阿久 悠 瀬戸内少年野球団 目 次  かぼちゃの花  墨ぬりまつり  コロとヘラ  ジープは走る  三本足の怪人  古いボール  悲しき竹笛  一本刀里帰り  ア ホ な 夏  バラケツ兄弟  三角ベース  野球石器時代  唐辛子の整列  梅雨とハーモニカ  上 に は 上  健康ボール  チーム誕生  足長おじさん  晴れの門出  プレイボール  大 乱 戦  サマータイム  夏 景 色  文庫版のためのあとがき  かぼちゃの花     1 赤い花なら|曼珠沙華《まんじゆしやげ》ちゅうのんは どこや知らんけど オランダ屋敷ちゅうとこに いっぱい咲いとって 雨が降っとるんやて 曼珠沙華が咲いたら雨が降るのんか 雨が降ったら曼珠沙華が咲くのんか どっちゃが先かわからへんけど これは長崎物語ちゅう歌の文句や 戦争が始まったのが 昭和十六年の十二月八日で やった……やった……真珠湾や そして 今が 昭和十九年の秋で もう三年も戦争やっとる 出征兵士を送る行列が 泣き泣き歌って通っとる なんや葬式みたいや |田圃《たんぼ》の|畦道《あぜみち》に 真赤な彼岸花が咲いとった これは |葬礼花《そうれんばな》ちゅうて |気色《きしよく》悪い花や 出征兵士大丈夫やろか |近頃《ちかごろ》 あまり 勝った! 勝った! きかんけど 戦争ちゅうのんは 食べ物がなくなることで腹へるもんや 食べられるものが食べられんと 食べられん物を食べる時代や ぼくら 芋食べたり |南瓜《かぼちや》食べたり 菜っぱ食べたり 団子食べたり うどん食べたりしてるけど こんなんはええ方で どんぐりの粉食べたり 鶏のえさのふすま食べたり 藤の葉のお茶飲んだりしてるんやて ぼくら 帳面や鉛筆を交換するのに 毎日どんぐり拾いしとる まだしあわせの方や 学校へ行ったら先生が 曼珠沙華の根を掘って来いいうた 曼珠沙華はこんなところにあらへん オランダ屋敷へ行かんとあらへん それに 雨降っとるかどうかわからへんしな そないに悩んどったら アホ 曼珠沙華ちゅうのんは彼岸花のことや ウワァ |葬礼花《そうれんばな》かいな 気色悪い そんなんの根掘ってどないすんねん そしたら 工夫して食べるんやて 誰食べるんやろ 気色悪いなあ 蛇出よるで 骸骨も出よるで やめとこ やめとこ いうて騒いどったら 一列に並ばされてビンタもろた ものすごう痛かった 雨も降らんのに 曼珠沙華がいっぱい咲いとった 墓場に近いとこで 風がひゅうひゅう泣いとって気色悪い ぼくら 時々目えつぶって根を掘った 骸骨でるで 蛇出るで 一生懸命やっとったら また出征兵士や 勝って来るぞと勇ましく 誓って国を出たからは やっぱり泣き泣き歌っとる 戦争ちゅうのんは 勇ましいのんとちゃうやろか がんばって下さい ぼくらは 一生懸命 曼珠沙華掘りしてます     2  |南瓜《かぼちや》が豊作の年は縁起が悪い。  そんなことを、祖母のはるからきかされたような気がする。  もし、それが本当だとするなら、今年はものすごく縁起の悪い年に違いない。  どこもかしこも南瓜の花の満開で、ジリジリと照りつける夏の日を、厚かましいような黄色が照り返している。  この頃は、どこもかしこも、南瓜の畑で、それがそろって豊作と来ているものだから、世の中は真黄色だ。この分では、アメリカやイギリスと戦う前に、あのいまいましい南瓜と一戦交えなければならないかもしれないと、竜太は思う。  竜太は、南瓜が|嫌《きら》いだ。何故だがわからないが、あの形も、色も、味も気に入らない。気に入らないのはお互い様らしく、南瓜の方でも竜太に寒気を起させたり下痢を起させたりする。  この非常時に、南瓜が嫌いだなどというと、非国民だとののしられ、憲兵に連れて行かれるかもしれない。いや子供だから、憲兵までは行かなくても、巡査にみっちりと説教されることはあるかもしれない。しかし、と竜太はそこで安心する。竜太の祖父の忠勇は巡査であるから、そのくらいは、可愛い孫のために目をつむってくれるだろう。  誇り高い駐在所の巡査である忠勇も、孫には甘い。少し誇りを傷つけながらも、孫のために非国民になり、微罪を犯すだろう。  それにしても南瓜の花ざかりだ。  縁起が悪いとはどういうことだろう。  昭和二十年七月。  足柄竜太、八歳。国民学校三年生。  縁起が悪いことには、必ず前兆というものがあるものだと、これも祖母のはるが話してきかせたような気がする。縁起の悪い事柄が突然訪れるのではなく、そういえば|何処《どこ》か変だったと後で思い当る前ぶれのようなものが必ずあるというのだ。 「そんなもん、あるかいな」  竜太はつぶやく。 「あらへん。迷信や」  竜太たちの身辺は、去年とくらべて天と地ほどに違っていたが、それが縁起の悪いことの前兆とはとても思えない。  今年になって授業がほとんどなくなっていた。  登校はきちんとする。しかし、大抵は、芋畑に変った校庭で農作業をするか、それとも、山へ炭焼きの原木を運びに行くかのどっちかだ。国民学校初等科の一年生から六年生までが連なって山へ行き、体力に応じて原木を運んで来る。竜太たちは、己の身長ぐらいのを一本かつがされる。  それをかついで、二里(八キロ)近い山道を下って来るのは|可成《かな》りきつい。重くて歩けなくなる子供が続出する。  そんな時、原木の切り出し役の高等科一年の生徒が、 「何しとるんじゃい。そんなことで、戦地の兵隊さんに申し訳立つと思うとるんかい」  と怒鳴り、倒れた下級生の尻を蹴り上げる。上級生は手ぶらだ。切り出しの|鋸《のこぎり》は、山小舎に置いてあるから、彼らは、行き戻りの道中は楽ちんの手ぶらで、|只《ただ》怒鳴っていればいい。そういえば、最上級生の高等科二年は、学校の裏の炭焼|窯《がま》の番をする役で、竜太たちから見れば、体の大きな者程、楽な仕事をしているように思えてならない。  しかし、戦地の兵隊さんに申し訳が立つと思うのかといわれると、そんな疑問もふっとんでしまう。仕方ないと思うのではない。不思議な力がみなぎって来て、本当に頑張らなきゃと思えるのだ。   肩ヲ並ベテ 兄サント   今日モ学校へ 行ケルノハ   兵隊サンノ オカゲデス   オ国ノタメニ   オ国ノタメニ 戦ッタ   兵隊サンノ オカゲデス  そんな毎日で、教室で勉強をするということは数える程しかなくなっている。  異変といえば、男の先生が、どんどんいなくなり、女の先生ばかりになったことだ。この女の先生たちは、どういうわけかよく怒り、よく|撲《なぐ》る。何かというと悪鬼の形相で物差しを振り上げひっぱたくのだ。  いくら非常時だといわれても、戦地の兵隊さんを持ち出されても、竜太は、こればかりは理不尽に思えてならない。  ある時など、大デブの照国が、姿勢を正すようにと背中へ入れられていた物差しをヘシ折ってしまったことで逆上した女先生が、泣きわめきながら|竹箒《たけぼうき》で撲りつけるのを見て、竜太が割って入ったことから騒ぎが大きくなったことがある。  照国は大デブだが大人しい。反抗するような子供じゃない。一にも二にもデブが原因で、何かのはずみで背中の物差しが折れてしまっただけだ。  それを、この子は反抗した、こんなことでは、明日の日本を背負って立つ少国民にはとてもなれない。兵隊さんに申し訳がない。天皇陛下に申し訳がないと撲りつけるものだから、竜太がとび出した。  それは違うと思ったのだ。 「先生。それは、ちゃう(違う)」 「何やの。級長のあんたまで、そんなこというの。級長の札はずしなさい。ようまあそんな恐しいことを。日本が、今どんな時か、なんぼあんたらでもわかるやろに」 「照国はそんなつもりやない。只動いただけや。ほたら、物差しが折れたんや」 「うるさい。照国。大体、この非常時に、そないにデブデブ肥えてること自体が非国民や。一体何食べとるの」 「照国は、芋食うとる。南瓜食うとる」 「竜太。あんたにきいてへん」 「非国民やて。先生ひどいわ。ぼく、切腹したる。切腹して責任とったる」 「何やて。切腹するやて。級長が責任とって切腹するやて」 「ああ。ぼく、やったる」  それは、町中のちょっとした騒ぎになったが、祖父の忠勇が乗り出しておさまった。駐在さんは、町長、校長、消防団長と並んで町では顔役なのだ。  女先生禍も、床屋の猫屋のオバハンにいわせると、 「それは、後家のいらちやな」  ということだが、竜太にはよく呑みこめない。いらちとは、|焦立《いらだ》つということだが、後家がどうして、いらちになるのかさっぱりわからない。 「うちも時々そうなるわ」  そういえば、猫屋のオバハンも後家である。町では、色っぽい後家はんで通っているが、その意味も又竜太にはわからない。竜太にわかるのは、虎刈りばかりで虎屋といわれていた亭主が出征し、戦死してから、このオバハンが、バリカンを握っているが、虎刈りよりももっとひどいので猫屋というようになったといういわれぐらいである。このオバハンのバリカンは、時々、竜太たちの髪の毛を|噛《か》んだまま動かなくなるので、食いつき猫といっている。  竜太たちの女先生が、みんなあんな風かというと、一人だけ例外がいる。  中井駒子先生で、町一番の網元の長男の嫁だが、駒子先生も後家だ。二十歳の後家だ。  そうすると、駒子先生も、いらちになる|筈《はず》だがそんなことは一度もない。猫屋のオバハンの解説は怪しいといわなければならない。竜太はそう思った。  南瓜は花ざかりだ。縁起が悪い。縁起が悪いことには前兆がある。  前兆にあたる異変は数えあげたら際限がない。  紙や金属がなくなった。以前は飛行機雲だけだったB29が、姿を見せる程低く飛ぶようになった。B29は、大抵紀伊水道を北上して来、串本や田辺や、御坊などという変った地名もラジオのニュースで覚えた。この淡路島の西海岸から、時々空を真赤に染める空襲が見えるようになった。そればかりか、余った爆弾を淡路に捨てて行くようになり、何度か空襲を経験するようになった。  しかし、竜太は、それらを悪い縁起の前兆だとは思っていなかった。  真黄色な南瓜が花ざかりのまま、八月になった。     3 天皇陛下がお話をなさるから 昼にはラジオをかけるようにと 祖父はいう 天皇陛下もきっとご心痛で もうしばらくだ がんばれよと はげまし下さるに違いないと祖母はいう 何故か祖父はそれには答えず サーベルをガチャガチャいわせ|乍《なが》ら 出かけて行く 祖父は巡査 その日 昭和二十年八月十五日 青いというよりは すべてが白く見えるほどの快晴 だから 八月十五日の景色は 光り輝く白 まぶしさとにじみ出る涙と 頭の|芯《しん》まで痛くなるような白のイメージ |蝉《せみ》の声がいつもよりはげしく かぼちゃの花がいつもより黄色い 井戸ポンプのきしみが いつもよりうるさく ぼくは家を出る お昼にはちゃんと帰って来よう そして天皇陛下のお声をきこう 神様の声ははじめてだから その風景は国民学校の校庭 真上からの日を受け人々の影は小さい 背の高いラジオを囲み 円陣をつくっている人々 そうだ みんな天皇陛下の声をききに来たのだ ラジオはある時は高くある時はとぎれ ある時はピーとなって 天皇陛下のお言葉はわからない それでも涙ぐんできこうとする人たち ピーピー シャーシャー ガガガ 誰かがいらだってラジオを|叩《たた》く これ何ちゅうもったいないことを 天皇様を叩くやなんて と手を合せて拝む老婆 そやそや じいっときいてみい ほら これがお声や ピーピー シャーシャー ガガガ やがて 天皇陛下の放送は終る わざわざ天皇陛下がなあ お声下さるなんてなあ もうちいっとがんばらなあかん アメ公もえらいねばりよるけど なあに天皇陛下のお声がかりや 神風や 神風や もうじき吹きよるで 日本は神国や 神風があるわい そないいわはったんや 天皇陛下は そうか そんなことか そんなこというのに 何で天皇陛下がいわんならんね おかしいなあ ぼくは真白な道を帰って行く ああ ええ天気やなあ 今日はB29来よらへんなあ 空襲ないのんかなあ ほなら泳ぎに行ってもええかなあ ただいまあ 天皇陛下の声わからへんかったで 家の上りがまち むかいあっている祖父と祖母 おいと祖父の声 どないしたん? ええか 日本は負けたんや 戦争にまけたんや 耐えがたきを耐え忍びがたきを忍び 天皇陛下はそうおっしゃったんや と祖父の声 のろのろと人が歩いている 病人みたいに歩いている 空気がないみたいにパクパクしている ぼくだけが大声で泣いている 泣きながら走っている みんなのろのろしている なんで泣かんのや 日本負けたんやで それなのにみんなのろのろしている 昭和二十年八月十五日 快晴                    足柄竜太 八歳 日本負けたんや 明日からは日本人は牛にされるんや 鼻の穴塩でもんで輪を通されるんや 車ひっぱらされるんや 田圃耕させられるんや よう働かん奴は皮はいで障子紙や ぼくら子供は何やらされるんやろ 犬の代りに番するんかいな 猫の代りに鼠とるんかいな 牛みたいなこと出けへん 出けへんいうても アメリカ人は許してくれへんやろな 日本負けたんや 負けてしもたんや 女は何にされるんやろ 肉食べられるんとちゃうか きっとそうや 食べられるんや 駒子先生もそうや アメリカ人は肉好きやもん 父ちゃんは死ぬし 母ちゃんも死ぬし 広島も長崎もピカドンで 七年間も草は生えんいうし 日本負けるし どないするねん のろのろと人が歩いている みんなアホみたいに歩いている ぼくだけが大声で泣いている この子オカシイ子やなあ 子供のくせに泣いとるわ アホがぼくのことを笑う アホ アメリカ人が来るんやで 明日から牛にされるんやで 静かな|黄昏《たそがれ》 ばら色の夕やけ 飛行機雲のない空 無言の祖父と祖母 投げ出されたサーベル 父母の遺影の前の灯明 食卓のすいとん 電灯からはずされた黒布 そして夜 泣きつかれて眠るぼく 夢 アメリカ人に小便をかけられる牛 昭和二十年八月十五日                    足柄竜太 八歳  墨ぬりまつり     1   広島へ敵新型爆弾   B29少数機で来襲攻撃     相当の被害、詳細は目下調査中 (大本営発表)(昭和二十年八月七日十五時三十分) 一、 昨八月六日広島市はB29少数機攻撃により相当の被害を生じたり 二、 敵は右攻撃に新型爆弾を使用せるものの如きも詳細目下調査中なり   落下傘つき空中で破裂     人道を無視する惨虐な新爆弾  六日午前八時過ぎ敵B29少数機が広島市に侵入、少数の爆弾を投下した。これにより市内には相当数の家屋の倒壊とともに各所に火災が発生した。敵はこの攻撃に新型爆弾を使用したもののごとく、この爆弾は落下傘によつて降下せられ、空中において破裂したもののごとく、その威力に関しては目下調査中であるが、軽視を許されぬものがある。  敵はこの新型爆弾の使用によつて|無辜《むこ》の民衆を殺傷する残忍な企図を露骨にしたものである。敵がこの非人道なる行為を敢てする裏には、戦争遂行途上の焦躁を見逃すわけにはいかない。かくのごとき非人道なる残忍性を敢てした敵は最早再び正義人道を口にするを得ない筈である。     2  南瓜の豊作はやはり縁起が悪かった。  神国日本が負けてしまったのだ。  日本は神の国であり、日本人は神の子であるといわれていた。その神の国を|蹂躙《じゆうりん》し、神の子を平伏させたアメリカとは一体何なのだろうかと、足柄竜太は思っていた。  神より偉大なものが存在するのだろうか。  それとも、今まで教えられたことが|全《すべ》て出鱈目で、神国でも神の子でもなかったというのだろうか。  竜太は八歳。国民学校初等科三年だった。  竜太には、アメリカが神より偉大な存在であると思うより、今まで教えられたことに無理があると思う方が真実のように思えた。  出鱈目だったと強くいいきったわけではない。少しばかりの無理があったのではなかろうかと考えたのだ。  吹く、吹くといわれた神風もとうとう吹かなかった。  広島にピカドンが落ちた時、誰もが、さあこれで神風が吹くと気負い立ち、中には、 「アメリカも、あほなことしたもんやなあ。神風呼ぶようなものやないけ」  と|嘲笑《あざわら》ったものもいたが、風はそよりとも吹かなかった。  逆に嘲笑うような晴天がつづき、そして、とうとう八月十五日の、あの白い夏の日を迎えてしまったのだ。  勝手に神の名をかたったために怒りにふれたのではないだろうかと竜太は思った。  今、何か熱がさめたような頭で考えれば、蒙古襲来以来実例のない神風を、あのように当てにしたこともおかしなことであるように思えるのだ。  一九四五年。昭和二十年。  その夏は、足柄竜太にとって変な夏だった。終戦の日から十数日、一体何をして過したのかまるで記憶がないのだ。  記憶が薄れるような遠い昔のことではない。ほんの十数日前、いや、その日から今日までの短い期間が思い出せないのだ。  暑い夏の盛りから残暑に向う季節の中で、敗戦で衝撃を受けた八歳の少年は、何をして遊んだかさえ思い出せないでいる。 「ぼくは死んでたんとちゃうやろか」  竜太はふと思う。  いつもの夏がそうであったように、|楊梅《やまもも》の実をとりに行ったり、鰻に仕掛けをほどこしたり、|蛭《ひる》に吸いつかれながら|田螺《たにし》ををとったりという子供らしい遊びに我を忘れたというふうでもない。  楊梅は枝に実をつけたまま酷暑を迎え、鰻は久々にのびのびと川を下り、田螺は泥の中で我が世の春をうたっていることだろう。  勿論、海洋少年団ごっこで、小さい胸を熱くしたということも、敗戦の夏であればあり得ない。  南極探検の白瀬中尉の少年時代という本を教典にして、海洋少年団員たちは|健気《けなげ》に自主鍛練をくり返していたが、足袋をはかずに一冬過したという|件《くだ》りを真似て、全員が地下足袋ほどの霜やけになり、港に停泊している船の底を潜ってくぐりぬけたという件りでは、竜太をはじめ三人が船底にはりついて、半死半生の目にあった。  それも昨年のことであって、今年のことではない。  何も思い出せない。  竜太はびっしょりと汗をかきながら、それでいて、|濡《ぬ》れ手拭いを|隙間《すきま》なく貼りつけられたような冷たさを感じていた。  八月三十一日だった。  八月が今日終る。 「おばあちゃん。明日から、学校あるやろか?」  竜太はいった。 「ぼくら、学校へ行くんやろか」 「当り前や」  祖母のはるが答えた。  しかし、どこか気のない返事だった。  祖母のはるは、|繕《つくろ》い物をしながら、時々仏壇に目をやっては、ぶつぶつつぶやいている。何をいってるかはききとれない。唇をとがらせて、蟹が泡をふくように小さくふるわせているだけなのだ。仏壇の中には、竜太の父母がいる。父の公一は、はるにとっては息子であり、母の良枝はその息子の嫁になる。  世の中が変ってしまった心細さを長男に訴えているのかもしれない。もしかしたら、結婚を許さないままに死者となってしまった二人に対して、愚痴とも|詫《わ》びともつかぬことをいっているのかもしれない。  そのような話をきいたような気がするのである。きっとそうに違いないと竜太は思っていた。  線香の|匂《にお》いがする。  あれだけ品物がなくなり、|杓子《しやくし》までも貝殻に竹の棒をくくりつけたものに変っていながら、線香だけは品切れにならないことを、竜太は不思議に感じていた。 「おじいちゃんは?」 「|巡邏《じゆんら》や。暑いのにご苦労さんや」 「おじいちゃん。元気か?」 「何いうてんのやろ、この子は。毎日同じ家にいてからに」 「そやな」 「戦争負けても、日本がのうなったわけやないさかい。竜太。しっかりしてや」 「うん」 「お父ちゃんとお母ちゃんにも、ちゃんとお願いしてあげたさかいにな」 「明日から学校や」 「そや。空襲もないし、教練も勤労奉仕も防火演習もないし、よう勉強出来るわ」  うんとうなずいたが、足柄竜太は、決してそのような期待を抱いていたわけではなかった。それ以外の返事が見つからなかっただけなのだ。第一、祖母のはるの言葉にしても、お題目のように並んでいるだけで、しっかりしてやという雰囲気ではなかった。 「なあ。おばあちゃん。明日も、この緑色の服着て行くんか?」 「そうや」 「ぼく、いやや」 「いややいうても、全部緑に染めてしもうたさかいにな」  竜太が着ているものは、上も下も全部青草のような緑に染められている。  今年に入って、この淡路島にも何度か爆弾が落ち、機銃掃射も|頻繁《ひんぱん》になった。白い着衣は、艦載機からの標的になりやすいという理由で、全部国防色という緑色に染めるようにという指令が出されていたのだ。  大釜でぐらぐら煮立ったお湯の中へ緑の染料を入れ、服からズボンから、シャツ、靴下、帽子に至るまで煮たものだ。  その翌日から、登校する子供たちの群れは、さながら青虫の行列だった。  それでも、竜太たちは、国防色の安全性、というよりは神通力を信じていた。  空襲警報発令になり、艦載機が赤とんぼの群れのように頭上をかすめると、彼らは、待ってましたとばかりに身をひるがえして、田圃の畦道の緑の中にとびこんだ。緑が保護色となり、完全に敵の目をあざむく筈であった。しかし、何人かが死んだ。  緑一色の青虫のような体から、夾竹桃の花のような血を流して死んでいるのを見た。 「青虫になったみたいで、気色悪いのや」  竜太はいった。 「そのうちにな。白いの|買《こ》うたるわ」  祖母のはるがうつろに答えた。  そうこうするうちに、 「ぼくは、死んでたんとちゃうやろか」  という思いが、再び竜太を襲った。  八月十五日。  敗戦の報に、この八歳の少年は脱水症状になるのではないかと思う程泣いた。  何故かわからない。何故かは竜太にもわからないが、泣けて泣けて仕方がなかったのだ。  そして、翌八月十六日から、昨八月三十日までの十五日間の記憶が|曖昧《あいまい》なのである。何をして過したのか、やっぱり思い出せないでいるのだ。  三畳の竜太の部屋は妙に綺麗に片づいていた。父の公一から使いついでいる傷だらけの机の上には、島田啓三の「冒険ダン吉」が、頁をひろげたまま置かれてあった。 「冒険ダン吉どうなるのかなあ」  竜太は思った。 「戦争名人のダン吉は、どないなるのやろ」  というのが正しい思い方かもしれない。  知恵と勇気で、南洋の島々に次々と日の丸を立てて行った英雄ダン吉の身が、何故か案じられた。  竜太は、|永《なが》の別れを告げるようにゆっくりと頁を閉じると、少々|綴《と》じにガタの来ている「冒険ダン吉」を押し入れの奥深くしまいこんだ。そのままにしておくと、何かとんでもない不幸に見舞われそうな気がしたのだ。  竜太は、ぼくは死んでたんとちゃうやろかという思いを捨てることにした。  何でもない。ぼけてただけや。  そうや。ぼけてただけなんや。ちょっとアホになってただけなんや。  三畳の窓から青々とした水田が見えた。  もう実りをつけ、深い緑のままであるが、重そうに穂を垂れていた。  暑い日ざしが真上から降りそそぎ、秋を思わせる涼しい風が、それを断ち切るように真横に渡っていた。さらさらと穂のすれ合う音がきこえた。 「豊作やな」  竜太は大人びた感想を口にした。  竜太の祖父は駐在所の巡査であり、勿論農業とは|関《かか》わりはなかったが、豊作だとうれしいという思いは誰しもだったのだ。 「日本負けたけど。豊作ならまあええわ」  竜太は、窓に頬杖をつき、うっとりとした目で風にゆれる水田を見つめていた。 「明日から、学校やなあ」     3  午後になって、三畳間の開け放した窓からバラケツが顔を出した。  バラケツとは、不良とか、やくざ|者《もん》という意味で、国民学校三年、八歳の少年にしては非常識極まりない仇名であったが、正木三郎というこの少年には、何故か似合いの雰囲気があった。  体も竜太より相当に大きい。六年生ぐらいの体躯で、どこかバラケツと呼ばれることが不思議でない凄味を備えていた。 「家は、みんなバラケツや。父ちゃんも、兄やんも、姉やんも、みんなバラケツや。そやさかい、わいもバラケツでええんや」  バラケツの父や兄や姉が、本当にやくざ者だったかどうかは、竜太は知らない。  竜太の知っているバラケツの家庭は、小作百姓の母親と中気の祖父というどこにでもよく見られる銃後の一家で、何も特別のところはないからだ。  バラケツの話によると、父も兄も兵隊になり、父は支那に、兄は台湾にいるということだった。  そのバラケツが、 「何してんね?」  と声をかけたのだ。 「バラケツか」  竜太は何故か懐しいという思いにとらわれた。 「レコード聴いとったんや」 「それ蓄音機か!?」 「そや」  竜太は、その時、ポータブル蓄音機を持ち出してレコードを聴いていた。  手まわしのゼンマイ仕掛けであるが、朝顔の拡声機のついたものや、整理箪笥ほどもある従来の蓄音機に比べたら数段便利で|洒落《しやれ》たものだった。  レコードは山程あったが、その多くは、祖父の忠勇が古物屋から貫目いくらで買って来たもので、浪曲、詩吟、都々逸の類いだった。竜太が聴いてみたいのは、二枚だけで、それは、父母が大事に持っていたものだ。  一枚は、コロムビア・レコードで、表が高峰三枝子の「湖畔の宿」、裏が伊藤久男の「高原の旅愁」という。もう一枚は、ポリドール・レコードで、日本橋きみ栄という人の歌った「蛇ノ目のかげで」というものである。 「日本橋って、けったいな名前やなあ」  と思い、歌の文句の、�蛇ノ目のかげで泣いたとさ�というのがどうしてもわからなかった。 「|蛇《へび》の目のかげで、どないして泣くねん」  そのレコードが、父と母にとって、どのような意味合いを持った品物かわからなかったが、竜太は時々かけては聴いていた。何故か父母の匂いを|嗅《か》ぐような思いがしていた。  もっとも、八月十五日までは、「湖畔の宿」も「高原の旅愁」も「蛇ノ目のかげで」も、不謹慎だと|咎《とが》められるので、押し入れの中で|秘《ひそ》かに聴いていたのだが、今は、こうして堂々と窓を開け放ち、音高く響かせているのだ。 「戦争負けて、ええこともあるんやな」  竜太は思っていた。  蓄音機針は鉄針がなくなり竹針になっていたから、すぐに針を交換しないと音が出なくなったが、竜太は、それを不満に思うこともなく、水田を渡る風に吹かれながら、やさしい響きの歌に聴き惚れていたのだ。 「竜太。外へ行けへんか」  バラケツがいった。 「よっしゃ。行こか」  竜太とバラケツは肩を並べて、乾ききった石ころ道を歩き始めた。いや、肩を並べてというのは正しくない。竜太は、大柄のバラケツの肩までしかないからだ。  二人とも、青虫のような緑色のシャツを着、ズボンをはき、竜太はズックの靴を、バラケツは|藁草履《わらぞうり》をひきずっていた。  まぶしい午後だった。  白く乾いた道の上には、竜太とバラケツの二人以外に人影がなかった。その二人の頭上に、人を恋うるように赤とんぼの群れが|集《つど》っていた。  とにかく人に出会わなかった。  大人も子供も一体どこへ姿をかくしているのだろうかと竜太は思った。しかし、八月十五日を境にしても風景は変っていなかった。どことなくのんびりした感じがして、今のところ、アメリカは何処にも見られなかった。  二人は、途中の農家で、鶏の卵と乾燥芋と|胡瓜《きゆうり》を盗み、食べながら歩いた。  |鬢付《びんつ》け油のように黄色くぴちゃぴちゃした農林一号の乾燥芋は、少しぐらい盗んでも微罪で済むが、鶏卵と胡瓜は重罪になる。  竜太は、祖父の忠勇の顔とサーベルを思い出し緊張したが、バラケツは大胆だった。 「竜太。わいな、バラケツになることに決めたんや。ほんまもんのバラケツやで」  生卵を呑みほすと、バラケツはいった。  バラケツは、今はバラケツやけど、大人になったら海軍大将だと威張っていたものだ。大将どまりなのは、秀才の竜太が海軍元帥を志しているので遠慮していったことである。  そのバラケツが、正木三郎海軍大将の夢を八月十五日で打ち砕かれ、急転直下仇名通りのバラケツ、やくざ者になるというのだ。  バラケツも死んでたんとちゃうやろか。  ふと竜太は思った。 「戦争負けたら、バラケツや」 「何で?」 「竜太。お前、何になるねん?」 「わからん。何でもええわ」 「勉強するのんか?」 「せえへん」 「ほな。竜太もバラケツにならへんか」 「いや」  竜太は首をふった。  ぼくは違う。ぼくはバラケツにならへん。  海が見えて来た。  淡路島西海岸の夏の海はおだやかだ。冬は、まるで北の海のように西風で荒れ狂うが、夏は、インクを溶かしたように青く静かだ。  二人は砂浜に腰を下ろした。松原のはずれで、そこは日陰になっている。 「さっきのレコードな。ええ歌やな。あれ何ちゅう歌や」  バラケツが|訊《き》いた。 「湖畔の宿や」 「ゴハンの宿とちゃうのか」 「コハンや」 「ゴハンのことコハンいうのやろか」 「湖のほとりちゅうことや」 「何や。そうか。ちょっと歌うてくれや」   山のさびしい湖に   ひとり来たのも悲しい心   胸のいたみに耐えかねて   ひとり占うトランプの   …… 「トランクちゃうか?」 「ちゃうちゃう。トランプや」  その時、二人は、砂浜にひき上げられた漁船のかげで、何かいい争うような男と女の姿を見た。 「駒子先生や」 「それと、網元の次男坊の鉄夫や」  中井駒子と、亡夫の弟にあたる義弟の鉄夫に違いなかった。声はきこえないが、鉄夫が何かをいい、駒子が拒絶しているということは確かなようだった。 「やっぱりそうか」  バラケツが大人びたものいいをした。 「駒子先生に、鉄夫の嫁になおれいうて網元が迫ってるんやて」 「なおるって?」 「兄貴の嫁はんやったやろ、駒子先生は。その兄貴が戦死したさかい、弟の嫁になおれちゅうことや」  複雑なんやなと竜太は思った。  駒子先生は二十歳や。これから先どないすんねやろ、鉄夫の嫁になおるのやろか。  ふと、明日から学校やなと思った。  駒子先生、来るやろか。     4  学校がはじまった。  学校のはじまりは、教科書を墨で真黒にぬりつぶすことからだった。  夢も希望も正義も全てが墨に埋もれてしまった。  竜太は、顔にも心にも墨をぬられた思いだった。いや、真実、バラケツと二人で体中に墨をぬりたくったのだ。  恐しい台風が襲い、豊作を思わせた稲穂が一夜にして枯れすすきのように死穂になってしまったのは、それから間もなくのことである。  コロとヘラ     1  教科書に、自らの手で墨をぬりたくった日以来、足柄竜太たちは、退屈な遊びで時間を費やすようになった。  本来遊びとは、退屈と無縁であるべきものであるが、竜太たちが選んだ遊びは、おそろしく時間がかかり、非活動的で、そして興趣に欠け退屈なものだった。  にもかかわらず、彼らはその遊びに熱中していた。  夏から秋へ、そして、やがて晩秋から初冬へという季節の移り変りを横目で見乍ら、やっと八歳、九歳になったばかりの少年たちは、陽だまりに集う老人たちのように座りこんで、その寡黙な遊びに没頭していたのだ。  それは、彼らの用語でコロといった。 「コロつくろか」  といい、 「コロやろか」  と誘い合った。  誰も拒絶はしない。その代り歓声をあげることもなく、よく納得し合った同病者のように、校庭の片隅の土の上に腰を下ろし、作業を始め、遊びを開始するのだ。  コロとは、瓦のかけらをサイコロの形、サイコロの大きさにつくったもので、七個一組でお手玉と同じように遊ぶ。  拾って来た瓦のかけらを、石器時代のように石を|斧《おの》にして使いながら、サイコロ大に整えて行く。ほどほどの大きさになったところで研磨にかける。研磨といっても機械があるわけではなく、コンクリートとか、御影石のざらついた面に擦り合せて、根気のいる作業をつづけるのである。  そして、一組七個の瓦のサイコロが出来上ると、ようやく遊びに入って行くことが出来るのである。  何が面白いのかわからない。いや、何も面白くない。  しかし、竜太たちには、他にやってみたいことがなくなっていたのだ。  教科書にぬった筈のべっとりとした墨は、教科書の中の光り輝く文章だけではなく、竜太たちの心の中の光り輝くものにまで暗黒の幕をかけ、決して夢中にならないことを教えてしまったのだろう。  だから、この囚人の日なた遊びのようなコロは、きわめて必然性のある少年の退屈であったのかもしれないのだ。  赤とんぼの大群が、秋の陽光を遮蔽するくらいに部厚く、そして、幅広く竜太たちの頭上を覆っていた。  よく見ると、赤とんぼの赤も決して一種類ではなく、唐辛子のような毒々しいものから、麦藁のような淡いものまで、各段階の赤が入り混り、終戦、いや敗戦の年の秋空を、悲しい程の美しさで彩っていた。  校庭に車座になってコロ遊びをする国民学校初等科三年生の一団がいた。  級長の足柄竜太もいれば、バラケツとよばれる粗暴な正木三郎もいた。食糧難時代には肩身のせまい思いをしなければならない肥大児の照国こと長谷川照夫もいる。職業軍人の娘で、|武女《むめ》という|如何《いか》にもそれらしい名前を持った美少女波多野武女もいた。ニンジンこと新田仁。ボラこと折原金介。ガンチャこと神田春雄。ダン吉こと吉沢孝行。アノネこと高瀬守。  中井駒子は、教員室の板張りの窓の隙間から、風景と化してしまった少年少女たちを見つめながら、彼女自身も風景の一点と化してしまいそうな思いにとらわれていた。  一人一人の仇名と名前を口の中で何度も復唱したのは、そういった不安な思いから立ち直るための駒子の呪文のようなものだった。あの子たちの心に墨をぬってしまった後、教師とは先生とは一体なすべきことがあるのだろうかと胸が痛んだ。  墨をぬることを彼女が命じたわけではなかった。二十歳になったばかりの駈け出しの女教師には荷が重いことであった。それは、自他ともに認めるところであったと見え、いや、その部分に於いては、この国民学校の上層部が良心的であったのか、校長と教頭がそれぞれの教室をまわり、墨ぬりの儀式を行う責任をとってくれたのだ。  自ら命じなかったことが若い中井駒子の救いであった。救いではあったが、決して救われることにならないことを彼女は、また知っていた。  胸が痛んだ。  やっぱり風景の中に少年たちはいた。  この先、あの子たちはどうして行くのだろうか。都会と違って、今すぐ飢えてしまうという心配はない。そこそこに腹を満たす程度のものはないではない。しかし、あくまでも、そこそこであって、それすら人間の食物らしいかというと、決してそうだとはいいきれない程度のものなのだ。  そればかりではなく、やがて敗戦の荒廃が、生きることに対する意欲の荒廃として、この淡路島の西海岸の小さな町へも、時代の津波として押し寄せて来るだろう。  あの子たちも、いつまでああして座って退屈を選んでいるわけには行かなくなる。  竜太はどうするだろう。  あの剃刀のような神経を持った早熟な秀才はどう生きるだろうか。  同じように、武女という名の美少女が、身についた|矜持《きようじ》を捨てきれずに生きるとするなら、悲惨な一生になるかもしれない。  それに比べて、バラケツこと正木三郎は、全く心配がいらない気がする。この八歳のならず者志望の少年は、今すぐにでも闇屋に転じることが出来る逞しさと横着さを備えていたからだ。  校庭に少年たちがいた。  ほとんど動かない。  中井駒子は、ふとそのまま少年たちがかき消えてしまうのではないかという思いにとらわれた。コロ遊びは、消えるための儀式に思えた。そう思えば、あの退屈な遊びに没頭している不可思議さの説明もつくのだ。  だが、少年たちは消えなかった。  いつまでも校庭の小石のようにうずくまっていた。  少年たちではなく、私自身はどうするつもりなのだろうと中井駒子は思った。  二十歳の戦争未亡人ということは、奇異なことではないにしても、重いことではあったのだ。  婚家である中井家を自分の家として帰って行くことが、何故か億劫になっていた。  死んだ夫の弟の鉄夫の顔が、妙に生き生きと存在感をともなって浮かんで来た。  生家のある奈良へ帰ろうかとふと思った。     2 「竜太。ちょっと来い」  祖父の忠勇が呼んだ。  忠勇は、赤茶けた電灯の光の輪の中で、晩酌をやっている最中だった。体が少しゆれているように見えた。晩酌といっても、忠勇が飲んでいるのは酒ではなかった。日本酒はとっくに品薄になっていたし、密造のどぶろくや焼酎は、巡査という職業柄口にするわけには行かなかった。  彼が今飲んでいる透明な液体は薬用のアルコールなのだ。 「そんなもん、うまいのか?」  と、いつか|訊《たず》ねた竜太に、 「酔う」  とだけ忠勇は答えた。うまいともまずいともいわなかった。  しばらく、禁酒に近い節酒をしていた忠勇が、薬用アルコールまで飲むようになった時期を竜太は知っている。  それは、兵庫県江坂町巡査駐在所という古びた表札の上に、白ペンキ塗りの POLICE SUBSTATION という看板を打ちつけられた日の夜からである。 「看板やな、これは」  それを見つめながら、そうつぶやいていた忠勇の泣き笑いのような表情を、竜太は忘れることが出来ないのだ。 「英語や。竜太お前わかるか」 「わからへん」 「わかる奴が勝ちかもしれんで」  その足で、忠勇は診療所へ行き、薬用アルコールを秘かに譲り受けて来たのだ。 「竜太、話があるんや。こっちへ来んかい」  忠勇がまた呼んだ。  竜太は、遊んでいたヘラを片づけると立ち上った。ヘラとは竹ベラのことで、長さ十五センチ程の竹ベラを十本使って遊ぶ。要するに十本の竹ベラを、手の甲に乗せたり掌に返したりし乍ら、十本全部を表なら表、裏なら裏に揃えればいいだけの遊びである。コロと同様の極めて無気力で退屈な遊びで、竜太たちは、砂の上ではコロ、畳の上ではヘラと使いわけて遊んでいたのだ。 「すわれ」 「うん」 「おじいちゃん、頼みがある。きいてほしいのや」 「何やの」  竜太は緊張した。  いや竜太ばかりではなく、可成り酔っているふうの忠勇にも緊張が見えた。祖母のはるが、両者に気どられぬ静かさで、食卓の隅に座った。  電球が一瞬光量を失い、タングステンが赤い糸のように哀れっぽく見えたが、すぐに元の明るさに戻った。その時、虫の羽音のようなジイッという音がきこえた。  頼みとは何だろうと竜太は思った。  学校をやめて、どこかへ奉公に行けということかもしれない。両親がいないのだから、そういうこともあるかもしれないと、覚悟をきめていた。  それやったら、農家の子守りよりは、お寺の小僧の方がええなあ。 「頼みいうのはな、竜太。お前が今までに描いた絵がいっぱいあるな。あの絵を破って燃やしてほしいのや」 「何で?」 「明日、進駐軍が来るんや」 「来るって、この家へ来るのんか?」 「そや、この家へ来るんや。色々検査にな。その時、戦争の絵があったりしたら、具合の悪いことになる。わかるな、竜太」 「うん」 「わかってくれるな。おじいちゃんも、剣道の道具や、刀や、なんとかせなならんのや」  そんなことかと竜太は思った。  なんやそんなことかと心のどこかで気が軽くなる思いを感じながら、実は、何よりも重い衝撃を竜太は受けていたのだ。 「ええわ。あんなもん」  といいながら、竜太の目にはたちまち涙がふくれ上って来た。  絵を燃やす。進駐軍のために絵を燃やす。  宮本武蔵と佐々木小次郎の巌流島の決闘からはじまって、ルーズベルトとチャーチルを粉砕した図柄の鬼畜米英ポスター、特攻機を見送る|○○《マルマル》飛行基地の絵、零戦や大和のわくわくするような雄姿、特にお気に入りの戦艦陸奥は、写真とも見まごう出来映えで輝いている筈だ。  幼児から学童にかけて、大きな時の流れに少国民として昂揚しながら描きつづけて来た絵が百枚はある。それらは、すべて、優とか秀とか五重丸の評価が加えられ、一段と重味を増して製本されている。母の手によって、母が死んだ後は祖母の手によってつくられた足柄竜太の幼時の記録であり、足柄竜太にとっては宝物であったのだ。 「おばあちゃんに焼いてもらうか?」  忠勇がいった。 「その方がええやろ」  はるがいった。  自分の手で破り燃やしてしまうのは、如何にもつらいだろうという祖父母のせいいっぱいの思いやりなのだ。 「ええわ。ぼく、自分でやる」 「そうか。じゃあな。今日中にな」 「うん」  竜太は服の袖で乱暴に涙を拭った。不思議なことに拭きとった涙と同じ量だけ、すぐに目にあふれ、|汲《く》んでも汲んでもつきない井戸のように思えた。 「ほんまに進駐軍来るのんか」  竜太はしゃくり上げながら|訊《き》いた。 「ほんまや」 「おじいちゃん。英語話すのか?」 「日本語や」 「ほなら、通じへんな」 「通じへん」  忠勇が笑った。竜太も笑った。  何故か、祖父と進駐軍の間に会話の成立しないことが|嬉《うれ》しく思えたのだ。  また電球が暗くなった。  灯火管制はなくなっていたが、電力事情はおそろしく悪くなっていた。     3  シンチューグンか。  とうとう来るのんかと竜太は思った。  これまでにも、何度か通り過ぎる進駐軍を見てはいたが、我が家へ来るとなると、又、思いは別だった。体がふるえた。  足柄竜太たちが、日本の敗戦を非常に具体的に実感として感じたのは、二メートルを越すアメリカ兵を見、神社の石段を狂気のようにのぼって行くジープを見てからである。  それまでは、|敗《ま》けたことは認めるとしても、ちょっとした不幸な成行き、要するに勝利の女神が|微笑《ほほえ》まなかっただけぐらいに考えていたが、彼らの巨体を見、ジープの馬力を見てからは、そんな生やさしい敗け方でなかったことを知ったのだ。 「大きいなあ。あれ人間か」  竜太たちは|呆然《ぼうぜん》と見送りながら、そういえば、学校で、人間の大きさについて教えてもらったことがないことに気がついたのだ。  日本人であれば、末端肥大症の奇型児とも見なされ相撲の看板ぐらいにしか使われないであろう可哀相な大男が、全くの普通人であることに驚いた。日本人からたちのぼるささやかな菜の匂いにくらべ、強烈なむせかえる肉の匂いを発散していることに驚いた。 「鬼や」  それは、竜太たちにとっては、まさに、大江山の|酒呑童子《しゆてんどうじ》であり、羅生門の鬼であったのだ。  何故に、このような妖鬼と戦ったのであろうか。妖鬼と戦う兵士が、父であったり、兄であったり、隣の小父ちゃんであったり、ごくごく普通の人間であることがまず間違いではないだろうか。 「父ちゃんも、鬼と|喧嘩《けんか》したんやなあ。そら殺されるわ」  そして、誰がきいて来たのか、アメリカ人のペニスの大きさを知った時は、ゲッと息をのみ気絶しそうになったくらいである。  その時、竜太たちは、ほんの二本の指でつまめる唐辛子のようなペニスを持って小便をしていたのであるが、中の誰かがこういったのである。 「アメリカ人のチンポはなあ。両手でつかんで、まだ先が出てるんやて」 「アホ。そんなことあるかい」  バラケツが高圧的に否定した。 「ほんまや。ほんまやて」 「何がほんまや。両手でつかんで先が出るちゅうたら、ビール瓶ぐらいあるやないけ」 「そや」 「そんな大けなもの、どこにしまっとくんや。アメリカ人のズボンは三本足か」 「そやないけど。ほんまやねん」 「小便もバケツでぶちまいたくらい出るちゅうんか」 「そや」  アメリカ人ペニス情報を語った子は、バラケツの腕力に、無理矢理に、 「かんにん。|嘘《うそ》や。デマや」  といわされたが、バラケツ正木三郎も、実のところ大きなショックを受けていたのだ。 「竜太。ほんまやと思うか。ビール瓶ほどあると思うか」 「思う」  竜太は答えた。 「やっぱりな」  二人きりになると、バラケツは冷静に受けとめてそういった。 「お化けやな」  思えば、竜太たちの敵意は、その時点で生れたといっていい。戦争の最中は、まだ見ぬ敵であった。他人にきかされた敵であった。それが、戦争が終って何カ月かたち、敵ではなく勝者として進駐して来た彼らを見て、はじめて、本気で敵意を抱いたのだ。  それらは、圧倒的な体躯の差ばかりではなかった。彼らが駆使しているジープと、木炭でやっと走っている日本のバスをくらべてもエネルギーの差は歴然としていた。  バスが、時には乗客に後押しさせながらやっとのぼって行く坂道を、風のように一気に駈けのぼるジープの脅威。そして、石段を車でのぼるという常識を超えたジープの猛威。 「何ちゅうこっちゃ」  アメリカ人と、アメリカの持つエネルギーをはじめて見た田舎町の少年たちにとって、何もかも、大昔の種子島の人々と同じだったのだ。  ただ違っていることは、化け物と戦うのに普通の人間をくり出した大人の愚かさに対する不信、そして、この目であらためて感じた|敵愾心《てきがいしん》、それらに裏打ちされていることである。 「明日、進駐軍が来るんのんか」     4  足柄竜太は、庭に出て絵を燃やした。  戦艦大和が炎上し、零戦が火をふいて墜落し、特攻隊も炎につつまれ、そして、ただの灰になった。  赤城も、飛竜も、長門も、愛してやまない陸奥もただの灰になった。 「せめて、優や秀と書いてあるとこだけでも燃やさんといたら」  と祖母のはるが声をかけたが、 「ええわ。同じことや」  と竜太はそのまま燃やしたのだ。  炎が燃えつづけている間、その中に、この前見たアメリカ兵の姿を見つづけていた。  たえずよく動く部厚い唇、その唇からペッと吐き出されたガムというものの奇妙に光る白さ。  それにしても、彼らはどうしてあんなに楽しそうなんだろう。生れてこの方、戦争をしていようが、戦争をやめていようが、日本の大人であんな楽しそうな人間はいなかったと足柄竜太は思った。  まだ燃えている火の中に、竜太は、コロとヘラを投げこんだ。  とにかく、絵はすべて灰になり、風に散った。   山のさびしい湖に   ひとり来たのも悲しい心   胸のいたみに耐えかねて   ……  晩秋の風が吹いた。  ふと、駒子先生を訪ねてみようかなと竜太は思っていた。  ジープは走る     1  その夜、竜太はなかなか眠れなかった。  