阿部牧郎 篠懸《すずかけ》の遠い道     1  白い大きな汽船が埠頭に横づけされていた。全長七、八十メートル。平たい船体に三階建てのビルを乗せたような船だった。  一階と二階。二つの甲板があった。どちらもせまい。二階甲板にはプラスチックの屋根がかけられて、ラウンジになっていた。  おかげで船はずんぐりしてみえる。見映えよりも実質である。できるだけ多くの人を乗せられるよう設計されているらしい。よく清掃されているのが外からもわかる。スマートな外観ではないが、時代おくれの旧型船でもなかった。近くに停泊するおびただしい貨物船や漁船にくらべると、汽船はにわかに近代的で、垢ぬけた姿に映った。  おびただしい人々が、港の広場にも待合室にも埠頭にも立っていた。しゃべったり、笑ったり、どよめいたりしていた。船で出発する家族や友人を、その人々は見送りにきたわけではない。船はただの遊覧船だった。港や船や乗客を、その人々は見物にきているのである。外国人旅行者がとくにめずらしいらしい。さきに乗船したアメリカ人旅行者の一行を遠巻きにしてながめたあと、こんどは距離をつめて日本人旅行客を見物しにくる。  父がステッキをつき、左足をひきずってあるいていた。北浦葉子は、父をうしろからささえる気持でついていった。  おなじツアーの人々が、葉子と父の前後を固めるようにあるいている。総勢十五名の小さな団体だった。待合室の改札口を通り、埠頭へ出る。タラップまであるく。たくさんの人々がまわりに立っているので、終始人をかきわける感じが消えなかった。  だが、そんなに疲れなかった。デパートの人混みのなかをあるくときのような、かるい目まいを感じなかった。人々の着ているものが、シンプルな色合いだったからだ。  群衆の三分の一が紺色の服をきていた。あとの三分の一は緑色の服だった。のこりの三分の一は白いワイシャツである。目のくらみようのない配色だった。白地にピンクの刺しゅうをしたシャツをきた娘もたまにはいた。だが、数がすくなすぎる。紺、緑、白の配色に多少の変化をつけようとすれば、娘たちの数はあと十倍は必要だろう。これからおよそ十日間、葉子はどこへいっても、紺と緑と白の群衆のなかをあるくことになるのだ。  父の伊村和一郎をたすけて、葉子は船のタラップをのぼった。  左足が不自由なくせに、父は人の手を借りたがらない。タラップにステッキを突き立てて、大きな身ぶりで、一歩一歩足をはこんだ。二、三度よろめいて、ひっくりかえりそうになった。うしろから葉子がささえてやる。父は体勢を立てなおした。だれの世話にもなっていないような表情で、威勢よくタラップをのぼり終った。  そういうときの父は得意そうである。晴れやかな顔で、子供みたいに胸を張っている。どうだ、やれたぞと心の内でさけんでいるのがわかる。父は昭和二十年の春、フィリピンのルソン島で左足に重傷をおった。迫撃砲の弾丸の破片で、左のかかとを打ちくだかれたのである。以来、父は左足をひきずって生きてきた。五体の健全だったころにはかるく駈けのぼった階段を、歯を食いしばって這いあがらなければならない——そういった経験を、何万回もくりかえしてきたのだ。つらい動作をやりとげても、賞めてくれる者はだれもいない。どうだ、やったぞ。やってのけた。胸の内で何万回となくさけんで、父は今日にいたったのだ。 「上の甲板へまいります。アメリカ人の団体とおなじラウンジへ入りますから」  添乗員の沢田がさけんだ。階段のおどり場に立ってツアーの人々を誘導する。  添乗員はふつう旅行社の社員がつとめる。二十代、三十代の男性が多い。だが、沢田は五十歳だという。白髪の多い、灰色の頭をしていた。その年代の男にしては長身である。日焼けして、肩と腕は頑丈だった。褐色の半袖サファリスーツを身につけている。  階段をのぼり、廊下をあるき、また階段をのぼった。廊下にそって食堂や、大部屋ふうの一般客室があった。  食堂は満員だった。紺や緑や白の服の人々がテーブルのまえに腰をおろして、ナツメや梅のジュースを飲んでいる。中国茶を味わっている人もいる。ピンク色のブラウスをきた若い女も、船内ではたくさん目についた。彼女らのほとんどが、若い男と二人づれだ。船あそびは簡便な新婚旅行なのかもしれない。  二階前方の甲板へ出た。屋根が張りだし、椅子テーブルがならんでいた。展望台をかねたラウンジだった。アメリカ人観光客がほとんどの椅子テーブルを占領している。日本人の一行は、客室に接した、壁が硝子張りのラウンジを利用することになった。クッションのきいた贅沢な椅子や、ソファがならんでいる部屋だった。  沢田の案内で一行はそこへ入った。すぐにウエイトレスが中国茶をはこんでくる。  湯呑みに直接茶の葉をいれる。そこへ湯を注ぐ。湯呑みのなかにはびっしり茶の葉がうかんで、馴れないと飲みにくい。中国の人々は湯の表面をフーッと吹いて、茶の葉を散らせておいて飲む。いかにも熱い茶を飲んでいるような姿である。  日本の茶ほど香ばしくない。苦みもない。だが、何度もくりかえして飲むうち、緑茶の味が口にひろがってくる。まだ中国へきて二日目なのだが、葉子は中国茶が好きになった。ぬるい湯を熱そうにフーッと吹いて、いそいで飲むのがたのしい。  父の伊村和一郎はお茶に手をつけなかった。立って、窓硝子ごしに港の風景をながめていた。くもり空の下に、ヨーロッパふうの古い高層ビルが建ちならんでいる。とんがり屋根の建築もあった。ビルはどれも、紫がかった灰色をしていた。イギリス、フランスなどの租界だった街である。上海港には、中国の一部だとはちょっと信じられないようなヨーロッパの情緒があった。ミラノやマドリッドを思わせるくすんだビル街が水辺にあった。街路樹の篠懸《すずかけ》の並木があざやかな緑色をしている。走ってゆくバスやトラックもけっこう多い。広場や通りをゆききする人々が白人ではないことに、むしろとまどいをおぼえる光景である。 「変ってねえなあ。むかしのままだ。あっちにたしかフランス大使館があった」  灰色のビル街に父は見惚れていた。  負傷したのはフィリピンだが、父は中国戦線にいた歳月のほうが長かった。昭和十二年の秋に上海の東約五十キロの呉淞へ上陸、上海攻略戦に参加した。そのあと南京、武漢を転戦した。二等兵からはじめた一兵卒だった。昭和十八年の春、召集を解除されて郷里の新潟へ帰ることができた。だが、半年後ふたたび召集され、こんどは南方の戦線へおくられたのだ。 「ヨーロッパの風景みたいね。上海がよく歌謡曲に出てくるわけがわかったわ。日本の兵隊さんはこの景色をみて異国情緒にひたったのよね。北陸の農村あたりから出てきて」 「そうだ。わしらはまさにそうだった。外国にきたなあ、と思ったもの。上海には難民がうようよいた。市街戦のあとには敵の死体もころがっていた。それでも外国にきた、という昂奮はあったなあ。庶民の海外旅行なんて夢にも考えられねえ時代だったもの」  汽笛が鳴った。出航である。ゴトンと音を立てて船は岸壁からはなれた。  一階の甲板に立っている人々が埠頭に向けて手をふった。向うも手をあげてこたえる。知合いでもないのに交歓している。日本でもどこかの離島へゆけばこんな風景にぶつかるのだろうか。葉子も硝子ごしに手をふった。無邪気な、若やいだ気分になっていた。  船が乗りだしたのは、黄浦江だった。河幅は千メートル足らずだろう。黄褐色の水がどんよりと淀んで、悠然と流れている。日本の河とちがって、河原も河川敷もない。堤防から堤防まで、深そうな水が張っている。  北西へ五、六十キロくだると、黄浦江は長江(揚子江)と合する。船はその合流点まで航行して、上海港へひきかえす予定である。たくさんの船が河面にうかんでいた。黒や灰色の貨物船が多い。砂利舟のような小舟も、軽快な発動機の音をひびかせてゆききしていた。四角い大きな帆をかかげたジャンクが、ゆっくり河をのぼってくる。  白い遊覧船がほかにもいた。外国の貨物船も数多く停泊している。大型船もたくさんいた。クレーンの林立する堤防もある。規模からいって、上海港はどうみても海の港だった。わずかに波立つ黄褐色の水だけが、ここが河であることの証明になっている。  船は最初、上流へ向かった。反転して下流へ向かうための準備行動だった。北から流れて黄浦江へ注ぐ運河が右にみえた。ゆっくりと船はUターンを開始した。 「みなさん、あの運河にかかっている鉄橋がガーデンブリッジです。涙ぐんでる上海の、夢の四馬路の街の灯、という古い歌に出てきますね。若いかたはご存じないでしょうが」  大きな声で沢田が説明してくれた。  変哲もない鉄橋だった。山形の橋桁が、日本の鉄橋とちがって黒塗りだった。運河は幅百メートルぐらいのものだろう。黄浦江がひろいので、ガーデンブリッジは小さくみえた。オレンジと白の二色塗りのバスが数台、玩具のように橋を通りすぎてゆく。  みるまにガーデンブリッジは左側に移った。船は下流へ向かいはじめた。気のせいか、すこしスピードが増した。ウエイトレスが缶ビールやコーヒー、ジュースなどを外国人の乗客にくばってまわっている。 「涙ぐんでる上海の——。北浦さんなんかはご存じない歌でしょうな」  沢田が、葉子のとなりの席に腰をおろして話しかけてきた。  テーブルをはさんで葉子は父と向かいあっている。父はそっぽを向いていた。沢田に好意をもっていない。戦時中の中国について、彼の説明はいいかげんだという。 「知ってます。戦後、叔父とか叔母がよく歌ってましたもの。私はまだ子供だったけど、ききおぼえはあります」 「そうか。昭和十八年生れでしたね。パスポートをおあずかりしているから、知っています。でも、若くみえる。三十代なかばとしか思えない。お世辞じゃありませんよ」 「ありがとうございます。すがるような思いできいております。あと四ヵ月ちょっとで私、大台でしょ。女の四十って、重くて骨身にこたえる」 「なにをいうんですか。向うの二人づれのお婆ちゃんをごらんなさい。二人とも七十五ですよ。あの年齢で万里の長城へのぼる気でいます。四十がなんですか。これからが花の盛りじゃないですか」  ツアーのメンバーである二人の老婦人を沢田は目で指した。  東京からきた老婦人たちだった。一人はマンション経営者夫人、もう一人はその友達だという。年齢を意識してか、二人ともほかのメンバーとあまり話をしない。バスのなかでも、ホテルの食堂でも、ひっそり身を寄せあって、二人だけの会話をたのしんでいた。 「七十五なんですか。すごいわ。中国へくる人って、やはり年輩のかたが多いのね」  葉子はそうこたえた。  女が四十になる重苦しさ。焦燥。それは七十五まであと三十五年もあるといった事柄とは全然ちがう次元の話である。沢田はそれを意識していない。そういうタイプの男性なのだろう。気らくに話せる相手である。 「ええ。五十代の後半から六十歳代の人が多いですね。ほとんどのかたが日中戦争の勇士です。むかし自分のたたかった場所を訪問したい。年齢をとるとそう思うんでしょう」 「父もそうなんですよ。中国旅行はむかしから念願だったんです。ちょうど私、ひまだったので付添いにきたの」 「お父さんはおいくつですか。やはり六十代の後半ぐらい」 「六十七です。はやく中国へいかないと、体が動かなくなると思ってあせっていたみたい。足がわるいでしょ。だから」  沢田を呼ぶ声がきこえた。  向うのテーブルで、中国人ガイドが手をあげて沢田を招いている。上海担当の中国人ガイドもそこにいた。なにか事務上の打合せでもするのだろう。  沢田は立って彼らのところへいった。葉子は解放された気分だった。  父はいつのまにか外甲板へ出て、風景に見入っている。うすくなった頭髪が風で揺れていた。ステッキをしっかり甲板に突いて父は立っている。若いころ、生命を的にたたかった土地へ約五十年ぶりに彼はやってきた。深い感慨にひたっているのだろう。  葉子は外甲板へ出ていった。父とならんで河と岸の風景に見入った。父はやさしく葉子を一瞥したが、無言だった。  河の北岸には工場地帯がつづいていた。各種の小工場、倉庫、船着場、それにアパートらしい建物が雑然とひしめいている。石造りの古い民家も多い。堤防の下の水の上を、小さな発動機船にひっぱられた、いかだのような平たい船が右往左往している。  南岸は畑が多かった。樹木も目についた。赤煉瓦の建物や白いビルが、畑のなかに点在していた。岸が遠く、人の姿はみえない。郊外、の印象は南岸にあった。トラックが走っている。しばらくゆくと、岸辺の草地で数頭の牛があそんでいた。  ひろびろとして、美しいながめだった。水はあくまで豊富で、ゆったりと動いていた。空も広大である。陸地のはるか奥のほうにも山らしいものはない。陸の事物がすべて小さく可憐にみえた。水上にうかぶ船も、すこしはなれると、玩具のボートのようだった。水の音はきこえるが、眺望は悠揚として、しずかだった。数千年つづいた歴史の、ほんのワンカット。そんな台詞をつぶやいてみたくなる。葉子はデッキにつかまって、奇妙な無力感にかられていた。あまりに大きな世界のなかに立つと、自分自身がこの上なく弱い、小さな存在としか感じられなくなってくる。  中国の大きな河の水は、にごった泥水だときかされてきた。葉子はだから、浮遊物のただよう不潔な河と、沿岸のごみごみした街を想像していた。中国の民衆はまずしいという話もきいていた。汚い国だろうと思った。父の付添いを買って出たものの、フランスやスペインへ出かけるまえのような胸のときめきはなかった。  だが、いまみる黄浦江の風景はため息をさそわれるほど美しかった。厖大な黄褐色の流れと、移り変る沿岸の風物とが、これ以上なくしっくり調和していた。黄褐色の水は、古いヨーロッパふうのビル街にもよく似合った。ごみごみした工場地帯とも、古い灰色の住宅街とも、河の水は調和している。陸地の田畑とも、ひろびろとしたくもり空とも、黄浦江は無理なく溶けあっていた。黄褐色はすべての風景をうすく流れて、おおらかな基調となっている。みわたすかぎり、これまで葉子の知らなかった美の世界だった。 「きれいな国ねえ。中国って、こんなにきれいな国とは思わなかったわ。むかしからこうだったの」  父に葉子は話しかけた。風があるので、しぜんに声が大きくなる。 「河とか山はむかしからこうだった。しかし街はひどいもんだった。まずしくてな。難民がいっぱいいて。景色をたのしむには、街や村から目をはなす必要があったな」 「当時から沿岸には、あんなにたくさん工場やアパートがあったの」 「いや、ほとんどなかった。その点は変ったなあ。堤防もないところが多かった。河原に葦が生えていたもんだ。船も、エンジンをつけたのは外国船ばかりだったなあ」  日本にくらべれば、中国の経済の水準はまだまだひくい。大学卒業者の初任給が、日本円で七千円ぐらいである。  が、それでも戦時中からみると、人々の生活レベルは飛躍的に向上している。信じられないほどよくなっているという。風景をみて父にはそれが実感できるらしい。  名古屋から夫婦づれでツアーに参加した坂橋という老人が葉子の父に近づいてきた。父よりも三つか四つ年上のようだ。坂橋は海軍出身だということだった。 「上海攻略戦の時分、わしは沿岸警備隊におりました。駆逐艦に乗ってこのへんをいったりきたりしとったです。ようジャンクを大砲で撃って沈めよったわ。いまじゃ、あんまり大きい声でいえんがの」 「そうだった。駆逐艦が砲撃するのを何度もみました。ジャンクで敵は補給をしとったんでしょう。たくさん浮いとった」 「ドカン、ドカンとわしらが大砲を撃つわな。イギリスやオランダの軍艦がそばで高みの見物をしとった。あいつらはまだ交戦国やなかった。うっかり手エだすとどえらいことになる。気イつけえと艦長がいうとったわ」  もと陸海軍兵士はどちらも元気さかんだった。勢いこんで当時の思い出話をはじめた。好きなようにさせておいたら、一時間でも二時間でもしゃべるだろう。  葉子には興味のない話題だった。父をそこへのこして、内甲板のラウンジへもどった。くばられたピーナツをつまみ、あんずのジュースでのどをうるおした。アメリカ人の若い女の旅行者が、ガイドブックに読みふけって葉子のまえを通りすぎた。 「ダサイなあ。ひどい国へきたもんだぜ。ちょっとホットドッグがつまみたくなっても、どこにも売ってねえもんな。コーヒー一杯だって、さっと飲めやしない」 「ねえ、みて。このアイスクリーム。牛乳と砂糖だけよ。こんなの、日本だったらだれも買わないわ。ざらざらして、まずい」 「だからアメリカにしようといったんだ。おまえの責任だぞ。中国がいいっていい張るんだから。バカなんだ」 「だってアメリカもヨーロッパも私、はじめてじゃないもん。中国のお料理に興味があったの。おいしいっていうでしょ。花嫁として私、勉強しなくちゃと思ったんだから」  東京からきた新婚の二人づれが、となりの席で話しあっていた。  きのうの昼まえ成田を発った。三時間半で上海へ着いた。一行の旅はまだ二日目である。それでも夫のほうは音をあげていた。消費生活のゆたかでない国へ適応するのに、ひどく苦労しているらしい。自分などはこの国のまずしさに、むしろなつかしい思いを味わっているのに。若夫婦との世代差を、よくもわるくも葉子は意識させられる。  しばらく葉子はひとりで、移りゆく岸の風景をたのしんでいた。  ウースン、ウースンという話し声がきこえた。葉子ははっとして立ちあがった。  呉淞の名は父の口から幾度もきいたことがある。父の所属した部隊が船で日本からはこばれてきて、はじめて中国へ上陸した地点である。昭和十二年の秋。葉子がまだ生れるまえのことだった。銃火をあびながら、父たちは敵前上陸したらしい。少女のころ、酔った父から何度かそのときの話をきいた。呉淞は葉子にとっても、いつのまにか馴染みぶかい地名になっていた。  船は黄浦江と長江の合流点にたっしていた。黄褐色の水が海のようにひろがり、空と水平線を接している。前方はどうみても海の光景だった。水の色だけが海とちがう。長江はこのあたりで河幅は二十五キロあるという。大小さまざまな船が、さまざまな方角へ動いている。どう無秩序に動きまわっても、ぶつかりあう心配はまったくない。それくらい長江はひろびろとしていた。河面がわずかに波立っていた。海の向うを張って、おだやかに波立っているようだ。  呉淞は黄浦江の河口の左岸だった。緑の草が生い茂っていた。建物らしいものは近くになかった。小高い丘がある。林があり、村落があった。土がほとんどみえなかった。二つの大河に面する陸地は、耕作されずに、緑地帯のままのこしてあるのかもしれない。草木の濃い、しずかな一劃だった。激戦地のあとだとはとても思えない。人影も、クルマもそこにはなかった。呉淞は黄褐色の水のなかに突きでた、緑色の小さな岬だった。  目的地へ着いたので、船はUターンをはじめていた。上甲板のいちばんまえに立って、父の伊村和一郎は呉淞をながめていた。  うしろの椅子席に腰かけているアメリカ人旅行者たちの視線をさえぎる位置だった。父はふだん、他人のめいわくになることを極度にきらう。そんな場所に立ったりはしない。だが、いまは夢中らしい。船の柵につかまって風景を凝視している。目を丸くして、少年のように緊張しているのがわかった。  もう一度葉子は上甲板へ出た。父とならんで立った。母が病弱で、父の中国旅行のお供ができなかった。代って自分が、あふれでる父の感慨をうけとめてやるつもりだ。 「どうお父さん。あそこへお父さんたち上陸したんでしょう。むかしと変っている? あまり変っていない」 「実感がねえなあ。なにしろ五十年近くまえのことだからな。あれが呉淞だといわれれば、なるほどなあ、と思う。呉淞でないといわれれば、そうだなあとも思う」 「上陸したとき、すごく射たれたんでしょ。中国軍はあの丘のあたりにいたの」 「いや、あそこは友軍がもう確保しておった。舟から陸にあがるとき、ドンパチやられたというほどでもなかった。しかし、上陸してからが苦しかった。射たれてなあ、なかなか前進できねえのさ」  葉子は当時の父を想像してみた。  父、伊村和一郎は当時二十二歳だった。商業学校を出て、新潟の文具問屋につとめるうち、応召した。父は背が高い。徴兵検査は甲種合格だった。  父は柔和な顔をしている。めったに怒らない。商才よりも、誠実とねばりでやってきた人物である。若いころも、他人とあらそったことがなかったらしい。温厚なので信望があった。そのくせ剣道は二段だった。  その伊村和一郎が鉄かぶとをかぶり、銃をかついで敵前上陸した。射ちまくった。おめきさけんで突撃した。想像しようとしたが、葉子にはできなかった。運動会の父兄の綱引き競争のときみたいに、赤くなって、照れ笑いしながらがんばる姿しか想像できない。お祭で酒に酔って、人にまじって御輿をかついでいる顔しか頭にうかばなかった。 「まったく夢みたいだなあ。三万の兵隊があそこに上陸して、上海サ向かった。射ちまくられて、なかなか前進できなかった。ほとんど膠着状態だった。上海の日本租界にいた海軍の陸戦隊が全滅するのでねえかと思って、気が気でなかったものなあ」  父はうっとりした表情で話していた。  若いころ、ここで自分はこんなふうにたたかったのだ——。じっさいに現場をたずねて子供に物語をしてきかせる。老人にとって、それはなにより大きなよろこびかもしれなかった。自分の生きた軌跡を、なんとか子供に語り伝えたい。年齢をとればだれだってそんな思いにかられるだろう。  男の子なら、なお父はうれしかったろう。父の横顔をみて、葉子はそう考えた。葉子には弟が二人いる。一人は新潟県下のK市で家業をつぎ、一人は東京で大企業に勤務している。父の中国旅行につきあう時間のとれる身分ではなかった。弟たちの代りに、葉子は父の青春に立ち会っているわけだ。  船は上海に向かって動きだした。呉淞もやがて、陸地のかなたへ消えてしまった。二人の右手のほうで、海軍出身の坂橋老人が風景を指して妻になにか説明している。  妻はうなずいてきいていた。感動した表情ではなかった。仕方なさそうにうなずいていた。戦争なんて、女には他人事である。夫や父の参加したそれであっても他人事だった。父の話をきけばきくほど、そう感じられた。戦争を通さずに女は中国をみることができる。この国の美しさ、すばらしさを理解できるのは、男よりも女だ。葉子はそう思った。  ベテラン添乗員の沢田が、ツアーのメンバーに声をかけてまわっていた。一階ホールで奇術のショーがおこなわれる。希望のかたはご案内します、というわけである。  父はまだ風景にひきつけられている。葉子は奇術をみることにした。近くにいた坂橋夫人といっしょに一階へおりた。坂橋老人は葉子の父とまた懐旧談をはじめていた。 「戦争の話をきかされても、ぴんとこないんですよ。へーえ、そうですかと思うだけ。女にはわからないわ。申しわけないけど」  坂橋夫人は小声でうちあけた。  坂橋老人のほうは気がつよく、短気で、せかせかした感じである。目のほそい、鼻の高い、精悍な顔をしている。  対照的に夫人はおっとりしていた。丸顔で、目鼻立ちがおだやかだった。夫に一度も逆らったことがないような老婦人だ。その従順そうな老婦人も、夫の従軍話にはうんざりしているらしい。 「私もそうです。戦争なんて映画とテレビのなかでみただけでしょ。ここで戦争をやったといわれても実感がわかないわ。女って、戦争にはすごく冷淡なところがあるみたい」 「女のやることじゃないんですもの。当然ですよ。でも、男は手柄話をしたいのよね。女にきいてもらいたいの。いいきき役になることが、女には必要なんですよ」  そんな話をして二人はホールへ入った。  沢田が席へ案内してくれる。舞台のすぐまえの特別席だった。アメリカ人の一行もそこに腰をおろしている。  中国人の乗客は、うしろの一般席にすわっていた。満員である。立見の人も多い。外国人の特別あつかいを、彼らはどう思っているのだろう。葉子はふりかえって、人々の表情をみた。みんな熱心に開幕を待っている。外国人旅行者の存在を、まったく無視しているようにみえた。  幕があいた。奇術がはじまった。ハンカチのなかから鳩がとびだしたり、女が寝たまま宙にうかんだり、がんじがらめに縛られた縄をといたりする他愛のないショーだった。皿まわし、綱わたりなどの曲芸もあった。  アメリカ人は案外無邪気に手をたたいている。中国人の観客は大喝采だった。日本人はあくびを噛みころしてみている。坂橋夫人は居眠りしていた。葉子はそっと席を立って、もとのラウンジへもどった。ビールでも飲んで、景色をみていようと思った。  ラウンジでは老人三人がまんなかのテーブルをかこんで歓談していた。  父の伊村和一郎、坂橋、それに会田という七十歳ぐらいの紳士だった。戦時中は横浜正金銀行につとめていた。同銀行の上海支店に一年間滞在したことがあるという。いまなにをしているのかはわからない。話しかたにも物腰にも気品のある老人だった。  老人たちは戦時中の思い出話をつづけていた。坂橋がとなりの椅子をすすめてくれる。謝絶して葉子はすみの席に腰をおろした。父の思い出話になら、きき役にもなれる。だが、三人ぶんをひきうける気力はなかった。  ウエイトレスに缶ビールを注文した。日本のビールをもってきてくれた。葉子には、中国のビールが口に合わない。苦みやホップが足りず、どんよりした味である。  葉子はよろこんで日本製ビールを飲んだ。よく冷えていない。冷えたやつを一気に飲む快楽を、中国の人たちはまだ知らずにいる。冷蔵庫が普及していないからだろうか。だが、黄褐色を基調とする風景と、なまぬるいビールは案外似合っている。ひろびろとした風景のなかで、神経もおおらかになっていて、なまぬるいビールを美味く感じる。ビールは冷たくなければならない、などというのは日本人の一人合点かもしれなかった。  葉子はすぐに缶をからにした。すこし考えてからウエイトレスにお代りを注文する。  新婚の若夫婦がラウンジへもどってきた。二人ともさっき、奇術の舞台の正面で退屈しきっていた。夫のほうは眠そうだった。酔っぱらっているらしい。 「手品だの奇術だの、よくも子供だましばかりやってくれるよ、あーあ、まいった。バーもない船なんだからな。ピーナツとノシイカだけで飲まなくてはならないのかね」  持参のスコッチを新郎は飲んでいる。二十七、八歳の大企業の社員である。 「ビールになさいよ。昼間からあまり飲まないほうがいいわ。私もビールなら飲む」  新婦が葉子のほうをみて、さけんだ。  二人はビールを注文した。品物がとどくまで二人は寄りそい、手をとりあっている。正面の葉子の視線を気にもとめない。新郎は肥満気味。新婦は小柄で愛らしかった。  若夫婦にビールがとどいた。二人は飲んで顔をしかめた。ぬるいのだ。 「まったくもう、どうなってるんだ。ビールさえまともに飲めないのかよう」  新郎が怒った。文句をいいはじめる。  東南アジアの国々もまずしい。だが、ビールくらいは冷えたのが飲める。街に酒場もたくさんある。金を出せば、なんでも手に入る。ところがこの国はどうだ。ろくなものがない。ぬるいビールに子供だましの手品。これから十日も旅すると思うと、うんざりする。もう東京へ帰りたい。平凡にハワイへいったほうがどんなによかっただろう。  新郎は舌打ちしながら愚痴をいった。新婦が唱和した。二人ともビールを一口飲んだだけで缶をテーブルのすみに寄せた。  きいていて葉子は苛立たしかった。三人の老人も同様らしい。歓談をやめて、咎めるような視線を若夫婦へ注いだ。 「きみたち、ボヤくのはいいかげんにしなさい。きき苦しいよ。よその国へきたんだから、その国の流儀をうけいれるより仕様がないだろう。もっと心をひろくもちなさいよ」  もと銀行員の会田老人が若夫婦をたしなめた。上品な風貌のわりに、気骨のある人物のようだった。  新郎はひるんだ顔になった。が、妻の手まえ、ひっこんでもいられないようだ。 「だって、感想をいうぐらい自由でしょう。高い金をはらってきたんだから。こっちは一生に一度の新婚旅行なんですからね。いいたいことぐらい、いわせてもらいたい」 「ボヤいたって仕方がないでしょう。みんなの気分をこわすだけだ。欠点ばかりみないで長所もみるようにしたらどうですか。中国にはすばらしい点が多々あるんだから」 「お年寄りがみてすばらしいってことでしょ。おれたち、関係ないもの。こんなドブ河を遊覧してちっともいいと思わない。せめてビールぐらいちゃんと飲みたいんですよ。それもできないなんて地獄じゃないの、まるで」  憎々しく新郎はいいはなった。  眉をふるわせて会田老人は沈黙した。若いころなら取っ組みあいもできただろう。だが、いまは無理だ。老年の無念さがわかる。 「そんなにいやなら、日本へ帰りゃよかろう。上海に着いたら、さっさと手つづきすりゃええ。わしが添乗員にいうてやるわ」  かん高い声で坂橋老人が口をはさんだ。  高い鼻が、鷲のくちばしのように精悍にみえた。もと水兵はあっさりした口調で話した。かえって迫力がある。 「ああ、帰ってもいいですよ。金をかえしてくれるならね。旅行社には二人ぶんで八十万払いこんであるんだ。ちゃんと精算してくれるなら、よろこんで帰ってあげます」  おや、と北浦葉子は思った。  二人ぶんで八十万とは安いではないか。父と二人ぶんでこちらは九十万円払いこんである。人によって参加費用がちがうらしい。高くとられたと思うと、やはり不愉快だった。  奇術、曲芸のショーが終ったらしい。ツアーの人々がラウンジへもどってきた。最後に沢田があらわれた。すばやく、一行の人数をかぞえて、メモをとっている。三人の老人と若夫婦はこわばった表情である。ほかの人たちはなにも気づかない。なごやかな表情だった。  坂橋老人が沢田を呼んだ。若夫婦を指さして、事情を説明している。 「早う帰してしまえ。あんなのがおると、みんな気分がわるうなるわ。費用を精算してやれ。飛行機の手配もできるじゃろう」 「いや、そうかんたんにはいかないんです。ここは中国ですからね。ほかの国とはちょっとちがいます。入出国の手つづきをぜんぶやりなおさなくてはならない。みなさんのほうが足止めされかねない」  苦笑して沢田はこたえた。  中国には旅行社が一つだけある。旅行公社である。すべての外国人ツアーは、そこを窓口にして中国入りする。もちろん事前にくわしい旅行計画を出して許可をとる。  ガイドの派遣、乗り物やホテルの手配などすべてこの公社をつうじておこなわれる。ツアーの人員数や、スケジュールに変更のあった場合は、旅行計画の申請からやりなおしだ。日本のようにビジネスライクにははこばない。へたをすると、予定より一日ながく上海へ滞在する必要も出てくるという。 「費用の精算となると、なお厄介です。これも公社と交渉しなければなりませんから」 「二人で八十万やいうとったな。飛行機賃を差引いて、五十万もわたせば文句なかろう。そのぐらいの金、わしが払うてやってもかまわんぞ。ともかく、一日中ぐずぐずいうやつと、いっしょにおられるもんじゃない」  坂橋老人は威勢がよかった。  名古屋でメリヤス会社を経営していると、さっき夫人からきいたところだ。金に不自由のない身の上らしい。  沢田は苦笑して坂橋老人をはなれた。若夫婦のところへいった。ほんとうに脱落して帰りたいのかと訊いている。 「めんどうくさいよ、それは。でも、あんな口うるさいじじいと旅なんかできるもんじゃないよ。帰らせてもらいます。すぐ精算してもらおうか。それから飛行機の手配——」 「だいたい年寄りが多すぎるのよ。しゅうと、しゅうとめの団体に入ったみたいでさ、やってられないわよ。いっしょにいたら、わるい夢みるわ。もうまっぴら」  若夫婦はそんなことをいっている。  口調がはげしい。ほかの人たちも揉めごとがあったのに気づいたようだ。おどろいた表情でそちらに視線を向けている。  若夫婦は、ほんとうは帰りたくないのだ。みんなに送られて出てきた新婚旅行である。すぐ日本へもどったら、なぜそうなったかの釈明だけにも一苦労だろう。なりゆき上がんばっているにすぎなかった。  北浦葉子は立って、若夫婦に近づいた。となりの椅子に腰をおろした。 「ねえ、およしなさいな。帰るといっても、すごく手つづきが厄介みたいよ。いっしょにいきましょう。あなたがたがいなくなったら、私、困るわ。ほんとうに老人ツアーになってしまう。若い人にいてほしいの」 「それは、おれたちだって脱けたくはないですよ。ほかの人もシラけるだろうしさ。でも、じじいがあんな調子じゃねえ。おれだってだまっていられない場面が出てきますよ」  新郎は口をとがらせた。  一人息子の正彦のところへきていた家庭教師の学生に似ている。愛らしい、と葉子は思った。こんな子供っぽい顔で一つの家庭を維持していけるものだろうか。そんな疑問がわく。こちらが年齢とったせいだろう。若い男が妙に可愛く、たよりなくみえるようになった。 「わかったわ。私、会田さんや坂橋さんによく話しておく。父にもいっておく。若い人の気持をわかってあげなさいって。もう失礼なこと、いわせないようにするわ」 「奥さんがそういってくれるなら——。もともとおれたち、角を立てる気はなかった。向うがからんできたんだから」 「その代り、あなたがたも気をつけてね。おじいちゃんたち、みんな中国に熱い想い出をもっているの。青春の思い出なのよ。だから、中国をくさされると、傷つくのよね。おおっぴらに悪口をいわないほうがいいわ」  若夫婦はうなずいた。新郎が沢田に向かって、帰国の撤回を申し入れた。  葉子は坂橋夫人のところへいった。手短かに事情を話した。新婚夫婦は今後なるべく愚痴をいわないようにするといっている。ツアーにはずっと参加する。気持よく接してやってほしい。そうたのんでもらうことにした。  三人の老人はいぜんとしてこちらに背を向けている。若夫婦の無礼を叱ったものの、寝ざめがわるいにきまっていた。だまりこんで風景をながめている。葉子の父は、首すじのあたりを揉んだりたたいたりしていた。  坂橋夫人が夫に近づいた。うしろから夫の耳に話しかける。坂橋老人は葉子の父と、会田老人にはさまってすわっていた。  ふうん、と老人は声をだした。両どなりの老人をみている。おちつかない態度だった。鷲鼻がやけに大きくみえる。 「そりゃまあわしは異存ないで。なにも追いだすのが本音じゃねえわ」  高い声で老人はいった。  若夫婦のほうはみない。しばらくあいまいに身動きして、また椅子に腰をおろした。  船が上海港へもどってきた。北浦葉子は外甲板へ出て、港のそばのビル街をながめた。切りとられたヨーロッパの古い街の一角が、しだいに大きく目に映った。  風が涼しい。いまは六月なかばだが、五月のような気温である。港に面した中山路の篠懸の並木の緑があざやかだった。 「どうもありがとう北浦さん。調停していただいて、たすかりました。どうも私はああいうのが苦手なもので」  添乗員の沢田がそばへきて礼をいった。  苦笑している。日焼けした精悍な顔が、照れると人なつこい印象に変った。ガイドよりも探険に向いた感じの男にみえる。気に染まない職業についているらしい。そんな気配がかすかに顔にあらわれている。 「苦手というより、沢田さん、あんなトラブル、まともにとりあう気がしないんでしょう。バカバカしくって」 「こういうツアーは、日がたつにつれてとげとげしくなるものなんです。みなさん個性が出てきますからね。だが、こんなにはやくから衝突のおこるケースはむずかしい。前途多難ですな。また北浦さんに応援をおねがいするかもしれません」 「いいですよ。いろいろあるほうがおもしろいわ。旅はいそがしいほうがいい。なにもかもわすれられる旅にしたいわ」  船が岸壁に近づいた。人々が下船の支度をはじめている。  老人たちも若夫婦も、ほかの中年の夫婦づれも、昇降口のほうへ移動をはじめた。年とった男女のほうが行動は迅速だった。荷物を手に、すばやく老人たちは行列の先頭のほうにならんでしまう。葉子の父の伊村和一郎も、ステッキを甲板に突き立てて、きまじめな顔で先頭のほうに立っていた。  沢田はかるく葉子にうなずいてみせた。さきに立って内甲板のラウンジへ入った。  葉子はあとにつづいた。さっきの新婚の夫が、なれなれしく近づいてきた。 「済みません奥さん。埠頭へおりたらカメラのシャッターをおしてくださいね。船をバックに一つ、おねがいします」  新郎はカメラをさしだした。  うなずいて葉子はうけとった。思わず笑いたくなる。たぶん今後何十回となく、この夫婦のカメラのシャッターを押させられることになるのだろう。  船が岸壁に着いた。整然と乗客はタラップをおりた。みんな満足した表情だった。新婚夫婦もいまは機嫌をなおしていた。 [#改ページ]     2  前途多難な旅だと沢田はいっていた。  そのとおりだった。その日の夕食時、一行のあいだにまた気まずい雰囲気が発生した。工合のわるいことに、こんどは父の伊村和一郎が原因をつくった。  黄浦江遊覧のあと、二時間ばかり市内観光をした。中国人ガイドが要所要所で説明をおこない、添乗員の沢田がそれを補足した。  沢田はもう二百回以上も日本と中国をゆききしているらしい。日本国中を旅行するよりも、中国の国内を旅するほうが気がらくだといっている。もちろん中国語はすばらしく達者だった。説明は適切である。歴史的な知識も豊富だった。ヨーロッパ旅行のとき世話になった三十歳代の添乗員らとは比較にならないほど練達している。いい添乗員に会ったものだと葉子はひそかによろこんでいた。  黄浦公園へ立ち寄った。港に面した、木々の多い、横浜の山下公園に似た公園だった。中国人ガイドが説明をすませたあと、沢田が横から補足した。 「戦時中、この公園の門には立札が出ていました。犬ト中国人ハ入ルベカラズ。そう書いてあったそうです。よその国へ侵入して、日本軍はずいぶんひどいことをやった。中国を旅行するにあたって、私たちはその事実をつねに念頭におく必要があると思います」  葉子のそばで話をきいていた父が、ううっというような声をだした。  なにか反論したかったらしい。上気している。きわめて不本意な話をきかされた表情だった。目を大きくしている。  だが、和一郎は人まえにしゃしゃり出るのが好きなほうではない。他人とめったに議論もしない。その場も声をだしただけで、あとの言葉を呑みこんだ。沢田の説明が終ると、みんなといっしょにあるきだした。なにかぶつぶついっている。移動中なので、葉子は話に耳をかたむけるひまがなかった。  夕食はガーデンブリッジのそばの大きなレストランでとった。戦前、上海一のダンスホールだったというものものしい建物が、いまは外国人旅行者用のレストランになっている。ロビーがあり、ホールがあった。映画でみた鹿鳴館そっくりの造りだった。  ホールの二階はテラスになっている。むかしは椅子テーブルがそこにならんでいたのだろう。ダンスする人々をみおろしながら、飲んだりたべたりできたらしい。学生時代覗いたことのある銀座のダンスホール「フロリダ」を葉子は思いだした。  いまはホールは使用されていない。建物のなかにいくつもある個室のなかに、丸テーブルが何組かならんでいた。団体ごとに個室にわかれて食事するようになっている。  贅沢な食事だった。豆腐と青菜の煮こみ、蒸し鶏、キャベツのいためもの、焼豚などがオードブルだった。フカひれのスープ、白身の大きな魚のから揚げ、うずらの焼鳥、豚肉とにんにくの茎の煮物。そのほかまだ二、三品あったと思う。中国の消費生活のまずしさに不平たらたらだった新婚夫婦も、文句のつけようのない内容だった。  味つけがじつにいい。強火でさっと調理する一般的なコツのほか、油も調味料も日本にないものを使っているのだろう。感心しながら葉子はたべた。父の伊村和一郎も、食欲はきわめて旺盛だった。  食事が終った。満腹して、ねむそうな顔になった人が多かった。老婦人たちが、とくにぐったりした表情だった。 「夜の散歩にいきたいかたは、あとでホテルのロビーにご集合ください。ご案内します。ただし日本式のバーやキャバレーはいっさいありません。クラブはありますが、喫茶店のようなものです。あとは食堂だけ」  ころあいをみて一同へ沢田が声をかけた。  海外旅行といえば夜はネオン街。そんな固定観念にとらわれている男の旅行者が多いのだろう。 「戦時中は女が百人もおったキャバレーがあったもんじゃがのう。スラッとした姑娘がよりどりみどりやった。ようあそんだわい。ああいうのはもう全面禁止なのかの」  海軍出身の坂橋老人が訊いた。  声に得意そうなひびきがあった。中国旅行の大先輩、という意識があるらしい。 「全面禁止です。ああいうものは日本軍とともに中国から撤退しました。頽廃的なものはいっさいいまの中国にありません」 「というても裏があるじゃろうが。建て前はどうでも、社会には裏いうもんがある。沢田さんの顔ならなんとかなるじゃろう。わしにガールフレンド世話してくれんかの」  坂橋夫人が赤くなって、夫のひざをたたいた。坂橋はにやにやしている。 「奥さまのおゆるしがあれば、なんとかとりはからいましょう。いや、これは冗談です。中国では、女性が外国人相手に売春すると、国家への反逆行為とみなされます。国家の観光政策を傷つけたことになる」  そのとき、父の伊村和一郎が席を立った。  トイレかと葉子は考えた。ところが父は、その場に直立して演説をはじめた。 「いま、沢田さんから、頽廃的なものはみんな日本軍がもちこんだようなお話があった。あれはまちがいです。日中戦争のはじまるまえから、上海は国際的な歓楽都市だった。麻薬と売春の巣窟だといわれておった」  一同はおどろいて和一郎をみている。  葉子もあっけにとられていた。積極的に父が演説するのをはじめてみた。中国ビールのせいなのだろうか。 「もう一つ、沢田さんのお話を訂正しておきます。きょう黄浦公園で、犬ト中国人入ルベカラズという立札があったという話だった。たしかにありました。しかし、中国人を公園にいれなかったのは、日本だけの政策だったわけではない——」  われわれが上海を攻略した昭和十二年には、上海には欧米各国の租界があった。  イギリスもフランスもアメリカもオランダもここに拠点をおいていた。黄浦公園から中国人をしめだしたのは、それら先進諸国の合意事項だったのだ。日本軍だけが中国人をいじめたわけではない。そのあたりを、どうか誤解しないでもらいたい。 「なお、ここで一つ申しあげておきたいことがあります。例の南京大虐殺に関してであります。中国側の発表では、四十万とか五十万の人間が日本軍に殺されたことになっておる。とんでもない嘘です。