忘れ得ぬ翼 〈底 本〉文春文庫 昭和五十二年七月二十五日刊  (C) Saburou Shiroyama 2002  〈お断り〉  本作品を「文春ウェブ文庫」に収録するにあたり、一部の漢字が簡略体で表記されている場合があります。  また、差別的表現と受け取られかねない表現が使用されている場合もありますが、作品の書かれた当時の事情を考慮し、できる限り原文の通りにしてあります。差別的意図がないことをご理解下さいますようお願い申し上げます。 〈ご注意〉  本作品の全部または一部を著作権者ならびに(株)文藝春秋に無断で複製(コピー)、転載、改ざん、公衆送信(ホームページなどに掲載することを含む)することを禁じます。万一このような行為をすると著作権法違反で処罰されます。 [#改ページ]     目 次    神 々 の 翼    雲からの生還    死の誘導機    生きている化石    月光荘余聞    脱  出    赤 い 夕 日    白 い 項      章名をクリックするとその文章が表示されます。 [#改ページ]  忘れ得ぬ翼 [#改ページ]   神 々 の 翼

      九七式戦闘機      発動機空冷七一〇馬力、全備重量一六五〇kg、最大速度時速四六〇キロ、機銃七・七ミリ二、乗員一      一  風の音、雨の音の中に、たしかに靴音を聞いた気がした。|玉砂利《たまじやり》を踏み、社務所に近づき、さらに拝殿の方向に進んで行く。  矢口は耳をすました。  人の来るはずはなかった。夜半、しかも、超大型台風の接近が伝えられている。すでに停電のため、社務所の中は真暗であった。  だが、矢口はまた靴音を聞いた気がした。一度戻ってきて、ふたたび拝殿に向かって行く音である。戦前の深夜の参拝客に見られた|詣《まい》り方である。|和代《かずよ》の父の日高も、そうした詣り方をした。日高はすでに亡くなり、その七回忌のため、和代が息子を連れて実家に帰ったところであった。  戦後は、そうした深夜の参拝客はほとんどなくなった。いや、日中でさえ、交通不便なその神社を訪れる客は、ほとんどなかった。  幻聴だとは思いながら、矢口は靴音が気になった。  重い雨戸を力をこめて引くと、とたんに、大きな塊のような突風が吹きこみ、矢口はよろめいた。横なぐりの雨が頬をはたく。  矢口は声をはり上げて言った。 「どなたかお詣りですか」  返事はなく、風だけが|吼《ほ》えた。  月もない深夜だというのに、外は明るかった。空はところどころ不気味なほど白んでいる。矢口は異変を感じた。  もう眠っては居られぬと思った。手早くふとんを片づけ、身支度すると、|雨合羽《あまがつぱ》を羽織った。  神社のある部落は、|揖斐《いび》、|長良《ながら》の二大河川にはさまれた中洲にあった。揖斐川のすぐ向こうに木曾川も流れている。かつては揖斐・長良の二川はそこで合流していて、部落は完全な島であった。出水があるたびに水面下に沈み、犠牲者を出した。  徳川中期、薩摩藩の武士たちが、その中洲を中心に築堤工事を行い、河口に至るまで延々たる堤防を築き、河流を分離した。三川分離の名で呼ばれるその治水工事のおかげで、その後、大きな水害はなかったが、三大河の中に漂っているような地形に変りはない。堤防は部落よりはるかに高く、増水時には、部落はいつも水面下の低みにあった。  すでに雨はかなり烈しく降り続けており、川の水かさのふえていることは、その音からわかった。部落の人たちはどうしているのだろうか、それに台風の様子も知りたい。起きたついでに、部落へ様子を見に行ってみることにした。  風も雨も強い。堤防の上の道に出た。息も出来ぬほど雨滴が顔をたたきつけ、風に巻かれて川に落ちそうである。腹ばいになって進みたいほどであった。部落そのものは神社から三百メートルほど離れていたが、その三百メートルが千メートルにも三千メートルにも思えた。  部落では、|蓑笠《みのかさ》や雨合羽姿の人々が、土手に上り下りしていた。  矢口を見つけた男が、声をかけてくる。 「先生ひとりだろ。どうしてるかと案じてたんだが、見に行ってる間もなくてな」  小学校の教師をしたことのある矢口は、「先生」と呼ばれている。  矢口は、おれは大丈夫だという風に手を泳がせた。 「こっちへ来てたらどうだね。一人じゃ不安だろうし、あそこはいちばんの低みだ。やられるときにゃ、真先だよ」 「そんなに危ないのかね」 「携帯ラジオじゃ、とんでもない大きいやつだと言ってる」 「何ミリバールぐらいだね」 「ミリバール? そんなのは知らねえが、風速三十五メートルだとか言ってたな。まっすぐ、この伊勢湾へ向かってるというんだ。悪いことに|満汐《みちしお》にぶつかるらしい」 「なるほど」  矢口にも、状況の危険さがわかった。 「先生、こちらに居た方がいいよ」 「何を言う。神さまをお守りしなくてどうするんだ」  矢口は半ば自分を励ますように言った。 「それもそうだ。それなら、先生、いちばん高みのところに居てくれよ」  小さな神社の中でいちばん高いのは拝殿の床だが、それでも本格的な出水には、ひとたまりもないであろう。  矢口の眼の前を、男たちがどこかの家から持ち出した真新しい畳を運んで行った。土手に当てがおうというのだ。 「そんな新しい畳まで……」  思わず口走ると、どなり返された。 「畳ぐらいが何だね。義士の人たちは命を捧げてくれたのに」  ふくれ上った|川面《かわも》を越して、対岸にも人影が見られた。いくつか仮小屋を立て、かなりの人数がすでに堤の上に避難している様子である。  それに比べ、矢口のまわりでは水防に立ち働いている男女は居ても、避難の気配はない。部落の家々は中に人をいれたまま、ひっそり嵐の下に眠っている。 「こっちじゃ避難しないのかね」 「婆さまたちだけ上げてある」  男の一人が|顎《あご》で指した。堤の少しかげになったところに、うずくまっている人影があったが、ほんの数人でしかない。  男は続けた。 「わしらは絶対この堤は切れんと思っとる。それに切らせては、義士に申訳ないからな」 「そうだ、そうだ」  と、別の男が声を合わせた。  治水工事を命じた幕府の真意は、薩摩藩の疲弊をはかるためといわれ、薩摩藩内には「刀を|以《も》て報いる他はない」と激怒する強硬派も出た。「国土を救うことになるから」と、家老平田|靫負《ゆきえ》がそれをとりまとめ、自ら千人の藩士をひきつれて、はるばる工事にやってきた。  未曾有の難工事であった。監督する幕府の役人との衝突も度々起り、五十二名が切腹、病死も記録に残るだけで三十三名に上った。藩士たちに同情し、幕府との間の板ばさみになって切腹する幕府の役人も出た。  一年三カ月かかって難工事も完成。幕府の使者も、「りっぱな出来栄えでござる」と、ねぎらったが、その直後、家老平田は自刃した。  地元ではそうした薩摩藩士たちを義士とあがめ、神社を建ててまつることにした。いわば民間人を祭神とするというので、さまざまな抵抗もあったが、昭和のはじめから十年余かかって、ようやく水防神社として建立。矢口の父がまず初代の神官をつとめた——。  矢口はまた神社への道を引き返した。途中、風雨の中で二度三度ふり返って部落を見た。これが見納めになるかも知れぬと思った。水は川幅いっぱいにふくれ、かなり広いはずの|蘆原《あしはら》も、すっかり水面下に消えている。矢口もはじめて見る増水ぶりであった。  果して堤が保つであろうか。堤が切れぬまでも、水門などを通して、境内へ水が溢れ出て来ないだろうか。      二  矢口の心配は的中した。  神社へたどり着いてみると、先刻は何でもなかった境内が、いちめん膝ほどの深さの水に蔽われていた。  矢口は社務所に入り、しばらく様子を見ることにした。  相変らず聞えてくるのは、風の音、雨の音ばかりである。この風雨では、人の訪れてくるはずはない。靴音はたしかに幻聴であったが、その幻聴のおかげで、矢口は注意を呼びさまされた。  水防神社の建立を鹿児島の人々はよろこんだ。団体やグループではるばるお詣りに来ることもあったが、いちばん目立ったのは、上京の途中、深夜名古屋駅を通過する列車から下り立って、車をとばしてお詣りに来る個人の客であった。気がつきしだい、冬ならば熱い茶などをすすめた。  日高もそうした一人で、たまたまその夜は、矢口が師範学校の学期試験の勉強で夜ふかしして靴音を聞きつけ、社務所に案内した。  日高は鹿児島県|知覧《ちらん》に住む山林地主で、義士|顕彰会《けんしようかい》の主なメンバーの一人であった。 「一度ぜひ鹿児島へ来なさい」  と、日高はくり返した。  矢口の父も、再三、招きを受けていた。招かれるまでもなく義士たちの故郷を訪ねたい気持なのだが、あまり健康でないので、行きそびれている。それなら、息子の矢口にぜひ、というのだ。  矢口は一応、うなずいて見せた。 「南の方へ行ってみたいとは思っているんです」  矢口の言う南とは、はるかな南、|椰子《やし》の葉が茂り、マンゴーやパパイヤの実のなる熱帯のことであった。  矢口は、そのころ、心中ひそかにパイロット志願を決意していた。すでに戦争ははじまっており、一年経たぬ内に現役兵として入営しなくてはならない。  もともと飛行機好きの矢口は、いっそ特別操縦見習士官になり、できれば、南の空へ飛び立ちたかった。せまい地上をふりすてて、思いきり空を飛び廻りたい。  その気持の中には、小さな神社の神官の仕事に縛りつけられようとすることへの反撥もあった。矢口は一人息子なので、一時は小学校の教師になっても、神官の仕事をいつか継がねばならない。矢口の耳には、 「ネギさん、ネギさん、ネギ坊主」  と呼ぶ幼友達のからかいの声が|灼《や》きついている。神官のことを|禰宜《ねぎ》さんというのだが、官幣大社とか何とか由緒あるお宮の禰宜さんならともかく、殉難者をまつった|祠《ほこら》のような小さな社の神官として、小さく人生を終ることなど、まっぴらだと思っていた。  神社の縁につながる鹿児島などへは、少しも行ってみたいとは思わなかった。  だが、そうした矢口が、一年後、思いもかけず鹿児島県、しかも知覧へ住むことになった。  両親の反対を押し切って、陸軍特別操縦見習士官に応募採用された矢口は、|太刀洗《たちあらい》の飛行学校を終えた。その後の最初の実地訓練部隊が、他にも数多く有名な飛行部隊があるというのに、まだ開設されたばかりの名もない知覧飛行場教育隊であった。  矢口は、心ならずも日高と再会し、歓迎される身となった。日曜日の外出などで訪ねて行く中、女学生の和代とも口をきくようになった。一人っ子の矢口には、妹の味を知る思いがした。  知覧では、赤トンボで訓練。師弟関係のやかましかった師範学校時代の惰性で、教員である少年飛行兵上りの下士官の言いつけに、すなおに従った。師は師として立てた。こちらは見習士官の身分であったが、軍曹・伍長の靴もみがいた。もともと飛行機好きの上、そうした学び方のため、操縦技術ののみこみも早かった。  半年の訓練を終り、満洲の飛行隊へ赴任したが、一年後、また知覧へ戻された。少尉に任官、後輩の操縦見習士官の教官としての着任であった。  和代にも再会した。女学生姿のまま、女子挺身隊として、パラシュートの折畳作業をやらされていた。 「飛行隊のお役に立てて、うれしいわ」  何気ないそうした言い方に、矢口は慕い寄る和代の心を感じた。矢口もまたパラシュートをつけるごとに、和代の愛くるしい丸顔を思い浮かべた。  だが、そのパラシュートも役に立たぬ大きな事故が起った。  夏に近い暑い油照りの日、矢口の操縦していた一式高等練習機のエンジンが、突然、故障した。プロペラがとまる。  矢口は不時着地点を探した。緑濃い台地、その中に、刈りとりの終ったばかりの麦畠を見つけ、操縦|桿《かん》を立て直し、なだめすかすようにして、機をひっぱって行った。  浮力を失った機体は、急速に沈んで行く。あと一息と思ったとき、はげしい衝撃とともに機体はもんどり打ち、矢口は意識を失った。  数時間後、意識をとり戻した矢口は、眼だけ残して顔も頭も白く|繃帯《ほうたい》に包まれていた。  同僚や教官たちは、矢口の幸運をよろこんでくれた。  矢口が目指した麦畠は狭く、凹凸もはげしくて、着陸してはかえって危険であった。尾翼が松の木にひっかかって、ひきとめられた恰好であった。そして、木にひっかかって一度衝撃をやわらげられた上で、地上に落ちたため、|火傷《やけど》こそしたが、命びろいをしたというのだ。 「お守りに感謝するんだぞ」  と、その一人が脇机を指した。飛行服のポケットに入っていた水防神社のお守り札が、油煙に少し黒ずんで置かれていた。家を出るとき、母親が押しつけるようにして持たせてよこした札であった。  和代も見舞にやってきた。半月ほどしてはじめて繃帯をとるとき居合わせたが、 「あっ」  と口を押えたまま、眼をつむった。一度も鏡を見せられなかったので気づかなかったのだが、矢口の顔はいちめん皮膚が焼け落ち、赤い肉を無造作に|貼《は》りつけたような化物の顔になっていた。四谷怪談のお岩の顔ともいえた。軍医はそれ以上手のほどこしようもなく大火傷の|痕《あと》は一生残るだろうと言った。      三  風は空をひき裂かんばかりの音を立てて、吹き荒れている。  水は急速にふえ、高床式になっている社務所の床にまで上ってきた。ところどころ渦を巻き、なお刻々とふえ続ける。  そこにとどまっていては、危険であった。矢口は、境内でも、そこより一段高いところにあるお札所へ移ることにした。  増水の勢いを見ると、もはや畳を上げたり家財を片づけたりする余裕もない。身の廻りのものだけを風呂敷にくるみ、そろそろと水に下りた。  腰から|臍《へそ》のあたりまで浸ったが、それでもまだ足は地に届かない。雨は頬をたたくだけでなく、水面に水しぶきを上げた。  ほとんど胸近くまで水に浸って、ようやく足が着いた。  拝殿の方向に向かった。両足を水につけた三の鳥居が、|厳島《いつくしま》神社のそれのようであった。  水はどこから溢れてくるのか、まるで堤防の裾一面に蜂の巣のように穴があいて、噴き出してくる感じである。  矢口は足先で地面を探るようにしながら、進んで行った。ときどき凹みに落ち、水を顔にかぶる。  水は重く、漂い出た矢口を締めつけ、巻き倒しにかかってくる。鳥居が眼の前に見えていて、それでいて仲々近づいて来ない。果してたどりつけるものなのだろうかと、気が遠くなる思いがする。  はじめての思いではない。過去にもたしかこれと似た絶望的な思いにとらえられたことがある。あのときは、水でなく、空を漂っていたのだが。  知覧で一応、健康が回復すると、矢口は南方行きを志願した。二目と見られぬ顔となった以上、いよいよ初志通り|南溟《なんめい》の空へ、そして雲|染《なず》む|屍《かばね》となって散る他はないと思った。すでに同期生はフィリピンや台湾で出撃、何名も戦死している。知覧での訓練中の殉職者も三名を数えていた。  だが、指示された転属先は、隣県熊本に在る菊池飛行場であった。学徒出陣による特別操縦見習士官が続々入隊してきており、その養成に当るためである。飛行教官としての腕を買われたのだ。  焼けた顔は、回復したといっても、紅色のセルロイドをはり合わせたお面のようであった。鏡を見ると、自分の顔ながら、眼をそむけたくなる。矢口は、和代には別れも告げず、逃げるようにして熊本へ発った。  熊本での訓練には、かつての第一線の花形機である九七式戦闘機が用いられた。九七戦は、それまでの複葉の九五式戦闘機に比べ、大幅に速度を高め、しかも複葉機の持つ操縦性能の良さを保てという難しい要請にこたえてつくられたもので、思いきり重量を軽減した一枚翼の軽快な戦闘機である。ノモンハン空中戦では、ソ連のI16戦闘機を完全に圧倒し、すばらしい戦果をあげた。I16を次々と撃墜し不時着させ、何機も捕獲したが、その反面、万一、九七戦が敵の手に入り模倣されでもしたらたいへんと、大いに気をもませたほどの名戦闘機であった。  その後、九七戦の系譜を受け継ぐようにして、一式戦闘機「|隼《はやぶさ》」が登場し、九七戦も使命を終えて、第一線から退いていた。もっとも、九七戦・一式戦と軽戦闘機の名機が続いたため、それに甘え過ぎていて日本では重戦闘機の開発がおくれるという副作用もあった。  九七式戦闘機は、無線関係の装備が悪く、武装も機銃二|梃《ちよう》という欠点があった。だが、空戦性能の良さに加えて、離着陸操作が比較的容易であり、空中分解・失速などの事故がほとんどないとあって、実戦訓練に使うには打ってつけの機種ともいえた。  すでに大都市へのB29の爆撃がはじまり、戦局は急迫していた。  菊池飛行場では連日猛訓練が続けられていたが、そうした中へ、ある日、敵艦載機の来襲があった。  すでに何度か繰り返していたことであったが、空襲があれば、飛行機は|掩体壕《えんたいごう》に入れて隠し、兵員は防空壕へもぐってやり過すことになっている。滞空中のときは、急ぎ着陸して掩体壕へ引きこむか、あるいは、敵機の来ぬ方向へ待避することになっていた。九七戦も戦闘機とはいえ、すでに高齢の引退機であり、速力・火力とも|桁《けた》ちがいに優れているアメリカ機に対しては、敵しようもない。  だが、たとえ無駄な損耗は避けるのだといわれても、あわてふためいて穴の中へ逃げこんだり、敵に後を見せて飛び去ったりするのは、戦闘機乗りとしては、いまいましい限りである。矢口たち若い教官は、部下や後輩の眼を意識するので、よけい居たたまれぬ思いがした。  南西海上から近づきつつある敵は、グラマン約三十機と報告された。戦爆連合ではなく、戦闘機集団のなぐりこみである。|挑《いど》めるものなら挑んでみろと、果し状を突きつけられた恰好である。  たまたま実弾射撃に舞い上ったばかりの九七戦四機が、あわてふためいて飛行場へ戻ってきた。掩体壕へ引きこむ時間があるかどうか、整備員たちの顔にもとまどいが見える。といって、そのままでは敵の|好餌《こうじ》になるばかりである。  エプロンに出ていた矢口たち教官仲間は顔を見合わせ、ついで、眼を輝かせた。 「おい、やっつけよう」 「よし、行くぞ」  声とともに、九七戦めがけて走り出していた。もう辛抱しきれなかった。 「どけ、出撃だ!」  空を仰ぎながらうろうろしている整備員の|群《むれ》を蹴散らすようにして、操縦席にとびこむ。  エンジンは、すぐかかった。一機また一機と、四機があいついで離陸する。実弾射撃訓練の直前なので、弾薬も燃料も、一応は積みこまれている。  高度を上げながら、針路を南西にとる。海上に出たところで、それぞれ短く機銃の試射をした。  ところが、一機の機銃が故障して、弾丸が出ない。残念そうに翼をふりながら、引き返して行った。出たままの二つの脚が、一瞬、矢口の瞼に残った。  高度を保つため引込脚があたりまえになった時代に、それはいかにも旧式機という感じを与える。  矢口たち残り三機はそのまま飛び続けたが、間もなくゴマ粒を散らしたような敵機の群を発見した。  高度は、こちらとほぼ同じ四千メートル。みるみる近寄ってくる。上昇に移る余裕もない。真向からの衝突となった。  最初の一波は、六機編隊であった。こちらよりやや高めで、近づくにつれ散開した。大きな翼をひろげ、ひとのみに襲いかかってくる恰好である。翼前面の機銃の連なりが、いっせいに火を吐いた。  矢口も、二梃しかない機銃のボタンを押したが、その瞬間、機体に衝撃を感じた。  しかし、矢口は構わず操縦桿をひいた。  グラマンの切り落したような翼端、青黒い地に白い星のマークに、九七戦の機首を突っかけんばかりにして、もう一連射浴びせたが、同時に二度三度とはげしい衝撃を受けた。  背がひどく熱い。ふり返ると、操縦席の後は炎と煙で見えなくなっていた。  もはや、脱出する他はない。矢口は天蓋をあけたが、そのときには、火は操縦席に移っていた。  炎に顔をなめられながら、体を斜めに倒すようにして空へ飛んだ。  すぐに|落下傘《らつかさん》が開いては、危険である。息をつめて落ちながら、「一、二、三……」と、六つまで数えたところで開いた。  大きな手でいきなり背をつかまれたような感じがして、矢口は空に浮いた。落下傘はたしかに開き、ゆっくり空に漂い出す。矢口はそのとき、祈りをこめて畳んでくれたであろう和代の手を感じた。  頬に風が痛い。またしても火傷したようである。火傷の上に火傷。この顔はいったいどうなってしまうのか。  だが、死はまだ矢口を追ってきた。第二波のグラマンの編隊の中から、一機が急降下をはじめた。何を狙う気かとぼんやり見つめていて、矢口は愕然とした。グラマンは、矢口の落下傘めがけて襲ってきているのだ。  矢口は恐怖にとらえられた。  九七戦でグラマンの大群に向かうということそのことがこわかったはずなのに、それまでは少しの恐怖感もなかった。ただ夢中で突っこんでいた。九七戦と一体になり、人間ではなくなっていたのだ。  それがいま、素手で空中に漂い出すと、にわかに人間に戻り、恐怖心がよみがえった。  矢口は、あわてて落下傘の紐をたぐり寄せた。傘をすぼめ、少しでも速く落ちること以外に、逃げ道はない。あらん限りの力をふりしぼって、紐をしぼる。  だが、傘は思うようにすぼまらなかった。矢口がもがくごとに、ゆらりとゆれながら、気ままに漂っている。眼下には、島や白い波のけば立ちが見えてはいるが、時間そのものが止まったように、一向に近づいて来ない。それは、あがいても、もがいても、永久にたどりつけぬところのようであった。  グラマンが迫った。はげしいうなりとともに、機銃弾の束が吹き抜けた。青黒い機影が、パラシュートの頂点を蹴破らんばかりに通り過ぎた。  矢口は身をまるめてやり過したが、その姿勢から足を落下傘の紐にかけ、傘をしぼった。  耳の脇で風が鳴るような音を立て、落下傘はスピードを増して沈みはじめた。それでも、地表ははるかに遠い。果してたどりつけるものなのか。  通り過ぎたグラマンは、大きな|弧《こ》をえがいて旋回している。また襲ってきそうである。  矢口の左手は、水防神社のお守り札をしっかりにぎりしめた。      四  水防神社の水の中で、矢口はもがいていた。  両手で水を掻き、足で地を蹴りつけるようにして進む。水流が押し戻しにかかる。足をすくう。  それでも、もがいている中に、ようやく三の鳥居にたどり着いた。  三段の石段を上る。水深が臍のあたりにまで下り、ふいと体が軽くなった。元気を出して、すぐ左手の|神饌所《しんせんじよ》に向かった。  |沓脱石《くつぬぎいし》に上り、水に重い戸を引きあける。神饌所は、お札やおみくじを売る四畳半ほどの広さの小屋である。ガラスが破れ、雨が降りこんでいたが、まだ水は届いていない。ほっとして、濡れ鼠のまま腰を下ろした。  風も雨も、はげしさを増すばかりである。水は渦を巻いて流れ寄ってくる。雨による増水に加え、まだまだ|満汐《みちしお》が続き、河口に近いため、川の水はふくれ上る一方である。  死は相変らず行手に立ちはだかっており、そこはほんの一時の避難所でしかない。  グラマンから逃れ、落下傘でようやく海面に下りた矢口は、漁船に救われ、熊本の陸軍病院に収容された。ふたたび眼と口だけ残し、顔も頭も白く繃帯に包まれた。  半月ほど経ったとき、セーラー服に紺のモンペ姿の和代が、突然、見舞にやってきた。 「なぜ教えて下さらなかったの」  と、眼に涙をにじませる。矢口の負傷は、熊本から知覧へ飛んで行ったパイロットから、偶然聞いたのだという。  その将校病室には、二つのベッドがあったが、収容されているのは矢口ひとりである。  看護婦が去ると、和代は矢口の眼を見つめて、訴えるように言った。 「でも、父が申しておりました。『これで矢口さんは|厄《やく》のがれなさった。もう二人分の御用をつとめられたのだ』と」  お守り札をつかんで、またしても命びろい。たしかに厄のがれといえばいえる。  だが、この大戦争の最中に厄のがれなどという言葉を聞くのがおかしい。厄は戦争そのものである。その厄からは、勝つ以外に逃れる道はない。  それに、矢口の任務は、まだいつ終るとも知れない。  二人前の御用をつとめたという言い方には、これでもう第一線から退くことができようというニュアンスがあった。そうした期待と祈りをこめて言っている。  矢口は、その和代の気持がわかりながらも、それをうとましくも思った。  矢口は、小さな口の動きで言った。 「まだまだこれからだ。飛行機乗りは足りぬばかりだからね」 「でも、二度も大けがをなさったのですもの」 「けがしたって、治れば同じことさ」 「治りませんわ」  和代はそう言ってから、あわてて言い直した。 「すぐには治り切らないと言っているのです。よほど時間をかけて静養なさらないと」  矢口は、もう|反駁《はんばく》しなかった。美しく眼をみはった丸顔が、妹にも恋人のそれにも思えてくる。  矢口はつぶやいた。 「落下傘はうまく開いたよ」  それが矢口に言えるただ一つの求愛の言葉であった。 「よかったわ。ほんとに、よかったわ」  和代はうたうようにくり返した。  そのとき、爆音が聞えた。一式戦闘機隼の音である。矢口は、繃帯の中で自分の顔色が変るのを感じた。 「窓を大きく開けて」  和代に命令した。  |櫨《はぜ》の木のつややかな緑の上に、うすい青空が開けていた。爆音が近づき、三機の編隊が見えた。 「隼ね」  窓辺で和代がかたい声で言った。いまは知覧で隼を見馴れ、隼の飛ぶ意味が彼女にもわかっているのであろう。  九七戦に続いた花形戦闘機の隼。その隼が空中戦闘のためではなく、五百キロ爆弾をくくりつけ、体当り攻撃のために使われている。  隼の編隊は、病院の上空を旋回していた。軽快なエンジンの音が、ゆっくり空に輪をえがいて行く。別れを告げているのだ。  矢口は、もう機影を見る元気がなかった。エンジンの音が、人間の鼓動にも聞えた。打ちふるえながら旅立っては行くが、数時間後には永久に絶えてしまう鼓動。  矢口は、眼を閉じて爆音に耐えた。  太刀洗での同期生が、編隊長のはずであった。前日、その男が別れをかねて見舞に来てくれた。あまり陽気でもない男だったが、しきりにしゃべり、持参の酒をひとり手酌してのんで行った。その間、矢口は、ほとんど声も出ぬ思いであった。  男は矢口の負傷をいたわったが、その裏には、負傷のおかげで出撃を免れていることへのうらやみが感じられてならなかった。二目と見られぬ顔になろうと、足の一本ぐらいなくそうと、生きのびれるということは絶対なことなんだと、その男は言いたそうであった。 〈ここは、ほんの一時の避難所だ。おれも、すぐ後を追って行く。おっつけ死者の列に加わるぞ〉  矢口は、声には出さずに叫んだのだが——。  お札所の畳の上に、水が走ってきた。戸は開け放したままにしてあったが、その戸口の高さにまで水位が上り、溢れこんできたのだ。  文字通り、そこは一時の避難所でしかなかった。最後の逃げ場は、拝殿である。  矢口は、また水の中に下りた。あらためて、浸水の速さにおどろく。先刻は臍ほどの深さであったのが、もう胸に来ていた。  矢口は拝殿めがけて、また水を渡った。猛烈な風と逆巻く水で、体がねじれそうである。水は犠牲を求めて右に左に走り、風の音は数千の人間が号泣しているかのようであった(このころ、五千を越す人命が、その伊勢湾沿岸で失われはじめていた)。  雨とともに風は松の枝までたたきつけてくる。水にむせながら、矢口はもがいて行った。      五  矢口は、ようやく拝殿の床にはい上った。水が後を追うように、高い床に打ちつける。  時刻は、もう午前二時を過ぎていよう。だが、夜はもともと静けさや眠りとは無関係であったといわんばかりに、眼に見えるすべてのものが荒れ狂い、ゆれ動いていた。ときどき稲妻のように、夜空に白くきらめくものがある。もはや、最後であった。それ以上、どこにも逃げられない。松の木に上るか、それとも拝殿の屋根に上るかだが、神社を見すて、あるいは神社を|冒涜《ぼうとく》するよりは、死を選ぶべきだと思った。  中洲の中で、神社はいちばん低みにあり、浸みこんできた水は、まずそこにたまる。やや高みにある部落に居れば、堤防が切れぬ限りは、まだまだ安全であろう。  だからといって、矢口は神社に戻ってきたことを悔んでは居なかった。いよいよ余生の尽きるときがきたと思ったまでである。ただ九州に戻っている和代が|報《しら》せを聞くときの悲しみだけが、少し胸にこたえた。  矢口は覚悟をきめ、御神体を背に拝殿の床に坐りこんだ。  そのとき、突然、拝殿の裏手の方角で、巨大な合板でもはがすような音がし、つづいて、体が小おどりするほどの地ひびきがした。  その音の意味がわかったとき、さすがに矢口も心がおだやかではなくなった。  松が倒れたのだ。二百年間倒れることのなかった松、義士たちの霊魂の宿っている松が。  治水工事の最大の難所であったその附近に、薩摩藩の侍たちは、帰国するに当って、記念に一本ずつ松の苗木を植えて行った。それが、いまは樹齢二百余年。一本一本が枝ぶりみごとな風格のある大木になっている。千本松原の名で呼ばれる美しい樹林ができ、神社はその松原の中心に在った。  このため、拝殿をとり巻くだけでも、十本近い松がある。その一本でも倒れてきたら、ひとたまりもない。  だが、矢口はそのおそろしさより、倒れるべきでないものが倒れてきたという思いに打ちのめされた。神木までが倒れる——これでは、堤も切れるかも知れない。中洲一帯はまたたく中に水底に沈むであろう。神社はもとより、堤を信じて部落に残ったままの人々も、あっという間に失われる。  いまとなっては、矢口には、もう行動の自由はなかった。ただ首をうなだれて、最後の天の|命《めい》を待つばかりであった。  熊本の陸軍病院を退院すると、矢口は岐阜県|各務原《かがみがはら》の飛行師団へ転属になった。そこでまた一式高等練習機による学徒兵の教育をやらされた。米軍の沖縄作戦がはじまって以来、九州一円は艦載機の来襲圏内に入り、もはや教育隊の動ける状況ではなくなり、後方へ戻って訓練活動に当ることになったのだ。  だが、それも永くは続かなかった。もはや、操縦士の養成そのものが必要でなくなってきた。飛行機不足と燃料不足。残るのは、老齢機まで繰り出しての特攻出撃だけである。  矢口は、本土「決」号作戦のため、八日市の基地へ移った。そして、そこで馴染み深い九七戦と再会した。いまは訓練用でしかない老戦闘機に重い爆弾を抱えさせ、突入しようというのである。  |模擬弾《もぎだん》をつけて飛んでみると、低翼を真一文字にはったあの軽快だった機体が、まるで嘘のように重く、速度も出なければ、|舵《かじ》のきき具合も別の機種のように悪い。鶴のように痩せ枯れた老人に大きなリュックサックを担がせて山登りさせるようなもので、見るも無残であった。若い将校の中には、腹を立てたり、自暴自棄になったりする者もあったが、矢口は落着いていた。  何事も天命、神の心のままだと思った。  無理難題は、いまの時代にはじまったことではない。治水工事の途中、次々と果てて行った薩摩義士たちの心を、すぐ身近に感ずる気がした。時代が要求するものなら、じたばたせずに従おう。義士たちがあと十年二十年生きながらえたとしても、歴史の中でそれが何であったろうとも思った。  八月に入って間もなく、矢口たち九七戦部隊に特攻出撃準備命令が出た。四国沖に出現した敵機動部隊に突入せよというのだ。  八機の九七戦の胴体には、黒く光る五百キロ爆弾が装着された。矢口を隊長とする八人の特攻隊員は、日の丸の鉢巻姿のまま、|指揮所《ピツト》の前で待機した。  もはや落下傘には用はない。落下傘折り畳みの作業もおそらく中止となって、いまごろ和代は何をしているだろうと思った。赤いケロイドの醜い顔になった自分のことを、どこまで思ってくれているであろうか。  矢口は和代に便りを絶ったままでいる。いまとなっては、和代の思い出となるものを何ひとつ持たずに死んで行くことが、少し淋しくもあった。  飛行服のポケットには、相変らず水防神社の守り札が入れてあった。助かろうと思ってではない。義士たちにあやかり、ただ一念を貫きたいと思った。あの世で義士たちに会うとき、硝煙くさい守り札を笑って返したいとも思った。  夕立が通り過ぎた後で、|鮭紅色《けいこうしよく》のほのかな夕焼け空に、淡く虹がかかっていた。美しい夕映えは、人生最期のときにふさわしかった。  蝉の声がかすれると、すすきの穂の立つ草むらからは、年の早い秋虫が鳴きはじめた。隊員たちは動かぬシルエットとなって、耳を傾けていた。  待機姿勢のまま、はりつめた時間が流れた。そのあげくもたらされたのは、目標の敵機動部隊へは、海軍の特攻部隊が代りに突入して行ったという報せであった。      六  水は拝殿の床にまで上ってきた。なお増水の勢いはやまない。近くでまた、松がすさまじいひびきを立てて倒れた。もはや、神も義士もない。最期のときである。  そのとき、矢口の耳は、風と雨の音の中に、かすかに半鐘の鳴る音を聞いた。部落の方角ではなく、川を越した対岸からのようである。  何か異変が起ったのだろうかと、見えるはずもない闇の向こうに眼をこらしていると、水が急に減りはじめた。拝殿の床が現われる。階段が一段一段見えてくる。  矢口は息をつめ、ついで、大きく呼吸した。助かったと思った。  半鐘は鳴り続けている。対岸の堤防が決潰し、ふくれ上り中洲にまで浸水していた大河の水が、一挙に対岸の低みに流れこんで行っているのだ。  義士たちの霊に守られてか、中洲は助かった。その代り、悲劇は対岸を襲った。水にのまれて行く男女の姿が、眼に見えるようであった。 〈おれはまた生きのびるのか〉  ただのよろこびともつかぬ感慨が、胸をしめつけた。  生きのびて終戦を迎えた矢口は、その中洲に戻ってきた。  蘆の原と松の林。そこには、昔ながらの川風が吹いていた。  母はなくなり、父は髪も鬚も真白になっていた。戦前も経済的には楽でない神社であったが、終戦後は交通難もあって、参拝客はほとんどない。  草は茂り、社屋はいたみ、老父ひとり食うや食わずの生活で、それでもとにかくお宮を持ちこたえてきたが、もうこれ以上は耐えられぬという。神職ぎらいだった矢口の将来のことも考えてのことであったが、当の矢口が変っていた。  三度にわたって救われた命。あとは余生でしかない。義士の霊をお守りして、ひっそりと暮らそう。  矢口は、生活のために、とりあえず近くの小学校につとめた。 「おまえがその気なら」  と、老父はまた以前通りの神官のつとめに戻った。草を刈り、破れには板をはり、少しずつ神社を昔に戻して行く。  来る人もない境内は、空しい広がりを見せ、ただ|松籟《しようらい》の音だけが聞える月日が流れた。  あるとき、矢口は小学校の子供をお宮へ写生に連れてきた。大河と蘆の原と松林、風光は美しい。だが、 「特攻くずれが神道教育をたくらんでいる」  と、たちまち批判された。  水防神社の祭神が何であるか、それを承知の上での非難であるかどうか、矢口は反問しなかった。ただ黙々と耐えた。  そうした中で矢口は、和代を妻として迎えた。神に結ばれた縁であった。子供が生れた。  その後間もなく、老父は夕方のおつとめを終り、拝殿を下りたところで倒れ、急死した。安らかな死顔であり、神に召されるという言葉さながらの往生であった——。  おそろしい一夜が明けた。  対岸の部落でも、さらに川下の干拓地でも、|夥《おびただ》しい死者が出た。死者は焼ききれず、収容しきれず、鉛色にふくらんだゴム人形のような様相のまま、しばらくは野積みにされているという状態であった。  ただ、義士たちの築堤に囲まれた中洲の部落では、人命は失われなかった。人に代るようにして、千本松原では約百本の松が倒れた。  その中、神社をとり巻く九本の松が倒れたが、それが八本まで申し合わせたように、境内を背にし、外に向かって倒れていた。風の方向を無視した不思議な倒れ方といえた。  不思議といえば、ただ一本、境内に向かって倒れてきた松があったが、これも一の鳥居と石灯籠との中間に寝ていた。台風の中心に在りながら、すべてが間一髪で助かり、嘘のように被害はなかった。  矢口は、眼に見えぬ神々の翼が神域を蔽っているのを感じた。  神々はまた、そのやわらかな羽毛で撫でるようにして、そのころまでには、矢口の顔から傷痕を|拭《ぬぐ》いとってしまった。生涯残るといわれたケロイド状の火傷はきれいに消え去り、強い日射しに触れると、そのしるしのように、わずかに痛むだけとなった。  また平和な月日が流れた。そして、思いもかけぬ時代となった。水の|氾濫《はんらん》の代りに、車がそこへまで氾濫してきた。  そのあたりの水郷地帯へ年々釣り人がふえ、また千本松原ヘドライブに来る人々がふえたためである。  さらに、長い築堤の上を走る道が、木曾から伊勢へと抜けるバイパス代りになるところから、その舗装が完成すると、ありとあらゆる車がなだれこんできた。  かつて義士たちが命を捧げてつくり上げた堤の上を、色とりどりのマイカーやバス、ダンプ、ミキサー、トレーラーまで、うなりを立てて走る。車の音は深夜まで続き、川風は排気ガスに染まり、もはや|蕭 々《しようしよう》たる松籟の音を聞くこともない。  休憩所を求めて、あるいは、ついでのように、車は神社の境内へ下りてくる。そして、ついでに参詣する。 「車には三つの|駐《と》まり方があるわ。まず、鳥居の前。これは、黒塗りの車が多いわね。乗っているのも、たとえば品の良い老夫婦で、御婦人はいつも殿方の後に従うようにして。若い人なら、老人をいたわるようにして。着ているものも、いいものが多いわね。次に、車止めの前までのりこんでくる車。これは、いろいろ。第三に、車止めを無視して、拝殿近くまで入りこんでくる車。あまり良い車はないわね。女の人がまず下りてきて、『あんた、はよ、来んか』などと言っているタイプ。流行のものを着てはいるけど、安物ばかり。こんな人たちに限って、神社の由来など訊こうともしないわ」  いまはすっかり神主の女房が板についた和代が言う。その通りだと、矢口も思う。  矢口は、もうめったに物事におどろくことはない。腹を立てることもない。  その矢口に代って、いつも和代が腹を立てている。  もっとも、矢口も|唖然《あぜん》とするあまり、声も出ないこともある。  一夜のりこんできた車は、石灯籠を割って逃げた。別の夏の夜、ところもあろうに、拝殿の床で交わっている若い男女があった。  九七戦でグラマンに突っかけるときの矢口はこわいもの知らずであったが、このごろの若者は何事につけこわいもの知らずである。 「神罰はないものかしら」  と、和代が言う。あれほど神々は助け給うものなら、逆に大いに怒り給うこともあっていいという口ぶりである。 「時代が変ったのさ」  矢口は、弱々しくつぶやく。  九七戦の軽快な爆音、さらに、病院の上を旋回して去って行った隼の爆音が、矢口にはまだ昨日のことのように耳に残っている。戦友たちは、こういう人間のこういう平和のために死んで行かねばならなかったのかと、むしろそのことで心の痛みを感じもする。  和代や大学生の息子たちに助けられながら、矢口は毎朝早く境内を掃ききよめる。車は早朝がいちばん少ない。  蘆原の中をいぜん大河は悠々と流れ、二百年の風雪に耐えた残りの松は、なお濃い緑をたたえている。  矢口は神々を身近に感じる。神と人間とがそう遠くないことを感じる。  拝殿の横には、あの台風の夜の死者のために、小さな祠が建った。そこへもお詣りに来る人は少ない。  |箒《ほうき》の手を休めていると、死者と死者とが語り合っている中へ、ひとりぽつんと置かれている気がする。 [#改ページ]   雲からの生還

