倉橋由美子 倉橋由美子の怪奇掌篇 目 次  ヴァンピールの会  革命  首の飛ぶ女  事故  獣の夢  幽霊屋敷  アポロンの首  発狂  オーグル国渡航記  鬼女の面  聖家族  生還  交換  瓶の中の恋人たち  月の都  カニバリスト夫妻  夕顔  無鬼論  カボチャ奇譚  イフリートの復讐 [#改ページ]   ヴァンピールの会  木原氏の経営するレストランは湘南《しようなん》の海を見下ろす高台にある。商社に勤めている間はほとんどスイスやフランスにいて、ミシュランとかゴー・エ・ミヨとかクレベールとかに名前が載って評価の高い各地のレストランを食べて回るうちに、美食の趣味が嵩《こう》じてその方面の評論家になり、本も次々に出してそちらが本職になったので会社は辞めた。夫人が亡《な》くなった時、後添いをもらう代わりに、と友人たちに宣言して、海の見える場所に白い石造りのレストランを建てた。本人に言わせると、例えば南仏のムーラン・ド・ムージャンあたりに引けを取らない料理を出そうというのである。  日本に帰ってからの木原氏は、年相応の銀髪を除けば万事に若返ったようだった。ある時|親戚《しんせき》の若い娘の車に同乗する機会があった。若い連中が好んで聴く音楽が車から流れて海の風に混じるうちに、「あなたを思い出す、この店に来るたび……」と女の声で歌われる歌が耳についた。その歌の中のレストランは「ドルフィン」という名で、晴れた日には遠くに三浦岬《みうらみさき》も見える。そして「ソーダ水の中を貨物船が通る」というくだりがある。木原氏はこれがひどく気に入って、自分の店にもガラス張りの壁面を広く取った部屋を建て増した。  その部屋が気に入ったという客が、増えて、その中には月に一度そこを借切ってワイン・パーティを催す十人足らずのグループもあった。どこかの大学の同窓会らしく、三十前後の優雅で裕福そうな女性ばかりが元の指導教授と見られる初老の紳士を囲む会である。その都度|誰《だれ》かが手に入れてきた珍しい逸品を賞翫《しようがん》するのが主たる目的で集まっているらしい。それだから料理は添えものというわけではなくて、この店自慢の「家鴨《あひる》のフォワグラのポートワイン風味ゼリー付き」とか「薄紫の海胆《うに》の殻《から》にはいったムージャン風|掻《か》きたて雲丹《うに》」とかはなかなか好評で、時には辛口のシャンパンの註文《ちゆうもん》があったりして談笑の泡立《あわだ》ちも活発のようである。木原氏にとってはよい客であった。  それにこの会には「いい女」が揃《そろ》っている。ただ、妙に興味をそそられるのは、その「いい女」ということのほかに、微量の有毒成分とでもいうか、どこか得体の知れないところが残るせいであった。言動が芝居がかったところもある。秘密を共有している一味が外の人間に対して結束して芝居を演じているような気配もある。それはともかく、一人一人を見れば、高級|娼婦風《しようふふう》の女もおり、「フェードル」でも演じそうな女優を思わせる女もいる。  このワイン・パーティの客に少なからぬ興味を抱いていることではボーイの佐田君も木原氏に劣らなかった。 「大変な金持らしいですよ。今日も運転手付きのベンツなど三台で来ています」  佐田君がそんな調子で御注進に及ぶ。頭の中身は平凡であるが、なかなかの美少年、ないしは美青年というべきこの佐田君は、ワイン・パーティの客にも評判がよいらしく、おしゃべりのおこぼれにも与《あずか》っていろいろなことを小耳にはさんでくる。 「そう見せかけているかもしれないね」 「いいえ、あの車はハイヤーではありませんでしたよ」 「そうかね。しかしベンツなら私程度の人間でも持っている。ところで今日のワインは何だい」  木原氏は「本日の真の主賓」であるワインに興味を抱いた。 「さあ、何ですか、今日も見たことがないやつで」と佐田君は自信なげに答えた。「いつものように赤は赤ですが。ラベルに変わった絵が描《か》いてあります」 「ロートシルトあたりかな」 「蝙蝠《こうもり》みたいな絵ですよ」  ワインに詳しい木原氏もそれだけでは見当がつかない。  パーティがある度に大概は挨拶《あいさつ》に顔を出しているが、「本日の主賓」が登場している場面にはまだ行き合せたことがないのである。一度だけデザートの時に出ていって、空になったそれらしい瓶《びん》を見たことがある。CHATEAUのあとにVAMP……という字が見えたような気がする。ただし該当しそうな名前は浮かんでこない。ヴージョ(Vougeot)でなかったことは確かである。もっとも、目には自信がなかったので木原氏はそれ以上考えるのを止《や》めにした。  佐田君の話によると、このパーティの客たちは、その日賞味すべき赤ワインを何やらまがまがしい形をした白磁の容器に移すのが常であるという。瓶からじかにグラスには注《つ》がないのである。このやり方は飲物の正体を隠すためのもののようでもあって、それが木原氏の好奇心を一層掻きたてた。  それは秋の初めのまぶしいほど晴れ上がった午後のことだったが、木原氏はコースの途中でフランス人のシェフに代わってテーブルに行ってみた。海は燦々《さんさん》と注《そそ》ぐ光に磨《みが》きたてられたように輝いている。外はこの上なく明るいのに部屋の中には逆光で物を見る時の暗さがある。いや、それだけではない。その明るい午後の暗さには、何やら秘密の儀式に熱中している魔女の集会にでもありそうな、夜と死の要素がある。 「魔女みたいなところがありますよ、あの女性たちには」といつか佐田君が言った時には、近頃《ちかごろ》の若者らしい稚拙な表現だと思った木原氏も、実際に宴酣《えんたけなわ》の部屋に踏みこんでみると、この「魔女」なる評言はかなり適切であると認めざるを得なかった。「魔女」たちは木原氏の出現に顔色を変えるでもなく、やりかけていたことをとっさに中断してその場を取り繕っている様子でもない。それでいて、どこか芝居めいた談笑が続いているのは木原氏を無視してのことのようでもあり、あるいは逆に木原氏を観客に見立てて一段と手のこんだ芝居に切り換えてのことのようでもある。 「われわれには一寸《ちよつと》した悪趣味があって」と教授が木原氏に話しかけた。「これを言うと顰蹙《ひんしゆく》を買うかもしれないが、赤ワインを何種類か混ぜて飲む。例えば今日はこちらで出していただいたサン・テミリオンで割ったのがなかなか結構です」 「失礼ですが、今日御持参のはどちらの赤でございますか」 「トランシルヴァニア・アルプス地方の田舎のワインです」 「珍しいワインですね。その、トランシルヴァニアというのはルーマニアですか」 「ええ、ヴァンピールの本場です」  木原氏の頭に残っていたVAM……の綴《つづ》りがこのヒントで完成した。それはVAMPIREであったことがわかった。 「吸血鬼」という言葉を口にするのは憚《はばか》られたので、木原氏は微笑を浮かべながら冗談を言った。 「ヴァンピール。するとそこにはいっているのはもしかすると人間の体から取った赤ワインかもしれませんね」 「まあ、素晴しい勘の働く方」と言ったのは一際《ひときわ》目立つ大柄《おおがら》の美人であった。 「そういうのはエスプリって言うんじゃない?」 「下手なブラック・ユーモアでしょう」と木原氏が応じる。 「でもね、先生のブレンド主義もいいけれど、ナオミは原則としてストレート主義」 「ナオミの舌は特別|強靱《きようじん》なんだから。ユキは今日の田舎ワインならサン・テミリオンと半々位にした方がいいわ」  女たちはナオミ、ユキ、ミナコなどと呼び合い、自分のことも名前で言うのである。学生時代の習慣がそのまま持ち越されているようであるが、それにしても教授まで昔の教え子をナオミ、ユキ等々と呼んでいるのは木原氏には首をかしげたくなることであった。  既婚の女が大半のように思われる中に、これは正真正銘の独身らしい文学少女風の小柄な女が、グラスを水平線の方にかざしてつぶやいた。 「いつか木原さんは、ソーダ水の中を貨物船が通るという歌の文句が気に入ったとおっしゃったけれど、ワインの中を、ほら、漁船が通る」  みんな突っかい棒を外されたようになって笑った。  その女はあくまでも真面目《まじめ》な顔のまま、木原氏の方にグラスを差出して、「木原さんも一杯いかが」と勧めた。その勧め方が、飲み屋で酔客が店の主人に盃《さかずき》を押しつけるのに似ていたこともあって、木原氏には勿論《もちろん》それを受ける気はなかった。そこで慇懃《いんぎん》に頭を下げて辞退したついでに蛇足《だそく》が口に出た。 「折角ですが、ヴァンピールのお相伴にあずかると自分も感染してヴァンピールになるといいますから」  教授も女たちも笑ったが、何やら仮面の口が一斉《いつせい》に裂けて笑いが洩《も》れたような具合であった。木原氏は早々に引下がることにして、廊下に出た途端に、今部屋の中ではあの客たちが今度は一斉に仮面を外し、その本当の顔を見せているのではないかと、あらぬ想像に捕えられた。  しかし吸血鬼《ヴアンピール》というものは実在するであろうか。木原氏は、「実在しない」と断ずることは差し控えたいと思った。中国の志怪に「無鬼論」という話がある。阮瞻《げんせん》という男が見知らぬ客の前で持論の無鬼論を主張して相手を言い負かしてみると、その相手が実は鬼で、たちまち異形の者に変じて消え失《う》せたという話である。木原氏はその阮瞻の轍《てつ》を踏むまいとする思慮を働かせた。  それから数分後に化粧室の前を通りかかった時に小さな事件が起こった。中からいきなり扉《とびら》が開いた拍子に、木原氏は背の高い女と胸を突き合わせるようにして立ちすくんでいたのである。女はあの「ヴァンピールの会」随一の美女で、それも「楚楚《そそ》とした」と言える代物《しろもの》とは正反対の、目には強い光があり鼻は高く尖《とが》り唇《くちびる》は仏像の唇に似た輪郭をもって赤く濡《ぬ》れている。その唇がいきなり木原氏の唇にぶつかってきたのである。この乱暴なくちづけを続けるために女は抱き合ったまま化粧室に戻《もど》ろうとし、木原氏は思わず抵抗する。そのはずみに女の歯で木原氏の唇が少し切れた。 「ごめんなさい」と美女は素直に謝って、目の中には甘い光が見えたので、木原氏も笑って、 「綺麗《きれい》な吸血鬼に咬《か》みつかれた。まさか血を吸って、仲間を増やそうという魂胆じゃないだろうね」と言った。 「そうだとしたら」  女の目の光が強くなった。今度は木原氏の方から抱きしめてお返しをした。  あとになって考えると、それは最初のくちづけで味わった不思議な匂《にお》い、血の匂いともヴァンピール族の口の匂いとも思われるものを確かめたい気持に動かされてのことであったらしい。木原氏には若い女に愛されたとしてもそれを楽しもうとする意欲は全然起こらなかった。ただ一つ、女が別れ際に「ヴァンピールの会」に加わらないかとささやいたのが耳に残った。  それから何度か「ヴァンピールの会」があった。変わったことと言えば、一度女の一人が五、六歳の男の子を連れてきたこと位である。 「今日は生《なま》のワインが手に入ったとか言ってましたが、ワインにも生があるんですか」  佐田君が無邪気にそう訊《き》いたので、木原氏は返答に窮した。佐田君が料理を運んでいった時、中から鍵《かぎ》が掛かっている時間があった。しばらくして木原氏が行ってノックをすると、例の美女が上気した顔で現れて、子供が悪戯《いたずら》盛りで勝手に廊下の方に出ようとするもので、と言訳をした。 「それで、先に帰ってもらいました」と女はテラスの方を指差したが、ほかの女たちは興奮を抑えるのに懸命の様子で重苦しく黙っていた。  ある冬の日曜日のことである。木原氏は所用があって、その日の「ヴァンピールの会」が終わる頃ようやく東京から帰ってきた。風が赤い太陽を海に吹き落としそうな勢いの夕暮時に、坂を上りながら見ると、いつもの部屋に灯《ひ》がついている。佐田君の姿は見えない。シェフに訊いてみると予定の料理は全部出たという。木原氏は応接間を兼ねた事務室にはいってソファに腰を下ろした。これまでにあったことを材料にして何が起こったかを考えるため、というより確実に起こったあることを予感するために、しばらくは身動きもしないでいた。考えはまとまらない。それよりも血が騒ぐ。  ついに木原氏は腰を上げて「惨劇」が行なわれたにちがいない部屋へ行った。 「ヴァンピール」たちの姿はなかった。会合は終わっていた。狼藉《ろうぜき》の跡があるわけではない。佐田君は窓際の床の上に倒れていた。頸《くび》にわずかに血糊《ちのり》が見えたけれども、血はどこにも流れていない。刃物で刺されたり斬《き》られたりした死に方ではなさそうである。しかし佐田君は血を失って乾いた造花のようになって死んでいる。  抱き起こしてみると体にまだ温《ぬく》みは残っている。肝腎《かんじん》のものも多少は残っているのではないだろうか。木原氏はほとんどためらうことなく美少年の頸の血の逃げた跡に口をつけた。そして歯と唇を巧みに使って強く吸うと、生温いワインが口の中に流れこんできた。この時木原氏は、夫人の死後自分が求めていたものが妻でも女でもなく、また尋常の美食でも美酒でもなく、本当はこのようなものであったことに思い至ったのである。木原氏の好みからすれば、大人の女のは飲む気になれない。美少女ならまあよかろう。しかし何と言っても美少年が一番いい。それにやはり赤は冷やさぬ方がよく、体温に近い温度で飲むのがいい……。  木原氏は今しかるべき施設に収容されている。「ヴァンピールの会」がその後どこかで開かれたという話は聞かない。しかし木原氏はここから出たら自分が「ヴァンピールの会」を主宰しようとひそかに考えている。 [#改ページ]   革命  大蔵省に勤めている小田氏は子供の頃《ころ》から蟹《かに》が嫌《きら》いであった。蟹に限らず、足が八本とか十本とかあってその足をそれぞれ動かして這《は》い歩く異形の動物を嫌悪《けんお》した。従って蜘蛛《くも》も蝦《えび》も、また大概の昆虫《こんちゆう》も嫌いだったが、中でも蟹に対しては異常なほどの嫌悪と恐怖心を抱いていた。その理由は、子供の頃、近所の悪餓鬼共に襟首《えりくび》から生きた蟹を入れられて恐慌《きようこう》を来《き》たした余りに小水を失禁した経験があるからである。爾来《じらい》そのことは記憶に封印して触れないようにしている。また蟹を忌避すること甚《はなは》だしいという性癖も人には言わないよう注意している。というのはかの悪戯《いたずら》をされたのも日頃蟹を恐れているのを悪餓鬼共が知ってのことだったからである。  四十代の半ばに小田氏は大蔵省からある国立大学に籍を移した。当時、同期の仲間の中には政界に出る者が二、三あって、それがエリート官僚の反乱などと取沙汰《とりざた》されたりしたが、小田氏は別の道を選んだ。実は、それについては人に言えない事情が介在していたのである。  ある夏の明方の常ならぬ時刻にふと目が覚めた。窓の外は薄明るくなっている。ただ、その明るさが街灯か何かの人工の照明によるもののようでもある。もう一眠りできる時刻なのか、起きるべき時刻なのか判然としない。そのままぼんやりしていると、いやにはっきりと人の声が聞こえた。  オ前タチヲ入レルワケニハイカナイ。  語調から言っても女の声ではないが、かと言って男らしい声でもない。強《し》いて言えば無性的な声である。すると同じような調子で誰《だれ》かが言い返した。  ワレワレハ断乎《だんこ》入ルゾ。  こちらは明らかに昔の大学紛争か何何闘争といったところで聞かれた口調である。だが問題はこの声が聞こえてきた場所であった。それは疑いようもなく小田氏の腹の中か胸の中か、ともかく体内で発せられたことに間違いなかった。中ではなおも「侵入者」と「防衛者」の押問答が続いている。  アナタガタノ精神ノ一部ヲワレワレノ精神デ置キ換エテ、一大変革ヲモタラシテヤルノダ(と侵略者)。  ソンナコトヲサレテハ叶《かな》ワナイ。ワレワレノ自己同一性ヲ破壊スルヨウナ異物ヲ受ケ入レルワケニハイカナイ(と防衛者)。  侵入者の方は高圧的だった口調を多少改めて説得を試みる様子であった。ワレワレヲマッタクノ異物扱イスルノハ間違ッテイル。現ニアナタガタノ中ニハワレワレト呼応シテ動ク仲間ガイルシ、ワレワレヲコノ仲間ト合体サセテモラウダケデイイノダ……。  それから声を低くしての交渉や説得が続き、小田氏にはその単調なやりとりのすべてを理解することはできなかった。話は次第に専門的になってくるらしい。ジオールエポキシドとかDNA、RNAとか薬品の名前に似た言葉が出てきたかと思うと、イニシエーションとかプロモーションといった言葉も出てくる。聞いているうちに小田氏は、会社の営業関係の人間が朝早くから路上で何やらこみ入った折衝でもしているのかと思えてきた。  しかし気がつくとその話し声はやはり外の路上ではなく自分の中から聞こえてくる。小田氏は慄然《りつぜん》とした。ではこれは幻聴なのか。とすると狂気の徴候ではないか。  それでもこの時はそのまま眠くなっていつもの時刻までうとうとしたのが救いであった。目を覚ましてから、多分それは夢だったのだろうと自分で自分を思いこませることもできたのである。ところが数日後、省内のある会議の最中に、小田氏はまた例の声を聞いた。今度は数人の仲間が声をひそめて何やら謀議する気配である。局長の声に紛れてよくは聞きとれないが、細胞、破壊、奪取、革命、組織の拡大あるいは増殖、といった穏やかならぬ言葉が使われていたような気がする。そのほか小田氏には理解できない専門用語も出てきた。CEA、AFP、NK等々の記号めいたものや、T細胞、B細胞などの名称も出てくる。侵入者の組織作りが着々と進行していることをうかがわせる。まるで自分の体の中にコミュニストが入りこんで秘密の細胞会議でもやっているようだと小田氏は思った。  勿論《もちろん》、「コミュニスト」の声が周囲の人間に聞かれた様子は見えない。聞いているのは自分の頭だけである。ということは、その自分の頭が狂い始めているということではないか。小田氏は必死の思いで、「分裂病」の一語を呑《の》み下した。おかしなことに、内部の「コミュニスト」たちも活発にその党活動を続けながら、「分裂」という言葉をしきりに使っている。モット分裂ノ速度ヲ上ゲナケレバナラナイ。ワレワレニ対スル敵ノ攻撃ハ苛烈《かれつ》ヲ極メテイル。分裂ニヨッテ組織ノ増殖ヲ図ルコトガ目下ノ最モ有効ナ戦術ダ……  小田氏は自分の内部で進行しているらしい革命運動の様子が逐一聴きとれるという「病気」を抱えこんだ以上、体力と気力を要する省内での出世競争を続けていくべきではないと判断した。名の知れた財界人の娘である夫人も、夫人自身の内向的性格からして、小田氏が大学に移って研究と教育の生活に入ることをどちらかと言えば歓迎しているようであった。けれども小田氏はこの夫人にも例の声の話は一切していない。これだけは他人には絶対に言わぬと心を決めると、あとはかえって気楽である。小田氏はある種の好奇心さえ抱いて内なる「革命」の進行を見守っていた。ただ一つだけ気になることがあった。それはある時偶然わかったことであるが、この「コミュニスト」連中は自分たちのことを「蟹」と称していたのである。自分の内部にあの嫌悪すべき蟹が棲《す》みついて泡《あぶく》を吹きながら仲間を増やしている、という想像は小田氏のよく耐えるものではなかった。 「蟹」と名乗る「コミュニスト」たちはそれからしばらくの間派手な活動を差し控えているようであった。というよりも、周囲の既成組織への浸透が予想外の難事で、従って党組織の拡大も思うに任せなかったらしい。  敵ノ弾圧攻勢ハ厳シク、マタ一般大衆ノ無知ト保身本能カラ来ル抵抗ニモ侮《あなど》リガタイモノガアル……  小田氏は「蟹」たちが時には「食われ」たり「逃亡」したりしていることを知った。奇妙なことに、小田氏は革命集団「蟹」の苦闘ぶりを毎日聞かされているうちに、ひそかに「蟹」を応援して「革命」の成就《じようじゆ》を願う気持に傾くことがあった。  それから二年ほど経《た》った頃、「蟹」の声は一段と高く、明晰《めいせき》になった。相変わらず他人に聞かれる心配はなかったけれども、戦意|昂揚《こうよう》した「蟹」たちの語り交わす語はしばしば小田氏が他《ほか》の人の話を聞きとる妨げとなるほどであった。小田氏の様子がおかしいことにまず気づいたのは夫人で、夫人は素人《しろうと》考えからノイローゼまたは鬱病《うつびよう》の疑いを抱いた。しかしさすがに、それよりもっと悪い事態つまり分裂病の進行という疑念をもつには至らなかった。  その頃「蟹」たちは第一段階としての中央組織あるいは拠点の確立を完了し、支配細胞の建設による全面的な展開に踏み出そうとしている様子であった。  妻の勧めもあって、小田氏は高校時代の同級生で精神科の教授になっている畑中氏を訪ねることにした。生憎《あいにく》畑中氏は渡米を控えて多忙であったが、ようやく出発の前日に一時間ほど時間を割《さ》いてもらった。 「顔色が悪いようだね。近頃ドックに入っているのか」と畑中氏は言った。 「悪いのはそちらの方ではないんだ」  小田氏はそう言ってから、今まで夫人を含めて誰にも話したことのない「蟹」集団の革命運動の話を堰《せき》を切ったようにぶちまけた。畑中氏はメモを取りながら注意深く聴いていたが、殊更《ことさら》揶揄《やゆ》する調子で尋ねた。 「君は昔その方面の運動をやったことがあるのか。それとも筋金入りの反共というわけかね」 「どちらでもない」  時間がなかったので小田氏は歯切れよく整然と話を進めて、現在|懸念《けねん》しているのは、この「革命」が実は自分の精神の全面的破壊を目指したものではないかということだ、と述べて話を締め括《くく》った。 「君の話の内容は立派に分裂病的だ。しかし分裂病の人間は君のような態度や話し方はしない。そこのところがよくわからない。まあ、しばらく考えさせてくれ」  畑中氏は取り敢《あ》えずそれだけ言って、別れ際《ぎわ》にもう一度ドック入りを強く勧めた。 「お互い、中年だからね。今は精神よりもまず身体《からだ》の心配をした方がいい」  アメリカにいる間畑中氏は小田氏の「病気」のことを忘れていた。というより真剣に検討するだけの余裕がなくて、それは手をつけないままの宿題となっていたのである。ところが、帰国が近づいたある日、ロブスターの料理を食べていて突然、昔見たことのあるヒポクラテスの本の蟹の絵を思い出した。あれはザリガニ風の蟹とは違って、球形の胴から脚が生えた形をしていた。確か、乳癌《にゆうがん》などの様子を蟹のイメージで表わしたものであった。畑中氏は愕然《がくぜん》とした。癌、cancerとはもともと蟹のことである。  成田に向かう機内で畑中氏はさまざまの仮説を組み立てては崩していた。小田氏が聴いていたのは自分の体内で発生し、進行していた癌の細胞集団の「革命」運動であることは間違いない。問題はそれを小田氏が、コミュニストの活動にでも立ち会うようにして普通の言語のレヴェルで認識していたことである。細胞レヴェルの、さらにはDNAの分子レヴェルの出来事を小田氏の脳がいかにして認識することができたのか。  畑中氏は帰国した翌日、小田氏を病院に見舞った。小田氏は危篤《きとく》状態にあった。主治医の話では本人も自分が癌であることは承知しているという。病院には死臭がたちこめている。そこに横たわっているのは癌に犯された病人というより、ほとんど全身を癌で置き換えられた癌人間とでもいうべき異形の存在であった。  小田氏が唇《くちびる》を動かすので、畑中氏は耳を近づけた。 「革命ハ成ッタ、と連中は言っている」  畑中氏はどう応《こた》えていいかわからず、ただうなずいた。それから小田氏は、「おれはとうとう蟹になった」とも言った。  遺体を解剖した医師は転移のすさまじさに驚いて、畑中氏にこう洩《も》らした。 「これで生きていられたのが不思議ですね。キャンサーが小田さんを乗っ取って生きていたのかもしれない」 「それが革命というものですよ」と畑中氏はつぶやいたが、若い医師は一瞬|怪訝《けげん》な顔をみせただけであった。 [#改ページ]   首の飛ぶ女  父の高等学校時代の友人に少し頭のおかしい人がいた。話に聞くだけで、直接会ったことはない。仮にK氏としておく。そのK氏の秘密について父が話をしてくれたのは、偶然かどうか、父が心筋|梗塞《こうそく》で急死する数日前のことであった。もっともこれはK氏が人に隠していた秘密というより、K氏の「異常さ」にかかわることで、関係者の間ではある程度周知ではあったが、父はそれまで私には言わなかったのである。  それは大略次のような話であった。  Kが敗戦後大陸から引き揚げてきてしばらく経《た》った頃《ころ》、頭がおかしくなって入院退院を繰り返しているという噂《うわさ》を耳にした。ある日街でばったり会った時の話の成行きで、そのうちに一度遊びにくるということになった。百鬼園という先生は玄関先に、「世の中に人の来るこそうるさけれ とはいふもののお前ではなし」という蜀山人《しよくさんじん》の一首に並べて、「世の中に人の来るこそうれしけれ とはいふもののお前ではなし 亭主《ていしゆ》」と書いて貼《は》り出してある剛の者だったそうだが、Kのような人物の御来訪はまさに嬉《うれ》しくない。こちらは歓迎しない気持を見せておいたのに、相手は何しろ尋常の御人ではないから、早速|律義《りちぎ》にも訪ねてきたというわけだ。確かお前が生まれる前のことだったね。  断っておくが、見たところKはその方面の病人らしくはなかった。目付きが薄気味悪いわけでもない。痩《や》せて浮浪者然とした風体だったが、これも当時としては珍しいことではない。ただ、街で会った時もその日も、革の立派なボストンバッグを持ち歩いているのが目を引いた。  しばらく雑談が続いたあと、Kは急に話題を変えてこんなことを言いだした。 「君は『山海経』や『捜神記』に出てくる畸形《きけい》人種の話を知ってるかい」 「詳しいことは知らない。何でも頭が三つある種族とか、万里の長城を築くのに狩り出された多毛人とか、邪鬼を三千もぺろりと喰《くら》う大男とか……」 「案外詳しいじゃないか。その種のおかしな蛮族に飛頭蛮というのがいた」 「知らないね」 「夜中に頭が胴を離れて飛びまわるという変った種族だ」 「確かに変った病気だね」 「個人的な病気じゃない。この蛮族では老若男女《ろうにやくなんによ》を問わず、みなそうなのだ。ところで、君はまだ独りかい」 「去年結婚したよ。生憎《あいにく》家内は実家に用ができて昨日から留守にしている」 「僕《ぼく》も女と一緒に暮らしていたけどね」 「なぜ過去形なんだ」 「女と言ってもまだ十七の少女だった。例の、引き揚げの時拾って連れて帰った、というより僕についてきた中国人らしい女の子だ」 「知ってるよ。汚れを落としてみると大変な美少女だったな」 「だんだん大きくなったんだ」 「それは当り前だ。