駅夫日記 白柳秀湖 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)他人《ひと》 |:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号 (例)この間|下壇《した》の [#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定 (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数) (例)高谷さん※[#感嘆符二つ、1-8-75] -------------------------------------------------------      一  私は十八歳、他人《ひと》は一生の春というこの若い盛りを、これはまた何として情ない姿だろう、項垂《うなだ》れてじっと考えながら、多摩川《たまがわ》砂利の敷いてある線路を私はプラットホームの方へ歩いたが、今さらのように自分の着ている小倉の洋服の脂垢《あぶらあか》に見る影もなく穢《よご》れたのが眼につく、私は今遠方シグナルの信号燈《ランターン》をかけに行ってその戻《もど》りである。  目黒の停車場《ステーション》は、行人坂《ぎょうにんざか》に近い夕日《ゆうひ》が岡《おか》を横に断ち切って、大崎村に出るまで狭い長い掘割になっている。見上げるような両側の崖《がけ》からは、芒《すすき》と野萩《のはぎ》が列車の窓を撫《な》でるばかりに生《お》い茂って、薊《あざみ》や、姫紫苑《ひめじおん》や、螢草《ほたるぐさ》や、草藤《ベッチ》の花が目さむるばかりに咲き繚《みだ》れている。  立秋とは名ばかり燬《や》くように烈《はげ》しい八月末の日は今崖の上の黒い白樫《めがし》の森に落ちて、葎《むぐら》の葉ごしにもれて来る光が青白く、うす穢《ぎたな》い私の制服の上に、小さい紋波《もんぱ》を描くのである。  涼しい、生き返るような風が一としきり長峰の方から吹き颪《おろ》して、汗ばんだ顔を撫でるかと思うと、どこからともなく蜩《ひぐらし》の声が金鈴の雨を聴《き》くように聞えて来る。  私はなぜこんなにあの女《ひと》のことを思うのだろう、私はあの女に惚《ほ》れているのであろうか、いやいやもう決して微塵《みじん》もそんなことのありようわけはない、私の見る影もないこの姿、私はこんなに自分で自分の身を羞《は》じているではないか。      二  品川行きの第二十七列車が出るまでにはまだ半時間余りもある。日は沈んだけれども容易に暮れようとはしない、洋燈《ランプ》は今しがた点《つ》けてしまったし、しばらく用事もないので開け放した、窓に倚《よ》りかかってそれとはなしに深いもの思いに沈んだ。  風はピッタリやんでしまって、陰欝《いんうつ》な圧《お》しつけられるような夏雲に、夕照《ゆうやけ》の色の胸苦しい夕ぐれであった。  出札掛りの河合というのが、駅夫の岡田を相手に、樺色《かばいろ》の夏菊の咲き繚れた、崖に近い柵《さく》の傍《そば》に椅子を持ち出して、上衣を脱いで風を入れながら、何やらしきりに笑い興じている。年ごろ二十四五の、色の白い眼の細い頭髪《かみ》を油で綺麗《きれい》に分けた、なかなかの洒落者《しゃれもの》である。  山の手線はまだ単線で客車の運転はホンのわずかなので、私たちの労働《しごと》は外から見るほど忙しくはない。それに会社は私営と来ているので、官線の駅夫らが嘗《な》めるような規則攻めの苦しさは、私たちにないので、どっちかといえばマアのんきというほどであった。  私はどうした機会《はずみ》か大槻芳雄《おおつきよしお》という学生のことを思い浮べて、空想はとめどもなく私の胸に溢《あふ》れていた。大槻というのはこの停車場《ステーション》から毎朝、新宿まで定期券を利用してどこやらの美術学校に通うている二十歳《はたち》ばかりの青年である。丈《せい》はスラリとして痩型《やせぎす》の色の白い、張りのいい細目の男らしい、鼻の高い、私の眼からも惚《ほ》れ惚《ぼ》れとするような、嫉《ねた》ましいほどの美男子であった。  私は毎朝この青年の立派な姿を見るたびに、何ともいわれぬ羨《うらや》ましさと、また身の羞《はず》かしさとを覚えて、野鼠《のねずみ》のように物蔭《ものかげ》にかくれるのが常であった。永い間通っているものと見えて、駅長とは特別懇意でよく駅長室へ来ては巻煙草《まきたばこ》を燻《くす》べながら、高らかに外国語のことなどを語り合うているのを聞いた。  私の眼には立派な紳士の礼服姿よりも、軍人のいかめしい制服姿よりも、この青年の背広の服を着た書生姿が言い知らず心を惹《ひ》いて堪えられない苦痛《くるしみ》であった。私は心から思うた、功名もいらない、富貴《ふうき》も用はない、けれどもただ一度この脂垢のしみた駅夫の服を脱いで学校へ通うてみたい……  ああ私の盛りはこんなことをして暮らしてしまうのか。  私は今ふと昔の小学校時代のことを想い出した。薄命な母と一しょに叔父《おじ》の宅《うち》に世話になっていたころ、私は小学校でいつでも首席を占めて、義務教育を終るまで、その地位を人に譲らなかったこと、将来はきっと偉い者になるだろうというて人知れず可愛がってくれた校長先生のこと、世話になっている叔父の息子の成績が悪いので、苦労性の母が、叔父の細君に非常に遠慮をしたことなど、それからそれへと思いめぐらして、追懐《おもいで》はいつしか昔の悲しい、いたましい母子《おやこ》の生活の上に遷《うつ》ったのである。  ぼんやりしていた私は室の入口のところに立つ人影に驚かされた、見上げるとそれは白地の浴衣《ゆかた》に、黒い唐縮緬《とうちりめん》の兵児帯《へこおび》を締めた、大槻であった。 「君! 汽車は今日も遅れるだろうね」 「ええ十五分ぐらい……は」と私は答えた。山の手線はまだ世間一般によく知られていないので、客車はほとんど附属《つけたり》のような観があった、列車の遅刻はほとんど日常《いつも》のこととなっていた。  日はもういつしか暮れて蜩《ひぐらし》の声もいつの間にか消えてしまった。  大槻はちょっと舌を鳴らしたが、改札の机から椅子を引き寄せて、鷹揚《おうよう》に腰を下した、出札の河合は上衣の袖《そで》を通しながら入って来たが、横眼で悪々《にくにく》しそうに大槻を睨《にら》まえながら、奥へ行ってしまった。 「今からどちらへいらっしゃるのですか」私は何と思ってか大槻に問うた。 「日比谷まで……今夜、音楽があるんだ」と言い放ったが、白い華奢《きゃしゃ》な足を動かして蚊《か》を追うている。      三 「君! 僕一つ君に面白いことを尋ねて見ようか」 「え……」 「軌道《レール》なしに走る汽車があるだろうか」 「そんな汽車が出来たのですか」 「日本にあるのさ」 「どこに」 「東京から青森まで行く間にちょうど、一里十六町ばかり、軌道《レール》なしで走るところがあるね」と言い切ったが香のいい巻煙草の煙をフッと吹いた。  私は何だか自分がひどく馬鹿にされたような気がしてむっとした。陰欝な、沈みがちな私はまた時として非常に物に激しやすい、卒直な天性《うまれつき》を具えている。 「冗談でしょう、僕はまた真面目《まじめ》にお話ししていましたよ」私は成人《おとな》らしい少年《こども》だ、母と叔父の家に寄寓してから、それはもう随分気がね、苦労の数をつくした。母は人にかくれてまだうら若い私の耳にいたましい浮世話を聞かせたので、私は小さき胸にはりさけるような悲哀《かなしみ》を押しかくして、ひそかに薄命な母を惨《いた》んだ、私は今茲《ことし》十八歳だけれども、私の顔を見た者は誰でも二十五六歳だろうという。 「君怒ったのか、よし、君がそんなことで怒るくらいならば僕も君に怒るぞ。もし青森までに軌道なしで走るところが一里十六町あったらどうするか」声はやや高かった。 「そんなことがありますか!」私は眼をみはって呼気《いき》をはずませた。 「いいか、君! 軌道と軌道の接続点《つなぎめ》におおよそ二分ばかりの間隙《すき》があるだろう、この間|下壇《した》の待合室で、あの工夫の頭《かしら》に聞いたら一|哩《まいる》にあれがおよそ五十ばかりあるとね、それを青森までの哩数に当てて見給え、ちょうど一里十六町になるよ、つまり一里十六町は汽車が軌道なしで走るわけじゃあないか」  私はあまりのことに口もきけなかった、大槻が笑いながら何か言おうとした刹那《せつな》、開塞《かいさく》の信号がけたたましく鳴り出した。      四  品川行きのシグナルを処理して私は小走りに階壇を下りた。黄昏《たそがれ》の暗さに大槻の浴衣《ゆかた》を着た後姿は小憎らしいほどあざやかに、細身の杖《つえ》でプラットホームの木壇《もくだん》を叩《たた》いている。  私は何だか大槻に馬鹿にされたような気がして、言いようのない不快の感が胸を衝《つ》いて堪えがたいので筧《かけい》の水を柄杓《ひしゃく》から一口グイと飲み干した。  筧の水というものはこの崖から絞れて落つる玉のような清水を集めて、小さい素焼きの瓶《かめ》に受けたので綰物《まげもの》の柄杓が浮べてある。あたりは芒《すすき》が生いて、月見草が自然に咲いている。これは今の駅長の足立熊太という人の趣向で、こんなことの端にも人の心がけはよく表われるもの、この駅長はよほど上品な風流心に富んだ、こういう職業に埋《うも》れて行くにはあたら惜しいような男である。長く務めているので、長峰|界隈《かいわい》では評判の人望家ということ、道楽は謡曲で、暇さえあれば社宅の黒板塀《くろいたべい》から謡《うた》いの声が漏れている。  やがて汽車が着いた。私は駅名喚呼をしなければならぬ、「目黒目黒」と二声ばかり戸《ドアー》を開けながら呼んで見たが、どうも羞かしいような気がして咽喉がつまった。列車は前後《あとさき》が三等室で、中央《まんなか》が一二等室、見ると後の三等室から、髪をマガレットに束《つか》ねた夕闇に雪を欺《あざむ》くような乙女の半身が現われた。今玉のような腕《かいな》をさし伸べて戸の鍵《ラッチ》をはずそうとしている。 「高谷《たかや》千代子!」私は思わず心に叫んだが胸は何となく安からぬ波に騒いだ。  大槻はツカツカと前へ進んだと思うと高谷の室の戸をグッと開けてやる。縫上げのたっぷりとした中形の浴衣《ゆかた》に帯を小さく結んで、幅広のリボンを二段に束ねた千代子の小柄な姿がプラットホームに現われたが、ちょっと大槻に会釈《えしゃく》してそのまま階段の方に歩む。手には元禄模様の華美《はで》な袋にバイオリンを入れて、水色絹に琥珀《こはく》の柄の付いた小形の洋傘《こうもり》を提《さ》げている。  大槻はすぐ室に入ったが、今度はまた車窓から半身を出して、自分で戸の鍵をかった。千代子はほかの客に押されて私の立っている横手を袖《そで》の触れるほどにして行く、私はいたく身を羞《は》じてちょっと体躯《からだ》を横にしたがその途端に千代子は星のような瞳《ひとみ》をちょっと私の方にうつした。  汽車はこの時もう動いていた、大槻の乗っている三等室がプラットホームを歩いている千代子の前を横ぎる時、千代子はその美しい顔をそむけて横を見た。 「マア大槻という奴《やつ》は何といういけ好かない男だろう」私はこう思いながら、ぼんやりとして佇《たたず》むと、千代子の大理石のように白い素顔、露のこぼれるような瞳、口もとに言いようのない一種の愛嬌《あいきょう》をたたえて大槻に会釈した時のあでやかさ、その心象《まぼろし》がありありと眼に映って私は恐ろしい底ひしられぬ嫉妬《ねたみ》の谷に陥った。 「藤岡! 閉塞を忘れちゃあ困るよ、何をぼんやりとしているかね」  駅長のおだやかな声が聞えた。私があわてて振り向くと駅長はニッコリ笑っていた、私はもしやこの人に私のあさましい心の底を見抜かれたのではあるまいかと思うと、もうたまらなくなってコソコソと階壇を駆け上って、シグナルを上げた。  