      艦上爆撃機「|彗星《すいせい》」一二型      発動機液冷一四〇〇馬力、全備重量三八三五kg、最大速度時速五八九キロ、実用上昇限度一〇七二〇メートル、航続距離三四二〇キロ、機銃七・七ミリ三、爆弾二五〇kg一、三〇kg二、乗員二       機上作業練習機「白菊」      発動機空冷五一五馬力、全備重量二六四四kg、最大速度時速二二四キロ、実用上昇限度五六二〇メートル、航続距離一一七五キロ、機銃七・七ミリ一、爆弾三〇kg二、乗員五      一  九日、通信隊はポツダム宣言受諾を傍受した。  だが、その意味もよくわからぬままに、通信隊は口をつぐんでしまった。 「敵性デマをとばすと、|雁首《がんくび》そろえてぶった斬るぞ」高坂中尉が、抜刀して通信隊にどなりこんだためでもある。事実、それはデマに過ぎぬようにも見えた。  峰山航空隊の課業は、平常通り、赤トンボおよび「白菊」に模擬爆弾を装置しての特攻訓練も、いつもの通り行われた。  十三日と十四日には、小規模の空襲もあり、特攻機の一部は舞鶴湾上空に退避した。  十五日朝、突然、出撃用意命令が出た。  赤トンボ八機、白菊七機が、いずれも二十五番(二百五十キロ爆弾)をつけ、エンジンを始動する。  隊長には、高坂中尉。〈神風〉の鉢巻をきつく締め、細い眉をつり上げ、大きな外股で各機を廻ってくる。  白菊搭乗の間宮を見ると、顔の触れ合わんばかりの近くに寄ってきて言った。 「おれに続け。いいか、予備学生の誇りになるんだ」  間宮は、ハイとオウとを重ねたような声で返事した。  高坂中尉は、満足そうにうなずき、去って行く。|痩《や》せた肩を怒らせたその後姿に向かって、間宮は舌を出し、苦笑した。 〈この|期《ご》に及んでまで、学生出身であることにこだわるのか〉  同じ予備学生出身である間宮にも、高坂の兵学校出身者への対抗意識がわからぬわけではないが、ここまで追いこまれた戦局の中で、何をいまさらという気がしていた。  目標の指示もないままに、待機がかかった。  空の高みが白金色に光っている暑い夏の朝であった。  近くの松林では、しきりに油蝉が鳴いていた。  蝉の声は、頭の中を縦横に貫いた。銀細工のような小さな蝉が、脳髄の中にも何匹か居て、鳴き応えている感じであった。  何も考えず、蝉の声だけ抱いて、敵艦に体当りする——それもまたよし、と思った。  十一時、また出撃用意がかかった。  今度こそ、と間宮は覚悟をきめた。はるか北の空に向かって、心の中で手を合わせた。〈お父さん、お母さん、お別れです。間宮孝、二十三歳で散って行きます〉各機のプロペラが、|轟々《ごうごう》と廻り出す。蝉の声は消えた。  夏草がたわめられてゆれている先に、濃い緑の|山脈《やまなみ》が静まり返っていた。空には、白い雲がひとつ、ぽっかり気球のように浮かんでいる。  まわりを取り巻く自然は、いつもながらの夏を送ろうとしていた。  間宮が死んだ後も、夏草は強くにおい、山脈は蝉の声を放ちながら、ひっそり眠り続けて行くことであろう。大宇宙にとって、間宮の死など、蝉一匹蟻一匹の死と変らないのかも知れない。  かすかな空しさ、だが、|所詮《しよせん》、人生は空しいのだと割り切って、エンジンの音に耳を澄ます。  |虻《あぶ》を思わせるずんぐりした機体、エンジンの出力は、「彗星」と比べわずかにその三分の一、速度もまた三分の一。そのエンジンが、けんめいにうなりを立てている。 「白菊」という可憐な名がどうしてついたのか、理解に苦しむ不細工な機種であるが、死出の旅へいざ行を共にしてくれると思うと、ふしぎなほど愛着が湧いた。  夏のさかり、八月十五日。出撃には何となくよい日に思える。故郷の町では、旧盆をどう過しているのだろうか。  ふと気がつくと、整備の堀二曹が右翼のつけ根のところへ来て、しきりに手真似で話しかけてきた。 〈エンジンの調子はどうです。言い残すことはありませんか〉  間宮は、ゆっくり手と首を振った。  同郷の堀とは、もう幾度も話しこんだ。自分の死後、堀が故郷へ帰ることがあるなら、十分に自分の様子を話してくれるであろう。それ以上には、何のメッセージもない。 〈何か言い残すことはないか〉  そんな風に、間宮は飛行長はじめ何人かに|訊《たず》ねられた。気持はありがたいが、とくに未練とてない間宮は、御用聞きのようだと思うこともあった。  また、待機がかかった。  一番機から高坂中尉が日本刀をつかんでとび下り、|指揮所《ピツト》へ駆けて行った。飛行長めがけて、突っかかって行く。  どこに|遊弋《ゆうよく》しているのか、機動部隊か、上陸部隊か。いずれにせよ、敵の目標は、まださだかでないようであった。  昼食が出た。あわてて、炊いたらしく、小豆のかたい赤飯、それに罐詰の鮭と鰯。デザートにパイナップルが二切れ。  胃が緊張しているせいか、半分以上、食べ残した。  出撃とりやめとなったのは、午後七時過ぎであった。  拾いものをしたというより、その先、生きることが少し気重な気がした。  空は澄み、あかね色の夕焼けの中に、あたりの山々が浮き上ったかと思われるぐらい、美しかった。 「ばかなことがあるか。間宮、飲みに行こう」  高坂中尉に声をかけられ、間宮はトラックで宮津の町へ下りた。      二  古い城下町であり港町でもある宮津には、闇に汐のにおいが漂っていた。いや、厳密には、町は闇ではなかった。あちらこちらに、管制していない裸電球の灯が見えていた。 「何たることだ」  高坂中尉は、軍刀でトラックの床を突いた。  運転中の兵長は無表情で車を走らせ、行きつけている料亭の前にとめた。  いつもは仲居たちが小走りに出迎えるのに、玄関で声をかけても、女たちは帳場で顔を見合わせている。  構わず、いつもの座敷に通った。  酒の運び方もおそく、それも、二本だけしか持ってこない。芸者をたのむと、「さあ、今夜は……」と、首をかしげる。  高坂は軍刀を杖に、|片膝《かたひざ》立ててどなりつけた。 「おれたちを何だと思ってるんだ」 「おお、こわ」  仲居は恐縮するより、しらけた顔で、わざとらしく首をすくめて消えた。  何となく様子がおかしかった。  特攻へ出るべくして出なかったため、こんなあしらいを受けるのだろうか。それにしても、そのニュースがどうしてここへ届いているのか。  間宮は銚子を取って高坂に注ぎ、ついで、自分の盃を満たした。燗はあまりよくついていなかった。 「おい、誰か居らんか」  高坂中尉は、手荒く|膳《ぜん》をたたいた。 「なんですかいな。負けたというに、たいそうな威勢で」  |女将《おかみ》が鼻じろんだ顔で入ってきながら言った。 「負けた? 負けたとは何だ」 「あら、知らはらへんの。今日のお昼に……」  女将は、陛下の放送や、その後、町で起ったいくつかの小さな混乱について話した。退役将校が神社で首をくくろうとしたことや、学校の奉安殿の前で国防婦人会の役員たちがいつまでも泣き伏していたことなど。  高坂も間宮も、口をあけたまま聞いた。あまりのことに、応える言葉がなかった。  女将は二本だけ銚子を膳の上に|足《た》し、 「もう今夜はこれだけで堪忍。これからどうなるやら、うちらもわからしまへんさかい」  女将の足音が廊下を遠ざかる。  二人は顔を見合わせた。そうだとするなら、今日の出撃用意は何だったのか。どちらが悪い夢なのか。  ひとりで酌をし、たて続けに何杯かあおってから、高坂は間宮の眼を見すえて言った。 「きさま、信じるのか」 「……信じるも信じないも、あり得ないことです」  間宮には、その答しかなかった。      三  翌日から、飛行場の動きがあわただしくなった。  それまでほとんど姿を見せなかったゼロ戦が、どこからともなく飛んできて司令に申告し、またどこかへ飛び立って行く。  司令は一通りの情報をつかんでいたであろうが、裏日本の山奥に在るその基地は、全体の動きから孤立し陥没して、あっけにとられて、それらの動きを眺めている恰好であった。  厚木航空隊からも、ゼロ戦が飛んできた。兵学校出の桜色の頬をした若い中尉が下り立ち、日の丸鉢巻姿で士官次室へやってきた。 「厚木は徹底抗戦する。きさまらもやらぬか」  まるい眼をみはって、一同を見渡した。  次室士官たちは、とまどった。  まだ敗戦の実感がなく、徹底抗戦といっても、ぴんと来ない。それに、指揮系統はどうなっているのか。 「おう、やるぞ」  と応えた者もあったが、それは高坂中尉ではなかった。  高坂は壁にもたれ、軍刀を抱えて、むっつり黙りこんでいた。兵学校出に|主導権《イニシアチブ》をとられては、という顔であった。  厚木の中尉は、手帖をとり出した。 「本隊在籍の機種および機数、爆弾・燃料の残存貯蔵量はどうか」  だが、メモして行く中、その顔に失望の色がひろがった。白菊や赤トンボばかりでは、とても戦力にならぬと見たからであった。  中尉は去りぎわ、衝撃的なニュースを伝えた。 「五航艦の宇垣中将は、八月十五日夕刻、彗星九機とともに特攻出撃、|一九三〇《ひときゆうさんまる》、敵空母に突入された」  ざわめきが起った。 「用意」と「待機」のくり返されたあのけだるいような夏の一日のことが、誰の胸にもよみがえってきた。あの夕刻、長官自らが出撃し|散華《さんげ》されたのか。  間宮も、宇垣中将を知っていた。第五航空艦隊は、|鹿屋《かのや》基地などから特攻機を次々と送り出した海軍航空隊の主力部隊。  十九年六月、間宮も鹿屋基地に赴任した。|大隅《おおすみ》半島の台地を切り開いた広大な飛行場には、月光・雷電・紫電など、ほとんどはじめて見る新型機が並び、新兵器をそろえてこれからもう一戦争はじまるという観があった。  その新鋭機ぞろいの中でも、艦上爆撃機「彗星」は、ひときわ目をひいた。  日本ではじめての液冷エンジン。メッサーシュミットに似た|鮫《さめ》のように鋭い頭部。時速六百キロに近い高速。三段フラップや脚の出入などすべて電動式というモダンなもの。  もともと粋な艦爆|兄《あん》ちゃんとしては、いっそう鼻息が荒くなる乗機であった。  だが、日が経つにつれ、それら新鋭機も次々に姿を消して行き、間宮自身も一年後には撃ち落され、後送される身となった。  その後の九州の基地は、爆装した白菊や赤トンボなどがよろよろたどりついては発って行く空しい中継地に変り果てたと思っていた。そこにまだ彗星が九機もあったのか。 「彗星ばかり九機ですか」  間宮は訊き直した。 「そうだ。搭乗員十八人が長官のお伴をした」  中尉は、また一同を見渡した。〈われわれも、いまからでも遅くない〉という眼の色であった。  だが、間宮はそのとき、搭乗員より彗星のことを考えていた。  洗煉された機体、鋭い出足、快適な操縦性……。あの彗星が日本海軍最後の特攻機となったことを、むしろ喜ぶべきなのだろうか。  厚木の中尉が去ると、高坂がねじれた声で言った。 「羨ましいやつらだ。おれたちにも彗星があるならな」  何人かがうなずき合った。 「どこかでかっぱらってくるか」  空しいつぶやきであった。  間宮は、彗星・彗星・彗星……と、小声で唱えてみた。どこからか彗星が舞い下りては来ないか。  もちろん、彗星など現われず、流れこむのは不安なうわさばかりであった。中には、 〈搭乗員は全員、|睾丸《きんたま》を抜いて、南方へ送る〉  という説もあった。  居たたまれぬ思いになった。どうなるかわからぬものなら、いっそ、出るべきところへ出て決着をつけるべきではなかったか。  だが、二日後には、厚木航空隊の反乱が鎮圧されたという報せが入った。  どこへ行くべきか、どうすべきか。むざむざ捕えられるより、むしろ帰るべきところへ帰った方がよいのではないか。  そうした心の動きを見すかしたかのように、二十日、いきなり航空隊の解散式が行われた。  爆弾やガソリンは山腹の|壕《ごう》に埋め、一切の航空記録は焼いた。最後に軍艦旗を下ろし、これにも火をつけた。  まわりの松山からは、相変らず無心に蝉が鳴き続けている。敗戦という実感が、そのとき、はじめて胸にしみた。  復員の手続きが行われ、たまっていた俸給と食料などが渡された。そして復員の方法については、 〈搭乗員は各自飛行機に乗り、郷里に|最寄《もよ》りの航空隊まで帰投せよ〉  という指示が出た。それも二十五日正午までに限る。それ以後の飛行は、アメリカ空軍が敵対行為として撃墜するという。  飛行機に乗っての復員——。  唐突なようだが、厚木の反乱の二の舞いを心配し、各航空隊を早急に解散させ、同時にその勢力を分散させるための便法のようでもあった。  といって、抗命してそこにとどまっていても、ただ不安なだけで、何の意味もない。  パイロットには飛行機が何よりの魅惑であった。飛べるものならと、在籍二十七機が、その午後いっせいに峰山上空に舞い上った。機種は古いが、丹後の空にはじめて見る大編隊であった。  編隊は何度か基地上空を旋回してから、いくつかのグループに分れた。  間宮は高坂機に従って、針路を東南にとった。  間宮の郷里は山形、高坂中尉は東京。しかも、二人とも原隊は大井航空隊である。とりあえず、静岡県大井に向かって飛んだ。間宮の白菊には、同じ山形へ帰る堀二曹を同乗させた。  エンジンをいたわって、時速は百六十キロ。|山脈《やまなみ》にくっきり機体の影を落して飛ぶ。  綾部に出、山陰線の線路にかぶる。  復員列車なのか、貨車に人の溢れた列車がのろのろ走って行く。その列車におもむろに追いすがり、追い抜いて行く。 「こうやってゆっくり飛んでますと、敵のうわさを思い出しますね」  堀が背後から話しかけた。 「敵のうわさ?」 「この白菊が新兵器だと、敵が勘違いしたという……」  堀は弱い声で笑った。  特攻機「白菊」に襲われた敵の輸送船が、全速で逃げても逃げても、なおその後から飛行機がついてくる。つまり、船より遅い飛行機が現われたと、米軍がおどろいたという話である。  船より遅く飛べるはずはないのだが、それほど時代錯誤を感じさせる登場であったのだ。  グラマンと遭遇したところ、グラマンのパイロットが手真似でしきりに「脚が出ているぞ」と注意してくれたという話もあった。  飛行機といえば引込脚ときまっている戦場へ、まさか旧式固定脚の飛行機が登場するとは、敵は考えもしなかったというわけである。  左前方に琵琶湖が光って見えた。 「間宮少尉は帰郷してから、どうされますか」 「まだ考えては居らん」  間宮は、おだやかな湖面に眼をやりながら、 「きさまはどうする」 「自分は三男坊ですので、どこか都会の工場へでも働きに行くことになるでしょう。できれば機械関係の仕事があるといいのですが」  間宮は形だけはうなずいたが、釈然としなかった。  この下士官にとって、戦争は何であったのか。学徒出身の自分たちがまだ熱病からさめ切らぬ思いでいるのに、海軍を天職としたはずの男が、終ったものは終ったものとして、もう次の人生の設計を考えている。  人生とは、本来、そういうものなのだろうか。  白菊は、のどかなエンジンの音を立てて飛び続けた。  やがて眼下に伊勢湾が光り、長い腕を投げ出したような知多半島が見え出した。  間宮は、半島の尖端に眼をこらした。そこの暗礁にコンクリート造りの爆撃訓練目標があり、|挙母《ころも》の航空隊在隊当時は、|楕円翼《だえんよく》の九九式艦上爆撃機を操縦、その目標めがけて何十回となく模擬弾を投下したものである。  三、四千メートルの高度でバンクをとり、四十五度の角度で突っこんで行く。高度千で「用意!」高度八百で「|投下《てー》!」  同時に操縦|桿《かん》をひき起す。猛烈なGがかかり、血が逆流して、眼の前が暗くなる。十回ぐらい続けてやって帰ってくると、飛行機を下りても立っては居られなかった。  そうした間宮たちに比べ、主として予科練出身の下士官たちは、鋼鉄ででも出来ているように|強靭《きようじん》で、目標に対する命中率もすばらしく良かった。無理な急降下に耐える九九艦爆の機体そのものも堅牢であったが、まるでその一部と化したような下士官搭乗員の堅牢さは、間宮たちにはまぶしいほどであった。その意味では、海軍は下士官であり、下士官こそ海軍であった——。 「大井に彗星があるでしょうか」  背後から、堀二曹が思い出したように訊いてきた。 「どうしてだ」 「高坂中尉が、われわれ整備や通信科の者に、しきりに訊いて廻られたのです」 「………」 「高坂中尉は、どうしても彗星に乗りたいようなんです」  間宮は眼を上げて、前方を飛んで行く白菊を見た。  高坂中尉は、まっすぐ人形のように前を見つめたまま飛び続けている。峰山を出てから一度も振り返ることもなければ、翼を振ることもない。ひたむきに大井をめざしている。  それは、まぎれもなく何かを思いつめた姿であった。      四  大井に彗星はなかった。あるのは、峰山と同じ白菊と赤トンボばかり。その全機に対し、米軍から現状保全命令が出ていた。爆弾や燃料は整然と並び直されており、米軍の指示はここには早くから行き渡っているようであった。  高坂中尉の到着は、大井航空隊の一部に小さな波紋を巻き起した。  大井には、すでに階級章をはずしていたが、かなりの数の少中尉の搭乗員が居た。その中、間宮と同じ十三期予備学生の中には、十期の高坂に教えられた者が居た。  高坂は、きびしい教官であった。罰直も容赦なく、よく撲りもしたし、真夏に冬の飛行服を着せ、飛行場を三周させるなどということもやった。  兵学校出との対抗意識も強かった。  宇佐で料亭に上ったとき、兵学校出の士官たちと衝突したが、このとき予備学生側には柔道四段の男などが居て、高坂の指揮で兵学校出を料亭の二階から川へたたきこんでしまったこともあった。 「『ああ予備学か、|消耗品《スペア》か』と言われぬようにするんだ」  というのが、高坂の口癖であった。  動機が動機であっただけに、学生士官たちもあからさまに高坂を糾弾しようとはしなかったが、下士官・兵の中に高坂は許せぬという声が起った。高坂の復員先まで押しかけて行くという。  堀二曹が、それを間宮に教えてくれた。 「高坂中尉に|精神棒《バツター》で撲り殺された兵隊が居るそうです。現にここにもビール壜で撲られ、頭に大きな傷痕のある兵長が居ます」  士官が手を下すということは稀で、むしろ私的制裁をとめに廻る役なのだが、高坂中尉は例外であった。それというのも、予備学だからと、なめられたくないためであった。  だが、撲られる側にしてみれば、高坂の非道さだけが印象づけられた。 「まさか後からズドンとやられることもないでしょうけどねえ」  堀は銃を構えるふりをして見せて言った。  二十一日の夜、間宮は高坂中尉に島田の料亭へ行って飲もうと誘われたが、他に用があったため断わった。  高坂が単身、白菊で飛び立ち、海に突っこんで死んだのは、その翌日、朝日が昇って間もないころであった。  遺書はなかった。  敗戦に憤激しての自殺と見られた。予備学を盛り立て、予備学を誇りにして死ぬというただひとつの目標がなくなり、生甲斐を失ったためとも思われた。 「彗星でなくてよかった」  と、胸をなで下ろす古参の中尉も居た。間宮は、それを高坂のために無念に思っていたのだが。  もっとも、まるで別のうわさも流れた。  高坂を憎む兵隊が、高坂の白菊に細工をしておいた。それを知らずに、高坂は早朝ひとりで逃げ出そうとし、墜死したのだという。  間宮は、島田の料亭へ行ってみた。  高坂の死を聞いても、料亭の主人はたいしておどろいた顔もせず、前夜、高坂がひとりで痛飲したという座敷へ案内した。 「これを見て下さい」  と、床柱を指す。  そこには、刀で斬りつけた無残な傷が六つも七つもあった。 「話相手が欲しそうでしたが、女たちは寄りつかず、わたしも思うように手が放せず、ときどき銚子を運んで行っては、腰を浮かせたままお相手するといったわけで」 「中尉が言ったことで、何かおぼえていませんか」 「そうですね」  主人は|猪首《いくび》をかしげ、 「そういえば、『主人、もう終った。何も|彼《か》も終ったぞ』と、しきりにくり返して居られましたね。それに『そんなにおれを見つめたって、おれに何が出来る』と。わたしが見つめていたわけでもありませんのにねえ」 「それは……」  と言いかけて、間宮は声をのんだ。  高坂を見つめているのは、少中尉たち、それに下士官兵の眼でもあったろう。気負い立っていた高坂中尉、その高坂はどう身を処していくのかと、無数の眼が高坂を|灼《や》いていた——。  大井航空隊には、五十機を越す赤トンボと白菊があったが、二十二日ごろからプロペラの取りはずし作業がはじまった。  アメリカ軍の指示によるもののようであったが、高坂の二の舞いが演じられないようにという狙いもあった。  整備兵たちは機体にとりつき、黙々とプロペラの撤去にかかる。間宮は見て居られぬ気がした。そしてまた高坂中尉のことを考えた。  高坂は飛行機の手入れについて、やかましかった。整備兵泣かせのナンバー・ワンであったが、搭乗員にも注文をつけ、飛行機が大事にされた。二言目には「彗星、彗星……」と連発する男であったが、一方では、誰よりも白菊を愛していた。特攻機ということで白菊を、聖化していた。  その白菊がプロペラをとられ、いわば丸坊主にされて行く姿を見たら、高坂は前後の見境もなく、整備兵に斬りかかって行ったことであろう。  プロペラをはずされる前に、全機飛び立て、そして突っこめ——と、部下を|煽《あお》ったかも知れない……。  間宮は飛ぼうと思った。  そこに居て、のめのめ丸坊主にされる前に、飛んで故郷へ帰るのだ。田舎なら、ひっそり白菊の生きて居れる余地が見つかるかも知れない。人生の最後の同行者となるはずであった白菊を、伴って行ってやりたかった。  それに、峰山の司令の指示が、飛行機に乗って復員するようにとのことであった。その指示は、勝手な思いつきで出されたものかも知れぬが、間宮としては頑固にその指示に従い、あるいは従うふりをして、故郷山形まで白菊で飛んで帰ろうと思った。  プロペラの除去作業がはじまると同時に、少中尉たちの復員もはじまった。  復員手当が出される。間宮はすでに三千円近い大金を受けとっていた。ふつうの会社員の月給の三、四十倍である。その他に、羊羹・ウイスキー・煙草のチェリーなどをもらった。間宮たちにしてみれば、珍しくもなく、有難くもない品物であった。  復員用の切符も渡された。牧ノ台地に在るその航空隊から島田の町に下り、汽車に乗って東西へ散って行くわけである。東に向かう同期生に誘われたが、間宮は腰を上げなかった。  間宮は堀二曹に連絡をとった。  すでにプロペラ撤去は九割近く済んでいたが、間宮の白菊は幸いそのまま滑走路のはずれに眠っていた。その白菊にひそかにガソリンを満タンにし、一通りの整備点検をしておいてくれるようにたのんだ。  しばらくして、堀二曹がまたやってきた。背後に二人の若い兵曹を連れて。若いというより、まだ少年であった。  その二人とも山形県出身である。白菊に同乗させてほしいと、堀は迫った。  少年下士官たちは、体を十五度前傾させ、|交々《こもごも》に言った。 「間宮少尉、おねがいいたします」  言葉は簡単だが、真剣な顔つきであった。その一人は、眼もとにうすく涙をためていた。  復員列車は大混雑で、島田あたりでは仲々乗れず、駅で夜を明かすこともあるという。そうしてまごまごしている中に、呼び戻され警備隊に廻される心配がある。現に航空隊の倉庫が第三国人に襲われるという事件があり、残留部隊が編制された。それに、特攻隊員の引き渡しについての暗いうわさも流れている。少年たちとしては、一刻も早くそうした渦中から抜け出し、家郷の両親の|許《もと》へ帰りたいのであろう。  そこに、下士官の思いがけぬ素顔がのぞいていた。堅牢でも強靭でもない少年たち——。      五  二十四日夕方六時。  いまにも降りそうな空模様の中を、間宮の白菊は、三人の下士官を乗せて、大井を飛び立った。  駿河湾まで来ると、果して猛烈な雨になった。稲妻がきらめき、雷鳴がとどろく。風も出て、機は上下左右にゆれ出した。  危険であった。そのまま、海に落ちれば、どんな風に言われるであろうかと、ふと思った。すぐにも折り返して、飛行場へ戻りたいところである。  だが、戻れば、二度とは飛び立てない。航空隊が許さぬであろうし、一方、アメリカ軍から与えられた猶予期間が切れる。二十五日正午までに飛行が終らなくなる。  間宮は白菊に賭け、前進に賭けた。操縦桿をにぎりしめ、雨に煙るフロントの風防ガラスをにらみつける。  機体は胴ぶるいしながら進んだ。  箱根越えは無理であった。|石廊崎《いろうざき》をかすめてから、北へ針路をとった。高度は五百。  ときどき、雲の切れ目に灰白色の波頭が見えた。初島がちらりと姿を見せたところで、針路を東北東にとる。  がぶられながら雲中飛行が続いたが、ようやく雨も雲も切れたとき、眼下に東京が見えた。  ところどころ早い灯がちらついてはいるが、それは暗い赤紫色の焼跡続きの都会であった。都会そのものが|大火傷《おおやけど》にかかっていた。 「ひどいですねえ」  間宮のすぐ後の席で、堀がうめいた。 「これじゃ、工場などといっても……」  そのまま、絶句した。他の兵曹二人は黙ったまま。乗ったときから口ひとつきかず、体をかたくしている。命知らずの特攻隊員だったのが、にわかに子供になっていた。生れてはじめて飛行機に乗せられた子供のようでもあった。  間宮は焼跡の海を飛びながら、高坂の留守宅はどのあたりだろうかと思った。わかれば、その上空を旋回してやりたかった。いまは、白菊が高坂の霊である。  高坂は、家のことは何ひとつ話さぬ男であった。気が強いのか、|健気《けなげ》に振舞っていたのか。それとも高坂には、帰るべき家も家族もすでになくなっていたのか。  東京を過ぎると、すでに夕闇が深々と関東平野を蔽っていた。  飛行が難しくなる。夜間飛行の不吉な思い出が次々によみがえってきた。  駅のランプを飛行場の灯とまちがえて突っこんだ男、着地に失敗し復航しようとして失速した男、マッチの灯を飛行場の信号と誤認して山にぶつかった男……。  仲間は、ばたばた死んで行った。だが、それは一人また一人と居なくなるだけで、血なまぐさい現場を見ることもなかったため、ふしぎに死の実感はなかった。白菊で仲間が特攻に発って行くときも、そうであった——。  その日の間宮の目的地は、|筑波《つくば》海軍航空隊の飛行場であった。|昏《く》れ切らぬ中に着かねばならぬ。  ほの白く光る利根川を探し当て、その川筋に沿って下って行く。ふたたび雨がちらつきはじめた。飛行場はまだ見えない。  間宮は飛行服のポケットをさぐり、まず復員手当の札束の入った紙封筒を出し、その奥から、地図をとり出した。  見ようとしたが、暗くてだめである。風防ガラスを外せば、少しは機内が明るくなるかも知れぬ。  間宮は右手をのばし、風防を引いた。  その瞬間、猛烈な風がおどりこみ、地図と札束をそっくりさらって行った。あっ、と叫んだ一瞬の出来事であった。 「何か飛びましたね」  と、堀二曹。 「うん」 「いいんですか」  間宮は苦笑した。いいも悪いもない。拾いに行けるものでもない。あきらめる他はない。  それより飛行場を探さなくては。さもなければ、命を失ってしまう。  間宮は兵曹たちにも地上に眼をこらすように言ったが、次の瞬間、間宮の眼は滑走路らしいものを見つけた。  高度を下げて旋回する。  あまり長くもない滑走路が一本。まぎれもなく飛行場であった。滑走路脇の建物には、灯がひとつだけついている。筑波航空隊にしては淋し過ぎた。  雨ははげしくなっていたが、濡れるのも構わず風防をあけ、体中を眼にする思いで着陸した。  何度もバウンドしながら滑走路を走り、向きを灯の方角に変えようとしたとき、機体がぐらりと右に傾いた。  右脚輪が、爆弾でできた穴にはまりこんでいた。  灯の方向から、兵隊たちが走ってきた。地下足袋をはいた陸軍の兵士であった。年輩者が多い。そこは筑波航空隊ではなく、陸軍の西筑波飛行場ということであった。  間宮たちは、そこで泊めてもらうことにした。 「士官室は?」  と訊くと、 「そんな気のきいたものはありませんよ」  兵隊たちの後から、間宮と同年輩のやや長身の男が出てきて言った。学徒出身の見習士官で、そこの隊長だという。  灯のあるところへ案内されたが、それは建物でさえなく、幕舎であった。武器らしいものは、竹槍が並んでいるばかり。未開の原住民部落へ迷いこんだ感じで、それに比べれば、白菊は段ちがいに強力な新兵器といえた。  夕食が出る。|粟《あわ》などの雑穀入りの飯に、|茄子《なす》を煮ただけのお菜。少ない分量だが、それを食うのも苦労なほど、おそまつであった。  後味の悪さをまぎらすように、チェリーを口にくわえると、兵士たちの眼がいっせいに集まった。気がつくと、二十人あまりの兵隊の中、二人か、三人が軍用煙草の「ほまれ」の短くなったのを廻しのみしている始末であった。  間宮は、チェリーも、飛行機の中に残してあったパイン罐や羊羹なども持ってきて、兵士たちに振舞った。何となく狐につままれたような気がした。  ほとんど毎食が「銀飯」と呼ばれる白米食。それに、てんぷら・とんかつなどの御馳走ずくめ、甘いものにも煙草にも事欠かなかったそれまでの生活に比べ、同じ軍隊なのに何というちがいかと思った。陸軍と海軍の相違か、それとも特攻基地であったための優遇なのだったろうか。  いずれにせよ、わずか、二時間足らずの飛行が、まるで別世界への飛行であったことを思い知らされた。  隊長も兵士も親切であった。蚊のしきりに舞いこむ幕舎の中で、ともかく中継の一夜を明かした。  翌朝、燃料を補給しようとして、間宮は当惑した。ガソリンのオクタン価がちがうのだ。だが、ともかく、それで間に合わせ、運を天に任せる他はない。  その朝も雨であった。薄墨色の雲が垂れこめ、雲高百メートル。視野はきわめて悪い。だが飛ばぬわけには行かぬ。飛行禁止まで後数時間を余すのみである。  赤いマフラーを首に巻き、白菊の操縦席へ。  雨の中を、隊長や兵士が並んで見送ってくれる。うらやましそうな眼、虚脱した眼、疲れた眼……。彼等はいつになったら復員するのだろうか。  エンジンのかかりは悪かった。何度もふかしている中に、ようやくプロペラが廻り出す。  エプロン沿いの夏草がなびき、兵士たちが二歩三歩後ずさりする。  白菊は走り出した。水しぶきを上げ、バウンドをくり返した末、浮上する。  上空を一度旋回した。兵士たちがいつまでも手を振っている。  利根川に沿って下り、いったん海に出てから、高度を上げた。雲また雲。どんどん上げ舵をとる。高度三千。 「寒い」  堀二曹のつぶやきにふり返ると、三人の兵曹が小さくなってふるえていた。  四千メートルまで上ると雲は切れ、染まりそうな青空があった。  エンジンはまずまず快調。ガソリンの不適合から事故の起る場合を想定して、高度はできるだけ高くとっておく。陽光の中におどり出たため、寒気は前ほどひどくはない。  機首をまっすぐ北に据えて飛ぶ。眼下の雲の海はまばゆいほど白く輝き、その上に白菊の黒い機影が走って行く。  しばらく行くと、二重の輪になった美しい虹が白菊を出迎えた。飛行機乗りの|冥利《みようり》である。思わず顔がほころぶ。  それにしても、空は美し過ぎた。今度こそ人生最後の飛行になる、それ故の美しさであろうか。  同じような予感を、間宮は二カ月ほど前まで幾度となく抱いた。  沖繩戦がはじまって以来、間宮たち彗星艦爆隊は、鹿屋から|頻繁《ひんぱん》に出撃した。最初の一週間ほどは敵戦闘機の迎撃もなかったが、それ以後は、二波三波になって待ち構えるグラマンの群をくぐりぬけ、さらに猛烈な対空砲火にさらされた。  高度四千まで下って編隊を解き、各機ばらばらに七十度から七十五度の急勾配で突っこむ。すさまじい加速のため、九九艦爆なら翼がしなうところだが、彗星は三段フラップと制動板のおかげで心配なく突っこめる。  プリズム式の照準器の中に、敵艦船や上陸部隊の姿がみるみる大きくなる。  初弾をたたきつけ、三千メートルまで反転。搭載した五百キロ爆弾三百キロ爆弾の尽きるまで、二度三度とくり返す。命中したときの機体にひびく快い衝撃。  爆撃が終っても、危険は去らない。彗星は高速機だが、被弾したり傷んだりして、帰途は逃げ足が鈍っている。ぴいーという鋭く高い音を立てた液冷エンジンは不評で、空冷エンジンに変ったが、新式の電動装置にも故障が少なくなかった。  もたついているところへ、グラマンが追いすがってくる。雲の中へまぎれこんで帰ってくるのだが、ようやく鹿屋まで来て着陸態勢に入ったところを、さらにやられる。速度を落し低空を飛ぶ彗星は、グラマンのロケット弾の恰好の餌食となった。  彗星は、その名の示す星のように、一機また一機と消えて行った。  沖繩から鹿屋上空まで、死は遍在していた。そして、それにしては、空はあまりにも美しかった。  静まり返ったコバルト色の大空の高み。無心にきらめく白い雲の峰。半円になり円になってほほえみかける虹。|茜色《あかねいろ》に|昏《く》れる雲の流れ……。  六月十二日、薄暮攻撃を終って、間宮の彗星は帰投しつつあった。残照の中に、九州の南端がかすかに浮かんで見え出す。  そのとき、ふいに、後方上空からグラマンが襲いかかった。海面すれすれまで逃げる他はない。急降下して五百メートルまで下りたとき、機は火を噴いた。  間宮は、風防を開けた。  安全バンドをはずし、足をあぐらに組み直した。そして、機が傾いた瞬間、外へ投げ出された。  海にはかなりの波があり、一晩中、波の山から谷へとゆさぶられ、塩からい水をのんだ。  四肢の感覚がなくなる。こんな風にして意識を失って行くのだと思うばかりで、死の実感はなかった。  間宮は、翌朝、漁船に拾い上げられた。間もなく元気を回復したが、そのころには、もはや乗るべき彗星はなかった。練習機による特攻隊編制のため、大井航空隊に戻され、そこからさらに峰山へ移った——。  白菊は順調に飛び続けた。  飛行停止時刻は迫っている。飛び続けねば困るのである。  離陸後一時間、ほぼ仙台上空のはずである。雲の切れ目を見つけて下りて行く。  海上に無数の小島。三本の滑走路が交叉する特徴のある飛行場も見えた。 「松島ですね」  堀二曹の声がはずんだ。あと一息、と言っている。ふり返ると、他の兵曹たちものり出すように緑の濃い島々を眺めている。  間宮は針路を西へとり、再び高度を上げた。途中の奥羽山脈には標高八百から千の山々がある。その上を抜けねばならない。  山々がはり出してくる。明るい夏の光の下に、|稜線《りようせん》で明暗をくっきり分け、静まり返っている。  そうしたどっしりした山々のたたずまいを見ている中、ひとりでに「国破れて山河あり」という感懐がにじんできた。  敗残の軍人、生きのびた特攻隊員。おめおめ故郷に帰れるものであろうか。まして、いきなり特攻機で舞い下りるとあっては。冷たい眼にさらされ、石で投げ打たれるかも知れない。  場ちがいなことをしている気がした。それよりは、むしろそのまま永久に着地のない飛行とすべきではないか。  高坂中尉が空のどこかから、白菊をさし招いている気がした。  白い餅でものばしたような雲が、山々をかくした。  間宮はまた高度を上げた。  きらめく|蒼穹《そうきゆう》。永遠に沈黙だけのある世界。そのまま際限なく高度を上げて行き、大空に吸われるようにして消えようか。  上げ舵をとっても、白菊はごくゆっくりしか上昇して行かない。  乗機が彗星でないのが残念であった。上昇性能の良い彗星は、戦闘機に代って二十ミリ機銃を装備し、高々度を行くB29に迫ることもできたのに。  間宮は上げ舵をとり続けた。  ふいに背後でくしゃみが聞えた。寒さを訴えもせず、おとなしくしていた少年下士官の誰かである。  間宮は笑い、つりこまれて他の兵曹たちも笑った。|悠久《ゆうきゆう》の空、白い雲の上に、小さな笑いが散る。  間宮は現実に引き戻された。  自分の感傷は別として、とにかく三人の兵曹を地上に送り届けなければならない。戦争が終ったいま、彼等の命まで奪う権利は自分にはない。  もう次の生活の設計をしている彼等。何が待っているかも知れぬ|娑婆《しやば》だが、彼等はそこでも下積みになりながら強靭に生きて行くであろう。いまは何よりもまず彼等を雲の中から地上へ連れ戻してやらなくては。  間宮は、そっと機首を水平に戻した。  時計は十時五十分。飛行禁止時刻まであと一時間少々を余すのみである。  しばらく飛んでから下降態勢に入った。雲の切れ目を探して下りて行く。  広い水田の連なりが見えた。大きな集落が点在し、川がくねっている。りんご畠がある。  間宮は、旋回しながら、さらに高度を下げた。  とがった小さな禿山が見える。|盃 山《さかずきやま》である。その西にひろがる市街地、|馬見崎川《まみがさきがわ》が光り、松で蔽われた千歳山もある。まぎれもなく山形であった。  間宮の家は、市内の中心部に在る。銅町の橋めがけてバンクをとり、高度を百メートルにまで下げる。  家が見える。出たときのままのたたずまいである。不覚にも懐かしさがこみ上げる。下士官たちだけでなく、おれにも帰るべきところがあったのか、という思いである。生きて再び見ることはないと思っていた家、その家がいままぎれもなくすぐ眼下に。  間宮はまた高坂中尉のことを思った。次々と死んで行った彗星の仲間たちのことも。それに比べて、見るべきでない家をおれはいま見ている、と思った。  |神町《じんまち》航空隊に着陸するわけだが、とりあえずここまで来たことを知らせておこう。  間宮は、紙片に鉛筆を走らせた。 「今日着いた。神町へ下りる。孝」  通信筒の備えがないので、錘りの代りにレシーバーをはずし、タオルで紙片ごと包んだ。さらに首から赤いマフラーをはずして結びつける。  間宮は、それを堀二曹に手渡して言った。 「『爆弾投下の要領』で落してくれ」  盃山から古びた県庁庁舎の上空を通り、もう一度わが家の上へ。 「用意、|投下《てー》!」  彗星の上で幾十度となくくり返した声。  旋回しながら振り返ると、赤いマフラーが一筋の糸のようにのびて落ちて行った。  家人ではなく近所の人がこわごわ拾い上げるのを見届けてから、間宮は機首を神町飛行場に向けて立て直した。      六  奇妙な投下物を拾った隣人は、そのまま警察に届けた。  数日前、厚木航空隊の戦闘機が徹底抗戦のビラをまきに来たことがあり、その種のものかと思ったためであった。  通信文の意味がわかって、家人の一人があわてて神町へ向かったが、それと入れちがいに、間宮は兵曹三人を連れて帰宅した。  家人も近所の人も、道路に走り出て迎えてくれた。  それにしても、外見とは異なり、家の中は荒涼たるものであった。  空襲に備えて、仏壇、箪笥から畳まで疎開し、天井板もない。着替える着物もなければ、米どころなのに十分な米もなく、もちろん酒もなかった。  間宮をおどろかせた西筑波の陸軍兵たちの生活が、実は日本全土の生活であったのだ。特攻基地が雲の上の別世界に在ったことを、あらためて思い知らされた。  気前よく品物を分けたり、不用意に札束を飛ばしたりしてしまい、これから先の娑婆の生活への適応が危ぶまれたが、家人のすすめで、|天童《てんどう》の温泉宿へしばらく静養に行くことになった。  間宮は家の中を荒涼たるものに見たが、家人は家人で間宮の心に荒廃を見たようであった。  湯宿に着くと、東京から集団疎開に来ているという痩せて眼ばかり大きな学童たちが溢れていた。宿では離れの部屋に案内してくれたが、そこには先客があった。  先客の顔を見たとき、間宮は小さく声を立てた。  痩せた肩を怒らせ、蒼い細面につり上った眼、歳こそ|老《ふ》けていたが、高坂中尉の亡霊かと思った。  戦傷の身を養う予備役大尉であった。地雷のため両足をつけ根から失い、生きただるまの生活をしていた。用を足すときには、両手を突いていざって歩いた。  二人は毎夜のようにどぶろくをくみ交した。  大尉は無口で、戦争のこともほとんど語ろうとはしない。家族についても話さない。ただ思い出したように、 「殺されるまでは生きて行くさ」  と、つぶやくのであった。  間宮は、そうした大尉と膝つき合わせて暮らしている中、毒気を抜かれた形になった。ともかく生きて行かねば、と娑婆に足をつける思いで、一月後、家に戻った。  留守中、帰宅したはずの堀二曹から意外な手紙が届いていた。 「折角連れ帰って頂いたのに、私ども三人に帰隊命令が来、原隊に復帰し、保安業務に従事して居ります……」  発信地は静岡の大井であった。どういう系統の命令かは知らぬが、彼等は不便な汽車に乗って、またはるばる大井へ戻って行ったのだ。  従順で最後まで使われる彼等。飛行途中、死への幻想から間宮をひき戻したのは、少年下士官のくしゃみであった。彼等を運んだおかげで、無事に家にたどり着けたともいえる。逆にいえば、下士官たちは間宮を家に送り届けるため、空しい旅をした形になった。  生きて行かねばと、またしても間宮は思った。  学校は農政科を出ていたことと、食料の得やすい職場をという簡単な動機から、間宮は農業会に就職した。  山形から仕事で郡部に出かける途中、神町附近を通るときは、間宮は汽車の窓から眼をこらした。  間宮が白菊で帰還したとき、神町航空隊には赤トンボが数機とダグラス輸送機一機・ゼロ戦二機が居たが、白菊は飛行場のはずれ、りんご畠に近い|一劃《いつかく》に置かれた。  十月、アメリカ軍が進駐し、連絡用の飛行場に使われたが、白菊はいぜんとして旧の位置に置かれたままであった。  りんご畠が落葉し、やがて根雪が降るようになっても、白菊はひとりぽつんと飛行場の片隅に置かれていた。  戦力にもならず役に立たぬとして放置されているのかも知れぬが、間宮にはそれが間宮たちへの記念として|繋留《けいりゆう》されているようにも思えてきた。  あいつはどうした。あそこにいつまでもがんばって、おれを励ます気なのだろうか。  正月を過ぎて間もなく、間宮は汽車の窓で下唇を噛んだ。白菊が頭部を地につき、逆立ちの恰好で立てられていたからである。  そうした無残な姿になると、車中の人たちの眼にも触れたらしく、「ひどいもんだ」とか「かわいそうに」という声が聞えた。  白く雪が降り積もる中で、白菊は|永劫《えいごう》の罰でも受けるように、そうした苦しい姿勢のまま立ち続けていた。  間宮は、神町を通るのが辛くなった。  東北におそい春が来て、馬見崎川にも|陽炎《かげろう》を立てて水が流れはじめた。そして、雪がとけるとともに、白菊の姿は飛行場からかき消えた。  間宮は、白菊の立っていたところに白菊のための小さな墓を立ててやりたいと思った。  いま、米どころ山形は米に溢れ、米不足に悩んだ一時期があったとは、とても信じられない。  農業会は農協連合となり、数百億の資金を扱う県下最大の事業体となった。農業会労組の委員長をつとめ一時レッドパージを受けた間宮も、いまはその農協連合の事業部長の身である。農協本来の事業の他に関連事業も幅広く、老大尉と一月を送った天童温泉にはデラックスなホテルも建てた。  農薬撒布や宣伝にときどきセスナ機をチャーターする。もっとも拡声器による宣伝飛行は、受験生からの抗議があってやめた。民家に迷惑をかけるのは、飛行機乗りの仁義に反するからである。  かつて九九艦爆で敵潜水艦の|哨戒《しようかい》爆撃行に出た帰り、エンジン・トラブルを起し、プロペラの回転が止まったことがある。  不時着を試みようとした先に集落があった。民家に迷惑をかけぬというのが、日本の搭乗員の鉄則であった。死を覚悟で旋回し、機首を山側に向けた。  だが、そこに上昇気流があったらしく、失速同然の機体は一度持ち上げられてから、山腹にふわりと胴体着陸した。  そうした思い出も、心の隅に生きていた。  間宮は一度、セスナ機に同乗し、操縦桿を握らせてもらった。パイロットは、予科練出身のかつての少年下士官の一人であった。 「自由におやり下さい」  パイロットは海軍時代の上官に向かって言う口調になった。  神町空港に着陸も試みてみた。  六段あるフラップ。操縦は嘘のように軽く楽であった。操縦するというより、飛行機が勝手に飛んで行ってくれる感じであった。彗星や白菊のときのような飛行の|醍醐味《だいごみ》はなかった。それを要求するのが無理なことは、間宮にもよくわかっていた。  それでも間宮は神町空港へ行くのが好きであった。東京から大事な客があると、進んで空港まで送迎に出た。  そういうとき、間宮の眼は、客人も全日空機も見ながら見てはいない。間宮が見るのは、りんご畠に近い一劃に逆立ちになっている白菊の幻であった。 「あいつはどうした」  間宮は、心の中でつぶやく。あいつのために墓を立ててやらねば、と思う。死んだ戦友も、高坂中尉も、すべてをふくめたあいつ。そのあいつのために、白菊の墓を立ててやらねばと思う。 [#改ページ]   死の誘導機

      二式大型飛行艇一二型      発動機空冷一八五〇馬力四基、全備重量二四五〇〇kg、最大速度時速四五四キロ、実用上昇限度九一二〇メートル、航続距離七二〇〇キロ、機銃二〇ミリ五、七・七ミリ三、爆弾二五〇kg八、乗員一〇      一  航空艦隊参謀の命令は、思いがけぬものであった。 「銀河二十四機が神風特別攻撃隊として、本基地からウルシー泊地攻撃に出発する。二式大艇二機を以て、同攻撃隊をウルシーの隣島ヤップまで誘導せよ」  容易ならぬ命令でもあった。  高峰は直立不動の姿勢のまま、参謀の彫りの深い顔を見つめた。心の中では、命令の一語一語をくり返し噛みしめる。  すでにフィリピン沖・台湾沖では、特攻機が出撃していた。だが、いずれも敵艦隊を間近に見る外地での出来事である。内地部隊では、特攻はまだまだ別世界の話に思えていた。硫黄島沖艦船への第二|御楯隊《みたてたい》の出撃に見られるように、敵機動部隊が本土近くに接近したとき、はじめて具体化すべき問題であった。  それが、はるかに太平洋を渡り敵の泊地まで、しかも、自分の誘導で出撃する——。  そのとき、|指揮所《ピツト》の窓ガラスをふるわせ、美しい姿態の銀河が一機、空に上って行った。  思わず見とれていると、参謀も視線をその方向に向け、語りかけるような口調で、 「あれが二十四機も行くんだ。わが方としては、相当の戦果を期待している」  銀河は海軍航空隊秘蔵の最新鋭機。日本の航空科学の粋を集めてつくられた長距離高速爆撃機である。それを一挙に二十四機の大編隊で特攻に投入するというのだから、航空艦隊司令部の決意のほどが身にしみた。 「丹一号作戦と呼称する」  参謀は、指で宙に「丹」という文字を大きく書いて見せた。  丹とは、心のことではないか。赤い心臓を、ぎゅっとつかまれたような気がした。  文字通り、男子の本懐である。晴れやかな顔になってよいと思うのだが、頬はこわばったままである。責任は重い。重過ぎる——。  黙りこんでいる高峰に、参謀はつけ加えて言った。 「銀河はそのまま突入するが、おまえたちはヤップ沖に味方潜水艦が待機していて収容する。万万一、潜水艦に遭えなくとも、メレヨンまで何とかたどりつけるだろう。メレヨンの司令にも誘導・受入れ方、指示してある」  おや、と思った。しんと静まり返っていた気持が、突き崩された。死を覚悟していたのに、自分たちだけに救助の準備があるというのか。  面くらった。有難く思うべきなのに、まず違和感があった。 「自分たちは助かるのですか」  高峰は、詰め寄った。  参謀は柔和な眼をした。口もとに、ぼやけた笑いがにじむ。  本心はともかく、一応は心外そうな顔をして見せる——搭乗員のその辺の気持はのみこんでいるといった眼の動きであった。 「飛行艇搭乗員は少数しか残っていない。しかも簡単に養成できるものでもないし」  それは事実であった。飛行艇も少なくなったが、搭乗員の数も激減している。それに、離着水など飛行艇の操縦は難しく、航法も熟練を要し、学生を仕込んでというわけにも行かない。  だが、それにしても、自分たちだけ助かるとは。 「しかし……」  言いかける先を遮り、参謀は押しかぶせるように言った。 「おまえたちは心配なく、航法を万全にとり、誘導のみにつとめればいい。何しろ、洋上二千五百キロ、途中に何の目標もない。銀河の航法ではどうにもならぬ。すべておまえたち任せだ。司令官もおまえたちの技倆を信頼しておられる」  関連する指示を受けた後、高峰は指揮所を出た。  飛行艇は、輸送や哨戒・索敵など、縁の下の力持ち的な仕事がほとんどであるのに、爆撃部隊を率いて長駆、敵基地をたたくのだから、これほど華々しい任務はない。勇躍して、と言いたいところだが、足は重かった。  誘導するとは、死へ引き渡すことである。|赫々《かつかく》たる戦果をあげさせてやるとはいっても、それは同時に二十四機の搭乗員を殺すことだ。成功すれば、彼等に死が来る。  残酷な使命であった。だが、やはり成功させねばならないだろう。彼等の死を犬死に終らせないためにも。  爆音が聞えた。|掩体壕《えんたいごう》を出た銀河が、冬の日に光りながら、滑走路の端へ滑って行く。  しきりに銀河の訓練が行われているようであった。無心に眺めて居られない。むしろ、見るのが苦しい。  爆音に背を向けるようにして、歩いて行く。  日だまりの竹薮が、風にかすかにゆれている。黄ばんだ竹の色が、まぶしいほど明るい。  高峰は隊門に向かって、うつむき加減に歩いていたが、その視野の端に人影を感じた。  顔を上げるのと、その人影があわててすれちがおうとするのと同時であった。見とがめられ、気まずそうな顔で、その男は高峰に挙手の礼をした。予科練で高峰の一期下、顔見知りの岸上等飛行兵曹であった。左脇に洗濯物のような物を抱えている。顔色は悪かった。 「元気がなさそうだな」 「……はい、少し体をこわして入室しております」  入室とは、軽症患者などが隊内に在る病室暮らしをすることである。 「どうかしたのか」 「微熱がずっと続きまして……」 「そりゃいかんな。早くよくなれ」 「はい」  岸兵曹は、敬礼すると、急ぎ足で去って行った。  別れてから、高峰は、ふと、岸兵曹が銀河の搭乗員であったことを思い出した。いま病気では、今度の出撃には出られまい。しばらくは命拾いしたな、と、ふり返って、いとおしむように後姿を見送った。 「高峰兵曹長、ちょっと寄られませんか」  すぐ先の通信隊の戸口から、安達兵曹が眼鏡をかけた小さな顔をのぞかせていた。半年ほど同じ飛行艇の|班《ペア》であったので、高峰が|鹿屋《かのや》基地へ来るごとに、口をきく相手である。  戸口に立ったまま、安達は顎で岸の去った方向を指して言った。 「あいつ、逃げたでしょう」  高峰には、すぐにはその意味がわからなかった。安達兵曹は眼鏡の奥の眼を寄せ、 「岸兵曹は、特攻がこわくて仮病を使ってるといううわさがあるんですよ」 「まさか」と言いながら、高峰も、岸兵曹の何となくおずおずしていた態度に思い当った。 「あいつ、一人息子だし、早く嫁さんをもらっちまったりしたものだから」 「おいおい、そうきめてかかるのはよせ。微熱が出る以上、仕様がないじゃないか」 「微熱なんか、ちょっと細工すれば出ますよ」 「しかし、あの男が……」  岸兵曹は、飛行機乗り根性のすわっている男と思われていた。同期の中ではいちばん早く単独操縦に移ったし、配属に当っては、爆撃機より戦闘機に廻せと、分隊長に食ってかかったという話も聞いている。臆病風にとりつかれる男とは思えないのだが……。  高峰は、話を|逸《そ》らせるようにして訊いた。 「きさまたち、特攻のことはもう知っているんだな」 「もちろん知ってます。ここは航空艦隊の耳ですからね。あらゆる動きが、この耳に入ってきます」  安達は、大きくもない|耳朶《みみたぶ》をひっぱって見せた。 「なるほど」  高峰は、苦笑してうなずいた。高峰は、鹿屋の所属だが、いつもは飛行艇が浮かべてある|錦江湾《きんこうわん》の桜島に居る。このため、あらゆる情勢にうとく、安達の言うことには耳を傾ける他はない。 「今度はたいへんな任務ですね」安達兵曹は小さな眼を神経質そうにまたたかせ、「せめて、天候偵察だとよかったですのに」  特別攻撃隊の誘導には、二式大型飛行艇二機が当るが、別にコース上の天候調査のため、攻撃隊より数時間前に大艇一機が先発する。予定コースを半分近く飛んで気象状況を観測し、気象データを集めた後、引き返して来る。 「天候偵察なら、十中八九は無事帰投できます。しかし、誘導となると……」  言いよどむ先を、はじきとった。 「十中八九、だめだろうな」  図体が大きくて速度の劣る飛行艇は、敵戦闘機の|好餌《こうじ》であった。索敵飛行でも、敵を発見したときは、こちらが墜されるときだといわれる。逃げ足がおそく、敵機にすぐとらえられてしまうためである。  ウルシー泊地まで一三八〇海里、二五五〇キロの道中では、敵機と遭遇することも、敵艦船と出会うことも、十分予想された。まして、敵の根拠地であるウルシー周辺に接近すれば、敵に出会わぬはずがない。 「十中八九どころか、百中九十九死だな」  高峰は言い直したが、ふっとまた銀河隊のことを思った。 「彼等は百中百死だけど」 「一死のちがいですな」 「たいへんなちがいだ。だから……」  言いかけて、高峰はその先をのみこんだ。背をまるめるようにして遠ざかって行く岸の姿が、瞼に浮かんだ。  あの男が臆病風にとりつかれたとするなら、それはこの百中百死ということのためなのだ。もし百中九十九死なら、あの男は持ち前の飛行機乗り根性で、よろこんで志願したことであろう。  九十九死と百死のちがいの重さが、あらためて高峰の胸を打った。  いっしょに編隊を組んで飛んでいても、機と銀河二十四機との間は、目に見えぬ大きな壁で隔てられることであろう。戦友が戦友でなくなってしまうような壁で——。  |滅入《めい》ってくる気分をふり払うように、高峰は言った。 「安達、ここに辞書はないか」 「字引ですか。はてな」  安達兵曹は首をかしげながら隣りの通信科事務室へ消えたが、じきに部厚い辞書を抱えてきた。 「丹一号作戦か」  つぶやきとともに、高峰は頁を繰った。「丹」は、いい字である。「丹」という文字を見て、その意味をたしかめて、心を落着かせたかった。  丹 赤、赤い色 まごころ、赤心、丹誠  そうだ、迷うことも悩むこともない。まごころこめて、丹誠こめて、誘導の任務を全うしよう。ただそれだけを考えよう。  高峰は、ついでに「|梓《あずさ》」の文字を引いてみた。  梓 キササゲ、落葉樹 ミズメの古名。アカメガシワ、カヤなどの諸説あり  神風特別攻撃隊梓隊の隊名の由来は、むしろ、|梓弓《あずさゆみ》に在る。  梓弓 梓の木でつくった弓、丸木の弓  玉砕が予想される|四条畷《しじようなわて》の戦いに向かう楠正行が、如意輪堂の壁に書き遺した和歌、「帰らじとかねて思へば梓弓 亡き数にいる名をぞとゞむる」こそ、その由来であろう。|佳《よ》い名である。梓弓から射ち出された矢のように、飛び立つと同時に、人々は亡き数に入る。百中百死——。  爆音が迫った。  銀河が一機、下りてくる。|鵬《おおとり》のようにはった翼から、フラップが下る。冬の日が垂直尾翼の先にかかり、一瞬、機体が金の粉にまぶされた。  何事もない着陸。滑走路に吸いついてくる車輪。      二  高峰は桜島に戻ると、達筆の事務兵に|朱墨《しゆぼく》で「丹」の一字を大書させ、居住区の壁に貼った。心を空にして、その文字を見つめることに努める。  岸辺では、二式大艇三機の整備が、さかんに進められていた。八時間から十時間かかろうという長距離洋上飛行である。整備はどれほど入念に行われても、入念に過ぎるということはない。  航空艦隊司令部では、硫黄島上陸作戦を終った敵の大機動部隊がウルシーに帰投すると見こんでこの作戦を立てたのだが、その後も、トラック島を基地にする快速偵察機「彩雲」によって、刻々、索敵は続けられていた。  一日、高峰は攻撃隊・誘導隊の打ち合わせ会議のため、鹿屋に出た。  ひき合わされた攻撃隊の搭乗員には、予科練の後輩など、見知った顔がいくつもあった。  二期後輩の沼沢兵曹も、シンガポールの八五一航空隊で知り合った搭乗員である。外人の血がまじっているのではないかといわれるほど、鼻筋の通った彫りの深い顔で、瞳の色も淡い。日本人ばなれした大男の高峰と、沼沢がいっしょに歩いて行くと、「外人部隊が来た」などと、からかわれたりしたものだ。  その日は、|霙《みぞれ》まじりの冷雨の降る寒い日であった。雨垂れの音が、体の|芯《しん》に孔をうがち続けた。  夕刻、打ち合わせが終って、解散となる。半長靴の群が散りはじめる中から、高峰は沼沢を探して声をかけた。 「寒いなあ。一杯のみに行こう」 「はあ」  沼沢は気のない声で言ってから、うすい褐色の瞳で、まっすぐ高峰の眼を見た。 「折角ですが、自分らは自分らだけでのみますから」  すばやく敬礼すると、それ以上声をかける|隙《すき》を与えず、身をひるがえして走り去った。  高峰は、いきなり突き飛ばされたような気がした。  自分らは自分らだけで——何気なく言ったのだろうが、高峰としては、こだわらざるを得ない。  准士官は加えず兵曹は兵曹だけでということか。若者は若者同士の意味か。銀河の搭乗員仲間だけでということなのか。  いや、そうではない。百死は百死の仲間だけでということ、生きる人はあちらへ行きなさい、と言わんばかりである。 〈あなたといっしょにのんだところで、もう通い合う言葉はない。世界がちがうと、しらけた思いをするばかりですからね〉  そんな風に突き放された恰好であった。「丹」という文字を思い浮かべてみても、もはや慰めにも力にもならない。  高峰は、誰も居なくなった集会所の戸口に、茫然と|佇《たたず》んでいた。  自分の思い過しと考えたかったが、あの発令の日以来、地滑りはたしかにはじまっていた。  桜島の飛行艇基地においても、そうである。誘導班と天候偵察班との間に、ひび割れが走った。同じ基地で同一作戦に従事する仲間同士というのに、明らかな死の確率の開きが、二つの|班《ペア》を割って行く。対立とか憎み合いとかいうのではもちろんないが、底冷えするようなよそよそしさが生れていた。何かにつけ、誘導班は誘導班で集まり、天候偵察班は天候偵察班でかたまった。  生還の可能性のある隊員同士の間で、すでにそうである。絶対の死しかない攻撃隊員との間には、もっと大きな裂け目ができて当然であった。  がらんとした集会所の中で、高峰は両手をのばし、ほうっ、と吠えるような声を上げた。どこにも六尺近い大きな体の置きどころがない。  少し風が出て、雨は横降りになっていた。そろそろ三月の声を聞こうとするのに、この冷たさは異常であった。  特攻という異様な戦いの仕法に、天も心を凍らせて|哭《な》いているのか。  濃紺の士官用コートの襟を立てると、高峰は氷雨の中を歩き出した。泥のように酔いたい。通信科に寄り、安達が手すきならひっぱり出そうか。  そのとき高峰は、ふっと岸兵曹のことを思い出した。ここでこだわりを感ずべきなのは、むしろあの男ではないのか。  高峰は、ただ命じられて「丹」作戦の誘導をつとめるに過ぎない。求めて誘導役に廻ったわけではない。だが、岸兵曹はちがう。安達の言うことが事実なら、岸は進んで死から逃れた。  岸こそ、この地滑りにのまれている。こだわりで体が凍りついてしまっている。あの男は、どんな顔をして氷の思いに耐えているのか。その|面《つら》が見たい。  高峰は足を戻すと、司令部のはずれに在る病室に向かった。  歩くごとに体の中が熱くなってくる。頬に当る雨の冷たさも感じない。むしろ、兇暴といっていいほどの憤りが湧いてくる。それは、足場をすべてとり払われたような孤独感の裏返しであったのかも知れない。  病室には、防寒のためもあってか、すでに遮光用の暗幕が窓にひかれ、小さな電灯がともっていた。  濡れたコート姿のままいきなり踏みこんできた大男の兵曹長に、患者たちはびっくりしたように顔をふり向けた。  寝ていた者、雑誌を読んでいた者、上半身起して雑談していた者、将棋盤をはさんでいた者……。  高峰は、仁王立ちのまま見渡した。岸は奥の窓ぎわで、横になったまま、ぽかっと口をあけ、高峰を眺めていた。  黄ばんだ電灯の下でのその光景は、|猥雑《わいざつ》な感じであった。  わずかの怪我や病気で、別世界のように得々と寝そべっている。壁ひとつ向こうから特攻隊が出ようというのに、健康をそこねては仕方がないといった時代錯誤の迷妄で保護されている。  腹立ちが、また強まった。高峰は、大股に岸の枕許に歩いて行った。  少しうるんだ岸の眼に、怯えが走った。寒さか熱のせいか、鼻の頭が赤い。いや、岸はいつも鼻の頭を赤くしていた。度胸だけでなく愛嬌のある男だった。  高峰は、突っ立ったまま浴びせかけた。 「熱はどうだ」 「七度八分ありました」 「それが微熱か」 「……はい」 「人間は誰だって熱があるぞ。熱がなけりゃ、死んでいる」 「はい」 「おれが訊きたいのは、それでも病気かということなんだ」 「はあ……」 「どうだ」 「はい」 「はいではわからん」  岸に返事の仕様がないのは、わかっていた。だが、どこまでもいためつけてやりたい。 「熱は工夫ひとつで出る。醤油をのんだって出る。肌着を濡らして寝たって出る。フケ飯を食っても出る」 「兵曹長、そんな……」 「いや味に聞えるか。それなら、よそう。ただおれの言いたいのは、工夫ひとつで出る熱なら、工夫ひとつで消える。幸い、外は氷雨だ。熱さましには持って来いだ」  高峰はどなった。 「立て。おれについてこい。おれが熱を下げてやる」  来るときには、そこまで言うつもりはなかった。だが、わずかの傷病にいかにも安閑としている病室の空気が、やり切れなくなった。 〈仲間から百中百死の特攻隊が出るというのだ。しゃんとしろ。死んでもいいぐらいの気持になってみろ〉  入室者全員に気合いを入れてやりたくなった。そのためにも、この男を雨の中にひきすえ、思い切り制裁を加えてやろう。 「立て、早く立たんか」 「兵曹長、それはいけません」  声が背後からかかった。看護兵が二人立っていた。 「患者の連れ出しには、軍医長の許可がありませんと」  鹿屋ではあまり見かけぬ大男の兵曹長を、看護兵たちはいぶかしげな眼で見上げている。  顔もきかず、無理も通らない。安達兵曹を連れてくればよかったと、後悔した。  だが、撲るのが目的ではないので、高峰はあっさり撤回した。 「よし、わかった」  ここでいざこざを起して、作戦の日にさしさわりが出来ても困ると思った。  高峰は、また岸に向き直った。 「きさまらに聞かせておく。先月、三航艦で御楯隊を編制したとき、志願者が殺到し、選に漏れた者が一晩中、司令室のドアをノックして、司令は眠れなかったそうだ。もちろん、ここの梓隊でも同じだったろうが、ひとつだけ例外がある」  高峰は腰に手を当て、岸をにらみつけた。 「例外とは、きさまのことだ」 「しかし、自分は……」 「仮に病気だとしても、一日半日で命を落す症状でもあるまい。ウルシーまでは八時間で着く。それだけ|保《も》つ体力さえあれば、十分お役に立つし、また、それ以上の体力も要らない。考えようによっては、健康そのものの搭乗員より、きさまなんかの方が適任だ。進んで志願して然るべきなんだ」  無茶な言いがかりのきらいはある。だが、そこまで言わなければ、気がすまなかった。  どなっている最中、高峰はふっと自分にこんな風に咎める資格があるのだろうか、と思った。高峰は誘導班であり、潜水艦で収容される予定であり、生還の可能性がある。咎める資格があるのは、沼沢たち攻撃隊員だけである。  だが、その沼沢たちがすでに言葉を失ってしまっている。生きながらの死者、生きながらの神となって、自分たちだけの沈黙の世界に閉じこもってしまった。そうである以上は、やはり自分が代って……。 「帰ってきたら、彼等の戦死の模様をたっぷり聞かせてやる。耳を洗い、首の根洗って待っておれ」  岸は鼻を赤くし、唇を噛んでいた。  高峰は、おどしで言ったのではない。万一生還したら、死んだ隊員たちに代って、最後の最後まで岸を追い廻し、追いつめてやるつもりであった。      三  三月九日  ウルシー泊地に敵機動部隊が在泊していることが、「彩雲」の偵察により確認された。  丹一号作戦が発動される。  三月十日  午前三時。  二式大艇一機は錦江湾を離水、佐多岬より沖ノ鳥島を経てウルシーヘ向かう進路上の天候観測に出発した。  午前七時。  高峰機ら二式大艇二機は、まだ|朝靄《あさもや》の立ちこめる錦江湾を離水、ほぼ二十分後、佐多岬上空で鹿屋より発進の特別攻撃隊「銀河」二十四機と合流した。  母鳥を慕うように寄ってくる銀河の風防越しに、搭乗員が手やマフラーを振っている。  高峰は、胸の中が熱くなった。沼沢の顔も、その中にあるはずである。彼等は別世界の住人でも何でもない。ふつうの人間として、死地へ旅立って行く。  午前八時。  航空艦隊司令部は、前日「彩雲」がウルシー上空から撮影した写真の判読報告を受信した。それによると、同泊地に在泊しているのは、正規空母一隻のみと見られた。  このため、艦隊司令部は直ちに梓隊に打電、作戦計画の中止、帰投を命じた。  そのころ、誘導機の高峰たちは、すでに大東島上空に近づいていた。天候は快晴。青い空にはところどころ刷毛ではいたような巻雲があるだけで、絶好の攻撃日和であった。  だが、帰投命令とあれば、致し方ない。高峰機は翼をふると、大きく旋回し、針路を百八十度変針して、南九州へと引き返した。  銀河の大編隊もまた、おとなしく次々と旋回をはじめる。  突入が延びたことは、彼等にとって救いとなるだろうか。それとも、折角できていた覚悟のやり直しとなり、彼等を苦しめるだけのことになるのではないだろうか。  高峰は、ふたたび無性に沼沢たちとのみたくなった。惜しい若者たち。彼等の面影を、自分の胸の中だけにでも少しでも鮮明に灼きつけておきたい。  水平線上に、佐多岬と|開聞岳《かいもんだけ》、さらに霧島連山が浮かび上ってきた。  そのころ、鹿屋の航空艦隊司令部では、写真判読報告の全文を入手し、|地団駄《じだんだ》を踏んでいた。  最初に受信したのは、写真の三分の一についての報告であり、残り三分の二の写真を判読したところ、実に正規空母八隻、特設空母七隻という大艦隊の在泊が認められたからである。  だが、すでに手おくれであった。その日攻撃をやり直すことは、時間的に不可能であった。  帰投した各隊は、そのまま基地に釘づけされた。給油と整備が行われ、翌日の夜明けを待った。  高峰は、鹿屋に行きたかった。マフラーを振ってくれた搭乗員たちの手を、ひとりずつ握りしめてきたい。  その夜、錦江湾はおだやかで、波もほとんどなかった。月はなく、海も空も暗い。噴火の反映なのか、御岳の山頂附近の空だけが、わずかに赤みを帯びて明るくなっている。  やわらかな静けさがあった。冬が去り、春が音もなく来て眠っている。  三月十一日  午前三時。  闇を裂き、ふたたび天候観測の二式大艇が出発した。基地は活動をはじめる。  朝焼けの鮮かな夜明けが来た。山頂の噴煙が紅に染まっている。 「出撃準備」はかかっていたが、七時になっても出撃命令が出ず、じりじりする中に日が高くなって行った。先発している天候偵察機からの報告が思わしくないためであった。  出撃がかかったのは、前日より二時間も遅かった。  佐多岬上空で攻撃隊と合流したのは、午前九時二十分。銀河の搭乗員たちは、また風防越しに挨拶を送ってよこした。  高峰は、胸が痛んだ。  二式大艇が母鳥なら、|雛鳥《ひなどり》をかばってでも、敵に突っかかるべきである。だが、この母鳥は、自分だけ助かり、雛鳥を死地へ追いやるために連れて行く。  潜水艦が誘導班収容のために待機しているという話を攻撃隊員たちが知っているかどうか、気になった。いつかの沼沢の口ぶりを思うと、先刻承知のようにも思える。そう考えると、居たたまらなくなる。彼等に応えて手を振る気力もない。  機内は静かであった。四基のエンジンの同調する爆音だけが聞える。  静けさには、重苦しさがこもっていた。高峰の苦しみは、|班《ペア》の誰もの苦しみのようでもあった。  飛行艇は運命を運ぶ。  敵目標へ案内し、玉砕を予想される戦場へ運び、ときには死地から救出する。  いつも、黙々と運ぶ。悲しみを運ぶ。苦しみを運ぶ。  運ぶことそのことが苦しみでもあるが、同時に他人の運命を抱えて通るようなところがある。誘導し運搬し同行するが、同調はできない。ひとり、すっぽぬけてしまう。運命共同体というものが持てない。  飛行艇は、いつも孤独である。  十人の|班《ペア》ではいても、機そのものとしては孤独である。孤独な大男である。重い大きな図体には、孤独の涙がいっぱいたまっている。      四  人なみはずれた大男である高峰は、予科練時代から「飛行艇向き」と仲間にからかわれていた。  乙種予科練二年半に続き飛練半年の過程を終ろうとするとき、配属先が発表されたが、行先はやはり飛行艇操縦員であった。  高峰は、がっかりした。  同じ水上機でも二座(偵察機・戦闘機など)希望であった。飛行艇では空中戦はできないし、華々しさがない。任務も地味である。海の上をぐるぐる廻って敵潜水艦を探すなどということは真平御免であった。 「二座は体力の消耗がはげしい。おれは自分の子なら飛行艇へやるぞ」  と分隊長に諭されても、承服できない。  飛行艇は操縦・航法とも複雑で、適性検査がきびしい。計器飛行テストではわざと無茶な飛び方をやったのだが、やはり行先は飛行艇隊であった。  まず横須賀航空隊実験部にやられた。ベテラン・パイロットの巣である。そこで|副《サ》操縦|士《ブ》の|副《サブ》としてデータ書きからはじめて、みっちり鍛えられた。  ついで、高雄、さらにシンガポール。八五一航空隊では最年少であったが、鍛えられた技倆が役に立って、すぐ|正操《メイ》縦|士《ン》に。  だが、一年半経ってみると、最年少のはずが最古参になっていた。次から次へと飛行艇が墜されてしまったためである。  扇状に索敵範囲を分担して、朝、それぞれの方向に五機が飛び立つ。夕方までに二機しか帰って来ないこともあれば、全機戻って来ないこともある。  飛行艇は、死ぬときまで孤独であった。孤独な大男の死を見届ける味方は居ない。飛び立ったまま帰って来ない、というだけのことである。  視界が少し暗くなった。薄い墨色の雲が、前方から流れ寄ってくる。  すでに大東島上空を過ぎ、編隊は海と空以外何ひとつ見えるものとてない太平洋の上を、ひたすら南々東に飛び続けていた。  高峰の背後では、偵察員の小早川兵曹が眼をつり上げて海図ととり組んでいた。  編隊の目的地はヤップ島である。ウルシーはヤップの真東四十キロであり、誘導の任務はヤップで終る。だが、そのヤップたるや、|渺 々《びようびよう》たる一点の小島であり、八時間から十時間飛び続けた果てに、果してその小島にめぐり会えるかどうか、すべて航法計算ひとつにかかっていた。  風向・風速などすべて計算し、絶えず針路を修正しながら飛ぶ。角度を一度ちがえても、ヤップには着かなくなる。二十四機全機を空しく海にはたき落すことになる。責任は重大であり、熟練した高度の航法が必要であった。  そのためにこそ、二式大艇が二機、誘導隊として案内役に立っている。二機で誤りを正し合い、|完璧《かんぺき》な航路をとろうというのだが、そのかんじんの別の一機が、エンジンの調子が悪いらしく、編隊よりかなり遅れていた。母鳥は一羽で先に飛ばねばならない。  ふいに機体ががぶった。  尾部の方で大きな音がした。油断していた誰かがひっくり返ったらしい。 「後席、大丈夫か」  伝声管から、すぐ声が返ってきた。 「は、大丈夫です。申訳ありません」  尻をさすっている様子が眼に見えるようである。操縦席のまわりに、久しぶりに笑いが散った。  二式大艇に先立つ九七式飛行艇は、重量一七トン。翼が広く、傘をさして飛んでいるような感じの安定の良い飛行艇であった。  これに比べ、二式はさらに七・五トンも重い。重量が増したのだから艇幅が広くなるべきなのに、飛行性能をよくするため、逆に〇・三メートルもせばめている。このため、水上安定性が犠牲にされた。速力・航続距離などは飛行艇としては出色のものであったが、離着水だけは日本一難しい飛行機といわれた。  ポーポイズとは、この離着水時における上下振動である。  飛行艇は、ふつう五度の|上げ角《アツプ》で水に浮いているが、エンジンがかかると機首が持ち上り、ついで機の重みでぐんと下り、さらに反作用でまた持ち上る。波があれば、そこへもう一つ上下動が加わって、ポーポイズがはげしくなる。  その上下を昇降舵を操作してカバーするのだが、舵のききに遅れがある。二四・五トンの重さの物の惰性を止めるのだから、容易なことではない。完全に揚力がつくまでの間、そのポーポイズをたくみにのりこなさないと、海中に頭を突っこんだり、ひっくり返ったりする。  二式大艇のポーポイズ事故による犠牲者は、後を絶たなかった。搭乗員仲間にもポーポイズ恐怖症がひろがり、歴戦の戦闘機乗りなどでも、二式大艇で輸送されるとなると、空に上るまで蒼い顔をしていた——。  機は、しきりにがぶった。  高峰としては、雲中飛行にも自信がある。敵戦闘機に追われたときなどは、雲の中に逃げこむことにしていた。悪気流にはげしくゆさぶられるが、気流に逆らわず、ただ左右のぶれを修整するだけで、操縦桿を手の中で遊ばせ、あやすようにして機を操って行く。  敵機はたいてい攻撃を諦めて去って行くが、なお追ってくるのがあれば、雲の中で一廻りして敵機を先へやり、背後から機銃弾を浴びせかけた。ポーポイズとの戦いに比べれば、雲中飛行にはまだ余裕があった。  だが、いまは銀河二十四機を誘導する身である。無理な飛行は避けるべきであった。  先発の天候偵察機からは、その辺一帯にかなり大きな低気圧のかたまりがあることを知らせてきていた。雲は厚く、雲高も高い。  編隊は高度四千五百で飛んでいたが、雲は見上げる視野いっぱいにのびている。雲から出るには、七、八千の高度が要るかも知れない。八百キロ爆弾を抱いた銀河をそこまで引き上げては、さまざまの支障が出てくる。  高峰は、眼下を見た。  ところどころ雲の裂け目があり、海面が透けて見える。むしろ低空に逃げた方がよい。  高峰はスロットル・レバーをしぼるとともに、下げ舵をとった。銀河の編隊も、続いて高度を下げてくる。  高度三千から二千五百。  雲が薄くなり、海面が青黒く盛り上ってきた。  だが、機体はまだゆれ続ける。悪気流から脱け切っていない。  さらに高度を下げた。千メートルを割っても、なお降下を続ける。  敵艦船のレーダーによる捕捉を避けるためにも、敵機の不意打ちをかわすためにも、中途半端な高さより、思い切って超低空に下りてしまった方がよい。 「機長、どこまで下りるのですか」  小早川が角ばった顔を上げ、不安そうに高峰を見た。 「安心しろ。ポーポイズまでやるつもりはない」  |副《サ》操縦|士《ブ》たちは笑ったが、顔は緊張している。  冗談こそ言ったが、高峰の心もはりつめていた。  問題は一機の運命ではない。覚悟をきめた二十四機の彼等のために、せめて安全にその道を案内してやらねばならぬ。  高峰は、刻々ふくれ上る水面と高度計をにらんだ。  高度計は絶対のものではない。かつて高峰は高度計を信頼したために墜落し、危うく命を失うところであった。  半年ほど前、四国の|詫間《たくま》基地に居るときのことであった。  夕方飛び立って、夜間の対潜哨戒に出た。翌朝は明るくなって下りる予定であったが、夜明けより一時間早く基地上空に帰りついた。  旋回して明るくなるのを待っていればよかったが魔がさした。  実験部以来、腕におぼえがある。夜間着水訓練も、しっかりたたきこまれている。二式大艇は離着水そのものがもともと難しいので、そのころには夜間着水をこなせる技術者はほとんど居なくなっていた。ひとつ腕前のほどを見せてやれと思った。  