やがて君は紫の上に手を出した源氏の境地に達したというわけか」  私は相手が尋常でないことをつい忘れて軽口を叩《たた》いたが、相手は別にきっとなるでもなく、にこにこ笑っている。それが何とも悲しそうな目をしてにこにこと小春日和《こはるびより》みたいに笑っている。 「僕らは夫婦にはなれなかったんだよ。麗《れい》は法律上は僕の娘ということになっていたからね。それでもある夜、僕は麗の部屋へ忍んで行った。どういうわけか、小さい頃から一人で寝たがる子でね。いつも寝る時は別々だった。さぞ可愛《かわい》い寝顔をして眠っているだろう。そう思うともうとても堪《たま》らない。寝顔を見るだけだからと自分に言いきかせて、覗《のぞ》いてみると寝顔がない」 「寝顔がない?」 「首がないんだ。これは殺人事件だと、とっさに思って血が下がった。だがそれにしては血が流れていない。おまけに首のない胴はまだ生きているらしくて、ほどよくふくらんだ胸が上下している。首がなくてどこで呼吸しているのかわからないが、胸の谷間にはうっすらと汗が光っている。しかし首はない」 「飛頭蛮だな」 「余り驚かないようだね」 「いや、驚いている」  そろそろ「病気」の核心に触れてきたと思ったので、私はいろんな意味で病人を刺激《しげき》しないように用心した。 「僕は驚いたね。頭も混乱した。しかし同時によからぬ気持が蠢動《しゆんどう》しはじめるのがわかって頭の中が熱くなった。首のない麗は意識も思考もなしに生きている。その手に触ってみると温くて柔らかい。握りしめているうちに少し汗ばんでくる。布団《ふとん》の下の脚は軽く開き加減に投げ出されているらしい。麗の脚は日本人の脚と違って、よく伸びていい形をしている。その先には象牙《ぞうげ》細工のような、華奢《きやしや》で端正な足がついている。……  その夜はそれで何事もなかった。朝になると、麗はいつもの通り機嫌《きげん》よく起きてきた。夜中にああいう変事があった様子はどこにもない。その次の夜も同じような具合で、進展はない。どうやら麗は夜中に自分の首が胴を離れてどこかへ飛んでいってることを本当に知らないらしい。もしもこの病気のことを自分で知っていたら、首が飛んでいかないように縛りつけておく手もあるじゃないか」 「首がいない間に悪戯《いたずら》をされても知らないのか」 「勿論《もちろん》首は知らない。が、胴は知っているはずだ。ある夜、とうとう僕は首のない麗を抱いた。それから夜毎《よごと》に男女の交わりを続けた。首のない体はちょうど眠っている時の体に似て、僕を迎えてかすかに反応がある。そのうちに快楽の味を覚えたのか、琴瑟《きんしつ》相和すような具合になる。ところがある時、麗の体にこれまでにない震えが走ったかと思うと、腕と足がからみついてきて恐ろしい力で締めつけたのだ。一瞬、僕は首が帰ってきて完全な麗が歓喜で応《こた》えたのか、狂った肉欲の怪物が僕を締め殺そうとしているのか、どっちともつかずに恐怖の余りぎゃっと叫びそうになった。しかし気を取り直して見ると、首はない。首が離れたあとの切り口は相変わらず濡《ぬ》れた唇《くちびる》のような手触りだ。その部分を舌でくすぐってやると首のない体は狂って跳ねまわるようにして歓《よろこ》ぶことがわかった。……という次第だが、こうしたことは一切、首のある麗の与《あずか》り知らぬところらしい。胴は夜毎の体験を首に知らせるすべをもたないわけだ」 「ところで」と私は堪《たま》りかねて話を別の方向に外《そ》らした。「首の方だが、夜毎にその首は一体どこへ飛んでいくのだ?」 「そのことだがね」と言いかけてKは妙な含み笑いをした。頭の方の病人のその種の笑い方は余り気持のいいものではない。 「まさか、夜毎に夢の通い路を飛んで恋人のところへ忍んでいってたわけでもあるまい」 「それが笑止なことに、麗の首はある日真剣な顔をして、お父様、私には好きな人ができたのです、と告白したんだね。毎晩その人のところへひそかに通う夢を見るのです、とね。勿論、その恋人とは僕のことではない」 「君は猛烈に嫉妬《しつと》した……」 「いや、そんな単純なものではない。僕はいささか父親らしい感慨を覚えた。あるいは玉鬘《たまかずら》をついに髭黒《ひげぐろ》に奪《と》られた源氏の心境というべきか。でもね、本音はこうだったな。そうか、お前もそんな年になったのか、それならお嫁に行ってしまえ、だが首だけで行ってしまえ、体はここに置いていけ」 「悪い奴《やつ》だ」 「口に出しては言わないさ。ところが、首は泣きながらこう言った。その人とは結婚できません。その人には奥様がいらっしゃるのです」  私はKの話をそれ以上聴いてはいられないような気分になった。それで先を急がせると、結局話の結末はこういうことだったよ。 「君が嫉妬のことを言ったのは正しい。やはり僕も人並みに嫉妬したよ。嫉妬が嵩《こう》じて僕は馬鹿《ばか》なことをやらかしたのだ。ある明け方、首は逢引《あいびき》から帰ってきた。首が実際に飛んでいるところを見たのはそれが初めてだったが、首は耳を翼のようにはばたかせて巨大な虻《あぶ》みたいな羽音を立てて飛ぶ。飛頭蛮の流儀はそういうものらしいね。その時、帰ってきた首は上気していかにも喜びに溢《あふ》れている風情《ふぜい》だったから、こちらは怒り狂ってしまった。それでとっさに切り口にシーツをかぶせて首が接着できないようにしてやったのだ。首は困惑してあたりを飛びまわるが、許しを乞《こ》う様子もない。どうやら苦悶《くもん》の態《てい》なのだ。殺虫剤を浴びて狂い死にする蠅《はえ》のような苦しみようだ。ざまあ見ろと思って見ていると、あっけなく事切れてしまった」 「むごいことをしたものだ」 「それはそうだが、もう後の祭だった。首は見る見る生気を失って皺《しわ》だらけになりながら、信じられないほど小さく縮んでしまった。これがそうだがね」  Kはそう言うと、その身なりに不相応なボストンバッグを開けて問題の代物《しろもの》を取り出した。思わず叫び出しそうになったが、もう制止する暇もない。それは土偶の首のようなものだった。一度見ると目を外らすことができないものだ。特に私にはね。何しろ、それは生前毎晩のように飛んできてくれた忘れられない顔のなれの果てだったからね。  ここからの話は勿論父がK氏にはしなかった部分である。麗という美少女の首は、夜毎に父のところへ飛んできたのだった。最初、何か鳥のようなものが窓ガラスにぶっつかる音がして、甘えた仔猫《こねこ》に似た声が聞こえたという。父が深夜その首を窓から入れて、机の上で冷たい髪を撫《な》でながら、どんな睦言《むつごと》を交わし合ったのか、父は多くを語らなかったが、想像してみることはできる。しかしそういう話をした時の父の顔は正視に耐えなかった。「死んだお母さんはこのことを知らない。だがお前にはいつか話しておく必要があると思っていた。その理由は……」と言いかけて父は一瞬ためらった。 「その前にKのことだがね。Kは首を殺したことになるが、それから何日か、胴の方は生きていた。やがて胴も弱って死んでしまうが、その前に女の子を生んだ。首のない体から可愛い女の子が生まれた。Kは大変な猟奇事件の犯人ということで逮捕されたが、分裂病と診断されて不起訴になった。女の子は私が引き取って自分の子として育てたんだがね。お前に言うことはそれだけだ。お前がその、例の病気を受け継いでいるかどうかを確かめてみる勇気はいまだにない」  父が急死したあと、私はこの父の話を数え切れないほど反芻《はんすう》してみた。今のところ私には恋人がいない。夢で恋人に逢《あ》ったこともない。首はまだ飛びはじめてはいないと思う。人を愛することさえしなければ首は飛ばないと思っている。 [#改ページ]   事故  ある秋の夜長の十時|頃《ころ》、山口|勉《つとむ》君はいつものように塾《じゆく》の宿題を済ませて長風呂《ながぶろ》にはいっているうちに、つい湯槽《ゆぶね》の中でうとうとした。どれ位眠ったのかわからない。はっと気がついた時、体がとろけるような気分で、立ち上がるのも億劫《おつくう》だったが、実際、肉はすっかり融《と》けて湯槽の中にはスープを取る時のあくのようなものが大量に浮かび、勉君は骨だけになっていた。そしておいしそうなスープの匂《にお》いまで立っている。  勉君の頭にまず浮んだのは、お母さんに叱《しか》られる、ということだった。湯槽から出ると、まずおびただしいあくを洗い落とさなければならないと思った。シャワーで流し始めたが、何しろ骸骨《がいこつ》になってしまったもので、肋骨《ろつこつ》を始め、複雑な籠《かご》のようになった骨の間を洗うのは容易なことではない。そこでお母さんを呼んだ。  お母さんは風呂場の戸を開けるなり、尖《とが》らそうとした目を丸くした。 「洗うのを手伝って。こんなになっちゃったから、一人ではうまく洗えない」 「しようがない子ね。骸骨になるまで長湯をする人がありますか。大体あなたは年寄りみたいにお風呂が長いんだから」  それでもお母さんは腕まくりをしてはいってくると、勉君の腕の骨を掴《つか》み、スポンジで手早く洗ってくれた。少しくすぐったかったけれども久しぶりのお母さんの手の力を感じて勉君は甘い気持になった。  そのうちにお母さんは笑いだした。 「これは何なの? こんなもの付けて威張って」 「おちんちんの骨でしょ」 「おちんちんに骨があるの?」  それは股間《こかん》に残っている薄桃色の華奢《きやしや》な骨の角で、ニシキツノガイにそっくりだった。 「勉のがこんなのだとすると、お父さんのにはオオマテガイみたいな骨がはいってるかもしれないわね」と貝に詳しいお母さんが言った。「でも、お父さんが帰ってきたらなんておっしゃるかしら」  その晩お父さんが帰ってきたのは十一時過ぎで、いつもほど酩酊《めいてい》の様子ではなかった。 「お父さんお帰りなさい」  するとお父さんは「おっ」という声を発して軽い驚きを見せ、いつか勉君が髪を切ってスポーツ刈りにした時のようににやっと笑った。「笑ってる場合じゃありませんよ、あなた。のんびり長風呂にはいっているうちにこんなことになっちゃったの」 「すっかり肉が落ちて、完全な骸骨じゃないか。すっきりしたのはいいが、骨だけになって大丈夫なのか」 「大丈夫。なんだか風の通りがよくなったみたいでスースーする」 「そんな恰好《かつこう》じゃ風邪を引くぞ。早くパジャマを着て寝た方がいい」  勉君が子供部屋に行ったあとで、お母さんはお父さんに相談を持ちかけた。これからどうすればいいのだろうかという相談だったが、お父さんにもこれと言っていい知恵は浮かばない。とりあえず明日は学校を休ませて、かかりつけの竹田先生に診てもらった方がいいということになった。  朝になっても勉君の様子に変わりはなかった。再び肉が薄く骨を蔽《おお》い始める徴候もなければ、さらに事態が悪化している風でもない。  竹田先生は勉君を見るなり「ほう」と驚きの声をあげたが、むしろ感嘆の声に近かったかもしれない。 「見事な骸骨になったな。どれどれ」と言いながら竹田先生は聴診器を当てる場所を探していたが、心臓のあったあたりは今は肋骨の籠の中で、がらんどうだったので、先生は頭の方に目をつけて額に聴診器を当てた。 「深呼吸をしてごらん」  勉君は懸命に頭を拡《ひろ》げようとしたがうまくいかなかった。先生は一人でうなずいて、次に胸骨を指で叩《たた》き、肩甲骨《けんこうこつ》を叩いた。 「骨に異常はないようですな。意識その他は勿論《もちろん》正常だし、心配はいりません。ただ、この通り骸骨そのものだから、脆《もろ》くて破損しやすい。乱暴な運動は避けた方がいい」 「食事の方は?」 「普通にしていいでしょう」 「アイスクリームもいい?」 「食べすぎなければね。勉君の虫歯は相変わらずひどいぞ。早く歯医者さんにも行っておいた方がいいな」  というようなことで余り要領を得なかったが、帰りぎわに先生はお母さんにこうささやいた。 「子供のうちにこの病気が起こってかえってよかった。大人になってからだと大変ですよ」 「一体、何という病気でしょう」 「突発性溶肉症です。珍しい病気で、まずもとには戻《もど》りませんが、日常生活に支障はありません。まあ、事故にでも遭ったと思って、早く生活のリズムを取り戻すのが大切です」  竹田先生のところを出ると、お母さんは勉君に「しようがないわね」と言い、その言葉通りに、くよくよしてもしようがないと諦《あきら》めて気を取り直したようだった。その点は勉君も同じらしく、屈託のない声で、「サン・マリノのアイスクリームが食べたい」と言った。  秋晴れの空から時折り銀杏《いちよう》の葉が金色の魚の形をして降ってくる歩道を、骸骨の勉君とお母さんが手をつないで歩いていくと、擦れ違う人の中には目を留めて不思議そうな顔をしたり、骨の鳴る音に顔を上げたりする人もいたが、大部分は見て見ぬ振りをして通り過ぎていく。勉君は久しぶりでお母さんと手をつないで街を歩くのが嬉《うれ》しかったし、お母さんにとっても特別の運命を与えられた我が子を今こそしっかりと手中に収めている実感を味わうのは不幸なことではなかった。  担任の先生にはお母さんがよく事情を話しておいたので、翌日勉君が登校した時も厄介《やつかい》なことは起こらなかった。「山口君が急に珍しい病気にかかって、今までとは少し姿が変わったそうだけど、山口君であることに変わりはないし、山口君も全然へこたれていない。みなさんもこれまで通り仲良くしてあげましょうね。壊れやすい体になっているから、乱暴だけはしないこと」というような注意が徹底していたと見えて、クラスの子供たちは誰《だれ》一人としてからかったりはやしたてたりしなかった。むしろ好奇心と感嘆とで目を輝かして勉君から骸骨になった時の様子を訊《き》きだそうとする。休み時間に服を脱いで全身を見せると、子供たちは「凄《すげ》えや、理科室にある模型とそっくりだ」と叫んだ。  しかし子供の好奇心は浅くて長続きもしないもので、二、三日|経《た》つと学校中の子供が勉君の骸骨に特別の興味は示さなくなった。勉君は以前と同じように毎日元気に学校に通った。以前と違ったことと言えば、骸骨になったおかげで風邪を引かなくなったことである。にもかかわらず、体育の時間はいつも休ませてもらわなければならない。給食は食べなくてもよいことになった。給食に限らず、物を食べても、噛《か》み砕いて呑《の》みこんだあとは、食道も胃袋もないために、床に落ちたり骨を汚したりするだけのことである。食べれば美味は美味とわかって満足できるが、無駄《むだ》なことであった。  ヴァレンタイン・デーがやってきた時、勉君は女の子たちの間で静かな人気を集めていることがわかった。チョコレートなどのプレゼントを十数人からもらったのは勉君だけだった。勉君はそのお礼に、女の子たちには時々あちこちの骨を外していじらせたりした。特に前から好きな、髪を三つ編《あみ》にした美少女には、どこかの貝殻《かいがら》のような骨を一つプレゼントしてもいいと思うほどだった。学年が進んで五月にはいると、やがて勉君の誕生日が来て、女の子たちがプレゼントを贈ってくれることになった。そこで勉君の家に女の子たちを招《よ》んで、誕生日のパーティを開いた。プレゼントは勉君の眼窩《がんか》に嵌《は》めるための、ガラスでできた「青い目」だった。それをみんなの前で嵌めて見せると、女の子たちは「カッコいい」と拍手|喝采《かつさい》した。  それから女の子たちの要望に応《こた》えて、勉君は何本もの骨を自分で取り外し、女の子たちにも取り外させては嵌めこませて遊んだ。そのうちに女の子たちは興奮して勉君の骸骨を勝手に解体し始め、気がついた時には頭は一人の膝《ひざ》の上にあり、ほかの骨は絨緞《じゆうたん》の上に散乱して手のつけられない有様になった。 「困るよ。早く元通りに組み立ててくれよ」  しかしプラモデルの箱をぶちまけたような具合で、どう組み立ててよいかわからない。勉君の頭は、人体の図鑑を持ってくるようにと指示した。女の子たちはそれから二時間ばかり悪戦苦闘したが、結局完全な骸骨には戻らなかった。いい加減なところで立ち上がろうとしたら、骸骨はたちまち崩れ落ちて瓦礫《がれき》の山のようになる。お母さんは救急車を呼ぼうとしたが、勉君は泣きながらも救急車では駄目だと言った。  この騒ぎは結局近所の若い獣医に頼んで骨を組み立ててもらうことで収まった。ところができあがってみると膝蓋骨《しつがいこつ》が一つ足りないことがわかった。女の子の一人がこっそり持ち帰ったらしい。おかげで勉君はびっこをひいて歩くことになった。そして女の子にいささか不信の念を抱くようになったのである。  半年ばかり経ったある秋の午後、近所の中学生がお母さんに、やはり近所で飼っている犬が勉君のものらしい骨をくわえている、と知らせてきた。お母さんはいやな予感がした。とりあえずその骨を取り返そうとして行ってみると、犬は唸《うな》り声をあげて骨を噛んでいる。その時近くで救急車のサイレンが聞こえた。予感は当たっていた。大通りで勉君の骸骨がトラックにはねられたのである。  現場には骨片が散乱していた。頭蓋骨《ずがいこつ》は粉砕されて形をとどめていない。後続の車が何台か骨を轢《ひ》いて通ったらしく、お母さんと警察の人が掃き集めてみると、丁度火葬場で焼き上がったばかりのお骨のようなものが小さな箱一杯になった。  お母さんは涙にくれて勉君の名を呼んだが、どこからも返事はなかった。あの清潔な頭蓋骨の中にとどまっていたらしい勉君の霊魂もどこかへ去ったことは間違いない。  葬式には骸骨になる前の勉君と、女の子からもらった「眼《め》」を嵌めた骸骨の勉君と、二枚の写真が飾られた。どちらも明るく笑っている写真である。クラスの子供たちも全員参列した。女の子たちは骸骨の方の写真を見て泣いた。余り泣くのでその写真は祭壇から引っこめることにした。  お母さんもお父さんも抜殻のようになっていた。このまま自分たちも骸骨になってしまいそうだと会う人|毎《ごと》に言っていた。また、勉君があの脆い骸骨にならなかったら、あんな最期《さいご》を遂げることもなかっただろうにと言い暮らした。  しかし四十九日が過ぎ、一周忌を迎える頃になると、二人の記憶から骸骨の部分は次第に消えていった。悪い夢をすぐ忘れてしまうように、骸骨になってからの短い日々の記憶もやがて忘れられて、勉君は要するに事故に遭ったのだ、そういう巡り合わせだったのだと二人は思い始めていた。 [#改ページ]   獣の夢  私は夢の中で旅をしていた。夢といえばいつも旅をする夢である。毎度のことで、これではうんざりする、と旅をしながら私は思っている。今度はお盆で生まれ故郷の田舎へ帰るところであるらしいが、考えてみると私はどこの田舎の生まれでもないのに、田舎を指して海を越え丘を越えて歩いていた。真夏にしては光の衰えた空に鼠色《ねずみいろ》の膜をかぶった臓物のような雲が低く垂れ込め、羊水のような海は暗く騒ぐ気配を見せて、その間を吹いてくる風はひどく湿っぽい。それで私は寒気がしながら全身に脂汗《あぶらあせ》をかいて、脚は他人の脚のように重たかった。  丘を登ったり下ったりするうちに、海は退き、代わって両側から山がますます迫ってきて、行手の風景は次第に狭くなった。穴の中へはいっていくような気分がする。故郷というものはきっとそういう穴の奥の息苦しいところなのだろうと考えながら歩いていくと、いつのまにか生まれた村に来たらしく、顔見知りの百姓たちが物悲しげに背を丸めて通っていくのに出会った。皆一様に青銅の色をしていて、光が足りないせいか、伏せ加減のその顔の表情はまるでわからない。向こうから何やら話しかけてくるが、「ようこそお帰りなさいました」というような意味のことを言っているらしいと見当はつくものの、本当は何と言っているのかよくわからない。私も精一杯の愛想《あいそ》笑いとともに挨拶《あいさつ》を返そうとするけれども、にわかに余分の舌が口中に生えてきたようで、思うままに言葉を発することができない。これでは相手も気を悪くするだろうと思いながら村の道を進んでいくと、丘の上に昼間から花火が上がった。私の帰省を歓迎して打ち上げたものらしいが、それは音のない花火で、見ているうちに私は何とも言えず悲しくなった。  道で出会う人の数は増えるばかりだった。百姓のほかに小学校の時の先生や校医や神官、それに町から廻《まわ》ってきていた鋳掛屋《いかけや》、いつも床屋の前にいた乞食《こじき》の姿もあった。ところが、相変わらず、その言っていることがよくわからない。バルバロイ、夷狄《いてき》といった言葉が頭に浮かび、昔学校で習った「南蛮|鴃舌之人《げきぜつのひと》」という言葉まで頭の中で踊った。そのうちに、はたと気がついたことがあった。言語|不明晰《ふめいせき》で理解できないのも道理、この百姓、恩師、神官等々の姿をした者たちは実は獣《けもの》だったのである。  挨拶を交わして擦れ違う一瞬、相手が顔を上げてこちらを見る時にこちらもその顔を見て、そういう確信を抱いた。小さい頃《ころ》どこかで見た覚えのある顔ばかりだったが、本当は獣なのである。顔も体も人間の形をしているけれど、正体は獣であった。隣の家の百姓は穴熊《あなぐま》であったし、神官は老猿《ろうえん》であったし、床屋のかみさんは狸《たぬき》でその証拠に耐えがたい悪臭を放っていた。町役場の助役は、とっくに死んだはずだとは思ったが、今会ってみると馬追虫であった。獣でもなく昆虫《こんちゆう》になっているのが浅ましいと思った。  しかしそういうことは決して口に出してはいけない、こちらが気がついていることを顔に表わしてはいけないと自分を戒めながら、私は一軒の崩れかけた家を目指して歩いていった。私に知られたと気づいたとたんに、あの獣たちは正体を顕《あら》わして一斉《いつせい》に襲いかかってくるに決まっている。とにかく家に着けばこちらのものだと焦《あせ》る気持が脂汗になって全身を濡《ぬ》らした。  ここが私の生まれたところだというその廃屋のような家に着くと、今までとは打って変わって温かい空気があたりに澱《よど》んでいた。獣の臭《にお》いがした。帰ってくるべきではなかったという後悔の念がこみあげてきたけれども、家の中からは圧倒的な引力が働いている、足は思わず土間に踏みこんでいた。よほど重量のあるものが家の中に坐《すわ》っているらしい。そう思って薄暗い土間の奥をすかして見ると、座敷に黒い牛が寝そべっていた。その牛の顔を見たとたんに、それが母であることがわかった。死んだはずの母がそこにいるのは、牛に生まれ変わったのか、もともと牛であったのが本来の姿にかえったのか、どちらともつかず腹立たしい。近づいてそばに坐ると、体が痒《かゆ》くなった。大きくて生温かい獣のそばにいるだけでこちらの毛も逆立って、叫び出したい気持になるのだった。牛の腹には真赤な裂け目があった。そこからのぞいている暗黒がいかにも恐ろしかった。父が奥の部屋で待っていると牛はいったが、その父の姿を想像しただけで身の毛がよだつので、私は前後の考えもなく立ち上がり、「お墓はちゃんと立ててあげますから」などと、自分でもよくわからないことを口走りながら早々に牛の家を辞した。  私は墓参りを済ませて東京に帰ろうとしていた。空は晴れ上がり、海は夏の陽射《ひざ》しを吸って青々と膨んでいる。吹いてくる風は夏の終わりを知らせる乾いた熱風であった。私は晴れ晴れした気分を取り戻《もど》して海を渡り丘を越えた。帰りは乗物も速いようで、もう私は東京の電車に乗っていた。獣の棲《す》む穴から広い明るい場所に出てきた実感があって、そこには獣はいないと思うと嬉《うれ》しくなる。  しかし見るともなしにあたりを見ているうちに再び異変に気がついた。まず電車の中には獣の体臭が充満している。あの故郷の村と生家(ということになっていたところ)に充満していたのと同じ種類の臭《にお》いである。それに人語に似た「鴃舌《げきぜつ》」も聞こえる。ドアのところに立っている三人の女のしゃべりあう声がそれであるらしい。その顔を見ると、一人は眼鏡をかけた豚、あとの二人は犬であった。少なくともその一人がチワワであることは間違いない。  私は息苦しくなって、また全身が脂汗の膜でおおわれるのを感じた。まわりの乗客の顔を見てはいけないと思った。二、三秒視線を固定するだけで相手の正体がわかるのである。それが豚や犬であるということは、豚や犬が人間に化けているということではない。その人間の本質が豚や犬であること、いわばその本性が「犬性」や「豚性」であることが、犬に似た顔、豚に似た顔の内側に透けて見えるのである。  向こう側の座席には、太った男がずり落ちそうにして坐り、その肥満体に似合わぬ細面《ほそおもて》の顔を険しく歪《ゆが》めて喘《あえ》いでいた。この男の正体が動物で言えば何であるかと私は考えてみたが、適当な動物の名前が出てこない。実在する動物のどれとも違った。もっと邪悪な目をした爬虫類《はちゆうるい》のようだけれど、その名前は私は知らない。その隣にはよく悪魔の絵に描かれているような耳をしたセールスマン風の男がいる。この男はその耳が示している通り、悪魔としか呼びようのない獣であった。悪魔が降りて、入れ替わりに坐った中年の女は一見して蟹《かに》だとわかった。  私はここでもまた見てはならぬものを見てしまったようで、不安の余り息苦しくなった。でも相手と目が合わない限り危害を加えられるようなことはなさそうだった。私は何食わぬ顔で窓の外を見ていた。外は白炎を上げるような夏の午後の明るさなのに、電車の中は異臭の充満した獣の檻《おり》であった。  やっと家に着いた。私は自分の家に帰ったことよりも、子供たちと姑《しゆうとめ》が買い物にでも出かけたらしくて家にいないことでほっとした。これで自分にかえって眠ることができると思った。ただ、家の中にはいった瞬間に、かすかながら異臭が鼻についた。電車の中に充満していたのと同じ種類の匂《にお》いである。しかしそれが自分の家の匂いだと思うと、やがて気にならなくなった。  いつのまにか泥《どろ》のように眠っていた。そして夢を見て、夢の中で、早くこんな夢から醒《さ》めなければ、と気にしているうちに目が覚めた。あたりは暗くなりかけていた。灯《ひ》をつけようとしたが、体の中にそれに抵抗するものがあって、壁のスイッチに手を延ばすのをためらっていた。二階で人の気配がする。どうやら子供たちと姑が帰ってきているらしい。  私は台所の方へ出ていった。頭には鈍重な犀《さい》の大脳でも詰まっているようで、思考の筋道がぼんやりしている。今、どの夢から醒めたところなのかも判然としない。一体、私は田舎から帰ってきたところだろうか。それとも田舎へ旅行したという夢から醒めたところだろうか。そのどちらであるかによって、子供と姑に「ただいま」と挨拶するか、「おかえりなさい」と言うかを決めなければならない。鈍い頭で思案しているとますますわからなくなって、口の中には無数の棘《とげ》をもった肉の棒が生えてくるようであった。