心のどこかを打ちひしがれた痛みと、戦いの前の|昂《たか》ぶりとで、息苦しいほどに目が|冴《さ》えていた。  祖父の忠勇に頼まれて、何でもないような顔で絵を燃やしたが、竜太にとっては体の一部を灰にしたような衝撃だったのだ。  何度か眠ろうとして瞼を閉じたが、その都度アッと声を出す程の勢いで炎が渦巻いて見えた。|紅蓮《ぐれん》の炎といってよかった。  視界を真紅に染め、轟々と音たてて燃えさかる炎の中で、戦艦大和や、零式戦闘機や、特攻の勇士たちが、ぺらぺらとまくれ上りながら灰になって行った。  そのいずれもが、足柄竜太が少年の熱い想いで描いた時代への愛情の記録だった。  眠れなかった。  八畳の部屋には、闇にぬりこめられた冷気がたちこめていた。  祖父の忠勇と祖母のはるの寝息が規則正しくきこえていた。  明日進駐軍がやって来る。それやのに、おじいちゃんは、よう寝られるなあと竜太は思った。ぼくなんか、明日のことを思うただけで息苦しゅうなる。  竜太の昂ぶりはそれだった。  昂ぶりを持ち続けると恐怖に変りそうだった。竜太は、次から次へと頭に湧き起って来る思いをかき消すために、歌を歌った。勿論声には出さない。頭の中で歌詞とメロディを追いつづけるのだ。   むかしの夢のなつかしく   訪ね来たりし信濃路の   山よ小川よ また森よ   姿昔のままなれど   なぜにかの君 影もなし 「高原の旅愁」を歌っていると、�訪ね来たりし�が、�タズネキ タリシ�ときこえ、タズネキもタリシも意味不明で、また悩みがふえた。  絵を燃やした衝撃と、明日進駐軍と対決する昂奮で眠れないのに、これ以上、�タズネキ タリシ�まで考えこんでしまったら、夜が明けてしまうと、竜太は思った。  結局は一時間ぐらいしか眠れなかった。  それも、本当にうとうとしたという感じだった。にもかかわらず、竜太は、そのいい加減な一時間の間に、まことに義理固く寝小便をしてしまったのだ。  不名誉な思いと、いまいましさに泣きたくなりながら、国民学校初等科三年生足柄竜太は一句よんだ。   零戦を 燃やすなチンポ ここにあり  そういえば、まさに燃え落ちんとする零式戦闘機に駈けよって、必死の消防作業をする男の夢を見ていた。男が竜太自身であったことは、蒲団の上に描いた世界地図が証明していた。     2  祖父母は、おだやかな陽だまりの中で、|煎《せん》じ薬のように黒いお茶を飲んでいた。  いよいよ今日だというのに、特別の緊張も気負いも見られなかった。いよいよ今日、この家へ進駐軍がやって来るというのに、何でもない静かさが竜太には不思議だった。 「またやったんやて?」  祖父の忠勇が寝小便のことをいった。 「うん」  竜太は答えた。 「そろそろなおさんと、恥かしいで」 「うん」  そら恥かしいわと竜太は思った。三年生にもなって寝小便をするというのは、人様に顔向けが出来ないくらい不名誉だ。しかし、今日は、そんな話せんでもええやないの、と竜太はいいたい思いで忠勇を見た。  今日は、進駐軍を迎えてどうするかという話を、祖父からききたいと思っていたのだ。いわば、討ち入りの朝の大石内蔵之助が忠勇で、大石|主税《ちから》がぼくやないか。 「恐しいことや。飢え死にする人が続出しとる」  忠勇は、竜太の思いなど無視するかのように、新聞の記事に目を走らせながら、感想を口にした。 「食べ物がなくて、全国で行きだおれの人がバタバタ出てるのや。ほら」  と忠勇は、読みかけの新聞を竜太にさし出し、黒いお茶をまずそうにすすった。   始つてゐる死の行進     餓死はすでに全国の街に  という見出しで、全国各都市で見られる悲惨な餓死者、行路死者の状況が報じてあった。帝都、多い時には日に六人、恐怖の夜の宿上野駅。名古屋、すでに七十二名。大阪、駅附近で四十二名。京都、行路死三百名。神戸、百四十八名。福岡、引揚者二週間で百名たおる。  竜太は、つらいと思った。  それと、寝小便とをどうつなげて考えたらいいのかわからなかったが、とにかくしっかりしなければいけないのだ、おじいちゃんはそれがいいたいのだと思った。  竜太は、顔を洗いに裏庭に出た。  祖父の忠勇は、あくまで大石内蔵之助で、討ち入りの決意は、目と目を合せても語らなかった。  青空だった。  季節は、ちょうど秋と冬の境目で、全てが清澄な空気の中できわ立って見えていた。  竹垣に、朝顔の|蔓《つる》の名残りが針金のようにからみついていた。そのすぐ下には、蝉のぬけがらが、やっとの思いでしがみついている。それは、夏から秋にかけて、竜太たちが、季節を忘れた子供たちになっていた証拠といってよかった。  竜太は、ガリガリと食塩で歯を磨きながら、新聞に出ていた餓死のことを思った。  竜太たちも、いつも腹を|空《す》かせていたが、それは餓死とは程遠いものだった。いざとなれば、自然の恵みが味方してくれた。  それでも、この安穏な田舎の町でも、何度か飯泥棒騒ぎがあった。小路に持ち出した七輪で飯をたいていたら、七輪ごと盗まれてしまったという事件である。その容疑者に、バラケツ正木三郎の名が上っていたことを思い出した。  まさかバラケツがともいえたし、バラケツならやりかねないという思いが半々で、だからといって、どちらであっても、バラケツに対する友情がそこなわれるという種類のものではなかった。  餓死か。都会はえらいこっちゃ。  その時、八歳の少年が思えることはそこまでだったのだ。  汲み上げポンプの吸入弁が古くなったと見えて、水の出が悪い。いくら力を入れてみても|喘息病《ぜんそくや》みのようにゼエゼエいうだけで、水は|滴《しずく》ほどにしか出ないのだ。  竜太は、口の中にひろがる食塩のやり場に困りながら、また一句よんだ。この頃の竜太は、ご隠居のようになっている。   パッキンが 喘息|病《や》んで もらい水  パッキンとは、汲み上げポンプについているゴム製の吸入弁のことだ。  そそくさと朝の雑炊をかきこむと、竜太は、墨ぬり教科書の入った|雑嚢《ざつのう》をずるずるひきずり乍ら学校へ向った。雑嚢は国防色の肩かけ鞄で、近頃では�敗戦鞄�という。復員兵の多くがこれをぶら下げていたからだろう。  とうとう祖父は出がけまで、 「今日は進駐軍が来る日やなあ」  とはいわなかった。  ふり向くと、江坂町巡査駐在所という名札と POLICE SUBSTATION という看板が、朝日の中に浮かんでいた。  おじいちゃん、どないする気やろ。     3  台風に侵され、白穂のまま立ち枯れてしまった水田は、今、麦畑に生れ変っていた。  人々に絶望感を味わわせた死穂に代って、何やら希望を感じさせる緑の芽が、乾いた土から何センチか顔をのぞかせていた。  足柄竜太は、そんな麦畑の畦道を、はずみのない足どりで歩きながら国民学校へと向っていた。  同じように畦道を踏んで登校する生徒の姿が何十人か目に入った。 「あいつら」  竜太がいまいましげにつぶやく。 「情ないやっちゃ」  竜太があいつらとののしったのは、新聞紙で折った進駐軍帽子、GI帽をかぶっている子供たちのことだ。  何度かの来訪で、進駐軍は敵ではなくなっていた。恐れおののき、おびえながら近づいたアメリカ兵は意外にやさしかった。やさしいだけではなく、見たこともない美味なお菓子を惜しげもなくわけ与えてくれる天使でもあった。  当初は、幾分の警戒心を抱いて、キャンディと称するものを口にしていた。というのも、戦争中から敗戦時にかけて、万年筆や時計の形をした敵国アメリカの謀殺兵器に気をつけるようにという注意を、耳にタコが出来る程きかされていたからだ。それは、例えば、魅惑的な万年筆が道に落ちている。それを拾って、キャップを開けると爆発するというものであった。  だから、子供たちは、如何にもきらびやかな、赤や青や黄色で彩られた包み紙のキャンディを手にしても、なかなか口に持って行こうとはしなかった。口の中に唾液をいっぱいにためながら、指はがまんの限界を越えてブルブルふるわせながら、それでも、心配気にアメリカ兵の青いビー玉のような目を見つめていた。  アメリカ兵が笑顔を見せた。ビー玉のような目が宝石のように美しく見えた。頬に陽光がかすめ|生毛《うぶげ》が金色に光った。アメリカ兵は、ゆっくりと実演をするように包み紙をむき、キャンディを口に入れた。  子供たちもそれに習った。舌から|喉《のど》にひろがる美味という感覚が、子供たちの心の中から全ての|枷《かせ》をとりはらった。敵対関係はその時点に於いて解消したのだ。  アメリカ兵はたちまち人気者になった。子供たちは、彼らの来訪を待ちわび、親愛と歓迎の意を示すために、新聞紙で折ったGI帽をかぶるようになった。  竜太は違っていた。  竜太はキャンディも口にしなかったし、GI帽もかぶらなかった。相変らずといおうか、益々、竜太の中では進駐軍は敵であった。しかも、今日は、祖父忠勇の駐在所へ、はっきりと征服者として検査に訪れるというのだ。ぼくは大事な絵を燃やした。好きになれるわけないやないけ、と竜太は思った。  |煉瓦色《れんがいろ》した朝鮮牛がぼろ布のようにふわりと通り過ぎた。いまいましいことに、すれ違いざま、竜太の鼻先で、尻尾を高々と持ち上げて糞をして行ったのだ。 「竜太君」  呼ばれてふり返ると、同級生(といっても男女は別教室になっていたが)の波多野|武女《むめ》が赤い目をして立っていた。 「何プンプンしてるのん?」  武女がたずねた。 「プンプンしてへん」  竜太はぎごちなく答える。竜太は、なぜだか、この細面の、切れ長の目を持った美少女と対するとギクシャクしてしまうのだ。  しかし、今は、そのギクシャクよりは、やや|吊《つ》り上り気味の大きい目が、真赤に充血している武女の方が気になった。で、そのことを口にすると、 「お父さんが、昨夜死にかけたんよ」  と答えたのだ。 「何で?」 「|河豚《ふぐ》や。河豚の毒にあたって」 「死んだんか?」 「アホ。死んだら、うちがこんな顔をして学校へ行く筈ないやないの」 「たすかったんか?」 「うん。海へ連れて行って砂の中に埋めたんよ。首だけ出して。唇ビリビリふるわせて、ロロロロっていってたけど、死なへんかったわ」  武女の赤い目は、そのための寝不足のせいだったのだ。 「竜太君も赤い目してるやないの」 「ぼくのは何でもあらへん」 「そう」 「なあ。誰が穴掘ったんや。おばちゃんか」 「うちや。うちが掘ったんよ。お母さんは、ガタガタふるえながらお父さんに抱きついているだけやもん。うちが、大きいスコップかついで行って掘ったんよ」 「えらいなあ」  竜太は感嘆の声をあげた。もし、祖父の忠勇が河豚の毒にあたって苦しみはじめた時、 「さあ。おじいちゃん。穴掘って入ろ」  といえるだろうか。そんな知恵と決断力が働くだろうか。竜太は自信がなかった。  そう思うと竜太は、今肩を並べて歩いている波多野武女という美少女が、とてつもなく立派に思えて来たのだ。  竜太は、その光景が思い描けた。  漆黒の闇につつまれ、風の音と波の音だけが世界を構成している深夜の砂浜で、武女は女の子には手に余るスコップで砂を掘りながら、こう叫びつづけていたに違いない。 「お父さん。しっかりして。もうちょっとで穴が掘れるんよ。お母さん。お父さんのことしっかり抱いててね。もうちょっとよ」  波多野武女が、父の命を救うために懸命になっている頃、ぼくは寝小便していた。  同じように目が赤くてもこんなに違うと思うと、竜太は|愕然《がくぜん》とした。  波多野武女は退役軍人の娘だ。  戦争中は、優雅な生活を、この田舎町の生活水準から見ると、お屋敷とよんでいいようなくらしをしていたが、敗戦この方売り食いがもっぱらだという大人たちの|噂《うわさ》だった。戦犯は逃れたものの、世間の風当りは決して弱くない。何度か、いやがらせが目的の強盗が入ったこともあり、今にどこかに逃げ出すのでは、といったいい加減な話もささやかれていたが、武女という少女には、一向にくじけたところが見られなかった。  常に矜持に満ち、美しかった。  今も、竜太の鼻先で、綺麗に編み上げた三つ編みが元気よく踊っている。  竜太はためいきをついた。  国民学校が目の前に見えて来た。  新聞紙のGI帽が五つ六つ、竜太たちを追い抜いて行った。     4  家へ帰るとジープがとまっていた。  ボンネットに黒人兵が腰かけ、クチャクチャとガムを噛み、噛むあい間をぬって、陽気に歌をうたっていた。  そのジープを遠まきにとり囲んで、大人も子供も珍しい動物を見るように見つめていた。動物は、バカでかい半長靴でボンネットを叩いてリズムをとり、時々、ヘイとかヤッとか叫び、その拍子にガムやチョコレートをばらまいた。大人も子供も、それに飢えた犬のようにとびついて行った。  子供たちの中に、ニンジンも、照国も、ボラも、ガンチャも、ダン吉も、アノネもいた。みんな律義に新聞紙のGI帽をかぶっていた。  竜太が傷ついたのは、その中に、バラケツの正木三郎もいたことである。バラケツだけは、進駐軍を敵と思い、キャンディを貰うことを恥かしいと思っている筈だった。そのバラケツが、 「おっちゃん。進駐軍のおっちゃん。ギブミーや。ギブミーしてんか」  と叫びまくっているのだ。おまけに、不格好なGI帽までかぶっている。  竜太は、その横をすりぬけ、自分の家である駐在所に入ろうとした。あけはなたれた戸の間から中が見えた。何か書類をひろげて説明している祖父の忠勇が見えた。  忠勇は、大石内蔵之助に思えたが、それは討ち入りの場であるより、赤穂城あけ渡しの場が似合っていた。  その忠勇の前に、林のように立ちふさがる進駐軍の足が見えた。泥まみれの半長靴がそのまま畳を踏んでいた。  竜太は許せないと思った。すべての怒りがその時竜太の内部で静かに爆発した。  人垣の後に波多野武女がいた。武女の目と申し合せたように視線があった。武女の目はもう赤くはなかった。竜太には、その目が決意をうながす言葉のように思えた。父の命を救うために、砂浜に穴を掘る武女の姿が、瞬間竜太の脳裏をかすめた。  竜太は、家に入らず国民学校の方向に向って走り出した。  竜太は、ジープを襲撃しようと思った。あのジープは絶対に許すべきではないと思ったのだ。  竜太は、学校近くの丘の上に身をひそめ、石ころを山のように積み上げた。それが唯一の武器であった。  ジープは必ずこの道を通って帰って行く。それに、この場所は見通しがよく、充分準備に費やす時間をとることが出来るのだ。  胸ははずみ、体中に冷たい汗をかいていた。目は吊り上り、目尻がひきちぎれるように痛いほどだった。石を握りしめた。そのとたん、石は爆弾に変った。  足柄竜太。年齢八歳。  竜太はなぜかそんな当り前のことを考えていた。  西風が、石ころだらけの道を過ぎたあと、反対の方向につむじ風のような砂ぼこりが見えた。  来たのだ。ジープが来たのだ。さあ爆弾よ。ぼくの爆弾よ。ぼくに絵を焼かせ、そして、畳を泥靴で踏んだあの進駐軍の上で思いきり爆発してくれ。  砂ぼこりが目の下に来た。投げるんだ。今だ。竜太、投げるんだ。  そして、そのあと、竜太の思いではこうなる筈だった。つぶては数限りなくジープを襲い、陽気なアメリカ兵たちは額を割られて傷つき、そして、その場にたおれるか、生き残った奴が竜太を求めて追って来るか。  だが、ジープは何事もなく通り過ぎて行った。竜太の指は硬直し、一本一本はがさないと石からはなれなくなっていた。  日暮れが迫っていた。風が寒かった。竜太はとぼとぼと家路を歩いた。今のことは誰にも話さないでおこう。  丘を下ったところで、波多野武女に会った。武女は|恐《こわ》い顔して、 「どこへ行ってたん?」  ときつい口調でいった。 「うん。ちょっと」  竜太はそういうと、武女をのこして走り出した。   ジープ追い 今日はどこまで 行ったやら  三本足の怪人     1 |朕《チン》ト|爾《ナンジ》等国民トノ間ノ|紐帯《ちゆうたい》ハ、 終始相互ノ信頼ト敬愛トニ依リテ結バレ、 単ナル神話ト伝説トニ依リテ 生ゼルモノニ非ズ。 天皇ヲ以テ|現御神《アキツミカミ》トシ、 |且《カツ》日本国民ヲ以テ 他ノ民族ニ優越セル民族ニシテ、 |延《ヒイ》テ世界ヲ支配スベキ運命ヲ有スルトノ 架空ナル観念ニ基クモノニ非ズ。  明けて昭和二十一年は、天皇の人間宣言から始まったが、それはもう足柄竜太たち少年にとって、大して興味ある問題ではなくなっていた。  バラケツこと正木三郎にいわせれば、今一番偉いのは天皇ではなく、|松毬《まつかさ》で、新生日本の守護神は松毬大明神だということだった。  唐突に松毬が登場して来てやや意味不明の感を免れないが、これはバラケツ、そしてバラケツの家族の知的水準のせいで、松毬とは、ダグラス・マッカーサー元帥のことである。 「松毬ちゃうで。マッカーサーや」  ようやく誤りに気づいた竜太が訂正する。 「何や? それ」 「マッカーサー元帥。進駐軍の親玉や」 「マ元帥か?」 「そや。マ元帥や」 「マ元帥が松毬かいな」  とバラケツは、ようやく松毬大明神の誤りに気づいたのだ。  新聞の大見出ししか見ない彼らにとってマ元帥という呼称こそ現実味を帯びたものだった。  一瞬にして、路傍の松毬は大明神の座を滑り落ちたが、かといって、それによって、天皇が神の座に復活するものではなかった。  新年早々の人間宣言の詔書によるまでもなく、竜太たち少年の心の中では、胸躍る神話とともに、とうの昔にかき消えていたのだ。  八歳、九歳の少年にとって、戦勝国と敗戦国の、支配者と非支配者の力関係を、論理的に受けとめる能力はある筈もなかったが、それでも、今日本で一番偉いのが、マ元帥ことマッカーサー元帥であることは現実として感じることが出来ていたのだ。  松毬大明神こそ誤報であったが、マッカーサー大明神なら誰も不思議に思わない世情だった。  昭和二十一年の早春は寒かった。  色彩を失った季節は、虚脱と荒廃の色だった。ザラついた粒子の荒い冬空に、|凧《たこ》が踊っていた。|凍《い》てつくような冷気をはらんだ北西の風を受けながら、竜の字を描いた凧は、中空でうなりを上げていたが、見ようによっては、空腹にあえいで悲鳴を上げつづける日本人の姿にも見えなくもなかった。  とにもかくにも年は明けた。  ささやかながらも正月の儀式は、静かに行われた。平和でもあったし、無気力でもあった。  竜太の家でも、祖父の忠勇、祖母のはると、型通りの「おめでとう」を口にしながら、山の|端《は》に顔を出した初日を見つめていた。 「日の丸はないな」  忠勇がいった。  それは当然のことだった。当然のことを口にしなくてはいられないところに、忠勇の老いがあった。  そんな形で昭和二十一年になった。  飾り物も充分でない中で、松飾りの松だけが勢いよく風の中に立っていた。  少年たちが集った。  少年の心で崩壊したものは、もはや再生不可能であったが、それはそれとして生きつづけるしたたかさが彼らにはあった。 「何ぞ、おもろいことせえへんか」  バラケツがいう。 「おもろいことあるやろか」  と懐疑的に口をはさむのは照国だ。 「竜太が考えるやろ」  当然のことのように知恵を要求するバラケツに向って、竜太は、 「そやなあ。おもろいことなあ」  といって腕を組んだのだ。  風が吹いていた。風の中に子供たちがいた。子供たちは、防空頭巾を防寒頭巾に用途を変えて、今までとまるで違う種類のしたたかさで、おもろいことを探していた。     2  春になった。  足柄竜太たちは四年生になった。何事も変りなくといいたいところだが、新学期早々に異変があった。男女共学になったのだ。  それまで、女生徒組の教室の前で立ちどまるだけで、ぶん撲られていたのに、同じ教室で、しかも、机を並べて勉強しろというのである。  竜太たちはとまどった。  中でも、バラケツのとまどいは逆上といってよかった。|臍《へそ》が出る程セーターをたくし上げ、猛烈に腰をふりながら、唇をとがらせて異論を唱えたのだ。 「いややで。女は臭い。女と並んで勉強出来るかいな」  先生は困った顔をするだけで、理不尽なバラケツの抗議に対して怒りはしない。先生が怒ることをやめてから、もう半年以上になるのだ。 「アホらしい。学校やめや。ほんまもんのバラケツになるわ」  バラケツ正木三郎は、益々図にのって、教室の中をうろうろと歩きまわる。女は臭いと鼻をつまんではしゃいでみたり、時に威圧的に先生をにらんでみたり、それは、逆上としかいいようのないふるまいだった。  先生は、元教壇のあった場所で、(民主主義は同じ高さで話し合うもの、という即物的解釈で、教壇は廃止されていた)ただ困惑の表情だけ浮かべて立っている。  一年も前ならば、バラケツは、竹の鞭で撲られ、水の入ったバケツを両手に下げて、「私が悪うございました」と連呼させられていただろう。事実この先生も、そのような精神鍛練の実践者だった。しかし、 「なあ。正木。そないな無理いわんと、先生のいうこときいてくれや」  とあくまで気弱で低姿勢である。先生の名前は栗林といい、五十歳に近かった。彼もまた信じるものを失った日本人の典型に違いなかったが、彼のことを流浪の子供と呼ぶわけにはいかない。 「戦争に負けたんや。何もかも変ったんや。変った価値観の中で日本は新しく生れ変ろうとしてるんや。とまどいもある。ためらいもある。けど慣れていかないかん。ええな。正木。世の中に慣れていかないかんのや」 「民主主義やな」  バラケツがいった。 「そや。男と女は平等や。人間は平等や。民主主義はそこから始まるんや。無駄な抵抗したらあかん。慣れるんや」  栗林先生は自分のためにいうとる。と二人のやりとりをききながら竜太は思った。ぼくら、無駄な抵抗もせえへんし、新しいことがつらいとも思うてへん。古いことがみんな嘘やったんかいなとびっくりしているだけや。  バラケツの逆上が何となくおさまったところで、栗林先生は、男女組み合せになった席を発表した。ペアで名前を読みあげる度に、竜太たちは|嬌声《きようせい》を上げてはやしたてた。それは、彼らが初めて口にする|卑猥《ひわい》な感情のこもった嬌声だった。  バラケツ正木三郎の隣の席には、美少女波多野武女が座ることになった。バラケツは、一瞬ゆで上げた蛸のように真赤になり、その後は、信じられない程静かになった。窮屈そうに体をねじ曲げて、この矜持に満ちた美少女の横顔を盗み見ていた。満足そうだった。この分では、一ぺんに民主主義の信者になるだろうと、竜太はバラケツのことを見ていた。  そして、竜太は、バラケツの逆上の意味がわかったような気がした。バラケツは、波多野武女の隣に誰も座らせたくなかったのだ。もしも、栗林先生が、最初に組み合せを発表していたら、それも一番初めに、正木三郎、波多野武女と読み上げていたら、何の悶着もなかったに違いない。  バラケツはムメが好きなんだと思うと、竜太の胸の中に、飲み下すことが出来ない塊が出来た。嫉妬だった。  足柄竜太には、組み合せになる女生徒の名前が発表されなかった。竜太の机は、元教壇のあった位置、黒板の下へ運ばれ、全生徒と対面する形で置かれた。 「今まで、先生と生徒というのは、親と子というのと同じで、縦の関係にあった。けど、これからはそうやない。縦でもなければ、上下でもないんや。みんな横や。横に並んどる関係や。勉強も、先生が教えるんやない。みんなで考えて勉強するんや。ええな。このクラスは、級長の足柄竜太を中心にして、授業を進めて行く。ええな、竜太」 「先生は、何するのん?」  竜太はたずねた。 「先生は、助言と指導や」 「ふうん」 「むずかしいやろ。むずかしいやろけど、まあやってみい」  これも、やっぱり慣れろちゅうことかいなと竜太は思った。  それにしても、一人だけ前に出され、全生徒と対面しているというのは、何とも居心地の悪い不思議なものだった。  生徒たちは、教壇の位置にいるのが仲間だということで、すっかり解放的になり竜太とは逆にのびのびした気分を味わっている。  バラケツも静かだ。波多野武女の横で借りて来た猫のようになっている。こんな時こそ、 「そんなのいやや。ちゃんと先生が教えてくれへんのやったら、学校やめや」  といってくれると助かるのだが、いいそうもない。現状大満足という|体《てい》なのだ。  竜太は、半ば途方にくれながらブツブツと一句よんだ。   先生が 横っちょで見る 民主主義  春一番。歴史的大事である男女共学は、足柄竜太をのぞいて、極めて快適にスタートをきったといっていい。  それは、民主主義の効用ではなく、|稚《おさな》いといえども女の子が肌から放つ不可思議な甘い匂いと、時に焼跡の小花のようにのぞかせる色彩のせいであったのだが、彼らは一様に新しい時代に満足し始めていた。  春も、一歩二歩という歩みを見せて、桜の季節になろうとしていた。     3  桜の花の満開の下を、「リンゴの唄」が流れていた。  歴史的祭事の復活のように、人々は花見に夢中になり、どぶろくや焼酎を持ち寄っては泥酔するまで飲み、且歌った。不安と荒廃と虚脱が、ほとんどの人を悪酔いさせた。花を見る歓喜と、花を見ることが出来る時代を迎えたことに対する幸福感も、荒々しい酔いの前には踏みにじられる花のようなもので、やはり、戦後の春だった。  竜太の祖父忠勇の駐在所へは、喧嘩・傷害の尻が連日持ちこまれ、竜太としては、必ずしも楽しい花見の季節ではなかったのだ。満開の下を流れる歌は、あのもの悲しい軍歌に代って、日本全土に風にのった花粉のように行きわたった「リンゴの唄」が|此処《ここ》でも歌われていた。  その歌は明るかった。青い空という言葉が出て来るが、日本の空からB29の機影を取り除いただけで、空というものは、こんなに青いかと思わせる程、澄み渡った青を感じさせていた。   赤いリンゴに唇よせて   だまって見ている青い空   リンゴはなんにもいわないけれど   リンゴの気持はよくわかる   リンゴ可愛や 可愛やリンゴ  並木路子という歌手は、張りのある澄んだ声で、あくまでも明るく歌っているが、桜の花の下では、そうはいかなかった。  どぶろくと焼酎で、鬱屈を増幅させただみ声は、花に吹く嵐のように、この可憐な歌をどなりまくっていた。   赤いリンゴに唇よせて  と歌うと、必ずその後に、フンジャラ、フンジャラ、フンジャラ、という口伴奏が入っていたし、   リンゴ可愛や 可愛やリンゴ  というくだりでは、   リンゴ(コラマッタ)   可愛や(コラマッタ)   可愛やリンゴ(トクラア)  と暴力的におさまり、歌った人は口からあふれる程にどぶろくを流しこむのが、花見に於ける「リンゴの唄」の常だった。  正常の感覚では、明るく希望に満ちた歌も、一度び酒が入って常軌を逸すると、自棄の歌になった。  しかし、よく考えてみると、どちらの感覚が人間にとって正常であるかわからない時代だったのだ。  竜太とバラケツは、意味もなくフラリフラリと歩きながら、学校の裏山へ登って来た。彼らのやることは、大抵が意味もなくであって、筋道の通った行動などということは、めったなことであるものではなかった。  裏山は、足柄竜太が、去年、進駐軍のジープを襲撃しようとして身をひそめた場所であった。  そこからは、江坂町の半分が見渡せた。半分といっても、人口の密度からいえば九割強で、約七千人の人が住む町は視界の中にある。薄い煙をたなびかせたような春がすみの中に、古い瓦屋根が鈍い光をはなっている。海岸を弦の位置にした弓形の町で、瀬戸内の海の彼方に小豆島が見える筈であるが、今日は霞にさえぎられて見えない。  町のところどころに、一塊の、あるいは、一条の柔かい色彩が浮き出ているのは、今が盛りの桜だった。 「これ食べよや」  バラケツがとり出したのは、黒い|胡麻《ごま》をまぶした大きな握り飯だった。バラケツは、両のポケットから、形のくずれたのを一つずつ取り出し、その一個を竜太にすすめた。 「どないしたんや」 「花見のとこから、もろて来たんや。赤いリンゴに唇よせて、フンジャラ、フンジャラ、フンジャラちゅうてアホな声はり上げとるさかいにな。|隙《すき》が出来るんや」 「ほなら盗んで来たんか」 「ええやないか。花見や。それに、今日みたいなアホな目におうた日は、何ぞ埋め合せせんとかなわんで」 「それもそうや」  竜太も納得して、二人は、ケッケッと笑いながら握り飯にかぶりついたのだ。バラケツは、またたく間に一個をたいらげると、猫が指をしゃぶるように指の股まで綺麗に|舐《な》め、それが終ると、ポケットをひっくり返して、その裏にごみと一緒にへばりついている飯粒を一つ一つつまんで食べたのだ。 「ほんまにえらいめにおうたわ」 「ほんまやな」  と竜太も同情した。  バラケツは奇妙な頭をしていた。生えぎわから五センチ程、一筋のバリカンの跡が入っているだけで、後ほとんどが刈り残しのままだった。バリカンの跡だけが肌色で、竜太は何となく、地図で見た横浜港に似ているなと思っていた。  バラケツがいうアホな目にあったというのは、そのことで、通称猫屋という後家さんがやっている床屋であった災禍なのだ。 「あの猫屋のオバハン、いらちや。後家のいらちや」  バラケツは、何とも哀れな頭を撫ぜながらいう。後家のいらちというのを翻訳すると、未亡人の欲求不満とでもいう意味合いで、ついでに猫屋も解説すると、虎刈りばかりするということで不名誉にも虎屋と|称《よ》ばれていた床屋の亭主が戦死した後、未亡人が店を引き継いだが、技量さらに拙劣だということでひそかに猫屋とよばれているのである。  今日、学校が終ると、竜太とバラケツは連れ立って猫屋へ行った。  その時は何でもなかった。町で色っぽいという評判のオバハンは、愛想よく子供たちを迎え、中井駒子先生の噂話をしていた。オバハンは、以前から、二十歳の未亡人の駒子先生の動静をとても気にしているのだ。 「ほなら、やりまひょか。どっちゃから?」  そこで、バラケツが先の順番をとったのは全くの成行きで、ほとんど意味がない。たまたま竜太が、ボロ雑巾のようになっている雑誌に目を通し始めたタイミングだったので、バラケツが先になっただけの話なのだ。  オバハンは、お世辞にも純白といい難い布をバラケツの首に巻きつけ、 「父ちゃんや兄ちゃん、まだ復員して来いへんのか?」  などと世間話をしながら、赤錆びたバリカンをバラケツの額に当てた。  バラケツは思わず目を閉じた。このバリカンが、食いつき猫と|異名《いみよう》をとる|曲者《くせもの》で、髪の毛を噛み切ろうとはせず食いついて引っ張る代物だったからだ。  しかし、幸運にも今日は機嫌よく、バラケツの前頭部を一条綺麗に刈り落した。だが、よくよく考えてみればそれが不幸だった。 「いやァ。このバリカン。今日は馬鹿に愛想ええなあ」  とはしゃいだ声を出したオバハンが、その時鏡の中をかすめた人影を目にするなり、別人のような形相に変貌してしまったのだ。 「あんたッ」  それは、まるで巡査の|誰何《すいか》の声だった。行き過ぎようとした人影が鏡の端の方で立ちどまり笑いかけた。妙に色男ぶった男で、前歯にずらりと並んだ金がまぶしく光った。 「あんたァ」  今度のあんたは違っていた。オバハンは身をよじりながら鼻にかかった声を出した。  色男はもう一度金歯を光らせると、鏡の中から消えた。オバハンは焦った。 「なあ、あんた。悪いけど今日はやめにさせて。なッ、明日、只で刈ってやるわ」 「そんな無茶な。オバハン、この頭どないしてくれるんや」  バラケツが|狼狽《ろうばい》して叫んだ時には、オバハンの姿はもう見えなくなっていた。  それがバラケツの災難だった。 「あれは、池田新太郎やな」  とバラケツがいった。 「あの池田新太郎か?」  竜太がきき返した。 「あの金歯に見覚えがある」  バラケツが確信を持っていう。  あの、というのは、岡山の殿様と同じ名前を持った旅の一座の人気座長のことで、国定忠治が小松五郎をかざして|見得《みえ》を切る時、チカリと光る金歯が|粋《いき》やわあ、と妙な評判をとったものだった。その池田新太郎と、猫屋のオバハンが、どこでどうなったかは知らないが、オバハンの様子からして只事でないということは、竜太にもバラケツにも察しられたのだ。  大人の、男と女の世界を見たような気がした。何故か二人は気持が重かった。何かいやなことに発展しそうな予感がした。   噛む 噛む えんぶり棒  突然息苦しさから逃れるためにバラケツが歌いはじめた。   噛む 噛む えんぶり棒  NHKのラジオで、二月から始まった平川唯一の「英語会話」のテーマソングを、バラケツは歌っているつもりだった。   カム・カム・エブリボディ  というふうにはならないのだ。 「君たち」  その時、背後で男の声がした。虚をつかれた竜太とバラケツが、恐る恐るふり向くと、やや西に傾いた日をまともに受けて、三本足の怪人が立っていた。  古いボール     1  戦後プロ野球の復活第一戦は、昭和二十年十一月二十三日、神宮球場で挙行された東西対抗戦である。入場料六円。観客数五千。  用具の調達もままならず、選手の消息すらまだ完全に|把握《はあく》されていない状況ではあったが、長い抑圧の時代からの解放をうたうかのように、前夜の雨も上り、快晴のもとで行われたという。  プロ野球の夜明けともいうべきこの東西対抗戦に参加した両チームのメンバーは、   〔東軍〕   (中) 古 川(名古屋)   (遊) 金 山(名古屋)   (二) 千 葉(巨 人)   (左) 加 藤(名古屋)   (右) 大 下(セネタース)   (捕)  楠 (巨 人)   (一) 飯 島(セネタース)   (三) 三 好(巨 人)   (投) 藤 本(巨 人)   (投) 白 木(セネタース)   (監) 藤本定義   〔西軍〕   (中)  呉 (阪 神)   (遊) 上 田(阪 急)   (二) 藤 村(阪 神)   (三) 山 本(近 畿)   (一) 野口明(阪 急)   (捕) 土井垣(阪 神)   (右) 岡 村(近 畿)   (左) 下 社(阪 急)   (代打)本 堂(阪 神)   (投) 笠 松(阪 急)   (投) 別 所(近 畿)   (投) 丸 尾(阪 急)   (監) 横沢三郎  というもので、13対9で東軍が勝利を収めたものである。  後になって、あたかも宗教のように心をとらえてはなさない野球も、この時点では、まだ足柄竜太やバラケツ正木三郎たちの関心の外にあった。従って、これらの結果を知ることもなかったのだが、それでも、書き加えておかなければならない出来事なのである。     2  日は西に傾きはじめていた。  瀬戸内のべた|凪《な》ぎの海が、突然華やかな金糸にいろどられ、ガラスの粉をまき散らしたようにきらめいている。  淡路島の西海岸の江坂町では、|黄昏《たそがれ》前の何時間かが一番日光の直射を受け、はなやいだ雰囲気につつまれる。  今がそうで、古い瓦屋根が、慌てて化粧でもしたようにまぶしく光っているのだ。  つい先程まで、町のあちこちをやわらかく彩っていた満開の桜が、今度は逆に白っぽく存在感を薄くしてしまっている。  そんな時間の、そんな風景を見下ろせる学校の裏山で、足柄竜太とバラケツ正木三郎は、西日を浴びた三本足の怪人と|対《むか》い合っていたのだ。 「誰や」  バラケツがかすれた声を出した。  同時に竜太も、口の中で、誰やといいながら声の主を見た。 「君たち」  三本足の怪人は、ふたたび同じ呼びかけをして近づいて来た。意外に声はやさしかった。別におどろおどろしくもなく、地底からきこえる幽鬼の声のようでもなかった。極く普通か、普通よりはやさしい感じだった。  しかし、風体は、山の中で突然出会うには有難くない異様さだった。竜太が|咄嗟《とつさ》に三本足の怪人と思ったのも無理はなかった。  三本足と見えたのは、松葉杖のせいだった。その男の左足は膝上のあたりで切断されており、その切断線で切りそろえた|軍袴《ぐんこ》が、ゆらゆらと頼りなげにゆれている。 「三本足やない。三本半や」  バラケツが顔をひきつらせながら笑った。 「そや」  と竜太が答えた。  男は、戦闘帽を眉の下まで引きおろし、|目深《まぶか》というにも極端過ぎるかぶり方をしていた。戦闘帽の下から伸び放題の髪の毛がはみ出していて、顔をつつみかくす程になっている。おまけに、鼻と口を覆う大きな白布のマスク、顎は針のような無精髭が密生しているとなると、そもそもどんな顔をしている男かも知る手だてがないのだ。  顔をかくしているとしか思えなかった。  顔をかくさなければならない理由を持った人間に、善人がいる筈がないと、ほとんど本能的に竜太とバラケツは感じたのだ。  男は、重そうなリュックを背負い、敗戦鞄と水筒をたすきに掛けていた。典型的な復員兵のスタイルであったが、何ともいえない不気味さがただよっていた。 「寄るな。寄るな」  バラケツが叫んだ。  男は、松葉杖に全体重をかけながら、ゆっくりと近づいて来た。一歩踏み出す度に、白木の松葉杖が悲しげな悲鳴をあげた。  誰やろ。  ぼくらに何の用やろ。竜太は思った。  西日に真赤に染まりながら、荒い息で松葉杖を運ばせて来る男は、墓場からよみがえったような鬼気と妖気を感じさせた。しかし、墓場の使者の復讐を受けなければならない理由は、もとより竜太にはなかった。とすれば、敗戦この方、新聞紙上をにぎわせ続けている生活のための犯罪の犠牲にぼくらはなるのやろか。ぼくらを襲っても一銭の得もない。やめとき、やめときいなと叫びたくなったが、それもいえない雰囲気だった。  バラケツも体を硬くしていた。 「寄るな。寄ったらあかん。寄らば斬るぞ」  すぐ目の前にまで来た男に、バラケツは逆上して、とんでもない|台詞《せりふ》を口走った。 「寄らば斬るぞォ」  男は足をとめた。  バラケツの|啖呵《たんか》におそれをなしたわけではない。こみ上げて来た笑いを思いきり吐き出すためだ。男は、マスクの中ではあったが、信じられないような晴れやかな笑い声を立てた。  墓場からの復讐鬼や、焼跡の強殺魔なら、ヒッヒッヒッと陰々と響くはずであるが、男の笑声は、カラカラと気持よくはじけた。  笑い終ると男は、 「寄らば斬るぞか。戦争この方、こんなに笑ったことはないよ」  といった。  竜太の印象は、それで大分修正された。しかし、バラケツの逆上はそんなものではおさまらなかった。 「何がおかしいねん。それ以上寄って来てみい。ほんまにやったるで。わいは、バラケツやで」 「何だ。それは」  男がいった。 「バラケツ知らんのかいな。デンコや。与太|者《もん》や。不良や」  フッと男が笑った。 「竜太。油断したらあかんで。こいつは怪しい。|武女《むめ》のところへ押し入った強盗かもしれん。|七輪《かんてき》泥棒かもしれん。此処で逢うたが百年目。成敗してくれる。竜太ァ」 「何や」 「知恵出せえ。何ぞ、やっつける、ええ知恵出せえ」 「知恵か」 「そうや」 「無い」 「アホ」  竜太はムッとした。元々知恵のない奴に、今だけ知恵の出ない奴が、アホといわれる覚えはない。それは根本的に違うのだ。それに、バラケツは、まだ異常に逆上しているが、竜太は、この三本足の怪人に対する恐怖心がなくなっていたし、従って戦意も喪失していたのだ。そんな状態で、戦略の知恵が出るわけがない。  男は、二人のやりとりを黙って見ていたが、又、ゆっくりと近づいて来た。今度は明らかに目が笑って見えた。 「驚かして悪かったな」  男の声はやはりやさしかった。 「怪しい者じゃない。そりゃあ、こんな姿で山道をうろうろしてたら怪しまれても仕方がないが、それもやがてわかる。いや、怪しいままで立ち去ることになるかもしれんが、まあ、それは、君らには関係のない大人の理由だ」  最後の方は独り言のようだった。  竜太にも、バラケツにも、男が何をいおうとしているのか理解出来なかった。  男は、松の木に体をもたせかけ、一本の松葉杖をはずした。それが彼の休息の形であるらしかった。  そうして、男のやさしい目は、眼下にひろがる江坂町の家並を端から端までゆっくりと見渡していた。男は何にも声を出さなかったが、体中から、懐しさを嗅ぎとっているさまが感じられた。少なくとも竜太には。  バラケツが、目くばせで竜太を呼んだ。 「竜太。あいつ、何しとると思う」 「懐しがっとる」 「ちゃう。今晩どこへ押し入ろうか考えとるんや。おじいちゃんに報告したれ」 「そんなんとちゃうて」 「あかんなあ。竜太は甘い」 「バラケツは下品や」 「まだ油断したらあかんで」  そんな二人のこそこそ話を無視したように男が話しかけて来た。 「君ら、当然ここの学校の生徒だろうな」 「そや」  と二人が同時に答えた。 「何年生だ」 「四年生」 「そうか」  そこで男は息を呑んだ。いや、出しかかった言葉を呑みこんだといった方がいいかもしれない。すぐ真下に江坂国民学校の朽ちかけた木造校舎が見える。老朽のためつっかい棒がしてあるボロ校舎で、   つっぱり学校 ボロ学校   風に吹かれてユーラユラ  と伝統的な自嘲の唄が残されている代物で、今、男はその校舎を見つめていた。  バラケツは、まだ単純な敵意で男を凝視していたが、竜太は違っていた。  竜太は、何故かこの男に、大人がよくいう深い訳といったものを感じていたのだ。 「君らに、頼みたいことがあるのだが、きいてくれるか」  男がいった。 「何や」  バラケツがつっかかっていった。 「中井駒子先生を呼んで来てくれないか」 「何やて」  竜太とバラケツの言葉は同時だった。  本当は二人ともゲェッと叫ぶところだったのだ。胃袋を|掴《つか》み上げられたような息苦しさを感じた。  えらいこっちゃ、と二人は思った。  竜太の内部で可成り修正されていた男の印象がたちまちにして崩壊した。  何ちゅうこというねん。この墓場からの使者は。  それにしても、中井駒子先生を知っているこの男は一体何者なのだろう。そういえば、この学校の裏山から、江坂の町を見渡す男の目も普通ではなかった。竜太にはもう一つ|上手《うま》く理解出来なかったが、涙ぐみたいような目をしていたとも思えた。江坂町に深いつながりを持ち、しかも、中井駒子先生に何かしら関わりがあるらしいこの男が、再び不気味に見えて来た。  目深にかぶった戦闘帽、伸び放題の髪の毛、鼻と口を覆いかくす大きなマスク、針のような顎鬚、そして、膝上で切断されているらしい左足、その不自由な体を支える白木の二本の松葉杖。  復員姿で、不自由な身体で、しかも、人目を避けて山道を歩く男が、常識的に考えて安心出来る存在である筈がなかった。  一時思ったやさしい目の印象と、やさしい声、晴れやかな笑い声にだまされてはいけないのかもしれないなと竜太は思った。  それ見い。わいのいうた通りやないけ。こいつは悪人や。中井駒子先生を狙う悪人やとバラケツの目が話している。 「どうだろう。一っ走り呼んで来て貰えないか」 「駒子先生に何の用や」 「会うことが用だ」 「あかん。そんな用事は|出来《でけ》へん。駒子先生にもしものことがあったら困るもん」  竜太がいった。 「なあ。おっちゃん。誰やねん。それいうてくれんと呼びに行けへんわ。呼びに行っても駒子先生|来《き》いへんで」  バラケツが居丈高にいう。こういう時バラケツは、必ずセーターをたくし上げて臍を出すのだ。 「おっちゃん。名前は」 「名前か」 「無いのんか」 「うむ……」 「ほんまに無いのんか」  バラケツがせきこんだ。 「墓場からの使者や」  竜太が悲鳴に近い声を上げた。 「墓場からの使者。そうかもしれん」  男は、竜太の言葉を反復するとさびしげな笑い声を上げた。それは、もう先程のカラカラとよく響く笑い声とは異質のどこかじっとりと湿った厭な笑い声だった。     3  黄昏にはまだ間があった。  国民学校の校庭へ、竜太とバラケツは、息を切らして駈けこんで来た。  二人は、駒子先生の所在を訊ねながら、スピードをゆるめることなく走りまわった。  一大事でござる。一大事でござる。  そんな感じだった。  竜太の小さな掌には、しっかりと一個の硬式の野球ボールが握られていた。それは、あの三本足の怪人から手渡されたものだった。  竜太とバラケツが、男に向って、身分証明になるものの提示をしつこく求めた時、男は敗戦鞄の中から、薄汚れた硬式ボールをとり出すとポンと投げてよこしたのだ。 「何や。これ」  この言葉には二重の意味があった。  どういうつもりだという問いであるとともに、この物は何だという問いでもあった。  竜太もバラケツも、それは初めて見る代物だったのだ。  薄汚れてはいるけれど、その革の表皮は、しっとりと掌におさまった。悪い感じではなかった。二三度掌で転がすと、|瓢箪《ひようたん》型の糸の縫い目が気持よい刺激を与えた。可成り重かった。得体の知れない物を品定めする目付きで見ると、表皮に万年筆で何か字が書かれてあったが、それはもう年代と風雪を経て判読不明になっていた。 「野球のボールだ。野球をやったことがあるか」 「知らん」 「そうか。野球を知らんのか」  男はやるせない目をした。 「いいか。そのボールを駒子先生に見せてくれ。そうすれば、後は、そのボールが全てをしゃべってくれる」  男はいった。  結局、竜太とバラケツは、そのボールを持って駒子先生のところへ走る役目を引き受けてしまったのだ。  バラケツは、走りながらも、わいは知らんで、わいは知らんでと責任を回避しつづけていた。  竜太は、この事が、何かとんでもない凶事を引き起す原因になるような予感を感じながらも、皮でつつまれた古いボールの意味合いの深さのようなものを無視出来なくなっていた。竜太とは、そのようなことを感じる少年だった。  中井駒子先生は、教室でオルガンをひいていた。  竜太とバラケツは、教室の窓を|百足《むかで》のようによじ登ると、まるで呼吸を合せたように、 「駒子先生」  と同時に呼んだ。  春のうららの隅田川……のメロディの中に入りこんでいた駒子先生は、不意をつかれて、指を鍵盤にすべらせたが、それでも、花のように見える笑顔で二人を迎えた。 「どうしたの」  といい、次に駒子先生の目に入ったのは、バラケツの半刈りの頭だった。 「何なの。その頭」 「猫屋のオバハンにやられたんや。