私の部隊は南京の中山門に一番乗りしました。私はまっさきに城内へ突入しました。しかし、敵はもうおりませんでした。殺そうと思っても、相手がいなかったのであります。  南京攻略に参加した日本軍は、三個師団だった。兵員数は四万ぐらいのものだ。残虐行為があったと仮定してもいい。だが、その場合でも、四万の兵隊で四十万、五十万の人間をどうやって殺したのか説明がつかない。一人あたり十名ではないか。  核兵器でもあればべつだろう。だが、当時の日本軍の三八式銃や銃剣で、そんなに大勢の人を殺せるわけがない。中国側の宣伝にだまされないでほしい。あさって、私たちは南京へ入る。いわれているような残虐行為はいっさいなかったのだから、みんな堂々と街をあるいていただきたい」  声をふるわせて父は演説した。いいたくてたまらなかった事柄を、こらえきれずにぶちまけた話しぶりだった。 「沢田さんのお話には、嘘とはいわんがまちがいが多い。日本軍はそんなにひどいことばかりしたわけではない。当時を知らない人が、伝聞にもとづいて日本軍を批判するのが、わしはなんとも残念なんです」  そこまで話して父は腰をおろした。  中国ビールをコップに注いで一息に飲みほした。手がふるえている。  二つのテーブルにわかれていたツアーの人々はしずまりかえった。老婦人たちは茫然と葉子の父をみている。なぜ彼がこんな話をしたのか。なぜ彼がこんなに激昂したのか、見当もつかないらしい。  坂橋、会田の二人の老人はむずかしい顔をしていた。だまってオードブルの菓子をかじったりしている。静岡から参加したもう一人の老人は、平然としていた。中国戦線へかりだされたことがなかったのだろう。 「すみません沢田さん。父はむかしの思い出があるものですから、日本軍に関係のあることをみんな自分のことのように思ってしまうんです」  葉子は沢田に詫びをいった。  父がわるい。沢田の話に異論があるなら、彼と二人で話しあえばよい。みんなのまえで沢田の顔をつぶす必要はなかった。 「いいんです奥さん。気になさらないでください。事実にはいろんな解釈のしかたがあります。私は私がただしいと思ったことをお話しています。異論があれば、伊村さんのようにどんどんおっしゃってください。夜はながい。大いに話しあおうじゃないですか」  沢田は意外なほど平静だった。おだやかな声で、一同に話しかけた。  硬直した空気がやっとほぐれた。みんな雑談をはじめた。席を立って、バスに向かう者もいる。父の伊村和一郎だけが、むずかしい顔で中国茶を飲んでいた。  葉子はこれまで知らなかった父の一面をみせつけられた思いである。こんなに不作法な父はみたことがない。思いつめたような表情も、はじめてである。  葉子の子供のころから、父はめったに戦争の話なんかしなかった。中国とフィリピンで苦労した、と洩らす程度だった。おだやかに笑っていた。南京大虐殺、などという遠い事件にこだわっている気配もなかった。  むかしの戦場へ父はもどってきた。当時と似た心の動きが、父のうちによみがえったのかもしれない。葉子は心配になった。なにか危険なことがおこりそうな気がする。沢田ではなく、だれかとんでもない相手に父は突っかかってゆくのではないか。 「さ、いきましょう。お父さん、疲れたんじゃないの。いらいらして、おかしいわよ」  最後まで椅子にのこった父をうながして、葉子は立たせた。 「そう。疲れたようだな。なんだか癇にさわることが多くて、ついだまっていられなくてな。ヨーロッパへいったときも、東南アジアへいったときもこうではなかったが」  父はもうおちついていった。ゆっくり立って、ステッキをついた。 「おかしいなあ。あの男をみると、なんだかいらいらするんだ。妙に腹が立ってくる。相性のわるい男って、いるもんだなあ」  父はバスのほうをあごで指した。  乗降口のそばに沢田が立って、一行の人数をチェックしている。葉子は首をひねった。葉子からみれば、沢田は好もしい部類の男である。父の気持がよくわからない。 「お父さん、北浦とも相性がわるいじゃないの。タイプはちがうけど、沢田さんも北浦も頭が銀髪になる体質よね。白髪の多い人、お父さん、苦手なのかしら」 「まさか。そんなことはあるまい。頭が白いからって、なんも、気にはならねえよ」  かる口をたたいてバスに乗った。  さっきは失礼しました。乗降口のステップに足をかけて、父は沢田に詫びをいった。 「やあ、いいえ。いいんですよ。気になさらないでください」  沢田は笑って手を横にふった。葉子にはうなずいてみせた。  すぐにバスは出発した。暗い街をホテルへ向かって走った。ネオンやイルミネーションでいろどられた日本の夜を見馴れた目には、上海の夜はほとんど無灯火に近かった。  バスのヘッドライトが、道路沿いの篠懸の木々をつぎつぎに緑色にうかびあがらせて走った。並木の外側の歩道をたくさんの人々があるいていた。自転車やクルマの数は減ったが、歩道をゆききする人の数は昼間と変りないくらいである。夕食をすませた市民が、家を出て夜の散策をたのしんでいる。なにかおもしろいことがありそうなざわめきが、通りにも路地にもみちあふれていた。  ホテルに到着した。午後八時だった。もちろんまだ眠る時間ではない。  父を部屋へつれて帰った。風呂へ入らせておいて、葉子はロビーへもどった。  沢田の案内で夜の散歩に出るつもりである。沢田と中国人の通訳がベンチに腰をおろして参加者を待っていた。例の新婚夫婦がとなりに腰をおろしている。彼らの姓が田中であることを、葉子はいまになって知った。  藤倉という四十歳ぐらいの男が夫婦でやってきた。静岡の造園業者だった。血色のよい、太った陽気な男である。妻のほうは眼鏡をかけて、貧血症らしく青い顔をしていた。葉子の父がさっき演説したとき、平然としていた老人が藤倉の妻の父親だった。親孝行のために、老人を旅行に参加させたらしい。  散歩の希望者は結局、葉子、新婚の田中夫婦、造園業の藤倉夫婦の五名になった。ツアーの一行の若いほうから五名をえらんだかたちである。一行のなかには五十歳ぐらいの夫婦があと二組いるはずだが、彼らはロビーに姿をあらわさなかった。  一同は腰をあげた。玄関へ向かった。そのとき、もと銀行員の会田老人がエレベーターから出てきた。フロントになにか用事があるようだった。 「お出かけですか。それはそれは。みなさんどうぞごゆっくり」  一同へ老人は会釈した。品のよい、やさしい笑顔だった。  ふっと思いだしたように会田老人は沢田を手招きした。近寄った沢田に質問する。 「さっきのほら、南京大虐殺の話ですがね、何人ぐらい日本軍は殺したとお考えですかな。参考までにおきかせください」  沢田はとまどっていた。老人は、たのしいことを訊くような表情だった。 「四十万とか五十万とかいうのは、たしかに誇張だと思います。だが、虐殺がなかったとは考えられません。すくなくとも三、四万、ひょっとすると十万ぐらいは」 「ほう。最大十万ですか。なるほどなるほど。で、その根拠は」 「くわしく研究したわけではありません。しかし日本兵の戦場心理とか、中国人にたいする軽蔑の念を考えあわすと、その程度のことはあったとみるほうが妥当です。写真とか、各方面の記録もあることですから」  そうですか、ほう、そうですか。にこやかに会田老人はうなずいた。あまりに紳士的なので、うす気味わるいくらいだった。  礼をいって老人はカウンターのほうへ去った。かるく背を丸めて、反対に顔は上向ける独特のあるきかただった。  沢田をかこんで、一同は外へ出た。人でにぎわう暗い歩道をあるきだした。中国人の通訳は一同のすこしうしろにさがっていた。南京大虐殺の話を避けているのだろう。 「むずかしいですよ。おじいさんたちの世代は中国へくると、屈折してしまうんです。なつかしさ、優越感、罪の意識、怯え。いろんな感情がまじりあって混乱するんですね」  独言のように沢田が説明した。  だれも返事をしない。ふうん、と新婚の田中が感心したような声をあげただけだ。戦争のことなんか、ここにいる者はだれも知らない。知りたくもなかった。たのしい旅がしたい。それだけが望みである。  老人といっしょの旅は気骨が折れる。彼らの背負った「戦争」が、とくに重苦しくてやりきれない。父親をおいて散歩に出て、葉子は解放感にかられていた。かろやかに闇をかきわけてあるく心境である。実父でも老人は老人だった。ずいぶん窮屈な思いをしていたことが、いまになって実感できる。  南京路へ出て、東へあるいた。古い石づくりの家や建物がならんでいる。商店は日本のように派手な飾り窓をもっていない。しかもほとんど閉店している。まったく街は暗かった。オレンジ色の街灯だけが、ひろい通りや路地を点々と照らしている。並木や街なみが、淡いオレンジ色に染まった闇の底にぼんやりうかびあがっていた。  こちら側の歩道にも、通りの向う側の歩道にもたくさんの人があるいている。いそぐ人はいない。ぶらついている。夜の空気を吸いに出あるいているようにみえる。若い恋人どうしはたくさん目についた。だが、酔っぱらいの姿はない。人通りが多いのに、街はしずかだった。クルマの音も、女の嬌声も、酔漢のダミ声もない。雑踏だけがあった。 「上海は住宅事情がわるい。人口はいま世界一ですからね。せまいアパートに数人で住んでいる家族が多い。だから、夜はみんな出あるきたくなるわけですよ」  沢田が説明してくれた。  外国人がまだめずらしいらしい。すれちがう人々はじっと葉子らの顔をみて通りすぎる。顔かたちでなく服装で日本人だとわかるらしい。葉子は大きく衿ぐりのあいたグリーンのスウェットをきて、白い七分パンツ、グリーンのサブリナシューズをはいている。  日本ではどうということもない服装である。だが、中国ではずいぶん目立つようだ。男よりも女の視線を葉子は感じた。上海の女性は着る物にやっと赤やピンクをとりいれたところである。スカートはまだすくない。新婚の田中の妻はひざ上までのスカートをはいて、それだけで男たちの視線を独占しているところがあった。  大きなネオンの出ている立派な石づくりの建物があった。博物館のようにみえるが、クラブだということだった。上海に滞在する外国人のあつまるところらしい。  正面玄関から入ろうとした。だが、守衛にことわられた。沢田が押問答している。満員で席がないらしい。仕方なく、裏通りのべつのクラブへいった。あたりはフランス租界のあとで、ヨーロッパふうのビル街である。新潟から上海へきて、しみじみ外国気分にひたったという父の言葉を葉子は思いだした。  そちらのクラブは満席ではなかった。沢田に案内されて、なかへ入った。  葉子はいっぺんに期待がしぼんだ。立派な石づくりの建築のなかにあるのに、クラブの内装はおそろしく貧弱だった。  床は目の粗いコンクリートである。安っぽい白壁に天井。ライトの工夫もない。蛍光灯がついているだけだ。変哲もないテーブルと椅子が二十組ばかりならんでいる。店構えが新しいだけ、光景はかえってさむざむとしている。  カウンターと洋酒棚はあった。蝶タイのバーテンダーが立ち働いていた。お客は五分の入り。ほとんどが日本人である。商社マンなどが多いらしい。日本人の女の先客が二人だけいた。殺伐な店内が、女の姿で救われていた。日本でなら、よほど田舎へいっても、これだけ質素な酒場はみつからないだろう。 「うわあ、これがクラブか。場末の映画館みたいな感じだな。ダサイなあ。これじゃ日本の若い層は中国にはこないよな」 「中国はいま観光に力をいれてるんでしょ。そのわりに不勉強ですな。この通訳さんみたいな若い人をどんどん日本へ派遣して、銀座や六本木であそばせてやりゃいいのに」  新婚の田中と、造園業者の藤倉が店内をみまわして、感想をのべた。  二人とも椅子にふんぞりかえった。田中の妻も、脚を組んでいる。上客、という態度だった。沢田と中国人通訳はふつうの姿勢で腰かけている。葉子は背すじをのばした。  男たちはスコッチの水割りを注文した。沢田だけがストレートで飲んだ。  葉子はブランデーをたのんだ。マーテルがあった。田中の妻はソルティ・ドッグを注文してボーイをとまどわせる。 「バカ。こんな店で流行りのカクテルが出るわけねえだろ。おまえもブランデーにしろ」  夫に叱られて田中の妻はふくれた。訊いてみただけじゃないの、と口答えする。  つまみはピーナツとあられだった。それ以外になにもなかった。藤倉と田中は、またひとしきり愚痴をいった。それほど葉子はきき苦しいと思わなかった。もうすこしましな酒のさかながほしいのは本音である。 「酒場で客をもてなす女が、いま中国には一人もいないってほんとうなの。ホステスが全然、一人もいないの」  造園業者の藤倉が中国人通訳へ訊いた。  康という青年だった。三十二歳だという。既婚で子供が一人いる。わるいこと、汚いこと、醜いことにまったく無縁そうな、すべすべと陰翳のない顔をしている。  中国では男女の人格がまったく同等に評価されている。女にも男と同等の生産的な仕事があたえられる。酒の席で男の機嫌をとるような職業はだから成立しない。もしそんな仕事をする女がでてきたら、本人も客も、住民の自治組織から批判されるだろう。人のよい笑みをうかべて康通訳はそうこたえた。 「ふうん。中国の男は味気ないんだな。洒場もキャバレーもなくて、どうやってストレスを発散させるんだ。康さんはどうする」 「私、疲れたら家へ帰ります。家内と子供といっしょに食事します。酒もすこし飲む。それでいちばん元気になる」 「でも、毎日女房の顔をみてても仕方がないだろう。たまにはよその女と、話したり、あそんだりしたくないか」 「私、よその女に関心ないね。うちの家内、きれいですよ。ほかに女、要らない」 「なにをいいやがる。建て前ずくもここまでくると立派だよな。ずうずうしいよ」  藤倉が顔をしかめた。みんな笑った。  あなたとはちがうのよ。藤倉の妻がそういって夫のひざをたたいた。田中はだまっている。新婚の夫としては、ふさわしくない話題なのだろう。 「康さん、おれ、まじめに訊くけどさ、ほんとうにきみ、女房以外の女に興味ないの。よその女を抱きたくないか」  藤倉は身を乗りだした。彼にとっては、かなり重要な問題であるらしい。 「ほんとに興味ない。全然。家内以外の女とそういうこと、したくないよ」 「ほんとうにか。心の底からか」 「ええ。心の底から。興味ないね」 「女の人からさそわれたらどうする。きみだっていっしょにいくだろう」 「いかない。私帰るよ。家へ帰る」 「たとえばこの北浦さん。きれいな人だろう。この人にさそわれたらどうする。それでもふり切って帰るか」 「いやあ。めいわくよ。どうして私がそこへ登場させられるの。変な話しないで」  葉子はいそいで藤倉に抗議した。  とんだとばっちりだった。善人だが、藤倉は無神経なところがある。ちょっとした窮地に葉子は立たされてしまった。 「北浦さん、とてもきれい。でも私そういうことできない。さそわれても帰ります。家内だけしか私はだめ」 「ほんとうは北浦さんに可愛がってほしいんだろう。だが、女房が恐くてできないんだ。そうだろう。女房が恐いだけさ」 「ほんとうに家内以外の女性に興味ないよ。嘘はいわない。北浦さんでもだめです。とてもきれいな人ですけど」  葉子は苦笑する以外にない。  藤倉はお手あげの仕草をした。田中の妻はべったりと夫に寄りそった。 「立派よオ、中国の男性は。日本の男性にくらべてずっと清潔よ。ジュンちゃんもこうあるべきね。妻ひとすじでいきなさいよ」 「なにをいうか。最近日本では、女のほうがずっとみだれてるんだぞ。人妻がバカバカ浮気してる。ヤバイのはおまえのほうだよ」 「私はさあ、ジュンちゃんひとすじ。ほんとよ。可愛い奥さんになったげるもん」  キスはさすがに遠慮している。が、新婚の二人はそれに近い状態にあった。  いろんな意味でお手あげだった。沢田と藤倉夫婦を相手に、葉子はしばらく他愛のない雑談をした。  ブランデーを三杯飲んだ。他愛はなかったが、たのしい時間だった。最近葉子はこんなくつろいだ時間をすごしたことがない。いつも重苦しくなやんでいた。夫のこと、子供のこと、葉子自身のこれからのこと。小さいが深刻なトラブルに見舞われつづけた。心のやすまるひまがなかったのだ。  うっとうしい日々からちょっとの間でもぬけだしたい。やすらぎがほしい。いまの自分を客観的にみなおすチャンスになれば、これ以上のことはない。そう考えて衝動的に葉子は旅に出てきた。やすらぎを得たいという希望は、いくらかかなえられたようだ。ただし、父の伊村和一郎のお守りをほうりだしているあいだのことかもしれないけれど。  日本の歌謡曲が店内にながれた。日本人のお客のため、気をきかせたつもりらしい。 「中国へきてまで千昌夫や八代亜紀はいらないなあ。中国の歌のほうがいいわ」  なにげなく葉子はつぶやいた。はっきり注文をつけるつもりはなかった。  だが、沢田はききながさなかった。支配人を呼んで彼は早口で話した。一礼して支配人はカウンターの内へ去っていった。  千昌夫がとまった。中国の歌がながれはじめた。ながい裾をひるがえすような、長調の美しい歌だった。歌い手はけれん味のないソプラノだった。日本の歌よりずっとのびやかで、音楽性に富んでいる。中国の雰囲気が店内に横溢した。いい気分で葉子は何杯目かのブランデーをお代りすることになった。  日本人の観光客が店へ入ってきた。男ばかり、五人づれだった。三十代、四十代の血気さかんなグループである。みおぼえのある男たちだった。たしかおなじホテルに彼らは宿泊している。きのうホテルへ着き、チェックインを待つあいだ、彼らもおなじロビーで待機していた。日本からではなく、北京あたりから上海へ入ったのだろう。  彼らはすでに酔っていた。傍若無人に話しながら、席についた。旅の恥はかきすて。その意識をしっかり抱いた男たちである。 「上海にはなんかあるやろ思うたのに、なんじゃこれは、これでクラブかいな。散髪屋で酒飲むようなもんやないか」 「共産党が天下とると、これやからカナンのや。ご清潔一辺倒で押し通しよるさかいな。本音の部分が欠落しとるよ。息がつまる。中国人はなにがたのしうて生きとるんや」 「上海では、適当に融通がきくときいとったけどなあ。あれは商社マンとか、長期滞在者だけの話らしいな。絶望やで」 「お寺と博物館ばっかりみせられて、もうアタマきてしまうわ。中学生やないねんからな、大人のコースも考えてほしいわ。ああ、はやく香港へ入りたいよ。姑娘と麻薬の街。本音の街。上海はあかん、けしからん」  大声で彼らは不平をいいまくった。  ウィスキーの水割りを飲みはじめる。日本の銘柄のボトルを彼らはとった。いろんなことを日本式でおし通したいらしい。 「けったいな歌がかかっとおんなあ。おい、日本の歌がないんか。ジャパニーズソング」  向うのグループの一人がさけんだ。  支配人を手招きしている。日本の歌を注文した。支配人は葉子に目を向けて弁明する。あの日本女性の希望によって中国の歌を演奏中だといっているらしい。 「いいんですよ。日本の歌をかけてもらってください。べつにこだわりません」  仕方なく葉子は声をかけた。五人の男の酔眼がいっせいに葉子に向いた。 「あ、あの奥さんのご要望かいな。ほなよろしいわ。中国の歌大賛成。おれ、女性には絶対服従ですねん。とくに今夜は——」 「やらせてもらいたい一心でな」仲間の一人がまぜっかえした。「けど、あかんで。向うさんはみんな夫婦づれや。なんぼべんちゃらいうても、相手にしてもらわれへんよ」 「よろしいなあ。中国料理でスタミナつけて、今夜はやりまくりはるのやろな。けど、嫁はんとしても、そんなにオモロない思うけどな。旅の空で、またちがう味の男と——」  葉子は顔をしかめた。せっかく無邪気にくつろいでいたのに、うんざりである。  おたくら新婚でっか。向うの男の一人が田中の妻に声をかけた。男は田中夫婦のすぐうしろの席にすわっていた。  そうよ。田中の妻はあごを突きだした。せいいっぱい反感をあらわしている。 「せっかくの新婚旅行に、なんで中国なんかきはりましてん。酔狂やな。ヨーロッパのほうがなんでもそろってて、いいのに」 「ヨーロッパはもう知ってますから。中国のほうがめずらしい物が多いわ」 「まあ、新婚やから、外であそぶこともないわな。ホテルの部屋で、旦那といろいろしてたらいいのや。中国へきて、もうなんべんぐらいしはった。日に三回か」  田中の妻はそっぽを向いた。うながすように夫の腕をとって揺さぶる。  田中はこわばった顔をしていた。無礼な男をにらみつける。だが、一喝する勇気はないらしい。すぐに視線をそらせた。  藤倉は苦笑している。沢田は平然とした顔で、ウィスキーを舐めていた。 「その奥さん、かわいいね。どんな顔して旦那のもの、しゃぶるのやろか。欲求不満やからついいろいろ想像するねえ」  べつの男が口を出した。うすら笑いをうかべて無遠慮に新妻のうしろ姿をみつめた。 「いいかげんになさいよ。あなたがた、そんな話しかできないの」  みかねて葉子は声をかけた。が、沢田が手をふって制止するので、彼にまかせた。 「そっちの人たち、飲むときは境界をはっきりさせましょうや。よそのグループに口をだすからトラブルが起る。おたがい干渉しないで、しずかにやろう」  沢田の声はおそろしくはっきりしていた。奥の席の客がふりかえっている。 「なにが境界やねん。おなじ日本人やないか。声をかけてなにがわるい」  向うの一人がへらず口をたたいた。だが、表情に余裕はなかった。 「あんたがた、ここは中国なんだよ。もしあばれたりしたら、すぐ警官がくる。境界をおかしたほうがぶちこまれるんだ。そうなったら一ヵ月は出られないぞ」  男たちはひるんだ。何人かがぶつぶついったが、それきりだった。 「しょうむない。なにからなにまでちんけなクラブや。もう一杯ずつ飲んで出るか」  一人がさけんだ。はんぶん酔いがさめた顔で彼らは飲みはじめた。  この店を出ても、手近な場所に酒場などない。飲める店をさがして、暗い街をほっつきあるかなければならない。気まずくとも、彼らはここにいるより仕方がないのだ。  沢田がやがて席を立った。カウンターへいった。冷蔵庫から氷を出させて、ガラス容器に盛らせる。それをもって彼は、五人の酔漢の席へ近づいた。 「水割りには氷がないと、気分が出ないでしょう。中国のバーはだまっているとミネラルしか出さない。さあ、これをどうぞ」  男たちはおどろいた顔になった。ミネラルウォーターで彼らは酒をうすめていた。  へえ、どうも。これはおおきに。男たちは恐縮した。それぞれのタンブラーに氷をわけている。笑顔になっていた。気まずい雰囲気の救済に沢田が動いたと思ったらしい。葉子もそう解釈していた。  葉子たちのグループはまもなくそのクラブを出た。さっきの男たちの一人が追いかけてきて、葉子の肩をたたいた。 「奥さん。ゆっくり会いたいなあ。わすれられへん。ホテルのバーで飲もうよ」  葉子の耳に彼はささやいた。  警官がくるわよ。葉子はこたえた。だまって男はひきさがった。みんなさきをあるいていて、男には気がつかなかった。  以前にもまして、みんなで沢田をかこんであるいた。葉子はうしろにいた。 「最低の連中でしたねえ。あれだから日本の観光客はきらわれるんだわ。沢田さんがたしなめてくれたので、私、スッとした」  藤倉夫人が晴ればれといった。田中夫人も同感の声をあげる。 「でも、最後は氷のサービスなんかしてましたな。やっぱりよその団体とは友好ムードにしておかないとまずいですか」  藤倉が訊いた。酔っている。小太りの体をいい気持そうにはこんでいた。 「サービスなんかじゃありませんよ。もうおわすれになったんですか。生水は絶対にとらないよう、出発前に注意したでしょう」  沢田の言葉の意味がわからない。みんな、だまって歩をはこんだ。 「わかりませんか。冷蔵庫の氷は生水でできています。彼らはそれをいれて酒を飲んだ。氷のお代りもするにきまっている。ま、明け方あたりからトイレ三昧ですな」  やっと意味がわかった。  みんな笑いだした。中国の水はよくよく日本人に合わないらしい。戦前から現在にいたるまで、そうなのだという。  はやく香港へ入りたいと彼らはいっていた。桂林経由で香港へゆくのだろう。だが、到着したころは、下痢で姑娘どころではなくなっているかもしれない。康通訳がそういって、けたたましく笑っていた。  ひとしきり葉子も笑った。優秀な添乗員にめぐまれた自分を祝福したくなる。  ふっと空しい気分におそわれた。藤倉、田中の両夫婦が腕を組んであるいている。二組のうしろ姿をみて、われにかえった。  葉子のそばにはだれもいない。夫の北浦誠もいない。息子の正彦もいない。腕を組もうとして手をあげると、空をつかんでしまう。ひどくたよりない感じがする。  葉子にはいつもそばにだれかがいた。夫がいたし、正彦がいた。じっさいにいっしょにいないときでも、気持の上では夫や息子と手をとりあって暮してきた。自分には夫と子供がいる——そのことを前提にして葉子は生きてきたといってよかった。  が、いまはだれもいない。上海にきているのだから、夫や子供がそばにいないのは当然である。だが、現実にいないだけではなく、気持の上でも彼らは、そばにいなかった。葉子は一人だった。夫や子供の腕をとろうとしても、空をつかんでしまうだけだ。手ごたえがなくて、狼狽してしまう。  うろたえる自分が歯痒かった。しっかりしなければいけないと思う。とらえる腕がないことに馴れて、平然とバランスよくあるける自分になって帰らねばならない。旅はあと十日ある。十日あれば、葉子は以前とはべつの女になって東京へ帰れるはずだ。  ホテルまでは遠い。一人だけ、だまってあるこう。葉子はそう決心した。 [#改ページ]     3  夫の北浦誠には女がいた。ことしの一月早々、葉子はそのことを知った。  夫は建築設計事務所を経営している。相手の女はそこのOLだった。名前は西田美佐。ことし二十四歳である。色白で顔も体もふっくらした娘だった。  二年まえから美佐は夫の事務所で働いている。専門知識はない。ふつうのOLだった。葉子は何度も美佐に会ったことがある。  所沢に葉子は住んでいる。夫と息子の三人暮しだった。夫の事務所は石神井にあった。都心へ買い物に出た帰りなど、葉子は事務所へ立ち寄ることがあった。とくに用事がなくとも、あそびにいった。当然、美佐とも顔なじみになっていた。  夫は六年まえに独立して建築設計事務所をひらいた。一人の従業員もいない、裸一貫からの出発だった。葉子は毎日事務所へ出勤して、庶務と会計と秘書係をやった。夕方には一足さきに帰って、食事の支度をした。正彦の学業もみてやらねばならない。一生懸命、葉子はがんばって暮した。四年間そうやって主婦とキャリアウーマンの二本立てを通した。夫の事務所が軌道にのり、従業員が五人に増えてから葉子は家庭にもどって、家事と子供の教育に専念するようになったのだ。夫の事務所を、葉子はだから、第二の自宅のように思っていた。ときおりぶらりと立ち寄りたくなるのは、当然のことだった。  西田美佐は、葉子が家庭にしりぞくのと入れ代りに採用された。葉子の後任者というわけだ。  気がきかない。大事なことをまかされない。他人なので、秘密もあかせない。夫は最初のうち、美佐について愚痴をいっていた。 「そりゃ仕方ないわよ。まだ若いんだもの。私とちがってあなたのことを知りつくしてもいないし、あなたと利害関係が完全に一致するわけでもないんだから」  葉子はそういって夫をなぐさめていた。  葉子が事務所を訪問すると、西田美佐はとても愛想よく立って迎えいれる。  だが、こんにちは、とか、いらっしゃいませ、としかいわない。目をふせたままお辞儀をした。お茶をはこんできて、すぐ自分の席へもどった。葉子が話しかけても、必要なこと以外は返事をしなかった。  美佐はかるい猫背だった。自分の足もとに目をやって、しずしずとあるいた。愛らしいが、美しいというほどではない。才気も覇気も感じられない娘だった。正直いって葉子は、美佐を眼中にいれていなかった。  昨年の夏ごろから、夫の北浦は葉子が事務所に顔をだすと、いい顔をしなくなった。  事務所は戦場である。家庭の匂いをぷんぷんさせて葉子があらわれると、戦場の緊張感がかきみだされて困るのだという。 「それに、従業員連中もいい気分は、しないらしいぜ。経営者夫人のお成り、巡察というような感じをうける。経営者に頭をさげるのは仕方がない、でも、その女房にまでなぜ——と思うのはサラリーマン心理だからな」 「まさかそんな。YさんもSさんも、設計助手の人たちはみんなむかし仲間だったじゃないの。経営者夫人だなんて思わないわよ。気のおけない人たちなのに」 「彼らにしてみればそうじゃないよ。おまえがあらわれると、やはりどことなく警戒する。オフィスの空気がぎこちなくなる。はたでみていると、よくわかるよ。また巡察か。この女、経営にどこまで口をだしているんだろうか、と疑う気配になる」  まさか、と葉子は思った。そんないわれかたがひどく心外だった。  おかしい、とそのとき葉子は感じた。北浦が、葉子の息のかからない彼だけの世界をつくりたがっているのをさとった。葉子を家にとじこめようとしている。事業の経営の安定のため遮二無二働く時期がすぎると、男は私行の自由をほしがるのかもしれない。  疑わしい兆候がほかにも出てきた。北浦は服装にこまかく気をつかうようになった。家のとはちがう石鹸の香りをさせて深夜帰ったこともある。日曜日、ゴルフへ出かけたはずが、陽に焼けないで帰ってきたりした。  女ができたのだ。葉子にもそれがわかった。憤りや嫉妬ももちろんある。だが、それ以上に葉子はがっかりしてしまった。  独立。死にもの狂いで働いた時期。それを切りぬけて、経営が安定する。心理的、経済的なゆとり。それから酒場あそび。さらに浮気。なんともありふれたなりゆきだった。夫はもうすこしちがった道をえらぶだろうと思ったのに、小さな成功のあとは、やはり浮気でしかなかった。葉子はひどく幻滅した。主婦とキャリアウーマンの二足のわらじでがんばったのが、なんのためだったのかわからなくなった。生活のすべてが安っぽく感じられた。北浦にたいする幻滅は、葉子自身の人生にたいする幻滅とかさなりあっていた。  北浦に皮肉やいやみをいいたい衝動を、葉子は自制した。安っぽい道をえらんだ北浦にあわせて、自分まで安っぽくなるのはまっぴらだった。毎朝、笑って北浦を送りだした。夫の帰宅のおそい夜は、高校受験をひかえた正彦の世話を心がけて起きていた。  正彦が勉強を切りあげると、葉子も寝室へ入った。ブランデーを飲みながら読書にふけった。夫が帰るころには眠っていた。こんなのは些細な事柄だと考えるようにした。四十すぎた男には、ありがちなことだろう。十五年以上かかって築きあげた家庭が、夫の情事の一つや二つで揺らぐわけもなかった。その種のトラブルで泣いたりわめいたりするよりも、もっと上の次元で生きたいと思った。  ことしの正月、松の内があけてまもなく葉子は夫の事務所を訪問した。久しぶりで会った大学時代の友達から、こんど新築する自宅の設計を北浦にたのみたいという話をもらったのだ。吉報をとどけるつもりで、タクシーで駈けつけた。夕刻六時だった。この時刻なら夫はまだ事務所にいるはずだった。夫にたしなめられて以来、よほどのことがないと葉子は事務所に顔をださないようにしている。商談のあるこの日は例外だった。正彦の食事の支度はして出てきた。久しぶりで夫とどこかで食事して帰ろうと葉子は思った。  夫の事務所が入居しているビルがみえた。あと五十メートルというところで、白いBMWがそのビルの駐車場から発進した。夫のクルマだった。葉子の乗っているタクシーにうしろを向けて、まっすぐ走りだした。あのBMWを追ってください。葉子はタクシーの運転手に声をかけた。妙な予感があったわけではない。信号待ちで追いついて、夫のクルマに乗りかえるつもりでいた。  おもて通りの信号のそばでBMWは停まった。タクシーが追いついた。葉子は運転手にクラクションを鳴らしてもらおうとした。だが、思いとどまった。BMWの助手席に女が乗っていた。あっさりした髪型からみて、西田美佐のようだった。銀髪の夫の頭と、丸い美佐の頭が、奇妙な安定感をもってクルマのなかにうかんでいる。二言三言、二人は話しあったようだった。顔をみあわせたり、肩を寄せあったりはしない。きのうやきょう深くなったのではない男女の仲が、いやでもうかがわれるうしろ姿だった。  クラクションを鳴らしてもらう。夫が気づいて、大あわてでBMWの扉をあける。なにも疑っていないような顔で、葉子は夫のクルマへ乗りこんでゆく。最寄りの駅まで送っていくところだったとかなんとか、夫は弁解するだろう。信じたふりをする。適当な場所で西田美佐をクルマからおろす。二人でなごやかに食事してから家路につく。  泣いたりわめいたりしたくない。もっと上の次元で生きたい。その願望からすれば、葉子はさりげなく行動すべきだった。クラクションを鳴らしてもらって、にこにこしてBMWに乗りかえるほうがよかった。だが、葉子はできなかった。そのまま運転手にBMWを追跡してもらった。頭が熱くなって、正常な判断ができなくなっていた。運転手が妙な顔をしていたはずである。そのことにも気がまわらなかった。  新宿の高層ホテルの敷地へ夫はクルマを乗りいれた。駐車場へBMWは向かった。葉子はホテルの玄関でクルマをおり、ロビーのすみのベンチに腰をおろした。  やがて夫と西田美佐がやってきた。身を寄せあっている。銀髪とあっさりしたオカッパヘアのとりあわせが異様に感じられた。夫がフロントで手つづきするあいだ、美佐はエレベーターまえで待っていた。  夫はキイをうけとり、上衣のポケットにいれた。二人はエレベーターのなかへ消えた。石像のようになって葉子は二人を見送った。このホテルの最上階にはレストランがある。夫と美佐は食事しにいっただけかもしれない。そんなことを考えていた。極度につらい立場におかれると、人は理窟に合う合わないには関係なく、自分にとって都合よく物事を解釈するものだ。骨身にしみてそれがわかった。食事をしにきただけの客が、フロントで鍵をもらったりするわけがないのだ。  ついで葉子はわれにかえった。夫と美佐はいまから不当なセックスの時間をもとうとしている。阻止しなければならない。ぼんやりしているわけにはいかないのだ。その思いでいっぱいになった。ほかのことは念頭になかった。嫉妬というより、悪徳と不正に立ち向かう感情で葉子は立ちあがった。  フロントで葉子は北浦の部屋番号を訊いた。十七階の部屋へ彼らは入っていた。  館内電話をかけてみた。まだ部屋にはいない。食事だろう。そう葉子は予想していた。 「もしもし——」  北浦が電話に出てきた。食事はあとにする気でいたらしい。  気味わるそうな声だった。どこからも電話がかかってくるはずのない部屋にいるのだ。 「もしもし、私」  葉子はいった。北浦は息をのんだ気配だった。しばらく沈黙がつづいた。  もしもし。また葉子は呼びかけた。なにをいってよいか、わからない。 「どこにいるんだ、おまえ」  北浦は訊いた。かすれた声だった。動揺が声にあらわれる。 「ロビーにいるわ。いってもいい?」 「いや、待て。すぐにおりていく。下で待っていろ。すぐいくから」 「帰りましょう、いっしょに。ちゃんと支度してきて。クルマに乗せて帰って」 「わかった。いっしょに帰ろう」 「はやくしてよ。私、なにをするか自分でもわからないわ。一人にしないで。待たせないで、はやくきて頂戴」  茫然としたまま葉子は受話器をおいた。  ロビーのすみのベンチへもどった。不当なセックスを阻止したという、かすかな安堵を感じていた。悲しくはなかった。泣くに泣けない心境だった。夫と美佐がいまどんなに滑稽なやりとりをしているか、想像してみる余裕もない。ただ夫のあらわれるのを待った。  なさけなくて仕方がなかった。すこし羽ぶりがよくなると、北浦は型どおり浮気した。ばかみたいに人なみのコースをあゆんだ。浮気の相手は事務所の女の子だった。手をのばせばとどくところにいる娘。しかも、北浦の誘惑にいちばん逆らいにくい立場にいる娘である。それに北浦は手をだした。あまりに安直だった。なんというプライドのない男なのだろうか。  北浦はグレーの頭髪にふさわしい、ととのったおだやかな顔をしている。葉子の学生時代の仲間は、北浦のことを異口同音に大学教授のようだという。そういわれて、葉子もわるい気はしない。だが、誇らしく思うほどではなかった。夫がみかけほど知的な人間でないことを知りつくしていたからである。  が、これほどまでに人なみだとは思わなかった。こんなに安直で、プライドのない男だとは知らなかった。浮気するなら、もっと格が上の女を相手にしてはどうなのか。世間一般の男には手のとどかない美女、才女を口説いてみせてはどんなものなのだろう。そんなたくましさは北浦にはなかった。もっともお手がるな方法で葉子を裏切った。北浦がなさけない男だとすると、妻である葉子はさらになさけない存在になってしまう。めいわくな話だった。いい妻、いい母親であろうとして、葉子は人なみ以上に努力してきたつもりである。そういう努力が、むだな一人相撲と化した。泥沼にひきずりこまれてしまった。  エレベーターの扉があいた。北浦が出てきた。狼狽した、青ざめた顔をしている。足をとめてロビーをみまわした。  葉子と視線が合った。こわばった表情で北浦はうなずいてみせた。ちょっと待っていろ。手で合図してから、北浦はカウンターへ向かった。チェックアウトする気らしい。  夫がなにを考えているか、手にとるように葉子にはわかった。どういいつくろうべきか必死で思案している。腹を立てて、いらいらしていた。うるさいやつ、厄介なやつ、と葉子のことを思っている。どこでバレたのか、ついていないと思っている。部屋へ入ったばかりなのに、精算させられる。金が惜しい。夫にとってもきょうは最悪の日だった。仕事以外のことでは、ほんの些細なトラブルを背負いこむのもいやがる男だった。  西田美佐の姿はなかった。北浦と葉子がホテルから出てゆくまで、どこかにかくれているのだろうか。気づかってやる必要はない。地獄に落してやりたい。みじめな気持をうんと味わうがいい。妻子ある男との情事では、独身の若い女はどうしても泥棒猫の立場にならざるを得ないのだ。そのことが、美佐も骨身にしみたにちがいなかった。  北浦がやってきた。葉子は腰をあげた。  だまって葉子は北浦の顔をみていた。こんなとき男というものはどんな表情をするのか。たしかめてみたい気がある。  葉子のそばで北浦はあるく方向を変えた。駐車場のほうへあるきだした。だまって葉子は肩をならべた。このあたりが夫婦というものだった。北浦がさっき、待っていろ、と手で合図したのもそれだ。一々言葉に出さなくとも、意志がつうじあってしまう。 「どうやってここへきたんだ。あとをつけてきたのか」  北浦が訊いた。なにをおいても葉子の手の内をさぐりたいところだろう。 「ううん。偶然よ。まったくの偶然」  葉子はこたえた。まんざら嘘でもない。 「美佐さんはどうしたの。裏口からでも帰ったの。たいへんね、あの子も」  葉子は訊いてやった。顔を前方に向けたまま、目の端で夫の顔をうかがった。 「美佐は最上階のラウンジにいるよ。ボーイフレンドと待ちあわせなんだ。最初からその予定だった。このホテルでデートだというから、送ってきてやったのさ」  葉子はあっけにとられた。  思ってもみない返事だった。この期におよんで北浦はシラを切ろうとしている。必死で答弁を考えたのだろう。 「ボーイフレンドと待ちあわせ——。じゃ、あなた、部屋でなにをしていたの」 「仕事をしに部屋をとったんだ。気分を変えて、なにか新しい発想を得ようと思って」 「まさか。道具も資料もなしで」 「ざっと構想を建てるときは、ボールペン一本あればじゅうぶんさ。用紙は部屋にそなえつけのがある。なんの支障もないよ」 「それなら部屋へ呼んでくれればよかったのに。ちょっと覗くぐらい、べつにおじゃまでもなかったでしょう」 「めんどうくさかったんだ。一々説明するのがね。美佐といっしょにホテルへ入ったのは事実なんだし、弁明しても、おまえが信じてくれるかどうかわからない」  駐車場へ入った。BMWのそばへきた。  葉子は助手席に乗った。クルマはすぐに動きだした。ばかばかしくて葉子は、ものもいいたくなかった。女房に浮気がバレたら、徹底して否認しろ。たとえ現場にふみこまれた場合でも、この女とはセックスの関係のないつきあいだといって通せ。女房は最後には夫の弁明を信用する。信じないかぎり、いつまでたっても救われないからだ。そういう男の側のトラブル回避のノウハウに、北浦は忠実であろうとしていた。俗説どおり、シラを切って、葉子をだまそうとしている。  あらためて葉子はがっかりした。土下座して詫びる誠実さが北浦にはなかった。美佐とはすぐに手を切る。心配するな——口さきだけでも約束する思いやりもなかった。つまらない嘘でこの場をとりつくろおうとするだけだ。安っぽい浮気の責任さえ、きちんととれない男のようだった。  だまって二人は街を走った。夕闇がおりて街にはあかりがつきはじめていた。  つとめを終えて家路につく人々の姿がみえる。あたたかい団欒のもとへ、みんな帰ろうとしていた。安心して巣をめざしている。自分たちだけが、そうではなかった。とくに葉子のほうがそうだ。北浦といっしょに暮すのが、いやになった。このままでは私の人生はとりかえしのつかないものになる。なんとかしなければ、と思った。炭酸水のような焦燥が胸にこみあげてくる。  北浦との結婚を後悔したことは、これまでにも何度かあった。おとなしいが、北浦はわがままだった。他人と協調してゆくのが苦手だった。弱い性格だった。困難なことからすぐ逃げたがる。ちょっとめんどうな問題がおこると、処理を葉子におしつけて逃げてしまう。そのくせ、やさしい夫ではなかった。いっしょに働いた四年間、葉子が風邪で寝こんだりすると、北浦は冷淡だった。 「このいそがしい時期に風邪なんかひきやがって。たるんでいるからだ」  口には出さないが、そういう目で葉子をみた。この男とわかれるべきではないのか。あのときも本気でそう思った。  北浦以外の男性と結婚していたら、いまごろ自分はどうなっていただろう。もっと充実した人生を送っていたのではないだろうか。結婚をはやまった。もっと多くの男性とつきあってみるべきだった。  そういう後悔が、葉子の胸にはいつも浮き沈みしていた。