こんな口で物が言えるだろうか。自信を失って立ちすくんでいると、二階から子供たちが下りてきた。そして口々に何やら言った。台所では姑がぶつぶつ言いながら夕食の用意にかかっている。みんなで口々に何やら言いあっている。正確には聞きとれないが、やがて気にならなくなった。いつもこんな調子だという気がしてくる。  姑の顔を正視した瞬間に、この眼鏡をかけた老婦人が実は栗鼠《りす》か鼠《ねずみ》かともかく齧歯類《げつしるい》の動物であることを知った。息子は犬の匂いをさせていたが、その顔を一瞥《いちべつ》しただけでコリーに近い犬であることがわかった。娘の方は二枚の大きな前歯を見せていて、これは野兎《のうさぎ》以外の何物でもない。  今更驚くには当たらないと思った。私の家族だけは例外だと考える方がむしろ不自然なのである。世の中の人間がみな本当は獣や爬虫類や昆虫であるのに、身内の人間だけが別のものであっていいわけがないではないか。  そこまで考えた時、私は激しくこみあげてくるものを感じて洗面所に駆けこんだ。  鏡に映っているのは私の顔ではなかった。いやこれが本当の私の顔と言うべきだろうか。勿論《もちろん》それは人間の顔ではない。どんな禽獣《きんじゆう》にも魚類にも昆虫にも似ていない動物の顔がそこにありありと映っていて、その邪悪さといやらしさに吐き気を催して、私は思わず少量の胃液を吐いた。  その時、廊下の方で私を呼ぶ声がした。子供たちの声らしいけれども、獣の皮をかぶったような声で、とても人語とは思えない。それでも言わんとすることだけはどうにか通じる。人間の形をしたものが取り交わしている言葉とは所詮《しよせん》その程度の「鴃語《げきご》」にすぎないのだろうと思いながら、鏡の中の私は我ながら薄気味の悪い笑いを浮かべた。みんなが獣や虫である時に私もその同類であることを気にしても仕方がないではないか。  台所へ出ると、栗鼠と仔犬《こいぬ》、仔兎が口々に何やら言いながら私を待っていた。 [#改ページ]   幽霊屋敷  夏の終わりのある午後、木原氏はこの頃《ごろ》の東京では珍しい、磨《みが》きたてたように輝く入道雲を眺《なが》めながら、高い建物の最上階にある店でシェリーを飲んでいた。その頃そんなところに一人でいられるのは、木原氏が、昔で言えば隠居の身で、定年が来て仕事を止《や》めたのではないが、仕事をしなくても生きていけるという身分に早くから落ち着いている人間だからであった。隠居はしていても還暦はまだ先のことという年で、強《し》いられてする仕事には縁が切れてもすることはいろいろとあり、その一つを済ませたあと、久しぶりに見事な入道雲を見たとたんに、空の一角に浮かんでシェリーを飲むことが、次になすべき仕事と自然に決まったのである。そしてそれを実行に移すと、どこかの港の酒場にいて海と雲を見ている気分になることができた。 「おじさま」という声とともに風の動く気配があって、目を移すと若い娘が坐《すわ》っていた。それは木原氏の古い友人の娘で長女の同級生でもある麻衣子さんに間違いなかったが、つい先頃縁談のお世話をした時の麻衣子さんと同じ娘さんとは思えないほど臈長《ろうた》けて見えた。自分の娘などとは時代も人種も違うような気がする。 「月並みだが、ちょっと見ない間に綺麗《きれい》になったね。水と蛋白質《たんぱくしつ》でできた普通の人間とは違う生き物のようだ」 「それではまるでお化けじゃありませんか」と言いながら相手は婉然《えんぜん》と笑って、その顔は一瞬肉を失って透き通るようだった。 「貴子さんはお元気ですか」 「元気で勤めている。近頃ますます母親に似てきた」 「おじさまはいつも楽しそうで、自由にしてらっして、オリュンポスかどこかに住んでいる方みたい」 「午後のこういう時刻には下界を離れたところに鎮座ましましてシェリーを飲むのも悪くない。あなたは甘口がよかったのかな」 「私はドン・ゾイロのミディアムでも。ところで今夜おじさまはお暇でしょうか」 「勿論《もちろん》。ということは今夜は一人だということですよ」 「よかった」  そう言いながら中から光が差してくるような麻衣子さんの顔色に、木原氏は不意に花に霞《かす》む春の夜の月を見たような気がした。 「そういうのがお好きですか」と相手はこちらの心を読んで言ったようでもあったが、空耳かもしれなかった。「一度是非御案内したいところがありますので」という口上の方は確かに耳にはいった。それはパーティというより十八世紀のサロンか平安朝の宮中の花の宴か、あるいはアテナイ人のシュンポシオンのようなものだなどと、麻衣子さんが理屈っぽいことを言ったはずはないので、そんな風に木原氏の想像が勝手に働いただけのことかもしれない。  その夜、迎えの車が来て、麻衣子さんに案内されたのは、小石川あたりの高台かと思ううちに京都の東山に上ってきたように思われるところで、車はお寺の山門に似た門をくぐると、月明かりの下の宏壮《こうそう》なお屋敷の前に止まった。見ようによっては洋館のようでもあった。何しろ相当に時代がかった建物であることに間違いない。 「幽霊屋敷のようでしょう」と麻衣子さんが言った。 「それはそうでも、ここの幽霊たちは余程大事に住んでいると見えて、この家は廃屋ではない。家はちゃんと生きている」  それはその通りで、女中というより侍女とでも呼びたい女の案内で長い廊下を通る時も、この古い家からは時の経過で朽ちた脆《もろ》さとは反対の、気が遠くなるほど長く人間が住んでいたことから来る堅牢《けんろう》さのようなものが伝わってきた。それに家の中には紛れもなく人の気配がする。沢山並んだ部屋の一つを開けると死骸《しがい》の山が血や膿《うみ》とともに崩れかかってくるというのは「黒塚」での話で、ここでは間違ってもそんなことはない。ということは、この家がすでに世間で言う幽霊屋敷とか化物屋敷とかの類《たぐい》とは無縁だということで、その証拠に、通された広い部屋の中には人間に馴《な》れた家具、調度品があり、その一つに坐っているのも普通の人間だった。  その主人らしい老人が立ち上がって挨拶《あいさつ》した時に少し足を不自由そうにしていたこともあって、木原氏はタレーラン公爵《こうしやく》を思い浮かべた。 「この際、過去の経歴を持ち出して自分が何者かを見せ合うこともないので」と主人が笑いながら言った。「ただ名前だけは呼ぶことにしないと何かと不自由でしょうから」  そこで木原氏は自分の名を名乗り、主人のことは、「タレーラン」を省略して「公爵」と呼ばせていただくことにした。それから次々と紹介された男女の中には、やはり伯爵とか伯爵夫人とか呼びたい人物がいて、さもなければそこにいるのは頭《とう》の中将とか右大臣とか女御《にようご》、女房とかであった。客の間で立ち働いている本多さんは誰《だれ》が見ても立派な執事以外の何者でもなかった。  本多さんの耳打ちを受けた公爵が、「朧月《おぼろづき》も出たようですから、満開の桜の下で一献《いつこん》差し上げることにしましょう」と言ったのを合図に、木原氏はいつのまにかほかの人々と一緒に池をめぐって桜の老樹が咲き誇る庭に出ていた。この屋敷の中には外の世界とは別の季節があって、それが今、花と朧月夜の春であった。  山海の珍味などと通俗的な形容をしたのでは気がひけるような佳肴《かこう》が供されて、それが盃《さかずき》に降りかかる花びらにも霞の間を行きかう会話にもよく合った。 「こういうのが私どもの時代の百年後の料理かもしれませんね」と木原氏が言うと、 「まあ早く言えば、この百年で日本の料理に追いついたフランス料理、といったところでしょう」と応《こた》えたのはトマス・アクィナスのように太った学者の波多野さんだった。  勿論、この花の宴にふさわしい音楽を演奏するために楽士たちも用意されていて、よく見るとその中の何人かは今夜の客人がつとめていた。それがバロックからモーツァルトまでの音楽のように優雅を極《きわ》めていたので、木原氏にはこの満開の桜の下がそのまま十八世紀のサロンだという気がした。ピアノの代わりにハープシコードが使われているのも気に入って、昔弾いたことがあるのを頼りにその前に坐ってみると、指は意のままに動いて、というより頭の中に流れる音楽がそのまま指を踊らせて、自分がバッハにもスカルラッティにもなることができた。  踊りたくなって麻衣子さんの姿を目で探してみると、麻衣子さんはどこかの伯爵と踊っていて、少し残念な気がした時、木原氏の横にすらりとした美人が腰を下ろして連弾を始めた。古い日本の物語の中に出てきたような気のする人だった。木原氏は頭の中で十二|単衣《ひとえ》を着せてみて、それがよく似合うその人を明石《あかし》の上と決めた。すると、相手にもそれがわかって明石の上になり、木原氏の手にその白いやわらかい手を重ねて、 「麻衣子さんと伯爵のためにパルティータでも弾いてあげましょう」とささやいた。  そういうわけで、二人は何曲か弾いたあと、宴が果てると自然に別室にはいって、ほかの人々もそうしているように、一夜の歓を尽くした。  夜がしらじらと明けはじめる頃、木原氏の肩にその白い顔を寄せて眠っていた明石の上も目を開けて、起き上がろうとする木原氏に笑いかけた。 「今あなたの頭に浮かんだ言葉を当ててみましょうか」 「それはあなたと同じ言葉のはずだ」 「きぬぎぬの別れ。もうそろそろあのお嬢さんがお迎えにいらっしゃいますわよ」  廊下に出てみると、麻衣子さんが待っていた。昨日とは違って着物姿で、髪も日本髪に結っている。その一筋の乱れもない髪が妙に悲しかった。この若い娘はどんな歓を尽くしたのだろうと木原氏は勝手な想像をしてみた。  秋になって、その次にあの屋敷に案内されて行った時、そこは蕪村《ぶそん》の夜色楼台図にそっくりの雪景色だった。その日そういうことになったのは、街で偶然明石の上に会ったからで、その偶然がなかったら木原氏の方からまた麻衣子さんに案内を頼むことになっていたかもしれない。主人を始め、その家の住人や逗留客《とうりゆうきやく》の顔ぶれはいくらか変わっているようでもあったが、堂々たる暖炉のある部屋での談論風発には最上のワインを存分に味わうのに似た贅沢《ぜいたく》があった。この日知り合ったのは公爵の姪《めい》とも愛人とも見える夫人で、その華やかな美貌《びぼう》と聡明《そうめい》さから言っても、のちにタレーラン公爵夫人となったディノ公爵夫人に当たるだろうか。あるいは女盛りの紫の上に擬してもよかった。するとしばらく経《た》って街で偶然会ったのが、今度はその公爵夫人だった。それで木原氏にもあちらのルールのようなものが呑《の》みこめた。  それから何度もあの屋敷に行って、ある時は夏の篝火《かがりび》の夜、ある時は紅葉の燃える秋と、季節はさまざまであった中に、野分《のわき》の吹き荒れる夜もあった。その翌朝木原氏は木の葉の落ちた庭を散歩していて、ある部屋の前を通った時、公爵と麻衣子さんが同じベッドに添い臥《ふ》しているのを見た。木原氏の頭にふと父親のような源氏が玉鬘《たまかずら》にたわむれているの様子が浮かんだ。  一年ばかり経って、変化があったと言えばあったのは、幽霊屋敷の人々に心が移るにつれて木原氏の存在が稀薄《きはく》になっていったということだった。実際、木原氏の身体《からだ》は時々透明に近くなった。まわりの人間が次第に木原氏の存在を気にしなくなったのもそのせいかもしれない。  今では自分の意志で自由にあの屋敷へ行けるようになっていた木原氏は、ある夜麻衣子さん、あるいは玉鬘と枕《まくら》を交わした時、「おじさまもそろそろこちらに移ってお暮しになってはいかがですか」と言われ、主人の公爵もそれを望んでいることを知って決心がついた。 「あなたはいつから?」と訊《き》くと、麻衣子さんは目を輝かせて宙を見ながら、 「私は明日からでも」と言った。  木原氏は別に身のまわりを整理する必要もなかったが、公爵の許しが得られれば、自分専用の侍女と執事になる人間を連れていきたいと思った。しかしそういう人間は簡単に見つかるものではない。それに今まで余り気にならなかったが、世間の人間をつくづく眺めてみると、本当は死人ばかりだった。死人が歩きまわり口を動かしているが、その口からは言葉ではなくて実は死臭が洩《も》れているばかりである。  翌日、麻衣子さんが突然|亡《な》くなったという知らせを受けた。いささか律義《りちぎ》なところのある木原氏は、あちらへ移る前に麻衣子さんのお葬式に出ておく気になった。お焼香を済ませて目を泣き腫《は》らしている細君と娘の横で、木原氏は急に変なことを考えた。  こうして盛大なお葬式が行なわれているところを見ると、麻衣子さんはこちらに「遺体」というものを残していったのだろうか。自分の場合もその必要があるのだろうか。しかし木原氏の気持は即座に決まった。この際、そんな面倒なことは止めようと思った。  それで、その場から木原氏は出かけて、それきりいなくなった。 [#改ページ]   アポロンの首  秋も深まったある日の夕方、私はいつものように大学の構内を抜けて行く近道を、日課の終わったあとの散歩の気分で歩いていた。構内には欅《けやき》や銀杏《いちよう》の大樹が多く、特に見事に色づいた銀杏の葉に夕日が差しているところに来ると、無数のシンバルが燦然《さんぜん》と輝いて、金色の音楽が鳴り響くかのようだった。そして私の頭の中では先程のレッスンの時に先生の前で最後に弾いたスクリャービンの「二つの詩曲」が、さかんに舞い落ちる銀杏の葉とともにまだ鳴りつづけていた。  その時突然、私は木の下の茂みの奥に青白く光るものを見たのである。金色に染まった空気の中でそれは青い炎に包まれて燃えあがっているように見えた。思わず茨《いばら》を掻《か》き分けてその光芒《こうぼう》の正体を確かめてみると、そこには若い男の——少年の、と言うべきだろうか——首があった。そういう時、型通りに悲鳴をあげて逃げだすか、気を失ってその場に倒れるという女らしいところが欠けていると見えて、私はその不思議な光芒を放つ首から目を外《そ》らすことができなかった。それどころか、その首にすっかり魅せられていたと言った方がよい。これほど完璧《かんぺき》な、神の像としか思えない美貌《びぼう》はかつて見たことがなかったので、一瞬それを特別の材料でできた人形の首かと思いかけたものの、やはりそれは切り落とされた人間の首であることに間違いなさそうだった。ということはその首が死んでいることを意味しなければならないのに、どうやらそれはまだ生きているらしい。  首は目を開けている。瞳《ひとみ》は動いており、瞬《まばた》きさえしている。でもその目は私に焦点を合わせているわけではない。むしろ放心の体である。そして伏し目になると少女のものを思わせる長く揃《そろ》った睫《まつげ》が憂愁の翳《かげり》をつくるのだった。大胆にも私は手を伸ばして額にかかる髪の毛を掻きあげてやった。髪の毛は冷たく、肌《はだ》はまだ温かかった。  そこでようやく正気が戻《もど》ってきた。つまり人並に恐怖に襲われた私はそのまま自分の部屋に逃げ帰ったのである。あの金色の光の中で見たものは束《つか》の間《ま》の幻影であったように思われた。それともあれはおぞましい殺人事件の一断面にすぎなかったのだろうか。男が殺されて、その死体から切りとった首が林の中に棄《す》ててあっただけのことだ、と私は考えることにした。事件のことはいずれ新聞やテレビにも出るだろうが、私は一切知らなかったことにしよう。  そんな下らないことで頭を塞《ふさ》いでから寝ようとしたけれども、その夜は断続する悪夢にうなされてほとんど眠れなかった。いくらごまかしてみても駄目《だめ》だった。あの首は確かに生きていたのである。その首が夢の中ではちゃんと胴に繋《つな》がっていた。裸のその体は少年と青年の間にあって、幾分ほっそりしたアポロンの、ペンテリコンやパロスの大理石像を思わせたが、石の重さは感じられず、白い肌はみずみずしい樹木のようだった。なぜか私は裸でその木の幹にからみついていた。個性も素性もわからない彫像のような相手なのに、これこそ自分の本当の恋人なのだという確信があった。しかし夢はどこでどう縺《もつ》れたのか、気がつくと私はそのアポロンを押し倒し、馬乗りになって、というより組み敷いて、敦盛《あつもり》の首を掻き切ろうとする熊谷直実《くまがいなおざね》のように、アポロンの首を切り落としにかかっていた。首は刃の動きに従って実に他愛《たわい》なく切れた。まるでサボテンか何かの植物を切るような具合だった。  一体何の恨みがあってあんなことをしたのだろう。そう考えながら目を覚ました私は、奇妙に抽象的な恋人殺しの心境になっていた。頭の中に詰まっていた疲労の砂が一箇所にまとまった時、決心がついた。あの首を連れてくることに決めたのである。  まだ夜が明けたばかりだった。ちょっとした旅行にでも出るように、手頃《てごろ》な鞄《かばん》を提《さ》げて、大学構内の林の中へ踏みこんでいくと、首は昨日と同じ場所にあった。銀杏の落葉が髪にかかっているのを除けば、昨日と変わりはなさそうだった。 「おはよう、よく眠れたの」と声をかけてみたけれど、勿論《もちろん》返事はない。私は銀杏の落葉を払うと、手早く鞄の中に首を入れた。切口からは幾筋かの血管が根毛のように伸びはじめているのに気がついた。しかし仔細《しさい》に調べている暇はない。人に見られずに持って帰ることが先決であった。  この早朝の冒険を首尾よくやってのけたことで私はすっかり上機嫌《じようきげん》になっていた。もう首は恐ろしくなかった。その気になれば抱いて寝ることだってできると思った。もっともそれは一時の興奮からそう思っただけのことで、実際にそんなことをするつもりはさらさらなかった。元来私は動物|嫌《ぎら》いの方で、犬でも猫《ねこ》でも抱いたり毛を撫《な》でたりしたことがない。首はとりあえず活《い》け花《ばな》に使っている白磁の水盤に安置した。なぜかその時から私の頭には、水を張ってやらなければ首がしおれてしまうという考えが取りついていた。そこで水を張ってみたところ、少し坐りが悪い。すると自然に思いつくのは首を剣山に刺して固定するということで、それを私は別に残酷なことだとは思わなかった。やってみると、案《あん》の定《じよう》大変うまく行った。首は痛そうな表情を浮かべるわけでもなく、相変わらず目を半眼に開いて宙を見ている。あるいはどこにも焦点を合わせずに植物的な瞑想《めいそう》に耽《ふけ》っている。私はこの植物的な瞑想という観念が我ながら気に入った。どうやら私は植物の栽培という観点からこの首に臨んでいたようであった。首を鉢《はち》に植えるのも悪くないが、今のところはヒヤシンスやクロッカスの球根のように水栽培の方法をとるのがよいのではないか、と思ったのである。 「これかい、例の首というのは」  透は半ば期待を裏切られたような調子で言った。実を言えば私はこの首のことを透には話したくなかった。でも週に何度か私の部屋にやってきて、時には泊っていくこともある透との仲からすれば、いつまでも首のことを隠しておくわけにはいかなかった。そこで首を見つけてからのことを淡々と打ち明けると、透はひどく興味ありげで、是非それを見たいと言うのだった。若い美貌の男の生首ということで、何やら猟奇的な好奇心を掻きたてられたらしい。しかし実際にはそういう要素は皆無であった。サロメが得て狂喜したというヨハネの首を思わせるものはまるでなかった。白状すると、私は戯《たわむ》れに何度かこの首とくちづけをしてみたことがある。感心なことに、その唇《くちびる》はかすかな反応《はんのう》を示す。舌をからめてくるようなことはないが、唇はこちらの動きに応じてわずかに動く。初《うぶ》な少年と無理やりくちづけを交わすような味わいがあった。 「とにかく、こいつはこれで生きているんだね」 「ええ。なかなか水揚げはいいのよ。ほら、こんなふうに血管が根毛のようによく伸びているし、頭の中の花茎が順調に成長していけば、今に花でも咲かせそうな勢いだわ」 「一体こいつには人間の意識というものがあるのかな。例えば、今目を開いているが、僕たちを見て何か感じているのだろうか」  残念ながら、この首はどちらかと言えば植物的な理性しかもっていないようであった。その目はあのアポロンのらんらんと輝く目ではない。開いてはいても、何物にも視線を向けていない目である。私はそれを透に説明してから、首の前で抱き合い、これ見よがしに愛の光景を繰り広げた。美しい首は花のように沈黙していた。水盤の中で日盛りの睡蓮《すいれん》のように眠っている風情《ふぜい》でもあった。透はすっかり興醒《きようざ》めした様子で、 「やっぱりこれは人間の首じゃないな」と言った。  それはそうかもしれない。でも私に言わせれば、この首はどんな男の首よりも美しい。高貴で端正で匂《にお》うように美しい。この花の首の前では、私が結婚することになっている透なんか悪臭を放つ鼬《いたち》程度の動物でしかない。それはそれとして、私はこの鼬によく似た動物と結婚して、来年は一緒にヨーロッパに行くことになっている。透のピアノの才能だけは本物だと思う。その日も私たちはラヴェルの「ラ・ヴァルス」とルトスワフスキーの変奏曲を二台のピアノで練習した。  冬の間に首は様子が変わってしまった。石榴《ざくろ》の実のような色に変色して堅くなり、もはや美少年の首とは似ても似つかぬものになってしまった。そして冬を越すと、首は大層勢いよく膨脹して西瓜《すいか》ほどの大きさになり、色も植物らしい緑に変わって、白いうぶ毛とも柔らかい棘《とげ》ともつかぬものが密生してきた様子は、サボテンの珍種といったところだった。それから、もとは髪が生えていたところに、目が覚めるほど鮮やかな花が咲きはじめた。見たところ、淡い桃色のヒヤシンスに似た花だった。しかしそれからはもう狂い咲きというほかなかった。アマリリスのようなのが咲くかと思えば紫蘭《しらん》のようなのも咲く。文字通り百花撩乱《ひやつかりようらん》という具合に、数えきれないほどの種類の花が巨大なサボテンのような頭に咲き乱れて、しかもそれが全体としては明らかに男の首の形を構成しているのである。ちょうどそれは十六世紀の画家アルチンボルドの絵を思わせるものだった。  花が終わると実を結び、頭は色も形もさまざまの実に覆《おお》われて、世にも奇怪な瘤《こぶ》だらけの形を呈した。そのうちの食欲をそそるものを私はいくつか試食した。いずれもこれまでに食べたどの植物にも似ていない不思議な味ではあったけれど、特に美味で病みつきになるというほどではない。実をもいだあとの頭は、クレーターだらけの月の表面のようだったが、やがて表面は綺麗《きれい》になり、ひどく円満で取柄《とりえ》のない冬瓜《とうがん》に似た姿に落ち着いた。それがあの「アポロンの首」の最後の姿であった。庖丁《ほうちよう》で割ってみると、種はなくて、冬瓜そっくりの白い頼りない果肉が詰まっていた。この味気ない単純さに私はある種の感慨を覚えずにはいられなかった。最初の美少年の首に詰まっていたはずの、生々しく複雑怪奇な脳や血管はどうなったのだろうか。  ところで、さまざまの色と形をした実の方は、水栽培で順調に成長している。夏の間に強い陽射《ひざ》しを当ててやると、急激に育って、それぞれ違った人間の顔をした首になりはじめている。秋にはサンルームいっぱいに、数十の首が生え並ぶことになりそうである。ついでに言えば、透は私と別れて、一人でヨーロッパへ行った。首の栽培に夢中になっているような女とは一緒に暮らせないというのがその理由である。 [#改ページ]   発狂  ゼウスは長い惰眠から覚めた時(神々の眠りは長くて、時には数百年にも及ぶことがある)、いかにも寝覚めが悪かった。全身にひどい汗をかいているようで、髪の毛まで濡《ぬ》れている。病気だろうかと思いかけたが、不老不死の神の身で病気になるはずがないとすぐに思いなおして隣の奥方ヘーラーの方を見ると、大きな口を開けていぎたなく眠りこけていた。そしてこちらも水を浴びたように汗をかいている。ゼウスは起き上がろうとして、汗に濡れた体が妙にこわばって動きにくいのを感じた。ただの汗ではないらしい。なんと、汗をかいていたのは神々ではなくて大地だったのである。気がつくと、このオリュンポスの山肌《やまはだ》のいたるところから透明な漿液《しようえき》のようなものがにじみでており、それが寝ている間に体を濡らしていたのだった。 「おい、起きろ。いつまでも寝ている場合ではないぞ」とゼウスは奥方に向かって怒鳴った。 「なんだか体が痺《しび》れてしまったみたいね。寝すぎたせいかしら」 「寝呆《ねぼ》けるんじゃない。見ろ、大地の様子が変だぞ。あちこちが裂けて何やら気持の悪い汁《しる》がどんどん出ているんだ」 「まさかガイアが息を吹き返したんじゃないでしょうね」 「そんなはずはない。奴《やつ》はとっくの昔にやっつけてある。だからこそ奴の胸が固い大地になったのだ」 「でも油断はなりませんよ。今でも方々の火山でガイアの血と肉が噴き出しているでしょう」 「あれはガイアの死後硬直が解けるにつれて死体が痙攣《けいれん》して、体内の血を勝手に吐き出しているだけさ」  夫婦がそんな問答をしているところへ、世界中を駆けまわっているヘルメースがやってきて注進に及んだ。 「下界は大変なことになっていますよ。大地がいたるところで裂けて、透き通ったのや膿《うみ》みたいなのや血の色をしたのや、ところによっては融《と》けた肉に似たのや、また毒気、笑気のようなのまで噴き出していて、川は溢《あふ》れる、海は陸に押し寄せる、山は崩れるで、人間どもはもう狂い死にしていくばかりです」 「人間どもが特別悪いことでもしたのかね。わしは罰を下した覚えはないが」 「もともと人間どもには大したことなんかできはしません」とヘルメースは皮肉っぽく笑って言った。「それにあなたももうお年ですから、眠っている間にちゃんと罰を下すといった芸当は無理なんですよ」  そう言っているところへアポローンやアテーナーも姿を現した。アプロディーテーは体についた得体の知れないものを泉で洗い落としてから来るという。神々のことだから、この異常事態で恐慌《きようこう》を来たして鳩首《きゆうしゆ》協議というわけではなかったが、情報を交換したり意見を述べあったりしながら、いつものようにネクタルとアンブロシアーで宴会となった。 「それにしても今日はいつもと違ってネクタルが旨《うま》くない。悪酔いしそうだ」とゼウスが言った。これには同感の神々が多かった。 「ところで、人間どもの運命ですが」とアポローンが座興にその得意の予言を披露《ひろう》した。 「これはいずれ大洪水《だいこうずい》のようなことになりますな。空を飛ぶ人間は別として、大地に足をつけている人間は全滅してしまいますよ」 「飛ぶ人間とは何のこと?」とヘーラーが訊《き》いたので、ヘルメースが呆《あき》れて説明を買って出た。 