夜間着水といっても、月のあるときや白い波頭の立っているときは、まだいい。少し空が明るみはじめるような時刻は、海がかえって暗く見え、いちばん危険であった。その危険を承知で下りることにした。  高度計の針は、ぐんぐん下った。一〇〇、九〇、八〇……。  七〇メートルに下ったところで、機首を立て直した。 「着水態勢に入る!」  |副《サ》操縦|士《ブ》に叫んだ。そのとたん、機はもんどり打って、海に突っこんだ。目に見えぬ巨人にいきなり翼端をつかまれ、ひっくり返された感じであった。  気がついたときには、高峰は水の中に居た。機体が割れて、海に投げ出されていたのだ。機は海に逆立ちになって、燃えていた。  夜明けの光が射してきた。  廻りを見ると、搭乗員が救命胴衣姿で浮いていた。五人まで数えた。他の乗員の姿はない。海にのまれたか、機内で命を失ったのか。  波に血が漂っていた。高峰は、手も足も顔も、傷だらけであった。 「機長、泳ぎましょう」  五人の呼び声に、高峰は首を横に振った。搭乗員の半分を亡くしている。責任をとって、そこに残ろうと思った。機長というより、沈没した軍艦の艦長の気持であった。  島のある方向を教えてやり、やがて五人はゆっくり泳ぎ去った。  高峰は汐に流され、秋の冷たい海水の中を漂い続ける中、また気を失った。  何時間か経った。何かのはずみで眼をさますと、すぐ先に漁船があった。 「おうい、生きてるぞ」  漁船の上で叫び声が上った。  土左衛門は縁起でもない。漁師たちは高峰が死んでいると見て、そのままやり過そうとしていた。その土左衛門がいきなり舟の方に向き眼を開いたので、びっくりしたのであった。  生きているとわかれば、漁師は親切であった。  最寄りの志々島の浜に上げられた。いきなり火に当てては危険である。人肌で徐々にあたためるがよいというのが、漁師たちの智慧であった。  処女会の娘たちが呼び集められたが、さすがに二の足を踏む。若い妻女が二人、素裸になり、感覚を失っている高峰の体を交互に抱いてあたためた。  五人は基地からの救助艇に拾われ、残りの搭乗員も全員救出されていた。  失敗の原因は、高度計にあった。離水したときと帰投したときに気圧にかなりの変化があり、このため気圧高度計は正確な高度を示さなかったのである——。  高峰機は、百メートルまで下りて、水平飛行に移った。銀河隊が後に従う。  悪気流の影響もなく、仮に多少がぶっても、波のかかる高さでもない。一団となって、静穏な飛行を続けた。遠くからは、飛魚の群の|飛翔《ひしよう》にも見える風景であろう。  ちょうどこのころ、その雲の上八千メートルの高々度を、天候偵察の二式大艇が折り返し内地へ向かって飛んでいた。      五  |小《こ》一時間の超低空飛行の後、ようやく雲が晴れた。  しだいに高度を上げ、四千五百メートルに戻ったところで、高峰は操縦桿を|副《サ》操縦|士《ブ》に渡し、昼食をとることにした。  弁当を開けると、眼をみはるほどの御馳走がつまっていた。赤飯に甘鯛・海老・とんかつ・玉子焼・りんご・パイナップル……。 「すごいな、すごいじゃありませんか。主計科の|大振舞《おおぶるまい》だ」  小早川もはずんだ声で言ってから、急にふさぎこんだ。何のための御馳走なのか。その意味を考えたのだ。  丹一号作戦は、戦局の一大転換をはかるような壮挙である。その壮挙を祝してということだろうが、一方には、もう二度と帰ることのない搭乗員のための最後の御馳走という心くばりがある。特別攻撃隊員にそうした御馳走が用意されるのは当然だが、飛行艇基地でもそれにならって御馳走をつくった。主計科員たちには、百中百死も百中九十九死も同じように映ったのかも知れぬ。  しかし、自分たちには潜水艦が待っていてくれる。まぎれもない最後の食事をとる彼等と、同じ御馳走を食べてよいものなのだろうか。  そんな風に考え出すと、折角の御馳走もにわかに味がわからなくなった。  静かな機内に、四基のエンジンのうなりだけが聞える。  高峰は、|班《ペア》の気分をひき立たせるように言った。 「みんな成功を祈ってくれてるんだ。元気をつけて、がんばろう」 「はあい」  搭乗員たちは、口々に答えた。  桜色の鯛に箸を立てながら、高峰は「丹」という文字を思い浮かべた。赤、赤い色、まごころ、赤心、丹誠。  任務こそちがえ、みんな一丸となって、この丹一号作戦の成功に赤心を捧げている。主計科もまた、丹誠をこめてくれたのだ。この作戦の成功しないはずはない。  そのとき、最前部の銃座から見張員の叫びが聞えた。 「機長、右前方水平線上に敵!」  高峰は弁当を投げすてると、双眼鏡をとった。水平線を探る。  ぽつんと船影が見えた。一隻だけではない。もちろん、この水域に友軍の艦船の居るはずはない。  ブザーを鳴らすとともに、高峰は操縦桿をとった。 「小早川、変針するぞ」  高度を上げ、同時に左へ機首をふり向けた。  相手が軍艦にせよ輸送船にせよ、発見されてはまずい。日本の爆撃機の大編隊を見つけたとなれば、敵はたちまち南太平洋上一円に迎撃網をめぐらすであろう。直掩戦闘機を持たぬ攻撃隊は、空しく袋だたきに遭うばかりとなる。奇襲攻撃は不可能になる。  二式大艇が二機なら、高峰機はわざとそのまま直進コースをとって、敵艦船に接近し、|囮《おとり》となって交戦することで敵の眼をくらまし、その間に攻撃隊を避退させるということもできる。だが、エンジン故障なのか、もう一機の二式大艇は、すでに視野から消えていた。  攻撃隊を路頭に迷わせないためにも、母鳥としては雛鳥を連れて逃げ廻らねばならない。  高峰機が大きく左へ変針したのに続いて、銀河の編隊もバンクをとりながら、忠実に左へ|迂回《うかい》をはじめた。  はりつめた時間が流れた。  敵の船影はふたたび小さくなり、やがて双眼鏡でもとらえられなくなった。そのあたりはすでに完全に敵の制圧下に在るため、敵船が直掩機もつけずに航行していたのが幸いした。  ただ敵艦船から水上偵察機が射出されてくる可能性もあるので、最後まで眼は放せない。  昼下り、南の海の色はあたたかく、空も|群青色《ぐんじよういろ》に染め上げられていた。  十分に安全を見越して迂回飛行を続けた後、高峰は針路を旧へ戻した。  このとき、連合艦隊司令長官からの電報が入った。 「コウコクノコウハイ、コノイッ……」  長官|直々《じきじき》の激励電報であった。長駆して敵大艦隊泊地への突入を図るのである。「皇国の興廃」という言葉には、誇張でないひびきが感じられた。  高峰は、電文を|班《ペア》の全員に回覧させた。  銀河のそれぞれの機内でも、神風鉢巻を締めた特攻隊員たちが、頬を熱くし同じ電文を読んでいることであろう。その若者たちの様子を思い浮かべると、高峰はまた新しい昂奮を感じた。  その後は、敵機にも艦船にも遭うことなく、順調な飛行が続いた。  この水域への飛行は、もちろんはじめてではない。  詫間沖での事故の傷が癒えてしばらく後、「彩雲」の増槽タンクを輸送するため、高峰は二式大艇でトラックヘ飛んだ。(ウルシーの敵艦隊を発見した「彩雲」も、高峰機の運んだ増槽タンクをつけて行ったのかも知れぬ。その意味でも因縁があった)  すでにサイパンも玉砕した昭和十九年も末のことであり、決死の飛行といえた。  夕方、横浜|本牧沖《ほんもくおき》を発ち、翌朝八時半にトラック島に到着する予定であったが、その時刻を過ぎても島影ひとつ見えない。その二式大艇は、不完全なものながらレーダーを装備していた。反射波が出たというので、その方向に飛んでみた。  輸送船をふくむ艦隊が居た。トラックに近いので味方だと思った。ソラソラソラと発光信号を出すと、向こうも発光信号を返してきた。  艦隊の真中へ下り、翼をふりながら高度を百メートルまで下げて、軍艦の色も形も見馴れないのに気づいた。  巡洋艦の上では、水兵があわてて、|艙口《ハツチ》ヘとびこみ、高角砲や三連装の主砲がいっせいにこっちへ向いてくる。敵であった。巡洋艦二、駆逐艦五、輸送船十。  敵もまさか日本機が現われるとは考えず、よく似た形のPBY飛行艇と思いこんでいたらしい。日の丸に気づいて、あわてて戦闘配備についた恰好であった。  砲口が一斉に火を吐いた。轟音で鼓膜が裂けそうであった。  高峰機は、水面すれすれに下りた。追ってくる高角砲弾が水にはねる。猛烈な|炸裂音《さくれつおん》とともに、主砲からの砲弾が前方に高い水柱を上げる。曳痕弾は高峰機の前へと飛んだ。燃料欠乏のためスピードが二百キロ以下に落ちており、その低速にかえって救われた形であった。 「ワレ、テキハッケン……」  高峰機は敵艦隊の所在を詳しく打電しながら、ようやくトラック島へたどりついた。着水したときには、燃料は完全にゼロ。スイッチ・オフしない中に、エンジンは止まってしまった。  トラック島基地の艦上攻撃機やゼロ戦などが、直ちに発進した。そして、敵艦船六隻撃沈という戦果を上げた。この結果、索敵の正確さということで、高峰機は思いもかけぬ感状をもらった。  高峰たちの飛行艇隊には、十九の|班《ペア》があった。今度の作戦に当って、その中から高峰の|班《ペア》が選ばれたというのも、高峰の技倆の他に、あるいはそうした皮肉な索敵の成果を買われたためかも知れない。それとも縁起を|担《かつ》がれたのか。  とにかくいまとなっては、ただひたむきにウルシー泊地へ行きつきたかった。      六  スコールが来た。  雲上に出て避ける他はない。高度を六千にまで上げ、白い雲海の上を約半時間飛んだ。  日がしだいに西に移っていた。  高峰は焦りを感じた。ウルシーの日没は、午後六時五十二分である。暗くなっては攻撃目標を見失う。  迂回したり雲を避けて飛んだりしたため、よけいに時間をくっていた。その上、朝の二時間の出発の遅れが手痛い。だが、嘆いていてもはじまらない。  高峰は、巡航速度以上に速力を上げることにした。思いきってレバーを全開、エンジンをフル回転にする。スピードを二式大艇の最高速度である四五〇キロ近くまで上げた。  猛烈な爆音に、機体が共鳴りしはじめる。搭乗整備員が心配そうに顔を出したが、高峰はとり合わず、エンジンをふかし続けた。  無理は承知である。とにかく日没に間に合わせねばならぬ。たとえ飛行艇を乗りつぶすことになろうと、賭ける他はない。  日は急速に傾いていた。せめて、後一時間、柿色の落日をつなぎとめておきたい。  搭乗整備員が怒った顔で寄ってきた。 「機長、赤ブーストですよ」 「わかってる」  オーバー・ブーストの状態は、承知の上であった。  計器盤には、油圧計などに次々と赤ランプがつきはじめる。それ以上ふかしてはならぬのだが、高峰は構わずレバーを全開にした。  空も海も、藤色に|昏《く》れはじめていた。エンジンから青白い排気炎にまじって、赤い火がちらつく。爆音が少しずつおかしくなってきていた。  だが、高峰はフル回転を変えなかった。たとえ火の玉になっても、明るい中にヤップ島へ行きつきたい。銀河隊はその火の玉を後にしてウルシー泊地へ突進すればよい。  航法は正確であった。  遂に、はるか水平線上にヤップ島が見えた。午後六時三十分。高峰は翼を振って特別攻撃隊に合図した。  銀河の編隊がスピードを上げ、距離をちぢめて二式大艇の大きな翼の下方に集まってきた。編隊長機の風防の向こうで、隊長がガラス壜のようなものをさし上げている。その|仕種《しぐさ》の意味に気づいて、高峰はあわてて|副《サ》操縦|士《ブ》に言った。 「おい、サイダーを」  サイダーが別れの水盃であった。  右下でも、左下でも、銀河の隊員たちがサイダー壜を上げ、別れを告げてくる。  高峰は力いっぱいサイダー壜をにぎりしめ、下唇を噛んだ。      七  ウルシーは、ヤップ島の真東四十キロである。特別攻撃隊は一丸となって左へ大きく旋回し、みるみる藤色のとばりの中へのみこまれて行った。  高峰機の誘導の任務は終った。なぜ彼等だけ行かせねばならぬのか、自分も死にたい、と思った。だが、図体の大きな飛行艇が割りこんでは、かえって作戦の妨げになる。  高峰は気をとり直し、声を励まして言った。 「前席、潜水艦は見えぬか。後席はどうか」  約束のヤップ西方一海里の海上である。 「見えません」の答が返ってきた。  ふいに機体が前にのめるようにゆれた。  窓の外を見ると、右のプロペラの一つが止まっている。十字に組まれた四枚の羽が、はっきり見える。シリンダーが破裂してしまったのであろう。  悪い事故である。エンジン一つ分の推力が落ちるだけでなく、プロペラが空転せず焼きついて止まっているため空気抵抗が増し、他のエンジンにさらに負担がかかる。  旋回し高度をかなり下げたが、潜水艦らしいものの姿はない。もはや、メレヨン島へたどり着く他はない。  無電でメレヨンの基地を呼んだ。しばらくして応答があった。 「ワレ メレヨン キタレ」  それから二十分ほど後、高峰は重い機体を操り、ようやくメレヨン島沿岸に着水した。  だが、暗い島からは一向に反応がない。発煙信号を上げ、大声で呼んでいる中、ようやくカヌーが迎えに来て上陸した。  痩せて髯と眼だけになった守備隊長が、当惑したように高峰たちを出迎えた。内地からは何の連絡も受けていないという。内地の基地とは交信杜絶の状態で、そのころ使われていた新しい暗号書の備えもなかった。  高峰たちは|唖然《あぜん》とした。「ワレ メレヨン キタレ」の電信は何であったのか。  メレヨン島は、孤立した飢餓の島であった。うすい|芋粥《いもがゆ》ばかりすすって命をつないだ。|班《ペア》全員が栄養失調にかかった。  潜水艦で脱出し内地に戻ったのは、三カ月後であった。その間に南九州の基地の状況は一変していた。沖縄戦がはじまり、そして、終っていた。  二式大艇部隊は沖縄水域へ索敵に出て次々に撃墜され、十九|班《ペア》居たものが、わずか三|班《ペア》残るだけという有様であった。高峰たちに先立ってウルシーヘの航路を半ばまで飛び無事に内地へ引き返して行った天候偵察隊の|班《ペア》もまた、沖縄水域へ出て消えていた。  健康が回復すると、高峰は鹿屋へ行った。滑走路にも兵舎にも、いたるところ銃爆撃の跡があった。飛行機の数もめっきり減り、ほとんどが|掩体壕《えんたいごう》へ格納されていた。  通信科の安達兵曹は、高峰の顔を見るなり言った。 「あいつ、死にましたよ」  鼻に手をやって岸兵曹の顔をつくり、 「あれほど逃げてたのに、よほど運が悪い男です。夜、道を歩いていて、B29が落した焼夷弾の直撃を受けたのです。小さな筒があいつを狙い撃ちするように一万メートルもの夜空から降ってきたのです」  高峰は声も出ず、ただうなずいた。百中九十九死だった自分がこうして帰り、死を避けたはずの男が——。  安達兵曹が、じっと高峰の顔を見つめた。そのあげく、安達は思いもかけぬ秘密を打ち明けた。  ヤップ島の先であえいでいた高峰機に、「ワレ メレヨン キタレ」の無電を打ったのは、他ならぬ安達だというのだ。  攻撃当日、電信室には参謀が詰めきり、その指示で打ったのだという。  ヤップ島沖に潜水艦を待機させたというのも嘘で、そのための何の手配もとられていなかった。  なぜ、そうした嘘を——。  気やすめのためと言われても許せない。誘導さえ終えてしまえば、後はどうでもよいということだったのか。二十四機が死に向かって突っこんで行くときである。飛行艇の連中のことなど構って居れるものかと。  だが、それならそれで、なぜはじめから率直に事情を打ち明けてくれなかったのだ。高峰たちにはまだ覚悟の持ちようがあった。甘やかすつもりだったのか、なめていたのか。あのときの高峰たちの潜水艦収容へのこだわりをどうしてくれるのか。  高峰は怒りで体がふるえ出しそうであった。だが、問いつめようにも、当の参謀はすでに大本営へ転出した後であった。  その後、高峰の生活は荒れた。ひとり長髪をのばし、酒をのみ、しばしば上官に反抗した。      八  終戦を高峰は能登半島の七尾湾で迎えた。そのとき残存する二式大艇は三機。  実家のある横浜へ帰ったが、アメリカ軍が進駐してくると聞いて、居たたまれなくなった。  サイダーで乾杯し、あの戦友たちが命をすてて突っこんで行った敵。その敵が|驕《おご》りたかぶってやってくるのを、黙って見ては居れなかった。アメリカ兵と同じ世界に住みたくない。  高峰は、アメリカ軍の来ない土地を探した。まず佐渡に眼をつけたが、そこにも米軍の通信隊が来るという。アメリカ人を見ずにすむところ——思い当ったのが、隠岐島であった。  高峰はわずかの復員手当を|懐《ふところ》に、偵察員だった小早川といっしょに隠岐島へ渡った。島の人にたのみ、畑仕事や磯の作業を手伝わせてもらって細々と暮らした。  風と汐。その中で、高峰は死んだ仲間たちのことだけを思い続けた。  一年居て小早川は単調さに耐えきれず、島を去った。高峰はその後三年島に居た。ようやく心の整理がついた。  横浜に戻った高峰は、島で馴染んだのが縁で海産物を商うことにした。算盤もろくに使えぬ無口な大男の店だが、それでもいつか顧客がついた。  警察予備隊—自衛隊が出来、航空部隊がよみがえった。高峰も誘われたが、断わった。  空への懐かしさはある。だが、アメリカ人のにおいに満ちたアメリカ製飛行機など乗りたくはない。アメリカの指揮下でアメリカ兵の真似をするのは、まっぴらであった。  高峰の心をいつまでもとらえているのは、死んだ攻撃隊員たちの幻である。  高峰は自分が生きているのではなく、生かされているという気がする。目に見えぬ運命の手が、人間を大きな器の中に入れたり出したりする。その偶然で生かされている。  たまたま生かされている自分は、もはや人生に多くの期待はしない。ただ特攻隊員の幻を守って生きよう。  高峰は、妻を迎えるに当って言い聞かせた。 「おれの手で慰霊祭をやらねば気がすまない。その費用が貯まるまで、万事、辛抱してくれ」  暮らしをきりつめ、扇風機ひとつ買わさずに過した。ウルシー特攻の十三回忌にはまだ金ができなかった。十七回忌の年になり、ようやく念願の額に達した。死の誘導をした五十三柱の遺族を全国から招き、鶴見の総持寺で法要を営んだ。  その席へ、高峰は遺族以外の一人の人物を参列させるつもりでいた。  それまでに、高峰は丹一号作戦の関係者を探してこつこつ歩き廻り、とうとう奈良の山村に隠棲している参謀を探し出した。  参謀は高峰に詫びたが、詫びてほしいのは死んだ攻撃隊員たちに対してである。  高峰機があれほどけんめいに誘導したのに、攻撃はやはり時間的に間に合わなかった。梓隊は闇のため、うまく目標をとらえることができず、わずかに特設空母一に損害を与えたにとどまった。  二時間の出発の遅れが致命的であった。その辺の判断の軽率さにも問題があったが、作戦自体が本来、無理なものではなかったのか。  丹一号作戦の一カ月前、硫黄島沖へ殺到した第三航空艦隊の第二御楯隊は、撃沈—空母一、輸送船四、撃破—戦艦四という大きな戦果を上げた。  これに対し第五航空艦隊は、硫黄島からはるか南へ引き上げたその同じ艦隊を、直線でも二千五百キロという遠距離にわたって特別攻撃隊に追わせた。そこには、第三航空艦隊への対抗意識がなかっただろうか。  すでに整備資材・人員ともに不足し、航空機が仕様通りの性能を上げ得ない状態であった。このため、銀河二十四機の中、その半数がウルシーまで到着できず、途中の海に落ちていた。  しかも五航艦ではこの失敗にもこりず、高峰がメレヨンに居た五月五日に「丹」二号作戦を決行、ふたたび銀河二十四機をウルシーめがけて発進させた。途中、天候不良となり引き返しを命じたが、このときも半数が基地に戻ることができなかった。  戦争は、所詮、無駄で無残な消耗の集積といわれても、慰めにはならない——。  参謀は一度は出席を約束したが、当日近くなって病気を理由に断わってきた。  法要はすんだが、その後も大男の高峰は、相変らず幻にとりつかれている。生業は生業として、遺族を訪ねるのが唯一の生きている理由だと考える。  そうしたことが戦友仲間に知れ、幻の番人にもさせられた。土浦の予科練跡に戦没者慰霊碑が立ったが、その保存会の事務長を押しつけられた。  保存会会長は、予科練創設にも参画した元海軍中将の老人である。昔の飛行艇の操縦士上りだが、温厚で小柄な老人である。戦争中も不遇だったが、戦後はさらに地味に生きてきた人だ。  小柄な老会長に従って、高峰は弔いに歩く。高峰は、その老人と居ると、二人のところにだけ昔の日だまりができているのを感ずる。  大男の高峰は、腰を屈めるようにして「閣下」と呼ぶ。「閣下」としか呼べない自分を感じ、そう呼ぶことで、幻に生きている自分をたしかめる。街の中でも、電車の中でも、「閣下」と呼ぶ。老人はもうあきらめているが、まわりではいつもけげんな顔をされる。  二式大艇が一機、アメリカのノーフォーク海軍基地に保存されているという話を、老人に聞いた。日本へ輸送するには八千万円かかるという。  だが、高峰は、もうそれほど二式大艇の幻を追う気はない。攻撃隊員の幻を守るだけで、自分の人生は精いっぱいである。  かつて自分を助けてくれた志々島の漁師、そして裸身で抱いてあたためてくれた、いまは孫もあるおかみさんを、東京見物に招待もした。  従業員は十人。海産物問屋である高峰の店の中には、汐のにおいが満ちている。それは、いつも遠い南の海のにおいを思い起させる。  店の二階からは、かつて二式大艇が発着した横浜港の水面が光って見える。その先はるか|雲烟万里《うんえんばんり》の彼方に、ウルシーがある。  横浜とはいっても、そのあたりアメリカ人の姿をめったに見ることのないのが、救いでもあった。 [#改ページ]   生きている化石

      一式戦闘機「隼」二型      発動機空冷一一三〇馬力、全備重量二六四二kg、最大速度時速五一五キロ、実用上昇限度一〇五〇〇メートル、航続距離一一〇〇キロ、機銃一二・七ミリ二、乗員一       一式双発高等練習機(キ五四)      発動機空冷五一五馬力二基、全備重量三八九七kg、最大速度時速三七六キロ、実用上昇限度七一八〇メートル、航続距離九六〇キロ、爆弾二五〇kg二、乗員五乃至九      一  その日の若桜会は、二度にわたって劇的な感動にとらえられた。  若桜会とは、太平洋戦争中、マレー・仏印などで活躍したある飛行戦隊の中での少年飛行兵仲間で結成した戦友会である。  かつて十七、八歳、いわば「花も蕾の若桜」であった彼等も、いまは四十を少し過ぎ、早婚の者はすでに高校に通う子供を持っている。かつての彼等の同年代の子供を持つというわけで、その年輩の父親にふさわしく、腹のせり出した者もあれば、白髪のまじりはじめた者や天頂の薄くなった者もある。晩婚のせいで、一人っ子がまだ幼稚園に通っている小畑などは、むしろ例外的に若く見える父親の部類に属した。  その日の第九回若桜会は、伊豆まで遠出して行われた。宇佐美の町はずれの墓地に、戦死した同期生上野伍長の|墓詣《はかまい》りをするためである。  墓地は、蜜柑畠の色濃い緑の奥、夏蜜柑が黄色にうれている丘陵の|一劃《いつかく》に在った。眼の前には、初島を浮かばせた伊豆の海が、あざやかな藍色に静まり返っていた。 〈陸軍航空軍曹・上野正道之墓〉は、小さな玉垣をめぐらした|黒御影石《くろみかげいし》のりっぱなものであった。  豊かでもなかったはずの上野の家がそうしたみごとな墓を建てたのは、上野の死を何よりいとおしみ、また誇りとも思った強い気持のあらわれのせいであろう。  墓参が予告してあったとはいえ、墓はきれいに清掃され、水が打たれ、花筒いっぱいの花が供えられていた。そして、やや腰の曲った上野の老父ひとりが、墓地の端の大きな桜の木の下で、一行の到着を待ちわびていた。墓の手入れも、その老父が早くから来てやっていたようであった。  参集した同期生二十八人は、花束を供え、線香を|焚《た》いて、次々に墓前にぬかずいた。  一通り墓参が終ったところで、上野の老父が挨拶した。腰をしゃんとのばすようにし、自らの声を励まして、 「本日ははるばる御遠路を息子正道のために……」  何度も口の中でくり返してみた文句であろうが、それでも何かとぎれとぎれで、聞くのが辛かった。 「……息子の壮烈な戦死は、わたしども残った者の気持をふるい立たせ……」  小畑は、老人の顔を見て居れなくなった。ふつうなら、あのとき、上野ではなく小畑が死んでいるはずであった。  終戦直前のことであった。小畑たちは、プノンペンに居た。すでに戦争終結をめぐる怪しいうわさが流れてはいたが、小畑たちの誰もが信じなかった。飛行戦隊は健在であり、基地附近の形勢に何ひとつ敗色を示すものはなかった。  そうした中で、上野たちの一式双発高等練習機が、輸送任務のため、コタバルヘ飛行することになった。  キ五四・一式高等練習機は、航法・射撃・爆撃・通信などの高等機上作業練習機として開発されたものだが、ダグラス旅客機を小型にちぢめたような外観で、巡航性能もよく、引込脚や可変ピッチプロペラなど、機構もかなり新しかった。  このため、練習機としてだけでなく、偵察や兵員輸送・対潜哨戒などに第一線の実用機として活躍、終戦までに一三四二機もつくられたといわれる機種である。  空冷五一五馬力エンジン二基を備えているが、この日、上野機は出発直前のエンジン・テストで右エンジンが不調とわかり、上野たちは機から下りて、小畑たちの飛行機に乗りかえ、飛び立って行った。ふつう、飛行機が変れば乗組のチームも変るはずなのに、彼等は強引に飛行機だけ借用して飛んで行ったのだ。  白く灼ける空に小さくなって行く機影を見送りながら、小畑は「あン畜生」と、上野たちをうらんだ。  ところが、その飛行機が引込脚に故障を起し、コタバルで胴体着陸に失敗。大破炎上して上野たち乗員三名が殉職した。「壮烈な戦死」というより、不運で不本意としか言いようのない死であった。もともと飛行機乗りとは、いつもその種の死の波間に漂って生きているようなものなのだが——。  老人の挨拶は終った。  一行は、そこから|熱川《あたがわ》へ足をのばして会合を開く予定であったが、さすがそのままその場を立ち去りかねた。 「上野のために軍歌をうたおう」幹事の辻が提案した。「まず、同期の桜」  墓碑を背にし、「一、二、三」と、指揮をとる。  頭髪も服装もまちまちだが、軍歌となると、ふしぎに二十八人の声が揃った。やや哀愁を帯びた歌声は、墓地から蜜柑畠へと溢れ、目に見えぬ尾をひきながら、明るい伊豆の空へ上って行く。  歌っている中、小畑の胸は濡れてきた。二十五年前といまとの間の長い人生の時間がすべて吹き消え、戦いのときと、いま生き残って歌っている幻のようなときとがあるばかりになった。  横向きに立っている老人の|皺《しわ》の深い眼の縁に涙が光り、やがて透明な尾をひいて|削《そ》げた頬を走った。 「つぎ、加藤|隼《はやぶさ》戦闘隊の歌!」  辻が両足を踏んばり、また手をふり上げた。   エンジンの音轟々と   隼は|征《ゆ》く 雲の果て   翼に輝く日の丸を……  伊豆の空は藤色に澄んで、爆音ひとつ聞えない。だが、その空に、小畑は銀翼をつんとはってとぶスマートな隼を見、軽快なエンジンのうなりを聞いた気がした。  小畑もまた眼もとが熱くなってきた。〈何を軍歌ぐらいのことで〉と思ってみたのだが、眼の縁に涙が浸み出てくるのをどうしようもない。  |拳《こぶし》をにぎりしめ、歌声に力をこめた。その歌の中にだけ人生が在る気がし、子供に帰ったように声はり上げて歌う。青春がフルに花開き、生命が燃焼しつくしたあの日あのとき。われら二十八人にとって、あれ以外にたしかな人生があったであろうか。      二  熱川の宿に入り、まだ夕食に間があるというので、小畑たちは宿の近くに在るワニ園見物に出かけた。  温泉の湯をひいた大温室には、バナナやパパイヤなど熱帯の木々が青い茂みをつくり、一方では、大小数多くのワニが温水の中に寝そべっていて、小畑たちをよろこばせた。 「大トカゲは居ないか。久しぶりに大トカゲが食いたくなったぞ」  辻が、はしゃいで叫ぶ。二組の新婚らしいアベック客が、気味悪そうに一行をふり返った。  昭和十九年春、少年飛行兵学校を繰り上げ卒業した小畑たちは、戦艦|榛名《はるな》と改装空母|雲鷹《うんよう》に分乗、いきなりマレー半島のスンゲイパタニーに送りつけられ、ついでコタバルに移った。緑の|椰子林《やしりん》とジャングルの中に、滑走路だけが白くのびている飛行基地である。  数知れぬ色とりどりの鳥や猿たち。基地を一歩出ると、巨大な錦蛇がとぐろを巻いていた。川にはチョコレート色の丸太を倒したようにワニがいる。いきなり少年ものの冒険物語の主人公になったような気がした。  夜になると、虎の吠える声が聞えた。空襲に備え、飛行機は密林の一部を切り開いて分散して隠してあったが、その飛行機の|哨兵《しようへい》は、虎に襲われるのを防ぐため、夜間は機内に入って見張りをしていた。  飛行訓練はきびしかったが、もともと空に憧れて少年飛行兵になっただけに、異国の空を飛び廻るのが、ただただたのしくて仕方がなかった。  課外のときも、また、たのしかった。猿を捕えて、その肉を針金の先にしばって、川へ投げる。ワニがくいついたら、そのままひきずり上げ、大きな薄紅色の口の中へ銃弾を撃ちこむ。ただしワニの肉はくさくて食えず、ワニ釣りは単なるたのしみのためである。  それに比べて、大トカゲ捕りには実益があった。  大トカゲは、大きな鼠捕りに似た木の檻をつくり、中に鶏のガラなどを入れ、おびき寄せて捕えた。大トカゲの肉は、脂が淡泊で、豚肉などよりは上等な感じで、スキヤキにしてもおいしかった。このため、上官や基地隊の兵士たちにもよろこばれた。隊長室へぶら下げて行くと、航空糧食のチョコレートなどと代るし、基地隊へ持って行けば、洗濯や|繕《つくろ》い|物《もの》など、とびつくようにしてやってくれた。  考えてみれば、小畑たちはまだ子供であった。子供だから、大トカゲ捕りなどにも夢中になれたのだ——。  宿に戻ると、宴会がはじまった。  宇佐美の墓地での光景は、思い出すさえ重苦しかった。上野の老父の挨拶の声が、まだ耳もとに残っている。それを忘れようとでもするように、急ピッチで献盃が進んだ。  酒の勢いで、女中たちをからかう者が出てくる。女と肩を組んだり、女の尻を撫でて|甲高《かんだか》い悲鳴を上げさせたり。  あのころ、シンガポールなどへ任務で飛んで下り立つと、慰安婦ばかりでなく、若い日本女性の姿が目についた。だが、小畑たちはまるで子供扱いで、女たちに相手にされず、小畑たちも手を出さなかった。整備科の将校がシンガポールのホテルで働く日本娘と結婚の約束をしたと聞いて、別世界の出来事のように思えた小畑たちであった。  ビルマ戦線が守勢に陥り、兵員輸送用の一式高等練習機でラングーン飛行場などへ救出に赴いたことがある。敵機に襲われるのを避けるため、夕方基地を出発し、目的地へは暗くなってから下りる。そして、人員をつめこむと、滑走路の端に赤い懐中電灯を振らせ、夜の明けぬ中に飛び立って来る。  主に参謀や高級将校などを運ばされたが、あるときは若い看護婦ばかり十人あまり乗ってきた。広くもない機内いっぱいに女のにおいが溢れたが、四時間近い飛行の間、小畑は看護婦たちと一言も口をきかなかった。何を話しても、子供の話のように笑われそうな気がして。      三  かなり時間が経ったところで、「もう一度、軍歌演習をやる」と、辻が床の間を背に立った。感激よいま一度というわけだが、酒と女でみだれた席に、昼間と同じ感動はよみがえって来なかった。  ただそれでも、隼戦闘隊の歌は、二十八の心にエンジンのうなりをとどろかせ、空高く飛び立つ思いにさせるのであった。 「こちら、すてき。隼に乗ってらしたの」  年輩の女中が、酒で濁った眼で見つめてくる。  小畑は、大きく胸をはってうなずいた。嘘ではなかった。短期間とはいえ、小畑たちはまぎれもなく憧れの隼戦闘隊の一員であった。それが短期間であっただけに、かえって小畑たちの胸に隼はいまも強く羽ばたき続けているのかも知れない。  昭和二十年に入り、小畑たちの飛行隊はプノンペン、コンポントラッシュ、サイゴンなど仏印地方へ移駐した。  コンポントラッシュは、開戦前夜の加藤隼戦闘隊の基地。新鋭の二式戦闘機「|鍾馗《しようき》」などの姿も見られて、若い胸をおどらせた。小畑たちの乗機は相変らずのキ五四。偵察や兵員輸送の他に、対潜哨戒が新たに任務に加わった。  シンガポールからサイゴンを経て北に向かう輸送船団の上空を飛んで、護衛する。翼に爆弾二個をつるす。それがどれだけ対潜攻撃に役立つか疑わしかったが、それでも上空に飛行機が居れば、敵潜水艦は接近して来ない。  キ五四は、船団の上を速度を落してゆらりゆらりと飛び続けた。すると、そうしたキ五四を狙って、コンソリデーテッドB24がはるばる襲ってきた。頭部の突き出た、ずんぐりした四発爆撃機だが、空戦用のそれは、爆弾の代りに十門を越す火器を積み、まわりに火ぶすまのような弾幕をはりめぐらして飛んでくる。大きな割りに旋回性がよく、最高速度も五百キロ近く出て、重戦闘機の化物の感じである。  キ五四は、たちまち撃墜された。被害は、二機三機と続いた。  見かねた船団側から、キ五四に低空で船団の上をとぶように連絡してきた。貧弱ではあるが船団の積んでいる対空砲火で、キ五四をB24から守ってやろうというのである。  有難いような、情ないような話であった。血気さかんな若者たちにとっては、口惜しいことこの上ない。  そこへ突然、一式戦闘機「隼」が六機、貸与されることになった。  小畑たちの無念さにこたえるためではない。キ五四の無駄な消耗を避けるため、そして、その状態が続けば、B24が今度は火器を減らし、本来の爆撃機として船団を襲うおそれが出てきたからである。  隼は格闘性や速度など空戦性能がいい上、操縦が軽快で安定性があり、乗りやすい飛行機であった。  小畑たちは、直ちに隼に乗って射撃訓練にかかった。  それまで正式の射撃訓練をしていないので、目標の吹き流しに仲々命中しない。一分間に二百発近く発射できるのに、弾薬の節約から一度に十五発から二十発しか射つことを許されないので、よけい命中精度が低い。だが、小畑たちは、 「いざとなりゃ、体当りすればいいんだ」  と、意気軒昂であった。  このため、飛行隊長があわてて、「一機対一機ではワリに合わぬ」と、体当り厳禁を申し渡す始末であった。  隼に乗って飛んでいるときには、うっとりするような陶酔感があった。いつもは逃げることばかり考えていたのに、今度は攻撃ができる。 「何か来ないかなあ」  と、青い大空でふんぞり返るような気分でにらみをきかす。地球全部が足もとにひれ伏しているような快感がある。  B24は、ばったり姿を見せなくなった。彼等は、隼のこわさを知っていた。火器で針鼠のように武装しているB24は、計算上は隼に楽勝できるはずであったが、加藤隼戦闘隊の果敢な戦法で、よく撃墜された。このため、敵は「隼強し」と思いこんでいる。操縦者が不馴れな少年兵であることまでには気づかなかったのであろう。  追われる立場から追う立場へがらりと変って、世界まで一変した趣きの日々が続いた。  だが、小畑たちは完全に隼を乗りこなす前に、隼は回収されて、さらに前線へと送られて行った。爆装され、特攻機にふり向けられたのだ。そして、やがてキ五四にまで爆装命令が出た。戦局は急速に悪化し、哨戒すべき船団さえなくなってしまったためである。  敵機の来ない早朝や薄暮に、キ五四による特攻訓練がはじまった。隼は失ったが、小畑たちの意気はさかんであった。  特攻もまた攻撃である。命を失うおそろしさより、攻撃の魅力にとりつかれた。特攻乗組からはずされた搭乗員たちは、隊長にくってかかった。隼によってつけられた火を、誰もが消しかねていた。      四  その日第二の感激は、宴会の終りぎわに、もたらされた。  出席予定になかった宮沢が、ふいに東京から駆けつけてきた。コート姿のまま宮沢は広間へ走りこみ、まん中で仁王立ちになると、大声をはり上げた。 「みんな聞け。たいへんだ、たいへんな吉報だぞ!」  農林省の技師である宮沢は、黒く|陽灼《ひや》けした顔をしていた。静まった仲間の中から、声がかかる。 「おまえ、東南アジアヘ行ってたのとちがうか」 「そうだ、南方帰りだ。つい昨日、サイゴンから飛んできたんだが、その前に、どえらい人間に会ったんだ」  誇らしそうに、厚い胸をそらす。 「誰だ」 「ホーチミンか」 「ばか、あれは北ヴェトナムだ」 「静まれ!」宮沢は両手でざわめきを押え、ひとつ咳払いしてから、おどろくべきニュースを伝えた。「久保川だ。同期の久保川伍長に会った」  わっと歓声が上った。何人かが昂奮して宮沢に駆け寄る。座ぶとんを放り上げる者もいる。 「ほんとうか」「あいつ、まだ生きとったのか」 「落着け、落着け」と繰り返しながら、宮沢は頬を赤黒く染めて話し出した。  サイゴンに二日居た宮沢は、関係商社の車でサイゴン空港まで送ってもらったが、その車を運転していたのが、商社の雇員をしている久保川だったというのだ。  宮沢が、少年飛行兵として来ていたころの思い出話をしている中、運転手はサングラスをはずし、うめき声を出した。そして、道路の途中で車をとめると、「おれだ、久保川だ」と、いきなり宮沢の肩をつかんだ。それは、まぎれもなく二十五年前、ヴェトミンの中へ脱走して姿を消した久保川の顔であった。 「商社じゃ善さんと呼んでたと思ったが、|訊《き》いてみると、ディエンさんだった。向こうの女と結婚し、四人子供をつくって、すっかり向こうの人間になりきってしまってたんだな」  久保川を呼べと、座は騒然となった。上野たち死者は呼べども帰らぬ。しかし、久保川なら、呼べば帰ってくる。  第九回若桜会は、久保川の帰国準備会に切り替えられた。  妻子はともかく、とりあえず久保川を呼ぼう。成長めざましい日本をたっぷり見物させ、彼の希望を聞いた上で、それに見合った仕事や家をみんなで世話しよう。  話は、次から次へとはずんだ。皇居や靖国神社参拝、霞が関ビルやオリンピック施設の見物。若桜会関西支部への挨拶を兼ねて、新幹線で関西旅行もさせよう。 「関西の帰りは飛行機だ。やっぱり空がいい」 「しかし、ボーイングはアメ公の飛行機だぜ」 「それなら、名神・東名を国産車でドライブさせるか」  修学旅行の計画を練る中学生のはしゃぎ方である。  幹事の辻は、東京でいくつか映画館やパチンコ店を経営している。その辻にたのんで、映画『加藤隼戦闘隊』を久保川に見させたいという声も出た。