暢子は、にせものの宝石を把まされた時に手柄を立てたことがある。にせものの宝石は、ダイヤモニアといわれている合成品なのだが、そのにせものが、実は宝石鑑定士から出たということを突き止めた。暢子に宝石を売ったその男まで、その鑑定士に欺されていたというわけである。そして、暢子は、金を全部払い戻してもらった。そういう時には市川であれば決して働くことのない想像力や推理力でもって暢子は突き止め、能弁になり、悪企《わるだく》みの男たちを圧倒したのだ。 「今から帰るわよ。お金みんな返してもらうことになったわよ」  市川はすっかり諦めていて、「よせよ、無駄なことは」といっていたのだ。  暢子の声量に充ちたいきいきした電話に接した時、市川は、残酷で無邪気な獣を連想させられていた。  暢子には精神の集中力が授けられている。そのために、彼女はしばしば迂濶《うかつ》でもあるのだ。時間に遅れたり忘れものをしたりという欠点は、この並外れた集中力の副産物のようなものであろう。  そして、その集中力は市川に鉾先《ほこさき》を向けることも当然あるわけである。  暢子はこんな時、おそらくインチキの鑑定士の前でそうであったにちがいない激しさでもって市川に向かってまくし立てる。  しかし、暢子のたいそう迂濶な部分が市川を短気にさせ、逆に市川をまくし立てる側に向かわせることもある。たとえば、暢子が人と会う約束の時間に遅れそうになった時などがそうである。彼女はそんな時、予め市川が注意しているにも拘らず、「大丈夫よ、ちゃんとわかっているわよ」と、自信ありげにいうのだが、じっさいには、たいてい何分か遅れて出かけることになる。そんな暢子を、市川はいまいましいと思う。  ある日曜日、市川は「兼高かおる世界の旅」を、寝室の床の絨緞の上で、寝巻のまま坐って見ていた。暢子はまだベッドに横たわって眠っている。  アメリカのイエローストーン国立公園の巻である。野生の熊などが出てくる。車から降りた男が熊にカメラを向けている。中には餌を投げているのがいる。  芥川隆行が兼高かおるにこう訊いた。 「大丈夫ですかねえ、野生の熊でしょう?」 「そうなんです。野生の熊なんだから、ほんとは危険なんです。知らないっていうほどこわいことはありませんわね。一年に百五十人ぐらいが怪我をしたりしてるんですのよ」  市川はその時、暢子だったらやりかねないと思った。  暢子は動物好きである。動物園で寝そべっている猛獣を見ても頭を撫でてやりたくなるというのだ。 「そんなことをすれば手を※[#「てへん」+「宛」]《も》ぎとられちゃうぞ」  といっても、彼女の眼には、自分の手によって撫でられながら気持よさそうに睡たげな顔になっている猛獣の姿が浮かぶらしく、 「わたしはこわくないもの」  などといっている。  そんな暢子のことだから、イエローストーン国立公園に行って野生の熊など見れば、特に熊には表情がないだけに、「わあ、かわいい」などといって、近寄りかねないのである。そして、熊に咬《か》まれたり一撃を喰らったりするという場面を、市川は想像してみるのだった。  すると、市川は腹が立ってくる。〈だからいわんこっちゃないじゃないか、だからおまえは迂濶だというんだ〉彼はそんな時、暢子がそんなバカなことをするにちがいないと決めこんでいる。そして、現に眠っている暢子が腹立たしく思われてくるのである。  暢子は、月に一週間ぐらい踊りを習いに通っているが、彼は仕事をしていて、ふと、暢子が信号を渡る場面を思い浮かべることがある。信号は黄色である。暢子はなにも慌てることはないのに、その信号を突っ走ろうとする。走り出した車の急ブレーキも間に合わず暢子の体は撥《は》ねられる。その想像だけで、市川は、暢子のことを腹立たしく思うのだ。  現実に暢子がそうだということではなくて、暢子にはそういう迂濶な処があり、その迂濶な処が、自分にこうした想像力を与えるということで、二重に彼は腹立たしくなるというわけである。  市川は、仕事のことになると家族を寄せつけず、ちょっとしたことでも怒鳴りちらすという同じ売文業者の男を知っていた。  市川は、そんな男の中には、自分は特別な仕事をしているという意識があるからこそ怒鳴りちらしたりするにちがいない、と考えるのである。  その男にいわせれば、仕事の性質がほかのものとはちがうからそんなふうになる、というのかもしれない。  だが、市川にいわせれば、それは弁解というものだ。特別の仕事に自分は従事しているという厳《おごそ》かな気があるからそうなのである。そして、その特別の意識は、市川の中にも明らかに潜んでいる。  しかし、いったいその特別の意識はどこから飛んできたというのだろうか。それは、おそらく花粉のようにどこからか飛んできて、彼の頭の中のどこかに貼りつき、芽を出し、花を咲かせたものにちがいなかった。  もしかしたら、彼は、純文学と一般にいわれている作品活動に専念したその名残りのせいかと考えることもある。  市川は、月に、常に八百枚から九百枚の原稿を書いている。彼が無駄にする原稿用紙は、月に一枚あるかないかである。  漫画とか、あるいはテレビの中で作家が出てくることがある。作家は、なにか書いて、急に気に入らなくなり、その原稿用紙を握りつぶし籠に放る。  けれども、市川は、そんな経験は殆どなかった。彼は、自分がやっている仕事の殆どが、創作活動というよりも商売だと思っている。だから、特別の意識を持つなどということは滑稽なことになる。おそらく、特別の意識は、作家とか小説家という肩書に惑わされているためにちがいなかった。  夏目漱石も作家であればヘミングウェーも作家であり、市川卓も作家である。また、文学という言葉にも自分は惑わされているのかもしれない、と市川は思うことがある。  彼の本の帯や広告の中に、市川文学というような言葉が使われるからである。彼は、自分の書くものの殆どが文学ではないと思っている。  だが、そうした反面、理由のない特別の意識があるがゆえに、自分は毎日夜家をあけてもいいと己を許し、当然、そんな自分を暢子は許すべきだと思っている部分が、確かに市川の中にはあった。  といって、市川は、その意識や感情の全部でもってそう思っているわけではなかった。そういう部分が不正なものだということが、市川はわかっていた。だから、相手が暢子の場合に限ってそう思わせようとしているというのが事実である。  なぜなら、暢子が彼の仕事を特別なものと認めてくれれば、彼の自由は保証されたものになるからである。  なにも作家だからといって、夜、女房をほったらかしにして外に出てもいいといった理屈が許されるものではない。作家だから浮気をしてもいいといった理屈も、また通るものではない。もしも、そうまでしなくてはいけないのなら、なぜ結婚したのかといわれると市川は一言もいえなくなる。�そんなあなたとは、とても一緒に暮してはいけないわ�といわれれば、これにもまた市川は一言もいえなくなる。  だが、現実にジャーナリズムの要請に応えるためには、新鮮な素材が必要なことは確かである。  女が「舌の先や指の先だけで愛撫してほしいの」というのを聞いたりすると、市川は〈やっぱりしょっちゅう新しい女に出くわしていなきゃ駄目なんだな〉と思う。  新しい一人の女からは、必ずなにか新しいものが得られた。そして、その新しいものを、彼は、まだ生きのいいうちに小説の中に使ってゆく。そのために、読者は、彼の作品に臨場感を覚えるのかもしれなかった。  必要なのは具体的な断片である。女の眼から涙が流れて、それを歓喜かと思いまちがうことがある。女は顳※[#「需」+「頁」]《こめかみ》に痛みを感じていたのだ。その女は、あの敏感なボタンの部分を強く刺戟されると顳に痛みを覚え、その痛みのために涙が出、男はしばしばそれを歓喜の涙と勘ちがいすることがある。女は「やめて」というのだが、その言葉をも男は勘ちがいする。  小乳のある女がいた。その小乳は、腋《わき》のすぐ下の方に、虫に刺された痕のような薄赤さとなっている。その薄赤いものが、両方の腋から乳房寄りに五センチほどの処にあり、そのあたりがふくらみを持っている。よく見ると、小さい痘痕《あばた》のようであり、噴火口を空の上から眺めたような感じに浅くへこんでいる。乳首のへこみとよく似ているが、乳首を何分の一にも小さくし薄めたようなものである。そして、その部分を撫でられると、ふくらみが増してきて女は感じ始める。むしろ、その女は、ほんものの乳房以上にその小乳で感じるのである。 「虫に刺された痕のような薄赤さ」といったような表現も、じっさいにその小乳を見ない限りは出てくるものではない。  市川は取材のためにのみ浮気をしているわけではないので、楽しみながら取材をしているということになる。取材半分楽しみ半分である。  しかし、多くの場合、彼の楽しみは、女が彼を迎え入れたその瞬間まででしかなかった。女が彼を迎え入れたその瞬間、市川は、また一つ勲章がふえて喜ぶような小児的な喜びを味わっていた。  彼は、どちらかというと、女の性器の構造自体の工合のよしあしよりも、女が示す反応の方に興味があった。つまり、感度のよさの方が構造のよさよりも、彼をいきいきとさせてくれるのである。もちろん、構造も感度もともによいという女の場合は申しぶんなかった。  といって、市川は、そういった女に溺《おぼ》れるようなことはない。溺れないために自制心を働かせているわけでもなかった。そういった良質な女でさえもが、彼にとっては、よくある女の一人でしかなかったからである。 「あなたはわがままなのよ。ボウリングなんかにいった時だってそうでしょう、あなたは、ついてきてやっていると恩着せがましい態度なのよ。自分が点数がわるくてガーターなんか出して、ボールがだんだん重くなってきたりして疲れてくると、わたしの方は楽しんでいるのに、早く帰ろうなんていうんですもの。とにかく自分本位なの、あなたっていう人は。小さいやさしさっていうのが欠けてる人なのよ」  そんなことをいう時、暢子が、ほんとうはいいたいことを避けているのを市川は覚える。暢子はこういいたいにちがいないのだ。〈あなたは外でなにをしているの。浮気をしてるんでしょう、女の子を抱いてるんでしょう。自分では取材のためなんて思っているかもしれないけど、浮気をして楽しんでいるんでしょう。それで、もしもわたしが浮気をしたらどうなると思うの、あなたはきっと許さないと思うわ。許すとしても、今度は、あなたは大っぴらに、大々的に堂々と浮気をするようになると思うわ。夜も遅く、なんだ文句あるのか、といったような顔で帰ってくるようになると思うわ〉  市川は、暢子がその言葉を呑みこみ、その言葉の代わりに別の言葉を置き替えていることがわかっていた。  しかし、市川は、暢子のそういった罵りを聞く時には受難者のような顔を心がけている。通り過ぎる嵐《あらし》を待つ顔でもある。〈自分の中の正当性をどんなに説明してもおまえには届かない、おまえの理解をうることはない〉と諦めきっている顔を心がけている。  男女の間では男の方が我慢しているという言葉を、彼は、よく聞いたり読んだりした。  しかし、暢子との関係においては、我慢しているのは暢子の方ではないか、と市川は考えている。  それは、前の細君の道子との場合でもそうであった。彼は勝手気儘にふるまい、道子の方は、そんな市川に耐えていた。  彼はときどき、自分も耐えているのかもしれないと思うことがあった。そして、自分が無意識のうちに耐えているとしたら、いったいどの部分を耐えているのだろうかと、考えてみることがあったが、市川は、自分が耐えている部分については気づかされることがなかった。  せいぜい、彼が耐えているとしたら、もう少し夜遅くまで外にいたい処を家に帰るといったことぐらいしか見つからなかった。  市川は、女との浮気がうまくいくと、不思議なことに、暢子に対して面目が立ったような気持になるのだった。約束した女がこなかったり、やってきてもうまくいかなかったりすると、彼は暢子に対して、多少申しわけないような気持になった。  その心理のからくりは簡単なものである。女にもてる夫を持てば、暢子の株がそれだけ上がるわけであり、女にもてない夫であったりすると、暢子の株がそれだけ下がってくるからである。  だから、彼の浮気の熱意の中には、暢子の株を上げるためといった部分も少しはあることになる。そして、これは決して、市川の場合、屁《へ》理屈ではなかった。  運転手付の車については市川は面映ゆくてとても持つ気にならない。  市川は出かける時はたいていハイヤーだが、乗る時に運転手がドアをわざわざ開けてくれる時に面映ゆい気持になる。  そんな時家の前を人が歩いていると彼はうわずってしまう。しかし、市川は運転を習う気にはならない。  市川は車というと、戦時中の銃の分解を思い出す。彼は銃の操作も苦手だったが、銃の分解はもっと苦手だった。普段は学業成績がひどくわるい連中が、銃の分解となると、口笛を吹きながら楽々とやってのけているのが不思議で仕方がなかった。  別荘なんかどこがいいのかと市川は思う。避暑とか避寒のためであれば、今の世の中は冷暖房の設備が整っているので、その必要はない。別荘を建てればその土地に縛られてしまい、他所《よそ》の土地に行かれなくなってしまう。  貧乏な頃の市川には、別荘、車、ゴルフは、出世や金持の印のようなものだったが、自分がそういうものに興味がないということだけで、彼は、自分はおそらく出世せず、金持になれないのではないかと思っていた。  市川は、日に三十枚から四十枚の原稿を書いている。連載ものはすべて速記による。  彼は、毎日の仕事はいやなので、日曜日はなにもしないことにしている。だから、市川は、土曜日の三時ごろ仕事が終ったあとは、これで月曜日の朝までなにもしなくても済むと思って寛いだ気持になる。  だが、こういう仕事をしていて、いったい人生になんの楽しみがあるのかな、と彼は思うことがある。  しかし、人生は楽しいなと思うこともある。それは、小さい場面の回想であったり、ほんの些細《ささい》なできごとに遭遇したような場合である。  たとえば、南米のリオデジャネイロにいった時、昼近くコパカバーナの海の見える通りにある魚専門のレストランで海老のカクテルを食った時だ。