「人間はいつの間にか金属で鳥を製作して空を飛びまわるようになってるんですよ。奥さんはここしばらく眠ってばかりだったから御存じないかもしれませんが、この神域を犯して飛んでくる金属製の鳥が増えて、うるさくてしようがないんです」 「そんなこざかしい知恵をつけたのはきっとあのプロメーテウスだろう」とゼウスが言うと、アテーナーが憤慨したように、 「何しろ人間は強力な火を使うことを覚えて盛大に殺し合いをやるものですから、私が手を下して戦を収める余地もなくなってきたわ」  しかし人間が今度の大異変で本当に死に絶えてしまったら神々はどうなるだろうか。これは予言の神アポローンにもわからないことだった。アポローンには人間の運命はわかっても神々の運命はわからないのである。またゼウス以下の神々はその意志で人間を支配することはできたけれども、自分たちの運命を決める力はなかった。 「人間がいなくなったら、私たちもいなくなるんじゃないかしら」と大胆な意見を述べたのは無邪気なアプロディーテーだった。 「それは言えるかもしれない」と早速ヘルメースが応じた。「あの馬鹿《ばか》な人間どもがいなくなったら、われわれ神々も退屈して、神なんかとてもやっていられませんよ」 「不謹慎なことを言ってはいけませんよ」とアテーナーがヘルメースをたしなめた。「私たちがいなくなるとは一体どういうことですか」 「狂って、自分がわからなくなって……」と言いながらネクトルをあおってすっかり酩酊《めいてい》しているのは酒癖の悪いディオニューソスだった。「つまりこうして酔っぱらえば神の中身は融けて天地に広がってしまう。ところで皆さん、この大地から噴き出してくる得体の知れないもの、こいつを酒に混ぜて飲むとたちまち頭の中が狂気の洪水になりますぞ。いや、大地が今狂ったのだ。大地の穴という穴、裂け目という裂け目から狂気が噴き出してくる。これを飲めば我を失って、神々も至高の陶酔のうちに最期《さいご》を迎えることができるというものだ」 「失礼ながらそれが皆さんには一番ふさわしい最期かもしれない」  末席の方からそう言ったのは、ゼウスがつねづね目の敵《かたき》にしているプロメーテウスだった。 「まあ興奮しないでお聞きなさい。先程この美女がいみじくもおっしゃったように、人間がいなくなれば神々もいなくなる。その理由はまことに簡単で、神々を創《つく》り出したのは実は人間だからだ、ということです。それとも諸君が創造者で、人間を創ったとおっしゃるのか」 「無礼な説を唱える奴だ」とゼウスが怒った。  ヘルメースがゼウスをなだめてから言った。 「プロメーテウスの説にも一理ないわけではない。われわれは人間から虫けらまで、それに天地まで自分一人で創ったという誇大|妄想《もうそう》を抱いているどこかの神とは違いますからね。今度の異変だってその変わり者の神の気紛《きまぐ》れで起こったのかもしれない」 「もっともな推理ですが」とプロメーテウスが言った。「私がそのエホバに連絡を取って確かめたところでは、いつぞやの大洪水は奴の仕業《しわざ》だったとしても、今度のは違うようだ。エホバにはもうそんな酔狂をする力もない。あの神は人間どもが大勢契約してくれてこそ神としてやっていけるのですが、今では人間から見離されて契約者は減っていく一方ですからね」 「大体あれは付き合いの悪い奴だ。われわれの前に姿を見せたことがないし、薄汚い男を代理人に仕立てて、神は自分一人だと宣伝している」 「今更あんな方を相手にすることもないでしょう」  ヘーラーはディオニューソスにならって大地から溢れてくる汁を混ぜたネクタルを飲みながら、やや投げやりな調子で言った。 「それにしても、変な水がますます膨れ上がってくるわ。今にお臍《へそ》を過ぎて首まで漬《つか》ってしまう」とアプロディーテーが半ばはしゃいだ調子で言った。 「どこかもっと高い山へ避難しますか」と誰《だれ》かが言うと、ゼウスは悠然《ゆうぜん》として、あるいは単なるものぐさからか、 「騒ぐことはない」と神々を制した。「われわれは不死なんだから、慌《あわ》てることはない。プロメーテウス、君なんかそこのところがあやふやな二流の神だから心配かもしれないが」 「それはお互い様だ。このオリュンポスにいる諸君だって、人間が一人もいなくなった時は消えてなくなるしかあるまいと私は思っている。神なしでやっていける人間というものはあっても、人間なしでやっていける神というものは考えられませんからね。私はこの名の通り、事が起こる前に考える質《たち》だから、それ位のことは見当がつく」  その時突然ゼウスは起き上がって物凄《ものすご》い雷鳴とともに電光を投げた。頭上を飛びまわっていた金属製の鳥を撃ち落としたのだった。 「うるさい奴らだ。あんなものに乗ってどこへ逃げていくつもりか知らないが、もう大地にはあの鳥が止まるところは残っていないはずだ」 「地球を脱出してほかの星へ行こうとした連中もいましたが、これは成功しませんでした。人間もこれでおしまいですな」 「プロメーテウスさん、あなたはさっきから人間の心配ばかりしているようだが、そろそろわれわれの身の振り方を心配した方がよさそうだ」とヘルメースが言った。「もうじきこのオリュンポスの宮殿も気違い水に浸されてぼろぼろになる。そこで一つ提案したいのだが、われわれも、昔ノアとかいう人間がやったように方舟《はこぶね》を造って、ひとまず難を避けるのが賢明ではないだろうか。ヘーパイストスに頼んで造ってもらっては……」 「跛足《びつこ》のヘーパイストスなら逃げ遅れて溺《おぼ》れてしまいましたよ」とアテーナーが言った。 「溺れて死んだのか」 「死んだかどうか、とにかく融けてなくなりましたよ」  神々の間に不安が広がった。まわりの山々は腫瘍《しゆよう》のように崩れ、地球の血や膿のようなものが噴き出している。要するに地球の皮が破れ、中にあったものが出てきて、全表面をおおいつくそうとしているのだった。泥酔《でいすい》したディオニューソスがあらぬことを口走っていた。 「地球の頭が破れたのだ。脳味噌《のうみそ》が爆発して噴き出してきたのだ。地球は発狂した。地球の狂った精神が今こうやってわれわれを浸し、呑《の》みこもうとしている。ほら、こうしてこの気違い水を飲めば、われわれは発狂して、水を含んだ角砂糖のように崩壊していく。さあ、みなさんもこの狂った地球の汁を飲んで狂ったらいい。神々の最後の狂宴ももう終わりが近い……」 「ちょっとお静かに」とプロメーテウスが一同を制した。「エホバが何やら言っている。自分は人間を棄《す》てた、人間は呪《のろ》わるべし、地球とともに滅びよ、などと言って怒っている」 「馬鹿な奴だ」とゼウスが苦々しげに言った。 「この期《ご》に及んでまだ未練がましく人間を呪っている。おまけに自分の力で地球を滅ぼすかのようなことを言って虚勢を張っている。あれも今度こそおしまいだな」 「なるほど、わかったぞ」とアポローンが口を開いた。「どうやら、この地球全体が生きた怪物だったと考えるべきだ。球形をした頭だけの怪物だ。ディオニューソスが言うように、それが狂って爆発したというのは正しいだろう。今われわれを呑みつくそうとしているのはその狂気そのものだ。奴は何やら言っている……」 「なんと言っているんだ?」  しかしその時には神々の姿も狂った液体の大洪水に呑まれていた。地球は痙攣しはじめた。大きなくしゃみをする前のようにひくひくと波打ってから、大爆発を起こした。地球は破れて中身は水洟《みずばな》のように飛び散り、赤い臓物が花と開いて宙に広がった。そして神々も地球もなくなったのである。 [#改ページ]   オーグル国渡航記  ジョナサン・ツウィストは六十歳前になって『カニバー旅行記』をモップという本屋から出版したが、本屋の方では当局の忌諱《きい》に触れることを恐れて多少手を加えたらしい。その後ダブリンの本屋からツウィストの著作集が出た時に第一巻に収められた『カニバー旅行記』は元の形に直っていると言われていたが、最近になって、最初の出版の際、ツウィストが原稿を渡して万事を託した友人の一人ポンプが、勝手に検閲して第五|篇《へん》に当たる部分を削除し、その原稿を隠匿《いんとく》していたことが判明した。そして昨年、問題の原稿も発見されたというので、あちらでは話題が沸騰《ふつとう》しているという。  この話を手紙に書いて寄越《よこ》したのは英国滞在中の友人K氏(十八世紀英国思想史が専門の大学教授)で、この手紙の中には問題の第五篇のコピーも入っていた。一読して、他の諸篇とは調子の異なる奇妙な味わいに興味を覚えたので、以下に話の概略をかいつまんで紹介することにしよう。  この第五篇となるべき部分は「オーグル国渡航記」と題されている。ここでいう「オーグル」とはOgle(秋波)となっているが、これは明らかにOgre(童話などに出てくる人食い鬼)の綴《つづ》りを変えたものであろう。  例によって「私」つまりカニバーは、「馬の国」から帰ってからも妻子との生活には腰が落ち着かず、またぞろ航海に出る。実は、「馬の国」で見たけがらわしい動物ヤプーにそっくりの女子供と毎日鼻を突き合わせていると、その不潔と臭気がいかにも堪えがたく、一方馬を見るとその高貴で優美な姿が懐《なつ》かしく思われるという精神状態では、家に長居は無用だったのである。  航海が続くうちにまたしても例の如《ごと》く船は嵐《あらし》に巻きこまれる。ところが嵐はやがて奇妙な濃霧に変わり、船は一寸先も見えず音も聞こえない乳色の霧の中を漂い、そのまま溶けて別の世界へ、例えば冥界《めいかい》へと引き寄せられていくような具合であった。私も船員たちも生きた心地がしないどころか、次第に心身ともに疲労して、今は自分が死者であることを疑わないといった心境になっていた。  その時突然霧が晴れた。目の前に大きな島が迫っている。人間の手が加わった跡が感じられる穏やかで風光|明媚《めいび》な島である。船長の私以下十数名が様子を見に上陸を敢行することにした。  それは比較的|平坦《へいたん》な島で、畑や草原が続き、予想外に広い。歩いていくうちに道らしいものが見つかった。道の両側には麦に似た穀物の畑がある。やがて古代ローマ帝国時代の街道のような敷石の道になる頃《ころ》、前方に町が見えはじめた。  その時、畑の方から恐ろしげな鬼が近づいてくるのを一人の船員が見つけた。私は船員たちに合図して浅い溝《みぞ》に身を伏せさせ、鬼が十分近づいてから狙《ねら》いを定めて一発お見舞いした。鬼は他愛《たわい》なく倒れて絶命した。そばに寄って調べてみると、この鬼はゴリラほどの大きさで、皮膚は不気味に赤黒く、全身|疎《まば》らな剛毛で蔽《おお》われている。丸裸なので、その体躯《たいく》に相応の立派な男根も見えた。顔付きは直立|猿人風《えんじんふう》で、まことに醜怪である。しかしこの鬼は、残念なことに、どちらかと問われれば猿《さる》よりもはるかに人間に近いと答えざるをえなかった。そして手にはわが国の農夫が使っているのとよく似た鋤《すき》をもっていた。  われわれは用心しながら町にはいっていった。途中で出会った鬼を二、三匹殺したが、まわりの鬼どもは何ごとが起こったのかさっぱり解《げ》せぬという風で、突然倒れて死んだ仲間を介抱したり何やらわめいたりして狼狽《ろうばい》するのみである。 「船長、どうもこの鬼どもにはわれわれの姿が見えてないんじゃありませんか」と航海士が言った。  言われてみるとその通りで、われわれが粗末な木造の家の並ぶ町にはいって、鬼どもが盛んに行き交う大通りを歩いても、こちらの存在に気がつく鬼は一匹もいなかった。船員の一人が擦れ違いざまに体当たりを食わせると、その鬼はころりと倒れ、泡《あわ》を吹いて死んでしまった。何やら話は逆で、われわれの方が恐るべき魔力や怪力を備えた鬼神になったかの如くである。  われわれは傍若無人に談笑しながら大通りを進み、高い塀《へい》をめぐらした、楼閣の聳《そび》え立つ城の前に来た。城門を通り抜けたが、門番の兵士は気がつかない。そのまま城の中にはいりこんで大広間に通った。正面にこの国の王らしい鬼が坐《すわ》っている。私がその前に進み出ると、この肥満した鬼の王はにわかに気分が悪くなった様子で、ぐったりして皮膚の色が青黒く変わった。家臣の鬼どもが騒ぎはじめ、侍医や呪術師《じゆじゆつし》らしい鬼が人間並に手当てをしたり祈ったりする。私はこの醜悪にして笑止千万な鬼どもの振舞いを見ているうちにむらむらと殺意がこみあげてくるのを覚えた。呪術師らしい鬼がわれわれの方を指差して何やら説明している。察するところ、連中からすれば目に見えぬ「神」だか「悪霊《あくりよう》」だか、そういった類《たぐい》のものがそこに来ていて、その怒りか祟《たた》りのために王は病《やまい》を発したのだというような説明であろう。醜怪な鬼の癖に人間の毒気に当てられるとは何事であろうか。いや、むしろ純朴《じゆんぼく》な鬼どもにとってわれわれ人間はまさしく悪魔のような存在であると言うべきであろうか。私は思わず刀を抜くと、近くにいた鬼の首を刎《は》ねた。岩のように頑丈《がんじよう》そのものに見えたにもかかわらず、手応《てごた》えは藁人形《わらにんぎよう》を切ったのに似て、血は一滴も流れず、切り口は植物の茎か生ハムの断面を思わせるものであった。  その時、私の頭に突然奇抜な考えが閃《ひらめ》いたのである。それは、この鬼どもを生ハムのように輪切りにして食べたら美味ではなかろうかという「啓示」であった。もっとも、私がそれを実行に移すのは後日のことである。  鬼どもは、突如見えざる刃《やいば》が閃いて仲間の首がころりと落ちたことに仰天したにちがいない。その鬼どもの恐慌《きようこう》を後目《しりめ》に、船員たちは宴会の御馳走《ごちそう》を片っ端からつまみ食いし、酒をあおるという狼藉《ろうぜき》に及んだが、鬼の国の飲食物はいずれも人間の口には合わなかったらしい。私も二、三試食してみたが、文明国の食べものとは言いがたい味がして閉口した。旨《うま》い獣肉を食べつけている舌が昆虫《こんちゆう》に出会ったような具合とでも言おうか、何としても気味の悪い味だった。  われわれは一旦《いつたん》引き上げることにした。鬼どもの中に勇敢にも刀を振って立ち向かってくるものがいたが、不思議なことに刀はわれわれの体に触れる瞬間に消滅するようであり、あるいは槍《やり》が体を突き抜ける瞬間にわれわれがそこに存在しなくなるかのようであり、逆にわれわれが片手で払いのけるだけで鬼どもは悶絶《もんぜつ》した。  この夜われわれは船に帰ると、残っていた者に一部始終を語りながら酒もりに興じた。今から思うといささか病的ではあったが、誰《だれ》もがひどく高揚した気分になり、鬼の醜さと見掛けによらぬ脆《もろ》さを嗤《わら》いあったものである。翌日からわれわれは交替で町に出掛けては、気の向くままに殺戮《さつりく》して鬼どもを恐怖に陥《おとしい》れ、あとで聞いた話によると船員の何人かは鬼の女を犯したりもしたという。私はこの話には吐きけを催した。あの醜悪な雌鬼を犯すのは、ヒヒかゴリラを犯すのと土人の女を犯すのとの中間に位置する経験かもしれないが、驚くべき悪趣味と言うほかない。犯された鬼の女はやがて狂って悶死したという。  恐らく、いかなる暴君もこれほどの力を恣《ほしいまま》にした例はないであろう。それは人を支配する権力というよりも、神が人間に対してもつ力に似ている……(以下、権力の性質についての考察が延々と続くが、割愛する。)  オーグル国滞在——と言ってもわれわれは「見えざる神」として勝手に居坐っていただけのことであるが——が長びくにつれて、やがて出てきた困った問題は食べ物のことであった。この国の家畜や作物はきわめて貧弱で、口当たりもはなはだよくないことはすでに述べた通りである。私はかねて考えていたことを実行に移す時が来たと思った。ある日私は町に出て子供の鬼を一匹つかまえた。つかまえた途端に哀れな獲物《えもの》が絶命したことは言うまでもない。さすがに衆人環視、いや、衆鬼環境の中でこの子鬼を切り刻むのは憚《はばか》られたので、私はこれを町外れの林まで運んだ。ナイフで切ってみると、腿《もも》も胴もソーセージを切る手応えで簡単に輪切りにすることができる。骨も大層軟らかい。そのまま生で食してみたところ、その美味なることは最上のソーセージにも勝るものがあった。残りの肉を持ち帰って料理長に煮込みや直火《じかび》焼きなどいろいろの料理を作らせてみたが、いずれも美味であった。ただ私自身の好みを言えば、最初に試みた生食がもっとも優れていたように思われる。  ともかくこの「食鬼」の習慣はたちまち乗組員の間に広まって、その結果|頻繁《ひんぱん》に「鬼狩り」が行なわれた。鬼どもにとってこれが恐るべき災厄《さいやく》であったことは間違いない。何しろ人間という見えざる魔物が毎日のように鬼を攫《さら》って食うのである。鬼の王はこの災厄から逃れるために、祭壇を築いて自分の娘を人身御供《ひとみごくう》にした。この娘の肉は高貴の生まれにふさわしく南方の果物のような香りがして特別美味であった。付言しておくが、鬼の肉はその色、歯ざわり、味と香りに至るまで、個体によってきわめて変化に富み、いくら食べても飽きることがなかった……  このあと著者のツウィストはオーグル国の政情について詳しく述べている。簡単に言えば、いっこうに止《や》む気配のない「災厄」が王に対する不信を招き、それにつけこむ権力闘争が起こり、結局王は革命派の手で処刑されるのである。このあたりの騒動を辛辣《しんらつ》に描いた筆致にはツウィストの面目躍如たるものがあるが、それはいずれ別の機会に紹介することにして、ここでは先を急ぐことにする。  さて、カニバーたちはオーグル国に一年余りとどまって鬼を飽食するが、やがて例の如く「望郷の念」が湧《わ》いて、故郷に帰ろうということに衆議一決する。船は食い荒された鬼の島を後にして、再び濃い霧の海を通り、本国に向かうのであるが、鬼の味を覚えたカニバーたちは尋常の食べ物ではもはや満足できず、似たような味を求めて、途中でいくつかの島で土人狩りをする。土人といえども人間の肉は骨が硬く、あの鬼の肉には比ぶべくもないが、それでも牛や豚の肉よりははるかにましだったという。  こうして人肉を食うことを覚えてダウンズに着いたカニバーたちを見た時、人々は顔色を変えて騒ぎ、軍隊が来て全員を逮捕した。カニバーたちの顔は鬼の顔に変じていたのである。取り調べの結果、身元は確認されたが、全員発狂したものと断定されて、王立|瘋癲《ふうてん》病院に監禁される。カニバー船長は残りの短い生涯《しようがい》をここで過ごし、狂い死にする。  有名な『カニバー旅行記』は本来こうして完結するはずだったのである。  なお、著者のジョナサン・ツウィストが晩年『アイルランド貧民児童の処理に関する一私案』なる奇怪なパンフレットを書いて、貧民の子供を食用に供すべしと提案したこと、ならびにこの著者自身が狂死したことはいずれもよく知られている事実である。 [#改ページ]   鬼女の面  私の家には奇妙な家宝がある。家宝と言っても由緒《ゆいしよ》ある書画|骨董《こつとう》、刀剣の類《たぐい》ではないし、宝石のように資産価値があるものでもない。かと言って、先祖が家を興こしたり財を築いたりするのに与《あずか》った特別の品物というわけでもない。これを家宝として珍重しているのは家で私だけなのである。祖父も父もこれについては何も語らなかったし、蔵の奥深く死蔵されていたのを子供の頃《ころ》偶然発見して自分の宝物にしたのが私であった。  それは禍々《まがまが》しい鬼女の面である。一見したところ能面のようで、最初は子供のいい加減な知識で般若《はんにや》の面だろうと思っていた。やがてわかってきたところによると、これは例えば「鉄輪《かなわ》」の生成《なまなり》とか橋姫とかの嫉妬《しつと》に燃える女の顔ではなくて、ひたすら恐ろしげな鬼女の顔である。「紅葉狩《もみじがり》」に出てくる鬼女に近い顔である。江戸時代の赤般若よりも室町初期の古い般若に近いと言ってよい。そして能面よりもひとまわり大きい。ということは、大人がかぶると丁度顔に合う大きさだということで、しかも瞳《ひとみ》に穴はあいていない。つまりこれは能面ではないのである。色は不気味に黒ずんでいる。まるで血を吸っては乾くことを繰り返してきたかのような色つやで、梅雨寒《つゆざむ》の頃の薄暗い書斎でこの鬼女の面を眺《なが》めていると、その木の肌《はだ》は湿った空気の中で汗ばんだように湿りを帯びてくる。それとともに面は生気を取り戻《もど》してまぎれもない鬼女の顔になる。その生気の証拠は肌のうるおいで、汗のように見えたのは実はにじみでた血と見紛《みまが》うばかりである。気のせいか、黒ずんだ木肌が幾分赤みを帯びて見えるのは一層不気味であった。そういう時、鬼女の面はいわば生き返ってそれ自身の意志を顕《あら》わしてくるように思われた。そして能面がそうであるように、この鬼女の面もわずかな角度の変化でその表情を変え、時には怒り、時には嗤《わら》うのがわかった。  ところで、私はいまだにこれを自分の顔に付けたことがない。勿論《もちろん》、付けてみようとしたことはあったけれども、それはできなかったのである。その理由はこういうことであった。大体、人の顔に付ける仮面というものは、裏から見るとはなはだ奇怪で滑稽《こつけい》な形をしているものであるが、この鬼女の面を初めて裏返して見た時、余りの奇怪さに私は思わず息を呑《の》んだ。仮面の裏側には黒々とした闇《やみ》があった。それも「肉質の闇」とでもいうべきものである。つまり、かつてそれを付けた人間の顔から肉を剥《は》ぎとって自らの裏面としたような、血みどろの肉の凹凸《おうとつ》がそのまま固まって漆黒の闇と化している、といった具合であった。その闇の中で燐光《りんこう》を放っているのは鬼女の二つの目である。それは向こう側の現実の世界からの光が洩《も》れているのではないから、別の世界からの光を放っているとしか思えなかった。ところが手に取って裏から眺めているうちに、妖《あや》しい目の光に唆《そそのか》されたのか、この面をかぶらずにはいられないような気が起こった。そして顔を近づけると、裏面の闇は不意に唸《うな》り声をあげ、歯を剥《む》いて顔に食らいついてくる気配だった。私は恐怖に駆られて渾身《こんしん》の力で面を横にずらし、顔をそむけた。間一髪、面に食らいつかれることは免《まぬか》れたが、耳の底には闇の彼方《かなた》から響いてきた恐ろしい鬼女の咆哮《ほうこう》のようなものがいつまでも残っていた。  考えてみると、この種の恐怖はよくあるもので、子供の玩具《がんぐ》になるような薄っぺらな仮面は別として、およそ仮面というものには、迂闊《うかつ》にそれをかぶると顔から離れなくなるのではないかと思わせるものがある。確か、フランスのモーリス・マーグルとかいう詩人も「サムライの仮面」が女の顔から離れなくなるという詩を書いていた。それはともかく、私はこの一度の経験に懲《こ》りて、二度と鬼女の仮面をかぶろうという気を起こすことはなかった。その代わり、別の思いつきの芽が生えて、それは年とともに逆らいがたい欲求にまで育ってきた。  学生の頃、私にも人並に恋人ができた。と、ここでは謙遜《けんそん》した言い方をしてみたが、本当のところは、当時の私は女子学生になかなかもてる方だったのである。私に明らかな好意を寄せていた女の子は何人かいた。それも軽佻浮薄《けいちようふはく》なタイプではなくて、どちらかと言えば育ちのよい、堅いタイプの、真面目《まじめ》な女の子ばかりだった。私自身も例の密《ひそ》かな欲求を別にすれば、表面は真面目な秀才型の学生であったし、男女関係のことについてもいい加減なところはなかったと自分では思っている。  卒業の頃になって私は何人かの女|友達《ともだち》の中から一人を選んで、というより自然の成行きから私の結婚すべき相手は一人の女性に決まって、正式に結納《ゆいのう》も交わし、相手の卒業を待って一年半後には式を挙げることになっていた。  この女性(今は仮にK子ということにしておく)は私が当時付き合っていた女子学生の中では一際《ひときわ》優美な顔立ちが目立つ娘で、頭はよくて控えめな性格だったが、その大柄《おおがら》な体の意外な豊満さに比例するかのように、思いがけないほど情熱的なところがあった。というのは閨房《けいぼう》でのことを指しているのであるが、婚約が整ってから私たちは自然にそういう仲になって会う度に交情を深め、房事の技も大胆かつ巧緻《こうち》になるという具合で、要するに夫婦と恋人の中間の熱い男女の交わりを続けていたのである。  その頃私には両親はすでに亡《な》く、田舎の家は弟が継いで、長男の私の方はさる中央官庁に入り、父が手広く商売をやっていた時の東京の家をもらって、大学を出たばかりにしては恵まれた生活をしていた。この家には父の代からのばあやがまだ残ってはいたが、すっかり耳も遠くなり、事実上|気儘《きまま》な一人暮らしと変わらなかったので、週末はK子も半ば公認の形で泊りに来ることが多かった(ついでながら、K子の父親は大学教授で、こういうことについてはいわゆる「リベラルな」態度をとる人であった)。  ある晩秋の雨の土曜日の夜、いつものように、いや、いつもよりも熱い陶酔の時を過ごしてからK子が眠りに落ちた時、私は隣で安らかな寝息をたてている白くて柔らかな生き物に愛情と満足を覚えながら、頭の半分では例のことを考えて眠れないでいた。例のこととは、今こそ白状するならば、あの鬼女の面を美女の顔に付けさせてみたいという、子供の頃から耳について消えない「悪魔の囁《ささや》き」のことである。その美女が、今、能面で言えば目を閉じた「若女《わかおんな》」にも似た顔を私の方に寄せて眠っている。この「若女」に「般若」をかぶせると、一体どんなことが起こるだろうか。恐らく面は顔から離れなくなるだろうが、それが何を意味するかを最後まで考えることができないまま、私の頭は「悪魔の囁き」と格闘することで異常に興奮していた。  私は例の鬼女の面を取り出すと、あとはほとんど何をしているのかもよくわからないままに、面をK子の顔にかぶせていた。まるで鬼女の意志か磁力でも働いているかのように、面はK子の顔に吸いついた。K子は面を付けたまま上半身を起こした。何が起こったのかもわからずに寝惚《ねぼ》けているという風だった。両手で顔を蔽《おお》うようなしぐさをした。面は顔を捕えて離れる気配もない。K子はふらふらと床に立って面を外そうとする両腕の動作に加えて体をくねらせた。それがみるみる妖しい踊りになった。全裸のままである。猫《ねこ》に袋をかぶせると恐慌《きようこう》を来たして踊り狂うしぐさをするが、この鬼女の顔に変じた美女は、一糸|纏《まと》わぬ裸身を不思議なリズムに乗せて、およそ様式化されていない体の動きを見せながら声もなく踊った。それが踊りと言うべきものであったかどうかはわからない。