銀座の小ホールでそれがリバイバル公開されたとき、一同はそろって観賞に出かけ、感激に胸ふくらませて出てきたおぼえがあるからである。  昂奮の渦の縁で、小畑と辻は、ふっと顔を見合わせた。かすかな後めたさを、二人は感じた。いや、二人だけでなく、他に何人かが同じ思いにとらえられているはずであった。  終戦直後、小畑たちの基地へは本国から来たフランス解放軍が進駐した。寄せ集めのあまり質のよくない軍人たちで、道路工事や運搬などの作業に酷使する一方、金目になる物は徴発した。  折からヴェトナム独立をめざすヴェトミンが|蜂起《ほうき》し、内戦が起った。フランス軍はあわてた。まだ鉄砲の射ち方もよく知らない兵隊たちであった。このため日本軍を戦闘に狩り出そうとした。もし狩り出されれば、半永久的に日本へ帰れなくなるといううわさも流れた。  そうした中で、フランス軍はキ五四を対ヴェトミンの偵察飛行に用いることにし、操縦者をつけて差し出すよう命じてきた。その最初の操縦士リストの中に、小畑や辻の名があった。  キ五四の胴体や翼には、日の丸が白で縁どられて描かれていたが、そこへもう一つ青い丸を描き足せば、そのままフランス軍のマークとなった。  そのインスタント仏軍機の前で、通訳立ち合いで飛行計画を打ち合わせてから、空へはフランス人偵察員と二人だけで舞い上る。地図を指しながら身ぶり手ぶりでの会話だが、飛行機乗り同士には通じ合うものがあって、じきに親しくなった。はじめはピストルを携えてきていたのが、すぐ丸腰になり、微笑を向けてきた。  もっとも、偵察索敵の効果は、あまり上らなかった。ヴェトミンはヴェトナム原住民が各地で武装蜂起したものなので、上空から見てわかるような大規模な軍事行動はとっていない。フランス側にもそれがわかっていたはずで、キ五四の飛行の狙いはむしろ威嚇に在るもののようであった。  それにしても、|傭《やと》われ操縦士の気楽さで飛んでみると、あらためてヴェトナムの大地のひろさがわかった。  濃淡の緑に染まったジャングルの海。その中を悠々と蛇行する白茶けた川。人間の百人や千人、どこへのみこんでもわからぬような未開の山野続きである。この上空を、よくも道に迷わず飛び続けたものだと、われながら感心したりもした。  それにしても、飛ぶのはたのしかった。大自然の上を、追うのでも追われるのでもなく飛ぶ。敗戦の無念さも、そうして空を飛ぶたのしさのかげに薄れた。そのたのしさを、たとえ戦友の手にも奪われたくなかった。  このため、辻や小畑たちは、ひそかに申し合わせをした。  ニッパヤシの葉でふいたキャンプに戻ると、作業に疲れ切った連中が、様子はどうかと訊ねてくる。そのときには、口を合わせて答えた。 「こき使われて、たいへんなんだ。けど、代ると向こうが困るから、おれたちが続けて飛ぶよ」  地上での作業は苦しく、久保川たちは悲鳴を上げていた。小畑たちとちがい、翼を失った悲哀に加え、敗戦の屈辱をいやというほど味わわされる毎日である。  ヴェトミンが近くに出没すると、地上戦闘にも狩り出された。作業組は、いよいよフランス軍の奴隷にされると感じたようであった。  そうした状況を見透かしたように、ヴェトミン側からもひそかに日本軍へ働きかけてきた。ヴェトミンもまた実戦の体験がなく、プロの兵隊を必要としていたのだ。  ある日、橋梁の修理作業に出かけたまま、久保川はキャンプに戻らなかった。  久保川は神奈川県平塚に母と姉が居り、終戦後は早く日本へ帰りたがっていた。病弱な母親のことが、にわかに気になっていたようであった。  フランス軍による抑留がはじまり、いつ帰れるかわからぬとなってからは、仏印から中国へと、たとえ歩いてでも、少しでも日本に近づきたいと、真剣になった。 「母を尋ねて三千里じゃないか」  と小畑がからかっても、久保川の思いつめた眼の色は変らなかった。  一方、小畑自身は、それほど日本へ帰りたいとは思わなかった。  小畑の家では、二人の兄が戦場に出、両親だけ深川に残っていたが、三月の東京大空襲で家もろとも全滅したと聞いていた。「どうせ死ぬなら、飛行隊が華々しくていいだろう」  と、小畑の少年飛行兵志願に二つ返事で印を捺してくれた父親であった。  両親が死に、兄たちも生死不明とあっては、小畑は強いて日本へ帰ろうとは思わなかった。むしろ南の土地で、相変らず冒険物語の主人公か風来坊のような生活をして行きたいと思った。傭ってくれるものなら、そのままフランス外人部隊の一員となり、ヴェトナムの空を飛び続けたいと思った。  思いつめる久保川も、屈託のない小畑も、どちらもまだ精神的には子供であった。  久保川の脱走は、久保川自身の決意でしたことであり、直接、小畑たちに責任はない。だが、もし久保川にも仏軍機キ五四操縦の機会を与えていたら、脱走まで思いつめずにすんだこともたしかである。少年飛行兵にとって、エンジンの音ほど甘美で雄弁な友人は居ないからである——。  久保川をめぐる話題で、広間はにぎやかにみだれていた。かなり酔いの廻ったらしい一人が、ふいに立ち上って叫んだ。 「久保川伍長万歳!」  たちまち幾人かが「万歳、万歳!」と唱和した。  久保川を「久保川伍長」と呼ぶのは、この場合、適切に思えた。二十五年前の戦いのときからヴェトナムの大地にとけて生きてきた人間。二十五年前がそっくりそのまま温存されていそうであった。  久保川は、生きている少年飛行兵の化石である。生きた化石をどう迎えればよいか。      五  久保川歓迎準備会は、直ちに発足。欠席メンバーにも呼びかけて、資金カンパにかかった。  辻も小畑も、進んで準備会の幹事になり、積極的に動いた。小畑は、久保川とはよく気が合い、脱走の相談も最初に受けた仲である。  宮沢の伝えた消息では、久保川は永らくサイゴン近郊の田舎町で自動車や自転車の修理業をし、最近になって日本商社へつとめに出たという。小畑は、川崎で自動車部品工場を経営しており、自動車につながるところにも妙な因縁を感じた。  準備会の呼びかけに、同期生のおどろきとよろこびは大きく、直ちに帰国旅費を上廻る募金が集まった。  だが、久保川の帰国実現までには、なおしばらく時間がかかった。出入国手続きに手間どるというより、久保川本人が熱意がないというか、乗気でないという現地の商社からの連絡であった。  ヴェトナム人の妻子がひきとめているせいだろうと、想像された。帰国は一時的で、単なる里帰りに過ぎないことを商社に保証させ、なお強く説得をたのんだ。小畑は自費でサイゴンヘ飛び、久保川の腕をつかんでひっぱって来ようと思ったが、それはそれで、また出入国手続きが厄介である。  久保川がようやく腰を上げ、サイゴンを発ったのは、第九回若桜会のときから、ほぼ二カ月後のことであった。  久保川からは、商社を通し、あまり騒いでくれるなと、くり返し|言伝《ことづ》てがあった。久保川は、商社へ来ている日本の新聞・雑誌を拾い読みし、同じような境遇の帰国者がテレビなどにひっぱり出され見世物になったことなどを知っているようであった。  当日、羽田空港へは、宮沢と辻だけが出迎え、その夜、|葭町《よしちよう》の料亭で開かれた歓迎宴で、小畑は四十人近い同期生といっしょに、はじめて久保川と顔を合わせた。  変ったなと、瞬間、小畑は思った。  背広の上に|褐色《かつしよく》に陽灼けしたヴェトナム人の顔がのっていた。やや目尻の下った人なつっこい眼だけが、昔の久保川を思い出させた。 「小畑だ、わかるか」  手をにぎり、肩をたたいた。 「……うん」  にこっと笑って、小さくうなずく。  だが、傍から見ていると、久保川は誰に会っても同じように笑い、同じようにつぶやいていた。  きれいどころが入り、酒が運ばれると、座敷の障子がさっと開けられ、灯のかげをおとした隅田川の|川面《かわも》が見えた。小舟のシルエットが音もなく通り抜けると、波が立ち、灯のかげがゆらめく。 「昔ながらの隅田川情緒だな」  と、参会者の中から感じ入った声が上る。 「……うん」  久保川は、やはり微笑して眼をやるだけであった。もともと口数の少ない男であったが、失語症にでもかかったようにしゃべろうとしない。  久保川の中に日本語がちゃんと生きているとわかったのは、挨拶を求められ、座敷も割れんばかりの拍手の中に立ち上ったときである。 「ありがとうございました。おかげさまで、わたし、本当に日本へ帰ってきました。日本もすばらしく復興したと思いました。それに、みなさまのお元気な顔を見て、懐かしさでいっぱいです。本当にありがとうございました」  来日した外国のスポーツ選手でも言いそうな挨拶であったが、それを久保川はゆっくりと、しかし棒読みでもするような口調で言った。  小畑は、見ているのが辛くなり、黒い川面に眼を向けた。  小畑には幼馴染の隅田川であったが、焼野原になったのを境に、川のまわりの風景は一変していた。  深川住いの小畑の両親は、大空襲で死んだと思っていたが、空襲一カ月前に|世田谷《せたがや》へ引越し、難を逃れていた。兄二人も、激戦地から無傷で復員した。小畑があのまま外人部隊にでもなっていたら、一家をあげて悲しまれるところであった。  それに反し、平塚住いの久保川の母親は、平塚が思いがけぬ空襲に遭ったとき、逃げおくれて焼死した。久保川が母を尋ねて三千里の脱走計画を思いつめていたころには、すでにその母は亡くなっていたのである。久保川は空しく脱走し、そして、ヴェトナムの母なる大地のとりことなった。  久保川のたった一人の肉親である姉は、すでに他家の人となり孫まである身であった。料亭へ来る前、久保川はその姉と再会したのだが、同行した辻の話では、声を上げて泣く姉の肩を、久保川はうっすら微笑を浮かべて抱いていたという。  翌日から、辻と小畑が案内役になった。映画館や町工場の主人で時間の自由がきくからとたのまれたのだが、辻はともかく、小畑は内心、それどころではなかった。  親会社からは、コスト・ダウンで痛めつけられている。合理化につぐ合理化。そのための設備の買い替えで、小さな持家まですでに銀行の担保に入っている。従業員は賃上げを求め、気にくわなければ、脱走まがいに、さっさとやめて行く。一刻も工場から目を離していられぬ立場であった,  だが、そのことはおくびにも出さず、小畑は久保川を皇居・靖国神社・明治神宮・霞が関ビル……と、案内して廻った。どこへ行っても久保川は、柔和な眼で、うすく口をあけて眺めている。反応は鈍かった。  三日目の午後は、辻が交渉してくれて、映画会社の試写室で『加藤隼戦闘隊』を特別に上映してもらった。  暗い試写室の中で、久保川はやはりうすく口を開けたまま、吸われるような眼で見ていたが、終って、光のまぶしい廊下に出ると、ヴェトナム人の顔に戻っている。 「どうだった」  たまりかねて訊くと、 「うん」と、今度ばかりは大きくうなずく。 「よかったか」 「うん」 「思い出すだろう」 「うん……」 「懐かしくないのか」 「そりゃ懐かしいよ」そう言ってから、久保川は思いついたように、「でも、きみたちとはちがうんだな」 「どうちがう」 「きみたちは、同期で何度も集まって、戦争中の話をしたり、こういう映画を見たりしてるだろう。だが、ぼくには何もなかった。あの戦争のときから、思い出すチャンスは何もないんだ」  小畑は、意外なことを聞かされたという気がした。  あの煮つめられた時代への懐旧の情は、少年兵の誰にも共通のものだと思っていた。誰しもあのころを懐かしむから、集まったり映画を見たりしているのだ。集まったり映画を見たりすることで懐かしさを湧かしているのではない。  小畑はそう思うのだが、久保川にそんな風にいわれてみると、少し自信がぐらついてくる。 「それにしたって……」 「でも、思い出せないんだから、仕方がない。とにかく二十五年も昔のことだもの。あれから二十五年も経ってるんだよ」  いつまでも懐かしんでいるのが、むしろふしぎ、といったひびきがあった。      六  四日目。つつじの美しい箱根へ案内した。芦の湖越しに、富士も晴れやかに出迎えた。  修学旅行や団体貸切のバスが、ひっきりなしに通る。車の列を見送りながら、「たいへんな人出だな」久保川がぽつりとつぶやいた。  その夜は温泉宿で、芸者も女中も入れず、静かに酒をくんだ。同期の総意として久保川を説得せねばならぬことがあった。妻子を呼んで日本に永住させようということである。  小畑と辻は、こもごもに説いた。 「……収入は少なくとも五倍にはなる。それに、子供に日本で教育を受けさせれば、たとえ、その子たちがヴェトナムに帰ることになっても、向こうの社会で出世できる」 「さあ、どうだかなあ」うす笑いのまま、久保川は首をかしげた。「それに、ぼくの子供、別に出世したいと言ってない」 「………」 「ぼくの妻も、いまのままでいちばん満足と言ってるし」  久保川は、ゆるぎのない微笑とともに言った。  言い返す言葉がなくて、辻と小畑は顔を見合わせた。  久保川は南方ボケだという声が、同期生の中に出ていた。だが、ボケるにしては理由があり、芯があった。ヴェトナム人の芯、ヴェトナム的生活の芯がある。  小畑は、盃を重ねながら、久保川の言葉を|反芻《はんすう》した。出世とは何だろうと、ふっと思った。  なるほど小畑は五十人余りの人を使い、同期では成功者の部類かも知れない。だが、人一倍忙しく動き廻り、身心もすり減らしてはいるが、精々いまの状態を維持するぐらいで、それ以上のことは望めない。それに、そうしたいまの生活に、どれだけ満足感があるのだろう。  妻とはろくに話し合うこともなく、子供の顔は寝顔を見るばかり。やれ銀行、やれ税務署、やれ親工場、やれ労働基準局と、気の休まるひまもない。それに比べれば、戦火の下に在るとはいえ、ヴェトナムの生活は——。  眠ったような眼をし、怒ることも焦ることも知らず、黙々と水を運び、また畠を耕していた安南の女たち。その延長上に、まだ見ぬ久保川の妻の姿を思い浮かべた。  あのジャングルの中を、あてどもなく蛇行する川のように、ゆったりと人生を流れて行く女。久保川の妻は、本心からいまの生活に満足しているのかも知れない。  それに暮らしの上からいっても、食物は安いし、年中が夏で衣服らしい衣服も要らない。住居も簡便なものですむ。終戦後、小畑たちがキャンプしていたニッパヤシの小屋など、汚くなれば火をつけて燃やし、二日間で新しいのを建てたものだ。 「ぼく、もう帰るよ」  いきなり久保川が言った。 「帰るって、どこへ」 「もちろんサイゴンだよ」  二人はあわてた。翌日のこだまで、久保川を京都へ送ることになっている。 「関西はどうするんだ。すっかり旅程が組んである。嵐山ではいい料亭に席をとって、みんながきみを待ってるんだ」 「それはそうだろうけど……」 「そんなに帰りたいのか」 「何だか疲れて。がちゃがちゃと、日本はうるさ過ぎるね」 「しかし、きみは……」 〈日本人ではないか。あのときは、歩いてでも日本へ帰ろうとしたではないか〉  そう続けたいのを、小畑はこらえた。言ってみたところで、それは少しも久保川を動かしはしないであろう。 「ホームシックか」  辻が冷やかに言ったが、久保川は素直にうなずいた。 「妻子に弱いんだな」  辻が意地悪く念を押す。それにも久保川は「うん」とうなずき、「ヴェトナムでは、戦争をやってるからね」  何となく、つけ足しの理由の感じであった。辻が、すかさずたたみかけた。 「それなら、妻子を日本へ呼ぶんだよ」 「でも、戦争はいつまでも続かないよ」 「………」 「それに、ぼくはもうヴェトナムの人間になってる。ヴェトナム人はヴェトナムで暮らすのが、いちばんいいんだよ」 「ヴェトナムが、そんなにいいのか」 「いいよ、あのころは、きみたちだって……」  今度は久保川が逆襲してきた。  小畑は、延々とひろがる緑の樹海や、その林をかすめて飛ぶ鶴の群の姿を思い浮かべた。青い熱帯樹の茂み、色とりどりの南国の花。紺青に輝く海や、真白く塔のようにそそり立つ積乱雲。はるかな地平線に沈む赤く燃えた太陽……。  小畑は、鼓動が遠くなるのを感じた。  あのころの一日一日の充実、一日一日の満足。それが、この男には、ずっと続いている。二十五年の充実、二十五年の満足が、それに先立つ僅かの期間の記憶を吹き消してしまったのだ。  久保川は、生きた化石ではない。むしろ、小畑たちこそ、生きている化石ではないのか。 「弱ったな」  辻が頭を抱えながら、小畑を見た。だが、小畑は素気なく応えた。 「久保川の希望に|副《そ》う他はないさ」  小畑は、伊豆の山腹で大人しく眠っている上野のことを思い出した。あの墓前での合唱の感激を思った。感傷の色で自由に染められるのは、死者だけだ。死者は死んだ後まで不幸なのだと思った。 [#改ページ]   月光荘余聞

      夜間戦闘機「月光」一一型      発動機空冷一一三〇馬力二基、全備重量六九〇〇kg、最大速度時速五〇七キロ、実用上昇限度九三〇〇メートル、航続距離二五四〇キロ、機銃二〇ミリ四、乗員二      一  新宿から私鉄で十五分、急行も停車する駅のかいわい。不動産屋のうたい文句ではないが、〈日当り・環境・交通の便・絶佳〉とあって、戦後はまっさきに宅地ブームの波にのまれ、住宅がひとわたり建った後、ビルやアパートヘの建て替えがはじまり、銀行・スーパー・喫茶店なども駅前に並んで、いまではもう山手の住宅地のような貫禄がある。  先住者であるひとにぎりの数の農民たちは、土地成金になった。豪壮な鉄筋コンクリートの邸宅や、料亭まがいの数寄屋づくり。大きな庭石を並べたり、軽量鉄骨の車庫にスポーツカーの顔をのぞかせたり。  女や賭けごとにうつつを抜かして|蕩尽《とうじん》する|輩《やから》こそ居ないが、「アパート王」とでも言いたいほどアパートを建て並べたり、マンションや貸ビル、ゴルフ練習場などを経営する。まずは「光ある中に光の中を歩め」といった華やかな生活ぶりである。  宅地ブームの犠牲になって、森や木立の多くが伐り払われたが、駅から数分南へ歩くと、空に向かって大きな緑の手をふり上げたような|欅《けやき》の巨木が目に入る。かつてそこが緑濃い武蔵野であったことを思わせる、唯一の名残のような木である。  欅を目あてに歩いて行くと、そこには欅だけでなく、欅を軸にした緑の租界とでも言いたいほどこんもりした茂みがあり、畠がある。空気まで緑に染まったような一劃があった。隅の方に小さなアパートが二棟建っている。  住宅地にそうした緑の残っていることが実は場ちがいなのだが、その一劃へ来てみると、今度はアパートのあるのが場ちがいに映る雰囲気である。  アパートの持主は、茂みの中のあまり大きくもない藁葺の農家に住んでいる。小柄だが、筋骨たくましい。チョコレート色に陽灼けし、指も太く筋ばっている。典型的な農夫である。家賃のことはやかましく言わないし、畠でとれた野菜やイチゴ、春にはタケノコなどをアパートの住人にくれたりする。  ただ住人たちにのみこめないのは、その農夫の、時代に馴染もうとしないがんこさである。  アパートは二棟だけで、ふやそうとはせず、住宅地帯の中で相変らず農作業一本に生きているのもそうだし、屋敷のまわりの雑木の茂みも、「緑のジャングル」と呼んで倒そうとはしない。  民俗博物館にでもありそうな住居もそうである。少しは改造しているとはいうものの、古い農家建築が住みよいはずはない。自動車も藁葺の|厩舎《きゆうしや》の中で世をしのぶように小さくなっている。  土地はまだ五千坪ほどもある。坪十五万としてどうなるのか。  よくしたもので、細君も、大学と中学へ行く二人の子供も、家主に似ている。スポーツカーを欲しがるわけでもなく、山歩きをたのしんだり、花づくりをしたり、家中そろって昔ながらの静かな世界に生きている。  農夫は口数が少ない。ただ少し年輩の借り手となると、思い出したように仕向ける問いがある。 「あなた、戦災に遇われたことがありますか」「家族や親戚の方はどうでした」  戦災などと関係もなさそうな緑の億万長者が、なぜそんな質問をするのか。借り手はちょっと首をかしげる。戦災が近郊への土地需要を生んだ。だから戦災者へは少し割りよくしてくれるのかと思う借り手も居る。  家主は、答を熱心に聞く。ただし、眼はどこか遠くを見ている。いや、気をつけると、この家主の眼は、いつも遠くを見ていた。      二  昭和二十年五月二十三日十五時、待望の非常呼集がかかった。  二百機を越すボーイングB29大編隊がマリアナ基地を発進、日本本土に向かったとの彩雲偵察部隊からの報告が入ったからである。 「やるぞ!」 「やっつけるぞ!」  横須賀航空隊の隊内は、色めき立った。  永い間待ち望んでいた機会が、遂にやってくる。武者ぶるいでもしたい感じである。  横須賀航空隊夜間戦闘機隊では、早くからB29迎撃を申し出ていた。だが、横須賀航空隊本来の任務は、航空技術廠に協力して行う実験飛行であり、さまざまの火器を積んで性能テストをしたり、赤外線発信装置やレーダーを装備して実用試験を行ったりするのが、主要任務であった。機数こそ少ないが、月光をはじめ、彗星・銀河・彩雲・天雷などの新鋭機がそろっていたのも、そのためである。  そして、実験飛行以外には、いつか予想される敵の本土上陸作戦に備え、帝都防衛の最後の決戦部隊として温存されておくべき航空隊であった。  このため、十九年末からはじまった度重なるB29の東京爆撃に際しても、迎撃は一切許されず、折角の新鋭機も|掩体壕《えんたいごう》にかくすか、遠くへ避退するかして、みすみすB29が上空を通るのをやり過さねばならなかった。  同じように夜間戦闘機月光を駆る厚木航空隊は、すでに何度か迎撃に出動、遠藤大尉の如くB29を何機か撃墜する成果をあげている。指をくわえて敵機をやり過さねばならぬのは、同じ夜間戦闘機乗りとして無念なことこの上なかった。  隊長山畑大尉は海軍大佐の一人息子。兵学校出の独身で、桑本上等飛行兵曹ら若い隊員たち以上に生きのいい青年士官である。早くからはげしい夜戦訓練を行い、自らの隊に「夜烏隊」というニックネームまでつけていた。  こうした隊長であるから、隊員たちに突き上げられるまでもなく、くり返しくり返し迎撃出動を具申していた。  それが許可になるきっかけは、しかし、隊長の熱意によるというよりも、二カ月前、江東方面への夜間大空襲があって以来の敵の空襲ぶりである。  その夜の東京大空襲について、桑本たちがまず知り得たのは、簡単な大本営発表だけであった。 〈本三月十日零時過より二時四十分の間、B29約百三十機、主力を以て帝都に来襲、市街地を盲爆せり。右盲爆により都内各所に火災を生じたるも、宮内省|主馬寮《しゆめのりよう》は二時三十五分、其の他は八時頃迄に鎮火せり……〉  大空襲の数日後、たまたま公用で横浜の街に出た桑本は、見知らぬ老人にいきなり腕にすがられた。 「兵隊さん、|敵《かたき》をとって下さい。うちの息子も孫も嫁も深川でむごい目に……。どこもかしこも真黒焦げの死人の山でした。いくら戦争だからって、あんなひどい……」  老人は、ぼろぼろと大粒の涙を流した。  桑本が戦闘機乗りと知ったら、その老人はますます桑本を離さなかったであろう。あるいは逆に、不甲斐ないと桑本を|面罵《めんば》したかも知れぬ。  帰隊して桑本はその話を隊員仲間に伝えた。隊員たちは歯噛みし、歯ぎしりした。非戦闘員の皆殺しを狙った|絨毯《じゆうたん》爆撃であったらしいこと、そのため、万に近い市民が殺されたらしいということが、隊内にも伝わっていた。  B29は、ただ敵だから憎いというだけでなく、弱い婦女子をふくめた市民の大量|殺戮《さつりく》をはかるという武人の風上にもおけぬ卑劣な相手として、はげしい憎悪の対象になった。  四月二日、四月四日、四月七日、四月十二日、四月十三日、四月十五日……と、B29爆撃隊の非人道的な攻撃方法は、その後もエスカレートするばかりであった。  爆弾と焼夷弾を混ぜて投下する。消火活動に当ろうとする市民を殺傷し、壕に封じこめておいた上で、焼き殺しを図る。あるいは、まず遠巻きに焼夷弾を撒き、退路を絶った上で、中へ中へと焼き込んでくる。さらに時限爆弾を落し、空襲が終ってほっとして帰ってきた市民を殺傷する……。手段を選ばぬ卑劣さで、国際法も何もなかった。  こうした状況にたまりかね、軍では横須賀航空隊にも迎撃の許可を与えたのであった——。  隊長山畑大尉をはじめとして、搭乗員整列。軍医長自らが暗視ホルモンの皮下注射を行った。 「ドイツからはるばる潜水艦で運ばれてきたとびきり優秀なホルモンだ」  軍医長は、そこでちらっと山畑大尉に眼をやり、いたずらっぽく笑った。 「夜烏隊もいいが、烏は夜は盲だ。だが、今夜はこの注射のおかげで、諸君たちは|梟《ふくろう》以上によく眼が見えるぞ」  果して実際にどれだけの効果があったかどうか。少なくとも、心理的な暗示としては十分であった。  マリアナを発ったB29は、夜ふけになって日本上空に達する。すでに整備員たちは、月光の手入れにかかっていた。  搭乗員たちは、そこで仮眠のため解散した。すべては、この夜を期して——である。  迎撃の許可が出て以来、月光搭乗員に限って、視力保護のためのサングラス着用が許された。あの横浜で老人につかまえられた日も、その少し前、駅で張番中の哨兵に桑本は見とがめられたところであった。下士官・兵のサングラス着用は禁止されているためで、特別許可証を見せて放免された。  山畑隊長は、その豪放さに似合わぬ緻密な一面があった。理科方面が得意で、隊長室でいつも難しい本を読んでいたが、迎撃の許可があってからは、その精力をB29攻撃に傾注した。  手づくりでB29の模型をつくり、それをぶら下げてさまざまの角度と大きさに写真をとる。その一方では、月光に整備されたプリズム利用の照準装置OPLの利用について反覆訓練を行い、写真と比較して射程距離判断の勘を養成した。  すべては、今夜のためである。  暗くされた居住区の中で、桑本は昂奮して仲々寝つけなかった。  桑本は東京西郊の農村の小地主の三男として生れた。四男四女の子福者の父は、一風変った人間で、発明狂のような男を連れてきて手放しの|耕耘機《こううんき》をつくらせたり、税金の払えぬ百姓に代って納税してやったり、世話好きで、村会議員にもなった。  桑本は、家に残れるあてもなし、もともと飛行機好きでもあったので、予科練を志願した。 「男は好きなところへ行くさ」  と、父は二つ返事で許した。一つ年上の次男も、そのとき海軍の現役に志願し、同時に入団するという始末であった。いや、当時としては典型的な、農家の二三男坊の身のふり方であったかも知れない。  乙種予科練十五期生として土浦へ入隊してから四年半。桑本は、百里—新竹(台湾)—木更津—厚木—横須賀と、航空隊を転々とした。哨戒や船団護衛には当ったが、敵機とわたり合うのは、その夜がはじめてとなるはずであった。      三  B29二百数十機は、伊豆諸島沿いに北上、駿河湾および相模灘方面より東京上空に侵入してきた。時刻はすでに午前零時を過ぎ、二十四日になっていた。  月光戦闘機隊は、|追浜《おつぱま》飛行場の狭い滑走路を蹴って、次々に離陸した。  桑本機の後部の偵察員席には、機長の石川中尉がのっていた。予科練の四期先輩に当り、すでに空戦経験もある。桑本としては心強い同乗者であった。  月明のはずであったが、すでに東京には各所に火の手が上り、上空にはおびただしい煙が、厚い雲のように漂っていた。下からの炎の照り返しに、ときどきB29がきらりと光る。  世界最大の超重爆撃機B29は、十二・七ミリ機銃十二門、二十ミリ一門という重武装。これが高々度を編隊で飛んでくれば、前後左右が弾幕に蔽われ、下からの対空砲火も届かず、突き入る隙もない。  だが、夜間には、相互の接触事故を避けるためと、日本の迎撃戦力を甘く見て、編隊を解き、一機また一機と進入してくる。また爆撃精度をよくするため、中・低空を飛ぶ。  これに対し、月光は二連装二十ミリ斜銃を上下に装備する。B29が相互の接触を避けるため翼端の識別灯をつけてとんでくるのに対し、月光は一切灯火をつけない。B29が全面無塗装の銀色であるのに対し、月光は暗緑色で夜空にまぎれこむ。射ち出す弾丸も、|曳光弾《えいこうだん》ではない。忍者のようにしのび寄り、忍者のような攻撃をしかけるのだ。  間もなく桑本は、三千メートルの高度で、前方を右へ横切るB29一機を発見した。ただし下からの対空砲火がはげしいのと、スピードが劣るため、その場での攻撃はやめ、敵の進路へ先廻りし、千葉沖で遭遇した。  交話器から地上へ送る石川中尉の大声が聞えた。 「カモ一羽発見! こちら牛若」  それは、山畑隊長の考えた味方との交信暗号である。ふざけた呼び方だが、それが搭乗員のこわばっていた気持をほぐした。〈いつも教わった通りにやるまでさ〉と、桑本は心を落着けた。  OPLのスイッチを入れると、操縦席の前にうす緑色のスクリーンが光り、そこにB29の姿がはっきりと浮かび出た。  B29への夜間迎撃戦法は、低空から空の明るみを透かし見て、その中に敵の機影をとらえ、死角である後下方から追尾して行って攻撃するというのが、常道とされた。  だが、いまは下界の火のため、上から敵影を捕捉できる。問題は、月光時速五百キロ、B29五百七十キロというスピードの差であった。ふつうに後から追って行ったのでは、追いつけない。一度上空に舞い上り、機首を落して突っこみ、速度を増して追いすがりながら、後方向にくいつこうと思った。  桑本機は一度上空ですれちがい、反転すると、機首を下げてB29に向かった。闇に眼が見えないのか、攻撃を終ってほっとしてコーヒーでものんでいるのか、敵は気づかない。  OPLの中に、巨大な四基のエンジンがいっぱいに入った。山畑隊長に教わった通り、距離六百。  桑本は、発射ボタンを押した。|炸裂《さくれつ》して直径三十センチの穴をあけるといわれる着発信管つきの二十ミリ弾が、闇の中に姿も見せずとび出して行く。  二連射、三連射。一番エンジンが火をふいた。だが、自動消火装置が働き、火はすぐまた消えた。  桑本は、さらに右翼に弾丸を走らせた。それが翼のつけ根に届いたと思ったとき、補助タンクでもあったらしく、いきなり爆発し、B29は信じられぬほどあっけなく、頭を下げて墜ちて行った。 「こちら牛若、カモ一丁上り!」  石川の声に笑っている間もなかった。下からの対空砲火に月光の機体がゆさぶられていた。  高度を上げる。桑本の眼は、じきにまた千葉方面へ戻ってくる別のB29を発見した。  桑本は高度を上げながら向かって行ったが、ふいにすぐ前方に黒い機影が現われた。厚木航空隊の夜戦用銀河のようであった。  桑本は、あわてて回避した。このため、一度は敵を見失ったが、雲の中にかくれようとするのをふたたび発見。前同様にくいさがると、はげしい連射を浴びせかけた。  B29は翼端から火を吐いたが、そのまま水平にとび続けて行く。三連射、四連射。桑本は発射ボタンを押し続けた。  だが、ふいに弾丸が出なくなった。過熱のため、機銃の打金がなまってしまったためであった。 〈敵をとって下さい!〉  桑本は、腕にすがる老人を感じた。憎いB29を見逃してはならぬ。とっさに、体当りにきめた。エンジンをふかし、突っこんで行く。 「やめろ、桑本」  石川中尉の怒声。桑本は、夢からさめた気がした。B29は、なお炎と煙をひいている。体当りしなくとも、墜落することはまちがいなかった。  待ち伏せていれば、まだB29を狙えそうであったが、かんじんの攻撃ができなくては、帰投する他はない。桑本は機首を横須賀に向け、東京湾を飛んだ。  東京は、なおはげしく炎上を続けていた。煙は北風に流され、横須賀附近にまで漂ってきている。このため、追浜の飛行場も見えなかった。  月光は、|零戦《ゼロせん》と同じ高性能の栄二一型発動機を二基積み、エンジン関係の故障はほとんどない。空戦性能も、操縦性もいい。アシ(航続距離)はもちろん長い。ただ、難点は離着陸に在った。ピトー管の位置が悪いため、速度計に誤差が生じ、また、着陸時における機体の沈みが大きい。一方、追浜飛行場は北風のときは滑走路は七百メートルしか使えず、そこへ桜山をかすめて着陸せねばならない。  安全な着陸のため、|剣崎《けんざき》上空で夜明けまで旋回飛行を続けてから、帰投した。      四 「撃墜マークには、これをつけてくれ」  上機嫌の山畑大尉が、自分で考えたデザインを示した。青地に星の米軍マークを、赤い矢が稲妻のように貫いている。  整備兵が、桑本機の機首に早速ペンキで二つ描きこんだ。  出撃機は全機無事帰投。明るい基地の朝であった。だが、悲劇はその日すぐ続いて起った。  横須賀航空隊にはラバウル仕込みなどというベテラン・パイロットがそろっていたが、新鋭機天雷に装備する機内交話器の慣熟訓練のため、帰投したばかりの桑本たちを除いたパイロットが九〇式機上練習機に乗り組んで飛び上って行ったが、気化器故障のためエンジン停止、不時着大破してしまった。もともと小部隊であったが、このため残ったのは、操縦六名、偵察七名となった。  そこへ翌日、またマリアナ基地から二百数十機のB29が発進したとの情報が入った。  ふたたび軍医長から暗視ホルモンとビタミン注射。栄養はよく若さもあり、桑本たちはすでに英気をとり戻していた。整備兵といっしょになって整備を手伝い、二十ミリ機銃は綿密に点検した。  夜に入り、敵編隊は小笠原から八丈島、大島と刻々迫ってきた。  追浜飛行場からは、山畑隊長機と桑本機の月光二機、そして彗星二機が迎撃に舞い立った。  午後十時半、最初の数機が房総方面から東京上空に侵入、ほとんど同時に東京に火の手が上った。  桑本は機首を北に向け、スロットルを全開して突進した。後部に同乗の偵察員は、予備学生出身の栗島中尉。高等農林卒業の大柄で気のいい男で、初陣である。  敵機は次々と殺到しているらしく、火の海はみるみるひろがって行く。炎の絨毯をのべて行く感じである。 〈息子も孫も嫁もむごい目に……〉  桑本は一瞬眼をつむりたい気がした。  最初の敵影を捕捉、下唇を噛んで追った。だが、距離がちぢまらない。苛々しながら追って行くと、ふいにB29の弾扉が開き、ストローの束でもまくように焼夷弾を落した。  桑本は体中が熱くなった。だが、時速五七〇キロ対五〇〇キロでは、どうにもならない。  そこへ下方から対空砲火がふき上げてきた。桑本は機首を上げたが、どうしてもそのB29を生きて帰したくなかった。燃える夜空の中で、なお眼をこらしながら追尾を続けた。  やがてそのB29は大きく旋回をはじめ、千葉方向へと抜けにかかった。チャンスである。桑本はすぐ向きを変え、敵の進路上空に先廻りして行った。  OPLにスイッチ・オン。四基のエンジンをまずとらえ、内側の三基のエンジンが画面いっぱいになるまで追った。山畑理論では距離三百メートル。思いきり発射ボタンを押した。  第四エンジンが発火。敵の後方旋回銃があわてて応戦してきた。桑本は一度、右後方によけ、敵の曳光弾を空しく夜空に散らさせた後、スロットルを全開して、また後下方についた。 〈憎い。粉々になるまで、打ちのめしてやりたい。機銃がだめになるなら、今度こそ体当りしてやる。——〉  OPLの画面が、B29の胴体の一部だけでふさがれた。距離五十メートル。眼を上げると、B29の巨大な翼が、頭上を蔽っていた。全幅四十三メートル、全長三十メートルという化物のように大きな機体。  その翼のつけ根めがけ、ついで、胴体めがけて、容赦なく二十ミリ弾をたたきこんだ。これでもか、これでもかと射ちこんだ。  B29は眼もくらむような白銀色の炎とともに、夜空に空中分解し、四つにも五つにもなって舞い墜ちて行った。 「やった、やったぞ!」  後部では、栗島中尉が手をたたいている。桑本は、あわてて注意した。 「位置確認して下さい。そして戦果報告を」  桑本は反転した。東京から引き揚げてくるB29を待ち伏せる形になる。高度を上げて待つ。  二機目のB29も、上空の月光の暗緑色の翼は見破れなかった。すれちがいざま、桑本機は垂直に近い旋回で反転、高度差を利用して全力降下した。ただし勢いあまってB29の前へは出ないように、速度を調整せねばならない。といって、スロットルを一度に絞れば排気炎が出るので、徐々にしぼる。完全に敵の死角へ入ってから、射撃を開始した。  機首に裸婦をえがいた敵機は、ぐらりと傾いた。白い落下傘が飛び出した。  三機目は霞ケ浦近くまで追って射止めたが、敵機のつくった火の海にやられ、操縦が一瞬おろそかになるほどであった。四機目は九十九里沖。五機目もまた九十九里沖。海面に大きな炎の輪となって燃えた。  捕捉した六機目は、すでに被弾し、エンジンが赤く焼けていた。しばらく追尾して行く中、数人の搭乗員がパラシュートで飛び下り、機体は房総半島の|山間《やまあい》に墜ちた。  離陸して三時間。航続距離のある月光だが、そろそろ燃料切れである。東京上空には、炎と煙が舞うだけで、すでにB29はほとんど姿を消していた。  信じられないほどの戦果に、気をよくして追浜に戻る。滑走路の海寄りにいくつかの灯が集まっている。異常である。  下りてみると、事故は山畑隊長の月光であった。B29を二機撃墜した後、被弾。海上に不時着すれば助かったものを、機体をかばって着陸をはかり、滑走路端の岸壁に激突した。  その夜は山畑隊長と同乗の十八歳の兵曹のための通夜があった。疲れが重なっていたが、翌日の視力検査では二・五。暗視ホルモンのせいだけではない。生来の視力のよさに加え、夜間訓練で遠い星にもまごう目標をいつも見つめていたためであった。  桑本機の機首には、さらに五つの撃墜マークを書き加えるスペースはなかった。このため、胴体の日の丸の後に、あらためて七個のマークを描いた。  それを誰よりもよろこんでくれる隊長が居ないのが、物足らなかった。隊長が居れば、月給袋を封も切らずに渡す料理屋へ、祝盃を上げに連れて行ってくれるはずであった。  隊長のことが、しきりに|偲《しの》ばれた。桑本たちがいたずら半分で主計科から失敬してきた魚を料理していると、 「すごいのを釣ってきたな。主計海で釣ったんだろう」  と、笑っていた隊長。  夜戦訓練から帰投するとき、桑本はエプロンヘ|繋留《けいりゆう》してあった零戦に接触、破損させたことがあった。蒼くなった桑本を、隊長はかばった。 「あんなところへ置いておくやつが悪い。おれが零戦隊に話をつけてやる」  事実、その件について、桑本は|譴責《けんせき》どころか取調べさえ受けなかった。  数日後、桑本は栗島中尉といっしょに、少将旗を立てた航空隊司令の車に乗せられ、鎮守府司令長官室に出頭、司令長官からその戦功を全軍に布告する旨の布告文と、軍刀を受領した。同時に、飛行兵曹長に特進した。  戦功は父親にも伝えたかったが、それとともに、横浜で会った見知らぬ老人を探し出し、今度は桑本が腕をつかんで、「おじいさん、少しは敵を討ちました」と、撃墜の手ごたえなどを話してやりたかった。  ほとんど焼土化した東京に爆撃目標がなくなったのか、B29の大規模夜間空襲はそれで終った。  桑本たちは硫黄島へ派遣されたが、一日ちがいで艦砲射撃をまぬかれて生還。その後、ときどき、昼間一万メートル近い高々度で単機または数機で侵入してくるB29の迎撃に当ったが、その高度では、過給タービンのない月光は糸のきれたタコ同然に振動し、立ち向かう方法もなかった。  そして終戦。すでに戦局は、方位測定器や電信器から漏れる敵の日本語放送でのみこめていた。  小部隊のせいで統制もよくとれており、厚木からの反乱の呼びかけにも反応を示さなかった。  米軍進駐とともに、新鋭機のいくつかはアメリカに持ち去られ、桑本の乗機である月光はじめ残った機には、火が放たれた。      五  桑本は、なるはずではなかった農家の跡を継いだ。  復員してみると、その後召集された長兄は戦傷で肉体労働ができなくなっており、志願兵の次兄は台湾沖で戦死していた。  桑本は、そこに人生の廻り合わせを感じた。貧乏クジは誰がひいたのかわからない。その廻り合わせに従って生きる他はない。五月の二日間に集約される三男坊の青春とはすっかり縁を切り、桑本は百姓の子の百姓になった。小作地は手放し、一町八反の自作農。健康そうな農家の娘を妻に迎え、ともに鍬をとって、武蔵野の黒土の上に下りた。  米、キュウリ、キャベツ、トマト……。十年一日の如き農作業の日が続いた。 「男は好きなことを」と言っていた父親も、気が弱くなっていた。桑本が運転免許をとるのにも反対した。  その父が死んでからも、また十年一日の農作業続き。もはやリヤカーの時代でなく、免許をとり小型トラックを備えたのが、家の中の唯一の変化といえた。  それ以上の変化を、桑本は求めようともしない。  土地については、値上りを待って売り惜しんでいるのだろうというやっかみも耳にするが、 「先祖代々の土地だ。息子の代はいざ知らず、自分の代で変えたくはない」  と、桑本はとり合わない。本気なのである。  少なくとも、自分一代は古い世界に生きる。そういう自分にとって、戦争前から残っているものこそ、親友であり、同志である。木一本といえど、そうである。焼かれる前の日本を、せめては身近に残しておきたい。その心の底には、東京の炎上をいまだに認めたくない気持が働いていた。  戦後も数年し、さまざまの戦争記録が出廻るようになってから、桑本はB29来襲による犠牲が、想像以上に大きかったことを知った。  横浜の老人を嘆かせた三月十日の被害は、一万人どころではなく、死者八万をふくめ、死傷十二万五千人、罹災者数百万。桑本の初陣の五月二十四日は死傷五千、罹災二十一万。五機撃墜の二十五日は、死傷五千三百、罹災者数六十三万……。  眼の前に開かれたB29の弾扉。ストローの束のように落ちて行った焼夷弾の姿が、桑本にはいまも忘れられない。  あの夜、六機目を捕捉、被弾して赤く焼けたエンジンを見、しばらくそのまま追尾して行った。墜落確実と見ていたためだが、それとともに、傷ついた敵をいたわる武士の情のような気持も働いていた。  だが、情無用であった。東京都民の|夥《おびただ》しい犠牲を思えば、容赦なく連射を浴びせてやるべきであった。  翼下に燃えていた炎の海の色、横須賀沖までたなびいた煙。それは、壮大な叙事詩のようでいて、息子も孫も嫁も無差別に焼き殺す地獄の絵巻であった。  もともと寡黙であった桑本は、戦争中の自分の活躍については語らなくなった。  桑本家の玄関の隅には、額に納めた鎮守府司令長官の布告文がかかげてある。存命中だった父がよろこんでそこへ掛けたものが、そのままになっている。  農家の玄関は暗く奥深く、額もまた古くくすんで気にとめる人は少ない。気づいても、田舎の消防団の表彰状ぐらいにしか思わない。同時に受領した軍刀は、警察に供出して行方知れずである。  青春の戦功とは遠く訣別した生活だが、それでも桑本は、アパートには「月光荘」と名づけた。そのアパートは、畠の一部を道路と公園に収用され、補償金で仕方なく建てたものである。  桑本の青春を乗せ、悪魔の翼にくいつかせてくれた名夜間戦闘機「月光」。思いつく名は「月光」しかなかった。  アパートの部屋の借り手も若くなった。二十前後の夫婦者など、いかにも農夫然とした桑本の顔をふしぎそうに見ながら言う。 「おじさん、月光荘とはいいセンスだな」 「ムード溢れるネイミングよね。建物はそうでもないけど」  桑本は無言で笑ってうなずいている。命名の由来について絶えて語ることはなかった。 [#改ページ]   脱  出