ここまでバリカン入れといて、旅役者の池田新太郎が帰って来たら、あんたァいうて、どこや行ってしもたんや。無茶苦茶や」 「しょうがないわね。あのひとも」  駒子先生は、軽く眉を寄せて、猫屋の後家さんを非難して見せた。 「明日行ったら、只で散髪してくれることになっとるんや」 「バラケツ」  と竜太が、言葉をはさんだ。このままにしておくと、話が果てしもなく続きそうだった。ぼくら、重大使命を帯びて駈けて来たんやないけ。 「何か用?」  駒子先生が様子を察して訊ねてくれた。 「うん」  といいながら二人は口ごもる。  バラケツのアホと竜太は思った。こんな事は、駒子先生、えらいこっちゃ、あのなあ、と三つ続けてトントントンと行かなきゃ話せるものやない。|間《ま》や。段取りや。それを途中で、猫屋の話をしたりするよって、えらい苦労やないけ、と竜太は腹の中でうらんだ。 「駒子先生に会いたいいう人が裏山にいる」  竜太がいった。自分が何か悪いことでもしているような歯切れの悪さだった。 「私に。誰」 「知らん」 「男のひと。女のひと」 「男のひとや」  と竜太がいったのを引きついで、 「先生。行ったらあかんで。行ったら、えらい目にあう。気色悪い男や。復員兵のかっこうで、顔かくしてんね。人目に会わんように山道ばっかり歩いて来たんや。絶対悪い奴や。それに三本足や」  とバラケツがしゃべり始めた。 「三本足って」 「ほんまは一本足や。けど、松葉杖ついとるさかい三本足や。けど、足は半分だけ残っとるさかい三本半足や」  バラケツの説明は支離滅裂になる。 「さあ。正木君。落着いて、ちゃんと説明してちょうだい。その男のひと、先生の名前を知ってたのね」 「そや。それが怪しいねん」 「体の大きい人」 「大きい」 「年齢はいくつぐらい」 「わからへん。顔全然見えへんのや。それが怪しいねん」 「そう」  駒子先生の顔にかすかに動揺の色がかすめた。駒子先生は、バラケツに説明を求めることをあきらめて、竜太の肩を掴んだ。  竜太は、観念した。 「先生。これ」  と掌に包みこんだままの皮のボールを、駒子先生の鼻先にさし出した。  その時の駒子先生の表情の変化を、足柄竜太は、その後何年も忘れることが出来ないでいた程だ。それは、人形に魂が注入されて行くような、奇跡を目のあたりに見ているような変化だった。 「竜太君。これは」  駒子先生は、竜太の手からボールを奪うと、瞳が張り裂ける程に目を見開いた。駒子先生の頬が、さっと桜色に上気して来るのと、見開いた目から涙があふれ出るのとが同時だった。駒子先生の体がふるえ始めた。 「駒子先生。どないしたんや」  バラケツが訊ねた。 「このボールを見せたら、駒子先生は、全部わかると、そのひとはいうてた」  竜太が、どう始末をつけていいかわからないというふうに気弱にいった。 「そう。そうなの」  駒子先生の体は、どこもかしこもふるえつづけていたが、よく見ると、どこもかしこも笑っているようでもあった。 「気い違うたんとちゃうか」  バラケツが竜太の耳もとにささやいた。 「アホ」  と竜太は、バラケツをたしなめながら、少なくともこの皮ボールは、駒子先生に恐怖や不幸をもたらすものではなさそうなのを感じてほっとしていたのだ。  悲しき竹笛     1   ひとり都のたそがれに   思い哀しく笛を吹く   ああ細くはかなき竹笛なれど   こめし願いを君知るや 「悲しき竹笛」という歌をきくと、足柄竜太は何故か悲しくなる。それは、時が過ぎ、彼が青年とよばれる年代に達しても変ることなく、彼の胸にただよっている情感の水のようなものを、重く冷たく凍らせるのだ。  西条八十作詞、古賀政男作曲、近江俊郎、奈良光枝唄のこの流行歌に、特別悲しい想い出があるわけではない。いわば昭和二十一年という時代の悲しさを、色彩とか温暖寒冷といった皮膚感覚とともに思い出すのである。後から思えば、あの頃は、誰もが極度に滑稽で悲しかった。  滑稽さも悲しさも、懸命に生きるために生れたものであり、悲喜劇という言葉で解釈してしまうには、余りにも生々しく息づき過ぎていたといえるかもしれない。  とにかく、足柄竜太は、   ひとり都のたそがれに   思い哀しく笛を吹く   ……  という歌をきくと、ほとんど連鎖反応といっていい正確さで、明度の減じた陰鬱な空の色と終戦直後の嵐の中で、ギニョールのように踊りつづけた大人たちや、仲間の子供たちを思い浮かべ、涙ぐみたい気持になるのである。  それが、何故「悲しき竹笛」なのかということは、竜太自身にも説明がつかない。同じ、昭和二十一年の他の流行歌にも同様の感慨を持っていい筈であるが、それはないのである。「東京の花売娘」とか、「別れても」とか、「愛のスイング」とか、「かえり船」とか、如何にもその時代らしい歌があるにもかかわらず、「麗人の唄」にわずかに似たような感慨を抱くだけで、他にはまるで無反応なのである。不思議といえば不思議である。 「悲しき竹笛」といえば、竜太にはもう一つ想い出があった。  こちらの想い出は、決して悲しいといった種類のものではなく、例によって幼稚で馬鹿馬鹿しい子供たちの、無駄といえば、すべてが無駄な日々のエピソードである。   �日本初の接吻映画�  というのが昭和二十一年につくられているが、実は、初のとうたっている映画が二本ある。一本は、松竹の「はたちの青春」で、一本は、大映の「ある夜の接吻」である。  従って、初の接吻俳優というのも二組いるわけで、松竹の方が、大坂志郎と幾野道子、大映の方が、若原雅夫と奈良光枝で、これは映画史上、又は、戦後史上に残る人たちである。 「悲しき竹笛」は、この初の接吻映画、大映の「ある夜の接吻」の主題歌だったのだ。  何かのはずみに、このことを知った竜太たちは、接吻とは何ぞやということで、何日かを費やすことになった。  第一、これが、セップンと読むということすら、苦労の末判明したところで、セツブツといっていたのだ。  多分、それは、二頁しかない新聞の片隅を飾った広告によって、好奇の目を開かれ、刺激されたのであろう。  セツブツと読むくらいだから、勿論、意味不明であったのだが、�日本初の接吻映画�といういいまわしに、何か秘密めいた、しかも重大な匂いを嗅いだのは、竜太たちの本能といえるかもしれない。  それは、後になっての、「お産の映画」の広告で受けた衝撃よりは、もっとミステリアスな、従って探究の意欲をかきたてるものであった。「お産の映画」の時は、探究というよりは、頭の芯がしびれる興奮で常軌を逸していた状態であったから、竜太たちが、彼らの知恵で何とかするといったものではなかった。 「接吻って何や」  バラケツ正木三郎がいった。 「わからん。調べてみるわ」  竜太は、国語辞典を持ち出し、セップンという項を指でたずねた。 「あったか」 「あった」 「何やて」  そこには、こんな風に実に明解に接吻のことが記してあった。  接吻──相手のくちびるにくちびるをあてて愛情をあらわすこと。キス。キッス。 「愛情をあらわすことちゅうたら、好きやちゅうことか」 「そや」 「唇に唇をあててどないするんやろ。噛むのんか」 「噛んだら喧嘩や。愛情をあらわすことにならへん」 「吹くのんか」 「吸うのとちゃうか」 「吸うのんか。そうかもしれんな。何やそんな気いもして来たな」  とりあえず、接吻という目新しく耳新しい言葉の意味が、おぼろながらも理解することが出来た。  バラケツ正木三郎は、早速クラス一番の美少女ムメこと波多野武女に、 「接吻してくれへんか」  と遠慮がちに頼みこんだが、 「いやらしい」  の一喝のもとに、バラケツの頬に五本の爪跡が生々しく残された。武女は、接吻の意味を、竜太やバラケツよりも、もっと明確に知っていたのかもしれない。  足柄竜太にとって、昭和二十一年は、「悲しき竹笛」のイメージだった。  それは、接吻という心ときめく響きを持った言葉のイメージというより、やはり、どこまでももの悲しいブルーに沈んで行く荒廃と悲哀に満ちた時代の舞台装置を思い出す方が強いのだ。  接吻のエピソードは、そのもの悲しさを拭い去るために持ち出して来る中和剤に過ぎない。  何があんなに悲しいのだろう。  ふとそのことで思い出す中井駒子先生にしても、決して悲劇に遭遇したわけではなかった。いや、むしろ、幸福が予期せぬ諦観の中から蘇生したのだ。  それなのに、竜太のイメージは、どこまでも悲しいのである。     2  生きていた英霊。  その当時、そのような言葉で語られていたかどうか竜太は知らない。もしかしたら、もう少しマスコミの活動が順調に行われるようになってからの言葉かもしれない。  戦死の公報が届けられ、既に、葬儀も行われ、墓碑も建てられた後、戦死者とされていた当人がひょっこり帰還することである。  そのような誤報による悲喜劇は、日常茶飯事という頻度であり、特に異常な設定というわけではなかった。  死んだと諦めていた人間が帰って来るのである。めでたいことである。悲哀のどん底から、頂点の幸福を感じる。その家族の幸福感を思えば、死者にされてしまった理不尽さも、悪い時代の悪い夢と、笑いとばしてしまうより他ないだろう。  それが生きていた英霊である。  しかし、必ずしも、悪い時代の悪い夢と笑いとばしてしまえぬことがあったのだ。  家族が、主として妻が、新しい生活に既に入っているということが、ままあったからだ。妻は、夫の奇跡の生還を祝福しながらも、新しい夫との新しい生活の中に迎え入れることは出来ない。夫は、状況を理解すれば、妻が新しい生活を求めたことも当然としながらも、釈然としない気持にさいなまれる。  それによってひき起される悲劇を、その時代には幾つもきかされた。  妻が自殺することもあった。英霊が復活しながら再び死者に戻るということもあった。駈け落ち逃亡という道を選んだ旧夫婦もあるし、悲しい殺人事件になることもあった。  足柄竜太は、その時期に、いくつも生きていた英霊の話をきかされた。  しばらくは、そのことで持ちきりであったといってもいい。あらゆる事例を大人たちは蒐集し、語り合った。衝撃を感じていることも事実だったし、奇跡を歓待していることも事実だった。と同時に、野次馬の残酷さで、悲劇への発展を秘かに期待していたことも、また事実のようだった。人々は、寄るとさわると生きていた英霊の話をした。 「めでたいなあ。こんなこともあるもんなんやなあ」  といいながらも、必ずその後で、新聞やラジオで仕入れて来た事例を付け加えるのは「そんなことにならにゃあええけどなあ」  という言葉とは裏腹に、一騒動起るかもしれないという他人の酷薄さをあからさまにしていた。  江坂町の人々が、これ程までに生きていた英霊に関心を持ったのには理由があったのだ。  竜太とバラケツが、学校の裏山で出会った三本足の怪人は、戦死したと伝えられていた中井駒子先生の夫の中井正夫であったからだ。これは事件であり、衝撃であった。  中井駒子先生は、二十歳の未亡人という好奇の対象の肩書きは返上したものの、新たに、生きていた英霊の妻という、より好奇な肩書きをつけられ、話題の中心に祭り上げられていた。  同時に、足柄竜太とバラケツ正木三郎も、中井正夫に最初に出会い、しかも、駒子先生との再会の労をとった人物として、井戸端会議の主賓的扱いをされていた。 「そやなあ。話してやってもええけど、只やったらいややなあ」 「お芋」 「あかん」 「蛸の足」 「よっしゃ」  バラケツは結構得意げに噂の中を泳ぎまわり、少々の稼ぎ(といっても、乾燥芋とか、蛸の足とか、時には、握り飯とか、うどんといったものであったが)も得ていたが、竜太はいやだった。  出来れば、そんな話題に入りたくなかったし、そのことによって、中井駒子先生に不幸がふりかかるような気がして仕方がなかったのだ。  いやらしいなあ。みんないやらしい。何やちゅうねん。悪いことが起った方がええちゅうんかいな。竜太は腹の底から怒っていた。     3 「公一もひょっこりということはないやろか。中井さんとこにあったんやから、家にもそんなことがあってもええと思うけどな」  ある日、祖母のはるが、そんなことをつぶやいた。  公一とは、忠勇とはるの息子であり、竜太の父親の名前だった。  生きていた英霊中井正夫の帰還以来、祖母はそのような幻想を抱いているらしかった。 「なあ、竜太。そない思うやろ」 「思えへん」  竜太はにべもなく答えた。  そんなことがあったらええなあ。とさえ思わなくしていたのだ。悲しんだり、懐しがったり、もしやと思ったり、そのようなことは、こと両親に関しては考えないことにしていた。考えたらあかん。考えたら何も出来んようになる。それが竜太の処世だった。  竜太は、やっと完成した竹鉄砲の試射をスポンスポンとやりながら、はるの幻想を無視した。  竹鉄砲は、竹筒に、新聞紙を噛んで丸めた玉を詰め、銃口ぎりぎりまで押しやる。その上に、もう一個の紙玉を詰め、竹の銃芯で力強く押すと、空気圧で最初の玉がポンと飛び出す仕掛けだ。これは、銃口が一センチ以上もある大銃で、小銃の方は、銃口二ミリくらい、銃芯は竹ヒゴで、弾丸は杉の実である。  大銃は、休み時間の遊び道具として使われるが、小銃の方は、スポンという音もしないで、プチッというかすかな音しか立てないので、授業時間にでも使える。小銃は、大銃と違って、敵をたおすというものではなく、むしろ逆で、相手に対しての関心を示すことが多い。バラケツが、しつこい程ムメを狙い撃ちするのはそのいい例である。  と竜太は、竹鉄砲に神経を集中していたが、必ずしも、祖母のはるのくり言を完全に無視出来ていたわけではない。無視しようとつとめていただけなのだ。 「お父ちゃんは、そんなことないわ。確かに死んだんや。|報《し》らせに来てくれた人が、この目で見たというたやないか」  竜太の父の公一が死んだのは、昭和二十年の五月である。あと数カ月で終戦であるから、今から思えば無念さも倍する。しかも、戦死場所が高知県沖ノ島近くの豊後水道でというから、なおさら、生命を永らえさせるための方法はなかったものかと、祖父の忠勇などは今でも悔やんでいるところだ。  長い梅雨のさ中(昭和二十年は八月中旬まで梅雨があけなかった)、公報より先に、同じ船に乗っていた同僚が戦死の報らせを持って訪れたのだ。  暗い一日だったと竜太は思い出す。  二年前、母の良枝が病死し、その時から、竜太は祖父母にあずけられていたが、また、父も戦争で失ってしまったのだ。  若い使者は、祖父母の前に正座して、盛んに、勇敢、責任感、武勇、手柄、名誉という言葉を並べていた。すべて、竜太の父の死を飾る形容詞であったが、一人の人間の死を飾るにしては、あまりに公になり過ぎている言葉だった。それは、その当時の死者に対する慣用修飾語であり、たとえ低俗であっても、父だけのためにある言葉がほしいと、幼いながらも竜太は考えていた。 「おばあちゃん。ちゃんと遺骨も来たやないか。お父ちゃんは死んでるわ」 「遺骨なあ」  祖母のはるが、もう一つはっきりとしない返事をした。  そのわけを竜太は知っていた。  後になって届けられた父の遺骨の中身は、すりへった歯ブラシ一本だったからだ。  今にして思えば、あんなもの誰のものかわからへん、とはるは思っているに違いなかった。  しかし、竜太は、生きていた英霊の幻想を、自分の父に対して抱くことはやめようと思っていた。竜太はあくまでも強い子だった。  新聞紙を掌大に破り、丸めて口にほうりこんだ。唾液をたっぷりとしみこませながらクチャクチャと噛み、竹鉄砲の弾丸をつくった。更に同じ作業をくり返してもう一個をつくると竹鉄砲に|装填《そうてん》した。 「おばあちゃん。撃つでぇ」 「やめとき、危いがな」  スポーンとさえた音がして紙弾は祖母の眼前をかすめた。  それは、祖母の愚かで、哀しい幻想を打ち砕くための、幼い孫のたわむれだった。     4  いやなところに通り合せたと竜太は思った。学校帰りの竜太とバラケツは、例によって敗戦鞄をズルズルとひきずりながら歩いていたが、床屋の猫屋の前に、猫屋のオバハンと旅役者の池田新太郎と思われる男が、まるで彼らを待ち伏せするようにしていたからだ。  店の前に小椅子を持ち出して、猫屋のオバハンと池田新太郎と思われる男は、のんびりとふかし芋を食べていた。二人とも浴衣がけで、男の方は|流石《さすが》に股旅ものの主人公のような感じがしたし、オバハンの方も噂の器量よしも手伝って、ややはだけ気味の胸のあたりなどは、子供の目からも色っぽく見えたが、竜太にはだらしなくも思えた。  店の中には客はいなかった。二人は、ふかし芋を互いの口に運んでやりながら、猫のようにじゃれていた。 「お帰り。いや、バラケツちゃん。この前は悪かったね。散髪途中でやめてしもて」  と猫屋のオバハンはいい、 「ほら。あんたが久しぶりにコソコソ帰って来た日やんか」  と男の脇腹をつっついた。男は、つっつかれると何がおかしいのか、 「ヒッヒッヒッ」  といやらしく笑った。その都度金歯がギラギラと光った。 「おっちゃん。池田新太郎か」  バラケツがたずねた。 「そや。ようわかったな。ええ男やろ」  猫屋のオバハンは、池田新太郎の肩に頭をすりつけるようにして答えた。 「オバハンら夫婦か」  バラケツがたずねると、 「ヒッヒッヒッ」  と今度は二人で打ち合せでもしたように声をそろえて笑った。  いやらしいなあ。ほんまにいやらしい。と竜太は腹を立てていた。 「バラケツ。行こ」  竜太は、早くこの場を立ち去りたかった。 「ちょっと待ってえな。ええやないの、話して行っても。お芋どう」 「いらん」 「バラケツちゃんは」 「そやな。もろとこか」  バラケツは、あっさり芋を受けとると食べ始めた。  情ないやっちゃと竜太は顔をしかめた。このオバハンたちは、中井駒子先生の話をききとうて、芋くれたんやないけ。もう駒子先生の話はやめようちゅうて約束したとこやのに、アホッ、バラケツのアホ。竜太は腹の中でバラケツに毒づいていた。案の定、猫屋のオバハンは、 「なあ。駒子先生、元気か」  とたずねて来たのだ。 「元気や」  竜太が答えた。 「そうかァ。おかしいなあ。中井さんの家は毎晩もめごとでえらいこっちゃいう話やけどなあ。弟の鉄夫さんが、すっかり婿さんになおる気でいたしなあ。駒子先生も半分はその気になってたとこやし。正夫さんが生きてたのはめでたいこっちゃけど、騒動の種にもなりかねんわな。そうかァ。駒子先生は元気なん。二人の間で泣き暮しとるときいとったけどなあ」  そら来たと竜太は思った。  こればっかりや。近頃はこの話ばっかりなんや。いやになる。  バラケツは、無神経にふかし芋を喉につまらせている。  いややなあ、と思いながら、竜太はふと、あの駒子先生の旦那の正夫さんは、どうして顔をかくし、人の目をさけて帰って来たのだろうか。自分の家へ行くのに、自分の奥さんに会うのに、何故かくれて来なければならないのだろうか、という思いにとらわれた。  生きてたんやもん。  堂々と帰って来たらええのに、おかしいなあ。  一本刀里帰り     1  足柄竜太たちの文化との接触は、村芝居から始まったといっていい。  何しろ、ついこの間まで、人間が芸をするなどということは思ってもみなかった世代であるから、人々が浮かれて、歌ったり、踊ったり、大仰に泣いたり笑ったりする芝居というものは珍しく、衝撃でもあった。  歌うということの経験は、勿論竜太たちにもあったのだが、それは芸とは無縁のしろもので、常に儀式であったのだ。  その多くは、出征兵士を送る時に日の丸の小旗を打ち振りながら歌う�勝って来るぞと勇ましく�か、何やら総員の士気を鼓舞する時に大声をはりあげる�見よ東海の空あけて�で、キョクジツタカクカガヤケバというのも意味不明のまま歌っているというものだった。  歌うということの印象は、整列か行進で、決して楽しいものではない。そして、歌の周辺には必ず悲しそうな人がいた記憶があるのだ。  例外といえば、「月月火水木金金」という歌を、   朝だ 四時半だ   弁当箱さげて   今日も出て行く親父の姿   何と勇ましあのうしろかげ   うちの父ちゃん土方の大将   月月火水木金金  と自棄気味のダミ声でどなりまくる上級生を時折見かけたことか、竜太たちが禿頭の大人とすれ違うたびに、   まるまる坊主の禿山は   いつでもみんなの笑い者  と「お山の杉の子」を歌ったことぐらいであるが、これも芸とはいい難い。それも又、|猥褻《わいせつ》な儀式とよんでいいものかもしれないのだ。  ところが、戦争が終り、年が明け、昭和二十一年の夏ともなると、歌は、明らかに芸になった。  春先あたりから、したたかな生命力を持つ旅役者の一団が、ひっきりなしに通り過ぎて行き、町に、華やいだ話題を残していたが、それに刺激を受けてか、町の人々自らが芝居をすることが流行になったのだ。  何か人が|集《つど》う機会があるごとに、人々は一座を組織し、興行をはった。  |演《だ》し物は、大抵流行歌に材をとったもので、第一幕、舞踊劇、第二幕、のど自慢、第三幕、やくざ芝居というのが通常の構成だった。そして、そこで歌われる流行歌が、何故か「長崎物語」と「港シャンソン」と「勘太郎月夜唄」に限られていることに、竜太たちは奇異な思いを抱いていたが、とにもかくにもそれが足柄竜太と文化との最初の出会いであることには違いなかった。  |紫陽花《あじさい》の花が三度び|粧《よそお》いを変えて真夏になった。  そんな頃、中井駒子先生は、復員したばかりの夫正夫とともに、正夫の生家である網元銀造の家を出、別に居を構えた。  やっぱり、鉄夫さんと一緒の家にいるのんは、|按配《あんばい》悪いんやろなあ、と町のおかみさんたちは噂し合った。  中井正夫は、戦死の公報が届いた生きていた英霊で、一度は未亡人の場に立たされた駒子先生は、正夫の弟の鉄夫の嫁になおるらしいというのが、もっぱらの噂だったのだ。 「近頃の鉄夫さんの荒れ方見とるとなあ、只事やったと思えへんわ。駒子先生とちゃんと夫婦の約束でけてたんとちゃうやろか。いや、約束だけやのうて夫婦になってたんとちゃうやろか。それでのうて、あないなきつい荒れ方するわけはないわ」  というのは猫屋のオバハンで、この色っぽい後家の女床屋は、何としても駒子先生を、性悪な敵役にしておきたいという様子がありありだった。 「なあ。あんた。そやろ。男があれだけ荒れるちゅうのんは、只の関係やなかったちゅうことやろ。どない思う」  答を求められたのは、いつの間にか旦那のような形で猫屋にいついてしまった、前歯総金歯の色男、旅役者の池田新太郎で、 「そうかもしれん」  といいかげんに答え、オバハンの膝頭のあたりをコチョコチョとくすぐりながら、 「綺麗な女は身勝手なもんやからな」  と程度の低い哲学をつけ加えたりした。  そんな話は、またたく間に町中にひろがるもので、猫屋のオバハンの悪意に満ちた妄想や、池田新太郎の俗悪哲学までが真実味を帯びて流布され、何やら新派大悲劇風の引越しにされてしまっていた。 「そや。これは、ええ話になる。鉄夫ちゅう男を主人公にした道中物が一本書けるで。惚れて惚れて惚れぬいた義姉の幸福願いつつ、そっと鉄夫は旅に出る。いつか、やくざに身を落し、流れ流れた三年目、ふと旅先で耳にした兄と義姉の苦境を救わんと、鉄夫は故郷に舞い戻る」 「ちょっとした一木刀土俵入りやな」 「そや。夏祭りの芝居は、これで行こか」 「ちょっと待ってえな。それで行くとすると、うちが駒子先生の役をやることになるのんか」 「ええ役や」 「そやろか」  猫屋のオバハンは納得し難い顔をした。  町の文化の指導的立場にあるのが、この池田新太郎で、舞踊劇もやくざ芝居も、すべて彼の経験と創作力によってつくり出されていた。そして、猫屋のオバハンは、池田新太郎大文化芝居の堂々たる主演女優だったのだ。  足柄竜太が最初に手に触れ、目に入れた文化というものは、そういう意味で、必ずしも純粋でも、高級でもなかったといわなければならないだろう。  それはともかく、真夏日の炎暑と、それにも増して熱い人々の好奇の目の中で、中井駒子先生夫婦の引越しは行われた。  引越し先は、ニンジンの家のはなれ座敷だった。ニンジン、新田仁の家は、|新田寺《しんでんじ》というお寺である。   影か柳か勘太郎さんか   伊那は七谷糸ひく煙   ……  足柄竜太や、バラケツ正木三郎や、ムメこと波多野武女らは、所帯道具を積みこんだ荷車を押しながら、仕入れたばかりの文化を高らかに歌っていた。   アアアーカイ ランタアアアン   ヨギリニィ ヌウレエエエテエ  中井駒子先生は、松葉杖をついた夫の正夫に寄りそいながら、荷車のあとにつづいた。  顔は晴れやかだった。  嬉しそうだなと竜太は思った。  三本足の怪人とよんでいた正夫も、綺麗にひげを剃り落すと仲々の男で、そういう意味では似合いだなと思えた。   赤い花なら曼珠沙華   オランダ屋敷に雨が降る  珍しく駒子先生が流行歌を口ずさんだというので、荷車に群がっていた生徒たちがはやしたてた。  引越しは、足柄竜太たち生徒だけの手助けで行われた。  中井銀造の使用人も、そして、噂の鉄夫も姿は見せなかった。  その不自然さが、複雑な事情の結果の引越しであることを子供たちに感じさせた。  竜太は尚更感じる方で、だからこそ、文化的高吟を絶やさずに荷車を押していたのだ。     2  駒子先生たちの新居は、八畳と四畳半のはなれ家で、かまども流しも付いており、独立家屋といってもいいつくりになっていた。  難点は、すぐ目と鼻の先に墓地が広がっているところであるが、その向うには天狗の鼻とよばれている小さな岬が見え、更にその先は瀬戸内海の眺望で、必ずしも悪い風景ではない。  むしろ難点とよびたいのは、そこが新田寺の敷地内であり、したがって可成りの高台にあるということで、役場に勤めることになった正夫にとって、松葉杖での登り降りは相当の難儀であろうと思えることだった。  ニンジンこと新田仁の両親、すなわち新田寺の住職夫婦は、中井夫婦を歓迎した。  手の足りぬ引越しに、夫婦は甲斐甲斐しく手を貸し、一通りの片づけが済むと食事もふるまうという大サービスで、ニンジンは、先生や同級生たちに大いに面目をほどこしたものである。 「おジュッさん、ええとこあるなあ。気に入ったわ」  と大人びた口調で謝意を表したのは、バラケツ正木三郎である。  おジュッさんとは、この地方での僧侶の呼び名で、御住職さんが|訛《なま》ったものであろう。 「ニンジンのめんどうは、わいが見たるさかいな。安心しい」 「おおきに。バラケツちゃんにそういうてもろたら、何より安心やわ。マッカーサー元帥の護符もろたようなもんやもんなあ」  ニンジンの母親は、バラケツに愛想をふりまいたが、強烈ないや味が含まれていることも事実だった。  というのは、ニンジンが度々バラケツに泣かされて帰って来て、学校へ行くことをいやがるということがあったからだ。  しかし、バラケツは、そんないや味は一向に意に介した様子もなく、マッカーサーの護符という言葉を最大の讃辞と受けとって、大満足の体であった。  食後に運ばれて来た西瓜とまくわ瓜をペロリと平らげると、足柄竜太を先頭にして、バラケツ、ムメ、照国、ボラ、ガンチャ、アノネ、ダン吉たちは山を下って行った。  彼らは一様に、駒子先生の役に立ったのだという思いで胸を熱くしていた。 「正木君」  不意にムメがバラケツを呼んだ。 「何や」 「あんた。これから先、新田君のこといじめたらあかんのよ」 「わかってる」 「約束破ったら私が承知せえへんよ」 「わかってるって」  ムメにかかるとバラケツは素直だった。  先生にすら|臆《おく》したことのないバラケツであったが、まさに美少女とよぶにふさわしいムメの切れ長の目に見すえられると、何故か粗暴な心も、並はずれた体躯も、力を失ってしまうのである。  やっぱりバラケツはムメが好きなんだと、二人のやりとりをききながら竜太は思った。すると、胸のあたりが息苦しくなった。二度目の経験だった。 「竜太君」 「えッ」 「竜太君も覚えててね。あんた級長やさかい、バラケツ君のことも責任あるのんよ」 「わかってる」 「私たちで、バラケツ君を不良にせんように守ってあげんといかんのよ」 「守ったる」  竜太が答えると、ムメにかくれてバラケツが竜太の尻を蹴っとばした。  竜太たちは、新田寺の石段を下り終ったところで、山をふり仰いだ。  低い山の頂のこんもりした森の上に、積乱雲が地上から生えたように盛り上っていた。空はあくまでも青く、夏だった。  突如熱した油で水滴がはじけたような暑苦しい蝉の合唱がきこえて来た。  誰も彼もが目がくらんだ。  竜太たちは、やがて黙々と短い影を踏みながら歩きはじめた。  これから、それぞれの家へ帰り、いり豆をもらって海へ行くつもりだった。いり豆は小さな布の袋へ入れ、ふんどしの紐にしばりつけておく。しばらく泳ぐうちに海水が豆にしみて、適当なやわらかさと塩味になる。それが彼らの唯一のおやつであり、楽しみであったのだ。 「駒子先生うれしそうだったね。鉄夫というひと来なくてよかった」  ムメが竜太の耳もとでそうささやいた。バラケツにも誰にもきこえない話し方だった。 「ほんまや。駒子先生のあんな顔見たの初めてや。ムメも気いついたんか」 「ええ」 「そうかあ」  と答えながら、竜太はうれしくなった。ムメと初めて特別の会話を交わせた気持になれたからだ。耳たぶにムメの息の熱さが残っていた。ムメの分までいり豆を持って行ってやろうと竜太は思った。そして、優越感のまじった思いで、バラケツはと見ると、   なりはやくざにやつれていても   月よ見てくれ 心の錦   ……  照国とガンチャとダン吉に騎馬をつくらせて、その上で文化をがなり立てていた。     3  色あせた日傘も、駒子がさすと大輪の花に見えた。  ジリジリと音がきこえるような午後の陽光をいっぱいにはらんで、駒子の日傘はくるくるとまわった。それは嬉しく咲き誇る|向日葵《ひまわり》を思わせた。  新田寺の長い石段を下りながら、駒子の心は弾んでいた。その弾みが日傘にまで伝わり生きもののように見せているのだ。  幸福な夏休みだった。夢のようなといういい方をしてもよかった。事実上の結婚生活が、新田寺のはなれ座敷に居を移すことによって、ようやく始まったのだ。  十八歳で正夫と結婚し、半年後には、出征兵士の妻となった。出征がきまった時、正夫は駒于を、この淡路島の江坂町にある生家へ連れて来、そこで帰りを待つようにいった。  まだ稚かった駒子は、奈良の両親のもとへ帰りたい気持もないではなかったが、いわれるままに中井銀造のもとで長男の嫁としての生活をはじめた。江坂国民学校で教鞭をとる手筈を整えたのも夫の正夫だった。それは、開放的な駒子の性格と、町一番の網元という中井家の家としての性格と、両方を理解している正夫の適正な処置だったといえる。  駒子が駒子先生になることは誰にとっても幸いなことだった。駒子自身にも、他国の嫁を迎え入れた中井家にも、そして、江坂国民学校にとっても貴重な女学校出だったのだ。  駒子の性格は、どこでも気に入られた。先生としてはいうに及ばず、嫁としても、垢ぬけたところのある若い娘の出現は、重く荒々しい気風の網元一家に吹きこんだ涼風にも似た存在だったのだ。  淋しさはあっても、|辛《つら》さはなかった。  正夫の隊が、不利を予想される南方に派遣された時も死ぬとは思わなかった。性格が楽天的ということもあるが、それは、駒子が、運命に対してつきつけた請求書のようなものだった。私たちにはまだ幸福が残されているというのが、駒子のいい分だったのだろう。  しかし、正夫戦死の公報がとどけられ、駒子はたちまちにして戦争未亡人になった。  思えば、傾きかけた時代の中で、恋愛という感情を貫いたのは無謀な賭けだったといえる。その無謀さを、輝きに満ちた青春の成果と評価するのは、当人たちの心の中の、それも多分に後めたい一塊の情熱だけであって、時代は、無惨にも鉄槌を下したのだ。  半年の恋愛、半年の結婚で、暗い時代の駒子の青春は終った。  駒子は、不思議に泣かなかった。  網元の長男の葬儀らしく、大仰にとり行われたが、駒子には悲しみが稀薄だった。  その時点で、実家のある奈良へ帰ろうかと思ったが、それをはばむものが二つあった。  一つは、先生としての半ば背負いかけた責任のようなものであり、一つは、嫁とは、決して家から解放されないものであるということを知らされてである。中井正夫の妻ではなくなったが、厳然として中井家の嫁の立場は残されていたのだ。  正夫の弟の鉄夫の嫁になることをすすめられたことは事実である。鉄夫自身からも何度も愛を告白された。  生きることすら困難な時代を思えば、それは半ば有難く、同時に一人の女としては迷惑なことだった。  駒子は、その意志のないことを、義父母にも鉄夫にも伝えたが、納得はしてもらえなかった。もう少し時を待とうというのが先方の譲歩だった。  しかし、正直いって、駒子自身、同じ屋根の下に住みながら、時を待つ、決して到来しない時を待たせるという状態をつづけることは限界に達していたのだ。特に、若い鉄夫の好意を通り越した荒々しい情熱の前に、自らが悪事でも働いているような|姑息《こそく》さで生きなければならない有様に息苦しくなっていた。  奇跡が起った。  戦死者として葬られていた正夫が突然帰って来たのだ。 「あなたは、何故、顔をかくして町へ帰って来たのです。場合によっては、そのまま行き過ぎるつもりだったのですか」  昨夜、二人だけになると、駒子は、何カ月もたまっていた疑問を初めて口にした。 「いいじゃないか」  正夫は答えたがらなかった。 「私が、鉄夫さんの嫁になおっているかもしれない。むしろその可能性が大きい。それなら、姿を現わさずに何処かへ行ってしまおう。そんなふうに思ってたのでしょう」 「駒子」 「はい」 「狂気の時代を、あれこれ辻褄合せをすることはやめにしよう。今から思えば理不尽であったり、滑稽であったりしても、その時代には選択の出来ない一つだけの答ということもあるのだからな。私が、決していさかいの種をまきたくないと思ったとしても、卑怯者と思ってほしくないんだよ」 「そんな。あなた」 「とにかく、二人だけで始めよう。どういう形であれ、新しい時代が始まろうとしていることは事実だからな。ほれ」  と正夫は掛け声とともに、掌でもて遊んでいた皮の硬式ボールを投げてよこした。駒子の両掌におさまったボールは、涙ぐみたいような懐しさを感じさせた。それは二人にとって青春の記念碑とでもいうべきボールだったのだ。 「中等野球も復活した」 「甲子園ですね」 「いや。西宮球場だ。甲子園は使わせてもらえないらしい。だが、野球をやる奴が全国から集って来たんだよ。この地獄のような日本の端々からだよ」  少年の日に戻って目を輝かせる正夫を見ながら、駒子は胸が痛くなった。何故なら、正夫の肉体は、もう二度と野球の出来ないものにされていたからだ。  日傘をくるりとまわして、駒子の足は港へと急いだ。岸壁ぞいに並んだ露天の市をひやかして、何か美味しいものでも仕入れようと思ったのだ。  転居祝い。就職祝い。野球復活祝い。新婚祝い。祝宴の理由はいろいろあった。 「センセ。いやあ。駒子先生」  すっとんきょうな声がかかった。猫屋のオバハンだった。  駒子は軽く目礼して通り過ぎたかった。 「ええとこで逢うたわあ。先生。今度の夏祭りのお芝居、ぜひ見てやってほしいんよ。うちのひとの書き下ろしでな。�一本刀里帰り�ちゅうんやけど、見てやってくれる」 「私がどうして」 「わけは、そのうち。見たら、まあ、わかりまっけどな。な。見てやってほしいわあ。うちらの文化活動に協力してほしいわあ」  駒子は、妙にねちっこくからみついて来る猫屋のオバハンにへきえきし乍ら、「一本刀里帰り」という芝居にいやなものを感じていた。  ア ホ な 夏     1  戦後、復活第一回の全国中等学校野球大会は、昭和二十一年八月十五日から二十一日までの一週間、西宮球場で行われた。  甲子園球場は、占領軍によって接収されており、使用不能であった。  この大会の予選参加校は七百四十五校、本大会代表校は、戦前の台湾、朝鮮、満州を除く十九地方代表である。  歴史的な意味合いを持つ戦後の中等野球のプレーボールは、京都二中と成田中学の一戦で幕を開け、京都二中・田丸、成田中学・石原の投げ合いの末、一対零で京都二中が勝っている。終戦後最初の公式大会の勝利校は京都二中ということになるのだ。  大会は、大阪代表浪華商業の左腕投手平古場昭二のカーブが冴えわたり、四試合に六十一の三振を奪う快投で優勝をさらっている。  平古場は、そういった意味で、戦後最も早い時期に於ける野球のヒーローであるが、人々は、その三振の山を築く快投ぶりから、雲つくような巨人投手を想像していたが、実は小さな大投手とよぶのがふさわしい体躯であった。  おそらく、歴代優勝投手の中でも一番小柄の部類に入るのではないかといわれている。  しかし、人々は、混乱と荒廃の中で、雄々しく復活した中等野球に胸の痛くなるような感慨を覚えていたし、その中で、快挙を成し遂げた少年投手は、敗北を知らぬ奇跡の子供の誕生にも思えていた。たとえ少年であろうが、少年が小躯であろうが、ヒーローは、人の口から人の口ヘ伝わる間に巨人に変身させられて行く運命にあったのだ。 「平古場か。あれはドえらいやっちゃ」  だから、この浪華商業平古場昭二投手を、大巨漢投手と長い間思いこんでいた人々は多いのだ。  誰のせいでもない。  それは時代の飢餓であり、飢餓が見させた時代の夢であり、その時はまぎれもなく巨漢投手であったのだ。     2  全国中等学校野球大会が復活し、平古場昭二という新ヒーローが誕生しても、又、昨年の十一月二十三日の東西対抗をきっかけに、職業野球の公式戦も再開されたというのに、この淡路島の西海岸の町には、まだ野球風はそよりとも吹いていなかった。  情報、交通が隔絶された孤島というわけではない。島の北端の岩屋から連絡船に乗れば、|時化《しけ》の時でも一時間もすれば明石に渡ることが出来る。交通事情の悪さを考えても、神戸まで三時間、大阪まで半日を見込めば行ける位置にあり、いわば、阪神文化圏の中に入る都会の枠内にありながら、淡路島の西海岸(西浦とよんでいた)は、かたくなに田舎でありつづけていたのだ。  江坂町にしてみても、北の通称七曲りと、南の天狗の鼻という二つの岬を境にして、他町村、ましてや、神戸や大阪、日本や世界といった規模の情報は、逆戻りして行くのではないかと思われる程入って来なかった。  従って、昭和二十一年夏の足柄竜太たちは、まだまだ野球とは無縁の少年たちであった。  江坂町で、ただ一人、中等野球の復活に胸を熱くしている人間がいるとしたら、それは中井駒子先生の夫、中井正夫であった。  中井正夫は、新しく勤め始めた江坂町役場の後庭に松葉杖の体を運び、紺碧に晴れ上った真夏の中に腰を下ろした。切りとって体に巻きつけたい程の青空だった。  たちまちにして体中から汗が噴出し、その汗は反射的といっていい早さで、正夫の中の忘れ難い記憶を呼び起した。  深山で、水を切る音が谷を渡るように、若者の打つ白球の冴えた音が、ある時代の誇らしさを歌うように響いて来た。  幻聴かとも思える程それは果てしなくこだまをくり返した。  正夫にとって、野球のある時代が平和の時代であり、野球のない時代が戦争の時代であった。とすれば、今は、間違いなく平和の時代の始まりといえた。  昼休みだった。太陽は真上にあった。投げ出した松葉杖にそって、半分しかない足があった。その足に二度とスパイクをはかせることは出来ない。しかし、不思議に、中井正夫の中に絶望感のようなものはなかった。 「一本やりまへんか」  古手の役場吏員の森下がいつの間にか横に来ていた。森下は煙草をすすめた。煙草といっても、|空缶《あきかん》に入ったきざみを、英語の辞典コンサイスを切りとった紙で巻いて吸うのである。煙草の巻紙としては、コンサイスが最適であるとされていた。  正夫は遠慮なく一本、というよりは一セットもらって、器用に片手で巻き、唾液で糊づけをして火をつけた。 「えらい天気やなあ」  と森下はいった。もう汗みどろだった。 「何でまた、こないな日なたにおりますねんな」 「いや。別に」 「頭、パアになりまっせ」 「好きなんですよ。暑いのが」 「変ってまんな。ところで、中井はん。もうすっかり落着きなはったか。えらい、いろいろご苦労やったけど。どないだす」 「おかげさんで、まあどうやら」  正夫は、当り障りのない返事をして、森下の好奇心をそらそうとした。  一時にくらべて、さすがに口さがない江坂町のオバハン達の好奇心も薄らいで来てはいたが、それでも、まだ、生きていた英霊を巡る人間関係は、話題の王座を明け渡してはいなかった。この森下も、自分の女房への土産話に、何か少々でも目新しい話題を仕入れて帰れたらと、貴重な煙草を提供してまで接近して来たのに違いないのだ。 「何事もなくやってますよ」 「そりゃ結構でんな」 「平凡です」 「駒子先生も」 「もっと平凡です」 「さよか」  さすがに、何や何にもないのんけ、とは口に出してはいわなかったが、森下の腹の中はそれに近い思いであったことは間違いない。  夏祭りの大村芝居で、池田新太郎が書き下ろし、猫屋のオバハンが主演した「一本刀里帰り」は、誰いうとなく、駒子を中にした正夫、鉄夫兄弟の三角関係がモデルであるとささやかれ、人々の好奇心を大いにくすぐったが、現実には、芝居のような修羅場には至っていない。  鉄夫が少々荒れ気味というのは以前のままだが、それ以上のいさかいに発展する様子もなく、又、義姉の幸福願いつつ、生れ故郷を後にするという愁嘆場もついぞきかない。  予想に反して、この三角関係は平穏無事で、大方を落胆させていたのだ。  一説によると、胸をはだけ、裾を乱して大熱演を演じた猫屋のオバハンが、駒子先生をモデルにしているにしては品位に欠けるというのと、演技に悪意が見え見えで、それで、何となくシラケさせてしまったともいわれている。  だが、猫屋のオバハンは、 「こんなこっちゃすまへんで。人間の愛憎ちゅうのんは、そないな綺麗事で済むもんやあらへん」  と町の文化の最先端を行く新しき|寡婦《かふ》にふさわしい文学的な台詞を|弄《ろう》して、恐しい未来を予言しているのだ。 「そや。男と女は恋の花。もう一人からめば地獄花や」  とにわか亭主の池田新太郎も、軽率この上なく尻馬に乗っかるのだ。  思えば、江坂町の戦後文化は、このあいまいなかりそめの夫婦のスキャンダル舌法によって幕をあけたといって過言ではない。 「なあ。あんた。うちらのこと、地獄花咲かせたらあかんで」 「何いうてんね。一座も捨てて、あんたと一緒になったんやんけ。コチョコチョ」 「アホ」 「コチョコチョ」  これが文化かどうかはともかくとして、役場吏員の森下が、煙草を餌に使ってまでして正夫にすりよって来ているのは、この地獄花の匂いを嗅ぎたい一心であったのだ。  正夫は、それを知りながら、もらった煙草をうまそうに吸って、 「やっぱり、煙草には、三省堂のコンサイスが一番ですね」  などととぼけていた。  事実、正夫は、その問題に関しては、それ程心を砕いていなかったのだ。別居することによって、大部分が解決した筈だし、後は時間が解決してくれると思っていた。弟の鉄夫にしたところで馬鹿ではなし、そうそう理不尽なぐれ方をするとは思えないのだ。激情のやり場がなくなった照れみたいなものだろうと正夫は楽観していた。 「森下さん。野球は?」  と正夫が訊ねた。  野球なあ。あの球を棒でどづくやつなあ、とおよそ頼りない受け答えしながら森下は、 「そや。あんた。野球やってなはったな」 「戦争前」 「甲子園行きなはったか」 「昭和十二年に」 「優勝しなはったんか」 「負けました。その年の優勝校は、中京商業です。野口二郎という凄い投手がいました。決勝で敗れた熊本工業の川上というのも立派だった。そういえば、あの大会には優秀な投手が大勢いましたよ。野口、川上、海草中学の島、呉港中学の柚木、慶応商工の白木、徳島商業の林。熊本工業の川上は、巨人軍の川上ですよ。知ってるでしょ」 「巨人軍。知らんな」 「あの巨人軍ですよ」 「|あの《ヽヽ》がわかりまへんがな」  こりゃ駄目だと正夫は思った。  正夫が話してみたかったのは、遠い青春の記憶としての野球などではなかった。今、この焦土の中から、焼跡の野草のように芽を出した新しい野球のことだった。既に全国の中学生たちが、長距離列車にぶら下り、わずかばかりの食糧を携えて西宮球場までやって来たではないか。そう全国からだ。  京都二中。成田中学。愛知商業。沼津中学。城東中学。芦屋中学。鹿児島商業。一関中学。松江中学。敦賀商業。浪華商業。和歌山中学。桐生工業。函館中学。山形中学。高師付中学。小倉中学。下関商業。松本市立中学。  正夫は、口の中で全国十九代表校を数え上げた。一番北が函館中学。一番南が鹿児島商業。この現世の地獄絵の日本を縦断し、野球をやるためにだけ若者が集ったという事実がしめされているのだ。 「何ブツブツいうてまんねん」  森下が不思議な顔してのぞきこんだ。 「パアになるいうたやんけ。さ、中へ入りまひょ」  事実暑かった。  真夏の直射日光を受けて、水でも浴びたように汗をかいている。 「森下さん。ぼくは、子供たちに野球をやらせたいんですよ。日本の戦後は間違いなく野球から始まる。ねえ。そう思いませんか」 「野球なあ。ここらの子供が、腹のへる、得にならんことやるかいな」  森下は、アホラシ、を口の中で付け加えて立ち上った。 「お先。中へ入りまっせ。ほんまにパアになってしまうわ」  中井正夫は、魚の背のようにとがって見える森下の後姿を見送りながら、そのまま視線を遠い青空に投げた。  ふたたび、切りとって体にまといたいような青空だと思った。  間違いなく野球の嵐が全国を吹き荒れる。  それは、森下にはわからないだろうが、野球を愛したことのある正夫には、実感としてわかることだった。  