恐怖の悲鳴をあげながら身悶《みもだ》えしていただけなのかもしれないが、声は面に吸いとられて、もはやこちらの世界には届かないのである。鬼女の顔の下の見事な裸身は次第に紅潮して、踊りは激しさを増した。その世にも優美な肉の動きは同時に譬《たと》えようもなく卑猥《ひわい》なもので、私は完全に我を忘れてこのエロティックな踊りを見つめるばかりだった。それはこう説明すればいいだろうか。鬼女の面は空間の一点からほとんど動いていない。したがって、これは言ってみればこの鬼女の面が女の顔を一点に捕えて磔《はりつけ》にし、女はその一点を中心に大柄な裸身を踊らせている、といった具合なのである。そのうちに私は女の踊りがただならぬ喜悦を表わしていること、それが性的なエクスタシーにほかならないことをほとんど疑わなくなった。なんと、あの角を生やした般若の顔が血の色の歓喜に燃えているのである。般若特有の恐ろしげに裂けた口はそのまま歓声の叫びを放っているかのようだった。やがて絶頂を迎えた鬼女は床に倒れて、その裸の胸と腹を波立たせ、四肢《しし》をあられもなく広げて震わせると、不意に動かなくなった。K子は事切れていた。私は呆然《ぼうぜん》として抱き起こそうとしたが、その時鬼女の面は嘘《うそ》のように顔から離れて落ちた。死によってK子は面から解放されたのである。その顔には苦悶《くもん》の跡はいささかもなく、目を伏せてかすかな笑みを湛《たた》えている仏像のようだった。  K子の死は、解剖の結果、「睡眠中の突発的な心不全による死」、いわゆるポックリ病ということで私には何の責任もない不幸な事故として処理された。私は婚約者を失った不幸な男として喪に服した。確かに、K子を失った悲しみは大きかったが、時が経《た》つにつれてこの悲しみよりも、あの鬼女の面がもたらしたエロティックな踊り、死に至る踊りの強烈な記憶が私の頭を占領していくのがわかった。  私はそれから一年をかけて計画を練りあげ、M子という「恋人」をつくった。「鬼女の踊り」を実行に移したのはさらにその三カ月後のことである。自分でも恋人同士に思えるような仲になるにはその程度の時間を要したのである。M子の踊りは、やや肉の薄い体つきのせいか、K子に比べて優美さには欠ける面があったけれども、動物的な激しさと猥褻《わいせつ》さではかえって見るべきものがあった。M子の次からは「恋人」とか「婚約者」とかの関係に入るのは省略することにした。その頃偶然見た『コレクター』という映画がまたとないヒントを提供してくれたのである。私はそれからクロロホルムを使っては一年に平均二人の割合で、「獲物」あるいは「鬼女の面に捧《ささ》げる生贄《いけにえ》」を捕える「コレクター」になった。この趣味にとって最大の難関は遺体の始末であったが、そのための工夫や、さまざまなタイプの女の踊りの詳細については、その克明な記録がいずれしかるべき時期に本になるはずだから、ここでは割愛したい。ただ一つ付言しておくとすれば、私にはそちらの方の趣味はないのであるが、一種の酔狂から、一度だけ美少年(と言えるかどうか自信はないが)を生贄に選んだことがある。結果は、ほぼ想像していた通りのもので、鬼女の顔を得た少年は、ある種の鳥の長い嘴《くちばし》のようなものを終始立てたまま、間歇《かんけつ》的にとめどなく精を漏らしつづけて息絶えたのであった。  今私の頭には一つの観念しかない。それは一枚の鮮明な絵のように頭の一角を占めているが、要するにこのあと私に残されている楽しみは、自分の顔にこの鬼女の面を付けることなのである。鬼女の金色の目は私を見る度に誘惑の色を湛えて笑いかけてくるように思われる。 [#改ページ]   聖家族  わたしたちのお父さんとお母さんはひょっとすると宇宙人かもしれないと思います。いや、ひょっとするとじゃなくて、あれはもう間違いなく宇宙人だと、弟は言っています。何しろ、あの時見た二人の姿はとても人間のものとは思えない、と言うのですけど、確かにあの光景はわたしにも大変なショックでした。  それは夜中にちょっとした地震があった時のことです。午前一時が近かったと思います。わたしはSFを読んでいるうちに怖いのと面白《おもしろ》いのとで眠れなくなり、ベッドで体を堅くしたまま夢中で読みつづけていたら、突然地震があったのです。凍りついていた空気がガラスみたいにひびわれて、その破片が顔に降りかかってきたようでした。  地震は大したこともなく収まりましたが、そのまま一人で眠る気分にはなれません。そこで机の下の「秘密の扉《とびら》」から弟の部屋へはいりこみました。弟は(と言ってもわたしたちは双子のきょうだいなのです)目を大きく見ひらいて天井を睨《にら》んでいました。 「かなりの地震だったわよ」 「知ってるよ。でもね、地震の前からなんだか空気が揺れてるようで、変なんだ」 「何かしら」と言いながら、わたしは弟のベッドにもぐりこんで、体を並べ、死んだ人みたいに胸の上で手を組んで、弟の言う、その何か異様な気配をうかがいました。わたしたちは特別に五感が鋭敏で、普通の人間の耳には聞こえない空気の振動でも、全身の皮膚で聞きわけることができるのです。やがて地震とは別の不思議な振動が始まりました。 「これだ」と弟が小さく叫びました。  わたしの感じでは、空気が柔らかい肉かゼリーみたいになって震え、そして震えながらすすり泣いているような、とにかく異常なことが起こっているか、それとも、想像もできない生きものがそこまでやってきてわたしたちの様子をうかがっているのか、どっちにしてもこれはただごとではない、と言うしかありません。弟の意見では、この「震源地」はお父さんたちの部屋らしいというのです。 「賊が侵入してきたのかもしれない」 「ゾクって何」 「強盗とか」  わたしの意見はそれと違いましたが、そういうことも考えられないわけではありませんから、バルコニーの方から回って、部屋の様子を見に行ってみよう、ということになりました。  こちらから行くと、まず、お父さんの部屋ですが、ここはまっくらで静まりかえっていました。全身の皮膚で聞いてみても、中には誰《だれ》もいないことは間違いありませんでした。次は隣のお母さんの部屋です。こちらは窓から薄明かりが洩《も》れています。カーテンに隙間《すきま》がありました。当然、わたしたちは窓ガラスにへばりついて、顔を上下に並べて部屋の中を覗《のぞ》きこんだのでした。そして異様な光景を見てしまいました。  最初は何が起こっているか見当もつきませんでした。お父さんとお母さん(と思われる裸の動物)がそこにいました。お母さんの顔が見えましたから、多分、二人はお母さんとお父さんなのでしょう。お父さんの方は顔が見えませんから、推定です。実は最初、あれはお父さんではなくて別の人かもしれない、というたちの悪い考えが頭にちらちらしたのです。お父さんとお母さんは抱き合っていました。夫婦がそんなことをするということ位はわたしも知っていましたけど、知っていることと実際に見ることとは全然別なのです。二人が裸で抱き合っているというだけなのに、それはもう、どこがどうなっているのか、とても説明できない位複雑な形になって、全体が一つの、手足が八本もそれ以上もあるクモのお化けみたいに見えるのです。その大きな白い肌《はだ》のクモはお互いに手足をからませてうごめきながら、いろいろに形を変えていきます。  その時、このわけのわからない塊の中からお父さんの顔がこちら向きに現れました。確かにお父さんでした。目を開けて(お母さんはなぜか目を閉じたまま苦しそうにしていましたけど)、わたしたちの方を見て、気がついたらしい様子でした。わたしは弟の腕をつかんで合図をしました。そして恐ろしさで叫びだしたくなるのを必死で堪《こら》えて無我夢中で部屋に逃げ帰りました。  わたしたちは灯《ひ》を消して抱き合ったまま息を凝らしていました。幸い、お父さんが追いかけてくる気配はありませんでした。それからわたしたちは、いつものように(と言ってもこういうことを覚えたのはわたしたちが中学生になってからのことですけど)「合体」して、あの光景のことで意見を交換しました。弟は恐ろしく深刻になっていて、「あれは本当は人間とは違う生きものなんだ、きっと宇宙人だ」と言い張りました。わたしは日頃《ひごろ》SFが好きなくせに、この説にはとても賛成できないと思いました。それよりもわたしのショックは、人間の男と女が愛し合うというのはあんな姿、あんな人間離れのした姿に変形することかしら、というショックでした。 「それは甘いよ」と弟は言いました。「どんなに狂ったとしても、人間なら手足は二人で八本だろう。ぼくが数えてみると、十本はあった」 「数え違いよ、それは」と一応わたしは言ってみたものの、血の気がなくなるような思いがしました。  その時から、わたしたちは「宇宙人かもしれない」という気持でお父さんとお母さんを見るようになりました。向こうも何かを知っている様子で、今までとは違った目でわたしたちを見ます。「正体を見破られたらしいと気がついた宇宙人」のような目つきでわたしたちを見ます。自分の親が普通の人間ではないなんて、こんな悲しくて恐ろしいことはありません。そのうちにわたしたちは消されてしまうことになるかもしれません。  この間の地震のあった夜以来子供たちの様子がおかしくなった。まるで見知らぬ動物でも見るような目つきでわれわれを見る。やはりあの時、子供|達《たち》はわれわれの部屋を覗いていたのだ。  数日後、大学の同窓会があって、精神科の医者をやっている岡田に会った時に、この話をしてみた。 「見られてしまったらしいんだよ、子供に」 「例の原光景というやつをかい」 「それはなんだ」 「つまり大人が、それも特に親が、お楽しみの最中を子供が目撃する。それがフロイトの言う原光景だよ」 「子供には大変なショックだろうな。そのせいか、このところ子供の態度がおかしいんだ。どうすればいいだろう」 「どうもしないのがいい」と岡田は真面目《まじめ》な顔に戻《もど》って答えた。「ぼくはその意見を採っているがね。時が治療してくれるというのが一番正しいようだ」  その日はあまり詳しい話もできずに別れたが、妻は私以上にこの問題を気にしていて、まるで子供に会わせる顔がないという風だった。 「子供たちは毎晩遅くまで起きていて、何やら相談しているみたいよ」などと妻は神経質になっている。 「一度子供たちが夜中に何をしているか、調べてみることにしよう」ということで、妻はどちらかと言えば反対であったが、私はひそかに子供部屋に防犯用のテレビカメラを仕掛けた。職業|柄《がら》この種の技術的な仕事ならお手のものである。  その結果私が見たものはこれ以上はないほど衝撃的なものだった。このことはまだ妻には話してない。話すわけにはいかないという気もする。例えば、子供たちが姉弟|相姦《そうかん》の関係にある、ということを妻にどんな風に話せばよいのか。ところが、事実はそんな生易しいものではなかったのである。あれを姉弟相姦と呼ぶべきかどうかはともかくとして、その時に二人がとっていた形をどう説明すべきか、これは私の能力の限界を超える。  二人の体は完全に変形して(ただ、顔とおぼしきものだけは残っていて、誰であるかの判別はつく)、ナマコ状になっている。そして裕子の方に健が、丁度刀身が鞘《さや》に収まるような具合に収まっている。あるいは、バナナの皮を剥《む》きかけた状態に譬《たと》えるべきか。この時手足はひれ位に縮んでいる。  これは人間ではない。化物という言葉が今ははやらないとすれば、「宇宙人」とでも呼ぶべきものだ。私はこの子供たちが貰《もら》い子であるという事実を改めて思い出して愕然《がくぜん》とした。ある大学病院で、胎外受精と人工子宮で生まれた双子である。その正体は何だろうか。最悪の場合は、私の手で処分することも考えなければならないのではないか。  しかしその問題はひとまず後回しにして、その夜、久しぶりに私は妻の寝室に行った。あの子供たちが「怪物」であることに、妻は全然責任がない。すべてを話して善後策を講じた方がよいという結論に達して、私自身はかえって気分が落ち着いていたのである。  話をする前に、妻の方がいつになく積極的に求めてきたので、私も応じた。勿論《もちろん》、二度と覗かれることのないように、万全の措置はとっている。  妻は最初から興奮して反応が早かった。私も釣《つ》られて一気にエクスタシーに向かって駆け上がっていった。で、私の体からはいつもより多くの、恐らくは十六本以上の「偽足」が生えていたにちがいない。そして妻の方もそれに応じて十六個以上の蜜《みつ》をたたえた穴が開き、私の偽足の愛撫《あいぶ》に応《こた》えた。  事が終わった時、私は考えた。人間というものは、どんな男と女でも、まあ似たり寄ったりのこの程度のことをやっているのだ。これを見られたこと自体はそんなに重大に考える必要もないのではないか。問題は、あの子供たちがわれわれとは違った愛し方をする得体の知れない生きものだということだ……。 [#改ページ]   生還  私は死んでからも気は確かだった。ただ、さすがに体の調子は上々とは言えなかった。なんだか腹に力が入らず、内臓が全部胴の底から抜けて、立ち上がると椅子《いす》の上にうず高く残るのではないかと思うほどだった。だから正直なところ、そのまま動きたくない気持だったが、私の前に坐《すわ》っていた男は、商談が終わって喫茶店を出ようとする時のしぐさで席を立ち、「ではそろそろ出掛けましょうか」と私を促した。ここの勘定は、と気になりながらも私はその男について外へ出るしかなかった。何しろ私が死ぬ前からそこにいて、随分待たせたのが少なからずこちらの負目になっている。それでこれからどこへ行くのかも、とうとう訊《き》きそびれてしまった。  外は奇妙に明るくて、とても自分が死んでいるとは思えなかった。しかし生きている時に見たどんな風景とも違った感じがするのはやはり死後の世界だからだろう、と納得させてくれるものがあって、かえって気分が落ちつくようでもあった。例えば妙に黄色い光が差している。本物の太陽の陽射《ひざ》しとはとても思えない。風もなく動く雲もなく飛ぶ鳥も見えず、どこか書割りの風景に似ている。しかし恐ろしく広々としているのである。見わたす限り黄ばんだ土地が広がっている。そこを長い坂道が果てしなく下って、どこまで延びているのかわからない。  男は先に立って坂道を下りていった。絶えず私の五十歩か百歩先を歩いていく。別にこちらを振り返って促すわけでもないのに、目に見えない引力の糸で引かれるように、足は勝手に前に出て、私もとぼとぼと歩きつづけた。坂道の両側は石垣《いしがき》というよりも凹凸《おうとつ》のない石の壁のようになっていて、坂が下っていくにつれて壁はいくらでも高くなる。それで普通ならこの道は次第に地を割って奈落《ならく》の底に下りていくような暗さを増してくるはずであるが、あたりはいっこうに暗くなる気配もない。相変わらず妙に黄色い陽射しが、気が遠くなるほど高い塀《へい》を照らし、そのくせ道には私の影一つできていなかった。  気がつくと、いつのまにか坂は終わっていた。あの天まで続いていたはずの壁も消えている。そこには木一本生えていない単調な野原が広がっていた。前のとは違った二人の男が迎えにきていたが、これは旅館の番頭のように腰が低く、何やら挨拶《あいさつ》らしい身振りをしながら、まわりの様子を御覧になるのも一興でしょうという意味のことを言う。見ると、そのあたり一帯は猛禽《もうきん》の爪《つめ》に似た棘《とげ》のあるいばらが生い茂っており、その中を血まみれになって掻《か》き分けて歩いている亡者《もうじや》たちの姿に気がついた。誰《だれ》かに追いたてられるようにしていばらの中をやみくもに進んでいくが、追いたてている赤鬼青鬼の姿などは見えない。生前の罪のために罰を受けているのかと訊いてみたところ、そういうわけでもなく、あの連中はただ頭がおかしくてあんなことをしているだけだとの返事が返ってきたのはいかにも腑《ふ》に落ちない。動くにつれて肉は無残に掻き削られていくが、連中は全身が襤褸切《ぼろぎ》れのようになるまで止《や》めずにいばらの地獄を転げまわって苦しむ。しかし骸骨《がいこつ》に近い姿となったものでも、一晩眠れば肉はもと通りに骨を覆《おお》って、またその日の業苦《ごうく》が始まる、ということであった。  やがて陰気な街並が現れた。いつかどこかで見たことがあるような、ないような、ひどくもの悲しい家が低い軒を連ねて並んでいる。不景気な城下町にでも来た感じである。私は傾いた土蔵のある家に案内された。黒っぽい衣服を着た老人が壁にもたれて坐っていた。男に仮装した老婦人といったいかがわしさをもった人物で、シナの「袍子《パオツ》」風の長い上着を着てその上に紺の上っ張りを着ているところはどう見ても宦官《かんがん》である。しかし宦官帽はかぶっていない。 「お待ちしておりました」と老人は勿体《もつたい》ぶった口調で言った。「一別以来二十何年になりますかな」  こんな老人とは面識がなかったが、冥府《めいふ》の重要人物のようでもあるので機嫌《きげん》を損ねるのもまずいと思い、曖昧《あいまい》に調子を合わせておいた。  見れば見るほど宦官風である。齢《とし》とともに肉が落ちて皺《しわ》だらけのミイラのようになり、首から上は異様に小さく、干し首といったところである。そのだぶだぶの服の下にはいっているのは骸骨ではないかと想像したいほどだった。それにその体は言いようのない異臭を放っている。こんな人物に招待を受けるいわれもなければ相手を務める義理もない、と思いかけた時に、老人は咳払《せきばら》いをして、「時にあんたさんは何々県の知事をしておられた何某《なにがし》氏を御存じかな」というような話を始める。私が聞いたことがあるような気がして適当にうなずくと、相手はその何某氏の話をひとしきりしてから、「こちらに来られた時にすでに老耄《ろうもう》がひどくて、やっていただく仕事がない。仕方がないので、今はここの掃除係をお願いしておる」  そう言って老人は、丁度障子の向こうの廊下をはいまわって雑巾《ぞうきん》で拭《ふ》くとも濡《ぬ》らすともつかぬ動作をしている男を顎《あご》で示した。全然見覚えのない耄碌《もうろく》した老人だった。 「そうそう、あんたさんのお隣の甘木氏の夫人だが」と、老人は今度は話を急に身近にもってきたので私はぎょっとした。甘木夫人というのは少々男好きのする貞操観念の薄い女で、以前から私に色目を使っていたが、十年ほど前、四十の若さで未亡人になってから、つい私も何度か浮気《うわき》の相手をした。五十にならないうちに癌《がん》であの世に行ってしまった。その甘木夫人がここにいるというのだった。「なかなか信仰心の篤《あつ》い女でしてな、こちらに置いて身のまわりの世話をさせております」  そう言って老人が手を叩《たた》くと、厚化粧をした女が襖《ふすま》の陰から顔を覗《のぞ》かせた。甘木夫人のようでもあるが、厚化粧のせいもあってさだかではない。いかにも囲われものの女という様子である。それが私に色目を使う風情《ふぜい》に見えた。 「いかがですかな」と老人が言ったが、その意味は判じかねる。何やら女の不逞《ふてい》のそぶりに気がついているようでもある。私ははなはだ居心地が悪く、この場にいるだけで悪酔いしそうだった。死んだ以上はこちらの世界の流儀に身を任せるほかないとしても、こんな不愉快で下劣な連中と無駄話《むだばなし》をしていても埒《らち》があかない、鬼どもに掴《つか》まって地獄の責め苦に遭うのも止むを得ないが、それなら早くそうしてもらう方がましだ、と思って、私はいささか顔つきを改めると、 「ところで御主人、この私の処遇のことでございますが」と切り出してみた。  すると相手はにわかに狼狽《ろうばい》して視線も宙をさまよい、揉《も》み手《で》をしたり空咳をしたりで、身の置き場がないという様子だった。そして慌《あわ》てて次の間に声をかけると、下級官吏風の男が姿を見せた。老人は何か都合の悪いことを糊塗《こと》するためか、不自然に尊大な口調で、 「この石長和大人《せきちようわたいじん》の寿命は本当に尽きておるのか。間違ってここへお連れしたのではないか」と詰問《きつもん》した。  石長和というのは私のことらしい。生前の私の名はそれとは違っていたようだが、死ぬと名前が変わるということもあるかもしれないと思い、敢《あ》えて異を唱えることはしないで黙っていた。 「台帳によりますと、まだ四十年残っております」と下級官吏は報告した。老人は遺憾千万という顔をしたが、どこか芝居がかって見える。内心の動揺は隠し切れないようだった。明らかにこの連中の責任であるが、老人は下手に謝罪して責任を問われたり損害賠償の訴訟を起こされたりすることを警戒してか、愛想《あいそ》笑いを振り撒《ま》きながら、早く車の用意をしろと係の者に命じた。  昔の馬車か牛車《ぎつしや》かという仰々しい乗物が玄関にやってきて、それに乗せられたが、どういう仕掛で動く代物《しろもの》かはわからなかった。冥府で下働きをさせられている亡者が大勢で車を引いているようでもあり、牛か何か、鈍重な動物が引いているようでもあった。今度は車馬の往来の激しい大きな道を行き、窓から覗いてみると、この街道筋には賑《にぎ》やかな宿場町もあり、客を引く女の嬌声《きようせい》も聞こえた。なかなか旅の情緒《じようちよ》もあるので、できれば二、三日|逗留《とうりゆう》して体を休めていきたい気もした。なぜか自分の家に帰って生き返ることになるのは気が進まなかった。一度死んだ人間が生き返ったりすれば、これはこれで何かと煩《わずら》わしいことになる。  車は飛ぶように走って、まもなく家に着いた。大勢の人の気配がする。葬式の最中らしい。それにしても陰々滅々たる異様な空気である。覗いてみると、祭壇の前では葬式の客ではなくて亡者どもが犬のように供物《くもつ》を貪《むさぼ》り食っていた。冥府から帰ってきた私には一目でわかったが、集まっているのは生きた人間ではなくて冥府で食いはぐれているらしい亡者なのである。浅ましいことに、その中には死んだ母や姉もいた。母は生きていた時と同じで、相変わらず魚には目がなく、接待用の折詰の魚を食べあさっていた。  自分の棺《ひつぎ》を開けてみると、すでに腐って牛のように膨れあがっている。なんとも耐えがたい悪臭で、とても近づけたものではない。思わずわっと叫んで逃げ出そうとした。その声で亡者どもが一斉《いつせい》に振り向いたが、私が亡者仲間であると見てとると、安心したのか、また脇目《わきめ》も振らずに食べはじめた。こんなことになるなら、あのいやらしい宦官じみた老人と何とか折り合いをつけてあちらに置いてもらった方がまだましだ、という気がした。慌てて先程の車を呼び返そうとしたが、もう影も形もなかった。そこでうろうろしていると、姉が私に気づいた。 「姉さんはこんなところで何をしているんです」と言うと、姉は、「あんたこそ体を離れて何をしているんです」となじるように言う。私が一部始終を説明するのを聞いて、私が会ってきた老人は人間たちが閻魔《えんま》と呼んでいる冥府の長官だろうと教えてくれたが、私は半信半疑だった。 「それにしてもあんたの寿命がまだ四十年も残っていたなんて儲《もう》けものじゃないの。冥府の方も亡者の人口が増えるばかりで、いい仕事はないし、暮らしにくくてしようがないのよ。ここは妙な料簡《りようけん》を起こさないで、一度生き返った方がいいわね」 「それじゃ、あの腐った化物みたいな体の中にはいるんですか」 「ぐずぐずしているともっと腐って帰るところもなくなるわよ」  そう言ったかと思うと、姉は私を後から突き飛ばしたのである。私は猛烈な腐臭を放つ自分の死体の中に倒れこんだ。  気がついた時、私は生き返っていた。私が起き上がるのを見て、亡者どももさすがに驚いて逃げ散った。家内や子供も幽霊がいなくなると帰ってきて、私が供物を食べているのを見て仰天した。しばらくは体の死臭が抜けなかった。冥府で甘木夫人らしい女を見かけたという話をすると、家内は浮気をしてきたのではないかと疑って機嫌を悪くした。家内に限らず、冥府に行ってきた話をすると、人はいやな顔をして、あまり熱心に耳を傾けようとしない。こんなに詳しく話したのは実はこれが最初である。 [#改ページ]   交換  その男と初めて会ったのは、地方に出張して県の役人や私の省の地方事務所の連中との会合に出た時のことである。余り重要な話があるわけでもなく、どちらかと言えば形式的な打合わせに類する退屈な会合だったので、私は口の字形に並んでいるかなりの人数の県側の出席者の顔を念入りに眺《なが》めわたしてみる余裕があった。するといやでも真先に目についたのが末席に連なっていたその男(仮に悪尉《あくじよう》氏ということにしておく)であった。  何しろ一度見たら絶対に忘れられない醜悪な顔で、私は最初この男が理由あって悪尉か|※[#「病だれ+惡」]見《べしみ》の面でもつけてそこに坐《すわ》っているのかと思ったほどである。能面で言えば顰悪尉《しかみあくじよう》に近いという感じだろうか。しかしそれにもっと獣じみた醜陋《しゆうろう》さを加えた、とにかく二目と見られない顔で、世の中に醜男《ぶおとこ》というものはあるがこれほど人間離れのした顔の持主にはお目にかかったことがない。そう思いながら、ついその男にばかり目が行くのを相手も感知したのか、見られていることを意識した様子でこちらを見返したりする。そのうちに口の端に明らかに笑いを浮かべて私の視線に応《こた》えたようだった。  けれども今にして思えば、悪尉氏の方からもしきりに私を見ていたのは、自分で言うのも気が引けるが、要するに私が悪尉氏とは正反対に、男女を問わず人目を引かずにはおかないほどの容貌《ようぼう》に恵まれていたからだったに違いない。極端な醜男と美男とが、互いに相手をそれと意識して、太い視線で結ばれたのである。  そういうこともあって、その晩の接待の席で私はこの悪尉氏と盃《さかずき》のやりとりをして二言三言話もした。何を話したかまでは覚えていない。多分当たり障りのない世間話だったであろうが、面と向かって話してみると、悪尉氏は意外に人懐《ひとなつ》っこいところがあって、その顔さえ正視しなければ、別に不快な人物ではないことがわかった。頭も悪くなさそうだし、その醜怪な顔に似合わず性格にも暗さや異常なところは見受けられなかった。  それから二年ほど経《た》ってからのことである。ある日、勤務中に知らない人物から電話が掛かってきた。名乗られたが記憶にない。 「一昨年出張でこちらにいらっしゃった時にお目にかかりましたが」と相手は言う。それでも私が思い出せないでいるのを知ると、かすかに皮肉な笑いを含んだ声になって、「例の一目見たら忘れられないお化けみたいな顔の男ですよ」と言う。  私はたちまち思い出した。何よりもその顔を、である。  