後悔が浮いたり沈んだりする感覚をこっそりたのしんでいた向きもある。だが、こんどのような焦燥にとりつかれたのははじめてだった。このままでは、私の人生はとりかえしのつかないものになる——。そこまで考えたことはなかった。失望や幻滅がこんどほど深刻ではなかったのだ。  北浦誠はなんといっても夫である。葉子の一生をあずけた男だった。おまけに北浦は、正彦の父親である。正彦にとっては、葉子におとらず大切な人物だった。葉子としては、だから北浦誠という男性に、そうかんたんに失望するわけにはいかなかった。気にいらない点があっても、なるべくこだわらないようにしていた。独立して事務所を軌道に乗せたのだから、世間的にはまずまずの男なのだと思うようにしていた。だが、こんどのような事件がおこると、いままでかくれていた北浦のいやな側面が一気に目についてしまう。正視に耐えないくらいだ。ほんとうに葉子はがっかりした。みせてほしくないものを無理にみせつけられた。まとめてたっぷりみせられた感じだった。  だまったまま二人は自宅のそばまできた。家には正彦がいる。めんどうな話は、いまのうちに済ませておくべきだった。 「西田美佐は退職させてくださいね。毎朝あなたがあの女のところへ出かけてゆく。そう思うと、笑ってあなたを送りだせないもの」 「美佐をクビに——。それはできないよ。理由がないもの。勤務態度がわるいわけじゃないし、大きなミスもなかった」 「私からのおねがいなの。あの子をやめさせてください。私のことをすこしでも考えてくれるなら、そうして」 「おまえ疑っているのか。美佐とおれはほんとうになんでもないんだぞ。ホテルまでいっしょにいっただけなんだ。考えすぎだよ。まさかあんな小娘と——」 「もういいの。みえすいた嘘はたくさん。ね、あなた。私の納得のいくように後始末をしてね。私をあまりがっかりさせないで」  さすがに涙が出そうになった。  そこで話を打ち切った。クルマは家のまえに着いていた。バックで北浦は愛車をガレージにいれようとしている。それに熱中するふりで、はっきりした返事はなかった。  あっというまに一月がすぎた。西田美佐はまだ退職していないらしい。美佐について、北浦からの報告はなにもなかった。  なんといっても一人の娘の生活権にかかわることだ。そうかんたんにクビにもできないのだろう。そう思って葉子は美佐のことを口に出さないようにしていた。毎朝、なるべくあかるく北浦を送りだした。だが、半面そういう努力がおそろしく空しく感じられた。なんのために自分は「よくできた妻」を演じなくてはならないのか。そうやって自分を殺して、なにを守ろうとしているのか。守るに値いするものが、自分の生活のなかになにか一つでもあるのだろうか。  そんな疑問に葉子はおそわれるようになった。すべてをほうりだして、海外旅行でもしてみたいと思う。学生時代の同性の仲間をさそって、あそびほうけてみたい気もする。反対に仲間と組んで、なにか小さな商売でもやってみようかと考えたりした。  だが、どれも実行できなかった。高校受験をひかえた息子がいる。守るに値いするものがなに一つない、などという考えをさらけだすわけにはいかなかった。正彦は人生最初の関門に挑もうとしている。その足をひっぱる母親であってはならない。正彦を動揺させないために、北浦との不和は当分、かくし通さなければならなかった。  正彦の受験のことだけ、葉子は考えて暮すようにした。もちろん学業をたすけてやれる能力はない。食事や睡眠時間に注意し、勉強部屋をできるだけ騒音から遠ざけようとする世間なみの母親にすぎなかった。夫の事務所を葉子が手つだっていたあいだ、正彦はいわゆる鍵っ子だった。不自由な思いをずいぶんさせた。埋めあわせをしたい気があって、葉子は正彦を大事にしていた。おそく帰った北浦にお茶漬けの支度などしたことがない。だが、正彦には毎晩午前零時に、手を変え品を変えて夜食をとらせた。ドリア、パエリア、タラコをまぶしたスパゲティ、クッパなどが正彦をよろこばせる。  さいわい正彦は学業成績がよかった。地元の公立の進学校へらくに入れるというお墨つきを学校からもらっていた。だが、この時期になって正彦はさらに野心を出した。神奈川県下にあるミッション系の私立高校をうけてみたいといいだしたのだ。毎年、東大進学者を多数出しているE高校だった。きみならやれる。E高経由で東大を狙ってみろ。家庭教師の東大生に尻をたたかれて、正彦はその気になったらしかった。 「そりゃ一流校へ入れるにこしたことはないわ。でも、神奈川まで通うわけにはいかないでしょ。下宿する気なの」 「寮があるんだよ。寮生活するよ。まわりが優秀なやつばかりだから、刺戟されてきっといい結果が出ると思うんだ」  正彦が家を出てしまったら、葉子は一人暮しも同然になる。北浦とはいま、夫婦であっても夫婦でないようなものだ。  だが、正彦にそんな話はできない。自分がさびしくなるからといって、息子の向学心に水をさせるものでもない。北浦のほうは、当然、葉子の気持には無関心だった。 「それはいい。野心は大きくもつべきだ。挑戦してみろよ。だめでもともとのつもりで、気らくにやればいいさ」  父親として適切なアドバイスだった。自分に直接関係のない事柄については、しっかりした意見をいう男である。  北浦は相変らず、週に二度か三度、夜おそく帰ってきた。仕事のうえのつきあいなのか、美佐との情事のせいかよくわからない。  美佐とのことが露顕して以来、帰りがおそくなると、だれとどこで飲んでいたか、北浦はあくる朝報告するようになった。だが、二週間もたつと、その習慣も消えてしまった。北浦はいなおった気配だった。どこか傲然と出勤し、傲然と家へ帰ってくる。仕方ないじゃないか。美佐の体がわすれられない。全身でそう表明している感じだった。ほかのことはどうでもよい、男にとって女は、やはり若さと新鮮さが生命なのだろう。  あのことがあってからも、北浦は夜、ときおり葉子の体へ手をのばしてきた。  シングルベッドを二つならべて二人は寝ている。欲望にかられたとき、北浦は葉子の掛布団をはぎとってのしかかってきた。葉子のベッドに腰かけて、掛布団の下へ手をすべりこませてくることもあった。眠っている葉子の下着をひきおろして、敏感な部分をさぐりにくるのが北浦は好きだった。  が、最近は以前にくらべていかにも動作に情熱がなかった。手つきが儀礼的である。葉子のほうがそう感じるようになったのかもしれない。布団をはいでのしかかってくることは、北浦はなくなっていた。  葉子は背を向ける。脚をとじて拒否の姿勢をとる。両ひざでネグリジェのすそをはさんだ。横向きに寝て、脚をちぢめた。 「なんだ。ほしくないのか。ならいいよ」  つぶやいて北浦は自分のベッドへ去った。  これさいわい、の気配も感じられた。が、それ以上に北浦は腹を立てていた。こっちも気乗りはしない。だが、夫婦の和合のため、なんとか行為を成立させる気で手をのばしたのだ。思いやりから出た行動だった。  それを葉子はことわった。男の側の思いやりなどまったく意に介さない。ギスギスした女だと考えているのだろう。疲れた体に鞭打って、せっかく抱いてやろうとしたのに、勝手にしろといいたいらしい。  葉子にすれば、ただめいわくなだけだった。気乗りしないくせに、こちらのベッドへきてほしくないのだ。情熱のないセックスなんて意味がない。ほしくもない。だが、そのあたりを男は誤解している。妻たちがつねに欲望をもてあましていると思っている。妻と仲よくあるためには、無理にでも自分を鼓舞してセックスを挑むべきだと信じている。  じっさい葉子には欲望がなかった。正確にいうと、北浦にたいしては、まったくその気がおこらなくなっていた。ほかの男性にはどうなのか。ためすチャンスが、葉子にはなかった。ご用きき、セールスマン、集金人。まったく興味の対象にならない男しか、家をたずねてくる者はなかった。  二月に入って数日たった。正彦がE高校への願書を出し終った。  西田美佐が退職したという話は、相変らず耳に入ってこなかった。もうそのことを質問しても、不自然ではない時期である。出勤する北浦に、玄関さきで葉子は訊いてみた。 「あの子、一月末きりで退職したんでしょうね。そうなんでしょう」  北浦は足をとめてふりかえった。ひどく尊大な表情になっていた。 「いや、退職なんかさせていないぞ。まえにもいったろう。やめさせる理由がない」  そうなの——。葉子はうなずいた。心の張りが、すっと消えてゆく実感があった。  自分はお人好しだと思った。若くて新鮮な美佐の体に北浦は夢中なのだ。 「まだ疑っているのか。美佐とはなんでもないんだよ。立場というもんがある。事務所の子に手をだすようなまねはしない」 「まだそんな白々しい嘘をいうの。いいわ、よくわかった。美佐のもとへ毎日あなたを送りだす私の気持なんて、眼中にないのね。それならそれで私も考えてみる」 「美佐のもとへっていうけど、あの子を辞めさせてみたところで、連絡をとって会うことはできる。五十歩百歩じゃないか。かりに美佐と関係があるとしての話だけど」 「わからないの。事務所をやめさせて、というのは、あの子と手を切って、ということなのよ。あなたは下手なのよ。浮気するなら、もっと上手にやってよ。それもできない人に女あそびする資格なんかないわ」  葉子は声が高くなってしまった。  正彦はもう登校したあとである。だから、抑制がきかなかった。それにしても夫婦という関係はおそろしい。一方がくさると、一方もくさってしまう。  北浦はだまってガレージへ入ろうとした。だが、ひきかえしてきた。葉子の顔を覗きこんで、小声でいいきかせた。 「心配するなって葉子。家庭をこわしたりすることは絶対ないんだから。おまえと正彦あってのおれだ。多少羽をのばしたって、限度ってものは心得ているよ」  BMWに北浦は乗りこんだ。端整な横顔をみせて、発進していった。  葉子は苦笑して家にもどった。もうだめだと思った。自分の気持が北浦にはまったく伝わっていない。はなればなれである。いっしょに暮している点をのぞけば、二人はもう夫婦とはいえなかった。  北浦には、たしかに家庭を破壊する気はないようだった。浮気は一種のハシカだと達観して、夫が家庭にもどる日をしずかに待つ——そんなよくできた妻のイメージを葉子に期待しているらしい。だが、葉子にはもうそんな嘘が耐えきれなかった。よくできた妻であるよりも、葉子は葉子自身でありたい。いつまでも北浦の希望どおりに生きていると、ほんとうにとり返しがつかなくなる。歳月がどんどんのこりすくなくなる。老婆になった自分をいつか鏡のなかで発見して、身も凍る思いをするのだろう。  北浦のほうは呑気だった。妻は夫の身のまわりの世話をする。子供を育てる。妻というものの人生はそのためにあるのだと考えているらしい。夫のわがままに妻が耐えるのは、当然のことだと思っている。万事に妻は夫を立て、自分をころして生きるものだと信じていた。虫がよすぎるのだ。北浦誠の人生は、葉子の人生の犠牲のうえに成り立つ資格がある。それほど価値あるものだと思っている。働いて葉子や正彦をやしなっているから、そんなふうに楽観していられるのだろう。 「冗談じゃないわ。あなた程度の人物のおさんどんに一生甘んじるなんて、一度も約束したおぼえはないんだから。あなたが勝手にそうきめているだけじゃないの」  鏡台に向かって葉子は化粧してみた。  捨てたものではなかった。どうみても三十四、五としか思えないと他人にいわれる。  西田美佐ほどではないが、まだ体は若い。体力もある。すこしは読書もした。フランス語のレッスンにも通っている。葉子自身のための人生をつくる下地はできていた。家にひきこもっているのがよくないのだ。  細身のニットドレスを着てみた。濃い茶色の服だった。体にぴったり貼りついて、セクシーな雰囲気が出る。脚の線も、若いころとほとんど変っていなかった。葉子は鏡のまえで、くるくる回った。サイドベンツのスカートが、われながらなまめかしかった。  葉子は外出することにした。おもて通りへ出て、タクシーをひろった。どこへいこうという当てもない。向かうべきはっきりした道のないのが、自分自身の生活を組み立てるうえで、大きな弱点であった。葉子はとりあえず銀座へ出て、買い物をした。イタリアンレストランで食事をとった。  それですることがなくなった。新作のアメリカ映画を見終ると、もう夕方だった。正彦の食事の支度をしなければならない。デパートの食品売場で買い物をして家路についた。自分自身のため生きようとしても、空しいことに変りはなかった。生産的な仕事をもっていないのが、致命傷なのかもしれない。  二月のなかば、正彦はE高の入学試験をうけた。三日後、発表があった。合格だった。葉子は肩の荷をおろした気分だった。この一年あまり、腫れ物にさわるようにして正彦に接してきた苦労が報われたのだ。 「よくやったなあ。やっぱりおれの子だ。でも、これからがたいへんだぞ。優秀な生徒の集団のなかに投げこまれたんだから」  北浦もよろこびで顔を赤くしていた。  親子三人で合格祝いのパーティをやった。最初の夜は家でお祝いをし、つぎの夜は銀座へ食事に出かけた。五日ばかりつづけて北浦は、はやい時間に家へ帰ってきた。正彦が手柄を立てたので、父親としての意識が数日間は旺盛になったらしい。  祝福しながら、葉子はつぎの問題に直面していた。四月から正彦は寮へ入ってしまう。週に一度しか家へ帰ってこない。いや、最初は週一度でも、日がたつにつれて半月に一度、一ヵ月に一度となるだろう。葉子は一人ぼっちになる。デキがよいばかりに、正彦はふつうの少年よりもはやく母親の手からはなれてゆくことになった。 「正彦、土曜日にはかならず帰っていらっしゃいよ。洗濯物もたまるし、食事だってきっと片寄りができるんだから。きちんと家へ帰って、調整しないと病気になるわ」 「おれ、そういうママのお節介がうるさくて寮へ入りたかったんだぜ。朝から晩まで、ママには一々干渉されたからな。でも、週に一度は帰ってやるよ。一人で留守番ばかりじゃママもみじめだろうからさ」 「なにいってるの。家を出たらママのありがたみがわかるんだから。ホームシックで泣かないようになさいよ。でも、帰ってきたら、ちゃんとおっぱいは吸わせてあげます」 「要らない。ママのおっぱいなんてうすら気味わるい。それよりさ、合格したんだからステレオを買ってよ。コンポ式の高性能のやつ。家にそういうものでもあれば、ちょっとは里心もつくようになるからさ」  クチバシの黄色いのが、いつのまにか大きなことをいうようになった。  すぐなにかに頭をぶつけるだろう。これから何度、親もとへ泣きこんでくるかわからない。だが、当面葉子は、正彦にとって必要な存在ではなくなった。今後もせいぜい週に一度、彼の世話をするだけの身となった。  さびしいと思った。きりのない空白だけがこのさき待ちうけているようだった。だが、半面ではせいせいした気分もあった。もう四六時中、正彦のことを念頭において暮す必要はない。外出も自由だ。帰宅時間がおそくなってもかまわない。なんでも好きなことができる。そう思うと、自分の体にとつぜん羽が生えてきたようにわくわくする。  どこへでもいける。飛んでいける。三十代も終りになって、葉子はやっと行動の自由をとりもどした。若いころとおなじように、身がるになった。残念なのは、こうして手にいれた自由をどう行使してよいのか、さっぱり方針が立たないことだ。いま思うと、女の結婚生活とは、夫と子供の踏み台になる生活だった。自分のための暮しではなかった。妻であり母親であるためには、自分自身について考えるチャンスなど、無条件に捨ててかからなければならなかった。だから、自分のことが、なによりもわからない。つかんだ自由をどう行使するか、などという問題を考えるのが葉子にはいちばん苦手である。いつのまにかそんな女になっていた。  なにをすればよいのか、まったく葉子はわからなかった。あそびほうけてみても、すぐ倦きるにきまっている。なにを自分は実行したいと思っているのか、あらためて考えると五里霧中だった。自分というものが、どこかへ消えてなくなっている。  気がつくと夫は浮気。子供は寮だった。葉子ひとり、きょろきょろしながら霧のなかにとりのこされていた。このままではいけない。とりかえしがつかなくなる。焦燥だけが胸にこみあげた。良妻も賢母もごめんである。自分自身に葉子はなりたい。だが、その自分がどこにいるのかわからないのだ。  四月になった。正彦は神奈川県のK市にあるE高校の寮へ入った。  夫の事務所の所員がライトバンで正彦と荷物をはこんでくれた。葉子も同乗して送っていった。三時間かかって寮へ着いた。部屋へ荷物をはこびいれてしまうと、正彦はあからさまに葉子をじゃま者あつかいしはじめる。舎監や担任の教師にろくに挨拶もしないで、葉子はひきあげなければならなかった。  帰り道、運転の所員といろんな話をした。西田美佐のことだけ所員は話さなかった。北浦と美佐の関係は、事務所の全員に知れわたっている模様だった。  週に一度、せいぜい二度だが、北浦は外泊するようになった。正彦がいなくなって、彼なりに解放されたわけだった。徹夜麻雀だとか、朝までかかって図面の線をひいたとか、みえすいた嘘をついていた。嘘は北浦なりの思いやりであるらしい。 「いっそのこと、美佐さんといっしょに暮したらどうなの。私はいいのよ。離婚してさっぱりしましょうか」  北浦に葉子はいってみたことがある。  朝食の席だった。あきれるほど北浦はまじめな顔になった。紅茶を飲んだ。輪切りのレモンをカップにいれたまま彼は紅茶を飲む。 「ばか。親が離婚なんかしたら、正彦がハンディを負うことになる。就職や結婚のとき、あいつが苦労するじゃないか。そんなむごいこと、親としてできないね」 「正彦の就職や結婚。ふうん、あなた、ずいぶんさきのことまで考えるのね」 「当然じゃないか。それに離婚するだけのさしせまった事情がわれわれのあいだにあるとも思えないがね。小さなことに、おまえ、こだわりすぎるんだよ」  いつものように葉子は唖然となった。  小さなことですって。冗談じゃないわ。金切声をあげるよりさき、気勢がそがれてしまう。まったく話が噛みあわないのだ。  葉子にとって北浦は万事に話のつうじない相手になってきている。年々それがはっきりしてくる。もう私たち、共同生活の意味がないわ。だから、わかれましょう。そういう明快な話さえ、北浦にはつうじなくなった。  この状態をどうしてよいかわからない。気晴しに葉子はどこかへ旅行したくなった。  とりあえず実家へあそびに帰った。新潟県下のK市に実家はある。年に一度、葉子は帰省する習慣だった。だが、春さきに田舎へ帰ったのは、はじめてだった。  父の伊村和一郎は土木建築の会社を経営している。社員は二百名。土地では有数の企業である。業績もいいらしい。  和一郎は大工に毛の生えた程度の建築業から出発して、今日にいたった。若いころから、仕事の誠実なのが評判だったらしい。ステッキをつき、負傷した左足をひきずって、朝から晩まで働いた。わずかずつ信用をつみかさねて、大きくなった。子供のころから葉子は、父が他人と争ったのをみたことがない。子供たちにも父はやさしかった。葉子は一度として、父に叱責されたおぼえがない。  父は自分の苦労話をしなかった。その代り、葉子や弟たちの愚痴や不満話には熱心に耳をかたむける。ときどき意見をきかせてくれた。父は商業学校しか出ていないのだが、話には説得力があった。  十七年まえ、葉子と北浦の結婚に、父は猛烈に反対したものだった。そのことも、葉子にとってはいまは尊敬のたねである。男としての迫力がない。北浦を父はそう評していた。そのとおりだった。線がほそいというだけでなく、責任感とか誠実性とかの男っぽい属性が北浦に欠けているのをみぬいていたのだ。 「お父さんのいうとおりにしておけばよかったわ。北浦には私、幻滅しているの。このままではわかれることになるかもしれない」 「わかれる。それはいけねえなあ。なんだってまた幻滅したんだ。設計事務所を出して、あの男としてはよくやっているのに」 「安っぽいの。いろいろと。ちょっと事務所の成績がいいと外車を買ったわ。人もふやした。女もいるみたい。お父さんなんかのやりかたと全然比較にならないわ」 「ずいぶん変るもんだなあ。むかしはおまえ、北浦の男ぶりにぼうっとなって、なにいってもきかなかったくせに。おれもずいぶん反対したども、あの百人一首の話ばきいて、あきらめたものであった」  夕食のあと、ブランデーを飲みながら葉子は父とおしゃべりした。  父とそうしていると、生家へ帰った実感がわいてくる。母親も弟夫婦も団欒に加わってきた。父と葉子の会話が座の中心になる。むかしから伊村家はそうだった。  百人一首の話とは、葉子の恋物語だった。  東京の私立大学二年のとき、葉子は北浦と知りあった。葉子は法学部の学生、北浦は工学部の四年生だった。英会話の研究会に葉子はそのころ入った。北浦はその研究会の役員をしていた。  熱をあげたのは葉子のほうだった。北浦はハンサムで温厚で、秀才めいた話しかたをする学生だった。ほかの女子学生のなかにも、北浦をねらっている者がいた。葉子はいそいで行動しなければならなかった。  なにかの本を北浦に貸したことがあった。正月だった。本のあいだに葉子は百人一首カルタを一枚はさんでおいた。「忍ぶれど色に出にけり——」という恋歌である。  思いきって決行した。北浦はカルタをみてどう思うだろう。考えると、耳まで熱くなった。逃げるように下宿へ帰った。もしフラれたら英会話研究会もやめようと思っていた。  その晩アパートへ北浦から電話が入った。 「カルタありがとう。うれしかったぞ」  いきなり北浦はそういった。  幸福で葉子は口がきけなかった。はあ、といったきり立ちつくした。脚がふるえた。 「ゆっくり話しあおう。あしたの晩新宿で会おう。 ××という喫茶店で」  北浦は手ぎわよく段どりをきめた。男の迫力に葉子は打たれたものだった。  そうやって北浦と親しくなった。北浦は学校を卒業して、二流どころの建設会社へ就職した。何ヵ月かあと、葉子は所用で上京した父へ北浦をひきあわせた。  男としての迫力がない。結婚はやめたほうがいい。対面のあと二人きりになって、父は葉子にそういいきかせた。もっと優秀なのをいくらでもさがしてきてやる。しばらく待っていろ。おまえはまだ若くて、男をみる目ができていないというわけである。 「いやよ私、もう決心したんだから。北浦さん以外の人とは結婚しません。お父さんの世話にはならないわ」  昂然と葉子はいったものだ。  北浦とはすでに体の関係ができていた。なにか致命的な欠陥が彼にあったとしても、わかれられる状態ではなかった。北浦をけなされて葉子は腹を立てていた。父と喧嘩わかれもやむを得ないと思った。父はかすかに苦笑して、うなずいてみせた。娘を突きはなすことは、やはりできないようだった。  大学を出てまもなく葉子は結婚した。どこかへ就職したかったのだが、北浦がそれには反対だった。  疲れて会社から家へ帰る。アパートの自分の部屋の窓にあかりがついている。ほっと心の緊張が消える。家庭をもった者のよろこびである。それがなくては、結婚した意味がないというわけである。仕方なく葉子は家で暮すことにした。まもなく正彦が生れたので思ったよりもいそがしかった。  結婚して五年目に北浦は会社をやめるといいはじめた。おとなしいくせに北浦はわがままである。上司や同僚と協調しあってゆくのが、ひどく苦痛のようだった。同期生が一足さきに主任になった。そのことで打撃をうけてもいたようだ。設計の腕には自信がある。それなのに雑用みたいな仕事ばかりさせられると、いつも不満をもらしていた。 「やめてどうするの。つぎの仕事、どこか当てがあるの」  葉子は訊いた。どんな台詞がかえってくるか、察しはついていた。 「お父さんの会社に話をしてみてくれないか。設計部に一級建築士は何人もいないんだろう。きっとおれ、重宝されると思う」  思ったとおりだった。北浦は、葉子の父をあてにしていた。義父の会社へ入れば、重役は確実だとふんでいたのだろう。 「そう。ではたのんでみる。でも、かえって苦労が多いかもしれないわよ」 「赤の他人の会社で苦労するよりはいいさ。さきに希望がもてるものな。ともかくいまの会社は愛想がつきた。大企業のわるいところと中小企業のわるいところを両方もっているんだから。ひどい目に遭った」  父はあなたを評価していない。葉子はそう夫に告げることができなかった。  新潟へ帰って父に事情を話した。北浦を同行させたかったが、おまえからさきに話してみてくれ、といって北浦はきかなかった。 「おまえの亭主をひきとらんわけにもいかねえだろう。ただし、とくべつあつかいはいっさいなしだ。それでよければこいといっておけ。ともかく一度本人にここサ来させろ」  葉子が東京へ帰るのといれ代りに、北浦は新潟のK市へ向かった。  入社をめぐって父と話しあったらしい。父の会社には東京に営業所があった。北浦はそこへ勤務したいと申しいれたらしい。一言のもとにはねつけられた。K市本社の設計部勤務になった。葉子は夫と子供とともにK市へ帰った。まさか親子で実家の世話になるわけにはいかない。郊外に小さな家を借りて、北浦はそこから通勤した。  父の会社へ移って半月もたつと、北浦はまた表情が暗くなった。残業が多い。徹底的にコキ使われる。意欲のわく仕事がまわってこない。倉庫だの車庫だの小さな橋だの、けちな図面ばかり書かされる。給料が安い。まわりの者がよそよそしい。経営のやりかたがおくれている。社長の個人的な力がつよすぎて、組織がうまく生きていない——。 「気位ばかり高い男だな。もうすこし骨惜しみしないで働かねばだめだ。設計の腕はわるくないようだが、文句が多すぎる」  父はそういっていた。北浦にたいして以前よりも心証をわるくしていた。  経営批判のようなことを、北浦は陰で口にだすらしい。東京の中堅企業にいたから、地方の建築会社の内容がなにかとおくれてみえるのだろう。北浦がなにをいっているかは、むろん父にはつつぬけだった。父は北浦とめったに口をきかなかった。面と向かって怒鳴りつけたりはしない。おだやかな顔で、冷たく北浦を無視していた。  K市では三年間暮した。北浦にも葉子にも、それはつらい歳月だった。葉子はまた父にたのんで北浦を東京勤務に変えてもらった。いつまでたっても会社や地元に馴染もうとしない北浦に困っていた。 「土建業者が金権政治家を押し立てて、中央から予算をとってこさせる。工事で儲けて、金権政治家へ献金する。その金で金権政治家は勢力をふやして、まえよりもたくさん予算をとってくる。そのくりかえしだな。民主主義だの政治倫理だのいってみても、こんな田舎じゃカラ念仏もいいところだ」  酒場などで北浦はそんな話をしていた。  土地にも会社にも容れられなくて当然だった。彼は東京営業所へ転勤になった。父が葉子に気をつかって、所長の肩書を北浦にあたえた。最初からおれを東京の要員として迎えればよかったんだ。やっと適材適所になった。北浦はそういってよろこんでいた。  東京営業所長になって一年たった。成績はわるくなかったらしい。北浦は東京営業所の拡大を本社へ申請した。だが、却下されてしまった。その後一年のあいだに、何度か北浦はおなじ申請をくりかえした。葉子の父は、それらをすべてしりぞけた。北浦の献策を本気で検討しなかったのかもしれない。 「事業は手堅ければいいってもんじゃないんだ。必要なとき、一気に攻勢をかけないと、伸びるものも伸びなくなる。東京のことが全然わかっていないんだから」  伊村和一郎と話しあうために、北浦はK市へとんでいった。  そして大喧嘩になった。温厚な和一郎を、北浦は激怒させた。金権政治のおこぼれをあてにするだけの田舎企業。そんなものにいつまで甘んじるのかといったのだ。  会社のゆきかたに不満ならやめろ。ああ、やめてやる。だれがこんな田舎企業に骨を埋めるものか。売り言葉に買い言葉だった。こわばった顔のまま、北浦は東京へ帰ってきた。独立して設計事務所をやるという。すぐに支度をはじめた。資金がなくてもはじめられる事業なので、北浦は強気だった。  調停のため、葉子は実家へ駈けつけた。北浦をやめさせないでほしいとたのみこんだ。だが、父は応じなかった。事態はもう、親娘の情がものをいう範囲をぬけだしてしまったという。 「一人でやらせてみればいいんだ。そのほうが北浦のためにもなる。葉子と北浦が反対だばよかったのになあ。葉子が男だば、おらも安心して会社をまかせられたべのに」  父は北浦の性格の弱さ、行動力のとぼしさをきらっていた。まわりに溶けこもうとしない態度にも辟易していた。  年々それがひどくなった。会ってもろくに口をきかない。この男が葉子の夫だと思うだけで腹立たしい思いにかられるらしい。  北浦のほうは伊村和一郎が、旧型の、たたきあげの社長であることを軽蔑していた。経済も国際情勢も知らない。社会の急速な変化についてゆく力がない。農民が田畑をたがやすように、ただこつこつとやってゆけばいいつもりでいる。時代おくれの土建屋。経営によってではなく、政治とのつながりで儲けようとする品のわるい経営者。そんなふうに北浦は和一郎をきめつけていた。  もうあともどりできなかった。葉子は北浦といっしょに設計事務所をはじめた。  四年間、主婦とキャリアウーマンの二役をつとめた。われながらよくがんばった。北浦を一人前にしたいと思った。父や実家をみかえしてやりたかった。  執念をもやして、やっと事務所の経営を安定させることができた。これからが収穫の時期である。現代の女たちがほんとうに自分自身の生活を手にいれるのは、四十歳、五十歳になってからのことだ。正彦が大人になり、育児から解放されたら、自分の人生がはじまると葉子は思っていた。  予想よりはやく正彦は家を出ていった。収穫の季節のはじまりだった。だが、現実にはそうはならなかった。このまま結婚生活をつづけていっていいものかどうか。それさえよくわからない空白のなかへ、葉子は一人でとりのこされていたのだ。  実家の父母やきょうだいも、葉子のそんな状態をしだいに理解したようだった。  団欒にいつもの活気がなかった。みんな意見をいうのをさしひかえていた。北浦とわかれてしまえといい切れる者はいない。かといって、いまの家庭を維持すべきだと主張する者は、さらにあらわれなかった。  葉子のことは葉子自身がきめなければならない。だれのアドバイスも期待してはならない。肉親によけいな負担を負わせる結果になるからだ。そのことだけがはっきりしてきた。父も母もきょうだいも、葉子が結論をだすのを待っていた。北浦とわかれるにしろ、わかれないにしろ、肉親たちは葉子の考えに賛成してくれるはずだった。 「六月におら、中国旅行する予定なんだ。いっしょにいくか葉子。おまえが付添さんをやってくれれば、おら、非常にたすかる」  実家へ帰って二日目の晩、父がいいだした。まったくとつぜんの話だった。  母も弟たちも大賛成だった。母は体が弱くて、父のお守りに耐えられそうもない。弟たちも多忙で、旅行に要する十日あまりの休暇をとれそうもないというのだ。 「中国——。あまり興味ないなあ。スペインやポルトガルならよろこんでいくんだけど。どうして中国になんか」 「若いころ兵隊でいった国だものな。上海だの南京だのがどうなってるか、なんとか一度みてきたいと思って。戦友の墓もある。はやくお詣りしておかないと、こっちもいつコロッといくか、わからねえと思ってな」  中国でもいい、旅に出よう。自分のことを考えるうえで、ねがってもないチャンスだ。そう葉子は判断した。  渦中にいるからなにもみえない。遠くはなれていまの暮しをふりかえってみれば、意外な収穫があるかもしれない。なにかがわかってくるような気がする。北浦とわかれるのかわかれないのか、どちらにしても旅のあいだに決心がつくはずだった。いや、決心をつけてこなければならない。はやくきめないと、このままではとりかえしのつかないことになる。しきりにそんな気がする。 「私いくわ、お父さん。親孝行のつもりでお世話します。北浦とわかれるかどうか、旅行中によく考えるわ。ともかくよその国をあるいてみる。家にこもってうじうじ考えこんでいても仕方がないものね」  北浦にもおなじことを告げて出発してやろう。  ひとりで葉子はうなずいた。わけもなく会心の思いにひたっている。 [#改ページ]     4  上海三日目の朝の食事のあいだ、葉子たちの一行はみんな笑いを噛みころしていた。  大食堂には二十組ばかりの、白いクロスをかけた円型テーブルがならんでいる。  日本人、アメリカ人の旅行者がグループごとにテーブルをかこんで朝食をとっていた。  アメリカ人のメニューはパンとコーヒー、ハムエッグ、サラダなどである。日本人のテーブルには朝粥が出ていた。  大きな鉢に入った粥を、それぞれが小鉢にわけてたべる。漬物、いため野菜、乾肉や焼豚、卵料理など、オードブルも数多く出てくる。朝の粥はたべやすい。老人たちにも、二日酔い気味の男たちにも評判がよかった。  粥はたべほうだいである。大きな鉢がからになると、父の伊村和一郎が手をあげて、大声でウエイトレスを呼んだ。あやしげな中国語のまじることがある。中国語をまぜたとき、父ははらはらして相手の反応をみていた。ぶじに話がつうじると、子供みたいに相好をくずして周囲の人々をみまわした。得意そうである。むかし兵士として上海へ攻めいったことを、中国の人々にかくそうとする様子はなかった。虐殺事件などのことを、ほんとに父は知らなかったのだろう。  五、六メートルはなれた場所で、大阪弁の団体がテーブルをかこんでいた。  男ばかり、二十名のグループだった。二組にわかれて粥をたべている。ゆうべクラブで会った男たちの顔もみえる。うわずった顔で、大声で彼らはしゃべっていた。  集団になると、日本の男は昂奮する。おまけに旅さきである。醜悪なほどはしゃいでしまう。酔っぱらってでもいるようだ。ウエイトレスに卑猥な冗談をいったり、顔つき体つきを論評したりする。そのたびに仲間が大声で笑う。日本語だから、わけがわからない。ウエイトレスは困った顔で笑っている。みていてたのしい光景ではなかった。  大阪弁の一人が立ちあがった。クラブでとなりあわせた連中の一人だった。顔をしかめている。腹をおさえた。小走りに食堂を出ていった。見送って仲間がなにか笑っている。  葉子の二人おいて左に、添乗員の沢田がすわっている。沢田もいまの男をみていた。葉子に顔を向けて、白い歯をみせた。  ああ。葉子は納得がいった。いまの男は腹をこわしたらしい。ゆうべ沢田がプレゼントした氷のせいなのだ。沢田の話のとおりになった。朝粥の途中で手洗いに立たねばならないなんて、よほどの症状なのだろう。  五分ばかりして男が帰ってきた。顔をしかめて椅子に腰をおろした。 「きょうの明けがたからやねん。もう四へん目や。ああ、ツイてないわ」  男は腹をさすってため息をついた。寝冷えかと訊かれて首をかしげている。  二人の男が同時に立ちあがった。思いださせんなよもう。せっかくわすれとったのに。腹をおさえて、小走りに食堂を出ていった。その二人もゆうべの仲間である。  葉子は口をおさえて笑った。造園業者の藤倉も、新婚の田中夫婦も事態に気づいたらしい。よろこんでいる。近くにいる人に事情を説明した。こちらの二つのテーブルに笑いがひろがった。 「ほほう。沢田さんもなかなか味なことをなさいますなあ。そうですよ。ああいう連中はその程度にはこらしめてやらなくちゃ」  おなじテーブルにいた会田老人が沢田を賞めた。相好をくずしてうなずいている。 「いや、わしはそう思わんな。毒水を飲ませるなんて、汚にゃあことだで。うるせえ連中は、つまみ出せばいいことじゃろう」  かん高い声で海軍出身の坂橋老人が異をとなえた。鷲鼻が赤くかがやいていた。 「そうだ。むかし中国兵は日本軍に追われて逃げるとき、井戸やクリークにチブス菌やコレラ菌を投げこんで逃げたもんだ。それとおなじでねえか。中国兵のやることだ」  吐きすてるように葉子の父がいった。  さすがに視線はそらせている。料理に熱中するようなふりをしていた。 「失礼よ、お父さん。私たち、あの連中にはほんとうにめいわくしたのよ。沢田さんがいなかったら、とても困っていたわ」 「しかし、人の無知につけこんで生水を飲ますのは感心せん。あの人たちだって、中国の料理をたのしみにしてきてるはずだ。なんも食えなくなったらどうするのだ」 「いや、正露丸を嚥《の》めばおさまりますよ。きょうの夕食には絶対間にあいます」  笑って沢田が父に告げた。  桂林から香港まで下痢がつづくだろうと康通訳はいっていた。冗談だったらしい。  父の伊村和一郎は顔をあげて沢田をみた。すぐに視線をそらせた。忌わしいものを目にしたような態度だった。  夫の北浦と会っているときも、父はこんな態度をとることがある。北浦をみて、忌わしいものへぶつかったように顔をそむける。生理的にきらってでもいるようだ。  娘を奪った男への嫌悪なのだろうと葉子はこれまで解釈してきた。が、父は知りあったばかりの沢田にも嫌悪の念をおぼえるらしい。わけがわからない。あの添乗員は出鱈目な説明ばかりする。そう父はいっていた。だが、そんな筋のとおった理由でなしに父は沢田をきらっている。葉子にはそれがわかった。他人への敵意をむきだしにするなど、絶対にしない父だった。中国へきて、なにかが変ったとしか考えられない。  食事が終った。きょうは蘇州への移動日である。ツアーの一行は部屋へ帰って、それぞれ移動の準備をした。ロビーにあつまって、バスの出発時刻を待った。  父の伊村和一郎は売店へ立ち寄った。その間に葉子は沢田へ近づき、さっきの父の無礼の詫びをいった。 「お父さんはよほど私と相性がわるいようですね。私のほうはどうということもないんだが。どうしてなんだろう」  苦笑して沢田は首をかしげた。ずいぶん多くの旅行者を案内してまわったが、こんな例ははじめてだという。 「父は私の夫とも相性がわるいんです。顔をみるのもいやみたい。露骨にそういう態度はみせないけど、私にはわかるんです」 「ふしぎですな。ご主人はどんなかたなんです。私と共通点がありますか」 「沢田さんにくらべたら、ずっと神経質で線のほそい人です。顔色も青白いわ。でも共通点が一つある。主人も沢田さんとおなじように、ロマンスグレーなの」 「ロマンスグレー。私のはそんなにカッコいいものでもありませんが」  とまどって沢田は頭に手をやった。  灰色の頭髪にはろくに手入れされた形跡がない。ばさばさしている。 「まさか。この頭が原因で——」 「父がツルツル頭だったら、コンプレックスも考えられるけど、そうでもないですものね。私にもさっぱりわからないんです。でも、なるべく失礼のないようにします」 「そんなに気にしないでください。まえにもいいましたが、日中戦争にかりだされた人たちはいろいろ屈折するんです。いろんなことがあります。これもその一つですよ」  父がもどってきたので、話をやめた。  出発時刻がきた。ホテルの玄関に横づけされたバスに一同は乗りこんだ。もう一台バスがきている。大阪弁の団体がやはり乗車中だった。こちらの一行はみんなにやにやして、下痢の患者のほうをみている。沢田の氷にやられたことに向うは気づいていなかった。  一行は出発した。九時まえまでは、職場へ自転車でゆく人々が道路にあふれていた。だが、いまは自転車は減った。トロリーバス、バス、トラックに乗用車もまじって案外混雑がひどい。人通りは多かった。  石づくりのビルも寺院もくすんでいる。家々の壁も古い。商店街も日本のようにカラフルではなかった。人々の服装も質素である。昭和二十年代の日本人の服装も、こんなふうだったはずだと葉子は思った。  子供のころの記憶がかすかによみがえる。葉子の育った新潟のK市もこんなふうにくすんでいた。カーキ色の服や、ワイシャツや、開襟シャツの人々が街をゆききしていた。女はもんぺやズボンが多かった。女学生の白いセーラー服が、街でいちばん目につくファッションだった。いまの中国に似ていたのではないかと思う。岡晴夫だの、近江俊郎だの、昭和二十年代の流行歌手の歌声が、上海のどこかの路地からきこえてきそうだった。 「上海はよくなった。街はそんなに変らねえども、人間がちゃんとしている。難民もいねえ、乞食もいねえ。みんな働いている。失業者は五パーセント程度だべ。毛沢東はやっぱりたいした政治家だったんだなあ」  父の伊村和一郎はただ感嘆していた。目を丸くしてうなずいていた。 「ダサイ男ばっかりだな。男はやっぱり、ネクタイが基本なんだ。ネクタイに倦きて、着くずしてこそイキになるわけよ。中国人みたいにネクタイをする者がいないと、もうどう仕様もなくイモだな。上海はイモの街だ」 「さっき、近くのマーケット覗いてみたの。食料品売り場、キチャナーイったらないわ。ハエのたかった肉のかたまり、ナタみたいなので切って売ってるの。家鴨の卵を泥でくさらせたりしてさ。どういうの、あれ」  新婚の田中夫婦は顔をしかめて、上海の風俗をののしっていた。  日本人旅行者が中国からうける印象は、年代によって異なるようだ。もと日本兵は近代化の進行にびっくりする。あのダメだった中国人がよくもここまで国を発展させたものだ。感嘆しながら風景に見入るのである。  三十代前半から下の世代は街の風景にあまり関心を払わない。なんとおくれた、ダサイ国かと顔をしかめてそっぽを向いている。新婚の田中夫婦がその典型だった。美しいヒスイづくりの仏像のある玉仏寺ではあくびをしていた。魯迅記念館、孫文の住居跡では無表情にうろうろしていた。工業展覧会では陳列された工業製品をバカにしきって、 「ICだのLSIだの、ほんとにこの国でできるのかね。日本から輸入して、そのまま展示してあるだけじゃないの」  などといって、康通訳を憤慨させた。康は田中夫婦にあまり近づかなくなった。  昭和ヒトケタの後半からフタケタの世代——戦争にはいかなかったが、間接的に戦争とその痕跡を知る世代は、中国へきてやさしい気持にかられる者が多いようだった。葉子自身もそうだったし、沢田も似たような感想をのべていた。造園業者の藤倉夫婦も、子供のころを思いだすとしきりにいっていた。日本の通りぬけてきた昭和二十年代の光景が、いたるところで目についた。自転車、トロリーバス、たまに通る牛車。ザラメみたいなアイスクリーム。太った人をめったにみかけない。子供のころ、まわりにあった風景だけに、田中らのように葉子は軽蔑的にながめられない。