中井正夫──  昭和二十一年八月下旬の時点で、中等野球の復活、平古場昭二の登場を、新しい時代の幕あけとしてとらえ、胸を熱くしている、江坂町で唯一人の人間だった。  時代の波にもてあそばれ、いささか虚無のかげりも身につけたとはいえ、晴れやかに笑おうと思えば笑える二十六歳の青年だったのだ。  正夫は、松葉杖に身を|委《ゆだ》ねて立ち上った。  逆光線で暗黒の幕をかけたような役場の建物の中から、ポンと抜け出たように白っぽい駒子の姿が現われた。 「ごめんなさい。遅くなって」  駒子は胸に弁当を抱いている。  正夫は、駒子のもう一つ背後に森下の顔をみとめながら、思いきり晴れやかに笑ってみせた。     3  野球を知らない子供たちの夏は、もっぱら植物分布図に従って行動していたといっていい。  周囲の山を彩る木の実は、決して鑑賞のために命永らえるということはなく、実に見事な頃合いを計って、子供たちの食欲の犠牲になった。  役場吏員の森下が、ここらの子供が、腹のへる、得にならんことやるかいな、といったのも一面の事実で、まさに竜太やバラケツたちといったら、食べられそうなものなら何でも食い荒し、それは餓鬼か、|蝗《いなご》にたとえられるくらいだったのだ。  春先の|虎杖《いたどり》から始まって、秋の山栗で終るまで、周囲の野山には彼らの空腹感を満たすだけの自然の恵みがあった。  それだけでも竜太たちは、都会の子供たちに比べて幸福だったといわなければならないだろう。  自然の恵みは、正確な暦のように竜太たちに訪れた。それは戦争に負けても、進駐軍が走りまわっても、男女共学になっても、民主主義になっても変ることはなかった。  自然の恵みの|旬《しゆん》は短い。一日早くても顔が曲る程の拒絶をくらうし、一日遅れると、誰か違う人間や、鳥たちの胃袋に呑みこまれてしまうおそれがあったのだ。  だから、常に美味しい木の実や野の草を食べるためには、それらの旬を見事に見ぬける名人を必要とした。  竜太やバラケツたちの中では、アノネとよばれている高瀬守がその才能に|長《た》けており、常なら目立たないこの子も、こと山歩きの時には、バラケツからも丁重に扱われた。  アノネというのは、�アノネ、オッサンわしゃかなわんよ�というのが決まり文句だった喜劇役者高勢|実乗《みのる》からつけられた仇名であるが、顔や姿が似ているわけではない。単に高瀬というのが姓であっただけのことである。 「どないや。西山の|楊梅《やまもも》はもういけるんとちゃうけ」  とバラケツの正木三郎が、やや威圧的に催促してみても、この名人は、 「あかんな。後二日やな。今食べたらお|腹《なか》こわすわ」  この道数十年のような顔をして許可を出さないのである。  事実、アノネの指示に従えば|美味《うま》い木の実を賞味出来たし、無視すれば|雪隠《せつちん》急行という哀れな報復が待っていたのだ。   楊梅で 歯もむらさきに なりにけり  紫色によく熟れた楊梅の実をたらふく食ったあと、足柄竜太は久しぶりに一句よんだ。美味に接したあとの満足感がにじみ出ていると自分でも思う出来だった。 「ようでけとるやんけ」  とバラケツが句をほめた。 「|舌《べろ》もむらさきになりにけり」 「そや」 「お|尻《いど》もむらさきになりにけり」 「そりゃなるわ」  竜太とバラケツは、肩を叩き合いながら、何の屈託もなく笑い合った。 「あんたら、アホちゃう」  そんな時、背筋の寒くなるような言葉を投げかけるのはムメである。この美少女に、何か冷ややかな言葉で|抗《さか》らわれると、竜太もバラケツも、自失するくらいに狼狽してしまうのだ。 「お尻が悪い」  とバラケツは、早急に訂正箇所を発見し、 「お尻はならへんと思うけどな」  といってみても、 「アホ」  一蹴されるだけで、とりつくシマもないのだ。  まあ、そのような小さな出来事は数多くあったとしても、竜太たちの終戦二年目の夏は、まさに何事もなく、およそ蝗か鳥かという程度の低さで過ぎて行ったのだ。 「竜太。ちったあ勉強せんとあかんのとちゃうか」  見かねた祖父の忠勇が何度かそんなふうに話しかけるのだが、 「大丈夫や。二学期からやるわ」  ぐらいの返事で一向に机に向う気配すらも見せないのである。勉強はおろか、あれ程得意で描きまくっていた絵も、進駐軍のために燃やしてから一枚も描こうとしない。  忠勇もはるも、幼い孫が受けてしまった心の傷にとまどいながらも、まあ、そのうち何とかなるやろうと、楽観的に見ているより仕方がなかったのだ。  祖父の忠勇といえば、八月一日から、警官の制服が変った。  いかめしい詰襟が開襟に替り、ガチャガチャと腰で音を立てて子供たちをおびえさせていたサーベルが警棒に替った。  民主警察という言葉を衣服にして、老警官足柄忠勇にも戦後が始まったといえよう。 「どないや。この服」  忠勇が竜太に訊ねた。 「アメリカみたいや」 「アメリカみたいか。ほなら、前は、何みたいやったんや」 「前か。そやな。前は仁丹みたいやった」 「仁丹か」  忠勇は笑った。  そうこうするうちに二学期になった。  二学期の|初《しよ》っ|端《ぱな》の日に、竜太たちはとんでもない災難にあう。  D・D・Tという得体の知れない白い粉を理不尽にも頭のてっぺんからあびせかけられたのだ。  否も応もなかった。  何かええことあるんかいなと行列をつくっていると、頭も目も鼻も真白に粉まみれにされてしまったのだ。 「何や。これ。どないすんねん」 「D・D・Tや」 「デーデーチーちゅうのんは何やねん」  この年、全国に発疹チフスが流行し、三千三百六十一人も死亡している。その伝染が、鼠を媒介とした|蚤《のみ》によるものということで、D・D・Tは蚤退治の進駐軍製新兵器だったのだ。  焚火の中の灰まみれの焼き芋か、取り粉の中で転がり過ぎた玄米入りの餅のようになって竜太たちは下校した。 「アホらし。このまま泳ごうやないけ」  と海へ行くと、突堤の先端に白髪の老婆のようになったムメこと波多野武女が、キリキリと眉を吊り上げて立っていた。 「うち、がまんでけへん。こんな頭に、こんな顔にされてがまんでけへん」  いうなりムメは、身をおどらせて海へとびこんだ。着衣のままだった。ムメをのみこんだ海面に、あのいまいましいD・D・Tが、白い|澱《おり》のようにうかんだ。  竜太は何故かしらムメはすごいと思い、バラケツの方を見ると、ちょうど生唾をのみこんだところだった。  バラケツ兄弟     1  温暖な瀬戸内海に属しているから、淡路島の冬は過しやすいと思われがちだが、これが意外と寒い。大阪湾に面した東浦は、それでも島を縦断している山脈に守られて比較的穏やかであるが、西浦は北西の季節風をまともに受けて底冷えのする日が一冬つづくのだ。  江坂町は西浦にある。  冬になるとたちまちにして色彩が|失《う》せ、何もかもが灰色の風景の中に閉じこめられる。海は常に白波を立て、海鳴りが|止《や》むことはない。明石への連絡船は、それがもう常識のように欠航するし、たまに勇をふるって出航した船が、先へ進みもせずに波上でシーソー運動をくりかえしているのを見ると、欠航が怠慢のせいでないことが理解出来る。  江坂町の北のはずれ、通称七曲りの海岸道路は、年中行事のように決壊し、数少ない定期バスも来なくなる。波が|浸蝕《しんしよく》するのである。  この季節には、海底ケーブルの送電線が切断されることも多く、停電、節電もしばしばで、まるで絶海の離島になったかのような心細さを感じるのである。  北西の季節風は、このように淡路島の西浦の人々に厳しい冬を置いて行く。  その割には、この地方の住宅は夏向きに出来ていて、とても手あぶり火鉢一つぐらいでは暖はとれないのだ。 「表は赤道。裏は北極」  というくらい顔面を炭火に近づけて紅潮させていても背中は寒気が走りまわる。  この辺りの飼猫が妙に人なつっこくなり、膝を恋しがったり、蒲団にもぐり込んで来たりし始めると本格的な冬なのである。  いつもより西風が強く吹いた翌朝は、海辺の子供たちはバケツを手にして波打ちぎわへ走る。|渚《なぎさ》を埋めつくすほど|海鼠《なまこ》が打ち上げられているからだ。人々の不安をかりたて、実害も与える季節風のせめてもの謝意なのかもしれない。子供たちは、それをバケツにかき集め、学校へ行く道すがら売って歩く。それが子供たちの少々の小遣い銭になるのだ。  足柄竜太の家、つまり江坂町巡査駐在所にも、漁師の息子の、ボラこと折原金介や、ガンチャこと神田春雄が売りに来る。それは、竜太の祖父足柄忠勇巡査の晩酌の肴になる。ところが、今年の季節風は、海鼠の他にもっとすごいものをくれたという噂がたった。 「そりゃ何や」 「玉手箱や」  なんでも玉手箱とおぼしき箱が大量に流れつき、拾った人が秘かに処分したら相当の金額になったというのだ。  一時は、その噂をききつけた人が我も我もと早朝の波打ちぎわに押し寄せたが、運良く、いや運悪く玉手箱を拾い上げた人が、目の前で爆死するのを見て夢物語は消えた。  玉手箱といわれた木箱の中には、ぎっしりと爆弾、爆薬類が詰っており、その中の雷管未処理のものが、箱を打ち壊す衝撃で爆発したものらしかった。  足柄竜太は、その話をきいて、ひょっとしたら、アメリカはまだ戦争やめてへんのとちゃうやろか、と思ったが、 「あれはな。日本軍が終戦の時に慌てて処分したもんや」  と忠勇に説明され納得したのだった。     2  戦後二度目の冬も寒い冬だった。  しかし、今にして思えば、それらの多くは栄養失調のせいだったかもしれない。それに絶対的な熱量も不足していた。  足柄竜太たちは、竹馬と缶蹴りという従来の遊びに、S字陣という新種を加えて、とにもかくにも寒い冬を過していた。山にはもう食べるものはなかった。  昭和二十一年から二十二年にかけて、江坂町での際立った話題というと、亭主同様に猫屋に入りこんでいた旅役者の池田新太郎が|逐電《ちくでん》してしまったことだろう。  それも、町の町民文化振興基金を懐にして姿をくらましたのであるから騒ぎが大きかった。元々詐欺が目的でこの町へ居座ったのだというもの、いや、そうやないで、猫屋の後家はんが、あんまり朝晩迫りよるから、こりゃかなわんわ、骨と皮になってしまうわいうて逃げ出したんや、というもの、しばらくは、鶏小舎に|鼬《いたち》が入りこんだような騒ぎだったのだ。  流石の猫屋のオバハンも、二三日は年増のお夏狂乱で、新太郎ヤァーイとたずねまわる有様だった。戦後町民文化の使徒も色恋の前にはもろいかと思われた。背信に怒り、憎悪にかきむしられ、更にそれに、復活した後家のいらちが加わって、とても青少年には見せられないと、良識派は噂したものだ。  しかし、十日ばかりの酒びたりの生活の中で、何かが夢枕に立ったに違いない。いや、夢幻枕か、とにかく何かのお告げを得たように猫屋のオバハンは立ちなおったのだ。ある日、猫屋のオバハンは、きりりと和服の盛装で現われ、 「おはようさん」  などと晴れやかな笑顔を隣近所にふりまき、|唖然《あぜん》としている人々に、 「二三日留守しますよって。頼んます」  とバスに乗って出かけてしまったのだ。  バスの方向は、淡路島の北端の町岩屋行きで、どうやらあの盛装からいって、神戸か大阪へ出かけたものらしい。  さては、池田新太郎のあとを追ったか。いやいや最初から示し合せての公金持ち逃げで、あの狂乱も大芝居だったのだなどと、又ぞろ騒がしくなり始めたが、猫屋のオバハンはきちんと三日で帰って来た。  翌日から、猫屋には大工が入り、あれよあれよという間に床屋は飲み屋に変ってしまったのだ。十日後には、何処で調達して来たのか、相当に商売っけたっぷりの美代ちゃん、節ちゃんという二人の女までそろえて、酒の店「猫」が開店したのである。  猫屋のオバハンは|女将《おかみ》になったのだ。  使用人が、美代ちゃん、節ちゃんときちんと名前でよばれているのに、女将が猫屋のオバハンでは具合が悪いと思ったのか、 「お忘れでっしゃろけど、うちのほんまの名前は、穴吹トメいいます」  と来る人にあらためて挨拶する念の入れようであったが、呼称は相変らず猫屋のオバハンであった。  とにもかくにも、江坂町で唯一の床屋が消え、飲み屋が一軒ふえた。 「猫」は繁昌しているようであった。  もの珍しさも手伝ったが、大体猫屋のオバハンは、床屋よりは飲み屋をやる方が適しているといえた。美代ちゃんと節ちゃんの評判もなかなかで、 「あの二人な。ごっつうひらけてるでえ」  ということだった。ようするに、相当の卑猥も許して貰えるということらしかった。  このように、大人たちには大歓迎の飲み屋転業も、竜太たちには大打撃だった。町一軒の床屋がなくなったため、隣町まで出向かなければならなくなったのだ。  これが、口でいう程簡単なことではなかった。隣町へ入ったと思うや、たちまち国境侵犯者の如き扱いを受けるのだ。第一の犠牲者が肥大児の照国こと長谷川照夫で、その時は「お前な。デブやから、やられてん。もうちいっとしまらんかい」  とバラケツ正木三郎も笑っていたが、第二の犠牲者ダン吉こと吉沢孝行、第三の犠牲者アノネこと高瀬守と相つぐと、顔がひきつり始めた。 「こりゃ何とかせんとあかんなあ」  ほんとに何とかしなければならない問題だったのだ。  そんな子供たちの悩みも知らぬげに、飲み屋の「猫」は大繁昌をつづけていた。日が|昏《く》れると男たちの落着きがなくなるどころか、夕日が小豆島のてっぺんにかかるあたりから、ソワソワし始める男もいるということだった。こうなって来ると、一時は、 「可哀相になあ。猫屋の後家はんも、あないにつくしてたのに裏切られて。ほんま、女は悲しいもんやなあ」  と同情を寄せていたおばちゃん達も、 「ちょっと男にヨワイとこあるけどな。気性さっぱりして、ええ人やわ。うち好っきゃわ。どっちゃかというと、駒子先生みたいな上品ぶりやよりは、つっきゃいやすいわ」  と人格まで評価していた人たちまでが敵にまわり始めた。  おばちゃん達にとって、嫉妬こそ何にも勝るエネルギーであり、嫉妬と中傷を取り除いてしまったら、食って寝るだけの古い女に降格してしまう程の重要な要素である。嫉妬があるから、中傷が出来るからこそ、戦後の荒波とも戦えている。誰もそんなふうには思わなかったけれども、それは事実といっても過言ではないだろう。 「それにしても、えらいもんやなあ。ようあんな店開くお金あったもんやな」 「そやな。油のきれたバリカン一丁で、子供の皮むきして、財産でけるやろか」  なんてところが、疑問としてうかび上って来ると、後はしめたもので、 「駐在はん。ちゃんと調べてえな。猫屋のオバハン、どえらい闇やってるちゅう噂がたってるやんけ」  と竜太の祖父の忠勇に捜査指示を与える人、あげくは、泥棒説までとびかったが、それは流石にあんまりだと思ったか、誰か金主がいるのではないかということで落着いた。  噂で金主にされたのは、駒子先生の夫、正夫の弟の鉄夫だった。  鉄夫は相変らず自堕落で年中飲んだくれ、「猫」にも毎夜のように顔を出していた。     3  昭和二十二年一月十五日。東京新宿帝都座五階で、初めてのヌードショーの公演があり満都の話題を呼んだと新聞は報じている。  ヌードショーといっても、裸のモデルが額縁の中で名画風のポーズをとる額縁ショーではあったが、モンペからの出発を思うとその衝撃度を察するのは難くない。もしかしたら、これこそ、民主主義だの、人間の解放だのといった抽象的なイデオロギーや、スローガンを実感として日本人に理解させた一大事かもしれないのだ。  同じ頃、江坂町の人々は、まだ解放の恩恵に浴していなかった。  しかし、首から足の爪先までのろわしい暗色でつつみかくされた女とは違った女を見る機会は得ていたのだ。乳房とか、膝とか、大腿部とか、臀部とまではとてもとても行かなかったが、それでも、薄暗い照明の中で、|蛍烏賊《ほたるいか》のように光った腿の周辺は見た。  それは、旅まわりの一座が、江坂町金波座に一週間居座って、連続劇風に演じて見せた、婦女暴行殺害魔小平義雄、「俺は小平だ」という芝居の一景だった。  小平義雄は、昭和二十一年の八月二十日に逮捕されているが、それまでに、十人の婦人に暴行を加え殺害している。当時鬼畜といわれ、女性の敵とおそれられた。  芝居は、連夜、小平が女性を襲う場面をクライマックスに、猟奇的に、あくまでも低俗、卑猥につくられていたが、襲われた女性のまくれ上ったスカートからほの見える蛍光色の太腿、今まさにおろされんとするモンペから瞬間のぞく白い腹に、江坂町の男たちは、戦後の解放を感じ、人前でも興奮出来る幸福を噛みしめていた。  さしもの繁昌を誇っていた飲み屋の「猫」も、この一週間は閑古鳥が鳴いたという。  何故か、この猟奇芝居を、竜太やバラケツたちまで見に行き、小平義雄が、女を襲わんとする瞬間、両手を猫のように前につき出して、ヒッヒッヒッと喉の奥で笑う芝居を真似、 「ヒッヒッヒッ。俺は小平だ」  と学校でも乱用して、駒子先生を激怒させ、美少女|武女《むめ》から冷たい視線を返されたりしていたのだ。 「竜太君。あんた、だんだん、アホになって行くみたいやな。バラケツちゃんのうつったんとちがう」  といわれて、竜太は強い衝撃を受けた。何かお調子にのって、とんでもない馬鹿なことをやったように思えて来た。  江坂町での「俺は小平だ」は、このような大反響のうちに幕を閉じ、一座の連中は実に意気揚々と七曲りを越え、次の興行地へと旅立っていった。後に、ヒッヒッヒッと蛍烏賊のような太腿だけが残った。  しかし、ニュースを素材にした新機軸大社会問題作も半年ずれていた。  東京新宿帝都座で誕生したヌードショーが江坂町に嵐を起すのは、おそらく夏以後のことになるだろう。  そうこうするうちに、|寒鯔《かんぼら》の大群が通過する漁師の繁期になり、水仙の咲く季節になった。     4  バラケツの兄の二郎が復員して来たのはそんな頃である。  どこでどのようにして落ち合ったのか、何年か音信不通であった姉の葉子も一緒に帰って来た。葉子は二郎の妹で二十二歳、二郎は二十五歳である。  但し、彼らの帰還の姿を見た者は誰もいないのだ。定期バスからも、連絡船からも彼らは降りなかった。中井正夫のように、裏山伝いに歩いて来たということも考えられないでもないが、生きていた英霊でもない彼らに、そんなことをしなければならない理由も見つからないのだ。  ある朝、|隣保長《りんぽちよう》から、隣保長何十軒かに使いが走り、何事が起ったかと集合してみると、正木二郎と正木葉子が、隣保長を介添え役のようにして登場したというわけだ。 「やッ、あんた」 「まあ、いつの間に」  と集った人々が口々に驚きの声を発するのを、二郎は、両手を広げて|鷹揚《おうよう》に鎮めながら、 「ほな。隣保長どうぞ」  と司会をうながした。  突然、役柄がこんがらがって、どぎまぎした隣保長が、 「えろう、早よから、集もうてもろて悪いな。ご覧のように、正木一平とこの、二郎と葉子が帰って来よった。二郎は復員やけど、葉子はどないいうのんか知らん。まあ、とにかくや、隣保の皆さんに、挨拶したいいうことやさけ、きいたってくれや」  と何とも長のつく人の挨拶とも思えない低級な紹介をした。  隣保の人々は、それぞれ腹の中で、何やちゅうねん、挨拶やったら一軒一軒たずねて来たらええやないけ、このくそ忙しい時期に呼び出しおって、何や思うてけつかるねん、と可成り激怒に近い形で思っていたのだ。  それに、彼らには、およそ復員兵らしくない二郎の服装や顔付きと、正体不明の葉子の様にも感情を相当に害していた。  二郎には、ご苦労はん、つらかったやろなあ、けどまあ無事で帰れてよかった、よかったという感慨が持てなかった。頭は、トンボの頭のようにテカテカ光り、多過ぎるくらいの長髪を櫛目もあざやかにオールバックにかきあげていた。それに粗い格子縞の背広に、真赤な蝶ネクタイ、おまけに純白の絹のマフラーを軽く首に巻きつけ、ハラリと背中に流している。  こいつ、何処で戦争やってたんや、と誰もが思っていた。  妹の葉子にしても同じだった。器量の悪い娘ではなかった筈だが、今目の前で、クチャクチャと進駐軍のチューインガムを噛んでいる顔を、器量といっていいものかどうか悩んでいたのだ。髪の毛は赤茶けてちぢれるだけちぢれ、海草のホンダワラみたいだった。驚いたのはその服装で、上から下まで、靴に至るまで真赤だった。その上、たえず動いている唇も負けず劣らずの真赤で、介添え役の隣保長ですら、火事場のポストが金魚をくわえてるみたいだと思った程だ。  それでも、挨拶をするというから、 「正木二郎、只今帰ってまいりました。留守中は何かと家族がお世話をいただきありがとうございました。ここに慎んでお礼を申し上げます。祖国日本は、時に利なく敗戦の恥辱にまみれましたが、かくなる上は、新日本建設のため、全霊をなげうち努力する所存でございます。皆様、よろしくご指導の程お願い申し上げます」  とキリリというのかと思ったら、案に相違して、二郎は直立不動になるでもなく、相変らず両手でヒラヒラとあおぎながら、 「おはよう」  といったのである。 「みなさんの中には、朝も早よから呼び集められて、一体何のこっちゃとお腹立ちの方もおいでかもしれない。挨拶やったら、ちゃんと出向いて来んかい、それが筋ちゅうもんとちゃうけ、と喉まで出かかっている方もおいでかもしれない。世は忙しい。敗戦日本は忙しい。しかも、風もないのに沖合い嵐、鯔が身をもむ、身もだえるちゅう寒鯔の季節。いやいや、忙しいのは沖ばかりやない。田圃、畑はお国の宝、町じゃ子供が飢えて死ぬ。食糧増産にもはげまにゃならぬ。ちゅうぐあいに忙しい時に、わざわざ、こうやって来てもろたからには、正木二郎、損はさせまへん。私は、みなさんに心からお礼がしたい。国に召されて戦地におもむいてより早や四年。その間、病の祖父、か弱き母、おさない弟が無事に生き永らえたのは誰あろう、みなさんのご厚情のたまものです。いや、ほんま。さあ、葉子。何ぼやぼやしてるねん。あれ出して、ちゃんちゃんと配らんかいな」  そこで、葉子が一人一人に配ったものは、ふかふかにはずむ毛布だった。 「祖国は寒い。淡路西浦なお寒い」  隣保の人々は、異人種とでも接しているような思いのまま、毛布と、チョコレートと、アメリカ煙草を貰って帰って行った。わけのわからぬままにチューインガムを貰っていた進駐軍の初対面の時とよく似ていた。  それにしても、毛布は有難い贈り物だった。感謝に値した。しかし、感謝と疑惑とは別ものだった。感謝したから疑惑を忘れるといったものではない。  あの兄妹は一体何をしているのだろうということから始まって、 「そういや、あの毛布な。まだいっぱい持っとるんとちゃうやろか」  ということになり、結局は、 「あの兄妹な。帰って来たとこ誰も見たもんあらへん。ちゅうことはやで。機帆船一ぱい雇うてやな、軍隊の物資を山程積みこんで、真夜中に浜につきよったんとちゃうやろか」  噂は噂として、二郎、葉子の兄妹が突然帰還して以来、正木家の経済状態が目に見えてよくなっていることは事実だった。  祖父や母の着る物も小ざっぱりした物に変っていたし、弟のバラケツ正木三郎が、不似合いな程都会的な服装で登校することもしばしばあった。  それに、毎夜ご馳走がつづいているらしく、昨日はスキヤキやった、一昨日は天婦羅やったとうるさく、当分は正木家に目がそそがれそうである。  しかし、足柄竜太たちはつまらなかった。  兄と姉が帰って以来、バラケツが、あまり彼らと遊ばなくなってしまったからだ。  三角ベース     1  さしもの猫屋のオバハン穴吹トメも、その時期には主役の座を正木二郎・正木葉子のバラケツ兄妹に譲って沈黙を守っていたといっていい。  いや、別に猫屋のオバハンが、肌寒い季節の中を、薄倖の蝶のように悲しげに過したというわけではない。オバハンはオバハンなりに、主役の座に返り咲こうと懸命にふるまったのであるが、時の勢いには勝てなかったということなのだ。  猫屋のオバハンですらこうであるから、二十歳のもと未亡人中井駒子先生や、生きていた英霊中井正夫といったかつての時の人の存在は、完全に人々の脳裏から消え失せ、過去という木箱の中にしまいこまれていたといっていいだろう。  昭和二十二年早春の江坂町のスターは、何といっても二郎、葉子のバラケツ兄妹だったのだ。  帰還以来、二郎と葉子が町を歩くと、その後に必ずといっていい程人波がつづいた。おおむねは小さな子供たちであったが、中には何人かいい|年齢《とし》の大人もまじっていた。  人々は、異郷人を見るような目付きで兄妹を見つめた。少々の憧憬と、少々の|侮蔑《ぶべつ》が入りまじった複雑な目付きで、油断をするとパキッと音をたててロンパリになってしまいそうだった。  軽薄と低俗が肉体を持ち、楽天風に吹かれて歩くような二郎・葉子の後を、穴ごもりの機を逸した蟻のような人々の群れがつづいていた。  アホな兄妹やとどこかでさげすみながらも、何か面白そうだし、何か得になりそうな気がして、列からはなれる気にはならなかったのだ。事実、こんなふうにふらふらと歩いていると、一つや二つの奇態な出来事にはぶつかったし、アメリカ煙草や缶詰のいくつかにはありつけていたのである。  江坂町の人々は、バラケツ兄妹に愛想笑いを見せながら、文化の香りのする数々の品物を手に入れていたが、魂まで売り渡していたわけではなかった。それはそれ、これはこれ、という区分けの仕方は見事な程に明確で、欲で見せる笑いはあくまでも欲のためのもので、腹の底では軽蔑し、胸の奥では批判をしていたのである。  その証拠に、子供がチョコレートなどを貰って帰ると、 「わッ、もろて来たか。今日は何や。チョコレートか。けど、あんた、あのマッカッカの姉ちゃんの手にさわらへなんだやろなあ」  と母親が眉をひそめるのだ。 「何でやのん。手えさわったら何であかんのん」 「うつる。うつる」 「うつるちゅうて」 「病気や。あの姉ちゃんの髪の毛見たか。朝鮮牛みたいな毛えして、おまけにチリチリやったやろ」 「あれ病気かあ」 「そや。戦争敗けてなあ。今都会でえらい|流行《はや》っとる病気や。うっかり手えさわったりしたら、あんたもマッカッカになるでえ」 「ほなら、チョコレートもほかそか」 「ええわ、ええわ。チョコレートは、お母ちゃんが何とかしたる」  似たような会話はどこの家でも交わされ、病気にされているのは葉子だけでなく、二郎のこともあったのだが、しかし、彼らは決してバラケツ兄妹の後をついて歩くことをやめはしなかった。  それはそれ、これはこれだったのだ。  人々が、陰でどのようにささやこうが、正木二郎・葉子の兄妹は一向に気にするふうもなかった。多少のことは彼らの耳にもとどいている筈なのだが、 「ええやないけ。ええやないけ」  と年齢に似合わぬ太ッ腹のところを見せ、 「故郷は懐しい。愚かな人々はなお懐しい」  と歌謡説明の泉詩郎のような透明な声を出し、じっと目をとじたりしていたのだ。  春が来ていた。  たんぽぽとれんげが競い合うように色づき、無地の田圃が一斉に柄物に変った。陽光のあたたかい日には、蝶の姿も見られるようになった。  二郎・葉子の兄妹は、その春に浮かれる蝶のようにひらひらと町を歩き、毒と文化を銀粉のようにまき散らしていた。  どこでどのように調達して来るのか、町の人々へのプレゼントはつきることはなかった。江坂町の人々は、二郎・葉子を通して、敗戦日本の現状と、そして、敗戦日本の夢と希望を見ていた。 「あれやで。あれでないと、これからの日本じゃ銭もうけでけへん。出世もでけへん」  そういう意味では、戦後如何に生きぬくべきかの成功例が、二郎・葉子の兄妹だったのだ。 「兄ちゃん。春やなあ」  ある日、葉子がいった。 「故郷もええけど、眠たいなあ」  濡れたような真赤な唇を開けて|欠伸《あくび》をした。 「そや。故郷は眠い」  二郎が答えた。 「錦も充分飾ったし、そろそろ、何ぞやらんとあかんなあ」  鉛色をして、いつも轟々と季節風の音をたてていた西浦の海に、いつの間にかやわらかい青味が加わり、連絡船が欠航することもなくなった。わざとらしいくらいの変貌で、逆に人々をとまどわせる程である。菜の花の黄色の帯の向うに、青い布をハラリとひろげたようなのどかな瀬戸内海があった。  正木二郎は、チックで固めた頭髪に溝をつけるような櫛目を入れると、アメリカ煙草のラッキー・ストライクを口にくわえて深々と一息吸いこむと、 「国敗れて、故郷は春うららやなあ」  と目を細めたのだ。     2  足柄竜太たちは五年生になった。  この年(昭和二十二年)の三月に、「教育基本法」と「学校教育法」が成立していたから、六・三制の最初の学期であった。  国民学校が、戦後暫定的に尋常小学校の扱いを受けていたが、正規に小学校とよばれたのもこの学期からである。  足柄竜太は小学五年生になったのだ。 「しっかりせんとあかんなあ」  と何とはなしに思ったが、何をどうしていいのかわからなかった。相変らず季節の命じるままにはしゃいだり、おびえたり、虫のように生きていたといっていい。  時の過ぎ行くままに、季節の巡るままに竜太たちは、|烏《からす》になったり、蝶になったり、犬になったり、蟹になったり、魚になったりしていた。決して、季節を通じて雄々しい獅子ではなかったが、不幸な子供たちではなかった。  ただ美少女波多野武女にいわせると、 「竜太君は、だんだんアホになって行くみたいや」  ということであったが、いわれた時にギクリとするだけで、それ程の衝撃は受けていなかった。  今日、竜太はぼんやりしていた。放心状態といっていい程の疲労を感じていた。  教室の窓側に体を向け、すっかり春の色になった空と校庭を見ていた。そんな竜太の耳に、遠いところからきこえて来る音楽のように中井駒子先生の声がきこえていた。それに|応《こた》えるように、ハイハイハイという子供じみた甲高い声や、ファーイという感じのバラケツ正木三郎の野太い声が響いていたが、それも遠く壁をへだてた感じだった。 「ボストンちゅうのはどんなとこやろなあ」  竜太がうっとりした目をした。  それと同時に大きな欠伸が出たが、駒子先生はクスッと笑っただけでとがめなかった。  理由があったのだ。  足柄竜太は、日米交流児童画展の代表に選ばれ、それに出品する「ぼくらの町」という水彩画を描き上げたばかりなのである。  突然の話で日数がなかった。  春休みも後何日かで終るという時期にその話は持ちこまれ、新学期の始まりには提出しなければならなかった。  竜太は絵のうまい少年だった。  その竜太が描きためた戦艦大和や、真珠湾奇襲や、特攻隊出撃の絵は、進駐軍監査日の前夜に自らの手で灰にしてしまった。それは大げさないい方をすれば、少年の心の火葬であった。少年の心の勲章を灰にしたことであった。  それ以後、竜太は、ほとんど絵を描いていない。  その代り、異様に鋭い部分のあった神経質な少年が、とてつもなく楽天的なよく遊ぶ少年に変った。時代の嵐の中で生きつづけるための本能がとらえた変貌かもしれなかった。  中井駒子先生が訪れ、出品作品の代表に選ばれたことを伝えた時も、だから、竜太はあまり喜ばなかった。  何やかやと渋っていたが、決心させる魅力となったものは、新聞紙大もある上質の画用紙が用意されていたことと、その絵が、アメリカのボストンで展示されるという二点にあった。  白い紙は何よりの魅力だった。ましてや、めったなことでは破れない上質と来たら、いうことがなかった。その上、新聞紙の大きさもあるということは、大釜いっぱいの白米飯を見た時よりときめくというものだ。  ボストンに関しては特別の理由はなかった。ボストン・バッグと何か関係あるんかいなと思っただけであるが、それでも、自分の描いた絵を、青い目をした少年たちが、 「えらい、うまいなあ」  とかなんとかいいながら見るのかと思うと悪い気はしなかった。 「よっしゃ。ぼく描くわ」  と竜太はいった。 「そう。がんばってね。戦争に敗けても、日本の自然はこんなに美しく、日本の少年たちはこんなに生き生きとしているというところを絵にしてほしいのよ」  駒子先生はいった。 「ボストンというのはね、アメリカ合衆国の北東部にある都会なの。独立戦争の史跡も数多く残されている歴史の街だけど、ボストン美術館とか、ボストン交響楽団とか、ハーバード大学とか、マサチューセッツ工科大学とかで知られる有数の文化都市なのよ。その美しい街へ竜太君の絵は行くのよ。日本軍の爆撃機は飛んで行くことは出来なかったけど、竜太君の絵は飛んで行けるのよ。わかる、それが文化なのよ」  駒子先生は珍しく熱弁をふるい、何やら濡れたように光る目で見つめ、竜太の手をギュッと握った。 「はい」  竜太は、お返しのシャックリのように返事をした。握られた手の衝撃は、思わず、あっ、いかん、ツンと来る、と思わせる程のものだった。  次の日から、竜太は、「ぼくらの町」の制作にとりかかった。最初の二日間は何を描いていいのかわからなかった。考えあぐねた末、天狗の鼻から見た港の風景を描くことにした。しかし、日数は二日しか残っていなかった。結局、昨夜は暗い電灯の下での徹夜になり、明け方一枚の絵は完成した。  だから、竜太は眠い。ぼけている。  しかし、竜太は、|恍惚《こうこつ》としたような満足感にひたっていた。生あたたかい波にゆられているような思いだった。 「ようやったなあ」  と祖父の忠勇と祖母のはるがほめてくれたし、 「すばらしい絵よ」  と駒子先生は肩を抱いてくれた。 「ボストンヘ行くのよ。この絵がボストンヘ行くのよ」  と駒子先生も興奮していた。  授業はつづいていた。  確か国語の時間の筈で、駒子先生の歌うように美しい朗読にまじって、ハイハイハイという声や、ファーイ、ファーイという声がきこえていた。  いい気分だった。   ボストンヘ 絵を描き送り 昼寝かな  なんて思いでトロリトロリとしていると、突然ドッという笑いで眠りがさまたげられた。  自分のことを笑われたのかと竜太はキョロキョロと教室を見渡したが違っていた。  いつの間にか教室に、バラケツ正木三郎の兄の二郎と、姉の葉子が入って来ていた。  教室のみんなにとってはおなじみのバラケツ兄妹で、だから、歓声をあげたのだ。  正木二郎は相変らず鬼ヤンマのような頭をし、ふざけちらしたような服装をしていた。  正木葉子は、全身マッカッカが病気だといわれたのがきこえたのか、今日は赤ずくめではなかった。その代り、上から下まで秋茄子のような紫色だった。しかし、さすがに口紅だけは紫ではなく赤だった。 「六・三制の諸君。おはよう」  と二郎が、�誰か故郷を想わざる�を歌う時の霧島昇のように、高くふるえる声で挨拶をした。何故か両手は耳のあたりでヒラヒラさせ、それが何とも都会的に思えた。 「あなたは」  中井駒子先生がやや表情を|硬《こわ》ばらせて、黒板前から近寄って来た。 「|誰方《どなた》です」 「正木三郎の父兄でんがな。厳密にいうたら兄と姉。兄の名前が正木二郎。姉の名前が正木葉子」  駒子先生は、三郎の方に向き直り、 「正木君。この方のいってることは本当?」  とたずねた。 「ほんまや。兄ちゃんと姉ちゃんや。どや、先生。えらいハイカラやろ」 「そうね」 「ちょっと、ちょっと先生。駒子はん。いうてることがほんまかいなとは、一体どういうことでんねん。わいらが得体の知れん怪しいものやとでもいうんでっかいな」 「いえ。サーカスの方かと思ったものですから」  駒子先生は痛烈な一言をあびせた。 「いやあ。ユーモア。民主主義。さすがでんなあ、六・三制」 「失礼しました。ところで、正木君のお兄さんとお姉さん。何か特別のご用でしょうか。出来れば授業が終った後でのお話にしていただきたいのですが」  さすがに駒子先生は、少々激しかけた感情を理性でしずめて、ていねいなものいいをした。 「ま、とりあえずご挨拶に」 「それは結構です」 「母校への恩返しと、日頃のご厚情に感謝して、ささやかな御礼に」  と二郎がいうやいなや、それを待ちかまえていたように葉子が、ハァーイと奇声を発して、手提袋いっぱいに詰めこんで来ていたキャンディ類をまきちらし始めたのだ。全身紫色の花咲爺が、枯木に灰をふりかけるような姿で、六・三制児童の頭上にキャンディをばらまいたのだ。 「何をするんです。やめて下さい。どういうことですか。これは」  駒子先生が必死に声をからして制止しても無駄だった。教室の中は、ゴールド・ラッシュの亡者たちのように、キャンディを求めて右往左往する子供たちで狂気と化していた。  狂気の渦の外にいるのは、少々寝呆けている竜太と、誇り高い美少女武女だけで、武女は必死に竜太の肩をおさえて、 「竜太君。行ったらあかんよ。行ったら、みっともないんよ」  と叫んでいたのだ。  騒ぎは一応おさまった。一通りキャンディが行き渡ったらしかった。  バラケツ正木三郎は、出世した身内を誇らしく思うかのように、 「お前ら、こんなもん食べたことないやろ。うちの兄ちゃんや姉ちゃんは、どえらいやど。こんなもんぐらい何ぼでも持っとるんやからな」  椅子の上に立ち上って自慢げに叫ぶと、意地も見栄も捨てた子供たちの羨望のためいきが、どうっと教室に満ちた。  駒子は、そんな三郎を軽くたしなめて席へ座らせると、 「正木さん。こんなことされると困ります」 「何いうてまんねん。水くさい。富める者が飢える者へのささやかな奉仕でんがな。敗戦日本。総員力を合せて新日本建設に立ち上る時には当然の心やおまへんけ。ちゃうけ」 「違うんです」 「ちゃう?」 「ええ。子供たちを犬ころ扱いしないで下さい。ましてや、ここは教室の中です」 「さよけ」  正木二郎は少々鼻白んだがそれ以上は何もいわなかった。 「わかっていただけましたか。正木さん」 「わかりましたよ。けどあかんなあ。こんな教育してたら、どもならんなあ。欲しがりません、勝つまでは、ちゅうのんがまだ残っとるんとちゃいまっか。よろしいか。これからはやな。先生。欲しがりましょう、貰うまでちゅう教育せなあきまへんで」 「うかがっておきます。ところで、もうご用はおすみですか」 「ご用。そうや。それを忘れてた。先生。三郎を連れて帰りまっせ」 「いけません」  駒子先生にしては珍しく金切り声を上げた。バラケツ兄妹の居丈高の低俗哲学にキリキリし、生徒たちの誇りを失ったふるまいに落胆しきっていたのが限界に達したのだ。  そんなことにはお構いなくバラケツは、 「兄ちゃん。何ぞあるんか」  と期待に満ちた声で駈けよるのだ。 「進水式や」 「えッ」 「船が手に入ったでえ。わいらの船が手に入ったんや。今から進水式や」 「ほんまか」 「ほんま。ほんま」 「行こ。行こ。兄ちゃん、あれやってくれや。あれやりながら行こ」 「よっしゃ」  そこで、正木二郎は、目を二三度しばたたかせると、甲高い声をふるわせながら、 「波の背の背にゆられてゆれて、月の潮路のかえり船。海で生れた男の夢は、玄海荒海波枕。千鳥なぜ泣く嵐も来ぬに、嵐吹かねば来ぬ便り……」  奇妙な節を朗々と語る二郎を中にして、正木三兄弟は教室を出て行った。  何ともいえぬしらけた空気が教室に残された。駒子先生も授業をつづける気持はなくなっていた。パチンと教科書を閉じると、 「みんな。外へ出ましょう。先生が面白い遊びを教えてあげます」  といった。  竜太は、ぼんやりと進水式とボストンを思っていた。  その日、竜太たちは、生れて初めて野球をした。駒子先生のいう面白い遊びというのがそれで、後から思えば三角ベースであるが、とにもかくにも初の野球だった。  但し、ボールはテニスボール、バットは竹棒で、竜太の第一打席は、寝ぼけ眼のせいか三振だった。  野球石器時代     1  近頃のバラケツはおかしい。  学校もよく休むし、仮に休まずに出て来た時も何処か上の空で、授業が終るや否や風のように下校してしまう。  以前のように、何かというと竜太とつるんで歩くということもなくなった。  知恵の竜太、力のバラケツで、ブイブイいわしてた関係も、まるでワヤクチャやないけ、と竜太はさびしく思っている。  バラケツ正木三郎がそんな風になってしまったのは、間違いなくあのギンギラギンの兄と姉のせいで、兄の二郎と姉の葉子が帰郷して以来、肉親の情に負け、男の友情を裏切ってしまったのだ。  あかんやっちゃ。  バラケツには友情がわからへん。  と、足柄竜太は大いに嘆いていた。  しかし、ここでいう足柄竜太の友情もまたおよそ身勝手なものだった。例えば、佐藤紅緑の「街の太陽」や「少年讃歌」にいたく感動すると、それをお手本に、清潔で正義感あふれる秀才の少年が自分であり、粗野で成績も悪いが一本気の巨漢少年をバラケツに当てはめ、その二人の関係をそっくりなぞりたいと思っているようなところもあったのだ。 「バラケツ!」 「竜太!」 「ぼくらの頭上にはいつも太陽が輝いているんだなあ」 「うむ」  しっかりと肩組み合って、余った片手は腰に当て、具体的にいえば、斎藤五百枝の絵のように|茜《あかね》の空を見上げる二人を考えつづけていたのだ。  茜の空には|鳶《とび》が舞っているだろう。 「竜太!」 「バラケツ!」  の声に呼応して、ピーヒョロ、ピーヒョロ鳴くだろう。  それが友情ちゅうもんや、それがバラケツにはわかってへんね、と竜太は時々唇を噛んだ。  時には、二人の友情関係のイメージを、佐藤紅緑の少年熱血感動小説に求めないで、佐々木邦の少年ユーモア小説に求めることもあったが、そんな時でも、竜太自身は、機敏な行動をする成績優秀の少年で、バラケツの役柄は、相撲をとらせたら大人もかなわないという怪力少年か、蛇捕りの名人でいつも女の子をギャアギャアいわせている気のいい悪童というのがきまりだった。  そういえば、「村の少年団」の金丸少年というのもバラケツに似ているな、などと竜太は妙に遠い人をしのぶような思いで考えていた。  バラケツは遠くなった。  鬼ヤンマの兄ちゃんと、赤トンガラシの姉ちゃんに乳呑児のようにまつわりついて、竜太たちのことを忘れてしまったのだ。  教室の中でチラチラ姿を見かけていても、最近のバラケツ正木三郎は、それ程遠く思える友だったのである。  竜太たちは、正木二郎と正木葉子を大いに憎んだ。  どうにもいわれのない憎悪であるが、二郎のことをブギウギ・トンボとさげすみ、葉子のことを赤パンパンとののしった。  どちらの言葉の意味もわかってはいなかった。ただ、   東京ブギウギ   リズムウキウキ   心ズキズキ ワクワク  という「東京ブギウギ」という歌が、およそ重量感をともなわずヒラヒラと生きている二郎に似合いのような気がしたし、   啼くなァ コンバトンヨォ   コンコロノ ツウマアヨォ  という「啼くな小鳩よ」とか、   ホンオシイノォ ナンガレェニィ   ミヲ ウラナッテェ  という「星の流れに」というのが、何やらパンパンという女の人のことを歌っているようだという知識と、何故かしら、それは、マッカッカであり、真ッムラサキであったりする葉子にぴったりだという感じがしただけの話である。  そんな調子で、竜太たちとバラケツのさびしい断絶はつづいていた。肉親の情と男の友情との|葛藤《かつとう》が生んだ断絶であったのだ。  竜太たちは、あの日、駒子先生から教えられた三角ベースにすっかり夢中になり、授業前といわず、休み時間といわず、放課後といわず、このテニスボールと竹棒で遊ぶ簡易野球に時間の全てを賭けていたが、バラケツがそれに参加したことはなかった。  これは異常なことだった。  何故なら、およそ遊びと名のつくものに、バラケツが加わっていないなどということは、これまでに一度もなかったからである。 「バラケツも、やろやないけ」  と誘ってみても、 「ふん」  と鼻先で笑いとばし、 「アホ。そんなヒマはないわい。銭もうけや。男は銭もうけせんとあかんねん」  とおよそ六・三制の小学五年生とも思えぬ不敵な笑みを浮かべ、 「波の背の背にゆられてゆれて、月の潮路のかえり船。海で生れた男の夢は、玄海荒海波枕。千鳥なぜ泣く嵐も来ぬに、嵐吹かねば来ぬ便り」  一転して、ほろ酔いの鴎のようにヒラヒラと舞い踊ると、ハッとばかりに教室の窓からとびおり駈け出して行くのだった。  そういう時のバラケツは、吹き出したくなる程ブギウギ・トンボの二郎兄ちゃんに似ていた。  校庭を一目散に駈けて行くバラケツの背中を見送りながら、やっぱりそうやろかと竜太は不安になった。  やっぱりそうやろかとは、町のうわさのことである。二郎・葉子の兄妹が、かくも異様で奇態なのは、敗戦日本の都会に蔓延している病気のせいだというのがもっぱらで、しかも、それは伝染性のものだというものである。もしも、それが、やっぱりという結果なら、バラケツも感染していることになるのだ。  それとも、遺伝やろかとも思ってみた。     2  昭和二十二年頃の「少年倶楽部」の付録には、野球のグローブとミットの型紙がついていた。  型紙に合せて帆布のような固い布を切り、アンコを入れて縫製すると立派なグローブがつくれますというのだ。  この「少年倶楽部」の付録は、そろそろ並の三角ベースから野球へと発展しかけていた竜太たちの欲求にピタリのものだった。  野球は盛んになったが用具は全くなかった。町中を調達に駈け巡っても野球のグローブを持っているのは駒子先生の夫正夫だけだった。中井正夫は、中学時代に甲子園に出場した経験もある。持っていて当然だ。  竜太たちは、とにもかくにも本物のグローブを拝ませてもらい、手にはめて重量と感触を確認し、そして、家へ帰って、母なり祖母なり姉なりに記憶を伝えてグローブを作ってもらうことにした。  本物のグローブは想像よりも重かった。鼻にあてるとツンと革の匂いがした。 「革の匂いや」 「ほんまや」  少年たちの鼻先を本物のグローブは順にまわって行った。  竜太には、それがおそろしく貴重品に思えた。そして、やがて、母や、祖母や、姉たちの手によってつくられるグローブも、これと同様の、いや革の匂いこそしないけれど、堂々たるグローブであろうと楽天的なイメージを描いたものだ。  しかし、数日して、少年たちは一様に女はあかんなあと嘆いたのだ。  それは、グローブの大きさの感覚の問題だった。  