悪尉氏は今上京してきていること、私に会って報告と相談をしたい用件があること、これは公用だから本来なら役所の方に伺うべきだが、御承知の通り、この顔で現れると人騒がせで御迷惑かとも思うので、よかったら今夜にでもバーのようなところでお会いしたい、という。私は一瞬、悪尉氏を行きつけのバーに連れていくのはとても敵《かな》わない、と逃げ腰になりかけたが、バーは相手の方から指定してきた。その時悪尉氏は、「こんな顔ですが、女の子はかえって珍しがるもので、案外人気があるんですよ」と軽口を叩《たた》いた。その妙に馴《な》れ馴《な》れしい調子が一寸《ちよつと》気にはなったが、私は約束してその晩悪尉氏と会うことにした。  悪尉氏は私と会えたことがよほど嬉《うれ》しかったと見えて、上機嫌《じようきげん》で、飲みっぷりもなかなかのものだった。顔が顔だからそれまで年齢はよくわからなかったが、どうやら私よりはかなり上で、しかもちゃんと妻子もいるらしかった。 「この顔で、と思うでしょう」  そう言われて私が困った顔をしていると、若いホステスが、 「そんなことないわよ、猿《さる》のお面みたいで可愛《かわい》いわよ」と言いながら悪尉氏の顔を撫《な》でまわした。 「触ってごらんなさい。ほら、堅くて木でできたお面みたい」  そう言われてみると、悪尉氏の顔は肉がそのまま堅くなって赤黒い仮面の光沢を帯びるに至ったかのようである。  酔ったホステスは、「それに引きかえこちらさんはハンサム過ぎて憎らしい位」と言いながら今度は私の顔も撫でようとした。私は思わず迷惑そうな顔をした。端正過ぎる容貌に加えて、こういうところも私が案外女にもてない原因になっている。 「この顔で人並に妻子があるのも、実は」と悪尉氏は話し始めた。「私も最初からこんな顔をしていたわけではなかったからですよ。こう言ってはなんですが、私も昔はこの方に負けない位ハンサムだったんだ」 「まあ、気味が悪い」と女の子が肩をすくめた。 「実際、いささか気味が悪いほど端正な美男子だったんですよ。それがある日突然、こういう顔になった」 「怖い」と女の子が叫んだ。 「この話、聞きたくないか」 「怖そうだけど聞きたいわ」  悪尉氏の話というのは次のようなものだった。  ある時悪尉氏は夢を見た。夢の中に世にも醜悪な顔の男が現れた。男は悪尉氏に、お願いがあるが、その前に身の上話を聞いてもらいたい、と言ってこんな話をした。  ある時、この男は出張で県境の山村に出かけた。  仕事を済ませたあと、釣《つ》りをしてから帰ろうと思って渓流《けいりゆう》を遡《さかのぼ》っていくうちに、男はあたり一面血が燃え立つように彼岸花が群生しているところに出た。その中へ敢《あ》えて踏みこんでいくと、小さな洞穴《ほらあな》が見つかった。その奥は薄い膜を張ったようになっていて、向こう側から光が洩《も》れてくる。男は大胆にもその膜を押し破るようにして洞穴を進み、突然まぶしい光が氾濫《はんらん》する世界に出た。そこには昔風の立派な家が点在し、よく耕された田畑があり、果樹園には季節に無関係に桃、李《すもも》を始め、見たこともない果物が実り、犬や鶏の鳴く声がのどかに聞こえてくる。 「まるで桃花源の話のようですね」と私が言うと、悪尉氏もうなずいて、 「私もその時夢の中でそう思ったんですよ」と言った。「男が言うには、そこはどことなく地上の世界とは様子が違い、時間が止まっている別世界だった。子供の姿は見えず、何千年も生きてきたような人間ばかりだったそうですが、それが皆整った顔立ちの美男美女で、薄気味が悪いほどだったと言います」 「そこで何日か歓待を受けて、もとの世界に帰ってみると何年も経っていたというわけですか」 「そういうことはなかったようです。その男が言うには、歓待を受けて、いつまでもここで暮してはどうかと勧められたそうです。男もその気になりかけていたところ、ある日川のほとりに何やら仮面を裏返したようなものが何百となく干してあるのを見た。ひっくり返してみると、それは人間の顔だった。どれもこれも醜悪な顔で、しかもそれが生温かくて生きているような気がする。男は思わずぎゃっと叫んでその顔を放《ほう》り出すと、あとも見ずにその桃源郷から逃げ出してきたそうです。ところが、彼岸花の間で倒れているのを助けられた時に気がついたそうですが、いつのまにかその男の顔は、あの川べりに干してあったおぞましい顔の一つに変わっていたというのです」 「それがあなたの夢の中に出てきた男の話ですか」 「そうです。で、まだ続きがあるのでして、男は以上のような話をしてから、ところで物は相談だがこの顔をあなたの顔と取り替えてもらえないだろうか、と言うのです」  悪尉氏はまるで自分がその顔の交換を私に頼むような調子でそう言いながら、気のせいか、妙な薄笑いを浮かべて私の顔を物欲しそうに見るのだった。 「それでどうしたの」と女の子が訊《き》いた。 「勿論《もちろん》、断りましたよ。するとその日はそれでおとなしく帰ったのですが、それからは毎晩夢の中に現れて、顔を取り替えろと脅迫するのです。男が言うには、首尾よく顔を取り替えて立派な顔になったらあの桃源郷の住人になって暮らすことができるという。そんな自分勝手な話があるものか、それでは顔を取り替えられた私はどうなるのだ、と言うと、男は物凄《ものすご》い顔で笑って、それ位のことがわからないか、お前も顔のいい男を見つけて同じことをすればいいのだ、おれはお前が承知してもしなくても顔は取り替えるぞ、と言って姿を消しました。あくる朝、目が覚めると顔が腫《は》れぼったいような感じがする。そのまま起きていったら家内が卒倒しました。つまり、まんまと顔を取り替えられて、その時から私はこんな顔の持主になったのです」 「嘘《うそ》」と女の子は奇声をあげたが、顔はひきつっていた。私もこの時は悪尉氏がバーで女の子を怖がらせるつもりでこんな作り話をして聞かせたに違いないと思った。いや、そう思うことにしたのである。  それから二、三日経って、私は夢を見た。夢から醒《さ》めた時、恐怖の余り、それだけでも自分の顔が一変するか髪の毛が真白になるかしたのではないかと思った。夢の中にあの悪尉氏が現れたのである。 「もう用件は申し上げるまでもなくおわかりのことかと思いますが、私は初めてお会いした時からあなたのお顔が気に入ったのです。その後、いろいろ物色しましたが、やはり取り替えるならあなたのお顔を措《お》いてはない。今すぐにとは申しませんが、また日を改めて参ります。観念して交換に応じていただきたいものです。しばらくは不自由なさるかもしれませんが、この間も申し上げたように、あなたも私と同じようにしかるべき次の相手を見つけて取り替えればいいのです。では何分よろしく」  そう言って物凄い顔でにやりと笑うと悪尉氏は帰っていった。悪尉氏は今夜にでもまたやってくるかもしれない。私は言われたように観念した。そして早目に交換の相手を探すことにしている。 [#改ページ]   瓶《びん》の中の恋人たち 「やはり見えるのは春と夏か。登州《とうしゆう》の父老とやらも確かそんなことを言っていた」 「蘇東坡《そとうば》でしょう。『海市《かいし》 并《なら》びに叙《じよ》』。私もあれは好きなの」 「蘇軾《そしよく》が知事に任ぜられて行ったのは登州だろう。登州付近の渤海湾《ぼつかいわん》の海中、廟島群島《びようとうぐんとう》のあたりが蜃気楼《しんきろう》の名所だそうだ。蘇軾が着任早々見に出かけたのが年の暮に近い冬のことだったから、土地の古老に、多分見えまいと言われた」 「ところが翌日見えたんでしょう」 「海神広徳王の廟とやらにお参りして祈ったおかげでね」 「私たちも龍王《りゆうおう》にお祈りしてみようかしら」 「それより、その登州にでも行ってみたいね。最後の地としてはいいかもしれない。群仙《ぐんせん》出没するような蜃気楼の中へはいって幻と化す。僕《ぼく》たちにはふさわしい最期《さいご》だね」 「でも、蜃気楼の中にはいってこちらの世界を見たら、どんな風に見えるのかしら。きっとゆらゆらと空中に浮かぶ蜃気楼のように見えるに違いないわ。実を言うと、まわりの世界がもうそんな風に見えているの」  私たちは海に面した窓を開けて季節外れの潮風に顔をさらしながらそんな話をした。どんな話になっても私たちは一つの皿《さら》からスープを飲んでいるような具合で、一方だけが知っていて他方が知らないということがない。  窓を閉めると濃い空気に満たされた繭《まゆ》の中を思わせる密室ができあがる。波の音は聞こえなくなった。 「こうしていると、何十年も連れ添った夫婦みたい」 「少なくとも二十何年かは連れ添ってきたようなものだからね。玩具《おもちや》も絵本もレコードも学校も、共通で共有で、話すことはお互いに勝手の知れたことばかりで、古い蔵の中からどんながらくたを出してきても、ああ、あれか、というわけだ」 「仕方がないじゃないの、生まれる前から一緒だったんだから」 「問題は、あの時も一緒でいられるかどうかということだ」 「怖いのね」 「いくら考えても一緒でいられるという証明が見つからない。君は怖くないの」 「勿論《もちろん》怖いわ。本物の別れって、どんなことかしら」 「それがつまり死ぬということだよ」  昔は死んであの世で一緒になるという考え方があった。なんとも気楽な情熱だと思う。世間がどんなに邪魔をしても、あの世に逃げこんでしまえば追手はやってこない。借金取りに追われて蒸発する種類の人間と根本は同じではないかという気がしてくる。私たちの場合は世間が邪魔をしているわけではない。二人で繭を作って閉じこもってしまえば、世間の方が幻になる。世間の目を欺《あざむ》いているとさえ言えない。あちらからはこちらが見えない。見えない幽霊同士が何をしようと、それは存在しない者同士の存在しない戯《たわむ》れにすぎないのだから。  窓の外が暗くなった。また海の音が聞こえてくるのに気づいた。 「本当に見られていないのかな」 「ここが明るくて外は暗い。真黒な、空一杯の大きな瞳《ひとみ》がこちらを覗《のぞ》きこんでいるのではないか、という感じでしょう。らんらんと光る闇《やみ》の目が監視している」 「それなら簡単なことさ。瞼《まぶた》を下ろすことにしよう」  私たちはカーテンを引いた。 「では、戯れることにしましょう」と私はふざけた調子で言った。  翌日宿を出たのは昼過ぎだった。風のない小春日和《こはるびより》で、鈍い陽射《ひざ》しが低い空と海の間を粉のように満たしている。蜃気楼がよく見えるという岬《みさき》の近くまで車で行って、岩の間の狭い浜に下りた。昨日の店に入ってガラス越しに海と空を眺《なが》めながら食事をした。 「ちゃんとお祈りはしたかい」 「したわ。今に『重楼翠阜《ちようろうすいふ》』が忽然《こつぜん》と現れます」  そんなことを言っていると、店にいた十数人の客たちが立ち上がって騒ぎだした。 「お客さん、出ましたよ」と店の主人が叫ぶ。 「なるほど。これは驚いた」  海市を初めて見ることよりも、蘇軾の詩と符合する成行きに驚いたのである。他の客は外へ出ていったが、私たちは窓際《まどぎわ》の席にそのまま坐《すわ》っていた。夏の暑い日の、街も空もかげろうにゆらめく時に、トラックの群れが崩れかけた幻のように坂の上に現れる、その様子に似ている。 「海市というだけあって、街がせり上がってきたみたいね」 「なんとも圧倒的ないかがわしさがあって、感動してしまう」 「失礼だけど、お客さんはタレントさん?」と女主人が尋ねた。 「今頃《いまごろ》こんなところへ蜃気楼を見にくるほど暇なタレントはいませんよ」 「お二人ともあんまり器量よしで垢抜《あかぬ》けがしてるもんだからね」 「新婚さんでもなさそうだし」  笑って答えずに、食事を済ませて浜に出た。 「あ、あの蜃気楼、ちょっと変じゃない」 「もともと蜃気楼って変なものだ」 「今度は大きな瓶のようなものが見えるわ」 「ほんとだ。コーラの瓶がねそべっている。珍しい蜃気楼だね。コマーシャルのつもりかな」 「瓶の中をよく御覧なさい、人の影みたいなものが動いてるでしょう」 「人の形に見えるね。月の中では兎《うさぎ》が餅搗《もちつ》きをしている。瓶の中の人は何をしているのか」 「二人いるのよ。抱き合ってるんじゃないかしら」 「そう言われるとそうも見える」 「昔、と言っても十年ほど前のことかしら、ちょっといい歌があったわ」と私は奇妙な蜃気楼を見ながら言った。「女が一人で車を飛ばして季節外れの海岸へ行くの。そこで打ち上げられたコーラの瓶を見つける。中にはさよならと書いた男の子の写真が封じこまれている。そこで女は、昔の自分に似た無口な少女が、去っていった少年の写真を引き裂くことができなくて瓶に入れて海に流したのだろうと想像する……」 「その女が想像するのは勝手だが、少々不気味なことになってきた。コーラの瓶がだんだんこちらに近づいてくる」  それは実に不思議な光景だった。蜃気楼のコーラの瓶が次第に凝縮して鮮明な輪郭を得て、実体のある物体に変わりながら、波の頂上に乗って近づいてくる。そして幻の波が崩れたかと思うと、波打ち際に本物のコーラの瓶がころがっているのに気がついた。 「歌の文句と同じことになってきたね」 「行って中を調べてみる? 男の子の写真がはいっているかもしれない」 「いや、もっと面白《おもしろ》いものがはいっているよ」  瓶は今打ち上げられたばかりでまだ濡《ぬ》れていた。写真ははいっていない。 「何もはいってないでしょう」 「よく見てごらん」 「やっぱり、ね」とつぶやきながら私は血の気が引いていくのを覚えた。中には小指よりも小さい人の形をした生きものが閉じこめられていたのである。裸の少年と少女が瓶の中で抱きあっている。 「生きているのかしら」 「生きているということの定義にもよるさ。とにかく、動いてはいる」 「私たちと同じ境遇なのね。この恋人たちにとっては瓶の外の世界は存在しない。中からは私たちの顔も見えないでしょうね」 「見えたら、巨大な神の顔でも見たように仰天するだろうな」 「どうする?」 「海に流してやろう」 「私は持って帰りたい。最後はどうなるのか、見てみたい」 「いつまでも少年と少女のままで抱き合っているだけだ」 「瓶を割って外へ出したらどうなるの」 「どうなるか……多分死ぬだろう」 「顔も体も玉《ぎよく》か象牙《ぞうげ》に細工したみたいに綺麗《きれい》ね。それにきょうだいのようによく似ている」 「きょうだいだろうね、僕たちと同じに」 「このまま海に返してやりましょう。さっきの歌の文句でもそうなっていたわ」  その二日後、旅の目的を達することができないまま帰途について、蜃気楼を見た海岸を通りかかると、車を泊めて海に下りていく野次馬が目についた。 「また蜃気楼かな」 「何か事故でしょう。警官が立ってるわ」  二人で車を下りて若い警官に近づいていくと、警官は顔をしかめて手を振った。 「見ない方がいいですよ。水死体です。男の子と女の子の、それもひどい腐乱死体だ」 「抱き合っていたんでしょう」と思わず私は言った。  警官はけげんそうな顔をしたが、 「心中らしい。まだ若いのに」とつぶやきながら幅の広い背中を向けて浜へ下りていった。 「あなたが瓶を投げた時、蓋《ふた》がとれるか瓶が割れるかしたのかしら」 「いずれにしても、僕たちは腐乱死体になるのは止《や》めよう」  海市は見えない。風が冷たい。海はどこまでも青く、磨《みが》きたてた青銅の鏡の色をしていた。 [#改ページ]   月の都  私は月に行ったことがある。と言っても私は宇宙飛行士でも科学者でもなくて平凡な国文学者であって、月は月でも花鳥風月の月、「月見れば千々《ちぢ》に物こそ悲しけれ」の月には縁があるけれども、あの水も空気もない、あばただらけの岩石の塊を探査する仕事などとはおよそ無縁の人間である。それが月へ行ってきたという話であるから、余りにも荒唐無稽《こうとうむけい》で、人は一片の信憑性《しんぴようせい》も認めてくれないにちがいない。何か悪い夢でも見たのだろう、いや本当は頭がおかしいのだ、ということで片づけられるのが関の山である。それはよく承知しているつもりで、私自身、こういうことを天下に公表して万人の承認を得たいとは思わない。仮に一笑に付されたところで、私が経験したことの確実性が脆《もろ》くも崩れ去ってしまうわけではないから何らの痛痒《つうよう》も感じない。しかし笑殺されることを恐れて腹に収めたままでいると精神衛生上好ましからぬ効果を生じる。  この話は一に呉氏という人物の実在と正体をいかにして信じてもらうかにかかっている。多分信じてはもらえないだろうが、呉氏は実は道士である。俗にいう仙人《せんにん》である。その名からわかるように、呉氏は中国から来た人で、生年は不詳、訊《き》いても笑って答えず、ある時冗談めかして、 「後漢の西河郡の生まれ、ということにでもしておきましょうか。まあ何しろ古いことで記憶がさだかでありませんな」などと言ったことがある。 「それでは千九百歳に垂《なんな》んとするわけですね」 「そういう勘定になりますかな」と呉氏は無間断《むかんだん》の微笑を浮かべている。  要するに本当の年齢はわからない。相当の年だとは思うが、肌《はだ》は幼児のように柔らかでつやがあり、銀髪だけが高齢のしるしである。そんなわけで、経歴の方もまた不詳、ただし過去に起こったことは実によく知っている。某大学で中国史を教えている。これは本当のことである。その呉氏と飲み友達《ともだち》の仲になったのは先年中国を旅行した時のことで、ある調査団の一員で来ていた呉氏と偶然|北京《ペキン》の飯店で知り合ってからのことである。  今年、中秋の名月を見ながら一献《いつこん》差し上げたいということで呉氏を招いた。呉氏は喜んで吟醸の銘酒を手に現れた。酒を汲《く》みながら月にちなんだ和漢の詩歌の話になったのは当然の成行きだったが、やがて話題は月に関する中国の伝説に及んだ。 「大体、シナでは月にいるのは蟾蜍《せんじよ》、つまりひきがえるということになっている。|※[#「譫のつくり」]諸《せんしよ》とも言います。このひきがえるが月を食うから月は蝕《しよく》される。御承知のようにこの蟾蜍が嫦娥《じようが》だという説がある」 「弓の名人の|※[#「羽/廾」]《げい》の女房《にようぼう》ですね。|※[#「羽/廾」]《げい》が折角西王母からもらってきた不老不死の薬を自分だけ勝手に飲んで月へ出奔した女でしょう。太陽をいくつも射落としたという|※[#「羽/廾」]《げい》がなぜ不埒《ふらち》な女もろとも月を射落とさなかったんだろう」 「太陽はただの火の玉ですが、月は霊的な天体だからでしょう。それはともかく、嫦娥はまんまと月に逃げたが、疲労|困憊《こんぱい》して蟾蜍になったというのでは面白《おもしろ》くない。だから月の女神、広寒宮の主になったという説もある。そして広寒宮つまり月宮殿ですが、ここの庭になぜか高さ五百丈の桂《かつら》の木がある。これにもまた説があって、須弥山《しゆみせん》の南面に、高さ四千里、枝は二千里に映ずという閻扶樹《えんふじゆ》があり、月が通過する時この影が月に現れるのだとも言います。しかしここはやはり月桂があることにした方がいい。この月桂を一人の男が斫《き》り倒そうとしている。ところが木には霊力があって、斫るそばから切り口がふさがってしまう」 「まるでギリシア神話のシーシュポスの話みたいですね」 「この男も何かよからぬことをして、その罰にシーシュポス的苦役を課されているわけです。名は呉剛、私と同姓でしかも同じ後漢の西河郡の人です」と呉氏はにやにや笑った。「この男、面白い奴《やつ》で、李商隠も呉剛のことを材料にして詩を書いています。これは『全唐詩』にはいっていますが」 「ところで、その月宮殿まで人間が行ったという話がありましたね」と言って、私は玄宗皇帝と楊貴妃《ようきひ》を主人公にした『長生殿』のことを持ち出した。 「ああ、あの話ですか。『長生殿』の中ではまず楊貴妃が夢で月へ行って天女が舞っている霓裳羽衣《げいしよううい》の曲を聞いて帰り、目が覚めてからそれを譜に書きとめたとなっていますね。実はあれは本当に行ったのです。魂が現場に出かけて実際に行なわれていることを見聞してきたんです」と話はいささか眉唾《まゆつば》臭くなった。 「のちに貴妃を喪《うしな》ってから、今度は玄宗が月へ行きます。これは身体《からだ》ごと行った。貴妃の亡骸《なきがら》を改葬しようとすると、見当たらない。ある道士に命じて捜させると、貴妃の霊魂は蓬莱山《ほうらいさん》に住んでいることが判明した。そこで中秋の夜月宮で会おうという貴妃からの伝言に従って、玄宗は仙橋を渡って月に至る。これでめでたしめでたしとなるんですがね」 「なるほど。で、まだ裏の話でもあるんですか」 「大したことではありませんが」と呉氏は相変わらず微笑を絶やさぬ顔で言った。「玄宗は安禄山《あんろくざん》の乱の時に死んだ楊貴妃のことを終生思いつづけるほど純情な男ではなかった。この世の悲惨と無情を見て、ある種のニヒリストになっていたようですな。それで、月宮殿に行ったのも貴妃に会いたくて行ったのではなくて、ある道士にそそのかされて退屈しのぎに出掛けたのです。これは羅公遠《らこうえん》という道士で、私の後輩ですが、かなりの術を心得ていた。例えば、もっていた杖《つえ》を投げると、空中で銀の仙橋となる。玄宗と羅はそれを渡って月へ行ったというわけです」  ここまで話した時、呉氏は悪戯《いたずら》っぽい笑みを浮かべて私の顔を窺《うかが》った。 「どうですか、先生も一度行って御覧になりませんか。私が御案内致しますよ」 「それは面白そうですね」  かなり酩酊《めいてい》していた私は簡単にこの冗談に応じた。その上、月世界は広寒宮という位で寒そうだから防寒の用意をしてこようとも言った。 「それは無用ですよ」と呉氏は真顔で止めた。「確かにあそこは寒いところです。しかしそれは着物を重ねたところでどうにもならない寒さで、またそのために凍傷を起こすというものでもないのです。とにかくこのまま早速出掛けましょう。ただし私は羅のように先生に橋を渡らせるという気の利《き》かないやり方はしません」 「月ロケットで行くんですか」 「お望みとあればそれでも結構ですが」と呉氏は悠然《ゆうぜん》とした調子で言う。「もっとお手軽に行きましょう。月をここまで呼べばいいのです」  そして呉氏は月に向かって呪文《じゆもん》を唱えるというでもなく、タクシーでも呼ぶように何やら一言発した。するとたちまち信じがたい異変が起こった。皓々《こうこう》として中天にかかっていた月がにわかに膨脹し始めた。つまり呉氏が言うように、月は呼ばれて駆け寄ってくる犬の如《ごと》き忠実さで、私たちに近づいてきたのである。それは何とも恐るべき見物《みもの》であった。あの科学雑誌の写真で見る通りのクレーターをもった月の表面が、息をつく暇もない速度で目の前に拡大し、どんな建物よりもどんな山よりも大きくなり、空一杯に広がり、目も眩《くら》む明るさで圧倒してきた。私はこのまま発狂するのかと思った。目近《まぢか》に見る月は、白々とした異常な明るさにもかかわらず、何か得体の知れない動物のぶよぶよした皮膚でも見るような、耐えがたい醜悪さと紙一重の存在だった。 「気分がお悪いようならしばらく目を閉じていらっしゃった方がいいですよ」  そんな呉氏の注意が耳にはいる間もなく私は気が遠くなっていた。気がつくと私は月の中にいた。これでもう完全に狂気の世界にはいってしまったのだと思いかけた時、かたわらに立っている呉氏が、相変わらずの悠然たる調子で、「いかがですかな」と話しかけてきた。 「寒いですね。この寒さは尋常一様のものではない。月光を浴びて気がふれたのか、死の世界に迷いこんだのか、とにかく冷え冷えとして何もない。聞きしにまさる荒涼たる風景ですね」 「写真で見る通りの風景ですよ。しかし裏側に回ると広寒宮があります。ちょいと月を回してみましょう。ほらね」呉氏が言うよりも早く、目の前には氷でできたような蒼白《あおじろ》い月宮殿が現れた。それは文字通り忽然《こつぜん》として、何もない月面に蜃気楼《しんきろう》の如く出現したのである。 「私に催眠術をかけているんじゃないでしょうね」 「勿論《もちろん》違いますよ。これは現実のものです。見ているだけではつまらないでしょうから、行って天人の歓待を受けることにしましょう。まあ、今|流行《はや》りの何とかパーティとは比較にならない経験ができますよ」  広寒宮にはいっていくと、月の女神アルテミスならぬ嫦娥らしい女主人がいて出迎えてくれた。天人の羽衣《はごろも》というのか、肌の透けて見える衣をまとっているが、どことなく絵で見る昔の中国の美女に似ている。数多《あまた》の天女たちが広間に控えていた。  それからあとのことは筆舌に尽しがたい。私たちが(と言っても道士の呉氏が私と同じことをしたかどうかはわからないが)いわゆる歓を尽したことだけは確かである。それはまた、いささかも肉体的な疲労を伴わぬ快楽であった。  そして夜が明けた。月の世界で夜が明けるとはどういうことかと言えば、要するにこの世のものとは思えないあの白銀の光が消えて、月面のあばたを照らす黄色い太陽の光がとって代わることである。 「そろそろ地上へ帰りますか」と呉氏が言った。 「いつまでもここにいたいとは思いませんね。この空《むな》しさは大変なものです。また夜が来て歓を尽すまでどうやって生きていればいいのか」 「同感です。それで私も月桂を斫るのを止《や》めたくて、ある時月に上ってきた玄宗を掴《つか》まえて私の身代わりにしたのです。下界に降りていってまもなく玄宗として死んだことになっているのは実はこの私、呉剛ですが、玄宗はあちらでまだ斫れない木を斫っています。見に行きますか」  私は呆然《ぼうぜん》として首を振った。どこからか斧《おの》を打ちこむ音が空しく規則正しく響いてくる。  気がつくとすでに夜は明けて、私たちは月見の縁側に戻《もど》っていた。  帰りがけに呉氏が言った。 「そう言えば家隆か誰《だれ》かに月の都のことを詠《よ》んだいい歌がありましたね」 「ああ、ありました。今の気分がまさにその歌の通りです」と言ってから私はその歌をつぶやいた。 「ながめつつ思ふもさびしひさかたの月の都の明け方の空」 [#改ページ]   カニバリスト夫妻  テレビの俗悪化を許すな、と評論家の先生方はおっしゃるが、サバイバルのためのTVウォーはますます熾烈《しれつ》で、そんな綺麗事《きれいごと》など言ってはいられない。それでわが局では土曜の夜十一時から「タブーに挑戦《ちようせん》! おもろい夫婦 ハチャメチャ夫婦」という、タイトルを聞いただけでも目茶苦茶、破れかぶれみたいな番組で特攻作戦に出たわけである。「この番組はあらゆるタブーを敢然と、かつ平然と無視する。タブーは今や爆破されるためにある。われわれは仮借なきサクリレッジを通じてタブーに覆《おお》われた現代を記号論的に解読する」といった支離滅裂な宣言をしたのち、この番組には問題の夫婦が毎回一組登場する。