権之助坂《ごんのすけざか》のあたり、夕暮の煙が低くこめて、もしやと思ったその人の姿は影も見えない。      五  野にも、岡にも秋のけしきは満ち満ちて来た。  休暇《やすみ》の日の夕方、私は寂しさに堪えかねてそぞろに長峰の下宿を出たが足はいつの間にか権之助坂を下りていた。虎杖《いたどり》の花の白く咲いた、荷車の砂塵のはげしい多摩川道を静かにどこという目的《あて》もなく物思いながらたどるのである。  私は権之助という侠客《おとこだて》の物語を想うた、いつか駅長の使いをしてやった時、駅長は遠慮する私を無理に引きとめて、南の縁で麦酒《ビール》を飲みながら私にいろいろの話をしてくれた、目黒|界隈《かいわい》はもと芝|増上寺《ぞうじょうじ》の寺領であったが、いつのころか悪僧どもが共謀して、卑しい手段で恐ろしい厳しい取立てをした、その時村に権之助という侠客がいて、百姓の難渋を見ていることが出来ないというので、死を決して増上寺から不正の升を掠《かす》めて町奉行《まちぶぎょう》に告訴した、権之助のために増上寺の不法は廃《や》められたけれども、かれはそれがために罪に問われて、とある夕ぐれのことであった、情知らぬ獄吏に導かれて村中引き廻《まわ》しにされた上、この岡の上で惨《いた》ましい処刑《しおき》におうたということ。  ああ、権之助の最後はこんな夕ぐれであったろうか。  私は空想の翼を馳《は》せて、色の浅黒い眼の大きい、骨格の逞《たくま》しい一個の壮漢の男らしい覚悟を想い浮べて見た。いかに時代《ときよ》が違うとは言いながら昔の人はなぜそんなに潔く自分の身を忘れて、世間のために尽すというようなことが出来たのであろう。  羞かしいではないか、私のような欝性《うつしょう》がまたと世にあるであろうか、欝性というのも皆自分の身のことばかりクヨクヨと思うからだ、私がかつて自分のことを離れて物を思うたことがあるであろうか、昼の夢、夜の夢、げに私は自分のことばかりを思う。  いつの間にか私は目黒川の橋の上に佇んで欄干にもたれていた。この川は夕日が岡と、目黒原の谷を流れて、大崎大井に落ちて、品川に注ぐので川幅は狭いけれども、流れは案外に早く、玉のような清水をたたえている。水蒸気を含んだ秋のしめやかな空気を透してはるかに水車の響が手にとるように聞えて来る、その水車の響がまた無声にまさる寂しさを誘《いざな》うのであった。  人の橋を渡る気配がしたので、私はフト背後《うしろ》をふりかえると、高谷千代子とその乳母《うば》というのが今橋を渡って権之助の方へ行くところであった。私がそのうしろ姿を見送ると二人も何か話の調子で一しょに背後を見かえった。私と千代子の視線が会うと思いなしか千代子はニッコリ笑うたようであった。  私は俯伏《うつぶ》して水を眺めた。そこには見る影もない私の顔が澄んだ秋の水鏡に映っている。欄干のところに落ちていた小石をそのまま足で水に落すと、波紋はすぐに私の象《かた》を消してしもうた。  波紋のみだれたように、私の思いは掻《か》き乱された。  あの女《ひと》はいま乳母と私について何事を語って行ったろう、あの女は何を笑ったのであろう、私の見すぼらしい姿を嘲笑《あざわら》ったのではあるまいか、私の穢《むさ》くるしい顔をおかしがって行ったのではあるまいか。  波紋は静まって水はまたもとの鏡にかえった、私は俯伏して、自分ながら嫌気のするような容貌《かおつき》をもう一度映しなおして見た、岸に咲きみだれた藤袴《ふじばかま》の花が、私の影にそうて優しい姿を水に投げている。      六  岡田の話では高谷千代子の家は橋を渡って突き当りに小学校がある、その学校の裏ということである。それを尋ねて見ようというのではないけれども、私はいつとはなしに大鳥神社の側を折れて、高谷千代子の家の垣根《かきね》に沿うて足を運んだ。  はるかに火薬庫の煙筒は高く三田村の岡を抽《ぬ》いて黄昏《たそがれ》の空に現われているけれども、黒蛇のような煤煙はもうやんでしまった。目黒川の対岸《むこう》、一面の稲田には、白い靄《もや》が低く迷うて夕日が岡はさながら墨絵を見るようである。  私がさる人の世話で目黒の停車場《ステーション》に働くことになってからまだ半年には足らぬほどである。初めて出勤してその日から私は千代子のあでやかな姿を見た。千代子はほかに五六人の連れと同伴《いっしょ》に定期乗車券を利用して、高田村の「窮行《きゅうこう》女学院」に通っているので、私は朝夕、プラットホームに立って彼女を送りまた迎えた。私は彼女の姿を見るにつけて朝ごとに新しい美しさを覚えた。  世には美しい人もあればあるもの、いずくの処女《おとめ》であるだろうと、私は深く心に思うて見たがさすがに同職《なかま》に聴いて見るのも気羞かしいのでそのままふかく胸に秘めて、毎朝さまざまの空想をめぐらしていた。  ある日のこと、フトした機会《はずみ》から出札の河合が、千代子の身の上についてやや精《くわ》しい話を自慢らしく話しているのを聞いた。彼は定期乗車券のことで毎月彼女と親しく語《ことば》を交すので、長い間には自然いろいろなことを聞き込んでいるのであった。  千代子は今茲《ことし》十七歳、横浜で有名な貿易商正木|某《なにがし》の妾腹に出来たものだそうで、その妾《めかけ》というのは昔新橋で嬌名の高かった玉子とかいう芸妓《げいしゃ》で、千代子が生まれた時に世間では、あれは正木の子ではない訥弁《とつしょう》という役者の子だという噂《うわさ》が高く一時は口の悪い新聞にまでも謳《うた》われたほどであったが、正木は二つ返事でその子を引き取った。千代子はその母の姓を名乗っているのである。  千代子の通うている「窮行女学院」の校長の望月貞子というのは宮内省では飛ぶ鳥も落すような勢力、才色兼備の女官として、また華族女学校の学監として、白雲遠き境までもその名を知らぬ者はないほどの女である。けれども冷めたい西風は幾重の墻壁《しょうへき》を越して、階前の梧葉《ごよう》にも凋落《ちょうらく》の秋を告げる。貞子の豪奢《ごうしゃ》な生活にも浮世の黒い影は付き纏《まと》うて人知れず泣く涙は栄華の袖に乾《かわ》く間もないという噂である。この貞子が世間に秘密《ないしょ》で正木某から少からぬ金を借りた、その縁故で正木は千代子が成長するに連れて「窮行女学院」に入学させて、貞子にその教育を頼んだ。高谷千代子は「窮行女学院」のお客様にあたるのだ。  賤《いや》しい女の腹に出来たとはいうものの、生まれ落ちるとそのままいまの乳母の手に育てられて淋しい郊外に人となったので、天性《うまれつき》器用な千代子はどこまでも上品で、学校の成績もよく画も音楽も人並み優れて上手という、乳母の自慢を人のいい駅長なんかは時々聞かされるということであった。  私は始めて彼女のはかない運命を知った。自分ら親子の寂しい生活と想いくらべて、やや冷めたい秋の夕を、思わず高谷の家の門のほとりに佇んだ。洒然《さっぱり》とした門の戸は固く鎖《とざ》されて、竹垣の根には優しい露草の花が咲いている。      七  次の日の朝、私は改札口で思わず千代子と顔を合わせた。私は千代子の眼に何んと知れぬ一種の思いの浮んだことを見た、私は千代子のような美人が、なぜ私のような見すぼらしい駅夫|風情《ふぜい》に、あんな意味《こころ》のありそうな眼つきをするのだろうと思うとともに今朝もまた千代子を限りなく美しい人と思うた。  今日は岡田が休んだので私は改札もしなければならないのだ。  客は皆階壇を下りた、私は新宿行きという札をかけ変えて、一二等の待合室を見廻りに行った。見ると待合のベンチの上に油絵の風景を描き出した絵葉書が二枚置き忘れてある。  急いで取り上げて見たが、私はそれが千代子の忘れたものであることをすぐに気づいた。改札口の重い戸を力まかせに閉めて、転ぶように階壇を飛び降りたが、その刹那《せつな》、新宿行きの列車は今高く汽笛を鳴らした。 「高谷さん※[#感嘆符二つ、1-8-75] 高谷さん※[#感嘆符二つ、1-8-75]」と私は呼んでいつもの三等室の前へ駆けつけて絵はがきを差し出したけれども、どうしたものか今日に限って高谷は後背《うしろ》の室にいない。  プラットホームに立っていた助役の磯というのが、私の手から奪うように葉書を取って、すでに徐行を始めた列車を追うて、一二等室の前を駆け抜けたが、 「高谷さん! お忘れもの!」と呼んで絵はがきを差し出した。  掌中の玉を奪われたようにぼんやりとして佇んでいると、千代子は車窓から半身を出して、サモ意外というたようにそれを受け取って一旦顔を引いたが、窓からこちらを見て、はるかに助役に会釈した。  平常《ふだん》から快からず思う磯助役の今日の仕打ちは何事であろう、あまり客に親切でもないくせに、美しい人と言えばあの通りだ。そのくせ自分はもう妻子もある身ではないか。  運転手は今馬力をかけたものと見えて、汽鑵車はちょうど巨人の喘《あえ》ぐように、大きな音を立てて泥炭《でいたん》の煙を吐きながら渋谷の方へ進んで行く、高谷の乗っている室《クラス》がちょうど遠方シグナルのあたりまで行ったころ、思い出したように、鳥打帽子が窓から首を出してこちらを見た。  それは大槻芳雄であった。  ああ千代子は大槻と同じ室に乗るために常例《いつも》の室をやめたのではあるまいか、千代子はフトすると大槻と恋に陥ったのかも知れない、千代子は大槻を恋しているに違いない。私はこう思って見たが、心の隅ではまさかそうでもあるまいと言う声がした。  俯向《うつむ》いて私は私の掌を見た。労働に疲れ雨にうたれて渋を塗ったような見苦しい私の掌には、ランプの油煙と、機械油とが染み込んでいかにも見苦しい、こんな穢《きたな》い手で私は高谷さんの絵葉書を持ったのか。  洗ったら少しは綺麗になるだろう。  かの筧《かけい》の水のほとりには、もう野菊と紫苑《しおん》とが咲き繚《みだ》れて、穂に出た尾花の下には蟋蟀《こおろぎ》の歌が手にとるようである。私は屈《かが》んで柄杓《ひしゃく》の水を汲み出して、せめてもの思いやりに私の穢い手を洗った。 「おい藤岡! あんまりめかしちゃあいけないよ、高谷さんに思いつかれようたッて無理だぜ」  助役は別に深い意味で言うたわけでもなかったろうけれど、私にとっては非常に恐ろしい打撃であった。ほとんど脳天から水を浴びせられたように愕然《ぎょっ》として見上げると磯は、皮肉な冷笑を浮べながら立っていた。 「お千代さんがよろしくって言ったぜ、どうも御親切にありがとうッて……」 「だって私は自分の……」 とまでは言うたが、あとは唇《くちびる》が強張《こわば》って、例えば夢の中で悶《もだ》え苦しむ人のように、私はただ助役の顔をジッと見つめた。 「君! 腹を立てたのか、馬鹿な奴だ、そんなことで上役に怒って見たところで何になる」  私は怒ったわけじゃなかッたけれども、助役の語があまり烈《はげ》しく私の胸に応《こた》えたので、それがただの冗談とは思われなかったからである。  私は初めから助役を快よく思うていなかったのが、このこと以来、もう打ち消すことの出来ない心の隔てを覚えるようになったのである。      八 「ちょいと、マア御覧よ、こんどはこんなことが書いてあってよ」と一人が小さい紙切を持ってベンチの隅に俯伏すとやっと、十四五歳のを頭に四五人の子守女が低い足駄をガタつかせて、その上に重なりおうててんでに口のなかで紙切の仮名文字をおぼつかなく読んで見てはキャッキャッと笑う。  子守女とはいうものの皆近処の長屋に住んでいる労働者の娘で、学校から帰って来るとすぐ子供の守をさせられる。雨が降っても風が吹いてもこの子守女が停車場《ステーション》に来て乗客《のりて》の噂をしていないことはただの一日でもない、華《はな》やかに着飾った女の場合はなおさらで、さも羨ましそうに打ち眺めてはヒソヒソと語りあう。  