白ブドウ酒を飲みながら、日本では食べられないほどの大きくて量の多い海老を、ターザンアイランドというドレッシングに似たものに漬けて食べた時のおいしさとか、海の眺めとか、きょうもなにも仕事しなくてもいいといった安逸な気分とかを、彼は思い出すことがある。  また、ある早春の日曜日の午後、一人で町に出、あるホテルのロビイを歩きながら、網の目になったブラインドから木洩れ日のように、ロビイのフロアに降りこんで揺れている光を見た時、市川はどういうわけか、生きる喜びのようなものを感じた。  その生きる喜びのようなものは高速道路を走っている車の中から都心の緑を眼にした時にも、彼の胸に生まれてくることがあるし、週刊誌の対談に使われている高いビルの最上階にあるレストランのバアから、近くの夜景を眺めている時に、ひょいと彼の胸に生まれてくることもあった。列をなした車の赤い尾灯が、なにかこの世の儚《はかな》さを象徴しているように思われ、この夢幻のような人生から、世界から、もう少し強い、生きている証拠のようなものを把みたいものだと思った時にも、彼は、生きることへの執着を覚えていたといえる。  たまに、あるのんびりとした夕刻に、いちばんかわいがっているグレートデン種の烈を連れて歩く時とか、これ以上ぼんやりした時間を過ごしようもないのではないかと思われるほど、軟体動物のような感覚に包まれて、日曜の午後、ビールをあおりながらベッドに寝ころがってテレビを見ほうけている時も、市川は楽しいといえないことはなかった。  彼は、決して女との浮気の時に楽しいと思ったり、生きる喜びのようなものを感じたことはない。女との浮気の時に、市川はいつも楽しみを求めていながら、現実には、それほどその瞬間を楽しいなと思ったことはなかった。女たちは、把まえてみると、まるで逃げ水のように常にそこにはいずに、先の方にいたり、あるいは回想の中にいたりするだけのもののようだった。  初めて月へロケットが飛んで行った時に、市川は急性肝炎で入院していた。月への着陸はテレビの画面に映っている。しかし、その画面に見入っているうちに、一時間もすると、市川はすでに退屈してきた。なにごとも起こらなかったという感慨の方が強かった。急に着陸した連中がバタバタと倒れたり、ものすごく体がふくらんで破裂したというようなことでも起これば起こったで、やはり、市川は、起こり得ることが起こったと思ったにちがいない。  彼は、生きているうちに、他の種の、人間に似た高等生物を見られないものかと思っている。  彼は、朝起きる時、〈またきょうも仕事か〉と思い、三十枚から四十枚の原稿用紙の分量をとてつもなく重いと思うことがある。そして、その繰り返しがもう我慢できないと思うこともある。  けれども、もしもそういった行為を中止したりしたら、市川は、今度はもっと我慢できない焦燥感に捉われることはまちがいなかった。  彼は自転車操業の中で安定を保っているといってよかった。そして、また、この作業が八十パーセント以上肉体労働であることもまちがいなかったので、必ず前提として、健康が保証されていなければならなかった。  急性肝炎で入院した最初の二十日間、市川はまったく仕事をしなくて済んだ。彼は毎日テレビを見ていた。命の危険が多少頭に引っかかってはいたが、あの時は快適な生活だったという記憶が彼にはある。  しかし、その入院生活の中で、口述筆記の方法を市川は覚え、この方法が仕事にスピードを生み、市川の労力を省き、彼の健康を助けている。  口述筆記による方法を、安直と非難されたこともあるが、市川の仕事の中で、目ぼしい数少ない作品の半分は、口述によるものだった。口述によると、ペンを動かしたり、背中をまっすぐにしていたりすることからくる余計な疲れや労力が省け、文字に現わそうとするそのことに神経を集中できるという利点がある。  市川の家では、ときどき手伝いの女がいなくなることがあった。次の手伝いの女がくるまでは、前の手伝いの女がいてくれたとしても、せっかくやってきたその手伝いの女がすぐに辞めてしまったりする。  そんな時、暢子は、家の仕事を一手に引き受け短気になりがちである。 「あなたはお手伝いがいない時にも、お手伝いがいる時と同じような態度なのね、なにも手伝ってくれないんだから。わたしが自分で犬のウンコなんか片づけて廻っているのに」  その言葉を聞いた時、市川はカッとなった。だが、口には出さない。  そんな時に、彼は、暢子の傍にいると口論が始まりそうに思えたので、台所を離れて寝室に入って行った。  おそらく、暢子の目には、彼の生活が気楽なものと映っているのかもしれなかった。とにかく、書斎に約四時間足らず閉じこもっておれば、それで済む仕事である。しかも、仕事のことで苦しんでいるような顔を見せたこともない。  ほかの作家の生活を知らない暢子は、もしかしたら、作家とはすべてこんなものかと思っているのかもしれない。  仕事が済むと、市川は、人と会ったり、親しい編集者と、自分の書斎でピンポン球で野球をやったりし、それから、風呂に入り、頼んだハイヤーに乗って都心に出かけて行く。そして、帰ってくるのは午前零時である。  女の子たちに取り囲まれたあとの余韻を、彼は家に持ち帰ってくる。そして「ああ、疲れた」などといっているのが、いい気に見えるのかもしれない。  だが、この今の生活を支えているのはいったいだれのお陰だ、という意識が、市川の中にはある。彼の稼ぎや、そして、今の生活程度はかなり高いはずである。  そういったことに、暢子が慣れ過ぎているのではないか。そして、彼の仕事については理解を示そうとはしない。仕事の最中に、よく暢子の知人や友人から電話がかかってき、彼は取り次いでやる。もしも、暢子が、ほんとうに彼の仕事について、ある程度にしろ、理解を持っているとすれば、彼の仕事以外の時間に電話をかけてくるように、友人や知人にいっておくべきではないだろうか。  彼は、こういう時、自分が特別の仕事に従事しているという意識から怒っているわけではない。  暢子にしてみれば、いつの間にか彼の仕事が楽な商売というふうに映っているために、手伝いの女がいなくなったりすると、自分だけが汗水たらして立ち働いているような錯覚に陥ってくるのだ。  もしも、市川が日夜書くことに悩み、食欲を失い、夜も眠れず、窶《やつ》れた顔をしておれば、暢子は、たいへんだなと思ってくれるかもしれない、けれども、現実には、市川はそういうことはないのである。  市川が借りている家の家賃は十五万で二階建である。彼の部屋は十畳で、寝室が約八畳、階下の応接間が十二畳ほど、そのほかにダイニングキッチンと手伝いの女の部屋、洋服ダンスを置いてある部屋などがある。  それらの部屋を一人で掃除するのはかなりたいへんかもしれない。更に、大きい犬が二匹と小さい犬が一匹である。大きい二匹は毎日大量の排便をする。その便をスコップとしゃもじを持って片づけて廻るのもひと仕事だ。  手伝いがいないと、掃除のほかに食事の支度、洗濯、更に買物までしなくてはならない。  だが、市川は、清掃車のくる日をちゃんと憶えていて、前の晩になると、手伝いの女がいなければ、ごみを出すのを手伝ったりするのだ。  そのことをいうと、暢子は、 「それは手伝っているんじゃなくて、あなたの性分なのよ」  という。  手伝いの女がいないと、いっそう暢子は、夜の一人の時間を孤独に感じてしまう。そんな暢子は、近所の親しい家に遊びに行ったり、遠い親戚の女の家に遊びに行ったりというようなことをして、気を紛らす。しかし、所詮自分は気を紛らせているにすぎないとわかる。いつも市 川は夜はいない。こんな生活は堪えがたいと思う。いくら稼ぎはいいかもしれないが、いくら売れている作家かもしれないが、ちっとも生活に喜びがないと考える。  市川と親しいある女優が、市川にこういったことがある。 「先生のように毎晩出歩いてて、よく家に帰って花瓶なんか飛んできませんわね」  彼はその言葉を聞いた時、〈なるほど、女の普通の神経とはそういったものか〉と、教えられる気がした。  そういわれれば、暢子がそれほどの暴れ方をしたことは、まだなかった。  だが、それほどの暴れ方をされても仕方のない生活を自分はしているのだろうか、と彼は思った。彼は彼で、いつもなるべく早く帰ろうとしているのだが、どうやら、殆ど毎日というのがよくないらしいのである。  けれども、彼は、仕事が終ったあと、ずっと家にいてテレビなどを見ていて、やがて眠くなるような時、自分が疲れていると思うことがあった。その疲れを、むしろ、彼は外に出ない時に強く感じ、夜外に出ていると、ストレス解消の役目があるらしく、疲れを覚えずに済んでいた。  だが、こういう生活が続く限り、暢子の不満が強まることは避けられない。  彼の生活とは、なにも文筆生活だけではない。彼は、家でものを書く以外に、家で食事をし、家で寝、家から出て、そして、家に帰ってくるという生活をしているのである。  彼の小説が読まれ、彼の名が知られ、彼の写真がどこかに出るというようなことは、それは、握りしめて見られる彼の生活外のことでしかないのに、彼の方は、むしろ、そのような現象の方に自分の生活の重大な部分があるかのような錯覚を持っていることがしばしばであった。  彼は、結局、手伝いの女がいない時に犬の糞を片づけたりしないという非難に対しても、僅かの時間しか怒ることができなかった。  結局、そういった暢子の不満の中に、彼との結婚生活の経過の中に少しずつ蓄積されていったものの小さい噴火を見る気がしたからである。  けれども、一方的に自分がわるいという意見は、いつの場合も彼にはなかった。どんなに時間が短いにしろ、そしてまた、それがいわゆる低俗な売文業であるにしろ、商売熱心からのものにしろ、神経とエネルギーを磨滅させていることには変わりはなかったからである。  手伝いの女はなかなか見つからなかった。  暢子の苛立ちは激しくなり、暢子は疲労し、夜になると、帰ってきた市川に喧嘩を吹きかけるような態度に出るようになった。 「もう限界よ、もうわたしは我慢の限界なの。自分でもよくわかったわ。これがほんとに愛している人のためだったら、わたしは喜んで働くと思うの。でも、働いてみてわかったわ、あなたの方も冷めてるし、わたしの方ももうだめなのよ」  市川も暢子も、同じベッドの上で、なるべく体を離して横たわっていた。暢子が眠っているのかどうか、市川にはよくわからない。  市川は、ほんとうに暢子と別れねばならないかもしれないと思った。 「あなたと生活して、長く続く人なんかいるかしら? あなたと一緒になれば、みんな、あなたにやさしさがないっていうことがよくわかるわよ」  暢子の言葉が市川の耳の奥で繰り返されている。  市川は、暢子がこの家を出て行った場合のことを考える。暢子がいちばんかわいがっている雑種のタロウは暢子が連れて出て行くだろうが、牝《めす》のセントバーナードのメリーや、牡《おす》のグレートデンの烈はどうなるのだ。  彼は、一人でこんな家に住む気はしなかった。その時には、彼はマンションの一室を借りねばならないだろう。もう烈は、ほかの男にはなついたりしないかもしれない。メリーは子宮を患って手術を受けているので子供を生むことはできない。そんな犬をだれかが引き受けてくれるだろうか。  おそらく、どの家でも、市川の家ほどに犬に食べ物をやらないにちがいない。  市川の家では、散歩専門の人にまできてもらっているのである。他所《よそ》の家では、そこまではしないにちがいない。二匹の犬が、彼の処にいるよりも、他所に行った場合、不幸になることは確かなように、彼には思われる。とすれば、医者に頼んで安楽死の注射をしてもらわねばならないかもしれない。  じっさいに愛情が冷めているのであれば、結婚生活などは無意味である。  市川はうとうとし、また眼が醒め、眠れなくなり、そっと起きて新聞を取りに行き、そして、彼自身の書斎に行ってデッキチェアの上に寝ころび新聞を読む。しかし、新聞の活字に、彼の眼は、ただ漠然と当てられているだけである。  けれども、そんな日でも、彼には仕事が待っている。彼は、気まぐれな、仕事をしない日を日曜以外に設けることができなかった。一旦そういう日を設ければ、それは習慣になり、彼は仕事の量の蓄積の中に埋まってしまい、息ができなくなってしまいそうだからである。  市川が几帳面なのも、そういった恐怖のせいだった。  だが、どういうわけか、朝になると、暢子は前夜のことは忘れたように市川にしがみついてき、 「ねえ、どうしてわたしって、夜になると、あんなふうになるのかしら? もう喧嘩よそうよね」  などといったりした。  市川の方は、そういう暢子の態度によって、幾分か仕事への熱意を回復させられるのである。ずっと喧嘩の状態が続いていたりすると、彼は仕事への集中力を阻害される。そのせいで、彼の中でも、暢子への憎しみが積もってゆくのだった。  だが、それにしても、なんのためにこれほどの量の仕事をこなしていかねばならないのか。彼は、その量の中に埋もれているために、却って、そういう問題について深く考えることができなかった。  彼は、仕事に流されてゆく自分を感じていた。そして、時間はいやに早く過ぎてゆく。アッという間に、臨終の時がやがてやってくるにちがいないという予感が、彼の中にはある。  彼はうすうす感づいているのだが、仕事への彼の情熱を支えているものは単純で卑俗な野望といったものにちがいなかった。だからこそ、市川は、常にその無邪気な野望について、更に深く詮索することを、あと廻しにしたいと考えていた。  市川は講演を頼まれることがあったが、その度に断わった。  市川は、とても自分には講演などできないと思っている。 「学校の教師をしてたんだろう、そんなきみが、なんで講演なんかできないんだね?」  彼はそういわれることがある。しかし、それとこれとは別である。そしてまた、昔と今とでも別である。  学校の教師をしていた時、市川は、よくふざけたことをいっては生徒たちを笑わせた。だから、彼の授業時間、生徒たちはあまり退屈しなかった。  だが、全校生徒が集まった処で、なにかもっともらしいことをいわねばならない時になると、市川は、たいていその役目をほかの同僚に押しつけた。  市川は清掃係をやっていた。ある時、主事から、全校生徒に向かって清掃についてなにかいってもらいたいと、頼まれた。  市川が勤めていた定時制ではいちばんの責任者は主事と呼ばれていた。  