関西の某評論家P氏を司会者、人気女子大生タレントQ子をアシスタント、某一流大学助教授の若手の文化人類学者をコメンテイターにして、全員がわざとこむずかしい言葉を連発しながらこの上なくえげつない話題をめぐって一種の高級|猥談《わいだん》を展開するというスタイルが意外にも受けて、学生や二十代、三十代の夫婦の間で評判が高く、逆に「識者」や国会議員の先生方と宗教筋にはいたって評判が悪い。文部大臣は国辱番組だとどこかで発言したという。この種の非難に対してうちの番組編成局長は、いけしゃあしゃあと、これは一切の偏見に囚《とら》われずに奇怪な現実に立ち向かう新しいタイプの教養番組だと弁明している。そんなことはどうでもいいが、とにかくこの番組の悪名は高まる一方で、ということは、何を隠そう、製作担当のぼくにしてみれば最高の勲章なのだ。  実を言うと、「タブーに挑戦!」なんて羊頭狗肉《ようとうくにく》もいいところで、そこは抜け目なく頭を使っている。まず明白に刑法にふれるような問題には手を出さない。それから、これは当然のことだが、本物の恐ろしいタブーにも手を出さない。それにふれようものならたちまち生きた肉体的・集団的圧力がぼくたちの身に及ぶような種類の問題が今のところこの国では指折り数えて五つ足らずある。その種の問題には、絶対に近づかないことにしている。これは番組に登場する夫婦を見てもわかることである。これまでに出てきたのは、例えば、スウィンガーの夫婦、強姦《ごうかん》の加害者と被害者とが結ばれた夫婦、といった他愛《たわい》ないものから、『ロリータ』の話を実践したもと義父と娘の夫婦、異母兄妹の夫婦、「甦《よみがえ》るギリシア神話の世界 実の母と結婚した息子」、「ホモだち」夫婦等々、まあいい加減なところでお茶を濁しているにすぎない。ネタはなんでもいい。つけて揚げるコロモの方が大切だ。人類学者の先生始め、なかなかのタレント揃《ぞろ》いだから、下らなさの極致を這《は》いまわりながら、話は妙に高級そうで、人を食っていて、要するにこれが面白《おもしろ》いらしいのだ。  ところが、半年ほど経《た》った頃《ころ》、ちょいと毛色の変わった夫婦がこの番組に出ることになった。夫婦揃ってカニバリスト(食人者)だというふれこみである。 「いいじゃないの。ポリガミストなんかよりカニバリストの方が面白い。本当はここでフランスから帰国したかのSクンをゲストに呼びたい位だ」と司会のP氏が言った。 「それはそうですが、ヤバイですよ。Sクンについてはさる筋から通達が来てるの、御存じでしょう」 「わかってるさ。その代わり、今度の夫婦にはお揃いで現物をここで食べてもらおう」 「かなり過激ですね」と人類学者が言った。 「え? 食べるんですか。私たちも食べるんですか」とアシスタントのQ子がすっとんきょうな声を上げたので、ぼくは半ばやけくそで、 「Q子ちゃんもプロならこの際|頑張《がんば》らないとね」と脅かした。「材料は叔父のところから調達できそうだ。産婦人科だから」  勿論《もちろん》叔父|云々《うんぬん》は冗談だ。 「嘘《うそ》。ほんとは豚か何かでやるんでしょう」 「カニバリスト御夫婦はQ子のお尻《しり》の肉を所望するかもしれないぜ」  おわかりかと思うが、テレビの方では本当にヤバイ橋だけは渡らない代わりに、どんなインチキな橋でも渡ってみせるのである。これまでにも、登場した夫婦の中にはこちらが筋書き通りにやらせた偽者《にせもの》が幾組か混っていることは言うまでもない。問題はそれらしく演じてくれる才能の持主を探してくることだ。食人|嗜好《しこう》の夫婦の話は人類学者の線からはいってきた。この若手の学者はむずかしそうな言葉をばらまく割には根が軽薄で、芸能界やアブノーマルの世界にも顔が広く、面白そうな出演者は大体この男が見つけてくる。連中こそ現代文明が生みだした珍人類の貴重なインフォーマントだというわけだ。  問題のカニバリストK氏夫妻と初めて会った時、ぼくたちは何よりも二人の異様なまでの美男美女ぶりに絶句した。特に夫人の方は狐《きつね》が化けたのではないかと思うほど美しい上に、十八世紀頃の貴婦人の概念が薔薇色《ばらいろ》のサングラスをかけて今に甦ったと言いたいほど優雅で上品である。K氏の方は、昔|挿絵入《さしえい》りの本で読んだルパン全集の、そのルパンの絵にどこか似ている。おまけにビデオ撮りの時には、素顔をさらすのは憚《はばか》られるから(もっともな話だ)若干の変装を許してもらいたいということで、髭《ひげ》(ムスターシュ)をつけ、モノクルをはめて芝居がかったところは美男の怪盗アルセーヌ・ルパンそのものだった。夫人は濃いサングラスにブロンドの鬘《かつら》をかぶった。何しろこの夫妻の場合は、カニバリズムという、もし本当ならただでは済まない体験の所有者だとあって、万事ミスティフィケーションが多く、最初からK氏夫妻のペースで話が進み、その素性も、フランス在住の富豪(パリから遠からぬさるシャトーの持主であるという)にして美術研究家、食通、そしてカニバリストという程度しか明らかにしないまま、番組に出演することが決まった。 「人間は何人位召し上がりましたか」  当日司会者のP氏が開口一番尋ねると、 「数は大したことはありません」とK氏が物静かに答えた。 「私たちが一緒になってからですと十八人位かしら」 「正確には十七・五人です。胎児は半人分という勘定ですから」  K氏夫妻の話し方は、昔の華族にあったような、平静で典雅で浮世離れのした調子である。 「私たちは正真正銘の食人習慣をもつガスタトリー・エクソカニバリスト(食通的外食人者)ですから、Sクンとは違って脳からアキレス腱《けん》まで食べつくすのです。一人を完全に賞味するのには普通二週間を要します」 「どんな料理法で召しあがるんですか」 「フランス、中国その他各国の肉料理とまったく同じですわ。私たちは袁枚《えんばい》の『随園食単《ずいえんしよくたん》』とかポール・ボキューズの『ラ・キュイジーヌ・デュ・マルシェ』とかに倣《なら》って人肉料理のレパートリーをまとめたものを用意しております」  そう言って夫人は自家出版らしいカラー写真入り豪華本をカメラの前に広げて見せた。 「材料についてお伺いしますが」と司会のP氏もいつになく神妙になっている。「食通としてはまず材料の方をよほど吟味なさるんでしょう」 「自分なりの好みや注文は多少あります。例えば、できるなら美男または美女であること、肌《はだ》が綺麗であること、勿論年寄は論外で、若い方がいい。若くて綺麗な肌をしている人は、見た目がいいだけではなくて、実際に肉の質がよくて味もよろしい。内臓の味は健康な人間が断然優れている。例えば肝硬変になってしまった肝臓や癌《がん》などは普通の味覚の持主ではやはりいただけませんな。もっともこういうものに無上の珍味を見出《みいだ》すという悪食《あくじき》的嗜好の世界もありますが、今回はそれには立ち入らないことにしましょう」 「あの、なぜ美男美女がいいんですか」 「食人の場合は肉を食べるだけでなくて大脳でイメージを食べることがとても大切ですの」と夫人が答えた。 「それはわかるな。どこの馬の骨だかわからない人間やむさくるしい中年男を食べるのと、ああこれがQ子のおっぱいだと思いながら食べるのとでは大違いなんだ」  ここで人類学者が想像力の消化酵素|分泌作用《ぶんぴつさよう》と人間の消費(消化・同化)としてのカニバリズムの記号論的意味といったおしゃべりをひとしきり繰り広げてみせたが、いつもの生彩がない。K氏夫妻は傾聴しているふりはしていたけれども、その道の実践を積んだ人間が学者の観念論に対する時の、ひそかな軽蔑《けいべつ》の色が見えたように、少なくともぼくには思われた。  Q子がいつもの調子で、どんな人種が旨《うま》かったか、男と女ではどちらが旨いか、といった愚問を連発すると、夫妻はこれには軽蔑の気配も見せずに懇切丁寧に答えた。司会のP氏は最後に核心にふれる質問をした。 「先程マルシェのキュイジーヌということが出ましたが、この食人道にとってもいい材料を吟味して手に入れることがすべての出発点ですね。この問題はどうやって解決していらっしゃいますか。まさかマルシェ(市場)で買ってくるというわけにもいかない……」 「おっしゃる通りですな。抽象的な言い方で勘弁していただくほかないのですが、私どもの材料の仕入れに関しては、闇《やみ》の世界に属するマルシェに当たるものがあります。私どもはソーニー・ビーンのような山賊兼殺人者ではありません。しかるべきところから金を払って手に入れると申し上げておきましょう。ただし、モノはあらかじめこの目で見て十分吟味します。勿論生きている間に、ですが」  このあとK氏夫妻は、自分たちの最後の楽しみは、生き残った方が先に死んだ方を賞味することだと言っておだやかな微笑を浮かべ、互いに顔を見合わせたが、これは芝居がかったところがないだけにかえって何とも薄気味悪いものだった。大体この二人は、双子の兄妹か共犯者かという感じで終始息の合った芝居をしているようでいて実は淡々と経験を語り蘊蓄《うんちく》を傾けていたにすぎないような気もする。途中でそれらしきものを食べてみせるような悪趣味なことは無論やらなかったし、この番組のいつもの調子とはまるで違って静かにしかも具体的にグルマンディーズについて語り合ったという印象である。そこがあとになってみるとますます薄気味悪いのだった。友人たちの反応は、「面白かった。しかし妙に怖かったな。ヤラセだとしたらあの二人は大したタレントだぜ。どういう人物だ、あれは」といったもので、ぼくはそれにはノーコメントで通した。  それから半年ほど経って、Q子がヨーロッパへ遊びに出かけ、パリで失踪《しつそう》した。テレビ、週刊誌以下、大変な騒動になったが、いまだに行方が知れないことは御承知の通りだ。ここだけの話だけれど、Q子の行方はぼくとあの番組の関係者だけが知っている。Q子はもう生きていない。と言って土に帰ったのでもない。ある意味では依然として生きていると言えるのかもしれない。消化されて再生して……。  ぼくのところにパリから航空便である品物が届いているのだ。それは透明なプラスティックの立方体に封入されたオブジェで、珊瑚《さんご》とか貝殻《かいがら》とかを飾る趣味のある人ならあるいはお気に召すかもしれない。そのものには完璧《かんぺき》な防腐措置と変質を防ぐ措置がとられているらしく、いつまでも変わらず、まるで生きているように、そして花のように美しい。あのスピッツみたいに騒々しいQ子の手がこんなに優雅だとは日頃気がつかなかった。それは切断された手首のところを白いレースで包まれて、親指を軽く掌《てのひら》につけた形で咲いた百合《ゆり》の花、といったところである。中指にはQ子がいつもしていたルビーの指輪が光っている。  これにはK氏の手紙が添えられていた。「Q子さんを賞味させていただきました。大変魅力的なお嬢さんで、大脳の方の満足は最高でした。肉そのものの味は上の中といったところでしょうか」  以下K氏の報告は詳細をきわめるが、これだけはここに再録するわけにはいかない。 [#改ページ]   夕顔  松平君と会うのは久しぶりのことで、それも二人だけで飲むのはここ数年絶えてなかったことである。 「こんな店に来ると政治家か財界人にでもなったようだ。よほど重大な話があるらしい」 「まあね、ということにしておこう。そういう連中と話をするのに最近は時々使っているんだ」と松平君は言ったが、別に自慢の口吻《くちぶり》でもなく、いつもと違ってむしろ鬱々《うつうつ》として気持が弾まない様子が見えた。  商売|柄《がら》人の健康状態は気になるので、それとなく観察したところ、例の質《たち》の悪いものが増殖しているのであればともかく、まだ成人病を抱えこむ年ではないし、よく活動し、よく遊んで体も十分動かしているはずだから、とりたてて故障があるとは見えない。 「何か水入らずで話したいことがあるそうだが、水入らずなら美那子さんあたりと差し向かいになった方がいいじゃないか」とからかうと、松平君は真面目《まじめ》な顔で、 「それができない。実は話というのが彼女のことなんだ」と言う。  私もとりあえず真面目な顔をした。とは言うものの内心は興味|津々《しんしん》で、このところ週刊誌を騒がせている「若手財界人でニューメディアの旗手」こと松平君と「科学評論家兼ミュージシャンのスーパー美女」と言われる森美那子さんの「世紀の恋」の実情を当事者の口から直接聞く機会にめぐり会って、好奇心がにわかにふくれあがるのを覚えていた。 「われわれ以外にも耳があるが、大丈夫かい」  私が料理を運んでくるだけでさがっていく女中たちを一応気にすると、松平君の方はこういう店の人間は口が堅いから、と言いながらも、言葉を選び、適当に抽象的な表現を混ぜて話を進めた。殊更《ことさら》平静な調子で話すので、聞きようによっては陰々滅々たる怪談を肴《さかな》に酒を酌《く》みかわしているのかと思われたかもしれない。そのことを言うと松平君もうなずいて、 「なるほど、そう言えばこれは立派に怪談だな。時に君は霊魂の存在を信じるかね。いや正確に言えば生霊《いきりよう》というやつだな」 「医者に向かって大胆不敵な質問を発するね」と私は笑った。「その生霊の存在を認めなければ話が進まないということなら、仮に信じることにして出発してもらってもいいがね」 「その必要はない。しかしどこから出発しても結論はどうせ同じことになる。生霊は存在する。それも美那子の生霊がだ」  そう言って松平君は荒唐無稽《こうとうむけい》な結論を先に投げ出してから話を始めた。 「実はこの夏ある女性を死なせたんだ」 「どういうことだ」 「あやうくスキャンダルになるところだった」 「まさか殺したんじゃないだろうね」 「勿論《もちろん》だよ。軽井沢でその女性と一夜を過ごした時に、相手が急死した」 「それは困っただろうね。死因は何だった」 「医者に向かってこんなことを言うのもなんだが、原因不明で急死したとなれば、急性心不全という便利な言葉があるさ。本当は夕顔に殺されたんだ。で、その夕顔を操っていたのが美那子の生霊だった。むしろそこにやってきて夕顔に化けてとり殺したと言うべきだな」 「まるで一昔前の怪談話を聞いているみたいだ」 「だからこれは正真正銘の怪談なのさ」  松平君の説明によると、この夏経営者のセミナーの講師で軽井沢に出掛けた時、よくあることらしいが、一夏限りの浮気《うわき》をしたというのだった。「ラブ・アフェア」と松平君は英語を使ったが、本人はこれを真面目だが一時的な恋という意味に解しているらしい。しかしそれが要するに浮気ということになるのは、松平君には夫人がいるからであり、次に現在の愛が美那子さんに向けられているとして、それならこの「アフェア」は美那子さんから見ても浮気になるからである。現に美那子さんは、松平君がもっともらしい口実を設けてこの夏の約束をすっぽかした上、若い浮気の相手と軽井沢にいることを偶然知って、いたく自尊心を傷つけられた様子だった。ということは松平君自身も認めている。 「美那子はあれで想像を絶するほど気位の高い女でね」 「奥さんだってそうだろう」と思わず私は痛いことを言った。 「そちらの方はその高い気位に見合うことをしてやって、いずれ離婚に持ちこむさ。美那子の場合は時々恐ろしくなる。何しろ嫉妬《しつと》という劣情を絶対に見せないところが人間離れしていて恐ろしい。彼女への手紙ではいつも『貴女《あなた》』と書く。『貴方《あなた》』の間違いではない。これは高貴な女という意味でそう書くのだ」 「つまり美那子さんは六条|御息所《みやすどころ》のような女性だというわけか」 「鋭いことを言うね。実はその通りなんだ」 「依然としてケリがついてない離婚のこともあるのに今度のアフェアか。君は美那子さんの自尊心に下ろし金をかけるようなことをしているわけだ」  しかし松平君はほとんど上《うわ》の空《そら》で、六条御息所|云々《うんぬん》という私の言葉に予想外の衝撃を受けている様子である。そして私が『源氏物語』に詳しいかどうかを尋ねるので、本当は通読したこともなければ登場人物同士の関係も正確に知っているわけではないが、夕顔の話だけは覚えている、と言うと、松平君は、それなら話が早い、今度の事件の恐ろしさはあれとそっくりのことが起こった点にある、とひどく深刻な顔になった。 「それで、相手の女を仮に『夕顔』としておこう。大学を出たばかりだが、妙に薄倖《はつこう》の少女という感じのする、髪の長い、顔の白い女で、しかし底が抜けたように楽天的で体が柔らかいのだ。ある雑誌の編集者で……まあそんなことはこの際省略しよう。この『夕顔』といきなり深い仲になって、その晩、よせばいいのにこの夏使っていなかった親戚《しんせき》の別荘を借りることにして、彼女をその荒れた庭の別荘に連れこんだというわけだ。ここからが怪談になる。まず夕顔が咲いていた。君は本物の夕顔を知ってるか。熱帯アメリカ原産のヨルガオというやつではない、干瓢《かんぴよう》をつくるウリ科の夕顔だ。これが地面を這《は》い、柵《さく》にも這い上がって異様な繁殖ぶりだ。闇《やみ》の中にそれこそ無数の白い顔が浮かんでいる。『風呂《ふろ》沸いて夕顔の闇さだまりぬ』という具合にはいかないのだ。風呂を沸かしてはいっていると窓に顔を並べて夕顔が覗《のぞ》いている。彼女は最初から怯《おび》えていたが、かと言って断乎《だんこ》帰ろうとするわけでもなくて、ひたすら頼りなげに柔順だった。夜中にふと目が覚めた。気のせいか、例の白い顔の群れが一段と包囲の輪をちぢめてきたように感じた。それを確かめに窓のところへ行こうとするが、恐怖で体が動かない。何やら目には見えないが胸を圧迫するガス状の塊のようなものが迫ってくる。それに夕顔どもが笑いを堪えかねてひくひく震えている気配もする」 「実際に見たわけではないだろう。君の夢か妄想《もうそう》だったという可能性もある」 「違うね。朝になって気がついたが、窓の外、濡《ぬ》れ縁《えん》のあたりに何百という夕顔の死骸《しがい》が落ちていた。雨戸には体当たりしてつぶれたようなのもこびりついている。それより何より、その夜中に目が覚めた時にはそばに寝ていた『夕顔』の女はもう冷たくなっていた」 「『源氏』そのままじゃないか」私は努めて冷静にいった。「しかしその事件が美那子さんとどう関係してるのかね。まさか美那子さんの枕許《まくらもと》にもしおれた夕顔の花が二つ三つ落ちていたというわけではないだろう」 「そんな子供|騙《だま》しのようなことはない」と松平君は否定した。「事実ははるかに恐ろしい。美那子はその夜のことを現場にいたのかのように正確かつ克明に知っていたのだ。私には以前から『霊魂|剥離症《はくりしよう》』の徴候があるの、と告白して美那子自身がひどく怯えている。つまりその夜は嫉妬の余り、と言って美那子はここで初めて嫉妬という言葉を使ったが、頭の中に狂気が湧《わ》き上がってきたかと思うと、剥離した意識の一部がどこかへ飛んでいくのがわかった、という。この意識は夕顔の咲く家にやってくると、夕顔を吹き落とさんばかりに荒れ狂って、やがておれのそばに眠っていた女の心臓を掴《つか》み潰《つぶ》したというのだ」 「ちょっと待ってくれ」と私は制した。「その『霊魂剥離症』というのは聞いたこともない言葉だが、実際にありうることとしては、美那子さんが実はそこに来て一部始終を見たのではないか」 「体の方がかい」 「勿論だ」 「残念ながら体の方にはアリバイがあるのだ。夕顔の家で異変を感じた時刻の四十分前まで美那子は東京で雑誌の対談に出ていた。四十分では軽井沢まで来られない」 「とすれば君を尾行して見張っていた人間が美那子さんに報告した。美那子さんは『霊魂剥離症』などと真剣な冗談に仕立てて君に精一杯の抗議をした、とでも考えるしかないね」 「その仮説が正しかったとしても」と松平君は言った。「あの時おれが感じた異常なものの気配はどうなるんだ。それに『夕顔』の女が説明不可能な死に方をしたことは事実だよ」  松平君は重苦しい顔でそう言いながら額に脂汗《あぶらあせ》を浮かべていた。そしてさらに何か言おうとしたようだったが、私もそんな調子で話が続くのがやりきれなくなって、席を外すために手洗いに立った。ゆっくりと時間をかけてから廊下に出たところで血相を変えて私を呼びに来る女中にぶつかった。行ってみると松平君はそこに倒れて心臓は停止していた。ただちに心臓マッサージをしたことは言うまでもないが、駄目《だめ》だった。倒れる直前に部屋にはいってきた女中の言によれば、松平君は中庭に面したガラスの方を指差して恐怖の余り口だけを動かしていたという。 「結局何と言ったのかわからなかったんですか」 「今考えると『夕顔』と……」  初七日が過ぎて、傷心の美那子さんに会う機会があった。私の話を聞いてから、美那子さんは沈んだ声でこう打ち明けた。 「『霊魂剥離症』なんて嘘《うそ》ですわ。御推測の通り、夕顔の家でのことは、ある人が私に教えてくれたのです」 「誰《だれ》ですか」 「生霊というか、それこそ霊魂が剥離してそのまま電話に伝わってくるような声でした」と言いかけて美那子さんは弱い笑みを浮かべた。「私はそんなものを信じませんけれど、でもやっぱりこれは怖い話ですわね。相手は松平さんの奥様だったのです」 [#改ページ]   無鬼論  八月の例会は涼しい林間にある会長の別荘で行なわれることになった。日暮れまでに十組の夫婦が到着したが、これは久しぶりのことである。もっとも、今回はその中に正妻でないもの、夫でないものを同伴した組がそれぞれ一組ずつあったけれども、事前に全会員の承諾を得てあるので、問題はない。  この夜の会はいつもとは趣向を変えて暗闇《くらやみ》の中で催すことになった。夕方から時々思い出したように遠雷が聞こえる。月もない。簾《すだれ》を下ろし、カーテンを引くと、室内は互いの顔も裸の身体《からだ》の男女の別も判別できない闇となる。最初はその暗闇の中で飲みながら話をしていたが、そのうちに自然の成行きでこの闇にふさわしい怪奇談となった。 「静かですね。この別荘のまわりはまさしく空山人ヲ見ズだな。返景深林ニ入ッテからは殊《こと》にそうだ」と言って口を切ったのは商社副社長のY氏らしい。すると大学教授のF氏らしい声が応じた。 「但《ただ》人語ノ響クヲ聞ク。しかし人語というより鬼語、つまり幽霊の声でも聞こえてきそうだ」 「鬼——クイというのはあちらでは幽霊、亡霊のことですね」 「なんだか陰気なお話になりそうですね」 「暗闇の中で幽霊の話をしていると、ここに集まっている私たちが実は幽霊ではないかという気分になる」  ざわめきが起こって、短い沈黙があったが、また誰《だれ》かが言った。 「でもわれわれの中に幽霊とか心霊現象とかESPとかを信じるものがどれ位いますかね。失礼ながら皆さん、それも特に男性の皆さんはそれほどお若くはない。不惑も過ぎると、稚気がなくなるのか、好奇心が鈍磨《どんま》するのか、孔子ではないが怪力乱神ヲ語ラズという傾向が支配的になる。ただし女性についてはどうだかわかりませんが」 「女性一般がどうであるかはわかりませんけれど」  と言ったのは教授夫人のようだった。 「私の場合は幽霊やオカルト的なものを一切否定するというわけでもなくて、まあ言ってみれば昔取り引きしていた銀行の古い預金通帳にわずかばかりの預金を残したまま忘れている、そんな感じかしら。何かの折に思い出して引出しに行かないとも限らないわ」 「うまいことをおっしゃいますね。そういうことなら男性だって似たようなものかもしれない」 「男女を問わず、若い人間ほど自分が見聞したオカルト現象の預金残高を自慢したがるものです。例えば学生たちと旅行して夜更《よふ》けまで話しこむと大概そういう話になる。幽霊の話を始めとして、遭難した人間が記念写真の中に写っていた話、いわゆる虫の知らせに類する話、金縛《かなしば》りに遭った話、まあとにかくむきになってオカルト体験を語りたがりますよ」 「ほう、そんなもんですか。若い連中ほど合理主義で、幽霊の話なんか馬鹿《ばか》にするのかと思いましたがね」 「反対です。大体、志怪、つまり怪奇|譚《たん》に始まった小説の読者というのは、女子供を最大のお得意さんとするものでしょう」 「そうでもないんですよ。志怪に限って言えば、六朝《りくちよう》の時代に流行した怪奇譚は文言《ぶんげん》、つまり文語体で書かれたもので、その読者は士大夫《したいふ》の階層でしょうね。宋《そう》代以後|白話《はくわ》で書かれた講談風の通俗小説が盛んになりますが、こちらはまあ商人など一般庶民の中の字の読めるものが読者だった。ところが清《しん》代に入って有名な『聊斎志異《りようさいしい》』が出てから、また文言の志怪が現れるようになった。『子不語《しふご》』とか『閲微草堂筆記《えつびそうどうひつき》』とかは詩壇、学界のボスの手になるもので、なかなか立派な文章で書いてある。最初から女子供は相手にしてない」 「大体幽霊やお化けの話を好んで読みたがるのもしたがるのも殿方の方ではありませんか。その目的は女の子をきゃあきゃあ言わせることにあるんでしょう」 「これは一本取られましたな。こうなるとそういう話の一つもしなければいけないが、今更幽霊を見た話でもあるまい」 「では話を高級にして、幽霊の存在を論じましょうか。皆さんの中に幽霊の存在に確信をお持ちの方はいらっしゃいますか」  闇の中で声を上げたものは一人もいなかった。 「それでは皆さんは、幽霊は存在しないという立場か、存在するともしないとも判断しないという立場か、どちらかになるのでしょうが、積極的な幽霊否定論を『無鬼論』と言いまして、実はこれについてはこういう恐ろしい話があるんです。確か『捜神記』に出ていたと思いますが、晋《しん》に阮瞻《げんせん》という人がいた。これが無鬼論者で、仏教の輪廻《りんね》転生の説に反対して死後の霊魂など存在しないと主張した。ある時人が訪ねてきてこのことで議論をして、阮瞻の方が相手を論破した。すると相手は怒りの色を表わし、議論ではお前が勝ったようだが、実はこの自分が幽霊なのだと言うや、異形のものに変じて消え失《う》せた。阮瞻はそれから病気になり、まもなく死んだという話です」 「かなり恐ろしいお話だわ」 「その焼直しのような話が『閲微草堂筆記』にもあって、老儒が二人連れだって月見をしながら歩くうちに墓場に迷いこんだ。そこへ杖《つえ》をついた老人が出てきて話をする。老人はさっきの阮瞻の議論を引合いに出しながら、この世に幽霊なんかいるはずがない、と弁舌もさわやかに論じる。ところがやがて大きな車が迎えにくると、老人は、『泉下にある身で無聊《ぶりよう》をかこっていた。幽霊はないという話でもしなかったら御両所を引き留めることができなかっただろう』と言うなり消え失せた」 「幽霊が無聊をかこったというのはわかるな」 「冥界《めいかい》には冥界の法律、制度、習慣と生活があって、することもいろいろあるはずですが、やはりこの世に比べて面白《おもしろ》おかしいことは少ないんですかね」 「それはそうでしょう。