季節の変り目にこの平原によくある烈しい西風が、今日は朝から雨を誘《いざの》うて、硝子《がらす》窓に吹きつける。沈欝な秋の日に乗客はほんの数えるばかり、出札の河合は徒然《つれづれ》に東向きの淡暗《うすぐら》い電信取扱口から覗《のぞ》いては、例の子守女を相手に聞きぐるしい、恥かしいことを語りおうていたが、果てはさすがに口へ出しては言いかねるものと見えて、小さい紙片に片仮名ばかりで何やら怪しいことを書きつけては渡してやる。  女はそれを拾い読みに読んでは娯《たの》しんでいる。その言いしれぬ肉のおもい[#「おもい」に傍点]を含んだ笑い声が、光の薄い湿っぽい待合室に鳴り渡って人の心を滅入《めい》らすような戸外《そと》の景色に対《くら》べて何となく悲しいような、またあさましいような気がして来る。 「あれ——河合さん嫌《いや》だよ、よう! 堪忍してよう!」と賤しい婦人《おんな》の媚《こ》びるような、男の心を激しく刺激するような黄いろい声がするかと思うと、ほかの連中が、ワッと手をたたいて笑う、 「もう雷様が鳴らなけりゃあ離れない、雷様が」と河合が圧《お》しつけるような低い声で言う。 「謝ったよう! 謝った」と女は泣くように叫ぶ。一番|年量《としかさ》の、多分高谷の姿でも真似たつもりだろう、髪を廂《ひさし》に結うて、間色のリボンを付けたのが、子を負ったまま、腰を屈めて、愛嬌の深い丸顔を真赤にしてしきりに謝っている。  見ると女はどうしたものか火燈口から右の手を河合に取られている。河合はその手をギュッと握って掌へ筆で何か描こうとしている。 「痛いじゃあないか、謝ったからよう! あれ——あんなものを書くよう……」  雨はまた一としきり硝子窓を撲《う》つ、淋しい秋の雨と風との間に猥《みだ》りがましい子守女の声が絶えてはまた聞えて来る。  私の机の下の菰包《こもづつ》みの蔭では折ふし思い出したように虫の音がする。  ふと見ると便所の方に向いた窓の硝子に人影が射したので、私はツイと立って軒伝いに冷たい雨の頻吹《しぶき》を浴びながら裏の方に廻って見ると、青い栗《くり》の毬彙《いが》が落ち散って、そこに十二三歳の少年《こども》が頭から雫《しずく》のする麦藁《むぎわら》帽子を被《かぶ》ってションボリとまだ実の入らぬ生栗を喰べている。  秋もやや闌《た》けて、目黒はもうそろそろ栗の季節である。      九  見れば根っから乞食《こじき》の児《こ》でもないようであるのに、孤児《みなしご》ででもあるのか、何という哀れな姿だろう。 「おい、冷めたいだろう、そんなに濡《ぬ》れて、傘《かさ》はないのか」 「傘なんかない、食物だってないんだもの」といまだ水々しい栗の渋皮をむくのに余念もない。 「そうか、目黒から来たのか、家はどこだい父親《ちゃん》はいないのか」 「父親なんかもうとうに死んでしまったい。母親《おっかあ》だけはいたんだけれど、ついとうおれを置いてけぼりにしてどこかへ行ってしまったのさ、けどもおらアその方が気楽でいいや、だって母親がいようもんならそれこそ叱《しか》られ通しなんだもの」 「母親は何をしていたんだい」 「納豆《なっとう》売りさ、毎朝|麻布《あざぶ》の十番まで行って仕入れて来ちゃあ白金の方へ売りに行ったんだよ、けどももう家賃が払えなくなったもんだから、おればっかり置いてけぼりにしてどこかへ逃げ出してしまったのさ」 「母親一人でか?」 「小さい坊やもつれて!」 「どこに寝ているのか」 「昨夜《ゆうべ》は大鳥様へ寝た」と権之助坂の方を指さして見せる。  私はあまりの惨《いた》ましさに、ポケットから白銅を取り出してくれてやると少年は無造作に受け取って「ありがとう」と言い放つとそのまま雨を衝いて長峰のおでん屋の方に駆けて行ってしまった。  見送ってぼんやりと佇んでいると足立駅長が洋服に蛇《じゃ》の目《め》の傘をさして社宅から来かけたが、廊下に立ってじっと私の方を見ていた。雨垂れの音にまぎれて気がつかなかったが、物の気配に振り向くとそこに駅長が微笑を含んでいた。  今の白銅は私が夕飯のお菜《かず》を買うために持っていたので、考えて見ると自分の身に引き比べて何だか気羞かしくなって来た。コソコソと室に入って椅子によると同時に大崎から来た開塞の信号が湿っぽい空気に鳴り渡った。乗客《のりて》は一人もない。      十  雨がやむと快晴が来た。  シットリと濡れた尾花が、花やかな朝日に照りそうて、冷めたい秋風が一種言いしれぬ季節の香を送って来る。崖の上の櫨《はじ》はもう充分に色づいて、どこからとなく聞えて来る百舌鳥《もず》の声が、何となく天気の続くのを告げるようである。  今日は日曜で、乗客が非常に多い。午後一時三十五分品川行きの列車が汽笛を鳴らして運転をはじめたころ、エビスビールあたりの帰りであろう、面長の色の浅黒い会社員らしい立派な紳士が、眼のあたりにポッと微薫を帯びて、洋杖《ステッキ》を持った手に二等の青切符を掴んで階壇を飛び降りて来た。 「危険《あぶない》! もうお止しなさい※[#感嘆符三つ、447-下-14] 駄目《だめ》です駄目《だめ》です!」と私は一生懸命に制止した。  紳士は微酔《ほろよ》い機嫌《きげん》でよほど興奮しているものと見えて、私のいうことをさらに耳に入れない。行きなり疾走をはじめた二等室を追いかけて飛び乗りをしようとする。私はこの瞬間|慥《たし》かに紳士の運命を死と認めた。  よし救え! 私は立ちどころに大胆な決心をした。  まさに紳士が走り出した汽車の窓に手をかけようとした刹那《せつな》、私は紳士のインバネスの上から背後《うしろ》ざまに組みついた。 「な、な、何をするか! 失敬な※[#感嘆符三つ、448-上-2] こやつ……」 「お止しなさい、危険《あぶない》です※[#感嘆符三つ、448-上-3]」  駅長も駆けつけた。  けれどもこの時紳士は男の力をこめて私を振り放したが、かっとして向き返ると私の胸を突き飛ばした。私は突かれるとそのまま仰向けに倒れたので、アッという間もなく、柱の角に後頭部をしたたか打ちつけた。      *    *    *  仮繃帯《かりほうたい》の下から生々しい血汐《ちしお》が潤《にじ》み出して私はいうべからざる苦痛を覚えたが、駅長の出してくれた筧《かけい》の水をグッと飲み干すとやや元気づいて来た。  汽車はもう遠く去ったけれども、隧道《トンネル》の口にはまだ黒い煙が残っている。見ると紳士の顔にもしたたか泥が付いて、恐ろしい争闘《いさかい》でもした跡のよう、顔は青褪《あおざ》めて、唇には血の気の色もない、俯向いてきまりが悪そうに萎《しお》れている。口髯《くちひげ》のやや赤味を帯びたのが特長で、鼻の高い、口もとに締りのある、ちょっと苦味走った男である。  紳士の前に痩身《やせぎす》の骨の引き締った三十前後の男が茶縞《ちゃじま》の背広に脚袢《きゃはん》という身軽な装束《いでたち》で突き立ったまま眼を光らしている。鳥打帽子の様子といい、草鞋《わらじ》をはいたところといいどこから見ても工夫の頭《かしら》としか見えない。 「どうだ上まで歩かれるか、大丈夫だろう洗って見たら大した傷でもあるまい」と駅長が優しくいうので、私も気を取り直して柱を杖に立ち上った。  傷は浅いと見えてもうあまり眩暈《めまい》もしない。「もう大丈夫です」と答えると、駅長はちょっと紳士の方を向いて、 「どうかちょっとお話し致したいことがございますから」というと紳士は黙って諾《うなず》いた。 「じゃあ君もね」と工夫頭の方を向いて駅長が促した。その親しげなものの言い振りで私ははじめて、二人が知己《しりあい》であるということを知った。  駅長は親切に私をいたわって階壇を昇《のぼ》るとその後から紳士と工夫頭とがついて来た。壇を昇りきると岡田が駆けて来て、 「大槻さんが今すぐに参りますそうで」と駅長の前に呼気《いき》を切りながら復命した。      十一  私はそのまま駅長の社宅に連れて行かれて、南向きの縁側に腰を下すと、駅長の細君が忙わしく立ち働いていろいろ親切に手を尽してくれる。  そこへ罷職軍医の大槻|延貴《のぶたか》というのがやって来て、手当てにかかる。私はジッと苦痛《くるしみ》を忍んだ。  手術はほどなく済んで繃帯も出来た。傷は案外に浅くって一週間ばかりで全治するだろうという話、細君の汲んで来た茶を飲みながら大槻は傍にいた岡田を相手に、私が負傷した顛末《てんまつ》を尋ねると細君も眉《まゆ》を顰《ひそ》めながら熱心に聞いていたが、 「マア、ほんとうに危険《あぶな》いですね、——それにしても藤岡さんがいなけれゃあ、その人は今ごろもうどうなっているか分りませんね」 「何にしろ、すぐ隧道《トンネル》になるのですからね、どうしたって助かるわけはないです」と岡田が口を入れる。 「危険《あぶない》ですな! 汽車も慣れるとツイ無理をしたくなって困るのです」と大槻はいうたが、細君と顔を見合わせて、さて今まで忘れていたように互いに時候の挨拶をする。  大槻は年ごろ五十歳あまり、もと陸軍の医者で、職を罷《や》めてからは目黒の三田村に遷《うつ》り住んで、静かに晩年を送ろうという人、足立駅長とは謡曲の相手で四五年|以来《このかた》の交際《つきあい》であるそうだ。  大槻芳雄というのは延貴の独《ひと》り息子《むすこ》で、少からぬ恩給の下る上に遺産もあるので、出来るだけ鷹揚《おうよう》には育てたけれど、天性《うまれつき》才気の鋭い方で、学校も出来る、それに水彩画がすきでもし才気に任せて邪道に踏み込まなかったならばあっぱれの名手となることだろうと、さる先輩は嘆賞した。けれどもこの人の欠点をいえばあまり画才に依頼しすぎて技術の修練をおろそかにするところにある。近ごろ大槻はある連中とともに日比谷公園の表門に新設される血なまぐさいパノラマを描いたとかいうので朋友《なかま》の間には、早くもこの人の前途に失望して、やがては、女のあさましい心を惹《ひ》くために、呉服屋の看板でも描くだろうというような蔭口をきく者もあるそうである。  岡田はしばらくするうちに、停車場《ステーション》の方に呼ばれて行く、大槻軍医も辞し去ってしもうた。後で駅長の細君は語を尽して私を慰めてくれた。細君というのは年ごろ三十五六歳、美人というほどではないけれども丸顔の、何となく人好きのするというたような質である。 「下宿にいちゃあ何かと困るでしょう、どうせ一週間ばかりなら宅《うち》にいて養生してもいいでしょう、ね、宅でも大変お前さんに見込みをつけていろいろお国の事情なんかも聞いて見たいなんて言うていましたよ」 「え、ありがとう、しかしこの分じゃあ大した傷でもないようですから、それにも及びますまい、奥様にお世話になるようではかえって恐れ入りますから」 「何もお前さん、そんな遠慮には及ばないよ、ちっとも構やあしないんだから気楽にしておいでなさいよ」細君は一人で承知している。  ブーンとものの羽音がしたかと思うとツイ眼の先の板塀で法師蝉《ほうしぜみ》が鳴き出した。コスモスの花に夕日がさして、三歩の庭にも秋の趣はみちみちている。 「オ※[#感嘆符三つ、450-上-4] 奥さんですか、今日はとんだことでしたね」と言う声に見ると、大槻が開け放して行った坪の戸から先刻《さっき》プラットホームで見受けた工夫頭らしい男が、声をかけながら入って来たのであった。細君は立ち上って、 「マア小林さん、今日は……随分久しぶりでしたね」という口で座蒲団を出す。小林はちょっと会釈して私を繃帯の下からのぞくようにして、 「どうだい君! 痛むかい、乱暴な奴もあるもんだね」 「え、ありがとう、なに大したこともないようです」 「傷も案外浅くてね、医者も一週間ばかりで癒《なお》るだろうって言うんですよ」と細君が口を添える。 「奥さん、今日は僕も関係者《かかりあい》なんですよ」 「エ! どうして?」とポッチリとした眼をみはる。 