      一式陸上攻撃機      発動機空冷一八五〇馬力二基、全備重量一二五〇〇kg、最大速度時速四四〇キロ、実用上昇限度八九五〇メートル、航続距離六〇六〇キロ、機銃二〇ミリ二、七・七ミリ四、魚雷一または爆弾八〇〇kg一または五〇〇kg二、乗員七      一  二十二歳 夏 木更津  ずんぐりした色白の女であった。糸をひいたような細い目、重そうな肉のついた首。表情はすべて鈍かった。  その夜は、風をまじえた横なぐりの雨がしきりに雨戸をたたいていた。そうでなくても|畠中《はたなか》は泊るつもりで来ていたが、そのことを口にすると、女は厚ぼったい唇を開いて言った。 「わたしと寝た人は、みんな死ぬわ」  畠中はふいをつかれた。女からのそういう答を予想していなかった。  畠中はその女がとくに好きというわけではなかった。先輩の南条中尉から、「あいつも空家になる。よかったら、おまえ、エスになってやらんか」と言われたのがきっかけである。エスとは、愛人関係に在る芸者を指す海軍士官仲間の隠語である。 「しかし、南条中尉は……」 「あの人も、もうじき死ぬわよ」  女は細い目のまま、事もなげに言った。  風が雨戸をゆさぶった。その風にのって、そうした風雨の底でも鳴いている蛙の声がきこえてきた。  畠中は、女をみつめた。  愛人であった男をそんな風に言ってよいものなのか。それとも、女にはたしかな確信か予感でもあるというのか。  それまでも畠中は何度か南条中尉に連れられ、その女相手にのんだことがある。顔も体も厚ぼったい女という印象しかなく、その女のどこが気に入っているか、南条が話してくれたこともない。  南方に発つとき、南条は畠中にこう言い残しただけであった。 「旦那気どりで月給袋の封も切らずに渡すやつも居るが、そうまですることはない。一晩に十円あたりの目安で手当をやっておけばいい」  エスは愛人ではあるが、ただの遊び相手ではない。風呂をたき、浴衣にくつろがせ、連れてきた部下の接待もする。女房代りに振舞うわけだが、そうはいっても、じきにあとかたもなく消えてしまうのを承知の上での大の男と女のままごと遊びのようなところがあった——。  それにしても、女の言い方は|直截《ちよくせつ》過ぎた。  畠中は、じっと女を見守った。風が雨とともに戸をたたく。  女は重そうな首を起し、畠中を見た。 「わたしと寝ない方がいいの。死ぬのはこわいわ。何も死ぬことないのよ」  煙ったような眼でつぶやく。  太平洋戦争がはじまって半歳。勝利の報せばかりが続き、死はまだ遠い世界の出来事であった。先輩の戦死も少ない。飛行士官の消耗率が確率として高かろうとは思うのだが、実感はなかった。  畠中は女の手をとった。|脂 性《あぶらしよう》なのか、濡れたあたたかな手であった。その手をつかんで、女をひき寄せた。 「いいの?」  女は念を押した。死んでもいいのかという問いである。  実感こそ伴わなかったが、死は予感していた。すでに早くから畠中にその予言をした男が居た。  それは、故郷秋田の|城址《しろあと》に住む鶴のように痩せた老占師であった。老占師はうす汚れた|顎鬚《あごひげ》を突き出すようにして、畠中の掌に眼を注いでいたが、やがて枯れたような指を畠中の掌から離すと、じっと畠中の目の奥を見ながら言った。 「おぬしは二十五までしか生きられんのう」  中学四年、母といっしょに占師の家を訪ねたときであった。口をあけたままの母の顔から血の気がひいた。母としては、息子の進路を見てもらう軽い気持であった。  占いにしては、酷薄であった。職業的な占師は、たとえ不幸を予言するにしても、留保をつけたり、何か希望を持たせるものである。それが、いきなり死期を予言するとは。  畠中の母が色を失ったのは、畠中の掌の生命線が途中で切れているのを、かねがね気にしていたためでもある。 「……何とかならんのでしょうか」  母はようやく立ち直って、すがりつくように言ったが、占師は無言で首を横に振るばかりであった。 「あてになどなるものですか」  城址からの帰途、母は強い声で占師を罵った。 「当らぬから、あんなボロ住いをしとるのよ」  だが、その前、城址へ来る途中の道では、母はそれとは逆のことを言っていた。 「歯に|衣《きぬ》着せず、ずばり占いを言う人なの。だから、よく当る割りに金もうけは下手なそうよ」と。  二十五歳か——。  歩きながら、畠中は指を折った。十年近くある。早死にはちがいないが、当時の畠中としては、まだまだかなりの年月がある感じであった。  |動顛《どうてん》した母親のおかげで、畠中はむしろ落着いた。それに、少々悲壮な感じが少年の胸をくすぐらせもした。  七年後、畠中は大学を出た。身長一八一センチ、体重七十二キロの堂々たる体格は、徴兵検査で甲種合格。兵役は免れなかった。  陸軍にとられて苦労するよりもと、折から募集のはじまった海軍予備学生を志願した。競争率はかなりはげしかった。軍艦なら楽で安全だろうし、一年間で除隊というのが、誰しも魅力であったのだろう。畠中の両親も、二つ返事で賛成した。  だが、入ってみると、飛行科に配属された。同時に日本は太平洋戦争に突入し、一年の約束は御破算になった。老占師の予言を思い出さずには居れなかった。〈これは危いぞ〉と、そのときはじめて畠中は思った——。  眼の前の壁には、ハンガーにかけた畠中の士官服が、暗い電灯の光に、ほの白く浮かんでいた。短剣も金色に鈍く光って吊してある。  その同じ壁には、しばらく前まで南条中尉の服や短剣がかかっていたはずである。畠中が着ているのも、洗いはよくきいてはいるが、かつて中尉が着ていた浴衣であろう。そして、中尉にたのまれた「空家」である女……。  運命が座を用意して待っている。逃げ出すほどのことはなかった。覚悟云々というより、畠中はもともと屈託のないのんきな性格でもあった。  畠中は、相変らず煙ったような眼をしている女の着物を開いた。女はもう何も言わなかった。  ゆたかな落着きを見せる腰があらわれた。畠中は女の|躯《からだ》をさぐった。はじめての経験であった。無器用なのを見かねたように、女は無言のまま手を貸した。  外では、|雨脚《あまあし》がひとしきりしげくなっていた。      二  二十三歳 冬 台北  小柄で、やや面長な小さな顔。口もとに目につく|黒子《ほくろ》のある女であった。肌は浅黒かった。  女は畠中の手をにぎって、くり返した。 「内地に居つくようなら、必ず連絡してね。わたし、どんなことをしても会いに行くわ」  畠中はうなずきながら、女を抱き上げた。骨ばった軽い体であった。女は抱き上げられたまま唇を合わせてきた。大きな黒子が眼の前に迫った。  しばらくして、女は抱かれたままの手の先で、畠中の背をたたいた。 「さあ、もう行かなくちゃ……」  台湾北部の新竹航空隊での勤務を終り、ふたたび内地に転属になるときであった。  女は、まめまめしく畠中の身支度を手伝った。姉さん女房とはこういうものなのかと、畠中はあらためて思った。  女は、台北の繁華街に在る高級レストランの会計係であった。  台北へは、航空隊の基地のある新竹から少し時間がかかる距離。給与は多いし、つかう先は限られている。大きな気分になって、せめて高級レストランでもと、何回か通っている中、女と口をきくようになった。女は眼鏡をはずすと、片頬笑いの顔が可愛かった。そのことを自分でも知っているようで、畠中が現われると、眼鏡を外すようになった。 「いくら何でも少尉さんのお給料じゃ、たいへんでしょう。うちへ遊びにいらっしたら」  女は経営者の妹で、時間も自由になる身であった。  台北郊外の静かな住宅地。経営者の家とは庭続きに、女は小さな離れを借りて住んでいた。芭蕉の青い大きな葉蔭。テラスには白いテーブルと籐椅子。畠中と女は何時間もそこで過した——。 「日本まで無事に飛んで行ってね」  女が空を見上げながら言った。 「心配無用。今度はおれはお客さまだ。ベテラン・パィロットが輸送機で運んでくれる」 「それなら安心」  女は片頬笑いした。 「信用が無いんだな」 「だって、『迷いの|畠《はた》さん』ですものね」  新竹での畠中たちの任務は、一式陸攻機による中国大陸沿岸の|哨戒《しようかい》飛行であった。  新竹からまっすぐ西へ飛んで中国大陸の沿岸に出、その沿岸を四時間ほど南北に折り返し哨戒飛行を続けた後、またまっすぐ東へ飛んで新竹へ戻る。台湾の北から飛び出て、また、そこへ戻ってくる。航法としては簡単な飛行であった。  だが、ある日、哨戒を終って新竹へ向けて戻っているのに、予定時間を過ぎても陸岸は見えなかった。  航法は機長兼偵察員の畠中の責任であった。飛行方向は、風によって多少左右にぶれる。このため三十分に一度は偏流測定をやって針路をたしかめねばならないのに、のんきな畠中は一時間に一度ぐらいしかやらなかった。少々ぶれようと、台湾の新竹へ向かうのである。問題はないと思っていた。  だが、風は絶えず流れており、のんびり無視している中に誤差は重なり、飛行機はあらぬ方角へ流されて行っているようであった。台湾の新竹どころか、どこにも台湾がない。 「とにかく引き返すべえ」  畠中は、予科練出の二等飛行兵曹の操縦員に無造作に言った。先輩の南条中尉はじめ、一式陸攻の士官仲間には、やくざめいた口調がはやっていた。  海原のただ中で、機は百八十度変針した。  ただ、まっすぐ引き返したのでは、また同じことになるので、少し針路を南へ向けさせた。  根拠なしのあてずっぽうの航法であったが、幸運にも半時間ほど後、陸地の尖端が見えた。海沿いの都会も見える。台湾北端の|基隆《キールン》であった。  急いで針路を西南西へ修整した。危機一髪であった。そこをかすめ過ぎれば、また台湾海峡へ出、燃料切れで海へ墜ちるところであった。 「部下の命をどうするんだ」  畠中は、基地に戻ると、司令に散々あぶらを絞られた。基地開設以来の迷事故というので、たちまち「迷いの畠」というあだ名をつけられた——。  ずんぐりした大男の畠中には、一式陸攻がよく似合った。どちらが前か後かわからぬ葉巻型の胴体。スペイスは広く、乗心地はいい。操縦性も安定性もよく、故障は少なく、整備はやりやすい。翼全部が燃料タンクになっているので、航続距離も長い。結構ずくめの飛行機といえた。 「ほんとは一式陸攻で発ちたいな」 「まだそんなことを」 「飛行機乗りの気持は、きみにはわからんさ。それに、とにかく一式陸攻はいい飛行機なんだ」 「なんだか、惚れてるみたい」 「そう、惚れてるかも知れん。惚れさせるものがあるんだから」 「憎いわね。でも、いくらいい飛行機でも、所詮は軍用機でしょ」 「民間機に使っても、優秀だと思うな。武装をはずせば、太平洋を横断できるというからな」 「それで遭難しかけるのだから、やっぱりあなたは『迷いの畠さん』ね」 「……とにかく一式陸攻で帰りたい」  畠中はそのとき、自分を運ぼうとしているダグラス輸送機に不安を感じたわけではなかった。ただ一式陸攻が好きなあまり言ったのだが、結果的には、それは虫が知らせた言葉になった。  内地帰還の兵員をのせたダグラスは離陸後、高度百メートルのところで失速、大破した。  気がついたとき、畠中は水牛の居る田んぼの泥の中でうごめいていた。乗っていた大半は死んだが、幸い畠中は傷は浅く、一月ほどして退院、その後、傷痕だらけの体で女の離れに戻り、十日あまり静養した。  女は甲斐甲斐しく畠中の世話をした。礼を言おうとする畠中を遮り、 「日本へ帰ったら、必ず居所を教えてね」  と、念を押す。それが何よりのお礼代りだという。  畠中はうなずきはした。だが、内心、そのつもりはなかった。  まだ本格的な戦場に出ぬ中に、これほどの事故続きである。老易者の予言通り、とても二十五までは生きられない。未練を残す交際を、それ以上続ける気はなかった。      三  二十三歳 夏 スマトラ島パダン  背が高く、ちぢれ髪の女であった。つり上った眼、短い顎。浴衣を着ていなければ、現地人の女かと思われた。  竹を編んだ壁、椰子の葉で葺いた屋根。畳だけがどうやら本物といった料亭の座敷である。中庭の熱帯樹の茂みを越して三味線の|音《ね》が漏れ、女たちの嬌声が聞える。  その料亭は、駐屯の陸軍の|近衛《このえ》部隊の士官たちがひいきにしており、海軍には無愛想と聞かされていた。だが、 「陸も海もあるもんか。陸さんが眼をむく|大盤振舞《おおばんぶるまい》をしてやるぞ」  との南条中尉の号令一下、畠中たち若い海軍士官七人がくりこんできた。  果して評判通りの冷遇であった。インドネシア人のボーイが簡単な料理を運んできただけで、芸者も仲居も何度催促しても、「後で」という返事ばかり。  南条たちはいらいらしていた。待ちあぐねてのみはじめ、かなり酒が廻り出した。  女はそうしたところへ、おそくなりましたとも言わず、立ったまま入ってきた。  南条中尉は、ぎょろりと眼をむいた。 「サービスが悪いぞ。女はおまえ一人か」  女は南条の顔も見ずに受け返した。 「日本とはちがいます。ここはお国を何百里何千里の戦場ですからね。女は貴重品よ。日本女性が一人でも配給されれば、ありがたいと思わなくちゃ」 「なまいき言うな。それじゃ向こうはどうだ」  南条は、熱帯樹の茂みの向こうの座敷を指した。 「あちらさんは特別よ」 「特別とは何だ」  女はとり合わない。南条は爆発した。 「陸軍がそんなにえれえのか。近衛部隊がどうだっていうんだ」  女はさらに眼をつり上げた。 「おやおや、折角来てやったのに、不愉快ね」  手近の畠中に注ごうとしていた銚子を、畳に戻した。 「わたし、帰るわよ」 「帰れ。くそおもしろくもねえ。こんな料亭ぶっ潰してやる」 「へえ、潰せるものなら、潰してみなよ」 「よし潰す。後悔するな」  女は足音荒く立ち去って行った。  南条は畠中を見て、くすっと笑った。 「あの女、潰せといったぞ。どうだ、久しぶりに、ひとつ、芋を掘るか」  懐かしい笑顔、懐かしいセリフであった。再会できてよかった。だから、おれは南条中尉が好きなんだと、畠中は思った。  畠中は大きくうなずいた。 「やりましょう、盛大に」 「芋ヲ掘ル」とは、これも士官仲間の隠語であった。  料亭の接待などが悪いと、灰皿や花瓶をひっくり返す、短剣で畳を切る、屏風を破る。思いきりあばれ廻る結果、どんないい座敷も、たちまち芋掘り後の芋畠の様相となる。  もちろん料亭の方も心得ていて、後刻、十分な金額の損害賠償を請求してきて、それは月給から差引かれることになる。結局、損をするのは士官たちの側で、ばかげているといえばそれまでだが、若い畠中たちにはそうでもして発散せぬとおさまらぬものがあった。  南条中尉は映画俳優のようにしぶい美青年だが、大学時代ラグビーの選手であっただけに、その精力をもてあましかねてか、いつも芋掘りの先頭に立った。  まだ少尉当時、芋掘りの途中、海兵出身の中尉ばかりを相手に立ち廻りをはじめ、料亭の二階から中尉四人を下の川へ投げこんで、譴責処分をくったりした前歴もある——。 「芋掘り、かかれ!」  南条は立ち上って号令を下した。  血気ざかりの若者八人が、畳を切る、壁を破るの大騒ぎとなった。畠中は、太い竹の柱に抱きついて、ゆさぶってみた。日本座敷に見せかけてはいるが、造りは南方独得の掘立小屋である。五分と経たぬ間に、座敷はゆらゆらと動き出し、竹の壁が撓みながら倒れ、屋根代りの椰子の葉がくずれ落ちてきた。潰すつもりはなかったのに、ほんとうに潰れてしまったのである。 「あら!」  渡り廊下の向こうで、先刻の女が両手を上げて棒立ちになった。 「どうだ。おまえのたのみ通り、潰してやったぞ」  と南条中尉。  駆けつけてきた女たち、インドネシア人、陸軍の将校たち、どの顔も一様にあっけにとられ、口をあけている。  畠中たちは、意気揚々と引き揚げた。  料亭からは、もちろん抗議が来た。金銭で解決するより建物そのものを建て直すことが先決なので、基地隊の兵隊が出て、「直シ方」をやらされた。  畠中たちに、別に処分はなかった。  内地での「芋ヲ掘レ」は、青春の稚気だけの所産であったかも知れぬが、そこの「芋ヲ掘レ」の背後には、血の色を帯びた|荒《すさ》んだものがあり、無常感があった。  駐屯部隊がまだ何カ月も、あるいは何年も戦火に直面することがないかも知れぬのに比べ、一式陸攻隊は明日にでも死ぬかも知れなかった。  一式陸攻は、結構ずくめの飛行機のはずであったが、いざ戦場に出てみると、その裏目が出た。翼全体が無防備なガソリン・タンクになっているため、どこを撃たれても、簡単に火を吐き墜落する。「葉巻」というあだ名も、すでに火を連想させる不吉なものであったが、敵側では、「ワン・ショット・ライター」と、より適確なニックネームをつけていた。  攻撃に出ても、索敵に出ても、敵機に遭うごとに必ず何機かは撃ち墜された。よいはずの操縦性も、グラマン相手では問題にならず、さらに速度もおそい。このため、大きな編隊を組んでいれば別だが、ふつう敵機を見たら、いち早く雲の中へ逃げこむ他はなかった。  基地を飛び立つごとに、一応は死を覚悟せねばならぬ飛行であった。  その基地に来て南条中尉に再会したとき、南条は木更津の女のことについて、 「後は誰に申しつぎをしてきたか」  とだけ訊いた。  畠中は頭を掻いた。「空家」の心配までして来なかった。女とはそれほど深く馴染まなかったためである。やはり、女の最初の言葉がこたえていたせいであろうか。  畠中がその話をすると、南条は首をかしげた。 「おかしいな。あいつ、そんな予言はおれにはしなかった」  その後、すぐ太い眉を下げて笑った。 「もっとも、おれがはじめっから月給袋を預けたせいもあるな」  南条中尉は、いつも一人だけ落下傘をつけなかった。ときには飛行服にも着替えずに乗って行った。生きる自信があるためというより、むやみに捨て身になっていた。  そうした南条中尉に|魅《ひ》かれながらも、畠中自身は、たいした屈託もなく、のびやかに死に向かって歩いている気分であった。たしかに老易者の言う通りになりそうである。二十五歳まで、あと二年。その二年を、ときにはひどく長いものにも感じた。  芋掘り後一週間目、畠中の一式陸攻機はビアク島爆撃に出かけて燃料タンクに被弾、火を噴いた。  海上に不時着。ほぼ二十時間漂流してから、偶然、陸軍の船舶部隊に助けられた。  陸軍の野戦病院で介抱された後、陸軍の軍服を着、陸軍機でパダンの基地まで送り届けられた。  料亭をぶっ潰した夜の陸軍の将校たちの顔を思い出すと、大きな肩をせばめたい気がした。      四  二十四歳 冬 別府  丸顔だが、肩幅がひろく、上体のがっしりした女であった。いつもにこにこ笑っているようなところがあった。 「おやじが田舎から出てきた。寝るときには戻ってくるから待っていろ」  畠中の言葉にも、笑顔ですなおにうなずいた。  大分航空隊の士官用休養施設に当てられている旅館の一室であった。畠中の帰国の便りを見て、父親がはるばる秋田から面会に来たという。  女の甘酸っぱい体臭のこもっていた部屋を出ると、冷気を帯びた汐のにおいと、あたたかな湯の香が、まじり合ってにおった。  畠中は大きく息をした。ここは日本。部隊再編制のためとはいえ、たしかに無事に祖国へ帰ってきた。その実感をさらにたしかなものとするように、父親がやってきた——。  |鉤《かぎ》の手に折れた廊下づたいに、畠中は宿の玄関に出て行った。  玄関先には、白髪がふえ体もひと廻り小さくなった父親が立っていた。風呂敷包と古ぼけたトランクをさげて。  畠中が声をかけようとしたとき、 「ただいま」  小野村という中尉が帰ってきた。小づくりな細君がつき添っている。  小野村が靴を脱ぎ式台に上ると、細君は屈みこんでスリッパをはかせ、その靴を下駄箱に納めた。ついで、自分の履物をかたづける。  その間、小野村はあらぬ方角に眼をすえたまま突っ立っていた。その士官の右腕は、肩のつけ根のところから空っぽであった。右眼は義眼、左眼も失明寸前であった。  細君が軽く手をとり、寄り添うようにして廊下の角を消えて行った。  父親は茫然とその後姿を見送っていたが、畠中が父のために借りておいた部屋に腰を下ろすなり言った。 「おまえも、腕一本折ってもええから、飛行機乗りやめてくれたらなあ」  畠中は笑ってうなずいた。 「うまく行けばね」  そんなにうまく行くはずはなかった。それに定命の二十五歳まで、あとわずかの命である。  栗、餅、おかきなど母のにおいのするものをとり出しながら、父親は今度は畠中に妻帯をすすめた。 「お母さんがぜひにと言うとるでねえ」  なるほど、それは意志さえあればできることで、うまく片眼片腕を失くすよりやさしいことかも知れなかった。 「しかしね、お父さん。ぼくは飛行機を受けとると、すぐ南方へ行くのです」 「いまがだめなら、今度帰ったときにぜひ。必ず嫁をもらうと、お母さんに約束してやってくれ」  父親は、「お母さんが——」をくり返した。白一色に蔽われた秋田の町で、ひっそり息をひそませて、はるかな息子の声に耳をすましている母親の様子が眼に見えるようであった。 「わかったよ」  畠中は苦笑しながらうなずいた。生還できるはずはなかった。六月三十日の畠中の二十五歳の誕生日まで、あと半歳足らずである。あの老易者の予言を、母が忘れるはずがない。  それでいて、なぜ執拗に妻帯をすすめるのか。易断に挑戦し、不吉な|卦《け》をふり払おうというのか。それとも——。  畠中は、ふっと気分の滅入るのを感じた。母には息子の二十五年の寿命がわかっている。息子がだめなら、せめて赤ん坊を通してでも、息子の面影を残そうとしているのではないか。  黙りこんでいると、モンペ姿の宿の女中が料理を運んできた。航空糧食を廻して特別につくらせたもので、肉料理はもちろん、パイナップルまでついていた。  畠中は、これも特配のウイスキーをすすめた。あまりのめぬ父親は、すぐ真赤な顔になった。 「豪勢なものだのう。こんな御馳走してくれて、おまえ、大丈夫か」  畠中は航空糧食のことを話し、ついでに給与の額も教えた。  少尉の俸給七十五円。これはそのまま家に送ってあるが、その他に航空加俸九十五円。戦地に居ればさらに戦時加俸がつき、多いときは三百円にもなる。勤続二十余年、県庁の課長をしている父親の給与が百円。  だが、待遇の良すぎることが、かえって父親の不安をかき立てた。 「やっぱり、よっぽど危ないんだのう」  眉をくもらせ、畠中の身の廻りに硝煙のにおいを嗅ごうとする顔になった。  畠中は、帰国直前に参加したカルカッタ大空襲の話をした。それは、畠中の経験した中で、最も華々しく、そして味方優勢の戦いであったからだ。  それは、スラバヤ海軍航空隊の一式陸攻四十機、陸軍飛行隊の九九式軽爆三十機、それに|直掩《ちよくえん》のゼロ戦、隼、飛燕などの戦闘機隊を合わせた百機に上る大編隊で、白昼、カルカッタ上空に進攻した。  舞い上ってくる敵戦闘機は、次々と味方戦闘機隊の餌食になる。爆撃機隊は一波また一波と対空砲火の弾幕を縫い、正確な弾着で爆弾の雨を降らせた。港湾施設のほとんどは破壊、黒煙はカルカッタの空を蔽って、ベンガル湾へと流れた——。  畠中はまた、相変らず「迷いの畠さん」と呼ばれる自分ののんきな戦闘ぶりも話した。  マーシャル群島への夜間攻撃のときであった。基地を夕方六時に出て、翌朝六時に帰る。飛行距離はほぼ太平洋の半分に当り、一式陸攻の本領を発揮する長距離爆撃行であった。  途中まで編隊を組んで行き、その先は各機単独飛行でマーシャルを目指した。  闇の中の飛行。一式陸攻の二つのエンジンのうなりがしきりに同調して、睡気を誘った。コンパスの先で膝を突くなどしてこらえていたものの、いつか畠中は居眠りし、マーシャル上空を通過してしまった。  時計を見てそれに気づき、あわてて引き返した。  島の一部が燃えていて、そのおかげで間もなく目標にたどりついた。敵は日本機の攻撃が終ったと考えていて反撃もなく、滑走路も無防備のまま、そこヘ一トンの爆弾をたたきつけて帰投した——。  父親は弱々しく笑って言った。 「とにかく気をつけとくれよ」  父親の手の届かぬ世界。無力な親として言えることは、それくらいしかなかった。  もちろん、その二つは、畠中の経験の中ではむしろ例外的な戦闘であった。  たいていの場合、任務は地味、味方は劣勢、緊張に次ぐ緊張の飛行で、毎日のように二機三機と仲間は消えていた。 「そういえば、山本元帥が戦死されたのが、おまえの乗ってるのと同じ飛行機だそうだの」  しばらくして父親が思い出したように言った。 「きっと、ええ飛行機だろうと、お母さんと噂し合うとった」  同意を求めて、畠中の表情をさぐる。  畠中は小さくうなずいた。ライターのようによく火がつくとは言えなかった。ようやく翼下面にゴムがはられるようになったが、それ以上に敵機の火力が強くなっていて、一式陸攻は相変らずのワン・ショット・ライターであった。 「そんなええ飛行機でも、やられるんだのう」  父親はまた不安そうな顔になった。 「よほど運が悪かったんですよ」  一式陸攻は、運不運の中を縫いながら飛んでいる。敵につかまれば不運。そこで逃げ切れる雲がなければ、また不運。  廊下をスリッパの音が近づいてきた。 「畠中さんのお部屋はこちらでしょうか」  襖が開いて、女がまるい顔を出した。思いつめてというより、鈍い笑いを浮かべた顔であった。畠中の帰りを待ち切れなくなったのだ。  畠中は腕時計を見た。十一時近くなっていた。腰を上げることにする。 「じゃ、お父さんおやすみ」  父親はびっくりした眼で、畠中と女を見比べている。畠中は言い添えた。 「お父さん、これ、今夜のおれの彼女なんだ」 〈二十四歳。父親の二倍三倍もの高給取り。その上、明日の命知れず。遠くから来た父には悪いけど——〉  その思いを眼にこめて父親を見、畠中は女を送って部屋を出た。      五  二十四歳 夏 グァム島  六月十一日  やさしいが眼に強い光をこめた女。母であった。母の眼はけわしくなり、しきりに何か叫びかけてくるが、畠中の耳には届かない。  畠中は母親に近づこうとしてもがいた。もがいている中、眼がさめた。当直員にゆり起されていた。  空母二十数隻から成る敵大機動部隊がグァム島方面へ向かっている。一式陸攻隊は西方海上へ退避せよというのだ。  十機の一式陸攻は、グァムを後に、西方海域へ逃れた。明るい中に戻っては危ない。航続距離の長いのを生かし、次の指令のあるまで飛び続けよという。  入道雲の輝く南の空を青く染まりながら、旋回飛行を続けた。途中、スコールに遭って編隊を解いた。  畠中は最前部風防の中の偵察員席に坐り、雲と海を眺めながら、暁方見た夢のことを思った。母親の夢を見るのは久しぶりであった。  敵大艦隊の出現、それを迎え撃つあ号作戦の火蓋が切られ、グァム基地は火山の噴火口の中に置かれた感じであった。一日どころか一時間先がわからない。二十五歳の誕生日まではあと十九日。いよいよ人生の大詰めに来たという感じがあった。母はその別れのため、夢枕に立ったのではないだろうか。  ぼんやり物思いにふけって流れる雲を眺めている中、畠中はまた「迷いの畠」になり、基地からの通信をとりそこねた。いつまでも指令が来ない。  午後七時になり、日没と燃料切れのためグァムヘ戻ると、すでに午後六時までの帰投命令が出ており、その時刻までに帰っていた六機は、燃料補給と爆弾搭載を終えて、すでに出撃していた。そして、その中、三機が未帰還となった。  おくれた畠中機はじめ四機は、午後十一時出撃。攻撃完了後は硫黄島基地へ戻る予定であったが、暗夜に敵を発見できず、また、その中の二機は硫黄島へも辿り着けなかった。一日の中に、十機の陸攻隊が半数に減ってしまった。  六月十四日  それぞれ単機で硫黄島発進。十一日とは逆コースで敵機動部隊を雷撃してグァムヘ戻るはずであった。  畠中機は無数の白い航跡をひく大輪形陣を見つけたが、たちまちグラマンの編隊の迎撃を受けた。  だが、まだ運がついていた。近くに部厚い積乱雲の層があり、その中へ飛びこんで難を逃れた。  五機中、帰投したものわずかに二機。しかも一機は被弾しており、無傷なのは畠中機ただ一機となった。  六月十五日  敵サイパンに上陸の報が入った。  一方、畠中機には、足の長い一式陸攻にふさわしい任務が与えられた。まず、敵艦隊の上空を通り越してトラック島へ飛び、そこに集まっている搭乗員を収容。さらに三千キロ近くを飛んでフィリピンのルソン島へ。ダバオの基地から、一式陸攻四機の引き渡しを受けた。  六月十八日  トラックヘ向け五機で帰路についたが、雷雨のため、途中のペリリュー島に着陸した。「龍部隊」の名で呼ばれる一式陸攻約三十機から成る精鋭部隊の本拠である。あ号作戦のため、全機特攻となって突入すると、ねじり鉢巻で気負い立っていた。  その中に、南条中尉が居た。 「今度こそ、最後のでけえ芋掘りだ。おめえも|助人《すけつと》しろよ」  南条は畠中の腕をつかまんばかりにして言った。司令からも説得された。  だが、畠中はうなずかなかった。  別に死がこわいわけではない。死ぬことはわかっている。だが、何もあわてて死ぬことはない。のんびりした畠中には、基地の切迫感が伝わらなかった。その上、指揮系統もちがっている。  殺気立つペリリューを後に、畠中は五機を率いて飛び立った。  六月十九日  トラックヘ向かう途中、グラマンに遭遇。交戦の後、グァムヘ緊急着陸した。龍部隊全滅の報が入っていた。  同夜ようやくトラック島へ。着いて間もなく、猛烈な艦砲射撃を受けた。  六月二十二日  夕刻、艦上攻撃機二機とともに、サイパン沖の敵艦隊への攻撃を命じられた。  サイパン上空へ着いたのが、午後九時。すでに米軍に占領された島の北半分には灯火がきらめいているのに、味方のひそむ南半分は真暗である。その境界線あたりで、交戦しているらしい火花の散るのが見えた。  島の西側へ出る。  畠中は思わず声を上げた。大小無数の艦船が|煌々《こうこう》と灯をつけて碇泊していた。夢か幻でも見ている気がした。  畠中は高度を三百メートルに落し、その艦船の間を飛び廻った。目標をインディアナポリス型巡洋艦にきめた。 「チョイ、右」「チョイ、左」「|宜候《ようそろ》」十分に誘導して、「用意、|投下《てー》!」  操縦員が魚雷の発射ボタンを押した。数秒後ふり返ると、真赤な火柱が夜空に噴き上っていた。  艦船の灯がにわかに消え、いっせいに対空砲火が火を吐き出した。畠中機は超低空で船のマストとマストの間を縫うようにして離脱。主砲まで加えた敵弾はどこまでも追いかけてきて、機体をゆさぶった。  夜ふけにグァム飛行場へ無事着陸。だが、畠中たちが下り立つのとほとんど同時に、戦い疲れた一式陸攻機は、足を折るようにエプロンに崩折れた。無数の被弾。そこまで帰れたのがふしぎなくらいであった。  善戦に次ぐ善戦。あれほど働き者だった一式陸攻機だが、ついにグァムには一機もなくなった。  畠中は、父親の希望通り、飛行機乗りではなくなった。敵大艦隊の包囲下に在る島で。  六月二十三日  終日、敵の艦砲射撃と爆撃。壕から首も出せない。  グァムには、飛行機を失った搭乗員がごろごろしていた。陸戦用の武器といっては、拳銃と、飛行機から外した七・七ミリ機銃。何もない者は、鉄の棒をヤスリで磨いて槍をつくっていた。  六月二十四日  正午、爆撃の合間に司令に呼ばれた。そして、思いもかけぬ命令を受けた。  味方潜水艦が迎えに来る。在島の搭乗員百名を率い、内地に帰還せよという。  その日の薄暮、基地のすぐ先のアプラ港沖に浮かび上った。|大発《だいはつ》に乗って待機していた畠中たち搭乗員は、岩蔭を縫ってその潜水艦に近づき移乗した。  海岸には基地部隊の将兵が「帽振レ」で見送ってくれる。「道中できっとやられる。これが見納めだ」と、基地部隊では噂していた。      六  二十五歳 冬 |鈴鹿《すずか》  京人形の顔、首は細く腰のくびれた女。畠中は何かふしぎなものでも見るように、湯気にかすむ女を見つめた。それが自分の妻なのだと思うと、いっそう、ふしぎな気がした。 「恥ずかしいわ。そんなに御覧になっては」  畠中の視線に気づいた女は上気し、黒い瞳をまたたかせた。  それでも、畠中は見守り続けた。  処女とはこういうものだったのか。まぶしくて、何ものにともなく手を合わせたい気がした。  考えてみれば、それまで畠中の知った女たちは、体格や年齢にちがいはあっても、腰のくびれなどというものはなかった。みんな、一式陸攻のようにずんどうであった。一式陸攻のように経験があり、一式陸攻のように簡単に火がついた。一式陸攻の良さは、年増女の良さであったかも知れない……。  潜水艦は夜間わずかに浮上するだけで、後は海底を這うようにして進み、無事日本にたどり着いた。  畠中は、いったん大分航空隊に落着いた。いつかの別府の芸者は|落籍《ひか》されて材木商の妾になっていた。畠中は、その妾宅をつきとめて強引に呼び出し関係を持った。火がつくと女はもろく、妾宅を留守にして一週間あまり畠中に抱かれ続けた。  畠中は畠中で、そうでもしなければ、生きて戻ったという実感をたしかめられぬ気がした。  帰国の報せに、郷里の両親からは折り返し、遠縁の娘をもらえと写真を送ってきた。まだ女学生姿のその写真は気に入ったが、もちろん結婚の意志はなかった。  だが、両親、とりわけ母親の意志は強かった。続いて来た便りでは、その娘を養女として入籍したという。畠中は、そういう形ででも息子の血の延命をねがう母親の執念に負けた。  帰省した畠中は、三晩がかりで両親に口説き落された。眼をつむって崖から飛び下りる気持になった。娘こそその不安が強いであろうが、すでに入籍までして健気に覚悟をきめているのを見ると、畠中も決心する他はなかった。  