竜太たちが、どんなに熱弁をふるって、大きな手袋であることを強調しても、女たちの頭の中で出来上っている手袋の大きさの限界があって越えられないのだ。 「そんなん、ちゃう。もっと大きせんとあかんのや」  と足をバタつかせて要求しても、 「アホ。これ以上大きしてどないするねん。天狗の|団扇《うちわ》みたいになるやないの」 「天狗の団扇でええねん」 「そないなヒラヒラしたもんで固いボールがとれるかいな。蝶々や蝿を追うのんとちがうのやで」  と逆に説得されてしまったというのがみんなに共通している点で、さて、出来上りのグローブを手にして校庭へ勢揃いした時の顔も流石といおうか、当然といおうか晴れなかった。  何のことはない、全員が手にしている物は綿入れの軍手という代物だった。  女はあかんなあ。全然わかってへんという結論に達してしまったのだ。  そういう苦い経験があったから、「少年倶楽部」の付録のグローブ、ミットの型紙はありがたかった。  型紙がある以上、如何に女といえども、手袋の常識を主張することはあるまいと思ったのだ。それに何よりもうれしかったのは、型紙の横に完成予想図が書かれていて、それが中井正夫の本物のグローブより数段新型で立派に見えたことだ。  竜太は、また簡単に楽天的な夢を見、そして可成りの失望を味わうことになる。但し、今度は以前のように、綿入れの軍手のようなグローブとか、霜やけの手にグルグル巻きの包帯をしたようなミットとか、そんなひどいものでなかったのは、一にも二にも、「少年倶楽部」のおかげであった。  後になって──  といっても可成り後のことで、足柄竜太がそこそこの回顧を抱くようになった年齢になってからのことであるが、昭和二十二年当時をふりかえって、あの頃は、野球石器時代だなと思ったことがある。  野球石器時代とはいい得て妙で、まさに原始人が、石を削り、石を磨いて斧をつくったように道具の発見から彼らの野球は始まったのだ。  グローブ、ミットは何といっても難物であった。都会や、又、戦前野球が盛んであった地域の子供たちは、回収とか、寄贈という形で多少の物は手に入れたようであるが、淡路島西浦の少年たちは、完全に石器時代の原始人に戻らなければならなかった。  それはまあ、綿入れ軍手、霜やけ包帯、天狗の団扇とさまざまの試行錯誤の末、「少年倶楽部」の型紙で一応の解決はみた。  ボールはそれに比べて可成り楽な作業であった。いや、作業自体は決して楽なものではなかったが、見たこともないという代物でなかっただけに女たちの納得が早かったといえよう。  このボールつくりにかけては、竜太の祖母のはるが抜群の腕を発揮した。  はるは、糸くずや、毛糸くずを集め、それをていねいに一本の糸、一本の毛糸につないだ。それをビー玉大の木の芯に糸から固くまきつけ、外側を毛糸で包み、更にその上から布でくるんで、ちょうど硬式ボールのようなものをつくり上げたのだ。  重量やら、掌に感じるしめりけなど、本物とくらべると多くの不満はあったが、竜太はこれはこれで満足していた。  竜太はふと、学校の裏山で、三本足の怪人中井正夫から手渡された硬式ボールの感触を思い出した。  足柄はる製のボールは、決して快音を発して飛ぶというものではなかったが、軟式の健康ボールが簡単に買えるようになるまでは、江坂町少年野球の公認ボールだったのだ。  今でこそ、少年が刃物を持っていると社会問題になりかねないが、その頃の少年たちは、|肥後守《ひごのかみ》と称するナイフを誰でもが持っていた。  肥後守は、鉛筆を削る学用品であり、野草や果物を採る農機具であり、木を削って遊び道具を作るための工作器具であり、時に、男の勲章でもあった。  竜太たちは、雨が降って野球が出来ないとなると、丸太を肥後守で削ってバットづくりに精を出した。  これは大変な作業だった。一本のバットをつくるのにそれこそ何十日も必要としたのだ。しかも、思い通りに形のいいバットはなかなか出来なかった。おおむねどこかがいびつで、どこかがねじれていた。  そこで、考えついたのが、鉄工場の旋盤で削ってもらうという方法だった。竜太の知恵だった。  最初の一本こそ、イメージの伝達が確かでなく、どう見ても一升瓶にしか見えないものが出来上り、 「オッちゃん、こないに重いものどないすんねん」  と子供たちに毒づかれたが、その次からは相当に見事なバットが出来上った。手ざわりといい、重量といい、光沢といい、形態といい申し分がなかった。 「オッちゃん。おおきに」  歓声を上げて子供たちが帰ろうとすると、 「こりゃ待て。待たんかい。お前ら、大人に仕事させといて只で帰る気か」  鉄工場のオッちゃんはいったのだ。 「えッ、金いるのんか」 「どこのアホが只で仕事かい。金ないんやったら、お前らに働いてもらうで」 「何したらええねん」  責任上竜太が代表してたずねた。 「そやなあ。機械の油ふきか。うちのおばはんの腰もみか。風呂の水くみか。この三つのうちの一つを一週間やってもらおうか。バット一本つくるごとに一週間の軽労働や。どや、悪い話やないやろ」 「機械ふきと、腰もみと、水くみやな。ちょっと待ってんか、相談するわ」  竜太たちは相談の結果、風呂の水くみ一週間という労働を選んだ。  油まみれになった機械を、このくそ暑いのにみがくのはかなわんし、それ以上に、けったいなおばはんの腰やお尻を一週間ももまされたらかなわんわと思ったのだ。 「そうか。水くみか」  オッちゃんは、ちょっとがっかりした声を出した。どうやら三つともオッちゃんが押しつけられてる仕事で、出来れば、おばはんの腰もみというのを引き受けさせたかった様子がありありだった。  竜太たちが帰ろうとすると、当のおばはんがニヤニヤ笑いながら顔を出し、 「あんたら子供やなあ。中学生やったら、きっとおばちゃんのお|尻《いど》にさわりたがったで」  と乳牛みたいな胸をゆすっていった。 「誰が、そんなもんさわるかい」  竜太たちはバットをかかえて鉄工場をとび出したのだ。  何しろ、何かを手に入れるためには何かを犠牲にしなければならないもののようであった。  バット一本の研削が風呂の水くみ一週間であった。  とにもかくにも、野球石器時代の、全て手づくりの道具で勢ぞろいした姿は、決してナインとか、チームといったスマートな印象ではなく、どちらかというと、孤島の少年守備隊という感じであった。     3  パンパンというのは、昭和二十一、二年当時の悲しい流行語である。説明するまでもなく売春婦のことをいう。  語源は定かではないが、何でもこの言葉、戦時中から兵隊の間では使われていたといわれている。やっと外出許可を得られた兵隊が、一直線に娼家へ駈けつけ、既に戸締りの終っている戸をパンパンと叩き女を求めたからだという説。日本軍進攻中の東南アジアで、現地の女性が、パンパンとパンをねだりながら身をまかせたところから出ているという説。諸説はあるが定説はない。  パンパンという悲しみを受けつけない乾いた響きが、不思議な流行語にしてしまった因であるようだ。  みんな実に気軽にパンパンとこの言葉を口にした。  足柄竜太たちが、バラケツの姉葉子のことを赤パンパンとひそかによんでいたのもそういうことで、別に深い意味などなかったのだ。  ところが、このパンパンという言葉で、大きな騒ぎが持ち上るのである。  ある日、その日も過ぎし日と変ることなく放課後の校庭で野球をしていると、鉄工場の水くみに行った筈の二人組、照国こと長谷川照夫とアノネこと高瀬守のうち、アノネが泣きながら帰って来たのだ。 「何や。どないしたんや」  只事でない様子なので、一時野球を中断してぐるりとアノネをとり囲んだ。 「いうてみい。何があったんや」 「照国がな。あのな。連れていかれよったんや」 「誰にや」 「バラケツの姉ちゃんの赤パンパンと、それから、猫屋の美代ちゃんと、節ちゃんと、それから、バラケツの兄ちゃんのブギウギ・トンボと」 「どないな組合せや。一体どないなってるねん」 「こら、アノネ。ヒクヒク泣いてんと、ちゃんと話してみい」  竜太が話をうながす。 「照国がな。何の気なしにパンパンちゅうて怒鳴ったんや」 「何でや」 「知らん。何でや知らんけど、怒鳴りたなったんやろ。そしたらな、ちょうどそこが猫屋の前で、美代ちゃんと節ちゃんの二人がおったんや。ほいで、ちょうどそこへ、バラケツの姉ちゃんの赤パンパンが通りかかったとこやったんや」 「ほいで」 「パンパンいうたら、何やて、誰がパンパンやのんとものすごう怒って」 「誰が」 「三人とも」 「美代ちゃんも節ちゃんも、赤パンパンも三人とも怒り出したちゅうのんか」 「そや。三人とも自分がいわれたと思うたんや」 「ほいで」 「パアッと走って来て、パンパンパンパンと照国撲られよってな」 「誰にいな」 「三人にや」  そして、あげくは、こないな大人を侮辱する子はちょっとやそっとのことで許すわけにはいかん。死ぬ程お仕置きしてやるいうて引きずって行ったということだ。途中でブギウギ・トンボとバラケツの兄弟も一緒になったから、照国はきっと今頃バラケツの船に吊されているに違いないとアノネは泣くのだ。  それにしても、パンパンという言葉で三人ともが激怒するというのが不思議だと竜太は思った。覚えがあるんやろか。  それはさておき、バラケツの奴、いよいよ男の友情を踏みにじる気だなと竜太はアノネの肩を抱きながら、 「見よ、ぼくら行くてに太陽が」  とそんな気持になっていたのだ。  唐辛子の整列     1  女の人にむかって、パンパンとよぶのは大変な侮辱になるらしい。  足柄竜太たちにしてみても、パンパンという言葉が、決して敬意を表わすものだと思っていたわけではないが、それにしても、命を賭けても名誉を守るといったような激怒を誘うとは考えてもみなかったのだ。  要するに、ほんのちょっとした侮辱を加えるという意味では、実に気軽に使える面白い言葉というだけだった。  パンパン。響きがいい。それにいろんなふうに応用がきく。  パンパンだけを独立して使ってもいいし、さまざまな修飾語を付け加えても、実におさまりがいいのだ。  現に、上から下まで真紅で統一したバラケツの姉ちゃんの正木葉子には、赤パンパンというのを献上していたし、同様の使い方で、色の黒い娘には黒パンパンというのを命名している。  他に、しびれパンパン、くされパンパン、まだらパンパン、いらちパンパンとその応用は多岐にわたっており、いわば、竜太たちにかかれば、江坂町でパンパンでないのは、駒子先生とムメぐらいのものであったのだ。  しかし、ことは、竜太たちが考えている程単純でも、又、気楽なことでもないらしい。  何気なく、手当り次第に乱発していたが、相当の深さで女を傷つけ、踏みにじるものであるらしいと、竜太は今気づいたのだ。  照国こと長谷川照夫が、その日、パンパンと叫んだのは、条件反射といっていい。女の人と対面すると、反射的にパンパンという言葉がとび出す程、最近の彼らは悪習慣が身についていた。ガンチャこと神田春雄などは、自分の母親に向って叫んでしまい、鉄拳制裁を父親からくらったといって不思議がっていた程だ。  だから、照国が叫んだパンパンも、特に猫屋の美代ちゃんや節ちゃんを侮辱するつもりであったとは思えない。  照国の視界の端を女の影がかすめた。照国は条件反射で、パンパンと叫んだのに過ぎない。  平常なら、 「何いうねん。この子らは。いやな子やな。アホ」  ぐらいで済む筈なのだが、今日はまるで違っていたというのだ。照国の、 「パンパン」  というボーイソプラノの聴取可能範囲に、たまたま美代ちゃんと節ちゃんと、赤パンパンこと正木葉子がいたのだ。  彼女らは、その言葉を耳にするや否や、殿中松の廊下で吉良上野介の侮辱を受けた浅野内匠頭のように、照国に襲いかかって来たという。  浅野内匠頭が三人もおったら、吉良上野介も助からんわ。  竜太は、アノネこと高瀬守の現場報告をききながら、馬鹿なことを考えていた。  そして、照国は、美代ちゃん、節ちゃん、赤パンパンという三人の女に、|折檻《せつかん》を目的として|拉致《らち》されて行ったのだ。しかも、途中から正木二郎、三郎のバラケツ兄弟もそれに加わっているという。 「アノネ。お前、そん時、何しててん。照国がポカポカいかれて、連れて行かれるのん、アホみたいにじっと見てたんか」  竜太がいった。 「そりゃ、あかんわ」  アノネが、男の矜持もあらばこそ、さらりという。 「何があかんね。友だちの危難に身を投げ出してやな、戦うのが真の友情やないけ」 「あかん」 「何でや」 「鈴木澄子や。鈴木澄子が三人やで。友情てなもん、おそろしゅうて忘れてたわ」 「ほうか。鈴木澄子みたいやったんか」 「ほや。美代ちゃんも、節ちゃんも、赤パンパンも、まるで鈴木澄子やった」  アノネは、思い出してもふるえが来るというように、二三度身ぶるいをした。  それまで、竜太とともに、アノネこと高瀬守の戦線離脱を責めていた仲間も、鈴木澄子という一言で、そりゃ手出しが出来んのも無理ないわ、と納得したのだ。  鈴木澄子というのは、戦前の化け猫映画スターの名前で、竜太たちは極く最近、巡回映画の一本として、身の毛もよだつ怪猫映画を見たばかりだったのだ。  思えば、映画というのも初体験であったのだが、それが怪猫映画というのが、巡り合せといえばそれまでだが、如何にも竜太たちらしいといえなくもない。  とにかく、当時の竜太たちにとって、鈴木澄子というのは恐怖の象徴であった。  だから、今アノネが、美代ちゃんも、節ちゃんも、赤パンパンも、鈴木澄子のようになったというだけで、充分その恐怖は伝わるのである。  気の弱い新田寺の息子のニンジンなどは、その一言だけで、美代ちゃんの髪の毛が逆立ち、節ちゃんの口が耳まで裂け、赤パンパンが|行燈《あんどん》の油をピチャピチャと舐めるさまを思い描いた程だ。ニンジンは、怪猫映画を見た夜から、天井に鈴木澄子が白装束ではりついている幻夢に悩まされ、結果として、すっかり寝小便の癖がついてしまったという実害をこうむっているのだ。但し、そのことは誰にも話していない。  こんな話ぐだぐだしててもしゃあない。照国は化け猫三人女の手につかまっとるんや。早いとこ助けに行ったらんと、どないな目にあうかもしれへん。それこそ、猫が鼠をいたぶるように、けったいな踊りを踊らせたあげく、喉笛噛み切られるかもしれへんやないけ。  竜太はそう思った。  黄昏せまる江坂小学校の校庭だった。彼らはまだ野球の途中で、手には、自家製のグローブやミットをはめ、竜太の手には、鉄工場製作のバットが握られていた。  竜太の他には、ニンジン、ボラ、ガンチャ、ダン吉、アノネがいた。校庭に彼らの影が心細い程に長くのびていた。 「行くで」  竜太がいった。 「どこへ行くねん」 「きまっとるやないか。照国を助けに行くんや」 「そりゃ、あかん」 「あかんことあるかい」 「竜太のおじいちゃんに行ってもらお。その方がええて」  竜太の祖父、つまり江坂町巡査駐在所の足柄忠勇巡査の手に事件の解決を委ねようというのが大勢であったが、竜太は承知しなかった。 「行こ」  竜太たちは歩きはじめた。  校門のところで、駒子先生の自転車が追いぬいて行った。 「真直ぐ帰るのよ」  すれ違いざまに駒子先生は、無駄を承知のきまり文句をいった。 「ファーイ」  彼らも答えた。  先頭を行く竜太の足は浜へ向っていた。  照国は、バラケツ兄弟の船に連れて行かれたに違いないと竜太は思っていた。あらためて、バラケツ正木三郎に対して腹が立って来た。  何や、あいつ。どないなっとるんや。 「竜太!」 「バラケツ!」  二人並んで未来を見つめた友情はどないなってしもうたんや。  竜太の体が熱くなって来た。ふるえが来そうだった。思えば、進駐軍のジープに石を投げつけようとして裏山にひそんだ時以来の|戦慄《せんりつ》だった。 「なあ、竜太」  アノネがすり寄って来た。 「何や」 「貞操ってどういうことや」 「知らん」 「女の防波堤って何や」 「何のことや」 「美代ちゃんと節ちゃんがな。照国のことをバンバン叩きもって、そないなことをしゃべっててん」 「へえ」  何のこっちゃい。  貞操も女の防波堤も、竜太には全く意味不明で見当もつかなかった。  竜太でさえ意味不明なのであるから、照国に理解出来るわけがない。さぞかし、納得の行かない折檻を受けたことだろうと竜太は思った。  しかし、そのような美代ちゃんたちの激怒の様をきくにつけ、パンパンというのは、並大抵の言葉やないんやなと感じていたのだ。  竜太、ニンジン、ボラ、ガンチャ、ダン吉、アノネの照国救出隊の一行は浜へ来た。  誰もが無口になっていた。     2  やはり、照国こと長谷川照夫は、バラケツ一家の船に捕虜としてつながれていた。  そこは、連絡船も出入りする江坂港を少し北にはずれた漁師の浜で、正木丸は雄姿という程ではないにしても、可成り堂々とした船体を黄昏の海に浮かべていた。  ブギウギ・トンボの正木二郎が、金と弁舌にものをいわせて網元中井銀造から譲り受けたエンジン付きの大型漁船で、いまや正木家のシンボルともいえるものであったが、大阪、神戸からの闇物資の運搬船だということで、とかくの噂のある代物である。竜太の祖父足柄忠勇巡査の手帖には、要注意の最右翼として書きこまれている筈であった。  その正木丸の上で、照国は肥った体に縄をかけられ、機関室の窓枠につながれていたのだ。  両側に美代ちゃんと節ちゃんがいた。二人ともペラペラのロングスカートを潮風にはためかせながら、片足を船側にかけ、その膝に肘をついて煙草を吸っている。ターバンで後頭部から髪をかきあげ、前頭部でヒラヒラの蝶結びにしたところといい、ぬれて光る唇といい、胸をはだけたブラウスといい、それはもう相当のスタイルであり、相当のポーズであった。  あの時、美代ちゃんと節ちゃんは、見得をきっていたのに違いないと、後になって、少しことがわかるようになって竜太は思ったものだ。  後になってといえば、その時の光景が、田村泰次郎原作、空気座公演の「肉体の門」の一場面とそっくりだと気づいたことがある。違っているのは、しばられているのがボルネオ・マヤではなく、愛敬よく肥満した照国だということである。  バラケツ三兄弟はどうしていたかというと、同じ場所にはいたが、はっきりと傍観者であることを示していた。 「わいら、知らん」  そんな感じでニヤニヤと成行きを見つめていたのだ。 「照国ィ」 「竜太ァ」  哀れな捕虜と、必ずしも勇壮でない救出隊は、船上と渚で互いの名を呼び合った。 「大丈夫かァ」 「あかん」 「元気だせや」 「出えへん」  正木丸は、渚から少々の沖合いに錨をおろしている。歩いて行ける距離ではない。そこまで伝馬船で行ったものらしい。 「竜太。どないするねん」  アノネが心細げにささやく。 「見てみい。美代ちゃんと節ちゃん、鈴木澄子やろ」 「ほんまや」  竜太は身ぶるいした。アノネの報告が誇張でも何でもなく、むしろ今の美代ちゃんと節ちゃんの形相からいえば、控えめなくらいだと思った程だった。  黄昏はやや深まって、空気は赤から紫に変ろうとしていた。そんな中で、途方に暮れた照国救出隊の六人の少年たちは、渚に横一列に整列して正木丸を見つめていた。  仕方がないので、また、 「照国ィ」  と呼んでみた。 「竜太ァ」  と哀れなこだまが返って来た。 「あんたら」  とその時美代ちゃんが怒鳴った。 「この子を助けに来たんか」 「そうです」  竜太が、これ以上はない誠意と敬意をこめて答えた。 「お願いします。助けて下さい」 「あかん。ちょっとやそっとのこっては、かんにんしてやれへんで。ちょっと、そこのあんた。あんたや。駐在所のぼく」 「はい」 「この子が、うちらに何いうたんか知っとるのん」 「はい」 「いうてみい」 「パンパン」 「そないな可愛いいい方とちゃうで。世間中にもの笑いの種ふりまくような声や。うちらのこと、馬鹿にして、馬鹿にして、そのあげくの大声や。わかるか。うちら女よ。女がパンパンといわれたんよ。ほんまやったら、この子のこと殺してもええくらいなんよ」  美代ちゃんは、一気にそこまでしゃべると、もの慣れた指つかいで煙草の吸い殼を空中にほうり投げた。  赤い点が線となって綺麗な輪を描いた。 「恐しいなあ」  ニンジンが竜太にすり寄って来る。 「だまっとれ」  竜太はたしなめた。 「あんたら」 「はい」  今度は節ちゃんだった。 「あんたら、陰でうちらのことあんなふうに思うてたんやな。うちらの耳には入らへんかったけど、江坂の人はみんなで後指さして笑うてたんや。それがようわかったわ。ほんま情ない。泣けてくるわ。何でまた、こんな淡路の片田舎にまで来て馬鹿にされないかんの。世が世やったら、神戸、芦屋でシャラシャラしておられたもんを。いやや。ほんま腹が立つ。空襲のせいや、空襲で家も親ものうなってしもうたからや。糞、淡路の片田舎で、チリメンジャコみたいなアホにパンパンやいわれて。こら。あんたら、許せへんで。ええな。江坂のオバハンたちが、どないいうてるか知らんけど、うちら貞操は神かけて固いんやからね」 「ほら」  とアノネが竜太をつついた。 「貞操いうとる」 「固いいうてる」 「何やろ」 「それどこやないわ。どないしたら照国を助けられるか考えんと」 「無理やな」  アノネはあっさりといった。 「すみません。あやまります。照国を返して下さい」  勇を鼓して竜太が叫んだ。  場合によっては実力行使をぐらい意気ごんでいたのだが、それも到底勝算が立たない。話し合いというのも今の逆上ぶりからいってあり得る筈もない。バラケツ兄弟が仲介に入ってくれると少しは美代ちゃんたちも軟化してくれるかとも思えるのだが、バラケツ兄弟はニヤニヤと傍観しているだけで、さらさらその気配すらないのだ。  ほなら、謝るしかしゃあないやないけ、と竜太は腹を決めたのだ。 「ええか。みんな、照国助けるためや、何でもいうこときくんやで。いややいうたらあかんで」  と仲間に念押ししておいて、 「お願いしまァす。何でもいうことききますよって、照国を許して下さい」  竜太は、正木丸に向って深々と頭を下げた。こんなに厳粛に頭を垂れるのは、戦争中、御真影のある奉安殿に対して礼をさせられて以来だと思った。 「よっしゃ。そないいうんやったら、許したるわ」 「おおきに」 「アホ。只で許すかいな。何でもするいうたやないの。ええか、うちはな、これでも、愛国の花やいわれてたんやで、その愛国の花にパンパンいうたんやさかいな、覚悟がいるで」  美代ちゃんは凄むのだ。   真白き富士の気高さを   心の強い楯として   御国につくす|女等《おみなら》は   ……  愛国の花という言葉が気に入ったのか、ブギウギ・トンボ、赤パンパン、バラケツの三兄弟が、「愛国の花」を歌って茶々を入れるのだ。  ほんまにバラケツのやつ、どこまであかんやっちゃ、と竜太は、奥歯をギリギリ噛みしめながら思っていた。  正義は勝つ。正義は勝つんや。バラケツ、お前はやがてほろびるでえ。 「あんたらな。女に死んでまえちゅうくらいの侮辱を加えたんや。ええか。それ帳消しにするにはやな。あんたらが、一番恥かしゅうて、一番いやなことしてもらうで」  美代ちゃんが恐しいことをいった。  一番恥かしくて、一番いやなこと、それは何や、まさか、ニンジン一本丸かじりにせえちゅうのんとはちゃうやろな。いやいや、そんなこっちゃない。ニンジンには恥がない。 「みんな。おチンチン出し」 「ヘッ」 「おチンチンや」 「いやや」 「いやか、ほならええわ。この子こないしたるわ」  節ちゃんが、化け猫がのりうつった時の鈴木澄子のような顔をして、煙草の火を照国に近づけたのだ。 「竜太ァ。チンチン出してくれえ」  照国の悲鳴は哀れだった。  しゃないと竜太はつぶやいた。 「出そ」  竜太は、ズボンの前ホックを外し、唐辛子のように小さなものをひっぱり出した。他の五人も半ベソの状態ながらそれにならう。  黄昏の浜に哀れな唐辛子が一列に並んだ。 「えらい、えらい。ほなら、一二の三でオシッコしてみい」  水平線に沈みかけた太陽の最後の一条を受けて、六本の小便があたかも虹のようにきらめいた。それは友情のきらめきといえた。  翌日──  竜太は、道で美代ちゃんと会った。美代ちゃんは、すっかり、ひらけた女給さんの顔に戻り、 「昨日はかんにんな」  といい、「愛国の花」を歌いながら自転車を走らせて行ったのだ。  梅雨とハーモニカ     1  そうこうするうちに、梅雨に入った。  連日しとしとと雨が降りつづき、子供たちは登校にえらく難儀するようになった。何しろ、一学級見渡しても、運動靴をはいているのはほんの二三人、大方が素足に歯のない下駄で、|藁草履《わらぞうり》というものも相当数いる。そんな足まわりで、泥田のようになった道路を歩いてくるのは、並大抵のことではなかったのだ。竜太、ムメ、それにすっかりハイカラに変身したバラケツらが数少ない運動靴組であったが、それとて満足に底のあるのは少なく、穴があいているか、ヒビ割れているか、中にはほとんど底無しかという状態で、結果としては、下駄組、藁草履組とかわりがなかった。   お汁粉を 足から食べる 梅雨の道  竜太は、そんな風に一句よんだ。  それにしても、えらく律義な梅雨で、ほとんど青空をのぞかせることなく、季節いっぱい降りつづけ、文字通り火のつきかけた野球熱に水をそそぐ結果になった。  その何十日かを、足柄竜太たちはモンモンと過した。  景色はいつも乳白色にもやっていた。  その乳白色の靄の中に、田植えが終ったばかりの水田が薄い緑を刷毛ではいたようにひろがり、|燕《つばめ》が低空でよぎって行った。 「また虫とりやな」  そんな燕のさまを見ながら竜太はつぶやいた。虫とりというのは、稲の苗についた虫の卵を駆除することで、それは小学生の週一日の義務になっている。雨にうたれながら、泥田に入りこみ、苗の先に白くへばりついている害虫の卵をつまみとる。苗ごとむしりとった卵は腰にぶら下げた|空缶《あきかん》の中に投げこむ。この糞面白くもない義務も、竜太たちにとっては、貴重な文房具を手に入れる手段でもあったのだ。卵を持って町役場へ行くと、数に応じて、鉛筆だの、消しゴムだの、帳面だのと交換してもらえたのである。  泥田から上ると、大抵の子供の脚に、数匹の|蛭《ひる》が吸いついている。蛭は、ある夜の接吻という感じの猛烈さで、二三度足踏みしたぐらいでは放れない。手で無理にひきはがすと、ポンプで吸い上げたように血が噴き出す。これも又梅雨時の難儀であった。  美少女のムメこと波多野武女は、決して自分の手で蛭をとろうとしない。白くよく伸びた|脛《すね》に何匹も蛭を吸いつかせたまま、 「バラケツちゃん。とって」  とか、 「照国ちゃん。蛭や。とってちょうだい」  といって当り前のように命じる。いわれた方も、何故か当り前のように、 「よっしゃ」  と気やすく腰をかがめて、ムメの脛から蛭をひきはなすのである。  ムメが命じるのは、その他に、アノネであったり、ガンチャであったり、ニンジンであったり、ダン吉であったりするのだが、決して、竜太ということはない。  たまに、近くにいた竜太が、 「ぼくが、とったるわ」  とひざまずこうとすると、 「あかん」  と大変な見幕で拒むのだ。  みんなの前で恥をかかされたようで、竜太も流石に面白くなかったが、後から、ムメはそっとささやいたのだ。 「竜太君は、そんなことしたら、あかん。竜太君は、もっとええカッコしてんとあかんのよ」  竜太は、息苦しくなり、何か気のきいた、ええカッコの返事をしようと思ったが、 「そやなあ」  と意味不明のことをいっただけだった。  とにもかくにも、その年の梅雨はとてつもなく長く、とてつもなく律義だった。  家の中でバットを振りまわしたり、壁にボールを投げつけたりではおさまらず、竜太は、実戦さながらという野球ゲーム盤をつくり、仲間を集めて、しばしの野球熱をかきたてていた。  実戦さながらというのは、守備側が、ラムネの玉のボールを指先でひねったり、逆回転がつくように滑らせたりして転がす。ホームプレートの上を通過すればストライクだし、はずれればボールである。攻撃側は、バッターボックスに、グリップのところを半固定した十センチほどのバットをはじいて打つのだ。野手はどうなっているかというと、それぞれの守備位置に、直径十センチぐらいの円を蓄音機の鉄針で囲み、ホームベースに向ってわずかの口があけてある。打ったボールが、その口から入り、鉄針の囲いの中でおさまっているとアウトということになる。いわば、二人でやるコリント・ゲームといったものである。勿論、盤外ヘラムネ玉がふっとんで行けばホームランである。  相変らずバラケツは不参加であったが、その他の連中は、連日、江坂町巡査駐在所の八畳の座敷に集り、この野球ゲームに熱狂していたのだ。  竜太が考え、制作したものの中では、この野球ゲーム盤は傑作の一つといえた。  それでも梅雨はあけなかった。  みんなは青空の色を忘れかけていた。  バラケツの兄のブギウギ・トンボと、姉の赤パンパンが、そろって、江坂町を出て行ったのは、そんな頃である。     2  ブギウギ・トンボこと正木二郎、赤パンパンこと正木葉子の兄妹が、|疾風《はやて》のように現われて、疾風のように去って行っても、誰も驚かない。やっぱりなと思っただけである。  明日は故郷を後にするという夜、兄妹は、猫屋のオバハンこと穴吹トメが経営する「猫」で、密造酒をあおりながら、自ら主催する壮行会を開いていた。 「そんでもなあ。あんたらが、いんようになったら、又、この町もさびしなるわ。なんちゅうても、あんたら兄妹は、江坂の町にとっては、新生日本のシンボルみたいな人やったからなあ」  と猫屋のオバハンが、|餞別《せんべつ》代りにお愛想をいう。 「けど、何で? 何で急に出ていく気になったん? 何ぞあったんか?」  一転して真顔になってオバハンがたずねると、正木二郎は、 「何ぞあったら此処にいるわい。何にもないよって出て行くんやないけ」 「どないなこと?」 「なあ、オバハン。ええか。今の日本はやな。どないな時や思う? 一日も早う敗戦の衝撃から立ち直らなあかん時やろ」 「そや」 「焼跡のままやったら具合悪い。一日も早う青い芽を吹く柳の辻にせなあかんね。そないな時に、わいらみたいな才たけた若者がやな、こないな田舎にくすぶっとるわけにいかんやないけ」 「祖国復興は、江坂にいたらあかんけ?」 「あかん」  二郎は憂国の士のように唇をへの字に結んで首をふった。 「ほんまに此処はあかんで。どないなっとるんやろ。京阪神までわずか半日の道のりにありながらやな。何にも知らへん。今都会がどないなっとるか、今祖国がどないなっとるか、どこ吹く風や。ひょっとしたら、日本が戦争やったことも、戦争に敗けたことも知らんのとちゃうけ」 「よういうわ」  美代ちゃんが口をはさんだ。 「いや、似たようなもんやで。あのな。そこのオッサン」  と正木二郎は、美代ちゃんとグダグダしゃべりながら飲んだくれている漁師のオッサンに声をかけた。 「|屁《へ》こいてみい」 「何やて」 「屁や」 「屁て、あの屁か」 「あの屁も、この屁もあるかい。チップやるよって、ブウッと一発やってみい」 「よっしゃ」  漁師のオッサンは椅子から尻を少し斜めに持ち上げて、ブウッと一発、注文通りのを放った。 「やったで」 「ほい、これ心付けや」 「どういうことやのん。けったいなことやらせて。うわぁ臭い、臭い。オッサン何食べてんね」  美代ちゃんも、節ちゃんも、猫屋のオバハンも一斉に鼻をつまむ。 「オッサンが屁をこいた。この屁がやで、江坂の町では三日持ちよるで。風も吹きよらん。どろんとたまったままや。そんな町に、このわいがおられると思うか? オッサンの屁を三日も首に巻きつけて、新日本建設が出来るかいな」 「いわれてみたら、そないな気もするわな」  猫屋のオバハンが妙に感心し、 「するする」  節ちゃんと美代ちゃんが同調した。 「銭もうけや」 「ええなあ」 「今度帰って来る時は、株式会社つくって来るでえ」  正木二郎はベラの干物を前歯で噛みながら、希望を語り、決心を表わすかのように中骨をペッと吐き出した。 「株式会社やで」 「株式会社か、そりゃ大したもんや」  とチップで屁をこいた漁師のオッサンが、感にたえたようにうなずいたのだ。  一方、妹の赤パンパン葉子も、文化や芸術や西洋思想から遠く離れた江坂町では、私の体がうずいてしゃあない、だから都会へ帰って行くというのである。 「うずくって、どこが?」 「どこもかしこも、もう辛抱たまらんほど」 「神経痛ちゃう?」 「アホ」  葉子は、節ちゃんのおよそ芸術的でない反応に腹を立てた。 「そやからいややねん。理解がないねん」 「お兄ちゃんは、新日本建設のために株式会社をつくるわな。で、あんたは、何するの?」  美代ちゃんが訊ねた。 「映画女優」 「へ?」 「映画女優になろうと思てんのよ」 「成程なあ」  三人の女は声をそろえて感動した。その夜の葉子のいでたちは、刈りとり前の麦の穂に沢庵をもたれかけさせたように真ッ黄ッキであったのだ。 「ほな。江坂の皆さん。ごきげんよう」  しとしと降る長梅雨の中、兄妹が相合傘で帰って行ったのは夜もふけていた。   別れ惜しむな ドラの音に   沖は希望の朝ぼらけ   啼くな鴎よ あの娘には   晴れの出船の黒けむり 「別れ惜しむなか」 「誰が惜しむかい」 「あの兄妹、アホちゃうか」 「アホや」 「ケケケケケケ」  兄妹を送り出した後、猫屋のオバハンと、節ちゃんと、美代ちゃんがそんな風に話していたが、勿論、ブギウギ・トンボ、赤パンパンの兄妹は知らない。  とにもかくにも、江坂町から嵐が去った。  バラケツ正木三郎は、又、老いたる祖父、病の母との生活に戻ったのである。     3  ついでのことに、その後の正木二郎、葉子兄妹と、江坂の人々との交流の様子を書いておくことにする。  ブギウギ・トンボ正木二郎は、ほぼ半年に一回の割合で、予告もなしにふらりと帰って来た。まさに予告もなしにで、突然竜太たちの教室の窓から、 「やあ。江坂の幼少年諸君」  と声をかけたり、町議会の席へ現われたり、婦人会主催の産児制限講習会の最中に、 「ああして、こうすりゃ、こうなると、知りつつこうして、こうなった二人。諸君、そないなことを後でいうより、しっかり勉強して、よい家族計画を立てようではありませんかァ」  ととびこんで来たりするのである。  しかし、派手に派手に登場はするけれど、三日も過ぎると、又、江坂悲しや、日本の孤島と毒づきながら去って行くのだ。  しかし、竜太をはじめ、子供たちは、正木二郎の帰郷を心から待ちわびていた。というのは、それが、唯一都会の空気と、文化の匂いを持ちこんでくれる人であったからだ。正木二郎は子供たちの人気者だった。  とりわけ、NHKのラジオ放送と、「野球少年」でしか知り得ない職業野球の話をきかせてもらえるのが何よりだった。 「若林って知ってるやろ」 「阪神の監督でピッチャーや」 「えらいやっちゃで、この若林ちゅうのは。七色の魔球ちゅうのんを投げよる。これはやな。ピヤッと若林が投げるやろ。ピラピラピラとボールが来るわな。そこまでは、他の並のピッチャーとおんなじや。えらいとこいうのは、その後や」 「どないなるん?」 「光りよる」 「えッ」 「ピカピカ七色に光りよる」 「へえーッ」 「目の前へとんで来るボールが、赤い灯青い灯道頓堀に、みたいに光るんやで。打てるわけないわな。名投手や」 「すごいなあ」  子供たちは感心するのだ。 「なあ。バラケツの兄ちゃん」  竜太は、かねてから読解不能の阪神タイガースの投手の名前を指さし、この選手の名前は何て読むのかと質問してみた。それは御園生という投手であった。 「何や、竜太。秀才の癖して、こないなもん読めんのかいな。これはな、むずかしゅう考えることはない。ゴエンセイや」 「ゴエンセイ」 「そうや」 「五年生みたいやな」 「そない覚えてたらええわ」  正木二郎は、かなり長い間、子供たちのヒーローであり、足長おじさんであり続けた。  帰って来る度に大判になっている�正木商事株式会社 社長 正木二郎�という名刺の輝かしく、晴れがましいときめき。 「地獄の顔」で有名なギャング俳優水島道太郎や、「憧れのハワイ航路」で人気�1の歌手岡晴夫とも兄弟分だという交友関係の広さ。それから、   しまのジャケツに   オイルのコート  という歌のオイルとは、ギャングがピストルの弾を受けてもツルリとすべるように、オイルをぬっているんだと教えてくれる博識。  それから、コンビーフという缶詰のエもいわれぬ美味。  ブギウギ・トンボの想い出はつきない。  足柄竜太が、それらの話が、すべて出鱈目だと気づくのは、それ程後のことではないが、何故か、だまされたという思いはしなかったのだ。  七色の魔球というのは、若林投手の球種が多いというたとえであり、別にチカチカ七色にきらめくものでないということもすぐにわかったし、御園生も、ゴエンセイではなく、ミソノオと読むということもすぐに覚えた。  しかし、竜太は、正木二郎をインチキな悪い人だとは思わなかった。何故なら、彼の帰省は、少なくとも都会との接触であったからである。  兄は半年に一回戻って来たが、妹はきまって年に一回だった。  女優になったという話はきかなかったが、成功はしているらしく、いつもきらびやかななりで現われ、モンペや国防服を見下していた。  葉子は年に一回帰郷した。その都度、母の手に赤ん坊を置いて行き、それが三年つづいた。三年間に、バラケツには三人もの甥や姪が出来たのである。  莫大な養育費や、目のつぶれそうに高価な土産物を持参するわけだが、流石のバラケツの母も、 「このハラミ猫が」  と最後には口汚くののしっていた。  しかし、葉子はどこ吹く風で、 「ええやないの。うちがこうやって子供を産んで来るさかい、みんなが楽に暮せるのやよってに」  といい、あげくには、 「なあ。お母ちゃん、頼むで。よう覚えといてな。一番目の子供の父親が山本。二番目が高橋。三番目が鈴木やよってにな」  という始末である。  ブギウギ・トンボにくらべて、赤パンパンの帰郷は、竜太たちにとって楽しいものではなかった。  竜太がこの兄妹の話をすると、祖父の足柄忠勇の機嫌が悪くなるのである。  というのは、彼らが町を出る直前に起きた江坂町農業倉庫盗難事件、即ち、農業倉庫が破られ、米十俵が盗まれたという事件の犯人が、この二人であると忠勇は確信していたからだ。     4  さしもの梅雨もあけそうだった。NHKのラジオが、そろそろでしょうといっていた。  しかし、現実には、まだ未練がましく、しょぼしょぼと降っていた。  竜太は窓をあけ、青田を見つめながら、ハーモニカを吹いていた。ハーモニカは川口バンドである。  何故か、ハーモニカは一発で吹くことが出来た。メロディさえ頭にあれば何でも吹けるのである。近頃は、ブワッブワッとベースを入れることも出来るようになり、 「竜太ちゃん天才とちゃうか」  という近所のオバハン達の言葉を半分信じかけていた。  野球が出来るまで後二三日、そんな気分で、「東京の花売娘」を吹いていると、 「竜太、おるか」  とバラケツ正木三郎が顔を出した。断絶以来久しぶりのことである。  バラケツが戻って来たと竜太の胸は瞬間熱くなった。 「竜太。試合に行かへんか」 「野球か?」 「あんなもん、やるかい。ハーモニカや。隣の大宮町に、えらいハーモニカのうまいのがいるいう話や。竜太、勝負して、ギャフンといわせてやろやないけ。お前は天才や。な、行こう」  と不思議なことをいって来たのだ。  上 に は 上     1  淡路島全体がすっぽりと濃い緑に包まれ、それを|縁《ふち》どる海岸線が、まぶしい程の白にきわ立って見えるようになった。海は、たとえようもなく明るい碧で、更にその背景にもっと明るい空の青と雲の白が広がり、楽天的な原色の風景画が、常に見られる季節になった。夏休みである。  敗戦三年目の陰画の時代ではあったが、自然にそのような屈託はなかった。  何処の家にも大輪の朝顔が咲き誇り、日よけを兼ねた柵の上で、薄紅、薄青の花弁を�野崎小唄�のお染が手にする日傘のように開いていた。それは、朝露にぬれている間が一番美しく、日中に|萎《な》えた美形は、夕べにはもうもみしだいた和紙のように生命を失ってしまう。しかし、その陰に、もう翌朝の朝露を待ち兼ねるように、こうもり傘のようなつぼみが数多く控えているのが嬉しいのだ。  町を見渡して見ると、この朝顔派と同数のへちま派があることに気がつく。  へちまも日よけの役割を果す。それは同時に目かくしにもなる。窓をあけはなって、自然の風を入れても、部屋をのぞかれるということはない。  へちまは、美しいとはいい難いが、それでも黄色の花をつけ、それがすぐに万年筆程の実に変って行くのを目撃するのは楽しいものだ。生長も早い。胡瓜程の大きさになると、薄い輪切りにして味噌汁の実にして食べる。癖のある匂いがするが風味といえなくもない。美味とはいい難くとも珍味である。  味噌汁の実や、油いための種になる運命を免れたへちまは、秋風が吹くまで、というよりは、天寿を全う出来る。たわしになるのである。しかし、そこでも運不運があって、繊維のやわらかいへちまたわしは女の柔肌をこすり、繊維の硬いへちまたわしは鍋釜の尻をこする。  へちまの役目はそこまでではなく、伸びきったつるを切り払って季節の終りを告げる頃、最後のおつとめをするのだ。それは、茎を地上五十センチぐらいで切り、その切り口を瓶詰めの瓶にさし込んで置くと一晩で瓶一杯ぐらいの液がとれるからである。自家製のへちまコロンである。  こうやって見ると、同じ夏の風物であっても、朝顔派は多分に情緒的であり、へちま派は相当に実利的であるといえるだろう。  あの昭和二十年八月十五日から二年が過ぎ、剃刀のような少年足柄竜太を何やら|海鼠《なまこ》のように変えながら、時は夏だった。  甲子園球場では、全国中等学校野球大会が開かれていて、仙台二中、成田中学、岐阜商業、小倉中学などが勝ち進んでいた。  情報に恵まれない竜太たちもその程度のことは知っていて、仙台二中の二階堂、成田中学の石原、岐阜商業の樽井、小倉中学の福島という主戦投手の名前を口にしながら、キャッチボールをしていた。  特に、仙台二中二階堂という言葉の響きが竜太の気に入っていて、 「ニカイドォー」  といいながら投げると速い球が行くような気分になっていた。それを、 「ニッカイ ドウッ」  といういい方にすると尚のこと剛球になったが、 「タルイーッ」  では何とも|気《け》だるい球が行くような気がしていたのだ。  その時点では、仙台二中二階堂投手は、圧倒的な人気者であった。  夏休み期間中に、定められた登校日が三日ある。  登校して何をするというのでもない。中井駒子先生が教室で出欠をとり、校長先生が校庭で訓辞を垂れ、後は、全校生徒そろって大掃除をして帰って行くだけのことである。 「登校日ちゅうのは何じゃらほい」  といった子供もいたが、 「生きとるかどうか調べとるんや」  という誰かの答が一番真実味を帯びているような気がしていた。  さて、その夏休み二度目の登校日の校長先生の訓辞は、竜太には印象的なものであった。大体が、ヒョーゴロ、ヒョーゴロいっていて、屁のつっぱり(つっかい棒)にもならんわ、という話し方をする校長であったが、この日の話は違っていたのだ。 「皆ひゃん」  校長先生はそういう。どこかから空気がもれているらしく、皆さんが、皆しゃん、もしくは、皆ひゃんときこえるのだ。但し、そういう書き方をしていると、とても疲れてつき合いきれない。竜太の胸に残った言葉で書くことにする。 「今、甲子園球場で行われている全国中等学校野球大会で、とても印象に残る選手がいます。小倉中学の福島一雄投手です。技量にすぐれ、母校を勝利に導いているということではありません。福島投手は、毎回毎回スリーアウトをとると、球を自分の掌で綺麗に拭き、きちんとマウンドの上に置いて、ベンチに帰って来ます。諸君、覚えておいてほしい。これをマナーといいます」 「これをマナーといいますか、ええこというなあ」  と竜太は感動した。マナーという言葉も初めてきいたものであるが、何となく理解は出来たのだ。  それ以後、足柄竜太は、キャッチボールの時に、 「ニッカイ ドウッ」  ではなく、 「フック シマアーッ」  と叫ぶようになったのである。     2  隣町の大宮町に、もの凄うハーモニカのうまい奴がおる、一丁試合やったろやないけ、とバラケツが話を持ちこんで来たのが梅雨の終りで、よっしゃやったろかと返事をしていたが、それがいよいよ今日になった。  竜太とバラケツ正木三郎は、やや緊張に顔をこわばらせながら、江坂町から北へ、大宮町につづく海岸線を歩いていた。  暑い日だった。  蝉の声が、岩にしみ入るどころか腹にしみいるようなはげしさで降りそそぎ、光の粒がガラスの破片のようにきらめいて、びっしりと空気をうめつくしていた。  汗がたらたらと流れた。そのたらたらを手の甲で拭いながら、その手の甲をズボンにこすりつけながら、竜太とバラケツは歩いた。大宮町まで一里半(六キロ)あった。  竜太は、自慢のハーモニカ、川口バンドをとり出して吹き始めた。小手調べというか、唇ならしだった。  あの有名な、花も嵐も踏みこえてェという「旅の夜風」を吹いた。舌もよく動き、ブアッブアッと歯切れのいいベースも気分よく入った。調子は上々だった。 「うまいなあ。天才やなあ」  とバラケツがいった。  あらためて前奏から吹き始めると、ブンチャーカ チャラリコチャンコ チャラチャラ チャンリンリン とバラケツがそれに合せて口伴奏をつけた。   ハンナァーモ アンランシモー   フンミコーエーテー  とバラケツが歌った。ごきげんだった。この調子なら、大宮町の天才にも勝てそうだという気になって来た。 「これやったら勝てるでえ。なあ、竜太。勝ったら、ベッタ百枚とラムネ百個と乾燥芋一袋貰えるんやで」 「負けたら」 「ベッタ百枚とラムネ百個と乾燥芋一袋をとられるんや」  ベッタとはメンコのことであり、ラムネとはビー玉のことである。  