「あんまり乱暴なことをしやあがるので、ツイ足がすべって野郎を蹴倒《けたお》したんです」と言うたが細君の汲んで出した茶をグッと飲み干す。私は小耳を引っ立てて聴いている。      十二 「今度複線工事のことについてちょっと用事が出来てここまでやって来たのです。プラットホームで足立さんに会って挨拶をしていると、今の一件です。  駅長さんが飛び出したもんですから、私もすぐその後へついて行った。この児が」といいかけてちょっと私の方を見て、「野郎に突き倒されるのを見ると、グッと癪《しゃく》に障《さわ》って男の襟頸《えりくび》を引っ掴んで力任せに投げ出したんです、するとちょうど隧道《トンネル》に支《つか》えた黒煙が風の吹き廻しでパッと私たちの顔へかかったんでどうなったか一切夢中でしたけれども、眼を開《あ》いて見ると可哀そうに野郎インバネスを着たまま横倒しに砂利の上に這《は》いつくばっている……」 「マア!」と言うて人のいい細君は眉を顰《ひそ》めた、私も敵《かたき》ながらこの話を聞いては、あんまりいい気もしなかった。 「それから足立さんと二人で、男を駅長室に連れ込んで談《はな》して見たところが、イヤどうも分らないの何のって、工学士と言えば、一通りの教育もありながら、あんまり馬鹿げていて、話にも何にもならないです」 「悪かったとも何とも言わないのですか」 「ヤレ駅夫が客に対してあんまり無法なことをするとか、ヤレ自分は工学士で汽車には慣れているから、大丈夫飛乗りぐらいは出来るとか、まるで酔漢《えいどれ》を相手にして話するよりも分らないのです。何しろ柔和《おとな》しい足立さんも今日はよほど激していたようでした」  私は小林の談話《はなし》を聴いて、言いしれぬ口惜しさを覚えた。自分の職務というよりも、私があの紳士を制止したのは紳士の生命をあやぶんでのことではないか、私は弱き者の理由がかくして無下に蹂《ふ》み躙《にじ》られて行くのを思うて思わず小さい拳を握った。 「柔和しい足立さんの言うことが私にはもう、まだるっこくなって来たもんですから、手厳《てきび》しく談じつけてやろうとすると足立さんが待てというて制する。足立さんはそれから静かに理を分けてまるで三歳児《みつご》に言い聞かすように談すと野郎もさすがに理に落ちたのか、私の権幕に怖《お》じたのか、駅夫の負傷は気の毒だから療治代はいくらでも出すとぬかすじゃあありませんか」  私は思わず涙の頬に流れるのを禁じ得なかった、療治代は出してやる、私はつくづく人の心の悲しさを知った。さすがに人のいい細君も「マア何という人でしょう!」というてホッと吐息を漏らした。 「ところが驚くじゃあありませんか、私と足立さんとが、決して金を請求するためにこんなことを言うたのじゃあない、療治代を貰いたいために話したのじゃあないと言うと、野郎|怪訝《けげん》な顔をしているのです。それから何と言うかと思うと、おれは日本鉄道の曽我とは非常に懇意の間《なか》だ、何か話しがあるならば曽我に挨拶しようと言う。私はもうグッと胸が塞《つま》って来ましたから、構うことはないもうやっつけてしまえと思ったのですけれども、足立さんがしきりに止める。私も駅長の迷惑になるようではと思いかえして腕力だけはやめにして出て来たんです」  話しているところへ駅長が微笑を含んで入って来た。 「曽我祐準の名をよほどわれわれが怖がるものと思うたのか、曽我曽我と言い通して腕車《くるま》で逃げ出してしもうたよ」と言いながら駅長は制服のまま、小林と並んで縁側に腰を下したが、「どうも立派な顔はしていても、話して見ると、あんな紳士が多いのだからな」と言うたが思い出したように私の方を見て、 「傷はどうだい、あんまり大したこともあるまい、今、岡田に和服《きもの》を取りに行ってもらうことにした」  短かい秋の日はもう暮れかけて、停車場では電鈴がさも忙しそうに鳴り出した。      十三  栗の林に秋の日のかすかな大槻医師の玄関に私はひとり物思いながら柱に倚《よ》って、薬の出来るのを待っている。 「もういいのよ……」どこかで聞き覚えのある、優しい処女《おとめ》の声が、患者控室に当てた玄関を距《へだ》てて薬局に相対《むきあ》った部屋の中から漏れて来たが、廊下を歩く気配がして、しばらくすると、中庭の木戸が開いた。  高谷千代子の美しい姿がそこへ現われた。いつにない髪を唐人髷《とうじんまげ》に結うて、銘仙の着物に、浅黄色の繻子《しゅす》の帯の野暮《やぼ》なのもこの人なればこそよく似合う。小柄な体躯《からだ》をたおやかに、ちょっと欝金色《うこんいろ》の薔薇釵《ばらかざし》を気にしながら振り向いて見る。そこへ大槻が粋《いき》な鳥打帽子に、紬《つむぎ》の飛白《かすり》、唐縮緬《とうちりめん》の兵児帯《へこおび》を背後《うしろ》で結んで、細身の杖《ステッキ》を小脇《こわき》に挾《はさ》んだまま小走りに出て来たが、木戸の掛金を指《さ》すと二人肩を並べて、手を取るばかりに、門の方に出て行くのである。  千代子は小さい薬瓶を手巾《ハンケチ》に包んでそれに大槻の描いた水彩画であろう半紙を巻いたものを提《さ》げている。私はハッとしたが隠れるように項垂《うなだ》れて、繃帯のした額に片手を当てたが、さすがにまた門の方を見返した。  私が見返した時に、二人はちょうど今門を出るところであったが、一斉《いっせい》に玄関の方を振り向いたので、私とパッタリ視線が会うた。私は限りなき羞かしさに、俯向いたまま薬局の壁に身を寄せた。  きのうまで相知らなかった二人がどうして、あんな近附きになったのであろう、千代子が大槻を訪ねたのか、イヤイヤそんなことはあるまい、私は信じなかったが世間の噂では大槻は非常に多情な男で、これまでにもう幾たびも処女を弄《もてあそ》んだことがあるという、そう言えばこの間も停車場《ステーション》でわざわざ千代子の戸《ドアー》を開けてやったところなど恥かしげもなく、あつかましいのを見れば大槻が千代子を誘惑したに相違ない。それにしても何と言うて言い寄ったろうか。  千代子が大槻のところへどこか診察してもらいに行って、この玄関に待ち合わしているところへ大槻が奥から出て来て物を言いかけたに違いない、「マアこっちへ来て画でも見ていらっしゃい」などと言う、大槻はいい男だし、それにあの才気で口を切られた日には、千代子でなくとも迷わない者はあるまい。  佳人と才子の恋というのはこれであろう、大槻が千代子を恋うるのが無理か、千代子が大槻を慕うのが無理か、たとえば絵そらごとに見るような二人の姿を引きくらべて見て私はさらに、「私が千代子を恋するのは無理ではないだろうか」と、われとわが心に尋ねて見たが、今まで私の思うたことのいつか恐ろしい嫉妬《ねたみ》の邪道《よこみち》に踏み込んでいたのに気がつくと、私はもう堪えかねて繃帯の上から眼を蔽《おお》うて薬局の窓に俯伏した。 「藤岡さん、薬が出来ましたよ」と書生は薬を火燈口から差し出してくれたが、私の姿をあやぶんで、 「また痛みますか、どうしたんです?」と窮屈そうに覗《のぞ》きながら尋ねる。 「いいえ、どうも致しません」と私は簡単に応《こた》えて大槻の家の門を出たが、水道の掘割に沿うて、紫苑《しおん》の花の咲きみだれた三田村の道を停車場の方にたどるのである。  私はなぜに千代子のことを想《おも》うてこんなに苦しむのだろう、私はゆめあの女《ひと》を恋してはいない、私がいつまでもいつまでもあの女のことを思うたにしてもそれは思うばかりで、それでつまりがどうしようというのでもない、恋してもいない人のことをなぜこんなに気にするのだろう。  それともこれが恋というものであろうか。  私の耳には真昼の水の音がさながらゆめのように聞えて、細い杉《すぎ》の木立から漏れて来る日の光が、さながら月夜の影のように思いなされた。      十四  私の傷はもう大かた癒《い》えた、次の月曜日あたりから出勤しようと思うて、午後駅長の宅《うち》を訪ねて見た。細君が独りで板塀の外で張り物をしていたが、私が会釈《えしゃく》するのを見て、 「今日は留守ですよ、非番でしたけれども本社の方から用があるというて来ましたので朝出かけたままですよ」 「どんな御用でしょう、この間の事件《こと》ではないでしょうか」 「サア、宅の人もそう言うていましたがね、ちっとも心配することはないと言うて出て行きましたよ」とさりげなく言うたけれども、私は細君の眉のあたり何となく晴れやらぬ憂いの雲を見た。  私はこのいい細君が襷《たすき》をあやどって甲斐甲斐《かいがい》しく立ち働きながらも、夫の首尾を気づこうて、憂いを胸にかくしている姿を見て、しみじみと奉職《つとめ》の身の悲しさを覚えて、私のし過しから足立駅長のような善人が、不慮の災難を被《き》ることかと思うと、身も世もあられぬような想いがした。 「心配なことはないでしょうか」 「大丈夫でしょう」と言うたが、顔を上げて、 「もう快《い》いのですか」 「ええ明後日あたりから出勤することにしたいと思いまして……」      *    *    *  その夜の月はいと明るかった。  駅長は夕方帰って来たが、きょうは好きな謡曲もやらないで、私の訪ねるのを待っていろいろその日の首尾を話してくれた。  要するに、私の心配したほどでもなかったが、駅長は言うべからざる不快を含んで帰って来たらしい。  この間の工学士というのは品川に住んでいた東京市街鉄道会社の技師を勤めている蘆鉦次郎《ろしょうじろう》という男で、三十二年の卒業生であるそうだ、宮内省に勤めた父親の関係から、社長の曽我とも知己《しりあい》の間《なか》でこの間の失敗《しくじり》を根に持ってよほど卑怯な申立てをしたものと見えて、始めは大分事が大げさであったのを、幸いに足立駅長が非常に人望家であったために、営業所長が力を尽して調停《とりな》してくれてやっと無事に済んだということであった。  そういう首尾では駅長が不快に思うのも無理はない、私は非常に気の毒に思うて、私が悪いのだから、私が職を罷《や》めたならば、上役の首尾も直るでしょうと言えば、駅長はすぐ打ち消して、かえって私を慰めた上に、いろいろ行末のことも親切に話してくれた。  私は駅長の問うにまかせて、私の身の上話をした。月影のさす秋の夜に心ある夫婦の前で寂しい来しかたの物語をするのは私にとって、こよなき歓楽《よろこび》であった。  私の父は静岡の者で、母はもと彦根の町のさる町家の娘で、まだ禿《かむろ》の時分から井伊の城中に仕えてかの桜田事件の時にはやっと十八歳の春であったということ、それから時世が変って、廃藩置県の行われたころには井伊の老臣の池田某なるものに従うて、遠州浜松へ来た。  池田某が浜松の県令に撰抜されたからで、母は桜田の騒動以来、この池田某に養われていたのであった。  母はここで縁があって父と結婚して、長い御殿奉公を止めて父と静岡にかなりの店を開いて、幸福に暮していた。母の幸福な生活というのは実にこの十年ばかりの夢に過ぎなかったので、私は想うて母の身の上に及ぶと、世に婦人の薄命というけれど、私の母ばかり不幸な人は多くあるまいと思わぬ時はないのである。  父が死んでから、私たち母子《おやこ》は叔父の家に寄寓して言うに言われぬ苦労をしたが、私は小学校を出て叔父の仕事の手伝いをしている間も深く自分の無学を羞《は》じて、他人ならば学校盛りの年ごろを、いたずらに羞かしい労働に埋《うも》れて行くことを悲しんだ。私がだんだん年ごろとなるに連れて叔父との調和《おりあい》がむずかしく若い心の物狂わしきまでひたすらに、苦学——成功というような夢に憧れて、母の膝に嘆き伏した時は、苦労性の気の弱い母もついに私の願望《ねがい》を容れて、下谷の清水町にわびしく住んでいる遠縁の伯母をたよりに上京することを許してくれた。  去年の春下谷の伯母を訪ねて、その寡婦《やもめ》暮しの聞きしにまさる貧しさに驚かされた私は、三崎町の「苦学社」の募集広告を見て、天使の救いにおうたように、雀躍《こおどり》して喜んだ。