彼は壇上に立って全校生徒に向かってなにかいわねばならないと思うと、胸の動悸《どうき》が高くなり始めた。授業の時に、彼はこんな気持になったことはない。授業など、彼にとっては鼻唄まじりのようなものだった。処が、全校生徒が集まったとなると、事情はまったくちがったものになる。  彼が壇上に昇る時がやってきた。  市川は、「ええ」といったきり、あとの言葉が出てこない。生徒たちが笑った。すると、ますます市川の口から言葉が出てこなくなった。  生徒たちも、このような市川を見るのは初めてらしく、露骨な好奇心を顔に浮かべている。つまり、まともなことをいう時の市川の顔を見てみたいといった好奇心である。 「とにかく、掃除をよくすること」  市川は動顛してそんなことを口走り、それから、もうとても壇上に立っておれない気持になり、 「それだけ」  というと、壇から降りて行った。  生徒たちは笑い、主事や教師たちも笑っていたが、市川にしてみれば笑いごとではなかった。  市川はこれまで講演めいたことをやったことがないかというと、そうでもない。彼は長崎で原爆の経験を持っている。彼自身が受けたわけではなく、彼の母や、二人の妹が原子爆弾で死んでいる。そして、彼は、原子爆弾が落ちてから約一カ月後の荒廃した跡を眼で見ているし、原爆が落ちた時の模様を、生き残った父などから聞いて、知らされている。  その原子爆弾についての話を、彼は、生徒たちにしたことが何度かある。授業をしたくないのと、やはり、そういった話は伝えておいた方がいいといった気持からである。  彼は、なるべく具体的に話して聞かせた。その話の時は、生徒たちは静まりかえっている。女生徒たちの顔が歪《ゆが》んだり、嘆声が洩れてきたりする。  そういう時、おそらく、彼の話しぶりはそれほど下手でなかったにちがいない。  だが、それから何年か経って、教師を辞め、そして、また何年か経った現在、彼に同じような話をしてくれといっても、市川はできないにちがいなかった。  生徒たちに話をしていた時の彼には、ある感激があった。話をするそのことの感激があったし、話をする時の自分の口調にいくらかの陶酔があった。  しかし、いつの間にか、市川は、そのような時の自分を気に入るということがなくなっていた。そんな今の自分は粋《いき》がっているのではあるまいかと思うことがあるが、必ずしもそうとはいえない。話す時の口調、あるいは節廻しといったものを、彼は、今はもう持ち合わしていないことに気づいている。  彼は、今なら、非常に殺伐な話し方しかできないにちがいなかった。  市川は、講演のうまい人を見ると、ちょっと誇張していうと、ある恐怖を感じる。それは、穏和な男が急に軍歌をガナリ立てる時に覚える、あの〈おや?〉といった気持、普段きわめてつつましい男が酒を飲んでいて、突然に眼つきが変わってくるのを見る時に覚える〈おや?〉といった気持、それと似た気持を、講演のうまい者に対して抱くのである。  そして、どういうわけか、彼は、そういう男を多少こわいと思うのだった。  中学時代、市川が親しくしていた原という野球の選手がいた。  市川は野球の練習を見ていた。原がノックバットで打ち上げられたフライを追っている。原は取りそこねてしまった。  市川は、そんな原に笑いかけて、こういった。 「だめだぞ、そんなこっちゃ」  すると、原は、これまで市川が一度も見たことのないこわい顔になって彼を睨《にら》みつけ、土を把むと、市川に投げつけてきた。  市川は、そんな原に恐怖を覚え、その場を立ち去った。そして、以後、練習中の原にふざけた声をかけることはなくなった。  講演のうまい男に覚える恐怖は、その時の原に対して覚えた恐怖とどこかで繋がっている。  市川にはコンプレックスがある。そのコンプレックスの一つに、自分はたいそう喧嘩が弱いというのがある。  彼は、長崎のミッションスクールの中学校に入った。なぜなら、彼の父が牧師だったせいである。  しかし、父が牧師であるために、なぜ息子が、その喧嘩の強い男がたくさん集まっているミッションスクールに入らねばならなかったかは、彼自身、今もってよくわかってはいない。とにかく、乱暴な喧嘩の強い連中が多かった。  もしも、彼が、ほかの勉強本位の中学に入っておれば、そういう劣等感を持たずに済んだかもしれない。  しかし、もしかしたら、どこの中学に入ったなどということとは関係なく、彼は、先天的に、そういった暴力に対する恐怖心とか、喧嘩の弱さに対する劣等意識を持っていたということも考えられる。  そんな市川は、作家の中でも、喧嘩が強いと噂のある秋永とか、キックボクシングをやっているという坂井と話をする時、ある感激を自然と覚えてしまうのである。こんな強い男が、自分と対等に話してくれているといった感激である。  その感激は、たいそう腕っ節が強いという評判をとって、今現役を退いている元プロ野球の選手とか、あるいは、元ヤクザの親分であったという男とかに紹介されて話す場合にも、彼の胸を襲ってくる。  それはまた、市川がまだ原稿が売れずに名も売れていなかった頃、有名な作家たちの中に立ち混って話をしたり、酒を飲んだりしている時に覚えた感慨とも、一脈通じるものがあった。とにかく、お歴々と対等にこうしているという感慨に、彼は胸を打たれるのである。  本来ならば、ひとひねりにされてもいいのが、そういうあしらいを受けずに、対等に、もしくは丁重に扱われているという意識も、市川を感激させる。  キックボクシングをやっている坂井に、彼はこう訊いた。 「ねえ、坂井さん、秋永さんと坂井さんやったら、どっちが強い?」 「それは秋永さんですよ。あの人はプロだもの」 「そうかなあ、キックボクシングやっててもそうなのかなあ」 「それはぼくらはルールの上に立てば割と強いかもしれんけど、喧嘩はルールじゃないですからね、パッとそこにあるものを手に持ってやれるかといえば、ぼくなんか、なにもできやしませんもの」 「なるほど、そういうものかなあ」  市川が感激していることなど、坂井は気づいていない。  そのコンプレックスの裏返しかどうか、市川は、胸の中で不埒《ふらち》な呟《つぶや》きを洩らすことがある。  たとえば、彼はタクシイに乗っている。暑い日盛りの道を、運転手は、懶惰《らんだ》な感じに、体をドアの方にもたせかけ、片手を窓の外に下ろしながら、もう一方の手でハンドルを把んでいる。  市川は、そんな運転手の背中に向かって、胸の中でこういいかける。 〈たいへんだな、運転手さん。まあ、仕方がないよね、稼ぎがちがうんだから、おれとは。いくら強そうな横柄な恰好したって、結局はきみは、汗水たらして、いったいどれくらい稼げるっていうんだね〉  ある時、彼は、新幹線のグリーン車に乗っていた。彼の傍らにいかつい粗暴な感じの若い男が腰かけている。  若い男の靴を市川は見た。かなりひどい靴である。市川は、わざと脚を高く組み、自分のイタリア製の靴を見せびらかすようにしながら、コニャックのハーフサイズのボトルを取り出し、蓋を開け、その蓋をコップがわりにして口に運びながら、胸の中でこう呟く。 〈きみはグリーン車なんかに乗る柄じゃないよ。自由席にしなさい、自由席に。どうだね、こういったブランディの匂いなんか嗅いだことがあるかね?〉  ある夏の夕方、市川は、グレートデンの烈を連れて、近くを歩いていた。ちょうど道路工事をやっている処にやってきた。半裸の男が生まれて初めてこんな大きい犬を見たといったような、呆気《あつけ》に取られた眼を向けてきた。烈は立ち上がると一・八メートルほどあり、体重は六十キロだ。  中の一人が市川にこう訊いた。 「高いだろうねえ、コロで幾らだい?」  コロというのは子犬のことである。  彼が烈を六年前に買った時は十万円だった。犬屋で買えばもっと高くなるだろうが、繁殖者から直接買ったのである。 「そうだねえ、たいしたことないよ」  市川はそういい、はっきり値段をいいたくないそぶりをして見せた。すると、相手は執拗に、 「幾ら? 五万、十万」  と具体的に数字を上げてきた。 「五十万てとこかな」  市川がそういうと、相手は黙った。そして、呆気に取られたような眼だけはそのままだった。 「先生のことで、おもしろいこと聞いたわ、お客さんがいったの。先生は、これからもうその女と会わないつもりの時には三万円渡すんですってね。そして、これからも会っていいような女の場合は二万円ですって」  そういったあと、加代子は、「ホホホホ」と聞こえるような笑い方をした。  彼女は男装すればよく似合いそうな女である。 「きみなんかの場合は、だから、二万円ていうことだろうね」 「たった二万円なの?」  加代子は、また「ホホホホ」というような笑い方をした。  彼の好みの女の身長は百六十以下である。  しかし、加代子は百六十二、三センチはありそうだ。しかも、力が強そうである。  彼は力の強い女を苦手としている。だから、彼が加代子に食指を動かしたのは、その美貌のせいである。それと、たまにはそういった大柄の女と寝てみるのもよいと思ったからである。 「いったい、幾らだといいんだい?」 「そうね、二十万ぐらいだったらいいかしら」  彼女の顔はもう笑っていない。 「それはだめだよ、ぼくの主義に反する。出そうと思えば出せないこともないけど、この主義っていうのは大切なんでね。まあ、とやかくいわずに行くだけ行ってみようよ」 「どこに行くの?」 「ホテルさ」 「いやよ、そんなの。たった二万円ポッチなんて」 「だったらどっかで食事して別れるか」 「いやよ、二万円ポッチなんて」  どうやら、彼女は金額にこだわっているらしい。  市川は自分の主義を壊したくはない。  じっさい、彼は、その頃これきりで終りそうな女には三万円渡し、あと一、二回寝てもよさそうな女の場合には二万円渡していた。  だが、そういったことが一般に知れ渡ってくると、ますます市川は女にありつきにくくなる。女とは決して長続きしないという彼についての風評は、市川にとってマイナスにこそなれ、プラスにはならない。  加代子は、結局、ホテルに随《つ》いてきた。 「いやよ、いやよ」  といいながらも、加代子は脱がされるままになっていた。どうやら、脱がされたり、体を洗われたりといったことが好きな女のようだった。  彼女は、裸になると、だんだんだだっ子のような感じになってくる。そして、愛撫を受け始めると、まったく子供みたいになってきた。曲げた手指を、まるで吸入するような感じに唇に当て、「いやー」という言葉を盛んに吐くようになる。  感度はそれほどよくはないが、あの部分の感触はかなりのものである。内奥の面が窮屈なのがよい。  そして、僅かに、市川は痒《かゆ》みのような感触を覚えている。これもまた、この女の持ち味になっている。  加代子と市川は、終ったあと風呂に入った。 「ねえ、洗って」  甘えた声で加代子はそういった。 「自分で洗えよ」  市川はそういって風呂を出た。  浴室から出てきた加代子は、 「ねえ、着せて」  といった。 「自分で着なさい。それもおれの主義に反するんだよ」 「先生って冷たいのね」 「ただ、大げさなことをいわないだけだよ」  市川は、加代子のバッグに二枚の一万円札を入れてやった。 「じゃあ、また会いたいっていうの?」  彼女は、しぶしぶ自分で下着をつけながらそういった。ブラジャーのホックだけは、彼は仕方なく留めてやった。  加代子が二万と三万のことを知っていなければ、市川は、加代子に三万円渡した処である。  市川は、寝るだけでその前後がなければ二度会ってもいい気持だったが、現実には、女と寝る場合にはそうはいかない。  以前は、女と寝る前後を彼は苦にしなかったものだ。これは、おそらく年のせいや多忙のせい、更に、女にありつくことへの感激が薄れたせいにちがいない。  市川は四十を過ぎたばかりの頃までは、女とたっぷり時間を過ごしたいと思ったものだ。  たっぷり過ごすためには、女と泊る必要があった。女を抱き、それから、食事をし、また女を抱き、それから、女と一緒に町に遊びに行き、自分の仕事場なりホテルなどに行って、また女と抱き合う。そして、眠り、眼を醒まし、回復した自分の体を女に打ち当ててゆく。女と市川とはまた眠りに落ちる。朝がくる。朝の光の中で最終回の情事を行なう。  市川がいう〈たっぷり〉とはそういうことであった。 〈きょうはたっぷりやれる〉と思うだけで、彼は心が弾んだものだ。  もちろん、彼が好意を抱いている女に限っていた。  市川は、女と話すことが苦にならなかったし、苦にならないどころか、女と一緒にいるだけで楽しかった。しゃべり、飲み、食べ、抱き、眠り、その凡ゆる時間を、彼はもてあますということはなく、夜が明けたあと、女との朝食の時にも、早く女と別れたいなどと思ったりしなかった。  だが、四十八歳の市川は、女と一夜を明かしたいなどと、少しも思わなかった。どんな好ましい女とでも、一緒にいてもいいと思うのはせいぜい二時間だった。そして、一度の精力を大切に使うようになっていた。  女との話の種を捜すことも彼は面倒になっていた。だから、じっさいは前後のことがなくて、ただ寝るだけの、そういった女を抱くのがいちばんいいわけだが、矛盾したことに、そういった女を買う気は、彼はまたないのである。  なぜなら、彼は、女を抱きたくて仕方がないといったような体の状態になることがないからである。  ただ寝るだけの、そういった女からは、人格がメスに転化する、あの一瞬のスリルや快楽を得ることができない。しかし、その一瞬のスリルや快楽を得るためには、寝る以外の前後の時間の苦痛を堪え忍ばねばならない。  市川は四年前、冬になると、飼っている烈を、その頃住んでいたアパートの屋上に連れて行って日光浴をさせた。  彼はその頃、ベランダにグレートデンを飼っていたのだ。ベランダは日当りがわるいのでクル病になるおそれがあった。  正午ごろから三時ごろまで屋上に繋いでおく。すると、その間には烈は排便をする。  冬は殆ど雨が降らず、毎日晴天が続いていたので、彼は、毎日屋上に新聞紙とスコップと杓文字《しやもじ》を持って行き、糞を削り取るようにし、新聞紙にまるめて持って降り、ビニールの袋に入れてポリバケツの中に捨てるのである。日によっては、仕事の合間にそういうことを二、三度繰り返さねばならないことがあった。そして、もう三十キロに近くなっている烈を抱え、鉄梯子《てつばしご》を降りるのだった。  