ただなつかしいだけである。路地から幼友達がとびだしてきそうな気がする。  上海は古くて暗い色調の街だった。だが、葉子は奇妙なあかるさをこの街に感じていた。ゆききする人々の顔に希望があふれているといった、そらぞらしい話ではない。古くてうす暗いのに、上海の空気はあかるかった。街路樹の緑の繁みのせいだった。  どの通りにも篠懸の並木があった。昭和二十四年、中国共産党の政府が誕生してから植えられた樹々だということだった。樹々はフランスから輸入された。中国の人々は、だから篠懸をフランス桐と呼んでいるらしい。  その緑が陽光のもと、あかるくかがやいていた。微風が吹くと、葉がおびただしいグリーンのハンカチのように揺れ動いた。並木の緑がくすんだ街をあかるくしている。篠懸のおかげで、上海の空気は生き生きと、さわやかに揺れていた。うす暗い雰囲気も、まずしい風俗も、街路樹のかがやきに圧倒されてしまっている。街に篠懸の木々を植えた——その一事だけで、葉子はこの国の指導者を尊敬できそうだった。  バスは上海駅についた。蘇州、南京方面ゆきの列車がホームで待機していた。  窓の上下を白線で縁どられた、濃いグリーンの客車がならんでいる。十五輛編成の列車だった。いかにも馬力のありそうな、巨大な蒸気機関車が、はるか前方で白いスチームを噴きあげている。葉子にとっては、なつかしい風景だった。乗客がのんびりホームをあるき、客車に吸いこまれてゆく。定員以上の切符を駅は売らないらしい。乗客が席の奪いあいをしない方式になっている。  一行は客車に乗った。外国人専用の車輛だった。座席は二人ずつ向かいあわせの四人掛けだった。日本の客車の四人掛けシートよりはずっとゆとりがある。  固定式の小テーブルが、窓の下から四人のあいだへ突きでていた。白のクロスで覆われている。小テーブルには、ケシの花を活けた花瓶がおいてあった。目のまえに花をおいて列車に揺られることができる。外国人専用車だけの設備である。中国の人たちの花にたいする素朴な感性がうかがわれた。中国はおくれてなんかいない。緑の木々や花にたいする態度は、日本よりもずっと大人っぽく洗練されている。葉子はそう思った。  葉子は父の伊村和一郎とならんで座席に腰をおろした。  テーブルの向う側には、もと銀行員の会田老人がにこにこして腰をおろした。会田老人は単独の旅である。となりにはだれもすわらない。葉子と父は、スペースにゆとりのある旅ができるようになった。  列車が動きだした。なつかしいSLの吼え声がきこえた。二十分ばかりで市街をぬけだした。窓の外の風景のなかに、木々や草地の緑色が増えた。煉瓦を積み、コンクリートで固めた古くさい住宅がならぶ一帯があった。むかしは高級住宅地だったのかもしれない。学校や集会所らしい赤い煉瓦づくりの建物がところどころ目についた。  父はうっとりした表情で風景をみていた。うれしそうに目を大きくして、会田老人に向かって話しはじめた。 「呉淞に上陸して上海に向かいました。一進一退というより、負けいくさだったかもしれないなあ。黄浦江の流域に敵はこっちの五倍もおったですよ。それがどんどん射ってくる。田圃サ伏せたまま動けなくてスな」 「しかし、結局は上海を攻略されたんでしょう。柳川兵団の杭州湾上陸で情勢が変った」 「そのとおりス。上海の南から一気に北西へ進撃したわけス。退路を断たれると思って、敵は狼狽したのスな。なだれを打って敗走に移った。われわれはそれを追いかける恰好で上海にせまったのス」  上海では、海軍陸戦隊が日本租界に立てこもり、敵の大軍を相手に敢闘していた。陸戦隊が全滅しないうち、上海へ突入せよ。それが父の所属部隊のうけた命令だった。  敵が敗走をはじめたので、勢いに乗って進撃した。上海のそばへくると、陸戦隊のあげたアドバルーンが街の上空にただよっていた。「柳川兵団百万将兵杭州湾上陸」の文字がアドバルーンにぶらさがっていた。 「百万は法螺だったのス。せいぜい十万名程度だったはずだス。しかし、デマが通用したわけだスな。中国兵はみんな逃げてしまった。アドバルーンをみたときは、いや、うれしかったスなあ」  うなずいて会田老人はききいっている。  葉子もきき耳を立てていた。はじめてきく話だった。母も弟たちも、たぶんこんな話は知らないだろう。なぜ父は家で話さなかったのか。家族へ話すにしのびない痛苦や忍耐の思い出がつきまとうからかもしれない。  窓の外はいつか田園風景になっていた。  きちんと耕地整理された田畑がどこまでもつづいていた。稲をはじめトマト、ナス、キャベツ、インゲンなど日本と共通の作物が多い。村落の樹林や、クリークのそばの灌木も日本でみるのとおなじかたちと色をしている。めったに山がみえない。それ以外の点では中国の田畑の風景は、日本ときわめてよく似ている。何万年もむかし、日本列島は中国と陸続きだったという話を、すなおにうけいれることができる。  田畑では大勢の人々が働いていた。水田で草とりする人々がいる。何十名も一つ畑にあつまって、ナスなどをとりいれている人々もいた。水田の畦に牛がいる。人も動物も見当らない日本の田圃とはその点もちがう。  葉子はまた子供のころの記憶がよみがえった。日本でも昭和二十年代や三十年代の前半には人々が田圃で働いていた。そばの線路をSL列車が通りかかる。田圃の人たちは男も女も、泥にふんばって背すじをのばす。腰をたたきながら列車を見送って、 「はあ、もう四時の汽車か。がんばらねえとすぐ暗くなるなあ」  などといいあったものだ。  そのころの風景が目のまえにあった。タイムマシンでむかしに帰ったような気がする。ボーイが中国茶をはこんできてくれた。だがそれを飲むひまさえ惜しい気がして、葉子は田畑に見入っていた。 「約五十年ぶりに中国の田舎をごらんになったわけですな。いかがなもんでしょう。当時とかなり変っておりますか」  会田老人が父に訊いている。きき上手とはこういう人物のことをいうのだろう。 「はあ、それはもう変りました。ずいぶん変りました。まるで違ってるス」  おどるような声で父はこたえた。身ぶり手ぶりをいれて話しはじめる。  まず耕地整理がすすんだ。むかしの中国の農村は、小さく区切られた田圃が村落のまわりに折りかさなっていたものだ。田の大きさもかたちもふぞろいだった。菱型の田や、極端な長方形の田があった。それがいまは整然と区劃された一アール単位の田のひろがりに変っている。農村の生産性の大きく向上したことが、風景をみただけでわかる。  村落の様子が変った。むかしは煉瓦づくり、土壁づくりの家々が、広大な平野のところどころに身を寄せあっていた。村の長を中心に一族がたすけあって農業を営んでいた。村はかならず土塀でかこまれていた。馬賊などの略奪から身をまもるための塀だった。赤土を塗り固めた塀の陰で、家々は身をすくめているようにみえた。  中国の大都市のほとんどが大きな城壁にかこまれている。異民族の侵略にそなえて、街よりもさきに城壁をめぐらせたといわれるくらいだ。都市だけでなく、小さな村落もそれぞれ自衛の土塀をもっていた。だが、いまの農村の家々は裸で建っている。土塀をめぐらせた村落はどこにもない。中国の農村の人々は、四千年の歴史のなかでいまはじめて略奪の危険から解放されたのかもしれない。 「土塀はなくなったども、クリークはむかしのままだスなあ。どこの村サいってもクリークがあった。舟がうかんでいた」 「水は飲めなかったんでしょう」 「湯をわかして飲みました。それでも腹をこわす者が多かったな。そうそう、村落のそばに土饅頭がたくさんあったもんだが、もうないようだな。兵隊の命の綱であったが」  土饅頭は丸く土を盛った墓地だった。どこの村の近辺にもそれがあった。  村落に立てこもる敵と遭遇したとき、日本の兵士たちは土饅頭のうしろに伏せて敵弾をよけた。それしか身をまもる物体がなかった。饅頭から饅頭へ前進した。最後は白刃をかざす隊長につづいて、銃剣をかまえて突撃した。上海から南京への進撃のあいだ、大規模な戦闘はほとんどなかった。それでも何人かの戦友が死んだ。戦友の遺骨を抱いて、毎日毎日、田圃のなかの道をあるいた。いつはてるとも知れない行軍だった。 「あるいたって、お父さん、上海から南京まで——。五百キロぐらいあるんでしょ。トラックにも乗らなかったの」 「歩兵はみんなあるいたんですよ。歩兵っていうくらいなもので——」  会田老人が笑って解説してくれた。  トラックの数はすくなかった。器材、弾薬の運搬で手いっぱいだった。兵はみんなあるいた。食料や弾薬をはこぶための馬が割りあてられれば、幸運と思わねばならなかった。 「太平洋戦争になって、日本の自転車部隊がマレー半島で活躍した。銀輪部隊と呼ばれてもてはやされたものです。つまり自転車が当時の最高の機動力だったわけですな」 「そうなの。あるいたの、お父さん。この田圃のなかを、ずっと——」 「ああ、あるいた。昼間は敵に射たれるから、たいてい夜間だった。冬でな、さむかった。なんぼあるいても体がこごえた。眠りながらあるいたもんだ。まだ足ばやられてなかったからな」  極度に疲労してくる。針一本を重く感じるようになる。持物を捨ててしまいたい。  だが、そんなことをすると銃殺である。眠りながら、一歩一歩足をはこんだ。よいしょと重い石をもちあげ、よいしょと地におく、そんな感じの行軍だった。死んだほうがらくだと思った。それでも明け方敵と遭遇すると、睡気も飢えもわすれて射ちあいをやる。突っこんで土饅頭の陰に身を伏せるのだ。  葉子はただおどろいて父の横顔をみつめていた。  父がそんな苛烈な体験の持主であることをはじめて知った。地獄をさまよってきた人物だった。葉子はなにも知らなかった。母だって知らないだろう。  話してもどうせつうじない。あの体験の苦しさが妻子につたわるものではない。あきらめに似た感情が父にはあったのかもしれなかった。あきらめのせいで、父は家族にやさしいのかもしれない。人にも寛容なのだろう。だが、父は北浦をきらっている。なにかあきらめきれない思いが、北浦にたいしては湧きだすのかもしれなかった。 「そうなの。わかったわ。お父さんはだから北浦がきらいなのね。男としての迫力がないと思うんでしょ。北浦も私も、お父さんたちにくらべたら、なんの苦労も知らないヒヨコなんだから」 「いやいや、ちがう。戦争サいってない男はみんなだらしねえなんて、いえたもんでねえよ。全然関係のないことだ」 「どうして北浦との結婚に反対だったの。きかせて。いまならいいでしょ」 「戦争でいろんな男をみたからなあ。この男は弾丸の下へ出たら、どんなふうに行動するか、わしはだいたいわかるんだ。北浦に似た感じの兵隊がいてなあ」  父とおなじ班に、和田という男がいた。父も和田も当時は一等兵だった。  和田は専門学校出だった。新潟の薬局の次男だということだった。おっとりした、育ちのよさそうな男だった。勤務に熱心で、誠実そうな人間にみえた。父は和田と仲がよいほうだった。  呉淞へ上陸してまもなく、敵の戦闘機の攻撃をうけたことがある。行軍中だった部隊は、田へとびおりて畦にふせた。父も畦の下へへばりついた。和田だけがちがう行動をとった。みんなが道の右へ走ったのに、一人だけ左へ走った。冬枯れの田へとびこんだ。みんなといっしょに行動すれば狙われる。そんな愚はおかさない。とっさにそれだけ機転のきく男だった。  突撃のとき、和田はいつも班長につづいてとびだした。が、途中、土饅頭にへばりついて動かなくなる。みんなに追いこされる。ゆっくり走る。そして、先頭が突破口をひらき、勝機のみえた瞬間、後方から疾走して先頭グループに加わるのだ。いいところだけ和田はとって班長の信用を博していた。それをみぬいていたのは父だけだった。  南京の郊外の村落に、父の部隊は駐屯したことがあった。付近の農家に十二、三歳の姑娘がいた。戦場で兵士たちは心がすさんでいる。はげしい戦闘のあとでは、強姦や略奪事件がおこりがちだった。それを恐れて、村の女は老婆と子供以外、姿をかくしていた。その姑娘は自分をまだ子供と考えて、村にのこったにちがいなかった。  父の部隊は、部隊長が厳格な人物だった。必要な食料の徴発以外は農民に危害を加えないよう、きびしい布告を出していた。兵士たちの不祥事は、だからほとんどなかった。  ある夕刻、父は歩哨勤務を終えて村の外から宿舎へもどった。一軒の廃屋のなかから、泣き声がきこえた。父はなかをのぞいてみた。和田一等兵が大いそぎで軍袴をはいていた。そばに例の姑娘が裸で倒れて泣いている。出血していた。暴行されたのだ。まだ乳房もふくらんでいない少女だった。 「和田、おまえ、なんという——」  父は怒りにかられた。和田をたたきのめしてやろうかと思った。 「いや、強姦でねえぞ。ちゃんと母親に話ばつけてある。嘘だと思ったら、きいてみろ。そこにいる」  土間に少女の母親が縛られていた。  母親は部隊の宿舎に雑用係としてかりだされていた。きょう、炊事当番の兵士の隙をみて、わずかな味噌と干魚を盗んだ。当番兵は和田だった。彼は盗難に気づいて犯人をさがし、結局母親をつかまえた。 「娘を抱いてもいい。抱いてやってけれ。代りに生命ばたすけてけれとこの女がいうもんだから。仕方なくごちそうになった。強姦でねえぞ。娘も納得してる。この女にたのまれて、おれはやったんだから」  おまえもどうだ。たまにはいいだろう。平気だ、たいして痛がらなかったぞ。そういって和田は部屋を出ていった。  縛られたままの母親は、和田のうしろ姿に向かって憎悪のさけびを発した。  軍のものを盗んだ中国人は、兵士に殺されるのが常識だった。その意味では和田は、残虐ではなかった。だが、彼のいったように、母親のほうから娘の体の提供を申し出たわけではけっしてない。親娘の様子をみればそれがわかった。伊村和一郎は母親を縛った縄をといてやった。母親は伊村に礼をいって、ぐったりした娘を介抱しはじめた——。 「いやだお父さん、その和田という人に北浦が似ているっていうの。どうしてよ。いくらなんでもひどすぎるわ。まさか北浦はそんなことまではしないわよ」  話が終らないうちに、葉子は抗議していた。  熱くなっていた。自分でも意外なことだが、北浦の弁護にまわっていた。  そんなふうに父が北浦をみていたとは知らなかった。きびしすぎる。北浦はまさか強姦ができるような悪党ではない。 「なんだ。亭主をけなされると、やっぱり怒るのか。愛想つかしたわけでないのか」 「だって、北浦とは十五年以上いっしょに暮したのよ。どんな男か私のほうがよく知ってるわ。まさか少女を手ごめにするなんて」 「いや、お嬢さん、失礼だがそれはちがいますよ。戦地にいる兵隊はそりゃ気が立っています。平時の物差しではとても彼らの人間性は測れない。だれだって強盗や強姦をやる可能性はあるんです。ご主人に万一いまの話のような行動があったとしても、そんなに不名誉なことでもありませんよ」  会田老人がにこにこして口をはさんだ。  おだやかだが、断固とした口調だった。説教好きな老人であるらしい。 「それは戦争が人を変えるというのはわかりますけど——。でも、お父さんがそんなふうに北浦をみていたなんて知らなかった。北浦はそんなに和田という人に似ているの」 「誠意というものがねえんだな。小利口に立ちまわっていく気ばかりつよい。責任感が希薄であった。自分本位で、ほかの人間のことは考えない。ミスがあると人のせいにする。他人と協調してやっていけない性格だな」 「でも、それお父さんの一方的な想像でしょう。失礼よ。戦場で北浦がどんな行動をとるか、じっさいみもしないできめつけるのは。北浦はもうすこしマシな男よ。お父さんが思っているほどひどくはないわ」 「わしはずっとこれでやってきたんだから。人と商売するとき、ドカン、ドカンと弾丸のとんでくる戦場を思いうかべる。ああいう場面で、この男はどんな工合に動くかなあ、と考えてみるわけだ。すると、だいたいみえてくる。どのタイプの人間だか、なんとなくわかってくるんだから」  和田とか伊藤とか鈴木とか、たくさんの戦友のイメージが脳裡にこびりついている。  交渉相手にそのイメージをかさねあわせる。和田のような男だとか、鈴木のような男だとかすぐに結論が出る。それに応じてこちらの出かたをきめる。社員の採用もそうやってきた。判断ミスはほとんどなかったのだ。  父の伊村和一郎は胸を張った。目を大きくして、子供みたいに得意がっている。会田老人が、何度もうなずいて感心していた。  曲りなりにも父は一国一城の主である。腕一本できょうまでやってきた。その自信が表情にも口調にもみなぎっている。十五年以上北浦といっしょに暮した葉子よりも、自分のほうが北浦をよく知っていると信じていた。  誠意がない。小利口に立ちまわりたがる。自分本位で、他人に思いやりがない。他人と協調できない。父の言葉の一つ一つが、葉子の耳の奥にのこっていた。  葉子は苦笑した。おちついて考えると、それらの評はかなり正確に的を射ていた。北浦は、もし戦争にかりだされたら、じっさい和田一等兵のようになるかもしれない。正面から悪者にはならない。被害者の母にたのまれたという状況をつくっておいて、娘を強姦する。ありそうなことだった。  葉子は急に涙があふれそうになった。いそいで席を立ってデッキのほうへ向かった。  北浦は父のいうとおりの男かもしれない。その北浦を葉子は弁護しなければならなかった。十七年もいっしょに暮してきたからだ。まったく自分の人生は、いったいなんだったのだろう。そう考えると、悲しい。なんの収穫もない荒れ地を、毎日毎日たがやしてきたようなことだった。  車輛の戸をあけてデッキへ出た。つぎの車輛は食堂車だった。なかへ入ってみる。白いクロスをかけた二十組ばかりのテーブルをかこんで中国人乗客が食事している。竜井《ロンジン》茶を飲み、饅頭のようなものや、ギョーザのようなものをたべていた。彼らはたべながら、めずらしそうに葉子を見物する。  空席がなかった。葉子は立って待っていた。あんずのジュースが飲みたかった。おくに近くの席があいた。腰かけようとする。ボーイがとんできて制止した。食堂車の外へ葉子をつれだそうとする。 「どうしてよ。いけないの。私、ジュースが飲みたいのに」  抗ったが、言葉がつうじない。車輛の外へおしだされてしまった。  どうしたんです。外国人専用車から沢田が出てきた。葉子が外へ出たのをみて、追いかけてきたらしい。 「この人につまみだされたのよ。食堂車へ入ってはいけないの」  ボーイを指差して葉子は訴えた。  沢田とボーイは早口になにか話しあった。ボーイは笑ってうなずいた。手をあげて食堂車へ帰っていった。 「向うは入っちゃいけないんです。ジュースが飲みたいなら、買ってきてあげますよ。ビールもあります」  沢田は笑いかけた。ずっと年下の、若い女と話すような微笑をうかべている。  つりこまれて葉子は口をとがらせた。むかしは父や北浦に向かって、よく口をとがらせてみせたものだった。 「中国の人たちとおなじテーブルで食事したいのよ。話もきいてみたい。できないのそれ。どうして」 「強いて申しいれをすれば可能です。でも、その場合はいま食事中の人々を追いだして、そのあとにわれわれがすわることになる。いい気分のものじゃないですよ」 「ほんとう。どうしてそんな。中国の人たちと話してはいけないことになっているの」 「なるべく接触させない仕組みになっています。中国にとって、ありがたくない考えを外国人が吹きこむおそれがある。それに経済の水準がちがいすぎる。外国人の財布の中身をみて、中国の民衆が自分たちの政府や社会体制に不信の念を抱くようになってはまずい。旅行者は大事にされるけど、民衆の手のとどかないところを通過させられるのです」  フランキー堺が中国の列車のなかで、乗りあわせた中国人たちと乾杯し、交歓する。  そんなCMを葉子はテレビでみたことがある。漢方の胃薬のCMだった。  沢田の話では、あれは嘘なのだ。あんな交歓風景なんか現実にはおこりえない。なにも知らずにだまされていた。葉子は苦笑する。小さなことだが、とくに主婦はしばしばこれに似たあつかいをうけているのだろう。  ジュースを買いにいきましょう。沢田はいってくれた。彼について食堂車へ入った。調理場のそばに飲み物を売る窓口があった。ツアーの一行へゆきわたるように、沢田は二十本近いジュースを注文した。 「みんながたべているものをみてごらんなさい。たべたいものがありますか」  品物のそろうのを待つあいだ、沢田は訊いてきた。  さっきみて知っている。たしかに美味そうな食べ物はない。饅頭もギョーザも、中身はなにも入っていないようだ。 「あと三十分で蘇州です。ホテルで昼食をとります。一人前、二十元の食事です。ここで食事している人たちは月収五十元から七十元ぐらいのものでしょう。土台、交流なんてできるわけがないんですよ」  葉子は胸をつかれてうなずいた。  中国の人々の月収の三割から四割もする食事を、外国人旅行者は毎日とっている。しかも日本人は過去この国に攻めいって、ながい年月にわたって人々に危害を加えた。その日本人がいま中国へきて、おそろしく贅沢な食事をしてまわっている。禁じられていなかったとしても、中国の人々との気らくな交歓など成立するわけがないのだ。  沢田の話には、一つ一つ説得力があった。こちらは中国のことをなにも知らない。向うは知りつくしている。話が一々腑に落ちるのは当然のことなのだろう。  が、それ以上に葉子は、沢田のそばにいるととてもすなおな気持になった。沢田は北浦より八つ年上である。ロマンスグレーも沢田のほうが白髪に近い。だが、精神的な成熟の度合となると、八歳どころでなく沢田のほうが上だった。話すたびにそれを感じた。一人の男性のそばですなおな気分になれるのは、とても快適なことだった。それを思いだしたのはいったい何年ぶりなのか、まったく見当がつかなかった。  葉子は沢田といっしょに外国人専用車へもどった。みんなにジュースをくばってまわった。食堂車で中国人と交歓はできないこと、フランキー堺のCMは現実的でないことを、藤倉夫妻や田中夫妻に話してやった。 「フランキー堺の——。なんですかそれは」  沢田はそのCMを知らなかった。  月の二十日ぐらい、沢田は中国をあるきまわっている。日本の風俗には目がゆきとどかない。葉子たちは勢いづいた。 「おくれていますねえ沢田さんは。中森明菜にチェッカーズ、知ってますか」 「ご存知ですか。総理は中曽根さんですよ。日本を不沈空母にするんだそうです」 「参議院議員の選挙がありますよ。沢田さん、選挙権はおもちなんでしょうね。中国通やから、やっぱり共産党支持ですか。ちがうんですか。中国政府から叱られますよ」 「いま日本では主婦の浮気が流行っています。月の二十日も留守にして、沢田さん、大丈夫ですか。こんど帰ったら、お宅はもぬけの殻ではないでしょうか」  よろこんでみんな沢田を集中攻撃した。  笑って沢田はうなずいていた。最後の質問にだけ、しずかに答えた。質問したのは、造園業者の藤倉の妻だった。 「もぬけの殻はほんとうですよ。十年まえにガンで家内を亡くしました。息子がいるんですが、大学の寮に入っています」  葉子たちは言葉につまった。  あわてて藤倉夫人が詫びをいった。藤倉のほうはべつに恐縮の色もなく、 「そうか、独身ですか。いいですなあ、好きなように羽がのばせて」  などと、むしろ相好をくずしている。  相変らず藤倉は、シートにふんぞりかえる恰好である。その脚が短い。 「一人暮しにはべつに不自由しなくなりました。しかし、藤倉さんや田中さんのようにご夫婦づれのかたをみると、複雑な気分になりますよ。私は一度も家内を海外へつれていったことがなかったから」  沢田はいって、自分の座席へもどった。  葉子も父のとなりへ帰った。沢田にたいして、ますますすなおな気分になった。家庭がないから沢田はこうして中国をほっつきあるいているのだろう。  葉子にも家庭といえるような家庭はない。沢田のようにほっつきあるく生活が、ほんとうは合っているのかもしれない。だが、その能力は葉子になかった。家庭もないのに、家事だけしかできない。こういう女がどこかへ飛びだすのには、やはりだれかのさそいが必要なのだろう。しっかりした男性の腕にすがって飛ぶ以外、脱出のすべがなかった。  沢田はさそってくれないだろうか。もし彼がさそってくれたら、どうしようか。  沢田のほうをみて、葉子は考えた。  二つ向うのボックスで、沢田は座席にもたれて目をとじている。あごの張った意志のつよそうな顔。日焼けしている。肩幅がひろく、腕も太い。年齢は上でも、北浦よりもずっと沢田はタフではないかと思われる。べつに沢田は体臭がなかった。だが、はなれていても、彼の体からはかすかな汗の匂いがながれてくるようだ。心臓がこわばるような、香ばしい匂いだった。  列車が停まった。アナウンスがなにか駅名をいっている。葉子はわれにかえった。  沢田から目をそらせた。彼が独身だとわかってから、彼にたいする意識が急になまなましく、具体的になった。自分でもそれが可笑しい。自力ではどこへも飛びだせない女は、自分をどこかへつれだす力のある相手だとわかって、はじめて一人の男性につよい関心を抱くのかもしれなかった。  向いあわせの会田老人は眠っていた。父は窓の外に目をやっている。 「山に木が多くなったなあ。むかしは禿げ山ばかりだったどもな。ずいぶん変った」  まだ父は往時の思い出のなかにいた。  列車が動きだした。沢田が目をあけてこちらをみた。葉子は彼の視線に気がつかないふりで、父に話しかける。 「ね、お父さん。あの沢田さんは戦場でどんなタイプになると思う。勇敢なほう、それともさっさと逃げるほう。どっち」 「あれは勇敢にやるよ。小隊長、いや中隊長はつとまる男だな。率先して働くから、下からは慕われるほうだべな」  ただし、と父はつぶやいた。  あれは上官に睨まれやすいタイプだ。どこか癇にさわるところがある。上の者にあまり可愛がられない。戦場では、あつかいにくい男からさきに危険な場所へいかされる。その意味では長生きできまいという。 「癇にさわるって、どんなこと。沢田さんは礼儀ただしいし、言葉づかいもていねいよ。どこが気にいらないの」 「上に突っかかる気配があるんだ。正義漢でな。ああいう男は小隊に一人か二人、いるもんだった。仕事はよくやるども、なんとも使いにくい男だな、あれは」  沢田が康通訳といっしょに切符や、一行の人数などの点検をはじめた。  まもなく蘇州です。市内をバスでひとめぐりします。そのあとホテルで昼食。午後一時半からまた観光に出発します。康通訳が立って、一同に説明した。沢田は荷物をもって、さきに乗降口のほうへ出ていった。  蘇州は運河の街だときいていた。だが、駅まえからバスで大通りを南下するあいだ、それらしいものは目につかなかった。  東側に、古い金ピカの菱餅を何十層もかさねあわせたような塔がみえた。北寺塔だった。右前方に、樹木に覆われた古い寺院があった。庭園で有名な留園である。  家々の屋根のかなたに、ほかにもいくつか寺院の屋根や塔や庭園の樹木がみえた。京都を思わせる遠景だった。紀元前六世紀にできた町。呉の国の都があった。そういう来歴が説明なしでもわかるような気がする。だが、大通りはあまり美しくなかった。家々はまずしげである。人々の服装も、上海よりさらに質素だった。防空壕をかねた、大きな地下商店街の出入口があった。一般の商店街には、一行のだれもが関心をしめさなかった。  バスは左へ折れた。西中市から白塔西路へ向かった。煉瓦をコンクリートで固めた白い家々のならぶしずかな町がつづいた。  美しい通りだった。二車線である。せまい歩道にそって、篠懸の並木が道路の両側にならんでいた。みごとな木々だった。丈が二階建ての家々よりはるかに高い。  繁みはあざやかな緑色である。両側の木々の繁みが通りの上空で交叉しあって、アーケードの役割をはたしている。街のなかでありながら、バスは緑のトンネルのなかを走った。人々があるいて通る。自転車でゆききする。ピンク色の上衣にスラックスをはいた若い女が多かった。牛車が通った。しずかで、おだやかな風景だった。木々の繁みだけが、青々と燃えてつづいている。  空気が澄んでいた。クルマがすくないせいだ。だが、トンネルのような篠懸並木をみていると、不都合な事柄はすべて緑の焔が燃やしつくしてしまうように感じられた。昭和二十年代に植えられた並木である。いまが生命の盛りだというように、篠懸は思いきり腕をのばして燃えあがっていた。  ホテルへ着いた。一食二十元の昼食の席に葉子たちはついた。  青菜のいためもの、牛肉の煮こみ、皇魚のから揚げ、鶏のササ身の白蒸し、魚の団子スープ、豆腐のからしあえ、油揚げと椎茸の煮つけ、沙菜という献立てだった。デザートには茘枝《れいし》が出た。楊貴妃が好んだという、ブドウに似た甘い果実である。ふだんよりも葉子は食がすすんだ。みんなもそうだった。老人たちも中年層も若い男女も、中国の食事にだけはこのうえなく満足していた。 「中国の料理、イギリスの家屋、日本の女といいますな。なかで中国の料理は、今日もその面目を保っておる。あとの二つはどうですかな、私にはわかりませんが」  もと銀行員の会田老人が、おだやかな笑顔で憎まれ口をたたいた。 「姑娘はツンケンしとるのう。むかしの姑娘のほうが、情があってよかった。日本の女もだんだんこうなるんじゃろうか、のう」  もと海軍の坂橋老人が、立ち働くウエイトレスをながめて慨嘆した。 「日本の女がどうなろうと、あなたにはもう関係ないことでしょ。よけいな心配はしなくてもいいんです」  坂橋夫人が夫をたしなめた。  みんな笑った。鷲鼻を手で拭いて老人は沈黙していた。若いころからその方面でずいぶん妻にめいわくをかけたのだろう。  美しいウエイトレスが多かった。化粧の気もなく、彼女らは生き生きと働いていた。だが、たしかに愛嬌がなかった。料理をはこび、皿を回収する労働に徹している。スープやお茶を注ぐときも、にこりともしない。そこがいかにも公営企業の従業員だった。  中国のこうした企業は、ほとんどが公営である。売上も利益も国庫へ納入される。たとえ赤字でも、給料は支給される。収益をあげるため努力した者が、収入の点で報われる仕組みがまだできていないようだ。それに、なにしろ月収の四割が吹っとぶような高価な食事をながめて働くのである。外国人旅行者に愛想よくしろといわれても、むずかしいことかもしれなかった。  食事のあと、観光に出た。ホテルのそばのしずかな住宅地を運河が走っていた。  くすんだ白壁づくりの家々がならんでいる。赤煉瓦の家々もあった。白い家々の窓は、枠が一様に茶色である。その窓がいっせいに運河に向かって開いている。窓の下を河がゆっくり流れていた。水は緑がかって、濁っている。だが、化学薬品やヘドロによる、胸の悪くなる濁りかたではなかった。むかしながらの淡い泥水である。水音はない。水面にはほとんどさざ波もなかった。  家並が水面に映っている。川沿いの柳も影を落していた。小舟がうかび、船頭が竿をさしている。河幅のひろいところでは、舟の数も多くなる。バスをおりて、写真をとるのがうしろめたいほどしずかだった。 「変ってねえなあ。このあたりはまるで変ってねえ。戦争中サもどったみたいだ」  父の伊村和一郎は感嘆していた。  不安そうに周囲をみまわしている。風景がむかしのままだと、おちつかないらしい。弾丸が飛んできそうな気がするのだろうか。もっとも父の部隊は、蘇州で戦闘はしなかったという。上海から当地へ進撃したとき、中国軍はこの街を捨てて逃亡し去っていた。  千年の歴史をもつ虎丘塔を見物にいった。ピサの斜塔の向うを張って、やや左へかたむいた七階建ての塔だった。仏舎利塔は各層の屋根が左右にぴんと張りだした様式がふつうである。虎丘塔はそれがなく、ぜんたいにずんぐりした感じだった。塔の下方は緑の木々に覆われている。見物にきた中国の人々が、国産の一眼レフで写真をとりあっている。  まだカラーフィルムは使われていない。葉子の手にしたマガジン式フィルム用の薄型カメラに、人々の視線が集中した。造園業者の藤倉がビデオカメラで撮影していたが、そちらはかえって人目をひかなかった。  留園を見物した。湖心亭もぶらついた。いずれも屋根の四隅が空中へはねあがった様式のあずま屋のある庭園だった。池と廻廊がどちらにもあった。日本の室町時代以降の庭園のように、静寂が体にしみこむようなきびしい雰囲気はない。おおらかで、ゆったりした庭園である。ゆたかな感じがする。一食二十元の食事によく似合った名勝だった。  寒山寺へまわったころは夕刻だった。  運河と石の太鼓橋をまえにした、こぢんまりした寺だった。壮大な塔も伽藍もない。廻廊、屋根の四隅が空へとびあがったあずま屋、うす暗い本堂が敷地内にあった。  日本の寺院とはあまり似ていない。それでも「寒山拾得」の両哲人の古話のせいか、なつかしい感じがする。日本人旅行者向きに、「月落ち、鴉啼き、霜天に満つ」の石刷りが売ってあった。父も坂橋夫妻も二人づれの老婦人もそれを買った。もと銀行員の会田老人はにこにこして、石刷りを無視した。そんなに値打ちのないものなのだろう。 「このお寺なんか、ほんとうに日本の文化のみなもとみたいな気がするわ。素朴で、ひっそりして、日本の山寺みたい。こんないい街へ、よくもお父さんたちは鉄砲をかまえて攻めてこられたものね」  葉子は父と坂橋老人へいやみをいってやった。ひとわたり見学したあとだった。  バスの集合時間まで、まだ十五分ある。一行は寺内の記念品売場をひやかしたり、境内や太鼓橋で写真をとったりしている。坂橋の妻は二人づれの老婦人と散策していた。 「そりゃ仕方ないわ。志願はしとらん。赤紙でひっぱりだされただけじゃから、わしらだって被害者じゃったんよ」  坂橋が小声でいった。のう、と伊村和一郎へ同意をもとめる。 「でも、こんなおだやかなお寺へきたら、日本がむかしから中国をお手本に栄えてきたのがわかったでしょう。戦争するの、いやにならなかったんですか」 「ばかな。あの当時は殺すか殺されるかじゃった。油断して街をあるくと、いつ不意討ちで殺られるかもしれんかった。便衣兵ちゅうて、民間人の服をきて日本兵をねらっている中国兵がようけおったでな。お寺だの文化だの、太平楽ならべてるひまはなかった」 「あの当時、日本は中国をばかにしてた。手本にするどころでない。まずしくて、汚くて、文盲が多かったからな。坂橋さんのいうとおりだ。殺すか殺されるかだった」  戦争にいったことがない者には、なにをいってもわからねえよ。まして女にはな。  父はつぶやいた。寒山寺のそばを当時通ったことがあるらしい。若くて殺気立っていた。しみじみ寺をみつめたおぼえはなかった。 「そのへんに寄席があるんです。講談をやっていますよ。見物してみませんか」  沢田が近づいて、さそってくれた。  寒山寺の北側に、古い長屋式の家々のひしめく一帯がある。そこに寄席があるらしい。あそび場所のすくない中国では、寄席がまだ重要な娯楽施設なのだろう。  いってみよう。葉子と二人の老人は、沢田のあとにつづいた。路地の入口へきた。  白いコンクリートにスレート屋根の古い家がならんでいた。コンクリートが剥げて、煉瓦のむきだしになっている家もあった。  軒のひくい家々だった。壁はうすよごれている。下のほうには泥がこびりついていた。家々の戸口のなかは暗い。床は泥で汚れている。家具がほとんどない。まずしい一帯のようだった。果物の皮や、野菜屑が石畳に散乱している。人通りはなかった。一軒の家のまえに老人が一人ぼんやりと腰かけて、葉子たち一行をみまもっている。 「汚い町だな。こんなとこに寄席があるのかよ。信じられんなあ」  坂橋老人が足をとめた。がらになく神経質に眉をひそめている。 「おら、やめた。あるくのは大儀だ。さきにバスサ乗ってるからな」  葉子の父は、うしろを向いた。ステッキをつき、左足をひきずって帰りはじめる。 「わしもやめたあ。どうせ講談をきいても、ちんぷんかんぷんやから」  坂橋老人もきびすをかえした。旧軍人は肩をならべてスラム地区から脱出していった。 「このへんはむかしのままなんです。戦争にきた人たちは、むかしのままの町に入るのをいやがる。いろいろ思いだすんでしょう」 「便衣兵っていうのにおそわれる話をさっきしてたわ。このへんへくると、物陰からとびかかられそうな気がするのかしら。戦争の思い出って、強烈なのね」 「それは強烈です。私は満州からの引揚げですが、逃げる途中いろんな経験をしました。わすれられない光景がたくさんある」  うわあ、という悲鳴がきこえた。  おどろいてふりかえった。路地の近くで父がステッキをふりあげて威嚇している。犬が坂橋老人にじゃれついたのだ。  坂橋はむかしの記憶でおびえていた。犬に不意をつかれて悲鳴をあげたのだろう。帝国海軍兵曹長もいまは老いたらしい。  犬はすぐに退散した。こちらへ手をあげてみせて、二人は去っていった。葉子と沢田は顔をみあわせて笑った。中国へきて戦争の恐怖をよみがえらせた老人たちへ、葉子はそれほど同情的になれなかった。ただ、おかしかった。必要以上に彼らは戦争にこだわっている。弾丸の下をくぐったという事実は、彼らにとってやはり自慢のたねなのだろう。好きなようにさせておけ、という気持になる。  葉子と沢田はまずしい町の路地をさらにすすんだ。左側に白いペンキ塗りの木造の建物があった。ボロ教室のような小屋だ。ここが寄席らしい。板壁のまえに五人の男がたむろして将棋のようなことをしている。  寄席の戸はしまっていた。本日休館というような標示はみあたらなかった。 「なんだ、休みか。おかしいな。なにかあったのかな」  沢田は小屋の軒下にたむろする男たちへ近づいていった。  なにか沢田は話しかけた。男の一人が小声で返事をする。彼らは顔にうすら笑いをうかべていた。みんな目を伏せている。 「きょう出演するはずだった講談師が病気なんですって。あしたはやるそうです」  沢田は葉子にそう声をかけた。そして、腰をかがめて将棋に見入った。  葉子も彼らに近づいた。五人の男のうち二人は老人、三人が中年だった。みんな身なりがまずしい。雑巾に近い服をきている。手足がどすぐろく垢じみていた。夕闇が濃くなったので、いっそう彼らは垢じみてみえる。汗と垢の匂いがまわりにただよっていた。  老人と中年男が将棋を指していた。日本のとちがって、ボール紙を丸く切った駒だった。駒の種類も、動かしかたも、日本の将棋ほど複雑ではないらしい。黙々と二人が対局し、うすら笑いで三人が見物している。  正直いって葉子は、この男たちが気味わるかった。なにを考えているのか見当もつかない。路地の入口で退散した父や坂橋老人の気持がわかってきた。沢田がいっしょでなかったら、恐くて葉子は体がすくんだだろう。思わず沢田に寄りそっていた。 「ひまそうなのね、この人たち」 「いや、これも仕事のうちでしょう。どうせ賭けているにきまってますからね。おおやけには禁じられていますが」  沢田はポケットから、一元札をとりだした。  対局中の老人の肩をたたいた。なにか話して紙幣を老人のそばにおいた。みんな色めき立った。おまえに賭けるぞ、向うの御婦人と勝負する、と告げたらしい。  むろん葉子もうけて立った。一元札をだして、対局中の中年男のそばへおいた。 「私、こっちの朋友《ぽんゆう》に賭ける。若いし、頭もよさそうだから」  沢田が通訳した。みんなどよめいた。  葉子ののった中年男は、とてもうれしそうな顔になった。鼻唄をうたいだす。身を乗りだし、夢中になって、盤面に見入った。  三分で勝負がついた。老人が勝った。破顔一笑して老人は、対局相手のそばの紙幣をとって沢田に手わたした。負けた中年男は頭をかかえて、石畳のうえにひっくりかえった。  沢田は葉子のだした一元札を老人に手わたした。竜井《ロンジン》茶の葉でも買ってくれといったらしい。謝々。老人は大声をあげた。みんな笑って沢田と葉子を送ってくれた。 「ああ、おもしろかった。最初のうちはすこし恐かったけど」 「恐くなんかないんですよ。外国人に危害を加えてはいけないという指令は徹底しています。お父さんたちには、いまの中国がどうしても信じられないようですがね」 「経験にとらわれすぎているみたい。でも、田中さんたちみたいに、なにをみてもダサイとしか思えないのも気の毒よね。中国が似合うのは、私たちの年代なのかしら」 「とくに女性向きだと思いますよ。女性の旅行者はバーやキャバレーを必要としない。中国料理と名所めぐりで、けっこうみたされてお帰りになりますからね」  話しながら寒山寺のそばへもどった。  料理と名所だけでみたされるものでもない。そういいたかったが、葉子は自制した。昨今の若い女たちとはちがう。女にとって決定的な事柄をかるがるしく口には出せない。北浦とわかれるか、わかれずにおくか。まずその結論が出なくては、積極的に沢田のほうを向くわけにもいかなかった。  元気にみえても、父はやはり老人だった。  寒山寺からホテルへ帰り、食事をすませると、もう欲も得もない表情になった。ビールでまっ赤になった。一歩ごとによろめいてしまう。葉子にささえられて部屋へ入った。風呂にも入らず、ベッドに倒れてしまう。  すぐに父は眠りこんだ。深い寝息を立てた。眠りながら顔や腕を掻いていた。蚊が部屋のなかを飛んでいる。三階の部屋なのに、なぜか蚊が迷いこんできていた。一匹や二匹ではないらしい。葉子は持参の殺虫剤のスプレーを部屋中へ発射した。中国旅行には蚊取線香を用意するほうがよいという記事を、旅行雑誌で読んでおいたのがよかった。  まもなく父は蚊になやまされなくなった。ぐっすりと眠りこんだ。苦しそうな寝顔だった。戦争中の思い出がはっきりよみがえりすぎて、疲れたのかもしれない。日本にいるうちは戦争もまたなつかしい青春絵巻だった。だが、こうしてその現場へきてみると、絵巻がなまなましい地獄絵図に変ってきたということなのだろう。  葉子はバスルームでシャワーをあびた。  下着だけで外へ出た。パジャマを着るか、Tシャツに七分パンツを身につけるか、考えがきまらなかったからだった。時計をみた。まだ午後八時半だった。葉子は外出着を身につけた。ホテルのそばの運河のほとりをあるいてみるつもりだった。  日本の夜とちがって外は暗いだろう。だが、治安はいいはずだ。これからのことを考えながらあるいてみたい。団体旅行はにぎやかすぎる。一人しずかにすごす時間が、いま葉子には必要だった。  エレベーターで一階へおりた。鍵をフロントへあずけて玄関へ向かう。左手に酒場があった。