そういえば、バラケツは、|大国主 命《おおくにぬしのみこと》のように袋をかついでいる。その中には貴重なベッタとラムネと乾燥芋が入っているのであろう。負けたらえらいこっちゃ、責任重いなあと竜太は思った。今ふうにいえば、江坂町からの財産の流出は防がなあかん、と思ったのである。  責任を感じたとたんに下腹が痛くなって来た。それと同時に、勝利の予感も少々薄れそうになって来た。  気持を昂揚させるために「誰か故郷を想わざる」を吹くと、 「ええなあ」  とバラケツが屈託なく答えた。  約束の場所は、大宮町の海岸にある大宮松原だった。戦前の平和な時代には海水浴場として有名だった場所である。阪神地区から派手な身なりのお客が大勢やって来たということであるが、戦争以来そのような客は絶えてしまっている。終戦後二年になっているが、未だ客が来る程には復活していない。今も二三人の土地の子供が水遊びしているだけだった。 「おらんな」  バラケツが松林の中を見まわしながらいった。対戦相手はまだのようだった。  竜太の視界の端を麦藁帽子の少女が、サッとかすめた。瞬間ムメではないかと思った。しかし、波多野武女がこんなところにいるわけはなかった。妙な錯覚だった。 「ジャーン」  その時、背後でそんな声がし、ふり向くとバラケツのように体の大きい少年が立っていた。麦藁帽子に丸首シャツ、紺色の半ズボンを巨大なバックルのついたベルトでしめつけている。ベルトの端が余って五十センチ以上もブラブラとたれ下っている。そして、裸足だった。  こいつかいな、迫力あるなあ、と竜太は思った。 「遅いやんけ」  バラケツがなじった。 「まあまあ、ええやんけ」  迫力少年は大人のように答えた。 「竜太。こいつな、大宮町の|鬼瓦《おにがわら》や」  とバラケツが迫力少年を紹介した。 「鬼瓦がハーモニカ吹くのんか」 「ちゃう。ちゃう」  とバラケツは、そんなアホな、というようにニベもなく打ち消し、 「おい。大宮の天才はどこにいてんね」  と周囲を見渡した。 「大変永らくお待たへいたひまひた」  鬼瓦が体に似合わぬ|剽軽《ひようきん》な声を出した。どういうわけか、サ行がハ行になる。 「ジャーン」 「ジャーンはええわい」 「あの歌この歌君の歌、今宵輝く歌の明星は、大宮町が誇る天才少年、藤山一郎君。張りきってどうぞ」 「ちょっと待て」  バラケツが慌てた。  竜太も慌てた。藤山一郎てなどういうことや、あの「影を慕いて」や「青い背広で」や「丘を越えて」の藤山一郎が出て来るいうんかいな。 「嘘ちゃうで。藤山一郎いうのんは、ほんまの名前やさかいな」  と鬼瓦はいい、 「では、藤山一郎君。張りきってどうぞ」  とあらためて声をはり上げた。  ジャーン。  それは、竜太とバラケツの方が叫びたい声であった。  一きわ太い松の幹の陰から藤山一郎少年はあらわれた。しかし、その少年に驚いたわけではない。少年が胸にかかえている、きらびやかなアコーデオンに仰天したのだ。  アコーデオンは、如何にも金ピカという感じがした。木もれ陽を受けて金属部分がキラキラと光り、竜太やバラケツの顔に光の反射をあびせた。  あかん。竜太は思った。  これはまるで日米決戦や。B29にベニヤ板の零戦や。一トン爆弾に竹槍や。 「さあ。やろやないけ」  鬼瓦は勝ち誇った声を出した。 「ほんじゃ、まあ」  ということで、ジャン拳をしたらバラケツが勝ち、竜太は、「啼くな小鳩よ」を吹いた。岡晴夫のヒット曲だ。アコーデオンには衝撃は受けたものの、調子はいささかも落ちていず、江坂の天才の名をはずかしめない出来を示すことが出来た。 「うまいなあ」  バラケツが一人拍手をした。|空《から》元気ではなく、本当にそう思っていた。くずれかけた自信が、今の竜太の出来で復活したようだ。 「そっちゃの番や」 「よっしゃ」  鬼瓦が答えた。  藤山一郎少年は無言のまま、ブワーンとアコーデオンの蛇腹をいっぱいに広げた。それは極彩色の竜に見え、|俵藤太《たわらとうた》が退治したという|大《おお》|百足《むかで》に見えた。  藤山一郎少年は、上体をゆっくりとゆらしながら演奏を始めた。鍵盤の上を女のように細い指が、何のためらいもなく踊る。淀みがない。次はどの指かいなとか、次はどこやったかいな、といった迷いがない。指だけが勝手に動いているようだ。そして、竜太とバラケツの口をポカンと開けさせたまま一曲の演奏が終った。 「ドナウ河のさざ波」  藤山一郎少年はいった。  つづいて、竜太が「東京ブギウギ」を吹くと、藤山一郎少年も、にぎやかな曲をまるで手品か曲芸のように演奏した。 「ビヤ樽ポルカ」  そういう曲であるらしかった。  三曲目に、竜太は、「東京の花売娘」を予定していたがそれをやめて、「荒城の月」を吹いた。作戦変更だった。どうも流行歌では対等の勝負にはならんという気がしたのだ。  しかし、折角の「荒城の月」も相手が、 「歌劇カルメンより、ハバネラ」  なんてものを持ち出して来ると、色あせてしまった。  勝負あった、だった。江坂の天才は大宮の天才に敗れた。川口バンドは、何とかいう外国製アコーデオンに玉砕したのだ。 「バラケツ。悪いけど、負けや」  竜太はあっさり負けを認めた。 「そやなあ」  バラケツも素直だった。 「上には上があるなあ」 「ほんまや」  竜太が答えた。実感だった。  バラケツは、敗戦のしるしとして、袋に詰めて持って来たベッタ百枚とラムネ百個と乾燥芋一袋を鬼瓦にさし出した。その時初めて無念という顔をした。 「おおきに、おおきに」  鬼瓦が相好を崩して喜んだ。  ああ財産の流出が防げなかった。ベッタよ。ラムネよ。乾燥芋よ。と思うと竜太も涙が出そうになった。 「なあ。鬼瓦。もう一勝負せえへんか」  バラケツがいった。 「何の勝負や」 「わいと鬼瓦の相撲できめよう」 「ええけど、何賭けるねん」 「お前の方は、今のそれや。ベッタとラムネと乾燥芋や。わいの方は、これや。この服や。安もんとちゃうで。神戸元町で|買《こ》うて来た舶来もんやで」 「ほんまに元町で買うたんか」 「嘘いうかい」 「よっしゃ」  鬼瓦が了解した。 「竜太。見とれ。取り返したるさかいな」  といい、バラケツは、ハッケヨイ、ノコッタととびかかって行くと、タアッという鬼瓦の声一発で勝負はついた。  竜太もみじめだったが、バラケツの敗戦はもっとみじめだった。突き合うことも、組み合うこともないままに、バラケツは砂の上に叩きつけられたのだ。決まり手は上手出し投げだった。 「上には上があるなあ」 「ほんまや」  バラケツが答えた。  油蝉が集団で鳴く声が一きわ高くきこえ、耳鳴りのように思えた。   松原に 戦い敗れ 蝉の声 「悪いな。元町の服もろて行くで」  鬼瓦はニヤニヤ笑いながら、バラケツの服をぬがした。 「もうかった。もうかった。お母ちゃん、喜ぶわ」 「何ぬかしてんね」 「ほな。藤山一郎君。帰ろか」  と行きかかるのを、 「ちょっと待て。もう一回」  バラケツが未練によびとめた。 「何をやるねん。相撲はあかんで」 「小便のとばしあい」 「あかん」 「チンポのチャンバラ」 「アホか」  鬼瓦は憐れむような目でバラケツを見て、ほならバイバイと松林の中へ消えて行った。  人影は消えても、思いがけないところで、光の反射が揺れた。アコーデオンがきらめいているに違いなかった。 「啼くな小鳩よ」に「ドナウ河のさざ波」は河津掛けで「ドナウ河のさざ波」の勝ち。 「東京ブギウギ」に「ビヤ樽ポルカ」は、押し倒して「ビヤ樽ポルカ」の勝ち。 「荒城の月」に「ハバネラ」は、高々と吊り出して「ハバネラ」の勝ち。  竜太はそんなふうに思った。     3  重い足をひきずりながら、大宮の町をぬけようとしていた。相変らず暑かった。暑さと虚脱でめまいがしそうだった。  特にバラケツの足は重かった。いや実は気が重かったのだ。  というのも、一日あずけたら倍にしてやるという約束で、ベッタやラムネや乾燥芋をかき集めて来ていたからだ。  百枚のベッタ、百個のラムネを弁償するということは大事件だ。乾燥芋の一袋はどうにでもなる。大抵の家が、鶏小舎のトタン屋根の上に乾してあるから、一つ二つとくすねただけでもどうにかなる。いや、くすねるなんて悪いことしなくても、 「オバハン。この芋うまいか」  と声をかけると、 「食べてみい」  と大概はいってくれる。食糧難とはいっても、乾燥芋あたりまではまだ|鷹揚《おうよう》なところが残っている。問題はやはりベッタとラムネである。  バラケツは瞬間、何でも出来るブギウギ・トンボの兄ちゃんを思い出していた。  二人とも無口だった。  大宮の町をちょうどぬけた時、二人の目の前に白いものが転がって来た。野球のボールだった。  拾い上げた竜太の目がきらきらと光った。  かすれた声をつまらせながら、 「バラケツ。見てみい。健康ボールや」  竜太は興奮していた。  健康ボール     1  足柄竜太の掌の中に、うわさの健康ボールがあった。  今、竜太は、大宮松原ハーモニカ対決の場から、すごすごと退却する敗軍の将であったが、そんなことをたちまちにして忘れてしまう程に興奮した。 「健康ボールや」  普通にしゃべっているつもりだが、竜太の声には、ヒエーッというような裏がくっついていた。羅紗地に人絹の裏地をつけたような妙な声になった。  声だけではない。  心臓が、焼き玉エンジンのように、スッポン、トットトトト、スッポン、トットトトトと躍りはじめた。  感動や、感激や。焼き玉エンジンやのうて、もっとええもん思いださんかいな。  竜太は、そうじれったく思ってみたが、今の心臓の高鳴りは、朝もやをついて港を出て行く漁船の心地よい響きにしかたとえられなかった。  ええわ、焼き玉エンジンでも。熱血感動や。佐藤紅緑や。  竜太は、ワナワナふるえながら、拾ったばかりの健康ボールをこねまわした。 「どないしたんや。竜太」  バラケツがたずねた。 「お前、大宮の天才藤山一郎に負けたんで、おかしなったんとちゃうけ」 「ちゃう、ちゃう」 「けど普通やないで。猫が河豚にあたって腰ぬかす時みたいやで」 「これや。見てみい」  竜太は、健康ボールをさし出して見せた。 「タマやんけ」 「タマやこというな。ボールや。健康ボールやで見てみい」  竜太は|焦立《いらだ》った。  野球をやらないバラケツには、竜太の興奮が通じないのだ。  竜太の掌の上で、健康ボールは地球のように見えた。赤道にあたる部分にはちょうどそのような帯が入っており、北極と南極のところには、※[#○に健]という輝かしいマークが刻まれている。その他の部分は、幾何学模様で埋められているが、これも、竜太たちのいい方をすれば、ギザギザである。  要するに、軟式野球ボールで、その頃の竜太たちにとっては、|涎《よだれ》が出る程欲しい品物であったのだ。  竜太たちの野球は、まだまだ全てが、姉や母や祖母の製作の用具を使う石器時代であった。 「バラケツ。ええか。これがほんまもんの野球のボールや」  と竜太がいうと、 「これが、ほんまもんやったら、竜太、おまえらが毎日使うてるもんは何や」  とバラケツは妙な顔をした。 「代用品や」  竜太は何とも無念な顔をした。 「代用品か。野球の芋雑炊みたいなもんか」 「ほや」 「代用はあかん」 「あかんいうたかてしょうないわ」 「代用食は食えん。代用教員はアホや」 「何のこっちゃ」 「けど、まあ、よかったやんけ。そのタマもろて帰ろ」 「そりゃ悪いわ」 「悪いことあるかい。わいら、江坂町の大事な大事なベッタとラムネと乾燥芋と、その上に、元町で|買《こ》うて来た服まで、大宮の天才藤山一郎と鬼瓦にとられたんやで。タマの一つぐらいもろて帰らんと計算合わんわ」 「それもそうや」 「行こ行こ」  とすっかりその気になって、健康ボールをポケットにねじこみ立ち去ろうとした時、 「こら。江坂のチリメンジャコ。ボール返さんかい」  と崖上で声がしたのだ。     2  夏草生い繁る崖の上に、甲板勤務の水兵のような姿をした青年が立って、竜太たちを見おろしていた。いや、少年という年齢かもしれないが、竜太たちから見れば、青年、大人に見えたのだ。  黒線の入った白い帽子に、白の上下の練習服という姿は、   朝だ夜明けだ|潮《うしお》の息吹き   うんと吸いこむあかがね色の   胸に若さの|漲《みなぎ》る誇り   海の男の艦隊勤務   月月火水木金金  という歌を思い出させた。 「ヨカレンや」  竜太がバラケツの耳もとでささやいた。 「相手が悪い」 「どないする」 「ヨカレンと喧嘩出来るかい。白旗や。ボール返して、早いとこ逃げよ」 「健康ボール、惜しいなあ」 「アホ。そんなこというてたら、タンコブだらけになるで」  竜太たちには、予科練が何であるのかくわしいことはわかっていなかったが、予科練帰りの若者が、ヨカレンと呼ばれ、恐い存在であるということだけは知っていたのだ。 「何ゴチャゴチャやってるねん。早よ返さんかい」  ヨカレンが怒鳴った。 「はい」  竜太が又、ヒエーッという裏地のついた声を出した。 「竜太。お前が拾うたんや。お前が返して来い」 「撲りよるやろな」 「三つぐらいな」 「一つですまんやろか」 「二つにまけてもらえ」 「しゃあない」  竜太は決心した。  健康ボールを猫ババしようとしたんや。一つ二つ撲られてもしょうないわ。それにしても、バラケツはつめたいやっちゃ。  とブツブツいいながら、夏草の崖をのぼろうとすると、 「持って来んでもええ。そこから|投《ほ》うってみい」  ヨカレンがいった。  竜太は、撲られる心配がなくなって急に元気になり、明るい声を出して、健康ボールを投げた。  バイバイ健康ボール。お達者で。  指の先に微妙にからまったギザギザの感触に、竜太はゾクリと身ぶるいした。 「ええ球や。お前、ええスジしてるで」  ヨカレンがニッと歯を見せた。  悪い人やないと竜太は思った。 「なあ。オッちゃん」  名前がわからないのでそう呼びかけた。 「オッちゃんやて。可哀相なこというなや」 「ニイちゃん」 「まあ、ええわ。何や」 「上で野球やっとるのか」 「そうや」 「見てもええか」 「勝手にせい」  ヨカレンは、すぐ背中を向けて行ったが、別に怒っている風でもなかった。 「何するねんな」  バラケツは、つき合いきれないというように、迷惑げな顔をする。 「バラケツ。先に帰ってええで」 「そんなこと出来るかい」 「ほなら、一緒に見て行こ」 「どないなっとるんや。早よ帰らな日が暮れるちゅうに」  そういえば、さしもの夏の太陽も西に傾いて、日暮れが近くなっている。心なしか風もやんだ。これから三時間ぐらいは、完全な無風状態になる瀬戸の夕凪ぎで、人々の夕食は大抵この猛暑との戦いになるのだ。一口食べては汗をふき、一汁すすって、フウッと息を吐く、そんな時間が近づいている。 「ちょっと。ちょっとだけ」  竜太はそういって崖をのぼり始めた。何としてでも、健康ボールが惜しげもなく飛びかっている野球を見ておきたかったのだ。  夏草をつかんで崖をのぼる。バラケツも渋々ついて来たが、 「竜太。かなわんな。わいは裸やで。元町の服はとられてしもたから、裸なんや。ああ、カユイ、カイカイカイ」  とのべつ愚痴りっぱなしで、それでも、十メートルぐらいの崖をのぼりきった。  のぼりきると視界がひらけた。  そこは、学校の運動場で、竜太やバラケツと同年代の少年たちが野球をやっていた。厳密にいえば野球の練習をしていた。 「すごいなあ」  竜太が嘆声をもらした。  そこに展開されている野球は竜太らのものとは別世界のもののように思えた。  誰もが、職業野球の選手をそのまま小型にしたようなユニホーム姿であった。そして、誰もが、皮のグローブやミットを手にし、スパイクというものまではいている。  それにくらべると、竜太たちは、舟の帆布でつくった大型手袋がグローブだし、それさえない子は、藁草履を手にはめて守備についているのだ。ボールはくず糸を丸めて布でくるんだ物だし、バットだって鉄工場の旋盤で削った一升瓶型だ。スパイクなんてものは思いもつかなかった。 「おかしいな」  とバラケツが大人びた声を出した。 「何や」 「考えてみい。おかしいと思えへんか。わいらの江坂と大宮町は隣同士やで。一里半しかはなれてへんのやで」 「そや」 「それが何でやねん。何で大宮にだけ、いろんなものがあるんや。藤山一郎のアコーデオンかてそうや。健康ボールかてそうや」 「ほんまやな」 「おかし過ぎるわ」 「どない思う」 「闇やな」 「何」 「大宮は、みんな闇でもうけとるな」  バラケツのものいいは、とても小学生には思えない。思考も又世馴れて、そこそこの大人では対等になってしまうくらいのところがあるのだ。  運動場では猛練習がつづいていた。  先程のヨカレンと、もう一人似たようなヨカレンが指導にあたっていたが、そのきびしさは、見ていて戦慄の走る思いにさせたが、うっとりするくらい整然としていることも確かだった。  これが野球や。ぼくらのは遊びや。  竜太は衝撃を受けていた。  ヨカレンのノックで、大宮の野球少年が駈け巡り、健康ボールが落日を受けながら空を舞った。 「こらあ。何しとるんじゃ。こんなボール、何でとれんのや。死ね。臍噛んで死んでまえ。ほら、もう一丁」  ヨカレンの罵倒を受けながら、身構えた少年が又失策をやらかすと、 「お前、ほんまに鍛練棒が好きやな。よっしゃ、やったる。こっちゃへ来て|尻《けつ》出せ」  失策少年が走って行って、ヨカレンの前へ尻を突き出すと、ヨカレンは、ノックバットを海軍の鍛練棒というか精神棒というか、そんなのに持ちかえて、容赦なく張りとばしたのだ。 「ありがとうございました」  少年は守備位置についた。 「よし」  とヨカレンは鷹揚にうなずいていた。  竜太はその光景に思わず生唾をのみこんだ。バラケツも同時だった。 「やりおるな」 「うん」 「民主主義ちゃうな」 「ちゃう」 「なあ。竜太」 「何や」 「わいも、野球やるで」 「ほんまか」 「ほんまや。わいら、もうちいっと、民主主義でやろかいの」 「あたりまえや」  竜太はきっぱりいった。 「何で野球やる気になったんや」 「くやしいやないけ。大宮にばっかり、闇でもうけさせてやで、ええ思いさせとくのんは腹立つやないけ。野球やるで。ほんで、この闇成金のチームをいてこましたるで」 「それや。その意気や」  大宮町が闇成金の巣だというバラケツの独断にはついて行きかねたが、大宮チームに勝つ気でやろうというのには感動した。  感動や。熱血や。佐藤紅緑や。  運動場の少年たちが赤く染まり、影がゴムのように長くなって来た。 「帰ろか」 「帰ろ」  竜太とバラケツは立ち上った。 「竜太。わいが怒鳴るさかいな。ほたら、この崖すべりおりて逃げるんやで。つかまったら、鍛練棒やど」 「何やるんや」 「見てみい」  バラケツは大きく息を吸いこむと、 「こらァ。大宮のガキら。待っとれよ。今に江坂が勝負に来たるさかいな。ヨカレン。闇屋。ええか。わかったな」  と叫び、 「逃げろォ」  二人は、後も見ないで、草の崖を転げ落ちて行った。ワアッという大宮の少年たちの|雄叫《おたけ》びがきこえ、石のつぶてが降りそそいで来たが、どうやら脱出には成功した。 「ザマ見くされ」  バラケツがいい、二人は気持よく笑った。 「いててて」  しかし、バラケツの裸の上体は、夏草の崖に含まれていたススキやカヤに切り刻まれ、まるで、つい最近見た松島みはるとその一座の芝居の切られ与三郎のようになっていた。 「腹へったな」 「へった」  二人は、既に暗くなった海辺の道を江坂町目ざして歩いていた。思えば長い一日であった。 「竜太。ハーモニカ吹いてくれ」 「何をや」 「勘太郎月夜唄がええわ」 「よっしゃ」  竜太は、川口バンドをとり出し、「勘太郎月夜唄」を吹いた。大宮の天才藤山一郎のアコーデオンに敗れはしたものの、いささかも卑屈になるところはなかった。   影か柳か勘太郎さんか   伊那は七谷 糸ひく煙   ……  なつかしい江坂町の街灯りが見えて来た。     3   第二十九回全国中等学校野球大会       〈準決勝戦〉   小倉中学5─1成田中学 福島 石原   岐阜商業6─2仙台二中 樽井 二階堂       〈決勝戦〉   小倉中学6─3岐阜商業 福島 樽井   (小倉中学)   (左)河野 博幸   (三)宮崎 康之   (遊)松尾  研   (捕)原  勝彦   (中)野々村勝幸   (右)井生 元固   (二)西上 岩蔵   (一)甲原 康男   (投)福島 一雄   (補)藤本  衛   (〃)香野 康彦   (〃)福田 慶久   (〃)高橋 利徳   (〃)竹内 良之     4  バラケツ正木三郎の野球無視には根拠がない。竜太たちが野球というものを始めた時に、ブギウギ・トンボの兄二郎と、赤パンパンの姉葉子が帰郷していたため、ちょっと乗り遅れてしまっただけなのだ。  だから、一旦、野球始めるでえ、ということになると誰よりも熱心で、意欲的でもあった。  ある日、それはもう、時に秋の気配すら感じられるようになった一日、それでも夕凪ぎだけは律義に訪れて来て、食後の暑さにフワーッ、フワーッと荒い息を吐いていると、 「竜太ァ」  とバラケツが江坂町巡査駐在所にとびこんで来た。バラケツは声をひそめて、 「ええグローブの材料が見つかったで」  と目をキラキラさせていうのだ。 「ほんまか」 「ほんまや。これはええで。行こ行こ」  竜太は適当な口実を設けて家を出た。 「どこや。それは」 「大宮町や」 「何やて。大宮までこれから行くんか」 「野球のためやないけ」 「そやけど、昼間にしよう」 「アホ。泥棒が昼に出来るか」  バラケツの情報によると、大宮町に廃棄処分になった木炭バスが捨ててある。そのバスの座席シートが、グローブの材料としてはちょうどええというのだ。  とにかくバラケツは大宮町にこだわる。  夜道を二時間歩いて目的のバスにたどり着いた時は、そろそろ泥棒にふさわしい時間になっていた。深夜かと思える暗さで、NHKのラジオがきこえて来なかったら心細くなっていたであろう。  バスは、元バスという感じで、あらゆる部品が盗まれて、どちらかというと掘立小屋のように見えた。この調子では、座席シートも期待が持てない。バラケツもそれを感じて、 「やられたな。遅かったな。まあちょっと見て来るわ」  と静かにバスの中へ忍びこんだ。その途端足をすくませた。人がいたのだ。バラケツは手真似で竜太を招き入れた。そして、見てみいと闇を指さした。 「ウワッ」  といいかける竜太の口を慌ててバラケツがふさいだが、その瞬間バラケツの尻から不作法な音が発せられた。 「ウワーッ」  今度は本当に声を出して二人はバスから逃げだした。 「失敗や」  二人は一里半の夜道を戻り始めた。ギクシャクと無言だった。  バスの中に男と女がいたのだ。男は女にのしかかり、カタカタと木炭バスをきしませながら動いていた。 「ツルんでたなあ」  とバラケツがいった。 「屁、びっくりしたで」 「アハハ」  また無言になった。喉が乾き、闇夜が真赤に見えそうに思え、竜太は動揺していた。グローブの材料どころではなかった。と、バラケツが突然大声で歌いはじめた。   一でイチやん嫁もろて   二で二階へかけあがり   三でサルマタずりおろし   四でしっかり抱きよって   五でゴロリと横になり   六つムクムクやりおって   七つなかなかぬけへんで   八つやっぱりぬけへんで   九つ子供に見つかって   十でとうとうばれよった  チーム誕生     1  中井駒子先生は、クラス全員に、男女同権という字を書くように命じた。 「軽い。軽い」  と自信ありげに叫んだのはバラケツ正木三郎だった。他の子供たちも、常識やんけ、そんなもんと早速に鉛筆をなめ始めた。  結果──男女同県が一番多く、つづいて、男女同犬であった。男女土建というのも幾つかあり、男女同毛などというのもあったが、肝心の男女同権と書いたのはたった二人、足柄竜太と波多野武女だけだった。 「どういうことなの。これは」  駒子先生もさすがにあきれて、その美しい眉を吊り上げた。 「どうして、男女同権が犬なの」  吊り上った眉が元の位置におさまると、今度はベソをかきそうな顔になった。  綺麗な先生を泣かせたらあかん、お前らしっかりせんかい、と竜太は、泥つきの里芋みたいな級友連をにらみつけた。  目が合うとバラケツがニヤッと笑った。あの顔じゃどうせケッタイな答を書いたんやろと竜太は思い、 「どない書いたんや」  と訊くと、 「毛や」 「男女同毛か」 「そや」 「アホか」 「そやかて、もうすぐ、わいらも武女も、毛え生えて来るやないけ。ほやから、男女同毛でええんや」  と遅ればせながら胸をはった。  何ちゅうことをいうんやと、竜太は自分が悪いことでもしたようにどぎまぎ慌てながら、美少女波多野武女を見た。  ムメは、泥つきの里芋の中の一輪の蓮の花だ。気高く、美しく、そして、何やら近寄り難いところさえある。竜太たちとムメの関係は、仏様と俗物の関係に似て、あのバラケツ正木三郎でさえ、ムメには全くの無抵抗なのである。  そやけど、もうすぐムメにも毛え生えるんやろか、とバラケツの言葉に刺激されて、ぼんやりその横顔を見つめていたら、 「竜太君」  とムメの方から耳もとへささやきかけて来た。 「何や」 「うち、昨日、赤飯|炊《た》いてもろたんよ」 「お祝いか」 「そう。うち、人より二年も三年も早いんやて」 「へえ」  といったものの、竜太には何のことか一向に見当もつかない。それが初潮のことだと気づいたのは、相当後になって、中学に入ってからのことである。  男女同権の書き取り試験は|惨憺《さんたん》たる結果ではあったが、昭和二十二年秋の学校の教室では、男女同権が実行されつつあったのだ。     2  校庭には、いつも日がとっぷりと昏れるまで子供の姿が見られる。  下級生は授業が終るやそのまま居残り、胴馬や、缶蹴りや、ゴム跳びに時間が過ぎるのも忘れている。砂場の横には、彼らの持ち物、紙芯の偽皮ランドセルや、敗戦鞄がボタ山のように積み上げられているが、そのうち一つや二つは忘れられ、たっぷりと夜露を吸いこんで翌朝持ち主の手に戻る。その間誰も騒ぐものはない。勉強道具が手もとにあろうがなかろうが大したことではないのだ。  四年生、五年生、六年生となると、下級生のように遊びっ放しというわけには行かない。彼らは、授業が終ると大急ぎで家へ帰り、それぞれに課せられている労働の義務を果してから、再び校庭へ舞い戻って来る。  上級生の遊びは、ドッチボールや野球である。物陰でメンコやビー玉の賭博性の強いものをやっているのもいる。もっとも、メンコ、ビー玉は、この辺では、ベッタ、ラムネという。  中井駒子は、そんな校庭をぬけて帰路につきながら、子供たちの中に竜太やバラケツの姿が見えないことに気がついた。  ちょうど通りかかったムメに、 「竜太君たちは」  と訊ねると、 「さあ」  といって意味ありげに笑った。何かを知っているが話したくないという顔だった。 「先生。うち、転校するかもしれません」  ムメが突然いった。 「お父ちゃんの軍人ぼけもやっとなおって来たし、それに、誰か働かんと財産も少のうなって来たし、多分、神戸か大阪へ行くことになるやろ思います」 「そう、急な話になりそうなの」 「急いうたかて、明日や明後日いうことはないけど、そいでも、お父ちゃんの仕事がきまったら、すぐかもしれません」 「みんなさびしがるわ」 「うちも」 「なるべく先のことならいいのにね」 「先になったら、うちら飢えてしまいます」  駒子は、そんな、といいかけて言葉を呑みこんだ。武女の父親は退役軍人で、悠々自適という後半生を送っている印象を与えているが、それは矜持であり、見栄であるのかもしれない。今の世の中に悠々自適などということが存在する筈もなく、竹の子生活にも限度があり、ムメのいうように、うちら飢えてしまいますというのが実情かもしれないと思ったのだ。  ムメは別れぎわに、 「今のこと、みんなに黙ってて下さい」  といい、 「うち、転校するまで、竜太君やバラケツちゃんと野球やろう思います」  といい残して駈けて行った。  夕映えの薄紫の大気の中を駈けて行く美少女の後姿を駒子は見送っていた。  足もとに小川が流れている。  その小川の上を半分ぐらい覆っている草もやや黄色味を帯び、それをゆすって過ぎる風にも秋を感じさせた。  みんな大人なんだと駒子は思った。  時代は子供を大人にすることもあるのだわとムメを見送りながら思っていた。  そういえば、男女同権という字も書けない子供たちだけど、それぞれが時代の傷のようなものを背負い、しかも、それを笑いとばすようなしたたかさを持っている。竜太には両親がない。祖父母とともに暮しているが、今までに一度も父母のことをきいたことがない。バラケツの父親もまだ復員していない。兄と姉がいるが、ブギウギ・トンボと赤パンパンと呼ばれ、家にいることはない。しかし、バラケツはそれを恥じない。むしろ誇らしく思っている。ムメもそうだ。敗戦をまともにかぶった退役軍人の家庭だ。その他の子供にも多かれ少なかれ時代の影があり、第一、みんな何かに飢えている。  それにしても竜太たちは何処へ行ったのだろうか。ムメは意味ありげに、さあ、と答えたが、駒子には何となく気になることだった。  一旦、間借りしている新田寺の方へ向けた足を、駒子は、くるりとまわした。  江坂町役場に勤めている夫の中井正夫を迎えに行ってみようと思ったのだ。  役場へ顔を出すと、正夫はちょうど帰ろうとしているところで、 「これは、これは。相変らず、ぜんざいの餅でんなあ」  と同僚にひやかされながら出て来た。 「いや、子供のメンコやなあ」 「ベッタ、ベッタ」 「ははは」  松葉杖をついた正夫と並んで歩きながら、駒子は黙っていた。足は自然に港の方に向いていた。 「何かあったのか」  正夫が訊ねた。 「いいえ」 「それならいいけど」 「いいでしょう。迎えに行っても」  駒子は甘えた声を出した。先生ではなく、今は妻なのだといいたかったのだ。  大きな落日が、熟柿のようにとろけながら海に沈もうとしていた。沖合いから、連なるようにして漁船が戻って来、風景に生活感が加わって生きていた。 「何かあったんじゃないか」  また正夫がいった。 「どうして」 「鉄夫がまた何かをいったんじゃないかと思ってね」 「違います」 「あいつも困った奴だ」  焼き玉エンジンを響かせながら港へ帰って来る漁船のほとんどが、正夫の父中井銀造の持ち船の筈だった。それを見つめているうちに、正夫は、弟の鉄夫のことを思ったのだろう。鉄夫は、正夫の戦死の公報が入った時、義姉の駒子に求婚した。公報が誤報であり、正夫が生きていた英霊として復員して来た時点で、その話は解消されるべきものであったが、鉄夫の駒子に対する思いは、益々といっていいくらい燃えさかっていた。それらもあって、正夫、駒子夫婦は家を出て新田寺に間借りしたのであるが、鉄夫は再三駒子を訪れるし、満たされないとなると、噂になる程の|荒《すさ》んだ日を送っていたのだ。  二人にとって、鉄夫は、文字通り困った存在であった。 「駒子」 「はい」 「お前、野球の監督をやらないか」 「野球の監督ですって」 「そうだ。俺がコーチをしてやる」 「どうして、そんな」 「今のままでは、竜太たちは駄目になる。いいかげんに世の中を渡って行く知恵だけをつけて、駄目な子になるぞ。何かに夢中にさせてやらなければ」 「私もそんなふうに思うわ」 「じゃあ、やってやろう。役場の仕事としてやろうと考えていたが、とても今の様子じゃ、スポーツ振興に金なんか出そうにない。子供の遊びに大事な町の予算が使えるかというんだ。それなら、我々で見本をつくってやるしかない。それに、なあ、駒子。駄目になるのは、子供だけじゃなく、俺かもしれないからな」  と薄く笑った。  駒子は、胸を痛くしながら、正夫がくわえた煙草にマッチの火をすった。潮風が炎をもてあそび、駒子は体を屏風にして正夫に覆いかぶさった。 「教えて下さい。野球を」  駒子はかすれた声を出した。  夫婦だと思い、先生なんだと思った。     3  何かにつけて、バラケツ正木三郎が一枚加わると活気を帯びて来る。  野球にしてもそうだ。バラケツ以前とバラケツ以後では、その真剣味に雲泥の差があるのである。  バラケツ参加以前は、野球とはいえ、せいぜいが三角ベースで、大体がキャッチボールか、フリーバッティングというものだった。それとて、代用品のボールとバットとグローブだから、ほんの球遊びという程度だ。  それが、大宮町で刺激を受けて以来、バラケツが、意地といおうか、情熱といおうか、がぜん野球に興味を示し始めてから様相は一変したのだ。 「なあ。竜太。こんな野球なんぼやってたってあかんやろ。もっとほんまもんの野球やろやないけ」 「そりゃやりたいわ。けど、しゃあないな。グローブ買うて貰えるような、ええとこの子は一人もおらんしな」 「買うて貰おう思うさかいにあかんのや。買うたろやないけ。わいらの銭で買うたろやないけ」 「無茶いうな。親にない銭が何で子にあるねん」 「あるとこから持って来たらええ」 「泥棒か」 「アホ。巡査の孫が何いうねん。稼ぐんや。みんな仕事して銭稼ぐんや。ええか、新日本建設は銭やで、民主主義は平和の|曙《あけぼの》や」  しゃべっているうちに、バラケツの口調は段々にブギウギ・トンボの正木二郎に似て来たが、みんなは、そやなあ、全くもっていう事一理あるなあ、と思っていたのだ。 「なあ。竜太。ええ考えやろ。バリバリ銭ためて、大宮町のガキらが目えまわすようなチームつくったろやないけ」  とどうしても標的は大宮のガキになる。 「よっしゃ。やろか」 「その意気や」 「けど稼げるかいな」 「考えたらあかん。竜太の悪いくせや。やってみようやないけ。竜太は天才や。絵もうまい。ハーモニカもうまい。コマまわしもうまいし、勉強も出来る。銭もうけが出来んことがあるかいな」  とバラケツは、まるで網元か闇屋の大将のような顔をして竜太の背中をドンと叩いた。  すると胸のどこかにひっかかっていた不安が、ドロップでも呑み下すようにスウッと消え、ザクザク集った金を袋に詰めて運動具店へ行き、 「もっと上等の高いのないんかいな」  と金持面でグローブやバットを買い|漁《あさ》っている光景や、 「江坂タイガース。万歳!」  という歓声を背に受けながら堂々の試合をくりひろげている晴れがましい光景が浮かんで来た。  もっとも、江坂タイガースというのは仮称で、その時点で、職業野球の阪神タイガースが、ダイナマイト打線とかいって、ものすごく強かったからに過ぎない。  ということで、竜太たちの野球チームは、野球をやめるということから始まった。  授業が終るや否や、それぞれが家へ帰って無報酬の労働を手ぎわよくすませ、その後一団になって仕事を求めて歩くのである。  一団になるというのは竜太の知恵で、 「一人一人やったらあかん。何かしてやっても、おおきにいうて飴玉貰うくらいやで」  という意見が、 「そりゃもっともや」  と大勢の賛成を得たのだ。 「今日は何処へ行くんや」  バラケツが訊ねた。 「猫屋や」  と竜太がきっぱりと答えた。 「何でや」 「あそこは、女ばっかりや。猫屋のオバハンと美代ちゃんと節ちゃんやろ。それに忙しい商売やよって、仕事あると思うわ」 「天才!」  バラケツは宙にとび上って尻をかいた。どういうわけか最近流行っている歓喜の表現だった。   柳青める日 ホンジャホンジャ   燕が銀座に飛ぶ日 ホンジャホンジャ   誰を待つ心 ホンジャホンジャ   可愛いガラス窓 ホンジャカホイ   かすむは春の青空か あの屋根は   かがやく聖路加か   はるかに朝の虹も出た ホンジャッジャ   誰を待つ心 淡き夢の町   東京 ホッホッホッホー  竜太、バラケツを先頭に、アノネの高瀬守、照国の長谷川照夫、ニンジンの新田仁、ガンチャの神田春雄、ボラの折原金介、ダン吉の吉沢孝行らは、声高らかに「夢淡き東京」などを合唱しながら、猫屋を目ざして威風堂々と歩いていたが、 「ちょっと待てよ。これは誰の歌や」  とバラケツが真顔になって訊ねた。 「藤山一郎や」  と照国が答えると、 「あかん。藤山一郎はあかん。けったくそ悪い。竜太もそうやろ」  バラケツは、まだ大宮町のアコーデオンの天才藤山一郎少年に|怨《うら》みを抱いているらしい。大宮町の藤山一郎がけったくそ悪いから、有名歌手の藤山一郎もけったくそ悪いという論法なのだ。歌は、そこで、「三日月娘」に変り、そして、ちょっと古めだけれど「旅姿三人男」に変った。素人芝居で耳にタコが出来る程きかされてる奴だ。  猫屋につくと、 「いやあ。来た、来た。ほんまに来たわ」  と猫屋のオバハンが歓声をあげ、 「ウエルカム! ウエルカム」  美代ちゃんと節ちゃんも、ただならぬ歓迎の声をあげたのだ。 「まあまあまあ。竜太ちゃんたち。まあ大将のバラケツちゃんもよう来てくれたなあ。今日か明日かと待っとったんよ」 「何で」 「大評判やもん。少年勤労奉仕隊やて」 「ちょっと待て」  バラケツが慌てた。竜太も慌てた。 「勤労奉仕って只で仕事やることやろ」 「そうや」 「そりゃあかん。わいら銭稼ぎに来たんや。只やったら困るわ」 「何や。只やないの」  オバハンはちょっとがっかりした顔をしたが、 「まあ。ええわ。お金はろてやるわ。仕事いっぱいあるよってな。しっかりやってや」  願ってもないことをいってくれた。 「おおきに」  銭や! 銭や! 江坂タイガースや!  竜太たちはそれぞれに感動し、勤労意欲を燃やして働き始めた。  女所帯の猫屋には、予想通りたっぷり仕事があった。もっとも、たっぷり仕事があっても、たっぷりお金になるとは限らないが、ここは猫屋のオバハンを信じて一生懸命働くことにしたのだ。  猫屋通いは十日もつづいた。  風呂の水くみ、薪割り、どぶ掃除、隣町への買い物、残飯を豚小屋へ運ぶ仕事。手分けして働いたが、残飯運びだけは照国の専任だった。  駄賃は、たっぷりという程ではなかったが、彼らの小遣いの額よりはずっと多かった。  それらを瓶に詰め、竜太が預かった。人格を信用されたということもあるが、駐在所に置いとくのが一番安全だということになったのだ。 「助かるわあ。天国やわ」  と美代ちゃんはいい、 「可愛いボクと毎日会えて幸福やわあ」  と節ちゃんがいった。 「あんたら、ほんまに感心や。男や。甲斐性のある自由の子らや」  オバハンも舐めまわさんばかりにお世辞をいい、大変うまくいっていた。 「この分やったら、グローブ買えるで」  バラケツがいい出した矢先に、猫屋の仕事は打ち切りになった。 「悪いなあ。うちに男手が出来たんよ」  オバハンの流し目の先を追って行くと、真赤な蒲団の上に、いつかドロンした筈の旅役者池田新太郎が寝そべっていた。  足長おじさん     1  田植えの時期と、稲刈りの季節には、一週間ずつ農繁休暇と称して学校が休みになる。  田舎では、小学生といえども立派な労働力で、猫の手も借りたい時であるから、人間の手であれば多少の大小は問うていられないのだ。  但し、足柄竜太のように農家の子供でないものは、農家への出張労働が条件とされている。  休みや。休みや。もうかった。  と、はしゃいでいるわけには行かないのだ。  一週間、どこかの農家の手伝いをし、その労働をきちんと評価し、証明してもらわなければならない。   足柄竜太ハ   ヨウ手伝イシテクレタコトヲ   ココニ証明ス  などというあほらしい一札を貰って提出しなければならない。  しかも、朝から日暮れまで、雑用という雑用の全てをいいつけられ、赤ん坊の|守《も》りやら、弁当の運搬やら、脱穀機の油さしやら、風呂の水くみやら、魚の買い出しやら、よその子だと思って遠慮会釈なく使う。 「ええなあ。よその子はよう働く」  と農家のオッサンやオバハンは、珍しい芸をする犬でも手に入れたように、 「ホイッ」 「ソレッ」 「ヨウッ」  といったふうに気楽に命じるのだ。  その家にも、同じ江坂小学校に通う子供がいたりするのだが、その子は、既に鎌を手にした田圃の戦士で、いわば正選手である。竜太のような補欠と違って、雑用をすることはない。  しかし、見ていると、鎌を手にすると流石といおうか、お見事といおうか、スカッスカッという音を立てながら、稲を刈りとって行くさまは一人前も一人前である。   稲刈りは 日頃のアホも 名人に  などという諦観の色濃い一句をよみながら、足柄竜太が農家の補欠に甘んじるのが、農繁休暇であった。  足柄竜太や正木三郎たちが、野球用具をそろえるために、江坂町の雑用をこなしていたのに対しては、わずかながらも報酬があったが、農繁休暇の労働に対しては、完全に無報酬であった。  どうやら、只の物なら|履《は》きつぶせといった習慣があるようだ。只の物は二度売り、転売がきかないから、ご臨終まで使命を果させようというものらしい。  只やもん。もうちいっと手加減してもええやないけ。  と思うのは甘えというものなのだ。  そういえば、犬や猫でも只であげたらあかん、一円でも|貰《も》ろとかんと可愛がってもらえへん、ということがいわれている。  農繁休暇の勤労奉仕は只も只、竜太たちにとって災難以外の何物でもなかった。  農家の補欠という意味では、駐在所の孫の竜太も、退役軍人の娘ムメこと波多野武女も同様であったが、 「ムメちゃんは使いにくいわ。竜太ちゃんの方がなんぼかええわ」  と圧倒的に竜太の方が評判はよかったが、これは決して讃辞ではない。  同じ只でも、ムメを履きつぶすにはもったいないという意味合いで、これは、何やら格を低く見られたようで、竜太にとって、決して喜ばしいことではなかった。  ムメには遠慮がいるが、竜太にはいらないというのでは、あんまりやないけ。  もっと男はバシッときめとかんとあかんな、と思ったものである。  そうはいいながらも、もし自分の家にムメが手伝いにでも来たら、やっぱり大事に大事に扱うやろな、と納得はしていたのだ。  そんなこんなで一週間の魔の農繁休暇が終った。  その頃には、あらかた稲刈りも終り、切り株だけの田圃のあちこちに藁ぐろが組まれて、すっかり秋深い風景になった。  やがて、そこに牛が入り、麦畑のための|畝《うね》づくりをするまでの間は、子供たちの遊び場になるのだ。  バラケツ正木三郎も、ブギウギ・トンボ流にいうと、老いたる祖父、病の母の手助けをして、食糧増産のために奮励努力をする農繁期が過ぎ、又、江坂タイガース設立のための少年労働隊に復帰していたのである。  そして、大したこともなく冬になろうとしていた。  瀬戸の海が突然に鉛色に変り、時に三角波が立つようになった。  早いもので、昭和二十二年が終ろうとしていた。世間は荒廃に満ちた灰色の年の瀬であったが、江坂町ではそれ程でもなかった。  最低は最低なりに野太く、季節のうつろいと時の流れの中で息づいていたのだ。  そんな頃、足柄竜太たちは、自らの労働で得た賃金によって、ようやくにして健康ボール一ダースを手に入れた。  代表として、小銭がぎっしりつまった瓶を手にして、大宮町の運動具店へ向ったのは、例によって竜太とバラケツであったが、 「どんなもんじゃい。やったらやれるわい」 「バラケツ」 「竜太」  熱血感動小説風に涙腺をツンとさせながら、二人は抱き合ったのだ。 「来年桜の咲く頃に、きっと勝負に来るさかいな。大宮のガキども、首もチンポもよう洗うて待っとれよ」  竜太とバラケツは、まるで曾我兄弟のように仇敵の住む町を|睨《ね》めつけながら、健康ボール12個を胸にかかえて、大宮の町を後にしたのだ。  西風が強い日で、二人は途中で何度も海のしぶきを頭から浴びたが、そんなことは何でもない、平気の平左、河童の屁だった。  進駐軍がバラまいてくれたキャンディやチューインガムは、興奮しながらも多少の屈託があったが、その日竜太とバラケツが教室の窓にのぼり、花咲爺さんのような姿で頭上に降らせる健康ボールは、腹の底からの興奮を級友たちに与えた。  彼らの興奮ぶりは、まさに欣喜雀躍であり、フライパンの上のはじけ豆といったさまだったのだ。  誰いうとなく、たちまちにして、江坂タイガースというチーム名も決定した程である。  タイガースや。若林や。藤村や。  彼らは口走りながら、校庭へとび出して行き、白い粉のふいた健康ボールを素手で投げ合ったが、たちまちにして、霜やけと、あかぎれに痛く響き、 「やっぱり、グローブやなあ」  と新たな現実に迫られたのである。     2  復活二年目の日本野球は、ダイナマイト打線と呼ばれた猛打と、若林、御園生、梶岡、渡辺、野崎という投手陣の活躍で阪神タイガースが優勝した。  最高殊勲選手には、監督兼務でありながら26勝をあげた若林忠志。最優秀投手には御園生崇男。本塁打王と打撃王は、復活職業野球の救世主とさえいわれた天才大下弘が青バットで獲得した。大下の本塁打は17本、打率は三割一分五厘だった。  この年の阪神タイガースの強さは圧倒的で、勝率六割八分一厘。二位中日を一二・五ゲーム、最下位金星スターズには、三七・五ゲームという信じられない程の大差をつけているのだ。  その年、新聞記者によって選出されたベスト9、並びに日本代表チームは、次のようなメンバーである。  投手 別所  昭(南海)     真田 重蔵(太陽)     若林 忠志(阪神)     清水 秀雄(中日)     白木儀一郎(東急)  捕手 土井垣 武(阪神)  一塁 川上 哲治(巨人)  二塁 千葉  茂(巨人)  三塁 藤村富美男(阪神)  遊撃 杉浦  清(中日)  外野 大下  弘(東急)     坪内 道典(中日)     金田 正泰(阪神)     3  冬の朝は何より|辛《つら》い。 「いややなあ。寒いなあ」  といいながら外の井戸端へ出ると、木桶の中の水に氷がはり、|柄杓《ひしやく》を持ち上げると月をつきさしたように薄い氷まで持ち上って来る程の特別の寒さだった。  竜太は、粉末の歯磨にむせながら、庭の片隅で小便をし、身ぶるいをした。風邪をひきそうな気がした。  