そういうことを、その頃彼は苦痛だと思ったことはなかった。  だが、もしも今、同じことをしなければならないとしたら、市川は、たいそう苦痛に思うにちがいなかった。  あの頃にはあったエネルギーが今はない、と市川は、四十八になった今、思うのである。  それは、市川の現にある心の、ある形を、如実に示したできごとといってよかった。  その時、市川は、ある小説雑誌の編集者二人と、一人の女と、四人でホテルの地階にあるバアにいた。  その女と市川は、約七、八年ぶりで会うことになる。彼は、その女の顔も憶えていなかった。一度だけ映画を見たことがあるという。しかし、そのことも、彼は朧《おぼ》ろにしか憶えていない。  だから、初対面と同じなのだが、女の方はそうではなくて、七、八年前よりもずっと忙しくなった市川に会って、就職を頼もうというわけである。  彼は、編集者とそのバアで会うことになっていたから、電話をかけてきたその女と会うのはついでのようなものだった。編集者がやってくれば女に帰ってもらう、そういったつもりだったのが、その編集者に女の就職を頼んでみるのも手だと思い直し、それに、その女がいると、昔の話などもできて間がもつので、一緒にアルコールを飲んでいたのである。  そんな時に、向こうから一人の男がやってきて、 「お久しゅうございます」  と市川にいった。  彼は、その男がだれか、すぐわかった。  藪田という、昔彼が勤めていた高校での教え子のようなものである。 〈教え子のようなもの〉というのは、彼が直接教えたことはなかったからだ。  ただ、彼が定時制の教師をしていた時に、藪田は全日制の生徒だった。藪田は作品を文芸部の雑誌によく載せていて、市川は、藪田の才能をかなり買っていた。そういう関係であった。  それから約十年が経ち、再び彼は、藪田と薄い関係を持つようになった。藪田を、ある同人雑誌に紹介してやったからである。  そして、また二年ほど年月が経って、彼は久しぶりに藪田の顔を見たというわけであった。  もう藪田は三十過ぎている。  彼は、二人の編集者を藪田に紹介した。藪田は頭をかくようなことをしながら、自分がそれまでいたテーブルの方に顔を向け、 「あすこに浦さんがいるんです」  そういった。  彼は、浦という名前についてはよく知っていた。送られてくる同人雑誌に難解な詩が載っていて、その作者が浦だからである。  更に、浦はたいへんな犬好きで、同じ犬好きの暢子は電話で話し合い、彼女が属している動物福祉協会に彼を連れて行ったこともある。けれども、市川は、浦の顔を見たのはこの日が初めてだった。  浦は席の処に立ったまま市川にお辞儀をし、市川も笑いかけ、 「会ったのは初めてですね」  といった。  藪田はテーブルに帰って行った。  ここまではよかった。  二人の編集者と女と市川のいる席は、ふざけた感じになってきた。 「その時、ぼくはなんにもしなかったかね、エッチなこと?」 「ええ、しませんでしたわ」 「それが不思議なんだなあ。あなたはこうやって見ると、たいへん横顔がきれいだよ。そういった人に、ぼくがなにもしないなんてことは考えられない」 「ほんとになにもなさいませんでしたわ。それに、わたしまだ十代でしたもの、子供でしょう」 「そうか、そんなことができる雰囲気じゃなかったわけだな」 「きっとそうだと思いますわ」  彼女の就職のことについては、二人の編集者の中の一人が口をきいてやることになった。その時に、推薦者として市川がなにか適当なことを書いてくれればいいという。  市川は、このバアを出た処で女とは別れ、二人の編集者とほかの店に飲みに行くつもりになっていた。  彼はこのバアを出て行く前に、小用を足しておこうと思い、席を立った。そして、便所から出てきた時、藪田や浦のことを忘れてしまっていた。 「出ましょうか」  と市川はいった。四人は立ち上がった。  市川が、藪田や浦のことを思い出したのは、その日午前零時近くの家に帰る車の中でであった。あの時間、まだ藪田や浦はいたにちがいなかった。そして、市川が帰ろうとする時に、別れの挨拶をするために、こちらに視線を向けていたにちがいない。その視線に自分は気づかなかったことになる。  市川は、恥ずかしいことをしてしまったと思った。  もしも、これが逆で、自分が藪田や浦と一緒にいて、二人の編集者が向こうにいたとしたら、どうであろうか。自分は決してその編集者たちを忘れることはないにちがいない。そして、また、二人の編集者の方も、帰ろうとする市川に、気がねなく声をかけたにちがいないのだ。  処が、藪田や浦は、同じものを書く人種であるがために、編集者とはちがって、売れている市川に対しての遠慮がある。あまり理由のない、動物本能に根ざした、あの遠慮である。  市川が、藪田や浦の存在を忘れてしまったのも、動物的な本能に基づいた理由からである。  同じもの書きであっても、浦や藪田はちがった世界の中にいる連中である。そして、二人の編集者は、はなやかな脚光を浴びている連中とも仕事の関係で常に顔を合わせているという意味では、市川のいる世界に属していた。  市川は、そこに、不意を突かれたために暴かれた図に乗った自分の姿を、突きつけられた気がし、たじたじとなっていた。  市川は、翌日、手帖に控えてある藪田の会社に電話を入れようかと思ったが、やめにした。電話をしようとする自分の気持の中に、彌縫《びほう》策があることに気がついたからである。  市川は、日曜日になると、よく暢子と映画を見に行くことがあった。その時の映画はアメリカのマフィアを扱ったもので、前売を買わねば入れないほど評判の高い作品だった。  最終の七時半からの映画に二人は行った。やっと買えたのが、二階の前の列の端の席である。  二人が坐っていると、市川の顔見知りの女が、男と現われた。銀座のクラブの女である。しかし、その女は、市川には気づいていない。市川の傍らに、その女は腰を下ろした。彼は、こういった時、話しかけないのがいいということは知っている。  男は女のことを、やたらと「おまえ」と呼んでいる。映画が始まると、二人は腕木の上で手を組み合わせた。結婚している同士ではないらしく、愛人関係といった処かもしれない。女の態度は、男に対して必要以上に従順な感じがあり、男は女に対して、必要以上に威張っている感じがある。男は、金銭的な面倒を、女に対して見ているのかもしれなかった。  市川は、女が自分の存在に気がつかなければいいと思った。気づいたりすれば、女は固い気持になり、せっかくの男との二人だけの楽しい雰囲気が壊れるにちがいないからである。  市川は暢子にこういった。 「隣の女、前�トミコ�にいたんだ」 �トミコ�というのは、銀座では割と知られている小さいクラブである。暢子も�トミコ�のことは知っている。 「やったの?」 「やってるわけはないよ」 「やったんでしょ?」 「やってなんかいないって」 「どうだっていいけど」 「やってたら困るけど、やってないから平気なんじゃないか」  その女の名は�トミコ�では、たしかユカといっていた。  ユカは、隣に市川がいるとわかれば、気まずい思いになるにちがいなかった。客に私生活を見られたことになるからである。しかも、暗がりを利用して手を握り合ったりしている。  ユカが今どこの店にいるかは、市川は知らない。  市川は、じっさい、ユカとはなんの関係もなかった。誘いをかけたことはあるが、二人だけで外で会ったことはない。色は黒いが、かわいい顔立ちの女である。  やがて、映画のおもしろさに、彼は傍らの女を忘れた。その映画は約三時間を要した。  終るとすぐ、市川は傍らの女を思い出し、暢子を促し、早く出ることにした。気づかれないなら最後まで気づかれない方がいいと思ったからである。  市川と暢子は、出口から階段の方に向かって歩き、階段を降り、踊り場で百八十度曲って、また逆方向に階段を降り始める。  ふと市川は、なに気なく上を見た。その時、頭上の階段を降りてくるユカと眼が合った。  ユカは顔に僅かに笑みを浮かべ、〈あっ〉というような口つきになった。  市川は、そんなユカに、片手をさっと挙げて見せた。次の瞬間、もうユカの顔は見えない。 「そんなことをしたらだめだったら。この前もそうだったわね」  暢子がそういった。  じっさい、そういうことがこの前もあった。暢子と市川は、赤坂の朝鮮焼肉料理店に入っていた。その時、市川も暢子も知っているスナックのママが、ある新劇の俳優と一緒に入ってきたのである。  そのスナックのママが、市川は、自分に気づいていないと思った。それで、「やっちゃん」と声をかけた。  そのスナックのママの名は弥津子である。  弥津子は、初めて気づいたふうに彼を見、暢子にも挨拶した。その時、市川は暢子からいわれたのだ。 「あなたはだめよ。気づかないふりをしてあげなくちゃ、ああいう時は。男の人はおもしろくないわよ。きっとあなただってそうでしょう、わたしと一緒に博多の�蜜蜂�に寄った時、わたしを知ってるお客さんがいて、席にくるようにいった時、怒ったじゃないの、なにも行くことないって。だから、あれ以後、わたしそんなことしないわよ」  前、暢子が博多の中洲で働いていた時、暢子をかわいがってくれた客が、ちょうど�蜜蜂�にきていたのだ。その客の席にいた女が暢子を呼びにきた。暢子は、市川が、行くことない、といったものだから行かなかった。  市川の傍にいるホステスも、市川に味方して、 「失礼だわよ、ねえ」  といった。  その失礼を、市川は、弥津子とユカに対して二度にわたり、しかも、暢子の前でやってみせたことになる。特に、弥津子との時に、彼は暢子からいわれ、まったくそのとおりだと思っていたのだ。  弥津子はその時、妻子のあるその俳優と恋愛関係にあって、人眼を憚《はばか》って会っていた。だから、いっそう彼は、自分の方からわざわざ声をかけることはなかったのだ。  ユカの時、彼は、ずっとユカに知られまいと配慮していたつもりが、ひょいと眼が合った時に手を挙げてしまったというわけである。ユカと一緒だった男が傷ついたか不愉快を覚えたか、それはわからないが。 〈ひょいとそうなった〉という市川の側に問題があった。自然と手が動いたというより、待ち構えていてそうなったようなふしがある。その我知らず動いた手の、そこに、ごまかしの効かないものが現われていることを市川は思い知らされていた。  それは、無邪気などといったものではなく、きわめて単純でエゴイスティクな自己主張とか思い上がり、もしくは気取りといった性質のものだった。  市川には、人間は本来正直者であるという考えがある。たとえば、嘘発見器などといった器械は、本来正直な人間の性質を利用したものといってもよい。そして、その正直さは体を通して現われてくる。市川は、おもしろい映画を見たあとにも拘らず、二、三日気が滅入っていた。  かなり涼しくなっていた。  午前零時少し前である。彼は、銀座からの帰りは、割増料金をつけてタクシイに乗るか、銀座にあるN交通に行く。N交通に行くとハイヤーにありつけるからである。  彼は、もうN交通のフロントの男とは顔見知りだ。名刺を出さなくてもいいようになっている。だが、車が出払っていて、待たねばならない時がある。  待合室には何人かの顔があって、順番がくるのを待っていると三十分はかかりそうな時がある。そういう時には、彼は、タクシイを拾う。もちろん、正規の料金で行ってくれるタクシイは、その時間にはない。  市川は、タクシイの運転手の顔を先ず調べる。ヤクザがかったような顔を彼は敬遠するし、若いのもきらいである。  市川は、中年の運転手の顔を見つけると、窓のガラスの隙間からこういった。 「世田谷だけど、プラス千円」  扉は開いた。彼は乗った。車は走り出した。 「霞ヶ関から高速に乗って三軒茶屋で降りてよ」  市川は小銭入れから二枚の百円硬貨を取り出す。先ず、高速代を渡そうと思ってである。  霞ヶ関までは一直線の道を走って行く。と、信号を渡りきった処で車は停った。  運転手はこういった。 「降りてくださいよ」 「なぜ?」 「あんたがきらいなんだよ」 「きらいなんだって、ぼくのことを、あんたは知ってるの?」 「知ってると思っていってるんだけどね、まちがったらごめんなさいよ。あんたは市川卓さんでしょう?」 「そうだよ」 「だったら、やっぱり降りてもらわなくちゃ、乗車拒否でもなんでもいいから、訴えられてもいいから。とにかく、いやなんだよ、あんたが書いてるものが」  運転手にしては、といっては語弊があるが、知的な感じがある。そして、なにかしら、自分なりの考えを持ったような男といった横顔である。  フロントグラスの端には名札が出ていて、タクシイの会社の名前のほかに、その運転手自身の名前も記されている。  ここで降りれば、車をつかまえることはかなりむずかしい。空車を見つけるには一旦信号まで戻り、反対側の方に渡らなければならない。 「じゃあ、初めから乗せなきゃよかったのに」 「だけど、初めはわからなかったからね。あんたみたいな世の中に害毒を流している人は乗せたくないんだよ。千円をフイにするのは残念だけど」  市川は言葉に詰まった。  彼は、自分について他人がなにかの考えを持つということに対しては、殆どの場合、無抵抗である。殴りかかったりされれば、その時はきっと逃げるにちがいない。  それに、彼は、ある人物が自分なりの考えを持っているせいで他の意見を受け入れまいとする時、その強さに対して、たじろぐような処がある。そういう男は、彼にしてみれば〈とてもかなわん〉のである。  しかし、市川が、屈辱と憤りを覚えていないわけではなかった。むしろ、彼はもっと動顛していた。彼は、この時、〈とうとうやってきた〉そう思った。その動顛の中にはいくらかの安堵もあった。やってきたものがこの程度で済んだからである。彼は、日頃から、このままで済むはずがないと思っていた。どんな形でかはわからないが、なにかこわいことがいつか身に降りかかってくるにちがいないと怯えていたのだ。 「ひどい話だなあ、やっぱり降りなきゃいけないのかい?」 「降りてくださいよ」  運転手は、バックミラーの中から市川を見ながら、そういった。 「害毒を流しながら儲けてるんでしょう。わたしたちは真面目に働いているんだ。汗水たらして働いているんだ。汗水たらして働いてて、いったい幾らになると思ってる?」  