ロビーのすみにカウンターを設け、椅子テーブルをならべただけの酒場である。  葉子は胸をつかれた。灰色の髪をした男が一人カウンター席で飲んでいる。北浦かととっさに思った。もちろん沢田だった。背中をこちらに向けて彼はビールを飲んでいた。  葉子は酒場へ入った。こんばんは。声をかけて沢田のとなりに腰をおろした。 「やあ、睡眠薬を飲みにきましたか。じっさいまだはやすぎるものなあ。一杯やらないことには、とても眠れない」  沢田はうれしそうだった。ボーイを手招きして日本のビールをとってくれる。  運河のそばをあるくつもりだったと葉子はうちあけた。あまりうきうきした様子にならないよう、自制していた。 「いいですよ。お供しましょう。夜の蘇州の情緒はなかなかのものですよ」  エスコートを沢田はひきうけてくれた。安心して葉子は缶ビールを飲んだ。 「きょう父が、沢田さんのことを褒めていましたよ。戦争中なら、優に中隊長のつとまる男だって。めったに人を褒めない頑固じいさんが、めずらしく褒めたの」  やっとこの話ができた。沢田に話したくてたまらないことだった。 「ほんとうですか。信じられないな。お父さんは私をきらっているのに」 「それとこれとはべつみたいなの。男性としての評価は高いのよ。父は人をみるとき、その人が戦場でどんな兵士であるかを想像してみるんです。だいたい想像がつくらしいの。そうやって人を判断するみたい」  きょう父からきいた話を、葉子は沢田に教えてやった。  感心して沢田はきいていた。葉子の父はそうやって他人を測るしっかりした尺度をもっている。その尺度で一生をつらぬいた。だから現在の地位を築くことができたのだろう。そう沢田は解釈していた。葉子の予想以上に、沢田は父に好意的だった。 「でも、中隊長だといって褒めただけではないでしょう。批判もあったはずだ」 「ええ。ありました。沢田さんは使いにくいタイプの男だって。上の者に突っかかってくる気配がある。下からは好かれるが、軍隊ではああいう男は長生きできないって」 「上の者にけむたがられて、危険の大きな戦場へ送りだされるというわけだな。当ってますよ。さすがだ。お父さんの人物評価はきわめて正確です」  沢田は勢いよくビールを飲んだ。そして、照れ笑いしながら告白した。 「じつは私、若いころから七つもつとめさきを変っているんです。いろんな会社へ入りました。すべて追いだされた」 「ほんとう。七つも。沢田さん、そんなに喧嘩早いようにもみえないけど」 「喧嘩わかればかりでもなかった。自分からオン出たこともあります。単純なんですよ。きれいごとの人間関係がきらいでね。偽善的な雰囲気に耐えられない。会社のなかで自分を殺してやっていくのがいやなんです。こんな会社で我慢して、社長になったって高が知れていると思ってしまう。いつもそんな意識があった」 「枠におさまりきれないんですね。なるほど、上の人は使いにくいかもしれない」 「だから、いまみたいな商売をはじめたんです。一種の添乗請負業です。中国にくわしいから成り立つ商売なんですが」  沢田は、ふつうの添乗員とちがって、旅行会社の社員ではなかった。  数年まえ、中国にくわしい男数名をあつめて「揚子江」という会社をつくった。大手の旅行社と契約し、中国旅行の添乗員を派遣する会社である。  どこの旅行社でも中国語のできる社員はすくない。添乗員として訓練をうけた社員たちも、中国旅行にはいきたがらない。しかも、ここ数年、中国側が観光誘致に力をいれていることもあって、年々中国への旅行者は増加している。沢田たちの「揚子江」はうまく時流に乗った。応じきれないほどの注文が、各旅行社から入ってくる。「揚子江」はたちまち大きくなり、現在は三十名あまりの社員をかかえるようになった。  沢田は「揚子江」の社長である。だが、社長も社員も仕事の内容にたいして変りはない。月に二十日は家をあけて、こうして中国をほっつきあるいている。五十歳に近くなってはじめて性に合う仕事にありついた。会社組織のなかで、他人に気をつかって窮屈に生きる必要がない。のびのびしている。幸福そうに彼は何本目かの缶ビールを飲みほした。 「そうなんですか。私たち、社長さんにお世話していただいているのね。わるいわ」 「なにをそんな。だれにもいわないでくださいよ。あなたのお父さんのような大社長ではないんだから」 「沢田さん、再婚なさらないの」  葉子は訊いてみた。すこし緊張して、缶ビールを飲みほした。 「相手がいませんよ。当然でしょう。月に二十日も帰ってこない男のところへなんか、だれがきてくれますか」 「奥さんも中国語を練習して、いっしょに添乗員をやるのってどうかしら。お年寄りのツアーだったら、女性にも添乗できる。まして中国は男女同権なんだから」 「なるほど、それはいいな。スケジュールを調整して、月のうちなるべくおなじ時期に家をあけるようにする。それぞれツアーに添乗して、たまに西安あたりで落合ったりする。新鮮でいいかもしれないなあ」  沢田はなごやかな表情になった。  いい生活だなあ。独言をつぶやいた。  たしかにそうだろう。だが、沢田の妻である女にとってはさらにいい暮しである。結婚生活をしながら仕事ができる。家事に縛られるのは月に十日だけだ。広大な中国のすみずみにまで旅行できる。シルクロードにも旅行できるだろう。家にとじこもって、なにもすることがないいまの暮しとは百八十度ちがう、すばらしい人生ではないか。 「北浦さんはさすが結婚生活のベテランだなあ。すばらしい発想をするんだな」 「いまの結婚生活に失望しているから。うんざりしているの。夫にはもう愛情を感じないし、子供は巣立ってしまったし」  葉子はそこで口をつぐんだ。それ以上いうと、あまりに物欲しそうだった。  いきましょう。葉子はスツールからおり立った。運河のほとりをあるいてみたい。  うなずいて沢田もスツールをおりた。二人はホテルの外へ出た。ホテルの敷地のなかには蛍光灯の照明がある。その外は、思ったとおり暗かった。運河のほとりにオレンジ色の街灯がぽつりぽつりならんでいる。街灯と街灯のあいだを、柳並木の影がつないでいた。南のほうから汐騒のような物音がきこえてくる。五十メートルばかり南の白塔西路の、篠懸の繁みが風で揺れる音だった。木々は闇のトンネルとなって、運河と平行にはるか東のほうへのびていた。  電柱が日本のものよりもずっと高い。おかげで街灯のあかりは遠くまで、暗い地上をカバーしていた。だが、きわめて薄弱なあかりだった。家々の窓の灯も、むかしのランプほどのあかるさである。おかげで運河はまっくろな闇の帯のようにみえた。  かすかな水音がする。家庭用水が運河へ流れこむ音だった。虫の声もきこえた。昼間は消えている音が、この時間にはよみがえった。葉子と沢田の靴音もその部類の音だった。ゆっくり二人はあるいていた。おたがいの呼吸が闇のなかで交錯しあった。 「中国語をマスターするのって、何年ぐらいかかるんですか。さっきの話じゃないけど、添乗員がつとまるようになるまで」 「私ほど話せるようになるのは無理でしょう。でも、みっちり二年もやれば日常会話ならじゅうぶんです。添乗員ぐらいつとまりますよ。実務につけば、さらに飛躍的に上達する」  沢田は少年時代を満州ですごした。父は満鉄の鉱山技師だった。  満州人の友達が何人もいた。しぜんに彼らの言葉に馴染んだ。小学校三年のとき終戦、日本へひきあげたが、子供のころおぼえた中国語はずっと頭にしみついていた。  高校を出て、外語大の中国語科へすすんだ。満州でおぼえた中国語と、大学で習う北京の中国語はずいぶん異質だった。だが、基本はおなじである。まもなく自由に北京語を話せるようになった。中国語に関しては恐いものがなくなった。  学校を出て、中国関係の書籍をよく出す出版社へ入った。まだ中国と日本のあいだに国交がなく、中国語を生かせる職場はすくなかった。出版社を三社わたりあるいた。あとは台湾貿易の専門商社、旅行社、やがて日中貿易の商社などで働いた。「揚子江」にたどりついて、やっと安住の地を得た。 「満州で育って、外語大を出られたんですか。どうりで。沢田さん、中国語の専門家なんですね。私なんかとてもまねできない」 「専門家になる必要はないんですよ。日常会話をこなせれば、添乗員ぐらいつとまる。中国側の通訳もいることだし」  やってみませんか中国語を。本気なら、いい教師をご紹介します。  肩をならべてあるきながら、沢田は葉子の顔をのぞきこんだ。男のたくましさとやさしさが、葉子の顔へおしよせてきた。 「やってみようかしら。目標ができるから。いま私、なんにもすることがないの。家庭を維持するのがつとめなんだけど、家庭はないも同然。家ならあるんだけど」 「ご主人に失望したといってましたね。でも、人妻はだれでも大なり小なり夫に失望しているんじゃないのかな。それでも離婚はしない。失望も愛情のうちということがある」 「離婚しないのは、経済能力がないからよ。ほとんどの人がそうでしょ。家事、育児にかまけて、自分の力でたべてゆくすべを学ばなかった。中年になって後悔するのよね」 「それであなたは、中国語をやろうというんですね。いい考えじゃないですか。添乗員として、うちへこられるなら大歓迎ですよ。はやく中国語をおぼえてください」  そのときは「家」のほうはどうするんですか。とびだしてきますか。  もう一度沢田は葉子の顔をのぞきこんだ。声がかすれていた。暗くて沢田の表情はよくわからない。かすれた声が誠意のあらわれなのか、セックスの欲望のせいなのか、葉子はわからなかった。 「まだわかりません。でも、女は臆病なんですよ。だれかのたすけがないと、思いきった行動がとれない。ひっぱりだしてくれる人がいて、はじめてなにかができる」 「ひっぱりだしてあげましょうか。私のところへきてくれるなら、ひっぱりだしにいきますよ。ただし、食わせてはやらない。添乗員をやって働いてもらう」  やった、と葉子は胸の中でさけんだ。  会心の経過だった。暗闇のかなたに陽光のさしこんできたような気がした。きまった、と思った。中国ツアーの添乗員になろう。意義のある仕事ができる。見聞がひろがる。働きながら家庭を維持することができる。「和田一等兵」程度の夫にかしずいて、おさんどんで年老いるよりも、どれだけ充実した人生をおくれるか測り知れないのだ。 「ありがとう。うれしいです。でも、沢田さん、まだ私のことをなにもご存知ないわ。私たち、条件はととのったみたいだけど、まだ本人どうしがわかりあっていない」 「中国語をマスターして働けるようになるまで、二年ある。あわてる必要はないですよ。もっとも、私のほうはいますぐでも異存はない。あなたのような人がきてくれるなら」  沢田は足をとめた。葉子の肩に手がかかった。葉子は向きを変えさせられる。あっというまに抱きすくめられていた。  固い鉄板にぶつかったような感じだった。沢田はたくましい肩と腕をしていた。あらあらしく葉子は上を向かされる。くちづけされた。くちびるが葉子のくちびるにおおいかぶさる。ゆっくり吸ってから、沢田は舌をいれてきた。葉子の舌へからませてくる。  沢田の腕に力がこもった。窒息しそうなほど、葉子は抱きしめられていた。沢田の舌は葉子の舌へやさしくからみついたあと、歯ぐきや口腔の内側を刺戟しにきた。沢田の腕はものすごく力づよく、舌は気の遠くなるほどやさしかった。葉子はたかぶって、苦しくて、いたたまれなくなる。  こんなにちがうものかと思った。あらゆる点で北浦とちがっている。体の硬さも、たくましさも、はげしさも沢田は北浦など比較にならなかった。すばらしかった。葉子は北浦以外に男性を知らない。測定はすべて北浦が基準になる。沢田はその基準から、かけはなれていた。恋人時代の北浦とも問題にならないと葉子は思った。  沢田の手が胸をまさぐりにくる。呻きながら、葉子は身をよじった。キスがはなれた。すこし葉子は呼吸がらくになる。だが、すぐにまたくちづけされてしまった。たくみに沢田は胸をさぐった。葉子の下腹部のなかに甘ったるい灯がともった。欲望のしるしがゆっくり湧きでてきている。 「うれしい。おれの生活にも、やっとうるおいが出るだろう。もうはなさないぞ。きみをいまのご主人から奪ってやる」  キスをやめて沢田は呻くようにいった。  葉子の腰を抱きよせる。二人の下半身が密着しあった。葉子は沢田の欲望の硬い感触を腹のあたりでうけとめていた。  公園へいこう。二人きりになりたい。沢田はささやいた。また葉子を抱きしめる。  沢田は会田老人と同室である。葉子は父といっしょだった。ホテルは満員である。中国国際旅行社が、あらゆる部屋を観光客にきっちり割りふってしまう。日本とちがって男と女がかんたんに、二人きりになれる場所はなかった。あるとすれば公園だけだ。 「待って。急すぎるわ。私まだ、心の準備ができていない。もうすこし待って」 「なぜ待たせるんだ。旅の空の浮気心でさそっているんじゃないんだぞ。はやくきみを、おれのものにしたい。気まぐれで家へもどってしまわないように」 「家になんかもどらないわ。私だって、浮気心じゃないもの。ただ、一度おちついて考えてみてから燃えたい。もう若くないんだから、もう一度よく自分のことを——」  葉子は両手で沢田の胸をおした。懸命に体をひきはなそうとする。  おちついて考えてみたいのは、北浦との離婚のことだった。ほんとうにわかれて悔いがないのかどうか、自分の胸のうちをもう一度みつめなおしたい。そのためにも、沢田と深くなるのをいそいではならない。  北浦は西田美佐と浮気をした。いまもつづいている。結婚生活について考えるとき、その一事のせいで葉子は北浦を一方的に非難できる立場にいられる。破綻の責任を、北浦だけにかぶせていられる。だが、いま沢田と深くなったら、その優位は失われるだろう。浮気のことで北浦を責められなくなる。話がこじれて裁判沙汰になった場合のことまで、考えているわけではない。ただ、こちらにも弱みのできてしまうのが痛い。北浦とわかれるときは、一分の隙もなくわかれたかった。すべて北浦がわるい。彼のおかげで結婚生活は墓場になった。そう信じられる状態で北浦のもとを去らねばならない。それがいちばん心に傷をうけずに済む方法だろう。  沢田はなかなか葉子をはなさなかった。揉みあいをたのしんでいるようだった。  人通りがないといっても路上である。いい年齢をした男女が、いつまでも格闘しあっているわけにもいかない。  やがて沢田は手をはなした。がんばるんだなあ、ずいぶん。あかるく笑った。深く傷ついた様子ではない。葉子は安堵の息をついて、沢田の手を握ってあるきだした。ホテルのほうへ二人はひきかえした。 「いま沢田さんとそうなってしまうでしょ。北浦にたいして弱味ができるわ。つよいことがいいにくくなる。それが心配なの」  あるきながら葉子はつぶやいた。  弁解じみた口調になった。まじめにこちらを想ってくれる男性の欲望を拒んだことに、絶対的なうしろめたさがあった。 「それは反対じゃないのかな。思いきって実行しないと、いつまでたっても状況は変らないよ。はやく一心同体になれば、あとのことはしぜんに解決がつく。男女の仲はやはり情熱を先行させるべきなんだ」  でも今夜はもういい。おあずけを食っても、それはそれでたのしい。焦らされるほど、あとのたのしみも大きくなる。  ささやいて沢田は葉子の肩を抱いた。体をくっつけあって二人はあるいた。葉子は全身が甘ったるくしびれていた。こんな感覚は約二十年ぶりである。父の伊村和一郎は中国へきて殺伐な青春時代をよみがえらせた。葉子のほうも、いまは青春のさなかにあった。  ホテルの三階の廊下で葉子は沢田におやすみをいった。部屋へ帰った。父は熟睡している。父をみると、セックスの昂奮がしずまってきた。体から力がぬけおちてしまう。  葉子はベッドに寝そべった。天井をみて、しばらく考えにふけった。やってみたい仕事がまだ一つある。北浦が東京でいまどうしているか、さぐってみたかった。  中国のホテルでは、国際電話はフロントへ申しこむきまりである。相手さきの電話番号、コールの種類などを伝票に書いて提出する。あとは部屋へ帰って待つ。先方につながると、部屋の電話のベルが鳴るのだ。  力のぬけた体をひきおこして葉子は部屋を出た。一階へおりて、フロントへ国際電話を申しこんだ。部屋で電話して父をおこすのもかわいそうだ。内輪話もしにくい。カウンターにある受話器で話をすることにした。  十五分ばかりで電話がつながった。葉子は受話器をとった。コレクトコールで自宅を呼んである。交換手が先方の名を確認しているところだった。  午後十時だった。東京は午後十一時である。北浦はたぶん家にいないだろう。西田美佐といっしょにあそんでいるにきまっている。それをたしかめたかった。決心がつく。あらためて沢田と公園へいってもいい。 「もしもし。ああ葉子か——」  意外にも北浦は在宅していた。  疲れたような声だ。それをきいて葉子はやさしい気持が胸にわいた。 「いまどこなんだ。蘇州か。旅はどうだ。おやじはどうしている」 「いろいろおもしろいわ。父も元気。それよりあなた、めずらしいじゃないの。あそび疲れてきょうは家にいるの」 「そんなんじゃない。女房がいないと、男ははやく家に帰りたくなるものなんだ。妙な話だが、ほんとうだぞ。毎日はやく帰ってる」 「ほんとうかしら。ごはん、ちゃんとたべているの、レンジの使いかた、わかる」 「わからねえんだよ。閉口してるよ。フライパンはどこにあるんだ。なんだって、ガスコンロの下。あんなところに入るのか。食用油はどこだ。それから缶切り」  北浦は家事にまったく無能だった。  洗濯機の使いかたも知らないらしい。下着と靴下はつぎつぎにはき変えている。家の掃除なんか、するわけがない。野菜のおき場もわからないという。ゆうべ、酔って風呂へ入り、ガス栓をしめわすれて外へ出た。異様な物音に気づいてみにゆくと、風呂は煮え立っていた——。そんなおそろしいことも北浦は報告した。暮してゆくのに必要なさまざまなこまかな仕事を、北浦はまったく葉子に依存してきた。いま一人で途方にくれている。 「どうして外食しないの。いままでは外でたべて帰るほうが多かったのに」 「外食というのは、女房の手料理あってこそのものなのさ。手料理がなくなると、あまり外で食う気がしなくなる。拙いながら自分の手でなにかつくりたくなる」 「美佐さんにきてもらえばいいのに。お料理ぐらい、できるんでしょ」 「ばか。よその女を家にいれると、出ていかなくなるぞ。それでもいいのか、おまえ」 「まえにもいったでしょう。離婚して、さっぱりさせてあげてもいいのよ」 「困るんだよ、おまえとわかれると、こまかいことが全然わからなくなる。再婚しても、味噌汁の実の好みからして一々教えてやらなくてはいけない。めんどうなんだよ。男にとって女房は古いほうがいい。まちがいない」  しばらく話して電話は終った。  葉子はぼんやりしてしまった。意外な展開だった。北浦は葉子を必要としている。それも、かなり深刻にだ。  さらにこの「自宅」の実感はどうしたことだろう。世の中にこれほど気楽に電話をかけられる場所はほかにない。新潟県下の実家とも、こんなに気楽には話せない。自宅はまぎれもなく自宅だった。そして、電話に出てきた相手は、世の中のだれよりも気のおけない相手だった。葉子自身の一部のような存在だった。情愛とかセックスなどとはべつの、もっと複雑な生活上の細部で自分は北浦とつながっているのかもしれない。二十年近くもいっしょに暮した結果なのだろうか。  われにかえって葉子は受話器をおいた。  思いきって実行しないと、いつまでたっても状況は変らないよ。エレベーターのなかで沢田の言葉を思いだしていた。 [#改ページ]     5  あくる日、ツアーの一行は蘇州から列車で南京へ向かった。  約五時間の行程だった。きのうの旅の延長である。相変らず父は外の風景に気をとられていた。坂橋老人もそうだった。  ほかの者はしゃべったり、居眠りしたりしていた。造園業者の藤倉と、新婚の田中は長旅にそなえてウィスキーを飲んでいた。  外国人専用の車輛は軟席車と呼ばれる。座席の表面に、やわらかな籐編みのむしろが張ってあるからだ。中国人の乗る一般車輛は硬席車と呼ばれていた。座席がすべて木製で硬いからだ。軟席車の座席のテーブルには、きょうは鳳仙花が活けてあった。窓からさわやかな風が流れこんで、列車の旅にはいまがいちばんいい季節かもしれなかった。  軟席車の右すみの座席に、葉子は父とならんで腰をおろしていた。向かいあわせにきょうは坂橋夫婦がすわっている。  通路をへだてて左側には、藤倉夫婦、田中夫婦が腰をおろしている。葉子は父といっしょに窓の外の景色をながめ、ときおり藤倉や田中と言葉をかわした。沢田がそばにいないので気がらくである。葉子のななめ左前方に康通訳がこちらへ背中を向けてすわっている。葉子はときおり康に声をかけて、中国の知識を吸収した。小学校が義務教育でなく、奨励制であること、農村で最近余剰農産物の私有がみとめられ、生産性が大きく向上したことなどを康はていねいに教えてくれた。  葉子はそれらをメモにとった。将来、添乗員になるというアイデアを、ただの思いつきで終らせたくない。中国についてできるだけ多くを学んでおきたい。いつかは自分のほうが教える立場になるのだ。  ツアーの一行にはもう一組、五十代なかばの夫婦が加わっていた。仙台の大きな薬局の経営者だという。柾木という名だった。  柾木は眼鏡をかけた青白い人物だった。頭はひくいが、無口だった。ほとんどみんなと口をきかない。妻とときおり小声で話しあうだけだ。やさしい声をしていた。  柾木は書画骨董にたしなみがあるらしい。けさ出発まえに一行の立ち寄った友誼商店でも、目の玉のとびでるほど高価な掛軸や仏像をいじっていた。高価な品物をなにか買ってきたようだ。列車が動きだすなり、すみの座席で五十センチ四方ぐらいの木の箱をとりだした。そして、すぐに沢田を呼んでなにか相談をもちかけていた。  柾木はディレッタントだった。中国の書や画について、きびしい口調で語った。 「中国の現代絵画は衰退しておりますですね。芸術性がございません。日本のほうがそれははるかに上です。やはり社会制度のせいでございましょうね。画にかぎらず、文学のほうも低調のようでございますよ」  にこりともせず、柾木はそんな話をした。  色白の上品な妻が、そばで微笑をうかべて一々夫の言葉にうなずいていた。  上海でも柾木夫婦はとくべつにガイドをやとって古美術をさがしあるいたらしい。そういうことをする人物には、なんとなく近づきにくい。みんな柾木夫婦にはうちとけて声をかけなかった。当人たちは平気である。ツアーのなかで一組だけ、妙に礼儀ただしい感じでうきあがっていた。  蘇州を出て、一時間もたつと、葉子は目が疲れてきた。窓外の風景をながめるのがつらくなった。いらいらする。  鉄道に沿って杉が植えてある。まるで目かくしのように、一列に木々がならんでいた。木々は列車より丈が高い。植えられてから七、八年はたっている。防風林か防雪林なのだろうと葉子は最初考えていた。だが、鉄道の両側に一列ずつ並木をつくっただけで、風や雪がふせげるとも思えない。 「すみません康さん。また質問があるの」  葉子は康通訳へ声をかけた。  康はふりかえった。車輛の音で話がきこえにくい。席を立って葉子のそばへやってきた。にこにこして顔を突きだしてくる。  なぜ鉄道に沿って樹を植えたのか。指さして葉子は訊いてみた。 「そうよ。せっかくの景色が台なしやないの。なんであんな樹を植えたの」  坂橋夫人は目をマッサージしていた。眠くなったらしく、あくびをする。 「さあ、どうしてかな。ぼくわからない」  康は首をかしげた。  答えられなくても恐縮はしていない。人なつこく笑ってかぶりをふる。 「わからねえって。嘘ついちゃいかんぞ」  とつぜん父が発言した。怒ったように康をみている。顔色は赤い。  康はびっくりしていた。あわただしくかぶりをふった。知らないよ、ほんとにぼく知らない。嘘じゃない。彼はくりかえした。 「ではわしが説明してやるよ。この樹は飛行機用の目かくしなのだ。鉄道や列車が空からみえにくくなるように植えてある。ソ連の飛行機からかくすためだべ。アメリカの飛行機にもみえなくしてあるのだ」 「そうよ。中国はいつも戦争の用意をしている。むかし痛めつけられたからな。そんならそうといやええわな。きれいごとばかりいうけえ、おかしなことになる」  坂橋老人も口をはさんだ。  二人とも不機嫌だった。神経を苛立たせている。康通訳は肩をすくめた。知らないよ、ぼく知らなかった。不服そうにつぶやいて彼は席へ帰っていった。 「どうしたのよお父さん。そんなにとげとげしくいわなくてもいいのに」  いそいで葉子は父をたしなめた。  藤倉夫婦や田中夫婦も反感をこめて父や坂橋老人をみている。 「いや、なんだか腹立ってなあ、嘘が多いんだよ。むかしのこともいまのことも」  いそいで父は柔和な表情をつくった。  鞄からウィスキーの小瓶とグラスをとりだした。われわれも一杯やりましょうや。父は坂橋老人へ声をかけた。こちら側の男四人はそれぞれ酒くさくなっていった。  沢田が柾木夫婦のところから帰ってきた。葉子の顔を彼はみないようにしている。 「おどろきました。柾木さんは蘇州で二百万円の仏像を買われたんです」  沢田が報告した。みんな仰天して柾木夫婦のほうへ目をやった。  柾木夫婦はこちらへ背を向けてすわっている。高価な買物をしたわりに元気がない。 「でも、心配になったらしい。偽物がよく出まわりますからね。南京か西安で鑑定家を紹介してほしいということでした」 「偽物だ。そりゃ九十パーセントまちがいないわ。中国はなにしろ偽物が多い。むかしからそうやった」  坂橋老人がせせら笑った。上向けた鷲鼻が汗で光っている。 「いまも多いんです。何度かこんなケースがありましたが、だいたい偽物でした。みなさんも高価なお買物のときは私にご相談ください。信用あるお店にご案内しますから」  沢田が笑いながらそう話した。  みんなほっとした顔になった。高価な買い物をしないほうが利口だ、ということになったからだ。それにしても人はみかけによらない。いちばんものしずかな、目立たない薬局主が大胆不敵な買物をやってのけたのだ。  旅はおもしろい。一人一人が思いがけない側面をあらわしてゆく。このあと、なにが出るのだろうと葉子は思った。自分自身からもなにが出てくるか予測もつかない。北浦とわかれて沢田のもとへゆく。女性添乗員となって中国各地をあるきまわる。そのことが本ぎまりになるかもしれない。あるいは立ち消えになるかもしれない。  胸の内に期待と不安が交錯していた。立ち消えにはならないだろうと思った。そうしたくない気持のほうがつよいからだ。 「やっぱり私たち、わかれましょう。正彦はもう心配ないみたいだし。私、新しい生活をはじめる。自分を偽らないでのびのびとやっていく生活に入るの」  北浦にそう宣告する情景が頭にうかんだ。  会心の情景である。すこし可哀相であるだけ、いっそう会心の思いが増すだろう。その日がすぐ目前にきている。南京までずっとそういう予感が持続していた。  南京へ着いたのは夕刻だった。古い駅舎を夕闇がいっそうくすんでみせていた。  駅前にバスが待っていた。父は大きく肩を揺すり、胸を張ってバスに乗りこんだ。  列車のなかで酔って一眠りした。目がさめてからも赤い顔をしていた。バスの窓から感慨ぶかく遠くの城壁をながめている。毅然とした態度でいようときめているらしい。  駅の近くには木々にかこまれた玄武湖があった。繁みと水が夕闇のなかでも美しく対照しあっている。つとめを終えた人々が、自転車で家路をいそいでいた。ここがかつて大虐殺のあった街だったとはとても信じられない。赤煉瓦の家々と木々の緑がまじりあった、おだやかな住宅街が付近にひらけていた。  城壁の外がいわば郊外の住宅地だった。城壁のなかへ入ると、都市になった。  バスは大慶路を南下した。ひろい道路の両側に、篠懸の並木がつづいていた。蘇州の並木におとらず、南京の並木も丈が高く、よく繁っていた。並木は昼間、生き生きした印象を街にもたらす。夕暮のいまは、並木の繁みはやすらかな吐息を街路に吐きかけているようだった。埃っぽい都市の空気が、木々の吐息のおかげで浄化されている。 「変ったなあ。むかしは篠懸なんて道に生えてなかった。公共の建物の敷地に庭木があるくらいのものであった。いや変った」 「日本の行政も、すこしは見習えばいいんですよ。これだけの並木があれば、東京も大阪も世界で一流の都市だ。きたない家の多い南京がこれだけきれいにみえるんだから、日本の都市なら大変なものですよね」  父の伊村和一郎と、うしろの席にいる沢田とがめずらしく話しあった。 「南京へ突入されたころ、このあたりはどうだったんですか。道ばたに死体がごろごろしている状態だったんですか」  ななめ前の席の会田老人が、ふりかえって葉子の父に質問した。 「そんなことないス。われわれが突入したときは、敵は逃亡していた。戦闘はほとんどなかったス。家が焼けたり、食料や金品の略奪があったりしていたが、あれは中国の兵隊が逃げるまえにやったことなのス。われわれの部隊では、なんもなかった」  第十三師団高田第五十八連隊、沼田部隊というのが父の部隊名だったという。  なにに使うのか、会田老人は手帳をだしてその部隊名をメモしていた。五万ないし七万と彼はつぶやいた。南京大虐殺の被害者の正確な数に興味をもっているらしい。  鼓楼広場でバスは向きを変えた。並木にはさまれた中山北路を北西へ走った。まもなくホテルへ着いた。南京でもっとも設備のいいホテルであるらしい。 「蒋介石の南京政府のあとは、どのへんやったかのう。きれいな緑色の屋根のある建物やった。いまは共産党の世の中やから、保存しとらんやろなあ」  坂橋老人が高い声を張りあげた。  列車のなかから老人は酔っていた。眠って醒めたが、また飲みなおしたようだ。べろべろに酔っている。南京攻略後、彼は何度か駆逐艦から上陸して街であそんだ。陸戦隊の本部に尊敬する郷里の先輩がいたので、何度もたずねていったものだという。 「ひどいとこやったで南京は。なんにもなかった。人は逃げてしもうておらん。食い物もない。死体は道路にごろごろしよる。さむいときでよかった。あれが夏じゃったら、街は臭うてウジだらけやったろ」  食事のまえなのに、坂橋老人はありがたくない思い出を大声で披露した。  妻がたしなめて背中をたたいた。坂橋は一つしゃっくりをした。きょとんとした表情でそのまま沈黙した。酔うと急に子供っぽく変ってしまう老人であった。  午後七時から食事だった。老人たちの生命力で葉子は圧倒されることになった。  二組にわかれて一同は円型テーブルをかこんだ。すぐにオードブルがはこばれてきた。坂橋老人が箸と小皿を手に、まっさきに立ちあがった。酔っているのに機敏だった。テーブルにならんだ何種類かの料理の皿を、鷲のようにするどく点検した。それから箸をのばして、自分の皿へ料理をとってゆく。  会田老人が立ちあがった。葉子の父も立った。二人づれの老婦人も、坂橋夫人も立ちあがった。みんな皿と箸をかまえてテーブルのうえを凝視する。中国料理ははやい者勝ちである。老人たちはべつに意識することなく、そのルールにしたがっていた。  上海や蘇州ではこうではなかった。日本ではごくありふれた回転式テーブルが、いつの食事でも用いられていたからだ。みんな腰かけたまま、テーブルを回して希望の料理の皿を招きよせた。だが、南京のホテルの食堂のテーブルは回転式ではなかった。白のクロスに覆われた大きな円型テーブルだった。  すわったままでは、たべたい料理の皿に手がとどかない。悔いなく料理をえらぼうとすれば、椅子から腰をあげなければならない。老人たちはわれさきに立った。みんな率直だった。行儀作法をやかましく教育された世代の人たちとも思えない。子供のように真剣な顔で老人たちは立って料理をみおろす。戦闘機のように箸で料理におそいかかった。 「回転式テーブルは日本の長崎で発明されたんです。上海にはそれが逆輸入された。だが、南京ではまだ普及していないんです」  沢田が説明してくれた。  葉子は父と会田老人にはさまれてすわっていた。会田のとなりに沢田が腰かけている。最初会田の席は空いていた。だが、沢田は葉子のとなりをさけて腰をおろした。  沢田はビールを飲んでいた。しばらくして手近な料理を自分の皿にとった。  柾木夫婦もビールを飲んでいた。オードブルにはすこし手をつけただけだった。藤倉夫婦も田中夫婦もそうである。  オードブルのあと、つぎつぎに料理がはこばれてきた。老人たちは立ったりすわったりをくりかえした。旺盛にたべる。子供のころ飢えた世代の柾木夫婦、沢田、それに葉子や藤倉夫婦のほうがつつしみ深く食事をした。どういうことなのか、葉子は首をひねった。たべざかりの正彦だって、こういう席ではむやみに立ったりすわったりしないと思う。老人たちはすこしボケて、子供っぽくなっているのだろうか。体裁やお行儀を歯牙にもかけない、したたかな面が彼らにはある。  葉子の父などは片手に箸、片手にステッキで立ちあがる。思いきり遠くへ箸をのばす。饅頭を箸で突いてひきよせたりした。 「やめてよお父さん。私がとってあげる。たべたいものをいいなさいよ」  たしなめられても父は涼しい顔だった。  なにが葉子の気にいらないのか、わからないようだ。よくたべて、よく飲んだ。 「蒋介石とおなじくらいのごちそうを食っているんだべなあ」  幸福そうに独言をいった。デザートのころは、すでに目をしょぼつかせていた。  食事のあとは、昨夜とよく似た経過になった。父は部屋へ帰って入浴した。  終ってベッドでテレビをみていた。すぐに眠ってしまった。葉子も風呂へ入った。九時半にホテルの最上階の酒場で沢田と待ちあわせる約束になっている。  べつに一つ部屋がとれたそうだ。そう沢田はささやいた。決心しなさい、親しくなろう。葉子のヒップに彼はそっとさわった。足早に去っていった。部屋があるのなら、ことわりきる自信はない。葉子にとって、きわめて重大な夜になりそうだった。バスルームのなかでひざがふるえた。壁の鏡に全身を映して点検してみる。  体の線はまだくずれていない。起伏がはっきりしている。水泳などで調整したおかげだった。乳房のおとろえも、おそれていたほどではなかった。ふとももの張り工合など、自分でも惚れ惚れするくらいだ。  だが、ぜんたいに脆い感じがあった。若さと成熟が張りあって、かろうじて均衡をたもっている。その均衡がいまにもくずれて、若さをうしなう寸前にみえる。脆い感じはそこからきているのだ。はやくしないと、美しい裸身ではなくなってしまう。せき立てられるような気がした。沢田にあたえて悔いはないはずだ。鉄のように固かった彼の体に、さほど見劣りはしないだろうと思う。  葉子は乳房にふれてみる。甘ったるい欲望が、体の奥からはやくもあふれでてくる。ふとももをとじあわせて抑制した。いそいでタオルをつかう。生れてはじめて夫以外の男性に抱かれにゆく女は、どんな顔をしているのだろう。興味にかられた。  あらためて葉子は鏡をみた。卑しい顔ではなかった。張りのある、ひきしまった表情だった。葉子は安心した。パートの職場で知りあった男性と手がるにホテルへゆく人妻。そういう人たちと私はちがうのだ。心の底からそう信じることができた。  葉子は下着を身につけてバスルームの外に出た。  奇妙な声がきこえた。子供の泣き声に似た声だった。父がうなされている。顔をしかめ、汗まみれで泣き声をあげている。  ああ、ああっ、恐いよう。恐いよう。お母ちゃんたすけてくれ。噛まれたあ。  子供になって父はうなされていた。ときおり右手をふった。左手で右の腕をおさえる。痛いよう。たすけてくれ。父は泣いた。生れてはじめてみる父の狂態であった。 「どうしたの、お父さん。しっかりして。なんの夢みてるの」  葉子は父を揺りおこした。  父は目をあけた。茫然としている。いまいる現実が信じられない様子だ。 「お父さん。しっかりしてよ。どうしたの。なにに噛まれた夢をみたの」  葉子は掌で父の頬をたたいた。  ひたひたとやさしくたたいた。父の目にようやく意識がもどってきた。葉子か。父はつぶやいた。かすかに笑った。ああ、戦争中の夢ばみてしまった、とつぶやいた。 「恐い夢をみたの。南京へきて、むかしのことをいろいろ思いだしたんでしょ」 「まあそうだ。しかし、もうなんともない。一杯飲めばすぐ寝れるはずだ。ウィスキーとってくれないか」  父はウィスキーを飲んだ。安心した表情でベッドに横たわった。  その間に葉子は服を着た。濃紺に白の水玉模様の、ノースリーブのドレスだった。たった一つ持参した外出着である。立ち衿。胸もとから数本のタックが裾でプリーツにひらくデザインだった。  太いエナメルのベルトをしめる。体がひきしまった。紺色のブレスをつける。化粧は控え目にした。中国では控え目な化粧でないと、かえって足もとをみられる。 「出かけるのか。南京は対日感情がわるいかもしれねえぞ。気をつけろよ」 「大丈夫。ホテルのなかの酒場へ入るだけ。ブランデー飲んでくるわ」  葉子は部屋を出た。うなされた父をみて消えた甘い情感がよみがえる。  沢田のいうとおりだ。思いきって実行しないと、いつまでたっても状況は変らない。度胸をきめてきょうは会おう。昨夜のキスの陶酔がなまなましく思いだされる。  エレベーターのまえへきた。ちょうど扉があいた。下ゆきだった。吸いこまれるように葉子は乗った。約束の酒場は最上階にある。だが、階下へ向かった。しておきたいことが一つある。北浦が今夜も自宅で不自由しているか、ぜひたしかめておきたかった。  フロントオフィスへ葉子はいった。東京へ国際電話を申しこんだ。カウンターのうえの受話器につないでもらうことにする。しばらく待った。やがて電話がつながった。葉子は受話器を耳にあてて待機する。  オペレーターがなにか話している。やがてコールがきこえた。呼びだしているらしい。ベルの音が何度もつづく。向うは出なかった。北浦は家にいなかったのだ。 「×××番はお出になりません」  オペレーターがいってきた。  礼をいって葉子は受話器をおいた。空しくて全身の力がぬけた。エレベーターのほうへあるきだした。北浦は今夜、西田美佐といっしょにいるのだろう。  妻がいないと、かえって羽をのばしにくい。いつもより早く帰宅する。ゆうべ北浦はそういっていた。含みのある言葉だと思った。葉子はそれを信じようとしていた。いいかげんな話だったのだ。ゆうべはほんとうのことだったのかもしれない。だが、一日たつと、逆のことが真実になった。人の気持なんて、あてにならない。男と女のつながりは、もしかすると、心よりも体なのだ。どんなに心がちぐはぐでも、セックスのよろこびさえあれば、たがいに必要としあえるではないか。  エレベーターで最上階へのぼった。途中、葉子は気持を切り換えていた。  北浦が家にいなくてよかったと思う。声をきけば、今夜もまた恋愛にふみ切れなかったにちがいない。とめてほしくて葉子は自宅へ電話をいれたようだ。弱気の虫がいつまでたってもなくならない。だが、今夜自宅にはなにもなかった。だれもひきとめる者がいない。おかげで葉子は身がるだった。もうためらわない。沢田の胸に抱きついて、新しい、魅力的な暮しをつかみとるのだ。  最上階の酒場へ葉子は入っていった。  灰色の頭髪がすぐに目についた。沢田はこちらに背を向けてカウンター席に腰かけていた。すぐにふりむいた。笑いかけてくる。  葉子は彼のとなりに腰をおろした。無遠慮に沢田は葉子をみつめた。頭のさきから足のさきまで、熱心に点検してくれる。葉子がバーテンダーにブランデーを注文する間も、沢田の視線ははなれていかなかった。 「きれいだ。すばらしい。愛している」  沢田はタンブラーをもちあげた。  グラスとタンブラーを二人は接触させた。葉子はブランデーを飲んだ。熱い刺戟が体のなかをつらぬいた。ブランデーが子宮のあたりまでながれこんだような気がする。 「ほんとうに愛してくれるの。私なんかより若い人がたくさんいるのに」 「それはおれの台詞だよ。おれはもう五十になる。今後そうたびたび恋愛のチャンスにめぐまれるわけがない。おれの人生できみは最後の恋人ということになるだろうな」 「私、添乗員になるわ。ほんとうよ。ちゃんと仕事のできる女になる。おさんどんでない結婚生活をやりなおしてみたいの」 「大賛成だね。二人ともこれから運が向いてくるぞ。ぴったりの相手とめぐり会った。二十代をもう一度反復するようなものだ」  カウンターに乗せた葉子の手に、沢田は手をかさねあわせてきた。  骨太の大きな手だった。人目をおそれず、沢田は葉子の手をつつみこんだ。しっかりやろうな、と握りしめる。  葉子はうなずいた。こんな言葉を北浦からきいたことはなかった。意欲を沢田はかき立ててくれる。葉子の自我を吸収するのではなく、逆にそれを堅固に育成しようと彼は考えているようだった。  しばらく二人は語りあった。それぞれの飲み物を二度ずつお代りした。ふっと気の遠くなりそうな心地よい酔いに葉子はおそわれる。たのしい気分でいっぱいになった。  沢田のためらっているのがわかった。葉子は体を寄せていって訊いた。 「きょうはどうなの。お部屋あったの」 「あった。きみ、心の準備は」 「できたの。案外かんたんにできた。相手がよかったからよね」  沢田は沈黙した。怒ったような顔のまま、席を立った。  二人は酒場を出た。沢田は固く葉子の手首をつかんでいる。逃げられるのをおそれてでもいるようだった。  葉子はつかまれた手首をもちあげた。沢田の指に歯を立ててやる。それから体をあずけていった。沢田に背中を抱かれる。エレベーターで六階へおりた。フロアごとにカウンターのあるホテルだった。沢田は鍵をうけとって、廊下の奥の部屋へ葉子をつれていった。  二人きりになった。鉄板のような肉体にまた葉子はぶつかった。抱きすくめられる。くちづけされた。沢田の肩と腕の力は、きのうとおなじくらいつよかった。キスのほうは、きのうほどやさしくなかった。荒々しく葉子のくちびるや舌を吸いにくる。よろこびはきのうに劣らず大きかった。  沢田は葉子の服をぬがせにかかった。ベルトをはずし、ドレスの襟の釦をはずした。乱暴に肩口からぬがせようとする。 「待って。自分でする」  葉子はさきにパンストとパンティをぬきとった。ブラジャーもはずした。  服をぬごうとする。だが、やはり沢田の視線がまぶしすぎる。バスルームへ逃げこんだ。