朝ごはんを食べながら、祖父の忠勇と祖母のはるが、百万円宝くじが発売されたことを話題にしていた。 「百万円あったらなあ」  と竜太がいった。 「百万円何するねん」  祖父が訊ねた。 「野球チームが出来るやろ。グローブやミットやスパイクやユニホームも全部そろた野球チームが出来るやろ」 「そりゃ出来るわ」  はるが笑った。 「阪神タイガースが買えるかもしれんで」 「ほんまか」 「ほんまや」 「若林や藤村付きでか」 「そりゃそうや。若林や藤村がおっての阪神タイガースやないか」 「ええなあ」  竜太は目を輝かせた。 「百万円か」  といって祖父はうまそうに味噌汁をすすった。何となく祖父の忠勇までも百万円を手にしたような顔をしていた。 「夢やな」  竜太が笑うと、 「夢でええ」  と忠勇も笑った。  こんな話やったらええけど、この前みたいな話やったら悲しゅうてかなわんからなと竜太は思っていた。  この前みたいな話というのは、東京地裁の山口良忠判事が、闇米を買うことを潔しとせず、配給のみの食事で栄養失調死したというニュースで、竜太の家でも朝の食卓の話題になったのである。  その時、竜太は麦の入ったご飯を口に運びながら、これは闇か、配給かと訊こうとして慌てて質問を呑みこんだのだ。  子供ながら、その質問は、巡査である忠勇を困らせる結果になりそうな気がしていた。  でも、おじいちゃんは、闇やらへんな、やるわけないやろな、と後で訂正はしておいたものの気持は暗かった。  それに比べたら百万円の宝くじはええ話やないけ。 「なあ。おじいちゃんやったら、百万円で何する」  と訊いてみると、 「そやなあ。風呂屋でも始めよか」  と意外なことをいったのだ。  学校へ出かけるまでにちょっと時間があったので、竜太は、久しぶりにポータブル蓄音機を持ち出して、高峰三枝子の「湖畔の宿」と日本橋きみ栄の「蛇ノ目のかげで」という父母の遺品のレコードをきいた。  窓の外の景色は寒そうだった。灰色と黄土色の風景が凍りそうになっていた。  レコードをきいていると、ぼくは父なき子で母なき子なんやなあと思った。  父や母の記憶をよみがえらせようと、歌の中に没頭していたが、風呂屋でも始めようかといった祖父の言葉の方が生々しく浮かんで来た。  おじいちゃん、巡査がいやになったんとちゃうやろか。  そう思うと、そうに違いないと竜太には思えて来た。 「ほなら、学校へ行って来るわ」  竜太は、祖父母に声をかけて、江坂町巡査駐在所を出た。  雨が降って来た。雪になりそうだった。  しかし、その日がクリスマス・イブであるなどということは、竜太は知らなかった。     4  サンタクロースだとか、足長おじさんなどというものの存在を、竜太もバラケツも知らなかった。  竜太やバラケツが知らないのだから、その他の照国や、ガンチャや、アノネや、ニンジンや、ボラや、ダン吉が知ってるわけがなかった。  もしかして、知っている可能性があるとしたら、それはムメぐらいのものであろう。  しかし、竜太たちは、その日、足長おじさんの存在を知らされたのだ。  今日で二学期が終るという日だった。  寒さも寒し、おまけに外はみぞれまじりの雨で、キャッチボールも出来ない。教室で学期終了の大掃除をしながら、ドスンバタンと胴馬をし、寒さをしのぎ、退屈をまぎらしていた。 「今日はキャッチボールはあかんで。健康ボールが風邪ひくよってな」  とバラケツが、健康ボールの持ち出しを禁止していたのだ。  何しろ陰鬱で退屈だった。だから、この日、あんな夢のような出来事が待ち受けているとは思ってもみなかった。  唯一の愉快の種は、ムメが、 「江坂タイガースが出来たら、うちも選手にしてね」  といったことであるが、これは同時に、女のムメに野球が出来るやろかという悩みの種でもあったから、必ずしも全面快事とはいい難かった。  その証拠に、ムメの意志をきいた後、バラケツが、竜太ちょっと、と呼びに来て、 「えらいこっちゃ」 「何や」 「ムメや。野球やるいうとる」 「ええやないけ。女でも出来るやろ」 「ムメはええわい。けど、駒子先生が監督やるいうて張りきってるやろ。あんまり女の勢力がひろがって来たらやな、そのうち、猫屋のオバハンや、美代ちゃんや、節ちゃんまでやるいい出すんやないやろか」 「そりゃあり得るなあ」  と竜太までも憂鬱になった程なのだ。 「オソロシ」  そう、オソロシイのだ。  ムメならば、又、駒子先生ならば、キリリとしたら何やら男装の麗人という感じがしないでもないけれど、猫屋のオバハンや、美代ちゃんや、節ちゃんとなると、こんな女に誰がしたという姿になりそうな気がして仕方がないのである。   星の流れに身をうらなって   どこをねぐらの今日の宿   荒む心でいるのじゃないが   泣けて涙も涸れはてた   こんな女に誰がした  なんてヤケクソに怒鳴りまくっていたら、ムメがびしょぬれの雑巾をバラケツの顔に叩きつけたのだ。 「アホ」  言葉はその一言だけだった。  竜太は、又してもムメはすごいと感心していた。  そんな時、中井駒子先生が入って来て、夢のような話を始めたのだ。  もっとも、最初の方は、クリスマス・イブだとか、サンタクロースだとか、わけのわからないことをいうものだから、 「サンタクロースって何や」  とか、 「クリスマス・イブちゅうのんは何じゃらほい」  などという幼稚な質問に一々解説が加えられていたから、 「へえ。アメリカはええことやっとるやないけ」  ぐらいの反応で少々しらけていたが、話が本題に入るにつれ、誰もが席を立って駒子先生をとり囲む程に興奮したのだ。  足長おじさんが現われたのである。  しかも、竜太たちのクラスを指名で、野球道具一式、それこそ、ユニホーム、スパイクから、グローブ、ミット、バット、ボールに至るまで一チーム分が贈られて来たのである。興奮するなというのが無理だろう。 「誰や。誰がこんなええことしてくれたんや。どこの人や」 「わかりません」  駒子先生が答えた。 「何か事情があったのでしょう。名前は書いてありません。でも、先生は、このプレゼントに、皆さんへの深い深い愛情を感じます。皆さんの心の中をよく理解している方からの贈り物に違いありません。贈り主が誰かというせんさくをするより、立派なチームをつくって、一日も早く名乗って下さる日を待ちましょう」 「そやそや」  と全員は同調したが、けど誰やろなと陰でささやきあったりしていた。 「ジャーン」  ユニホームをバリッと着た竜太が叫んだ。 「ジャーン」  バラケツも叫んだ。  見てみい、わいらかてジャーンと叫ぶ時があるんやで。大宮の天才少年藤山一郎のアコーデオンや、大宮野球チームにだけ、ジャーン、ジャーンいわせといてたまるかい。  と竜太もバラケツも思っていた。  夢のような一日になった。みんなが代る代るユニホームを着、ミットやグローブの匂いを嗅いだ。  窓の外は本当に雪になった。  もはや陰鬱でも何でもなかった。本当に江坂タイガースが誕生したのだ。  但し、その雪を見ながら、「聖しこの夜」という面白くもおかしくもない歌を教えこまれたのには、全員まいってしまったのだが。     5  足長おじさんは誰であるのか、竜太の頭の中からはなれなかった。あらゆる人の顔を思い浮かべてみたが確信は持てなかった。  雪は三センチほどつもり、道路以外のところを白く染めて、夕方にはやんだ。  そして、夕食後、竜太はラジオをききながら、ぼんやりしていると、本署からの電話連絡を受けている祖父の忠勇の声が耳に入って来たのだ。 「はあ。正木二郎。確かに本町の出身者ですが、それが何か。葉子、それは二郎の妹にあたります。もしもし、もしもし、指名手配。指名手配ですか。一体何をやらかしたんですか。詐欺ですか。はあ」  えらいこっちゃと竜太は思った。  ブギウギ・トンボと赤パンパンが警察に追われとる。 「竜太。今の話バラケツにしたらあかんよ」  と祖父の忠勇に話しかけられた時、足長おじさんは、ブギウギ・トンボと赤パンパンや、そうに違いないと竜太は思ったのだ。  晴れの門出     1  ラジオ放送を楽しむというのが大きな娯楽になっていた。  勿論NHKだけの時代である。  どこの家でも、ラジオは茶箪笥の上に少々の綿ぼこりをかぶって鎮座し、人々は、なぜだか、その目よりも高い位置にあるラジオをじっとにらみながら聴いていたものである。  NHKが日本放送協会の略であるということを知っていた人が江坂町にどのくらいいただろうか。  しかし、知る知らないは別にして、アナウンサーが番組の終りに、NHKと誇らしげに告げる言葉の響きが、何とも民主主義、何とも文化的にきこえていたことは確かである。  但し、バラケツたちにかかると、このNHKも、 「イヌアッチイケ」  ということになり、 「それでは、今晩の鐘の鳴る丘はこれで終ります。犬あっち行け」  なんてことをいって、ウヒャウヒャよろこんでいたものである。  ほんの三四年前まで、ラジオというものは決して楽しさを伝えてくれるものではなかった。 「西部軍管区情報。西部軍管区情報。空襲警報発令。空襲警報発令。敵機編隊は、紀伊水道を北進。和歌山県御坊より上陸」  といったようなことを繰り返ししゃべって、いやな気分にさせるだけの代物で、遂にはほとんどの家庭で役目を失ったものである。  それが、最近では、夕食の時から、眠りにつくまでの何時間かは、家族そろって茶箪笥の上のラジオを凝視しながら、楽しく過しているのである。  それにしても、あの頃、なぜラジオから目を離さずに聴いていたのであろうか。  その頃評判の番組は、「素人のど自慢」「二十の扉」「話の泉」それから、連続放送劇では、「向う三軒両隣り」「鐘の鳴る丘」等であった。  何かにつけて飢えていた竜太たちは、ラジオからきこえている言葉のすべてを律義に記憶していた。聴き逃したり、記憶しそこなったら損をするといった渇きが、特に足柄竜太にはあった。  だから、「向う三軒両隣り」というと、八住利雄、伊馬春部、北条誠、北村寿夫という四人の作家が書いているということも知っていたし、巌金四郎、高杉妙子、伊藤智子、石黒達也、山田清といった人たちが出演していることも知っていた。 「伊馬春部作、向う三軒両隣り」  というアナウンサーの口調がたとえようもなく魅惑的にきこえ、それは、 「四番、サード、藤村。背番号10」  という魅惑に匹敵するものだった。 「四番、サード、足柄。背番号10」  というのもええけど、 「足柄竜太作、少年打撃王」  ちゅうのんも悪うないなと竜太は考えていたのだ。  昭和二十三年の四月になって、それまで、土曜と日曜だけの放送だった「鐘の鳴る丘」が、月曜日から金曜日までの夕方5特15分からの連続放送になったのには少々困った。  野球の練習をしていると、5特15分の放送には間に合わないのだ。   緑の丘の赤い屋根   とんがり帽子の時計台   鐘が鳴りますキンコンカン   メエメエ小山羊も啼いてます   風がそよそよ丘の上   黄色いお窓はおいらの家よ  という菊田一夫作「鐘の鳴る丘」も気になるものではあったが、それでも、どちらを選ぶかということになると、竜太は躊躇なく野球の練習を選んだのである。  黄昏の江坂小学校の校庭に、時に近所の家からもれるラジオの魅惑的な響きが流れることがあるが、駒子先生のノックバットから、ハッシと打ち出される健康ボールのシュルシュルという響きの方が、まだまだ竜太たちにとっては快感であったのだ。  そして──  昭和二十三年四月。桜の頃。その日が来た。     2  その日、桜が満開になった。  桜の花というのは、手品の種を仕込んだようにパッと咲く。  今か今かと待ちわびる風情をあざ笑うように、天の大きな掛け声とともにいきなり満開になるのだ。  江坂小学校の校庭をとり囲むようにある何十本かの桜の木も、そんなふうに実に唐突に薄紅色の化粧をしてみせた。  晴れた日曜日の早朝だった。  この日を、その日と意味ありげによんだのは、今日が江坂タイガースの初試合の日であったからだ。  去年の暮れ。大宮町の運動具店で、夢にまで見た健康ボールを買い求めた時、 「来年桜の咲く頃に、きっと勝負に来るさかいな。大宮のガキども、首もチンポもよう洗うて待っとれよ」  曾我兄弟の遺恨芝居のように目をむいた竜太とバラケツの言葉が、本当に桜の咲く頃に実現しようとしているのだ。  しかし、この初の対外試合もすんなりと実現したわけではなかった。  学校を通して駒子が、役場を通して正夫が三拝九拝しての結果である。それも、 「甲子園出場の晴れがましい球歴をお持ちの中井さんには、誠に|僭越《せんえつ》ないいようでっけどな。江坂タイガースちゅうのんは名前は勇ましいけど、どもならん代物やちゅう話やおまへんか。これ一回きりでっせ。中井さんの球歴に敬意を表して、一回だけお引き受けしまひょ」  とえらく恩を着せられ、 「あかん奴と掛け合せると、犬でもあかんようになるいうやおまへんか」  いわずもがなの嫌味までつけ加えたのだ。 「なんせ、大宮ジャイアンツは、兵庫県少年野球の名門やさけな」  中井正夫は、犬の交配まで引き合いに出して恩を売る大宮町の役場吏員にムカつきながらも、とにかく、夢をかなえてやって下さいと頭を下げてまとめた話なのだ。  竜太やバラケツの江坂タイガースは、とにかく生きた試合をやる必要があった。勝つにしろ、負けるにしろ、生身の興奮というるつぼの中に身を投じさせなければならない。うまくなることより、腹の底から本気になって、恐いとか、はずかしいと感じさせることの方が先決だと、駒子は感じ、正夫も同様に思っていたのだ。  だから、屈辱ともいえる交渉をくり返しながら大宮ジャイアンツに試合を受けてもらった。試合という修羅場をくぐれば、また違う子供になる筈だと駒子は思っていた。 「ええやないけ。ええやないけ」  とそこそこで折り合うこともなく、 「そりやあかんな」  と適当に投げ出すこともなく、 「ほいほい」  と調子よくことを済ますこともなくなると、駒子は若い女教師らしく意欲に燃えついたのだ。  無人の校庭に、中井駒子と正夫の夫婦がいた。松葉杖をついた正夫の足もとには、ネットの袋に入った軟式ボールと、貴重品とも思えるファースト・ミットと捕手用のマスクが置かれていた。この日のために正夫が旧知を頼って調達したものである。そして、駒子の足もとにはメンバー全員の弁当が入ったバスケットが置かれ、彼女は手にノックバットを握っていた。  駒子は、足もとの小砂利を拾い上げると、目の高さにほうり上げ、それをノックバットで器用に打った。カチンという冴えた音が早朝の校庭に響いた。 「うまくなったでしょ」  駒子がいった。  そして、その時はじめて、桜が満開であることに気づいた。晴れの門出に縁起がいいわ、天気もすばらしいしと思った。  うまくなったでしょ、という駒子の言葉に正夫は返事をしなかったが顔は笑っていた。  いつもながらに穏やかな笑顔だった。  生きていた英霊として帰還して以来、正夫は、いつもこのような笑顔を見せている。それは真に心の平穏によるものかどうか、駒子は考えることがあった。以前は、このような笑顔を見せたことはなかった。やさしい心の持ち主ではあったが、柔和な笑顔などというものとは縁遠い表情をしていたものだ。あの戦争のさ中に、強引に駒子と結婚をし、入隊がきまると、これまた強引に淡路島の実家へ連れて来て住まわせたのも、若気というだけではない思いつめたものがあった。  しかし、今の正夫にその面影はない。夫というより、やさしい父親のように二十歳を三つしか過ぎていない若い駒子を可愛がる。  駒子は幸福であったが、正夫にとって幸福といえるのかどうか時々思うことがあった。  江坂タイガースの初試合は、もしかしたなら、我々夫婦の戦後初めての試練といえるかもしれないと、ふと駒子は思った。 「そうだわ」  とつぶやきながら、又、何個かの小石を打った。カチーン、カチーン。それは、青空にしみ入るような音でもあったし、満開の桜の落花を誘う音でもあった。  駒子は、なぜか涙ぐみたくなっていた。     3  馬子にも衣裳とはよくいったもので、江坂のチリメンジャコどもも、そろいのユニホームに身をつつむと、相当の強豪チームに見えた。  果して大宮ジャイアンツを相手に、試合になるものであろうかという駒子、正夫夫婦の心配をよそに彼らが意気揚々と集合して来たのは、駒子がなぜか感傷的な思いにかられて間もなくのことである。  まだ心もち肌寒い早朝の空気を熱くして、江坂タイガースの全員は、ホッホッホッホッと息を合せながら登場した。白地に黒の細い縦縞、どこまでも勇猛に見えるユニホームは職業野球の覇者阪神タイガースとそっくりである。 「ええなあ。身がひきしまるなあ」  という通り、彼らはこのユニホームを今日初めて着るのである。  昨年のクリスマス、匿名の足長おじさんから贈られて来た野球用具一式は、非常時の白米のようにすぐさま使われたが、ユニホームだけは、試合が決まるまでということで駒子の手もとに保管してあったのだ。 「どや。先生」  バラケツがいい、メンバーは一列横隊になって胸をそらせた。その中には紅一点の波多野武女もいた。きりりとした美少女のムメはユニホームもよく似合った。 「馬子にも衣裳」  駒子はいった。 「どういうこっちゃ。孫に一升も呑ませてどないすんねん」  とバラケツが大声をあげると、 「アホ」  とムメがたちまち|出端《ではな》をくじいた。  どこまでもにぎやかで、どこまでも屈託がなかった。  一人ぐらい試合前の興奮に夜を徹し、赤い目をしている子がいるかと思ったが、誰もみな黒々とした瞳をし、餌のよく行きわたった小犬のように張りきっていた。  駒子は少々がっかりしていた。正夫はと見ると、一人一人のユニホームの着付けをなおしたり、松葉杖の体を機敏に動かしている。特に感じていることはないようだった。  江坂小学校の校庭に全員集合、後は役場手配のトラックに乗って、大宮小学校に乗り込むだけである。  トラックを待つ間に、校庭は人でいっぱいになり、何やらちょっとした壮行会の様相を呈して来た。  江坂町としては、昭和二十年に四人の若者を一度に出征させて以来の町をあげての歓送風景である。老若男女という言葉そのままに、百人を越す江坂町民が、大して理由もわからずに、何ぞオモロイことあるんかいな、と駈けつけて来た様子なのだ。  ちょっとした騒ぎで、江坂タイガースのめんめんは逆上気味だし、駒子は困ったことになったと眉をひそめた。  騒ぎの皮切りは、例によって、猫屋のオバハンこと穴吹トメと、節ちゃん、美代ちゃん、それに帰り新参のトメの内縁の夫池田新太郎という一行だった。 「いやあ。いやあ」  と猫屋のオバハンは歓喜の嬌声をあげ、 「駒子センセ。本日は、まあお日がらもよろしゅう。天気も晴朗にて、ほんまにおめでとはんでした。それにしても、センセ、綺麗でんなあ。原節子とええ勝負や」  まず駒子先生に大仰に祝辞を述べた。たとえ挨拶の中身は場違いであるとはいえ、この辺の呼吸は流石に猫屋のオバハンである。通すべき筋は通す。いきなり、 「いやあ。竜太ちゃん。初陣の誉れちゅうんやろか。|昔《むかし》林長二郎、今足柄竜太。りりしいなあ」  とか、 「まあまあ。バラケツちゃん。総大将。あんたは、ほんまに頼もしい。今日はしっかり応援させてもらいまっせ」  などと、はしたなくはしゃいだりしない。ちゃんと第一番に駒子のところへすっとんで行くのは、大人といおうか、|老獪《ろうかい》といおうか、世渡りの手練といおうか、相当なものだ。  しかし、礼を示すのもそこまでで、後は、傍若無人のやりたい放題、|顰蹙《ひんしゆく》の買いっ放しである。  晴れの門出やもん。記念写真をとっとかんとなあ。  猫屋のオバハンは手まわしよく、写真館の技師を手配していた。しかも、江坂町には写真館がないので、敵地ともいうべき大宮町から拉致して来るという熱の入れようである。 「ヒッヒッヒッ。ざまあみくされ。これで、大宮町も写真屋がおらんで慌ててるやろ」 「これで江坂一点先取や」 「ようやったった」  と猫屋のオバハン一行は大機嫌であったが、夜の明けやらぬうちから叩き起された大宮の写真屋は、 「アホ、誰がガキの野球に大騒ぎするもんかいな」  と後向きに舌を出していた。  とにもかくにも、それからしばらくは、江坂タイガース壮行記念写真撮影のために大騒ぎで、猫屋のオバハンの声がひときわ甲高く、ひときわ自信に満ちて響いた。 「あのオバハン、町会議員にでも出るつもりとちゃうか」 「町長かもしれんで」  と町の有力者たちが本気で気をもむほどの目立ちようだった。 「大宮のオッちゃん。マグネシウムもちゃんと焚いて、綺麗にうつさんとあかんで」 「わかってま」 「大丈夫かいな。エノケンの干物みたいな顔してから」 「ほっといてくれ」 「時間がないねん。はよ写さんかいな」 「あんたが、ゴチャゴチャいうて邪魔するんやないけ」  写真は二枚撮った。一枚は駒子を真中に江坂タイガースのメンバーだけのもの。もう一枚は、ほなら皆さんもご一緒にという猫屋のオバハンの誘いで全員が殺到し、写真屋は百名以上の被写体を一枚におさめるために校庭の一番隅へ移動して、 「ほなら、行きまっせえ」  と怒鳴りまくる有様で、この写真は、後は天眼鏡で目をこらして見てみても、チリメンジャコの目玉だけを集めたようなもので、誰が誰か識別出来ないものに仕上った。但し、これは写真屋の腕のせいではない。 「アホらし。江坂ちゅうのんはどないなっとるんや」  大宮町の写真館の技師エノケンの干物が、ブツクサいいながら逃げ帰ると、それと入れ違いのように待望のトラックが到着した。  バンザーイ。バンザーイ。  江坂小学校の校庭に時ならぬ歓呼の声が、打ち上げ花火のように、春の潮のどよめきのように起った。  日頃、ものいわぬ牛を運搬しているだけのトラックの運転手も驚いたが、それ以上に江坂タイガースのめんめんは、何故にこのような騒ぎになってしまったのかと自失した。 「あッ、出た」  照国が緊張の余り小便をちびったことを告白すると、 「わいもや」  とアノネとニンジンも白状した。  江坂タイガースの新品のユニホームは、グラウンドの土に汚れる前に小便で汚れた。  竜太やバラケツは、小便をちびることはなかったが、平常でない状態にあることは自覚していた。足の裏と土の間に隙間か、ゴムのコンニャクでも敷いたような頼りない感じがする。体が熱かったり寒かったり、妙な具合だと思うと、突然目の焦点がぼけて、猫屋のオバハンが四人に見えたりするのだ。  トラックの荷台に乗った竜太、バラケツ、ムメ、照国、アノネ、ニンジン、ダン吉、ガンチャ、ボラらの尋常でない様子を見ていると、駒子はなるべく早くこの場を去らなければならないと思った。  竜太たちは、既に興奮の極にあり、そして、晴れがましさや、責任感や、少々の不安やら、いろいろな感情が鳴門の渦潮のように渦巻いて疲労も極にある。  これから試合をしようというのに、戦う前に既にボロボロになっているのである。 「駒子。出発だ」  助手席から正夫が声をかけた。 「はい」  トラックが動き出した。  バンザーイの声がまた湧き起った。  人の波が沖合いを流れる潮目のように揺れ動くさまをトラックの上から見ながら、 「勝って来るでえ」  とバラケツが叫んだ。発情期の犬のように妙に上ずった声だった。 「こら。お前らも景気のええこといわんかい。礼儀やないけ」  バラケツにつつかれて、 「ほなら、サイナラ」  照国が間抜けたことをいった。 「アホか。こいつ。サイナラが何で景気ええねん」  照国はそれどころじゃなかったのだ。何度目かのチビリでパンツはそれとわかるほどグッショリとぬれていたのだ。 「がんばってや。すぐに応援に行くさけな。銀輪部隊が乗りこむでえ」  猫屋のオバハンの声を最後にトラックは校庭を出た。  トラックは、春の風吹く海岸線を試合地大宮町に向ってコトコトと走った。ところどころに山桜が咲いていた。  勝てるやろか。  ふと竜太は思った。  そのとたん、トラックにしみついている牛の体臭と糞の匂いが、強烈に鼻をついた。  何やら長い一日がもう終ったような気がしていたが、実はまだ午前八時、これからすべてが始まるところだったのだ。  プレイボール     1  長方形の二方を桜並木が|縁《ふち》どりしている。  その桜もやはり満開で、うららの春霞の下で眠くなるような色合いで連なっていた。 「何や。大宮の桜も一緒に咲くのけ」  とバラケツが不満の声をもらした。  バラケツにしてみれば、江坂の桜が天下一で、その天下一が江坂タイガースの初陣を祝して、パッと咲いてくれたものだと思いこんでいたのだ。 「こりや縁起がええ」  と喜んでみたものの、これでは、 「大宮かて縁起がええことになるやないけ」  大宮小学校の満開の桜を見て思った。  不安はその時から生れていた。  いやいや、江坂小学校の校庭で、出征兵士を送るような騒ぎに巻きこまれ、照国やアノネやニンジンが緊張の余りに小便をちびったあたりから不安は芽ばえていた。 「大丈夫かいな」  バラケツも思ったし、竜太も思った。  そして、その不安は、試合前の練習ではっきり形となって現われてしまったのだ。  駒子先生のノックバットから打ち出されるゆるい球を誰もとれない。  バシッと音がした途端、躰が重くなってしまう。その球が自分の方に向っているなどと思うと両眼が磁石で吸いつけたように寄ってしまう。球が突然消える。消えたかと思うとおデコを直撃していたりするのだ。  お祭り好きの猫屋のオバハンたちはいうにおよばず、町長はじめ町役人総出の激励会が裏目に出て、江坂タイガースのめんめんに異常な程の緊張を与えてしまったのだ。  彼らは今失神途中の半恍惚の状態でフワフワと球を追っているのだ。  そろそろ見物に集って来た客の中から失笑が起り始めた。 「いかん」  ベンチに腰をおろし、松葉杖を抱きかかえるようにして練習を見つめていた中井正夫は、駒子に練習を中止するように命じた。  このままでは、試合前に恥をかいてしまうことになる。誇りに傷ついた姿で試合に突入ということになる。  何とか方法はないものかと、正夫は、一本半しかない足をベンチでそろえた。  ベンチといってもそれらしい設備があるわけではない。文字通りの木の長椅子が二つ置かれ、運動会並みに大宮小学校と染めぬきのあるテントがはってあるだけだ。  余談になるが、この地方では、ベンチのことをペンチという人が多い。ペンチというとあの針金を切る工具のことであるが、それはそれでペンチ、長椅子もペンチである。そういえば、パピプペポとバビブベボが奇妙にいい加減で、デパートのことをデバートといったり、エレベーターのことをエペレーターといったりする。  そのベンチに、練習を途中で切りあげた江坂タイガースがひきあげて来た。  誰もみな目はうつろで、重い足をひきずり、肩で息をしている。  緊張が痴呆状態にしてしまっている。緊張が緊張らしくあらわれ、目を吊り上げているのは竜太とムメぐらいで、バラケツもどちらかというと痴呆に近い。ただ他の痴呆組と違って思考は停止していないようだ。  駒子は、彼らに気づかれぬように目でものをいい、夫の正夫に不安とその処理を訴えた。勉強家の駒子は、野球のルールや練習法についてはみっちり頭に入れているが、何といっても彼女も初陣である。このような異常事態になると甲子園経験者の夫の正夫に頼るしかないのだ。 「全員そこへ腰をおろせ。そう。地べたに尻を落して、なるべく楽な形で足を投げだせ」  正夫はそう命じた。  躰の中をつきぬけている緊張感を、せめて鋼鉄からニューム管ぐらいに柔かくしなければならない。それにはこの方法が一番いいのだ。土と尻というのは母子の関係にあって、このように尻を土に据えていると、母の乳房にうずもれているような安らかな気持になるものなのだ。  と昔、中井正夫は甲子園で、鉄腕野口二郎や川上哲治を見てふるえ上った時、監督からいわれた言葉を思い出した。  それにしても、あれから何年過ぎたのだろうか。駒子と結婚をし、戦争に行き、そして片足を失った。 「そうそう。そういう姿勢。少しは楽な気分になって来ただろう。いかん。向きが悪い。全員グラウンドに背中を向けて。後見るな。後を見てはいかん」  正夫はいった。  ちょうど大宮ジャイアンツの守備練習が始まったところである。彼らの自信に満ちた守備ぶりを目にふれさせると、江坂タイガースは益々萎縮してしまうだろう。敵を知って己を知るなどということはこの際忘れて、己が己であるためには、敵の存在を知らないことに徹するべきだと正夫は思ったのだ。  スイスイという感じで練習が行われている。それにくらべると残念ながら江坂は、ノタノタであり、モサモサなのだ。 「さて」  正夫がそのように言葉をつぐと、江坂タイガース全員の目が正夫にそそがれた。親鳥の餌を待つ雛のように口をポカンとあけている。  これはいかん。相当重症だ。  正夫は知的に|責《せ》めることをやめにした。  だから、言葉づかいも、めったに使わないことにしている江坂弁になった。 「どや。チンポはあるか」 「ヘッ」 「チンポはあるかとたずねとるんや」 「そりゃあるわ」  とバラケツが答え、 「無い」  と断定的にムメが答えた。 「ムメは当然や。ムメのことはこの際置いといて、みんな、ほんまにチンポがあるかどうか確かめてみい」 「けったいなこといいよるなあ」  他のことはともかくとしても、チンポが付いとるかどうかぐらい確かめんでもわかるわい。今朝もちゃんと小便したし、そや、照国やアノネやニンジンは、パンツも脱がずにちびっとるくらいやないけ。あるにきまっとるやんけ。  とそれぞれが股間に手をやって、慌てた。 「無い。チンポが無い」  本当に無いのである。小さいとはいえ、それは確かに今朝まで、唐辛子の形をしたり、箸置きの形をしたり、朝顔のつぼみの形をしたりして、それぞれの股間でがんばっていたのである。時には便所用の豆電球ほどの大きさになって、パンツを持ち上げていることもあった。曖昧ながら、それは男として相当に誇らしく、相当に大事なものであることは知っていた。 「無いって、ほんま」  ムメが不思議そうに訊ねた。 「ほんまや。無いねん」  バラケツが悲鳴をあげた。 「もっと、よう探してみい」  正夫がいうと、全員が、ユニホームのズボンごしに股間をギュッと掴み、そして、やがて、本人たちが思っているよりははるかにささやかな手応えでふれるそのものを発見したのだ。 「イボみたいになっとる」  バラケツが哀れな声を出した。それでも、発見した安堵で、泣き笑いとはいえ笑顔を見せた。他のみんなも、それぞれに、緊張で縮み上ってしまった哀れな代物を確認し、 「あった。あった」  と喜び、 「フヘッ、フヘッ、フヘッ」  とこわれた吸い上げポンプのような声で笑った。  戦う兵士の状態になるまでにはまだまだだった。 「練習はやめや。試合が始まるまでに、そいつを唐辛子ぐらいにして来い」  正夫がいうと、 「どないしたらええねん」  と全員が悩んだ。 「ほんまに不便やなあ」  ムメが憐れむように全員を見渡した。  竜太とバラケツの顔が瞬間ポッと赤く染まったが、それは誰も気がつかなかった。  いい天気になりそうだった。  桜の並木のかげから、|烏《からす》が三羽舞い上り、さっそうと守備練習をつづける大宮ジャイアンツの頭上をゆっくりと過ぎ、アアッと鳴いた。江坂タイガースの時なら、アホウッと鳴いたかもしれない。  両町の応援団が詰めかけていた。  お祭りだった。  歌でも、芝居でも、野球でも、人が集ればたちまち祭りにしてしまった。それは、老若男女の別なく、そのものの質の良し悪しはかかわりなく、何人かが集れば騒ぎを起すというのが、常識だった。  人々の頭の中から、まだ灰色の風景は消えていなかったのかもしれない。楽天的に愚鈍にあつかましく生きているように見えながら、大きな時代の流れの中で溺れかけた人間というものは、どこかに悲しいものを持っているのかもしれない。  だから、何事でも祭りにしてしまう。  たかだか小学校六年生同士の野球試合に、家族そろってどころか、向う三軒両隣りさそい合せて、いやいや、両町の有力者までくり出してという騒ぎになったのだ。  大宮小学校校庭は、半ばは花見も兼ねた人で埋まってしまった。  猫屋のオバハンを筆頭とする江坂婦人銀輪部隊が、黄色というには少々トウの立った嬌声をあげながら到着したのはそんな時である。江坂側もいつの間にか応援がふえていた。  大変なことになったと駒子は思った。  この人たちの祭りの期待に、あの子たちは応えなければならないんだわ。  ためいきが出た。  それと同時に少し涙も出た。  すぐ横に夫の正夫が、松葉杖を二本そろえて膝にもたせかけ、悠然と煙草を吸っていた。  ふと、この人と二人だけの生活が出来る土地へ行ってみるのもいいことかもしれないと、駒子は、およそこの場にふさわしくないことを思っていたのだ。 「どや。チンポは伸びたか」  正夫が怒鳴った。 「フワーイ」  江坂タイガースが答えた。     2  野球ファンの皆さま。如何お過しでいらっしゃいますか。  満開の桜につつまれた此処大宮小学校校庭より、大宮ジャイアンツ対江坂タイガースの一戦の模様をお送り致します。  この待望の一戦を祝うかのように、一夜にして花弁を開いた桜が、瀬戸の潮風にまじる春の匂いに誘われて、微笑んでおります。  うららの快晴。夏とは違い、何やら|朧《おぼろ》にかすんだやわらかな空気がたちこめ、烏が三羽のどかにグラウンド上空を舞っております。  詰めかけた観衆約千人。大宮小学校校庭は立錐の余地もない超満員で、早くも、あるいは大宮ガンバレ、あるいは江坂ガンバレと試合前の熱気につつまれております。  強豪大宮ジャイアンツに対する新鋭江坂タイガースの興味つきない一戦、では、早速に発表されました両軍のオーダーをご紹介したいと思います。  先攻は遠来の江坂タイガース。主将代理の正木三郎選手がトスに勝ちましたが、強気に先攻をとっております。  一番センター、駿足好打の吉沢孝行。二番セカンド、女性ながら剣道できたえた快打が期待されます波多野武女。三番サード、好守好打頭脳的プレイが光ります足柄竜太。四番ピッチャー、豪球豪打は超小学校級の呼び声が高い正木三郎。五番ファースト、長打の持ち主高瀬守。六番キャッチャー、巨漢の長谷川照夫。七番ショート、広い守備範囲を誇ります折原金介。八番ライト、静かなる闘将新田仁。九番レフト、鉄砲肩の神田春雄。  以上が先攻の江坂タイガースのオーダーです。つづいて後攻の大宮ジャイアンツのオーダーは……  NHKの志村正順アナウンサーやったら、こんなふうに放送するやろなあと、足柄竜太は思っていた。  いや、待て待て。その前に、ジャーンカ、ジャカジャカ、ジャンカジャカジャカ、チャンチャン、チャラリコレというスポーツ番組の音楽が入らにゃおかしいと思っていたから、まだ過度の緊張に於ける半恍惚状態がつづいていたのかもしれない。  駒子は円陣を組んで簡単な注意を与えたが、その時の妙にニヤついたメンバーの顔を見て半ば絶望的になった。悲壮感ともいえるものをただよわせているのは、ムメと竜太の二人だけだったのである。しかし、二人も別の意味で、叩けばキンコン音がしそうな程に硬直しているし、危険は同じだった。  駒子が口にするわけには行かないが、チンポは伸びたか、と訊ねたいくらいだった。 「プレイボール」  審判が手を上げ、春霞たなびく空にキンと響く美声を張り上げた。 「本格的やなあ」  審判は忍術使いのような黒ずくめで、胸に湯タンポの親分のようなプロテクターをかかえて、まさに本格的だった。  江坂タイガースが先攻をとったのは決して強気のせいではない。極度の緊張のまま守備につく危険性を避けただけなのだ。  一番のダン吉こと吉沢孝行が打席に入り、いよいよ記念すべき一戦の幕は切って落されたのだ。 「ダン吉ィ。やってこましたれえ」  バラケツが怒鳴ると、ダン吉はフニャッとした笑いを見せ、つづけて三球天井のススはらいをするような格好で空振りして、記念すべき第一打席は三振を記録した。  ダン吉は首をかしげながら戻って来て、あろうことか、 「あいつ天才とちゃうか。えらいドロップ投げよるで」  と相手投手を絶讃した。 「アホか。何がドロップじゃい。目えあけて打て。目えあけて」  バラケツはダン吉の尻を蹴り上げた。  つづくムメは初球を打っていいあたりの投手ライナー、竜太も第一球を打って、これはボテボテの投手ゴロと、一回表の江坂タイガースの攻撃はわずか五球、それも、投手と捕手だけで片がつくという簡単さで終った。  そして守備についた。  少し強い風が吹き、桜の花弁の何片かをハラリと舞わせた。家族連れと思われる烏が三羽、またまた投手バラケツの頭上に現われて、アホウ、アホウと二声鳴いた。 「何ぬかしてけつかるねん」  バラケツは天を仰いで毒づいた。  落着かなあかん。落着かんと男がすたる。  といいながら口の中では、   森の木蔭で ドンジャラホイ   シャンシャン手びょうし 足びょうし   たいこたたいて 笛ふいて  可愛い子供の唄を何故か口ずさんだりしていたが、   アホーイ ホーイヨ ドンジャラホイ  じゃどうにもならんわとやめにした。  バラケツ正木三郎は、投手マウンドに立って、ゆっくりと大宮小学校校庭を見渡した。  ぼんやりとぼやけて、ただただ顔の行列のように見えていた人の姿が、少しずつはっきりして来た。  ジャーン。  バラケツはいやなものを見たと思った。大宮側の応援席の中に、あの大宮の天才少年藤山一郎の姿と、コンビの大宮の鬼瓦の顔があったのだ。二人は、目が合うと、やや親しさをただよわせて微笑んで見せた。  バラケツは、プイと顔をそらせると思いきって第一球を投げた。  ウォーッというどよめきと、ガシャンというガラスの割れる音がほとんど同時にした。  バラケツの第一球は力あまってバックネットをはるかにこえ、教室の窓ガラスを直撃したのだ。 「こらあ。江坂のガキは何さらすねん。この非常時に高いガラス割ってからに、どないしてくれるねん。弁償せえ。弁償」  大宮側から野次がとんだ。 「ドケチ」  江坂もだまっていない。 「ドケチたらどういうこっちゃ」 「ケチやからケチいうとるんやないけ。ガラスの一枚がどないしたんや。わいら、ガラスの便所へ入って、ガラスの風呂へ入っとるんやで」 「よういうてくれた。ほなら弁償してもらおやないけ」  大宮側は弁償にこだわる。 「よっしゃ。町予算組んでちゃんと弁償したる。ガタガタいいない」  とバシッときめたのは江坂町長だった。 「太ッ腹やなあ」 「なんの、なんの」  町長は胸をそらせた。  竜太は心配になって、三塁守備位置から投手のバラケツのところへ駈け寄った。  これも主将のつとめや。 「大丈夫け」 「スウッとしたわ。もう心配ないわ」  バラケツは本当にスッキリした表情に戻っていた。 「ついでに、おまじないいうといたろ」   左カーブ 右カーブ   真中通ってストライク   応援団がチャッチャッチャッ  何のことはない。一番下品なお絵描き歌をおまじないと称して歌っている。  バラケツのやつ、野球の歌と勘違いしてるのとちゃうやろな、と竜太は首をかしげながら守備位置へ戻り、チラとムメの方を盗み見ると、ムメは二塁で獲物を狙う猫のような顔をして構えていた。  第二球。  打った。火を吹くような三塁ゴロ。竜太のグローブに球はスッポリとおさまった。  しめた。  志村正順アナウンサーやったら、こんなふうにいうやろなあ。  三塁ゴロ。足柄横っとびにとった。体勢たてなおして一塁投球。いい球──  そこまでは、まさにその通りで、一塁手のアノネもファースト・ミットを前にさし出して構えていた。後は、そのミットに球がスポンとおさまりさえすれば、|一《ワン》アウトがとれる筈だったのだが、アノネは、竜太の投げたいい球を額で受け、ひっくり返ってしまったのだ。  転々ところがる球をライトのニンジンが後逸、おまけに拾って投げたのが信じられない暴投で、大宮ジャイアンツの一番打者は、一塁、二塁、三塁、本塁と一周、あっさり一点を献上してしまったのだ。  それはいやな序曲だった。  後はもうめちゃめちゃで、一回の裏の攻撃がようやく終った時、大宮ジャイアンツの得点は十四点になっていた。  攻撃が終ったというより、いやになって終らせたという感じだった。  大 乱 戦     1  江坂町と大宮町は隣り合せの町でありながら、昔から仲が悪い。  何かというといがみ合う。いがみ合いの種がはっきりしているのは、漁師の漁場争いでこれは深刻だ。時に血を見るような争いになることもある。  しかし、それ以外のことといったら、要するに、あそこの奴らはいやなやっちゃという先入観と、何となくムシが好かないという気分だけのことである。  たとえば、自転車と自転車が道でぶつかったとして、これがよその町の者であったら、 「えらいすんまへん。大丈夫でっか」  という具合に、至極常識的にお互いが下手に出て相手を気づかうのだが、相手が江坂であるとか大宮であるとかわかると、 「どないする気やったんや。殺す気か」  とつっかけ、 「アホぬかせ。お前ら殺して何になるねん。そないな暇があったら、猫のノミでもとっとるワ」  とひっかけ、 「猫のノミか。何ぼでもとったらええ。佃煮にしてお|菜《かず》の足しにでもしたらええわ。ド貧乏人」  という具合に果てしなく広がって、最後には、そもそも何で喧嘩を始めたのかもわからなくなり、 「日本|敗《ま》けたのはお前がおったからや。東条英機のせいやないで。お前がアホやったからや」  と敗戦責任までなすり合う騒ぎになる。  一事が万事この調子であるから、江坂から大宮へ、大宮から江坂へと嫁いで来た嫁などは、いわれもない迫害を受けたりするのである。  大宮やから、江坂やから、ただそれだけの理由で泣かされ、かまどの陰ですすり泣き、|煤《すす》で涙を黒くしたりもしているのだ。  そういうことだから、江坂、大宮の婚姻というのは極めて少なくなっている。  大宮の町の方が江坂町に比べてやや洗練されている。都会とはいえないまでも町の顔をしている。文化もあるし、娯楽もある。それに、淡路西海岸の行政の中心地である。警察にしても、大宮は大宮警察署であるのに、江坂は、大宮警察署江坂巡査駐在所である。  だから、自然と大宮の人間は江坂の人間を一段下に見てしまう。それが江坂には気に食わない。  両町の間で派手な争いが行われなかったのは戦争中だけで、もっともその時は、喧嘩をするような血気盛んな男どもは戦争にかり出されていなかったのだ。  その代り、相当ジクジクと女の争いはくすぶっていたかもしれない。  それ程までにきらいな大宮町のことを、それなら相手にしなければいいようなものだが、そこが又江坂の人間の不思議なところで、南に隣接する山名村と組もうとはしないのである。  竜太やバラケツがハーモニカ戦争に出かけて行くのも大宮だし、今日の野球にしてもそうなのだ。     2  一回表裏の攻撃を終って、14対0という得点になった時、 「もうやめまひょいな。こら試合になりまへんで」  と大宮町役場の少年スポーツ振興係の男がとんで来ていった。 「一回裏の攻撃で何時間かかったと思うてまんねん。一試合分はたっぷりかかってまっせ。もう充分やおまへんか。やめまひょ。前途ある少年にこれ以上の傷つけんうちにやめまひょ」 「それは困る。そんなことをしたらそれこそうちの選手は傷ついてしまう」 「中井はん。正直いうて、あんたがおっしゃる|うち《ヽヽ》はどうでもよろしいね。|うち《ヽヽ》の|うち《ヽヽ》が、もうこんな試合つづけるのいややいうてますね。14対0。これで納得しなはったやろ」 「いや。やめるわけにはいかん」  中井正夫は、松葉杖に躰をかけて一歩前へ出ると、きつい口調でいった。 「無茶いうたらあかん」 「無茶はどっちだ。七回の約束の試合を一回で打ち切るなんて、そんな無茶がありますか。つづけます。さあベンチヘ帰って、選手たちに守備につくようにいって下さい」 「がんばりまんなあ。中井さん。甲子園経験者の意地でっか」 「違う。私は、この子たちに試合をさせてあげたいのだ。たとえ100対0になっても、最後まで戦わせたいのですよ」 「それが、うちにはえらい迷惑でんねん。この前もいいましたやろ。名犬も駄犬とかけ合せたら駄犬になるちゅうて」 「あんた」  中井正夫は、よろけるようにもう一歩前へ出ると、大宮町役場吏員の胸倉を掴んだ。 「子供の前で何てことをいうんだ」 「何ぞ悪いこといいましたか」 「何ぞ悪いことだと」 「ああ。駄犬でっか。もののたとえやおまへんか」 「貴様」  中井正夫の平手打ちが役場吏員の頬で音高くなった。  まさにその響きは号砲一発という感じで、大宮小学校校庭に鳴り響き、百メートル競走のスタートのように、それまで口角泡をとばすだけでおさまっていた大宮、江坂両応援団の闘争本能に火をつけたのだ。  ウォーッというトキの声は、満開の桜を散らさんばかりに響き、アホウアホウと平和を|貪《むさぼ》っていた三羽の烏をおびえさせた。  校庭は人であふれた。 「あなた」  駒子は正夫に駈け寄った。そして、 「知りまへんで。えらいことになりまっせ」  とオロオロしている大宮町役場吏員の尻をノックバットで思いきりひっぱたいた。 「何するねんな。この女は」 「うるさい。あなたは江坂タイガースの誇りを傷つけたのよ。許さないわ」  と更に二発撲りつけた。 「やめろ。駒子。それより生徒を集めろ」 「はい」  駒子は、呆然としている役場吏員にとどめの一発という感じで蹴りを加えると、慌てて江坂タイガースは何処とあたりを見まわした。  ベンチにはいなかった。  四安打、二四球、十二失策という猛攻といおうか、猛拙守といおうか、信じられない野球をやってしまい一回に14点を失った江坂タイガースのめんめんは、死にかけた金魚のように、膜のかかった目で、そしてパクパクと勢いのない呼吸をしながら、ベンチにへたりこんでいた筈だった。  もうあかん。動けんわ。  といっていたのだ。  中井正夫ががんばって試合の継続を申し入れている時も、実は、腹の中では、もうええのになあと思っていた筈だ。  