市川は胸の中で、 〈そんなことは知っちゃいない〉  と思いながら、運転手の声が昂ぶってきたのを感じると、危険を感じ、開いたドアから降りた。降りると、ドアは、彼の上着を掠めるような感じに閉まり、車は走り去って行った。  市川はその車のナンバーを憶え、胸に畳みこんだ。彼は、それから、信号まで戻り、反対側まで歩いて渡り、銀座方面に向かって客を拾うために走って行く空車を停めた。もちろん、割増料金を払わねば、どの車も走ってはくれない。  彼は家に着くまで、先ほどの運転手のことに心を占められていた。市川は急に重く老けてくる自分の乾いた顔を感じていた。もしかしたら、あれで済んだのではなく、ほんの手始めがあれだったのかもしれないと彼は思い始めた。  市川は午前十一時から三時ごろまでしか労働をしない。その労働の内容の殆どは情痴小説である。もっと具体的にいえば、ベッドの上の男女の行為を山場とする小説である。そして、金を稼ぎ毎夜のように銀座に出かけて行く。そういった生活態度を快く思っていない人間が無数にいるはずである。その無数の一人が、たまたまあの運転手というにすぎなかったのだ。  無数の多くは、腹の中でそういうことを思っても、言葉や態度に出さないだけの話だ。  あの運転手は、それを態度に現わした。それは勇気だったのだろうか。しかし、もしかしたら、あれは狭量というものかもしれない。自分以外の考えの存在を許さないファシズムに通ずる一種の暴力というふうに、市川は受け取った。  ただ、彼は、自分があの運転手に較べるといい目にあっているということを否定するわけにいかなかった。 〈自分は運がいい〉  市川は、日ごろ口癖のように、そう自分にいい聞かしている。  もしも昔、それが作家などという職業がない時代に生まれてきたら、彼は貧しい生活を送っていたろうと思う。女のことで身を持ち崩したかもしれないし、あるいは、女とのまちがいで刑を受けたかもしれない。  それに今でこそ小説を書く才能を認められたりしていても、そういう才能の認められる余地のない世の中に生まれていたら、むしろ、欠落部分だけが目立って、頭のおかしい男というふうに、彼は世間から思われたかもしれない。  それから、もしも、これが日本でなくて他所の国に生まれていたら、果して、彼が作家として認められたかどうか、それに、今のような収入があったかどうかもわかりはしない。  特に、共産圏の国であったりすれば、彼は、先ず女をたくさん経験することができなかっただろうし、また経験したとしても、女との小説を書いてそれが売れるというわけにはいかなかったにちがいない。  だから、現に、彼が今のような生活ができているのは、時代のせいもあるし、彼が生まれた国のせいもあるのである。  彼が運がいいというのは、そういった二つの線が交わる点に運よく落ちてきたという、その稀な僥倖《ぎようこう》のことをいっているのである。  暢子は、市川のことをこういっている。 「ほんと、ときどき呆《ほう》けたような顔してるわね。親に、外に出ちゃだめよなんていわれている子供みたいな顔してるわよ」  彼は、最近、流行に合わせて髪を長くしている。その長い髪が顔の前面に振りかかって、庭で犬と遊んだりしている時に、そんな顔になるのが自分でもわかることがある。  銀座のクラブのある子は、市川のことをゲゲゲの鬼太郎といったし、ある子は「ケロヨン」とか「コルゲンコーワ」といった。  市川と対談していたある映画会社の若いポルノ女優は不意に笑い出し、 「そうだわ、思い出したわ、先生は『ガマおやじ』に似てるのよ」  そういった。 「ガマおやじってなんだい?」 「漫画よ、漫画の中に出てくる悪役なの」 「じゃあ、すごい人相じゃないか」 「そうじゃないのよ。子供に割と人気があるのよ」  しかし、市川は、その「ガマおやじ」なるものを見たことがない。そんなことを聞くにつけ、〈やはり、おれは運がいい〉と、市川は思わざるをえないのである。  だが、市川は、その運のよさとはいつ鷹にやられるかもしれない鳩のようなものだと思っている。彼に降りるようにいったタクシイの運転手からは鷹の匂いがしてくる。  市川は、自分の仕事は所詮平和の範疇《はんちゆう》のものだと思って、あるかもしれない害毒については気にしていない、むしろ、彼の小説を害毒を流すものと決めつけて排斥しようとする態度の中に害毒という言葉も及ばない恐怖を市川は見つけている。それこそファシズムから大量の人殺しへと繋がるものだと考えるからである。  市川は二度警視庁に出頭を求められたことがある。警視庁の係官は、そのいずれの時も丁寧な態度で彼に対した。最初の係官は、市川のことを「あんた」と呼び、二度目の時の係官は、市川のことを「先生」と呼んだ。  市川は、べつに世のため人のためにものを書いているつもりは、まったくない。  それに、彼は、〈世のため人のため〉といった言動を一種の思い上がりだと考えている。  教育とか政治に携わろうとする人物の中に、ひと握り真面目な連中がいるが、その真面目さ自体が思い上がりに思われる。そして、彼らがいう「人」とか「世」の中に、市川は、自分が含まれているようには思えないのだ。  市川は、決して彼の小説を読むファンのために書いているわけではない。  むしろ市川は、そういったファンを金儲けに利用しているといっていい。だから、彼は、ファンをありがたいとは思わず、ファンの存在については、ただ、〈しめしめ〉と思うだけのことだ。  だいいち、一人々々の顔も見られないファンなるものについて、ありがたいなどという気持は、きわめて偽善的ではなかろうか。  ジャイアンツが優勝する、胴上げを始めようとすると、ファンがグラウンドに降りてくる。選手たちは恐怖を覚えベンチに引き揚げる。姿を現わすファンの一人々々といったものは、結局、そういったものなのだ。  政治家や教育者なども、国民の一人々々の顔が浮かんでくれば、ゲッと吐き気をもよおすかもしれない。  いったい、彼らが思い浮かべている国民とか市民の顔といったものは、どういったものなのか。  それは、おそらく漫画のような顔なのではないかと市川は思う。幸福を絵に描いたようなニコニコした、現実には存在しない、税金を快く納めそうな、そういった顔のことではあるまいか。  特に、市川は政治家がきらいである。もちろん、政治家がいなくては世の中は成立しないだろうから、なるべく控え目にやってくれればそれでいいのである。特に、自分の顔がたいそう 気に入っているような、そんな類《たぐ》いの政治家に対しては、その顔がにこやかに笑っていればいるほど、残虐な狂気のようなものを感じて仕方がないのである。  高校教師であった頃、市川は、いつも暗澹《あんたん》とした気持であった。彼は、その頃、小説を書いていたが、同人雑誌に掲載されるぐらいのものであって、ある評価を、だれからも得てはいなかった。いったい、自分の才能はどのくらいのものなのかということもわからない。  そして教師としては自分は失格だ、と思っていた。だいいち、熱意がないし、それに、将来校長になろうとか、教頭になろうといった意欲もないからである。  市川の家には、英語の本など一冊もなかった。とても普通の高校の教師としては考えられないことだが、ポケット用字引があっただけである。それも、戦争中から使っていたやつで、Aの項はなくなっていて、うしろのWの後半からもなくなっていた。  だから、引けない単語の場合は学校に行って引いた。  学校で、彼は、生徒が落していった字引を自分のものにして、職員室の机の抽出しに隠してあった。家で引けなかったぶんをそのポケット用の字引を使って引いていたわけである。  将来、作家にもなれず、そして、平教員のままずっと過ごさねばならないということが、彼には確実なことのように思われていたものだ。  市川が小説を書いているということを、彼の周囲の教師たちは知っていたが、やがて彼が認められるなどとは、だれも考えていないにちがいなかった。  その頃、彼は、友人の千歳に連れられて、ある大きい同人雑誌の会合に出たことがある。  メインテーブルがあって、そこには、その雑誌の編集責任者でもある高名な作家をはじめとするお歴々が並ぶことになっている。有名な作家たちは少し遅れてやってくる。  すでに、その会場のロビイあたりで、一応名が知れている若手の作家たちが固まって談笑し合っていた。そして、その周囲を数多くの無名の文学青年たちが、強力なボスを中心とした猿の群れをおそれるかのように、遠巻きにして、眺めているという工合だった。  もちろん、市川は、無名の文学青年の中にいたのである。  市川は、その時、自分がすでに名を知っている若い作家のグループや、そして、名高い作家たちの顔を見ただけで、なにか自分がそういった作家たちと繋がりを持ったかのような錯覚を覚えていた。  名の知れた作家たちのちょっとした表情、ちょっとした仕種《しぐさ》が、いちいち一つの意味を持っているように、彼には思われた。  もうすでに、どこで飲んできたのか、酔っぱらっている評論家もいた。偶然に、市川は、その評論家の隣のテーブルに腰を下ろすことになった。  その評論家は、先ほどから、市川の眼の前にあるグラスに注がれた酒を見ていた。彼自身の酒はもう乾《ほ》されてしまっていたのだ。  会費制で、そのグラス一杯以上の酒をおかわりするわけにはいかなかったらしい。  遂に、その評論家は、我慢しかねたように、 「それ、いいですか」  と、市川にいった。  市川は、その頃酒は好きではなかった。まだ彼が二十七、八の頃である。  市川は光栄に思い、 「どうぞどうぞ」  といって、その酒の入ったグラスをその評論家に渡した処、評論家は一気に半分ほど飲み乾し、それから先は、せっかく市川が譲ったにも拘らず、市川の存在など忘れきった顔になっていた。  メインテーブルの真ん中に坐った大御所の作家は、ほかの者が、その雑誌に載った作品を批評する間、聞いているのか、聞いていないのか、肩の凝りをほぐすような感じに、頭を廻す運動を続けていた。  そして、そんな時、その大御所に電話でもかかってきたのか、一人の男が、大御所のうしろに腰を屈めて近寄り、畏《かしこ》まった姿勢で耳になにか囁くと、大御所は頸を廻しながら眼をつむっていたが、その男の方に顔を向け、懶惰《らんだ》な姿勢のままなにかいい、腰を屈めた男の方は、また畏まった物腰で引き返して行った。  市川は、そんな大御所の態度に、ただひたすら見とれていた。  そして、彼は、ライオンの一挙手一投足を見守る兎のような存在として、自分を覚えていた。  ほかの若い作家たちがなにかいっても笑わない文学青年たちは、大御所がなにか話し始めると、ちょっとしたことにも迎合的な笑い声を立てた。別におかしくもなんともないことだったが、大御所が、みながここで笑うのは当然だといったような、多少高慢な顔を持っている、その押しに負けたせいもあった。そして、大御所は、自分自身は、なるべく笑わないように心がけていた。  市川はその時、その会に原稿を送っていた。その原稿を読んでくれるのは大田という作家のはずだった。  大田は面長の神経質な顔をし、髪は長かった。その神経質な顔を、市川は、会合の途中チラチラと見ていたが、少し気むずかしそうな男に思われ、その気むずかしそうな男が、自分の作品について褒めるとはとても考えられない気がしていた。  会が終ったあと、市川は友人の千歳に引っぱられ、大田の処に行った。  千歳は大田と面識があるらしく、市川を大田に紹介した。大田は、額に垂らした髪を掻《か》き上げて、「はあ」といっただけである。  市川は、精いっぱい慇懃な笑顔を心がけながら、 「あのう、読んで頂けましたでしょうか」  といった。 「読みましたよ」  大田の顔は、市川の前では、いくらか気むずかしさをやわらげていたが、それでも、なにかの拍子に前の顔に戻りそうな苛立たしげな気配を湛《たた》えていた。  市川は、果して自分はうまくものがいえるかどうか、動顛するような気持の中で、 「どうでしたでしょうか」  と訊いた。  大田はまた髪を掻き上げ、なるべく市川の顔を見ないようにし、腰かけている自分の膝と膝との間に眼を落すようにしながら、 「あまり感心しなかったなあ」  といった。  市川の動顛はいっそう強くなり、なにか無我夢中な気持で、 「どこが?」  といっていた。 「どこって、部分じゃないですよね」  市川は、自分の顔が引き攣《つ》るのを覚え、もう言葉が出てこなかった。  と、その時、大田に声をかける者がいて、どうやら、それは彼の友達らしく、大田は、市川が初めて見る笑顔になって「おう」といい、市川の存在を忘れたかのように、その同僚らしい男と、文学とは関係のない、自分たちだけの楽しみに属する話をし始めたのである。  市川は、そんな大田に「よろしくお願いします」といって、その場を離れた。  大田はその時だけ、ちょっと慰めるような薄い笑みを市川に向け、前に垂れた髪を掻き上げながら、会釈を返した。 「そうかなあ、あの人の系統と、きみの作品はちがうからなあ、ほかの人に読んでもらった方がいいよ」  千歳は、市川をそう慰めたが、ショックを受けた市川は、なにをいわれても相槌を打つことができず、しばらくの間は、どこをどう歩いたかわからず、ふと気づいてみると、そこは有楽町の駅で、そこで、千歳と別々の方向に別れねばならなかった。  市川は、それまでも懸賞小説に応募したことがある。やがて、予選通過作品発表の日がやってくる。その号を彼は本屋に買いに行く。  それまでの日々、市川は〈今にみんなあっと驚くぞ〉という気持になっていた。やがて、みんなが自分を見る眼がちがってくる。 「あんた小説書いてるそうだけど、どんな小説書いてるの?」  中年の国語の教師が、市川にそう訊いたことがある。 「どんなって……」  市川はその頃、サルトルとか、ドストエフスキイとか、スタンダール、そういうものをよく読んでいた。だから、できれば、彼は、サルトルやドストエフスキイやスタンダールのような小説を書いています、といいたい処だったが、さすがにそういうことはいえずに、口ごもってしまう。 「たいへんだよね、ぼくの知ってるやつにも小説を書いてるのがいて、とうとう逃げられちゃったよ。奥さんが子供の手を引っぱって、愛想が尽きたっていってね。なにせ、金は入らないし、といって職に就くでなし、結局、奥さんがさんざん苦労して、それでも、そんな奥さんを、やっこさんは怒鳴りちらしてたからなあ」  市川は、妻子に逃げられる自分の姿を思い描いた。