シャワーをあびることよりも、服をぬぐことが目的だった。  葉子は全裸になった。バスタブのなかに立った。ぬるま湯のシャワーをあびる。防水カーテンをひいた。石鹸で手ばやく体を洗いながら、湯のぬくもりを味わった。  防水カーテンが急にひらいた。おどろいて葉子は声をあげた。沢田が入ってきていた。バスタブにふみこんでくる。反射的に葉子は体の向きを変えた。正面から沢田と向かいあった。背中を向けるのが恥ずかしかった。  二人は抱きあった。鉄板のようだった沢田の体に、奥深い弾力が生じていた。葉子は両手を沢田の首に巻いた。沢田の胸板に頬をすりつけて抱きついてゆく。  沢田は葉子の手から石鹸をむしりとった。葉子の乳房に塗りつける。やさしく愛撫してきた。ふくらみを掌ですこし荒っぽくなでさする。乳首は指さきでこまかく刺戟してきた。葉子はひとりでに体が反った。甘い声が口からもれていった。  沢田の手は、つぎに葉子のふともものあいだへのびてきた。草むらをわけて、指が大事なところへしのびこんでくる。快感の渦がそこから湧きおこった。沢田の片手に腰のあたりを抱かれて、葉子の体はうねったり、揺れたりしはじめた。夢中だった。声をあげて沢田にかじりついていた。ベッドへゆくまえに何度も頂上へたっしたのははじめてである。  いつのまにか葉子は抱きあげられていた。横抱きにされてバスルームを出る。ベッドのうえにほうりだされた。  まだクッションがおさまらないうち、沢田が下半身にのしかかってくる。葉子は左右にひらかされた。あかりのもとで、思いきってひらかされてしまった。  そこへにじみでた欲望の溶液を沢田はすすってくれた。舌を鳴らしてくりかえした。あとは舌が上下に動いたり、ジグザグに動いたりする快楽がおしよせる。葉子はのたうちまわるだけだった。どんな技巧を沢田が駆使しているのか、まるでわからない。だが、セックスのよろこびはこれほどのものだったかと、何度も葉子は思わされた。なにもかもわすれて、みだれてしまった。北浦とのセックスでは一度もなかったことだった。  やがて沢田は葉子のなかへ入ってきた。快楽のかたまりがやや強引に押しいってきた感じだった。最初から葉子は呻いた。下腹部のあたりの内も外も快楽の渦に巻きこまれて、甘く溶けてしまいそうだ。  呻きつづけて葉子は頂上へたっした。つづけざまにいくつもそれを越えた。なにもかもわすれて揺れていた。やがて沢田の活力が、葉子のなかでほとばしった。固い沢田の体が倒れこんでくる。  沢田も呻いていた。すばらしい、きみの体はすばらしい。そう沢田は口走った。セックスの好みがわれわれは一致している。体も一致している。もうはなれられない。沢田はつけ加えた。葉子は両脚で沢田の体を思いきりはさみつける。両手と両脚で抱きついた。 「帰さないぞ。家へ帰りたいといっても、もう帰してやらない。葉子はおれのものだ。いっしょに働こう」  沢田は葉子の髪をなでた。  二人とも汗まみれである。呼吸がおさまって、やっと体をはなした。  ならんで横たわって休息をとる。父のいる部屋へ帰るのが、葉子はひどく億劫になった。たまには朝帰りしてやるか。そう考えながら、うとうとした。沢田の胸に顔を埋めて、やがて深く寝入っていた。  部屋の扉をノックする音がきこえた。部屋にチャイムのないホテルだった。葉子は目をさました。一足さきに沢田が起きてベッドをおりた。午後十一時半である。夜のはやい中国では、日本の午前二時、三時ごろにあたる時刻だった。  だれだろう、いまごろ。まさか父が迎えにきたわけでもないだろう。葉子は肩まで毛布をひきあげた。下着のありかをさがした。  沢田さん、こちらでしょうか。女の声がきこえた。沢田は細目に扉をあけた。出入口で立ち話している。わかりました。すぐいきます。沢田は扉をしめた。苦虫を噛みつぶした顔でベッドのそばへもどってきた。 「坂橋さんだよ。兵曹長どのが行方不明なんだそうだ。様子をみてくる」  坂橋老人が食事のあと一人で外出した。  そのまま帰ってこないという。老人はひどく酔っていた。十時半ごろから坂橋の妻はホテルの内部や周辺をさがしまわっていた。沢田の姿がないので困りはてていた。康通訳ももう寝ている。言葉に困りながらフロントに問いあわせて、やっと沢田のもう一つの部屋をさがしあてたらしい。 「酔っぱらいめが。せっかくの夜をぶちこわしにしやがった」 「私はどうしよう。部屋へ帰ろうか」 「そうだな。ここへだれか入ってきても困る。部屋へ帰っていなさい。チャンスができたらまた呼びだすかもしれないよ」  沢田はサファリスーツを身につけた。  上体をかがめてキスしにくる。そのあと葉子の肩と腋にくちづけした。肌の味をたっぷりたのしんでから、ベッドをはなれた。部屋を出ていった。女の話し声が遠ざかる。坂橋夫人のほかにも女が一人か二人、いっしょに行動しているらしかった。  葉子はベッドからおりた。バスルームでシャワーをつかった。服をきて三階の部屋へもどった。一行に割りあてられた部屋のうち、二、三の扉があいたままになっている。  思ったよりさわぎは大きいらしい。部屋へ帰ると、父がベッドで上体をおこしていた。坂橋老人の行方不明になったことは知っていた。動転した彼の妻が、ツアーの人々を一人ずつたたきおこしてまわったらしい。 「となりのホテルの酒場であそんでいたの。坂橋さんのこと、全然知らなかったわ」  葉子は弁解がましい口調になった。 「どこサいったかなあの男。老区あたりで日本人とわかれば、おそわれるかもしれない」  父は沈痛な表情だった。夢のなかの恐怖のあとが、まだ顔にのこっている。  葉子が沢田といっしょにいたことなど、考えてもいないようだ。父は父の思念で、頭がいっぱいらしい。  老区というのは古い下町のことだ。人口密集地帯らしい。父の記憶では、不穏な一帯ということになるのだろう。 「まさか。外国人に危害を加えれば厳罰なんでしょう。治安は万全よ。街の人がとくに日本人を白い目でみてる様子もないし」 「いや、表面だけではわからねえよ。なにが出てくるか、わかったもんでねえ。この国は大きいからな。なんでもある国だから」  父はウィスキーを舐めはじめた。  坂橋老人といい父といい、きょうから急に酒量が増した。もと兵士たちにとって、南京はやはり重い記憶の街であるらしい。  大虐殺はなかった、と上海で父は演説した。四十万人、五十万人の殺戮というのは、たしかに誇張かもしれない。だが、沢田のいうようにその何分の一かの殺戮がおこなわれたのはたしかなようだった。坂橋や父の様子がそれを物語っている。 「海軍はなあ、かなり殺したというからな。揚子江の岸から機銃を射ちまくって」  天井に向かいあって父はつぶやいた。  昭和十二年の十二月、日本軍は三方から南京を包囲した。つぎつぎに城門を突破して市内へ攻めいった。中国軍兵士や市民、難民は市の西北部にある下関《シアカン》へ逃げた。そこには揚子江の港がある。大きな船から筏にいたるまで、あらゆる船にとりすがって人々は揚子江の向うへ逃げようとした。  対岸に日本海軍の陸戦隊が機銃をかまえて待機していた。船で逃げだす人々へ、機銃は無差別に銃弾をあびせかけた。駆逐艦も大砲を撃ちまくった。兵士と市民をとりまぜて、たくさんの人々が殺された。あれが南京大虐殺の原型だったのかもしれない。 「むごい——。坂橋さんも機銃か大砲を撃ったのね。あの人、そういえば残酷そう」 「撃ったんだべなあ。上海でもやったらしいから。その現場近くさくれば、だれだっておかしくなる。いても立ってもいられなくなったのでねえか」  父はまた酔いがまわってきたらしい。  横になって目をつぶった。まぶしそうに眉をひそめる。電気消してくれないか。手をふって父はつぶやいた。あかるいほうがいやな夢に見舞われるということだった。  葉子は部屋のあかりを消した。たかぶっていて、まだ眠くなかった。坂橋老人の帰ってきた形跡はない。廊下へ出てみた。一人になると、自分の体が沢田の体臭のなごりの香りにつつみこまれているのがわかる。  エレベーターのほうへ葉子はあるいていった。目をとじてみた。さっきまでの陶酔をわずかでもとりもどしたかった。  沢田との新しい出発の夜を、坂橋老人にかきみだされてしまった。老人は戦争の記憶の重みをこらえかねて、酔ってどこかへ消えてしまった。つまり自分も沢田も、戦争の間接的な被害者ということになる。四十六年目の被害者。つぶやいて葉子は苦笑した。めずらしいタイプの被害者だろう。  エレベーターでロビーへおりた。  ツアーのだれかがいるだろうと思ったが、姿はなかった。深夜である。ロビーにはホテルの従業員の姿があるだけだった。  葉子はベンチに腰をおろした。捜査を手つだいたくてもそのすべがない。待つ以外に仕方がなかった。ひょっとすると、沢田が一人で帰ってくるかもしれない。  十五分ばかり葉子は待っていた。  フロントのカウンターの電話のベルが鳴った。がらんとしたロビーにけたたましくベルはひびいた。所沢の自宅からの電話だ。理由もなく葉子はそう思った。心臓がさわいで、わき腹が汗ばんでくる。  フロントマンが奥から出てきた。受話器をとって話している。大きな声をあげた。サカハシ、と彼は発音した。  葉子はとびあがった。カウンターへ近づいた。フロントマンは日本語が話せない。ミスターサカハシイズマイフレンド。ヒイイズマイフレンド。ホエアイズヒーナウ。必死になって葉子は申告した。帰ったら英会話を勉強しよう。心の底からそう思った。フロントマンはやっと納得して、微笑んでくれた。  また彼は電話で話をはじめた。ミスター坂橋はたしかに当ホテルの宿泊者です。ここに友達がおられます。そんなことを告げているらしい。応答がくりかえされる。  やがてフロントマンは受話器をおいた。メモ用紙をもってくる。MR・SAKAHASHIと彼は書いた。葉子は何度もうなずいてみせる。二人は笑いあった。  南京航空学院。彼は書いた。葉子はあっけにとられて彼をみた。  手まねいりでフロントマンは説明した。坂橋老人はここにいるらしい。酔って迷いこんだという。航空学院は軍機構の一部である。坂橋は逮捕された。だが、スパイ行為などの目的で侵入したのではないと学院側にはわかったようだ。パスポートをもってすぐ迎えにくるようにとの話だった。  航空学院への道順をフロントマンは図に書いてくれた。中山門の南側だ。四キロか五キロはあるだろう。日本とちがって、タクシーは街でひろえない。老人のパスポートのありかもわからない。坂橋夫人は康通訳といっしょに夫をさがして街に出ている。葉子には打つ手がなかった。  とりあえず葉子はホテルをとびだした。沢田や坂橋夫人をさがしだして、ニュースをつたえなければならなかった。  中山北路へ出た。暗い大通りだった。立ちならぶ篠懸の繁みが、闇をいっそう濃く、重くしていた。オレンジ色の街灯が、百メートルに一つぐらいずつうかんでいる。すれちがう人の顔も判別できない暗さだった。  通行人はたまにしかない。走り去るクルマも何分間かに一度の割合だった。家々の灯はランプよりも薄弱である。何百メートルも向うに、一つだけ飲食店の灯があった。  鼓楼広場のほうへ葉子はあるいた。人口三百万の大都市の大通りが、荒野のように暗くしずかだった。ひろびろとした闇に、篠懸の樹葉の香りがしみついていた。自分の足音がいやにはっきり耳にひびいた。葉子は、沢田のたすけを借りなければならなかった。 「沢田さあん、沢田さあん」  声をはりあげて葉子は呼んだ。反響もなく声は闇の奥に吸いこまれていった。 「沢田さあん、沢田さあん。どこにいるの」  また反響はなかった。  彼の体のぬくもりや重みを思いだした。篠懸の樹葉の香りをわけて、かすかな彼の体臭がただよい流れてくるようだ。  葉子は希望をうしなわなかった。何年もさがしつづけた恋人に、あと一息で会えるのだ。そんな気持になった。  何度目かに葉子は声をはりあげた。ホテルから四、五百メートルはなれた場所だった。  うおーい。はるか南で返事がきこえた。また呼ぶと、またきこえた。よかった、ついにさがしあてた。葉子は走りだした。並木の木々を一つ一つ、手でたしかめて前進した。  前方の闇の一点が濃くなった。人影があらわれた。駈け足でやってくる。葉子はその影にぶつかっていった。鉄板のような肉体が、奇蹟のようにやさしく葉子をうけとめる。 「どうした。なにかわかったのか」 「航空学院なんだって。逮捕されているんだって。パスポートをもってひきとりにこいって。電話があったの」 「航空学院——。そうか。おおかた陸戦隊の本部があったところだろう。なつかしくて迷いこんだんだ。困った爺さんだな」  沢田は、葉子を抱きよせた。  腰からふとももにかけて、手でさぐりにくる。欲望がまた目ざめてきそうだ。葉子は大きなため息をついた。  闇の奥から足音がきこえる。坂橋夫人たちなのだろう。未練をこらえて、葉子は沢田からはなれなければならなかった。 [#改ページ]     6  あくる日のスケジュールは、朝十時から長江(揚子江)の観光だった。  上海の黄浦江遊覧とおなじ船旅である。  二番煎じはどうかという意見もあった。だが、こんどは支流でなく、雄大な長江そのものの遊覧である。  船で三十分ばかり河をくだると、全長六千七百メートルの長江大橋にさしかかる。この大橋は約十五年まえ、中国が自力で設計、施工した。中国側が外国人旅行者にいちばん見物させたがる構築物である。 「鉄道、道路併用橋としては、世界最長だと中国ではいっています。せっかくだからみてあげましょう。わが国の本四架橋にくらべたら、まだスケールは小さいはずですが」  沢田はそんなことを一同に話して、スケジュールに長江観光を組みいれた。  康通訳がにこにこしていた。長江と大橋はたしかに彼らの誇りの源泉らしかった。  一行はバスで中山埠頭へ向かった。むかしそのあたりは下関《シアカン》と呼ばれた。昨夜の父の話では、逃げまどう中国の兵士や民衆が日本軍の銃撃をうけて大量に殺された場所である。その話が頭にあるので、葉子もかなり緊張していた。なにか血なまぐさい痕跡がその波止場にのこっているかもしれない。  殺戮のあとなどみたくもない。だが、恐いものみたさの感情もあった。どっちつかずで葉子はバスに揺られた。睡眠不足だった。  殺戮のことなどバスガイドも通訳も口にださない。日本人観光客はほとんどだれも、そんなことを気にもとめていなかった。坂橋、会田それに伊村和一郎だけが緊張した面持で外をみている。いつもはよく話す坂橋と会田の沈黙がとくに印象的であった。  坂橋老人はきょうも朝から飲んでいた。なかば眠ってバスに揺られている。  昨夜、やはり海軍陸戦隊の旧兵舎をさがして中山門のほうへあるいた。それらしい建物をみつけてなかへ入った。正門には衛兵が立っていた。坂橋は右手でかるく敬礼して門を通ったのだ。あまりに無雑作な態度だったので、衛兵は軍の高官と勘ちがいしたらしい。にこにこして老人を迎えいれた。  坂橋は兵舎のなかをみてまわった。建物は陸戦隊のあとのようだが、内部の情景にはまるでみおぼえがなかった。  赤い絨毯を敷いた高級将校の部屋へ坂橋は迷いこんだ。ソファで休息するうち、眠りこんでしまった。およそ一時間後に逮捕され、きびしい取調べをうけた。信じられないほどたやすく釈放された。坂橋が老齢だったことと、酔っていたことがさいわいした。が、それ以上に向うのミスが寛大な処置の原因だったらしい。衛兵が正門で坂橋を阻止すれば、なんということもなかったのだ。へたに問題を大きくすると、航空学院側の責任問題に発展する。さわらぬ神のあつかいで、坂橋はぶじに帰還できたのである。  一行のバスは中山埠頭についた。  遊覧船はすでに埠頭に船体を描いていた。だが、乗客をうけいれる準備がまだらしい。十五分ばかり待たされることになった。一行はバスをおりた。河をながめたり、写真をとったり、思い思いの行動をとりはじめる。 「下関か。これが下関か——」  風景をながめて父は絶句していた。  幅四キロぐらいだろう。黄褐色の水が、ほとんど波もなく悠揚とながれている。対岸の陸地が、水平線のようにほそくみえた。大小さまざまな船が河面にうかんでいた。岸壁に沿って、何十隻もの船が停泊している。  河の港にはみえない。海の港の光景である。岸壁のそばにはクレーンが林立していた。荷揚げ作業がおこなわれている。  大勢の人々が岸壁に立っていた。地方出身らしい若者が多かった。目を大きくして河や船や荷揚げ作業をみつめている。葉子たちのほうも彼らはみていた。葉子の手のカメラにいちばん視線が集中する。 「こんな岸壁も、コンクリートの堤防もなかった。丸太で組んだ桟橋があるだけだったなあ。船も小舟ばかりだった。そうだ、岸のほうには芦が生えてあった。ないとなあ、やっぱり五十年の余もたつと」  父はステッキをついて、堤防に近づいた。コンクリートの幅広い手すりに腰をおろした。河面をながめて、たばこに火をつける。  父の部隊は中山門から南京城内に突入した。三日ばかり市内に滞在した。そのあと、下関から船で揚子江をわたり、江浦城、烏江などへ転進したということである。渡河の模様を父は思いうかべているのだろう。深々と紫煙をくゆらせている。  おだやかな表情だった。この場での戦闘の模様をみていないからだろう。南京大虐殺などということはなかった——父の主張を葉子はすなおにうけいれることができた。 「そう。この波止場。中山橋からこっちの広場ですね。この一帯が中国人民の血で赤く染まりました。この場所は血の池だったといわれます。靴よりも深く血がたまって」  声をひそめた説明が耳に入った。  康通訳だった。会田老人に話をしている。会田にもとめられたのだろう。日本軍の残虐行為について、中国側の人々は口をとざしているのがふつうだからだ。 「そのことについて、中国の人たちはいま日本をどう思っているのかしら」  会田が訊いた。康の話を手帳にメモしている。真剣な顔だった。 「帝国主義の指導者の責任だと思っています。日本人民に罪はありませんでした。みんな強制的につれてこられて戦争をさせられた。日本人民もおなじように不幸でした。二度とああいうことがあってはならない。中国人、みんなそう思っています」 「南京守備隊としてここに滞在した人たちが一度見物にきたがっているんです。うちの街に多いんですよ。彼らがきても、危害を加えられるようなことはないかしら。しらべてくれといわれてきたもので」 「危害——。それはない。絶対にないね。私たち、日本の人たちを歓迎します。むかしの日本人といまの日本人、まったくちがう」  一行からはなれた場所で、坂橋老人が河にカメラを向けていた。  酔って、鷲鼻が赤くかがやいている。足もとがあやしかった。16ミリ撮影機をきょう彼はもっていた。妻に手伝わせて付近の光景を撮りまくっている。まわりの青年たちは、一様に16ミリカメラに注目していた。  坂橋老人は葉子を手招きした。あるきだした葉子に彼はカメラを向けた。後退しながら葉子を撮影してくれる。一人ではもったいない。葉子はふりかえって沢田を呼んだ。  すぐに彼はやってきた。葉子と談笑しながら彼はカメラにおさまった。すぐに沢田は坂橋からカメラをうけとる。河を背景に坂橋夫婦を撮影した。うれしそうに顔をしわだらけにして、老夫婦はカメラにおさまった。 「ああ、これでええわ。いまの下関を撮影できてよかった。下関いうと、わしは戦争のときの光景が目にうかんで仕様がないのや」  坂橋老人は酒くさい息を吐いた。顔をしかめて、手をふっている。 「すごかったんですってね。揚子江をわたって逃げようとした中国の兵士や、難民がここでずいぶん射たれたんでしょう」 「陥落まえやったな。船で逃げようとした中国人がようけおったんじゃ。陸戦隊が向う岸から機銃で射ちよった。わしらは水上から撃った。ああ、アリのへばりついた板きれを射つようなもんじゃったの、アリがどんどん河に落ちて、もがいて、動かなくなりよった。  ああ、兵士も民間人もなかった。一々えりわける手間ひまがあるわけない。戦争やから仕方がなかった」  鼻をふり立てて老人は話した。死人のように暗いまなざしになっていた。  沿岸八キロにわたって、中国軍の自動車が破壊され、黒焦げになっていた。中国兵や住民の死体がころがっていた。揚子江の河面にも、無数の死体が浮いていた。河岸にも流木のように死体がつみかさなっていた。老若男女、さまざまな死体があった。重油に焼かれて黒焦げのものもあった。  坂橋は苦力を指揮して死体の処理にあたったことがある。何度も吐いた。死体の山のそばに立つだけで貧血をおこしそうになった。苦力を叱咤して死体を焼かせた。空腹と過労で倒れた苦力は、拳銃で射殺してまわった。食料がない。彼らを生かす道はなかった。 「思いだしても胸がわるうなるわ。一時間に三度吐いた。風邪ひいて熱をだすと、わしゃ死体処理作業の夢をみる。どうにもならん」 「そうなんですか。だったら、よかったですね。いまの揚子江がみられて」 「そりゃよかったわ。しかし、わしは日中友好やなんてとても信じられんな。この連中が恨みをわすれたなんて到底思えん。あれだけ殺ったんじゃ。食物も奪った。女も強姦のしほうだいやったからなあ」  坂橋はまわりをみまわした。純朴そうな青年たちが目を大きくしてカメラをみている。みんな日焼けして、健康そうだ。  沢田は乗船の用意をしにいった。坂橋夫人は、二人づれの老婦人と写真をとりあっている。みんなとはなれて、坂橋と葉子は青年たちにかこまれていた。  坂橋は恐怖の表情をうかべた。おきざりにされたように感じたらしい。葉子の腕をとって船のほうへいこうとする。酔っているので、つまずいて葉子にささえられた。中国青年たちが笑いだした。  息を切らせて坂橋はいそいだ。そういえば彼は、青年たちの姿を一枚もカメラにおさめていない。彼らが死体のイメージとかさなりあうのかもしれない。  まもなく一行は船で揚子江へ乗りだした。長江大橋を見学した。中国人の誇るにふさわしい、長大で近代的な橋だった。  中山埠頭へもどると、正午だった。中山陵付近のレストランで昼食をとる。一人あたり二十元の豪華食だった。老人たちは箸と皿をかまえて、立ったりすわったりをくりかえした。坂橋老人の食欲がいちばん旺盛だった。死体処理の作業中、一時間に三度も吐いた思い出は、話とともに消えたもののようだった。  葉子の父の伊村和一郎が急にわがままをいいだした。午後は一行とわかれて単独行動をしたい。通訳とタクシーをいそいで確保してほしいというのである。南京へ突入前、部隊がしばらく駐屯した村落へいってみる。そこにある戦友の墓へまいりたい。思い立つと、矢も楯もたまらなくなったらしい。沢田と別室に入って交渉にとりかかった。 「むりよお父さん。急にそんなことをいいだしても、手配がつかないわ。あしたにしましょうよ。あしたなら通訳を呼んでもらえるわ」  葉子もその部屋へ入った。なんとか父をなだめようと思った。  南京滞在はあさっての昼までの予定だった。あすは一日市内観光である。単独行動をとるなら、あすが自然だろう。 「あしたはおら、バスで観光する。玄武湖公園、中山陵、明孝陵、棲霞山。訪問予定地がなつかしいところばかりなんだ。ぜひいってみてえ。それにくらべて、きょうの予定地は、おらにはそれほど大事でねえから」  めずらしく父は頑固だった。海外旅行のあいだ、人はわがままになるようだ。解放感の一つのあらわれなのだろう。 「中山陵や明孝陵のそばで伊村さんの部隊は激戦を経験したんだそうです。たしかにそれじゃ、欠かすわけにいかないでしょう。待ってください。なんとかしてみます」  沢田は部屋を出たり入ったりしていた。  国際旅行社へ電話をいれている。康通訳の尻をたたいて、手つだわせていた。  外国人ツアーには通訳がかならず一人つきそわねばならない。そういう規定がある。葉子の父はだから、単独行動に康通訳をひっぱりだすわけにはいかなかった。  かといって通訳なしでは西も東もわからない。タクシー運転手に方角を指示することもできない。葉子の父がむかし南京に滞在したといっても、たった数日のことだった。しかも五十年近くまえである。はじめてきた都市よりも地理がわかりにくいくらいだろう。 「あの添乗員なら、なんとかするべさ。葉子にはとくべつ親切なようだからな」  沢田のうしろ姿をみて父はつぶやいた。  葉子はどきりとした。父をうかがう。なにか気づいているのだろうか。それならそれではっきり事情を話さなければならない。  だが、父は他意のない表情だった。のんびりと手配の結果を待っていた。二十分ばかりでいい報せがとどいた。通訳が一人、タクシーでこちらへやってくるらしい。古い添乗員である沢田の顔を立てて、国際旅行社がとくべつなあつかいをしてくれたのだ。 「すみません、お手数をかけて」 「当然だよ。舅どのになるおかただ。どうかね。彼は気がついているのか」 「わからないわ。でも、こうしてあなたに無理をいいだしたのが、ちょっと不自然ね。なにか気がついたのかもしれないわ」  物蔭で葉子は沢田とそんな話をした。  バスの出発時刻がきた。伊村和一郎と葉子をのこして、一行はバスに乗りこんだ。  薬局主である柾木夫婦が手に手をとりあう感じで、最後にひっそりとバスに乗った。ゆうべ彼らの部屋には骨董の鑑定家がきていた。蘇州で柾木の買いいれた二百万円の仏像は、沢田が心配したとおり偽物だった。  そのことはツアーの人々に知れわたっている。だが、見舞いをいうのも柾木を傷つけることになる。みんな知らん顔をしていた。おかげで柾木夫婦はいっそうひっそりと、グループから浮きあがった。  一行のバスが出て十分後に、タクシーと通訳がやってきた。レストランのすみのテーブルで、葉子の父は自分のいきたい場所を説明した。村の名も、場所もだいたい父は正確におぼえていた。問題は父の記憶のまま、それがのこっているかどうかである。  中山門の東、約七、八キロの地点の馬群という名の村だという。  南京総攻撃のおこなわれたのは、昭和十二年の十二月十三日だった。父の部隊はその約一週間まえに馬群へ入った。砲兵隊がクリークごしに、南京の城壁や中山門へ毎日弾丸を撃ちこんでいた。突破口がひらかれしだい、父たちは突入する手はずだった。  総攻撃の一週間まえごろは、中国兵は南京城内から出てきて日本軍に攻撃を加えた。南京城外の村落にも、まだ中国兵の占領しているものがあった。小規模な戦闘がくりかえされた。馬群は五、六十軒の民家のひしめく、比較的大きな村落だった。父の部隊が駐屯するあいだ、何度かゲリラにおそわれた。父とおなじ村から出征した兵士二人が、ゲリラにつかまって殺された。馬群の小学校の裏に、二人の墓があるのだという。 「いつか墓参りにくる気だったのだ。遺族にはなんも話してねえども、そいつら、可哀そうな死にかたをしてなあ。戦争に負けたから、あいつらの墓にはだれも参らねえべ。それ思えば、不憫でたまらなくなる」  そんなふうに父は説明した。  通訳とタクシー運転手は地図をひらいて場所をさがしていた。まもなくさがしあてた。  竜井《ロンジン》茶を一杯ずつ飲んだあと、一同はレストランを出発した。タクシーの助手席には、国際旅行社から派遣された通訳が腰をおろした。まだ二十五、六歳の青年だった。  クルマは中山東路を東へ走って郊外へ出た。通訳の青年は、途中、明故宮遺跡や博物院について説明をこころみた。だが、父は上気して、はるかに雄弁に思い出話をつづける。 「中山門をわれわれの部隊は突破した。十三日の朝だったと思ったなあ。敵の抵抗がとまったので、突撃した。城壁のくずれたとこからよじのぼって、なかへ入った。中山門の扉は内から岩石や土のうを積んでおさえてあったな。ちょっとやそっとの砲弾であの門扉は破壊できなかった。偉いもんだった」 「中山門の外の東のほうに孫文の陵墓がある。そう、孫中山の中山陵だな。ここは中国人にとっての聖地だから破壊するなと、松井石根司令官から通達があった。中山陵にも敵はひそんでいた。しかし、そっちを射ってはいけねえのだから、苦労したもんだ」 「中山陵には孫文の石像が立っていた。近くの敵と交戦中に石像の首を落してしまってな。司令官に怒られるぞって青くなったな。十七日の司令官の入城式の日は、石像に天幕をかぶせてかくしたものだ。いまあの石像は、銅像になったんだべ、通訳さん」 「南京は当時の中国の首都だったのス。そこを落せば戦争は終り。国サ帰れるとわれわれは考えておった。ところが占領しても、戦争は終るどころでねえ。がっかりして、やけになってあばれた者もあるようだなあ」  南京の郊外の土は赤土だった。赤い煉瓦の家々の多い理由がこれでわかる。巨大な城壁も煉瓦づくりである。  樹木が多かった。市街地を出ると、もう篠懸の並木はない。代りに楠や、松や、柳が色あざやかに繁っていた。クリークのそばには柳が多かった。赤土との対照で、木々の緑は生き生きとあかるかった。  市街をはなれるにつれ、草地が多くなってくる。田畑で働く人々の姿が目についた。ロバにひかれた馬車が通る。丸いモッコをかついだ農婦たちがあるいていた。昭和二十年代の日本の農村がよみがえった。空気が澄んでいる。なによりも土地がゆったりと広大なのが快適である。戦争の痕跡なんかどこにもなかった。ひろびろとした国の、四千年の歴史のなかでは、日本軍の侵略もほんの一すじの小川の流れにすぎないのかもしれない。  クルマは目的地に近づいた。父は上衣のポケットからウィスキーの小瓶をとりだした。かるく飲んだ。目が光っているようだった。通りの両側に、赤煉瓦の家々や、コンクリート塗りの家々のならぶ町へ入った。むかし村落だった馬群は、いまは小さな町だった。  こわばった表情で父は風景に目をくばっている。貧弱な商店と市場があった。人の姿はほとんどない。煉瓦づくりのアパートらしい建築現場が一つあって、数人の労働者が気のなさそうに働いていた。 「どう、お父さん。当時の面影はあるの」  葉子は訊いた。赤くなって、父は泣きだしそうな表情である。 「ずいぶん変った。しかし、面影はあるぞ。まちがいなく馬群だ。あそこに地主の家があった。部隊の司令部のあったとこだ」  あごで父は外をさした。  ブロック塀をめぐらせた灰色の建物があった。農業用品の倉庫らしい。むかしは門のそばに日章旗がひるがえり、当番兵が二六時中立番していたのだという。  小学校はどこだ。父は通訳に訊いた。雑貨屋のまえで運転手はクルマを停める。なかの女に場所を訊いてくる。道路のさきを女は指してこたえていた。クルマはさらに百メートルばかり東へ走った。鋪装のない、ガタガタ道を走るのは久しぶりだった。  左側に灰色のコンクリート塀がみえた。  門柱と鉄の扉があった。小学校だった。父は昂奮してクルマを停めさせる。ここの校舎で父の隊は寝泊りしたのだ。  父はクルマをおりた。ステッキをつき、左足をひきずって正門へ近づいた。葉子もあとにつづいた。門扉ごしになかをみる。鉄棒とかネットとかゴールポストなどのいっさいない、空地のような校庭だった。古ぼけた灰色の壁の校舎が左手に立っている。土をまぶしたように汚れた、屋根のくずれそうな建物だった。自転車が一台、そばにおいてある。  校庭の塀の内側にそって、篠懸の木々がならんでいた。篠懸だけが大きく育ち、あざやかな緑色の繁みを誇っていた。土曜日の午後だった。生徒は一人もいない。木々にかこまれて学校はしずまりかえっている。  校庭のうしろは小高い丘になっていた。アカシヤが茂っている。そばに赤煉瓦の校舎が新築中だった。建築資材をはこんだトラックの轍のあとが校庭にきざまれている。  正門の扉を父はあけた。通訳と葉子があとにつづいた。左手の校舎を父はみている。 「これだ。まちがいない。これだで」  父はうなずいた。南京突入まえの一週間をすごした校舎だという。  通訳が校舎へ入っていった。紺色の服をきた老人をつれて外へ出てきた。この学校の校長だという。頭の禿げた、顔の丸い、好々爺そのものの老人だった。 「およそ五十年まえ、日本兵が二人、向うの林のなかで殺された。その墓がまだあるかどうかきいてみてください」  父が通訳にたのんだ。通訳は身ぶり手ぶりを加えて、校長に説明しはじめる。  校長は人の好い笑みをうかべている。表情に変化はない。かぶりをふった。なにも知らないらしい。きいたこともないという。 「日本兵が二人、だれかに殺されたことも知らないスか。きいてみてください」  通訳がその言葉をつたえた。校長はやはりなにも知らないという。 「この村に日本軍の部隊が駐屯した。この学校に私たちは泊った。中国人で殺された人もかなりいた。そのこともこの先生は知らんのですかね。訊いてみてください」  反応はおなじである。校長は人の好い笑みをうかべてかぶりをふった。そして、二言三言なにかをつぶやいた。  通訳が話してくれた。日中戦争後の内戦でこのあたりでも戦闘があった。そのことはわずかにおぼえているという。校長はこの地方で生れ育った人物らしい。 「失礼ですけど、校長先生、何歳でいらっしゃいますか」  葉子は訊いてみた。  校長はこたえた。五十歳だという。風貌だけが老人だった。日本軍が南京を陥落させた当時、校長はまだ赤ん坊だったのだ。  父は礼をいって校長とわかれた。ステッキをふって、校庭のうしろの丘のほうへあるきだした。おなじ村出身の二人の日本兵の墓のありかはおぼえている。いってみる気らしい。葉子と通訳も肩をならべてあるいた。 「中国の人っておおらかね。戦争を重く背負いこんだ人なんか、いないみたい。中国の歴史からすると、日中戦争なんて、馬の背中にちょっとだけ虻のとまった程度のことじゃないのかしら。中国はすごく大きい」 「そうだな。中国は大きいな。あれだけ日本軍に痛めつけられても、こうやってわれわれを歓迎してくれるんだからなあ」  葉子と父はそう話しあった。  葉子は心から中国が好きになっていた。ヨーロッパとちがってすぐ同化できる。とけこむための身構えが不要だ。これで戦争のことがなければ、もっと親しい国になるだろう。戦争にゆかずに済んだ世代の者が、新しい関係をすすんでつくりあげなければならない。  二年後の自分の姿が葉子の脳裡にうかんだ。旅行者をつれて、中国の街をあるいているにちがいない。そういう自分を想うと、胸がおどった。むずかしいけど、きっとやりとげようと思う。まず中国語。それから歴史。あとは現代中国社会の研究。やるべきことが山ほどできてきた。葉子の中国旅行は、それが最大の収穫になるはずである。  校庭のうしろの丘に三人はのぼった。  ステッキをついて、赤い顔で父は歩をはこんだ。丘をのぼりきると、そのふもとには集落があった。灰色の小さな家々が二十軒ばかりあった。手前にクリークがある。丘のふもとに沿ってそれは右から左へ流れていた。  父は集落のそばへおりていった。クリーク沿いの道を左へあるきだした。数人の女が水辺にしゃがんで、棒をつかって洗濯をしている。クリークの両側は畑地だった。しばらくゆくと、右側の畑地のなかに雑木林があった。丈の高い雑木林である。  小さな道をたどって父は雑木林へ入っていった。息づかいがあらい。あるいたためばかりではなさそうだった。草に埋まって、小さな舎利塔があった。五重の塔のかたちの石が歳月でのっぺらぼうにすり減っている。 「これだこれ。この石——」  灌木を父は両手で左右にひらいた。  草むらの底に石があった。舎利塔から三メートルとはなれていない場所だった。漬物石ぐらいの石である。父はしゃがんで、灌木をわけた。石に抱きついた。こらえかねたようにしゃくりあげた。 「石に名前を彫るひまもなかった。埋めてすぐ移動だった。かわいそうになあ。五十年もほうっとかれて——」  父は涙をぬぐわなかった。  涙が石に落ちた。土にまみれて、石はどすぐろかった。およそ半世紀、一センチも動いたことのない石だった。葉子は墓参りしようとした。だが、線香もろうそくもない。せめて花でもと思ったが、雑木林のなかには草花一つみあたらなかった。 「さあ、つれて帰るぞ。待たせたな。つれて帰ってやるぞ。山根と羽賀——」  お参りの気はないらしい。父はステッキで石の下の土を掘りはじめた。  茫然と通訳は立ちつくしている。いそいで葉子は父を手伝った。ひょっとすると、お骨が出てくるのだろうか。おびえながら、掘りつづけずにはいられなかった。  三十センチばかり掘った。土にまみれた石が出てきた。父はそれをもって、ステッキで丹念に土をこそげ落した。小さな壺だった。骨をおさめておいたらしい。風化して蓋はあかなかった。なかをみれば、骨はただの土と化していることだろう。  父はそれを抱いた。晴れ晴れした顔だった。旅行の目的は、これだったと打ちあけた。雑木林を出て、父はクリークのそばにしゃがんだ。壺の泥を洗い落した。青磁のかがやきが泥の底からよみがえって陽に光った。 「よほど仲のよいお友達だったのね。この山根さんと羽賀さん」 「おなじ村の出身だったものね。それに、死にかたがふつうでなかったんだ、この二人」 「ふつうではないって、どんな」  父はかぶりをふった。目をとじて、うつむいたままじっとしている。  ひたいが汗ばんでいた。酒くさい。 「ねえ教えて。どんなふうだったの。私、中国のこと、なんでも知りたい」  父は目をひらいた。涙をためている。苦痛で顔をゆがめて話してくれた。 「拷問されてな。滅茶苦茶に刻まれてな。手の指を一本一本切り落されて」  葉子は息をのんだ。後悔した。  それ以上ききたくなかった。通訳は二十メートルほどさきの橋のそばで待っている。 「鼻を削がれていた。目もくりぬかれていた。きんたまも切られていた。それだけではない。最後は土の上さ寝かせて、トラックで頭を轢いたんだぞ。二人とも頭がメチャッとつぶれて、脳味噌がとびちって」 「もういい。やめて、お父さん」 「そりゃひでえもんだった。南京大虐殺がどうだったって、あれにはかなわねえ。深さとしつこさがちがうんだから。あれをみてからうちの部隊はつよくなったな。よくもやったな中国兵。かなり殺したべ。あたりまえの話だった。戦友のあんな姿をみて、わーっとこない者がいないわけねえ」  山根、羽賀はともに一等兵だった。  ある夜間戦闘で、山根が足を射たれて動けなくなった。羽賀が山根を背負ってあるいた。だが、本隊とはぐれてしまった。  山地で迷っているところを敵におそわれて捕虜になった。無惨な死体は小学校の裏庭まではこんで捨てられていた。この村のなかにも拷問に加わった者がいるはずだ。父の部隊は村人をきびしく追及した。そのさい民間人にも何人か死者が出たはずだという。 「いい思い出のある村でねえのだ。ただ、この二人をなんとしても日本さつれて帰りたかった。そのためにここへきた。回収できたからなあ。きて良がったと思うよ」  二人は立って、クリーク沿いの道をもとのほうへあるいた。  通訳と合流した。三人はもう学校を通らずに、そのまま村の大通りへ出た。  学校の正門まえにクルマが待っている。こちらへ呼びに通訳が走っていった。  道に面して菓子屋があった。アイスキャンデーをつくっている。葉子はのどがかわいていた。父もそうだという。葉子は戸をあけてキャンデー屋のなかへ入った。父もつづいて入ってきた。キャンデーを四本注文する。  老婆が二人、店内のベンチに腰をおろしていた。二人はじっと父をみつめた。  視線を感じて父は顔をそむけた。いつになくけわしい表情になっていた。  老婆が金切声をあげた。父を指してなにかわめき立てる。もう一人も立って、早口にののしりはじめた。  老婆は店の戸をあける。近所の人にもきてもらおうとしてわめき立てた。父を指して、ののしりつづける。最初声をあげた老婆はヒステリー状態で足ぶみをつづける。 「なによ。どうしたのよ。この人たち」  わけがわからない。葉子はいそいで父を立たせ、店の外へおしだした。  父の手から壺を奪いとる。道のほうへ背中を押した。すぐにクルマがくるだろう。注文したキャンデーを葉子はうけとり、金を払わねばならなかった。  店の外へ出してしまえば父はぶじだと葉子は思っていた。ところが老婆の金切声に呼応して、男が三人も出てきた。  みんな老人だった。父をみて、わめきだした。つかみかかろうとする。ステッキをふるって父は防戦した。また一人老婆があらわれて、父を指してわめきだした。 「待って。なにをするのよあんたたち。父がなにかわるいことをしたっていうの」  葉子は道へとびだした。  老人たちのまえへ立ちはだかった。近づいてくるやつを突きとばした。  その間に父は、ステッキをつき、足をひきずってクリーク沿いの道へ逃げた。老婆が一人ののしりながらせまってゆく。幅二メートルのクリークを父は跳びこえようとした。混乱して、足が健全だったころの判断力にもどってしまったのだろう。  父はあおむけにクリークへ落ちた。堤防を固めたコンクリートへ後頭部を強打した。腰もひどくぶっつけたらしい。倒れたまま、起きあがれなかった。泣きながら葉子はクリークへとびこみ、父をたすけおこした。水はひざまでしかなかった。  やっとタクシーがきた。通訳と運転手に手伝ってもらって父を後部座席に寝かせる。一度投げだした骨壺を葉子は回収した。さいわい割れなかった。蓋もとれていない。  あおむけに寝て、父は荒い息を吐いていた。目の焦点があわないようで、葉子は一時、背すじがさむくなった。  だが、しばらくすると、正常な表情になった。頭が痛いと訴える。場所が場所なので、厄介なあとをひくかもしれない。一刻もはやく病院へゆく必要がある。だが、通訳がなかなかクルマへもどってこなかった。  役目柄、トラブルのいきさつをくわしくきいておく必要があるのだろう。通訳は老人たちと話しあっている。老人たちは口々にしゃべる。ときおりクルマのほうを指した。当分埒があきそうもなかった。  通訳は王という名前だった。 「王さん。なにをしているの。こっちは人命にかかわるのよ。はやくしなさい」  葉子は声をはりあげて叱った。  まったく物事の優先順位を知らない。呑気すぎる。葉子は怒りで顔が青ざめていた。手当てがおくれて万一の事態になったら、王はどう責任をとる気なのだろう。  王はまだ立話をつづけている。社会主義国のふしぎなところだ。日本なら客の意向が最優先されるはずだが、この国ではかならずしもそうではない。 「もういいわ。あいつ、おいていこう。さ、クルマを出して。レッツゴー」  運転手に葉子は指示をだした。  だが、運転手はきょとんとしている。通訳を指した。彼がまだこない、とでもいうのだろう。父は目をとじて呻いていた。ひたいの汗をふく以外、葉子に術はなかった。  葉子は決心した。クルマの外へ出た。運転席の扉をあける。