私は功名の夢を夢みて「苦学社」に入った。  母の涙の紀念《かたみ》として肌身《はだみ》離さず持っていたわずかの金を惜しげもなく抛《な》げ出して入社した三崎町の苦学社を逃げ出して再び下谷の伯母の家に駆け込んだ時は、自分ながら生命のあったのを怪しんだほどである。私は初めて人間の生血を吸《と》る、恐ろしい野獣《けもの》の所為をまのあたり見た。  坂本町に住む伯母の知己《しりあい》の世話で私が目黒の駅に務めることになったのは、去年の夏の暮であった。私はもう食を得ることよりほかにさしあたりの目的《あて》はない。功名も、富貴も、それは皆若い私の夢であった、私はもう塵《ちり》のような、煙のような未来《ゆくすえ》の空想を捨てて、辛い、苦しい生存《ながらえ》の途《みち》をたどらなければならないのだ。私の前には餓死《がし》と労働の二つの途があって私はただ常暗《とこやみ》の国に行くために、その途の一つをたどらなければならないのだ。  駅長も細君も少からぬ同情をもって私の話を聞いてくれた。やや寒い秋の夜風が身にしみて坪の内には虫の声が雨のようである。      十五  その夜駅長は茶を啜《すす》りながら、この間プラットホームで蘆《ろ》工学士を突き倒した小林浩平の身の上話をしてくれた、私がただ学問とか栄誉とかいうはかないうつし世の虚栄を慕うて、現実の身を愧《は》じ、世をかねる若い心をあわれと思ったからであろう。その話の大概《あらまし》はこうであった。  小林というのは駅長の郷里で一番の旧家でまた有名な資産家であった先代に男の子がなくて娘ばかり三人、総領のお幾というのが弥吉という婿《むこ》を迎えて、あとの娘二人はそれぞれよそに嫁《かた》づいてしもうた。この弥吉とお幾との間に出来たのがかの小林浩平で、駅長とは竹馬の友であった。  ところがお幾は浩平を産むととかく病身で、彼がやっと六歳の時に病死してしもうた。弥吉もまだ年齢は若いし、独身で暮すわけにも行かないので、小林の血統《ちすじ》から後妻《のちぞい》を迎えておだやかに暮して行くうちに後妻にも男の子が二人も生まれた。  弥吉は性来義理固い男で、浩平は小林家の一粒種だというので、かりそめの病気にも非常に気を揉《も》んで、後妻に出来た子どもとは比較にならないほど大切にする。妻も無教育な女にしては珍らしい心がけの女で夫の処致を夢さら悪く思うようなことなく、実子はさて措《お》いて浩平に尽すという風で、世間の評判もよく弥吉も妻の仕打ちを非常に満足に想うていた。  ところが浩平が成長して見ると誰の気質を受けたものか、よほどの変物であった。頭が割合に大きいのに顎《あご》がこけて愛嬌の少しもない、いわば小児《こども》らしいところの少い、陰気な質であった。学友《なかま》はいつしか彼を「らっきょ」と呼びなして囃《はや》し立てたけれども、この陰欝な少年の眼には一種不敵の光が浮んでいた。  中学へ行ってからのことは駅長は少しも知らなかったそうだ。しかし一しょに行ったものの話では小学時代と打って変って恐ろしい乱暴者《あばれもの》になったそうだ。卒業する時には誰でも小林は軍人志願だろうと想像していたが、彼は上京して東京専門学校で文学を修めた、この間駅長は鉄道学校にいて彼に関する消息は少しも知らなかったが、四年ばかり以前に日鉄労働者の大同盟罷工が行われた時、正気倶楽部《せいきくらぶ》の代表者として現われたのは、工夫あがりの小林浩平であった。  驚いて様子を聞いて見ると、彼は学校を出るとそのまま、父親に手紙をやって「小作人の汗と株券の利子とで生活するのは人間の最大罪悪だ、家産は弟にやる、自分はどうか自由に放任しておいてくれ」という意味を書き送った。父親は非常に驚いて何か不平でもあるのか、家産を弟に譲っては小林家の先祖に対して申しわけがない、ことに世間で親の仕打ちが悪いから何か不平があって、面当てにすることと思われては困るというので、泣くようにして頼んで見たけれど浩平は頑《がん》として聞かなかった、百方《いろいろ》手を尽して見たけれどもそれは全く無駄であった。  村では浩平が気が触れたのだという評判をする者さえあったそうだ。  幾万の家産を抛《なげう》ち、義理ある父母を棄てた浩平はそのまま工夫の群に姿を隠したがいつの間にかその前半生の歴史をくらましてしもうた。彼が野獣のような工夫の団結を見事に造り上げて、その陣頭に現われた時には社会に誰一人として彼の学歴を知っているものはなかったのである。駅長はそのころ中仙道大宮駅に奉職《つとめ》ていて、十幾年かぶりで小林に会見したのであったそうだ。 「君なんぞまだ若気の一途《いちず》に、学問とか、名誉とかいうことばかりを思うのも無理はないけれど、何もそんな思いをして学問をしなくっても人間の尽す道はわれわれの生活の上にも充分あるではないか。  見給え、学問をしてわざわざ工夫になった人さえあるではないか、君! 大いに自重しなくちゃいけないよ、若い者には元気が第一だ」 「はい……」と小さい声で応《こた》えたが、私は何とも知れぬ悲しさと嬉しさとが胸一ぱいになって、熱い涙がハラハラ頬を流れる。努めて一口|応答《こたえ》をしようと思うけれど、張りさけるような心臓の激動と、とめどなく流れる涙とに私はただ啜《すす》り上げるばかりであった。 「小林はあれで立派な学者だ、この間の話では複線工事の監督にここへ来るということだから、君も気をつけて近附きになっておいたら何かと都合がよかろう」  私の胸には暁の光を見るように、新しい勇気と、新しい希望とが湧いた。      十六  社宅を辞して戸外《そと》に出ると夜は更《ふ》けて月の光は真昼のようである。私は長峰の下宿に帰らず、そのまま夢のような大地を踏んで石壇道の雨に洗われて険しい行人坂を下りた。  故郷の母のこと、下谷の伯母のこと、それから三崎町の「苦学社」で嘗《な》めた苦痛《くるしみ》と恐怖《おそれ》とを想い浮べて連想は果てしもなく、功名の夢の破滅《やぶれ》に驚きながらいつしか私は高谷千代子に対する愚かなる恋を思うた。私がこれまで私の恋を思うたびに、冷たい私の知恵は私の耳に囁《ささ》やいて、恋ではない、恋ではないとわれとわが心を欺いてわずかに良心の呵責《かしゃく》を免れていたが、今宵この月の光を浴びて来し方の詐欺《いつわり》に思い至ると、自分ながら自分の心のあさましさに驚かれる。  私は今改めて自白する、私の千代子に対する恋は、ほとんど一年にわたる私の苦悩《なやみ》であった、煩悶《わずらい》であった。  そして私はいままた改めてこの月に誓う、私は千代子に対する恋を捨てて新しい希望《のぞみ》に向って、男らしく進まなければならない。ちょうど千代子が私に対するような冷たさを、数限りなき私たちの同輩《なかま》はこの社会《よのなか》から受けているではないか。私はもう決して高谷千代子のことなんか思わない。  決心につれて涙がこぼれる。立ち尽すと私は初めて荒漠《こうばく》なあたりの光景に驚かされた、かすかな深夜の風が玉蜀黍《とうもろこし》の枯葉に戦《そよ》いで、轡虫《くつわむし》の声が絶え絶えに、行く秋のあわれをこめて聞えて来る。先刻《さっき》、目黒の不動の門前を通ったことだけは夢のように覚えているが、今気がついて見ると私は桐《きり》ヶ|谷《や》から碑文谷《ひもんや》に通う広い畑の中に佇んでいる。夜はもう二時を過ぎたろう、寂寞《ひっそり》としてまるで絶滅の時を見るようである。  人の髪の毛の焦げるような一種異様な臭気がどこからともなく身に迫って鼻を撲《う》ったと思うと、ぞっとするように物寂しい夜気が骨にまでも沁み渡る。  何だろう、何の臭気《におい》だろう。  おお、私はいつの間にか桐ヶ谷の火葬場の裏に立っていたのだ。森の梢《こずえ》には巨人が帽を脱いで首を出したように赤煉瓦《あかれんが》の煙筒が見えて、ほそほそと一たび高く静かな空に立ち上った煙は、また横にたなびいて傾く月の光に葡萄鼠《ぶどうねずみ》の色をした空を蛇窪村《へびくぼむら》の方に横切っている。  私は多摩川の丸子街道に出て、大崎に帰ろうとすると火葬場の門のあたりで四五人の群に行き合うた。私はこの人たちが火葬場へ仏の骨を拾いに来たのだということを知った。両傍に尾花の穂の白く枯れた田舎道を何か寂しそうにヒソヒソと語らいながら平塚村の方に行く後影を私は見送りながら佇んだ。 「おい兄《にい》や、どうしてこんなとこへ来たんだいおかしいな、狐《きつね》に魅《つま》まれたんじゃあないの?」  私は少年《こども》の声にぞっとして振り向きさま、月あかりにすかして見ると驚いた。この間雨の日に停車場で五銭の白銅をくれてやった、あの少年ではないか。 「君か、君こそどうしてこんなところに来ているのかい」と私はニタニタ笑っている少年の顔を薄気味悪くのぞきながら問い返した。 「おらア当り前よ、ここのお客様に貰いに来ているのじゃあないか、兄やこそおかしいや!」と少年はしきりに笑っている。  ああ、少年は火葬場に骨拾いに来る人を待ち受けて施与《ほどこし》を貰うために、この物淋しい月の夜をこんなところに彷徨《うろつ》いているのだ。  五位鷺《ごいさぎ》が鳴いて夜は暁に近づいた。      十七  その年も暮れて私は十九歳の春を迎えた。  停車場《ステーション》ではこのごろ鉄の火鉢に火を山のようにおこして、硝子《がらす》窓を閉めきった狭い部屋の中で、駅長の影さえ見えなければ椅子を集めて高谷千代子と大槻芳雄の恋物語をする、駅長と大槻とは知己なので駅長のいる時はさすがに一同遠慮しているけれども、助役の当番の時なんぞは、ほとんど終日その噂で持ちきるようなありさまである。おれはかしこの森で二人の姿を見たというものがあれば、おれはここの野道で二人が手を取って歩いているのを見たという者がある。それから話の花が咲いて、あることないこと、果ては聴くに忍びないような猥《みだ》りがましい噂に落ちて、ドッと笑う。  最もこれは停車場ばかりの噂ではなかった、長峰の下宿の女房《かみさん》も、権之助坂の団子屋の老婆《ばあさん》も、私は至るところで千代子の恋の噂を耳にした、千代子は絶世の美人というのではないけれども、大理石のように緻《こま》やかな肌《はだ》、愛嬌《あいきょう》の滴《したた》るような口もと、小鹿が母を慕うような優しい瞳は少くとも万人の眼を惹《ひ》いて随分評判の高かっただけに世間の嫉妬《ねたみ》もまた恐ろしい。  嫉妬! 私は世間の嫉妬の恐ろしさを今初めて知った。憐《あわ》れなる乙女は切なる初恋の盃に口つけする間もなく、身はいつの間にかこの恐ろしい毒焔の渦《うず》まきに包まれて、身動きも出来ない※[#「言+山」、第3水準1-91-94]謗《せんぼう》の糸は幾重にもそのいたいけな手足を縛めていたのである。「どうして大槻という奴は有名な男地獄で、もう横浜にいた時分から婆芸妓《ばばあげいしゃ》なんかに可愛がられたことがあって大変な玉なんだ」と誰やらがこんなことをいうた。 「女だってそうよ、虫も殺さないような顔はしていても、根が越後女だからな」私はこんな※[#「言+山」、第3水準1-91-94]誣《そしり》の声を聞くたびに言うに言われぬ辛い思いをした。私の同情は無論純粋の清い美しい同情ではなかった。二人の運命を想いやる時には、いつでも羞かしい我の影がつき纏《まと》うて、他人《ひと》の幸福《さいわい》を呪《のろ》うようなあさましい根性も萌《きざ》すのであった。  実際千代子の大槻に対する恋は優しい、はげしい、またいじらしい初恋のまじりなき真情《まこと》であった。万事に甘い乳母を相手の生活《くらし》は千代子に自由の時を与えたので、二人夕ぐれの逍遙《そぞろあるき》など、深き悲痛《かなしみ》を包んだ私にとってはこの上なく恨めしいことであった。  貧しき者は、忘れても人を恋するものでない。  