だから幽霊どもは何かと理由を見つけてはこの世に出てきて人間にちょっかいを出すんです」 「私はやっぱり、鬼だか幽霊だかが人間の間に紛れこんで生活しているのではないか、人間の方でそのことに滅多に気がつかないだけのことではないかという気がしてきたわ」 「それではこの中にも幽霊がいるかもしれないということですね」 「そういう可能性も否定できないのではありませんかしら」 「これは面白いことになってきた」 「こうして暗闇の中に坐《すわ》っているでしょう。お互いに姿は見えない。ひょっとすると日頃《ひごろ》の姿とは別の、それこそ異形のものに変わっている人も……」 「怖い」 「最初から黙ったきりの方もいらっしゃるでしょう。そういう方の中には、顔が真黒で目は白眼《しろめ》だけの幽霊がいらっしゃるかもしれない。さっきから気になっているんですが、その白眼みたいなものが私の前を泳ぎまわっている」 「いや、それより私の隣の方ですが、いつのまにか手を伸しても触れなくなっている。そしてその体があったあたりの空気が妙に冷たい」 「皆さん、さすがに御冗談は達者でいらっしゃる。しかしなんですな、人間の中には精神が正常でないものが十人に一人はいるというし、冥界所属の幽霊もそれ位の割合で人間の間に紛れこんでいるとしても不思議ではないのかもしれない。それに無鬼論とか悪魔不在論とかをむきになってやっているとその場にその鬼なり悪魔が姿を現すというのはよく聞く話のパターンです。そこで、本日のホストとして御提案致しますが、今夜はこのまま暗闇のままで歓を尽くしていただく、つまり幽霊や妖怪《ようかい》の方も含めて、相手の正体がわからないままに肌《はだ》を接していただく、ということに致したいと思います。それでよろしゅうございますね」  異議なしの声があって、その夜は人鬼入り乱れたような気分で男女の交歓が行なわれたが、気のせいか、いつもとは違ってあちこちで聞こえる声の中には幽鬼のすすり泣きに似たものが混っているようにも思われて、格別の刺激があった。  女が亡霊だったり狐《きつね》だったりした場合、相手をした男は精気を吸い取られてやがて死ぬということになっている話が多い。反対に男が美男の幽霊で、それと人間の女が交わるという場合はどうなるのだろうか。残念ながらそういう話は男性である読書人、士大夫には魅力がないと見えて余りお目にかかれない。しかしこのケースも理論上はありうるはずで、推測するにこちらは女の中に鬼の精気だか妖気だかが注入されて、やはり恐ろしいことになるはずである。実はそのことが翌日の朝になって実証されたのだった。  夜明けとともに部屋の中には光がはいって夜通し続いた交歓のあとが浮かび上がったが、そこここにころがっている男女の姿で異形に変じていないものは一つとしてなかった。男はまさに精気を抜きとられたというべき状態で死相を表わしていたが、女の方は水死体のように見るも無残に膨脹した体になって、いずれも虫の息だった。  この事件は医学的にはまったく説明のつかないもので、別荘の管理人からの通報で救急車が来て、次々に病院に収容されたこの異形の男女たちは、治療の結果生命だけは取りとめたものの、もとの姿には戻《もど》らなかった。男の場合は内臓の目方がかなり減っていたし、女の場合は体力が回復してから開腹手術をしてみると、子宮の中に青黒い泥《どろ》のようなものが詰まっていて、それは空気に触れると異様に生臭い臭気を放ちながら軟体動物のようにうごめいた。この同じものを大量に口から吐いた女性もいた。  男女とも二度と口もきけない有様だったので、何が起こったのか説明がつかなかった。そこに集まって何をしていたかは誰にも想像できるところだったので、テレビ、週刊誌を始めとして大いに話題を呼んだ。ただ、この点は注目されていないようであるが、病院に収容された人数は二十人ではなくて十八人、すなわち九組であって、男女各一人ずつ、一組が欠けている。この男女が誰であったかも特定されていない。従って問題の男女、つまり鬼であったと推定される男女が、あの日初めて参加した正規の夫婦でない男女であったのかどうかも、いまだにわからない。なぜか管理人は、あの日の参加者は九組、十八人であったと断言している。 [#改ページ]   カボチャ奇譚《きたん》  元宰相ボーブラ氏は現役時代から陰では「カボチャ」という渾名《あだな》で呼ばれていた。  大体この「カボチャ」を冠して人を呼ぶのに碌《ろく》な例はない。「カボチャ頭」に「カボチャ野郎」、何でも「カボチャ」がつけばバカで醜くて品がないことになるのである。あるいは「カボチャに目鼻」とも言う。これも太って丸顔で御面相のよろしくない女性を形容するのに使われる。なぜかこのアメリカ大陸原産の植物の不様《ぶざま》に大きな実は馬鹿《ばか》にされ、貶《おとし》められて、何かと言えば醜い人間を指すのに引合いに出されるのである。  元宰相のボーブラ氏の渾名が「カボチャ」になったことについては各説あって真相は定かでない。その風貌《ふうぼう》、殊《こと》に顔や頭の感じがカボチャそっくりではないかと言う人が多いが、しかしカボチャと言ってもいろいろあって、暗緑色で異様に凸凹《でこぼこ》のあるもの、橙色《だいだいいろ》でつるりとして冬瓜《とうがん》が赤面したような、いかにも間の抜けた巨大なもの、おかしな瓢箪形《ひようたんがた》のもの等々、そのどれにどう似ているのかと言われると正確な答えは出てこない。一説によると、ボーブラ氏は短躯《たんく》の割に頭が大きく、その形状が橙色のカボチャに似ていると同時にその中身に問題がある、つまりは阿呆《あほう》である、それでカボチャである、と言う。けれどもこの説こそ問題があって、一国の首相まで務めた人が本当に阿呆なら、阿呆を頭に戴《いただ》く国民も阿呆、従って国民総カボチャということになろう。とは言うものの、ボーブラ氏が全然そのような印象を与えない人物であったと言えば嘘《うそ》になる。大きな頭、てかてかに撫《な》でつけた頭髪、うすぼんやりした顔、ある小国元首との会談中に居眠りをしていたと思われて物議をかもしたほどの細い目、不明晰《ふめいせき》な言語、間の抜けた失言、演説原稿の読み違え等々、どれをとってもカボチャ的印象に結びつくのは止《や》むを得ないのかもしれなかった。普通は一見阿呆の人物はかえって大衆に親しまれて案外な人気を博するものであるが、このボーブラ首相に限ってはそのような愚者の人徳にも恵まれなかったと見えて、不人気のままに不可解なほど長く首相の座にあり、人々がカボチャの味に慣れてなんとも思わなくなった頃《ころ》、突然自分で辞めた。その理由が、早く言えば、カボチャ呼ばわりされるのにこれ以上耐えられない、という人を食ったものであった。  そのボーブラ氏が、首相を辞めてカボチャという渾名とともに忘れられた頃、これまた突然死んでしまった。年もまだ六十代で健康だけが取柄《とりえ》だっただけに、死因は一応心不全とされたものの、本当の死因はよくわからなかった。しかし死んだことは確実であるから、数日後に元首相にふさわしい盛大な葬儀が行なわれることになり、遺体はその前に荼毘《だび》に付された。  その頃ボーブラ氏は(なんとも不可解なことであるが、あとで判明した事実からすればさしあたり以下のように話を進めるしかない)死者の世界に行って、今後の処遇を決める審判を受けていた。  死者の世界についてボーブラ氏が理解したことをかいつまんで言うと、新しく死んだ者はまず無条件に審判を受けなければならない。これは裁判に似たところもあるが、検察官も弁護士もいないし、被告、原告の別もなく、傍聴人もいないところで、数人の審判官が死者の生前の行動、功罪などに関する資料と本人への尋問にもとづいて、死者の評価を行ない、死後の世界における等級、地位を定め、また功罪を比較して罪の方が大きかった場合の刑罰の内容などを決める。この審判所の雰囲気《ふんいき》は、法廷よりも難民受け入れ機関の窓口か職業|斡旋所《あつせんじよ》のようなところに似ていて、死者は貧弱な机をはさんで、風采《ふうさい》の上がらない審判官と書類を前にしてやりとりをする。審判官は高圧的でもなく非難、叱責《しつせき》めいたことも言わず、事務的に事を処理していく。どのような地位や職業を希望するかということも一応|訊《き》かれる。「ただしあなたの希望通りにできるとは限らないがね」といった調子である。どうやらこの死者の世界にも、官庁、学校、工場、事務所、劇場、図書館など、生者の世界にあるものは何でも揃《そろ》っていて、ただ違うのはそれらがすべて公立、公営の形をとっていることだけであるという。  さてボーブラ氏の審判であるが、これは意外に手間取った。ボーブラ氏の評価がなかなか確定しなかったからである。というのも、政治家の業績を調べてその功罪を明らかにするには並外れて鋭い分析力や高度な識見を要するが、人間の世界の裁判官にも望んで得られないこれらの能力を、あの世の審判官ならみな備えている、ということにはならないので、現にボーブラ氏を担当した審判官たちは、このカボチャ頭の持主から見ても一段と凡庸な人物に属するように思われた。それで審判は何度も暗礁《あんしよう》に乗り上げ、ここでもそういう制度があると見えて、専門家が鑑定人として呼ばれ、証人が呼ばれることになる。専門家の多くはボーブラ氏の首相ぶりを知る政治学者、評論家などで、証人の方は、これもボーブラ氏より少し先に死んだ先輩政治家や庶民たちであった。この連中はほぼ一致して、ボーブラ氏が汚職、悪どい手段による資金集め、権謀術数といった政治家にはつきものの「悪」に比較的縁が薄かったことは認めたが、反面、これといって見るべき政策がなく、手をつけたものはほとんどが愚策であったと評した。  物事に余り拘《こだわ》らないボーブラ氏もさすがに憂鬱《ゆううつ》になった。審判は長引いているので、時々ほかの審判廷の様子を覗《のぞ》きに行った。死者の世界では判決が出るまでは比較的自由で、こうしたことも許されるのである。何しろここからもとの世界に逃げ帰るということが不可能である以上、逃亡する先はなく、特に身柄《みがら》を拘束しておく必要もない。ボーブラ氏が見た審判の一つに、ある裁判官に対するものがあった。裁判官だった者が死後に今度は自分が審判を受けることになるのである。ここでボーブラ氏が感心したのは、死者の世界に来ると、各人が生前にしたこと、例えば殺人を犯したかどうかといった事実関係についてはそれこそ鏡に映すようにすべてが明らかになり、従って裁判官の判決の誤りも完全に明白になる、ということであった。この裁判官は一度も死刑の判決を下したことがなかったが、審判で明らかにされたところによれば、生涯《しようがい》に八人もの殺人事件の真犯人を証拠不十分で無罪としていた。この「罰すべき者を罰しなかった罪」は非常に重大であると見なされて、この裁判官は被害者の関係者だった人々に引き渡されて奴隷《どれい》として使役されることに決定した。ボーブラ氏はこうした死後の審判を見て、応報の正義が貫徹されることに大層感銘を受けたのである。  さて、ボーブラ氏自身の審判は長々と続き、ようやく結審となって判決が言い渡されることになった。ボーブラ氏は三人の審判官の前に立たされ、つぎのような判決を聞いた。 「判決。生前の愚行の罪により、あなたをカボチャ化する。以上」 「ちょっと待って下さい」とボーブラ氏は慌《あわ》てて言った。「それは一体どういうことですか。人間をカボチャにしたり犬にしたりすることが許されるんですか。私は不服だ。ただちに上告する」 「まあ落ち着きなさい」と真中の審判官がボーブラ氏を制して言った。「冥界《めいかい》には三審制のようなものはない。これが最終決定です。それに、生前の行状|如何《いかん》では犬になることも蛇《へび》になることもありうる。あなたはカボチャになることに不満らしいが、われわれとしてはいろいろと苦慮したあげくの最良の結論だと確信しています。大体、あなたは生前からカボチャと呼ばれていた。カボチャになることには余り違和感はないはずです。それに過去の例を調べてみたところ、カボチャ化された者にはローマ皇帝のクラウディウスがいる。立派な前例もあるわけです」  そう言われてボーブラ氏はカボチャになることも満更《まんざら》悪くはなさそうだという気がしてきた。審判官は立ち上がって一礼すると退廷した。  ここから先、ボーブラ氏の記憶は急に定かでなくなるのである。とにかく、気がつくとボーブラ氏は誰《だれ》かの葬式の会場らしいところにいて、大勢の参列者が故人の霊に花を捧《ささ》げるための行列をつくっている中に自分も紛れこんでいたというわけだった。誰の葬式であるかもわからないが、まわりの人にそんなことを訊くのも非常識な話だから、このまま献花だけは済ませようと思った。そして祭壇に近づいていくと、なんとそれは自分の葬式であった。立派な遺影が飾ってある。その顔をつくづく見た時、ボーブラ氏は自分が生前カボチャと呼ばれていたことが納得できたような気がした。  献花を済ませてから、ボーブラ氏は会場で見かけた顔見知りの誰彼に挨拶《あいさつ》し、司会をしていた元官房長官に話しかけた。 「本日は御苦労さん。なかなか盛会じゃないか。時に、事情があってこちらに帰ってきたもんだから、最後に挨拶をさせてもらおう」  相手はきょとんとして事態を理解しなかった。そのうちに人だかりがしてきた。遺族、になるはずだった家族は色を失った。幽霊が現れたと思ったのである。すでに荼毘に付して骨壺《こつつぼ》に収まっているはずの死人が以前と同じ顔と体で現れて物を言っているのだから、これは説明がつかない。  急遽《きゆうきよ》記者会見が開かれることになり、葬儀の会場をそのまま模様替えして、ボーブラ氏と家族が正面に並び、それに主治医から火葬場の係員までが呼び集められた。  まずボーブラ氏はにこやかに立ってこれまでの経緯を説明した。審判の模様については判決の部分を除き、また都合の悪いところは省略しながらかなり詳しく説明した。そして、あちらの世界の事情はよくわからないが、審判の結果、死者の世界に連れてきたのが何かの手違いであったということなのか、こうしてまた生の世界に送り返された、という風にボーブラ氏は説明した。それから質疑応答が行なわれ、最初はすべてが手のこんだ狂言ではないかと疑っていた一部の新聞記者たちも、関係者の証言を聞くうちに、これが紛れもない「復活」であり「死からの生還」であるということに興奮して、会場は異様な熱気に包まれた。  ボーブラ氏は何度も立って「奇跡の生還者」として熱弁を振るった。その中で、あちらで目撃したある裁判官の審判のことも引合いに出しながら、ボーブラ氏は従来とは打って変わった強硬派の姿勢を示し、「疑わしきは罰せず」式の裁判がいかに正義を傷つけているかを強調しているうちに、まるで今後政界にも復帰して再び政権を担当する意欲があることを表明するようなところまで話は飛躍していった。  そんな調子で会場の興奮がいやが上にも盛り上がった時、壇上のボーブラ氏に異変が起こった。と言っても心不全や脳出血で倒れたわけではない。ボーブラ氏のもともと不明晰なしゃべり方が一段と不明晰になり、ついには話が途絶し、ボーブラ氏は立ち往生したままある変化に身を任せていた。顔が異常に膨脹しはじめている。やがてその顔は机の上にのっかって、さらに膨脹を続け、目鼻は福笑いの出来損ないのように移動してそれこそ「カボチャに目鼻」の状態になった。その頃には胴も手足もこの卓上の物体に吸収されて見えなくなり、数分後、それは誰の目にも明らかな巨大な橙色のカボチャになっていた。会場には溜息《ためいき》とも嘆声ともつかぬざわめきが起こった。ボーブラ氏のカボチャ化は完成したのである。人々は奇跡の連続がこういう結果に落ち着いたことに言いがたい安心と納得を覚えた。そして家族を中心に、このカボチャをどうするかについて協議をした末、この立派なカボチャを祭壇に飾って再度葬儀に切り替え、そのあと故人の遺徳を偲んで関係者一同でこのカボチャを食べようということになったのである。 [#改ページ]   イフリートの復讐《ふくしゆう》 「時に、面白《おもしろ》いビデオがあるので御覧に入れよう」  麻仁《まじん》氏にそう言われて柏木《かしわぎ》君はにわかに船酔いでも発したような気分に襲われた。「面白いビデオ」と言えば普通はあの方面のものに決まっているが、柏木君と麻仁氏の関係はそんなものを肩を並べて見るような仲ではない。本当なら刃傷沙汰《にんじようざた》に及んでも不思議はないほどの仇敵《きゆうてき》同士なのである。何しろ柏木君は、古風な言い方をすれば麻仁氏の若い愛人と密通し、それを不注意から麻仁氏に知られて、そのことでここに呼ばれて来ているのである。 「折角ですが、今はその気になれません。どんな珍しいポルノかSMか知りませんが、肝腎《かんじん》の話の方はまだ決着がついていません。ぼくはぼくなりに責任を取らせていただきたいと思いますし、とにかく、美耶《みや》にもここに来てもらって、結論を出したいんです」 「再三申し上げたように、話し合って決着をつけなければならないような問題は何もないし、大体君に責任が取れるとも思えない。私が何桁《なんけた》かの金額を要求したら君はそれを払うのかね。君にできることはほとんどない」 「ではなぜぼくをここに呼んだのですか」 「だからビデオはそのことと大いに関係があるんですよ。ただ、これは御期待に反してポルノではないしSMものでもない。まあどちらかと言えばSMの方に近くはあるが。それはともかく、美耶のことも、これを見れば、ここに呼ぶまでもなく、おのずと結論は明らかになるというわけですよ」 「そんなにおっしゃるなら、見るだけは見ましょう」と柏木君は観念して言った。 「趣味の問題だから、お気に召すかどうかわからないが、そんじょそこらで見られるものではない。特に君にとっては興味深いと思う。ところで、『アラビアン・ナイト』にはお詳しいかな」  麻仁氏は急に妙なことを言い出した。柏木君が首を振ると、麻仁氏もうなずいて、 「それでは簡単に説明しておこう」と言って、柏木君にコニャックを注《つ》ぎ、自分にも注いで、ゆったりした調子で次のような話を紹介した。  それは『アラビアン・ナイト』の第十二夜と十三夜の、ある遊行僧《ゆぎようそう》の話である。この僧は片目を失っているが、なぜそんなことになったかを説明するために身の上話をする。この男はある国の王子に生まれたが、インドの王のもとに赴く途中でアラブ人の山賊に襲われ、身ぐるみ剥《は》がれてしまう。その後|樵《きこり》をしている時に、オアシスの大樹のそばの秘密の入口を見つけ、そこからはいっていくと、立派な御殿があって、目を見張るような麗人がいた。実はこれは、ある王の娘をイフリートがさらってきて囲ってあるもので、イフリートは十日に一度通ってくるというのだった。 「私の場合は週に一度ですがね」 「そのイフリートって何です」 「ああ、これはジン族の中のもっとも凶悪なもので、魔人というか魔鬼というか、恐るべき超能力をもった魔物です。大体このジンというのが、神の創造物の中で、天使は光、人間は粘土から創《つく》られたのに、火から創られたという代物《しろもの》でね。本来善悪二種類あるが、アッラーに反逆する悪い奴《やつ》をサタンというわけだ」  麻仁氏は勿体《もつたい》ぶった口調で説明した。 「それで、どうなるんですか」 「これは失礼。まだ十二夜の話が終わっていなかった。で、このイフリートに囲われている女は若い男を誘いこんで、風呂《ふろ》に入れ、御馳走《ごちそう》をして、その夜は自分の体も御馳走するわけですな。こうして歓を尽くしたのち、女が言うには、イフリートは十日に一度しか来ないのだから、あとの九日はあなたが自由にすることができる、と。にもかかわらず、男は馬鹿《ばか》な奴で、強がって、そこに触れるとイフリートが現れるという壁龕《へきがん》をわざと蹴《け》りつけてみせる。たちまちイフリートが登場する。男は危うくこの場を逃れる。ここからがいよいよ十三夜の話になる。ビデオはこの場面を描いたものです。イフリートは怒り狂って女を素裸にして四本の鉄の杭《くい》に手足を縛りつけ、拷問《ごうもん》にかける。女は白状しないが、そこには男が残していった斧《おの》と靴《くつ》があった。で、イフリートは簡単に男を突きとめて女の前に引き据《す》える。二人は互いに知らないと言ってしらを切るので、それなら自分で相手を殺してみろというと、二人ともそれはできない。そこでイフリートは剣を掴《つか》むと女の片手を切り落とす。次にもう一方も切り落とし、ついに足も切り落とす。男は恐怖に声も出ず、ただ目を見開いているだけです。女はなおも末期《まつご》の目で男に合図をして別れを告げようとする。イフリートはそれを見て、お前はまだ目でいちゃついてるのかとわめくや、剣を振るって一撃を加えたので、女の首は飛んでしまう。以上の場面がビデオにとってあるが、なお、『アラビアン・ナイト』では、このあと男はさんざん許しを乞《こ》うが、結局イフリートによって猿《さる》にされる。それからまたいろんなことがあって、男はもとの姿に戻《もど》ることができる。その際片目を失う。まあそういう話です。とにかく見ていただくことにしよう」  柏木君が麻仁氏に囲われている女と深い仲になったのは、これまた古風な言い方をするなら、偶然その裸を垣間見《かいまみ》たのがきっかけだった。  女が住んでいるこの家は、宏壮《こうそう》な屋敷と屋敷の間の信じがたいほど長い私道をはいった奥に、高い欅《けやき》に囲まれて建っている英国風の洋館で、柏木君がたまたまここを訪れたのはある金融機関のアンケート調査のアルバイトで、多額の預金をもっているこの家の住人に会うためだった。チャイムを鳴らしても人の出てくる気配がないので洋館のまわりを一周しようとすると、浴室から裸で出てきた女の姿がブラインドを通して見えた。それが柏木君の頭を狂わせたのである。しばらくしてもう一度チャイムを鳴らした。今度は応接間に通されて、さて向かい合ってみると麻仁氏の『アラビアン・ナイト』の話ではないが目の醒《さ》めるような麗人で、その最初に発した言葉が、「さっき見てたのね」であった。そしてそこから先は麻仁氏の話に酷似したことが起こった。柏木君を誘いこんだのは女の方である。どうしてこんな風に事が運ぶのか、柏木君としては狐《きつね》につままれた気分でこの現実離れのした僥倖《ぎようこう》に酔って、若い獣同士で戯《たわむ》れて長い午後を過ごした。その時の女の話の中には、自分をここに閉じこめている(と女が言ったのはここに「囲っている」ということで、若い女はその言葉を知らなかったのである)麻仁氏は週一回の契約なので、そのほかの日は柏木君が、もしそれを望むなら、自分を自由にすることができる、ということも確かに出てきた。ただし、契約では、麻仁氏が来ない日も女はそういう「裏切り」をしてはならないことになっていて、そのために破格の契約金も貰《もら》っている。だから本当は契約違反になるし、麻仁氏は恐ろしい人物だと思うけれど、金で自分を自由にしている麻仁氏を自分は少しも愛してないので、裏切ることを何とも思わない。それに麻仁氏はあと二週間は商売で中東を回っているはずだから、それまでは何をしても恐ろしいことはない。そういううまい話で、柏木君は有頂天になった。ところがなぜか突然予定を変更して帰国したと見えて、麻仁氏はいつもの通りに土曜日に現れたのである。柏木君は辛《かろ》うじて窓から逃げたが、それから二日後には麻仁氏にすべてを洗い出されて、柏木君はここに呼ばれる羽目となった。  画面に映し出されたのは暗い穴蔵のようなところである。次第に明るくなると、裸で杭のようなものに縛られている女が浮かび上がってきた。さらにその顔が大写しになってくると、それは疑いようもなくあの美耶という女の顔であった。恐怖に怯《おび》えているという風でもなく、妙に無表情なのがかえって凄味《すごみ》を感じさせる。それともこれはある種の遊びだろうか。麻仁氏と美耶にはそういう趣味があるのかもしれない。柏木君は努めてそんな可能性を信じることにした。 「これには声は入れてない」と横で麻仁氏が口をはさんだ。「うまい具合にせりふを言わせるわけには行きませんからな。しかしやりとりの内容は『アラビアン・ナイト』のあの場面と大体同じです。ほら、何やら言っているが、要するにあの可愛《かわい》い顔でしらを切っているところだ」  時々黒々とした人物が画面を横切るが、それは不吉な闇《やみ》を集めて固めたような人物で、こちらには終始背中しか見せない。 「あれがイフリートですよ」と麻仁氏がまた説明を加える。その人物は日本刀らしいものをもっている。柏木君は次第に口の中が乾き、体は金縛《かなしば》りに遭ったような具合に硬直して、目だけは画面に向かって飛び出しそうだった。  すべては麻仁氏の話した『アラビアン・ナイト』の通りに進行した。最初に左手首が切り落とされた時に柏木君の感覚はいわば破裂して、あとは麻痺《まひ》したも同然になった。話なら両手首、両足首を切り落としても出血を見ることはないが、画面ではそれが見えるのである。画面は噴き出す血に汚れ、酸鼻の極となる。怪人物は刀を取り換えると最後の仕上げにかかった。女の顔はまだ生きていて、それがこちらに向かって目で合図を送ってきたかどうかは定かでない。実際問題として、この時にはすでに意識はなかったであろうが、柏木君の目には『アラビアン・ナイト』の麗人と同じく、この女も末期の目で物を言いかけてきたように思われた。刀が一閃《いつせん》した。しかしここは筋書通りには運ばず、首は飛ばなかった。二度、三度と刀が振り下ろされるのを見ながら柏木君は気が遠くなった。  柏木君は道路で倒れているのを郵便配達員に発見されて、病院に収容された。心身に異常を来たしていた。しばらくは失語症的になり、自分の見聞したことを順序立てて説明することなど不可能な状態にあった。一カ月ほどして、恐ろしいビデオを見たこと、さらにそのあとで、麻仁氏が戸棚《とだな》の中から女の生首を取り出したのを見たことなどを医師と捜査官に話したが、要領を得ないし、該当する家も人物も発見されなかった。  そのうちに心身の「身」の方に明らかな異常が現れてきた。全身の毛が黒く硬くなり、やがて長くなり、両眉《りようまゆ》は連続し、顔付きがネアンデルタール人からさらに猿人《えんじん》に似てくるように思われた。そのうちに背中にまで黒々とした毛が密生してきた。 『アラビアン・ナイト』では猿にされた遊行僧は、さる国の王女の奮迅の活躍でイフリートの魔法から解放されて人間に戻ることができるが、柏木君はますます猿に似てくる体と頭脳を今は精神病院で管理される身となっている。 この作品は昭和六十三年三月新潮文庫版が刊行された。