運転手の腕をつかんで外へひっぱりだしにかかった。私が運転する、どきなさい。身ぶりで強要した。  おどろいて運転手はかぶりをふった。クラクションを鳴らしはじめた。  やっと通訳がクルマへもどってくる。葉子は後部座席へもどった。通訳が助手席に腰をおろす。クルマは発進した。葉子は父の頭を自分のひざに乗せる。通訳にたいする怒りで、しばらくものもいえなかった。 「よくも平気なのね。人の生命にかかわるときに、あんなおしゃべりをして」  やっと葉子は王にあびせかけた。  王はこたえない。肩を怒らせて正面をみている。急にふてぶてしくなった。あの老人たちからなにをきかされてきたのだろう。 「生命のこと、あなたのお父さん、主張する資格ないね。あなたのお父さん、むかしさっきの村の村長を殺した。ゲリラの責任をとらせて処刑したのよ。あなたのお父さん、日本刀で首を切る役目をした」  小学校裏の丘で処刑はおこなわれた。村長は白髪のインテリだった。みんなに慕われていた。うしろ手に縛られ、草の上にすわった。葉子の父がうしろから日本刀を振りおろした。白髪の頭部は斬られた首の部分で一回転した。葉子の父を睨みつけたまま、しばらく地上へ落ちなかったそうだ。 「年とった人、あなたのお父さんの顔をおぼえています。みんなです」  助手席で王はふりむいた。呻く伊村和一郎を、憎悪をこめてながめた。 「変ないいがかりをつけないでよ。父は友達を虐殺されて、復讐しただけなんだから。さっきの町で父の友達が二人も拷問されて死んだのよ。指をぜんぶ切りとられて。最後は土の上に寝かされて、トラックに頭を轢かれたんだから」 「それであなたのお父さんは怒って、鬼になったというんですか。それはちがう。日本の軍隊が侵略してきた。みんなそれが原因です。不幸も罪悪もみんなそこから出ている」 「王さんと歴史を論じるひまはないわ。ともかくあなた、人命にかかわる事故が発生したとき、通訳として適切な処置をとらなかった。だから私、王さんを関係官庁へ告発します。あなたの責任を問うことにする」  王通訳はだまりこんだ。  バックミラーごしにちらと葉子の顔をうかがった。赤くなっている。いまの脅しが効いたのかもしれない。運転手をせき立てて、病院へ向かっているようだ。  父は葉子にひざ枕をして呻いていた。相変らず呼吸は荒い。だが、事故直後よりはおちついてきたようだ。ときおり頭痛を訴えた。たいした痛みではないらしい。娘に甘えているだけかもしれない。  王通訳は、結局鼓楼病院へ葉子の父をはこびこんだ。  南京最大の病院だった。南京大学のすぐそばにある。事実上の大学病院なのだろう。  すぐ緊急検査室へいれられた。外国人はここでも大切にされるらしい。  外傷の有無から血圧や心電図の検査、脳波の測定などが手ぎわよくおこなわれた。一時間後に診断が出た。コンクリートに頭を強打したとき、父は脳震盪をおこしていた。だが、手当で回復した。脳の機能に深刻な影響はあらわれないはずである。  このまま三、四日入院して経過をみる。とくに悪質な後遺症が出なければ、その日のうちにも帰国許可が出るだろう。心配なし、と医師は太鼓判をおしてくれた。葉子は安堵の息をついた。病室は個室にしてもらった。  三、四日入院となれば、あさってみんなといっしょに南京は出発できないだろう。一行は南京出発のあと西安へ二泊、北京へ三泊して帰国の予定である。北京でみんなと合流するか、上海経由で父と二人きり帰国するか、いまから考えなければならない。  鎮静剤で父は眠っていた。まだ相談できる状態ではない。だが、意識がもどったら、九十パーセント上海経由をえらぶだろう。  南京だけが父の中国旅行の目的だった。西安も北京もつけたしだった。戦友の骨壺も回収してきた。もう仕事は終ったはずだ。そんな父を一人で帰すわけにはいかない。つきそって葉子も帰ることにする。  西安と北京へ寄らずに帰るのが、それほど残念でもなかった。どうせまたくるのだ。頻々とくることになるだろう。あわてる必要はなかった。葉子はまだ四十歳である。六十歳まで働くとしてあと二十年。前途洋々と考えてよいだろう。  葉子は新潟県下の実家に電話をいれた。事件を母に報告する必要があった。  頭をコンクリートにぶっつけて脳震盪。そう話すより仕方がなかった。複雑ないきさつは、あとからでも話すことにする。 「コンクリートに頭ぶっつけたって。またお酒を飲んであるいてたべ。仕方のない人だなあ。足わるいくせに酔っぱらって」  母の感想がこれだった。  家のなかにいる主婦がどれほど夫を理解していないかがよくわかった。背すじがさむくなるくらいだ。  傷が重いわけではない。母が駈けつける必要はない。責任をもって父は私がつれて帰る。そういうと、母は安心していた。町の老人クラブの仕事がいま多忙なのだそうだ。  噛みあわない思いのまま、葉子は電話を切った。男と女の最大のちがいは、前者が戦線へ出るのに反し、後者は出ないですむことにある——そんな気がした。出ないほうがらくかもしれない。だが、前線を人まかせにするうちに、なにか事件がおこったとき、いまの母みたいに頓珍漢な解釈しかできなくなるおそれがある。やっぱり葉子は前線へ出たい。苦しくともよい。自由でいたい。自分の目のなかにできるだけはっきりと、人間や社会をとりこんでゆきたかった。  夕刻になった。父をほうりだしてホテルへ食事にゆくわけにもいかない。病院で葉子は食事することにした。  七時半ごろ父は眠りからさめた。いっしょに食事をした。皿数はホテルのはんぶんもないが、わるくない食事だった。父はきょう回収してきた壺を枕もとにおいていた。ときおり手でさわっている。宿願をはたした男の満足感がいつまでも顔にあらわれていた。  八時すぎ、沢田から病室へ電話が入った。いろいろ話したいことがある。だが、あすの観光施設の手配や、ツアーのメンバーの世話で、まだ手がはなせない。九時半ごろにはそちらへいけるだろうとの話だった。 「お見舞いがおくれて申しわけない。お父さんにくれぐれもあやまっておいてください。では九時半にまたね。愛してるよ葉子」  あわただしく沢田は電話を切った。  最後の一言をわすれない男である。そこが好ましい。途中で旅行を切りあげて、こんど会うのは東京だろう。それまで葉子はいまの一語の余韻のなかにいることになる。  三十分後、また電話のベルが鳴った。 「もしもしイ、あ、ママか。わあ安心した。また外人が出てこなくて」  正彦だった。葉子は虚をつかれた。  なつかしくて胸がいっぱいだった。おどろくほどなつかしかった。 「どうしたの。いまどこ。鎌倉」  鎌倉に妹の嫁ぎさきがある。葉子の旅行中もし家庭料理がたべたくなったら、その叔母の家へいけといってあった。 「いまは自宅。所沢です。パパもいるよ。さっきホテルへ電話したら、病院だっていうから心配してたんだ。おじいちゃん病気」 「頭に怪我したの。たいしたことないのよ。元気だから話してみる」  祖父と孫の会話がつづいた。ついで舅と娘婿の会話になった。それらが終ってから、葉子は受話器をうけとった。 「正彦。どういう風の吹きまわしなの。ママがいないと所沢へ帰りたくなるの」 「そうなんだ。ママのいない家って磁石のようなものだ。吸いこまれて帰りたくなる。ママがいなくて、さびしい、という気持を味わいたくなるんだろうね」 「でも、いまごろありがたがっても、もうおそいわ。手おくれよ」 「家にだれもいないから、ママは中国へいっちまったんだろう。こういうのはよくないと思うんだ。おれ、毎週土曜以外にも一度か二度帰ることにする。だからママ、一人ぼっちだと思わないでいてほしいんだ」  葉子は胸がいっぱいになる。いけない、いけないと思いながら、涙ぐんだ。 「帰ったらママ、また事務所を手伝ってくれないか。共働きにもどろう。人件費の節約になるし、やっぱり安心感が大きい」  とつぜん、北浦の声が受話器から流れてきた。思いがけない申しいれだった。 「でも、西田美佐がいるんでしょ」 「バカだなあ、やめさせたよ。ママ、また共働きでやろうよ。あれがいちばんよかった。あのころへ返ってやりなおそう」  しばらく話して葉子は電話を終った。  茫然としてしまった。北浦家の二人の男が急に協力的になった。主婦のいない家は、磁石のようなもの。吸いこまれるというのは、本音だったのかもしれない。いなくなると主婦は価値を再発見される。ひどく矛盾した職業だというべきだった。  その意味で、中国旅行は成功だった。たった四、五日留守にしただけで、男たちは不安を抱きはじめている。生活の基盤がくずれてしまいそうに感じているらしい。葉子がとびだしてゆきそうな不安にかられて、それぞれひきとめにかかっていた。  おかしなことになった。葉子はとびだす決心をしていた。だが、そのとたん、ひきとめる力もつよくなった。西田美佐を夫はやめさせたらしい。それをきいて葉子は、さっきから無条件であかるい気分である。口笛でも吹きたいくらいだ。  扉をたたく音がきこえた。応答すると、沢田が入ってきた。  葉子の父のベッドへ彼は近づいた。鳳仙花の花束を沢田はもっていた。くるのがおそくなった詫びと見舞いの言葉を彼はのべた。  窮屈そうにしばらく雑談していた。やがて沢田はわかれの挨拶をして腰をあげた。葉子に目くばせして外へ出た。  沢田は葉子の手首をつかんだ。大股に階段のほうへあるきだした。 「屋上へいこう。空が近くていい気持だぞ。屋上できみを抱きたい。きょうはホテルで部屋がとれなかったんだ」  病院は五階建てだった、三階から五階の上へ二人はのぼった。  いそぎ足だった。なんにも遠慮のいらない相手だという気がする。  屋上へ立った。沢田のいうとおり、星空がすぐ頭上にあった。いきなり沢田は抱きしめてくる。二人はくちづけをかわした。沢田の欲望のしるしが葉子の腹を突いてくる。 「残念だな。帰っちまうんだろう。毎晩デートしたかったのに」  ささやいて沢田は葉子の脚にさわった。  葉子は身をくねらせる。沢田からそっと体をはなした。セックスをたのしみたい気はある。だが、こんな場所で奔放にふるまえるほどではない。欲望は鎮静していた。  いまの電話のせいだった。夫が心をいれかえたという。そんな話は、べつに大したことではなかった。正彦が自分を必要としている。それが大事である。ママ、一人ぼっちだと思わないでほしい——。あの一言が胸にひびいた。女から母親へひきもどされたというわけでもない。自分が孤独でなかったのを、葉子は知った。それとともに性的な情熱も鎮静していったのだ。 「こんど会うのは東京だな。いつ会えるかな。帰ったらすぐに連絡します」  月光をたよりに、沢田は葉子の顔をのぞきこんだ。  体にさわろうとしない。葉子が欲望にかられていないのに気づいている。 「お待ちしています。中国語のレッスンのことなんかで、いろいろお世話になりたいから。二年計画で私、がんばってみる」 「勉強は何年がかりでもいい。でも、気にそまない家庭に縛られつづける必要はない。出てきなさいよ。おれのうちへきなさい。幸福にする、なんて甘ったるいことはいえないけど、いままでより張りのある生活はできる。それはまちがいないよ」 「ありがとう。沢田さんがいてくれて、とても心づよいわ。でも、家を出るには、いろんな問題をかたづけなくてはならないの。私、一つ一つそれを克服していくわ。子供との関係をどうするか、からはじめて」 「わかった。二年でも三年でもおれは待っているよ。おれにできることがあったら、いつでもいってきてくれ」  頭上の星空がみえなくなった。沢田の顔がまたくちづけをもとめてせまってきた。  私はずるいかもしれない。葉子は考えた。だが、反省はしない。自分の力で生きてゆくには、ずるくなくてはいけないのだ。 [#改ページ]     7  父の伊村和一郎はまる一日鼓楼病院の個室のベッドで眠っていた。  頭の外傷にはなんの問題もなかった。脳震盪の後遺症もないようだった。事件の翌日の夜、目ざめると父は元気だった。  もう二日様子をみたい。安静をつづけるように。医師はそう命じた。悪質な後遺症のないことがはっきりすれば、退院、帰国となるはこびである。沢田はその予定で、帰りの便の手配を旅行公社にたのんでくれていた。ツアーの一行はあす飛行機で西安へ発つスケジュールになっている。葉子と父は、当然南京へとりのこされることになる。  ところが、父はそれに反対した。みんなといっしょに西安へいきたいという。仲間の兵士が進撃の途中で落伍し、みすてられて中国人に惨殺された。その記憶が南京残留に不安を感じさせるらしい。西安は日本軍の攻撃をうけたことのない街である。市民にとくべつな反日感情はないはずだった。西安の病院に入っているのなら、父も一行とわかれるのをさほどいやがらなかっただろう。 「無理いわないでよ、お父さん。いま動いて、日本へ帰って寝こんだりしたら困るじゃないの。中国へきた目的はもうたっしたんでしょう。二、三日ゆっくり休んで、上海経由で帰りましょうよ」 「いや、もう大丈夫だってば。なんともねえ。なんぼでもあるける。部隊から落伍するようなまねは、おら、したくないんだ」 「ツアーは部隊じゃないわ。五十年もまえのことにとらわれるのはもうよしなさいよ。静養して、はやく田舎へ帰って、お友達の供養をしてあげればいいじゃないの」  葉子の説得に、父は応じなかった。あすみんなといっしょに西安へ発つといってきかない。荷物の整理を葉子に命じる。  だが、父のそうした要望が病院側に容れられるわけもなかった。朝になって医師は父を叱りつけた。悪態をつきながら、父はベッドに寝ているより仕方がなくなった。  一行の西安への出発時刻は午前十一時だった。十時まえに一行はホテルを出て、空港へ向かった。葉子は病院からタクシーで空港へ見送りにいった。短いあいだながら、いっしょに旅をした仲間たちだ。別離にあたって多少の感慨はある。とくに沢田とは、ほんの目くばせだけでもかわして、おたがいの好意をたしかめあっておきたかった。  雨が降っていた。空港の付近には靄が立ちこめている。草原も、滑走路も、地上の飛行機も靄にかくれていた。古い煉瓦づくりの空港ビルと、いくつかの格納庫が、影絵のように靄のまえへ浮きでている。飛行機の離着陸の音はまったくきこえなかった。  タクシーをおりた。泥のうえを跳ねるようにして葉子は空港ビルへ入った。古い倉庫のように内部はうす暗かった。待合室へ入ってみる。沢田のひきいるツアーの一行がいた。ほかにアメリカ人の団体客や、少数の中国人旅行者が時間待ちしている。旅立ちの活気がなかった。みんなおちつかない面持だった。悪天候のせいで、西安ゆきの便が欠航になるかもしれないという。  この程度の雨で欠航だなんて、日本では考えられないことだ。新婚の田中夫婦が例によって中国の近代化のおくれを呪っていた。南京はもう倦きた。見物も終った。こんなところでもう一日足どめされたら、退屈で気が狂うといっている。  葉子はツアーの人々にわかれの挨拶をした。たとえきょう飛行機が飛ばなくとも、葉子は病院につめなくてはならない。ホテルには帰れない。人々とはたぶんもう二度と顔をあわせることがないのである。 「お父さま、大変でしたねえ。でも、格別のお怪我ではなかったんですね。そりゃよござんした。不幸中のさいわいでしたね」 「南京じゃ、あまり個人的行動はとらんほうがええようですな。日本人を恨んどる者がまだ大勢おるはずじゃから。わしも航空学院へ迷いこんで、ようぶじに帰れたもんよ」  会田、坂橋の両老人が見舞いをいった。  二人の言葉には実感がこもっていた。だが、薬局主の柾木夫婦、造園業者の藤倉夫婦らの挨拶はお座なりだった。マンション経営者の老婦人などは、葉子と父が一行から離脱することさえ初耳だった。老婦人に葉子は一から事情を説明せねばならなかった。  事務所のなかから沢田が出てきた。苛立った表情である。飛行機が出るのかどうか、まだはっきりしないらしい。康通訳に中国語でなにか早口に命じた。康はいそいで待合室から出ていった。  葉子をみて、沢田はやや表情をやわらげた。会釈をする。それから仕事中の男の顔になった。一行に向かって話しかけた。 「雲が厚くて、現在は飛行機が離陸できるかどうか、まったくわからないそうです。もう二時間待って、欠航かどうかをきめると航空公社はいっています。マンマンデなんですよ。よくいえば大陸的なんです。みなさん、どうか気をながくもってお待ちください」  田中夫婦、藤倉夫婦が不満の声をあげた。  冗談じゃない、二時間もなにをしろというんだ。雨で散歩もできないのに。彼らは毒づいた。無理もなかった。空港ビル内には、食品の売店さえろくにみあたらないのだ。  アメリカ人の団体客からもどよめきがおこった。口笛が鳴った。彼らは笑っている。あきれかえっていた。日本人の一行のように、とげとげしい反応はみせなかった。旅行者にとって中国が便利な国でないことを、よく認識しているようだ。 「ホテルへ帰って、また出なおすいうわけにはいかんのかな。こんな待合室では、居眠りするわけにもいかん」  坂橋老人が沢田に訊いた。会田や、マンション経営者の老婦人もうなずいた。ホテルの部屋をみんな恋しがっている。 「それがむずかしいんです。航空公社はいつ出発を決定するかわからない。十一時に出発、ということにでもなったら、おいていかれる危険があります」  顔をしかめて沢田はいった。田中や藤倉がまた不満の声をあげた。 「そんなバカな。出発時刻がきまったら、すぐホテルへ連絡してもらえばいいじゃないか。離陸まで三十分もあれば、じゅうぶんホテルから駈けつけられますよ」 「いや、決定後すぐ離陸なんてケースもありうるんです。社会主義国だから、お客の都合を最優先する習慣がない。すべて航空公社の都合できまります。この場合は、お天気しだいということですね」 「そんなことで旅行公社がよくだまっているなあ。彼らは旅行者の便宜をはかるのが仕事でしょう。なんとか掛合ってくれてもよさそうなものだ」 「両公社は犬猿の仲なんですよ。南京の旅行公社の係員に何度も交渉してもらったんです。でも、いっこうに埒があかない。康通訳がいま走りまわっているんですが」  きけばきくほど事態は悲観的だった。一行は空港ビルのなかにとじこもって、航空公社の決定を待つ以外にないのである。  西安ゆきは日に一便だけである。乗りそこねると、出発を一日延期しなければならない。しかも、あすの便の席がとれるかどうかわからない。きょう飛行機が出るのなら、なんとしても乗りはずすわけにいかないのだ。  みんなあきらめの表情になった。そうなると、日本人は従順だった。老人たちは固いベンチに体をあずけて居眠りの体勢に入る。柾木夫婦は読書をはじめる。藤倉夫婦や田中夫婦は建物のなかをぶらつきはじめた。代る代る写真をとりあったりしている。  いつまでも空港にとどまっていても仕方がない。葉子はビルの玄関へ出た。中国ではタクシーをどこでもひろえるわけではない。病院から乗ってきたタクシーを、空港ビルのまえで待機させてあった。  沢田が送ってきた。玄関でそっと葉子の手を握ってくる。抱きあいたい衝動に葉子はかられた。だが、人目がある。肩をならべ、手を握りあったまま、立ちどまって話した。 「飛行機はたぶん欠航になります。みなさんにはわるいが、私はよろこんでいる。今晩またあなたに会えるから」 「父の工合がよければ、あしたみなさんといっしょに西安へいけるかもしれないわ。そうなるといいなあ。父は西安へいきたがっているの。退院できればの話だけど」 「二日のびれば、確実に退院できるんでしょう。この雨だと、案外そうなるかもしれませんよ。雨々降れ降れだな」 「でも、二日も延期になったら、ツアーの人たち、ヒステリーをおこすんじゃないの。沢田さん大変よ。自分の責任みたいにして、なだめなくてはならないんだから」 「そんなことは平気ですよ。またあなたと旅ができるなら、十日待たされたってどうってことはない。雨はいいなあ。お父さんが退院するまで降りつづいてほしい」  そんな話をしていると、建物の横の出入口から一組の男女が出てきた。  男は飛行服をきている。パイロットらしい。女はスチュワデスの制服をきていた。  パイロットは屈強の若者だった。胸を張り、肩を怒らせて、建物のべつの出入口のほうへあるいてゆく。この国ではパイロットが超の字のつくエリートであることのわかるあるきかただった。  もつれあうようにスチュワデスがついてゆく。雨に濡れて笑っている。人目を気にもかけない睦まじさだ。建物の影に二人は消えた。西安ゆきが出ようが出まいが、気にもかけていないようにみえた。  飛行機は出ないだろう。二人の姿をみて葉子は確信した。パイロットとスチュワデスは、乗客の希望など歯牙にもかけていない。乗客の希望と反対のことを彼らはやるだろう。そんな気がした。一行との合流が、急に現実味をもって考えられるようになった。  タクシーで葉子は病院へ帰った。VIP待遇の個室で父は不安そうに横たわっていた。戦友の骨壺が石炭のかたまりのように無造作に窓枠においてある。雨で飛行機が欠航になりそうだと知ると、父はうれしそうな顔になった。わしはもうなおった。あすツアーに復帰できるよう医師に交渉しろという。 「通訳がこないと、なにもできないわ。でも、欠航がはっきりしたら、なんとか交渉してみる。お父さんは気をつかわないで。ともかく安静にしていて頂戴」  昼食の時間になった。父は上体をおこして食事をとった。  意外に食欲がある。野菜炒めと鶏のから揚げのほか、饅頭を二つたべた。そのあと、薬をのんでぐっすり眠りこんだ。うなされる様子はない。落伍しておきざりにされる不安から解放されたのだろう。  葉子は所在なく病院の内部を見物してまわった。建物も施設も古い、ほとんど大部屋ばかりの病院だった。鉄骨を組みあわせたエレベーターが、無気味な音を立てて上り下りしている。医師も看護婦も尊大な顔をしていた。対照的に患者は人が好さそうだった。  雨は降りつづいている。雲のなかに爆音はなかった。二時すぎに沢田から電話があった。予想どおり西安ゆきは欠航だった。一行をつれてホテルへ帰ったところだという。  さいわいホテルの部屋はとれた。だが、一同を部屋にとじこめておくわけにはいかない。三十分後に玄武湖観光へ出発する予定だという。いっしょにどうか。沢田はさそってくれた。だが、父を病院にのこして観光というわけにもいかない。夜、ホテルをたずねていって沢田に会うことにした。父をあす退院させたい。病院側との交渉のため王通訳をこちらへ派遣してほしい。そうたのんで葉子は電話を切った。予定どおりの旅ができる。沢田とまだわかれなくとも済む。葉子は気持が浮き立ってきた。旅とアバンチュールをともに切りあげて帰るのを、心の底でひどく残念に思っていたのである。  夕刻近く、王通訳がきてくれた。退院の交渉がおこなわれた。医師の診断の結果も良好だったらしい。血圧も脳波も心臓の働きも正常だった。今夜、病変がなければあすツアーへもどってもいいだろう。ただし、できるだけ疲労しないように。医師はそう告げた。父は心もち血色がよくなった。  病院の夕食は午後五時からだった。職員の都合で午後四時に食事の出る日本の病院よりは、一時間ぶん親切だということになる。父は医師の許可をもらって老酒をグラスに二杯飲んだ。食事のあと、すぐ眠りこんだ。安心して葉子はホテルへ出かけていった。  ツアーの一行はホテルにいなかった。どこか街の食堂へ夕食にいったらしい。一階の酒場で葉子は沢田の帰りを待つことにした。粗末な椅子テーブルのならんだかたすみの席に腰をおろした。オーダーをとりにくる者がいない。カウンター席のなかの係員に飲み物を注文して、席で待つのが習慣のようだ。  葉子はカウンターのそばへいった。ビールを注文して代金を支払う。席へもどると、ぬるい中国のビールとコップがはこばれてきた。つまみはなにもなかった。  コップに一杯だけ葉子は飲んだ。味はわるくない。だが、ぬるいのには閉口である。飲む気がしない。葉子は若い田中夫婦のように風俗習慣のちがいを呪わしく思った。一人になると、わがままが出てくる。  カウンターのそばのテーブル席に、五人の中国人の若者がいた。男三人、女二人のグループだった。一般の南京市民が外国人旅行者専用のホテルの酒場へくるはずがない。五人ともけばけばしい服装をしていた。英語でしゃべっている。どこか品のわるい若者たちだ。香港からの旅行者だった。今世紀末の中国本土復帰にそなえてなのかどうか、彼らの父母や祖父母の国をみにきたのだ。上海のホテルや名所旧蹟でも、葉子はこうした香港からの旅行者のグループをみかけたことがあった。馴染みにくい男女だった。顔立ち、体つきはまぎれもなく中国人なのだが、あきらかに彼らは中国人ではなかった。  椅子にもたれて葉子はぼんやりしていた。二十分あまりたった。ぬるいビールをがまんして飲みほした。だが、沢田たちはもどってこない。雨はもうやんでいる。案外遠出したのかもしれない。退屈で葉子はうんざりした。文庫本をもってくればよかったのに、手おくれである。  香港人グループのなかから、一人の男が立って葉子に近づいてきた。案外年齢を食っている。三十歳ぐらいの男だった。英語で話しかけてくる。ホテルの最上階にディスコがある。いっしょに踊りにいこうというわけだ。  即座に葉子はかぶりをふった。いやしい笑みを男はうかべていた。商取引にはきわめて練達している、だが、生れてから一冊の文学書を読んだこともない——そんな表情だった。考えてみると、それは葉子が香港からの旅行者からうける共通の印象だった。中国本土の人々は素朴でおおらかな感じの者が多い。都市の住民も、農民のような表情である。香港の中国人はまったくちがってみえる。植民地だった香港で生きのびるため、才覚のかぎりをつくしてきたなごりが、彼らの顔には出ているのだろう。  男は執拗だった。ホテルのディスコは設備もいい。アメリカ人や日本人の旅行者も大勢やってくる。安心してあそべる。あなたのような美しい女性とぜひたのしい時間をすごしたい。そんなことを男はいった。葉子にもわかるよう、ゆっくりと話した。中国人そのものの顔で英語をつかうその男が、葉子はただうす気味わるかった。褐色の皮膚が脂で光っている。肉食で育った東洋人の肌である。ディスコどころではなかった。 「すみません。私ここで夫を待っているの。ディスコへいくわけにはいかないわ」  へたな英語で葉子はいった。  香港の男は両手をひらき、肩をすくめた。なにか捨台詞をいって仲間のところへ帰っていった。大声でなにか告げる。仲間たちは笑って葉子をみて、席を立った。あきらめて最上階のディスコへゆくつもりらしい。災難をまぬがれて、葉子は一息ついた。男にさそわれたうれしさは、まったくなかった。  ところが、災難は完全に去ったわけではなかった。香港グループの、べつの男が葉子に近づいてきた。二十二、三歳の若者である。さっきの男とおなじようなうすら笑いをうかべていた。いっしょにディスコへいこう。三対二で女性の数が足りないのです。甘えた口調で彼はいった。ほかの男女は酒場を出て、エレベーターホールのほうへ去った。 「あなたのお友達にもいいました。私、ここで夫を待っているんです」  顔をしかめて葉子はこたえた。  まったくうるさい。叱りつけてやりたい。それだけの語学力のないのが残念である。 「でも、あなたの夫はこない。ほかに用事ができたのではありませんか」 「ちがいます。彼はかならずきます。約束の時間より私がはやくきただけです」 「それでは、あなたの夫がくるまで、私とお話しましょう。美しい日本のマダムと、なんとしてもお友達になりたいんだ」  香港の若者はきびすをかえした。カウンターで缶ビールを二つ買ってきた。缶をテーブルにおいて、椅子に腰をおろした。テーブルの角をはさんで葉子と向かいあう。  葉子はため息をついた。酒場を出てしまいたい。だが、行き場がない。市街はまっ暗に近い状態である。商店も飲食店もほとんど店じまいしている。通行人だけが多い。女一人で街へ出るのは不安だった。ホテルのレストランも、もう営業していない。いや、たとえ営業していたとしても、予約なしで一人でたべられるシステムではなかった。第一、葉子はまったく食欲がない。病院で夕食をすませてきているのだ。 「美しい日本のマダムのために乾盃」  香港の若者は缶ビールをもちあげた。  仕方なく葉子も缶ビールを手にとった。  そのとき、葉子の目に白のサファリスーツをきた沢田の姿が映った。ツアーの一行をつれてホテルへ帰ってきたのだ。坂橋老夫婦がいる。会田老人がいる。マンション経営者の老婦人もいる。柾木、藤倉、田中の各夫婦もいっしょだった。一行の人々の姿が、こんなになつかしく映ったことはなかった。  沢田はフロントのカウンターのそばで一同に部屋の鍵をわたしている。鍵をもらったカップルはエレベーターまえに向かっていた。みんな部屋で休息をとるのだろう。  葉子は立ちあがった。缶ビールをテーブルのうえにおいた。 「さよなら。夫が帰ってきたわ」  足ばやに、まっすぐ酒場を出た。若者がなにかさけんだが、耳に入らなかった。  みんな目を丸くして葉子を迎えた。沢田だけがおちついて微笑んでいた。父があす退院できること、ツアーに復帰できることを葉子は沢田に報告した。みんなそれをきいて、祝福してくれた。 「それはそれはよござんした。途中でメンバーが減るのは、さびしいものなんですよ」 「お怪我がかるくてなによりでしたね。一ヵ月も当地で入院、なんてことになれば、手つづきだけでも大変だったと思いますよ」  会田老人と柾木夫人が発言した。マンション経営者の老婦人もよろこんでくれた。  ほかの男性はだまっていた。それぞれの妻へ遠慮したらしい。坂橋老人などは、まるで関心のないような顔でエレベーターへ向かった。さっきの香港の若者が、いまは葉子に目もくれず、おなじエレベーターに乗った。  沢田は老人たちをそれぞれの部屋へ送りとどける仕事があった。彼のもどってくるのを葉子はロビーで待つことにした。最上階にディスコがあるときいて、田中夫婦は勇んでエレベーターに乗った。薬局主の柾木とその妻は、康通訳と買物の相談をしている。  しばらくたって沢田がもどってきた。葉子は目をふせた。沢田が部屋でシャワーをあびてきたのがわかったからだ。柾木夫婦が去るのを待って沢田は康通訳を呼んだ。葉子と父の航空券とホテルの再手配を依頼する。いそがしそうに康は部屋を出ていった。 「外をあるいてみましょうか。なんにもない街ですけどね」  沢田が提案した。旅のあいだ、沢田はずっと会田老人と相部屋である。部屋へ葉子をつれて入るわけにはいかないのだ。  二人はホテルの外へ出た。すぐそばが、メインストリートの一つ、中山北路だった。上海の夜とちがって人通りはすくない。巨大な篠懸の木々の影が夜空をさえぎるようにならんでいた。朝から降りつづいた雨のおかげで、木々の繁みは濡れているはずだ。闇が湿っている。樹葉の香りがただよっていた。  家々の街の灯は薄弱である。山のなかの家の、三十ワットの裸電球程度のあかりが一つずつしかついていない。家々の屋根がおりかさなって、瓦礫の山の影のように道の両側にひろがっている。瓦礫を連想するのは、やはり戦争の知識のせいだろうか。  二人は身を寄せあってあるいた。手をとりあっていた。きょうの午後の、たがいの行動について話しあった。太平天国歴史展覧館や南京博物館をゆっくり見学して、ツアーの人々はけっこう満足していたらしい。 「でも、おれは張りあいがなかった。気がぬけたよ。きみのいないツアーなんて全然魅力がない。説明もお座なりになってしまう」 「よかったわ、またいっしょに旅行できて。まだ日本へ帰りたくなかったの。現実の暮しにもどってゆきたくない」  道路の左手に西流湾公園がある。二人はそこへ入っていった。  芝生の丘や木立ちがある。あずまやのような建物がある。遊歩道を二人はあるいた。砂利が湿っている。足音がしずかだった。ところどころベンチがある。恋人どうしが抱きあったり話しあったりしていた。どのベンチにも人がいた。葉子と沢田が腰かけられる余地はない。芝生のうえでも恋人たちが一つの影のように抱きあったり、かたほうがひざ枕で寝たりしている。雨で芝生は濡れているはずだ。それでも恋人たちはひるんでいない。 「中国は住宅事情がまだまだきびしいんです。若者には個室がない。家でデートができない。だからみんな公園へくるんです。晴れた日の夜は、木立のなかにたくさん人がいる」 「政府がラブホテルを建ててあげればいいのにね。でも、そうはいかないわね。政府がセックスを奨励するわけがない」 「結婚しても、子供は一人ときめられているくらいだからね。セックスについては、政府は無理解です。男女平等ばかり強調して」  沢田は葉子の手をとって、芝生のうえへ入っていった。  木立のあいだで足をとめた。いきなりくちづけにくる。腕で葉子の体をしめつけてきた。沢田は舌をからませてくる。つよく吸った。あらあらしいくちづけだった。いやでも葉子は呼吸がみだれてきた。全身が熱くなって、宙にうかんだ感じになった。  やがて沢田はキスをやめた。あらためて葉子を抱きしめる。葉子は腹のあたりを沢田におしつける姿勢になった。沢田の欲望のたくましさがわかった。触発されて葉子も体が甘くしびれてくる。立っているのがつらくなった。だが、まさかこの場で沢田に抱かれるわけにはいかない。ほんの十メートルそばで、中国の恋人どうしが睦言をかわしている。  沢田が上衣をぬいだ。芝生のうえに敷いた。すわりなさいという。葉子はためらった。上衣にすわっても濡れるだろう。沢田のほうは、ズボンがずぶ濡れになるはずである。 「いいんだ。すわりなさい。われわれが二人きりになれるのはここだけなんだから」 「では半分ずつすわりましょう。沢田さんを犠牲にしたくないわ」  二人は身を寄せあって上衣にすわった。  沢田が腕を葉子の肩へまわしてくる。硬くて、たくましい腕だった。右にひきよせられる。その拍子に、木立のなかにも恋人たちのいるのがわかった。そちらは五、六メートルしかはなれていない。 「青春だ。青春だ。若い連中のなかに入ってわれわれも若くなろう」  沢田は葉子の胸をさぐりにくる。快楽の小さな渦が乳房のさきに発生する。 「でも、こんなところで。人が多すぎるわ。私、没頭できない。とても無理よ」 「すべてから解放されなさい。愛しあうことだけ考えよう。ほら、この草の香り。土の香り。それにおたがいの体のぬくもり。それだけを念頭におくんだ。まわりは気にしない。旅の恥はかきすてなんだ」 「いや。旅の恥だなんて。そんなにかるがるしくいわないで。沢田さんを愛するのは、私には大変なことなのよ。ほんとうに大変なの。のこりの人生をかけて——」 「わかった。すまなかった。欲望が先行して軽率なことをいってしまった。とても愛しているんだ。おれの家へきてくれ。一生きみを大事にするよ。絶対に後悔させない」  いつのまにか葉子はあおむけになっていた。沢田がのしかかってきている。  濡れた芝生の感触が、首や腕でチカチカした。不快な感触ではなかった。それだけ葉子の肌が熱くなっているらしい。  沢田の手が動く。葉子の下半身がすこしずつあらわにされてゆく。もうまわりは気にならない。沢田と二人きりなのだ。  くもった暗い空を葉子はみつめた。夫と正彦のことを思った。夫はきょうもはやく家へ帰っているだろうか。正彦は寮だろう。葉子がいなくて、ほんとうに彼らは困っているのだろうか。恋しがっているのか。  沢田に抱かれていることで、罪悪感はなかった。夫も正彦も、葉子の値打に気づくのがおそすぎたのだ。葉子が沢田のものになって、はじめて葉子を大切に思いはじめた。失ってから、やっとそのものの価値がわかる。家族なんていつもそうだ。テレビの人さがし番組で泣きっ面をみせているのは、夫や子供が最近は圧倒的に多いではないか。  快楽に葉子はつらぬかれた。声をころして沢田に抱きついていった。  あくる日には雨がやんだ。相変らず空気は湿っている。だが、空間からやわらかな陽光が、朝から街へふりそそいでいた。くすんだ街の建物と、篠懸の並木の緑があざやかな対照をなしていた。濡れた篠懸の木々の葉は、ときおり風でひるがえって硬く光った。  父はぶじに退院をゆるされた。南京担当の王通訳がクルマで迎えにきてくれた。荷物をクルマのトランクにつめる。父はステッキをつき、胸を張ってクルマに乗りこんだ。午前九時半だった。ホテルへ着くと、ツアーの専用バスがすでに玄関まえで待機していた。  葉子と父はバスに乗った。やがて一行がホテルから出てきた。復帰した父をみんな歓迎してくれた。沢田と康通訳が最後にやってきた。バスは動きだした。葉子の父の傷がほぼなおったこと、今後またいっしょに旅をつづけることを沢田があらためて一同へ告げた。拍手が湧きおこった。白髪の多い沢田の顔を、すっきりした表情で父はながめていた。白髪にたいする得体の知れぬ嫌悪感の原因が、戦争中の忌まわしい記憶にあった——そのことがわかって気がらくになったのだろう。  空港ビルに一行は着いた。きょうは飛行になんの支障もなさそうだった。出発時刻が近づいて、葉子たちは改札口にならんだ。飛行服をきたパイロットが、三人のスチュワデスをつれて改札口の外を通った。パイロットは肩で風を切ってあるいていた。 「戦争中の航空隊の若い者みたいだな。いまどき飛行服をきて」  坂橋が鼻でわらった。こたえる者はなかったが、老人たちは同感のようだった。たしかに、考えてみると現代のパイロットはスマートな制服をきて操縦室へ入る。きのう飛行服姿のパイロットをみて、葉子が異様な感じをうけたのも、当然のことだったのだ。  午前十一時ちょうど、飛行機は離陸した。双発のプロペラ機だった。定員は六十名程度のものだろう。赤土と木々の緑が印象ぶかい南京市街をみおろして、一同は安心してどよめいた。きのうの例がある。飛行機がじっさいに飛び立つまで、ほんとうに西安へいけるのかどうか心もとなかったのだ。  西安までは五時間の行程だった。南京がみえなくなり、長江も雲の下に消えた。雲の下にひろびろとした赤土の山野がひらける。一行は居眠りをはじめた。新婚の田中夫婦がまっさきに、肩を寄せあって眠った。父もシートの背を倒してかるい寝息を立てていた。  沢田は通路をへだてて、葉子の一列まえにすわっていた。手をのばせばとどきそうな位置に、白髪まじりの頭と、日焼けした首すじがあった。  葉子は赧くなった。草と土の香り。濡れた芝生の冷たい感触。沢田の腕や肩や胸の筋肉のたくましさ。ドリルのように揉みこまれてくる快楽。体温と息づかい。あのはげしい時間を共有しあった二人が、まるで他人どうしのようにそ知らぬ顔ですわっている。笑いたくなった。たがいに無視しあう姿勢でつよく意識しあっている。公然と身を寄せあっている田中夫婦よりも、葉子と沢田のほうがはるかに濃く心をかよわせあっているのだ。  五時間の旅は、しかし、ぶじには済まなかった。途中、飛行機は給油のため、信陽の空港へ着陸した。古くて白い、石の家屋が整然とならぶ、こぢんまりした街だった。  古い小さな空港ビルのそばに飛行機は停まった。乗客は機からおりて、待合室で給油の終るのを待つことになった。せまい座席からしばらく解放される。待機時間がありがたかった。みんないそいそと機からおりた。空港には陽光がさしていた。空気に若葉の香りがこもっている。父につきそってあるきながら、葉子は何度も深呼吸をした。これで待合室でコーヒーが飲めたら最高なのだが、そうはいかないだろう。  一行は待合室へ入った。アメリカ人旅行者の団体もいっしょだった。老人たちは椅子に腰をおろし、葉子たちは空港ビルの外へ出て街をながめた。この街にも篠懸の美しい並木がある。白い土管を積んだリヤカーをロバにひかせて、麦ワラの笠をかぶった男がゆっくりとあるいていた。  十五分ばかりたった。待合室のすみで大きな声がした。空港の職員らしい一人の男を沢田らがかこんでなにかいいあらそっている。アメリカ人ツアーのガイドと通訳、康通訳もいっしょだった。それぞれが大声で自己主張している。沢田の早口がきわ立っていた。  どんなトラブルがおこったのだろう。まさかここで欠航ではあるまい。葉子たちは心配してみまもっていた。空港の職員はやがて事務所のなかへ逃げこんでしまった。  二組のツアーのガイド、通訳はしばらく話しあっていた。やがて沢田と康がこちらへやってきた。葉子たちはもちろん、老人たちも立って沢田をとりかこんだ。 「困ったことになりました。乗客と積荷が多すぎて、飛行機がうまくとばないとパイロットがいっているらしいんです」  苦笑して沢田が説明した。  みんなおどろきの声をあげた。日本でならどんなローカル線でもきかれない話だ。  アメリカ人の一行から四名、日本人の一行から二名が飛行機からおりてもらいたい。それぞれの荷物もいっしょにおろす。気流の状態が不安定なので、そうしないと、航空の安全を保証できないというのである。  アメリカ人ツアーは総勢四十数名だった。日本人は十五名。ツアーはともに二人一組が原則なので、アメリカ人二組、日本人一組の割り振りになったらしい。  ここでおりた人たちは、あすの便で西安へ着くようにはからう。むろん当地のホテルも確保する。だれとだれが当地にのこるか、いそいできめてくれと通告されたのだ。 「人をおろさんとよう飛ばんなんて。なんという飛行機や。よくもこれで観光誘致をやりよるもんやな。あつかましいやつらじゃ」 「おどろくべき神経ですな。われわれは乗せていただいているということらしい。社会主義国は、商売心がないので困りますよ。乗客は荷物とおなじあつかいなんですな」  坂橋、会田の両老人が話しあった。前者は怒り、後者はあきれている。 「冗談じゃないよ。西も東もわからん場所へおきざりにされるなんて、まっぴらだよ。第一、あした飛行機が飛ぶかどうかもわからんじゃないか。へたをすると、三日も四日もここにいなくてはならんのだぞ」  造園業者の藤倉がさけんだ。彼の妻は不安そうに夫に寄りそっている。  アメリカ人の一行も、添乗員から説明をきいていた。さかんに不満の声をあげている。だが、お国柄なのか、とげとげしい雰囲気はなかった。世界中どこでもアメリカ人は歓迎される。そんな自信に彼らはあふれていた。 「みなさんのおっしゃることは、まったく正論です。そのとおりなんです。しかし、ここが中国であることも事実です。政府首脳から緊急の指令でもないかぎり、航空公社が決定をくつがえすことはありません」  沢田の口調はすこし投げやりになった。  ガイド稼業のあいだ、何度となくこんな事件に出会った。そのつど観光客の不満をおさえるのに苦労してきた。