足柄竜太などは秀才らしく、一回に14点を七回くり返すと98対0となるスコアにおびえていた程だ。  それが、ひょんなことから、校庭が動きまわる人間で鳴門の渦潮のように見えるような喧嘩さわぎになると、突然元気がよみがえったのか誰もいなくなってしまった。  逃げたとは思えない。  きっとあの争いの渦の中で、ちらつく雪にはしゃぐ小犬のように、元気に、そして、結構ずるく利口に泳ぎまわっているだろうと思うと、駒子は情なく思うより、先に苦笑が出てしまうのだった。 「悪いことをしてしまった」  中井正夫がいった。 「仕方がないわ。腹が立ったら怒りましょう。あなたの怒った姿を見て嬉しかったわ」  中井駒子は晴れやかな顔で答えた。  二人のところだけ何故か騒ぎの外だった。火元は静かで、飛び火の方がいまや盛んで、大宮小学校校庭は時ならぬ運動会だった。     3  今頃は、うまく行くと、ユニホーム姿のままトラックに乗り、その後に江坂婦人銀輪部隊を従えて、堂々の帰途の筈だった。  大宮ジャイアンツに勝てないまでも、善戦とか、健闘とか、好試合という評価さえもらえれば、恥じることも、遠慮することもなく、トラックで帰れたのだ。  しかし、このざまではなあ。しゃあないわなあ。と足柄竜太はトボトボ歩きながら考えていた。  バラケツもそうだし、ムメもそうだし、他のみんなもそうだった。  試合は一回打ちきりの14対0。大騒ぎで出かけた割には、打席に立ったのはダン吉、ムメ、竜太の三人だけというみじめさで、話のしようもない。  おまけにあの喧嘩騒ぎだ。 「腹でも切らにゃカッコつかんな」  と竜太がバラケツにささやくと、 「痛いことはやめとこ」  とバラケツは答えた。 「あかんなあ。みんな。いやになる」  そんな二人を横目で見て、ムメが吐き出すようにいった。ムメは本気でくやしそうだったし、本気でみんなを軽蔑しているようだった。  大宮町から江坂町へつづく海岸線を、中井正夫、駒子夫婦と江坂タイガースのめんめんは、首うなだれて、まるで影法師の葬列のように歩いていた。  あの喧嘩騒ぎがとにもかくにもおさまり、さて帰ろうと竜太たちがトラックに駈け寄って、 「オッちゃん。乗せてんか」  と声をかけると、 「アホか。誰がお前ら乗せるかい。歩いて帰れ」  とニベもなくことわられたのだ。 「先生。あんなこというとるで。ちゃんと話わかるようにいうたってんか」  バラケツが駒子に訴えかけると、駒子は、 「そうね。今日は乗る資格がないわ。みんなで歩いて帰りましょう」  といったのだ。 「それみい。クソガキ。恥さらし」  トラックの運転手は、ざまみたことかと憎々しげに毒づく。 「オッちゃん。それは、あんまりやないけ。子供に向っていう言葉とちゃうで」  と、竜太の抗議をさえぎってバラケツが乗り出し、 「オッちゃん。そのうち復讐したるで」  とおどかしたのである。  そんなわけで、みんなは今歩いている。  おかしなことに、江坂タイガースに連なるようにして、猫屋のオバハン、美代ちゃん、節ちゃんという江坂婦人銀輪部隊の一行も歩いているのだ。  喧嘩さわぎの最中に自慢の自転車をすっかり盗まれてしまったのだ。 「ほんまに大宮ちゅうとこは、|性質《たち》の悪いとこや。ありゃ盗人の巣やで。今まで、何で大宮が警察署で、江坂が駐在所やろかと不思議に思うてたけど、これでわかったわ。盗人の巣やもん。巡査さん大勢置いとかんとあかんわなあ」  猫屋のオバハンが半ばヤケクソの卓見というやつをまくし立てる。  それにしても、自転車を盗まれたのは災難としても、オバハンたち女だてらに喧嘩さわぎにはしゃぎ過ぎた。  今さしている日傘とおぼしき物も、まさにおぼしき物で、ほとんどが骨だけになり、その骨も不自然に曲っている。二度や三度はこれで大宮の男どもを撲ったに違いない。  髪は八百屋お七のようにざんばらに乱れ、挑発的にさえ見えるワンピースもところどころが切れて、素肌がのぞいているところもあって、はなはだ教育的でない。 「盗人もそうやけど助平も多いわ」  と美代ちゃんがいった。 「ほんまや。いやらしいのがおったわ。喧嘩の最中に何したと思う。ズロースに手え入れて来たのがおるのんよ」 「あんたも」 「ほなら、あんたも」  美代ちゃんと節ちゃんは同じ被害者として大いに慨嘆していたが、猫屋のオバハンは、そのような大胆不敵な男に出会う幸運にあわなかったと見えて、チラといやな顔をした。 「あかんなあ。女はどんな場にいてもスキを見せたらあかんのよ。それでのうてもうちら色眼鏡で見られがちなんやからね。毅然として、堅い貞操を誇っとらんとな」 「へえへえ」 「それでどないしたん」 「え」 「手え入れて来た助平男をどないしたんやのんと訊いとるが」 「ああ」  と美代ちゃんは納得というようにニヤッと笑って、 「名前訊いといた。川崎いうんやて。それから、江坂の猫屋に遊びにおいでというといたわ」 「あんた、喧嘩してたんと違うの」 「喧嘩もしてた。けどまあええやないの。店の宣伝しといたんやから」 「よういわんわ」  さすがの猫屋のオバハンも|今日《きよう》|日《び》の若いもんにはかなわんわ、という顔をして、煙草をプカリプカリくゆらした。  何とも奇妙な組み合せの一行が海岸線をノロノロと歩いていた。 「お|腹空《なかす》いたわあ」  と美代ちゃんが大声をあげた。  その声で、駒子は、手にさげている重いバスケットの中に、みんなで食べるつもりで作って来た弁当が入っていることを思い出した。海へおりて、みんなで弁当を食べるのも悪くないと思った。  不思議な一日、朝の異常な熱気の歓送会から始まって、一回打ち切りの惨敗の初試合、そして大乱闘と盛り沢山ではあっても、まだ半日がやっと過ぎたところだった。     4  磯の匂いがしていた。  ひたひたと寄せる瀬戸の海はまぎれもなく春の匂いを含んでいた。  そんな空気の中で、駒子手づくりの弁当を食べると、初めて神経が正常に戻って来るのを竜太たちは感じていた。  正常に戻ると悲しみが襲って来た。  ぼくらはあかんなあ。あかんたれやなあ。駒子先生もがっかりしたやろなあ。足長おじさんも腹立ててるやろなあ。  と思うと口惜しさも口惜しさだし、不甲斐なさで涙が出そうになっていた。  ムメにも軽蔑されたし、ほんまにもうあかんなあ。  こういう時、口の中へ入れる米粒は砂のように味気なくなるものだが、うまいもんはうまいわい、まぎれもなく駒子先生奮発の銀シャリの味がしていた。  ぼくは感じんのと違うやろか、と竜太が思うほど美味だったのだ。  猫屋のオバハンたちもお相伴にあずかり、盗人と助平のことも一時忘れたかのように、顔に精気をよみがえらせた。 「さすがに駒子先生や。他人の子の弁当こんなにつくらはって。大したもんや。なかなか出けんことや」  とお世辞を並べた。 「けど、残念やったなあ、今日は。うちらも一回でやめまひょいわれた時はムカッと来たんよ。何やいうねん。何のつもりでおるねんいうてカリカリしてたら、旦那はんの一発でっしゃろ。スウッとしましたわ」 「おはずかしい」  正夫が答えた。目は水平線を見ている。 「はずかしいことありますかいな。けど、江坂タイガースはあかんなあ。タイガースいうからに、阪神タイガースみたいに強いのかと思うてましたで」 「駒子が強くするでしょう」 「いやあ。美しいわあ。奥さんのこと信頼してからに」 「そんな」  と正夫は話題を打ちきるように握り飯を頬ばった。うまかった。駒子の味がした。  江坂タイガースは我々夫婦に何をもたらしただろうかと、ふと正夫は思った。  何ももたらしていない。もたらす筈もない。けど、江坂タイガースは二人して強いチームに仕立て上げなければならないと考えていた。 「ねえ。猫屋にもたまに来て欲しいわあ。鉄夫さんはよう来てくれるのに」  美代ちゃんがいったが、正夫はそれには答えなかった。  駒子は、その間、子供たちの傷の手当てをしていた。  十二失策という記録が証明するように誰もまともに球に対した者はなく、従って、つき指や、すり傷は全員だった。  竜太の投球をまともにオデコで受けたアノネは、蒼黒いコブをつくっていたし、捕手の照国はファールチップを目に受け、ノラクロのようになっている。おまけに照国は球を男の急所にあてて半失神という騒ぎがあったから、これには四股を踏ませておいた。  フライを追いかけて激突したダン吉とボラは、二人とも前歯を折ってしまった。  味方の負傷者多数で、まさに被害は甚大だった。精神的な負傷や、社会的な損害まで数えると、さんざんな初試合だった。 「先生。怒っとるか」  アノネが気弱に訊ねた。 「当り前でしょ。あきれてものもいえないわ。情なくて」 「そやろなあ」 「恥かしくて、このまま此処から奈良へ帰りたいほどよ」  と駒子が大仰に眉をしかめていうと、 「それはあかん。そんなことしたら絶対あかんで」  バラケツが血相を変えた。 「大宮のガキら。今度はメタメタにやったるさかいな。先生。それまで楽しみに待っててや」  駒子は苦笑した。  しかし、それがバラケツの精一杯の決意の表明だと思うと、胸が熱くなるような思いがした。 「今度はな。チンポも伸び伸び、心も伸び伸び。ええな」  と全員を|睨《ね》めつけると、 「ファーイ」  とアノネや照国が手をあげたのだ。  駒子は、その手の中に竜太とムメがいないことに気がついた。  姿を求めると、少しはなれた磯辺で、竜太とムメがしゃがみこんで話しているのが見えた。  何か様子が変だった。  変な筈で、竜太は、ムメから、竜太君にだけいうのんよという前置きで、 「うち学校転校するの。一学期が終ったらすぐ行くの」  という言葉に、ふるえが来る程の衝撃を受けていたのだ。  サマータイム     1  この年(昭和二十三年)の五月二日から、サマータイムが実施された。  つまり、五月二日から九月十一日の夏の間、全国一斉に時計の針を一時間進めて生活する夏時間である。  足柄竜太たちが、八時に登校するということは、実際には七時に机に向っているということであり、眠うてかなわんわ、と何とも不評であった。  このサマータイムという言葉、なぜかサンマータイムという発音で伝わり、それならいっそ、サンマーもサンマの方がええ、ということになり、何やら、|秋刀魚《さんま》だ鯛だと魚屋のようになっていた。  このてのあやまりは、数々あったけれど、ターザン映画のにわか弁士が、タルザンはタルザンはとやらかして、長い間ジャングルの王者タルザンと覚えこんでいたのと|双璧《そうへき》かもしれない。  さて、サマータイムは、政府が、早寝・早起きを推奨する意味で実施したものだといわれているが、実際には遅寝、早起きの寝不足現象を起しただけで、大した利もなく、昭和二十七年に廃止されている。  さて、そんな寝不足の夏。  竜太の心は重かった。     2  その後、江坂タイガースは、緒戦の惨敗が身にしみての猛練習が実り、山名村の山名ドラゴンズに9対6で勝って初の一勝をあげている。  その時にはもう町の人々もおそろしいほどの冷淡さで、 「また恥かきに行くんかいな。ええかげんにせんかいな」  と唾を吐きかけかねないありさまだった。  しかし、その冷淡さ、無関心さに江坂タイガースは救われたといっていい。  よけいな興奮も、重圧も感じることなく、だから、小便をちびることも、痴呆症におちいることもなく、力通りの野球をやることが出来たのだ。  この試合でムメがランニング・ホームランを打ち、その噂をきいた町の人々から、 「男は何してんね」  とまたまたののしられた。  しかし、とにもかくにも一勝で、江坂タイガースも自信をつけたのだ。  山名ドラゴンズは、大宮ジャイアンツにくらべてはるかに実力は下だといいながら、勝ちは勝ちである。 「勝利投手正木。一勝一敗」  とスポーツニュースを真似ながら、バラケツも悦に入っていた。  そんな上向きの気分の中で、足柄竜太が心を重くしているのは、ムメこと波多野武女のことである。 「まだ誰にもいうたらあかんよ。けど竜太君にだけは知っといてほしいの」  ということで打ち明けた転校のことが気になって仕方がないのだ。  あの時、ムメは、竜太だけを人からはなれたところへ連れて行き、野球のあとの薄い汗の匂いと女の子の香りを感じさせるくらいの近くで、 「もうすぐお別れせんならんわ。旅行するのと違うんよ。ずうっと別々になるんよ」  といったのだ。  ヒタヒタと春の潮が足もとに寄せていた。  野球で屈辱的な敗戦を喫して弱りきっている頭に、その言葉は重い響きで伝わった。  グシャッという感じだった。  磯の匂いも消え、今まで見えていた水平線の小豆島もぼやけた。 「お父ちゃんの仕事がきまったんよ。神戸へ行くの。夏休みは神戸で過して、二学期からは向うの学校へ通うんやて」 「一学期で終りなんか」 「そうよ」 「それでお別れなんか」 「そうよ」 「ムメがいんようになるのんか。さびしいなあ」 「ほんま。さびしい思うてくれる?」 「そりゃ思うわ。ごっつうさびしいわ」 「ありがと。竜太君がさびしいいうてくれるとうれしいわ。うち、竜太君のこと好きやから、さびしいいうてくれたら、ほんまにうれしいわ」  ムメは早熟な美少女だった。竜太もどこかに早熟なところのある少年だったが、ムメのそれとは異質のものである。  磯辺にしゃがみこんでしんみりと語るムメからは、はるかに年上の女を感じ、竜太は我を忘れるくらいに圧倒されていた。特に、竜太君のこと好きやから、なんてことをいわれると、どうしていいかわからないほど恍惚としてしまうし、その反面空おそろしくもなるのだ。  ムメは、やや吊り上り気味の大きな目に涙をいっぱいにためていた。涙はあふれ、すっきりと薄い頬を伝い、ぽってりと紅く、そのくせきりりとひきしまった感じもする唇にそそいだ。  ムメはその涙を、チラッと舌をのぞかせて舐めた。そんな時のムメは子供っぽく、猫のように見えた。 「楽しかったわ。竜太君と過した六年間、うちの一生の想い出になるわ。ねえ、竜太君。残り少ない月日だけど、仲よくしましょうね。そして、もっともっと想い出をつくりましょうね」  とムメは頬をふれんばかりにすり寄せ、チラと手までふれていったのだ。  しかし、その後、ムメは一向にそれらしき様子を見せないのである。  一学期で転校するとなると、もうそろそろそれらしい噂も流れていい頃だし、駒子先生が責任上みんなに事情を話してもいい頃である。  それに、ムメは、残り少ない月日を仲よくしましょうねといったけれど、何らそれらしいところはない。要するに今までと何の変りもないのである。  竜太はからかわれたのかと思った。そう思うと何とも気が重くなった。  ムメの話が嘘でも気が重いし、ムメの話が本当で別れてしまうのも気が重いことだったのだ。  サンマタイムの寝不足のせいばかりではなく、足柄竜太の気は重く、そして、初夏になって行った。     3  中井鉄夫が姿を消したのはそんな梅雨あけ近い頃である。  姿を消したというのは必ずしも適当な表現ではない。  いつか、池田新太郎が町の文化振興基金を懐にしてドロンをきめこんだのや、ブギウギ・トンボと赤パンパンが、さらばさらばと消えて行ったのとは事情が違う。  中井鉄夫は鉄夫なりにこの三年間のモヤモヤにケリをつけ、そして旅立ったのである。  駒子への思慕は、近くにいないことで断ちきるしか方法はなかったのかもしれない。  何やら町の噂の中で彼は常にきらわれ役を演じさせられていたようだったが、戦争から戦後にかけての三年間、一番心を傷つけていたのは彼かもしれないのだ。  最後に駒子に会いに行った時、 「兄貴が生きてたなんて、本当にうらめしいよ」  といい、決して綺麗ごとのいい子ぶって姿を消したのではなかった。  それをきいた正夫も、 「俺のあり方が、いや運命のあり方がハンパだったんだ。死んでいるか、生きてもっと早く帰っているか、あるいは、もっと遅く帰って来てればよかったのだ」  といったのだ。  中井鉄夫は、叶わぬ駒子への思慕から三年間を棒に振った。酒におぼれ、喧嘩に走り、自堕落に暮していた。しかし、彼とて馬鹿ではない。時の流れの中で朽ち果てて行く|病葉《わくらば》のような自分の姿を思い描いたに違いない。  彼は結論を出した。  駒子を、兄の正夫を、そして、自分のことを知っている町の人々を捨てることにした。  結論は出せてもそれは解決ではないかもしれない。鉄夫にとって、人間らしい身の処し方は幸福といえないかもしれない。自堕落の苦悶の中に、まだわずかながらの幸福が残されていたかもしれないのだ。  中井鉄夫が家を出たという噂が流れた夜、猫屋の美代ちゃんが逆上して大酒を呑んだ。  美代ちゃんは、鉄夫と結婚するつもりでいたというのだ。 「そんなアホな」  と猫屋のオバハンは笑った。 「何で笑うのん」 「考えてもみいな。あんたが、あの中井銀造の眼鏡に叶うて、網元の嫁になれるわけないやないの」 「どういうことやの。うちでは女として不足やいうの」  美代ちゃんは泥酔してからんだ。あげく、 「鉄夫もそういうとったんよ。うちら結婚の約束でけてたんよ」  泣き出してしまった。  猫屋のオバハンは別のことで頭に来ていた。日頃、何かというと貞操が堅いだの、   真白き富士の気高さを   こころの強い楯として  なんて歌いながら、「愛国の花」の生き残りだとかなんとかほざいていた美代ちゃんが、ちゃっかり堅い貞操やわにして鉄夫と出来ていたかと思うと、おちょくられたような気分で不愉快になったのだ。 「ちょっと美代ちゃん。あんた、いつから鉄夫と出来てたん。身持ちの固いのんが自慢の筈やなかったけ」  とつっかかり気分でいうと、 「何いうてんね。猫屋のオバハンともあろうお人が、女学校の舎監みたいなこといいないな。男と女、ちゃんと初手から出来てたわ」   それは去年のことだった   星の綺麗な夜だった   …… 「ほうか、ほうか、そりゃ結構なことでおましたな。けどな、美代ちゃん。もう『愛国の花』歌うのはやめときや」 「誰が歌うかいな」 「貞操堅固がおかしいと思うてたんや。この前も、大宮の野球の喧嘩の時、ズロースの中へ手え入れられて、助平や助平やいいながらや、しっかり名前まで訊いてきとるさかい、けったいな娘や思うてたら、やっぱりそっちが本心やったんや。いやらし」 「何いうてんね」 「ええな。『愛国の花』は許さんで。戦争未亡人の名にかけて、このうちが許さんで。パンパンの歌でも歌っとき」 「歌うたるわ」   星の流れに身をうらなって   どこをねぐらの今日の宿   ……  そして、美代ちゃんは、その翌朝、猫屋をとび出した。  それでも、別れぎわに、 「ゆんべはどうもすんませんでした」  と神妙にあやまり、 「うち、何としてでも鉄夫と一緒になりたいんです。勝手させて下さい」  と頭を下げた。  猫屋のオバハンも根は善人だから、そんなふうにしおらしくいわれると、 「苦労するでえ」  とだけいって送り出したのだ。  猫屋がちょっとさびしくなった。  しかし、三日後もっとさびしくなる。  出戻り情夫の元旅役者池田新太郎と節ちゃんが、手に手をとって駈け落ちしたのだ。  これには、猫屋のオバハンもショックを受け、三日間店をしめた。  そんなある日──  竜太が猫屋の前を通りかかると、縁台で一人西瓜を食べていた猫屋のオバハンが、 「竜太ちゃん。頭刈ったろか」  と声をかけて来た。 「ええわ」  と竜太はやんわりとことわったが、 「ええやないの。刈らしてえな」  と妙にさびしそうな顔でいうのだ。 「オバハン。散髪屋に戻るんか」 「そやなあ」  なんていっているうちに、頭を刈らせることになってしまった。  猫屋のバリカンは、食いつき猫の異名通り相変らず切れが悪かった。竜太は、何度も、アイテッ、イチッと悲鳴をあげた。 「ごめんごめん。腕落ちたなあ」 「昔から下手やったで」 「そうかあ」 「オバハン。散髪屋に戻るんやったら、バリカン替えた方がええで」 「それも、しんどいなあ」  そういいながら、オバハンは、クシュン、クシュンと鼻をすすった。  オバハン泣いとるのと違うやろか、と竜太は思っていた。  前に、ブギウギ・トンボと赤パンパンがいなくなり、そして、鉄夫や、美代ちゃんや、節ちゃんや、池田新太郎もいなくなった。  やがて、ムメの一家もいなくなるいうし、江坂の町もさびしなるなあ、と竜太は、頭を刈ってもらいながら、ポッカリ浮かんだ夏雲を見上げて考えていたのだ。  幸福なことに、竜太は、猫刈りにも、虎刈りにもされなかった。 「いやあ。うまいこといったわ」  と猫屋のオバハンは嬌声をあげ、 「これで、スウッとしたわ。今晩から、又、商売はげみまっせえ」  といい、竜太のほっぺたに芋版押すようにして接吻をしたのだった。     4  江坂の奥山で、若い男女の首吊り死体が発見されたのは、完全に梅雨があけ、カンカン照りに入った頃である。  発見したのは、アノネと照国で、二人は|楊梅《やまもも》を取りに行って、そのおそろしいものにぶつかったのである。 「照国。あれは何や」 「どれや」 「あの木でぶらぶらしとるもんや」 「ギャア」 「何や」 「首吊りや。ぶらりや」 「ギャア」  一度は完全に腰が抜けたが、それでも逃れたい一心で這いずっている間に何とか歩けるようになり、それから後は、山から風の子が吹きおりて来るような早さで、町へ駈け戻って来たのだ。 「首吊りやでえ。首吊っとったでえ」 「ぶらりやでえ。奥山でぶらりやでえ」  それでも二人は報告の義務を怠らず、江坂町巡査駐在所へ駈けこんで来て、 「巡査はん。竜太のおじいちゃん。男と女が首吊っとる」  と叫んだのだ。 「男と女か」  足柄忠勇巡査はせきこんで訊ねた。 「そや」 「ブギウギ・トンボと赤パンパンやな」 「知らん」 「正木二郎と葉子。バラケツの兄ちゃん姉ちゃんと違うか」 「わからん。顔見てへんもん」 「どこ見たんや」 「靴だけや」 「そうか。靴だけか。よっしゃ、わかった。案内せえいうても可哀相やから、大体の場所を描いていけよ。そしたら、もう帰ってええわ。ご苦労さん」  そういうと忠勇は、テキパキと各所に連絡し、それが終ると、煙草を吸った。  深々と吸いこんだ煙を吐きながら、 「アホが。とうとう心中しおったか」  といった。 「そないに世の中スイスイ行くものやない。指名手配くらって、行き場所のうなって、故郷の山へ帰って来て首吊ったんやろ」  なぜか足柄忠勇は、その首吊り心中死体をブギウギ・トンボと赤パンパンときめているようだった。  竜太は、その話をききながら、あのブギウギ・トンボや赤パンパンが、首吊って死んだりするやろか、と思った。  きっとちゃう。違うにきまっとる。  あの二人が死んだりするわけないやないけ。絶対首吊ったりせえへん。  なんや詐欺で指名手配になっとるいうとった。詐欺いうたら、うまいこというて人をだまして金をとることや。そんなことでも、ブギウギ・トンボやったら、 「金の使い道に困っとる奴らから、金をいただき、金の必要なところへ移動させたる。それだけのことや。警察の諸君。誰も不幸にはなってまへんで。大きな幸福を中くらいでがまんしてもろて、大きな不幸を小さい幸福にまで変えたるんや。それを君。悪とののしりたもうのけ」  ぐらいのことをいうてる筈やから、追いつめられて心中やなんてあるわけがない、と竜太は思っていたのだ。  夜になって、山から帰って来た祖父にきくと、やはり首吊り死体はブギウギ・トンボでも赤パンパンでもなかった。身許不明の男女でどうやら神戸あたりから来た者らしいということだった。  竜太はほっとした。  竜太は、今でも、あのクリスマスの日に野球用具一式を贈ってくれた足長おじさんは、ブギウギ・トンボと赤パンパンの兄妹に違いないと信じているのだ。  そして、そのための金を作るために詐欺を働き、指名手配にまでなってしまったのだと心を痛めているのだ。  もし、竜太がブギウギ・トンボに会い、 「ありがとう」  といったら何というだろうか。 「竜太君。それは違うよ。わいやない。わいからもろたなんて思うたら、折角の美談が汚れるやないけ。国敗れて美談あり。子供ひもじゅうして野球あり。それでええやないけ。民主主義の子よ。野球をやらんとあかんよ。藤村富美男の物干竿バットには、パンツが八枚干せるいうやないけ。竜太、お前も一生懸命練習して、パンツを九枚干すようにしようやないけ」  なんてことをいって、あくまでシラを切りそうな気がする。  それでも足長おじさんは、あの兄妹に違いない。ああ今頃どこでヒョーゴロヒョーゴロいうてるやろうなあ、と思いながら竜太は、渋い顔で晩酌を呑んでいる祖父の顔を見つめていた。 「あのアホめ。江坂の面汚し。どこで悪いことをやっとるやら」  忠勇が吐き捨てるようにいった。 「おじいちゃん。明日もええ天気や。天の川がよう見えるわ」  竜太がいった。  サマータイムではもう十時になっていた。  夏 景 色     1  食用蛙が高く売れるというので、江坂の子供たちの間で蛙釣りが流行った。  冬に|海鼠《なまこ》を売るのとでは比べものにならないくらいの高価買入れで、みんな夢中になっていた。  そのため、江坂タイガースの練習に支障を来すことも度々であったのだ。  支障の第一原因はバラケツで、主将代理の立場にありながら、何かというと、 「新日本建設は食用蛙から」  なんてことをいって消えてしまうのだ。 「バラケツ。ええかげんにせんと、駒子先生に怒られるで」  見かねて竜太が忠告すると、 「えらいこっちゃ。ほなら早速あやまりに行って来るわ」  とバラケツは素直に非を認めた。  しかし、 「これ。おわびのしるしです」  と差し出したものがバケツ一杯の食用蛙であったから、駒子先生を失神させてしまったのだ。  バケツはひっくり返り、二十匹近い蛙が座敷を跳びはねるのを、 「|金《かね》の種。金の種」  と叫びながら、バラケツは手づかみで回収した。しかし、その時回収出来なかった何匹かが、今でも、新田寺のはなれ座敷、駒子先生の住居の近くで、ボウッボウッと牛のような声で鳴いているという。  食用蛙を釣るのは実に簡単だ。別に餌もいらない。大きめの鉤針にタンポポの花を結びつけて、後は、食用蛙のいそうな沼か田圃でそいつをピョコピョコ踊らせていると、蛙の方からとびついて来る。その時、竿をパッと上げればいい。釣るというよりは、ひっかけるのであって、大抵はだぶついた食用蛙の腹に鉤針がひっかかっている。  駒子先生を怒らせ、おまけに失神までさせて、さすがのバラケツも野球の練習はサボらなくなったが、それでも暇を見て、せっせと釣りに行き、ウジャウジャというくらい食用蛙をためこんでいるらしかった。  食用蛙がいくら金の種だといっても、それも買い手があっての話で、買い手がなければ、只のでかい蛙である。不気味なだけだ。  三日に一度とか、五日に一度というくらいに回収に来ていた買い手が、どういうわけかパッタリ姿を見せなくなった。  そうなると、大きなタライを占領していた食用蛙は邪魔の種で、 「あほんだら、早よ捨てて来んかい」  と親にののしられるし、 「何いうてんね。ええ金もうけやいうて喜んでたやないけ」  と口答えしても、 「アホ。金もうけちゅうのんは、売れてナンボの話や。よう覚えとけ。このクソガキ」  とこの辺の親は実に勝手でえげつない。  そういうわけで、あわせて何百匹かの食用蛙が命拾いをし、江坂の沼や田圃に解放され、平和の訪れた夏を満喫することになったのである。  夏といえば、既に夏休みに入っていたが、一学期の終りの日にも、ムメの転校の話は出なかった。  足柄竜太は、ほっとするとともに、ムメにだまされたのだと思い腹を立てていたのだ。  そして、夏休みも半ばを過ぎ、夏の高校野球が甲子園で熱戦をくりひろげる、江坂でいえば、入道雲と赤とんぼが、そろそろ見られるという頃になった。     2  アイスキャンデーというのがある。  棒つきのといおうか、箸つきの氷菓子である。  アイスキャンデーは噛まない。噛むと当然のことのようにすぐなくなるし、そいつは、何とももったいない。  だから、ハーモニカでも吹くように、チュルチュルチュルチュル唇の上を移動させながら、シャバッシャバッと甘い汁を吸うのである。この食べ方だと、一本五円のキャンデーが相当長く楽しめる。もう箸しか残ってないかと思い陽にかざしてみると、薄い透明の膜がまだ残っていて、思わずニヤついたりする。それもなくなると、最後に割箸を噛む。すると、ジワッと甘い汁が歯にからんで、六円分ぐらい味わった気になるのだ。  食用蛙が売れてた頃は、五円のアイスキャンデー代ぐらい何でもなかったが、今はそうは行かない。  五円貰うのにも、遺産分けしてもらうような騒ぎになるのだから、アイスキャンデーもたっぷり楽しまないと割が合わないのだ。  骨の髄までしゃぶるというが、アイスキャンデーは箸の髄までしゃぶられてたのだ。  だから、その頃、道ばたに捨ててある割箸には全部歯形が付いていた筈である。  しかし、今夜は、アイスキャンデーの一本ぐらいはケチケチしなくていいくらいの小遣いはみんな持っている。  今夜は夏祭りなのだ。  新田寺の隣接の森に神社がある。そこの夏の祭礼の宵宮が今夜なのである。秋の祭りは収穫を感謝する農家の祭りであるが、夏は、豊漁の祈願と水難からの守護を祈願する漁師の祭りである。  宵宮の方がにぎわうのは、|見物《みもの》があるからで、それは、北浜の漁師と南浜の漁師が、それぞれの集落の宝である舟をかたどった巨大な|山車《だし》をかついで、急な石段を駈けのぼるという競走があるからだ。  北浜、南浜の住民はいうに及ばず、そこに関係のない人々でも熱狂する。  熱狂のあげく、毎年何人かのけが人が出る。けが人は、見物人から出ることもあるが、大抵は、競走で勝負がついた後のお|神酒《みき》喧嘩で漁師たちの中から出ることが多い。  そういうわけで、人の出も宵宮の方が圧倒的に多く、近隣の町村からもゾロゾロと人が集まるほどである。  石段には、電球の入った提灯が上から下までずらりとほおずきのように飾られて、その両側には屋台の店が出ている。  アイスキャンデー。カルメ焼き。ポンせんべい。関東|煮《だ》き。ドンドン焼き。水飴。かき氷。アイスクリン。  何といっても食べ物屋が人気がある。  竜太やバラケツたちも、宵の口から片っ端から食べ歩いている。計画性がないから、熱い物を食べたり、冷たい物を食べたりで、正直のところ腹ぐあいがおかしくなっている。歩くとゴロゴロ音がするのだ。  ドンドン焼きとは今でいうお好み焼きで、ネギと干し海老の入ったものに、サッと刷毛でソースをぬり、それを四角く切った新聞紙に手ぎわよくくるんでくれるのだ。フワッと湯気がたちのぼり、鼻先で何ともいえぬソースの匂いがし、そして、掌に新聞紙を通してのぬくもりが、半分湿ったような感じで伝わる。 「うまいか」 「きまっとるやないけ。日本一や」 「日本二は誰や」 「知らん」  そんな話を店のオッサンと交わしながら、少しずつ石段を登って行くのだ。  アイスクリンはいうまでもなくアイスクリームのことであるが、それは、単に言葉が訛ったということではなく、別物であると思った方がいいのではないかと、竜太は大人になってから思ったことがある。  真鍮製の円筒を片手でカシャカシャと反転反転させていると、中であのアイスクリンが出来ているのである。魔術にさえ思えたものだ。  食べ物を一通り食べ終り、石段の八合目あたりへ来た時、案の定、照国が、 「お|腹《なか》痛い」  といい出した。すると、アノネやボラも、 「わいもや。こりゃあかん。ピーや」  と下痢を訴えた。 「ほんま、お前ら、しゃないな」  バラケツは、どもならん奴、という顔で照国やアノネやボラの頭をこづくのだ。 「痛い。やめとけ。頭叩いたら下から出る」 「うわあッ、出る」 「アホ。ニンジンの家へ行って便所借りて来い」  うまいぐあいにニンジンの家新田寺は近くである。三人が同時に押しかけて、都合がつかなかったら、駒子先生の家の便所を借りればいい、と竜太とバラケツは三人を急がせたのだ。 「アホなやっちゃ」 「ほんまや」 「あいた……」 「どないした。バラケツ」 「あいたたた」 「お前もかいな」 「来た。来た。来た。ゴォーッと来た。ピーと行きそうや」 「お前もニンジンの家へ行って来いや」 「あかん。間に合わん。流線型や。急行や。そや。森や」 「やめとけ」 「しゃあない」  石段の両脇は暗い森だ。バラケツはそこへ駈けこんで、闇にまぎれて、非常の用を足そうとしているのだ。   緑の森の彼方から   陽気な歌がきこえます   あれは水車のまわる音   耳を澄ましておききなさい   コトコトコットン   コトコトコットン   …… 「アホか」  竜太は石段に一人残されて、本当にアホらしくなっていた。 「何がコトコトコットンや」  江坂タイガースも大したことないわ、ろくな奴おれへん、と|憮然《ぶぜん》としていた。  その時、歓声が起り人の波が大きく動き始めた。 「さあ。石段あけて。石段あけて。ぼやっとしてたらけがするでえ」  警備の人の声も殺気立って来た。  竜太は、人波にもまれながら石段の端に立っていたが、その警備の人の一塊の中に制服制帽の祖父足柄忠勇巡査がまじっているのを見ていた。  ほんまにおじいちゃんは巡査がいやになっとるんと違うやろか。この前も風呂屋をやるちゅうようなこというてたけど、ふとそんなことが竜太の頭をかすめた。   チョウサジャ   チョウサジャ   チョウサジャ   チョウサジャ  山車をかつぐ掛け声がきこえて来た。 「北浜か」 「南浜か」  見物が背のびをしながら|固唾《かたず》をのんだ時、ほとんど横一線といおうか、からみ合うようにしながら、北浜と南浜の山車が石段の登り口に姿を現わした。 「今年はえらい勝負やなあ」  誰かが嘆声をもらす。例年なら、この辺では相当の差がついているものなのだ。   チョウサジャ   チョウサジャ  しめこみ一本で赤銅色に陽灼けした若い漁師が、肩に食いこむ山車の重量に耐えながら、目を血走らせ、歯を食いしばっている。浜の意地とでもいうべきものを互いに発散させながら、二台の山車は人と一体となって、巨大な獣のように相争いながら、石段を駈け登り、拝殿へ向おうとしているのだ。  山車と山車がふれ合うというより、骨でも砕くようにぶつかり合う音が響いた。ぶつかる度に動きは鈍る。すると、 「おんどりゃ」 「どかんかい」  荒々しい言葉を吐いて、今度はかついでいる人と人がからみ、興奮というより殺気をただよわせながら、又動き出すのだ。 「危いでえ。危いでえ。ボケッと立っとったら死ぬでえ」  二台の山車の動きにつれて、石段に群がった人の波は、さながら竜のようにうねり、誰も自分の意思で、自分のいる場所をきめることは出来なくなった。  竜太もバラケツたちと別れた場所にとどまることは不可能になった。  アホやなあ。わいら。これ見に来たのに四人とも下痢やとはどういうこっちゃ。  それにしても、汚い話だが、三人は無事間に合っただろうかと竜太は思った。  その時、鼻先をかすめるようにして、旋風が通り過ぎた。汗の匂いと、酒の匂いがまじり合って流れた。山車が通り過ぎると、それを追いかける人で石段が埋まった。  バラケツとは完全にはぐれた。  二度ばかり押したおされて、膝頭と肘をすりむいた。膝頭には指で唾をつけ、肘はペロリと舐めた。  石段の途中は急に静かになった。  山頂の拝殿に人はあふれている筈だった。  ウォーッと歓声が上った。どうやら勝負がついたらしい。  何故か一人で気がぬけてぼんやりしていると、竜太君、と呼ばれた。  ふり向くとムメが立っていた。  ムメは紺地に白柄の浴衣を着て赤い帯を締め、赤い鼻緒の下駄、そして、手には朝顔の絵の団扇を持っていた。 「会えてよかった」  ムメはいって、微笑んだ。 「さがしてたんよ」  ムメは何ちゅう綺麗な娘なんやろ、と竜太は息苦しくなって来た。石鹸の匂いとも違ういい匂いが鼻をついて尚更だった。  竜太が、だらしなくクラクラしていると、 「どないしたん」  とムメは訊ねた。 「ムメ。少女倶楽部みたいや」  竜太はやっとの思いで答えたのだ。     3  波多野武女の転校は本当だった。  あの夏祭りの夜から十日目、夏休みも後わずかしかないという頃、武女の一家は、江坂の港から連絡船で明石へ向ったのだ。住むのは、いつかムメがいっていたように神戸だということだった。  その日はいい天気だった。  海も鏡のように凪いで、これならあのボロ連絡船が揺れることもないやろ、と見送りの人は安心した。 「戦争が終って三年。やっと私のような人間でも必要としてくれる時代になりました」  退役軍人のムメの父が、桟橋で晴れやかに話していた。 「昔の部下と共同で会社を興すことになりましてな」 「社長はんでっか」 「まあまあ、そのようなものですが。いや、乱世ですからな。どうなりますか」  といいながらも、ムメの父はどこまでも自信に満ち、きげんがよかった。  それに比べて、ムメの母や、ムメは、必ずしも|嬉々《きき》としているという様子でもなかった。ムメの母の顔には不安がありありと浮かんでいたし、ムメはおそろしく不きげんな顔をしていた。  桟橋には、波多野家の江坂町での知人が何人か集っていたが、数は多くなかった。それが、ムメの一家と江坂の人々との付き合いの薄さというものを証明していた。  しかし、ムメの周囲には、駒子先生をはじめ江坂タイガースのメンバーがとり囲みにぎわっていた。  江坂タイガースは、竜太の発案でユニホーム姿であった。  あれから更に試合を重ね、二勝四敗というまあまあ常識的な成績になっていたのだ。  陽光がまぶしかった。  夏の海は銀紙をはりつけたように鈍く、そのくせ眼底までくらませるような強い光をはねかえしている。  機帆船がスポンスポンとのどかに通り過ぎ、その甲板では若い船員が裸で寝ていた。  海鳥も舞っていた。その向うには入道雲もあった。小豆島は見えなかった。 「ムメ。神戸へ行ったら野球やるのんか」  バラケツが訊ねていた。  アホなやっちゃ、もっとええこと訊かんかい、と竜太はつらくなった。案の定、ムメは野球はやらないと答え、 「うち女の子なんよ」  と付け加えていた。  しかし、記念にユニホームを貰って行っていいかといった時には、竜太は嬉しかった。 「さびしなるなあ。ムメがいんようになったら、おヘチャばっかで、いやんなるなあ。ムメはベッピンやもんなあ」  またバラケツがアホをいう。  出船の時間が近づいて来た。  桟橋の人の輪が少しくずれた。ムメは恐い顔をして竜太を呼び、人からはなれたところへ連れて行った。 「この前の約束忘れたらあかんよ」  ムメは真剣な目でいう。この前とは夏祭りの夜のことである。 「うちと竜太君は、同じ高校へ入るんよ。中学は別れ別れやけど、高校は同じところへ行くんよ」 「わかってる。心にきめてる」 「ありがとう。希望があるわ。竜太君とまた一緒になれるんやもん」  と初めてやさしい顔になり、 「それから、あれもな、接吻いうんよ」  と|可笑《おか》しそうに笑った。  竜太はそれとわかる程赤くなった。  同時に、夏祭りの夜、短い時間ではあるが頬にふれたムメの唇の感触を思い出した。 「さいなら」 「さいなら」  握手をした。  やがて、連絡船は桟橋をはなれた。  竜太は、別れにハーモニカを吹くことになっていたが、何故か喉がつまって吹けなくなっていた。 「どないしたんや」 「あかん」 「しゃあない。大きい声で怒鳴ったれ。さいならあ。又来いよオ」  ムメが手を振っている。  ムメが涙も出さんと手を振ってると思うと、逆に竜太は大声で泣きたくなった。 「突堤の先まで行こう」  竜太がいうと、江坂タイガース全員が一斉に駈け出した。ユニホーム姿の八人が、ゆっくり港をはなれて行く連絡船を追って、突堤を走って行く。 「さいならあ」 「ムメ。元気でなあ」  くり返し、くり返し叫ぶ中を連絡船は黒っぽい影となり、ムメの姿は見えなくなった。 「よっしゃ」  竜太がハーモニカを吹きはじめた。 「何じゃい今頃」 「ええやないけ」 「そりゃ、ええけどな」  竜太のハーモニカに合せて、バラケツが大声で歌い始めた。   名残りつきない果てしない   別れ出船のドラが鳴る   ……  文庫版のためのあとがき 「瀬戸内少年野球団」の映画化に際し、ぼくが篠田正浩監督に送った長文のメモは、スタッフからは、ラブレターと呼ばれている。  ぼくとしては、時代のこと、淡路島のこと、野球のこと、それから、遊びのこと、食べ物のこと、ぼくにしかわからないことがあるかもしれない、という意味で書き送ったのであるが、余程想いが強かったに違いない。  メモがラブレターの働きをしてくれれば、こんな嬉しいことはない。  そのラブレターは、次の項目に分れている。で、更に、生活と遊びの項が百科事典か、歳時記の季語かというくらいに細かく分れている。  たとえば、こうである。  ハーモニカが吹けると天才だといわれました。ベースが入れられると尚更です。ハーモニカは民主主義の進軍ラッパなのかもしれません。とにかく、ハーモニカ、クレヨン、健康ボールは三種の神器でした。  大きなバックルの付いた大人のベルトをそのまま巻いていますから、五十センチ以上は余ります。それをキチッととめているのが良い子、ブラブラさせているのがツッパリの象徴でした。時には、その部分でピタピタとひっぱたく武器にもなります。  淡路島への、文化、情報の流入ルートは、神戸、大阪から海路洲本(唯一の都市)へ入るか、明石から岩屋へ渡り、東海岸ぞいに洲本へ入るか、いずれにしろ、大抵は東浦です。たまに、西浦経由で来ることもありますが、途中、郡家という町で左折し、東浦へ行ってしまうのです。  映画の舞台に淡路島であることをこだわったのは、孤絶した島ということではなく、都会の風が流入して来ていながら、通り過ぎたり、隣町で曲ったりするところが、如何にもこの時代らしいと思うのです。  東浦と西浦の差は激しく、西浦の子供たちの憧憬は、神戸、大阪、東京よりも、まずは東浦へ出ることでした。  チューブを丸く切り、軽石でこすり、ゴム糊を付け、しばらく乾かし、そして、破れた穴を繕う。これが大変な技術に見え、うっとりして眺めていましたが、事実、将来自転車修理を職業にすると固い決意をのべていた子もいました。  鼠をよくとると評判の猫は、農家に借りられていました。謝礼があったかどうか知りません。  これは、その中のほんの一部で、他には、(やまもも)、(なまこ)、(だんじり)、(やわたり)、、といったものである。  これをもう少し書き込めば、一冊の本が出来る。ラブレターと呼ばれるのも無理はない。思いの深さに苦笑されているかもしれないが、この恋愛は成就したと思っている。映画は実に快調に、そして、時代の復元に向って進んでいるのである。  気が遠くなる程書き並べたメモの項目は、全て記憶である。しかし、これは、ぼくだけが特に記憶力がいいということではなく、あの時代に少年であった人なら、誰でも覚えていることだと思う。  再生の必要があるかどうかの問題だけで、もし、この中の一つでも思い出せば、あとは次から次へと鮮明に思い出すに違いない。  何故なら、ぼくらは、一度白紙にする作用を受けている。そして、その白紙の上に、鮮烈な時代が足跡を残して行ったのである。忘れる筈がない。  こういういい方が出来るだろう。  長い歴史の中で、たった三年だけ、子供が大人より偉い時代があった。  そして、たった三年だけ、お仕着せの価値観ではなく、庶民や子供が価値観を見つけ得る時代があった。  そのたった三年とは、暗黒の時代といわれている昭和21〜23年である。飢え、死に瀕してはいたが、生きる活力と、新しいものに出会う興奮は、今から考えるとユートピアだといえなくもない。  歴史の中での国家の地軸のズレがユートピアを現出させ、そのズレが修正されて来ると同時に姿を消したのである。  その時代の少年が忘れるわけがない。誰だってラブレターになってしまうだろう。  ぼくは、四年間、YOUという個人新聞を出していた。いわば、活字になったサロンともいうべき物で、毎月のゲストとの対談の他にも、多くの、そして、異色の才能が参加してくれていた。  その内容の充実度は今でも誇りに思っているし、事実、全くの個人発行の新聞でありながら、八千部近く印刷していたし、数千人の定期購読者もいた。  YOUというTV番組が現在あるが、それよりもはるかに以前のことである。  YOUは、阿久悠の悠であり、コミュニケーションの対象としてのYOUであり、もう一つ奇をてらえば、YOUNGから、NG(no good)がなくなったものである。  それはともかく、小説「瀬戸内少年野球団」は、そのYOUに、毎月きちんと二十枚ずつ、きちんと二年間連載したものである。  以前から、等身大の戦後史、つまり、当時の少年の目の高さから見た戦後史といったものを、現在の視点からの修正を可能な限り避けて、小説の形で書いてみたいと思っていた。  そのためには、誰の都合も考えなくて済む個人新聞のYOUは、これ以上はない場で、最悪自分一人しか読まない物であっても構わないという思いで、発表という意志はさ程なかったものである。そういう意味では、これも又、ラブレターの一種かもしれない。  プライベート・ペーパーの連載小説が、目にとまって単行本になり、直木賞候補になり、映画になるという経路は、作品のサクセス・ストーリーといえないこともない。  YOUが四年間で中断したのは、ぼくが、半年間の休筆という方法を選んだためで、廃刊のつもりはなかったのだが、こういう情熱や緊張は、一度冷やしてしまうと、なかなか立ち上れないものである。これだけを考えると、休筆は失敗だったと思っている。  さて、「瀬戸内少年野球団」文庫化に際し、というよりも、もっと以前、プライベート・ペーパーから取上げて下さった時点から、文藝春秋の豊田健次氏には、里親のようなお世話をいただいている。末尾ながら、深くお礼を申し上げます。                     阿久 悠 昭和五十四年十一月文藝春秋刊 〈底 本〉文春文庫 昭和五十八年十一月二十五日刊