恋——というもおこがましいが、私にとっては切なる恋、その恋のやぶれから、言いしれぬ深い悲哀がある上に、私は思いがけない同輩《なかま》の憎悪《にくしみ》を負わなければならない身となった。それは去年の秋の蘆《ろ》工学士の事件から私は足立駅長に少からぬ信用を得て、時々夜など社宅に呼ばれることがある、ほかの同輩はそれを非常に嫌に思うている。  私は性来の無口、それに人との交際《つきあい》が下手で一たび隔った心は、いつ調和《おりあい》がつくということもなく日に疎《うと》ましくなって行く、磯助役を始め同輩の者はこのごろろくろく口を聞くこともまれである。私はこんなに同輩から疎まれるとともに親しい一人の友が出来た、それはかの飄浪《さすらい》の少年であった。  このごろの寒空に吹きさらされてさすがに堪えかねるのであろう。日あたりのいい停車場の廊下に来て、うずくまっては例の子守女にからかわれている、雪の降る日、氷雪《みぞれ》の日、少年は人力車夫の待合に行って焚火《たきび》にあたることを許される。  少年は三日におかず来る、私は暇さえあればこの小さい飄浪者を相手にいろいろの話をして、辛くあたる同輩の刃のような口を避けた。私はいつか千代子と行き会ったかの橋の欄干《おばしま》に倚《よ》って、冬枯れの曠野《ひろの》にションボリと孤独《ひとりみ》の寂寥《さみしさ》を心ゆくまでに味わうことも幾たびかであった。      十八  寂しい冬の日は暮れて、やわらかな春の光がまた武蔵野にめぐって来た。  ちょうど三月の末、麦酒《ビール》会社の岡につづいた桜の莟《つぼみ》が綻《ほころ》びそめたころ、私は白金《しろかね》の塾で大槻医師が転居するという噂を耳にした。塾というのは片山という基督《きりすと》教信者が開いているのでもとは学校の教師をしていたのが、文部省の忌憚に触れて、それからはもう職を求めようともせず、白金今里町の森の中に小さい塾を開いて近処の貧乏人の子供を集めては気焔を吐いている。駅長とは年ごろ懇意にしているので私は駅長の世話で去年の秋の暮あたりから休暇の日の午後をこの片山の塾に通うこととした。  片山泉吉というて年齢《とし》は五十ばかり、思想は古いけれども、明治十八年ごろに洗礼を受けて、国粋保存主義とは随分はげしい衝突をして来たので、貧乏の中に老いたけれども、気骨はなかなか青年を凌《しの》ぐ勢いである。  私はこの老夫子の感化で多少読書力も出来る。労働を卑しみ、無学を羞じて、世をはかなみ、身をかねるというような女々《めめ》しい態度から小さいながら、弱いながらも胸の焔を吐いて、冷たい社会《よのなか》を燬《や》きつくしてやろうというような男々《おお》しい考えも湧いて来た。  大槻が転居するという噂は、私にとって全然《まるきり》、他事《よそごと》のようには思われなかった、私はそれとなく駅長の細君に、聞いて見たが噂は全く事実であった。肌寒い春の夕がた私は停車場《ステーション》の柱によって千代子の悲愁を想いやった。思いなしかこのごろその女《ひと》の顔がどうやら憔《やつ》れたようにも見える。  大槻の家族が巣鴨《すがも》に転居してから、一週間ばかり、金曜の午後私が改札口にいると大槻芳雄が来て小形の名刺を私に渡して小声で囁いた。 「高谷さんにこれを渡してくれないか」率直に言えば私は大槻が嫌いだ、大槻が嫌いなのは私の嫉妬ではないと思う。けれども私が今これを拒むのは何となく嫉妬のように見えてそれは卑怯だという声が心の底で私を責める、私は黙って諾《うなず》いた。 「ありがとう!」といかにも嬉しそうに言うたが、「君だからこんなことを頼むのよ、いいねきっと渡してくれ給え!」と念を押すようにして、ニッコリ笑うた、何という美しい青年であろう、心憎いというのはこういう姿であろう。  どうしたものかその日千代子の学校の帰りは晩《おそ》かった。どこでどうして私はこれを千代子に渡そうかと思ったが、胸は何となく安からぬ思いに悩んだ、長い春の日も暮れて火ともしごろ、なまめかしい廂髪《ひさしがみ》に美人草の釵《かざし》をさした千代子の姿がプラットホームに現われた。私は千代子の背後《うしろ》について階壇を昇ったが、ほかに客はほとんどない。 「高谷さん!」私はあたりをはばかりながら呼びかけた。思いなしか千代子は小走りに急ぐ、「高谷さん!」と呼ぶと、こんどは中壇に立ち止って私の方を向いたが、怪訝《けげん》な顔をして口もとを手巾《ハンケチ》でおおいながら、鮮やかな眉根をちょいと顰《ひそ》めている。 「何ですか大槻さんがこれをあなたに上げて下さいって……」と私は名刺を差し出した。 「ああそう」と虫の呼気《いき》のように応えたが、サモきまりが悪そうに受け取って、淡暗《うすぐら》い洋燈《ランプ》の光ですかして見たが、「どうもありがとう」と迷惑そうに会釈する。私はこの千代子の冷胆な態度に、ちょうど、長い夢から醒めた人のようにしばらくはぼんやりとして立ち尽した。  辛い人の世の生存《ながらえ》に敗れたものは、鳩《はと》のような処女の、繊弱《かよわ》い足の下にさえも蹂み躙られなければならないのか。  翌日、千代子は化粧《よそおい》を凝らして停車場に来た。その夕、大槻は千代子を送ってプラットホームに降りたが、上野行きの終列車で帰った。土曜、日曜の夕、その後私は幾たびも大槻が千代子を送って目黒に来るのを見た。二人がひそひそと語らいながら、私の顔を見ては何事か笑い興ずるような時など、私は胸を刳《えぐ》って嬲《なぶ》り殺しにされるような思いがした。  佳人と才子との恋はその後幾ほどもなく消え失せて大槻の姿は再び目黒の階壇に見られなくなった。例えば曠野に吐き出した列車の煤煙のように、さしも烈しかった世間の噂もいつとはなしに消えて、高谷千代子の姿はいま暮春の花と見るばかり独り、南郊の岡に咲きほこっている。      十九  その春のくれ、夏の初めから山の手線の複線工事が開始せられた。目黒|停車場《ステーション》の掘割は全線を通じて最も大規模の難工事であった。小林浩平は数多の土方《どかた》や工夫を監督するために出張して、長峰に借家をする。一切の炊事は若い工夫が交代《かわりばん》に勤めている。私は初めて小林の勢力を眼のあたり見た、私は眼に多少の文字ある駅夫などがかえって見苦しい虚栄《みえ》に執着して妄想の奴隷となり、同輩互いに排斥し合うているのに、野獣のような土方や、荒くれな工夫が、この首領の下に階級の感情があくまでも強められ、団結の精神のいかにもよく固められたのを見て、私はいささか羞かしく思うた。あらぬ思いに胸を焦がして、罪もない人を嫉《ねた》んだり、また悪《にく》しんだりしたことのあさましさを私はつくづく情なく思うた。  工事は真夏に入った。何しろ客車を運転しながら、溝《みぞ》のように狭い掘割の中で小山ほどもある崖を崩《くず》して行くので、仕事は容易に捗《はかど》らぬ、一隊の工夫は恵比須麦酒《えびすビール》の方から一隊の工夫は大崎の方から目黒停車場を中心として、だんだんと工事を進めて来る。  初めのうちは小さいトロッコで崖を崩して土を運搬していたのが、工事の進行につれて一台の汽鑵車を用うることになった。たとえば熔炉の中で人を蒸し殺すばかりの暑さの日を、悪魔の群れたような土方の一団が、てんでに十字鍬《つるはし》や、ショーブルを持ちながら、苦しい汗を絞って、激烈な労働に服しているところを見ると、私は何となく悲壮な感にうたれる。恵比須停車場の新設地まで泥土を運搬して行った土工列車が、本線に沿うてわずかに敷設された仮設|軌道《レール》の上を徐行して来る。見ると渋を塗ったような頑丈な肌を、烈しい八月の日にさらして、赤裸体《あかはだか》のもの、襯衣《シャツ》一枚のもの、赤い褌《ふんどし》をしめたもの、鉢巻をしたもの、二三十人がてんでに得物《えもの》を提げてどこということなしに乗り込んでいる。汽鑵の正面へ大の字にまたがっているのがあるかと思えば、踏台へ片足かけて、体躯《からだ》を斜めに宙に浮かせているのもある。何かしきりに罵《ののし》り騒ぎながら、野獣のような眼をひからせている形相は所詮《しょせん》人間とは思われない。  よほどのガラクタ汽鑵と見えて、空箱の運搬にも、馬力を苦しそうに喘《あえ》がせて、泥煙をすさまじく突き揚げている、土工列車がプラットホーム近くで進行を止めた時、渋谷の方から客車が来た。掘割工事のところに入ると徐行して、今土工列車の傍を通る。土方は言い合わせたように客車の中をのぞき込んだが何か眼についたものと見えて、 「ハイカラ! ここまで来い」 「締めてしまうぞ……脂が乗ってやあがら」 「女学生! ハイカラ! 生かしちゃあおかねいぞ」  私は恐ろしい肉の叫喚《さけび》をまのあたり聴いた。見ると三等室の戸《ドアー》が開いて、高谷千代子が悠々《ゆうゆう》とプラットホームに降りた。華奢《きゃしゃ》な洋傘《こうもり》をパッと拡《ひろ》げて、別に紅い顔をするのでもなく薄い唇の固く結ぼれた口もとに、泣くような笑うような一種冷やかな表情を浮べて階壇を登って行ってしもうた、土方はもう顧《みかえ》る者もない、いつの間にかセッセと働いている。  私はなぜに同じ労働者でありながら、あの土方のようにさっぱりとして働けないのであろう。  土方が額に玉のような汗を流して、腕の力で自然に勝って、あらゆるものを破壊して行く間に、私たちは、シグナルやポイントの番をして、機械に生血を吸い取られて行くのだ。私たちのこの痩《や》せ衰えた亡者のような体躯《からだ》に比べて、私はあの逞《たくま》しい土方の体躯が羨ましい、そして一口でもいいからあの美しい千代子の前に立って、あんな暴言が吐いて見たい。  私は片山先生と小林監督との感化で冬の氷に鎖《とざ》されたような冷たい夢から醒めて、人を羨み身を羞じるというような、気遅れがちの卑しい根性をだんだんに捨てて行くことが出来た。  新しい希望に満たされて、私は新しい秋を迎えた。      二十 「今日の社会は大かた今僕が話したような状態《ありさま》で、ちょうどまた新しい昔の大名《だいみょう》が出来たようなものだ。昔の大名は領土を持っていて、百姓から自分勝手に取立てをして、立派な城廓《しろ》を築いたり、また大勢の臣下《けらい》を抱えたりしていた。今話した富豪《かねもち》という奴がやっぱり昔の大名と同じで、領土の代りに資本を持っている大仕掛けの機械を持っている。資本と機械とがあればもうわれわれ労働者の生血を絞り取ることは容易いものだ。昔の祖先《じいさん》たちが土下座をして大名の行列を拝んでいるところへ行って、今から後にはお大名だとか将軍様だとかいうものがなくなって、皆同等の人間として取り扱われる時が来るというて見たところで、それを信ずるものは一人もなかったに違いない。けれども時が来れば大名もなくなる、将軍もなくなる。今僕がここで君に話したようなことを、同輩《なかま》に聞かして見たところで仕方がない。  いや、僕にしてからがこれからの社会はどんなであろうとか、いつそんな社会になるであろうというようなことを深く考えるのは大嫌いだ、またそんな暇もないのだが、少くも現在自分たちは朝から晩までこんな苦しい労働をしてもなぜ浮ぶ瀬がないのか、なぜこんな世知辛《せちがら》い社会になったのか、また自分たちと社会とはどういう関係になっているのかということぐらいは皆が知っていてくれなくちゃあ困る、僕が先刻《さっき》話したようなことをだね」  小林監督は私を非常に愛してくれる。今日も宵から親切に話し続けて今の社会の成立をほとんど一時間にわたって熱心に説明してくれた。