四十になっても五十になっても、売れない原稿の升目を埋めている自分の姿を思い浮かべている。それは、ぞっとする光景であった。  しかし、懸賞に応募する度に、彼は、今度こそうまくいくかもしれないと思うのだった。しかし、どういうわけか、その度に、第一次予選通過者の何十人の中にさえ彼の名前はなかった。  この何十人の中にさえ、自分の名がないということが市川を落胆させた。  いったい、自分の作品のどこがわるいのか。彼は自信を持っていたのだ。なにか、この自信の持ち方にはまちがいがあるようである。どこがまちがっているのか。彼は、そういうことを教えてもらいたいと思った。  市川は久しぶりに昔の仲間たちと会っていた。しかし、厳密にいうと、特に親しい仲間ではなかった。  彼らは職種も別々で、彼が勤めていた高校のある町の連中だった。彼がときどき行っていた鮨屋に、彼らはよく飲みにきていた。  彼が文学新人賞候補になってから親しくなった連中である。多少、彼らは文学青年じみていた。中には、ほかの学校の教師もいたし、商店の主人もいた。彼らは、久しぶりに一夜市川を囲んで飲もうということになったのだ。  市川は、だいたいやってくるメンバーを、幹事役の沢野から聞いて知っていた。そのメンバーだったらいいや、と市川は思っていた。  その会合は上野の飲み屋の二階で行なわれた。彼は、ときどき以前の同僚だった夜学の教師たちとは会っていたが、こういう連中と会うのは、実に十数年ぶりであった。十数年経つと、みな年を取ってきている。  彼は、その中に一人の男を見つけてギョッとなっていた。  村田の頭には白いものが混っている。村田は酒が入るといくらか粗暴になる男である。  以前、市川は、村田に殴られかけ、人が仲裁に入って助けられたことがある。文学新入賞候補になってお高くとまっているというふうに、村田は因縁をつけてきたのだ。  しかし、市川が、彼を見てギョッとなったのはそのためではない。実は、市川は、村田の細君と寝たことがある。だから、市川は、村田に対しては、いつもへりくだった態度を執っていた。  村田が、仕事のことで一週間ほど九州に出かけていた時に、村田の細君と市川は電車で一緒になった。そして、その日の夕方、改めて村田の細君芳子と喫茶店で落ち合い、食事をし、それから、踊りに行った。  その踊りの時に、市川は、芳子の体を抱き締め接吻した。  しかし、その夜はそれだけだった。ダンスホールを出たあと、芳子が「帰りましょう」といったからである。その芳子の態度には、どこか断乎とした感じがあった。  しかし、芳子は、翌日市川の電話の誘惑に抗しきれず、 「とにかく、お話だけでも伺いますわ」  といって、出てきたのである。冬のことで、二人ともオーバーを着たまま、カウンターバアの止まり木に腰を下ろしていた。  市川はその時、オーバーの陰に芳子の手を案内し、自分の昂まりを把ませた。  と、芳子は把んでき、把み直したりし、興奮のために、カウンターに肘《ひじ》を突いて自分の額を押えた、彼女の顔が赤く上気しているのを彼は見ていた。  芳子は白い肌を持ち、三十過ぎなのに、稚《おさ》なげなかわいい顔立ちをしていた。  芳子はとうとうその日、市川に体を委ねてしまった。そして、二人は、ホテルに泊ってしまったのである。  村田が出張から帰ってきたあとにも、市川はときどき芳子と寝ていた。そして、やがて芳子の体に倦き、彼は別れたが、その芳子のことを、市川はいろいろの小説の中で、小出しにして使っているし、あるいは、彼がこれまで経験した女体についての随筆の中でも触れている。 「元気かね?」 「ああ、なんとかね」  村田の態度が、市川を懐しんでいるにしては素っ気ないと思い、市川は、もしかしたら村田は感づいているかもしれないと思った。  村田は、なんでも若い頃、少しボクシングをやったことがあるという。そして、若い頃はよく喧嘩をやって負けたことがないということだった。  市川は何枚かの色紙を書くように頼まれていたので、快く応じていた。村田も二枚の色紙を持ってきていた。  やがて、場所を変えようということになった。  飲み屋では、彼は奢られる側である。次は市川が奢るつもりだ。  みなは立ち上がった。  市川と村田はいちばん遅く部屋を出た。と、その時、村田が市川にこういった。 「さっき、こう書いてもらいたいと思ったなあ、『知らぬは亭主ばかりなり』って」  市川はギョッとなっていた。それで、とぼけて「え?」といった。  村田は、ややせせら笑うような顔になって、 「というわけなんだ」  と、頤《あご》を突き出すようにして市川を見た。 「なんのことだい?」  市川は、こわばった自分の体や表情を覚えながら、そういった。 「まあまあ……」  村田はそういい、市川の肩を叩いた。その叩き方に、やや不自然な強さがあるようなのを、市川は感じた。  市川は、自分が操《あやつ》り人形のようなぎごちない足運びになるのを覚えながら、村田より前に階段を降りて行き、靴をはいた。  それから、一行は外に出て、昔よく出入りしていた上野のキャバレーに行くことになった。  市川は、意識的に村田と並んで歩いた。村田の言葉に対して、思い当ることのない自分を村田に示すためである。村田も、先ほどのことには触れようとしない。 「本郷のぼくの部屋に泊ったことはなかったっけ?」 「あるよなあ、ひと晩中話したじゃないか。たしか太宰のことを話したっけ」  市川もそれは憶えている。なにか楽しかったような記憶があるのだが、その楽しさは、ほんとうの友達と夜を明かした楽しさとは、かなりちがっていた。喧嘩の強い乱暴者が文学の話をしてくれているという点に、彼のその楽しさの最も大きい理由があった。 「夜中に腹が減って、遅くまでやっている鉄板焼屋に行って食べたっけ」  市川は、多少迎合的になって、そういった。 「そうそう」  村田は、一度市川を殴りかけたことはありはしたが、それ以後はむしろ市川に対して必要以上に慇懃さを見せてくれたものだ。その村田が、今はガラリと態度を変え、若い頃に戻ったように横柄な態度を、市川に対して執っている。  市川は息苦しくてたまらなかった。  彼はこれまで、人の細君であろうが、許嫁《いいなずけ》であろうが、恋人であろうが、そういうことは顧慮せずに誘いをかけて、失敗したり成功したりしていた。だれだれの女とかいう権利はだれにもないという考えが、その基底にはある。  しかし、そのくせ市川は、自分と親密な女たちについては窃かに他の男と通じているようなことはない、と、これまで、信じてきたのである。  たとえば、以前同棲した弥生の場合もそうであったし、暢子についてもそうである。だから、もしも、暢子が弥生と同じようなことを、彼が知らない処でやっているとわかったら、市川は驚くにちがいなかった。そして当然、おもしろくない、というよりも、むしろ、暗い不幸を味わうにちがいなかった。  今、村田が不幸であり、屈辱を受けていることは確かなことのようだった。  そして、世間的には、村田はその町ではかなり名の知れた旧家の息子であり、市川の方はかなり名の知れた作家である。村田は、屈辱を覚えながら、彼を殴り飛ばしてやりたい怒りを押えているふうであった。それは、おそらく、市川が現に持っている名声が村田に少し重過ぎるのと、もう一つは自分が置かれている狭い町への世間体からのようであった。  もしも、同じ社会的な地位に市川があったとしたら、村田はそんな市川を許さずに殴り飛ばしたかもしれない。  市川をいたたまらなくさせているのは、そういった村田の気持がひしひしと迫ってくるからでもあったし、もう一つは、端的に、本能的な恐怖からであった。  彼は、自分の額に脂汗が浮いているにちがいないと思った。だから、当然彼は、キャバレーにいても少しもおもしろくなかった。  村田の前で、彼は、おもしろおかしくふざけるわけにはいかなかった。  それに、昔はかなりよく見えたそのキャバレーの女の子の顔ぶれも、銀座に通い慣れた市川の眼には、野暮ったく薄汚く見える。  仲間の一人が、女の子の耳に口を寄せている。女の子の眼が市川の方を見ている。その眼を見ただけで、市川には、その昔の仲間が、�あれが市川卓だよ�といっているのがわかる。  村田と市川の間に、ころっとした感じの女の子が腰を下ろしている。  ここでは市川は、楽しくはないが、いくぶんか救われた気持にさせられていた。男同士の話というものはないからである。男たちは、傍らにいる女の子とそれぞれ話をしている。  村田もそうである。しかし、村田は、市川の存在を絶えず意識していて、固い態度を崩そうとはしていない。だから、ほかの連中のように、女の肩に手を廻して抱き寄せるようなことはやらない。  村田は女たちにこういった。 「さあ、ジャンジャン飲めよ、きょうは市川卓の奢りだからな。アブク銭なんだから、遠慮せずにジャンジャンやってくれ」  そのいい方も、市川には、彼の小さい復讐《ふくしゆう》のように思われるのである。  市川は、少し弱った顔を造って黙っていた。  十余年前、彼に初めて体を許した時の村田の細君の芳子の反応を、市川は、今でもまざまざと思い出すことができる。それまでの心理的な抵抗を乗り越え、眼をつむった気持で男に肌を許す時の人妻の反応ほど、市川にとって官能的なものはない。  もうどうなってもいいといったような乱れ方が始まる。そして、それまでの抵抗の分だけ、芳子は大胆になったものだ。  市川の中には、自分の知人の細君だからということで、スリルを味わおうというような気持はまったくない。ただ、そこに魅力的な女がいたから手を差し出したまでなのであって、そういう時の市川は、眼の前の食物のおいしさに眼を奪われて、想像力が働かなくなる。とにかく、バレさえしなければいいというふうに、彼は自分を納得させるのである。  だが、どうやら、事柄は村田に露見していたらしい。 「さあ、フルーツでもなんでも取り寄せてくれよ」  村田は女の子たちにそういい、それから、市川の方に、頤をしゃくるような感じに顔を向け、 「な、卓?」  といった。  市川は、また弱った顔を造り、黙っていた。彼は勘定のことはどうでもよかった。  彼は、一時《いつとき》も早く村田と別れて、ゆっくりしたい気持になっていた。彼は、結局、あくまで村田に対しては白《しら》を切るつもりである。  しかし、困ったことに市川は、表情や態度に、正直に本心が現われ易い質である。  やがて、気をきかせた一人がこういった。 「そろそろ出ようか、あんまりご馳走になってもわるいから」 「なーに、かまわんさ。どうせアブク銭だろう」  村田がそういった。 「まあ、そういうとこだよ」  市川も相槌を打った。  しかし、村田は、それ以上、ジャンジャン飲めとはいわなかった。  市川は会計をした、銀座で飲むことを考えれば安い値段である。  五人は、市川を、車が拾える処まで送ってくれた。五人は固まってはいずに、一メートルぐらいの距離を置いて立っている。 「また電話するよ」  連中の一人がそういった。  村田が市川の傍に近づいてきて、耳許に囁くようにして、こういった。 「あんまりはっきり書くなよな」  それから、村田は拳《こぶし》を市川の頤の処に軽く当てがうようにし、更に小さい声でこういった。 「でないと飛ぶぞ、これが」  しかし、村田は、さっと離れ、 「まあ、いいや」  と、ちょうど滑り寄ってきたタクシイを見てそういった。  市川は黙っていた。  彼は車の中に腰を下ろすと、外のみんなに向かって手を振った。村田を除いた四人は市川に手を振っている。  市川は、みなの姿が見えなくなるまで手を振っていたが、彼の胸に落ちてきたものは、決して安堵というものではなかった。  村田はどういうふうにして、細君の芳子との間を処理しているのだろうか。村田にも以前愛人がいたということを、市川は、芳子の口から聞いて知らされている。  市川が、芳子と割と気楽な気持で寝ることができたその底には、どうせ村田もやっているといった、ほんとうは理由にもならない理由があった。  村田が市川に対して、ある程度以上の怒りを爆発させることができないのも、彼自身のそういう私行について、市川に握られているという意識があるせいからかもしれなかった。  市川は、いったい自分が書いたものの、なにが村田にそう思わせたかを、家に帰って調べて見た。  やがて、彼は色随筆という題の本の中にその箇所を見つけ出していた。芳子についての描写を、彼はかなり克明にやっている。彼女は頬紅を塗る小さい筆を使って、あの部分を愛撫されることを好んでいた。そして、その筆を、その度に市川に渡したものだ。それから、彼女の中心のふっくらとした部分の向かって左側に、十円銅貨ほどの黒い痣《あざ》があった。  おそらく、村田には、それだけの記述で充分であるにちがいなかった。  市川が、自分の体を検査してもらおうと思ったのは、友人たちと一緒にヨーロッパ旅行に行った時に、夜になると食欲がなかったのと、友人の画家の細君が、癌《がん》で苦しみながら死んだりしたからである。  友人の画家の松村の細君の葬式の時に、市川は風邪を引いていたが、火葬場まで行った。  火葬場の、制服を着た桜色の頬をした男は、毎日見慣れているせいか、「さあ、松村さんはこちら側にどいてくださいよ」などといって、他の棺を焼いたあとのまだ熱そうな骨を乗せた台を手で押して行ったりしていた。  棺がかまに入れられる直前、肉親の女たちは、棺の中の人の名前を呼んで泣き叫んだ。  そういった傍らでは、他のかまから、係の二人の男が骨を掻き出しながら、なにごとか話し合っていた。  日常的なものと、非日常的なものとの混淆《こんこう》が、その場にはある。そして、その混淆こそは、この火葬場で働く者にとっての日常なのであった。  やがて、骨を拾うまでの時間、遺族を含めたみなは、畳敷の広い部屋に案内されて茶菓を摂った。  そんな時あの泣き叫んだ人々は、どこかケロッとした顔になって、煎餅《せんべい》を頬ばり茶を飲んでいた。  それから、今度は骨を拾う時がやってきたが、骨に対しては、だれも泣いたりしなかった。  骨は小さい壺にいっぱいになり、桜色の頬をした係の男がそれを押しつけ、蓋をし、針金で巻きつけた。そして、帽子を脱いで一礼した。  うわの空の日常的な表情が、その男の顔にはあった。