そんな経験が、日焼けした肌の汗になって光っている。しばらく彼は中国航空公社の身替りになって、一行の不満をうけとめねばならなかった。 「で、人選はどうするんですか。だれがのこるんです。沢田さん、あんたが代表してのこられたらどうなんでしょう」  マンション経営者の老婦人がいった。その友人の老婦人もうなずいていた。  彼女らがみんなのまえで積極的に発言したのははじめてである。表情がこわばっている。おきざりになるのがよほど恐いようだ。 「私がのこることには異存ありません。しかし、私がいないと、西安でみなさんのお世話にゆきとどかない面が出てくると思われます。それに、中国側の要求は二人です。もう一人はどなたがのこっていただけますか」 「康さんがおるやないか。その人は上海からいっしょについてまわってるだけや。たいして役に立ってないわ。おりてもらおう」  坂橋老人がいった。さすがにこの提案には同調者がいなかった。 「それは困りますよ。添乗員と通訳がいなくなったら、西安に着いても身動きできません。買物一つできない。向うの旅行公社からどんな人がきてくれるかわからないし」  柾木が反対意見をのべた。康通訳は他人事のような顔でやりとりをきいている。  結局、沢田とだれかもう一人、男性が信陽へのこることになった。沢田がくじびきの支度をはじめた。葉子の父はまだ安静が必要なので、くじから除外したい。沢田が提案した。だが、本人が了承しなかった。 「わしは不注意で怪我をしたんです。自業自得ですけに、特別待遇は困ります。それに、もう傷もべつに痛みはせんので——」  昭和十七年から十八年にかけて、日本軍は中支において大別山作戦をおこなった。  そのおり、この信陽は最奥の攻撃目標とされていた。大別山は、信陽の南西、ながさ四百キロにおよぶ山脈である。この山中にひそむ中国軍を日本軍は攻撃したのだ。  だが、それほど大規模な作戦ではなかった。山中の敵約四千名を倒して、日本軍はひきあげた。信陽の市街には、日本兵による被害はなかったはずだという。 「この街にいても、だから危険はないと思うのス。ええ大丈夫。一日や二日なら、娘の世話にならなくてもやっていける」  父はステッキで体をささえ、胸を反らせた。沢田のつくったくじは燐寸の軸だった。  父がくじに当るのを、ひそかに葉子は期待していた。その場合は父の看護を口実に、葉子は信陽にのこる。沢田とゆっくり二人きりになる時間がとれるはずだ。だが、期待は裏目に出た。父はくじにはずれた。新婚の田中がひきあててしまったのだ。 「いやだ、私。シンちゃんとはなれるのなんか、いやだ。さびしいもん。私、のこる。沢田さん、いてくれるんでしょう」  田中の妻が涙ぐんで駄々をこねた。夫のほうも、悄然としてしまっている。 「わかりました。ご夫婦がのこられると、ホテルの部屋をとるのがむずかしいんだが、まあやってみましょう」  苦笑して沢田がひきうけた。  ほかの者は冷たく田中夫婦をみていた。こうなることをだれもが期待していたふしがある。すぐに一行はそっぽを向いた。期待どおりになったので、気恥ずかしい思いにみんなかられたのである。  アメリカ人の一行の「犠牲者」もきまったようだった。のこされる六名の荷物が飛行機からおろされてきて、それぞれ持主のチェックをうけた。その仕事が終ると、搭乗案内になった。一同は改札口を通った。 「沢田さんともこれが最後かもしれんなあ。このおんぼろ飛行機じゃ、いつ墜落してもふしぎやないからの」  改札口で見送る沢田に坂橋が声をかけた。妻にたしなめられている。  機はぶじに信陽の空港を飛び立った。人と積荷が減って、たしかに軽快な飛行になったようだった。一行は眠りはじめた。葉子は文庫本に読みふけった。沢田とはたった一日か二日の別行動である。それでも旅から、張りあいがなくなった。心と体にたいする刺戟物が急に消え去った感じである。 [#改ページ]     8  西安に着いたのは、夕刻だった。バスで市内へ入る。ここにもゆたかな篠懸の並木が道路の両側にならんでいた。つとめを終え、自転車で家路につく人の群れが道の両側をゆききしている。その数があまりに多いので、みていると、目まいを感じた。  市の中心部にある赤い大きな鐘楼が、夕闇のなかにうかんでいた。京都の平安神宮など朱塗りの建物が、中国の模倣だったことがよくわかった。街なみは古く、おだやかなたたずまいである。近代的なビルはすくない。瓦屋根の、中国ふうの家々がならんでいる。篠懸のほかにも、家々の庭木や、寺院の木々が夕刻の街の活気をやわらげていた。  上海の西およそ千二百キロ。日本軍の到達できなかった街。シルクロードの出発点。そんな意識が日本人旅行者の心をなごやかにさせるのだろう。バスのなかは、ゆったりした雰囲気だった。父の伊村和一郎は上機嫌で、生き生きした顔で市街をながめている。 「やっぱりきてよかった。上海や南京とは雰囲気がちがうものな。これが中国なのだ。三千年もまえからあった都だものなあ」  いまやっと父は海外旅行の気分にひたりはじめたようだ。西安は父にとって、この旅行ではじめて入った未知の都市だった。 「むかしは西安も城壁でかこまれていた。共産党が天下をとってから、どこの都市でも城壁をとっ払ってしまった。惜しいこと、したもんだな。せっかくの旧蹟をなあ」  父の話をききながらホテルへ入った。西安一の近代的なホテルだという。  西安交通公社から、係のガイドが空港へ迎えにきていた。康通訳といっしょに部屋割りをやってくれた。入室まえに煩雑な宿泊カードを書かされる。これまではどのホテルでも沢田が一括してやってくれた作業だった。  彼はいまどうしているのか。信陽で、赤ん坊みたいな新婚夫婦のお守りでさぞ困惑しているのだろう。考えると、笑えてくる。  ホテルのレストランで豪華な料理をたべた。老酒を何杯か飲んだ。食事が終ると、疲れてもう眠りたいだけだった。フロントで注文伝票を書いて、東京の自宅へ電話をいれる。応答はなかった。正彦は学校の寮へ帰ったらしい。夫のほうはどこでなにをしているのやら。苦笑して葉子は受話器をおいた。ほっとしたような、物足りないような複雑な気分である。家族からは大切に思われていたい。そのくせ恋もしたい。自立の力もつけたい。われながら葉子は貪欲であった。  父はもうベッドに入っていた。テレビをみている。古典舞踊の舞台中継だった。つまらなさそうだ。はんぶん眠っている。葉子が入浴して部屋へもどると、父は高いびきをかいていた。葉子はテレビを消した。ベッドに横たわって文庫本を読んだ。夫婦関係をあつかった女流作家の小説である。ひきこまれて、眠気が消えてしまった。  午後十一時に読み終った。自宅へもう一度電話してみたくなった。だが、部屋の電話ですぐ日本を呼びだすわけにはいかない。一階のフロントへ申請にゆくのがめんどうだった。ブランデーを一杯やって灯を消した。沢田のことを思ったが、体は熱くならない。父がそばにいるからだろう。  翌日は朝から市内観光だった。西遊記の三蔵法師の建立した大雁塔へのぼった。奈良の興福寺の塔に似た七重の塔だった。最上階へのぼると、息が切れた。下でみあげる父に、ハンカチを振ってやった。  興慶公園が印象的だった。玄宗と楊貴妃の住んだ宮殿の遺跡である。人造湖のなかを石の回廊が通り、人々がゆききしている。朱塗りの本殿やあずまやが、どうみても平安神宮の内庭を連想させる。阿倍仲麻呂の記念碑があった。異国というよりも、日本文化のみなもとへきた感慨があった。  華清池ものどかだった。西安郊外の保養地である。高い柳の木々が、グリーンがかった池の水に映ってなお緑色をつよめていた。玄宗と楊貴妃はこの地で恋におちたという。裏山に温泉があった。粗末な、病棟のような建物がならんでいた。  一九三六年の西安事件のおり、国民政府の蒋介石総統はここで休息中ゲリラにおそわれた。逃亡をはかったが捕えられた。のちに多くの共産軍捕虜との交換で生命をたすけられたという。 「蒋介石はここで襲撃され、あの裏山へ逃げたんです。でも、結局捕えられました」  西安担当のガイドが説明してくれる。父たちにとっては感銘深い話のようだ。 「大将ともあろう者が逃げてつかまるなんて、みっともない。いまになっても、笑い物にされとるんじゃからな」 「共産側がよくもまあ、交換に応じたものだすな。どこか田舎の部隊で、隊長がことの重大さを知らなかったのだな、たぶん」  坂橋と、葉子の父が語りあった。老婦人たちもまじめな顔でうなずいていた。  陝西省博物館もすばらしかった。碑林に目を奪われた。唐代に経典の刻みこまれた石碑が、それこそ林のように数多く立って保存されている。高さ二メートル、幅一メートル程度のものが多い。刻まれた文字はどれもみごとな楷書である。古代の中国にどれほど書の達人の多かったかがわかる。 「うん。漢字はやっぱり中国のもんじゃな。こりゃたしかなことや」  坂橋老人が一人で感じいっていた。  妙な感心のしかたがあるものだ。葉子はそばで笑いを噛みころした。  午後四時ごろ、友誼商店へ入った。外国人旅行者を相手の、国営の土産物店である。上海でも蘇州でも南京でも、市内観光の最後はかならず友誼商店へ寄ることになる。  すずり、筆、墨、陶磁器、印判、衣類、敷物。さまざまな物産の展示に人々は吸いこまれる。父の伊村和一郎は碑林のある街西安ですずりや筆を買うのをたのしみにしていた。熱心に品物の吟味をはじめる。  西安にはまだ二日滞在の予定である。葉子は、買物は最後の日にするつもりでいた。一人で外へ出た。一行のバスは一時間後に出発する予定である。街をぶらついて、古都の空気をたっぷりと吸うつもりだった。  友誼商店は繁華街にある。質素な服装の群衆が通りにあふれていた。商店街はまずしい。購買意欲をそそられるものは、友誼商店にしかおかれていなかった。市場の入口であんずのジュースを売っていた。葉子はそれをコップに一杯買ってのどをうるおした。冷えていればどんなに美味いだろうと思う。 「失礼ですが、日本のかたですね。すこしお話していいでしょうか」  若い男が近づいてきた。  二十歳そこそこだろう。日本語を学んでいる学生だという。将来、旅行公社関係の仕事につきたいらしい。  東京からきたのか。中国の印象はどうか。どのコースを通って西安へきたか。上海は近代化されていたか。あなたはご主人といっしょにきたのか。あなたの仕事はなにか。  矢つぎばやに学生は質問した。向学心に燃えた、純朴な表情である。外国でなれなれしく話しかけてくる人間は、ほとんど例外なくなにか下心をもっている。だが、その青年は善良そのもののようだった。外国人に危害を加えた者がきびしく罰せられる国柄だから、よけいな心配はなさそうだ。  私は仕事をしていない。家のなかで働いています。家族の食事をつくったり、掃除をしたり。葉子はこたえた。恥ずかしかった。教師だとか、コンピュータの技術者だとかこたえられたら、どんなにいいだろう。 「中国では、女性はみんな働きます。結婚してからも、仕事、つづけます。私の母親も農機具の工場で旋盤工をしていました。でも、いまは年齢をとって、清掃の係」 「お母さんは何歳におなりになったの」 「四十三です。若いころはきれいでした。しかし、いまはもうだめ」  青年は笑った。葉子は胸のうちであおざめていた。  この青年の母親と葉子は三歳しかちがわない。それでいて旋盤工から清掃係になった。若いころは美しかったが、もうだめだという。ひどいことになった。自分はまだこれから中国語を学んで自立しようとしているのに。 「私の日本語、どこかおかしいですか。もしそうなら、指摘してください」  青年は葉子の顔をみつめた。きっと複雑な表情になっていたのだろう。 「いいえ。あなたの日本語、とてもお上手です。おかしくありません。よくわかります」  葉子は笑顔になった。  そのとき、通行人のなかから一人の男がぬけだしてこちらへ近づいてきた。坂橋老人だった。彼も買物が好きなほうではない。友誼商店をぬけだして、一人で街をあるきまわっていたらしい。 「どうかしたですか。外国人用の紙幣を、一般の紙幣と交換してくれと、しつこくいうてくるやつがいる。それやないですか」  偶然葉子をみかけて、心配してそばへきてくれたらしい。坂橋老人は、中国人への不信の念をかくそうとしなかった。 「ちがうんです。日本語を勉強している学生さんなの。いい人ですよ。将来、日本へ留学するのが夢なんだって」  葉子は説明してやる。半信半疑の面持で坂橋はそばに立っていた。  青年としばらく話をつづけた。日本の現代文学に青年は興味を寄せていた。小説が読みたいという。なかなか手に入らないらしい。書店でみつけても高価だという。  昨夜読み終えた女流作家の文庫本がバッグのなかにあった。葉子はそれを青年にプレゼントした。涙をながさんばかりに青年はよろこんだ。葉子の手を握りしめる。 「私、曽といいます。曽|阿栓《アスアン》です。家のある場所は、ここからあるいて十分です。両親に紹介したい。どうぞ、きてください」  熱心に曽はさそってくれた。夕食もたべていってほしいという。 「ありがとう。でも、みんなといっしょにバスに乗らなくてはいけないの。夕食もホテルでとることになっているから」 「それでは夜、お迎えにいきます。八時にホテルのまえにいきます。西安賓館ですね。はい。かならず」  そちらの先生もどうぞごいっしょに。さそわれて坂橋老人は当惑していた。  先生、は中国ではたんなる呼びかけにすぎない。日本の「××さん」とおなじことだ。だが、日本語では敬称である。生れてはじめて先生と呼ばれて、とまどった顔になる者が日本人旅行者には多かった。  八時にお会いしましょう。約束して葉子は曽青年とわかれた。坂橋老人とともに友誼商店のほうへあるきだした。せっかく中国へきたのだ。旅行者用の名所旧蹟だけでなく、庶民の暮しぶりも見学したい。曽青年の招待は、絶好のチャンスだという気がする。 「坂橋さんもごいっしょしてくださるんでしょう。せっかく招待されたんだから」 「あんたがいくなら、私もいかにゃなるまい。なにがおこるかわからんけのう。お父さんの二の舞いになったら、どうにもならん」 「あれは例外的なケースですよ。戦争をした現場へいったんだから。西安には、日本人を憎んでいる人はいないでしょう」 「そうやとわしも思う。しかし、油断は禁物やからのう。やめるに越したことはない。しかし、あんたがいくなら仕方がないな」  葉子自身もじつは、一人で出向くのは不安だった。なにしろ父の事件をみている。  だが、坂橋にめいわくをかける必要はないと考えていた。信陽からもう沢田が帰ってきているはずだ。ホテルで会えるだろう。彼に同行してもらえばよい。彼の説明で、庶民の暮しがいっそうよく理解できるはずだ。  二人は友誼商店にもどった。一行と合流して、バスでホテルへ帰った。七時から夕食である。部屋で一休みしたあと、父といっしょに食堂へいった。沢田と田中夫婦の姿がなかった。飛行機がまた欠航したらしい。西安は曇天なのに、向うは雨だったのだ。  八時に食事が終った。葉子はロビーへ出てみた。曽青年がみあたらない。念のため玄関へ出てみる。ホテルの門の外に曽阿栓は立っていた。一般市民はホテルの敷地のなかへ入るのを禁止されているらしい。まったく旅行者と一般市民は切りはなされている。  曽青年に手で合図してから、葉子は食堂へもどった。いきさつを父に説明する。父のとなりに坂橋夫婦が腰かけていた。葉子の計画を、父はもう坂橋からきいて知っていた。 「坂橋さんがいっしょなら、大丈夫だべ。しかし、油断しないでいってこい」 「心配ないよ。用意はしてある」  ズボンのポケットに坂橋は登山ナイフをしのばせていた。万一の場合の護身用だ。  葉子は坂橋といっしょにホテルを出た。康通訳は一行の世話でいそがしくて手がはなせない。彼にはなにも話さなかった。  曽阿栓はよろこんで葉子と坂橋老人を迎えた。暗い道を、さきに立ってあるきだした。淡い灯を一つだけともした黒い家並のなかに一軒だけややあかるい店があった。  食堂だった。土間に椅子テーブルが五組ばかりおいてある。何人かの男女が食事していた。日本でいうワンタンである。ラーメンはない。酒もおいていないようだ。 「あれが労働者の夕食かな。まずしいもんじゃなあ」  坂橋が葉子にささやいた。曽は食堂の男になにか声をかけて通りすぎた。  曽の住居は煉瓦づくりの高層アパートの三階にあった。日本の公団アパートのようなものらしい。ただし、中国では最高級の住宅の部類に入るもののようだ。曽の父親は農機具会社の労働者だという。そちらの縁故で優先的に入居できました。曽は得意らしかった。  食堂と部屋の二つあるアパートだった。曽の両親が迎えてくれた。テーブルをかこんで腰をおろす。お茶と餅菓子を出してくれる。テレビがあった。だが、ほかに電化製品はみあたらない。目ぼしい家具もなかった。窓にシャツやズボンが干してある。  母親のほうがよくしゃべった。早口だった。旋盤工の仕事はきつかった。いまの清掃係もらくではない。だが、中国では女も働かないとやっていけない。夫婦いっしょに働いたおかげで、こんなアパートへ入ることができた。生き生きと話して笑った。曽の父親は終始にこにこしている。 「すばらしいわ。夫婦が協力しあって暮しを立てていくなんて。炊事や買物なんかも、平等になさるんでしょう」  父親がなにか答えた。息子が通訳する。  最近は父親の勤務先のほうが母親のそれよりも家から近い。だから、夕食のための買物はほとんど父親の役目になった。料理は父母が交代でやる。息子がやることもある。いちばん腕のいいのは父親だという。  葉子はほとんど感動していた。夫の北浦が独立して事務所を出したころを思いだした。無一文に近かった。二人してがんばった。自分たちの道を切りひらこうとする意欲でいっぱいだった。ギラギラしていたと思う。よけいなことを考えるひまもなかった。夫婦の利害がぴたりと一致していた。あの当時がこれまでの人生でいちばん充実していた時期だったと思う。そして、曽阿栓の母親はまだギラギラしている。父親はゆったりし、母親は溌剌としていた。息子も熱心に日本語を学んでいる。  なんというすばらしい家族なのだろう。みんなで力をあわせて立ち向かえる問題が、家族にはあるほうがいいのかもしれない。生活の向上のために、曽一家はたたかっている。協力しあっている。葉子たちの家にはそれがなかった。夫も妻も息子も、それぞれちがう方向に目をやっている。自分の欲望をみたすうえで、家族を重荷に感じているところがある。曽一家とは対照的な家庭である。  なまぬるい風が窓から吹きこんできた。雨粒がまじっている。曽の父親が立って洗濯物をとりいれた。坂橋老人は憮然とした面持で父親の様子をながめていた。 「日本では一家に一台、自動車があるときいたが、ほんとうのことですか」  父親の質問を息子がつたえた。身を乗りだして、坂橋がこたえた。 「一台どころやない。うちには二台あります。わしのと伜夫婦のクルマがのう。孫にはまだ早いいうて、買うてやっとらんが」  それをしおに、坂橋が父親にいろいろ質問をはじめた。  農機具会社で働いておられるそうじゃが、どんな仕事か。役職はなにか。従業員の何人いる会社なのか。定年は何歳か。いま収入はどのくらいあるのか。  一つ一つ父親はこたえた。見栄もてらいもなく正直にうちあけているようだった。中国では国民ぜんぶがいわば公務員だ。給与には所定のランクがある。収入はいくらかと訊くのは、かならずしも失礼ではなかった。 「安い月給なんじゃなあ。それでも、むかしにくらべたら、信じられんほどようなっとる。毛沢東はやはり偉かったんじゃなあ」  一時間ばかりそうやって話した。  曽阿栓は自分の書斎をみせてくれた。安っぽいプラスチック張りのテーブル。手製の板の本棚。何十冊かの教科書らしい本のほか、日本語の本が十冊ばかりならんでいた。文豪の本もあればポルノ作家の本もある。ほとんどが旅行者からもらったものらしい。 「私、ほかにまだ二冊本があります。ミステリーとラブストーリー。それもプレゼントするわ。あしたもってきてあげる」  葉子は約束した。曽は狂喜していた。  さいわい雨はまだぱらついている程度だった。葉子と坂橋老人はいそぎ足で帰途についた。坂橋はとても軽快に歩をはこんだ。足のわるい父につきそうくせのついた葉子には、信じられないほどの速さだった。  日本では毎朝ジョギングできたえているという。おかげで息切れ一つしない。こんどの旅行にもトレーニングウェアとスニーカーをもってきている。だが、移動で疲れて、さすがに走る元気は出ないらしい。  通りは暗かった。人影はほとんどない。篠懸の木々の繁みに雨粒の降りかかる音だけが耳についた。人口二百万の大都市の大通りだとはとても思えない。こんな街で育った曽青年が、東京の夜の銀座や赤坂をみたらいったいどう思うだろう。いや、あの青年が現代の日本を描いた小説を読んで、どこまで日本を理解できるだろうか。 「中国の女はギスギスしとるな。いまの婆さんもそうやった。女が一丁まえの顔をして働くと、どうもいかんわい。わしは好かん」  坂橋老人の感想だった。いまいましそうに、闇の底へつばを吐いた。 「そうですか。私はあのお母さん、とても魅力があると思いましたよ。女もなにか仕事をするほうが、気持に張りができるんです。中年になると、女はだれにもかまってもらえないでしょ。だから仕事が必要なの」 「あんたはなんか仕事をしとるんかの。しとらんやろ。あの婆さんとあんたをくらべると、あんたのほうがずっときれいだわ。十も若うみえる。出しゃばらんほうが女はええ」 「それは男性側のみかたでしょう。私からみれば、あのお母さんは生き生きしていた。私よりも美しいと思います。私もいずれ仕事をもってがんばるつもりなの」 「あんたはご主人とうまくいっとらんそうじゃな。お父さんがいうておられた。離婚するかどうか、いま思案中なんやろ」  葉子は虚をつかれた。いつのまに父は、そんな話をしたのだろう。  葉子と北浦の離婚話に、父はそれなりに心を痛めている。胸にしまっておけなくて、坂橋に話したのだろうか。 「離婚するいうても、仕事の心配なんかせんでええ。困ったら名古屋へきなさい。わしがいつでも相談に乗ってあげるから」  意外にも坂橋は葉子の手を握りにきた。  男というものはすぐにこれだ。しかも七十近くになって。腹立たしいよりも、葉子は笑いたくなった。懸命にこらえた。 「わかりました。よくよく困ったら、おうかがいするかもしれません。そのときはよろしくおねがいしますね」  そっと手をひきはなした。坂橋の妻のことは念頭になかった。  沢田の顔が目にうかんだ。腹が立ってきた。なにを彼はぐずぐずしているのだろう。いつになったら西安へくるのか。彼がおそいばかりに、こんな変な目に遭わねばならない。まるで沢田の責任であるかのように、胸の内で非難した。坂橋にたいしては、最後まで腹が立たなかった。  あくる日は、午前九時にホテルを出た。沢田と田中夫婦はまだ到着していなかった。  バスで兵馬俑博物館へ向かった。秦の始皇帝の墓をかこんで、埋められたおよそ六千体の兵馬俑が発見された場所である。俑とは、殉死者の代りに死者とともに埋葬された木製または土製の人形のことだ。現場まで二時間近くバスに揺られた。着いてみると、案外簡素な白い建物がその博物館だった。期待はずれの思いで、葉子たちはバスをおりた。  博物館のなかへ入った。建物は裏の坑道へつづいていた。しばらくゆくと、ひろい谷のような発掘現場へ出た。見晴し台のような場所から現場を一望できる仕組みである。  みおろして葉子は声をあげた。恐怖とも畏敬ともつかない感情にかられた。何百何千という古代中国の将兵が、隊伍を組んで巨大なトンネルのなかから行進して出てきたところだった。将も兵も土製の、等身大の人形である。顔立ちがみんなちがう。年齢も体の大きさもちがう。実在のモデルが忠実に土で再現されたにちがいない。どの俑も、歩行中の姿勢をとっている。おかげで軍勢には、生きた将兵が足なみそろえてこちらへ近づいてくる迫力があった。足音が、軍馬のいななきが、号令が、見送る市民の歓声がきこえてくるような気がする。鼓膜がふるえる。  始皇帝の勢威が、ありのままにながめられた。二千年の古代が、威厳をもって目のまえに出現していた。発掘はまだ一部にすぎないらしい。六千体余りというのは、おおよその見積りで、ほかにまだ何千体が埋葬されているか正確にはわからない。西安の係のガイドがそう説明していた。中国のスケールの大きさに、葉子は息もつまる思いである。  数千年にわたる、のべ何百億人の人々の歴史がこの国にはあった。何十もの王朝、政府の栄枯盛衰がくりかえされてきた。それを思うと、自分のかかえている問題が、いかにもちっぽけに感じられてくる。一つの家庭を壊すか壊さないか。一人の男とわかれるかわかれないか。ばかばかしいほど葉子はささやかな空間のなかにいた。一枚の木の葉のような人生に、後生大事にしがみついている小さな虫とおなじだった。  葉子だけではない。みんなそうだ。俑のモデルになった将兵も、みんなそれぞれの愛憎や、欲望や、野心に身を焦がしていたにちがいないのである。あとでみれば、みんな虫のようなものだった。それぞれの葉に食いついて一生を終えただけだ。俑のすばらしいリアリズムが、そんな感慨をさそいだした。 「偉いもんだったんだなあ、始皇帝は。ものすごい軍隊をかかえとったんじゃな。二千年のむかしから大戦争をやっていたんだ」  父の伊村和一郎がつぶやいた。声も出ない状態を、彼も脱したところだった。 「そうよ。中国はむかしから大戦争のくりかえしだったのよ。日本軍の侵略も、その一つにすぎなかったんだわ。若い人たちは、もう日本をそんなに憎んでいないはずよ」 「しかし南京ではあのとおりだったべ。わしらが生きているうちは、反日感情はのこるんだ。わしらはもうだめだな。若い者にあとしまつしてもらうしかねえよ」  見晴し台をはなれて、順路にそって一行はあるきだした。父の腕をささえて、葉子も歩をはこんだ。  坂橋夫妻がすぐまえをあるいていた。老人らしからぬ足どりの夫に、妻が懸命についていっていた。けさ顔をあわせても、坂橋は昨夜のことをわすれたような顔をしている。あれはあれで立派なものだった。個人の歴史さえ彼は意にとめないのである。  見学者の団体がつぎつぎにやってくる。いくら驚異的な博物館でも長居はできなかった。約一時間で一行はそこをあとにした。市内へもどって、レストランへ食事に入った。  大きな円型テーブルのあるレストランではなかった。四人一組のテーブルが十ばかりある小綺麗な店だった。  父が会田老人や造園業者と熱心に話しこんでいるので、葉子はべつのテーブルにつくことにした。薬局主の柾木夫妻と向かいあって腰をおろした。夫妻とも、兵馬俑をみた感動から、まだぬけきれずにいる。とくに夫のほうが、美術のディレッタントの立場から大まじめに賞讃をくりかえしていた。  食事がはじまったときだった。日本人の団体がレストランへ入ってきた。こちらの倍ぐらい、約四十人の団体だった。  席をふりわける向うの添乗員をみて、柾木夫妻は声をあげた。以前、香港から広州を旅行したとき、ツアーの添乗員だった人物だという。まだ三十歳ぐらい。日焼けした、長身の青年だった。笑顔を絶やさない。澄んだバリトンの声をはりあげて、要領よく人々に席を割りあてていった。 「ちょっと挨拶してきます。前回はずいぶん世話になった人だから」  向うの一行がおちついてから、柾木夫妻は席を立った。  フロアを横切って添乗員のそばへいった。夫妻に気づいて、添乗員は声をあげる。立って柾木と握手をかわした。なつかしそうに彼らは話しあった。  しばらくして、柾木夫妻は葉子のいるテーブルへもどってきた。夫妻はしばらく広州の旅の話をした。向うの添乗員がどんなに親切で、知識も豊富だったかを強調する。沢田に不満を抱いているような口ぶりだった。 「私、決心したんです。日本へ帰って、中国語を勉強するわ。何年かかってもいい、必死でやる。ガイドの資格をとるつもりなの」  葉子は計画を打ちあけた。ビールを飲んで、舌がややなめらかになっていた。 「へえ、中国のガイドですか。すると奥さん、大学で中国語を専攻なさったんですか」  目を大きくして柾木が訊いた。一瞬だが、敬意の念が目にあらわれた。 「いいえ、大学はフランス語でした。でも、これから中国語をやるわ。がんばればマスターできると思う。中国へきて決心したの」  葉子がいうと、柾木の目から敬意の色が消えた。苦笑いの表情になった。 「そりゃ、中国語をおやりになるのはいいでしょう。でも、ガイドはどうですかね。相当に試験がむずかしいらしいですよ」 「そうでしょうね。でも、何年か勉強すれば私だって——」 「外語大あたりで中国語を専攻した連中が、わんさと受けにくるらしいですよ。それで合格率は何百人に一人のようです。上級の国家公務員試験のようなものですからね」  そうそう、彼を呼んで訊いてみましょう。その試験をうけた当事者だから。  柾木が席を立った。例の若い添乗員のもとへいった。なにか話しあった。柾木は彼をつれてこちらへもどってきた。  若い添乗員は川原という姓だった。初対面の挨拶のあと、柾木が事情を話した。 「一からおやりになるんですか。語学は才能の問題がありますから、一概には申しあげられませんが——」  川原はいいよどんだ。首をかしげる。  それから自分の経験を話してくれた。彼は東京外大の中国語科卒。商社へ入って三年間中国貿易を担当した。サラリーマンにいやけがさして、ガイドの資格試験をうけた。一度失敗して、二度目に合格した。四、五名採用のところへ約千名の受験者がおしよせた。 「四、五名のところへ千名——。ほんとうですか。中国語専攻のかたばかりが」  葉子は店内がうす暗くなったような思いだった。  受験者のなかには主婦も大勢いる。だが、彼女らは大学で中国語を専攻したうえ、中国語学院へ何年もかよった者ばかりだという。  これからその試験を目ざす。だれがみても無謀な冒険である。葉子はもう四十歳だ。たとえ万一、資格を取得したとしてもすでに初老期に入ったころではないか。旅から旅へのガイド業務がつとまるものかどうか。  いや、資格のとれる保証があるのならそれでもよい。五年でも十年でもがんばってみせる。だが、そんな保証はどこにもないのだ。へたをすると葉子は、中国語の上手な、変り物の老婆というだけになってしまう。 「そうなんですか。私、甘い夢をみていたんだわ。世間知らずの主婦の甘い夢——」  葉子はつぶやいた。ながいため息が出た。乳房が急にしぼんだような心地である。 「いいじゃありませんか。奥さん、夢は必要ですよ。いくつになっても、さきに希望をもってわるいわけがない。私だって、いつか美術評論をやってやろうと——」 「そうなんですよ奥さん。主人はまだ学生気分なんです。たいして値打ちのないものを賞めてみたり、目がねちがいで買わされたり。美術品ではひどい赤字なんでございますよ」 「そういうなって。女道楽するよりはよっぽどましだよ。世の中には女にうつつをぬかして、全財産をすってしまう男もいるんだ。それにくらべたら、みはてぬ夢をかかえているほうが、どんなに家内安全であるかだ」  柾木夫妻のなぐさめを、上の空で葉子はきいていた。  沢田はなにもいわなかった。なぜ彼は、試験の実状を教えてくれなかったのか。葉子の夢に水をかけまいとしたのか。事実を告げてはかわいそうだと思ったのか。 「こちらのツアーの添乗員はどなたですか」  柾木夫妻に川原は訊いた。沢田だときいて、安心したように声をはずませた。 「なんだ、あの大ベテランがついているんですか。それなら奥さん、沢田さんにきいてごらんなさいよ。ぼくなんかよりはるかにこの業界につうじています。試験の要領なんか、くわしく教えてくれるはずですよ」  それを最後に川原は席を立った。彼の客たちのほうへ帰っていった。 「中国語、奥さん、おやりなさいよ。意外に才能があるかもしれないんだから」 「そうよ。せっかく決心なすったんだから、あきらめる必要はありませんわ。主婦にはやはりなにか趣味がありませんとねえ。私も最近つくづくそう感じるんでございますよ」  夫妻の言葉に葉子は懸命に微笑みをかえした。すっかり食欲がなくなっていた。連日の中華料理にはじめて倦きを感じた。  たべるのは生をまっとうするためだ。生には目標が必要である。その目標がいまは消えた。料理に倦きるのは当然なのだろう。  昼食のあとは咸陽博物館や車馬杭などを見学した。夕刻の五時、一行はバスでホテルへ帰りついた。  父につきそって葉子はいちばんうしろからロビーに入った。歓声をあげる者がいた。沢田と新婚の田中夫婦が立って一同を出迎える。きょうやっと飛行機が着いたらしい。  何人かが彼らと握手をかわした。沢田が微笑みかけてくる。会釈して葉子は目をふせた。そのままエレベーターへ向かった。  夕食は沢田と田中夫婦の報告で話に花が咲いた。信陽とその周辺にも名所旧蹟はたくさんある。雨のなかをタクシーで三人は駈けまわったらしい。けっこうたのしかった。沢田も信陽に滞在したのは、はじめてだった。中国がとても新鮮に感じられたという。  相変らず葉子は食欲がなかった。お義理で料理に手をつけただけだった。ビールばかり飲んでいた。心配して父が様子を訊く。すこし疲れた、と葉子はこたえた。  夕食のあと、葉子は部屋へもどった。午後七時半だった。  本を二冊用意する。約束どおり曽青年の家へとどけてやるつもりである。着替えして、外出しようとすると、電話のベルが鳴った。沢田だった。一階の酒場にいる。出てこないかという。 「これから私、外出するんです。いえ、ほんの近く。中国の青年とお友達になったので」  電話を切って部屋を出た。  エレベーターで一階へおりる。予想どおり沢田が立っていた。だまって葉子は玄関を出る。沢田がついてきた。酔っている。一同に合流して気がゆるんだらしい。 「どうしたんだ。せっかく再会できたのに、うれしそうじゃないね」  歩道へ出て沢田は訊いた。  腕をとりにくる。逆らわなかったが、葉子は全身をこわばらせていた。 「うれしいわけがないわ。夢がやぶれたんだもの。沢田さん私をバカにしていたのね」 「バカにしていた——。どういうことだ。そんなつもりは毛頭ないつもりだけど」 「ガイドの試験って、とてもむずかしいんですってね。中国語専攻の学生や社会人が何百人もあつまるんですってね。沢田さん、私が受けて合格できると思っているの」  きょうの昼食時のいきさつを、葉子は話してやった。  口惜しくて声がふるえそうになる。本気で葉子はガイドになる気でいた。新しいかたちの結婚生活を、沢田とはじめるつもりだった。夢みる女子高校生だったわけだ。 「そのことか。たしかに合格するみこみはうすいね。でも、それはいずれわかることだ。勉強をはじめれば、しぜんにわかる。あえておれが水をかける必要はないと思った」 「卑怯よ、そんなの。だましたのとおなじじゃないの。甘い夢で私を釣った。私の体だけが目的だったのよね」 「だましてはいない。本気できみと結婚したいと思っている。うちへきてくれ。ガイドになれなくても中国の勉強をすればいいじゃないか。いつでもこちらへこられるんだ」 「私は夫に依存する暮しがいやなの。自分で生きてゆく力をつけたいのよ。男性のための女であることにもう倦きたの。ガイドになれないのなら、べつの道をさがします。新しい生活が私はほしい——」  表通りから裏通りへまわった。  しばらくいくと、煉瓦づくりのアパートのまえへ出た。三階まで階段をのぼる。きのうはそうでもなかったが、きょうみると、おぼつかない建築物のように感じられる。  曽の家の扉があいていた。女の、ののしり声がきこえた。曽の母親らしい。ものすごい早口である。父親が応答していた。うろたえた声だった。父母のいさかいを耳にしながら曽青年は勉学しているのだろうか。  帰るわけにもいかない。扉のなかを葉子は覗いた。上り口に父親が立っている。外出着のままだ。職場から帰ったところらしい。  なかの部屋に母親が立っていた。目をつりあげてわめき立てている。白シャツに青のスラックス。ズック靴をはいていた。父親の帰りがおそかったのを怒っているのか。やせてギスギスした感じにみえた。憎悪にあふれた顔で彼女はわめいている。  母親のほうがさきに葉子に気づいた。たいしてバツがわるそうでもなかった。となりの部屋へ声をかけてひっこんだ。曽青年が代りに出てくる。純朴な笑顔をみせた。父母の論争を恥ずかしく思っていないようだ。  持参の二冊の本を葉子は曽青年に手わたした。あがれとすすめるのへ手をふってみせて、きびすをかえした。だまってアパートの階段をおりた。くるときよりはゆっくりした足どりで、ホテルのほうへ向かった。 「ずいぶん横柄な女だな。あれだから中国の女はいやなんだ。なまじ働いているから、大威張りする。あんな女房をもったら悲劇だ」  沢田がつぶやいた。きのうの坂橋老人とおなじような感想だった。 「私も働きたいと思っているのよ。きっと生意気になるわ。沢田さんの好みの女とはかけはなれているみたいね」  投げつけるように葉子はいった。  悲しくてたまらなかった。一つずつ夢がこわれている。一家をあげてまずしさとたたかっている家族は、内部でも自己主張のはげしい家族だった。それがわかった。おなじ方角をみつめて、美しく目をかがやかす家族なんか、どこにもないのかもしれない。万一、沢田と結婚しても、そうはならないだろう。 「きみは仕事をもっても、ああはならないさ。あんなヒステリー女になるわけがない。絶対にきみはいい女房になってくれる。おれをたすけて、はげましてくれて、なぐさめてくれるすばらしい女房」  まっ暗なおもて通りである。  いきなり沢田の腕が抱きよせにくる。反射的に葉子は逃げようとした。うしろに篠懸の大木があった。逃げられない。樹の幹へ体をおしつけられてしまう。  くちづけされた。葉子は目とくちびるをとじていた。棒のように動かなかった。反応できなかった。自分の抱いていた夢が、どんなに空虚なものにすぎなかったかを思い知った。樹のように葉子は固くなった。沢田の体臭がいまはそらぞらしく感じられた。 「きみを抱きたい。抱かせてくれ。公園へいこう。きみと結婚したいんだ」  沢田の手が、スカートのうえから葉子のふとももをまさぐりにきた。  葉子は両脚をとじたままだった。欲望に負けてはいけない。自分にいいきかせた。官能が葉子の最大の弱みである。いまこれに負けると、沢田にとって葉子はたぶん数多くのゆきずりの女の一人にすぎなくなるだろう。 「公園へいこう。このまえのように——」  沢田は苦しそうだった。葉子の体に、執拗に快楽をおくりこんでこようとする。 「やめてください。あなたがいないあいだに私、変ってしまったの。あなたは私のことをちっともわかっていてくれなかった。ガイドになる夢、私にとっては、人生で最後の夢だったかもしれないのよ」  沢田の手首をつかんで、葉子は自分の体からひきはなした。  彼の腕のなかからぬけだした。ホテルへ向かってあるきだした。沢田がついてきて、なにか口走っている。おれを孤独のままでおかないでくれ。そんなことをいっていた。  孤独はみんなおなじ。売り物にはならないわ。胸の内で葉子はいった。ホテルの灯に向かって、規則ただしく歩をはこんだ。  葉子は部屋へ帰った。父の和一郎は留守だった。となりの坂橋夫婦の部屋へ、あそびにいっているらしい。  しばらく葉子は部屋でやすんだ。午後九時になった。一階へおりて、東京の自宅へ電話を申しこんだ。部屋にもどって、ベルの鳴るのを待った。  ベルが鳴った。葉子は受話器をとった。夫の声がきこえてきた。酔っていないようだ。書斎で研究書を読んでいるという。 「どうしたの。私がいないと帰りがはやくなるのね。ふしぎな人。鬼のいないまの洗濯をさんざんするかと思ったのに」 「ちがうんだよ。このまえもいったろう。主婦は留守のほうが夫を束縛するんだよ。おまえがいないと、飲みにもいきにくい。三日に二日ははやく帰っているよ」 「いま西安なの。お父さん、もう大丈夫。予定どおり帰れると思います。書道用具のほかに、なにかお土産はいらない」 「べつになにも。あと四日だな。はやく帰ってくれ。またいっしょに仕事しようじゃないか。事務所の人件費がたすかる——」  しばらく話して葉子は受話器をおいた。  なんとなく心のこりがあった。夫にぜひ報告すべきことがあったような気がする。  しばらくして思いあたった。沢田にもとめられて、拒んで帰ってきた。手柄話である。いちばん夫に話したいことだ。  だが、これは絶対に夫にきかせられない話だった。いちばん話したい事柄を、いちばん話してはならない相手。それが夫というものらしい。夫にとっても妻はそうなのだろう。配偶者の情事を掘りおこし、事実をつかんで追及することの愚がわかってくる。  あくる日、一行は西安の空港を発った。順調な飛行で北京へ着いた。  三日間、北京に滞在した。故宮や北海公園、天壇公園などであそんだ。万里の長城へのぼり、明の十三陵に気を呑まれた。蘆溝橋を見物にいった。天安門広場や人民大会堂など、現代中国の顔というべき壮大な場所や建物には、葉子は関心がなかった。  あくる日、日航機で帰途についた。約三時間で成田空港へ到着した。  午後五時だった。通関の手つづきでみんな多忙である。ろくに挨拶もせず、ちりぢりになった。外へ出るのに三十分かかった。  夫が迎えにきてくれていた。空港ビルの正面に父と葉子を立たせて、自分は駐車場へクルマをとりにいった。篠懸の緑がどこにもない。日本へ帰った実感があった。  近くにリムジンバスが停まっていた。荷物をかついで沢田がそれに乗りこんだ。乗車口に片足を乗せて、沢田はこちらへ手をふった。父がステッキをあげて応じる。  西安のあの夜以来、葉子はほとんど彼と口をきかなかった。その必要を感じなかった。だが、短いながら充実した夢をみさせてくれた恩義は感じている。葉子は会釈をした。うなずいて彼はバスのなかへ消えた。  サファリスーツをきた沢田の姿が、成田空港ではとてもみすぼらしく映った。葉子にはそれがつらかった。やがて夫の運転するBMWが、空港ビルへ近づいてきた。バスのほうをみないで、葉子はクルマに乗った。  バッグのなかでかすかな音がした。沢田が記念にくれた中国語の和訳用辞典がそこに入っている。爆弾をかくしもっているような気がした。旅行の最大の土産であった。 本作品は、一九八六年中央公論社より単行本として刊行されたものです。 底本 講談社文庫版(一九九二年二月刊)