「先年大宮で同盟罷工《ストライキ》があってから、一時社会では非常にあの問題が喧《やかま》しかったが、労働者はそう世間で言うように煽動《おだて》て見たところで容易く動くものじゃあない、世間の学者なんという奴らが、同盟罷工と言えばまるでお祭騒ぎでもしているように花々しいことに思うのが第一気に喰わねい、よしんば煽動《おだて》たにしろ、また教唆《そそのか》したにしろ、君も知っての通りあの無教育な連中が一個月なり二個月なり饑※[#「飮のへん+曷」、第4水準2-92-63]《うえ》を忍んで団結するという事実の底には、どれほどの苦痛や悲哀があるのか知れたものではない」窪《くぼ》んだ眼は今にも火を見るかと思われるばかり輝いて、彼の前にはもう何者もない、彼はもう去年プラットホームで私のために工学士を突き飛ばした工夫頭ではなくて、立派な一かどの学者だ、感にうたれ項《うなじ》を垂れて聴きとれている私の姿が、彼にとっては百千の聴衆とも見えるようである。 「時の力というものは恐ろしいものだ。大宮一件以来もう十五年になる、僕たちが非常な苦痛を嘗《な》めて蒔《ま》いた種がこのごろようやく芽を出しかけた。北海道にも、足尾にも、別子にも、長崎にも僕たちの思想《おもい》は煙のように忍び込んで、労働者も非常な勢いで覚醒《めざ》めて来た」  それから彼が、その火のような弁を続けて今にも暴風雨《あらし》の来そうな世の状態を語った時には、私の若い燃えるような血潮は、脈管に溢《あふ》れ渡って、何とも知れず涙の頬に流れるのを覚えなかったが、私の肩にソッと手を掛けて、 「惜しいもんだ。学問でもさせたらさぞ立派なものになるだろう……けれども行先の遠い身《からだ》だ、その強い感情をやがて、世の下層に沈んで野獣のようにすさんで行く同輩のために注いでくれ給え、社会のことはすべて根気だ、僕は一生工夫や土方を相手にして溝の埋草になってしまっても、君たちのような青年《わかもの》があって、蒔いた種の収穫《とりいれ》をしてくれるかと思えば安心して火の中にでも飛び込むよ」  激しい男性の涙がとめどなく流れて、私は面をあげて見ることが出来なかった。談話《はなし》は尽きて小林監督は黙って五分心の洋燈《ランプ》を見つめていたが人気の少い寂寥《ひっそり》とした室の夜気に、油を揚げるかすかな音が秋のあわれをこめて、冷めたい壁には朦朧《ぼんやり》と墨絵の影が映っている。 「君はもう知っているか、足立が辞職するということを」こんどは調子を変えて静かに落ち着いて言う。 「エ! 駅長さんはもうやめるのですか!」と私は寝耳に水の驚きを覚えた。「いつ止めるのでしょう、どうして……」と私の声がとぎれとぎれになる。 「この間遊びに行くとその話が出た、もっとも以前からその心はあったんだけれど、細君が引き止めていたのさ」 「駅長さんが止めてしまっちゃあ……」と私は思わず口に出したが、この人の手前何となく気がとがめて口を噤《つぐ》んだ。 「その話もあった。駅長がいろいろ君の身の上話もして、助役との関係も蔭ながら聞いた。もし君さえよければ足立の去ったあとは僕が及ばずながら世話をして上げよう」  その夜私はどこまでも小林に一身を任せたいこと、幸いに一人前の人間ともなった暁には、及ばずながら身を粉に砕いてもその事業のために尽したいということなどを、廻らぬ重い口で固く盟《ちか》って宿を辞した。  長峰の下宿に帰ってから灯《あかり》を消して床に入ったが虫の声が耳について眠られない、私は暗のうちに眼ざめて、つくづく足立夫婦の親切を思い、行く先の運命をさまざまに想いめぐらして、二時の時計を聴いた。      二十一  少からず私の心を痛めた、足立駅長の辞職問題は、かの営業所長の切なる忠告で、来年の七月まで思いとまるということになって私はホッと一息した。  物思う身に秋は早くも暮れて、櫟林《くぬぎばやし》に木枯しの寂しい冬は来た。昨日まで苦しい暑さを想いやった土方の仕事は、もはや霜柱の冷たさをいたむ時となった。山の手線の複線工事も大略《あらまし》済んで、案の通り長峰の掘割が後に残った。このごろは日増しに土方の数を加えて、短い冬の日脚《ひあし》を、夕方から篝火《かがりび》を焚いて忙しそうに工事を急いでいる。灯の影に閃《ひらめ》く得物の光、暗にうごめく黒い人影、罵《ののし》り騒ぐ濁声《だみごえ》、十字鍬や、スクープや、ショーブルの乱れたところは、まるで戦争《いくさ》の後をまのあたり観るようである。  大崎村の方から工事を進めて来た土方の一隊は長峰の旧《もと》の隧道《トンネル》に平行して、さらに一個《ひとつ》の隧道を穿《うが》とうとしている。ちょうどその隧道が半分ほど穿たれたころのことであった。一夜霜が雪のように置き渡して、大地はさながら鉱石《あらがね》を踏むように冱《い》てた朝、例の土方がてんでに異様ないでたちをして、零点以下の空気に白い呼気《いき》を吹きながら、隧道の上のいつものところで焚火をしようと思ってやって来て見ると、土は一丈も堕《お》ち窪《くぼ》んで、掘りかけた隧道は物の見事に破壊《くず》れている。 「ヤア、大変だぞ※[#感嘆符二つ、1-8-75] こりゃあ危ない※[#感嘆符二つ、1-8-75]」と叫ぶものもあれば「人殺しい、ヤア大変だ」と騒ぎ立てる者もある。 「夜でマアよかった、工事最中にこんなことがあろうものなら、それこそ死人があったんだ」 「馬鹿ア言え夜だからこんなことがあったんだ、霜柱のせいじゃあないか」 「生意気なことを言やあがる、手前見たような奴だ、こんなところで押し潰《つぶ》される玉は! あんまり強吐張《ごうつくば》りを言やあがると後生《ごしょう》がないぞ」  日がさして瓦屋根の霜の溶ける時分には近処の小売屋の女房《かみさん》も出て来れば、例の子守女も集まって喧しい騒ぎになって来た。監督の命令で崩れた土はすぐ停車場《ステーション》前の広場に積み上げる、夜を日についでも隧道《トンネル》工事を進めよというので、土方は朝からいつにない働き振りである。  霜日和《しもびより》の晴れ渡ったその日は、午後から鳶色《とびいろ》の靄《もや》が淡《うす》くこめて、風の和《な》いだ静かな天気であった。午後四時に私は岡田と交代して改札口を出ると今朝大騒ぎのあった隧道のところにまた人が群立って何か事故《こと》ありげに騒いでいる。どうしたのだろう、また土が崩れたのではあるまいか、そうだそれに違いないと独りで決めて見物人の肩越しにのぞいて見ると、土は今朝見たまま、大かた掘り出してちょうど井戸のようになっているばかりで別に新しく崩れたという様子もない。 「どうしたんだい、誰か負傷《けが》でもしたの」と一人が聞くと、「人が出たんですとさ、人が!」と牛乳配達らしいのが眼を丸くして言う。私は事の意外に驚いたが、もしやと言う疑念が電光《いなずま》のように閃いたので、無理に人を分けて前へ出て見た。  疑念というのは、土の崩れた中から出た死骸《しがい》が、フト私の親しんだ乞食の少年ではないだろうか、少年は土方の夜業をして捨てて行った燼《もえさし》にあたるために隧道の上の菰掛《こもが》けの仮小屋に来ていたのを私はたびたび見たことがあったからである。見ると死骸はもう蓆に包んで顔は見えないけれども、まだうら若い少年の足がその菰の端から現われているので、私はそれがあの少年にまぎれもないことを知った。  ああ、可憐《かあい》そうなことをした!  どこからともなく襲うて来た一種の恐怖が全身に痺《しび》れ渡って、私はもう再びその菰包みを見ることすら出来なかった。昨日まであんなにしていたものを、人間の運命というものは実に分らないものだ。何という薄命な奴だろう、思うに昨夜の寒さを凌《しの》ぎかねて、焚火の燼の傍に菰を被ったままうずくまっていたところを、急に崩れ落ちて、こんなあさましい最後を遂げたに相違あるまい。  少年の事情はせめて小林監督にでも話してやろう、私は顔をあげて死骸の傍に突っ立っている逞《たくま》しい労働者の群を見た。薄い冬の夕日が、弱い光をそのあから顔に投げて、猛悪な形相《ぎょうそう》に一種いいしれぬ恐怖と不安の色が浮んでいる。たとえば猛獣が雷鳴を怖れてその鬣《たてがみ》の地に敷くばかり頭を垂れた時のように、「巡査《おまわり》が来た!」 「大将も一しょじゃあないか」「大将が来たぞ!」と土方は口々に囁く、やがて小林監督は駐在所の巡査を伴立《つれだ》ってやって来た。土方は言い合わせたように道をあける。      二十二 「いい成仏《じょうぶつ》をしろよ!」と小林の差図で工夫の一人がショーブルで土を小さい棺桶の上に落した。私はせめてもの心やりに小石を拾って穴に入れる。黙っていた一人がこんどは横合いから盛り上げてある土をザラザラと落したので棺はもう大かた埋もれた。  小坊主が、人の喉を詰まらせるような冷たい空気に咽《むせ》びながら、鈴を鳴らして読経をはじめた。  小林は洋服のまま角燈を提げて立っている。  私が変死した少年のことについて小林に話すと、彼は非常に同情して、隧道《トンネル》の崩れたのは自分の監督が行き届かなかったからで、ほかに親類《みより》がないと言うならば、このまま村役場の手に渡すのも可憐そうだからおれが引き取って埋葬してやるというので、一切を引き受けて三田村の寂しい法華寺《ほっけでら》の墓地の隅に葬ることとなった。もっともこの寺というのは例の足立駅長の世話があったのと、納豆売りをしていた少年の母のことを寺の和尚《おしょう》が薄々知っていたのとで、案外早く話がついて、その夜のうちに埋葬してしまうことになったのだ。  今夜はいつになく風が止んで、墓地と畑の境にそそり立った榛《はん》の梢が煙のように、冴《さ》え渡る月を抽《ぬ》いて物すごい光が寒竹の藪《やぶ》をあやしく隈どっている。幾つとなく群立った古い石塔の暗く、また明《あか》く、人の立ったようなのを見越して、なだらかな岡が見える。その岡の上に麦酒《ビール》会社の建築物が現われて、黒い輪廓《りんかく》があざやかに、灰色の空を区画《くぎ》ったところなど、何とはなしに外国《とつくに》の景色を見るようである。  咽《むせ》ぶような、絶え入るような小坊主の読経は、細くとぎれとぎれに続いた。小林監督は項垂《うなだ》れて考え込んでいる。      *    *    * 「工事が済み次第行くつもりだ、しばらくあっちへ行って働いて見るのも面白かろう、同志《なかま》はすぐにも来てくれるようにと言うのだけれど今ここを外すことは出来ない、それに正軌倶楽部の方の整理《しまつ》もつけて行かなけりゃあ困るのだから、早くとも来年の三月末ころにはなるだろうな」 「そうなれば私も非常に嬉しいのです。停車場の方もこのごろはつくづく嫌になりましたし、なるたけ早く願いたい方です」と私は心から嬉しく答えた。 「駅長も来年の七月までということだし、それにあっちへ行けば、同志の者は僕を非常に待っていてくれるのだから、君も今より少しはいい位置が得られるだろうと思う、かたがた君のためにはマア幸福かも知れない」 「足立さんも満足して下さるでしょう」 「あの男も実に好人物だ、郷里《くに》の小学校にいた時分からの友達で、鉄道に勤めるようになってからもう二十年にもなるだろう、もう少し覇気《はき》があったなら相当な地位も得られたろうに、今辞職しちゃ細君もさぞ困るだろう」  二人は話しながら、月の光を浴びて櫟林《くぬぎばやし》の下を長峰の方にたどった。冬の夜は長くまだ十時を過ぎないけれども往来には人影が杜絶《とだ》えて、軒燈の火も氷るばかりの寒さである。  長崎の水谷造船所と九州鉄道の労働者間にこんどよほど強固な独立の労働組合が組織されて、突然その組織が発表されたことは二三日前の新聞紙に喧しく報道された。私はその組合の幹部が皆小林監督の同志であって、春を待って私たちがその組合の事業を助けるために門司《もじ》に行かねばならぬということは夢にも思わなかったが今夜小林監督にその話を聞いて、私は非常に勇み立った。  実を言うと私が門司に行くのを喜んだのは一つには目黒を去るということがあるからである。私はこのごろ、馴染《なじ》みの乗客に顔を見られたり、また近処の人に遇《あ》ったりすると、何だか「あやつもいつまで駅夫をしているのか」と思われるような気がして限りなき羞恥を覚えるようになって来た。