しかし、この桜色の頬をした男にはわかっていたにちがいないのだ。あんなに泣いていた連中も茶を飲む時には泣き止み、骨を拾う時にはかなり冷静になるという人々の心理の仕組がである。だから、この男たちは、いちいちかまってなんかいられないし、かまう理由もないのだ。  市川が体を診てもらおうと思ったのは、火葬場からの帰りの車の中でだった。  市川が、三年半前に急性肝炎を患って入院したその同じ部屋に入れられたのは、偶然というほどのものではなかった。なぜなら、その病院のその階には個室は二つしかなかったからである。  市川は、この人間ドックについて、人々にいうのがなにか恥ずかしい気がした。そして、その恥ずかしさがどこからきているのか、よくわからなかった。  だが、仕事の関係の編集者たちには入院のことをいわなければならない。 「どこかおわるいんですか」  彼はよくそう訊かれ、その度に、 「そういうわけじゃないんだけどね、松村さんの奥さんがなくなったし、この前、イタリアで食欲がなかったりしたんでね、この際診てもらおうと思っただけなんだよ」  と、同じ答え方をした。  市川は、入院すれば早寝早起に慣れさえすれば、のんびりと過ごせるはずだと思っていた。仕事も、家でと同じようにしていいことになっている。  市川は、仕事をしない日曜日など、朝から酒を飲みながらテレビを見ているのが好きだった。入院すれば、その個室では、酒は辛抱するとして、テレビは心ゆくまで見ることができる。  だが、その入院生活は、彼が思ったほど暢気《のんき》なものではなかった。それは、たかをくくっていた相手から、不意に強烈な思いがけないパンチを喰らった、そんな感じだった。  先ず最初のパンチの一つは胃カメラだった。  市川は嘔吐《おうと》反射が人一倍起き易い体質である。麻酔薬を飲まされたあとにも拘らず、彼は、寝台の上に体の左側を下にして横たわりながら、吐く音を立てた。その吐く音が、部屋の外で、これから胃カメラを呑みこむ人々の耳に入るにちがいないと思いながらも、どうしようもなかった。  彼の声を聞いた人は〈これはたいへんだぞ〉と思うかもしれなかった。そう思わせることへの罪の意識のようなものが僅かに働いているのだが、彼の意志とは関係なく、彼の食道は嘔吐反射を起こしてしまう。  市川は、いわれたとおりに、腹を波打たせ口を開け、〈こんなはずではなかった〉と思っていた。  世の中には、バリバリ仕事をしている人たちがいる。  毎朝散歩に出、それから、おいしい朝食を摂って会社に出かけて行く、そういった人たちがいる。  彼らの中には、おそらく不死の観念があるにちがいない。  じっさい、世の中の人々を救っている最大のものは、この不死の観念だ。  みなはやがて、ある日必ず死ぬ。その、ある日というのが何年何月とわかってしまえば、人々は、癌を宣告されたのと同じ気持になるにちがいない。  市川は、週刊誌の記者からの電話での質問でいちばん困惑を感じるのは、健康法というやつである。  市川は長生きがしたいと思っているし、病気になりたくないと思っている。  しかし、そういった自分の気持を堂々と前に出せない気持が、なぜか、彼の中にはある。  政治家や実業家が健康に留意し、あすの発展のためにわが身を鍛え、そして、定期的に人間ドックに入るというようなことには、公明正大な感じがあるのだが、市川の場合には、僅かながらやましさのようなものを感ずるのである。  いったい、それはどこからきているのだ。通俗小説を書いて、所得税が何番目かにランクされているというようなことからくるひけ目のせいか。  だが、それは、市川が、いわゆる純文学というものに今専念していたとしても、同じにちがいなかった。  前にいた看護婦たちはみな代わっていた。病院の近くの林や原は分譲地になるらしく、整地も始まっていて、掘り返された土の窪《くぼ》みに溜った水の底に、ブルドーザーのキャタピラの跡が透けて見えている。  胃カメラを呑まされたあと、市川は、いっそう人に対して、検査で入院していることがいいにくくなった。〈なんでそうまでして検査なんか受けているのだ〉といった声を聞くような気持がしたからである。ただ一時食欲がなかっただけであり、風邪がこじれただけであり、彼の友人の細君が癌で死んだということだけでしかないのに、なんで、このおれが入院しなくてはならないのか、しかも拷問《ごうもん》のようなことに耐えてまで。  彼が、拷問は胃カメラだけで済んだと思っていたのが大まちがいだった。続いて今度は、胃や小腸までの透視のレントゲンのほかに、腸のレントゲンも撮られることになって、肛門からバリウムを入れられた。  処が、バリウムと一緒に空気まで入れられた時、それまでたかをくくっていた市川は苦しさのあまり呻《うめ》きを上げた。  平たい板の上に俯伏せになっていた彼の体内で、ゴボゴボという音が起き始め、空気を入れられた風船のように、彼の腹はふくらみ、腹の接点だけを残して、彼の体は、その平面の板から浮き上がっていた。  この時の苦しさは、胃カメラを呑まされた時以上のものである。  市川は、押えつけられて痛い目に遭っているプロレスラーのような喘《あえ》ぎと呻きを洩らし続けていた。  腸が張り裂けるような圧迫感に耐えている彼に向かって、レントゲン技師は、いろいろの体位を執るように、市川に命令した。  市川は殆ど〈そんなむちゃをいうな、なんだと思っているんだ〉と、叫びそうになったほどである。  終った時、市川は脂汗をいっぱいかいていた。バリウムが肛門から垂れ落ちて大腿《だいたい》部を伝って足許に落ちてゆく。傍らに、マスクを掛けた美しいアシスタントの女がいたが、彼の中には羞恥《しゆうち》心などまったくなかった。  こんなことをされると知っていたら、市川は、検査を受けてみようなどとは思わなかったに ちがいなかった。 「命あっての物種」という言葉がある。  どんなに稼いでも、どんなに有名になっても、死んでは話にならない、というような言葉を、彼は聞いたことがある。  けれども、こうもいえるのである。もういいじゃないか、一応やりたいことはやったんだし、これから特別の楽しさとか幸福がまちかまえているわけじゃあるまいし。  市川の友人の作家の小森などは、病弱のせいもあって、どちらかといえば、生きることに疲れ、もういいと思っている口である。ただ、自ら命を絶つなどというような大げさなことをしないまでの話であって、飛行機事故に遭うとか、そこに不意に蟻地獄が現われて足を掬《すく》われれば〈しめしめ〉と思うような処が小森にはある。  だが、そういった小森の生きる姿勢に較べると、市川などは「命あっての物種」と思う種族にかなり近い。そして、市川は、そういった自分のもの欲しげな姿勢を恥ずかしいと思っている。そして、その恥ずかしさの内容が、かなり通俗なものだということも、彼にはわかっている。つまり、そういったもの欲しさが作家らしくないから恥ずかしい、といった単純なものでしかないからである。  だれを蹴落してもいいから自分だけ生き延びてやるという気持を持てば、それはそれで、一つの型を持った生き方ということができるのだが、市川の型というものは右顧左眄《うこさべん》でしかない。  彼は、外側の世間の眼というよりも、自分の中にある世間の眼を常に気にしているのである。もちろん、世間の眼などというものについて、市川は明確に知っているわけではない。  ただ、彼が思い描いている世間というものは、〈作家だったら小森ぐらい腹をくくってなくちゃ〉といった見解に立っている世間なのである。  この検査のいちばん最後は、入院してみてわかったのだが、腹腔鏡を使ってのカメラ撮影と肝生検というやつである。看護婦長にいわせると、 「これまでの検査なんて、それに較べれば序の口みたいなものですよ」  ということになる。  腸に空気を入れた時の、あの苦しさが序の口だとすれば、その最後の検査の苦しさはどのくらいのものか、市川には想像がつかない。  胃液の検査が終ったあとで、医師が市川の部屋にやってきて、こういった。 「だいたい、今までの処は異常ないようですね。結局、肝臓にしぼられてきましたね。前の時よりも、肝臓が少し大きくなっているようなんです。採血して出た数字は異常がなくても、肝臓がよくないっていうことがありますからね」  胃液の検査など、看護婦は問題にもしていなかったが、市川にとってみれば、これもやはり 拷問のようなものだった。先に金属のついたゾンデを呑みこまねばならないというのが拷問なのである。  嘔吐反射を起こし易い市川は、どうしても呑みこむことができず、中に強気な看護婦がいて、 「わたしが入れてあげるわ」  というなり、市川の鼻の穴からゾンデを通してしまった。そして、いつの間にか、市川は、胃にまで呑みこんでいたのである。  呑みこんでしまったあとは楽であったが、それまでの苦痛が、やはり拷問といってよかった。  市川は、最後の苦しい検査の時、自分がひどく取り乱すことをおそれていた。〈まったくだらしないんだなあ、ものを書く人間なんて〉と思われることもおそれていた。  現実に、胃カメラの時や腸のレントゲンの時には、市川は、自分ではかなり醜態をさらしたつもりである。  その検査は、腹に空気を入れてふくらませ、臍《へそ》のすぐ横を切って、そこから腹腔鏡を中に入れて撮影する。それから、脇腹に穴をあけ、針を差しこみ、肝臓の一部を切り取るのだ。全部で、約一時間の検査である。 「普通の手術は全身麻酔をしたりしますから割と楽ですけど、これは苦しいそうですよ」 「肝臓を切り取る時よりも、むしろ、カメラを動かされるっていうのが辛いらしいんですね。それに、空気が入っているでしょう、あの空気が肩まで上がってきたりするもんで、息苦しくなったりして。しかし、それでも、五年ほど前はもっと苦しかったそうですよ。なんでもカメラが熱くて、内臓が焼けるようだったそうですよ」 「手術より、そのあと寝てて苦しいといいますわね、空気がごろごろ動くんですって」  そういう言葉を市川は看護婦から聞いた。  彼は、検査をここで中止してもらって、家に帰ろうかと思ったほどである。  しかし、彼は、そういうことのできる男ではなかった。そういうことをすれば、きっとあとになって後悔するに決まっている。〈どうせその一時間はやがて過ぎるのだ〉という意見と、〈しかし、その一時間は特別の一時間で、ずいぶん長いぞ〉という意見とが、市川の中で争っている。  やがて、確実にその日はやってき、市川は体のうぶ毛を剃《そ》られたり、浣腸《かんちよう》されたりし、手術の二時間前に精神安定剤を飲まされた。ものものしい雰囲気になってきた。  市川は手術着に着替えさせられ、髪を覆う帽子を被せられ、ストレッチャーに乗せられ、レントゲン室に運ばれた。  しかし、この一時間は、結局、彼にしてみればコケおどかしの感じであった。〈こんなはずはない、もっとすごいのがやってくる〉と思っているうちに、「さあ、終りましたよ」という看護婦の声を彼は聞いていた。  終ったあと、彼はすぐに病室でテレビを見ていた。普通、終ったあとはテレビを見る気など、まったく起こらないという。  看護婦の一人は、「さすがねえ」などと、どういう意味か、市川にそんなことをいった。  その日のうちに、医師は市川に、肝臓が少しわるいということを教えてくれた。いわゆる脂肪肝というやつである。酒の飲み過ぎと運動不足、必要以上の美食。  市川はこの時、自分の中の世間の眼を黙殺し、自分にこういい聞かせた。 〈よし、酒はぐーんと減らす。そして、縄跳びを毎日し、犬を連れて週に三日は散歩に出よう〉  それから、市川は、ふと眼が醒めた工合に、それまではどうでもいいと思っていたことだが、最近、暢子が見て気に入ったという比較的安い横浜の土地のことはどうなったのかな、と、気がかりになり始めた。 「ごらんになりました、『酔狂』を?」 「いや、見てない」 「市川さんのことをかなり肴《さかな》にしてますね。あれはかなり悪意があるなあ」  小説雑誌の編集者の枝松がそういった。  枝松は、年が明けた挨拶にやってきたのだ。 『酔狂』というのは小さい月刊雑誌である。主に、酒に関する随想や座談会が載っている。 「市川さんは、ずっと番付で下げられていますよ」  その雑誌では、ときどき文壇の酒徒番付というものを作成して発表していた。その番付を作るのは審議委員である。 「橋本さんも入ってるの?」  橋本は、たしか、前年までは、審議委員をやっていた。 「メンバーが替わってますね」  枝松は、メンバーの名前を並べた。  以前は編集者が多かったのだが、編集者が減った分だけ、評論家がふえている。  そのメンバーのだれとも、彼は、特に親しくはなかったが、挨拶をしたり立ち話をしたりする程度に親しいのが三、四人いた。 『酔狂』は、市川の処に送られてくることもあったり、送られてこないこともある。  市川は気になった。いったい、自分はどういうことをいわれているのか見当がつかない。 「もしかしたら、ぼくがこの前、原稿の依頼を断わったってことが癇《かん》にさわったんじゃないのかなあ」  その雑誌を主宰しているのは女性だった。その女性とは、彼は、これまで一、二度どこかで会って挨拶をしたぐらいの間柄である。  市川は、前の年だったか、小結に上げられたことがある。そして、敢闘賞か殊勲賞をもらったことがある。といって、特に賞品が出たわけではなかった。  番付で上がり下がりする理由が、市川には前々からよくわからなかった。たとえば、銀座に数多く出ていれば位が上というのであれば、市川などは横綱級である。しかし、必ずしも、そういうことではその番付は作られていなかった。アルコールに強いということが基準になれば、これまた別の男が横綱になるはずだったが、そういうことでもないらしい。  作品とか、あるいは作家活動、人柄といったものも、この番付の位を決める基準になるらしい処があいまいである。 「結局、ああいうのは、リライトする人の意識によって、かなり左右されますからね。発言者はABCの匿名になっているんですよ。だから、本誌側の発言をBの発言にしたり、変えることができるんですよね。ぼくは、いちばん雑誌の側の悪意というものを感じましたね」 「原稿を断わった以外に、悪意を持たれる理由はないんだけどなあ」 「しかし、ぼくは、まだあると思うなあ。たとえばですよ、決してもててるとは思わないんですけどね、市川さんは銀座なんかであんまり口説き過ぎるんですよ。