娘に会って、いっそう気にも入っていた。それに、処女を知りたいという気持を否定しようもなかった。  畠中は、鈴鹿航空隊に移った。お下げ髪にモンペ姿の娘も秋田から出てきた。鈴鹿の山々に抱かれた湯の山温泉が、新婚旅行先になった。  疎開学童が多勢居て昼間は騒々しく、いきなり襖を開けたりするので、新婚気分を味わうには夜を待たねばならなかった。  幸い、山の夜は早くふけた。木がらしの音だけが聞える静けさの中で、二人は湯に入った。大きな岩風呂には、新妻にふさわしい透明な湯が溢れ続けていた。  湯の中で、畠中は恥ずかしがる新妻を抱きしめる。長い睫毛、澄んだ鼻筋、肉のうすい首。人生とはこんなすばらしいものであったのかと、畠中はまたあらためて思った。  帽を振って見送ってくれたグァム島の将兵は、全員戦死した。一式陸攻の仲間の多くもまた……。  未練が湧くというより、ただ生きているその束の間をいとおしみたかった。前途は闇であった。ついに二十五歳にはなったが、生死不定。  畠中は、飛行練習生の少年たちの教官をつとめた。その航法の教材プリントの中に、誰が書いたのか、畠中の新竹時代の失敗談が出ているのを見て苦笑もした。  もちろん、それも束の間の仕事であった。練習機「白菊」による特攻編制を終っており、敵艦隊接近とあれば、いつでも指揮官機として飛び立つはずである。  そうしたある日、内地に戻ってきていたらしい台北の女が、どこからか畠中の消息を聞いて鈴鹿まで訪ねてきた。だが、畠中の妻帯を知って、「よろしくと伝えて」と、名だけ告げて去った。  基地隊の下士官からその|言伝《ことづ》てを聞いても、畠中は動かされることはなかった。  すべてはすでに終った。畠中の人生も二十五歳、グァム島で終っている。いまは一日一日新しく人生がはじまり、一日一日で終って行く。      七  五十歳 冬 羽田  妻に似て黒瞳の勝った大きな眼の女。つけ睫毛かと思われるほど長い睫毛。細い首筋、くびれた腰。すべてが二十五年前の妻を思い出させた。  はなやかな国際線ロビーの一隅。畠中は人の輪の後に立って、じっと娘に見入っていた。  終戦の年、九月も半ばに復員すると、いきなり赤ん坊の声が耳に入った。 「昨日生れたおまえの子供だよ」  母親が、かつて畠中が見たこともない晴れやかな顔で走り出てきた。  赤ん坊は、妻の傍でただやわらかく|蠢《うごめ》いている小さな肉体というだけで、似ているといわれても、ぴんと来なかった。  それが、いま嫁ぐ身となった。  新郎は秋田出身、いまは東京の電機会社につとめる長身の青年で二十五歳。あのころの畠中たちとは逆に、人生は退屈なほど変化もなく続くと感じて育ってきた世代である。  新郎は会社の同僚や友人たちに囲まれ、胸にいくつもの花束を抱えた娘は、東京在住の同窓生などにとり巻かれている。二人は結婚式を秋田であげ、新婚旅行にグァム島へ飛び立つところであった。たまたま東京出張の用を兼ね、畠中は妻に代って見送りに来ていた。  三人の子供を産み育てて、妻は腰のくびれも消え、ずんどうの一式陸攻タイプになっていた。一式陸攻なみに性能はよく、故障知らずで飛び続けている。  娘も父親思いであった。  新婚旅行は海外へと先方から切り出されたとき、娘はグァム島行きを望んだ。経費がかからず、手軽にハワイに似たムードがたのしめるということもあるが、娘の心には父親である畠中のことが微妙に作用したようであった。  一方、畠中はびっくりして首を振った。 「グァムなんか、よせ」 「どうして」 「どうしてといったって……」  畠中は答に窮した。娘たちに何度かグァムのことを話した。しかし、ほんとうのグァムの姿は、やはり娘たちにわからなかったのだという気がした。  畠中の心の中に在るグァムは、新婚旅行にふさわしい島ではなかった。いや、新婚旅行などで気楽に出かけてはかなわぬ島なのだ。  娘はけげんな顔をしながら続けた。 「お父さんが青春の情熱を捧げた土地でしょ。わたし、見てきたいのよ」  娘は畠中のことを思っていた。その気持がわかるだけに、畠中も反対しきれなかった——。  アナウンスが、グァム島便乗客の出国手続開始を告げた。  人の輪が色めき立つ。その輪を細い背で引き絞るようにして、娘が寄ってきた。 「行ってきます、お父さま」  無言でうなずく畠中に、 「お土産にグァム島の砂をとってきますからね」 「……うん、できたら飛行場の砂がいい」 「飛行場に砂があるかしら」 「……そうだな。それなら飛行場に近いところの砂でも」 「わかった。できるだけ、そうするわ」  娘は片手をあげて振りながら、遠ざかって行った。  畠中はまた、自分の気持のどれだけが娘に伝わったのだろうと思った。  畠中の瞼に在るのは、精魂尽き果てたように滑走路に崩折れた愛機の姿である。崩折れた「彼」は、やがて島を蔽う米軍の砲爆撃にあとかたもなく消しとばされたことであろう。  その「彼」の灰になった一部でも、砂にまじって残ってはいないか。そうした「彼」をしみじみいたわってやりたい。  死者たちのことは、思い出すのも苦しかった。考えてみれば、畠中はいま、かつての親たちと同年輩になっていた。畠中が夫となり父となって過してきた二十五年は、その親たちにとっては、ただ悲しみだけの永い二十五年でもあったろう。  戦後の二十五年は、畠中にとっては平坦な人生ではなかった。  横浜で造船会社につとめたのを皮切りに、東京で新聞記者になり、ついで放送局の記者になる。さらに故郷へ戻って雑誌社をつくり、四号まで発刊して倒産。政治家に打って出て落選。故郷の新聞社につとめ、ついで放送会社に移る。  西に東に飛び交っていた時代の惰性がまだ残っていて、何かを求めてころげ廻って生きている感じであった。「迷いの畠さん」と呼ばれておかしくないときもあった。  しかし、翼をはり二つのエンジンを同調させて息長く飛び続けて行く姿勢が、いつも畠中には在った。変化の割りに安定し、故障は少ない。そして、いまは部長の身であった——。  人々の後について、畠中は送迎デッキに出た。  スモッグに汚れた空。雪もよいの冷たい風。眼下のエプロンには、色とりどりの塗装の各国からの大型ジェット機が、高く尾を立てて並んでいた。見るからに高速・高性能を感じさせる機体である。  だが、畠中には、そこに在るどの飛行機よりも、一式陸攻が恋しかった。あのグァムを訪れるのに、美しいジェット機はふさわしくない。もし一式陸攻で行けるものなら。  畠中は広い空港を見渡した。  中型のジェット機、レシプロ機、遠くにはいくつか小型機も見える。  どの飛行機も、メカニックな面構えをしていた。平和な時代の飛行機には、疲れや痛みのかげもない。傷つくことを知らぬ顔を並べている。被弾して次々と消えて行った「彼等」とは、まるで同類ではないといったクールな顔である。  畠中の前では、娘の友人たちが手すりにもたれてはしゃいでいた。あたたかなオーバー、光る靴、あざやかな化粧。何の屈託もない女たち。  それに比べれば、畠中の知ったのは、すべて不幸のかげのある女たち、被弾した女たちであった。細い目の木更津の女も、黒子の目立つ台北の女も、意味なく笑う別府の女も……。いや、無垢な新妻でさえ、被弾のかげに在った——。  出国審査に手間どるらしく、娘夫婦たちは仲々現われない。手足の先が冷えてきた。  畠中は手袋をはめようとして、思い出したように掌を見た。そこには生命線があざやかに弧をひいてのびていた。かつてたしかにとぎれていたものが、いつの間にか、長く深い線になって続いている。  ふしぎといえば、グァム島基地では、コックリさんが流行していた。箸を組んで動かす他愛もない占いだが、その占いに、「六月には内地へ帰れる」と出た。誰も笑って信じなかったのだが。  畠中に人生二十五を占った老易者は、終戦の年、釜石に移り、艦砲射撃を浴びて死んだ。 「自分のことさえわからんと。やっぱり当てにならぬ易者だったんよ」  母親は|初孫《ういまご》を抱きながら、勝ち誇るように教えてくれた。  だが、畠中にしてみれば、あの人生二十五の予言のおかげで、早くから死の覚悟ができ、死を急ぎもせず、とくに避けようと焦りもせず、結果として悠々と「迷いの畠」のペースで崩折れもせず生きのびられたのかも知れなかった——。  娘たちが、高い声を上げた。ようやくグァム島行きの乗客たちが姿を見せたようであった。  畠中は胸が痛んだ。そのときはじめて突風のように、グァム島へ行きたいと思った。 [#改ページ]   赤 い 夕 日

      一〇〇式司令部偵察機      発動機空冷一〇八〇馬力二基、全備重量五〇五〇kg、最大速度時速六〇四キロ、実用上昇限度一〇七二〇メートル、航続距離二四七四キロ、機銃七・七ミリ一、乗員二      一  その検事は小柄で色白。出来そこないの雛人形のような感じの男で、小さな顔に薄い唇が女のように赤かった。そして、その唇をぴちゃぴちゃさせるようにして口をきいた。  三カ月余の早稲田署の留置場ぐらし。まわりはスリや掻っ払い、バクチ打ちなど、汚泥のような人間ばかり。加えて、浅黒く粗野な特高に、どなられたり撲られたりして調べられ続けた後だけに、その検事の出現は、村尾にはひどく印象的であった。  しかも検事は、まだ大学生の村尾を「きみ」と呼んで話しかけた。「この野郎」とか「てめえ」などとしか呼ばなかった特高に比べると、まるで別世界から来た人間に見えた。あまりにその場に似合わぬやわらかさなので、村尾はほっとするより、かえって心をかたくした。  そして、結果的には、ただ一度限りのその検事との出会いが、村尾を決定的に運動の深みの中へ追いやることとなった。  もちろん、革命運動に一生を捧げるまでには、多くの体験や思想の積み重ねが必要なことぐらい、村尾にはわかっているのだが、にもかかわらず村尾には、自分の五十年の人生をきめてしまったのは、やはりあの検事だったという実感は消えない。  町医者の家に生れた村尾は、父の跡を継ぐのをきらって早稲田の法科に入り、上級生に誘われ、羽仁五郎の『ミケランジェロ』の読書会に出ていたとき、警察に踏みこまれ逮捕された。ダビデのたくましい彫刻を表紙にしたその書物は、絶対主義的な社会と闘って生きたミケランジェロの生涯を描いたものだが、その程度の本を読んで逮捕されたことに、村尾は怒りとともに戸惑いを感じていた。  そうした村尾に、検事は薄く赤い唇をぴちゃぴちゃさせるようにしながら言った。 「きみ、ホウケンロンソウ知ってるか」  封建論争という漢字は浮かんだのだが、何を指すのか、とっさにつかみかねた。後から思えば、講座派と労農派の論争のことで、村尾にも一応の知識はあったのだが、そのときは頭に浮かばなかった。  黙っている村尾に、検事は薄い唇を歪め、ふっと息を漏らすようにして笑った。 「きみは、そんなことも知らないで運動をやってるのか」  村尾は、くそっと思った。ウサンくさく思っていた相手だけに、こんなやつにばかにされてと、体中が熱くなった。  もともと村尾には一本気なところがあった。純粋好みで、むきになりやすい。そこへ若者らしい反撥が加わって、村尾は釈放後、意地になって、手に入りにくいマルクス・レーニン主義の本を求め、勉強した。|共《シ》産主|義《ン》同調|者《パ》にも接近し、家を転々としての輪読会にも出た。そして、レーニンの『帝国主義論』を読んでいるとき、二度目の検挙をくった。  ふたたび早稲田署の留置場へ。村尾は、あの色白の検事との再会をひそかに期待した。妙な話だが、捕わるべくして捕われたところを見せてやろう、あの薄い唇に余計な口をきかせないようにしてやろうと思った。  だが、村尾は検事の取調べ以前に釈放された。村尾の友人の父親がたまたま大臣をしており、村尾の家でその大臣にたのんで手を廻してもらったためであった。  学校に戻ると、繰上げ卒業、学徒出陣が追いかけてきた。雨の神宮球場を埋めて行われた壮行式に、村尾は参加しなかった。  大東亜戦争は、まぎれもない帝国主義戦争、誤れる戦争である。といって、批判や抵抗のできる時期は過ぎていた。村尾としては、やがて来る新しい時代の前のひととき憂き世を忍ぶ仮の姿に自分をたとえる他はなかった。しばらく眼をつむって雨露に耐えるつもりで軍隊に入った。予想していた通り、軍隊は愚劣であった。下士官は理窟なしに撲りつけてくるし、准尉は村尾たちを寒風の吹きすさぶ営庭に整列させ、 「気合いとは何か」と質問。「軍人勅諭の精神であります」「勇往|邁進《まいしん》のことであります」などという学徒兵の答に、次々と「ちがう」を連発したあげく、おもむろに胸を反らせて言った。 「気合いとは、気合いである。わかったか。よし、解散!」  三重県下の風光明媚の地、|加佐登《かさど》に在る航空軍教育隊では、各隊の学徒兵を成績順に一班から四班へと班分けし、ときどき成績に応じて組み換えして発奮させる仕組みであった。  早稲田時代、軍事教練などろくに出たこともなかった村尾は、最初から最後まで四班ぐらし。教官や優秀な学徒兵仲間にはばかにされたが、四班は発奮せざる仲問ばかりなので、それはそれで暮らしよかった。  とにかくサボることだけが好きといった人間の形をしたナマケモノのような兵隊も居れば、すね者も居る。そんな若さで結婚していて、 「いまごろ家に居たら、女房とアレして」  と、明け暮れそんな話ばかりしている男も居た。落語講談から浄瑠璃まで何でもこなし、夜になると、飛行機の伝声管をこっそり外してきて、声色を流してくれる兵隊も居た。  誰もが、もともと向上精神がないのだから、組み換えて発奮させようという軍のねらいも、四班だけには通用しなかった。  その発奮せざる仲間たちが発奮するのは、禁じられたたのしみにふけるとき。脱柵して、近くの農家から芋を手に入れてくる。飛行機のエンジン・カバーの中にその芋を入れ、調整テストに見せかけてエンジンをふかしていると、芋はうまく焼けた。ナマケモノもふくめて四班全員、その秘められた焼芋作業にだけは眼を輝かした。  だが、ある日、エンジン回転中、エンジン・カバーが吹っ飛び、焼芋が飛び散った。もともとルーズな連中なので、カバーのボルトをルーズに締めていたためである。  罰直に学徒兵全員、夜通し走らされ、三人がぶっ倒れ、班長の学徒兵は責任を感じて腹に短剣を突き立てる騒ぎになった。  まじめな学徒兵たちは、あのクズたちのおかげでと、四班をうらみ、村尾たちは村尾たちで、まじめな他の班を、なぜそんなによくやるのだ、こっちがまずいじゃないかと、逆うらみした。  軍人は要領を本分とすべしで、万事、最少の努力でやり過したい。長文の軍人勅諭など暗誦しなくてはならぬのだが、指名された瞬間、「忘れました!」と大声で答えれば、そこは気合いが貴ばれる軍隊のこと、意外にあっさり放免されることを知って、村尾はいつも間髪を入れず「忘れました!」と大声はり上げることで、暗記の労を省いた。  もっとも村尾は、医者である父の血を継いだのか、機械好きで、整備の仕事は性に合った。現物のエンジンに触れてみるのもたのしかった。進んで航空力学の本を読んだり、操縦について勉強したりもした。  ただし、それはあくまで個人の趣味としてであり、兵隊としての成績にかかわる作業や試験などは、わざと投げやりにすませた。仮ずまいの身としては、まじめな軍人になる気は毛頭なかった。  訓練課程の終るころ、学徒兵たちは希望の任地を書いて提出することになった。村尾は、申告書のその欄に記入した。 「いずこも同じ春の夕暮」  雨露を忍ぶ姿である以上、どこの土地でも同じという気持がした。それに村尾には、自分はどんなことがあっても死なぬという自信があった。  その自信がどこから出てきているのか、村尾にもよくわからない。生来、楽天的なところのあるせいもあろうし、大東亜戦争が誤った戦争であり、こんな戦争で殺されてたまるかという気概のせいもある。行先については、他の学徒兵たちのように気をもむこともなかった。結果は、関東軍に配属ときまった。村尾は、まずはよかったと思った。  満洲は戦場ではない。それに、キングの『四千年の農民』やアンダソンの『黄土地帯』などを通して、村尾の胸には中国大陸への憧れの思いが植えつけられていた。  満洲は、地球上のたった一つの社会主義国であるソ連にも接している。村尾たちにとって、心の祖国とも呼ぶべきソ連に。  四千年の悠久の土壌の上に、北からは新しい時代の風がにおってくる。あらためて考えてみると、満洲は願ってもない任地といえた。その広漠たる大地には、自分を見直しつくり直す機会が、海のようにひろがっている気がした。  明るくなるばかりの村尾の表情にひき比べ、南方行きときまった学徒兵たちは、悲壮であった。にわかに無口になり、暗い顔になった。そして、事実、その多くが輸送途中で沈められたりして、再び戻っては来なかった。      二  部隊編制のため、村尾たちはひとまず千葉県|下志津《しもしづ》の偵察飛行師団に配属になった。  階級は見習士官。整備小隊の隊長として、三十人の下士官兵と、ほぼ同数の軍属を預かる身となった。世を忍ぶ仮ずまいの身としては、少々責任が重過ぎ、|面映《おもは》ゆかった。  だが村尾は相変らず発奮せず、ノンシャランとやり過して行くことにした。  一日、梶という伍長が、血相を変え、少年工の胸ぐらをつかんでひっぱってきた。 「見習士官殿、こいつを御成敗ねがいます」  村尾は、よほどの不祥事でもしでかしたのかと思った。だが、梶伍長が次に口にした理由を聞き、思わず失笑した。作業時間中にその少年工が格納庫の屋根に梯子をかけ、雀の巣を取ろうとしていたというのだ。  村尾は、おびえている少年工に笑顔で問いかけた。 「雀の卵でもあったのかい」 「いえ、何も……」 「そうか、そりゃ惜しいことをしたな」 「隊長殿!」  心外そうに声をとがらせる梶を、村尾は眼でおさえた。 「いいじゃないか。何もたいしたことじゃない」 「しかし、作業時間中に……」 「もういい」村尾は少年工にふり向いて言った。「時間中には二度とやるなよ」 「はい」  村尾は少年工を立ち去らせてから、梶に、 「まだ子供じゃないか。勘弁してやれ」  梶は強く首を横に振った。志願兵上りの切れ者という評判で、小柄で眼が小さい。薄い唇が、何か言いたそうにふるえたが、声にならなかった。この見習士官には何を言ってもだめなのだと、値踏みしている眼の光があった。黙っていてやるのが、最上の返答だという面構えでもあった。村尾は、そうした梶に、ふっと、いつかの検事の顔を連想した。幸い上官であることは絶対的であった。 「伍長も帰っていいぞ」  気合いをかけるようにして送り出した。  次の外出日、村尾は軍属の責任者をしている沢本に誘われ、千葉の町へ飲みに出た。  がっしりした体格で、髪に銀色のもののまじりはじめている沢本は、飛行機製造会社から来ているベテランの整備工であった。爆音を聞いているだけで不調箇所がわかり、編隊が下りてくると、 「四番機の二番エンジンを調べてみろ」 「一番機の一番エンジンの点火栓を洗っておけ」  などと、見もしないで指示を出した。その通りに不調の箇所があって、誰もが沢本の技倆に心服していた。そうした名人がついているから、にわか仕立ての整備隊長でもつとまるといえた。  沢本は、それまでの村尾の人生では、あまり出会わなかったタイプの人間であった。下積みながら世の中を支え動かして行くのは、こうした人間なのだと、村尾は眼を洗われる思いがしていた。  沢本は、少年工のことで、村尾に礼を述べた後、 「お若い隊長殿を見直しました」  と、重い口でつけ加えた。  村尾は照れくさかった。学生時代の気分のままにしたまでのことで、別に義侠心とか統率の才あってのことではない。といって、そんな弁解をするのも面倒くさく、黙って沢本の酌を受けた。  沢本は、すぐ芸者を呼び入れた。無口な彼としては、礼のため一席設けたが、それ以上の対話はにが手で、年増芸者に座持ちを委ねた形であった。  もっとも、ときどき酌をしてくれるとき、村尾を見る眼には、信頼感がこもっていた。 〈ぼくの方こそ、あなたを信頼しているのです〉と、村尾は叫びたいのをこらえた。  家庭のことを訊くと、子供は娘ばかり三人。空襲に備えて、木曾の山中の妻の実家へ疎開させてあると、遠い目で言った。  芸者が座を外したとき、沢本は村尾をみつめて訊いた。 「戦争はどうなると思われますか」  きまりきった答でない答を求めていた。沢本は村尾に他の将校たちに無い何かを感じているようであった。  村尾は沢本に問い返した。 「あなたはどう思いますか」 「さあ……」  沢本は静かに酒を口にふくんだ。哨戒飛行の友軍機であろうか、かすかに爆音が聞えた。  沢本は盃を置くと、ぽつりと言った。 「このままでは、空を飛べない飛行機ばかりになりますからね」  動員学徒や女子挺身隊が加わり、航空機の生産力は量的には増えてきたが、質的には逆比例して低下、故障が頻発していた。個々の部品はもとより、部品の材質そのものから悪くなってきている。整備でカバーするにしても、限界があった。  空が日本の空でなくなれば、それは敗戦に通ずる。まるでその先触れのように、それから数日後の三月十日、東京へB29の大編隊が襲ってきた。  村尾たちは非常呼集された。江東一帯に燃えさかる火は、下志津あたりにまで煙をなびかせ、時折、火の粉まじりの風とともに、焼けたボール紙や布片などが舞ってきた。紫と白の矢絣の小袖が焦げながら飛んできたときには、村尾も思わず眼をみはった。  部隊は焼跡に出動、死体整理に当った。江戸川に浮かぶ無数の焼死体を手鉤にひっかけて引き揚げる。子供を抱いて死んでいる母親も居た。無残であった。  だからといって村尾は、その悲惨さに打ちひしがれたり、あるいは発奮したりということもなかった。村尾には、そうなることははじめから見えていた気がした。これは帝国主義戦争、戦争でこうなるのは当り前のことなのだと。  煤と屍臭にまみれて、翌日昼近く下志津へ戻った。すると、満洲への出動命令が出ていた。  身の廻りの整理にかかった。そこへ沢本軍属がやってきた。ちょうど木曾の妻子から送ってきたのだと、干柿をさし出す。  軒端につるして冬を越させたという干柿は、ひどく甘かった。暗い木曾谷を埋めて降りしきる白い雪。その中に赤く光る干柿。そうした風景が、村尾には眼に見える気がした。その風景を味わうようにして食べた。炭の色一色に化した東京の光景を心で打ち消しながら食べた。  沢本は村尾のまわりの荷物に眼をやりながら、 「荷はこれだけですか」  と念を押し、 「大事な物は何でも持って行った方がよいですよ。お宅へ取りにやられたらどうです」  と言う。  将校の中には、小型の箪笥まで持って行く者が居り、それを機内に固定させるのに、軍属や兵隊たちが|大童《おおわらわ》だという。どうせ日本は焼野原になる。転任を利用し、少しでも満洲に疎開させておけという考え方である。  沢本はいつになく熱心にすすめた。村尾の荷物なら、よろこんで機内に縛りつけるという。  村尾は、船橋の遠縁の家に預けてあったミカン箱詰めのマルクス・エンゲルス選集を取ってきて、沢本に渡した。 「たったこれだけですか」  沢本軍属はがっかりした顔になり、持ち上げてみて、 「おや、案外重いですな」  だが、中が何かとは訊かなかった。      三  部隊は、十六機の一式双発高等練習機に分乗して下志津を飛び立った。兵員・器材を満載しているため、大阪・米子と燃料補給のため中継した後、朝鮮の|大邱《たいきゆう》めざして日本海横断にかかった。  操縦は梶伍長。村尾は機長として、その隣りの副操縦士席へ。あの雀取りの一件以来、梶は村尾によい感情を持っていない。まして機内の軍属や兵の眼を意識するので、ことさら硬い表情で操縦していた。  いつものくせで、村尾は離着陸のときは梶の操縦操作などを目でおぼえていたが、上空に上ってからは、いつか、うとうとしていた。  梶が流行歌を口ずさんでいるのを一度だけ耳にした。梶伍長は見かけに似合わぬ美声の持主で、隊内の演芸会にはいつも出演して喝采を浴びた。それを人心収攬術に使っているフシもある梶であった。  ふいに村尾はゆり起された。梶伍長の白い顔が目の前に在った。 「おう、着いたのか」  梶は薄い唇を歪めた。 「だめです」 「だめとは何だ」  村尾は、まだ寝ぼけていた。梶は無言で下を指した。紺色の海の上である。  そのときになってはじめて村尾は、爆音がおかしいのに気づいた。ばっか、ばっかという音を立てている。梶の「だめ」の意味がわかった。  わかったが、死んではたまらない。まして、こんな男といっしょでは浮かばれない。梶はまた梶で、こんな隊長といっしょに死にたくないという顔をしていた。 「何とかならんか」  村尾は梶にどなった。梶はにがい顔を横に振った。階級こそ士官であっても、この学生上りは何のたよりにもならぬという表情であった。  たよりにすべき沢本軍属は、別の飛行機に分乗していた。もっとも仮に沢本が居たところで、上空での故障には手の打ちようがなかったであろう。 「空を飛べない飛行機になる」という沢本の予言が、不吉に思い出されてきた。村尾は、機内を見廻した。七人の軍属と兵が声もなく操縦席を見つめている。  この連中と死ぬのか。そして、折角持ってきたマルクス・エンゲルス選集とともに、日本海に沈むのか。  いや、死にはしない。どんなことがあっても、自分は死なないことになっている。 「がんばれ、梶伍長!」  村尾は役にも立たぬと思いながら、声をかけた。  梶は梶で、村尾といっしょに死にたくないとでも思ったのか、しきりにレバーやスイッチをいじった。そして、エンジンの出力の続く限り高度を上げて行った。  やがて、ばった、ばったという音も聞えなくなった。エンジン・ストップである。  だが、そのときには朝鮮の一部が見えていた。機は空中滑走を続け、|蔚山《うるさん》飛行場に不時着した。      四  配属先は、関東軍の前線基地であるチチハルの飛行部隊。地上攻撃もできる九九式軍偵察機が主力で十機。それに「新司偵」と呼ばれる一〇〇式司令部偵察機六機などを抱えていた。  部隊長に着任の報告に行く。半ば満洲の土に風化したような感じの痩せた老大佐であった。 「学生出身だそうだな」  大佐の口調には、ねぎらうようなひびきがあった。村尾は大佐に苦労人を感じた。この部隊長の下でなら、何とかうまくやって行けそうに思えた。もともと操縦員である梶伍長が他の小隊に転属になったことも、村尾に解放感を味わわせた。  それに空は高く大きく、地平線まで何ひとつ眼を遮るものもない大陸の風景が、村尾をよろこばせた。満洲に来てよかったと、村尾はあらためて思った。  ただし、満洲の農民たちの生活は悲惨であった。日本軍は基地として広大な土地を収用しており、農民は追われ追われて遠い地平の果てまで牧草を刈りに行く。  赤い大きな夕日を背に、馬車に草を山と積んで帰る絵葉書のような光景も、村尾には日本軍に土地を追われた農民の悲しい姿に映った。  ぼろぼろの衣服、痩せて皺の深い老農民の顔、村尾たちを見て無理に浮かべる笑い。  理論通り、いや理論以上にひどい植民地満洲の現実であった。村尾は自分の思想の正しさが|証《あか》しされた気がした。何が大東亜共栄圏だと思った。  この現実に対して、匪賊の名で呼ばれてはいるが、中国共産党や金日成の率いる朝鮮人ゲリラが抵抗をはじめていた。  補給線は、しばしば襲われた。治安は保ちきれず、チチハルの旧城内では消される将兵が続き、日本軍の外出禁止区域となった。  ただ村尾だけは、いつも出かけた。こわかったが、自分を襲う相手が自分の心の祖国の人々だと思うと、にがく、また新鮮なスリルがあった。胡同を歩き、|小盗児《シヨートル》市場を冷やかし、天津栗や南京豆を買って帰る。部隊副官に|譴責《けんせき》されるまで、村尾の旧城内歩きは続いた。  飛行場は、海のような草原のただ中に在った。草原をまっすぐまっすぐ北へ行き果てれば、川があり、川ひとつ越すと、社会主義の国がある。かつては観念の中でだけ存在していたユートピアが、すぐ先に在ると思うと、村尾の中の思想が水でもふくんだように息づいてきた。  中国共産党や金日成軍の暗躍も、村尾の胸を昂ぶらせた。  それに、ソ連に対する関東軍の警戒ぶりは異様なほどであった。中立国のはずなのに、四六時中、偵察機を飛ばして厳戒している。つまり、それほどソ連の戦力が脅威ということなのであろう。  ナチス・ドイツ相手に苦戦し疲弊しているはずのソ連が、実は強大な戦力を抱えている。社会主義の祖国は健在なのである。村尾はそれを、かつての検挙仲間や|同調者《シンパ》たちに伝えたいと思った。  手紙の文面はさりげなく書いた。 「北の国の護りは万全だ。心配するな」  検閲されたとしても怪しまれぬ文面だが、村尾の言おうとするのは、北の「国の護り」ではなく、「北の国」つまり、ソ連の護りはゆるぎない、安心せよという意味であった。後になってわかったことだが、その手紙を受け取った同志たちは、皆、村尾の文意通りに読みとって、勇気づけられていた。      五  新司偵は、すばらしい飛行機であった。  強力な二基のエンジン、軽快な曲線の機体、比べもののない高速。離陸も軽く、全身をふるわせてやっと飛び立って行ったそれまでの飛行機とちがい、ふしぎなほどスーッと舞い上ってしまう。  気密性がよく、天蓋を閉めると、一切の外部の物音が聞えなくなった。  整備にとってありがたいのは、油漏れなどが全然ないことである。九九式軍偵などそれまでの飛行機は、黄塵万丈の大陸では、すぐ漏れた油から砂まみれ土まみれになり、それを洗い落すのが一仕事であったが、新司偵はまるで汚れない。  問題は脚が弱く、ときどき着地時に事故のあることだが、それも中国美人が|纒足《てんそく》のため足が弱いのと同様、新司偵の美人ぶりのしるしに思えた。  村尾隊は、九九式軍偵三機、新司偵三機の整備が毎日の仕事であった。どちらの飛行機も毎日のようにソ満国境の偵察飛行に飛んでいたが、名人の沢本軍属も居ることであり、整備作業は半日集中すれば片づいた。  村尾はこのため、作業をするのに飛行場の端を選び、そこへ小隊を駆け足で連れて行き、半日で作業を終らせると、残りの半日は昼寝をさせたり、歌をうたわせたりした。それも、軍歌演習などではなく、一人一人に国の民謡をやらせる。沢本軍属は照れながら木曾節をやった。  ただ東京育ちの村尾には国の民謡がなく、「戦友」を村尾なりに哀感をこめてうたった。現に赤い夕日の大陸に来ているというせいもあって、「ジーンと来ました!」などというヤジなどとんで、仲々の好評であった。 「梶伍長殿が居なくて残念ですな」  という声もあったが、梶が居ないから安心してうたわせても居れるのだった。  兵も軍属も、村尾になついた。隊内の空気が自分を中心にまとまってくる。そこで村尾に野心がめざめた。世を忍ぶ仮ずまいから、一歩出ようとした。  小隊を集め、講話をはじめた。  精神主義には限界がある。精神を入れたところで、飛ばぬものは飛ばぬ。技術を大切にし、科学を尊重しなければならぬ。科学的な見方をすべきで、その科学も、何も自然科学に限らない。社会科学的な見方というものがある……。  兵隊たちの反応をうかがいながら、村尾は用心深く話を進めた。してはならぬ話であることはわかっていた。  だが、社会主義の新しい風が間近から吹いてくるところで、ただ牛馬のように使われ、神国の不滅だけを信じこまされている兵隊たちが、あわれであった。そのままにしておくことが人間の尊厳への冒涜のようにも思われ、自分の思想への裏切りにもなると思った。  もちろん多勢の兵隊の口をふさいでおくことはできぬので、尻尾をつかまれぬように話を進めて行ったのだが、それでも、軍隊での日頃の講話とはまるで異質の話であり、覚悟だけは決めてかかった。  その講話を、ある日、動哨にやってきた梶伍長に聞かれた。梶は村尾の言動について何かの情報をつかみ、ふつうの動哨とはちがい、斥候かスパイのようにして近づき、盗み聞きしたのであった。  村尾は、部隊長の大佐に呼ばれた。処罰を、最悪の場合は憲兵隊への引き渡しを覚悟した。  だが老大佐は、 「誤解を招く言動をせぬように」  と面倒くさそうに言うだけで、にぎりつぶしてくれた。  大佐もまた発奮せざる部隊長であった。職業軍人になって間もないころ軍縮時代を経験し、屈折した生涯を過してきた大佐は、いつも気だるく遠くを見ているようなところがあり、投げやりでもあり、寛容でもあった。  だが、その部隊長でも発奮せざるを得ない問題があった。  軍では、掩体壕づくりなどの作業に満人を徴発して当らせていたが、撲ったり鞭打ったりしても思うように働かない。その上、満洲の土はかさかさしていて、積み上げても砂の塔のように崩れてしまう。作業は遅々として|捗《はかど》らなかった。  一日、老大佐は、将校集会所で将校全員に課題を出した。 「作業能率の昂揚方法如何」  苦渋に満ちた顔であった。三日と日を区切って設問した。  三日目、将校たちからは、五族協和の精神を徹底させるとか、皇道教育を行うなどという相変らずの精神主義の答ばかり出た。  それに対し、最後に見習士官の村尾が、軍用地として未使用のまま接収してある広大な土地の|入会権《いりあいけん》を認めてやり、牧草をとらせる。その代りに作業させてはどうかと提案した。手近な土地をとり上げられ、遠くまで草をとりに行かねばならぬから、農民たちには時間もなければ苦労も多い。日本軍への反感も湧く。それを一掃して働きやすくさせてやろうという狙いである。赤い夕日に照らされて帰ってくる満人たちの姿が、その提案を思いつかせた。  部隊長は、早速、村尾案を実施した。  満人たちは歓呼の声を上げてやってきた。腹を空かせた巨大な|蝗《いなご》の群でも舞いこんだように、接収地の草はみるみる刈られて行く。|驢馬《ろば》がいななき、手押車が走る。満人たちは眼を輝かせて働いた。  その結果、部隊の作業に対して見ちがえるほど協力的になり、掩体壕は次々と完成して行った。  満人をいかにして働かせるかということは、村尾の部隊だけでなく、チチハル駐屯の各部隊共通の課題であり、司令部で中将や少将クラス相手にその成果を発表した老大佐は大いに面目を施し、いっそう村尾に目をかけてくれるようになった。  村尾は得意になった。軍人としてはいよいよ発奮しなくなり、朝の点呼もサボったりした。少々調子に乗るところがあり、大胆にもなった。  満洲や北支には、かつての共産主義者たちが転向し、あるいは転向を装って移り住んでいる。その消息をひそかに調べ、出張を兼ねて訪ねてみることにした。満洲に来て、世を忍ぶ仮ずまいの身に満足できなくなってきた村尾としては、先輩たちがどう生きているか、何を考えているか、知りたくなったのだ。  幸い、訪ね廻る足には、高速の新司偵があった。 「村尾見習士官は、本日、新京に出張したいと思います」 「用は何じゃ」 「部品受領であります」 「よし、行ってきなさい」  老大佐は、村尾のこととなると|穿鑿《せんさく》しなかった。出張を兼ねるより、いつか出張が偽装になった。  村尾の新司偵は飛んだ。奉天、北京、天津、大連……。時速六百キロ、どの都市へも意のままであった。そして、山田盛太郎、熊沢復六などマルクス主義学者を探し出して会った。      六  村尾が新司偵に乗っての亡命を考えたのは、そのころからであった。  一望千里の草原地帯。そこをただ北へ行き尽しさえすればソ連があるということが、いつも村尾の心に甘くささやきかけていた。  村尾の乗る新司偵は、飛び上ると、きまって針路を南へとる。その針路を北へ向けておきさえすれば、奉天あたりより近いところに、まだ見ぬ社会主義国がある——。  舞い立つごとに、村尾の心の中で、その渇きが強まった。  新司偵のすばらしい性能が、村尾の気持をなおそそり立てる。たった一飛び——村尾は新司偵に強い愛着を感じた。  高い大陸の空を飛びながら、村尾はうっとり亡命の日のことを夢見た。ついで、操縦員の表情をさぐる。  部下である整備小隊の兵士とちがい、操縦員たちはいずれも忠良な皇軍兵士の殻をつけたままである。いかに気やすくなったとしても、とても亡命の道づれになってくれそうにない。となると、自分で操縦して逃亡する他はない。  村尾は、操縦員の顔から手へと視線を移す。操縦の方法はわかっている。問題は理窟以外のことである。レバーはどの辺まで絞るか、操縦桿はどの程度に倒すか。  村尾は、親しい操縦員には、たのんで操縦桿をにぎらせてもらい、離陸もやらせてもらった。だが、着陸操作だけは、どんなにやらせろとたのんでも、断わられた。着陸は危険であり、やり直しがきかない。物好きや酔興でやられてはかなわぬと、操縦員は真剣になってはねつけた。      七  村尾はふたたび兵隊たちを集めて、禁じられた講話をはじめた。村尾の訪ね廻った先輩たちは、誰もが日本帝国主義の崩壊を予言していた。それに彼等は軍人である村尾がそうして訪問したことに励ましを感じ、いよいよ新しい時代は近いと気勢を上げた。  村尾は、軍人だからといって沈黙しているのに耐えられなくなった。それに沈黙は、あの梶伍長への屈伏を意味する。村尾はまた、検事の顔を思い出した。赤い薄い唇をぴちゃぴちゃさせながら、 〈きみ、そんなこともできないで、運動をやれる気なのか〉  と、遠くで検事が冷笑している気がした。  だが、講話を再開して一週間と経たぬ中に、村尾はまた梶伍長の動哨に盗み聞きされた。  部隊長は怒るよりも、心配した。梶が、直接、司令部なり憲兵隊へ申告する可能性があったからだ。二人は官舎で額を寄せ合って相談したが、名案は出なかった。  空も野も|茜色《あかねいろ》に染めて夕日が沈むころ、村尾は部隊長官舎を出て、自分の部屋へ戻って行った。  浴場の脇を通ると、湯の香とともに、歌声が聞えた。よく透る声、|艶《つや》っぽい節廻し。  ……勘太郎さんかぁ 伊那は七谷、糸引く煙……。  梶伍長の声であった。  村尾は思わず足をとめた。そのまま浴場へ入って行き、素裸の梶に頭を下げる。 〈自分が悪かった。たのむから、おまえの|肚《はら》の中におさめておいてくれ〉  他にも居るであろう下士官の前で、頭を低くして詫びてやる。そうたのめば、すべてが片づきそうな気がした。  雀の巣の一件以来、梶は|面子《メンツ》を潰されたと、村尾を憎んでいる。梶にとって、講話事件は、思想問題というより感情問題のはずである。見習士官の方から平謝りに謝ったとあれば、水に流してくれるにちがいない。  村尾は、そこにどれほどの時間佇んでいたであろう。五分ほども居たように思えるし、一分足らずであった気もする。  流れてくる湯煙の向こうで、梶は気持よさそうにうたい続けている。  