その羞かしい顔をいつまでも停車場にさらして人知れぬ苦悩を胸に包むよりも、人の生血の波濤《おおなみ》を眼《ま》のあたり見るような、烈しい生存の渦中に身を投げて、心ゆくまで戦って戦って、戦い尽して見たいという悲壮な希望に満たされていたからである。  私は雨戸を締めるために窓の障子を開けた。月の光は霜に映って、まるで白銀の糸を引いたよう。裏の藪で狐《きつね》が鳴いた。      二十三  二十歳《はたち》の春は来た。  停車場《ステーション》もいつの間にか改築される、山の手線の複線工事も大略《あらまし》出来上って、一月の十五日から客車の運転は従来《これまで》の三倍数になった。もうこれまでのようにのんきなことも出来ない、私たちの仕事は非常に忙しくなって来た。  鉄道国有案が議会を通過して、遠からず日鉄も官営になるという噂は、駅長の辞意をいよいよ固くした。  私は仕事の忙しくなったことをむしろ歓んで迎えた。前途《ゆくさき》に期待《まちもうけ》のある身に取っては物思う暇のないほど嬉しいことはない、一月も二月も夢のように過ぎて、南郊の春は早く梅も鶯《うぐいす》もともに老いた。  佳人の噂はとかく絶える間もない、高谷千代子は今年『窮行女学院』を卒業するとすぐ嫁に行くそうだという評判は出札の河合を中心としてこのごろ停車場の問題である。 「女というものは処女《むすめ》のうちだけが花よ、学校にいればまた試験とか何とかいうて相応に苦労がある、マア学校を卒業して二三年親のところにいる間が女としては幸福な時だね、学校を卒業するとすぐお嫁にやるなんて乳母も乳母だ、あんまり気が利かな過ぎるじゃあないか」生意気な河合はちょうど演説でもするように喋《しゃべ》る。 「ヒヤヒヤ、二三年目黒にいて時々停車場へ遊びに来るようだとなおいいだろう」と柳瀬という新しい駅夫が冷かすと、岡田が後へついて「柳瀬なんぞは知るまいがこれには深い原因《わけ》があるのだね、河合君は知っているさ、ねえ君!」 「藤岡なんぞあれで一時大いに欝《ふさ》ぎ込んだからね」と私の方を見て冷笑する、私は思わず顔をあからめた。  姿なり、いでたちなり、婦人《おんな》というものはなるたけ男の眼を惹《ひ》きつけるように装うてそれでやがて男の力によって生きようとするのだ。男の思いを惹こうとするところに罪がある。それは婦人が男によって生きねばならぬ社会の罪だ。罪は罪を生む。私たちのように汚れた、疲れた、羞かしい青年は空《むな》しく思いを惹かせられたばかりで、そこに嫉妬が起る、そこに誹謗《そしり》が起る、私は世の罪を思うた。      *    *    *  三月十八日は高谷千代子の卒業日、私は非番で終日長峰の下宿に寝ているつもりであったけれども、何となく気が欝いでやるせがないので、家を出るとそのまま多摩川の二子《ふたこ》の方に足を向けた。木瓜《ぼけ》の花と菫《すみれ》の花とが櫟林の下に咲き乱れている。その疎《まば》らな木立越しに麦の畑が遠く続いて、菜の花の上に黒ずんだ杉の林のあらわれたところなど、景色も道も単調ではないけれど、静かな武蔵野の春にわれ知らず三里の道を行き尽して、多摩川の谷の一目に見渡される、稲荷坂《いなりさか》に出た。  稲荷坂というのは、旧《もと》布哇《はわい》公使の別荘の横手にあって、坂の中ほどに小さい稲荷の祠《ほこら》がある。社頭から坂の両側に続いて桜が今を盛りと咲き乱れている。たまさかの休暇を私は春の錦という都に背《そむ》いて思わぬところで花を見た。祠の縁に腰をかけて、私はここで「通俗巴里一揆物語」の読みかけを出して見たが、何となく気が散って一|頁《ページ》も読むことが出来なかった。私は静かに坂を下りて、岸に沿うた蛇籠《じゃかご》の上に腰かけて静かに佳人の運命を想い、水の流れをながめた。  この一個月ばかり千代子はなぜあんなに欝いでいるだろう、汽車を待つ間の椅子《ベンチ》にも項垂《うなだ》れて深き想いに沈んでいる。千代子の苦悩は年ごろの処女が嫁入り前に悲しむという、その深き憂愁《うれい》であろうか。  群を離れた河千鳥が汀《みぎわ》に近く降り立った。その鳴き渡る声が、春深い霞《かすみ》に迷うて真昼の寂しさが身に沁みるようである。      二十四  四月一日私はいよいよ小林浩平に伴われて門司へ立つのだ。三月十五日限り私は停車場《ステーション》をやめて、いろいろ旅の仕度に忙わしい。たとえば浮世絵の巻物を披《ひろ》げて見たように淡暗い硝子の窓に毎日毎日映って来た社会のあらゆる階級のさまざまな人たち、別離《わかれ》と思えば恋も怨みも皆夢で、残るのはただなつかしい想念ばかりである。森も岡も牧場も水車小屋も、辛い追懐《おもい》の種ばかり、見るに苦しい景色ではあるけれど、これも別離と言えばまた新しい執着を覚える。  旅の支度も大かた済んだ。別離の心やみがたく私は三月二十八日の午後、権之助坂を下りてそれとはなしに大鳥神社の側の千代子の家の垣に沿うて、橋和屋という料理屋の傍から大崎の田圃《たんぼ》に出た。  蓮華《げんげ》、鷺草《さぎそう》、きんぽうげ、鍬形草《くわがたそう》、暮春の花はちょうど絵具箱を投げ出したように、曲りくねった野路を飾って、久しい紀念《おもいで》の夕日が岡は、遠く出島のように、メリヤス会社のところに尽きている。目黒川はその崎を繞《めぐ》って品川に落ちる、その水の淀《よど》んだところを亀の子島という。  大崎停車場は軌道の枕木を黒く焼いて拵えた粗《あら》っぽい柵《さく》で囲まれている。その柵の根には目覚むるような苜蓿《クロバー》の葉が青々と茂って、白い花が浮刻《うきぼり》のように咲いている。私はいつかこの苜蓿の上に横たわって沈欝な灰色の空を見た。品川発電所の煤煙が黒蛇のように渦まきながら、亀の子島の松をかすめて遠い空に消えて行く、私はその煙の末をつくづくと眺めやって、私の来し方のさながら煙のようなことを思うた。  遠くけたたましい車輪の音がするので振り返って見ると、目黒の方から幌《ほろ》をかけた人力車が十台ばかり、勢いよく駆けて来る。雨雲の低く垂れた野中の道に白い砂塵が舞い揚って、青い麦の畑の上に消える。車は見る見る近づいて、やがて私の寝ている苜蓿の原の踏切を越えた。何の気もなく見ると、中央《まんなか》の華奢《きゃしゃ》な車に盛装した高谷千代子がいる。地が雪のようなのに、化装《よそおい》を凝《こ》らしたので顔の輪廓が分らない、ちょいと私の方を見たと思うとすぐ顔をそむけてしもうた。  佳人の嫁婚!  油のような春雨がしとしとと降り出した。ちょうど一行の車が御殿山の森にかくれたころのことである。  翌日私の下宿に配達して行った新聞の「花嫁花婿」という欄に、工学士|蘆《ろ》鉦次郎《しょうじろう》の写真と、高谷千代子の写真とが掲載されて、六号活字の説明にこんなことが書いてあった。 [#ここから2字下げ] 工学士蘆鉦次郎氏(三十五)は望月貞子の媒酌《ばいしゃく》にて窮行女学院今年の卒業生中才色兼備の噂高き高谷千代子(十九)と昨日品川の自宅にて結婚の式を挙げられたり。なお同氏は新たに長崎水谷造船所の技師長に聘《へい》せられ来たる四月一日新婚旅行を兼ね一時郷里熊本に帰省せらるる由なり。 [#ここで字下げ終わり]  蘆鉦次郎——高谷千代子——水谷造船所——四月一日、私はしばらく新聞を見つめたまま身動きも出来なかったが、私の身辺に何か目に見えない恐ろしい運命の糸が纏いついているような気がして、われ知らず手を伸べて頭の髪を物狂わしきまでに掻きむしると、その手で新聞をビリビリと引き裂いてしまった。      二十五  品川の海はいま深い夜の靄《もや》に包まれて、愛宕山《あたごやま》に傾きかけたかすかな月の光が、さながら夢のように水の面を照している。水脈《みお》を警《いまし》める赤いランターンは朦朧《ぼんやり》とあたりの靄に映って、また油のような水に落ちている。  四月一日午後十一時十二分品川発下の関直行の列車に乗るために小林浩平と私は品川停車場のプラットホームに、新橋から来る列車を待ちうけている。小林は午後三時新橋発の急行にしようと言うたのを、私は少し気がかりのことがあったので、強いてこの列車にしてもろうた。 「もう十五分だ」と小林はポケットから時計を出して、角燈《ランプ》の光に透かして見たが、橋を渡る音がしてやがてプラットホームに一隊の男女が降りて来た。  私たちの休んでいる待合の中央の入口から洋服の紳士が、靴音高く入って来た。えならぬ物の馨《かおり》がして、花やかな裾《すそ》が灯影《ほかげ》にゆらいだと思うとその背後から高谷千代子が現われた。  言うまでもなく男は蘆鉦次郎だ。  見送りの者は室の外に立っている、男は角燈の光に私たちの顔を透かして突き立ったが、やがて思い出したと見えて、身軽に振り向くとフイとプラットホームに出てしまった。  はたして彼は私たちを覚えていた。  取りのこされた千代子は、ややうろたえたがちょいと瞳を私にうつすと、そのまま蘆の後を追ってこれもプラットホームに出る。佳人の素振りはかかる時にも、さすがに巧みなものであった。 「見たか?」と小林はニッコリ笑って私の顔をのぞいたが「睨《にら》んでやったぞ※[#感嘆符三つ、471-上-19]」と言う。私はさすがに見苦しい敗卒であった。よもや蘆がこの列車に乗ろうとは思わなかった、この夜陰に何という新婚の旅行だろう、私はあらゆる妄念の執着を断ち切って、新しい将来のために、花々しい戦闘の途に上る、その初陣《ういじん》の門出にまでも、怪しい運命の糸につき纏われて、恨み散り行く花の精の抜け出したような、あの女《ひと》の姿を、今ここで見るというのは何たることであろう。  潮が満ちたのであろう、緩《ゆる》く石垣に打ち寄せる水の音、恐ろしい獣が深傷《ふかで》にうめくような低い工場の汽笛の声、さては電車の遠く去り近く来たる轟《とどろ》きが、私の耳には今さながら夢のように聞えて、今見た千代子の姿が何となく幻影のように思いなされた。 「おい、汽車が来たようだよ」という小林の声に私は急いで手荷物を纏めてプラットホームに出た。  いつの間に来たのか乗客はかなりにプラットホームに群れている。蘆の姿も千代子の姿もさらに見えない、三等室に入って窓の際に小林と相対《あいむか》って座《すわ》った。一時騒々しかったプラットホームもやがて寂寞《ひっそり》として、駅夫の靴の音のみ高く窓の外に響く、車掌は発車を命じた。  汽笛が鳴る……  煙の喘ぐ音、蒸汽の漏れる声、列車は徐々として進行をはじめた。私はフト車窓から首を出して見た。前の二等室から、夜目にも鮮やかな千代子の顔が見えて、たしかに私の視線と会うたと思うと、フト消えてしまった。  急いで窓を閉めて座に就くと、小林は旅行鞄の中から二個《ふたつ》の小冊子を出して、その一部を黙って私に渡した。スカレット色の燃えるような表紙に黒い「総同盟罷工《ゼネラルストライキ》」という文字が鮮やかに読まれた。小林の知己《しりびと》でこのごろ政府からひどく睨まれている有名な某文学者の手になった翻訳である。一時京橋のある書肆《しょし》から発行されるという評判があって、そのまま立消えになったのが、どうしたのか今配布用の小冊子になって小林の手にある。巻末には発行所も印刷所も書いてない。  汽車は今|追懐《おもいで》の深い蛇窪村の踏切を走っている。 底本:「日本の文学 77 名作集(一)」中央公論社    1970(昭和45)年7月5日初版発行    1971(昭和46)年4月30日再版発行 初出:「新小説」    1907(明治40)年12月 ※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。 入力:川山隆 校正:土屋隆 2007年2月13日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。