それに、さわり過ぎるし、殆ど銀座に毎晩でしょ、そういうことが嫉《ねた》みを買うってことも考えられますよね。たとえば、ぼくだって、一緒に傍で飲んでいて〈ちくしょう〉なんて思うこと、ありますよ。あの審議委員の中じゃ、特に山田さんなんかは屈折の多い人ですからね。しかし、市川さんは気にする方だから、読まない方がいいかもしれませんよ」  そういわれると、市川はますます読みたくなった。  彼は、仕事が忙しくなってから、彼の眼につく範囲では、特にひどいことをいわれたという覚えはない。  彼は、なるべく古い友達としかつき合わないようにしていたし、人は、いつどんなことで不意に怒ったりするかもしれないという怖れを抱いていたし、原稿が売れ始めて威張ったりすれば鼻つまみになるという例も見ていたし、自分が、雑誌や広告の中では大きく扱われることがあるとしても、その存在までを大きく売り出そうというような意図は、まったく持っていなかったからである。  枝松にいわせると、横川から聞いて知ったのだという。  しかし、横川は、市川は気が小さいから知らせない方がいい、と枝松にいったらしい。けれども、枝松は、今市川が手がけている、自分の作家生活に取材した小説の上では役に立つ事件 だと思い、自分の判断で、市川に知らせることにしたという。  しかし、枝松は、その時、その雑誌を持ってきてはいなかった。  市川は、枝松が帰って行ったあと、横川に電話し、『酔狂』を取りに行くからいいか、といった。 「読むなら読んでもいいけど、くだらんぞ。でも、きみは気にするからなあ、だから黙っていたんだよ」  市川は車で取りに行った。そして、帰って自分の部屋で拡げて読んだ。  審議委員の人数は八人である。その八人は、座談会の中ではABCDEFGHとなっている。  殆どの作家の名前が出てくる。だから、おそらくたいていの作家たちは、暇つぶしにしろ、この座談会には目を通すにちがいなかった。だれを下げるの下げないのといったような話が続き、やがて、市川卓の名前が出てきた。 「H 卓は下げようよ。  一同 大賛成。(笑)  本誌 どういうんですかねえ、あの小説は。  A 十両十一枚目、いちばんビリでいいでしょう、創意工夫が一つもない。  B 同じことばっかり。  C しょっちゅう構造だとか緊縮という話だけれども。ぼくはいちばんいかんと思うのは、スポーツ紙と女性週刊誌に、同じネタを売ったんだよ。これはいかんよ。ブラジルの、まったく同じ話だよ。同じタイムに並行してそうなんだ。  D 市川もヨーロッパを廻ってきたら、新しいネタを仕入れてくるだろうからね。」  市川は、〈思ったほどではないな〉と思った。  確かに彼は、スポーツ紙に連載した小説と、ある週刊誌に連載している小説に、同じブラジルのネタを使ったことがある。しかし、それは、場所や出てくる店が同じなのであって、登場する女がすっかり同じというわけではない。スポーツ紙の方は日本や世界の地方別に女をたくさん出すというのが小説の意図であったし、週刊誌の方の主人公は旅行社の添乗員であったので、二つの小説に市川が経験したブラジル女が描かれていてもおかしくはない、と市川は考えている。  だから、この「同じネタを売った」といういい方には、やはり大げさな悪意がある、と彼は思っている。  市川は、それからなおも読み進んでゆく。  ある作家は理由なく下げられていて、ある作家は、銀座に出る回数が多いからといって上げられ、ある作家は、作家活動がいいといって上げられ、ある者は、ノン・フィクション専門と いうことで下げられている。張出前頭とか張出十両という奇妙な言葉がときどき出るが、意味が市川にはわからない。  やがて、座談会が終りに近づいた頃になって、また市川卓の名が出てきた。 「G 市川卓、十両のビリっていうのがいいね、スカッとしていいよ。(笑)  H おれが普段市川卓に対して考えていることに対する共鳴者が多いということは、非常に心強い感じで嬉しいね。(笑)  B きのうかおとといか、K賞の授賞式があったでしょう。行ってみると、市川卓と話する人、一人もいないね、バアの女給ばっかりだよ。  C いや、それでいいんじゃないの。  D いや、本人さみしそうだよ、見てて。  E なぜビリになったか、当人にはわかるかな。  F 本人も認めてるんじゃないですか。」  そのあと、またほかの作家たちの名が出、最後の締め括りは、 「G 卓落ちて天下の性を知る。『セイ』は正しいという字ですからね。(笑)」  座談会はこれで終っている。  市川は、最後の方にきて、動顛に近い不愉快に襲われた。特に、彼がいやだと思ったのはBの発言である。K賞授賞式のパーティで自分に話しかける者が一人もいないなどといっている。  確かにその時市川は銀座のホステスたちと話していた。そして、かなりいろいろの人たちと挨拶したり話をしたが、話しかける者が一人もいなかったとしても、淋しいなどとは少しも思わないにちがいなかった。むしろ、市川はあまり親しくない人たちと話すのは苦手であり、顔見知りのホステスたちと騒いだ方が気が楽でさえあったからだ。  市川の瞼の裏側に浮かんでくる顔がある。その顔は、八人の審議会の委員の中の一人の顔である。  その男の悪意と、この座談会をリライトして纒めた人物の悪意とが重なっている。  しかし、それにしても、自分のために反発してくれた者がいなかったのだろうかと思うと、市川はそこで初めて淋しい気がする。  反発してくれたのだが、その言葉を、纒めた者が削ってしまったというのだろうか。  この座談会は、市川に、鼻唄まじりの処に、いきなり陰から斬ってかかられたような衝撃を与えた。  彼はだいたい小さいことでも気に病む方である。なるべく人に好かれていたいという気持がかなり強い。  彼に好意を持ってくれる人物が十人いて、彼に悪意を持つ人物が一人いる。すると、その十人の重さよりも、悪意の一人の重さの方が、市川にはひしひしと感じられてくる。  しかし、市川は、この座談会の言葉が、単に自分に対する悪意だけからとは思っていなかった。  彼は、悪意を持たれているほかに、からかわれているのも感じた。もともと市川には、人にからかわれ易い部分がある。何人かいて、だれかをからかわないと座がもたない時には、市川がからかわれる役割を演じなければならないというようなことがこれまでよくあった。  そして、彼がからかわれ易いということは、市川の小児性、権威の感じに乏しい容貌並びに書くものの性質、更に喧嘩が弱いというようなことが理由になっているかもしれなかった。 〈この連中にしろ、おれが喧嘩が弱いと思っている〉  と、市川は胸の中で呟いた。  これが、もしも、喧嘩の強い秋永であれば、たとえ、その人物に対してBが悪意を持っていたとしても、このような言葉を吐くことができただろうか。  だが、そういうようなことを考えたあとでも、市川は、自分が知らぬ間に注がれている眼があるという実感を持ったし、自分自身についても、自分が把握している以外の、ある死角があるということも感じさせられていた。そして、あるこわい眼が彼にはわからない方角から自分を狙っているようなのを感じていた。  市川が友人の横川から、つい二月前のヨーロッパ旅行と、一年前の南米の旅行の写真ができたといって渡されたのは、『酔狂』を読んだ数日後であった。  市川は、それを、家に帰って暢子に見せた。暢子は一枚一枚手に取って見ていたが、こういった。 「あなたは一年前と顔が変わってるわね」 「髪のせいじゃないのか、長くなっているから」 「そうじゃないのよ。一年前は無邪気な顔をしてるわ。今度の旅行の写真には、少し重々しい感じがあるわよ」  市川は、そんな変化には気づいていなかった。そして、暢子がそういったからといって、それは、ただそういう気がするだけではないかと思い、市川は改めて横川からもらった写真を見てみた。  すると、じっさいに、一年前の南米で撮った時の写真の自分の顔が素直なのに較べて、今度のヨーロッパでの写真には、造った表情がその度にあることを、一枚ずつの中に見つけていた。中の数少ない写真が、南米の時の写真に通じているのだが、全体に顔つきに構えがある。 「前より威張った顔なのよ。一年間のうちに自然とそうなったんじゃないかしら」  市川は〈生意気なことをいうな〉と、むっとなったが、黙っていた。  彼は、また写真を一枚一枚めくってみた。すると、一年前の自分の顔にはない、ある重いものが、今度の旅行の写真にはあるような気がした。  それは、健康からきたものかもしれなかったが、それよりも、一年だけ死期に近づいたことからくる、彼に映る世の中の色合いの変化のせいということも考えられなくもなかった。  一年前よりは、一年経った今の方が虚しさや悲しみが深くなるのは当然のことであろう。  だが、市川は、年を取れば取るほど子供の頃の顔に近くなりたいものだ、と前々から思っていたのだ。処が、現実には、一年前の顔の方が、今の顔よりも子供に近い。  一年前のその写真は、リオデジャネイロの海の見えるホテルのテラスである。空は晴れている。  横川と市川とが並んで立っている。海の風が、横川の髪を僅かに乱して、ひと筋の髪が額に垂れ靡《なび》いている。横川も市川も半袖のシャツを着ている。  一年前に彼がかけている眼鏡は、今度の欧州旅行で彼がかけている眼鏡と同じものである。髪は一年前の方が短い。市川も横川も笑っている。  もう一枚は、南米に行ってから一年後の今度の旅行で撮ったもので、これも髪が風に吹かれている写真である。そこは、オランダの四十キロに亙《わた》るアフスルイト堤防の途中にある陸橋で、そこで佇《たたず》んでいる時の写真だ。  その堤防は北海の水を締切ってオランダの中に広い湖を造り上げた。一直線のハイウェイが堤防の上を走っている。  もう夕闇が迫っていて、市川の肩口のあたりにヘッドライトを点けた白い車が走ってきている。  その遠くに、風船のように小さくふくらんだヘッドライトが見えている。  市川はハイネックのシャツの上に上着をつけていた。堤防を越して吹きつけてくる北海の風に吹かれて乱れる長い髪が、彼の顔に二筋三筋と吹きつけている。  その時、市川は、たしか寒いと思っていたはずである。写真に映るために一応は笑顔を造っている。だが、その笑顔は、取ってつけたという感じが露骨である。そのために、狡《ずる》そうな薄ら笑いになっている。  彼のうしろの方には、淡い水色が見えている。それが淡水化したアイセル湖である。その湖の上には、もっと薄い色の空が広がっている。  〈了〉  あ と が き  この作品は私の生理の産物のようなものである。  一、二年の間には、自然と私の中に溜ってくるものがある。この一、二年、私の中に、最も水位を上げて溜ってきたものが、流行作家という自分が置かれている立場への意識からくる、さまざまな絡み合いである。  私は、どれほど自分についてわかっているか、その水位から錘《おもり》を下げてみようと思ったのだ。どのくらいまで、錘は深く垂れてくれるものやら、そこの処が、自分でもよくわからなかった。  そういう意味では、この小説は実験小説といえる、そして、判定は、他人に委ねる以外になかった。どのくらい自分のことがわかっているかなどということには、自分では判定できにくい部分があるからである。  この作品の中にも比喩《ひゆ》として使われているが、私は、今の自分を見つめようとすると、あまりにも前の席でスクリーンを見つめているために、頸が廻らないのと同じ意識の不自由と困難を感じることがあった。  この作品が「別冊文藝春秋」に載った時は、約二百七十枚だった。  本にしてくれるというので、私は書き足すことになった。書き足した分量は九十枚である。最初に、私は、五十枚書き足して大河原英與さんに渡した。  そして、これで終りだと思っていた。処が、偶然に銀座の酒場で吉行淳之介さんに会った時、こういわれた。 「あの作品の欠点は、流行作家であることの哀歓の中の歓が、まだよく書かれてないということだ。その処を、しつこく書いてみないかね」  私は、その時、雑誌の名編集長に権威ある指摘を受けたような気持になり、早速、翌日から取りかかってみたが、これは、それから書き足した中でも私が触れているように、かなりむずかしい問題だった。  しかし、ある理由とか、原因とかいったものは、わかってしまえばコロンブスの卵みたいなものである。処が、構えがあったり、事態を直視したくない不純物が、心の中で働いていると、つい、大げさに取り組む恰好をして見せることで体裁を取り繕うようになる。  だから、果して、その書き足した部分を、〈なるほど〉と、読者が思ってくれるかどうかに ついては、かなりの不安が私の中にはある。 「流行作家」が雑誌に載るまでの経過の中では、その頃、その雑誌の編集者であった中井勝さんの助言に負う処が甚だ多かった。そのため、私には珍しいことだが、約百枚の原稿を捨ててしまった。  私にはどこか甘い恥知らずな処がある、と、自分では考えている。  この作品も、その甘い恥知らずな面が生んだのではないかという危惧《きぐ》が、私の中にはある。  私は若い頃、一度、公園で女の子と一緒にいる処を強請《ゆす》られたことがある。相手は二人だ。動顛した私は、もちろん、金を渡した。  男たちは離れようとした。  と、私は、まだ自分のポケットに金が残っていることに気づき、「まだあった、これ」と、それを差し出した。相手は、一瞬ギョッとしたようだが、それを把むと、下駄の音を高鳴らせて走って行った。  私の創作の動機や以後の態度の中には、「まだあった」と私にいわせたのと同じ性質のものがあるような気がする。  それが何であるかは、私にはいえない。そして、それが何にせよ、今の処、私にはそれしか武器はないのだから仕方がない、と今の処居直っていたい。  本になるに当って、尽力してくださった西永達夫さん、大河原英與さんには、この場を借りて、お礼を申し上げておきたい。  初出誌 別冊文藝春秋一二三号(昭和四十八年春季)  単行本 昭和四十八年六月文藝春秋刊  底 本 文春文庫 昭和六十年十月二十五日刊 また、差別的表現と受け取られかねない表現が使用されている場合もありますが、作品の書かれた当時の事情を考慮し、できる限り原文の通りにしてあります。差別的意図がないことをご理解下さいますようお願い申し上げます。