だが、村尾が顔を上げたとき、赤い大きな夕日が眼に入った。同時に、北の方から吹いてくる風を感じた。  ここは大陸である。大きな夕日は、すべてを見透している。いまさら何をひるみ、何を詫びるのか。  村尾は|半長靴《はんちようか》の足を踏み出した。古い祖国へ背を向け、新しい祖国へ向かっての一歩を——。  たまたま、新司偵の一機のタイヤがパンクした。  沢本軍属が担当してパンクを修理、空気を入れようとするのを、村尾はやめさせた。 「空気は、いざというとき入れるからいい」  沢本は、けげんな顔をして村尾を見た。村尾は何も言わず、沢本を見返した。 〈たのむ、黙ってやってくれ〉  村尾は眼に力をこめて見つめた。  奇妙な命令である。沢本は何かを感じとったはずである。この変り者の見習士官は、新司偵を利用して、どこかへこっそり飛ぼうとしていると。ただ、それが社会主義国への逃亡であることまでは思いつかなかったであろうが。  その新司偵は、完全整備の上、燃料は満タンにして繋留させた。ただ空気を抜けたままにしたのは、上級将校なり憲兵隊なりから万一怪しまれたとき、「パンクしています」と言い逃れるためである。飛ぶときには、タイヤは圧搾空気によって簡単にふくらますことができる。  離陸については、十分自信があった。  浮上後、機首を北に据える。そのまま全速でハイラルめがけて飛び、さらにハイラルを越えて北へ飛び続ける。  湿原地帯を北へ、北へ。|満洲里《マンチユリ》が見え出したら、低空飛行に移る。ソ連側から射たれることを避けるためだ。  川を越えたら、胴体着陸する。着陸の操作が難しいためもあるが、もともと新司偵は脚が弱い。湿原へ下りるのだから、つんのめって逆立ちになりかねない。むしろ脚は引込めたまま、胴体で滑った方が安全である。  スロットル・レバーを絞る。操縦桿を静かに倒す。電源を切る。燃料タンクのコックを全閉にする……。  傷だらけ血まみれになるかも知れない。だが次に眼を開いたときには、社会主義の祖国が展けているはずである。  死ぬとは思わなかった。逃亡できると、ふしぎなほど自信があった。      八  その日、村尾は例のように飛行場の端まで部下を連れて行って昼寝をさせ、自分も青草のにおいの中でうたた寝した。  風の音に誘われるようにして、眼がさめる。爽快な気分だったが、ふと遠く格納庫のあたりを見馴れぬ車が走っているのに気づいた。憲兵隊らしく、黒い旗を立てていた。いやな車だと思ったが、そのときには、どうしたわけか、直接、自分のこととは結びつかなかった。  兵隊たちも昼寝から醒めた様子なので、新司偵二機のエンジンの地上運転にかかった。  エンジンをふかし、全回転へ。一機目を見てから二機目へ。エンジンはまだ一番だけしか廻っていない。  村尾は翼に上った。 「二番エンジンはどうした」  エンジンの轟音の中でどなる。二番エンジンも、ようやく回転し出した。 「もっと、ふかさんか」  そのとき、飛行場の方からサイドカーが走ってきた。座席に坐っているのは、部隊では先任の大尉であった。洋服屋をしていて再召集されたという男で、いつも洋服屋時代のやりくりの話をしている発奮せざる仲間であった。相手がその大尉だけに、村尾はまだピンと来なかった。  大尉はサイドカーを下りると、こわい顔をして走ってきた。村尾の上っている翼の背後へ廻る。プロペラの起す風で、服がふくらんだ。  大尉は飛ばされそうになりながらも、ようやく翼端までたどりつくと、いきなり両手をのばし、村尾の半長靴をつかんだ。 「……たのむ。おれには女房も子供もあるんだ」  爆音の中で声をはり上げる。 「えっ?」  意味がのみこめず、村尾は訊き返した。 「憲兵隊がおまえを迎えに来ている。絶対にそう言ってはいかんというのだが、おれは言わにゃ居れんのだ。けど、おれには女房と子供が居る。たのむから、村尾……」  爆音の中で片足をつかまれたまま、村尾は〈ああ遂に来たのか〉と思った。立ちすくんだわけでもないのに、あれほど計画していた逃亡へ踏み切らなかった。大尉の必死の形相に負けたのだろうか、タイミングをはずされたためなのだろうか。  新司偵の二つのエンジンは、すでに回転していた。その新司偵はタイヤも完全であり、飛び立つばかりの状態に在った。大尉を蹴とばし、操縦席の兵隊に「おまえ出ろ!」と、どなる。それだけで逃亡が可能になったのに。  村尾はおとなしく翼から下りた。 「来てくれるか、ありがとう」  大尉が礼を言う。その後から憲兵が姿を見せた。 「見習士官殿、失礼ですが、手錠をかけさせて頂きます」  チチハルの憲兵隊に護送された。  憲兵隊長も初老の男であった。麻薬や淫売、匪賊などばかり扱い続けてきた隊長にとって、村尾は見当のつかぬ罪人のようであった。隊長は質問した。 「貴官は、マ、マ、マルクスちゅうのを知っとるか」 「はい、知っております」 「ほう」隊長はたいへんなことが起ったとでもいうようにまわりの部下たちを見た。「おい、知っとるそうじゃよ」  訊問は、それで終りであった。  憲兵隊には十日ほど留置され、その間、証拠固めのための部隊内の捜索が行われた模様であった。  村尾は、掩体壕の中の部品庫の戸棚にマルクス・エンゲルス選集を隠しておいた。見つかれば万事休すである。  だが、十日経っても、遂に発見された様子はなかった。その戸棚の鍵は、沢本軍属が持っている。沢本はおそらく感づきながらも、握りつぶしてくれているのだ。村尾は留置場の中から沢本を拝んだ。  階級を剥奪され、深編笠、手錠をかけた上にさらに繩で縛られるというみじめな姿で、村尾は連絡船の船底へ閉じこめられ、内地へ護送された。  九段の憲兵隊本部へ。取調べはきびしかった。村尾はそこではじめて自分が反軍的な講話の罪だけに問われているのではないのを知った。  発端となったのは、内地の友人がひそかに反戦運動をはじめて捕えられ、調べてみると、村尾からの意味深長な軍事郵便が出てきた。その村尾は二回検挙された前歴がある。  しかも、関東軍の前線基地を足場にして、満洲や北支でかつての共産主義者たちとかなり頻繁に会っている。逮捕後には部隊内からの事情聴取で妙な講話をしていたこともわかった。  軍人としては異例なほど行動的な思想犯というので、重罪人扱いであった。  だが、村尾に取調べのきびしさよりもっとこたえたのは、一日にただ一回だけの食事であった。それも、コップ一杯ほどの雑穀入りの飯に、お菜といっては実のない塩汁だけ。毎日がそれで、餓死せんばかりの思いが続いた。  八月十三日、若い憲兵たち数人が抜刀してやってきた。 「国賊め。きさまらのような奴が居たから、負けたんだ。殺してやる」  檻の間から白刃を突き出す。  村尾が閉じこめられているのは、座敷牢のように太い角材を組んでつくったもので、刀の|鍔《つば》がその檻につかえるため、|剣尖《けんさき》はわずかに村尾に届かない。村尾は体を固くして防いだ。ただ、憲兵たちが檻の中へ入ってくれば、それまでであった。  戦争終結のうれしさよりも、その終結のごたごたの間に殺されるかも知れぬと、そのときはじめて死の恐怖を感じた。  やがて村尾たちを牢の中へ置きざりにしたまま、憲兵は去った。憲兵隊本部から全員姿をくらましてしまったようで、おかげでただ一度の食事も水もない。今度こそ餓死するかも知れぬと思った。  完全に飲まず食わずで三日目。人声と靴音が近づいてきた。特高の巡査たちであった。  村尾は警視庁へ移送された。衰弱しきった体は、警視庁正面のわずか数段の階段さえ上りきれず、村尾は這って上った。  餓死は免れたが、警視庁の留置場は前と後が金網で、看守が前後からのぞきこんでくる。一日中正座したまま、少しも姿勢を崩せない。息がつまり、発狂しそうであった。  権力は倒れたが、権力のつくった法と執行部は生き続けていた。  さらに豊多摩刑務所へ移送され、十月になって、ようやく進駐軍命令で釈放された。      九  戦後、村尾の社会主義への夢は花開いた。  共産党に入党、ひたむきに動き廻った。  その運動の中で、自分より二十も年長の女闘士と華やかなロマンスの上、結ばれた。杉並の小さな部屋を借りて住む。  朝、ひとが訪ねてくると、女闘士は間借りの二階の窓から顔を出して、 「いま同衾してるのよ。ちょっと待ってちょうだい」  などと言って、訪問者をどぎまぎさせたりした。  明るく年齢を感じさせない女性で、小さな部屋に太陽が二つ住んでいる感じであった。  生活は楽ではなかった。  村尾たちを釈放した進駐軍が、今度は党を非合法化して弾圧に転じてきた。二人は別れてもぐり、もぐった先で会った。逃亡・潜伏のスリルをたのしんでいるようなところもあった。さまざまの小商売を転々。友人たちの家を泊り歩き、カンパだけで食べていたこともある。  いまは運動から離れた昔の友人たちも訪ね廻る。文字通り一文無しのときもある。資金カンパをもらうと、「いただきまぁす!」と大声で言う。  長身で童顔、飄々としていて、いつまで経っても良家の子といった感じ。どんなことがあっても死なぬという信念が、いまは、どんなことがあっても食って行けると変ってきている。中国へは何度か出かけた。ただ、あれほど憧れていたソ連へはまだ行っていないし、行こうとも思わない。  社会主義の祖国はソ連だけではなくなったが、同時に運動に分裂ができた。村尾自身は変らず、純粋に社会主義への夢に生きてきたつもりなのだが、純粋好きという意味から、村尾の立場は中国派に近くなった。  主流・反主流の争い。村尾は一度は党を離れ、呼びかけに応じて復帰し、さらにまた除名された。  政治には権力が伴う。権力の中枢や末端には、薄い唇でぴちゃぴちゃしゃべる検事のような男が居る。密告されたり裏切られたりの煮え湯ものまされた。  村尾には、どうも職業的革命家が身につかない。自分だけで若者を集めて反代々木のグループをつくる。そこの若者たちは、村尾よりさらに急進的で潔癖であった。 「共産党員であったことがけしからぬ」  と、村尾をつるし上げる。共産主義者が共産党員であったのが何故いけないのかと、思わぬ時勢の到来に、村尾はひとり苦笑する。  村尾の声は若々しい。場末の飲屋で一杯のみ、「戦友」をうたう。哀感をこめて、うたう。満洲の壮大な夕焼けの話をする。新司偵の軽快な飛行ぶりを話すのも好きだ。  だが、そうした話に耳を傾けてくれる人間は、めっきり少なくなった。  村尾にとって気がかりなのは、あのチチハルの部隊の消息である。誰ひとり生きて還ったという話を聞かない。  日ソ開戦と同時に、チチハルの部隊は徹底的な空襲を受け、その後を戦車隊に|蹂躙《じゆうりん》された。無口な理解者であった沢本軍属も、気だるそうな老大佐も、足にしがみついた大尉も、梶伍長も部隊全員、大陸の土と化してしまった。  あのとき新司偵で飛び立っていて、果して無事であったかどうか。逃亡に失敗した村尾ひとりが、いま生きのびている。  梶の歌を聞きながら、浴場の側で足をとめたときのことを思い出す。そこにも生死の転機があり、村尾は夕日を選んで、そして生きた。  村尾の前にも後にも、もはや真赤な大きな太陽しかない。  夕映えの中を浮き上るようにして、村尾は歩いて行く。きっと世の中をひっくり返して見せると、いまだに学生のようにつぶやきながら。 [#改ページ]   白 い |項《うなじ》

      四式重爆撃機「飛龍」(キ六七)      発動機空冷一九〇〇馬力二基、全備重量一三七六五kg、最大速度時速五三七キロ、実用上昇限度九四七〇メートル、航続距離三八〇〇キロ、機銃二〇ミリ一、一二・七ミリ四、爆弾八〇〇kg、乗員六乃至八  戦争のときの話を聞かせろですって。  戦争のことなんて、もうどうだっていいじゃありませんか。終戦後、二十何年経ってるんですよ。  飛行機の名前? さあ、よくおぼえてないな。たしか、キの六七とか何とか……。  それより、あなた、一杯やりませんか。わたし? わたしゃ、もう……。いい御機嫌のようだって。とんでもない。まだ序の口です。腰を下ろせば、水割りを軽く七、八杯。その上、ハシゴのくせがあるんですから。  あなた、わたしがどうして飛行機乗りだと知ったんです。ああ、あの酒の雑誌に書いた思い出話。あれが目にとまったんですか。  不覚だったな。つい、たのまれちゃってね。書いてやれば、バーのマダムの顔も立つだろうと思って。いや、ほんと、それだけですよ。それに、その通りになりましたから。  あの後、マダムの愛想はいいし、たしか、一回はタダでのませてくれましたな。戦争もいい、ここに来て実益があったと、わたしゃ、にっこりしたものです。  わたしが軽薄ぶってるって? 冗談じゃない、これがわたしの地なんですよ。  わたしゃ、戦争、戦争って、めそめそしてるのが、いやなんです。戦争はたった四年、わたしにとっては、まる一年。それなのに、平和の方はもう二十何年続いている。考えてみりゃ、すばらしいな。こんなに平和が続くなんて。  それにしても、われわれにとっちゃ、この平和と繁栄の中でどう生きるか、そのことこそ目下の課題。そこで、わたしはテレビ局のディレクターとして、世にも平和なホーム・ドラマを制作し、皆々様に、ず、ずっと御覧に供じ入れる。  おや、御存知ないんですか、わたしの番組、「パパ、御飯よ」というの。残念だな。視聴率がもうひとつパッとしないからな。錦の御旗は視聴率、その視聴率がねえ……。こんなに努力してるのにと思うと、腹が立ってね、つい酒でものまねば気が休まりません。毎日毎日が秒単位で追われるし、しかも、視聴率という化物相手の戦争ですからね。この戦争はしんどいですよ、前の戦争と比べてみたところで……。  よくのむなって? いいじゃないですか、酒には年期が入ってるんですよ。酒をおぼえたのは、軍隊。酒と女の雷撃隊です。威勢よかったな。  おおい、もう一杯。いいんだ、持ってこいよ。酒と女の……。      一  昭和二十年二月末日夜おそく、大分に着任した。  山の中腹のトンネルに在る司令部で申告をすませ、暗い谷間にかくれたバラックの将校宿舎へ。  |飯場風《はんばふう》の建物をベニア板で区切って、形だけの個室が続いている。電気はなく、案内の兵は石油ランプを残して行った。  どこかで酒でものんでいるらしく、ベニア板越しに歌声がきこえてきた。軍歌・猥歌・民謡と、酔いにもつれた声が、とぎれながら続いて行く。  案内の兵の話では、その日、六機編隊が薄暮攻撃に出かけ、敵艦隊を捕捉、戦艦一隻を大破、油輸送船一隻轟沈の戦果をあげ、全機無事帰還した。特攻宿舎の住人が集まって、その祝い酒をたのしんでいるのだという。  石油ランプの灯が、あるともない風にゆれた。谷間のため湿気が強いのだろう、かびくさく、冷気もきびしかった。窓の外には黒い崖が迫って、空さえも小さい。  ただ一度の短い青春がここにはじまり、ここで果てるのかと思うと、寒々とした気がした。  元気を出して荷物を整理にかかると、先刻の兵が戻ってきた。将校たちが呼んでいるという。石油ランプを懐中電灯代りに持ち、兵に従った。  歌声と酒気のこもるその部屋に踏みこんだとき、予想はしていたものの、わたしは眼をみはった。  そこには、准尉から中尉までの二十人あまりの将校が、車座になって酒をくんでいた。動物的な体臭と酒気の入りまじったすえた空気。すわった眼、どろんとした眼、挑むような眼。すでに寝こんでいる者もある。  そのどれもが、真黒な顔である。陽灼け、汐灼け、油灼け、精悍そのものの顔である。彼等はすべて、飛行時間数千時間という飛行兵上りのベテランばかりであった。 「おう、のめよ」  黒い腕が突き出て、アルミ食器に注いだ冷酒が眼の前に来た。  わたしは会釈して食器を傾けた。強いアルコールに、つい顔をしかめる。  いくつかの眼が、そうしたわたしをにらんで光り、誰かが空の食器を投げた。  一度とだえた歌が、また、はじまった。ひどく卑猥な替歌であった。吠えるようにうたう者、畳の上にころげながら唱和する者……。それぞれ持ち寄ったらしい十近くのランプが横倒しにもならずに灯っていることが、ふしぎなほどであった。  歌がきれると、その日の戦闘の話になった。  男たちの眼が輝き出す。ジェスチュア入りで、いかにも誇らかに、たのしそうである。この世にそれ以外の人生は考えられぬといった話しぶりである。酒量のピッチが上る。  わたしがようやくアルミ食器の半ばまでのんだところへ、横から酒を注ぎこまれた。先刻の黒い腕の|主《ぬし》であった。小柄で小肥りの男、階級章は中尉。 「のめ」  男は今度は命令調で言った。 「おれは、きさまの中隊長の大島中尉だ」  酒がアルミ食器の縁からこぼれた。中尉は面倒くさそうに一升壜を起し、 「早くこの空気に馴染むんだな」 「はい……」  話題は女に移っていた。それも、女の性の感度比べのような品のない話ばかりである。それを黒い男たちは、舌なめずりせんばかりに話す。  わたしは索然として聞いていたが、そのころには、無理にのんだ酒の酔いが廻りはじめていた。  顎鬚を生やした准尉が立ち上った。  手拍子をとり、蛮声をはり上げて、黒田節をうたいはじめる。男たちもつられてうたい出した。ある者は横になったまま、ある者は食器をたたいてうたう。  わたしも手を|拍《う》って和した。とにもかくにも、わたしはここの人となり、この人たちとともに果てることになる。和さざらめやも、と思った。  その合唱で酔いと疲れがふき出たらしく、うたい終ると、もう話ははずまなかった。その中に、寝息やいびきが聞え出し、わずかの間に、ほとんどの男が眠りこんだ。  ごろごろ横になった黒い彼等の姿は、まるで野獣か海獣を思わせた。意識とか神経とかを持ち合わせず、死のこわさを感じない姿である。自分の強さしか知らない顔である。  それは、学徒出身のわたしにとっては、まるで異質の世界の人々であった。わたしは、違和感と同時に、うらやましさを感じた。  石油ランプの灯影の中で、酒くさい息を吐きながら眠りこける男たち。わたしはここへ死の覚悟をきめてやってきたのに、彼等は覚悟などというものとはおよそ無縁に生きて行けるかのようであった。  わたしはまた、最後まで人間らしく生き、そして人間らしく死にたい、納得できる生き方、死に方をしたいと、自らに言い聞かせてやってきたが、それがいかに甘い感傷であったかを思い知らされる気がした。  ここで生き、ここで死ぬとは、目の前の男たちと生死を同じくすること以外にない。  それにしても、何が彼等を獣のようにたくましくしたのだろうか。幾度となく死線をくぐりぬけてきた体験のせいなのか。たたきこまれた訓練や技倆に対する自信によるものなのか。  わたしには、そのどれもがない。わたしにあるのは、戦局の先行きに対する不安、そして自分自身の技倆への不安である——。  わたしはひとりとり残され、別世界に来ていることをたしかめるように、石油ランプの灯を見つめ続けていた。      二  わたしを追って、同じく学徒出身の遠山、永吉の両少尉、ついで、陸軍航空士官学校出身の野々村少尉が着任した。  キ六七を使っての猛訓練がはじまった。  八百キロ爆弾を格納すべき爆弾倉は空にし、代りに模擬魚雷をつけての雷撃訓練である。目標は別府湾に浮かぶ改装空母。  高度三千五百あたりから、まっしぐらに突っこむ。加速度がつき、速度は六百キロにも七百キロにも達し、機体はいまにも空中分解しそうになる。敵艦より低く下って雷撃、機体をひき起す。水面すれすれの超低空飛行であり、事実、帰投後、機体に波をかぶったかどうかを調べられた。  陸軍に雷撃隊——。 「|鵜《う》の真似をする烏、水に溺る」という|諺《ことわざ》を思い出させた。だが、たとえ水に溺れても、鵜の真似をしなくてはならぬ要請があり、さらに実績があった。  前年の十月、すでに数少なくなった海軍雷撃隊を補うため、キ六七の陸軍重爆撃機隊は、爆弾の代りに魚雷を抱いて、台湾沖の敵機動部隊に突入、大戦果をあげた。もっとも、洋上航法に不馴れなため、帰途の針路がつかめず、一機を除いて全機帰還しなかった。  航法さえ補えば、陸軍機もまた海上航空戦の主役を演じることができる——対立しがちであった陸海軍が、この点では珍しく一致し、海軍側は航法員(偵察員)を提供し、水上部隊を協力させての猛訓練となったのである。真剣に、そして早急に、「鵜の真似」をおぼえこまねばならなかった。  事実、一月経たぬ中に、最初の出撃となった。      三  敵艦隊の対空砲火は|熾烈《しれつ》であった。  七色の花火のような弾幕の中を無我夢中で突っこみ、這い上り、どうやら帰ってくることができた。恐怖を感ずるより、ただ夢中であった。  だが、帰ってくると、基地では一騒ぎ起った。  別の機でいっしょに初出撃した航空士官学校出身の野々村少尉が、恐怖のあまり発狂してしまったのである。若手士官の中でひとり|颯爽《さつそう》としていた野々村だが、眼がすわり、あらぬことを口走る。仮病でない証拠に、頭髪がごっそり抜け落ちていた。  軍医の診断で、野々村は|国府台《こうのだい》の陸軍精神病院へ後送された。  あらためて、戦場のおそろしさが身にしみてきた。  わたしは、別府の町へ出てのみ、女を抱いた。おそろしさを忘れるためには、酒と女しかないことがわかった。  夜ふけに基地へ帰る途中、後から来る軍用トラックを手をあげて呼びとめた。助手席には、顎鬚の准尉がのっていた。蛮声をはり上げて黒田節をうたった男である。中国、インドシナ、ビルマと転戦し、飛行時間三千時間を越すベテランである。  准尉は助手席に坐ったまま、すましていた。  わたしは兵隊の手を借り、後の荷台へ引き上げてもらった。  走り出したトラックの中で、わたしは兵隊たちの|蔑《さげす》みの眼を感じた。 〈学生出身は情ない。准尉が助手席に居るのに、少尉のくせに荷台で辛抱している……〉  彼等は、声に出さず笑っていた。  トラックが飛行場に着くと、わたしは真先に荷台からとび下りた。歩き去ろうとする准尉の背に浴びせかける。 「待て!」  准尉はゆっくりふり返った。顎鬚が大きく眼に入った。  わたしは近寄り、いきなり拳を固めて撲った。 「きさま、失敬な……」  准尉は小さく鼻先で笑い、頬から顎鬚にかけて撫でた。口はきこうとしなかった。  兵隊たちが眺めているのを背に感じながら、わたしは軍刀をつかんで大股に宿舎に向かった。  翌朝、わたしは中隊長の大島中尉に呼ばれた。 「なぜ呼んだかわかるか」  うなずくわたしに、 「階級が上だから撲れるものなら、おれもきさまを撲ってやる」  身構えると、とび上るようにして右、左と撲ってきた。  痛かったが、撲られてさっぱりした気もした。男と男の世界、まして獣のような男たちの間のことだから、これでカタがついたと思った。  だが、中尉は執念深かった。学徒兵への反感もあってのことであろうが、ことごとにわたしに辛く当った。出撃に当っても、護衛戦闘機がつかないときや、圧倒的に敵が優勢のときなど、危険の大きなときばかり出された。  わたしはますます酒をのみ、女を抱いた。年齢も美醜も構わず、女の|躯《からだ》に溺れた。料理屋で寄り添う女をかたはしから抱いた。短時日の間に|反吐《へど》が出そうなほど女を知り尽した気がした。  わたしは、酒と女のおかげで、発狂もせず、精神の|昂《たか》ぶりを押えたつもりであった。性欲が満たされると、その後にはきまって気だるいような、うつろな時間が来た。すべてが味気なくなり、その空虚を埋められるのは、強烈な刺戟、つまり出撃以外は考えられなくなる。  わたしは、出撃したために酒と女に溺れ、酒と女のために次の出撃に憧れた。決死の覚悟も持たず、死の氾濫する戦場の空を彷徨した。  生も死も、わたしにとって意味を失った。人間らしい死とか、納得の行く死に方をなどと考えなくなった。死は死でしかない。少しきざにいえば、 「|眼瞼一閃是生死《がんけんいつせんこれせいし》」  といった境地なのだが、それよりも、生死を意識せずに生きている獣に近い気持であった。  と同時に、そうした自分がいったいどこまで堕ちて行くのか、冷やかに眺めている自分も在った。  その生き方のおかげで、わたしは救われていた。  |慶良間《けらま》列島沖の機動部隊攻撃のとき、僚機の放った魚雷は、敵巡洋艦の舷側中央に命中、一瞬にして轟沈させた。  その僚機には、同じ学徒出身の永吉少尉が乗組んでいる。一足先に基地に戻ったわたしが、その永吉機の着陸を待って祝福しに行くと、キ六七から下りた永吉は、ふらふら泳ぐようにして、まだ回転しているプロペラヘ近寄り、あっという間にプロペラに吸いこまれ、肉片となって飛び散った。  学者の息子で、酒がのめず、あまり女にも馴染まぬタイプの男であった。  人間がぼろぼろ壊れて行くのに比べ、キ六七は簡単には壊れぬ頑丈そのものの爆撃機であった。キ六七の原型になったという一式陸攻がよく火を吐いたのに比べ、燃料タンクにも工夫がこらされていて、被弾しても仲々火が廻らない。急降下、急上昇など、乱暴な操作にも耐える。踏んでもひきずっても壊れない。ドタ靴と呼ばれる軍靴をそのまま飛行機にしたような感じであった。  そのキ六七が十数機も翼を並べているところなどは、空軍未だ健在という心強さを感じさせた。  そうした飛行場へ、ときどき、どこからともなく、隼や|鍾馗《しようき》、ときには九七式戦闘機や九八式直掩機などのオンボロ飛行機の編隊が舞い下り、一日か二日居て、夜おそく誰にも見送られず発って行った。  沖縄へ向かう特攻部隊であった。決死どころでなく、必死である。  キ六七などとちがい、足のおそいそれらの旧式機が、はるか海上を渡り、そのあげく幾重もの敵戦闘機群の迎撃や熾烈な対空砲火を受けて、果してどれだけの戦果を上げられるだろうか。  戦場の空を知っているだけに、わたしは彼等が着く度に、暗然たる思いに駆られた。  特攻隊員たちとの接触はなかったが、彼等は意外に若く、少年ばかりに見えるときもあった。あるときは、ピスト近くで古自転車をぶつけ合って、無心に騒いでいた。  まぎれもない死。その死を目前に、酒や女と無縁のまま健康に生きて遊んでいる彼等。死の恐怖など実感していそうもないのが、せめてもの神の救いなのだろうかと、わたしは心を慰めた。  だが、やはり死をおそれる少年が居た。  ある夜、わたしたちは非常呼集でたたき起された。  飛行場のはずれで、明るい緋色の炎をあげて鍾馗が一機燃えていた。敵の隠密の爆撃でも受けたかと思ったが、放火であった。  犯人は、朝鮮人の少年飛行兵であった。その鍾馗さえなければ特攻を免れられると思いつめての所業であった。  軍事裁判というものがどうなっていたのだろう。あるいは、軍事裁判にかけるまでもない大罪ということだったのだろうか。翌朝、その少年兵は、焼けた鍾馗の残骸の前に立たされ、射殺された。  射殺の指揮をとらされたのは、折柄、週番士官に当っていた学徒出身の遠山少尉であった。陽気な遠山だったが、その後、口数が少なくなり、別府でののみ方もはげしくなった。  そのころの一日、わたしは夕日を受けて別府の海岸沿いの道を歩いていた。商売女の家へ行く途中であった。  向こうから、工場帰りらしい白鉢巻を締めた一群の女子挺身隊がやってきた。女学生たちはすれちがいざま鉢巻をとり、わたしにお辞儀をした。 「兵隊さん、ごくろうさま」  わたしはあわてて敬礼を返しながら、彼女たちを見返した。  細い|項《うなじ》の白さが、眼に灼きついた。何という清潔な……。  わたしは息がつまる気がした。これが女なのだ。これに比べれば、わたしの|漁《あさ》ってきた商売女たちは……。  わたしはこの|処女《おとめ》たち、この処女たちとともに在る人生の美しさを、ついに知ることもなく生涯を終らねばならない——。  酒と女でまぎらわすことのできぬ無念さが、こみ上げてきた。      四  戦局は苛烈になった。  敵の迎撃網は強化され、昼間の攻撃は損失を増すばかりとなって、夜間攻撃に切り替えられた。  三機編隊の隊長機が、腹いっぱいの照明弾をばらまきながら突進する。その後から、左右に分れた二機が雷撃する戦法である。このため隊長機が集中砲火を浴びて、よく撃墜された。ただ、わたしの隊の大島中尉機だけには、ふしぎに敵弾が当らなかった。  目標も狙いにくくなった。敵は無人の艦船を外側に並べて、雷撃針路を妨害する輪形陣をとるようになった。このため、被害だけ増して戦果は冴えない。  攻撃を終って帰途につくと、敵戦闘機群がレーダーを使って追いすがってくる。レーダー攪乱のため銀箔をまき散らしながら、各機、方向を変えながら逃げる。  方位の測定は、機長兼偵察員であるわたしの仕事であった。往路は編隊長機に海軍の航法員が乗りこんでいたため問題はなかったが、帰途ちりぢりになってしまうと、全責任がわたしの肩にかかってくる。測定を誤れば、燃料のある中に日本へ着けなくなる。  わたしは膝の上に記録板をのせ、飛行機が変針するごとに、その角度・高度・距離・速度など次々に書きこんで行った。  その上、厄介なのは、風による偏流を測定し、針路を修正しなければならぬことである。昼間は白波の立ち具合などを見て測定するが、夜間はアセチレン弾を落し、そのぶれを偏流計で見て角度を測った。  かなり原始的な操作だが、搭乗員全員の命がかかっているだけに真剣であった。  そして結果的には、わたしの測定が正しいというより、操縦員の勘がよかったせいであろう、いつの場合にも夜のしらむころには九州の南端へたどりついていた。  |鹿屋《かのや》なり宇佐美なりヘ一旦着陸する。だが、すぐまた飛び立たねばならない。早いときには着陸して五分ぐらい後には、もう敵のシコルスキー戦闘機が姿を見せていた。  このため、早々に給油をすませ、さらに海を越えて朝鮮の|木浦《もつぽ》飛行場まで避退する。出撃のときも、夕方、木浦を出て、宇佐美などへ着き、油と魚雷を積みこみ、夜の八時九時ごろ発進という形をとることが多くなった。  あれは何度目の出撃のときであったろうか。  わたしの乗機は、高射砲弾の弾幕にひっかかった。機体は何か大きな手でつかんでひきちぎられんばかりにゆれた。わたしはこれで最期だと観念した。  だが、わたしはまだ生き、キ六七も飛び続けていた。腕と肩が灼ける。赤い血が搭乗員服に浸みこんできた。風防を破ってとびこんできた弾丸の破片にやられたのだ。  |三角巾《さんかくきん》で止血し、痛みをこらえて、鹿屋までたどり着いた。  だが、そこでも応急処置以上のものを受ける時間も設備もなく、さらにシコルスキーに追われて、木浦へ飛んだ。  弾丸|剔出《てきしゆつ》の切開手術をしてくれたのは、京城で評判の名外科医だったという五十歳近い応召の軍医だった。軍医はメスと|数珠《じゆず》を持って手術室へ入り、執刀した。  わたしは一命をとりとめた。高熱にうなされながら、わたしはあの夕映えの中の白い項を夢に見ていた。  わたしがまだ療養の身で宇佐美の基地に待機していたある朝早く、夜間攻撃を終ったキ六七の編隊が帰投した。すぐ次々に給油をすませ、木浦めがけて発進する。  最後の大島中尉機が離陸しかけたところへ、シコルスキーが襲ってきた。逃げようもない恰好の餌食であった。だが、大島中尉機は山肌すれすれに逃げ廻った。  あまりに超低空では、敵戦闘機も地上への激突をおそれて十分な突っこみができない。もし突っこんでくるとすれば、わざと誘いこんで、地上へ衝突させるという|術《て》もある。その辺を計算してのみごとな操縦ぶりであった。  もっとも、危険はキ六七の方が大きい。図体が大きいだけに、戦闘機に比べれば小廻りがきかない。だが、大島中尉はそれを承知で逃げていた。たとえ墜されるにしても、その前にシコルスキーを巻きぞえにして行こうという狙いであった。  大島中尉はよく戦った。  わたしたちがはらはらしながら見守る中で、超低空での空戦は二十分あまりも続き、散々シコルスキーを翻弄したあげく、同機は遂に山腹にぶつかって炎上した。  獣ではない。獣にはできぬ善戦ぶりであった。ベテラン搭乗員がどれほど貴重な存在であるか、身にしみる気がした。大島中尉が同じベテランの准尉をかばおうとしたのも無理はない。撲られたときの頬の痛みが、鮮かに思い出されてきた。  このときを最後に、キ六七陸軍雷撃隊の出動は、しばらく中止された。沖縄戦が終了し、大本営では次の敵の本土侵攻作戦に備え、キ六七を温存する方針に変ったためであった。  わたしたちは、木浦や京城でうつろな日を送った。|高粱酒《コーリヤンしゆ》をあおり、においの強い女体を抱いた。異郷の風物がわずかに|無聊《ぶりよう》を慰めた。  八月十二日、突然、キ六七による特攻隊が出撃することとなった。  機内に八百キロ爆弾二箇をバンドでくくりつけ、操縦員一人だけでの出撃。七機編隊で九州南方洋上の敵機動部隊めがけて発進して行った。その中に、わたしが撲った顎鬚の准尉も居た。  偵察機からの報告では、准尉のキ六七は敵輸送船に突入、二千メートルにも及ぶ火柱を噴き上げたという。  終戦の報せと同時に、わたしたちは急遽キ六七で内地へ引き揚げることになった。宿舎から木浦飛行場ヘトラックを飛ばす。  すでに混乱がはじまっていた。日本人商店に対する襲撃騒ぎがあり、トラックに石がとんできた。トラックを見て、助けを求めて立ちふさがる子供連れの日本人も居た。  宿舎と飛行場のほぼ中間の部落にさしかかったとき、トラックはまた石つぶてに襲われた。 「とめろ!」  遠山少尉が荷台から運転席の屋根をたたいてどなった。その眼が異様につり上っていた。  運転手が思わず車をとめると、遠山は荷台からとび下りた。投石してくる部落の人だかりに向かい、日本刀をひき抜いて歩いて行く。  朝鮮出身のあの少年兵を射殺して以来、遠山は朝鮮人に対して一種のコンプレックスを持ったようであった。木浦に来てからは、それがよけいにひどくなり、外出もせず酒ばかりのんでいた。それも高い日本酒ばかりで、高粱酒には見向きもしなかった——。  誰も遠山をひきとめなかった。半ば錯乱状態に在り抜刀している遠山を連れ戻すだけの余裕はなかった。その後、遠山がどうなったか、誰も知らない。  飛行場へ着く。  かつては十数機あったキ六七が、いまはわずか三機。これに搭乗員だけでなく整備員まで乗りこむと、一機あたり二十四人にもなり、とべるかとべぬかわからぬという状態であった。  そこへさらに割りこもうとする連中が居た。京城から乗用車をとばしてきた二人の高級将校であった。  二人は外してきた階級章を示した。大佐と少佐であった。「秘密の重要書類を持っている。これを早く大本営へ届けなくてはならぬ。ぜひ便乗させろ」と言う。だが、誰もとり合わなかった。  滑走路を端まで使った長い滑走の後、キ六七はようやく重い機体を空に浮かべた。  いまになって、あのころのことをどう思うかって?  そんなこと、もうどうだっていいじゃないですか。あのときはあのとき、いまはいまです。なるほど、わたしの体には、傷痕が残っていますよ。けど、わたしの精神には、もう戦争なんて……。  本当にそうかって。くどいですね。はじめお会いしたときにも言ったでしょ。わたしゃ、戦争がどうしたこうしたっていうのが、女々しくて大きらいなんです。とにかく、いまここにこうしてしゃんとして生きている、それでいいじゃないですか。  あなたもしつっこい。大島中尉みたいな人だ。何もわたしをゴルフ場まで追っかけて来なくたっていいじゃないですか。それも、わたしの中に残る戦争を知りたいためだって。よして下さいよ、全く。  わたしの仕事の「パパ、御飯よ」、ああ、あれはもう半年前に終りましたよ。代りにいまはショー番組を持たされています。スタジオ・ドラマは金がかかるといって、局ではドラマ制作をやめて、外注に出すようになったのです。おかげで聞きたくもないグループサウンズを聞き、なまいき盛りのタレントどものお|守《も》り|役《やく》ですね。  やってるときにはどうしようもないホーム・ドラマだと思ってたけど、「パパ、御飯よ」には、まだたのしみがありましたね。何かを創り、何かを訴える余地があったからです。  訴えたかったのは、戦争の傷痕かって? とんでもない。そんなことより……。  いや、正直に言いましょう。ひとつだけ、描きたかったな。何だと思います。白い|項《うなじ》ですよ。別府湾の夕映えを背景にした白い項、あれだけはどうしても|映像《え》にしたかった。「パパ、御飯よ」のストーリイに無理にくっつけてでもね。 「パパ、御飯よ」そのものは、戦争なんかに関係ありません。まるで天下泰平、昭和元禄のあまくてあまくてたのしいドラマです。そんなところへ、どかんと、あの白い項の場面をくっつけることだってできたんですよ。理窟は何もつけないで。  それができなかったのは、白い項が見つからなかったからです。もちろん、職業柄、ずいぶん若い|女優《こ》を見てはきました。だが、やっぱりちがうんだな。あのときの白い項と。年ごろだって体つきだって同じはずなのに、わたしの眼には、まるでちがったものに見える。あのしーんとした項の白さがないんだな。  どこへ行ったら、あのときの白い項があるんだろうな。  わたしにとっての戦争とは、あれだけなんです。あれで代表されるんです。誰にも見えない白い項。  ところで、あなた、ゴルフはやらない? やったらいいのにな。わたしも、もう酒と女には飽きてきましてね。このごろはこちらですよ。多少は仕事関係でスポンサーやプロダクションあたりの連中とのつき合いもありますしね。  さて、そろそろ、わたしもスタートします。風はどっちから吹いてるかな。落葉をつまんで飛ばしてみる、と。少々、|逆風《アゲンスト》かな。  偏流の測定ですよ。しかし、こいつは気楽だな。まちがったところで、誰かが死ぬわけじゃない。むしろ、みんな、わたしの失敗をよろこぶのだから。  それに、この球の白さがいいなあ。これを思いきりかっとばすとき、わたしゃ、あの酒と女にくたびれた時代を、うんと遠くへ吹っとばしてやる気がするんです。あれが、いい時代だったとは、決して思いませんね。  さあ吹っとんでくれよ、白い球、白い項。いい球を打ったら、あなた、声をかけて下さい。「ビュウティ!」「マグニフィセント!」と。 [#改ページ]          文春ウェブ文庫版     忘れ得ぬ翼     二〇〇二年七月二十日 第一版     著 者 城山三郎     発行人 笹本弘一     発行所 株式会社文藝春秋     東京都千代田区紀尾井町三─二三     郵便番号 一〇二─八〇〇八     電話 03─3265─1211     http://www.bunshunplaza.com     (C) Saburou Shiroyama 2002     bb020704